禅問答

「無門関」 習庵序表文無門慧開自序趙州狗子百丈野狐倶胝竪指胡子無髭香厳上樹世尊拈花趙州洗鉢大通智勝清税孤貧巌喚主人徳山托鉢南泉斬猫洞山三頓鐘声七條国師三喚洞山三斤平常是道雲門屎橛迦葉刹竿不思善悪離却語言三座説法二僧巻簾不是心仏久嚮龍潭非風非幡即心即仏趙州勘婆外道問仏非心非仏智不是道倩女離魂道逢達道庭前柏樹牛過窓櫺雲門話堕趯倒浄瓶達磨安心女人出定首山竹箆芭蕉拄杖他是阿誰竿頭進歩兜率三関乾峰一路後序禅箴
「従容録」 世尊一日陞座達磨廓然東印請祖世尊指地青原米価馬祖白黒薬山陞坐百丈野狐南泉斬猫台山婆子雲門両病地蔵種田臨済瞎驢廊侍過茶仰山挿鍬麻谷振錫法眼毫釐趙州狗子雲門須弥地蔵親切雲巌掃地巌頭拝喝魯祖面壁雪峰看蛇塩官犀扇仰山指雪法眼指簾護国三麼風穴鉄牛大随劫火雲門露柱仰山心境三聖金鱗風穴一塵洛浦伏膺馬師不安い山業識臨済真人趙州洗鉢雲門白黒洛浦臨終南陽浄瓶羅山起滅興陽妙翅覚経四節徳山学畢趙州柏樹摩経不二洞山供真雪峰甚麼法眼航陸曹山法身黄檗とう糟雲巌大悲雪峰飯頭密師白兎厳陽一物剛経軽賤青林死蛇鉄磨し牛乾峰一画米胡悟不趙州問死子昭承嗣首山新帰九峰頭尾厳経知慧夾山揮剣南泉白こ進山問性翠巌眉毛中邑み猴曹山孝満法眼質名瑞巌常理首山三句仰山随分雲門餬餅長沙進歩龍牙過板玄沙到県雲門声色道吾看病倶てい一指国師塔様臨済大悟疎山有無楞厳不見洞山無章仰山謹白南泉牡丹雲門一宝魯祖不会洞山不安臨済一画九峰不肯光帝ぼく頭洞山常切雲門鉢桶瑯や山河
公案「碧巌録」「伝光録 」「趙州録」「五灯会元」「臨済録」・・・
 

雑学の世界・補考   

無門関
(むもんかん、無門關) 中国宋代に無門慧開によって編集された公案集である。
無門関には48もの公案が無門慧開によって様々な語録から選ばれ、それぞれに頌と評唱が付けられ、看話禅では必ず使用されるテキストであり、特に最初の「趙州狗子(狗子仏性、趙州無字)」の公案は、「犬にも仏性はあるか」に対し、「無」と答えた、というだけの内容であるが、禅者が最初に与えられる課題であり、これを解くのに3年はかかるといわれているほどの難問である。 中世においてはそれほど注目されなかったものの、江戸期に脚光を浴びるようになり、現在においても盛んに提唱されている。  

習庵序
道は無門と説けば、尽大地の人得入せん。道は有門と説けば、阿師の分無けん。第一強ひて幾箇の注脚を添ふは、大いに笠上に笠を頂くに似たり。硬く習翁が賛揚せんことを要す。又是れ乾竹に汁を絞る。這些の哮本を著得す。習翁が一擲に一擲するを消ひず。一滴をして江湖に落さしむること莫れ。千里の烏騅も追ひ得ず。

道は無門、門がないと説けば猫も杓子の門に入る、だれあって仏は仏のはずが、気がつかねば使えない道理です、なお証せざるは顕れず、門というにはこれだけが門です。門有りと説けば阿師、師というには出家修行の事、他の追随を許さぬものあり、無門関を説きこれを修めて、あるいは千人のうちの一人も卒業できないんですか、無門というのにどうしても有門です、どこまで行ってもなにかしらあると思っている、身心なしを未だ夢にだも知らんです、即ち使いようがないんです、使いようにないのを使っている、使う手段です、手段都合ありゃ落第なんです、それを知らないからただもう騒がしいだけです、臨済宗だの曹洞宗だのいってかす、くずあくたの集積です、強いて幾箇の注脚という、ないものが云えば多少は取り得あり、有るものが云えば邪魔です、仏をよこしまにし、達磨さんに毒を盛る、ついではごんずい塊にかたまって端にも棒にもかからんです、自分で自分の首を絞めて、かくのごとくの宗門の衰退です、嘘と張ったりばかりの坊主渡世は、死出虫稼業の欲やかりいじましさのほかになんにも残らんです、これみな無門を有門とするが故による、人々厳に謹んで下さい。習翁とは習庵和仲という宋代の進士だそうです、破天荒といわれるほどの進士に及第して世間一級の人物でしょう、禅門を叩いてこの文章も並のものではないです。賛文を書けと云われて、乾竹から汁を絞るようなものだと云い、這些のこう本子供だましの本が出来上がったが、一擲捨てるなげうつんです、二回も捨てるんですかあほくさ、捨てる値打ちもないという、こんなものを江湖揚子江と洞庭湖江湖会と未だに法戦式のことを云うんですが、これは転じて世間ぜんたいですか、江湖にこれが一滴の序を落とさないでくれ、広まったら最後一走り千里を行く名馬うすいも追いつけぬというのです。なんだかもって回った序ですか、なんにもない人なんにもない日送り如何、どうですかちゃんと答えが出ますか、はい当たり前ってね。
表文

 

紹定二年正月初五日、恭しく天基の聖節に遇う。臣僧慧開、預め元年十二月初五日に於いて、仏祖の機縁四十八則を印行ねん提し、今上皇帝聖身弓の万歳万歳万万歳を祝延したてまつる。皇帝陛下、恭しく願はくは、聖明日月に斉しく、叡筭乾坤に等しく、八方有道の君を歌い、四海無為の化を楽しまんことを。
慈懿皇后功徳報因祐慈禅寺前住持、伝法臣僧慧開、謹んで言す。

天基聖節は天子の誕生日、無門慧開は臨済宗月林師観の嗣。慈い皇后は理宗の母、母の追善供養のために建てた寺。紹定二年は1229年。叡簪乾坤ー日月のように智慧が明らかなこと。四十八則の有道のありようを歌い、世界ぜんたいが無為をもってすることを願う、無為の化を楽しむことこれ政治の根本です、理想社会これ。皇帝という今は二束三文ですか、アメリカの大統領選挙も中国共産党も勝れりとはさっぱり思えんです、いずれ物笑いにしかならんです、いえさものみなに目くじら立てるよりは、祈るにしくはなし、空騒ぎで一生を棒に振らんこってす、はい。
無門慧開自序

 

仏語心を宗と為し、無門を法門と為す。既に是れ無門、且らく作も生か透らん。あに道ふことを見ずや、門より入る者は是れ家珍にあらず、縁に従って得る者は始終成壊すと。いんもの説話、大いに風無きに浪を起こし、好肉に瘡をえぐるに似たり。何ぞ況や言句に滞って解会をもとむるを得んや。棒を棹って月を打ち、靴を隔てて痒をかく、甚んの交渉か有らん。慧開、紹定戌子の夏、東嘉の龍翔に首衆たり。衲子請益に因んで、遂に古人の公案をもって門を敲く瓦子と作し、機に随って学者を引導す。竟爾として抄録するに、覚えず集を成す。初めより前後を以て叙列せず、共に四十八則と成る。通じて無門関と白ふ。若し是れ箇の漢ならば、危亡を顧みず単刀直入せん。八ぴの那た、他を欄れども住まらず。縦使い西天の四七、東土の二三も、只風を望んで命を乞ふことを得るのみ。設し或いは躊躇せば、也た窓を隔てて馬騎を看るに似て、眼を眨得し来たらば、早く己に嗟過せん。
頌に日く、大道無門、千差路有り。此の関を透得せば、乾坤に独歩せん。

仏語心とはあなたそのものなんです、心というもとよこしまなきを知る、どうしようがこうしようが妄想無明も仏です、まるっきり穢れなきを知る、これを宗とす、他にはまったくないんです、杓子定規の物差しじゃないんです、ついには取り付く島もなし。無門とはこれなんらの規定、あるいは聖俗がないんです、ちらとも仏教あり法ありでは落第です、落第しきって底が抜けて下さい、かすっともかすらんです。既にこれ無門、しばらくそもさんか透らん、透るともうはや無いんです、何を透ったかというて、しばらく透らなかったなにかしらあったんです、不都合を去れば都合ですか、あとかたもなしによって、自由無碍もと仏です、自縄自縛の縄をほどけば仏。門より入るものは是れ家珍にあらず、無門出入りなし、虚空によって虚空に参じて下さい、直きに得るも得ないもないことを知る、無自覚の覚。縁によって得るものは始終成壊す、世の常まさにこれです、成ったり壊れたりの繰り返しを人生積み重ねという、間違いが間違いを生む、アメリカの醜悪あるは宗教による、中国も無知の故にめったやたら、いんもの説は風無きに波を起こすに似たり、好肉に傷をえぐるに似たりと、傷をえぐるも波を起こすももとまったくに掌の辺、みしこれを知るあるいは成道に近いですか、近い遠いといっているうちは言句に滞り、解会の際限なしをもってする、棒をとって月を打ち、隔靴掻痒ですか、ただじかにふれ、じかにふれるということを知らぬ、日常茶飯です、地球ものみなのお仲間入りですよ、慧開ついに古人の公案四十八則をもってす。なんのさわりもなければ一即万即通ず、さわりあれば瓦礫、引導するとは機縁あるなし、学者とは滞るなし、ついに無一物、危亡を顧みず単刀直入です、他なしです、慧開を証明して西天四七、東土今に至るまでをただこれ唯一の仲間うちですか、肩を並べて行く、ほかには尊敬するものなし、社会なし世間なしなんです、でなけりゃそりゃ嘘とはったりです、すでに出家すでに帰り着くところなし、もとのもくあみだけです。
頌に日く 大道無門、千差路有り、省みるなければ可し仏道。
此の関を透得せば、乾坤に独歩せん、もと独歩のほかにはなく、しかも万人志して一かニかかつがつこれを得る。

「かなめは仏と心、無門が法の門」門がないとなると、サテどこをどう通るか?
こうも言うてある。「門から入るは宝でないぞ、世のでき事はやがて破れる。」こういう説き方は、なぎの日に波、玉のハダにキズのよう。まして言葉にこだわり、センサクするとは!棒で打つ月、カユいのに靴、とどきはしない。わたしは、紹定元年の夏、温州の龍翔寺をあずかり、僧たちがおそわるので、昔からの問題を取りあげ、入門の手だてとして、それぞれみちびいた。弟子たちが書きとってしまい、いつしか本になった。あとさきの順もなかったが、みなで四十八まとまり、[無門関]と名をつけた。もしも男いっぴき、いのちを捨てて、ふりかざして行けば、八本ウデのナタ太子も敵でなく、たとえばインドのダルマ、中国の慧能でも、恐れいって「お助け」と言う。もしグズついていると、窓べを過ぎる馬のように、まばたきする間に、見うしなってしまう。
歌に、真理に門なく、道こそさまざま。この関とおれば、足音高らか。
無門関は南宗の禅師慧開無門(1183-1260)によって彼が四十六歳のときに編纂された禅の問題集です。
無門は法系図によると月林師観禅師の直弟子で、後に無門関の第一則になった「狗子無佛性」の公案に六年間取り組み、ある日、太鼓の音を聴いて大悟したと言われています。
無門は紹定元年(1228)に龍翔寺をあずかり、雲水たちの主座として皆を指導する立場にありました。この序によると、僧達がもっと具体的な教材で教示してほしいというので、今まで公案として扱ってきた古人の問答や語句をとりあげて、個々の相手の機によって選択し指導してきたが、それを弟子達が書きとったものが積み重なって相当な量となり、始めから前後を考えて並べたわけではないものがそのまま、四十八則の[無門関]となってまとまったということです。
この時代は南宗の国力が衰微して末路に近づいていた頃で、禅界もその最盛期をすぎて衰潮著しい時でした。ちょうどそのような時に無門禅師があらわれ、禅界の中興を成就することとなりましたが、そのときの修行者達の手引きとなったのがこの公案集の[無門関]でした。
『 無門は晩年、西湖の湖畔で隠居を試みましたが、求道者の訪問が絶えず、意のままにならなかったと伝えられています。[開道者]とあだ名されていたという無門の風貌を弟子が表した頌(うた)があります。師はやせて神々しい。その言葉は簡潔にして深遠。長く濃い髪と髭をもち。ぼろぼろな弊衣をまとっていた。』 
趙州狗子

 

趙州和尚、因みに僧問ふ、狗子に還って仏性有りやまた無しや。州云く、無。
無門日く、参禅は須らく祖師の関を透るべし。妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す。祖関透らず心路絶せずんば、尽く是れ依草付木の精霊ならん。且らく道へ、如何が是れ祖師の関。只だ之を目けて禅宗無門関と白ふ。透得過する者は、但だ親しく趙州に見えるのみに非ず、便ち歴代の祖師と手を把って共に行き、眉毛あひ結んで同一眼に見、同一耳に聞く可し。あに慶快ならざらんや。透関を要する底有ること莫しや。三百六十の骨節、八万四千の毫竅を将って、通身に箇の疑団を起こして箇の無の字に参ぜよ。昼夜提撕して、虚無の会を作すこと莫れ、有無の会を作すこと莫れ。箇の熱鉄丸を呑了するが如くに相似て、吐けども又吐き出さず。従前の悪知悪覚を蕩尽して、久々に純熟して自然に内外打成一片ならば、唖子の夢を得るが如く、只だ自知することを許す。驀然として打発せば、天を驚かし知を動かさん。関将軍の大刀を奪ひ得て手に入るるが如く、仏に逢ふては仏を殺し、祖に逢ふては祖を殺し、生死岸頭に於ては大自在を得、六道四生の中に向って遊戯三昧ならん。且らくそもさんか提ぜいせん。平生の気力を尽くして箇の無の字を挙せよ。若し間断せずんば、好だ法触の一点すれば便ち著くに似ん。
じゅに日く、狗子仏性、全提正令。わずかに有無に渉れば、喪身失命せん。

無字の公案といって臍下丹田にムの字を置いて見つめ見つめして行く方法がある、たしかに見性というなにものか離脱する、開けることがあるんですが、どうもほんとうには行かないようです、無理無体狂人も出る始末というのは、心路を絶するに機械的にしても今一つですか、祖師の関を透るには、全人格を必要とする、全人格を超える必要がある、人間を卒業するには人間を用いるほか手段はないんです、さすがに慧開という、すべてを尽くしてもってする本来が見えます、眉毛あひ結んで同一眼に見る、同一耳に聞く、独創だの個性信仰だの思想のはるかに届かぬ世界です、独創なければ天才なしと、いえ自分というこれを捨て去るんです、天才という中途半端、独創という目くそ半欠けを望まないんです、死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよき、自分という来し方、いえ未来永劫用なしです、淋しいつらい取り得まったくなしです、でなきゃ仏に行き逢えないんです、ちらともなにがしか欲しいとなら、無門関は止めたがいいです。有無の会をなすことなかれ、虚無の会をなすことなかれ、正令全提です、無と無になりきって下さい、生き甲斐というけちな着物を脱ぎ捨てるんです、ちっぽけな蛙さえ天地乾坤に鳴く、地球ものみなの喜びを知って下さい、てめえに首突っ込んで歩く無様は人間だけです、ろくでもないこったです。さあおやり下さい、ただじゃあただにならんです。 

趙州さまに、ひら坊がたずねた。「犬にも仏の性質がありますかね?」趙州がいう、「無じゃ!」 無門がいう、禅には開祖このかたの関所があり、悟るためには行きづまらねばならぬ。関所も通らず、行きづまりもせねば、まったく草木同然のたましいだ。
ところで、その関所とは何かというに、ただこの[無]ということ、これがこの宗の関所だ。だからその名も[禅宗無門関]通りぬけた者は、趙州に会えるばかりか、代々の祖師がたと手をとって行き、まゆ毛がくっつき、同じ目で見、おなじ耳できく。すばらしいではないか! 通ろうとするものはないか?
三百六十の骨ぶし、八万四千の毛穴、全身をもって疑い、[無]の意味を知れ、よるひるひきしめて、[虚無]にも落ちいらず、[有無]にもかかわるな。焼けた鉄のたまをのんだようなぐあいに、はき出すこともならず、これまでの無分別をとろかし、だんだん練れてくると、しぜんに内もそとも一つになる。オシが夢を見たようで、ひとには知れないが、パッと打ち出せば、えらい事になる。まるで関羽さまの刀を手に入れたようで、仏も開祖も、みんななで斬りにし、生も死もないまったくの自由、どこにどう生きるにせよノンビリしたもの。
だが、どうしてひきしめるのか?いつも張りきって、[無]というものを持て。油断がなければ、お燈明のようにパッとつくのだ。
歌に、犬も仏も、これこの通り。「有無」をいうたら、ほろびるいのち。
この公案の鑑賞すべきところは無門の解説で、公案特有の逆説的でひねった表現も、難解で抽象的な譬えもありません。無門は、切々とこの問題の重要性と、答えを得ることへの心構えと、その答えを得たときの素晴らしさを説いています。《妙悟ハ心路ヲ窮メテ絶センコトヲ要ス》とは、行き詰まることが、悟りを得ることの出発点であるということです。《大迷のあとに大悟あり》といいますが、迷いがあって初めて正しい自覚ができると言っています。
悟りには大疑団と大信根が必要だといわれます。[大疑団]とは大迷のもとになる大きな疑いのことです。「大信根]とは、必ずその答えがあるという強固な信仰です。どうして何のために自分は生まれて来たのであろうか、どう生きてどう死んでいくのが正しいのであろうかというのも大疑団の一つです。程度の差こそあれ、その種のことは誰でも考えることではありますが、その疑問が大きいほど良いと言っています。
相手にもともと思いやりがなく、他人を傷つけても何とも思わない人は決して対人関係に悩むことはありませんし、その結果人付き合いが上手になることはありません。人間は、どうしたら他人とうまく付き合い自分が好かれるようになるだろうと悩むからこそ考え、反省して、初めて社会人として成長することができるのです。
無門によれば、自分の心や人生や生死の問題に大きな疑問がなければ、決して最終的な自覚である悟りに到達することはできないといっています。迷いも悟りもなければ、草木の精霊と同じで、要するに生きているのか死んでるのか自分でもよくわからないままだということです。
もし悟ることができれば、《但ダ親シク趙州ニ見(マミ)エルノミニ非ズ、便(スナハ)チ歴代ノ祖師ト手ヲ把ッテ共ニ行キ、眉毛廝(アヒ)結ンデ同一眼ニ見、同一耳ニ聞(モン)ス可シ。豈慶快ナラザランヤ。》と言い、実感として歴代の祖師と手に手を携えて生きることになり、同じ眼や耳でものごとを見ることになる。なんと素晴らしいことではないかと言っています。
百丈野狐

 

百丈和尚、凡そ参の次で、一老人有って常に衆に随って法を聴く。衆人退けば老人も亦退く。忽ち一日退かず。師遂に問ふ、面前に立つ者は復た是れ何人ぞと。老人云く、諾、某甲は非人なり、過去迦葉仏の時に於ひて曾って此の山に住す。因みに学人問ふ、大修行底の人還って因果に落ちるやと、某甲対へて云く、因果に落ちず。五百生野狐身に堕す。今請ふ、和尚一転語を代って貴へに野狐を脱せしめよと。遂に問ふ、大修行底の人還って因果に落つるやまた無や。師云く、因果を昧さず。老人言下に大悟、作礼して云く、某甲すでに野狐身を脱して山後に往在す。敢て和尚に告ぐ、乞ふらくは亡僧の事例に依れと。師維那をして白槌して衆に告げしむ、食後に亡僧を送らんと。大衆言議すらく、一衆皆安し、涅槃堂に又人の病む無し、何が故ぞ是くの如くなると。食後に只師に衆を領して山後の巌下に至って、杖を以て一死野狐を跳出し、乃ち火葬に依らしむるを見る。師晩に至って上堂、前の因縁を挙す。黄檗便ち問ふ、古人錯って一転語を祇対し、五百生野狐身に堕す、転転錯らざれば合に箇のなににか作るべしと。師云く、近前来、伊が与めに道はんと。黄檗近前、師に一掌を与ふ。師手を拍って笑って云く、将謂らく、胡髭赤と、更に赤髭胡有り。
無門日く、不落因果なんとしてか野狐に堕す、不昧因果なんとしてか野狐を脱す。若し者裏に向って一隻眼を著得せば、便ち前百丈の風流五百生をかち得たることを知り得ん。
じゅに云く、不落と不昧と、両菜一賽。不昧と不落と、千錯万錯。

仏教とは生死を明らめること、すなわち因果歴然を知ること以外になく、おのれの取り得ちらともあれば因果を昧ますんです、まずもってここをはっきりさせて下さい、仏教という仏というたいてはまずは自己弁護です、おれは悟っただからという、ありもしないものの上に胡坐をかいて、因果に落ちずとやる、五百生野狐底です、もののわがまま畜生道に堕すことに気がつかない、そういう類多いです、あるいはお寺に生まれたから説教で坊主まるもうけだという、心理学病理学の対象にしかならない有耶無耶、こりゃまあ野狐どころじゃないんですか、因果必然を知るとはこれあればかれあり、だからどうしてどうなったという経緯じゃないんです、ただこれを知る、業火の燃え盛る如くですか、あるいは死に絶えてのち始めて得るんですか、この則まずもってこれが理の当然を知って下さい、そうしてもって黄檗の一掌あり、赤髭胡胡髭赤です、不落と不昧と両菜一賽あり、不昧と不落と千錯万錯です、ごっちゃにしてこの則のいい加減をなじるんじゃないんです、剣刃上を行く、ないということ夢おろそかにするべからず、触れりゃぼろり手指落ちるんです。 

百丈さまのお説教には、ひとりの老人が、みなと教えをきいていた。みながさがれば、老人もさがる。ある日さがらずにいるので、坊さまがきく、「そこに居るのは、何びとじゃな?」
老人、「いや、人ではございません。むかしカショウ仏のころ、この寺に住み、書生から、「えらい修行をした人も、因果に落ちますか?」ときかれ、「落ちない!」と答えたために、五百代キツネにされました。なにとぞ坊さまのおくちぞえで、キツネからぬけますよう。」そこできく、「えらい修行の人も、因果に落ちましょうか?」
坊さま、「因果にたがわぬ!」
老人はその言葉で悟り、おじぎをして、「私はもうキツネからぬけて、裏山にいます。どうかお坊さま、おとむらいをねがいます。」
坊さまは世話役に板を鳴らさせ、食後に葬式だとふれた。一同ふしぎがる。「みんな元気で、病室に居る者もないのに、なぜなんだろう?」
食後になると、坊さまはみなをつれて、裏山の岩の下に行き、ツエでキツネの死体をひき出し、それを火葬にした。
坊さまは晩の説教で、いわく因縁を話す。すると黄蘗が、「その人はひとこと返答しそこねて、五百代キツネの身となったが、ことごとくたがわねば、何になりますかな?」
坊さまがいう、「こっちにこい。話してやろう。」 黄蘗は近よるなり、坊さまをひっぱたいた。坊さまは手をたたいて笑い。「毛唐は赤ヒゲだが、赤ヒゲの毛唐も居ったか!」
無門がいう、因果に落ちねば、なんでキツネになろう?因果にたがわねば、どうしてキツネからぬけよう?もしこの点にシカと目がつけられたら、前世の百丈もたのしい五百代であったとわかる。
歌に、落ちず、たがわず、ともにサイの目。たがわず、落ちず、たがいにちがい。
野狐禅という言葉は、禅の世界ではよく使われていて、禅の各種の講演会でもよく聞かれる用語です。人間が座禅をやっているのを見て、狐が野原でその真似事をしている様子をいい、生半可に禅をかじって、悟ったつもりになって禅的な知識をひけらかし、禅的と思える様な態度をとっているような人間を批判する言葉です。ぶっきらぼうというか、鷹揚な大人物風な態度を禅的なものと誤解している場合なども、野狐禅の表れの典型的な例になります。
この野狐禅という言葉は、「巖喚主人」のところで述べている雲門の三種の病の中には使われていませんが、この三種のうちの透脱無依(とうだつむい)に陥っている状態のことを言っていると思われます。
野狐が「因果に落ちない」というのは、世の中の動きや人情の道理にはとらわれないという意味ですが、これは透脱無依という言葉で表される瓢箪の川流れのような心境とほぼ一致しています。中略)
五百代もの長い間キツネにされるとはずいぶんオーバーな話しだと思うかもしれませんが、人間は雲門のいう三種の病気のうち已到住著や、透脱無依の病いにおちいっている人は普通の社会の中に相当数いて、特に四十代過ぎてこれらの病いにかかっている人はもう実際問題として立直りが不可能なのです。この年代でこのような形ちで慢心している人はもう殆どの場合全くの手遅れで、死ぬまでそれによる混乱が続き、それをあの世まで持ち込むことになるので、五百代でも短いと言いたいくらいなのです。
毎日の生活の中で自らを省みて大いに気を付けたいものです。
倶胝竪指

 

倶胝和尚、凡そ詰問有れば、唯だ一指頭を挙す。後に童子有り。因みに外人問ふ、和尚何の法要とか説かんと。童子も亦指頭を竪つ。胝聞きて遂に刃を以てその指を絶つ。童子負痛号哭して去る。胝復た之れを召す。童子首を廻らす。胝却って指を竪起す。童子忽然として領悟す。胝将に順世せんとして、衆に謂って日く、吾れ天竜一指頭の禅を得て、一生受用不尽と。言ひおわって滅を示す。
無門日く、倶胝並びに童子の悟処、指頭上に在らず、若し這裏に向って見得せば、天竜同じく倶胝並びに童子と、自己と一串に穿却せん。
じゅに日く、倶胝鈍置す老天竜、利刃単提して小龍を勘す。巨霊手を擡ぐるに多子無し、分破す華山の千万里。

倶胝は南岳下、天竜和尚の一指頭によって開示す。童子如何なるかこれ道と問われて一指頭を竪てる、その指がないんです、忽然として領悟す。身心ぜんたいが失せるので忽然という、ある人足の親指を自己によって切断し、みっともなくって人といっしょに風呂も入れなかったという、へえそうか足拇指だけ先に悟っちまったなと云ったら、ほんとうに悟る、二三日は興奮して眠れなかった由、もっともこれを長長出させて本来のものになればよし、おのれの取り得などいう中途半端じゃそりゃなんにもならんです。天竜と倶胝と童子とおのれと、一串に穿却せんとは同じなんです、異論異種の仏なし、意趣の仏法なしたった一つを生涯にして下さい、わずかに一指頭一生受容不尽です、さあどういうことかわかりますか。巨霊神は山を引き裂いて華山と首陽山を作ったという伝説、多子なしです、小説はなんとか本を売るこっちゃないんです、一箇半分救えるか田舎の問題です、自救不了のお喋りは首ごとぶった切るにいいです。 

倶胝の坊さまは、問いかけられると、指をおっ立てる。のちに小僧が、人からきかれた、「坊さまの説法はどうだ?」小僧も指をおったてた。
倶胝はそれをきき、ハモノで指を切り落とす。小僧は痛さに、泣いて逃げ出した。倶胝がよびもどす。小僧がふりむくと、倶胝は指を立てる。小僧はフッと悟った。
倶胝は死ぬとき、みなに向かい、「天竜さまから指禅を受け、一生使いきれぬわ!」そいって死んだ。
無門がいう、倶胝と小僧の悟りは、指にあるのじゃない。もしこの点がわかれば、天竜と倶胝、それに小僧と自分が、一直線だ。
歌に、倶胝、天竜をひとつまね、しかも小僧の指をはね。手力男の無ぞうさに、お山をくだくさながらに。
小僧がマネをして指をたてただけで、指を切り取ってしまうのですから、ずいぶんヒドイ、痛い話です。多分、作り話だとは思いますが、それにしても中国の寓話は日本のそれとはかけ離れています。指を切られてからしばらくたって傷が癒えたときの話と思っていましたが、どうもその切った直後に呼んだということのようです。だとすれば、小僧にしてみれば実際のところ、痛くてそんな悟りどころではないと思いますが、とにかく問題を出された我々はひとまず、その痛みのことは忘れて、小僧は何をどう悟ったかを考えてみましょう。
自分の指をたてて、倶胝はその指が具現している仏性を示していたのだと思います。仏性とは、主観と客観が一致した人間本来の心であり、盤珪禅師のいう不生の心です。
小僧は、倶胝に呼ばれたことによって、返事をするかわりに倶胝のまねをして思わずいつものように指をたてようとして、その仏心であるはずの主体の指がないことに気がつきます。
第一則の趙州狗子でもあるはずの仏性を’無’としていますし’香厳撃竹’の示す竹を石が打つ瞬間の音も、物そのものではありません。
この公案の最後に、指禅と言われるものを天竜師からついだ倶胝は、その指による教示法と、教示している対象の仏心は一生使い切れないほど無尽蔵でまた便利であったと、弟子達に言い遺して死んだとあります。
無門は解説に、はっきりと倶胝と小僧の悟りは、指そのものにあるのではない、全人間に共通の仏心を知ることだと言っているようです。そして頌(うた)に、その倶胝の指導が無造作でありながら偉大な力を発揮していると讃えています。
胡子無髭

 

或庵日く、西天の胡子、甚んに因ってか髭無き。
無門日く、参は須らく実参なるべし、悟は須らく実悟なるべし。者箇の胡子、直に須らく親見一回して始めて得べし。親見と説くも、早く両箇と成る。
じゅに日く、痴人面前、夢を説くべからず。胡子無髭、惺に懞を添ふ。

達磨さんに髭あるかという公案、ひげがあるかないか自分で確かめて下さいってことです、達磨絵を描いて筆のすさびありや、書を書くにものまねなし、自分という納得なし、ただはまったくのただ、するとそいつは書なんですか、文字ですか、誰が誰に問うんです、答えはあるんですか、試みにやってみりゃいいです、一生を棒に振ること請け合い。
親見一回無字の公案ですか、早く両箇となる、自分を自分が認めるという余計なことをしているんです、自分をどうやったら認められるんです、不可能事は擲つによく、執着するば身心疲れるんです、あるいはこれ狂人の道、うちわ太鼓でも敲いてほっつき歩けば、なにがしか答えが出る気がするんですか。
痴人に夢を説くなかれと、観念妄想の人に、すなわち夢見る人に実を説くなかれというんです、あっはっはせいせいのもうを添え、とかくさんざんな目に会うんです。もうっていう字はどうも奇妙なつくりです。 

惑庵がいう、「西の毛唐に、なぜヒゲがない?」
無門がいう、思うにも真実、悟るにも真実。ここの「毛唐」もただひと目見てつかむがよい。「ひと目見る」といえば、もう二人だ。
歌に、おろか者には、夢説くまいぞ。毛唐のヒゲなど、よけいな苦労。
「胡子」とは前節で述べたように達磨大師のことで、ヒゲでおなじみの達磨大師にヒゲがない、とはどういうことかと問いかけています。
無門関第二則・「百丈野狐」で「毛唐は赤鬚だが、赤鬚の毛唐も居たのか!」(魚返訳)のところを、前者を客観的な存在としての胡子とし、後者を主観的な存在としての胡子としました。
大切なのは、胡子にヒゲがないことと、そこにヒゲのない胡子がいるということは一体のことだということです。そこに自由な存在としての一箇の達摩がいて、ヒゲを蓄えるのも剃るのも全くの自由なのです。禅ではこれを大自由といいます。
香厳上樹

 

香厳和尚云く、人の樹に上るが如し。口に樹枝を啣み、手に枝を攀じず、脚は樹を踏まず。樹下に人有って西来の意を問はんに、対へずんば即ち他の所問に違く、若し対へなば又喪身失命せん。正恁麼の時、そもさんか対へん。
無門日く、縦ひ懸河の弁有るも、惣に用不著。一大蔵経を説き得るも、亦用不著。若し者裏に向って対得著せば、従前の死路頭を活却し、従前の活路頭を死却せん。其れ或いは未だ然からざれば、直に当来を待って弥勒に問へ。
頌に日く、香厳は真の杜撰、悪毒尽限無し。衲僧の口を唖却して、通身に鬼眼を歩と奔らしむ。

樹の上に上って足を放し手を放し口に枝をくわえてぶら下がる、樹下に人あって仏を問う、さあどうするっていうんです。仏祖師西来意を学んでかくかくしかじか、たとい一大蔵教を覚えるという、高い樹を攀ずる如しですか、いいですか仏とはおのれ=おのれの外を研究するんですか、研究するとは忘れ去る以外になく、もとはじめっからにてようやく使えるんです、でなけりゃどこまで行こうが他人の物差し、一大蔵教です、複雑怪奇な関係学すなわち学者猿の月影を追う、云ってみりゃ何をどう説こうがてめえをひけらかすっきりです、人のためほかのためにするってことが出来ない、見え見えの心理学は女の取り得、女に見破られぬほどの仏でなけりゃそりゃ漫画です、するにはくわえた口を離して喪身失命するしかない、自分失せてはじめて仏です、死んだやつを仏というんです、何云おうがでたらめめったらだろうが、人のためほかのためは、そりゃ自分ないからです、単純な理屈です、仏とはなにか、仏教とはほかのためです、仏教というほとけという一物もないんです、あっはっは女に持てるようになるよ〜面倒臭いだけだったり。
香巌、潙山の霊祐に継ぐ、真の杜撰とはかくの如し、杓子定規の名文ではちりっぱ一つ救えんです、真実とはよって件の如し、悪湯注ぐとき、口をあんぐりどうもこうもならん、自分というなにかしらあると思い違える、そやつがいっぺんに吹っ飛ぶ、はい参禅はもとっこおのれいらんのです。 

香厳さまがいうには、「人が木にのぼり、枝をくわえて、手ではつかまれず、足もかけられぬ。下から人が、禅の意味をきく。答えないでは相手にすまぬし、答えたらこっちのいのちがなくなる。こういう場合に、どう応対する。
無門がいう、いくら口が達者でも、役にはたたぬ、お経をまくしたてても、これまた無用。もしこのところで答えられたら、死んでいたのも生かされ、生きていたのが死なされる。それができねば、気ながに待ってミロクにきけ。
歌に、香厳こそ狂言、めいわくな世間。坊ずも舌をまき、目をむきハテけげん。
口で木をくわえているところに「西来ノ意」とは何かと質問され、答えれば落ちてしまうし、答えなければ、質問の要求に答えられないし、どうしようもない絶対絶命のところですが、答えて死ぬよりましなので、なにも答えないでいるのが正解なのでしょうか。
しかしこの答えは、葛藤集の第百七十六即「香厳撃竹」のところで述べている、偽山の「汝の父母未生以前の本来の面目」を言えという質問に、香厳がその答えの教示を求めたところ、「吾、汝にかわりて謂わんこと難しからず。されどは後に汝、吾を恨みん。吾説を謂わば、これ吾が見解、汝が眼目について又何の益あらんや」と、香厳に対して突き放して言ったこの言葉につきていると思います。
偽山はこのとき、自分はその答えを言うことはできるが、それは自分の見解にすぎないから、そのことを今伝えるのは少しも君のためにならないと言います。そして、香厳は何年か後に悟った時に、偽山が自分が質問した時に何も教えてくれなかったことに深く感謝しています。
「西来ノ意」を問うということは、禅の祖師である達摩さんが何を意図して、インドからはるばる海路で中国までやって来たのかという質問です。第三十七則「庭前柏樹」では全くこれと同じ質問によって公案を構成しています。
この公案は達摩さんが伝えようとした禅の真髄とは何かと聞いているのと同じなので、偽山が香厳に問うた「汝の父母未生以前の本来の面目」の答えと同じになります。
さんざん考えた結果、香厳が「どうか教えてください」と教えを請うたとというのは、この問題の「西来ノ意」を聞いたのと同じことになりますが、偽山は弟子の質問に答えませんでした。いくら 「西来ノ意」を聞かれても、答えるわけにはいかないのです。聞く方が悪いのですが、聞かれてもどうしようもないことなのです。
無門もその通りのことを言っているようです。「其レ或イハ然ラザレバ、直キニ当来ヲ待ッテ弥勒ニ問ヘ。」とは、もし自力でこの答えが得られないなら、釈迦が滅したあと民衆を救うために登場するはずの弥勒の救いを待つのが良いということのようです。
世尊拈花

 

世尊、昔霊山会上に在って花を拈じて衆に示す。是の時衆皆黙然たり。惟だ迦葉尊者のみ破顔微笑す。世尊云く、吾に正法眼蔵涅槃妙心実相無相微妙の法門有り。不立文字教外別伝摩訶迦葉に付嘱す。
無門日く、黄面のぐ(貝二つの下にふるとり)曇、傍若無人。良を圧して賎と為し、羊頭を懸げて狗肉を売る。将に謂へり、多少の奇特と。只だ当時大衆都べて笑ふが如きんば、正法眼蔵そもさんか伝へん。設し迦葉をして笑はざらしめば、正法眼蔵またそもさんか伝へん。若し正法眼蔵に伝授有りと道はば、黄面の老子、閭閻を誑謼す。若し伝授無しと道はば、なんとしてか独り迦葉のみを許す。
じゅに日く、花をねん起し来たって、尾巴すでに露はる。迦葉破顔、人天措くなし。

迦葉尊者、お釈迦さまに出会うにはすみやかに髭ほつ落ちとある、お釈迦さまの説くを聞き姿を見て、微塵の疑いもなかった、即ち出家して、二年間というもの身を横たえることなかった。弟二祖です、のちのまた我に至るまで弟一座と仰ぐ所以です。だれかこのような人がいたか、わしなんぞは不信疑い自堕落わがまま三昧、いたずらに時を失し、ものみなをよこしまにする、どうにもこうにもです。もと仏足石、その足型の上に仏が立つと知って、他にはないこと無等等覚です、正法眼蔵です、涅槃妙心です、不立文字、教外別伝、ただもうまっしぐらにする。花をねんじてもって示す、なにをもって示すともそれあるいは余計ことです、無駄っことです、迦葉破顔微笑。大衆黙然右往左往するなかにたった一人すでにこれを受く。大迦葉今に至るまで大迦葉、今より以後人の世尽きたるのちまで大迦葉です、ほかになんにも云うこたないです。人天措く無し、身をもって彼が爪の垢になるがよし。 

シャカさまが、霊山での集まりのとき、みなに花を見せた。このとき、だれもポカンとしていたが、ただカショウさまだけがニコリと笑った。
シャカさまがいう、「わしの世界の見方、人生の極意、すがたと影の、ふしぎな道理、文字に書けない、心の教えを、この大カショウに授ける。」
無門がいう、茶色のシャカさん、吹きも吹いたり、善人をナメて、見本とちがう物を売り、いかにも奇抜なつもり、だがもし全部がニコリとしたら、「世界の見かた」も授けにくかろう。もしもカショウがニコリとせねば、これまたどうして伝えられよう?「世界の見かた」が秘伝だなどとは、茶らぽこおやじのいなか芝居だ。またもし秘伝でないのなら、なんでカショウに限るのか?
歌に、花を持つ手に、シッポが見えた。カショウ笑えば、宇宙が動く。
おシャカさまが、花を持って少しヒネって見せた。そしたらカショウがニコッと笑ったという話です。
キレイだなあと思えば、誰だって少しは笑顔になります。花というものは、ただ切り取っただけのものも本当に不思議なほど美しいものです。何のお化粧もしていないし、何の嘘も、また隠しごともありません。
キリストの有名な言葉に、「 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡(つむ)ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 」(ルカ12章)
というのがあり、花を美しいと感じる気持ちは、仏教もキリスト教も同じです。
お釈迦さまはこの公案の中で、花を見て、小さい空間の中でその花が呼吸をしているのを感じ、キレイだなあと感心する気持ちが、世界のすべてだと言っていることになります。それが禅の主張です。
だから、花を見てキレイだなあと思う、子供のような気持ちを自分のものにするのが禅だとも言えます。それが自覚です。
臨済禅師が説法で「赤肉団上に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入りす。未だ証拠せざる物は、看よ看よ」と言っています。「赤肉団上」というのは人間の肉体のことで、その中に本当の人間の無位の真人(むいのしんにん)がいて、諸人の顔から出入しているということですが、この真人とは何かを知ることがその自覚です。
普通の人間はこの真人とは何かがわからないので日常の愛憎離苦に迷って、知らないうちに一無位の真人から離れてしまい、花を見てニコっと笑えないようになってしまっています。
森田正馬は子供の持つ童心と、自覚によって得られた童心とは絶対的な差が有ると言っています。似ているのは心の動きの結果(軌跡)の外観だけなのです。第三十七則の「庭前柏樹」の柏樹子や、この公案の(拈)花微笑はこの 「童心」の表れになります。我々がめざすものは、大人としてのこの「童心」の自覚です。
いたずらに、児童の心を手本にすることは、禅のいう「悪智」、般若心経のいう「顛倒夢想」、森田のいう「思想の矛盾」におちいる結果になるだけです。無門の解説はその辺のことを警告しているようです。 
趙州洗鉢

 

趙州因みに僧問ふ、某甲作入叢林、乞ふ師指示したまへ。州云く、粥を喫し了るや未だしや。僧云うく、粥を喫し了れり。州云く、鉢孟を洗ひ去れ。其僧省有り。
無門日く、趙州口を開ひて胆を見はし、心肝を露出す。者の僧事を聴ひて真ならずんば、鐘を喚んで甕となす。
頌に日く、只だ分明に極まれるが為に、翻って所得をして遅からしむ。早く灯は是れ火なることを知らば、飯熟することすでに多時なりしならんに。

喫茶去、洗鉢し去れと聞いて、そういうものだとレッテルを貼る、そりゃどうしようもないです、僧省ありというには、あるいは飯熟するすでに多時が必要ですか、灯は火なることを知るとは、もとはじめっからです、仏という仏教というなんら特別はないんです、強いて云えば因果歴然です、それをどうしても何かあると思いこむ、如何なるか是れ道、道はまがきの外に在り、そうさそう問はずばいられぬおのれというものを失い去れ=おのれという囲いがおのれです、おのれというかきねの外にある、なんとまあほこりまるけのアスファルト道ですか、いえそんなん聞いているんじゃないんです、我が問うは大道です、大道長安に通ず。すべてを尽くしてのちまっ平らです、大道長安に通ず、手放しの坐禅です、自分消えるに従い世界宇宙ぜんたいです、かすっともかすらないんです、これを云うに喫茶去です、飯食い終わったら椀を洗っておけというんです、触れりゃ切れる吹毛剣という、剣という不細工を要さないんです。口を開けば肝胆露呈する底の那一著あって、始めて喚んで甕となさず省ありですか、悟ったというがほどに未悟ですか。 

趙州に、坊ずが、「わたしは入門早々です。どうぞおさしずを。」とたのむと、趙州、「おカユは食いおったか?」
坊ず、「おカユはたべました。」
趙州、「鉢を洗ってこい!」
その坊主気がついた。
無門がいう、趙州はキモをのぞかせ、シン底を見せている。この坊ず、聞き分けなければ、カネもカメも同じ。
歌に、ハッキリしたことが、ウッカリされるもの。あかりは火であるぞ、ご飯の火をひけよ。
自分を客観的にみている自分がいることを述べてきましたが、(その自分から見て)本当のところはどんな自分なのでしょうか?
そこには「宇宙と対峙している何もない自分がいる」というのが禅の主張ですが、誰でも良く考えて見ると、これが自分でこれによって確かに生きていて、将来的にもこれで大丈夫などというものはないことが分かります。よく言われることですが、お金なんていくらあろうが、物価が何百倍にもなるインフレが来たら、全く紙屑同然になります。貴金属持っていても、一旦盗難に会えばアッと言う間に無くなってしまう可能性がありますし、今でも中国の年配者は動乱の時には金地金は重くて緊急の移動には不便だと若者に言い伝えているということです。それではお米を持っていれば大丈夫かと言えば、個人の蓄えられる量はせいぜい十俵どまりでしょうし、それも腐ったり盗られたりしたらなくなってしまいます。田畑をもっていても、戦争が起れば手離さなくてはなりませんし、会社に勤めていても病気になれば辞めざるを得ませんし、その会社自身どうなるかわかったものではありません。いわんや、現在流行のブランドもののバッグなんて、いざというときに何の役にもたたず、自分の価値とは何の関係もないことを思い知らされるはずです。
その全く無所有の自分を自覚したとき、最大限の主体性が出てくるというのが、禅の信仰です。
柔道の創始者の加納治五郎が「腕まくりの思想」ということを常日頃言っていたそうです。男(人間)のいうものは何か危難がふりかかってきたときに「なあに!」と腕まくりをして対処する気持ちがなくては駄目だ、というものです。この有限の背タケと体重をもつ裸一貫の自分ですが、それでも全部の知恵とある限りの体力で目の前の困難にぶつかっていく覚悟がなくてはいけないというのです。そのとき、自分の地位とか経歴とか財産とかをあてにしていたらロクな智恵はでてこないで、その経歴とか財産とかの範囲の知恵になってしまいます。
その「なあに!」という気持ちは、その根源が無所有の自覚から出てくるもので、この公案の「鉢を洗う」という言葉はその無所有の状態になることを表わしています。
禅に限らず信仰というものはそういうもので、自分が無所有になって神を信仰し、物事に対処すれば、必ず神が救ってくれるということについてはどの宗教も同じです。その点では禅も同じなのですが、禅では神という言葉はなるべく使用しないようにしていることは前述したとおりです。
(中略)それはとも角、この「趙州洗鉢」の公案の答えも、この桃水ほど自分を洗わなくてはいけないとなると、とんでもなく大変です。毎日おいしいものに明け暮れている自分たち自身を考えると、忸怩(じくじ)たるものがあり、大いに反省をせまられるところです。  
奚仲造車

 

月庵和尚僧に問ふ、奚仲車を造ること一百輻。両頭を拈却し、軸を去却して、なに辺の事をか明む。
無門日く、若し也た直下に明らめ得ば、眼流星に似、機掣電の如くならん。
頌に日く、機輪転ずるところ、達者も猶を迷ふ。四維上下、南北東北。

奚仲は車を造る名人という、黄帝の七佐に奚仲あり、車を造ると、坐っていて首のないお地蔵さんのようにするがよいという、思想頭念を去ることまずもってこれです、なかなか頭でっかちの人そうは問屋が卸さない、坐禅にならない、すると無字の公案、心機丹田にムの字を書いてみつめみつめして行くなど、あるいは隻手妙音など手段を仮るんです。けい仲造車もそんなふうです、首から上なくなって吐く息吸う息だけになっている、若しや車の両輪みたいです、およそ六百軸ぐらい造ったら飽き飽きしますか、両頭をねん却し、軸を去却する、自分というなにかしら影を置くものが失せるんです、見ている自分が失せる、忘我底です、すると本来仏です。若しや手段を仮ると手段倒れです、ただもう坐るもっとも端的です。眼流星機掣電を得て下さい。目から鼻へ抜けるんではなく、目鼻なし、一を聞いて十を知るんではなく、もとまっただなか。彼岸に渡り切るとは、われというなんにもなしです、触れなば切れる吹毛剣です、ぱーらみーたー彼岸に渡るという般若の智慧です、人為の取り得なしをもってする、如何なるかこれ趙州城、東門西門南門北門。なんにもないの妙門間髪を入れず、禅のハタラキなどいうこと百歩遅いんです。 

月庵さまが坊主に問う、「奚仲発明の車が百、両輪をはずし、軸ものけたが、何事をしるためか?」
無門がいう、これもすぐにピンとくるなら、目は流れ星、機転は稲妻だ。
歌に、まわる小ぐるま、つい迷わされ。天地四方を、かなたこなた。
ここで述べられている奚仲発明の車とは、荷車や戦車ではなく、田畝の潅漑用の水車ということです。
普通に考えれば、これは有能な人間がそれを外部に表すこともなく、日常生活を送っているさまを表現している公案のように思われます。
武道の柔道や、空手が相当に強い人でも多分一生の間、試合以外で他人との闘争手段として使用する機会といえば、多くて一回か二回くらいでしょう。いつもは、この奚仲の車と同様な状態と言ってよいのではないでしょうか。
大通智勝

 

興陽の譲和尚因みに僧問ふ、大通智勝仏、十劫坐道場、仏法不現前、不得成仏道の時如何。譲日く、其の問ひ甚だ諦当なり。僧日く、既に是れ坐道場、なんとしてか不得成仏道なる。譲日く、伊が不成仏なるが為なり。
無門日く、只だ老胡の知を許して、老胡の会を許さず、凡夫若し知らば、即ち是れ聖人。聖人若し会せば、即ち是れ凡夫。
樹頌に日く、身を了ずるは、心を了じて休するに如何ぞ。心を了得すれば、身は愁えず。若し也た身心了了ならば、神仙何ぞ必ずしも更に侯に封ぜん。

興陽譲和尚は百丈会下八代、大通智勝という、すべてについてつうかあですか、虎の欠けたるが如く、馬の夜目の如くと、十劫坐道場やっているんです、もとたといどうあったって仏は仏、なに云うことはないんですが、捨て去ることができない、任せ切れない気がしている、はなはだ諦当なりです、あるいは彼が不成仏なるが為です。でもまあ意識と無意識と交互に来るんです、悟入し悟出することは、身を了じ心を了ず、心を了得すれば身愁えずと、あるときかくの如く、あるときめちゃくちゃ、あるとき物差しをあてがい、あるとき云々です、たんびにそれっこっきり、忘れ去って今日のおのれはまるっきり昨日のおのれにあらず、日々始めて悟ったという、あっはっはわしは無責任でそんなふうですか、大通智勝仏なんだおまえはってなふうの、さっぱりどうも思わんですか、神仙なんぞ必ずしも侯に封ぜん、てめえなにがしかとレッテル貼らんのですよ、いちばんばかでめちゃくちゃでって、毎日凡人凡夫に頭下げっぱなし、どこまでいっても自堕落ですか、しょうがないやつの見本がわしかもってさ。

興陽の清譲さまに坊ずがきく、「大通智勝仏、坐禅も幾億年、悟りは現れず、ホトケに成りかねるとはどうですか?」
清譲「その質問がいい例じゃ。」
坊ず「座禅をしているのに、どうしてホトケに成れないのですか?」
清譲「かれが成仏せぬまでさ。」
無門がいう、よく知ることが大事、ただの勘ではこまる。だれでもよく知ればそれで聖人、成人も勘だけでは俗物。
歌に、身をば休めず気を休め、うれいなきこそよくあらめ。身も薬、気も薬、これ仙人、百万石は世のたわけ。
大通智勝仏とは法華経の比喩的な説話にでてくるもので、原文は"大通智勝仏十劫座道場仏法不現前不得成仏道の事"となっています。
「臨済録」にはこの大通智勝仏について「大通とは、一切の処において万物の無性、無知の真に達した者をいう。智勝とは、いかなる処においても疑うことなく、何らの教えにも依存しない者をいう。仏とは、心が清浄で、その光明が法界に透徹する者をいう。
十劫坐道場とは、十波羅蜜の生活である。仏法不現前とは、仏は本来不生であり、法は本来不滅ゆえに現前しようがないではないか。不得成仏道とは、もともと仏であるのに更に仏になることはない、という意である」と説明されている。
これをそのままこの公案の答えとします。
「趙州洗鉢」の解説のところで登場した桃水和尚は豪商の角倉から座禅をするときの心の持ち方を尋ねられると、「醤油は土用のうちに造りてよし、味噌は寒のうちにつきてよし」と答えたという。桃水自身が悟ったとか悟らなかったとかいう話はない。生まれてから死ぬまで仏であったともいえるし、そんなこととは無関係だったともいえます。
桃水は小僧時代、師の圍厳が弟子達への講話で、"お釈迦さまは出家者は五欲(色欲、食欲、睡欲、名欲、利欲)を離れなくてはならない。特にあとの二欲は多くの人達に尊崇されるようになると、何やかやともっともそうな理屈をつけて名利におごるようなる。これから離れることを心掛けるように"といったところ、末席でそれを聞いていて「大したことでもないのに、難題のように言われる」と独り言をつぶやいていたという。
この話を後の桃水を見たための作り話ではないか?という説がありますが、こういう性質をもって生まれたと考える方が自然で、多分実話だと思います。こういう性質をもって生まれたといっても決して桃水のその後の人生の価値がいささかも下がるものではありません。
有名な良寛が、子供達とかくれんぼをして夕方になり子供達が帰ってしまっても、隠れて寝入ってしまった良寛を翌朝見つけた農夫が、声をかけると"大きな声を出すと子供達に見つかる"といったという話しがあります。また、ある船頭が良寛が決して怒らないということを聞き、一緒に船に乗ったときに船をわざと転覆して良寛を落としてしまいます。溺れて死ぬ思いをした良寛を助けたところ、良寛はただその船頭に助けてもらったことへの心からのお礼をしたということです。これらの話しも、良寛のもって生まれたものが大きいと筆者は思います。
だからといって、そのことが沢山の美しい詩を残し、代価をいささかも求めずに歴史的な名筆を多数残した良寛の価値を下げるものではないことは、桃水の場合と同じです。
この公案の話は、次のようなつかみどころのない和歌を紹介して、おしまいです。
「悟りとは悟らぬ前の迷いなり、悟りてみれば悟るものなし」 
清税孤貧

 

曹山和尚因みに僧問ふて云く、清税孤貧、乞ふ師賑済したまへ。山云く、税闍梨。税応諾す。山云く、青原白家の酒、三盞喫し了って猶を道ふ、未だ唇をうるほさずと。
無門日く、清税の輸機是れ何の心行ぞ。曹山の具眼深く来機を弁ず。是くの如くなりと然雖も且らく道へ、那裏か是れ税闍梨の酒を喫するところ。
頌に日く、貧は范丹に似、気は項羽の如し。活計無しと雖も、敢て与に富を闘はしむ。

曹山は洞山良价の嗣、ともに曹洞宗を興す。清税孤貧、ひとりぼっちで貧乏だ、和尚賑済せよ、たっぷりふるまえってわけです、税闍梨、あじゃりという僧形のこと、と呼ぶ、税応諾す。ここで問答は終わりです。徒党を組んで右往左往しないひとりぼっちです、おまけに首くくる縄もなし年の暮れ、なんにもないんです、無一物中無尽蔵、なんにもないからものみなあらんです、よく人が質問して来る、てめえの数限りない持ち物をもって問う、向こうの計略に合った答えしか受け付けない、まったく今の人他に問うこともできないんですか、知ると知らないの区別もできない、いいかげんな知識ばっかりの曖昧うすら馬鹿、知識ありゃそれでおしまいと思っている、なんたる不都合、平成維新などまったくおぼつかないです。税じゃりと呼ぶ、間髪に答えが返る、なんでもありの糞詰まりじゃないんです、渾身口に似て虚空にかかる、東西南北の風を厭わず、だからどうのじゃない打てば響くんです、青原行思の酒、青原というのは酒の名所にひっかける、三盞喫し終わる、まずは見性し悟りを得るんです、ついでこれを脱するんです、ついでまったくただの人になる、」三盞喫し終わるにわしみたいなろくでもなしは何十年かかったか、ようやくにして孤貧を知るんですか、知らないんですか。
貧は范丹、范丹史雲という清貧をもって人も知る古人、項羽は英雄豪傑です、活計なしという輸機ですか、相手にやらせるんです、曹山その手は食わぬとちいっと図に乗りすぎた、金持ち面してりゃそりゃ一掌を食らうです。 

曹山さまに、坊さんがたのんだ。「わたし(清税)は素寒貧なんで、どうぞおちからぞえを。」
曹山、「清税さま。」
清税、「ハア。」
曹山、「泉州名だいの酒を、なんばいも飲みながら、口もぬらさぬとおっしゃるか?」
無門がいう、清税の気合い負けは、どういう思わくからか? 曹山は目が高く、そのへんをよく察した。それはそうとして、さて、清税さんが酒を飲んだとは何をさす?
歌に、下宿住まいで、大将気どり。食うや食わずが、持ち物じまん。
清税という坊さんが、「私は一人ぼっちでその上、迷いだらけで悟りを開くこともできません。どうか何か力ぞえをお願いします」と言ったというのがこの公案の始まりです。[孤貧]を文字通りに、一人ぼっちで貧しいの意味にとっても別に構わないのですが、ここは禅の精神世界の話なので、右記のように解釈します。
禅では、「応諾する」つまり呼んで答える、その瞬間を人間存在の全てとし、初一念と呼んでいます。その瞬間は、それが得になるかとか何の意味があるかとか全く考えていません。その全体的な得失をあらためて考えることはありますが、それは禅の言う初一念ではなく、二の次の智恵ということになります。
人間の行動は初一念の連続であり、時々(タマに)、利害得失の智恵が入ってきているというのが本当のところです。どんな守銭奴も、その人の行動である初一念の連続の中には利害の念はありません。ただ強引に自分の行動を自分の利益の方に持っていっているので、結果として守銭奴と呼ばれるようになっているにすぎないのです。 
州勘庵主
趙州、一庵主ノ処ニ到ッテ問フ、有リア有リア。主拳頭ヲ竪起ス。州云ク、水浅クシテ是レ舟ヲ泊スル処ニアラズト、便チ行ク。
又一庵主ノ処ニ到ッテ云ク、有リヤ、有リヤ。主モ亦拳頭ヲ竪起ス。州云ク、能従能奪、能殺能活ト。便チ作礼(サライ)ス。
無門日く、一般ニ拳頭ヲ竪起ス、甚麼トシテカ一箇ヲ肯ヒ、一箇ヲ肯ハザル、且ク道ヘ、詬訛甚(ゴウゴウナン)ノ処ニカ在ル。若シ這裏ニ向ッテ一転語ヲ下シ得バ、便チ趙州ノ舌頭ニ骨無ク、扶起放倒大自在ヲ得るコトヲ見ン。
然モ是ノ如クナリト雖モ、争奈ンセン趙州却ッテ二庵主ニ勘破セラルルコトヲ。若シ二庵主ニ優劣アリト這ハバ、未ダ参学ノ眼(マナコ)ヲ具セズ。若シ優劣無シト道フモ、亦未ダ参学ノ眼ヲ具セズ。
頌ニ云ク、眼(マナコ)ハ流星、機ハ掣電。
殺人刀、活人剣。

趙州、庵主をためす
趙州がある庵主をたずねてきく、「有るか? 有るか?」
庵主はゲンコツを出した。趙州は、「水が浅くて、船がかかれん」と、そのまま去る。
また別の庵主をたずね、「有るか? 有るか?」
この庵主もゲンコツを出す。趙州は、「話すも取るも、殺すも生かすも自由じゃ。」と、おじぎをした。
無門がいう、同じようにゲンコツを出したのに、なぜ一方をよいとし、一方をわるいとするか? いったいちがいはどこにあるのか? もしこの点に言い切りができれば、趙州は舌がよくまわり、起こすも倒すも思いのままだとわかる。
それはそうとして、なんと趙州の方もふたりの庵主に見ぬかれている。ふたりの庵主に甲乙をつけるのは、禅味のないはなし。甲乙がないというのも、禅味のある見かたではない。
歌に、目は流星、気はいなずま。斬る刀、救う剣。
趙州はその伝記に「七歳の子供でも、もし私より優れた者があったら、彼に教えを請おう。百歳の老翁であっても、もし私のほうが勝っていたら、彼を教えよう」という有名な言葉とともに、八十歳になるまで全国行脚をつづけ、その後百二十歳まで生きたという稀に見る長寿の人でした。
その全国行脚の途中の話と思われますが、庵を結んで修行と拓鉢を続ける一庵主をたずねました。そして「有りや、有りや」と問います。この質問は、何か提示できるものを持っているか?という意味で、趙州は庵主から何か、禅の修行による深い意味のある言葉を期待していたのか知れません。
すると、庵主はただゲンコツをにぎって立てました。今のガッツポーズの腕を直角にして上に伸ばしたみたいな感じでしょうか? 庵主は何も持っていないという意味で拳を握って示しました。趙州はガッカリし 「水浅クシテ是レ舟ヲ泊スル処ニアラズ」といってそこを去ってしまいます。
「そんなことでは、船も泊まれない浅い港みたいで話にならない」というような意味です。
しかし、もう一件の庵をたずねて、同じように「有りや、有りや」と問うたとき、全く同じように庵主がゲンコツをにぎって立てました。そのときはじめて庵主の意図がわかり、 「能従能奪、能殺能活」といいました。よく従い、よく奪い、よく殺し、よく生かすという意味です。そしておじぎをしたという話です。
無門も、趙州こそ二人の庵主に見抜かれ、その答えによってためされていると言い、二人の庵主の甲乙の問題ではないと言っています。
そんな公案が成立するかどうかは別にして友情に関する公案というものはありません。この公案は人間どうしの切磋琢磨についていっているので、敢えて友情について語っているとし、若い人向けにそれについて書いてみたいと思います。
多くの友人と、友情を育てて人生を有意義なものにしようと良くいわれます。現在の学校教育では、目上の人への尊敬ということを教えないので、特に友人関係を重視しているように思われます。
いれば一緒にいると楽しいということ以外に友達を持つもう一つの大切な意味があります。
人間は自分が見えないように出来ているのです。何故なら自分をどんな人間かと考えるときに自分を基準にするしか仕方がないからです。曲がった松が、同じ曲がった松を基準にすればまっすぐな松になってしまいます。よく周囲には全く自分の欠点い気がつかないヒトがいますが、自分自身もその可能性がないとはいえないのです。
そこで自分を判断する方法として、相手の反応とかを基準にしていろいろ自分の行動を修正していくことになります。そしてもっとも良いのが、自分について他人が意見を言ってくれることです。そのために是非、友人というものが必要なのです。特に古い友人であれば、自分の若い頃からのブレを一緒に会っているだけで確認することができます。もしその古い友人関係をそれが終わる度に捨てていたら、結局、自分に都合の良いことを言ってくれる人間関係に取り込まれて自分に都合の良い態度だけを受けて一生を終わることになってしまいます。
その古い友人や、新しい良い友人でも、なかなか本当のことは言ってくれないものです。しかし、自分が間違った方向に行こうとしているときに、遠まわしには何かを言ってくれるものなので、そういう人間がいないよりは何倍もましです。
だから、友達は大切にしなくてはいけないのです。人間として向上するためには、できるだけ多くの友人を持つことが必要なのだと思います。  
巌喚主人

 

瑞巌彦和尚、毎日自ら主人公と喚び、複た自ら応諾す。乃ち云く、惺惺著。諾。他時異日、人の瞞を受くること莫れ。諾諾。
無門日く、瑞巌老子自ら買ひ自ら売って、許多の神頭鬼面を弄出す。何が故ぞ、にい(漸の下に耳)。一箇の喚ぶ底、一箇の応ずる底。一箇の惺惺底、一箇の人の瞞を受けざる底。認着すれば依前として還って不是。若し他に倣はば、惣に是れ野狐の見解ならん。
頌に日く、学道の人真を識らざるは、只だ従前より識神を認むるが為なり。無量劫来生死の本、痴人喚んで本来人と作す。

瑞巌師彦は巌頭の嗣、毎日自らを喚んで主人公となし、他に瞞ぜらるることなかれ、諾と。無門関が終わった壁巌を卒業した、ずいぶんかかったさあてなど云ってないで、かくの如くにやって下さい、お釈迦さまになるんならまさにお釈迦さまです、へにゃむくれ言い訳申し訳仏教しているんじゃないんです、葬式稼業も猿芝居もない、禅問答なんてさらさらないんです、強いて云えば独立不羈ですか、男一匹あとさきなしですか、毎日三拝して額をごんと打ちつけて、額に胼胝ができるまでやって下さい、威張るななんてえていたらく、仏のホの字もねえくせになんたらてめえをわけへだてごんとやって下さい、ちいっとは取り得あり、取り得のないほどに分あり、まだまだまだ。たしかに無門云くです、一箇の喚ぶ底、瞞を受けざる底、応ずる底、認着すればかえって不是、まずもってこれが基本わざです、娑婆流じゃそりゃ漫画にもならんです、無量劫来生死の本、痴人喚んで本来人となす、見性し無門関百則を卒業し、師家だの和尚だのひけらかしてもって、痴人喚んで本来人となすをやっていませんか、生死の本をぶった切ったつもりがべったりうんちにとっついて。 

瑞巖の彦(げん)坊さまは、毎日じぶんで「ご主人!」とよび、また「ハイ」と返事する。そして「目ざめていなさい。」「ハア。」「将来ともに、だまされますなよ。」「ハアハア。」
無門がいう、瑞巖のじいさん、ひとりで売り買い、いろいろおかしな御面相をして見せる。というのは? 一つは喚ぶ顔、一つは應ずる顔。一つは目ざめる顔、一つはだまされまいとする顔。見知ったところで、ほんものじゃない。この人のまねなどしたら、そんなのはキツネ禅である。
歌に、道行く人の見そこない、仮の心を見た迷い。生きて死にゆく世のならい、真の人とは人ちがい。
この公案の意味するところの、喚(よ)んでいるのは自分であり、応えているのも自分です。
ですから次節の公案の第十七則・「國師三喚」の国師さまが喚んで、侍者が応えてる場合の、他人(国師さま)に応諾している自分(侍者)と本質的に違っていて、自分を認識し、自覚する自分であると思われます。平凡な日常生活でも、たしかに自分を認識している自分がいて、自分を励ましたり、時によっては自分の馬鹿さ加減にニヤッとしたりしています。その自分は他者とかかわることはしないで、友達といえば自分一人のみです。
この自分を認識する自分がいることが、人間と動物の違いです。単に主観と客観が一体になったものであれば、そうと認識しないまでも犬や猫にもしっかりと存在しているはずです。(中略)
後半の「目ざめていなさい。」「ハア。」「将来ともに、だまされますなよ。」「ハアハア。」という自分どうしのやり取りは、次のような禅修行における病気について自分自身に警告を発しているのではないでしょうか。
「日々是好日」の一句で知られている雲門(864-949)は、三種の病ということを述べています。それは「未到造作・已到住著・透脱無依」の三種です。
未到造作(みとうぞうさ)とは鼻の先に悟りをぶらさげた状態で、やみくもに悟りを求めている状態です。已到住著(いとうじゅうじゃく)とは悟ったと思い、その心境に執着して、さらなる修行を怠っているさまを言います。透脱無依(とうだつむい)とは瓢箪の川流れのような心境を悟りと錯覚して、そこに安住してしまうさまを言います。
この雲門の言う三つの病いは禅の修行でなくても、日常生活の中でも起こり勝ちなことです。
社会生活の中で調子の良かった時のイメージを追っかけ続けて、かえって鬱(ウツ)になってしまうことがよくありますが、これは[未到造作]の病いとも考えられます。
あとの二つの「已到住著」と「透脱無依」による・満心・もいつでも、少し油断するとすぐおちいってしまいがちになります。第二則に登場する百丈野狐のように自分では「透脱無依」のつもりになっている人も周囲によくみかけます。 
徳山托鉢

 

徳山、一日托鉢して堂に下る。雪峰に、這の老漢、鐘も未だ鳴らず鼓も未だ響かざるに、托鉢して甚れの処にか向かって去ると問はれて、山便ち方丈に回る。峰巌頭に挙似す。頭云く、大小の徳山、未だ末後の句を会せず。山聞ひて侍者をして巌頭を呼び来たらしめて、問ふて日く、汝老僧を肯はざるかと。巌頭密に其の意を啓す。山乃ち休し去る。明日陞座、果たして尋常と同じからず。巌頭僧堂前に至り、掌を拊して大笑して云うく、且く喜び得たり老漢末後の句を会せしことを。他後天下の人、伊を奈何ともせず。
無門日く、若し是れ末後の句ならば、巌頭徳山ともに未だ夢にも見ざる在り。点検し将ち来たれば、好はだ一棚の傀儡に似たり。
頌に日く、最初の句を識得すれば、便ち末後の句を会す。末後と最初と、是れ者の一句にあらず。

托鉢、鉢の子をかかげて行く、応量器と四つ組、飯を食う道具です、応量器はお釈迦さまの頭蓋をかたどると云われ、落としたりしたら下山と、良寛さん托鉢も同じ格好して歩く。なんだ鐘も太鼓も鳴らぬのに、食事または作務の合図です、どこへ托鉢だという、徳山すなわち方丈に帰る。どうだどんなもんだといって兄弟子巌頭に挙す。巌頭の云う、大小の徳山末後の句を会せず。こりゃそっくり雪峰のことなんです。徳山なんにもなしの人、大小の徳山あるは雪峰です、だからどんなもんだいしてやったりがある、未だ末後の一句を会せず、ほんとうには知らない、仏教といううさんくさいもの、悟りだ聖人だのいう荷物を担ってよたよた。ではこいつを下ろしてやろうってんで、徳山と巌頭と組んで人形芝居、一棚の傀儡に似たりやるんです。はたして徳山尋常と同じからずと、さあどういうことですか、よくよく見てとって下さい、見れば見るほどになんにもないんです。ちらともありゃそれによって七転八倒、地獄に堕すること十万億土、早くこれを免れて下さい、かか大笑するによく、最初からまったくお釈迦さま不変です、春は花夏ほととぎす秋紅葉冬雪降りて涼しかりけると、かき汚すは自分というものないものを邪まにするんです。  

徳山が、ある日鉢をもって広間にでたら、雪嶺にやられた、「このおやじ、鐘も鳴らず、タイコも鳴らんのに、鉢をもってどこへ行く?」
徳山はそのまま部屋に帰る。雪峰が厳頭に話すと、厳頭がいった。「さすがのおやじも、最後の文句は知らんな。」
徳山は聞くと、人をやって厳頭をよびつけ、たずねた。「おまえはわしを認めないのか?」
厳頭はソッと耳打ちする。徳山はそれでおさまった。
あくる日の説教は、なるほどふだんとちがっている。厳頭は座禅堂の前まできて、手をたたいて笑い、「ヤレヤレ、おやじめ最後の文句がわかったよ。これから、世間の人はどうにもできまいて。」
無門がいう、最後の文句となると、厳頭も徳山も、夢にも見ぬものがある。つきつめれば、かれらはまるで棚の人形だ。
歌に、最初が解けるなら、最後も解ける。最後と最初とは、それとは別のもの。
徳山はこの山内(寺)では一番えらいのだから、自分が鉢をもって食堂に向かえば、もうそれで他の条件をすっとばして、食事の時間とすることを全山に納得させることができたはずです。
最後の文句とは「私が規則です」で良いとも思われます。ところが徳山は、それをいわず素直に雪峰の言に従ってそのまま部屋に帰ってしまいます。
雪峰が師を注意したことをトクトクとして厳頭に話すと、厳頭は徳山がこの自分の持つ最終的決定権など問題にもせず、雪峰の言に素直に従ったことに感心しました。しかしそのことを直接にはいわず、「徳山は最後の文句を知らないんだ」と雪峰にいいます。そして厳頭は、徳山にはその徳山自身の持つ最終決定権のことを伝えます。
翌日の徳山の説法はそれによって生き生きとしていたので、厳頭が喜んだというのがこの公案の内容とも考えられます。
ことの成り行きの表現がいかにも平凡な日常に起こったチョッとした行き違いとう感じをうけますし、この程度のことは、学校の教室や会社でもしょっちゅう起こることだと思われます。
いやそうではない、最後の文句は「随所作主」で、弟子の雪峰の忠告になんとも思わずに引きかえした態度こそ、正しく禅の最終的な境涯の「随所に主となる」態度そのものだという説もあります。
ようするに、師のうかつさを笑う(?)雪峰を強く戒めるために、徳山の高い心境を雪峰に直説いわずに、間接的に知らしめたということのようです。徳山は第二十八則の「久嚮龍潭」で龍潭から印可を受けていますし、厳頭、雪峰ともに徳山から印可を受けていて、禅史に残る大師家ですから、なにも厳頭は直接、雪峰に言えばよいものを、先生と生徒どうしこんなまわりくどいことをしていて良いのでしょうか。会社だったら早く適切に言うべきことを言わないと、うまく機能せずに倒産してしまうのにと思います。要するに筆者はこの公案があまり好きではありません。 
南泉斬猫

 

南泉和尚、因みに東西の両堂猫児を争ふ、泉乃ち提起して云く、大衆道ひ得ば即ち救はん、道ひ得ずんば即ち斬却せんと。衆対無し。泉遂に之を斬る。晩に趙州外より帰る。泉、州に挙似す。州乃ち履を脱ひで頭上に安じて出ず。泉云く、子若し在らば即ち猫児を救い得んと。
無門日く、且らく道へ、趙州が草鞋を頂く意そもさん。若し者裏に向って一転語を下し得ば、便ち南泉の令、虚りに行ぜざりしことを見ん。其れ或ひは未だ然らずんば険。
頌に日く、趙州若し在らば、倒しまにこの令を行ぜん。刀子を奪却して、南泉も命を乞はん。

南泉斬猫はこれも有名な則で知る人ぞ知る、猫が可哀想だ云々切らなくてもいいではないか、むかしの人はなと、東西両堂争うの周辺今様論議よりははるかに勝っていたにちがいない。しかも無対です、対するとはなにか、南泉から刀を奪って道へさもなくばとやるんですか、ものまねはくそ坊主どもの法要でやくたいもない自閉症です、草鞋を頭の上に載せて出て行くんですか、意味あいを懸命に考えるんですか、では考えて下さい、もってきたものすべて不可の時如何、答えなくば首ぶった切ると、さあどうしますか。仏教とはことさらにもってまわって面倒臭いんですか、いいえ真正面ただこれ、おうといって全世界おうと云えるか。わしが得度の師に向って子供が声をかける、何度もかけるんです、師は別段閉口もせずに答えていた、子供は見るんです、大人の嘘がないただまっすぐ、生え抜きのなつかしさを確かめるんですか。蛙のケーロと鳴くもよし鶯のホーホケキョよし、通身全霊もってまったくのただです、これを仏という、無自覚の覚を趙州示すにはまさにもってす。仏教とは何か、ほどけば仏というまったく他にはなし。蛇足ながら猫について百万言も猫にとっちゃうるさったいだけ。  

南泉さまは、東むねと西むねの坊さんが子ネコを争うので、手に取り上げていう、「おまえらの返答で助けるが、返答できねば斬ってすてるぞ!」
だれもこたえぬ。南泉はついに斬った。
晩に、趙州が帰ると、南泉が話す。趙州はワラジをぬぎ、頭にのせて出ていく。
南泉がいった。「さっきおまえが居たら、ネコが助かったのに!」
無門がいう、いったい、趙州がワラジをのせた意味は何か?もしこの点に言い切りができれば、南泉の手打ちもムダでないとわかる。もしそうでないと、あぶない。
歌に、趙州居たなら、こちらが逆手。刀もぎ取り、南泉、「お助け」。
南泉は趙州の師ですから、この場面の舞台になった寺では一番地位が高く、何百人もの修行僧の最高責任者です。その南泉が寺内を歩いていると東西の僧堂の坊さんが子猫の取りっこをしていました。
この「猫児ヲ争フ」の意味を猫の仏性の有無を争っていたと解釈している解説本が多く見られます。禅家としてはそう解釈したいのかも知れませんが、少し買い被りすぎだと思います。こちらで飼うべき猫だ、いやもともとこちらの猫だと争っていたと解釈するのが自然と思われます。酒も女性も禁止だったのですし、江戸時代以前の日本の僧堂では男子の稚児を大切にして、神と同様に扱い、それにつかえることが広く行われていたようですから、可愛い子猫だって取りっこしたに違いありません。猫の哲学的意味を争うなら何も外で大勢でやらなくても良いと思います。家庭でも子供どうしの遊びの上の争いに母親が呆れて、その遊び道具を捨てて(あるいは隠して)しまうというようなことはよく(?)あります。
指導者の南泉はそれを見て、勉強もしないでこんなものの取りっこしていてどうするんだと驚き嘆いてしまいます。そこで、どうしてそんなものを争っているかを、もし正しく答えられれば猫を助けるけれど、答えられなかったら猫を斬って捨ててしまうと言います。 
洞山三頓

 

雲門、因みに洞山の参ずる次で、門問ふて日く、近離甚れの処ぞ。山云く、査渡。門日く、夏甚れの処にか在る。山云く、湖南の報慈。門日く、幾時か彼を離る。山云く、八月二十五。門日く、汝に三頓の棒を放す。山明日に至って却って上って問訊す。昨日和尚三頓の棒を放すことを蒙る。知らず過いずれの処にか在る。門日く、飯袋子、江西湖南便ちいんもにし去るか。山此に於て大悟す。
無門日く、雲門当時、便ち本分の草料を与えて、洞山をして別に生機の一路あって、家門をして寂寥を致さざらむ。一夜是非海裏に在って著倒し、直に天明を待って再来するや、又た他の与に注破す。洞山直下に悟り去るも、未だ是れ性燥ならず。且らく諸人に問ふ、洞山の三頓の棒、喫すべきか喫すべからざるか。若し喫すべからざると道はば、雲門又誑語を成す。者裏に向って明め得ば、方に洞山の与に一口の気を出さん。
頌に日く、獅子児を救ふ迷子の訣、前まんと擬して跳躍して早く翻身す。端無く再び叙ぶ当頭著、前箭は猶を軽く後線は深し。

洞山守初は雲門の嗣、どこから来た、江を渡って来た、夏(修行期間)はどこにいた、湖の報慈。いつ出た、八月二十五。おまえに三十じゃなくって六十棒だとさ、放は免除してやろう、打つほどの価値もないっていうんです。わかりますかこれ。どこでどう過ごしどう修行したか、いえさ今までこうあってあああって生まれ来し方を云う、汝に三頓の棒を放すです。わかりますか、自分というこの世はまったく仮の世です、たしかそんなことがあったようだ、そんなふうな仮面も被っておったなあというんです、強いて云えば嘘八百、難波のことは夢のまた夢です。自分というそういうものをまったく擲ってごらんなさい、お釈迦さまが現前します、如来来たる如しとこうある、無自覚の覚です、あなたというほんとう本来の姿です。仏足石というかつて完全無欠の彫刻がありました。石の辺に足型を刻む、そうですその上にお釈迦さまが立っておられる。そんなことはない山河風景村あり鳥獣また人の行くあり雲あり花の咲く有り、はいそうですそれがお釈迦さまです、如来現前、あなたもその上に立ってごらんなさい、はいお釈迦さま。いいですか坐禅はこのようにするものです、まっぱじめっから自分になんか用はないんです。何云い持ち来たって三頓の棒を許す、さあたとい一夜必死に提ぜいしようが、なししろこれを得て下さい、後箭は深し、再起不能の万死を迎えて下さい、いったいいつまでうじうじ架空のうじむし、情けないったらに。 

雲門は、洞山がならいにきたので、たずねた、「ちかごろどこに居た?」
洞山、「査渡です。」
雲門、「夏はどこに居た?」
洞山、「湖南の報慈寺です。」
雲門、「いつあちらを出た?」
洞山、「八月二十五日です。」
雲門、「六十ぶたれるところだな。」
洞山はあくる日、また行ってたずねた、「きのうは六十ぶたれるのをゆるされましたが、いったいなんの落ちどでしょう?」
雲門、「ゴクつぶしめ!江西、湖南とウロつきあって。」
洞山はハッと気がついた。
無門がいう、雲門は、とっさに何よりの物をくらわせて、洞山によみがえりを得させ、一門の名を落とさなかった。ひと晩じゅうあれかこれかと思案して、夜があけてまたきたやつを、またも取っちめてやった。洞山はそこで悟ったが、さとりが早くはない。
ところでみなさん、洞山は六十ぶたれるべきかどうか? もし「べき」だとすれば、草木もお寺もぶたれるべきだ。もし「べきでない」とすれば、雲門がウソつきになる。この点がハッキリしてこそ、洞山をも生かすことになる。
歌に、シシの教えの親ごころ、落ちると見せて身をかえす。まっこうまともに二度やられ、浅でのあとの深いきず。
この公案の答えは、文献や地方の名刹にあるのではなく、自分自身の中にあるということだと思いますが、幸福を求めて旅立ったけれど、幸福は身近な生活にあったという幸せの青い鳥みたいな話しです。
臨済録に「臨済の三句」というのがあって有名です。
臨在が一句から三句を僧から次々問われた時の答えが、
一句とは「印章を捺して印を持ち上げ、そこに主客を見ればよい」。
二句とは「そんなことは名剣で水の流れを断ち切るときのようにすればよい」。
三句とは「舞台の上の人形のうしろを見ればよいに決まっている」と答えたということです。
言ってみれば、一句は「主」と「客」がそれぞれにある姿で、二句はその分割できないものを、二つながらにそのまま自覚した姿、三句はそれを自覚している自分がいて、次の行動をしている姿というところでしょうか。
洞山が江西や湖南のお寺を渡り歩いている姿を、ただ臨済の一句の、「主」と「客」があるだけの姿で、犬や猫や草や木のように自覚せず、うろうろしていることを、雲門がするどく指摘し、二回しかられて洞山がやったそのことに気がついたということのようです。
この公案を読むと必ず思い出す話があります。山岡鉄舟の高弟の小倉鉄樹(1865~1944)からの聞き書きで、「俺の師匠」という本があります。
その中の話しで、彼が明治一四年春に鉄舟の内弟子になったのは良いが、十人くらいの内弟子の他に、稽古に七、八十人も毎日通ってくる上に、応対する客もひきもきらず続くので多忙な上、過労にもなり少しも勉強ができなかったという。
『俺は勉学を目的に上京したのであるから、日が経つにつれて、千古不滅の生きた経典とも云うべき師匠の如き人物に日常親炙出来る幸福も忘れて、段々不平を持つようになった。「成る程師匠は偉いには偉い、だが、惜しむらくは青年を教育する方法をしらぬ。」(中略)遂に明治十五年秋、その頃星雲の志しを抱いて上京して来た次兄と(中略)山岡道場を脱して東海道を学問修行にでかけたものである。
此の旅行は旅費も乏しく、人間も出来て居ぬ若輩の事とて色々の困難もあったが、兎に角最初の目的通り京都では陽明学の大家、宇田淵、大阪では草場船山(二名略)等、その当時天下に名声をとどろかしていた大学者を歴訪したが、どうにも感心せぬ。
師匠山岡鉄舟に親炙した眼で見ると、其の風貌と言い動作と言い、話柄と云い、徒らに師匠の偉大さを再認識するばかりで、しみじみ此の旅行を続けることの愚を悟った。それ故山岡門下で京都府知事をしていた北垣國道のいましめがあったのをよい潮にして、旅費を貰い、同行の人とわかれて、海路東京にもどってしまった。
東京に戻っては来たが、何分にも面はゆくて一ヶ月ばかりは友人の下宿でぶらぶらしてしまったが一日意を決して春風館の門をくぐり、丁度師匠が書見をして居たので「只今戻りました」と深く頭を垂れ、今か今かとお叱りを待っていた。すると「帰りましたかな、何かよい事でもありましたかな。」と相変わらず物静かな温容で答えられたのには、知らず知らず慙愧の涙に咽ぶばかりだった。』 
鉄舟は少しも小言をいうことなく、「覚悟が出来たら又居るのもよろしいが、四分板を一枚買っておいでなさい。」と命じられたので、半信半疑でそれを用意すると、[一、千日修行志願之事]とその下の彼の名とともに墨痕あざやかに書かれ、それを道場に打ちつけて、剣道の千日修行が始まったという。
この鉄舟の「帰りましたかな、何かよい事でもありましたかな。」という言葉は印象的であり、この公案の「雲門の三頓棒」の愛情に通じるものがあると思いますがいかがでしょうか。
鐘声七條

 

無門日く、世界恁麼に広闊たり。甚に因ってか鐘声裏に向って七條を被る。
無門日く、大凡そ参禅学道、切に忌む、声に随ひ色を逐ふことを。縦使い聞声悟道、見色明心なるも也た是れ尋常なり。殊に知らず、衲僧家、声に騎り色を蓋ひ、頭頭上に明らかに、著著上に妙なることを。是くの如くなりと雖も、且らく道へ、声耳畔に来たるか、耳声変に往くか。たとい響と寂と双び忘ずるも、此に到って如何んが話会せん。若し耳を将って聴かば応に会し難かるべし。眼処に声を聞きて方始めて親し。
頌に日く、会するときんば事同一家、会せざるときんば万別千差。会せざるときも事同一家、会するときんば事万別千差。

世界恁麼に広いかつ、広大無辺です、だのにどうして鐘が鳴ったら七條、お袈裟を掛けて行く。こりゃそっくり鸚鵡返しがいいです、不思議なんです、まったく答えようのないのをよくよく味わって下さい、はあっとそれっこっきり。無門老婆親切なにゆえにくどくどと御託する、耳に見て眼に聞く底のなんだかんだ、そりゃ無眼耳舌身意、無色声法味触法、自分という用無しです、省みるになんにもない、打てば響くというさえ百歩遅いんです、同一家万別千差とまあさろくでもない能書き、坊主法堂こと鐘が鳴ったら七條を着て行く、だれかれ毎日です、しかも省みるに不思議、鳥もけものもまさにそうしています、雪月花然り、無心心無うして、はじめて本来事、これを和と云うんです。人間という余計な斟酌を止めて早く地球ものみなのお仲間入り。 

雲門がいう、「世界はこんなに広いのに、なぜ鐘の声がするとケサを着るのだ?」
無門がいう、いったい禅の修行には、声や色に迷ってはならぬ。たとえ声にみちを悟り、色に心を知っても、大したことじゃない。そんなことより、坊ずは声や色を乗り越えたら、物ごとがよくわかり、うまい手がうてる。それはそうだが、ところで、声が聞こえてくるのか、耳がそっちへ行くのか? かりに声も静けさも忘れたら、その時の話はどうする? 耳できいてもわかるまいが、目で聞けばわかるのだ。
歌に、わかれば他家もわが家、知らねば世間さまざま。知らねど他家はわが家、わかれど世間さまざま。
これも、素直に呼ばれてハイと応える「応諾」が全てであるとするのが禅の考え方とすれば大変分かりやすい公案です。
ある僧が鐘の音を聴いて時刻を知り、お勤めの為のケサを身につける、その時の鐘への反応が、禅の言う初一念にあたります。
国師三喚

 

国師三たび侍者を喚ぶ。侍者三たび応ず。国師日く、将謂らく、吾れ汝に辜負すと。元来却って是れ、汝吾れに辜負す。
無門日く、国師三喚、舌頭地に堕つ。侍者三応、光に和して吐出す。国師年老ひ心狐にして、牛頭を按じて草を喫せしむ。侍者未だ肯て承当せず。美食も飽人のさん(さんずいに食)に中らず。且らく道へ、那裏か是れ他が辜負の処ぞ。国浄ふして才子貴く、家富んで小児驕る。
頌に日く、鉄枷無孔人の担はんことを要す。累児孫に及んで等閑ならず。門をささへ並びに戸を柱へんと欲せば、更に須らく赤脚にして刀山に上るべし。

国師は南陽の慧忠国師、三たび侍者を呼び三たび応ずる、辜負とは人の期待を裏切る、せっかくのこころざしを無にする、どうもぴったり行かない、何かがおかしいんです。朝にお経を読んでもしっくりしない、何か別物が入っているんですか、おれという別物です、お経をうまく読もう、相手に合わせようとする意図ですか、自然に陰日向なくすっきりと行く、人間を卒業するんです、たとい鉄枷無孔、国師の法を担う累児孫に及ぶ、どうにもこうにも荷厄介ですか、そりゃ辜負す、なんにもならん、師のほうが先ずもってなんにもならんと知る、どっかおかしいぴったり行かない、元来却って汝吾れに狐負すと云う。門をささえ戸を支えんと欲っせば赤貧洗うが如くせよと、裸足で刀の山に上れという、地獄の刀山ですか、はいこれ仏教です、大安心のところなど他愛もないこと云ってるんじゃないんです。たとい鶯のホーホケキョ。

國師さまが三度「小僧や」とよべば、三度とも「ハアイ」と答える。國師さまがいう「わしが悪いかと思うたが、そんなんじゃおまえのほうが悪いぞよ。」
無門がいう、三度も呼んでは舌が抜けよう。ハイハイハイでは声もかれよう。國師さまは年よりのなさけで、首つかまえて草を食わすが、小僧の牛はいただかない。ふくれた腹には入り申さぬ。ところで、小僧のどこが悪いのか? 「わが世のお役人、お家のドラむすこ。」
歌に、穴なしカセをひっかつぎ、罪を荷のうて行く世つぎ。大寺小寺のぬしならば、はだしで登れ山つるぎ。
國師さまが、最初に呼んだときの小僧の「ハアイ」という返事は、自分がここに客観的な存在として居りますという意味を持っています。つまり「ここに居ますよ」という返事です。
次に呼んだ時の「ハアイ」という返事は、主観的な存在として、呼びに呼応して何か行動に移る姿勢にあるという意味を持っています、つまり「何をしましょうか」という返事のはずです。
次の三回目の呼びかけに対する返事は、もう意味がないのです。自分の中には主観的な自分と、客観的な自分の合計二人しかいないからです。
俗な言葉で言えば「何をグズグズしているんだ!」というのがこの公案の答えです。(中略)
無門の解説も年寄りのなさけで親切に何度も呼びかけているのに、小僧が心のこもらない生返事をしていると呆れています。
もちろん普通は一回しか返事をしません。この場合、禅では主観と客観が同時に一枚になって発動していると考えます。特に子供は無心に唯、ハイと返事してすぐ行動に移ることができます。しかし大人になると利害関係と立場が頭の中で交錯しはじめ、一回目の返事から次々と迷いはじめることになります。そして小僧のようにまずは、二回の一応意味ある返事をし、ついに(心の中でだけかも知れませんが)三回目の無意味な返事をすることになってしまいます。 
洞山三斤

 

洞山和尚因みに僧問ふ、如何なるかこれ仏。山日く、麻三斤。
無門日く、洞山老人些の蚌蛤の禅に参得して、わずかに両片を開いて肝腸を露出す。是の如くなりと雖も、且らく道へ、甚れの処に向ってか洞山を見ん。
頌に日く、突出す麻三斤、言親しくして意更に親し。来たって是非を説く者は、便ち是れ是非の人。

この洞山は洞山守初、これは無門の云うことまた頌によってけりです、蚌は蛤のでかいやつですか、蛤両片をまっくり開ける、虚空に内臓をさらけ出す、これがどだいできないんです、仏のふりをしないはずの仏教を振りかざす、蛤の両片を閉ざして四の五の云っている、ものみな仏本来心の開けっぴろげなのに、なぜ人間というてめえだけてめえに首突っ込んで歩く。如何なるか是れ仏、山日く麻三斤。馬鹿を云うなって大喝を食らったんですか、いえ虚空ただこれ、菩薩清涼の月畢竟空に遊ぶと、若しこれあらずんば修行もまったく修行にならぬ、まずもって仏という底をぶち抜いて下さい、でもってようやくに日々新たなり、水を掬すれば月掌に在り、菊をねんずれば香衣に満つ。はらわたさらけ出すとはこれ正令全提です。

洞山さまに、坊ずがたずねた、「どんなのがホトケで?」すると洞山、「麻の実三斤さ。」
無門がいう、洞山じいさん、やったのはハマグリ禅らしく、くちをパクンとあくと、腸わたを見せる。それはそうだが、さて、洞山はどこに居ます?
歌に、あっさり麻三斤、やさしくまた意味深。とやかくいう者は、それこそヘンチクリン。
これが大変に有名な「麻三斤」(マサンギン)の考案です。
どんなのがホトケかと、洞山さまに聞いたところ、目の前にあった麻三斤を束ねて突き出して、「この麻の実三斤さ!」と言ったという話です。
目の前にあってそれを突き出したとは言っていませんがその周辺にあったと考えるのが自然のように思われます。あるいは洞山は自分で刈った麻を周辺に置いて何か加工の作業をしていたのかも知れません。
平常是道

 

南泉、因みに趙州問ふ、如何なるか是れ道。泉日く、平常心是れ道。州云く、還って趣向すべきや。泉日く、向かはんと擬すれば即ち背く。州云く、擬せずんば争でか是れ道なることを知らん。泉日く、道は知にも属せず、不知にも属せず。知は是れ妄覚、不知は是れ無記。若し真に不疑の道に達せば、猶ほ太虚の廓然として洞豁なるが如し。あに強ひて是非す可けんや。州言下に大悟す。
無門日く、南泉趙州に発問せられて、直に得たり、瓦解氷消、分疎不下なることを。趙州たとひ悟り去るも、更に参ずること三十年にして始めて得てん。
頌に日く、春に百花有り秋に月有り、夏に涼風有り冬に雪有り。若し閑事の心頭に挂くる無くんば、便ち是れ人間の好時節。

平常心是道はまったくこれっこっきり他にはないんです、それを大趙州ですらしばらくは思いも及ばなかった、如何なるか是れ道と問う、まるっきり思いも及ばなかった南泉が、瓦解氷消分疎不下です、へえそうかいとて云うには云う、もとまったくないところに道と求める、なぜに。還って趣向するや否や、向かはんと擬すれば即ち背く、世間一般の人これです、道として何かあると思っている、あるいはこれでいいんだと思いこむ、趣向するしかやることがない、なぜか。擬せずんばいかでか道なることを知らん。いったいまあ死ぬまでこれです、正師に会わねばどうにもならん理です。道は知にも属せず、不知にも属せず。知はこれ妄覚、不知はこれ無記。若し真に不疑の道に達せば、本当本来心です、太虚の廓然として洞かつなるが如し、あに強いて是非すべけんや。州言下に大悟す。いったいこれ以上どうやって説くんですか、太虚の洞然たる、まるっきり自分という内外が失せるんです、仏というあに強いて是非すべけんや、捨て去る以外になく、未だ捨て切れていないという不都合。若し閑事の心頭にかくるなけんば、これ人間の好時節、小人閑居して不善をなすしていないんですよ、これさ。

南泉に、趙州がたずねた、「どんなのが道ですか」。すると南泉、「ふだんの気持ちが道じゃ。」
趙州、「そう仕向けるものでしょうか?」
南泉、「仕向けると、はずれる」
趙州、「仕向けねば、道が知れますまい?」
南泉、「道は知る知らぬを、越えたものじゃよ。知るというのも迷い、知らぬも気のつかぬまで。仕向けないで、道に行きついたら、それこそ大空のようにカラリとして、よしあしはかまわんじゃない?」
趙州はその言葉で悟った。
無門がいう、南泉は趙州にきかれて、たちまちサラリと解き、ラチもなくしてしまった。趙州が悟れたとしても、ここまでにはもう三十年だ。
歌に、春は花さき秋は月、夏はすず風、冬は雪。あだに心を使わねば、わが世たのしく時はすぎ。
南泉が五十歳ぐらいで、趙州は二十歳を少し過ぎたくらいで、まだ修業僧の時代です。この時、頓悟したと明記されていますから、その後、南泉の法門を引き継ぎ、[無門関]や[碧巌録]にも度々登場して禅宗の歴史の中でも重要な役割をはたしている趙州は、この時に悟りを開いたことになります。
ここで重要なのは、平常が是れ道ならば、何もしなくても人間は悟りを開いているのと同じで、何の努力もしなくてこのままで良いと考えるのは、大きな間違いだということです。
大力量人
松源和尚日ク、大力量ノ人、甚ニ因ッテ脚ヲ抬ゲ起サザル。又云ク、口ヲ開クコト舌頭上ニ在ラズ。無門曰ク、松源謂ツベシ、腸ヲ傾ケ腹ヲ倒スト、只ダ是レ人ノ承当スルヲ欠ク。タトイ直下ニ承当スルモ、正ニ好シ無門ノ処ニ来ラバ痛棒ヲ喫セン。何ガ故ゾ、[斬]ニイ。真金ヲ識ラント要セバ、火裏ニ看ヨ。頌ニ日ク、脚ヲ抬ゲ踏翻ス香水海、頭ヲ低レテ俯シテ視ル四禅天。一箇ノ渾身著クルニ処無シ、(請ウ一句ヲ続ゲ。)

松源さまがいわれた、「ちからのある者が、どうして立ちあがれないのか?」また、「説法は演説じゃないぞ。」
無門がいう、松源は腹わたをむき出したが、受けとり手が居ないのだ。オイソレとひき受けても、無門のところにきてブンなぐられるだけ。なぜならば? 純金かニセか、火でためすのだ。
歌に、足でけかえす太平洋、低くみくだす銀河系。この身一つの置きどころ、(あとの句をたのむ)。
ちからのある者とは、人間の心です。・心・つまり自分そのものを言っています。では何故、自分の心が立ち上がれないのでしょうか。
それは、心は自ら立ち上がったのではなく、すでに何ものかの力によって立ち上がっているものだからです。
心に力があると言えば、精神力という言葉をすぐ思いだしますが、精神力とは一体なんでしょうか。「精神力を出せ!」とは物事に行き詰まったりしたときにもう一度努力して見ようと気を取り直してガンバレというようなことだと思います。しかし、気を取り直してガンバレるかどうかというのは、主に体力が残ってるかどうかによるであろうし、あるいはもう一度やってみたら、ことが好転することがあるかどうかの判断が重要であり、その二つが要素の全てだと思われます。
雲門屎橛

 

雲門因みに僧問ふ、如何なるか是れ仏。門云く、乾屎橛。
無門日く、雲門謂つべし、家貧にして素食を弁じ難く、事忙しうして草書するに及ばずと。動もすれば便ち屎橛を将ち来って、門をささえ戸をささふ。仏法の興衰見るべし。
頌に日く、閃電光撃石花。眼を眨得すればすでに磋過す。

如何なるか是れ仏、乾屎橛。糞かきべら、いえ出かかって固まったうんちだとさ。わかりますか、てめえ食ったものの未消化老廃物です、さっさとひり出せばさっぱりするのに、とっつけて臭いの汚いの=はい仏教いかん、おれはどうなんだ、道はどうなんだとやっている、見たふう聞いたふう、仏祖師がどうのの老廃物です、いえ世間一般まさにこれかんしけつ、よくよく見てとって下さい。閃電光撃石花はなに神経シナップスの一つなぎですか、つまりゼロ時間です、気がつくとはそういうこと、能書きらしいことやっていたって、そりゃなんにもどうにもならん=乾屎橛かんしけつ。 

雲門に坊ずがきいた、「どんなのが仏で?」
雲門、「クソかきベラよ。」
無門がいう、雲門はいわば、貧乏人の有る物食い、急ぎのときの走り書き、無ぞうさにクソベラでもってつっかい棒した。仏教のノルかソルかだ
歌に、いなずまや、石火花。まばたけば、はやかなた。
この雲門が「どんなのが仏ですか?」という質問に、乾屎[蕨]と答えたという公案は。禅に興味のある人なら誰でも知っている公案です。
乾屎[蕨]というのは、中国ではこの唐の時代は、トイレで用を足すときにお尻の始末をするのに使用していたものらしい(あるいは今でも地方では使っているのかしら?)。いずれにしても、仏教の教えで一番大事な・仏・をクソかきベラに例えるのですから、ずいぶんとらんぼうな話です。しかし、お陰で大変わかりやすい答えになっています。
つまり、(クソをきれいにかいて)人の役にたち、なんのかざり気もなくて、多分あまり邪魔にもならない存在、それが・仏・だと答えています。 
迦葉刹竿

 

迦葉因みに阿難問ふて云く、世尊金襴の袈裟を伝ふるの外、別に何物をか伝ふ。葉喚んで云く、阿難。難応諾す。葉云く、門前の刹竿を倒却著せよ。
無門日く、若し者裏に向って一転語を下し得て親切ならば、便ち霊山の一会厳然として未だ散ぜざることを見ん。其れ或いは未だ然らずんば、毘婆尸仏、早くより心を留むるも、直に而今に至るまで妙を得ず。
頌に日く、問処は答処の親しきに如何、幾人か此に於いて眼に筋を生ず。兄呼べば弟応じて家醜を揚ぐ、陰陽に属せず別に是れ春。

遂に成ずるになんなんとして、なんにもないんです、仏教として求めてきたもの、あるいは得来たったものの跡形もないんです、ちらともあれば未だし、異物他物です、ですからお釈迦さまは伝法の印金襴のお袈裟の外にいったい何を伝えたのかと、まじめに聞くんです。迦葉阿難と呼ぶ、お前だっていうんです、阿難応諾す。門前の旗竿を倒して来い、阿難三日耳を聾すとあります、しまいのうす皮が外れたんですか、赤い旗を建ててここに大法在りのしるしとした、古代インドの習慣です、法に負けると旗を倒す、すなわち代替りです。迦葉拈華微笑から阿難倒刹竿著と伝わって今に至る、寸分も違わぬのです、いいですか有るものは千変万化します、無いものは不変です、いつだってまったく同じです、よくよく見て取って下さい。眼に筋を生ずるむだっこと、家醜を揚げる要なし強いて云えば春風駘蕩ですか。

カショウにアナンがたずねる、「シャカさまは金ランのケサのほかに、何かをくださいました?」 カショウはさけんだ。 「アナン!」
アナンはハイという。
カショウがいった。「説教旗はもうおろそうよ。」
無門がいう、もしこの点にピタリと言い切りができれば、シャカさまの説教をそのまま目に見るようだ。もしそうでないと、ビバシこのかた心がけても、今の今まで悟れはしない。
歌に、問いしにまさる答えかな、ここを見かねた人あまた。あに弟子おととのやり取りに、浮き世ばなれの春のさた。
禅では、カショウが第一祖、アナンが第二祖とされています。過去七仏とはシャカ以前の伝燈を表すもので、お釈迦さまはその七番目の第七仏とされています。
説教旗とは、説教するときに掲げる、開演を知らせる旗です。
頌(うた)の中の"眼ニ筋ヲ生ズ"とは活眼を開くのいみです。
"兄呼ビ弟應ジテ家醜ヲ揚グ"の中の「家醜」とは家の中の隠すべき不名誉なことの意味が転じて、家の大切な秘伝という意味です。
これもハイという応諾がすべてであるという禅の主張を言った公案だとおもわれます。 
不思善悪

 

六祖因みに明上座、追ふて大庾嶺に至る。祖明の至るを見て、即ち衣鉢を石上に擲げて云く、此の衣は信を表す。力をもって争ふべけんや、君が将ち去るに任す。明遂に之を挙ぐるに山の如く動ぜず、踟蹰悄慄す。明日く、我れは来たって法を求む、衣の為にするに非ず。願はくは行者開示したまへ。祖云く、不思善、不思悪、正よもの時、那箇か是れ明上座が本来の面目。明当下に大悟、遍体汗流る。泣涙作礼し、問ふて日く、上来の密語密意の外、還って更に意旨有りや否や。祖日く、我れ今汝が為に説くものは、即ち密に非ず。汝若し自己の面目を返照せば、密は却って汝が辺に在らん。明云く、某甲黄梅に在って衆に随ふと雖も、実に未だ自己の面目を省せず。今入処を指授することを蒙って、人の水を飲んで冷暖自知するが如し。いま行者は即ち某甲が師なり。祖云く、汝若し是くの如くならば、則ち吾と汝と同じく黄梅を師とせん。善く自ら護持せよ。
無門日く、六祖謂ひつべし、是の事は急家より出て老婆親切なりと。譬えば新茘支の殻を剥ぎ了って、核を去り了って汝が口裏に送在して、只だ汝が嚥一嚥せんことを要するが如し。
頌に日く、描けども成らず画けども就らず、賛するも及ばず生受することを休めよ。本来の面目蔵するに処没し、世界壊する時も渠は朽ちず。

六祖大鑑慧能禅師もと目に一丁字もなく、五祖黄梅禅師のもとに米撞き行者をしていた、それが大法を継いで印のお袈裟を持って去ったと聞いて、大衆あとを追う、中にもと将軍であった明上座が追いついた。これは信を表す、力をもって争うべけんや、君が持ち去るに任す、乃至遂に山のごとくに動かずと。今の人まずもってこれを見習うべきです、心というもの失せて腐りきって、信というかけらもなくうそ八百のてめえぜにかねです、こりゃ仏教どころじゃないです。坊主どもつまりはそれが最低ですか、心地開明を忘れて猿芝居ばっかり、いよいよ付き合っていよいよ虫唾が走るばかりですか、こんなんどうしようもない、今の六祖まずこいつらを知らぬ存ぜぬから始めるこったな。でたらめばっかりのごんずいかたまり、どこにも仏教のぶの字もないです。しかも大法は不変です、よく保護して自他ともにこれを伝えて行かにゃならんです。是非善悪によらぬ汝が真面目、臨済宗の連中も本当に本来面目を示せば、上来の密語密意のほかに、かえって意旨ありやと聞くんです、何かあるでなきゃ商売にならない、ただじゃつまらんというんです、どこかでまったく履き違えています。箇のなんにもなしどのくらいの力があるかまるっきりわからんのです、ちらともありゃ錆びついて使いものにならぬ、莫耶んじょ剣、真空に切るんです、目に一丁字もない六祖の方便、よくよく見るによし。描けども成らず画けども就かず、毀誉褒貶あるいは天才等の入り込む余地はないんです。はーい世界壊滅するとも彼は朽ちず。 

六祖さまは慧明どのが大山越えまで追っかけたので、相手のくるのを見て、ころもと鉢を石の上におき、「ころもは心のもの、取りあいはやめましょう。お持ち帰りください。」
慧明どのは手をかけたが、山のようで動かず、おじ毛をふるった。かれはいう、「求めるのは道で、ころもじゃないんだ。お導きを願いたい。」
六祖、「心に善も悪もない、といった時に、慧明どのの真のすがたはどんなです?」
慧明はその場で悟り、グッショリとアセをかき、泣く泣くおじぎをしていう、「おっしゃった秘伝のほかに、まだ教えがありますか?」
六祖、「わたしの申しあげるのは、秘伝じゃありません。あなたがじぶんの身をかえり見れば、秘伝は身にあるでしょう。」
慧明、「わたしは五祖さまの下で修行しながら、じぶんのすがたも知らずにいました。こうしてお導きを受け、飲んでみて水の味がわかりました。これからあなたはわたしの先生です。」
祖、「そうおっしゃるなら、ごいっしょに五祖さまの教えを受け、しっかりやりましょう。」
無門がいう、六祖さまはいわば取りこみのある時の、世話やきばあさんだ。たとえばもぎたてのレイシの実の皮をむき、タネをぬき、くちに入れてくれるようで、あとはただのみくだすだけ。
歌に、すがたはつかめず絵にならず、むりにほめてもまにあわず。真のすがたはありありと、世は破れても失わず。
会話の流れが自然で何も気をてらったところがなく、とてもいい公案だと思います。
六祖の会話もすべて、当たり前のことを淡々と言っていて、次節の第二十九則・「非風非幡」のところに出てくる黄梅山で提示した力強い詩頌とも結びついて、全くかざり気のない素晴らしく大きな人であっただろうことが想像されます。
離却語言

 

風穴和尚因みに僧問ふ、語黙離微に渉る、如何が通じて不犯なる。穴云く、長えに憶ふ江南三月の裏、鷓鴣鳴く処百花開く。
無門日く、風穴機掣電の如く、路を得て便ち行く。争奈せん前人の舌頭を坐して不断なることを。若し者裏に向って見得して親切ならば、自ら出身の路有らん。且らく語言三昧を離却して一句を道ひ将ち来たれ。
頌に日く、風骨の句を露はさず、未だ語らざるに先ず分付す。歩を進めて口喃喃、知んぬ君が大いに措くことなきを。

風穴延沼は臨済下四世、南院の嗣。語黙離微にわたる、喋っても黙っていても不具合、仏を犯すというのです、仏というもとないものを弄ぶんですか、あげつらおうとする、そりゃどうにもならんのは、もとないはずのものがあるからなんです。ちらともひっかかりとっかかりある間は何をやっても犯すんです。まるっきりないものになり了れば、ないをどうやったろうが不犯です。長なえに憶ふ江南三月のうち、しゃこ鳴く処百花開くと、聞いたふうな決まり文句を云おうが独創だろうがかまわんです。詩歌は先人を踏まえて言うのが建前ですか、良寛さんの歌に新規の草花や風景がないという、若し新規に付け足す発明は芭蕉であってもこりゃ大事件なんです、良寛さん人の作った歌だろうが平気で用いる、舌を巻く底の大機略です。ここのまりとうまりつきてつきおさむ十ずつ十を百と知りせば。どうですか云うも云わずもそのものこっきり、月を仰いで遠来の客を忘れ、如何が通じて不犯なるこれ、実証ものみな全般です、でなくば仏ではなく、おおよそ仏教の意味がないんです。どこを向いても良寛なく、風穴まったく見えず。 

風穴さまに、坊ずがきく、「くちに出すと、出さぬと、両方を生かす道は?」 風穴、「思え南の春さなか、シャカの鳥鳴き花かおる。」
無門がいう、風穴の機転はいなずま、どちらにでも行くが、おしいことに前の人のくちまねで、切れない。もしこの点をよく見ぬけたら、大手をふって行けるわけ、まず言葉の世界をぬけ出て、ひと文句つけるがよい。
歌に、本音をはかないで、やんわり押さえつけ。一席ぶつなんぞ、あんまり芸がない。
有名な十牛の図の内の9番目が「返本還源」でただの自然の姿が描かれ、「柳は緑、花は紅」の心境だとされています。
つまりこの公案は悟りの心境を語っています。その本当の意味を知るのは大変なことはさておいて、ただそれだけの意味の公案だと思います。
無門の解説もひねったところがありません。
「長(トコシナ)ヘニ憶フ江南三月ノ裏、鷓鴣啼ク処百花香シ。」が唐の詩人杜甫の作品なので、それが創作でなく引用であることを皮肉っています。
三座説法

 

仰山和尚夢に弥勒の所に往いて、第三座に安ぜらるるを見る。一尊者有り、白槌して云く、今日第三座の説法に当たる。山乃ち起ちて白槌して云く、摩訶衍の法は、四句を離れ百非を絶す、諦聴諦聴。
無門日く、且らく道へ、是れ説法するか、説法せざるか。口を開けば即ち失し、口を閉ずれば又喪す。開かず閉じざるも、十方八千。
頌に日く、白日青天、夢中に夢を説く。捏怪捏怪、一衆を誑謼す。

白日青天真昼間です、夢中に夢を説くと、今の人ただもう白昼夢のうわごとです、説くさえなく自堕落、しかも仏だの仏教だのたわけたことを云っている。学者仏教が一言半句とっぱずれているのは、仏の道ではなく妄想すったもんだ、正しいか正しくないかなど立場と主張ですか、仏はもとなんにもなし、立場なく主張する自分がなく、ただこれ仏為人の所です、ふんぞりかえってだからどうのとは程遠いんです、そりゃ金輪際わからないのは、まずもって学者を捨てる以外に仏を知る方法はないからです。夢という、仰山慧寂は潙山の霊佑に継ぐ、夢が現実なんです、お釈迦さまと弥勒さまの第三座になって、かくのごとく説法する、昨日もそうであったし、明日もそうなんです、ほかにはなく、これ説法か説法にあらざるか、日月星辰山川草木日々に新たにして永遠です、諦聴諦聴これおのれであり仏教です、捏怪捏怪一衆をおうこすと、飢えた虎に身を投げ与えて下さい、仏もとなしを知るは食われ終わって後。 

仰山さまが、夢でミロクのところに行き、三の席につかされた。ひとりの役僧が、板を鳴らし、「今日は三の席さまの説法です。」
仰山は立って、板を鳴らし、「大いなる教えは、差別もなく、区別もない。よく聞け、よく聞け!」
無門がいう、いったい。こりゃ説法といえるのかな?いえばはずれる、いわねばうせる。いわずだまらず、なお十万里。
歌に、まっぴる日なかに、寝ぼけた話。こねて丸めて、信者をだまし。
これは夢の中の話です。そして夢の中で、三の席につき「大いなる教え」の偉大さを説いたと言う話です。つまり、第三者的な立場で、区別も、差別もない大いなる教えなんかいくら説いても、すべて夢の中の話で、あらゆる問題は現実に生活している当事者どうしが知恵をしぼりあって解決するしかないと言っています。
この公案の中でいう〔おおいなる説法〕とは大所高所からの口先だけの真理で、そんなものは夢の中で語っているのと同じことだということです。そう解釈すると無門の解説も自然に受け取れます。
二僧巻簾

 

清涼大法眼因みに僧斉前に上参す。眼手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去って簾を巻く。眼日く、一得一失。
無門日く、且らく道へ、是れ誰か得、誰か失。若し者裏に向って一隻眼を著け得ば、便ち清涼国師敗闕の処を知らん。かくの如くなりと雖も、切に忌む得失裏に向って商量することを。
頌に日く、巻起すれば明明として太空に徹す、太空すら猶ほ未だ吾宗に合はず。争でか似かん空より都て放下して、綿綿密蜜風を通ぜざらんには。

法眼文益は羅漢桂琛継ぐ、法眼宗の祖、法華経に通暁する、大清涼法眼と。同じに簾を巻くんですか、それとも別なんですか、得失ありという、でなきゃ世間をわたっていかれないという、世間わたって行かなくともいいってことになると、がっさり肩の荷が外れますか、得失是非を離れて大安楽ですか、同じことまったいらは個々別々ですか、廓然無聖真空の妙智、ろくでもない日常人とはまったく別ですか、いいえ同じですか。簾を巻けば太空に徹す、太空さへなほ吾宗にあらずと、いかでか似かん空よりすべてを放下して、ただの人の清涼日月未だ思いも及ばぬことと知れ。 

清涼院の坊さまは、坊ずが食事前に来たので、手でスダレを指さした。坊ずは二人居たが、ふたりともスダレをまく。坊さま、「片方よし、片方ダメ」。
無門がいう、いったい、どっちがよく、どっちがダメか? この点にシッカリと目がつけられたら、清涼さまのヘマなところがわかる。それはそうだが、ウマイとかダメとかの議論は無用じゃ。
歌に、まけば、カラリと青い空、空もわれらの胸(宗)のほか。いっそ空まで打ち捨てて、風も通さぬほどのよさ。
多分この場合、大きなスダレを片方が左側から、片方が右側から巻いたのだと思われます。
つまり二人の僧が左右対象に巻いたわけですけれど、どうして「片方よし、片方ダメ」なのか。
答えを三択とします。以下ですが、どれが正解でしょうか?
三択にする一つの理由は、公案というものは良し悪しは別としてその答えを捻出しようとして、ああでもない、こうでもないと色々とこねくりまわして考えぬくものだからです。それも重要な過程の一つと思うので、読者にも少しこのこねくりまわしに参加してもらいたいと思うからです。
(1)二人の巻き方は同じだったが、一人は先輩、一人は後輩なので、後輩の方があとから巻かなくてはいけないのに、先に巻き初めてしまった。
(2)二人の巻き方は同じだったが、一人の立ち位置が外の景色が見えない位置なので注意された。
(3)スダレを巻くのは一人で充分で、二人で巻いたこと自体が間違っている。
この公案は人間の存在および行動は、主観と客観の二つともに裏打ちされていなければならないということを言っているのだと思います。
人間は自分が今そこに居て、その行動をしていることは正しいと思っています(例えば、筆者はこの文をここで書いていて、読者はそこでこの本のこの部分を読んでいます)。正しいと思わなければ、その行動をそこでしていないでしょう。
中には、その行動が社会的に不正だったり、他人に強制されてやっている場合もあるのだから必ずしも正しいと思っていないはずだという人もいるでしょうが、しかし不正な行為であっても、その行為を何らかの理由でやるしかないとか、周囲の人間のためだとか思っていて、その行動を実行する瞬間はそれを実行することは正しいと思ってやっているはずです。
例えば[読書]という行為の場合、感想文の提出が宿題だったりして、他人から強制されている場合であっても、強制されているから仕方がないとかその行動に一理はあると思ってやっているはずです。
人を制度的に奴隷として使用することはできますが、このスレーブ(奴隷)の最終的な行動の瞬間を、マスター(主人)が奪うことは不可能です。常にスレーブはスレーブとして判断し、マスターがそれに取って替わることはできません。行動の瞬間は自分の絶対の主観に身をゆだねる以外ないのです(身をゆだねるという判断が入る余地もありません)。(中略)
禅の公案は前述してきたように、人間の行動は一億分の一億(つまり一分の一)である主体的な自分と、一億分の一(もしくはそれ以下)の客観的にものを見ている自分の、それぞれの二人の存在を指摘し、その二人ともに従えと言ってます。と言うより従っているのが人間なのだと言っているのです。大きな自信を持つ自分と、大きな不安を持つ自分が、二人同じ人間の中に矛盾なく存在していると主張しています。
それに素直に従っている心が、禅のいう仏心です。(中略)
さらに余談になりますが、今の日本では、会社に入った時の入社式の社長の言葉が必ずと言っていいくらい「打たれてもくじけない本物の出る杭であれ」とか、「自分の意見を充分主張し、組織の中で自分の考えを実現すべきだ」だとか言います。そしてマスコミはこぞって「若者は個性を生かした生き方をしよう」と主張しています。
しかしそれは、すべて上記の客観的な真理の範囲内、つまり一億分の一の生き方の範囲内なのですから、笑うべきことです。逆に、会社という組織は若者の個性をつぶすこと、独自の考え方の芽を摘み取って組織人間にすることに暗黙の内に絶対の自信を持っているはずで、組織の中に放っておけば、必ずいつかは会社の考え方に従って、それが正しいとする生活をするようになるとタカをくくっているのです。ただ、あまりの無個性の氾濫に(少しの個性は実際に必要でもあるので)、個性を大事にしろと入社式でいうのではないでしょうか。他の機会にはもう全く(?)そんなことは言わないことになります。
不是心仏

 

南泉和尚因みに僧問ふて云く、還って人の与めに説かざる底の法有りや。泉云く、有り。僧云く、如何なるか是れ人の与めに説かざる底の法。泉云く、不是心、不是仏、不是物。
無門日く、南泉者の一問を被むって、直に得たり家私を揣尽して、郎当少なからず。
頌に日く、丁寧は君徳を損す、無言真に功有り。任従ひ蒼海は変ずるも、終に君が為に通ぜじ。

馬祖道一は即心即仏、南泉は不是心仏。かえって人のために説かざる底の法有りやとは、溺れる者は藁をもつかむ、人間という便りをもって生死の境をうそぶき歩くんですか、法の櫂にぶんなぐって突き放す、蒼海変ぜず命尽きなんとしてかつがつ得る、不是心、不是仏、不是物、心にあらず仏にあらず物にあらず、仏の大海これです、真空の妙智という、なんにもないんです、でなきゃ使いものにならんです、よくよく見て取って下さい。
使いものになるとは。家私を滅尽して郎当少なからず、無言ですか、ぴいと鳴いてごらんなさい、鳥がぴいと応ずる親切。自我だの自意識だのろくでもないことを自然ものみな云わず。 

南泉さまに、坊ずがきいた、「人にきかせない説法がありますか」南泉、「ある。」
坊ず、「どんなのが人にきかせない説法で?」
南泉、「心もなく、仏もなく、物もなしじゃ。」
無門がいう、南泉はこの坊ずに聞かれて、とうとう取っておきをはたき、えらい損をした。
歌に、クドクド説くは損、いわぬが真の得。海山かわるとも、わからずお気の毒。
この南泉のいっていることが、「趙州狗子」の「無」です。
無門も、これは南泉の取っておきだといっています。
これ以上説明してもつまらない言葉(心やものの差別を越え、仏も越えたところの自己とか)の羅列になりますので、これでおしまいです。
頌(うた)にあるように「丁嚀ハ君徳ヲ損ス、無言真ニ功アリ。」なのです。
久嚮龍潭

 

龍潭因みに徳山請益して夜に抵る。潭云く、夜深けぬ。子何ぞ下り去らざる。山遂に珍重して簾を掲げて出ず。外面の黒きを見て却回して云く、外面黒し。潭乃ち紙燭を点じて度与す。山接せんと擬す。潭便ち吹滅す。山此に於て忽然として省有り。便ち作礼す。潭云く、子箇の何の道理か見る。山云く、某甲今日より去って天下の老和尚の舌頭を疑はず。明日に至って龍潭陞堂して云く、可中箇の漢有り、牙は剣樹の如く、口は血盆に似て、一棒に打てども頭を回らさず、他日異日孤峰頂上に向って君が道を立する在らん。山遂に疏抄を取って法堂の前に於いて一炬火を将って提起して云く、諸の玄弁を窮むるも、一毫を太虚に致くが若く、世の枢機をつくすも一滴を巨壑悱悱に投ずるに似たり。疏抄を将て便ち焼く。是に於いて礼辞す。
無門日く、徳山未だ関を出でざる時、心憤憤口悱悱たり。得々として南方に来たって教外別伝の旨を滅却せんと要す。澧州の路上に到るに及んで婆子に問ふて点心を買はんとす。婆云く、大徳の車子の内は是れなんの文字ぞ。山云く、金剛経の抄疏。婆云く、只だ経中に道ふが如きんば、過去心不可得、見在心不可得、未来心不可得と。大徳那箇の心をか点ぜんと要す。徳山者の一問を被むって、直きに得たり口匾檐に似たることを。是の如くなりと雖も、未だ肯て婆子の句下に向って死却せず。遂に婆子に問ふ、近処になんの宗師か有る。婆云く、五里の外に龍潭和尚有り。龍潭に到るに及んで敗闕を納れ尽くす。謂ひつべし是れ前言後語に応ぜずと。龍潭大いに児を憐れんで醜きことを覚えざるに似たり。他の些子の火種有るを見て郎忙して悪水を将って驀頭に一澆にぎょう殺す。冷地に看来たれば一場の好笑なり。
頌に日く、名を聞かんよりは面を見んに如かん、面を見んよりは名を聞かんに如かじ。鼻孔を救ひ得たりと雖も、如何せん眼晴を瞎却することを。

龍潭に到るに及んで敗けつを納れ尽くす、これ前言後語に応ぜず、大いに憐れんで醜悪を覚えずと、若しこれ正師に会わずばたとい理路整然、人知を尊んでさっぱり埒開かず、なんでも聞いて聞くはしから破れ呆けて、自分城を明け渡すこれあってはじめて、薄皮一枚にぶら下がる、灯りを取ろうとして吹き消す。はあっとなんにもなくなる=ぜんたいです。いいですかただこのことあって仏教なんです、余後のことなし、この宗毫末なれども沙界含容す、金剛経に通暁してたからってわけではないんです、ぱーらみーたー彼岸に渡るのみが般若の智慧なんです、たいていの人この事実を知らない、仏教のぶの字もないってことですよ、諸の玄弁を窮むるとも、一毫を太虚におくが如く、世の枢機をつくすも巨がくに投ずるに似たりと。お釈迦さまの悟りが先にあったんです、一代時経も金剛経もそのあとのことなんです、さあどうですか、婆子の問いに答えられますか、如何せん眼晴をかつ却することを、自分という元の木阿弥です、常に面門に現ず、このどあほうがばかったれってね。 

龍潭は、徳山が習いにきて晩になったので、いうには、「夜もふけた、そなたもひきとらないか?」
徳山は「おやすみ」をいい、スダレを上げて出る。見ると外は暗いので、引き返していう、「外は暗くて。」
龍潭は手燭をともして渡す、徳山がもらいかけると、龍潭は吹き消す。徳山はそこでフッと悟り、おじぎをした。
龍潭、「そなたは何か悟れたのかな?」
徳山、「わたしはこれからもう、世の大坊さまの言葉を疑いません。」
そのあくる日、龍潭は高座に出ていう−−「ここに男が一人、歯はつるぎのよう、口は血の鉢のようで、棒をくらわしてもふり向かぬ。やがてそのうち、お山のてっぺんに旗を立てるじゃろう!」
徳山は書物を広間の前に出し、一本のタイマツを手に持って、「理論の研究も、大空に毛すじくらいのもの、実地の調査も、谷底にひとしずくの程度だ。」と、参考書を焼き、そのままおいとました。
無門がいう、徳山はくにに居たころから、思いきりいってやりたいと、張りきって南にきて、「リクツぬき」主義をやっつけるつもりだった。[禮]州の街道にきたとき、ばあさんからモチを買った。
ばあさん、「坊さまの背おったのは、なんの書き物で?」
徳山、「金剛経の参考書だ。」
ばあさん、「そのお経にありますね、−−過ぎた気もちもわからず、いまの気もちもわからず、のちの気もちもわからず。−−坊さまのおモチはどの気も,ち,です?」
徳山はこのばあさんに一本やられ、すっかり[へ]の字口になった。だがそれにしても、ばあさんにやりこめられてまいるのはシャクだと、こうたずねた。「近所に先生でも居るんだろ?」
龍潭をたずねたが、さんざん負けた。「さっきのじまんはどうしたの」というところ。
龍潭はまるで子にあまい親バカのようで、かれにすこし火の気があると見ると、すぐにドブ水を、頭からひっかけて消した。ひややかに見れば、おかしな芝居。
歌に、聞くより見るがまし、見るより聞くがまし。鼻だけ助けたが、こんどは目つぶし。
ずいぶんと長い公案です。特に公案本体の部分が長くなっていて、龍潭と徳山の関係やそのやりとりが、無門のお気に入りだったのかも知れません。
理論家として名をはせていた徳山が、南に行って茶屋のばあさんにやりこめられ、龍潭にも形無しになるほどやりこめられてしまいました。
そこで毎日、龍潭のところを訪ねて、仏教の教義や修行法を教わっていました。
ある日、時間の経つのを忘れてしまって帰りが遅くなり外がすっかり暗くになってしまいました。一度、外にでた徳山はあまりに暗いので、また戻って「外は暗いので」(何か明かりを貸してください)といいます。
龍潭は持ち運びのできる蝋燭のようなものに灯をつけて渡します。徳山が取ろうとしたとき龍潭が灯を吹き消してしまいます。その瞬間に、徳山は忽然として悟ったと言うお話です。
翌日、龍潭が弟子達を集めた高座で、徳山を中国の白髪三千丈式の表現で龍潭を褒め讃えたのち、この男は多分、一人高い思想を立てて人々を指導するようになるだろうと言いました。 そして徳山はタイマツを持ってきて、持ってきた金剛経などの書物を焼いてしまい「知識や理論は大海の中の一滴にすぎない」といって、その地を去って行きました。
この時の悟りとは何かというのがこの公案の問題です。
龍潭が灯を渡し吹き消した瞬間の、徳山の目の前の世界には三つの種類があります。
一つ目は暗くなる前のいわば昼間の外の世界であり、二つ目は暗いところを灯で照らしている世界であり、三つ目は真っ暗で外のものが殆ど何も見えない世界です。
どれが本当の世界でしょうか? もちろん三つとも、同じ世界を見ていてただ明るさだけが違うのだから、あえて言えば、昼間の明るい、日の光に照らされた世界が一番本当の世界に近いと普通は思うでしょう。山があって木があって道があって山門や方丈の建物があるお寺の景色がその中にはっきり見えるからです。暗くなってからの景色はそれが見えなくなったものであり、灯で照らした世界はそれを多少補ったものであると考えます。しかし三つとも間違いなく本当の世界なのです。違うのは光の量とそれに伴う人間の認識が違うだけなのですから、優劣はつけられないはずです。
唯物論的に言えば、人間の認識を離れて下界は存在し、今まで科学的に捕らえている世界がそのまま存在するということになります。
しかし、科学的認識のためのツールの望遠鏡や測定機も最終的に頼るものは人間の感覚ですから、もちろん誤差もありますし、その捉える全体像だって結局は、人間が昼間みているものの補完にすぎないのではないでしょうか。測定機は物差しや光観測によって成り立っていますが、ではその物差しもない(つまり手や物でふれることのない)、光が当たる前の世界って一体何なのでしょうか。もっと言えば、認識の主体である人間が存在する前の世界は一体どういう風に存在するのでしょうか。
徳山の目の前に展開されている世界のうち、どれが本当なのか、別の何かが本当なのか。それが分かるのがこの公案でいう悟りです。
そんなことを言ったって、自分が死んだって物理的世界は厳然として存在するはずだ、周囲の人が何人も死んでいるけれど、そのことによって地球や世の中が大きく変わったりしないではないか。だから自分の観念より物理的世界の方が絶対的な優位にあるはずだと誰でも思っているはずです。
禅の悟りとは、自分の観念が宇宙を支配しているのだとか、自分が死んだら世界が消えるなどとそんなことを主張しているのではありません。
最後に無門の歌の解説を付け加えます。
名ヲ聞カンヨリハ面(オモテ)ヲ見ンニハ如ジ、
名のついたものを聞いて認識するより、そのものを見て知るがましだ。
面ヲ見ンヨリハ名ヲ聞カンニ如カジ。
そのものを見て知るより、名のついたものを聞いて(しっかり)認識する方がましだ。
鼻孔ヲ救イ得タリト雖モ、
鼻だけが感覚として残ったとしても、
争奈(イカン)セン、眼晴ヲ瞎却スルコトヲ。
目がよく見えなくなったら、どういう風な世の中ということになるのだろう。
客観的な認識と主観的な認識、さあどっちが正しい?と言っています。
非風非幡

 

六祖因みに風刹幡を揚ぐ、二僧有り対論す。一は云く、幡動く。一は云く、風動く。往復して曾って未だ理に契はず。祖云く、是れ風の動くに非ず、是れ幡の動くに非ず、仁者が心動くのみ。二僧慄然たり。
無門日く、是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、是れ心の動くにあらず、甚れの処にか祖師を見ん。若し者裏に向って見得して親切ならば、方に二僧鉄を買って金を得るを知る。祖師忍俊不禁にして、一場の漏逗なり。
頌に云く、風幡心動、一條に領過す。只だ口を開くことを知って、話堕することを覚えず。

風動くか幡動くか、汝が心動くのみとは、実際に木の葉揺れずこっちがこう揺れ動くんです、身心ともになしの姿です、心も動かずとはそれを見る自分がないんです。これをたとえばこのネタ本の作者ですか、西村なんとかさんという人などは夢にだも見ないのです、とくとくとしてだれが何を云ったそれだからとやっている、一言半句そっぽを向きっぱなし。では何が故に六祖であるか、禅か仏かといって、そんなことはどうでもいいんです、ただてめえの本が売れて飯食っていかれるだけのこと。葬式坊主の死人扱いとまるっきり同じです。でたらめでいいかげんで嘘とはったり。こんな手合いばかり多いですか、六祖ここにようやく表に出る、知る人ぞ知ると、これを尊敬し求めて止まぬ人がいたんです、いえいつの世の中だっています、一箇半箇つないで行って下さい。一條に領過して話堕しない、無為の真人面門に現ず、はい。 

六祖さまは、風に動く寺の旗を、ふたりの坊ずが議論し、ひとりは旗が動く、ひとりは風が動くと、おたがいケリがつかないので、いうには、「風も動かず、旗も動かず、人の心が動く!」
ふたりはヒャッとした。
無門がいう、風も動かず、旗も動かず、心も動かねば、祖師さまはどうなるか?もしこの点をシッカリ見抜けば、ふたりの坊ずは堀り出しものをし、祖師さまはこらえきれなくて、とんだソソウをしたとわかる。
歌に、風、旗、心、一度にごめん。くちをたたけば、ウッカリ失言。
この公案を少し簡単に考えすぎると、「風も動かず、旗も動かず、人の心が動く!」のなら、禅の世界は観念によって世界がなりたっているという観念論ではないかということになってしまいそうです。
六祖慧能(638-713)と言えば、中国禅宗の発展のもとになり、日本にも伝えられた南宗禅の創始者とされ、その後この無門関に登場する馬祖から百丈、仰山のへ流れと、石頭(無門関には直接は登場しない)から洞山、曹山への流れと龍潭、徳山、雲門への流れを作った人です。馬祖や石頭より二祖前になります。(中略)
この二僧は、まだ俗人の慧能の答えに慄然として只成らぬものを感じ、その説法会の説法主である印宗老師にこの話をしました。老師はその人こそ、黄梅の弘忍禅師の法を継承し、南方に隠れたという方に違いないと思い、彼を招き得度して師家とし、正式に六祖として世に立つように尽力いたしました。数年間も俗人のままでいて、この議論から見出されて、また出家して南宗禅の祖として活動を開始したとは、偶然が機会になったとはいえ本当に良い話です。
公案にもどりますと、「人の心が動く!」とはずいぶんと平凡な答えです。
寺男のとき、兄弟子の神秀の《身は是れ菩提樹、心は明鏡の台の如し》と言ったのに対し、《菩提はもとより樹なし、明鏡もまた台にあらず。》と、大胆にも心の存在そのものを否定したかに見える慧能の頌を考えると、それはないだろうと言いたくもなります。 多分、このときの議論していた二僧への六祖の説明が親切だったのは、自分がまだ俗の立場であり、通りがかりだったので、「違うんだけどなあ」という感じで会話に加わったのではないでしょうか。
即心即仏

 

馬祖因みに大梅問ふ、如何なるか是れ仏。祖云く、即心即仏。
無門日く、若し能く直下に領略し得去らば、仏衣を著け、仏飯を喫し、仏話を説き、仏行を行ずる、即ち是れ仏なり。是の如くなりと雖も、大梅多少の人を引いて、錯って定盤星を認めしむ。争でか知らん箇の仏の字を説けば、三日口を漱ぐことを。若し是れ箇の漢ならば、即心是仏と説くを見て、耳をおおふて便ち走らん。
頌に日く、青天白日、切に忌む尋覓することを。更に如何と問へば、臓を抱ひて屈と叫ぶ。

即心即仏、即心是仏と、心そのものこれ仏なんです、達磨さんが毒を盛られ王都から追っ払われしたのはこの為です、学者布教師坊主の類はみな仏教という、有り難い難しいなにかしらあると思っている、よってもってそれを利用して飯の種乃至は身分名分を得て暮らしている。そんなものはないと云えば根底から崩壊する。心だというなんだそんなののはという、ありっこないじゃないか、無心だ心が無いと書く。ところがこれ心の無いことを知る、大事件なんです、たいていどうやってもこうやっても手に入れ難い。一つの心です、一つが一つになったとき省みるなく、すなわち無なんです。ただこれを知る即ち仏です。だれあって仏教を志す人、まずもって無心を知る、でなけりゃ問題にならんです、問題にならん人ばっかり充満して、ただもううるさったいですか。今の坊主宗門人の忌み嫌うものは、道元禅師であり達磨さんです。お布施に利用してやってるんだから出て来るなってわけで、ごんずい固まりして爪弾きする、祖師の苦労のところをすべて使いはたして、もはや宗門の命脈は尽きた、ごんずい塊のまんま滅びて行く。でも道元禅師は滅びないです。即心即仏青天白日の法、大梅熟したりと、たとい非心非仏も生死も涅槃も元かくの如し、更に如何と問えば臓を抱いて屈と叫ぶ、ときに屈託あるんですか、裸足で刀山に上る、たまには溜飲を下げて下さい、青天白日四面楚歌ってねあっはっは。

馬祖さまは、弟子の大梅が、「どんなのが仏で?」ときくので、いうには「心が仏じゃ。」
無門がいう、もしすなおに受け取ることはできれば、ころもを着、おそなえをたべ、教えの話しをし、修行をするだけで、もう仏である。だがそれにしても、大梅はどれだけの人に出発点を誤らせたことか!「仏といっただけで、三日くちをすすぐ」ことを知るまい。男いっぴきなら、「心が仏」といわれたら、耳をおさえて出て行く。
歌に、晴れたみ空に、なぜケチをつける?「どんな物」とは、図太いぬすと。
"心が仏"というのは、他の公案でも大いに説いていることなので、いまさら解説の必要がないと思われます。
しかしこの仏(ほとけ)である心とはどんなふうにあるのでしょうか。ここでは悟りそのものについてではなく、悟ったあとの心のあり方について述べてみたいと思います。
森田正馬は彼の提唱する"あるがまま"や"純な心"について次のように述べています。
『なお私はこの治療中に、患者をして純,な 心,、自,己,本,来,の,性,情,、自分をあざむかない心というものを知らせるように導くことを注意する。純な心とは、私たち本然の感情であってこの感情の厳然たる事実を、いたずらに否定したり、ごまかしたりしないことである。私たちはまずこの事実を本として発展するのであって、善悪、是非の標準を定めて、そのあとでこれにの,っ,と,る,という理,想,主,義,でなく、また自分の気分を満足させるという気分本位でもない。いま私たちが仕事をするとき、たとえばいやなこと、めんどうなこと、そのままの心から出発した時には、そこに必ず軽便、迅速、有効にしたいという工夫が起こる。』
’面倒くさい’と思いながら仕事に取り掛かるのが本当だと言っていることになります。
禅ではあまり悟ったあとの心境についての説明をしないので、大言壮語とか奔放とか天然であらわされる状態が悟りの心境として氾濫することになります。残念ながら、大死一番などの言葉とあいまってそれは前次大戦の何百分の一かの原因になりました。
趙州勘婆

 

趙州因みに僧婆子に問ふ、台山の路甚れの処に向ってか去る。婆云く、驀直去。僧わずかに行くこと二三歩。婆云く、好箇の師僧又恁麼にし去る。後に僧有って州に挙示す。州云く、我去って汝が与めに這の婆子を勘過するを待て。明日便ち去って亦た是の如く問ふ。婆も亦た是の如く答ふ。州帰って衆に謂って日く、台山の婆子、我れ汝が与めに勘破し了れり。
無門日く、婆子只だ坐ながらに帷幄にはかることを解して、要且つ賊に著くことを知らず。趙州老人は、善く営をぬすみ塞を劫かすの機を用ふるも、又且つ大人の用無し。点検し将ち来たれば、二りともに過有り。且らく道へ、那裏か是れ趙州、婆子を勘破する処。
頌に日く、問既に一般なれば、答も亦た相ひ似たり。飯裏に砂有り、泥中に刺有り。

台山にはどう行たらいいか、まっすぐ行けという、二三歩歩く背中に向って、ええ坊さまじゃ、いんもにし去る、まあ同じように行かっしゃるってわけです。婆さんが勘破了也っていうんですか、大法有りや否やというには、自分が大法をひっかついでいるんです、すなわち大法にしてやられ、好箇の師僧いんもにし去ると、ようできたというんですか、趙州またしかり、即ち汝がために婆子を勘破し了ると。ただがただのものにひっかかるわけがない、でははじめから大法なし無知蒙昧如何、帷あくの中にはかる、これ天子の柵という、だれしも意図あれば若しくはそれ、意図なければ清清として妙、婆子と趙州と如何、将軍は塞外ですか、はあていつまでことに当たる、飯に砂あり泥に刺あり、次第そやつをひっこ抜いて、はあてまったくの未だし如何とさ。

趙州は、坊ずがばあさんに、「五台山は、どう行きますか?」ときき、ばあさんが、「まっすぐに行きなさい!」というので、ふた足み足行くと、ばあさんが、「坊さまのくせに、あんな道を行く!」−−ということをひとりの坊すからきき、いわれるには、「それではわしがそのばあさんを見破ってやろう。」
あくる日出かけて、同じようにきく。ばあさんの返事も同じ。
無門がいう、趙州さまは敵の巣にとびこむ計略はうまいが、どうもおとな気がない。よくしらべるとどちらもぬかりがある。
ところで、趙州がばあさんをとっちめたのはどこだろう?
歌に、同じ問いかと、答えも同じ。飯に石有り、泥にトゲあり。
自分という人間の中には、主体という主観によって行動している自分がいます。その自分のもっとも嫌な恥ずべきことは、納得しないまま客観的な情勢につき動かされてフラフラとその示す方向に行動してしまうことでしょう。
もちろんそのときでさえ、主観と客観の一体は保たれているのですが、客観につき動かされ、主観が客観に迷いながら引きづられているという事実はあります。
この公案はこのことを言っています。婆さんに言われてそのままフラフラと足を踏み出した僧に、"坊さまともあろうものが自分の考えも無しに行動して"と皮肉をこめて言ったのです。
それでは趙州は、次の日どういう行動に出たのでしょうか?
婆さんが答える直前か、答えと同時にそっちの方向に歩を進めたのではないでしょうか?あるいはしばらく考えた後に五台山の方に向かったのかもしれません。
しばらく考えた後というのが自然です。とにかく自分の考えで行動したことは間違いありません。
どっちにしても、わざわざそんなことをしに婆さんに会いに行くということも、大人気ないと無門に言われても仕方のないところです。
「歌行燈」という泉鏡花の小説があり、1960年に衣笠貞之助監督、市川雷蔵、山本富士子主演で映画化され、二人のこの世ならぬ美しさとともに話題になりました。
ある温泉街で働く芸者のところに主人公のシテ方宗家の甥の恩地喜多八が訪れ、地元の謡いの師匠宗山の自慢の鼻をへし折り自殺に追いやるという話です。不遜に構える宗山が、若造と思って見下していた主人公の打つ小鼓の拍子に自分の謡いの調子を崩してしまいがっくりと崩れ落ちてしまいます(この場合、恩地喜多八がこの公案の婆さんに、宗山が坊ずに当たることになります)。
謡曲にあわせて小鼓をうつのですが、実は能楽のプロの話しですと、鼓の拍子を少しづつ謡い方のテンポより早めていくと、謡えなくなってしまうということです。その逆の話しで、奔放な謡いと舞で昭和の名人といわれ戦後第一回目の文化勲章を受賞した初世梅若万三郎について、あまりに自由勝手に謡うために、鼓方のベテランが 「打てるか!」と楽屋で鼓を打ち捨てるさまを見せたという話しを聞いたことがあります。
相撲界で未だ破られることのない六十九連勝という記録を打ち立てた、第三十五代横綱双葉山(1912~1968)は、土俵上で決して「待った」をしなかったという。
結果として相手力士より一瞬遅れて立つことになるのだが、必ず先手を取ってしまい、相撲に勝っていました。これを「後の先をとる」といいます。
双葉山は、荘子に出てくる寓話の最強の闘鶏が木彫りの鶏(木鶏)のように静かであったということから学んで、この木鶏のようになることを目指していて、勝っても負けても、決して表情を変えることが無かったということです。六十九連勝でストップしたとき「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」と恩師に打電した話は有名です。
禅が、人間の心の全ての有り方があるという「呼ばれてハイと返事すること」には、常にこの「後の先をとる」働きを含んでいるはずです。
この公案はこのことを言っています。
外道問仏

 

世尊因みに外道問ふ、有言を問はず、無言を問はず。世尊拠座す。外道賛嘆して云く、世尊大慈大悲、我が迷雲を開ひて我をして得入せしむ。乃ち具礼して去る。阿難尋ねて仏に問ふ、外道何の所証有ってか賛嘆して去る。世尊云く、世の良馬の鞭影を見て行くが如し。
無門日く、阿難は乃ち仏弟子、宛かも外道の見解に如かず。且らく道へ、外道と仏弟子と相ひ去ること多少ぞ。
頌に日く、剣刃上に行き、氷稜上に走る。階梯を渉らず、懸崖に手を撒す。

阿難外道はなんの所証あってかと問ふ、悟ったのかと聞く清清この上なきなにものか、世尊の答えは世の良馬の鞭影を見て走ると、さあどうです、鞭でひっぱたいて走らせるか、なにゆえです、悟り終わればただの人、悟り終わって悟りなしとは、外道も仏弟子もない世界ですよ、ものみなお釈迦さま、山川草木鳥もけものも雲水日月星辰もです、人間だけがてめえに首突っ込んで無様たかして、神さまだ思想だ自意識がなんの苦集滅道です、つまらんこったです、坐っていて自分というもの失せればお釈迦さまです、断然手の届かぬ世界です、丸ごとお釈迦さまですか、世の良馬の鞭影を見て走る、剣刃上を行き乃至は懸崖に手を撒す、はーいそうですよ、鳥や獣や月や花やみんなそうやってます、一としておのれを省みる余裕なんかないんです、絶唱ですすばらしいことこの上なく、是大神呪無等等呪はい無上楽はただの日送りです。 

シャカさまに、ほかの教えのものが、「言葉はきかない、無言もきかない」ときいたが、シャカはジッとすわっているだけ。
その者は感心して、「シャカさまは察しのよいかた。わたしも迷いから、悟りに入りました。」とおぎして去った。
アナンがあとでシャカに、「あの人は何か悟れて、感心して帰りました?」
シャカ、「よい馬がムチを見ただけで走るように。」
無門がいう、アナンはャカの弟子なのに、異教徒の見識もないみたいだ。いったい、異教徒と仏弟子といくらの差があるのだ?
歌に、やいばを歩き、氷を渡り。ハシゴ通らず、ガケに手放し。
悟りは言葉を越えていることは、禅の常にいうところです。
それとは別に、この公案は異教徒が登場する唯一の公案です。
無門は、異教徒と仏弟子には、悟る、悟らないについては差別がないことを言いたいためにこの公案を採用したのでしょうか。
非心非仏

 

馬祖因みに僧問ふ、如何なるか是れ仏。祖日く、非心非仏。
無門日く、若し者裏に向って見得せば、参学の事畢んぬ。
頌に日く、路に剣客に逢はば須らく呈すべし、詩人に遇はずんば献ずること莫れ。人に逢ふては且らく三分を説け、未だ全く一片を施すべからず。

馬祖道一、即心是仏と説き非心非仏と説く、ある人のいう、即心即仏が心が仏であるであれば、非心非仏を心は仏ではないとしたいが、通説に従って心でもない仏でもないを採ると。まさにこれ心を弄ぶの好例ですか、非心非仏の三分を説くところをまったく理解しない、即心即仏もまさにそのものになり終わらなければなんの意味もないです。仏に非ず心に非ずという、命ぎりぎりのところでかつがつに得るんです、坐ってごらんなさい、どこまで行っても自分を取り扱い、仏を取り扱いするんです、これを去るには常識ごと見たふう聞いたふうじゃどうにもならんです、たとい人事を尽くして天命を待ったところでかすにもならんです。お手上げ万歳、お釈迦さまの法なんてとうていおれにはというほどでわずかに見える、すなわちすったもんだごと捨身施虎です、お釈迦さまに捧げるほどのいいことしいじゃさらに届かない、心にあらず仏にあらずとは、自分そのものが虚空に食われ尽くす以外にないです、しかもなをなを足らずと、いくたび地獄に落ちようがただもうまっしぐら、自分というどうにもならんものをただもうこれ、呈剣献詩献は古い成句だとさ、三分を説けまったく一片を施すべからずは、軍略用語ですとさ、非心非仏まったくに施し過ぎ。 

馬祖さまは、坊さんが「どんなのが仏で?」ときくので、いうには「心でも仏でもない。」
無門がいう、もしこの点がわかれば、仏教は卒業だ。
歌に、剣術つかいに剣をやれ、歌をやるなら歌よみに。人と話すは三分かた、明かすまいぞえ胸のうち。
同じ馬祖さまが同じ質問に対し、第三十則・「即心即佛」では「心が仏だ」と言っていて、今度は「心でも仏でもない」と言っているのですから、論理学的にはメチャククチャですが、なにしろ[無]とか[空]とか[非]とかばっかりの世界ですから、この程度の否 定論理は驚くには当たりません。
第七則・「趙州洗鉢」の解説のところで登場する桃水和尚は豪商の角倉から座禅をするときの心の持ち方を尋ねられると、「醤油は土用のうちに造りてよし、味噌は寒のうちにつきてよし」と答えたといいます。この公案はこのことを言っていて、仏の教えとは、生活に即したもので、心とか仏とかの言葉ではないと言っているように思われます。
智不是道

 

南泉云く、心は是れ仏にあらず、智は是れ道にあらず。
無門日く、南泉謂ひつべし、老ひて羞を識らずと。わずかに臭口を開けば、家醜外に揚がる。是くの如くなりと雖も、恩を知る者は少なし。
頌に日く、天晴れて日頭出で、雨下って地上湿ふ。情を尽くして都て説き了る、只だ恐る信不及なることを。

心は省みることも弄ぶことも不可能です、なんとなれば省みるもの、弄ぶもの心です、たった一つきりが二分裂するわけがない、にもかかわらず是非善悪やっている、清濁きれい汚い飽きもせずにです、狂いと正常人の区別のつかない道理です、架空のおのれに振り回されるんですか、幽霊と二人三脚じゃそりゃどうしようもないです。しかも知識智慧に根拠する、どこまで行こうが切りのない泥沼ですか、架空のおのれが思いあがる、金剛王宝剣をもってずたずたに引き裂く、架空のそやつをめったらにぶっつぶす、ぎゃあとわめいて百たびも死ぬ思いをせなけりゃ、正常には戻れないんです。そいつを仏教だ悟りの云って心を助長し、知識にふんぞり返る、安楽椅子に揺られて仏教だと思い込む、どうしようもこうしようもなしです、お釈迦さまの袖に触れるさへ恐ろしいこと千尋の谷へまっさかさま、生きてなんかとってもいられぬほどのことだれも知らない、恩を知るとは如何なることか、わずかにおのれというなければ可、ちらともあれば刺し貫かれ、悲鳴激痛そりゃまったくに七転八倒です。仏の慈悲まさにこれ。 

南泉がいう、「心は仏ではなく、チエが道ではない。」
無門がいう、南泉は「年よりのひや水」というやつで、ヘタなくちをきいて、恥さらしをする。だがそれにしても、恩しらずが多い。
歌に、晴れたら日が見える、降ったら地がぬれる。これほど聞かせても、わからぬやつがいる。
仏の教えといえば、愛に満ちた心とか、感謝する気持ちとか、親切な心とかを持つことの教えだと思っている人が多いと思われます。
現実に、分かりやすい一般向けの仏教書といえばそういう言葉が氾濫していると言ってよいと思います。ほとけごころ(仏心)という言葉もあるくらいで、そういう人間になりましょうとおシャカ様が言ったのだと大体の人は思い込んでいます。
しかし、エーッと思われる方も多いと思いますが、愛とか親切な行為とかは仏教の教えとは、特に禅の教えとはあまり関係が無いのです。
それは本来、社会教育がやるべきことであって、江戸時代以前はそれを各地方で一種の教育機関であったお寺が替わってやっていたにすぎません。学校のかわりみたいなことをお寺がやっていたのです。
今、巷にあふれる言葉の・愛・については、愛憎、愛欲、愛着などお経に現れる言葉としては、常に仏教的な解脱のさまたげになるものとして捉えられています。仏教の・愛・とは、欲望の充足を求める「渇愛(かつあい)」を意味する言葉の訳語であって、円覚経に「輪廻(りんね)は愛を根本と為す」とあるように、輪廻を脱する解脱には・愛・こそが障碍となるということを言っているのです。凡夫の愛こそが悟りへの障害なのです。
もちろんそれを越えたところの慈悲心については否定するものではなく、特定なものを愛するという執着心とは別次元の、すべてのものに普遍的にそそがれるものとされています。
倩女離魂

 

五祖僧に問ふて云く、倩女離魂那箇か是れ真底。
無門日く、若し者裏に向って真底を悟り得ば、便ち知らん殻を出でて殻に入ること、旅舎に宿するが如くなるを。其れ或いは未だ然らずんば、切に乱走すること莫れ。驀然として地水火風一散せば、湯に落つる螃蟹の七手八脚なるが如くならん。那時言うこと莫れ、道はずと。
頌に日く、雲月是れ同じ、渓山各々異なり。万福万福、是れ一か是れ二か。

五祖法演は臨済下白雲守端の嗣。倩女は魂と肉体が分離して、一は王宙という男と結婚し、一は病に伏す、あるときまた元に返ると。倩女離魂、那箇かこれ真底。自分というまったく失せる身心脱落です、殻を出て殻に入ること旅舎に宿る如くと、汝これ彼にあらず彼まさにこれ汝という、手に取ったお椀の中にころっと入っている、入っているんじゃまだこっちにあるんです、直きによく倩女離魂を手に入れて下さい。超能力だの悪戯をするんとは雲泥の相違です、そのような意図あってするのを邪教というんです、いずれ中途半端が類を呼んで害甚大です、ひっかからないように。ぼうかいは茹でた蟹です、自分の手足が自分なしに七足八脚するさま、ふっとそりゃ面白いんです、無心無身そのまんまですよ。雲月これ同じ、谷と山は各異なる、万事めでたし一かこれ別か、はーいたしかめて下さい言い草いくらいったって醜くく悪意に満ちることあり、あっはっはトヨさんみたいのなあなんとかなんねーか。仏の道はたった一つ他の入りようはないんです。 

五祖さまが坊ずにきいた。「お倩はたましいが離れたが、どっちがほんものか?
無門がいう、もしこの点でほんとがわかれば、ぬけがらとほんものは宿と客のようなもの。そこまでわからねば、バタバタしてまわるな。急にこの身がバラバラになる時、湯に入れられたカニのテンヤワンヤとなる。そのとき「聞かなかった」というな。
歌に、ならぶは雲、月、山・川、上下。ありがた、ありがた、二つで一つじゃ。
ここに出てくる五祖は、五祖山にいた五祖法演で無門の五代前の祖師です。
このお倩の話しは、中国の怪談でお倩という娘のたましいだけが愛人について行き、その間本人の体は病気でずっと寝ていて、たましいが帰ってくると、また一人になったという話が元になっています。
人間の心(魂)側に主体があり、肉体側に客体があると考えられます。
禅にとっては、主体と客体は併立しながら一体であって不即不離のものです。ですから、肉体からたましいが離れるなどということはないのです。どっちが本物かどうか聞いていますが、もとより 「答えられないだろう」と言っているのです。
無門もそう言っています。
禅には、霊魂とか悪魔とかは、全くといって良いほど出てきません。その意味で神という言葉の使用もできるだけ控えています。オカルトとは全く無関係なのです。
チャクラとはヨーガでは、人間の体のエネルギー源の・つぼ・みたいなものらしいですが、禅がそれに係わることはありません(医療行為としては何か伝わっているかも知れません)。それが見えることによって修行の段階がわかるとする宗教もあるようですが、禅とは無関係です。
神秘体験なども、禅では単なる錯覚として強く排斥しています。座禅中に空中に浮いた感じになることもあるようですし、幽体離脱みたいな感覚もあるようですが、すべて幻覚として片づけていて、修行にとっての障害として警戒の対象にしています。
LSDなどの麻薬による感覚を、悟りの感覚の類似体験ではないかとする人がいますが、そんな比較は全く馬鹿げたことであることは、この本を一通り読めば良くわかることと思います。
道逢達道

 

五祖日く、路に達道の人に逢はば、語黙を将って対せざれ。且らく道へ、なにも将ってか対せん。
無門日く、若し者裏に向って対得して親切ならば、妨げず慶快なることを。其れ或ひは未だ然らずんば、也た須らく一切処に眼を著くべし。
頌に日く、路に達道の人に逢はば、語黙を将って対せざれ。攔鰓劈面に拳す、直下に会せば便ち会せん。

らんさいへきめん、顎を掴んでぶん殴ること、へきめんは悲しみのあまり顔を刀で切り裂くこと。達道同士が行き逢うとどうなるかって、道なく達なく三つの子供のこやつは面白さ、こないだかめちゃんとみおちゃんがやってたらしい、わしは寝てしまった、双方まだちいっと残ったがなんのけれんみもなくばよし。寒山拾得はこれまったくはじめて人間同士、よくよく見るによし、嘘もはったりもなく作りごと猿芝居なく、あっはっは師家葬式坊主のちょうど正反対、世の中すっきり清清はようやくにして地球万物のお仲間入り、だれあってもとっこなんにもなし、妨げず慶快ならんことを、一切処に眼を著けるに従い失せ。是是。 

五祖さまがいった。「エラぶつに出会ったら、シャべりもだまりもせず、いったい、どう応対する?」
無門がいう、そのへんがうまく応対できたら、喜んでもいい。そこまで行けねば、せめて事ごとに目をはなすな。
歌に、エラぶつ見たならば、だまらずシャベクらず。ポカリとなぐられて、悟ればおそからず。
この五祖は五祖山の法演禅師です。
禅のエラい人に会ったら、何か言っても怒られるし、言わなくて怒られるのだから、せめてなぐられる覚悟をして、なぐられ損にならないように、良くそれを味わいなさいというのでしょうか。
庭前柏樹

 

趙州因みに僧問ふ、如何なるか是れ祖師西来意。州云く、庭前の柏樹子。
無門日く、若し趙州の答処に向って見得して親切ならば、前に釈迦無く後に弥勒無し。
頌に日く、言、事を展ぶること無く、語、機に投ぜず。言を承くるものは喪し、句に滞るものは迷ふ。

祖師西来意、達磨さんはなんでやって来たかという、庭前の柏樹子あるいは目の前の机とか、答えが決定して法戦問答ですか、そりゃたいてい漫画にもならんです。学者の卵のおねえちゃんがやって来て、仏教を使ってなんとかセラピーだのヘルスだのという、参禅するのに同部屋の女たちの総好かんを食らって、しかもなを気がつかない。掃除をするにも質問するにも、てめえだけ特別ってなもんで、坐るにはへんてこりんにひん曲がって、こりゃ坐禅じゃなくってなんていうんだろ妄執自慰か、けったくそわりいいたらげじげじ。仏教を使う、利用することは不可能です、もとないものは使えない。人を救うんならてめえ仏になるんです、他に方法はない。庭前柏樹子なら柏に成り終わるほかなく、まったく完全に自分を明け渡して下さい。明け渡し成り切る自分を見ているんじゃないんです、そうです、上には上があるとほどに思って下さい。前に釈迦なく後に弥勒なしです、祖師西来意とはこれ。もとまったくの手つかず。 

趙州は、坊ずに、「ダルマさまはどんなつもりではるばるきました?」ときかれ、いうには、「庭のあのサワラの木さ。」
無門がいう、趙州の答えの意味がシッカリわかったら、前にシャカもなく、あとにミロクもない。
歌に、いえどものべず、語れど合わず。受け売りはムダ、こだわりはヤブ。
サワラの木、つまり柏樹子は、漢字から判断して柏の仲間です。しかしこれは日本のカシワ餅にハッ葉がつかわれる落葉広葉樹の柏ではなく、もっと葉の細い常緑針葉樹であるように思います。柏の木にはもともとこの二種類があって同じ漢字を使用する中国では、柏の木といえばこちら針葉樹の方の柏の木をさすようです。その代表とされる中国原産のコノテ(児の手)ガシワは、葉の裏と表が区別がつかないのが特徴とされていて、謡曲などの古典にも「コノテガシワのふたおもて」というふうに心に裏表のないことのたとえに引用されています。図鑑でみるとこの公案に出てくるサワラ(白樹子)とコノテガシワの葉は大変よく似ていて、中国では柏の葉すべてがその裏表のないことに例えられていた可能性があります。(大体、ヒバの葉によく似ていますが、ヒバの葉は裏が表より少し白っぽくなっています)。 
牛過窓櫺

 

五祖日く、譬えば水牯牛の窓櫺を過ぐるが如き、頭角四蹄都べて過ぎ了るに、なんに因ってか尾巴過ぐることを得ざる。
無門日く、若し者裏に向って顛倒して、一隻眼を著け得、一転語を下し得ば、以て上四恩に報じ、下三有を資くべし。其れ或いは未だ然らずんば、更に須らく尾巴を照顧して始めて得べし。
頌に日く、過ぎ去れば坑塹に堕ち、回り来たれば却って壊らる。者些の尾巴子、直に是れ甚はだ奇怪なり。

窓れいは窓枠ですか、牛が通って行く、頭角も四足もすっかり行ったのに尾っぽの先が残ったという、だれかれたいていこれやってます、なんですっかりなくならないんだという、云ってる限りはなくならないんですか、一転して下さい、これのみが仏の道です。どうしても見ている自分がある、では不都合なんです、投げ与える工夫です、自分そのものを手放すんです。仏教も悟りも捨ててようやく端緒です。過ぎ去れば坑塹に堕ち、回り来たれば却って壊られやってないんです、方法はというと簡単で虎に食われ終わるってこってすか、なにしろこれ終わらんきゃ醍醐味ないです、はなはだ奇怪のまんま三百代言です、まずもってお釈迦さまです、そうして釈迦も弥勒もないんです、地球宇宙のものみなですよ。 

五祖さまがいう、「たとえば大牛が窓ゴオシを通り、ツノも四足もみな通って、どうして尾っぽが通れないのか?」
無門がいう、もしこの点にどうにか見通しがつけられ、言い切りができれば、社会の恩にむくい、人のためにもなる。もしそこまで行かねば、もっと尾っぽをながめねばならない。
歌に、通れば穴に落ち、もどればブチこわし。尾っぽの一本が、なんともさて怪し。
大きな牛が、狭い木の窓格子をとおりぬけたのだが、最後に尾っぽだけが残って通れないのは何故だろうか?という公案です。
牛が格子を通りぬけたというのは、難関を通りぬけて悟ったことだと思われますが、ところが身体全体が通ったのに、体のほんの一部が通り抜けられない理由を述べよというわけです。
この公案を筆者が聞いたのが、大学での秋月龍眠師の講義中でした。[難透]といわれる通過困難な公案ということでした。それから四十年間考え続けたのですから、四十年の長考ということになります。
まず一つの結論は、いかに悟ったとしても迷いというものから完全には抜けきれないということをこの公案は表しているのではないかというものです。
雲門話堕

 

雲門因みに僧問ふ、光明寂照遍河沙。一句未だ絶せざるに、門遽かに日く、あに是れ張拙秀才の語にあらずや。僧云く、是。門云く、話堕せり。後来死心拈じて云く、且らく道へ、那裏か是れ者の僧が話堕の処。
無門日く、若し者裏に向って雲門の用処孤危、者の僧甚んに因ってか話堕すと見得せば、人天の与に師と為るに堪えん。若し也た未だ明めずんば、自救不了。
頌に日く、急流に釣を垂る、餌を貪る者は著く。口縫わずかに開けば、性命喪却せん。

張拙秀才は石霜慶諸に継ぐ、科挙の試験に及第して官吏になった人。黄龍死心は黄龍寺晦道祖心に継ぐ。話堕せりとは腹の減ってない魚ですか、急流の釣を垂れ、雲門の壁立万侭です、取り付く島もないとはもと自分そのものなんです、それを今様能書きト書きやっていたんではそりゃ屁のつっぱりにもならんです。わずかに口を開けば喪心失命、これを機と云い用と云う、すなわち地球万物のお仲間入りです。たとい張拙秀才の名言だろうが、これをもっておのれ乾坤、身を捨ててこそ、雲門の痛棒に適うんです、仏教という浪花節じゃないんです、いつまでがきじゃあるまいし2チャンネル人ヤフー掲示板やってないんです、参加するんです参ずるとは取っ組み合いの七転八倒ですか、ついに得たりというまでは不惜身命です、得たらこれ始めて修菩薩行です、日々まったく新たにの実生活です。 

雲門は、坊主の問う、「光あまねし河の砂、・・・」の文句の途中で、いきなりいう、「なんだ張拙先生の文句だ?」
坊ず、「ハア。」
雲門「ヘマな文句だ。」
のちに、死心が問題にし、「いったい、どこがこの坊ずのヘマなのか?」
無門がいう、もしこの点で、雲門の手なみのすごさ、この坊主なぜヘマをいったかわかれば、天下の大先生になれる。もしわかってないと、自分も助からぬ。
歌に、流すつり糸、欲からパクリ。くちを開けば、いのちがコロリ。
張拙というのは、学者で、石霜禅師に師事しましたが、正式な僧ではないので当時はそういう人は俗弟子と呼ばれていました。また、(張拙)秀才とは、唐時代に官吏登用試験(科挙)に通った人の敬称として使用されたので、相当な学者で、かつ仏教への造詣が深い居士(出家しないで修行する人)だったと思われます。
この言いかけた張拙の詩の全体は以下のようなものです。
光明寂照遍河沙(光明寂照、河沙に遍し)。
凡聖含靈共我家(凡聖含靈、共に我が家)。
一念不生全體現(一念不生にして全體現ず)。
六根纔動被雲遮(六根纔かに動ずれば雲に遮へらる)。
斷除煩惱重病(煩惱を斷除すれば重ねて病をす)。
趣向眞如亦是邪(眞如に趣向するも亦た是れ邪なり)。
隨順世無礙(世に隨順して礙無し)。
涅槃生死是空華(涅槃と生死と是れ空華)。
この全体の意味を考えると、その冒頭の一句の(光明寂照、河沙に遍し)から三行目までの(一念不生にして全體現ず)までの静かな世界が、四行目から七行目までの表現で、何かをしようとすると崩れてしまうと言っているようです。六根をうごかせば、雲が湧いてきてしまうし、煩悩を断とうとすればかえって病気が重くなるし、真理を追及してもだめで、ただひたすら世にの中の流れに隋順していれば平和だと言っています。
その深い意味の探究はさておいて、この一個の人間が自分の外の世界に応諾して動きだす以前の静かな世界について、この詩は吟じているらしいことが分かります。
だとすると、その最も大切な冒頭の一句の途中に質問を入れられて「応諾」してしまうというのは、随分とヘマな話しということになります。そのことで、この詩の意味が台無しになってしまいます。
だから、雲門はその詩の朗読自体が話墮して(外れて)しまって駄目だと厳しく指摘しています。
それにしても我々一般人がやっと「応諾」の深い意味を理解したとおもったら、すぐそれを全否定するのですから、ひねくれてるのか、凡人には計り難いほど仏教は奥が深いのかどちらかでしょうか。多分後者とは思いますけれど、ついて行くのが大変なことは確かです。
趯倒浄瓶

 

潙山和尚、始め百丈の会中に在って典座に充たる。百丈将に大いの主人を選ばんとす。乃ち請して首座と同じく衆に対して下語せしめ、出格の身往くべしと。百丈遂に浄瓶をねんじ地上に置いて問を設けて云ふ。喚んで浄瓶と作すことを得ず、汝喚んでなんとかなす。首座乃ち云く、喚んで木とつ(木に突)と作すべからず。百丈却って山に問ふ。山乃ち浄瓶を趯倒して去る。百丈笑って云く、第一座山子に輸却せらると。因って之に命じて開山と為す。
無門日く、いやま一期の勇、いかんせん百丈の圏圚を跳り出ざることを。検点し将ち来れば、重きに頼りして軽きに頼りせず。何が故ぞ。にい(漸のしたに耳)。盤頭を脱得して鉄枷を担起す。
頌に日く、笊籬並びに木杓を颺下して、当陽の一突周遮を絶す。百丈の重関もさえぎりとどめず、脚尖趯出して仏麻の如し。

浄瓶は水を蓄える器。てき倒すは蹴倒す。木とつ木のきれっぱし。盤頭はちまき。当陽は南に正面して座る、天子の座、転じて真正面。まあ語の解釈はそのへんでよかろう。なんのかんの云うやつは大勢いるし、所作だの物まね師家もそこらじゅうにころがっている、だにしらみの類だな、商売の足しにしかならん仏教なぞあるわけがないのにさ。なかんずく浄瓶を蹴倒して去る、これができるのは万人のうち一人です。そういう人になって下さい。知はこれ妄覚、無知はこれ無記、だからどうのの申し訳言い訳仏教を早く卒業して下さい。百丈のけんきーわなですか、そんなものもとっこないんです、はいよって云ってうまそうに水を飲む、重きを転じて軽きにおく、どうしたっても自分という仏教きちがいを去るんです、いったいなんのための仏教か、自分一個一生のすべてを入れあげて、無一物中無尽蔵ですか、わっはっはけったくそわりいやっていらんねえってさ、どうですきれいさっぱりしましたか、なにきれいもさっぱりも欠の穴、でもって朝夕坐るっきりが。 

