日蓮聖人御書 [2]

法華初心成仏抄三世諸仏総勘文教相廃立諌暁八幡抄二乗作仏事小乗小仏要文御義口伝巻上御義口伝巻下御講聞書種種御振舞御書光日房御書法華経題目抄佐渡御書曾谷入道殿許御書法蓮抄曾谷殿御返事秋元御書兄弟抄呵責謗法滅罪抄頼基陳状四条金吾殿御返事崇峻天皇御書月水御書星名五郎太郎殿御返事日妙聖人御書乙御前御消息善無畏抄妙密上人御消息日女御前御返事妙一女御返事法門申さるべき様の事教行証御書破良観等御書千日尼御前御返事千日尼御返事一谷入道御書中興入道消息最蓮房御返事祈祷抄諸法実相抄十八円満抄波木井三郎殿御返事松野殿御返事松野殿後家尼御前御返事刑部左衛門尉女房御返事妙法比丘尼御返事内房女房御返事浄蓮房御書新池御書高橋入道殿御返事三三蔵祈雨事三沢抄南条兵衛七郎殿御書薬王品得意抄神国王御書南条殿御返事上野殿母御前御返事衆生身心御書富士一跡門徒存知の事五人所破抄日興遺誡置文白米一俵御書上野尼御前御返事上野殿御返事
日蓮日蓮聖人御書[1]
 

雑学の世界・補考   

法華初心成仏抄/建治三年五十六歳御作

問うて云く八宗九宗十宗の中に何か釈迦仏の立て給へる宗なるや、答えて云く法華宗は釈迦所立の宗なり其の故は已説今説当説の中には法華経第一なりと説き給う是れ釈迦仏の立て給う処の御語なり、故に法華経をば仏立宗と云い又は法華宗と云う又天台宗とも云うなり、故に伝教大師の釈に云く天台所釈の法華の宗は釈迦世尊所立の宗と云へり、法華より外の経には全く已今当の文なきなり已説とは法華より已前の四十余年の諸経を云う今説とは無量義経を云う当説とは涅槃経を云う此の三説の外に法華経計り成仏する宗なりと仏定め給へり、余宗は仏涅槃し給いて後或は菩薩或は人師達の建立する宗なり仏の御定を背きて菩薩人師の立てたる宗を用ゆべきか菩薩人師の語を背きて仏の立て給へる宗を用ゆべきか又何れをも思い思いに我が心に任せて志あらん経法を持つべきかと思う処に仏是を兼て知し召して末法濁悪の世に真実の道心あらん人人の持つべき経を定め給へり、経に云く「法に依つて人に依らざれ義に依つて語に依らざれ知に依つて識に依らざれ了義経に依つて不了義経に依らざれ」文、此の文の心は菩薩人師の言には依るべからず仏の御定を用いよ華厳阿含方等般若経等の真言禅宗念仏等の法には依らざれ了義経を持つべし了義経と云うは法華経を持つべしと云う文なり。
問うて云く今日本国を見るに当時五濁の障重く闘諍堅固にして瞋恚の心猛く嫉妬の思い甚しかかる国かかる時には何れの経をか弘むべきや、答えて云く法華経を弘むべき国なり、其の故は法華経に云く「閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」等云云、瑜伽論には丑寅の隅に大乗妙法蓮華経の流布すべき小国ありと見えたり、安然和尚云く「我が日本国」等云云、天竺よりは丑寅の角に此の日本国は当るなり、又慧心僧都の一乗要決に云く「日本一州円機純一にして朝野遠近同く一乗に帰し緇素貴賎悉く成仏を期せん」云云、此の文の心は日本国は京鎌倉筑紫鎮西みちをく遠きも近きも法華一乗の機のみ有りて上も下も貴も賎も持戒も破戒も男も女も皆おしなべて法華経にて成仏すべき国なりと云う文なり、譬えば崑崙山に石なく蓬莱山に毒なきが如く日本国は純に法華経の国なり、而るに法華経は元よりめでたき御経なれば誰か信ぜざると語には云うて而も昼夜朝暮に弥陀念仏を申す人は薬はめでたしとほめて朝夕毒を服する者の如し、或は念仏も法華経も一なりと云はん人は石も玉も上臈も下臈も毒も薬も一なりと云わん者の如し、其の上法華経を怨み嫉み悪み毀り軽しめ賎む族のみ多し、経に云く「一切世間多怨難信」又云く「如来現在猶多怨嫉況滅度後」の経文少しも違はず当れり、されば伝教大師の釈に云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東羯の西人を原ぬれば則ち五濁の生闘諍の時なり経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るなり」と、此等の文釈をもつて知るべし、日本国に法華経より外の真言禅律宗念仏宗等の経教山山寺寺朝野遠近に弘まるといへども正く国に相応して仏の御本意に相叶ひ生死を離るべき法にはあらざるなり。
問うて云く華厳宗には五教を立て余の一切の経は劣れり華厳経は勝ると云ひ、真言宗には十住心を立て余の一切経は顕経なれば劣るなり真言宗は密教なれば勝れたりと云う、禅宗には余の一切経をば教内と簡いて教外別伝不立文字と立て壁に向いて悟れば禅宗独り勝れたりと云う、浄土宗には正雑二行を立て法華経等の一切経をば捨閉閣抛し雑行と簡ひ浄土の三部経を機に叶ひめでたき正行なりと云う、各各我慢を立て互に偏執を作す何れか釈迦仏の御本意なるや、答えて云く宗宗各別に我が経こそすぐれたれ余経は劣れりと云いて我が宗吉と云う事は唯是れ人師の言にて仏説にあらず、但し法華経計りこそ仏五味の譬を説きて五時の教に当て此の経の勝れたる由を説き、或は又已今当の三説の中に仏になる道は法華経に及ぶ経なしと云う事は正しき仏の金言なり、然るに我が経は法華経に勝れたり我が宗は法華宗に勝れたりと云はん人は下臈が上臈を凡下と下し相伝の従者が主に敵対して我が下人なりと云わんが如し何ぞ大罪に行なはれざらんや、法華経より余経を下す事は人師の言にあらず経文分明なり、譬えば国王の万人に勝れたりと名乗り侍の凡下を下臈と云わんに何の禍かあるべきや、此の経は是れ仏の御本意なり天台妙楽の正意なり。
問うて云く釈迦一期の説法は皆衆生のためなり衆生の根性万差なれば説法も種種なり何れも皆得道なるを本意とす、然れば我が有縁の経は人の為には無縁なり人の有縁の経は我が為には無縁なり故に余経の念仏によりて得道なるべき者の為には観経等はめでたし法華経等は無用なり、法華によりて成仏得道なるべき者の為には余経は無用なり法華経はめでたし、四十余年未顕真実と説くも雖示種種道其実為仏乗と云うも正直捨方便但説無上道と云うも法華得道の機の前の事なりと云う事世こぞつてあはれ然るべき道理かななんど思へり如何心うべきや、若し爾らば大乗小乗の差別もなく権教実教の不同もなきなり何れをか仏の本意と説き何れをか成仏の法と説き給えるや甚だいぶかしいぶかし、答えて云く凡そ仏の出世は始めより妙法を説かんと思し食ししかども衆生の機縁万差にしてととのをらざりしかば三七日の間思惟し四十余年の程こしらへおおせて最後に此の妙法を説き給う、故に「若し但仏乗を讃せば衆生苦に没在し是の法を信ずること能わず、法を破して信ぜざるが故に三悪道に墜ちん」と説き「世尊の法は久くして後要らず当に真実を説きたまうべし」とも云へり、此の文の意は始めより此の仏乗を説かんと思し食ししかども仏法の気分もなき衆生は信ぜずして定めて謗りを至さん、故に機をひとしなに誘へ給うほどに初めに華厳阿含方等般若等の経を四十余年の間とき最後に法華経をとき給う時、四十余年の座席にありし身子目連等の万二千の声聞文殊弥勒等の八万の菩薩万億の輪王等梵王帝釈等の無量の天人各爾前に聞きし処の法をば如来の無量の知見を失えりと云云、法華経を聞いては無上の宝聚求めざるに自ら得たりと悦び給ふ、されば「我等昔より来数世尊の説を聞きたてまつるに未だ曾つて是くの如き深妙の上法を聞かず」とも、「仏希有の法を説き給う昔より未だ曾つて聞かざる所なり」とも説き給う、此等の文の心は四十余年の程若干の説法を聴聞せしかども法華経の様なる法をば総てきかず又仏も終に説かせ給はずと法華経を讃たる文なり四十二年の聴と今経の聴とをばわけたくらぶべからず、然るに今経をそれ法華経得道の人の為にして爾前得道の者の為には無用なりと云う事大なる誤りなり、をのづから四十二年の経の内には一機一縁の為にしつらう処の方便なれば設い有縁無縁の沙汰はありとも法華経は爾前の経経の座にして得益しつる機どもを押ふさねて一純に調えて説き給いし間有縁無縁の沙汰あるべからざるなり、悲しいかな大小権実みだりがわしく仏の本懐を失いて爾前得道の者のためには法華経無用なりと云へる事を能能慎むべし恐るべし、古の徳一大師と云いし人此の義を人にも教へ我が心にも存してさて法華経を読み給いしを伝教大師此の人を破し給ふ言に「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死す」と責め給いしかば徳一大師は舌八にさけて失せ給ひき。
問うて云く天台の釈の中に菩薩処処得入と云う文は法華経は但二乗の為にして菩薩の為ならず菩薩は爾前の経の中にしても得道なると見えたり若し爾らば未顕真実も正直捨方便等も総じて法華経八巻の内皆以て二乗の為にして菩薩は一人も有るまじきと意うべきか如何、答えて云く法華経は但二乗の為にして菩薩の為ならずと云う事は天台より已前唐土に南三北七と申して十人の学匠の義なり、天台は其の義を破し失て今は弘まらず若し菩薩なしと云はば菩薩是の法を聞いて疑網皆已に除くと云える豈是れ菩薩の得益なしと云わんや、それに尚鈍根の菩薩は二乗とつれて得益あれども利根の菩薩は爾前の経にて得益すと云はば「利根鈍根等しく法雨を雨す」と説き「一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此経に属せり」と説くは何に、此等の文の心は利根にてもあれ鈍根にてもあれ持戒にてもあれ破戒にてもあれ貴もあれ賎もあれ一切の菩薩凡夫二乗は法華経にて成仏得道なるべしと云う文なるをや、又法華得益の菩薩は皆鈍根なりと云はば普賢文殊弥勒薬王等の八万の菩薩をば鈍根なりと云うべきか、其の外に爾前の経にて得道する利根の菩薩と云うは何様なる菩薩ぞや、抑爾前に菩薩の得道と云うは法華経の如き得道にて候か、其ならば法華経の得道にて爾前の得分にあらず、又法華経より外の得道ならば已今当の中には何れぞや、いかさまにも法華経ならぬ得道は当分の得道にて真実の得道にあらず、故に無量義経には「是の故に衆生の得道差別せり」と云い又「終に無上菩提を成ずることを得じ」と云へり、文の心は爾前の経経には得道の差別を説くと云へども終に無上菩提の法華経の得道はなしとこそ仏は説き給いて候へ。
問うて云く当時は釈尊入滅の後今に二千二百三十余年なり、一切経の中に何の経が時に相応して弘まり利生も有るべきや大集経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳に当時はあたれり、其の第五の五百歳をば闘諍堅固白法隠没と云つて人の心たけく腹あしく貪欲瞋恚強盛なれば軍合戦のみ盛にして仏法の中に先き先き弘りし所の真言禅宗念仏持戒等の白法は隠没すべしと仏説き給へり、第一の五百歳第二の五百歳第三の五百歳第四の五百歳を見るに成仏の道こそ未顕真実なれ世間の事法は仏の御言一分も違はず是を以て之を思うに当時の闘諍堅固白法隠没の金言も違う事あらじ、若爾らば末法には何の法も得益あるべからず何れの仏菩薩も利生あるべからずと見えたり如何、さてもだして何の仏菩薩にもつかへ奉らず何の法をも行ぜず憑む方なくして候べきか、後世をば如何が思い定め候べきや、答えて云く末法当時は久遠実成の釈迦仏上行菩薩無辺行菩薩等の弘めさせ給うべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり、其の故は経文明白なり道心堅固にして志あらん人は委く是を尋ね聞くべきなり。
浄土宗の人人末法万年には余経悉く滅し弥陀一教のみと云ひ又当今末法は是れ五濁の悪世唯浄土の一門のみ有て通入す可き路なりと云つて虚言して大集経に云くと引ども彼の経に都て此文なし、其の上あるべき様もなし仏の在世の御言に当今末法五濁の悪世には但浄土の一門のみ入るべき道なりとは説き給うべからざる道理顕然なり本経には「当来の世経道滅尽し特り此の経を留めて止住する事百歳ならん」と説けり、末法一万年の百歳とは全く見えず、然るに平等覚経大阿弥陀経を見るに仏滅後一千年の後の百歳とこそ意えられたれ、然るに善導が惑へる釈をば尤も道理と人皆思へり是は諸僻案の者なり、但し心あらん人は世間のことはりをもつて推察せよ、大旱魃のあらん時は大海が先にひるべきか小河が先にひるべきか仏是を説き給うには法華経は大海なり観経阿弥陀経等は小河なり、されば念仏等の小河の白法こそ先にひるべしと経文にも説き給いて候ひぬれ、大集経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳白法隠没と云と雙観経に経道滅尽と云とは但一つ心なり、されば末法には始めより雙観経等の経道滅尽すと聞えたり経道滅尽と云は経の利生の滅すと云う事なり、色の経巻有るにはよるべからず、されば当時は経道滅尽の時に至つて二百歳に余れり、此の時は但法華経のみ利生得益あるべし。
されば此経を受持して南無妙法蓮華経と唱え奉るべしと見えたり薬王品には「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむることなけん」と説き給ひ、天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾ん」と釈し、妙楽大師は「且らく大経の流行す可き時に拠る」と釈して後の五百歳の間に法華経弘まりて其の後は閻浮提の内に絶え失せる事有るべからずと見えたり、安楽行品に云く「後の末世の法滅せんと欲せん時に於て斯の経典を受持し読誦せん者」文神力品に云く「爾の時に仏上行等の菩薩大衆に告げたまわく属累の為の故に此の経の功徳を説くとも猶尽すこと能わじ、要を以て之を云わば如来の一切の所有の法如来の一切の自在の神力如来の一切の秘要の蔵如来の一切の甚深の事皆此経に於て宣示顕説す」と云云、此等の文の心は釈尊入滅の後第五の五百歳と説くも来世と云うも濁悪世と説くも正像二千年過ぎて末法の始二百余歳の今時は唯法華経計り弘まるべしと云う文なり、其の故は人既にひがみ法も実にしるしなく仏神の威験もましまさず今生後生の祈りも叶はず、かからん時はたよりを得て天魔波旬乱れ入り国土常に飢渇して天下も疫癘し他国侵逼難自界叛逆難とて我が国に軍合戦常にありて、後には他国より兵どもをそひ来りて此の国を責むべしと見えたり、此くの如き闘諍堅固の時は余経の白法は験し失せて法華経の大良薬を以て此の大難をば治すべしと見えたり。
法華経を以て国土を祈らば上一人より下万民に至るまで悉く悦び栄へ給うべき鎮護国家の大白法なり、但し阿闍世王阿育大王は始めは悪王なりしかども耆婆大臣の語を用ひ夜叉尊者を信じ給いて後にこそ賢王の名をば留め給いしか、南三北七を捨てて知・法師を用ひ給いし陳主六宗の碩徳を捨てて最澄法師を用ひ給いし桓武天皇は今に賢王の名を留め給へり、知・法師と云うは後には天台大師と号し奉る最澄法師は後には伝教大師と云う是なり、今の国主も又是くの如し現世安穏後生善処なるべき此の大白法を信じて国土に弘め給はば万国に其の身を仰がれ後代に賢人の名を留め給うべし、知らず又無辺行菩薩の化身にてやましますらん、又妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賎くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし、又薬王菩薩薬上菩薩観音勢至の菩薩は正像二千年の御使なり此等の菩薩達の御番は早過たれば上古の様に利生有るまじきなり、されば当世の祈を御覧ぜよ一切叶はざる者なり、末法今の世の番衆は上行無辺行等にてをはしますなり此等を能能明らめ信じてこそ法の験も仏菩薩の利生も有るべしとは見えたれ、譬えばよき火打とよき石のかどとよきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり、祈も又是くの如しよき師とよき檀那とよき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり、よき師とは指したる世間の失無くして聊のへつらうことなく小欲知足にして慈悲有らん僧の経文に任せて法華経を読み持ちて人をも勧めて持たせん僧をば仏は一切の僧の中に吉第一の法師なりと讃められたり、吉檀那とは貴人にもよらず賎人をもにくまず上にもよらず下をもいやしまず一切人をば用いずして一切経の中に法華経を持たん人をば一切の人の中に吉人なりと仏は説給へり吉法とは此の法華経を最為第一の法と説かれたり、已説の経の中にも今説の経の中にも当説の経の中にも此の経第一と見えて候へば吉法なり、禅宗真言宗等の経法は第二第三なり殊に取り分けて申せば真言の法は第七重の劣なり、然るに日本国には第二第三乃至第七重の劣の法をもつて御祈祷あれども末だ其の証拠をみず、最上第一の妙法をもつて御祈祷あるべきか、是を正直捨方便但説無上道唯此一事実と云へり誰か疑をなすべきや。
問うて云く無智の人来りて生死を離るべき道を問わん時は何れの経の意をか説くべき仏如何が教へ給へるや、答えて云く法華経を説くべきなり所以に法師品に云く「若し人有つて何等の衆生か未来世に於て当に作仏することを得べきと問わば応に示すべし、是の諸人等未来世に於て必ず作仏することを得ん」と云云、安楽行品に云く「難問する所有らば小乗の法を以て答えず但大乗を以て而も為に解説せよ」云云、此等の文の心は何なる衆生か仏になるべきと問わば法華経を受持し奉らん人必ず仏になるべしと答うべきなり是れ仏の御本意なり、之に付て不審あり衆生の根性区にして念仏を聞かんと願ふ人もあり法華経を聞かんと願ふ人もあり、念仏を聞かんと願ふ人に法華経を説いて聞かせんは何の得益かあるべき、又念仏を聞かんが為に請じたらん時にも強て法華経を説くべきか、仏の説法も機に随いて得益有るをこそ本意とし給うらんと不審する人あらば云うべし、元より末法の世には無智の人に機に叶ひ叶はざるを顧みず但強いて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり、其の故は釈迦仏昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給いしには男女尼法師がおしなべて用ひざりき、或は罵られ毀られ或は打れ追はれ一しなならず、或は怨まれ嫉まれ給いしかども少しもこりもなくして強いて法華経を説き給いし故に今の釈迦仏となり給いしなり、不軽菩薩を罵りまいらせし人は口もゆがまず打ち奉りしかいなもすくまず、付法蔵の師子尊者も外道に殺されぬ、又法道三蔵も火印を面にあてられて江南に流され給いしぞかし、まして末法にかひなき僧の法華経を弘めんにはかかる難あるべしと経文に正く見えたり、されば人是を用ひず機に叶はずと云へども強いて法華経の五字の題名を聞かすべきなり、是ならでは仏になる道はなきが故なり、又或人不審して云く、機に叶はざる法華経を強いて説いて謗ぜさせて悪道に人を堕さんよりは、機に叶へる念仏を説いて発心せしむべし、利益もなく謗ぜさせて返つて地獄に堕さんは法華経の行者にもあらず邪見の人にてこそ有るらめと不審せば、云うべし経文には何体にもあれ末法には強いて法華経を説くべしと仏の説き給へるをばさていかが心うべく候や、釈迦仏不軽菩薩天台妙楽伝教等はさて邪見の人外道にておはしまし候べきか、又悪道にも堕ちず三界の生を離れたる二乗と云う者をば仏のの給はく設ひ犬野干の心をば発すとも二乗の心をもつべからず五逆十悪を作りて地獄には堕つとも二乗の心をばもつべからずなんどと禁められしぞかし、悪道におちざる程の利益は争でか有るべきなれども其れをば仏の御本意とも思し食さず地獄には堕つるとも仏になる法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり、されば天台妙楽も此の心を以て強いて法華経を説くべしとは釈し給へり譬えば、人の地に依りて倒れたる者の返つて地をおさへて起が如し、地獄には堕つれども疾く浮んで仏になるなり、当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき故に、とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり、権教をもつて仏になる由だにあらば、なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべしと説き我不愛身命とは仰せらるべきや、よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり。
問うて云く無智の人も法華経を信じたらば即身成仏すべきか、又何れの浄土に往生すべきぞや、答えて云く法華経を持つにおいては深く法華経の心を知り止観の坐禅をし一念三千十境十乗の観法をこらさん人は実に即身成仏し解を開く事もあるべし、其の外に法華経の心をもしらず無智にしてひら信心の人は浄土に必ず生べしと見えたり、されば生十方仏前と説き或は即往安楽世界と説きき、是の法華経を信ずる者の往生すと云う明文なり、之に付いて不審あり其の故は我が身は一にして十方の仏前に生るべしと云う事心得られず、何れにてもあれ一方に限るべし正に何れの方をか信じて往生すべきや、答えて云く一方にさだめずして十方と説くは最もいはれあるなり、所以に法華経を信ずる人の一期終る時には十方世界の中に法華経を説かん仏のみもとに生るべきなり、余の華厳阿含方等般若経を説く浄土へは生るべからず、浄土十方に多くして声聞の法を説く浄土もあり辟支仏の法を説く浄土もあり或は菩薩の法を説く浄土もあり、法華経を信ずる者は此等の浄土には一向生れずして法華経を説き給う浄土へ直ちに往生して座席に列りて法華経を聴聞してやがてに仏になるべきなり、然るに今世にして法華経は機に叶はずと云いうとめて西方浄土にて法華経をさとるべしと云はん者は阿弥陀の浄土にても法華経をさとるべからず十方の浄土にも生るべからず、法華経に背く咎重きが故に永く地獄に堕つべしと見えたり、其人命終入阿鼻獄と云へる是なり。
問うて云く即往安楽世界阿弥陀仏と云云、此の文の心は法華経を受持し奉らん女人は阿弥陀仏の浄土に生るべしと説き給えり念仏を申しても阿弥陀の浄土に生るべしと云ふ、浄土既に同じ念仏も法華経も等と心え候べきか如何、答えて云く観経は権教なり法華経は実教なり全く等しかるべからず其の故は仏世に出でさせ給いて四十余年の間多くの法を説き給いしかども二乗と悪人と女人とをば簡ひはてられて成仏すべしとは一言も仰せられざりしに此の経にこそ敗種の二乗も三逆の調達も五障の女人も仏になるとは説き給い候つれ、其の旨経文に見えたり、華厳経には「女人は地獄の使なり仏の種子を断ず外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」と云へり、銀色女経には三世の諸仏の眼は抜けて大地に落つるとも法界の女人は永く仏になるべからずと見えたり、又経に云く「女人は大鬼神なり能く一切の人を喰う」と、竜樹菩薩の大論には一度女人を見れば永く地獄の業を結ぶと見えたりされば実にてやありけん善導和尚は謗法なれども女人をみずして一期生と云はれたり、又業平が歌にも葎をいてあれたるやどのうれたきはかりにも鬼のすだくなりけりと云うも女人をば鬼とよめるにこそ侍れ、又女人には五障三従と云う事有るが故に罪深しと見えたり、五障とは一には梵天王二には帝釈三には魔王四には転輪聖王五には仏にならずと見えたり、又三従とは女人は幼き時は親に従いて心に任せず、人となりては男に従いて心にまかせず、年よりぬれば子に従いて心にまかせず加様に幼き時より老耄に至るまで三人に従て心にまかせず思う事をもいはず見たき事をもみず聴問したき事をもきかず是を三従とは説くなり、されば栄啓期が三楽を立てたるにも女人の身と生れざるを一の楽みといへり、加様に内典外典にも嫌はれたる女人の身なれども此の経を読まねどもかかねども身と口と意とにうけ持ちて殊に口に南無妙法蓮華経と唱へ奉る女人は在世の竜女・曇弥耶輸陀羅女の如くにやすやすと仏になるべしと云う経文なり、又安楽世界と云うは一切の浄土をば皆安楽と説くなり、又阿弥陀と云うも観経の阿弥陀にはあらず、所以に観経の阿弥陀仏は法蔵比丘の阿弥陀四十八願の主十劫成道の仏なり、法華経にも迹門の阿弥陀は大通智勝仏の十六王子の中の第九の阿弥陀にて法華経大願の主の仏なり、本門の阿弥陀は釈迦分身の阿弥陀なり随つて釈にも「須く更に観経等を指すべからざるなり」と釈し給えり。
問うて云く経に難解難入と云へり世間の人此の文を引いて法華経は機に叶はずと申し候は道理と覚え候は如何、答えて云く謂れなき事なり其の故は此の経を能も心えぬ人の云う事なり、法華より已前の経は解り難く入り難し法華の座に来りては解り易く入り易しと云う事なり、されば妙楽大師の御釈に云く「法華已前は不了義なるが故に故に難解と云う即ち今の教には咸く皆実に入るを指す故に易知と云う」文、此の文の心は法華より已前の経にては機つたなくして解り難く入り難し、今の経に来りては機賢く成りて解り易く入り易しと釈し給へり、其の上難解難入と説かれたる経が機に叶はずば先念仏を捨てさせ給うべきなり、其の故は雙観経に「難きが中の難き此の難に過ぎたるは無し」と説き阿弥陀経には難信の法と云へり、文の心は此の経を受け持たん事は難きが中の難きなり此れに過ぎたる難きはなし難信の法なりと見えたり。
問うて云く経文に「四十余年未だ真実を顕さず」と云い、又「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過るとも終に無上菩提を成ずることを得じ」と云へり、此の文は何体の事にて候や、答えて云く此の文の心は釈迦仏一期五十年の説法の中に始めの華厳経にも真実をとかず中の方等般若にも真実をとかず、此の故に禅宗念仏戒等を行ずる人は無量無辺劫をば過ぐとも仏にならじと云う文なり、仏四十二年の歳月を経て後法華経を説き給ふ文には「世尊の法は久くして後に要らず当に真実を説き給うべし」と仰せられしかば、舎利弗等の千二百の羅漢万二千の声聞弥勒等の八万人の菩薩梵王帝釈等の万億の天人阿闍世王等の無量無辺の国王仏の御言を領解する文には「我等昔より来数世尊の説を聞きたてまつるに未だ曾つて是くの如き深妙の上法を聞かず」と云つて、我等仏に離れ奉らずして四十二年若干の説法を聴聞しつれどもいまだ是くの如き貴き法華経をばきかずと云へる、此等の明文をばいかが心えて世間の人は法華経と余経と等しく思ひ剰へ機に叶はねば闇の夜の錦こぞの暦なんど云ひて、適持つ人を見ては賎み軽しめ悪み嫉み口をすくめなんどする是れ併ら謗法なり争か往生成仏もあるべきや、必ず無間地獄に堕つべき者と見えたり。
問うて云く凡そ仏法を能く心得て仏意に叶へる人をば世間に是を重んじ一切是を貴む、然るに当世法華経を持つ人人をば世こぞつて悪み嫉み軽しめ賎み或は所を追ひ出し、或は流罪し供養をなすまでは思いもよらず怨敵の様ににくまるるは、いかさまにも心わろくして仏意にもかなはずひがさまに法を心得たるなるべし、経文には如何が説きたるや、答えて云く経文の如くならば末法の法華経の行者は人に悪まるる程に持つを実の大乗の僧とす、又経を弘めて人を利益する法師なり、人に吉と思はれ人の心に随いて貴しと思はれん僧をば法華経のかたき世間の悪知識なりと思うべし、此の人を経文には猟師の目を細めにして鹿をねらひ猫の爪を隠して鼠をねらふが如くにして在家の俗男俗女の檀那をへつらいいつわりたぼらかすべしと説き給へり、其の上勧持品には法華経の敵人三類を挙げられたるに、一には在家の俗男俗女なり此の俗男俗女は法華経の行者を憎み罵り打ちはりきり殺し所を追ひ出だし或は上へ讒奏して遠流しなさけなくあだむ者なり、二には出家の人なり此の人は慢心高くして内心には物も知らざれども智者げにもてなして世間の人に学匠と思はれて法華経の行者を見ては怨み嫉み軽しめ、賎み犬野干よりもわろきようを人に云いうとめ法華経をば我一人心得たりと思う者なり、三には阿練若の僧なり此の僧は極めて貴き相を形に顕し三衣一鉢を帯して山林の閑かなる所に篭り居て在世の羅漢の如く諸人に貴まれ仏の如く万人に仰がれて法華経を説の如くに読み持ち奉らん僧を見ては憎み嫉んで云く大愚癡の者大邪見の者なり総て慈悲なき者外道の法を説くなんど云わん、上一人より仰いで信を取らせ給はば其の已下万人も仏の如くに供養をなすべし、法華経を説の如くよみ持たん人は必ず此の三類の敵人に怨まるべきなりと仏説き給へり。
問うて云く仏の名号を持つ様に法華経の名号を取り分けて持つべき証拠ありや如何、答えて云く経に云く「仏諸の羅刹女に告げたまわく善き哉善き哉汝等但能く法華の名を受持する者を擁護せん福量る可からず」と云云此の文の意は十羅刹の法華の名を持つ人を護らんと誓言を立て給うを大覚世尊讃めて言く善き哉善き哉汝等南無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳いくら程とも計りがたくめでたき功徳なり神妙なりと仰せられたる文なり、是れ我等衆生の行住坐臥に南無妙法蓮華経と唱ふべしと云う文なり。
凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王帝釈等の仏性と舎利弗目連等の仏性と文殊弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏一切の法一切の菩薩一切の声聞一切の梵王帝釈閻魔法王日月衆星天神地神乃至地獄餓鬼畜生修羅人天一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ、されば「若し暫くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給うは此の心なり、されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐一切衆生皆成仏道の妙法と云うは是なり。
是等の趣きを能く能く心得て仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。
 
三世諸仏総勘文教相廃立/弘安二年十月五十八歳御作

 