[為]山さまは、はじめ百丈の寺で食事方をしていた。百丈は[為]山寺のあるじを選ぼうと、かれに一の席とともに意見を発表させ、できるほうを行かせる。
百丈はそこで水瓶ヲ地べたにおき、問題をだす、「水瓶といっていけなけらば、おまえはなんとよぶ?」
一の席が申した、「木ぎれたともいえますまい。」
百丈は[為]山にきく。[為]山は水瓶をけとばして出ていく。
百丈はニッコリし、「一の席はあの男に負けたな。」と、かれを[為]山(寺)の主にした。
無門がいう、[為]山一生一代の元気でも、どうにも百丈のラチからとびだせない。よくしらべてみると、楽より苦労の人だ。なぜなれば?皿小鉢をすてて、鉄カセをになった。
歌に、ザルやヒシャクをほおりだし、スックと立てば邪魔もなし。百丈越えもなんのその、足にホトケをけっとばし。
百丈の質問に対して、一の席(首座)は客観的に、万人が認めるような答えをします。つまり、現代の科学的といわれる客観的な認識にもとづいて、「水瓶」と定義できないとしたら、かといって 「木ぎれ」とも定義できないはずですと答えます。
しかし水瓶は、皆で何と呼び、万人でどう認識するかの問題の前に生活につかう水瓶なのです。[為]山はそれを言いたくて、ければ倒れる生活用具の水瓶であることを示すために、これを蹴とばしたのだと思います。
この場合はいまもてはやされている理工系の理学というより、分類学が中心になっている自然科学による認識ですが、百丈の質問は、そういう客観的な認識を二の次としています。
消しゴムは客観的な存在である「消しゴム」である前に、字を消すのに日常的に使用しています。
しかし、それでは禅は客観的な真理を無視あるいは軽視しているのかというと全くそうではありません。主観的な認識と客観的な認識があって、それがお互いに充分機能しながらがピッタリ一枚になって一個人の認識を形成していると考えているのです。
一個人の存在を離れた真理などは存在しないと主張しているのだと思います。
達磨安心

 

達磨面壁す。二祖雪に立つ。臂を断って云く、弟子は心未だ安からず、乞ふ師安心せしめよ。磨云く、心を将ち来れ、汝が為に安んぜん。祖云うく、心を求むるに了に不可得なり。磨云く、汝が為に安心し竟んぬ。
無門日く、欠歯の老胡、十万里の海を航して特特として来る。謂ひつべし是れ風無きに浪を起こすと。末後に一箇の門人を接得して、又却って六根不具。咦。謝三郎四字を知らず。
頌に日く、西来の直指、事は嘱するに因って起こる。叢林を撓聒するは、元来是れ汝。

謝三郎四字を知らず、玄沙師備は文字を知らず銭の四文字も読めなかった。心を求むるについに不可得。禅宗の単純を示すはただこれ、心はたった一つです、たった一つを一つが知ることはできない、したがい無なんです。とやこうああだこうだあげつらっていないで、心を求むるに不可得を知って下さい、心なければ知ることができないと、けだし正解です、ものみな知らないによって成り立っていること、達磨廓然無聖個々別々ですか、不識知らんわいこれ。地球宇宙ものみなの平和です、よくよく見てとって下さい、人間窮極元の木阿弥の大智慧です、他は自堕落曖昧模糊です。じゅはまさにこれ自ずからに知る。

ダルマさまがすわっていると、二祖さまが雪のなかでウデを切り、「わたしはまだなやんでいます。心を静めてください。」
ダルマ、「心をだせ、静めてやろう。」
二祖、「さがしても、どうも見つかりません。」
ダルマ、「もう静めてやったぞ」
無門がいう、歯っ欠けの異人おやじ、はるばる海を越えて、わざわざやってきたが、よけいなおセッカイというもの。しまいには弟子をひとり見つけたが、これまた片輪者だった。へへっ、「三之助、四の字知らず」だ!
歌に、ダルマのおさとし、事件を起こし。今はテンヤワンヤ、火もとはおぬし。
二祖の慧可は、雪舟の有名な絵にもあるように、自分の臂を断ちそれを差し出してダルマ師に弟子入りを頼んだといわれている。
でも日本人なら本当かしらと思います。ある有名な日本の接骨医が、自分の骨を折って名人といわれる医者に見せて技術を盗んだという話しは聞いたことがありますが、ダルマは名声はあったかも知れませんが、インドから中国に海路で来たばかりだし、実際のところ自分が真理を得られるかどうか全くの未知数なのに、そんな腕を切断するようなことを本当にするのかと疑いたくなりますが、なにしろ千三百年くらい前に片田舎でおこったことで、そう記録されているのだからそうなのだろうと思うしかありません(これを真剣に疑っている文献は見たことがないので、疑ってかかる人はよほどの変わり者ということになります。多分、喧嘩ができないように、肘の筋肉を切ったというようなことではないでしょうか)。
この公案はその時の話のようです。
心を静めて欲しいという慧可に対して、ダルマはそれならその心を持ってくればすぐ静めてやろうといいます。慧可が自分の心をダルマに示そうと思い、いろいろ工夫しますが、どうしてもできないので、そのことを正直にダルマに伝えると、ダルマはそれでお前の心が静まったはずだと言ったという話です。
心というものは、人間の肉体やその行動を離れては存在しないというのが禅の思想ですから、それだけ取り出して示すことはできないのです。そのことをダルマは慧可に知らせようとしたのだと思います。
ダルマは多くの迫害を受けて歯がかけていたらしいのですが、それにしても大祖のダルマと二祖の慧可に対して、無門のいいようはひどいもので、ダルマの西来を余計なおセッカイだと言っていますし、「謝三郎不識四字」とは、文字もよめない謝三郎(平凡な漁子や農夫)ということらしく、慧可のことをいっているらしいのです(四字とは直指人心とかの禅の四文字熟語のことでしょうか、日常使用している銭の上に書いてある文字という説もあります)。
頌(うた)は西来のダルマがきて直指(人心)したことによって、中国仏教に大変革が起こって大騒ぎになったという表現で、逆にダルマを讃えています。
女人出定

 

世尊昔因みに文殊、諸仏の集まる処に至って諸仏各々本処に還るに値ふ。惟だ一の女人有って彼の仏座に近ずいて三昧に入る。文殊乃ち仏に日さく、云何ぞ女人は仏座に近ずくことを得て我れは得ざる。仏文殊に告ぐ、汝但だ此の女を覚して、三昧より起たしめて、汝自から之れを問へ。文殊女人をめぐること三匝、指を鳴らすこと一下して、乃ち托して梵天に至って其の神力を尽くすも出すこと能はず。世尊云く、仮使い百千の文殊も亦た此の女人を定より出すこと得ず。下方一十二億河砂の国土を過ぎて罔明菩薩有り、能く此の女人を定より出さん。須叟に罔明大士地より湧出して世尊を礼拝す。世尊もう明に勅す。却って女人の前に至って指を鳴らすこと一下す、女人是に於いて定より出ず。
無門日く、釈迦老師、者の一場の雑劇を做す、少々を通ぜず、且らく道へ、文殊は是れ七仏の師、甚んに因ってか女人を定より出すことを得ざる。罔明は初地の菩薩、甚んとしてか却って出だし得る。若し者裏に向って見得して親切ならば、業識忙忙として那迦大定ならん。
頌に日く、出得するも不出得なるも、彼と我と自由を得たり。神頭並びに鬼面、敗けつまさに風流。

なんかこういうのあんまり関心せんなあ、かってにしろと云いたくなる、定から出すのにだれかれ不要です、ただこれ物理的などんかちで存分です、もしまた妄想趣味の辺のことなら、そりゃ女のすること計り知れぬってことです、美緒ちゃんはーいっては定に入るによし、はーいってはだれかをおっかけしている、文殊もモーツアルトもさっぱり形無しです。女人というのは男の菩薩よりもそのまんま仏そのまんま見性ってふうです、印可底が却って手玉に取られていて面白い、女人師家の軍団こさえたら世界最強って気がします、でもってまったくあてにならなかったりあっはっは。まあいいようにやって下さい、女も口説けんようじゃとってもとてもってことありますか。はいどうぞ。 

シャカさまは、あるときモンジュがホトケがたの集まり場に行き、ホトケがたはそれぞれさがるのに、ただ女がひとりシャカさまのお席近くに、ジッと目をつむっているので、モンジュからシャカさまに、「なんで女がお席に近より、わたしはよれないのですか?」と申すと、おっしゃるには、「おまえこの人に気づかせ、ふだんの気もちにならせて、たずねてみなさい。」
モンジュは女のまわりをグルグルまわり、指をピョンと鳴らし、はては空にまであがって、あの手この手とやったが、それでもよびさませない。
シャカさまは、「たとい百人千人のモンジュでも、この女をよびさせはしまい。下の方、はるかさがって行ったところに、モウミョウボサツがおり、この女をよびさまさせるぞ。」
とたんに、モウミョウさんが地からニョッコリ出て、シャカさまにおじぎをする。シャカさまが言いつけると、モウミョウは女の前に行き、指をピョンと鳴らすと、女はそこでふだんの気もちになった。
無門がいう、おシャカおやじが、こうした芝居をやらかし、大げさなことだ。ところで、モンジュはホトケがたの先生だろうに、どうして女をよびさませないか? モウミョウは、低いところボサツそれがどうしてさませる? もしこの点がしっかりわかれば、因果な者でも、ドッシリと悟れる。
歌に、さませた、さませぬは、かれらの勝手なり。おメンに鬼のメン、負けてもおなぐさみ。
多分この女性はおシャカ様の大ファンで、おシャカの前でボーッとして目をつぶっていたのでしょう。
そこでモンジュが指を鳴らしたり、天に昇ったりして自分のもっている神力のかぎりを尽くしたが、目を覚ますことができませんでした。そしたらおシャカ様は、モンジュが百人千人よっても無理だ、はるか下の方のモウミョウボサツならこの女性の目を現実に引き戻せると言います。するとすぐ地面からニョッコリ出てきて、すぐに女性の目を覚まさせることができたという話しです。
このことは、日本によく見るアイドルの追っかけの女性に目をさまさせるにはどうしたら良いかという話しと同じです。モンジュも女性の方が自分よりおシャカ様に近いのに呆れてそれをおシャカ様に訴えています。
この公案の女性は相手がおシャカ様なので少しは(大分?)マシなだけです。おシャカ様に憧れているのだから、正しい信仰と殆ど同じであるという意見もあるでしょうが、それはおシャカ様の望むことではありません。個人崇拝はおシャカ様の教えに反することなのです。
読者は、どうしたら彼女らを現実に引き戻せると思われるでしょうか。
大変な難問であることは間違いありません。
無門も、モンジュはおシャカ様以前の過去七仏の師、モウミョウは菩薩としては最下位の目もみえない初地ノ菩薩で、その格の違いは大変なものなのにどうして、モウミョウが目をさませせることができたのかと言っています。そして、このおシャカ様の手法をしっかり理解できれば、大定(悟り)を得たに等しいとしています。
この公案は女性の正しい信仰心を獲得するための方法を、出家を志す人に伝えるために作られたものと思われます。女性と男性は体も違い、それに従って生き方も違うので、仏道への導き方も、自ずと臨機応変に変えなければいけないということでしょうか。 
首山竹箆

 

首山和尚竹箆を拈じて衆に示して云く、汝等諸人、若し喚んで竹箆と作さば即ち触る、喚んで竹箆と作さざれば即ち背く。汝等諸人且らく道へ、喚んでなにとか作さん。
無門日く、喚んで竹箆と作さば即ち触る、喚んで竹箆と作さざれば即ち背く。有語なることを得ず、無語なることを得ず。速かに道へ、速やかに道へ。
頌に日く、竹箆を拈起して、殺活の令を行ず。背触交馳、仏祖も命を乞ふ。

首山省念は風穴延沼の嗣。竹箆は今は首座法戦式に使うほどですか、物真似猿芝居の右代表です。喚んで竹箆となさば触れ、なさざれば背くという、言葉の遊び問答の取捨選択ですか、無門関提唱の師家学者さんみたいに、らしいことをくわしく述べようがさっぱり身に応えない、どうでもよいのお遊びです、それじゃつまらんというより無駄ことです、紙数インキを費やすばかりの公害ですか。竹箆をねんじてこれはなんであるのか気がつかない、はてなあという弓の名人が弓を忘れる底と、ただのぼけとどう違いますか。物真似こうあるべきの提唱よりはどっちも実感です。もと大小色合いを離れてものみな成り立っている、いえ成り立っていないんですか、これが本来にいったんは立ち帰っていて、はじめてこの問答があります、知らぬもっとも親切です。わしと同じようなことを云うからだれかれは正だという、わしはなんにも云ってないしましてや仏教のぶの字も知らんです。だからどうのこうあるべきという理屈を助長したってただこれ百害あって一利なしです、なにしろぶち破って底抜けの自由を得て下さい、百人理由を云う中にたった一人無手勝流ですか、箸にも棒にもかからんのです、すると世の中わずかにでも楽しくなるんです、仏とはこれ夢にだも見ぬもの。仏祖も命乞いとは仏祖の爪の垢にあらず。

首山さまは、シッペイを持ってみなに見せ、「おまえがたみな、これを竹ベラといえばこだわるし、竹ベラだといわねば離れる。おまえがたは、いったいなんとよぶのかな?」
無門がいう、竹ベラといえばこだわるり、竹ベラだといわねば離れる。いうてもいかんし、いわんでもいかん。サアいえサアいえ!
歌に、シッペイ手にして、サアサとせまる。「離れ」と「こだわり」おシャカもまいる。
言ってもだめだし、言わなくてもだめというのは典型的な禅の公案の形式です。こうやって求道者を追いつめて、本来の自己および他己に目覚めさせようとするのが禅のやり方です。
公案を与えられた修行者は独参といって、自分の答えを持って老師のところにいくのですが、会いに行く道の老師の庵の手前で兄弟子達に追い返され、また座禅に戻って座り直そうとすると、別の兄弟子が腕をとってさあ答えを出しに老師のところに行けと無理な催促をするそうです。無理難題とはこのことですが、そうやって修行者になんとか公案の答えに到達させようとするわけです。
それではこの公案の答えは何か、つまり首山さまの問いにどう答えたら良いか、第四十則の「[蹴]倒淨瓶」と答えは同じと思われます。
芭蕉拄杖

 

芭蕉和尚衆に示して云く、汝に拄杖子有らば、我汝に拄杖子を与えん。汝に拄杖子無くんば、我汝が拄杖子を奪はん。
無門日く、扶けては断橋の水を過ぎ、伴っては無月の村に帰る。若し喚んで拄杖と作さば、地獄に入ること箭の如くならん。
頌に日く、諸方の深と浅と、都べて掌握の中に在り。天を撐へ並びに地を拄へて、随処に宗風を振るふ。

芭蕉慧清は新羅の人、潙仰衆三世南塔光湧の嗣。拄杖子というもと転ばぬ先の杖ですか、坊主の持ち物になって人を説得の道具乃至は我に大法あり、大法我れにありのしるしになったですか、拄杖を持つやつが活殺自在の権を取るといったぐらいです。もとっこ持ち物は邪魔、不自由のもとです、ないと思うとからにそやつを奪い取る必要がある。扶けては橋のない河を渉り、伴っては月のない真っ暗がりの村へ帰ると、どうですか、仏教をいつかそのようなものと思い込むんでしょう、用のない師家坊主ども学者のおまんまの種ですか、無心が有心になって能書きを垂れ、三百代言です。ひっかかるほうが悪いたって、地獄に入ること箭の如し、あっさりお払い箱にすべきです。禅坊主なんてものこの世にあるわけはないんです、深浅も天地もあっはっはいらんお世話です、枕がいるってんんあら枕して寝りゃいいいです、鼻水出りゃあ鼻紙。  

芭蕉さまがみなにいうには、「ツエを持っている者には、わしからツエをあげよう。ツエを持たぬ者からは、わしがツエを取り上げるぞ。」
無門がいう、おかげで川にハマらず、やみ夜の道も帰れる。だがツエだと思ったら、地獄にまっさかさまだ!
歌に、深間も淺間をも、手に取るように知る。天地のつっかい棒、教えをひろめ行く。
「ツエを持っている者にはツエを与え、ツエを持たぬ者からツエを取り上げる」とはどういうことであろうか。
この公案は次に解説する第四十六則・「竿頭進歩」と同じように、自信と不安、主観と客観について述べています。ツエを持っている者とは、不安に裏付けられた客観であり、ツエを持たぬ者とは自信に裏付けられた主観をさしています。
自分の置かれている状況を考えると、その中に小さい人間として不安の中で周囲の中に位置づけしようとしている自分がいます。その判断は人間の行動ではツエにあたります。ツエを持つものとは自分の中の客観にあたります。
もう一人、判断と同時に行動を開始している自分がいます。主観的で自信に満ちている自分です。ツエを持たぬ者とはこの自分の中の主観です。
他是阿誰

 

東山演師祖日く、釈迦弥勒は猶ほ是れ他の奴。且らく道へ、他は是れ阿誰ぞ。
無門日く、若し他を見得して分暁ならば、譬えば十字街頭に親爺に撞見するが如くに相ひ似て、更に別人に問ふて是と不是と道ふことを須ひず。
頌に日く、他の弓挽くこと莫れ、他の馬騎ること莫れ。他の非弁ずること莫れ、他の事知ること莫れ。

東山法演、五祖法演は白雲守端に継ぐ。釈迦弥勒という見本にして習う間は他の奴です、仏の道以外はみな見習う、いかにらしくするかが問題になるんですが、その実ついには脱するんですか、ついには自由の分を得て完成というよりは一つ付け足すふうです。仏の道ははじめから見習い不可です、仏道を習うというは自己を習うなり、自己を習うというは自己を忘れるなりです。自己を忘れる、まっぱじめっから自分に用がないんです、飢えた虎に身を投げ与えることこれ仏道修行です、まっぱじめっから答えの真っ只中、十字街頭です、坐るには坐るっきりなんです、妄想百般も清々了了もまるっきり関係がないんです、こーんな楽なこたないです、太虚の郭然として洞かつなるが如く、ただもうこれっきりは、他人の物差しじゃないんです、他の弓も他の馬も他は是れ阿誰、自分まるっきりないんです、他の非弁ずるなく他の事知るなく、はいこれ仏本来です。  

東山の法演さまの言葉、「シャカもミロクも、ひとのめしつかいだ。いったいひとは誰さんか?」
無門がいう、もし「ひと」がハッキリとわかれば、ちょうど町の四つつじで父親に出会ったようなもので、そのうえほかの人に「どうでしょう」ときくまでもない。
歌に、他の弓ひくな、他の馬のるな。他のアラいうな、他の事知るな。
東山の法演さまとは、五祖山の法演禅師のことで、無門から見ると五代前の直系の祖師さまなので、東山演師祖という敬称をつけた形で書かれています。
禅は達磨大師が直指人心といっているように、宇宙の中の人間の心有り方を直接示すものだといわれていま。もっと言えば、心の世界と物質世界の差別と一体を同時に主張しています。それでは、禅は哲学であって宗教ではないのでしょうか。
葛藤集の公案「香厳撃竹」のカチンという石が箒の竹にあたる音によった悟りというのは、単なる哲学的なインスピレーションだったのでしょうか。
『西田幾多郎に次の語がある
「絶対者の自己否定において、我々の自己の世界、我々の人間の世界が成立する。かかる絶対否定即肯定ということが、神の創造ということである。」(秋月龍眠著「哲学論文集第七」)』
日本の禅においては、ここで始めて間違いなく神という言葉が出てきます(禅宗の文献に仏ではなく、神という言葉がどこでどのように使用されているかは他の研究に待ちたいと思います)。
確かにこの考え方によって、白隠の「隻手音声」、趙州の「無字」の公案は説明できますし、すべての公案の根本であることは間違いありません。しかしこの西田幾多郎の「絶対矛盾の自己同一」や鈴木大拙の「即非の論理」の考え方およびその応用だけで、他の公案をすべて解いて行くことには大きな問題があると思います。
それ以外の答えの公案が無数にあります。第十七則「国師三換」や第二十六則「二僧巻簾」がそれだと思いますが、従来の解説書は殆どの場合、各々の三とか二の数字にとらわれるのはおかしいし、それを超えた存在についての公案で、 「超個」こそが答えだといっているように思います。結局何のことだかわからないのではないでしょうか。
ダルマ大師がインドから来た目的は第三十七則で「庭前柏樹」(庭のサワラの樹)だと(〔無門関〕の中で)言っています。「超個」をもってはるばるやって来たとはいっていないはずです。
竿頭進歩

 

石霜和尚云く、百尺竿頭如何が歩を進めん。また古徳云く、百尺竿頭に坐する底の人、得入すと雖も未だ真と為さず。百尺竿頭、須らく歩を進めて十方世界に全身を現ずべし。
無門日く、歩を進め得、身を翻し得ば、更に何れの処を嫌ってか尊と称せざる。是の如くなりと雖も、且らく道へ、百尺竿頭如何が歩を進めん。嗄。
じゅに日く、頂門の眼を瞎却して、錯って定盤星を認む。身を拌て命を捨て、一盲衆盲を引く。

身を捨て命を捨てて一盲衆盲を引く、これまさに仏のありようです、引くという意識がないんですか、端に為にすとあるように、世のため人のためだいいことしいの反省皆無です、ただもうつまらんですか、毎日ろくでもないことばっかしが、昨日の我は今日の我にあらず、進歩か退歩かまったくわからんたたわわです。むかしの師家だの学者だのお偉いさんの書いた無門関や宝鏡三昧を見ると、なんでそんなに偉がって大威張りかくのかさっぱりわからん、乃至は宗門も坊主も滅びたです、嘘とはったり猿芝居と空威張りのほかになんにもなかった、これを要するに学する修行するなく、仏教あり仏ありする、鼻持ちならぬ俗人糞ったれのまんま、大恥かきを平気でやってきた、そりゃだれかれ見向きもしなくなる。ついに達磨さんも道元禅師も食い尽くして貯金ゼロですか。若し学人ほんとうに求めるときは、これを得た皆人の得がてにすとふうずみ子得たりを、いったんはやるんですか、中途半端な師家に就くと、百尺竿頭に巣食うチンパンジーにもなれんです。得便宜あり落便宜あり、真となすあるうちは落ち着かないです、十方世界に全身を現ずとは失うんです、虎を描いて猫にもならず、元の木阿弥栄蔵生ですか、なにひとつ取りえなしの、まあさまったく存在価値ゼロです、そうねえ満足に坐れなくなったら断食して死のうと思う、はてなあそれだけが取りえですか、とんぼやせみみたいに孤独死は地球ぜんたいこれです。石霜慶諸は青原下五世。古徳は長沙景岑。  

石霜さまの言葉、「百尺のサオのてっぺんからどう足を出す?」
また古い坊さんが、「のぼりつめたがアグラかき、うまくやったが値うちなし。のぼりつめても居ずわるな、広い世界に身を生かし。」
無門がいう、足が進められ、身も返せるなら、どこでもうやまわれぬはずはない。それはそうだが、いったい、サオのてっぺんでどう足をだす、エエ?
歌に、真理の目をつぶし、あやまる出発点。いのちはない決心、メクラの案内人。
よく、世間で何かある事業計画が進もうとしているとき、「百尺竿頭一歩を進める気持ちで」といいます。この公案はこの言い回しの語源になっているもので、リスクの中に勇気をもって飛び込むというような意味で使われていると思いますが、大体のところ、その意味はこの 公案の言おうとしている、あるべき人間の態度と一致しています。
会社の経営に携わっていれば、常にこの言葉が念頭にあっても不思議ではないくらいに、絶えず重要な決断をせまられますし、別に普通のサラリーマンであってもこの言葉を頭に浮かべることがあると思います。人間は常に絶えざる不安の中にあっても、瞬間々々に何かの決断をして前にすすまなくてはいけないので、そのことを言っているこの公案は特に変わった難しいことを言っているのではありません。 
兜率三関

 

兜率悦和尚三関を設けて学者に問ふ、撥草参玄は只だ見性を図る。即今上人の性甚れの処にか在る。自性を識得すれば方に生死を脱す。眼光落つる時そもさんか脱せん。生死を脱得すれば便ち去処を知る。四大分離して甚れの処に向ってか去る。
無門日く、若し能く此の三転語を下し得ば、便ち以って随処に主と作り、縁に遇ふては即ち衆なるべし。其れ或いは未だ然らずんば、鹿餐は飽き易く、細嚼は飢え難し。
頌に日く、一念普く観ず無量劫、無量劫の事即ち如今。如今箇の一念を覰破すれば、如今覰る底の人を覰破す。兜率従悦は臨在黄龍下二世宝峰克文に継ぐ。

撥草参玄俗に云う雲水修行です、そりゃまずもって見性せにゃなんにもならんです、情識の至るにあらずむしろ思慮を容れんや、見性は性を見るほうが失せるんです、自分が消えて環境だけになる、環境が自分なんです。即今いずれの処にかあるが答えと云えば答えですか、つまりは答えを持つことも省みることも不可能です、たいていここを間違ってもとの利己主義ですか、却って我利我利亡者です。生死を明らめること根本です。死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよきと、手放すんです、どこまで行って手放すが修行です、握り締めるとかたくなです、坐禅がすんなりとは行かぬ、眼光紙背に徹すというてめえという異物です、どうだどんなもんだという、落ちちまったらそもさんか脱せんという、問うて問うて問うてついに押しても引いてもなんにも出ないんです。四大分離して蛸の七足八足、自分という架空の形骸を離れて下さい、ようやく座禅が坐禅になります、こころゆく味わってただの恩返しです、お釈迦さまあって自分の取りえなんにもなし。いずれのところに向ってか去るというほどのゆとりなし、首くくる縄もなし年の暮れ。どうにもこうにもならんですよ、そさん荒食いは飽き易く、細嚼よく噛んで食えば飢え難しと、そりゃどうもおおきにお世話様。なにしろちらともあれば参じて下さい、自分どうなとそんなこた二の次三の次。 

石霜さまの言葉、「百尺のサオのてっぺんからどう足を出す?」
また古い坊さんが、「のぼりつめたがアグラかき、うまくやったが値うちなし。のぼりつめても居ずわるな、広い世界に身を生かし。」
無門がいう、足が進められ、身も返せるなら、どこでもうやまわれぬはずはない。それはそうだが、いったい、サオのてっぺんでどう足をだす、エエ?
歌に、真理の目をつぶし、あやまる出発点。いのちはない決心、メクラの案内人。
よく、世間で何かある事業計画が進もうとしているとき、「百尺竿頭一歩を進める気持ちで」といいます。この公案はこの言い回しの語源になっているもので、リスクの中に勇気をもって飛び込むというような意味で使われていると思いますが、大体のところ、その意味はこの 公案の言おうとしている、あるべき人間の態度と一致しています。
会社の経営に携わっていれば、常にこの言葉が念頭にあっても不思議ではないくらいに、絶えず重要な決断をせまられますし、別に普通のサラリーマンであってもこの言葉を頭に浮かべることがあると思います。人間は常に絶えざる不安の中にあっても、瞬間々々に何かの決断をして前にすすまなくてはいけないので、そのことを言っているこの公案は特に変わった難しいことを言っているのではありません。 
乾峰一路

 

乾峰和尚因みに僧問ふ、十方薄伽梵一路涅槃門。未審し路頭いずれの処にか在る。峰柱杖を拈起し、画一画して云く、者浦に在り。後に僧雲門に請益す。門扇子を拈起して云く、扇子勃跳して三十三天に上って、帝釈の鼻孔を築著す。東海の鯉魚打つこと一棒すれば雨盆を傾くに似たり。
無門日く、一人は深深たる海底に向って行いて、簸土揚塵し、一人は高高たる山頂に立って、白浪滔天す。把定放行、各一隻手を出して宗乗を扶竪す。大いに両箇の馳子、相ひ撞著するに似たり。世上応に直底の人無かるべし。正眼に観来れば二大老、惣に未だ路頭を識らざる在り。
頌に日く、未だ歩を挙せざる時先ずすでに到る、未だ舌を動かざる時先ず説き了る。たとい著著機先に在るも、更に須らく向上の竅有ることを知るべし。

越州乾峰は洞山良价に継ぐ。十方薄伽梵十方の諸仏は一路涅槃門です、ほかまったくなしなんにもなしは死に体じゃないんです、知らぬもっとも親切は大火聚の如しビッグバンの如くですか、もとなんにもなしは200%の現実です。いぶかし路頭いずれのところにかある、どこへ向って鉄砲を撃ったらいいんだという、どうもたいてい学人は先ずもってこれです、なんかしなくちゃいられない、飢えた虎に食われろってのは、ただもうでたらめむちゃくちゃです。ノウハウが欲しいいいことしいの虎になれ、天上天下唯我独尊は、どうあってもこっちからそうなろうとする、近似値は得られるような気がする、作り物は壊れものの積み木崩しをさんざくた繰り返す、ついにこれの役立たずを知る、自分が死ぬんです、するともとっからあるものが現前する、ことは単純なんですがあっはっはなかなかどうして。雲門も乾峰も未だ路頭を知らざるありと、路頭とは何、簸土揚塵しちったあ塵を舞い上げ、白浪とう天す、雨ぐらい降らせてやろうかという、能書き申し訳するには三十棒、一転語あったらどうぞ、なきゃぶっ殺されるよ、歩を出す前にすでに至るこれ、説く先に終わっているこれ、虚空というビッグバンの広大無辺は停滞なしですよ、故に以って向上の一路まるっきりあとかたなし。

乾峰さまは、坊ずが、「いずこもホトケなり、いちずにさとる道、というその道はどこにありますかなあ?」ときくので、ツエを手に持ち一の字を書いて、「ここに有るよ。」
あとで坊ずが雲門にきくと、雲門はセンスを手に持っていう、「センスがはね上がると、三十三の天までのぼり、帝釈さまの鼻の穴にささるね。東の海の大ざかなを、ピシャンとたたくと、雨がザアッとくるよ。」
無門がいう、ひとりは深い海の底にもぐって、土ぼこりを立たせ、ひとりは高い山の上に立って、波をわき立たせた。ひきよせとつっぱなしを、それぞれ片手でやり、教えを打ち建てたのは、ちょうど二人の飛脚が出会ったようだ。世間これほどズバリの人はあるまい。だがまともに見ると、ご両所とも、やっぱり道をしらぬことがある。
歌に、歩かぬ先に着いている、話さぬ先に述べている。たとえ先手で押せたとて、もっとうわ手の人もいる。
一人がツエで、地面に一の字を書き、ここに道があるといい、もう一人がそれを解説して、センスが三十三天の帝釈天の鼻につきささったり、東海の大魚をたたくと、大雨がふり出すといっているのですから、常識では理解不能で、これぞ禅問答、というような内容です。
乾峰は「真理は脚下にあり」というような意味で、地面に一の字を書いたのでしょう。
一方の雲門は、そのハタラキという意味で、空中にあるセンスの大活躍を述べたのだと思われます。
正しい客観の上に立った、正しい主観の働きは自在であると言っているのだと思います。
そのあとの無門の解説の、この乾峰と、雲門の全く別の場所での答えの見事な融合をたたえている文章が面白く、この二人の組み合わせは、広い中国で全く別な所からきた飛脚がばったり会ったようなものだと言って、その絶妙な組み合わせに感心しています。
そのあとの、「だがまともに見ると、ご両所とも、やっぱり道をしらぬことがある。」の意味は、そんなに目のさめるようなハデな働きではなく、もっと主観と客観が一枚になった静かな仏心の働きの方が大事だ、と言っているとも考えられます。 
後序

 

従上の仏祖垂示の機縁、款に拠って案を結し、初めより剰語無し、脳蓋を掲翻し眼晴を露出す。肯て諸人の直下に承当して、侘に従ってもとめざらんことを要す。若し是れ通方の上士ならば、わずかに挙著するを聞ひて、便ち落処を知らん。了に門戸の入る可き無く、亦階級の升る可き無し。膂を掉って関を度って関吏を問はじ。あに見ずや玄沙の道ふことを、無門は解脱の門、無意は道人の意と。また白雲道はく、明明として知道に、只だ是れ者箇、なんとしてか透不過なると。恁麼の説話、また是れ赤土もて牛嬭搽る。若し無門関を透過せば、早く是れ無門を鈍置す。若し無門関を透り得ずんば、また乃ち自己に辜負す。所謂涅槃心は暁め易く、差別智は明きらめ難し。差別智を明きらめ得ば、家風自ずから安寧ならん。
時に紹定改元、解制の前五日、楊岐八世の孫、無門比丘慧開、謹んで識す。

款によって案を結しは、款は法律の条文案は判決文、微塵もゆるがせにできない、近似値なんてものないんです、仏祖に南北の別なし、はじめからしまいまで剰語、よけいこと無駄ことなし。脳蓋をひっくりかえして目ん玉を引っこ抜く底のこと、かれこれ能書き仏教云々の取り付く島もないんです、人そのものと同じです、他人に追随することがない、虎の威を仮る狐の弁じゃない、使徒行伝感激だ右へならえってことこれっぱかしもないんです。ちらともこれを知り道にいそしむ者ならば、機縁に触れて落処を知るんです、迷妄の皮を幾枚剥いでもまだ残る如き、ついには門に入るなく出ずるなくただもうまったくにこれ、これとさし示すなくに坐すんです、坐禅何段だの階級査定だのろくでもないものはいらんのです、大手をふるって関を通って、関所の番人などには目もくれず、あっはっは世の中大形に出来ていますか、自分という関所の番人はさーてどうなりましたか、なにまだいるんだってそうつはまあお気の毒に、飴でもくれてやりましか、いえ花粉症ですはーっくしょい。玄沙師備また白雲についてはよーもわからんとさ、無門は解脱の門、自分という架空のものにどのくらい苦しめられていたか、地獄餓鬼畜生六道輪廻のたらいまわしからにようやく解脱して仏です、無意の人です、地球ものみなのお仲間入りです、明明として知るにただこれ者箇、なんとしてか透不過なると、もとまったくにこの中にあるんです、道を求めること水の中にあって渇を求める如く、赤土持て牛ねいをぬる、赤土に牛乳を塗るようなわけのわからん無駄っことです、早くこれ無門を鈍置す、かすっともかすらないんですよ、若し透り得ずんば自分という形骸です、もとないものに振り回されているんです。涅槃心は明らめやすく、涅槃というらしいものを得るのはたやすい、そうじゃない個々別々です、差別智という元の木阿弥に住むのは難しいという、国家安泰はいこれ。 

以上シャカや祖師がたの示された教えを、それぞれまとめたもので、もともと尾ヒレはない。脳天を割って、目玉もみせたし、どうかみなの人がすなおに受け入れ、迷いださないでほしい。道に通じたすぐれたひとなら、話しをきいただけでコツがわかる。なにも入り口なんかないし、段々のぼるものでもない。大手で通りぬけ、番人などかまわぬ。玄沙(の師備)さまの言うたではないか、「入り口のないこそぬけ道、心だてしないのが悟り」と。白雲(の守端)さまも、「ハッキリわかっていながら、このところがどうして通れないのか?」と。こうした説きかたも、赤土に牛乳でクドい。入り口のない関所が通れたら、無門なんかとうにカスだ。入り口のない関所が通れないようでは、ふがいの無い人だ。悟りすますのは楽だが、それぞれの世話はむずかしいもの。それぞれのことがわかれば、家も社会も平和になる。
時は紹定元年(1228)七月十日
楊岐から八世の孫 無門こと僧慧開しるす。無門關卷終。
その結びに、「悟りすますのは楽だが、それぞれの世話はむずかしいもの」とあり、その部分を原文に当てると、《所謂、涅槃心ハ曉ラメ易ク、差別智ハ明ラメ難シ》となります。大平等とか大自由とかであらわされる心のあり方を獲得することははむしろ簡単であり、あくまで差別智を明かにして現実に役立ってこそ禅の悟りなのだと言っています。また、前半の文章もまことに素直に、本来・無門・である「悟り」に至る道について説明しています。 
禅箴

 

規に循ひ矩を守るは無縄無縛、縦横無碍なるは外道魔軍、存心澄寂は黙照の禅。恣意忘縁は深坑に堕落す。惺惺不昧は帯鎖担枷。思善思悪は地獄天堂。仏見法見は二鉄囲山。念起即覚は精魂を弄するの漢。兀然習定は鬼家の活計。進むときは則ち理に迷ひ、退くときは則ち宗に乖く。進まず退かざるは、有機の死人。且らく道へ、如何が履践せん。努力して今生に須らく了却すべし。永劫に余殃を受けしむること莫れ。 
 
従容録(しょうようろく)
中国宋時代の仏教書。万松行秀編。六巻。1223年成立。万松老人評唱天童覚和尚頌古従容庵録ともいう、曹洞宗で重んずる公案集で、宏智正覚の頌古百則に、序論的批評(垂示)、部分的短評(著語)、全体的評釈(評唱)を加える。
南宋末、曹洞の万松行秀が、燕京報恩院の従容庵に在って、宏智正覚の「頌古百則」を提唱し、円悟の「碧巌録」にならって、示衆と著語、および評唱を加えたもの。侍者離知等の編集。詳しくは、「万松老人評唱天童覚和尚頌古従容庵録」といい、宋代における「四家評唱録」の一に数える。巻首に、行秀が嘉定十六年(1223)に湛然居士に与えた書、および湛然居士がその翌年に撰した序があり、この書の成立が、居士の勧めに由来し、彼が西域の阿里馬城にいたときに与えられたことを記している。現存のものは、明の万暦三十五年(1607)に、華亭の徐琳が「四家評唱録」の一として重刻したもの。「碧巌録」が宗門第一の書と言われて、わが国では主に臨済下で重んぜられるのに対して、曹洞宗で重んぜられる。  

 

第一則 世尊一日陞座
衆に示して云く、門を閉じて打睡して上上の機を接し、顧鑒頻申曲げて中下の爲にす。那ぞ曲木上に鬼眼睛を弄するに堪えん、箇の傍に肯わざる底あらば出で來れ。也た伊を怪むことを得ざれ。擧す。世尊一日陞座。文殊白槌して云く、諦觀法王法、法王法如是。世尊便ち下座。
頌云、一段眞風見也麼、綿綿化母理機梭。織成古錦含春象、無奈東君漏泄何。
頌に云く、一段の眞風見るや也たなしや、綿綿として化母機梭を理む。織り成す古錦春象を含む、東君の漏泄を奈何ともすることなし。

衆に示して云く、門を閉じて打睡して上上の機を接し、顧鑑頻申曲げて中下の為にす、那んぞ曲碌木上に鬼眼晴を弄するに堪えん、箇の傍らに肯わざる底あらば出で来たれ、也た伊を怪しむことを得ず。挙す世尊一日陞座、文殊白槌して云く、諦観法王法法王法如是。世尊便ち下座。
頌に云く、一段の真風見るや也た麼しや。(特地に眼を飄入せしむること莫れ、出ること還って難し。)綿々として化母機梭を理む(参差蹉了るを交う。)織り成す古錦春象を含む(大巧は拙の如し。)東君の漏洩を奈何んともすること無し。
陞のぼる、世尊お釈迦さまが一日座に上る、文殊白槌して、カンと槌を打って大衆に告げるんです、諦観法王の法である、法王法かくの如しと示す、用事が終わった、世尊座を下るというのです。
挙す、さあどうですかというんです、さあどうですか、お釈迦さんのようになって下さい、他なしです、第一則一番難しいです、通身もって、
「どうですか。」
という、これができるかできないか。山川草木空の雲も天空の星もぴいと鳴く鳥も、まさにこうあって長口舌、法王法如是と示す、だれあって、人間の如来は人間に同ぜるが如し。
いったんまず自分を去る、坐っても坐っても自分という従前の我を反芻し、嘗めくりまわして、どうして行かないんだとか、だいぶよくなったとか云っている、あるいはもうすぐという、百年河清を待つです、そうではない諦観です、自分といういらないものを捨てるんです、すると体もなければ心もない、生まれる以前死んだ後です、おぎゃあとこの世に生まれるとは、実にこのように生まれるんです、物心つく以前の赤ん坊は、恐ろしいほどの目をしています、宇宙の一欠片です、これを如来来たる如しといいます、七歩歩んで、六道輪廻を一歩抜け出でて、天上天下唯我独尊事です、文殊白槌して日く、諦観法王法如是、一枚自分というお仕着せですか、着たきり雀を脱げというんです、元の木阿弥はもとこのように現じている真箇です。
たしかに自分がまったく失せる、たとえば映画を見ると画面が自分です、すると見終ってなんの印象もない、覚えていることは思い出せばちゃんとある、哲学文学出身の人が、あれはああでこうでどちらかと云えば駄作でと批評する、このばかったれめがと喝す、あれはああなんだという以外になく、すなわち彼が批評の寸足らずを示す、届かないよというんです。
はたしてわしが世尊陞坐しんぞと読むんですがね、これ可か不可か、あるときは可あるときは不可、いいえ自覚症状なんかないです、多少ともこれが一則に参ずること一生をもてするんです。
門を閉じて、法らしいことのなんにもなし居眠りして上機を接し、機とは機峰だの禅機だのいう、なにそんな特別ないんです、どっかつまってるのが外れているだけです、目から鼻へじゃなく目鼻なし、一から十じゃなくもとぜんたいです、それ故中下も下下もいつか必ず上機です、如来あって如来に同じゆうする他なく。顧鑑頻申は振り返り身ぶりする、つまりだから理屈、間髪を置かずです、渇したり押し出したり、手段するんです、たまたま効くこともある、なかんずくそうは行かんですか、曲碌は今でも坊主が葬式法要に坐す、中国風真っ赤な椅子です、もと自然木を曲げてこさえた、鬼眼晴は、なんしろぶっ殺す以外に方法はないんです、貧乏人からゼニをふんだくる手段です、従前の自分というぬくぬくそこへ収まりついて、悪臭ふんぷんたるパンツをさ、脱いでみないとどっ汚さに気がつかん、どうしようもこうしようもないんです、しばらく匙を投げ。
さあ文句あるやつは出て来い、他のこっちゃない、なでたりさすったりのしゃば一匁じゃないってこってす、取り付く島もないんです、取り付く島もないとわかったら、半分卒業です、取り付く島もないのほかに、仏も仏教もないんですよ。
真風見るや、一段とはこの一則です、他にないんです、一般の人は妄想を除き真実を求めするんでしょう、そいつの裏腹破れかぶれです、つまらない人生、豚箱に入らなけりゃ自分で自分を豚箱に入れとか、すっちゃかめっちゃかですか。だれかれ心身症の世の中、みなどっかおかしいんです。信仰がないからだという、たしかにそういうこったが、夢より出でてまた夢じゃしょうがない、真風見るや、いろんな着ているものあっさり脱げばそれでいいんです。
もとこのとおりあり除くも求めるもないことを、身をもって示す。
特別を云えばかえって狭き門です、抜けられない一神教、狂信をもってすじゃ、あほらしんです、100%信ずることは忘れるってこってす。忘れ去って、綿々機俊おのずから造化の神です、そのようにもと作られているんですか、なすことすべて是、良寛さんの書のようです、春象を含む人間本来のありようです、他の説得どうかしてこれをという、二の次三の次ですか、しかも東君の漏洩、東君春の神さまこれは文殊菩薩、いかんともしがたしです。
るは糸へんに咎と書いて糸のこと、しんしさりょうは機を織る梭ひがあっちへ行ったりこっちへ来たり、糸を含むはあたりまえ、どうもせっかく第一則の頌は面白うにもなくと云ったら叱られるか、でも綿々として今に至る、ただじゃあただが得られないんです。
大巧は拙の如し、よくあと絶えはてて下さい、あれ一句忘れたかまあいいか、面倒くさ。

第二則 達磨廓然
衆に示して云く、卞和三獻未だ刑に遭うことを免れず、夜光人に投ず劍を按ぜざること鮮し。卒客に卒主なし、假に宜うして眞に宜しからず。差珍異寶用不著、死猫兒頭拈出す、看よ。擧す。梁の武帝達磨大師に問う、如何なるか是れ聖諦第一義。磨云く、廓然無聖。帝云く、朕に對する者は誰そ。磨云く、不識。帝契わず、遂に江を渡って少林に至って面壁九年。
頌云、廓然無聖、來機逕庭。得非犯鼻而揮斤、失不廻頭而墮。寥寥冷座少林、默默全提正令。秋月轉霜輪、河淡斗垂夜柄。繩繩衣鉢付兒孫、從此人天成藥病。
頌に云く、廓然無聖、來機逕庭。得は鼻を犯すに非ずして斤を揮い、失は頭を廻らさずしてを墮す。寥寥として少林に冷座し、默默として正令を全提す。秋うして月霜輪を轉じ、河淡うして斗夜柄を垂る。繩繩として衣鉢兒孫に付す、此れより人天藥病と成る。

衆に示して云く、卞和三献未だ刑に遭うことを免れず、夜光人に投ず、剣を按ぜざる鮮なし、卒客に卒主無し。假に宜しゅう真に宜しからず。羞珍異宝用不著。死猫児頭拈出す見よ。
挙す梁の武帝達磨太子に問う、如何なるか是れ聖諦第一義。磨云く、廓然無聖。帝云く、朕に対する者は誰そ。磨云く、不識。帝契はず。遂に江を渡って少林に至って、面壁九年。
卞和三献は、卞和という人が玉を得て、楚の霊王に献ず、偽物を献じたといって足を切られ、武王即位してこれに献じ、また足を切られ、文王立つに至って玉を抱いて泣く、足を切られるは恨まず、真石を凡石となし忠義を欺瞞とされしことを恨むと、文王石を見るに即ち真玉なりとある。
夜光投人は、鄒陽の詞、明月の珠、夜光の璧、暗を以て人に道路に投ずれば、剣を按じて相眄りみざるなし、何となれば因無うして前に至ればなり。眄ベンはながしめ横目に見る、鮮すくなしと読む。
死猫児頭、僧曹山に問う、世間何物かもっとも貴き、山云く、死猫児頭もっとも貴し。なんとしてか死猫児頭もっとも貴き、師云く、人価を著くるなし。
まあこれは本則の説明予防措置です、卞和三献は漢文の教科書にあった、足をあしきるという、あしきるという漢字があったな、ひでえこったと魂消た思いがある、とかく従容録は故事来歴が多い、衰微の兆候だつまらんといってないで勉強すっか、本来をお留守に注釈ばっかりという、有害無実ですか。
梁の武帝は実在の人物で一代にして国を興し、とかく仏教に入れ揚げて、仏塔を建て坊主を供養し、自らも放光般若経なるお経を講義し、天花乱墜して地黄金に変ずるを見たという心境です。これをもって活仏仏心太子なる達磨さんに会う。如何なるか是れ聖諦第一義、仏教のエッセンスは何かと問う、磨云く、廓然無聖、エッセンスなんてないよ、個々別々ですか、がらんとこうあるっきり。なんだと、ろくでもないことこきゃがって、祖師西来鳴物入りでやって来た、わしの前に立っているおまえさんは何者だってんです。朕に対するは誰ぞ。磨云く、不識。知らないっていうんです。
「知らない。」
この則の、どうですかというのはこれです。知らないって云えますか、なにかちらともらしいものあれば不可です。ちらともあるみんな嘘です、自分という嘘によって、知っているという偽によって世の中騒然です、戦争あり平和あり宗教あり思想ありする、地球をないがしろにする不幸そのものです、いらんことばっかりしている、歴史というがらくたの堆積です。
花は知らないという、空の雲も水もいえけものも鳥もたいてい知らないの仲間です。
「早く人間も、知っている分を卒業して下さい。」
そうしたら本当の大人になる、よって地球ものみなのお仲間入りですよ、お釈迦さまはそう云ったんです、これ仏、これ仏教の威儀です。
如何なるかと問うときに馬鹿なやつほど、答えを知っている、そいつをなぞくってくれりゃそれでいいってんです、まるでなってない。天花乱墜地変黄金と云って欲しかった、要するに思想観念上のことです、奇跡といいパプテスマというもそれですよ、気違いの道です、結局は収拾が着かないんです、三つ巴にあい争うっきゃない。
そうじゃない、からんとなんにもないとはぜんたいです、個々別々です、まさにかくのごとくならば印下、ほんとうにやってごらんなさい、他のとやこうまるっきりかすっともせんですよ。
せっかく卞和三献も三たび足切られですか、一般常識妄想ひっかきまわすっきり、仏の言はそりゃ通らないです。宗門が一番不通だったり、へたすりゃ殺されます。とかく知っている分かったことに終始する、夜光投人かくねんむしょうも不識も、卒客に卒主、ふわふわいいかげんは是、真実不虚には剣を按ずるんです、みなさん梁の武帝かしからずんば達磨さんかのどっちかですよ、そうです中間はないです。
したがい江、揚子江をわたって少林寺に面壁九年。
頌に云く、廓然無聖、来機逕庭。得は鼻を犯すに非ずして斤を揮い、失は頭を廻らさずして甑を堕す。寥寥として少林に冷坐し、黙々として正令を全提す。秋清うして月霜林を転じ、河淡うして斗夜柄を垂る。縄縄として衣鉢児孫に付す。此より人天薬病と成る。
せっかく廓然無聖も、仏という知らんものが挨拶、たとい痛棒一喝も届かず、ぶち破ることができなかった、逕庭は距離のあること。得は以下荘子にある、匠石という達人が斤、斧を揮って風を起こし、鼻を傷つけず、たかった蝿をことごとく追っ払ったという。武帝の武帝たるを破らずたかった妄想だけを払う、そりゃだれあってそうしたいところだが、せっかく親切もたいてい破り傷つける。人はいらんことに意を用いる、自分のよしあしじゃないんです、それがそのまんま転ずる外なく。失はという、孟敏という人、担っていた瓶が地に落ちてこわれたのを顧みずに行く、どうしてかと聞いたら、すでにこわれたものを、顧みたってなんにもならんと云った。故事なくたってまあそういうこったが、帝契わずさっさと去るわけです、参禅にはこれ是非善悪顧みぬこと、ものはやりっぱなしです、これができると直きですよ。一瞬前の自分はないんです、しかり今の自分もないです。
寥寥冷坐黙々として正令を全提して下さい、まったく手つかずのただ。他入る余地がないんです。河は天の川斗は北斗七星、綿々としてが縄縄になって、織りなす古錦春象を含むが、此より人天薬病と成るですよ。そうです病に効く薬はこれっきゃないです。

第三則 東印請祖
衆に示して云く、劫前未兆の機、烏龜火に向う。外別傳の一句、碓觜花を生ず。且く道え、還って受持讀誦の分ありや也た無しや。擧す。東印土の國王、二十七般若多羅をして齋す。王問うて曰く、何ぞ看經せざる。云く、貧道入息陰界に居せず、出息衆に渉らず、常に如是經を轉ずること百十萬億卷。
頌云、雲犀玩月含輝、木馬游春駿不羈。眉底一雙寒碧眼、看經那到透牛皮。明白心超曠劫、英雄力破重圍。妙圓樞口轉靈機。寒山忘却來時路、拾相將携手歸。
頌に云く、雲犀月を玩んでとして輝を含む、木馬春に遊んで駿にして羈されず。眉底一雙碧眼寒じ、看經那ぞ牛皮を透るに到らん。明白の心曠劫を超え、英雄の力重圍を破る。妙圓の樞口靈機を轉ず。寒山來時の路を忘却すれば、拾相將いて手を携えて歸る。

衆に示して云く、劫前未兆の機、烏亀火に向かふ。教外別伝の一句、碓嘴花を生ず。且らく道へ、還って受持読誦の分ありや也た無しや。
挙す東印度の国王二十七祖般若多羅を請して斎す。王問ふて日く、何ぞ看経せざる。
祖云く貧道入息陰界に居せず。出息衆縁に渉らず。常に如是の経を転ずること百千万億巻。
情識の至るに非ずむしろ思慮を容れんや、木人まさに歌い石女立って舞う、とあるように、劫前未だ兆さずの機、もと我らがありようです、兆してもってこうありああありだからと行く、なに思想機用はそりゃそういうこったですが、それを人格と思い自己と思い込むから間違う。そりゃどっちかというとお客のほうです、これを情識という、情実常識ですか。別にだからってことないんですが、いったんはこれを離れるんです、烏亀火に向かう、功巧によらんことを知るんです。
仏教はだから自分という常識の交通整理じゃない、仏教という能書きト書きじゃないんです、それらを容れる器なんです。どうもまずもってこれを知らんけりゃどうにもならんです。
INなどすると10人のうち一人そうかと思い当たる、あとは他山の石ですか、とやこうああでもないこうでもないする、ちょこっとぶち破ろうとすると、どっか行っちまう。
だがこうと知っていざやり出すとなかなかなんです、死ぬことはだれでも出来る、老若男女貧富の差能のあるなしによらぬ、一瞬死にゃいいんです。それができない。
常識情実に固執して、捨てるはずが獲得し、死ぬための修行が生きるに化ける、なんともかあともなんです。
「坐るしかないのはたしかだ、だが坐ったらいいっての違う、どんなに坐ったってそりゃなんにもならない。」
叩こうが喝しようが届かぬ。一転するんですよ、
「自分がなくなって寒さ、辛さばっかりになる、とたんに寒さも辛さも失せ。」
という、逆境こそ親切。
斎はおとき、供養のご馳走です、どうしてお経を読まないんだというのは、おときに着く前にお経を上げる習わしです、届かぬやつ相手に、届かぬやつが考えた便利お粗末、飯ありゃ食えばいいそれっきり、いいですかそれっきりができんのです。入息陰界とは体のこと、息を吸い込んでも体に入らない、実感なんです、まったくこの通りです、出息衆縁にわたらず、息吐いたって外へ出ない、ぜんたい我ならざるはなしとは、ついに我なしをどうか手に入れて下さい、たとい国王のぶつくさもどこ吹く風ですよ、したいやつにはそうさしとけってだけの、愚の如く魯の如し、臣は君に奉し子は父に順ずるんです、お経を読んだら賢いという、有用しゃば世界じゃないです、常に恒に、転ずること百千万億巻、そう云えばまったくの実感、云わずばそんなもんないです。
直指人身見性成仏、不立文字教外別伝という、そりゃ他まったく役に立たんのを知って下さい、食い物の説明描いた餅みたって、腹いっぱいにならんです。碓嘴これ口なかったっけ、石臼のへりにも花が咲くっていうんです、作り物は壊れ物ばっかりの世の中、ついには心身症どっ気違いを、一枚ひっぺがして本当。
頌に云く、雲犀月を玩んで燦として輝を含む。木馬春に遊んで駿として羈されず。眉底一双碧眼寒し。看経那んぞ牛皮を透るに到らん。明白の心曠劫を超へ、英雄の力重囲を破る。妙円の枢口霊機を転ず。寒山来時の路を忘却すれば、拾得相将って手を携えて帰る。
犀は月をもてあそぶと云われている、まあそんなんに坐って下さい、木馬、すぐれた馬というより人知衆縁によらんところがいいです、注釈じゃないそっくりそのまんまに味わって下さい、文人才子の届く能わずってね。牛皮に透るは、えーとだれであったか、弟子どもにはお経にかかずらわるなと云っておいて、自分は声明など口ずさむ、なぜかと問うたら、おまえらは眼光紙背に徹するからいかんと云った。世間のいう理解など中途半端、よこしまにするだけなんです。お経とうぐいすのホーホケキョ烏のかあと同断は、無意味雑っぱじゃないんです、完全に理解する=忘れるからです。良寛さん正法眼蔵の提唱中に大悟したという、はたして如何、忘れ去るときお経いかん、面白いんですよこれが、ちらとこの世に残っていると、わかるとはこういうことかと実に納得するんです、でもってそいつを忘れ。
碧眼は達磨さんと同じインド人です、明白英雄曠劫を超え重囲を破る底、まさに碧眼一双寒しです、はいやってみて下さい、ふっと笑うと百花開くんです、これなに赤ん坊そっくり。霊とは幽霊と、ものみなのありよう、衆縁陰界という内外がないんです、そういう思い込みが失せてもって説教です、でなきゃどう説いたって嘘になる、近似値ほど害はなはだってこと。寒山拾得はどうもやっぱり実在の人物ですよ、山中の岩に落書きしたのが残って、寒山詩と伝わるんです。わっはっはなんてえ大騒ぎの偈頌ですか。

第四則 世尊指地
衆に示して云く、一塵纔に擧れば大地全く收る。匹馬單槍、疆を開き土を展ることはち可なり。處に隨て主と爲り、に遇うて宗にする底、甚麼人ぞ。擧す。世尊衆と行く次で、手を以て地を指して云く、此處宜しく梵刹を建つべし。帝釋一莖草を將て地上に挿で云く、梵刹を建つること已に竟ぬ。世尊微笑す。
頌云、百草頭上無邊春、信手拈來用得親。丈六金身功聚、等閑携手入紅塵。塵中能作主、化外自來賓。觸處生涯隨分足、未嫌伎倆不如人。
頌に云く、百草頭上無邊の春、手に信せて拈じ來て用い得て親し。丈六の金身功聚、等閑に手を携えて紅塵に入る。塵中能く主と作る、化外自ら來賓す。觸處生涯分に隨て足る、未だ嫌わず伎倆の人に如かざることを。

衆に示して云く、一塵纔かに挙ぐれば大地全く収まる。疋馬単槍、彊を開き土を展ぶることは、処に随って主と作り、縁に遇うて宗に即する底なるべし、是れ甚麼人ぞ。
挙す、世尊衆と行く次いで、手を以て地を指して云く、此の処宜しく梵刹を建つべし。帝釈一茎草を将って地上に挿して云く、梵刹を建つること已に竟んぬ。世尊微笑す。
一塵わずかに挙って大地まったく収まるとは、実に仏道修行のありさまです、ついでこの則の事跡を云ったんですが、我と我が身心を如何せん、どうしたらいいか、このまんまでは、にっちもさっちも行かんていうことあって、仏門を叩くんです。たいていは七転八倒の末にです。わずか一微塵がなかなかどうして、でもついに悟り終わる。大地全く収まると元の木阿弥です。意あれば三つのがき意なければ父母未生前です。これたしかに得るものなしもとっこですが、彊つよい大変な勢力を云うんですが、従前の妄想自分=自分という面の皮=世間の重囲をぶち破って、土を展ぶる平らかに収まるとは、未だかつて知らず、見たことも聞いたこともない世界なんです。処に随って主となり縁にあうて宗となる、自由自在ものみな我です、坐っていてあれこれ手続きなく、ものみなまったく失せて済々は、なんともこれ形容のしようがないです。たといどんな苦労も厭わんです、生涯わしのようなおしまいだっても、一瞬かけがえがないんです。是れ何人ぞ、はい答えはないんです。
お釈迦さまは四十年間托鉢行脚して一処不定住です、どうにも及びもつかぬ、頭の下がる所以です、あるときはどんなに梵刹、修行道場みなの拠る処が欲しかったでしょう、祇園精舎という、寄進を受けた道場があったですが、東奔西走の年月が長かった、そういう時の一節と思って下さい。ここに梵刹を建てようという、帝釈天が、あるいは帝釈という一弟子でいいです、一茎の草をとってそこへ挿し、はい建て終わりましたというんです、世尊微笑す。涙溢れるっきりでコメントのしようがありません。
これ仏弟子の本来、ものみなの本来です。
頌に云く、百草頭上無辺の春、手に信せ拈じ来て用ひ得て親し、丈六の金身功徳聚、等閑りに手を携へて紅塵に入る、塵中能く主と作る、化外自ら来賓す、触処生涯分に随ひて足る、未だ嫌はず伎倆の人に如かざることを。
百草頭上草ぼうぼうの春ですか、手にまかせ拈じ来て、ひょいととって用いえて親しいんです、一茎草あるときは丈六の金身、如来大仏となり、丈六の金身あるときは一木一草です、そんなことわかっちゃいるたって、たいていいつだって固執したぶらかされ、つまずき転んでひどいめに会うんです、葦の髄から天井を覗き七転八倒ですか、だからといって、仏の示すところをもって、かくの如しと習わしの、なおざりに紅塵に入り、みんな仲良くとか、しかも主中の主という思い込みは、そりゃ噴飯ものですが、思い込みでない本来といって、どこまで行ったって油断は禁物。わしについて云えばこれ生涯の駄作、どこまで行ったってめちゃんこどうしようもないです。仏だのいって化外自ずから来賓す、いい子ちゃんしてられんです、どうしようもこうしようもないもこれ形容です、ふん死ぬまで、いやさ死んでも同じく、触処生涯分に随うつもりなんかない、技量不足なら喧嘩、はいお粗末。

第五則 青原米価
衆に示して云く、闍提肉を割て親に供ずるも孝子の傳に入らず、調達山を推して佛を壓するも豈忽雷の鳴るを怕れんや。荊棘林を過得し、栴檀林を斫倒して、直に年窮歳盡を待て、舊に依て孟春猶お寒し、佛の法身甚麼の處にかある。擧す。、原に問う、如何なるか是れ佛法の大意。原云く、盧陵の米作麼の價ぞ。
頌云、太平治業無象、野老家風至淳。只管村歌社飮、那知舜尭仁。
頌に云く、太平の治業象無し、野老の家風至淳なり。只管に村歌社飮、那ぞ舜尭仁を知らん。

衆に示して云く、闍提肉を割きて親に供ずるも、孝子の伝に入らず、調達山を推して仏を圧するも、豈に忽雷鳴るを怕れんや。荊棘林を過得し、栴檀林を斫倒して、直きに年窮歳尽を待て、旧きに依って孟春猶ほ寒し、仏の法身甚麼の処にか在る。
挙す、僧清源に問う、如何なるか是れ仏法の大意。源云く、盧陵の米作麼の価ぞ。
闍提、須闍太子は賊に追われて逃亡し、食い物がなくなって、自分の肉を裂いて父母に供したという、大恩経にあり、孝子の伝に入らずと。そりゃまあ身体八腑これを父母に受くが、別段のことは思わず、坐中のこととしてみるがいい。自分というもとないものをとやこうとやるでしょう、是非善悪思想分別ぎりぎり、ついに尽きるまでとかいって、十人が十人要でもないことをする。ついにぶち抜くという、これを肉を割きて親に供ずるもといったんです。なるほどと思います。まったくん何の役にも立たん、孝子の伝に入らんです。ということはあとから知るんですがね。荊棘林を通過する、自縄自縛の縄目です、しばるのがいなきゃないってやつです。
調達、提婆達多は増阿含経にあり、悪心を起こし山を押し仏を圧す、金剛力士、金剛杵をもって遙にこれを払う、砕石がふって仏の足を傷つける、仏身血を出だすは五逆罪の一、忽ち雷うってその身を引き裂くと。ついに身心ともになし、陰界衆縁を免れると、仏という標準です、もと仏が仏の標準を仮るという不都合、よって仏を殺し祖を忘れるんです。雷ごとき恐れておったらいかん、恐れわななくのを面と向かいあう、なんによれです。栴檀林という仏の集団です、その住人たるやってないんですよってわけです、もとそんな架空はないです。すると取り付く島もないです、年窮歳尽、首くくる縄もなし年の暮れです、ようやく解きはなたれるんです、仏教のぶの字もないです、帰依心これに勝れるはなし、菩提の心与麼に長ず。やたら宗門人が仏教のぶの字もないとは違う。
清源は原本が間違ったらしい青原行思和尚、一宿覚と云われる、六祖の法を継ぐ、因に僧問う、如何なるか是れ仏法の大意、どうですか虎の威を仮る狐、でもって何をなすという。青原云く、盧陵の米の値段は幾らだ、と聞く。米は主食だからとか、たまたま話題になったとかじゃないんです、腹蔵露呈取り付く島もないんですよ、宗門坊主の語呂会わせでもなく、いわんや世間でたらめじゃないんです、人を救うんですよけつの穴まで。
頌に云く、太平の治業に象無し、野老の家風至淳なり、只管村歌社飲、那んぞ舜徳堯仁を知らん。
五皇賢帝の時代という、中国理想の帝王はだれもそのあるを知らず、人民鼓腹撃壌して酒を飲み村歌す、それほどに舜の徳堯の仁が行き渡っておったという、まさにそりゃそうあるべきなんですが、かつてそんな世が存在したためしはなく、世界中のニュースを目の当たりする今日、まったく人間どものなすことどうしようもなし、練炭火鉢抱えるほうが正解かと思うほどに。自殺志願者に告ぐ、われに生きながら死ぬ方法あり、大死一番して鼓腹撃壌は、歓喜無我夢中ですよ。だってさ死んだやつは二度と死なんです、ないものは傷つかぬ、これを無心という。花のように平和を如来です。太平の治業にかたち無し、青原米価をそりゃどうしても手に入れて下さい。野老の家風、わっはっはそのろくでもないことは、けちで貪欲滑稽長いものには巻かれろ、田舎坊主やってりゃ毎日付き合って、はーい実に楽しくやっております、時に怒鳴るけんどもさ。只管打坐ただうち坐る、ウフッ村歌がモーツアルトだったり、そりゃ朝に晩に坐っておりますよ、ほとんどこの世に用無しってぐらいにさ。
どうしてここに救いがあるのにって、そりゃ思うには思います。

 

第六則 馬祖白黒
衆に示して云く、口を開き得ざる時無舌人解語す、脚を擡げ起さざる處無足の人行くことを解す。若し也他の穀中に落ちて句下に死在せば、豈自由の分有んや、四山相逼る時如何が透せん。擧す。、馬大師に問う、四句を離れ百非を絶し、う師、某甲に西來意を直指せよ。大師云く、我今日勞倦す、汝が爲にくこと能わず、智藏に問取し去れ。、藏に問う。藏云く、何ぞ和尚に問わざる。云く、和尚え來て問わしむ。藏云く、我今日頭痛す、汝が爲にくこと能わず、海兄に問取し去れ。、海に問う。海云く、我這裏に到て不會。、大師に擧似す。大師云く、藏頭白海頭黒。
頌云、藥之作病、鑒乎前聖。病之作醫、必也其誰。白頭黒頭兮克家子、有句無句兮截流機。堂堂坐斷舌頭路、應笑毘耶老古錐。
頌に云く、藥の病と作る、前聖に鑒む。病の醫と作る、必ずや其れ誰そ。白頭黒頭克家の子、有句無句截流の機。堂堂として坐斷す舌頭の路、笑うべし毘耶の老古錐。

衆に示して云く、口を開き得ざる時、無舌の人語ることを解す。脚を擡げ起さざる処、無足の人行くことを解す。若し也た他の殻中に落ちて、句下に死在せば、豈に自由の分有らんや。四山相逼る時、如何が透達せん。
挙す、僧馬大師に問う、四句を離れ百非を絶して、請ふ師某甲に西来意を直指せよ。
大師云く、我今日労倦す、汝が為に説くこと能はず、智蔵に問取し去れ。僧蔵に問ふ。蔵云く、何ぞ和尚に問はざる。僧云く、和尚来たって問はしむ。蔵云く、我今日頭痛す、汝が為に説くこと能はず、海兄に問取し去れ。僧海に問ふ。海云く我這裏に到りて却って不会。僧大師に挙示す。大師云く、蔵頭白、海兄黒。
どうして口を開かない、どうして足をもたげないって、これもっとも親切、手を添え足を添えして損なう現実、四山あい迫るとき、ようやく一句を用いることを得、これたいてい人間世の常ですか、四山生老病死苦というが、別段なんであってもいい、切羽詰まると開けるんです。参禅に来る人、坐禅というものをなんとか手に入れたいというほどの人、やたら手間暇かかるです、事業上も心身症でも、藁にもすがる思いの必死が、半日もすればぽっかり開ける。それっきりになったりは残念ですが、無足の人無舌の人これなんぞ、いいですか手段あっては手段倒れ。殻はルじゃなく弓で、弓を引く備えだそうで、敵の計略にかかって自由を失う意、句下に死在す、せっかく時熟してもう一押しが、そうかって納得しちゃったらまったくの無駄、如何が透達せん、です。
僧馬大師に問う、馬大師馬祖同一南嶽懐譲の嗣、容貌奇異にして牛行虎視舌を引きて鼻をすぐとある、どういうこったか中国人には大人気の人、そりゃ仏祖師として申し分なし。海兄は百丈懐海、西堂智蔵の法兄であるから海兄と呼んだ。四句百非は外道論争の形式、一、異、有、無を四句、四句おのおのに四句あり、更に三世に約し、已起未起の二に約し九十六に、もとの四句を加えて百句だとさ、すなわち云うことはすべて尽くしたんです、その上で祖師西来意、達磨さんはなぜやって来たかと問う。
馬大師今日はくたびれた、答えられんで智蔵に問えという、智蔵に聞いたら、和尚に問えばいいじゃないか、いえ和尚はこっちへ来いって云った、そうかあ、わしちょっと頭痛がするで、海兄に問えという。海兄に問えば、おれはそんなたいへんなこたわからんと云った。仕方ない馬大師に挙似、もってくと和尚、智蔵の頭は白、海兄の頭は黒だってさ。
なんだ同じこと解説しちまった、これ三人親切、これしか方法がないって思って下さい、ぶんなぐり喝するも手段、払子をふるおうがとっつきはっつきする、どうしようもないとはあなたそのもの。もとっこ達磨さんです、達磨さんは達磨さんを知らんのですよ、黒と白とどっちがどうって、老師に初相見のころ、そう云われて、はてなあこのじっさもうろくしたんかと思った、茶碗と急須どっちが大きい、そりゃ急須に決まってる、はてな。
頌に云く、薬の病と作る、前聖に鑑がむ。病の医と作る、必ずや其れ誰そ。白頭黒頭、克家の子、有句無句、裁流の機、堂々として坐断す舌頭の路、応さに笑ふべし毘耶の老古錐。
これより人天薬病となって、薬が病のもととなるのは、前聖にかんがみるから、というのは参禅者みな思い当たるところです、相応の悟があって鑑覚の病に苦しむ、病がかえって医となるとき、これ何人ぞです、苦しみ徒労する自分がそっくり失せて行くんです、まあ死ぬるは一瞬ですが、一瞬の死がなおもとっつく、なかなかなもんです、まさに自分の取り分ないんですよ、わかってもわかってもですか、まあまあおやんなさい。克家の子とは、家をよく興す程の孝子と、百丈智蔵を示す、裁は衣ではなく隹です、祖師西来意の、いえ答えを知るとは如何、よくよく真正面して下さい、まさに笑うべしは、そりゃこの一段笑っちまうんですが、毘耶は維摩居士のこと、毘耶離城に住む、老古錐は、使いふるして錐の先が丸くなっている、文学でいえば徒然草ですか、一番よく切れるんですがね、まずは馬大師のこってす。

第七則 薬山陞坐
衆に示して云く、眼耳鼻舌各一能有て眉毛は上に在り、士農工商各一務に歸して拙者常に閑なり。本分の宗師如何が施設せん。擧す。藥山久しく陞座せず。院主白して曰く、大衆久しく示誨を思う、う和尚衆の爲に法せよ。山、鐘を打せしむ。衆方に集る。山、陞座良久、便ち下座して方丈に歸る。主、後に隨って問う、和尚適來衆の爲に法せんことを許す、云何ぞ一言を垂れざる。山云く、經に經師有り論に論師有り、爭か老を怪み得ん。
頌云、癡兒刻意止啼錢、良駟追風顧影鞭。雲掃長空月鶴、寒入骨不成眠。
頌に云く、癡兒意を刻む止啼錢、良駟追風影鞭を顧る。雲、長空を掃う月にう鶴、寒骨に入て眠を成さず。

衆に示して云く、眼耳鼻舌各一能有って、眉毛は上に在り。士農工商各一務に帰して、拙者常に閑なり。本分の宗旨如何が施設せん。
挙す、薬山久しく陞坐せず。院主白して云く、大衆久しく示誨を思ふ、請ふ和尚、衆の為に説法し玉へ。山、鐘を打たしむ。、衆方に集まる。山陞坐、良久、便ち下座して方丈に帰る。主後へに随って問ふ。和尚適来、衆の為に説法せんことを許す、云何(いかん)ぞ一言を垂れざる。山云く、経に経師あり、論に論師あり、争でか老僧を怪しみ得ん。
こりゃまあなんともすばらしいです、正月に薬山仏に相見す、珍重この上なし、云うことなしです。われら末派どもの思い上がりを打つこと三千、謹んでこれを受く。
薬山惟儼、石頭希遷の嗣、絳州の人姓は韓氏、十七歳出家し、ついで、大丈夫まさに法を離れて自浄なるべし、あに屑々の事をよくして布巾に細行せんや、行事綿密布きれに文字を書く、そんなことで一生を終わる、なんたる情けないっていうんです、大丈夫まさに自ずから。経に経師あり論に論師あり云々と見て下さい、石頭希遷の室に入って大法を継ぐことまさにしかり。無無明亦無無明尽、実にかくのごとく、眼耳鼻舌各一能あって、眉毛は上にあり、どうですか経師論師の類は、そんなもの不要ですか、だいたいどうしようもない不都合、サリン撒いてぶっ殺したほうが世のためですか、就中仏祖師方、これを継ぐは経師論師の何百生をも卒業するんです、とやこうひっかかりとっかかりを免れる、他の夢にもみない広大無辺です、なおかつこの言あり、しかもいかでか老僧を怪しみ得んと、良久下座。八十有余、法堂倒れると叫んで、大衆出てて、柱を支え壁を押さえるを見て、子、我が意を得せずと云って、示寂すとあります。また太守来たり法を問うに、
「面を見るよりは、名を聞いておった方がよかった。」
と云った、見ると聞くじゃ大違いってわけです、師、
「太守。」
と呼ぶ、太守応諾すれば、
「なんぞ耳を貴とんで、目を賤しむことを。」
と。太守謝して法を問う、
「如何なるか是れ道。」
師手を以て上下を指して云く、
「会すや。」
「不会。」
「雲は天に在り、水は瓶にあり。」
太守欣恢作礼して、偈を以て云く、
「身形を練り得て鶴形に似たり、千株の松下両函の経、我来て法を問えば余説無し、雲は青天に在り、水は瓶に在り。」
頌に云く、癡児意を刻む止啼銭、良駟追風、影鞭を顧みる、雲、長空を払ふて月に巣くふ鶴、寒清骨に入って眠りを成さず。
癡児は痴児に同じですか、わきまえのない幼児、止啼銭、啼は泣くに同じ、子供が泣くのをだまして止めるための木の葉の銭、ねはん経にありと。どうですか仏=止啼銭ですか、お経ほか布巾細行が止啼銭ですか、殺し文句の世界を脱して、無為の真人面門に現ずるもなを止啼銭ですか、そうですよまさに気がつく、自ずから以外にないです。
なにか云って貰いたいって。
良駟良馬と同じ、良馬の鞭影を見て走る、鈍馬は骨に届くまでぶっ叩かれてようやくという、参禅のこれありよう、各々思い当たるところです。どうにもこうにも自分が自分と相撲を取っている、そんな馬鹿なことできっこない、あれほんにそうだといって良駟追風、坐禅が坐禅になります。すると言も不言も、まさに行くんです、仏向上事、ようやくさまになる、昨日の自分は今日の自分じゃないんです、これただの人。すなわち雲長空を払うとき月に巣食う鶴ですか、わずかにこれと知れるあり、これ寒清骨に入って眠りを成さず、身心ともになしがなんでとか、雲も鶴もないじゃないかなど、わかったふうなこと云わない、詩人の詞として見りゃいいです、取り付く島もない本来本当という、世間どのような取扱にもよらんです、捨てて捨てて捨てきって行くだけです。

第八則 百丈野狐
衆に示して云く、箇の元字脚を記して心に在けば地獄に入ること箭を射るが如し。一點の野狐涎、嚥下すれば三十年吐不出、是れ西天令嚴なるに不ず、唯郎業重きが爲なり。曾て犯の者有りや。擧す。百丈上堂常に一老人有って法を聽き、衆に隨て散じ去る。一日去らず。丈乃ち問う、立つ者は何人ぞ。老人云く、某甲過去葉佛の時に於て曾て此山に住す。學人有り問う、大修行底の人還て因果に落つるや也無しや。他に對えて道く、不落因果と。野狐身に墮すること五百生。今う和尚一轉語を代れ。丈云く、不昧因果。老人言下に大悟す。
頌云、一尺水、一丈波、五百生前不奈何。不落不昧商量也、依然撞入葛藤。阿呵呵、會也麼。若是灑灑落落、不妨我和和。歌社舞自成曲、拍手其間唱哩。
頌に云く、一尺の水一丈の波、五百生前奈何ともせず。不落不昧商量せり、依然として撞入す葛藤。阿呵呵、會すや也麼しや。若し是れ灑灑落落たらば、我が和和を妨げず。歌社舞自ら曲を成す、手を其間に拍して哩を唱う。

衆に示して云く、箇の元字脚を記して心に在けば、地獄に入ること箭の射るが如し。一点の野狐涎、嚥下すれば三十年吐不出。是れ西天の令厳なるにあらず、只だガイ郎の業重きが為なり。曾て忤犯の者有りや。 挙す、百丈上堂常に一老人有って法を聴き、衆に随って散じ去る。一日去らず。丈乃ち問う、立つ者は何人ぞ。老人云く、某甲過去迦葉仏の時に於て、曾て此の山に住す。学人有っりて問ふ、大修行底の人還って因果に落つるや也た無しや。佗に対して道く不落因果と。野狐身に堕すること五百生、今請う和尚一転語を代れ。丈云く不昧因果。老人言下に於て大悟す。
元の字の脚は乙であるという、乙は一に通ずるゆえに一点心、むねに置きという、ややこしいやつ。一点、座右の銘などいって世間の人珍重のところですか、地獄に入ること矢の如しに気がつかない、すなわち傍迷惑、あるいは自分を損こねて、ただもう馬鹿ったいだけです。これ、だからの人ですか、虎の威を仮る狐ですか、はいあなたも例外なく。 一つでなく三つ四つの曖昧のほうが罪なく、だがしかし一つの方が悟りに到る道。 一転の野狐涎嚥下すれば三十年吐不出は、だれあって省みるにいいです、なくて七癖と同じように、人には丸見え、自分にだけ見えないなにかしら、たとい欠陥も三十年五百生やるんですよ。 ガイは豈に犬、がい郎馬鹿もの。痴人すなわち自業自得。さあ思い当たって下さいよ。 いえさ、仏祖の教えをなぞらえて、少しはましにらしくなったといっている、たいしたことないです、そいつを一枚も二枚もぶち破って、しかもなを、どうしようもないという人は、はてどうしてかと省みるんです。そうかおれはと、思い当たる分をもって、一片でも二片でも免れるんです。坐ってりゃなんとかなるなんて思ってりゃ、そりゃ待百年河清ですよ。しかもなをかつ坐に聞くよりないんです。 不落因果不昧因果古来この則は失敗作だの云々、不落も不昧もだからどうだと云うんですが、ここはこの通りに確かめて下さい。大修行底の人因果に落ちずは、そりゃ五百生野狐身に落ちるんです。俗に野狐禅と云われる。我田引水です。どうしても修行悟りを勘定に入れる、一人で坐っている人でこれを免れる人皆無といっていいです、必ずどっかでてめえの取り分する、頭なでなでです。するとやることがおおざっぱになる、世間事ないがしろにするんです、オームのようにサリン撒き散らすんです、しかもそれに気がつかない、よくないです。これをぜに儲けの道、不落因果ですか。そうじゃないんです、金持ちになる道じゃないです、首くくる縄もなし年の暮れの道です。いよいよものごとずばりそのまんまです。因果を昧まさず、因果に昧まされず、あるがあるようにしかない、いいですか大修行底これ、百丈にあらずんばこれを知らずです。生半可じゃ耐えられんのです、たいていどっか自分に甘いんです。 なに身も蓋もない、自分ちらともありゃそれをなでなで、こりゃどうしようもないです、実に不昧因果というほどにはっきりしている、さあこれに参じて下さい。
頌に云く、一尺の水一丈の波、五百生前奈何ともせず、不落不昧商量せり。依然として撞入す葛藤窟。阿呵呵。会すや。若し是れ汝、灑灑落落たらば、妨げず我がたた和和。神歌社舞自ら曲を成す。手をその間に拍して哩羅を唱ふ。
因果歴然ということはこれ寸分も違わないんです、だからといって因果必然を云い因果のありようを我がもの顔にする、そりゃできぬ相談です、因果という、だからという俗流はうさんくさいです、まずもってこれを離れて下さい。因果に任せようとも否と云うとも因果の中。これを一尺の水一丈の波とぶち破ったのです。 五百生前いかんが知る、だからどうだと商量すること、不落不昧なをかつかくの如し、阿呵呵というわけです、葛藤か、かは屈の代わりに巣、阿呵呵はかか大笑ですか、どっか浮かれている、あんまり感心せんですかな。どのみち葛藤そのもの、会すやという、会せずという、不落不昧も虫が木をかじっているしゃしゃらくらく、さまたげず我がたたわわと断ってる辺りがかわいいですか。 たは多に口、舌頭定まらず、たたわわという、赤ん坊みたいに云うこと、哩らのらは羅に口、歌にそえる口拍子を云う、神歌社舞という、村人よったくって卑猥からなつかしいのからやったわけです。歌ったり踊ったり、そりゃ楽しいですな、でもってそればっかりってわけには行かない。 でも今の人歌も歌えない、ただもうだらしない、あいまいすけべ面して泣くも笑うもない。情けないです、因果必然からやりなおさんといかん。仏教以前ですが、まず坐ることから始めりゃいいです、世間=自分を離れることから。

第九則 南泉斬猫
衆に示して云く、滄海を飜すれば大地塵の如くに飛び、白雲を喝散すれば空粉の如くに碎く。嚴に正令を行ずるも猶お是れ半提、大用全く彰る。如何が施設せん。擧す。南泉一日、東西の兩堂猫兒を爭う。南泉見て遂に提起して云く、道い得ばち斬らず。衆無對。泉、猫兒を斬却して兩段と爲す。泉、復た前話を擧して趙州に問う。州、便ち草鞋をして頭上に載て出ず。泉云く、子若し在らば恰も猫兒を救い得ん。
頌云、兩堂雲水盡紛拏、王老師能驗正邪。利刀斬斷倶亡像、千古令人愛作家。此道未喪、知音可嘉。鑿山透海兮唯尊大禹、錬石補天兮獨賢女。趙州老有生涯、草鞋頭戴較些些。異中來也還明鑒、只箇眞金不混沙。
頌に云く、兩堂の雲水盡く紛拏す、王老師能く正邪を驗む。利刀斬斷して倶に像を亡ず、千古人をして作家を愛せしむ。此の道未だ喪びず、知音嘉す可し。山を鑿って海に透すことは唯り大禹を尊ぶ、石を錬て天を補うことは獨り女を賢とす。趙州老生涯有り、草鞋頭に戴いて些些に較れり。異中來や還て明鑒、只箇の眞金沙に混ぜず。

衆に示して云く、滄海をテキ翻すれば、大地塵の如くに飛び、白雲を喝散すれば、虚空粉のごとくに砕く、厳に正令を行ずるも猶ほ是れ半提、大用全く彰らはる如何が設説せん。 挙す、南泉一日東西の両堂猫児を争う。南泉見て遂に提起して云く、道ひ得ば即ち斬らじ。衆無対。泉猫児を斬却して両断と為す。泉復た前話を挙して趙州に問ふ。州便ち草鞋を脱して頭上に戴いて出ず。泉云く、子若し在らば恰かも猫児を救い得ん。
テキは足に易てきほん足で蹴ってひっくり返す、まあこのとおりに大地微塵虚空粉砕ですか、ついの今まで自縄自縛のがんじがらめを、ぶった切りぶち抜いて清々の虚空なんですが、虚空といってなをおっかぶさっているものを粉砕する、これ大言壮語みたいですが、実感としてこんなふうです。でもまだ半提、半分だと云うんです。全提正令の時如何。大用はだいゆうと読む、用ようとゆうと読みがあって、ゆうと作動するふうです。大用現前軌則を存せずなど。南泉普願、馬祖道一の嗣、趙州真際大師禅宗門ナンバー一といわれるそのお師匠さん。 東西両堂は、今でも東序西序と別れて、法堂に並びます、そうしたほうが便がよかったというだけのこと。まあこれは禅堂でしょう、猫が迷い込んで来た、猫に仏性ありやまたなしやですか、東西に別れて喧々がくがくやっておった。だれあって悟りたい、仏たるを覚したいんです、その辺のあひ争うです。南泉これを見て、提起猫をとっつかまえてもって、道いえば即ち斬らず、云ってみろっていうんです。 一応機は熟したと思ったんでしょう、だのになんにも云わん、仕方なし猫ぶった斬った。夕方他出から帰って来た趙州にこれを挙す、再来半文銭というやつが、残念であったんです。趙州ぞうりを脱いで頭にのっけて出て行く。ああおまえさへいりゃ猫切らずにすんだものを、というわけです。 どうですか半分を望んで猫を切り、大用現前、なんで頭の上に草履をってわかりますかこれ。わかったら三十棒わからんも三十棒、ああわかった頭上に頭を按ず、世の中どろんまみれの草履を云々、こいつもついでに三十棒。猫を斬る。 なんていう野蛮なという、てめえの腕ぶった斬って差し出したやつもいたんです、云えと云われて云えるか、くだくだ能書きしてないで、大用現前如何が施設せん、さあ思い切って捨身施虎です。物まねじゃないんです。
頌に云く、両堂の雲水尽く紛弩す、王老師能く正邪を験む。利刀斬断して倶に像を亡ず。千古人をして作家を愛せしむ。此の道未だ喪びず。知音嘉みす可し。山を鑿って海に透すことは唯り大禹を尊とす。石を錬って天を補ふことは独り女カを賢とす。趙州老生涯有り、草鞋頭に戴いて些些に較れり。異中来や還って明鑑。只だ箇の真金沙に混ぜず。
なんとまあ長い頌ですな、紛は糸の乱れる、弩は弓ではなく手、手を引っ張りあうこと、この事主義主張に堕すありさま。見りゃわかるってのをさ、群盲象を撫でるんです。王老師は南泉の俗姓が王氏です、正邪を験むとは、どうですか、おまえがいいおまえは悪いじゃないんでしょう、利刀裁断、ともに失うんです、これできなくっちゃそりゃ仏と云はれんです、いたずらに紛糾するっきりです。 幸いにこの道未だ滅びず、はい今もなを確固たるもんですよ、まったく納まるんです。これを愛す千古の知音よみすべしです、一箇半箇妄を開くことは、多数決民主主義じゃないです、もとはじめっからのありよう、帰家穏坐。 中国は大河を収める=王という伝えあって、禹は黄河の氾濫を治めて大功があった、南泉に比する、なにさまた大仰な。じょかカは女に過のつくりです、戦禍によって折れた天柱を補って、天の四極を立てた賢人ですとさ。趙州に当てます。猫斬った不始末をおさめたわけです。 生涯あり、はいこの則はこれに参じて下さい。俗流生涯座右の銘とは関係ないですよ。生涯ありなんのあとかたもなし。異中来や却って明鑑、正中来や却って明鑑、真金沙に混ずという、成句になっていてよく使います。でもこれ沙に混ぜず。 頭の上に草鞋のっけてなど、だれあってできるこっちゃない、救い得て妙。趙州のあとくっついて行ったって、些些にもあたらんですよ、些細というたいしたもんだ、舌を巻くと使う、禅門常套句ですか。

第十則 台山婆子
衆に示して云く、收あり放あり干木身に隨う、能殺能活權衡手に在り。塵勞魔外盡く指呼に付し、大地山河皆戲具と成る。且く道え是れ甚麼の境界ぞ。擧す。臺山路上に一婆子あり。凡そあり臺山の路什麼の處に向って去ると問えば、婆云く、驀直去。纔かに行く。婆云く、好箇の阿師又恁麼に去れり。、趙州に擧似す。州云く、待て與めに勘過せん。州、亦前の如く問う、來日に至って上堂に云く、我れ汝が爲に婆子を勘破し了れり。
頌云、年老成不謬傳、趙州古佛嗣南泉。枯龜喪命因圖象、好駟追風累纒牽。勘破了老婆禪、向人前不直錢。
頌に云く、年老いてと成る、謬って傳えず、趙州古佛、南泉に嗣ぐ。枯龜命を喪うことは圖象に因る、好駟追風纒牽に累さる。勘破了老婆禪、人前に向すれば錢に直らず。

衆に示して云く、収有り放有り、干木身に随ふ。能殺能活権衡手に在り。塵労魔外尽く指呼に付す。大地山河皆戯具と成る。且らく道へ是れ甚麼の境界ぞ。 挙す、台山路上一婆子有り。凡そ僧有り台山の路什麼の処に向かって去ると問えば、婆云く驀直去。僧わずかに行く。婆云く、好箇の阿師又恁麼にし去れり。僧趙州に挙示す。州云く、待て与めに勘過せん。州亦た前の如く問う。来日に至って上堂云く、我汝が為に婆子を勘破し了れり。
収あり放ありと云えば、二あり四ありインド式弁証法やるよりも、人心のありようはもとそんなふうです、即ち観察したって始まらんです。でもってまったく手放すと、干木身にしたがう、干木とは人形使いが人形をあやつる糸をくっつけた竿です、もと活殺自在、権衡むかしあった分銅計りの目盛り棹です、自ずからに配慮あるんです、塵労魔外指呼の間としつこいね。もう一つくっついて、大地山河皆おもちゃになってしまう、でもここに到ってなみの人間にはできないことがわかるでしょう、台山婆子ただのばあさんに引っかかるのは、並みの人間じゃないんです。 台山は五台山という文殊菩薩出現の霊山だそうです。台山へ行くにはどう行ったらいいと聞く、まっすぐ行け、わずかに行くと、おうおういい坊さんじゃな、まっすぐ行くぜえてなもんです。俗人もぎりぎり修行底も、このばあさんにぶった切られる、さあどう切られる、真っ二つですか、切られたのもわからんですか。 切られる身心なければ、切られようがないっていっているうちはそりゃだめですよ、僧趙州に挙示す、あの婆子はたしてどうだ、眼があるのか、どうだというわけです。すっきりただのばばあかそうでないか、こりゃ大問題です。問題にもならんじゃそりゃなんもならんです、他山の石です。よしわしが勘破して来てやろう、趙州行って、五台山の路を尋ねると、同じく好箇の僧をやられちまう、でもって来日上堂汝が為にかんぱし了れりです。 さあどうですか、ちったあなんか云ってくれると思ったのに、ですか。これ物の見事に正解なんですよ。
頌に云く、年老いて精と成る、謬って伝へず。趙州古仏南泉に嗣ぐ。枯亀命を喪ふことは図象に因る。良駟追風も纏索に累はさる。勘破了老婆禅、人前に説向すれば銭に直たらず。
年老いて精となるはなんか俗流ですが、趙州の形容となるとどっかぴったり、実に謬たずは大趙州の為にありと。精とは人間の形骸まったく落ちてしかも仏ありですか、行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけれ、云うは易く行なうは難しです。 大道通長安、馬を渡し驢を渡す、あやまって伝えず、他に言い種なし。十八歳出家してしばらく悟があった、しかも南泉に聞く、どうにもこうにも行かないんです、どうしたらよいか、泉答えて云く、知にもあらず無知にもあらず、太虚の洞然としてこのとおりかくの如しと示す。由来六十歳再行脚、我より勝れる者には、たとい三歳の童子と雖もこれに師事し、我より劣れる者には、たとい百歳の老翁と雖もこれに示すといって、百二十歳まで生きた。 枯亀は吉凶を占う図象が現れていたので殺されたという、荘子外物篇の故事、そうなんですよ、ちらともある分でしてやられる、相見という面白いんです、なんにもなけりゃ相手になっちまう、そうでなけりゃ自分倒れなんです。ばあさにもしてやられる。良駟追風もそりゃ、馬走れてなもんで鞭の影がある、この従容録の解説も、とかく悟り仏の上には上なんてやってるから、変なこと云っている、平等差別などいう貧相ほかです。 そうではないんですよ、勘破了老婆は、無印象なんです、しかもあれはああいうやつとそっくりしている、映画を見る、画面が自分になっちゃう、なんにもないんですけれど、人の批評とやこうを喝するんです、そりゃおまえだよというが如くに。銭になるほどは信用できんです、ただですよ、早く出世間して下さい、でないと話も出来んです。

 

第十一則 雲門両病
衆に示して云く、無身の人疾を患い、無手の人藥を合し、無口の人服食し、無受の人安樂なり。且らく道え膏肓の疾、如何が調理せん。擧す。雲門大師云く、光り透せざれば兩般の病有り。一切處明ならず面前物ある、是れ一つ。一切の法空を透得するも隱隱地に箇の物有るに似て相似たり。亦是れ光透せざるなり。又法身にも亦兩般の病あり。法身に到ることを得るも法執忘ぜず、己見猶お存するが爲に法身邊に墮在す、是れ一つ。直饒透得するも放過せばち不可なり。子細に點檢し將ち來れば甚麼の氣息か有らんと云う、亦是れ病なり。
頌云、森羅萬象許崢、透無方礙眼睛。掃彼門庭誰有力、隱人胸次自成。船横野渡涵秋碧、棹入蘆花照雪明。串錦老漁懷就市、飄飄一葉浪頭行。
頌に云く、森羅萬象、崢に許す、透無方なるも眼睛を礙う。彼の門庭を掃って誰か力有る、人の胸次に隱れて自からを成す。船は野渡の秋を涵して碧なるに横え、棹は蘆花の雪を照らして明なるに入る。串錦の老漁、市に就かんことを懷い、飄飄として一葉浪頭に行く。

衆に示して云く、無身の人疾病を患ひ、無手の人薬を合す。無口の人服食し、無受の人安楽なり、且らく道へ膏盲の疾、如何が調理せん。 挙す、雲門大師云く、光透脱せざれば、両般の病有り。一切処明ならず、面前物有る是れ一つ。一切の法空を透得するも、隠隠地に箇の物有るに似て相似たり。亦是れ光透脱せざるなり。又た法身にも亦両般の病有り。法身に到ることを得るも、法執忘ぜず己見猶を存するが為に、法身辺に堕在す是れ一つ。直饒ひ透得するも放過せば即ち不可なり。子細に点検し将ち来たれば、甚麼の気息か有らんと云ふ、是れ亦病なり。
雲門大師雲門文偃、青原下六世雪峰義存の嗣、大趙州と並び禅門の双璧、などいうと舌引っこ抜かれそうです。雲門一語するに常に三あり、痛烈もって比類なき、雲門禅などいう別誂えする人あるがほどに、もって天下太平を図る、たといお釈迦さんも倒退三千。それがこの則はまことにもって懇切丁寧、そうか雲門も足を圧折していっぺんに悟ったというとは別、苦労しているなどいうのは我田引水か。 こりゃしかしこういうことあるんです、まずもって無眼耳鼻舌身意を知る、もとかくの如くあるを知る。門扉に足をつぶして忍苦の声を発し、痛みいずれの処にかあると、自分というものがまったく失せてしまう、いっぺんに悟ることは、そりゃお釈迦さんの示す、仏法仏教一目瞭然なんです。 さっぱりちんぷんかんぷんだったものが、ただあるがようです。不思議、思議にあずからず。でもって納まり切るはずが、そうはいかなかったりする。 彼岸に渡ったものが此岸に舞い戻る、そんなことあるはずもないのに、たとい云々するんです、天下取ったとか仏教かくの如しとやる。これ彼岸かこっちの岸か、あほんだれ死ぬまでやっとれってやつです。 雲門大師懇切に示す、面前物あるとは、俗人みなそうです、有ると無いとが表裏を別つんです、物心つく子が掌を見る、指と指の間のどっちがどっちだ、動くのは自分だからというふうです、死ぬ時に手鏡といって同じことをやる。 有ると無いという作り物を習うんです。でもって物あるにしたがい迷う、自分という架空によって七転八倒、無明すなわち光透脱しないんです。これ一つ。もう一つせっかく透脱しながら、はたしてどうかと省みずにはいられない、自分という無心を標準にせず、仏教仏法なるものを標準にする、うまく行くはずがない。 なぜか、しゃばっけが捨てられないんです、大苦労して得た仏教を売らんかなですか、そんなんと引き換えに本来心を得て下さい、これ大力量、たとい雲門の法もいらんてえばそりゃいらんのですよ。
頌に云く、森羅万象崢榮に許す、透脱無方なるも眼晴を礙ふ。彼の門庭を掃って誰か力有る。人の胸次に隠れて自ずから情を成す。船は野渡の秋を涵して碧なるに横たへ、棹は蘆花の雪を照らして明なるに入る。串錦の老漁市に就かんことを懐ひ、飄飄として一葉浪頭に行く。
崢えい山に栄は山の高く聳える、峨峨たるさま。許すはまかす、ものみなあるがまんまというと、妄想色眼がねのまんまと思い違えて、平家なり太平記には月も見ずという、次第情堕を省みぬ、それじゃしょうがない。月は月花はむかしの花なれど見るもののものになりにけるかな。透脱無方を知ってされども法は忘れざりけれと、眼晴を礙ふるんです。 生死まったく変わらぬ、死んだあともこのとおり永遠にこうあるという、兀地に礙へらるとはこれ。彼の門庭をはらってですか、いいかげんにしとけってじゃなく、彼が自分のよこしまであったりして、ではとっぱらったら彼岸ですか。 いえそんなこんなないんです、たしかに身心失せてものみなの様子、なをかつ釈然としないということがあります、これをどうかしようとする、すったもんだの失せる時節、どこまで行ったって、いいですかそいつを投げ与える、捨てるしかないんです。 よく死んだあとどうなると聞いてみる、とやこう答える、なにさ、おまえ死んだら三日で忘れられるよ、なをかつものみなこのとおり、はいそれを悟りという、と云えばきょとんとしている。自分という情実=世間または仏教だったりします、それを去るんです、生死同じを愛といったら、仏の顰蹙を買いますか、なに微妙幽玄と云ったって、くそくらえです。 あるいはどんな情実も一瞬続かないんです、かくして万松老人水墨画ですか、けっこうよく出来なんですが、これ風景に描いては駄目ですよ、取り付く島もないんです。

第十二則 地蔵種田
衆に示して云く、才子は筆耕し、辯士は舌耕す。我が衲家、露地の白牛を看るに慵し、無恨の瑞草を顧みず。如何が日を度らん。擧す。地藏、脩山主に問う、甚れの處より來る。脩云く、南方より來る。藏云く、南方近日佛法如何ん。脩云く、商量浩浩地。藏云く、爭か如かん我が這裏、田を種えを搏めて喫せんには。脩云く、三界を爭奈何せん。藏云く、、甚麼を喚んでか三界と作す。
頌云、宗般般盡強爲、流傳耳口便支離。種田搏家常事、不是參人不知。參明知無所求、子房終不貴封侯。忘機歸去同魚鳥、濯足滄浪煙水秋。
頌に云く、宗般般盡く強爲、耳口に流傳すれば便ち支離。田を種えを搏む家常の事、是れ參の人にあらずんば知らず。參じいて明かに知る所求無きことを、子房終に封侯を貴ばず。機を忘じ歸り去って魚鳥に同じうす、足を濯う滄浪煙水の秋。

衆に示して云く、才子は筆耕し弁士は舌耕す。我が衲僧家、露地の白牛を看るに慵うし、無根の瑞草を顧みず、如何が日を度らん。 挙す、地蔵脩山主に問ふ、甚れの処より来る。脩云く、南方より来る。蔵云く、南方近日仏法如何。脩云く、商量浩浩地。蔵云く、争でか如かん我が這裏田を種へ飯を摶めて喫せんには。脩云く、三界を争奈んせん。蔵云く、汝甚麼を喚んでか三界と作す。
地蔵はお地蔵さんではなく、地蔵桂シン深のサンズイではなく王、玄沙師備の嗣、門下に法眼ほか。才子は筆耕し弁士は舌耕すと、世間一般は血の汗流せ涙を拭くなといった按配に奮闘努力によって、やっと人並みななり人を抜きんでていっぱしというわけです。だがこれは違う、わずかに悩を除き自分一個を救えばいいんです、ほかのこたいらんです。露地の白牛無根瑞草は、洞山大師玄中銘という、なんだかんだいう人で、というと叱られますがたとえばまあこういった風で、「霊苗瑞草、野父芸ることを愁ふ、露地の白牛、牧人放つに懶うし。」懶うし慵うし同じです、根無草、妄想というこれいいわるいもない、どだい妄想かくという自分がかいているようですが、自分のものなぞないんです、すなわち自分の自由にできない、そいつを我が物に、自由にしようとするから妄想なんです。 霊とは心の問題あるいは自然の微妙です、もとかくの如くあるによって瑞草ですか、念起念滅、ぽっと出ぽっと消えるんです、そのまんまにしておきゃそれっきりなのに、そいつに栄養を与える、野父芸ることを愁う、自分でやっといて自分で愁うる世の常ですか、思想妄想にしてやられる手前倒れを=人間と云うんですか。 これ妄想を出す人もこれを芸術する人も同じ一人です、それゆえぴったり一つになると、まるっきりないんです、霊苗瑞草念起念滅のまんままったくない、これを無心心が無いというんです、妄想、想念がないんじゃないんんです、ないんじゃそりゃ脳死ですよ、さかんに活躍したろうがまったくない、はいこれをまず得て下さい、真正面ということです。ちょっと苦労しますか、でもこれ知らんきゃそりゃ問題にならんです。 露地の白牛貴重品ですか、ほかはみんな厩の中のべた牛ってなもんで、仏の示す処比類を絶するんですが、そのものになりきったらそのものないんです、貴重品へえ何がさって聞く感じです。 新年宴会に上野のお山へ行ったら、ホームレスの大会などやっていたけど、なんかあっちこっち坊主どもに出会った、ぱかっと目が合うと、目なんか合わせやせんのにさ、向こうががっさり萎縮する、今時坊主ども仏教のぶの字もないんだけど、そりゃだれあって、なんか来し方みじめうさんくさみたいな顔してそっぽ向く、みじめどうしようもなし、問題にならんはこっちだが、わしはぽかっとそれっきりだのに、相手が萎縮するのは、てめえ一人相撲なんです。 あほっくさいてえかまあそういったこったな。蛇足ながら意識の外なんですよ、鼻持ちならぬ自意識じゃないんです、うだうだいっちゃった。まあそういったことで懶うしは、ものうしと云ってたんじゃあ痛棒食らわせにゃいかんのです。 この則は脩山主、撫州龍済山主紹脩禅師とあります、地蔵の法を嗣ぐんですが、このとき南方から来た、南方の仏教如何と問はれて、いやもう大いに盛んでありますと答えた、そうかいやこっちは、田を植えて実ったら摶(あつ)めて飯にして食っとるがという、いえそんなんじゃどうして三界を脱すると聞く、三界の枠を着せなきゃ三界なしですが、脩山主これを一心に求め来た様子です、兄弟子法眼に、万象の中独露身と是れ万象を撥うか万象を撥はざるかと問われて、万象を撥はずと答えている、見事にひっかかるんです、どうしても問題にせずにはいられない、なんの撥不撥とか説かんと云われて、地蔵のもとにかえり、大悟するんです。わかりますか、ただ坐ってりゃいいたってそうは行かんです、まずは脩山主に見習うがいいです、何かあるから求めるんです、求めなきゃどうもならん、ついに求め来たって皮っつら一枚になる、三界はと聞く、三界なしを知る、三界なんてものないんだからどうのじゃないんです、うすっ皮一枚はがれるのに、人の百生分も費やす覚悟ですよ、でなきゃ法なんて嗣げやせんです、なにたったいっぺん捨身施虎ですか、三界万象わがものになって消える、そりゃもうこれ初めて本来。
頌に云く、宗説般般尽く強いて為す。耳口に流伝すれば便ち支離す。田を種へ飯を摶む家常の事。是れ飽参の人にあらずんば知らず。参じ飽いて明らかに知る所求無きことを。子房終に封侯を貴とばず。機を忘じ帰り去って魚鳥に同じうす。足を濯ふ滄浪煙水の秋。
どうしても仏を求め仏教に習う、就中激しいものがあります、これなくば結局ものにならんでしょう、でもいったい何を求めているのか、自分というこの身心のほかにないんです、耳口より入るもの、耳口より出ずるもの、どうですかこれ、まさにもっともそんな必要のないことを知る、これ仏教ことじめ。西欧文物あるいは哲学に志した人が、一転してこの事を求めるのに、いくら坐ってもどこまで行こうが、対人関係ですかコンセンサスという便ち支離するよりない、なんというかおのれご本尊で坐っている、あるいはその醜悪に気がつかないんです。田を植え飯を喫すること日常事に、なんの求める事もないんです、これを知るに従い、参禅という跡形もないんです、いったい何を求めて来たというに、求め来たったそこにあるんです、因果無人です、だれに自分を証明して見せることも、いったんは要らないんです、記述なしを知ること、科学ほか一神教派生哲学宗教の、まったく知らない自然なんです、のこっと入って消えちまうんです。これ即ち参じ飽きてはじめて知るところ、子房という人大功あって漢の高帝これに報いんとしたが断ったという故事、わかりますか、せっかく大法を得て、森羅万象と同じ、魚や鳥や花や雲の大宇宙、いえようやく地球のお仲間入りなんです、人にひけらかすごときけちなもんじゃないんです、滄浪の水清めば吾纓を濯ふべく、滄浪の水濁れば吾が足を洗ふべし、漁父の賦というにあるそうです、雪降れば雪晴るれば空と、どうですかほかの暮らしようがないんですよ、涙流れ放題鼻水万般てね。

第十三則 臨済瞎驢
衆に示して云く、一向に人の爲にして己れあることを知らず、直に須らく法を盡して民無きことを管せざるべし。須らく是れ木枕を拗折する惡手脚なるべし。行に臨む際合に作麼生。擧す。臨濟將に滅を示さんとして三聖に囑す。吾遷化の後吾正法眼藏を滅却することを得ざれ。聖云く、爭か敢て和尚の正法眼藏を滅却せん。濟云く、忽ち人有り汝に問わば作麼生か對えん。聖、便ち喝す。濟云く、誰か知らん吾正法眼藏這の瞎驢邊に向って滅却することを。
頌云、信衣半夜付盧能、撹撹黄梅七百。臨濟一枝正法眼、瞎驢滅却得人憎。心心相印、傳燈。夷平海嶽、變化鵬。只箇名言難比擬、大都手段解飜騰。
頌に云く、信衣半夜、盧能に付す、撹撹たり黄梅七百の。臨濟一枝の正法眼、瞎驢滅却して人の憎みを得たり。心心相印し、燈を傳う。海嶽を夷平し、鵬を變化す。只箇の名言比擬し難し、大都そ手段飜騰を解す。

衆に示して云く、一向に人の為に示して己れ有ることを知らず。直に須らく法を尽くして民無きことを管せざれ。須らく是れ木枕を拗折する悪手脚なるべし。行に臨むの際合に作麼生。 挙す、臨済将に滅を示さんとして三聖に囑す。吾が遷化の後、吾が正法眼蔵を滅却することを得ざれ。聖云く、争でか敢えて和尚の正法眼蔵を滅却せん。済云く、忽ち人有って汝に問はば作麼生か対へん。聖便ち喝す。済云く、誰か知らん、吾が正法眼蔵這の瞎驢辺に向かって滅却することを。
臨済院の義玄禅師は黄檗の嗣、門下に三聖慧然ほか十余の神足を出し、臨済宗の祖。行に臨むの際、臨終の時です、死ぬまぎわまで為人のところこれ仏祖世の常、一向に人の為に尽くして己れ有ることを知らずです、自分の中に首を突っ込んで窒息死、自殺志願というよりただもう情けないんですが、そんな現代人に、本来こういう生き方のあるのを知らせたいです、自殺するんならアフガンに地雷撤去に行くとか、自爆テロでキムジョンイルをやっつけるとかさ、一生にたったいっぺん他の為にする、でなかったら生きた覚えもないことは、自殺したいというそいつが証です。 為人のところ広大無辺、自分という袋小路、単純明解な理由ですよ。法を尽くすとは大死一番です、大活現成は民というコンセンサスから飛び出しちまうんです、我と有情と同事成道です、だからといって人間なんです、為人の所と帰り来るんです、臨済の大悟と滞るなしですよ。三聖に囑す、おれの死んだあとおれの正法眼蔵をぱあにしないでくれとは、世間流という悟りの悪い我妄に聞こえ、なんでえ臨済ともあろうもんがというわけです、ところがまったく違うんです。三聖に一掌を与える、のうのうとお寝んねしてるんなら、枕けっぽる悪手却、自分の死ぬなんてことこれっぽっちも考えてないんです。 どうしてぱあにしましょうや、ふーんなら忽ち人問えば汝なんて答える。喝する。 ちえせっかくわしの正法眼蔵は、この瞎驢めくらのろばです、唐変木がぱあにしちまいやがる、わっはっは臨済安心して死ねるんです。 そうですよこれ人間本来、一器の水が一器に余すところなくなど、そんなけちなこと云ってないんです、左右を見回してごらんなさい、臨済まさにかくの如しです。
頌に云く、信衣半夜蘆能に付す、攪攪たり黄梅七百の僧。臨済一枝の正法眼、瞎驢滅却して人の憎しみを得たり。心心相印し祖祖灯を伝ふ。海嶽を夷平し、鯤鵬を変化す。只だ箇の名言比擬し難し、大都そ手段飜倒を解す。
蘆能は蘆行者六祖大鑑慧能禅師、黄梅山大満弘忍祖の法を嗣ぎ、お釈迦さまから伝わったという衣を持して夜半密かに忍び出る、これを知って七百の僧右往左往、臨済正法眼蔵、阿呆のろばにつないで他の憎しみを買うと、まあまさに鳴り物入りですか。仏とはもとだれしもちゃーんと備わりながら、夢にも見ぬ思いも及ばぬものです。夢に見る思い及ぶものを、一枚でも二枚でもひっぺがして行かにゃならん。手段悪辣臨済棒喝も為にあるんです、こっちとしちゃあ噛んで含める如くするのに、なんでたんびにそっぽ向くんだ、匙を投げたってのが毎回の感想です。夷えびすはまたたいらぐと読む、大海から山嶽までも平らげ、こんは昆に魚、北冥に大魚あり変じて鵬となるとさ、鵬は鳳と同じくおおとり、変化へんげす、ああでもないこうでもないをまったくに収める、轟沈させるんですな、だからって海嶽も鯤鵬もちゃー んとあるところが面白い。箇の名言というたった一回きりの手段です、花の綻びるのを見て悟った、だからってことない、門扉に足を挟まれて知った、だからおれもってことないんです。そりゃ通常のこっちゃ駄目だといって、通常もて徹底する、そりゃ臨済ならずともです、人の思惑判断じゃないんです。

第十四則 廊侍過茶
衆に示して云く、探竿手に在り、影草身に隨う。有る時は鐵に綿團を裏み、有る時は錦に特石を包む。剛を以て柔を決することは則ち故らに是、強に逢うて弱なる事如何。擧す。廓侍者、山に問う、從上の聖什麼の處に向って去るや。山云く、作麼作麼。廓云く、飛龍馬を勅點すれば跛鼈出頭來。山便ち休し去る。來日、山、浴より出づ。廓、茶を過して山に與う。山、廓が背を撫すること一下、廓云く、這の老漢方に始めて瞥地。山、又休し去る。
頌云、覿面來時作者知、可中石火電光遲。輸機謀主有深意、欺敵兵家無遠思。發必中、更謾誰。腦後見腮兮人難觸犯、眉底著眼兮渠得便宜。
頌に云く、覿面に來る時、作者知る、可の中石火電光遲し。機を輸く謀主に深意有り、敵を欺く兵家に遠思無し。發すれば必ず中る、更に誰をか謾ぜん。腦後に腮を見て、人觸犯し難し。眉底に眼を著けて渠れ便宜を得たり。

衆に示して云く、探竿手に在り、影草身に随ふ。有る時は鉄に綿団を裏み、有る時は綿に特石を包む。剛を以て柔を決することは、即ち故さらに是、強に逢ふては即ち弱なる事如何。 挙す、廊侍者徳山に問ふ、従上の諸聖什麼の処に向かって去るや。山云く、作麼作麼。廊云く、飛龍馬を勅点すれば跛鼈出頭し来る。山便ち休し去る。来日山浴より出ず、廊茶を過して山に与ふ。山、廊が背を撫すること一下。廊云く、這の老漢方に始めて瞥地。山又休し去る。
深竿影草盗人の用いる道具、転じて師家の手段です、どうだと云うんでしょう、持ってるやつは自ずから現れ、草の影にも飛びつく、だからこうせにゃってこっちゃない、心身もてです。ないものはあるものを滅却ですか、あるときは鉄に綿を包み、あるときは綿に石を包みする、ノウハウがあるわけじゃないです。最良手段じゃない、それっきゃないんです。 徳山宣鑑禅師は、青原下四世龍潭祟信の嗣、金剛経を背負ってやって来て、ばあさんに三心不可得いずれの心もて団子食うかと問われて、龍潭和尚を訪ねる、灯を吹き消されて忽然大悟。そりゃもうしっかりしてるんです。廊侍者、従上の諸聖、お釈迦さまはじめ仏祖方です、いずれの処に向かってか去る、悟り切った人はどうなると云うんです。困ったねえ、答えがわかってる人をそもそも、云ってみろよってわけです、云うはしから倒壊すりゃいいんですがね、廊侍者云うも云いえたり、勅点は天子が勅命をもって点呼とある、飛龍馬西遊記の馬みたいなんですか、を呼び出したら、びっこの亀が出て来たという、けっこういいとこ行ってんですがね。 これを落とすには便ち休し去るんですか、誉めてもけなしても、うなずいても増長慢という、無記ですか。見よというんですか。すでにして答えが出ているんですか。 他日風呂から上がった徳山に廊侍者お茶をさし出す、その背中を撫でた、這の老漢まさにはじめて瞥地を得る、なんとまあまた休し去らんきゃならん、さて三回目はどうしますか、忘れたっても相手来りゃ思い出す。
頌に云く、覿面に来たる時作者知る、可の中石花電光遅し。機を輸く謀主に深意有り。敵を欺く兵家に遠思無し。発すれば必ず中る。更に誰をか謾ぜん。脳後に腮を見て、人触犯し難し。眉底に眼を著けて渠れ便宜を得たり。
覿面に来るとは真っ正面です、ただということ、人の喧嘩はおれがいいおまえがわるいだからとやる、鳥獣の喧嘩はそんなことせんです、縄張り争いはあっても喧嘩はないですか。虎の威を仮る狐じゃなくって、作者になって下さい、自ずからです、何万回しようが一回きりです。生きているってだけです、機というただこうあるっきりですよ、禅機なぞいうものないです。 作り物は壊れもの、水は方円の器、機を以てすれば一歩遅いんです、そうではない他なしです。輸は負ける、廊侍者機峰鋭くですか、飛龍馬を勅点すれば跛瞥出頭とやる、ぶんなぐったら化けて出る、根本を切らねばだめです、おだてあげてさっと手を引くってのもあり、でもまあもう一枚切れ味のいい徳山輸機ですか。 深意有りも遠思無しも、徒労に終わるんです、発すれば必ず中る底は、たとい坐禅只管打坐ですよ。どんなふうなめちゃくちゃだろうが、必ずそれ、当たり前だその他ないんです。とたんにふっ消えて百発百中は、なんにもないんですよ。 脳後に腮は、えらのあるやつは悪者、油断がならんという、師家についてどうもそんなこと感じちゃだめです、眉底に眼なんか著けないんですよ、そんな持って回るこたいらんです、いつたい百発百中の他ないんです、いいですか最後に残った仏法です、勅点するそいつを失う、すなわち命失うんです、この世の存在を払拭です。飛龍馬も跛瞥もないんです、はじめて瞥地を得るという、無意味なんですよ。いやさ、だからといって無気力投げやりとは別個です。

第十五則 仰山挿鍬
衆に示して云く、未だ語らざるに先ず知る、之を默論と謂う、明さざれども自ら顯わる、之を暗機と謂う。三門前に合掌すれば兩廊下に行道す、箇の意度あり、中庭上に舞を作せば後門下に頭を搖かす。又作麼生。擧す。山、仰山に問う、甚麼の處より來る。仰云く、田中より來る。山云く、田中多少の人ぞ。仰、鍬子を挿下して叉手して立つ。山云く、南山大いに人有って茆を刈る。仰、鍬子を拈じて便ち行く。
頌云、老覺多念子孫、而今慚愧起家門。是須記取南山語、鏤骨銘肌共報恩。
頌に云く、老覺多くして子孫を念う、而今慚愧して家門を起す。是れ須らく南山の語を記取すべし、骨に鏤め肌に銘じて共に恩を報ぜよ。

衆に示して云く、未だ語らざるに先ず知る、之を黙論と謂ふ。明かさざれども自ずから顕はる、之を暗機と謂ふ。三門前に合唱すれば両廊下に行道す。箇の意度あり、中庭上に舞ひを作せば、後門下に頭を揺かす、又作麼生。 挙す、い(さんずいに為)山仰山に問ふ、甚麼の処よりか来たる。仰云く、田中より来たる。山云く、田中多少の人ぞ。仰山鍬子を挿下して叉手して立つ。山云く、南山に大いに人有って茆を刈る。仰鍬子を拈じて便ち行く。
黙論暗機ですか、風物ものみなぜんたいならざるはなし、山川草木鳥もけものもそうでしょう、人間だけがなぜか中途半端ということがあります。思想といい論文と云い宗教といい哲学というんでしょう、いずれ届かない、どうにも不満足です。信ずるものは救われるという、空の雲も花もそんなこと云わんです。信不信に依らずと云えば少しは当る、心して狭き門より入れという、では狭いきりだ、ついには100%信じろという、信じ切るとは忘れることだ。ここに至って黙論暗機です。 黙論暗機を卒業すると、平和な地球のお仲間入りです。三門山門に同じ、空夢相無作の三解脱という、なんにもないんです、自分に首を突っ込まない。つうといえばかあというのは、言語上ですか、お経も行道もそりゃ日常茶飯です、舞いを舞えば頭をゆりうごかす、がきだね、腮を取っちまって下さいよ。仏教のありよう個々別々。 個人という根本です、囲わないんです、まさに手続き不要なんです。本則はこのまんまに見ておけばいい。い山霊祐禅師は百丈懐海の嗣、仰山慧寂禅師はその嗣、併せてい仰宗の祖、い山仰山と茶を摘むついで、山云く、終日茶を摘む、ただ子の声を聞いて子の形を見ず。仰、茶樹を撼がす。山云く、子ただ用を得てその体を得ず、仰云く、いぶかし和尚如何。山良久す。仰云く、和尚はその体を得てその用を得ず。山云く、子に三十棒を放つ。仰云く、和尚の三十棒はそれがし喫す、それがしの棒は誰をして喫せしめん、日く子に三十棒を放つ。これい山摘茶の公案というんだそうです。 公案とは実際にあったことです、はーいまったく一回切りです。独創などいうインディビデュアルを超えています。
頌に云く、老覚情多くして子孫を念ふ、而今慚愧して家門を起こす、是れ須らく南山の語を記取べし。骨に鏤ばめ肌へに銘じて共に恩を報ぜよ。
南山は天子の尊位、茆はかや、茆を刈るは百姓の卑位、田中より来たる乃至鍬を挿して叉手すより、天地宇宙まさに他なしの、師弟のみあって平らかなさまを頌すんです、そいつをまあ、お涙頂戴、こっぱずかしいやとは云いえて妙、頭ぶん殴ってやろうずの思い。骨にちりばめ肌へに銘ずというこれ、百歩遅い言い種もなんかびったりっていう、そっぽ向きたくなるところがよろしい。

 

第十六則 麻谷振錫
衆に示して云く、鹿を指して馬と爲し、土を握って金と成す。舌上に風雷を起し、眉間に血刃を藏す。坐ながらに成敗を觀、立どころに死生を驗む。且く道え是れ何の三昧ぞ。擧す。谷錫を持して章敬に到り、禪牀を遶ること三匝、錫を振るうこと一下、卓然として立つ。敬云く、是是。谷、又南泉に到り、禪牀を遶ること三匝、錫を振るうこと一下、卓然として立つ。泉云く、不是不是。谷云く、章敬は是と道う、和尚什麼としてか不是と道う。泉云く、章敬はち是、是れ汝は不是。此れは是れ風力の所轉、終に敗壞を成す。
頌云、是與不是、好看捲。似抑似揚、難兄難弟。縱也彼臨時、奪也我何特地。金錫一振太孤標、繩牀三遶閑遊戲。叢林擾擾是非生、想像髑髏前見鬼。
頌に云く、是と不是と、好し捲を看るに。抑するに似たり揚するに似たれども、兄たり難く弟たり難し。縱也彼れに時に臨む、奪也我れ何ぞ特地ならん。金錫一たび振うて太だ孤標、繩牀三たび遶って閑りに遊戲す。叢林擾擾として是非生ず、想い像る髑髏前に鬼を見ることを。

衆に示して云く、鹿を指して馬と為し土を握って金と為す。舌上に風雷を起こし、眉間に血刃を蔵す。坐ながらに成敗を観、立ちどころに死生を験む。且く道へ是れ何の三味ぞ。 挙す、麻谷錫を持して章敬に到り、禅床を遶ること三匝、錫を振るうこと一下、卓然として立つ。敬云く、是是。谷又南泉に到り、禅床を遶ること三匝、錫を振るうこと一下、卓然として立つ。泉云く、不是不是。谷云く、敬は是と道ふ、和尚什麼としてか不是と道ふ。泉云く、章敬は即ち是是、汝は不是。此れは是れ風力の所転、終に敗壊を成す。
鹿を指して馬となし、なんか馬鹿なこと(故事はすなわち馬鹿の始まり。)を云ってんですが、これ平常もののありようと、人みなの持って回る落差ですか、情識界に溺れるのへ手を差し伸ばす。どうしたってそういうこってす。土と思い込む金だという、金と思い込む土だという、ちっとは眼晴ですか。二人の弟子がいて一は坐るに坐ってさっぱりです、一は適当にさぼってらちあかん、二人ともお払い箱にしたい、舌上風雷眉間血刃、匙を投げてなんにも云わんですか。親切この上なしは、是是よしよしといっちゃ春風駘蕩ですか、さあこれなんの三味ぞ、師はこれ三味わしらはしからずと、一向にそんなこたない、たといお経読んだろうが、同じいに三味ですよ。 麻谷まよく麻谷山宝徹禅師、馬祖道一の嗣、章敬懐輝、百丈ともに馬祖の弟子、ちょっとばかり麻谷の悟るのが遅かったんですか、章敬のもとに行き、禅床をめぐること三匝、匝は三回でいいです、ぐるっと回るんです、そうして錫しゃくは杖の頭に鈴が付いて、托鉢行脚の持ち物、鈴をふるって突っ立った。章敬是是、よしよしと云ったんです。ぶん殴られるの覚悟で命がけでやったんですか、清水の舞台から飛び降りた。捨身施虎は一回切り、食われちまえば跡形も残らない、いえ骨は残ったってそりゃ残骸です、命消える。ところが消えなかった、しめしめってなもんで百丈のもとへ行き、禅床を遶ること三匝、錫を振るい卓然として立つんです、百丈不是。 章敬は是といったのになんで不是だと聞く、百丈云く、章敬は是汝は不是と。こりゃこれでおしまいなんです、これはこれ風力の所転ところてん押し出すのは蛇足ですよ。なんの為の仏道修行ですか、禅坊主のありよう、見せるためじゃないんでしょう、わずかに一箇の本来性、満足大安心の故にです、自由の分なければ、馬鹿の薬です。がらくたこさえるだけです。 成句があるんですな、維摩経方便品に、是の身は作無し、風力の所転なり。楞厳経瑠璃光章に、この世界及び衆生の身を観ずるに皆是れ妄縁風力の所転なり。 だからといって、この世ははかないというのは俗説です、すなわち200%生死同じなんですよ。
頌に云く、是と不是と、好し椦きを看るに。抑するに似たり揚するに似たり。兄たり難く弟たり難し。従也彼れ既に時に臨む、奪也我れ何ぞ特地ならん。金錫一たび振るうて太はだ孤標。縄牀三たび遶って閑ざりに遊戯す。叢林擾擾として是非生ず。想ひ像る髑髏前に鬼を見ることを。
是と不是とよし椦き、きは衣へんに貴、糸のことけんきで罠、罠を設けたというわけではないんですが、ひっかかる間は使い物にならんです。抑揚上げたり下げたり、是と云われれば嬉しく、不是と云われればどうしてだと聞く。是非善悪に関わらずという、自分=知らないという、達磨さんの本来に落着しないかぎり、おれはいいおまえは悪いやるんです、悟っているか悟ってないかやるんです。わかりますかこれ。 難兄難弟、東漢の陳元方が子長文と、季方が子孝光と、各その父の功徳を論ずるに決せず、太丘にはかる、太丘云く、元方兄たること難く、季方は弟たること難しと。 これまあ参禅にこういうことしている間は、そりゃどうにもならんです、よくよく顧みて下さい、奪おうが従う、ほしいままにしようが、そうやっているそのものなんです、死ぬとはそうやっているものが死ぬんです、でなかったらそりゃ楽ちんです。いえほんとうの安楽に入って下さい、とやこうの自分を脱する、身心ともに解脱する=是非善悪に管しないんです、そうして錫を一下卓然として立って下さい、天地そのものになって遊戯三味です。 擾は騒がしい、そりゃどこの叢林、僧堂も是非善悪騒がしいですか、良寛さんの叢林は子供たちだったです、これはこれまたどえらい対大古法だったです。いやわしなんぞにはとうていできない、たとい髑髏前に鬼を見る底去って春風駘蕩も、世にいう良寛さんの絵に描いた餅はないです。

第十七則 法眼毫釐
衆に示して云く、一雙の孤雁地を搏って高く飛び、一對の鴛鴦地邊に獨立す。箭鋒相うことは且らく置く。鋸解秤錘の時如何。擧す。法眼、脩山主に問う、毫釐も差あれば天地懸かに隔たる、汝作麼生か會す。脩云く、毫釐も差あれば天地懸かに隔たる。眼云く、恁麼ならば又爭でか得ん。脩云く、某甲只此くの如し、和尚又如何ん。眼云く、毫釐も差あれば天地懸かに隔たる。州、便ち禮拜す。
頌云、秤頭蝿坐便欹傾、萬世權衡照不平。斤兩錙銖見端的、終歸輸我定盤星。
頌に云く、秤頭蝿坐すれば便ち欹傾す、萬世の權衡不平を照す。斤兩錙銖端的を見るも、終に歸して我が定盤星に輸く。

衆に示して云く、一双の孤鴈地を搏ちて高く飛び、一対の鴛鴦池辺に独立す。箭鋒相柱ふことは即ち且らく致く、鋸解秤錘の時如何。 挙す、法眼脩山主に問う、毫釐も差有れば天地懸かに隔たる、汝作麼生か会す。脩云く、毫釐も差有れば天地懸かに隔たる。眼云く恁麼ならば又争でか得ん。脩云く、某甲只だ此の如し和尚又如何。眼云く毫釐も差有れば天地懸かに隔たる。脩便ち礼拝す。
一双なら孤鴈じゃないではないかという、なに孤鴈が一双です、これを知れるは出世間の出来事です、なみの考えじゃ届かんです、コンセンサス情識を免れる、たった一人になること色即是空です、地をうって高く飛ぶ孤鴈が、本則じゃなんせ二羽いるから一双。おしどりは鴛が雄で鴦が雌繁殖期しかいっしょにならんそうですが、仲睦まじい、池辺に独立です。師弟これ五百羅漢これ、たとい一千も他にありようはないんです。 箭鋒あいささうは、弓の名人同士が争って、百歩離れて弓を射たら、矢尻と矢尻がうっつかって尽く落ちたという、列子陽問篇の故事、宝鏡三味にあります、そんなめんどうこといらん、いつだってぴったり、木人まさに歌い石女立って舞う、虚空の中の虚空です、過りっこない。 鋸の山と谷みたい議論は、仏と外道の問答なんぞに出て来ます、こう云えばああ云う、たとい鸚鵡返しでも、そりゃ仏はまったく違うんですが、本則はさにあらず。毫釐も差あれば天地懸かに隔たる、坐っていて実にこれなんです、坐って坐って坐り抜いて、仏教辺のことはなにもってつうかあです、しかも本来のものではない。ほんとうの自由が得られない、あるいは得られていないことに気がつかない。どうしようもない、人間正直なもので釈然としないあとかたがあります。坐は楽うになるんですが、楽な上にも大安楽、かすっともかすらない上にもかすらないんです。 思想人生観上毫釐も差あれば天地懸絶します、思想人生観なぞいうと笑われますが、結局は他にないんです、戒を第一安穏功徳の諸住所となすと、はいわしの人生観です、なるほどなあと思ったら忘れる。これ毫釐も差あれば天地懸絶と、なるほどなあということあったんでしょう、しかもおまえは非という、じゃあどうなんだと聞く。毫釐も差あれば天地懸絶といわれて、礼拝して去るんです、まずもって云うことないですな。
頌に云く、秤頭蝿坐すれば便ち欹傾す。万世の権衡不平を照らす。斤両錙銖端的を見るも、終いに帰して我が定盤星に輸く。
天秤は蝿が一匹止まっても傾く道理で、ここには中国というか、むかしの棹秤の熟語が並んでます、秤は準衡権よりなる、準はつな衡はさお権はおもり。おもり重量の単位を、八銖で錙、三錙を両、十六両を斤ですとさ。定盤星は遊びというか無駄めもり、人間=はかりということあるでしょう、省みて下さい、たいていの人銭勘定ですか、これを何に標準をおくかというのが坐禅という、違いますか。 他に標準をおく間はさまにならんです。万世の権衡不平を照らす、四苦八苦ということを知るには、まさに標準のうしてです、標準失せると自分自身が標準とは、斤両錙銖端的、ぴったり実にそのものです。もと蝿一匹とまってもというこれがありよう、さびっかす、妄想執念を免れてこうなるってわけです、でもって仏法という定盤星に負ける、無駄めもりにお手上げ万歳ってわかりますか、なーんかぴったりです。

第十八則 趙州狗子
衆に示して云く、水上の葫蘆按著すれば便ち轉ず、日中の寶石色に定れる形無し。無心を以ても得べからず、有心を以ても得べからず、沒量の大人語脈裏に轉却せらる。還って免れ得る底有りや。擧す。、趙州に問う、狗子に佛性有りや也た無しや。州云く、有。云く、に有、甚麼と爲てか却って這箇の皮袋に撞入するや。州云く、他の知って故らに犯すが爲なり。又有り問う、狗子に佛性有りや也た無しや。州云く、無。云く、一切衆生皆佛性有りと、狗子什麼としてか却って無なる。州云く、伊に業識の有り在るが爲なり。
頌云、狗子佛性有、狗子佛性無、直鉤元求負命魚。逐氣尋香雲水客、雜雜作分疎。平展演、大舗舒、莫怪儂家不愼初。指點瑕疵還奪璧、秦王不識藺相如。
頌に云く、狗子佛性有、狗子佛性無、直鉤元命に負き魚を求む。氣を逐い香を尋ぬ雲水の客、雜雜分疎を作す。平に展演し、大に舗舒す、怪しむこと莫れ儂が家初めを愼しまざることを。瑕疵を指點して還って璧を奪う、秦王は識らず藺相如。

衆に示して云く、水上の葫蘆按著すれば便ち転ず。日中の宝石、色に定まれる形無し。無心を以ても得るべからず、有心を以ても知るべからず。没量の大人語脉裏に転却せらる、還って免れ得る底有りや。 挙す、僧趙州に問ふ、狗子に還って仏性有りや也た無しや。州云く、有。僧云く、既に有れば、甚麼としてか却って這箇の皮袋に撞入するや。州云く、佗の知って故さらに犯すが為なり。又僧有り問ふ、狗子に還って仏性有りや也た無しや。州云く、無。
僧云く、一切衆生皆仏性有り、狗子什麼としてか却って無なる。州云く、伊に業識の有る在るが為なり。
葫蘆ひょうたんのこと、巌頭の示衆に、「若し是れ得る底の人は只だ閑閑地を守って、水上に葫蘆を按ずるが如くにあい似たり。触著すれば即ち転じ、按著すれば即ち動く。」と、まあこりゃこういうこってすが、人にうちまじって、あいつは奇妙なやつだなあと云われる所以です、混ずるときんば所を知ると、しょうがないこってすか。日中の宝石形定まらずです。あるとき無と云いあるとき有と云う。これなんぞ。 矛盾しているのはそりゃあなたの方です、人間ものみな没量なんでしょう、自然数を立てる数学ができる、そんなものもってるのは人間だけ、だから人間は万物の霊長ですか、うさんくさい面倒ことってね。 数学あろうが物理学だろうが、出入り自由、もとっこ免れてあることを知る、それがなかなかです、大統一理論だのこのごろ流行らんですが、ついに不毛を知るのになんというもって回った、科学もようやく十二歳ですか。観念不毛ですったらさ。はいひょうたんに学んで下さい。 趙州狗子は右禅問答代表ですか、泣く子も黙るってには、みんなそっぽを向きっぱなし良寛さんという誤解の集積回路や、達磨さんという七転び八起き、どうもこりゃ本式に門を叩こうという人にとっては、じゃまになるっきりの、宗門威張儀即仏法よりいいか。 「むー」とやってごらんなさい「うー」とやってごらんなさい、どう違いますか、通身消えてうーむーですよ、うぐいすでさえホーホケキョ、かわずでさえかーんと鳴くのに、自分に首をつっこみ、やれ世の中どうだ、キリストさまだなぞだーれもやってない。 花は花月は月花は花とも云わず月は月とも云わず、大安心大歓喜天地宇宙かくの如くありって、一生にいっぺんでいい、生まれ本来に立ち返って下さい、一切衆生悉く仏性あり、煩悩覆うが故に知らず、見ずと、ねはん経にある如く、水の中にあって渇と求めるが故に、趙州あるときは無、あるときは有と接するんです。 有と応じて、なんで仏を皮袋に入れているんだと聞く、はいおまえさんの皮袋脱いで下さい、ほうら仏。知るという省みるという、世間=皮袋の故にですか、狗子のことなんぞ云ってないですよ、知=犯すおまえという覿面に来るんです。有と応ずる、なにゆえにという、そうさ業識にとらわれているおまえさんだというんです、これが蛇足たいして足しにゃならんけどさ。 ちなみにわしとこ一応卒業は、かあでもホーホケキョでも云い出でたら是、さあやって下さい。
頌に云く、狗子仏性有狗子仏性無。直鈎元命に負むく魚を求む。気を遂ひ香を尋ぬ雲水の客。そうそう雑雑として分疎を作す。平らかに展演し大いに舗舒す。怪しむこと莫れ儂が家初めを慎しまざることを。瑕疵を指点して還って璧を奪ふ。秦王は識らず藺相如。
狗子は申し遅れました犬です、犬に仏性質有りやまた無しや、そうそう(口に曹)ぞうぞう騒がしいんですよ、落着のところなし、気を遂い香を尋ねる雲水です、答えを得てはたしてどうなるんですか。疑問の延長上に予測したなにがしかという、世間一般回答じゃそりゃなんにもならんです。よって云く無、無字の公案です。直鈎まっすぐの針で命令にそむく魚を釣るんです。これ周の文王猟に出て姜子牙という人に会う、水を去ること三尺、直鈎にして魚を釣る、あやしみて問えば、ただ命に背くの魚を求むと。直鈎でなけりゃ釣られん人ってわけです。釣れんのですよ。 平らかに展演は大手を広げたって狭いとほどに、仏にあらざるはなし無です。まっぱじめっから無と行く、有と来るんです、能書きなしもっとも親切、取り付く島もなし=仏教を知って入門です。はいどこまで行っても取り付く島もないです。史記にあるという、趙の恵王楚の和氏より璧、玉です、を得たという、秦の昭王十五城をもって之に易う、姜相如璧を奉じて秦にいたる、璧をもってきたら美女を侍らしみなして万歳とやった、姜相如これは城をくれる意志なしと見て、玉にきずがあるちょっと見せてくれといって、取り返す云々です。これはまあ無といい、有といってのちの、佗の知るが故に犯す、伊に業識のあるがためなりの蛇足を頌すんです、きずを指摘して玉を奪う、美食飽人底の喫する能はず、首くくる縄もなしに失せて玉露宙に浮かぶんです、これを摩尼宝珠。

第十九則 雲門須弥
衆に示して云く、我は愛す韶陽新定の機、一生人の爲に釘楔を抜く。甚としてか有る時は也た門を開いて膠盆を出し、路に當って陷穽を鑿成す。試みに揀辨して看よ。擧す。、雲門に問う、不起一念還って過有りや也た無しや。門云く、須彌山。
頌云、不起一念須彌山、韶陽法施意非慳。肯來兩手相分付、擬去千尋不可攀。滄海濶、白雲閑、莫將毫髪著其間。假聲韻難謾我、未肯模胡放過關。
頌に云く、不起一念須彌山、韶陽の法施、意慳むに非ず。肯い來らば兩手に相分付せん、擬し去らば千尋攀ず可からず。滄海濶く白雲閑なり、毫髪を將って其の間に著くること莫れ。假の聲韻我れを謾じ難し、未だ肯えて模胡して關を放過せず。

衆に示して云く、我は愛す韶陽新定の機、一生人の与めに釘楔を抜く。甚としてか有る時は也た門を開いて膠盆を綴出し、当路に陥穽を鑿成す。試みに揀弁して看よ。 挙す、僧雲門に問ふ、不起一念還って過有り也また無しや。門云く、須弥山。
我は愛す韶陽新定の機というのは、ここから発したのか、いや違う碧巌録の方が先か、韶陽は、雲門大師が韶州雲門山に住するによる、まさに我は愛すとしかいいようにない、わしは趙州真際大師の方が好きだが、なんせまあ手も足も付け難し、ひええったらぶっ魂消。順次出て来ると思うから、申し訳ない従容録を見るのは初めてです、挙げませんが、この則もどっかんずばというやつです、まったく蛇足の付けようがないんです。 須弥山にのっかられては、あとかたも残らない、虚空になり終わって、電長空に激しと、至りえ帰り来たるんです。不起一念とは、一念も起こらずというんです。一念起こらなければ、それを観察しうる自分=念がないんです、するとかえって過ありやと聞き得ないといったほうが正解です、ではどうなるかというと、須弥山です、はあっと一念起こったときに、宇宙いっぱい大です。我と有情と同時成道です。たとい平らかに、一微塵なくたって、すべてがおらあがんと、そのまっしんにあります。よく保護せよと、ここに住し長長出するんです、これ仏、釘を抜き楔を抜いて他が為にする、我という囲うものがない。落とし穴だろうがにかわのお盆だろうが、もしや、我は愛すというからには、そう見えるんです、ただの大法他なしなんです。
頌に云く、不起一念須弥山。韶陽の法施意志慳しむに非ず。肯ひ来たれば両手に相ひ分布せん。擬し去れば千尋攀ず可からず。滄海濶く白雲閑たり。毫髪を将って其の間に著くこと莫れ。假鶏の声韻我を謾じ難し。未だ肯へて模胡として関を放過せず。
こりゃまあこの頌の如くでなにを云うこともありません、ほんに一毫髪も挟めばそりゃ得ることできんです、須弥山とまさにこうある以外にないんです、夜をこめて鶏のそらねをはかるとも世に逢坂の関は許さじ、これは清少納言の歌ですが、もしやそんなふうに坐禅をやっていませんか、ああでもないこうでもないこうあるべき、自らすすみてこれを証するを迷いとなす、そうやっている自分を思い切って捨てる、明け渡すんです、未だ肯へて模胡として関を放過せず、ああまことにおのれのありさまと知って、たとい手段を選ばず、手段なしのむちゃくちゃ、むちゃくちゃかえりみるなし、もとなんにもなし、なんにもないから捨てられるんです、死ぬとはどういうこと か、平らかに思い当たって下さい、須弥山もくそもないったら、まっしんに坐れば須弥山そのものです、こりゃいうだけ遅い、どうしようもないな、はいどうしようもないを両手もって差しだします。

第二十則 地蔵親切
衆に示して云く、入理の深談は三を嘲り四をく、長安の大道は七縱八横忽然として口を開いて破し、歩を擧げて蹈著せば便ち高く鉢嚢を掛け杖を拗折すべし。且らく道え誰か是れ其の人。擧す。地藏、法眼に問う、上座何くにか往く。眼云く、として行脚す。藏云く、行脚の事作麼生。眼云く、不知。藏云く、不知最も親切。眼、瞎然として大悟す。
頌云、而今參似當時、盡簾纖到不知。任短任長休剪綴、隨高隨下自平治。家門豐儉臨時用、田地優游信歩移。三十年前行脚事、分明辜負一雙眉。
頌に云く、而今參じいて當時に似たり、簾纖を盡して不知に到る。短に任せ長に任せて剪綴することを休めよ、高きに隨い下さに隨って自から平治す。家門の豐儉時に臨んで用う、田地優游歩に信せて移す。三十年前行脚の事、分明に辜負す一雙の眉。

衆に示して云く、入理の深談は三を嘲り四をさく。長安の大道七縦八横、忽然として口を開いて説破し、歩を挙げて蹈著せば、便ち高く鉢嚢を掛け柱杖を拗折すべし。 且らく道へ誰か是れ其の人。 挙す、地蔵法眼に問ふ、上座何くにか往くや。眼云く、いりとして行脚す。蔵云く、行脚の事作麼生。眼云く、知らず。蔵云く、知らず最も親切。眼豁然として大悟す。
入理の深談とはただ、こりゃ本来事を知らん人が云うんですか、三を嘲りという、人みな放あり奪あり集あり、三種の神器鏡に玉に剣とかやってるでしょう、世の中こうすべき、こうあるべき一ありゃ三あるのを、そりゃ嘲るんです、間違いなんです、さく、らという手へんに羅ですが、これラと拍子をとる音韻です、別の意あるんですか、ようも知らんけどのし付けるってふうです。金沢の人、新聞記者であったか、あるとき忘我ということがあった、すると世間常識が、あほらしいというか、なんであんなことをと思うほどになったという、そりゃそういうことあるんです。長安の大道七縦八横です。如何なるか是れ道、道は籬の外なあり、わが問うは大道なり、大道長安に通ず。弟子であった祐慈和尚、悟を得てのち托鉢に行く、千葉へ出て東海道を下って、四国へはいり、年賀葉書のお古をもっていて逐一知らせて来るのが、まことにおもしろかった、糸の切れた凧でどこへふっ飛んで行くかわからない、首座をしてくれというお寺があって、連絡しようもなしと思っていたら、元旦に電話があって、開門岳から新年のご挨拶だって、えー帰るんですか、沖縄まで行こうと思っていたのにだってさ。こういうのを用いる宗門ではないから、苦労している、なに六十まで口をつぐんでおれ。 地蔵は玄沙師備の法嗣、地蔵院に住す、法眼文益はその門下。これはいいですねえ、上座、一定の期限をへた雲衲をいうんですが、おまえどこへ行く、イリはしんにゅうに施のつくりと麗と、ぶらぶらとです、ぶらぶら行脚してます、行脚の事そもさん、知らず、知らぬもっとも親切、法眼忽然として大悟。 知らぬもっとも親切、さあこれに参じて下さい。 今の人心身症だのいう、物拾うとか、カメラぶらさげ、デイトに集団に、そうぞうしくって、一人散歩することもできない、女のお一人さまなんてわっはっは物笑いだ、さあどうします、知らぬもっとも親切。
頌に云く、而今参じ飽いて当時に似たり。簾繊を脱塵して不知に到る。短に任せ長に任せて剪綴することを休めよ。高きに随ひ下きに随って自ずから平治す。家門の豊倹時に臨んで用ゆ。田地優遊歩みに信せて移る。三十年前行脚の事、分明に辜負す一双の眉。 参じ来たり参じ去りという、たんびに元の木阿弥です、なんにも得られない、参禅以前のなんにもなしです、いくたびこんなふうです、いったいおれは何をやってたんだ、無駄ことばっかり、そうかもとっこなんにもないんだ、老師はあるあると云った、だからあると思い込んだ、ないのが当たり前。 ないところへ自分を捨てるんですよ。簾繊という、坐禅悟り仏という標準に照らし合わせて、微に入り細を穿ちする、どこまで行ってもきりがないです。捨身施虎は、即ちそうやっている自分を捨てる。 単純な理屈ができない、法眼ようやったというわけです。参じ尽くして参じ飽きるんです、これが他になんの方法もないです、寒暖自知という、時に臨んで用う、田地優遊です、百花開くんです。まったく与え任せてしまう、糸の切れた凧です、三十年前の行脚もしかり、目の辺に眉がある、そいつに気がつかず他に向かって求めていたという感慨があります、もとっこおぎゃあと生まれてそのまんまなんですよ。 毫釐も差あれば天地はるかに隔たる。仏向上事なに遅すぎたっていうことないですから、ましてや早すぎたなんてことない。

 

第二十一則 雲巌掃地
衆に示して云く、迷悟をし聖凡を絶すれば多事無しと雖も、主賓を立て貴賤を分つことは別に是れ一家、材を量って職を授くることはち無きにあらず。同氣連枝、作麼生か會せん。擧す。雲巖掃地の次で、道吾云く、太區區生。巖云く、須らく知るべし、區區たらざる者あることを。吾云く、恁麼ならば則ち第二月ありや。巖、掃箒を提起して云く、這箇は是れ第幾月ぞ。吾便ち休し去る。玄沙云く、正に是れ第二月。雲門云く、奴は婢を見て殷勤。
頌云、借來聊爾了門頭、得用隨宜便休。象骨巖前弄蛇手、兒時做處老知羞。
頌に云く、借り來って聊爾として門頭を了ず、用ゆることを得て宜きに隨って便休す。象骨巖前蛇を弄するの手、兒の時の做處老いて羞を知るや。

衆に示して云く、迷悟を脱し聖凡を絶すれば多事無しと雖も、主賓を立て貴賎を分つことは別に是れ一家、材を量り職を授くることは即ち無きにあらず、同気連枝、作麼生んか会せん。 挙す、雲巌掃地の次いで、道吾云く、太区区生。巌云く、須らく知るべし、区区たらざる者有ることを。吾云く、恁麼ならば則ち第二月有りや。巌掃菷を提起して云く、這箇は是れ第幾月ぞ。吾便ち休し去る。玄沙云く正に是れ第二月。雲門云く、奴は婢を見て慇懃。
雲巌曇晟禅師、薬山惟儼の嗣、道吾円智は兄弟弟子。本当には知らん人を迷悟中の人という、迷いあれば悟りありです、君見ずや絶対学無為の閑道人、妄を除かず真を求めず、一般の人これができんのです、いいわるいを云い妄想を除こうとし、真実を求めようとする、実はそうしているそのものなんです。主賓を立て貴賎を分かつ、なぜにそうするか、時に応じて必要間に合えば、完全すればということです、ゼニが欲しいときはゼニ、飯が食いたいときは飯で、まるっきり後先なしです。だってすべてがそう成り立っている、のしつけりゃ面倒臭い、かったるいだけなんです。ただの日送りの、簡単明瞭ができない、でもってそれに苦しんでいる、そりゃ笑っちまうです。 焚くほどは風がもてくる落ち葉かな、裏を見せ表を見せて散る落ち葉。良寛さんの真似しろってんではないです、地震来たれば地震がよろしく、うわあ恐怖の地震と、はいこれっきりないんです。同気連枝、千字文にあり、孔だ懐ふ兄弟あり、気を同じゆうし枝を連らぬ。奴は婢をみて慇懃ですか。 雲巌庭を掃いていた、道吾それを見て太区区生、ごくろうさんですと云った。 巌云く、いいか、ごろうさんじゃない者の有ることを知れ。それっこっきりにやっているんですよ、ごくろうさんじゃない坐禅して下さい、まるっきり後先なし、忘我でも忘我でなくってもいいです、太区区生ではない日常があります。吾云く、そうであったら第二の月ありやなしや、円覚経にあるという、彼の病、目の空中の華と、および第二の月を見ると。空華眼華という、坐っていて惑わされるのはこれ、是非善悪そっくり風景になってうつろうほどに、実際ではない世間体です、もうないものを空想裏に描く、夢という流行語すなわちこれ、目を失い去ればよし、月という想像する月を見る、月を仰いで遠来の客を忘れる良寛さんに、第二の月ありや、即ち第二の月有りやと、成句になって聞いたんでしょう、雲巌ほうきをかかげて、これは第幾つの月だという。どうです、奴は婢を見て慇懃ですか。玄沙道吾の休し去るを見て、まさにこれ第二月といった。自分の抱え込んだ仏という月にしてやられるんです、雲門云く、即ち同病あい哀れむっていうんですか、はてなするとこっちも同病。
頌に云く、借り来たって聊爾として門頭を了ず。用ひ得て宜しきに随って便ち休す。象骨巌前、蛇を弄するの手、児の時做ふ処老いて羞を知るや。
聊爾かりそめ、掃地ということを借りて門頭、無眼耳鼻舌身意を六根門というそうで、かりそめにも了ず、つまり雲巌ほうきを提示してもって、道吾これを知る、用いえて宜しきに随い、無眼耳鼻舌身意なんにもなくなってしまう、本来のありようを見て休し去る、別段なんの事件も起こらんわけです。玄沙まさに第二月と云う、ことを起こしたかったわけです、象骨巌とは、雪峰山下にある岩、すなわち雪峰会下の玄沙と雲門です、南山に鼈鼻蛇ありのいきさつは、二十四則にあります、蛇を弄するの手、做さと読む、ならうんです、あのときは若かったというわけが、老いて恥を知るや、まあしかしなんにも起こらんけりゃこの則はなかったわけです。休し去るというからには、担いで帰るものあるように見える、雲云く奴は婢を見て慇懃ですか、でもってかつての騒々しい例を引く。 まあそんなこたいいです、無眼耳鼻舌意をたしかめて下さい、眼華をなんとかして下さい、 月は月花はむかしの花ながら見るもののものになりにけるかな 必ずこういうことあるんです。でもこれを認めておっては第二月。

第二十二則 巌頭拝喝
衆に示して云く、人は語を將って探り、水は杖を將って探る。撥草瞻風は尋常用ゆる底なり、忽然として箇の焦尾の大蟲を跳出せば又作麼生。擧す。巖頭、山に到り、門に跨って便ち問う、是れ凡か聖か。山、便ち喝す。頭、禮拜す。洞山聞いて云く、若し是れ豁公にあらずんば大いに承當し難からん。頭云く、洞山老漢、好惡を識らず。我れ當時一手擡一手捺。
頌云、挫來機、總權柄。事有必行之威、國有不犯之令。賓尚奉而主驕、君忌諌而臣佞。底意巖頭問山、一擡一捺看心行。
頌に云く、來機を挫しぎ、權柄を總ぶ。事に必行の威あり、國に不犯の令あり。賓、奉を尚んで主驕り、君、諌めを忌んで臣佞す。底の意ぞ巖頭、山に問う、一擡一捺、行心を看よ。

衆に示して云く、人は語を将って探り、水は杖を将って探る。撥草瞻風は、尋常用いる底なり。忽然として箇の焦尾の大虫を跳出せば又作麼生。 挙す、巌頭徳山に到り門に股がって便ち問ふ。是れ凡か是れ聖か。山便ち喝す。
頭礼拝す。洞山聞きて云く、若し是れ豁公にあらずんば大いに承当し難し。頭云く、洞山老漢好悪を識らず。我れ当時一手擡一手捺。 撥草瞻風という雲水修行をすべからく云うんですが、煩悩の草を撥ね菩提の風を瞻仰すとある、尋常用いる底とは、寝ても覚めてもです、何をしていたろうがこの事です、何をしてはいかんこうあるべきというより、かえって目茶苦茶の方がいい、煩悩を助長するもせんも、そんなふうでは届かない、転んでもただでは起きないふうの参禅ですか、人間いつだって未だしという、いつだって100%是という、ゆえに語をもって探り、杖をもって探るんです、叩かれ払拳棒喝とあって、はあてようやくですか、箇の焦尾の大虫とは虎です、虎は尾っぽを焼いて人間に化けると、こいつを忽然失うには、またまったく別です。 巌頭禅豁禅師、徳山の嗣、我今初めて鰲山成道の雪峰の兄弟子、くぐつまわしなど云われるんですが、そりゃなかなかしっかりしてます。徳山へやって来て門にまたがり、是れ凡か聖かと問う、虎の前にやって来た、かーつとこれはらわたさらけ出し、どん底からというんですが、虎という自分の形骸なんにもないやつがかつとやるんです、老師の喝で生臭雲水が単から跳び上がったな、障子がふるえる。これ聖か凡か、探竿影草かしゃらくさいか、さすがに巌頭礼拝し去る。洞山は洞山良价和尚でしょう、こりゃまた大物です、豁公は巌頭です、おまえさんでなけりゃとうてい肯がえんという、一喝あるべしといったんですか、超凡越聖の機、襟首とっつかまえて同病あい憐れむですか、いやあのときそんな余裕なぞなかった、一手擡はもたげる一手捺はおさえるです、是れ凡か聖かともたげ、礼拝しておさえ、徳山の喝とどうですか、そうです、もうこれっきりっていうところがいいんですが、どっかくぐつまわし。
頌に云く、来機を挫しぎ、権柄を総ぶ。事に必行の威あり。国に不犯の令あり。賓、奉を尚んで主驕り、君、諫めを忌んで臣佞ず。底んの意ぞ巌頭、徳山に問ふ。一擡一捺、心行を看よ。
意言に在ざれば来機亦おもむく、宝鏡三味にあります、その続きは、動ずればか臼をなし、差がえば顧佇に落つ、背触ともに非なり、大火聚の如し。とあります。 自分というものに首を突っ込むとこうなる、手を触れると大火傷ですか、どうしようああしようの参禅を終わりにせんけりゃ、来機またおもむくとは就中いかんです。せっかくのおのれ=来機に蓋をする、いちゃもんつけてしまっては、徳山虎口の門にまたがって、凡聖を問うも無理です。無理をそのまんまむうっとやってごらんなさい、徳山大喝もそよ風とほどに。必行の威もほうほけきょ、不犯の令も風力の所転。賓は洞山そりゃまあお客ですか、主は巌頭。君は徳山、臣は巌頭。どうですか巌頭親切、だれもが一目置く兄貴というわけで、是れ凡か是れ聖か、師は末期の一句を得たりとか、よくやるよっておもしろいんです。洞山の、もし豁公にあらずん ば承当し難しという、よく表われています。徳山渇して巌頭の立場失せたりって、もと立場のないのが仏です、学者仏教私は達磨実在の立場をとってという、すでに敗壊、仏教のぶの字もないんです。一擡一捺心行をみよと、蛇足するのもわかるような気がします、でもってわしは巌頭が大好きです、なぜかって好きなもんに理屈なし。

第二十三則 魯祖面壁
衆に示して云く、達磨九年呼んで壁觀と爲す、光三拜天機を漏泄す。如何が蹤を掃ひ跡を滅し去ることを得ん。擧す。魯凡その來るを見れば便ち面壁す。南泉聞いて云く、我れ尋常他に向って空劫以前に承當せよ。佛未だ出世せざる時に會取せよと道うすら。尚お一箇半箇を得ず。他恁麼ならば驢年にし去らん。
頌云、淡中有味有、妙超謂。綿綿若存兮象先、兀兀如愚兮道貴。玉雕文以喪淳、珠在淵而自媚。十分爽氣兮磨暑秋、一片閑雲兮遠分天水。
頌に云く、淡中に味有り、妙に謂を超う。綿綿存するが若くにして象の先なり、兀兀として愚の如くにして道貴し。玉、文を雕って以て淳を喪し、珠、淵に在って自から媚ぶ。十分の爽氣うして暑秋を磨し、一片の閑雲遠く天水を分つ。

衆に示して云く、達磨九年、呼んで壁観と為す。神光三拝、天機を漏泄す。如何が蹤を掃ひ、跡を滅し去ることを得ん。 挙す、魯祖凡そ僧の来たるを見れば便ち面壁す。南泉聞きて云く、我れ尋常他に向かって、空劫以前に承当せよ、仏未だ出世せざる時に会取せよと道ふすら、尚ほ一箇半箇を得ず。他恁麼ならば驢年にし去らん。
菩提達磨大和尚壁観婆羅門という面壁九年、神光慧可腕を切って差し出して、天機を漏泄す、ようやくこの法が伝わった。如何が蹤をはらい、跡を滅し去ることをえん、天機です、もと備わったものが完全に現れる、個性とか信仰などいう都合便利の品ではない。祖師西来意これを伝えるに、命幾つあっても足りんほどの鳴物入りですか、とうてい忘れることはできんというのです。そうです、まったく忘れ去って初めて庭前の柏樹子です、真似して坐ったってどうにもほど遠いんです。だがこやつ平成のわしが辺までちゃーんと伝わっている、如何が跡を滅し去ることを得ん、人間失せたろうが地球分解しようが、大法はちゃーんとあるんです、すでに中にある無門関。 ついには仏法のぶの字を払拭しないことには、これが見えんです。 魯祖実雲禅師、馬祖道一の嗣、おうよそ僧の来るのを見れば面壁す、南泉これを聞いて、わしは世の常他に向かって、空劫以前に参ぜよ、ビッグバンなぞ汚い手つける以前に承当です、仏未だ出世せざる時に会取せよといって、なを一人半分も仏にゃならん、もしそんなふうなら驢年にも、ろばの年なんてないです、得ること能はずと云った。わかりますかこれ、どう説こうがなにしようが、とっつきはっつきする、匙投げたろうが諦めない、さあこやつをどうする。 香巌一を聞けば十を知る明敏です、何を云ったろうが答えがある、これなんにもならん、師匠が、父母未生以前のおまえさんの眉毛如何と聞いた、さあわからなくなった。空劫以前です、香巌これしきわからんでは、とうてい坊主になってはおれんといって、じいごです、寺男になって庭を掃いておった。毎日毎日掃いていた、あるとき掃いた石が竹に当たってかんと音を立てた、これによって省悟するんです。大丈夫畢生事と選んだ僧を捨てる、命を捨てると同じです、腕一本切って差し出すとほどに。そうして庭を掃く、掃くきりになって忘我です、爆竹の機縁によって、はあっと一念起こる、父母未生以前の眉毛があるんです。 何をもってこれを示す、実に単純な理屈をどうにもこうにもです、師弟同じく刀折れ矢尽きるんです、空劫以前承当と魯祖面壁とどう違いますか、誉めてるんですか、けなしてるんですか、取り付く島もないのはどっちですか、えい人のことなど云ってられんは、一箇半箇なんとかならんか。
頌に云く、淡中に味有り、妙に情謂を超ゆ。綿綿として存するが如くにして、象の先なり。兀兀として愚の如くにして、道貴とし。玉は文を雕って以て淳を喪し、珠は淵に在って自ずから媚ぶ。十分の爽気、清く暑秋を磨し、一片の閑雲、遠く天水を分つ。
坐って得られるところのものです、虚空に捨て去る自分です、失われ淋しい、なんにもなくなってしまうじゃないかという、それを一歩も二歩も推し進めるんです、ついに失せる、淡中に味ありです、情識を超えて微妙です。大死一番大活現成とはいったん死んだら蘇らないんです、宇宙ものみなとこうある、喜びは自ずから、親切他なし、かくの如く相続して、象かたちの先です。兀兀として愚の如く、道を専一です。 文選第十七陸機の賦に日く、石、玉を蘊んで以て山輝きあり、水、珠を懐いて川媚ぶ、とあり、まあそのとおり味わっておきゃいいです、そりゃ自ずから現れます。たとい魯祖面壁も世間一般とは断然違うです。美しいというと思い出すのは、老師の真っ白いひげでした、すぐ剃ってしまわれるんですが、清々この上なし、見る人洗われるようであったです。十分の爽気清く暑秋を磨し、銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵すとある、一片の閑雲遠く天水を分つ、混ずる時んば所を知るんです。なんだかんだ云ってないんですよ、早くぶち抜いて、人々みな本地風光です。

第二十四則 雪峰看蛇
衆に示して云く、東海の鯉魚、南山の鼈鼻、普化の驢鳴、湖の犬吠、常塗に墮せず異類に行かず。且く道え是れ什麼人の行履の處ぞ。擧す。雪峰、衆に示して云く、南山に一條の鼈鼻蛇あり、汝等人切に須らく好看すべし。長慶云く、今日堂中大に人有って喪身失命す。、玄沙に擧似す。沙云く、須らく是れ我が稜兄にして始めて得べし、然も是くの如くなりと雖も我れはち不恁麼。云く、和尚作麼生。沙云く、南山を用いて作麼にかせん。雲門、杖を以て峰の面前に向して怕るる勢を作す。
頌云、玄沙大剛、長慶少勇。南山鼈鼻死無用。風雲際會頭角生、果見韶陽下手弄。下手弄、激電光中看變動。在我也能遣能呼、於彼也有擒有縱。底事如今付阿誰、冷口傷人不知痛。
頌に云く、玄沙は大剛、長慶は勇少し。南山の鼈鼻死して用なし。風雲際會頭角生ず、果して見る韶陽手を下して弄することを。手を下して弄す、激電光中變動を看よ。我れに在るや、能く遣り能く呼ぶ、彼れに於てや擒あり縱あり。底事ぞ如今阿誰にか付す、冷口人を傷れども痛みを知らず。

衆に示して云く、東海の鯉魚、南山の鼈鼻、普化の驢鳴、子湖の犬吠、常塗に堕せず異類に行かず、且らく道へ是れ什麼人の行履の処ぞ。 挙す、雪峰衆に示して云く、南山に一条の鼈鼻蛇有り、汝等諸人切に須らく好く看すべし。長慶云く、今日堂中大いに人有りて喪身失命す。僧玄沙に挙似す。沙云く、是れ我が稜兄にして始めて得べし、是の如くと雖も我は即ち不恁麼。僧云く、和尚作麼生。沙云く、南山を用いて作麼かせん。雲門、柱杖を以って峰の面前に竄向して怕るる勢いを作す。
雪峰義存禅師は青原下第五世徳山宣鑑の嗣、長慶玄沙雲門はその会下、東海の鯉魚打つこと一棒すれば、雨、盆の如くに似たり、雲門の語、六十一則にあり。普化驢鳴は、臨済会下、普化飯を喫するに、臨済云く、這の漢大いに一頭の驢に似たり。 普化即ち驢鳴をなす。この則南山鼈鼻とよく似ています。子湖犬吠は、子湖利蹤禅師門下に示すのに、子湖に一双の狗あり、上、人の頭を取り、中、人の心を取り、下、人の足を取り、擬議すれば、喪身失命すと。いずれも仏法がなんのという、常識情堕をぶちやぶって、さあどうだというんです、応じてもって本来事を知る、あるいは安閑としているそいつをさらけ出す、ものはみな一目瞭然です。でたらめじゃないんです、異類、人類にあらざる驢犬、蛇足ながら、世にいう禅問答など、そんな別格あるわけもないんです、あるとすりゃぎりぎり親切です。 雪峰衆に示して云く、南山に鼈鼻蛇あり、赤い斑点のある猛烈な毒蛇です、南山というて特定のもんじゃない、南宗南無阿弥陀仏の南ですか、どっかあったかいんでしょう、すべてをもってする大乗のあかしですか、そうですあなたです。鼈鼻蛇があったらどうしますか、長慶云く、そんなもんどうってこたないっていうんです、とっくにみんな喪身失命、はい仰せの通りっていうんですか、今更云はんかなっていうんですか、とにかく響きのあるのを味わって下さい、それをまた聞きして玄沙、南山を用いて何かせんという、喪身失命という、まだそいつを眺めているやつがいた、それをぶち破ったんです、死体のかけらもないよってわけです。でもまだ どっか残ってますか、雲門杖をそこへ投げ出して、うわあこわいやる。異類と同じなんて云ってはいけない、なんせ人間さまのやるこってす、どれほどの卒業、坐り抜いてのちのこってす、まずは坐るということを知って下さい、喪身失命もいい、南山失せるもいい、そうしてまったくの自由を得て下さい、どうですか、これをしも若気の至りっていう、オッホ微笑ましいってこってす。
頌に云く、玄沙は大剛、長慶は勇少なし。南山の鼈鼻死して用無し、風雲際会頭角生ず。果して見る韶陽手を下して弄することを。手を下して弄す、激電光中変動を見よ。我れに在るや能く遺り能く呼ぶ。彼に於けるや擒あり縱あり。底事ぞ如今阿誰にか付するや。冷口人を傷れども痛みを知らず。
これはまた韶陽大師、雲門のことです、柄にもなく誉めちぎっています、よく出来したてなもんですか。玄沙は大剛という、独立独歩の気構えです、だれしもどこかに残っている、自分を撫でる可愛がることを辞めるんです、けっこうこれ難しいんですよ。今の世おんば日傘とむかしいった、猫可愛がり=人格ですか、まずもってそりゃ、これを抜け切らんけりゃ仏法じゃないです。砂糖漬け人格なんてもな、世の中破壊する方向にしか向かわない。早晩日本は滅びるですか、人類滅びたろうが、蚊食うほどもないってほどの大剛、始めてこれに当たるんです。長慶勇少なしとは、自ずから知れるところですが、いま一歩も二歩も捨て去る、死ぬ思いせにゃだめです。南山の鼈鼻蛇死して用無し、自我という獰猛が死に絶えるんです、死に絶えたといって見つめているんじゃないんです。参ずるにはこれに参ずる、キイポイントですよ。そうですどこまで行ってもです、ようやく自由の分を得て、風雲再会頭骨を生ず、そりゃよかろうが悪かろうがです。就中雲門の如きは、電光石花、云い分じゃない、通身もて投げ出す、よくやるよって、かーつなんてもんじゃない。学人、相手にとっちゃ揺さぶられ突き放され、なんにも残らんて、わっはっは本文のまんまにしときゃよかった。百歩遅いのはそりゃ万松老人も同じですか。底事如今阿誰に付するや、くわーっと感嘆の声を上げるんです、冷口人をやぶれども痛みを知らず、ぜんたい持って行かれた。どうですか、たとい現代人というあなた、どっこかでこういうの聞いたことありますか、情けない淋しい、傷つけるほか毒にも薬にもならんのでしょう。つまらんです。

第二十五則 塩官犀扇
衆に示して云く、刹海涯り無きも當處を離れず、塵劫前の事盡く而今に在り。試みに伊をして覿面に相呈せしむれば、便ち風に當って拈出することを解せず。且く道え過什麼れの處にか在る。擧す。鹽官一日侍者を喚ぶ。我が與めに犀牛の扇子を過し來れ。者云く、扇子破れぬ。官云く、扇子に破れなば我れに犀牛兒を還し來たれ。者對うる無し。資、一圓相を畫いて中に於いて一の牛の字を書す。
頌云、扇子破索犀牛、捲攣中字有來由。誰知桂轂千年魄、妙作通明一點秋。
頌に云く、扇子破れば犀牛を索む、捲攣中の字に來由あり。誰か知らん桂轂千年の魄、妙に通明一點の秋と作らんとは。

衆に示して云く、刹海涯無きも当処を離れず、塵劫前の事、尽く而今にあり。 試みに伊をして覿面に相呈せしむれば、便ち風に当たって拈出することを解せず。且らく 道へ過什麼の処にか在る。 挙す、塩官一日侍者を喚ぶ、我が為に犀牛の扇子を過ごし来たれ。者云く、扇子破れぬ。官云く、扇子既に破れなば我れに犀牛児を還し来たれ。者対無し。資福一円相を描きて、中に於て一の牛の字を書く。
塩官斎安禅師、馬祖道一の嗣、資福如宝禅師は仰山二世の嗣、刹はお寺に使ったりしますが、もとは国土の意の梵語、塵劫塵点久遠劫永遠の時、世間一般ものみなを含む、はてもないんですけれど、いつだってこの事の他なしです。塵劫前だろうがたった今。なに禅問答だ仏教のこっちゃないです、私どもの一挙手一投足もとっからそうできているってこってす。塩官和尚一日、侍者に犀牛の扇子を持って来いと云った、水牛の骨でできた扇子ですか、そいつは破れちまったと侍者がいった、じゃその骨持って来い、犀牛児は骨をいうらしいんですが、風に当たって、もとっから風ですか、むうとばかり黙っちまう、資福が出て、円を描いて中に牛の字を書いたというんです。こんなの臨済門下大好きで、所作とかなんとかやるんですが、自分どうもなら ん、自救不了ではなんにもならんです。塩官ぶんなぐるか、払子を使うには、幸い資福はそんな玉じゃなかった。過いずれにかある、大切なことを忘れちまってはだめです、禅を習う、あっちもこっちも、毒にも薬にもならんの多いですが、この侍者の爪の垢でも煎じて呑めばいいです、どこまで行ったって覿面です、まっすぐ真正面の他ないです、世間にひけらかすんではない、ひけらかす世間を失う。死ぬとは自分を失う、淋しく切なく、まったくなんにもならんのへ、参じて下さい。許すのは自分が許すんじゃないんです、なんにもないものが許すっていえば許すんですよ、こっちからじゃない。
頌に云く、扇子破るれば犀牛を索む。捲攣中の来由あり。誰れか知らん桂穀千年の魄、妙に通明一点の秋と作らんとは。
捲は木の丸盆、攣は手足の曲がること、円相にあてる、桂穀は円かな月、魄は月の輪郭光なきところを魄と名ずくと、月の朔。扇子破れて犀牛を求めるという、自分ぺっちゃんこになったら、残っているものがありますか、たいていあるんです、ではそれをどうする、手を付けなけりゃそれっきり。人間生涯玉に疵みたいとこあります、これを救うという、糊塗するんじゃない、さらけ出して牢獄に入るか、だったら疵失せるか、あるいはこれが大問題です、人いつの世だって同じです、いいかげんにしたらいいかげんにしかならん、対決して真正面です、罪を求めるに罪なし、空っけつになったら外と同じです。我というものを去る以外にない、実に我というかつては鼈鼻蛇であったこれなんぞ。円相を描いて牛の字を書きますか、そんなおまじないじゃどうもこうもならんていう、さらに全提のあるあり、正令全提牛ですか、牛であってもいい忘れ去るんですか。すると月のまわりは千年魄、あるいは却来して看ずるに、通明一点の秋ですか。さあ各正に以ておのれの円相を描いて下さい、どっか臨済坊主の掛け軸じゃない、そんなふざけたもんじゃないのです。

 

第二十六則 仰山指雪
衆に示して云く、冰霜一色雪月光を交う、法身を凍し漁父を損す。還って賞玩に堪えんや也た無や。擧す。仰山、雪師子を指して云く、還って此の色を過ぎ得る者有りや。雲門云く、當時便ち與めに推到せん。雪竇云く、只推到を解して扶起を解せず。
頌云、一倒一起雪庭師子、愼於犯而懷仁、勇於爲而見義。光照眼似迷家、明白轉身還墮位。衲家了無寄。同死同生何此何彼。暖信破梅兮春到寒枝、凉飆葉兮秋澄潦水。
頌に云く、一倒一起雪庭の師子、犯すことを愼んで仁を懷き、爲すに勇んで義を見る。光眼を照すも家に迷うに似たり、明白、身を轉ずるも還って位に墮す。衲家了に寄ること無し。同死同生何れをか此れとし何れをか彼れとせん。暖信梅を破って春寒枝に到り、凉飆葉をして秋潦水を澄ましむ。

衆に示して云く、冰霜色を一にして雪月光を交ふ、法身を凍殺し漁夫を清損す、還って賞玩に堪ゆるや也た無しや。 挙す、仰山、雪獅子を指して云く、還って此の色を過ぎ得る者有りや。雲門云く、当時便ち与めに推倒せん。雪竇云く、只だ推倒を解して扶起を解せず。
清廉の屈原を法身とすれば、清濁時に応ずる漁夫は応身の立場という。屈原は唐の詩人、冰は氷です霜と一色、雪と月光という、どうですか、風景のごとくに心事ありですか、思想観念を絶したさまですか。たしかに自分という一切を空ずる、そりゃ色あり形ありするんですが、大小色彩を絶したものがあります。どっちが大きいどっちが小さい、黒いか白いかと問われて、答えが出ない、知らないというんです。法身という目標もなく清濁という種々雑多もないんです。かえって賞玩に堪えるや否やというところが面白いんです、世間とは観念思想をもってするんですか、雪舟の水墨画も紙と墨を必要とする。とらわれないということあってこれを用いる。色即是空か ら空即是色です。だからどうだといってつっぱらかるんですか、いえ時によってどうだとやり得るんです。 仰山きょうさん慧寂禅師はい山霊祐の嗣、雪獅子は雪達磨です、指さしてこの色に過ぎるものありやと示す、これによって悟るものもあれば迷うものもあります。 でも平地に乱を起こすという、一波乱起こさなければそりゃあだめです。でたらめ思いつきじゃない、実にこれに過ぎたる色ありやです。白が明白っていうんじゃないんですよ、知識思想の及ばぬところです、人々看よという。これを聞いて雲門がそん時いりゃ雪達磨蹴倒したものをと云った。雪竇せっちょう重顯禅師は雲門三世智門光祚の嗣、碧巌録百則を著わす。云く、ただ推し倒すことを解して、扶け起こすことを知らんと云った、まあそういうこってすか。これがちんぷんかんぷんの人は無縁の人、舌を巻く人は向上の人、雪竇をぶんなぐる底は、さて何人。
頌に云く、一倒一起雪庭の獅子。犯すことを慎んで仁を懐き、為すに勇んで義を見る。清光眼を照らすも家に迷ふに似たり、明白、身を転ずるも還って位に堕す。
衲僧家了いに寄ること無し。同死同生何れをか此とし何れをか彼とせん。暖信梅を破って、春、寒枝に到り、涼飃葉を脱して、秋、潦水を澄ましむ。 これしきのことにずいぶんご丁寧な頌は恐れ入る、犯すことを慎むとは、雪竇扶け起こすを云い、為すに勇んでは雲門推し倒すを云う、別段仁義のこっちゃないんですが、大死一番して大活現成の伝家の宝刀に譬えた。清光眼を照らすも家に迷うに似たり、坐っていて思い当たることないですか、すべてを尽くして肉は悲しというのは西欧の詩人ですが、どっかお釣りが来る、垢取りせんけりゃならんという感想です。明白身を転ずるもかえって位に堕すの、虚々実々です。どっちがどうこうすべきだの問題ではない、問題ありながら卒業するんですか。完全とは何か、すでに始めっからこのとおり、生まれるから変わらないんです、坐禅をする前と終わった今と同じ、坐禅遍歴もまた同じ、さっぱり進歩も取り柄もなし、さてどうしますか。同死同生いずれを此としいずれを彼とす、これに参ずるにいいですよ、事は簡単明瞭。 暖信せっかく梅が咲いたのに、寒気襲い、紅葉をひるがえして、寒風潦水水たまりを澄ましむる、はーいどっからどこまで繰り返して下さい、とほほうんざりってのいいですよ、彼岸にわたる法のかい、かいは同じことの繰り返し、吐く息吸う息。 去って下さい。

第二十七則 法眼指簾
衆に示して云く、師多ければ脈亂れ、法出でて姦生ず。無病に病を醫するは以て傷慈なりと雖も、條有れば條を攀づ。何ぞ擧話を妨げん。擧す。法眼、手を以て簾を指す。時に二あり、同じく去って簾を捲く。眼云く、一得一失。
頌云、松直棘曲、鶴長鳧短。羲皇世人、倶忘治亂。其安也潛龍在淵、其逸也翔鳥絆。無何禰西來。裡許得失相半。蓬隨風而轉空、截流而到岸。箇中靈利衲、看取涼手段。
頌に云く、松は直く棘は曲り、鶴は長く鳧は短し。羲皇世の人、倶に治亂を忘る。其の安や潛龍淵に在り、其の逸や翔鳥絆をす。何んともすること無し、禰西來す。裡許得失相い半ばす。蓬は風に隨って空に轉じ、は流を截って岸に到る。箇の中靈利の衲、涼の手段を看取せよ。

衆に示して云く、師多ければ脈乱れ、法出でて姦生ず。無病に病を医やすは以て傷慈なりと雖も、条有れば条を攀ず、何ぞ挙話を妨げん。 挙す、法眼手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去って簾を巻く。眼云く、一得一失。
師とは医師のこと、医者多くして脈乱れとは世の中まずはそういうこと、法出でて姦生じ、法律です、法無ければ姦なしという、どうですか姦とは姦通罪外みなです、法無ければ姦ないんでしょう、かえりみて下さい。これはまあ法眼指簾について、とやこう云いたくなるところを喝したんですか。法眼宗の祖清涼文益禅師は地蔵桂しんの嗣、不知もっとも親切と云われて大悟する因縁は前出。簾すだれを指さした、二人の僧が立って行って、すだれを巻く、これを見て一得一失と云った、無病に病をいやすは傷慈、老婆親切ですか、なんで一得一失なんだ、それはA坊主ができていて、B坊主がいまだしだからだ、あるいはせっかく涼風を入れようとしたのに、一得一失があった、まがきの外を示すのに、条令条あれば条をよずんですか、かれこれ云い分があるのを、一得一失、まるっきり取っ払うんですよ。しゃば世界ひっかかりふわっと消えて、そうかあというんです、うわっと世界ぜんたいです、無所得です、自分という取りえ失せるのを体現して下さい、でなければ法眼せっかくの親切が、なんにもならんです、ハイ。
頌に云く、松は直く棘は曲がれり、鶴は長く鳩は短し。羲皇世の人倶に治乱を忘る。
其の安きや潜龍淵に在り、其の逸するや翔鳥絆を脱す。祖ねい西来して、何んともすること無し。裏許得失相ひ半ばす。蓬は風に随って空に転じ、紅は流れを裁って岸に到る。箇の中霊利の衲僧、清涼の手段を看取せよ。 松直棘曲鶴長鳩短、一長一短これはこの通りなんですが、楞厳経にこうあるそうです、松は直く棘は曲がり、鶴は白く烏は玄し、荘子にまたあり、長者は余り有りとせず、短者は足らずとせず、是故に鳩の脛は短しと雖も之を続ぐときは即ち憂ふ、鶴の脛は長しと雖も之を断つときは即ち悲しむと、なんだかちんぷんかんぷんです。 羲皇は中国伝説の理想王三皇五帝です、人みな治乱を忘れるとほどに、治世が行き渡っておった、常この目の当たりの世の中ですよ。これをなんとかしよう、我と我が身を如何せんといって、仏門を叩く、生老病死苦を如何せんという、その逸するや翔鳥群れを脱するんですか、なんにもせなけりゃ潜龍淵にあるんですか、祖ねいのねいは示すへんに爾、親廟のこと、即ち祖師西来意と同じ、せっかく達磨さんがやって来たって、如何んともすること無し。どうですか、世間しゃばとして考えて、二通りありますか。なにも変わらんという、無老死亦無老死尽、無無明亦無無明尽、却来して世間を看ずれば、なを夢中の事の如しですか。よもぎというか草の穂は風にしたがって空に転じ、紅は流れに落ちても鮮明に岸に到る、一得一失まさにこれ。裏許は中国のこと、なんせ中国以外ないんだからさ、得失あい半ばすとはだれのこれ感 慨ですか。霊は幽霊というどっちも形容詞で、微妙幽玄というのは、自分失せてものみな現ずるありさまです、そうなった人はさあどうしますというんです。どうか答えを出して下さい。

第二十八則 護国三麼
衆に示して云く、寸絲を挂けざる底の人、正に是れ裸形外道。粒米を嚼まざる底の漢、斷めて焦面の鬼王に歸す。直饒聖處に生を受くるも未だ竿頭の險墮を免れず、還って羞を掩う處有り麼。擧す。、護國に問う、鶴枯松に立つ時如何。國云く、地下底一場の。云く、滴水滴凍の時如何。國云く、日出でて一場の。云く、會昌沙汰の時、護法善甚麼の處に向って去るや。國云く、三門頭の兩箇、一場の。
頌云、壯士稜稜鬢未秋、男兒不憤不封侯。思白傳家客、洗耳溪頭不飮牛。
頌に云く、壯士稜稜として鬢未だ秋ならず、男兒憤せずんば侯に封ぜられず。って思う白傳家の客、耳を洗う溪頭牛に飮わす。

衆に示して云く、寸糸を挂けざる底の人、正に是れ裸形外道。粒米を嚼まざる底の漢、断めて焦面の鬼王に帰す。直饒い、聖処に生を受くるも未だ竿頭の険堕を免れず、還って羞を掩ふ処有りや。 挙す、僧、護国に問ふ、鶴枯松に立つ時如何。国云く、地下底一場の麼羅。僧云く、滴水滴凍の時如何。国云く、日出て後一場の麼羅。僧云く、会昌沙汰の時護法善神甚麼れの処に去るや。国云く、山門頭の両箇一場の麼羅。
雲門云く、終日著衣喫飯して未だ嘗て一粒に触れず一縷の糸を挂けず。とあってこれを取る。一糸もまとわずじゃそりゃすっ裸の外道、一粒も噛むことなければ、焦面の鬼王は餓鬼道の王のこと、そりゃ餓鬼道に墜ちるというんです。じゃなぜ雲門大師ともあろうものがって、一糸もつけず一粒も嚼まず、清々この上なしの不染那ですか、なにだれあって日常正にこれ是の如くなんですよ。顧みて下さい。
でもってこう云ったとたんに一場の麼羅ですか。麼はりっしんがつく、梵語そのまんまの恥という、麼羅恥さらしです。たとい聖人君子というより、聖処とは実に仏です、自分というよこしまを与う限りに去るが故にです、たといそうあったとて、百尺竿頭にあって、墜落の危険を免れぬ。高い木に登って、手を放せ足を放せ、しまい口でかじりついているところへ、下に人が通って大法を問ふ、さあどうするという公案があります、これ仏、いえ平地に乱を起こすんですか、どうやったら恥を蔽うことができるかとは、こりゃご挨拶。 護国院守澄浄果禅師は洞山下疎山光仁の嗣、僧云く、枯松に鶴の立つとき如何、世法を去って仏法に就く、すべてを尽くし終わって枯松龍吟、そりゃそういうときがあるんです。どうだというんです。護国云く、地下底一場の麼羅、カリカチュアで云えば共産主義のキムジョンイルですか、笑われちまうか、なに人間のやるこたみな同じです、人間機械別様には動かん。そりゃ無理だよっていうんです、つまりいまだ去ってはいない。世法の延長、恥さらしがあるんでしょう。 僧云く、滴水滴凍の時如何、一滴すりゃ凍るっていうんです、他なしと云いたかったんでしょう、そりゃここまで尽くすは大変です。護国云く、日出でて後一場の麼羅、こいつが一番よくできてます。目に浮かぶようなのがいいってほどに、感嘆させられる。 会昌沙汰というのは、唐の会昌五年武宗が僧尼二十六万五百人に沙汰して、還俗せしめたという法難です。そのとき護法善神、仏法をまもる神様、一ならず何種もあって、お経にも読んでいるっていうのにどうしたってわけです。護国云く、山門頭の両箇、仁王さんです、一場の麼羅、こいつは冗談口みたいで笑っちゃうんですが、仁王そのものが麼羅、ユーモアなんぞでないところを如実に味わって下さい。 はあてこう云うさへに一場の麼羅。禅坊主口はばったいんですか、いえだれよりも恥を知るんです、鍛えるってことないんですよ、一般は間違ってます。
頌に云く、壮士稜稜として鬢未だ秋ならず、男児憤せざれば侯に封ぜられず。翻って思ふ清白伝家の客、耳を洗ふ渓頭牛に飲はず。
清白伝家の客、耳を洗う云々、ともに清廉潔白この上なしという、中国古代のいいつたえ。なにがし九州の長に登用されるのを断って、汚れだといって川で耳を洗っていた。牛をひく男が聞いて、やたいしたもんだといったら、そんなんじゃつまらんもっと名を馳せてという、男は川の上流に行って牛に水を飼う。壮士は青年男子、稜は勢い鋭きさま、鬢がまだ白くならない、不惜身命、時には死に物狂いにこれを求める。そりゃそうです、仏の示すどうしてもこれが欲しいと思う、口当たりも悪ければ、取っ付きにくいなんてもんじゃない、流行りすたりの殺し文句や、いいことしいの信仰の類じゃないんです。本当本来を知る、就中もってのほか。思量分別の他です。壮士稜稜として、ついにかくのごとくの無心、無眼耳鼻舌身意ですか、死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよき枯松に立つ鶴ですか、思いのままになりそうで、地下一場の麼羅、君見ずや絶学無為の閑道人、妄を除かず真を求めず、本来本当のまっただなかに気がつく、これがどうしようもこうしようも、滴水滴凍の時如何、日出でて一場の麼羅。男児 奮発、憤ぜざれば侯に列せずですよ、さあもう一歩、百尺竿頭しがみつくところを放して下さい。死ぬよりないんです、そうですよすべて同じ方向です、捨てて捨てて捨て切るほかない、それたとい清廉潔白も遊んでるようなものなんです、どんともう一発。

第二十九則 風穴鉄牛
衆に示して云く、遲棊鈍行、斧柯を爛却す。眼轉じ頭迷い、杓柄を奪い將ゆ。若し也た鬼窟裏に打在し、死蛇頭を把定せば還って變豹の分あらんや也た無しや。擧す。風穴郢州の衙内に在って上堂して云く、師の心印状鐵牛の機に似たり。去ればち印住し、住すればち印破す。只去らず住せざるが如きは印するがち是か、印せざるがち是か。時に盧陂長老あり、出でて問うて云く、某甲鐵牛の機あり、う師、印を搭せざれ。穴云く、鯨鯢の巨浸に澄ましむるに慣れて却って嗟す蛙歩の泥沙にすることを。陂、佇思す。穴、喝して云く、長老何ぞ進語せざる。陂、擬議す。穴、打つこと一拂子して云く、却って話頭を記得すや試みに擧せよ看ん。陂、口を開かんと擬す。穴、又打つこと一拂子す。牧主云く、佛法と王法と一般なり。穴云く、箇の什麼をか見る。牧云く、當に斷ずべきに斷ぜざれば返って其の亂を招く。穴便ち下座。
頌云、鐵牛之機、印住印破。透出毘盧頂行、却來化佛舌頭坐。風穴當衡、盧陂負墮。棒頭喝下、電光石火。歴歴分明珠在盤。起眉毛還蹉過。
頌に云く、鐵牛の機、印住印破。毘盧頂を透出して行き、化佛舌頭に却來して坐す。風穴衡に當って、盧陂負墮す。棒頭喝下、電光石火。歴歴分明珠盤に在り。眉毛を起すれば還って蹉過す。

衆に示して云く、遅基鈍行は斧柄を爛却す。眼転じ頭迷ひ、杓柄を奪ひ将ゆ。 若し也た鬼窟裏に打在し、死蛇頭を把定せば、還って変貌の分あらんや也た無しや。 挙す、風穴郢州の衙内に在って上堂に云く、祖師の心印状ち鉄牛の機に似たり。
去れば即ち印住し、住すれば即ち印破す。只だ去らず住せざるが如きは即ち印するが是か印せざるが即ち是か。時に盧陂長老有り出でて問ふて云く、某甲鉄牛の機有り、請ふ和尚印を塔せざれ。穴云く、鯨鯢を釣って巨浸を澄ましむるに慣れて、却って嗟す蛙歩の泥砂に輾することを。陂佇思す。穴喝して云く、長老何ぞ進語せざる。陂擬議す。穴打つこと一払子して云く、還って話頭を記得するや試みに挙せよ看ん。陂口を開かんと擬す。穴又打つこと一払子。牧主云く、仏法と王法と一般。穴云く、箇の什麼をか見る。牧云く、当に断ずべきに断ぜざれば返って其の乱を招く。穴便ち下坐。 遅基鈍行、なめくじの頭もたげ行く意志久し、まあどっちかというとわしもその類ですが、斧柄を爛却すとは、中国故事にある碁を打っていたら斧の柄が腐ったという、百年もたっていたなと。頭迷うとはえんにゃだったが自分はどこへ行った、頭がないといって騒ぐ、お釈迦さまがぽんとその頭を打って落着。えんにゃだったは女人です、わしの弟子みなで野球をしていたら、バットを持ったまま、ない、おれはどこへ行ったと歩き回るのがいた、印するに近いんですよ、身心失せてまるっきりないのを承認できないでいる、ぽんと落着すればよし。どうですかこれ、去れば即ち印住し、住すれば即ち印破す。放れるとあり、ましんに行けば破れるとは、そりゃつまら んです、去らず住せざるが如きは印するが是か、印せざるが是かという、こりゃ人が悪いんですよ。はてなあと思わせ振り、それをしも印下欲しいと云い出で、盧陂長老なかなかのもんです。三拝してハイヨって手出せばいいんですよ、ぶん殴られようがかすっともかすらない。 風穴延沼禅師は臨済下四世、南印の宝応慧順に継ぐ、郢州は楚の都があった、衙は役所、牧主は長官です、それがし鉄牛の機あり、請う師印を塔せざれ。印下してくれという、鉄牛の機なんてわしは知らんです、ぶっくり沈んじゃうよ。風穴云く鯨を釣って大海を澄ましむるに慣れて、かえって蛙の歩く水たまりにずっこけるを嗟す、気にかけているぞというんです。長老佇思す、穴渇してなんぞ進語せん、待っているんですよ、長老再び思いまどう、払子にうって、さあ云ってみろ見ようという、口を開こうとして打たれ。牧主云く、仏法と王法と同じだ、ほうなんでかな、断ずるとき断ぜざればその乱を招くと。すなわち穴下座。 どうですか鬼窟裏に、そんでもいやとかやるんですよ、死蛇頭、理屈はこうだからやるんです、そのどっちかです、どんと一歩出てください。かえりみるに我なしです。重々わかっているのになぜ、断ずるとき断ぜねば乱を招くんです。心配ですか、乱なぞ百万回も招いてください、どうにもこうにもそんなのなくなっちゃうんですよ、風穴くだらんこと云ったら、頭ぶんなぐっちまうです。
頌に云く、鉄牛之機、印住印破。毘盧頂ねいを透出して行き、化仏舌頭に却来して坐す。風穴衡に当たって、盧陂負堕す。棒頭喝下、電光石火、歴歴分明珠盤に在り、眉毛を貶起すれば還って磋過す。
毘盧頂ねい、毘盧舎那仏の頭の上、大仏さまの頭上ですか、ねい寧に頁、法身応身というんですが、化仏舌頭に却来きゃらいするという、年回回向にあります、却来して世間を観ずれば、猶夢中の事の如し。どうですか、いったん死んでしまって世間を振り返るんです、するとどうなる、自分という夢中の喜び、毀誉褒貶に預からぬ、いえたとい預かろうともさらりさらりとこうあるんです。向上向下他なしです。鉄牛の機という人の動かしがたいものがあります、印住印破という、噂にはよらんのです。 さあみなさん、事は単純です、早くもって本来の自由を得てください。 いえさ健康にもいいですよ、十も二十も若返って長生きすること請け合い。人におもねるようなことやっていて、うさんくさい人生送らんのです、実際であり平らかに本来です。 衡は権衡ではかりだま、自ら秤定の任に当たる風穴、負堕は、首を斬り臂を切って不敏を謝すことだそうです、くわーっと来たら、電光石火棒喝と行ずりゃいい、歴歴分明なんの隠れもないんです、眉毛をさっきするだにかえって過まつ。

第三十則 大随劫火
衆に示して云く、の對待を絶して兩頭を坐斷す。疑團を打破するに那ぞ一句を消いん。長安寸歩を離れず、太山只重さ三斤。且く道え甚麼の令に據ってか敢えて恁麼に道うや。擧す。、大隨に問う、劫火洞然として大千倶に壞す、未審這箇壞か不壞か。隨云く、壞。云く、恁麼ならば則ち他に隨い去るや。隨云く、他に隨い去る。、龍濟に問う、劫火洞然として大千倶に壞す、未審這箇壞か不壞か。濟云く、不壞。云く、甚と爲てか不壞なる。濟云く、大千に同じきが爲なり。
頌云、壞不壞、隨他去也大千界。句裏了無鉤鎖機。脚頭多被葛藤礙。會不會、分明底事丁寧。知心拈出勿商量、輸我當行相買賣。
頌に云く、壞と不壞と、他に隨い去るや大千界。句裏了に鉤鎖の機なし。脚頭多く葛藤に礙えらる。會か不會か、分明底の事丁寧し。知心は拈出して商量すること勿れ、我當行に相買賣するに輸く。

衆に示して云く、諸の対待を絶し両頭を坐断す。疑団を打破するに那んぞ一句を消いん。長安寸歩を離れず。太山只重さ三斤。且らく道へ甚麼の令に拠ってか敢えて恁麼に道ふや。 挙す、僧侶大随に問ふ、劫火洞然として大千倶に壊す、未審かし這箇壊か不壊か。随云く、壊。僧云く、恁麼ならば則ち他に随ひ去るや。随云く、他に随い去る。僧龍済に問ふ、劫火洞然として大千倶に壊す、未審し這箇壊か不壊か。済云く、不壊。
僧云く、甚んとしてか不壊なる。済云く、大千に同じきが為なり。
大随法真禅師、長慶大安の嗣、龍済紹脩禅師、脩山主と同じ、青原下八世地蔵桂しんの嗣、劫火、壊劫の時大火災が起こって三千大千世界が焼尽するという、そりゃ必ずそういう時は来る、あなたの浮き世が壊滅するんです、さあどうしますかってわけです。答えは二通りあって、大随云く随い去るんですし、龍済云く、壊せずです、でもって解決済み。そりゃ頭へ来るというのへ、大千と同じゆえにほうらそっくりっていうんです。頭とってみろってわけです。ものは自然じねんに落着せにゃならんです。そうかというときまったく大千です、地球が滅びようが仏法がどうだろうが、おっほう万歳てなもんです。そりゃ気違いだという、他の信心一神教なら気違いで す、これはまったくさにあらず。 諸の対峙を絶しという、まずこれをせんけりゃだめです。只管打坐の俎板の上に載せて、仏教も自分も世界ぜんたいも、四苦八苦過現未も一切合財です、答えを出して下さい。無門関いろはのい、従容録でした、両頭失せりゃ従うきりないですよ。疑団を起こし真正面に見据える、でなきゃ坐禅見習い仏らしいのうさんくさ。 そういうのは葬式稼業にわんさといる、人の死に立ち会うこともできぬ坊主ども、不愉快というより心理学の対象にしかならない。 長安という悟る前も悟ったあともなんら変わらない、なにがどうなるってはなく日々是好日です、あらゆる一切にまるっきり他愛なく太山比類なき。 逃げると追いかける、向かうと失せる、どうですか、真っ正面に見据えるとないんです。
頌に云く、壊と不壊と、他に随ひ去るや大千世界、句裏了ひに鈎鎖の機無し。
脚頭多く葛藤に礙へらく。会か不会か、分明底の事丁寧はなはだし。知心は拈出して商量すること勿れ。我が当行に相売買するに輸く。 鈎鎖機械、物をひっかける機械、知心、知音同士、当行は当店、壊と不壊と他に随い去るや大千世界、どうですか、たったこれだけに参ずるにいいです、何をか云わんただこれ、従うたって従わぬたって大千世界、ひっかっかるところなんにもなし、無に参ずるとはそういうことですよ。答えを出す必要がない=おまえはもう死んでいる、はいまっ始めからこれです。それ故脚頭多く葛藤に礙えらる、会か不会かという蛇足です、坐りながらこれやるんでしょう、はいご苦労さんと、やりながら糠に釘です、すなわち分明底の丁寧はなはだし。ちっとは知っているやつは=知らんやつは知音同士ですか、なにさとやこう云うんじゃないよ、当店の売買にゃ及びもつかんで、という当店とは天童山の我が店。

 

第三十一則 雲門露柱
衆に示して云く、向上の一機、鶴霄漢に沖る。當陽の一路、鷂新羅を過ぐ。直饒眼流星に似たるも未だ口擔の如くなることを免がれず。且く道え是れ何の宗旨ぞ。擧す。雲門埀語して云く、古佛と露柱と相交る、是第幾機ぞ。衆無語。自ら代て云く、南山に雲を起し、北山に雨を下す。
頌云、一道光、初不覆藏。超見也是而無是、出量也當而無當。巖華之粉兮蜂房成蜜、野草之滋兮麝臍作香。隨類三尺一丈六、明明觸處露堂堂。
頌に云く、一道の光、初より覆藏せず。見を超ゆるや是にして是なし、量を出づるや當って當ることなし。巖華の粉たるや蜂房蜜を成し、野草の滋たるや麝臍香を作す。隨類三尺一丈六、明明として觸處露堂堂。

衆に示して云く、向上の一機、鶴霄漢に沖る。当陽の一路、鷂新羅を過ぐ。直饒ひ眼流星に似たるも、未だ口扁擔の如くなるを免れず。且く道へ是れ何の宗旨ぞ。 挙す、雲門垂語して云く、古仏と露柱と相交はる。是れ第幾機ぞ。衆無語。自ら代って云く、南山に雲を起こし、北山に雨を下す。
向上の一機という、ようやく坐が坐になるんです、自分というものみな失せてまったくにこうある、そうしてもって坐っても坐ってもということがある、これ結果を求める、こうなるべきという修禅じゃないんです、故に一機ぜんたいです。たしかに第幾機と問う、まさしく昨日のおのれ今日のおのれじゃないです。しかもそうですねえまったくの無反省、省みることないんですよ。霄漢は大空、天に沖するというと、お寺のおおやまざくらがそんなふうに咲いたですが、ようやく盛りを過ぎましたか、余談でした。鷂ははやぶさです、大陸の外れ半島の新羅を過ぎたんですか。扁擔への字です、口への字に結んで物もいえぬさま。直に得たり口扁擔に似たるを、などよく用 います、衆無語です。当陽の一路はまあ陽が当たるんですか、これ風景を見ておけばいいです。 露柱俗語で大黒柱というんですが、そんなんでなく露はだかの柱です、どうにもぶち抜けなくて、柱を見て悟ったという人いました。露柱明道尼という庵主さんがいました。古くから仏の友人ですか、さあやってごらんなさい。露柱と相交わること、第幾機ぞと、自分失せて柱ばっかりになっても、つなげる駒ですか。それとも南山に雲を起こし、北山に雨降らせですか。向上の一機千聖不伝大いに楽しんで下さい。 というのもこれが生活だからです、一寸坐れば一寸の仏という、お寺に生まれりゃ説教じゃないんですよ、まずもってぶち抜いてからです。葛藤是れ好日あって、さながらに人生です。どこへ行き倒れかわからん托鉢行脚ですよ。
頌に云く、一道の神光、初めより覆蔵せず。見縁を超ゆるや是にして是なし、情量を出ずるや当たって当たることなし。巌華の粉たるや蜂房蜜を成し、野草の慈たるや麝臍香を作す。随類三尺一丈六、明明として触処露堂堂。
一道の神光、だれあってそうですねえ、神光慧可大師以下まったく変わらぬ一道です、人間斟酌の預かり知らぬ神光です、初めより露堂々です。露柱丸柱がいいですな、まさにかくの如くにあるんです、見るという目がない、見縁という観念妄想を離れるんです、無眼耳鼻舌身意は、これ就中うまく行かんですよ、どうしても見る自分と見られるものという、架空から離れられんです。あるがようではない、情状で見てしまう。どうにかしようとしている間は駄目です、あるときそいつが失せている、露柱が手に入るんです、すると天地有情悉皆成仏、匂いといい声といい万物いっせいに蘇るんです。信不信の域を超えるんですよ。仏も神も一切預かり知らぬところで す、しかもこのようにありこのように生まれている、なんたる幸せ200%かくの如くです。はいこれを如来、来たる如しといいます。だれあって如来です、ちらともこれを見ずに死ぬ、なんという情けないことですか。 随類三尺一丈六とは、便利を云えば千万異化身釈迦牟尼仏ですか、あるときは一茎草あるときは丈六の金身、南山に雲を起こし、北山に雨降らせ、坐りながらどこへも赴くってことあるでしょう、あるいはトンボになったり、酒飲んでるやつの徳利になったり、わずかにこれ露柱。

第三十二則 仰山心境
衆に示して云く、海は龍の世界たり、隱顯優游。天は是れ鶴の家、飛鳴自在。甚と爲てか困魚はに止り、鈍鳥は蘆に棲む。還って利害を計る處ありや。擧す。仰山、に問う、甚れの處の人ぞ。云く、幽州人。山云く、汝彼の中を思うや。云く、常に思う。山云く、能思は是心、所思は是境、彼の中には山河大地樓臺殿閣人畜等の物あり。思底の心を反思せよ、還って許多般ありや。云く、某甲這裏に到って總に有る事を見ず。山云く、信位はち是、人位は未だ是ならず。云く、和尚別に指示あること莫しや否や。山云く、別に有り別に無しというはち中らず、汝が見處に據らば只一玄を得たり。得坐披衣向後自ら看よ。
頌云、無外而容、無礙而沖。門牆岸岸、關鎖重重。酒常酣而臥客、雖而頽農。突出空兮風搏妙翅、蹈滄海兮雷送游龍。
頌に云く、外るること無うして容れ、礙ること無うして沖る。門牆岸岸、關鎖重重。酒常に酣にして、客を臥せしめ、くと雖も農を頽す。空に突出して風、妙翅を搏たしめ、滄海を蹈して雷、游龍を送る。

衆に示して云く、海は龍の世界たり、隠顯優游、天は是れ鶴の家郷、飛鳴自在。甚んとしてか困魚は櫟に止まり、鈍鳥は盧に棲む。還って利害を計る処ありや。 挙す、仰山僧に問ふ、甚れの処の人ぞ。僧云く、幽州人。山云く、汝彼の中を思ふや。僧云く、常に思ふ。山云く、能思は是れ心、所思は是れ境。彼の中には山河大地楼台殿閣人畜等の物あり、思底の心を反思せよ。還って許多般ありや。僧云く、某甲這裏に到って総に有ることを見ず。山云く、信位は即ち是、人位は未だ是ならず。僧云く、和尚別に指示すること莫しやまた否や。山云く、別に有り別に無しというは即ち中らず、汝が見処に拠らば只一玄を得たり、得坐披衣向後自ずから見よ。
水たまりの雑魚やってないで、龍と化して自在に大海を泳げ、蘆中の鈍鳥してないで、鶴になって天を家郷とせよという、困魚は小魚、櫟は木でなくさんずいで水たまり。これ言句上、あるいは仏教思想という二次元平面です。実際ではない。どうしても漆桶底を打破してこれを得にゃ役立たんです。そこをまずもって見て下さい。 かえって利害を計るところたりや、まさにこれです、どうしようもこうしようもなくているんです。弟子が本山へ行くその日、父親がなくなって急遽実家へ帰った、わしに葬式してくれという、行くと、父親は安楽に死にあれこれ幸せであったという、ばかったれ、そいつは沙婆の人間のいうこった、なんぼ坐っても悟りの悪いやつ。 仰山きょうさん慧寂禅師、い山霊祐の嗣、僧に問う、どこの人かと聞く、僧は幽州人ですと云う。汝彼の地を思うか、常に思う、このばかったれとわしはやっちまう、出家して何が故郷だ、たといどこほっつき歩こうが、到るところ即ちこれ、即ち得坐披衣向後自ら看よ、坐ったり衣を着てものをなす、他にはなんにもない、親しく万万歳を知る。それが仰山慧寂禅師ともなると、これが親切、彼中山あり河あり楼閣ありするだろうが、よく思うはこれ心、かれこれ思い浮かべるは境、その思う我を省みよという、思うというは如何と問う。あれこれあるもんじゃない、いいかと云うんです。僧云く、いえ、そのとおりだと思います、たしかに他にはないんですと云う。そいつは信位、あるべきことは知っている、だが仁位、おのれのものになってはいない。僧云く、和尚他に指示すること莫しやまた否や。別にあるなしのこっちゃない、汝が見処只一玄を得たり、かくあるべしと知って、ちらとも悟るんです、たしかに雑魚とは違う、存分の力量なんでしょう、でもどっかつながっている、生活になってないんです、彼岸を見ながら此岸にいる、一喝するに得坐披衣向後自ずからです。
頌に云く、外るること無うして容れ、礙ゆること無うして沖る。門牆岸岸、関鎖重重、酒常に酣なはにして客を伏せしめ、飯飽くと雖も農を頽す。虚空に突出して、風妙翅を搏たしめ、滄海を踏翻して、雷游龍を送る。
法華経にあるという、親友の家に行き酒に酔うて伏す、親友官事に赴くにあたって宝珠をその衣に繋ぐ、酔い伏してかえって覚えぬ如くと、思想の酒に酔うという、世間では哲学宗教理想主義という、かえってその中に宝珠のあるのさへ気がつかぬのです、門牆しょうは垣根ですか、岸岸がんがんと読むとぴったり、関鎖重重です、一個人とはまさにこれ、おのれなにものであるかという、皮袋厳重にして、はっは糞袋てなもんで、食い飽きて農をたおす、頽は頁ではなくて貴です、頭の禿げたるさまですとさ、人の一生はかくの如し。いや人類史もさ。ではこれをぶち破って下さい。 自分という内も外もないんです、自縄自縛のがんがんじゅうじゅうを解いて下さい、礙ゆることのうして沖る、玉露宙に浮かぶんです、そうしてもって風力の所転ですか、金翅鳥は翼を開けば三十六万里という、龍を食う鳳凰ですか、いやいかん龍も出て来る、とにかく鳳凰と龍で決まり、たしかに自分に首を突っ込んで、ついには練炭火鉢じゃあんまり情けないです、色即是空却り見るに我なし、虚空に突出して、本来人の自由を味わって下さい。

第三十三則 三聖金鱗
衆に示して云く、強に逢うてはち弱、柔に遇うてはち剛、兩硬相撃てば必ず一傷あり。且く道え如何が廻互し去らん。擧す。三聖、雪峰に問う、網を透る金鱗未審何を以てか食となす。峰云く、汝が網を出て來らんを待て汝に向て道わん。聖云く、一千五百人の善知識、話頭だも也識らず。峰云く、老住持事繁し。
頌云、浪級初昇、雲雷相送。騰躍稜稜看大用、燒尾分明度禹門。華鱗未肯淹甕、老成人不驚衆。慣臨大敵初無恐、泛泛端如五兩輕、堆堆何啻千鈞重。高名四海復誰同、介立八風吹不動。
頌に云く、浪級初めて昇るとき雲雷相送る。騰躍稜稜として大用を看る、尾を燒いて分明に禹門を度る。華鱗未だ肯て甕に淹せられず、老成の人衆を驚かさず。大敵に臨むに慣れて初より恐るることなし、泛泛として端に五兩の輕きが如く、堆堆として何ぞ啻千鈞の重きのみならんや。高名四海復た誰か同じうせん、介り立って八風吹けども動ぜず。

衆に示して云く、強に逢ふては即ち弱、柔に遇ふては即ち剛。両硬相撃てば必ず一傷有り。且らく道へ如何が廻互いし去らん。 挙す、三聖雪峰に問ふ、網を透る金鱗、未審し、何を以ってか食と為す。峰云く、汝が網を出来たらんことを待って汝に向かって道はん。聖云く、一千五百人の善知識話頭も也た識らず。峰云く、老僧住持事繁し。
雪峰義存禅師、青原下五世徳山宣鑑の嗣、三聖慧然禅師は臨済の嗣です、強に逢うては弱、柔に遇うては剛という、世の常のありよう、女と百姓は同じという長いものには巻かれろ式じゃない、卑怯護身でなく、両硬あいうてば一傷ありを知る、これ就中うまく行かんですよ、かーつというとかーつやる、がんがんと打つとがんと鳴る鐘の如く。三聖問うて云く、網を透る金鱗、これは成句になっていて、迷悟凡聖の羅網すなわち、師家のかける網ですか、いいや自分で勝手にかけているんですか、これを透らにゃそりゃ問題にならんです、迷悟中の人という、凡人ありゃ聖人ありです、そいつを抜け出た金鱗大魚はいったい何を食っているんだという、どうだ云ってみろってわけです、なんにも食っておらんと云えば、そりゃ死んじまうってわけの、尽大千口中にありといえば、このばかったれとも、でもまたこれも常套手段ですか、わしも雪峰に同じい、汝が網を出で来たるを待って汝に云をうという。わかっていることをなんで聞くんだ、わからんことをなんで聞くんだ、迷悟凡聖時と今と雲泥の相違か、廻互まったく同じか、さあ道へと、一千五百人の学人雲衲を抱えた大善知識ともあろうものが、なんだ話頭も知らず、云うことも知らんじゃないか。これに対して老僧住持こと繁し、忙しくってなという、蛇足ながら老僧っての利いてます。
頌に云く、浪級初めて昇る時雲雷相送る。騰躍稜稜として大用を見る。尾を焼いて分明に禹門を度る。華鱗未だ肯て韲甕に淹されず、老成の人、衆を驚かさず。大敵に臨むに慣れて初めより恐るることなし。泛泛として端に五両の軽きが如く、堆堆として何ぞ啻千鈞の重きのみならんや。高名四海復た誰か同じぅせん、介り立って八風吹けども動ぜず。
浪級は中国ほう(糸に峰のつくり)州龍門山にある放水路、その水が三段になったところを云う。焼尾は、鯉が浪級を登って龍と化すとき、雷鳴ってその尾を焼く、登竜門科挙の試験を及第して必ず歓宴を延ぶ、これを焼尾宴という。登竜門は日本に今でも使うんですが、ぶち抜いて仏となるたとえ、古くからに用いる、妄想迷悟中の鯉では、そりゃ問題にならない、騰躍おどり出て稜稜として、卒業しつくすさまですか、実感として味わって下さい、大用現前です。華鱗、鯉の鱗は食用になるが、龍の鱗はいまだかって韲甕鮨の器だそうです、鮨にゃならんよってわけです。老成の人は雪峰、大敵に臨むは三聖ですか、なにせいおどり出なきゃ問題にならん、この則どうなんですか、まだ尻尾焼かれってとこですか、ことはそんなこっちゃないよ、もとかくのごとく、泛泛として羽毛の軽き、堆堆として山の如くある、これ日常茶飯、意を起こし、くちばしを突っ込む七面六臂じゃないんです、われこそはいの一番という無意味、老僧事繁し、介護いらんっていうんですよ、介立独立に同じ、八風吹けども動ぜず、まさにこれ一箇のありようです、仏という何かあれば、虎の威を仮る狐です、よくせき看て取って下さい。

第三十四則 風穴一塵
衆に示して云く、赤手空拳にして千變萬化す、これ無を將て有と爲すと雖も、奈何せん假を弄して眞に像ることを。且く道え還って基本ありや也た無しや。擧す。風穴埀語して云く、若し一塵を立すれば家國興盛す、一塵を立せざれば家國喪亡す。雪竇杖を拈じて云く、還って同死同生底の衲ありや。
頌云、然渭水起埀綸、何似首陽人。只在一塵分變態、高名勲業兩難泯。
頌に云く、然として渭水に埀綸より起つ、首陽の人に何似ぞ。只一塵に在って變態を分つ、高名勲業兩つながら泯じ難し。

衆に示して云く、赤手空拳にして千変万化す、是れ無を将って有と作すと雖も、奈何せん仮を弄して真に像ることを。且らく道へ還って基本有りや無しや。 挙す、風穴垂語して云く、若し一塵を立すれば家国興盛す。一塵を立せざれば家国喪亡す。雪竇柱杖を拈じて云く、還って同死同生底の衲僧有りや。
風穴延沼禅師、南院の宝応慧順に継ぐ、臨済下四世、雪竇重顯禅師は青原下九世知門光さの嗣、赤手空拳にして千変万化す、千万異化身釈迦牟尼仏、なんにもないからなんにでもなれる、そりゃまったく物の道理で、ちらともあれば、それによって制限されるんです、いえちらともあれば、既に自由が利かないんです。参禅とは正にこの間の問題ですか、たんびにがらっと変り、ついにはまったく起こらず、しかもどういうものか、一塵立って家国興隆し、一塵立たずは家国衰亡す。たしかに平らかに他なしですが、どこまで行ってもということあります。雪竇柱杖を拈じて、かえって同死同生底の衲僧ありやという、どうですか、あい呼応しておもしろいでしょう。 作者はという、まったく無から生ずる興亡戦、人類史も地球宇宙もないんです、一箇自足する凄ましさ。毎日命がけですか。あるときは降ってくる雪にしてやられ、あるときはびいと鳴く鳥にもって行かれ、天空を樹立しあるいは春風を吹き起こす。かつてあったものなんぞないです、たとい世間繰り返しだろうが、生まれてはじめてのたった今、どかんと真っ二つくわーっと甦ったり。そうねえこれ自殺志願者とか、世の絶望とか、なにしろ日本は滅びの道ですか、もう滅んでしまっているんですか、そういうときに、実にこの則はいいです。転んでもただでは起きないどころか、たといどうなったろうがほうら元の木阿弥、無に帰すること正にこれ、たとい百万も他に云うこたないんです。 基本なしといえば是、基本ありといえば不是、なしといえば不是、ありといえば是。
頌に云はく、ほ(白に番)然として渭水に垂綸より起つ、首陽清餓の人に何似ぞ。只一塵い在って変態を分つ、高名勲業両つながら泯じ難し。
ほ然は白髪の形容、太公望が釣り糸を垂れていて、西伯に起用されて周の国を興した、首陽清餓は、伯夷叔斎が周の栗を食わずに首陽山に餓死した、一塵立って興隆し、一塵立たず衰亡するを頌す、ともに大事件ですか。一塵あって変態を分かつ、これがありよう日常茶飯も、普通の人にはちょっと及びもつかぬ、逐一にこれ100%は同死同生底、でもこれでなくば、さっぱりおもしろうもないんです。泯は水のおもかげ、ほろぶ、高名は太公望ですか、勲業は餓死したほうですか、いやさそんなこた一瞬忘れちまうです。100%し尽くしたことはあとに残らない、太公望も伯夷叔斉も10%も現れはせんというのです。高名なり勲章なり、ゆえにもってこの世に 残る、歴史とはまさにかくの如くのがらくた。泯じ難し、残りあるものろくなものなし。歴史に学べなんて、百害あって一利なし、まそういうこってす。

第三十五則 洛浦伏膺
衆に示して云く、迅機捷辯、外道天魔を折衝し、逸格超宗、曲げて上根利智の爲にす。忽ち箇の一棒に打てども頭を廻さざる底の漢に遇う時如何ん。擧す。洛浦、夾山に參ず、禮拜せずして面に向って立つ。山云く、鷄鳳に棲む其の同類に非ず、出で去れ。浦云く、遠きより風にる、乞う師一接。山云く、目前に闍黎なく此間に老なし。浦、便ち喝す。山云く、住ね住ね且らく草草怱怱なること莫れ。雲月是れ同く溪山各異なり。天下人の舌頭を截斷することはち無きに非ず。爭でか無舌人をして解語せしめん。浦、無語。山、便ち打つ。浦此れより伏庸す。
頌云、搖頭擺尾赤梢鱗、徹底無依解轉身。截斷舌頭饒有、廻鼻孔妙通。夜明簾外兮風月如晝、枯木巖前兮花卉常春。無舌人無舌人、正令全提一句親。獨歩寰中明了了、任從天下樂欣欣。
頌に云く、頭を搖かし尾を擺う赤梢の鱗、徹底無依轉身を解す。舌頭を截斷して饒いあるも、鼻孔を廻して妙にに通ぜしむ。夜明簾外風月晝の如し、枯木巖前花卉常に春なり。無舌人無舌人、正令全提一句を親し。寰中に獨歩して明了了、任從天下樂んで欣欣たることを。

衆に示して云く、迅機捷弁外道天魔を折衝し、逸格超宗曲げて上根利智の為にす。 忽ち箇の一棒に打てども頭を廻らだざる底の漢に遇ふ時如何。 挙す、洛浦夾山に参ず、礼拝せずして面に当って立つ。山云く、鶏鳳巣に棲む、其の同類に非ず出で去れ。浦云く、遠きより風に趨る、乞ふ師一接。山云く、目前に闍梨無く此間に老僧無し。浦便ち喝す。山云く、住みね住みね且らく草草怱怱たること莫れ。雲月是れ同じく溪山各異なり、天下人の舌頭を裁断することは即ち無きにあらず、争か無舌人をして解語せしめん。浦無語。山便ち打つ。浦此より伏膺す。
洛浦山元安禅師、夾山善会の嗣、かっさんと読む薬山下二世、礼拝して聞法のありようは接心の独参、小参など今にそっくり残るんですが、形式あっておよそ仏法のぶの字もないのは、うるさったいだけでマンガにもならんですか、世間一般も形式だけの、精進料理に史跡廻りなど、だれも真面目に考えぬのは、応えられる僧がいないのと、真面目真っ正面に問うことを忘れた日本人ですか、人間の面していないのばっかりじゃ、そりゃこっちもという理屈で、もって騒々しいかぎりは、犬や猫に入れ揚げるしかない、なんといういじましさ。 外道とは仏教以外を云うんですが、そりゃ仏教の独善かというと、他の一神教と同断じゃないです、仏教以外は外道なんです。本来本当じゃない、人をたぶらかし迷わせるんです。禅天魔といったのは日蓮ですか、おもしろいんですよ、だれも自分ありゃ自分のことしか云えない、他を誹謗する=自分を誹謗です。たとい仏祖の道であっても、ちらとも自分あれば、たしかに外道天魔、云うことは同じあるいな本来本当の人より、弁舌達者喝すれば古今未曾有の風景です、こいつを蚊食うほどもなく、夾山の如きは、住、やめねやみね、止せ止せっていうんです、しばらく草草怱怱たることなかれ、実にこれです、天下人の舌頭を切断することはなきにしもあらず、 そりゃ云うことは云いうる、これね、礼拝して問うところを、突っ立つ、一目瞭然というより、弱ったねこの人という、なんとかしてやろうと思う、そいつがなかなか、なんせ自信満々、云うことは心得ている、ところが常識なし、ものをぴったりということができない。「だからおれはいいんだ」というしかない、エガちゃんという人がこうだったし、トウテツさんという人が、なんにもないを「なんにもしない」と履き違える。自覚を待つ以外にないんですが、自覚のチャンスは目の当たりチャンスならざるはなしなんですが、就中夾山のようには行かない、月は同じぞ山あいへなれという 歌の文句も、無舌人の解語も、ついに伏膺、身に体して忘れえぬという、急転直下させるには、ちらとも自分あっちゃそりゃだめです。
頌に云く、頭を揺かし尾をふるう赤梢の鱗、徹底無依転身を解す、舌頭を裁断して饒ひ術有るも、鼻孔を曳廻して妙に神に通ぜしむ。夜明簾外風月昼の如し、枯木巌前花卉常に春なり。無舌人無舌人、正令全提一句親し。寰中に独歩して明了了。任従天下楽しんで欣欣ることを。
赤梢の鱗しっぽの赤い鯉ですってさ、洛浦騒々しく一物不将来の時如何です、ないと云いながらあるぞ、あるぞやるんです、どうしてもこういうことあって、ついに転身の時を迎える。劇的といえばまさにこの則、いえあるいはたいていの則これです。 なんていうおれはと通身もってす、坐布を抛って三尺穴を穿つ。いえ我が物底無しですか。ようやく仏教の緒に就くんです。自ずからに知る以外にないですが、なんのかんの云ってるやつを、妙をもって、神をもって接するただの人、無舌人ですか山水長口舌、絶学無為の閑道人です。大ひまの開いた人が欲しいんです。楽しんで坐りなさいと老師はいった、そりゃまっぱじめからそういうわけですが、本来ほんとうの楽しさをを、何十年ようやくこれが緒に就くということあります。夜明簾外風月昼の如く、枯木巌前花卉常に春、卉は草に同じ、春風駘蕩も妄想迷いの延長じゃ、そりゃさっぱりおもしろくもない、いったん切って楽しいんです。いったん切る、自分 を観察しない、即ち正令全提です、いいですか、一生正令全提一句親しですよ、間違っちゃいかんです、沙婆流には推し量れんです、寰中は天子の幾内、直轄の地を云う、外れることないんです、大手を振って歩いて下さい、明了了、任せ従い天下欣欣まさにかくの如く、ちっと頌が長いですが、文句云わんとこ。

 

第三十六則 馬師不安
衆に示して云く、心意識を離れて參ずるも這箇の在るあり、凡聖の路を出でて學するも已に太高生。紅爐迸出す鐵、舌劍脣槍口を下し難し。鋒鋩を犯さず試にう擧す看よ。擧す。馬大師不安、院主問う、和尚近日尊位如何。大師云く、日面佛月面佛。
頌云、日面月面、星流電卷。鏡對像而無私、珠在盤而自轉。君不見、鎚前百錬之金、刀尺下一機之絹。
頌に云く、日面月面、星流れ電卷く。鏡は像に對して私なし、珠盤に在りて自ら轉ず。君見ずや鎚の前百錬の金、刀尺の下一機の絹。

衆に示して云く、心意識を離れて参ずるも這箇の在るあり、凡聖の路を出でて学するも已に太高生。紅炉併出す鉄しつり、舌剣唇槍口を下し難し。鋒鋩を犯さず試みに乞ふ、挙す看よ。 挙す、馬大師不安、院主問ふ、和尚近日尊位如何。大師云く、日面仏月面仏。
馬大師、馬祖道一禅師は南嶽懐譲の嗣、容貌奇異にして牛行虎視舌を引いて鼻を過ぐとある、人気があった。すでに天寿を悟って病の床に伏す。院主お寺の事務を司る役目ですか、不安、四大不安病のことです、近日ちかごろどうですかとお見舞いです。馬大師云く、日面仏月面仏。馬大師は仏祖の最大級ですか、わしがこんなこというと顰蹙ですが、ばあさんがナムと名付けたどえらい猫がいた。半分山猫でうさぎややまどりなど取って食っていたが、甘えん坊のくせに山門を出ると知らん顔する、四キロ四方の雌猫を孕ませた。死ぬ三日前にわしがもとへ来て、水を含ませると飲み、それも取らなくなって終わる。荘厳であった。仏になっている、日面仏月面仏というと、申し訳ないこってすが、ナムの目を思い出す。 空華なし第二月なし、生縁既に尽きてというんですが、もとわれらは浮き世南閻浮提に四大もてこうある、本当は如来とてきわなく時空を超えるんです、自覚乃至無自覚とはこれ、元に帰るんです。きれいさっぱり化縁すでに尽きるんです。それゆえに、心意識をはなれて参ずるも這箇ありと、凡聖の路を学するも太高生高尚なこったと、振り返り見るんです、がんばって下さいってね。てつしりとは実に三角のとげのあるハマビシ人を刺す、鉄で作り紅炉に焼いて用いる武器、手も足も出ないってことです。 此岸のあくせくですか、だれか仏教などやるより自殺すりゃいいといった、今の人の考えそうなこったが、あほらしいってより、たとい大死一番大活現成も、生きた人間のするこってす、生死を明きらむるは200%生きです。自殺したら生まれ変わってまた選仏場です。どうもならんこと云ってないで、剣槍鋒鋩ひとしきり、なにをこれ200%とやって初めて得べし。でなくば沙婆というビールの泡。
頌に云く、日面月面、星流れ電巻く。鏡は像に対して私無し、珠は盤に在りて自ら転ず。君見ずや鎚の前百練の金。刀尺の下一機の絹。
日面月面と云って、電光石火星流れ電巻くだけ余計のようなんですが、どの道人間には届かぬスピードです、感知できない。宝鏡三味とあるように、悟ったという人間本来のありようです。身心まったく失せてものみなです。すると像に対して私なし、形影あい見るんです。汝これかれに非ず。どうしてもこうならんきゃそりゃ仏教とは云われんです、坊主の説教、呆れてだれもまともに扱わんですか、学者にしろ世間一般にしろ、自分という迷悟中をもって迷悟中をさらけ出すだけで、たといなんにもならんです。光前絶後の事、玉露宙に浮く、ものみな尽くし切ってののちです、玉は盤上自ずから転ず、自分というなにかしら影のあるうちは駄目です。でんは金に占 でかなばさみ、てんかん押さえる方で、鎚は打つ方です、百戦錬磨の馬大師ですか。 すなわちそいつの彼岸です。刀一尺の下一機の絹という、もとなんにもないんです、大衆一万五千もふっ消えて清風。

第三十七則 い山業識
衆に示して云く、耕天の牛を驅って鼻孔を廻し、饑人の食を奪って咽喉を把定す。還て毒手を下し得る者ありや。擧す。山、仰山に問う、忽ち人有りて一切衆生但業識茫茫として本の據るべき無きありやと問わば作麼生か驗ん。仰云く、若しの來ることあらばち召して云わん、是れ甚麼ぞと。彼が擬議せんを待って、向って云わん、唯業識茫茫たるのみに非ず、亦乃ち本の據るべきなしと。云く、善いかな。
頌云、一喚廻頭識我不、依蘿月又成鈞。千金之子纔流落、漠漠窮途有許愁。
頌に云く、一たび喚べば頭を廻らす我を識るや不や、依として蘿月又鈞となる。千金の子纔かに流落して、漠漠たる窮途に許の愁あり。

衆に示して云く、耕夫の牛を駆って鼻孔を曳廻し、飢人の食を奪って咽喉を把定す。還って毒手を下し得る者ありや。 挙す、い(さんずいに為)山仰山に問ふ、忽ち人有りて、一切衆生但だ業識茫茫として本の拠るべき無きありやと問はば、作麼生か験みん。仰云く、若し僧の来たることあらば即ち召して云はん、某甲と。僧首を廻らさば乃ち云はん、是れ甚麼ぞと。
彼が擬議せんを待って向かって云はん、唯業識茫茫たるのみに非ず亦乃ち本の拠るべきなしと。い云く善い哉。
い山霊祐禅師は百丈懐海の嗣、仰山慧寂禅師はその嗣、い仰要路というものあり、まことにこの則も善き哉で、寒山拾得のつうかあですか、他なくにこうあるところ見事です。即ちい山不要の衆に示して云くです。耕夫の牛を駆って、鼻かんに綱つけて引っ張り回す、でないと手におえんらしいです、業識茫茫のとらわれ人間、無明煩悩どうしようもないんです、それがしと云って操縦するんですか、首を廻らせば是れなんぞ。今様人間の心理分析だの、めったくさとまるっきり違うんです、本当に効く薬はどうありゃいいんです。彼が擬議する、はてええとおれはやるんです、応えがない、応えようのない、飢人の食を奪って咽喉を押さえこんじまう、死ぬよりないっていう猛毒薬、ころあいはよしってんで、さよう業識茫茫たるのみに非ず、本のよるべきなし、根拠なし、まったくに奪う、いえ救い得るんですよ。如何なるか仏法の真髄、真髄でなくって皮袋だろうという。 富士テレビとライブドアの一騎討ちですか、他山の石ですが、みにくいったらじじいども、嘘と裏腹ですか、いきなり屋の若い方がよほどすっきりする。たしかにテレビは面白くない、マスメディアという早晩滅びるんですか、云はば拠って立つところがない、視聴率に溺れて茫茫ですか、それじゃINはどうかというと、面のないなんでもありあり、未だ水準下。どうしたもんだといって弟子らが論ずる、あんなものは結局駄目か。人格なけりゃなんにもならんのは、人間社会です。いえ人間たといなにしようが人格です、必ずしっぺ返しを食うよりない。犯罪という糠に釘です、旧陋裁判の反省会じゃおっつかんです、司法は心に関わらぬと知ればいい。目には目をですか。 業識茫茫もそれがしと、その意識なけりゃ首も廻らさず、擬議もなしは世も末、いや末法じゃという、おもしろうもないんですよ、末法だろうが一回きりの人生です、ついには本よるべきなしを知って、清々露堂堂です。
頌に云く、一たび喚べば頭を廻らす我を知るや否や、依きとして蘿月又鈎となる。千金の子纔かに流落して、漠漠たる窮途に許の愁いあり。
一たび喚べば、おいと呼びなにがしと呼ぶ、頭を廻らすんですが、その我を知るやというんです、朕に対するは誰そ、磨云く不識。あなたはだあれと花に問う、花は知らないと応えるんです。人間だけが知っている、そうです知っている分がみな嘘です。醜く騒々しいんです。平和といっては戦争です、信仰といい思想といいろくでもないんです。でもこれ自分の辺に具現せねばしょうがないです、他山の石じゃないんですよ。依きのきはにんべんに希どうもよくわからんです。生まれついてより従いつく他ない生活ですか、反抗といい革命といったって首繋がっている、免れえないんです。満月たる自分が、オッホッホ自分という蘿つたかずらを通して、欠けて鈎となる鎌の月ですよ。あるいはそんじゃあといって釣針になるんですか。 法華経にある長者窮子のたとえのように、長者として生まれて流落するんです。坐りなさい、なんでもありありでたらめめっちゃくちゃでいいですという、あなたの100%いえ200%マルですという。それがなかなかそうはならん、おれはだめだかすだやっているにつけ、坐禅はこうあるべき、仏教を見習えだからどうのです。 これを貧乏人困窮の子です。漠漠たるという、そうですよもとっから自分なんかないんです、自分なけりゃ満月という、実も蓋もない、おれの外は空虚、ばくばくたる云ってないで、ぽかっと捨てるんです、拠りどころがない、自分という根拠なし身心なし、空虚になったら空虚なし、単純な数学ですかわっはっは。

第三十八則 臨済真人
衆に示して云く、賊を以て子となし、奴を認めて郎と作す。破木杓は豈是れ先の髑髏ならんや、驢鞍橋は又阿爺の下頷に非ず。土を裂き茅を分つ時如何が主を辨ぜん。擧す。臨濟、衆に示して云く、一無位の眞人あり、常に汝等が面門に向って出入す、初心未證據の者は看よ看よ。時にありて問う、如何なるか是れ無位の眞人。濟、禪牀を下って擒住す。這の擬議す。濟、托開して云く、無位の眞人是れ甚の乾屎ぞ。
頌云、迷悟相返、妙傳而簡。春百花兮一吹、力廻九牛兮一挽。無奈泥沙撥不開。分明塞斷甘泉眼、忽然突出肆横流。師復云、險。
頌に云く、迷悟相返し、妙に傳えて簡なり。春百花をかしめて一吹し、力九牛を廻らして一挽す。奈ともする無し泥沙撥えども開けざることを。分明に塞斷す甘泉の眼、忽然として突出せば肆に横流せん。師復た云く、險。

衆に示して云く、賊を以て子と為し、奴を認めて郎と作す。破木杓は豈に是れ先祖の髑髏ならんや。驢鞍驕は又阿爺の下頷に非ず。土を裂き茅を分つ時如何が主を弁ぜん。 挙す臨済衆に示して云く、一無位の真人有り、常に汝等が面門に向かって出入す、初心未証拠の者は看よ看よ。時に僧有りて問ふ、如何なるか是れ無位の真人。済禅牀を下って檎住す。這の僧擬議す。済托開して云く、無位の真人甚んの乾屎ぞ。
無位の真人面門に現ず、知慧愚痴般若に通ずという、すると一僧出でて、無位の真人何れに在りやと問う、その胸倉つかんでこらってんです、檎はてへんです、きん住生け捕りです、まごまごしてるやつを突き放して、無位の真人是れなんのかんしけつ、くそかきべらというのと、でかかった糞が出切らずに乾いて固まったというのとあるんですが、どちらもぴったり。人間思想分別、未消化うんち他人の食いかすをです、ひりだしたのを引っ掻き回すんですか、出切らずに固まったやつくっつけて歩いているんですか。正法眼蔵だなと本を書いてとやこう、どっ汚く醜いのは、まさにこれ乾屎厥、臭いしまあなんとかして下さいよって思うです。身心脱落、自分とい うどうもならんの、賊を子となし奴隷を主人となしですか、こいつを正に免れるよりないんです、ぶっこわれひしゃくを以て祖先のどくろとなす、云いえて妙です、どっちも役立たずを後生大事する、世間一般これ、驢あんきょうろばの鞍、いっぱしの男が股がるにはです、そこらじっさのしゃべり中気の顎ですか、まあいいとこです。土を裂き茅を分かつは封土を安堵するたとえのようです、無位の真人たるを知る、もとっこ無舌人の弁、臨済一掌を与える、ぶんなぐるかつきっころばす、托開です、この僧うわってなもんで呆然、するとわきにいたのが、裾引っ張って、なんで礼拝せざる、お拝せんかという、僧拝する途中ではあっと気がつくんです、無位の 真人面門に現ずる、かんしけつ雲散霧消です。もとっからそうです、取り付く島もないんです。
頌に云く、迷悟相ひ反し、妙に伝えて簡なり。春百花を拆かしめて一吹し、力九牛を廻らして一挽す。奈かんともするなし泥沙撥らへども開けざることを、分明に塞断す甘泉の眼、忽然として突出せば、ほしいままに横流せん。師復た云く、険。
迷いあれば悟りありです、あい反するところを一掃するにはどうしたらよいか、迷悟。念起念滅のまんまに面門に現ずるんです、無位の真人という、おれがというなにがしかを去って下さい、去るほどに全体なんです、どこまで行ってもそれだけ、これを妙に伝えて簡なりです。大死一番でしょう、自分という取り柄がなんにもなくなるんです、死ぬとは正に死ぬ、すると百花花開いて春を現ずるんです、拆は土へんでたくと読む、ひらくの意です。これどんともう一発驚天動地という、どえらいこったには違いぬが、しみじみといったら情堕ですが、なんという淡いというか、しかも歓喜これに過ぎたるはなし。おれにはまだそんなものない、だからといって別 もの求めないで下さい、死ぬはずが生きようとする、とやこうのそのおのれを托開、突き放すんです。向こうからやって来るんです、向こうにある。力九牛を廻らして一挽する、迷悟そのまんま一掌ですよ。だからおれはしないんです、かんしけつのまんま、分明に塞断する蛇口です、忽然突出よりないんです、なにしろここに気がつくことです。臨済棒喝もなーるほどってわけです、趙州説得は能書きじゃないんです、いってみりゃどんでん返しですか、転法輪、だからどうの世間一般じゃらちあかん、険。

第三十九則 趙州洗鉢
衆に示して云く、來れば口を張り、睡來れば眼を合す。面を洗う處に鼻孔を拾得し、鞋をる時脚跟に摸著す。那時話頭を蹉却せば火を把て夜深けて別に覓めよ、如何が相應し去ることを得ん。擧す。、趙州に問う、學人乍入叢林乞う師指示せよ。州云く、喫粥了や未しや。云く、喫し了る。州云く、鉢盂を洗い去れ。
頌云、粥罷令洗鉢盂、豁然心地自相符。而今參叢林客、且道其間有悟無。
頌に云く、粥罷はえて鉢盂を洗わしむ、豁然として心地自から相い符す。而今參す叢林の客、且らく道え其の間に悟有りや無しや。

衆に示して云く、飯来たれば口を張り、睡来たれば眼を合す。面を洗ふ処に鼻孔を拾得し、鞋をとる時脚跟に模著す。那時話頭を磋却せば、火を把って夜深けて別に覓めよ。如何が相応し去ることを得ん。 挙す、僧趙州に問ふ、学人作入叢林乞ふ師指示せよ。州云く、喫粥し了るや未だしや。僧云く、喫し了る。州云く、鉢盂を洗ひ去れ。
趙州喫茶去と同じく知れわたって、飯食ったか、なら茶碗洗っておけという、右禅問答代表といったふうです。でもこれ本当に知る人皆無といっていいんでしょう。たいてい茶碗洗ったって、なんの足しにもならんです。 九このまり十まりつきてつきおさむ十ずつ十を百と知りせば良寛辞世の歌といわれるこれ、君なくばちたびももたびつけりとも十ずつ十を百と知らじおやとつけて、はじめてそのなんたるかを、わずかにかいま見るんです。まり一つつけないんですよ、いいかげんであり、ことをなすにお留守、すなわちなってないんです。 趙州無字と同じく、むうとなりおわる、どうしてなかなか一苦労です。わしんとこは鶯のホーホケキョ蛙のげこでもいい、鳴いてみろ鳴けたら卒業という、就中できないです、それじゃ地球のお仲間入りできないよって、地球の困ったさん人間です。 作入叢林修行道場僧堂そうりんに入るんです、学人修行僧のわたしに乞う師指示、しいじと読みます、わしも老師にどうしたらいいと聞いた。「ただ。」というんです。まるっきりただと。由来今日にいたる万年落第生ですか。ただの垂語、飯には口を張り、睡眠には目を合わせですか、なんせいつだって大仰なんだから、面洗うとき鼻孔を拾得しが面白いです、わらじには脚跟下模著、もしそれをもって本来人、仏教にならんというんです、一句を用いえんようじゃ、飯食っても美食飽人底、あいまいな面して蘊蓄の、うす汚いのそりゃ五万といますな、今の人ほん とうに味わいうる不可、ソムリエよりゃ赤ん坊の方がたしかですか。すなわち徳山手燭吹滅を味わって下さいというんです。ふわっとごったくさてめえを吹き消しゃいいんです。
頌に云く、粥罷は鉢盂を洗はしむ、豁然として心地自ずから相ひ符す。而今参じ飽く叢林の客、且らく道へ其の間に悟有りや無しや。
粥罷おかゆの終わったあと、しゅくは、今も叢林僧堂で使っています。一生不離叢林はわしらが基本です、他になんの生活もないんです。文人墨客の一人暮らしなんてものないんですし、隠居隠遁なおさらないです。良寛さんの対大古法、つまり先輩古参は子供たちだった。こんなすざまじい叢林はないです、わしなんぞにはとってもできない。まったくなにするかわからん子供です、とうとう一生をともに過ごす。鉢の子洗っておけという、一般のまったくうけがい知らざるところです。 参じ飽いてとはふしだら放逸の反対です。大趙州われより勝れる者は三歳童子もこれを師と仰ぎ、われより劣れる者は百歳老翁もこれに教示しという、六十歳再行脚、かくあってしてはじめて喫茶去です。只管打坐、ただという他にはないんです。鉢盂を洗い去れ、豁然心地の、そうです跡形もなくあい符すんです、この間悟りありやなしや、はいよろしくよく参じて下さい。

第四十則 雲門白黒
衆に示して云く、機輪轉ずる處、智眼猶迷う、寶鑑開く時纖塵度らず。拳を開いて地に落ちず、物に應じて善く時を知る。兩刃相逢う時如何が廻互せん。擧す。雲門、乾峰に問う、師の答話をう。峰云く、老に到るや也未しや。門云く、恁麼ならば則ち某甲遲きに在り。峰云く、恁麼那恁麼那。門云く、將に謂えり侯白と、更に侯黒あり。
頌云、弦筈相啣、網珠相對。發百中而箭箭不、攝衆景而光光無礙。得言句之總持、住游戲之三昧。妙其間也宛轉偏圓、必如是也縱横自在。
頌に云く、弦筈相啣み、網珠相對す。百中を發して箭箭しからず、衆景を攝して光光礙ゆるなし。言句の總持を得、游戲の三昧に住す。其の間に妙なるや宛轉偏圓、必ず是の如くなるや縱横自在。

衆に示して云く、機輪転ずる処智眼猶ほ迷ふ、宝鑑開く時繊塵度らず。拳を開いて地に落ちず、物に応じて善く時を知る、両刃相ひ逢ふ時如何が廻互せん。 挙す、雲門乾峰に問ふ、師の応話を請ふ。峰云く、老僧に到るや也た未だしや。
門云く、恁麼ならば即ち某甲遅きに在りや。峰云く、恁麼那恁麼那。門云く、将に謂へり侯白と、更に侯黒有り。
こりゃ公案の中でももっとも噛み難く飲み下し難しっていうんでしょう、雲門文偃禅師は青原下六世雪峰義存の嗣、沙婆流にいうならこれまた不出世の大家です、越州乾峰禅師は洞山良价の嗣、上堂に云く、法身に三種の病二種の光あり、須べからく是れ一一に透過して始めて得べし、須べからく知るべし、更に照用同時向上の一竅あることを。雲門衆を出でて云く、庵内の人甚麼としてか、庵外の事を見ざる。師呵呵大笑す。門云く、猶ほ是れ学人の疑処。師云く、子是れ甚麼の心行ぞ。門云く、也た和尚相任せんことを要す。師云く、直に須べからく与麼に始めて解して穏坐すべし。門応諾す。すなわちこれあってののちの経緯でしょう、三種の病二種の光はどうぞ適当にお考え下さい、思い当たるというのは坐っていてです、通身思い当たって次に はないんです、次いで通身失せるんです。庵内の人なんとしてか庵外を見ざる。どうですかこれ、大問題たらざるを得ない、自分というどう逆立ちしたってその中の問題です、実に仏教はその外にある。漆桶底を打破して、坐が坐になりおわるふうで坐っていて、さらにこれです。ちらとも自負するあれば庵内です。学者禅師どもきらきらしい禅境という、そんなものないです、ただの日送りです、一般の見る風景しかない。 そいつにむかって捨身施虎です。なんというつまらん四苦八苦の末にという、しゃあないどうもならんわと捨てる、ほんとうに他なし、浮き世もなんも200%自足するんですよ。呵呵大笑を強いて云えば内外なしですか。これなんの心行ぞ、もう一発ぶんなぐる、吹っ飛んで行けばよし、直きにすべからく「始めて解して」穏坐すべしです。さあでもって本則です。師の答話を請ふと云う、どうか云って下さいという、さすがにひっかからんですか。老僧に到るやいまだしや、これ思想分別上のこっちゃない、どうだおれっくらいになったかは世間一般、そうではない、おれに会ったらおれになっているんだろう、他なんかあるかって云ってるんです。宝鑑宝鏡三味です、形 影あい見るがごとく、向こうがこっち、汝これかれに非ずです。恁麼ならば云々、はてわしは遅きに失したか、問うだけ野暮ってね、恁麼那恁麼那そうかそうかってんです。ちえ白だと思ったら黒だってさ、侯白という男すりが、地下鉄サムですか、これも名人が、侯黒という女すりにしてやられる故事です、どうもこうもならんわってこれ、人と人が親しく付き合う常道です。
頌に云く、弦筈相ひ銜み、網珠相対す。百中を発って箭箭虚しからず。衆景を摂っして光光礙ゆるなし。言句の総持を得、遊戯の三味に住す。其の間に妙なるや宛転偏円、必ず是くの如くなるや縦横自在。
網珠というのは一の明珠内に万象倶に現ずという、ほか複雑怪奇な説なんですが単純にこれ帝釈天の網珠、天網快快粗にして漏らさずなどいう、講談師の語もこれによる。弓の弦と矢筈が銜はくつわ、ぎょうにんべんに卸とあって同じです、あいはむんです。明珠と明珠が相対すんですな、するとなにをどうしようが、当たらずということなし。一般ぼんくらと同じにして光通達です、銀椀に雪を盛りです、おりゃそうでなけりゃ意味ないです。われらが箇のありよう、まったく他なし。言句の総持を得る、語未だ正しからざるが故に、重離六交遍正回互と算木六十通り分いっぺんに見える、もと人間のやることなんぞ決まってるんです、場合の数があるだけそっくり です。ゆえに遊戯三味、だれがなにしてどうだって云われると、へえっていってだまされているっきり、嘘いおうがなに云おうがよしよしの老師は、すなわち相手が転ぶ、申し訳なかったなといったってよしよし。これなんぞ、妙なるかなは坐って下さい、坐にまさるものなし、たといどんなものにも代え難いんです、宛転偏円世の常もって縦横無尽。

 

第四十一則 洛浦臨終
衆に示して云く、有時は忠誠己を扣いて苦屈申べ難く、有時は殃及んで人に向って承當不下なり。行に臨みて賤しく折倒し、末後最も慇懃。泪は痛腸より出で、更に隱諱し難し。還て冷眼の者ありや。擧す。洛浦臨終衆に示して云く、今一事あり人に問う、這箇若し是といわばち頭上頭を安ず、若し不是ならばち頭を斬て活を覓む。時に首座云く、山常に足を擧げ、白日燈を挑げず。浦云く、是れ甚麼の時節ぞ、這箇の話を作す。彦從上座あり出て云く、此の二途を去ってう師問わざれ。浦云く、我が道い盡すと道い盡さざるとを管せず。從云く、某甲侍者の和尚に祇對する無し。晩に到って從上座を喚ぶ。今日祇對甚だ來由あり、合に先師の道を體得すべし。目前に法なく、意目前にあり。他はこれ目前の法にあらず、耳目の到る所に非ず。那句かこれ賓、那句かこれ主、若し揀得出せば鉢袋子を分付せん。從云く、不會。浦云く、汝會すべし。從云く、實に不會。浦、喝して云く、苦なる哉苦なる哉。問う、和尚の尊意如何。浦云く、慈舟波の上に棹さず、劍峽徒に木鵝を放つに勞す。
頌云、餌雲鉤月釣津、年老心孤未得鱗。一曲離騒歸去後、汨羅江上獨醒人。
頌に云く、雲を餌とし月を鉤として津に釣る、年老い心孤にして未だ鱗を得ず。一曲の離騒歸り去って後、汨羅江上獨醒の人。

衆に示して云く、有時は忠誠己れを叩いて苦屈申べ難く、有時は殃及んで人に向かって承当不下なり。行に臨んで賤しく折倒し、末期最も慇懃。泪は痛腸より出ず、更に隠諱し難し、還って冷眼の者有りや。 挙す、洛浦臨終衆に示して云く、今一事有りって爾諸人に問ふ、這箇若し是と云はば即ち頭上に頭を安ず、若し不是ならば即ち頭を斬って活を覓む。時に首座云く、青山常に足を挙げて白日灯を挑げず。浦云く是れ甚麼の時節ぞ這箇の説話を作す。彦従上座有って出でて云く、此の二途を去って請ふ師問はざれ。浦云く、未在更に道へ。従云く、某甲道ひ尽くさず。浦云く、我爾が道ひ尽くすと道ひ尽くさざるに管せず。従云く、某甲侍者の和尚に祇対する無し。晩に至って従上座を喚ぶ、爾今日の祇対甚だ来由有り、合さに先師の道ふことを体得すべし、目前に法無く意目前に有り、他は是れ目前の法にあらず、耳目の到る所に非ずと、那句かこれ賓、那句かこれ主、若し揀得出せば鉢袋子を分付せん。従云く、不会。浦云く、爾会すべし。従云く、実に不会。浦喝して云く、苦なる哉苦なる哉。僧問ふ、和尚の尊意如何。浦云く、慈舟清波の上に棹ささず、劒峡徒らに木鵝を放つに労す。
洛浦元安禅師は夾山善会の嗣、せっかく臨終にのぞんでついに法嗣を得ずですか、そんなことはあるまいと思ったのに、千五百の雲衲、とりわけ首座あり従上座あり、忠誠おのれを叩いて苦屈述べ難くですか、殃病わざわいという、眉間に我あり、自分というそいつがひっかかっていると、承当不下手も足も出ないんです、わずかにおのれを囲う、まさにもうそれっきり。爾にんべんがついてましたが汝と同じです、一事を問ふ、まったくに一事の他なく。是と云はば頭上に頭を按じ、いいですかこれが仏教です、一般の思惟とちがうんです、できたといえば回答がある、できたというやつも回答も自分なんです。不是なれば頭を切って活と求む、不是というのはあるんです、あるから許せない、そいつをぶった切れってこと。元の木阿弥はぜんたい手つかず、おぎゃあと生まれたとき、風景だけがあった=自分だったです。取り戻すとなあるほどなあっていうより、当前です、他ありっこないんです。なにをとやこう云うことない。 首座云く、青山常に足をあげて白日灯をかかげず、青山お墓なんですが、云いえたりっていう絵に描いた餅です、浦云く、これなんの時節ぞ、住んでいない作り話をするなって云うんです。彦従上出て、この二途を去って請ふ師問はざれ、仏と仏を見る自分の二途です。どこまで行ってもこれを、そうですいっぺんに去る、問はざれという、どうです、問はざれとこうありますか。浦云く、ようもわからん更に道へという、それがし道ひ尽くさず、どんなに道をうが尽くし切れずという。阿呆め、わしはおまえの云い尽くす云い尽くさぬに管せず。いいですなあ、これに参じて下さい。それをまあ侍者だからもう云わんですといって引き下がる。常ならほっといて機会を待つんですが、今はそうはいっとられん。晩に至って、先師夾山禅師の語を用ふ、目前に法なく意目前にあり、自分という皮袋破れてぜんたい我の、ぜんたいと我を引いて下さい、まさに目前法なく、意目前にありです、切々たるあり、那句かこれ賓那句かこれ主、従上座ついに不会、会すれば印下しようというのに。 苦なるかな、慈舟棹させども棹ささず、木鵝は浮木、杭州五雲和尚座禅箴にあり、流に剣閣に沿ふて木鵝に滞ることなし、仏を得る急流です、取り付く島もないのに取り付こうとする、浮木をやっている、そいつをまず粉砕する。行に臨んでかるがるしく折倒し、末期もっとも慇懃、わっはっはどうしようもないです、苦なるかな徒らに木鵝を放つ。
頌に云く、雲を餌とし月を鈎として清津に釣る。年老ひ心孤にして未だ鱗を得ず。一曲の離騒帰り去りて後、汨羅江上独醒の人。
詩人屈原、官を辞して離騒経を書いてのち、汨羅江に沈んで卒すという故事を踏まえて。孤独という世間一般、あるいは詩人のそれとは、たった一つ違いは、孤独を云々しない、一個即ち唯我独尊です。雲を餌にし月を鈎にして、そりゃ清津、仏教仏のみなと、彼岸に大魚を釣り上げるんですが、たとい心孤にして未だ一鱗を得ずとも、縦横無尽太平に遊戯するんです、年老いついに一箇も得ず、苦なるかな徒らに木鵝を放つ。そりゃまあそういうこってす。良寛さんに跡継ぎがあったか、地球宇宙みな跡継ぎ、焚くほどは風がもてくる落ち葉かなですか、裏を見せ表を見せて散る落ち葉ですか。わっはっはわしはもうちょっとがんばってみます、年老いてなんにも ならずは、無老死亦無老死尽。

第四十二則 南陽浄瓶
衆に示して云く、鉢を洗い瓶に添う盡く是れ法門佛事、柴を般い水を運ぶ妙用通に非ざることなし。甚麼と爲てか放光動地を解せざる。擧す。、南陽の忠國師に問う、如何なるか是れ本身の盧舍那。國師云く、我が與に淨瓶を過し來れ。、淨瓶を將て到る。國師云く、却て舊處に安ぜよ。、復た問う、如何なるか是れ本身の盧舍那。國師云く、古佛過去する事久し。
頌云、鳥之行空、魚之在水。江湖相忘、雲天得志。擬心一絲、對面千里。知恩報恩、人間幾幾。
頌に云く、鳥の空を行き、魚の水に在る。江湖相忘れ、雲天に志を得たり。擬心一絲、對面千里。恩を知り恩を報ず、人間幾幾ぞ。

衆に示して云く、鉢を洗ひ瓶を添ふ、尽く是れ法門仏事、柴を般ひ水を運ぶ、妙用の神通に非ざることなし。甚麼としてか放光動地を解せざる。 挙す、僧南陽の忠国師に問ふ、如何なるか是れ本身の盧舎那。国師云く、我が与めに浄瓶を過し来たれ。僧浄瓶を将って到る。国師云く、却って旧処に安ぜよ。僧復た問ふ、如何なるか是れ本身の盧舎那。国師云く、古仏過去すること久し。
南陽慧忠国師、六祖大鑑慧能の嗣、鉢は鉢の子鉄鉢応量器、お釈迦さんの頭蓋をかたどったと云われ、地に落とせば即刻下山と、飯を喫する器。浄瓶は水を容れる、インドのむかしからの持物であった、水の国日本には馴染まない。趙州鉢盂を洗い去れ、瓶に残月を汲んで帰れという、とくに喚起せずとも、ものみな、行ない起居すべてが仏教です、一一にこうあって他なし。外道のわからんのは、なにかしら別にあると思っている、共産党が、まだ共産党ってのもアホらしいんですか、無だ、ないなんて云ってないで、もっと大切なものをという。大切なものほかになしを知る、これが大変なんですか、たとい学人もまたこれです。神様仏様形而上学、虎の威を仮る狐。よりよいこと、頼りがいっていうのは仏教にはないです。ただの現実です。実にこれを知る、また大変です。死んだら戒名はいらん、なんにもつけないでくれと共産党が云う、いいようで、そうではないんです、一神教のなれのはて、キムジョンルを生むしかない、浅薄の故にですが。 思想観念のかんしけつ、哀れ本来事を知らずに死ぬ、この僧五十歩百歩です。 如何なるか是れ、本身の盧舎那、毘盧舎那仏大仏さんですか、盧舎那遍一切処、光明遍照という、即ちその中にありながらこれを問う、忠国師知らしめる為に、浄瓶をもってこいと云った、もって来てまだ気づかない、ではもとの処へ返しておけという、ほかになんにもないことを知らん。無とはこれです、宇宙万物のよって立つところです。 花無心にしてという、思想分別の根拠じゃないです、主義という愚問ではなく、平和だ戦争という空騒ぎじゃないです。僧また問う本身の盧舎那如何、古仏過去すること久し、花も鳥も達磨さんもお釈迦さんも説くこと久しく、おまえの問ふに会って我もまたかくの如し。
頌に云く、鳥の空を行く、魚の水に在る、江湖相ひ忘れ、雲天に志を得たり。疑心一糸、対面千里、恩を知り恩を報ず、人間幾幾ぞ。
鳥の空を行く魚の水にあり江湖あい忘れと、ものみなまたかくの如し、これ一般の人自然に親しむ、酒はうまいというのと違うんです、魚行いて魚の如し水自ずから澄む、これを得るのに全生涯抛つんです、自分というちらともあれば疑心暗鬼です、対面千里自他の区別になってしまうです。無という即ち架空の我なしを知る、就中どこまで行ってもということあります。ほんとうになくなって坐って下さい、心意識のあるなしに関わらず、まさにもって他なし、筆舌に尽くせぬ正令全提、たとい百歳の中一瞬たりとも償って余りあるんです。恩を知り恩を報ずることは、せっかくこれを知る、正師に会へるは浜の真砂の一握にも及かぬという、大恩これを報ずるに、ま たいくばくぞ。どうかこれを得て下さい。人類破れ惚けようが絶滅もこれあれば是。

第四十三則 羅山起滅
衆に示して云く、還丹の一粒、鐵に點じて金と成し、至理の一言、凡を轉じて聖となす。若し金鐵二なく、凡聖本同きことを知らば、果然として一點も用不著。且らく道え是れ那の一點ぞ。擧す。羅山、巖頭に問う、起滅不停の時如何ん。頭、咄して云く、是れ誰か起滅す。
頌云、斫斷老葛藤、打破狐窟。豹披霧而變文、龍乘雷而換骨。咄。起滅紛紛是何物。
頌に云く、老葛藤を斫斷し、狐窟を打破す。豹は霧を披きて文を變じ、龍は雷に乘じて骨を換う。咄。起滅紛紛是れ何物ぞ。

衆に示して云く、還丹の一粒鉄を点じて金と成し、至理の一言凡を転じて聖と成す。若し金鉄二なく凡聖本同じきことを知らば、果然として一点も用不著。 挙す、羅山巌頭に問ふ、起滅不停の時如何。頭咄して云く、是れ誰か起滅す。
羅山道閑禅師は巌頭全豁の嗣、巌頭は徳山宣鑑の嗣、還丹は神仙秘密の霊薬という、一粒用いて鉄を金に変え、至理の一言凡を聖にかえという、世の中一般の希求です。なぜにそうなるかというと、どっかに不満があるからです、不満なく遊び惚けている三つの子は、たいていそんなこと云わんです。不満のよって来る所を何かと問えば、たいていいろんなこと云います、でもそれ念起念滅する、それを観察するという、これがたった一事によるんです。まずもってこれを知って下さい、知ってもって念起念滅を観察しない工夫です。起滅のまんまにある、ぽっと出ぽっと消えるそのまんまなのに、どうして返り見る、うるさったいだけです。もとないものに煩わされる、これが大問題なんです。いえ人の問題他になし、歴史も宗教も哲学思想も、もとこれの問題なんです。よって還丹の霊薬なにをもってという、処方箋なんかない、まっすぐです。真正面に向き合うとない、だって心が心を観察すること不可能事です。巌頭云く、是れ誰か起滅す。わたくしごとでいえば、かつて摂心に妄想煩瑣に悩まされ、なんとかしようと思った、なんとかしようと思うほどにいよいよです、もう真っ黒になってやってたです、四日めであったか精魂尽き果てて、もうどうにでもなれといったとたん、ふわあっとなんにもなくなった。からんとしちまって脳死みたいです。なんのことはない起滅する念を観察しないだけです。無心心なしとはこれ、自然のありようなんです。念を念が見るというのが不自然なんです。よって悩み苦しむんです、それを妄想というんです。即ち歴史の始まりですか。
頌に云く、老葛藤を斫断し、狐か窟を打破す。豹は霧を披して文を変じ、竜は雷に乗じて骨を換ふ。咄。起滅紛紛是れ何物ぞ。
か穴に巣やっぱり穴です、老葛藤を斫断し狐か窟を打破すとは、まさにこれ坐禅そのものです、なにしろいつだって老葛藤、どこまでいっても、いいのわるいのさあどうだです、これをどうにかできれば、きれいさっぱりしたいと踏ん張るわけです。さあどうしたらいいですか、坐るっきゃないです、換骨奪胎ですか、豹は霧によって模様を替え、竜は雷によってという、機縁に触れてがらっと変わる、転ずるんですか、はい坐って下さい、要は自分をもて運んで得ようとしないんです、自分明け渡して行くんです。換骨脱体もがらっと変わろうが観察しないんです。昨日の我はもうないんです、念起念滅をそのまんま。どうしてもそれができないったって、はい坐って下さい。坐るしか解決の方法ないですよ。他人はこれを知らないんです、知っているあなたこそ幸いです、まっしぐらに坐って下さい、坐が坐を知る、風景が風景を坐る、虚空が虚空を息づくんです、この間まったくあなたの取り柄なし、もと起滅紛紛もはいどうぞごかってにというぐらい、まずはあるいは目を向けるとないんです。

第四十四則 興陽妙翅
衆に示して云く、獅子、象を撃ち、妙翅、龍を搏つ。飛走すら尚お君臣を分つ、衲合に賓主を存すべし。且らく天威を冒犯する底の人の如きは如何が裁斷せん。擧す。、興陽剖和尚に問う、娑竭、海を出でて乾坤靜かなり、覿面相呈すること若何。師云く、妙翅鳥王宇宙に當る、箇の中誰か是れ出頭の人。云く、忽出頭に遇う時又作麼生。陽云く、鶻の鳩を捉うるに似たり、君覺らずんば御樓前に驗して始めて眞を知れ。云く、恁麼ならば叉手當胸退身三歩せん。陽云く、須彌座下の烏龜子、重ねて額を點して痕せしむることを待つこと莫れ。
頌云、絲綸降、號令分。寰中天子、塞外將軍。不待雷驚出蟄、那知風遏行雲。機底聽綿兮自有金針玉線、印前恢廓兮元無鳥篆蟲文。
頌に云く、絲綸降り、號令分る。寰中は天子、塞外は將軍。雷驚いて蟄を出すことを待たず、那ぞ知らん風行雲を遏ることを。機底聽綿として自から金針玉線あり、印前恢廓として元鳥篆蟲文なし。

衆に示して云く、獅子象を撃ち、妙翅龍を博つ、飛走すら尚ほ君臣を分つ、衲僧合さに賓主を存すべし。且らく天威を冒犯する底の人の如きは如何が裁断せん。 挙す、僧興陽剖和尚に問ふ、娑海を出でて乾坤静かなり、覿面相呈すること如何。
師云く、妙翅鳥王宇宙に当たる、箇の中誰か是れ出頭の人。僧云く、忽ち出頭に遇ふ時又作麼生。陽云く、鶻の鳩を取るに似たり。君覚らずんば御楼前に験して始めて真を知れ。僧云く、恁麼ならば叉手当胸退身三歩せん。陽云く、須弥座下の烏龜子、重ねて額を点じて痕せしむることを待つこと莫れ。
興陽山の清剖禅師は大陽警玄の嗣、妙翅鳥金翅鳥ともいい、龍を食う鳥、鳳凰ですか、天空の王さまです。娑かつは立に曷しゃから龍王、龍の大王ですか、海中に暴れているやつが飛び出した、さあてまったく納まって覿面に相呈するとき如何、どうだおれはかくの如し、和尚さあ道え、というわけです。そりゃあもうやったあどんなもんだいです。陽和尚、妙翅鳥王まさに宇宙にあたる、はいよってなもんです、でどこに出頭人がいるんだ。忽ち出頭にあうとき如何、おれだおれだっていうんです、笑っちまうんですか、鶻はくまたかです、くまたかが鳩を取るようなもんだ、君覚らずんばは、平原君趙勝という人の御楼前に、美人の首を斬ってかかげる故事です、とやこういってないで斬るもの斬ってそれから道えっていうんですか。もし本当にそうだってんなら、胸に叉手、手を組んで退身三歩せん、ならそうすりゃいいのにまだおれはという、須弥壇、蓮華座の床足に烏亀子を用いる、盲の亀を踏んづけているんです、ばかったれえめが、もう一度額に点す、おまえは未だし、駄目だなんとかせえって云われたいのかってこと。飛走、鳥やけものでさえ君を分つ、ましてや衲僧賓主を存す、彼我雲泥の相違が見えないんです。どうしても得ようとする、ついに得たという、天下取っただからどうだの世界です、これが根底くつがえって始めて仏教ですか。発露白仏、うわあなんつうこったおれはという、通身上げての、百年なんにもならずはの大反省です、するとようやく坐禅になりますよ。以無所得故、菩提薩たです。かつての大力量が点と線ぐらいにしか思えんです、われ無うしてものみな、ものみなが坐禅する、わかりますかこれ。
頌に云く、糸綸降り、号令分る、寰中は天子、塞外は将軍、雷驚いて蟄を出だすことを待たず、那んぞ知らん風行雲を遏むることを。機底聯綿として自ずから金針玉線あり、印前恢廓として、元鳥てん虫文なし。
糸綸、綸旨みことのり天子の言葉、寰中幾内天子の直轄です、塞外は関所の外、将軍が天子の勅を受けて布令する諸国をいう。糸綸下りとはどういうことですか、だから抜きの言です、物まねでない自ずからなんです、仏教という別誂えを仮りないんです、世間一般のまた自然とは、雲泥の相違のあることを見て下さい。良寛さんの記を見ると、独創なんてものないといっていい。人まねだれでもできることであったり、万葉から一歩も出ぬ歌であったりします。しかもなをだれにも真似できんです、真似したらひっくりかえるっきりです。さあどういうことです。寰中天子他にはないです。蟄は虫土にひそんでいる龍ですか、一喝驚いて飛び出すという、飛び去ってなくなりゃいい。風行雲をとどむることを知るんですか、不可能ですか。織りなす古錦春象を含むという、仏教開始の合図ですか、自ずから金針は、かくあるべしという捺印はんこ要らないんです、ゆえにもって廓然無聖まさに快廓です。てんはてん字などいう中国の古字虫文も同じどっか複雑怪奇です、そういうことやってないでからり本快事。

第四十五則 覚経四節
衆に示して云く、現成公案只現今に據る、本分の家風分外を圖らず。若し也強いて節目を生じ抂げて工夫を費やさば、盡く是れ混沌の與に眉を畫き、鉢盂に柄を安ずるなり。如何が平穩を得去らん。擧す。圓覺經に云く、一切時に居して妄念を起さず、の妄心に於いて亦息滅せず。妄念の境に住して了知を加えず、了知無きに於いて眞實を辨ぜず。
頌云、巍巍堂堂、磊磊落落。鬧處刺頭、隱處下脚。脚下線斷我自由、鼻端泥盡君休。莫動著、千年故紙中合藥。
頌に云く、巍巍堂堂、磊磊落落。鬧處に頭を刺し、隱處に脚を下す。脚下線斷えて我自由、鼻端泥盡く君ることを休めよ。動著すること莫れ、千年故紙中の合藥。

衆に示して云く、現成の公案只だ現今に拠る、本分の家風分外を図らず。若し也た強ひて節目を生じ、枉げて工夫を費やさば、尽く是れ混沌のために眉を描き、鉢盂に柄を安ずるなり、如何が平穏を得去らん。 挙す、円覚経に云く、一切時に居して妄念を起こさず、諸の妄心に於て亦息滅せず、妄想の境に住して了知を加えず、了知無きに於て真実を弁ぜず。
これおもしろいんです、著語があって不と各節に付く、ノーノーっていうんです、わしもまったくそういって読んでたですが、これもっとも基本の坐の工夫かくのごとくなんです。円覚経清浄慧菩薩の章、非思量底を知らしむとあります。非思量底いかんが思量せん、一切時にあって妄念を起こさずという、身心ものみなを、念起念滅する一般解、というともののたとえですが、そやつをよこしまにする、特殊解するんです、どうもこのたとえあんまりよくないな。孫悟空の頭の鉢ですか、よこしまわがものにすると痛むんです、おれがやったらもうどっかうまく行かない、解放する明け渡すんです、すると虚空が虚空を坐禅するふうです。一応こんな目安でやって下さい。人間、いえわしのこってすか、どうしようもこうしようもないとこあってじきにおれがやっちまうです、なんの取り柄もない、かすにもならんとこをもって、挙げてお手上げです。すると仏の世界に現ずる無自覚ですよ。公式としちゃあまったく二二んが四です。しかもこれ世の人あるいは一神教主義主張の知らないところは、妄想なけりゃないがマル、妄想を除いて真実を求めよう、あるいはそんなことできっこないから、なあなあコンセンサスやるんです。この世を線型に支配しょうという無理無態ですか。君見ずや絶学無位の閑道人、妄を除かず真をもとめず、手つかずの工夫です。まったくただの只管打坐です。そうして工夫がうまく行っているときに、円覚経とねえふーんてなもんですよ、本分の家風強いて節目にあたらず、混沌に目鼻を付けると死んでしまう、そりゃ端にわがことかくの如しだからです、はい手放し。
頌に云く、巍巍堂々、磊磊落落、閙処に頭を刺し、穏処に足を下す。脚下線絶えて我自由、鼻端泥尽く君けずることを休めよ。動著すること莫れ、千年故紙中の合薬。
巍高いありさま、巍巍たる金相、堂々たる覚王と、如来お釈迦様の形容です。 ものみな失せて内外同じ、周囲になり終わるんです、自分というよこしまの分がないんです。巍巍堂々とも言葉足らず、磊落もなをけい礙ありですか、威儀これ仏法と云われる所以です。でもそれ宗門人みたいに無内容の猿真似じゃみっともないきりです、心理学の対象にしかならんです。閙はさわがしい、穏はその反対ですか、とかく手を付けたがる、そりゃ騒がしいっぱなしじゃ困る、穏やかに眠っちまってもしょうがない、なんとかしようというんです。なんとかぴったり行くってんですが、脚下線絶えて自由、手を付けない正解なんですよ。鼻の頭の泥ってこれ精妙剣のたとえだったですか、どんな手練れもあるだけ余計なんですよ、これ坐の辺に証明して下さい。 楽になった、なんという広大無辺もまたその皮一枚むけてってことあります。ついにはまったくの手付かず、大海三味箇の大海に埋没するがごとく、どっちどう転んだっていいってことがあって、始めて動著する莫れの仏教入門です。はい今ではもう二千年来の円覚経合薬、なに変わらずの珍重。

 

第四十六則 徳山学畢
衆に示して云く、萬里寸草なきも淨地人を迷わす、八方片雲なきも晴空汝を賺す。是れ楔を以て楔を去ると雖も、空を拈じて空をうる事を妨げず。腦後の一槌別に方便を見よ。擧す。山圓明大師、衆に示して云く、及盡し去るや、直に得たり三世佛口壁上に掛くることを。猶お一人有って呵呵大笑す。若し此の人を識らば參學の事畢んぬ。
頌云、收、把斷襟喉。風磨雲拭、水冷天秋。錦鱗莫謂無滋味、釣盡滄浪月一鉤。
頌に云く、收、襟喉を把斷す。風磨し雲拭い水冷に天秋なり。錦鱗謂うこと莫れ滋味無しと、釣り盡す滄浪月一鉤。

衆に示し云く、万里寸草無きも浄地人を迷わす、八方片雲無きも晴空汝を賺す。是れ楔を以て楔を去ると雖も、空を拈じて空を柱ふることを妨げず。脳後の一槌別に方便を見よ。 挙す、徳山円明大師衆に示して云く、及尽し去るや、直に得たり三世諸仏口壁上に掛くることを。猶ほ一人有って呵呵大笑す、若し此の人を知らば参学の事畢んぬ。
徳山円明大師は雲門の嗣、これは三心不可得いずれの心にか団子食らうと云われて、龍潭和尚を訪ねる徳山とは違う、徳山九世です、しかもまあ痛快至極の説得ですか。及尽し去るや、参禅はこれすべてを尽くして後なんです、学者余外の人とやこういう、口幅ったい連中の、百生ほどはあっさり卒業するんです。なにとやこう云おうが先刻承知という、いえ尽くし終わって忘れ去るんです。すると二度と迷わない、いえなんにも云うことない、云わない、云いえないんですよ。口壁上にかかる、なを一人あって呵呵大笑、見ずやというんです。この人を知らば参学の事畢わんぬ。はーいこの人を知って下さい、まさにもって他には方法がないです。万里寸草なしにきれさっぱりする楔です、くさびになる風景ですか、片雲なき晴空賺はだます、そんなもんにだまされちゃだめですよっていうんです。自分でもって掃き清める、楔を以て楔を抜こうとする、そうしている自分如何の問題です、すべてを尽くそうが、尽くしているそいつがあっちゃ、空を拈じ空を柱えるんです。よって脳後の思いももうけぬ一撃です。いえさ棚からぼた餅じゃない、やっぱり自ずからなんです、そうしてどうあったろうが坐るよりないです。わかりますかこれ、そうねえ全生涯捨てるっきりないです。仏もなにも一切です、捨てるも捨ておわって呵呵大笑。
頌に云く、収。襟喉を把断す。風磨し雲拭ひ、水冷ややかに天秋なり、錦鱗謂ふこと莫れ慈味無しと、釣り尽くす滄浪の月一鈎。
収、まあ一巻の終わりってなもんです、もうまるっきり先なし、もとこの通りあったということを知る。天地宇宙歴史人生ビッグバンもさ一場の漏羅と云った具合で、無始無終こうあるという。そりゃ人が見るなら、風磨雲拭水冷ややかに天秋、いやもう空っけつ、どうにも取り付く島もないんですが、花あり月あり楼台あり、わっはっは我が青春てなもんで、ものみなぜんたいです。慈味というたとい錦鱗の、鳳凰だろうが龍だろうが、これを知れるなしです。蛇足ながらかつて寸分の苦労があったんですか、釣り尽くす滄浪の月一鈎、別に問題はないよ、まったくの余計ごと。

第四十七則 趙州柏樹
衆に示して云く、庭前の柏樹、竿上の風幡、一華無邊の春をくが如く、一滴大海の水をくが如し。間生の古佛迥かに常流を出ず、言思に落ちず若爲んが話會せん。擧す。、趙州に問う、如何なるか是れ師西來意。州云く、庭前の柏樹子。
頌云、岸眉横雪、河目含秋。海口鼓浪、航舌駕流。撥亂之手、太平之籌、老趙州老趙州。撹撹叢林卒未休、徒費工夫也造車合轍。本無伎倆也塞壑填溝。
頌に云く、岸眉、雪を横え、河目、秋を含む。海口、浪を鼓し、航舌、流に駕す。撥亂の手、太平の籌、老趙州老趙州。叢林を撹撹して卒に未だ休せず、徒らに工夫を費し、車を造って轍に合す。本伎倆無うして壑に塞り溝に填つ。

衆に示して云く、庭前の柏樹、竿上の風幡、一華無辺の春を説くが如く、一滴大海の水を説くが如し。間生の古仏迴かに常流を出ず。言思に落ちず若為んが話会せん。 挙す、僧趙州に問ふ、如何なるか是れ祖師西来の意。州云く、庭前の柏樹子。
祖師西来意とは達磨さんがインドからやって来た意とは、ということです、柏は日本のかしわと違って松に近い常緑樹だそうです。如何なるか是れ祖師西来意、庭前の柏樹子と、禅問答代表みたいになって、型にはまって目前の露柱だの、卓子だのやってます。猿芝居の晋山式や小参問答など、それを見た県会議員が、さすが坊さんはえらいもんだ、師の尊答を拝謝し奉るたって、わしら議会納得させるのには命がけだと皮肉った。自浄作用のない若い坊主ども、云う甲斐もないんですが、庭前の柏樹子という破天荒なんです。仏という悟ったらという、なにかしら思い込みがいっぺんに吹っ飛ぶ。飛び板の辺に乗っていたやつが、飛び板ないんです、真っ逆様に墜落して七分八裂する、いえあとかたないんです。こりゃ話堕に落ちたですか、大趙州なんたってとやこうの余地ないです。とうやこうがとやこうと回向する、一華無辺の春、一滴大海水です。間生古仏、五百生の大善知識といわれる、六祖また大趙州です。ちなみに竿上の風幡は、六祖風動幡動の則です、風も動かず幡も動かず汝が心動くなり、はいこれ体現して下さい、ほんに木の葉揺れずこっちがこう揺れ動くんですよ。
頌に云く、岸眉雪を横たへ、河目秋を含む。海口浪を鼓し、航舌流れに駕す。撥乱の手、太平の籌。老趙州老趙州、叢林を攪攪して卒に未だ休せず。徒らに工夫を費やして、車を造って轍に合す。本技倆無うして壑に塞がり溝に填つ。
面白いですね、岸が眉で河が目で河口ではなくて海の口、航跡が舌、これ文人ならでかしたというんでしょうが、実に五体あっちがわというんでは百歩遅いんです、庭前の柏樹子と、なり終わって毫髪も残らんのです。だからこの頌は、風景だけがある、面白いのはそこなんです。なんとも譬えようにないんですよ、そこからして言語する、我という架空に陣取ってとやこうを、まずはぶっ食らわせ撥乱の手です。 籌ははかりごと、太平という人情沙汰ではない所をもってす。老趙州老趙州です、まさに右に出るものはいないんです。六十歳再行脚、我より勝れる者はたとい三歳の童子と雖もこれに師事し、我より劣れる者は、たとい百歳の老翁と雖もこれに教示すという、齢百二十までも叢林僧堂です、帰依僧和合尊の拠るところ、祇園精舎です、よどんでるやつひっかきまわして、未だ休せず、よどんでいるというのは、転法輪仏教の車かくあるべしと、工夫してもって轍に合わせること。そうではないもと技倆なくして、だからとか頭の鉢通さないんです、壑は谷、太平まったいらをとやこうってのどかんとやるんです。どうにもこれが籬の外大道長安。

第四十八則 摩経不二
衆に示して云く、妙用無方なるも手を下し得ざる處あり、辯才無礙なるも口を開き得ざる時あり。龍牙は無手の人の拳を行うが如く、夾山は無舌人をして解語せしむ。半路に身を抽んずる底是れ甚麼人ぞ。擧す。維摩詰、文殊師利に問う、何等か是れ菩薩不二の法門。文殊師利云く、我が意の如きは一切法に於いて無言無、無示無識にしての問答を離る、是れを不二の法門となす。是に於いて文殊師利、維摩詰に問うて云く、我等各自にき已る、仁者當にくべし、何等か是れ菩薩不二の法門。維摩默然。
頌云、曼殊問疾老毘耶、不二門開看作家。表粹中誰賞鑒、忘前失後莫咨嗟。區區投璞兮楚庭士、報珠兮隋城斷蛇。休點破、絶瑕。俗氣渾無却較些。
頌に云く、曼殊、疾を問う老毘耶、不二門開いて作家を看る。表粹中誰か賞鑒せん、忘前失後咨嗟すること莫れ。區區として璞を投ず楚庭の士、として珠を報ず隋城の斷蛇。點破することを休めよ。瑕を絶す、俗氣渾べて無うして却って些に較れり。

衆に示して云く、妙用無方なるも手を下し得ざる処有り。弁才無礙なるも口を開き得ざる時有り。龍牙は無手の人の拳を行なうが如く、夾山は無舌人をして解語せしむ。半路に身を抽んずる底是れ甚麼人ぞ。 挙す、維摩詰、文殊師利に問ふ、何等か是れ菩薩入不入の法門。文殊師利日く、我意の如くんば一切法に於て無言無説、無示無識にして諸の問答を離る、是れを入不入の法門となす。是に於て、文殊師利維摩詰に問ふて云く、我等各自に説き已る、仁者常に説くべし、何等か是れ菩薩入不入の法門。維摩黙然。
これは維摩経入不入法門品第九の文だそうです、維摩詰イマラキールテ無垢称と訳す、釈尊と同時代の人維摩居士。文殊菩薩は智恵第一の、普賢菩薩は行ない清ますこと第一の、お釈迦さまの両脇侍です。菩薩入不入の法門とは、無漏余すところなしです、説いても説かずとももとこの通り、自覚するも無自覚も同じです。これを得るにはまさにこれに住すしかなく、文殊菩薩、我が意の如くなればと、各自まさにもって示して下さい。唯物論がどうの唯識だ空論がどうのと、たわけたことをいう人、たといなんの為にし、たとい得てなんになるかという、まっぱじめの問題に答えを出して下さい。でないと長柄を北に向けて南を求める、マンガにもならんのです。外道の云うかいなくではなく、一切法の疵あるなく、無言無説無示無識、一輪の花のように諸の問答というも塵埃です。さあ道うてみろと云われて、黙然ですか、そんな花ないですよ、すみれ一輪百千万億です、しかもなんというけれんのなさ。人間も人間の如来に同ぜるが如し、なんの過不足もないはずです、だのになんの言説。
頌に云く、曼殊疾を問ふ、老毘耶、不二門開けて作家を看る。表粋中誰か賞鑑せん、忘前失後咨嗟すること莫れ、区区として璞を投ず楚庭のひん士、燦燦として珠を報ず隋城の断蛇、点破することを休めよ、瑕を絶す、俗気渾べて無うして却って些に当たれり。
曼殊は文殊に同じ、毘耶は毘耶城に住んでいた惟摩居士のこと、入不入の不二の門開けて、かつて見たこともなかった、思想観念によらぬ世界です。思い込みによらぬ作家を見るんですこれあって初めて仏教帰依です。らしいにせのキリスト教じゃないんです、信じたって迷妄、みんなでもって神のみもとへ、選良だろくでもないことしてないで、人間も脳味噌にしてやられ卒業して、新人類ですか。どうにもこうにもの今世紀、生まれ変わって下さいよ、こんなふうじゃやってられんです。この項中国人垂涎の玉について、漢和辞典で捜す玉ばっかり出て来ます、玉に民は燕みん玉に次ぐものとあります、みん中玉表、表は石で中に玉、せっかく玉なのにそれに気がつかない。惟摩黙然呆然自失も、咨嗟ため息して嘆くんです、なにさそんなこといらんよっていうんです。楚庭ひん月に賓です士、卞和三献の故事です、両足切られてなをも献じて玉なりとす、いいからまっしぐらにやれってこってす。隋城断蛇は、大蛇の疵を治してやったら玉を吐いて報いた、明なること月の照らすが如く、明月の珠と名付くとある。まあ蛇だって珠を報ずるってわけです、点破するたいていの人これです、せっかく坐りながら点検です、いいのわるいのやっている、入不入の法門思い切って点破、点検するから破れるんです、これをなげうつんです。疵を絶することもと疵なし、手つかずの法門安楽の法です、すなわち手を付ければ手を付けたがあるんです、付けなければもとない、只管打坐、俗気さらになけれぼそれを瑕疵です。惟摩居士ならずはたといこれを得ずですか、人人大いに真正面。

第四十九則 洞山供真
衆に示して云く、描不成畫不就、普化は便ち斤斗をえし、龍牙は只半身を露わす。畢竟那の人、是れ何の體段ぞ。擧す。洞山、雲巖の眞を供養する次で、遂に前の眞をするの話を擧す。あり問う、雲巖祇這れ是れと道う意旨如何。山云く、我當時幾ど過って先師の意を會す。云く、未審雲巖還って有ることを知るや也た無しや。山云く、若し有ることを知らずんば爭でか恁麼に道うことを解せん、若し知ることあらば爭でか肯て恁麼に道わん。
頌云、爭解恁麼道、五更鷄唱家林曉。爭肯恁麼道、千年鶴與雲松老。寶鑑澄明驗正偏、玉機轉側看兼到。門風大振兮規歩綿綿、父子變通兮聲光浩浩。
頌に云く、爭でか恁麼に道うことを解せん、五更鷄唱う家林の曉。爭でか肯て恁麼に道わん、千年の鶴は雲松と與に老う。寶鑑澄明にして正偏を驗す、玉機轉側して兼到を看よ。門風大いに振って規歩綿綿たり、父子變通して聲光浩浩たり。

衆に示して云く、描不成、画不就、普化は便ち斤斗を翻し、龍牙は只半身を露はす。畢竟那んの人ぞ。是れ何の体段ぞ。 挙す、洞山雲巌の真を供養するの次いで、遂に前の真を貌する話を挙す。僧あり問ふ、雲巌祇だ這れ是れと道ふ意旨如何。山云く、我当時幾んど過って先師の意を会す。僧云く、未審し雲巌還って有ることを知るや也た無しや。山云く、若し有ることを知らずんば争でか恁麼に道ふことを解せん、若し有ることを知かば争でか肯へて恁麼に道はん。
普化盤山宝積の嗣、「明頭来也明頭打、暗頭来也暗頭打、四方八面来也旋風打、虚空来也連架打。」という普化宗の祖。臨済にろばと云われて驢鳴をなす、普化驢馬という。盤山順世に当たり、衆に告げて云く、我が真を貌し得るや否や、衆写すところの真をもってす、山肯ぜず、普化出でて斤斗とんぼがえりを打つとある。貌はしんにゅうがついているんですが、同じく顔をかたどるの意、真今でいうなら写真です、むかしから葬式に位牌と真を持つ。描不成、画不就はつまりそのまんまでいいんですが、鳥を描いても鳴き声はかけぬ、花を描いてもにおいはかけぬとあります。龍牙は洞山良价の嗣、龍牙山居遁禅師、徳山に問うて、学人ばくや(吹毛剣)によって師匠の頭を取る時如何と。山首をつん出してカという、師云く、頭落ちぬ、山呵呵大笑す。これをもって洞山に挙して初めて省す。ほんにばくやの剣の自信があったんでしょう、しかもなお半身。本則の学人も、いぶかし雲巌かえって有ることを知るやと、問うときに相当の自信があるんです、自信のある分が駄目ってこと知らない、おそらく有ると云えばあやまち、無いといえばあやまちさあどうするってわけです、洞山あるいはその通りに答えて、学人の自信を根底から奪い去る、さしのべた手を引く如く、はあっと墜落なんにもない、そうですよ恐怖の一撃。
頌に云く、争でか恁麼に道ふことを解せん、五更鶏唱ふ家林の暁、争でか肯えて恁麼に道はん、千年の鶴は雲松と与に老ふ。宝鑑澄明にして正偏を験す、玉機転側して兼倒を看よ、門風大いに振るって規歩綿々たり。父子変通して声光浩浩たり。
洞山雲巌を辞す、山問ふ、和尚百年の後人、還って師の真を貌得するや否やと問はば如何が祇対せん。巌良久して日く、祇だ這れ這れと。この則はこれを踏まえてもって挙す。いかでか恁麼に道うことを解せん、ただこれこれと、五更夜明けを待ってにわとりが時を告げる、そりゃ日本でもずっと家林の暁だったです。そのかみただこれと示されて、なんという衲はと省す。千年の鶴はという洞山大師です、仏向上事昨日の我は今日のおのれに非ず、巌良久してただ這れという、そっくり手に入ったという一瞬の夢です。宝鑑澄明という宝鏡三味に拠る、正偏兼倒という洞山五位から来る、いずれ本来事玉機転転人々門風大いにふるって下さい。得た得ないじゃない毎日命がけといったふうですよ。命がけが悪かったらなめくじのなんにもならんでいいです、あるいはわがもの底無し、あるいはかすっともなく、日々葛藤を日々是好日です、人の日送り如何、父子変通して声光浩浩たり、手前味噌の孤独独創みたいうさんくさいものないんです、逐一において天上天下。

第五十則 雪峰甚麼
衆に示して云く、末後の一句始めて牢關に到る、巖頭自負して上親師を肯わず、下法弟に讓らず。爲復是れ強いて節目を生ずるや、爲復別に機關ありや。擧す。雪峰、住庵の時、兩あり來って禮拜す。峰、來るを見て手を以って庵門を托して放身して出でて云く、是れ甚麼ぞ。亦云く、是れ甚麼ぞ。峰、低頭して庵に歸る。、後に巖頭に到る。頭問う、甚麼の處より來るや。云く、嶺南。頭云く、曾て雪峰に到るや。云く、曾て到る。頭云く、何の言句かありし。、前話を擧す。頭云く、他は甚麼とか道いし。云く、他、語無うして低頭して庵に歸る。頭云く、噫當時他に向って末後の句を道わざりき。若し伊に向って道わば天下人雪老を奈何ともせじ。、夏末に到って再び前話を擧してす。頭云く、何ぞ早く問わざる。云く、未だ敢て容易にせず。頭云く、雪峰我と同條に生ずと雖も我と同條に死せず。末後の句を知らんと要せば只這れ這れ。
頌云、切磋琢磨、變態訛。葛陂化龍之杖、陶家居蟄之梭。同條生兮有數、同條死兮無多。末後句只這是、風舟載月浮秋水。
頌に云く、切磋し琢磨し、變態し訛す。葛陂化龍の杖、陶家居蟄の梭。同條に生ずるは數あり、同條に死するは多無し。末後の一句只這是、風舟月を載せて秋水に浮ぶ。

衆に示して云く、末後の一句始めて牢関に到る。巌頭自負して上親師を肯はず、下法弟に譲らず、為復是れ強いて節目を生ずるや。為復別に機関ありや。 挙す、雪峰住庵の時、両僧あり、来って礼拝す。峰、来たるを見て、手を以て庵門を托して、放身して出でて云く、是れ甚麼ぞ。僧亦云う、是れ甚麼ぞ。峰、低頭して庵に帰る。僧、後に巌頭に到る。頭問ふ、甚麼の処より来たるや。僧云く、嶺南。
頭云く、曾て雪峰に到るや。僧云く、曾て到る。頭云く、何の言句か有らん。僧前話を挙す。頭云く、他は甚麼とか道ひし。僧云く、他、語無ふして低頭して庵に帰る。
頭云く、噫当時他に向かって末後の句を道はざりき。若し伊に向かって道はば、天下の人、雪老を奈何ともせじ。僧夏末に至って、再び前話を挙して請益す。頭云く、何ぞ早く問はざる。僧云く、未だ敢えて容易にせず。頭云く、雪峰我と同条に生ずと雖も、我と同条に死せず、末後の句を知らんと要せば、只だ這れ這れ。
雪峰巌頭ともに徳山門下、巌頭が兄弟子です、人も知る雪峰の、我今始めて鰲山成道は、兄弟子巌頭と鰲山というところに、雪に閉ざされて、雪峰は坐し巌頭は足つん出して寝ている、乃至は門より入るものは家珍にあらずという言下にこれを得るんです。この則どうですか、雪峰悟をえたあとですか前ですか、どっちでもいいから面白い。もっとも放身して出でてという、並みの人には出来ないですよ、我ごとに投げ与える、これできりゃもうそれ十二分なんです、痛快この上なし。巌頭は、五十五則にあるんですが、師匠の徳山をとっつかまえて、末後の一句やるんです、こんな老婆親切男いないです。そこがぞっこん好きなんですが、しっかりしていることは、他仏祖師方と引けは取らんです。末後の一句さえ道い出でたら、せっかく雪峰も、天下の人如何ともし難し。大丈夫万々歳になったというのに、惜しいことをした。こう云われちゃこの僧忘れることできんです、せっかく雪峰と同死同生底だっていうのに、そいつに気がつかない、すなわちお釣りが出た。どっちみち低頭して帰るも、これなんぞも、寸分の別途ないんです。手つかずならもとかくの如し、どうですか急転直下しませんか。おれのやってること余計事、いったいなんでっていうんです、はいこれ末後の一句。 末期が終わったら死ぬばかり、死人に口なしですか。
頌に云く、切磋し琢磨し、変態しこう訛す。葛陂化龍の杖、陶家居蟄の梭。同条に生ずるは数あり、同条に死するは多無し。末後の一句只這れ是れ、風舟月を載せて秋水に浮かぶ。
切磋琢磨は今に残った成句ですか、玉を磨いて光りを放つ、せっかく切磋琢磨したやつを、変態こう訛です、変態は今は別様に使うようですが、昆虫の変態など、要するに様変わるんです、こう訛、訛は方言なまり、ごうかという成句があったはずですが、こうは肴に几又です、末後の一句という正論仏教にはあんまりない語ですか、もっとも禅門そこばくの手段、正統仏教とは且喜没交渉ってとこあります。仏教学者も行ない清ましたって、自救不了、まったくなんにもならんのに説教だの、うるさったいばかりです。そんなふうで他の一神教となると恐ろしいです、人類迷妄の歴史は、二千年の落とし前をいったいどう付けりゃいいって、もはや地球を滅ぼすばかりですか。葛陂化龍は、むかしばなしみたいなので、薬売りが壺の薬を売って、売り終わると壺の中に入っている、長房という人が見ていぶかしんで問う、ついで杖をもらって飛んで行き龍に化した云々。陶家居蟄も、蟄龍といってもぐっている龍ですか、雷鳴って龍と化す話、まあ適当に解釈して下さい。生きるは同条数あり、解釈の分にはさなざまあったって、現実はただ這れ、ただもうこうあるっきりです。死ぬるはたった一個。これがどうしても外道にはわからない。せっかく正法眼蔵を外道のまんまじゃ、そりゃ死んでも死に切れない。魚変じて龍と化す那一著如何がです、なにをどうあったってやって下さい、末後の一句死んだらなんにも残らないのですよ、風流の外から面と向かって下さい、枯れ木にも花とともに春風いたる。

 

第五十一則 法眼航陸
衆に示して云く、世法裏に多少の人を悟却し、佛法裏に多少の人を迷却す。忽然として打成一片ならば、還って迷悟を著得せんや也た無しや。擧す。法眼、覺上座に問う、來か陸來か。覺云く、來。眼云く、甚麼の處にか在る。覺云く、は河裏にあり。覺退いて後、眼却って傍に問うて云く、道え適來の這の眼を具するや眼を具せざるや。
頌云、水不洗水、金不博金。昧毛色而得馬、靡絲絃而樂琴。結繩畫卦有這事、喪盡眞淳盤古心。
頌に云く、水、水を洗わず、金、金に博えず。毛色に昧くして馬を得、絲絃靡くして琴を樂しむ。繩を結び卦を畫いて這の事あり、喪盡す眞淳盤古の心。

衆に示して云く、世法の裏に多少の人を悟却し、仏法の裏に多少の人を迷却す。忽然として打成一片ならば、還って迷悟を著得せんや也た無しや。 挙す、法眼覚上座に問ふ、航来か陸来か。覚云く、航来。眼云く、航は甚麼の処にか在る。覚云く、航は河裏に在り。覚退いて後、眼却って傍僧に問ひて云く、汝道へ適来の這の僧、眼を具するや眼を具せざるや。
法眼宗の祖清涼文益禅師は地蔵桂しんの嗣、覚上座という人に、舟で来たか歩いて来たかと聞く、舟で来ました。舟はどこにあった、河ん中にあった。覚上座退ってのち、かたわらの僧に、どうだあいつは悟ってるんか、悟っておらんのかと聞く。 つまりこれだけのこってす。悟ってたんですか、悟ってないんですか。首をかしげたらはあてどうなんです。正解不正解は自分の辺にOX付けてください、Xを付けてもOをつけてもかすっともかすらんようだと、はあてお話にならんですか、お話にならん人大正解ですか。 どこから来たか、南から来ましたという、世法ですか。 答えに響きありという、問うより先に答え、東西南北の風をいとわずですか、庭前の柏樹子と道おうが関といおうが、急転直下するものはする、迷う者はかえって迷うんです、世法を用いるに世法に堕しじゃ、そりゃ生臭坊主の説教みたいに、お布施稼ぎ以外なんにもならんですが、かつてそうではなかった。大道長安忽然大悟は、まがきの外にありと知っても就中とやこうするんです。どこまで行っても迷悟中という、法眼云く、迷悟中と=もとこのとおりの他はなんにもないというのに、どうしてこんなに苦労するのかという、わずかに自分という寸分なんです。そいつがとっつこうはっつこうするんです。正師にも迷わされ邪師にも迷わされというは、迷わされる自 分があるからです。単純な問題。
頌に云く、水水を洗わず、金金に博へず、毛色に昧うして馬を得、糸弦靡うして琴を楽しむ。縄を結び卦を描いて這の事あり、喪尽す真淳盤古の心。
水は水を洗わず、金は金と交換しない、博は貿易なりとあります、まあそういうこって、仏について仏を説くは下の下ですか、仏教について仏教云々は最低ですか、この事少しでも身につけばそこを以て当たるんです。生臭坊主のわしは女の子大好きの、仕方ない身の上相談引き受けようというと、いえこうして目前するだけでいいという、どっか開けるらしい、わしとて未だしだろうが、誰彼しばらくすると元気になる。檀家なぞとくに無駄話しかしないのです。老師に会うと会うだけでがっさり外れるという、先師古仏たしかにそうであったな。それにしちゃオウムやなんとか教みたい、人も寄らんきゃぜにも集まらんな。世法とは違うんです、良馬を選ぶのに毛色に拠らないという、同じ羽根の鳥を呼ぶ一神教じゃないんです、ふりとらしいの嘘八コンクラーベなどいう、どうしてキリスト教の牧師やら、ああいう複雑怪奇な面してるんだろ、そりゃまあわからんこともないけどさ、本当を知らないってだけのこと。真実なけりゃ多数決ですか、民主主義という信仰ですか。琴中の趣を知らば何ぞ弦上の声を労せんという、これも中国の故事ですが、音楽を知るは音楽家であることを要せぬ、むしろ音楽家とはつきあいたくないんです。大人しかこの事に能るなし、ものごとの本来しかないんです。縄を結んで言葉とし八卦を描くもまだなつかしいですか、盤古とは中国開闢の祖ですとさ、即ちそれ以前に向かって求めるがよ く。

第五十二則 曹山法身
衆に示して云く、の有智のものは譬喩を以て解することを得、若し比することを得ず、類して齊うし難き處に到らば如何ぞ他に向せん。擧す。曹山、尚座に問う、佛の眞法身は猶お空の若し、物に應じて形を現ずることは水中の月の如し。作麼生か箇の應ずる底の道理をかん。云く、驢の井をるが如し。山云く、道うことはち大だ道う、只八成を道い得たり。云く、和尚亦如何。山云く、井の驢をるが如し。
頌云、驢井、井驢。智容無外、淨涵有餘。肘後誰分印、家中不蓄書。機絲不掛梭頭事、文彩縱横意自殊。
頌に云く、驢井を、井驢をる。智容れて外るる無く、淨涵して餘あり。肘後誰か印を分たん、家中書を蓄えず。機絲掛けず梭頭の事、文彩縱横意自ら殊なり。

衆に示して云く、諸の有智の者は譬喩を以て解することを得、若し、比することを得ず、類して齊うし難き処に到らば如何ぞ他に説向せん。 挙す、曹山、徳尚座に問ふ、仏の真法身は猶ほ虚空の如し、物に応じて形を現ずることは水中の月の如し、作麼生か箇の応ずる底の道理を説かん。徳云く、驢の井を覩るが如し。道うことは即ちはなはだ道ふ、只だ八成を道ひ得たり。徳云く、和尚又如何。山云く、井の驢を覩るが如し。
曹山本寂禅師、洞山良价の嗣、ともに曹洞宗の祖、諸の有智のものは比喩たとえをもって理解することができる、日常一般です、認識というたとえばこのようなものです、それで理解できたかというと、理解できたという思い込みですか、知識の交通整理、だからどうのの道です、これに疑問をもってはじめて、本当はという仏の世界です。そうして本当は何かというと、実に本則のごとく、仏の真法身は猶ほ虚空の如し、物に応じて形を現ずる以外にないんです。得る理解するという手応えがない、手応えをいえばものみな全体ですか=ナッシングですか、求め尽くして、終に求める自分を離れる、ぜんたいはるかに塵埃を出ず、ほおっと入ってしまっているのへ、入ったという、入っているという実感がない、これおもしろいんですよ。清々とか生き甲斐のはんちゅうを遙に超えるんです、だからおもしろいんです。その面白いことは、徳上座驢ろばの井戸を見るごとくという、そりゃまったく云い得ているんです、そいつを井の驢を見る如くという、がっさり落ちるんです、うわーっ全体、まあそんなこってす。類して等しからず、混ずる時んば処を知る、意言に非ざれば、来機また趣むくと、洞山大師宝鏡三味にあるように、汝これ彼にあらず、彼まさにこれ汝と、このお経どこ取ったって別段のことはないんです、汝今これを得たりと、よろしくよく保護して下さい。
頌に云く、驢井を覩、井驢を覩る。智容れて外くる無く、浄涵して余りあり。肘後誰か印を分たん。家中書を蓄へず、機糸掛けじ梭頭の事、文彩縦横意自ら殊なり。
ろばという愚鈍代表でしょう、無形容なんです、たしかに日常坐臥こうある、黒漆のこんろん夜に走るというより、暗室移らずですか、これを驢と云ったんです。 そうしてぜんたい井戸のようなのは、その真ん中にあるまっしんです。碧水層山玉を削りて円かなり、あるいは深い井戸の底という。なに開けていりゃいいんです、すべからく目は見開くべし、自閉症の坐禅やってるんじゃないんです、春風いたってあるいはしくしく雨が降る、まさにそれを呼吸しそれが呼吸する、わしみたいひなむくれ老人だろうが、青春であり父母未生前です。井驢を見る如く済々無窮を味わって下さい。 はあて誰が味わうんですか。そうですよこれなくんば仏教もへちまもないです。 家中に書を貯えずはまさにわしがこと、本棚なし、いつもどっか行っちまって、必要になると大変、たいていだれかの借りてほったらかし。本なんか読まないよという、だってつまらない、へたくそせせこましい、いやまあそういうこったが、智容れて外れるなく、浄涵して余りありは、まったくもってその通りです、そうねえ地球宇宙人間以外まさにそのように生きているんですか。記述したりだれかに伝えってこと、別段いらんのです。機梭糸をかけずとも文彩縦横無尽、勉強しないかってそんなことないです、でもまあさっさと忘れちまうほう早いか。うんいい文章つくってやろうか。 これはこれ風力の所転、感動を与えって餓鬼どものふりせにゃいかんぜ。

第五十三則 黄檗とう糟
衆に示して云く、機に臨んで佛を見ず、大悟師を存せず。乾坤を定むる劍、人沒し、虎兒を擒うる機、聖解を忘ず。且く道え是れ甚麼人の作略ぞ。擧す。黄檗、衆に示して云く、汝等人盡くこれ酒糟の漢。與麼に行脚せば何の處にか今日有らん。還って大唐國裏に禪師無きことを知るや。時に有り出て云く、只方の徒を匡し衆を領ずるが如きは又作麼生。檗云く、禪無しとは道わず、只是れ師無し。
頌云、岐分絲染太勞勞、葉綴花聨敗曹。妙握司南造化柄、水雲器具在甄陶。屏割繁碎、剪除毛。星衡藻鑑、玉尺金刀。黄檗老察秋毫、坐斷春風不放高。
頌に云く、岐分れ絲染めて太だ勞勞、葉綴り花聨って曹を敗す。妙に司南造化の柄を握って、水雲の器具甄陶に在り。繁碎を屏割し、毛を剪除す。星衡藻鑑、玉尺金刀。黄檗老秋毫を察す、春風を坐斷して高きことを放さず。

衆に示して云く、機に臨んで仏を見ず、大悟師を存せず。乾坤を定むる剣、人情を没し、虎児を擒ふる機、聖解を忘ず。且らく道へ是れ何人の作略ぞ。 挙す、黄檗衆に示して云く、汝等諸人尽く是れとう(口に童)酒糟の漢、与麼に行脚せば何の処にか今日あらんや、還って大唐国裏に禅師無きことを知るや。時に僧あり出でて云く、衆を領ずるが如きは又作麼生。檗云く、禅無しとは道はず只是れ師無し。
黄檗希運禅師は百丈懐海の嗣、臨済の師です。身の丈豊かにして一掌を与えるを以てす、生得の禅なりと、なんともずっぱり頼もしい感じです、とう酒糟の漢は酒かす食らう男、古人の糟粕たる言句葛藤に纏縛せらるをいうと、くそかきべらと同じですか、人のひりだしたものを、ああでもないこうでもないです、世間一般ならともかく学人出家がというわけです。せっかく生まれて生きた覚えもないではないか。100%生きるにはいったん死なねばならん道理です。思い込み観念の死=肉体の死、わがものにしようとする欲望をひっぱがされる。知識学問にしがみつくんですか、死にたくないというやつですよ、これが奪い去られる、肉体の死以前に真実のといったらいいか、ほんとうの死なんですよ。でもって100%生きとは比較に拠らないんです、仏を希求してついにそれっきりになった人が、まるっきり仏を知らないんです。 大悟した人が師を知らず。 生まれたまんまの赤ん坊にして、世間あらゆる常識を貯えているんです、一切事を卒業して、乾坤天地宇宙です。人情というしがらみに拠らない、死にゃそうなる、もっともたいへんなこってすよ、わずかに自由を得る。肉親兄弟あるいは来し方無惨を免れる、いいえ免れるなんてことないです。黄檗の母何変わらずや、一箇のありようただこれ。他なしにこうあるっきりです。虎児を擒はとらえる、虎児を得るおたからを得るんです、たった一回きり取る、単純明解他なしですよ。 聖凡かまっちゃいられんですか。おまえらみんな人のかすばか食っている、そんなんで行脚したっても、昨日ばっかり、今日にならんていうんです。かえって大唐国に禅師なきを知るや。一僧出て、でもあなただって、こうして大衆を領しているではないかってわけです、檗云く、禅なしとは云わず、ただこれ師なし。どうですか見事にこれは一則です。
頌に云く、岐分かれ糸染んで太はだ労労、葉綴り花聨なって祖曹を敗す。妙に司南造化の柄を握って、水雲の器具しん陶に在り、繁砕を屏割しじゅう毛を剪除す。星衡藻鑑、玉尺金刀、黄檗老秋毫を察す。春風を坐断して高きことを放さず。
曹はつかさ、獄官裁判官の意、祖曹でもって祖師方、せっかくお釈迦さまが単純を以て示し、天地有情と同時成道の、綿々他なしに伝わってきたのに、仏教思想だの宗宗門ノウハウだの、枝分かれ花連なりついには敗壊、ただすのにもって黄檗ほどふさわしい人はなく、司南造化というまっしんもってどうだとやるんです、しん陶はろくろ、雲水用具をこさえるはろくろにあり、行脚というからですが、まずはもってそういうこってす。繁砕じゅう毛は鳥のうぶ毛ですが、あっちこっち枝葉末節は、即ち我欲妄想に流れるによってです。そうではないはたしておのれはどうかという、それっこっきり、これが就中できないんです。世法は捨てても仏法は捨て切れぬ、おれはどうなった、道が進んだやれどうだという、結局は世法なんです。身心挙げて仏の家です、ちらとも悟れば仏に返す、帰依というこれ。いいですか、人という他に生き様はないんですよ、捨てるという捨てたという、なにかしら残ったらそりゃなんにもならんです、無料奉仕以外ないんですよ。するとものみな法界が応じてくれます。星衡藻鑑はかりの目が正確なことは、因果応報微塵もごまかしが利かんです、玉尺金刀たとい黄檗なくとも、おろそかにならぬばくやの剣です、ちらともありゃばっさり切られを知る、ようやく参禅の戸口です。高きことを許さず、そうですよ差し当たって先ずはこれに見習う。

第五十四則 雲巌大悲
衆に示して云く、八面十方通暢、一切處放光動地、一切時妙用通、且く道え如何が發現せん。擧す。雲巖、道吾に問う、大悲菩薩許多の手眼を用いて作麼かせん。吾云く、人の夜間に背手して枕子を摸するが如し。巖云く、我會せり。吾云く、汝作麼生か會す。巖云く、身是れ手眼。吾云く、道うことはち太道うち八成を得たり。巖云く、師兄作麼生。吾云く、通身是れ手眼。
頌云、一竅通、八面。無象無私春入律、不留不礙月行空。淨寶目功臂、身何似通身是。現前手眼顯全機、大用縱横何忌諱。
頌に云く、一竅通、八面。象無く私無く春律に入り、留せず礙せず月空に行く。淨の寶目功臂、身は通身の是に何似ぞ。現前の手眼全機を顯し、大用縱横何ぞ忌諱せん。

衆に示して云く、八面玲瓏十方通暢、一切処放光動地、一切時妙用神通、妙用神通且らく道へ如何が発現せん。 挙す、雲巌道吾に問ふ、大悲菩薩、許多の手眼を用いて作麼かせん。吾云く、人の夜間に背手して枕子を模ぐるが如し。巌云く、我会せり。汝作麼生か会す。巌云く、偏身是れ手眼。吾云く、道ふことははなはだ道ふ即ち八成を得たり。巌云く、師兄作麼生。通身是れ手眼。
雲巌曇晟禅師は薬山惟儼の嗣、道吾円智は兄弟子、大悲菩薩という千手観音、千の手に眼がくっつく、偏はぎょうにんべんあまねく、通身と同じです、真夜中まっくらがりに背中に手を回して枕を探る如し、わかりました、偏身これ手眼。なを八成を得たりというんです。じゃどうなんですか、通身これ手眼。どっかちがうですか、ちがうんです、自分という会すという、なにかしらある、驢の井を見る影法師、わかりますかこれ、どこまで行ってもという気がします。あるいは日々背反、どうあっても葛藤です、しかもなおかつ、暗夜に枕頭をさぐるが如し。たとい葛藤も背反もです、すると自分という主中の主がこっちがわにないんです。彼岸というあっちがわばっかりですか、ふうっと失せて井の驢を見るという。師兄作麼生と云われて、通見是れ手眼云うことはまったく同じ。どうですか、葛藤が終わったかという、背反が納まったかという、納まることはまったく納まっている、しかも背反あり葛藤です、八面玲瓏も南天北斗も、呼吸のごとく千変万化ですか、しかも一瞬一瞬です、一切事処放光動地、一切時妙用神通、わしのようなぼんくらあほんだれは、なんせ毎日坐っています、坐るほかにないことを知っています。九十までは生きると占い師が云ったけど、いったん終わった生涯なんというかご苦労さん。もっとも報恩底未だ終わっちゃいない、安閑とはしておられんです、そうして昨日の我は今日にあらず、いやさまだまだまだです。
頌に云く、一竅処通、八面玲瓏、象無く私無うして春律に入る。留せず礙せず月空を行く、清浄の宝目功徳臂。偏身は通身の是に何似れぞ。現前の手眼全機を顕はす。大用縦横何ぞ忌諱せん。
竅は穴一竅処通とは人間の存在そのものなんです、早くこれを知って下さい、妄想法界じゃどうもならんです、自分という架空の思い込みが、世間一般を形成するんです、それは千差万別というよりただの雑多です、人みな自閉症をまげて世間一般となす、中国人はかつてまさにこうある仏祖師方であった、わしのような半端が尊敬も、なを遠く及ばぬほどです、それが今の日本排斥運動の如きは、雑というも愚かとも云いようにないです。共産党という理想の為には何してもいいという、一神教のカリカチュアですか、そのなすこと真実の欠片もなく、しかもそれを世間一般と思い込むんでしょう、物笑いです。これをだが誰彼やってないですか、思い込むようにしか見えない、騒々しい淋しい、喧嘩の原因宗教のよってたつところです。ばっさり脱ぎ捨てて八面玲瓏、象なく私のうして春至って下さい。井の驢を見る、世間一般というあとかたもないんです、このとき初めて人間であり、平和を云い思想を持し得るんです、理想だの神さまだのいう雑っぱはた迷惑じゃない、微妙幽玄ですか。留せず礙せず月空を行く、清浄の宝眼功徳臂、なにものにも替えがたいんです。大悲千手観音あるいは稚拙にしてこのように象ると、いいですか、万億手眼通身あまねくこれあなたなんですよ、あなたという無自覚なんです。どこへ行こうが何しようが大用縦横です、もとこのように行なわれている、何ぞ忌諱せん、早くこれを知って下さい、でないと今生終わってしまいますよ。

第五十五則 雪峰飯頭
衆に示して云く、冰は水よりも寒く、は藍より出づ。見、師に過ぎて方に傳授するに堪えたり。子を養って父に及ばざれば家門一世に衰う。且く道え父の機を奪う者は是れ甚麼人ぞ。擧す。雪峰、山に在りて頭となる。一日遲し、山鉢を托げて法堂に至る。峰云く、這の老漢鐘未だ鳴らず鼓未だ響かざるに鉢を托げて甚麼の處に向て去るや。山、便ち方丈に歸る。峰、巖頭に擧似す。頭云く、大小の山末後の句を會せず。山、聞いて侍者をして巖頭を喚ばしめて問う、汝老を肯わざるか。巖遂に其の意を啓す。山、乃ち休し去る。明日に至って陞堂、果して尋常と同じからず。巖、掌を撫して笑って云く、且喜すらくは老漢末後の句を會せり、他後、天下人伊を奈何ともせじ。
頌云、末後句會也無、山父子太含胡。座中亦有江南客、莫向人前唱鷓鴣。
頌に云く、末後の句を會すや也無しや、山父子太だ含胡。座中亦江南の客あり、人前に向って鷓鴣を唱うること莫れ。

衆に示して云く、氷は水よりも寒く、青は藍より出ず。見、師に過ぎて方に伝授するに堪えたり。子を養うて父に及ばざれば家門一世に衰ふ。且らく道へ父の機を奪ふ者は是れ甚麼人ぞ。 挙す、雪峰徳山に在りて飯頭となる。一日飯遅し、徳山鉢を托げて法堂に至る。
峰云く、這の老漢鐘未だ鳴らず、鼓未だ響かざるに、鉢を托げて甚麼の処に向かって去るや。山便ち方丈に帰る。峰巌頭に挙似す。頭云く、大小の徳山末後の句を会せず。山聞きて侍者をして巌頭を喚ばしめて問ふ、汝老僧を肯はざるか。巌遂に其の意を啓す。山乃ち休し去る。明日に至って陛堂、果たして尋常と同じからず。巌掌を撫して笑って云く、且喜すらくは老漢末後の句を会せり、他後天下の人、伊を奈何ともせず。
飯頭はんじゅという典座の下にあって大衆の喫飯にあたる、徳山宣鑑禅師は青原下四世龍潭祟信の嗣、三心不可得いずれの心をもってその団子食うかと婆子に云われ、ぐっとつまって龍潭和尚を訪ねる、もと大学者であった、手燭の火を吹き消されて忽然大悟、担って来た金剛経を焼く。これも有名なら雪峰飯頭も人のよく知るところ、徳山は結果が出たが、こっちは一場の漏羅ともいうべき。どうも知られているわりにはすっきりしない。末後の一句という巌頭の得意技であって、転ずるまた幾多ということらしいが、せっかく師匠の頭かっぱじいてまで、どうやらなんにもならなかった。どうしてもあるあると思っている、わしがちらとも気がついたとき、老師に食ってかかった。あるあるっていうから参じて来たのに、なんにもありゃしないじゃないかと、老師苦笑して、そりゃ仕方なかろうがという、こんな簡単明瞭をなんでといえば、そうさなちった仏教を説かねばと云った。由来わしのほうも四苦八苦して、ないものがいつまでもあったりしたです、でも渠は後の大雄峰です、雪峰がありと参ずる、得たりと参ずるんです。どうだという、鐘も鳴らん、鼓も打たんのにのこのこ出て来おってと、親分だろうが向こう敵なしの力量です。徳山何いうかと思ったらくるっと引き返す。この大力量、なんにもないっていう、ただそれだけのこってすが、なんにもないとは宇宙そのものです。宇宙っていうの語弊があるですが、もしや山の如くですか。蚊の食うほどもかすらんやつを、というより徳山の無心、雪峰の有心でしょう、そいつがのれんに腕押し。自分に返るー返らなかった、兄弟子の巌頭に挙す。巌頭伝家の宝刀末期の一句をもってす、徳山、肯わざるといえばぶん殴っても看板は維持せにゃならんところです。大力量またもはいといって休し去る、就中明日上堂、果たして尋常とはまったく違ったというんです。巌頭ならずとも大笑い、どうですか末期の一句三千里外に吹っ飛ばして下さい、そこらにひっかかって飯頭やってんじゃないんです。
頌に云く、末後の一句会すや也た無しや。徳山父子太はだ含胡す。座中亦江南の客あり、人前に向かって鷓鴣を唱ふること莫れ。
含胡中国のスラングではっきり物云わぬこと、胡という漢に対する外国人ほどの意で、ここはどうもやっぱり含胡で、末後の一句などたわけたことを云って、なあなあずくで仕出かそうという感じです。末期の一句、ついに自分城を明け渡すんですか、これ坐っても坐ってもの処あって、道元禅師大法を得られる。なんで外国人如きがと侍者の云うのへ、如浄禅師が、あいつもずいぶん叩かれたでなと答える。どこまで行っても自分という、おれはというそやつが抜けないんです、末期とは死ぬる時、おまえ死んだらどうなると聞く、いえそのとかはか行かぬ答え、おまえ死んで三日もすりゃ完全に忘れられるよ、なに人の記憶にあろうがないと同じ、でもってものみ な世間同じく、はいこれを大悟徹底というんだというと、きょとんとしている。そうなんですよ、禅といい参禅坐禅という、なにかあるものを求める、内面といい真髄というんでしょう、そうじゃない、虚空という別にあるもんじゃないです。外に向かって明け渡してゆく、ついに外なしです、みなさん方法が間違ってますよ、風景しかないんです、捨てる=死ぬとはこれ。 詩経国風にあり、また祖録にも出て来ます、江南三月、鷓鴣鳴くところ百花開くという、あるいは江国の春風吹き立たず、鷓鴣鳴いて深花裏にありと、二千年来心の故郷ですか、江南はいいところなんでしょう、江南の客悟った人、悟ったといって歌い浮かれるのは、真であればそれっきり、ふりしたって騒々しい淋しいんですよ。

 

第五十六則 密師白兎
衆に示して云く、寧ろ永劫に沈淪すべくとも聖の解を求めず。提婆達多は無間獄中に三禪の樂を受け、鬱頭藍弗は有頂天上に飛狸の身に墮す。且く道え利害甚麼の處に在るや。擧す。密師伯、洞山と行く次で、白兎子の面前に走過するを見て、密云く、俊なる哉。山云く、作麼生。密云く、白衣の相に拜せらるるが如し。山云く、老老大大として這箇の語話をなす。密云く、又作麼生。山云く、積代の簪纓暫時落薄す。
頌云、抗力雷雪、平歩雲霄。下惠出國、相如過橋。蕭曹謀略能成漢、許身心欲避尭。寵辱若驚深自信、眞參跡混漁樵。
頌に云く、力を雷雪に抗べ、歩を雲霄に平うす。下惠は國を出で、相如は橋を過ぐ。蕭曹が謀略能く漢を成し、許が身心尭を避けんと欲す。寵辱には若かも深く自ら信ぜよ、眞跡を參えて漁樵に混ず。

衆に示して云く、寧ろ永劫に沈淪すべくとも、諸聖の解脱を求めず。提婆達多は無間獄中に三禅の楽しみを受け、鬱頭藍弗は有頂天上に飛狸身に堕す。且らく道へ利害甚麼れの処に在りや。 挙す、密師伯、洞山と行く次いで、白兎子の面前に走過するを見て、密云く、俊なる哉。山云く、作麼生。密云く、白衣の相を拝せらるが如し。山云く、老老大大として這箇の語話をなす。密云く、爾又作麼生。山云く、積代の簪纓暫時落薄す。 だいばだったは無間地獄に三禅という、色界の大三天だそうです、有心の禅ですか、まああんまり楽しくはないんですが、夢中の楽しみのようにも思える、うまく行ったよかった済々だのいって坐っている連中ですか、でもって妄想我欲界です、仏の行ないという、善行には届かないんです。だいばだったはお釈迦さまの従兄弟です、仏を謗り五逆罪を犯して生きながら無間地獄に落ちる。阿難をして伝問せしめるに、汝地獄にあって安きや否やと。我地獄にありといえども三禅天の楽の如しと。だからどうってことないんですよ、もう一つ抜けりゃほんとうの楽を知るんです、無間地獄がふっ消えます。 うずらぼん仙人という、仙人五通を得て空を飛んで王宮に食し、王妃の手に触れて通力を失い云々、以後さまざまあって失敗して、定に入るには定に入れずなど、死んで飛狸となって三悪道に落ちるとある、これもよくよく自分の坐に省みりゃいいです、通力を得たい、たいしたものになりたいなどいって坐っていませんか。すんでに情欲に囚われて、元の木阿弥の積木遊びです。おれがなにをどうするという、その根本を切らねば、ただそいつにしてやられるんです。 神山僧密禅師は、雲巌曇成の嗣、洞山良价の法友にして常に行をともにす、どうもこれ白兎が面前を走過する、うわっ俊なるかなというんです、すばやいな。山そもさん一句道へという。進士に及第して天子にお使えする官吏ですか、白衣という、なにしろこの上なしのまあ、破天荒という文字も、これに及第しない天荒というからに起こったという、たいへんなものであったんです。そやつを拝む如くという、白い兎と俊敏に過るからに云ったんですか、老老大大としてまあ世間ご老体みたいに云うなといった。じゃおまえそもさん、洞山云く、簪纓首飾りと冠のひも、そいつをつけた積代の貴顯がしばらく落ちぶれて乞食になる、といった。さあどういうこったか人々よく見てとって下さい。飛んで行く鳥を見て、はとだからすだいっているところへ、あれはわしだよと老師、一箇うけがうものなし、俊なるかなといって、暫時落薄ですか。
頌に云く、力を霜雪に抗べ、歩みを雲霄に平しゅうす。下恵は国を出で、相如は橋を過ぐ。蕭曹が謀略能く漢を成す、巣許が身心堯を避けんと欲す。寵辱には若かも驚く、深く自ら信ぜよ、真情跡を参へて漁樵に混ず。
下恵出国、柳下恵という人出国しようとするのへ、どこへ行こうが同じだ、道を直にせば三たびしりぞけられる、まげて人に使えて父母の郷を去る如何と論語にある。 相如過橋は、司馬相如少にして書を好み剣を学んで云々、蜀城の北に昇仙橋ありと、題して日く、大丈夫駟馬の車に乗らずんば、またこの橋を過ぎずと。蕭曹、蕭何曹参ともに漢の帝業を助けた人物。巣許、堯帝の召すを聞いて耳をそそいだ許由、その水を汚れだといって牛に飲ませなかった巣父。なんたってまあこの則、本来載すべきにあらずの処があって、故事来歴もややこしく。密師伯という人はこれで見るかぎり、悟もなんにもない人で、なにしろ曹洞宗の開祖さんたる、洞山良价とともに旅をする、高位高官であったか、詩人であったかいい人だったんでしょう。力を霜雪にくらべ、歩みを雲霄に平らす、美しい女であろうが貴人であろうが、いえただの人であろうが、伝家の宝刀をふるうのに、目くじら立てるこたないというんです。あと省略、深く自ら信ぜよというのは余計事です、平らかでありゃいい、漁師も樵夫もないんです、でもまあ宗門人と混ずるのは健康に悪いです、なるたけ面見ないようにしてます、すっきりしないってえか、うすら気味悪いです 。

第五十七則 厳陽一物
衆に示して云く、影を弄して形を勞す、識らず形は影の本たることを。聲を揚げて響を止む、知らず聲は是れ響きの根なるを。若し牛を覓るに非んば便ち是れ楔を以て楔を去るならん。如何が此の過を免れ得ん。擧す。巖陽尊者趙州に問う、一物不將來の時如何。州云く、放下著。巖云く、一物不將來箇の甚麼をか放下せん。州云く、恁麼ならば擔取し去れ。
頌云、不防細行輸先手、自覺心撞頭。破局腰斧柯爛、洗凡骨共仙游。
頌に云く、細行を防がず先手に輸く、自ら覺う心にしてらくは撞頭することを。局破れて腰斧柯爛る、凡骨を洗して仙と共に游ぶ。

衆に示して云く、影を弄んで形を労す、形は影の本たることを識らず。声を揚げて響きを止む、声は是れ響きの根たることを知らず。若し牛に騎って牛を覓むるに非んば、便ち是れ楔を以て楔を去るならん。如何が此の過ちを免れ得ん。 挙す、厳陽尊者趙州に問ふ、一物不将来の時如何。州云く、放下著。厳云く、一物不将来箇の甚麼をか放下せん。州云く、恁麼ならば即ち担取し去れ。 厳陽善信、趙州の嗣とあるのでついにこれが基本技をぶち抜いたんでしょう、なんにももっていないと云う、放下著捨てろという、なんにもないものをどうやって捨てるんだ、そんなら担いで帰れ。まず十人中十人がこれです。なんにもない自分を見ているんです、見ている自分があることに気がつかない。空といい無心といいする、ちっとも空でなく有心です。ないんじゃなく騒々しいんです、楔をもって楔を抜くことの自己満足ですか、さっぱり仏教にならんのです、学者説教師のたぐいこれ、まったくマンガにもならんです、醜悪というより世間一般路線です、それじゃさっぱりおもしろくない。清々比するなき箇のありようという、絵に描いた餅じゃそりゃ、せっかくの人生台無しです、人生台無しにして初めて得るんですか。影を弄んで形を弄すること、いつまでたっても糠に釘です、はいまったくの糠に釘になって下さい。ついにはかすっともしない、声に出してもはやおしまいを知らない、知らないんで是ですか、人に感動を与える歌手というには、自己満足自己陶酔のこれっから先も無きがよく、音痴は音痴を気にするから音痴という根も葉もないんです、なにしろこの基本技をマスターして下さい、担いで帰れと云われてちらとも反省して下さい、たいていまったく気がつかない。すなわちどうしようもこうしようもない自分です、そいつをひっ担いでああでもないこうでもないが、免れない、せいぜい妄想が出なくなったとかすっきりしたとかやっている、すると別時元の木阿弥です、実になんにもなっていないということに、いやというほど気ずかされる。ちらとも反省しますか、学者だのとかてんから気も付かずに行く。人とはほんとうに切羽詰まるということなければ、担いで帰れの一言身にしみぬものなのか、本来真面目の比較を絶する一物不将来にでっ食わさぬのか、まそういうこったですが、ちらとも知ることあれば、他雲散霧消。
頌に云く、細行を防がず先手に輸く、自ら覚ふ心麁にして恥ずらくは撞頭することを。局破れて腰間斧柯爛る、凡骨を洗清して仙と共に遊ぶ。
これは碁の話から来る、王質という人が斧を持ち山へ行くと、碁を囲む四人の童がいた、棗の実をもらって食べると飢えず年取らず、一局終わってみると、斧が錆び腐っていたという、聊斎志異にあったな。細行を防がず先手に輸は負けるんです、一石おくのをうっかりしていて取られちまうこと、これはせっかくなんにもないまで行って、もう一歩押すところを手抜きですか、実はこの一歩こそが坐禅であり仏教です。唯識がどうのあらや識がどうのお釈迦さんのころはああだこうだいう、学者仏教をまずもって捨てる、でなきゃ始まらんですが、ついには一物不将来です、もとなんにもないことを知る。生まれたまんまの本来人でこと足りるんです、他一切いらないという、出家とはそういうことです。世間事一切を尽くす、免れ出てということあって、すっぱだかです。自ら思う心麁は鹿が三つで荒っぽいんです、世間事=学者仏教がなんという恥ずべき荒っぽさかを知る、撞頭死ぬべくしてようやく仏入門です。一局尽くし終わって、腰間斧柯あらゆる手段は腐れ落ちるんです、もはや世間には帰れないんですか、そりゃそうですが、却来する世間おもしろいんですよ、もっとも仙と遊ぶ以外ないとこありますがね。世の中に伍して行くんではなく、そうですねえ、こんなにおもしろいことかつてなかったんです。

第五十八則 剛経軽賤
衆に示して云く、經に依て義を解するは三世佛の寃、經の一字を離るれば返て魔に同じ。因に收めず果に入れざる底の人還て業報を受くるや也無しや。擧す。金剛經に云く、若し人の爲に輕賤せられんに、是の人先世の罪業ありて應に惡道に墮すべきに、今世の人に輕賤せらるるが故に、先世の罪業ち爲に消滅す。
頌云、綴綴功過、膠膠因果。鏡外狂奔演若多、杖頭撃著破竈墮。竈墮破、來相賀。却道從前辜負我。
頌に云く、綴綴たり功と過と、膠膠たり因と果と。鏡外狂奔す演若多、杖頭撃著す破竈墮。竈墮破す、來て相賀す。却って道う從前我に辜負すと。

衆に示して云く、経に依って義を解するは三世仏の冤、経の一字を離るれば返って魔説に同じ。因に収めず果に入れざる底の人、還って業報を受くるや也た無しや。 挙す、金剛経に云く、若し人の為に軽賤せられんに、是の人先世の罪業ありて応に悪道に堕すべきに、今世の人に軽賤せらるるが故に、先世の罪業即ち為に消滅す。 金剛経、大般若経題五百三十四金剛能断分の別訳だそうです、金剛経を背負ってやって来て、ばあさんに三心不可得とそのお経にあるが、いずれの心にて団子食うかと問われた徳山和尚など、けだし仏教の真髄ともいうべきものでしょう、六祖応無所住而生其心の因縁もこれに依る、よく出て来ます、どうもわし読んだことないです。 お経から仏教を求めるのは、三世仏の冤あだと読むごとく、ろくでもないことになるっきりです。アンチ仏教の坊主学者をこさえるっきり、もと仏があってお経です、ではお経なんかいらないといって、そりゃそのとおりなんです、まず仏である自分に行き合う、無自覚の自覚をえて七通八達です、言句上に求めて、経によって義を解するは、ただそういう三百代言を作るだけです、まったくつまらんのです。人を救うどころかその説、人に聞いてもらわねば収まりきらん、仏教を云々しながら仏教とは無関係。駒沢を出て雲洞庵に坐って、今の坊主どもはけしからんなどいって、不聊をかこつ変なのがいて、いじましいったらげじげじみたいのが、仏教だなぞやってた り、こないだ覗いたら、もうだれも坐らなくなって久しい僧堂があった、涙流れたです、越後一の寺なる修行道場がなんたること。 それでもこの項面白いです、まさに人を救うんです、たしかに達磨さんも他にないがしろにされ軽んぜられ賤しまれという、アンチ仏教坊主の中に、わしらたいてい異端阿呆扱いされて、でもそいつを顔に現わす、文句のたねにするなど愚の骨丁です。 法要にあって法要してりゃいい、蛙やうぐいすよりもちっとはましにお経あげてますよ、木石に等しいんです。せめてそれできなければ、先世の罪業の即ち為に消滅すと知ればいいです、そりゃもっともそういうこってす、いえ世の中軽んじられようが、自分卑屈卑小になってはつまらんです。今に見ていろ僕だってというも騒々しいです。只管に打ち坐るのに、そりゃまずもって一物不将来がいいです、百般糠に釘ですか、いいえ単にただ正令全提です、わきめもふらずです。たといお経もこれが助けになりゃいいです。
頌に云く、綴綴たり功と過と、膠膠たり因と果と。鏡外狂奔す演若多、杖頭撃著す破竈堕。竈堕破す。却って道ふ従前我に辜負すと。
綴綴たり功と過という、そりゃあ功と過を勘定すりゃどうでもそうなるんです、功や全機元過や全機元というと、なんか大げさですが、功過人間さまの勝手です、いつだってそのものそれっきり。人間さまに二つないんです、膠膠たり因果もこれを云えばきりもなくとっつきはっつきするんです、たいてい気違いになっちまうというのも、気違いは犀利にできています、綿密というのか雑多じゃない、気違いと常人の区別がないのは、だからといいゆえにといって生きているんです。お経を読んでだから故にやるも同じです、犀利に尽くすと狂うんです、放下著投げうつともとものはそのとおり行なわれているんです。坐禅の方法これです、手つかずです。万法からすすみ て我を証拠するんです、えんにゃだったは鏡に映る自分の姿を見て、それを愛するんですか、いつか気に食わない、わあわあいうて狂い出すんです、他に標準を求めることかくの如し、近似値ほどひどいんです、ただあるがまんまのぴったりとは、我からすすみて万法を求めては気違いです。えんにゃだったは自分がないといって走り回る、お釈迦さまがぽんとその頭を叩いて落着です、実にこれ修行の人です、自分がない、おれはどこへ行ったという人いましたよ、宝鏡三昧影形あい見るが如くに、ついに失せる、自分というものなけりゃいられないという思い込み、実はそれによって苦しんでいたのにです。なくっていいんですよはいぽん。破竈堕和尚という人、かまどをぶち割って、この竈泥瓦合成す、聖何れよりか来たり、霊何れより来たりて恁麼に物命を辜負するやと、竈の神が現れて、おかげをもって本来本性を知るといった。まあそういうこってす。いつまで煮炊きの竈やってないんです、辜負とは背くこと、人生最大の罪は自分に背くこと、自分というちらともありゃ背くんですよ。

第五十九則 青林死蛇
衆に示して云く、去ればち留住し、住すればち遣去す。不去不住渠に國土なし、何れの處にか渠に逢わん。在在處處且く道え是れ甚麼物か恁麼に奇特なることを得るや。擧す。、林に問う、學人徑に往く時如何。林云く、死蛇大路に當る、子に勸む當頭すること莫れ。云く、當頭する時如何。林云く、子が命根を喪す。云く、當頭せざる時如何。林云く、亦廻避するに處なし。云く、正恁麼の時如何。林云く、却て失せり。云く、未審し甚麼の處に向って去るや。林云く、草深くして覓るに處なし。云く、和尚も也た須く防して始めて得べし。林掌を拊して云く、一等に是れ箇の毒氣と。
頌云、三老暗轉、孤舟夜廻頭。蘆花兩岸雪、煙水一江秋。風力扶帆行不楫、笛聲喚月下滄洲。
頌に云く、三老暗にを轉じ、孤舟夜頭を廻す。蘆花兩岸の雪、煙水一江の秋。風力帆を扶けて行いて楫さず、笛聲月を喚んで滄洲に下る。

衆に示して云く、去れば即ち留住し、住すれば即ち遺去す。不去不住渠に国土無し、何れの処にか渠に逢はむ。且らく道へ是れ甚麼か恁麼に奇特なることを得るや。 挙す、僧青林に問ふ、学人径に往く時如何。林云く、死蛇大路に当る、子に勧む当頭すること莫れ。僧云く、当頭する時如何。林云く、子が命根を喪す。僧云く、当頭せざる時如何。林云く、亦回避するに処無し。僧云く、正に恁麼の時如何。林云く、却って失せり。僧云く、未審し甚麼れの処に向かって去るや。林云く、草深うして覓むるに処無し。僧云く、和尚も也た須べからく堤防して始めて得べし。林掌をうちて云く、一等に是れ箇の毒気。 青林師虔禅師は洞山良价の嗣、学人径に行くとき如何、道を歩いて行くんですよ、如何なるか是れ道、道はまがきの外にあり、わが問うは大道なり、大道通長安です、ただの道ですよ、さあどうなんですかというに、死んだ蛇が大路にあたる、死んじまったやつが大道もくそもねえがというのは、半分脇見運転ですか、子にすすむ当頭することなかれ、だからどうだって云わない、まあ頭もげというも別ことですか。この僧へっこまない、師の尊答を拝謝し奉るってふうにゆかぬ、そんで当頭せざるとき如何、回避するに処なし、頭どこへもってたって処なし、頭なしでいいです、坐っていて当面いや頭あるような気がしている、どこへどうしようがない、恁麼の時如何です。是なんです、坐が坐になって行く様子、でどうなんですという、林云く、却って失せり、跡づけること不可能を知って、いぶかし甚麼れの処に向かって去るや、草ぼうぼう煙べきべき、求むるに処なしと云って、突っ込まれた、和尚もまたすべからく堤防して始めて得べし、こいつはただものでないんです、よくなんたるかを知っている、仏という無辺大に甘えるんじゃない和尚は和尚をやれ、これ以外にないんです、さすが林和尚、屁とも思わずは、でかした一等の毒気と。
頌に云く、三老暗に柁を転じ、孤舟夜頭を廻らす。蘆花両岸の雪、煙水一江の秋。風力帆を扶けて行いて棹ささず。笛声月を喚んで滄州に下る。
三老謝三老ですか、舟の柁取りですってさ、柁とってるひまあったら急転直下すりゃいいって、たしかに暗夜に枕頭をさぐるといった塩梅に、命根を喪し、回避するに処なしなんですが、蘆花両岸の雪、蘆花って真っ白い花らしいんですが、語の響きとあいまって絶景ですか、煙水一江の秋と、まさにもって風景を楽しむが如くあるのは、この僧手応え風力の所転ですか、滞るなきをもって、林云く、草深うして覓むるに処なし、僧云く、和尚もまたすべからく堤防して始めて得べし、絶妙絶景を以て、滄州中国を去ること数万里という理想郷ですか、棹ささずして、一等是れこの毒気ウッフ笛声まさに月を喚んで下るんですか、はいご退屈さま。