日蓮之を撰す
夫れ一代聖教とは総べて五十年の説教なり是を一切経とは言うなり、此れを分ちて二と為す一には化他二には自行なり、一には化他の経とは法華経より前の四十二年の間説き給える諸の経教なり此れをば権教と云い亦は方便と名く、此れは四教の中には三蔵教通教別教の三教なり五時の中には華厳阿含方等般若なり法華より前の四時の経教なり、又十界の中には前の九法界なり又夢と寤との中には夢中の善悪なり又夢をば権と云い寤をば実と云うなり、是の故に夢は仮に有つて体性無し故に名けて権と云うなり、寤は常住にして不変の心の体なるが故に此れを名けて実と為す、故に四十二年の諸の経教は生死の夢の中の善悪の事を説く故に権教と言う夢中の衆生を誘引し驚覚して法華経の寤と成さんと思食しての支度方便の経教なり故に権教と言う、斯れに由つて文字の読みを糾して心得可きなり、故に権をば権と読む権なる事の手本には夢を以て本と為す又実をば実と読む実事の手本は寤なり、故に生死の夢は権にして性体無ければ権なる事の手本なり故に妄想と云う、本覚の寤は実にして生滅を離れたる心なれば真実の手本なり故に実相と云う、是を以て権実の二字を糾して一代聖教の化他の権と自行の実との差別を知る可きなり、故に四教の中には前の三教と五時の中には前の四時と十法界の中には前の九法界は同じく皆夢中の善悪の事を説くなり故に権教と云う、此の教相をば無量義経に四十余年未顕真実と説き給う已上、未顕真実の諸経は夢中の権教なり故に釈籤に云く「性殊なること無しと雖も必ず幻に藉りて幻の機と幻の感と幻の応と幻の赴とを発す能応と所化と並びに権実に非ず」已上、此れ皆夢幻の中の方便の教なり性雖無殊等とは夢見る心性と寤の時の心性とは只一の心性にして総て異ること無しと雖も夢の中の虚事と寤の時の実事と二事一の心法なるを以て見ると思うも我が心なりと云う釈なり、故に止観に云く「前の三教の四弘能も所も泯す」已上、四弘とは衆生の無辺なるを度せんと誓願し煩悩の無辺なるを断ぜんと誓願し法門の無尽なるを知らんと誓願し無上菩提を証せんと誓願す此を四弘と云う、能とは如来なり所とは衆生なり此の四弘は能の仏も所の衆生も前三教は皆夢中の是非なりと釈し給えるなり、然れば法華以前の四十二年の間の説教たる諸経は未顕真実の権教なり方便なり、法華に取寄る可き方便なるが故に真実には非ず、此れは仏自ら四十二年の間説き集め給いて後に、今法華経を説かんと欲して先ず序分の開経の無量義経の時仏自ら勘文し給える教相なれば人の語も入る可からず不審をも生す可からず、故に玄義に云く「九界を権と為し仏界を実と為す」已上、九法界の権は四十二年の説教なり仏法界の実は八箇年の説法華経是なり、故に法華経をば仏乗と云う九界の生死は夢の理なれば権教と云い仏界の常住は寤の理なれば実教と云う、故に五十年の説教一代の聖教一切の諸経は化他の四十二年の権教と自行の八箇年の実教と合して五十年なれば権と実との二の文字を以て鏡に懸けて陰無し。
故に三蔵経を修行すること三僧祇百大劫を歴て終りに仏に成らんと思えば我が身より火を出して灰身入滅とて灰と成つて失せるなり、通教を修行すること七阿僧祇百大劫を満てて仏に成らんと思えば前の如く同様に灰身入滅して跡形も無く失せぬるなり、別教を修行すること二十二大阿僧祇百千万劫を尽くして終りに仏に成りぬと思えば生死の夢の中の権教の成仏なれば本覚の寤の法華経の時には別教には実仏無し夢中の果なり故に別教の教道には実の仏無しと云うなり、別教の証道には初地に始めて一分の無明を断じて一分の中道の理を顕し始めて之を見れば別教は隔歴不融の教と知つて円教に移り入つて円人と成り已つて別教には留まらざるなり上中下三根の不同有るが故に初地二地三地乃至等覚までも円人と成る故に別教の面に仏無きなり、故に有教無人と云うなり、故に守護国界章に云く「有為の報仏は夢中の権果[前三教の修行の仏]無作の三身は覚前の実仏なり[後の円教の観心の仏]」又云く「権教の三身は未だ無常を免れず[前三教の修行の仏]実教の三身は倶体倶用なり[後の円教の観心の仏]」此の釈を能く能く意得可きなり、権教は難行苦行して適仏に成りぬと思えば夢中の権の仏なれば本覚の寤の時には実仏無きなり、極果の仏無ければ有教無人なり況や教法実ならんや之を取つて修行せんは聖教に迷えるなり、此の前三教には仏に成らざる証拠を説き置き給いて末代の衆生に慧解を開かしむるなり九界の衆生は一念の無明の眠の中に於て生死の夢に溺れて本覚の寤を忘れ夢の是非に執して冥きより冥きに入る、是の故に如来は我等が生死の夢の中の入つて顛倒の衆生に同じて夢中の語を以て夢中の衆生を誘い夢中の善悪の差別の事を説いて漸漸に誘引し給うに、夢中の善悪の事重畳して様様に無量無辺なれば先ず善事に付いて上中下を立つ三乗の法是なり、三三九品なり、此くの如く説き已つて後に又上上品の根本善を立て上中下三三九品の善と云う、皆悉く九界生死の夢の中の善悪の是非なり今是をば総じて邪見外道と為す[捜要記の意]、此の上に又上上品の善心は本覚の寤の理なれば此れを善の本と云うと説き聞かせ給し時に夢中の善悪の悟の力を以ての故に寤の本心の実相の理を始めて聞知せられし事なり、是の時に仏説いて言く夢と寤との二は虚事と実事との二の事なれども心法は只一なり、眠の縁に値いぬれば夢なり眠去りぬれば寤の心なり心法は只一なりと開会せらるべき下地を造り置かれし方便なり[此れは別教の中道の理]是の故に未だ十界互具円融相即を顕さざれば成仏の人無し故に三蔵教より別教に至るまで四十二年の間の八教は皆悉く方便夢中の善悪なり、只暫く之を用いて衆生を誘引し給う支度方便なり此の権教の中にも分分に皆悉く方便と真実と有りて権実の法闕けざるなり、四教一一に各四門有つて差別有ること無し語も只同じ語なり文字も異ること無し斯れに由つて語に迷いて権実の差別を分別せざる時を仏法滅すと云う是の方便の教は唯穢土に有つて総じて浄土には無きなり法華経に云く「十方の仏土の中には唯一乗の法のみ有つて二無く亦三も無し仏の方便の説をば除く」已上、故に知んぬ十方の仏土に無き方便の教を取つて往生の行と為し十方の浄土に有る一乗の法をば之を嫌いて取らずして成仏す可き道理有る可しや否や一代の教主釈迦如来一切経を説き勘文し給いて言く三世の諸仏同様に一つ語一つ心に勘文し給える説法の儀式なれば我も是くの如く一言も違わざる説教の次第なり云云、方便品に云く「三世の諸仏の説法の儀式の如く我も今亦是くの如く無分別の法を説く」已上、無分別の法とは一乗の妙法なり善悪を簡ぶこと無く草木樹林山河大地にも一微塵の中にも互に各十法界の法を具足す我が心の妙法蓮華経の一乗は十方の浄土に周・して闕くること無し十方の浄土の依報正報の功徳荘厳は我が心の中に有つて片時も離るること無き三身即一の本覚の如来にて是の外には法無し此の一法計り十方の浄土に有りて余法有ること無し故に無分別法と云う是なり、此の一乗妙法の行をば取らずして全く浄土には無き方便の教を取つて成仏の行と為さんは迷いの中の迷いなり、我仏に成りて後に穢土に立ち還りて穢土の衆生を仏法界に入らしめんが為に次第に誘引して方便の教を説くを化他の教とは云うなり、故に権教と言い又方便とも云う化他の法門の有様大体略を存して斯くの如し。
二に自行の法とは是れ法華経八箇年の説なり、是の経は寤の本心を説き給う唯衆生の思い習わせる夢中の心地なるが故に夢中の言語を借りて寤の本心を訓る故に語は夢中の言語なれども意は寤の本心を訓ゆ法華経の文と釈との意此くの如し、之を明め知らずんば経の文と釈の文とに必ず迷う可きなり、但し此の化他の夢中の法門も寤の本心に備われる徳用の法門なれば夢中の教を取つて寤の心に摂むるが故に四十二年の夢中の化他方便の法門も妙法蓮華経の寤の心に摂まりて心の外には法無きなり此れを法華経の開会とは云うなり、譬えば衆流を大海に納むるが如きなり仏の心法妙衆生の心法妙と此の二妙を取つて己心に摂むるが故に心の外に法無きなり己心と心性と心体との三は己身の本覚の三身如来なり是を経に説いて云く「如是相[応身如来]如是性[報身如来]如是体[法身如来]」此れを三如是と云う、此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり、法界に周・して一仏の徳用なれば一切の法は皆是仏法なりと説き給いし時其の座席に列りし諸の四衆八部畜生外道等一人も漏れず皆悉く妄想の僻目僻思立所に散止して本覚の寤に還つて皆仏道を成ず、仏は寤の人の如く衆生は夢見る人の如し故に生死の虚夢を醒して本覚の寤に還るを即身成仏とも平等大慧とも無分別法とも皆成仏道とも云う只一つの法門なり、十方の仏土は区に分れたりと雖も通じて法は一乗なり方便無きが故に無分別法なり、十界の衆生は品品に異りと雖も実相の理は一なるが故に無分別なり百界千如三千世間の法門殊なりと雖も十界互具するが故に無分別なり、夢と寤と虚と実と各別異なりと雖も一心の中の法なるが故に無分別なり、過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり、一切経の語は夢中の語とは譬えば扇と樹との如し法華経の寤の心を顕す言とは譬えば月と風との如し、故に本覚の寤の心の月輪の光は無明の闇を照し実相般若の智慧の風は妄想の塵を払う故に夢の語の扇と樹とを以て寤の心の月と風とを知らしむ是の故に夢の余波を散じて寤の本心に帰せしむるなり、故に止観に云く「月重山に隠るれば扇を挙げて之に類し風大虚に息みぬれば樹を動かして之を訓ゆるが如し」文、弘決に云く「真常性の月煩悩の山に隠る煩悩一に非ず故に名けて重と為す円音教の風は化を息めて寂に帰す寂理無礙なること猶大虚の如し四依の弘教は扇と樹との如し乃至月と風とを知らしむるなり已上、夢中の煩悩の雲重畳せること山の如く其の数八万四千の塵労にて心性本覚の月輪を隠す扇と樹との如くなる経論の文字言語の教を以て月と風との如くなる本覚の理を覚知せしむる聖教なり故に文と語とは扇と樹との如し」文、上釈は一往の釈とて実義に非ざるなり月の如くなる妙法の心性の月輪と風の如くなる我が心の般若の慧解とを訓え知らしむるを妙法蓮華経と名く、故に釈籤に云く「声色の近名を尋ねて無相の極理に至る」と已上、声色の近名とは扇と樹との如くなる夢中の一切経論の言説なり無相の極理とは月と風との如くなる寤の我が身の心性の寂光の極楽なり、此の極楽とは十方法界の正報の有情と十方法界の依報の国土と和合して一体三身即一なり、四土不二にして法身の一仏なり十界を身と為すは法身なり十界を心と為すは報身なり十界を形と為すは応身なり十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て寂光土と云う是の故に無相の極理とは云うなり、生滅無常の相を離れたるが故に無相と云うなり法性の淵底玄宗の極地なり故に極理と云う、此の無相の極理なる寂光の極楽は一切有情の心性の中に有つて清浄無漏なり之を名けて妙法の心蓮台とは云うなり是の故に心外無別法と云う此れを一切法は皆是仏法なりと通達解了すとは云うなり、生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顛倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり、善悪無記此の外には心無く心の外には法無きなり故に善悪も浄穢も凡夫聖人も天地も大小も東西も南北も四維も上下も言語道断し心行所滅す心に分別して思い言い顕す言語なれば心の外には分別も無分別も無し、言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕わして神通と名くるなり神通とは神の一切の法に通じて礙無きなり、此の自在の神通は一切の有情の心にて有るなり故に狐狸も分分に通を現ずること皆心の神の分分の悟なり此の心の一法より国土世間も出来する事なり、一代聖教とは此の事を説きたるなり此れを八万四千の法蔵とは云うなり是れ皆悉く一人の身中の法門にて有るなり、然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり、此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり此の心が善悪の縁に値うて善悪の法をば造り出せるなり、華厳経に云く「心は工なる画師の種種の五陰を造るが如く一切世間の中に法として造らざること無し心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然なり三界唯一心なり心の外に別の法無し心仏及び衆生是の三差別無し」已上、無量義経に云く「無相不相の一法より無量義を出生す」已上、無相不相の一法とは一切衆生の一念の心是なり、文句に釈して云く「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり二乗の有余無余の二つの涅槃の相を離るが故に不相と云うなり」云云、心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う之を悟り知つて後は十界は我が身なり我が心なり我が形なり本覚の如来は我が身心なるが故なり之を知らざる時を名けて無明と為す無明は明かなること無しと読むなり、我が心の有様を明かに覚らざるなり、之を悟り知る時を名けて法性と云う、故に無明と法性とは一心の異名なり、名と言とは二なりと雖も心は只一つ心なり斯れに由つて無明をば断ず可からざるなり夢の心の無明なるを断ぜば寤の心を失う可きが故に総じて円教の意は一毫の惑をも断ぜず故に一切の法は皆是れ仏法なりと云うなり、法華経に云く「如是相[一切衆生の相好本覚の応身如来]如是性[一切衆生の心性本覚の報身如来]如是体[一切衆生の身体本覚の法身如来]」此の三如是より後の七如是出生して合して十如是と成れるなり、此の十如是は十法界なり、此の十法界は一人の心より出で八万四千の法門と成るなり、一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し、三世の諸仏の総勘文にして御判慥かに印たる正本の文書なり仏の御判とは実相の一印なり印とは判の異名なり、余の一切の経には実相の印無ければ正本の文書に非ず全く実の仏無し実の仏無きが故に夢中の文書なり浄土に無きが故なり、十法界は十なれども十如是は一なり譬えば水中の月は無量なりと雖も虚空の月は一なるが如し、九法界の十如是は夢中の十如是なるが故に水中の月の如し仏法界の十如是は本覚の寤の十如是なれば虚空の月の如し、是の故に仏界の一つの十如是顕れぬれば九法界の十如是の水中の月の如きも一も闕減無く同時に皆顕れて体と用と一具にして一体の仏と成る、十法界を互に具足し平等なる十界の衆生なれば虚空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して闕くること無し故に十如是は本末究竟して等しく差別無し、本とは衆生の十如是なり末とは諸仏の十如是なり諸仏は衆生の一念の心より顕れ給えば衆生は是れ本なり諸仏は是れ末なり、然るを経に云く「今此の三界は皆是我が有なり其の中の衆生は悉く是吾が子なり」と已上、仏成道の後に化他の為の故に迹の成道を唱えて生死の夢中にして本覚の寤を説き給うなり、智慧を父に譬え愚癡を子に譬えて是くの如く説き給えるなり、衆生は本覚の十如是なりと雖も一念の無明眠りの如く心を覆うて生死の夢に入つて本覚の理を忘れ髪筋を切る程に過去現在未来の三世の虚夢を見るなり、仏は寤の人の如くなれば生死の夢に入つて衆生を驚かし給える智慧は夢の中にて父母の如く夢の中なる我等は子息の如くなり、此の道理を以て悉是吾子と言い給うなり、此の理を思い解けば諸仏と我等とは本の故にも父子なり末の故にも父子なり父子の天性は本末是れ同じ、斯れに由つて己心と仏心とは異ならずと観ずるが故に生死の夢を覚まして本覚の寤に還えるを即身成仏と云うなり、即身成仏は今我が身の上の天性地体なり煩も無く障りも無き衆生の運命なり果報なり冥加なり、夫れ以れば夢の時の心を迷いに譬え寤の時の心を悟りに譬う之を以て一代聖教を覚悟するに跡形も無き虚夢を見て心を苦しめ汗水と成つて驚きぬれば我身も家も臥所も一所にて異らず夢の虚と寤の実との二事を目にも見心にも思えども所は只一所なり身も只一身にて二の虚と実との事有り之を以て知んぬ可し、九界の生死の夢見る我が心も仏界常住の寤の心も異ならず九界生死の夢見る所が仏界常住の寤の所にて変らず心法も替らず在所も差わざれども夢は皆虚事なり寤は皆実事なり止観に云く「昔荘周と云うもの有り夢に胡蝶と成つて一百年を経たり苦は多く楽は少く汗水と成つて驚きぬれば胡蝶にも成らず百年をも経ず苦も無く楽も無く皆虚事なり皆妄想なり」[已上取意]、弘決に云く「無明は夢の蝶の如く三千は百年の如し一念実無きは猶蝶に非ざるが如く三千も亦無きこと年を積むに非るが如し」已上、此の釈は即身成仏の証拠なり夢に蝶と成る時も荘周は異ならず寤に蝶と成らずと思う時も別の荘周無し、我が身を生死の凡夫なりと思う時は夢に蝶と成るが如く僻目僻思なり、我が身は本覚の如来なりと思う時は本の荘周なるが如し即身成仏なり、蝶の身を以て成仏すと云うに非ざるなり蝶と思うは虚事なれば成仏の言は無し沙汰の外の事なり、無明は夢の蝶の如しと判ずれば我等が僻思は猶昨日の夢の如く性体無き妄想なり誰の人か虚夢の生死を信受して疑を常住涅槃の仏性に生ぜんや、止観に云く「無明の癡惑本より是れ法性なり癡迷を以ての故に法性変じて無明と作り諸の顛倒の善不善等を起す寒来りて水を結べば変じて堅冰と作るが如く又眠来りて心を変ずれば種種の夢有るが如し今当に諸の顛倒は即ち是法性なり一ならず異ならずと体すべし、顛倒起滅すること旋火輪の如しと雖も顛倒の起滅を信ぜずして唯此の心但是れ法性なりと信ず、起は是れ法性の起滅は是れ法性の滅なり其れを体するに実には起滅せざるを妄りに起滅すと謂えり只妄想を指すに悉く是れ法性なり、法性を以て法性に繋け法性を以て法性を念ず常に是れ法性なり法性ならざる時無し」已上、是くの如く法性ならざる時の隙も無き理の法性に夢の蝶の如く無明に於て実有の思を生じて之に迷うなり、止観の九に云く「譬えば眠の法心を覆うて一念の中に無量世の事を夢みるが如し乃至寂滅真如に何の次位か有らん、乃至一切衆生即大涅槃なり復滅す可からず何の次位高下大小有らんや、不生不生にして不可説なれども因縁有るが故に亦説くことを得可し十因縁の法生の為に因と作る虚空に画き方便して樹を種るが如し一切の位を説くのみ」已上、十法界の依報正報は法身の仏一体三身の徳なりと知つて一切の法は皆是れ仏法なりと通達し解了する是を名字即と為す名字即の位より即身成仏す故に円頓の教には次位の次第無し故に玄義に云く「末代の学者多く経論の方便の断伏を執して諍闘す水の性の冷かなるが如きも飲まずんば安んぞ知らん」已上、天台の判に云く「次位の綱目は仁王瓔珞に依り断伏の高下は大品智論に依る」已上、仁王瓔珞大品大智度論是の経論は皆法華已前の八教の経論なり、権教の行は無量劫を経て昇進する次位なれば位の次第を説けり。
今法華は八教に超えたる円なれば速疾頓成にして心と仏と衆生と此の三は我が一念の心中に摂めて心の外に無しと観ずれば下根の行者すら尚一生の中に妙覚の位に入る一と多と相即すれば一位に一切の位皆是れ具足せり故に一生に入るなり、下根すら是くの如し況や中根の者をや何に況や上根をや実相の外に更に別の法無し実相には次第無きが故に位無し、総じて一代の聖教は一人の法なれば我が身の本体を能く能く知る可し之を悟るを仏と云い之に迷うは衆生なり此れは華厳経の文の意なり、弘決の六に云く「此の身の中に具さに天地に倣うことを知る頭の円かなるは天に象り足の方なるは地に象ると知り身の内の空種なるは即ち是れ虚空なり腹の温かなるは春夏に法とり背の剛きは秋冬に法とり四体は四時に法とり大節の十二は十二月に法とり小節の三百六十は三百六十日に法とり、鼻の息の出入は山沢渓谷の中の風に法とり口の息の出入は虚空の中の風に法とり眼は日月に法とり開閉は昼夜に法とり髪は星辰に法とり眉は北斗に法とり脈は江河に法とり骨は玉石に法とり皮肉は地土に法とり毛は叢林に法とり、五臓は天に在つては五星に法とり地に在つては五岳に法とり陰陽に在つては五行に法とり世に在つては五常に法とり内に在つては五神に法とり行を修するには五徳に法とり罪を治むるには五刑に法とる謂く墨・・宮大辟[此の五刑は人を様様に之を傷ましむ其の数三千の罰有り此を五刑と云う]首領には五官と為す五官は下の第八の巻に博物誌を引くが如し謂く苟萠等なり、天に昇つては五雲と日い化して五竜と為る、心を朱雀と為し腎を玄武と為し肝を青竜と為し肺を白虎と為し脾を勾陳と為す」又云く「五音五明六藝皆此れより起る亦復当に内治の法を識るべし覚心内に大王と為つては百重の内に居り出でては則ち五官に侍衛せ為る、肺をば司馬と為し肝をば司徒と為し脾をば司空と為し四支をば民子と為し、左をば司命と為し右をば司録と為し人命を主司す、乃至臍をば太一君等と為すと禅門の中に広く其の相を明す」已上、人身の本体委く検すれば是くの如し、然るに此の金剛不壊の身を以て生滅無常の身なりと思う僻思は譬えば荘周が夢の蝶の如しと釈し給えるなり、五行とは地水火風空なり五大種とも五薀とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時とも云う、只一物経経の異説なり内典外典名目の異名なり、今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性五智の如来の種子と説けり是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり本覚の如来なり是を十如是と云う此を唯仏与仏乃能究尽と云う、不退の菩薩と極果の二乗と少分も知らざる法門なり然るを円頓の凡夫は初心より之を知る故に即身成仏するなり金剛不壊の体なり、是を以て明かに知んぬ可し天崩れば我が身も崩る可し地裂けば我が身も裂く可し地水火風滅亡せば我が身も亦滅亡すべし、然るに此の五大種は過去現在未来の三世は替ると雖も五大種は替ること無し、正法と像法と末法との三時殊なりと雖も五大種は是れ一にして盛衰転変無し、薬草喩品の疏には円教の理は大地なり円頓の教は空の雨なり亦三蔵教通教別教の三教は三草と二木となり、其の故は此の草木は円理の大地より生じて円教の空の雨に養われて五乗の草木は栄うれども天地に依つて我栄えたりと思知らざるに由るが故に三教の人天二乗菩薩をば草木に譬えて不知恩と説かれたり、故に草木の名を得今法華に始めて五乗の草木は円理の母と円教の父とを知るなり、一地の所生なれば母の恩を知るが如く一雨の所潤なれば父の恩を知るが如し、薬草喩品の意是くの如くなり釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき、後に化他の為に世世番番に出世成道し在在処処に八相作仏し王宮に誕生し樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知らしめ四十余年に方便教を儲け衆生を誘引す、其の後方便の諸の経教を捨てて正直の妙法蓮華経の五智の如来の種子の理を説き顕して其の中に四十二年の方便の諸経を丸かし納れて一仏乗と丸し人一の法と名く一人が上の法なり、多人の綺えざる正しき文書を造つて慥かな御判の印あり三世諸仏の手継ぎの文書を釈迦仏より相伝せられし時に三千三百万億那由佗の国土の上の虚空の中に満ち塞がれる若干の菩薩達の頂を摩で尽して時を指して末法近来の我等衆生の為に慥かに此の由を説き聞かせて仏の譲状を以て末代の衆生に慥かに授与す可しと慇懃に三度まで同じ御語に説き給いしかば若干の菩薩達各数を尽して・を曲げ頭を低れ三度まで同じ言に各我も劣らじと事請を申し給いしかば仏心安く思食して本覚の都に還えり給う、三世の諸仏の説法の儀式作法には只同じ御言に時を指したる末代の譲状なれば只一向に後五百歳を指して此の妙法蓮華経を以て成仏す可き時なりと譲状の面に載せられたる手継ぎ証文なり。
安楽行品には末法に入つて近来初心の凡夫法華経を修行して成仏す可き様を説き置かれしなり、身も安楽行なり口も安楽行なり意も安楽行なり自行の三業も誓願安楽の化他の行も同じく後の末世に於て法の滅せんと欲する時と云云、此は近来の時なり已上四所に有り薬王品には二所に説かれ勧発品には三所に説かれたり、皆近来を指して譲り置かれたる正しき文書を用いずして凡夫の言に付き愚癡の心に任せて三世諸仏の譲り状に背き奉り永く仏法に背かば三世の諸仏何に本意無く口惜しく心憂く歎き悲しみ思食すらん、涅槃経に云く「法に依つて人に依らざれ」と云云、痛ましいかな悲しいかな末代の学者仏法を習学して還つて仏法を滅す、弘決に之を悲しんで曰く「此の円頓を聞いて崇重せざることは良に近代大乗を習う者の雑濫に由るが故なり況や像末情澆く信心寡薄円頓の教法蔵に溢れ函に盈つれども暫くも思惟せず便ち目を瞑ぐに至る徒らに生し徒らに死す一に何ぞ痛ましき哉」已上、同四に云く「然も円頓の教は本と凡夫に被むらしむ若し凡を益するに擬せずんば仏何ぞ自ら法性の土に住して法性の身を以て諸の菩薩の為に此の円頓を説かずして何ぞ諸の法身の菩薩の与に凡身を示し此の三界に現じ給うことを須いんや、乃至一心凡に在れば即ち修習す可し」已上、所詮己心と仏身と一なりと観ずれば速かに仏に成るなり、故に弘決に又云く「一切の諸仏己心は仏心と異ならずと観し給うに由るが故に仏に成ることを得る」と已上、此れを観心と云う実に己心と仏心と一心なりと悟れば臨終を礙わる可き悪業も有らず生死に留まる可き妄念も有らず、一切の法は皆是れ仏法なりと知りぬれば教訓す可き善知識も入る可らず思うと思い言うと言い為すと為し儀いと儀う行住坐臥の四威儀の所作は皆仏の御心と和合して一体なれば過も無く障りも無き自在の身と成る此れを自行と云う、此くの如く自在なる自行の行を捨て跡形も有らざる無明妄想なる僻思の心に住して三世の諸仏の教訓に背き奉れば冥きより冥きに入り永く仏法に背くこと悲しむ可く悲しむ可し、只今打ち返えし思い直し悟り返さば即身成仏は我が身の外には無しと知りぬ、我が心の鏡と仏の心の鏡とは只一鏡なりと雖も我等は裏に向つて我が性の理を見ず故に無明と云う、如来は面に向つて我が性の理を見たまえり故に明と無明とは其の体只一なり鏡は一の鏡なりと雖も向い様に依つて明昧の差別有り鏡に裏有りと雖も面の障りと成らず只向い様に依つて得失の二つ有り相即融通して一法の二義なり、化他の法門は鏡の裏に向うが如く自行の観心は鏡の面に向うが如し化他の時の鏡も自行の時の鏡も我が心性の鏡は只一にして替ること無し鏡を即身に譬え面に向うをば成仏に譬え裏に向うをば衆生に譬う鏡に裏有るをば性悪を断ぜざるに譬え裏に向う時面の徳無きをば化他の功徳に譬うるなり衆生の仏性の顕れざるに譬うるなり、自行と化他とは得失の力用なり玄義の一に云く「薩婆悉達祖王の弓を彎て満るを名けて力と為す七つの鉄鼓を中り一つの鉄囲山を貫ぬき地を洞し水輪に徹る如きを名けて用と為す[自行の力用なり]諸の方便教は力用の微弱なること凡夫の弓箭の如し何となれば昔の縁は化他の二智を禀けて理を照すこと遍からず信を生ずること深からず疑を除くこと尽さず[已上化他]、今の縁は自行の二智を禀けて仏の境界を極め法界の信を起し円妙の道を増し根本の惑を断じ変易の生を損す、但だ生身及び生身得忍の両種の菩薩倶に益するのみに非ず法身と法身の後心との両種の菩薩も亦以て倶に益す化の功広大に利潤弘深なる蓋し茲の経の力用なり[已上自行]」自行と化他との力用勝劣分明なること勿論なり能く能く之を見よ一代聖教を鏡に懸たる教相なり、極仏境界とは十如是の法門なり十界に互に具足して十界十如の因果権実の二智二境は我が身の中に有つて一人も漏るること無しと通達し解了し仏語を悟り極むるなり。
起法界信とは十法界を体と為し十法界を心と為し十法界を形と為したまえりと本覚の如来は我が身の中に有りけりと信ず増円妙道とは自行と化他との二は相即円融の法なれば珠と光と宝との三徳は只一の珠の徳なるが如し片時も相離れず仏法に不足無し一生の中に仏に成るべしと慶喜の念を増すなり、断根本惑とは一念無明の眠を覚まして本覚の寤に還れば生死も涅槃も倶に昨日の夢の如く跡形も無きなり、損変易生とは同居土の極楽と方便土の極楽と実報土の極楽との三土に往生せる人彼の土にて菩薩の道を修行して仏に成らんと欲するの間因は移り果は易りて次第に進み昇り劫数を経て成仏の遠きを待つを変易の生死と云うなり、下位を捨つるを死と云い上位に進むをば生と云う是くの如く変易する生死は浄土の苦悩にて有るなり、爰に凡夫の我等が此の穢土に於て法華を修行すれば十界互具法界一如なれば浄土の菩薩の変易の生は損し仏道の行は増して変易の生死を一生の中に促めて仏道を成ず故に生身及び生身得忍の両種の菩薩増道損生するなり、法身の菩薩とは生身を捨てて実報土に居するなり、後心の菩薩とは等覚の菩薩なり但し迹門には生身及び生身得忍の菩薩を利益するなり本門には法身と後身との菩薩を利益す但し今は迹門を開して本門に摂めて一の妙法と成す故に凡夫の我等穢土の修行の行の力を以て浄土の十地等覚の菩薩を利益する行なるが故に化の功広大なり[化他の徳用]、利潤弘深とは[自行の徳用]円頓の行者は自行と化他と一法をも漏さず一念に具足して横に十方法界に遍するが故に弘きなり竪には三世に亘つて法性の淵底を極むるが故に深きなり、此の経の自行の力用此くの如し化他の諸経は自行を具せざれば鳥の片翼を以て空を飛ばざるが如し故に成仏の人も無し今法華経は自行化他の二行を開会して不足無きが故に鳥の二翼を以て飛ぶに障り無きが如く成仏滞り無し、薬王品には十喩を以て自行と化他との力用の勝劣を判ぜり第一の譬に云く諸経は諸水の如く法華は大海の如し云云取意、実に自行の法華経の大海には化他の諸経の衆水を入るること昼夜に絶えず入ると雖も増ぜず減ぜず不可思議の徳用を顕す、諸経の衆水は片時の程も法華経の大海を納るること無し自行と化他との勝劣是くの如し一を以て諸を例せよ、上来の譬喩は皆仏の所説なり人の語を入れず此の旨を意得れば一代聖教鏡に懸けて陰り無し此の文釈を見て誰の人か迷惑せんや、三世の諸仏の総勘文なり敢て人の会釈を引き入る可からず三世諸仏の出世の本懐なり一切衆生成仏の直道なり、四十二年の化他の経を以て立る所の宗宗は華厳真言達磨浄土法相三論律宗倶舎成実等の諸宗なり。
此等は皆悉く法華より已前の八教の中の教なり皆是方便なり兼但対帯の方便誘引なり、三世諸仏の説教の次第なり此の次第を糾して法門を談ず若し次第に違わば仏法に非ざるなり、一代教主の釈迦如来も三世諸仏の説教の次第を糾して一字も違わず我も亦是くの如しとて経に云く「三世諸仏の説法の儀式の如く我も今亦是くの如く無分別の法を説く」已上、若し之に違えば永く三世の諸仏の本意に背く他宗の祖師各我が宗を立て法華宗と諍うこと・りの中の・り迷いの中の迷いなり。
徴佗学の決に之を破して云く[山王院]「凡そ八万法蔵其の行相を統ぶるに四教を出でず頭辺に示すが如し蔵通別円は即ち声聞縁覚菩薩仏乗なり真言禅門華厳三論唯識律業成倶の二論等の能所の教理争でか此の四を過ぎん若し過ぐると言わば豈外邪に非ずや若し出でずと言わば便ち他の所期を問い得よ[即ち四乗の果なり]、然して後に答に随つて極理を推ね徴めよ我が四教の行相を以て並べ検えて決定せよ彼の所期の果に於て若し我と違わば随つて即ち之を詰めよ、且く華厳の如きは五教に各各に修因向果有り初中後の行一ならず一教一果是れ所期なるべし若し蔵通別円の因と果とに非ざれば是れ仏教ならざるのみ、三種の法輪三時の教等中に就て定む可し汝何者を以てか所期の乗と為るや若し仏乗なりと言わば未だ成仏の観行を見ず若し菩薩と言わば此れ亦即離の中道の異なるなり、汝正しく何れを取るや設し離の辺を取らば果として成ず可き無し如し即是を要せば仏に例して之を難ぜよ謬つて真言を誦すとも三観一心の妙趣を会せずんば恐くは別人に同じて妙理を証せじ所以に他の所期の極を逐うて理に準じて[我が宗の理なり]徴べし、因明の道理は外道と対す多くは小乗及以び別教に在り若し法華華厳涅槃等の経に望むれば接引門なり権りに機に対して設けたり終に以て引進するなり邪小の徒をして会して真理に至らしむるなり所以に論ずる時は四依撃目の志を存して之を執着すること莫れ又須らく他の義を将つて自義に対検して随つて是非を決すべし執して之を怨むこと莫れ[大底他は多く三教に在り円旨至つて少きのみ]」先徳大師の所判是の如し、諸宗の所立鏡に懸けて陰り無し末代の学者何ぞ之を見ずして妄りに教門を判ぜんや大綱の三教を能く能く学す可し、頓と漸と円とは三教なり是れ一代聖教の総の三諦なり頓漸の二は四十二年の説なり円教の一は八箇年の説なり合して五十年なり此の外に法無し何に由つてか之に迷わん、衆生に有る時には此れを三諦と云い仏果を成ずる時には此れを三身と云う一物の異名なり之を説き顕すを一代聖教と云い之を開会して只一の総の三諦と成ずる時に成仏す此を開会と云い此を自行と云う、又他宗所立の宗宗は此の総の三諦を分別して八と為す各各に宗を立つるに依つて円満の理を闕いて成仏の理無し是の故に余宗には実の仏無きなり故に之を嫌う意は不足なりと嫌うなり、円教を取つて一切諸法を観ずること円融円満して十五夜の月の如く不足無く満足し究竟すれば善悪をも嫌わず折節をも撰ばず静処をも求めず人品をも択ばず一切諸法は皆是れ仏法なりと知りぬれば諸法を通達す即ち非道を行うとも仏道を成ずるが故なり、天地水火風は是れ五智の如来なり一切衆生の身心の中に住在して片時も離るること無きが故に世間と出世と和合して心中に有つて心外には全く別の法無きなり故に之を聞く時立所に速かに仏果を成ずること滞り無き道理至極なり、総の三諦とは譬えば珠と光と宝との如し此の三徳有るに由つて如意宝珠と云う故に総の三諦に譬う若し亦珠の三徳を別別に取り放さば何の用にも叶う可からず隔別の方便教の宗宗も亦是くの如し珠をば法身に譬え光をば報身に譬え宝をば応身に譬う此の総の三徳を分別して宗を立つるを不足と嫌うなり之を丸じて一と為すを総の三諦と云う、此の総の三諦は三身即一の本覚の如来なり又寂光をば鏡に譬え同居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬う四土も一土なり三身も一仏なり今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う寂光の仏を以て円教の仏と為し円教の仏を以て寤の実仏と為す余の三土の仏は夢中の権仏なり、此れは三世の諸仏の只同じ語に勘文し給える総の教相なれば人の語も入らず会釈も有らず若し之に違わば三世の諸仏に背き奉る大罪の人なり天魔外道なり永く仏法に背くが故に之を秘蔵して他人には見せざれ若し秘蔵せずして妄りに之を披露せば仏法に証理無く二世に冥加無からん謗ずる人出来せば三世の諸仏に背くが故に二人乍ら倶に悪道に堕んと識るが故に之を誡むるなり、能く能く秘蔵して深く此の理を証し三世の諸仏の御本意に相い叶い二聖二天十羅刹の擁護を蒙むり滞り無く上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず。
三世の諸仏は此れを一大事の因縁と思食して世間に出現し給えり一とは[中道なり法華なり]大とは[空諦なり華厳なり]事とは[仮諦なり阿含方等般若なり]已上一代の総の三諦なり、之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐成仏の直道なり因とは一切衆生の身中に総の三諦有つて常住不変なり此れを総じて因と云うなり縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず善知識の縁に値えば必ず顕るるが故に縁と云うなり、然るに今此の一と大と事と因と縁との五事和合して値い難き善知識の縁に値いて五仏性を顕さんこと何の滞りか有らんや春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す之を疑い之を信ぜざる人有る可しや無心の草木すら猶以て是くの如し何に況や人倫に於てをや、我等は迷の凡夫なりと雖も一分の心も有り解も有り善悪も分別し折節を思知る然るに宿縁に催されて生を仏法流布の国土に受けたり善知識の縁に値いなば因果を分別して成仏す可き身を以て善知識に値うと雖も猶草木にも劣つて身中の三因仏性を顕さずして黙止せる謂れ有る可きや、此の度必ず必ず生死の夢を覚まし本覚の寤に還つて生死の紲を切る可し今より已後は夢中の法門を心に懸く可からざるなり、三世の諸仏と一心と和合して妙法蓮華経を修行し障り無く開悟す可し自行と化他との二教の差別は鏡に懸けて陰り無し、三世の諸仏の勘文是くの如し秘す可し秘す可し。( 弘安二年己卯十月日 )