第六十則 鉄磨し牛
衆に示して云く、鼻孔昂藏、各丈夫の相を具す。脚跟牢實、肯て老婆禪を學ばんや。無巴鼻の機關を透得せば、始めて正作家の手段を見ん。且く道え誰か是れ其人。擧す。劉鐵磨、山に至る。山云く、老牛汝來るや。磨云く、來日、臺山に大會齋あり、和尚還て去らんや。山、身を放って臥す。磨、便ち出で去る。
頌云、百戰功成老太平、優柔誰肯苦爭衡。玉鞭金馬閑終日、明月風富一生。
頌に云く、百戰功成って太平に老う、優柔誰か肯て苦に衡を爭わん。玉鞭金馬閑に日を終う、明月風一生を富む。

衆に示して云く、鼻孔昴蔵各丈夫の相を具す。脚跟牢実、肯へて老婆禅を学ばんや。無巴鼻を透得せば、始めて正作家の手段を見ん。且らく道へ誰か是れ其の人。 挙す、劉鉄磨い山に到る。山云く、老し牛汝来るや。磨云く、来日台山に大会斎あり和尚還って去らんや。山身を放して臥す。磨便ち出で去る。 劉鉄磨はい山霊祐の嗣、自らを水こ(牛に古)牛となし劉尼をし(牛に字ーめうし)牛と呼んだ。鉄磨は鉄の臼生仏凡聖をすりつぶしちまうをもっての仇名、とにかく機峰鋭いことはそこらへん坊主の比じゃなかった。女というのはなにやらしても、喧嘩碁っていうか情け容赦もないとこあって、さすがい(さんずいに為河の名)山も、身を投げ出してがばっと臥すほかないのがおかしい、おう来たか老し牛、牛というのはむかしから山のようにのっそり、雲衲の姿そのまんまです、牛と牛の挨拶ですか。すると五台山に大会斎があるが行くかという、文殊菩薩出現の霊山ですか、そりゃえらい人方いっぱい、お釈迦さんも来なさるんですか、おい行くかという、うん行くといってすましこんでいると、鉄磨の痛棒食らいますか、おまえどうすると聞いても、拳骨が飛ぶ、面白いですね、磨すなわち出で去る、用事おわったんでもう用なしです、老婆禅はたしていずれにありや、孤俊他に比べるなく、万万歳なることは始めて作家を見ると。無巴鼻とはどことっつかまえてこうじゃない、目鼻なしです、生死の中に仏あれば生死なし、自分といううやむや葛藤に如来あれば自分なしです、どうか早くこれを得て下さい、これが師弟の葛藤うやむやですか、物そのものですか、あるいはこれなんの事件ですか、よくよく見て取って下さい。多少は得るとこあるんですか。
頌に云く、百戦功成って太平に老ふ、優柔誰か肯へて苦(ね)んごろに衡を争はん。 玉鞭金馬、閑に日を終ふ、明月清風一生を富む。 百戦功なって太平に老ふ、というのはい山鉄磨の間柄ですか、世間事に就いては一将功なって万骨枯るですか、禅問答機峰鋭くをひょっとして、そんなふうに思っていませんか、つまらんです。自分というのを天地宇宙に返還してしまって下さい、穏やかにして優柔誰かあえて衡を争わん、三国史にある合従連衡の策を挙げるんですが、どうもそんなことではなく、大法にかなっているか、おれが勝ったおまえ負けたってことではないというんです、木の芽吹くように春である、緑影さわやかに五月という、ここをもって何をあげつらい、何を切磋琢磨かというんです、苦はねんごろと読むらしい、自分というはみだしものを、叩き伏せる、あるいは絶えずそういうこと あって、箇の大海三味です、自分という法海一切です、他になんにもありゃしない、玉鞭金馬い山劉鉄磨丁々発止ではないところを見て下さい。用事終わったら帰るんです、まったくそれっこっきりにする、これすばらしいんですよ、閑に日を終わるんです。だれかこれできるものありますか、明月清風一生を富むと、一人こうあり二人あり、十人あって祇園精舎、あるいは一所不定住もすなわち一生不離叢林です、劉鉄磨 という伝説をまずもって拭い去るによし。まあそういうこってす。

 

第六十一則 乾峰一画
衆に示して云く、曲は會し易し一手に分付す、直は會し難し十字に打開す。君に勸む分明に語ることを用いざれ、語り得て分明なれば出ずること轉た難し。信ぜずんば試に擧す看よ。擧す。、乾峰に問う、十方薄伽梵一路涅槃門、未審路頭甚麼の處に在るや。峰杖を以て一畫して云く、這裏に在り。、擧して雲門に問う、門云く、扇子跳して三十三天に上り、帝釋の鼻孔に築著す。東海の鯉魚打つこと一棒すれば、雨盆の傾くに似たり、會すや會すや。
頌云、入手還將死馬醫、返魂香欲起君危。一期拶出通身汗、方信儂家不惜眉。
頌に云く、手に入って還って死馬を將て醫す、返魂香君が危きを起さんと欲す。一期通身の汗を拶出せば、方に信ぜん儂が家眉を惜まざることを。

衆に示して云く、曲説は会し易し一手に分布す。直説は会し難し十字に打開す。君に勧む分明に語ることを用いざれ。語り得て分明なれば出ずること転た難し、信ぜずんば試みに挙す看よ。 挙す、僧乾峰に問ふ、十方薄伽梵一路ねはん門、未審し路頭甚麼の処に在るや。 峰、柱杖を以て一画して云く、這裏に在り。僧挙して雲門に問ふ。門云く、扇子勃跳して三十三天に上り、帝釈の鼻孔に築著す。東海の鯉魚打つこと一棒すれば、雨盆の傾くに似たり、会すや会すや。 越州乾峰和尚は洞山良价の嗣、ばぎゃぼん世尊と訳す、十方法界我が釈迦牟尼仏の声と姿と、ものみなあまねく仏如来というのに、いぶかし路頭いずれの処にありや、どこに現れているのかという、これ学人だれしもの疑問でしょう、すなわち自ら仏ならば十方仏、自ら知らざれば十方現れずです、どうかしてこれを知りたい、すでに機熟せりと問うには答えるんです、峰云く、杖に一画してここにありという、一画のここになり終わっておればいいんです。急転直下這裏にありです、就中そうは行かなかった、却って雲門に問う、雲門云く、扇子が躍り上がって三十三天に至り、帝釈天の鼻の孔にとっついた、今度は東海に巨大魚があってそいつぶんなぐれば盆をくつがえしたような雨が降るっていうんです、会すや会すや。自分という天地宇宙の異物として、架空の囲いをしている、なんせそいつをぶち破ってやろうという親切です、曲説ですか、委細に説くことはためにならぬといって、どっちみち身も蓋もない事実です。無眼耳鼻舌身意、身もなく心もないところへ帰家穏坐すればいい、直説は十字に打開、ぶった切って架空を粉砕する力、そりゃなんたってそいつが欲しい、たった一通りあるっきりの、こうして解説してなにが親切という、もとなんにもなりゃしない、むちゃくちゃめったらしてぶち抜いて下さい、いぶかし十方薄伽梵と当たって砕ける以外ないんです。師家としては会すや会すや、という他なく。何が分明語りえて分明というその外にあるんです。捨身施虎。
頌に云く、手に入って還って死馬を将って医す。返魂香君が危ふきを起こさんと欲す。一期通身の汗を拶出せば、方に信ぜん儂が家眉を惜しまざることを。
混沌に目鼻をつけたら死んでしまったという、仏説を説くに当たって手に入るには手に入るんですか、いえそんなこたないです。説くといったって説く物がなく、一画してこれと示す以外になく、次に一画を外してそれと云うんですか、わしは他に接するに当たって、何をどうしたらいいかさっぱり不安です、自信なんかあったもんじゃない、でも相対すると、駄目だ、こうだとか予想外のことやってます。ちっとは外れたか、ええもうちょっとうまく云えりゃいいんだがと。わしに接するだけで幾分かはと、そりゃ思うには思ってます。か細い線みたい、板っぺらみたいの、せっかく三十三天築著大鯉の頭ぶんなぐって雨降らせも屁の河童、だのにってわけです。返魂香ですか、死んだら蘇るんです。いえ死んだらもっと死ぬってことないかって、あるんですよ。死ぬっきり自分の外が蘇るんですか、いえ外はもと外っきり、自分死ねば外=全体ってだけです、魂が返って来るんです、そのためにはちった汗流して下さい、でもって仏説なあるほどなあってことあります、たしかにこりゃ他なしだって感心します、いえ感嘆賛嘆威なるかな大慈大悲。なにしろとっ外して下さい。

第六十二則 米胡悟不
衆に示して云く、達磨の第一義諦梁武頭迷う、淨名の不二法門文殊口過る。還って入作の分有りや也無しや。擧す。米胡、をして仰山に問わしむ、今時の人還って悟を假るや否や。山云く、悟はち無きに不ず、第二頭に落ることを爭奈何ん。廻って米胡に擧似す。胡深く之を肯う。
頌云、第二頭分悟破迷、快須撒手筌。功兮未盡成駢拇、智也難知覺噬臍。兎老冰盤秋露泣、鳥寒玉樹曉風凄。持來辨大仰眞假、痕全無貴白珪。
頌に云く、第二頭悟を分って迷を破る、快に須らく手を撒して筌をつべし。功未だ盡きず駢拇と成る、智や也た知り難く噬臍を覺ゆ。兎老いて冰盤秋露泣き、鳥寒うして玉樹曉風凄じ。持し來って大仰眞假を辨じ、痕全く無うして白珪を貴ぶ。

衆に示して云く、達磨の第一義諦、梁武頭迷ふ。浄名の不二法門、文殊口過まる。 還って入作の分有りや也た無しや。 挙す、米胡、僧をして仰山に問はしむ。今時の人還って悟を仮るや否や。山云く、悟は即ち無きにはあらず、第二頭に落つること争奈何せん。僧廻って米胡に挙似す。胡深く之を肯ふ。 米胡、雪峰に継ぐといいい山に継ぐともいう、なんで自分で行って問うことをしないのかというと、まあそういうこともあるわけです。仰山一刀に両断す、今時の人還って悟を仮るや否や、悟りを得たといいそれ故にという、居直り禅に、悟りなんかないという尻をまくるのや、いえここはずっとまともなんです。悟り終われば悟りなし、全身全霊もて悟りを得るんです、それは驚天動地、ユーレイカというより、手の舞い足の踏むところを知らずです。それがどういうものか消えてしまう、はたしてあれはなんであったかというには、却って距離を置く、そうではないんです、今時のおのれはというだけ余計です、今のおのれしかないんです。でもって悟を仮るや否や、悟りを得てはじめて知る、もとかくのごとくあるをと、そりゃどういってみたってそういうこってす。しかもなを悟り有りや無しやと聞かれれば、まるっきりそんなもな無いんです。故に山云く、悟りは即ち無きにはあらず、第二頭に落つることいかんせん。あのときこう悟ったという鑑覚の病ですか、不都合ですか、たしかに第二頭ヘビの双頭ですか、そりゃうまく行かんです。悟りを諦めることです、悟り以外仏教とてないんです、悟りを捨てる仏教を捨てる、すなわち自分の生涯自分をなげうつんです、みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけれ、法の他にまっ たくないんです。ここにおいて達磨廓然です、不識をもって花開く、人間の如来は人間に同ぜるが如し、維摩の真面目も文殊の知恵もそりゃはるかに届かんですか。
頌に云く、第二頭悟を分って迷を破る、快に須べからく手を撒して筌ていを捨つべし。功未だ尽きざれば駢拇となる、智や知り難し噬臍を覚ゆ。兎老いて氷盤秋露泣く、鳥寒うして玉樹暁風凄たり。持し来たって大仰真仮を弁ず、痕点全く無うして白珪を貴ぶ。
筌てい(四の下に弟)うけという魚を取る道具に兎わなです、第二頭悟りをもって見るんですか、仏教という標準が今度は筌ていとなって、悟りというかくあるべきです、どうもやっぱり誰彼これを免れるに四苦八苦ですか、どこまで行ってもということあって、ついには手を撒っす手放しです、捨身施虎身心なげうつんです、そりゃ悟りを得る前と同じだという、就中したたかであったりします、でもこれ道が進んでいるんですよ、絶え間なしの退歩ってことあります、悟りを得ぬまえはこうはいかんです。俗にもういっぺんやれば納まるという、まあこれです、面白うなければ面白うなるまでという、その裏かわから来たりの、なんともこれ筌ていを外れるんですか、まあやって下さい、どっちみちおまえさんなんかこの世に用なしってなもんです。駢拇足の指肉の連なった不具です、なんとしても、おれがというそれあったらただの人にならんです、以無所得故です、なんともまあ元の木阿弥、どうしようもないんです、噬は噛むへそを噛むんです、これまあ悟後の修行の苦心惨憺をだれしも知る、米胡に乾杯ってわけですか、兎老いて氷盤は晩秋の月ですか、玉樹暁風凄はなかなか、そりゃまあ人情世間から云えばそうなりますか、わしのようなぐうたらでさえ世の中人間のはるかに取り付く島もないです、でもって坐るごとにしょうもないやつが顔を覗ける、はいおさらばってやってますよ。この事二二んが四、別段なにもありゃせんですがかくの如し。

第六十三則 趙州問死
衆に示して云く、三聖と雪峰とは春蘭秋菊なり、趙州と投子とは卞璧燕金なり。無星秤上兩頭平なり、沒底中一處に渡る。二人相見の時如何。擧す。趙州、投子に問う、大死底の人却って活する時如何。子云く、夜行を許さず明に投じて須く到るべし。
頌云、芥城劫石妙窮初、活眼環中照廓。不許夜行投曉到、家音未肯付鴻魚。
頌に云く、芥城劫石妙に初を窮む、活眼環中廓を照す。夜行を許さず曉に投じて到る、家音未だ肯て鴻魚に付せず。

衆に示して云く、三聖と雪峰とは春蘭秋菊なり。趙州と投子とは卞璧燕金なり。無星秤上両頭平らかなり。没底航中一処に渡る。二人相見の時如何。 挙す、趙州投子に問ふ、大死底の人却って活する時如何。子云く、夜行と許さず明に投じて須からく到るべし。 三聖雪峰第三十三則三聖金鱗にあります、三聖慧然臨済の嗣、雪峰は徳山の嗣、大趙州は南泉普願の嗣、投子義青は太陽警玄の嗣、ともにこれ並ぶなき大宗旨と、春蘭に比するに秋菊、卞璧燕金軽重亡きこと双方比類なき宝、星のない秤世間の秤ではなくという、計るに計れないんでしょう、底なしの航海ですか、航は舟にエです、二人相見の時如何という、そりゃ行深般若波羅蜜多、彼岸にわたるに深浅ありと、ここに至って切磋琢磨、油断なき日々という、ちらともあればそれによって倒れるんです、転んでもただでは起きない日々ですか、大趙州でさえ投子に問うんです、大死底の人却って活するとき如何、死にゃ生き返るんですか、いいえ自分死ぬ分回りが生きるといえばいいか、あるとき有頂天あるときなんでもなくです、つまらないといってはその分面白かったりする、それはまた風力の所転、ですがそいつをよこしまにするなという、間文人などの孤独ではない、ひとりよがりじゃないってことです。ここが仏教の断然仏教たるゆえんです、一生不離叢林、良寛対大古法にがきどもを以てする所以です、わかりますかこれ。りゃ我無ければ他が為以外にはなく、あるいは自未得度先度他の故にですが、だからかくの如しじゃない、もってこれを回転です、でなくば臍を噛む思いですか。明に投じてすべからく到るべし、夜行を許さずの一点ゆるがせにせぬ覚悟です。なんでもありの悟ればマルというのは終わったんです、ただの人の200%日々是好日これ。
頌に云く、芥城劫石妙に初めを窮む、活眼環中廓虚を照らす。夜行を許さず暁に投じて到る。家音未だ肯へて鴻魚に付せず。
劫という長い時間を論ずるのに、一大城東西千里南北四千里、これに芥子を満たして、百歳に諸天来たって一を取る、芥子尽きるまでと、一大石あり方四十里百歳に諸天来たって衣に払う、石のすりきれて尽きるまでという、こっちのほうが一般的です、芥城劫石長い時間ですか、趙州六十歳再行脚という、我より勝れる者は三歳の童子といえどもこれに師事し、我より劣れる者は百歳の老翁といえどもこれに教示すと為人の所です、まさにこれより始まる、廓虚自分というものの失せきって行くありさまです、これなおざりにしちゃいかんです、できたと思ってもますますです、どこまで行ってもの感がありますよ、活眼環中上には上があるんですか、なにさ一生この事の他ないんです。夜行を許さず暁に投じて行く他ない道中、なんていうんだろこれ、裏を見せ表を見せて散る落ち葉、焚くほどは風がもてくる落ち葉かなでもいいです、たいていの人の持つ裏表、家庭の事情がないんです、鴻魚手紙で通信することです、そういったこといらんのですよ。至道無難唯嫌揀択ただ憎愛なければ洞然として明白なり、余は明白裏にあらずという、すでに明白裏にあらずんばなんとしてか唯嫌揀択、云うことは云いえたり礼拝し去れという、趙州大趙州です。 そりゃまっしぐら脇目も振らずの他ないんです。そうですよどんなに年食おうが遅いってことないんです、得られたことだけがあるんです、しからずんばまた生まれ変わって得て下さいってね。

第六十四則 子昭承嗣
衆に示して云く、韶陽親しく睦州に見えて香を雪老に拈ず、投子面り圓鑒に承けて法を大陽に嗣ぐ。珊瑚枝上に玉花開き、蔔林中に金果熟す。且らく道え如何が造化し來らん。擧す。子昭首座法眼に問う、和尚開堂何人に承嗣するや。眼云く、地藏。昭云く、太だ長慶先師に辜負す。眼云く、某甲長慶の一轉語を會せず。昭云く、何ぞ問わざる。眼云く、萬象之中獨露身、意作麼生。昭乃ち拂子を竪起す。眼云く、此は是れ長慶の處に學得する底なり、首座分上作麼生。昭、無語。眼云く、只萬象之中獨露身というが如きは是れ萬象を撥うか萬象を撥わざるか。昭云く、撥わず。眼云く、兩箇、參隨の左右皆撥うと云う。眼云く、萬象之中獨露身。
頌云、離念見佛、破塵出經。現成家法、誰立門庭。月逐舟行江練淨、春隨草上燒痕。撥不撥、聽叮嚀。三徑就荒歸便得、舊時松菊尚芳馨。
頌に云く、念を離れて佛を見、塵を破って經を出す。現成の家法、誰か門庭を立つ。月は舟を逐うて江練の淨きに行き、春は草に隨って燒痕のきに上る。撥と不撥と、聽くこと叮嚀にせよ。三徑荒に就て歸ること便ち得たり、舊時の松菊尚お芳馨。

衆に示して云く、韶陽親しく睦州に見えて香を雪老に拈ず、投子面のあたり円鑒に承けて法を大陽に嗣ぐ。珊瑚枝上に玉花開き、せん葡林中に金果熟す。且らく道へ如何が造化し来たらん。 挙す、子昭首座法眼に問ふ、和尚開堂何人に承嗣するや。眼云く、地蔵。昭云く、太はだ長慶先師に辜負す。眼云く、某甲長慶の一転語を会せず。昭云く、何ぞ問はざる。眼云く、万象之中獨露身。意作麼生。昭乃ち払子を竪起す。眼云く、此は是れ長慶の処に学する底なり、首座分乗作麼生。昭無語。眼云く、只だ万象之中獨露身というが如きんば是れ万象を撥らふか万象を撥らはざるか。昭云く、撥はず。眼云く両箇。参随の左右皆撥ふと云ふ。眼云く、万象之中獨露身、にい。 韶陽雲門大師は睦州(陳尊、黄檗の嗣)に始め参学す、雪老雪峰の法を嗣ぐ、投子義青は円鑒臨済七世の孫、大陽警玄の法を受けて投子を嗣続せりとある、すなわち珊瑚樹上に玉花開き、せんぷくは香花と訳すそうです、金果熟すをもって、大法の伝わる様子。そりゃ因縁熟す、順熟という、熟した柿がほろりと落ちるようにという、法眼托鉢行脚のついで地蔵に会う、なんのため行脚すると云われて、知らん行脚してるんだという、知らぬもっとも親切といわれて大悟、ほんとうに他なし無所得の風景が一転するんです。たとい長慶に参じて久しいとはいえ、某甲一転語を会せずということがあった。子昭も共に久参です、だのに地蔵に嗣ぐと、なんでだと問う、師匠に背くではないか。万象の中獨露身意そもさんと却って問われる、昭すなわち払子を竪起す、あるいはこれあってかくの如しとやってたんでしょう、是とするには未だし。首座分乗そもさん、おまえの云い分はどうなんだと問はれて、ついに無語。法眼探棹影草ですか、ひっかきまわす、撥か撥にあらざるか、撥わずと案の定ひっかかって来た、こいつを撥わにゃならんです、百尺竿頭いま一歩です、万象のうち獨露身と示す、箇の無縫塔です、にいは斬に耳、かつとかろというやつ、法眼常套手段かつて知るや否や。
頌に云く、念を離れて仏を見、塵を破って経を出だす。現成の家法、誰か門庭を立せん。月は舟を逐ふて江練の浄に行き、春は草に随って焼痕の青きに上る。撥と不撥と、聴くこと丁寧にせよ。三径荒に就いて帰ることは便ち得たり、旧時の松菊尚芳馨。
念を離れて仏を見ることは、もとまさにこのとおりなんですが、就中困難です、臨済も曹洞は死出虫稼業の他見る陰もないんですが、今様坊主、念を離れて仏という人を知らんです、お経にしがみついてだみ声上げるばっかり、唾棄すべきです。鶯のように蛙のように鳴いてみろってわしとこの一応目安ですが、自分というものまったく失せてお経は、そうねえ人みな感激します、生まれてはじめてお経を聞いた、どうしてこんなに気分がいいんだろという。説法なくばせめて身を以て示して下さい。現成の家風だれか門庭を立せん、わしと他さまざま宗旨と違うのは、みな宗旨といい門徒という、仏教悟りの中にあっての云々です。わしはそうではないもとものみななんです、世間出世間まっ平らです、しかもわし以上に仏を信ずる者なしと思ってます。家法門庭をいう、虎の威をかる狐ですか、わしにはそんな大それたものはない、自分というどうしようもないものを、断じて許せぬものをついに免れた、というんですか、自分無ければ可と、それだけです。するとある時如来と現ずるんです、月はかつての自分という舟を追うんですか、いえ月もなく舟もないんです、それをしも江練、練り絹のような水というたですか、ビジュアルには雪舟の絵があります、参照して下さい。これは春野焼きのあとの青草ですか、初々しく生い伸びる、いっぺん撥と不撥と旧によって塵芥を払拭するんですか、三径という色不異空のしきいを跨いで、色即是空を知る、ついには元の木阿弥です、しかも自分というわだかまりが全く失せるんです、暫く七転八倒ありますか、そりゃただではただが得られない、でも一生を棒に振る価値はあります。

第六十五則 首山新帰
衆に示して云く、沙沙、剥剥落落、蹶蹶、漫漫汗汗、咬嚼す可きこと沒く、近傍を爲し難し。且く道え是れ甚麼の話ぞ。擧す。、首山に問う、如何なるか是れ佛。山云く、新婦驢に騎れば阿家牽く。
頌云、新婦騎驢阿家牽、體段風流得自然。堪笑顰鄰舍女、向人添醜不成妍。
頌に云く、新婦驢に騎れば阿家牽く、體段風流自然を得たり。笑うに堪えたり顰にう鄰舍の女、人に向って醜を添えて妍を成さず。

衆に示して云く、咤咤沙沙、剥剥落落、丁丁蹶蹶、漫漫汗汗、咬嚼す可きこと没く、近傍を為し難し。且らく道へ是れ甚麼の話ぞ。 挙す、僧首山に問ふ、如何なるか是れ仏。山云く、新婦驢に騎れば阿家牽く。 たたささ、はくはくらくらく、如何なるか是れ仏と問われて、まさにこう答えたかどうか、取り付く島もないんですが、ぜんたい箇に帰る、自分=取り付く島もなしと知るにいいんです。咬みがたく咀嚼しがたし、手をつければ大火傷を負うを知って、ついに手つかずになる、これを参禅という、単純を示すんです。でもなんにもないかというと、なんにもないものを得るのに、新婦ろばに乗れば姑これを引くと、どうあっても一言あるわけです。まあだからどうの云ってないで、なんでもありありです、登竜門です、全霊もっての跳躍ですか、諦めて下さい。急転直下は、まったくこの世から去ればいいんですか、私というものなくものみなが呼吸し、座禅しているんですよ、そうしてどうやら真相他にはないんです。首山の宝応省念禅師は風穴延昭の嗣。
頌に云く、新婦驢に騎れば阿家牽く、體段の風流自然を得たり。笑うに堪えたり顰に学ふ隣舎の女、人に向かって醜を添えて妍を成さず。
西施心を病む、心を捧げて顰すれば更に美を益す、隣家の醜女醜に習って更にその醜を増す。という故事をひく、象潟や雨に西施が合歓の花と、芭蕉の句にある中国美人代表、まあこれ意味を云々したい人には、仏を学ぶを新婦、ようやく生涯落処定まって、いよいよもって師家に手を引かれて行く、といった処ですか。姑だでそりゃどえらい目に会うぞよってのは蛇足、うまくその風流自然を得たりというからには、頌に云く一段の新風ですか。あんまりそうも行かず、あとつけるには、しかめ面の新婦のまねしていよいよ醜くという、そりゃ人まね横滑りの修行はしかめ面残るだけです、まあたいてい坊主だの学者それやってるですがね、驢に騎ろうがなにしようが、大乗自ずからです、もう他なしということあって、そりゃ美醜も分つ、洞然明白おのれ無うしてだのに、なんとしてかおのれを用いる、実にこれ不可思議千万てね。

 

第六十六則 九峰頭尾
衆に示して云く、通妙用底も脚を放ち下さず、忘絶慮底も脚を擡げ起さず。謂つべし有時は走殺し、有時は坐殺すと。如何が恰好し去ることを得ん。擧す。、九峰に問う、如何なるか是れ頭。峰云く、眼を開いて曉を覺えず。云く、如何なるか是れ尾。峰云く、萬年の牀に坐せず。云く、頭有って尾無き時如何。峰云く、終に是れ貴からず。云く、尾有って頭無き時如何。峰云く、と雖も力なし。云く、直に頭尾相稱うことを得る時如何。峰云く、兒孫力を得て室内知らず。
頌云、規圓矩方、用行舍藏。鈍躓棲蘆之鳥、進退觸藩之羊。喫人家、臥自家牀。雲騰致雨、露結爲霜。玉線相投透針鼻。錦絲不斷吐梭腸、石女機停兮夜色向午、木人路轉兮月影移央。
頌に云く、規は圓に矩は方なり、用ゆれば行い舍つれば藏る。鈍躓蘆に棲むの鳥、進退藩に觸るの羊。人家のを喫して、自家の牀に臥す。雲騰って雨を致し、露結んで霜を爲す。玉線相投じて針鼻を透る。錦絲斷えず、梭、腸より吐く、石女機停んで夜色午に向う、木人路轉じて月影央を移す。

衆に示して云く、神通妙用底も脚を放ち下さず、忘縁絶慮底も脚を抬げ起こさず。 謂つべし有時は走殺し、有時は坐殺すと。如何が格好し去ることを得ん。 挙す、僧九峰に問ふ、如何なるか是れ頭。 峰云く、眼を開けて暁を覚えず。僧云く、如何なるか是れ尾。峰云く、万年の牀に坐せず。僧云く、頭有りて尾無き時如何。峰云く、終に是れ貴とからず。僧云く、尾有りて頭無き時如何。飽くと雖も力なし。僧云く、直きに頭尾相ひ称ふことを得る時如何。峰云く、児孫力を得て室内知らず。 九峰の道虔大覚禅師は石霜慶諸の嗣、頭尾という、頭は入得の最初初心の修行を云う、尾は末後の牢関究竟のねはんを云うとある、初発心と終に得るところとですか。 終に得るとはどういうことか、況んや元の木阿弥、虎を描いて猫にもならず、終にこれ鼻たれの栄造生、良寛さんの幼名ですが、なんかたいへんなことをしたんだというのが失せる、いったいおれはなにをやっていたんだというしばしばあって、それも失せてなにかこう、引っ込んでないんです、どういってみようもないんですが、他と接すると圧力の違いみたいな、万年の牀に坐せずは、云いえて妙です。九峰なんて聞いたこともねえがなんだと思ったら、はーいっていって納得。眼を開けて暁を覚えず、それっこっきりに入れ揚げるのと、暁が見えない、暁になってこっちを見ているんです、不思議な光景があって初発心の満足を知る。これだという、これだという大 まさかり振り回しては、ついに是れ貴とからず。また初発心のみという、まさにこれそういうことなんですが、悟りという一札なければ、尾あって飽くとも力なし、なんにもなりはしないんです。有耶無耶の世界に終わる、頭尾あいかなうことを得るとき如何、それがし有耶無耶と云いたいところですが、児孫力を得て、ようやく作家ですが、することなすこと別段ないんです、ぴったりとさへ思わずのものみな標準。うれしくもなんともないですか、まあそう云っておけ、室内秘伝なんてあるわけがない、出ずっぱりになっちまう。朝に天台に行き夕に南岳に帰るといえば一蒲団上の入息出息と坐殺、どうもそういうけちなこと云わんです。
頌に云く、規には円に矩には方なり。用ゆれば行ない舎つれば蔵る。鈍躓蘆に棲むの鳥、進退籬に触るるの羊。人家の飯を喫して自家の牀に臥す。雲騰って雨を致し、露結んで霜と為る。玉線相投じて針鼻を透り、錦糸絶えず梭腸より吐く。石女機停んで夜色午に向かう、木人路転じて月影央ばを移す。
規はぶんまわし、つまり円を描く、矩は定規、規矩といってまた僧堂規則をいう、老師会下に、規矩なしをもって規矩となすとしたのは、板橋興宗禅師であった。 宗門にはついに老師会下が起こる、そりゃ他には仏教のぶもなかったんでしょう。威儀即仏法行事綿密という猿芝居に葬式稼業の、云う甲斐もなさ、大法あるというても本当の法とは遠かった。用いれば行ない、捨てれば蔵るという、そりゃまあそういうこって、蘆に棲む鳥のどったばった、まがきに触れる羊の滑稽、人の家の飯を喫しててめえんとこの牀に坐す、どうですかまったくそういうことやっていませんか。西に向かって東を求める、百年河清を待つは、こっちの岸でパーラミーター彼岸へ渡ろう、渡ったやってるんですよ。反省すべきはまさにこの一点なんです、さあ坐ってごらんなさい、まったく違うんです。針鼻は針のめど、梭腸は梭の糸口、いったん緒に就くということあって、ついにはそれを忘れるんです。多少の苦労はあります、雲おこって雨降らし、露むすんで霜となるなーんてわけには行かんか、でもものみな自分がして自分が苦しんでいる、まったくの天然現象ですよ、因果歴然と坐ってるようなもんです、知らぬは自分ばかりなりってね。従い木人まさに歌い石女舞う、はーい万事お手上げ、勝手にしてくれってなもんで、しばらく落ち着くんです、なにさどうせ棺桶に入るっきりだっていうなら、ミイラになって活仏。

第六十七則 厳経知慧
衆に示して云く、一塵萬象を含み、一念三千を具す。何に況んや天を頂き地に立つ丈夫兒、頭を道えば尾を知る靈利の漢、自ら己靈に辜負し家寶を埋沒すること莫しや。擧す。華嚴經に云く、我今普く一切衆生を見るに、如來の智慧相を具有す。但妄想執著を以って證得せず。
頌云、天蓋地載、成團作塊。周法界而無邊、析鄰而無内。及盡玄微、誰分向背。佛來償口業債。問取南泉王老師、人人只喫一莖菜。
頌に云く、天の如くに蓋い、地の如くに載せ、團を成し塊を作す。法界に周くして邊なく、鄰を析いて内無し。玄微を及盡す、誰か向背を分たん。佛來って口業の債を償う。南泉の王老師に問取して、人人只一莖菜を喫す。

衆に示して云く、一塵万象を含み、一念三千を具す。何かに況んや天を頂き地に立つ丈夫児、頭を道へば尾を知る霊利の漢、自ら巨霊に辜負し家宝を埋没すること莫しや。 挙す、華厳経に云く、我今普く一切衆生を見るに、如来の知慧徳相を具有す、但だ妄想執着を以て証得せず。 華厳経は釈尊成道の直後、自内証の法門をそのまま説かれたものとある、華巌経も法華経も一言半句しか読んだことがないので、とやこういうわけにゃ行かぬが、安芸の宮島へ行って平家納経を見たとき、長年普門品第二十五というのを一巻だけ読んでいたら、展示の三巻が読める、感動した。今ではもう日本人には書けぬ、美しいすばらしい真面目の字であった。たとい平家滅んでもこれは残る、日本人滅び去っても残る。いえ平家納経雲散霧消しても、仏も仏法もちゃーんとあるんですか。人はその中に生まれ、大法のこれあるがまんまに生きる、ただ転倒妄想の故にないがしろにし、あきめくらをやっていて、しっぺ返しを食うのは自分と傍迷惑ですか、そりゃしょうがないたって、しょうのないことに気がついたら、元へ帰ればいいです。一箇光明なれば四維を照らすんです、世の中よくしようには他の方法はないんです。宮沢賢治は、世界中が幸せにならなければ個人の幸せはないといった、それは西欧流の思考です、美しい詩人の魂ですか、賢さは大好きですが、これは間違っています。一塵大千世界です、一念宇宙そのものです、どうか一個でも半分でも光明になって下さい、次の一個が光明になります、そうして一個半分光明ならば、世界現ずるんです、なにけちなこと云わない、まさに妄想執着の故を以てです、もと明白もと洞然、如来の徳相知慧愚痴のまんまです、実にこれお釈迦さんがはじめて気がついたんです、よくよく見て取って下さい。巨霊という、そのあるがまんまに辜負、とってもそんな大それたものはとやるんです、でもってせっかくの宝蔵が台なし。
頌に云く、天の如くに蓋ひ地の如くに載す。団を成し塊を作す。法界に周うして辺なく、隣虚を折ひて内無し。玄微を及尽す、誰か向背を分たん。仏祖来って口業の債を償ふ。南泉の王老師に問取して、人々只だ一茎菜を喫せよ。
天王の思清禅師上堂、払子を竪起して云く、只這箇天も蓋ふこと能はず、地も載すること能はず、遍界遍空団と成し塊と作す。というによる、法界に周ねく隣虚を砕くことは、まずもって参禅の人これを得て下さい。地なく天なく清々としてあまねくこれ、玄微を及び尽くすんですか、無心という無身という、自分という口実のまったく参加しないんですか、たとい坐中向背あろうともまったくかすっともかすらないんです、わしのような猫背姿勢のかたくな、どうにも気にすること長かったですが、そんな必要はまったくないんです、もとこの通りあって手つかず、仏祖だけが、人類百万だらの申し訳をしようっていう、まさに坐禅とはこれ、でなくば間違いだらけの、いっそ救われん、実にそういうこってす。如来これ、だから仏像おったてることはないよって、南泉と杉山とも、菜っぱをそろえておったんでしょう、一茎草をとって威なるかな、大いに供養するによしとやったんです、百味珍羞もまた省みずと、あるときは丈六の金身あるときは一茎草、私するなんにもなければ正解、仏というそりゃ供養に足るんですよ、ええ、あなたもです。

第六十八則 夾山揮剣
衆に示して云く、寰中の天子の勅、外は將軍の令。有時は門頭に力を得、有時は室内に尊と稱す。且く道え是れ甚麼人ぞ。擧す。、夾山に問う、塵を撥って佛を見る時如何。山云く、直に須らく劍を揮うべし。若し劍を揮わずんば漁父に棲まん。、擧して石霜に問う、塵を撥って佛を見る時如何。霜云く、渠に國土無し、何れの處にか渠に逢わん。、廻って夾山に擧似す。山、上堂して云く、門庭の施設は老に如かず、入理の深談は猶お石霜の百歩に較れり。
頌云、拂牛劍氣洗兵威、定亂歸功更是誰。一旦氛埃四海、埀衣皇化自無爲。
頌に云く、牛を拂う劍氣兵を洗う威、亂を定むる歸功更に是れ誰ぞ。一旦の氛埃四海にうし、衣を埀れて皇化自ら無爲。

衆に示して云く、寰中は天使の勅、こん外は将軍の令、有る時は門頭に力を得、有る時は室内に尊と称す。且らく道へ是れ甚麼人ぞ。 挙す、僧夾山に問ふ、塵を撥って仏を見る時如何。山云く、直に須らく剣を揮うべし。若し剣を揮はずんば漁父巣に棲まん。僧挙して石霜に問ふ、塵を撥って仏を見る時如何。霜云く、渠に国土なし、何れの処にか渠に逢はん。僧廻って夾山に挙似す。山上堂して云く、門庭の施設は老僧に如かず、入理の深談は猶石霜の百歩に較れり。 夾山善会禅師は船子和尚の嗣、石霜慶諸禅師は道吾円智の嗣。夾山は道吾に云われて船子和尚に参ずる、船子徳誠、薬山惟儼の嗣、華亭にあって小舟を浮かべて往来の人を度す、法を夾山に伝えて、自ら舟をくつがえして煙波に没すとある。寰中畿内ですか、天子の勅が行き渡る、こんは門に困、塞外というか門外は将軍の威令による、まあこれ一応坐になる、坐禅として定に入るということですか、渠に国土なし、いずれの処にか渠を見んとこう坐ってるんです、塵塵三味ですか、捉えようたって捉えようがないです、寰中は天子の勅、勅は行きっぱなし、出たらそれっきりの絶え間なし出ようが、そいつに乗っ取ろうがなにしようが、首切られてまで文句いうやついないんですよ、正しいか間違っているかそんなこた知らん、ていうより正邪もと根無草ですか、因果をくらまさず、どうもさっぱりわからんまんま。ですが妄想煩瑣というか、なにしろ右往左往、とっつきひっつきの時分は、将軍の直に須からく剣を揮うべしです。ばっさりばっさりやりゃいい、頭一つふるうとふっ消える、前念消ゆれば後念断つ、切ることはふっ切ればいい。悟ったらどうかといって、いずれ同じ迷い出す、なんとかせにゃならん、どうにも外れんところ、捕われるところを、あるとき本当に取り除くんです。一切無礙一切自由、如来となってしばらくこの世に現ずる実感ですか、でもそんな取り決めはないんです、歴史だの世界だの諸思想宗教を圧するんですか。なに出入り自由といったほどの、かすっともかすらないんです、仏を見るに仏を見ず、自分というもののない、なけりゃどうしてないを知るんだという、はいとやこう云わずにやって下さい、他なしってことを自覚します、これを無自覚という 。
頌に云く、牛を払ふ剣気、兵を洗う威。乱を定むる帰功更に是れ誰ぞ。一旦の氛埃四海に清し、衣を垂れて皇化自ずから無為。
氛は気、妖気凶事に使う、牛を払う剣という、牛は牽牛の星、観察するに異気ありといってとやこう、石の箱に二振りの剣があって云々の故事。武王紂を撃つ、大雨が降ってこれ天が兵を洗うといった。まあ中国四千年故事だらけで、もってするのが詩人というものだが、どっちみち木石山河を用いるのと目糞鼻くそですか、なんていうと怒られますか。人の知る処を利用するは禅家の日常茶飯、大げさにしたって百害あって一利なし。まあいいいか坐っていて妄想百般、あるいは念起念滅、乱を定める帰功更に誰ぞと、まあとにかくそういうこってす。不思議に収まり不思議にまた起こる、これをどうこうしようという念の納まる、対峙を双眠するという、常坐ってはこの繰り返しですか。一旦の氛埃納りかえって四海清しと、そこに自分というものあっちゃ届かないんです。自分という自分以外ですか、たしかに知ることは知るんです、でも言語に絶するんです、これを皇化衣を垂れて自ずからという、なかなかむかしの中国人は無為を云うにも、これだけの大袈裟、いやさ繊細があった。今の中国人は別人かな、エレガンスとか教養のかけらもない、ぶたに眼がねみたい為政者どもの、万ず屁理屈聞いていると、腹立つ前に呆れ返る。共産主義すなわち思考停止の成れの果て。

第六十九則 南泉白こ
衆に示して云く、佛と成りと作るをば汚名を帶ぶと嫌い、角を戴き毛を披るをば推して上位に居く。所以に眞光は耀かず、大智は愚の若し。更に箇の聾に便宜とし、不采を佯わる底あり。知んぬ是れ阿誰ぞ。擧す。南泉衆に示して云く、三世の佛有ることをしらず、狸奴白却って有ることを知る。
頌云、跛跛挈挈。百不可取、一無所堪。默默自知田地穩。騰騰誰謂肚皮。普周法界渾成、鼻孔埀信參。
頌に云く、跛跛挈挈、。百取るべからず、一も堪ゆる所無し。默默自ら知る田地の穩かなることを。騰騰誰か肚皮なりと謂わん。普周法界渾てと成す、鼻孔埀として參に信す。

衆に示して云く、仏と成り祖と作るをば汚名を帯ぶと嫌い、角を戴き毛を被るをば推して上位に居く、所似に真光は輝かず、大智は愚の若し、更に箇の聾に便宜とし、不采を佯はる底あり。知んぬ是れ阿誰ぞ。 挙す、南泉衆に示して云く、三世の諸仏有ることを知らず、狸奴白こ却って有ることを知る。 南泉普願禅師は馬祖道一の嗣、道元禅師が栄西禅師に如何なるか是れ仏と問うて、三世の諸仏知らず、狸奴白こ却って是を知ると、云われて、ようもわからんです、万里の波頭を越えて入宋沙門となる。りぬびゃっこは狐狸の類だと思っていたら、狸奴で猫白こ(牛へんに古と書く)は牛という、ひっくりかえして狸奴白こ知らず、三世の諸仏却ってこれを知るといったら、この世に仏祖がいなくなる、でも世間おおかたの意見これ、仏仏を知らずということを知らない。別段仏となり祖となるを、汚名を帯びるといって嫌い、なとややっこしいこといらぬ、朕に対するは誰ぞといわれて、不識知らないという、それそのまんまです。坐っているでしょう、坐っているあなたは誰と自問自答するに、直きに知らないと答えが返るんです、知っている分がみな嘘です、あるいはどのような自負も私も一瞬のちにはついえさる、糠に釘ですか、そうなると如来の相を現ずるも間近いんです。如来、あなたはだあれ、知らないという花のように咲く、人間の如来は人間に同ぜるが如しです。きつねたぬきと、あるいは猫牛という、もしやよっぽど人間よりも知らない類、けだものという時に人間のほうがずっとけだものだ、なぜか、観念に捕われて野卑です、たとい強姦殺人もなにかしらの智恵考えによる、それに捕われぬ工夫あって免れるんです。 よくよく見て取って下さい、自救不了の如何なる原因か、我をなにかしらと見做す、まずもってこれの根本を糾して下さい。俄か坊主が思想だの、らしくだの大威張りかいている、滑稽だが本人は気がつかない、世間人の延長なんです、どうしてもこれ、如何なるか是れ仏と問いなおす必要がある、三世の諸仏知らずと示すには、たとい南泉もおうむ返しでは、そりゃ効き目ないです。効き目ないことを知るが先決、とは情けない。
頌に云く、跛跛挈挈、繿繿纉纉、百取るべからず、一も堪ゆる所なし。黙々自ずから知る田地の穏やかなることを。騰騰誰か肘皮敢心なりと謂はん。普周法界渾て食卞と成す。鼻孔塁垂えおして飽参に信す。
跛はちんば挈はてんぼ、繿は監に毛で髪の乱れて整わぬさま、纉は参に毛でおんぼろけ、そうですねえ寒山拾得の図でも思い浮かべますか、なりふりかまわぬありさまです。百取るべからず、一も堪ゆるなし、これ就中出来ないですよ、坐っていてどうしても運転するでしょう、どこまで行っても物差しです、ああだこうだやっている。まして況んやしゃば人間をやです。そいつがまったく手放しになる、すると三世諸仏ですか。つまらんわしというしかないんです、ほんとにどうもこうもです、しかもそいつを観察しないでいられる、ほったらかしに忘れ去る。黙々自ずから知る田地の穏やかなることを、実に云いえて妙です、なんでもありありのどうもこうもないんです。たとい転んでもただでは起きないんですか、いいですか、もう終わってしまったんですよ、ふたたび鍛え直してという、頭にたがはめないんです。文句のつけようにないものみな法界です、文句をつける自分が失せる、食卞は飯に同じだってさ、敢心はばかですってさ、肘皮つっぱらかったって、虚空そのものなんです、騰騰しようが、わけもわからん曖昧しようが、たとい呑却し終わってどうもこうもならんです、鼻孔塁垂として飽参に任す、はいそうですねえ、このように坐って下さい。

第七十則 進山問性
衆に示して云く、香象の河を渡るを聞く底も已に流に隨って去る、生は不生の性なるを知る底も生の爲に留めらる。更に定前定後笋と作りと作ることを論ぜば、劍去て久し。爾方に舟を刻むなり。機輪を轉して作麼生か別に一路を行ぜん。試にう擧す看よ。擧す。進山主、脩山主に問うて云く、明かに生は不生の性なることを知らば、甚麼と爲てか生の爲に留めらるるや。脩云く、筍畢竟竹と成り去る、如今と作して使うこと還って得てんや。進云く、汝向後自ら悟り去ること在らん。脩云く、某甲只此の如し上座の意旨如何。進云く、這箇は是れ監院房、那箇は是れ典座房。脩、便ち禮拜す。
頌云、豁落亡依、高閑不覊。家邦平帖到人稀、些些力量分階級。蕩蕩身心絶是非。是非絶、介立大方無軌轍。
頌に云く、豁落として依を亡じ、高閑にして覊されず。家邦平帖到る人稀なり、些些の力量階級を分つ。蕩蕩たる身心是非を絶す。是非絶す、介り大方に立って軌轍無し。

衆に示して云く、香象の河を渡るを聞く底も已に流れに随って去る。生は不生の性なるを知る底も生の為に留めらる。更に定前定後、笋となり蔑となることを論ぜば、剣去って久しゅうして爾方に舟を刻むなり。機輪を踏転して作麼生か別に一路を行ぜん。試みに請ふ挙す看よ。 挙す、進山主、脩山主に問うて云く、明らかに生は不生の性なることを知らば、甚麼としてか生の為に留めらるるや。脩云く、筍畢竟竹となり去る、如今蔑と作して使ふこと還って得てんや。進云く、汝向後自ら悟り去ること在らん。脩云く、某甲只此の如し上座の意志如何。進云く、這箇は是れ監院房、那箇は是れ典座房。脩便ち礼拝す。 進山主、清溪洪進禅師、脩山主、龍済紹脩禅師、ともに青原下八世地蔵桂しんの嗣、つまり進山主は監院、住職に代ってお寺の行事など一切を司る役、脩山主は典座、会計から食事など一切を司る、ともに重職である、今も僧堂で同じに続いています、ともに法を得ることなければそりゃ無理です。雑っぱ一からげの無理無体じゃしょうがない。生は不生の性なることを知って、不生不滅、不垢不浄、不増不減と心経にある、このとおりものみなのありようです、だからどうのの理屈ではなく、不生の生なんです、しかも生きるという、生死というこの中にあってとやこうするんです、生の為に留めらる、大問題です。 本当には悟っていないんではないか、法とは別個やっているんではないかという、あるときは是あるときは不是やるんです。すると是非やっている自分ごと持って行かれるんですか、気がつくとなんの問題にもならんです、そっくり自分というものなしにある。死ぬあるいは生老病死、あるいは四苦八苦そのままに行くんです。たけのこはひっきょう竹になる、こっちのとやこう斟酌の他なんです、とやこう斟酌のそのまんまにですか。蔑は竹かんむりで、竹の皮で作った縄ですとさ、襪という靴のような指なし足袋のこったと思ったら違った、どっちでもまあ終に皮を残すってやつ、わが大法には用いることが出来るかというんですか、まだたけのこだっていうんですか、筍も笋も同じです、なあにそのうち自ら悟り去ることあらんと。それがしただかくの如し、就中正解なんです。使うべき皮など考えないんです、いや人は知らず後輩のわしなんてまったくただこれ、日毎にただこれってしかないです。上座の意志如何と聞きうる人幸い、一人つんぼ桟敷やってるわけじゃさらさらないんです。こっちは監院寮そっちは典座寮、はいといって礼拝し去る、よきかな。
頌に云く、豁落として依を忘じ、高閑にして覊されず。家邦平帖到る人稀なり。些些の力量階級を分つ。蕩蕩たる身心是非を絶す、介り大方に立って軌轍なし。
豁落がらりからりというんですが、なんにもないさまなんですよ、依存を忘れることは、就中困難なんです、ついにかくの如くあれば如来、わがことまったく終わるんです、さあどうにかして得て下さい、高閑にして覊されずといって、依存症やっていませんか、仏あり外道ありする四分五烈ですか、ただこれ家国あるによる、守るべき自分、従うべきなにかしらあって、上には上があり している、それじゃ囚われ人です。おれは悟れない人間だからといって、安穏に座し、、おれは俗人だからといって、他を汚す。なぜかというに、そのまあうんこ小便のむじな穴から一歩も出たくない、いじましいったらしかも、人をあげつらって生きています。共産主義みたいに無知という無恥をもっての故にものごとありですか。傍迷惑というだけが、誰彼極端に疲弊するかに見えて、一人二人箇の真面目ということあって、宇宙三界形をなすんです。蕩々任運にまかせるんですか、ものみな200%ということです、映画を見てとやこう批評より、映画になっちまって無感想です、介、ひとり大方に立って軌轍なし、完全なんですよ、いいからたったいっぺんやってごらんなさい。

 

第七十一則 翠巌眉毛
衆に示して云く、血を含んで人に噴く自ら其の口を汚す、杯を貪って一世人の債を償る。紙を賣ること三年鬼錢を缺く、萬松人の爲にす。還って擔干計の處有りや也た無しや。擧す。翠巖、夏末に衆に示して云く、一夏以來兄弟の爲に話す。看よ、翠巖が眉毛在りや。保云く、賊と作る人心なり。長慶云く、生ぜり。雲門云く、關。
頌云、作賊心、過人膽、歴歴縱横對機感。保雲門也埀鼻欺脣、翠巖長慶也脩眉映眼。杜禪和有何限、剛道意句一齊。埋沒自己也飲氣呑聲、帶累先宗也面牆擔板。
頌に云く、賊と作る心、人に過ぎたる膽、歴歴縱横機感に對す。保雲門埀鼻脣を欺き、翠巖長慶脩眉眼に映ず。杜禪和何の限か有らん、剛て道う意句一齊にると。自己を埋沒して氣を飲み聲を呑む、先宗を帶累して牆に面い板を擔う。

衆に示して云く、血を含んで人に噴く自らその口を汚す。杯を貪って一世人の債を償う。紙を売ること三年鬼銭を欠く。万松諸人の為に請益す、還って担干計の処ありや也た無しや。 挙す、翠巌夏末衆に示して云く、一夏以来兄弟の為に説話す。看よ翠巌が眉毛ありや。保福云く、賊と作る人心虚なり。長慶云く、生ぜり。雲門云く、関。 祟覚禅師野狐禅を頌す、血を含んで人に吹く、先ずその口を汚すと、杯を貪っては特別の故事はなく、世の中貪嗔痴の故にですか、さかずきを貪って一生人の債を償うこと、鬼銭は紙銭といって棺桶に入れるやつ。翠巌、瑞巌師彦禅師は巌頭の嗣、一生常に坐して毎に自ら喚んで云く、主人公、また自ら応諾す、ないし云く、、惺惺著、他時人の瞞を受けることなかれと。夏はげと読み、制中といって修行期間、夏安居、冬安居とある、一夏おわって兄弟ひんでいと読む、為に説法して来た、みろわしの眉毛があるか、という。嘘をつくと眉毛が落ちるという。さあどうですか、しゃく金昔をもってしゃくにつく、あやまちをもってあやまちにつく、将しゃくが仏祖お釈迦さま、就しゃくが弟子ですか、ちいとも感心せんですかまったく。保福云く、賊となる人心虚なり、賊とはまさにしゃくをもってですか、人の妄想になりおわって、強盗です、ごっそり抜き取る、そりゃ有心じゃ不可能です。眉毛があるか、達磨にひげがあるかってやつ、あれば見ている自分がある。不可という根も葉もないんです、両重の公案ですか、長慶云く、生ぜり、生えているっていうんです、気にしているやつがいるらしいぞ、わっはっはてなもんです。雲門云く、 関。はいこの関透過して下さい、他に瞞ぜられずですか、ちらとも思ったら、おでこ床にぶっつけてお拝しては、主人公、はい、しっかりせえ、だれにもたぶらかされるなとやって下さい、これを関というんです、たとい命がけですよ。鬼銭など貯めこんでるんじゃないです。
頌に云く、賊と作る心、人に過ぎたる胆。歴歴縦横機感に対す。保福雲門垂鼻唇を欺く。翠巌長慶脩眉眼に映ず。杜禅和何の限りかあらん、剛ひて道ふ意句一斉に剞ると。自己を埋没して気を飲み声を呑む、先宗を帯累して牆に面ひ板を担ふ。
保福従展禅師は雪峰の嗣、長慶慧稜、雲門文偃禅師ともにまた雪峰義存の嗣、垂鼻唇を欺くというのは、鼻が長く垂れて唇を隠す、脩眉眼映は、眉毛が長く伸びて眼に映る、ともに大人の相ですとさ。賊となる心、人に過ぎたる胆は、すなわち杜撰禅和の預かり知らぬところ、でたらめやってるんじゃないです、強いて云う意句、人のとやこう仏教周辺を一刀両断ですか。口辺に鼻がおっかぶさるによって、いやさ自己を埋没して気を飲み声を呑む、眉毛が長くなって眼に映るほどにと、詩人の言語徒労に終わる、そうではなくって云いえて妙ですか。先宗を帯累して、巻き添えにして牆に角ひっかけ、担板漢やるんですか、あなたもわたしもだれでもやっている、まあこいつを免れぬとって、況んや雲門翠巌四大をおいておやと、そんなふうに読めますが、関。

第七十二則 中邑み猴
衆に示して云く、江を隔てて智を鬪わしめ、甲を遯け兵を埋む。覿面すれば眞鎗實劍を相持す、衲の全機大用を貴ぶ所以なり。慢より緊に入る、試に吐露す、看よ。擧す。仰山中邑に問う、如何なるか是れ佛性の義。邑云く、我が與に箇の譬喩をかん。室に六有り中に一猴を安く、外に人有りて喚んでと云えば猴ち應ず、是の如く六倶に喚べば倶に應ずるが如し。仰云く、只猴睡る時の如きは又作麼生。邑乃ち禪牀を下って把住して云く、我と相見せり。
頌云、凍眠雪屋歳摧頽、窈窕蘿門夜不開。寒槁園林看變態、春風吹起律筒灰。
頌に云く、雪屋に凍眠して歳摧頽、窈窕たる蘿門夜開かず。寒槁せる園林變態を看る、春風吹き起す律筒の灰。

衆に示して云く、江を隔てて智を闘はしめ、甲を遯ぞけ兵を埋ずむ。覿面すれば真鎗実剣を相持す、衲僧の全機大用を貴とぶ所以なり。慢より緊に入る。 試みに吐露す看よ。 挙す、仰山中邑に問ふ、如何なるか是れ仏性の義。邑云く、我汝が与めに箇の譬喩を説かん、室に六窓あり中に一み猴を安く、外に人ありて喚んで猩猩といえばみ猴即ち応ず。是の如く六窓ともに喚べばともに応ずるが如し。仰云く、只だみ猴眠る時の如きは又作麼生。邑、即ち禅牀を下って把住して云く。猩猩我汝と相見せり。 智を闘はす、項羽劉邦に云うて日く、徒に天下を騒がして数歳に及ぶ、願はくは雌雄を決せんに民を苦しめることなければよしと、劉邦笑って云く、我むしろ智を闘はしめて力を闘はしむること能ず。というまあ故事来歴、甲胄を退け兵を埋めは、秦卒何万人を穴埋めにしたのを思い出すが、漢の歴史に項羽は頭の悪い粗暴な男にされてしまった、由来中国は歴史を歪める民族らしい、共産党というのが粗悪品で、ものみな労働時間で見るというあんちょく、人間のデカタンスのまあどんじり、あとは暴発、収拾のつかない社会ですか、でもそんなことはさておき、一個人常に一個人の債務を背負い、これをどうにかしようとするただこれ。覿面すれば真鎗実剣です。痛いかゆい切れば血が出ること同じ、ゆえにもって衲僧の全機大用をとうとぶ所以です、傷つけ分析など、人の救いにはならんです、ものみなデカタンスぶっこわれとは無縁です、たとい自然破壊も、なに草っぱ一枚ありゃ完全無欠。中邑洪恩禅師は馬祖道一の嗣、仰山はい山の霊祐の嗣、み猴のみはけものへんに爾で、大猿のこと。六窓そうは別の字書くんですが窓と同じ、六根眼鼻耳舌身意、色声香味触法の六根門をいう、いえ別に六つの窓でいいです、これ云えば大猿は全機大用の心ですか、でもまあそんなん面倒です、いざとなったらどんと出て把住、ひっとらえてこれこれってやって下さい。たしかに仏はほどけ、自縄自縛の縄を解くにしろ、見えぬものこれ仏にしろ、三世の諸仏知らずにしろ、大用全機を損なう、あるいはかすっともかすらない、六根清浄といって修行して滝に打たれするんですか、そりゃどうもあんまりつまらんですよ。あるのはどんなに磨いても、なきに如かずってね。
頌に云く、雪屋に凍眠して歳摧頽。窈窕たる羅門夜開かず。寒槁せる園林変態を看る、春風吹き起こす律筒の灰。
どうもあんまりこの頌のように見えんのだが、すんばらしい言語のわざですか、詩は情景に従って読むによし、雪屋に凍眠して歳摧頽くだけつかれる、せっかく大猿も斉天大聖ってわけに行かんのは、凡人とかまえて凡人付き合いだからですか、窈窕たるあれは桃だったですか、その家室によろしからんと、詩経国風にあるのしか知らんですが、幽深閑静なる様だそうです、羅門とばりですか夜開かず、眠っているんですな、仰山若し眠っていたらどうなるんだと聞く、さすが仰山、中邑の六根清浄どうもあんまりぱっとせんです、一矢報いたとたんに禅牀を下ってどかんひっとらえる、いやさすがってわけで、寒槁せる、冬枯れの木です園林変態がらっと変わるんですか、目覚めにゃそりゃいかんです、役には立たん、春風吹き起こすところは、律筒は竹ですってさ、松には古今の風、竹には長幼の節、まあそういったわけで竹の灰をばらまくんです、どうもお粗末ってんですか、ざんばら髪おんぼろ衣の拾得が、にかあと笑って大地指さす。

第七十三則 曹山孝満
衆に示して云く、草に依り木に附き去って靈となり、屈を負い寃を啣んで來て鬼崇となる。之を呼ぶ時は錢を燒き馬を奏む、之を遣る時は水を呪し符を書す。如何が家門平安なることを得去らん。擧す。、曹山に問う、靈衣掛けざる時如何。山云く、曹山今日孝滿。云く、孝滿の後如何。山云く、曹山顛酒を愛す。
頌云、白門庭四絶鄰、長年關掃不容塵。光明轉處傾殘月、爻象分時却建寅。新滿孝、便逢春、醉歩狂歌任墮巾。散髪夷猶誰管係、太平無事酒顛人。
頌に云く、白の門庭四に鄰を絶す、長年關し掃って塵を容れず。光明轉ずる處傾いて月を殘す、爻象分るる時却って寅に建す。新に孝を滿じ、便ち春に逢う、醉歩狂歌墮巾に任す。散髪夷猶誰か管係せん、太平無事酒顛の人。

衆に示して云く、草に依り木に付き去って精霊となり、屈を負び冤を銜んで来たって鬼祟となる。之を呼ぶ時は、銭を焼き馬を奉む。之を遣る時は水を呪し符を書す。如何が家門平安なることを得去らん。 挙す、僧曹山に問ふ。霊衣掛けざる時如何。山云く、曹山今日孝満。僧云く、孝満の後如何。山云く、曹山顛酒を愛す。 依草付木の精霊というまあたいていみなさんのことです、酒を飲んで風月に親しみ、自然はいいだの地球を愛するだのいうこれです、清らかに見えて汚れです、無心にみえてまったくの独善です。したがい屈をおび、欝屈するんですか、冤罪です。おれはいいんだけど世の中が悪いとかやる、そうねえその他の人あんまりいない。人間仏と生まれてお化けですか、幽霊みたいな鬼になって祟る、でもって紙銭を焼き絵馬を供えして、あるいはお呪いして護符をもって水に流ししている、テレビとか公共のなにがしみなこれ、実はただもうつまらんだけだったり。家門の平安ということを本質知らないのです。 曹山本寂禅師は洞山良价の嗣、洞山の宗師に至って最も隆なり、故に曹洞の称ありと、曹洞わが宗の祖です。僧問う、霊衣喪服ですか、着ていないどういうわけだ、掛けざる時如何、僧服着るのと同じですか、なにかしら霊力とかいう、世間一般そんなふうに考えていたんでしょう、今日真っ黒い作務衣きて頭つるっつるに剃って歩いている兄ちゃん、これやっぱりまだそういう尾ひれ引いているんですか。タブ−なしのなんでもありになると、やたらアホ臭くなったり、どこまでいってもどうもならんのは、依草付木の精霊を免れんからですか。山云く、曹山今日孝満、三年の喪も明けたで孝養存分だといった、どうだってなもんです。馬鹿坊主まだ聞いている、孝満の後如何、山云く、顛酒、酒に酔いつぶれているってわけです。せっかく世の中生きているんですよ、自縄自縛の縄ふっきって思う存分やって下さい、たった一日でいい、他の百生をも救うんですよこれ。なぜかっていうんです、市長の演説成人式にやってないでさ。
頌に云く、清白の門庭四に隣を絶す、長年関し掃って塵を容れず。光明転ずる処傾いて月を残す。爻象分るる時却って寅に建す。新たに孝を満ず、便ち春に逢ふ、酔歩狂歌堕巾に任す。散髪夷猶誰か管係せん、太平無事酒顛の人。
清白の門庭とまた故事来歴があるんですが、要するに先祖が清廉潔白な人物で代々これを継ぐとある、仏という四隣を絶する潔白ですか、そりゃまあそういうこって濁りにしまぬ露の玉、心は汚れずこぼたれずという、なぜかというに無心です、ないものは損なわれない、ゆえに金剛不壊たるを知って仏教です、人の救いなんです。ゆえに長年とざし来たって塵を容れずは不都合、そんな荷厄介なこたいらんです、百害あって一利なしですか、即ちもと汚れない一微塵もつかず、不染那です。無生を知る、頓に自覚する無自覚、光明転ずるところ傾いて月を残す、ほうら気がついたらたった一箇の月、交象分時とは陰と陽が変じて春来たる、寅は東の方、春は北斗七星の柄が東をさす、枯木巌前花草常春、死んで死んで死にきって思いのままにするんです、とらわれのお人形さんじゃない、操りの縄んふっ切れるんです、すなわち春に逢う、酔歩狂歌頭巾が落ちたらそのまんま、ざんばら髪夷猶千鳥足もそいつを観察する人がいないんです、衒いや物まねじゃない、太平無事の酒顛です、別に酒飲まんたっていい、一生に一度こうあって、この世をおさらばして下さい。

第七十四則 法眼質名
衆に示して云く、富萬を有って蕩として纖塵無し、一切の相を離れて一切の法にす。百尺竿頭に歩を進めて、十方世界に身を全うす。且く道え甚麼の處より得來るや。擧す。、法眼に問う、承るに言えること有り無住の本より一切の法を立すと、如何なるか是れ無住の本。眼云く、形は未質より興り、名は未名より起る。
頌云、沒蹤跡、斷消息。白雲無根、風何色。散乾蓋而非心、持坤輿而有力。洞千古之淵源、造萬象之模則。刹塵道會也處處普賢、樓閣門開也頭頭彌勒。
頌に云く、沒蹤跡、斷消息。白雲根無し、風何の色ぞ。乾蓋を散じて心あるに非ず、坤輿を持して力有り。千古の淵源を洞にし、萬象の模則を造る。刹塵の道會するや處處普賢、樓閣の門開くるや頭頭彌勒。

衆に示して云く、富満徳を有って蕩として繊塵無し。一切の相を離れて一切の相に即す。百尺竿頭に歩を進めて、十方世界に身を全うす。且らく道へ甚麼の処より得来るや。 挙す、僧法眼に問ふ、承まはる教に言へること有り、無住の本より一切の法を立っすと、如何なるか是れ無住の本。眼云く、形は未質より興り、名は未名より起こる。 法眼宗の祖清涼文益禅師、これはまことに平らかに説く、他の禅師大善知識というお騒がせとはだいぶ違う、さすがに法眼、そうですよ、応無所住而生其心、まさにこうあるこれを、なにか特別のことだと思ううちはこうはいかない。承まわる教えというのは維摩経なんだそうが、そんなんどのお経だって同じに一切です。尽くしているというんですか、一言半句で足りるんです。足りないのは自分が足りない、もと長者窮子が、富満徳をたもって蕩として繊塵なしです、ゼニカネ女などの手段を必要としないんです。放蕩息子のどけちじゃない、一切の相を離れて一切相に即す、もとどっぷり浸けです。他にないんです、それを他に求めようとするから、法あり空あり一切ありするんです、手放しても手放さなくとも同じたって、手放さなきゃそりゃわからんです、わからんけりゃおもしろくもなんともない、高い木の上に上って、手を離し足を離し、口でもって噛みついているやつに、下に人あって仏を求めている、さあどうするという公案、答えはたった一つ、口を開いて説教しろというんです。捨身施虎は仏教の根幹、他のヒンズー教やら修行者らとまったく違うんです、人格高潔や神仏のらしい様子じゃない、端にこれ、十方世界に身を全とうするんです。ものみなこうあるという、この事実に住する、死んじまったらもうない理屈、すると平らに出るんです、形は未質よりおこり、名は未名っより起こる、どうですか並み大抵でしょう、かくの如くあるしかない、あなただって云い得て妙ですよ。
頌に云く、没蹤跡、断消息。白雲根無し、清風何の色ぞ。乾蓋を散じて心あるに非ず。坤与を持して力有り。千古の淵源を洞らかにし、万象の模則を造る。
刹塵の道会するや処処普賢。楼閣開くるや頭頭弥勒。 没蹤跡断消息、みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけりと、まずもってこれを得て下さい、坐っても坐ってもどこか繋駒伏鼠、どうしても糸のふっきれぬ凧をやっている、就中この期間が長いんですか、七転八倒し地獄とはこれ仏のありようを知って仏ならざる時と、なんで外きりないのに内動くかと、先師仏祖の蹤跡なにも特別はないんです。必ずこれあってこれを得る他はない、ついに得て落着は、乾蓋散ずるんです。心という用いてどうこうしない、たとい一切妄想も出るに任せ消えるに任せです、だからどうのまったくしない、すると我という失せて、坤与ここにこうして大盤若なんです、千古の淵源という、他の発祥源はないんです。乾坤宇宙歴史も哲学もなにがどうあろうと、自ずからあるよりないんです、あっはっは万象の模則を造ると、まあ荷厄介なこといわない、ただです、物まねするんならこれ以上はないってやつ、さあ刹塵の道ぶっこわれ破家散宅の道です。会するや否や、処処普賢行ない清ますこと第一等、大行普賢菩薩、あまねくということですよ、楼閣そりゃまあ世界全体ですか、開くこと頭頭弥勒、智恵一等文殊菩薩としたいところをさ、とにかく弥勒も文殊もあなたの内にしかないんです、あなた=内なしってね。

第七十五則 瑞巌常理
衆に示して云く、喚んで如如と作す早く是れ變ぜり、智不到の處切に忌む道著することを。這裏還って參究の分有りや也無しや。擧す。瑞巖、巖頭に問う、如何なるか是れ本常の理。頭云く、動ぜり。巖云く、動の時如何。頭云く、本常の理を見ず。巖、佇思す。頭云く、肯う時はち未だ根塵をせず、肯わざる時は永く生死に沈む。。
頌云、圓珠不穴、大璞不琢。道人所貴無稜角。拈却肯路根塵空、體無依活卓卓。
頌に云く、圓珠穴あらず、大璞は琢せず。道人の貴ぶ所稜角無し。肯路を拈却すれば根塵空ず、體無依活卓卓。

衆に示して云く、喚んで如如となす、早く是れ変ぜり。智不到の処、切に忌む道著することを。這裏還って参究の分ありや也た無しや。 挙す、瑞巌、巌頭に問ふ、如何なるか是れ本常の理。頭云く、動ぜり。巌云く、動の時如何。頭云く、本常の理を見ず。巌佇思す。頭云く、肯ふ時は即ち未だ根塵を脱せず、肯はざる時は永く生死に沈む。 巌頭全豁禅師は徳山宣鑑の嗣、瑞巌師彦はその嗣、如何なるか是れ本常の理と、どうしても仏を願い仏道を求めるからに、たしかなものすばらしいもの、金剛不壊ダイヤモンドの高価頼り甲斐を思うんです、実はそういっている自分自身が、まさにそのものこれ、永遠不滅と云えば即ちまっただなかです。まっただなかにあって却って見ることができないんです。千変万化するまっただなかです、本常という他に見る、あるいは物差しをあてがえば、滞るよけいことです。禅問答のちんぷんかんぷんではない、平らかにこれを知って下さい。喚んで如如となす、坐っていてこうだというんでしょう、実に得たりとやったとて、ついに一物も得ずとしたっても、次にはもう別ことに追われている、なにやかや捉まっているかぎり、ひょうたんなまずです、ころんころんと糠に釘。 智不到の処、切に忌む道著することをという、だからと顧みるにそりゃ同じこったです。さあどうすればいい、かえって参究の分ありや無しや、それだから頭云く、動。動の時如何、なんとしても答えを出したいんです、自分=答え、三世の諸仏知らずに安住しないんです、だからといって、まさにこれ肯う時は未だ根塵を脱せず、肯はざる時は永く生死に浮沈すと、かく真っ正面に云っても、言下に大悟すとはなかなかもって行かんです。さあどうです か、こやつぶち抜いて下さいよ、手もつけられんと知って、即ちこれほど楽なこたないんです、坐=安楽の法門。
頌に云く、円珠穴あらず、大璞は琢せず、道人の貴とぶ所稜角無し。肯路を拈却すれば根塵空ず、脱體無依活卓卓。
年上の弟子があって円珠と名付けその奥さんを明珠と名付けた、弁護士大学教授であったが、六十でスキ−を覚えて世界中のゲレンデを渡り歩いたり、限定解除をとって1500ccに乗って来たり、活発発が惜しいことに、ガンになって死んでしまった。穴あらずの円珠さんに、今はの際に行きあったんだと思っている。大璞白玉だそうです、この事をなす人なにものにもならん、なれんといったらいいのか、世の中の出世街道たといあくせくが身に就かんのです、なにをやっても元の木阿弥。わしはまあ役立たずだが、たしかにそういう人がいるもんです。そうですよ、坐禅をやっても元の木阿弥、坐禅三段とか免許皆伝なんてにいかない、なんにも得ないんです。そうしてどうしようもないこやつを、惜しゅうもない、虚空という虎に食わせて一巻の終わりですか。じくじくとさっぱり終わらなかったり。昨日の自分はもうないってことだけある、いやさ自分というから食み出して久しいんですか、まあやっとくれ死ぬかこれしかないという、そうさなあ年よりじっさ。でもっていろっけあったりなかったり、どうすればいいこうすればいいの道ではないんです。肯路を拈却するという、すべてをなげうって答えを待つんです、ついになんの答えもなし、さあどうするというんです、答えはないんです、ものみなと強いていう脱退無依活卓卓。

 

第七十六則 首山三句
衆に示して云く、一句に三句を明し、三句に一句を明す。三一相渉らず、分明なり向上の路。且く道え那の一句か先に在る。擧す。首山衆に示して云く、第一句に薦得すれば佛の與に師と爲る、第二句に薦得すれば人天の與に師と爲る、第三句に薦得すれば自救不了。云く、和尚は是れ第幾句に薦得するや。山云く、月落て三更、市を穿って過ぐ。
頌云、佛髑髏穿一串、宮漏沈沈密傳箭。人天機要發千鈞、雲陣輝輝急飛電。箇中人看轉變。遇賤則貴貴則賤。得珠罔象兮至道綿綿、游刃亡牛兮赤心片片。
頌に云く、佛の髑髏一串に穿つ、宮漏沈沈密に箭を傳う。人天の機要千鈞を發し、雲陣輝輝として急に電を飛す。箇中の人轉變を看よ。賤に遇うては則ち貴、貴は則ち賤。珠を罔象に得て至道綿綿たり、刃を亡牛に游ばしめて赤心片片たり。

衆に示して云く、一句に三句を明かし、三句に一句を明かす。三一相ひ渉らず、分明なり向上の路。且らく道へ那んの一句か先に在る。 挙す、首山衆に示して云く、第一句に薦得すれば仏祖の与めに師となる。第二句に薦得すれば人天の与めに師となる。第三句に薦得すれば自救不了。僧云く、和尚は是れ第幾句に薦得するや。山云く、月落ちて三更、市を穿って過ぐ。 首山の宝応省念禅師は風穴延昭の嗣、この則なんか都合にそう云っちゃ悪いんですが、わが意を得たりという気がします。後学の有耶無耶が、いえさよくぞ云ってくれたというんです。第一句という、これを得んがためにまっしぐらです、師普ねく叢席を歴り常に蜜に法華経を誦す、人呼んで念法華となす、晩に風穴の会中に於て知客にあたる、一日侍立のついで、風穴垂涕して告げて日く、不幸にして臨済の道吾にいたって地に墜ちんとす、師云く、一衆に人なきや乃至念法華を放下してついに得るんです。かくのごとくに古人大苦労の末に、超凡越聖ついに仏祖を超えるんですか、たしかにそういうことあるんですよ。たといお釈迦さまだろうが為に説く、これあって初めて仏、仏教です。そうしてこの中に住して普く知るんです。平らかの日々是れ好日という、そんなものあるわけがないです、坊主や学者の類実際には何も知らんで、かくあるべしをもってす、とんちんかんの罪科はなはだしいです。そうではない七転八倒あり、あるいは激烈な葛藤です。第二句という、ついにようやく人天の導師です、まさにこの人をおいてないんです、よくよく知るんです。依存症ゼロの人ってこれ、たいへんですよ、そうしてもって第三句自救不了オッホッホこれ実感ですよ、まさにまったく。かつては本来人掃いて捨てるほどいたんですか、いえいえ同世代三人もいりゃそれ、光明この上なしです。和尚は第幾句かと問われて、月落ちて三更という、よくよく味わって下さい、市、市井売り買いの場ですか、市を穿って過ぐ、本来性これの実感たることよくよく知って下さい。
頌に云く、仏祖の髑髏一串に穿つ、宮漏沈沈として密に箭を伝ふ。人天の機要千鈞を発す、雲陣輝輝として急に電を飛ばす。箇の中の人転変を看よ、賤に遇うては即ち貴、貴には即ち賤。珠を罔象に得て至道綿々たり、刃を亡牛に遊ばしめて赤心片片たり。
自分というものが失せて行く段階です、坐禅とはこれを楽しむんです、仏祖の髑髏一串です、もとないはずのものが、自分というよこしまに依って、これを私するんです、返却し返却しもって行く、ついになんもなしと思えたところから始まるんです、仏向上の事悟後の修行といいますが、天下取ったという、みな人の得がてにすとふうずめ子得たりという、まずそいつを手放して下さい、宮漏とはむかしの砂時計ですか、沈沈として密に箭を伝え、そうですよ坐るっきりないんです、時が解決すると一般は云うんですが、昨日の自分は今日ではないがあるっきり。千鈞の弩弓ですか、不思議でしょう、ただ自分がないっきりなんです、そいつが千軍万軍に当たる、そうですねえ無手勝流です。雲陣以下坐中にあって肯うところです。この中の人転変を見よ、電は発したらおしまい、なんの跡形も残らん、賤には賤、賤には貴と法界そのものになり終わるんです、無無明亦無無明尽ですか。刃を亡牛に遊ばしめてという、十牛の図ですか、牛いなくなってまるっきりただの人は、打てば響くなんてもんじゃないんです、触れるものみな真っ二つ、赤心洗うが如く、三句に薦得すれば自救不了です、首くくる縄もんあし年の暮れは、春風いたって百花開くんです。

第七十七則 仰山随分
衆に示して云く、人の空に畫くが如き、筆を下さばち錯る。那ぞ模を起して樣を作すに堪えん、甚麼を爲すに堪えんや。○萬松已に是れ栓索を露わす、條あれば條を攀じ、條無ければ例を攀ず。擧す。、仰山に問う、和尚還って字を知るや否や。山云く、分に隨う。乃ち右旋一匝して云く、是れ甚麼の字ぞ。山、地上に於いて箇の十の字を書す。左旋一匝して云く、是れ甚麼の字ぞ。山、十の字を改めて卍の字と作す。一圓相を畫いて兩手を以て托げて修羅の日月を掌にする勢の如くにして云く、是れ甚麼の字ぞ。山乃ち圓相を畫いて卍の字を圍却す。乃ち樓至の勢を作す。山云く、如是如是、汝善く護持せよ。
頌云、道環之靡盈、空印之字未形。妙運天輪地軸、密羅武緯文經。放開捏聚、獨立周行。機發玄樞兮天激電、眼含紫光兮白日見星。
頌に云く、道環の盈靡く、空印の字未だ形れず。妙に天輪地軸を運し、密に武緯文經を羅らぬ。放開捏聚、獨立周行。機、玄樞を發して天に電を激す、眼に紫光を含んで白日に星を見る。

衆に示して云く、人の空に描くが如き、筆を下せば即ちあやまる。那んぞ模を起こして様を作すに堪へん、甚麼を為すに堪へんやO万松已に是れ詮索を露はす、条あれば条を攀じ、条無ければ例を攀ず。 挙す、僧仰山に問ふ、和尚還って字を識るや否や。山云く、分に随ふ。僧乃ち右旋一匝して云く、是れ甚麼の字ぞ。山、地上に於て箇の十字を書す。僧左旋一匝して云く、是れ甚麼の字ぞ。山十の字を改めて卍の字となす。僧一円相を描いて両手を以て托げて修羅の日月を掌にする勢いの如くにして云く、是れ甚麼の字ぞ。山乃ち円相を描いて卍字を囲却す。僧乃ち楼至の勢いをなす。山云く、如是如是、汝善く護持せよ。 仰山キョウサン慧寂禅師はイ山霊祐の嗣、僧あり問う、和尚字を知っているかというんです、馬鹿にするな字ぐらい知ってらあといって、ふっと考えると知らない、むしろ知らん字のほうが多いじゃないか、山云く、分に随うですか、禅問答そんなレベルじゃないという、じゃどんなレベルですか、僧すなわち右にぐるっと回って、これなんの字ぞという、字を描くってどういうことですか、このへんで思い当たって下さい。哲は口を折るなどむだこといってないんです、山地面に十の字を描く。これおもしろいでしょう、虚空というなんにもなしを、画策する発明するっていうんですか、まどろっこしいですねえ言葉は、僧左へぐるっと回って、これなんの字ぞ、こうありゃこうって、強いて云えばそういうこってす。山十の字を卍にする、説法も煮詰まったんですか、いようって大向こうから声がかかりますか、僧一円相を描いて修羅八荒の大見栄です、これなんの字ぞ。卍を囲んでOを描いて、山如是如是、この事をよく保護せよという、いいですなあすらっとどこも凹凸なし、さあよく保護して下さい、人生まさに始まったんですよ、人もなく生死もなくっていうあっけらかんが。条令あれば条令による、なければ判例におるの、しゃば世界浪花節じゃないんです。
頌に云く、道環の虚盈ること靡し、空印の字未だ形れず。妙に天輪地軸を運らし、密に武緯文経を羅らぬ。放開捏聚、独立周行。玄枢を発して青天に電を激す。眼に紫光を含んで白日に星を見る。
道環という過去七仏からお釈迦さままた我に至る八十六代ぐるっと回って過去七仏へと、これもし同時的同じ空間内に見るとき、まさに仰山と門下のやりとりに似て、虚みつることなしと、あっけらかん世間云うには絶対空間ですか、廓然無聖不識という、空印の字未だあらわれずです、妙に天輪文武経緯はまあ大げさって、いえ箇の微妙玄用はふうっと消えてしまうんですよ、なにかある世界あるというそれがない、大活現成の原点ですか、坐ってはそうなりそうならずして、なにさあ如来とて、あるいはわしのようないびつ、なんの取りえなしにもこうある、この世のこと終わったら、また別の世に現ずるんです、弟子どもと掃除しおわって、自然林とあまり変わりもないお寺が清々する、如来ここにおわせりという記述です、わしというこう手を出すことは出したですか、それも一瞬には違いぬが、訪れた人には一瞬の無上上です。 放開捏聚独立周行、そうですよここに全世界三世現ずるんです、生きています呼吸しているんです、だからすばらしいんです、青天に電を激し白日に星を見るんです、さあ参じて下さい、仏教ですよ、一箇半箇あとを継いで下さい、これあるによって人類があるんですよ。

第七十八則 雲門餬餅
衆に示して云く、天に價を索むれば搏地に相酬う、百計經求一場の還って進退を知り休咎を識る底有りや。擧す。、雲門に問う、如何なるか是れ超佛越の談。門云く、餬餠。
頌云、餬餠云超佛談、句中味無若爲參。衲一日如知、方見雲門面不慙。
頌に云く、餬餠を超佛の談と云う、句中に味無し若爲が參ぜん。衲一日如しくことを知らば、方に見ん雲門の面慙じざることを。

衆に示して云く、べん天に価を索むれば搏地に相報ふ、百計経求一場の麼羅、還って進退を知り、休咎を識る底ありや。 挙す、僧雲門に問ふ、如何なるか是れ超仏越祖の談。門云く、餬餅。 雲門文偃禅師、青原下六世雪峰義存の嗣、雲門餬餅という、多少かじるとじきに耳に入って来る、洞山麻三斤など、いわく噛み難く、嚼しがたしと。取り付く島もないんですか、すなわち完全、満天に価を求むれば満地にあいささうんですか。べんは糸に免で満と同じく、搏地即ち満地だそうです。百計千謀といい経歴馳求という、そうですよ、たいてい雲門餬餅、ごまの入った餅ですとさ、これに出食わすと百計千謀し経歴馳走するんです、いったいなんだといって答えを出したい。答えを出すとはどういうことか、餬餅こびょうと答えがあるのに、それをまた答えるとは、なにか持ち物総動員してかくあるべきやるんです、どっかの物差しに触れるという、納得という変なことをする。どうですか、餬餅とわかんなかったら、わかろうとする自分を捨てる、すなわち、自分という根拠、囲い込みを明け渡して下さい。餬餅と、まずは見るもの聞くものになり終わって下さい、オウと云えばまさにぜんたいオウと応えるんです。悟りといい超凡越聖という、そうしたいらん手続きが不要です。この世に納得すべきなんの必要もないんです。進退を知るとは自ずからです、ぴったり実にきしっとしているんです。これを野狐禅天下取ったふうにやると、乱暴で雑っぱです、こっちの岸です、一神教の独り善がりになります。休咎という、悟ったにしろ悟り終わって悟りなしにしろ、ちらともかくあるべしといえば、よって滞るんです。餬餅はたして薬弊、さあどうです、いえわしについていえば毎日坐して、かろうじて自救不了を知るんですか。はいお粗末。
頌に云く、餬餅を超仏祖の談と云ふ、句中に味はひ無し如何が参ぜん。衲僧一日如し飽くことを知らば、方に見ん雲門の面慙じざることを。
そりゃそうです、餬餅ごまの入った餅を超仏越祖の談義とする、いったいどういうことか。味わいなし如何が参ぜん。取り付く島もないただの人。世間一般ただの人とどう違うんですか。ことは同じ雲泥の相違ありとは、微塵もつくなし、ゆるがせにならんことは、何比較するといったって、蝶や花や鳥や雲と同じです。一点ゆるんだら滅びる、いえまったく様にならんのです、まあそんなふうに取り付いてみますか。たしかに超仏越祖といって、何別にあるものではない、うさんくさい一物もとっつかないです。坐っていてどうですか、自分というごつごととして箇の坐状がありますか、たといあったとてそれ自分のものですか、多々あろうがなんにもなかろうが、念起念滅、自分の持ち物ないんです、すると坐として成立するんです、これを万松老人は一日もし飽くことを知らばと云ったんです、まったく終わった人の、日々是好日、仏向上の事です、たしかに邵陽老人はでたらめ云わんというんですよ。

第七十九則 長沙進歩
衆に示して云く、金沙灘頭の馬郎婦、別に是れ、瑠璃瓶裏にを擣く、誰か敢て轉動せん。人を驚かす浪に入らずんば意に稱うの魚に逢い難し、行大歩の一句作麼生。擧す。長沙、をして會和尚に問わしむ、未だ南泉に見えざる時如何。會良久す。云く、見えて後如何。會云く、別に有るべからず。廻って沙に擧似す。沙云く、百尺竿頭に坐する底の人、然も得入すと雖も未だ眞と爲さず、百尺竿頭須らく歩を進むべし、十方世界是れ全身。云く、百尺竿頭如何が歩を進めん。沙云く、朗州の山、州の水。云く、不會。沙云く、四海五湖王化の裏。
頌云、玉人夢破一聲鷄、轉盻生涯色色齊。有信風雷摧出蟄、無言桃李自成蹊。及時節力耕犁、誰怕春疇沒脛泥。
頌に云く、玉人夢破る一聲の鷄、轉盻すれば生涯色色齊し。有信の風雷出蟄を摧し、無言の桃李自から蹊を成す。時節に及んで耕犁を力む、誰か怕れん春疇脛を沒する泥。

衆に示して云く、金沙灘頭の馬郎婦、別に是れ精神、瑠璃瓶裏にじこうをつく。誰か敢えて転動せん。人を驚かす浪に入らずんば意に称ふ魚に逢ひ難し。寛行大歩の一句作麼生。 挙す、長沙、僧をして会和尚に問はしむ、未だ南泉に見みえざる時如何。会良久す。僧云く、見みえて後如何。会云く、別に有るべからず。僧、廻って沙に挙す。沙云く、百尺竿頭に坐する底の人、然も得入すと雖も未だ真と為さず、百尺竿頭に須らく歩を進むべし、十方世界是れ全身。僧云く、百尺竿頭如何が歩を進めん。沙云く、郎州の山、れい州の水。僧云く、不会。沙云く、四海五湖王化の裏。 金沙灘頭の馬郎婦、僧問う如何なるか是れ清浄法身、師日く金沙灘頭の馬郎婦。金沙灘というところに美しい女がいた、魚籃観音の化身であったというんですか、よくお経を読む者に仕えんといって、ついにこれを娶る者あり、即ち門に入って女死すという、あとに黄金の鎖があったなど。観音の化導は他の説法の及ばぬところをもって、別の精神といった、じこうとい、じは滋のさんずいの代りに食、こうは食に恙、あわせて栗餅ですってさ、瑠璃の瓶に栗餅をつく、自家薬籠中の物ですか、世間一般はともかく仏教は別です。百尺竿頭に坐っていては、どうにもこうにもならんです。誰か敢えて転動せん、思い切って空中に身をなげうつ以外にないんです。観音菩薩かごから魚を取り出して売る、寛行大歩の一句ですか、仏教という仏という、なにか別にあるもんじゃないんです。さあ魚を売る如何。長沙は湖南長沙の景岑招賢禅師、南泉普願の嗣、南泉は馬祖道一の嗣、会和尚南泉下伝不詳、南泉に見みえざる時如何、会良久す、なんにも云わなかった、南泉に見みえて後如何、別に有るべからず。たしかになんたるかを弁える、もとこのとおりと云いたかったんですか、南泉とまったく同じですか、どうです。これを百尺竿頭に坐すと云った、一歩を進めよ、十法世界これ全身。この僧不会、さああなたはどうなんですか、郎州の山、れいはさんずいに豊れい州の水、山と川になりおわってごらんなさい、百尺竿頭から墜落すると命ないんです、自分失せてまわりばっかり、ですが死んで忘れられたんじゃない、四海五湖王化裏です。だから仏教なんですよ、ただでも世間のいうただじゃないんです。魚売りじゃなんにもならん。
頌に云く、玉人夢破る一声の鶏、転盻すれば生涯色色斉し。有信の風雷出蟄を催し、無言の桃李自ずから蹊を成す。時節に及んで耕犁を力む、誰か怕れん春脛を没する泥。
会和尚良久する、威なるかな大慈大悲外道賛嘆して云く、というわけには行かなかった、自分を顧みる、観察したらおしまい、特派布教師などやって来て、威儀をただしていかにもらしくやって来る、一目瞭然なんです、自分という二分裂の、そわそわがさごそ、どうにもしょうがない輩です。宗門に仏教のぶの字もないんですか、だったらいさぎよく葬式稼業観光業に徹すればいい、さっぱりします。玉人夢破る一声の鶏、らしくに徹するところあって、参ずるにはさっぱりやっても来んのでしょう、そこでちっとはいけそうな坊主を使いにやった。南泉は師匠です、未だ見えざるとき如何、仏教を知らなかったとき如何、押し黙るのを見て、仕掛け坊主ひとりでに動き出す、見えて後如何、何かあったかと聞くに、会和尚、別に有るべからずと示す。まさに他なしなんですが、死んでいる、百尺竿頭清水の舞台です、一声の鶏ですか、どかんと墜落木端微塵です、生涯色色斉しという、色無いんですよ、色即是空空即是色とはいいながら、ほんとうのこれを夢にだも見ないんです。有信の風雷、長沙の意ですか十方全身を促すんです、ついに自ずからを知る、たとい泥んこまみれになってです、手前ご本尊乙にすましこんでなんていうの、仏教に関するかぎりはないんですよ。

第八十則 龍牙過板
衆に示して云く、大音は聲希れに、大器は晩成す。盛忙百鬧の裏に向って呆と佯り、匕古千年の後を待って慢す、且く道え是れ如何なる底の人ぞ。擧す。龍牙翠微に問う、如何なるか是れ師西來意。微云く、我が與に禪板を過し來れ。牙、禪板を取って翠微に與う。微、接得して便ち打つ。牙云く、打つことはち打つに任す、要且つ西來意無し。又臨濟に問う、如何なるか是れ師西來意。濟云く、我が與に蒲團を將ち來れ。牙、蒲團を取って臨濟に與う。濟、接得して便ち打つ。牙云く、打つことはち打つに任す、要且つ師意無し。牙、後に住院す、問う、和尚當年翠微と臨濟とに意を問う、二尊宿明すや也未しや。牙云く、明すことはち明す、要且つ師意無し。
頌云、蒲團禪板對龍牙、何事當機不作家。未意成褫明目下、恐將流落在天涯。空那挂劍、星漢却浮槎。不萠草解藏香象、無底籃能著活蛇。今日江湖何障礙、通方津渡有車。
頌に云く、蒲團禪板龍牙に對す、何事ぞ機に當って作家ならざる。未だ成褫して目下に明なることを意わず、流落して天涯に在らんとすることを恐る。空那ぞ劍を挂けん、星漢却って槎を浮ぶ。不萠の草に香象を藏すことを解し、無底の籃に能く活蛇を著く。今日江湖何の障礙かあらん、通方の津渡に車有り。

衆に示して云く、大音は声希れに、大器は晩成す。盛忙百門市の裏に向かって呆を佯り、化故千年の後を待って慢緩す、且らく道へ是れ如何なる底の人ぞ。 挙す、龍牙翠微に問ふ、如何なるか是れ祖師西来意。微云く、我が与めに禅板を過ごし来たれ。牙禅板を取って翠微に与ふ。微接得して便ち打つ。牙云く、打つことは即ち打つに任す要且つ祖師西来意無し。又臨済に問ふ、如何なるか是れ祖師西来意。済云く、我が与めに蒲団を将ち来たれ。牙蒲団を取って臨済に与ふ。済接得して便ち打つ。牙云く、打つことは即ち打つに任す要且つ祖師意無し。牙後に住院す。僧問ふ、和尚当時翠微と臨済とに祖意を問ふ、二尊宿明かすや也た未だしや。牙云く、明かすことは即ち明かす、要且つ祖師意無し。 龍牙山の居遁禅師は洞山良价の嗣、翠微無学禅師は丹霞天然の嗣、臨済義玄禅師は黄檗希運の嗣、如何なるか是れ祖師西来意、達磨さんが西インドから来た、さあどういうこったと聞く、仏とは何か仏教如何と問うと同じです。能書き説明はうそです、学者説法百万だらやったも届かぬというより、かえって遠くて遠いんです。まずこのことを知って、坐禅です。参ずるという、仏教について八万四千巻のお経がおっかぶさっていては、単を示すの坐禅にならない、学者布教師なんの為になす、立身出世のためにという、これが利己を捨てて仏の道です、われとわが身心を救えと願って仏なんです。如何なるか祖師西来意、庭前の柏樹子と、仏とこれ一心に取りすがっていたものを、頼りの杖をとっ払うんです。失墜して木端微塵ですか、死んだものは二度と死なぬ、では救う必要がない、なんという清々まっ平ら。どう死ぬか死体じゃしょうがない。如何なるか是祖師西来意、禅板(坐禅に用いる椅板)を取ってくれ、取って来ると、そいつ受け取って打つ、打つだけよけいですか。打つはすなわち打つに任す要且つ祖師意無し、そうです再三にわたりやっている、担板漢じゃないかって、たといおうむ返しもです、首くくる縄もなし年の暮れ、どうですか、祖師西来意あったが正解ですか、なかったが正解ですか。学者坊主美食豊満底にはそりゃ無関係ですよ。ついには得るんですか、頓知とはこんなもんかな−んだっていう、そりゃ死ぬ思いもせん話。
頌に云く、蒲団禅板龍牙に対す、何事ぞ機に当たって作家とならざる。未だ成褫して目下に明なることを意はず、流落して天涯に在らんとすることを恐る。虚空那んぞ剣を掛けん、星漢却って機を浮かぶ。不萌の草に香象を蔵することを解し、無底の籃に能く活蛇を著く。今日江湖何の生礙かあらん、通方の津渡に航車あり。
蒲団禅板龍牙に対す、龍の牙を抜くんですか、そうしたらまるごと仏、打つことはすなわち打つに任す要且つ祖師意無しという、死人底ですか、大活現成ですか、機にあたって作家ですか。成褫という褫ははぐとか奪う、あるいは脱ぐ解くという、成就結果まあ解脱ですか。流落して天涯流れ星の天涯孤独ですか、貴人の流落ですか、ややこしいったら、どっち転んだって人間たった一人、虚空なんぞ剣を掛けんです。祖師西来意をひっかついで右往左往じゃない、星漢天の川です、織女牽牛だって年に一回は逢い引き、取り付く島もない、そうなあこの世から食み出しものだって、すんばらしいったらお宝かくの如く。底の抜けた籠に猛毒蛇ってね、ついに得てもって、打つことは便ち打つに任す要且つ祖師意無しと。どうですか今日まったくだれ一人とて仏教のぶの字もないんでしょう、でたらめ解説ばっかり、さあわしんとこへおいで、一喝ぶっ食らわせてあげますよってね。まあそういうこった。

 

第八十一則 玄沙到県
衆に示して云く、動ずればち影現じ、覺すればち塵生ず。擧起すれば分明、放下すれば隱密。本色道人の相見如何が話せん。擧す。玄沙蒲田縣に至る、百戲して之を迎う。次日小塘長老に問う、昨日許多の喧鬧甚麼の處に向って去るや。小塘袈裟角を提起す。沙云く、挑沒交渉。
頌云、夜壑藏舟、澄源著棹。龍魚未知水爲命、折筋不妨聊一撹。玄沙師、小塘老。函蓋箭峰、探棹影草。潛縮也老龜蓮、遊戲也華鱗弄藻。
頌に云く、夜壑に舟を藏し、澄源に棹を著く。龍魚は未だ知らず水を命と爲すことを、折筋は妨げず聊か一撹することを。玄沙師、小塘老。函蓋箭峰、探棹影草。潛縮や老龜蓮にい、遊戲や華鱗藻を弄す。

衆に示して云く、動ずれば即ち影現じ、覚すれば即ち塵生ず。挙起すれば分明、放下すれば隠密。本色の道人の相見、如何んが説話せん。 挙す、玄沙蒲田県に到る、百戯して之を迎ふ。次日小塘長老に問ふ、昨日許多の喧にょう甚麼の処に向かって去るや。小塘袈裟角を提起す。沙云く、遼挑没交渉。 玄沙宗一大師、雪峰義存の嗣法名は師備、動ずれば即ち影現じ、覚すれば即ち塵生じと、これ参禅の様子です。すべてが自分でやっている、そいつを追いかけていては百年河清を待つです、挙起すれば分明、放下すれば隠密と、なにかあると思っている、そういうかぎり裏表なんです。もとまっさらだからという、でもってこうあるべきという、すると影現じ塵生ずです。いつまでたってもかくの如し、なあんてめえでやってるっきりっていう、ぼかっと一つ開けて下さい。勝手にやっとれでもいいですか、真っ正面向きますか、如来として現じ如来として空ず、自覚の外といったらいいですか。相見如何が説話せんと、あるとき道えばいい、ただそれっきり。玄沙が行くと百戯、いろんな芸事余興をもって出迎えた、次の日、喧にょうは門に市、あのにぎやかなのどうなったと聞く、長老袈裟角をとって示す、是は是なんでしょう、もしや百戯も仏法のうちなんて、そりゃ甘え根性です。沙云く、りょうは寮に頁です、りょう挑疎遠の意、没交渉もっきょうしょうと習わしに読む、関係がないっていうんです、昨日は昨日今日は今日、いいですか絵に描いた餅じゃないんです、一瞬まえの有耶無耶がもうない坐禅、有耶無耶が有耶無耶でないんですよ、だってさだれ観察しない、ただこうあるっきり、たとい千変万化もです。
頌に云く、夜壑に舟を蔵し、澄源に棹を著く。龍魚は未だ知らず水を命となすことを、折筋は妨げず聊か一攪すること。玄沙師、小塘老。函蓋箭鋒、深竿影草。潜縮や老亀蓮に巣くい、遊戯や華鱗藻を弄す。
壑は谷、夜壑に舟をかくし、まあ百戯終わって静まり返ったんですか、でも百戯の真っ最中も同じく静まり返っています。なに変わることなく楽しいには楽しいいんです。澄んだみなもとに棹を著く、どうであったなど余計こと云わずもがなです、わと盛り上がって翌朝もう坐っています。坐中昨夜のことなんか思い出さないです、思い出したって、龍魚は未だ知らずです、住むべき水これとやるから坐が乱れるんです。まあそうであってはならぬからに、函蓋箭鋒ぴったり行っているか、深竿影草どうだ問題はないかとやる。一日能登の祖院に修行中の弟子を見舞い、翌日金沢に遊びして来ました、能登総持寺は美しい壮大な伽藍で、環境は申し分なしです。思いのほかの歓待を受けて恐縮でしたが、暁天坐中大梵鐘を打つという、いつごろから行なわれ出したか、そりゃこの事を知らぬ人のあてずっぽ有心のものです、我と我が身心とどうでもいったんは対決せにゃ得られんです、たわけた儀式慇懃じゃそりゃ届かんです。わが心の大本山に仏のほの字もないかと、伏せっていたら監院老師と二人訪ねて来て、法の話でした、滞るところあってどうしたらよいかという、施設して開枕にいたる。ふっと涙が出たです、よかったと思ったです。葬式バッタの世の中でもないんだなと思う。金沢は北陸新聞の記者にけっこう行っている人がいて、蕎麦屋から料亭兼六公園と案内して貰ったです、彼を相見し、接客業仲居の二、三人顔の和むのを見る。そうかわしも役には立つんだという。潜縮や老亀蓮に巣食い、遊戯や華鱗藻を弄ぶ、退屈もせんですがまったく心動かぬのです。夢のように楽しいんですか、カラオケには眠ったふりするよりなく、心身症のまだ睡眠薬飲んでいる女の子が、昨夜盛り上がった代り朝はぼけえとして、並んでチェックアウトしたら、たいへんお疲れのご様子でと云われて笑っちまった。そんなこってへっこまんですよ。

第八十二則 雲門声色
衆に示して云く、聲色を斷ぜざれば是れ隨處墮、聲を以って求め色を以って見れば如來を見ず。路に就いて家に還る底有ること莫しや。擧す。雲門衆に示して云く、聞聲悟道、見色明心、觀世音菩薩錢を將ち來って餬餠を買う、手を放下すれば却って是れ饅頭。
頌云、出門躍馬掃搶、萬國煙塵自肅。十二處亡閑影響、三千界放淨光明。
頌に云く、門を出で馬を躍らして搶を掃う、萬國の煙塵自ら肅。十二處亡ず閑影響、三千界に淨光明を放つ。

衆に示して云く、声色を断ぜざれば是れ随処堕、声を以て求め、色を以て見れば如来を見ず。路に就いて家に還る底あること莫しや。 挙す、雲門衆に示して云く、聞声悟道、見色明心、観世音菩薩銭を将ち来たって餬餅を買う、手を放下すれば却って是れ饅頭。 声色の奴卑と馳走すという、声と色という、見聞覚知のたいていがそりゃまったくの思い込みということを知らない、夢から覚めてまた夢のとやっている。どうしてもいったん悟、解脱ということあって、声と色の奴隷を免れるんです。自分という形骸を脱し去る、就中困難です、随処堕というだれかれみなどうしようもないんです、年をとるにしたがい骸骨です、常識の色餓鬼ですか、そいつがひっからびて棺桶です、みっともないったら死にとうもないって、ついぞ生きた覚えもないのにさ。如来を見ずです、来たる如し、あるがまんまを夢にも知らずあの世行きです、生まれ変わって出ておいでというほかなし、地獄の世の中六道輪廻とはこれを云う。路について家に帰る人ありや。雲門大師は雪峰義存の嗣、聞声悟道、香厳爆竹の因縁ですか、自分という架空を失せきって庭を掃いていたんでしょう、掃子に撥ね飛んだ石が竹に当たった、これによってはあっと一念起こるんです、我というものまったくなくものみながある、爆竹の機縁です。見色明心は、霊雲は桃花の色を見て心を明きらめたとある、花の綻ぶを見て悟ったという我国盤桂禅師、そりゃまったく同じなんです、桃花について忘我です、我というものなしに花を、空の雲を見てごらんなさい。常識の奴隷という、悪臭紛々たるお仕着せを脱いで、生まれてこのかたの宇宙風呂ですか。うわあ清々なんてものじゃないってわけです。ついにはもとこうであったと知る。たまたま観世音菩薩が、銭もって餬餅あんころ餅みたいらしいです、を買いに来た如く、観音如来としてこうある自分に気がつく、しゃばという世の中にしばらくあったということですか。放下すれば饅頭で、これあんこが中ですか、色即是空が空即是色なんて、そんなんにひっかからないんですよ。
頌に云く、門を出でて馬を躍らしめて讒槍を掃ふ。万国の煙塵自ら粛清。十二処亡ず閑影響。三千界に浄光明を放つ。
門を出て馬を躍らしめてという、坐って坐って坐り抜いてという、求めるところを懸命に、不惜身命に求めるんですか、ではそいつを手放して行くんです。門の内から外へ、こうと取り込むんじゃなくて手放し、虚空というかすっともかすらない、なんにもないものに食われるんです。無茶苦茶です。百年万年無駄遣い、どうしようもこうしようも、とにかく捨てる。いいものほど役に立たない、たいていこんなふうに坐って下さい、讒は手へんなんです、ざん槍で彗星ですとさ、即ち世の乱れる兆し、だれが乱す自分が乱す、あっはあそうかっていって止めればいい、無心無身なんにもないのを、なんにもないというんじゃそりゃしょうがないです。自ずから粛清はまったく手応えなしです。あるとき退屈あるとき退屈とはいわんのです、さあしっかり得て下さい。三千世界大光明、他にないんですよ、仏あって我なし、我あって仏なし、日々新たにという旧態依然という、一木一草まさにかくの如し。いいえすばらしいんです、愚の如く魯の如く、水自ずから澄む。

第八十三則 道吾看病
衆に示して云く、通身を病と做す摩詰痊え難し、是れ草、醫するに堪えたり。文殊善く用ゆ、爭でか向上の人に參取し、箇の安樂の處を得るに如かん。擧す。山、道吾に問う、甚麼の處より來る。吾云く、看病し來る。山云く、幾人有って病む。吾云く、病者と不病者と有り。山云く、不病者は是れ智頭陀なること莫しや。吾云く、病と不病と總に他の事に干らず、速かに道え。山云く、道い得るも也沒交渉。
頌云、妙藥何曾過口、醫莫能捉手。若存也渠本非無、至也渠本非有。不滅而生、不亡而壽。全超威音之前、獨歩劫空之後。成平也天蓋地、運轉也烏飛兎走。
頌に云く、妙藥何ぞ曾て口を過さん、醫も能く手を捉うること莫し。存するが若にして渠本無に非ず、至にして渠本有に非ず。滅せずして生じ、亡びずして壽し。全く威音の前に超え、獨劫空の後に歩す。成平や天蓋い地ぐ、運轉や烏飛び兎走る。

衆に示して云く、通身を病と做す摩詰癒え難し。是れ草医するに堪えたり。文殊善く用ゆ、争でか向上の人に参取して、箇の安楽の処を得るに如かん。 い山道吾に問ふ、甚麼の処より来たる。吾云く、看病し来たる。山云く、幾人有って病む。吾云く、病者と不病者とあり。山云く、不病者は是れ智頭陀なること莫しや。吾云く、病と不病と総に他の事に干らず、速やかに道へ速やかに道へ。山云く、道ひ得るも没交渉。 道吾山円智禅師は青原下三世薬山惟儼の嗣、頭陀は僧侶のこと、智頭陀=道吾。い(さんずいに為)山の霊祐禅師は百丈懐海の嗣。いずれのところより、どこから来たというんです。看病して来た。幾人あって病む、いえ病んでるのと病んでないのといる。自分の生み出した思想分別にしてやられる、そりゃ病気です、声色の奴卑と馳走すという、本末転倒事です。苦しいしめったやたらだし、なんとしても看病せにゃならん、楽にしてやりたい。へいそうかいというんです、不病者ってのは智頭陀おまえだというんじゃないんかい。えっへえそうだなんてにはひっかからん。なにを云う、病だろうが病でなかろうが、総に他事にはかかわらず、病に会えば病きり、おれがどうのなと余計なお世話ですか、病と健康と引き比べてってのは無駄こと、病来たれば病よろしく、まあそういったわけです。さあ云えすみやかに云え。たまげたやつだ、わかったわかった云い得るも没交渉、そっちの参考にはなりそうもないよ、かってにやってくれ、のこっとてめえを丸ごと放り出したんですか、担いで行く必要のないのが味噌、たいていここに至っても奪うしかないんです。
頌に云く、妙薬何ぞ曾って口に過ごさん、神医も能く手を捉うること莫し。存するが如くにして渠本無に非ず。至虚にして渠本有に非ず。滅せずして生じ亡びずして寿し。全く威音の前に超え、独り劫空の後に歩す。成平や天蓋ひ地ささぐ、運転や烏飛び兎走る。
どんな妙薬も役立たず、神医も脈を取れず、どうですこれ糠に釘、言語によらずノウハウではないといいながら、坐る人必ずやるんです。どうあってはならぬ、どうあるべき、おれはだからという。殺し文句の世界ありお経あり色即是空だのです、ついに刀折れ矢尽きるんです、お釈迦さまと同じ菩提樹下に坐す以外になく。存するが如く渠本無にあらず、至虚にして渠本有にあらず、糠に釘これ、でもってそいつの皮一枚剥がれるんですか、なんて云うてみようもない、絶学無為身も蓋もなしにこうある。滅せず生ぜず云々これ、まさにかくの如しの千変万化、なにあろうが生活日常これ忘我です、他なんにもいらんを味わって下さい、たといどんなことあろうと、平成や天おおい地ささうです、これなんぞ。運転日月、金烏が太陽玉兎が月。

第八十四則 倶てい一指
衆に示して云く、一聞千悟一解千從、上士は一決して一切了ず、中下は多聞なれども多く信ぜず。尅的簡當の處試に拈出す看よ。擧す。倶胝和尚凡そ所問あれば只一指を竪つ。
頌云、倶胝老子指頭禪、三十年來用不殘。信有道人方外、了無俗物眼前看。所得甚簡、施設彌。大千刹海飮毛端、鱗龍無限落誰手。珍重任公把釣竿、師復竪起一指云、看。
頌に云く、倶胝老子指頭の禪、三十年來用不殘。信に道人方外の有り、了に俗物の眼前に看る無し。所得甚だ簡に、施設彌し。大千刹海毛端に飮む、鱗龍限無し誰が手にか落つ。珍重す任公釣竿を把ることを、師復た一指を竪起して云く、看よ。

衆に示して云く、一聞千悟、一解千従。上士は一決して一切了ず。中下は他聞なれども多く信ぜず。剋的簡当の処試みに拈出す看よ。 挙す、倶てい和尚凡そ所問あれば只一指を竪つ。 倶てい詆の言の代りに月、金華山倶てい禅師、天竜和尚の嗣、初め天台に庵す、尼あり実際と名ずく、到来して笠をいただき師をめぐること三匝し、道いえば即ち笠をとると、三たび問うに倶てい無対。際すなわち去る。日が暮れたで宿れと云ったが、道いえば宿ろうといって去る。我丈夫の形すれども丈夫の気なし、即ち庵を捨てて諸方に参学しさらんとするに、山神告げて云く、ここを去ることなけれ、まさに大菩薩来たって汝がために説法せんと、日ならずして天竜和尚来たると。天竜一指を竪てて示す、倶てい大悟。そうしてまたこういう話もあります、小僧があって和尚のまねをして、凡そ人問うあれば一指を竪つ、呼んで仏を問うに一指を竪つ、倶ていその指を切断す、小僧号泣して去る、また呼んで仏を問う、小僧指を竪すに無し、こつねん大悟と。これよくできの話と云わずに、まさにこれよく看るにいいです。一聞千悟一解千従、もとこのとおりあって、自分という架空請求じゃないんです、一指という別ものあれば、それによって逐一する、ほおっと見るになし、わがこと一切終わるんです、さあとやこう云わずとやって下さい、中下は他聞にして多く信ぜずとは、わしもさんざ云われたです、なんのかのいっちゃどうもならん、大悟十八ぺん小悟その数を知らずと、でもこの語にこんないい対があったですか、上士は一決して一切了ず、いいえこれは了ぜずって読むんです。下剋上の剋は、はい辞書を引いて調べて下さい。
頌に云く、倶てい老子指頭の禅、三十年来用不残、信に道人方外の術あり、了に俗物の眼前に見る無し、所得甚はだ簡に施設いよいよ寛し。大千刹海毛端に飲む。鱗龍限り無し誰が手に落つるや。珍重す任公釣竿を把ることを。師復た一指を頌起して云う、看よ。
これなるほどなあやってないで、自分で一指を竪起して下さい、大千世界これですか、端に破れほうけですか、ものの役に立つんですか、それとも物笑いですか、ものは味わわねばなんにもならんです、絵に描いた餅ではないのを仏教といいます。らしくの法要猿芝居の宗門は、達磨さんを殺害した仲間ですか、すでにそんな勢いはなく滅びに任せ。ほんにまあ自分を知らぬ、顧みぬ仏教なんてありえない、腐れ蛆たかれですか、でも一指頭の禅、自分を知らず顧みないんです。一指頭いずこにありや、これなんぞとおのれまったく隠れるんです、いっさい遅滞なし、手続きがいらんのです、ついに俗物の眼前に見るなし、所得簡に施設いよいよひろしというは、俗物の側から見たんですか、端にこうあるっきりですよ。自覚いずこにありや、一指頭。しくじるときどうやってもしくじる、成功するときどうやったって成功です。任公は荘子にある、まあ中国流とてつもない大魚を釣ってなますにする話、そりゃまあそういうこってす、わしになにか特技はあるかという、なんにもできない、なにやらしてもさっぱりですか、ただこの事を知る。坐禅だけですと云います、人はまた知識あり器用あることを誇る、わしはそんなのぜんぜんいらんです、ただ一指頭。

第八十五則 国師塔様
衆に示して云く、空を打破する底の鎚、華嶽を擘開する底の手段あって始めて元縫罅無き處、瑕痕を見ざる處に到る、且く誰か是れ恁麼の人ぞ。擧す。肅宗帝、忠國師に問う、百年の後所須何物ぞ。こく師云く、老が爲に箇の無縫塔を作れ。帝云く、う師塔樣。國師良久して云く、會すや。帝云く、不會。國師云く、吾に付法の弟子耽源というもの有り却って此事を諳ず。後に帝耽源に詔して此意如何と問う。源云く、相の南譚の北、中に黄金有り一國に充つ、無影樹下の合同、瑠璃殿上に知識無し。
頌云、孤迥迥、圓陀陀。眼力盡處高峨峨。月落潭空夜色重、雲收山痩秋容多。八卦位正、五行氣和。身先在裏見來麼。南陽父子兮却似知有、西竺佛兮無如奈何。
頌に云く、孤迥迥、圓陀陀。眼力盡る處高して峨峨たり。月落ち潭空うして夜色重し、雲收り山痩て秋容多し。八卦位正しく、五行氣和す。身先ず裏に在り見來るや。南陽父子却って有ることを知るに似たり、西竺の佛如奈何ともする無し。

衆に示して云く、虚空を打破する底のちん鎚、華嶽を擘開する底の手段あって始めて元、縫虍なき処、瑕痕を見ざる処に到髏。且らく誰か是れ恁麼の人ぞ。 挙す、粛宗帝、忠国師に問ふ、百年の後所須何物ぞ。国師云く、老僧が与めに箇の無縫塔を作れ。帝云く、請ふ師塔様。国師良久して云く、会すや。帝云く、不会。国師云く、吾に付法の弟子耽源といふものあり、却って此事を諳んず。後帝耽源に詔して此の意如何と問ふ。源云く、相の南、譚の北、中に黄金有って一国に充つ。無影樹下の合同船、瑠璃殿上に知識なし。 南陽の慧忠国師は六祖大鑑慧能の嗣、国師号を賜る、これはすばらしい時代であった、インドにもタイにも中国にも、また日本にもこういう時があった。歴史上の一瞬正義の行なわれうること、無量劫来この大宇宙に一頁を記すんですか、欲望がらくた、人間という賽の川原の際限もなしにです。でもまあ帝の問いに対して、良久して会すやという、わっはっはさすがは慧忠国師、そのころだって無明の大多数です、口を酸っぱくしたって会するものなしを、百年ののち所須、わが用い求めるところ如何と問う。あるいはせっかくの国業がどうなっているかという、老僧がために箇の無縫塔を作れ。縫い目のない塔です、ものみな手つかずの無縫塔、坊主の墓卵塔はまさにこいつを象ったんですか。塔様如何と問うに、自らと環境をもって示すのです。他まったくないんです。とやこう理屈したってそりゃ、はあそうですかという納得で終わり、これ政治の乱れ人心破綻の原因なんですよ。まったく他にはなし、思想イデオロギー諸の宗教という、無縫塔にあらざる、その国無影樹下の合同船にあらざる、よってもって歴史という無惨地獄絵を人類の資産とする他なく、なんという情けなさ。北条氏蒙古を迎えて滅びるんですか、実に時の執権これを用いて他なし、日本史の白眉であるとわしは思っています。帝かなわず、では弟子の耽源に聞けという、相の南譚の北形相譚論には拠らずというんです。無縫塔です黄金に充満しています、無影樹下影さす思想是非のない、無影樹下の合同船をもって彼岸に渡る法の櫂、瑠璃殿上に王の居城に知識なしです、花は知らないと答える、人間の如来は人間に同ぜるが如し、いつの日か進化して、毛なし猿の人間も地球のお仲間入り、花と昆虫の一億年戦争、はいたとい戦争ならそんなふうにさ。
頌に云く、孤迥迥、円陀陀。眼力尽くる処、高うして峨峨たり。月落ち潭空しうして夜色重し。雲収まり山痩せて秋容多し。八卦位正しく、五行気和す。身先ず裏に在り見来たるや。南陽父子却って有ることを知るに似たり。西竺の仏祖如奈何ともする無し。
まあこりゃこういうこってす、詞華としてよく味わっておきゃいいです、眼力という世間珍重の役立たぬ世界です、え−とだれであったか雲に経文なぞ見るなといっておいて、自分は声明を口ずさむ、なんでと聞いたら、おまえらは眼光紙裏に徹するから駄目なんだと云った。高うして峨峨たりですか、自分失せてものみなは、そうですねえ如来として現ずるんです。するとたいてい他の清々著とは雲泥の相違、なんか取り付く島もないんです。月落ち潭空しうして夜色重し、雲収まり山痩せて秋容多し。これ対句でもって習字でもしようっと。八卦は周易で陰陽の爻を組み合わせ八つの形、これをもってものみなに当てる、転じてうらない。五行は木火土金水の五元素また菩薩行の布施持戒忍辱精進止観。ここはまあ前者人のやることものみなぴったりと行くというこってす、そりゃ自分という架空請求から免れた人間です、当然のこってすか。南陽父子南陽の慧忠国師と弟子と、西竺はお釈迦さんも達磨さんもです。

 

第八十六則 臨済大悟
衆に示して云く、銅頭鐵額、天眼龍睛、雕觜魚顋、熊心豹膽なるも、金剛劍下是れ計ること納れず、一籌すること獲ず、甚麼としてか此の如くなる。擧す。臨濟、黄檗に問う、如何なるか是れ佛法的的の大意。檗便ち打つ。是の如きこと三度乃ち檗を辭して大愚に見ゆ。愚、問う、甚麼の處より來たる。濟云く、黄檗より來たる。愚云く、黄檗何の言句か有りし。濟云く、某甲三び佛法的的の大意を問い三度棒を喫す、知らず過有りや過無しや。愚云く、黄檗恁麼に老婆が爲に徹困なることを得たり。更に來って有過無過を問う。濟、言下に大悟す。
頌云、九包之雛、千里之駒。眞風度籥、靈機發樞。劈面來時飛傳急、迷雲破處大陽孤。虎鬚、見也無。箇是雄雄大丈夫。
頌に云く、九包の雛、千里の駒。眞風籥を度し、靈機樞を發す。劈面に來たる時飛傳急なり、迷雲破る處大陽孤なり。虎鬚をづ、見や也無や。箇は是れ雄雄たる大丈夫。

衆に示して云く、銅頭鉄額天眼龍晴、雕嘴魚鰓熊心豹膽なるも、金剛剣下是れ計ること納れず。一籌すること得ず、甚麼と為てか此の如くなる。 挙す、臨済黄檗に問ふ、如何なるか仏法的的の大意。檗即ち打つ。是くの如きこと三度、乃ち檗を辞して大愚に見ゆ。愚問ふ、甚麼の処より来たる。黄檗より来たる。黄檗何の言句か有きし。済云く、某甲三たび仏法的的の大意を問ひ三度棒を喫す。知らず過ありや過なしや。愚云く、黄檗恁麼に老婆、爾が為に徹困なるを得たり、更に来たって有過無過を問ふ。済言下に大悟す。 臨済院の義玄禅師は黄檗希運の嗣、臨済宗の祖。高安大愚禅師は伝不詳。これはまあ世に喧伝された、臨済西来意を問うて三たび打たれる話、臨済もよくぶんなぐったが、打たれると痛いと見える、こりゃたまらんというんで、辞し去って大愚に問う。なんという黄檗老婆親切、それをまたのこのこやって来て、とがありやなしやを問うとは、言下に大悟す。大悟すという破家散宅して天地宇宙そのものになっちまう、痛棒の意味がまったくよくわかるんです。大意とは思想分別じゃない、これといって天地宇宙ぶんなぐるやつ、自分という殻をぶち破る大事件なんです。今の世の人下世話解釈とはそりゃ違うです。おそらくこれを知る、いったい幾人いるか、皆無といっていい心細い限りです。いたずらに払拳棒喝として、自分も無茶苦茶人の一生を台無しにする。坊主だの師家だのこりゃ警察沙汰なんです。民事訴訟で一億ぐらいふんだくりゃちっとは省るですか。ほんにしょうがない、らしいものまね坊主の害悪、そりゃ曹洞宗猿芝居ってだけじゃないです。いえさ臨済銅頭鉄額熊鷹のくちばしもって、そんなことないです、臨済も黄檗も優しい、人に倍して痛感、傷つきやすい心根の人であったです。ただぶんなぐってどうだ、無位の真人面門に現ず、知慧愚痴般若に通ずとやったんではないんです、それを証拠にちゃんと大悟してるんです。花のほころびる如く、露柱の現れる如くですよ、お祭り騒ぎの柏陰禅師だって、ついには本来人です、唯我独尊自然に脱落です。もって受容如意ならん、宝蔵自ずから開けるんです。
頌に云く、九包の雛、千里の駒。真風籥を度し、霊機枢を発す。劈面に来たる時飛電急なり。迷雲破る処太陽孤なり。虎鬚を埒ず、見るや也た無しや。箇は是れ雄雄たる大丈夫。
九包之雛九つの包み−やがて花開くんでしょう、を具えた鳳凰のひな、千里の駿馬ともに臨済を頌す。籥は風を送る管ですとさ、老子にある天地の間はそれ嚢籥の如し、ふいごで風を送るんですか、から取る。枢は門戸北斗の第一星、まあ天地の間にゆうらり突っ立つ勢い、でも言下に大悟すというこれ、一言の下に自分という殻ん中のごったくさふっ消えて、天地の間だけになっちまう、しかもそのあとなんのけれん味もないとは、さすがこれ臨済。迷雲破る太陽孤なり、さあ虎のひげをなでてみますかっていうんです、黄檗に三たび棒を喫しこれなんぞ、なんという老婆親切という、あっはっはどかん生まれちまったなあ、箇はこれ悠々たる大丈夫、そうですよ自分というそれ失せりゃいい、仏教だけは時代によらないんです。

第八十七則 疎山有無
衆に示して云く、門闔さんと欲すれば一拶して便ち開く、沈まんと欲すれば一して便ち轉ず。車箱谷に入って歸路無し、箭筈天に通じて一門有り。且く道え甚麼の處に向って去るや。擧す。疎山、山に到って便ち問う、承る、師言えること有り、有句無句は藤の樹に倚るが如しと、忽然として樹倒るれば藤枯る、句何の處に歸するや。山、呵呵大笑す。疎山云く、某甲四千里に布單を賣り來る、和尚何ぞ相弄することを得たる。、侍者を喚んで錢を取って這の上座に還せと。遂に囑して云く、向後獨眼龍有って子が爲に點破し去ること在らん。後に明昭に到りて前話を擧す。昭云く、山をば頭正しく尾正しと謂つべし、只是れ知音に遇わず。疎復問う、樹倒るれば藤枯る、句は何の處に歸するや。昭云く、更に山をして笑轉た新ならしむ。疎、言下に於て省有り。乃ち云く、山元來笑裏に刀有り。
頌云、藤枯樹倒問山、大笑呵呵豈等閑。笑裏有刀窺得破、言思無路絶機關。
頌に云く、藤枯れ樹倒れて山に問う、大笑呵呵豈等閑ならんや。笑裏刀有り窺得破す、言思路無うして機關を絶す。

衆に示して云く、門閉ざんと欲すれば一拶して便ち開く、船沈まんと欲すれば一蒿して便ち転ず。車箱谷に入って帰路なし、箭筈天に通じて一門あり、且らく道へ甚麼の処に向かって去るっや。 挙す、疎山い山に到って便ち問ふ、承たまはる師言へることあり、有句無句は藤の樹に倚るが如しと、忽然として樹倒るれば藤枯る、句何の処に帰するや。い山呵呵大笑す。疎山云く、某甲四千里に布単を売り来たる、和尚何ぞ相弄することを得たる。い、侍者を喚んで銭を取って這の上座に還せと、遂に囑して云く、向後独眼龍あって子が為に点破し去ることあらん。後に明昭に到りて前話を挙す。昭云く、い山をば頭正しく尾正しと謂ひつべし、只是れ知音に遇はず。疎復た問ふ、樹倒るれば藤枯る、句は何の処に帰するや。昭云く、更にい山をして笑い転たた新ならしむ。疎言下に於て省あり。乃ち云く、い山元来笑裏に刀あり。 疎山光仁禅師、洞山良价の嗣、い(さんずいに為)山の霊祐禅師、百丈懐海の嗣、明昭徳謙禅師、羅山道閑の嗣。疎山い山に到って問う、承れば師、聞いておりますがっていうんです、有句無句道うも道はざるも藤が木にからまりつく、樹によってのみです、樹倒れりゃ枯れる、そんじゃそのあとどうなると聞く。い山呵呵大笑す。どうですかこれ、いったい疎山は何を聞いたんです、因縁難癖つけたんですか、まったくそうじゃないんです、仏道を求めるにあたって、ああも云いこうも云う、どうだどうだとやるんでしょう、そりゃそいつが仏教そのものではないか、忽然大悟するとき如何と、なんにもなくなったらどうなるんだというんです。い山呵呵大笑、はいよこんなもんだよってわけです。疎山怒り出した、千里の道も遠しとせずに大法の為に訪ねて来たのに、愚弄するな、布単を売り来たるというから、い山侍者を呼んでお−いこいつに銭払ってやれと云った。向後火独眼龍あって、二つの目でもって比較検討、俗人情堕が、一隻眼真正面を向くんです、他日だれかに出会うだろうてと云った、はたして明昭に会って前話を挙す。更にい山をして笑いうたた新ならしむ、そっくりさらけだして示したっていうのにと、疎山言下に省あり、はあっとものみな失せる、思想の延長上にはなかったんです、ひっ担いだ重石が取れた、云く、い山笑裏に刀有り、なんかもうちっとましなこと云え。
頌に云く、藤枯れ樹倒れてい山に問ふ。大笑呵呵豈に等閑ならんや。笑裏刀あり窺得破す、言思道まうして機関を絶す。
藤枯れ樹倒れてい山に問う、さあなんて云うて問いますか、今日はおはようですか、呵呵大笑、三千里外にぶっ飛ばされてしまいますよ、有耶無耶じゃどうもならんです、笑裏刀あり黙裏雷あり、自分ちらともありゃへっこむんです、なんにもなきゃ指一本で山を動かす、言語や思想じゃない、もと我らのありよう大虚の洞然、毛ほどの隙もないんです、かくありこうあり機関を絶す。なにしろこれを味わって下さい。

第八十八則 楞厳不見
衆に示して云く、見有り不見有り日午燈を點ず、見無く不見なし夜半墨を溌ぐ。若し見聞は幻翳の如くなるを信ぜば、方に聲色空華の若くなることを知らん。且く道え中還って衲の話有りや。擧す。楞嚴經に云く、吾が不見の時、何ぞ吾が不見の處を見ざる。若し不見を見るというは自然に彼の不見の相に非ず。若し吾が不見の地を見ずんば自然に物に非ず。云何ぞ汝に非ざらん。
頌云、滄海瀝乾、大充滿。衲鼻孔長、古佛舌頭短。珠絲度九曲、玉機纔一轉。直下相逢誰識渠、始信斯人不合伴。
頌に云く、滄海を瀝乾し、大に充滿す。衲鼻孔長く、古佛舌頭短し。珠絲九曲を度し、玉機纔かに一轉す。直下相逢うて誰か渠を識らん、始めて信ず、斯人伴うべからざることを。

衆に示して云く、見あり不見あり、日午灯を点ず。見なく不見なし、夜半墨を溌ぐ。若し見聞は幻翳の如くなることを信ぜば、方に声色空花の如くなることを知らん。且く道へ教中還って衲僧の説話ありや。 挙す、楞厳経に云く、吾が不見の時何ぞ吾が不見の処を見ざる。若し不見を見るといはば自然に彼の不見の相に非ず。若し吾が不見の地を見ずんば自然に物に非ず。如何ぞ汝に非ざらん。 楞厳呪は梵語のまま読むことになっていて、ナムサタンドウスギャト−ヤ−と新到泣かせの長いやつを、五月六月毎日読む、でもってなんとか覚えて僧堂を出ると忘れてしまう。宗門坊主にとって、お経はお布施を稼ぐ道具以外になく、ましてや内容などは、そりゃ説教のネタにすりゃまた別という。もっともお経を知って説話したって、自分がその示す通りにならなけりゃ、なんにもならぬ嘘八百。これはその例にいい、言葉ずら捉えたって就中わけもわからんようできている。見あり不見ありと、どういうこったかわかりますか。見る、見性という、どうでも一度は見んけりゃそりゃお話にならん、仏教として成り立たぬのです。学者とか坊主の類はそれを知らんです。でも見るとは見る人がいないんですよ、ものみなあって自分なし、自分という架空請求に拠らんから、我と有情と同時成道のかの獅子吼があるんです、でもこう気がつく以前、まったくの不見忘我があります。それゆえ楞厳呪のこの語があります、吾が不見の時なんぞ吾が不見の処を見ざる、大悟徹底悟るという、たといなんぞ吾がという、そっくりそれ答え、でも身心脱落、いえ脱落身心の日常まさにこうあるきりです。若し不見を見るといはばそりゃ嘘だという、でもこの不見の地がなけりゃそりゃ問題にならんという、はいとにかくこれを知って下さい。でなきゃいかんが汝に非ざらん、即ち四の五の云ったってそりゃどうにもならんです。
頌に云く、滄海を瀝乾し、大虚に充満す。衲僧鼻孔長く、古仏舌頭短し。珠糸九曲を度し、玉機わずかに一転す。直下相逢うて誰か渠を知らん、始めて信ず、斯人伴ふべからざることを。
大海の水を飲み干せとか、よく公案小道具にあります、大虚に充満す、手に持ったお椀の中にころっと入るとか、身心脱落はあるいはこの世から完全に姿を消すんですか、すると鼻孔長くどっか仏の相というのは、大風にできてますか、そうして舌頭短し、能書き三百代言しないんです。わずかに一転語する、あるいは一に永えに接するんです。直下あいあうて誰か渠を知らん、そりゃまったくわからんです、他はついに変だなあというぐらい。知ったとて窺い知ること不可能、だってさ自分を知らない人を、どうして知ることができる。始めて信ず、この人伴うべからざることをとは、云いえて妙です。まあ自ずからこうなるしかないってことですな。

第八十九則 洞山無章
衆に示して云く、動ずる時は身を千丈に埋む、動ぜざる時は當處に苗を生ず。直に須らく兩頭撒開し中間放下するも、更に草鞋を買って行脚して始めて得べし。擧す。洞山、衆に示して云く、秋初夏末兄弟或は東し或は西す、直に須らく萬里無寸草の處に向って去るべし。又云く、只萬里無寸草の處作麼生か去らん。石霜云く、門を出れば便ち是れ草。大陽云く、直に道わん門を出でざるも亦是れ草漫漫地。
頌云、草漫漫、門裏門外君自看。荊棘林中下脚易、夜明簾外轉身難。看看、幾何般。且隨老木同寒瘠、將逐春風入燒瘢。
頌に云く、草漫漫、門裏門外君自ら看よ。荊棘林中脚を下すことは易く、夜明簾外身を轉ずること難し。看よ看よ、幾何般ぞ。且く老木に隨て寒瘠を同うす、將に春風を逐うて燒瘢に入らんとす。

衆に示して云く、動ずるときは則ち身を千丈に埋ずむ。動ぜざるときは則ち当処に苗を生ず。直きに須らく両頭撒開し、中間放下するも、更に草鞋を買うて行脚して始めて得べし。 挙す、洞山衆に示して云く、秋初夏末兄弟或いは東し或いは西す。直に須らく万里無寸草の処に向かって去るべし。又云く、只万里無寸草の処の如き作麼生か去らん。石霜云く、門を出ずれば便ち是れ草。大陽云く、直に這はん門を出でざるも亦草漫漫地。 青原下五世洞山良价禅師、雲巌曇じょうの嗣、大陽警玄禅師、梁山縁観の嗣、石霜慶諸禅師は道吾円智の嗣、夏はげと読んで制中、三旬安居といって今もそのとおり行なわれるんですが、葬式坊主のお行儀見習いと、でたらめ仏教です、軍隊組織のいじめみたいなことしてます。もはや宗門は滅びたんですか。でもこのころは違います。仏を求め法を求めて、一夏終わるとあいかなう師を探して行脚して行く。そりゃあ師がいいかげんならどうしようもない、師がちゃんと法を継いでいて、しかもかなわぬということあります。臨済も黄檗のもとを去って得る、洞山大師も諸方に遍歴です。青原行思は一宿覚といって、六祖禅師のもとへ一泊して得るんです。動ずるときんば身を千丈に埋ずむ、どうであろうかこうであろうかする、まさにどうもならんです。動ぜざるときは当処に苗を生ず、ではこうだと決め込んだら、雑草生い伸びるんですか、君見ずや絶学無為の閑道人、妄を除かず真を求めずとあります、自分そのものを捨てる、突き放すんです。あるがまんまという、世間常識とはまったく別の世界があります。さあそれを得ようという、すべからく万里無寸草の処に向かって去るべし、万里雲なし万里の天、千江水あり千江の月、はて無寸草のところ、一木一草も生えんところにどうやって行くんだってわけです。まあそういったわけです。石霜云く、なにさ門から一歩出れば草生えるってさ。大陽云く、いや門を出ずたって草ぼうぼう。どうですこれ。
頌に云く、草漫漫、門裏門外君自ずから看よ。荊棘林中脚を下すことは易く、夜明簾外身を転ずることは難し、看よ看よ。幾何般ぞ。且らく老木に随って寒瘠を同じうす。将に春風を逐うて焼瘢に入らんとす。
草ぼうぼうまあ生えるに任せるってことですか、無無明亦無無明尽、草を妄想とするでしょう、すると念起念滅神経シナップスのぽっと出ぽっと消えです、それをとっつかまってどうのこうのやるから際限もないんです、病因無始劫来貪瞋痴という、たった今の自分が引き起こすところを、自分といいどうしようもなさだという、お笑い草なんです。たといどうしようもない自分だろうが手かず、念起念滅に任せる、これができたとたんぱあっとなんにもなくなって、坐が坐になります。妄想草たとい自分のものなに一つないです、独創悠々自分流という、どうはっつけ関係ずけってだけのこと。審細に見るには見ればいい、妄想草、はい責任の取りようがないんでしょう、どうですかあなたを救い得たですよ。門裏洞山会下にあって、荊棘林ものみないばらの林です、どうにかしようとて七転八倒も即ち荊棘林です。仏の大まさかり揮って孤軍奮闘ですか。たといどうにかなる、門を出る転身のところ、向下門など態のいいこといって、はたしてそれが役立つか。はらわたまで草ぼうぼうんなっちゃ元の木阿弥、しばらく洞山大師老木にしたがって寒風に痩せ、でもってまさに春到って門内あれ七転八倒の焼けあと。万松老人も人が悪いちえ老人組合。
 
第九十則 仰山謹白
衆に示して云く、屈原獨醒む正に是れ爛醉、仰山夢をく恰も覺時に似たり。且く道え萬松恁麼にき人恁麼に聽く、且く道え是れ覺か、是れ夢か。擧す。仰山夢に彌勒の所に往き第二座に居す。尊者白して云く、今日第二座の法に當る。山乃ち起て白槌して云く、摩訶衍の法は四句を離れ百非を絶す。謹んで白す。
頌云、夢中擁衲參耆舊、列聖森森坐其右。當仁不讓椎鳴、法無畏獅子吼。心安如海、膽量如斗。鮫目泪流、蚌腸珠剖。譫語誰知泄我機、眉應笑揚家醜。離四句絶百非、馬師父子病休醫。
頌に云く、夢中衲を擁して耆舊に參ず、列聖森森として其の右に坐す。仁に當って讓らず椎鳴る、法無畏獅子吼す。心安きこと海の如く、膽量斗の如し。鮫目泪流れ、蚌腸珠剖る。譫語誰か知らん我機を泄すことを、眉應に笑うべし家醜を揚ぐることを。四句を離れ百非を絶す、馬師父子病に醫を休む。

衆に示して云く、屈原独り醒む正に是れ燗酔。仰山夢を説く恰も覚時に似たり。且らく道へ万松恁麼に説き、諸人恁麼に聞く。且らく道へ是れ覚か是れ夢か。 挙す、仰山夢に弥勒の所に往いて第二座に居す。尊者白して云く、今日第二座の説法に当る。山乃ち起って白椎して云く、摩訶衍の法は四句を離れ百非を絶す、謹んで白す。 仰山慧寂禅師、い山霊祐の嗣、摩訶衍は大乗の法だそうです、四句百非とは外道論争の道具とある、一、異、有、無を四句とし、四句各四句あり更に三世に約し云々と百非、まあインド流の総てを網羅。まことに痛快な話で、夢に弥勒菩薩の第二座であった、今日第二座の説法に当ると、すなわち起って、大乗の法は四句を離れ百非を絶す、つつしんで白すと。まったく他ないんです。とやこうなんで弥勒だ、お釈迦さんじゃないのか、どうして第二座だとかいってないで、自分も夢だろうが現実だろうが、したがい第三座だっても、ばかっと起ってやってみりゃどうです、首すっとんだって他にゃないんです、字余りぐずって三千里の外、そんじゃ坐る坐ったらなんとかど、あほなこと云ってないんですよ。屈原は詩人じゃなかったのかな、楚王に仕えてあるときは賛せられあるときは貶せられ、世挙げて皆酔へりただ我独り覚めたり、世挙げてみな濁る我ひとり清たりといって、河に沈むとある。まさにこれ燗酔とある、世間正直が酔っ払い、まさにこの例を見よという。世間常識をかなぐり捨てなけりゃ、そりゃ物にならんですよ、キリスト教の狂信者みたいなんかって、信も不信もないまったく他なし、これを知らんけりゃそりゃ駄目です。四句を離れ百非を絶す、いいえものみなかくの如し。
頌に云く、夢中衲を擁して耆旧に参ず。列聖森森として其の右に坐す。仁に当たって譲らず健椎鳴る。説法無畏獅子吼す。心安きこと海の如く、胆の量斗の如し。鮫目涙流れ、蚌腸珠剖る。譫語誰か知かん我機を洩すことを。ほう眉応に笑ふべし家醜を揚ぐることを。四句を離れ百非を絶す。馬師父子病に医を休む。
衲は破れ衣、擁はかいつくろう、破れ衣を正して耆旧、耆は年寄る、つまり列聖です、森森として其の右に坐す、まさにまったくです、今様評論家脇見運転にはわからない、どうしようもないのばかり増えて、人間も国も滅びますか。仰山夢に見るところ、けん椎、健に牛へんです、鳴りもの、今も使っています、八角のつち、白槌するといいます、にせ坊主猿芝居とは、仏祖師になんと申し開き、ほんにまあ道具立てばかりって、近頃の諸道具、坊主のどうしようもなさを見て、ほんにずさんで値段ばかり高い、そりゃまあものはそうなるわな。説法無畏獅子吼するところ、仏教途端に蘇るんです、これが滅びてなるか、安心は大海の如く、胆嚢斗で量るってなもんの。蚌腸ははまぐり真珠を生むんですか、鮫の目に涙も同じく、ほう眉半白の太い眉、すべからく家醜を揚げて下さい、馬大師月面仏、日面仏、百非を絶したありさま。いやまあたいした詩人ですな、よくもまあこんなに云いつくろって、しかもすっきりずば。

 

第九十一則 南泉牡丹
衆に示して云く、仰山は夢中を以て實と爲し、南泉は覺處を指してと爲す。若し覺夢元無なるを知らば始めて實待を絶することを信ぜん。且く道え斯人甚麼の眼を具するや。擧す。南泉因に陸亘大夫云く、肇法師也た甚だ奇特なり、道うことを解す、天地同根萬物一體と。泉庭前の牡丹を指して云く、大夫時の人、此一株の花を見ること夢の如くに相似たり。
頌云、照徹離微造化根、紛紛出沒見其門。游劫外問何有、著眼身前知妙存。虎嘯蕭蕭巖吹作、龍吟冉冉洞雲昏。南泉點破時人夢、要識堂堂補處尊。
頌に云く、離微造化の根に照徹し、紛紛たる出沒其の門を見る。を劫外に游ばしめて問う、何かあらん、眼を身前に著けて知妙に存す。虎嘯けば蕭蕭として巖吹作り、龍吟ずれば冉冉として洞雲昏し。南泉時人の夢を點破して、堂堂たる補處の尊を識らんと要す。

衆に示して云く、仰山は夢中を以って実となし、南泉は覚書を指して虚となす。若し覚夢元無なることを知らば、虚実待を絶することを信ぜん。且らく道へ斯の人甚麼の眼をか具す。 挙す、南泉因に陸亘大夫云く、肇法師也た甚だ奇特なり、道うことを解す、天地同根万物一体と。泉庭前の牡丹を指して云く、大夫時の人此の一株の花を見ること夢の如くに相似たり。 南泉普願禅師は馬祖道一の嗣、陸亘大夫は宣州刺史南泉の俗弟子、肇法師は羅什三蔵の門人、どうだというんでしょう、肇法師はたいしたもんだ、天地同根万物一体だと云っている、たしかにそりゃ理にかなっている、そのようにものみんああり、同根も一体もたとい自分という深い井戸の底ですか、同心円を行ずるんですか、深い井戸がこっちを見ているんですか、それともまるっきりそんなもなないんですか。仰山は夢中をもって実際です、打てば響くんです。南泉庭前の牡丹をゆびさして、時の人これを見るに夢の如くといった、夢や現つやほんとうには見ていないということですか、月は月花はむかしの花ながら見るもののものになりにけるかな、だから俗人浮き足だって右往左往、見れども見えずの、そうねえ騒がしいことやってないでというんですか。いえ俗人も覚者もないです、現実であればあるほどに夢、一年365日夢、却来るして世間を観ずれば猶夢中の事の如し、いいえとやこう抜きに手を触れ耳目にして夢、まずもってこれを味わって下さい。この項どっか洒落ていて覚えやすくていいです。
頌に云く、離微造化の根に照徹し、紛紛たる出没其の門を見る。神を劫外に遊ばしめて問ふ何かあらん。眼を身前に著けて妙に存することを知る。虎嘯けば蕭蕭として巌吹作り、龍吟ずれば冉冉として洞雲昏し。南泉時人の夢を点破して、堂々たる補処の尊を知らんと要す。
どうもこれ大袈裟に紛紛しなくたってもいいです、ものは見たとおりこうあるっきりです。そりゃ四句を離れ百非を絶しなけりゃ、劫外に遊ぶ神なく、父母未生前の妙もないです。牡丹がほんとうに牡丹であるとき、我なく牡丹なく夢の如くに実際です。人の見る風景は妄想執念です、それを実存といいあるなしという。妄想執念という、そいつを起こすやつが失せて、虎うそぶけば巌吹おこり、龍吟ずれば洞雲くらしです、独立独歩はまさにかくの如くあるんです。他との比較がない、夢のように空に浮かぶんですか、もし為政者あるいは官吏であれば、なをさらに四句を離れ百非を絶する、まさにこれ正義。歴史だの政治というぶっこわれがらくたを作らない、如実夢幻、堂々たり補佐です。これの尊いことを知る皆無、いえそりゃいくたびか行なわれていますよ。かつて他に帰趨の処なしを知る、そうですねえ人間とは何かーですよ。

第九十二則 雲門一宝
衆に示して云く、游戲通の大三昧を得、衆生語言の陀羅尼を解し、睦州秦時の輅鑽を轉し、雪峰南山の鼈鼻蛇を弄出す。還って此の人を識得すや。擧す。雲門大師云く、乾坤の内、宇宙の間、中に一寶有り、形山に祕在す、燈篭を拈じて佛殿裏に向う、三門を將て燈篭上に來す。
頌云、收卷餘懷厭事華、歸來何處是生涯。爛柯樵子疑無路、桂樹壷公妙有家。夜水金波浮桂影、秋風雪陣擁蘆花。寒魚著底不呑餌、興盡歌却轉槎。
頌に云く、餘懷を收卷して事華を厭う、歸り來って何の處か是れ生涯。爛柯樵子路無きかを疑い、桂樹の壷公妙に家有り。夜水金波桂影を浮べ、秋風雪陣蘆花を擁す。寒魚底に著いて餌を呑まず、興盡きて歌却って槎を轉ず。

衆に示して云く、遊戯神通の大三昧を得、衆生語言の陀羅尼を解し、睦州の秦時のたくらく鑚を曳転し、雪峰の南山の鼈鼻蛇を弄出す。還って此の人を識得すや。 挙す、雲門大師云く、乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す、灯籠を拈じて仏殿裏に向かう、三門を将って灯籠上に来す。 雲門文偃禅師は青原下六世雪峰義存の師、睦州陳尊宿、黄檗希運の師、秦時のたくらくさん、始皇帝が阿房宮を築くときに用いた、車仕掛けの大きり。無用の長物ですか、馬鹿で擦り切れているんですか、睦州がよく用いた例。雲門は睦州に就いて始めて大旨を得るとある。雪峰南山にべっぴ蛇ありという、雲門柱杖を投げ出して畏れる勢いをなす、とある、二十四則雪峰看蛇。雲門大師は大趙州と並び称される大物です、はたしてこの人を知るや、というわけです。乾坤のうち、天地宇宙の間に一宝あり、形山四大五蘊すなわち体のこと、正にここに秘在す、灯籠を拈じて仏殿に向かう、さあどうですか。天地宇宙の間ですか、ものみなこうあって就中親しいんですか、我という存在をいったいなんによって差し示す、無だの空だの絵空事いってないで、実際かくの如く、清々といい、底抜けといい、影形相見るが如しですか。いえさまだ納得せんていうなら、三門−山門ごと一伽藍おっかぶせますか、うわあ大変だあ。なんとしても免れ出る手段、はいかくの如くー
頌に云く、余懐を収巻して事華を厭う、帰り来たって何の処か是れ生涯、欄柯の樵子路なきかと疑い、桂樹の壺公妙に家あり。夜水金波桂影を浮かべ、秋風雪陳蘆花を擁す、寒魚底に著いて餌を呑まず、興尽きて清歌却って槎を転ず。
雲門は肇法師の余懐を宝蔵論中の四句に示すとある、法として経を延べ事は華やかに仏法を展開する、そりゃ余懐というより百害あって一利なしですか。だれしも言葉の花を拈じてもって、世に広めたいわけで、万松老人老骨に鞭打ってのまさに是れ、帰り来たってなんの処か是れ生涯、船子和尚のように用がすんだら水に没す。たまたまかくの如くの一言半句、樵が山へ入って仙人の碁を囲むのを見て、斧が腐る百年を経るという。灯籠を拈じて堂に到る、壺中の王侯まさに他無きが如く。たとい北朝鮮も中国強盗も日本滅びようがです、木の葉揺れず風揺れず、たったこうあるが如く、ビッグバンのはても指乎の間、いえもとそのようにでき上がってるっけこってす。われらが一個と歴史人類とどっちがどうなんですか、とやこう激論、出雲の神さまだろうがいいことしいも、結局はこれ。槎は船、寒魚底について餌を食まず、そんなやつが時に清歌すると舟沈没ってわけです。

第九十三則 魯祖不会
衆に示して云く、荊珍鵲を抵ち、老鼠金を啣む。其の寶を識らず、其の用を得ず。還って頓に衣珠を省する底有りや。擧す。魯、南泉に問う、摩尼珠人識らず、如來藏裏に親しく收得す、如何なるか是れ藏。泉云く、王老師汝と往來するもの是。云く、往來せざる者は。泉云く、亦是れ藏。云く、如何なるか是れ珠。泉召して云く、師。、應諾す。泉云く、去れ、汝我語を會せず。
頌云、別是非明得喪、應之心指掌。往來不往來、只這倶是藏。輪王賞之有功、黄帝得之罔象。轉樞機能伎倆、明眼衲無鹵莽。
頌に云く、是非を別ち得喪を明し、之を心に應じを掌に指す。往來不往來、只這れ倶に是れ藏。輪王之を有功に賞し、黄帝之を罔象に得たり。樞機を轉じ伎倆を能くす、明眼の衲鹵莽なること無れ。

衆に示して云く、荊珍鵲を抵ち、老鼠金を銜む。其の宝を識らず。其の用を得ず。還って頓に衣珠を省する底ありや。 挙す、魯祖南泉に問ふ、摩尼珠人識らず如来蔵裏に親しく収得す、如何なるか是れ蔵。泉云く、王老師汝と往来するもの是。祖云く、往来せざる者は。泉云く、亦是れ蔵。祖云く、如何なるか是れ珠。泉召して云く、師祖。祖応諾す。泉云く、去れ汝我語を会せず。 魯祖山宝雲禅師、馬祖道一の嗣、摩尼珠人知らず如来蔵裏に親しく収得すという、寒山詩にもあった、こうしてこれをもって問うところを見ると、どっかお経の文句でしょう、実知慧という般若の知慧という、そうですねえ鍛えに鍛えた打ち刃物と、水とどっちが切れる、そりゃ水なんです、もとあるものだけを扱う、これが仏教です。座禅と見性と云って、なにかしら獲得物質のようにする、それは世の中手に職であり学問履歴の社会です、これに伍して坊主はお経、葬式法要ですか、禅坊主は悟りという、そうねえこれやってたら残念ながら仏教は手に入らんです。世を捨て自分を捨ててはじめて仏です。仏という生まれたまんまの赤ん坊ですか、父母未生前の消息ですか、手つかずのありよう、これ摩尼宝珠、如来蔵裏に親しく収攬するんです、人知れずとは他の人には知られずではなくって、如来も知らんです、知る必要がない、山水長口舌の絶え間なし出放しですか、王老師南泉です、いまこうして汝と往来するものこれ、そいつを往来せざるものはと問う、これなっちゃないですか。亦蔵とでも云っておくしかない、如何なるか是れ収、師祖、はい、珠を取り出して見せたんです、しかも汝我語を会せず。
頌に云く、是非を別かち、得喪を明かし、之を心に応じ、諸を掌に指す。往来不往来、只這れ倶に是れ蔵。輪王之を有功に賞し、黄帝之を罔象に得たり、枢機を転じ技倆を能くす。明眼の衲僧鹵奔なること無かれ。
摩尼珠のありようを、是非を別ち云々とはらしくもない、得喪は得失、とにかくまあこういったこって、じゃなにが宝の珠だ、我らみんなかくの如くじゃないかという、その通りだが、宝珠になるやつと、妄想めったらにするやつとあるってこと。往来不往来ともにこれ蔵、宇宙の中心主人公ですか、用いえて妙は、輪王とは転輪聖王まさにそれ、黄帝こっちは現実生え抜きの大王ですか、上有効に賞し、下あるがまんまそのまんま使ってる200%です。罔象は盲人、まあ以下かくの如し、さあ自分でちゃんと確かめてください、そうです、妄想無明と、摩尼宝珠の違いを知って下さい、即ちそれだけが仏教、鹵奔は軽率おおざっぱなこと=思想観念の物差しを振り回すんですよ。

第九十四則 洞山不安
衆に示して云く、下、上を論ぜず、卑、尊を動ぜず。能く己を攝して佗に從うと雖も、未だ輕を以て重を勞すべからず。四大不調の時如何が侍養せん。擧す。洞山不安。問う、和尚病む、還って病まざる者有りや。山云く、有り。云く、病まざる者は還って和尚を看るや否や。山云く、老他を看るに分有り。云く、和尚他を看る時如何。山云く、ち病有ることを見ず。
頌云、卸却臭皮袋、拈轉赤肉團。當頭鼻孔正、直下髑髏乾。老醫不見從來癖、少子相看向近難。野水痩時秋潦退、白雲斷處舊山寒。須勦絶、莫。轉盡無功伊就位、孤標不與汝同盤。
頌に云く、臭皮袋を卸却し、赤肉團を拈轉す。當頭鼻孔正しく、直下髑髏乾く。老醫從來の癖を見ず、少子相看して向近すること難し。野水痩する時秋潦退き、白雲斷ゆる處舊山寒し。須らく勦絶すべし、すること莫れ。無功を轉盡して伊位就く、孤標汝と盤を同うせず。

衆に示して云く、下、上を論ぜず、卑尊を動ぜず。能く己を摂して他に従うと雖も、未だ軽を以て重を労すべからず。四大不調の時如何が持養せん。 挙す、洞山不安。僧問ふ、和尚病む、還って病まざるものありや。山云く、有り。僧云うく、病まざるものは還って和尚を看るや否や。山云く、老僧他を看るに分あり。僧云く、和尚他を看る時如何。山云く、即ち病あることを見ず。 青原下第五世洞山良价禅師、雲巌曇じょうの嗣、洞山不安四大不調ですから、病の床に伏す。下上を論ぜず、卑尊を動ぜずは、ものごとまさにかくあるべしの見本です。総理大臣を選んでおいて文句ばっかりの国民や、反対ばっかりの国会議員どもじゃ、そりゃ政治も国も不成立です、過ちは正すたって、たいていむかしは死を賭しての上のこってした、少しはこれを思えってね、軽輩の分際で重役を労するんじゃないよ、おまえさんの首ねっこに刃、そりゃ一言あるにはそういうこと。和尚病む還って病まざるものありや。答えがわかっていて聞くやつは万死に値する、頭の悪いやつはみなこれ、じゃ聞かなきゃいいんです。あっはっは学校の先生みなこれ、つまりろくなもな育たない、知識で人を殺す、殺人事件ですな、少なくとも教育=必要悪ぐらいの思想あってしかるべきです。どうですか病まざるものありや。山云く、あり。その病まざるものはかえって和尚を見るや否や。ちらともかじると答えがある、倒退三千、このばかったれぶっ飛ばすにいいです、山云く、老僧他を見るに分あり、見るものはよう見ているよ、ぶっとばしてるんですよ、病にあらざる。そいつに気がつかない、寒毛卓立だってのにさ。和尚他を見る時如何、間抜けな問い、だれを見たって病あることを見ず、そうなんですよこれ、どんなしょ−もねえのでも仏、みな大悟徹底底なんです、とやこうするうち違ってるから、それ違うよという、これ仏の常道です、ここはおまえさんの病ももと不要という痛棒ですか。
頌に云く、臭皮袋を卸却し、赤肉団を拈転す。当頭鼻孔正しく、直下髑髏乾く。老医従来の癖を見ず、小子相看して向近すること難し。野水痩する時秋潦退き、白雲絶ゆる処旧山寒し。須らく剿絶すべし、蹣捍すること莫れ。無功を転尽して伊位に就く、孤標汝と盤を同じうせず。
臭皮袋という世間ものみなですか、赤肉団貪嗔痴ですか、まずもってこれに気がつく、ついでそいつを脱しようとする、でなきゃ仏教は始まらない、如何なるか是れ仏の真髄。汝の問うは真髄にはあらず皮袋なり。仏を問うそいつが臭皮袋じゃしょうがない、総じてこれを心病となす、これを正しこれを脱しして鼻孔正しくどくろ乾く、まあさ健康になって下さいってこと。せっかく老医は西欧流分析をもって、点滴だの注射だのしない、そうさおまえさん健康だよってね、伊=彼が云うならそっくり健康、小子向近すること難し。どうですこれ。秋遼秋の水たまり消え、白雲絶えて旧山寒し、仏法として要らん手をさしのべないんです、断崖絶壁です。さあ心地を巣滅して下さい、まんかん字違うんですが、馬鹿にするなってこと、病でぼけたんだなんてのはもっての外、実にもって無功を転じている。洞山不安、同じ盤上に碁をうってるんじゃないよってね。まあそういったとこ。そうですよ、なんのための仏教か根本に問い直して下さい。

第九十五則 臨済一画
衆に示して云く、佛來るも打し、魔來るも打し、理有るも三十、理無きも三十。爲復是れ錯って怨讐を認むるか、爲復是れ善を分たざるか。試に道え看ん。擧す。臨濟、院主に問う、甚麼の處よりか來たる。主云く、州中に黄米を糶り來る。濟云く、糶得し盡すや。主云く、糶得し盡す。濟杖を以て一畫して云く、還って這箇を糶得せんや。主便ち喝す。濟便ち打つ。次に典座至る、前話を擧す。座云く、院主和尚の意を會せず。濟云く、爾又作麼生。座便ち禮拜す。濟亦打つ。
頌云、臨濟全機格調高、棒頭有眼辨秋毫。掃除孤兎家風峻、變化魚龍電火燒。活人劍、殺人刀。倚天照雪利吹毛、一等令行滋味別。十分痛處是誰遭。
頌に云く、臨濟の全機格調高し、棒頭に眼有り秋毫を辨ず。孤兎を掃除して家風峻なり、魚龍を變化して電火燒く。活人劍、殺人刀。天に倚て雪を照し吹毛を利し、一等に令行じて滋味別なり。十分の痛處是れ誰か遭わん。

衆に示して云く、仏来たるも也た打し、魔来たるも也た打す、理有るも三十、理無きも三十す。為復是れあやまって怨讐を認めるか、為復是れ良善を分たざるか、試みに道へ、看ん。 挙す、臨済、院主に問ふ、甚の処よりか来たる。主云く、州中に黄米を売り来たる。済云く、糶得し尽くすや。主云く、糶得し尽くす。済柱杖を以て一画して云く、還って這箇を糶得せんや。主便ち喝す。済便ち打つ。次に典座至る、前話を挙す。座云く、院主和尚の意を会せず。済云く、爾亦作麼生。座便ち礼拝す。済亦打つ。 臨済義玄禅師は黄檗希運の嗣臨済宗の祖、仏来たるも打ち、魔来たるも打ちですか、払拳棒喝の元祖みたいな人で、そいつがまた黄檗に打たれて、なんでまた一言半句すりゃ打たれにゃならんと文句を云う、打たれりゃ痛いと見える、でもって黄檗の親切がわからんのかと云われて忽然大悟、如何なるか是れ仏、求めるに成り切ってその上なんです、首くくる縄もなし年の暮れ、自分という架空請求が吹っ飛んでるんです、わかりますかこれ。わかったといっても三十棒、わからんと云っても三十棒、院主は寺院の事務など一切を引き受ける役、監院といって禅師の次の位ですか、能登の祖院へ行ったら、脱ぎ捨ての草履監院老師に揃えられて、はなはだ恐縮、恥ずかしくってもう祖院には行かれねえやって、弟子が云った。え−となんだっけ、典座は会計台所いっさいを預かる役、典座と雲衲を総括する維那とまあこりゃ三つ大役ですか。さすがに臨済んとこは、一隻眼ばかり出揃っている、そりゃかつて永平寺でもそうだったでしょう、活発発地をもって回っていたんんです。今様嘘で塗り固めて、どんみり淀んで息もできないのとは、こりゃ云うも野暮か。糶=売るんです、すっかり売ったか、はい売り尽くした、臨済柱杖を以て一画してさあ売ってみろという、院主喝す、すなわち打つ。典座に挙せば、、院主意を会せずという、ならどうする。典座礼拝す、すなわち打つ。怨み残さんようにさと、万松老人老婆親切、はたして打つ用があったんですか、なかったんですか。
頌に云く、臨済の全機格調高し、棒頭に眼あり秋毫を弁ず。狐兎を掃除して家風俊なり、魚竜を変化して電火焼く、活人剣殺人刀、天に倚って雪を照らし吸毛を利し、一等に令行して慈味別なり、十分の痛処是れ誰か遇はん。
臨済の全機格調高し、まあそういうこってす、格調とは寸分もゆるがせにしないこと、雪上に霜を置くも、泥中に土塊を洗うもない、まさにこれ電火焼く、痛棒他なしですか、院主若しちらともこうすべきあれば、打って雲散霧消、典座若しちらともらしくするあれば打って倒退三千、活人剣殺人刀、そりゃせっかく父母未生前の200%を、てめえで蓋することはない、奪うには痛棒、すなわち蘇るんです、これを頌して天によって雪を照らし、令行して慈味別なりという、さても十分のところ誰あってこれを受けるか、そうですまあ永しなえに応答して下さいよ、いやはや大騒ぎの末にのこっと化けて出たり、てなことなきように。はい老婆親切。
 

 

第九十六則 九峰不肯
衆に示して云く、雲居は戒珠舍利を憑まず、九峰は坐立亡を愛せず、牛頭は百鳥花を啣むことを要せず、黄檗は杯を浮べて水を渡ることを羨まず。且く道え何の長處有るや。擧す。九峰、石霜に在って侍者と作る。霜遷化の後、衆堂中の首座をして住持を接續せしめんとす。峰肯わず、乃ち云く、某甲が問過せんを待て、若し先師の意を會せば先師の如くに侍奉せん。遂に問う、先師道く、休し去り、歇し去り、一念萬年にし去り、寒灰枯木にし去り、一條白練にし去ると、且く道え甚麼邊の事を明すや。座云く、一色邊の事を明す。峰云く、恁麼ならば則ち未だ先師の意を會せざるあり。座云く、我を肯わざるや、香を装い來れ。座乃ち香を焚いて云く、我若し先師の意を會せずんば香煙起る處し去ることを得じ。言い訖って便ち坐す。峰乃ち其の背を撫して云く、坐立亡は則ち無きにあらず、先師の意は未だ夢にだも見ざるあり。
頌云、石霜一宗、親傳九峰。香煙去、正脈難通。月鶴作千年夢、雪屋人迷一色功。坐斷十方猶點額、密移一歩見飛龍。
頌に云く、石霜の一宗、親しく九峰に傳う。香煙にし去り、正脈通じ難し。月の鶴は千年の夢を作し、雪屋の人は一色の功に迷う。十方を坐斷するも猶點額す、密に一歩を移さば飛龍を見ん。

衆に示して云く、雲居は戒珠舎利を憑まず、九峰は坐脱立亡を愛せず。牛頭は百鳥花を衒むことを要さず、黄檗は杯を浮かべて水を渡ることを羨まず。且らく道へ何の長処かあるや。 挙す、九峰、石霜に在って侍者と作る、霜遷化の後、衆、堂中の首座を請して住持を接続せしめんと欲す。峰肯はず乃ち云く、某甲が問過せんを待て、若し先師の意を会せば先師の如くに侍奉せん、遂に問う、先師道はく、休し去り、喝し去り、一念万年にし去り、寒灰枯木にし去り、一条白練にし去ると、且らく道へ甚麼辺の事を明かすや。座云く、一色辺の事を明かす。峰云く、恁麼ならば未だ先師の意を会せざるあり。座云く、汝我を肯はざるや、香を装い来たれ。座乃ち香を焚いて云く、我れ若し先師の意を会せずんば、香煙起こる処脱し去ることを得じ、云い訖って便ち坐脱す。峰乃ち其の背を撫して云く、坐脱立亡は則ち無きにはあらず、先師の意は未だ夢にも見ざるなり。 雲居道膺禅師は洞山良价の嗣、戒珠舎利とは生前戒行正しい人の遺骨、九峰の道虔大覚禅師は石霜慶諸の嗣、牛頭法融禅師四祖大医道信の嗣、心銘あり、牛頭山の石室に入って、百鳥花をついばむ異相あり、のち四祖に見えて大法を得る。黄檗は行脚の途中、道連れが水上を歩みわたるのを見て、なんてえことをする、せっかく法の人と思ったのにといって、袂を分かつ。今ここに於て九峰、坐脱立忘の、これをまあなんていったって標にしての修行です、仏である証拠とばかりにするんでしょう、首座和尚は一香を焚く間に坐脱する、お悟り機械みたいなん、そいつの背中撫でて、いい子だいい子だ、見事なもんだけどなをかつ、先師の意を未だ夢にだも見ずとやる。どうですかこれ、老師が静に入れる人はうらやましいですねえと云った、わしはだいぶ変な気がした、だって老師の悟は空前絶後と云われるほどのものであって、それがいったいなぜという。未だ夢にだも見ざるものあり、仏とはなにか、おれはかくの如くであるからという、まずはそいつを取れ、技術屋の技術じゃない、ではさしのべる手であるか、だったらそいつを、始末しちまってから出せ。
頌に云く、石霜の一宗親しく九峰に伝ふ、香煙に脱し去り、正脈通じ難し。月巣の鶴は千年の夢を作し、雪屋の人は一色の功に迷う。十方を坐断するも猶点額す、密に一歩を移さば飛竜を見ん。
点額は落第のこと、魚竜と変じ切れずひたいを打ちつけて落ちるにより、せっかく香煙に脱し去って、なおかつ正脈通じ難し。そりゃ仏教以前今に至るまで、さまざまに忘我の法はあって、一神教の他はたいていこれを用いるんです。どう違うかというとみなどっかに付け足す部分がある、禅定という資格試験みないにして、一手段ですか、密教がそうです、端にこれだけということを知らない。直指人身見性成仏もとこれっきりを知らないんです。ではこの首座の如きはまさにこれっきりじゃないかという、これっきりを一色の功です。袋小路のどんずまりみたい、座忘人間ですか、たとい千年の夢をなしたろうが、そんじゃ勝手にさらせってやつです。さすがに九峰はこれを見る、なに三歳の童子だろうがそりゃ不肯ですよ、坐忘なくば力失せとありますが、だれあってこれを得ること、魚の水にある如く、雲の空を行く如くの活発発地です、どうかすべからく手に入れて下さい。はい、ことはそれからです。

第九十七則 光帝ぼく頭
衆に示して云く、達磨梁武に朝す、本、心を傳えんが爲なり。鹽官大中を識る眼を具するを妨げず、天下太平國王長壽と云って天威を犯さず、日月景を停め四時和適すと云って風化を光かにすることあり。人王と法王との相見には合に何事をか談ずべき。擧す。同光帝、興化に謂って云く、寡人中原の一寶を收め得たり。只是れ人の價を酬る無し。化云く、陛下の寶を借せ看ん。帝兩手を以て頭脚を引く。化云く、君王の寶誰か敢て價を酬いん。
頌云、君王底意語知音、天下傾誠葵心。出中原無價寶、不同趙璧與燕金。中原之寶呈興化、一段光明難定價。帝業堪爲萬世師、金輪景耀四天下。
頌に云く、君王の底意知音に語る、天下誠を傾く葵の心。出す中原無價の寶、趙璧と燕金とに同じからず。中原の寶興化に呈す、一段の光明價を定め難し。帝業萬世の師となるに堪えたり、金輪の景は四天下を耀す。

衆に示して云く、達磨梁武に朝す、本、心を伝えんが為なり。塩官大中を識る眼を具するを妨げず、天下太平国王長寿と云って天威を犯さず、日月景を停め四時和適すと云って風化を光らかにすることあり。人王と法王との相見には合に何事か談ずべき。 挙す、同光帝、興化に謂って日く、寡人中原の一宝を収め得たり、只是れ人の価を報ゆるなし。化云く、陛下の宝を借せよ看ん。帝、両手を以てぼく頭脚を引く。化云く、君王の宝誰か敢えて価を酬いん。 同光帝、唐の荘宗帝同光は年号、興化存奨禅師、臨済義玄の嗣、塩官斎安禅師は馬祖道一の嗣、大中、唐の宣宗帝の年号、大中天子というその即位に当たって力があった。達磨朝梁武帝は第二則にあり、時の国王に会うことは、他の諸宗はいざ知らず、まさにこれ正道をもって一般天下に示す、もっともたること、邪宗外道の支配には、人心惨憺たること自然もまた荒廃する。もっともそっちのほうが常に圧倒的だった。一神教の成れの果て共産支配など、人間カリカチュアともいうべき、最もアメリカ支配の日本だって目くそ鼻くそ、みんな仲良く平和教などただの弊害を、いっそぽい捨てもできないでいる。無宗教なんてまずはありえない、百人が百人雑念宗教です、とっつきはっつき身動きもできないでいる。情けないったら、梁の武帝のように大なり小なり本物、本心を追い出して知らん顔が、妄想醜悪のまんま棺桶に入る。因果必然てことあってそりゃ無明ばっかりの、ちらとも光明なけりゃ国は滅びます。たいていその真っ最中ですか、ここに光明があります、よろしくよく肯うて下さい。同光帝はたいしたもんです、ちゃんと開示している、しかもこれまずはまったく報いられることのないのを知って、どうしたらいいと聞く、いいえ自分淋しいなんてけちなこっちゃない、ぼくは僕のにんべんでなくて巾、かぶと頭巾というものだそうです、脚はその紐、両手に引いてみせる、これを見て長寿無窮を、天威を犯さずですか、君王の宝だれか敢えて価を報いん、そのまんま光さんぜんで万万歳です。即ちそういうこってす。
頌に云く、君王の底意知音に語る。天下誠を傾く葵霍の心。てい出す中原無価の宝。趙壁と燕金とに同じからず。中原の宝興化に呈す。一段の光明価を定め難し。帝業万世の師となるに堪えたり。金輪の景は四天下に輝く。
まあほんとに金ぴかの頌だことさ、そりゃまあ天子がかくの如くであったこと、史上まったく希に見るとしかいいようがなく、我国北条氏の治世の如くまったくめだたない、史家の記述の影に隠れる。ゆえに以て中原無価の宝、葵霍、かくはくさかんむりできかくひまわりのこと。趙の玉と燕の金はこれ珍宝、まあいずれ菖蒲かかきつばた、君王の宝法王の宝、大いに用いて一段の光明定め難しと。小泉の国会解散人みな右往左往、せっかく郵政民営化をひっかついで首相になったんだから、やらせてやりゃいいのに、大人げないっていうのは利権がらみ、亀井静がとって代わりたかったのと、角栄残党なんて日本の恥だな、国民の審判というまったくもってあてにゃならぬ、云々2チャンで云ったら、仏は政治に口出しするな、感情論だという、てやんでえわしゃ座禅お宅やってんじゃね−や、それに感情論の他に意見なぞない、中立だの冷静という嘘だ、学校教育の平静という、自分預からぬという、そりゃ阿呆をこさえるだけだ、おのれ関わって初めて政治であり、ものみなそうなあ、論文というずさん、歴史家の文章というこれ、文章にもなにもなってない、歴史は人麻呂、論文は芭蕉といったら大笑いか、そんなことはないさ、どっちらけで滅ぶだけの人間、人間失格はどこから来るか、ちっとはそりゃ反省したほうがいい、金ぴかの頌よりも照顧脚下とな、わっはっは。

第九十八則 洞山常切
衆に示して云く、九峰舌を截って石霜を追和し、曹山頭を斫って洞嶺に辜かず。古人三寸、恁麼に密なることを得たり。且く爲人の手段甚麼の處に在るや。擧す。、洞山に問う、三身の中那の身か數に墮せざる。山云く、吾れ常に此に于て切なり。
頌云、不入世、未循。劫壷空處有家傳。白蘋風細秋江暮、古岸歸一帶煙。
頌に云く、世に入らず、未だに循わず。劫壷空處に家傳あり。白蘋風は細なり秋江の暮、古岸は歸る一帶の煙。

衆に示して云く、九峰舌を截って石霜に追和し、曹山頭を斫って洞嶺に辜かず。古人三寸、恁麼に密なることを得たり。且らく為人の手段甚麼の処に在るや。 挙す、僧洞山に問ふ、三身の中那身か諸数に堕せざる。山云く、吾れ常に此に干ひて切なり。 九峰は道虔大覚禅師、石霜慶諸の嗣、曹山本寂禅嗣は洞山良价の嗣、舌を截る、思想分別人の舌を截るんです、でなきゃ仏教は始まらん、頭を斫る、よく首のもげたお地蔵さまのように坐れという、思い込み坐禅ではない、けつの穴まで虚空と遊ぶ、これ就中手間暇かかりますか、というのも思い込みのたが外れない、ぶったたかれぶったたかれして、まあわしら並みの人間は、そんなふうでようやくちったあ頭落ちるんです。洞山悟本大師は雲巌曇晟の嗣、曹山ともに曹洞宗の開祖。三身というのは、法身報身応化身に別ける、別段そんな必要はない、舌先三寸の辺のこったな、諸数というのも、仏身には三身四身とか三十二相八十種なと、いずれひま人の数え出した種々あるわけです、するとそれに捉えられて四苦八苦する、即ちこの僧それら数量に堕さぬ真法身を問う、洞山云く、吾常にここにおいて切なり、はいと応じたわけです、もと数量に堕せぬことを知ればいい、知ればいいただそれだけが、なかなかどうしてってことあります、常にただこれ。
頌に云く、世に入らず、未だ縁に従はず。劫壺空処に家伝有り。白蘋風は細やかなり秋江の暮れ、古岸舟は帰る一帯の煙。
世に入らず縁に従わず、肉食妻帯しようとも選挙に行こうともです、出家まさに他なく、一身因果必然の中にただこうあるだけ、愛するものたといあっても、手をさしのばすに千里の向こう、劫壺空所に家伝あり、これが七通発達を家伝に例えるわけですか、洞山云く、吾常にここにおいて切なりと、自分の母親が布施して徘徊して歩くのにも、敢えて会うことをしなかった洞山大師です、母親が死んでその貯えをもって雲衲に供養したという、ゆえにもって極楽浄土に行くと、まったく他なしのこと。むかしはさすがにというのではなく、わずか一柱坐るのが坐になるかならぬかということです。世に伍し縁に従うあれば、すでに済々坐から遠い、太虚の洞然たるとは行かないんです、わかりますかこれ。座禅と見性という、お悟り資格でもなければ、なんの技術でもないこと、白蘋まずは秋草です、細やかに秋江の暮れ、古岸に舟は帰る一帯の煙と、たとい風景もおのれのものにはならんのです。よくよく保任して下さい。

第九十九則 雲門鉢桶
衆に示して云く、棊に別智あり、酒に別腸あり、狡兎三穴、猾胥萬倖、箇の頭底有り。且く道え是れ誰そ。擧す。、雲門に問う、如何なるか是れ塵塵三昧。門云く、鉢裏桶裏水。
頌云、鉢裏桶裏水、開口見膽求知己。擬思便落二三機、對面忽成千萬里、韶陽師較些子、斷金之義兮誰與相同。匪石之心兮獨能如此。
頌に云く、鉢裏桶裏水、口を開き膽を見わして知己を求む。思わんと擬すれば便ち二三機に落つ、對面忽ち千萬里となる、韶陽師些子に較れり、斷金の義誰か與に相同じからん。匪石の心獨り能く此の如し。

衆に示して云く、棋に別智あり、酒に別腸あり。狡兎三穴、猾胥万倖。箇のこう頭底あり、且らく道へ是れ誰ぞ。 挙す、僧雲門に問ふ、如何なるか是れ塵塵三味。門云く、鉢裏飯、桶裏水。 雲門文偃禅師は雪峰義存の嗣、将棋ですか碁ですか、どっちでもいい別智あり、馬鹿みたいのにころっと負けたりします。酒は別腹ですか、飲めるやつと飲めないやつ、狡猾を兎と胥は猿ですとさ、二つに振り分けた、兎には三つの穴がある、万倖人間の仕損じをもののけの倖とするとある、まあそういったこってすか。そうしてもう一つは箇のこう、言に肴です、こみいった所というわけです。華厳の事事無礙三味というつまり塵塵三味のありようをあげつらったわけです。そりゃこれ、ちらとも脇見運転、こんなはずじゃなかったとか、おれは見性底こんなことは別口とかやれば、すなわちひっくりかえる、事に当たってただ真正面です。本当に行なえば、却来して観ずれば、振り返り見れば夢中の事なんです。人生夢のまた夢は、たとい仕損じたれども、全力を尽くしたということです、いえたった一回200%やり切れれば、あとの半生おむつ僕ちゃんやってたろうが、まさに夢中の事、「生きたよう。」という無限大があります、ほかなしですよ。如何なるか是れ塵塵三味、鉢裏飯桶裏水、鉢の子鉄鉢応量器に飯を食らい、桶に水を使えというんです。はいわかりますか、いえほんとうにわかって下さい。
頌に云く、鉢裏飯桶裏水、口を開き胆を見はして知己を求む。思はんと擬すれば便ち二三機に落つ。対面忽ち千万里と成る。音召陽師些子に較れり。断金の義、誰か与に相同じからん、匪石の心独り能く此くの如し。
口を開き胆をあらわして知己を求む、これ衲僧家世の常、たとい2チャンネル辻説法たっても、云うことこれしかないです。鉢裏飯桶裏水中国語の発音も知りたいと思ったりします、思ったりってあっはっは二機に落ち三機に堕すんですか。音召じょうの一字です、音召陽大師は雲門のおくり名です、なんせ万松老人特別扱いで、些子にあたれりというからには、断金の義誰かともに相同じからんです。たしかに、鉢裏飯桶裏水、雲門が云ったとわしら泡沫が云ったんでは、転ずるに格段の相違ですか。匪石の心、石の如く固い心ですってさ、撥ね返り方が違うですか、はいよったらちりっぱ一つ残らず、鉢裏飯桶裏水。

第百則 瑯や山河
衆に示して云く、一言以て國を興すべく、一言以て國を喪うべし。此の藥又能く人を殺し亦能く人を活す。仁者は之を見て之を仁と謂い、智者は之を見て之を智と謂う。且く道え利害甚麼の處に在るや。擧す。、瑯の覺和尚に問う、淨本然云何が忽ち山河大地を生ず。覺云く、淨本然、云何忽生山河大地。
頌云、見有不有、飜手覆手。瑯山裏人、不落瞿曇後。
頌に云く、有を見て有とせず、飜手覆手。瑯山裏の人、瞿曇の後に落ちず。

衆に示して云く、一言以て邦を興すべく、一言以て邦を喪すべし。此の薬又能く人を殺し亦能く人を活かす。仁者は之を見て之を仁と謂ひ、智者は之を見て之を智という、且らく道へ利害甚麼の処にか在る。 挙す、僧瑯やの覚和尚に問ふ、清浄本然云何ぞ忽ち山河大地を生ず。覚云く、清浄本然云何が忽ち山河大地を生ず。 瑯や(王に邪)山の開化広照禅師、汾陽善昭の嗣、一言もって国を興し、一言もって国を滅ぼす、これ仏の尋常世の常ですか、たとえじゃなくて実際にこういう感覚ですよ。そうして活殺自在、象王行く処狐狸の類は姿を消すんです、もっとも聞く耳持たない右往左往がいっぱいですか、そりゃ別にかまわんです、服と不服とか医の科にあらず、まずもって転法輪あって、かなわずばまたの機会です、ほかどうしようもないし、匙投げるってことあって、こっちのとやこうじゃない、相手の大損です。せっかく出会っていながらそっぽを向く、なんたる不幸。仁者は之を見て之を仁といい、智者は智を見て之を智という、はいその通りこの通りすりゃいいです。北朝鮮みたいやつがいて、まあどけちのとんでもないことをする。損をするのは向こうなんです、どんなに怨みを買い不都合ですか、しかも会うべき人に会えず、智恵をも見ずとは、いかにも情けないです。もとより因果必然は、旧日本軍などのしでかしことですか、今に中国が同じことをしているってわけですよ、お笑いっちゃお笑い。清浄本然とはもとかくの如くにある、赤ん坊のまっさらに見る、いえ無眼耳鼻舌身意。われのうしてある世界です。妄想執念が風景になって見えるのですよ、そいつが落ちる、架空請求の自分というなしにある、これを清浄本然と云った。一切世間皆如来の顯現などいい、また山河大地を有為の諸相と云った。すればそれに捕らわれるんです。清浄本然忌という三十三回忌弔い納めとか、すなわち自分という形骸がすっからかんになったということですか。故に以て問ふ、清浄本然いかんが忽ち山河大地。これに応じて覚和尚、清浄本然いかんが忽ち山河大地。
頌に云く、有を見て有とせず、翻手覆手。瑯や山裏の人、ぐ曇の後へに落ちず。
有を見て有とせずとは、清浄本然としてどうしてもなにものかあると思うんでしょう、そのまんま扱っては、あると思うそいつが外れない、間髪を入れず清浄本然と返すんです、翻手覆手、掌を返すようなという、あれっと気がついて自分という架空請求が失せる、忽然大悟という、清浄本然のまっただなかです。ぐ(口二つにふるとり)お釈迦さまです、瑯やというのは地名ですが、両方とも玉なんでしょう、瑯や山裏の人、まさにこの手段あってお釈迦さまにもひけを取らずというわけです。
 
公案

 

禅宗で、参禅者に出す課題。転じて、自然現象の一切を仏法を示す課題と見る見方。また、一般に難問、研究課題、問題をもいう。
禅宗において修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題のこと。ほとんどが無理会話(むりえわ)と言われている。一般には「禅問答」として知られる。有名な公案として「隻手の声」「狗子仏性」「祖師西来意」などがある。近世には一定の数の公案を解かないと住職になれない等、法臘の他に僧侶の経験を表す基準となるなど幕府の宗教統制にも利用された事は一般に知られているが安土の宮町衆が説いた 「栗の華」六節に記載されていた宗派両断始期に詳しく掲載の物。
「麻三斤」 (まさんぎん)
雲門大師について修行し、その法を継いだ洞山和尚の麻三斤(まさんぎん)の公案です。
この洞山は、曹洞宗の開祖洞山良价禅師のことではなく、無門関15則にある洞山の守初禅師のことです。この公案は極めて有名で、「碧巌録」「無門関」「空谷集」「槐安国語」「道樹録」「永平頌古」「拈三百則」などのあらゆる公案集に出ています。
あるとき、洞山が庫裡で麻の目方を量っていたときに、ある僧が
「如何なるか是れ仏」
と問うたのに対して、洞山は
「おお、麻の目方が三斤」
と答えたという公案です。要はただ「麻三斤」という三字でありまして、これが深い意味があるというので、天下の叢林の問題となっているのです。
まず、その問いの「如何なるか是れ仏」というのに対して、いろいろの答えがあります。雲門大師は「乾屎けつ」と答え、大法眼は「汝は是れ恵超」と答え、首山は「新婦驢(ろ)に騎れは阿家(あこ)牽く」と答えたことなど、みな公案として有名なものであります。あるいは汾州無業国師は「莫妄想」といい、五祖法演禅師は「口は是れ禍門」などと云い、倶胝和尚は「いかなるか仏法の大意」と訊かれると、倶胝はいつも「これだ!」と、一本の指を立てて見せたといいます。仏というもすでにその時点で、いろいろでっちあげた価値観や分別妄想となってしまうので、老婆心の方便として、尊そうな外側のものを否定するための指導であるといえるでしょう。
古来、禅の問答というのは全身全霊の問いにもかかわらず、師匠の答えはとりつくしまもないという問答が多いのです。そのとりつくしまもないところに向かって精魂をかたむけて精進するのでありますが、師匠は師匠で親切をつくして指導しているのです。「仏法の大事なところを文字で解釈するんではない、頭で理解しようとするでない」 ということを打出といいます。
昔、雲門大師に修行僧が「如何なるか仏」と尋ねると「乾屎けつ」と答えた。所謂「乾いたウンチのついたクソカキベラ」の答えなど、初学の時には、そうかもしれんが、何という答えなんだろうと思ったものです。 けれどもこれは深い意味が含まれた公案です。真剣に人生を探求する者に対しての遊戯問答ではないのです。私はカキベラの現物を見たことはありませんが、トイレットペ−パ−のなかった4,50年前の田舎の当地では草の葉でおしりをぬぐっていました。新聞紙や雑誌を揉んで使うことができれば良い方だったのです。カキベラはそんな近年まで日本も各地で使われていたようです。竹製の20センチ位のヘラをいくつも用意して置いて用を終えたヘラは用済み篭に入れておく。そのヘラにあのモノが付いて乾いているのを「乾屎けつ」というのです。誰しも好まないところで何十年に渡って人のお尻をきれいにする役目という聖業につく。おのが身を汚すことによって相手を清める聖業とは、まさに仏の本願に叶う「仏行」ともいえましょう。
けれども、そのような理解や解釈では「如何なるか是れ仏」の答えにはならないのです。どうかすると、仏とウンコで決定的にすれちがってしまうのです。
「麻三斤」問答も、昔からいろいろの分別思慮にわたって、こうであろう、ああであろうと議論したものと見えまして、『碧巌録』に出ております。すなわち、洞山が庫裡のところで麻の目方を計っていたときに、僧が「如何なるか是れ仏」と問うたから、「麻の目方が三斤」と答えた。本則はただそれだけのことで極めて簡単です。その麻三斤の言葉にとらわれてはならない。ただ洞山のこころが、その僧のこころに通じなければ、この公案の意味はなさないのです。そのこころとこころと一体になったところ、それが仏の正体でありますが、天桂伝尊は、この公案を次のように歌うております。
如何なるか仏と問えば麻三斤
増さず減らさず有りのままなり
この公案について無門和尚の頌として、
   突出す麻三斤、
   言親しうして意更に親し。
   来たって是非を説く者は、
   便ち走れ是非の人。
と示されています。すなわち「如何なるか是れ仏」の問いに対して、洞山は、無心に、何の造作もなく、たくむこころもなく、すなおに「麻三斤」と答えているので、言葉が親しいばかりでなく、そのこころも更に親しいのでありますから、それを理屈で、ああである、こうであると、分別にわたって説明してはならないということです。是非得失の対立分別の世界から超出して、迷悟几聖の格外にある洞山和尚の「麻三斤」の言葉を、そのまま「南無麻三斤仏」と親しく受けとらねばならないということでしょう。
仏を表現するのに、「仏という字は人でム(ござる)という意味であるから、佛という字は本来は人に弗(あらず)と書く佛の字が本当である。」 とかいう評論家の論があります。なるほど、佛という字は沸騰の沸です。水が沸騰すれば水蒸気となって「水にあらず」の状態になります。漢字の意味用法には素敵なものがたくさんあります。けれども、畢竟「如何なるか是れ仏」の問いに対しては、字義の解釈などはどうでもいいことです。アメリカを米と書き、フランスを仏の国と書くから、アメリカは米の国でフランスは仏の国かなどととらわれることはないのです。仏という字の中、記号の中に仏があるのではないのです。
洞山の答えられた「麻三斤」の三字についていろいろ理屈をこねているとかえって抜き差しならないことになる。言葉というものは間接的にその事柄のありさまを示すのみで、直接にそのこと自体をあらわすことはできませんから、畢竟言葉そのものにとらわれてはいけないのです。
仏教では、生死と涅槃、善と悪、罪障と幸福、有漏(迷い)と無漏などの対立概念(二元論)を立てません。外道はこれらの見解に執着します、菩薩は「この身は無常だと説いてこの身を離れることを説かず、この身は苦であると説いて涅槃を願うことを説かない」と示されます。「とらわれてはいけない」とか「こだわっちゃいけない」というのではまだとらわれています。とらわれない心、こだわらなくてもすむ道理をえんえんと求めるのではなく、「今」の瞬間に徹することにより問題は解決し、とらわれもなくなり心も清らかになる。清らかな心になった時には 「峰の色 渓の響きもみなながら 我が釈迦牟尼の声と姿と」(道元禅師)という御歌のように、自分をとりまくすべてが真如(仏法)の声と聞き、お姿と受けとめることができるということになるでしょう。 

空としてなにかあるものではないです、空観なと学者のたわごとです、そんなあほなことを云っている自分を空じ切るんです、すると自分消えてものみなぜんたい、というそれをも観察しない、空前絶後の事、我と有情と同時成道です。 問仏教も仏教学もとんでもなく膨大です、人の一生では百万分の一も到達できないほどです、あれがみんなむなしいんですか。 答はいそのとおり、百害あって一利なしです、それによって暮らしの糧を得る、学者説教師本屋印刷屋の為にあるんです、もし仏を求めるんでしたら、見向きもしない覚悟が必要です。

念起念滅という、人の心意識はぽっと出ぽっと消えるんです、すでにないものに捉まってああでもないこうでもないする、妄想といい自縄自縛の縄=自分といいます。あるときの接心に妄想だらけで困った、ようしなんとかしてくれようと云えばいうほどに頻出、真っ黒けになって四日もやっていたです、精魂尽き果てて、もはやこれまでどうとでもなれといったとたん、ふわあっとふっ消えてなんにもなくなった。 無心とは脳死じゃないんです、念起念滅を観察する念がない、するとまったくないんです。 問念力というサイコキネシスみたいなもんないですか。 答念力健剛という仏教用語で、これを知ってやり抜こうという不退転の決意を云うんです、超能力他あればそれによって迷うんです、心身の救いはまったく別です。

結婚式の垂示に見を持つなという、見解の相違です、見解を持たなければ、諸問消える、いえ初めからなんも起こらんです、見の好きな人はいったん卒業して下さい、見解という中途半端、どんなに尽くそうが万分の一を知る。 問見がなければなんにも起こらんてそれ、海牛とか下等生物の日送りですか。 答いえ人間とかめっちゃくちゃの彼岸にあります、やっと地球のお仲間入り、花は知らずという知らずもっとも親切。知った分が嘘ばっかり、醜さ飽き飽きってね。

心に二心あり従前の心と本来心と、すでにないものを振り返る、お化けにしてやられる心と、無心です。まるっきりない心、どうですかこれ、心が心を観察することの不可能、すべての救い、問題解決はここにあります、ものをそのまんまに見る、色即是空これ。 問妄想まるけの世の中だから妄想まるけでいいんではないですか、テレビなんかクレイジー馬鹿ったいほど受けてます。 答結局飽きられてしまうんです、赤信号みんなで渡ればこわくないと云って、しまいのはて破廉恥犯罪大国とか、それが先進国というなら、犬に食われちまえってね。

単を示すと書く、自分は単純だというとき、自分を観察するでしょう、観察する自分とされる自分の不可能事、すなわち複雑です、心=自分は一つ、自分を知るとは自分を忘れること、我をかえりみるに我なし、これを禅といい無心、心なしと云います。けっこうできないんですよこの単純が。 問坐禅のノウハウ如何。 答ただ、まるっきり手つかず、なんでもありのめっちゃくちゃ、ついにはこれありと知ってまっしぐらですか

三帰戒三聚浄戒十重禁戒、十重禁戒は不殺生戒不偸盗戒不邪淫戒、殺すなかれ、盗むなかれ、犯すなかれ、嘘をつくなかれ、酒に酔うなかれ以下です。仏戒は得度式、坊さんになる時に授かる、他はとにかく不殺生戒はどうもならん、菜っ葉だって生物だ、いやバクテリア一匹殺すなかれでは、生きて行かれん、さあ困ったです、汝よく保つや否や、よく保つといって、なにしろ式だけはすました。のちお寺をもってだれかれ接するに、駒沢の学生というのが来た、仏教科に入って以来疑問であったという、他はともかく不殺生戒はどうもならん、教授に聞くと、妄りに殺すなかれ、妄りに犯すなかれだという、おれはそんなこっては到底納得できないと云った。よく見ろとわしは云った、こいつは人間のこさえたものじゃないんだと。そうかといって、彼の体が倍にも膨れ上がったです、日ならずして、ちらとも悟って帰って行った。これをどう思いますか。 問キリスト教にある山上の垂訓と同じですか。 答おおもと同じだろうが、まったく別物になり終わる、たとい十重禁戒も人を縛る鎖じゃないんです、戒はこれ第一安穏功徳の処住所となすと、遺教経にあるとおりです。

帰依僧和合尊という、いったんまったく人間のしがらみを離れるんです、銀椀に雪を盛り、類して等しからずと、思想宗教、主義や理想に拠らんので、和合尊なんです、信ずれば救われるなど都合勝手ではない、万象とともにある、濁りに染まぬ露の玉。 問僧侶というもっともきらいなものの一つですが。 答死出虫稼業ではない坊主だっていますよ、どんなふうな付き合いでも、必ず救われる、いいことあるんです。

法として別にあるもんじゃないです、ものみなのありよう、物理法則と同じですが、物理学には観察者がいる、仏はただその中にある、これ雲泥の相違。 問法律とは関係があるんですか。 答ないと云うべきですか、これたとい人間の作ったものではないんです。

禅機横溢、機峰鋭くなどいいます、特別にあるものではないです、もと本来のありよう、目から鱗が落ちるというでしょう、自縄自縛のとっかかりひっかかりが外れる、目から鼻へ抜けるより、目鼻なし、一を聞いて十を知るより、もとはじめからです、花鳥風月みなそうです、となりのトトロのように雨粒でぶるぶる。 問機という人間機械というとどうもあの。 答人間機械という微妙なものですか、だからって思想感情を容れる器です、仏教はこの器の問題といっていいんです、たとい極悪非道も一瞬のちには仏、そうですねえ、情状酌量のない刑法が正解ってね。

はい右に同じ、生死別段の区別はないです。生といい死という思い込みの殻を破って下さい。生死の中に仏あれば生死なし、仏は実際というねはんです。 問どうにかこうにか生きていますが、おもしろくないし時には無惨です。 答それをどうしたらいいかという、痛烈な問題なんです、生まれてよかったという、驚天動地の感動があります、どうかこれを得て下さい、我と有情と同時成道。

死にたいという人は、まず坐って「死にたい」と真っ正面に向かい合って下さい。因に仏教は生きながら死ぬことです。大死一番大活現成、至りえ帰り来たって別事なし、柳は緑花は紅、自分という架空が失せると、ものみな生き生きと、夢のように甦るんです。 問どうやったら死ねるんですか。 答忘我の方法があります、坐忘、坐している自分を忘れ去る、無我夢中をもう一歩進めるんです。

ほどけば仏、自縄自縛の縄をほどき終わればもと仏。 自縄自縛の縄を自分と思い違えている、そこから一切苦厄が起こる。身心脱落、見るに目なく、我を求めるに我なく、真実不虚、まったくに他なしを知る。 問ぜんたいよくならなければ個人の幸せはないという、 仏は一箇仏なんですか。 答人類失せてもほどけば仏、一箇光明ならば周囲を照らす、他に人類を幸せにする方法はないです、しかもたった一人でできます。

悟り終われば悟りなし、生まれる以前の元の木阿弥、仏に戻ることは一回かぎりです。世間のいう悟ったとは無縁の代物ですか、身心ともになしを知る、光前絶後の事、玉露宙に浮かぶ。自分というものがまるっきり失せてものみなぜんたいです、我と有情と同時成道。 問簡単にはできないんでしょう。 答元に返るだけのことです。 問現代人にできますか。 答思想の内容、考え方によらないですから、時代環境に関係がないんです。

キリスト教の牧師がついには100%神を信ずることだと云った、100%信ずる=忘れること、生活の基は忘れ去って成り立っています、歩くのに歩くことを信じていたら転倒します、以下同文ですか。信不信に関わらず。心して狭き門より入れという、狭い門から入ったら狭いきりの、平和博愛といっては戦争と独善です、そうではない無門関です。人の信不信によらぬ広大無辺です。でも今不信の人、知識にたよる以外にない、足実地を踏まぬ、ふわついて幽霊みたいな人、坐っても坐っても坐禅にならんです。仏の家に投げ入れて、すべてをお任せという、人間とは他にはないんです。 問私もそうですが、たいてい無宗教でとにかく毎日暮らしていますが。 答無宗教なんてありえないんですよ、雑念とご都合主義と、ぜにかねうまいもの食い、種々雑多です、醜いだけです。ほんとうに生きた覚えもなく、一朝事あれば殺人事件か、でなくば心身症ですか。

世間大流行りの夢は妄想我欲、しまい夢の島ですか、どっか情けないんです。如無幻泡影という、はかないからという。人生五十年難波のことは夢のまた夢、信長秀吉の五十年は、並の人の百万年にも当たるんでしょう、沢庵禅師の夢、一年三百六十五日夢という、わかりますかこれ。現実であればあるほどに夢のようなんです。 スポーツに熱中する、あっというまに時間がたつ、夢中になるというんでしょう、三つのころまでの記憶がないのは、100%生きるからです、すると反省しない、どうやってこうやったという記述がない、一般に云う現実とは、脇見運転の追憶記述です。如来の悟りはありのまんま、夢とは正にこれを云うんです。 問夢を見るのはよくないんですか。 答必要だから見るんです、現実に満足しないから夢を見る、現実化したいから夢を見る。聖人に夢なしといいます、つまらない聖人なんぞお呼びじゃないという、いえ夢を見る必要がない=現実が有頂天の楽しさ、大満足だからですよ、これを知ることが解決の道です。人間の花に咲き開く。
 

 

正師
正師=邪師にも惑わされ、正師にも惑わされ。ですがなんといっても正師に就くこと先決、至った人はこれと云い、至らぬ人はあれという、よく耳を澄ませて聞いて下さい。正師に会いながらそっぽを向く人、なんというまた不都合。 問仏教について知ったり研究したりすることは、役に立たんですか。 答百害あって一利なしというべきですか、独りでなそうには、単純このうえないこれが、難中の難です。お釈迦さまの大力量は因に、我未だしと真正直に知ることでした。
見性
見性=直指人身見性成仏という、自分を知ることは、自分をまったく観察しないんです、観察する自分もない。求めるについに不可得、見性とはこれ。 問自分の性質というのと関係があるんですか。 答ないです。結果は露堂々100%いえ200%顯現ですか。書き直さない書家、そりゃ出来不出来あるんですが、ご当人どう転んでも大安心、さっぱり省みない様子、楽しいしおもしろいんでっす、いずれまっしん真正面。
坐禅
坐禅=坐禅が坐禅になるということあって、身心ともになし、虚空が虚空を坐るんです、楽うに本来かすっともかすらんです。坐忘を標準にします。心であり精神という、ありようというそれそのもの。天地宇宙の与えたものこれ。他なしです、なるほどなあって思います。 問坐れるようになるまでが大苦労、捨身施虎、虚空という虎に食われてしまいなさいって云われますが。 答虚空というなんにもないんですよ、捨てるという死ぬよりないんです、呑却し終わるんです。
公案
公案=無門関五十則碧巌録百則という、古人仏祖の行跡をたどる、公案というんですが、一つ透過すれば終わるんです、公案をはしから解いてみせて、どうだという人に、それであなたはどうなんですかと聞く、いいえといって老師に参じた人がいます。いいえと云い得る人になって下さい。 問公案を解くとはどういうことなんですか。禅問答という、くだらない遊びのようにも見えますが。 答この橋わたるべからず、真ん中を渡れという、いつでもどこでもど真ん中の自分を知る、やさしいようでけっこうこれ命がけですよ、たった一つ解いて十二分です。
般若
般若=般若の智恵という、はんにゃはらみったパーラミーター彼岸に渡るという言葉です。自分というフィルターを通さずに、ものみなを見る、目から鼻へ抜けるよりは、目鼻なし、一を聞いて十を知るより、もとはじめっから答えなんです。 問般若のお面てなんであんなに恐い顔してるんですか。 答はてねえなんでなんでしょ、わかりません。
回向
回向=お経のあとの回向、或いは手向けという。仏さまを荘厳する、みんなこっちを向いている。花もロウソクも水もお飾りもです。心からの供養がそっくり返って来るんです。回向です。はたしてあなたはそれに応えられるかという問題です。 問正座というのは足がしびれるし、体によくないし、足投げ出してもお経という。 答自分のことばっかり考えている、それを一瞬でも忘れること、仏さまはそう云ってはいないですか。
引導
引導=むかし引導を渡した生臭坊主をぶんなぐって、そんなんじゃ死んだ娘は救われんと云った人がいた。生臭坊主一念発起して、ついに大悟するんです、生死に立ち会うことのできる人、魚屋は魚食ってみて商売しろ、坊主は死んでみてから引導をわたせ。そりゃ当たり前です。 問死んだら無に帰する、引導も仏法もいらんです、どっかそう思うんですが。 答有のまんまちっとも無にならんです、そんなの回向にならんですよ。
戒名
戒名=松寒院夢想心月居士とつけたら、おれにも付けてくれという人がいた。院号は世の中の称号ですか。一には生前の面影、一には仏そのもの、一には本人の願い、この三つをもってする。仏という、仏教ということなければ、俗名でいい、戒名とは云われんです。塵労を謝す、世俗の垢まみれを払うんです。仏弟子となる、棄恩入無為です、仏という本来人に帰る、棺桶まで担いで行かないんです。はたしえた、はたせなかった夢はそりゃはなむけです。風月童子などいう、自然と同じになる、よきかなですか。 問地獄の沙汰も金次第の葬式と戒名料ですか。 答そうではない処に向かって下さい。救われんですよ。
伝法
伝法=宗門伝法には七日間ぎっしりの儀式に血脈は血をもって印し、終わって千拝お拝なぞ、いやがうえにも慇懃を、ではその内容はというとまったくなんにもなし。ついにすたれてだれもふりしかしない。ふりが仏教だと思っている。葬式稼業だという、どうやって死者に向かいあうおか、生死に対するのか、よったくっての自閉症、世間顔向けができない、引導も渡せない禅宗。 問私が死んだらなんにもつけないでくれ、戒名なんて不要。 答では棺桶まで担いで行って下さい。うさんくさあって、坊主の戒名ほどではないけれど、とは情けない。
幽霊
幽霊=足がないという根無し草の、魂魄この世にとどまりてという、うらめしやですか。身心ともになし、大悟徹底これです。無心無眼耳鼻舌身意、もしちらとも残れば幽霊です。うらめしやの垂手は、おのれうらめしいんですか。幽霊、幽も霊も内外を絶した微妙、筆舌に尽くしがたい形容です、達磨さんを称える語にあったです。 問幽霊はあるんですかないんですか。 答あなたにはありそうですね、どうかない人になって下さい。人間はだれあっても真実を語るよりないんです。
無心
無心=心はたった一つ、たった一つの心が、心をかえりみることは不可能、見るには無し、心なしの無心なんです、ですからこれを確かめて下さい、真正面に向く、いかに自分という脇見運転であったかに気がつく。 問脇見運転注意一生怪我一秒ですか、四苦八苦の人生を免れること如何、というお釈迦さまの出家だったと思います。 答はいその通りです、人はあるものには悩まない、ないものに悩まされるという、幽霊にしてやられるんですよ。それに気がつけばいいんです。

無心とは心が無い空虚状態ではない。良寛和尚が「花無心にして蝶を招く」の句を示されたように大自然のありのままの生き生きとした姿に “それ”はある。人は誰もが“それ”のど真ん中にオギャーと生まれてきたはずなのにいつしか、知恵とともに欲を持つようになり「ああなってくれ」「こうなるのが当然だ」と、煩悩妄想の世界で右往左往している。 一山、一川、一樹、一草、一虫、一華、一つのいのちが大自然の中でありのままにいのちを輝かせているのを見よ!煩悩妄想をすべて無くすことは出来ないが少しでもそういった余分なものから離れて、貴(あ)方(なた)が貴方らしく精一杯生きること、それが「無心」であろう。 どんな現実に直面していようと、自分に与えられた場所でありのままの自分を輝かせることが大切なのではないだろうか。
成道
成道=釈尊明星一見の事、我と有情と同時成道という、知るより他に道はないです、迦葉拈華微笑す、われに正法眼蔵ねはん妙心の要術あり、迦葉に付囑すといって伝わる、阿難倒刹竿著三日耳を聾すをもって今に伝わる。そうですよ、近似値とか個人による独特なんてないです。 問弘法大師が修行中、頭の中に星が入ったという、ちんぷんかんぷんだと司馬遼太郎が書いていましたが。 答それしきのものでは到底悟りとも云えんですが、司馬遼太郎の歴史小説の過りというのを知って下さい、あれは袋小路なんですよ、そうですねえ白髪がお似合いですか。
大悟
大悟=徳山円明大師、どうじゃ尽くし終わったかと聞く、絶学無位の閑道人ですか、尽くしおわってなんの云うなく、世間人の物差しが用なしになるんです、一人呵呵大笑して、この人を知れば、参学の事畢わんぬと示す。どうですか、たった今もかくの如し。 問言下に大悟すとむかしの語録にあります、今もあるんですか、そんなことがあったんですか。 答はいたしかに。
三界
三界=三界に家なし、子は三界の首枷、三界という現代の常識にもう一度復活すると、多少は心のゆとり、ダイナミックな行動力を得るんですか、少なくとも練炭火鉢の自殺や、宅間さん式滅法界はなくなる、いえそんな気がしますよ。 問仏なんか苦労して求めるより自殺したほうがいいという、どうですこれ。 答ではまた生まれ変わってやり直すんです。
法界
法界=こうある通り、形而上学はないんです、自然法といい刑法といい宗教法という、そういう人間臭がまったくないんです、法としてピックアップすること不可能、物理法則にはある観察者がいない、近似値がないんです、どっぷり漬けの、免れること不可能。 問世界宇宙とその法界とどっちが大きいんですか。 答たといビックバンだろうが法界中の一微塵です。あなたイコール法界ですか。蛇足ながら思想辺の問題じゃないです。
涅槃
涅槃=ニイルバーナ死人に会うことが坊主になったわしの取り柄と、どんなあくたれも寂を示して荘厳。あのくたらさんみゃくさんぼだい無上正当菩提のねはんも、まったく同じです、我というよこしまを去る、自分という取り柄失せて忘我です。 問ねはん会に団子撒きして、子供がいっぱい来て、団子やお菓子拾ったんですが。 答子供のほうがゲームやサッカーになってよっつかんですか。私が死んでもまるっきり変わらんですよとお釈迦さまが、その時昼夜寂然として音なく。
生死
生死=しょうじと読みます、人の一切合財を生死といいます。生死の中に仏あれば生死なし、生死として嫌うべきもなく、ねはんとして願うべきもなし、このとき始めて生死を離れる分あり。どんな公案も生死のみです、さあ解決して下さい、まっしぐら。 問生きているより死んだほうが仏ですか。 答そりゃ妄想です。情けない妄想死じゃ生死に申し訳ないですよ。平気で人を殺す、そりゃぶっこわれ観念です、優しい青い地球という、遠くて遠いんです。
如来
如来=来たる如しという以外になんの思想も持たない、これを如来といい仏といいます、花も如来、山川草木空の雲も、鳥もけものも如来です、人間だけがどうしてすったもんだ。はい人間の如来は人間に同ぜるが如し。いったんとやこうを卒業して下さい、却来して観ずれば猶夢中の如しと。 問如来という恐い存在とアポルローンという花やかな姿があります、同じ人間ですが。 答まったく同じ人間です、一神教よりもエトルリアの人間像のほうが如来に同じくです。心という顧みないんです、一心顧みることの不可能。
忍俊
忍俊=忍耐という仏語はないようです、銀椀に雪を盛り明月に鷺を蔵す、類して等しからず、混ずる時んば処を知るという、主義主張の物差しによらぬ四面楚歌です。耐えるというんじゃないんです、まるっきり露堂々、仏の間髪を入れずです。 問仏はオールマイティ常勝将軍ですか。 答天子です、いえたいてい負けてばっかり。
修行
修行=仏道を習うというは、自己を習うなり、自己を習うというは、自己を忘れるなり。自己を見ることの不可能という、単純極りないこれをまっしぐらです。思い当たって終わり、思い当たるを無自覚という。他にはまったくないことを知ります。 問沢木興道さんの坐っている写真を見て、これは人に見せるための座禅だといった人がいますが。 答はいあのお方はついの一度も修行をしたことがない、いいかえれば修行ばっかしですか。
妄想
妄想=四六時中妄想も自分の生み出すものなんか一つもないのに気がついて下さい、どんな妄想も自分の自由にはならないです。ではこれをどう扱ったらいいか、手つかず。ぽっと出ぽっと消える、後を追わなければもとなしを無心といいます、まったくないんです。 問発明や個性やというのは妄想によるんではないですか。 答妄想はかえって殺すんです、むしろ思考停止を呼びます、ほんとうの独創は無心がこれを生みます、そ間違えてはいかんです。
外道
外道=仏教以外のすべて、主義や思想宗教を云います、たとい世界の三大宗教も、それによってとたんの苦しみを味わう。多数決や陪審員制ではない、真実不虚ということです。平らに見れば一目瞭然、あるいは歴史の証明するところです。ほんとうに我と我が一切です、まっすぐにどうぞ。 問仏教も外道に入ることがあるんですか。 答99%外道であったりします、名ばかりの仏教、本人大まじめだってそっぽを向きっぱなしとか、葬式稼業宗門仏教その他、でもちゃんと伝わっています、だったら云うことないです。
解脱
解脱=仏に生まれて仏に立ち返る、その他のことは二の次三の次と知って、流転三界中恩愛不能断、棄恩入無為真実報恩者、自分という架空を捨てる、身心を脱し夢から覚めること、このように解かって、我という皮袋を脱ぐ、真空の妙智です。 問脱した、解かったということはありますが。 答答案が作れるほどのものは、なんの役にも立ちませんよ。 問でもあいつは悟ってるといったりしますが。 答わがもの底無し、一回切りのその跡形なし。
仏教
仏教=仏に生まれて仏に返る、人はいつか迷い出して四苦八苦する。この世を選仏場といいます。今生に於て仏になりたい、もういっぺん元に戻りたい、帰家穏座する、でなくば惨憺たるものです。それ故の仏教です。禅堂をまた選仏場といいます。 問正師に出会うことは浜の砂ごの一握にも及かぬと云いますが。 答出会っております。
不倒
達磨大師の不撓不屈の精神を形に表わした「おきあがりこぼし」。高崎の福だるまもその精神を受け継いで、重心が低くできている。 それは古来、人が理想としてきた「どっしりと腹のすわった」「どんなことにも動じない」大きな器をもった人間の象徴であろう。ころばされても倒されても必ず起き上がる不撓不屈の心とは、「倒れないぞ」と踏ん張ることより、倒された時どのように起き上がるかがいかに大切かを示している。 現代の人々の中には頭の方に物事すべてを集中させ過ぎたために飽和状態・不安定な状態になっている人もいる。そういった人々も肩の力を抜き、ゆったりとどっしりと達磨大師のように重心を低くすれば、おのずから自然と起き上がれるのではないだろうか。
 

 

担板漢
担板漢=板を担いで歩く男、おれはといい、おれはだからと云う、そういうあなたです、五体満足が杖を引く不合理、歩くのに歩き方を思う愚かしさです、だれでもやっている、こいつを免れるのは容易じゃない。理想を云いながらキムジョンイル、中国の外交のようにはた迷惑、なんとかして下さいってね。 問だから死んだらわし戒名なんかいらない、なんにも付けないでくれ。 答そんじゃま棺桶に担いで行って下さい、重たそうだって鬼も笑う。
貪瞋癡
 貪瞋癡=三毒という、これなに仏教の一番の敵ですか、塗毒鼓という太鼓を叩くと雲散霧消するという故事ーお経にあるそうです。むさぼりいかりしれもの、はいそれを為すはあなた一人です、あなたさえいなければ万事OK。死んじまえばいいかって、生きながら死ぬイコール100%生きの方法があります。練炭火鉢抱えたら、もういっぺん生まれ変わってやり直しです。 問皆由無始貪瞋癡といって、生まれ変わり死に変わりして、善因善果を積んでようやくに仏になれると聞きましたが。 答そんなことないんです、生まれたときはまっさらの仏、だれあって如来、七歩歩いて天上天下唯我独尊です、心意識念起念滅、ぽっと出ぽっと消える、それをただそのまんまにしときゃいいんですよ。急転直下します。
作麼生
作麼生=そもさん何かと聞く中国のスラングなんですが、頭や口先ではない、全身全霊プラスあるふぁの回答をと促す、そういう響きがあったんです。さあそもさんか道え、一生にいっぺんだけ答えて下さい、でなきゃただのかす。 問かすであるという、いっぱしのものであるという、おれはという、あるいは練炭火鉢の自殺という、みんな同じこったと老師は云いますが。 答作麼生を知らないんです、自分を観察しない方法、自分=心は一つ、一つが一つを省みること不可能事、この単純な理由のゆえに、時代環境などに拠らないんです、これを知る、いつでもだれにでもできます、ほんとうに救われるんです。
喫茶去
喫茶去=むずかしい話は抜きにして、お平らにお茶でも召し上がれという意味じゃないんです。喫茶去以外に仏法としてまるっきりないことを知る、仏教としてなにかあると思い込んでいた、そやつが外れるんです、そうですよ最終兵器、喫茶去です。あなたという拠点が去るんですよ、雷どっかん三日耳を聾するんです。
問飯を食ったら鉢を洗い去れという、麻三斤という、書があったり右禅語代表という、ほんとうに知る人はだれもいないんですね。
答飯を食うのもはしをもたげるもほんとうには知らない、できない。
ここのまり十まりつきてつきおさむ十ずつ十を百と知りせば良寛
君なくば千たび百たびつけりとも十ずつ十を百と知らじをや貞春尼貞心尼

 「喫茶去」は茶席の禅語の中で最もよく知られた言葉でしょう。
「去」は意味を強める助辞。全体で「お茶をおあがりなさい」といった程度の意味です。
中国唐代の老禅匠、趙州従しん[じょうしゅうじゅうしん]禅師は「口唇皮上[くしんぴじょう]に光を放つ」と評される程、日常茶飯の言葉を豊かにかつ絶妙に用いて禅を説いた禅の巨匠です。
その趙州禅師の語録の中に「喫茶去」の話があります。
あるとき、趙州禅師がその日来山した修行僧の内の一人に「曾[かつ]て此間[すかん]に到るや(あんたはかつてここに来たことがおありかな)」と尋ね、僧が「「曾[かつ]て到らず(ありません)」と答えると「喫茶去」とお茶を勧めました。
もう一人の僧に同じことを尋ねると今度は「曾[かつ]て到る(あります)」と答えましたが、その僧にも禅師は「喫茶去」とお茶を勧めました。
そばにいた院主が「初めて来た者に出す茶はいいとしても、以前来たことがある者にも同じ様にお茶を勧めたのはなぜですか?」と尋ねたところ、禅師は突然「院主さん!」と呼び、思わず「はい」と答えた院主にやはり禅師は「喫茶去」とお茶を勧めたのです。
「趙州喫茶去」という禅の公案にもなっているこの話の真意は禅の修行を長年積んでこそ体得できるものです。
ここで私達が学ぶべきは、どんな者にも「お茶をおあがり」とさらりと言った趙州禅師のさわやかな境地でしょう。
趙州禅師が差し出した一碗の茶の有難さは、私達の日常をふり返ってみた時、しみじみと感じられます。
客人の貴賤・貧富・賢愚・老若職業などにとらわれることなく、さりげなく出された一碗の茶。たとえ茶道具は粗末で、茶や菓子は十分なものでなくとも、真心込めて出された一碗の茶。
お茶を出すものとして、あるいはいただくものとして、知るべき本当の茶の心が「喫茶去−お茶をおあがり」という短い言葉の中に込められているのです。
一転語
一転語=転法輪です、法輪とはあなたのことですよ、わが求むるは大道なり、大道通長安。如何なるか是れ仏の真髄、おまえさんの道うのは真髄でなく皮袋だろうが。これ趙州和尚の一転語です。葬式に一転語する習わしがあって、覚えの句を先に云われてしまうと、飯田陰さんは、ああ烏が鳴く烏が鳴くと云った。 問かんしけつみたいどっか詰まってるやつが外れる、そういうこと。 答いえ、あなたがぼかっと外れる。
乾屎
乾屎=かんしけつ糞掻きべら、あるいは出かかって固まったうんちですとさ、くそかきべらというのは、知識学問という蘊蓄を傾けるんですか、人のひりだしたもの、あるいは自分未消化の百まんだら、こいつをひっかきまわすのを、教養といい道徳宗教、あるいは主義主張という。メキシコのうんち人形みたいなことしてないですか。 たとい坐禅という単を示す作業でさえ、どうなんですかというんです。 問良寛さんの歌は新機軸とか、たとえば草や花や初めて詠んだというものがないんですが。 答はいそうです、それでもってまったくユニークな良寛さん、現代俳句だの歌だの、個性といいながらくそかきべら、どういうこったと思いますかこれ。
野狐禅
野狐禅=万法のすすみて我を証するを悟りといい、我をすすめて万法を証するを迷いという、野狐禅これ。100%まず野狐禅です、とにかく無心の人にお目にかかったことがないです。我田引水これ、どうしようもこうしようもないです、五百生野狐身に落つという、悪因悪果、猛反省せにゃならんですよ。 問子供に坐禅をさせようという親、あるいは僧侶は野狐禅ですか。 答そうです、どういうことをしているのか、罰当たりの結果を、そりゃ少しは知ってほしいです。坐禅をなおざりにしちゃいかんです、危険なことです。
驀直去
驀直去=まくじきこ、まっすぐに行けという、真正面を向くと自分というものがないんです、脇見運転するから自分があるんです。この橋渡るべからず、曲がりくねった道をまっすぐ歩く、一休頓知これ、人べんを取って来いこれ。驀直去人間を去る、侍を止めてのちです。そうして何を得るという。天台婆子驀直去、ばあさん云く、おおおいい坊さまじゃまっすぐ行きなされやと、もと他なしです、無所得。 問注意一生怪我一秒ということですか。 答そりゃどっちかというと脇見運転人間ですよ、ただイコール真っ正面驀直去です。注意一瞬怪我一生、注意って意識の他というが正解ではないんですか。
放下著
放下著=もと手つかずが人間本来本法性です、それが絶え間も無しに手を付ける。大火聚の如く、火の集まりですか、手を付ければ火傷。肩凝りから心身症気違いまで、放下著、これほどの救いはないんです、糸の切れた凧です、自分が自分を操ることの不可能、その愚を休息するんです。 問どうしたら手付かずが可能ですか。 答手を付けるなとか、云いようがないんですよ。手つかずの工夫を参禅、只管打坐といいます。必ず出来る、これが本来と知って、出来るまでやって下さい、中途半端は届かんです。そうしてついには心行く。
王三昧
王三昧=赤ん坊は王様という、まさにそのように坐って下さい。自分という皮袋を去って天地宇宙とともにある、あるいはまったく忘れ去るんです。もと他なしということに気がついて下さい。人生観生き甲斐などいうことを遙に超えます。 問赤ん坊は大人とは違う生理機能というか、未発達のものがあるといいますが。 答虫けらでも仏というまったく変わらないです、100%生きなら、赤ん坊に帰依が正解。
仏法僧
仏法僧=仏ものみな、法はものみなのありよう、僧という一切事を尽くしてついに仏です。法であり帰依至心の人が不在では、仏教として存立せんですか。今ここにまさにこうあります、たとい一人もこれを伝えうれば、仏法僧です。大安心至心帰依して下さい、他に生きる道はなく、人のありよう帰依仏法僧。 問仏教徒という一定の、すこぶる曖昧な集団がある、どっちでもいいってしか思わないですが。 答いいえ仏として生まれて、たまたま迷い出しているだけです、なんとしても元へ戻す必要があります。泳ぎ出して騒々しい、淋しい諸悪の因を払拭すること、そうです、この世の意義とはまったく他にはないです。
転法輪
転法輪=一神教の信ずれば救われる、地獄へ落ちるなどの線型ではないんです、思想の延長上にはない、それ故の法輪です。転ずるとは改心ではない、コペルニクス的転回ではないところを見て下さい。あらゆる仏教論には拠らない、学者知識をもっては転法輪なし、他なしにこうあるんです。 問それじゃ仏教とは何ですか。 答あなた自身のことですよ、あなた自身を忘れることです。すると仏教の他はなし。仏。
雪月花
雪月花=月は月花はむかしの花ながら見るもののものになりにけるかな。これは至道無難禅師がお悟りになったときの歌です。酒を飲み風雅に親しむとは無関係を知って下さい。いったん自己を去って始めての雪月花です、清らかと一般にいうそれは汚れと嘘です。 問自然を清らかに見るとはかつて詩人哲学者の目的であったですが。 答そういう利己主張の彼岸です、死んで死んで死にきって思いのままにするわ ざぞよき。至道無難、ただ憎愛無ければ洞然として明白なり。生まれる以前のあなたに帰って下さい、他になんの方法もないです。
心月輪
心月輪=良寛さんの書にあります、はい良寛さんそのものです、月を見て大事な客を忘れ呆け、心イコール月イコール転法輪ですか。これなんぞ、生きとし生けるものかくの如し。空の雲も山水もです、そうなって始めて是。架空の論議ではないんです、はいそれを知って下さい。 問心に月を思い描くことですか。 答いいえそのまったく反対です、無心とは心がないんです、はたして月輪ありやなしや。
大安心
仏教の言葉では安心を「あんじん」とよむ。これは安心決定(けつじょう)といって佛法によって心が安らぎを得ることを指し、自己の本性に安住して心身が安定不動なることをいう。そこに「大」が冠せられた究極の大いなる安らぎの境地である。 古来、多くの禅の祖師方が至ったその境地であるが、不安の時代を生きる私たちがそこに至ることは果たして可能なのだろうか? 老人から子供まで誰もが大なり小なり心に不安を抱えている現代社会にあって、その不安を解消するための手段や方法をとかく私たちは外に求めてしまいがちである。金銭を浪費し、遠き場所に安らぎを求めて右往左往する現代人が少なくない。 私たちはもっと足元を見つめるべきだろう。大安心への道の出発点は「自分のこころ」にこそあることを忘れてはならない。 
 

 

柳緑花紅
柳緑花紅=至りえ帰り来たって別事なし、柳は緑花は紅。もと目の当たりするものが変わるわけはないんです。このごろ見るもの聞くもの清らかというかなんともたとえようになく、とわが言をみなまで云わせず老師、それはまだ清らかに見ようという心が残ると。ついにぶち破って臘八、大屋根に降りつもった雪が暖気に溶けて流れる、うわあと叫び上げた、清らかともなんともたとえようになく、云うことは同じ雲泥の相違、ものを絶するんです、雪になって流れ落ちる。 問、雪舟の水墨画は至りえ帰り来たった柳緑花紅といいますが。 答、はいそのとおり、どうか絵としてではなく心行く味わってみて下さい。
道得八成
道得八成=八成を道い得たり、十成にはまだ届かないというんですが、十成にはどう云ったらいいんですか、仏あれば十成なしとは、仏は仏を知らずです、それじゃなんにもならないじゃないかと云われて、おうと応ずるに天地同根。 問、十牛の図のなんにもない、入てん垂手というその十番目ですか。 答、世間の人は次第成り上がってそうなる、双六の上がりみたいに思うんでしょう、そうじゃない持ち物を手放すんです、命をね。
破家散宅
破家散宅=自分という架空の城がなければやって来れなかったという思い込み、それをぶち破って本来本当を知る、坐中にごーんと鐘が鳴ったら、どかっとこうなったっきり動こうにも動けない、そこをもって師家に挙せば、大見性だという、却って兄弟子雪溪老師に問えば、あなたはそういうことを云っているから駄目なんですよといった。 問、そりゃどういうこってす。 答、大見性だという、どんなもんだいという破家散宅がまだ終わってないんですか。
卒啄同時
 卒啄同時=そったくどうじ、そつは口に卒です、雛が殻の内からつっつく、啄は親が殻の外からつっつく、同時に行なわれて解脱、大悟徹底する、自分という殻を破って外へ出る、色即是空、空即是色ですよ、さあ生まれ出て下さい。 問、盤桂禅師は花の綻ぶのを見て悟ったといわれますが。 答、雲門禅師は門扉に足をへし折って悟ったといいます、たった一回切りと思って下さい、人まねじゃどうもならんです。
不昧因果 不落因果
不昧因果=ふまいいんが、因果歴然として私なし、これを知る悟るに同じ。
不落因果=ふらくいんが、因果に落ちずという、オーム真理教などの邪教、新興 宗教も古くからの宗教も、たいていどうもこっちの方です、信ずれば救われるというそれ。 問、不昧不味何変わらずやという、どうなんでしょうか。 答、五百生野狐身に落つること如何、さあどうなんですか、とらわれのものとして一生を過ごす、どうもあんまりはか行かんですか、理想結果を云わない、我と我が身心に応じて下さい。
仏向上事
仏向上事=悟りを得て後のこと、悟り終わって悟りなしという、ようやく修行の緒についたんです、昨日の自分は今日の自分にあらず、捨てて捨てて捨て切って行く、どこまで行ってもですか、もっとももと不変です、自分というものなしにものみな。 問、自分というものなしにものみなと、既に終わっているのになぜですか。 答、ようもわかりません、日々に新たとは、即ち至らずということですか、はい。
撥草瞻風
 撥草瞻風=はっそうせんぷう、草をはらい風を見る、修行行脚です、師を訪ね当てて問い、習い省みて行く、正師に出会えれば殆ど終わるんです、はいあとはもうまっしぐら。 問、草というのは煩悩妄想を云い、風は家風を云うとありますが。 答、煩悩妄想という、念起念滅ぽっと出ぽっと消えるそのまんまです、いらんきゃ免れりゃいいんです、もと自分のものじゃないんです、家風というそんなものないです、大唐国裏に禅無しとは云わず、且つ師家無しとは黄檗禅師の語。
打成一片
打成一片=対立する二片を打破して無に帰する、これ坐ってやり遂げる以外ないといったらいいんですか、仏を習う、仏っきりになる、するとそれを標準にいいかわるいかやるんでしょう、いいかわるいかやっている自分が失せる、自ずからに現成するんです、坐忘。 問、大統一理論というのは現実性というか、可能性があるんですか。 答、そりゃないと思いますよ、数学という自然数の発見以来をもって、天地宇宙と観察者とに分かれる、結果不毛です。個人ならば爆発的不毛、発狂するよりないところです、科学が十二歳と云われる所以です。
不離叢林
不離叢林=帰依僧和合尊がくさむらのように集まる、羅漢さんの集団、祇園精舎です。一生不離叢林がわれらの願い、というよりあり方です、人間です、一人きりひとりよがりの、文人墨客等ではないんです。ましてや不善をなすふしだらじゃないんです。 問、神のしもべとしてたった一人の生活も、ふしだらわがままではないというのと同じ様ですか。 答、まったく違います、標準はもとこのわが身心=ものみなです、和という他にはないんです、神あればわけへだてです。 問、良寛さんは対大古法という叢林規矩を子供らにとったというんですが。 答、絶対の信を置くんですよ。一箇の子供も神の永遠絶対より複雑怪奇というか無鉄砲というか、そりゃ面白いんです、ましてや五百羅漢、一千羅漢何が人間、何が幸せ、よくよくお考え下さい。
塵塵三昧
塵塵三昧=ものみなすべて王三昧です、時と処の位ということあって、何がいい何が悪い、人間の是非によらないものみな、その中にあって活発三昧です。他の一神教のへりくだってみたり、平和だ戦争だの邪教だの云わない。淋しくないんですよ、生まれたまんまに似て。 問、キリスト教は邪教ですか。 答、はいそうです。 問、でもあんなに信者が多く二千年も続いていますが。 答、歴史の証明するところをよく見て下さい。古代エジプトの宗教も中南米の宗教も、さあどうなんですか。饕餮がやって来るなど。
真化無跡
真化無跡=竹影階を払って階に跡無しという、真化の様子、ちらとも何かあるとこうは行かない、押しつけになり騒々しいんです。淋しい淋しいを重ねて騒々しい、わかりますかこれ、淋しいをとことん淋しくして下さい、淋しいという人いなくなりますよ。 問、それじゃなんの影響もないんですか。 答、花のように空の雲のようになんの影響もないんです、しかもそれなくば人間の生活もないんでしょう。いいですか、他になにがあるんです。
漆桶不会
漆桶不会=しっつうふえ、漆桶のまっくろけ、まるっきりわけのわからんことを云う、少し訳の分かるのを妄想、まるっきり分からないとぼかっと開けます。どうですか。 問、漆桶底を打破する、妄想まっくろけの糞袋=人間を卒業して下さいという、これが坐禅ですか。 答、面白いことに打破し去ると、はてそういうものがどこにあったかという、もとないものに苦しんでいた、変だなあというんです、けだし人間はあるものには苦しまない、ないものにおびえ、ひっかき回されるんです。
坐久成労
坐久成労=久しく坐ってくたびれた、おまえさんのせっかくの問いに答えられないよという、最大親切を以て答えているんです、如何なるかこれ仏、坐久成労。どうだというんですか、言語道断かくの如し、ないものに出会えばさあてどうなる。 問、禅問答のちんぷんかんぷん、人はどっち向かっていいかわからないやつ。 答、おっとそいつをもう一歩、問処即ち答処、何を問うのか、0Xの答案が欲しいのか、それとも自分が欲しいのか、仏とは何か、いつだって問いも答えもまっぱじめ、あるいは終わったあとなんです。そうではないですか。どうですか。
枯木花開
枯木花開=いったん妄想という自我という甘え根性色っけを去るんです、横滑りは不可能です、どうしてもそれがないと、人間の如来は人間に同ぜるが如しと、花開くことができないんです、只管打坐はいまことにこれ、和という花に咲くんですか。 問、枯れ木に花が咲くという世間で云われていることと違うんですね。 答、そうですねえ、若い元気なやつと、本当に坐り得たじいさんと比べてごらんなさい、たいていじいさんの方が気力横溢、瑞々しいんですか。
黄河点魚
黄河点魚=額を岩に打ち付けて龍門を登ることのできなかった鯉のこと、即ち落第坊主。修行を積み重ねて次第にということはないんです、思い切ってぶち抜くというもまた不出来です、一転語という、たしかに一転するんですが、落第坊主をもう一つ二つ、落第の底を抜いて下さい。自分を勘定に入れない工夫です、だれにでも出来ます。 問、登竜門というのはここから来たんですか、するとやっぱり並みの人には無理という。 答、まったく無理と知って一歩を進める、急転直下死ぬよりない、そうです、死ぬことだけは平等、だれにだって出来ます。
現成公案
現成公案=ものみな現成公案です、たった一つきり現成すれば、それでいいんです、どうよいかという、自ずから知るには=知らないですか、無自覚の自覚です、ものみなと同じにこうある、有る無しによらぬ自在神通です。記述の必要がない、そうです他にはないんですよ。 問、丙丁童子来求火という、これなにか意味があるんですか。 答、意味がないと困るんですか。そうですねえ、老師現成公案の提唱に、「へいていどうじらいぐか。」と、生臭坊主ども、単から一尺飛び上がったの覚えています。無意味じゃそりゃなんにもならんです。情けないこってす。
行事綿密
行事綿密=油断をするなきちんと行なえという、そんなことはできない相談です、いいですか、宗門行事綿密は習うによる、不都合です、うるさったいだけです、そうではない自分を顧みないんです、顧みる自分がない、故に綿密であり、威儀即仏法です。色即是空空っぽなんです。計測するものもされるものもないんですよ。 問、踊りの名人には隙がないといいますが、鍛えて末の到達地点ですか。 答、いえまったくそんなことないです、赤ん坊に隙がないの知ってますか、踊りなら踊っている我を顧みない、たとい顧みたってまるっきりただ、そうですねえ、呼吸と同じってこっとですか。踊りや野球でも技術が要ります、坐禅も自分も技術不要です。即入ですよ。
錦上舗花
錦上舗花=きんじょうにはなをしく、錦の上に花、余計ごとをという、はい余計ごとやって下さい、すべてが失せて如来として現前する、ことのありようこれが真相200%。雪上に霜を置くなど。 問、如来来たる如しと云いますが、だれだって来たる如しの他はないですが。 答、では自覚して下さい、如来であるというこれ、余計ことのない無自覚の自覚、ゆえに200%。
勘破了也
勘破了也=見破ったかという、もと一目瞭然なんです、悟っているかいないかという、ちらとも自分という架空が残ったか、そうでないか、誤魔化したってなんにもならんです。ないものには勝てない理屈、宝鏡三味です、形影のあい見るが如く。 ウィトゲンシュタインのように、なんにもしなくっていいという、そうではまったくないんです。 問、読心術みたいに相手の考えていることがわかるんですか。 答、考えの内容じゃないです、そう聞くあなたの心のありようが、まるっきりさらけ出されるんです。かくしたって同じ、自然の中のものみなですよ。
照顧脚下
照顧脚下=キムジョンイルはどうしようもないやつだ、中国人はお話にならないという、たしかにその通り、はたして自分はどうか、同じことをやっていないか、脚下を照顧して下さい。これ仏教事始め。履き物を揃えるしかしないそこらへん坊主やってないんです。 問、自分の車はきれいにしてごみポイ捨て、右日本人代表というの。 答、そうです、そんなふうに坐っていたら百年河清を待つ、いくらたっても悟れんです。よくそんな人います。まずは顧みて下さい。

禅寺の玄関には「照顧却下」と書いた札が掲げてあることが多い。とかくこの言葉を「玄関で靴を脱いだり履いたりする時にはあなたの足元に気をつけなさい」という一見ありきたりな注意ととらえてしまいがちだ。しかし日々の歩行どころか人生の歩みさえおぼつかないのが私たちの現実ではないだろうか。この人生で自己をしっかりと確立するために、まず私たちは玄関での靴の脱ぎ方から心して行動しなければならない。
空手還郷
空手還郷=空手にして故郷に帰る、眼横鼻直にして他に瞞ぜられずとは、入宋沙門道元禅師の帰朝第一声です。どうですか、空手で故郷に帰ること、いっそ人みなの理想ではないんですか、故郷に錦も山と積んだ経巻も、なんという無惨やるせない、人間とはかつてそうあったんですか。思い切って捨てる、出家とはこれ。即ちなんにもないんですが、自由と無限の喜びが手に入ります。 問、悟りとはなんですか。 答、悟り終わって悟りなし、無一物中無尽蔵、花あり月あり楼台ありですよ。自分という架空のフィルターがないんです。これを真相といいます。見ている自分がないゆえに、夢想ともいいます。
眼横鼻直
眼横鼻直=目は横鼻はたて、眼横鼻直にして他に瞞ぜられずと続きます、人間の求めるもの、求めて得られる結果がこれ以外にないことを知って下さい、ちらともあれば弊害です、それによって倒れます。 問、では仏教として学ぶべきことは何もないんですか。 答、はい、何もないことを知って下さい。この我と我が身心に就いて、もとこのようにある、他に学ぶことはない、もと備わる、終にこれを知るを学ぶというんですよ。
廓然無聖
廓然無聖=かくねんむしょう、梁の武帝達磨大師に問う、如何なるか是れ聖諦第一義、磨云く、廓然無聖。からりとしてなんにもないよ、個々別々、悟りというすばらしいもの、一神教のように光めくこの上ないもの、信ずるに足るという、なにかしらがないんです、見る通り聞く通りの他にない、そうです、これが仏教です。よくよくお考え下さい、宗教としてこれ以外にないんです、まさに他は邪教です、害悪はなはだしいんです。 問、朕に対する者は誰ぞ、磨云く、不識。と続きますが。 答、知らないというんです、花のように知らない、いえ鳥も雲も山川草木みな知らないと答えます、人間だけが知っている、醜いんですよ、知っている分がみな嘘です、さあ宗教とは何か、解脱という、よくよくお考え下さい。

禅宗の初祖菩提達磨大師の言葉で、悟りの境地を一言で表わした語として知られる。「廓然(かくねん)」とは台風一過の青い空のように晴れやかでさわやかな境地であるそこには汚れた迷いや煩悩はひとかけらも無い、そればかりか尊い悟りさえない。そこはあらゆる言葉を絶した絶対的無一物の世界だ。山川草木・花鳥風月は皆 今もその世界で生き生きといのちを輝かせている。
忙中有閑
この語の出典は、陽明学者、東洋思想家の安岡正篤の「六中観」である。
「死中有活(死中に活あり)」死を背にした中に活路を見出す
「苦中有楽(苦中に楽あり)」苦難迷妄の只中に楽を発見する
「忙中有閑(忙中に閑あり)」忙しい中に心の余裕を見つける
「壷中有天(壺中に天あり)」厳しい現実の中に別天地を見出す
「意中有人(意中に人あり)」心から尊敬できる人生の師を持つ
「腹中有書(腹中に書あり)」自己中に確固たる哲学信念を持つ
多忙な日々の中で、心を緩めるほっと一息が「忙中の閑」ではない。どんなに多忙な現実、煩雑な状況にあっても心の中に揺るぎない「閑けさ」が保たれていることが真実の「忙中有閑」といえる。自分の中の「閑けさ」を発見し、咀嚼し、鍛錬し、腹のすわった人になれ、と禅は説く。多忙な現代人にこそ求められる妙境涯である。 
萬法帰一
「天地と我と同根、万物と我と一体」という禅語がある。この世の森羅万象は究極において「一」に帰るのだ。「一」とは限りなく豊かな世界、そこはすべての境界線を取り除いた妙境涯だ。あなたが今まで蓄積してきた知識、執着は「一」を見えなくしてしまうかもしれない。しかしひとたびそれらをさっぱりと捨て去れば「一」を実感できることだろう。しかもあなたが「一」を会得しても、あなたは禅の師匠から「一」にとどまってはいけない、と強く戒められる。さあ、あなたはその後どうする? 
清風匝地
この世界にはすがすがしい風が大地いっぱいどこにも止むことなく常に吹き続けている。この世に生きる人々が抱える苦しみ、悩み、迷い、悲しみなどすべてを一掃するように…。あなたもその風の中に心と身体をゆだねてみたらどうだろう?あなたが自己を深く探求するならばきっとあなたもその風を感じることが出来るだろう。 
金毛獅子
昔から禅宗では獅子の吼える姿を仏陀や禅の高僧の説法になぞらえる。獅子は百獣の王である。その獅子の中の獅子であり、獅子の王が「金毛の獅子」だ。あなたは金毛の獅子の説法を聞きたいか? だったら、まずあなた自身が禅を修行して、それを聞くことができるだけの器量をそなえることが不可欠だ。やがてあなたは、身近に「金毛の獅子」がいたことに気づくだろう。 
月白風清
仲秋の風景にふさわしい句です。 身も心も洗われるような爽快さをおぼえる方も多いでしょう。 これは、中国宋代第一の詩人とうたわれた文豪・蘇軾[そしょく](蘇東坡[そとうば])の代表作「後赤壁[ごせきへき]の賦[ふ]」の中の句です。 澄みきった天空に一輪の月がこうこうと輝き、すすきの穂の間から爽やかな風がゆるやかに吹きわたり、耳をすませば、あちらこちらから秋の虫たちの音色が静かに響き、人々は昼の労働の疲れも忘れて、思わず「ああ!秋だなあ」と思いを深くする。 この句の風趣[ふうしゅ]はとても描き切れませんが、文字面の一通りの意味はそんなところかと思います。 しかし、この句をそのように自然美を賞嘆した、ただの風景描写の句であると、とらえてしまっては、この句を本当に味わったことにはなりません。 禅では、ただぼんやりと月を見たり、風を感じるだけではなく、純真清明なる自分に立ち帰り、自分自信が輝く月、吹き抜ける風になりきってしまえと説きます。 その境地を人境一如[にんきょういちにょ]・自他不二[じたふに]と言いますが、修行を積まなければそのような心境になれないかというとそうではありません。 人間の心は、本来生まれながらにしてそのような働きをしていますが、ただ、それを自覚することに私達が疎くなっているだけです。 その証拠に、幼児は花や草木・小虫や小動物と自分との間に垣根を作ったりしません。 彼らの世界では「月が笑ったり」「自分が風になってしまう」ことがごく自然にあります。 「 幼子が次第次第に知智つきて仏に遠くなるぞ悲しき」と古歌にあるように、人間は誰もが純真清明な仏心を持って生まれてきました。 しかし、年を経るにしたがって、身につけた知識や経験が、とらわれや、こだわりとなって、心にそうした幾重もの汚れや歪みをつけてしまっているのです。 そうしたとらわれや、こだわりを捨て切った心で月や風を愛でてみてください。 月の光は心いっぱいを満たすように煌々と輝き、風はこの上もなく、優しく、爽やかに心を吹き抜けて行くはずです。 禅者がこの句を愛でてよく揮毫するのは、そうした人境一如・自他不二の境地を尊び、人間本来が持つ純真清明なる仏心を何よりも大切にしているからです。 ただ、天に輝く月と同様、私達の心の月(仏心)も欠けたり、雲がかかって見えなくなってしまうことが多いようです。 しかし、たとえ欠けようと、雲がかかろうと、もともとは完全無欠な真ん丸のお月様であることを忘れてはなりません。 「三昧無碍[さんまいむげ]の空ひろく 四智円明[もちえんみょう]の明さえん」 白隠[はくいん]禅師は坐禅和讃[ざぜんわさん]の中で、このように歌っていらっしゃいます。 月を愛でるのによいこの季節、清らかな風で心の曇りを払い、心の月の輝きに気付いて見たいものです。 
随処作主
この語は臨済宗の開祖、臨済義玄禅師の言葉として知られている。 臨済はいう。いつでもどこでもあなたが“主人公”になればその立っている場所が真実になると。しかしそれは簡単なことではない。私たちの内なる煩悩や苦悩は、私自身が人生という舞台の“主人公”であることに迷いを生じさせるからだ。軸がぶれなければ独楽はいつまでも回っている。私たちが生き生きと人生を生きる秘訣は自分自身の中の“主人公”をはっきりと自覚することである。
 

 

山水長口舌
山水長口舌花は花月はむかしの月ながら見るもののものになりにけるかな、ということあってものみな我でっす、ついに仏にあらざるはなし、これ実感なんです、菩提の心与麼に長ず。 問ずいぶん豊かな幸福なことかと思いますが。 答そうです、首くくる縄もなし年の暮れといってね。
本来無一物
本来無一物以無所得故にとあるように、もと自分の持ち物がない、自分の体も心も自分のものではない、いいですか自分なければものみなすべてなんです、それを得ようという、禅宗だの悟りと、獲得物質にする、気違いです、師家というごろつきです、振り回されんように。 問無字をとおって無門関の十則まで行きましたが。 答それであなたはどうなんです。

禅の端的を見事に言い当てたこの語は、中国禅宗の第六祖となった慧能禅師の言葉です。 これは慧能が師の第五祖弘忍[ぐにん]禅師から法を継ぐ契機となった詩偈[しいげ]に由来しており、禅の古典「六祖壇経」には次のようにあります。 当時、 弘忍禅師のもとには七百人余りの弟子達が厳しい修行の日々を送っていました。 ある日、師は後継者を決定するため「悟りの境地を示した詩偈を作れ」と弟子達に命じます。 学徳に 優れ、信望厚く、彼こそが六祖にふさわしいと皆が目していた神秀上座[じんしゅうじょうざ]は次のような詩偈を作りました。 「身はこれ菩提樹、心は明鏡台の如し、時々に勤めて払拭して、塵埃をして惹かしむること莫れ」 この詩偈を見聞きした誰もが賞賛し「六祖は決定した」と噂しあいました。 しかし、ただ一人それに背く者がいました。寺男として米つき部屋で黙々と働いていた慧能[えのう]です。 慧能は「よくできているが完全ではない。私はこう思う。」と言い、無学文盲で字が書けないため、近くの童子の筆の助けを借りて示したのが次の詩偈です。 「菩提、本[も]と樹無し、明鏡も亦、台に非づ本来無一物 何れの処にか塵埃を惹[ひ]かん」 神秀は身を菩提(悟り)を宿す樹、心を一転の曇りなき鏡にたとえて煩悩の塵や埃を常に払い清めるが如く修行に専念するのが禅の道であると説きました。 しかし、慧能はそうした悟りや煩悩の概念にとらわれた世界をバッサリと否定し、「悟り」「煩悩」ばかりか「一物[いちもつ]も無い」と言う考え方さえない、一切のとらわれを否定し尽した世界こそ禅であると説いたのです。 そして、その「無一物中無尽蔵」の豊かで深みのある禅の世界は、知識や学問があろうと無かろうと万人の下に平等に在ることを慧能は自ら示してみせたのです。 物質文明の生活に浸りきって、知識・分別にとらわれた生き方をしている私たちも「無一物」の世界はすぐ身近に存在します。 全身全霊を打ち込んだ徹底集中、慧能の米つき仕事のように一つの物事に自分の全生命をかけてやり遂げようという心こそは、その世界の扉を開ける尊い力です。 ただ「無一物」の世界があるとかないとか頭で考えるのは愚かな事です。人が何かにひたすら打ち込む姿がそのまま「無一物」そのものなのです。 自分の中にあるそうした力を信じ、とらわれない心で豊かに生きていきたいものです。
平常心是道
平常心是道=平常心とは何かを先ず知って下さい、従前の右往左往を云っているんじゃないんです、どこどう転んだろうが平常心以外になく、これを無心、心がないというんです。 問では何をどうすれば平常心になるんですか。 答まったくの手つかず、ただです。

唐代の禅の高僧、南泉と趙州の禅問答から有名になった言葉である。 禅で言う「平常心」とは、普段の心持ちなどという生ぬるい表現では決して表せない世界だ。私たちは、起床してから就寝するまで、喜び、悲しみ、怒り、希望などの中であたりまえの日常をなにげなくすごしているが「悟り」の豊かなる世界は間違いなくそういった人間的な喜怒哀楽や人間のなりわいの中にこそあるのだ。「悟り」とは私たちの日常茶飯から離れた遠くにあるのではないことをこの禅語は説いている。
万里一条鉄
万里一条鉄=せっかくの修行やり始めたらまっしぐら、途中止めたらおしまいは、無字の公案隻手妙音ですが、もとはじめっからまっただ中と知る。そうですよ何回しくじったろうが、もとっこ元の木阿弥。いいですか通身あきらめて下さい、無門関ですよ、まっ平ら。 問心機丹田に無の字を置いて見つめ見つめして行く、ついにぶち抜いて、はいそればっかり。 答そればっかりなに不足ないんですよ、どうも中途半端は、中途半端にする自分があるんです、それはいったいなぜか。
白馬入蘆花
白馬入蘆花=真っ白な花の中に白馬、日々これ好日ですか、毎日が葛藤であり、昨日の自分は今日の自分にあらず、死来たれば死にとうもないというこれ、わかりますか俗人の仏という、絵に描いた餅ではないんです、言語を絶するんですよ。 問まっしろい花に入るまっしろい馬、そりゃなんだか極楽境のような。 答そのように自分を観察すると、そいつはまっしろい花に黒い馬ですか、いや灰色の花だったり。
独坐大雄峰
独坐大雄峰=百丈因に僧問う、如何なるか是れ奇特の事。丈云く、独坐大雄峰。どうですかこれ、なにかいいことがあるか、仏教という仏という、あるいは大悟徹底という、別になんにもありゃせんのです、独坐大雄峰。さあどうかこれを得て下さい、畢生の大事終わんぬ。 問無所得の故にという、これを云いうる人多少。 答一人半分いなけりゃ世の中真っ暗闇。
東山水上行
東山水上行=これも趙州因に僧問ふ、如何なるか是れ祖師西来意。州云く、庭前の柏樹子。達磨さんが西インドからやって来たのはなぜか、仏教を伝えるためにと答えて、それがどういうことか思い当たりますか、納得出来ますか、さあどうです。 問一休頓知問答のようなと、こんな答えでほんとうに仏の教え、ないしは自分自身のことがわかるんですか。 答頓知頓に無生を知るといいます、生まれたまんまの赤ん坊が柏樹を見る、どうですか、仏という言葉もなく、これ仏。
庭前柏樹子
庭前柏樹子=これも趙州因に僧問ふ、如何なるか是れ祖師西来意。州云く、庭前の柏樹子。達磨さんが西インドからやって来たのはなぜか、仏教を伝えるためにと答えて、それがどういうことか思い当たりますか、納得出来ますか、さあどうです。 問一休頓知問答のようなと、こんな答えでほんとうに仏の教え、ないしは自分自身のことがわかるんですか。 答頓知頓に無生を知るといいます、生まれたまんまの赤ん坊が柏樹を見る、どうですか、仏という言葉もなく、これ仏。
大道通長安
大道通長安=趙州因に僧問ふ、如何なるか是れ道。州云く、道は籬の外に在り。僧云く、我が問ふうは大道なり。州云く、大道長安に通ずと。形而上学のないのが仏教です、かきねの外にはアスファルトの道、道はロ−マに通ずるがごとき大道通長安です。たとえばなしにしたら役立たず。 問垣根の外にありとは、自分というありもしない垣根を取り外す、これ仏道という。 答はい、では取り外して下さい。

中国唐代の末期に活躍された趙州従しん禅師の言葉です。 計り知れない威徳を備えた禅師は百二十歳の天寿を全うされ、生涯を禅の道一筋に生きたといわれます。 その禅風は「趙州の口唇皮[くしんぴ]禅」と評されるように、日常生活における言葉を自由自在に操って,仏法を説き示すものでした。 普段なにげなく使うありきたりの言葉に,とてつもなく深いはたらきが秘められており、修行者たちは体得に血の汗をしぼったのです。 この「大道透長安」についてもそうです。 禅師の語録には次のような話が載っています。 ある僧が趙州禅師に「如何[いか]なるか是[これ]道[どう]」(道とはいかなるものですか)と問うたところ、禅師はすかさず「墻下底[しょうげてい]」(道なら垣根の外にある)と答えました。 僧が「恁麼[いんも]の道を問わず、如何なるか是大道」(私はそんな垣根の外にあるような小道でははく、天下の大道を尋ねているのです)と問いなおすと、禅師は「大道透長安」とずばりと言い切ったのです。 ここで禅師がいっている長安とは、とりもなおさず悟りの世界・大安心[だいあんじん]の境地のことです。 その僧と同様私達は、そういった世界が自分とははるかにかけ離れたところにあると思いがちです。 またそこへたどり着くには、難しい書物を読んだり特別は修行や日常生活とは縁遠い清らかな生活に入らねばならないのではないかという思いこみがあります。 そういったあやまった思いこみをきれいさっぱり打ち砕かんと、趙州禅師は親切かつ,ずばりと「大道透長安」と説破されたのです。 剣豪・宮本武蔵がちょうどこのことと同じようなことを云っています。「剣の道を学ぶということは必ずしも道場の中で木刀を振り回すときだけではない。 飯を食っているときも、歩いているときも、寝ているときも、いつでも剣の道を学ぶ入口がある」と。 自分がいつもなにげなく歩いている道、毎日ご飯を食べたり、お茶を飲んだりしている、ごくありふれた世界のいたるところに悟りの世界・大安心の境地への道が開けているのです。 そしてこの世の人一人ひとりにその道は常に開けています。 それぞれに歩む人生は違っても "いま・ここ" 自分の目の前にこそ、その世界への入り口があるのだと知るべきです。
枯木裏龍吟
枯木裏龍吟=枯れ木に風のうそぶくさま、どうでもいったんは死ぬんですか、大死一番、世間妄想、声色の奴卑と馳走すという、これを去る、枯れ木に花が咲くんです。 問ありのまんまが仏の世界ではないんですか。 答世間のいうありのまんまをいったん抛たねば、本来仏のありのまんまは手に入らないです。
銀椀裡盛雪
銀椀裡盛雪=銀椀に雪を盛り、明月に月を蔵すという、仏教のありようこれ、目は横鼻は縦にして他に瞞ぜられずというんでしょう、神さまを用いたり、何をどうせよってことないんです、しかも混ずる時んば処を知る、これが出来なければ、仏とは云はれんです。 問それで人天の導師という、人を導くことが出来るんですか。 答はい殺し文句ではなく、間髪を入れずです。
石圧笋斜出
石圧笋斜出=石圧さえてたけのこはすに出づ、いいことをする、説教反省文という、みなまたこれです。どっかへ化けて出る、さあどうしたらいいですか、坐禅見性の道。 問どうしたらいいかという、世間にはその答えはない。 答はいそうです。
四弘誓願文
四弘誓願文=衆生無辺誓願度、煩悩無尽誓願断、法門無量誓願学、仏道無上誓願成という、如来として山花草木みなあり人間も人間の如来に同ぜるが如しと、ではなにを誓いなにを願うんですか、衆生あり煩悩あり法門ある仏道ある時節、あるいは衆生なく煩悩なく法門なく仏道なき時節、どうですか、人みなよくよくお考え下さい、つまらん三百代言にならんことですよ。 問誓いを守ることこそ人間の生き甲斐という、いえ人間の尊厳といいますが。 答では実行して下さい。 問それがそのう。 答そうして自分に真正直であって下さい。
念彼観音力
念彼観音力=仮使興害意、推落大火坑、念彼観音力、火抗変成池=たとい害意をおこして大火劫におし落とされんにも彼の観音の力を念ずれば火坑変じて池とならん。或漂流巨海、龍魚諸鬼難、念彼観音力、波浪不能没=あるいは巨海を漂い流れて龍魚諸の鬼難あらんにも彼の観音の力を念ずれば波浪も没するあたわず。このように続く観音経偈です、どうですか、実にあっても坐禅中にも、このようにする、観音の力たといオ−ルマイティを知るのは自分です、自分を忘れ去るときに現ずる、手放しを仏=なんにもない=すべて=オ−ルマイティを知る。 問いいかげんなお経っていうかなんでも観音力、いざとなったら神さまですか。 答そういう思いのちょうど反対、念ずれば救われる、だからじゃないんです、だから抜き、さあどういうことですか。
度一切苦厄
度一切苦厄=照見五蘊皆空即ちすべては思い込みであったと知って、度一切苦厄。ほどけば仏、自縄自縛の縄を自分と思い込む、頼まれもしないのに、ものみなを一人相撲、さあこれを知って下さい、知ったらほどけます。平らかに、喜びに満ちあふれてものみな。 問般若心経というのはなにが書いてあるんですか。 答般若波羅蜜多パーラミーター彼岸に渡る心のお経です、自分という架空請求を免れる方法は、根本的な救いです。無心、心がないという、ないものは傷つかない、悩む必要がない、まっさら色即是空、これを知ればいいんです、無上であり真実不虚。
観自在菩薩
観自在菩薩=なんのとらわれもなく見てごらん、赤ん坊のようにまっさらに、というのです、人みな菩薩、自分を無にして他が為にというをもって成立つ、これを知るんです。智慧般若とは無心です。彼岸にわたる、自分という架空なしにです。 問無差別殺人の琢磨なにがしも菩薩ですか。 答そうです、せっかく菩薩に生まれながら、自分という架空設定=からに閉じ込もって、なんとしてもぶち破ろうとする、罪と罰のラスコ−ルニコフ以来同じ、(ぶち破ったら)人であり菩薩の故に死刑以外になく。
日々是好日
この語は中国の唐未から五代にかけて活躍された大禅匠、雲門文偃[うんもんぶんえん]禅師の言葉です。 たぐい希な、鋭い機峰と、すぐれた禅的力量の持ち主であった禅師は、簡潔な語句を駆使して、自由闊達に禅を説きました。 日々是好日は雲門禅師の悟りの境地を表した、最高の言葉であります。 毎日いい日が続いてけっこうなことだ、などといった浅い意味ではありません。 一般に私達が、今日はよい日だ悪い日だという場合、天気だけでなく、お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことがあったなど、そんなものさしで判断します。 しかし、これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方です。 それではたとえ、ある日幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければなりません。 日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地です。たとえば、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日[こうにち]なのです。 好日の好は好悪[こうお]の好ではありません。「嵐か、よし、嵐なにするものぞ!」、「失ってしまったか、よし、どうにかこれを改善しよう!」と、積極的に生きる決意 "よし" がこの "好" なのです。 禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、まだ来ぬ明日に期待したりしません。 目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。 その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。
松寿千年翠
この語は松の木の緑色が千年の長い歳月を経ても風雪に耐えぬいて、少しもその色を変えないという意であり、祝語として床の間の掛軸にもよく使われる禅語です。 「松樹千年翠」と書くのが普通ですが、めでたい席の為にこのように「寿」のあて字をする時もあります。 古来より松はめでたい木とされてきました。 松竹梅を「歳寒の三友」と称したり、中国の古書「礼記」や司馬遷の「史記」などでは松を「千歳の松」として天地の長久なるにたとえています。 禅門においては松に仏を見て、その不断の説法を心で聞けと説きます。 「雪圧[お]せども摧[くだ]け難[がた]し澗底[かんてい]の松。」 どれほどの積雪があろうと押しつぶされることなく、雄々しく谷底にそびえる松は、大自然の中での「生」の有様を黙然として厳かに説いています。 松が風雪に耐え千歳の翠を保つが如く、私達もあふれる活力と正しい信念をもって人生を生きぬきたいものです。 とはいっても、松の緑は春には新しい芽をふき、古い葉は枯れ散っています。 つねに移り変わりながら、新旧を超えて千古変わらぬ生命が在ることを知らなければなりません。 まったく変わらないのならば造花といっしょです。 日々新たなものがあってこそ、常に変わらざる姿を保つことができます。 常に変化しながら、しかも変化しない。 動きながら、しかも動かない。 そこに不滅の生命を見ていくことが大切なのです。 
無事是貴人
この語は臨済宗祖・臨済義玄禅師の言葉で、禅者の書などによく見かける禅語です。 私達は、平素よく「無事」という言葉を使います。 変わりがないこと,健康であること、平穏であることの感謝や願望を表す挨拶語として使われます。 しかし、禅語としての「無事」にはもっと別の深い意味があります。 臨済禅師が説くところの「無事」とは馳求心[ちぐしん](外に向かって求める心)をすっかり捨て切ったさわやかな境涯です。 求める心を捨てるといっても、無気力無関心であれ、惰性で生きろということではありません。 また財産や名誉をあくせく求めるなという表面的な戒めとも違います。 「無事」とはいわば、求めなくてもよいことに気づいた安らぎの境地といえます。 臨済禅師は "悟り" "ほとけ" "救い" "しあわせ" などといったものを頭に描いて、それを自分の外に追い求める愚かしさを厳しく戒められました。 それらは求めて得られるどころか、求めれば求めるほど遠くへ 逃げていってしまうものなのです。 求める心を捨てて、ああしたいこうなりたいといった欲を捨てて限りなく純真無垢な自分と出会う時、無限にして偉大なるものに生かされている自分に気づくことができるでしょう。 求めずとも既にそれに抱かれ、生き生きと輝いている自分を発見できるでしょう。 「無事是貴人」とは、そういった安らぎの境地を心の底から実感した人こそ、老若男女・貧富地位の別を超えて本当に貴い尊ぶべき人であるということなのです。 
八面起清風
さわやかな涼風が四方八方から吹き抜けるような夏向きの禅語です。 この禅語は「五燈会元続略[ごとうえげんぞくりゃく]」という禅の語録集に収められている「両頭共坐断、八面起清風」の下の句で、大いなる大安心[だいあんじん]を得た禅者の自由な境涯をあらわしている句です。 両頭とは、たとえば生と死、善と悪、得と失、愛と憎、勝と負、苦と楽といったように両極に分けられる全てのものを言います。 これらにこだわり、とらわれてその両頭の狭間で一喜一憂し、右往左往しているのが、わたくしたち凡夫[ぼんぷ]の現実の姿です。 全ての悩み・苦しみはこの両頭の狭間から生ずるといってもいいでしょう。 坐断とは文字通り坐禅によって両頭から生ずる迷い・苦しみを断ち切ることです。 達磨大師を始めとした偉大なる祖師方は、ひたすら坐禅に打ち込むことによって、全ての人間がもつ、この両頭の迷妄を断ち切り、心安らかなる大安心の境地に入られたのです。 八面というのは八方と同じ意味ですが、特定の方向を指しているのではなく、いたる処、あらゆる方向からということです。 またここで云う清風とはわたくしたちが一般に考える風ではありません。いわば心に吹く風です。 一切のこだわり、全てのとらわれから抜け出した、禅者の立ち振る舞いや言葉づかいは、どんな時でも、どんな場所でもさわやかな風を呼び起こすが如くにすがすがしいものであったのです。 そして、どんな環境であろうと、どんな逆境にあろうとも縦横無礙・大自在の境地に生きて、まわりの人の心にも新鮮な印象を残したことでしょう。 そのように洒々落々として融通無礙な生涯を過ごされた名僧は、禅宗史上に数多く輩出されてきました。 良寛和尚や一休禅師などはその最も近しい例でしょう。 しかし忘れてはならないのは、その禅的境涯の円熟味です。 お二人とも若い頃から禅僧として人並み以上の禅の修行を積まれ、深く長い坐禅修行の末に、素晴らしい禅の悟りを得られました。 ここでいう両頭の迷いを見事に断ち切られたのです。 たくさんの人間味あふれる奇抜な行動も、すべてそうした素晴らしい禅の境涯に裏打ちされていることを忘れてはいけません。 この禅語はそうした禅的境涯の鮮烈なるすがすがしさをあらわした語と云えます。
一華開五葉
禅宗の初祖菩提達磨大師が慧可に伝えた伝法偈の中の一句と伝えられており「結果自然成」と対句を成している。「吾れ本と茲の土に来たり、法を伝えて迷情を救う。一華五葉を開き、結果自然に成る」。深遠な佛法の真髄が込められた妙句であるが、一般には「開く」「成る」という言葉の連想から開運吉祥の語として古来多くの禅僧・禅者が書にしたためてきた。 一つの花がある。その花が五つの花びらを開いた、という意であるがこの花はあなたが生まれたときからあなた自身の深いところに咲いている花だ。もしあなたが「五つの花びら」の意味を知りたいのなら、道はたった一つ。禅を実践し、あなた自身が心の中を深く…深く…訪ねて、自分の力でもってその意味を体得するしかない。その行はあなたの心に美しさを与え、そしてあなたの人生を限りなく豊かにするに違いない。
結果自然成
禅宗の初祖菩提達磨大師が慧可に伝えた伝法偈の中の一句と伝えられており「一華開五葉」と対句を成している。「吾れ本と茲の土に来たり、法を伝えて迷情を救う。一華五葉を開き、結果自然に成る」。深遠な佛法の真髄が込められた妙句であるが、一般には「開く」「成る」という言葉の連想から開運吉祥の語として古来愛唱されてきた。 人は誰もが成功や勝利を求めて生きている。そして少しでもより良い「結果」が得られるよう願い、祈る。しかし「結果」のみを重要視したり、時節因縁をわきまえず性急に求めたり、あからさまに「結果」に自分の利益のみを優先させる、そういった態度は見ていて悲しいものだ。 正しい目的に向かって日々たゆまぬ努力を続ける人には、必ずそれ相応の結果が現れる。その結実はまるで季節が巡れば自然に果実が熟するように人間の思惑や計らいを離れている。
山色清浄身
この禅語の原典は宋の詩人である蘇東坡の詩の一節である。雄大な山の景色はそのまま仏陀のすばらしい尊敬すべき姿なのだ。山だけではない、谷の川の水の流れも、若芽を出した木々の青葉も………。 大自然のすべては私たちにかぎりなく大切な教えを説き続けている。私たちは感性を豊かに磨き、それらに真実の心眼をむけるべきだ。
一点梅花蘂
はるか昔から日本人は梅の花に特別な思い入れを持っている。梅花は春を告げる花であり、他の樹木や草木が芽吹く前の早春の時期にいち早く咲く。厳しい寒気や雪の中でけなげに咲く梅花に多くの日本人は共感を抱く。一輪の可憐な梅花が、それはなんともいえないよい香りを漂わせている。そこには決して言葉で表現できない小宇宙がある。
神光照天地
人は目に見えるものを信じたり頼ったりする傾向がある。しかし人間にとって真に大切なことがらは決して視覚でとられることは出来ない。古来、仏教ではこの世には眼に見えない「光」が満ちていると説く。その見えない「光」は空間や時間の隔たりを超越してこの世のすべてを照らしている。 自分自身の心を落ち着いてどこまでも深く見つめてみるがいい。きっとその「光」を感じることができるだろう。
直心是道場
あなたがもし禅の修行を始めようと思い立ったとき、「どの場所がいいか」「どこが自分にとって最適なのか」と場所の選択に悩むかも知れない。しかし、外界に眼を向けて場所の選択に心を悩ませる前に自己の内側に眼を向けるべきであろう。小さな子供から老人に至るまで誰もがまっすぐな心を持っている。多忙を極める会社員も、喧騒の中で商いする商人も、考え方次第で「その時」「その場所」が禅を学ぶためのかけがえの無い大切な空間になるはずだ。
萬物生光輝
この世のすべてのものは自ら光り輝いている。それは一夜のうちに醒めてしまうような錯覚の類ではない。しかも、「すべてのもの」とは自分にとってプラスなものや都合の良いものだけではない。自分にとってマイナスなもの都合の悪いものも含んでいる。あなたが禅的な悟りの境地に立ってみれば確かにそれは正しいことがわかるだろう。あなたが身近に接しているものや事柄はもちろんのこと、この宇宙のすべてのものが光り輝いている。
清風払明月
この句は「明月払清風(明月 清風を払う)」と対句である。「美しく輝く月」はそれだけでただ美しい。「さわやかで清らかな風」はそれだけでひたすら爽快だ。その二つがお互いに主人となったりお客になったりしながらその美を極めている。その自然美の極致は決してありきたりの言葉で表現することは出来ない。
福寿海無量
「観音経」の中に「福寿海無量」の一句がある。 これは観世音菩薩の功徳は「福を聚めた大きな海のように量に限りが無い」という意味である。 ただその功徳は計り知れず深く大きいだけにもたらされるものは 私たちにとって必ずしも好ましい結果ばかりではない。愛するものとの別れや顔をあわせるのも嫌な人との巡り合いなど、長い人生の中で起こるさまざまな苦悩や困難、それらもすべて観世音菩薩の功徳であると云える。なぜならそれは私という人間に人生の奥深さを知らしめ、より人間的・精神的に成長させるための方便だと云えるからだ。 失敗を成功へのばねにし、不幸や不遇を転じて幸福や勝利に結びつけようと努力する人にこそ観世音菩薩は微笑む。人生は心がけ次第で、見方次第で「福でいっぱいの海」になりうるのだ。 
百花春至為誰開
に関する禅語にはいくつか有名なものがありますが、これはその一つ「美しく咲き乱れる春の花はいったい誰の為に咲くのか」という問いかけの語です。 一見なにげない普通の問いかけですが、実はとても深い心理をついています。 いうまでもなく花は誰の為でもなく、ただ無心に咲くだけです。 良寛さんの詩に 「花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ぬ」 とあるように、大自然に和して,ただありのままに咲くからこそ花は美しいのでしょう。 無心とは決して心が無いということではありません。 "ありのまま、自然のまま" が無心です。 自然の法則のままに今この時をただひたすらに生きる。 それが無心です。 ところが、人間には自我意識があります。 私達はなかなか花のように無心に生きることができません。 "わが子は早く成長してほしい。自分は年はとりたくない" などと身勝手な期待・思惑を抱いて、ああだこうだと嘆いたり喜こんだりしてしまいます。 花を花たらしめている不思議にして偉大な大自然の法則が、私達人間一人一人に平等にゆきわたっていることを知るべきです。 その力に逆おうとしたり、不平不満をもらしてもかえって迷いは深まるばかりです。 小さなはからいなどさっぱり捨てて、咲く花の如く無心に生きれば、私達の人生もより豊かでさわやかなものとなることでしょう。 
 
碧巌録
雪ちょう重顕和尚(980-1052、智門光しの嗣雲門文偃下四世)の本則と頌に、圜悟無著和尚、仏果圜悟禅師(1063-1135)が垂示著語評唱したものである。
第一則達磨廓然第二則趙州至道無難第三則馬大師不安
第四則徳山い山に至る第五則雪峰尽大地第六則雲門日々好日
第七則法眼慧超仏を問う第八則翠巌夏末衆に示す第九則趙州四門
第十則睦州掠虚頭の漢第十一則黄檗とう酒糟の漢
 

 

第一則 達磨廓然
垂示に云く、山を隔てて煙を見て、早く是れ火なることを知り、牆を隔てて角を見て、便ち是れ牛なることを知る。挙一明三、目機銖両、是れ衲僧家尋常の茶飯。衆流を切断するに至っては、東湧西没、逆順縦横、与奪自在なり。正当恁麼の時、且く道へ、是れ什麼人の行履の処ぞ。雪ちょうの葛藤を看取せよ。
一目瞭然質問を発する前に勝負がついているというと、切った張ったの丁々発止みたいですが、そうではなく人間物みなそうなっているということです、自分に余計もの、自分という余計物のある分が見えない、だから滞るんです、
「云うことはわかった、どうして行かない。」
と云う、
「わかったってなんにもならんでしょう。」
と答える。山を隔てる気がする、山なんかないんです、煙が見えるんですか、ではもっと燃やせ、大火聚の如くにして、手も付けられん、まったく手を付けないんです。「行きました、ものみなもとこのとおり。」
と云う、
「もうおまえなんかいらない。」
と云う、
「そりゃ大きに。」
と答える、三十棒と同じです、外れた垣根をひっかつぐんですか、そりゃばかったいです。滑稽という角が見えるって、自分にゃ見えない。
「もうっていって歩くしかない牛。」
じゃ面白くないんでしょう。
一を挙げて三というのは、関中の主を去って初めて得べしという、一を云っている、もうっと云うその主が失せるんです、すると何を云っても云わなくとも三を備えるという。
「どうだい。」
と問う、その答えを予測しないんです。
「どうだい。」
が答えです、すると行って返るんです、一に美しいんです、安楽の法門です、二に他ないんです大安心です、三に爪から先も許さないんです。ないんですよ。
目機銖両という、むかし使っていた棹計りを考えるといいです、目盛りがあって錘があって、計る物とて適当に按配する、人みな目機銖両目分量ですが、それを他の標準をかりて比較検討でしょう、衲僧家尋常はそうじゃないんです。
こっちないからあるものが映るんです。たったそれだけです。
一を聞いて十を知るんじゃない、もと全体です、目から鼻へ抜けるんじゃない目鼻なし。
そうしてどこまで行っても、明白裏にはあらず、
「ただもういたらず。」
でいいんです。仏としてこうある、取り付く島もない、たとい自分はと顧みる分がらくたです、役立たずです、だから救いなんですよ。
師の法演門下の慧懃、清遠、これが垂示の主圜悟と暗夜帰路のついで各一転語を問う、懃云く、
「彩鳳丹霽に舞う。」
遠云く、
「鉄蛇古路に横たう。」
圜悟云く、
「脚下を看よ。」
と。師これを用うとあります。いずれ決まり文句ですが、照顧脚下、いいですか暗夜という、お先真っ暗の他ないんですよ。
脚下照顧なーんにも見えないよってね、よくよく味わって下さい。
[本則]挙す、梁の武帝、達磨大師に問ふ、(這の不喞留を説くの漢。)如何なるか是れ聖諦第一義。(是れ甚の繋驢楔ぞ。)磨云く、廓然無聖。(将に謂へり多少の奇特と。箭新羅を過ぐ。はなはだ明白。)帝曰く、朕に対する者は誰そ。(満面の慚惶強いて惺惺。果然として模索不著。)磨云く、不識。(咄、再来半文銭に直らず。)帝契はず。(可惜許。卻って些子に較れり。)達磨遂に江を渡って魏に至る。(這の野狐精。一場の漏らを免れず。西より東に過ぎ、東より西に過ぐ。)帝後に挙して誌公に問ふ。(貧児旧債を思ふ。傍人目有り。)誌公云く、陛下還って此の人を識るや否や。(誌公に和して、国を追い出して始めて得ん。好し三十棒を与ふるに。達磨来也。)帝云く、不識。(卻って是れ武帝達磨の公案を承当得す。)誌云く、此は是れ観音大士、仏心印を伝ふ。(胡乱に指注す。臂膊外に向かって曲がらず。)帝悔いて、遂に使いを遣はし去って請ぜんとす。(果然として把不住。さきに云う不喞りゅうと。)誌云く、道ふこと莫れ、陛下使いを発し去って取らしめんと。(東家人死すれば、西家の人哀を助く。也好し、一時に国を追い出すに。)かつ国の人去るとも佗亦回らじ。(誌公好し、三十棒を与ふるに。知らず脚跟下大光明を放つことを。)
帝曰く、朕に対する者は誰そ。なにいっていうんでしょう、ありがたい光明、仏教という仏という、何からしいものがなけりゃ、そりゃなんにもならんじゃないか。西インドからわざわざ鳴りもの入りでやって来た、いったいおまえはなんだっていうんだってわけです。
「なんにもならない。」
それじゃ困るというのが世間一般です。一つこれを180度転換してみて下さい、おしゃかになるってやつですよ、
どんなに済々するか。
「廓然無聖。」
がらっと崩れてしまうんです、大パニックです、もうどうしようもない長年営々として築いて来たものが、がらんとしてなんにもないよ、個々別々ってわけです。
「じゃなんにもならんじゃないか。」
といったとたん、はあっと周囲を見回す、どういうことだこれは、
「廓然無聖。」
と、そいつは自分という垣根が外れて、はるかにこう開けている。
元の木阿弥に落着する。
坐禅を研究しているという人が来て、斜にかまえてわたしに問答をふっかける、わたしの言説が就中一番いいと云ったりする、そんなかすみたいこと云ってないでといったら、とやこうとたんに開きなおって、おまえに仏教はないおまえに用事はないと云う、云ったとたんにはあっと開けて周囲を見回す。
「かくねんむしょう。」
或いはわたしという最後の砦がなくなった、
「だったら三拝ぐらいして行け。」
帰るってえからどうぞと送り出した。付け焼き刃にならんきゃいいが。
満面の慚惶強いて惺惺、この坐禅研究家と梁の武帝と、相手に食ってかかるところを云えば、そりゃ同じです、つまり自分の問題なんです、誰彼それを人に転嫁してはいませんか。しかも果然として模索不著は、梁の武帝より坐禅研究家に軍配が上がる、模索不著もうわけがわかんなくなるんです、自分という根拠が失せようとする。磨云く、不識。おまえはだれだ、
「知らない。」
というんです。坐禅研究家は、
「知らない。」
を、ほんのわずかにも知る。帝契はず、武帝はそうはいかなかった。
せっかく契はずならそれでいいっていうのにって、再来半文銭です、知らないが正解っていうたとい不識を振り回しても醜い限り。
花にあなたはだれと聞いたら、きっと、
「知らない。」
って答えるんです。わたしは菊で管巻でもってなんのなにがしが品評会用に植えた、こやしはどうで日照時間は云々、上を見れば切りもなし下を見れば切りもなし、まあこの辺でっていいだしたら、いっそ花を見る気がしなくなります。
見れども飽かぬものみなに、
「知らない」
仲間です。人間だけが知っている、知っている分みな嘘です、どうにもこうにものあっちこっちです。
騒々しい淋しいんです。
故にもって諸悪の根源です。
お釈迦さまは、人類百万年の歴史を、たとい、
「なんというがらくたの堆積だ、みなまた観念思想のなせるわざ。」
と思惟るように見えます。
「人間毛なし猿のその脳味噌を卒業したら。」
ってこってす。そろそろその時期ですよってね。無心の術を説いたんです。どんなに知識観念思想ぐるぐるめっちゃかだろうが、
「知らない。」
んですよってね。
花のように咲き、雲のように千変万化する、水のようにあとさきない、山川のように無上の喜びです。
「はいこのように。」
と明星一見事、我と天地有情と同時成仏したんです。
それが達磨さんに伝わっていたんです。
達磨遂に江を渡って魏に至る、江とは揚子江です、少林に至って面壁九年、二祖慧可大師に接して今日に至るんです。這の野狐精なんてえど阿呆がというんです、とんだ恥っかきだ、西から東へ渡り、今度は東から西だってさ。もらというのは恥という梵語。一場のもら、どうにも取り繕えぬ様とてよく使います。どうにもこうにも達磨さんって、ちらともありゃ、そりゃ達磨=自分というふうに使うんです。
帝のちに誌公に挙す、雑誌おおやけと繋げて誌公になります、意味として大略そんなふう、一般良識という、良識倒れっていう、一人二人訳の分かったのがいるってこってすか。
近頃の一般公器というのは、どうもさっぱりあてにならんですがね。
貧児旧債を思う、貧乏人くよくよです、どっかにひけめがある、武帝という物心両面一国の主がです、そりゃスターリンだろうがブッシュだろうが絶えず貧児旧債を思うんです、ろくな風付きしとらん、もっともここは、
「どうかな。」
と顧みずにはいられぬところをいう、すると傍人眼あり、岡目八目がいた。陛下かえってこの人を知るや、帝云く不識。達磨さんと同じことを云う。
同じこと云ったらそりゃ同じです。
なぜ違うかっていうことを、そりゃ武帝達磨のいきさつはこうだからとは云わずに、直下に思い当たって下さい。
「知らない。」
と云いながら知っている、言葉の正確な使い方がわからない。
貧児はしょうがないですか。誌公に和して国を追い出して始めて得ん、好し三十棒を与えるに、達磨来やという、いいですかたいてい人みなやってるんです、三十棒食らってようやく修行です、達磨来や、なんたってどうぞおやり下さい。
此は是れ観音大士仏心印を伝ふ、胡乱に示すんでしょ、胡とは漢に対する、つまり本筋じゃないプラス乱です、仏心印とは自分が継ぐ以外にこれを示す方法はないんです。仏教学者説教師等掃いて捨てるほどいたって、ほとんど近似値にもならんです、いざというときになんの役にも立たない生死の徒です。臂膊外に向かって曲がらず、いったい何云ってみたって、てめえの垣根内しかないっていうんです、色即是空といかない、役立つとは何か、よくよく考えてみて下さい。
帝果然として不しつりゅう、使いをやって引き戻せと云う、そりゃ駄目です、国中の人が行ったって帰っては来ないという、三十棒を与えるによし、そうなんだよ達磨を取り戻すこっちゃない、おまえさん自身だよ、さあやれっていうんです。
ひっかかっててすっきりしない=従前の心。
[頌]聖諦廓然(箭新羅を過ぐ、吶。)何ぞ当に的を弁ずべき。(過也。何の弁じ難きことかあらん。)朕に対する者は誰そ。(再来半文銭に直たらず、又恁麼にし去るや。)還って云う不識と。(三個四個中れり。咄。)茲に因って暗に江を渡る。(人の鼻孔を穿つことを得ず、卻って別人に穿たる、蒼天蒼天、好不大丈夫。)豈に荊棘を生ずることを免れんや。(脚跟下已に深きこと数丈。)かっ国の人追へども再来せじ。(両重の公案。追うことを用いて何かせん。什麼の処にか在る。大丈夫の志気何くにか在る。)千古万古空しく相憶ふ。(手を換へて胸を槌津。空を望んで啓告す。)相憶ふことを休めよ。(什麼と道ふぞ、鬼窟裏に向かって活計を作す。)清風匝地何の極りか有らん。(果然、大小の雪ちょう草裏に向かってこんず。)師左右を顧視して云く、這裏還って祖師有り麼。(汝番款を待つ那。猶ほ這の去就を作す。)自ら云く、有り。(とう薩阿労。)喚び来れ、老僧が為に洗脚せしめん。(更に三十棒を与えて追い出すとも、也た未だ分外とせず、這の去就を作す、猶ほ些子に較れり。)
聖諦廓然何ぞ的を弁ずべき、かくねんむしょう無心のはらわたかっぴろげたって、そりゃわからんのにはわからんていう、なに別段のことはないんです、箭新羅を過ぐ、漢の肝心せっかくハートの的を通り過ぎて、海の向こう辺りへ落っこちた、だからどうだっていうんです、始めから当たっている以外にないっていうのに、今更何をいう、何を云うかって過也そっくりかえらずに回向返照。
朕に対する者は誰そ、再来半文銭に及ばず、頌してもってあげつらう、わからんことはないたって、恁麼にし去るやこれ最重要事。汝武帝汝達磨ちがうわし武帝おまえ達磨、還って道ふ不識と、三四当たってるとさ、なんたる杜撰。
廓然と不識とこれ一般か両般か、帝契はず底何を契はず茲れに因って暗に江を渡る。人の鼻を明かそうとして反対に明かされてりゃあ世話ないわ、男一匹出る幕なし。豈に荊棘を生ずることを得んや、万病に効く薬、万能薬仏をもって西より東へ東より西へ、たとい滑稽も大丈夫に非らずも、面壁九年正にもって顯れる他なく。
せっかく茨を払い棘を抜く、かえってこれ荊棘をいやというほどに思い知らされ。
当たり前だたとい目くそ半かけ脚跟下已に数丈。だからこそ仏教。
かつ国の人追えども再来せじ両重の公案です、一に国を挙げて追って行けばいいです、家国破れて空っぽです、再来せじ、達磨さんに大法があるんじゃない、もとっからここにこうあるんです。大丈夫の志気いずれの処にかある、なんといったってこれが第一の公案です、我と我が身心の辺にですよ。他ないんです。
千古万古空しく相憶ふ、手を換へて胸を打つ工夫隻手妙音でも無の字でもいいって、これ自分を与え任す無にする工夫、意識上のいくら弁じたてたってたいていなんにもならんです。千古万古空しく相憶うんです、するとその空しさそれ自身です、まったく無いところに向かって得るんです。
空を望んで啓告す、つつしんでこれを受けて真っ先死ぬってのどうです。相憶ふことを休めよ、鬼窟裏に向かって活計はむちゃくちゃです、憶うこと休めたら自分というものなし、もと自分というものなし、いえだからってことないんです、にっちもさっちも行かない。
ちっとも面白くないんですよ。
清風匝地なんの極りかあらん、たとい雪ちょう顧みるとてそんなん関係ないんです、匝とはぜんたいに廻る意、清風とあり匝地とあり極りかあらんと参ずる、目を向けるに従いないんです。
そう馬鹿ったれてなもんです。
師左右を顧視して云く、這裏還って祖師ありや、汝本款をなすな、款は罪状認否自白です、芝居がかって仏祖師やっている同罪です、この項不要と云いたいところ。
師とはだれのことですか。
自ら云く有り、うわあ臆面もなくって、有りって云ってけり付けたんです。とうさつあろう御苦労さん。
馬鹿に付ける薬はなしなーんて云いたいんですか、自分も同罪ってことです。
喚び来たれ、老僧がために洗脚せしめん、行脚して来て足をつん出すと洗ってくれた、雲水や信者やいたんです。でもってこの一句が云いたかったってほどの俗物かんぐりじゃないんです。よし三十棒を与えるに、しっかり跡継ぎやって下さいってことです。
第二則 趙州至道無難

 

垂示に云く、乾坤窄く、日月星辰一時に黒し、たとひ饒棒、雨点の如く、喝、雷奔に似たるも、也た未だ向上宗乗中の事に当得せず。たとひ三世の諸仏も、只自知すべし。歴代の祖師も、全提不起。一大蔵教も、詮注し及ぼさず。明眼の衲僧も、自救不了。這裏に到って作麼生か請益せん。箇の仏の字を道ふも施泥滞水。箇の禅の字を道ふも、満面の慚惶。久参の上士は之を云うを待たず、後学初機は、直きに須らく究取すべし。
風景一切が無意味に見える、いい眺めだなああれこれ云ってないんです、いいですかだれあってそこからしか始まらんです、いいものはいいからいいの延長上にはない、風景=自分をまず捨てるんです。
そうしてまっしぐら。
すると大死一番大活現成、ほんとうの風景心地風光が見えるんです。
「なにをぼやぼやしとるこれだ、えいこのばかったれ。」
痛棒雨の如く、喝すること雷の如く、はあっと開ける、自分という囲いが破れる、ものみなまっ平らです、ちらとも見る廓然無聖、知らない世界です。
しかも未だなを本来人ではないと云う、風景を認めるんではないんです、我が宗門向上中の事にあらず。
三世の諸仏も自知するよりなくは、マニュアル通りおまえもおれと同じになった、だから印下なんてことないんです、自ずからにということがたった一回ある。一回って坐るたんび、まったく別だったりします。
歴代仏祖も、
「これがどうだ。」
と云って、一覧表にするわけには行かない、一大蔵経も何万語費やそうが尽くすわけには行かない。
明眼の衲僧も自救不了です、大法禅喝といってつうかあのくせに、自分を救っていないというんです。
どうですか、まずこれに気がつかないとしょうがない、仏絵空ごとじゃない、わがこと二つなくです。気がついてではどうすればいいか、見えるほどのものはすでにないんです。
仏を道うもだでいたいすい、余計こと汚れです、禅を云うだに恥さらしです。
そりゃ当然のことです、わかっちゃないっていうんなら直きに須らく看取すべし。
第一則が達磨さん廓然無聖、我が宗のまっぱじめと云うべきもの、第二則が趙州至道無難です、偶然にこう並べたんじゃないんです、二つながらの大問題、かくねんむしょう天下取ったと云うなら、その天下取ったと云っている自分をなんとかせにゃならんです、よくよく見て取って下さい。
[本則]挙す、趙州衆に示して云く、(這の老漢什麼をか作す。這の葛藤を打すること莫れ。)至道無難。(難に非ず易に非ず。)唯嫌揀択。(眼前是れ什麼ぞ、三祖猶ほ在り。)わずかに語言有れば、是れ揀択、是れ明白。(両頭三面、小売弄。魚行けば水濁り、鳥行けば毛落つ。)老僧は明白裏に非ず。(賊身已に露る。這の老漢什麼の処に向かってか去る。)是れ汝還って護惜すや也た無しや。(敗也、也た一個半箇有り。)時に僧有り、問ふ、既に明白裏に非ずんば、箇の什麼をか護惜せん。(也た好し一拶を与ふるに。下上の齶を柱ふ。)州云く、我も亦知らず。(這の老漢を拶殺す。倒退三千。)僧云く、和尚既に知らずんば、什麼としてか卻って明白裏に在らずと道う。(看よ走りて什麼の処に向かってか去らん。逐って樹に上り去らしむ。)州云く、事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了って退け。(さひはひに這の一著有り。這の老賊。)
三祖大師信心銘に、至道無難、唯嫌揀択、但だ憎愛無ければ洞然として明白なりとあります、趙州和尚しばらくこれを用いた。道に至るのに難しいことはない、難しくないけれど易しくもない、ただ取捨選択によらない、愛憎を離れてあれば洞然です、かくねんむしょうなんにもないありさま、はっきりと明白、断然はっきりですか、明々白々だというのです。
これは信心銘にあるとおり、人のああだこうだによらない本来本当です、行深般若波羅蜜多時、彼岸にわたり切って五蘊皆空、度一切苦です。
とにかく洞然として明白を知って下さい。それからです。
でないとこの項とくにただもうごちゃごちゃです。
INのへたな質問みたいに、一を知ればなんにもないと云えば数字にこだわっているなど、無関係な議論を生むだけです。そうして云うことはただ、
「おれさまの云うこと聞け。」
という恥さらしです。
そりゃいったんふっきらないことには、どんな学者信心家だろうが、
「おれはいいんだだから。」
という声しか聞こえないんです。
つまらんというかお笑いです。
いったんふっきれる、ものみな洞然明白なんです、雪舟の絵のように山水長巻です、身心の入る余地のない、つまり山水長巻が身心なんです。
それっきりおしまいの、他まったくないはずです。
ところがそれを見ている自分がある、
「ちらともあれば。」
明白裏にありです、鑑みるこれを持ってしまうんです、
そうではないんでしょう、心は無心もとないんです、時々刻々ものみなこうあるっきりです。
なにしろここをよく見極めて下さい。
触れるものみなとこうあるっきりない。
唯嫌揀択眼前是れ什麼(なん)ぞです、これなんぞとこうあるっきりなんです、三祖猶ほ在りといってからかってます、いらん仏祖師が顔を覗ける、虎の威を借る狐やってんじゃねーのと云う。
わずかに語言有れば、是れ揀択、是れ明白。
そりゃそのとおりに見える、是非に管せずんばなんにもできない、ひょっとそう思うでしょう、両頭三面観音さまよろしく一語する、そうですよ、何云ったって是非善悪を免れるってね、小売弄どけちめ威張るなっていうんです。
魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落ちる、だからさとやこうってそのまんましとけって云うんです。
老僧は明白裏に在らず。汝還って護惜すや也た無しや。這の老漢什麼を作す、あらまあっていうんです、這の葛藤を打すること莫れ、てめえんこと人に押しつけるぞ、挙すっていうとき、はたしてどうです、明白裏にあって挙すか、明白裏に非ずによって挙すかって、なにを浪花節倒退三千。
賊心既に露る、賊心とはそっくり他人の心になり変わって、
「へいどうだ。」
とやるやつです。明白裏に非ずと云えばひっかっかって来るんです、はたしてひっかっかって来た、ところがこやつが一筋縄では行かない、面白いんです。
這の老漢什麼の処に向かってか去る、そう云っておまえさんどこへ行こうという意ですが、云い残すんなら敗也、平地に乱を起こすなって、起こさなければ納まらぬものあり。
是れ汝還って護惜すや也た否や、明白裏にあらずというと、せっかくのもの捨てちまって元の木阿弥か、と云いたくなる、敗也というのは、どうもこれ内側に首突っ込んでるような言い種だからです、まあそれはそれです、はたして一個半箇あるわけで、時に僧あり、既に明白裏に非らずんば、明白裏にないっていうんなら、何を惜しいもったいないっていうんだーそういう一個半分ないはずの。
州云く、我も亦知らず。そりゃわしも知らん。僧云く、和尚既に知らずんば、什麼としてか卻って明白裏にあらずと云う、知らないってのになんで明白だ、明白裏にあらずだ云うんだ。
事を問うことは即ち得たり、なーるほどというんです、わかったから礼拝し了って去れ。
どうです、面白いでしょう、云うことは云い得たり、礼拝して去れ、さあどういうことです。この僧を許したんですか、三十棒くれたんですか。
就中達磨不識のおさらいですか。
趙州四門東西南北門相対すと、まるっきりなんにもないんですよ、従い打てば響く。
せっかく大輪鎚のつもりが、手振り上げたの自分に帰って来るきりだった、空の実体かくのごとしです、無心のありよう、とやこう別ことあるんじゃないんです。走りて別の樹に上らせないんです、一拶して倒退三千。
いったい何がどう起こっているか、よくよく見て取って下さい。
禅問答の奥義じゃないんです、この僧なかなかの冠者とか狂言回しではないです、礼拝しおわって去れ、平らにして一寸おろそかに出来ぬ、これ仏心なり仏三千世界です。
赤貧洗うが如くなんです。
舌上のあぎとを柱うにしたって、もとなんにもありゃせんのです、這の老賊幸いに一著ありって、そりゃ余計な言い種。
なにやっつけられたらやっつけられていりゃいいです。どっち転んだってあるやつが脱するんです。敗也とは何。
[頌]至道無難。(三重の公案、満口に霜を含む、什麼と道ふぞ。)言端語端。(魚行けば水濁る、七花八裂。だ胡也。)一に多種有り。(分開せば好し。只だ一般ならば什麼の了期か有らん。)二に両般無し。(何ぞ堪えん四五六七、葛藤を打して什麼にか作ん。)天際日上り月下る。(覿面相呈す。頭上漫漫脚下漫漫。切に忌む頭を昂げ頭を低れることを。)檻前山深く水寒し。(一死更に再活せず、還って寒毛卓竪することを覚ゆる也。)髑ろ識尽きて喜何ぞ立せん。(棺木裏に瞠眼す、蘆行者は是れ佗の同参。)枯木龍吟鎖して未だ乾かず。(咄、枯木再び花を生ず、達磨東土に遊ぶ。)難難。(邪法扶け難し。倒一説。這裏是れ什麼の所在ぞ、難と説き易と説く。)揀択明白君自ら看よ。(瞎。将に謂へり別人に由ると。頼ひに自ら看るに値ふ。山僧が事に干らず。)
至道無難、道を得るのに難なしは、得るに従いこれを知るんです、坐ってみて下さい、どうにもこうにもならん自分というお邪魔虫がいます、坐ってみなけれな殆ど解りません、一朝事あると七花八裂してしまう、めちゃんこになって初めて自分の不備に気がつくんです、そうしてようやく道を求める段階です。
道に至る七転八倒があります、こうだからこうだなるほどと云っては袋小路みたいこと際限もなくやっています、ついにこれを脱するたいてい無茶苦茶です、方法もなんもないとこへ向かってぶち抜くふうです。
そうして気がつくんです、
「なんだうまく行かないのはみーんな自分がそうしていた、自縄自縛の縄だった。」
ということにです。
手を付けなければもうまったく200%そのまんまです、こーんな楽な方法はない、すべて手放し。
至道無難とはこれです、三重の公案という一個三重苦だったんですが、これは三祖信心銘趙州また雪ちょうの三としておきましょう、なあにどっちでも同じです。
苦労の末にこれを得るんです、七転八倒も何度死んでみたかってぐらいです。大趙州なにしろ第一人者です、碧巌集にももっとも多く出て来ます、だれもかれも一目置くこの人にしてからが、十七歳に初関を透過して、つまり見るものは見たんです、以来何十年はっきりしないんです、明白が欲しかった道としてオールマイティが欲しかった、いったいぜんたいどういうことだ、どうしたらいいと師の南泉に問うんです、南泉云く道は知にも非ず不知にも非ず云々、切々に説くんです、もとその中にあってなんで七転八倒、即ち七転八倒それ自身、明白を求めずんばもと是れです。趙州六十歳再行脚、
「我より勝れる者は三歳の児童といえどもこれに師事せん、我より劣れる者は百歳の老翁といえどもこれに教示せん。」
といって歩く、その説得他に比類をみないです。
もし明白というなら、なんの進歩発展もない仏向上事なし、というよりそりゃ人じゃないです。
妄想まるけじゃない人、本来人。
ようやく地球の仲間入り。
満口に霜を含む。たしかに古代アポルローン像のようににっこりアーケイックスマイルもなぜか満口に霜を含むんです。
でもそれ忘れ去って初めて得べしです、にっこり春風駘蕩百花開くんです。
なんのけれん味もないです。
什麼と道うぞってね、おうむがえしも亦よし。
言端語端、花は花月は月花は花と云わず月は月と云わず、ものみなこれっきりです、如来とは如来来たる如しの他になんにもないのを知るんです、ちらともあれば言端語端にならない、かすっともあればそれ如来にならない。至道無難とはこれです。かすっともひっかからないよって云ってるんです、しかも魚行けば水濁るんです、わずかに是非あれば是れ揀択是れ明白です、でもなんいしろ云わんきゃならんといって、七花八裂もうむちゃくちゃってふうの、老僧は明白裏に非ず、汝かえって護惜すや也無しや。どうだと云うには云う。
どうですこれ趙州水を濁すんですか、七花八裂なんですか、それとも明白裏ですか言端語端ですか。
ある人問うのに、おのれの従前心をもってす、
「真似事の座禅でも心意識の運転を止める工夫というのはわかります、心意識が働いていないことを経験することは出来ます。静かな、分離がない中で、全体が一つである中に、そしてふと意識思考が生じては消えるままなのを体験することは出来ます。」
という、ここで取り上げるレベルの問題じゃないんですが、魚行いて水濁るの代表ですか、一般的にたいていの人がこんなふうなんです。
これはそういうすべてを観察している自分があるということです。
見ている心と見られている心の二分裂です。
これじゃ坐禅にならんところを見てください。
心意識の運転を止める工夫はわかるわけないんです、わかったら心意識の運転なんです、ただとはどういうことか、手つかずとは、
「見ない、知らない」
ということなんです、言端語端の正体ですよ、至道無難とはただうちすわる只管打坐です。
心意識が働いていないことは経験出来ないんです。
静かなというとき騒がしいんです、分離がないと云っている二分裂です。
心意識が生じては消えるさまを観察しているあなたに用事があるんです、生じては消えるまるっきり体験できないんです、心が一つになる=なんにもないとはなんにもないを知ることが出来ない。
とにかくこれ参禅のいろはのいですから、よく承知おき下さい。
「知らない。」
という、自分を見るに自分なしをまず手に入れて下さい、これはそのあとの問題です、まああとさきあるとかないとかじゃないんですが、従前心のまま取りかかっては、いたずらに妄想です、こんぐらかるばかりです。
だから一に多種あり、二に両般無しといったって、それはそうだよ、そうではないよとか言い種云ってみるっきりの、毒にも薬にもならんです。
いいですか、仏教が自分流解釈の問題ならそんなものいらんです。
仏教はたといこうだからと知って、他人にひけらかす以外ないとか、そんなもの求めたってなんの救いにもなりません。
そうじゃない、取り付く島もないんです、七転八倒取り付こうなんとかしようの末に、かすっともかすらなかった、自分=知らないという取り付く島もなし、
「そうかあ。」
といって、本来救い救われ得るんです。
天際日上り月下る、他に何があるかという、檻前山深く水寒し、たいていの人檻の中にいながら捕われ人の自覚がないんです、ただもううっかり人です。
僧あり問うこの僧檻前山深く水寒し、檻とは何か、天際日上り月下るです、
「おっほうそいつは重症だ。」
って、たいていの人の夢にだも見ないことなんです。
檻はそりゃきっと同じに違いないんです。
趙州とこの僧同じことは同じ、別なることは断崖絶壁です。
頭上謾々脚下謾々という、これじゃまだとやこう云ってる感じがある、なんのけれん味もないんです、
趙州青原行思に問う、得て後どうしてりゃいいと聞く、なに同じに坐ってりゃいいという、是、うなずくんです。どういうことかというと、悟後の人まったく初参と同じです、葛藤を打して何かせんです、葛藤そのものです、それが初参の人にはわからない。切に忌む、頭を上げ頭をたれることを、つまりと見こうみどうでもやってしまう、本当に手放し至道無難になるには、
「自分を投げ出す。」
捨身施虎以外になく。
この僧ここにひっかかっているんです。
彼岸にわたり切っていると思い込む、彼岸にわたり切る方法如何です、ノウハウがあるんです。
本来人にはノウハウがない、おかしいと思うでしょう、自信なんかまったくないんですよ、こうして提唱もたんびに、
「はたして出来るんだろうか、まさか。」
といっちゃやってるんです、云うべきこともなく、おれはかくの如しというもないです。
一死更に再活せず、どくろ識のまんまという、大死一番大活現成、無一物中無尽蔵花あり月あり楼台ありといいます。
どうですか、死に切ると大活するんですか。
死んだものは生き返らないんですよ、死に切るんです、生ま死にじゃないってだけです、ここを禅趣味の人学者どもはたいてい間違えてます。
捨身施虎がどうして大活するんですか。
自分失せる以外道はないんです。
宋代のたれぞうつせし六祖像どくろ面なるそがなつかしき
六祖の頂像があった、目のまわり大きなわっこがある、骸骨のがんかです、なつかしいっちゃ要するに人のいじましさどうしようもなさのまっ直中にいたんです。
「既に明白裏にあらずんば、箇のなにをか護惜せん。」
「我も亦知らず。」
「和尚既に知らずんば、なんとしてか却って明白裏にあらずと道ふ。」
「事を問ふことは即ち得たり、礼拝し終わって去れ。」
わかりますかこれ、いいですかこの僧の有心丸見えなんです、痛いほどにわかる、
「なんでそんないらんこと云うんだ。」
と云いたいです、礼拝し終わって去れとは、わたしはきっと云わずのやられっぱなしでしょう、でも勝敗というんなら一目瞭然、初めっからけりついてるんです。
この僧落処を知るによし。
それをまた、たいしたものぞ、さすがの趙州もたじたじだなんていう、世間もまた禅者法師もです、なんていうどうしようもなさいじましさ。
難難、揀択明白君自ら看よ。はいそういうことです。
第三則 馬大師不安

 

[本則]挙す、馬大師不安。(這の漢漏逗少なからず。別人を帯累し去れり。)院主問ふ、和尚近日尊候如何。(四百四病一時に発す。三日の後亡僧を送らずんば是れ好手。仁義道中。)大師云く、日面仏月面仏。(可熬だ新鮮。養子の縁。)
馬祖同一南嶽懐譲の嗣六祖より三世、馬というその名と独特の風貌でたいへん人気があったそうです、いえそりゃもうしっかりしてます、碧巌にはこの3と53、73にあります。三則に出て来るのは正にそれなりの価値あるように思われます。平地に乱を起こす、唖子苦瓜を喫すという二十年来説得し終わって、四大不調日面仏月面仏です。シンボライズする意があるふうです、なんていうとおおかたには怒られそうですが、なを感慨ひとしおの気がします。
馬大師不安、調子が悪い具合よくないんです、身心同じですが気の病心の病じゃないです、四大不調といいます、そうですなあとうとうおしまい、そりゃしょうがないです。
這の漢漏逗少なからず、漏逗漏れ出すんです、しょうがないったら病気だって、あっちこっち心配かける、自他ともに不安にさせるじゃないか、そんなもんもとないんだってばさと云いたいんです、別人を帯累し去れり、人を巻き込みゃがって。
院主問ふ、お寺の住職、馬大師西堂とかそれ相応の地位があるわけです。どうですかっていうんです、即日気温極めて寒し、老大和尚尊候起居万福とか、中国から直輸入のこのような挨拶が今も行なわれています、近日尊候如何。このごろお加減はどうですか、仁義道中です、そりゃまあそういうことで、病を問う者かえって四百四病一時に発す、あっはっは死人が出るぜえってまあこれも禅家世の常挨拶ですか。もっともわたしらが日常病気という、あっちもこっちも気の病やってませんか。
市会議員になった女性が病気になっても休むわけに行かない、それでかえって元気になるといっていた、病気とはよく云ったものです、自他の壁失せるとき即ち病如何、というわけですか。
大師云く、日面仏月面仏。はなはだ新鮮という、前代未聞なんです、前代未聞というそれっきりでいいです、来し方を振り返らないんです、何十年来他がためにす、こう苦労もしああ苦労もしかく成功し評判かくかくという、しゃば問答これしゃばの病気です、そんなものありゃしないんです、ましてや仏の苦労たいていの人知るあたわず、そりゃもうとんでもないってことあります、唖子もの云えぬ人がにがうりかみ潰したふう、コンセンサスなんてもんないんです、汝これ落草の間ノウハウないところへ向かって如何が開陳、日面仏月面仏、向こうに向かって輝くというのは一般のいいよう、日は自ずから輝き月は照りかえしって、そりゃ屁理屈。
はい馬大師病なければよし、なんの感慨かあらん。
養子の縁てさ、日光月光あって本尊如来はどうしたんだいってね。
[頌]日面仏月面仏。(口を開けば胆を見る。両面の鏡の相対して中に於て影像無きが如し。)五帝三皇是れ何物ぞ。(大高生、他を瞞ずること無くんば好し。貴ぶ可し、賎しむ可し。)二十年来曾て苦辛す。(自ら是れ汝落草す、山僧が事に干ず、唖子苦瓜を喫す。)君が為に幾度びか蒼龍窟に下る。(何ぞ恁麼なることを消いん。あやまって用心すること無くんば好し。也奇特なしと道ふこと勿れ。)屈。(人を愁殺す。愁人愁人に向かって説くこと莫れ。)述するに堪へたり。(阿誰に向かってか説かん。愁人に説与すれば人を愁殺す。)明眼の衲僧も軽忽すること勿れ。(更に須べからく子細にすべし。咄。倒退三千。)
天際日上り月下る日面仏月面ほとけ、かくありかくあって終わる、あるいは終わりも初めもないんです、五帝三皇是れ何物ぞと大高生大仰に云わずとも、まさに他なしにこうあるんです。
感動を禁じえないです、口を開けば胆を見る、真っ正面ものみなです、これを人は出来ないんです、一生を脇見運転傍観の徒です、ああでもないこうでもないいっちゃたいていなんにもならない、人のお邪魔虫んなるっきりのかすみたいことやっている。
なに云ってもどうしようもない糠に釘。
糠に釘の自覚症状がないとは、そりゃもうなんともかあともです。
そうじゃない、はらわた曝け出してたといしゃばでは云う、
「ほーほけきょ」
と鳴いてごらん、蛙の、
「かあ」
でもいい、花の咲くのも月の照るのも、人間以外みな満こうのものでしょう、自分に首突っ込んでとやこうのあるびょうもないことやってないです。でどういうことかというと、両面の鏡相対して中に於て影像無きが如しって、そりゃ教科書通りのなにを今更っては思うんですが、教科書通り文字通りやってごらんなさい。
自分失せる実感まさにこの通り、自分失せたといっているその自分がないんですよ、せっかく日面仏月面仏、
「他に云うこたねえのかい。」
ってね。
五帝三皇ともに中国古代理想世界の皇帝です、ものみなぴったり行くついで人々は皇帝の名も知らず、統治されているさへ知らなかったといいます。
大高生とか他をまんずるなかれとか貴ぶべし賎しむべし、貴ありゃ賎あるの逆手取ってぎゃあぎゃあ云ってます、そりゃまあ云いたくもなるって、別段のことはないんです。日面仏月面仏に比べれば、
「天皇陛下もなんでもない。」
っていうから物議を醸すんです、でもそりゃその通りです。
二十年来曾て苦辛す、自らこれ汝、鏡のように対して影なしそっくり相手になって、相手の落草妄想百万だらとともにあるんです、苦辛すです、けつを抜き何を抜くんだったっけか、ぼろくさどうにもならんのを丸ごと食っちまう。
山僧は事にあずからず、おら知らんけどもさあって云う、まあやってくれっていうのと、知らず知らず帝の則に契う、自ずからに脱落せしむるんです。
口聞けんのがにがうり噛みつぶしたように。
まあとにかくだれに云うわけにもいかんです。
君が為に幾度か蒼龍窟に下る、とつぜん雪ちょうが出て来る、馬祖に参じ参じ尽くしたんです、どうにもこうにもならなくなって初めて開ける。
大自在底を得る為の三二十年、何ぞ恁麼なることを用いん、なんでそんなこと云い出すんだ、あやまって用心云々です、二三十年といえば百万年より長いって思うじゃないか、いやたいしたもんだってそりゃ云うべき。
屈。ひとまず屈するんです、悲しいんです、自他とものってところが愁人愁人に向かって説くことなかれと、三人めも涙くっしゃ。
明眼の衲僧も軽忽すること莫れ。なんかどうでもいいやって云ってるみたい、そりゃわかります、咄、倒退三千てね。
第四則 徳山い山に至る

 

垂示に云く、青天白日、更に東を指し西を画すべからず、月は月花は花月は月と云わず花は花と云わず、せっかくものみな手付かずにあるのに、たとい廓然無聖或いは不識です、東といい西と云わずば納まらぬ、これと云わねば納まらぬ、何故かというんです。時節因縁、亦須からく病に応じて薬を与うべし。何故かといって、四苦八苦するやつには手をさしのべにゃならん、四苦八苦根無し草の故にです、ちょうどいい時にぴったりです。どうしたってそういうことです。且く道へ、放行するが好きか、把定するが好きか、試みに挙す看よ。つきはなすほうがいいか、ひっとらえるほうがいいか、物は試し、本則を見よってわけです。
[本則]挙す、徳山い山に至る。(担板漢、野狐精。)複子を挟さんで法堂上に於て、(妨げず人をして疑着せしむ。敗欠を納る。)東より西に過ぎ、西より東に過ぎ、(はなはだ禅有りて什麼かせん。)顧視して無無と云って即ち出ず。(好し三十棒を与ふるに、はなはだ気天を衝く。真の獅子児善く獅子吼す。)雪ちょう著語して云く、勘破了也。(しゃく。果然。点。)徳山門首に至り、卻って云く、也草々なることを得じと。(放去収来、頭上は大高生。末後は大低生。過ちを知って必ず改めむ、能く幾人か有らん。)便ち威儀を具し、再び入って相見す。(依然として這の去就を作す、已に是れ第二番の敗欠。けん。)い山坐する次、(冷眼にして這の老漢を看る。虎鬚をなづることは也須らく是れ這般の人にして始めて得べし。)徳山坐具を提起して云く、和尚。(頭を改め面を換ふ、風無きに波を起こす。)い山払子を取らんと擬す。(須らく是れ那漢にして、始めて得べし。籌ごとを帷幄の中に運らす。妨げず天下の人の舌頭を坐断することを。)徳山便ち喝して、払袖して出ず。(野狐精の見解。這の一喝也権有り也実有り、也照有り也用有り。一等に是れ雲をひこずらひ霧をつかむ者、就中奇特なり。)雪ちょう著語して云く、勘破了也。(しゃく。果然。点。)徳山法堂を背卻して、草鞋を著けて便ち行く。(風光愛しつべし、公案未だ円かならず、頂上の笠をかち得て、脚下の鞋を失卻す。已に是れ喪身失命し了れり。)い山晩に至って首坐に問う、適来の新到、什麼の処にか在る。(東辺に落節し西辺に抜本す。眼東南を見て意西北に在り。)首坐云く、当時法堂を背卻し、草鞋を著けて出で去れり。(霊亀尾を引く、好し三十棒を与ふるに。這般の漢脳後に多少をか喫す合き。)い山云く、此の子已後孤峰頂上に向かって、草庵を盤結して、仏を呀し祖を罵り去ること在らん。(賊過ぎて後弓を張る。天下の衲僧跳不出。)雪ちょう著語して云く、雪上に霜を加ふ。(しゃく。果然。点。)
徳山和尚は金剛経に通じ、千劫に仏の威儀を学び、万劫に仏の細行を学び、ようやく成仏すとある、しかるに近頃南方の魔子即身成仏を云う、行ってひねりつぶしてやろうとて、お経を担いでやって来た。路傍に団子を売っている婆さんがいた、団子食ってお茶を喫もうとしたら、婆さんがいう、
「おまえさんの担っておるものはなんじゃ。」
「金剛経だ。」
「金剛経に過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得とある、ではおまえさん何心をもって団子を食う、答えられたらゼニいらん。」といった、徳山無語、答えられなかった、
「そうか、婆さんにそれだけのことを云わしめた、だれそか居るであろう、示せ。」
と云って、龍潭和尚=龍潭祟信青原下三世を訪ねる。已に相見して事を尽くし夜も更ける、
「しまった帰らにゃならん。」
といって坐を立つ、夜道は暗い、これを持って行けといって龍潭燭を手渡す、徳山受け取るついで吹き消す。徳山豁然大悟、礼拝し去って明くる日金剛経を焼くとあります。
なにしろ一徹の人で面白い。既にして尽くすことは尽くしたんです、疑念失せて面の皮一枚残る、そいつが吹滅のとたん破れ去って、まっくらやみそのものになってるんです。
仏説を証明したんです、
「なあるほど。」
という痛烈に悟るんです、他まったくない単一なこの事実です。一切沙界含容するんです。
「なあるほど。」
至りえ帰り来たって別事なしです、無用の長物は焼きぷくってしまえ。
い山のいはサンズイに為と書く、い山の霊祐、百丈懐海の嗣、仰山の師禅門五家の一い仰宗の祖。い山は寺名です、一方の総本山へやって来た、
「何を聞くことがあろうや。」
というのは、蘊蓄極りなしわしの右に出るものはないとかいう、シャバ流と違います、どう違うか、
「だから。」
抜きです、理由がないんです、まったく違うということを先ずもって見て下さい。
摩訶般若です
比較を絶することができますか。
そのものこっきりです。そのものこっきりの徳山和尚です。
徳山和尚い山に至って、複子をたばさんでとは、雲水行脚姿のまんまです、上げ珠巾といって紐でもって衣着物を歩きやすいようにたくしあげるんです、つまりそのまんまずかずか上がり込んで、東から西へ行き、西から東へ行きして、振り返り、
「無無。」
と云って出て来た。用は足れり、ことは終わった。
どういうことかというに、始めから用は足りている、ことは終わってるんです、徳山まったく終わっていれば全世界終わる、ちらともあれば大恥っかきです、なに恥かきのまんま終わってます、坐のありように、
「妄想が出ようが出まいが。」
終わっている実感です、さんざくた求めて、
「求めている自分があるっきり。」
知って手放す、即成就仏身です、仏にならずとも即成就仏身です、その実感です、こちらから事を運んで得るにあらず。
即ちそれに気がつかない人間右往左往です。どう気がつかないか、「担板漢、野狐精。」
です、板を担う男つまり自由が利かないんです、おれは共産党だオウムだアメリカは正義の味方だなど板っぺらひっかついだら、どうもこうもならんです、赴くところ不幸を招く以外にない野狐精です、自分勝手思い込み人間です。
徳山、
「おれは悟った、悟りとはかくの如し。」
という板を背負って、意気揚々やって来たというなら、そりゃ大恥っかき、土足で踏み込んで、尻拭いもしないってやつです。妨げず人をして疑著せしむ、なんだいありゃあって他また思うんです、いえ別に何かあるという、
「徳山風無無。」
といいことになっちまう。
負けです。
敗北とはどういうことか、平地に乱を起こすんです、平地に乱を起こすと知る、あるいはどう起こしたって平らと知る、まさにこれ大力量。
はなはだ禅有りて何かせん、おひゃらかしたって糠に釘じゃしょうがないです。痛烈無比とは、無心と云うにはつとに有る如く、通身挙げて入れ揚げるんです、だれにって虚空にです。
旧参の人独参にも来ないで坐っている、自分の坐禅というんですか、一応それらしく参究するかに見えて、そりゃまったく嘘です。そうやっている自分を捨てる、禅とはこれです、未だ我れ仏の道に入らずと、痛烈に思い当たって下さい。
かつて坐禅を覚えるもなしと、ここに初めて一寸二寸己を捨てる功名があるんです。
どうか履き違えないで下さい。
真の獅子児善く獅子吼すと、ムムといって出ずる傍若無人を、完全無欠と見るか、
「なにさ、餌を漁る雀だって同じこと。」
という、すなわち無意味か、では意味あると云うは何、徳山わざわざ法堂上にある、よし三十棒を与えるに。棒に目ありや亦なしや云くなし。無意味と無心如何。
雪ちょう著語して云く、勘破了也。
一応目を通したっていうんです。
かんぱりょうという、禅を云う人の大好きな言葉、かんぱりょうたって、もとまったく解決済みを知る、
「むずかしい仏教をやさしいと云い、或いは一語あり多語ありする、ひっきょう如何。」
という、答えて云うには、
「もとこうあるっきりじゃないか、なにをとやこう。」
と。
たいてい間違いのもと。
勘破了などいうまだるっこしいこと云わないんです。じゃちゃんと挨拶して行きゃいい。
徳山門首に至り、卻って云く、也草草なることを得じと。
まあそういうこってす。
また草々なることを得じ、せっかちしちゃいけないってんで引き返して、今度は上げ珠巾を下ろして着襪塔袈裟威儀を正して入室相見、法堂の主大い山に会うわけです。なんにもないがなんにもないのい山に、会うも会わぬもよしなら、そりゃ会ったほうがいいってことです。
しるしがなけにゃいかん、徳山坐具を提起して云く、ざぐはけさに着いて、問答の時に面前に提起して「云く。」とやる、
「和尚。」
い山払子を取らんと擬す、取ろうとした、払子とはよく葬式などに坊主が持つ道具なが、もとは座禅中に虫をおっぱらうもの、払子を用いて是否を云う、是非もと汝にあり、徳山即ち喝して、
「かーつ。」
と云って、袖を払って出て行く。まったく見事なもんです、だれあってこうは出来んです、ちらとも滞る、敗壊たり大恥っきです、人真似じゃそりゃしょうがないです、今様の人物まねと本来の区別がつかない、気の抜けたビールみたい、ほとんど生きていると云えんです。とっても仏の道ってわけにはといって、しばらく坐じて反省すりゃ、そりゃもとおぎゃあと生まれたんです、もとの姿に返るです。
ちょっと余談ですが、sproutさんという人言葉使いその解釈に至っては、さすがにというほどに精確です、ところが言葉は何の為にあるかということがお留守です、死んでいるんです、言葉は必要不可欠の為にある、おいと呼ぶ愛しているという、拉致された子をなんとかしようと訴える、言葉の内容いかんは二の次三の次です。
つうと云ったらかあと応ずる以外にない。
精確な理解などいうもののありえぬことを見て下さい。たといわかったら即行動です。
宙ぶらりん絵空事じゃない。
いいですか、徳山い山絵空事じゃないです。
たといわかったらって、はじめっから解決済みの事件、虎のひげを撫でる前にさっさと出て行った、痛快無事ってことです。い山あれはどうしたと首座和尚に聞く、もうとうに草鞋履いて去る、
「この子以後孤峰頂上に向かって、草庵を盤結して、仏を呀し祖を罵り去ること在らん。」
と云うんです。独立独歩人を認めるんです。
独立独歩の人に一生たったいっぺんでいいからなってみて下さい。人生の意味威儀これにて終われりです。
独立独歩汝のついに夢にだも見ずと、人みな棺桶に入るんです。
なんたら情けない、鳥けものにも劣るって思わないですか。
花の咲く如く看破了也ってね、何度云ったって糠に釘っていう、これ両重の公案。
・風光愛しつべし、本地風光身心失せてものみなある、燭を吹滅して夜と一つになるなあるほどっていうんです、公案未だ円かならず、でも本当本来はこれからだよ、頂上の笠をかちえて、脚下の鞋を失脚す、至りえ帰り来たってなお個々別々を知らず、色即是空を知って空即是色を知らずって、そりゃまたかってな言い種、已に喪身失命し了れり、せっかく身心失せたんだからいつまでも死んでないのってね、ちらっとも持てば絵空事。
・東辺に落節し西辺に抜本す、落節損をする抜本得する、東へ過ぎ西へ過ぎを受ける、ひっかかるなって云うんだけど、眼東南を見て意西北にあり、あいつどうしたかなあ、いい弟子になったのに、跡継ぎ欲しいって云っているだけです。
・霊亀尾を引く、亀の劫を経
第五則 雪峰尽大地

 

垂示に云く、大凡宗教を扶堅せんには、宗教とはたった一つきりなく、まったくに物まねの分なしです、須らく是れ英霊底の漢なるべし。英霊は戦死者の霊に使うんですが、むしろそれでいい、生死を超えての本来本当です、なまくら半可の人物では、云いたいことも云えない。じき甲羅に首を突っ込んじまう。人を殺すに目をさっせざる、目に乏という字、人を殺すのにまたたきもしない、そういう手脚あって、方に立地に成仏すべし。そうですねえ、自分死ななきゃそりゃ成仏しないんですよ、成仏=死は世間一般常識、死んでみてはじめて葬式稼業なんです、もと坊主の常識、だから今坊主なんていない。
しゃば人間もいいところの、しゃばより悪い欠陥車、心理学上の問題ですか、人格破壊みたいのばっかり。
だって坊主だから、寺に生まれたから人に説教なんて、修行だのいうかっこうつけて、自分を顧みることをしない、仏教という売るもうけるしかない、でもって痛いかゆいのただもう貪嗔痴そのもの、けちでてめえのことばっかりなんです。
こんなの到底人間とは云えない。
一般人相手にするよりないですか。
所以に照用同時、照らす、用いる同時です、云うこと正しい理解したという、理解力に優れているというのは、亡霊のように糠に釘です、ちらとも顧みるにいいです、自分の語の響きが破れほうけというのか廃物みたいです。なぜか。言葉とは用事があって用いる、用(よう)といい(ゆう)と読むんですが、生きている人間が相手あって為すんです、正しく理解したというそれ事態じゃ命がない。
つまり正しくないんです。
巻序斎しく唱え、巻くほどくです、こうだと云いあるいはつっぱねるんです、こりゃどうしたって仏の活用です、正確理解底の人は、云うことの意味に終始する、仏は云うことの内容じゃない、云っている本人に用があるんです。
この根本の違いを、それっこそ正確に理解して欲しいです。
理事不二です、行なわれたこと=理屈という寸法です、でなきゃなんの足しにもならない、仏教という三百代言です、人が聞いてやらなきゃならん、うるさいというより老人介護です。学者仏教好き眼蔵研究家とかいう、介護の必要なのばっかり、むだことはやらんがいいです。
権実並べ行なう、云えば権になり云わなきゃ実ってほどでいいです、どっちにしたって現れるよりなく、ですから至らず不確かなら権も実もうそっぱちのがさつなんです。
なにどうしたって届かないです。
自分ちらともあればそれが障りです、行深般若波羅蜜多です、なかなかに取れたようでまだまだってとこあります、わずかに捨てりゃわずかに得る、そうですよ30年修行底だろうと、そりゃ断じて許しゃせんです、たとい大自在だろうが根本に帰れという他はなく、一著を放過して第二義門を建立す、他が為にす、ただもうこれです、自分目糞半欠けだろうがというと、未熟者喜ぶんですが、そんなんじゃないです、
「なくなったやつをもう一つなくす。」
これ初めて仏教なんです。toutetuさんが自分ないという、そりゃ嘘なんです、ないと云っている自分をなくす工夫なんです、相変わらずの皆由無始貪嗔痴なんでしょう、自分愛とほしいんです。
それを捨てなきゃなーんもならんです。
色即是空の根本原理です。ないはずの自分を見つめている、これをなんとかせずば広大無辺はないです。
葛藤を切断するには、妄想をかくほどの自分もない、自分という贅沢云ってないところに棄恩入無為です、真実報恩底、実に湊泊し難いんです。
理屈こねてないんですよ、理屈という湊泊がないんです。
はあっと思い当たる以外なく、急転直下なんです。
一瞬知る早に無いんです。
今日もまた恁麼昨日もまた恁麼罪科弥天なんです、これ坐禅の様子です、一点も他を瞞ずることを得ずです、へーえ仏果圜悟ってけっこう知ってるではないか。
[本則]挙す、雪峰衆に示して云く、(一盲衆盲を引く、分外と為さず。)尽大地撮し来るに、粟米粒の大いさの如し。(是れ何の手段ぞ。山僧従来鬼眼晴を弄せず。)面前に抛向す。(只恐らくは抛不下ならんことを。什麼の技量か有らん。)漆桶不会。(勢いによって人を欺く。自領出去。大衆を瞞ずること莫くんば好し。)鼓を打って普請して看よ。(瞎。鼓を打つことは三軍の為なり。)
雪峰義存徳山の嗣青原下六世、洞山良介和尚の下で飯頭といって炊事係をやっていた、一日洞山雪峰に問う、什麼をかなす、なにをしているんだと聞いた、峰云く、米を洵る、米をふるっています、今のようなスーパーで袋詰めじゃなく砂とかなんか混ざりものがあった。山云く砂を洵って米を去るか米を洵って砂を去るか、米をふるうのか砂をふるうのか、どっちを残してどっちを捨てるかと聞いた。峰云く砂米一斉に去る。どっちもいっぺんにと云った、じゃ大衆は何を食ったらいいんだと洞山云うのへ、峰即ち盆をくつがえす、ぶちまけちゃった。山云く、子が縁徳山に有りと、徳山とこ行けと云ったんです。
ここ叶わずば別所があった、今はここ叶わずば行くところがない、再来半文銭で再び三たびするに随い効き目が悪いです。
砂と米とふるいにかけてごらんてね、どっちを去るか、これ人間恣意を去る人の思いの他です、ただ行なわれているのを行なわれているまんまに見てごらんなさい、乃至は見ているとか、見ている目なし、無眼耳鼻舌身意に見るんですよ、まるっきり手つかずのただです、すると、
「米をふるって砂を去るか、砂をふるって米を去るか。」という問いかけがどういうことかよくわかります。
まったくどっちだかわかんないですよ。
実に親しくこうあるんです。はあっと気がつきゃいいんです、ところが米をふるい砂を捨てやっている、そうして、
「仏教はかくあるべき。」
の知識が先行するんです、砂米一斉に去ると云うんです、じゃ大衆は何を食うんだと云われて盆をくつがえす。せっかく坐り抜いてほとんど手に入りかける、すると手に入れてしまう、
「仏教はかくあるべき乃至はそいつを得た。」
というんです、するとやっぱり砂米一斉に去るです、盆を覆すことしかしない。
「大衆箇の什麼をか喫せん。」
と問い直して下さい、それじゃあなたやって行けませんよということです、坐ってたしかにこのとおりを得て、「たしかにこのとおり。」
を振り回して、実際はさっぱりです、人のいいつけた用事さへ満足に出来ない、これは仏じゃないです。他宗と同じひとりよがりです。
峰徳山に行くんです。わずかに至って即ち問う、従上宗乗中の事、学人還って分有りや也た無しや、修行中の分があるかという、ちょっとまあ聞きたくなるところです、どうしても上あり下ありの中途半端、つまりそう思い込んでいる自分が破れないんです、何云ったって自縄自縛です。徳山打すること一棒して云く、什麼と云うぞと、何云ってるんだっていうんです。これによって省ありと。ちったあ身にしみたとまた思い込む。
これどうしても仏教という錦の御旗を免れないんです。物差しあてがわずはいられない。
物差しをあてるそやつに用があるんです。
「おれはいいんだ。」
と決めつけるはしから外ける。
なら、
「おれはいいんだ。」
ということ不要の、そうですもと初めからです。というと、
「もとはじめからだから。」
とやる、どうにもこうにも仕様がないですね。
「だからいいんだ。」
とどうしても云いたい、なぜか。
後熬山にあって雪に隔てらる、熬山という山越えに兄弟子の巌頭と二人雪で立ち往生です、巌頭は雪ん中に足つん出して寝ていた、雪峰一人坐っている、何をそんなに頑張ってるんだ、寝るときゃ寝ろって云われて、我当時徳山の棒下にあって、桶底の脱するが如くに相似たりと云う、たしかに桶底を脱したと思ったのにすっきりしないんです、このままじゃどうもならん、人がぐっすり寝ているまもとやこうやっている、なぜか。
巌頭喝して云く、
「汝道うことを見ずや、門より入る者は、是れ家珍にあらずと、須らく是れ自己胸中より流出して、蓋天蓋地して、方に小分の相応有るべし。」
と、雪峰忽然として大悟、礼拝して云く、師兄、今日始めて是れ熬山成道と。
苦労人だからどうのこうのじゃない、ましてむかしの人はどうのじゃないです、いつだってだれだってかくの如し。
どうしても仏道を習うが自己を習うが落着しない、必ず自分で自分に物差しをあてがう、あてがっているかぎりはそりゃどうにもならんです。
でもって忘我という、その忘我が落着しない、必ず、
「あの時は。」
とやる。
あの時なんてありっこないのに。
仏教の本来に帰ってみるよりなく、そうですよ修行しないんです。
「おれは何が欲しいんだ、仏の道なんかいらない。」
という初心なんです、成道して一旗上げよう、
「いいことしい」
ではないたった一人っきりです。
明日死ぬっていうときに何が欲しいか、欲しければ手に入るもの、
「すべてが欲しい」
です。
するとすべてが手に入るんです。
これをたいてい勘違いするんです、ほうたいしたもんだすべてがと思い込む、そうではないんです、
「ほうたいしたもんだすべてが」
というそれをも包含しちまうです、だから強烈自信とかいらんものさっぱりない、ただ如来来たる如しの、お釈迦さんとまったく同じ、生まれる以前からこうあるっきりです。
忽然大悟とは、
「自分じたばた=自分=あんときはたしかに桶底を脱したとかいうかすっともかするもの、がこつねんとして失せるんです。
失せたといって観察するもせぬも是。
自分なけりゃすべてです。
自然=なーんにもないんです。
雪峰衆に示して云く、この頃の僧堂ではこうして師家が大衆雲衲の面前に挙す、どうだと云うわけす、ひっかからなければ是、ちらともひっかかるあれば平らになるまで参ずるんです。ちらともひっかからない、つまり漆桶底を打破し終わって、自分という問題の一かけらも残っていない人と、漆桶そのまんまでひっかかりようもない人といるわけです。だから尽大地撮し来たるに粟米粒の如しとやる、面前に抛向す、面前に投げ出した、漆桶不会とは見えなくなったわからなくなったんです、漆桶のぬったぬた真っ黒けでもって情識理解の人を云うんですが、ここはただの塗りつぶし真っ暗けです。鼓を打って普請して見よ、太鼓は作務太鼓といって今でも僧堂で打っています、普請さあ仕事だよっていうんです。どうですか。
一盲衆盲を引く、挙すとやって一盲群盲を引くんでは救いようにないですが、なに世の中たいてい200%分そんなことやってます、たとい一盲だろうとそれによって反省する人もいます、木の葉の揺れるのを見て悟る、人の鼻息かかったらやいのと文句を云うっきりか、師の人を見ずただ師の法を見る、これ参禅の要決といいます。老師を見る人はたいてい駄目だったです、老師なんかいなかった人がついには得る。
分外と為さずは、斜めに見ない批評する他の人あっちゃだめなんです、だから一盲衆盲一本道ってたいてい批評眼あるやつが過つです。尽大地ったら尽大地になって脇目もふらずです、撮し来たるも来たらぬも粟米つぶになってそこら転がりゃいいんです、それを絵に描いた餅みたい外から眺めている、そりゃしゃば流文学哲学流みなそうです、でもってとやこう云う。
いいですかとやこう云い出したらひっかかり負けなんですよ。
もうそこでストップです。
是れ什麼の手段ぞ、山僧従来鬼眼晴を弄せずと云い得るには、なんたってこれを卒業せにゃならんです。
ああでもないこうでもない声聞縁学がこう云ったってなんもならんです。
たしかに云いたくなる。
そうねえ作務太鼓打ってはたして一個半箇さまになったんかって。
でも当時まさにこれしかなかったんです、分疎不外です。
なんの技量かあらんです、ただもうまっすぐです。
漆桶不会なんで真っ暗なんだようってね、勢いによって人を欺く、そりゃ結果いいことない、なんか残っちゃったりするんです。自領出去そうさなあわしはニヒルの真似したがる病あって、人を失すること二三あった、とにかく止めた、効果あると思ったのにさあってウフフ楽しい。
鼓を打って普請して看よ、カツですってさ、太鼓は三軍の為なり陸海空の三軍です、軍隊を命令一下動かすわけです、なーにやってんだ一個半箇わずかに届かざる底です、マンガにもならんよって云ってるわけです。
どうですか、この項ちった役に立ちましたか。
[頌]牛頭没し。(閃電に相似たり。磋過了也。)馬頭回る。(撃石火の如し。)曹溪鏡裏塵埃を絶す。鏡を打破し来たれ汝と相見せん。須からる是れ打破して始めて得べし。)鼓を打って看せしめ来たれども君見ず。(汝が眼晴を刺破す。軽易すること無くんば好し。漆桶什麼の見難き処か有らん。)百花春至って誰が為にか開く。(法相ゆるさず。一場の狼籍。葛藤窟裏より出頭し来たる。)
牛の頭したのと馬の頭したのと地獄のお使い、お迎えの鬼です。どうしても仏教というと色即是空、いままで有ると思い込んでいた妄想生きる死ぬですか、うんまいとしゃぶっていた飴を奪い取る、大死一番大活現成とやる、地獄のお迎えです。
死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよき
何が死ぬかというと思い込みが失せる、実際ありにまんまの現出です、ところが思い込んでいる本人が思い込みなんです、これ失せるとは死ぬそのものです。
死んでとは思い込み死に、死んでとは思い込む張本人死に、死にきってとは死ぬというそれが死ぬ、でもって大活現成思いのままにする技ぞ良きです。
よきとは自分で実感するんです、我今始めて熬山成道です。でもそりゃそういう瞬間てこっちゃないです、そうゆう生涯があります、ぺったんこ平らじゃない、日々是好日という日々葛藤窟裏。どこ違うたってそのものこっきり、自分=世間そのものにただもうこうあるっきりです。何かを求めるあくせくとはまったく無縁の仏向上事です。
尽大地撮し来たるに粟米粒の大いさの如し、熬山成道です、他の仮りものになにをあくせくです、仏といい自己といい習うといい忘れるといい七転八倒=尽大地になり終わる、いいですか中途半端やっちゃ尽大地にならんです、すべて宇宙このものです、撮し来たるにあわっつぶの如し、ぽい捨てったらわかんなくなっちゃった、おーい太鼓打って普請して探せっていうんです、探すんですよ、唯我独尊ひとりよがりじゃない、仏というこっち向けていた掌を返す、わかりますかこれ。
閃電という、そりゃ意識のスピード電光より遅いたって、意識には意識しかないんだから電光のてまひまいらん、終わるときゃもうまるっきり終わってる、磋過了やだいじょぶかいおいってやつ、老婆親切な。
馬頭帰る、はーい向こうへ行っちゃった、大死一番という思い込みが死ぬ、百花花開いて満口の春、面前に抛向したんです、撃石火フリント火打ち石です、かちっと光の速さ光りっきゃ測定できにってなりゃゼロってこってす、なんにも残らないです、のこらないってどうしたら意識できますか、あっはっはどうしたって無理です。
面前に抛向して下さい、
これできりゃまあまあ可ってこと。
えがちゃんにこれさせよう思ったら逃げた、あっはっはあの玉やっぱだめな、今にしてそう思う、ありゃあれだけのもんさな、まあそんなこたいいか。
君見ず、見る眼をなくす、ない眼で見ること、眼晴を刺破すです。軽い易しいじゃない底無し体験ですよってね、生まれたまんま生まれる以前に戻って下さい。すれば漆桶なんぞ見難あらんです。
百花春至ってってそりゃ言い種だっていうんです、日々是好日も同じこってす、ここにこうある一瞬も留まらんです、滞らぬということは、法あいゆるさず、法だからということはないんです、一場の狼籍なんとも形容しがたいんです、めったやたらめっちゃくちゃがもうそのまんま、矛盾が矛盾のまんまマルです、矛盾なんてあるわけねーだろうがばーたれってね、葛藤窟裏より出頭し来たるはいこれ日々好日ってことです、だからといって未だし、仏法如何じゃないんです、坐せば坐忘です、たとい意識あるなしに関わらずです、仏向上事また知らずです。
頌は詩歌ですから語の響き、そのまあなんともたとえようもないところを味わって下さい、なに中国四声とかひょうそくとかそんなんいらんです。日本語で存分。
第六則 雲門日々好日

 