諌暁八幡抄

 

夫れ馬は一歳二歳の時は設いつがいのびまろすねにすねほそくうでのびて候へども病あるべしとも見えず、而れ ども七八歳なんどになりて身もこへ血ふとく上かち下をくれ候へば小船に大石をつめるがごとく小き木に大なる菓のなれるがごとく多くのやまい出来して人の用にもあわず力もよわく寿もみじかし、天神等も又かくのごとし成劫の始には先生の果報いみじき衆生生れ来る上人の悪も候はねば身の光もあざやかに心もいさぎよく日月のごとくあざやかに師子象のいさみをなして候いし程に成劫やうやくすぎて住劫になるままに前の天神等は年かさなりて下旬の月のごとし今生れ来れる天神は果報衰減し下劣の衆生多分は出来す、然る間一天に三災やうやくをこり四海に七難粗出現せしかば一切衆生始めて苦と楽とををもい知る。
此の時仏出現し給いて仏教と申す薬を天と人と神とにあたへ給いしかば燈に油をそへ老人に杖をあたへたるがごとく天神等還つて威光をまし勢力を増長せし事成劫のごとし仏教に又五味のあぢわひ分れたり在世の衆生は成劫ほどこそなかりしかども果報いたうをとろへぬ衆生なれば五味の中に何の味をもなめて威光勢力をもまし候き、仏滅度の後正像二千年過て末法になりぬれば本の天も神も阿修羅大竜等も年もかさなりて身もつかれ心もよはくなり又今生れ来る天人修羅等は或は小果報或は悪天人等なり、小乗権大乗等の乳酪生蘇熟蘇味を服すれども老人に・食をあたへ高人に麦飯等を奉るがごとし、而るを当世此を弁えざる学人等古にならいて日本国の一切の諸神等の御前にして阿含経方等般若華厳大日経等を法楽し倶舎成実律法相三論華厳浄土禅等の僧を護持の僧とし給える唯老人に・食を与へ小児に強飯をくくめるがごとし、何に況や今の小乗経と小乗宗と大乗経と大乗宗とは古の小大乗の経宗にはあらず、天竺より仏法漢土へわたりし時小大の経経は金言に私言まじはれり、宗宗は又天竺漢土の論師人師或は小を大とあらそい或は大を小という或は小に大をかきまじへ或は大に小を入れ或は先きの経を後とあらそい或は後を先とし或は先を後につけ或は顕経を密経といひ密経を顕経という譬へば乳に水を入れ薬に毒を加うるがごとし、涅槃経に仏未来を記して云く「爾の時に諸の賊醍醐を以ての故に之に加うるに水を以てす水を以てする事多きが故に乳酪醍醐一切倶に失す」等云云、阿含小乗経は乳味のごとし方等大集経阿弥陀経深密経楞伽経大日経等は酪味のごとし、般若経等は生蘇味の如く華厳経等は熟蘇味の如く法華涅槃経等は醍醐味の如し、設い小乗経の乳味なりとも仏説の如くならば争でか一分の薬とならざるべき、況や諸の大乗経をや何に況や法華経をや。
然るに月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり其の中に羅什三蔵一人を除きて前後の一百八十六人は純乳に水を加へ薬に毒を入たる人人なり、此の理を弁へざる一切の人師末学等設い一切経を読誦し十二分経を胸に浮べたる様なりとも生死を離る事かたし又現在に一分のしるしある様なりとも天地の知る程の祈とは成る可からず魔王魔民等守護を加えて法に験の有様なりとも終には其の身も檀那も安穏なる可からず譬ば旧医の薬に毒を雑へてさしをけるを旧医の弟子等或は盗み取り或は自然に取りて人の病を治せんが如しいかでか安穏なるべき、当世日本国の真言等の七宗並に浄土禅宗等の諸学者等、弘法慈覚智証等の法華経最第一の醍醐に法華第二第三等の私の水を入れたるを知らず仏説の如くならばいかでか一切倶失の大科を脱れん、大日経は法華経より劣る事七重なり而るを弘法等顛倒して大日経最第一と定めて日本国に弘通せるは法華経一分の乳に大日経七分の水を入れたるなり水にも非ず乳にも非ず大日経にも非ず法華経にも非ず而も法華経に似て大日経に似たり大覚世尊此の事を涅槃経に記して云く「我が滅後に於て正法将に滅尽せんと欲す爾の時に多く悪を行ずる比丘有らん、乃至牧牛女の如く乳を売るに多利を貪らんと欲するを為ての故に二分の水を加う、乃至此の乳水多し、爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有て是の経を鈔略し分て多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除せん、乃至前を鈔て後に著け後を鈔て前に著け前後を中に著け中を前後に著けん当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云。
今日本国を案ずるに代始まりて已に久しく成りぬ旧き守護の善神は定めて福も尽き寿も減じ威光勢力も衰えぬらん、仏法の味をなめてこそ威光勢力も増長すべきに仏法の味は皆たがひぬ齢はたけぬ争でか国の災を払い氏子をも守護すべき、其の上謗法の国にて候を氏神なればとて大科をいましめずして守護し候へば仏前の起請を毀る神なり、しかれども氏子なれば愛子の失のやうにすてずして守護し給いぬる程に法華経の行者をあだむ国主国人等を対治を加えずして守護する失に依りて梵釈等のためには八幡等は罰せられ給いぬるか此事は一大事なり秘すべし秘すべし、有る経の中に仏此の世界と他方の世界との梵釈日月四天竜神等を集めて我が正像末の持戒破戒無戒等の弟子等を第六天の魔王悪鬼神等が人王人民等の身に入りて悩乱せんを見乍ら聞き乍ら治罰せずして須臾もすごすならば必ず梵釈等の使をして四天王に仰せつけて治罰を加うべし、若し氏神治罰を加えずば梵釈四天等も守護神に治罰を加うべし梵釈又かくのごとし、梵釈等は必ず此の世界の梵釈日月四天等を治罰すべし、若し然らずんば三世の諸仏の出世に漏れ永く梵釈等の位を失いて無間大城に沈むべしと釈迦多宝十方の諸仏の御前にして起請を書き置れたり。
今之を案ずるに日本小国の王となり神となり給うは小乗には三賢の菩薩大乗には十信法華には名字五品の菩薩なり、何なる氏神有りて無尽の功徳を修すとも法華経の名字を聞かず一念三千の観法を守護せずんば退位の菩薩と成りて永く無間大城に沈み候べし、故に扶桑記に云く「又伝教大師八幡大菩薩の奉為に神宮寺に於て、自ら法華経を講ず、乃ち聞き竟て大神託宣すらく我法音を聞かずして久しく歳年を歴る幸い和尚に値遇して正教を聞くことを得たり兼て我がために種種の功徳を修す至誠随喜す何ぞ徳を謝するに足らん、兼て我が所持の法衣有りと即ち託宣の主自ら宝殿を開いて手ら紫の袈裟一つ紫の衣一を捧げ和尚に奉上す大悲力の故に幸に納受を垂れ給えと、是の時に禰宜祝等各歎異して云く元来是の如きの奇事を見ず聞かざるかな、此の大神施し給う所の法衣今山王院に在るなり」云云、今謂く八幡は人王第十六代応神天皇なり其の時は仏経無かりしかば此に袈裟衣有るべからず、人王第三十代欽明天皇の治三十二年に神と顕れ給い其れより已来弘仁五年までは禰宜祝等次第に宝殿を守護す、何の王の時此の袈裟を納めけると意へし而して禰宜等云く元来見ず聞かず等云云、此の大菩薩いかにしてか此の袈裟衣は持ち給いけるぞ不思議なり不思議なり。
又欽明より已来弘仁五年に至るまでは王は二十二代仏法は二百六十余年なり、其の間に三論成実法相倶舎華厳律宗禅宗等の六宗七宗日本国に渡りて八幡大菩薩の御前にして経を講ずる人人其の数を知らず、又法華経を読誦する人も争でか無からん、又八幡大菩薩の御宝殿の傍には神宮寺と号して法華経等の一切経を講ずる堂大師より已前に是あり、其の時定めて仏法を聴聞し給いぬらん何ぞ今始めて我法音を聞かずして久しく年歳を歴る等と託宣し給ふべきや、幾くの人人か法華経一切経を講じ給いけるに何ぞ此の御袈裟衣をば進らさせ給はざりけるやらん、当に知るべし伝教大師已前は法華経の文字のみ読みけれども其の義はいまだ顕れざりけるか、去ぬる延暦二十年十一月の中旬の比伝教大師比叡山にして南都七大寺の六宗の碩徳十余人を奉請して法華経を講じ給いしに、弘世真綱等の二人の臣下此の法門を聴聞してなげいて云く「一乗の権滞を慨き三諦の未顕を悲しむ」又云く「長幼三有の結を摧破し猶未だ歴劫の轍を改めず」等云云、其の後延暦二十一年正月十九日に高雄寺に主上行幸ならせ給いて六宗の碩徳と伝教大師とを召し合はせられて宗の勝劣を聞し食ししに南都の十四人皆口を閉ぢて鼻のごとくす、後に重ねて怠状を捧げたり、其の状に云く「聖徳の弘化より以降た今に二百余年の間講ずる所の経論其の数多し、彼れ此れ理を争い其の疑未だ解けず而も比の最妙の円宗猶未だ闡揚せず」等云云、比れをもつて思うに伝教大師已前には法華経の御心いまだ顕れざりけるか、八幡大菩薩の見ず聞かずと御託宣有りけるは指なり指なり白なり白なり。
法華経第四に云く「我が滅度の後に能く竊に一人の為にも法華経を説かん、当に知るべし是の人は則ち如来の使なり乃至如来則ち衣を以て之れを覆い給うべし」等云云、当来の弥勒仏は法華経を説き給うべきゆへに釈迦仏は大迦葉尊者を御使として衣を送り給ふ、又伝教大師は仏の御使として法華経を説き給うゆへに八幡大菩薩を使として衣を送り給うか、又此の大菩薩は伝教大師已前には加水の法華経を服してをはしましけれども先生の善根に依つて大王と生れ給いぬ、其の善根の余慶神と顕れて此の国を守護し給いけるほどに今は先生の福の余慶も尽きぬ、正法の味も失せぬ謗法の者等国中に充満して年久しけれども日本国の衆生に久く仰がれてなじみせし大科あれども捨てがたくをぼしめし老人の不幸の子を捨てざるが如くして天のせめに合い給いぬるか、又此の袈裟は法華経最第一と説かん人こそかけまいらせ給うべきに伝教大師の後は第一の座主義真和尚法華最第一の人なればかけさせ給う事其の謂あり、第二の座主円澄大師は伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なりすこし謗法ににたり、此の袈裟の人には有らず、第三の座主円仁慈覚大師は名は伝教大師の御弟子なれども心は弘法大師の弟子大日経第一法華経第二の人なり、此の袈裟は一向にかけがたし、設いかけたりとも法華経の行者にはあらず、其の上又当世の天台座主は一向真言の座主なり、又当世の八幡の別当は或は園城寺の長吏或は東寺の末流なり、此れ等は遠くは釈迦多宝十方の諸仏の大怨敵近くは伝教大師の讐敵なり、譬へば提婆達多が大覚世尊の御袈裟をかけたるがごとし、又猟師が仏衣を被て師子の皮をはぎしがごとし、当世叡山の座主は伝教大師の八幡大菩薩より給て候し御袈裟をかけて法華経の所領を奪ひ取りて真言の領となせり、譬へば阿闍世王の提婆達多を師とせしがごとし。
而るを大菩薩の此の袈裟をはぎかへし給わざるは第一の大科なり、此の大菩薩は法華経の御座にして行者を守護すべき由の起請をかきながら数年が間法華経の大怨敵を治罰せざる事不思議なる上、たまたま法華経の行者の出現せるを来りて守護こそなさざらめ、我が前にして、国主等の怨する事犬の猿をかみ蛇の蝦をのみ鷹の雉を師子王の兎を殺すがごとくするを一度もいましめず、設いいましむるやうなれどもいつわりをろかなるゆへに梵釈日月四天等のせめを八幡大菩薩かほり給いぬるにや、例せば欽明天皇敏達天皇用明天皇已上三代の大王物部大連守屋等がすすめに依りて宣旨を下して金銅の釈尊を焼き奉り堂に火を放ち僧尼をせめしかば天より火下て内裏をやく、其の上日本国の万民とがなくして悪瘡をやみ死ぬること大半に過ぎぬ、結句三代の大王二人の大臣其の外多くの王子公卿等或は悪瘡或は合戦にほろび給いしがごとし、其の時日本国の百八十の神の栖給いし宝殿皆焼け失せぬ釈迦仏に敵する者を守護し給いし大科なり、又園城寺は叡山已前の寺なれども智証大師の真言を伝えて今に長吏とがうす叡山の末寺たる事疑いなし、而るに山門の得分たる大乗の戒壇を奪い取りて園城寺に立てて叡山に随わじと云云、譬へば小臣が大王に敵し子が親に不幸なるがごとし、かかる悪逆の寺を新羅大明神みだれがわしく守護するゆへに度度山門に宝殿を焼る、此のごとし、今八幡大菩薩は法華経の大怨敵を守護して天火に焼かれ給いぬるか、例せば秦の始皇の先祖襄王と申せし王神となりて始皇等を守護し給いし程に秦の始皇大慢をなして三皇五帝の墳典をやき三聖の孝経等を失いしかば沛公と申す人剣をもつて大蛇を切り死ぬ秦皇の氏神是なり、其の後秦の代ほどなくほろび候いぬ此れも又かくのごとし、安芸の国いつく島の大明神は平家の氏神なり平家ををごらせし失に伊勢太神宮八幡等に神うちに打ち失われて其の後平家ほどなくほろび候いぬ此れも又かくのごとし。
法華経の第四に云く「仏滅度の後能く其の義を解せんは是れ諸の天人世間の眼なり」等云云、日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は諸天世間の眼にあらずや、眼には五あり所謂肉眼天眼慧眼法眼仏眼なり、此の五眼は法華経より出生せさせ給う故に普賢経に云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏是れに因て五眼を具する事を得給う」等云云、此の方等経と申すは法華経を申すなり、又此の経に云く「人天の福田応供の中の最なり」等云云、此等の経文のごとくば妙法蓮華経は人天の眼二乗菩薩の眼諸仏の御眼なり、而るに法華経の行者を怨む人は人天の眼をくじる者なり、其の人を罰せざる守護神は一切の人天の眼をくじる者を結構し給う神なり、而るに弘法慈覚智証等は正しく書を作りて法華経を無明の辺域にして明の分位に非ず後に望れば戯論と作る力者に及ばず履者とりにたらずとかきつけて四百余年、日本国の上一人より下万民にいたるまで法華経をあなづらせ一切衆生の眼をくじる者を守護し給うはあに八幡大菩薩の結構にあらずや、去ぬる弘長と又去ぬる文永八年九月の十二日に日蓮一分の失なくして南無妙法蓮華経と申す大科に国主のはからいとして八幡大菩薩の御前にひきはらせて一国の謗法の者どもにわらわせ給いしはあに八幡大菩薩の大科にあらずや、其のいましめとをぼしきはただどしうちばかりなり、日本国の賢王たりし上第一第二の御神なれば八幡に勝れたる神はよもをはせじ、又偏頗はよも有らじとはをもへども一切経並に法華経のをきてのごときんばこの神は大科の神なり、日本六十六箇国二つの島一万一千三十七の寺寺の仏は皆或は画像或は木像或は真言已前の寺もあり或は已後の寺もあり、此等の仏は皆法華経より出生せり、法華経をもつて眼とすべし、所謂「此の方等経は是れ諸仏の眼なり」等云云、妙楽云く「然も此の経は常住仏性を以て咽喉と為し一乗の妙行を以て眼目と為し再生敗種を以て心腑と為し顕本遠寿を以て其の命と為す」等云云、而るを日本国の習い真言師にもかぎらず諸宗一同に仏眼の印をもつて開眼し大日の真言をもつて五智を具すと云云此等は法華経にして仏になれる衆生を真言の権経にて供養すれば還つて仏を死し眼をくじり寿命を断ち喉をさきなんどする人人なり、提婆が教主釈尊の身より血を出し阿闍世王の彼の人を師として現罰に値いしにいかでかをとり候べき、八幡大菩薩は応神天皇小国の王なり阿闍世王は摩竭大国の大王なり天と人と王と民との勝劣なり、而れども阿闍世王猶釈迦仏に敵をなして悪瘡身に付き給いぬ、八幡大菩薩いかでか其の科を脱るべき、去ぬる文永十一年に大蒙古よりよせて日本国の兵を多くほろぼすのみならず八幡の宮殿すでにやかれぬ、其の時何ぞ彼の国の兵を罰し給はざるや、まさに知るべし彼の国の大王は此の国の神に勝れたる事あきらけし、襄王と申せし神は漢土の第一の神なれども沛公が利劒に切られ給いぬ。
此れをもつてをもうべし道鏡法師称徳天皇の心よせと成りて国王と成らんとせし時清丸八幡大菩薩に祈請せし時八幡の御託宣に云く「夫れ神に大小好悪有り乃至彼は衆く我は寡し邪は強く正は弱し乃ち当に仏力の加護を仰て為めに皇緒を紹隆すべし」等云云、当に知るべし八幡大菩薩は正法を力として王法を守護し給いけるなり、叡山東寺等の真言の邪法をもつて権の大夫殿を調伏せし程に権の大夫殿はかたせ給い隠岐の法皇はまけさせ給いぬ還著於本人此れなり。
今又日本国一万一千三十七の寺並に三千一百三十二社の神は国家安穏のためにあがめられて候、而るに其の寺寺の別当等其の社社の神主等はみなみなあがむるところの本尊と神との御心に相違せり、彼れ彼れの仏と神とは其の身異体なれども其の心同心に法華経の守護神なり、別当と社主等は或は真言師或は念仏者或は禅僧或は律僧なり皆一同に八幡等の御かたきなり、謗法不孝の者を守護し給いて正法の者を或は流罪或は死罪等に行なわするゆへに天のせめを被り給いぬるなり、我が弟子等の内謗法の余慶有る者の思いていわく此の御房は八幡をかたきとすと云云、これいまだ道理有りて法の成就せぬには本尊をせむるという事を存知せざる者の思いなり付法蔵経と申す経に大迦葉尊者の因縁を説いて云く「時に摩竭国に婆羅門有り尼倶律陀と名づく過去の世に於て久しく勝業を修し、多く財宝に饒かにして巨富無量なり摩竭王に比するに千倍勝れりと為す、財宝饒かなりと雖も子息有る事無し自ら念わく老朽して死の時将に至らんとす庫蔵の諸物委付する所無し、其の舎の側に於て樹林神有り彼の婆羅門子を求むるが為の故に即ち往て祈請す年歳を経歴すれども微応無し、時に尼倶律陀大に瞋忿を生じて樹神に語て曰く、我汝に事てより来已に年歳を経れども都て一の福応を垂るるを見ず今当に七日至心に汝に事うべし、若し復験無ければ必ず相焼剪せん、樹神聞き已て甚だ愁怖を懐き四天王に向つて具さに斯の事を陳ぶ、是に於て四王往て帝釈に白す帝釈閻浮提の内を観察するに福徳の人の彼の子と為るに堪ゆる無し即ち梵王に詣で広く上の事を宣ぶ、爾の時に梵王天眼を以て観見するに梵天の当に命終に臨む有り而て之に告げて曰く汝若し神を降さば宜しく当に彼の閻浮提界の婆羅門の家に生ずべし、梵天対て曰く婆羅門の法悪邪見多し我今其子と為る事能ざるなり、梵王復言く彼の婆羅門大威徳有り閻浮提の人往て生ずるに堪ゆる莫し汝必ず彼に生ぜば吾れ相護りて終に汝をして邪見に入らしめざらん、梵天曰く諾敬て聖教を承けん、是に於て帝釈即樹神に向つて斯の如き事を説く樹神歓喜して尋て其の家に詣で婆羅門に語らく汝今復恨を我れに起す事なかれ郤て後七日当に卿が願を満すべし、七日に至て已に婦身む事有るを覚え十月を満足して一男児を生めり乃至今の迦葉是なり」云云、「時に応じて尼倶律陀大に瞋忿を生ず」等云云、常のごときんば氏神に向いて大瞋恚を生ぜん者は今生には身をほろぼし後世には悪道に堕つべし然りと雖も尼倶律陀長者氏神に向て大悪口大瞋恚を生じて大願を成就し賢子をまうけ給いぬ、当に知るべし瞋恚は善悪に通ずる者なり。
今日蓮は去ぬる建長五年[癸丑]四月二十八日より今年弘安三年[太歳庚辰]十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり此れ又時の当らざるにあらず已に仏記の五五百歳に当れり、天台伝教の御時は時いまだ来らざりしかども一分の機ある故に少分流布せり、何に況や今は已に時いたりぬ設とひ機なくして水火をなすともいかでか弘通せざらむ、只不軽のごとく大難には値うとも流布せん事疑なかるべきに真言禅念仏等の讒奏に依りて無智の国主等留難をなす此を対治すべき氏神八幡大菩薩彼等の大科を治せざるゆへに日蓮の氏神を諌暁するは道理に背くべしや、尼倶律陀長者が樹神をいさむるに異ならず、蘇悉地経に云く「本尊を治罰する事鬼魅を治するが如し」等云云、文の心は経文のごとく所願を成ぜんがために数年が間法を修行するに成就せざれば本尊を或はしばり或は打ちなんどせよととかれて候、相応和尚の不動明王をしばりけるは此の経文を見たりけるか、此は他事にはにるべからず日本国の一切の善人は或は戒を持ち或は布施を行じ或は父母等の孝養のために寺塔を建立し或は成仏得道の為に妻子をやしなうべき財を止めて諸僧に供養をなし候に、諸僧謗法の者たるゆへに謀反の者を知ずしてやどしたるがごとく不孝の者に契をなせるがごとく今生には災難を招き後生も悪道に堕ち候べきを扶けんとする身なり而るを日本国の守護の善神等彼等にくみして正法の敵となるゆへに此をせむるは経文のごとし道理に任せたり、我が弟子等が愚案にをもわく我が師は法華経を弘通し給うとてひろまらざる上大難の来れるは真言は国をほろぼす念仏は無間地獄禅は天魔の所為律僧は国賊との給うゆへなり、例せば道理有る問注に悪口のまじわれるがごとしと云云、日蓮我が弟子に反詰して云く汝若し爾らば我が問を答えよ一切の真言師一切の念仏者一切の禅宗等に向て南無妙法蓮華経と唱え給えと勧進せば彼等の云く我が弘法大師は法華経と釈迦仏とを戯論無明の辺域力者はき物とりに及ばずとかかせ給いて候、物の用にあわぬ法華経を読誦せんよりも其の口に我が小呪を一反も見つべし一切の在家の者の云く善導和尚は法華経をば千中無一法然上人は捨閉閣抛道綽禅師は未有一人得者と定めさせ給へり汝がすすむる南無妙法蓮華経は我が念仏の障りなり我等設い悪をつくるともよも唱えじ一切の禅宗の云く我が宗は教外別伝と申して一切経の外に伝へたる最上の法門なり一切経は指のごとし禅は月のごとし天台等の愚人は指をまほつて月を亡いたり法華経は指なり禅は月なり月を見て後は指は何のせんか有るべきなんど申す、かくのごとく申さん時はいかにとしてか南無妙法蓮華経の良薬ば彼れ等が口には入るべき仏は且らく阿含経を説き給いて後彼の行者を法華経へ入れんとたばかり給いしに一切の声聞等只阿含経に著して法華経へ入らざりしをばいかやうにかたばからせ給いし、此をば仏説いて云く「設ひ五逆罪は造るとも五逆の者をば供養すとも罪は仏の種とはなるとも彼れ等が善根は仏種とならじ」とこそ説かせ給しか、小乗大乗はかわれども同じく仏説なり大が小を破して小を大となすと大を破して法華経に入ると大小は異なれども法華経へ入れんと思う志は是一つなり、されば無量義経に大を破して云く「未顕真実」と法華経に云く「此の事は為て不可なり」等云云、仏自ら云く「我世に出でて華厳般若等を説きて法華経をとかずして入涅槃せば愛子に財ををしみ病者に良薬をあたへずして死にたるがごとし仏自ら地獄に堕つべし」と云云、不可と申すは地獄の名なり況や法華経の後爾前の経に著して法華経へうつらざる者は大王に民の従がはざるがごとし親に子の見へざるがごとし、設い法華経を破せざれども爾前の経経をほむるは法華経をそしるに当たれり妙楽云く「若し昔を称歎せば豈に今を毀るに非ずや」文、又云く「発心せんと欲すと雖も偏円を簡ばず誓の境を解らざれば未来法を聞くとも何ぞ能く謗を免れん」等云云、真言の善無畏金剛智不空弘法慈覚智証等は設とい法華経を大日経に相対して勝劣を論ぜずして大日経を弘通すとも滅後に生まれたる三蔵人師なれば謗法はよも免れ候はじ、何に況や善無畏等の三三蔵は法華経は略説大日経は広説と同じて而かも法華経の行者を大日経えすかし入れ、弘法等の三大師は法華経の名をかきあげて戯論なんどかかれて候大科を明らめずして此の四百余年一切衆生を皆謗法の者となせり、例せば大荘厳仏の末の四比丘が六百万億那由佗の人を皆無間地獄に堕せると、師子音王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の比丘比丘尼うばそく(優婆塞)うばい(優婆夷)を皆阿鼻大城に導きしと、今の三大師の教化に随いて日本国四十九億九万四千八百二十八人或は云く日本紀に行基の人数に云く男女四十五億八万九千六百五十九人云云の一切衆生又四十九億等の人人四百余年に死して無間地獄に堕ちぬれば其の後他方世界よりは生れて又死して無間地獄に堕ちぬ、かくのごとく堕つる者は大地微塵よりも多し此れ皆三大師の科ぞかし、此れを日蓮此に大に見ながらいつわりをろかにして申さずば倶に堕地獄の者となつて一分の科なき身が十方の大阿鼻獄を経めぐるべしいかでか身命をすててよばわらざるべき涅槃経に云く「一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」等云云、日蓮云く一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし。
平城天皇の御字に八幡の御託宣に云く「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり百王を守護せん誓願あり」等云云、今云く人王八十一二代隠岐の法皇三四五の諸王已に破られ畢んぬ残の二十余代今捨て畢んぬ、已に此の願破るるがごとし、日蓮料簡して云く百王を守護せんというは正直の王百人を守護せんと誓い給う、八幡の御誓願に云く「正直の人の頂を以て栖と為し、諂曲の人の心を以て亭ず」等云云、夫れ月は清水に影をやどす濁水にすむ事なし、王と申すは不妄語の人右大将家権の大夫殿は不妄語の人正直の頂八幡大菩薩の栖む百皇の内なり、正直に二あり一には世間の正直王と申すは天人地の三を串くを王と名づく、天人地の三は横なりたつてんは縦なり、王と申すは黄帝中央の名なり、天の主人の主地の主を王と申す、隠岐の法皇は名は国王身は妄語の人なり横人なり、権の大夫殿は名は臣下身は大王不妄語の人八幡大菩薩の願い給う頂きなり、二には出世の正直と申すは爾前七宗等の経論釈は妄語法華経天台宗は正直の経釈なり、本地は不妄語の経の釈迦仏迹には不妄語の八幡大菩薩なり、八葉は八幡中台は教主釈尊なり、四月八日寅の日に生まれ八十年を経て二月十五日申の日に隠れさせ給う、豈に教主の日本国に生まれ給うに有らずや、大隅の正八幡宮の石の文に云く「昔し霊鷲山に在つて妙法華経を説き今正宮の中に在て大菩薩と示現す」等云云、法華経に云く「今此三界」等云云、又「常に霊鷲山に在り」等云云、遠くは三千大千世界の一切衆生は釈迦如来の子なり、近くは日本国四十九億九万四千八百二十八人は八幡大菩薩の子なり、今日本国の一切衆生は八幡をたのみ奉るやうにもてなし釈迦仏をすて奉るは影をうやまつて体をあなづり子に向いて親をのるがごとし、本地は釈迦如来にして月氏国に出でて正直捨方便の法華経を説き給い、垂迹は日本国に生れては正直の頂きにすみ給う、諸の権化の人人の本地は法華経の一実相なれども垂迹の門は無量なり、所謂跋倶羅尊者は三世に不殺生戒を示し鴦崛摩羅は生生に殺生を示す、舎利弗は外道となり是くの如く門門不同なる事は本凡夫にて有りし時の初発得道の始を成仏の後化他門に出で給う時我が得道の門を示すなり、妙楽大師云く「若し本に従て説かば亦是れ昔殺等の悪の中に於て能く出離するが故なり是の故に迹中に亦殺を以て利他の法門と為す」等云云、今八幡大菩薩は本地は月支の不妄語の法華経を迹に日本国にして正直の二字となして賢人の頂きにやどらんと云云、若し爾らば此の大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給うとも法華経の行者日本国に有るならば其の所に栖み給うべし。
法華経の第五に云く諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す、経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天帝釈日月四天等昼夜に守護すべしと見えたり、又第六の巻に云く「或は己身を説き或は他身を説き或は己身を示し或は他身を示し或は己事を示し或は他事を示す」文観音尚三十三身を現じ妙音又三十四身を現じ給ふ教主釈尊何ぞ八幡大菩薩と現じ給はざらんや天台云く「即是れ形を十界に垂れて種種の像を作す」等云云。
天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ。 ( 弘安三年[太歳庚辰]十二月日 )  
 
二乗作仏事

 

爾前得道の旨たる文、経に云く見諸菩薩等云云、又云く始見我身等、此等の文の如きは菩薩初地初住に叶う事有ると見えたるなり、故に見諸菩薩の文の下には而我等不預斯事と又始見の文の下には除先修習等云云、此れは爾前に二乗作仏無しと見たる文なり。
問う顕露定教には二乗作仏を許すや顕露不定教には之を許すか秘密には之を許すか爾前の円には二乗作仏を許すや別教には之を許すか、答う所詮は重重の問答有りと雖も皆之を許さざるなり、所詮は二乗界の作仏を許さずんば菩薩界の作仏も許さざるか衆生無辺誓願度の願の闕くるが故なり、釈は菩薩の得道と見たる経文を消する許りなり、所詮華方般若の円の菩薩も初住に登らず又凡夫二乗は勿論なり化一切衆生皆令入仏道の文の下にて此の事は意得可きなり。
問う円の菩薩に向つては二乗作仏を説くか、答う説かざるなり未會向人説如此事の釈に明かなり。
問う華厳経の三無差別の文は十界互具の正証なりや、答う次下の経に云く如来智慧の大薬王樹は唯二所を除きて生長することを得ず所謂声聞と縁覚となり等云云二乗作仏を許さずと云う事分明なり、若し爾らば本文は十界互具と見えたれども実には二乗作仏無ければ十界互具を許さざるか、其の上爾前の経は法華経を以て定む可し既に除先修習等云云と云う華厳は二乗作仏無しと云う事分明なり方等般若も又以て此くの如し。
惣じて爾前の円に意得可き様二有り、一には阿難結集の已前に仏は一音に必ず別円二教の義を含ませ一一の音に必ず四教三教を含ませ給えるなり、故に純円の円は爾前経には無きなり故に円と云えども今の法華に対すれば別に摂すと云うなり、籤の十に又一一の位に皆普賢行布の二門有り故に知んぬ兼ねて円門を用いて別に摂すと釈するなり此の意にて爾前に得道無しと云うなり、二には阿難結集の時多羅葉に注す一段は純別一段は純円に書けるなり方等般若も此くの如し、此の時は爾前の純円に書ける処は粗法華に似たり、住中多明円融之相等と釈するは此の意なり。
天台智者大師は此の道理を得給いし故に他師の華厳など惣じて爾前の経を心得しにはたがい給えるなり、此の二の法門をば如何として天台大師は心得給いしぞとさぐれば法華経の信解品等を以て一一の文字別円の菩薩及び四教三教なりけりとは心得給いしなり、又此の智恵を得るの後にて彼等の経に向つて見る時は一向に別一向に円等と見えたる処あり、阿難結集の後のしはざなりけりと見給えるなり、天台一宗の学者の中に此の道理を得ざるは爾前の円と法華の円と始終同の義を思う故に一処のみの円教の経を見て一巻二巻等に純円の義を存ずる故に彼の経等に於て往生成仏の義理を許す人人是れ多きなり、華厳方等般若観経等の本文に於て阿難円教の巻を書くの日に即身成仏云云即得往生等とあるを見て一生乃至順次生に往生成仏を遂げんと思いたり、阿難結集已前の仏口より出す所の説教にて意を案ずれば即身成仏即得往生の裏に歴劫修行永不往生の心含めり、句の三に云く摂論を引いて云く了義経依文判義等と云う意なり、爾前の経を文の如く判ぜば仏意に乖く可しと云う事は是なり、記の三に云く法華已前は不了義なる故と云えり此の心を釈せるなり、籤の十に云く「唯此の法華のみ前教の意を説き今経の意を顕す」と釈の意は是なり。
抑他師と天台との意の殊なる様は如何と云うに他師は一一の経経に向つて彼の経経の意を得たりと謂へり、天台大師は法華経に仏四十余年の経経を説き給へる意をもつて諸経を釈する故に阿難尊者の書きし所の諸経の本文にたがひたる様なれども仏意に相叶いたるなり、且らく観経の疏の如き経説には見えざれども一字に於て四教を釈す、本文は一処は別教一処は円教一処は通教に似たり、釈の四教に亘るは法華の意を以て仏意を知りたもう故なり、阿難尊者の結集する経にては一処は純別一処は純円に書き別円を一字に含する義をば法華にて書きけり、法華にして爾前の経の意を知らしむるなり、若し爾らば一代聖教は反覆すと雖も法華経無くんば一字も諸経の意を知るべからざるなり、又法華経を読誦する行者も此の意を知らずんば法華経を読むにては有る可からず、爾前の経は深経なればと云つて浅経の意をば顕さず浅経なればと云つて又深義を含まざるにも非ず、法華経の意は一一の文字は皆爾前の意を顕し法華経の意をも顕す故に一字を読めば一切経を読むなり一字を読まざるは一切経を読まざるなり、若し爾らば法華経無き国には諸経有りと雖も得道は難かる可し、滅後に一切経を読む可き様は華厳経にも必ず法華経を列ねて彼の経の意を顕し観経にも必ず法華経を列ねて其の意を顕すべし諸経も又以て此くの如し、而るに月支の末の論師及び震旦の人師此の意を弁えず一経を講して各我得たりと謂い又超過諸経の謂いを成せるは會て一経の意を得ざるのみに非ず謗法の罪に堕するか。
問う天竺の論師震旦の人師の中に天台の如く阿難結集已前の仏口の諸経を此くの如く意得たる論師人師之有るか、答う無著菩薩の摂論には四意趣を以て諸経を釈し、竜樹菩薩の大論には四悉檀を以て一代を得たり、此れ等は粗此の意を釈すとは見えたれども天台の如く分明には見えず、天親菩薩の法華論も又以て此くの如し、震旦国に於ては天台以前の五百年の間には一向に此の義無し、玄の三に云く「天竺の大論尚其の類に非ず」云云、籤の三に云く「一家の章疏は理に附し教に憑り凡そ立つる所の義他人の其の所弘に随い偏に己が典を讃するに同じからず、若し法華を弘むるに偏に讃せば尚失なり況や復余をや」文、何となれば既に開権顕実と云う何ぞ一向に権を毀る可きや、華厳経の心仏及衆生是三無差別の文は華厳の人師此の文に於て一心覚不覚の三義を立つるは、源と起信論の名目を借りて此の文を釈するなり、南岳大師は妙法の二字を釈するに此の文を借りて三法妙の義を存せり、天台智者大師は之を依用す此に於て天台宗の人は華厳法華同等の義を存するか、又澄観心仏及衆生の文に於て一心覚不覚の義を存するのみに非ず性悪の義を存して云く、澄観の釈に「彼の宗には此れを謂つて実と為す此の宗の立義理通ぜざる無し」等云云、此等の法門許す可きや否や、答えて云く弘の一に云く「若し今家の諸の円文の意無くんば彼の経の偈の旨理実に消し難し」同じく五に云く「今文を解せずんば如何ぞ心造一切三無差別を消解せん」文、記の七に云く忽ち都て未だ性悪の名を聞かずと云えり、此等の文の如くんば天台の意を得ずんば彼の経の偈の意知り難きか、又震旦の人師の中には天台の外には性悪の名目あらざりけるか、又法華経に非ずんば一念三千の法門談ずべからざるか、天台已後の華厳の末師並びに真言宗の人性悪を以て自宗の依経の詮と為すは天竺より伝わりたりけるか祖師より伝わるか、又天台の名目を偸んで自宗の内証と為すと云へるか、能く能く之を験す可し。
問う性悪の名目は天台一家に限る可し諸宗には之無し、若し性悪を立てずんば九界の因果を如何が仏界の上に現ぜん、答う義例に云く性悪若断等云云、問う円頓止観の証拠と一念三千の証拠に華厳経の心仏及衆生是三無差別の文を引くは彼の経に円頓止観及び一念三千を説くというか、答えて云く天台宗の人の中には爾前の円と法華の円と同の義を存す、問う六十巻の中に前三教の文を引いて円の義を釈せるは文を借ると心得、爾前の円の文を引いて法華の円の義を釈するをば借らずと存ぜんや、若し爾らば三種の止観の証文に爾前の諸経を引く中に円頓止観の証拠に華厳の菩薩於生死等の文を引けるをば、妙楽釈して云く「還つて教味を借て以て妙円を顕す」とは此の文は諸経の円の文を借ると釈するに非ずや、若し爾らば心仏及衆生の文を一念三千の証拠に引く事は之を借れるにて有るべし、答う当世の天台宗は華厳宗の見を出でざる事を云うか、華厳宗の意は法華と華厳とに於て同勝の二義を存ず、同は法華華厳の所詮の法門之同じとす、勝には二義あり、古の華厳宗は教主と対菩薩衆等の勝の義を談ず、近代の華厳宗は華厳と法華とに於て同勝の二義有りと云云、其の勝に於て又二義あり、迹門は華厳と同勝の二義あり華厳の円と法華迹門の相待妙の円とは同なり彼の円も判・此の円も判・の故なり、籤の二に云く「故に須らく二妙を以て三法を妙ならしむべし故に諸味の中に円融有りと雖も全く二妙無し」私志記に云く「昔の八の中の円は今の相待の円と同じ」と云へり是は同なり記の四に云く「法界を以て之を論ずれば華厳に非ざる無し仏慧を以て之を論ずれば法華に非ざる無し」云云、又云く「応に知るべし華厳の尽未来際は即ち此の経の常在霊山なり」云云、此等の釈は爾前の円と法華の相待妙とを同ずる釈なり、迹門の絶待開会は永く爾前の円と異なり、籤の十に云く「此の法華経は開権顕実開迹顕本の此の両意は永く余経に異なり」と云えり、記の四に云く「若し仏慧を以て法華と為さば即」等と云云、此の釈は仏慧を明すは爾前法華に亘り開会は唯法華に限ると見えたり是は勝なり、爾前の無得道なる事は分明なり其の故は二妙を以て一法に妙ならしむるなり、既に爾前の円には絶待の一妙を闕く衆生も妙の仏と成る可からざる故に籤の三に云く妙変為・の釈是なり、華厳の円変じて別と成ると云う意なり。
本門は相待絶待の二妙倶に爾前に分無し又迹門にも之無し、爾前迹門は異なれども二乗は見思を断じ菩薩は無明を断ずと申すことは一往之を許して再往は之を許さず、本門寿量品の意は爾前迹門に於て一向に三乗倶に三惑を断ぜずと意得可きなり、此の道理を弁えざるの間天台の学者は爾前法華の一往同の釈を見て永異の釈を忘れ結句名は天台宗にて其の義分は華厳宗に堕ちたり、華厳宗に堕ちるが故に方等般若の円に堕ちぬ、結句は善導等の釈の見を出でず、結句後には謗法の法然に同じて師子身中の虫の自ら師子を食うが如し文、[仁王経の下に]「大王我が滅度の後未来世の中に四部の弟子諸の小国の王太子王子乃ち是れ三宝を住持し護れる者転た更に三宝を滅破すること師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん」云云、籤の十に云く「始め住前より登住に至るこのかた全く是れ円の義第二住より次の第七住に至る文相次第して又別の義に似たり、七住の中に於て又一多相即自在を弁ず、次の行向地又是れ次第差別の義なり、又一一の位に皆普賢行布の二門有り故に知んぬ兼て円門を用いて別に摂することを」 
 
小乗小仏要文

 

華厳
阿含
大日経真言宗
観経等浄土宗
方等
小乗深密経等法相宗
楞伽経禅宗
般若三論宗
無量義経
法華経迹門十四品本門薬王品已下の六品並びに普賢涅槃経等
劣応身
応身
勝応身
小仏報身華厳経るさな仏
大日経等びるさな仏
並びに迹門涅槃経等の仏
阿逸汝当に知るべし是の諸の大菩薩序出二云云。
無数劫よりこのかた仏の智慧を修習す、悉く是れ我が所化なり大道心を発さしむ此等は是れ我が子なり是の世界に依止せり、玄の七に云く「六に本説法妙とは経に言く此等我所化令発大道心今皆住不退と我所化とは正く是れ説法して大道心を発さしむるは小説に簡非するなり、此れ本時の説を指して迹説を簡非するなり迹説多種なれども若し涅槃に依れば」等云云、華厳経の寂滅是なり始成正覚。
迹仏。
増一阿含経の十に云く「仏摩竭国に在し道樹の下にして爾時に世尊得道未だ久からず」浄名経に云く「始め仏樹に坐して力て魔を降す」大集経に云く「如来成道始めて十六年なり」大日経に云く「我昔道場に坐し四魔を降伏す」仁王般若経に云く「大覚世尊先ず我が為に二十九年」無量義経に云く「我先に道場菩提樹下に端坐する事六年乃至四十余年」法華経の方便品に云く「我始め道場に坐し樹を観じ亦経行し三七日の中に於て是くの如き事を思惟す」籤の七に云く「大乗の融通過ぎたること無し」華厳経の初に云く「菩提道場にして始めて正覚を成ず、故に知んぬ大小識成皆近なり」寿量品に云く「爾時に世尊諸の菩薩の三たび請じて止まざるを知ろしめして之に告げて言たまわく汝等諦かに聴け如来の秘密神通の力を一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂えり、然るに善男子我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、文句の九に云く「仏三世に於いて等く三身有り諸教の中に於いて之を秘して伝えず故に一切世間の天人修羅は今の仏は是に始まると謂えるなり、此の三身を得る故に近に執して遠を疑う」寿量品に云く「諸の善男子如来は諸の衆生の小法を楽える徳薄垢重の者を見ては是の人の為に我少くして出家し阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く、然るに我実に成仏してより已来久遠なること斯くの若し」文句の九に云く「一[約往日]○二[約現在]○三[約修行]○四果門に約せば近成の小を聞かんと楽う者は釈氏の宮を出で始めて菩提を得たりとし長大久遠の道を聞かん事を楽欲せず故に楽小と云う」此等の小心は今日に始まるに非ず若し先に大を楽わば仏即ち始成を説かず始成を説くことは皆小法を楽う者の為のみ、又云く「諸の衆生小法を楽う者とは所見の機なり」華厳に云く「大衆清浄なりと雖も其の余の楽小法の者は或は疑悔を生じ長夜に衰悩せん此れを愍むが故に黙す」偈に云く「其の余の久く行ぜざるは智慧未だ明了ならず識に依つて智に依らず聞き已つて憂悔を生じ彼将に悪道に堕ちんとす此れを念うが故に説かず」と、彼の経を案ずるに声聞二乗無し但不久行の者を指して楽小法の人と為すのみ、師の云く「楽小は小乗の人に非ざるなり乃ち是れ近説を楽う者を小と為すのみ」文句の九に云く「徳薄とは縁了の二善功用微劣なれば下の文に諸子幼稚と云うなり垢重とは見思未だ除かざるなり」記の九に云く「徳薄垢重とは其の人未だ実教の二因有らざる故なり下の文に諸子幼稚と云うは下の医子の譬の文を指す尚未だ円を聞くに堪えず況んや遠を聞かんをや、見思未除とは且く譬の中の幼稚の言を消す定めて未だ遠を知らず」玄の一に云く「厚く善根を殖えて此の頓説を感ず」文、籤の一に云く「一往は総じて別円を以て厚と為す」五百問論に云く「一経の中に本門を以て主と為す」云云、又云く「一代教の中に未だ曾て遠を顕さず父母の寿は知らずんばあるべからず始めて此の中に於いて方に遠本を顕す、乃至但恐る才一国に当るも父母の年を知らざれば失う所小と謂うも辱むる所至つて大なり、若し父の寿の遠きを知らざれば復父統の邦に迷う徒に才能と謂うも全く人の子に非ず」文句の九に云く「菩薩に三種有り下方と他方と旧住となり」玄義の七に云く「若し迹因を執して本因と為さば斯れ迹を知らず亦本を識らざるなり天月を識らずして但池月を観るが如し○、払迹顕本せば即ち本地の因妙を知る影を撥つて天を指すが如し云何ぞ盆に臨んで漢を仰がざる鳴呼聾駭なんすれぞ道を論ぜんや」又云く「若し迹果を執して本果と為す者は斯れ迹を知らず亦本を識らざるなり、本より迹を垂るるは月の水に現ずるが如く迹を払うて本を顕すは影を撥うて天を指すが如し、当に始成の果を撥けば皆是れ迹果なるべく久成の果を指すは是れ本果なり」又云く「諸土は悉く迹土なり一には今仏の所栖の故に二には前後修立の故に三には中間所払の故に若し是れ本土は今仏の所栖に非ず、今仏の所栖は即ち迹土なり、若し是れ本土は一土一切土にして前後修立なるべからず浅深不同なり○、迹を執して本と為す者は此れ迹を知らず亦本を識らざるなり、今迹を払って本を指すときは本時所栖の四土は是れ本国土妙なり」
蔵因三祇百劫菩薩未断見思
通因動喩塵劫菩薩見思断
迹仏
別因無量劫菩薩十一品断無明
円因四十一品断無明
劣応蔵[草座]三十四心断結成道
勝応通[天衣]三十四心見思塵沙断の仏
迹仏果果
報身別[蓮華座]十一品断無明の仏
法身円[虚空座]四十二品断無明の仏 
 
御義口伝巻上 日蓮所立自序品至涌出品

 