[本則]挙す、雲門垂語して云く、十五日己前は汝に問はず、(半は河南半は河北。這裏旧暦日を収めず。)十五日己後一句を道ひ将ち来れ。(免れず朝より暮れに至ることを。切に忌む道著することを。来日是れ十六。日月流るるが如し。)自ら代って云く、日々是れ好日。(収。鰕跳れども斗を出でず。誰家にか明月清風無からん。還って知る麼、海神貴きことを知りて価を知らず。)
雲門文偃、雪峰の嗣雲門宗の祖、雲門始め睦州に参ず、州湊泊し難し、取り付く島もないんです、わずかに門に股がる、山門にとっつくとやって来て、
「道へ道へ。」
と云った、ちらともどうかしようなど滞ると、押し出して、
「秦時のたくらくさん。」
と云った。秦の始皇帝が阿房宮を作ったときのろくろぎり、すりへって入頭の所なく、役に立たない、観念倒れです、漱石の猫に出て来る行徳の俎板ですか、ばかですり切れている。
道えとは云えでもいいんですが、別ことぼやいたってそりゃしょうがないです、道です。
雲門やって来ては押し出され、三度めです、
「だれだ。」
「文偃です。」
門が開く、跳り入ると、
「云え云え。」
どうしようったら押し出され、片足残ったのを門を閉める、足が折れた。
「いっつう。」
叫んで忽然大悟とあります。痛いことは痛いんです、でもどこが痛いかわからない、身心虚空に消える。
まったくないのに激痛です。
後雪峰に就く、門云く、如何なるか是れ仏。峰云く、寐語すること莫れ。雲門即ち三拝すとあります。
寝言云ってるなっていうんです。
雲門は趙州についで碧巌祿の常連です、たいてい黙っているか、一語をもって接化に当る、大雲門の一語。
僧問う、
「父を殺し母を殺しては仏前に懺悔す、仏を殺し祖を殺さば、什麼の処に向かってか懺悔せん。」
門云く、
「露。」
又問う、
「如何なるか是れ正法眼蔵。」
門云く、
「普。」
まったくその通りです、寸分の隙もないところを見て下さい、でも雲門の禅なんていうものがあるわけないんです、
「それがしが見処、従上の諸聖と一糸毫許りも移約せず。」
師の雪峰に汝が見処如何と問われて、こう答えています。十五日己前は汝に問はず、これ面白いんです、著語には旧暦か、15と15で一カ月になるかって、余るんじゃないかとか、河南河北同じに流れるって、知らんよそんなこたとか云ってますが、こう云って学人に挙すのは、前代未聞の類ですか、はてなと思うんです。執行猶予か、そんじゃどうしたって死に物狂いして、どんずまりには答えを出さなくっちゃって思う、そりゃ答えの出てない人必ずです。
十五日己後一句を道ひ将ち来れ。さあたいへんだ大鉄鎚、なんせ足へし折って悟った人だぞって、
「露。」
とやみくもまっしぐらやりゃいいです、朝より暮れに至るまでやってたらそりゃそれっきり、ましてや道著、仏はこうでだからどうあるべきやっちゃなーんもならん。世の人日々好日はこれです、薄汚い、しわくちゃてめえのつるっぱげ頭撫でるっきり、あした十六日を待たずさっさと死んだがいいです。てめえいなくなったって月日流れるが如し。
はたしてそうか、日々是好日月日止まったっきり、葛藤むちゃくちゃ。自ら代って云く、日々是れ好日。雲門はらわた曝け出した、云く、
「関。」
という、普よりゃよさそうだ。
収って何が収まった、鰕とはとどのつまりのでっかい魚、海老だっていう説もある、とびはねたって北斗に届かず。両重の考案、たとい葛藤むちゃくちゃも日々好日です。日々好日の蓋着せたって、まるっきりなんにもなりゃせん。誰家に明月清風無からん、そこら三太郎も同じじゃないかあほくさ。還って知るや、海神貴ときことを知りて価を知らず。人みな価を知る、たとい足を折ったって自救不了です、仏海のまっただ中に価を知らず底。
[頌]一を去却し、(七穿八穴。什麼の処に向かってか去る、一著を放過す。)七を拈得す。(拈不出、卻って放過せず。)上下四維等匹無し。(可似生。上は是れ天、下は是れ地、東南西北と四維と、什麼の等匹かあらん。如何せんしゅ杖我が手裏に在ることを。)徐に行いて踏断す流水の声。(脚跟下を問ふこと莫れ。体究を為し難し。葛藤窟裏に打入し去り了れり。)縱に観て写し出す飛禽の跡。(眼裏亦此の消息無し。野狐狸精の見解。依然として只旧窩窟裏に在り。)草茸茸。(脳後に箭を抜く、是れ什麼の消息ぞ。平実の処に堕在す。)煙羃羃。(未だ箇の窩窟を出でず。足下雲生ず。)空生巌畔花狼籍。(什麼の処にか在る。不しつりゅうの漢。勘破了也。)弾示して悲しむに堪えたり舜若多。(四方八方尽法界。舜若多の鼻孔裏に向かって一句を道い将ち来たれ。什麼の処にか在る。)動著すること莫れ。(前言何くにか在る。動著する時如何。)動著せば三十棒。(自領出去。便ち打たん。)
一を去却し、一というを去るきれいさっぱりする、万法一如という、ものみながたった一つになるとは、ものみなそのものになるということです、だれかれあれは何ではない、尽大地撮し来たるに泡米粒の如しです、これ目くじら立ててこうだからこうとやったんでは駄目です。かつて自分の邪まの分思い込み独善が失せる、音楽だ天才だ神仏が消えるんです、淋しいんです、なにものもない、取り付くしまもない、すると自然はまっ平らに見える、まったくの無意味ですか、一つこっきりです。
一つこっきりを去却して下さい、相対している自分と自然の垣根が失せるんです、するとゼロです、ゼロとはものみなです、一切が我がものです、我がものという宇宙全体です。
もとっここうあるを知るんです。
七穿八穴のまんまです、いずれの処に向かっても去らない、今朝鳶ではないのすりが飛んで行く、ふらーりあんまり格好よくない、飛び去って行く自分です、こっちそのまま行く、かつて老師がわしら二三の前に、鳩の飛び去るのを、
「あれはわしだ。」
といった、みな右往左往、
「わしじゃない鳩だ。」
というのは野鴨子の則を知る。このとおりこのとおり行なわれていて、しかもなおかつ七を拈得すです。時雨降れば時雨あり光当たれば燦乱です、拈不出、卻って放過せず、そりゃ徒らに見ていれば、眼あって見るには拈もなけりゃ、卻ってとっかかりひっかかるだけです。
上下四維等匹無し、そりゃもっとも親しい様子です、上は天あり下は地あり東西南北って中国流はとんなんしゃぺいですか、意味ありわけ知りじゃないんです、等は仲間匹はたぐい、そういうもののまるっきりない一箇なんです、もっとも親しいとはこれです。
如何せんしゅ杖我が手裏に在ることを、痩せ我慢てまあそんなことないんです、こっちにあるっきゃないんだしさ。
あるときはでいだらぼうになり、あるときはしし神になり、あるときは原始の森になり、あるときは水になりして、もののけ姫見たら半日そんな塩梅。
でもさでいだらぼうになってごらんよ、ちっとは日頃の欝憤吹っ飛ぶよ。
自分がないとはなんにでもなれるんです。
口内炎がひどいから薬師如来になったら、はあて半分治ったかなお笑いやってるぜまったく。
なんせつんぼ桟敷みたい仏ほっとかれるからなあ。
徐に行いて踏断す流水の声、
縱に観て写し出す飛禽の跡、
草茸茸煙羃羃、
空生巌畔花狼籍。
そうなあ大好きったら圜悟にぶん殴られそうだけどさ、だいたいあいつうるさい、つべこべ抜かすと口内炎にしちまうぞ、わしは時雨降る中、実にこうやってさドライブしてんのに。
ぴったりってわしの語届かんでなあ。
弾示して悲しむに堪えたり舜若多。
しゅんにゃたは土空神なりとあります。だっても神さまそっちのけにうそぶき歩く。
楽しいこったです。
自分はどうかと顧みるなければ是と一応目安を置く、繋げる駒の紐を解くんです、脚跟下を問ふなかれ、すると徐に行いて踏断す流水の声です、とやこうじゃないこのまんまです、もし情堕の人ならば似て非なりです、自分をそのように見做すということをする、醜いんです、体究を為し難し、なんでこんな語があるかわからんでしょう、でも坐った人には痛切なんです、どこまで行っても標準あり身心ともになしダカラをやっています、それを抛つ、不完全そのものです、葛藤窟裏に打入し去り終わるんです、ものみな失せてかくの如くです。縱に観て写し出す飛禽の跡。跡に跡なしですよ、どのようにほしいままにしようとも、そのもの自身いつだって終わっている、終わっているとも知らずは夢中の喜びです、人間本来の夢中、存在という喜びそのものなんです。
哲学文学なぞ関係ないです。
ただの人ですよ。
日々是好日。眼裏亦此の消息なし、普通の人眼裏目の子勘定するんです、記憶に残そうとする、そういうことがまったくないから夢中、一年365日夢なんです、現実であればあるほど夢です。依然として旧窩窟裏に在りじゃお茶を濁す、人間という歴史という垢塗れに一頁を付け加えるきりだ、そうじゃないよ文化勲章じゃない、宇宙自然から笑みを貰いなさい、よくしたぞってね、脳味噌のとやこうから開放されて、ようやくわしらがお仲間入りってね。
脳後の箭を抜く、せっかくこう云っといてもう一本抜こうってかい、これなんの消息ぞ。まあね。
草茸茸煙羃羃でたらめめったくさです、だって人間のしん意を放れるんです。
煙羃羃、足下雲を生ず。
歌にも俳句にもならんです、さあ是非一度手放して下さい、俳句だ歌だいうなんという醜さ嘘八ってことに気がつきます。
ちった恥を知れってこと。
恥を知って初めてこの世の豊かさを知るんです。空生巌畔花狼籍。不しつりゅうの漢、溜飲を下げて下さいよ、説得するほうのさ、勘破了もまあたいへんだ、結局ただじゃすまんのです。
舜若多をもって来て動著するなかれって、こりゃどうもごっつぉうさま、なんともいいようがない、本当にまさにってね、老婆親切ご苦労さん、そうじゃない大変ですねって云わなくっちゃ、日々是好日。
第七則 法眼慧超仏を問う

 

垂示に云く、声前の一句、声聞と云うたとい一句云い出せばそれによって迷うんです、迷うとは、だから自分いいとする、だから悪いとするも同じだが、だから云々の自分が問題なんです、
そんなの見えないといって、たいてい本人にだけは見えない、人には丸見え困りもんだがっていうぐらいのものです。だから以前に問う声前の一句です、千聖不伝のところをどうかして伝えたい、これが仏教の本来です。すなわち未だ曾て親觀せざれば、大千を隔つるが如しです。ものみな大千を隔つるんです、なあなあ仲良くなんてことない、うるさったいこたないんです、
春は花夏時鳥秋紅葉冬雪降りて涼しかりけり
です。いいですか、自分にあるものに照合したってだめです、自分にないものに参じて下さい。
すると得たという、天下の人の舌頭を切断するもという、天下取ったこわいものなし、大だんびら振り上げたって、はなっからもう真っ二つになってるのに気がつかない。
そりゃどうしても振りかざす、持って回るからです、振りかざそうとしたらもうやられている、おまけにそれに気がつかない。
とくとくとして大威張りは情けない。
すべからく得たら捨てよ、もういっぺんひっぺがえすんです。
天も覆うこと能はず、地も載すること能はず、虚空も容れること能はず、日月も照らすこと能はず、無仏の処独り尊と称して、始めて些子に較れり。はいこのとおりです、各人一ちゅうして下さい、まさにこんなふうに坐るんです、といったらくすっと笑ったりしますか。
でもって大仰なのまだあります。
一毫頭上に於て透過して、そう坐ってしまいこいつなんです、どうでもお釣りが来る、ほんのわずかの毛筋一つ、そいつがそうついに失せるんです。すると大光明を放ちという、自分で自分をどうにかせんけりゃという手が離れる、いながらにしてって、いるもないからもとっこ大光明なんです、大光明なんて云わず味わい尽くして下さい、
自然というじねんなんです。七縱八横、葛藤妄想何がどう出たろうこれこれっきりです、法に於て自在ならばという、これを意識しないんです、手に任せて拈じ来たる、他になんの手段もないです、不是あることなし、不是というはおのれ不是の故にです。
なにを得たらこうなるのか。
手を付けられないってこと、ただこうなり来たったってこと、人も知るですと、まあそういったこったな。
[本則]挙す、僧法眼に問ふ、(什麼と道うぞ。担枷過状。)慧超和尚に咨す、如何なるか是れ仏。(什麼と道うぞ、眼晴突出す。)法眼云く、汝は是れ慧超。(模に依って脱出す、鉄饌餡。就身打劫。)
法眼文偃、羅漢桂ちんの嗣五宗の一法眼宗の祖。そくたく同時底の機あり、そくは卵が孵るときひなが中からつっつく、たくは親が外からつっつくんです、そっく同時はもっとも有効な手段です、自分という卵の殻がひっついていたんでは出来ない、撃石火閃電光に似たり、直下に一条の正路を発開とあります、同時底同事底です。知慧を超える即ち仏というんじゃ、だいぶ間が抜けます、せっかく入頭の周辺が俗塵に紛れてしまう、慧超和尚にまをすと必死に道い持ち来たるを待って、汝は是れ慧超と、法眼まったく失せて慧超独り尊するんです。
ものみな慧超になり終わる、模によって脱出す、面白いんですよ頭念を通さずに言語があるんです、通身反応の不思議です、提唱を聞いて悟ったという良寛さんの、正法眼蔵がいかようであったか、良寛研究家などには金輪際わからんこってす。
意味がほんとうにわかる=不可思議。
汝は是れ慧超、落雷であったか、花の綻びるようであったか、三千世界七通八達するんです、夢にも見ない現実です。まっ平らです。
人陸沈さる。
什麼というぞ、担枷過状、自分で首枷して白状書を持参とあります、でもって慧超和尚にまをすってわけです、その首枷がいっぺんに取れる無罪放免。
いいですか挙すという仏教聞法須らく担枷過状です、そこまで持って行くのがたいへんですか、まさにそうなんですよ、仏教なければ罪科なしをもって、ものみな払拭するんです、でないと自縄自縛の自覚さへ持てぬ。
なんにもならぬのTOUTETUさんですか、ありゃまあ先ず自分マルしてそれからっていうんじゃ、なんにもならんです。そうじゃない自分どうしようもない、だからってのが出発点です、たとい首枷外すにしたって、おれはいいんだだからってんじゃ、なぜかなんにもならんです。
そうさなあ以前おむつぼくちゃんてのいたけど、あれと同じ、人におむつ替えさせといて文句云っている、どうにもこうにもです。
人間以前みたいの多いのは、そりゃ戦後履き違え教育の成果だって、これなんとかせんと国滅びるです、人格形成ができない、仏教以前の問題です、くれえというのとてめえ楽したい、てめえだけいいこちゃんしたいってきりなんにもない。
死刑かな、おじゃまむしってよりないんだで。どっちにしても思い込みなんです。
即監院という人がいた。法眼の会中にあってかつて参請入室せず、せっかくの師に参じないんです、一日法眼問いうて云く、なんで参じないんだと聞いた、即云く、
「和尚知らないか、私は以前洞山会下青林和尚の所で悟ったんだ。」
「ほう、では云ってみろ。」
「私が如何なるか是れ仏と聞いたら、青林和尚は丙丁童子来求火と云った。」
「いい語だが、おそらくおまえは過って得たんではないかな、もうすこし云ってみろ。」
「丙丁は火に属す、火をもって火を求む、私はすなわち仏だ、更に仏を求める如何。」
「やっぱり過って得る。」
即監院憤然として坐を立つ。もう用はないと云って出て行く。途中自ら忖って云く、彼は500人の大善知識、わしに嘘を云うわけもないがと云って、引き返す。
再び参ずるに、
「では問え、問えば答えよう。」
法眼は云った。
「如何なるか是れ仏。」
「丙丁童子来求火。」
これは永平弁道話に出て来ます、わが師日泰寺覚王山に師家たる、始めての提唱が弁道話だった。
「へいていどうじらいぐか。」
僧堂の障子がふるえ、ぼんくら坊主どもが単から一尺浮き上がる、こりゃ誇張じゃないです。
[頌]江国の春風吹き立たず。(尽大地那裏よりか這の消息を得たる。文彩已に彰る。)鷓鴣啼いて深花裏に在り。(喃喃何ぞ用ひん。又風に別調の中に吹かる。豈に恁麼の事有らんや。)三級波高うして魚龍と化す。(這の一路を通ず。大衆を瞞ずること莫くんば好し。龍頭に踏著す。)痴人猶ほ汲む夜塘の水。(扶籬模壁。門を捺し戸に傍ふ。衲僧什麼の用処か有らん。株を守りて兎を待つ。)
たしか江南の春風吹き起こり、鷓鴣鳴く処百花開くというんですか、大死一番大活現成という、身心ともに消えて宇宙ぜんたい蘇るんです、自分というひっかかり失せて百花斉放の春です、鷓鴣とはうずらのようなこじゅけいのような鶏ですか、鳴き声ともによう知らんです、だれかくわしい方に聞いて下さい。ともあれ声の聞こえないは、観念の産物、実際ではなく思い込みですか、百花繚乱の辺に言端語端、音声が七通八達します。でないとそりゃどっかおかしいです。別風ですがね、俳句歳時記という膨大な記載があります、読んで行くとふっと囁き声が聞こえる、
よく見れば薺華咲く垣根かな
決まって芭蕉なんです、あとのものはどういうわけかくすっとも音無し、石田波郷の叫び声、
百方の焼けて馳せ行く小名木川
どこか耳だの底に響く。では残余の百万だらなんだ、言葉にならぬもの、ただの得手勝手一人悦に入って、それ自体害悪としかいいようにない、過ちだ、どうしようもない悪たれがきどもの生みの親これ。
情けないこったなってこれ、人間の基本わざです、声を発する応ずるものがいる、でなかったらなんにもならない、なんにもならぬは害悪。
みなまた応ずるものを求めて百花繚乱、たしかにそりゃそうに違いない、では本当につうかあ応ずるものと一つこっきりになる、これを悟りという大死一番というんです。
人が応ずるだけじゃない、人そっぽ向いたって山河大地はたすすき雲に鳥みな応ずるんです。
でなきゃ満足も大安心もないです。
むかしの人はともかく今はかくかくなど云ってないんです、古人今人みな友達です、我より勝れる者はこれに師事すです、古人今人そんなものどこにも転がってないです、風景も全宇宙も雲散霧消。
自分というもの無うして如来か、如来無うして虚空か、虚空無うして春風か、無味乾燥裏に飽食して詩歌か、取り付く島もなくって卻って風付ありや、慧超の面を借りるか慧懐のふところに入るか、一瞬定まらずどやつも不可。
慧超和尚に咨す、如何なるか是れ仏、汝の名は慧超。これをもって、江国の春風吹き起たず、鷓鴣啼いて深花裏に在りと頌す。別に大騒ぎの春風を要せずというんですか、尽大地いったいまあっていうんです、なんでこんな文句持って来たんだ、文彩已にあらわる、詩歌の色っけです、もと不要なものに違いない、それにしてもまあってやつです、でもさ味わってみるとまさにぴったりの、出来すぎってほどに拍手喝采です。
いいなあこの文句って、手放しやってちゃまずいか。
鷓鴣啼いて深花裏にあり、そんじょそこらの手段じゃないよ、喃喃何ぞ用いん。用いているんです、ちゃーんと声が聞こえる、雷声。別調の風ととったらそりゃ駄目です、恁麼の事あらんやって、そんじゃ恁麼の文句いってみな、別調の風ですかウッヒッヒ詩にもならんよって。
三級波高うして禹帝鑿って三級と為すとある、三皇五帝伝説の王の堯舜禹ですか、揚子江の治水に成功した王さまです、三級というそりゃああ波満々ということですか、今三月三、桃花開く時、天地の感ずる所にして、魚有り龍門を透得すれば、頭上に角を生じ、そうりょうたる尾を上げて、雲をひこずらって去る、跳り得ざる者は点学して帰るとあります。登竜門という、日本にはこの意ぐらいしか一般的でないけれども、中国には科挙の制度やあってすこぶる思い入れがあるようです。
孟津は即ち是れ龍門なり、龍門を躍り上がって通過すると魚が龍になる、魚変じて龍にならんけりゃ役に立たないです。
どういうことかというと、自分に首突っ込んでいるの止めりゃいいんです。
ぴーこぴーこひよこやってないんです。
宗門坊主どもを見ていると面白い、なにせのみのきんたまほどの血もないのが、坊主やってると長年修行した気になっている、たしかに坊主商売奇妙なとこあって、人の弱みにつけ込んで儲ける、他人のとやこうを読む、心理学というより生存学みたいな所があって、それなり仏教だと思い込む。いなり仏教ですか、もとっこそんなんあるわけがない、死んでいるというか、自分の結末がついていないから、どうにもこうにもです。
魚変じて龍と化すということがわからない、しかも問答など平気で魚龍と化すとやる。
これなんぞって、ただもう救いようがないだけです。「自分に首を突っ込んでいる。」
不可能事なんです、仏を求めるついででもいったんは突っ込まないとどうしようもないですか、坊主に生まれたから説教という、自分棚に揚げじゃ問題にならんです、そりゃ人間じゃないものを作る。
人の為にはなんにもしない、自分ご本尊て、まあどうにもこうにもってことです。
そうじゃない、およそ人=菩薩ならまずもって我と我が身心をどうにかしようってことです。このまんまでいいのか、いいえよくない、なんとかしようっていう四苦八苦です。
これをついにぶち抜くんです。
自分に首を突っ込む不可能事を知るんです、すると魚まさに龍と化す。がらっと変わってしまうんです、魚なぞ問題にしない、どうあったってそういうことです、痴人猶ほ汲む夜塘の水です、情実の人なあなあ世間体の人です、だからどうだの、世界をひっかついで結局なんにもならんです。魚が真夜中まっくらやみの池に餌を漁っている。
汝が名は慧超という、はあっとぶち破れる、知慧を超えるから仏など云ってないんです、いっぺんに躍り出るんです、
「なんだ、なにをおれは今までやってたんだ。」
というぐらい。
かなわずば痴人夜塘の水、どっかひっかっかってああでもないやってるんです。
点額してもって龍頭に堕す、あのときこうであった、通身の脱するに似たりという、たった今を得ないんです、たといなにどうあったって勘定書き不要です、そんな余裕ないんです。
きれいさっぱりを点額しないんです。扶籬模壁とは手さぐりしてまわること、こうあったあのときこうすべきとか、もうちょっととかいう、そりゃたしかにわかるんです、門を捺し戸に傍う、入頭の辺領に逍遙するんですか、これが落ちること自然をもってす、人はもと如来だから本来悟っているんだからとか、こっちからインプットしてやったって、いっときいいかと思い違えるだけです。
でもたしかに門戸なし無門関なんです。
自分で自分をそうしている、運転せんけりゃもとないんです。
思い切って坐禅を止める、そうして坐るんです。
点額しようにも扶籬模壁も手がないんです。
待ち呆けの歌は中国原産ですか、株に兎がってやつです、悟ったらってやらないんです、待ちもうけると待ちもうける自分があるんです、痴人ですよ。
第八則 翠巌夏末衆に示す

 

垂示に云く、会するときんば途中受用、自分という完成したものを待って悟りに至ると、世諦流布世の中流にどうしても考える、するとただそうなってしまう、手が届かないんです。そうではない、仏は自分のありようを問わないんです、目くそ半欠け蚊の涙、何がどうあれ身を投げうつ、通身挙げてということです、いわんや悪人おやです。途中受用修行によらぬ、たった今の皆懺悔です、よく考えてごらんなさい、ものはそれっきゃないはずです。たといわしのような目くそ半端もこれあれば即成就仏身です、虎の山により龍の水を得る、自分というもの失せて世界宇宙ぜんたいとてこうある。
世諦流布世の中流は、羝羊藩に触れ、羊が垣根に突っ込んで角がひっかかってどうもならん、自分ではない他を標準にするからです。あれだめこっちいけないが途中受用を知る、思い切ってどうとでもなれと、標準にしようとするそいつを捨てるんです。するとふうっと納まる、消えるんです、途中受用とっかっかりひっかかりそのものこっきり。
株を守って兎を待つ、今に見ていろ僕だってをしなくなる、悟りという向こうに見ないんです。坐禅という今に見ていろじゃない、たった今です、坐禅は坐禅の為にす、あとさきない現実です。
仏の家に投げ入れて、まるっきりのあなた任せです。
或る時の一句は金剛王宝剣の如く、或る時の一句は天下の人の舌頭を坐断し、或る時の一句は随波逐浪、人の云うに従いそれにのっとって転ずるんです。
若し也途中受用ならば、いいですかこれ二通りあり、途中受用はたといどこまで行ってもです、未だしというに同じ、どこまで行っても通身皆懺悔です、知印に遇うて機宜を別ちです、自分というものに首を突っ込まぬ同士のつうかあです。休咎を識り、自分なんてどうしようもないものです、ちらともすりゃぶったるむんです、照合してそれを知る、自ずからに知るんです。相共に証明せん、まさにこれあるんです。
若しまた世諦流布ならば壁立千仭、そりゃ取り付く島もないんですよ。よくINで好みを通じというのか、世の中流仏教なあなあするんですが、そりゃハイごもっともってわけにゃ行かんです。
取り付く島もないもの仏。大用(ゆうと読む)現前軌即を存せずです、ものみなこう行なわれている、人間心意識のとやこうではない、心意識そのものさへ、取り付く島もないものです。
有る時は一茎草をもって、丈六(尺)の金身と作して用い、有る時は丈六の金身をもって、一茎草と作して用ふ、且く道へ、箇の什麼の道理にかよると。まあそういうこってす。
[本則]挙す、翠巌夏末衆に示して云く、一夏以来、兄弟の為に説話す。(口を開かば焉んぞ恁麼なることを知らん。)看よ翠巌の眉毛在りや。(只眼晴も也地に落つることを勝ち得たり。鼻孔に和して也失し了れり。地獄に入ること箭の射るが如し。)保福云く、賊と作る人心虚なり。(灼然、是れ賊賊を知る。)長慶云く、生ぜり。(舌頭地に落つ、しゃく(金と昔)を将ってしゃくに就く。果然。)雲門云く、関。(什麼の処にか走在し去る。天下の衲僧跳不出。敗也。)
翠巌令参、保福長慶雲門みな雪峰の嗣、一夏以来兄弟の為に説話す。夏とは四月から六、七月まで制中といって首座和尚を立て修行に勤しむんです、祇園精舎のむかし、夏はさまざまな生物がいっせいに活動する、これを損なわぬように人は即ち坐禅三味だったです、これを受けて夏という、今は冬安居もあります。口を開けば恁麼です、この事の他にはない、お釈迦さんがそうであったありがたやなんまんだぶつじゃない、たとい冗談ごとも語に響きありです、この中に住す、よろしくよく保護す長長出です。焉んぞ知らん、だからという一句抜きです、無条件生きは法はこうあるべき、だからということない、知らないんです、知らず知らずして帝の則に契うんです。
眉毛ありやというのは、嘘をつくと眉毛が落ちると云われた、どうですか、翠巌嘘ついて来たという疑心暗鬼ですか、保福云くのように、心虚びくびきものですか。
たとい般若心経も一代時経も説くに従い眉毛ありや、いいやお経も大法も他の比較を絶す、唯一確かなものという、さあどうですか。
人が確かだというときに、出典はどうの実験追試験で確かめとかいう、他の標準を借りるんです、虎の威を仮る狐です。
眉毛ありやは虎に預ける、だからおれはっていう真っ赤な嘘なんです。
翠巌言端語端標準そのものです。
どうですか、眉毛ありやと問うてみますか。
道うはじからまったく別様なんですよ、さっきこう云っただからとか、その続きないんです。
AはAと云いくるっと変わってAはAに非ずという、しかも後先ない、自覚症状がまったくないんです。
眼晴もまた地に落ちることかくの如し、鼻孔に和して失う、たれかれものみなそっくりです、地獄に落ちること箭の如しを味わい尽くす。
びくびくものですか。
通身皆懺悔とは、まったく手の届かぬことをいうんです。
保福云く、賊となる人心虚なり、虚心じゃなくって虚怯びくびくするんです、賊賊を知る、相手の心になりかわってそっくり用いる手段です。
灼然やりおったって云うんです。
長慶云く、生ぜり。達磨に鬚ありやという公案がある、ひげのあるなしにひっかかるとは、情識の人あると云えばある、ないと云えばないんです、有無これ情識観念のなせるわざです、いったんこれを免れ出るんです。
一切虚空を知る、空しいんではない色即是空、取捨選択によらぬ真です。
生ぜりとは云いも云ったり、舌頭地に落つ、しゃくをもってしゃくにつく、はたしてって云うんです。舌を抜かれちゃった、だれがってあなたがですよ。
雲門云く、関。
古来どうやらこれが主役です、雲門大師多く一字の禅をもって人に示す、一字の中に三句ありと。
関=眉毛ありや。
眉毛ありやのほうが自分にどっか首を突っ込んでいるってふうに思える。ひっかっかるなと云うにはひっかかるんです、でもやっぱり、
眉毛ありや=関。
もうあとなんにもないよってふうです。だれあってこうは行かない、天下の衲僧跳不出です、まあどっから持って来たって取り付く島もなしが、
関。
と見事に首枷。そうですよ、禅宗無門関ここにあるんです。
禅だの仏教だの100人いりゃ100通り=たいてい情識の一通り、重離六交場合の数なんですがあって、とにかく売らんかな、おらあいいんだ騒々しいかぎりの昨今、そんなもな一言ばればれ一目瞭然なんですが、
関。
と云わずたってちょっとは首枷。
[頌]翠巌徒に示す。(這の老賊。人家の男女を教壊す。)千古対無し。(千箇万箇。也た一箇半箇有り。分一節。)関字相酬ゆ。(道うことを信ぜずや。妨げず奇特なることを。若し是れ恁麼の人ならば方に恁麼に道うことを解せん。)失銭遭罪。(気を飲み声を飲む。雪ちょうも也少なからず。声に和して便ち打たん。)潦倒たる保福。(同行同伴。猶ほ這の去就を作す。両箇三箇。)抑揚得難し。(放行把住。誰か是れ同生同死。他を謗ずること莫んばよし。且喜すらくは没交渉。)労労たる翠巌。(這の野狐精。口を合取せば好し。)分明に是れ賊。(道著するも也妨げず。捉敗了也。)白圭きず無し。(還って弁得するや。天下の人価を知らず。)誰か真仮を弁ぜん。(多くは是れ仮。山僧従来眼無し。碧眼の胡僧。)長慶相諳んず。(是れ精精を識る。須らく是れ他にして始めて得べし。未だ一半を得ざること在り。)眉毛生ぜり。(什麼の処にか在る。頂門上より脚跟下に至るまで一茎草も也無し。)
せっかく雪ちょうの頌もこれじゃ評唱みたいだ、なんて云うのは抑揚得難し、ひょうそくや韻を知らないから、乃至はどっか耳たこになってるんです。そうじゃない初に出会う、これ禅家極妙の法則、何十年生きたろうが始めての冬、初めての雪です。三、二十年参じたろうが初体験です。この世にこうあって、三世というこうあって、いや別段形骸なくっていい、ここにこうあって、
「おのれは。」
というんですよ。ただ悲しいってだけでいい、あっちこっち皮かむりやってない、シャバ流に云えば全人格として相対す。全人格の陸沈を知る。そうしてなにどうなったというんではない、日々是好日。翠巌徒に示す、千古対無しです、一箇口を開けば、口を開かぬたってこうあるっきりない。道うことを信ぜずやって、掛け声です、翠巌壁立万仭です。
眉毛有り也、妨げず奇特なることを。
這の老賊、しょうもないやつだ、人家の男女を教壊す、教育のピラミッドをこわす、人家に住む幸せをです。歴史なんてものは人類のがらくた嘘八、数学なんてものは123の架空お遊び、とやこうこれ、
「眉毛ありや。」
が根底くつがえすことを知って下さい。
心のありよう、これなんです。嘘かほんとうか、たとい沙婆流真っ赤な嘘なんです。架空のうすっ皮ひっぺがして下さい。千古対無しがようわかります。
失銭遭罪は、むかし銭を失う者は罰せられたという、泣き面に蜂、首くくる縄もなし年の暮れに、もう一丁です。関字相酬ゆです。
これわかりますか、須からくこれひとたび得たというなら、だれかれこれに参じて下さい。
どこまで行ったろうが許されんといったほどがいいです。なにね、大自在大安心は向こう任せの100%です。
こっちとやこうのこっちゃない。
自在も安心もなげうちゃいいです。
千箇万箇また一箇半箇あり、禅宗ピラミッドなんかないです、
「是という老師は是おまえは不是。」
とは、よく云われたです、分一節目くそ半端のそれそのまんま。
恁麼の人ならば方に恁麼に道うことを解せん。雲門の関にはだいぶ参ってるなあ。他何か云ったら蛇足になっちまう。
声に和して即ち打たんとは、雪ちょうもまた少なからず、まあそういうこった。
潦倒たるとは、回りくどいこと、賊となる人心虚なりですか、字余りってそりゃ関に比べりゃって、比較検討なしでしたっけ。同行道伴猶ほ這の去就なんていらない、きれさっぱりやってくれって云うんです、びくつくっていいけどな、エッヘッヘ笑ってどこもびくつかない。
抑揚得難しって、なんかどっかよけいごとですか、眉毛有りや、関。なるほどって納得しちゃうからいかんですか、でも就中こうは行かない、抑揚とは世の中ふうに味わうんじゃないです、抑も揚もそれっこっきり、行きて帰らずふうです、わかりますか、地球宇宙一切そうなってます、知らぬは人間ばかりなり、如何なるか是れ抑揚、雲あり鳥ありです。誰か真仮を弁ぜん、雲と云わず鳥と云わずです。白圭きずなし、これを得るたいていじゃないんです、どうやったって自他を破る他ないのが、あるとき玉露宙に浮かぶんです、たとい眉毛ありやもきずなしを知る。壁立万仭永しなえにこの中に住む。眉毛生ぜり相諳んずとさ、勝手知ったる達磨さんですか、阿呆めがそんなこと金輪際ないんです。
第九則 趙州四門

 

垂示に云く、明鏡台に当って、妍醜自ずから弁ず。明鏡また台にあらず、妍は妍醜は醜、身心なしっていうたったそれだけです、妍と云わず醜と云わず。触れりゃ已に切れているばくやの剣です。漢胡去来すという、漢民族だけ漢ということなし、やられりゃやられっぱなしでいい、持ってるやつが持って帰るってんなら、はいどうぞっていう無責任、そいつはやり過ぎか。ともあれ死中に活を得、活中に死を得とは騒々しい、且らく道へ、這裏に至って又作麼生。手も足も出ないって、手も足も出ないまんま転法輪如何。もみじも流水も、花に鳥も長口舌、何云うことはない、透関底という、透関底またいずこにありや。
[本則]挙す、僧、趙州に問う、如何なるか是れ趙州。(河北河南。総に説不著。爛泥裏に棘有り。河南に在らずんば正に河北に在らん。)州云く、東門西門南門北門。(開也。相ひ罵ることは汝に許す嘴を接げ。相唾することは汝に許す水を注げ。見成公案、還って見る麼。便ち打たん。)
趙州真際大師、狗子に仏性有りや亦無しや、云く無。如何なるか是仏法、喫茶去。至道無難唯嫌揀択、只憎愛無ければ洞然として明白なり、余は明白裏にあらず。この碧巌禄にも頻出します、大趙州どれをとっても一言下に人を転ずる殺活自在底です、寒毛卓立の手腕です。でたらめ云っちゃいかんです、狗子に仏性ありや、命がけに参ずる以外ないんです、云く無と。無の中に通身消えて初めて少応の分あるんです。喫茶去という、でたらめ禅師文学流の類と且喜没交渉です。まったく別なんです、たいていの人どうアンテナ伸ばしたって、棺桶に入るまで別ことです、生まれ変わり死に変わりしたってどうもならんです。
喫茶去といわれて自分転じなけりゃ、そりゃなんもならんです、転ずるくるっと変わる、まったく以前の自分を卒業する底です。
これなきゃ仏教あってもなくっても同じ、仏教という三百代言うるさったいばかりです。
趙州というお城があった、直隷省にあり趙州和尚の住所とあります。大趙州趙州というお城に住んでいた、鉄壁のお城っていうわけで、僧問う、爛泥裏に棘有りです、意趣あるんです、旧参底です、一筋縄では行かない。狗子に仏性ありやまた無しやと問うもなかなか、とやこう生返事じゃ返り討ちです、なに返り討ちだろうが、ひっ担いでる方が荷物下ろすよりないんです。たとい答えを予測するなんての駄目ですよ。河北河南説不著です。なにが趙州だと、そういうお前は菜っ葉服だ垢まみれとか云ったら、東西の目に合わせようってやつです。趙州百戦錬磨じゃないんです、まっさら赤ん坊です、ただもうまっすぐです、百戦錬磨はそりゃ百戦錬磨してるでしょう、でもみな血肉です。あるいは空まったくないんです。それ故に州云く、東門西門南門北門。東西南北門相対するんです、悟故十方空、迷故三界城、鉄壁の大趙州もたとい三界城を、無事通過じゃない鉄鎚輪鎚です。ないよって云ったんですか、ないよってぐらいはわしにも云えるんです、随波逐浪ですか、どうもそんなまだるっこしいではない、相手そのものになって粉砕ってのが、たとい大趙州の手腕です。
手も付けられんですよ。開也はあてねって云うのはおく、罵ることは汝に許す嘴を接げ、そりゃ一句なけりゃいかんです、一句云い出て下さい、とうていかなわんたって、唾することは汝に許す水を注げ、通身皆懺悔はあっと思い当たって下さい、発露白仏です。見成公案卻って見るや、すなわち打つ、どこまで行ってもですよ、雪の辺に霜を置くんじゃない、ない底をないんです、どうしたって趙州門を欲しいです、ちらっともあれば通身参じて下さい、参ずる=打つ以外になく。
[頌]句裏に機を呈して劈面に来る。(響、魚行けば水濁る。趙州を謗ずる莫くんば好し。)灑迦羅眼繊埃を絶す。(沙を撒し土を撒す。趙州を帯累すること莫れ。天を撈し地を模して什麼かせん。)東西南北門相対す。(開也。那裏にか許多の門有らん。趙州城を背却して什麼れの処に向かってか去る。)限り無き輪鎚撃てども開けず。(自ら是れ汝が輪鎚到らず。開や。)
もとなんにもないからなんにもないと云っていたんでは、そりゃなんにもならんです。なんにもないから何やってもいいんだと云う、そりゃそのとおりにしたって、どうにもならんものはどうにもならんです。阿難尊者迦葉尊者に師事すること二、三十年して、師兄と聞くんです。世尊金爛のお袈裟の他に箇の何をか伝う。伝法のしるしのお袈裟が伝わっていた、その袈裟の他に何か伝えているものがあるのかと聞く、迦葉阿難と召す、阿難応諾す。迦葉云く、倒折刹竿著。門前の旗竿、法あってこれを説くというしるしの旗を倒して来いと云った。主が変わるんですか、阿難忽然として大悟すとあります。
なんにもないとはどういうことかよくよく見て下さい。なんにもないと云っている自分がないという単純事実、忽然大悟なんです。三日耳を聾するんです。
では句裏に機を呈し劈(ひつ)面に来るとはどういうことですか。
ちらともありゃひっかっかるんです。たといないもの同士だって、意図ありゃ意図ある、魚行けば即ち水濁る、
はたしてそうか。もと有る無しに拠らず、趙州を謗ずるなくんばよし、謗るなど論外ということを知る。しゃからげんとはサンスクリットで金剛不壊と訳すとあります。趙州城だれがなんといったって繊埃を絶するんです。趙州陥落なればこの世真っ暗闇。沙を撒き土を撒き、なんにもないに到る苦労の垢ですか、上を見下を見ですか、あわよくばですか、汝に一物の仏法なしと、天を撈し地を模すんですか、へえわしならぽっかりひっかかっちゃうがなって、ひっかかったって許せぬもなそりゃ許さんです。
東西南北門相対す。趙州城というからです、あはあつうかあなんにもなしなって云ってないんです、忽然大悟の七通八達です、これがなあるほどじゃあなんにもならんですよ。開也って云うんです、いえあなたがです。どこに四つも五つも門があろうってんだ、趙州め城明け渡してどこへ失せようっていう、まあね。
城なきゃ駄目なんです、はーい。わし城なんかない、元の木阿弥きりなんです。そうですなんにもなりゃせんです。
限りなき輪鎚、つまり城攻めの時使うやつです、大勢でもってどっかんどっさん、いやさすがに大法となりゃまちっとスマートなやつ。泥臭いやつ、でもって打てども開けず。自らこれ汝が輪鎚到らず、いいからあんたもやってみなっていうんです、開也。どーんとやりどどんとやり自分城破り去って下さい、為に趙州はあるんです。
我より勝れる者には、三歳の赤子なりともこれに師事し、我より劣れる者には、百歳の老翁なりともこれに教示せん。
つっぱらかっていないんです、でないと入頭の所ないです。
第十則 睦州掠虚頭の漢

 

垂示に云く、恁麼恁麼。不恁麼不恁麼。恁麼と云うても不恁麼と云うてもまるっきりこれです。坐ってごらんなさい、うまく行くうまく行かぬないんです、どっちどう転ぼうがそれっこっきりです、かすっともかすらない底正に小応の分ありです。三千世界他なしを知る、宇宙のはてまで三往復って、そんなものは目じゃないことを知るんです、かくあって若し職を論ぜば、箇箇転処に立在す、そっちありこっちあり、これ只管打坐の消息です、そうです正に人間一個のありようです。
どうかこの醍醐味を知って下さい、こんなもんだなんて決め込まないで下さい、思いもかけぬ自由自在は、そんじょそこらに転がっている程とは、天地雲泥の差ですよ。少しはこの事を知ったという人も、強烈自信満々も必ずもう一回転じて下さい。
直に得たり、釈迦弥勒文殊普賢千聖万聖、天下の宗師普ねく皆気を飲み声を呑むことを。
ということをまったく知らんのです、だれあって行きあたりばったりしかない。とはたいへんなことなんですよ。勝ち負けを云うのは相手です、こっちどう負けたって負けようにないです、負けたらその分救ってくれますよってね。よって、ちみもうりょう、蠢動含霊もまたまったく同じ、行きあたりばったり恁麼不恁麼です。
一一大光明とか云うのは相手のほうです、こっちそんなこと知らんです、お化けこわかったらこわーいやるだけです。
でもって取り付く島もないです。
なれ合うってことないんです。当然のこと、他になーんもありゃせんです。
[本則]挙す、睦州、僧に問う、近離甚れの処ぞ。(探竿影草。)僧便ち喝す。(作家の禅客。且く許明頭なること莫れ。也恁麼にし去ることを解す。)州云く、老僧汝に一喝せらる。(陥虎の機。人を揉らかして作麼せん。)僧又喝す。(頭角を看取せよ。似たることは即ち似たり、是なることは即ち未だ是ならず。只恐らくは竜頭蛇尾ならんことを。)州云く、三喝四喝の後作麼生。(逆水の波、未だ曾て一人の出得頭する有らず。那裏にか入り去る。)僧無語。(果然として、模索不著。)州、便ち打って云く。(若し睦州をして令を尽して行ぜしめば、尽大地の草木悉く斬って三段と為さん。)這の掠虚頭の漢。(一著を放過せば第二に落在す。)
睦州道明、黄檗の嗣百丈下三世、近離何れの処ぞ、どこから来たと云うのです、深竿影草、さぐりを入れる、ただやって来た、どこからもここからもない実感なんですが、一に道はかくあるべしというお釣りが残る、またははたしてどうかと顧みる影なんです、どう云ったってなんにもないものには見える、見えるというより跳ね返って行くんです。
「自分のことは自分で始末して下さい。」
と云うが如く、まさにこれ自分の不始末。
僧便ち喝す、深竿影草なんといういらんことを、といったふうですか。作家の禅客主人公なんです、他の標準を仮らないすなわち作家さっけと読むんです。なかなかなれんですよ、どこまで行ってもいらんあくせくです、でもついに主です、禅客という三千世界のお客さん、面白いでしょう、主中の主たるは我という世間右往左往のお客さんです。宇宙の主は宇宙のお客さん。許明頭は分かったようなという、似せ悟。標準を用いる、虎の威を仮らずんばよしです。也恁麼にし去ることを解す、解すとはどういうことかつぶさに見て下さい、機といい間髪を入れずといって解するんですか、解さないんですか、どっちでもないんですか。
ひっかかったら案山子の烏、うるさったいだけなんですよ。
州云く、老僧汝に一喝せらる、いやあ一喝されちゃった、陥虎の機という、そんなふうに名付けるから駄目なんです、人をたぶらかして作麼生、どうするんだって、自然にそうなるんです、虎は勝とうが負けようが虎です、卑怯未練もニヒルも虎のひげ。寒毛卓立おぞれをふるって退くにいいです。
いやあ一喝されちゃった、僧三拝す、てなとこですか。それをまた一喝する、ばればれがまた馬脚。頭角余計ものです、たとい仏教はこうあるべき不要です、なぜに不要か知って下さい。内外空っけつの命抛って初めて知るんです、たたわわでたらめです。悟る以前も悟った後もない、どうしようもないまんまこうある、底抜け出入り自由ですか、いやなんとも云いようにないまったく。似たることは即ち似たりじゃ、いいことないんです。
どうか再度ぶち抜いて下さい、ぶち抜くとはぶち抜くものをです。
竜頭蛇尾一喝<二喝ってね、どうでもそうなる。
州云く、三喝四喝の後作麼生。逆水の波、でそのあとどうなるんだ、この問いかけがいいんです、参じて参じて参じ尽くして、我と我が身心に問うて下さい。
「だからどうなんだ。」
本当の答えが返って来る、どうしたってその時節を待たねばならんです。
禅をかじった禅の研究など論外です。なんにもないことを知らないんです。未だ曾て一人の出得頭する有らずです、お釈迦さんだろうが手をつけられない一箇です、もとこれなんです。
僧無語。なあんも知らんです、知らない=知っているんです、じゃどうしたらいいとなっちまう、果然として、はたして模索不著です、100%模索不著すりゃいいのに。
州即ち打って云く、這の掠虚頭の漢。この大かたりめ。若し睦州をして令を尽くして行ぜしめば、200%です、やって来りゃ、尽大地の草木みんな千切れて吹っ飛んじまうんかね、まちっといい表現をさな。いやそりゃ大いに分かります。
一著を放過せば第二に落在す、200%来たらうわあっとてめえ200%すりゃいい、でなきゃもう一個他の標準付け加えるだけ。一喝したの放っておいたらって意味もあるような。はいお粗末。
[頌]両喝と三喝と。(雷声浩大にして雨点全く無し。古へより今に至るまで人の恁麼なる有ること罕なり。)作者機変を知る。(若し是れ作家にあらずんば争か験し得ん。只恐らくは不恁麼ならんことを。)若し虎頭に騎ると謂はば、(カ。瞎漢、虎頭如何が騎らん。多少の人恁麼に会す。也人有り這の見解を作す。)二り倶に瞎漢と成らん。(親言は親口より出ず。何ぞ止だ両箇のみならん、自領出去。)誰か瞎漢。(誰をして弁ぜしむ、頼いに末後の句有り。ほとんど人をれん殺す。)拈じ来たって天下人に与えて看せしむ。(看ることは即ち無きにあらず、し著せば即ち瞎す。闍黎若し眼を著けて看ば、即ち両手に空をとらん。恁麼に挙す、且く道へ是れ第幾機ぞ。)
かあつと喝する、禅門の道具というか決まり文句ですか、だったら喝してごらんなさい、そうは問屋が下ろさんですよ、どっかで自分を顧みる、照れるとか尻つぼみとかやるんです、結果を予測する、ではもう駄目です。雷声浩大にして雨点まったくなしとはいかんです。かあつとそれっこっきりになっている、だからどうということないんです。
古今の人恁麼なることまれなりとあります、たいていお釣りが来る。
「ホーホケキョ。」
と鳴いてみなさい、だったら卒業させてあげる、というのが東山寺僧堂だったですが、カーンカーンかわずでもいいです、後先なく仕出かしてごらんなさい。
人は和という花に咲くという、如来来たる如しです。「かあつ。」
と云って、天地宇宙かあつと掌するんですか、相手をどうにかしようというんですか、
「この野郎。」
てんで世界の果てに追っ払おうっていうんですか。
とにかくやってみりゃいいです。
烏にかあとやったって蛙の面に水。
あるときの一喝は、一喝の用をなさず、あるときの一喝は、卻って一喝の用をなす、あるときの一喝は、踞地獅子の如く、あるときの一喝は金剛王宝剣の如く。
一喝の用をなさないのから始めますか。
今の世偽物ものまねばっかり、年寄るにしたがいよれてぼろっくずみたいの、一喝クラブでも作って、ちったあしゃんとしますか。
胡喝乱喝という、かつてはかあつとやる本家分家みたいの沢山いた。
総本家たる臨済が、おまえらおれの喝を学ぶというがと云った、東に僧あり喝し、西に僧あり渇す、どっちが客でどっちが主か、それ分からんけりゃ、おれの真似するなってわけです。
無理難題ですか。
無理難題の向こうにしかないんですよ。
かあつといって弥勒さん下生までもかあつという、そりゃ見上げた根性だけれども、
「若し虎頭に騎ると謂はば瞎漢。」
です、虎の頭に騎って行くんです、鶯も蛙もしないこと人間がやる、瞎漢だ、瞎めっかちめくら、両目開いてないんですよ、それに答えて、二人かあつやってるってこと多かったんでしょう、
「かあお。」
なんて馬鹿らしいって烏が啼くです。
「誰か瞎漢。」
振り返りゃないんです、心配しなくっていい、かあつとおやんなさい、金剛王宝剣でぶった切りゃ痛快ですか、でもねえたとい失敗したろうが、始めっから真っ二つになってる、蛇足にさ、もういっぺん気がつかせる、いいや一転させることできりゃそりゃあ可。
天下人に見さしめるにいいです。
即ち両手に空を取らん。はあとこう無いんですたって、どうあったってないもな無いんです。
拈じ去り拈じ来り、ついにこれの尽きるのを待つんです。
独立独歩の人。
第十一則 黄檗とう酒糟の漢

 

垂示に云く、仏祖の大機全く掌握に帰し、人天の命脈悉く指呼を受くと、こうなりたいものです、なったりならなかったりですか、あるとき全くなんにもならずの、あるとき仏祖の大機全くこうある、是ですか非ですか。等閑の一句一言群を驚かし衆を動かす、あるいはこれなに生得の如来、悟りだの仏教だのいう別事に関わらんのです。実にそういう人います、就中唯一頼り甲斐があるんです。けれども実に正にこうと知る、しばらく紆余曲折がありますか。
たとい他に屈し四の五のあろうと、まっすぐに見ている、過たぬ自分がある、自分という囲わないんです、だれあって生得の如来が本来人更に別なし、他が作為を見抜くには正にまるごとです。
悟りといい仏法という、そんなちっぽけによらんです。黄檗還って落処を知るや、たいていそりゃまた大問題です。
[本則]挙す、黄檗、衆に示して云く、(水を打して盆に礙へらる。一口に呑尽す。天下の衲僧跳不出。)汝等諸人、尽く是れとう酒糟の漢。恁麼に行脚せば、(道著す。草鞋を踏破す。天を動かし地を揺がす。)何れの処にか今日在らん。(今日を用いて什麼かせん。妨げず群を驚かし衆を動ずることを。)還って大唐国裏に禅師無きことを知る麼。(老僧不会。一口に呑尽す。也是れ雲居の羅漢。)時に僧あり出でて云く、只諸方の徒を匡し衆を領するが如きんば、作麼生。(也好し一拶を与ふるに。機に臨んで恁麼ならざるを得ず。)檗云く、禅無しとは道はず、只是れ師無し。(直きに得たり分疎不下なることを。瓦解氷消。竜頭蛇尾の漢。)
黄檗身の丈七尺二mの巨漢で、額に円珠あり天性禅を会すとあります。生まれついての禅客、はてどういうことかみなさんもお考え下さい。だれあって天性禅ですか、それともたとい二三十年苦労の末ぶち抜いたろうが、その得たところは天性禅ですか。
おぎゃあと生まれ立ての赤ん坊宇宙の一かけら、いつのまにやら情識人の大人です、どん百道路族の政治家みたいよれよれになっちゃ、もうどうあったって救いようにないように見える、またの世生まれ変わったってこりゃ駄目だあってね、でも人千差万別、たとい大自信、悟りの裏づけ証拠立てなくったって、
「そっちが間違い。」
という常に知る人がいます。黄檗の如きは群を抜いていた、親一人子一人の母親を振り切って出家する、おうばくやあと追いかけて、母親川にはまって溺れ死ぬという伝えがあって、古来から出家の鑑になっている。
出家して道に一僧に会う、談笑すること古相識の如し、仏教に通堯し光輝くほどであった、ともに行くついで洪水に川が溢れる、仕方なし留まるのにこの僧、
「ついて来い。」
といって、水の上を踏み渡る。黄檗喝して云く、
「這の自了の漢、吾早く捏怪なることを知らば、当に汝が脛を切るべきに。」
と。此の僧嘆じて云く、真の大乗の法器なりと、云い終わって見えず、観音さまであったというのです。
奇跡がどうのというのではなくって、まっすぐに見るしかない目です。
目のないおのれがぬうと突っ立つきりです、二mの巨漢が虚空に呑み込まれる。
百丈と馬大師の三日耳を聾する因縁も直に掌さすんです、これを聞き、黄檗悄然として舌を巻く、若し馬師に就けば我が児孫を喪せん、とってもかなわなかったろうがという、これに対し百丈は如是如是と云った、その見処あたかも超師の作有りと。
黄檗たれかれをすっぽり包んでしまう、しかも殆ど自信なしというぐらいの、天性禅です。おそらくはたったの一度も悟りだの身心脱落だの、大悟徹底ということがなかったんです。
わかりますか、これ正解なんです。
その挙すに及んで、まさに禅客大衆に向かい、
「汝等諸人、尽く是れとう酒糟の漢、恁麼に行脚せば、何れの処にか今日あらん。」
と云うのです。とう酒糟とは、越州の人俗多く酒かすを食らう、すなわち越人をののしって云うとあります、なにか口に含んで噛んでいるんですよ、禅客禅をなすんです、臭うんですかね。
どうしようもないばかったれってね。
黄檗衆に示して云く、どうだ、どうですかと云うんです、水を打って盆に礙えらる、お盆の水を打ったって盆から出ない、学者小器を云うんですが、禅客坐禅も坐禅というお盆の中の騒ぎじゃ同じです、常に、
「おれはなにをやっているんだ。」
という、元の木阿弥の一打が欲しいです。他にひけらかしたって一文にもならんです、おれはどうだという、ついにそいつが出てこなくなるまでやる=死ぬのとほぼ同じですか。死体と同じ我が宗旨也は、生まれたての赤ん坊です、宇宙そっくり手に入るってことです、文句百万だらも可況んや禅の悟りのって、いやもうご苦労さんてやつです。天下の衲僧跳不出、一口呑却そも始めからです。
汝等諸人とう酒糟の漢、はい酒かす食らってもぐもぐみっともない、うるさったいですよ。だれあってかすしか食えない、うへえ発酵してる臭いぞってね。一生にいっぺんそういうこと止めりゃいいです、そんなこってどこふらつき歩いたって、たった今も手に入らない。恁麼に行脚せばという、恁麼に行けば何処も恁麼、暗室移らずは、道著すという、なにをとやこうです。たとい草鞋踏破も天地動揺も、かえってお釣りが来るんです。今日を用いて何かせん、群を驚かし衆を動かすこと、大向こうに受けるってこと、まあ今日でいいです、黄檗禅師できそこないの案山子ってね、なんというかわしは大好きなんだけどな。
ぼかんぶん殴るのが似合ってたって黄檗は可、臨済は不可ってことあります。
黄檗のもっとも理解し難いのは、ひょっとして禅門だの禅問答なんです。
なんだこいつらって云っちゃ、てめえ遠慮してるから面白い。
還って大唐国裏に禅師無きことを知る麼、これを得るものは師を見ずってことあります、INでも井上禅はどう南天棒はどう、雲門の禅はなどいうからに、世間噂話しか知らないってばればれです、ちらとも物にする連中は、だれあって人ことなんて云わんものです。
師の会下にあって師を見る者不可、たしかにそうであったです。
わしらぼんくらの言い分ここまでですか。
老僧不会、納得できんていうんです、十把一からげしやがって、雲居羅漢方言ですってさ、自慢する人、てめえばっかりってこきゃがったぞ、圜悟も悪口雑言で人が悪いんです、そりゃこう云ってみる必要って、他云う前に云っときゃ世話ないってこってす。
時に僧あり出て云く、只諸方の徒を匡し衆を領するが如きんば、又作麼生。でも立派にやっているお方もおられんでは、おそるおそるに伺いを立てる、二m男にぶん殴られるのを、いやたいしたもんだ、也好し一拶を与えるに、機に臨んで恁麼ならざるを得ずってこれ皮肉かな。檗云く、禅無しとは道はず、只是れ師無し。
そうですねえ、この語をもってお土産にすりゃいいです、ついにお土産食いつくすと、
禅無しとは云わず、只是れ師無し。
が手に入ります、そうして日々坐って下さい。
直に得たり分疎不下、なんかわけわらんなくなった、師も禅も瓦解氷消、元の木阿弥んなっちまったぞ、どだい竜頭蛇尾だって云うんです。
おまえら大馬鹿もんだ大唐国裏にって振り上げた両手、いや禅はなしとせず、師なしってしょぼくっている、たしかにそういう感じです。
はてどうしてかなって、道うことまったく確かですよ。始めっきゃない人。ついに得た人。その次があるとどうしても思う人、禅問答許他あると思う人、仲間うち羅漢組合あると思う人、えーとまあ世の中さまざまですか。
[頌]凛凛たる孤風自ら誇らず。(猶ほ自ら有ることを知らず。也是れ雲居の漢。)寰海に端居して龍蛇を定む。(也緇素を別たんことを要す。也そう白分明ならんことを要す。)大中天子曾て軽触す。(什麼の大中天子とか説かん。任ひ大なるも也須らく地より起こるべし。更に高きも大有ることを如何せん。)三度親しく爪牙を弄するに遭う。(死鰕蟆。多口にして什麼か作ん。未だ奇特と為ず、猶ほ是れ小機巧。若し是れ大機大用現前せば、尽十方世界乃至山河大地、尽く黄檗の処に在って命を乞はん。)
凛凛たる孤風自ら誇らず、もっともこうあるべきというより、成り上がり他をひけらかしではなく、自然成もとあるがまんまです。たいてい自信の気もないのに、凛凛たる孤風です、こりゃどうしようもないものあるです、紅葉の葉っぱ一枚、菊花一輪凛凛たる孤風です、尊厳死だの人間はどうの云っている、釣り上げた魚の方がよっぽど尊厳です、どっか間違っている。
痛烈な反省によって、はじめてわずかに取り柄ありという、
「いったい何がどうしようもならぬのか。」
という人間の入り口ですか、だれあって着物裏返しに着ているんです。
裏返しの着ものでもいいそっくり脱いでみりゃいいです、身心脱落宇宙風呂ですか、
「猶ほ自ら有ることを知らず。」
という、凛凛孤風の出処を知るんです、またこれ雲居の漢てめえばっかり大威張りって、ちえこっち云いたいこと云う、そりゃまあどっか取っ付きたそうなかすは取っといた方がいい。
寰海は海内に同じ、海内無双というか威令を発するんです、端然として坐して龍蛇を定む、ぼかっとぶん殴るから大変だ。大中天子は唐の宣宗、子供のころ戯れに玉座に上り、その英明な姿に人みな賛嘆したという、殺されかけたり経緯あってついに帝王となる、しばらく禅門に身を置く、すなわち黄檗に相見す。
大中黄檗の仏礼するを見て、問うて云く、
「仏に著いても求めず、法に著いても求めず、衆に著いても求めず、礼拝して当に何の求める所ぞ。」
檗云く、
「仏に著いても求めず、法に著いても求めず、衆に著いても求めず、常に礼すること是の如し。」
と、大虫云く、
「礼することを用いて何かせん。」
檗即ち掌す、ぶん殴った平手打ちです。大虫云く、
「大蘓生。」
荒っぽいやつだって云った、檗云く、
「這裏なんの所在ぞ、蘓と説き細と説く。」
なんだあこのやろう、荒っぽいだあ細かいだとと云ってまた掌す、とあります。大中国位を継いで、黄檗に蘓行の沙門の称号を賜ったと云う。蘓というのちょっと字違うんです、お調べ下さい。
龍蛇を定むるの眼、虎児を擒うるの機という、だからどうの抜きです、吹毛剣てまあそういうこってす、そういうややこしいことしない、緇そうは白に十と書く、共に黒いという意味です、素も白も白いです。違うんか同じかそんなのわしにわからんです。ちったあ区別しろってね、うっさいぶん殴ったり。
曾て軽触すは、三度親しく爪牙を弄するに遭うというのと、大中唐の宣宗の事実を踏まえての頌ですが、虎の鬚に触れる、軽触するんです、大虫というのも虎ですがね、玉座に戯れに上ったにより、のち殺されかけるんです、一僧出でて、それだけれどもと云うのと、どうもやっぱり什麼の大中天子とか説かんと云いたくなるところ、大だろうが地から起こり、もと凡くらとか、高きの上に更にありとか、こういうのを蛇足というんです。
三度爪牙を弄するにという、大中天子の事跡に拘泥する嫌いありですか、でもまあたしかに黄檗の爪牙三度もたがる風情はあるんです、ここぞとばかり糞味噌やっつけてるから面白い、いや圜悟です、死んだがまなんかなんにもせんぜって、奇特の所なし、いいとこねえ、感じねえよっていう、なおこれ小機巧、大きすぎるのをやゆって感じです。若しこれ大機いっぺんに転ずる力です、大用ゆうと読む、よっこらしょっと裏返しにするなーんてえと怒られちゃうけどさ、ひっぺがす作用です、この則にこの作用あれば、山河大地みな黄檗のもとに至って命乞いするぜっていう。
ううんこれねえ、そりゃ半分圜悟に賛成だけど。
 
伝光録
鎌倉時代の仏教書。2巻。瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)述。編者未詳。釈迦より達磨大師に至るインドの仏祖29人、慧能(えのう)より天童如浄に至る中国の祖師22人、日本の道元・懐奘(えじょう)の計53人の仏法相伝のありさまを述べ、参禅学道の指南としたもの。瑩山和尚伝光録。
「伝光録」は、瑩山禅師が1300(正安2)年の1月から、加賀の大乗寺で、その師義介禅師に代わり、修行僧たちに説き示した説法を、のちになって側近の僧がまとめたものです。瑩山禅師の説法の記録(提唱録)ですから、禅師自身が筆をとって書いたものではありません。釈尊をみなもととする坐禅の仏法が、インド・中国・日本の懐装禅師にいたる53人の祖師たちに、どのように正しく伝えられてきたか、各章ごとにさまざまな僧の伝記を引用しながら、各祖師たちの悟道(ごどう)の主題、伝記、悟道の因縁、それらに対する瑩山禅師の解説、修行僧たちに向けての激励のことばを述べ、結びの詩をもってまとめてあります。本書は道元禅師の教えをふまえて、曹洞禅の教えを53人の祖師の史実のうえに跡づけようとしたもので、「正法眼蔵」とともに曹洞宗における代表的な宗典として尊重されています。
 

 

首章
釈迦牟尼仏、明星を見て悟道して日はく、我と大地有情と同時に成道す。
お釈迦さまはシッタ−ルタ太子、王子として生まれて、深夜王舎城を出でて、檀特山に於て断髪す、出家求道です、苦行六年、ついに金剛座上に坐して蛛網を眉間に入れ、鵲巣を頂上に安じて、葦、坐をとほしとあります、金剛座結跏趺坐ですよ、がっしりと坐ってというぐらい、眉間にくもの巣が張った、頭上にかささぎが巣を作った、あしが坐を通しという、そうして三十歳臘月十二月八日未明、明星の出でしとき、忽ち悟道、最初獅子吼するにこの言あり。
我と大地有情と同時成道。
お城の東西南北の門に、生まれた子、死んで行く人、病気の人、老いた人、生老病死苦を見る、人はなぜ苦しまねばならぬか、苦しみから解放される方法はないのかという、これが出家の原因であった。諸方を訪ねる、AがAと云えばじきにAになる、よし卒業じゃ、これからは二人でAをやって行こうという、だがなぜ苦しまねばならぬか、これをどうしたらいいという、最初の疑問に答えが出なかった。Bを訪ねる、また云うとおりにBに成る、だが答えが出ない、参ずる処を参じ尽くし、断食等難行苦行も、いっときの安楽があるだけだ、ついに刀折れ矢尽きて、ガンジス河の辺り、菩提樹下に坐す。
仏道を習うというは自己を習うなり、自己を習うというは自己を忘るるなり。仏教を知らなかったお釈迦さまは、自己を習う他になく、これが大力量、他を卒業するのに莫直去、なをかつこれは違うという、ついに求めるものの得られぬのを知る。
これ後の達磨さんから、我らに至るまでまったく同じです、過去現在未来の諸仏、共に仏と成る時は必ず釈迦牟尼仏となるなりと、これ。ついに刀折れ矢尽きるんです、ようやく坐になるんです、只管打坐まったくの手つかず。
すると自己を忘れる、忘我ということが起こる。忘我する自分に気がつかない、たまたま明星一見です。はあっと一念起こる。
我と有情と悉皆成仏。
自分という身心無くものみなです、すべての問題が解決済みです、もとこの通りであったという安心落着です。
仏教の創始です。しかしより以来、四十九年、一日も独居することなく、暫時も衆の為に、説法せざることなし、一衣一鉢欠くることなし。三百六十会、時々に説法す、終に正法眼蔵を摩訶迦葉に付嘱す。流転して今に至る。はい、まことに実にこのとおりです。
一枝秀出す老梅樹、荊棘時と与に築著し来たる
一枝秀出す老梅樹、まことに釈尊のほかに人の本来のありようを示した人はなかったです、苦を云い終末を云い、現実の悲惨や矛盾をついて、だからこうすべきだ、だから神を信ぜよ、すれば救われる底の、新興宗教も他の一神教も五十歩百歩です、迷妄から出て迷妄へ入る、実になんにもならないことは百害あって一利なし。ただひとり釈尊のみ開示して今に至る。
荊棘時とともに築著し来たる、世情流布達磨さんを毒殺しようとする仏教ではなく、これは求道の人にとって、だれはどうしたかれの因縁はという、無字の公案臨済と曹洞の別などいう、あるいは微妙の周辺にあっても、とやこうするそれです、捨て去るのに大苦労します、この時釈尊の、なをかつ初発心を満足せぬという、自己を習う真正直を思い出して下さい。 
第一章

 

第一祖、摩訶迦葉尊者、因に世尊拈華瞬目し、迦葉破顔微少す。世尊日はく、吾に正法眼蔵ねはん妙心有り、摩訶迦葉に付嘱す。
尊者生まれる時、金光室に満ちて、光ことごとく尊者の口に入る、よりて飲光と名付く。多子塔(ヴエ−シャ−リ西北三里に在り)前にして、初めて世尊に値う、世尊善来比丘と呼びたまふに、鬚髪すみやかに落ち、袈裟体に掛かる。すなわち正法眼蔵をもって付し、十二頭陀を行ずという、十二の規範となる修行禁欲の法です、十二時中空しく過ごさず、これより釈尊坐を分かつ、以来今に至るまで、衆会の上座たり。釈迦牟尼仏一会の上座たるのみにあらず、過去諸仏の一会にも不退の上座たり。霊山会上八万衆前にして、世尊拈華瞬目す、花をとって、目をぱちっとやったんです、皆心を知らず、黙然右往左往する中に、摩訶迦葉独り破顔微少す、ふっと笑ったんです。世尊日く、吾に正法眼蔵ねはん妙心、円明無相の法門あり、悉く大迦葉に付嘱すと。
いいですかこれ、花をとって瞬目、どうして八万大衆右往左往ですか、黙然なんですか、なぜに迦葉独り破顔微少なんですか、なぜによって正法眼蔵ねはん妙心悉く付嘱するんですか。まずもって初心に帰ってこれを思い、これを知って下さい、他にはまったくないんです、すると急転直下します、多子塔前においても、たった今のあなたにも、正法眼蔵ねはん妙心が付嘱します。はいこのとおりかくの如く。なぜに十二頭陀を行じ、十二時中身を横たえることもせず、形憔悴し衣は破れして、初めてこれを得るんですか。よくよく見てとって下さい。ただに他なくまっしぐらに得る、大迦葉の右に出るものなく、末孫おんぼろけのわしに至るまで、跪拝してちりっぱ一つ挟むことないんです。
大衆右往左往いったい何のためにというんですか、あるいは仏といい、座禅と見性といい、たとい何かあると思っているんですか、修行という世のため人のためなんですか。ちらともあれば破顔微少しないんです。ちらともなけりゃ、なんにもならんですか、いいえある分役に立たないんです。そんなの人間ではないという、もと人間であるのに、その上の人間なぞいらんです。一器の水が一器に漏れなく移るようにという、そんな姑息な一子相伝ではないこと、よくよく見て下さい。釈尊がなにをもって、迦葉に付嘱したんですか。なあんだもとなんにもない、そんじゃそりゃ当然、いえ付嘱することも不要じゃないかという、はいそのとおりです、それであなた満足できますか。たとい二千年を金剛不壊ですか。はい、ないものは壊れんですよ。
知るべし、雲谷幽深の処、更に霊松の歳寒を歴る有り。
こりゃまったくこの通りと他いいようがなく、拈提から抜粋します、ただ霊山会上のみ所住処というに非ず、あに梵漢本朝も亦漏れるることあらんや。如来の正法流転して一毫髪も欠くることなし。若ししかればこの会は、これ霊山会たるべし。ただ諸人の精進と不精進とに依りて、諸仏、頭出頭没せるのみなり。今日もしきりに弁道し、子細に通徹せば、釈尊直きに出世なり。ただ汝ら自己不明に依りて釈尊そのかみ入滅す、汝らすでに仏子たり、何ぞ仏を殺すべけんや。故に速やかに弁道して慈父と相見すべし、よのつね釈迦老漢、汝らとともに行住坐臥し、汝らとともに言語伺候して、一時もあい離るることなし。ゆえに仏子という。 
第二章

 

阿難陀尊者、迦葉尊者に問ふて日く、師兄、世尊金襴の袈裟を伝ふる外、別に箇の什麼をか伝ふる。迦葉、阿難と召す。阿難応諾す。迦葉日く、門前の刹竿を倒却著せよ。阿難大悟す。
阿難尊者は王舎城の人なり、世尊の従兄弟にあたる、阿難陀、慶喜または歓喜という、如来成道の夜に生まれる、容顔端正にして見る人ごとに歓喜す、故にその名ありと。多聞第一にして聡明博識なり。仏の侍者として二十年、仏の説法として宣説せざるはなく、仏の行儀として学し来たらざることなし。さらに迦葉に随うこと二十年、あらゆる正法眼蔵悉く通達せずということなし。
そうしてこの因縁があります。師兄、師であり兄弟子です、すひんと読む、世尊お釈迦さまは、伝法の印の金襴のお袈裟の他に、何を伝えたんだろうという、かつて金襴のお袈裟など二の次三の次であったです、我に正法眼蔵ねはん妙心あり、あげて迦葉に付嘱すという、その畢生の大事、はあてなあというんです。ついにその時が来たんです、迦葉、阿難と呼ぶ、はいと応諾するのへ、
倒却刹竿著、
門前の旗竿を倒してこいという、阿難大悟す。
赤い旗を立てて、ここに大法ありのしるしです、もしだれあって法戦一場して、これをうち負かすと、竿を倒して行った。また次に譲る時はおのれの旗を倒したんです。阿難三日耳を聾すとあります、わずかに残ったうす皮一枚剥がれたんですか、正法眼蔵悉く身に就いて、すなわち行住坐臥行なわれるとは、忘れ切る他になく、仏とは何かという、いったいそいつがどこへ行った、大切この上もないものがという、ちらともあったんでしょう、俗人修行とちがうんです、ノウハウ=自分です、自分がなを残った、倒却刹竿著その糸がふっきれる。ついに摩訶迦葉から阿難に付嘱して、大法がつながったんです、今日に至る。
もし金襴のお袈裟の他に箇の何をかあったら、それでもう跡絶えるんです、じゃ仏法なんか、はじめっからなんにもないではないかという、しかり、これがなんにもないを他のだれも知らないんです、自分という架空請求、妄想に右往左往して、そこから抜けられないでいる、いわんや仏あり悟りあり、凡あり聖ありのしんどさ、醜さ。
たった一箇これを免れる、これが重大さをよくよく鑑みて下さい、そうです、あなたの出番ですよ、たとい二、三十年だろうが、倒却門前刹竿著。
藤枯れ樹倒れ山崩れ去り、渓水瀑漲して石火流る。
ほどけば仏の糸が完全にふっきれて、本来の自由を取り戻す、三日耳を聾すという、だれあっていまだかつて夢にだも見ぬもの。阿難尊者は、如来の遺経結集、第一回仏典結集のそれに、未証果の故に招かれなかった。阿難速やかに羅漢果を現じて、鍵穴から室に入るとあります、そうして阿難の宣説、如来生前の説法と寸分も変わりがなかったといいます、如是我聞一時仏在と、お経はことごとく阿難尊者から伝わったんです、南無経経阿難尊者。
それがなをかつ二十年をへて、はじめて葛藤妄想も枯れ、そいつの本体も倒れ、本体のあった山が崩壊する、渓水瀑漲して石火流れるんです、よくよくこの事思い取って、いえ見てとって下さい、いったいどういうことか、お釈迦さまより、あるいは仏教辺に詳しい人がなぜに、さらになぜに二、三十年の余計ものをと。
第三章

 

第三祖、商那和修尊者、阿難陀尊者に問ふ、何物か諸法本不生の性なる。阿難、和修の袈裟角を指す。また問ふ、何物か諸仏菩提の本性なる。阿難、また和修の袈裟角を取って引く。時に和修大悟す。
その名を商諾迦、自然服という、生まれたとき、衣を着て生まれる、それより以来、夏は涼しく、冬は暖かい衣となる。すなわち発心出家したとき、俗服おのずから袈裟となる。仏在世の蓮華式比丘尼は、たわぶれに袈裟をつけ、生まれかわって阿羅漢となる。尊者かつて商人であったとき、百仏に毛織物百丈を奉る、それ以来生生世世中有においても、自然服を著す。なにものか諸法不生の性なる、前代未聞の問いです、聞いたふうなこと、見たふうなことではない、是れ何物か恁麼来と、まったく疑問になり終わって問う、袈裟角を示す、他なしを知るんです、如何なるか聖諦第一義と、梁の武帝問うのに、達磨太子廓然無聖は、からりとして別段のものなし、なんにもないよ、個々別々だという。帝かなわず、自分の思想妄想辺に答えを出して貰えなかった、俗人一般まさに梁の武帝です、尊者はそうじゃなかったです、別段のものなしこれと示すのに、袈裟角を指す、そうかというんです、わが求め来たったものこれ。何物か諸仏菩提の本性なる、袈裟というそれ如何というのでしょう、朕に対する者は誰そ、知らないという、阿難袈裟角を引く、和修大悟す。
いいですか、大悟すとは認識の牙城、知っている自分を明け渡すんですよ、もって正法眼蔵ねはん妙心を付嘱す。
万仭巌上、無源水、石を穿ち雲を払って湧沸し来たる。雪を散じ花を飛ばして縱い乱乱たるも、一条の白練塵埃を絶す。
仏教についても座禅と見性だろうが、勉強しようがちょっとかじろうが、知識もノウハウもわんさか手に入る、それがなんにもならぬことを知る、百人あるいは千人に一人ですか、思想辺こうだからこうあるべきの横滑りじゃ、どうにもならんです。商那和修尊者は、すなわちこれを卒業したんです、万仭巌上です、自ずからなるを無源水、だからとかゆえにが失せた。築著荊棘を払い、世間常識仏はかくあるべきを、ぶち破って湧沸するんです、でなくば説得の価値もないんです、たいてい匙を投げて、かってにさらせと云いたくなる。そうして大悟するに、あるいはまったく元の木阿弥です、是非善悪によらぬただの人です、人間200%ですよ、そりゃもう押さえが利かぬ、というんとは違うが、なんでもありです、雪を散じ花を飛ばして乱乱です、しかも一条の白練、まっしろい練り絹です、塵埃を絶す、いずれのところにか塵埃をしかん、さっぱりとっつかんのですよ、みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけり、世間一般とちがうのはまったく忘れ去って、法そのものなんです。
第四章

 

第四祖、優婆毬多尊者、和修尊者に執事すること三載、遂に為に落髪して比丘と作る。尊者因みに問ひて日く、汝身の出家なるや、心の出家なるや。師日く、実に是れ身の出家なり。尊者日く、諸仏の妙法豈身心に拘はらんや。師乃ち大悟す。
師は優婆崛多と名ずく、姓は首陀、バラモン、クシャトリア、バイシャ、ス−トラの四姓のうち雑役農耕なとの第四位、十五歳にして和修尊者に参ず、十七歳出家二十二歳にして証果とある。行化して到るに、得度の者はなはだ多し、証果の人を得るごとに、籌を石室に投げ、10mx7mほどの室にいっぱいになった、あたかも如来在世の如しと。世を挙げて無相好仏と呼ぶ。波旬、悪魔ですか、憤りを感じて、魔力を尽して正法を害せんとす、尊者三昧に入ってその所由を観ず。波旬は尊者のうなじに瓔珞、首飾りをかけた。尊者彼を伏せんと思い、人狗蛇の三屍を取りて、華鬘、花輪となして、珍なる瓔珞をもらった、お返しに華鬘を上げようといって、波旬の首にかけた。たちまち変じて三種の臭屍となる。腐れ蛆たかるんです、魔力神力を尽しても、どうしても外れぬ。泣きわめいて、六欲天に上り、梵天に参ってその解脱と求む。皆告げて云く、十力の弟子の為す所は、十力の弟子に頼る他なしと。十力とは如来十号という如く、波旬尊者の足を礼して哀露懺悔す、仏に帰依するをもって解脱すと。
どうですかこれ、あなた方も波旬と同じことをしてないですか、美しいすばらしい、愛だの平和だのインツ−イッションだのいう花環を首にかけて、仏に示される、すなわち気がつくと、そいつが三種の臭屍です、腐れうんちの蛆たかれ腐乱死体、わかりますかこれ、たといわかったろうが外れない、七転八倒するんです、ついに至心帰依をもって、解脱するんです。
波旬とはなにか、まずもってこれを省みて下さい。
家破れ人亡じて内外に非ず、身心何れの処にか形を隠し来たる。
拈提より、いわゆる身出家すといふは、恩愛を棄て家郷を離れて、髪を剃り衣を染め、奴卑を蓄へず、比丘となり比丘尼となり、十二時中弁道し来る。故に時として虚しく過ぐることなふして、外か所願なし。故に生をも喜ばず、死をもおそれず、心は秋月の皓潔たるが如く、眼は明鏡の翳なきが如し。心を求めず、性を望まず、聖諦なほ作さず、況んや世執をや。是くの如くし来りて、凡夫地にも住まらず、賢聖位にも拘はらず、転た無心道人たり。是れすなはち身出家人なり。
いわゆる心出家すとは、髪を剃らず衣を染めず、設ひ在家に住み、塵労に在りと雖も、蓮の泥に染まず、玉の塵を受けざるが如し。設ひ因縁ありて、妻子ありとも、芥の如く塵の如く覚して、一念も愛心なく、一切貪著することなく、月の空裡に掛かるが如く、玉の盤上に走るに似て、饒市中にして閑者を見、三界の中にして劫外を明きらめ、煩悩を断除するも病なりと知り、真如に趣向するも邪なりと明きらむ。ねはん生死是れ空華なり、菩提煩悩ともに管せず、是れすなはち心出家人なり。
このこと今もまったく変わりはないです。
第五章

 

第五祖、提多迦尊者日く、出家は我我無きが故に、我我所無きが故に、即ち心不生滅の故に、即ち是れ常道なり。諸仏も亦常なり。心に形相無く、其の体も亦然なり。毬多日く、汝当に大悟して、自心に通達すべし。師乃ち大悟す。
生まれた時、父の夢に、日屋より出でて天地を照らし、一の大山あって諸宝厳飾す、山頂に泉が湧いて、滂だとして四方に流れる。初めて参ずるときに、これを云えば、毬多尊者日く、日屋より出るは、汝今入道の相なり、天地を照らすは智慧の超越なりと、師もと香象と名ずく、ここに提多迦、通真量と名をかえ、もって偈を説く、巍巍七宝山、常出知慧泉、回為真法味、能度諸有縁。尊者また偈をもって日く、我法伝於汝、当現大知慧、金日従屋出、照耀於大地。師礼拝してついに出家を求む。尊者問いて日く、汝出家を求む、身の出家か、心の出家かと。師日く、我来たりて出家を求む、身心の為に非ず。尊者日く、身心の為にせず、復た誰か出家する。師日く、出家は我我無きが故に、ないし大悟す。
これはまったくすばらしいともなんとも云いようがないです。父の瑞兆あればまさに夢を信じ全うする、すでにこれ、仏説として過ちなく手に入っています、摩訶般若波羅蜜多心経と、毎日読みながら一言半句も、解しえぬとは、そっちのほうが珍現象ですが、我我無きが故にとは、ががと続けて読むんではなしに、するととらわれのある自我というような、曖昧解釈になってしまうです、自分というものがないんです、あなたはだれと聞かれて知らないと答える、仏教学者どものまったく知らぬこってす、自分という架空請求、砂上楼閣です。我我所無うして、応無所住而生其心の六祖禅師ですか、自分の所有のものがないんじゃない、わが所がないんです、するとまさに心経の説くように無です、不生不滅不垢不浄不増不減です、三世諸仏、無上正等菩提です、かってな解釈してお布施を稼ぐことなければ、心経まさに他になし。きくた尊者日く、まさに大悟して自心に通達すべし、ではそのとおりやってごらんと云う、師すなわち大悟す。仏教がわかったという、それだけじゃなんにもならんと知る、一00人が一00人こうであれば、世の中まことにすっきりします。
髄を得て須らく得処の明を知るべし、輪扁猶を不伝の妙有り。
如何なるかこれ仏法の真髄というんでしょう、おまえの云うのは真髄ではなく、皮袋であろうと大趙州が云う、仏教について習う、つに真髄を問う、ここらあたりを提多迦尊者は、いっぺんに通り越しているんですか、飯袋子この糞袋めという、とやこう人の言説知識の受売り交通整理ですか、仏教という未消化うんこですか、まあさ一つすすめて、その皮袋一枚はぎゃどうなる、血いだら真っ赤のお肉ですか、そんな無粋なこと云わない、もとなんにもなしの虚空です、わずか皮一枚に、心あり身ありだったんですよ、内蔵もお肉も感知しない=人間です、髄を得て得処の妙を知るべしとはこれ。転法輪というをもって、車を造る名人輪扁などを引っ張り出す、我我無我我所無とは、転法輪そのものなんです、ちらとも軸だのわだちだの云うたら、ちらともわけあり、てめえありじゃそりゃ転法輪にならんです、ために猶を不伝の妙あり、こうだからこうあるというんじゃ、大悟できんよ、魚変じて龍と化す妙、すなわち自分でやるっきゃないです。
第六章

 

第六祖、弥遮迦尊者、五祖因みに示して日く、仏云はく、仙を修し小を学するは、縄の牽挽するに似たりと。汝自ら知るべし。若し小流を棄てて頓に大海に帰せば、当に無生を証すべし。師聞きて契悟す。
師は八千の仙人の長であった、一日衆を率いて提多迦尊者を礼して日く、我むかし師と同じく梵天に生まれ、我は阿私陀仙人に仙法を受け、師は十力の弟子となって、禅を修す。すでに六劫を経たりと。尊者日く、支離として劫を累ぬ、まことなるかな、虚ならず、汝今邪を捨てて正に帰して、仏乗に入るべし、むかし阿私陀仙人、我に記を授けて、六劫ののち同学に遇いて無漏果を証すべしと、尊者時に出家授具す、乃至大神通を示して、余の仙衆八千もまた出家す。尊者示して日く、仙を修し小を学するは、乃至師聞きて契悟す。人を説得するには大物を相手にしろとは、老師がよく云った、というのは大物は自分の至らぬことを知ると、尽くさぬもの、見習い中はまだなにかあると思っている、たいてい説いても無駄だ。仙を修するとは、インドの遠いむかしではない、今もって大小の仙術です、あやしげな思想分別、あるいは無知のわざもですが、科学哲学文学歴史という一切合財、仙であり小なんです、縄のひきまとうに似たり、尽くしてのち隙間風、支離として劫を累ぬ、まことなるかな、虚ならずと云ってくれる人が欲しいんです。無漏果が欲しい、もはやそれしかない、大安心です、頓に大海に帰する、でなけりゃ死んでも死に切れんです。無門関はいここにありますと示されて、乃至契悟す。
縱い連天秋水の潔き有るも、何ぞ春夜の月の朦朧たるに如かん、人家多くは是れ清白を要す、掃い去り掃い来たるとも心未だ空ならず。
仙を修し小を学するとは、人みな葦の髄から天井を覗くようなことするんでしょう、ついに得たり、みな人の得がてにすとふ、うずめ子ですか、そら楽しいたって、はたして辺りをへいげいしてもって、さてどうでしょう。たとい連天秋水の潔さあるも、歌の道に秀でさあて何を歌う、そっぽ向いた風景ですか、ノ−ベル賞博士の世界平和ですか、がきみたい妄想中のあんちょこ、そういうのいったんかなぐり捨てて、宇宙風呂ひと風呂どうですか、なんぞ春夜の月の朦朧たるにしかん、自分という箇の形骸うせて、ものみな成仏、平和を願うふりするんじゃなく、和という花に咲き開く。人家多くはこれ清白を要すと、しゃばのことみんなそうです、時時につとめて払拭せよ、でなくばという、人間失格だ、勤倹貯蓄、いえさ遊びほうけるんだって、計算ずくですか、死ぬまでそんなことやってて、老いさらばえて棺桶に入るんですか、妄想に吸い尽くされた、骨皮筋右衛門、心未だ空ならず、いたらずと知ったら潔く頓に無生の法です。
第七章

 

第七祖、婆須密多尊者、酒器を弥遮迦尊者の前に置き、礼を作して立つ、尊者、問いて日く、是れ我が器となさんか、是れ汝が器となさんか。師思惟す。尊者日く、是れを我が器となさば、汝の本有の性なり、若し復た汝が器ならば、我が法、汝当さに受くべし。師聞きて大いに無生の本性を悟る。
師、姓は頬羅堕、常に浄衣を服す、手に酒器を持って遊行し、吟じうそぶき歩く。人は狂人と云う。弥遮迦尊者、遊化するに、城の辺に金色の祥雲起こる、これ道人の気なり、必ず大士ありて我が法嗣たらんと、云いおわらざるに、師来たりて問う、我が手中の物を知るや否や。尊者日く、是れ触器(不浄の器、触汚)にして浄者に背く。師すなわち酒器を尊者の前に置く。乃至大いに無生の本性を悟る。
酒器をもってうそぶき歩く、世を捨て遊行して歩くんですか、いいえ世のことあらゆる一切が、酒器の中に失せる、そういった塩梅です、はらだというのはばらもんの名だそうです。額に汗して稼ぐというのじゃなかったんでしょうが、共産党の忌み嫌う、西行や人に狂と呼ばれる、こういう人なつかしいです、どうにもこうにも本来本法性、自分という周辺に徘徊する以外なかったんです、ただこれの処置を知らなかった。まさに弥遮迦尊者に出会う、我が手中のものを知るや否や。満腔の思いを籠めるんでしょう、不浄のものは浄衣に似合わんぞという、これ尊者の掌中にあり、はたして酒器をその前に置く、尊者問う、これはおまえの器か、わしの器かと。さあどうであろうか、俗人のやりとりに似て、果然器が虚空に浮く、人の所有でもなく、ために他一切世界が消える。これをわしのものといえば、おまえの本来これ、もしまたおまえのものといえば、わしの法はおまえにあり。師大悟す。
霜暁の鐘扣くに随いて響くが如く、斯の中元より空盞を要せず。
姓を表さずと、師は尊者の前に初めて名告る、我無量劫より、この国に生まるるに至るまで、姓は頬羅堕、名は婆須密と。尊者日く、世尊阿難に語りて日さく、吾が滅後三百年にして、一聖人あり、姓は頬羅堕、名は婆須密、しかも禅祖に於て第七を得べしと。師日く、我れ往劫を思うに、かつて旦那となりて如来に一の宝座を献ず、彼記して日く、賢劫釈迦牟尼仏の法中に於て、位を継ぐべしと。霜暁の鐘扣くにしたがい響くが如くという、打てば響く、空じきった人の本来です、渾身口に似て虚空にかかる、東西南北の風をいとわず、おれは見性した、公案百発などいう、あるいは学者解説の類、こういえばああいうが、さっぱり打てば響くじゃない、どっか変なさかずき隠していて、ぼわんどこんとやるわけです、たとい2チャンだろうが一目瞭然これ。今婆須密多尊者、かくの如くの因縁ありて、打てば響くと、すなわち第七祖に列す、ではかくの如くの因縁という、空盞を忘れ去るに及くはなく、そのたった一つ持し来たった酒器を、尊者の前に置き、またそれを受ける、すなわち用がすんだら、投げうつによし。盞はさかずき。
第八章

 

第八祖、仏陀難提尊者、七祖婆須密多尊者に値ひて日く、今来たりて師と議論せん。尊者日く、仁者論ぜば即ち義ならず、義は即ち論ならず。若し論義せんと擬せば、終に義の論に非ず。師、尊者の義勝れたるを知りて、無生の理を悟る。
師は姓瞿曇氏、頂上に肉髻あり、弁捷無礙なりとあります、師宝座前に於て自ら謂えらく、我を仏陀難提と名ずく、今師と議論せんと、頭のてっぺんが髻=もとどりのように盛り上がっている、かつて論義に負けたことがなかったんでしょう、すると一体にこれを尽くすんです、勝つか負けるかではない、この他にはないという、はたして本当か、あるいは論の義とは、端的にものみなを指すのか、自分という他なしの形か、我我無きが故に、我我所無きが故に、すなわち心不生滅の故に、ものみなと、第五祖出家の弁の如くですか、事を尽くすとは、世間事に通暁するんではなかったら、一つことに帰るんです、でなくば論に倒れる、つまり負けるんです、おそらくこれ論の空しいこと、不必要を知る周辺にあったんです、いえいつだって急転直下、そうして通身もってぶっつけた、答えを出そうではないか、今来たりて師と論義せん。尊者日く、仁者論ぜば即ち義ならず、仁者、真正面ですよ、正直に嘘云わないってこってす、義は即ち論にあらず、どうですかと聞くんです、おまえさんの内外、いえおまえさんは論に拠らず、義などいうものがあるわけはないんです。若し論義せんと擬せば、終いに義の論に非ず、どうですかと、再度聞くんです、損なうだけであろうが。すなわちここに於て無生を悟る。
善吉維摩談じて未だ到らず、目連鷲子見て盲の如し、若し人親しく這の意を会せんと欲せば、塩味何れの時か適当ならざらん。
善吉須菩提、解空第一と云われる釈尊十大弟子の一人、維摩居士、二人談じて未だいたらず、鷲子舎利弗、知慧第一と云われる同じく十大弟子のうち、目連は目健連神通第一と云われる、見て盲の如し、見れども見えずですか、どうもお釈迦さんの十大弟子もこりゃ形無しですか、でも老師会下には悟った人悟らぬ人、大小いたですが、説法するに当たっては、なんといっても老師だけということあったです、義の論という論の義というを出ない、「老師は違うもんなあ、行き合っただけでがっさり落ちる。」という感想があった、相手そっくりを転ずるんです、おまえの云うことは間違ってる、だからどうのの問題ではない、若し人親しくこの意を会せんと欲せば、そうですよ、一枚も二枚も捨ててかからにゃならんです、昨日の我は今日の我にはあらずと、これただの人の日送り、日々是好日ですか、塩味何れの時か適当ならざらん、はいこれそのまんまぶっつけます。 
第九章

 

第九祖、伏駄密多尊者、仏陀難提の、汝が言心と親し、父母も比すべきに非ず。汝が行道と合す。諸仏の心即ち是れなり、他に有相仏を求めば、汝と相似ず。汝の本心を識らんと欲せば、合に非ず亦離に非ずと説くを聞く。師乃ち大悟す。
師姓は毘舎羅、仏陀難提行化して、毘舎羅が家に到る、舎上に白光ありて上る、この家に聖人あるべしと。口に言説なし、真に大乗の器なり、足地を踏まず、ただ穢れに触れることを知る、これ我が嗣ならんと、云い終わるに長者出でて礼す、我に一子あり、口未だかつて聞かず、足未だかつて踏まず、年すでに五十と云う。尊者これを見まさに我が弟子なりと云う、師にわかに起ちて礼拝し、偈をもって問う、父母我が親にあらず、誰かこれ最も親しき者ぞ、諸仏我が道にあらず、誰かこれ最も道なる者ぞ。尊者偈をもって答え、汝が言心と親し、乃至合に非ず離に非ず。師妙偈を聞きて歩むこと七歩。尊者日く、この子、むかしかつて仏にあひ会うて悲願広大あり、父母の愛情捨てがたきをもって、云わず踏まざるのみと。
わしはこういうことのあったのを鵜呑みにします、涙流れるほどに信じますよ、今の世にだって大小の毘舎羅子、伏駄密多尊者がいます、たとい職につき大学を卒業しようとも、云わず踏まず、父母わが親にあらず、世間また世間にあらず、だれかこれ最も親しきものぞ。諸仏我が道にあらず、諸の学問歴史等我が道にあらず、だれかこれ最も道なる者ぞと。これに答える人がいなかった、五十年して、初めて仏陀難提尊者、汝が言汝が心と親し、父母も世間も比すべきにあらず、行道と合す、諸仏の心ものみな即ちこれなりと。他に有相仏を求めば、汝とあい似ず、まさしくこう云うんです。心を知らんと要せば、合に非ず、離にあらず、自分からこうすべきとやらない、批判しない、しゃば流の科学心理学しないんです、近似値ほど害はなわだ、わかりますかこれ、参禅しなさいということですよ、単純を示す、無に帰るんです、師すなわち大悟す。
言うこと莫れ語黙離微に渉ると、豈根塵の自性を染むる有らんや。
あに根塵の自性を染むるあらんや、もとまっさらのおのれなんです、五十年不染那もあながち驚くにあたらぬ、いつこの事を初めようが、急転直下落着するのは、生まれ本来に、いえ父母未生前に返るからです、心身脱落という、染那するところを払う、染那=自分という身心ですか、いいえ染那などとっつくところなかったんです、いずれのところにか塵芥を惹かん、時時に務めて払拭をこれ、語黙離微に渉ると、なんせ饒舌です、ふだんからてめえうるさったいんでしょう、だからどうの故にといっては、答えが出ない、もと答えのど真ん中です、他に云うことない、いえ云おうと思ったら、聾唖者が手足ふりもがくほどの、却って四苦八苦あります、実際を言葉にする、たいへんなこってす、ゆえに仏を作家というんです、小説物書きの類は、あっちのものをこっちに並べ替えるきりです、そうではない無から有を生ずるんですか、どかん爆弾ですか、有は無にならんですか、あっはっはまあやって下さい。
第十章

 

第十祖脇尊者、伏駄密多尊者の左右に執侍すること三年、未だ嘗て睡眠せず。一日尊者、修多羅を誦し、及び無生を演び。師聞きて悟道す。
師本命は難生、生まれんとする時、父夢に、一の白象背に宝座あり、座上に一明珠を安ず、その光四衆を照らす、すでに覚めてついに生まる。伏駄密多尊者行化のついで、長者香蓋という者、一子を連れて礼拝し、この子所胎六十歳、よって難生と名づく。仙人の云うには、この子非凡なり、法器となるべしと、今尊者に遭う、まさに出家せしむべしと云う。尊剃髪授戒す。所胎六十年、生後八十年、計百四十年初めて発心す。人みな諫めて、汝すでに老耄す、いたずらに清流にあとして是れ何かせん、出家に二種あり、一に習禅二には誦経、汝が堪ゆべきにあらずと。師自ら誓いて日く、若し三蔵を学し三明を得ることなくんば云々、昼は参学誦経し、夜は安禅思惟してついに睡眠せず。初め出家せんとして、祥光座を照らす、舎利三七粒現前す、よって精進して疲れを忘れ、遂に三蔵、仏典の総称ですか、三明という自己を明きらめ、忘れ去り、ついに無自覚ですか、一日修多羅ス−トラです、お経そのものが全ったい手に入ること、これあるんですよ、良寛さんは、正法眼蔵の提唱を聞いて大悟したという、そういうことあるんです、一般の理解わかったというのと、まずはまるっきり違うと思って下さい、そうねえ二次元のものが三次元になるっていう、いえ夢にだも見ない現象です、因みに第十祖に列す。
転じ来り転じ去る幾経巻、此に死し彼に生じて章句区ちまちなり。
お経の文句を知る、三百代言の始まりです、なにはなんたってろくなことはない、三世の諸仏知らず、狸奴白狐かえってこれを知る、ではなんでお経がある、もと我らのありようこの通りと示す、この通りだから身心の辺に証明して下さいというんです、般若波羅密多彼岸に渡れと云われたら、彼岸に渡ればいいんです、すると他何百いっぺんに通達します。一句通ずることこれ、摩訶まは−と云えば大、それにて終わるんです、永平正法眼蔵をそのように読む−見るんです、我と我が身心の上に底抜けです、でなくって眼蔵家だのしゃば流禅家提唱だの、嘘八のいたずらにかき濁すばっかりです、そうねえ大悟してから、読んで下さい、およそ人間の残した財産の中でこれほどのものはなく、良寛さんのように涙流すんですか、書を頂点とする、絵画芸術詩歌彫刻、これらのうち至上最高って、あっはっは俗人みたいですか、いえね、ノ−ベル文学賞という、では飯田木党陰老師の、無門関碧巌祿提唱など、まったくあんなにすばらしいものないです、縦横無尽七通八達、他の文学詩歌など足もとにも及ばんです。区まちまちと読む、意旨如何。
第十一章

 

第十一祖、富那夜奢尊者、合唱して脇尊者の前に立つ。尊者問いて日く、汝何れより来たる。師日く、我が心往に非ず。尊者日く、汝何れの処に住す。師日く、我が心止に非ず。尊者日す、汝は不定なるや。師日く、諸仏も亦然り。尊者日くう、汝は諸仏に非ず、諸仏も亦非なり。師此の言を聞いて、三七日の修行を経て無生法忍を得たり。尊者に告げて日く、諸仏も亦非なり、尊者に非ず。尊者聴許して正法を付す。
脇尊者到りて一樹の下に憩ふ、右手に地を指して衆に告げて日く、この地金色と変ぜば、まさに聖人ありて入会すべしと、云い終わりて地金色に変ず、時に長者の子富那夜奢というものあり、合唱して立つ。尊者偈を説く、此地金色に変ず、預め聖の至る有る得を知る、当に菩提樹に坐し、覚華して成り已るべし。夜奢また偈をもって答え、師金色の地に坐し、常に真実の義を説く、回光して我を照らし、三摩諦に入らしむ。三摩諦とは三昧無心に入ること、すなわち得度出家、仏戒を授ける。
どこから来た、心は往来のものではない、どこに住んでいる、心は止まるものではない、では定まらないのか。そうだ、諸仏もこのようにある。どうですかこれ、実にこのように云う一般人て、そうはいないです、無心という、応無所住而生其心という、かつてまさに箇のありようこれ。ですが、尊者これを聞いて、汝は諸仏にあらず、諸仏もまた非なり、たといそうではないという。三世の諸仏知らず、我がありようこれ、仏これという、知っている分が嘘です、未だ本来に住んでいない、忘れ去っていないんです。よって三七二十一日の間、修行してついに忘我、本来まっただ中です、諸仏もまた非なり、標準が失せるんです、尊者にあらず、ついに独立人です。尊者聴許して正法を付す。
我が心仏に非ず亦汝に非ず、来往従来此の中にあり。
自分とは何かというんでしょう、知らないんです、ちらとも知っている部分は、ただ日常便宜の故にです、それも絶え間ない変わって、しかも何不自由しないです、達磨の不識花のように知らないという、天地宇宙これにおって成り立っています、早く成仏して下さい、無自覚の覚ですよ、心仏にあらず、亦汝にあらず、住む所無うしてその心を生ずという、これがありよう、云われてみりゃあまさしくその通りってわけです、往来従来この中にあり、行くも帰るも跡絶えて、されども法は忘れざりけり、はいでは法ってなんですか。 
第十二章

 

第十二祖馬鳴尊者、夜奢尊者に問ふて日く、我れ仏を識らんと欲す、何物か即ち是なる。尊者日く、汝仏を識らんと欲す、識らざる者是なり。師日く、仏既に識らず、焉ぞ是を知らんや。尊者日く、既に仏を識らず、焉ぞ不是を知らん。師日く、此は是れ鋸の義。尊者日く、彼は是れ木の義。復た問ふ、鋸の義とは何ぞ。師日く、師と平出せり。又問う、木の義とは何ぞ。尊者日く、汝我に解せらる。師豁然として省悟す。
師はまた功勝と名づく、有作無作、諸の功徳をもって最も殊勝となすを以て名づく。夜奢尊者に参じて、初めにこの問いがあった。仏を知ろうとする、何ものか是れ仏、これはだれしも問うところです、仏とは何か、ほどけば仏、だれに頼まれもしないのに自縄自縛の、その縄をほどく、ほどき終わればもと仏、自縄自縛の縄=自分という、ほどき終わればもとなんにもないんです。知らざるものこれです。知るという自縛の縄ですか、これたとえ話じゃないんです、識らざるもの是れ、まさにこうなんです、他なしの実際、本体です、それを仏とは何か、仏教とはという観念知識です、五蘊こんぐろまりっとの交通整理として求める、それしかできない、世間教育の不実です、だからどうしてもその延長上に求める、仏すでに知らず、知らないものをどうして知ることができる、尊者日く、なんぞ不是を知らん、そんなこと必要がないんです。観念知識としては、のこぎり談義だというんです、山と谷ああいえばこういうんですか、見た目たしかにそうです。尊者日く、そうじゃない木の義だ、おまえの本来ありようの上にという。鋸の義とは何か、師と平出するが故に、そうとしか映らない不都合です、でもって木の義とは何ぞと聞く、のこぎりの延長です、汝我に解せらる、一目瞭然事のあることを云うんです、さすがに並みの凡くらと違う、豁然大悟するんです、すばらしいです、たしかにこういうことがあったんです、今でも起こります。鋸談義はすたれもしようが、木の義は元の木阿弥。
野村の紅は桃華の識るにあらず、更に霊雲をして不疑に到らしむ。
野村の紅は桃華の知るにあらず、自然というものの実体です、それを心行く味わうのは私どもです、いいなあすばらしいなあという、人生の活力であり慰めです、でもそれを汚してはならんです、本来そのもの、100%200%こうあるべきです、100%200%こうあるのに、就中味わい切れない、まずもって自分という、自縄自縛の縄をほどいて下さい、ほどき終わって自性霊明です、なんのフィルタ−もなしに見て下さい、更に霊雲をして不疑にいたらしむ、はいそうです、これが仏教です、仏という元の木阿弥、あらゆる一切が去来する、無限の楽しみをもって生涯して下さい、正に馬鳴尊者、まっぱじめっからこれです。頼もしいですね。 
第十三章

 

第十三祖迦毘摩羅尊者、因みに馬鳴尊者、仏性海を説いて日く、山河大地皆依りて建立す、三明六通茲に由りて発現す。師聞きて信悟す。
師初め外道たりし時、徒三千あり、諸の異論に通ず。馬鳴尊者、法輪を転ずるに、一老人あり、座前に仆れる、これ並みのものにあらず、異相あるべしというと、消え、俄に金色の人を湧出す、化して女人になりて、右手に尊者を指して偈を説く、稽首す長老尊、当に如来の記を受くべし、今此地上において、第一義を宣通せよ、と聞こえて見えず。尊者日く、魔来り吾と力を比べんとすと。じきに風雨起こり天地晦冥す。大金龍を現じ、威神を奮発して山岳振動す。尊者厳然たり、魔事したがい滅す。七日をへて一小虫あり、座下に潜む。尊者これを取りて、これ魔物の変化なり、吾が法を盗聴すといって放つ、魔物正体を現わして、至心に懺悔す、乃至尊者仏性海を説く、山河大地みな依りて建立す、三明六通ここによって発現す。師聞きて信悟す。
どうですかこれ、山河大地が無記です、でたらめにあると思っている、もとからあり手をつけるものにあらずとして、却って手をつけているんです、他山の石をこっちの勝手にいじくる。今の人もまったく同じです、たとい科学の精妙も宗教のよこしまもです。根本不信なんです、すなわち様にならんのです。人はこれを知らない、迦毘摩羅尊者は、これをもって山岳振動し、おのれの形をかえするほどに、自在に操る、しかも根本他山の石です、解決がつかないんです。さすがに三千の長、解決のつかぬことを知って、尊者の前に姿を現わすんです。至心帰依しかない、いいですか、座禅と見性という、ついに至心帰依しかないんです。すると山河大地、皆依りて建立するんです、三明六通ここによって発現するんです、ようやく一箇となる、わかりますかこれ、でなくば一箇と呼べぬ、他愛ない拡散ですか、なんにもならぬの一生です、信悟して下さい、通身反省して下さい、自然というでしょう、そんなものありっこない、自分があるだけです、はいこれ入門編です。
浩渺たる波濤縱ひ天に滔ぎるも、清浄の海水何ぞ曾て変ぜん。
そうです、この響きをよく味わって下さい、魔界変化もパロディ悪ふざけも、どうにもならん現代風解釈の不行き届きも、もしや波浪滔天です、もとまったく法性海中、不幸にしてこれに気がつかない、ものごとでたらめに拡散するっきり、なんとしてもこれに気がついて下さい、でないと人生の喜びもなく、せっかく生を受けて無意味です、人もこうなりゃおれもこう、流行に押し流されて、わけもわからん、たとい物まねも、語の響きなし、浩渺たる波濤たとひ天によぎるも、清浄の海水なんぞかつて変ぜん、10ぺん20ぺん繰り返して云ってごらんなさい、一箇かくの如くありがわかります、なんという自分は曖昧、ビ−ルの泡かすにもならんこと、それを知りこれを知って、始めて事に当たって下さい、でなくばなにしたって、そりゃうるさったいばかりのごみあくた。 
第十四章

 

第十四祖、龍樹尊者、因みに十三祖龍王の請に赴き、如意珠を受く。師問ひて日く、此珠は世中の至宝なり、是れ有相なるや無相なるや。祖日く、汝只有相無相を知りて、此珠の有相にも非ず無相にも非ざるうを知らず。亦未だ此珠の珠に非ざるを知らず。師聞きて深悟す。
十三祖受度伝法して、西インドに至る、彼に太子あり、雲自在と名ずく、尊者を仰いで宮中に請して供養す。尊者日く、如来に教えあり、沙門は国王大臣権勢の家に親近することを得ざれと、太子よって山中に一の石窟あるを示す。尊者おもむくに大蛇あり、その身を盤繞す、尊者為に三帰依を説く、盤繞終わりて去る。石窟に到り一老人あり、素服にして出でて合唱問訊す。尊者日く、汝何れの所にか止どまる。答えて日く、我れむかしかつて比丘たりし時、多く寂静を楽しみて山林に隠居す。初学の比丘来たり、益を請ふ、我れ応答に煩ひて嗔恨の思いをなす。命終わりて蛇身に堕す、すでに千歳なり、今戒法を聞くを得たり、故に来たりて謝するのみ。尊者問いて日く、この山に更に何人かある。日く、北へ十里にして大樹あり、五百の大龍を隠す、その王を龍樹と名ずく。常に龍衆のために説法す、我れも亦聴受するのみ。尊者ついに徒衆とともに彼に至る。龍樹、尊者を迎えて日く、深山孤寂にして龍蠎の居する所なり、大聖至尊なんぞ神足をまげる。尊者日く、我れ至尊に非ず、来たりて賢者を訪ふ。龍樹黙然して日く、此師決定性を得て道眼を明きらむるや否や、是れ大聖にして真乗を継ぐや否や。尊者日く、汝心に語るといえども我れすでに知る、ただ出家を弁ぜよ、なんぞ我が聖不聖を慮んばかるや。龍樹聞き終わりて悔謝出家す。及び五百の龍衆ともに具を受く、随い四年をへるに、尊者龍王の請に赴むき如意珠を奉られる、これ世中の至宝なり、乃至師聞きて深悟す。
龍樹は異道を学し神通を具す、常に竜宮に行き七仏の経書を見るという、過去七仏といわれるこれ、すなわち経の心を知り、五百の龍衆を化す、龍衆という大権威なんでしょう、これみな等学の菩薩なりという、前仏の委嘱を受け諸経を安置す、もしお釈迦さまの化縁尽きても、竜宮に蔵まるべしと。かくのごとくの大人、しかも外道なりという、見られる通りの因縁、これはまさに外道という、思想言語上の発展です、たとい大発展も、深山孤独に住まわねば、はた迷惑害はなはだ。納りつくはずが、際限もなく広がるんです、無心という、五蘊皆空のこれが、うるさったく大発展する。山林の寂静に隠居して、初学を煩わしく嗔をもって遠ざける、なぜか、仏という寂静という別ものを持つからです、担いで帰れという、そいつの煩わしさに、自ら隠居するんです、では龍樹も五百の龍衆も同じです、外道あって仏道あってじゃないんです、仏道しかない、これをたいていの人知らない、もっての外のこってすよ、なぜ外道というか、周辺をうろつくからです、いたずらに騒がしい、世を騒がせて悦に入っているほどは、人畜無害です、さすがに龍樹はその害はなはだを知る、ゆえに隠れ住んで龍蠎なんです。
尊者は決定性を得て道眼を明むるや否や、これ大聖にして真乗を継ぐや否や、いいですかこの一目瞭然事、たといいかに碩学神通もこうした塩梅です、ただ出家を弁ぜよ、なんぞ我が聖不聖をおもんばかるやと云われて、省する、ここがさすが龍樹、まさに一家の主です。
大般若理趣分あんなもなさっぱり感心せんなあ、もし龍樹の作であったら、わしは軽蔑します。
孤光霊廓常に昧ます無し、如意摩尼分照し来たる。
如意珠これ有相なりや無相なりやと問う、未だ分別理解の域を超えぬこと一目瞭然なんです、有相と応ずればこう答え、無相と応ずればこう答えるという、いったいそれは何か、それによって世中の至宝も得ず、身心の摩尼宝珠をも得ず、ただ単に解釈の際限もない発展があるだけだ、見れども見えずを、彼が際限もなしを破って、尊者汝有相無相を知って、この珠有相にもあらず無相にもあらずを知らず、未だ此の珠の珠に非ざることを知らずと、かつて見えていたはおのれが妄念のみであったのを知る、摩尼宝珠如来蔵裏に親しく収攬す。百千万の経巻露とふっ消えるんです。 
第十五章

 

第十五祖、迦那提婆尊者、龍樹大士に謁せんとし、将に門に及ばんとす。龍樹是れ智人なりと知りて、先ず侍者を遣はし、満鉢の水を以て、座前に置かしむ。尊者之を覩て、即ち一針を以て投じて、之を進めて相見し、欣然として契会す。
師姓は毘舎羅、善行を求め弁論を楽しむ、善行また福業という、尊者の妙法を説くを聞き、人互いに云うには、人に福業あるは世間の第一なり、いたずらに仏性を云う、だれかよく之を見んと。龍樹日く、汝仏性を見んと欲せば、先ずすべからく我慢を除くべし、人日く、仏性は大か小か。龍樹日く、仏性は大にあらず小にあらず、広にあらず狭にあらず、福なく報なく、不死不生なり。人その理の勝れるを知りて、初心を廻らす。その中の大智慧、迦那提婆、龍樹大士に謁す、乃至欣然として契会す。即ち半座を分かつ。あたかも霊山の迦葉の如し。龍樹説法す、座を起たずして月輪の相を現ず。師衆会に云いて日く、これはこれ尊者仏性の体相を現じて、以て我らに示す。何をもって之を知る。けだし以んみれば、無相三昧は形満月の如し。仏性の義廓然虚明なりと。また偈を説いて日く、身円月の相を現じ、以て諸仏の体を表す、法を説きて其形無し、用いて声色に非ざることを弁ず。かくの如く師資分かちがたし。
弁論大知慧満鉢の水に一針を投ず、乃至欣然として契会すと、かつてこういうことがあり、今後また必ずあると、福業をもっぱらにすること、世間の為であり、報いてまた福を招くはずと、行ないがたく、たとい一心に行ずるとて、汝仏性を見んと欲せば、先ずすべからく我慢を除くべしという、たといこれがたがを外す、人間本来いいことしいでは納まらんです、共産主義の嘘ばっかり
も、キリスト教の最後の審判も、自縄自縛の縄ですか、目的のためには手段を択ばぬ不都合、ついには悲惨無惨です。福業果報も罪少なしといえどもまた同じ轍。仏性は大か小かと問う、大にもあらず小にもあらず、広くもなく狭くもなし、福なく報なく、不死不生です、これ大安心です、もとあるがようの大海に帰る、しかも満水の鉢には一針を投ずる知慧、いいですかもとのありようといい、ただ坐ってりゃいいという、2チャンネルも学者坊主も同じこってす、知識の羅列してないで、どうか一針を投げ入れて下さい。でないとあっはっはどうみたって様にならんですよ。
一針釣り尽くす滄溟の水、獰龍到る処身を蔵し難し。
一針釣り尽くす滄溟の水とは、これ只管打坐です、あらゆる一切を尽くすよりないんです、この肝心を怠って伝光録もくそもないんです、祖録を解説して、むさくるしい阿呆面さらすよりは、そりゃ立ちん棒して炎天下銭稼いだほうが、百倍も清潔ですか、ほんに腹立つなあまったく。まあいいか仏教のぶの字もない宗門、どこへ向かって腹立てたって、せいぜい逆恨み食らうだけだ。獰龍という、これ煩悩ですか、煩悩に真っ正面する獰龍ですか、さあどっちでしょう、そりゃあ語の響きで云えば、なんて云わずに、答えを出して下さい。ついに得る月輪=さあ自分を観察しないゆえに満月ですよ、学者坊主も2チャンネルも夢にも知らんやつ、四智円明の月冴えん、たとい龍樹には見えず、半坐を分かつ弟子これを示す。 
第十六章

 

第十六祖、羅篌羅多尊者、迦那提婆に執侍し、宿因を聞きて感悟す。
宿因というは、迦那提婆尊者行化のついで、長者あり、梵摩浄徳という。一日園樹に大耳を生ず、大きなきのこで甚だ美味であった、長者と二子の羅篌羅多のみ食す、他は見ること能はず。尊者日く、汝が家かつて一比丘を供養す、かの比丘道眼未だ明きらめず、空しく信施に霑うを以て、報ゆるに木菌となる。汝と子の精誠によりこれを受くと、乃至その子出家す。かつて如来この子を記す、すなわち十六祖に列す。今はすでに比丘、僧を供養するなどはなくなった、お経を読んだぜに、葬式の給料でしかない、二、三百年来お布施、信施をいいことに、道眼を明きらめず、手前勝手の猿芝居、威儀即仏法だの、坊主は偉いんだから坊主だなど、集団自閉症の末に、托鉢行も失せ、日本人のいい加減さと、せいぜいが観光業によって、なんとなく面目を保つ。人はそっぽ向いて、いわば賤業だ。この項すでに説くほどのことはない。だが道眼を明きらめずは、大罪を犯すに似たり、仏の名を騙り、人の額に汗した所のものをかすめ取って、経を誦んでうそぶき歩く、盗人殺人よりも悪し、なんとなれば彼は己れの悪を知れればなりと、至道無難禅師のこれを思い知ること、出家ですか、お寺の子じゃ無理だ、死ぬだけがたった一つの道と知って、死体は罪を免れると知って、大死一番大活現成です、死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよき、あるいは、月は月花はむかしの花ながら見るもののものになりにけるかなと。出家の根幹をなすこれ、ついにすたれて久しいか、いえちゃんと伝わるものは伝わっておりますよ。
惜しいかな道眼清白ならず、自らに惑ひ他に酬ひて報未だ休せず。
まったく死んでのちまで大耳だなど有心のわざというのです、それじゃ流転三界中恩愛不能断危恩入無為真実報恩者という、出家剃髪の偈はどうなるんだ、たとい良寛坊主、勤倹貯蓄の家門にぬうっと手を出す、うちは額に汗して働かんやつに、一文の施しもせんといって、ぴっしゃりおっぱらう、そいつを良寛忘れ惚けて、番たびぬうっと手を。あっはっは共産主義が聞いたら目を回すやつ。人間なんの為に生きるか、そりゃ無条件生きにきまってます、病来たら病がよろしく、地震来たら地震がよろしく、その良寛さん、十兵衛という性悪のやつがいて、がなって水ぶっかける、ひやあたまげて逃げ出す、人が面白がって、十兵衛だやる、ひやあ逃げ出す、何度でもやってたそうです、地震来たれば地震がよろしくと、大言壮語していったいこりゃなんだと、世間の人はたいてい云う、とにかく口開けば八方のお偉いさんが、さまざまに教えてくれる、わっはっはしんどいこった、とんぼ一匹そんなんで、御託でもって、空を飛んでいるわけじゃないってのにさ。 
第十七章

 

第十七祖、僧伽難提尊者、因に羅篌羅多、偈を以て示して日く、我已に我無きが故に、汝須らく我我を見るべし。汝既に我を師となすが故に、我の我我に非ざることを知る。師聞きて心意豁然たり。即ち度脱を求む。
師は宝荘厳王の子なり、生まれながらにして能く言う。常に仏を讃す、七歳にして即ち世楽を厭い、偈を以て父母に告げて日く、稽首す大慈父、和南す骨肉の母、我れ今出家せんと欲す、幸いに願はくは哀愍の故に。父母固く止む、終に終日食せず、乃ち其家に在りて出家を許す。僧伽難提と号す。十九歳王宮を出て、行方をくらまし石窟に坐す。十年をへて羅篌羅多尊者、行化して到り、金水という河の辺りに、五仏の影を見る。この河の源およそ五百里、僧伽難提という聖人あり、仏記したまう、一千年後聖位を継ぐべしと。まさに会う、僧伽難提入定より立つ、尊者問いて日く、汝身の定か心の定か。師日く、身心倶に定なり。尊者日く、身心倶に定ならば、何ぞ出入りあらんと。若し身心に向かって定を修せば、是れなほ真定にあらずと、入定という、仏という、座禅見性という、若し他にみて、すばらしいといい、かくあるべしという、ではもはやただそれっきり。せっかく僧伽難提の破天荒な出家、行ない清らかも、らごら尊者という、正師に出会うまでは、花開くこっとがなかったです。身心脱落という、本来人の元の木阿弥を、夢にだも見なかったです、どうしても得たいという、水の中にあって渇と求める、求めるものこれと、お釈迦さまには仏教がなかったです、たとい仏教があったとて、たやすくは手に入らんですか。さあどうです。我すでに我なきがゆえに、無心の者がここにある、よく見よというんです、無心不生、汝すべからくわしの我を見よ、そうやって入定も、それ自縄自縛の縄=自分と思い込んでいる、ほどけば仏。ほどき終わってもとなんにもなしのわしを師とする、我の我、我に非ざることを知れ。師聞いて豁然たり、即ち度脱を求む。
心機宛転して心相に称ふ、我我幾ばくか面目を分ち来たる。
心というこれを知る不可能、なぜなら心は一つ、一つが一つを見る、観察することはできない、にもかかわらず、脱し来り脱し去りとおれはこうなったとやるんです、それがいけないたってどうしようもない、だから宛転です、ひょうたんなまずの、ころっと転ずる、ついには得るなし、では無所得のそやつ、いくばくか面目ありや、なしといいたいところですが、どうですか、自信のまったくない人、仏は仏を知らずの大自信、あっはっははたしてどうですか。自信のある人粗暴、分からず屋、無宗教の人無色無臭ですか、まったくそんなことないのは、無宗教の人なぞ出会ったことないです、みんな仲良く平和に教とか、坊主はらしく教とか、学歴教とかオバタリアン教とか、どやつもこやつもいいの悪いの、自信ありげの、さっぱり役立たずのかたくな。人というのは、なんでこうただ−ありのまんまじゃ生きられんのか、などいうとありのまんま教とかさ、五体満足が杖を引く、そりゃろくなこたあないです。 
第十八章

 

第十八祖、伽耶舎多尊者、僧伽難提尊者に執持す。有る時風殿の銅鈴を吹くを聞く。尊者師に問いて日く、鈴の鳴るや、風の鳴るや。師日く、風に非ず、鈴に非ず、我心の鳴るのみ。尊者日く、心とは復た誰ぞ。師日く、倶に寂静なる故に。尊者日く、善哉善哉。吾が道を継ぐ者は子に非ずして誰ぞ。即ち法蔵を付す。
師姓は鬱頭籃。父は天蓋母は方聖、大神あり鏡を持つを夢に見て娠む、七日にして生まる。肌体瑩として瑠璃の如し、未だかつて洗浴せず、自然に光潔たり。生まれる時より一円鑑あり、常に伴う、閑静を好み、世縁になじまず。僧伽難提尊者行化のついで、忽ち涼風あって衆を覆う、心身悦適すること常にあらず。これ道徳の風なり、聖人あり、出世して祖灯を継ぐべしと云って、諸方を徘徊して捜す。一童子あり、円鑑を持して尊者の前に至る。尊者問いて日く、汝幾歳ぞ。日く、百歳。尊者日く、汝なほ幼し、何ぞ百歳と云うや。日く、我れ理を会せず。正に百歳なるのみ。尊者日く、汝機を善くすや。日く、仏のたまはく、若し人生きて百歳なるも、諸仏の機を会せずんば、未だ生きて一日にして、之を得て決了することを得るにしかずと。尊者日く、汝が手中のもの、まさに何の所表ぞ。童子日く、諸仏大円鑑、内外に瑕翳無し、両人同じく得見し、心眼皆相似たり。父母この語を聞いて出家せしむ、尊者具戒して、伽耶舎多と名づく、有る時、風の銅鈴を吹くを見て、乃至法蔵を付す。彼の円鑑童子出家せしとき、忽然として見えず。
一円鑑という、あるいはこれを伴う者幾人か、諸仏大円鑑、内外に瑕翳なし、両人同じく得見し、心眼皆相似たり、神童の上を行くんですか、たとい目には見えねども、見ゆる如くにこうあるっていうのは、たしかにあります。童子のたとい仏知慧、諸仏の行事かくの如しと、大人が迷い右往左往の間、実に掌さすんです、すべての童子赤ん坊が、きっと多少ともそうなんでしょう。これを大円鑑と伴い行くのはまた別ですか。そうしてこれは風動幔動の則です、右往左往の凡俗には就中手に入らんです、風も鳴らず、鈴も鳴らず、心鳴るのみ、心という身心ですよ、こちいがこう鳴り動くんです、倶に寂静なる故に、自分というものまったくない故にです、これにて一件落着です、人生も世界も歴史もな−んもかもですよ。さあどうぞおやり下さい、たとい神童ならずとも同じこと。そうして出家するに従い、円鑑見えず、すなわち身につくんです、元の木阿弥ですよ。
寂莫たる心鳴響万様たり、僧伽と伽耶と及び風鈴と。
ふ−んなんかこれいいですねえ、羅漢さんの仲間になって、五百羅漢一千羅漢、毎日このように過ごしている、なんともいえん済々です、理想生活祇園精舎、彼は彼、我は我、風鈴と風と、意見思想に拠らない、だれどのようにあろうとも寂莫ぴったりぴったりです、林の中に入ると、みなまたそのようですし、草もまた花もです、みな心です、響き万様が、頓に完結していて、他云うなしの、一体に風であり風鈴であり我が心です、たとえは悪いけれども初めて三次元、あるいは四次元世界ですか、到らずは二次元を這いずり回る、べったりですよ。 
第十九章

 

第十九祖、鳩摩羅多尊者、因に伽耶舎多尊者示して日く、昔世尊記して日く、吾が滅後一千年に大士有り、月支国に出現し、玄化を紹隆せんと。今汝吾れに値ひて斯の嘉運に応ず。師聞きて宿命智を発す。
師姓は婆羅門、むかし自在天人たりし時、菩薩の瓔珞を見て愛心を起こす、堕してとうり天に生じ、帝釈天の般若波羅蜜多を説くを聞き、法の勝れたるを知り、梵天に昇ってよく法要を説く、諸天悦んで導師となす、祖位を継ぐ時至って、ついに月支に降る。十八祖行化のついで、婆羅門の舎に異相あるを見て、まさに入らんとす。師問いて日く、是れ何の徒衆ぞ。尊者日く、是れ仏弟子なり。師仏号を聞きて、心神竦然として門戸を閉ず。尊者良久してその門を叩く。師日く、この舎に人なし。尊者日く、無と答える者は誰そ。師門を開けて接す。尊者日く、むかし世尊記して日く、乃至宿命智を発す。世尊記して日く、まさに大法を継いで、玄化を紹隆せんと云われて、すなわち大悟す、宿命智を発すとは、おれは如来の生まれ変わりだからなぞ、他が思い込み一人合点とは違う、まさに急転直下するんです、たしかにこういうことがあったんです。たとい前生に於てかくは因縁熟すといえども、いったんこの世に生を受けて、観念認識の生活です、どうしたって自己という架空請求の切れっぱしです。般若波羅蜜多ぱ−らみ−た−彼岸に渡らなければ、宿命智を発するわけには行かんです。玄化の法身、実にこれが重大を、予め承知していたんでしょう、身心竦然として門戸を閉ざす、いないよと云うんです、いないものは誰と云われて、ついに迎えが来たことを知る。世の中他にはないんです、仏道という多種のうちの一種じゃないんです、婦人は結婚せずとも生きていかれる、だがこれは別だ。たとえ悪いですか、まあそういったこってす。
宿生隔歴の身を推倒して、而今相見す旧時の漢。
お釈迦さまは七歩歩んで上下四維指さして、天上天下宇井が唯我独尊といって、お生まれになった。実はすべての赤ん坊がこう生まれているんです、人間世界欲界ですか、知識観念による、砂上楼閣の自己をもってする、主客転倒事、声色の奴卑と馳走する、これ六道輪廻たらい回しです、地獄餓鬼修羅畜生人間天上、たった今も生まれ変わり死に変わりもです。それを一歩抜きんでる、脱するんです、如来来たる如し、赤ん坊の目は宇宙の一かけらのようです、こわいほどです、それを物心つくといってはまた欲界に引き入れる、これが繰り返しです。願はくは生きている今生の間に脱して下さい、宿命智を発して下さい、でなかったらたとい何十生たらい回し、まったく同じことの繰り返し、うんざりするばかり、仏教がなんのためにあるか、今生脱し去る価値を知って下さい、そうですよ、赤ん坊のまんまじゃ役に立たんです。 
第二十章

 

第二十祖闍夜多尊者、因に十九祖示して日く、汝已に三業を信ずと雖も、未だ業は惑従り生じ、惑は識に因りて有り、識は不覚に依り、不覚は心に依るを明きらめず。心本清浄にして、生滅無く、造作無く、勝負無くして、寂寂然たり、霊霊然たり。汝若し此の法門に入らば、諸仏と同じかるべし。一切の善悪、有為無為皆夢幻の如し。師聞きて言を承け旨を領して、即ち宿慧を発す。
師は北天竺の人なり、智慧淵沖にして化導無量なり、十九世に逢いて問うて日く、我が家の父母素とより三宝を信ずれども、疾病にまつわる、凡そ営作する所不如意なり、しかるに隣家久しくせんだらの行をなす、身常に勇健にして、所作和合す。彼何の幸いありて、我何の辜かある。尊者日く、何ぞ疑うに足らんや、且つ善悪の報に三時あり、凡そ人つねに、仁は夭に、暴は寿に、逆は吉に、義は凶なるを見て、因果無く罪福虚しと。知らず、影響のあい随うこと毫釐も惑うことなく、たとい千万劫をふるも摩滅せず。因縁必ずあい値うことを。師頓に所疑を釈く。尊者日く、汝すでに三業を信ずといえども、乃至師宿慧を発す。
三業とは順現報受、順次生受、順後次受ですか、たとい千万劫を経るも摩滅せず、因縁必ずあい値うというこれ、まさに仏の示すところです、恨みつらみ最後の審判じゃない、十字架を背負うなどの滑稽じゃない、ただ因果必然です、毫釐もたがうなし、人為のものなどないです、まさにこれを知って下さい、邪教というのは、これを免れようとする、信ずれば救われるという短絡です。業は惑より生ず、もとこうあるものに惑う、観念知識によるからです、観念知識は不覚による、ほんとうに知ると終わるんです、悟りおわればもとないんです、不覚は不覚とするからによる、さあこれを明きらめて下さい。心もと清浄です、清浄とは無心、心がないんです、これを思い違えて清らかであり、穢れないとするのは、生滅なく造作なく勝負なくではなく、神あり仏ありたこ足回線の諸宗ですよ。よく施設するには、それは世間一般、下ねたはいかん、政治に口を出すなとか云い、そうだそれが仏教だという、同じわしの言葉をそのように分ける、これ空という無心という絵に描いた餅です、無心じゃなく有心です、知識観念上にあるから、語に響きがない、使えないんです、打てば響く、これ唯一の反応ですよ、なんにもないとは、なんでもありです、空とは自分を空じ切るんです、宿慧を発する、まさにこれ、習い覚えたなにものも通用しない、たった一つです。寂然霊然という、そういうふうに見ている風景じゃないんです、百尺竿頭進ただこの一種。
予章従来空裏に生ず、枝葉根茎雲外に栄える。
まあそういうこってす、元来根なし草、自己という架空請求なんです、雲外に煩瑣、まったくもって手が付けられんです、それをしも自分と思い込む、自分が自分を顧みるという、どうあったって結果のない仕事です、自縄自縛の縄です、でもこいつ一本切れば万事終わる、ほどけば仏です、たとい複雑怪奇も、わずかに切れば解脱、不思議にこれそうなってるです。顧みる自分と顧みられる自分と、真正面に行き合ってごらんなさい、一つことだった=なんにもないんです、見ることができないからです、なんにもないものには悩まない、無心は傷つかない、一件落着です。幽霊という、もとはこのなんにもない、無心をいう幽すか霊たかという、いっしょになって幽霊ですか、人はあるものには悩まない、ないものに苦しまされる、はいどうですか、さっき云ったことと正反対ですが。 
第二十一章

 

第二十一祖、婆修盤頭尊者、因みに二十祖日く、我れ道んを求めず、亦た顛倒せず。我れ仏を礼せず、亦た軽慢せず。我れ長坐せず、亦た懈怠せず。我れ一食せず、亦た雑食せず。我れ足るを知らず、亦貪欲せず、心に希う所なし、之を名づけて道と日う。時に師、聞き已りて無漏智を発す。
師姓は毘舎羅、父は光蓋母は厳一、家富みて子なし。父母仏塔に祈り嗣を求む、一夕母明暗二珠を呑むと、夢に見て孕む。一羅漢あり賢衆という者、礼を受け珠を納めて福して日く、母二子を孕む、一は聖人なり、婆修盤頭と名づく、まさに世灯慧日となるべし、一は芻尼、野鵲子と名づく、如来修行するとき、芻尼頂上に巣食う。仏既に成道して、芻尼報を受けて、那提国王となる、次の五百年に於て聖と同胞ならん、今たがうことなしと。尊者婆修盤頭十五歳出家す。二十祖行化して至る、かしこに学衆あり、ただ弁論を尊ぶ、首たるを婆修盤頭と云う、常に一食不臥、六時に礼仏し、清浄無欲にして衆の帰する所となる、尊者度せんと欲して、彼の衆に問いて日く、この頭陀よく梵行を修す、仏道を得べけんや。衆日く、我師精進たり、何が故ぞ不可なる。尊者日く、汝が師は道と遠し、たとい苦行して塵劫を経るとも、皆虚妄の本なり。衆日く、尊者何の徳行をもって我師をそしる。尊者日く、我は道を求めず、乃至、無漏智を発し、歓喜讃嘆す。尊者また彼衆に示して日く、我が語を会すや否や。我がしかる所以は、それ求道心の切なるが為なり。それ弦急なれば即ち断つ。故にわれ讃せずして、安楽地に住せしめ、諸仏智に入らしむと。
これまったく他云うことなしです、まさにかくの如くです、我道を求めず、また顛倒せず、我れ仏を礼せず、また軽慢せず、我れ長坐せず、また懈怠せず、我れ一食せず、また雑食せず、我れ足るを知らず、また貪欲せず、心に希う所なし、之を名つけて道という。はいこれまったくに我が日送りです、これに反するときは、必ずお釣りが来る、うまく行かない、不幸ですよ。
風大虚を過ぎ雲岬より出ず、道情世事都べて管する無し。
道は知にも非ず不知にもあらず、若し本来事を得ば、大虚の洞然として明白なるが如しと、どうしてもこれが欲しいと、四苦八苦するんです、行ない清ますあり、知慧を尽くすあり、坐り抜くあり、不眠不休ありです、弦急なればこれを断ちと、安楽に入り歓喜讃嘆するのは、求める心を手放す、元の木阿弥を知る、風大虚を過ぎです、洞然明白を絵に描いた餅じゃないんです、空という思い込みが失せる、そう云っているものを空じ切るんです、雲岬を出るに任すんです、なんでもありはもとなんでもありなんです、仏といい仏教といって、制限して良い悪いじゃしょうがない、三世の諸仏知らず、すなわち、道情という手を付けないんです、世事ものみな元の木阿弥にあって、まったく我管せずなんです、管するに我なし、只管打坐これ、日々是好日は、我れ足ることを知らずです、これ仏でなけりゃ云い得んですよ、自ずから懈怠しないんです、あっはっは総じて見習うこと不可能、無漏智を発して下さい。 
第二十二章

 

第二十二祖、摩奴羅尊者、婆修盤頭に問いて日く、何物か是れ諸仏菩提なる。
尊者日く、心の本性即ち是れなり。師また日く、如何なるか是れ心の本性。尊者日く、十八界空是れなり。師聞いて開悟す。
師は那提国常自在王の子なり、年三十にして婆修盤頭に遇う。常自在王に二子あり、一を摩訶羅、次を摩奴羅と名づく。王、尊者の仏記したまう、第二の五百年に一の神力の大士あり、出家して聖を継ぐと、即ち次子摩奴羅これなりと云うを聞いて、この子を捨てて沙門とす。善哉善哉大王よく仏旨に従う、即ちために授具す、これより婆修盤頭に給仕す、あるとき問うて日く、何物か是れ諸仏菩提なる、乃至開悟す。何物か是れ諸仏菩提なる、だれしも一度は必ずこう聞きます、ほんとうのことはなにか、自分はどうあったらいいか、仏とはなにか、それに答える人がいない、あるいはせっかく問いながら、なおざりにする、人もそうなら自分もといって、じきに忘れてしまう。仏記して聖を継ぐべしという、大士大人物が必要なんですか、いいやおぎゃあと生まれて、だれしも七歩歩んで天上天下唯我独尊です、だれあって本当を問う、何物か是れ諸仏菩提なる、というとき無位の大人です、尊者答えて日く、心の本性即ち是れなり。はいこれここにありますよ、本性もと究尽菩提、まったく他にはないと示す、これあってはじめて種々雑多、世の中一般があるんですよ、そうかと云うんです、でもその心の本性とはいったい何か、十八界六根六識六境の十八という、ものみな空です、見えるものないんです、これとさし示すなし、頼りの杖=200%ものみなですか、頓に無生を知る、これを聞いて開悟するんです。
仏道を習うというは、自己を習うなり。自己を習うというは、自己を忘れるなり。はいまったくに単純なただこれ。
舜若多神は内外に非ず、見聞声色倶に虚空なり。
しゅんにゃたとは虚空を司る神、まあ空ですか、空というと空という固定観念、そういうらしいものがあると思うんです、そうではあい、そのように思う自分を空じ去るんです、自分という架空請求を免れる、ほんとうに自由になるんです、あれはいけない、これは悪い、仏はこうある、仏教の物差しは、ものみな空だからという、だから故にのかすがいを外す、先ず自分という内外が失せる、妄想が悪い、声聞縁覚がどうのという、どうのというこうのという、そのもの200%、ないものには悩まない、あるいは五蘊皆空という、かすっともかすらないんです、いったん忘れるということあって、長長出させる、坐禅という、どこまで行っても退歩の術ですか、いいえ十八界空、自分という問題にならんのですよ。
第二十三章

 

第二十三祖、鶴勒那尊者、因みに摩奴羅尊者示して日く、我れ無上の大法宝有り、汝当さに聴受して未来際を化すべし。師聞きて契悟す。
師月支国の人なり、姓は婆羅門、父は千勝母は金光、子なきをもって、仏金ん幢に祈る、須弥山上に一の神童あり、金環を持して我れ来たれりと云うと夢に見えて、孕む。七歳にして、民間の淫祀するを見て、廟に入り、汝妄りに禍福を起こし人を幻惑すと叱す、云いおわりて廟忽然として壊す。郷党これを聖子とす。二十二歳出家、三十にして摩奴羅尊者に遇う。鶴の類師に従う、よって梵漢引き合わせて鶴勒那という。師尊者に問いて日く、我れ何の縁ありてか鶴衆を感ず。尊者日く、汝かつて比丘となる、五百の衆あり、徳薄きをもって、汝生を受けるとき、羽族となりて従うと。師聞きて、何の方便をもってか、彼をして解脱せしめんと云う、尊者日く、我に無上の大法宝あり、乃至契悟す。金環を持して生まれるという、神童という頭がいいんでしょう、世の中頭脳明敏は多種あります、けれども無節操で、自分儲かるだけにこれを用いる、今の世とくに一般的です、でもよくみると、諸方面にそうでない人がいます、政治家にだって何人もいます、七歳にして淫祀を破壊するほどに、まっすぐというと伝説の域ですが、正義また人のためには、自らを顧みないほどの人がいます、しかもマスコミ一般大衆はかえってそれを信じない、福徳薄い羽族に生まれるしかあいですか、でもこれせっかく正法眼蔵ありながら、たとい不信であり、行なうにはそっぽ向く人ですか、中下は多聞なれども、多く信ぜずですか、たいていこれ自分にとって不幸です、よって他を不幸にする。サイレントマジョリティを信じてよい国と、そうでない国と、これはまったく重大問題です。ともあれ、現代であっても正法は行なわれ、たとい不信の人であっても、二、三すれば信じる、初めて信の大なることを知る、そうかというんです、ではやってみよう、今生あるかぎり、仏の道という、わしはそういう例を数多く見る、無上の幸せです、いいやわしみたいな者が、申し訳ないと思うほどに。
粉雪雲に挿しはさむ巨岳の雪、純清絶点青天に異れり。
鶴勒那大和尚を頌するに、まさにもってかくの如くですが、自然の風景にこれあれば、人間の風景にもまさにあるべきです、もしこういう人に遭遇すれば、ああだこうだとやこうにこと雲散霧消です、これというこの事を知らず、この人というその心を知らず、一生をニヒルの狸右往左往の犬にて暮らす、なんというみっともない、傍迷惑、そりゃ次の世とうてい人間には生まれんですか、だっても今の世、姿形人間に似ているだけの、蚤の睾丸ほどの赤い血もなく、知らずにする情けないたら残酷無惨です、はい、ただちにこれを免れて下さい、そういう自分を観察しない方法です、見ている自分なければゼロです、もとゼロです、急転直下仏です、救われるということ、座禅と見性という、科学理論なんかありっこないです、帰依であり救われるという、ただこれ一つこと、感動のない冷静などないんです、あっはっははい真人間に返って下さい。 
第二十四章

 

第二十四祖、師子尊者二十三祖に問いて日く、我れ道を求めんと欲す、当に何の用心かあるべきや。祖日く、汝若し道を求めば、用心する所無からん。師日く、既に用心無し、誰か仏事を作さん。祖日く、汝若し用うること有らば、即ち功徳に非ず、汝若し作すこと無くんば、即ち是れ仏事なり。経に日く、我が作す所の功徳、而かも我所無きが故にと。師是の言を聞き已りて、即ち仏慧に入る。
師、姓は婆羅門、もと異道を学して博達強記なり、後に二十三祖に参じて、今の問答あり、直に無所用心によって、頓に仏慧に入る。二十三祖日く、我が滅後五十年、まさに難の起こることあり、汝が身の上にあらん、しかりと雖ど、汝我が法宝を伝持して、未来際を化すべしと。師行化のついで、婆舎斯多を接して、難あり我が身に起こらん、おやしくも免るべからず、汝我が道を持すべしといって、衣法ともに授く。国王あり、仏に帰依す。外道乱を起こして、罪を仏子に帰す。国王、伽藍を破棄し、僧を追い、剣をとって師子尊者に至る。問いて日く、師蘊空を得るや否や。師日く、已に得たり。王日く、生死を離れるや否や。師日く、已に生死を離。王日く、已に生死を離るれば、我れに頭を施すべし。師日く、身は我が有に非ず、何ぞ頭を惜しまん。即ち刃を揮いて師の頭を断る。法難という、ようやくインドの仏教は衰退するんですか、仏教の不備ではないです、一般多数の趣むく所です、流行り廃りですか。以後のヒンズ−教が、仏教のデカタンス、インドの聖者というオペラ歌手のような、他に示すための人格です、無心を説きながら有心です、完成を云い現世利益です、そうではない、捨身施虎です、たとい怒り心頭の国王だろうが、その身くれてやる、ために別に立派な人格も、オペラ歌手もいらんです、これ参学の秘訣、坐然のありようです。我れ道を求めんと欲す、なんの用心かあるべき、どうしたらいいか、心の用いようを聞く、これに対して、若し道を求めば、用心する所無からん。心を用いるんではない、あるいは用心しっようとするそのもの。用心なしでは、だれか仏事をなさん。さあこれが普通の人の問いです、有心の問いなんです、学者説教師という、まさにこれを出るなし、そりゃどうしようもないです、オペラ歌手するしかない、汝若し用うること有れば、即ち功徳にあらず。若し作すこと無くんば、即ち是れ仏事なり。はいこれが仏のありよう、捨身施虎です、百尺竿頭歩一歩です、経に日く、我がなす所の功徳、しかも我所無きが故に。
若し空を顕はさんと欲せば須らく覆ふこと莫るべし、沖虚浄泊本来明らかなり。
密教だの秘伝だのいうことなし、一器の水が一滴漏らさず一器になどいう、それは世間事です、免許皆伝という資格技術の問題ではない、先師室内もだが、明けっぴろげで、だれかれどうした、坐談におまえはどうとやる、人のことは我がことなんです、それを師家だのおれはだのいう輩は、必ず秘伝めかす、よくわからないのと、人に盗まれたら商売上がったりという、宗門の薄汚い我田引水、自閉症ですか、税金のかからないパイ、なるたけ他に食われぬよう、苦労の末の坊主だのと、ほんに出家希望者を扱う、宗門人のむごたらしいほどの扱いに、あっけにとられたことがあります、その弟子助けを求めて来たが、お寺さんになりたいって他なく、わしらには関わりなく。可哀想なこってす。仏教のぶの字もない宗門、もはやこれを出るより方法はないか。いえ宗門にあろうが、ホ−ムレスだろうが、沖虚浄泊隠れるところないんです、どこへ行って何云おうが、じきに賛成大賛成の集団になっちまう、うるさったいってわけでもないが、悪食ばさら、助平坊主やってます、本音だろうが、嘘八だろうが、そりゃまた同じこってすよ、そうねえ人間嘘は付けない。 
第二十五章

 

第二十五祖、婆舎斯多尊者、二十四祖示して日く、如来の正法眼蔵、今汝に転付す、汝応に保護して普く来際を潤すべし。師、宿因を顯発して、密かに心印を伝ふ。
師姓は婆羅門、父は寂行はは常安楽、母神剣を得ると夢見て孕む、師子尊者遊方のついで、一の長者あり、その子を引きて尊者に問う、子斯多と名づく、生まれるに当たって左手を拳る、終に未だのぶることあたわず、願わくは尊者、その宿因を示せと。尊者即ち、手をもって接して日く、我れに珠を還すべし。童子俄に手を開きて珠を奉る。衆みな驚愕す。尊者日く、我れ前報に僧となれり、童子あり、婆舎という、我れかつて西海の斎に赴いて、珠を受けて之に付す。今我れに返す理まことに然り。長者終にこの子を出家せしむ、即ちために授具して、前縁をもって婆舎斯多と名づく。ついに嗣続して日く、如来の正法眼蔵、今汝に授く、よろしくおく保護すべしと。
人みなかくの如しと、われもまたかくの如しと、どこかに手を握りしめていませんか、尊者来たりて、珠を返しなさいという、すなわち手を開いて奉ずる。どうですか、如来の正法眼蔵このようにして、伝わり、ついに嗣続して、汝今これを得たり、よろしくよく保護すべし、銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵す、類して等しからず、混ずる時んば所を知ると。先師が云っていたな、小僧修行の仲間が、まったく悟ったように宝鏡三昧を読むと、ほんとうにそういうことあります、赤ん坊が字を読み経を誦すことを知ったら、きっとかくあるべしと。しかれども毫釐も差あれば、天地はるかに隔たり、違順わずかに起これば粉然として心を失すと、これ人の一生しゃば世界です、すなわちわずかにこういうことあって、もとは元の木阿弥、如来の正法眼蔵そのものなんです、さあどうですか、その手に握った珠を返すことあって、無心に帰依して下さい、夢から覚めるんですよ、はっと気が付くんです、もとそうであったこと。
開華落葉直ちに顯はるる時、薬樹王終に別味無し。
だからこのせっかくの大事無味乾燥なんです、無心というもとあるを知らないんです、でもって摩尼宝珠如来蔵裏親しく収鑑すといっても、目に見える玉じゃないです、有心のものには取り付く島もないです、世界には幾多の宗教があり、大小無数ですか、同じ羽根の鳥を寄せ集めて、勢力をほこり戦争の道具ですか、これ人類という欠陥そのものです、人類以外そんな余計こと、阿呆するものいない、みんな平和に暮らしています、無心の故にです、あなたはだあれ、知らないと答える、花も雲も水も、そうです達磨さんもです、やれキリスト教天理教だのブ−ズ−教だの、そりゃ理論としても間違いですし、荒唐無稽なることは、虫けら一匹救えないんです、こんなものがまかり通ること、まずもって反省すべきです、薬樹王ついに別味なし、色じゃないよ、色を入れる器だおというほどに、そりゃ過ちは糾すこと、色をもって色を制すんじゃない、殺し文句の是非善悪じゃないんです、これを知る、まったく別味なし=人間以外みな生活。 
第二十六章

 

第二十六祖、不如蜜多尊者、太子たりし時、二十五祖問いて日く、汝出家せんと欲す、当に何事をか為す。師日く、我れ若し出家せば別事を為さず。祖日く、何事をか為さず。師日く、俗事を為さず。祖日く、当に何事をか為す。師日く、当に仏事を為す。祖日く、太子の智慧天至なり、必ずや諸聖の降迹ならん。祖即ち出家を許す。
師は南インド得勝王の太子なり、王祖に問いて日く、師が伝ふる所の者、まさに是れ何の宗なるや。祖日く、我が伝うるもの即ち是れ仏の宗なり。王日く、仏滅してすでに二千百載なり、師は誰より得たるや。祖日く、摩訶迦葉親しく仏印を受け、展転して二十四祖師子尊者に至る。我れ彼より得たり。王日く、余聞く、師子比丘は刑戮を免れること能はずと、何ぞよく法を後人に伝えん。祖日く、我が師難未だ起こらざる時、密かに我れに信衣法偈を授けて、もって師承を顯はす。王日く、その衣何くにか在る。祖即ち嚢中より衣を出して王に示す。王命じて之を焚かしむ。五色相鮮やかにして、薪尽きてももとの如し。王即ち追悔して礼を致す。師子の真嗣なる、太子ついに出家を求む。祖日く、汝出家せんと欲す。まさに何事をか為すべき、乃至祖出家を許す。燃しても燃えない、石の辺から取ろうにも取れない、そんな便利明確な信衣があればいいですか、信衣という、形として印すことあったとて、嗣法しなけりゃ意味がない、仏仏に単伝する、永遠不変です、これを受けるかと云われて、受け得るものは受けるんです、紙ぺらの嗣法など、たとい千拝遙拝も血脈だろうが、一文の価値もないです、そんな阿呆なこと、長年やって来てとうとうぼろくずです、宗門というなんの取り柄もないです、かったるいっきりだ。たとい燃しても燃えず、五相鮮明、宗門坊主ども右往左往も、歴然として、大法は受け継がれております、たとい人類滅亡しようが、仏の道は続くんです。このころインドでは、ようやく外道に乗っ取られようとする、法難相次ぐんでしょう、いずれ身から出た錆で、仏教という徒党を組み、利権争い、いえさ世俗の垢がたまるんです、それに一般が反発する、うんざりするんです、明治の廃仏棄釈もそうですか、今の仏教離れは、坊主自身による、これどうしようもないです。もっとも仏教の、噛み難く嚼し難いことは、じきに信ずれば救われる底の、安易さ人はこうあるべきの猿真似に取って代わります、結果毒にも薬にもならんですか、百害あって一利なしですか。何事かなす、俗事をなさずという、俗と仏と如何と問うまえに、これが貴重品を尊重するんですか、まさに仏事をなすと、その智慧天の至るなり、必ずや諸聖の降迹なりと、はいそのようにこの事顯現して下さい、一騎当千も日常茶飯事ですよ、無心なればはいかくの如し。
本地平常寸草無し、宗風何れの処にか按排を作さん。
大学院をやめて出家した弟子が、いいことをしたいというかぎりは、仏教にならんというのを、どうしてもいいことをしたい、仏教を学んで世のため人のため、いいえ行ない清まして、この我が身心をという、生きたいという、いえ立派に生きたいという、もしくはそれを取ったら、自分はどうしたらよいかわからないと云う、いいことしいに自分がない、行処がない、淋しいし不安だしという、そりゃちっとは坐った効果あったか、はい、いいことするんならどっか他へ行ってくれ、しゃばへ舞い戻るか、うちじゃそんなんいらんで、というと、他たって行く処がない、しゃばだろうが同じだという。ここにして経を説く、無心という無眼耳鼻舌身意という、自分がまったくないことを説く、そのお経を学びながら、生きたい、いっぱしになりたい学者が、仏教に至るはずはない、無所得故という、元の木阿弥なんにもないに帰る、ニイルバ−ナは、生きようじゃない捨てる、大死一番する外に方法がないこと。いいことしいという爪から先じゃない、ぜんたいだ、寸草じゃないこれが平地と。何れのところにか按配をなさん、いいか捨てなきゃ得られん、淋しいどうもならん、それが入り口。 
第二十七章

 

第二十七祖、般若多羅尊者、因みに二十六祖日く、汝往事を憶うや否や。師日く、我れ遠劫中を念ずるに、師と同居す。師は摩訶般若を演べ、我れは甚深修多羅を転ず。今日の事、蓋し昔因に契えり。
師は東インドの人なり。時に不如密多、東インドに至る、かの王を堅固という、外道を奉じ、長爪梵志を師とす。尊者至らんとして、王と梵志と同じく白気の上下貫くを見る。王日く、これ何の瑞ぞや。梵志予じめ尊者の境に入るを見て、王の善に遷らんことを恐れ、すなわち日く、これは是れ魔来たると。不如密多まさに都城に入らんとす、弟子とも鳩首して日く、我れら各呪術あり、天地をも動かし水火にも入るべし、何を患えんやと。尊者宮墻に黒気あるを見て、すなわち日く、小難のみ、王処に至る。王日く、師来たりて何をか為さんとす。尊者日く、衆生を度さんとす。日く、何の法をもって度せん。尊者日く、各その類をもって度せん。梵志怒りに耐えず、幻法をもって大山を尊者の頂上に化す。尊者これを指さす、たちまち彼の衆の頭上に在り。梵志ら恐れおののいて尊者に投ず、尊者愚或を哀れんでこれを指さす、化山したがい滅す。すなわち王の為に法要を説いて、真乗に趣かしむ。また王に云う、この国まさに聖人ありて、我れに継ぐべし。時に婆羅門あり、幼時に父母を失いて名氏を知らず、あるいは自ら瓔珞という。人呼んで瓔珞童子という、市井に遊行し乞食して日を渡る。人、汝行くこと何ぞ急なると問えば、汝行くこと何ぞ慢なると答え、何の姓ぞと問えば、汝と同姓という。王尊者と同車して行く、瓔珞童子稽首す。尊者日く、汝往事を憶ふや否や。乃至けだし昔因に契へり。尊者王に云いて日く、この童子は他に非ず、大勢至菩薩これなり、この聖の後に二人を出さん、一は南インドを度し、一は震旦、中国に縁ありと。ついに昔因をもっての故に、般若多羅と名づく。
各その類をもって度せんという、これ仏教の常套手段というより、仏教として別に何かあるもんじゃないんです、仏教=ダイアロ−グと云っていい、こうあるべきどうせにゃならんの問題じゃない、しゃくを以てしゃく(金に昔)に就くという、相手の愚或の、行き届かぬところを示す、大山をもってすれば、それを彼におっかぶせりゃいい、その衆に乗せりゃもっと効果的でしょう、戦争は悪い平和はいいという、はいそのとおりですよという、現実はどうなります、戦争は悪い平和がいいが、大山になってのしかかって、ちっとやそっとじゃ動きが取れん日本でしょう、愚或を指さして、したがい消滅です、ほかそんなことばっかりというのは、世間世迷いごとです、自分という架空請求の上に成り立っている、いえそうと思い込むんです、父母幼にして失われ、名も知らぬ、かえって自分という立脚点を免れる、家なく遊行の自在ですか、ですが尊者、往事を思うや否やと問う、来し方行く末として問うんでしょう、もしちらともあればこれ業障です、むかしのことなんて思わないよという、如来まさに追憶なしです、ところがそやつを通り越して、師と同居す、同安居ですか、今の下士官修行新兵さんはつらいよねの、僧堂安居、同じ釜の飯食ってじゃない、そりゃ追憶倒れ、そうじゃない、師は魔訶般若を説き、我れは甚深修多羅を転ずと、ただこうしてこのとおりあるんです、山水長口舌と敢えていう、たった一つことです、塵未来済こうしているというんです、ゆたらス−トラ、学者が論じ坊主ぜにもうけとは無関係です。
潭底の蟾光空裏に明きらかに、連天の水勢徹昭して清し。再三撈漉して縱ひ有ることを知るも、寛廓旁分虚白にして成る。
潭は深い水蟾は龍です、この一連瓔珞童子がまさに答える、師と同居す以下です、情識妄想の取り付く島もない、もとのありよう七通発達です、撈漉は水中に入ってものを取ること、学者徒労は猿の月影を追うという、水に映った月を取ろうとして再三するわけです、たとい本来の月、あるいは両箇たるを知るも、これを用いる、廓然無聖です、がらりこうあって個々別々、旁分は事物を明きらかにする、科学の追求真理という、一神教成れの果てとは違うんです、虚白自分というものなくしてものみな、ぱ−らみ−た−摩訶般若波羅蜜多彼岸にわたる=知慧なんです、仏知慧として別にあると思っている間は、そりゃ届かんです。 
第二十八章

 

第二十八祖、菩提達磨尊者、因みに二十七祖、般若多羅尊者問う、諸物の中において、何物か無相なる。師日く、不起無相なり。祖日く、諸物の中において、何物か最大なる。師日く、法性最大なり。
師は刹利種、クシャトリアなり、もとは菩提多羅と名づく。南インド香至王の第三子なり、王仏法を尊重して並びなき、あるとき無価値の宝珠をもって般若多羅に施す。王に三子あり、一は月浄多羅、二は功徳多羅、三は菩提多羅、尊者、施すところの宝珠を以て三王子に示して日く、よくこの宝珠に及ぶもの有りや否や。第一第二日く、この珠は七宝の中の尊なり、まことに超ゆるものなし。尊者の道力に非ずんば、よくこれを受けん。第三王子日く、これはこれ世宝なり、未だ上とするに足らず。諸宝の中においては法宝を上とす、これはこれ世光なり、未だ上とするには足らず。諸光の中においては智光を上なりとす、これはこれ世明なり、未だ上とするに足らず。諸明の中に於ては心明を上なりとす。この珠の光明は自ずから照らすこと能はず、必ず智光を借りてこれを光弁す。すでにこれを弁じ終われば、即ちこれ珠なる事を知る。必ず智珠を仮りて世珠を弁ずればなり。宝自ら宝に非ざることは、必ず智宝を仮りて法宝を明きらむればなり。師の道智宝なるが故に今世宝を感ず。しかれば即ち師に道あればその宝を現じ、衆生に道あればその宝を現ず。衆生に道あれば心宝また然かなり。祖その弁舌を聞きて、聖なることを知る、即ち問いて日く、諸仏の中において何物か無相なる。師日く、不起無相なる。祖日く、諸物の中において何物か最も高き。師日く、人我最も高し。祖日く、諸物の中において何物か最も大なる。師日く、法性最大なり。かくの如く問答して、師資心通ずと雖も、機の純熟するを待つ。父王崩御す、衆みな号絶するに、菩提多羅独り柩の前にして入定、七日をへて出ず。乃ち般若多羅の処に往いて出家す。後に師般若多羅の室にして七日坐禅す、般若多羅広く坐禅の妙理を指説す。師聞きて無上智を発す。般若多羅示して日く、汝諸法に於てすでに通量を得たり、それ達磨は通大の義なり、よろしく達磨と名付くべし。六十余載、震旦の縁熟するをもって、一葦に身を浮かべてという、梁の大通元年九月二十一日、よって最初梁の武帝に相見す。
梁の武帝、達磨太子に問ふ、如何なるか是れ聖諦第一義、磨日く、廓禅無聖。帝日く、朕に対する者は誰そ。磨日く、不識。帝契はず。終に江を渡って、小林に至り面壁九年。
梁の武帝という、実在の人物です、一代にして国を興し次代にはもう滅んだという、その因の多くは仏教に入れ揚げたせいだと、そりゃ発明の人だったんでしょう、でも仏宝僧を供養し、塔を建て、自らも放光般若経を講義し、終には天花乱墜し、地黄金に変ずるを見たという、これこそ仏教のエッセンス、如何なるか聖諦第一義と問う、答えは解かっている、頭なでてくれという、これ一般の問いです、どういうものか、知らないからというより、知っているから答えろという、これに対して、磨云く、廓然無聖、からんとしてなんにもないよと云う、すばらしいもの、これぞというものなんかないんです、金ぴか聖人いらない、個々別々だというんでしょう、帝呆然です、なんだと、そんじゃ仏心太子という、観音大師という、鳴りもの入りでやって来た、おまえは何物だ、朕に対する者は誰そと聞く、磨云く、不識。知らないというんです。達磨の不識というこれ、いいですか、花にあなたはだあれと聞く、知らないと答えるんでしょう、その他の答えはないんです。私は菊で管巻という種類で、なんのたれ兵衛が植えて、肥やしはどうで日照時間はどうで、弥彦の品評会で三位を取った、上を見れば切りもし、下を見れば切りもなし、まあこのへんでなど云い出したら、それっきり花なんぞ見る気もしなくなります。
知っている分みな嘘、見れども飽きぬ花です、人間だけが見るもいやな面付き、嘘ばっかりに枯渇しています、これはどういうこと、お釈迦さまが二千数百年前に気がついたことこれ、毛なし猿が、進化のいびつから発して、ついにその脳味噌を卒業しえずという、主客転倒事、客である観念知識にしてやられっぱなしです、これをどうにかせんけりゃ、人類も地球の未来もないんです。
仏教とはまさにこれ、花のように知らない人になって下さい、廓然無聖個々別々と地球のお仲間入りをして下さい、人間に似せたあっちの神さまこっちの独善じゃないんです、大人になって下さい、水や空の雲と一如にある、父母未生以前です、元の木阿弥という、帰家穏坐ですよ、ことはまるっきり単純です。
人間という砂上楼閣、自分という架空請求を断じて下さいという、たったそれだけ。
よこしまを去って、あるがまんまに帰る。
ぱ−らみ−た−彼岸に渡るお示しです。
更に方所無く辺表無し、豈秋毫よりも大なる者有りらんや。
はい手付かずの工夫です。 
第二十九章

 

第二十九祖、大祖大師、二十八祖に参持す。一日祖に告げて日く、我れ既に諸縁を息む。祖日く、断滅と成り去ること莫しや否や。師日く、断滅と成らず。祖日く、何を以て験と為す。師日く、了了として常に知る、故に云うことも及ぶべからず。祖日、此れは是れ諸仏所証の心体、更に疑うこと勿れ。
師姓は姫氏、父は寂、未だ子なく、常に思う、わが家善をなす、あに子なからしめんやと、一夕異光あり、室を照らす、その母よって孕む。照室の瑞をもって光と名づく。幼より志群を抜き、書を読み家産を事とせず。山水に遊び、嘆じて日く、孔老の教えは礼術の風紀なり、莊易の書は未だ妙理を尽くさず。龍門香山の宝静禅師について出家す。あまねく大小乗の義を学す。一日仏書般若を見て、超然として自得す。昼夜坐して八載を経しに、神人告げて日く、大道遙かなるに非ず、汝それ南せよと。神光と改名す、その頂骨五峰の秀出するが如く、したがい嵩山小林寺に到り、達磨大師に見ゆ。大通二年十二月九日、大師入室を許さず。その夜大いに雪降る。雪中に明けるを待つ。積雪腰を埋め、寒気骨に徹る。乃至、自ら利刀をとりて左臂を断ず。大師是れ法器なりと知って日く、諸仏道を求む、法の為に形を忘る、汝臂を断つ、求むること亦可なること在り。師ために名をかえて慧可と日う。ついに入室を許す、左右に給仕して八載、有る時師、大師に問うて日く、諸仏の法印得て聞くべしや。大師日く、諸仏の法印は人より得るにあらず。ある時示して日く、外諸縁を息め、内心喘ぐことなく、心墻壁の如くにして以て道に入るべし。大師ただその非を遮り、ために無念の心体を説かず。ある時大師に侍して、小室峰(嵩山の西峰)に登る、大師問う、道何の方に向かい去る。師日く、請ふ、直に進前せば是なり。大師日く、若し直きに進まば一歩を移すことを得ず。師聞きて契悟す。ある時大師に告げて日く、我れ既に諸縁を息む、乃至、さらに疑うことなし。
われ既に諸縁を息むという、左臂を切って出家沙門のこれ、ついに円成するんです、諸縁を放捨し、飲食節有りと、普勧坐禅儀にあるように、一歩禅堂に入れば、世の中の暮らしというんですか、あれこれ全般を離れて、わずかに身心を養う、本来を得る、もとのありように立ち返るこれです、それができたというんです、坐って真似事ではない、本来事これ。大師日く、断滅と成り去ること莫しや否や、思想考え方として、ちらとも残りあればこれです、無明無しあって無明の尽くる無しを知らないんです、そうですよ世の中諸縁のまっただ中なんです、しかも諸縁を息む、面白いんでしょうこれ、まさにこれを知らざれば、仏法なし、仏法としてちらよもあれば、諸縁対仏法です、すなわちこの事を得て下さい。大師日く、では何を以て験すと、諸縁有象無象と同じかと問う、銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵す、混ずる時んば所を知ると、師日く、了了として常に知る、故に言うことも及ぶべからず。大師日く、これはこれ諸仏の心体、さらに疑うことなかれと。
空朗朗地縁思尽き、了了惺惺として常に廓明たり。
大祖神光慧可大師が、このように廓明了了、空朗諸縁尽きはてて、法を継ぎよってもって今に到る、師法を僧さん(王に粲)に付してのち、都辺に於て随喜説法す、四衆帰依すと、三十年におよび、あるいは諸の酒肆に入り、屠門を過ぎり、街談を習い、厮役にしたがうとある、酒屋へ入ったり、肉を食らったり、にぎやかな街をうろつき、雑多な人々といっしょになる、坊主はお経師家は説法など、らしくの形姿を破りすてて、むきだしに市井を歩く、どうですか他仏如来としてないんですよ、ついに法師和尚の類に、謗りを受けて獄中に死す、あっぱれ天下泰平です、いいですか、ほんとうにこれを得て下さい、お悟り虫では、そりゃなんにもならんです。 
第三十章

 

第三十祖鑑智大師二十九祖に参ず、問いて日く、弟子の身風恙に纏わる、請うらくは和尚罪を懺せよ。祖日く、罪を将ち来れ、汝の為に懺ぜん。師良久して日く、罪を覓むるに不可得なり。祖日く、我れ汝が与めに罪を懺じ竟る、宜しく仏法僧に住すべし。
師は何れの人というを知らず、初め白衣を着て二祖に謁す。歳四十余なり、名字を云はず、礼して問いて日く、弟子が身風恙、癩病に纏わる、乃至宜しく仏法僧に依りて住すべし。師日く、今和尚を見て已に是れ僧なることを知る、未審し何をか仏法と名く。祖日く、是心是仏、是心是法、法仏無二なり。僧法もまた然り。師日く、今日始めて知りぬ。罪性は内に在らず、外に在らず、中間にも在らず、其心の如きも然り。仏法も無二なり。祖深く之を器とす、為に剃髪して日く、是れわが宝なり、宜しく僧さん(王に粲)と名くべし云々。三祖大師信心銘等今に残る、罪を求めるに不可得、我れ汝が為に懺じ得たりという、心身の救いこれ以外にないこと、今の世もまったく同じ、よくよく見てとって下さい、迷いから迷いへの諸宗付け焼き刃、殺し文句じゃないんです、無心という、心の無いことを知る、無いものは痛まない、傷つかないんです、無心とは是心是仏です、是心是法です、法仏無二、かくの如くです、僧法また同じく、まったくに他なしです。我れ今初めて知れりと、どうかこれ万人が万人、初めて知って下さい、罪性は内に在らず、外に在らず、中間にも在らず、心もしかなり、仏法無二なり。豁然大悟です、他なしに開ける。ようやく病癒ゆると。周の武帝仏法を廃する時にあたり、あらかじめこれを知って、法難を避ける、これ達磨般若多羅の記すに拠ると、のち大いに興る、鑑智はおくりなである。
性空内外無く罪福蹤を留めず、心仏本是くの如く法僧自ずから暁聡なり。
禍福はあざなえる縄の如しという、これ俗説ですよ、たといあざなえる縄の如くも跡なしです、それゆえたとい大悟十八辺小悟その数を知らずも、まったく跡なし、みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけれ、では法とは何か、跡なしです。心というたとい顧みるものこれ、では見えない道理、よくよくこれを知って下さい、参じ尽くし参じ去ってのちに、自ずから明らかです、取り付く島もないとき、ようやく使いえて妙です、信心銘、これを用いるによし、心銘またよしと云ったって、はてな一言半句思い出せないで弱った、わしはもうろくじっさ。 
第三十一章

 