序品七箇の大事
第一如是我聞の事文句の一に云く如是とは所聞の法体を挙ぐ我聞とは能持の人なり記の一に云く故に始と末と一経を所聞の体と為す。
御義口伝に云く所聞の聞は名字即なり法体とは南無妙法蓮華経なり能持とは能の字之を思う可し、次に記の一の故始末一経の釈は始とは序品なり末とは普賢品なり法体とは心と云う事なり法とは諸法なり諸法の心と云う事なり諸法の心とは妙法蓮華経なり、伝教云く法華経を讃むると雖も還つて法華の心を死すと、死の字に心を留めて之を案ず可し不信の人は如是我聞の聞には非ず法華経の行者は如是の体を聞く人と云う可きなり、爰を以て文句の一に云く「如是とは信順の辞なり信は則ち所聞の理会し順は則ち師資の道成ず」と、所詮日蓮等の類いを以て如是我聞の者と云う可きなり云云。
第二阿若・陳如の事疏の一に云く・陳如は姓なり此には火器と翻ず婆羅門種なり其の先火に事こう此れに従て族に命く、火に二義有り照なり焼なり照は則ち闇生ぜず、焼は則ち物生ぜず此には不生を以て姓と為す。
御義口伝に云く火とは法性の智火なり、火の二義とは一の照は随縁真如の智なり一の焼は不変真如の理なり照焼の二字は本迹二門なり、さて火の能作としては照焼の二徳を具うる南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり生死即涅槃と開覚するを照則闇不生とは云うなり、煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり煩悩即菩提と開覚するを焼則物不生とは云うなり、爰を以て之を案ずるに陳如は我等法華経の行者の煩悩即菩提生死即涅槃を顕したり云云。
第三阿闍世王の事文句の一に云く阿闍世王とは未生怨と名く、又云く大経に云く阿闍世とは未生怨と名く又云く大経に云く阿闍を不生と名く世とは怨と名く。
御義口伝に云く日本国の一切衆生は阿闍世王なり既に諸仏の父を殺し法華経の母を害するなり、無量義経に云く諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生む、謗法の人今は母の胎内に処しながら法華の怨敵たり豈未生怨に非ずや、其の上日本国当世は三類の強敵なり世者名怨の四字に心を留めて之を案ず可し。
日蓮等の類い此の重罪を脱れたり謗法の人人法華経を信じ釈尊に帰し奉らば何ぞ已前の殺父殺母の重罪滅せざらんや、但し父母なりとも法華経不信の者ならば殺害す可きか、其の故は権教の愛を成す母方便真実を明めざる父をば殺害す可しと見えたり、仍て文句の二に云く「観解は貪愛の母無明の父此れを害する故に逆と称す逆即順なり非道を行じて仏道に通達す」と、観解とは末法当今は題目の観解なる可し子として父母を殺害するは逆なり、然りと雖も法華経不信の父母を殺しては順となるなり爰を以て逆即是順と釈せり、今日蓮等の類いは阿闍世王なり其の故は南無妙法蓮華経の剣を取つて貪愛無明の父母を害して教主釈尊の如く仏身を感得するなり、貪愛の母とは勧持品三類の中第一の俗衆なり無明の父とは第二第三の僧なり云云。
第四仏所護念の事文句の三に云く仏所護念とは無量義処は是れ仏の証得し給う所是の故に如来の護念し給う所なり、下の文に仏自住大乗と云えり開示せんと欲すと雖も衆生の根鈍なれば久しく斯の要を黙して務て速かに説き給わず故に護念と云う記の三に云く昔未だ説かず故に之を名けて護と為す法に約し機に約して皆護念する故に乃至機仍お未だ発せず隠して説かず故に護念と言う、乃至未説を以ての故に護し未暢を以ての故に念ず、久黙と言うは昔より今に至るなり斯要等の意之を思うて知る可し。
御義口伝に云く此の護念の体に於ては本迹二門首題の五字なり、此の護念に於て七種の護念之れ有り一には時に約し二には機に約し三には人に約し四には本迹に約し五には色心に約し六には法体に約し七には信心に約するなり云云、今日蓮等の類いは護念の体を弘むるなり、一に時に約するとは仏法華経を四十余年の間未だ時至らざるが故に護念し給うなり、二に機に約するとは破法不信故墜於三悪道の故に前四十余年の間に未だ之を説かざるなり、三に人に約するとは舎利弗に対して説かんが為なり、四に本迹に約するとは護を以て本と為し念を以て迹と為す、五に色心に約するとは護を以て色と為し念を以て心と為す、六に法体に約するとは法体とは本有常住なり一切衆生の慈悲心是なり、七に信心に約するとは信心を以て護念の本と為すなり、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは併ら護念の体を開くなり、護とは仏見なり、念とは仏知なり此の知見の二字本迹両門なり仏知を妙と云うなり仏見を法と云うなり此の知見の体を修行するを蓮華と云うなり、因果の体なり因果の言語は経なり加之法華経の行者をば三世の諸仏護念し給うなり、普賢品に云く一者為諸仏護念と護念とは妙法蓮華経なり諸仏の法華経の行者を護念したもうは妙法蓮華経を護念したもうなり機法一同護念一体なり、記の三の釈に約法約機皆護念故と云うは此の意なり、又文句の三に云く「仏所護念とは前の地動瑞を決定するなり地動は六番破惑を表するなり、妙法蓮華経を受持する者は六番破惑疑い無きなり」神力品に云く「於我滅度後応受持斯経是人於仏道決定無有疑」仏自住大乗とは是なり、又た一義に仏の衆生を護念したもう事は護とは唯我一人能為救護念とは毎自作是念是なり、普賢品に至つて一者為諸仏護念と説くなり、日蓮は生年卅二より南無妙法蓮華経を護念するなり。
第五下至阿鼻地獄の事御義口伝に云く十界皆成の文なり提婆が成仏此の文にて分明なり、宝塔品の次に提婆が成仏を説く事は二箇の諌暁の分なり、提婆は此の文の時成仏せり此の至の字は白毫の行く事なり白毫の光明は南無妙法蓮華経なり、上至阿迦尼・天は空諦下至阿鼻地獄は仮諦白毫の光は中道なり、之に依つて十界同時の成仏なり天王仏とは宝号を送るまでなり、去て依正二報の成仏の時は此の品の下至阿鼻地獄の文は依報の成仏を説き提婆達多の天王如来は正報の成仏を説く依報正報共に妙法の成仏なり、今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり、法華不信の人は堕在無間なれども、題目の光を以て孝子法華の行者として訪わんに豈此の義に替わる可しや、されば下至阿鼻地獄の文は仏光を放ちて提婆を成仏せしめんが為なりと日蓮推知し奉るなり。
第六導師何故の事疏に云く良に以みれば説法入定して能く人を導く既に導師と称す。
御義口伝に云く此の導師は釈尊の御事なり、説法とは無量義経入定とは無量義処三昧に入りたもう事なり、所詮導師に於て二あり悪の導師善の導師之れ有るなり、悪の導師とは法然弘法慈覚智証等なり善の導師とは天台伝教等是なり、末法に入つては今日蓮等の類いは善の導師なり、説法とは南無妙法蓮華経入定とは法華受持の決定心に入る事なり能導於人の能の字に心を留めて之を案ず可し涌出品の唱導之師と同じ事なり、所詮日本国の一切衆生を導かんが為に説法する人是なり云云。
第七天鼓自然鳴の事疏に云く天鼓自然鳴は無問自説を表するなり。
御義口伝に云く此の文は此土他土の瑞同じきことを頌して長出せり、無問自説とは釈迦如来妙法蓮華経を無問自説し給うなり、今日蓮等の類いは無問自説なり念仏無間禅天魔真言亡国律国賊と喚ぶ事は無問自説なり三類の強敵来る事は此の故なり、天鼓とは南無妙法蓮華経なり自然とは無障碍なり鳴とは唱うる所の音声なり、一義に一切衆生の語言音声を自在に出すは無問自説なり自説とは獄卒の罪人を呵責する音餓鬼飢饉の音声等一切衆生の貪瞋癡の三毒の念念等を自説とは云うなり此の音声の体とは南無妙法蓮華経なり、本迹両門妙法蓮華経の五字は天鼓なり天とは第一義天なり自説とは自受用の説法なり、記の三に云く無問自説を表するとは方便の初に三昧より起つて舎利弗に告げ広く歎じ略して歎ず、此土他土言に寄せ言を絶す若は境若は智此乃ち一経の根本五時の要津なり此の事軽からずと、此釈に一経の根源五字の要津とは南無妙法蓮華経是なり云云。
方便品八箇の大事
第一方便品の事文句の三に云く方とは秘なり便とは妙なり妙に方に達するに即ち是真の秘なり、内衣裏の無価の珠を点ずるに王の頂上の唯一珠有ると二無く別無し、客作の人を指すに是長者の子にして亦二無く別無し、此の如きの言は是秘是妙なり、経の唯我知是相十方仏亦然止止不須説我法妙難思の如し故に秘を以て方を釈し妙を以て便を釈す正しく是れ今の品の意なり故に方便品と言うなり記の三に云く第三に秘妙に約して釈するとは妙を以ての故に即なり円を以て即と為し三を不即と為す故に更に不即に対して以て即を釈す。
御義口伝に云く此の釈の中に一珠とは衣裏珠即頂上珠なり、客作の人と長者の子と全く不同之無し、所詮謗法不信の人は体外の権にして法用能通の二種の方便なり爰を以て無二無別に非るなり、今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉るは是秘妙方便にして体内なり故に妙法蓮華経と題して次に方便品と云えり、妙楽の記の三の釈に本疏の即是真秘の即を以円為即と消釈せり、即は円なれば法華経の別名なり即とは凡夫即極諸法実相の仏なり、円とは一念三千なり即と円と言は替れども妙の別名なり、一切衆生実相の仏なれば妙なり不思議なり謗法の人今之を知らざる故に之を秘と云う、又云く法界三千を秘妙とは云うなり秘とはきびしきなり三千羅列なり是より外に不思議之無し、大謗法の人たりと云うとも妙法蓮華経を受持し奉る所を妙法蓮華経方便品とは云うなり今末法に入つて正しく日蓮等の類の事なり、妙法蓮華経の体内に爾前の人法を入るを妙法蓮華経方便品とは云うなり、是を即身成仏とも如是本末究竟等とも説く、又方便とは十界の事なり又は無明なり妙法蓮華経は十界の頂上なり又は法性なり煩悩即菩提生死即涅槃是なり、以円為即とは一念三千なり妙と即とは同じ物なり一字の一念三千と云う事は円と妙とを云うなり円とは諸法実相なり、円とは釈に云く円を円融円満に名くと円融は迹門円満は本門なり又は止観の二法なり又は我等が色心の二法なり一字の一念三千とは慧心流の秘蔵なり、口は一念なり員は三千なり一念三千とは不思議と云う事なり、此の妙は前三教に未だ之を説かず故に秘と云うなり、故に知ぬ南無妙法蓮華経は一心の方便なり妙法蓮華経は九識なり十界は八識已下なり心を留めて之を案ず可し、方とは即十方十方は即十界なり便とは不思議と云う事なり云云。
第二諸仏智慧甚深無量其智慧門の事文句の三に云く先ず実を歎じ次に権を歎ず、実とは諸仏の智慧なり三種の化他の権実に非ず故に諸仏と云う自行の実を顕す故に智慧と言う、此の智慧の体即ち一心の三智なり、甚深無量とは即ち称歎の辞なり仏の実智の竪に如理の底に徹することを明す故に甚深と言う、横に法界の辺を窮む故に無量と言う無量甚深にして竪に高く横に広し、譬えば根深ければ則ち条茂く源遠ければ則ち流長きが如し実智既に然り権智例して爾り云云、其智慧門は即ち是れ権智を歎ずるなり蓋し是れ自行の道前の方便進趣の力有り故に名けて門と為す、門より入つて道中に到る道中を実と称し道前を権と謂うなり、難解難入とは権を歎ずるの辞なり不謀にして了し無方の大用あり、七種の方便測度すること能わず十住に始めて解す十地を入と為す初と後とを挙ぐ中間の難示難悟は知る可し、而るに別して声聞縁覚の所不能知を挙ぐることは執重きが故に別して之を破するのみ、記の三に云く竪高横広とは中に於て法譬合あり此れを以て後を例す、今実を釈するに既に周く横竪を窮めたり下に権を釈するに理深極なるべし、下に当に権を釈すべし予め其の相を述す故に云云と註す、其智慧門とは其とは乃ち前の実果の因智を指す若し智慧即門ならば門は是れ権なり若し智慧の門ならば智即ち果なり、蓋し是等とは此の中に須く十地を以て道前と為し妙覚を道中と為し証後を道後と為すべし、故に知んぬ文の意は因の位に在りと。
御義口伝に云く此の本末の意分明なり、中に竪に高く横に広しとは竪は本門なり横は迹門なり、根とは草木なり草木は上へ登る此れは迹門の意なり、源とは本門なり源は水なり水は下へくだる此れは本門の意なり、条茂とは迹門十四品なり流長とは本門十四品なり智慧とは一心の三智なり門とは此の智慧に入る処の能入の門なり三智の体とは南無妙法蓮華経なり門とは信心の事なり、爰を以て第二の巻に以信得入と云う入と門とは之れ同じきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを智慧とは云うなり、譬喩品に云く「唯有一門」と門に於て有門空門亦有亦空門非有非空門あるなり、有門は生なり空門は死なり亦有亦空門は生死一念なり非有非空門は生に非ず死に非ず有門は題目の文字なり空門は此の五字に万法を具足して一方にとどこうらざる義なり、亦有亦空門は五字に具足する本迹なり非有非空門は一部の意なり、此の内証は法華已前の二乗の智慧の及ばざる所なり、文句の三に云く「七種の方便測度すること能わず」と、今日蓮等の類いは此の智慧に得入するなり、仍て偈頌に除諸菩薩衆信力堅固者と云うは我等行者の事を説くなり云云。
第三唯以一大事因縁の事文句の四に云く一は即ち一実相なり五に非ず三に非ず七に非ず九に非ず故に一と言うなり、其の性広博にして五三七九より博し故に名けて大と為す、諸仏出世の儀式なり故に名けて事と為す、衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁となす、是を出世の本意と為す。
御義口伝に云く一とは法華経なり大とは華厳なり事とは中間の三味なり、法華已前にも三諦あれども砕けたる珠は宝に非ざるが如し云云、又云く一とは妙なり大とは法なり事とは蓮なり因とは華なり縁とは経なり云云、又云く我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり、此の大事を釈迦如来四十余年の間隠密したもうなり今経の時説き出したもう此の大事を説かんが為に仏は出世したもう我等が一身の妙法五字なりと開仏知見する時即身成仏するなり、開とは信心の異名なり信心を以て妙法を唱え奉らば軈て開仏知見するなり、然る間信心を開く時南無妙法蓮華経と示すを示仏知見と云うなり、示す時に霊山浄土の住処と悟り即身成仏と悟るを悟仏知見と云うなり、悟る当体直至道場なるを入仏知見と云うなり、然る間信心の開仏知見を以て正意とせり、入仏知見の入の字は迹門の意は実相の理内に帰入するを入と云うなり本門の意は理即本覚と入るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る程の者は宝塔に入るなり云云、又云く開仏知見の仏とは九界所具の仏界なり知見とは妙法の二字止観の二字寂照の二徳生死の二法なり色心因果なり、所詮知見とは妙法なり九界所具の仏心を法華経の知見にて開く事なり、爰を以て之を思うに仏とは九界の衆生の事なり、此の開覚顕れて今身より仏身に至るまで持つや否やと示す処が妙法を示す示仏知見と云うなり、師弟感応して受け取る時如我等無異と悟るを悟仏知見と云うなり、悟つて見れば法界三千の己己の当体法華経なり此の内証に入るを入仏知見と云うなり秘す可し云云、又云く四仏知見とは八相なり開とは生の相なり入とは死の相なり中間の示悟は六相なり下天託胎等は示仏知見なり出家降魔成道転法輪等は悟仏知見なり、権教の意は生死を遠離する教なるが故に四仏知見に非ざるなり、今経の時生死の二法は一心の妙用有無の二道は本覚の真徳と開覚するを四仏知見と云うなり、四仏知見を以て三世の諸仏は一大事と思召し世に出現したもうなり、此の開仏知見の法華経を法然は捨閉閣抛と云い弘法大師は第三の劣戯論の法とののしれり、五仏道同の舌をきる者に非ずや、慈覚大師智証等は悪子に剣を与えて我が親の頭をきらする者に非ずや云云、又云く一とは中諦大とは空諦事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、日本国の一切衆生の中に日蓮が弟子檀那と成る人は衆生有此機感仏故名為因の人なり、夫れが為に法華経の極理を弘めたるは承機而応故名為縁に非ずや、因は下種なり縁は三五の宿縁に帰するなり、事の一念三千は、日蓮が身に当りての大事なり、一とは一念大とは三千なり此の三千ときたるは事の因縁なり事とは衆生世間因とは五陰世間縁とは国土世間なり、国土世間の縁とは南閻浮提は妙法蓮華経を弘むべき本縁の国なり、経に云く「閻浮提内広令流布使不断絶」是なり云云。
第四五濁の事文句の四に云く劫濁は別の体無し劫は是長時刹那は是短時なり、衆生濁は別の体無し見慢果報を攬る煩悩濁は五鈍使を指て体と為し見濁は五利使を指て体と為し命濁は連持色心を指して体と為す。
御義口伝に云く日蓮等の類いは此の五濁を離るるなり、我此土安穏なれば劫濁に非ず実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非るなり、所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、されば文句四に云く「相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり」経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、法華経不信の者を以て五濁障重の者とす経に云く「以五濁悪世但楽著諸欲如是等衆生終不求仏道」云云、仏道とは法華経の別名なり天台云く「仏道とは別して今経を指す」と。
第五比丘比丘尼有懐増上慢優婆塞我慢優婆夷不信の事文句の四に云く上慢と我慢と不信と四衆通じて有り、但し出家の二衆は多く道を修し禅を得て謬て聖果と謂い偏に上慢を起す、在俗は矜高にして多く我慢を起す女人は智浅くして多く邪僻を生ず自ら其の過を見ずとは三失心を覆う、疵を蔵くし徳を揚げて自ら省ること能わざるは是れ無慙の人なり、若し自ら過を見れば是れ有羞の僧なり記の四に云く疵を蔵くす等とは三失を釈するなり疵を蔵くし徳を揚ぐは上慢を釈す、自ら省ること能わざるは我慢を釈す、無慙の人とは不信を釈す、若し自ら過を見るは此の三失無し未だ果を証せずと雖も且らく有羞と名く。
御義口伝に云く此本末の釈の意は五千の上慢を釈するなり委くは本末を見る可きなり、比丘比丘尼の二人は出家なり共に増上慢と名く疵を蔵くし徳を揚ぐるを以て本とせり、優婆塞は男なり我慢を以て本とせり優婆夷は女人なり無慙を以て本とせり、此の四衆は今日本国に盛んなり経には其数有五千と有れども日本国に四十九億九万四千八百廿八人と見えたり、在世には五千人仏の座を立てり今末法にては日本国の一切衆生悉く日蓮が所座を立てり、比丘比丘尼増上慢とは道隆良観等に非ずや又鎌倉中の比丘尼等に非ずや、優婆塞とは最明寺優婆夷とは上下の女人に非ずや敢て我が過を知る可からざるなり、今日蓮等の類いを誹謗して悪名を立つ豈不自見其過の者に非ずや大謗法の罪人なり法華の御座を立つ事疑無き者なり、然りと雖も日蓮に値う事是併ら礼仏而退の義なり此の礼仏而退は軽賎の義なり全く信解の礼退に非ざるなり此等の衆は於戒有欠漏の者なり、文句の四に云く「於戒有欠漏とは律義失有るをば欠と名け定共道共失有るをば漏と名く」と此の五千の上慢とは我等所具の五住の煩悩なり、今法華経に値い奉る時慢即法界と開きて礼仏而退するを仏威徳故去と云うなり、仏とは我等所具の仏界なり威徳とは南無妙法蓮華経なり、故去とは而去不去の意なり普賢品の作礼而去之を思う可きなり、又云く五千の退座と云う事法華の意は不退座なり其の故は諸法実相略開三顕一の開悟なり、さて其の時は我慢増上慢とは慢即法界と開きて本有の慢機なり、其数有五千とは我等が五住の煩悩なり若し又五住の煩悩無しと云うは法華の意を失いたり、五住の煩悩有り乍ら本有常住ぞと云う時其数有五千と説くなり、断惑に取り合わず其の侭本有妙法の五住と見れば不自見其過と云うなり、さて於戒有欠漏とは小乗権教の対治衆病の戒法にては無きなり是名持戒の妙法なり故に欠漏の当体其の侭是名持戒の体なり、然るに欠漏を其の侭本有と談ずる故に護惜其瑕疵とは説くなり、元より一乗の妙戒なれば一塵含法界一念遍十方する故に是小智已出と云うなり、糟糠とは塵塵法法本覚の三身なり故にすくなき福徳の当体も本覚無作の覚体なり、不堪受是法とは略開の諸法実相の法体を聞きて其の侭開悟するなりさて身子尊者鈍根のために分別解説したまえと請う広開三の法門をば不堪受是法と説く、さて法華の実義に帰りて見れば妙法の法体は更に能受所受を忘るるなり不思議の妙法なり、本法の重を悟りて見る故に此衆無枝葉と云うなり、かかる内証は純一実相実相外更無別法なれば唯有諸貞実なり所詮貞実とは色心を妙法と開く事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る処を唯有諸貞実と説くなり、諸とは諸法実相の仏なり諸は十界なり貞実は十界の色心を妙法と云うなり今経に限る故に唯と云うなり、五千の上慢の外全く法華経之れ無し五千の慢人とは我等が五大なり五大即妙法蓮華経なり、五千の上慢は元品の無明なり故に礼仏而退なり此れは九識八識六識と下る分なり流転門の談道なり、仏威徳故去とは還滅門なり然らば威徳とは南無妙法蓮華経なり本迷本悟の全体なり能く能く之を案ず可し云云。
第六如我等無異如我昔所願の事疏に云く因を挙げて信を勧むと。
御義口伝に云く我とは釈尊我実成仏久遠の仏なり此の本門の釈尊は我等衆生の事なり、如我の我は十如是の末の七如是なり九界の衆生は始の三如是なり我等衆生は親なり仏は子なり父子一体にして本末究竟等なり、此の我等を寿量品に無作の三身と説きたるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱うる者是なり、爰を以て之を思うに釈尊の惣別の二願とは我等衆生の為に立てたもう処の願なり、此の故に南無妙法蓮華経と唱え奉りて日本国の一切衆生を我が成仏せしめんと云う所の願併ら如我昔所願なり、終に引導して己身と和合するを今者已満足と意得可きなり、此の今者已満足の已の字すでにと読むなり何の処を指して已にとは説けるや、凡そ所釈の心は諸法実相の文を指して已にとは云えり、爾りと雖も当家の立義としては南無妙法蓮華経を指して今者已満足と説かれたりと意得可きなり、されば此の如我等無異の文肝要なり、如我昔所願は本因妙如我等無異は本果妙なり妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳骨髄に非ずや、釈には挙因勧信と挙因は即ち本果なり、今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり、豈今者已満足に非ずや、已とは建長五年四月廿八日に初めて唱え出す処の題目を指して已と意得可きなり、妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり此れを思い遣る時んば満足なり満足とは成仏と云う事なり、釈に云く「円は円融円満に名け頓は頓極頓足に名く」と之を思う可し云云。
第七於諸菩薩中正直捨方便の事文句の四に云く於諸菩薩中の下の三句は正しく実を顕すなり、五乗は是れ曲にして直に非ず通別は偏傍にして正に非ず今皆彼の偏曲を捨てて但正直の一道を説くなりと。
御義口伝に云く此の菩薩とは九界の第九に居したる菩薩なり又一切衆生を菩薩と云うなり今日蓮等の類いなり、又諸天善神等迄も是れ菩薩なり正直とは煩悩即菩提生死即涅槃なり、さて一道とは南無妙法蓮華経なり今末法にして正直の一道を弘むる者は日蓮等の類いに非ずや。
第八当来世悪人聞仏説一乗迷惑不信受破法堕悪道の事御義口伝に云く当来世とは末法なり悪人とは法然弘法慈覚智証等なり、仏とは日蓮等の類いなり一乗とは妙法蓮華経なり不信の故に三悪道に堕す可きなり。
譬喩品九箇の大事
第一譬喩品の事文句の五に云く譬とは比況なり喩とは暁訓なり大悲息まず巧智無辺なれば更に樹を動かして風を訓え扇を挙げて月を喩すと。
御義口伝に云く大悲とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり、章安云く「彼の為に悪を除くは即是れ彼の親」と、巧智とは南無妙法蓮華経なり諸宗無得道の立義なり巧於難問答の意なり更とは在世に次で滅後の事と意得可きなり、樹を動すとは煩悩なり風を訓るとは即菩提なり扇を挙ぐとは生死なり月を喩すとは即涅槃なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時大白牛車に乗じて直至道場するなり、記の五に云く「樹と扇と風と月とは唯円教の理なり」と又云く「法説の実相は何ぞ隠れ何ぞ顕れんや長風息むこと靡く空月常に懸れり」と此釈之を思う可し、隠とは死なり顕とは生なり長風とは我等が息なり空月とは心月なり法華の生死とは三世常恒にして隠顕之無し我等が息風とは吐く処の言語なり是南無妙法蓮華経なり、一心法界の覚月常住にして懸れり是を指して唯円教の理と釈せり円とは法界なり教とは三千羅列なり理とは実相の一理なり云云。
第二即起合掌の事文句の五に云く外義を敍するとは即起合掌は身の領解と名く昔は権実二と為す掌の合わざるが如し、今は権即実と解る二の掌の合するが如し、向仏とは昔は権仏因に非ず実仏果に非ず今権即実と解して大円因を成ず因は必ず果に趣く故に合掌向仏と言うと。
御義口伝に云く合掌とは法華経の異名なり向仏とは法華経に値い奉ると云うなり合掌は色法なり向仏は心法なり、色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍と説くなり、合掌に於て又二の意之れ有り合とは妙なり掌とは法なり、又云く合とは妙法蓮華経なり掌とは廿八品なり、又云く合とは仏界なり掌とは九界なり九界は権仏界は実なり、妙楽大師の云く「九界を権と為し仏界を実と為す」と十界悉く合掌の二字に納まって森羅三千の諸法は合掌に非ざること莫きなり、惣じて三種の法華の合掌之れ有り今の妙法蓮華経は三種の法華未分なり、爾りと雖も先ず顕説法華を正意と為すなり、之に依つて伝教大師は於一仏乗とは根本法華の教なり○妙法の外更に一句の余経無しと、向仏とは一一文文皆金色の仏体と向い奉る事なり合掌の二字に法界を尽したるなり、地獄餓鬼の己己の当体其の外三千の諸法其の侭合掌向仏なり而る間法界悉く舎利弗なり舎利弗とは法華経なり、舎とは空諦利とは仮諦弗とは中道なり円融三諦の妙法なり舎利弗とは梵語此には身子と云う身子とは十界の色心なり身とは十界の色法子とは十界の心法なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は悉く舎利弗なり、舎利弗は即釈迦如来釈迦如来は即法華経法華経は即我等が色心の二法なり、仍て身子此の品の時聞此法音と領解せり、聞とは名字即法音とは諸法の音なり諸法の音とは妙法なり、爰を以て文句に釈する時長風息むこと靡しと長風とは法界の音声なり、此の音声を信解品に以仏道声令一切聞と云えり一切とは法界の衆生の事なり此の音声とは南無妙法蓮華経なり。
第三身意泰然快得安穏の事文句の五に云く従仏は是れ身の喜を結するなり聞法は此れ口の喜を結するなり断諸疑悔とは是れ意の喜を結すと。
御義口伝に云く身意泰然とは煩悩即菩提生死即涅槃なり、身とは生死即涅槃なり意とは煩悩即菩提なり従仏とは日蓮に従う類い等の事なり口の喜とは南無妙法蓮華経なり意の喜とは無明の惑障無き故なり、爰を以て之を思うに此の文は一心三観一念三千我等が即身成仏なり方便の教は泰然に非ず安穏に非ざるなり行於険逕多留難故の教なり。
第四得仏法分の事
御義口伝に云く仏法の分とは初住一分の中道を云うなり、迹門初住本門二住已上と云う事は此の分の字より起るなり、所詮此の分の一字は一念三千の法門なり其の故は地獄は地獄の分で仏果を証し乃至三千の諸法己己の当体の分で仏果を証したるなり真実の我等が即身成仏なり、今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱うる分で仏果を証したるなり、分とは権教は無得道法華経は成仏と分つと意得可きなり、又云く分とは本門寿量品の意なり己己本分の分なり、惣じて迹門初住分証と云うは教相なり真実は初住分証の処にて一経は極りたるなり。
第五而自廻転の事記の五に云く或は大論の如し経に而自廻転と云うは身子の得記を聞きて法性自然にして転じ因果依正自他悉く転ずるを表すと。
御義口伝に云く草木成仏の証文に而自廻転の文を出すなり是れ一念三千の依正体一の成仏を説き極めたるなり、草木成仏の証人とは日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを指すなり、廻転とは題目の五字なり自とは我等行者の事なり記の五の釈能く能く之を思うべし云云。
第六一時倶作の事御義口伝に云く一時とは末法の一時なり倶作とは南無妙法蓮華経なり倶とは畢竟住一乗なり、今日蓮等の類いの所作には題目の五字なり余行を交えざるなり、又云く十界の語言は一返の題目を倶作したり、是れ豈感応に非ずや。
第七以譬喩得解の事止観の五に云く智とは譬に因るに斯の意徴し有りと。
御義口伝に云く此の文を以て鏡像円融の三諦の事を伝うるなり、惣じて鏡像の譬とは自浮自影の鏡の事なり此の鏡とは一心の鏡なり、惣じて鏡に付て重重の相伝之有り所詮鏡の能徳とは万像を浮ぶるを本とせり妙法蓮華経の五字は万像を浮べて一法も残る物之無し、又云く鏡に於て五鏡之れ有り妙の鏡には法界の不思議を浮べ法の鏡には法界の体を浮べ蓮の鏡には法界の果を浮べ華の鏡には法界の因を浮べ経の鏡には万法の言語を浮べたり、又云く妙の鏡には華厳を浮べ法の鏡には阿含を浮べ蓮の鏡には方等を浮べ華の鏡には般若を浮べ経の鏡には法華を浮ぶるなり、順逆次第して意得可きなり、我等衆生の五体五輪妙法蓮華経と浮び出でたる間宝塔品を以て鏡と習うなり、信謗の浮び様能く能く之を案ず可し自浮自影の鏡とは南無妙法蓮華経是なり云云。
第八唯有一門の事文句の五に云く唯有一門とは上の以種種法門宣示於仏道に譬う、門に又二あり宅門と車門となり宅とは生死なり門とは出ずる要路なり、此は方便教の詮なり車とは大乗の法なり門とは円教の詮なりと。
御義口伝に云く一門とは法華経の信心なり車とは法華経なり牛とは南無妙法蓮華経なり宅とは煩悩なり自身法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり云云。
第九今此三界等の事文句の五に云く次に今此三界より下第二に一行半は上の所見諸衆生為生老病死之所焼煮を頌して第二の所見火の譬を合す、唯我一人より下第三に半偈は上の仏見此已便作是念を頌して、驚入火宅を合するなりと。
御義口伝に云く此の文は一念三千の文なり一念三千の法門は迹門には生陰二千の世間を明し本門には国土世間を明すなり、又云く今此三界の文は国土世間なり其中衆生の文は五陰世間なり而今此処多諸患難唯我一人の文は衆生世間なり、又云く今此三界は法身如来なり其中衆生悉是吾子は報身如来なり而今此処等は応身如来なり。
信解品六箇の大事
第一信解品の事記の六に云く正法華には信楽品と名く其の義通ずと雖も楽は解に及ばず今は領解を明かす何を以てか楽と云わんや。
御義口伝に云く法華一部廿八品の題号の中に信解の題号此の品に之れ有り、一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり解とは智慧の異名なり信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり智慧とは南無妙法蓮華経なり、信は智慧の因にして名字即なり信の外に解無く解の外に信無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり信は智慧の種なり不信は堕獄の因なり、又云く信は不変真如の理なり其の故は信は知一切法皆是仏法と体達して実相の一理と信ずるなり解は随縁真如なり自受用智を云うなり、文句の九に云く疑い無きを信と曰い明了なるを解と曰うと、文句の六に云く中根の人譬喩を説くを聞きて、初めて疑惑を破して大乗の見道に入る故に名けて信と為す進んで大乗の修道に入る故に名けて解と為す、記の六に云く大を以て之に望むるに乃と両字を分ちて以て二道に属す疑を破するが故に信なり進んで入るを解と名く、信は二道に通じ解は唯修に在り故に修道を解と名くと云うと。
第二捨父逃逝の事文句の六に云く、捨父逃逝とは大を退するを捨と為し無明自ら覆うを逃と日い生死に趣向するを逝と為すと。
御義口伝に云く父に於て三之れ有り法華経釈尊日蓮是なり、法華経は一切衆生の父なり此の父に背く故に流転の凡夫となる、釈尊は一切衆生の父なり此の仏に背く故に備さに諸道を輪ぐるなり、今日蓮は日本国の一切衆生の父なり、章安大師の云く「彼が為に悪を除く即ち是れ彼が親なり」と、退大の大は南無妙法蓮華経なり無明とは疑惑謗法なり、自ら覆うとは法然弘法慈覚智証道隆良観等の悪比丘謗法の失を恣ままに覆いかくすなり。
第三加復窮困の事文句の六に云く、出要の術を得ざるを又窮と為し、八苦の火に焼かるるが故に困と為すと。
御義口伝に云く出要とは南無妙法蓮華経なり術とは信心なり、今日蓮等の類い窮困を免離する事は法華経を受持し奉るが故なり、又云く妙法に値い奉る時は八苦の煩悩の火自受用報身の智火と開覚するなり云云。
第四心懐悔恨の事文句の六に云く悔を父に約し恨を子に約すと、記の六に云く父にも悔恨あり、子にも悔恨ありと。
御義口伝に云く日本国の一切衆生は子の如く日蓮は父の如し、法華不信の失に依つて無間大城に堕ちて返つて日蓮を恨みん、又日蓮も声も惜まず法華を捨つ可からずと云うべきものを霊山にて悔ること之れ有る可きか、文句の六に云く「心懐悔恨とは昔勤に教詔せず訓うること無くして逃逝せしむることを致すことを悔い子の恩義を惟わずして我を疎んじ他に親しむるを恨む」と。
第五無上宝聚不求自得の事
御義口伝に云く無上に重重の子細あり、外道の法に対すれば三蔵教は無上外道の法は有上なり又三蔵教は有上通教は無上通教は有上別教は無上別教は有上円教は無上、又爾前の円は有上法華の円は無上又迹門の円は有上本門の円は無上、又迹門十三品は有上方便品は無上又本門十三品は有上一品二半は無上、又天台大師所弘の止観は無上玄文二部は有上なり、今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経無上の中の極無上なり、此の妙法を指して無上宝聚と説き給うなり、宝聚とは三世の諸仏の万行万善の諸波羅蜜の宝を聚めたる南無妙法蓮華経なり、此の無上宝聚を辛労も無く行功も無く一言に受取る信心なり不求自得とは是れなり、自の字は十界なり十界各各得るなり諸法実相是なり、然る間此の文妙覚の釈尊我等衆生の骨肉なり能く能く之を案ず可し云云。
第六世尊大恩の事
御義口伝に云く世尊とは釈尊大恩とは南無妙法蓮華経なり、釈尊の大恩を報ぜんと思わば法華経を受持す可き者なり是れ即ち釈尊の御恩を奉じ奉るなり、大恩を題目と云う事は次下に以稀有事と説く、希有の事とは題目なり、此の大恩の妙法蓮華経を四十余年の間秘し給いて後八箇年に大恩を開き給うなり、文句の一に云く「法王運を啓く」と運とは大恩の妙法蓮華経なり云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて日本国の一切衆生を助けんと思うは豈世尊の大恩に非ずや、章安大師十種の恩を挙げたりしなり第一には慈悲逗物の恩第二には最初下種の恩第三には中間随逐の恩第四には隠徳示拙の恩第五には鹿苑施小の恩第六には耻小慕大の恩第七には領地家業の恩第八には父子決定の恩第九には快得安穏の恩第十には還用利多の恩なり此の十恩即ち衣座室の三軌なりと云云、記の六に云く「宿萠稍割けて尚未だ敷栄せず長遠の恩何に由りてか報ず可き」と、又云く「注家は但物として施を天地に答えず子として生を父母に謝せず感報斯に亡するを以てなり、と云えり」、輔正記の六に云く「物は施を天地に答えずとは謂く物は天地に由て生ずと雖も而も天地の沢を報ずと云わず子も亦之の如し」と、記の六に云く「況や復只だ我をして報亡せしむるに縁る斯の恩報じ・きをや」と、輔正記に云く「只縁令我報亡とは意に云く只如来の声聞をして等しく亡報の理を得せしむるに縁るなり理は謂く一大涅槃なり」と。
御義口伝に云く此くの如く重重の所釈之れ有りと雖も所詮南無妙法蓮華経の下種なり下種の故に如影随形し給うなり、今日蓮も此くの如きなり妙法蓮華経を日本国の一切衆生等に与え授くる豈釈尊の十恩に非ずや、十恩は即ち衣座室の三軌なりとは第一第二第三は大慈為室の御恩なり第四第五第六第七は柔和忍辱衣の恩なり第八第九第十は諸法空為座の恩なり、第六の耻小慕大の恩を記の六に云く「故に頓の後に於て便ち小化を垂れ弾斥淘汰し槌砧鍛錬す」と。
薬草喩品五箇の大事
第一薬草喩品の事記の七に云く無始の性徳は地の如く大乗の心を発するは種の如し二乗の心を発するは草木の芽茎の如し今初住に入るは同じく仏乗の芽茎等を成ずるが如しと。
御義口伝に云く法華の心を信ずるは種なり諸法実相の内証に入れば仏果を成ずるなり、薬とは九界の衆生の心法なり其の故は権教の心は毒草なり法華に値いぬれば三毒の煩悩の心地を三身果満の種なりと開覚するを薬とは云うなり、今日蓮等の類い妙法の薬を煩悩の草に受くるなり煩悩即菩提生死即涅槃と覚らしむるを喩とは云うなり、釈に云く「喩とは暁訓なり」と薬草喩とは我等行者の事なり。
第二此の品述成段の事
御義口伝に云く述とは迦葉なり成とは釈尊なり、述成の二字は迦葉釈尊一致する義なり、所詮述は所化の領解、成は仏の印加なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と領するは述なり日蓮が賛嘆するは成なり我等が即身成仏を説き極めたる品なり、述成一致符契するは述成不二の即身成仏なり此の述成は法界三千の皆成仏道の述成なり。
第三雖一地所生一雨所潤等の事
御義口伝に云く随縁不変の起る所の文なり、妙楽大師云く「随縁不変の説は大教より出で木石無心の言は小宗より生ず」と、此の大教とは一経の惣体に非ず此の雖一地所生等の十七字を指すなり、一地所生一雨所潤は無差別譬而諸草木各有差別は有差別譬なり無差別譬の故に妙なり有差別譬の故に法なり云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは有差を置くなり廿八品は有差別なり、妙法の五字は無差別なり、一地とは迹門の大地一雨とは本門の義天一地とは従因至果一雨とは従果向因、末法に至つて従果向因の一雨を弘通するなり一雨とは題目に余行を交えざるなり、序品の時は雨大法雨と説き此の品の時は一雨所潤と説けり一雨所潤は序品の雨大法雨を重ねて仏説き給うなり、一地とは五字の中の経の一字なり一雨とは五字の中の妙の一字なり法蓮華の三字は三千万法中にも草木なり三乗五乗七方便九法界なり云云。
第四破有法王出現世間の事
御義口伝に云く有とは謗法の者なり破とは折伏なり法王とは法華経の行者なり世間とは日本国なり、又云く破は空有は仮法王は中道なり、されば此の文をば釈迦如来の種子と伝うるなり惣じて三世の諸仏の出世は此の文に依るなり、有とは三界廿五有なり破とは有執を破するなり法王とは十界の衆生の心法なり王とは心法を云うなり諸法実相と開くを破有法王とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは謗法の有執を断じて釈迦法王と成ると云う事なり、破有の二字を以て釈迦如来の種子とは云うなり、又云く有と云うは我等が煩悩生死なり此の煩悩生死を捨てて別に菩提涅槃有りと云うは権教権門の心なり、今経の心は煩悩生死を其の侭置いて菩提涅槃と開く所を破と云うなり、有とは煩悩破とは南無妙法蓮華経なり有は所破なり破は能破なり能破所破共に実相の一理なり、序品の時は尽諸有結と説き此の品には破有法王と説き譬喩品の時は皆是我有と宣べたり云云。
第五我観一切普皆平等無有彼此愛憎之心我無貪著亦無限礙の事
御義口伝に云く此の六句の文は五識なり我観一切普皆平等とは九識なり無有彼此とは八識なり愛憎之心とは七識なり我無貪著とは六識なり亦無限礙とは五識なり我等衆生の観法の大体なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は豈我観一切普皆平等の九識の修行に非ずや爾らば無有彼此に非ずや愛憎之心に非ずや我無貪著に非ずや亦無限礙に非ずや。
授記品四箇の大事
第一授記の事文句の七に云く授とは是れ与の義なりと。
御義口伝に云く記とは南無妙法蓮華経なり授とは日本国の一切衆生なり不信の者には授けざるなり又之を受けざるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の記を受くるなり、又云く授記とは法界の授記なり地獄の授記は悪因なれば悪業の授記を罪人に授くるなり余は之に准じて知る可きなり、生の記有れば必ず死す死の記あれば又生ず三世常恒の授記なり、所詮中根の四大声聞とは我等が生老病死の四相なり、迦葉は生の相迦旃延は老の相目連は病の相須菩提は死の相なり、法華に来つて生老病死の四相を四大声聞と顕したり是れ即ち八相作仏なり、諸法実相の振舞なりと記を授くるなり妙法の授記なるが故に法界の授記なり、蓮華の授記なるが故に法界清浄なり経の授記なるが故に衆生の語言音声は三世常恒の授記なり、唯一言に授記すべき南無妙法蓮華経なり云云。
第二迦葉光明の事御義口伝に云く光明とは一切衆生の相好なり光とは地獄の灯燃猛火此れ即ち本覚自受用の智火なり乃至仏果之れ同じ、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の光明を謗法の闇冥の中に指し出だす此れ即ち迦葉の光明如来なり、迦葉は頭陀を本とす頭陀は爰に抖・と云うなり、今末法に入つて余行を抖・して、専ら南無妙法蓮華経と修するは此経難持行頭陀者是なり云云。
第三捨是身已の事御義口伝に云く此の文段より捨不捨の起りなり転捨にして永捨に非ず転捨は本門なり永捨は迹門なり此の身を捨るは煩悩即菩提生死即涅槃の旨に背くなり云云、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは捨是身已なり不惜身命の故なり云云、又云く此の身を捨すと読む時は法界に五大を捨すなり捨つる処の義に非ず、是の身を捨てて仏に成ると云うは権門の意なりかかる執情を捨つるを捨是身已と説くなり、此の文は一念三千の法門なり捨是身已とは還帰本理一念三千の意なり、妙楽大師の当知身土一念三千故成道時称此本理一心一念遍於法界と釈するは此の意なり云云。
第四宿世因縁吾今当説の事御義口伝に云く宿世の因縁とは三千塵点の昔の事なり下根の為に宿世の因縁を説かんと云う事なり、因縁とは因は種なり縁は昔に帰る義なりもとづくと訓ぜり、大通結縁の下種にもとづくと云う事を因縁と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは過去の因にもとづきたり、爰を以て妙楽大師の云く「故に知んぬ末代一時聞くことを得て聞き已て信を生ず事須く宿種なるべし」と、宿とは大通の往時なり種とは下種の南無妙法蓮華経なり此の下種にもとずくを因縁と云うなり、本門の意は五百塵点の下種にもとずくべきなり真実妙法の因に縁くを成仏と云うなり。
化城喩品七箇の大事
第一化城の事御義口伝に云く化とは色法なり城とは心法なり、此の色心の二法を無常と説くは権教の心なり法華経の意は無常を常住と説くなり化城即宝処なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は色心妙法と開くを化城即宝処と云うなり、十界皆化城十界各各宝処なり化城は九界なり宝処は仏界なり、化城を去つて宝処に至ると云うは五百由旬の間なり此の五百由旬とは見思塵沙無明なり、此の煩悩の五百由旬を妙法の五字と開くを化城即宝処と云うなり、化城即宝処とは即の一字は南無妙法蓮華経なり念念の化城念念の宝処なり、我等が色心の二法を無常と説くは権教なり常住と説くは法華経なり無常と執する執情を滅するを即滅化城と云うなり、化城は皮肉宝処は骨なり色心の二法を妙法と開覚するを化城即宝処の実体と云うなり、実体とは無常常住倶時相即随縁不変一念寂照なり一念とは南無妙法蓮華経無疑曰信の一念なり即の一字心を留めて之を思う可し云云。
第二大通智勝仏の事
御義口伝に云く大通は心王なり智勝は心数なり大通は迹門智勝は本門なり大通智勝は我等が一身なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は大通なり題目を唱うるは智勝なり、法華経の行者の智は権宗の大智よりも百千万倍勝れたる所を智勝と心得可きなり、大は色法通は心法なり我等が生死を大通と云うなり、此の生死の身心に振舞う起念を智勝とは云うなり、爰を以て之を思うに南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は大通智勝仏なり十六王子とは我等が心数なり云云。
第三諸母涕泣の事御義口伝に云く諸母とは諸は十六人の母と云う事なり、実義には母とは元品の無明なり此の無明より起る惑障を諸母とも云うなり、流転の時は無明の母とつれて出で還滅の時は無明の母を殺すなり、無明の母とは念仏禅真言等の人人なり而随送之とは謗人を指すなり、然りと雖も終に法華経の広宣流布顕れて天下一同に法華経の行者と成る可きなり「随至道場還欲親近」是なり。
第四其祖転輪聖王の事御義口伝に云く本地身の仏とは此文を習うなり、祖とは法界の異名なり此れは方便品の相性体の三如是を祖と云うなり、此の三如是より外に転輪聖王之れ無きなり転輪とは生住異滅なり聖王とは心法なり、此の三如是は三世の諸仏の父母なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は三世の諸仏の父母にして其祖転輪聖王なり、金銀銅鉄とは金は生銀は白骨にして死なり銅は老の相鉄は病なり此れ即ち開示悟入の四仏知見なり、三世常恒に生死生死とめぐるを転輪聖王と云うなり、此の転輪聖王出現の時の輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり爰を以て平等大慧とは云うなり。
第五十六王子の事
御義口伝に云く十とは十界なり六とは六根なり王とは心王なり子とは心数なり此れ即ち実相の一理の大通の子なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は十六王子なり八方作仏とは我等が八苦の煩悩即菩提と開くなり云云。
第六即滅化城の事御義口伝に云く我等が滅する当体は化城なり、此の滅を滅と見れば化城なり不滅の滅と知見するを宝処とは云うなり、是を寿量品にしては而実不滅度とは説くなり、滅と云う見を滅するを滅と云うなり三権即一実の法門之を思う可し、或は即滅化城とは謗法の寺塔を滅する事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は化城即宝処なり我等が居住の山谷曠野皆皆常寂光の宝処なり云云。
第七皆共至宝処の事御義口伝に云く皆とは十界なり共とは如我等無異なり至とは極果の住処なり宝処とは霊山なり、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処なり、共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し不共ならば阿鼻大城に堕つ可し云云。
五百弟子品三箇の大事
第一衣裏の事御義口伝に云く此の品には無価の宝珠を衣裏に繋くる事を説くなり、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一乗妙法の智宝を信受するなり信心を以て衣裏にかくと云うなり。
第二酔酒而臥の事
御義口伝に云く酒とは無明なり無明は謗法なり臥とは謗法の家に生るる事なり、三千塵点の当初に悪縁の酒を呑みて五道六道に酔い廻りて今謗法の家に臥したり、酔とは不信なり覚とは信なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時無明の酒醒めたり、又云く酒に重重之れ有り権教は酒法華経は醒めたり、本迹相対する時迹門は酒なり始覚の故なり本門は醒めたり本覚の故なり、又本迹二門は酒なり南無妙法蓮華経は醒めたり酒と醒むるとは相離れざるなり、酒は無明なり醒むるは法性なり法は酒なり妙は醒めたり妙法と唱うれば無明法性体一なり、止の一に云く無明塵労即是菩提と。
第三身心遍歓喜の事御義口伝に云く身とは生死即涅槃なり心とは煩悩即菩提なり、遍とは十界同時なり歓喜とは法界同時の歓喜なり、此の歓喜の内には三世諸仏の歓喜納まるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉れば我則歓喜とて釈尊歓喜し給うなり,歓喜とは善悪共に歓喜なり十界同時なり深く之を思う可し云云。
人記品二箇の大事
第一学無学の事御義口伝に云く学とは無智なり無学とは有智なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは学無学の人に如我等無異の記を授くるに非ずや、色法は無学なり心法は学なり又心法は無学なり色法は学なり学無学の人とは日本国の一切衆生なり、智者愚者をしなべて南無妙法蓮華経の記を説きて而強毒之するなり。
第二山海慧自在通王仏の事 御義口伝に云く山とは煩惱即菩提なり海とは生死即涅槃なり慧とは我等が吐く所の言語なり自在とは無障碍なり通王とは十界互具百界千如一念三千なり、又云く山とは迹門の意なり海とは本門の意なり慧とは妙法の五字なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は山海慧自在通王仏なり全く外に非ざるなり我等行者の外に阿難之れ無きなり、阿難とは歓喜なり一念三千の開覚なり云云。
法師品十六箇の大事
第一法師の事御義口伝に云く法とは諸法なり師とは諸法が直ちに師と成るなり森羅三千の諸法が直ちに師と成り弟子となるべきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり、諸法実相の開覚顕れて見れば地獄の灯燃猛火乃至仏果に至る迄悉く具足して一念三千の法師なり、又云く法とは題目師とは日蓮等の類いなり。
第二成就大願愍衆生故生於悪世広演此経の事御義口伝に云く大願とは法華弘通なり愍衆生故とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。
第三如来所遣行如来事の事御義口伝に云く法華の行者は如来の使に来れり、如来とは釈迦如来事とは南無妙法蓮華経なり如来とは十界三千の衆生の事なり今日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは真実の御使なり云云。
第四与如来共宿の事
御義口伝に云く法華の行者は男女共に如来なり煩悩即菩提生死即涅槃なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云。
第五是法華経蔵深固幽遠無人能到の事御義口伝に云く是法華経蔵とは題目なり深固とは本門なり幽遠とは迹門なり無人能到とは謗法なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無人能到の者に非ざるなり云云。
第六聞法信受随順不逆の事御義口伝に云く聞とは名字即なり法とは題目なり信受とは受持なり随順不逆とは本迹二門に随順するなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の事なり。
第七衣座室の事御義口伝に云く衣座室とは法報応の三身なり空仮中の三諦身口意の三業なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり、衣とは柔和忍辱の衣当著忍辱鎧是なり座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり室とは慈悲に住して弘むる故なり母の子を思うが如くなり、豈一念に三軌を具足するに非ずや。
第八欲捨諸懈怠応当聴此経の事御義口伝に云く諸の懈怠とは四十余年の方便の経教なり悉く皆懈怠の経なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは是れ即ち精進なり応当聴此経は是なり、応に日蓮に此の経を聞くべしと云えり云云。
第九不聞法華経去仏智甚遠の事御義口伝に云く不聞とは謗法なり成仏の智を遠ざかるべきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は仏智開悟の者にして成仏の近き故なり。
第十若説此経時有人悪口罵加刀杖瓦石念仏故応忍の事御義口伝に云く此経とは題目なり悪口とは口業なり加刀杖は身業なり此の身口の二業は意業より起るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は仏勅を念ずるが故に応忍とは云うなり。
第十一及清信士女供養於法師の事御義口伝に云く士女とは男女なり法師とは日蓮等の類いなり清信とは法華経に信心の者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云、此れ諸天善神等男女と顕れて法華経の行者を供養す可しと云う経文なり。
第十二若人欲加悪刀杖及瓦石則遣変化人為之作衛護の事御義口伝に云く変化人とは竜口守護の八幡大菩薩なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を守護す可しと云う経文なり。
第十三若親近法師速得菩薩道の事御義口伝に云く親近とは信受の異名なり法師とは日蓮等の類いなり菩薩とは仏果を得る下地なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の事なり。
第十四随順是師学の事
御義口伝に云く是師とは日蓮等の類いなり学とは南無妙法蓮華経なり随順とは信受なり云云。
第十五師と学との事御義口伝に云く日蓮等の類いの南無妙法蓮華経は学者の一念三千なり師も学も共に法界三千の師学なり。
第十六得見恒沙仏の事御義口伝に云く見恒沙仏とは見宝塔と云う事なり、恒沙仏とは多宝の事なり多宝の多とは法界なり宝とは一念三千の開悟なり法界を多宝仏と見るを見恒沙仏と云うなり、故に法師品の次に宝塔品は来るなり解行証の法師の乗物は宝塔なり云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは妙解妙行妙証の不思議の解不思議の行不思議の証得なり真実一念三千の開悟なり云云、此の恒沙と云うは悪を滅し善を生ずる河なり、恒沙仏とは一一文文皆金色の仏体なり見の字之を思う可し仏見と云う事なり、随順とは仏知見なり得見の見の字と見宝塔の見とは依正の二報なり得見恒沙の見は正報なり見宝塔の見は依報なり云云。
宝塔品廿箇の大事
第一宝塔の事文句の八に云く前仏已に居し今仏並に座す当仏も亦然なりと。
御義口伝に云く宝とは五陰なり塔とは和合なり五陰和合を以て宝塔と云うなり、此の五陰和合とは妙法の五字なりと見る是を見とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は見宝塔なり。
第二有七宝の事御義口伝に云く七宝とは聞信戒定進捨慙なり、又云く頭上の七穴なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは有七宝の行者なり云云。
第三四面皆出の事文句の八に云く四面出香とは四諦の道風四徳の香を吹くなりと。
御義口伝に云く四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり、我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併ら四徳の香を吹くなり、南無とは楽波羅蜜妙法とは我波羅蜜蓮華とは浄波羅蜜経とは常波羅蜜なり。
第四出大音声の事御義口伝に云く我等衆生の朝夕吐く所の言語なり、大音声とは権教は小音声法華経は大音声なり廿八品は小音声題目は大音声なり、惣じて大音声とは大は法界なり法界の衆生の言語を妙法の音声と沙汰するを大音声とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大音声なり、又云く大とは空諦音声とは仮諦なり出とは中道なり云云。
第五見大宝塔住在空中の事御義口伝に云く見大宝塔とは我等が一身なり住在空中とは我等衆生終に滅に帰する事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて信心に住する処が住在空中なり虚空会に住するなり。
第六国名宝浄彼中有仏号曰多宝の事御義口伝に云く宝浄世界とは我等が母の胎内なり、有仏とは諸法実相の仏なり爰を以て多宝仏と云うなり、胎内とは煩悩を云うなり煩悩の淤泥の中に真如の仏あり我等衆生の事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを当体蓮華の仏と云うなり云云。
第七於十方国土有説法華経処我之塔廟為聴是経故涌現其前為作証明讃言善哉の事
御義口伝に云く十方とは十界なり法華経とは我等衆生流転の十二因縁なり仍て言語の音声を指すなり善哉とは善悪不二邪正一如なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る処を多宝涌現と云うなり。
第八南西北方四惟上下の事御義口伝に云く四方四惟上下合して十方なり即ち十界なり、十界の衆生共に三毒の光之れ有り是を白毫と云うなり一心中道の智慧なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは十界同時の光指なり諸法実相の光明なるが故なり。
第九各齎宝華満掬の事御義口伝に云く宝華とは合掌一念三千の所表なり各とは十界なり満の一字を一念三千と心得可し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは仏に宝華を奉るなり宝華即宝珠なり宝珠即一念三千なり合掌以敬心欲聞具足道是なり云云。
第十如却関鑰開大城門の事補註の四に云く此の開塔見仏は蓋し所表有るなり、何となれば即ち開塔は即開権なり見仏は即顕実なり是れ亦前を証し復将さに後を起さんとするのみ、如却関鑰とは却は除なり障除こり機動くことを表す謂く法身の大士惑を破し理を顕し道を増し生を損するなりと。
御義口伝に云く関鑰とは謗法なり無明なり開とは我等が成仏なり大城門とは我等が色心の二法なり大城とは色法なり門とは口なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時無明の惑障却けて己心の釈迦多宝住するなり、関鑰とは無明なり開とは法性なり鑰とは妙の一字なり天台の云く「秘密の奥蔵を発らく之を称して妙と為す」と、妙の一字を以て鑰と心得可きなり、此の経文は謗法不信の関鑰を却けて己心の仏を開くと云う事なり開仏知見之を思う可し云云。
第十一摂諸大衆皆在虚空の事
御義口伝に云く大衆とは聴衆なり皆在虚空とは我等が死の相なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死即涅槃と開覚するを皆在虚空と説くなり生死即涅槃と被摂するなり、大地は色法なり虚空は心法なり色心不二と心得可きなり虚空とは寂光土なり、又云く虚空とは蓮華なり経とは大地なり妙法は天なり虚空とは中なり一切衆生の内菩薩蓮華に座するなり、此れを妙法蓮華経と説かれたり、経に云く「若在仏前蓮華化生」と。
第十二譬如大風吹小樹枝の事
御義口伝に云く此の偈頌の如清凉池と譬如大風と燃大炬火とは三身なり、其の中に譬如大風とは題目の五字なり吹小樹枝とは折伏門なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり。
第十三若有能持則持仏身の事
御義口伝に云く法華経を持ち奉るとは我が身仏身と持つなり、則の一字は生仏不二なり上の能持の持は凡夫なり持つ体は妙法の五字なり仏身を持つと云うは一一文文皆金色仏体の故なり、さて仏身を持つとは我が身の外に仏無しと持つを云うなり、理即の凡夫と究竟即の仏と二無きなり即の字は即故初後不二の故なり云云。
第十四此経難持の事
御義口伝に云く此の法華経を持つ者は難に遇わんと心得て持つなり、されば即為疾得無上仏道の成仏は今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり云云。
第十五我則歓喜諸仏亦然の事
御義口伝に云く我とは心王なり諸仏とは心数なり法華経を持ち奉る時は心王心数同時に歓喜するなり、又云く我とは凡夫なり諸仏とは三世諸仏なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱えて歓喜する是なり云云。
第十六読持此経の事
御義口伝に云く五種の修行の読誦と受持との二行なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは読なり此の経を持つは持なり此経とは題目の五字なり云云。
第十七是真仏子の事
御義口伝に云く法華経の行者は真に釈迦法王の御子なり、然る間王位を継ぐ可きなり悉是吾子の子と是真仏子の子と能く能く心得合す可きなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は釈迦法王の御子なり。
第十八是諸天人世間之眼の事
御義口伝に云く世間とは日本国なり眼とは仏知見なり法華経は諸天世間の眼目なり、眼とは南無妙法蓮華経なり是諸天人世間之眼又云く是諸仏眼目云云、此の眼をくじる者は禅念仏真言宗等なり眼等とは目を閉づるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは諸天世間の眼に非ずや云云。
第十九能須臾説の事
御義口伝に云く能の一字之を思う可し説とは南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類いは能須臾説の行者なり云云。
第二十此経難持の事
御義口伝に云く此の経文にて三学倶伝するなり、虚空不動戒虚空不動定虚空不動慧三学倶に伝うるを名けて妙法と曰うと、戒とは色法なり定とは心法なり慧とは色心二法の振舞なり、倶の字は南無妙法蓮華経の一念三千なり伝とは末法万年を指すなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉り権教は無得道法華経は真実と修行する是は戒なり防非止悪の義なり、持つ所の行者決定無有疑の仏体と定む是は定なり、三世の諸仏の智慧を一返の題目に受持する是は慧なり、此の三学は皮肉骨三身三諦三軌三智等なり。
提婆達多品八箇の大事
第一提婆達多の事文句の八に云く本地は清凉にして迹に天熱を示すと。
御義口伝に云く提婆とは本地は文殊なり、本地清凉と云うなり迹には提婆と云うなり天熱を示す是なり、清凉は水なり此れは生死即涅槃なり天熱は火なり是は煩悩即菩提なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るに煩悩即菩提生死即涅槃なり、提婆は妙法蓮華経の別名なり過去の時に阿私仙人なり阿私仙人とは妙法の異名なり阿とは無の義なり私無きの法とは妙法なり、文句の八に云く無私法を以て衆生に灑ぐと云えり阿私仙人とは法界三千の別名なり故に私無きなり一念三千之を思う可し云云。
第二若不違我当為宣説の事
御義口伝に云く妙法蓮華経を宣説する事を汝は我に違わずして宣説すべしと云う事なり、若の字は汝なり、天台の云く「法を受けて奉行す」と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は日蓮に違わずして宣説す可きなり阿私仙人とは南無妙法蓮華経なり云云。
第三採菓汲水拾薪設食の事
御義口伝に云く採菓とは癡煩悩なり汲水とは貪煩悩なり拾薪とは瞋煩悩なり設食とは慢煩悩なり、此の下に八種の給仕之れ有り此の外に妙法蓮華経の伝受之れ無きなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは即ち千歳給仕なり是れ即ち一念三千なり貪瞋癡慢を対治するなり。
第四情存妙法故身心無懈倦の事
御義口伝に云く身心の二字色心妙法と伝受するなり、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて即身成仏す身心無倦とは一念三千なり云云。
第五我於海中唯常宣説の事
御義口伝に云く我とは文殊なり海とは生死の海なり唯とは唯有一乗法なり常とは常住此説法なり妙法蓮華経とは法界の言語音声なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり、生死の海即真如の大海なり我とは法界の智慧なり文殊なり云云。
第六年始八歳の事
御義口伝に云く八歳とは八巻なり提婆は地獄界なり竜女は仏界なり然る間十界互具百界千如一念三千なり、又云く八歳とは法華経八巻なり我等八苦の煩悩なり、惣じて法華経の成仏は八歳なりと心得可し八苦即八巻なり八苦八巻即八歳の竜女と顕るるなり一義に云く、八歳の事はたまをひらくと読むなり、歳とは竜女の一心なり八とは三千なり三千とは法華の八巻なり、仍つて八歳とは開仏知見の所表なり智慧利根より能至菩提まで法華に帰入するなり、此の中に心念口演とは口業なり志意和雅とは意業なり悉能受持深入禅定とは身業なり三業即三徳なれば三諦法性なり、又云く心念とは一念なり口演とは三千なり悉能受持とは竜女法華経受持の文なり、歳とは如意宝珠なり妙法なり八とは色心を妙法と開くなり。
第七言論未訖の事
御義口伝に云く此の文は無明即法性の明文なり、其の故は智積難問の言未だ訖らざるに竜女三行半の偈を以て答うるなり、難問の意は別教の意なり無明なり竜女の答は円教の意なり法性なり、智積は元品の無明なり竜女は法性の女人なり仍て無明に即する法性法性に即する無明なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは言論未訖なり、時とは上の事の末末の事の始なり時とは無明法性同時の時なり南無妙法蓮華経と唱え奉る時なり、智積菩薩を元品の無明と云う事は不信此女の不信の二字なり不信とは疑惑なり疑惑を根本無明と云うなり、竜女を法性と云う事は我闡大乗教の文なり竜女とは竜は父なり女は八歳の娘なり竜女の二字は父子同時の成仏なり、其の故は時竜王女の文是なり既に竜王の女と云う間竜王は父なり女とは八歳の子なり、されば女の成仏は此の品にあり父の竜の成仏は序品に之れ在り、有八竜王の文是なり、然りと雖も父子同時の成仏なり序品は一経の序なる故なり、又聞成菩提とは竜女が智積を責めたる言なりされば唯我が成仏をば仏御存知あるべしとて又聞成菩提唯仏当証知と云えり苦の衆生とは別して女人の事なり、此の三行半の偈は一念三千の法門なり遍照於十方とは十界なり、殊には此の八歳の竜女の成仏は帝王持経の先祖たり、人王の始は神武天皇なり神武天皇は地神五代の第五の鵜萱葺不合尊の御子なり此の葺不合尊は豊玉姫の子なり此の豊玉姫は沙竭羅竜王の女なり八歳の竜女の姉なり、然る間先祖法華経の行者なり甚深甚深云云、されば此の提婆の一品は一天の腰刀なり無明煩悩の敵を切り生死愛着の繩を切る秘法なり、漢高三尺の剣も一字の智剣に及ばざるなり妙の一字の智剣を以て生死煩悩の繩を切るなり、提婆は火炎を顕し竜女は大蛇を示し文殊は智剣を顕すなり仍つて不動明王の尊形と口伝せり、提婆は我等が煩悩即菩提を顕すなり、竜女は生死即涅槃を顕すなり、文殊をば此には妙徳と飜ずるなり煩悩生死具足して当品の能化なり。
第八有一宝珠の事文句の八に云く一とは珠を献じて円解を得ることを表すと。
御義口伝に云く一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり、妙の故に心法なり法の故に色法なり色法は珠なり心法は宝なり妙法とは色心不二なり、一念三千を所表して竜女宝珠を奉るなり、釈に表得円解と云うは一念三千なり、竜女が手に持てる時は性得の宝珠なり仏受け取り給う時は修得の宝珠なり、中に有るは修性不二なり、甚疾とは頓極頓速頓証の法門なり即為疾得無上仏道なり、神力とは神は心法なり力とは色法なり観我成仏とは舎利弗竜女が成仏と思うが僻事なり、我が成仏ぞと観ぜよと責めたるなり、観に六則観之れ有り爰元の観は名字即の観と心得可きなり、其の故は南無妙法蓮華経と聞ける処を一念坐道場成仏不虚也と云えり、変成男子とは竜女も本地南無妙法蓮華経なり其の意経文に分明なり。
勧持品十三箇の大事
第一勧持の事
御義口伝に云く勧とは化他持とは自行なり南無妙法蓮華経は自行化他に亘るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を勧めて持たしむるなり。
第二不惜身命の事
御義口伝に云く身とは色法命とは心法なり事理の不惜身命之れ有り、法華の行者田畠等を奪わるは理の不惜身命なり命根を断たるを事の不惜身命と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は事理共に値うなり。
第三心不実故の事
御義口伝に云く心不実故とは法華最第一の経文を第三と読み最為其上の経文を最為其下と読みて法華経の一念三千を華厳大日等に之れ有りと法華の即身成仏を大日経に取り入るるは此等は皆心不実故なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は心実なるべし云云。
第四敬順仏意の事
御義口伝に云く法華経に順ずるは敬順仏意なり意とは南無妙法蓮華経是なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは敬順仏意の意なり。
第五作師子吼の事
御義口伝に云く師子吼とは仏の説なり説法とは法華別しては南無妙法蓮華経なり、師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり。
第六如法修行の事
御義口伝に云く如法修行の人とは天台妙楽伝教等なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは如法修行なり云云。
第七有諸無智人の事
御義口伝に云く一文不通の大俗なり悪口罵詈等分明なり日本国の俗を諸と云うなり。
第八悪世中比丘の事
御義口伝に云く悪世中比丘の悪世とは末法なり比丘とは謗法たる弘法等是なり、法華の正智を捨て権教の邪智を本とせり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は正智の中の大正智なり。
第九或有阿練若の事
御義口伝に云く第三の比丘なり良観等なり如六通羅漢の人と思うなり。
第十自作此経典の事
御義口伝に云く法華経を所作して読むと謗す可しと云う経文なり云云。
第十一為斯所軽言汝等皆是仏の事
御義口伝に云く法華経の行者を蔑づり生仏と云うべしと云う経文なり、是は軽心を以て謗るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を云う可きなり。
第十二悪鬼入其身の事
御義口伝に云く悪鬼とは法然弘法等是なり入其身とは国王大臣万民等の事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を怨むべしと云う事なり、鬼とは命を奪う者にして奪功徳者と云うなり、法華経は三世諸仏の命根なり此の経は一切諸菩薩の功徳を納めたる御経なり。
第十三但惜無上道の事
御義口伝に云く無上道とは南無妙法蓮華経是なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を惜む事は命根よりも惜き事なり、之に依つて結ぶ処に仏自知我心と説かれたり法華経の行者の心中をば教主釈尊の御存知有る可きなり、仏とは釈尊我心とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。
安楽行品五箇の大事
第一安楽行品の事
御義口伝に云く妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり。
第二一切法空の事
御義口伝に云く此下に於て十八空之有り十八空の体とは南無妙法蓮華経是なり十八空は何れも妙法の事なり。
第三有所難問不以小乗法答等の事
御義口伝に云く対治の時は権教を以て会通す可からず。
一切種智とは南無妙法蓮華経なり一切は万物なり種智は万物の種なり妙法蓮華経是なり、又云く一切種智とは我等が一心なり一心とは万法の惣体なり之を思う可し。
第四無有怖畏加刀杖等の事
御義口伝に云く迹化の菩薩に刀杖の難之れ有る可からずと云う経文なり、勧持品は末法法華の行者に及加刀杖者数数見擯出と此の品には之無し、彼は末法の折伏の修行此の品は像法摂受の修行なるが故なり云云。
第五有人来欲難問者諸天昼夜等の事
御義口伝に云く末法に於て法華を行ずる者をば諸天守護之有る可し常為法故の法とは南無妙法蓮華経是なり。
涌出品一箇の大事
第一唱導之師の事
御義口伝に云く涌出の一品は悉く本化の菩薩の事なり、本化の菩薩の所作としては南無妙法蓮華経なり此れを唱と云うなり導とは日本国の一切衆生を霊山浄土へ引導する事なり、末法の導師とは本化に限ると云うを師と云うなり、此の四大菩薩の事を釈する時、疏の九を受けて輔正記の九に云く「経に四導師有りとは今四徳を表す上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す、有る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際を踰ゆるを無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり」と今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり、又云く火は物を焼くを以て行とし水は物を浄むるを以て行とし風は塵垢を払うを以て行とし大地は草木を長ずるを以て行とするなり四菩薩の利益是なり、四菩薩の行は不同なりと雖も、倶に妙法蓮華経の修行なり、此の四菩薩は下方に住する故に釈に「法性之淵底玄宗之極地」と云えり、下方を以て住処とす下方とは真理なり、輔正記に云く「下方とは生公の云く住して理に在るなり」と云云、此の理の住処より顕れ出づるを事と云うなり、又云く千草万木地涌の菩薩に非ずと云う事なし、されば地涌の菩薩を本化と云えり本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり、此の菩薩は本法所持の人なり本法とは南無妙法蓮華経なり、此の題目は必ず地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非ず、此の本法の体より用を出して止観と弘め一念三千と云う、惣じて大師人師の所釈も此の妙法の用を弘め給うなり、此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり無疑曰信の釈之を思ふ可し云云。( 弘安元年戊寅正月一日 )
 