第三十一祖、大医禅師、鑑智大師を礼して日く、願くは和尚慈悲、乞ふ解脱法門を与えよ。祖日く、誰か汝を縛すや。師日く、人の縛するなし。祖日く、何ぞ更に解脱を求めんや。師言下に於て大悟す。
師諱は道信、師生まれて超異なり、幼より空宗の諸の解脱門を慕う、あたかも宿習の如し。年十四にして三祖大師に参じて日く、願くは和尚慈悲、乃至言下に大悟す。師祖風を続ぎて摂心寝ることなく、脇席に置かず六十年、徒衆とともに吉州に到る、群盗城を囲みて七旬に及ぶ、師憐れみて摩訶般若を念ぜしむ、時に群盗城壁をうかがうに、神兵あるが如し、定めて異人あるべしといって、ようやく引き下がる。帰りて破頭山に住す、学侶雲集す。一日黄梅路上に親しく弘忍を接し、牛頭頂上に横に一枝を出す。唐の太宗詔して京に招く、師上表して遜謝すること三返、使い来たりて、もし起たずば首を切れという、神色厳然、ついに切れず。一切諸法、悉皆解脱、汝等各自護念して、未来を流化せよと、云い終わりて安坐して逝す。
和尚慈悲乞う解脱の法門を与えよという、誰か汝を縛すや、いいえだれも縛ってはいないという、では何ぞ更に解脱と求めんや、師言下に於て大悟す。そうです、まったくこれっきりなんです、十四歳にしてこうです、七転八倒座禅により見性によち、ああでもないこうでもないの、まったくそんな必要のないことを、直きに知って下さい、手つかずの法門、手をつける必要がないんです、言下に於て大悟して下さい、まるっきりのただ。だからなんでもありあり、しゃばの我欲不都合のそのまんまですか、摂心寝ることなく、脇席につかず六十年です、自ずからにかくの如くです、務めてなすのおいて務めてなすんです、わかりますかこれ。
心空浄智邪正無し、箇裏知らず何をか縛脱す。縱ひ五蘊及び四大を別つも、見聞声色終に他に非ず。
もとこのとおりにあって、他にないのを何で知らず、何ゆえ安住せぬかという、根本の問題です、何ゆえと問いわれて、答えようがないんですか、いえ我欲のゆえに、とらわれのゆえに、いえ我れという架空のゆえに、五蘊あり四大ありする、見聞覚知を追うんですか、どうしてもこれを免れえぬと思い込むんですか、すなわちこう云えばこれ切りがないんです、切りのないのを人生という、いったんどうでもってことあります、これではならじということあって、願くは和尚慈悲、わがために解脱の法門を示せという、願くはなければ、だれも縛ってなぞいない、もとかくの如しとは気がつかない、これ仏教、でなくばもとっから仏の教え不要。たといまあそういうこってすか。
第三十二章

 

第三十二祖大満禅師、黄梅路上に於て三十一祖に逢う。祖問いて日く、汝何の姓なる。師日く、性は即ち有れども是れ常の姓にあらず。祖日く、是れ何の姓ぞ。師日く、是れ仏性なり。祖日く、汝姓無きや。師日く、性は空なるが故に無し。祖黙して其の器なるを識り、法衣を伝付す。
師はき州黄梅県の人。先に破頭山の栽松道人たり。かつて四祖に請うて日く、法道得て聞きつべしや。祖日く、汝すでに老いたり、若し聞くことを得るとも、よく化を広めんや。若し再来せば吾なを汝を待つべしと。即ち去りて水辺に往いて、女の衣を洗うを見て、礼して日く、寄宿し得てんや否や。乃至女一子を生む、不詳の子とて濁港の中に捨てる。流れに濡れることなし、神仏護持して七日損せず。母これを見て養う、長じて母とともに乞食す。人呼んで無姓児という。智者ありていう、この子七種の相を欠きて如来に及ばずと。黄梅路上に四祖の出遊に会う。即ち骨相奇秀常童に異なるを見て、問いて日く、汝何の姓ぞ。乃至黙してその法器なるを知り、母に請して出家せしむ、時に七歳なり。よって伝法出家せしより、十二時中一時も蒲団にさえらることなし、余務欠くことなしと雖も、かくの如く坐し来る。上元二年、徒に示して日く、吾事すでに畢んぬ、すなわち逝くべしと云いて、坐化す。
現代人からみると、理不尽というか奇異な伝えですが、たといどうなろうと、そのことわりをまっとうするんです、寸分も忽せにせぬ所が見えます、どうかこれを見習って下さい。さまざまな人に接し、そのありようを見るに、すんなりと行く人、滞り七転八倒の人、あるいはまったく無縁の人、せっかく開示しながらどうにもこうにもの人、はたして宿縁のなせるが如くと、いえたとい今生も、蒔いた種は刈らんが如きです、必ずやその結果を得る、これをもって念じて、ついには仏です、如来来たるが如しと、これを観じて下さい、故は如何、仏教に一微塵も過ちはないんです、他なしにこうあります。
月明らかに水潔く秋天浄し、豈片雲の大清に点ずる有らんや。
たとい親不孝傍迷惑、云う甲斐もなやのわしみたいなものでも、ついにそれを忘れ切ることができます、悪業の中の悪業出家非行道とて、自分が自分を許されぬ、ついにはその自分が失せるんです、すると如来仏という、もとこれのみがあって、私無し、私というあったかなかったか、夢にも見ないほどの、たかが百年足らずです、願くはもう一度生まれ変わって、若くして化を広めたいと思う、それはなんとも滞って、この世この身心を徒労に用いる歳月の長かったこと、未だに一人の跡継ぎをも見いだし得ないことです、とにかくあっはっは死ぬまで生きるんですか、暁幸を待つ。 
第三十三章

 

第三十三祖、大鑑禅師。師黄梅の碓坊に在りて服労す。大満禅師有時夜間に碓坊に入りて示して日く、米白まれりや。師日く、白まるも未だ篩ふこと有らざる在り。満杖を以て臼を打つこと三下す。師箕の米を以て三たび簸りて入室す。
師姓は盧氏、その先は范陽の人、父は武徳中に南海の新州に左遷せられ、ついに喪す。その母志を守りて養育す。長ずるに及んでもっとも貧なり、師樵して以て給す。一日薪を負いて市中に至る。客の金剛経を読むを聞き、応無所住而生其心というに到りて感悟す。師その客に問いて日く、これは何の経ぞ。客日く、これは金剛経と名く、黄梅の忍大師に得たり。師急に母に告げて、法の為に師を尋るの意を以てす。尼無尽蔵常にねはん経を読む。師しばらく聞きて、ためにその義を解説す。尼巻を取りて字を問う、師日く、字は知らず。尼驚嘆して、能はこれ有道の人なり、宜しく請して供養すべしと。人競い来たりて礼す。宝林古寺あり、師をして住せしむ、四衆雲集してにわかに宝坊となる。一日自ら念じて日く、我れ大法を求む、豈中道にしてとどまるべけんやと。師辞し去って黄梅に到り、五祖大満禅師に参謁す。祖問うて日く、何くより来る。
師日く、嶺南。祖日く、嶺南人に仏性なし。なんぞ仏を得ん。師日く、人に即ち南北あり、仏性豈然からんや。祖是れ異人なりと知りて、乃ち訶して日く、槽廠に着き去れと。能礼足して退き、碓坊に入りて杵臼の間に服労し、昼夜息まず。八月を経たり。祖付授の時至るを知りて、遂に衆に告げて日く、正法難解なり、徒らに吾言を記して持して、己が任と為すべからず、汝ら各自随意に一偈を延べよ。若し語意冥府せば則ち衣法皆付せん。時に会下七百余僧の上坐神秀、学内外に通じ、衆の宗仰する所なり。みなともに推奨して日く、もし尊秀に非ずんば、たれか敢えて之に当たらん。神秀偈を作ること終わりて、数度呈せんとして堂前に至る。心中恍惚として遍身汗流る、前後四日をへて呈することを得ず、如かず、廊下に向かいて諸著せん、他の看見するに従い、若し好しと道へば、出て礼拝して秀が作と云はん、若し不堪と道へば、まげて山中に向かいて年をへんと、この夜三更、自ら灯をとりて偈を南廊の壁に書す。身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹かしむること勿れ。祖経行してこの偈を見て、これ神秀の述ぶる所と知りて、賛嘆して日く、後代これに依りて修行せばまた勝果を得ん。各をして誦念せしむ。師碓坊にありて偈を誦するを聞きて、美なることは即ち美なり、了ずることは未だ了ぜずと、童子をして秀のかたわらに一偈を写す。菩提本樹に非ず、明鏡亦台に非ず、本来無一物、何れの処にか塵埃を惹かん。一山上下皆日う、これ実に肉身の菩薩の偈なり、内外喧すし、祖盧能が偈なりと知りて、未見性の人なりと云うて、かき消す。夜に及んでひそかに碓坊に入りて問ふて日く、米白まれりや未だしや。乃至三度び簸りて入室す。祖示して日く、諸仏出世、一大事の為の故に、機の大小に随いてこれを引導す。遂に十地三乗頓漸の旨あり、以て教門を為す。しかも無上微妙秘密円明真実の正法目蔵を以て、上首大迦葉尊者に付す。展転伝授すること二十八世達磨に至り、この土に届いて可大師を得、承襲して我れに至る、今法宝及び所伝の袈裟を以て、用いて汝に付す。善く自ら保護して断絶せしむることなかれ。師跪きて衣法を受けて啓して日く、法は則ち既に受く、衣何人にか付せん。祖日く、昔達磨初めて至る、人未だ信ぜず、故に衣を伝えて以て得法を明かす。今信心既に熟す。衣は即ち争いの端なり、汝が身にとどめて亦伝えざれ。且らく当さに遠くに隠れて時を待ちて行化すべし。いわゆる受衣の人は命懸糸の如くならん。黄梅の麓に渡しあり、祖自ら送りてここに至る。師いっして日く、和尚速やかに還るべし、我既に得道す、まさに自ら渡るべし。祖日く、汝既に得道すべしと雖も、我れなを渡すべしと云いて、竿を取りて彼の岸に渡し終わり、ひとり寺に帰る。それより後五祖上堂せず。衆問えば、我が道逝きぬと、師の衣法何人か得る、祖日く、能者得たり。盧行者、名は能、尋ぬるに既に失せり。すなわち共に走り追う。時に四品将軍、発心して慧明というあり。衆人の先となりて大ゆ嶺にして師に及ぶ。師日く、この衣は信を表す、力を以て争うべけんや。衣鉢を盤上に置きて草間に隠る。慧明至りてこれを揚げんとするに、力を尽くせども揚がらず。大いにおののきて日く、我れ法の為に来る、衣の為に来たらず。師出て盤石の上に坐す。慧明作礼して日く、我が為に法要を示せ。師日く、不思善、不思悪、正与麼の時、那箇か是れ明上座本来の面目。明、言下に大悟す。また問いて日く、上来密語密意の他、かえりて更に密意ありや。師日く、汝がために語る者は即ち密に非ず。汝若し返照せば、密は汝が辺に有らん。明日く、慧明黄梅に在りと雖も、実に未だ自己の面目を省せず。今指示をこうむる。人の水を飲んで冷暖自知するが如し。今行者は即ち慧明が師なり。師日く、汝若しかくの如くならば、吾と汝と同じく黄梅を師とせん。明礼謝して返る。後慧明を道明と改む、師の上字を避ければなり。師四県の猟師の中に隠れて十年を経る。二僧あい争う、風刹旙を揚ぐ、一は旙動くと日い、一は風動くと日う、師日く、風旙の動くに非ず、仁者の心動くなりと。これを以て出世す。
然して後曹溪に返りて大法雨を雨降らす、覚者千数に下らず、寿七十六にして沐浴して坐化す。
六祖大鑑慧能禅師によって宗風大いに興ること、またこれが伝法出世の因縁、人のまたよく知るところです。信を表するもの、たとい石の上に置かれようが、取ろうたって取れんです、このときいったいこれの何たるかを知る、作礼して日く、我が為に法要を説けと、不思善不思悪、正与麼の時那箇かこれ明上座が本来の面目。まさに目の当たりまったく他にはないことを知る、言下に於て大悟すとは、今も昔もあるんです、存在するという無自覚、常にその中にありながら、別こと余計ことなんです。身は菩提樹と願い、心は明鏡台の如しと示し、どうにもそうはなり切れんのを、時時につとめて払拭せよ、塵埃をひかしむることなかれとやる、嘘でありごまかしです。菩提もと樹にあらず、明鏡また台に非ず、いいですか明鏡そのものですよ、菩提心与麼に長ずるんです、本来無一物、手つかずのものみな、いずれの処にか塵埃をひかん。ちりもほこりもない、真正面ですよ。すると、旙動かず風動かず、こっちがこう揺れていたりするんです。
臼を打つ声高し虚碧の外、雲に簸るる白月夜深うして清し。
簸るとはふるいにかけて選り分けるんですか、砂米一時に去る、それじゃ大衆は何を食うというのあったですが、応無所住而生其心と感悟するところのものを、出入し長長出させるんですか、砂も米も同じに見え、空間も同じに映り、しかもなをかつ、これをついて米白まり、これを簸る神変不思議です、あると思いあとかたと見え影とも見える、自分という架空請求がまったく失せるんです、よってもって臼を打つ声高しです、虚碧の外という、ほうら他なしです、雲に簸るる白月と、ものみなはっきりしています、深うして清しと、それっこっきりですよ、世間も仏教界もないんです、あっはっはこんなの出世は難中の難ですか。でもさ、今の世も知る人はちゃ−んと知る。 
第三十四章

 

第三十四祖弘済大師曹溪の会に参ず。問いて日く、当に何の所務か即ち階級に落ちざるべき。祖日く、汝曾て甚麼か作し来たる。師日く、聖諦も亦為さず。
祖日く、何の階級にか落ちん。師日く、聖諦すら尚為さず、何の階級か之れ有らん。祖深く之を器とす。
師は幼歳にして出家し、群居して道を論ずる毎に、師はただ黙然たり。後に曹溪の法席を聞きて乃ち往きて参礼す。問いて日く、まさに何の所務か階級に落ちざるべき、乃至祖深く之を器とす。会下の学徒多しといえども師首に居す。
一日祖師に云いて日く、従上衣法ならび行ず、師資たがいに授く。衣は以て信を表し、法は乃ち心を印す。吾今人を得たり、何ぞ信ぜられざるを患えん。衣は即ち留めて山門に鎮ぜん、汝当に化を一方に分かちて断絶せしむることなかるべし。師吉州の青原山静居寺に住し、乃ち曹溪と同じく化を並べ、ついに石頭を接してより、人踵を接して来たる。もっとも大鑑の光明なりとす。後に弘済大師と謚す。
まさに何の所務か階級に落ちざるという、ついになんの所務もなく階級もなき人、これたとい何人もそうには違いないんですが、生まれついてのなんにもならぬ人います、別段他と比べて能力に劣っているというわけではなく、たいてい何やらしても抜群というほどに、しかも群居して道を論ずるに黙然たりです、すると不思議に思うんです、人の形を表わす、それはいったい何か、中途半端の不満足のまま、いえそんなこってはとうてい、いえ自分もそうせねばいけないんだろうがと、慧能もと技倆なし、どうしようもなく、聖諦すら尚為さずです、すなわち何の階級かこれあらんと、そのまっしんに坐すんです、自分という何物もない坐を知るんです、いいも悪いもないまったい安住して他なしです、浮き世というあるいは仏教という、あるいは光陰互いに行くんですか、現実とは他のどんなやつよりもまさに現実です、しかも三百六十五日夢。通達することかくの如し、学人雲集すること然り、青原行思俗に一宿覚という、曹溪に一晩宿って悟ったからと。
鳥道往来猶跡を断つ、豈玄路の階級を覓るに堪えんや。
みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけれと、人のありようものみなのありようまさにこれ、本能の赴くままという人間傲慢を少しは思い返してみるといいかも知れません、人知という、目から鼻へ抜けるという、これ形あり、一を聞いて十を知る、これ跡型あるんです、そうではないもと目鼻なし、もとはじめからぜんたいです、階級という便宜あってあるとき用い、あるとき解消するんですか、いいえ階級のまんま無階級ですよ、解消という不自由じゃないんです、人々よく確かめて下さい、わっはっははい無責任。 
第三十五章

 

第三十五祖無際大師青原に参ず、原問いて日く、汝甚麼の処より来る。師日く、曹溪より来る。原乃ち払子を挙して日く、曹溪に還た這箇有りや。師日く、但だ曹溪のみに非ず、西天にも亦無し。原日く、子曾て西天に到ること莫しや否や。師日く、若し到らば即ち有らん。原日く、未在更に道へ。師日く、和尚也た須らく一半を道取すべし。全く学人によること莫れ。原日く、汝に向かいて道うことを辞せず、恐らくは已後、人の承当すること無からん。師日く、承当は無きにしも非ず、人の道得すること無からん。原払子を以て打つ。
師即ち大悟す。
師諱は希遷、母初め懐妊して葷茹を喜ばず、師孩提に在りと雖も保母を煩わさず。既に冠して然諾自許す。郷民鬼神を畏れて淫祀多し。牛を殺し酒にしたしむことを常とす、師即ち往いて祀を壊ち牛を奪いて帰る。年に数十、郷老禁ずること能わず。十四歳にして初めて曹溪に参ず。六祖まさに滅を示さんとす。
師問いて日く、和尚百年の後、希遷まさに何人にか依付すべき。祖日く、尋思し去れ。祖の順世に及んで、師毎に静処に於て端坐し、寂として生を忘るが如し。時に第一座南岳懐譲問いて日く、汝が師すでに逝す、空しく坐して何かせん。師日く、我れ遺戒をうく、故に尋思するのみ。譲日く、汝に師兄あり、行思和尚という、今青原に住す。師直に青原に到る。原問いて日く、人あり嶺南に消息ありと道う。師日く、嶺南に消息ありと道わず。原日く、若し恁麼ならば大蔵小蔵何れより来たる。師日く、ことごとく這裏よりし去らん。原之を然りとす。ある時原払子を挙して日く、曹溪にまた這箇有りや。乃至師大悟す。
これ六祖大満禅師に初相見、いずれおり来る、嶺南より来る、嶺南人無仏法というのに、人には南北あり、仏性に別なしと答えるのとどうですか、物まね人まねではない、まっさらです、まっしんに当る変化、では今はどうかというに、六祖檀経の素直さがいいです、信心銘や心銘が実にいいと思います、六祖より輩出する活発発地、そりゃすばらしい時代であったです、南岳の懐譲その弟子の大趙州、慧忠国師もだれも、ほんにばくやの剣なと云う他はない、手も触れられんです、そりゃ六祖だって同じこってすが、一宿覚の青原行思ああ云えばこう云うの、石頭希遷に持って行かれないんです、いぶかし更に道へという、人に預けないで一半を道取すべし、てめえがことに首突っ込んでいない勢いです、そりゃ他なしの自身、これを未だしと知る、そりゃ自分がないからです、言句上のこっちゃないです、承当は無きに非ず、人の道得すること無からんというやつを、払子を以て打つ、わずかにかくあるべしを払う、廓然大悟。
石頭希遷のミイラを見たですよ、忘れられん大事件でした。
一提提起す百千端、毫髪未だ曾て分外に攀じず。
青原のもたげた払子です、そやつから一歩も外へ出られない様子です、人真似で一指頭を挙げても失笑を買うだけですが、さしもの希遷大和尚、ついに分外によじずですか、払子のざんばら髪、ついに打たれて消えるんですか、生死同じくこうある、ふいっと失せる、大悟というそりゃ完全無欠です、髪一重もあれば収まり切らんです、手を取り足を取りしたって、契わんときゃ契わんです、あっというまの急転直下、なんでおれは今までもたもたという、わっはっはしょうがねえやつであったなという感想、でもって実になんにもないんですよ、得失無し。ミイラになって死んでもいいってのそれですか、そりゃ用事終われば。
第三十六章

 

第三十六祖弘道大師、石頭に参じ問いて日く、三乗十二分教は某甲粗ぼ知る。
嘗て聞く、南方に直指人身見性成仏と、実に未だ明了ならず、伏して望むらくは和尚、慈悲もて指示せんことを。頭日く、恁麼もまた得ず、不恁麼もまた得ず。恁麼不恁麼総に得ず、子作麼生。」師措くこと罔し。頭日く、子が因縁此に在らず、且らく馬大師の処に往き去れ。師命を受けて馬祖を恭礼す。すなわち前問を陳ぶ。祖日く、我れ有時は伊をして揚眉瞬目せしめ、有時は揚眉瞬目せしめず、有時は揚眉瞬目する者是、有時は揚眉瞬目する者不是なり、子作麼生。師言下に於て大悟す。便ち作礼す。祖日く、汝甚麼の道理を見て便ち作礼するや。師日く、某甲石頭の処に在りて、蚊子の鉄牛に上るが如し。祖日く、汝既に是くの如し、善く自ら護持せよ、然りと雖も汝が師は石頭なり。
師諱は惟儼、年十七歳出家し納戒す、博く経論に通じ戒律を厳持す。一日自ら嘆じて日く、大丈夫まさに法を離れて自浄なるべし。誰か能く屑屑として細行を布巾に事とせんや。首め石頭の室に到る、便ち問う、三乗十二分教は某甲ほぼ知る、乃至、善く自ら護持せよと。侍奉すること三年、一日祖問いて日く、子近日見処作麼生。師日く、皮膚脱落し尽くして唯一真実のみあり。祖日く、子が所得謂いつべし。心体に協うて四肢に布けりと。既に然り、是の如く、まさに三条のベツ(三すじの竹の皮)もて肝皮を束取して、随所に住山し去れ。
某甲またこれ何人なれば、敢えて住山せよと云うぞ。祖日く、然らずんば、未だ常に往いて住せざること有らず、未だ常に住して行かざること有らず。益さんと欲すれども益す所なく、為さんと欲すれども為す所なし。宜しく舟航となりて、久しく此に住すること無かるべし。師乃ち祖を辞して石頭に返る。石頭問いて日く、汝這裏に在りて什麼をか作す。師日く、一切為さず。頭日く、恁麼ならば即ち閑坐せり。師日く、若し閑坐せば即ち為せり。頭日く、汝道う、為さずと、箇の甚麼をか為さざる。師日く、千聖も亦識らず。頭偈を以て讃して日く、従来共に住して名を知らず、任運に相い将いて只麼に行く、古え自り上賢猶を識らず、造次の凡流豈明らむ可けんや。後に石頭垂語して日く、言語動用没交渉、師日く、言語動用に非ざるも亦没交渉。頭日く、我が這裏針箚不入。師日く、我が這裏石上に花を栽ゆるが如し。頭之を然りとす。後にレイ州の薬山に住す。海州雲会す。
皮膚脱落しつくして真実のみありという、どうですか、先ずはそうなって後の仏教ですよ、でないとどうしても仏教を求めるんです、標準が他にある、他にあってなをかつおれはとやる、心体一如にして初めて仏です、彼岸に渡る知慧です、他にはないんです。でもって薬山惟儼出てけったって出て行かない、可笑しいんです、馬祖道一といっしょに暮らしていりゃあ世界ぜんたいです、益さんと欲すれども益す所なく、為さんと欲すれども為す所なく、こんこんと云われて、宜しく舟航となりて、久しく此に住することなかるべしと云われて、のこのこ石頭のもとへ返る。どうですか、我こそは歴史に一頁などけちなこと云わんのです、じゃ水や空気と同じではないかという、恁麼なれば即ち閑坐せりというに、若し閑坐せば即ち為せり、水や空気じゃない、まさにこれ仏、打てば響くんですよ。言語動用没交渉と云えば、言語動用に非ざるも亦没交渉。
我が這裏針の頭も入らんと云うに、石上に花を栽ゆるが如しと、就中秀逸です、これは師をしのぐ。海衆雲会す。そうですね、大丈夫まさに法を離れて自浄なるべし、たれかよく屑屑として細行を布巾せんやという、この心です、あたかも蚊子の鉄牛を噛むが如くと、かつてを顧みる人、いえまさにこれ。
平常活発発の那漢、喚びて揚眉瞬目の人と作す。
法によって自縄自縛を知り、ついにこれを破り去る、活発発地を知る、喚びて揚眉瞬目の人ですか、強いて云えばという、なんにもしない、一山の主になって出て行こうともしない、木偶の坊かというと、まさにこれ他の千倍し万倍する、なんというまあとんでもない人です、わずかに皮膚散じ尽くして真実という無自覚、もと生まれたまんまのこれが消息。
第三十七章

 

第三十七祖雲巌無住大師、初め百丈に参侍すること二十年、後に薬山に参ず。
山問う、百丈更に何の法をか説く、師日く、百丈有る時上堂、大衆立定す、柱杖を以て一時に趁散す。また大衆と召す、衆首を回らす。丈日く、是れ甚麼ぞと。山日く、何ぞ早く恁麼に道はざる、今日子に因りて海兄を見ることを得たり。師言下に於て大悟す。
師小くして石門(石門山馬祖道一入寂の地)に出家す。百丈懐海禅師に参ずること二十年、因縁契はず、後に薬山に謁す。山問ふ、甚麼の処より来る。師日く、百丈より来る。山日く、百丈何の言句ありてか衆に示す。師日く、尋常日く、我に一句子あり百味具足すと。山日く、鹹は即ち鹹味、淡は即ち淡味、鹹ならず淡ならず是れ常味、作麼生か是れ百味具足底の句。師無対。山日く、目前の生死を奈何せん。師日く、目前に生死なし。山日く、百丈に在ること多少の時ぞ。師日く、二十年。山日く、二十年百丈に在りて俗気だも也た除かず。
他日侍立する次で、山又問ふ、百丈更に甚麼の法をか説く。師日く、有時道く、三句の外に省し去る、六句の外に会取せよと。山日く、三千里外、且喜すらくは没交渉。又問ふ、更に甚麼の法をか説く。師日く、有事上堂、乃至師言下に於て大悟す。
我に一句子あり、百味具足すと云えば、これを仏なりとて、吟味鑑賞する、二十年来なを俗気だも除かずと、目前の生死をいかんせんと云われて、生死を持ち出す、日く生死なしと。仏教として何かあると思って止まぬ、どうしてもこれを得て、なにかしらになろうとする、我が畢生の大事竟んぬとしたい、実は早に終わっている、どうしてもこれがわからない、手に入らんのです。三句の他に省し去れ、六句の外に会取せよと、必死にやってるんです、且喜すらくは没交渉と、一喝ぶっ飛ばされてなをかつですか、ついに知るんです、百丈大衆を鱈たらい回しの、これなんぞ。なんでそれを早く云わない、今日初めて海兄を知ると、もやもや首を突っ込んでいた、そういう自分にまったく用はなかったんです、な−んだというほどに、言下に於て大悟す。そうです、因縁時節とは云いながら、たとい雲巌無住大師これを得るとも、他の凡百何千ついに死ぬまで、てめえの糞袋に首を突っ込むきり、いったいこれをなんとしようぞ、生まれ変わってまた出て来いという以外にないか、次の世には必ずと。
孤舟棹ささず月明に進む、頭を回らせば古岸の蘋今だ揺がず。
孤舟棹ささずとは、二十年参じて薬山を問う雲巌大師ですか、月明とは仏ですか、古岸は百丈と、蘋伸び放題の草ですか、まことにこれ師弟の問答のありさまを見るようで、気がつくとなんと初めから大悟徹底です、面白いですね、この偈を読んで気に入らない人なんかいない、いい二連です、雲巌無住大師万歳。
第三十八章

 

第三十八祖洞山悟本大師雲巌に参ず、問いて日く、無情の説法什麼人か聞くことを得ん。巌日く、無情の説法無情聞くことを得。師日く、和尚聞くや否や。
巌日く、我れ若し聞くことを得ば、汝即ち我が説法を聞くことを得ざらん。師日く、若し恁麼ならば即ち良价、和尚の説法を聞かざらん。巌日く、我が説法すら汝猶聞かず、何に況んや無情の説法をや。師此に於て大悟す。乃ち偈を述べて雲巌に呈して日く、也太奇也太奇、無情の説法不思議。若し耳を将て聞かば、終に会し難し。眼処に声を聞いて方に知ることを得ん。巌許可す。
師最初に南泉の会に参じ、馬祖の諱辰に値う。泉衆に問いて日く、来日馬祖の斎を設く、未審、馬祖還り来るや否や。衆無対。師出でて対て日く、伴あるを待て即ち来らん。泉日く、この子後生なりと雖も甚だ雕琢に堪えたり。師日く、和尚良を圧して賎と為すこと莫れ。次にい(さんずいに為)山に参ず。問いて日く、このごろ聞く、南陽の忠国師無情説法の話ありと。某甲未だその偈を究めず。い日く、闍黎記得すること莫しや。師日く、記得す。い日く、汝試みに挙すること一遍せよ見ん。師遂に挙す。僧問う、如何が是れ古仏心。国師日く、墻壁瓦礫是れ。僧日く、墻壁瓦礫豈是れ無情にあらずや。国師日く、是。僧日く、還て説法を解するや否や。国師日く、常説熾然、説に間欠無し。
僧日く、某甲甚麼としてか聞かざる。国師日く、汝自ら聞かず。他の聞者を妨ぐべからず。僧日く、未審甚人か聞くを得ん。国師日く、諸聖聞くことを得。僧日く、和尚還て聞くや否や。国師日く、我れ聞かず。僧日く、和尚既に聞かずんば、争無情の説法を解するを知らん。国師日く、頼わいに我れ聞かず。我れ若し聞かば即ち諸聖に斉し。汝即ち我が説法を聞かざらん。僧日く、恁麼ならば即ち衆生無分にし去るや。国師日く、我れ衆生の為に説く、諸聖の為に説かず。僧日く、衆生聞きて後如何。国師日く、即ち衆生に非ず。僧日く、無情の説法何の典教にか拠る。国師日く、灼然、言の典を該ねざるは君子の処談に非ず。汝豈見ずや、華厳経に日く、刹説衆生三世一切説と。師挙し了て、い日く、我が這裏にも亦た有り。祇だ是れ其人に遇うこと希れなり。師日く、某甲未だ明きらめず。乞う師指示せよ。い払子を竪起して日く、会すや。師日く、
某甲不会。請う和尚説け。い日く、父母所生の口、終に子の為に説かず。師日く、還て師と同時に慕道の者ありや否や。い日く、雲巌道人あり、若し能く撥草瞻風せば、必ず子が重する所たらん。師い山を辞して雲巌に到る。前の因縁を挙して即ち問う、無情の説法甚麼人か聞くことを得る。巌日く、無情聞くことを得る。師日く、和尚聞くや否や。巌日く、我れ若し聞かば、汝即ち我が説法を聞かざらん。師日く、某甲甚麼としてか聞かざる。巌払子を竪起して日く、還て聞くや。師日く、聞かず。巌日く、我が説法すら汝尚聞かず、豈況んや無情の説法をや。師日く、無情の説法何の経典をか該ぬ。巌日く、豈見ずや、弥陀経に日く、水鳥樹林、悉皆念仏念法と。師此に於て省あり。即ち偈を述べて日く、也太奇也太奇、乃至眼処に聞く時方に知ることを得ん。師雲巌に問う、某甲余習未だ尽きざることあり。巌日く、汝曾て甚麼をか作し来る。師日く、聖諦もまた為さず。巌日く、還て歓喜すや未だしや。師日く、歓喜は即ち無きにしもあらず、糞掃堆頭に一顆の明珠を拾い得たるが如し。師、雲巌に問う、相見せんと擬欲する時如何。日く、通事舎人に問取せよ。師日く、見に問次す。日く、汝に向かいて甚麼をか道わん。師、雲巌を辞し去る時問いて日く、百年後忽ち人あり還て師の真を貌せしや、否と問はば如何が祇対せん。巌良久して日く、祇だ這れ這れ。師沈吟す。巌日く、价闍黎、箇事を承当することは大いに須べからく審細にすべし。師猶ほ疑に渉る。後に水を過ぎて影を見るに因りて前旨を大悟す。偈あり日く、切に忌む他に従いて覓むることを。迢迢として我れと疎なり。我れ今独り自ら往く、応に須らく恁麼に会して、方に如如に契うことを得ん。
洞山悟本大師は我が宗の始祖、汝今これを得たり、宜しくよく保護すべし、宝鏡三味は隔日毎に誦しています、まことなわが心銘とてこれに過ぎたるはなし、銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵す、混ずる時んば処を知る、心異に非ざれば、来機また趣くと、宝鏡に臨んで影形あい見るが如しという、その水上を過ぎて影を見て大悟するまでに、かくの如く紆余曲折があったです。若くして南泉に食ってかかるなぞ、身のとやこうを顧みない天晴れ、まさにこうあって不惜身命、参禅は他になしというがほどに。無情の説法慧忠国師のこれ面白いです、だれか祖師の語録を見てユ−モアがあって面白いと云った、ユ−モアなんて毛ほどもないですよ、無情というんでしょう、人情人間の入る余地まったくないというんです、溪声山色花鳥風月さながらに、我が釈迦牟尼仏の声と姿と、君子たるもの即ち読書人だから、華厳経に云くとやる、眼で聞き耳で見る底は、わしだとて出家以前に知っていた、仏教のありようを見て、隔靴掻痒は洞山大師、余習ありと、汝曾て何をかなし来る、聖諦もまた為しえず、かえって歓喜すや、歓喜は無きにしもあらず、糞掃堆頭に一顆の明珠を拾うが如しと、たしかにこうあってどうにもこうにもの年月です。ぴったりはっきり行かないから、他に標準を求めるんです、墻壁瓦礫仏事をなしともてはこぶ、無情の説法我れ聞かずと追う、いきおい他の聞者を妨ぐべからずと返る、うるさったいこいつ、なんとしようば、百年後の師の真貌はと問う、ちらともありゃこんな質問です、否と云えばって、雲巌良久して、ただこれと、この事を承当するには須からく大いに審細にすべしと、もう一押しなんです、それがどうにもってことあります、相見せんと擬欲するとき如何、必死にこう問う人多いんです、通事舎人、面会を取り次ぐ側近侍者に聞けという、あっはっはこりゃ困る、見に問次す、だから周辺徘徊、でなんと云った。そりゃ答えているんですが、どうにも。あるときまったく手を引くんです、生死同じくなるんですか、切に忌中他に従いて求めることを、云うには他になく。自分終わるんです、影形あい見ているんです。さあこれ、どう云ってみてもてめえこっきりですよ、いえ曖昧なことなんかこれから先もないです。
微々たる幽識情執に非ず、平日伊をして説くこと熾然ならしむ。
微々という世間ではなにかしら残るありさまでしょう、これはまったくないんです、宝鏡に臨んであい見るんです、汝これかれに非ず、常識情堕に落ちず、洞山大師のありよう他のまったくうかがうこと不能です、老母師を尋ねて乞食をして経行往来す、我が子洞山に住むと聞いて、あい見んとするに方丈室を閉ざして入れず、老母恨みて愁死す、洞山行きて屍の持てる所の米粒三合あり、粥に和して炊いて一衆に供養す、母洞山の夢に告げて日く、よって我れ愛執の妄情断ちて、天上に生じたりと。 
第三十九章

 

第三十九祖雲居弘覚大師洞山に参ず。山問いて日く、闍黎名は什麼ぞ。師日く、道膺。山日く、向上更に道え。師日く、向上に道えば即ち道膺と名づけず。山日く、吾れ雲巌に在りし時の祇対と異なること無し。
師は童子にして出家し、二十五にして大僧となる、その師声聞の篇聚を習わせ、好みにあらずこれを捨て遊方す。翠微に至り道を問いう、会に与章より来る僧あり、盛んに洞山の法席を称す、師遂にいたる。山問う、甚れの処より来る。師日く、翠微より来る。山日く、翠微何の言句ありてか徒に示す。師日く、翠微羅漢を供養す。某甲問う、羅漢を供養するに羅漢還て来るや否や。微日く、汝毎日箇の甚麼をか食らう。山日く、実に此語ありや否や。師日く、有り。山日く、虚しく作家に参見し来たらず。山問う、闍黎名は什麼ぞ。乃至祇対と異なることあし。師洞水を見て悟道し、即ち悟旨を洞山に白す。山日く、吾が道汝に依りて流伝無窮ならん。また有る時、師に謂いて日く、吾れ聞く、思大和尚(南岳慧思)倭国に生まれて王と作ると、是なりや否や。師日く、若し是れ思大ならば仏ともまた作らず、況んや国王をや。山之を然りとす。一日山問う、甚麼の処か去来す。師日く、遊山し来る。山日く、那箇の山か住するに堪えたる。師日く、那箇の山か住するに堪えざらん。山日く、恁麼ならば国内総に闍黎に占却せらる。師日く、然らず。山日く、恁麼ならば即ち子箇の入路を得たりや。師日く、路なし。山日く、若し路なくんば争か老僧と相見することを得んや。師日く、若し路あらば即ち和尚と隔生し去らん。山日く、此子以後千人万人も把不住ならん。
青原行思でなくて南岳の慧思という天台宗なんですとさ、それじゃあんまり得道とも云えんが、若しこの事まっとうすれば、生まれ変わり仏となることなく、まして況んや王家をやです、そりゃ実感ですか、如来来たる如し、たとい万物と化してこうある、あるいはまったくないんですか、闍黎、阿闍黎坊さんのことです、これ名はなんというと聞く、道膺です、これまあ意を云えば膺は胸、ですがんあんの太郎兵衛でも同じこってす、ああたはだあれ、知らないという、花も鳥も宇宙一切ものみな、こう答える、人間だけが名前ですか、でもこれだからどうのというんでなし、達磨の不識は実感です、知らないから知らないんです、向上更に道えとは、おうよそこのこと、更にひっかからずは、向上に道えば即ち道膺と名づけず。あっはっはおれが雲巌にいた時と同じだなってわけです。洞水を見て悟るとある、そりゃ箇の因縁各種あるたって、みなまったく同じです、機縁に触れて一念起こる、いたりえ帰り来るんです、洞山大師が、吾が道汝によりて流伝無窮なりと、太鼓判ですから間違いないです。後の問答はその内容を示すんですか、師匠勝りの感、洞山問われて禅床震動することを得んなと。後三峰山に庵を結んで、法堂に出ない。洞山、なんで斎に出ぬと云えば、天神に供を送るという。山日く、我れまさに思えり、なんじ是れ箇の人と、猶這箇の見解をなすか、汝晩間に来れ。師晩に来る、山膺庵主と召す、師応諾す、山日く不思善、不思悪、是れ甚麼ぞ。師庵に帰りて寂然坐す。
天神ついに現れず。三日を以て絶す。乃至、曹山とともに後を継ぐ。
名状従来帯び来たらず、何の向上及び向下とか説かん。
はいこのとおり脱し切って下さい、迢迢として我と疎なりと、しかも葛藤これ本来、我れと世間と我にあらず世間にあらずと、如来無心また把不住、坐る以外にそりゃまったくないんですよ、わかりますかこれ箇の人。
第四十章

 

第四十祖同安丕禅師、雲居有時示して日く、恁麼の事を得んと欲せば、須からく是れ恁麼の人なるべし。既に是れ恁麼の人なり、何ぞ恁麼の事を愁えん。師聞いて自悟す。
師は即ち雲居に参じて侍者と為りて年をふる。有時雲居上堂して日く、僧家言を発し気を吐く、須らく来由あるべし。等閑を将てすること莫れ。這裏是れ甚麼の所在ぞ、争か容易なることを得ん。凡そこの事を問う、也た須らく些子好悪を識るべし。乃至、第一将来すること莫れ。将来すれば相似ず。乃至、若し是れ有ることを知る底の人ならば、自ずから護惜することを解すべし。終に取次ならず、十度言を発し九度休し去る。甚麼としてか此の如くなる。おそらくは利益なからん。体得底の人は、心臘月の扇子の如し。直に得たり、口辺ぼく(酉に業)出ることを。是れ強いて為すにあらず、任運是くの如し。恁麼の事を得んと欲せば、乃至何ぞ恁麼の事を愁えん。恁麼事即ち得難きこと、此の如く示すを聞きて、師乃ち明きらめ、終に洪州鳳棲山同安寺に住す、道丕禅師なり。あるとき学人問う、頭に迷いて影を認む、如何が止まん。師日く、阿誰にか告ぐ。日く、如何して即ち是ならん。師日く、人に従いて求めば即ち転た遠し。又日く、人に従いて求めざる時如何。師日く、頭甚麼の処にか在る。僧問う、如何が是れ和尚の家風。師日く、金鶏子を抱いて霽漢(天空)に帰る。玉兎(月)胎を懐きて紫微(天帝の座)に入る。日く、忽ち客の来るに遇はば、何をもって祇待せん。師日く、金菓早朝に猿摘み去り、玉華晩れて後鳳ふくみ来る。言を発し気を吐く、すべからくこれ来由あるべしと、いたずらに為すことなかれと。当時もまた禅家風だの、機横溢だのそれらしい風と、本来を取り違えることがあったんでしょう、禅という別にあるもの、大悟徹底という化物です、今に至るまで別誂えに、人生を費やす、聞いたふう見たふうの雑多です。這裏これ何の所在ぞ、目を覚ませというんです、容易の感を為すことなかれ、本当本来です。おおよそこの事を問う、廓然無聖です、知らないんです、個々別々、すべからく些子好悪を識るべし、第一義如何ではなく、もとまったくの手付かず、将来すれば、何事か用い来たれば相似ず、たとい仏の言葉でもですよ。若しこれを知る人自ずから護惜することを解すべし、そりゃそうなんですよ、たとい傷口のように痛むと云うと叱られるか、もとのありようこれ、終に取り次ぎならず、十度び発して九度び休し去る、なんとしてかかくの如くなる、強いてなすにあらず、任運かくの如し。まさにこの通り、どうしようもないです。しかも本則実に適切、恁麼の事を得んと欲せば、すべからく恁麼の人たるべし、恁麼という挙げてぜんたい、自分という内も外もです、あれこれなくって急にです、するとどうしてもそうなろうとする、既にこれ恁麼の人なり、突き放して下さい、もとこうあるっきり、とやこういいの悪いの全生涯ですよ、ただもうそのまんま、あるもないもないんです、何ぞ恁麼の事を愁えん、師大悟す。
空手にして自ら求め空手にして来たる、本無得の処果然として得たり。
なんでこれができないかという大問題ですか、大問題にもなんにもならぬものこれ、時節因縁ですか、いつだって常に自ずからに熟す、自ずからというもの不要の故に。
第四十一章

 

第四十一祖後の同安大師、前の同安に参じて日く、古人日く、世人の愛する処我れ愛せずと、未審如何なるか是れ和尚の愛する処。同安日く、既に恁麼なることを得たり。師言下に大悟す。
師諱は観志、その行状委しく記録せず、先同安まさに示寂せんとす、上堂日く、多子塔前に宗子秀いず、五老峰前の事若何んと。是の如く三たび挙するに無対、師出でて日く、夜明簾外排班して立ち、万里歌謡して太平を道ふ。同安日く、須らく是れ驢漢にして得べし。しかしより同安に住し、後同安と号す。
世人の愛する処我れ愛せずと、みなまた出家するんです、世の中何不自由なくは、お釈迦さまですが、せっかく美しい后と子を捨てて出家する、歓喜という名の阿難尊者は、あんまり大もてでもって、悟るのが遅かったという、ほんとう本来を知るには、世の中そのまんまでは、見えるはずのものも見えない、きっとうまく行かんのです。後の同安大師も必ずこの轍であった、そうして出家して確かめに行く、大小の悟はあったんでしょう、きれいさっぱり断ずる、あるいは愛欲を断ち切ることが、どうも奇妙なことに見えてくる、たとい行事綿密も、あれこれこうあるっきりだ、世人の愛するところ我れ愛せずと、たといかつて大見栄を切ったとて、いぶかし如何なるかこれ和尚の愛するところ。同安日く、すでに恁麼なることを得たり、師言下に大悟す。
わかりますかこれ、すでに得たんです、自分というとやこうのまんま失せる、世界ぜんたい掌する、いやさそういう能書きのいらない世界です。
大手を広げてこうなんです、一喝するも同じこと。
わかりますかこれ、蚊子の鉄牛を咬むに似たりじゃなけって、そうかって大悟して下さい、余すところも欠けるところもないんです、元の木阿弥。
心月眼華光色好し、劫外に放開して誰有りてか翫そばん。
多子塔は、多子塔前宗子秀でという、迦葉尊者がお釈迦さんに相見した所です、鬚髪速やかに落ち、衣法共に付すという、五老峰は江西省星子県の盧山中にあり、太祖慧可大師の因みにまさにこれ、法を継ぐ者出でよというに、誰も出でず、ついに後の同安大師出でて、夜明簾外、天子の座を覆う水晶のすだれだそうです、赤ん坊は王様、自分という架空請求を去る、宇宙の中心です、すだれの外はどうなっている、明月如昼ですか、臣民家来並び立って、恭順を示
すんですか、共産主義の無理矢理拍手じゃない、思想宗教のだから故にじゃない、万里歌謡して太平の御代です、鼓腹げきじょう、はてなどういう字だっけか、だれも王様のいらっしゃることなぞ知らんという、たらふく食って酒飲んで歌っている、ふ−ん須らく是れ盧漢にして得べし、どこの馬鹿だあっていうんです、そうして同安を継ぐわけです。心月眼華光色好、眼華という妄想世間知ですよ、そいつそのまんまそっくり坐ってごらんなさい、身心脱落してかすっともかすらない、浄羅羅心月見開くんです、劫外に放開して誰有りてか翫そばん、手のつけようがないんです。
第四十三章

 

第四十三祖太陽明安心大師因みに梁山和尚に問ふ、如何なるか是れ無相の道場。山観音像を指して日く、這箇は是れ呉処士の画なり。師進語せんと擬す。
山急に索めて日く、這箇は是れ有相底、那箇か是れ無相底。師言下に於て省有り。
師諱は警玄、十九にして大僧となり円覚了義を聞く、遂に遊方して初め梁山に到りて問ふ、如何が是れ無相の道場。乃至省悟あり。便ち礼拝して立つ。山日く、何ぞ一句を道取せざる。師日く、道ふことは即ち辞せず、恐らくは紙筆に上らん。山笑いて日く、此語碑に上せ去ることあらん。師偈を献じて日く、我れ昔初機学道に迷い、山水千山見知を覓む。今を明め古を弁じて終いに会し難く、直ちに無心と説くも転た更に疑う。師の秦時の鏡を点出するを蒙り、父母未生の時を照らし見る。如今覚了して何の得る所ぞ、夜烏鶏を放ちて雪を帯びて飛ぶ。山日く、洞山の宗よるべしと。山没して太陽に到り、洞山一宗盛んに世に興る。師神観奇異威重あり、児稚の時より日にただ一食し、自ら先徳付授の重きを以て足しきみを越えず。脇席に至らず、年八十二に至って猶かくの如し。対にしん座して衆を辞し終焉す。
呉処士というのは唐代の画聖、観音さまの絵を指さして、師進語せんと擬す、だからどうなんだ、たとい画聖の絵だろうが、迷あり悟あり、黒白あいまってたとい山水千山の見知云々というんでしょう、すべてをぶっつける、即ち一箇そのものにならんけりゃ、聞こうにも聞けない、転た更に疑うんです、そいつを秦時の鏡、これまあなんか来歴あるんでしょう、秦時のたくらくさん馬鹿ですれてる、虎の欠けたるが如くです、そいつを梁山の宝鏡三味が見事に映す、這箇はこれ有相底、那箇かこれ無相底、ついにぶち破る、脱するんです、如今覚了しなんの得る所ぞ、夜烏鶏まっくろい鳥が雪を帯びて飛ぶ、黒漆のこんろん夜に走るんです。おうと云えばさらに宇宙ぜんたいです。道えば有相になる、紙筆に上らんという、わずかにひっかかる、後遺症とまではいかんですが、あっはっは紙筆どころか石碑になるぞといって払拭する。まあそういったこってす、もう一つの大切は、洞山によるべしという、曹洞宗この我が宗です、通身帰依によってのみ成立するんです。これ独立独歩。
円鑑高く懸けて明らかに映徹す、丹かく(蠖の虫でなく舟)美を尽くして画けども成らず。
まあこれ梁山から伝わった宝鏡三味ですか、丹かく、朱けのそほ舟じゃなくって赤い飾り舟、美を尽くすわけです、描けども成らず、わしは歌人であって、万葉を復活させたんですが、だれも知らん顔している、あっはっは世間のほうが間違いで、どこにも歌なんかない、ありゃ字面だけの伸び切ったうどんだってな、でもさそれはともかく、どんなにいい歌作ったろうが、風景そのもの、生活感情にはまったく及ばない、歌を作るは別ものってこってす、そいつもまた面白いからってだけの、一木一草空の雲もまあそれっきりで死んじまうほどの、いえ何万生もの人生を超えって、どう云ったってどうにも届かぬ、わしが雲水よりもよう坐るのはこれ、実際とはこれ。何ものも断じないんです、美を尽くすだのものを成すだの、けちなこと云わない。
第四十四章

 

第四十四祖投子和尚円鑑に参ず、鑑、外道仏に問ふ、有言を問はず、無言を問はざるの因縁を看せしむ。三載を経て、一日問ひて日く、汝話頭を記得すや、試みに挙せよ看ん。師応へんと擬す、鑑其の口を掩う。師了然として開悟す。
師諱は義青、七齢にして潁異、出家し経を試みて、十五にして得度す、百法論を習う、嘆じて日く、三祇道遠し、自ら困ずるとも何の益ぞ。乃ち洛に入って華厳を聴く。義珠を貫くが如し、諸林菩薩の偈を読み、即心自性と云うに至って、猛省して日く、法は文字を離る、寧ろ講ずべけんや、即ち捨てて宗席に遊ぶ。時に円鑑大師(浮山法遠、太陽の嗣)会聖巌に居す。一夕青色の鷹を養うと夢見て、師来たる。外問仏の話を看せしむ、乃至師了然として開悟し、遂に礼拝す。鑑日く、汝玄機を妙悟するや。師日く、設とい有りとも也た須らく吐却すべし。時に資侍者、傍らに在りて日く、青華巌、今日病に汗を得るが如し。師回顧して日く、狗口を合取せよ。若し更にとうとうせば我れすなわち嘔せん。此れよりまた三年をへて、鑑、時に洞下の宗旨を出して之を示す。悉く妙契す。付するに太陽の頂相、皮履布(皮の草履)直とつ(大衣)を以てし、日く、吾に代わりて其宗風を継ぎ、久しく此に滞まること無れ、よく宜しく護持すべし。偈を書して送りて日く、須弥太虚に立ち、日月輔けて転ず。群峰漸く他により、白雲方に改変す。少林風起こり叢がり、曹溪洞簾巻く。金鳳龍巣に宿し、宸苔豈に車碾せんや。
青華厳というあだなであった、華厳経を聴いて義珠を貫くが如し、明解手に取るようであったんでしょう、しかも即心自性というに至って猛省して日く、だから−ゆえにの世界じゃないっていうんです、法は文字を離る、講義するための学問、愚人のしがみつくそれを、なんにもならんとて捨てる、そりゃこの心なけりゃ、人間なんのためにもならんです、よって青鷹となって円鑑を訪う、外道仏に問う、有言を云わず無言を云わず、汝作麼生、さあどうじゃというんです、これを云える外道も珍中の珍ですか、ほんとうに答えがわからんで聞いたんなら正解、答えをもって聞く、つまりこれを外道と云う、お釈迦さまは端然坐すんです、これを見て外道、大慈大悲愍衆生というて去る、文殊菩薩が何ゆえに去ると聞くと、世の良馬の鞭影を見て行くと云われた。
ですからこれを得て下さいというんです、諦観法王法、法王法如是と、猿芝居の銭かねしてないで、これなくば仏とは云われぬ、滴滴相続底の引導も渡しえない、すると一から十まで嘘ばっかりの坊主どもです、世の中横滑りのかたり、衆門というおんぼろ伽藍堂です、がらがら崩れ去る。たといなにやったって駄目です。三載をへて、汝話頭を記憶すや、どうじゃと聞く、順孰するを見る、皮一枚どっかつながっていた、云わんと擬する口を掩う、師了然として大悟す。
嵯峨たる万仞鳥通じ難し、剣刃軽氷誰か履践せん。
嵯峨たり万仞は早く自分のほうにあるんです、鳥通じ難師と、あるいは毎日切磋琢磨、あるとき一皮むける、ふわっとなんにもないんです、ただこうあるっきりです、人が参じ来るのに、なにいうてもとなんにもないのになにをあせくと、はいといってはどう参じても届かない、嵯峨万仞鳥通難、でもってあるいは問答しだれかれやるんでしょう、剣刃軽氷上を行くんです、ちらりしくじったら、せっかくの大法をふいですか、いいえ老師なんぞ悟ったといえば、おうそうかてなもんです、おれはこうしただからというと、是是、なあに嘘つきゃ自分で転ぶてなもんです、これ剣刃軽氷上。 
第四十五章

 

第四十五祖芙蓉山道楷禅師投子和尚に参ず、乃ち問ふ、仏祖の言句は家常の茶飯の如し、之を離れて外に為人の処有りや、也た無しや。青日く、汝道へ、寰中の天子の勅、還りて堯舜兎湯を仮るや、也た無しや。師進語せんと欲す。青払子を以て師の口をうって日く、汝意を起こし来たる、早く三十棒の分有り。
師即ち開悟す。
師幼より閑静を喜んで伊陽山に隠る。後に京師に遊んで台術寺に籍名す。法華を試みて得度す。投子に海会寺に謁して、すなわち問う、仏祖の言句は、乃至師開悟し再拝して便ち行く。子日く、且来闍黎。師顧みず。子日く、汝不疑の地に至る也。師即ち手を以て耳を掩う。後に典座となる。子日く、厨務勾当易からず、師日く、不敢。子日く、粥を煮るか飯を蒸すか。人工は淘米著火、行者は煮粥蒸飯。子日く、汝甚麼をか作す。師日く、和尚慈悲他を放閑し去らしめよ。一日投子に侍して菜園に遊ぶ。子柱杖を度して師に与う。師接得して便ち随行す。子日く、理まさに恁麼なるべし。師日く、和尚の為に鞋を提げ杖をかかぐ、也た分外と為さず。子日く、同行の在る有り。師日く、那一人は教えを受けず。子休し去る。晩び至って師に問い、早来の説話未だ尽くさず。師日く、請う和尚挙せよ。子日く、卯には日を生じ戌には月を生ず。師即ち点灯し来たる。子日く、汝上来下去総に徒然ならず。師日く、和尚の左右に在れば理まさに此の如くなるべし。子日く、奴児婢子誰が家の屋裏にか無からん。師日く、和尚年尊他を欠かば不可なり。子日く、恁麼に慇懃なることを得たり。師日く、恩を報ずるに分ありと。
これ芙蓉道楷和尚投子義青の老婆親切が通じたんであろうか、因みに猿芝居嘘ばっかりの宗門が、立職三旬安居の申請に、表をかかげて芙蓉楷祖の如くせよといって来る、なに一夜漬けの他だれもしやせん、ばかったい話だが、芙蓉楷祖天井粥という、米は同じ量で人数の増えただけ水を足す、粥に天井が映ったから云う。たしかに仏祖の言句は家常の茶飯の如しという、これを離れてほかに為人の処有りや、かくのごとく信じ行じ来たって、投子の面前に投げ出すんです、煮ようが焼こうがってわけです、はたしてそうか、寰中は天子の勅、四皇五帝に習う、持ち出すことはないぞという、他の標準あってはかたくななだけです、むろんそりゃ当然のこったという、云い分です、そいつの口を掩い、三十棒です、師すなわち開悟す。
奴児婢たが家の屋裏にか無からん、いいえおまえの中にだってあるはずだというんです、卑しいもの卑屈あいまいなもの、うしろめたくだから悪いという、そっくりそのまんま恥知らず、わっはっはわしはそっちの方が多いですか、でもこれ削ったらかたわもんですよ、差別用語ばっかり、わし差別されてるでさ。生活とは何か、明日はないんです、死んだやつに生活はない、という上の芙蓉楷祖の如くせよなんです。
紅粉施さざるも醜露れ難し、自ら愛す蛍明玉骨の装い。
はい時時に勤めて払拭すること、肝に銘じまして。
第四十六章

 

第四十六祖丹霞淳禅師芙蓉に問ふて日く、如何なるか是れ、従上の諸聖の相授底の一句。蓉日く、喚んで一句と作し来たれば、幾莫か宗風を埋没せん。師言下に於て大悟す。
師諱は子淳、弱冠二十歳にして出家し、芙蓉の室の徹証す。初め雪峰象骨山に住し、後に丹霞に住す。如何なるかこれ従上諸聖相授底の一句。釈尊明星一見より、迦葉拈華微笑、阿難倒折刹竿著、滴滴相続して今にいたる、これ寸分も別なく、相違なく、今この伝光録に全い見るように、諸聖まったく違わずです。これが相授底の一句、もしやそんなものがあるはずもなく、もしや有ると思えば、なにがなしそれをどうしようという、四六時中ていぜいも、ついに離れず自由の分なし、坐るという苦痛がついて回るんですか、あるいはいい悪いの我田引水、時には蜜を吸う如く、時には無味乾燥、はたしておれはと顧みるんでしょう、末期の一句が欲しいとなるんです、これを以て問う、喚んで一句となし来たれば、幾ばくか宗風を埋没せん、そう云っている限りは、そう云っているものがあるのさってわけです、師言下に大悟す。
みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけりよくこれを保任せよという、死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよきですか、いえさどこまで行こうが修行の上の修行。
清風数しば匝り縱い地を揺らすも、誰か把り将ち来りて汝が為に看せしめん。
はいまさにこれ参禅の要決です、いいことしいの頭なぜなぜは一神教ですよ、たとい箇の標準入り難し行じといえど、オ−ムや立正安国論のような、偏狭きちがい或いは、信ずれば救われる底の、独善じゃないんです。ただこれ、ただの真っ平ら、他に人間の智慧はなしと知る、大丈夫これ、だれかとりもちて汝が為に見せしめんです、即ちそのように坐って下さい。
第四十七章

 

第四十七祖悟空禅師丹霞に参ず。霞問ふ、如何なるか是れ空劫以前の自己。師応えんと欲す。霞日く、汝さわがしきこと在り、且く去れ。一日鉢盂峰に登り、豁然として契悟す。
師諱は清了、悟空は禅師号なり。その母赤ん坊を抱いて寺に入り、仏を見て喜び眉睫を動かす。師十八にして法華を講ず。得度して成都の大慈に往き、経論を習い大意を領ず。丹霞の室を叩く。霞問う、如何なるか是れ空劫以前の自己、乃至豁然として契悟す。ただちに帰りて霞に侍立す。霞一掌して日く、まさに謂えり爾有ることを知ると。師欣然として之を拝す。翌日霞上堂して日く、日孤峰を照らして翠に、月溪水に臨んで寒し、祖師玄妙の訣、寸心に向かいて安んずる莫れ。即ち下坐。師直に前んで日く、今日のしん坐更に某甲を瞞ずることを得ず。霞日く、爾試みに我が今日のしん座を挙し来り看よ。師良久す。霞日く、将さに謂へり、爾瞥地と。師便ち出ず。遍歴して長蘆山に至り、その跡を継ぐ。
如何なるかこれ空劫以前の自己、なんじさわがしと、どうですかこれ、空劫以前の自己といったら、空劫以前に帰って下さい、自分をとやこう云っていたら間に合わないですよ、たとい会に誇り悟に豊かにしても、そういうものと見做すなにかしらあったら騒がしいんです、安心の処がないんです。ところが丹霞子淳の偈は、日は上り月下りして祖師玄妙の訣、寸心に向かいて安んずること莫れとあります、これ我が意を得たりで、更にそれがしを瞞ずることを得ずと云う、どうですか、相手に肯定されたら、他に瞞ぜられますか、では道うてみよと、丹霞和尚、師良久す、まさに謂へり、そうかい瞥地ちらっとは見たか、というんです。是という、不是という、さあどうですか、余後の問答はないんです、辞し去って唯一人の天下です、これわかりますか、たとい大悟徹底の人も、まったくわからんですよ。よくよく看取し去って下さい。
古澗寒泉人疑はず、浅深未だ客の通じ来ることを聴さず。
古澗は谷の水、師後に出世して上堂日く、我れ先師の一掌下に於て技倆ともに尽きて、箇の開口の処を覓むれども得べからず。いま還て恁麼の快活不徹底の漢ありや。若し鉄をふくみ鞍を負うことなくんば、各自に便りを著けよ。実にそれ祖師の相見する所、劫前に歩を運び、早く本地の風光を顯はし来る。若し未だ此田地を看見し得ずんば、千万年の間坐じて言うことなく、兀兀として枯木の如く死灰の如くなりとも、是れ何の用ぞ。しかも空劫以前と云うを聞きて、人々あやまりて思うことあり。いわゆる自もなく他もなく、前もなく後もなく、呼んで一とも云うべからず、二ともいうべからず、同とも弁ぜじ異とも云はじ。是の如く商量計度して、一言も道いえば早く違いぬと思い、一念も返せば即ち背くべしと思うて、妄りに枯鬼死底を守り死人の如くなるあり。或いは何事として相違ことなし、山と説くも得べし、河と説くも得べし、我と説くも得べし、他と説くも得べし。また日く、山と道うも山に非ず、河と道うも河のあらず。唯是れ山なり、唯是れ河なり。かくの如く云う、これ何の所要ぞ。
悉く皆邪路に趣く。或いは有相に執着し、或いは落空亡見に同じくし来るなり。此田地あに有無に落つべけんや。故に汝が舌を挿さむ所なく、汝が慮りを廻らす所なし。且つ天に依らず地に依らず、前後に依らず、脚下踏む所なくして眼を著けて見よ。必ず少分相応の所あらん。又日く云々と。
第四十八章

 

第四十八祖天童かく(王に玉)禅師久しく悟空の侍者となる。一日悟空聞きて日く、汝近日見処如何。師日く、吾又恁麼なりと道はんと要す。空日く、未在、更に道へ。師日く、如何が未だしや。悟空日く、汝道ひ来ること未だしと道はず、未だ向上の事に通ぜず。師日く、向上の事道ひ得たり。空日く、如何なるか向上の事。師日く、設ひ向上の事道ひ得ると雖も、和尚の為に挙示すること能はず。空日く、実に汝未だ道ひ得ず。師日く、伏して願はくは和尚、道取せよ。空日く、汝吾に問へ、道はん。師日く、如何なるか是れ向上の事。空日く、吾又不恁麼なりと道はんと要す。師聞きて開悟す。空即ち印証す。
師諱は宗かく、ひさしく悟空の侍者となり、昼参夜参、横参竪参す。しかれども猶徒らならざる所あり。空問ひて日く、汝近日見処如何。師日く、吾又恁麼なりと道はんと要す、空日く、未在更に道へ。恁麼なり、かくの如くと道はんと要す、かくの如く、自分というものが虚空に消える、まったく無いんです、無いというものを無いと云えるか、そりゃ云えない道理で、又恁麼なりと道はんことを要すとはこれです。空日く、未在更に道へ、そりゃ言下に、そんなんじゃ駄目だって云います、無心心がない、無身体がないんですが、これ何段階もある、とかく向上の事どこまで行ってもという、どうもそう云っているものが吹っ切れるんですよ。おおっとなんにもなくなる=自分を問題にしないんです。これどう云い繕ったところで、なんにもないものには丸見えで、たといかくの如く、問答同じが是は是、不是は不是なんです。でも空日く、吾又不恁麼なりと道はんと要す、は効いています。自分終わるとまったく元の木阿弥なんです。恁麼も不恁麼もないんですよ、吾は得た、何を得たというてんからなしに、底抜けの自信としか云いようにない、信不信に関わらずこうあるきりなんです。即ちこれを得て、印証するんです。
宛かも上下の楔の如くに相似たり、抑ふれども入らず抜けども出でず。
もとないものをあると云うのと無いというのと、たしかにあたかも上下のくいの如く相似たりですか、でも抑ふれども入らず抜けども出でずとは、元の木阿弥まったくなくなるんです、くさびとかくいとか要らない。
第四十九章

 

第四十九祖雪ちょう鑑禅師、宗かく天童に主たりし時、一日上堂、挙す、世尊に密語有り、迦葉覆蔵せず。師聞きて頓に玄旨を悟り、列に在りて涙を流し、覚えず失言して日く、吾輩什麼としてか従来せず。かく上堂罷り、師を呼びて問ひて日く、汝法堂に在りて何すれど涙を流すや。師日く、世尊に密語有り、迦葉覆蔵せず。かく許可して日く、何ぞ雲居の懸記に非ざらんや。
師諱は智鑑、児たりし時、母ために師の手の瘍を洗いて問いて日く、これなんぞ。対えて日く、我が手は仏手に似たりと。長じて父母を失う。長盧清了に依る、時に宗かく首座たり、すなわち之を器とす。後に象山に逃れて百怪惑はすこと能はず、深夜に開悟して証を延寿(法眼宗三祖永明延寿)に求む。しかしてまたかく和尚に参ず。宗かく天童に住し、師をして書記に充てしむ。かく一日さきの因縁を挙す。ねはん経如来性品第四の二、爾時迦葉菩薩、仏に白して言さく、世尊仏所説の如き、諸仏世尊に密語ありと。是の義然らず、何を以ての故に。諸仏世尊唯密語ありて密蔵あることなし。譬えば幻主の機関木人の如し。人屈伸伏仰するを覩見すと雖も、内に之をして然らしむるものあるを知ること莫し。仏法は爾らず。悉く衆生をして咸く知見することを得せしめ、如何ぞまさに諸仏世尊に秘密蔵ありと云うべき。仏迦葉を讃して善哉善哉善男子汝が所言の如し。如来に実に秘密の蔵なし。何を以ての故に、秋の満月の空に処して顯露に、清浄にして翳なきが如く、人皆覩見す。如来の言もまた是の如し。開発顯露にして清浄無翳なり。愚人解せずして之を秘蔵と謂う。智者は了達して即ち蔵と名けず。
ぼう蟹の七足八足するが如しと、蟹を茹でると七足八足、意識なくかってにするさま、どうですかこれ、幻主悟らぬ人は屈伸伏仰を知ってするんですか、知らないでするんですか、悟った人は知らないでするんですか、知ってするんですか、あっはっはこれわしの密語です、よってもってよく確かめて下さい。何ぞ雲居の懸記とは、雲居道膺祖が雪ちょう智鑑の出現を予言したこと。師聞いて頓悟す、涙を流し、我輩何としてか従来せず、何ゆえかありどうしてこうあるかわからんのです、呼んで問うて日く、何すれぞ涙を流すや。師日く、世尊に密語あり、迦葉覆蔵せず。これ涙流れるです。
謂つべし金剛堅密の身、其身空廓明明なるかな。
金剛石ダイヤモンドも崩壊します、では何が壊れない、なんのかんのと有心の人云うんでしょう、有心であるかぎり有るんです、不思議ですねえ、無心は無いんです、すなわち無いものは壊れっこないんです、これ仏教、心が無いと知って救われるんです、殺し文句やお為ごかしじゃないんですよ、これっきゃない他なし。 
第五十章

 

第五十祖天童浄和尚雪竇に参ず。竇問ひて日く、浄子曾て染汚せざる処如何が浄得せん。師一歳余を経て忽然豁悟して日く、不染汚の処を打す。
師諱は如浄、十九歳より教学を捨て祖席に参ず。雪竇の会に投じて便ち一歳を経る。尋常坐禅すること抜群なり。有る時浄頭(便所掃除の役)を望む。時に竇問いて日く、曾て染汚せざる処如何が浄得せん。若し道い得ば汝を浄頭に充てん。師措くことなし。両三カ月をへるに猶未だ道い得ず。有る時師を請し方丈に到らしめて問いて日く、先日の因縁道得すや。師擬議す。時に竇示して日く、浄子曾て染汚せざる処如何が浄め得ん。答えずして一歳余を経る。竇又問いて日く、道い得たりや。師未だ道い得ず。時に竇日く、旧窩を脱して当に便宜を得べし。如何ぞ道い得ざる。然しより師聞いて得励志工夫す。一日忽然として豁悟し、方丈に上て即ち日く、某甲道得すと。竇日く、這回道得せよ。師不染汚の処を打すと云う。声未だ畢らざるに竇即ち打つ。師流汗して礼拝す。
竇即ち許可す。
十九歳の時発心してより後、叢林の掛錫して再び郷里に還らず、郷人と物語せず、都べて諸寮舎に到ることなし、上下肩隣位に相語らず。只管打坐するのみなり。臀肉穿てるも尚坐を止めず。発心より天童に住する六十五歳まで、未だ蒲団にさえられざる日夜あらず。誓いて僧堂に一如ならんという、芙蓉より伝わる衲衣ありと雖も、上堂入室ただ黒色の袈裟衣を著く。自称して日く、一、二百年祖師の道すたる、故に一、二百年このかた我が如くなる知識未だ出でずと。諸方悉く恐れおののく。尋常に日く、我れ十九歳より以来、発心行脚するに有道の人なし。諸方の席主、多くは只官客と相見し、僧堂裏都て不管なり。
常に日く、仏法は各自理会すべし。是の如く道うて衆をこしらうことなし。今大刹の主たる、なを是くの如く胸襟無事なりを以て道と思い、曾て参禅を要せず。何の仏法かあらん。若し彼がいうが如くあらば、何ぞ尋常訪道の老古錐あらんや。笑いぬべし、祖師の道夢にだも見ざるあり。趙提挙、州府に就いて上堂を請せしに、一句道得なかりし故に、一万丁の銀子、受けることなくして返しき。一句道得なき時、他の供養を受けざるのもに非ず、名利をも受けざるなり。故に国王大臣に親近せず、諸方の雲水の人事すら受けず。道徳実に人に群せず。故に道家の流れの長者に道昇というあり。徒衆五人誓いて師の会に参ず。我れ祖師の道を参得せずんば一生故郷に還らじ、師志を随喜し、改めずして入室を許す。列には僧の次に著かしむ。又善如と云いしは、我れ一生師の会にありて、卒に南に向かいて一歩を運ばじと。志を運び師の会を離れざる多し。普園頭といいしは曾て文字を知らず、六十余に初めて発心す。然かれども師、低細にこしらえて依て卒に祖道を明きらめ、園頭たりと雖も、おりおり奇言妙句を吐く。上堂に日く、諸方の長老普園頭に及ばずと。実に有道の会には、有道の人多く道心の人多し。尋常ただ人をして打坐を勧む。常に云う、焼香礼拝念仏看経を用いず、祇管に打坐せよと示して、只打坐せしむるのみなり。常に日く、参禅は道心ある是れ初めなり。実に設い一知半解ありとも、道心なからん類所解を保持せず。卒に邪見に堕在し磊苴放逸ならん。付仏法の外道たるべし。故に諸仁者、第一道心の事を忘れず、一々に心を至らしめ、実を専らにして当世に群せず、進んで古風を学すべし。
はいまったくその通りです。如今またかくの如し、一箇半箇の道に勤しんで下さい、他に道うことないです。
道風遠く扇ひで金剛おりも堅し、匝地之が為に所持し来る。
道風金剛たとい遠くて遠しといえども、世にこれが他ないんです、一人きりで死のうが、なんにもならずとも、なにおのれけし粒の如くというより、内に向かってとやこうはないんです、たとい世のため人の為でもいい、外に向かって開きぱなし、ついに呑却せられるんです、するとこれを継ぐまた一箇半箇。
 
趙州和尚「趙州録」抄

 

趙州従諗
(じょうしゅう じゅうしん、778-897)は、中国唐末の禅僧。俗姓は郝(かく)、曹州臨淄県郝郷(現在の山東省)の出身である。
幼くして曹州の龍興寺で出家し、後に池陽の南泉普願の下に至り、師の「平常心是道」に関する言葉により、大悟してその法嗣となる。嵩山の琉璃壇で受戒する。60歳で遊方の途に出て、黄檗希運、塩官斉安らの禅匠の下で修禅する。80歳で趙州(河北省)の観音院(東院)に住するようになり、その後、40年間「口唇皮禅」と称される特異な禅風を宣揚し、120歳で没した。諡して真際大師という。彼と門弟との問答の多くが、後世の「公案」となり、人口に膾炙するに至った。
悠然と生きたその生涯で、後に「喫茶去」「狗子仏性」「栢樹子」等著名な公案となる数々の言葉を残した。「口脣皮禅」と評される巧みな弁舌で一世を風靡し、「北の趙州、南の雪峰」と並び称された達人。

まだ具足戒を受けていない沙弥(しゃみ。小僧さん)のとき南泉普願(なんせん・ふがん)禅師に参じ、その法を嗣ぐと悟後の修行のため行脚に出た。行脚のとき次のことを自戒の言葉としていた。
「七歳の童子であっても、我れに勝れる者には教えを乞おう。百歳の老翁であっても、我れに及ばない者には教えよう」
そして80歳にして河北省趙州の観音院に住し、120歳で亡くなるまでの40年間、独自の禅風を挙揚した。趙州という名前は趙州に住したことからきている。
趙州和尚は、法眼の明らかな、境界(きょうがい)の円熟した人であった。言葉で法の第一義をずばりと示す名人でもあり、「唇から光を放つ」とか「趙州の口唇皮禅(くしんぴぜん)」と言われた。
観音院での生活は枯淡そのもので、坐禅をする椅子の脚が折れても新しい椅子は作らず、薪を縄でしばりつけて使っていた。
南泉と趙州
童稚にして曹州の扈通院にて、師に従いて披剃するも、未だ戒を納めず。便 ち池陽に抵り南泉に参じ、泉の偃息に値う。泉問うて云く、近離何れの処ぞ?趙州云く、瑞像。泉云く、還って瑞像を見るや?趙州云く、瑞像を見ず、祗だ臥如来を見る。泉 便ち起坐して問う、汝は是れ有主の沙弥か?無主の沙弥か?趙州云く、有主の沙弥。泉云く、那箇か是れ汝の主?趙州 近前して身を躬して云く、仲冬厳寒、伏して惟るに和尚尊候万福と。泉 之を器とし、其の入室を許す。
今日から、口唇皮子上に光を放つと称された独特の宗風で、中国禅宗史上に重要な位置を占める趙州従しん和尚の伝記とその因縁とを、何回かにわたって講じて行こうと思う。趙州和尚は、古来、「80歳まで諸方を行脚し、それから120歳まで趙州(河北州)の観音院で大法を挙揚した」といわれております。この伝承がどこまで真実か、一脈の疑問が無いわけではありませんが、ともかく健康で長寿を保たれたことだけは確かでしょう。なお、彼の活躍したのは晩唐の時期で、その帰寂した西暦897年は、日本の寛平9年、菅原道真とゆかりの深い醍醐天皇の即位された年です。彼の生存したのがいつ頃か、これでほぼ見当がつくでしょう。さて彼が南泉普願に相見し、入門を許された因縁ですが、それについては講本に先ず、「童稚にして曹州の扈通院にて、師に従いて披剃するも、未だ戒を納めず」とある。彼は幼い時分に生まれ故郷に近い、今日の山東州曹州の扈通院という寺で、その寺の和尚を戒師として剃髪しました。しかし正式の僧となるために必要な三聚浄戒はまだ受けず、従って単なる沙弥小僧として過していたと推定されます。この沙弥小僧生活が何年続いたかは分りませんが、もともと怜利俊発な彼が田舎町の寺で納まるはずはなく、今日の安徽省の池陽に南泉普願という偉い和尚が居られると聞いて、はるばると長途の旅をして池陽を訪れ、南泉和尚に相見しました。「便ち池陽に抵り、南泉に参じ、泉の偃息に値う。泉問うて云く、近離何れの処ぞ?」と早速、型通りのテストが始まりました。従しん(言+念)沙弥、相見を許され和尚の方丈に通ってみると、和尚はたまたま「偃息」、横になって休息しておられ、そのままの姿勢で「お主、どこからやって来たか」と問われた。これに対して普通ならば「はい、曹州の扈通院から参りました」と答えるべきところ、この従しんそうは言わず「瑞像から参りました」と答えた。実はこの「瑞像」とは、今、南泉和尚の住持してござる寺、瑞像院のことなのじゃ。そして此の瑞像院にはその名の通り、瑞像、大きな仏像でも祀ってあったのであろうか、南泉和尚、この答えに接するや、「還って瑞像を見るや」と更に問われました。ところで、これに対する従しん沙弥の答えが変っている。「瑞像を見ず、祗だ臥如来を見る」「瑞像はまだ拝んでおりませんが、私は今、目の前に、寝ころんだ如来様を拝しております」というのである。これはどうして、なかなか鋭くも図星をついた答えである。この返答を聞いて、南泉和尚、「こやつ、沙弥小僧のくせに面白いことをいうやつじゃ」と思われたのでありましょう、今まで寝たままであったのを起き直って、「汝は是れ有主の沙弥か?無主の沙弥か?」と問われた。「有主の沙弥」というのは、すでに心にきめた師匠の有る沙弥、「無主の沙弥」はまだ師匠をきめていない沙弥のことである。従って和尚のこの問いは、「お主には心にこうと定めた師匠があるのかどうか」という意味じゃが、これに対して従しん「有主の沙弥」、「はい、私にはもう心に定めた師匠がございます」とサラリと答えた。そこで「泉云く、那箇か是れ汝の主?」「お主が心に定めている師匠とはどなたじゃ」と、少々せきこんで問われた。これに対し従しん沙弥、何と答えるかと思いきや、近前して身を躬して云く、仲冬厳寒、伏して惟みるに和尚尊候万福。ススーッと和尚の前に進み出て、恭しく礼拝して、折しも「仲冬」陰暦十月で寒さきびしい季節であったのにちなみ、「大変に寒さきびしい折でありますのに、大和尚におかせられましてはお変りもなく、ご法体愈々御清健なご様子を拝し、大慶至極に存じ奉ります」と挨拶した。これは一般に弟子が師匠に久濶を敍する場合の常套的な挨拶である。従しんはこの時はまだ入門を許可されたわけでもないのに、「私の師匠は和尚、あなた様です」と、もう定めてかかっている挨拶であります。先刻からの問答で、南泉和尚「こやつ、なかなか俊発で禅機に富んだ小僧じゃわい。これはよく鍛えれば大物になる小僧だ」とこう見て、「泉、之を器として、其の入室を許」したのであります。【栴檀は双葉より香し】という語がありますが、趙州、少年時代からすでに【口唇皮子上に光を放つ】と称された後年の鋭気が見えております。しかし、いかに趙州と雖も、修行せずして当初から出来上っておったわけではない。若い時分には、お互い同様、生意気で理屈っぽいところがあった。それを示すのが次章だ。
趙州 南泉に問う、如何なるか 是れ道?泉云く、平常心 是れ道。州云く、還って趣向すべきや否や?泉云く、向わんと擬すれば即ち背く。(下略)
この「平常心是れ道」の則は「無門関」の第十九則に採られていて既に三回は講じており、先きに「南泉普願の章」でも説いているから、省略してよいのであるが、道とはどのようなものかを知り、かつ事に処するに当っての心の持ち方を会得するのに参考になるから、法話めくがもう一度簡単に触れておくことにしましょう。さて、ここに登場する趙州は南泉に入門して間もない頃の趙州、若い趙州であります。その趙州が「如何なるか是れ道」と問うたのに対し、南泉が自らの高い境涯をゴロゴロと吐き出して示されたのが、この「平常心是れ道」の金言じゃ。その意味は何ともない心、ああのこうのと理屈道理にわたらないサラリとした心から、スラリと行動すれば、自ずから天地の大道に合するぞ。道とはそうしたものである。ということであります。ところが、まだ未熟だった彼は「還って趣向すべきや否や」「その道を得るには、それにどう立ち向ったらよろしいでしょうか」と尋ねた。一応もっともな質問のようであるが、これでは道と道を求める自己とが既に対立しております。相対的な態度で、絶対の道が得られる筈はありません。といって、南泉はそんな理屈は少しも言わず、「向かわんと擬すれば即ち背く」「その道を得ようと身構えれば、却って道から遠ざかるぞ。身構えるな」と示された。有難くも親切なお示しである。実は先きほどテレビで、東京九段の武道館で行われた全国の剣道大会の模様を見ていたが、昨年まで二度優勝した何某という剣士が、予想に反して第三回戦で敗れてしまった。そしてテレビのインタビューに応じ、「二回戦までは私は何も考えずに戦っておりました。ところが案外調子がよいので、これは連覇できそうだ、三連覇してやろうという心がおこりました。そうしたら途端に動きがギコチなくなってしまい、この有様です」と述懐しておりました。無心にやっておれば勝てたのに、連覇してやろうという雑念、勝とうという助平根性が出た途端に正念が断ち切れ、平常心が失われてしまったのであります。私は剣道のことは一向に分りませんが、万事同じだと思います。「向わんと擬し」、勝とうと身構えると、自然に肉体的に肩に力が入り、肩に力が入ると足腰の力が留守になり、心の平静さが失われることは、お互い自らの体験を反省してみると肯けましょう。入学試験だとか、会社の面接試験だとか、或いは晴れの舞台などに出て「あがる」のは、つまりは身構えすぎて此の平常心を失なうからなのです。大事に直面してあがらないためにはどうしたらよいか、日頃から努力して実力を養い、自らの力に自信を持っていることが何よりですが、もっと大切なことは、日頃から正念相続に骨折り、事に当って平常心でおられるよう心を鍛えておくことです。まあ、ともあれ、「平常心是れ道」をよく味わい、それを日々の実践の上に生かすように努めることです。そこにこそ活きた禅があるのですぞ。「趙州と南泉」といえば、有名な「南泉斬猫」の則の後段に出てくる趙州、即ち
南泉 復た前話を挙して趙州に問う。州便ち草鞋を脱し、頭上に戴いて出づ。泉云く、汝もし在りしかば、猫児を救い得てんに。に出てくる趙州に触れるべきでありますが、それは「碧巌録」の第六十四則、「無門関」の第十四則にあり、すでに繰り返し説いているので、今はこれで打ちきっておきましょう。但し、ここに登場する趙州は、修行はもう一通り終り、いわゆる聖胎 長養 の段階に在った頃の趙州であることだけ、念のために言い添えておきます。
趙州録
趙州和尚はその長い生涯にわたって、口唇皮子上に光を放つといわれたその力をもって、当機即妙に禅の宗旨を説き、「趙州録」をのこしておられます。その「趙州録」の中から面白いと思うもの約三〇則を選んでこれを講じておこうと思います。単なる肉の耳でなく心の耳、肚でよーく聴聞するように。
僧 趙州に問う、狗子に還って仏性 有りや、也た無しや?州云く、無。
これは「趙州無字」の公案と呼ばれ、彼の数有る公案の中でも最も有名な公案であり、「無門関」の著者無門慧開や白隠和尚をはじめ、古来、幾多の英傑が皆血の涙をしぼった公案である。そしてこの則は「無門関」の第一則に採られ、我が教団でも見性をはかる公案として重視されている。既にしばしば講じた則ではあり、何よりも公案であるから再説はやめようとも思ったが、趙州和尚の代表的な公案であるから、敢えて講ずることにしました。
或る時、一人の坊さんが「門前のあの痩せ犬にも仏性がございますか」「狗子に還って仏性有りや、也た無しや」と問うた。この坊さん「一切の衆生悉く皆仏性有り」だから、当然「有り」という答えが返ってくるものと予期して問うたのだ。ところが、豈にはからんや、趙州から「無!」と返って来たものだから、鳩が豆鉄砲をくらったようにビックリ仰天してしまった。「一切衆生悉有仏性」を百も承知の趙州和尚が、僧のこの問いに対して「無!」と応えた肚はどこにあるのか、その肚をわが物としてこいというのが、この公案の眼目である。
趙州和尚、単に僧の一枚悟りや文字面の理解を打破してやるために、「無い!」と逆説法をしたわけではない。無門慧開がこの公案を先きにも申したように「無門関」の冒頭に掲げ、そこで「有無の会をなすこと勿かれ」と注意しているように、この「無」は「有」に対する無ではない。別な僧が同じく「狗子に還って仏性有りや、也た無しや」と問うたところ、この時趙州が「有!」と答えてござるのは、その何よりの証拠じゃ。趙州和尚ともあろう方が二枚舌を使われる筈はない。としたら和尚のこの「無!」はいったいどういう肚なのであろうか。無門が「虚無の会をなすこと勿れ」とも注意しているように、この「無」は老荘や道教ないしニヒリズムの徒の説くような虚無の無、空々寂々何も無いという意味の無ではない。それは有だの無だのと未だ分れない以前の無、ないしは有無の相対を超越した無、絶対無だといえば、そういえないこともないが、そんな哲学的な概念を弄したところで何の役にも立たない。そんな気のきいた概念を持って行ったとて、趙州無字の関所は通れない。では、どう工夫したらよいか。
雲仙の普賢岳が噴火をくりかえし、殊に最近フィリピンの何とかいう山が天地を揺るがして鳴動し、火山灰を猛然と吹きあげて大噴火しているが、これはいわば宇宙の大生命が爆発しているのである。お主らの肉体にもその宇宙の大生命が宿りひそんでいるのだが、その大生命が、地下のマグマが盛り上がるように盛り上がり、鳴動しゴウ然と爆発したもの、それが趙州の「無!」なのじゃ。この座には「孟子浩然の気」の公案を透過したものが少なくない筈だが、その諸士に敢えて問う。「趙州無字」と「浩然の気」と、是れ同か是れ別か?ともあれ、お主らのその肉体に宿りひそみながらも眠っている宇宙の大生命、ないしは衰弱している宇宙の大生命を、坐禅三昧の行によって眠からさまし、活性化させることじゃ。分ったか!(百雷一時に落ちるように。一同愕然)チーン。
僧 趙州に問う、如何なるか是れ祖師西来の意?州云く、庭前の柏樹子。
この則も亦、趙州和尚の公案として有名なもので、古来、見性をはかる公案の一つとして重視されているものです。この座の諸士の中にも、この公案で油をしぼられたものが多い筈です。その真味のほどは実参実証の上で味わうほかないのですが、一応ザーッと講じておきましょう。
およそ人間をはじめ動物も植物も、さては石や水などの無生物もみな、宇宙の大生命、仏教のいわゆる如の発露したものであるというのが、大乗仏教の世界観であります。そしてその宇宙の大生命の人間に宿ったものを仏性といい、人間以外の万物に宿ったものを法性と呼んでおります。仏性といい法性といい、名前はちがっておるが、それは宇宙の大生命という同じ地下茎から咲き出た花同士のようなもので、根本は同じです。ですから仏性がわかれば法性がわかり、法性を悟れば仏性も悟れるわけです。
六祖の「本来の面目」の公案や、先きに講じた「趙州無字」の公案は、仏性を手がかりに見性をはかる公案で、今夜のこの「柏樹子の話」の公案は、法性の面から見性をはかる公案なのであります。前置はこの程度にして、さて本則に入りましょう。
或る僧が趙州和尚に向って「如何なるか是れ祖師西来の意」と問いを発した。「祖師西来意」とは、前にも度々申した筈だが、「初祖達磨大師が西の方インドから遙々と中国にやって来られた主旨」という程の意味で、要するに「禅の玄旨如何」ということです。こう問われて趙州和尚、いとも無造作に「庭前の柏樹子」と答えられたのですが、これはいったいどういうことか、それを工夫して来いというのがこの公案の眼目です。先ず、ここにいう「柏樹子」の語意から説明しておきましょう。「柏樹子」の子は扇子・枕子の子と同じもので格別の意味はなく、柏樹というも同じである。ところでこの柏樹は、柏餅の葉を採るあの落葉樹の柏のことではなく、松・杉・檜葉などと同類の常緑針葉樹の槙柏のことです。この槙柏は北シナの気候風土に合っていると見えて、北京では大木となって育っており、恐らく趙州の観音院にも亭々とそびえておったのでしょう。余談になるが、日本では京都の大徳寺の山門と仏殿との間、また鎌倉の建長寺の山門を入ったところに、槙柏が緑濃く繁っておるから、見ておきなさい。
さて「禅の玄旨は如何」との問いに対して「庭さきの槙柏」とは、木に竹ついだような返答と見えましょうが、これは立派に答えているのです。ただ趙州和尚の場合、眼前に槙柏の木があったから槙柏といっただけで、梅の木があれば「庭前の梅樹子」と答えたでしょう。だが、こう答えた肚はどこにあるのだろうか。眉鬚堕落を恐れず敢えて言えば、看よ、庭前の槙柏を!お主がこの槙柏において法性を拝めたら、祖師西来の意が納得できるあろう。この柏樹子、祖師西来の意を漏らしているが、それをしてとれ。
というようなことになろうか。しかも、西来意を漏らしているのは、柏樹子だけではないことは、「梅花 漏泄す西来の意」とか「百花頭上 祖師意」という禅語でも知られよう。ともあれ、この公案を本当によく透過すれば、釈尊が開悟の暁に【也太奇 也太奇 山川草木悉皆成仏】と歎ぜられた肚もわかり、大乗禅の世界観ないし自然観もわがものとなるであろう。
僧 趙州に問う、十二時中 如何んが用心せん?州云く、汝は十二時に使われ、老僧は十二時を使い得たり。汝 那箇の時をか問う?
この則はまことに含蓄の深い一則、大禅者の本当の意味での自主的な生き方を知る上によい手がかりとなる一則である。先ず文字の意味から解説しておこう。ここに「十二時」とあるが、昔は中国でも日本でも一日二十四時間を子・丑・寅・卯というあの十二支に配当して考えていた。一刻は今日の二時間にあたることになる。といって、ここにいう「十二時」はそういう時刻のことではなく、時間のことである。したがってこの僧の「十二時中 如何んが用心せん」という問いは、「時間は念々刻々容赦なく過ぎて行きますが、この一日二十四時間をどういう心構えで過したらよいのでしょうか」という位のことである。それに対する趙州のお示し、「汝は十二時に使われ、老僧は十二時を使い得たり」とは、何とも恐れ入るほかはない。「お主をはじめ世の人びとの多くは、時間に使われて過しているが、儂はあべこべに自由に時間を使っている」というのである。
釈尊は「我れ法王となって、法に於いて自在なり」と申しておられる。ここで「法王」とはローマ法王の法王の意ではなく、法即ち物、万物ないし万縁万境の主人公となって、それらを自由に使いこなしているという意味であるが、趙州の「老僧は十二時を使う」は、それと同じことである。趙州の「十二時」を単に時間だけとせず、万物の意味にとって解釈して御覧なされ。
お主らは金を使うといい、酒を飲むというが、本当に自分が主人公となって金を使い、酒を飲んでおるか。あべこべに金に使われ、酒に飲まれておらぬか。お主らは五欲煩悩の奴隷となり、それに引きずりひん廻されて六道を輪廻しておるが、儂は五欲煩悩をわが手足のように使いこなして、六道に遊戯している。
ということになる。要するに「十二時を使って生きる」とは、万縁万境に対して主体性を確立して、本当に自主的に生きることなのじゃ。儲かったといって金に喜ばされ、損したといって金に泣かされるのではなく、喜ぶ時には主体的に喜び、泣く時には主体的に心から泣くと、こう生きてこそ、この人生を悔いなく主体的に生きるというものである。「他は十二時に使われ、儂は十二時を使う」この語を座右の銘として、毎日を力いっぱい生きようじゃないか。せめて、酒は飲んでも酒に飲まれないように、金は使っても金に使われないように努めなされ。
なお、「汝 那箇の時をか問う」は、「お主は使われる時を問うのか、使う時を問うのか、どちらじゃ」という位のことじゃが、これは無くともよい。
趙州 上堂して云く、此の事は明珠の掌に在るが如し。胡 来れば胡現じ、漢 来れば漢現ず。
「上堂」とは寺の住持が法堂に上って説法することで、陞座ともいう。多くの場合、毎月の一日と十五日が定例であるが、端午・重陽などの節句、或いは釈迦の降誕や涅槃の日などにも行われた。趙州が上堂して大衆に向って、「此の事は明珠の掌に在るが如し。胡来れば胡現じ、漢来れば漢現ず」といわれた。問題は「此の事」とは何をさすのかということである。お主らは下読みの時、これをどう工夫しておいたか。総じてお主らは下読みの時間が足りない。講座の始まる三十分やそこら文字面を眺めたところで何になる。下読みとはそんなことではない。儂は東京で下調べをやり、北越・北海両支部で講ずるに当って十分に再吟味を行なって講座台上に上り、そして札幌支部でまた朝・昼・晩と三度下読みをして、今この講座に臨んでいるのじゃ。師家がそれだけ慎重に努力をしているのに対し、真似事のような下読みじゃ申訳ないと思わぬか。切に反省を望んでおく。
ま、それはそれとして、ここにいう「此の事」とは「箇事」とも書き、簡単にいえば悟りの眼を開くこと、理屈っぽくいえば般若の知見を体得することである。「諸士よ、悟りの眼を開き、道眼を磨け。そうすれば清明な明珠を掌中に持つようなもので、万縁万境をいささかの歪みもなく映しとり、従って正しくそれに対処できよう」というのが、この示衆の大意である。なお、どうでもよいことのようであるが、趙州和尚の「明珠」という比喩を「明鏡」と改めた方が、宗旨がはっきりすると思うがどうであろうか。なぜなら真珠のような球面には物は歪んでしか映らぬものだからである。これに反して平面の鏡なら物の姿がいささかの歪みもなく、在りのままに正しく映るからである。
およそ万人皆等しく生まれながらに此の明珠いや明鏡をそなえており、諸士も無論それぞれに一枚の明鏡を持っている。だが、諸士の場合、本来清明な筈のその鏡が、煩悩妄想に覆われて曇ってはいないか、妙なイデオロギーや先入見によって鏡に色がついてはいないか、また利害打算の念だの恐怖心だのによって鏡の面が波立ったり傷ついたりしてはいないか、どうじゃ?そのような曇りや錆や傷をきれいに拭い去って、本来の清明な鏡にもどすのが禅の修行である。そうすることによって、真空無相で清明な本来の鏡を回復するのが、禅のいわゆる開悟である。それがここにいうところの「此の事」である。
この真空無相で一点の曇りも錆も無い鏡が手に入れば、「胡来れば胡現じ 漢来れば漢現ず」で万縁万境が即座に少しの歪みもなく正しく映るのは、今更いうまでもないことじゃ。なお、ここにいう「胡」とは中国からみて西の方の国々から、いわゆるシルクロードを経由してやって来た人びと、胡人のことであり、「漢」はいうまでもなく漢人のことである。しかしこの句は更に
胡来れば胡現じ 胡去れば胡没し 漢来れば漢現じ 漢去れば漢没す
と補うことによって完結するのである。明鏡というものは、その前に来たものを即座に正しく映し、いわゆる「正受」するが、その物が向うへ行ってしまえば、忽ちその映像が消え、しかも些かもその跡形をのこさないことは御承知のとおりで、これを正受に対して「不受」というのである。この「正受して不受」ということ、これが鏡の鏡たるゆえんであるが、禅はこの働きを大いに珍重するのである。
およそ禅の最も尊ぶのは三昧ということであり、その三昧とは正念相続・自他不二という二側面とこの「正受して不受」という側面の三つを一つに統合した働きをいうのである。禅定三昧ということは、世間の人びとが往々にして考えがちなように、夢中になってのぼせあがることではない。白いものは白い、きれいなものはきれいと正受してまぎれないことであり、同時にその反面、それが二念・三念に発展しないこと、不受なこと、それが本当の三昧である。些か法話めいてしまったが、「自己本具の明鏡を発見し、その曇りを去って真空無相の本来の姿をとりもどし、そしてそれを正受して不受と自由に働かせよ」というのが、趙州がここで皆に言おうとしたことである。よく味わって骨折るべし。
趙州云く、老僧は一枝草を把って丈六の金身と作して用い、丈六の金身を把って一枝草と作して用う。仏は即ち是れ煩悩、煩悩は即ち是れ仏。
この則を解釈する上のキーワードは、一本の名も無い草という意味の「一枝草」の三字であるが、下読みの際、諸士はこれを何の比喩と見当をつけたか。文章全体の構成からみて、それが煩悩ないし煩悩具足の凡夫身の比喩であること位は、見当がついただろう。したがって「一枝草を把って丈六の金身と作して用う」とは、「煩悩を転じて悟りを開き、煩悩の固まりの凡夫身を一丈六尺の紫磨黄金の仏身に転じて縦横に働かせる」というほどの意味である。【大地を変じて黄金と為し 長河を撹いて酥酪と為す】という禅語があるが、それとほぼ同じ意味で、迷える凡夫が悟った仏となって働くこと、と見てよかろう。仏・菩薩の誓願は例の「四弘誓願」が示す通り、自利・利他円満ということにあるが、この句はその自利の面、上求菩提の行を表現したものである。これはまだよく分るが、些か分りにくいのは「丈六の金身を把って一枝草と作して用う」という後段である。
後段は簡単にいえば、「折角苦労して成り上がった仏身を、こんどは逆に凡夫身に成り下げて働かせる」ということである。だが、何故そうするのであろうか。それはほかでもない、衆生済度といい「下化衆生」という利他の誓願をはたさんがためである。衆生の多くは迷いの泥海に溺れて救いを求めている。その場合、自分だけが清浄で安全な場所に居って、そこから「皆の者よ、こっちへ来い」などと号令をかけてみたところで、それでは彼らを救えない。自らその泥海の中へとびこみ、衆生と同じに身をやつし、いわゆる「和泥合水」するのでなければ、衆生済度はおぼつかない。衆生と同じ次元まで身をやつし、和泥合水すること、それを趙州は「丈六の金身を一枝草と作して用う」と表現したのである。前段も決してやさしいことではないが、しかし後段の方が遙かにむづかしい。「禅林句集」に【土を握って金と成すは猶お易かるべし、金を変じて土と成すは却って還た難し】という句があるが、たしかにその通りである。ミイラ取りがミイラになり、或いは人も救えず自らも溺れてしまっては、元も子もないからである。ともあれ、大いに修行に励み、自らを錬磨しておくことじゃ。
次に趙州は「仏は即ち是れ煩悩、煩悩は即ち是れ仏」と続けているが、これは「煩悩即菩提」といい「迷悟不二」「仏凡一如」ということを別に言い換えたもので、既にこれまで再々説いて来たところで、今更くだくだしい説明もいるまいと思う。しかし、これに関連してお主らに是非言っておきたいことがある。「煩悩即菩提」の法理を分らせるために、よく渋柿が比喩として使われる。元来、あまり渋くない柿はいくら渋ぬきをし、或いは皮をむいて干柿にしても、トロリとした甘い柿にはならない。これに反し、私の郷里山形の上山の柿は、その渋さといったら大変なものだが、これを干した紅干柿の甘さといったら、まさに天下一品である。これは渋みがどこかに脱けて、甘味が新しく入ってくるのではない。どういう化学変化か知らないが、渋みがそのままコロリと甘味に変るのである。煩悩が菩提に変るのは、あたかもこれと似ているというので、「煩悩即菩提」を説くのに渋柿がよく比喩として使われるのである。この比喩はたしかに面白いが、注意しなければならぬことがある。それは渋柿は皮をむいて秋の陽に干しさえすれば、甘くなる。いや、もがずに木の上にほっておいても、自然と熟柿が出来上るが、人間の煩悩はそのまま放置しておいたら何時迄たっても煩悩であるということである。骨折って悟らなければ、煩悩は仏にならないことを肝に銘じておきなさい。
なお、もう一句、【泥多ければ仏大なり】という禅語を紹介しておこう。昔も今も土を材料とした、いわゆる泥仏が造顕されているが、その場合、泥の分量がわずかしかなければ小さな仏像しか出来ないが、もしその泥がドッサリあれば大きな仏像を作ることが出来るのは見易い道理である。ところでここにいう「泥」はすでにお察しのように、五欲煩悩をさしている。実際、【沈香も焚かず屁もひらず】というような人間は間違いはしないが、鍛えてもさほどの大人物には仕上らない。欲望のかたまりのような野性味ゆたかな人間こそ、大きな仏になりうる材量をドッサリ備えていると言ってよかろう。「私は煩悩が多く、迷いが深くて、とても禅の修行には向かない」という人がおるが、それは大間違い、「泥多ければ仏大なり」で、そういう人こそ禅の修行に向いているのじゃ。
しかし甘えてはいかん。渋柿の場合は、先きほども言った通り、ほっておいても自然に甘くなるが、泥の場合は、本人自らがその泥を仏に作ろうとしない限り、泥は永遠に泥のまま、煩悩はいつまでも煩悩で腐るだけだ。ここの道理をよくわきまえて「煩悩即菩提」、趙州のいわゆる「仏は即ち是れ煩悩、煩悩は即ち是れ菩提」を味わって、修行に精進しなされ。
僧 趙州に問う、如何なるか是れ趙州?州云く、東門 西門 南門 北門。
此の則は、我が教団では公案として「瓦筌集」の第161に採られており、「碧巌録」にも第九則として採録されているものであるから、ごく簡単にしておこう。或る僧が趙州和尚に向って、「如何なるか是れ趙州?」と問いを発した。この問い、一見何でもない尋常な問いのようであるが、実は両天秤をかけた相当に意地の悪い問いなのじゃ。というのは、この問いに対して和尚が「趙州という町は……」と答えると、「いや、私のお尋ねしているのは町としての趙州のことではなく、和尚の人となりを問うているのです」と答えるつもり。又、「趙州とは儂のことじゃ……」と答えれば、「私のお尋ねしているのは趙州の町のことで……」と応ずるつもりである。ところが名にしおう天下の趙州和尚、この僧の魂胆をとっくに看破して、その手は桑名の焼き蛤とばかりに「東門・西門・南門・北門」と応じた。これは何とも見事な扱い、さすがに「口唇皮子上に光を放つ」と称された趙州大和尚である。だが、どこがいったい見事なのか?
およそ当時の中国の都市は、町の周囲に高い城壁をめぐらし、その東西南北に門を設け、都市への出入はそこからすることになっていた。趙州の町の構造もそうなっていた。だから趙州のこの答えは、「さァ、東西南北どの門でも好きな門から入って十分に見物しなされ」という意味と、「儂を見たいとおっしゃるか、さァ前からでも後からでも、右からなり左からなり、よーく御覧なされ!」という意味と両方をこめたもので、この僧、ただ恐れ入るほかなかったことであろうよ。
それにしても趙州和尚、よくもこう当意即妙に適切な答えがスラスラと出てくるものじゃわい。しかし、これを単に口達者と見たのではあたらない。心の掃除が行届いていて些かのけい礙もなく、肚に一物もなくまことにきれいだから、こういう見事な言葉がスラスラと出てくるのじゃ。きたない肚から美辞麗句をならべたとて駄目だ。とにかく正念相続に努めて心を掃除し、肚をきれいにしておくことじゃ。そうすれば、その時、その場に応じ、人の心を打ち、しかもユーモアを含んだ当意即妙の挨拶が、自らスラスラと出てくるものじゃ。
しかし、この則で何よりも肝心なことは、「儂を知りたい、見たいというか。さァ、どっからでも見るがよい」と、大自信をもって言うことが出来た趙州和尚の境涯とその風格を仰ぎみることである。お互いも、人と生まれた生き甲斐に、半歩でも四半歩でも、趙州の境涯に近づきたいものですなー。
僧問う、牛頭 未だ四祖に見えざるとき、百鳥 花を銜みて供養す。見えて後、何としてか 百鳥 花を銜みて供養せざる?師云く、世に應じ、世に應ぜず。
ここに「牛頭とあるのは、四祖大医道信に参じて其の法を嗣ぎ、牛頭山弘覚寺に住し、牛頭禅という一派の祖と仰がれた法融禅師(594-657)のことである。そして、この逸話は「景徳伝燈録」巻四の牛頭法融の章に見えている。或る時、一人の僧がこの逸話をかつぎ出して、
牛頭山の法融禅師が未だ四祖に見えない以前、したがって修行がまだ完熟しない時、坐禅をしていると、多くの鳥が美しい花をくわえて来て彼に供養しその坐禅が見事だといって、これを賛歎していた。ところが、彼が四祖大師に見えて大悟してからは、これからこそ花供養と礼讃とがあってよさそうなのに、却ってそれが無くなったということですが、これは何故なのでしょうか?どういう仔細なのでしょうか?
と趙州に問うて来た。これに対して趙州は「世に応じ、世に応ぜず」「世間に応ずると、世間に応じないとの違いだ」と答えているが、これは又どういうことであろうか。諸士はどう思う。実はこれと似た話が「大品般若経」に出ており、「碧巌録」第六「日々是好日」の則に添えた頌の中で雪竇は、これを「空生巌畔 花狼籍」の一句で表現している。釈尊の弟子の中で「解空第一」と称された須菩提が、巌窟で坐禅をしていると、帝釈天がしきりに花を降らして讃歎をした。「須菩提はこれを文字通り讃歎されたものと喜んでいるが、それは実は讃歎されたのではなく、帝釈天にからかわれたのじゃ。賛否いずれにもせよ、他から覗き見られるようでは、その坐禅はまだまだ本物ではない」というのが雪竇の肚である。
牛頭法融が四祖道信に参ずる以前に、百鳥から花を供養されたのは、その境涯がまだ「心々不異」「念々正念、歩々如是」という境涯には未だ届かず、あたかも須菩提の場合と同じように、他から覗き見され、乗ぜられる隙があったからである。四祖に参じて大悟してから百鳥の花供養が無くなったのは、彼の正念が終始切れ目なく、しかもいきいきと相続し、天魔外道はもとより仏祖と雖も覗き見も出来ない境涯に到ったからである。【諸天も花を捧ぐるに路無し】という、本当の坐禅三昧さらには一行三昧の境涯に到達したからなのである。そして趙州は、牛頭の前の境涯を「世間の人にもまだ覗き見出来る境涯」という意味で「応世」といい、「世間の人には窺い知ることの出来ない境涯」という意味で「不応生、世に応ぜず」といったのである。真の仏祖の境涯というものを知る上に、よい手がかりとなる一則である。
僧 趙州に問う、了事底の人は如何?州云く、正に大いに修行す。僧云く、未審し、和尚還って修行すや也た無しや?州云く、著衣喫飯す。僧云く、著衣喫飯は尋常の事なり。未審し、修行すや也た無しや。州云く、汝 旦く道え、我 毎日なにをか作す?
この一則は、本当の修行とはどういうものか、それを識得するのにまことに打ってつけの一則である。一人の僧が趙州和尚に「了事底の人は如何?」と質問した。それにしても「了事底の人」とはどういう人のことであろうか。禅の修行は、毎度申す通り、坐禅の行によって先づ自己に生れながらに具わっている仏性を発見することから始まる。そしてこれを見性入理の段階といい、初関を透過したともいうのであるが、更にいわゆる悟後の修行を続け、発見した仏性を育成し、悟りを深めて見性悟道の境涯に到る。この辺がわが教団でいえば風大級から空大級に相当する。しかし、この段階では迷いは影をひそめても、悟りの臭みがまだ完全に抜けきってはおらず、本当の自由を得てはいない。そこで更に修行を積みに積んで、悟了同未悟とか迷悟両忘とか或いは帰家穏坐とかいわれる境涯にまで達する。この境涯を見性了々底の境涯ともいい、ここまで達した人を大事了畢の人というのであるが、ここにいう「了事底の人」とはまさにこの修行の一通り了った大事了畢底の人をいうのである。
この問話の僧は「了事底の人」は「修行を了った人」なのだから、もう修行はしないものだと思いこんで「了事底の人は如何」「大事了畢底の大禅者は、了畢後はどうするのですか」と問うたのである。こう問われて趙州和尚云く「正に大いに修行す」と。趙州の肚は、「大事了畢の後こそ本当の修行なのじゃ」というのである。確かにその通りである。両忘庵宗活老師はよく【釈迦・弥陀も今に修行最中】と仰せられたものでした。釈迦如来や阿弥陀如来といえば、百パーセント完成された仏であるのに、なおも今もって修行しておられるというのだから、大事了畢底の者が「正に大いに修行す」るのは当然のことというべきである。お茶の席に【白圭尚可磨―白圭も尚磨く可し】というお軸がよく掛けられるが、この語をじっくり味わってみなさい。もうこれ以上、磨く余地もないと思われる白玉も、なお磨く余地があり、磨けば更に一段と光沢を増すというのである。修行はどこまで行っても、これでよいという限りは無いものであります。
ところが、この坊さん、禅の修行というものは朝・昼・晩の坐禅・公案の工夫と入室参禅、経典の読誦や勤行ないしは提唱聴聞のことだと思いこんでいる。その考えで趙州和尚の日常を拝見すると、和尚はそういう意味での修行を特になさっておるとも見えない。そこで重ねて「未審し、和尚還って修行すや也た無しや」「和尚様は今、了事底の大禅者は正にこれからこそ大いに修行する、と仰せられましたが、私にはどうも納得いきません。和尚のご日常を拝見しておりますと、別に修行をなさっているとも見えませんが」と疑問を率直にぶっつけた。こう言われて趙州云く「着衣喫飯す」「儂は飯を食ったり、衣を着たり何やかやとやっておるわい」と応じてケロリとしてござる。こう言われてこの僧「着衣喫飯は尋常の事なり。未審し、修行すや也た無しや」と重ねてつっかかって来た。この僧、修行とは日常を離れた特別な行、殊勝げな所行だと思いこんでいるのじゃ。およそ禅の修行、とりわけ大禅者の修行というものは、正念工夫不断相続に努めることだ。一切時、一切所において「正念の工夫、断絶すること無からんことを願う」て、正念相続につとめること、それが本当の修行である。趙州が「我れ毎日何をか作す」「儂は毎日、朝から晩まで、晩から朝迄何をしていると思うか」と言ったのは、その事を言ったのじゃ。「儂は着衣喫飯、行住坐臥、いつも正念の相続につとめているが、それが修行でないというのか。日常茶飯事を離れた殊勝げな行をすることだけが、修行ではないぞ」と断案を下したのが、「我れ毎日何をか作す」の真意である。
この席にはお茶関係や大学の剣道部の諸君がおられるようだから、特に憎まれ口をたたいておこう。お茶の方でいえば、お師匠さんのもとでお道具を扱ってお点前の稽古をしている時だけが、茶の修行だと考えている人が案外に少なくないようであるが、それは途方もない料見ちがいだ。着衣喫飯みな修行である。剣道でいえば、道場で防具をつけて打合いをしている時だけが修行なのではない。それだけなら剣道ではなく単なるささら踊りやスポーツにすぎない。行住坐臥、一挙手一投足みな修行でなければならない。修行とは要するに、一行三昧、一相三昧で、正念の相続につとめることじゃ。そして、そのことは次の一則で更に一層はっきりするであろう。
僧 趙州に問う、如何なるかこれ道場?州云く、汝 道場より来たり、汝 道場より去る。脱体是れ道場、何れの処か更に不是なる。
道場とは一般には、道を修行する神聖な場所、その修行の目的を達成するのにふさわしい特別な施設を施した建物の意味に理解されている。とりわけ禅の道場は、別に「選仏場」とも呼ばれ、坐禅中心の修行にふさわしく、俗世間から離れた静閑で清浄な場所に設けられるのが普通である。趙州和尚に向って、改めて「如何なるか是れ道場?」と問うたこの僧も、禅の道場というものを、この通念に従って理解していたものと思われる。それだけに、この問いに対する「汝 道場より来り、汝 道場より去る。脱体是れ道場、何れの処か更に不是なる」という和尚の答えには、さぞかし面食らったことだろう。仰天したこの僧の顔が見えるようじゃ。趙州和尚のこの語、格別解説する迄もないのだが、今日は若い新到の顔も見えるから敢えていえば
お主、今どこからやって来たか。なに、麓の町の宿屋から来たというか。それなら、その宿屋が道場じゃ。今、お主の坐っている儂のこの方丈は、無論、道場じゃ。お主はやがて道場から去って行くことになる。ここを去って何処へ行くつもりじゃ。隣の村の友人の家へ行くというか。それなら、その友人の家がやがてお主の道場じゃ。いやしくも修行者であるお主の居る処、そこがそのままでソックリ道場じゃ。「脱体是れ道場」である。何処に道場でない処があろうか、何処も彼処もみな道場である。
というようなことである。維摩居士は光厳童子に【直心是れ道場】と教示し【歩々是れ道場】という禅語もある通り、修行者にとってまさに「何れの処か道場ならざる」である。此の静閑清浄な石狩道場だけが道場なのではない。わが家に帰ればわが家が、バスに乗ればバスが、会社に出れば会社が、そのままで道場じゃ。剣道をやる者にとっては剣道場という特別な建物だけが道場なのではない。お茶人にとって茶室だけが道場なのではない。わが家の台所もマーケットの売場も道場である。
前の則では、日常茶飯の一切の行がみなそのままで立派に修行であるとあったが、この則で、一切処がそのままで修行の道場であることが分った筈。しかし、ただ頭で分っただけでは役に立たない。一切時、一切処また一切行みな修行であることをよく肚に入れて、それを実行するように。
趙州 上堂し衆に示して云く、金仏 炉を渡らず。木仏 火を渡らず。泥仏 水を渡らず。真仏 屋裏に坐す。
これは「趙州三轉語」と題して、「碧巌録」の第九十六則にも採録されている有名な一則である。既に少なくも二回講じているわけだから、今更とも思うが、偶像を以って仏とする世間の謬見を打ち砕くのによい則であるから、ザーッと講じておこう。
現代の日本にもまだ有るが、趙州和尚の唐代の頃には、仏というと寺の須弥壇に祀られている木仏・金仏を連想し、これらの偶像を仏だと考える人びとが多かったようである。この一則はそのような偶像崇拝の迷信を打破し、真仏の何たるかを分らせてやろうという趙州和尚の老爺親切からあふれ出た示衆である。およそ仏とは「般若心経」に「不生不滅」とあるように、生滅にあずからないもの、端的にいえば「火に入って焼けず、水に入って溺れず」で金剛不壊なるものである。
一般のいわゆる美男美女は、寺の須弥壇上に祀られている巍々堂々とした金銅仏を仏様だと思って熱心に合掌礼拝してござる。真仏の何たるかを知っての上での事なら、それでよいが、それを知らないでこれを真仏だと思いこんでいるとしたら、それは迷妄といわざるを得ない。どのように巍々堂々とした金仏でも、熔鉱炉の中に入れりゃ、忽ちにトロトロと熔けてしまう。現に聖武天皇が国力を傾けて造顕した東大寺の大仏は、源平会戦の時に一度焼けただれて、更に戦国時代に織田信長に攻められた松永弾正久秀の放火で再度焼け、天平時代の原型をとどめているのは、大仏の台座の数葉の蓮弁にすぎない。まさに「金仏 炉を渡らず」である。「仏とは金剛不懐なものである」という根本の教理からみれば、「金仏は仏とは言えない」というのが趙州の肚である。
「木仏 火を渡らず」も同様で、今更説明もいるまい。丹霞天然が本尊の木仏を焼いたことは御承知の通り、どんな有難そうな木仏でも火に入れたら忽ちに燃えてしまう。「泥仏 水を渡らず」も同様である。泥仏とは土を主な材料としたいわゆる塑像の仏像で、わが国でも奈良時代にこれが流行し、東大寺三月堂の日光・月光の両菩薩像や、同じく戒壇院の四天王像など多くの国宝級の傑作が今にのこっている。しかしこの傑作といえ、十日間も水漬けになっていたら、グニャグニャと元の泥水に戻ってしまうことは必定であろう。最近は鉄筋コンクリートで作られた仏像も多いが、これとて土建屋のあの大きなハンマーでガーンとやれば、崩れてしまうし、画像に至ってはマッチ一本で燃えてしまう。いずれも金剛不壊どころの話じゃない。とすれば、それらは「真の仏」とは申せない道理である。
それでは「真仏はどこに御座るか」という疑問が起こるのは当然の話、これに対し趙州は「真仏 屋裏に坐す」と明快に断案を下した。但しここに「屋裏」というのは、建物の屋根の下ということではない。この「五尺の肉体のうち」という意味である。すでに見性したものは、自らの体験を振りかえってみるがよい。お主らの仏性、それこそ真仏の本体なのだが、それがどこに宿っていたか。切れば血も出る、膿も出りゃ糞も出る、この五尺の肉体に宿っていたではないか。禅の修行というものは、畢竟するに坐禅して三昧力を涵養し、その三昧力によって「自家屋裏の真仏」を発見し、それをスクスクと育てあげ、一切時、一切処においてこの真仏が惺々としており、何をするのも皆、真仏の働きとなるように自己を鍛えていくことだと言ってよい。
五尺の肉体に鎮座まします真仏にまだお目にかかっていないものは、お目にかかれるよう真剣に坐禅して公案の工夫三昧になりきれ、正念のかたまりになりきりなされ。又、既に見性したものは、更にこの真仏を育てあげ、大仏となるように骨折れ! その上でなら、須弥壇上の木仏、金仏に対して合掌礼拝しても、それは偶像崇拝ではない。
僧 趙州に問う、万法 一に帰す。一 何れの処にか帰す。州云く、我れ青州に在って、一領の布衫を作る、重きこと七斤。
或る時、一人の僧が趙州和尚に向って、「万法一に帰す。一 何れの処にか帰す」と、大変厄介な哲学的な問題をかつぎだして問うて来た。それに対する趙州の扱いを見る前に、この問いの意味を明らかにしておこう。
「法」には、毎度申す通り、二つの意味がある。一つは、仏法・法則などという場合の真理という意味であり、もう一つは存在とか物とかいう意味である。ここにいう「万法」の法は後者の意味で、従って「万法」とはこの世に存在する一切の物、万物・万象の意味である。およそ仏教の方で、この世界とそこに存在する人間はじめ万物の生成を説くのが縁起の思想であり、それには法界無尽縁起などの高度の思想もあるが、最も理解しやすく古来一般に行われているのは、人間をはじめ一切の存在は唯一絶対なるもの、真如の発露し顕現したものである、という真如縁起の思想である。そしてその点は、中国固有の老荘の思想においても似ている。「老子道徳経」の第四十二章を見ると、そこに「一 二を生じ、二 三を生じ、三 万物を生ず」とある。根本の一つが分裂して陰陽の二となり、陰陽が相交わって三を生じ、その三がついに万物となるというのであるが、これを逆にたどれば、「万物 三に帰し、三は二に帰し、二は一に帰す」すなわち「万物 一に帰す」ということになる。そして同じ思想は、日本に伝来して朱子学となった宋代の儒学いわゆる宋学においても見られる。即ち宋学の礎をおいた周敦頤(濂渓)の「太極国説」に
太極 両儀(陰陽)を生じ、両儀 四象(春夏秋冬)を生じ、四象 八卦を生じ、八卦 吉凶を生ず。
とあるのがそれである。「八卦 吉凶を生ず」は「八卦 万物を生ず」と同じ意味にとってよい。これ亦、逆にたどれば「万物 太極(一)に帰す」ということになる。この僧、こういう世界観に立って、「万法は一に帰す、それではその一は何処に帰するのですか」と趙州に哲学的な論争を挑んで来たのである。ところが趙州和尚、この問いに対して、あたかも木に竹をついだように「我れ青州に在って、一領の布衫を作る。重きこと七斤」と応じられた。文字の意味は、
昔、儂は故郷の青州に居った頃、一着の布子を作り、大変に愛用し重宝したものだった。しかし、それは重さが七斤もあったわい。
ということである。これはいったい、僧のこの「一 何れの処にか帰す」という問いに答えているのであろうか。もし答えているとしたら、どこでどのように答えているのであろうか。
これはわが教団では「瓦筌集」の第79則に採られている公案で、説明の限りではない。しかし、これは又、「碧巌録」の第45則に採録されており、「碧巌録」の土台を造った雪竇重顕が、趙州の肚を看破してこれを七言四句で頌じ、その頌を「如今 放擲す西湖の裏 下載の清風 誰にか付与せん」という二句で結んでいる。この二句をよく味わうと、「万法 一に帰す、一 何れの処にか帰す」に対する趙州の答え、「我れ青州に在って云々」の肚が、おんのりと察しがつくから、この雪竇の二句を些し解説して見ようと思う。それに先立って語句の意味を説明しておく。「如今」とは「今や」という位の意味、「西湖の裏」とは杭州市のあの風景のよい西湖とは限らない、「西の湖」というような意味で東支那海でも黄海でも太平洋でもかまわない。次に「下戴の清風」であるが、船や車、或いは牛・馬などに荷物を戴せるのを「上戴」といい、その荷物をおろすのを「下戴」というのである。この語については、拙著「一行物」に解説してあるし、詳しいことは時間もないので今は略し、別な例で簡単に触れるに止めよう。登山の経験のある者なら分るだろう。汗水たらして漸くに山頂を極め、ヤレヤレとばかり、肩に食い入る重いリュックサックをドッカと下す、その途端、下の雪渓から風が吹きあげてくる、登頂の満足感もさることながら、この解放感と爽涼さは全くたまらないものである。しかしこの満足感や涼しさは当人が味わうだけで、他人に分与することは勿論、伝えることも出来ないものである。「下戴の清風 誰にか付与せん」とは、まさにこの事を詠じたものである。扨てここで話を本筋に戻そう。
趙州が僧の「万法 一に帰す。一 何れの処にか帰す」という問に対して、「我れ青州に在って一領の布衫を作る。重きこと七斤」と答えたのは、儂は青州に居った時分に立派な一着の布子を作り、若い時分にこれを自慢で着用し重宝したものだった。しかし、それも昔の話、今ではその布子すっかり古くなって破れ、綿も堅くなり、却って窮屈な重荷になっていまった。それで、その古いボロ布子、捨ててしまったわい。
というような肚なのである。そして雪竇、趙州のその肚を看破して、「そんな重い古布子、とっくに西の海へ捨ててしまったわい。捨てたことによって得られたこの身軽さ、涼しさは、全くたまらない」という意味を「如今 放擲す 西湖の裏 下戴の清風 誰にか付与せん」と頌じたのである。
趙州和尚、僧の問うた「一」を「一領の布衫」に託し、「「一」なんというそんな堅苦しいもの、もうトックに捨ててしまったわい」と、「一 何れの処にか帰す」にサラリと答えているのである。それにしても此の「一」、「重きこと七斤の一領の布衫」とは、いったい何を指しているのであろうか。これをヤレ「真如」だの、儒教の「天命」だのと哲学的に解釈すると分らなくなる。諸士の場合、これを苦心して手に入れた「悟り」と取っておいたらよかろう。禅の修行とは、苦心して悟りを開き、その悟りを深めた挙句、その悟りをいつの間にか忘れてしまうことだと分れば、成程と肯けよう。迷いはもとより悟りも忘れて無一物になり、【物持たぬ袂は軽し夕涼み】という句の境涯に遊ぶこと、それが、自利に限っていえば禅の修行の目標である。この則を既に見たものは、この一則の眼目がまさにここにあることを改めて識得して、もう一度よーく味わって見ろ。【物持たぬ袂は軽し夕涼み】、いいですなー。
僧 趙州に問う、和尚の年 多少ぞ?州曰く、一串の数珠 数え尽さず。
趙州和尚は、冒頭に申した通り、八十歳まで行脚し、さてそれから百二十歳まで化を挙げたという、まるで化物のような和尚である。和尚の何歳の時か分らないが、恐らく晩年のことであろう。一人の坊さんが趙州に向って、「和尚の年 多少ぞ?」「和尚様はお幾つになられますか」と問うたら、いとも無造作に「一串の数珠 数え尽くさず」と軽く返って来たという。この一則、まことに【口唇皮子上に光を放つ】といわれた趙州大和尚の面目躍如たる問答で、「恐れ入りました」と唯々脱帽するほかはない。何とも恐れ入った和尚じゃ。
数珠はご承知のように、百八煩悩にたとえた108の珠を一本の糸で貫いたものである。珠の数は108箇であるが、輪をなしていてグルグル循環するから、幾ら数えても数え尽くすことはない。いわば無限である。「和尚様のお年齢はお幾つですか」と問われて、「何歳になった」とは答えず、「一串の数珠 数えて数え尽くさず」と答えたその肚は、儂の寿命は有限であって無限であり、無限であって有限である。ということである。そしてそれは趙州和尚の寿命だけでのことではない。お互いわれわれの寿命も亦然りじゃ。
およそ人間なんというものは、無限絶対の大海から、もろもろの因縁が和合して、フーッと海面に湧き出た水の泡のようなものだ。その泡、大きいもの小さいもの、永もちするものと生まれるとすぐはじけてしまうもの、光るものと光らぬものと色々あるが、いずれは皆やがては元の大海に帰してしまう。それが死である。その意味では人間の寿命は有限である。しかし戻るその海は無限であり絶対であり、その意味で人間の寿命は無限である。要するに生と死とは一如であって、人間の寿命は本体から見れば無限絶対であり、その形相からみれば有限相対なものである。趙州和尚は、儂のように面倒なことを言わず、それをサラリと「一串の数珠 数え尽くさず」と言われたのである。
趙州和尚の此の一則を深く味わって、生と死との問題を正しく解決し、その大安心に往して、【日々是れ好日】と慶快に人生を生きたい、味わいたいものですなー。今晩はこれ迄。
僧 趙州に問う、学人 南方に向って些子の仏法を学び去らんと擬す、如何?州云く、汝 南方に去きて、有仏の処を見ば、急ぎ走過せよ。無仏の処、住まることを得ざれ。僧云く、よもなれば即ち学人依るところ無き也。州云く、柳絮 柳絮。
今回の河北省趙州の観音院には、趙州の名聲を慕って多くの学人・修行僧が来集し、又そこから行脚に出かけて行った。そうした雲水の一人が或る時、趙州の前に出て来て、「学人 南方に向って些子の仏法を学び去らんと擬す。如何?」「私はこれから、江西・湖南などの南方に参り、些か南方の禅道仏法を学んでみようと存じます。それにつけても、どんな点に気をつけて行脚したら宜しいか、その心構えについて御指示いただきとう存じます」とお伺いをたてた。そしたら、「汝 南方に去きて、有仏の処を見ば急ぎ走過せよ、無仏の処、住まることを得ざれ」という指示が返って来た。これはいったい、どういうことであろうか。些か迂路にわたるが、「有仏の処」「無仏の処」のについて、一言触れておこう。
そもそも「色即是空 空即是色」、松尾芭蕉の俳諧論の用語を借りれば「流行して不易 不易にして流行」というのが事物の実相であり、大乗仏教の世界観である。それなのに、この世界とそこに存在するものは常住不変なものだとして、これに執着する見解、これを常見といい、これとは逆に人間をはじめ万物は死滅を免れず、畢境するに空々寂々、虚無であるという見解、これを断見ということは、以前に説いたことがある。法理の上では「有仏の処」とはこの常見をさし、「無仏の処」とはこの断見をさすのであり、「汝 有仏の処を見ば急ぎ走過せよ、無仏の処、住まることを得ざれ」とは、「常見にも断見にもとらわれるな」、というのが本来の意味である。しかし、ここではそんな面倒臭い意味ではない。ここで「有仏の処」とは堂々とした伽藍を構え、殊勝げな法会を催し、通俗な説法をしてお布施やお賽銭をドッサリ集め世俗的な繁昌を誇っている寺と見てよかろう。そんな寺に長逗留していたら、いつかその俗臭が身にしみついてしまうから、そこは急いで通りすぎよ。また「無仏の処」とは、余りにも孤危険峻で人も寄りつかず門前雀羅を張るような寺の意味にもとれるが、ここでは、禅道仏法の命脈の伝わっていない寺と見た方が分りやすい。そんな禅のない荒廃した寺に足をとめたところで修行の害にこそなれ、何の足しにもならん。だから、そこにはとどまるなと、まあ、この程度に解釈しておいてよいだろう。
「有仏の処は急に走過せよ、無仏の処には住まることを得ざれ」とこう指示されて、この問いを発した坊さん、すっかり面くらって「与ゥなれば、即ち学人の依るところ無きなり」「それでは私の寄るところが無いじゃございませんか。どうしたら宜しいでしょうか」と思わず泣き言を吐いた。こう泣きつかれて和尚、どう扱われるかと思いきや、「柳絮!柳絮!」とケロリとして、しかもおだやかに示された。だが、この「柳絮!柳絮!」とはどういう肚であろうか。 この席には、「風 柳絮を吹けば毛毬走り、雨 梨花を打てば蛟蝶飛ぶ」という「円覚経の頌」の公案を見たものも多い筈だが、ここにいう柳絮はこの公案に出てくる柳絮と同じもので、揚柳の花が終って出来る綿状のかたまりのことじゃ。札幌でもポプラの絮の飛ぶのが見られるだろう。風が吹くと種子(毛毬)のすっかり成熟した柳絮は、枝にしがみつくこともなく、無心にファーッと舞い上り、風のまにまに飛んで行く。そこには些かの我もなく、また執着もない。趙州が僧に向って「柳絮!柳絮!」と示した肚は、「お主、わたしの脚をとどめる処が無いなどと泣き言をいっておるが、行脚するものにとって何より大切なことは、風に吹かれて舞い上る柳絮のように、無心にしかも一所不住で修行に励むことじゃ。文字通り行雲流水のように無所住で修行なされよ」という程のことである。まことにその通り、禅の修行とは、執着をサラリと捨てて、大自然とそのリズムを一つにして法爾自然に生き、無作無心になることである。といって無作無心といっても、何も精神の空白状態になること、いわゆるポカーンとなることではない。しかし、その辺のことは今は棚上げしておこう。
僧云く、某甲 乍入叢林、乞う、師、指示せよ。州云く、喫粥了や、未だしや?僧云く、喫粥了。州云く、鉢盂を洗い去れ。其の僧 省有り。
或る日のこと、一人の僧が趙州の前に出て来て、「某甲 乍入叢林、乞う、師、指示せよ」「私はつい近頃、当山に参りましたばかりの駆けだしの者でございます。これから、どう修行したら宜しいか、何卆お示し下さいませ」と挨拶した。和尚、一見して「こやつ、自分で駆けだしの未熟者などと言ってるが、少々修行は出来てる奴、但しその悟りの匂いをまだプンプンさせている程度じゃわい」と看破したが、さりげなく「喫粥了や、未だしや」「もう食事は済ませてきたか、未だか?」と問われた。この僧こう尋ねられて「喫粥了」「はい、済ませて参りました」と鼻をうごめかして答えた。すると趙州、「おう、そうか。それじゃのう、使った鉢盂・飯茶碗をよく洗っておきなされよ」「鉢盂を洗い去れ!」と言われた。こう言われて、この僧「省有り」で、今後どのように修行すべきかに就いて気がついたというのである。
この問答は表面上、食事は済ませてきたか?はい済ませて来ました。それなら食器を洗っておけよ、というだけの事のようであるが、裏には深い意味がある。先ず「食事を済ませて来たか、未だか」とは、単なる食事のことではなく、「悟りを開いて来たか、どうじゃ」という探りであり、この僧さすがに問いの裏の意味を心得ていて「一応の悟りを得て参りましたという肚で、はい、食事を済ませて参りました」と応じた。ここまで言えば、趙州が「鉢盂を洗い去れ、飯茶碗をよく洗っておけよ」といったのが、「悟りを開いたら、悟りの滓をきれいに洗い去っておけよ」という肚であることは、鈍いお主らにも分るだろう。どうじゃ。
古来、「味噌の味噌くさきは上味噌にあらず。悟りの悟りくさきは上悟りにあらず」と言われているが、確かにその通り。悟りをひけらかしたり、悟りの臭みをプンプンさせているのは、まだまだ未熟な証拠じゃ。どなたの作か知らないが、瓢箪の絵を描いて、それに「有る鳴らず無きまだ鳴らずなまなかに 些し有るのがポチャポチャと鳴る」と賛をしたお軸を拝見したことがあることを、今、提唱している間にフト思い出した。瓢箪の口までタップリと酒が入っておる瓢箪は振っても音がしない。酒が全く入っていなければ、勿論鳴らない。それが酒が少々入っていると、いかにも酒が入っておりますぞと宣伝するかのように鳴る、というのである。悟りが浅くわずかでありその滓がこびりついている間は本物ではない。趙州和尚の「鉢盂を洗い去れ」の一語は、「悟ったら悟りの滓をぬぐい去ること、それが今後の修行の課題である、そのつもりで修行をなされ」という、まことに適切なお示しなのである。禅の問答というものは、表面上は、木に竹をついだようにも見えるが、よく味わってみると、その裏に深い滋味のかくされていることが分ろう。いかにも趙州和尚らしい扱いのよく出ている一則である。
趙州 衆に示して云く、老僧 三十年前、南方に在りて、火炉頭、箇の無賓主の話有り。直きに如今に至るまで、人の挙著する無し。
趙州和尚、或る時、上堂して会下の大衆に向って、儂は昔、三十年程以前になるが、南泉老師の下で修行し、更に南方の各地を行脚して廻っていた頃のことじゃが、「火炉頭に賓主無し」と言ったことがあった。しかし、その後、今日まで、儂のこの語を本当に理解して挙揚しているものは居らんわい。
と言われた。「趙州録」にもその他の文献にも、何処で、どういう場合に、この語が吐かれたかを示す記録は無い。しかし「火炉頭に賓主無し」という語が面白いので、これを我流に解釈した私釈を披露して、久参の上士と更に世の識者の御示教とを乞おうと思う。
「火炉頭」というのは、火炉のほとりということで、火炉とは、暖炉・囲炉裏・大火鉢、今日ならばストーブなどのことである。又、「無賓主」とは、賓主の別が無いということである。臨済和尚に「賓主歴然」の公案のあることは、御承知のとおりである。賓主とは客と亭主、客観と主観ということで、賓主歴然とは、差別が歴然としていることである。大と小、長と短、男と女、老と幼などの差別がはっきりしていることである。従って「無賓主」とはその反対に、差別が無く一味平等だということである。「火炉頭に賓主無し」とは、炉端では長幼・男女などの差別が無く皆平等であり、睦み合っているというような意味である。しかし、これは具体的にはどういうことであろうか。
炉は禅堂に常設されてはいるが、この炉が実際に開かれ火が入るのは陰暦の十月一日からで、翌年の三月の末には閉めることになっている。今日、お茶のほうで開炉・閉炉(実際には初風呂)の茶事が行われているが、それは禅寺の作法を見習ったものと思われる。冬になり寒くなると禅堂にもこのように炉が開かれるが、その炭火はほんの僅かでしかなく、しかもその側に寄って暖をとれるのは、修行歴の古いものや役位の者だけで、駆けだしの若い者などが寄りつくことは許されない。その意味で、普通の場合においては「火炉頭 賓主歴然」である。ところが冬の摂心会いわゆる雪安居の終る冬至の夜、いわゆる「冬夜」には、囲炉裏や大火鉢に炭火がドッサリと置かれ、長老と若僧、先輩と後輩との差別がなく、誰でも炉端に寄って手をかざして暖をとりながら団欒するのがならわしである。そして、日頃と打って変って御馳走もならび、少々だろうが般若湯もでるという有様……。摂心会円了後の懇親会の有様を思いうかべると分るだろう。「火炉頭に賓主無し」とは、このことを指すものと思われる。
禅堂はもとより、役所であれ会社であれ、常日頃は職階制が整然とし賓主歴然であるべきであるが、時には人間平等の原点に立ち戻って一味平等・賓主無しとなり、互いに人間として親睦の実を挙げることも大切なことである。趙州和尚は、上下・新旧の差別のいつも厳しい僧堂生活に、時には一味平等の空気があってもよい、いや有るべきだという意味で、「火炉頭に賓主無し」を提唱されたのであったろう。しかし、当時の禅僧社会にはこれが理解されず、受け入れられなかったのであろう。それに対する嘆きが「直に如今に至るまで、人の挙著する無し」の語ではなかろうか。そして趙州和尚の嘆きは、そのまま現代の職階制のきびしい一般社会にも通じはしまいか。
僧 趙州に問う、如何なるか是れ和尚の家風?州云く、屏風 破るると雖も、骨格 猶お存す。
本則を講ずるに先立って、「家風」ということに就いて、簡単に触れておきましょう。およそ自然科学上の真理というものは、誰が、いつ、どこで観察し実験しても、同じ結論が出るものです。自然科学上の真理に、学者の個性が反映したり、それがそこに滲み出ることは有りません。しかし、宗教上の真理、とりわけ禅の真理は、根本は同じでありながらも、それが実際に働らく場合には、それを荷担している人の人生体験や個性が相当に色濃く滲み出るものである。これは禅道仏法というものが抽象的な真理ではなく、教外別伝で以心伝心され、生身の人間に担われて生きて伝わるものだからなのです。これを荷担する師家の人柄を通じて発露する、いわば「肉体化された真理」だからなのじゃ。
達磨大師の禅が、早く漸修を重んじる北宗禅と頓悟を旨とする南宗禅とに分れ、その南宗禅が世にいう五家七宗に分派し、しかもそれを荷担した宗匠らの大法の扱いにそれぞれ独特のものの有ったことは、この提唱を聴聞した諸士は既に気がついている筈じゃ。実際、同じ師家の法を嗣いだ兄弟々子の間でも、根本は同じとはいいながら、その法の扱いにおいて微妙な違いがあるものです。全く形骸化した形式禅や鋳型禅ならばいざ知らず、活禅にはその法系や禅者により、その発現にはそれぞれの個性味が出るもので、これを広くは宗風、狭くは家風というのである。しかも、これは何も禅だけに限ったことではない。同じ利休大居士から出た茶道が裏・表・武者小路の三千家に分れ、更に遠州・石州などの諸流派になり、それぞれに流風をもっていることは、ご承知の通り。「家風」についてちょっと触れるつもりが、思わず長くなってしまったが、「家風」というものがどういうものか、およそ分ったことだろう。ところで此の僧の「如何なるか是れ和尚の家風」という問いは、「如何なるか是れ趙州観音院の禅風」という意味と、「如何なるか是れ和尚の悟境」という意味と両様に解釈される。そのどちらにしても、「屏風 破るると雖も 骨格 猶お存す」という趙州の答所はまことに怖しく、まさに寒毛卓堅、身の毛のよだつ思いを禁じえない。諸士は下読みして、そう感じたか、どうじゃ。
この答所、先ず「観音院の禅風如何」に対する答えとして解釈してみよう。ここにいう屏風は、単なる六曲一双の屏風などの家具だけではなく、外部から吹きこむ風を遮るものすべて、屋根も、部屋の壁も障子も襖もすべてを指すと見た方が分りよい。従って趙州のこの答えは一応「儂のこの観音院は、年を経たために屋根も少々雨もりし、壁も所々崩れ、襖や障子も破れ、ご覧の通りのあばら寺ではある。しかし、それは外見だけの事で骨格はガッチリしており、些かの揺ぎも無いわい」ということである。そしてそれに託して「儂のこの観音院の禅風は、「証道歌」に<身貧にして道ならず>という語があるが、丁度それと同じように、外見は貧しいが内実は充実している」という自負をにじませているのである。更にいえば【破襴衫裏に清風を盛る】それがこの観音院の禅風じゃと答えているのである。「人間禅教団の禅風如何」と問われて、堂々と自信をもってこう答えられるようでありたいものですなー。
次に此の僧の問いを「趙州和尚よ、あなたの悟境如何」という意味にとったら、「屏風破るる…」というこの答所はどういう意味になろうか。「儂はのう、この通り、老齢となり頭も禿げ歯も抜け、身体も大分ガタが来ておる。しかしそれだけに迷いも悟りも皆脱落してしまった。敢えていえば、【皮膚脱落し尽して、唯一真実のみ有り】というところじゃわい。それが儂の今の悟境といえば悟境じゃ」というようなことになろうか。なお、「唯だ一真実のみ有り」という語の真意を飲みこめないような顔をしている者があるから、第二義底に成りさがって注釈を加えれば、それは「念々正念、歩々如是」と、いつも正念が相続しているということじゃ。趙州和尚をただ口達者な和尚とだけ見たら途方もないこと、「屏風 破るると雖も、骨格 猶お存す」というこの一語において、寒毛卓堅してはじめて和尚に相見出来るであろう。何とも恐れいった賊機あふれ、鬼気ただよう大和尚じゃわい。
僧 趙州に問う、如何なるか是れ和尚の家風?州云く、内に一物も無く、外に求むる所無し。
「家風」の問いが出たところで、「趙州録」の配列の順序を変更して、もう一つ「如何なるか是れ和尚の家風」という一僧の問いに対する、趙州の答所を紹介しておこう。
およそ禅問答の場合、同じ問いであっても、それに対する応答は、問いを発した僧の境涯の熟と未熟、ないしは高と低、又その僧の魂胆やその時の諸条件によって異なってくるものである。決して一様ではない。前の則における問話の僧は、境涯が相当に高い一癖ある坊さんであったが、この則の坊さんは前者に較べれば、まじめで素直で境涯のまだ若い僧である。又、「和尚の家風は如何」という問いは、「私めはこれから大いに修行に骨折り、悟りを深め、菩提を求めようと願っておりますが、和尚様の唯今の悟境はどのようなもので御座居ましょうか。お漏らしいただきたい」という位にとっておいてよかろう。これに対して、趙州「内に一物も無く、外に求むる所無し」とスラリと答えられたが、これはどういう意味であろうか。それは、儂の心の中には煩悩や妄想の無いことは無論のことだが、曽ては苦心して手に入れた悟りも、殊勝げな仏見・法見も皆きれいに西の海に放下してしまって、今はもう何もない。文字通り、無一物じゃ。さりとて今更、外に向って求める所も無い。若い頃、修行の未熟な頃から、世間的な金とか名誉とか地位を求める心が全く無かったと言っては虚言になるが、今はもう外に求めるものは何も無い。それは出家としては当り前の事じゃが。なお、菩提や涅槃を求めるのが出家としての誓願の筈じゃが、儂はそれさえも今や求めない。何故、菩提をも求めないのかといえば、儂は今その菩提の中にひたっておるからじゃ。
というような肚である。「内に一物も無く、外に求むる所も無し」で、私の今の悟境は強いて言えば「外空内空内外空 空々々々畢境空」というところ、些かしゃれて言えば、「空門 風自ら涼し」というところじゃ、と告白されたのが、趙州和尚のこの語の真意である。人間と生まれた生きがいに、昂然と面 をあげて「内に一物も無く、外に求むる所無し」とこう言い得るところまで、死ぬ迄には到達したいものだと願っている。しかし、間にあうか、どうか。ドーレ、間に合うように、これからもう一ちゅう(火+柱)香坐ろう。お主らもよく坐れ。ハイッ。
僧 趙州に問う、如何なるか是れ仏法の大意?州云く、汝、名は什んぞ?僧云く、某甲。州云く、含元殿裏、金谷園中。
およそ禅問答で最も頻繁に提起される問いは、「如何なるか是れ仏」「如何なるか是れ道」「如何なるか是れ祖師再来の意」また「如何なるか是れ仏法の大意」などである。そしてそれに対する師家の答所は、問者の境涯の高低に応じて、高低・深浅さまざまであり、ピンからキリまである。この則に登場する僧は極く初心の者であったから、趙州の答所も初心者向きで、いわばそのピンの方である。
扨て「如何なるか是れ仏法の大意」という問いである。一般に「大意」は「この文章の大意は……」などと使われ、「おおよその意味、概略の意味」に理解されているが、ここでいう「大意」はその意味ではなく、「根本の主旨」というような意味である。従って、この問いは「禅道仏法の最も肝心要なことは如何ようなことでしょうか」という程のことである。ところが、こう問われて趙州和尚まるで木に竹ついだように、「汝 名は什んぞ」「お主の名前は何というか」と聞きかえした。これに対して問話の僧、「はい、私は○○と申します」と答えた。そしたら趙州、「含元殿裏、金谷園中」と示されたというが、これはいったいどういう肚なのであろうか。
「含元殿裏」とは「含元殿裏に長安を問う」を略したもので、ちなみに含元殿とは長安城の中心に在る殿堂のことじゃ。従ってこれは「長安の都の真中に居て長安の都はどこじゃ」と問い、「東京駅に居て東京はどこですかと問うようなものじゃ」ということである。次の「金谷園中」も同様で「古都、洛陽の名園の中に居て洛陽はどこか」と問うということである。「如何なるか是れ仏法の大意?」という問いに対し、趙州はお主の問いは「含元殿裏に在って長安はどこかと問い、金谷園中に在って洛陽はどこかと尋ねるも同然だ」と、からかったのである。そして此の答所は、僧の問いに対して、まことに適切に答えているのである。
およそ「仏法の大意」即ち禅の修行の第一の目標は、坐禅して見性成仏をはかること、自己即仏であることを体得することにある。ところで先刻も皆で唱えた白隠和尚の「坐禅和讃」に【衆生 本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷無く 衆生のほかに仏無し】とあるように、自己と仏とは不離なもので別なものではない。仏はこの五尺の肉体を離れて別に何処かに在るのではない。それなのに修行者はともすると、自己、本来仏であることを忘れて、仏を他処に向って「仏やーい」と求めがちである。それはまさに、「含元殿裏に在て長安を問い、金谷園中に居って洛陽を尋ねる」愚を犯すものだというのが、趙州の肚である。すでに見性のいけたものなら、自らの体験に省みて、趙州和尚のこの答えが、いかに適切であり、親切なものであるかがよく分るであろう。「禅林句集」に【騎牛覓牛ーー牛に騎って牛を覓む】とか、【丙丁童子来求火ーー丙丁童子即ち火の神様が来って火を求む】という句が見えるが、それらも同様の愚をいましめたものである。まだ初関を透らず、見性しておらん若い者には、まことに打ってつけの教訓となる一則である。よく味わって、正しい修行態度を確立しなされ。外に向って求めず、内に向って求めよ。
僧 趙州に問う、如何なるか是れ道?州云く、墻外底。僧云く、這箇を問わず。州云く、なんの道をか問う?僧云く、大道。州云く、大道 長安に通ず。
前の則で、禅問答で最も多い問いの一つは「如何なるか是れ道」だといったが、或る時、一人の僧がまさにその問いをかついで趙州の前に出て来た。そしたら趙州いともあっさりと「墻外底」「ウン、道か、道なら垣根の外に在るわい」と答えられた。この僧、「平常心是れ道」とでも返ってくるかと思っていただけに、これには少々面くらって、「這箇を問わず」「私がお尋ねしているのは、そのような門前の道のことじゃ御座いません」と口をとがらして言った。これを聞いて趙州「汝 什んの道をか問う」「それじゃ、お主、何の道を問うておるのじゃ」と意地悪く念を押した。すると、この僧「大道」「人間の践み行なうべき道、仏教の説く大道とは如何なるものか、それをお尋ねしているのです」と応じた。そしてこれに対して趙州何と答えるかと思ったら、無造作に「大道 長安に通ず」という答えが返って来た。「如何なるか是れ道?」という問いに対して「墻外底」といい、「大道 長安に通ず」と答えた、趙州和尚の肚を見よというのが、この一則の眼目であるが、諸士は下読みの時、そこをどう工夫しておいたか。
この僧、人間の践み行なうべき大道というものは何か高尚幽玄な特別なもの、儒教のいわゆる仁義礼智信などのように鹿爪らしいものとの先入見を抱いていたらしい。現代のお主らの中にも、これと似た考えを持っているものが少なくないようじゃ。趙州和尚、一見便見でこの僧の境涯を見ほして、その誤りを是正してやろうと先ず「墻外底」と答えたのじゃ。垣根の外の小径も道であるように、日常茶飯の些事をも在るべきように立派に捌いていく、これが道だと教示したのである。それなのに、この僧一向にわからないので、更に「大道 長安に通ず」と端的に示したのである。およそ「大道 長安に通ず」とは、天下の道は大小色々あるが、門前の径もどの道も究極は都長安に通じているということである。丁度そのように、お主らの日常茶飯の営み、一挙手一投足みな悟りの都、菩提に通じているぞ、油断するなよ! 特別殊勝げな事だけが道ではないぞ、と注意を与えたのである。くどくなるので、この辺で次に移るとしよう。
僧 趙州に問う。狗子に還って仏性有りや、也た無しや?州云く、家々の門前 長安に通ず。
或る僧の「狗子に還って仏性有りや、也た無しや」という問いに対し、趙州が「無」と応えた世にいう「趙州無字」の公案は、先きに(1)で見たところである。ところで、同じ問いに対して、趙州ここでは「無」とも「有」ともいわず、「家々の門前長安に通ず」と応えてすまして御座るが、これはいったいどういう肚であろうか。
「家々の門前 長安に通ず」とは、前則における「墻外底」と「大道 長安に通ず」とを一つにまとめたような文句で、「どの家の門前の小径もみな長安に通じている」ということである。「どの家の門前の小径もみな都長安の都に通じているように、万物の性はみな宇宙の大生命・如に通じており、それの現われでないものは無い」というのが趙州の肚だ、と解してよいであろう。しかし、それでは余りにも説きすぎて面白くないというなら、【箇々 無ャの長者子】と著語しておこう。「趙州無字」の公案を既に透過したもの、とりわけ旧参底はこの句をたよりに、趙州の肚をよく味わってみるがよい。
厳陽尊者 趙州に問うて云く、一物不将来の時如何?州云く、放下着。厳云く、一物既に不将来、箇のなにをか放下せん。州云く、いんもならば則ち担取し去れ。厳 言下に大悟す。
此の則、「趙州録」には【僧問う、一物不将来の時如何。師云く、放下着】とあるにすぎないが、それでは此の則の滋味が通じにくいので、「景徳伝燈録」の「厳陽尊者の章」を引用してここに掲げておいた。
ちなみに厳陽尊者は法諱を善信といい、法を趙州に嗣ぎ、厳陽山(江西省南昌府)中の新興院に住して活躍し、名声を博した僧で、一般に厳陽尊者とあがめられた。本則はその厳陽善信が趙州和尚の悪辣な扱いによって大悟した因縁で、「従容録」の第五十七則にも採られている有名な公案である。その厳陽、趙州の会下に永年修行した甲斐があって、六祖慧能のいわゆる「本来無一物」の境涯とはこういうものかと、自ら納得出来る悟境に達した。そこで得々と趙州に向って「一物不将来の時如何」という問いを提起した。
「一物不将来」とは、「一物も将ち来らず」ということで、迷いはもとより悟りをもきれいに捨て去り、本当の無一物になりきった境涯の謂いである。従って「一物不将来の時如何」というのは、「私はお蔭様で今や無一物の境涯に到達致しました。此上はどう身を処したら宜しいでしょうか」という程の意味である。これを聞いて趙州、「それは結構だ、目出度いことじゃ」とでもいうかと思いきや、いきなり「放下着」と突きはなした。「放下着」の「着」の一字は、「惺々着」のそれと同じく、「……せよ」という命令の意をあらわす添字であり、「放下着」とは「放下せよ。捨ててしまえ!」という意味である。しかし、ここで趙州はどこを看て「放下着」と言ったのであろうか。「お主らの工夫に待つ」と、儂も突きはなしたいところだが、敢えて第二義底に成りさがって解説すれば、次のようなことになろうか。
趙州和尚「一物不将来の時如何」と出て来た厳陽を一見して、「こやつ、まだ無一物になったことを意識しておるわい。その限り、本当の無一物ではない。又、無一物になったということを、他にひけらかしている所がある。僅かながら無一物の臭みが残り、それへの執着が見える」と看破して、それでは本当の一物不将来ではないというので、大慈悲から「放下着」と喝破されたのである。しかし、この時の厳陽には親切極まる和尚の肚が飲みこめなかったから「一物既に不将来、箇の什ゥをか放下せん」「私はつい今さっき申しました通り、すでに迷いも悟りも全て放下して無一物であります。和尚から放下してしまえと御注意を受けましたが、私にはもう捨てるべき物はもう何も御座いません。此上、何を捨てろとおっしゃるのですか」と理屈をこねて突っかかって来た。若い時はこうしたものじゃ。儂もかつてはそうじゃった……。そうしたら「州云く、恁ゥならば則ち担取し去れ」「そうか、それならば重くて肩も凝ろうが、どっさり背負っていくがよい」と、突きはなされた。この逆説法の「担取し去れ」の一語に触れて厳陽、思わず言下に大悟したというが、どう大悟したのか。これこそ旧参底の者はよーく工夫しておけ。
粗放な墨筆で竹箒を描いて、それに【掃ふべき埃も無しといふ奴を拂はんとする箒なりけり】と賛したお軸をどこかで拝見したことがある。ここに【拂べき埃も無しといふ奴】とは、まさに一物不将来を意識し、それをひけらかしている厳陽であり、「放下着」といい「担取去」という趙州の二語は、此の竹箒其物だといってよいだろう。なお、もう少し言葉を添えておこう。
日本曹洞宗の宗祖、道元禅師は「道人は須らく身心脱落、脱落身心たるべし」と示しておられる。ここにいう「身心脱落」とは、迷悟の一切を放下し、一切の束縛から脱却すること、いわゆる解脱することじゃ。しかし、仏道の修行は解脱で終るのではない。解脱すると今度は自分は無一物になった、解脱したというホンの僅かながらの意識が残る。その解脱から更に解脱すること、それが「脱落身心」である。本則はまさにその【身心脱落 脱落身心】の消息を識得する恰好の一則である。この一則を本当によく味わい我がものとして、【物持たぬ袂は軽し夕涼み】と遊戯したいものである。
僧云く、久しく趙州の石橋 と嚮う、到来すれば只だ掠彴(しゃく)子を見るのみ。州云く、汝 只だ掠彴子を見て、趙州の石橋を見ず。僧云く、如何なるか是れ石橋?州云く、驢を渡し馬を渡す。
本則を講ずるに先立って、文字の意味を説明しておこう。流布本には「石橋と響く」とあり、「その名が聞こえている。有名である」という意味にとられているが、禅文学研究家の入矢義高氏は、ここは「響」ではなく「嚮」であり、「慕いあこがれる」という意味だと主張しておられる。成程そうだと思うので、それに従うことにした。「石橋」は「せっきょう」と読まず「しゃくきょう」と読むならわしになっており、趙州城郊外にある趙州の石橋は、天台の石橋・南嶽の石橋と共に、古来、天下の三大石橋と称されて有名であった。又「掠 彴子」とあるが、これはいわゆる丸木橋のことである。
或る時、一人の坊さんが身の程も知らず、天下の大和尚老趙州に向って、「久しく趙州の石橋と嚮う。到来すれば、只だ掠q子を見るのみ」とチョッカイを掛けて来た。表面の意味は、「趙州の石橋は天下の三大石橋の一つだと有名なので、前々から是非一度は見たいものだとあこがれていた。しかし実際に来てみれば、何のこったい、丸木橋同然の貧弱な橋にすぎんではないか」ということである。これは、石橋にことよせて、趙州和尚こそは、天下の大和尚だと長年慕いあこがれていたが、実際にお目にかかって見れば、なーんだ、平凡極まる只だの皺くちゃ爺さんにすぎぬじゃないか。【来て見れ ばさほどでもなし富士の山】じゃわい。
と、よく有る問答の型のままに、趙州をからかったのである。これに対して趙州些しも騒がず「汝 只だ掠彴子を見て、趙州の石橋を見ず」と、これ亦問答の型通りに応じた。表面の意味は「お主の目玉が豆粒のように小さく、その視野が狭く、その識見が低いものだから、この大きな石橋が目に入らず、丸木橋にしか見えぬのじゃ」ということである。西洋の諺に【奴隷の眼中に英雄無し】というのがあるが、実際、人間は自分の教養や見識の程度にしか他人の偉さや大きさが見えないものです。「お主の境涯が低いものだから、本当の趙州が拝めないのじゃ」ということを裏にこめていることは、諸士にも察しがつくだろう。
趙州から「汝 只だ掠彴子を見て、趙州の石橋を見ず」とピシャリとたしなめられて、この僧「如何なるか是れ石橋?」と問わされる破目になった。こう問わせておいて、趙州やおら「驢を渡し馬を渡す」と、すまして応えられた。まさに「口唇皮子上に光を放つ」と称された老趙州の面目躍如たる扱いで、全く脱帽するほかはない。それにしても「渡驢渡馬」とは、どういうことであろうか。
この「驢を渡し、馬を渡す」という一語は、「お主、趙州の石橋の真面目を拝みたいというか、それならトックリ拝ませてやろう」という肚から、些しもたくまずコロコロと流れ出て来たもので、それを敢えて敷衍すれば
石橋の実際を見て御覧!橋は往来する者を選り好みせず、王侯貴人であろうと乞食泥棒であろうと、こやし桶を載せた車であれ、馬であろうと驢馬であろうと、何でも渡している。汚され踏みつけられながらも不平も言わず、「縁の下の力持ち」然と黙って皆を渡している。お主のような未熟な坊主も渡してござる。
というようなことにもなろうか。しかも趙州はこの話に託して、本当の宗教家、生き仏の相と用とを暗に説いているのである。
頼まれもしないのに自分から身を挺して橋や船となり、踏みつけられたり汚されたりしながらも些しも気にかけず、一切の衆生を迷いの此岸から悟りの彼岸へ渡そうとするお節介焼き、それこそが本当の宗教家である。骨折り損のくたびれもうけと百も承知の上で、縁の下の力持ちをケロリカンとして行じていく、それが真の生き仏というものである。「驢を渡し馬を渡す」という、このさりげない一語に合掌し、それを通じて真の宗教家の相、更には趙州従K大和尚の真面目の一端をも拝みえたら、「わしの境涯も少しは向上した」と自惚れてよかろう。どうじゃ、拝めましたかな。
僧 趙州に問う、至道無難、唯嫌揀擇。如何なるか是れ不揀擇?州云く、天上天下唯我独尊。僧云く、此れは猶お是れ揀擇。州云く、田庫奴!いずれの処か是れ揀擇?僧、無語。
本則は「碧巌録」の第五十七則に採られておるもので、既に二回も講じたことがあるので、ザーッと講ずるつもりだったが、この席には若い者も多いので、まあ一通り講ずることにしよう。なお、「趙州録」の文章は少々ちがうが、「碧巌録」のそれの方が分りよいので、それにしておく。本則の主題の「至道無難 唯嫌揀擇 纔無憎愛 洞然明白」は、いうまでもなく三祖僧さんの著「信心銘」の冒頭の四句である。そしてその大意は、人間の践み行うべき至極の大道というものは、下手に揀擇すなわち選り好みして小細工したり、憎愛の念を抱いて執着したりさえしなければ、決して難しいものではなく、カラリーッとして極めて明白なものである。
ということである。確かにその通りだが、問題は先ず「至道」の端的をわがものとすることである。肚の掃除をして真空無相の実境涯を身につけることであるが、その為には実際に「至道無難」の則に参じて、これを透過する以外に術はないから、この句の解説はこれで打ちきっておく。
それはそうと一人の僧が、この「至道無難 唯嫌揀擇」をかつぎ出して、趙州に向って「如何なるか是れ不揀擇?」「揀擇しないとはどういうことでしょうか?どうしたら不揀擇の処が手に入るでしょうか?」と尋ねた。これは誰しも聞きたい、一応尤もな問いである。そしたら趙州、「天上天下唯我独尊」とこれに応じた。この語は一般には、釈尊が誕生するとすぐ周行七歩して、一指は天を、一指は地を指して宣された語として知られている。どうでもよい事ともいえるが、これは事実ではない。釈尊が開悟成道して鹿野苑の大説法会に赴く途中で、一人の外道に「どんな悟りを得られたか」と訊かれた時の答えだ、というのが事実である。しかし、こうした事実の吟味や、「天上天下唯我独尊」の真意の吟味は今は暫く棚上げにしておこう。ここで肝心なことは、「如何なるか是れ不揀擇?」という僧の問いに対して、趙州はどこをにらんで「天上天下……」と答えたのかということである。洞然の私見を敢えて披瀝して、旧参の上士更には天下の識者のご批判を仰ぐことにしよう。といって、その私見それほど力むほどのものでもない。
お主、不揀擇とは如何なる処か、それを知りたい、そこに到りたいというか。それなら教えてやろう。不揀択の処とは肚に一物もない真空無相な場であり、真空無相の場とは天上天下唯我独尊と嘯ぶく境涯である。だから、不揀擇の場に到りたいというなら、何よりも天上天下唯我独尊と、淡々と嘯きうる境涯を我がものとしなされ。
これが趙州がここで「天上天下……」と言った肚だと私は見ている。ここでいう「天上天下唯我独尊」は、開悟したばかりの連中のうそぶくあれではなく、釈尊が「我れ法王となって法に於いて自在なり」と自負した「法王」、趙州が「他は十二時に使われ、我は十二時を使う」といった万物の主人公の境涯である。まさに独脱無依の自由人、真空無相の布袋和尚の境涯である。すでにこの境涯に到れば、今更、特に嫌悪すべきものもなく、又、愛着すべきものとても無い筈である。そしてこの真空無相のきれいな肚から、美しいものは美しい、醜いものは醜いと見、うまい物はうまい、まずい物はまずいと味わって、しかもそれに執着することなく、文字通り【聖朝に棄物無し】【一法の嫌うべき底無し】と生きること、それこそが「至道無難 唯嫌揀擇 纔無憎愛 洞然明白」の真義であるのじゃ。
この僧、趙州の「天上天下唯我独尊」の一語に触れてハッと気づき、礼拝出来れば一人前であったが、まだ未熟であった。実はこの僧、最初から生意気にも和尚にかみついてやろうという下心があったのである。「趙州録」にも「碧巌録」にも出ているが、趙州これより先き、会下の大衆に対して「至道無難 唯嫌揀擇 纔かに語言有れば 是れ揀擇というものじゃ」と示されたことがあった。この僧、この示衆を種にして、和尚に「至道無難……」を尋ね、和尚が一言半句、ウンとでもスンとでも言ったら「和尚、それは揀擇というものじゃありませんか。和尚の先きの示衆と撞着しますぞ」と突っかかり、和尚をとっちめてやろうと前から計画していたのである。そして和尚が「天上天下唯我独尊」と語言にわたったものだから、この僧、趙州の折角のお示しの肚が分らず、しめたとばかり「此は猶お是れ揀擇」と得意になって吐かした。全く生兵法の青坊主だ。果然、趙州、「田庫奴!なんの処か是れ揀擇?」「この馬鹿者!儂のどこがいったい揀擇じゃ」と怖しい権幕である。しかし、この「田庫奴!」を単に叱責の語と受けとったのでは、見方が浅い。ここで「至道無難・・・」の実際の発現を拝んでこそ、趙州和尚に本当に相見できたというものである。〔老師、一座を見わたして〕どうじゃ、拝めたか?更に参ぜよ、三十年! 今晩はここまで。
趙州 二新到に問う、上座 曾て此間に到るや否や?云く、曾て到らず。州云く、喫茶去。又、那の一人に問う、曾て此間に到るや否や?云く、曾て到る。州云く、喫茶去。院主問う、和尚、曾て到らず、彼をして喫茶し去らしむるは且らく置く。曾て到る、什ゥとしてか彼をして喫茶し去らしむ?州云く、院主よ。院主応諾す。州云く、喫茶去。
これが古来有名な「趙州喫茶去」の一則である。しかし有名な割合には、殆んどその宗旨が明らかにされておらないので、提唱というよりは調べるという態度で私釈を披露し、将来の研究の捨石にしたいと思う。先ず文字の意味から調べて行こう。「新到」とは新参や新入りというも同じで、新たに禅寺に掛塔した僧のことであり、「上座」とは僧の尊称であるし、「此間」とはここ、この寺という程の意味である。「院主」とは、寺院の事務や経済面の一切を主宰する僧のことで、監院や監寺ともよばれる。事務多端のため修行の方がとかくおろそかになり、それだけに道眼・道力がやや劣るのがならいであり、ここに登場する院主も亦その類である。次にこの則で一番の問題は「喫茶去」の意味である。従来、この語はあっさりと「お茶をおあがり、お茶でもおあがり」という意味に解されて来ているが、これに対して古賀英彦氏編著の「禅語辞典」は
茶を飲んでこい。お茶を飲みに行け。茶堂(茶寮)へ行って茶を飲んでから出直してこいという意。「まあ、お茶を一杯お上り」(且坐喫茶)という意味ではない。
と新説を出しておる。しかし、こう解釈すると、この「趙州喫茶去」の一則の宗旨がいよいよ分らなくなる。厳密に語学上からいえば古賀氏の説の通りかも知れないが、この「去」を例えば「洗鉢盂去」の「去」と同じように、単に軽い命令の意味を表わす助字と見て、矢張り従来通り「お茶をお上り」の意味に私は解しておきたいと考えている。さて以上の事を念頭において、本則をたどって見よう。
趙州和尚の観音院に新到が二人やって来て趙州に相見した。そこで趙州がその一人に「上座よ、お主は以前にこの観音院に来たことがあるかね」と尋ねたら、その僧「今回が初めてです」という返事。趙州これを聞いて「お茶をお上り」と応じ、次に別な僧にも同じことを尋ねた。そしたらこの僧「曾て到る」「前に参ったことが有りますよ」という答え。趙州この答えに接し同じく「お茶をお上り」と拶せられた。丁度その時、事務主管の院主も何かの用でその相見の席に居ったと見える。趙州がどういう肚から同じく「喫茶去」と言ったかが分らず、全くの新到に「お茶をお上り」とお茶を飲ませるのは未だ分りますが、前に来たことの有る僧をも同じように扱われるのは、拙僧にはいささか解しかねます。
と口をはさんだ。すると趙州和尚何思ったか、「院主さんや」と喚びかけられた。そこで院主「はい」と返事すると、その途端に「あんたもお茶をお上り」とサラリと応じたという。これが「趙州喫茶去」の経緯であるが、趙州がそれぞれ修行歴のちがう三者に対し同じように「喫茶去」と言ったのはどういう肚からであろうか、これがこの則の工夫すべき眼目である。列座の諸士はそこをどう工夫して、この講座に臨まれたか?それには色々な解釈があるようである。その一つはこうじゃ。【日常茶飯事】という言葉があるが、茶を喫することは飯を食うこととならんで、最も日常的で平凡なことである。しかし、この日常底を離れて別に修行は無い、それは修行歴の長短や境涯の高低に関係なく万人に通ずるものである。その事に気づかせようというのが、趙州が三者に同じように「喫茶去」と言った肚だとみるのが、一つの解釈である。そして趙州が「お茶をお上り」といって差出したお茶の頂きようで、その僧の境涯を見ようとしたとも解釈される。諸士だったらどう頂くか?お茶の作法を心得ていたら、その作法にしたがって和尚の好意を有難く頂戴すればよい。もし作法を心得ていなければ、下手に辞退したり堅くならず、感謝の心をこめて有難く頂き、「おいしうございました」と一言挨拶出来たら、まあ一応合格じゃ。次ぎに第二の解釈として私見を披瀝しておこう。
前の(13)の「鉢盂を洗い去れ」の則を想い起して御覧。あの則で趙州が相見に出て来た僧に「喫粥了や未だしや」と問うたが、これは単に「飯を食べてきたか」を問うたのではなく、裏に「お主、悟りを開いて来たのかどうか」という意味をこめているのだということを注意しておいた筈。丁度それと同じように「汝 曾て此間に到るや」は、「前にここに来たことが有るか」というその裏に、「お主は禅の初関を透過して来ているのか、どうじゃ。禅の初関を透らぬうちは門外漢であり、わが門内の人、此間に入った人とはいえぬが、その点どうじゃ」という問いを含ませているのである。「此間に到る」を私はこういう意味に深めて解釈しておきたい。そして又、「喫茶去」と、お茶を差出して「サァお上り」というのは、単にそれだけのことではなく「お茶を喫するそやつ、何物ぞ」と注意しているのである。その辺のことは、ほう居士と馬祖との例の「一口に吸尽す、西江の水」の則(「瓦筌集」第52)あたりを見たものなら、成程と肯けよう。
従って最初の「曾て此間に到らざる」僧は未だ見性入理の初関を透らない僧であり、趙州は「茶を喫する底のそやつ、何者ぞ」と注意しているのである。次に「曾て到る」の僧は、一応見性入理の関門を透り、悟後の修行に努めている僧であり、趙州「茶を喫するお主と同行二人底のそやつを、いよいよ健全に育てなされ」という肚を、「喫茶去」の三字に託したのである。そして最後の院主に対する「喫茶去」は、「院主さんや、お主は修行歴は随分長いが、お主の本来の面目はどうも寝呆けているようじゃ、儂のお茶でも飲んで、はっきりと目をさまさせなされ」という位の皮肉をこめたものと見たら、趙州の肚にかなうのでなかろうか。
なお、この席には【金牛和尚、斎時に到る毎に、自ら飯桶を持って僧堂の前に於いて舞を作し、呵々大笑して云く、菩薩子! 喫飯来!】という有名な「金牛作舞」の則をすでに透過した者もあろうが、金牛のこの「喫飯来」と趙州の「喫茶去」と、その肚は是れ同か別か、大いに工夫してみるがよろしい。
趙州 僧に問う、堂中に還って祖師有りや、也た無しや?僧云く、有り!州云く、喚び来れ!老僧がために洗脚せしめん。
趙州和尚、或る時、講座台上から列座の大衆に向って、「堂中に還って祖師有りや、也た無しや?」と喚びかけた。「祖師」とは、一般には、一宗一派を開いた人即ち開祖とか宗祖とかのことである。しかし禅では「祖師再来の意」で察せられるように、中国禅宗の初祖達磨大師を指すことになっておる。従って、趙州のこの大衆への問いは、「この中に達磨は居るか、居らぬか」ということだが、無論、歴史上の達磨大師の存否を問うているのではない。「我こそは達磨の再来じゃと、自信をもって言いうるもの有りや?」ということである。そうしたら気のきいた僧がおって、「ハーイ、ござります」と元気のよい返事である。そしたら趙州和尚「喚び来れ!老僧がために洗脚せしめん」「そうか居るか、居るならその達磨を儂の面前に喚んで来い。儂の脚を洗わせてやろう」と大変な権幕である。といって、これは何も理由も無しに、大見得切って威張っているのではない。
これにつけて思い出されるのは、「碧巌録」第1則、達磨大師の「廓然無聖」の則に添えた頌の末尾で、雪竇重顕が「左右を顧視して」「這裏 還って祖師有りや?(自ら云く)有り、喚び来れ 老僧がために洗脚せしめん」と、趙州の語をそのまま我がものとして引いて、その頌を結んでいることである。趙州は無論のこと雪竇は夜郎自大で大言壮語しているのではない。いやしくも本当に悟った禅者ならば【前に釈迦無く、後えに弥勒無し】といい、【威は毘廬の頂上を踏む】という見識と気概とを持ておるべきであり、趙州も雪竇もここに毅然として立っているのである。お互いもまたこれだけの見識と自信とを持っていなければならない。趙州和尚が「喚び来れ! 老僧がために洗脚せしめん」と大見得を切ったその場に、もし儂が居合わしたとしたら、ズズズーッと和尚の前に進み出て、「サァ、洗って差上げましょう」と、持って行った盥の水をザブリと和尚の頭からぶっかけてやるだろう。そしたら和尚も「我が意を得たり」と呵々大笑なされることであろう。〔老師呵々大笑して下座なさる〕
趙州 行脚の時、一尊宿の院に到り、纔かに門に入り相見して便ち云く、在りや、在りや?と。尊宿 拳頭を竪起す。州 水浅うして是れ船を泊むる処に非ずと、云って便ち出て去る。又、一院に到り、尊宿に見え便ち云く、在りや、在りやと。尊宿も亦た拳頭を竪起す。州 能縦能奪、能殺能活と云って便ち作礼す。
これはわが教団においては「竪起拳頭」と題して「瓦筌集」の第67則に収録し、初心者に必ず見せることにしている公案の一つである。すでに公案であるから余りくどくならず、見解に触れない程度で、この則の工夫の眼目だけを説いておこう。既にこの則を見た者も相当居る筈だが、この提唱を聴いてよく反芻し玩味するがよい。
趙州和尚は80歳まで諸方を行脚し、それから120歳まで化を挙げたといわれているが、その行脚の時、一尊宿の住持している寺院を訪れた。そして門に入り尊宿にお目にかかるとすぐ、彼がそこに坐っておるのを現に見ておりながら「在りや、在りや」「主人公が健在でござるかな」と問いかけた。すると、その尊宿黙って「拳頭を竪起」、拳をスーッと空っ立てたというが、これはいったいどういう肚であろうか。この竪起した拳、これ何の消息か、これ白隠和尚の「隻手音声」と同か別か?これを見て趙州「水浅うして是れ船を泊むる処にあらず」と言って、そのまま院から出て行ってしまったというが、これ亦たどういう肚からであろうか。この「水浅うして是れ船を泊むる処にあらず」とは、「お主の見所ないし境涯は浅薄であって、儂が脚を止めるには不足じゃ」と非難したようにもとれるが、そう見るのは大変な見損いである。この尊者の拳を竪起した場は、天魔外道はもとより、仏祖と雖も覗き見も出来ない処じゃ。〔老師、笏をズイと拈じ出される〕。だから、流石の趙州も「オーッ、怖や、怖や」と、その場を出て行ったのである。
趙州は其後また別な一院を訪れ、前と同じように「在りや、在りや」と尋ねたら、ここの「尊宿も亦た拳頭を竪起」した。すると趙州、前の場合とは全く違い、「能縦能奪、能殺能活と云って便ち作礼」したというのである。「能くゆるし、能く奪い、能く殺し、能く活かすで、与奪縦横・殺活自在でまことに見事な働きじゃ」と讃嘆し、うやうやしく礼拝したというのであるが、第二の尊宿は拳をいったいどのように竪起したのであろうか。ここが本則の工夫のしどころである。これ以上は、実際にこの公案に参じ、透過して納得するほかははいが、眉鬚堕落を恐れず敢えてその法理を説けば、前者は文殊菩薩が金剛王宝劍を按じ黒獅子に騎って登場した場合、いわば把住・殺人劍の場である。これに対して後者の竪起拳頭は、差別の妙智の普賢菩薩が白象に騎って悠然と出現ましました場、いわゆる放行・活人劍の場である。しかも、この両者のはたらきを一人格の内に統合し、それが臨機応変に流露してこそ、まことの禅者というものである。諸士もそこを目ざして修行に更にはげむように。
僧 趙州の真を写して州に呈す。州云く、若し老僧に似ば、即ち我を打殺せよ。若し似ずんば、即ち焼却せよ。僧 対無し。玄覚代って云く、留取して供養せんと。
「僧 趙州の真を写して州に呈す」とあるが、「真を写す」とは、絵師に依頼して肖像画を描かせることである。唐代の仏教界とりわけ禅僧社会では、絵師に頼んで師匠の肖像画、いわゆる頂相を描かせて、これを師匠に呈し、これに師匠の自賛の偈や法語を揮毫してもらい、これを嗣法の証拠として珍重する風習が行われていた。余談になるが、この風習は宋代から元代に入って愈々盛んになり、禅宗の伝来と共にわが国にも伝わって、頂相制作が流行し、その遺作が多く現存している。それはさておき、この頂相の流行と、それをもって伝法や嗣法の証拠とすることに対し、趙州は、日頃、不快の思いを抱いていたものと思われる。
趙州のそうした思いを知ってか知らずにか、弟子の一人の僧が趙州和尚の肖像画を描かせて彼の御覧に入れ、「何卒、自賛の偈を図上に揮毫して頂きたい」と願い出た。すると趙州、ジロリとその僧を見た上で、
この肖像画が、もし儂にソックリ似ているというならば、この肖像画に参禅したらよかろう。とすれば、この儂はもう無用の存在ということになるから、儂を打殺したらよかろう。又もし似ていないというならば、そんな肖像画、屁の役にも立たない、サッサと焼いてしまえ!
と、いつになくはげしい口調で言われた。相当な皮肉と諷刺のこめられた言葉で、まことに思わず鳥肌のたつ思いを禁じえない。こういわれて、「僧 対無し」で、この僧、一言も返答が出来ず、黙って退くほかはなかったという。そこで玄覚という僧が、「儂がその場に居合わせたら、焼くのは勿体ない。大事に保存して、和尚の帰寂後、これに供養しましょう、と言ったものを」と言っておる。これは「無語」よりは些しはましだが、趙州はこれを肯うまい。ともあれ、禅の真理は単なる抽象的な真理ではない。生きた人間に荷担され、その人格ないし個性を通じて発露する真理である。趙州の禅は従ねんいう人間、切れば血の出る生きた彼の肉体を離れて別に存在するものではない。ところで肖像画はいかに精巧に描かれても、それはついに肖像画にすぎず、生きて働く本人と較べれば、二束三文の値打ちもない。
なお、ここで肖像画というものについて、一言触れておきたい。肖像画というものは、一般には顔貌や外見が像主に似ているのをもってよしとされるが、それだけでは上乗の肖像画ではない。像主の性格や境涯などの内面の真実をよく表現し、【これはよく似た、本人よりもよく似た】といわれてこそ、本当の肖像画の名に値いするのである。しかもそれほどの上乗の肖像画でも、それはついに飯も食わず糞も垂れない単なる肖像画にすぎない。そしてその点は、今日の写真はいう迄もなく、著書や録音テープもまた同じである。趙州の禅は、趙州の生きた人格を離れて別にないように、洞然の禅は煩悩具足のこの洞然の肉体を離れてはない。しかもその肉体、あと何年もつか、そう長いものではない。諸士がこの事を深く肝に銘じ、一期一会の思いを新たにして修行に励むように、呉々も望んでおく。
劉相公 院に入って、趙州の地を掃くを見て問う、大善知識 什もとしてか却って塵を掃く?州云く、外より来ればなり。
劉相公、劉某という大臣但し伝記は不明――が趙州の観音院を訪ねて来た。すると趙州が自ら境内の庭掃除をやっていた。これを見て、その大臣が「大善知識 什ゥとしてか却って塵を掃く?」「老師のような大善知識が、どうして庭掃除をなされるのですか」と問うた。この問い、表面上は、「庭掃除などの作務は、会下の大衆がするものとばかり思っておりましたのに、和尚ほどのお偉い方が自らなさるとは恐れ入りました」と、敬服するような口吻を示しながら、その裏には
和尚のような大善知識には、もはや拂うべき塵・煩悩などは一片も無いものとばかり思っておりましたのに、未だ掃き捨てるべき塵があったのですか。これは見そこないました。
という皮肉なチョッカイがこめられているのである。これに対して趙州何と答えるかと思いきや、この大臣の肚を即座に看破して、「外より来ればなり」「外から飛んでくるんでのう。お主のような奴が外から舞いこんで来るからさ」とサラリと応じてすましてござったという。口唇皮子上に光を放つ、と称された趙州の真面目のよく出ている挨拶で、全く脱帽のほかはない。但し、これを単に口達者と見たら大間違い。肚の掃除が行き届いていて、肚に一物も無いから、こういうすばらしい応答がスラリと出てくるのである。 次にこの扱いとよく似た一則を挙げておこう。
崔郎中、趙州に問う、大善知識、還って地獄に入るや、也た無しや?州云く、老僧 末上に入る。崔云く、既に是れ大善知識、什んとしてか地獄に入る?州云く、老僧若し入らずんば、争でか郎中に見ゆることを得んや。(阿誰か汝を教化せん)
本則の宗旨を説くに先立って、文字の意味を明らかにしておこう。先づ崔郎中について。唐の中央官庁の中でも一段と大きな権限をもっていたのは、詔勅の事を司る尚書省で、その尚書省に局に当るものが二十四あって、その局長を郎中と称した。ここに出てくる「崔郎中」というのは、崔という姓をもつその郎中のことで、日本でいえば斎藤局長とかいうような役人のことで、この人物、趙州の会下にあって彼に参じていた。但しその境涯はまだ低いものであったようである。次に、「大善知識」とは、前の則にもあったが、要は人間の迷いの根本である貪欲・瞋恚・愚痴の三毒を超克し、それらに動かされることのない人物、いわば大修行底の人、仏祖の境涯に体達した禅者のことである。
或る時、趙州の会下にあった崔某という役人が、師の趙州に向って、「大善知識、還って地獄に入るや、也た無しや?」と問うた。「既に貪・瞋・痴の三毒を超克した大修行底の人は、いったい地獄に堕ちるものでしょうか、どうでしょうか」と問うた。崔郎中、内心では、「堕ちない!」という返答を豫期していたのである。ここで「地獄」ないし「六道」というものについて、法話めくが解説しておこう。
人間をはじめ動物には、その根源的な性として貪欲がある。飯をいくら食っても食いたりない、金をいくら貯めてもまだ欲しい‥‥、しかもそれを独り占めにして他にやるまいとする性のことで、この貪欲に引きずり引んまわされている境涯、それを餓鬼というのである。又、人間には勿論、犬や猫にも自らの財産や権限を犯すものに対して猛然といかり、憎みこれと争う心が有る。これを瞋恚というが、この瞋恚に身心を焼いている境涯を修羅というのである。次に愚痴(癡)とは「無明」と同じで、人間でありながら、人間として践み行うべき道や道理を知らず、牛馬や犬猫と変らず本能のおもむくままに行動することで、この愚痴に引きずりまわされている境涯、それを畜生というのである。そしてこの貪欲・瞋恚・愚痴の三毒が一度に燃えあがっている状態、餓鬼・修羅・畜生の境涯に一度に堕ちこんでいる境涯、それを地獄というのである。地獄は決して死後の世界にあるのでもなく、地底深くに存在するのでもない。まあ、それはそうとして本筋に戻ろう。
大善知識とは、先にも説いたように、貪・瞋・痴の三毒を超克し、それに動かされることのない人物のことなのだから、その大善知識・大修行底の人は、勿論、地獄に堕ちる筈は無いという肚で、この崔郎中「大善知識、還って地獄に入るや、也た無しや」と、問うたのである。ところが、どうだ、趙州から「老僧 末上に入る」と返って来たから、驚いたのなんの‥‥。「末上」とは真っ先きにとか、誰よりも早くいの一番にという意味である。「老僧、末上に入る」とは「儂は誰よりも早く、真っ先きに入る」ということである。崔郎中、案に反したこの返答を聞いてびっくり仰天、「既に是れ大善知識、なんとしてか地獄に入る」と思わず反問した。地獄に入るのは悪業の報いだという考えに立てば、これは当然の疑問であるが、諸士は下読みの時、ここを読んだか?趙州ほどの大和尚が「儂が、真っ先に入る」と言ったのは、どういう肚からであろうか。これが本則の眼目であるが、そこをどう読んでこの講座に列したか?およそ大乗の菩薩の誓願は、一つは自己の人格を完成し自らの幸福を求めること、他の一つは世の為め人の為めに働き、衆生の済度に当たることで、自利・利他円満こそはお互いの修行の目標である。ところで、その衆生の住んでおる現実の世界、いわゆる娑婆世界の実情はどうじゃ。お互いに貪りあって争いあい、だましあい、人の道に反したことをやって平然とし、喧嘩して刃傷しあい、殺しあっている、まさに貪瞋痴の三毒の一斉に燃えさかる、文字通りの地獄の世界である。この地獄の海に溺れかけている衆生を救うには、自分が安全な場所に居て、ただ「こっちへ来い」と叫んでいたのでは駄目じゃ。こちらから、いわゆる【和泥合水】で、その地獄の世界へ身を挺してとびこんで行かねば、到底救えるものではない。趙州が崔郎中の問いに対して、「老僧、末上に入る」と言ったのは、まさにこの肚からである。そして崔郎中の再度の問いに対し「老僧、若し入らずんば、爭でか郎中に見ゆることを得んや」「若し儂が地獄に入って行かなければ、崔郎中よ、あんたのような迷える衆生にあうことは出来ないじゃないか」といったのは、その肚をやや諧謔的というか皮肉まじりに表現したのである。その後に括弧して「阿誰か、汝を教化せん」と補っておいたが、これは「儂が地獄に入って行かなければ、誰がいったいお主のような迷える衆生を教化するというのか」ということで、これで趙州の肚が一段とよく分ったろう。
なお、大善知識ではないお互いとても、いやしくも大乗禅の禅者たる者は、自分の境涯相応に衆生済度に乗り出し、時と場合とによっては地獄へも身を挺して入って行かねばならない。しかし衆生済度に当ろうという熱意はよいが、【非力の菩薩、人を救わんとして溺る】では困る。自己の力を十分に養っておかねばならぬ。とりわけ、ミイラ取りがミイラになったのでは元も子もない。【色境に入って色惑を蒙らず、声境に入って声惑を蒙らず】というように、自己を鍛練しておかないと、色惑・声惑・香惑の渦まく地獄に入ったとて衆生が救えるものではない。ミイラ取りがミイラになってしまうのが落ちである。餓鬼・修羅・畜生の世界、それらを合せた地獄に入ろうと、あたかも【火裏の蓮花】のように色香うたた鮮やかになるように、自己をしっかりと鍛練しておくことだ。そして、その自己を鍛練し実力をつける場、それがこの摂心会である。それも残り一日、しっかり骨折れ。
僧 趙州に問う、初生の孩子、還って六識を具するや、也た無しや?州云く、急水上に毬 子を打す。僧 復た投子に問う、急水上に毬子を打すの意旨如何?投子云く、念々不停流。
この則は「碧巌録」の第80則に採られており、既に2回も講じており、わが教団でも「瓦筌集」の第148則に「孩子六識」の名で収められ、重要な公案の一つとして扱われている。そのようなわけであるから、ザーッと講ずるに止めておこう。先ず文字の意味から説いておこう。この僧の問うた「初生の孩子」とは、生れたばかりの赤ん坊のことである。「六識」を説くには、面倒だが大乗仏教の認識論を一通り説かねばなるまい。われわれ人間には、外界の刺激を受ける機関として眼耳鼻舌身意が有り、これを六根といい、六根に対してそれぞれ色声香味触法が有り、これを六境ということは、「般若心経」を講じた時に、既に触れておいた通りじゃ。しかし、この六根と六境だけでは認識は完成しない。この二つに加え、これは赤い、これは白い、これは美しい、これは醜いと分別し判断する働き、即ち眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識が統合して、はじめて事物の認識が成立するというのが、仏教の認識論の骨子である。
ところで、この僧、趙州に向っての問いは、表面上は「生まれたての赤ん坊に眼や耳などの有ることは見れば分ります。又、色声香味触法などの六境のあることも、今更疑問の余地は有りません。しかし赤ん坊には、それらの感覚をまとめて分別し、更に判断する能力、いわゆる六識が有るでしょうか」と問うたものであるが、この問いは無論そのような幼年心理学上の問題を問うているのではない。では、それはこれに託して何を問うているのであろうか。
およそ禅の修行は、毎度申す通り、迷いを転じて悟りを開き、更に悟後の修行を積んで悟りを深め高めて行くが、しかし最後にはその悟りをも忘れた迷悟両忘・悟了同未悟の境涯に到ることを目標とするものである。そしてこの悟りに悟りぬいて到達した、【愚の如く、魯の如き境涯】いわゆる大愚の境涯を、その天真爛漫さ・無邪気さに着目して【初生の孩子の境涯】とか【た(口+多)々わ(口+和)々】の境涯ともいうのである。それは別に、「証道歌」にいう【絶学無為の閑道人】の境涯といってもよい。従って「初生の孩子、還って六識を具するや、也た無しや」というこの問いは、実は
迷悟両忘の大愚の境涯、愚の如く魯の如き大愚の境涯に達した人物、まことに赤ん坊のように無邪気で天真爛漫であり、時にはすっかり呆けたようにも見えるあの布袋和尚に、いったい六識が有るのか、どうか?
という問いなのである。こう問われて趙州は何と答えたか。直接に有るだの無いだのと答えず、「急水上に毬子を打す」と答えたが、これはどういう消息を語っているのであろうか。
ここにいう「急水」とは、しぶきを揚げて流れる浅い激流のことではない。私の郷里の最上川や、この道場の近くを流れる石狩川のように、底が深いので一見流れていないように見えて、しかも死水ではなく、逆にスーッと音もなく流れている急流のことである。又、「毬子を打す」とは手毬をつくことではなく、手毬をその急流に投げこむことである。流れない死水に投げこめば、手毬はいつまでも水面上に浮いているが、流れないように見えてしかも速いスピードで流れている急水に投げこめば、その毬は一瞬にして流れに呑まれて影を没してしまう。迷悟両忘の大愚の境涯の人というものは、愚の如く魯の如くで痴呆の人にも似て、いわば死水のように見えるが、実際はあたかもこの急水の如きもので正念がいきいきと相続しており、はたから雑念の毬子が投げこまれても、それをすぐ正念化してしまう。「初生の孩子」にもたとえるべき無心、無邪気の境涯の人、たとえば布袋さんは、立派に六識を具し、美しいものは美しい、甘いものは甘いと正受しながら、しかもそれに些しも執着することはなく、それを正念化してしまう、ということを、趙州は「急水上に毬子を打す」と比喩的に表現したのである。世間には【絶学無為の閑道人】などというと、すっかり枯れきって六識も無くなった痴呆の人と思う人もあるらしいが、それはとんでもない誤解である。迷悟両忘の境涯を、もしそのように理解していたとしたら、この「急水上に毬子を打す」の一句で、是非その誤まりを正してもらいたいものである。
ところで、問話の坊さん、趙州の折角の親切なこの語の真意が分らなかった。そこで趙州の親しい友人、文字通りの知己であった投子大同和尚を訪ねた折りに、趙州との問答の経緯を語り、「〈急水上に毬子を打す〉と趙州和尚が応じられたが、それはどういう意旨でござりましょうか、何卒それを解説して下され」と投子に頼んだ。そしたら投子和尚、ただ一言「念々不停流――念々、停らず流れる」と答えられた。だが、この「念々不停流」とはどういうことであり、どこで「六識を具するや、也た無しや」に答えているのであろうか。ここまで言えば、お主らにもほぼ見当がつくであろう。「初生の孩子」の境涯まですりあげた人と雖も、それは木仏でも金仏でもない、生きた人間であり、心は絶えずいきいきと流れ、六識は流れて停らずである。死物ではないから念々流れて停まることはないが、その念々は皆正念であるということ、【念々正念・歩々如是】であり、【清流間断無し】というように、正念が一貫相続して不断にいきいきと流れているということである。臨済義玄禅師は【心々不異なる、これを活祖と名づく】と言っておられるが、「急水上に毬子を打し」「念々不停流」なる「初生の孩子」の境涯の人は、まさにその「活祖」にほかならないのである。人間と生まれた生き甲斐に、ぜひそこまで到達したい、一歩でも半歩でも近づきたいものである。
 
五灯会元(ごとうえげん)
中国南宋代に成立した禅宗の灯史である。1252年、大川普済撰、20巻。「五灯録」と総称される、
1.「景徳伝灯録」/景徳傳燈録(けいとくでんとうろく、新字表記:景徳伝灯録、全30巻)は、中国・北宋代に道原によって編纂された禅宗を代表する燈史である。過去七仏から天台徳韶門下に至る禅僧その他僧侶の伝記を収録している。多くの禅僧の伝記を収録しているため、俗に「1,700人の公案」と呼ばれているが、実際に伝のあるものは965人である。 1004年(景徳元年)に道原が朝廷に上呈し、楊億等の校正を経て1011年に続蔵に入蔵を許されて天下に流布するようになったため、年号をとって、景徳傳燈録と呼ばれるようになった。これ以降、中国禅宗では燈史の刊行が相次ぎ、それはやがて公案へと発展した。 現在もなお、景徳傳燈録は禅宗を研究する上で代表的な資料であり、必ず学ぶべきものとされるが、内容は必ずしも史実とは限らない部分もある。なお、撰者に関しては、元々は拱ミが編集したが、朝廷に提出する旅の途中で道原に横取りされて提出されてしまったとの説があるが、中国の仏教学者陳垣によって否定されている。
2.「天聖広灯録」
3.「建中靖国続灯録」
4.「宗門聨灯会要」
5.「嘉泰普灯録」
という5種の、皇帝の勅許によって入蔵を認められた灯史を総合する意味で編纂されたものであり、書名は、その事を端的に表現している。その後も灯史の編纂は清朝まで歴代続けられるが、本書が画期となって、従来の灯史の系譜とは異なった意味合いを有した書が、禅の系統から現われて来る。それは、「仏祖歴代通載」や「釈氏稽古略」という、禅宗の系譜のみでなく、仏教全体の歴史を著した著作の編纂である。そこには、天台宗の立場から編纂された仏教史書である「仏祖統紀」への対抗意識も潜在的に有していたことが考えられるが、その反面、他宗派の衰勢により、禅宗が仏教界を支えなければならない時代状況が作用したものと考えられる。
なお、清代には、本書の続編としての「五灯会元続略」(遠門浄柱撰, 1651年)、「五灯全書」(霽崙超永撰, 1693年)が編纂されている。

禅宗の大いに栄えた中国の北宋の時代から南宋の時代にかけて、約二〇〇年 の間に、禅僧の伝記を中心とした五つの禅宗史の著述が編集されておる。これを 「五燈録」というのである。ちなみに「五燈録」とは、
(一)景徳傳燈録30巻、北宋景徳元年(1004)成立。撰者/永安道原/元豊3年(1060)刊。
(二)天聖廣燈録30巻、北宋天聖7年(1029)成立。撰者/李遵勗/南宋紹興18年(1148)刊。
(三)建中靖国続燈録30巻、編者/仏国惟白/北宋徽宗皇帝の建中靖国元年(1101)刊。
(四)宗門聯燈会要30巻、南宋淳煕10年(1183)成立。晦翁悟明編。同16年(1189)刊。
(五)嘉泰普燈録30巻、南宋嘉泰4年(1204)成立。編者/雷庵正受。
の五つをいうのである。
ところでこの「五燈録」の記述はずいぶんと重複しており、また、中には冗漫 すぎる記述も無いではない。そこで南宋の大川普済が以上の「五燈録」の内容の 重複を整理し、その肝要な部分を要約して集めたもの、それが「五燈会元」であ る。ちなみにこの大川普済という和尚は、有名な大慧宗杲の孫弟子になる人物で あります。この「五燈会元」は、「五燈録」を一々見ないでも、ほぼそれらの要 点を尽くすことができる大変便利な本で、我が国では室町時代に五山版として刊 行され、現在ではこれを増訂したものが刊行されています。ともあれ、この「五 燈会元」というものは、そういうわけで中国の禅宗史を知り、多くの禅僧の伝記 や行歴を知るのに極めて重宝な書であります。なお、「五燈会元」には教主釈迦 牟尼世尊の伝記及び業績、さらにまた西天二十八祖といわれる迦葉尊者・阿難尊 者以下二十七祖の伝記も載録されているが、その部分は歴史家としての眼から見 ると信用しかねるところもある。また禅の理解を深めるのに必ずしも適切とは言 えない部分もないではない。そこで釈迦牟尼世尊の伝記、西天二十七祖の伝記等 を省略して、インドの二十八祖で中国禅宗の初祖菩提達磨大師のところから、お 主らの修行に役立つであろうところのものを選んで鈔録したのがこの「五燈会元 鈔」である。
「五燈会元」抄 / 菩提達磨と二祖慧可

 

菩提達磨
達磨、師の般若多羅尊者に告げて云く、我 今既に法を得たり。当に 何の国に往きてか仏事を作すべきや。願わくは開示を垂れたまえ。尊者云く、汝  法を得たりと雖も、未だ遠く遊ぶべからず。且らく南天に止まりて、吾が滅後 六十七載を待ちて、当に震旦に往きて大法薬を設け、直に上根を接すべし。慎ん で速やかに行くこと勿れ。
般若多羅尊者というのは不如密多の法を嗣いでインドの二十七祖となられた 方である。この般若多羅尊者が、南天竺(南インド)の香至国に到り、その国王 の王子三人と問答した。誰か一人を自分の弟子に仕立てて法を伝えようというつ もりであった。そうしてその選に入ったのが、一番末の菩提多羅で、これが後の 菩提達磨である。ところで、この般若多羅尊者について思いだすことはないか。 「瓦筌集」二百則中の第百九十九に
東インドの国王、第二十七祖の般若多羅尊者を請じて斎す。王問う、「何ぞ看 経せざる?」祖云く、「貧道、入息 陰界に居らず、出息  衆縁 に渉らず、常 に如是の経を転ずること百千万億巻なり」
という公案が採録されておる。たいていならば国王の斉に招かれれば数珠をま さぐりながら、殊勝げにムニャムニャムニャとお経を唱えるのが普通であるが、 この般若多羅尊者は一向にそのお経を読まない。それで国王が「和尚、何故お経 を読まんのじゃ?」と促した。すると尊者、「私は 入息 陰界に居らず、出息  衆縁に渉らず、常に如是の経を百千万億巻転じております。私はいつも念々正 念、と正念を相続しておりますが、これが本当の看経というものでござる」と、 こう答えたという。達磨の師匠の般若多羅尊者とは、そういうお方である。
「達磨云く、我 今既に法を得たり。当に何の国に往きてか仏事を作すべき や。願わくは開示を垂れたまえ」「私はお陰様で、すでに大法を我がものとし、 法嗣たることを印可されました。この上は、大いに大法を挙揚致し衆生済度のた めに働きたいと思いますが、何処へ行ったらよろしいかお教えを賜りたい」こう 言った。これが弟子たるものの師家に対してあるべき態度で、「もう既に法を得 たからわしの勝手じゃ」などというのではいかんのだ。  こう問われて般若多 羅尊者云く、「汝は確かに我が法を嗣ぎ、大法を得た。しかしながら、まだ遠い 国に行ってはならんぞ。まだその機縁が熟しておらん。だから、しばらく南天竺 すなわち南インドに留まって時期を待て。いつまで待つかといえば、わしが亡く なってから六十七年待て。六十七年たったら震旦、今日の中国に行って大法薬を 設け、直に上根を接得せよ。決して急いで行ってはならんぞ。機縁が熟し時期の 到来するのを待つように」こう言われた。
「大法薬を設ける」というのは、もろ もろの施設をととのえて、大法を挙揚することである。
次に「上根」について一言触れておこう。およそ人間は本体から見れば賢愚 ・美醜を超越して万人みな平等である。しかし実際の形相・働きからみれば、そ の根器に上中下の区別があることは否定しがたい。上根とは叩いて大物になるよ うな、素質のよい人物のことで、そうした上々の根器を持った人物を説得して、 彼に大法を嗣がしめよ。「しかし今すぐ中国に行ってみたところで、時期尚早で 機縁熟しておらんから、すぐ行ってはならん」と、こう言われた。達磨大師はす なおに師のお言葉にしたがい、師匠の滅後六十七年間インドにとどまり、じっく りと徳力を練り、また邪宗の者たちを論破したり、教導したりしていた。
そして師の指示のままに、尊者が帰寂して六十七年たって、インドを出発し て中国に向かった。但しシルクロ−ドといわれている陸路を通ったのではなく海 路をとり、今日のビルマ・タイ・シンガポ−ル・ベトナムを経て、漸く南シナ、 今日の広東付近に到着した。この間、何年かかったかはっきりせんが、当時のち っぽけな船を乗りつぎ、風を待っての航海であるから二-三年はかかったであろ う、といわれている。< 
達磨、梁 の普通元年庚子九月二十一日、南海に達し、十月一日金陵 に到る。武帝問うて云く、朕即位已来、寺を造り経を写し、僧を度すること、勝 て記すべからず。何の功徳か有る。磨云く、並びに無功徳。又、問う、如何なる か是れ聖諦 第一義。磨云く、廓然無聖。帝云く、朕に対する者は誰そ。磨云く 、不識。帝 領悟せず。磨 機の契はざるを知り、是の月十九日、潜かに江北に 回り、十一月二十三日洛陽にIく。魏の孝明帝の正光 元年に当たる。嵩山の少 林寺に寓止し、壁に面して坐し、終日黙然たり。人 之を測ること莫し。之を壁 観婆羅門と謂う。
達磨が中国に到来した年については、普通元年説と七年説があって、「五燈 会元」は七年を採っておるが、今日では元年説が採られている(西暦五二〇年) 。それは歴史家の間では重要な問題であろうが、宗旨のうえからはさほど問題で はない。ここで問題なのは、中国に渡来した時の達磨大師の年齢である。達磨大 師は上々根器の人物であったとはいえ、師の法を嗣いだのは二〇歳頃であろう。 二〇歳から六十七年たって出発し、海路三年かかったとすると、もう九〇歳には なっておるはず。その老齢をおして危険な海路を経由して漸く中国に着いたわけ で、大法のためとはいえ、まことにご苦労様なこと、有難いことである
普通元年の九月二十一日に南海に到着した達磨は、梁の武帝に迎えられて十 月一日に都金陵(今日の南京)に入った。梁の武帝は南朝の梁の第一代の皇帝で 、五〇一年から五四九年まで五〇年近く在位している。武帝は善慧大士あるいは 宝誌を側近に擁し、自ら仏教に傾倒しかつ保護し、同泰寺などの寺を建立し、僧 や尼さんを養成すること一〇万人といわれておる。なお自ら袈袋を着けて「放光 般若経」などを講じておった。当時一般に「仏心天子」、あるいは「皇帝大菩薩 」などと尊称されておった人物でありました。相当仏教学を学んでおったことは 確かであります。その武帝がはるばるとインドから達磨が来られたと聞いて大い に喜び、これを宮殿に迎え、文武百官のいる前で早速に達磨と問答をはじめた。
武帝まず最初、「朕即位已来、寺を造り経を写し、僧を度す。勝て記すべか らず。何の功徳か有る?」と切り出した。「碧巖録」の第一則に採られているあ の因縁である。「わしは皇帝となって以来、仏教に帰依して寺を造ったり、諸々 の経文を写したり、あるいは僧や尼さんを養成したり、一々数えあげきれないほ ど仏教を保護し興隆につとめた。どうじゃ。何の功徳か有る?」武帝、口では「 どれほどの功徳が有りましょうか?」と問うておるが、その肚の中では「それは それは大した功徳がござります。皇帝陛下は必ずや上品上生の浄土に生まれ、御 一族の皆様それぞれに浄土にお生まれなさるでござりましょう」とでも言っても らうつもりであったろう。「大いに功徳がござります」という返答が返ってくる のを予定しての問いである。ところが返って来たのは「並びに功徳なし」「功徳 は全然ござりません」という意味の言葉である。ここで問題は、こう言った達磨 の肚如何ということじゃ。古来、造寺、造仏、写経や僧尼の養成などは、極楽往 生を確かならしめる善根功徳であると、一般に考えられておるし、またそうなは ずである。それなのに「無功徳!」とはどういうことじゃ。これに就いては、色 々な解釈もあるが、儂はこうみておる。どのような善根でも、それに対する酬い を期待して行う善根は、本当の善根功徳ではない。酬いを期待しての善根は、一 種の経済行為にすぎない。しないよりはましではあるが、それは資本投下みたい なものじゃ。結果を期待しての行いは、畢竟するに、本当の善根ではない。まし て況んや「何の功徳かある」というように、自らの善根を数えあげて、自らの善 根を誇り、他に宣伝し、「わしは仏教にこれだけの施しをしておる」などと言う ようでは、もとより真の善根ではない。武帝は、まあ、その程度だった。達磨が それをすばやく看破して、第一義に立ってあえて頂門に下した一針が、この「無 功徳!」の一語なのだ。ここでお世辞を言うようでは達磨ではない。世間にはお 布施欲しさに何かと心にもないおべっかを使っている坊主が多いが、それらは事 業屋ではあっても宗教家ではない。
それでは真の無功徳とはどういうものであろうか。例を親と子にとって考え てみよう。親は子に対して愛情を抱き、その養育にはずいぶんと苦心をする。時 と場合によっては自分の食うものも食わず、着るものも着ないで子供を養育する 。それが親心である。その場合、もし親が子に対して何か酬いを求めることがあ ったら、自分の老後をこの子に看てもらうために今この子を大学に入れておくと いうようなことでは、それは利害打算の経済行為にすぎない。親の愛情が不純だ から、やがて親不孝な子が出て、「せっかくあんなに苦労して育てたのに」と、 嘆かざるを得ないようになるのだ。なんらの酬いを求めることのない、ただそう せずにはおられない愛情の発露、それが本当の親心、まことの愛というものであ る。親心はその点太陽とまさに似ておる。太陽はただ本然の自性のままに燃焼し て光と熱を放っておる。太陽はこの地球上に光と熱とを送っているが、人間をは じめ万物を育ててやろうなどとは意識してはおらず、また、感謝されようなどと も全く考えておらん。有難いと感謝されようが、暑い暑いとうるさがられようが 、太陽はけろりかんとして、依然本然の自性のままに輝いておる。恩恵を施して いるという意識もなければ、自らの功を誇ることもさらさらない。本当の善根さ らには仏の慈悲、禅者の慈悲というものはこうでなければいかん。達磨大師が武 帝の「朕即位已来、寺を造り経を写し僧を度すこと勝て記す可からず。何の功徳 か有る」に対して、「無功徳!」と突き放したのは、こういう肚からである。最 も適切な頂門の一針である。しかし武帝にはそれが分らなかった。期待に反して 肩すかしをくらった武帝は、今度は仏教の教理に関する自らの学識をひけらかそ うとでも考えたか、「如何なるか是れ聖諦第一義」と、仏教学上の大問題を担ぎ 出した。「聖諦第一義」とはどういうことであろうか。それに就いては有名な肇 法師の「肇論 」に
此の経(大品般若経)は真俗二諦を明らむ。真諦は以て非有を明らかにし 、俗諦は以て非無を明らかにす。而して真俗不二、之を聖諦第一義となす。
とこう出ておる。真諦というのは出世間法のこと、俗諦というのは世間法のこ とである。昔流にいえば真諦は仏法、俗諦は王法と見たらいい。「肇論」に「真 諦は以て非有を明らかにす」とあるのは「色即是空」の「空」を明らかにするこ とで、「俗諦は以て非無を明らかにし」というのが「空即是色」の「色」を明ら かにすることである。空を明らかにするのが真諦、色を明らかにするのが俗諦と 、こう割り切ってみてもいい。いずれにせよこの真諦と俗諦、出世間法と世間法 とは表裏の関係をなすもので、世間法を離れて出世間法なく、出世間法に即しな い世間法はない。仏法王法不二である。武帝はこの煩瑣な教理を担ぎ出して達磨 をテストしようとしたのであるが、達磨はこれに対して何と言ったか。いささか も理屈にわたらず、ズバリ「廓然無聖!」と切って放った。廓然というのは、今 日の空のように、カラリと晴れて雲一つないことである。無聖とは聖なるもの、 特別に殊勝げなもののないことの謂いである。「世界中隅から隅まで探しても、 特に有りがたそうで殊勝げなものは何一つない。聖といえばすべてが聖であり、 真実である」それが「廓然無聖!」の意味である。「聖諦第一義」の真義はくだ いていえば、世俗の営みがそのまま仏作・仏行に通ずるということである。「法 華経」に【一切の治生産業 皆 実相と相違背せず】とあるが、それが「聖諦第 一義」の真義じゃ。わが教団の「瓦筌集」の第八十四に、「非々想天」という
一切の治生産業 皆 実相と相違背せず。且らく道え!非々想天、即今幾人有 ってか退位す?
という則があり、この則を透過した者もここにずいぶんおるはずであるが、あ の則をもう一度よく味わっておくがよい。「聖諦第一義」を問うて自分の学識を ひけらかそうとした武帝、ここでもまた面目を失してしまった。
武帝はそこで「朕に対するものは誰そ」と第三問を放った。「わしの面前に 突っ立っておる色の黒い坊主は一体何者じゃ」「お主、何ものじゃ」こう問われ た。これに対して達磨大師、「はい、西天からやって参りました菩提達磨と申す ものでござります」などとは言わん。いきなり「不識!」とあびせかけた。しか しこの「不識」ばかりは何とも言いようがない。これは公案である。宜しく通身 の白汗を流した上で室内において看るほかはない。しかし、あえて言うならば、 この「不識」は文字通りの知りませんではない。また答えに詰っての知らんでは もちろんない。「朕に対するものは誰そ」に対して、この「不識」いとも力強く 明諦に答えているのだ。そこをみて洪川宗温禅師は【話り尽くす山雲海月の情】 と著語しておられる。達磨大師 五臓六腑を撒けだして示してござるというのだ が、それが拝めますか。いったいどこでそうなんじゃ。また「新編碧巖集講話」 をみればわかるように、先師耕雲庵老漢はここに【この一語、達磨大師、大慈悲 心から自らの五臓六腑を撒けだしてござる。この一語があるがゆえに今日の禅が あるのじゃ】こう言っておられる。これ以上は室内において実参実証のうえ納得 する以外にはない。この則をすでに看た者は、ここに何と著語したか、よく味わ ってみよ。達磨の「不識!」の一語、一五〇〇年後の今日まで凛々と響いておる ではないか。どうじゃ、聴こえるか? また「瓦筌集」の第八十五に、
六祖慧能大師、因みに南岳の讓和尚に問う、「恁(いん)もに来るものは、是 れ誰そ?」讓、八年を経て、方に下語して云く、「説似一物即不中 」という一則があるが、この「説いて一物に似たりといえども即ちあたらず」の 一句、達磨の「不識!」といささか相通ずるものがある。しかし、やっぱり「不 識!」の二字一句、この方が遥かに格が上だ。耕雲庵老漢の「新編碧巖集講話」 をもう一度、改めてトックリと拝読しておくが良かろう。
武帝は「何の功徳か有る」と問うて「無功徳!」と突き放され、次に「如何 なるか聖諦第一義」と迫って「廓然無聖!」といなされ、更に「朕に対する者は 誰そ」と問うて「不識!」と切りかえされたが、どの場合も「領悟せず」で何の ことやらわからずじまいであった。これをみて達磨大師「機の契はざるを知る」 で「これはまだだめじゃわい。わしが法を説き鍛えるには時期も早いし、その根 器も契わん、これは叩いて本物になる器ではない」と、こう察知して梁の国を去 ることに決めた。そうして十月十九日夜、小さな舟に乗って潜かに揚子江を渡っ て北方の国、魏に赴いたのであった。無理に留められることを達磨は警戒したの であろう。そうして十一月二十三日洛陽に到着したが、時に「魏の孝明帝の正光 元年」であった。なお「魏の孝明帝の正光元年」は実は梁の武帝の普通元年で七 年ではない。達磨の中国渡来を「会元」は七年としているが、それは誤りで普通 元年でなければならんのだ。テキストを元年にしておいたのはそのためである。
魏に渡った達磨大師は「嵩山の少林寺に寓止」したのであるが、嵩山は洛陽 の近くにあり、五岳の一つに数えられる名山であります。この嵩山は三つの峰か ら成り、その東の方の峰を太室、西の方の峰を少室といい、少林寺はこの少室の 峰の麓にあるのであります。【無角の鉄牛少室に眠る】という七字一句があるが 、ここでの少室は少林寺というのと同じである。達磨はその少林寺で「壁に面し て坐す」で、今、曹洞宗でやっておるように、面壁坐禅をやっておる。臨済宗で は皆さんがやっているように坐っておる。どちらが好いとも悪いともいえんが、 下手に壁に面して坐っておると、幻覚を起して昏睡状態に陥りやすいようだ。達 磨は面壁坐禅をして「終日黙然たり、人 之を測るなし」で、折角インドからや って来て、説法するのでもなければ、お経を読むのでもなく、ただ黙然と坐って おるのが何故か、人々にはそれが分らなかった。そして人々は彼を「壁観婆羅門 」とあだなした。婆羅門というのは、ここではインド僧というくらいの意味じゃ
今夜はこれで終るが、第一に達磨大師が八〇歳ないし九〇歳近い老齢で、イ ンドからわざわざやってきて、中国に仏心印を伝えたそのご苦労を思い、報恩感 謝の念を新たにすることじゃ。次にまた達磨が梁の武帝にいささかもへつらうこ となく、大慈悲心から「無功徳!」と答え、「廓然無聖!」と言い、「不識!」 と突き放したその肚を、わが肚として納得できるように骨を折れ。達磨のこの肚 がわからんでは禅がわからぬ。達磨の児孫たるものは、須く大いに坐禅すべし! 
時に神光なる者あり。昿達の士なり。久しく伊洛に居す。群書を博覧 して、善く玄理を談ず。毎に嘆じて云く、孔老の教 は礼術の風規、荘易の書は 未だ妙理を尽さずと。其の年十二月九日夜、天 大いに雪を雨らす。神光堅く立 ちて動かず、明に到る。積雪 膝を過ぐ。磨 憫 みて問うて云く、汝久しく雪中 に立つ、当に何事をか求むべき。光 悲涙して云く、惟願わくは和尚、慈悲甘露 の法門を開き、広く群品を度したまえ。磨云く、諸仏無上の妙道は、昿劫に精勤 し、行じ難きを能く行じ、忍び難きを能く忍ぶ、豈に小徳小智、軽心慢心を以て 、真乗を冀 わんと欲するは、徒 に労し勤苦するのみと。光 磨の誨励を聞き、 潜かに利刀を取り、自ら左の臂を断ちて、磨の前に置く。磨 是れ法器なること を知り、(乃ち入門を許す、)名を易えて慧可と云う。
「時に神光なる者あり」という神光とは、二祖慧可大師の出家以前の名前 であります。「神光」とは霊妙な心の働きの謂いで、万人本来具有底の大光明の 事であります。そういう名前を持っておっただけに、彼はまことに聡明鋭利かつ 「昿達の士」であった。「昿達」とは、心が広く豊かで片寄らないという意味で あり、簡単にいえば識見広大なる人物であったと、まあ、これくらいに取ってお いたらよかろう。次に「久しく伊洛に居る」とあるが、この伊洛というのは、都 、洛陽の近くを流れておる伊水と洛水という二つの川のことで、「伊洛に居る」 とは、洛陽に居をかまえておったということである。「博く群書を覧て、よく玄 理を談ず」この当時には、すでに四書五経は成立し、老子・荘子をはじめ諸子百 家の書も沢山出ております。神光はそれら諸々の書を読み、幽玄玄妙な道理に通 じかつ談じておった。しかし、彼は四書五経にも老荘その他の書にも、飽き足り なさを感じ、常に「孔老の教は礼術の風紀に過ぎん」と嘆じておったという。「 孔子や老子の教えは、畢竟するに俗世間の倫理道徳、ないしは低俗な世渡りの術 に過ぎない」というくらいの意味である。また、「荘易の書」というのは、「荘 子」と五経の一つの「易経」をさすのであるが、この「荘子」や「易教」は宇宙 の根本の原理にやや触れてはいるが、しかし、その解き方が浅はかで「未だ妙理 を尽くさず」だというのである。神光は「人生如何に生くべきか!」という問題 の解決を求め、自然と人生を貫く根本の法を体得し、その上にに立って大安心を 得て、ほんとうの人生を味わいつつ生きたいと願い、それに正しく答える教えを 求めておったのである。しかし、当時の儒教や老・荘の教えは、それに答えるに にはその教えが浅はかで、答える術を知らなかった。
そう悩んでいた神光の耳に「嵩山の少林寺に、インドから御座った達磨という 老僧がおられるそうだ」ということが入った。そこで彼に「おそらく、この方な らばきっと、わしの求めるところを与えてくださるであろう」と考えて、嵩山の 少林寺を幾たびか訪れたが、いつ行ってみても達磨はただ面壁坐禅しておられ、 振り向いてもくれない。したがって入門を願い出る機会もない。神光はおそらく 何回かそういう状態で、すごすごと下山しておったに違いない。しかし、彼はな んとしても、「人生如何に生くべきか」の問題を解決をせずにはおられぬという 熱心から、ついに十二月九日の夜、「今度こそは、入門が許可されるまでは絶対 に山を下らぬ」と、決心して嵩山の少林寺を訪れた。折しも、陰暦の十二月九日 「天 大いに雪を雨らす」で大雪で夕方からは風も出てきた。しかし達磨は依然 として面壁坐禅。神光は「堅く立ちて動かず」で、その庭先に佇立して動かぬ。 夜は深々と更け、雪はいよいよ卍巴 と降る。とうとう、夜は白々と明けてしま った。気がついてみると、「明に到り積雪膝を過ぐ」一晩中降り積もった雪が神 光の膝を過ぎておる。雪降りの一夜を庭前に立ちつくした神光も神光であるが、 達磨もまた徹夜で坐禅をしておられたのである。そうして、達磨は明け方になっ てようやく振り向いて、「憫れみて問うて云く、汝久しく雪中に立つ。当に何事 をか求むべき」、「お主は、昨日の夕方から夜通し庭前につっ立ったままのよう であるが、何を求めて、そのように立っておるのか」と、こう声をかけて下さっ た。神光青年「悲涙して曰く」とあるが、この悲涙は悲しみの涙ではなく、感激 の涙に違いない。神光は嬉しさに感激の涙をぬぐって、「惟願わくは和尚、慈悲 甘露の法門を開き、広く群品を度したまえ」「和尚よ、どうぞ一つ大慈大悲をも って、甘露の法門を開いて、広く群品を度して頂きたい」と、こう訴えた。「甘 露の法」とは、ここでは無上の法というくらいの意味であり、「群品」とは衆生 という意味じゃ。これは、神光の偽らざる願いではあったであろうが、しかし、 この「広く群品を度したまえ」には、彼自身の求道の志の切実さが現れておらぬ 。一種の気取りすら見える。「群品を度せ、衆生を度せ」ではなく、「私を救っ て下さい!」というのでなければ、本当の叫び、切実な入門の願いとはいえない 。本当につまっているなら、「群品を度せよ」などと、他人事のように言ってる ひまはないはずじゃ。達磨大師は「こやつ、まだ、ほんとうに、切実になりきっ てはおらぬ。どこか、気取りさえも見えるわい」と、鋭く察知してズバリと言わ れた。「諸仏無上の妙道は、昿劫に精勤し、行じ難きをよく行じ、忍び難きをよ く忍ん」で初めて成就しうるものであると先ずこう言われた。「諸仏無上の妙道 」とは「禅道仏法」のこと、「昿劫」とは無限に長い時間というくらいの意味じ ゃ。あえて、無限といわんでも、二十年三十年と挫けず退転せずに精励し、しか も、その間「行じ難きをよく行じ、忍び難きをよく忍ぶ」のでなければ、無上の 妙道は得られない。「行じ難きをよく行じ、忍び難きをよく忍ぶ」実際われわれ は大勢の道友のいる前で、顔から火が出るほど恥をかかされたり、ピシャリとや られたり、或いは、室外に突き出されたりに耐えて、皆今日あるのじゃ。そうい う手荒なことがよいわけではないが、そうでもしないと、修行者の強情我慢はな おらず、悟りの臭みがとれないものである。我を殺し無尽の煩悩を断ぜんが為に は、「行じ難きをよく行じ、忍び難きをよく忍ぶ」ことが是非必要なんじゃ。
達磨はこれに続いて、更に「豈に小徳小智、軽心慢心を以て、真乗を冀わん とするは、徒に労し勤苦するのみ」にすぎん、とこう言われた。「小徳小智」と いうのは、小ざかしい知慧才覚のこと、「軽心慢心」とは単なる一時の軽率な好 奇心や感激のことで、そんなものに動かされて禅の修行に入ってみたところで、 到底長つづきはせず、「真乗を冀う」ことなど思いもよらない。「真乗」とは「 法華経」に曰う【唯だ一乗の法のみあって、二も無くまた三も無し】という、絶 対無上の法のことである。「〈小徳小智〉〈軽心慢心〉程度で、それを手に入れ ようとしたところで到底駄目だ。長続きせず、ただ骨折り損のくたびれもうけに なってしまうのが落ちじゃ。お主のような〈小徳小智〉〈軽心慢心〉のやからが 、この〈真乗〉を得ようとしたところで駄目じゃ。おやめなされ」と、そう言っ て、またプイっと壁に向かって坐ってしまわれた。この非情な扱い、これがまた 、禅門の名物である。本当に道を求める切実な心が無い者に禅を修行をさせてみ たところで、どうにもならぬ。ただ一度限りのこの人生、それを悔いのないよう に生きたいものじゃ。棺箱に片足つっこんでから「ああ、我、誤てり」と後悔し 、もう一度やり直したいといってみたところで、人生だけはやり直しがきかんの じゃ。「そのやり直しのきかない人生をどう生きることが、本当に生きがいある 生き方と言えるのか」という問題を解決しようという決意、これが本当の求道心 である。「人生如何に生くべきか」という大疑団をいだいて、しかも、「釈迦も 人なり、達磨も人なり、我も人なり、彼らに出来たことが、わしに出来んはずは ない」と、退転しがちな我が心に鞭打ち、大勇猛心を奮い起こして修行するので なければ、禅の修行は成就しない。諸士はもう一度初心を思い起し、修行の原点 に立ち戻って、求道心を燃えたたせよ!
それはそうとして、この達磨の非情な戒め・激励にあって、神光はついにた まらなくなって、「潜かに利刀を取り、自ら左の臂を断ちて、磨の前に置き」、 不惜身命で入門を願う意思を表示した。といって、お主らがこのような真似をし てみたところで、どうなるものでもない。一時の感激で、血書して入門を願い出 たが、結局、長つづきせず途中で退転してしまった某という人物がおる。我々も 知っておる。まして況や、【身体髪膚これを父母に受く、敢えて毀傷せざるはこ れ孝の始なり】で、徒らに我が身を毀傷すべきではない。しかし、神光は敢えて 臂を断った。これが有名な「慧可断臂」であるが、諸士はどうぞ、その形を見な いで、心を看てほしい。これはいうまでもなく「私は文字どおり、不惜身命財で 修行に励みます。このとおり命も何も惜しみません」という決意を表したもので ある。と同時に、これにはもう一つの意思がふくまれている。およそ禅の修行に は、古来「大疑団」「大憤志」とともに「大信根」が必要だと言われておる。大 信根とは、自らのつく師家に対する絶対の信じゃ。断臂は神光が達磨大師へ寄せ る絶対の信を表明したものなんだ。諸士の中には「入門願」に「総裁、ならびに 師家に対して信を表します」と書き、誓約しておりながら、ああじゃこうじゃと 屁理屈をつけて去っていく者がある。これほど師家をあざむき、自己に対して不 誠実な行いは無いはずじゃ。ともあれ、達磨大師は、神光のこの不惜身命財の決 意と、自分に対する信頼の表示とをみて、「こやつ、鍛えれば我が法を伝えるに 足る人物になるであろう。法器であるわい」として彼に入門を許し、「名を易え て慧可と云う」で従来の「神光」という名前に変えて「慧可」という法諱を授け た。これで、慧可和尚が出来上がった。 
慧可云く、我が心 未だ寧からず、乞う師、ために安んぜよと。磨云 く、心を将ち来れ、汝がために安んぜんと。可 良久して云く、心を覓むるに了 に不可得なり。磨云く、我 汝がために心を安んじ了れりと。
この一段は入門を許された慧可と達磨大師との最初の問答である。既に群 書を読んで、深く思索をしておった慧可が、自分の心中の大疑団をそっくり呈し て、「我が心 未だ寧からず、乞う師、ために安んぜよ」と迫ったのである。こ れを聞いて達磨大師、「心が未だ安らかでないから、心を安んじてくれというか 、安心を得させてくれというか、それなら安んじてやるから、その心を持ってこ い」とは、まことに図星を射た適切な指示である。「安心したいというなら、安 心もさせてやろう、だがその心を持ってこい」と指示されて、慧可いかにもその 通りだと気づき、熱心に我が心の在りかを探し、その心をつかんで達磨大師に呈 そうと努力をした。ここのところ、本文は、「心を将ち来れ、汝がために安んぜ んと。可 良久して云く」となっている。「良久」の二字は、やや久しくと読み 「しばらくの間」の意味であるが、ここの「良久」は一、二分の所謂「良久」で はない。これは文章の綾であって、少なくとも数時間、ないしは数日間、或いは 数ヵ月であるかもしれぬ。何故ならば、慧可がいかに俊発だといっても、今の今 まで「心、安からず」と言っておった分際で、「心を覓むるに了に不可得なり」 というこの見解が、そう簡単に出るはずはないからじゃ。少くも数日間の真剣な 努力があったと見るべきである。
なお「心不可得」という四字一句は「金剛経」に出ている。かつて、「碧巌 録」を講じて、徳山和尚が茶店の婆さんにやりこめられた話をしたが、あの一段 に【金剛経に曰く、過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得】とあったこと を思い出すがよい。しかし、慧可がこの「金剛経」の一節を思い出して、それを ただ言葉として持って来たのではない。諸士も、「心を将ち来れ」といわれて、 ただ「心不可得」の言葉をその辺から拾って持ってきてみたところで、屁の役に もたたぬ。この「心を覓むるに了に不可得なり」に徹しようと思うならば、「瓦 筌集」第八十八に採られている【即今、上人の性いづれの処にか在る?】という あの則あたりに参じて、通身の白汗を絞り尽くして体得すべきものだ。「本来の 面目」の則に参じて本具の仏性を悟り、「倩女離魂」の則などで、それをもう一 度改めて確かなものにし、さらに五祖法演禅師の「牛過窓櫺」の則あたりに於い て、【頭角四蹄、総べて過ぎ了わるも、しかも過ぎざる底の尾巴】をつんだはず である。そしてこの「即今上人」の則を透過して、【有りと云えば有りとや人の 思うらん 呼べば答うる山彦の聲】【無しと云えば無しとや人の思うらん 答え 手でも無き山彦の聲】で、本来の面目すら畢竟するに空であり、「坐禅和讃」に いう【自性即ち無性】であることに徹してはじめて、本当の安心が得られるはず じゃ。旧参の者はそういう所を、もう一度よく噛みわけて味っておくように。た だ公案とそれの見解とを暗記したとて何にもなりゃあせん。人間の一切の迷いは 、「我」というものが実存すると考えて、それに執着するところから起る。次に 「我」を殺し尽くし見性しても、こんどは本来の面目という骨っこいものに執着 する。その本来の面目すらも、畢竟するに空である、「自性即ち無性」であるこ とに徹して、はじめて大安心が得られるのじゃ。 
達磨、天竺に帰らんと欲し、門人に命じて云く、時 将に至る、汝等 各々所得を呈せよと。時に道副有り、対えて云く、我が所見の如きんば、文字に 執せず、文字を離せずして道用を為すと。磨云く、汝は吾が皮を得たり。尼 総 持云く、我が今の所解は、慶喜の阿しく仏国を見るが如し、一見して更に再見せ ず。磨云く、汝は吾が肉を得たりと。道育云く、四大もと空、五陰 有に非ず、 而 して我が見処は、一法の得べき無しと。磨云く、汝は吾が骨を得たりと。最 後に慧可礼拝して位 に依って立つ。磨云く、汝は吾が髄を得たり。
達磨大師は慧可という大物の法嗣を釣りあげ、中国への禅の「移植」のめど も立ち、達磨大師は「これで、わしの使命も終った」という感懐をひそかに抱か れたことであろう。それに大師が中国に来られた時すでに九十歳にはなっておっ た筈だから、それから面壁九年とすれば、もう百歳近くになられている筈。それ だけに望郷の念も一段と深まったことであろう。そこからが、この第一段である 。
「達磨、天竺に帰らんと欲し、門人に命じて云く、時 将に至る、汝等各々 所得を呈せよ」、「わしはもう故郷の天竺(インド)に帰ろうと思う。ついては 、お主たちの境涯を点検し、その悟境に証明を与えておこうと思う。汝等、各々 自らの現在の悟りと境涯とを、わしの面前に呈してみよ」と命ぜられた。その時 、高弟が四人おったが、まず一番若い道副が見解を呈した。この道副という人物 は、後に梁の武帝に乞われて、金陵すなわち今の南京の海禅寺の住持となった和 尚であります。この道副が、「我が所見の如きんば、文字に執せず、文字を離せ ずして道用を成す」と自らの見解を呈した。およそ禅の金看板は、「教外別伝  不立文字」ということである。道副、「私は教外別伝・不立文字の宗旨を把得い たしまして、それを、自受用・他受用の上に使っております」という位の意味じ ゃ。悪くはない。この見解に対して達磨は、「道副よ、汝は吾が皮を得たり」と いう評価を与えた。
次に総持という名前の尼さんが立ち上がった。鶴見の総持寺、能登の総持寺 があるが、「総持」というのは陀羅尼、真言という意味であるが、ここでは、そ の詮索はいらない。その総持という名前の尼さんが、私の今の見所は「慶喜の阿 しく仏国を見るが如く、一見して更に再見せず」でござりますと呈した。「大品 般若経」の累経品 というところに、この見所の基になった故事が出ている。「 慶喜」というと、徳川第十五代将軍、徳川慶喜の「慶喜」を思い出すが、これは 本来は阿難尊者のことである。ある時、釈尊が神通力をめぐらして、阿難尊者を はじめ十大弟子、その他大勢の菩薩・羅漢・八部衆らに、南方の阿しく仏国に於 いて、阿L仏が多くの大衆に説法してごさる場面を見せた。今のように映画があ ったわけではないが、神通力でそういう事を見せた。ところが、皆がその場面を 見ている間に、釈尊、その神通力を収めてしまわれたので、その場面が消えて見 えなくなった。そこで世尊が阿難に対して、「阿難よ、今、お主らの目に、阿L 仏が阿L仏国に於いて説法をしてござる場面が、あたかも現実のように見えてお った。しかし、今、それが見えなくなった。丁度そのように、この世に於ける一 切の存在、一切の現象は、みな夢幻空華にすぎないのじゃ。お主たちは、この娑 婆世界で、美しいもの、清らかなもの、或いは醜いものなど色々なものを見るで あろうが、それらは畢竟するに、お主らの見た阿L仏国と同様、夢幻空華に等し いものじゃ。だから、それらに執着してはならない」と、諭されたというのであ る。尼総持はこの故事を引いて、「私は、その釈尊の教えの真実味がわかり、物 に対する執着を脱却できました。一見して更に再見せず、という境涯を得ており ます」と、こう言ったのである。人間はとかく美しいものや面白いものを見ると 、また見たいものだと執着し、それからそれへと連想が起ってくるものであるが 、この尼さん、「私はどのような美しいものを見ても〈一見して再見せず〉〈二 念を続がず!〉という境涯を得ました」というのである。これは相当に高い境涯 である。だから達磨は「尼総持よ、汝は吾が肉を得たり」と、証明を与えられた 。この「一見して再見せず」という辺の消息は、「瓦筌集」にも採られている「 婆子焼庵」でも透過すれば少しは分るであろう。
第三番目に道育という人物が登場した。この人物の伝記ははっきりしてない が、その道育は「四大もと空、五陰有に非ず、而して我が見処は、一法の得べき 無し」と、その悟境を呈した。まず言葉の意味から解説しておこう。「四大もと 空」インドでは古来、人間の肉体は地・水・火・風の四つの元素、四大が仮に和 合して出来ておるといわれている。だから「四大」とは肉体のことだと見てよい 。次に「五陰」というのは、「般若心経」にある【五蘊皆空】の「五蘊」と同じ で、色・受・想・行・識の総称である。簡単にいえば、感覚、認識、さらに判断 というような精神の作用のことで、ここでは精神と見てよろしい。そして「肉体 も精神も本来空である」というのが道育の見所なのである。たしかにそうじゃ。 地・水・火・風の四つの元素が円満に和合し安定している状態、これが健康な肉 体である。その和合が破れて不安定になってくるのが四大不安で病気、また四つ の和合が完全に破壊してしまうのが四大分離、これが死である。しかもそれを焼 けば、一握りの灰にすぎず土に戻ってしまう。「四大もと空」である。次に「五 陰有に非ず」有に非ずとは、五陰また空であるの意。「肉体は死んでも霊魂は残 る」などという迷信・盲信がまだはびっこっているようであるが、体と心とは不 二である。肉体を離れて心はなく、心を離れて肉体はない。とするならば、肉体 が滅びれば、心ないし霊魂も滅びるのはあたりまえじゃ。これは、道元禅師が「 正法眼蔵」において、既にはっきり言っておる。それにも拘らず、今もってその 辺の僧侶の中には、死んでも霊魂があるなどと言ってお布施を集めておるものが ある。しかし、それはまあ赦せるとして、赦しがたいのは「死者の霊魂が祟る」 と言って法外の祈祷料を集めている輩じゃ。ともあれ「四大もと空、五陰有に非 ず」とは「外空、内空、内外ともに空」「人空、法また空」であり、しかも、「 一法のさらに得べきなし」ということである。道育の見所は要するに、「私は、 肉体も精神も、さらにまた万物万象一切皆空であるとの悟りを得ました。私は一 切皆空を我が悟境として毎日を過ごしております」と呈した。ここまで行ったら 、それは「心身脱落・脱落心身」という境涯であり、この無一物の境涯の涼しさ 、【物もたぬ袂は軽し夕涼み】といい、また【空門風自ら涼し】という洒々落々 の境涯である。達磨大師はそこを見て「汝は吾が骨を得たり」と証明を与えられた。
最後に残った慧可、どういう見解を呈するかと思いきや、何もいわず黙って 恭しく「礼拝して位に依って立っ」ただけ。「位に依る」の「位」とは、師匠に 侍立した場合に弟子の居るべき定位置のことで、師匠の斜め右うしろに当ります 。「位に依って立つ」慧可は、無言で恭しく礼拝して、そして自分の侍立すべき 定位置に立った。これを見て達磨は、「汝は吾が髄を得たり。汝は我が禅の真髄 を得た」と百点満点の印可証明を与えられた。「礼拝し終って位に依って立った 」この見解、それが何故、達磨の禅の真髄を得たことになるのか、お主ら、一つ 、大いに疑い工夫してみるがよい。わずかに一線道を通じておこう。達磨の禅の 肝心要のところは、まさに言語道断、非思量底のものである。それを、如実に具 体的に一言も吐かず示したもの、それが「礼拝して位に依って立つ」である。こ ういう所をこまやかに工夫し味わうのが、旧参底の工夫というものじゃ。
今日はここまでにしておくが、ついでに、一言だけ触れておこう。ここに於 いて道副は「皮を得たり」。尼総持は「肉を得たり」。道育は「骨を得たり」。 そして慧可は「髄を得たり」。これを皮・肉・骨・髄の伝授というが、その順序 は表面的なものから次第に内面的なものへ、変るものから変わらないものへとな っており、内面的で変わらないものほど価値が高いと評価されている。そして、 これが東洋芸術論の骨子をなしていることをここで指摘しておきたい。東洋芸術 は表面的なものを捨てて内面的なものへ、感覚的なものを捨てて精神的なものへ と発展している。具体的にいうならば、唐代に於いては、焼けた「法隆寺金堂の 壁画」や「薬師寺の吉祥天像」などのような濃厚で細密な彩色画が流行しておっ たのだが、次の宋代に入ると、彩り・光り・陰影は変るものであるから、本質的 なものではないと、これを捨てて水墨画へと変わって行っている。その場合、彩 色画が皮・肉だとするならば、水墨画は骨・髄だといってよろしい。日本の庭園 の発達を見ても面白い。平安時代の庭園は、美しい花の咲く木や草を植え、美し い極楽浄土の景観を表現しようとしたものであったが、室町時代になると「龍安 寺の枯山水」に代表されるような、石と砂とせいぜい苔だけの石庭に変わってい く。皮肉骨髄の思想が、意外なほど東洋芸術の骨格をなしていることが察せられ よう。つい脱線してしまったが、これもお主らの教養を少しでも豊かにしてやり たいからだ。道産子の田舎者だとはいいながら、お主らはあまりにももの知らず だ。在家の居士として、教養がもう少し豊かなことが必要じゃ。若い連中は、猛 烈に、ただ修行に精進するがよいが、旧参底の者はもう少し、自らの教養を深め 人間的なかおりを身につけるようにしなされ。それも纓絡の一つだ。 つい、脱 線をしてしまったわい。 
達磨記莂(べつ)の偈
吾 もと茲土に来り、法を伝えて迷情を救う。一花五葉に開き、結果自然に 成る。
達磨大師が、故郷のインドに帰ろうとして、四人の弟子に対し、その境涯 をそれぞれに証明し、特に慧可に対して「汝は吾が髄を得たり」と印可証明した ことは、昨晩講じたところであるが、ついで達磨は「吾が伝え来ったこの禅道仏 法は中国の地に於いて大いに花開き実を結ぶであろう」という祝福の意をこめた 予言、いわゆる記別の偈をのこしている。それがこの(6)の「吾 もと茲土に来 り、法を伝えて迷情を救う。一花五葉に開き、結果自然に成る」という五言四句 の偈である。「吾 もと茲土に来る」。この茲土というのは此の土という意味で あり、中国のことを指し、次の「法を伝え迷情を救う」は、禅道仏法とりわけ仏 法の真髄・仏心印を伝えて、迷情を救うというのである。迷情とは迷いの心とい う意味ではあるが、ここでは迷える衆生を救うと取ってよい。転結の二句は「わ しが中国に蒔いた禅道仏法の一粒の種はやがて五葉となり、さらに亭々とした大 樹となって繁茂し、中国のみならず日本をも覆う大蔭涼となるであろう」と、ま あ、これくらいの意味をこめた予言であります。これを「花が葉になるはずはな い」とかなんとか言うものがおるけれども、それは文学を知らない者のたわごと じゃ。
耕雲庵老漢が中央大学に学生の禅会をつくり、これに五葉会という名をつけ ておられるが、それは言うまでもなくこの句に基づいておる。その五葉会が七〇 年の歴史をたもち今日もまだ続いております。これは次ぎ次ぎと入ってくる学生 が新しいエネルギーを補給して会の運営にあたり、また、OBが熱心にこれを扶 持しているからでもある。この北海道大学に於ける絶学会も、ぜひ、中大の五葉 会のように、立派な花を咲かせてほしいものだとしみじみ願っておる。しかし、 そのためには現在の学生が骨折り、OBが熱心に応援することが必要じゃ。そう さえすれば求めずして「結果自然に成る」で、絶学会だけではなく、この札幌支 部も栄える筈だ。よい種を蒔き、十分に手入れをするならば、見事な果実が求め ずして成る。種も蒔かず、耕しもせず、しかも見事な結果を得ようとしてみたと ころで、遂げられるはずはない。わしがよく【地肥えて茄子大なり】という五字 を揮毫するが、よく味わってほしい。色つやもよく、見事な茄子を得ようという ならば、畠を深く耕し、化学肥料だけでなく有機肥料を施し、更に水をやり虫を 採り、よく手入れすることだ。それだけの努力をしないで、見事な茄子を得よう としたところで、そんな棚から牡丹餅なんということは人生にはありえない。「 結果自然に成る」を、たんに達磨大師の記Mの語とせず、お互いの信条として、 「一花五葉を開かしめ、結果自然にならしめたい」と、こう意気込みを新たにし てもらいたいものである。
 なお、この「五葉」についてはいろいろな解釈があるが、一番分り易く常識 的に行われているのは次のような解釈である。達磨の禅はやがて南宗禅と北宗禅 とに分れ、北宗禅は比較的に早く滅んでしまい、南宗禅が主流となる。その南宗 禅の南嶽懐譲の法系から@仰宗と臨済宗とが分派し、青原行 思の法系から曹洞 宗、雲門宗、法眼宗が分れて、併せて五宗になる。「五葉」はこの「五宗」(い わゆる五家)のことだというのである。その辺のことは、まあ、俗説として聞い ておけばよかろう。 
達磨、魏の荘帝の永安元年戊申十月五日、端居して逝く。其の年十二 月二十八日、熊耳山に葬り、塔を定林寺に起つ。
 この一節は達磨の帰寂を述べたものである。「魏の荘帝の永安元年戊申」 というのは西紀五二八年に当る。大師の年齢は百歳近い計算になる。「十月五日 」は勿論陰暦ではあるが、ちょうど一昨日、今回の摂心の第一日が達磨忌に相当 していたわけで、教団として達磨忌を催すのも十分に意味のあることである。「 端居して逝く」の端居は端然と坐禅をして帰寂されたということである。そして その遺骸を、「其の年の十二月二十八日、熊耳山に葬った」。熊耳山というのは 河南省の陝州 の東にある小高い山であるが、そこに葬り、その「塔」すなわち 墓を定林寺に建てた。 
二祖 大祖慧可 
二祖慧可、布教伝法すること三十四歳、遂に光を韜 し跡を混じ、儀 相を変易し、或いは諸酒肆に入り、或いは屠門を過ぎり、或いは街談を習い、或 いは厮役に随う。人 之に問うて云く、師は是れ道人なり、何が故ぞ是くの如く なる。祖云く、我 自ら調心す、何ぞ汝が事に関せんや。
ここからは嗣法後の二祖の行状であり、「二祖慧可、布教伝法すること三 十四歳」とある。二祖は達磨の法を普及せんが為に三十四年間、ひたすら布教伝 法につとめた。
ところがその後、「遂に光を韜し跡を混じ、儀相を変易し、或いは諸酒肆に 入り、或いは屠門を過ぎり、或いは街談を習い、或いは厮役に随う」という有様 であった。「光を韜し跡を混す」とは要するに、自らの才幹や徳を包み隠して行 方をくらますことじゃ。才幹がピカピカと表面反射している間はまだ本物ではな い。いぶし銀の様に光を包むこと、それが大事なことで、跡をくらましてしばら くの間、行方不明になっていた古人の例は少くない。「大梅梅子」という公案を のこした大梅法常 和尚は、馬祖道一和尚のもとで修行し、馬祖の「即心即仏! 」の一語に触れて大悟したあと行方不明になっておったが、実は大梅山中にかく れて四〇年間聖胎長養 しておったのである。これは光を韜して跡を混じた代表 的な例と言ってよいであろう。
次に「儀相を変易する」とあるが、「変易」をへんいと読んではいけない。 これはへんえきと読み変化するの意であり、儀相とは威儀・相好という意味であ る。簡単にいえば、立派な僧侶でありながら、僧侶らしくない姿、恐らく俗人の 姿に変装したのであろう。
 そうして姿を変えて「或は諸酒肆に入る」。「酒肆」とはいわゆる酒店のこ とではなくて、今日の料理屋、或いはバー、キャバレーのこと。札幌でいうなら ば薄野辺に出入りしたことである。だいたい僧侶は酒をのむことは許されず、「 O酒生罪戒」といって飲酒は破戒の行動とされておる。二祖はそのことは百も承 知の上で、姿を変えてそういう飲屋に出入りしたのである。
「或いは屠門を過ぎる」。ここの「過」は過ぎるでなく「過ぎる・訪れる」 という意味にとっておくべきだろう。屠門というのは牛・馬・羊などを屠殺する 場所である。古来、中国においては屠殺場を不浄なる所と考え、仏教では殺生す る場所として、普通の人の出入りすべき所ではないと考えておった。そこに二祖 は出入りしたのである。
「或いは街談を習う」。街談とは巷説街談・世間の噂話のことである。しか しここでは、民衆の間の俗語とそれによる低俗な会話をさすとみておいたらいい だろう。
次に「或いは厮役に随う」とある。厮役というのは他人の家に入って下男・ 下女となって奉公することじゃ。後に妙心寺の開山になられた関山国師が、美濃 の伊深の山中に跡をくらまして、土地の農家の牛飼いの童 となっておったこと は有名であるが、それがここにいう「厮役に随う」である。
「二祖慧可、布教伝法に従事すること三十四歳、遂に光を韜し跡を混じ、儀 相を変易し、或いは諸酒肆に入り、或いは屠門を過ぎり、或いは街談を習い、或 いは厮役に随う」とは、こういうことである。これを不審に思ったある人が、「 師は是れ道人なり、何が故ぞ是くの如くなる?」、「あなたは立派な宗教家であ るのに、なぜ変装をし、戒律を破って、こういうような破戒の所行をあえてなさ るんですか。寺の住持になっておられればいいものを、なぜ下男奉公なんかなさ るんですか」と、こう問うた。ところが、これに対して二祖、「我 自ら調心す 。何ぞ汝が事に関せんや」、「お前の知ったこっちゃあない!」と突き放された 。
「我 自ら調心す」というが、この調心とはどういうことであろうか?「調 心」とは心を調御するということで、簡単にいえば正念相続を試みることである 。人間の心は環境に影響されて様々に変わるものであるが、しかしそれでは本当 ではない。どのような環境に入っても、それによって誘惑されたり、汚染される ことなく、あたかも火中の蓮花のように、いよいよ美しさを増すのでなければな らない。どこでも、いつでも正念相続ができるように自己を鍛練すること、それ を調心というのである。お主ら、道場に居る間は、どうやらある程度正念が相続 し、煩悩を起こさず、せめて不浄なことを考えておらんかも知れん。しかし、い ったん道場を出ると途端に俗臭に染まり、ただの俗人にもどってしまうようでは 、禅者として恥ずかしいといわねばなるまい。とにかく、【色境に入って色惑を 蒙らず 声境に入って声惑を蒙らず】こうでなけりゃいかん。二祖大師のこの「 調心」、一つには以上のような意味であるが、もう一つ、迷える衆生のウヨウヨ している世間の実相を知る、というねらいも有ったのである。だいたい大乗の菩 薩の誓願は、いうまでもなく自利利他円満にある。自分が悟りを開き幸福を得た ら、それを周辺の人々にお裾分けをする、利他行に打って出ること、これが大乗 の菩薩の使命である。ところが、その迷える人々がどのような生活をし、どのよ うに考えておるのか、その辺のことが分らなければ、適切な衆生済度はできはせ ん。医者が患者の病気を直す為にまずその病状を精密に診断をするように、菩薩 が衆生を済度しようというならば、まず衆生の世界の実情と、衆生の物の見方や 考え方などをよくつかんでおく必要がある。迷える衆生の生態やその心情と、衆 生の作っている社会の実情とをよく知っておくこと、いわば世態・人情をこまや かに観察しておくことが、衆生済度の準備として大事じゃ。この二祖の調心には 、そのねらいがあったのである。そして二祖が酒肆に入り、屠門を訪れ、厮役に 随うたというのは、文珠菩薩が一夏九十日の最初の三十日を富豪の邸宅で多くの 女にかしずかれ、デラックスな饗応を受けて過し、つぎの三十日を魔王の宮殿で 怪しげな接待を受けて過し、最後の三十日を酒肆淫房で過したが、あたかも火中 の蓮花のように少しも穢されることはなかったという。二祖の行状はこの「文珠  三処に夏を度る」という公案とよく似ておる。よく味わってみるがよい。但し 未熟なお主らがこれを下手に真似しようなら、ミイラ取りがミイラになるのは必 定である。呉々も真似などせんように。 
二祖、筦(かん)城県匡救寺 三門下に於いて、無上の道を談ず 。聴者林会す。時に辯和法師なる者有り、寺中に於いて涅槃経を講ず。学徒 師 の説法を聞き、稍々 として引き去る。辯和その憤りに勝えず、謗りを邑宰てき (羽+隹)仲侃 に興す。Q その邪説に惑い、祖に加うるに非法を以てす。祖  怡然として委順す。法を識る者は之を償債 と謂う。時に年 一百七歳 、隋の 文帝の開皇十三年三月十六日なり。
暫く光を韜まし俗世間にあたかも俗人のように過していた二祖は、やがて 仏祖として筦城県の匡救寺の三門下に再び姿をあらわし、そこで「無上の道を 談じ」大法を挙揚した。筦城県というのは、調べてみると説明がややこしいか ら、まあ南方のある町だと、こう見ておけばいい。但し中国の県は日本の県のよ うな大きいものではなく、郡や町とみておけばよい。その筦城県の匡救寺の山 門の下で、二祖が無上の道すなわち達磨伝来の妙道を説法された。二祖は寺を持 っていなかったから、匡救寺の門前で大法を挙揚したのであるが、すると「聴者 林会す」で、説法を聴聞する者が林のように大勢集って来た。ところが、「時に 辯和法師なる者有り、寺中に於いて涅槃経を講」じておったのである。そしてそ の辯和法師の「涅槃経」の講席に列しておった坊さんや在家の者たちが、「山門 の下で坊さんが禅の話をしておる。ちょっと聴いてみようか」と言って集まって みると、その説法がまことに素晴らしい。辯和法師の「涅槃経」の講義など問題 にならんほど素晴らしい講義なので、「学徒 師の説法を聞いて、稍々として引 き去る」という有様になった。「これは素晴らしい。辯和法師の講釈よりは、こ ちらの方が魅力があるわい」というので、「稍々として引き去る」で、だんだん 辯和法師の講席がさびれてきてしまった。そこで辯和法師「なんだ、わしの説法 を邪魔する奴がおるとは。しかも、わしの弟子をみんな引っ張ってしまって」と 「その憤りに勝えず」、邑宰のてき仲侃なる人物に讒言をした。邑宰というのは 、その筦城県匡救寺のある町の長だ。すると邑宰のてき仲侃、法師の讒言に惑 わされて、「祖に加うるに非法を以てす」で、二祖に死刑を宣告した。これに対 して「祖 怡然として委順す」。怡然というのは、楽しげにということ。委順と いうのは、人のなすがままに任せそれに従うことで、二祖は少しもさわがず、む しろ楽しげに死刑を執行された。それについて、次に「法を識る者は之を償債と 謂う。時に年 一百七歳」とある。そしてこれを時の年号にあてはめると「隋の 文帝の開皇十三年三月十六日」に当る。文帝とは大運河を開いたことで知られる 隋の煬帝の父で、開皇十三年は西暦五九三年で、日本では聖徳太子が推古天皇の 摂政に就任した年にあたる。
なおここに二祖の非業の死を「法を識る者は、之を償債と謂う」とあること に、諸士の注意を喚起しておきたい。ちなみに「瓦筌集」の第百二十九に「皓月 償債」という公案があり、それに【只、獅子尊者・二祖大師の如きんば、何とし てか債を償うことを得去るや?】という一文があるが、これがこの一段の「法を 識る者は之を償債と謂う」と関係があること位は覚えておく方がよいからである 。ついでにいうと、獅子尊者はインド禅宗の第二十四祖で、彼も亦 非業の死を 遂げているのじゃ。
以上、達磨大師と二祖慧可大師の努力によって、禅宗が中国に根をおろす に至った経過が一層明らかになったと思う。およそインドの禅は、インド人の冥 想的、思弁的な性格を反映して、そうした性格をもつものであった。ところが漢 民族の性格は、彼らの生んだ儒教が実践道徳であることで察せられるように極め て現実的・実践的であり、達磨の禅はこれと結びついて、次第に具体的で実践的 性格を強めるようになって行くのであるが、それは「五燈会元」を講じてゆくに つれて、自から明らかになるであろう。 
 
臨済義玄と「臨済録」

 

臨済義玄 (?-866)
師初め黄檗の会下に在って行業純一 なり。首座(陳睦州)乃ち歎じて云く、是れ後生なりと雖も衆と異なること有り。遂に問う、上座此に在ること多少の時ぞ。師云く、三年。首座云く、曽って参問すや也た無しや。師云く、曽って参問せず、箇の什にをか問うを知らず。首座云く、汝何ぞ去って堂頭 和尚に、如何なるか是れ仏法的々の大意と問わざる。師便ち去って問う。声未だ終らざるに和尚便ち打つ。師下り来る。首座云く、問話そもさん。師云く、某甲問い、声未だ終らざるに和尚便ち打つ、某甲会せず。首座云く、但だ更に去って問え。師又問う、檗又打つ。是くの如く三度問うて三度打たる。師来って首座に白して云く、幸いに慈悲を蒙って某甲をして和尚に問訊せしむ。三度問いを発して三度打たる。自ら恨む、障縁有って深旨を領ぜざることを、今且らく辞し去らんと。首座云く、汝若し去る時は須らく和尚に辞し去るべし。師礼拝して退く。首座先きに和尚の処に到りて云く、問話底の後生甚だ如法なり。若し来って辞せん時は方便して彼を接せよ。向後穿鑿して一株の大樹と成さば、天下の人のために蔭涼と作り去ること在らんと。師来日黄檗を辞す。檗云く、別処に往き去ることを得ざれ。汝、高安灘頭の大愚の処に向って去れ。必ず汝が為に説かんと。師大愚に到る。大愚問う、什れの処よりか来る。師云く、黄檗の処より来る。大愚云く、黄檗何の言句か有りし。師云く、某甲三度仏法的々の大意を問うて三度打たる。知らず某甲過有りや、過無しや。
大愚云く、黄檗与もに老婆心切なり。汝が為に徹困なることを得たり。更に這裏に来って有過か無過かと問う。師言下に於いて大悟して云く、元来、黄檗の仏法多子無しと。大愚すう住して云く、這の尿牀 の鬼子、適来、有過無過と道う。如今却って道う、黄檗の仏法多子無しと。汝箇の什んの道理をか見る。速かに道え、速かに道え。師大愚の肋下に於いて築くこと三挙。大愚托開して云く、汝の師は黄檗なり、我が干かる事に非ず。
師大愚を辞して黄檗に卻回す。黄檗来るを見て便ち問う、這の漢来々去々して什んの了期か有らん。師云く、祇だ老婆心切なるが為なり。便ち人事し了って侍立す。黄檗問う、什れの処にか去来す。師云く、昨は慈旨を奉じて大愚に参じて去来せしむ。黄檗云く、大愚何の言句か有りし。師遂に前話を挙す。黄檗云く、大愚の饒舌 、来るを待って痛く一頓を与えん。師云く、什んの来るを待って説かん、即今、便ち喫せよと云って後 に隨って便ち掌す。黄檗云く、這の風顛漢、這裏に却来して虎鬚を将ず。師便ち喝す。黄檗云く、侍者よ這の風顛漢を引いて参堂し去らしめよ。
およそ我々人間禅の禅者の眼中には、臨済宗の曹洞宗のという沙汰は無い。有るのは唯だ禅道仏法だけであるが、強いて探ぐれば、わが人間禅は臨済宗の法系に属している。今回から暫く、その臨済宗の宗祖・臨済義玄禅師の伝記とその宗風とを、「五燈会元」よりは、むしろ「臨済録」に拠って講じて参ろうと思う。
後の臨済和尚の義玄は、今日の山東省の曹州国の地に生まれ、若くして出家し、持戒堅固な僧としての生活を送っていたが、平凡な僧侶としての毎日にあきたらず、求道の志やみがたいものがあった。そして揚子江中流の江西や湖南の地方に、坐禅によって頓悟成仏をはかる禅宗が栄えていると聞いて、山東から遥々と旅をつづけ、江西の黄檗山に到り、黄檗希運和尚の会下に連って、禅僧としての修行生活に入った。そして三年たった。講本はそこから始まっている。
その劈頭に「師、始め黄檗の会下に在つて行業純一なり」とある。古来、およそ禅の修行をやりぬくには、知識や財産は無くともよいが、少なくとも大疑団・大憤志・大信根の三つだけは是非とも必要だといわれている。釈迦は一切の衆生は皆悉く仏性を具えているという、して見ればこの煩悩具足の自分にも仏性が具わっている筈、自分に本来具わているという仏性とはどいつであろうか。人間は必ず死ぬものであるが、その生とは何ぞ、死とは何ぞ。折角生まれて来た人生、それをどう生きることが生き甲斐のある生き方であろうかなどという、人間として生きる上のこれらの根本的な疑いを持つこと、これを大疑団を抱くといい、これが修行の原動力である。
しかし大疑団を抱いたら、それを解決のために全力を尽くして当るべきである。といってその解決――開悟は容易なことではない。そのために折角、修行に志しながら、途中で挫折して退転してしまう者の多いことは、諸士も見ている通りである。その場合「釈迦も達磨も人なり。臨済も白隠も人なり。我もまた人なり。彼らに出来たことが自分に出来ぬことはない。彼らが一年で出来たことを、自分は十年かけてでも断じてやり抜くぞ」という気概をもって退転しないことが必要である。これを大憤志ないし大勇猛心といい、人生万事何をやるにも必要なものだが、禅の修行に於いては特に肝要なものである。そして禅の修行において、もう一つ大切なのは、大信根である。といってそれは、「鰯の頭も信心から」などという安直な信や、迷信・妄信では無論ない。
この宇宙と人生には不易絶対な真理が有り、釈尊はその真理を体得し、不動の悟りを把得された。その釈迦の悟りと悟りの手段とが歴代の祖師方によって滴々相承されて、今 この師家において肉体化されている。この正脈の師家に就いて如法に修行すれば、自分も釈尊と等しい悟りを体得することが出来る。
という大法と師家に対する揺がない信、これを大信根というのである。この信は世間万事において大切なものだが、禅の修行においては特に、「信無くんば立たず」で、これ無くしては命がけの禅の修行は出来ない。この点は、徹底自力の禅宗も徹底他力の浄土真宗の場合も共通である。
以上の大疑団・大憤志・大信根の三つ、いわゆる「学道の三則」を堅持して、素直に純粋に修行に励むこと、それを「行業純一」というのである。そして若き日の臨済はまさに文字通り行業純一であり、正直で純真な修行者であった。両忘庵釈宗活老師は、その著「臨済録講話」の冒頭で、将来に於ける臨済将軍の禅風、五逆雷を聞くの臨済禅も、畢竟は皆、此の行業純一から 発して居る。此の三年間の行業純一が、将来の臨済という大宗匠を生み出したのである。
と説いておられるが、まさしくその通りであり、これは我々修行者の深く肝に銘ずべきところである。そしてその「三年間の行業純一」振りをよく語るのが、本則のこれ以下のところである。詳しい講説は、両忘庵老師の「臨済録講話」に譲って、その大筋をザーッと講じて行こう。
義玄上座が黄檗山にやって来た頃、首座としてその禅堂を統率していたのは、黄檗の法を嗣ぎ聖胎長養をしていた陳睦州 和尚であった。後にあの雲門文偃の向う脛をべし折って、彼の大悟の機縁を作ったことで名高い睦州和尚である。そもそも首座(直日)というものは、禅堂の一番上座に坐って皆に号令をかけ威張っているだけが能ではない。修行者一人びとりの修行の態度を観察し、彼が今どんな事で苦しみ悩んでいるかを看破して、彼らを適切にリードし、師家の教化を扶持してこそ立派な首座というものである。陳睦州はもとより名首座で、その点に抜かりのある筈はない。多くの修行者をつらつら観察しておって、「是れ後生ないと雖も、衆と異なるところ有る」一人の若い修行者が目についた。この僧こそは若き日の臨済、義玄上座である。「こやつ、若いが修行態度が純真で裏表がなく、他の修行者と較べてその気迫も一段と充実しておる。この若者、見どころが有るわい」と看破して、或る日のこと、彼に話しかけた。
上座、此に在ることの多少の時ぞ。師云く三年。首座云く、曽て参問すや也た無しや。 師云く曽て参問せず、箇の什にをか問うを知らず。
「上座よ、お主ここへ来てから何年になるか」「はい、三年になります」「ほほう、そうか。その間に和尚の室内に入って独参したことがあるか、どうじゃ」「いいえ、一度もございません。何を問うてよいやら、分らんからです」という答えである。しかし、既に郷里の寺で僧としての教養を一通り身につけ、黄檗の会下に来て三年間坐禅をやり、講座を聴聞し、熱心に修行している。それなのに、「何を問うてよいか分らぬ」とは、いったいこれはどういう仔細であろうか。下読みの時に、こういう所こそ大いに疑問をもって、工夫しておくべき所だが、久参の者はどう工夫しておいたか。義玄上座、禅の見性のことは法理としてはよく分っており、しかもその法理では役に立たないことも、よく分っている。しかも、修行の態度が純真でまやかしがないだけに、参禅のしようが無いのである。諸士はそもそも入室参禅とはどういう営みだと思うか。悟りを「教わり」に行くのでは無論ない。自らの見解の正邪・深浅を勘別してもらいに行くのである。従って自らに自信のある見解の無い間は決して参ずべきではないのじゃ。お主らの中には、それだけの見解が出来ておらぬのに、ヒョコヒョコ入って来るものがあるが、これは大いに慎まねばならん。義玄上座、よく坐って、いわば窮しきった。大死一番の所までは行っておるが、まだ自信をもって参ずべき見解が出来ておらぬので参禅せずにおり、それを「箇の何を問うかを知らず」と答えたのである。まことに純真である。この返事を聞いて、睦州首座「こやつ、よく骨折ってるワイ」と看破し「汝、何ぞ去って堂頭和尚に、如何なるか是れ仏法的々の大意と問わざる――堂頭和尚即ち師匠黄檗和尚の室内に入り、仏法的々の大意、禅道仏法のギリギリの所、悟りとは如何なるものでござるか」と、こう問いなされと方便をめぐらした。こう指示されて義玄上座、素直に睦州の指示のままに黄檗の室内に入り、「如何なるか是れ仏法的々」と問うたら、その言未だ終らないのに、いきなりピシャリッと黄檗の一棒を頂戴した。この一棒、賞棒である筈はないが、さりとて罰棒でもない。それでは何の棒じゃ。ここが工夫の眼目である。この時の義玄上座にも勿論その棒の真意が分らなかった。いきなり一棒くらわされてションボリとして禅堂に戻って来た。これを見て、
首座云く、問話そもさん。師云く、某甲、声未だ終らざるに和尚便ち打つ。某甲会せず――あなた  の仰せの通りに仏法の大意を問いましたところ、其の声未だ終らないのに、ビシャリと打たれま  した。私には、何の事か分りません。という返事。それを聞いて「首座云く、但だ更に去って問え――それ位のことでベソをかくやつがあるか。前の通り、又、〈仏法的々の大意は如何〉と参じて来い」と首座の激励である。義玄はこう言われて、言われるままに素直に又参禅した。すると此の度もまたビシャリッと打たれた。義玄いよいよ分らなくなってしまい、ボソーッとうなだれて戻って来た。睦州、又打たれたなと分ってはいるが「どうじゃった」と問うと、義玄「ハイ、又、何もいわずに打たれました」と萎れ返っている。義玄がいよいよ二進も三進も行かない窮しきった場にはまりこんでいるのを鋭く看破して、睦州ここぞとばかり、「二度打たれ、振られた位で挫ける奴があるか。もう一度行って来い」と、更に激励した。しかし、結果は同じで「是くの如く三度問うて三度打たれる」で、いよいよ途方に暮れ、意気悄沈して戻って来た。
それにしても若き日の臨済の行業の純一さ、又、黄檗和尚のこの徹底した真切さ、ただただ脱帽のほかはない。黄檗のこの三度の棒は、先きにもいったように、罰棒では無論なく、親切極まる直指の一棒なのであるが、この時の臨済にはそれが分らなかった。しかし、列座の諸士、とりわけ久参底の諸士、この棒の真意が本当に分ったかどうか。
およそ生れるときから立派に出来ている人間などというものは、そう有るものではない。お互い同様初めは皆迷える凡夫じゃ。後には臨済禅師と仰がれ、臨済宗の宗祖となる義玄上座も、こう「三度参じて三度打たれては」、すっかり落ちこんでしまい、睦州首座に向って、「幸いに(和尚の)慈悲を蒙って、某甲をして和尚に問訊せしむ。(しかし)三度問いを発して三度打たる。自ら恨む、障縁有って深旨を領せざることを。今且らく辞し去らん」と、黄檗の会下を暫く辞去しようと涙ながらに決意を表明した。現代の我々、とりわけわが教団では、現世の不幸は前世の罪業の報いだなどとはいわないけれど、今から千年以上も前の唐代の頃には、そういう考えが一般的であった。香厳智閑もいくら参禅しても悟れず、い(人偏+為)山の許を辞去する時、そういう意味の言葉を吐いていたが、今、義玄上座もまた「自ら恨む、障縁有って深旨を領せざることを」と泣き言を吐いている。これを聞いて睦州首座云く「汝、若し去る時は、須らく和尚に辞して去るべし――お主がこの黄檗山を辞して行脚に出かけるというなら、それもよかろう。敢えて留めはせんが、黄檗和尚にご挨拶してから出かけろよ」と注意した。すると義玄、素直に「ハイ、そう致します」と礼拝して退いた。
睦州首座、義玄にこう指示しておいて、「首座、先きに和尚の処に到りて云く、問話底の後生甚だ如法なり。若し来って辞せん時は、方便して彼を接せよ。向後、穿鑿して一株の大樹と成さば、天下の人のために蔭凉と作り去ること在らん」と、黄檗和尚に進言した。今更これの解説もいるまいが、この座には新到も連なっているようだから、敢えて解説すれば、   先刻入室して「如何なるか仏法的々の大義」と三度問うて三度打たれた若僧を和尚は覚えていらっしゃるでしょう。あの若僧は近頃珍しい純真で如法な修行者でありますが、当山を退去して行脚に出かけたいと申しております。明日、そのご挨拶に参上する筈ですが、参りましたら何卒宜しく方便をめぐらして下さい。彼は今後、よく手入れをし育てるならば、すばらしい大樹となり、天下の人びとのために一大蔭凉となる人物だと愚考するからであります。
というようなことである。「穿鑿」とは彫刻する、鍛練するという程の意味であるが、ここでは「大樹」であるから、よく肥料をやり手入れする位の意味にとっておいてよかろう。次ぎに「蔭凉」とは、炎天下の広野に亭々と聳え、四方に大きな日蔭を作り、旅人に涼しい憩いの場を提供する大樹のこと、人間だけでなく、空飛ぶ鳥たちにも水飲み場とねぐらとを提供する大樹や、砂漠の中のオアシスのことである。総じて迷い疲れた衆生のために、このような蔭凉となること、それが宗教家別して菩薩の使命である。義玄が将来すばらしい大宗教家になるであろうことを予言した言葉である。それはともあれ、首座といい直日たる者は、大衆に対し、まさにこの睦州首座のように細やかな行届いた心遣いを持つよう心がけるべきである。この支部にも公案が透らず挫折しかけているもの、色々な事情で退転しかけている者があるだろうが、直日や支部長は彼らに逢って其の事情をよく聞いてやり、激励したり相談に乗ってやるがよい。しかし、どうしてもやめたいという者がある時には、「そうか、それにしても、老師にお目にかかり、ご挨拶してからにしなさい」と指導しておくことだ。脱線を承知の上で脱線しておく。
扨て翌日になって、義玄上座「永らくお世話になりまして有難うございました。今般、思う所がありまして当山を離れ、行脚に出かけることに致しました」と挨拶に参上した。昨日の首座の進言で、あらかじめこの事を知って方便を工夫していた黄檗、「お主、この山を下って行脚に出かけるそうじゃが、高安灘頭の大愚和尚の処に行って、そこに掛錫しなさい。其のほかの寺に行ってはならぬぞ。大愚和尚なら必ずや、本当にお主のためになる指導をして下さるだろう」と指示された。ちなみに大愚という和尚は、南岳の法系の帰宗智常の法を嗣ぎ、今日の江西省瑞州の高安に住していた有力の宗匠である。義玄上座はこの時もまた黄檗の指示のまま素直に、高安の大愚和尚を訪れた。すると当時の禅界一般のならいのままに
大愚問う、什もの処よりか来る。師云く、黄檗の処より来る。大愚云く、黄檗何の言句か有りし。師云く、某甲、三度、仏法的々の大意を問い、三度打たる。知らず、某甲、過有りや過無しや。
と初相見の問答が展開された。ここで見逃してならないのは、義玄が「知らず、某甲、過有りや、過無しや」と言っていることである。後に臨済禅師となる義玄も、この時はなお、三度問うて三度打たれたのは、自分に何か落度があり、その罰で打たれたものと思いこんでいることである。迷っている間というものは、仕様のないものだが、これを聞くと大愚和尚、「黄檗、与もに老婆心切なり。汝が為に徹困なることを得たい。(然るに汝)更に這裏に来って有過無過と問う ――黄檗和尚はなんとまあ老婆心の切実なことよ。お主のためにそこまで親切に指示して下さるとは。まさに身に余る親切というものだ。それなのにお主はその親切な指示、三度の棒の真意が呑みこめず、儂の処へ来て過有りや無しや、どこが悪かったのでしょうかと問うている。〈親の心、子知らず〉とは貴様のことじゃ」と、思わず叱咤された。と、その途端に「義玄、言下に於いて大悟」し、まるで別人のように生まれかわった。これは大愚和尚の力によるのではない。永年の行業純一な修行によって、義玄の禅定力・三昧力が熟しきっていたからである。たとえが、いささか汚いが肉体の出来物がよく熟んでくると、針の先端が当ったか当らぬに出来物が破れて、膿がモロモロと溢れ出てくるように、禅定力さえ熟していると、ちょっとした刺戟で、これ迄どうしても破れなかった堅い公案の殻が、何かの拍子にカラリと破れて悟りが開けるものである。大愚の言句は、その針の役割をはたしたにすぎないのだ。
それはそうと、つい今先きまで「知らず、某甲、過有りや過無しや」などと泣き言をいいションボリしていた義玄、大愚の言下に大悟するや否や、言うにことを欠いて「元来、黄檗の仏法、多子無し――黄檗の仏法はさぞかし玄々微妙なものだと思っていたが、なーんだ、こんなものか、大したものじゃないわい」と吐かした。更にいえば、「仏法的々の大意、禅の悟りというものは、高尚難解で特別なものだと思っていたが、案に相違して平凡尋常なものじゃわい」と吐かした。すると「大愚、すう住 して云く、這の尿牀の鬼子、適来、有過無過と道い、如今却って道う、黄檗の仏法多子無しと。汝、箇の什ゥの道理をか見る。速やかに道え、速やかに道え」と迫った。大愚、義玄の胸倉をグイッとつかんで、「この小便垂れ小僧め。つい今先きまで過有りや無しやなどと泣言をいっていたのに、その舌の根も乾かぬうちに、こんどは〈黄檗の仏法、多子無し――禅の悟りなんて大したものじゃないわい〉と吐かしている。いったい〈箇の什もの道理をか見る――何をどう悟ってその言が出た〉、さあ、どう悟ったか、道え、道え」と形相すさまじく迫ってきた。しかし、この時、義玄少しも騒がず「大愚の肋下を築くこと三挙した――大愚和尚の脇腹をコツンコツンと軽く三つ突っついた」〔老師、ここで手にしておられる笏で、見台を軽く三つ叩かれた〕。これはいったい何の消息か。どういう意志表示か。先きの黄檗の棒とこの三挙と孰れぞ。是れ同か是れ別か。大愚、脇腹をコツコツコツと三挙されて、「ウン、これなら行けてる」と判断し、さて義玄をボーンと托開しておいて「汝の師は黄檗なり、我が干かる事に非ず。――お前の師匠はやっぱり黄檗じゃ。お主のこの悟りは、黄檗の棒のお蔭であって、儂の知ったことじゃない。まごまごしておらんで、黄檗の許へトットと帰れ」と言われた。大愚には、すぐれた修行者だから他所へやるまい、などというケチな料見は微塵もない。まことにきれいなものじゃ。
さて義玄上座、黄檗の棒の真意がよく分り、その親切が身にしみたものだから、大愚の「トットと帰れ」という言葉を素直に受けて、「大愚を辞して却回し」、戻って来て、唯今戻りましたと黄檗の方丈へ挨拶に参上した。すると黄檗「箇の漢、来々去々して什もの了期か有らん――貴様、つい先日当山を辞して大愚の処へ行ったと思ったら、忽ち戻って来たが、そのようにあちらの道場、こちらの道場とウロつき廻っていたのでは、絶大な信に裏づけられた本当の悟りには、いつ迄たっても到達できないぞ。〈我れ今日在ることを得たり〉という大満足・大安心の境涯を得ることは出来ないぞ」ときめつけた。確かにその通りだ。方々の禅堂を渡りあるき、師家の室内を覗き見して「あの師家の室内はこうじゃ、この師家の室内はああじゃ」などと、偉そうに評判している禅学者がおるが、そのような信の無い修行では、大道の真の体得は到底覚束ない。このこと、よくよく肝に銘じておくように。
それはそうと、黄檗からこうきめつけられて、義玄、それを軽く受け流して逆らわず、「祗だ老婆心切なるが為なり――ハイ、和尚の御親切が身にしみて分ったので戻って参りました」といって、再入門を許すとも何とも言わないのに「人事し了って侍立」してしまった。ここで「人事」とは挨拶すること、「侍立す」とは、侍者の居るべき定位置、師家の左斜め後に控えることで、義玄いわば自分免許で黄檗の侍者になってしまった。泣き言をいって山を下った頃と全く面目一新である。さて黄檗、やおら義玄の方を振り向いて、「お主、どこへ行って来たか」と問うと、「ハイ、和尚の御指示のままに高安の大愚和尚の処へ行って参りました」との返事。そこで「大愚、何の言句か有りし――大愚、どんな説法をしたか」と問われると、義玄、大愚の処での顛末をありのままに話した。すると、黄檗「大愚の饒舌、(彼の)来るを待って痛く一頓を与えん。――大愚のおしゃべり奴、いらざるお節介をしおって。奴がこの次来たら、コッ酷く三十棒を食らわしてやろう」と大変な権幕である。しかし、これは言葉の表面とは裏腹に「いや、適切な指導をして下さって有難う」という感謝の思いがこめられているのである。およそ禅者の言葉というものは、表面をなぞったのではその肚は分らん。「抑下の卓上 」という場合もあり、その反対の場合もある。ここは「口でけなして心でほめる」という抑下の卓上である。
黄檗が「大愚の饒舌、来るを待って痛く一頓を与えん」と言うのを聞くや、義玄「なんぞ来るを待って説かん。即今便ち喫せよ――和尚よ、大愚和尚がお出でになるのを何も便々と待つ必要はございません。即今唯今、思いきって三十棒を食らわせましょう」といって、後ろから黄檗の横っ面をビシャリと打った。大愚と黄檗と不二、同じ穴のむじながここにいると見てのことで、これなら彼の悟りは確かであり、真正である。これはもとより大道の商量の場に於いての事である。お主ら、下手に真似などしないように。
自分免許の侍者義玄からピシャリと一発やられて「黄檗云く、這の風頓漢、這裏に却来して虎鬚を桴ず――この気ちがい坊主、ここに戻って来て、又泣き言でもいってベソをかくのかと思ったら、虎の鬚をひっぱるような真似をしやがる ……」というや否や、義玄「カーッ」と一喝を吐いた。〔老師、怒雷のような一喝を吐かれる〕。これが、後に「徳山の棒」と並んで有名になる「臨済の喝」の吐きはじめである。先きの一掌に加えて、今この喝を聞いて、黄檗和尚「侍者よ、這の風頓漢を引いて参堂し去らしめよ――侍者よ、この気ちがい坊主を僧堂に連れて行って、單即ち坐る場所を与えてやれ。彼の参禅を許可する」と言われた。これは義玄の悟境を大いに肯った語である。「大丈夫、三日見ざれば、刮目して見るべし」という語があるが、義玄の如きはまさにこの語の通りで、純一無雑な修行によって一旦悟りを開くや、全く別人のように生まれ変り、素晴らしい道力を身につけて堂々と登場してきた。諸士もこういう活きいきとした悟りを開き、活溌々地の機用を得るように、若き日の臨済を模範として、純一無雑に修行にうちこめ! 摂心は今や最中、全員打って一丸となって驀進せよ! 
臨済、半夏、黄檗に上り、和尚の看経するを見て云く、我れ将に謂えり、是れ箇の人と。元来、是れあん(手偏+音)黒豆の老和尚。住すること数日にして辞し去る。黄檗云く、汝、夏を破って来り、夏を終えずして去る。済云く、某甲、暫く来って和尚を礼拝するのみ。黄檗、遂に打して追うて去らしむ。済、行くこと数里、此の事を疑いて却回して夏を終う。 済、一日、黄檗を辞す。檗問う、什れの処にか去る。済云く、是れ河南にあらずんば、便ち河北に帰らん。黄檗、便ち打つ。済、約住して一掌を与う。黄檗、大笑して乃ち侍者を喚んで云く、百丈先師の禅版・机案を将ち来れ。済云く、侍者よ、火を将ち来れ。黄檗云く、然も是くの如くなりと雖も、汝、但だ将ち去れ。已後、天下の人の舌頭を坐却し去ること在らん。 大愚の許から黄檗の会下に却回して後の義玄の修行振りは、活溌々地ながらも依然行業純一、真剣其物で、従ってその悟境の向上は目ざましいものがあった。その詳細は今は省略するが、遂に黄檗の法を嗣ぎ、その印可を受けるに到った。本則はその嗣法の因縁の一則である。しかし、この一則はわが教団では「臨済破夏」と題し、末後向上の一則として扱っているものであるから、その真味の味わいは室内の研鑚にゆずり、ここでは一通り講ずるにとどめておくほかはない。
およそ唐代の禅寺では、インドの仏制に倣って、陰暦の4月16日から7月15日までの90日間を夏安居と称し、禅僧たるものは必ずどこか最寄りの禅寺に寄宿し、門外不出で修行に専念すべきものとされていた。そしてこの夏安居に参加する者は、おそくも夏安居の始まる前、即ち結制迄に必ず寺に入り、七月十五日、夏の終る迄は寺を去ってはならぬ定めであった。ところが臨済、どこをどう行脚していたものか、この仏制に従わず、夏安居の始まって暫くたった夏の半ば頃、ここにいう「半夏」に黄檗山にヒョッコリ上参して来た。丁度その時、黄檗和尚は熱心に看経、即ち経文をムニャムニャと読誦しておられた。これを見て臨済思わず「我れ将に謂えり、是れ箇の人と。元来、是れシ黒豆の老和尚」と口走った。その意味は「儂は今の今まで、わが黄檗老漢こそ世間一般の僧とは異なる別格の偉い方だと思っていた。だが今来てみれば、何のこったい、そこら辺の僧侶と変らぬ経文読みの老和尚に過ぎないとは」ということである。ちなみに「あん黒豆」とは「黒豆食い」という意味で、経文の文字が黒豆をならべたようになっていることから「看経」をさしていうのである。この一語は師匠の黄檗を罵り揶揄したもので、非礼というべきであるが、臨済は勿論単に「見そこなった」という幻滅感からこの語を吐いたのではない。では、この一語を吐いた臨済は、この場合、どういう見地に立っていたのであろうか。ここが本則に於いて究明すべき第一点である。サー、どうじゃ〔老師、大衆をズーッと見まわさる〕。
臨済は仏制に反して、夏安居の半ばに黄檗山に上って来たのであったが、数日とどまっただけで山を下ろうとして、暇 を告げに黄檗の許にやって来た。これは無論、仏制違反である。そこで黄檗「汝、夏を破って来り、夏を終えずして去る」とは、仏制違反で不心得も甚だしいととがめた。それに対して臨済「某甲、暫く来って和尚を礼拝するのみ――私が山に参りましたのは、別に夏安居に参加するが為ではありません。ただ久し振りに和尚の尊顔を拝したいがためだけのこと、それも相済みましたので下山しようというわけです」と、答えてすましている。臨済はもとより夏安居の制が有り、自らの行為がそれに違反するものであることは百も承知の筈、しかもその「破夏」を敢えて平然とやろうとしたのは、どういう料見からであろうか。ここは大いに吟味してみる必要のある所である。私はここの臨済の料見をこう見ている。
およそ大修行底の禅者は、戒律も規矩をも高く超越し、それらに縛られることはない。自分は今やまさにその大禅者の境涯に達しており、夏安居の規則などにはとらわれない。
という自負が、彼をしてこの破夏を敢えてさせたのではなかろうか。しかし、この自負はやがて慢心に通ずるもので、微小だとはいえ心の瑕であり、これが有っては大器は成就しない。黄檗和尚、これを看過する筈はない。果然、ビシャリッと臨済を打ちのめした。この「打つ」は臨済を肯わないので打ったもの、いわば罰棒である。しかし黄檗、打っただけでは納まらず、怒りを面にあらわして、彼を山門の外まで追出してしまった。追い出された臨済はそのまま数里行ったが、いつもと変る師の怒りの形相が目に浮び、「師はなぜ、あそこまで怒られたのか、自分のどこに非が有ったのか」という大疑団が湧き起ってきた。そこでこの疑団を解決せずにおれなくなって、途中から黄檗山に却回した。そして熱心に修行に努め、夏安居を終えた。我を張らず途中から却回したところは、流石に臨済であり、これ有るが故に後の臨済禅師が有るといって過言ではない。
次に「臨済、一日、黄檗を辞す」とある。夏を終えた臨済は、黄檗の処へ下山の挨拶に赴いた。すると黄檗「お主、これから何処へ行くつもりじゃ」と問うた。すると臨済云く「是れ河南にあらずんば便ち河北に帰らん」「ハイ、河南でなければ、河北に帰ることになるでしょう。足の向いた方に行くつもりです」と答えた。臨済としては、行雲流水のような自由無礙な自らの悟境を正直に披瀝したつもりであろうが、そこに一抹の気取り、普通の人なら気のつかぬような、微かな臭みがなお残っている。それを見逃す黄檗ではない、そこで又ぞろビシャリと打った。臨済打たれて最後の臭みがとれ本当の無心になった。その途端どうじゃ、臨済「約住して一掌を与う」で、いきなり黄檗の胸倉をつかんでビシャリと打ち返した。これは勿論、世間底の人情感情からではない。「棒下の無生忍、機に臨んで師に譲らず」という語があり、又「父に迷子の訣有れば、子に打爺の拳有り」という語もあるが、まさにその「打爺の拳」である。
ところで、弟子に打たれて黄檗、満面に朱をそそいで怒るかと思いきや、さも我が意を得たりとばかりに、腹の底から呵々大笑して、さて侍者を喚び「百丈先師の禅版・机案を将ち来れ」と命じた。かつて自分が先師百丈和尚から、嗣法の徴しとして付授された禅版と机案(どちらも坐睡する時に体を支える木製の道具)とを持ってこいというのである。それを伝法の徴しとして、今度は臨済に付授しようというのである。それを聞いて臨済、嬉しがって三拝九拝でもするかと思ったら「侍者よ、ついでに火も持って来い」と叫んだ。「そんなものは真平御免じゃ」という肚であり、古人はそこを見て「好児、爺銭を使わず」と著語してござるが、よく味わって見なされ。これに対して黄檗和尚、おだやかに、「然も是くの如くなりと雖も、汝、但だ将ち去れ。已後、天下の人の舌頭を坐却し去ること在らん――確かにお主のいう通りじゃがな、まあ、黙って持って行きなされ。お主が儂の正脈の法嗣であることに就いて、他日、人をしてとやかく言わせない為じゃ」と言われた。これで、歴代の仏祖が正伝してこられた大法を荷担した一人の仏祖、臨済義玄禅師が堂々と誕生した。
 本則、簡単にやるつもりだったが、思わず長くなってしまった。禅家における最後の仕上げというもののきびしさ、又、師匠からいえば伝法、弟子からいえば嗣法というものがどういうものか、久参の者はよく拝んでおくように。ハイッ!  
臨済、遷化に臨み拠坐して云く、吾が滅後、吾が正法眼蔵を滅却することを得ざれ。三聖 、出でて云く、争でか敢えて和尚の正法眼蔵を滅却せん。済云く、已後、人有って汝に問わば、汝、他に向って什んとか道わん。三聖便ち喝す。済云く、誰か知らん、吾が正法眼蔵、這の瞎驢辺に向って滅却することを。言い訖って端然として示寂す。
本則は、わが教団では「瓦筌集」に「瞎驢滅却」と題して採録し、重視している公案の一つである。その深甚な宗旨は参じて体得するほかはないが、一通りの意味だけでも講じておこう。ここに「臨済、遷化に臨み」とあるが、先ずこの「遷化」について私見を述べておきたい。遷化という語は僧侶、とりわけ偉大な禅僧の「死」に用いられる語で、入滅・滅度・順世・円寂などと同義語である。その語の由来は、これ迄この娑婆世界で衆生を教化していたが、今やその化縁が尽きて、その教化の場を他の世界に遷すという意味だと解説されている。しかし「教化の場を他の世界に遷す」などというと、この現世のほかに別に世界がある、来世が在るのを前提することになるので、私はこの「遷化」という語は使いたくない。私はこれに代えて「帰寂」という語を使っている。では、死を帰寂というのは何故か。
およそ我々人間をはじめ一切の生物は、深海のような寂然不動・無限絶対の場から、衆縁和合して、あたかも水の泡のようにヒョッコリと相対の相をとって此の世界に現われ、しばらく光り輝いているのであるが、それが生である。しかし水の泡がやがてポイと破れて元の水に帰するように、又もとの寂然不動の場に帰って行く、それが死である。寂然不動の場から来て、又もとの寂然不動の場に帰って行く、それが人間の一生である。その意味で死は帰寂とよぶのが最も適切だというのが、私の考えである。
臨済大和尚と雖も人間であり、死を免れることは出来ない、いよいよ寂然不動の世界に帰る即ち帰寂の時を迎えた。すると臨済、今まで床に横たえていた体を起し、居ずまいを正して坐り直した。即ち拠坐した。その床の周りには、法嗣の三聖慧然をはじめ弟子らが侍っていた。床の上に坐り直した臨済、やおら弟子たちを見まわして「吾が滅後、吾が正法眼蔵を滅却することを得ざれ――儂の帰寂した後、儂の護持して来た大法を滅却するようなことがあってはならぬぞ」と、おごそかに宣せられた。ここに「正法眼蔵」とは、かつて釈尊が例の霊鷲山における「拈花微笑」の大説法の後、「我れに正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門有り」といって、迦葉に伝えられ、爾来、インドの二十八祖、達磨大師によって中国に伝えられ、やがて六祖慧能を経て南岳−馬祖−百丈−黄檗そして臨済へと相承されて来た大法のこと、わが教団の「立教の主旨」にいう「仏祖の慧命」のことである。この嫡々相承されて来た大法、仏祖の慧命を断絶せしめることなく、いよいよ進展させること、それが師家たる者の最高の使命であり、最大の責任である。帰寂に臨んで臨済が「吾が正法眼蔵を滅却させてはならぬ、大いに進展せしめよ」と遺言されるのはいかにも尤もなことである。
この遺言を承って、その場にいた弟子たちの中で大先輩格の三聖慧然が一膝乗り出して、「争でか敢えて和尚の正法眼蔵を滅却せん――和尚が命がけで護持して来られた大法、必ず護持して参ります。滅却するなどということは決して致しませんから、何卒ご安心下さい」と言上した。しかし臨済はこれだけでは納得せず、安心せず「已後、人有って汝に〈如何なるか是れ臨済の禅〉と問わば、汝、他に向って什んとか道わん」と念を押した。凛々たる威風、帰寂に臨んで些かも衰えずだが、臨済がこう念を押すや否や、三聖、間髪を容れずカーッと一喝吐いた〔老師、大喝一声なさる〕。まさに「日月も照臨し到らず、天地も蓋覆し尽さず」という一喝である。
「徳山の棒、臨済の喝」といわれるように、喝は臨済の命であり真骨頂である。三聖はこの時には既に臨済の肚をソックリ我がものとして、彼の法を嗣いでおり、今、この場に臨んで師の真骨頂を自らのものとして肚の底から吐きだしたのである。臨済、この一喝を聞いて「これなら、よーし」と安心したに違いないのに、あたかもこれを肯わないかのように、「誰か知らん、吾が正法眼蔵、此の瞎驢辺に向って滅却せん――儂の大法も、この盲目の驢馬、耄碌弟子の代で滅びてしまうわい」と、最後までいわゆる「迷子の訣」を振るわれた。だが、この語の真意はどういうことであろうか。およそ大法というものは、「大馬鹿者」でなければ到底荷担出来ないものである。ここに「瞎驢」とはその大馬鹿者の謂いである。従って臨済のこの語は、三聖を大いに肯い、自らの安堵の思いを逆説的に表現したものである。毎度申すことだが、禅の語録を読む場合には、文字の表面にとらわれず、その肚を看破することが、何よりも心すべきことである。
それはともあれ、臨済、三聖のこの一喝を聞いて「これならば……」と安堵し、その思いを逆説的に表現し終って「端然として示寂」された。「臨済録」の「行録」の最後に添えられた「臨済小伝」によると、時に唐の咸通八年の一月十日のことであった。但し、臨済の生年が不詳なので、時に何歳になっていたかは分らない。 なお、この三聖慧然は臨済院とさほど隔 っていない鎮州の三聖院に住していた有力の僧であるが、嗣法の弟子の無いままに帰寂してしまった。そこで三聖の後輩にあたる興化存奬が臨済の正脈を嗣ぐことになるのであるが、それはやがて「臨済宗の展開」の章で触れることになろう。 
臨済録
上堂して云く、赤肉団上に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ、看よ。時に僧有り、出でて問う、如何なるか是れ無位の真人。師、禅牀を下って把住して云く、道え、道え。其の僧、擬議す。師、托開して云く、無位の真人、是れ什んの乾屎けつ(木編+蕨)ぞというて、便ち方丈に帰る。
臨済義玄は黄檗希運に嗣法した後、暫く諸方の尊宿を歴訪していたが、いつの頃からか河北省の鎮州に居を定め、同地方のいわば知事の任にあった通称を王常侍という王敬初居士の帰依を受け、その援助でk陀川のほとりに臨済院を創建し、そこを根拠に大法を挙揚していた。ここにいう「上堂」とは、その臨済院における上堂説法のことである。なお上堂とは七堂伽藍の一つである「法堂に上る」更にくわしくいえば、「法堂の講座台上に上る(陞る)」ことで、「陞座」ともいう。臨済或る時、その上堂をして「赤肉団上、一無位の真人有り――汝らのその五尺の肉体上に、これ以上尊い者はない真人が宿ってござる」と、禅の玄旨を端的に示された。「赤肉団」とは切れば血も出るこの肉体のことであり、「無位」とは「無価の珍宝」の無価などと同じく、人間社会の相対的な物指では計ることの出来ない絶対無上の位ということである。「無位の真人」とは、仏に在って増さず、凡夫に在って減ずることなく、万人に本来具わっているという仏性のこと、六祖のいわゆる「本来の面目」のことである。お互いが坐禅するのは、要するにこの本来の面目、無位の真人をはっきりと見得し、これをスクスクと育てんがためである。
この無位の真人がこの五尺の肉体に宿っており、「常に汝等諸人の面門より出入す」というのである。この肉体と共にあり、眼耳鼻舌身意の六根から常に出入し、いつも形影相伴うているというのである。悟ってみれば正にその通りなのであるが、悟らないうちは「百姓は日々に用いて相知らず」で、一向にそのことに気づかず、その尊貴をけがして下劣の漢となっている。それでは申訳ない話だ、行住坐臥共に一緒であるその無位の真人に、はっきりとお目にかかったことのない者は、さあ看よ看よ、トックリと拝めといって、臨済、講座台上からその身をヌーッと突き出された。いかにも臨済の宗風丸出しのキビキビとした大説法である。
すると一人の僧が、これに釣られて出て来て、「如何なるか是れ無位の真人」と問いを発した。臨済、この僧の登場を待っていたかのように「禅牀を下って把住し」、講座台からポイと下って、その僧の胸倉をグッとつかんで、「是れ什んぞ、サァ道え道え」と迫った。これで「アッ、これだ」と気がつかなければならぬ所だが、この僧、まだそこ迄熟しておらず、臨済のすさまじい権幕に押されて、ついグジグジッとした。「擬議」した。これでは芝居にならない。そこで臨済この僧を力いっぱい「托開」突きはなした。そして「無位の真人、是れ什んの乾屎けつぞ――無上の尊貴の身でありながら、これでは屎かきべらの値打ちも無いわい」といって、そのままスーッと方丈へ帰ってしまった。お主らならば、「道え、道え」と迫られた時、何と挨拶するか。臨済和尚、思わず快哉を叫ぶような挨拶をして見ろ、どうする、どうする。  
師、衆に示して云く、無事是れ貴人。但だ造作すること莫れ。祇だ是れ平常なり。
「臨済録」には、「臨済四料簡」「四賓主」「賓主歴然」「臨済四喝」など、わが教団で公案として使われ実参実証の上で体得すべきものとされているものが少なくない。それらは下手に講ずると、見解を示唆することにもなりかねないので、皆は聞きたかろうが、「君子は危うきに近よらず」で、棚上げにしておいて、公案とされていないで、しかも含蓄が深く宗旨の明諦な章節を選んで講ずることにしよう。ところで臨済には、人口に膾炙した名句が多いが、中でも有名で一行物などとしてよく揮毫されるのが、ここに挙げた「無事是れ貴人」である。
ここでいう「無事」は、「途中、交通事故にも遭わず、道に迷うこともなく、無事に到着し」などという、あの無事のことではない。また、何もしないで無為徒食していることでもない。では、どういう意味であろうか。その意味を臨済は、これに続けて「但だ造作すること莫れ。祇だ是れ平常なり」と註解している。およそ「造作する」とは、そこら辺の小才子がよくやるように、小ざかしく思慮分別をはたらかせて、あれこれと小細工することである。そういう小細工・造作をせず、南泉和尚のいわゆる平常心から、当り前の事をスラリと当り前にやること、それがここにいう平常の真義である。
世間では「無造作」ないし「造作無い」という言葉を、「むずかしい」の反対の「たやすい」という意味でよく使うが、実は「造作しない」ということは容易なことではないのである。本当の意味の無造作は、修養もせずに本能のままに勝手気ままに行動することではない。きびしい規格に従って如法に修行して悟りを開き、更に悟後の修行にはげんで悟りの臭みを抜き、そうして到達した迷悟両忘の境涯から、あたかも水が低きについて流れ、春到って花が自ら開くように、些かのはからい心もなく、文字通り自然法爾にはたらき出してこそ、まことの無造作というものである。そしてここにいう無事とは、まさにこの境涯の謂いなのである。
次に「貴人」とはどういう人のことであろうか。それは今更いう迄もなく、いわゆる貴族階級の人とか、位階勲等の高い人のことではない。万人に本来具わっている仏性を円満によく育てあげた人、小人 に対する大人、前に講じた「証道歌」の冒頭に「絶学無為の閑道人、妄想を除かず、真をも求めず」とあったが、その「絶学無為の閑道人」、それがここにいう「貴人」の真義である。重ねていえば、「無事是れ貴人」とは
無事の境涯に達した人物、絶学無為の閑道人こそは、まことの貴人・大人である。逆に いえば、本当に出来た人とは、無事、無作無心の境涯に遊ぶ人のことである。
と要約してよいだろう。お互い、どうぞしてこの意味での貴人に一歩でも半歩でも、近づきたいものである。そのためにも、この摂心、大いによく坐ろうや。 
師、衆に示して云く、道流よ、仏法は用功の処無し。祇だ是れ平常無事なり。あ(尸+阿)屎送尿、着衣喫飯、困し来れば即ち臥す。愚人は我を笑わん、智は乃ち焉を知る。
臨済、或る時、会下に集まって来た修行者らに向って、「道流よ」と呼びかけておいて、さて「仏法は用功の処無し」云々と説法の本筋に入られた。「道流」とは仏道の修行をする輩 ということで、ここでは道友の諸士という程の意味である。ところで、「仏法は用功の処無し」とはどういうことであろうか。ここで「用功」とは、本来「功勲・修行・造作のことだ」と注されている。思慮分別をめぐらせて、あれこれと作為することである。従って「用功の処無し」とは、日常の生活において、そのような作為をせず、自然に任せて行動することである。世間の人びとの多くは、仏法というものは、我々の日常生活とは異なった何か特別の行をするものだと思っているようだが、そうではない。「祇だ是れ平常無事」に行動し、自然体で事に当ること、それが本当の仏法であるというのである。そしてその「平常無事」に就いては、先きに「無事是貴人」の段で説いたから、今またくりかえすことは避けるが、要するに些かも造作にわたらず、自然法爾にスラリとはたらくことである。
臨済こう言っておいて、次に無功用・無造作の作用の実例を挙げた。それが、「あ屎送尿、着衣喫飯、困し来れば即ち臥す」である。便意を催してきたら糞を垂れ小便をし、寒くなったら衣を添え、腹が減ったら飯を食い、くたびれたらゴロリと寝る、そこには些かの作為もない、まさに無功用のはたらきであるが、このように無造作の日常の生活や行為を離れて別に仏法は無いというのが、臨済のここで言おうとしている眼目である。が、しかし、こういうと「愚者」考えの浅薄な人々は「仏法とはなーんだ、それだけの事か、それなら何も修行などする必要もあるまい」と笑うであろう。「仏法を日常生活と離れた別次元のものと考え、仏法に何か殊勝げなはたらきや霊験を期待している俗物は、儂がこう説くのを聞いてガッカリし、なーんだ、つまらない」と嘲笑するであろう。しかし「智者は乃ち焉を知る」で、物の道理を心得た知者は「真の仏法とはそういうものか、これは恐れいった」と納得し畏敬するであろう。これで、この(3)の提唱は終りにしてよいのであるが、浅薄に解して誤解されても困るから、もうすこし講じておこう。
臨済のこの「あ屎送尿、着衣喫茶……」云々の句は、実は彼の創作ではなく、嵩山普寂の法を嗣ぎ、山居生活を送った初唐の頃の僧、南岳の懶さん(王+賛)和尚の「餓え来れば飯を喫し、困し来れば即ち眠る。愚人は我を笑うも、智は乃ち焉を知る。是れ鈍痴なるにあらず、本体如然たるが故なり」を下敷にしたものである。そんなわけで、臨済の本当の肚を知るには、この偈をものした懶さん和尚の人となりと、その生活を知っておくとよい。で、一言、それに言及しておこう。
懶さん和尚の出た頃、都長安では南陽の慧忠国師が粛宗皇帝の帰依を受けて顕栄を誇っていたが。一方、この懶さん和尚は南岳(衡山)の石室中に隠栖し、貧寒な生活をしながらも毎日正念相続に余念が無かった。しかしその盛徳がいつか徳宗皇帝の耳に達し、彼を長安に迎えるための勅使が石室に派遣された。折しも彼は乾いた牛糞を焚いた火で芋を焼いて食っていて、折角の勅使を礼を以て迎えようともしなかった。折しも寒い季節でもあったのであろう、水洟が垂れて頤まで届いているのに、それを拭おうともしないので、勅使がたまらなくなって「その水洟を拭いなされ」と注意すると、和尚「我れ今、正念相続の最中なり、豈に俗漢の為に洟を拭うの暇有らんや」といって顧みず、ついに勅命を拒否して山を下らなかったという和尚である。先きの偈は和尚の此の正念相続「本体如然」の境涯、更にいえば悟了同未悟・無事平常の境涯から生まれたもので、修行もしないものが自己の俗生活を正当化して嘯 いているのではない。ここをよく弁別しておくように、呉々も注意しておく。ところで、この座を見渡すと、解せぬ顔をしている者もあるから、悟了同未悟について、老婆親切にもう一言添えておこう。未だ富士山に登らず、富士山を眺めている人も、麓に立つ人だが、富士山の頂上を究めて下山して山を顧みる人も、同じく麓に立つ人である。同じく「麓に立つ人」ながら、両者の境涯には雲泥のちがいがある。「仏法は用功の処無し」とは、この後者の悟了同未悟の境涯、本体如然の境涯に立って、はじめて言えるもの、味わえるものである。安易にとられては申訳ないので、つい、くどくなってしまったわい。 
師、衆に示して云く、古人云く、外に向って工夫を作すは、総に是れ癡頑の漢なり。汝且らく、隨処に主と作れば、立処皆真なり。境来れども回換することを得ず。縱い従来の習気・五無間の業有りとも、自 から解脱の大海と為る。
ここに「古人云く」とあるその古人は、つい今先きも登場した懶さん和尚のことで、釈宗活老師の御著「臨済録講和」にはその原文が引用されている。しかし、今その原文を再引用することはやめて、端的に「外に向って工夫を作す、総に是れ癡頑の漢」とはどういうことか、その吟味に入ることにしよう。その場合、肝心なことは、「外に向って工夫を作す」というが、何を求めて工夫するのか、工夫の目標が何かを明らかにすることである。それに就いては、求めるものを、人生の生き甲斐や幸福と解して、「人生の幸福を、富だの、地位だの、名誉だのというように、世俗的なものに求めるのは、愚か者のやることだ」と解しても、一応筋が通る。しかし、この示衆の全体の構成からみると、それは次のように解釈するのが臨済の肚に最も近いと思う。
およそ仏法はこの五尺の肉体に宿っており、「無位の真人」はこの我と常に形影相伴い、いつも同行二人で行動している。だから、見性成仏をはかろうというならば、その仏性を内に向って求めればよい筈なのに、初心の間はそれをどうしても外へ求めたがるものである。既に何回か講じた「十牛図」の「第一撥草尋牛」のところに、「只管、区々として外に向って尋ぬ、知らず、脚底己に泥深きことを」という石鼓の夷和尚の頌があったが、仏性をただ外へ外へと求めるのが実情である。それは「牛に乗って牛を求め」「含元殿裏に長安を問う」もので、まことに馬鹿げた愚者の所行といわねばならない。「外に向って工夫を作す、総にこれ癡頑の漢」とは、このことを言ったものである。
仏性は自己の外ではなく内にあるのであるから、内に向ってこれを求め、坐禅三昧の力によってこれを徹見し、徹見したらこれをスクスクと育てあげ、いつでも、どこでも真実の自己として在るように鍛えあげていくのが、禅の修行である。そしてついに、万縁万境に対して主体性を確立して生きるようになること、それがここにいう「隨処に主と作る」ことである。「無門関」の第十二則に、瑞巌師彦の「主人公」の一則が採られているが、彼は「毎日、自ら主人公と喚び、復た自ら応諾す。乃ち云く、惺々着! 諾。他時異日、他の瞞を受くること莫れ、諾! 諾!」と、悟後の修行に努めていたというが、こうして「他の瞞を受くること無く」、主人公がいつでもどこでも惺々として他に君臨していること、それを「隨処に主と作る」というのである。
釈迦は「我れ法王となって、法に於いて自在なり――私は万物の主人公となって、万物を自在に駆使している」と述懐している。また趙州従ねんが「他は十二時に使われ、我れは十二時を使う」と公言したことは、先きに「趙州録」を講じた時に説いた通りで、これが「隨処に主と作る」の本当の意味である。そしてもし、このように主人公・無位の真人が隨時、隨処で万縁万境を使いこなして行くならば、その言行云為はみな自から真理に契い、その場がそのままで真実の妙境となることは当然のことである。それをここに「立処皆真なり」と表現したのである。 「万物の主人公となって万物を自在に駆使する」という「隨処に主と作る」境涯というものは、それは孟子のいわゆる「大丈夫」の境涯であって、「富貴も淫する能わず、貧賤も移す能わず、威武も屈する能わず」で、真の大丈夫は境によって動かされることはない。それを「境来れども回換することを得ず」と言ったのであり、これは理の当然のことである。そして臨済はそれを更に「隨処に主と作れば、縱い従来の習気、五無間の業ありとも、自から解脱の大海と為る」と強調して、この示衆を結んでいる。これは法律は勿論、倫理道徳の世界を高く超越した宗教の世界に属することで、簡単に説けることではないが、せめて文字の意味だけでも解説しておこう。ちなみに「従来の習気」とは、無始劫来の薫習によっていつの間にか人間の身にしみついた臭みのことであるが、ここではアッサリ五欲煩悩による深い迷いと取っておいてよかろう。次に「五無間の業」とは、無間地獄に堕ちるべき五つの極悪の業のことで、五逆の大罪と同じである。隨処に主となる境涯はまさに活き仏の境涯であって、一切の是非・善悪を超越した賞も無く、罰も無く、嫌うべき何物もない、絶対肯定、如是・如是の世界である。従って隨処に主と作る境涯に到れば、単に外境によって動かされないだけでなく、迷いはもとより五逆の大罪からも解放され、真の無垢清浄、自由無礙の世界に遊ぶことが出来ると、臨済はいうのである。
「隨処に主と作れば、立処皆真なり」とは、このようにして、まさに宗教の本質にまで迫る真実語である。しかし、お互い、果してこの境涯にどこ迄近づいているであろうか。お互いはよく金を使う、酒を飲むと言っておるが、実際はあべこべに金に使われ、酒に飲まれてはいないだろうか。自分で主体的に泣いたり笑ったりしているつもりだが、実際は損したといって泣かされ、得したといっては物によって喜ばされ、笑わされているのが、実情ではないだろうか。「隨処に主と作り」主体的に行動するといいながら、反省してみると、外境によって回換されているのが、情けないことに実情である。これを機会にお互い大いに反省し、「隨処に主と作る」境涯に一歩でも半歩でも近づくよう、今日唯今から修行に精進しようではないか。 
師、衆に示して云く、汝、若し祖仏と別ならざるを得んと欲せば、但だ如是に見て、疑誤することを用いざれ。汝、心々不異なる、之を活祖と名づく。
諸士は色々な困難に耐えて、熱心に禅の修行にはげんでいる。大いに結構なことじゃ。しかし若し人あって、「あなたは何のために、何を求めて禅の修行をなさっているのですか」と問うたら、お主らこれに何と答えるつもりか。禅の修行に志した動機や当人の根機、また到りえている境涯によって、答えはさまざまであろう。しかし洞然会下の修行者、銅頭鐵額の本格の修行ならば、「ハイ、祖仏と別ならざる境涯に到り、祖仏と手を把って共に行き、祖仏と共にこの人生を慶快に生きたいためです」と、確信をもってこう答えてほしいものである。しかし「祖仏と別ならざる境涯に到る」などというと、世の修行者の中には、「それはとても無理だ。釈迦・達磨をはじめ番々出世の祖師方は、皆生まれながらにすぐれた素質をもつ宗教的天才である。我々凡夫とは別格な存在で、我々凡夫に彼らと同じ境涯に到れといったって、それは無理だ」と初めから尻ごみする人も少なくないだろう。しかしそれは自らにも、仏に在って増さず、凡夫に在って減じない仏性の具わっていることを忘れたもので、間違いである。かつて「学道の三則」を講じ、「大憤志」を説いた際に強調したことであるが、「釈迦も人なり、我も人なり」で、仏祖方に出来たことが同じ人間である自分に出来ないことはない筈。ただ素質のすぐれた彼らが一年でやったことを、我々は十倍の十年かかってやるだけのことである。根機強く如法に修行を継続しさえすれば、「祖仏と別ならざる境涯」に到ることは決して不可能ではない。臨済はその見地から、「汝、若し祖仏と別ならざるを得んと欲せば、但だ如是に見て、疑誤することを用いざれ」といっておるが、ここで「如是に見る」とは何をさすのであろうか。それは「心々不異なる、之を活祖と名づく」ということを信受して疑わず、そこに到るよう努めることである。「活き仏とはどういう方かといえば、心々不異で生きる方である。祖仏と別ならざる境涯とは、ほかでもない、心々不異の境涯だ」というのである。しかし、その「心々不異」とは、どういうことであろうか。
およそ生きている限り、我々の心は一念から二念へ、二念から三念へ……そして千念、万念へと展開し、あたかも川の流れのように絶えず持続して流れている。その場合、濁流のように邪念ないし雑念妄想がその流れを充たしているのが凡夫であり、これに反して「清流間断無し」というように、浄らかな正念が切れ目なく不断に流れているのが祖仏である。祖仏の心の流れというものは正念で充たされていて、そのどこを切っても皆正念で一点の異念・雑念もない。これを臨済は「心々不異」と表現したのであり、わが教団の合言葉の「念々正念、歩々如是」と同じ意味である。禅堂に在っての静坐、わが家に在っての一日一ウ香の坐禅、いわゆる静中の工夫によって正念相続の基本を養い、殊にお互いのような居士、禅子の場合においては、バスの中であろうと職場に於いてであろうと動中の工夫に骨折ることである。そうして一昨日は二十分間、昨日は二十五分間、正念相続が出来た。今日はそれを三十分に伸ばして、明日は四十分を目ざそうと努力して退転しないことである。そうして熱心に骨折れば、時々途切れることはあっても、やがて二時間、三時間と正念が持続するようになる。それだけ「祖仏と別ならざる時間」が続き、「心々不異の活仏」に近づくことになるわけである。死んでから「仏様」とあがめられたって、仕様がない。生きている間に、毎日せめて三十分間でも一時間でも、活き仏として生き、二度とないこの人生を心ゆく迄味わいたいものですなあー。〔老師、良久、一黙なされる〕
なお最後に「心々不異」「正念相続」に就いて、誤解のないように一言申しておきたい。それはここにいう正念相続とは「一行三昧」に生きることだということである。坐禅の時は坐禅三昧、作務の時は作務三昧、遊ぶ時は遊び三昧で余念のないこと、当面の仕事に一心不乱で打ちこむこと、これを一行三昧というのである。自動車を運転しながらも、或いは会社でコンピューターを操作しながらも公案の工夫をするのが正念相続であると説いているのを耳にしたことがあるが、それは途方もない間違いである。車を運転する時は運転三昧、計算の時は計算三昧でその間に一点の異念もないこと、それが本当の「心々不異」であり「念々正念、歩々如是」の生き方である。ここをしっかりと肚に入れて、心々不異を目ざして充実した毎日を送るように。 
師云く、一般の学人有って、五台山裏に向って文殊を求む。早く錯り了れり。五台山に文殊無し。汝、文殊を識らんと欲すや。祇だ汝が目前の用処、始終不異、処々不疑、此れ箇の活文殊なり。汝が一念心の無差別光、処々総に是れ真の普賢なり。汝が一念心、自ら能く縛を解き、随処に解脱す、此れは是れ観音三昧の法なり。
今夜のこの一段は、文殊・普賢・観音の三菩薩について、臨済が自らの見所を端的に、しかも明諦に説いたものである。偶像崇拝の謬見を捨てて、宜しく肚で聴聞するように。まず、文殊菩薩から。 中国で文殊信仰がいつの頃から普及したかは明らかでないが、おそくも唐代には大いに興隆し、山西省の五台山は文殊の霊場として多くの参詣者を集めていた。比叡山延暦寺の第三代座主となった名高い慈覚大師円仁(七九四-八六四)は、その著「入唐求法巡礼行記」によると、彼自身この五台山に参詣したことが知られ、平安後期に出た成尋(一〇一一-八一)もその著「参天台・五台山記」に、五台山に詣でたことを記している。この中には既に見たものも少なくない筈であるが、例の「前三三、後三三」の公案(「碧巖録」第三五則)は、牛頭法融の法師の無着が五台山を訪れて、文殊に相見して問答したという伝承を下敷きにした公案である。ともあれ、このように五台山は文殊の霊場として有名であり、心の清浄な者が詣でれば生身の文殊菩薩に相見出来ると信じられていた。ところが、臨済、或る日の説法で  一般の学人有って、五台山裏に向って文殊を求む。早く錯り了れり。五台山に文殊無し。と、キッパリと断言し、その上で「汝、文殊を識らんと欲すや。祇だ汝が目前の用処、始終不異、処々不疑、此れ箇の活文殊なり」と説き進んだが、これは臨済和尚、何を言おうとしているのであろうか。文殊菩薩とは如何なるものであろうか。これに就いて答えるには、「三身四智」に就いて解説するのがよいのであるが、それを詳説するのは私の任でもないし、又時間の余裕もない。ザーッと要点だけにとどめよう。
およそ人間をはじめ存在するものには、必ず本体と形相と作用との三つがある。本体の無い形相、作用はなく、形相と作用とを伴わない本体も無い。仏にも勿論、この三つがある。そして仏を本体から眺めてこれを法身といい、その形相から眺めてこれを報身といい、作用から眺めて応身或いは化身といい、この法身・報身・応身の三つを三身ということは、これまでにも再三説いてきたところである。そしてその三身をそれぞれに人格化したもの、それが文殊菩薩・普賢菩薩・観音菩薩であり、この三身ないし三菩薩を一身に統一したもの、それが釈迦仏である。仏と三菩薩とは一即三、三即一の関係にあるものである。
仏とは何か、色々に定義づけも出来ようが、要するに仏とは絶対不変の真理に体達し、その上に立って一切の衆生を済度するものといってよく、仏のはたらきは大きく分ければ智慧と慈悲との二つになろう。ところで、その仏の智慧の根本は、
人間をはじめ、この世界に存在するものは、その形相はさまざまに違ってはいるが、す べて宇宙の大生命の発露したもので、仏性ないし法性を具有している。この仏性ないし法性という本体から見た場合、人間相互はもとより万物みな一味平等であり、差別はない。
という智慧で、これを大円鏡智といい、これを人格化したものが文殊菩薩である。そして一味平等で差別の相が見えないことは、あたかも真暗闇の中も同然だというので、「大円鏡光、黒くして漆の如し」などといい、文殊菩薩を黒獅子に乗せて形象化するのである。
仏性ないし法性という本体から見た場合には、一切の存在は確かに平等無差別ではある。しかし具体的な現実の世界では人間をはじめ万物は皆、それぞれに大小・高低・長短・美醜と差別万般の形相をとり、さまざまな個性ないし特殊性をもっている。本体から見て平等であるが、その形相、作用からみて差別が歴然である、これが具体的な真理である。平等即差別、差別即平等、これが円満な真理である。その場合、平等を表にして差別を裏にして平等に重点をおいた智慧、それが文殊の智慧であるのに対して、差別を表にし平等を裏にして差別に重点をおいた智慧、いわゆる差別の妙智、これを平等性智といい、これを人格化したものが普賢菩薩である。そして差別の相が歴然と見えるのは白昼同然だというので、普賢菩薩は文殊が黒獅子に乗るのに対して白象に乗せて形象化するのである。
仏とは一切の衆生を済度するのを誓願とするものであるが、衆生の苦しみや悩みはこれまた種々様々である。だから衆生を済度するに当っては、あたかも名医が患者の病状を精密に診察するように、衆生の苦悩を正しく診察し、その病状を判断することが是非必要である。衆生済度の慈悲行に打って出るに先立って、この娑婆世界とそこに住む一切衆生の症状を正確に観察する智慧、これを妙観察知という。しかし、単に症状を診察しただけでは病気は直らない。その症状に応じて投薬し、或いは病根にズバリとメスを入れてこれを取除く、いわゆる外科手術も必要である。仏が衆生を済度するには、まさにこれに類した適切な処理をすることが肝要であるが、それをする智慧とはたらき、それを所作を成す智慧という意味で成所作智というのである。そしてこの妙観察知と成所作智との二つを一身に人格化したのが観音菩薩であり、観音菩薩は仏の慈悲の面を代表するものである。先きに仏を分析すると、文殊・普賢・観音の三つになり、これを一身に統合すると釈迦如来になるといったが、仏の智慧を分析すると大円鏡智・平等性智・妙観察知・成所作智の四智となり、この四智を統合すると真の仏智となるのである。つい柄にもなく教理的な解説に流れてしまったが、以上のことがよく分れば、この一段における臨済の説法を今更講ずる必要もないと思うが、折角あるのだから一通り講じておこう。
臨済、「五台山裏に文殊無し」と痛快な断案を下し、さてそれは汝らの心のうちにあるとて、「祇だ汝の目前の用処、始終不異、処々不疑、此れ箇の活文殊なり」と論を進めた。ここに「汝の目前の用処、始終不異、処々不疑」というのは、「お主の唯今の心の働きが、始終不異、前にあった心々不異でいつでも正念が持続し、処々不疑、何処に在っても一点の疑念・雑念もないこと」の謂いである。いつでも、どこでも「念々正念、歩々如是」と生き、真理の上に立って行動できたら、それが活文珠というものだということである。 次に「汝の一念心の無差別光、処々総に是れ真の普賢なり」とある。先き程、普賢菩薩の智慧ないし境涯というものは、平等を裏にし差別を表にした差別の妙智のことだと説いたが、それではここの「無差別光」と矛盾し相容れないではないかという疑問が湧き起るであろう。洞然も実はここに疑問を抱いた。しかし、それは「無差別光」を次のように解することで釈然とする。禅では、未だ悟らない前は「柳は緑、花は紅。山は高く川は低い」、悟ってみると「柳緑ならず、花紅ならず、山高からず、川低からず」、しかし悟り了ってみると依然として「柳は緑、花は紅。山は高く、川は低い」と、見所が深まってくるということが言われる。確かにその通りである。そして普賢の差別の妙智は、一味平等、無差別を通りこした上、悟り了った上で開ける「柳は緑、花は紅」である。単なる無差別を超越し、それを内に含んだ差別の智慧である。それを臨済は「無差別の処に差別を認める円満な智慧・光」という意味で「無差別光」と名づけたのである。「金剛経」に「如々不動」という語がある。儂の庵号の「如々庵」はこの語に典拠したものであるが、この語の意味は「この世界に存在するものは、すべてそれぞれに特殊な形相と作用とをもちながら、しかもその差別の当相のままで、それぞれに絶対である」ということ、逆にいえば「存在するものは仏性ないし法性をそなえた絶対者でありながら、しかもそれぞれに千差万別の形相を呈し作用を発揮している」という意味であり、こう見るのが普賢の差別の妙智である。大変に不遜のようであるが、不肖洞然はここの一節を  汝の一念心の無差別光、処々総に如々不動、柳は緑、花は紅、是れ真の普賢なり。と補って解しておきたいと思うが、どうであろうか。明眼の諸大徳の御批判を仰ぎたいと願っている。
次は観音菩薩正しくは観世音菩薩である。観音は先きにも申したように、無縁の慈悲に催されて、救いを求める相手に応じて様々に、しかも自由に自らの姿を変化させながら、衆生の済度にあたる仏の働きを人格化したものである。色声香味触法などの外境によって、又それらによって触発された煩悩妄想によって縛られて動きがとれず、或いは物にたぶらかされて迷い溺れかけている衆生を、それらの繋縛から解放し、迷いの海原から救い上げる、総じていえば衆生を解脱させるのが観音の仕事である。ところで「非力の菩薩、人を救わんとして溺る」では困りものである。溺れかけている人を救うとならば、先ず自分自身が泳ぎが上手でなければならない。十分に泳げもしないで水にとびこんだのでは、他人を救えないのは勿論、自分も溺れ死んでしまうのは必定である。他人を繋縛から解脱させようというならば、何よりも自分自身が「自ら能く縛を解き、随処に解脱」していることが先決である。そしてこれを「是れ観音三昧の法」というと結んで、臨済はこの一段の説法を終っている。臨済は衆生済度の利他行に打って出る前に、先ず自利の修行につとめて自らが解脱すること、自らの悟りを深めることが先決であることを説いているのである。私も若い時分に、非力の身で大海にとびこんで溺れかけた経験がある。諸士も自らの悟りを深め実力を涵養することに全力を尽すことだ。 
道流よ、汝、如法の見解を得んと欲せば、但だ人惑を受くること莫れ。裏に向い、外に向い、逢著せば便ち殺せ。仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん。
或る時、臨済、会下の修行者らに向い、「道流よ」と呼びかけておいて、「汝、如法の見解を得んと欲せば、但だ人惑を受くること莫れ」と説法された。ここで先ず問題は「如法の見解」とは何をさすかということである。如法の見解とは真正の見解の意味であるが、ここでは、たとえば「趙州無字」の公案に対する見解というような狭い意味ではなく、広く真正の悟りというような意味である。そしてこの一段全体から察すると更に「真正の解脱」とみるのが適切である。「お主らよ、本当の解脱を得たいというならば、人惑を受けないようにせよ」という注意である。だがその「人惑」とは何のことであろうか。
臨済が「有る時は人を奪うて境を奪わず。有る時は境を奪うて人を奪わず。有る時は人境倶に奪う。有る時は人境倶に奪わず」と、いわゆる四料簡を説いていることは、ご承知のとおりであるが、これで察せられるように、臨済のいう「人」は「境」に対するもので、いわゆる人間の意味ではない。彼のいう「人」は自己・主体、時には心を意味し、「境」は自己をめぐる万縁万境、主体に対する客体、また心に対する物をさしている。従って臨済のいう「人惑」は「境惑」に対するもので、それは境惑から考えると分りよい。臨済は別な機会に、真の大禅者というものは、あたかも「文殊、三処に夏を度る」という公案における文殊のように「色界に入って色惑を蒙らず、声界に入って声惑を蒙らず」というように在るべきだと説いている。これからして分るように、境惑とは眼耳鼻舌身意の六根の対境としての色声香味触法という六境によって誘発される惑いのことである。更に分りやすくいえば、酒に呑まれ、金銭や財宝に釣られ、地位や名誉などに動かされることである。これに対して「人惑」とは自己が原因で起きる惑い、我見や我執、五欲煩悩ないし浅はかな思慮分別などが原因となって起る迷いのことである。臨済のいう人惑は単に「他人にたぶらかされる」という意味ではない。従って以上に説くところをもう一度要約すると、お主らが「如法の見解」本当の解脱を得たいというならば、境惑を受けないことは勿論、自己の「心中の賊」を退治して、「人惑」を受けないようにすることだ。
ということになる。そして次に「裏に向い、外に向い、逢著せば便ち殺せ」とあるが、これは余り文字にとらわれず、「人惑を蒙りそうになったら、その人惑をもたらすものを何でもかんでも打ち殺してしまえ、それの息の根を止めてしまえ」ということである。
臨済はこう説いておいて、その殺すべき「人惑」を数えあげたのが、「仏に逢うては仏を殺し…父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺せ」という、物騒千万な後段である。これは無論、人殺しをせよとそそのかしているのではない。それではどういう意味であろうか。
およそ「人惑」の根源は、無始劫来、人間の心に深く根づいている貪瞋痴の三毒、いわゆる無明であり、これから八万四千ともいわれる無数の煩悩妄想が派生するのである。臨済はその無明を貪欲と痴愛の二つに分け、貪欲を「父」、痴愛を「母」と名づけ、この父母が相交わることによって生れる無数の煩悩妄想を「親眷」と名づけたのである。人惑を蒙らず解脱したいというならば、まず坐禅の修行によって八万四千の煩悩妄想の「親眷」を退治し、更に貪欲と痴愛の「父母」を殺せというのである。分りやすくいえば、「心中の賊」を徹底退治して、迷いの鉄鎖から本来の面目を解放せよ、というのである。これが出来たら、それが道元禅師のいわゆる「身心脱落」であり、それは言うべくして容易には到達しがたい境涯である。
しかし、この迷いの鉄鎖からの脱却は、まだ本当の解脱ではなく、いわば解脱の前段にすぎず、更に後段がある。この前段は汚穢にみちた六道の世界から清浄無垢、寂滅無相の悟りの世界に一歩足を踏み入れたものではあるが、この程度では、こんどはその悟りにしがみつき、悟りに縛られて自在に働くことは出来ない。この段階を臨済は「羅漢」と名づけ、このオツにすました羅漢の境涯に腰をすえておらず、そこを超出せよということを「羅漢に逢うては羅漢を殺せ」と表現したのである。そしてこの羅漢の世界を超出すれば、そこに自覚覚他、覚行円満な自由な世界が開ける、それがここにいう「祖」の境涯であるが、臨済はこれもまた悟りの臭みが毛一筋ほどだがのこっていて本当の解脱には届いていないとして、そこにも腰を据えるなという肚で「祖に逢うては祖を殺せ」と説くのである。では、祖を超克して入った「仏」の世界こそ究竟の世界である筈であるが、臨済はその仏に縛られても縛られることに変りはない、貴い金の鎖でも鎖は鎖であるとして、それをも超出せよ、そうでなければ本当の解脱は得られないぞと「仏に逢うては仏を殺せ」と強調して、この一段を結んだのである。「祖を殺し、仏を殺し」何物にも微塵も縛られない本来無一物の境涯に到達したら、それが道元禅師の「脱落身心」いわば「解脱からも解脱した、真の解脱」というものである。この真の解脱の境涯に到ることは、それこそ難中の難であろうが、そこを目ざして毎日毎日、一日一ウ香の坐禅に骨折ろうではないか。初心の者は迷いの鉄鎖を截断することに努めよ。久参の上士はよろしく金鎖の繋縛からの脱却に骨折るべし。今夜はこれまで。 
道流、汝が一念心の歇得する処、喚んで菩提樹と作す。汝が一念心の歇得し能わざる処、喚んで無明樹と作す。汝、若し念々心歇不得ならば、便ち他の無明樹に上り、便ち六道四生に入り、披毛戴角せん。汝、一念不生なれば、便ち菩提樹に上り、三界に神通変化し、法喜禅悦せん。
この一段は、文字の意味が分れば、比較的に分りよいであろう。先ず「一念心」と出てくるが、これは一点の雑念のことである。坐禅して数息観をやり或いは公案の工夫をしている時に、ヒョイと浮かんでくる雑念や妄想のことである。次に「歇得」とは休歇と同じで、働きを止め影を没する、消滅するという意味であり、「歇得し能わず」とは雑念が次から次と起って歇まないことである。又「菩提樹」とは、菩提・涅槃という素晴らしい果実の実る樹、「無明樹」とは一切の迷いの根本である無明という実のなる樹木のこと。従って「汝が一念心の歇得する処、喚んで菩提樹と作す。汝が一念心の歇得し能わざる処、喚んで無明樹と作す」とは、心中に一点の雑念も無く、「心々不異」「念々正念、歩々如是」と、心の流れが清らかな正念で充たされている状態、これを菩提樹といい、これに反して雑念妄想が次々と起って歇まない状態、これを無明樹という。と訳してよかろう。
臨済はこれを受けて更に「念々、心、歇不得なれば、便ち他の無明樹に上り、便ち六道四生に入り、披毛戴角せん」と展開しているが、これはどういう意味であろうか。これ亦、文字の解釈から入ろう。「六道」とは「六趣」ともいい、地獄・餓鬼・修羅・畜生・人間・天上のことであり、「四生」とは胎生・卵生・濕生・化生のことである。又「披毛戴角」とは体に毛を披り、頭に角を戴くということで、犬や馬また牛や羊などの動物のことである。その意味するところは、もし心の掃除が出来きず、いつも雑念のとりことなり、妄想にひきずられているならば、それは「無明樹に上る」というもので、六道四生の世界を輪廻転生し、牛馬の境涯を脱却することは出来ないであろう。
という程のことである。これに反して、もし心の掃除が行きとどき、「一念心歇得」し「一念不生」で、心がいつも正念で充たされ、「清流間断無し」というようであるならば、それはまさに菩提を成じ涅槃に入る「菩提樹に上る」というもので、「三界に神通変化し、法喜禅悦にひたることが出来よう」と結んでいる。ここで「三界」とは欲界・色界・無色界のことであるが、それらの註解は今は無用であろう。又、「神通変化」とは超人間的な神通力を得ることではない。「三界に神通変化す」とは、この人生において無礙自在に生きるという位の意味であり、そう生きるならば、本当に生きがいのあるように生きた喜び、法喜禅悦にひたることが出来よう、という程の意味である。
「禅林句集」に「披毛従レ比得 戴角亦従レ他――披毛も比れ従り得 戴角も亦た他に従る」という五言対句があるが、これは臨済のこの一段の説法をよく踏まえたものである。その意味で
われわれ人間が畜生道に墜ちてさもしい生活をし、あたら一生を棒に振るのも、また仏となって清浄で楽しい生涯を送るのも、皆これ心次第である。心の浄と不浄、正念相続が出来るか否かによる。それ故に、心の掃除と練磨とに骨折れ。 
大徳よ、山僧、外に向って法無しと説けば、学人会せずして便ち裏に向って解を作し、便ち壁に倚りて坐し、舌、上齶をささえて、湛然として動ぜず。此を取って是れ祖門の仏法と為す。也た大いに錯れり。是れ汝、若し不動清浄の境を取って是と為すは、汝便ち他の無明を認めて郎主と為すなり。古人云く、湛々たる黒暗の深坑、実に怖畏すべしと。此れ是なり。
この一段は「坐禅三昧」とは如何なるものかを知る上に於いて、初心の者にとっては勿論のこと、初心者を正しく教導すべき責任をもつ久参底にとっても、極めて大切なものである。単なる肉の耳でなく心の耳で聴いて、よく肚にいれておくように。
さて臨済、列坐の聴講者に向って「大徳よ」と呼びかけた。これ迄屡々出てきた「道流よ」とか「上座よ」とかと同じことである。禅家では場合によっては弟子を「小師」と呼ぶこともある。これで分るように、禅の師家というものは、弟子の人格を十分に認めてこれを尊重するものなのである。修行の上では相当はげしく罵倒することや、怒罵呵咄することもあるが、それは修行者を鍛えようとする慈悲の発露であって、世間的な人情や感情からではない。不肖洞然も口がよい方ではないが、肚はきれいなつもりである。誤解する者もあるまいが、よい機会なので一言しておく。なお「山僧」とは「野僧」などと同じく、ここでは臨済の謙遜した自称代名詞で「儂」というほどの意味である。
臨済和尚、講座台上から「列座の諸大徳よ」と呼びかけ注意を喚起しておいて、儂はいつも 心外に法は無い、だから外に向って真理・仏性を求めてはならない。「牛に騎って牛を覓める」愚行をしてはならない。経文や祖録に求めてはならない。ズバリと「赤肉団上、一無位の真人有り」と、仏性はこの肉体に宿っていると説き、外ではなく内に向って求めよと力説してきた。すると修行者の中には、「内に向って求めよ」という、儂の肚を取りちがえて「死人禅」を行じて、それでよいつもりでいる者がある。即ち型の如く壁に向って坐り、「舌、上齶をささえ」で黙然と口を「へ」の字に結び、あたかも木偶の坊のように「湛然として動かず」、ただトロリーッと無念無想を観じて、「此れを取って是れ祖門の仏法」と解し、いい気になっている者がある。しかしこれは「也た大いに錯れり」で、途方もない邪禅である。
と、声を大にして警告され、更に「是れ汝、若し不動清浄の境を取って是と為すは、汝便ち他の無明を認めて郎主と為すなり」と、その錯誤をきびしく批判しておられる。
ここで「不動清浄の境」というのは、波立つ心を一時何とか抑えて静かにしている状態のこと、たとえていうならば泥水をコップに汲んで一昼夜も静止させておくと、泥が下に沈んできれいな上澄みが出来るが、丁度そのような心の状態のことである。このコップそのまま静止させておけば、一応澄んできれいではあるが、僅かでも振るとすぐ元の泥水に戻ってしまうことは、お主らも経験して分っていよう。丁度そのように清閑な禅堂ではこの「不動清浄の境」を何とか維持できても、一歩道場を出て実社会に入るとすぐ騒ぎたって濁ってしまう。しかし世間にはこのような「不動清浄の境」を「祖門の仏法」であり、禅の悟境だと誤認している者が多いが、それはあたかも奴を郎主(主人)と取違えるのと同然である、と臨済和尚いってござるが確かにその通りじゃ。
長沙の景岑和尚の章で触れたかどうか思い出せないが、この和尚に
学道の人 真を識らざるは 只だ従前の識神を認むるが為なり 無量劫来 生死の本 痴人は喚んで本来人と為す
という偈がある(「無門関」第12、「瑞巌主人公」参照)。「不動清浄の境」はこの偈にいう「無量劫来 生死の本」即ち迷いの根源である「識神」、いわゆる第八阿頼耶識のことである。臨済のこの説法、長沙景岑のこの偈と重ね会わせると、よく分るであろう。
こう言っておいて臨済は更に、「儂の今説いていることは、儂だけの意見なのではない」とて、「古人云く、湛々たる黒暗の深坑、実に怖畏すべし」と、古人の言を引きあいに出した。ここにいう古人とは、隋の煬帝の帰依をうけて天台山に篭り、天台宗の基礎を固めた天台の智者大師・智ぎのことである。「湛々たる黒暗の深坑」とは、暗く窮屈な墓穴の中でトロリーッと無念無想を観じてそれで得たりとしている境地、いわゆる死人禅の境地のことであり、つい今先き出て来た「不動清浄の境」のことである。そしてそれが、「実に怖畏すべき」もの、気をつけないと危険なものであることは、今更いうまでもあるまい。呉々もご用心、ご用心じゃ。
精神の空白状態ないし放心状態を意味するいわゆる無念無想や、泥水を澄してソッとしておくような黙坐澄心即ち不動清浄の境が、本当の坐禅三昧とは似て非なるものであることは、以上で分ったであろうが、それでは本当の坐禅三昧とりわけ正念相続とはどういうことであろうか。これは大事なことだから、いささか法話めいて気がひけるが、講本を離れて私見を率直に披露しておこう。
およそ禅者の生き方の基本は、何事にも三眛で当るということであるが、その三眛とは正念相続、心境一如・自他不二、正受して不受という三つの心の働きの統合したものである。そして中でも大事なのは正念相続ということであるが、それはどういうことであろうか。およそ人間の心は、生きている限り、あたかも川の流れのように絶えず切れ目なく流れるものである。ところが、その心の流れを満たしているものが雑念や妄想だけであるならば、その流れは濁流というべきである。といって濁流になることを恐れてその流れをストップし、水を乾上らせた状態、それが無念無想である。これに反して「清流間断無し」というように、正念が絶えず豊かに流れる状態、これが正念相続であり、三眛の最も肝心なところである。坐禅していても生きているのだから、眼耳鼻舌身意の六根はその働きを休止しているわけではない。従って眼前に白い蝶が飛んでくれば見えるし、外で犬が鋭く泣けば聞えるし、台所から調理の匂いがただよってくればそれが鼻に感じる。その場合、正念の流れが豊かでいきいきとしておれば、あたかも滔々と流れる清流に傍から少々の濁流が流入してもすぐ浄化してしまうように、それらの外界の刺激は正念の清流を濁らせることはない。いわゆる「二念を続がず」である。その場合、正念の流れの水量が乏しく弱々しいと、外からの刺激やそれに触発された想念が浄化されず、いつか流れの主流を占めて「濁流間断無し」になってしまう。この辺のことは、自分の坐禅の体験を振りかえってみれば、よく納得がいくことだろう。ともあれ、坐禅三眛とは乾上った川のような無念無想の境地に陶然としていることでもなく、又、「出ず、入らず」の山中の古沼のような死水の境地にトロリとしていることでもない。真の禅定三眛、臨済のいわゆる「心々不異」、私のいう「正念相続」とは正念の流れが豊かで、しかも音もなくイキイキと流れて断絶しないことである。
ついでの事に、もう一つ別な禅語を引用して正念相続の何たるかを説明しておこう。そのもう一つの禅語とは、冬の茶席によく見かける「紅炉上一点の雪」という語である。今日では殆んど見かけなくなったが、昔は室の暖房には炉中に赤々と木を燃やしたり、或いは達磨ストーブに石炭をドッサリ焚いてこれを真紅にしたものである。ここにいう「紅炉」とは、このように火勢強く燃える炉やストーブ、更には鉱石を溶かす溶鉱炉のことである。もしこれらの炉の火が消えているところに雪が舞いこんできたら、炉上に雪が積ってしまうし、火力が微弱であれば雪は暫くは消えずに残り、とけて水の痕を残すであろう。しかし炉が真紅に燃えているならば、舞いこんだ雪は傍に来ただけで瞬時に蒸発して痕跡をとどめないであろう。「紅炉上一点の雪」とは、この消息を表現した句であるが、まさにこのようにイキイキと正念が燃えさかっていて、雑念や妄想の寄りつく隙がなく、それらを瞬時に蒸発させてしまう心の状態をズーッと一貫持続すること、それが本当の坐禅三眛なのである。坐禅三昧といい、正念相続というのは、「清流」や「紅炉」にたとえられるように、まことにイキイキしたものなのである。
重ねていう。真の坐禅三昧、正念相続と「黒暗の深坑」に在って無念無想を観ずる死人禅、いわゆる「鬼窟裏に活計をなす」暗照默照の邪禅といかに異なるかをはっきりと肚に入れて、真の坐禅三昧を行ずるようにせよ。
 

 

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