御義口伝巻下 日蓮所立自寿量品至開結二経

 

寿量品廿七箇の大事
第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事文句の九に云く如来とは十方三世の諸仏二仏三仏本仏迹仏の通号なり別しては本地三仏の別号なり、寿量とは詮量なり、十方三世二仏三仏の諸仏の功徳を詮量す故に寿量品と云うと。
御義口伝に云く此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり、六即の配立の時は此の品の如来は理即の凡夫なり頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり聞き奉りて修行するは観行即なり此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、さて惑障を伏するを相似即と云うなり化他に出づるを分真即と云うなり無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり、惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の侭を此の品の極理と心得可きなり、無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり云云。
第二如来秘密神通之力の事
御義口伝に云く無作三身の依文なり、此の文に於て重重の相伝之有り、神通之力とは我等衆生の作作発発と振舞う処を神通と云うなり獄卒の罪人を苛責する音も皆神通之力なり、生住異滅の森羅三千の当体悉く神通之力の体なり、今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり、仍つて経に云く「我等当信受仏語」と信受の二字に意を留む可きなり。
第三我実成仏已来無量無辺等の事
御義口伝に云く我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり、然りと雖も当品の意は我とは法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり、実とは無作三身の仏なりと定めたり此れを実と云うなり成とは能成所成なり成は開く義なり法界無作の三身の仏なりと開きたり、仏とは此れを覚知するを云うなり已とは過去なり来とは未来なり已来の言の中に現在は有るなり、我実と成けたる仏にして已も来も無量なり無辺なり、百界千如一念三千と説かれたり、百千の二字は百は百界千は千如なり此れ即ち事の一念三千なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は寿量品の本主なり、惣じては迹化の菩薩此の品に手をつけいろうべきに非ざる者なり、彼は迹表本裏此れは本面迹裏然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す云云。
第四如来如実知見三界之相無有生死の事
御義口伝に云く如来とは三界の衆生なり此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり、三界之相とは生老病死なり本有の生死とみれば無有生死なり生死無ければ退出も無し唯生死無きに非ざるなり、生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり、又云く無も有も生も死も若退も若出も在世も滅後も悉く皆本有常住の振舞なり、無とは法界同時に妙法蓮華経の振舞より外は無きなり有とは地獄は地獄の有の侭十界本有の妙法の全体なり、生とは妙法の生なれば随縁なり死とは寿量の死なれば法界同時に真如なり若退の故に滅後なり若出の故に在世なり、されば無死退滅は空なり有生出在は仮なり如来如実は中道なり、無死退滅は無作の報身なり有生出在は無作の応身なり如来如実は無作の法身なり、此の三身は我が一身なり、一身即三身名為秘とは是なり、三身即一身名為密も此の意なり、然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり云云。
第五若仏久住於世薄徳之人不種善根貧窮下賎貪著五欲入於憶想妄見網中の事
御義口伝に云く此の経文は仏世に久住したまわば薄徳の人は善根を殖ゆ可からず然る間妄見網中と説かれたり、所詮此の薄徳とは在世に漏れたる衆生今滅後日本国に生れたり、所謂念仏禅真言等の謗法なり、不種善根とは善根は題目なり不種とは未だ持たざる者なり、憶想とは捨閉閣抛第三の劣等此くの如きの憶想なり、妄とは権教妄語の経教なり見は邪見なり法華最第一の一を第三と見るが邪見なり、網中とは謗法不信の家なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者はかかる妄見の経網中の家を離れたる者なり云云。
第六飲他毒薬薬発悶乱宛転于地の事
御義口伝に云く他とは念仏禅真言の謗法の比丘なり、毒薬とは権教方便なり法華の良薬に非ず故に悶乱するなり悶とはいきたゆるなり、寿量品の命なきが故に悶乱するなり宛転于地とは阿鼻地獄へ入るなり云云。
諸子飲毒の事は釈に云く「邪師の法を信受するを名けて飲毒と為す」と、諸子とは謗法なり飲毒とは弥陀大日等の権法なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは毒を飲まざるなり。
第七或失本心或不失者の事
御義口伝に云く本心を失うとは謗法なり本心とは下種なり不失とは法華経の行者なり失とは本有る物を失う事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは本心を失わざるなり云云。
第八擣・和合与子令服の事
御義口伝に云く此の経文は空仮中の三諦戒定慧の三学なり、色香美味の良薬なり擣は空諦なり・は仮諦なり和合は中道なり与は授与なり子は法華の行者なり服すると云うは受持の義なり、是を此大良薬色香美味皆悉具足と説かれたり、皆悉の二字万行万善諸波羅蜜を具足したる大良薬たる南無妙法蓮華経なり、色香等とは一色一香無非中道にして草木成仏なり、されば題目の五字に一法として具足せずと云う事なし若し服する者は速除苦悩なり、されば妙法の大良薬を服するは貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり、法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者は謗法の供養を受けざるは貪欲の病を除くなり、法華の行者は罵詈せらるれども忍辱を行ずるは瞋恚の病を除くなり、法華経の行者は是人於仏道決定無有疑と成仏を知るは愚癡の煩悩を治するなり、されば大良薬は末法の成仏の甘露なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大良薬の本主なり。
第九毒気深入失本心故の事
御義口伝に云く毒気深入とは権教謗法の執情深く入りたる者なり、之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり服せしむると雖も吐き出だすは而謂不美とてむまからずと云う者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは而謂不美の者に非ざるなり。
第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事
御義口伝に云く是好良薬とは或は経教或は舎利なりさて末法にては南無妙法蓮華経なり、好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり、今留とは末法なり此とは一閻浮提の中には日本国なり、汝とは末法の一切衆生なり取は法華経を受持する時の儀式なり、服するとは唱え奉る事なり服するより無作の三身なり始成正覚の病患差るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり。
第十一自我得仏来の事
御義口伝に云く一句三身の習いの文と云うなり、自とは九界なり我とは仏界なり此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり、自も我も得たる仏来れり十界本有の明文なり、我は法身仏は報身来は応身なり此の三身無始無終の古仏にして自得なり、無上宝聚不求自得之を思う可し、然らば即ち顕本遠寿の説は永く諸教に絶えたり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは自我得仏来の行者なり云云。
第十二為度衆生故方便現涅槃の事
御義口伝に云く涅槃経は法華経より出でたりと云う経文なり、既に方便と説かれたり云云。
第十三常住此説法の事
御義口伝に云く常住とは法華経の行者の住処なり、此とは娑婆世界なり山谷曠野を指して此とは説き給う、説法とは一切衆生の語言の音声が本有の自受用智の説法なり、末法に入つて説法とは南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類いの説法是なり。
第十四時我及衆僧倶出霊鷲山の事
御義口伝に云く霊山一会儼然未散の文なり、時とは感応末法の時なり我とは釈尊及とは菩薩聖衆を衆僧と説かれたり倶とは十界なり霊鷲山とは寂光土なり、時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出ずるなり秘す可し秘す可し、本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり、されば倶とは不変真如の理なり出とは随縁真如の智なり倶とは一念なり出とは三千なり云云。
又云く時とは本時娑婆世界の時なり下は十界宛然の曼陀羅を顕す文なり、其の故は時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊及は菩薩衆僧は二乗倶とは六道なり出とは霊山浄土に列出するなり霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云。
第十五衆生見劫尽○而衆見焼尽の事
御義口伝に云く本門寿量の一念三千を頌する文なり、大火所焼時とは実義には煩悩の大火なり、我此土安穏とは国土世間なり、衆生所遊楽とは衆生世間なり、宝樹多華菓とは五陰世間なり是れ即ち一念三千を分明に説かれたり、又云く上の件の文は十界なり大火とは地獄界なり天皷とは畜生なり人と天とは人天の二界なり、天と人と常に充満するなり、雨曼陀羅華とは声聞界なり園林とは縁覚界なり菩薩界とは及の一字なり仏界とは散仏なり修羅と餓鬼界とは憂怖諸苦悩如是悉充満の句に摂するなり、此等を是諸罪衆生と説かれたり、然りと雖も此の寿量品の説顕われては、則皆見我身とて一念三千なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。
第十六我亦為世父の事
御義口伝に云く我とは釈尊一切衆生の父なり主師親に於て仏に約し経に約す、仏に約すとは迹門の仏の三徳は今此三界の文是なり、本門の仏の主師親の三徳は主の徳は我此土安穏の文なり師の徳は常説法教化の文なり親の徳は此の我亦為世父の文是なり、妙楽大師は寿量品の文を知らざる者は不知恩の畜生と釈し給えり経に約すれば、諸経中王は主の徳なり能救一切衆生は師の徳なり又如大梵天王一切衆生之父の文は父の徳なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり無間地獄の苦を救う故なり云云、涅槃経に云く「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」と云云、日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし。
第十七放逸著五欲堕於悪道中の事
御義口伝に云く放逸とは謗法の名なり入阿鼻獄疑無き者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の経文を免離せり云云。
第十八行道不行道の事
御義口伝に云く十界の衆生の事を説くなり行道は四聖不行道は六道なり、又云く行道は修羅人天不行道は三悪道なり、所詮末法に入つては法華の行者は行道なり謗法の者は不行道なり、道とは法華経なり、天台云く「仏道とは別して今の経を指す」と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは行道なり唱えざるは不行道なり云云。
第十九毎自作是念の事
御義口伝に云く毎とは三世なり自とは別しては釈尊惣じては十界なり、是念とは無作本有の南無妙法蓮華経の一念なり、作とは此の作は有作の作に非ず無作本有の作なり云云、広く十界本有に約して云わば自とは万法己己の当体なり、是念とは地獄の呵責の音其の外一切衆生の念念皆是れ自受用報身の智なり是を念とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る念は大慈悲の念なり云云。
第二十得入無上道等の事
御義口伝に云く無上道とは寿量品の無作の三身なり此の外に成就仏身之れ無し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は成就仏身疑無きなり云云。
第廿一自我偈の事
御義口伝に云く自とは九界なり我とは仏身なり偈とはことわるなり本有とことわりたる偈頌なり深く之を案ず可し、偈様とは南無妙法蓮華経なり云云。
第廿二自我偈始終の事
御義口伝に云く自とは始なり速成就仏身の身は終りなり始終自身なり中の文字は受用なり、仍つて自我偈は自受用身なり法界を自身と開き法界自受用身なれば自我偈に非ずと云う事なし、自受用身とは一念三千なり、伝教云く「一念三千即自受用身自受用身とは尊形を出でたる仏と出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。
第廿三久遠の事
御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさずつくろわずもとの侭と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の侭なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云。
第廿四此の寿量品の所化の国土と修行との事
御義口伝に云く当品流布の国土とは日本国なり惣じては南閻浮提なり、所化とは日本国の一切衆生なり修行とは無疑曰信の信心の事なり、授与の人とは本化地涌の菩薩なり云云。
第廿五建立御本尊等の事
御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。
第廿六寿量品の対告衆の事
御義口伝に云く経文は弥勒菩薩なり、然りと雖も滅後を本とする故に日本国の一切衆生なり、中にも日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり、弥勒とは末法法華の行者の事なり、弥勒をば慈氏と云う法華の行者を指すなり、章安大師云く「為彼除悪即是彼親」と是れ豈弥勒菩薩に非ずや云云。
第廿七無作三身の事種子尊形三摩耶
御義口伝に云く尊形とは十界本有の形像なり三摩耶とは十界所持の物なり種子とは信の一字なり、所謂南無妙法蓮華経改めざるを云うなり三摩耶とは合掌なり秘す可し秘す可し云云。
分別功徳品三箇の大事
第一其有衆生聞仏寿命長遠如是乃至能生一念信解所得功徳無有限量の事御義口伝に云く一念信解の信の一字は一切智慧を受得する所の因種なり、信の一字は名字即の位なり仍つて信の一字は最後品の無明を切る利剣なり、信の一字は寿量品の理顕本を信ずるなり解とは事顕本を解するなり此の事理の顕本を一念に信解するなり、一念とは無作本有の一念なり、此くの如く信解する人の功徳は限量有る事有る可からざるなり、信の処に解あり解の処に信あり然りと雖も信を以て成仏を決定するなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。
第二是則能信受如是諸人等頂受此経典の事
御義口伝に云く法華経を頭に頂くと云う明文なり、如是諸人等の文は広く一切衆生に亘るなり、然らば三世十方の諸仏は妙法蓮華経を頂き受けて成仏し給う、仍つて上の寿量品の題目を妙法蓮華経と題して次に如来と題したり秘す可し云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは此の故なり云云。
第三仏子住此地則是仏受用の事
御義口伝に云く此の文を自受用の明文と云えり、此地とは無作の三身の依地なり仏子とは法華の行者なり仏子は菩薩なり法華の行者は菩薩なり住とは信解の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は妙法の地に住するなり仏の受用の身なり深く之を案ず可し云云。
随喜品二箇の大事
第一妙法蓮華経随喜功徳の事
御義口伝に云く随とは事理に随順するを云うなり喜とは自他共に喜ぶ事なり、事とは五百麈点の事顕本に随順するなり理とは理顕本に随うなり所詮寿量品の内証に随順するを随とは云うなり、然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり、然る間随とは法に約し喜とは人に約するなり、人とは五百塵点の古仏たる釈尊法とは寿量品の南無妙法蓮華経なり、是に随い喜ぶを随喜とは云うなり惣じて随とは信の異名なり云云、唯信心の事を随と云うなりされば二巻には随順此経非己智分と説かれたり云云。
第二口気無・穢優鉢華之香常從其口出の事
御義口伝に云く口気とは題目なり、無・穢とは弥陀等の権教方便無得道の教を交えざるなり、優鉢華之香とは法華経なり、末法の今は題目なり、方便品に如優曇鉢華の事を一念三千と云えり之を案ず可し、常とは三世常住なり其口とは法華の行者の口なり出とは南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは常従其口出なり云云。
法師功徳品四箇の大事
第一法師功徳の事
御義口伝に云く法師とは五種法師なり功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳有るなり、功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり、法華経の説文の如く修行するを六根清浄と得意可きなり云云。
第二六根清浄の事
御義口伝に云く眼の功徳とは法華不信の者は無間に堕在し信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり、法華経を持ち奉る処に眼の八百の功徳を得るなり、眼とは法華経なり此の大乗経典は諸仏の眼目と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は眼の功徳を得るなり云云、耳鼻舌身意又又此くの如きなり云云。
第三又如浄明鏡の事
御義口伝に云く法華経に鏡の譬を説く事此の明文なり、六根清浄の人は瑠璃明鏡の如く三千世界を見ると云う経文なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり、此の明鏡とは法華経なり別しては宝塔品なり、又は我が一心の明鏡なり、所詮瑠璃と明鏡との二の譬を説かれたり身根清浄の下なり、色心不二なれば何れも清浄の徳分なり浄とは不浄に対して浄と云うなり明とは無明に対して明と説くなり、鏡とは一心なり浄は仮諦明は空諦鏡は中道なり悉見諸色像の悉は十界なり、所詮浄明鏡とは色心の二法、妙法蓮華経の体なり浄明鏡とは信心なり云云、又三千大千世界を知見するとは三世間の事なり。
第四是人持此経安住希有地の事
御義口伝に云く是人とは日本国の一切衆生の中には法華の行者なり希有地とは寿量品の事理の顕本を指すなり、是を又分別品には「仏説希有法」と説かれたり別しては南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の希有の地とは末法弘通の明鏡たる本尊なり、惣じては此の品の六根清浄の功徳は十信相似即なり対告衆の常精進菩薩は十信の第三信と云えり、然りと雖も末法に於いては法華経の行者を指して常精進菩薩と心得可きなり此の経の持者は是則精進の故なり。
常不軽品三十箇の大事
第一常不軽の事
御義口伝に云く常の字は三世の不軽の事なり、不軽とは一切衆生の内証所具の三因仏性を指すなり仏性とは法性なり法性とは妙法蓮華経なり云云。
第二得大勢菩薩の事
御義口伝に云く得とは応身なり大とは法身なり勢とは報身なり、又得とは仮諦なり大とは中道なり勢とは空諦なり円融の三諦三身なり。
第三威音王の事
御義口伝に云く威とは色法なり音とは心法なり王とは色心不二を王と云うなり、末法に入つて南無妙法蓮華経と唱え奉る是れ併ら威音王なり云云、其の故は音とは一切権教の題目等なり威とは首題の五字なり王とは法華の行者なり云云、法華の題目は獅子の吼ゆるが如く余経は余獣の音の如くなり諸経中王の故に王と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る威音王仏なり云云。
第四凡有所見の事
御義口伝に云く今日本国の一切衆生を法華経の題目の機なりと知見するなり云云。
第五我深敬汝等不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏の事
御義口伝に云く此の廿四字と妙法の五字は替われども其の意は之れ同じ廿四字は略法華経なり。
第六但行礼拝の事
御義口伝に云く礼拝とは合掌なり合掌とは法華経なり此れ即ち一念三千なり、故に不専読誦経典但行礼拝と云うなり。
第七乃至遠見の事
御義口伝に云く上の凡有所見の見は内証所具の仏性を見るなり、此れは理なり遠見の見は四衆と云う間事なり仍つて上は心法を見る今は色法を見る色法は本門の開悟四一開会なり、心法を見るは迹門の意又四一開会なり、遠の一字は寿量品の久遠なり故に故往礼拝といえり云云。
第八心不浄者の事
御義口伝に云く謗法の者は色心二法共に不浄なり、先ず心法不浄の文は今此の心不浄者なり、又身不浄の文は譬喩品に「身常臭処垢穢不浄」と云えり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は色心共に清浄なり、身浄は法師功徳品に云く「若持法華経其身甚清浄」の文なり、心浄とは提婆品に云く「浄心信敬」と云云、浄とは法華経の信心なり不浄とは謗法なり云云。
第九言是無智比丘の事
御義口伝に云く此の文は法華経の明文なり、上慢の四衆不軽菩薩を無智の比丘と罵詈せり、凡有所見の菩薩を無智と云う事は第六天の魔王の所為なり、末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無智の比丘と謗ぜられん事経文の明鏡なり、無智を以て法華経の機と定めたり。
第十聞其所説皆信伏随従の事
御義口伝に云く聞とは名字即なり所詮は而強毒之の題目なり、皆とは上慢の四衆等なり信とは無疑曰信なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は末法の不軽菩薩なり。
第十一於四衆中説法心無所畏の事
御義口伝に云く四衆とは日本国の中の一切衆生なり説法とは南無妙法蓮華経なり、心無所畏とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と呼ばわる所の折伏なり云云。
第十二常不軽菩薩豈異人乎則我身是の事
御義口伝に云く過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり、釈尊は寿量品の教主なり寿量品の教主とは我等法華経の行者なり、さては我等が事なり今日蓮等の類いは不軽なり云云。
第十三常不値仏不聞法不見僧の事
御義口伝に云く此の文は不軽菩薩を軽賎するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云えり、今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賎せん事は彼に過ぎたり、彼は千劫此れは至無数劫なり末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり円理とは法華経なり云云。
第十四畢是罪已復遇常不軽菩薩の事
御義口伝に云く若し法華誹謗の失を改めて信伏随従する共浅く有りては無間に堕つ可きなり、先謗強きが故に依るなり千劫無間地獄に堕ちて後に出づる期有つて又日蓮に値う可きなり復遇日蓮なるべし。
第十五於如来滅後等の事
御義口伝に云く不軽菩薩の修行は此の如くなり仏の滅後に五種に妙法蓮華経を修行すべしと見えたり、正しく是故より下廿五字は末法日蓮等の類いの事なるべし、既に是の故にとおさえて於如来滅後と説かれたり流通の品なる故なり、惣じては流通とは未来当今の為なり、法華経一部は一往は在世の為なり再往は末法当今の為なり、其の故は妙法蓮華経の五字は三世の諸仏共に許して未来滅後の者の為なり、品品の法門は題目の用なり体の妙法末法の用たらば何ぞ用の品品別ならむや、此の法門秘す可し秘す可し、天台の「綱維を提ぐるに目として動かざること無きが如し」等と釈する此の意なり、妙楽大師は「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」と、此等を心得ざる者は末法の弘通に足らざる者なり。
第十六此品の時の不軽菩薩の体の事
御義口伝に云く不軽菩薩とは十界の衆生なり、三世常住の礼拝の行を立つるなり吐く所の語言は妙法の音声なり、獄卒が杖を取つて罪人を呵責するが体の礼拝なり敢えて軽慢せざるなり、罪人我を責め成すと思えば不軽菩薩を呵責するなり折伏の行是なり。
第十七不軽菩薩の礼拝住処の事之に付て十四箇所の礼拝住処の事之有り御義口伝に云く礼拝の住処とは多宝塔中の礼拝なり、其の故は塔婆とは五大の所成なり五大とは地水火風空なり此れを多宝の塔とも云うなり、法界広しと雖も此の五大には過ぎざるなり故に塔中の礼拝と相伝するなり秘す可し秘す可し云云。
第十八開示悟入礼拝住処の事
御義口伝に云く開示悟入の四仏知見を住処とするなり、然る間方便品の此の文を礼拝の住処と云うなり此れは内に不軽の解を懐くと釈せり、解とは正因仏性を具足すと釈するなり開仏知見とは此の仏性を開かしめんとて仏は出現し給うなり。
第十九毎自作是念の文礼拝住処の事
御義口伝に云く毎の字は三世なり念とは一切衆生の仏性を念じ給いしなり、仍つて速成就仏身と皆当作仏とは同じき事なり仍つて此の一文を相伝せり、天台大師は「開三顕一○開近顕遠」と釈せり秘す可し秘す可し云云。
第二十我本行菩薩道の文礼拝住処の事
御義口伝に云く我とは本因妙の時を指すなり、本行菩薩道の文は不軽菩薩なり此れを礼拝の住処と指すなり。
第廿一生老病死礼拝住処の事
御義口伝に云く一切衆生生老病死を厭離せず無常遷滅の当体に迷うに依つて後世菩提を覚知せざるなり、此を示す時煩悩即菩提生死即涅槃と教うる当体を礼拝と云うなり、左右の両の手を開く時は煩悩生死上慢不軽各別なり、礼拝する時両の手を合するは煩悩即菩提生死即涅槃なり、上慢の四衆の所具の仏性も不軽所具の仏性も一種の妙法なりと礼拝するなり云云。
第廿二法性礼拝住処の事
御義口伝に云く不軽菩薩法性真如の三因仏性南無妙法蓮華経の廿四字に足立て無明の上慢の四衆を拝するは薀在衆生の仏性を礼拝するなり云云。
第廿三無明礼拝住処の事
御義口伝に云く自他の隔意を立て彼は上慢の四衆我は不軽と云う、不軽は善人上慢は悪人と善悪を立つるは無明なり、此に立つて礼拝の行を成す時善悪不二邪正一如の南無妙法蓮華経と礼拝するなり云云。
第廿四蓮華の二字礼拝住処の事
御義口伝に云く蓮華とは因果の二法なり、悪因あれば悪果を感じ善因あれば善果を感ず内証には汝等三因仏性の善因あり、事に顕す時は善果と成つて皆当作仏す可しと礼拝し給うなり云云。
第廿五実報土礼拝住処の事
御義口伝に云く実報土は竪の時は菩薩の住処なり、仍つて不軽菩薩の住処を実報土と定めて此にて礼拝行を立て給う間実報土は礼拝の住処なり云云。
第廿六慈悲の二字礼拝住処の事
御義口伝に云く不軽礼拝の行は皆当作仏と教うる故に慈悲なり、既に杖木瓦石を以て打擲すれども而強毒之するは慈悲より起れり、仏心とは大慈悲心是なりと説かれたれば礼拝の住処は慈悲なり云云。
第廿七礼拝住処分真即の事
御義口伝に云く菩薩は分真即の位と定むるなり、此の位に立つて理即の凡夫を礼拝するなり之に依つて理即の凡夫なる間此の授記を受けずして無智の比丘と謗じたり云云。
第廿八究竟即礼拝住処の事
御義口伝に云く凡有所見の見は仏知見なり、仏知見を以て上慢の四衆を礼拝する間究竟即を礼拝の住処と定むるなり云云。
第廿九法界礼拝住処の事
御義口伝に云く法界に立て礼拝するなり法界とは広きに非ず狭きに非ず惣じて法とは諸法なり界とは境界なり、地獄界乃至仏界各各界を法る間不軽菩薩は不軽菩薩の界に法り上慢の四衆は四衆の界に法るなり、仍て法界が法界を礼拝するなり自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり云云。
第卅礼拝住処忍辱地の事
御義口伝に云く既に上慢の四衆罵詈瞋恚を成して虚妄の授記と謗ずと云えども不生瞋恚と説く間忍辱地に住して礼拝の行を立つるなり云云、初の一の住処は世流布の学者知れり後の十三箇所は当世の学者知らざる事なり云云。
已上十四箇条の礼拝の住処なり云云。
神力品八箇の大事
第一妙法蓮華経如来神力の事
文句の十に云く神は不測に名け力は幹用に名く不測は即ち天然の体深く幹用は則ち転変の力大なり、此の中深法を付属せんが為に十種の大力を現ず故に神力品と名くと。
御義口伝に云く此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり、惣じて妙法蓮華経を上行菩薩に付属し給う事は宝塔品の時事起り寿量品の時事顕れ神力属累の時事竟るなり、如来とは上の寿量品の如来なり神力とは十種の神力なり所詮妙法蓮華経の五字は神と力となり、神力とは上の寿量品の時の如来秘密神通之力の文と同じきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る所の題目なり此の十種の神力は在世滅後に亘るなり然りと雖も十種共に滅後に限ると心得可きなり、又云く妙法蓮華経如来と神との力の品と心得可きなり云云、如来とは一切衆生なり寿量品の如し、仍つて釈にも如来とは上に釈し畢ぬと云えり此の神とは山王七社等なり此の旨之を案ず可きなり云云。
第二出広長舌の事
御義口伝に云く広とは迹門長とは本門舌とは中道法性なり十法界妙法の功徳なれば広と云うなり竪に高ければ長と云うなり、広とは三千塵点より已来の妙法長とは五百塵点已来の妙法同じく広長舌なり云云。
第三十方世界衆宝樹下師子座上の事
御義口伝に云く十方とは十界なり此の下に於て草木成仏分明なり、師子とは師は師匠子は弟子なり座上とは寂光土なり十界即本有の寂光たる国土なり云云。
第四満百千歳の事
御義口伝に云く満とは法界なり百は百界なり千は千如なり一念三千を満百千歳と説くなり云云、一時も一念も満百千歳にして十種の神力を現ずるなり十種の神力とは十界の神力なり、十界の各各の神力は一種の南無妙法蓮華経なり云云。
第五地皆六種震動其中衆生○衆宝樹下の事
御義口伝に云く地とは国土世間なり其中衆生とは衆生世間なり衆宝樹下とは五陰世間なり一念三千分明なり云云。
第六娑婆是中有仏名釈迦牟尼仏の事
御義口伝に云く本化弘通の妙法蓮華経の大忍辱の力を以て弘通するを娑婆と云うなり、忍辱は寂光土なり此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり娑婆とは堪忍世界と云うなり云云。
第七斯人行世間能滅衆生闇の事
御義口伝に云く斯人とは上行菩薩なり世間とは大日本国なり衆生闇とは謗法の大重病なり、能滅の体は南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類い是なり云云。
第八畢竟住一乗O是人於仏道決定無有疑の事
御義口伝に云く畢竟とは広宣流布なり、住一乗とは南無妙法蓮華経の一法に住す可きなり是人とは名字即の凡夫なり仏道とは究竟即なり疑とは根本疑惑の無明を指すなり、末法当今は此の経を受持する一行計りにして成仏す可しと定むるなり云云。
嘱累品三箇の大事
第一從法座起の事
御義口伝に云く起とは塔中の座を起ちて塔外の儀式なり三摩の付嘱有るなり、三摩の付嘱とは身口意三業三諦三観と付嘱し給う事なり云云。
第二如来是一切衆生之大施主の事
御義口伝に云く如来とは本法不思議の如来なれば此の法華経の行者を指す可きなり、大施主の施とは末法当今流布の南無妙法蓮華経主とは上行菩薩の事と心得可きなり、然りと雖も当品は迹門付嘱の品なり上行菩薩を首として付属し給う間上行菩薩の御本意と見たるなり云云。
第三如世尊勅当具奉行の事
御義口伝に云く諸の菩薩等の誓言の文なり、諸天善神菩薩等を日蓮等の類い諌暁するは此の文に依るなり云云。
薬王品六箇の大事
第一不如受持此法華経乃至一四句偈の事
御義口伝に云く法華経とは一経廿八品なり一四句偈とは題目の五字と心得可きなり云云。
第二十喩の事
御義口伝に云く十喩とは十界なり、此の山の下に地獄界を含めり、川流江河餓鬼畜生を摂せり日月の下に修羅を収めたり帝釈梵天は天界なり凡夫人とは人間なり、声聞とは四向四果の阿羅漢なり縁覚とは辟支仏中と説かれたり、菩薩は菩薩為第一と云えり仏界は如仏為諸法王と見えたり、此の十界を十喩と挙げて教相を分別してさて妙法蓮華経の於一仏乗より分別説三する時此くの如く挙げたり、仍つて一念三千の法門なり一念三千は抜苦与楽なり。
第三離一切苦一切病痛能解一切生死之縛の事
御義口伝に云く法華の心は煩悩即菩提生死即涅槃なり離解の二字は此の説相に背くなり然るに離の字をば明とよむなり、本門寿量の慧眼開けて見れば本来本有の病痛苦悩なりと明らめたり仍つて自受用報身の智慧なり、解とは我等が生死は今始めたる生死に非ず本来本有の生死なり、始覚の思縛解くるなり云云、離解の二字は南無妙法蓮華経なり云云。
第四火不能焼水不能漂の事
御義口伝に云く火とは阿鼻の炎なり水とは紅蓮の氷なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此くの如くなるべし云云。
第五諸余怨敵皆悉摧滅の事
御義口伝に云く怨敵とは念仏禅真言等の謗法の人なり摧滅とは法華折伏破権門理なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり云云。
第六若人有病得聞是経病即消滅不老不死の事
文句の十に云く此に観解を須ゆべしと。
御義口伝に云く若人とは上仏果より下地獄の罪人まで之を摂す可きなり、病とは三毒の煩悩仏菩薩に於ても亦之れ有るなり、不老は釈尊不死は地涌の類たり、是は滅後当今の衆生の為に説かれたり、然らば病とは謗法なり、此の経を受持し奉る者は病即消滅疑無きなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。
妙音品三箇の大事
第一妙音菩薩の事
御義口伝に云く妙音菩薩とは十界の衆生なり、妙とは不思議なり音とは一切衆生の吐く所の語言音声が妙法の音声なり三世常住の妙音なり、所用に随つて諸事を弁ずるは慈悲なり是を菩薩と云うなり、又云く妙音とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は末法当今の不思議の音声なり、其の故は煩悩即菩提生死即涅槃の妙音なり云云。
第二肉髻白毫の事
御義口伝に云く此の二の相好は孝順師長より起れり法華経を持ち奉るを以て一切の孝養の最頂とせり、又云く此の白毫とは父の婬なり肉髻とは母の婬なり赤白二・今経に来つて肉髻白毫の二相と顕れたり、又云く肉髻は随縁真如の智なり白毫は不変真如の理なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは此等の相好を具足するなり、我等が生の始は赤色肉髻なり死後の白骨は白毫相なり、生の始の赤色は随縁真如の智死後の白骨は不変真如の理なり秘す可し秘す可し云云。
第三八万四千七宝鉢の事
御義口伝に云く此の文は妙音菩薩雲雷音王仏に奉る所の供養の鉢なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は八万四千の鉢を三世の諸仏に供養し奉るなり、八万四千とは我等が八万四千の塵労なり南無妙法蓮華経と唱え奉る処にて八万四千の法門と顕るるなり、法華経の文字は開結二経を合しては八万四千なり、又云く八とは八苦なり四とは生老病死なり七宝とは頭上の七穴なり鉢とは智器なり妙法の智水を受持するを以て鉢とは心得可きなり云云。
普門品五箇の大事
第一無尽意菩薩の事
御義口伝に云く無尽意とは円融の三諦なり、無とは空諦尽とは仮諦意とは中道なり、観世音とは観は空諦世は仮諦音は中道なり、妙法蓮華経とは妙とは空諦法蓮華は仮諦経とは中道なり、三諦法性の妙理を三諦の観世音と三諦の無尽意に対して説き給うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は末法の無尽意なり、所詮無とは我等が死の相なり尽とは我等が生の相なり意とは我等が命根なり、然る間一切の法門境智冥合等の法門意の一字に之を摂入す此の意とは中道法性なり法性とは南無妙法蓮華経なり、仍つて意の五字なり我等が胎内の五位の中には第五番の形なり、其の故は第五番の姿は五輪なり五輪即ち妙法等の五字なり、此の五字又意の字なり仏意とは妙法の五字なり此の事別に之無し、仏の意とは法華経なり是を寿量品にして是好良薬とて三世の諸仏の好もの良薬と説かれたり森羅三千の諸法は意の一字には過ぎざるなり、此の仏の意を信ずるを信心とは申すなりされば心は有分別なり倶に妙法の全体なり云云。
第二観音妙の事
御義口伝に云く妙法の梵語は薩達摩と云うなり、薩とは妙と翻ず此の薩の字は観音の種子なり仍て観音法華眼目異名と釈せり、今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は観音の利益より天地雲泥せり、所詮観とは円観なり世とは不思議なり音とは仏機なり観とは法界の異名なり既に円観なるが故なり、諸法実相の観世音なれば地獄餓鬼畜生等の界界を不思議世界と知見するなり、音とは諸法実相なれば衆生として実相の仏に非ずと云う事なし、寿量品の時は十界本有と説いて無作の三身なり、観音既に法華経を頂受せり然らば此の経受持の行者は観世音の利益より勝れたり云云。
第三念念勿生疑の事
御義口伝に云く念念とは一の念は六凡なり一の念は四聖なり六凡四聖の利益を施すなり疑心を生ずること勿れ云云、又云く念念とは前念後念なり、又云く妙法を念ずるに疑を生ず可からず云云、又三世常住の念念なり之に依つて上の文に是故衆生念と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて念念勿生疑の信心に住す可きなり煩悩即菩提生死即涅槃疑有る可からざるなり云云。
第四二求両願の事
御義口伝に云く二求とは求男求女なり、求女とは世間の果報求男とは出世の果報仍つて現世安穏は求女の徳なり後生善処は求男の徳なり、求女は竜女が成仏生死即涅槃を顕すなり求男は提婆が成仏煩悩即菩提を顕すなり我等が即身成仏を顕すなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は求男求女を満足して父母の成仏決定するなり云云。
第五三十三身利益の事
御義口伝に云く三十とは三千の法門なり、三身とは三諦の法門なり云云、又云く卅三身とは十界に三身づつ具すれば十界には三十本の三身を加うれば卅三身なり、所詮三とは三業なり十とは十界なり三とは三毒なり身とは一切衆生の身なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は卅三身の利益なり云云。
陀羅尼品六箇の大事
第一陀羅尼の事
御義口伝に云く陀羅尼とは南無妙法蓮華経なり、其の故は陀羅尼は諸仏の密語なり題目の五字三世の諸仏の秘密の密語なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは陀羅尼を弘通するなり捨悪持善の故なり云云。
第二安爾曼爾の事
御義口伝に云く安爾とは止なり曼爾とは観なり、此の安爾曼爾より止観の二法を釈し出せり、仍つて此の咒は薬王菩薩の咒なり薬王菩薩は天台の本地なり、安爾は我等が心法なり妙なり曼爾は我等が色法なり法なり色心妙法と呪する時は即身成仏なり云云。
第三鬼子母神の事
御義口伝に云く鬼とは父なり子とは十羅刹女なり母とは伽利帝母なり、逆次に次第する時は神とは九識なり母とは八識へ出づる無明なり子とは七識六識なり鬼とは五識なり、流転門の時は悪鬼なり還滅門の時は善鬼なり、仍つて十界互具百界千如の一念三千を鬼子母神十羅刹女と云うなり、三宝荒神とは十羅刹女の事なり所謂飢渇神貪欲神障碍神なり、今法華経の行者は三毒即三徳と転ずる故に三宝荒神に非ざるなり荒神とは法華不信の人なり法華経の行者の前にては守護神なり云云。
第四受持法華名者福不可量の事
御義口伝に云く法華の名と云うは題目なり、者と云うは日本国の一切衆生の中には法華経の行者なり、又云く者の字は男女の中には別して女人を讃めたり女人を指して者と云うなり、十羅刹女は別して女人を本とせり例せば竜女が度脱苦衆生とて女人を苦の衆生と云うが如し薬王品の是経典者の者と同じ事なり云云。
第五皐諦女の事
御義口伝に云く皐諦女は本地は文殊菩薩なり、山海何かなる処にても法華経の行者を守護す可しと云う経文なり、九悪一善とて皐諦女をば一善と定めたり、十悪の煩悩の時は偸盗に皐諦女は当れり逆次に次第するなり云云。
第六五番神呪の事
御義口伝に云く五番神呪とは我等が一身なり、妙とは十羅刹女なり法とは持国天王なり蓮とは増長天王なり華とは広目天王なり経とは毘沙門天王なり、此の妙法の五字は五番神呪なり、五番神呪は我等が一身なり、十羅刹女の呪は妙の一字を十九句に並べたり経文には寧上我頭上の文是れなり、持国天は法の一字を九句に並べたり経文には四十二億と云えり、四とは生老病死十とは十界二とは迷悟なり、持国は依報の名なり法は十界なり、増長天は蓮の一字を十三句に並べたり経文には「亦皆随喜」と云えり随喜の言は仏界に約せり、広目天は華の一字を四十三句に並べたり経文には「於諸衆生多所饒益」と云えり、毘沙門天は経の一字を六句に並べたり経文には「持是経者」等の文是なり云云。
厳王品三箇の大事
第一妙荘厳王の事文句の十に云く妙荘厳とは妙法功徳をもつて諸根を荘厳するなりと。
御義口伝に云く妙とは妙法の功徳なり、諸根とは六根なり此の妙法の功徳を以て六根を荘厳す可き名なり、所詮妙とは空諦なり荘厳とは仮諦なり王とは中道なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は悉く妙荘厳王なり云云。
第二浮木孔の事
御義口伝に云く孔とは小孔大孔の二之れ有り、小孔とは四十余年の経教なり大孔とは法華経の題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大孔なり、一切衆生は一眼の亀なり栴檀の浮木とは法華経なり、生死の大海に南無妙法蓮華経の大孔ある浮木は法華経に之在り云云。
第三当品邪見即正の事
御義口伝に云く厳王の邪見二人の教化に依り功徳を得て邪を改めて正とせり、止の一に辺邪皆中正と云う是なり、今日本国の一切衆生は邪見にして厳王なり、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は二人の如し終に畢竟住一乗して邪見即正なる可し云云。
普賢品六箇の大事
第一普賢菩薩の事
文句の十に云く勧発とは恋法の辞なりと。
御義口伝に云く勧発とは勧は化他発は自行なり、普とは諸法実相迹門の不変真如の理なり、賢とは智慧の義なり本門の随縁真如の智なり、然る間経末に来つて本迹二門を恋法し給えり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は普賢菩薩の守護なり云云。
第二若法華経行閻浮提の事
御義口伝に云く此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり云云。
第三八万四千天女の事
御義口伝に云く八万四千の塵労門なり、是れ即ち煩悩即菩提生死即涅槃なり七宝の冠とは頭上の七穴なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。
第四是人命終為千仏授手の事
御義口伝に云く法華不信の人は命終の時地獄に堕在す可し、経に云く「若人不信毀謗此経即断一切世間仏種其人命終入阿鼻獄」と、法華経の行者は命終して成仏す可し是人命終為千仏授手の文是なり、千仏とは千如の法門なり謗法の人は獄卒来迎し法華経の行者は千仏来迎し給うべし、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は千仏の来迎疑無き者なり云云。
第五閻浮提内広令流布の事
御義口伝に云く此の内の字は東西北の三方を嫌える文なり、広令流布とは法華経は南閻浮提計りに流布す可しと云う経文なり、此の内の字之を案ず可し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は深く之を思う可きなり云云。
第六此人不久当詣道場の事
御義口伝に云く此人とは法華経の行者なり、法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり、此因無易故云直至の釈之を思う可し、此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり、此の文までにて経は終るなり当の字は未来なり当起遠迎とは必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり、法師品には於此経巻敬視如仏と云えり、八年の御説法の口開きは南無妙法蓮華経方便品の諸仏智慧終りは当起遠迎当如敬仏の八字なり、但此の八字を以て法華一部の要路とせりされば文句の十に云く「当起遠迎当如敬仏よりは其の信者の功徳を結することを述す」と、法華一部は信の一字を以て本とせり云云。
尋ねて云く今の法華経に於て序品には首めに如の字を置き終りの普賢品には去の字を置く羅什三蔵の心地何なる表事の法門ぞや、答て云く今の経の法体は実相と久遠との二義を以て正体と為すなり始の如の字は実相を表し終りの去の字は久遠を表するなり、其の故は実相は理なり久遠は事なり理は空の義なり空は如の義なり之に依て如をば理空に相配するなり、釈に云く「如は不異に名く即ち空の義なり」と久遠は事なり其の故は本門寿量の心は事円の三千を以て正意と為すなり、去は久遠に当るなり去は開の義如は合の義なり開は分別の心なり合は無分別の意なり、此の開合を生仏に配当する時は合は仏界開は衆生なり、序品の始に如の字を顕したるは生仏不二の義なり、迹門は不二の分なり不変真如なる故なり、此の如是我聞の如をば不変真如の如と習うなり、空仮中の三諦には如は空是は中我聞は仮諦迹門は空を面と為す故に不二の上の而二なり、然る間而二の義を顕す時同聞衆を別に列ぬるなり、さて本門の終りの去は随縁真如にして而二の分なり仍つて去の字を置くなり、作礼而去の去は随縁真如と約束するなり、本門は而二の上の不二なり而二不二常同常別古今法爾の釈之を思う可し、此の去の字は彼の五千起去の去と習うなり、其の故は五千とは五住の煩悩と相伝する間五住の煩悩が己心の仏を礼して去ると云う義なり、如去の二字は生死の二法なり、伝教云く「去は無来之如来無去之円去」等と云云。
如の字は一切法是心の義去の字は心是一切法の義なり、一切法是心は迹門の不変真如なり心是一切法は本門の随縁真如なり、然る間法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり三諦三観の口決相承と意同じ云云。
一義に云く如は実なり去は相なり実は心王相は心数なり、又諸法は去なり実相は如なり今経一部の始終諸法実相の四字に習うとは是なり、釈に云く「今経は何を以て体と為るや諸法実相を以て体と為す」と、今一重立ち入つて日蓮が修行に配当せば如とは如説修行の如なり其の故は結要五字の付属を宣べ給う時宝塔品に事起り声徹下方し近令有在遠令有在と云うて有在の二字を以て本化迹化の付属を宣ぶるなり仍つて本門の密序と習うなり、さて二仏並座分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に結び上行菩薩に付属し給う其の付属とは妙法の首題なり惣別の付属塔中塔外之を思う可し、之に依つて涌出寿量に事顕れ神力属累に事竟るなり、此の妙法等の五字を末法白法隠没の時上行菩薩御出世有つて五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏す可しと経文に親り之れ有り、夫れば神力品に云く「於我滅度後応受持斯経是人於仏道決定無有疑」云云此の文明白なり、仍つて此の文をば仏の廻向の文と習うなり、然る間此の経を受持し奉る心地は如説修行の如なり此の如の心地に妙法等の五字を受持し奉り南無妙法蓮華経と唱え奉れば忽ち無明煩悩の病を悉く去つて妙覚極果の膚を瑩く事を顕す故にさて去の字を終りに結ぶなり、仍つて上に受持仏語と説けり煩悩悪覚の魔王も諸法実相の光に照されて一心一念遍於法界と観達せらる、然る間還つて己心の仏を礼す故に作礼而去とは説き給うなり、彼彼三千互遍亦爾の釈之を思う可し秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外す可からず然らば此の去の字は不去而去の去と相伝するを以て至極と為すなり云云。
無量義経六箇の大事
第一無量義経徳行品第一の事
御義口伝に云く無量義の三字を本迹観心に配する事、初の無の字は迹門なり其の故は理円を面とし不変真如の旨を談ず、迹門は無常の摂属なり常住を談ぜず但し「是法住法位世間相常住」と明かせども是れは理常住にして事常住に非ず理常住の相を談ずるなり、空は無の義なり但し此の無は断無の無に非ず相即の上の空なる処を無と云い空と云うなり、円の上にて是を沙汰するなり、本門の事常住無作の三身に対して迹門を無常と云うなり、守護章には有為の報仏は夢中の権果無作の三身は覚前の実仏と云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作の三身覚前の実仏なり云云。
第二量の字の事
御義口伝に云く量の字を本門に配当する事は量とは権摂の義なり、本門の心は無作三身を談ず此の無作三身とは仏の上ばかりにて之を云わず、森羅万法を自受用身の自体顕照と談ずる故に迹門にして不変真如の理円を明かす処を改めずして己が当体無作三身と沙汰するが本門事円三千の意なり、是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり云云。
第三義の字の事
御義口伝に云く義とは観心なり、其の故は文は教相義は観心なり所説の文字を心地に沙汰するを義と云うなり、就中無量義は一法より無量の義を出生すと談ず、能生は義所生は無量なり是は無量義経の能生所生なり、法華経と無量義経とを相対する能所に非ざるなり無相不相名為実相の理より万法を開出すと云う、源が実相なる故に観心と云うなり、此くの如く無量義の三字を迹門本門観心に配当する事は法華の妙法等の題と今の無量義の題と一体不二の序正なりと相承の心を相伝せむが為なり。
第四処の一字の事
御義口伝に云く処の一字は法華経なり、三蔵教と通教とは無の字に摂し別教は量の字に摂し円教は義の字に摂するなり、此の爾前の四教を所生と定めさて序分の此の経を能生と定めたり、能生を且く処と云い所生を無量義と定めたり、仍つて権教に相対して無量義処を沙汰するなり云云。
第五無量義処の事
御義口伝に云く法華経八巻は処なり無量義経は無量義なり、無量義は三諦三観三身三乗三業なり法華経に於一仏乗分別説三と説いて法華の為の序分と成るなり、爰を以て隔別の三諦は無得道円融の三諦は得道と定むる故に四十余年未顕真実と破し給えり云云。
第六無量義処の事
御義口伝に云く無量義処とは一念三千なり、十界各各無量に義処たり、此の当体其の侭実相の一理より外は之れ無きを諸法実相と説かれたり、其の為の序なる故に一念三千の序として無量義処と云うなり、処は一念無量義は三千なり、我等衆生朝夕吐く所の言語も依正二法共に無量に義処りたり、此れを妙法蓮華経とは云うなり然る間法華の為の序分開経なり云云。
普賢経五箇の大事
第一普賢経の事
題号に云く仏説観普賢菩薩行法経と云云。
御義口伝に云く此の法華経は十界互具三千具足の法体なれば三千十界悉く普賢なり、法界一法として漏るる義之れ無し故に普賢なり、妙法の十界蓮華の十界なれば依正の二法悉く法華経なりと結し納めたる経なれば此の普賢経を結経とは云うなり、然らば十界を妙法蓮華経と結し合せたり云云。
第二不断煩悩不離五欲の事
御義口伝に云く此の文は煩悩即菩提生死即涅槃を説かれたり、法華の行者は貪欲は貪欲のまま瞋恚は瞋恚のまま愚癡は愚癡のまま普賢菩薩の行法なりと心得可きなり云云。
第三六念の事念仏念法念僧念戒念施念天
御義口伝に云く念仏とは唯我一人の導師なり、念法とは滅後は題目の五字なり念僧とは末法にては凡夫僧なり、念戒とは是名持戒なり、念施とは一切衆生に題目を授与するなり、念天とは諸天昼夜常為法故而衛護之の意なり、末法当今の行者の上なり之を思う可きなり云云。
第四一切業障海皆従妄想生若欲懺悔者端坐思実相衆罪如霜露慧日能消除の事
御義口伝に云く衆罪とは六根に於て業障降り下る事は霜露の如し、然りと雖も慧日を以て能く消除すと云えり、慧日とは末法当今日蓮所弘の南無妙法蓮華経なり、慧日とは仏に約し法に約するなり、釈尊をば慧日大聖尊と申すなり法華経を又如日天子能除諸闇と説かれたり、末法の導師を如日月光明等と説かれたり。
第五正法治国不邪枉人民の事
御義口伝に云く末法の正法とは南無妙法蓮華経なり、此の五字は一切衆生をたぼらかさぬ秘法なり、正法を天下一同に信仰せば此の国安穏ならむ、されば玄義に云く「若し此の法に依れば即ち天下泰平」と、此の法とは法華経なり法華経を信仰せば天下安全たらむ事疑有る可からざるなり。
已上二百三十一箇条の大事
廿八品に一文充の大事合せて廿八箇条の大事秘す可し云云
序品
十界也始覚
於無漏実相心已得通達
妙法不変随縁
此の文我が心本より覚なりと始めて覚るを成仏と云うなり所謂南無妙法蓮華経と始めて覚る題目なり。
方便品
真諦俗諦
是法住法位世間相常住
迹門本門
此の文衆生の心は本来仏なりと説くを常住と云うなり万法元より覚の体なり。
譬喩品
受持人大白牛車凡夫即極
乗此宝乗直至道場
題目極果ノ処也
此の文は自身の仏乗を悟つて自身の宮殿に入るなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり。
信解品
一念三千
無上宝珠不求自得
題目
此の文は無始色心本是理性妙境妙智なれば己心より外に実相を求む可からず所謂南無妙法蓮華経は不求自得なり。
薬草喩品
三世題目一切衆生
又諸仏子専心仏道常行慈悲自知作仏
此の文は当来の成仏顕然なり所謂南無妙法蓮華経なり。
授記品
十界実相仏三世常住煩悩即菩提生死即涅槃
於諸仏所常修梵行於無量劫奉持仏法
一切業障
此の文に常と云い無量劫と云う即ち本有所具の妙法なり所謂南無妙法蓮華経なり。
化城喩品
三千塵点
観彼久遠猶如今日
在世
此の文は元初の一念一法界より外に更に六道四聖とて有る可からざるなり所謂南無妙法蓮華経は三世一念なり今日とは末法を指して今日と云うなり。
五百品
日本国一切衆生題目御本尊心法色法煩悩即菩提生死即涅槃
貧人見此珠其心大歓喜
信心ノカタチ
此の文は始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり。
人記品
一部題目
安住於仏道以求無上道
広略要
此の文は本来相即の三身の妙理を初めて覚知するを求無上道とは云うなり所謂南無妙法蓮華経なり。
法師品
寂光
当知如是人自在所欲生
此の文は我等が一念の妄心の外に仏心無し九界の生死が真如なれば即ち自在なり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉る即ち自在なり。
宝塔品
受持也
則為疾得無上仏道
凡夫即極也
此の文は持者即ち円頓の妙戒なれば等妙二覚一念開悟なれば疾得と云うなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは疾得なり。
提婆品
忽然之間変成男子
此の文の心は三惑の全体三諦と悟るを変と説くなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは三惑即三徳なり。
勧持品
色法心法
我不愛身命但惜無上道
此の文は色心幻化四大五陰元より悪習なり然るに本覚真如は常住なり所謂南無妙法蓮華経なり。
安楽行品
一切諸法空無所有無有常住亦無起滅
此の文は元より常住の妙法なる故に六道の生滅本来不生と談ず故に起滅無し所謂南無妙法蓮華経本来無起滅なり云云。
涌出品
昼夜常精進為求仏道故
此の文は一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。
寿量品
如来如実知見三界之相無有生死
此の文は万法を無作の三身と見るを如実知見と云う無作の覚体なれば何に依つて生死有りと云わんか。
分別功徳品
持此一心福願求無上道
此の文は一切の万行万善但一心本覚の三身を顕さんが為なり、善悪一如なれば一心福とは云うなり所謂南無妙法蓮華経は一心福なり。
随喜功徳品
言此経深妙千万劫難遇
此の文は、一切即妙法なれば一心の源底を顕す事甚妙無外なり所謂南無妙法蓮華経不思議なり。
法師功徳品
静散
入禅出禅者聞香悉能知
不変死随縁生十界
此の文は一心静なる時は入禅、一心散乱する時は出禅、静散即本覚と知るを悉く知るとは云うなり所謂南無妙法蓮華経は入禅出禅なり云云。
不軽品
応当一心広説此経世世値仏疾成仏道
此の文は法界皆本来三諦一心に具わる事を顕せば己心の念念仏に値う事を即ち世世値仏と云うなり所謂南無妙法蓮華経是なり。
神力品
断破元品無明
是人於仏道決定無有疑
十如是
此の文は十界各各本有本覚の十如是なれば地獄も仏界も一如なれば成仏決定するなり所謂南無妙法蓮華経の受持なり云云。
囑累品
信如来知慧者当演説此法華経
此の文は釈迦如来の悟の如く一切衆生の悟と不同有ること無し故に如来の智慧を信ずるは即ち妙法なり所謂南無妙法蓮華経の智慧なり云云。
薬王品
是真精進是名真法供養如来
此の文は色香中道の観念懈ること無し是を即ち真法供養如来と名くるなり所謂南無妙法蓮華経唯有一乗の故に真法なり世間も出世も純一実相なり云云。
妙音品
久遠寂光土
身不動揺而入三昧
此の文は即ち久遠を悟るを身不動揺と云うなり惑障を尽くさずして寂光に入るを三昧とは云うなり所謂南無妙法蓮華経の三昧なり云云。
普門品
福智
慈眼視衆生福聚海無量
此の文は法界の依正妙法なる故に平等一子の慈悲なり依正福智共に無量なり所謂南無妙法蓮華経福智の二法なり云云。
陀羅尼品
未来顕
修行是経者令得安穏
現在顕
此の文は五種妙行を修すれば悟の道に入つて嶮路に入らざるなり此れは安穏と云う事なり、所謂南無妙法蓮華経即安穏なり云云。
厳王品
宿福深厚生値仏法
此の文は一句妙法に結縁すれば億劫にも失せずして大乗無価の宝珠を研き顕すを生値仏法と云うなり所謂南無妙法蓮華経の仏法なり。
勧発品
是人命終為千仏授手令不恐怖不堕悪趣
此の文は妙法を悟れば分段の身即常寂光と顕るるを命終と云うなり千仏とは千如御手とは千如具足なり故に不堕悪趣なり所謂南無妙法蓮華経の御手なり。
已上品品別伝畢
一廿八品悉南無妙法蓮華経の事
疏の十に云く惣じて一経を結するに唯四のみ其の枢柄を撮つて之を授与すと。
御義口伝に云く一経とは本迹二十八品なり唯四とは名用体宗の四なり枢柄とは唯題目の五字なり授与とは上行菩薩に授与するなり之とは妙法蓮華経なり云云、此の釈分明なり今日蓮等の弘通の南無妙法蓮華経は体なり心なり廿八品は用なり廿八品は助行なり題目は正行なり正行に助行を摂す可きなり云云。
一無量義経の事
御義口伝に云く妙法の序分無量義経なれば十界悉く妙法蓮華経の序分なり。
一序品
御義口伝に云く如是我聞の四字を能く能く心得れば一経無量の義は知られ易きなり十界互具三千具足の妙と聞くなり此の所聞は妙法蓮華と聞く故に妙法の法界互具にして三千清浄なり此の四字を以て一経の始終に亘るなり廿八品の文文句句の義理我が身の上の法門と聞くを如是我聞とは云うなり、其の聞物は南無妙法蓮華経なりされば皆成仏道と云うなり此の皆成の二字は十界三千に亘る可きなり妙法の皆成なるが故なり又仏とは我が一心なり是れ又十界三千の心心なり、道とは能通に名くる故に十界の心心に通ずるなり此の時皆成仏道と顕るるなり皆成仏道の法は南無妙法蓮華経なり。
一方便品
御義口伝に云く此の品には十如是を説く此の十如是とは十界なり此の方便とは十界三千なり。
既に妙法蓮華経を頂く故に十方仏土中唯有一乗法なり妙法の方便蓮華の方便なれば秘妙なり清浄なり妙法の五字は九識方便は八識已下なり九識は悟なり八識已下は迷なり、妙法蓮華経方便品と題したれば迷悟不二なり森羅三千の諸法此の妙法蓮華経方便に非ずと云う事無きなり品は義類同なり、義とは三千なり類とは互具なり同とは一念なり此の一念三千を指して品と云うなり此の一念三千を三仏合点し給えり仍つて品品に題せり南無妙法蓮華経の信の一念より三千具足と聞えたり云云。
一譬喩品
御義口伝に云く此の品の大白牛車とは「無明癡惑本是法性」の明闇一体の義なり、即ち三千具足の一乗をかかげたる車なれば明闇一体にして三千具足の義を顕すなり、法界に・満したれども一法なるを一乗と云うなり、此の一乗とは諸乗具足の一乗なり諸法具足の一法なり故に一の白牛なり又白牛は一なりといえども無量の白牛なり一切衆生の体大白牛車なるが故なり、然らば妙法の大白牛車に妙法の十界三千の衆生乗じたり蓮華の大白牛車なれば十界三千の衆生も蓮華にして清浄なり南無妙法蓮華経の法体此くの如し。
一信解品
御義口伝に云く此の信解は中根の四大声聞の領解に限るに非ず妙法の信解なるが故に十界三千の信解なり、蓮華の信解なるが故に十界三千の清浄の信解なり此の信解の体とは南無妙法蓮華経是なり云云。
一薬草喩品
御義口伝に云く妙法の薬草なれば十界三千の毒草蓮華の薬草なれば本来清浄なり、清浄なれば仏なり此の仏の説法とは南無妙法蓮華経なり云云、されば此の品には種相体性の種の字に種類種相体種の二の開会之れ有り、相対種とは三毒即三徳なり種類種とは始の種の字は十界三千なり、類とは互具なり下の種の字は南無妙法蓮華経なり種類種なり、十界三千の草木各各なれども只南無妙法蓮華経の一種なり、毒草の毒もなきなり清浄の草木にして薬草なり云云。
一授記品
御義口伝に云く十界已已の当体の言語は妙法蓮華の授記なれば清浄の授記なり、清浄の授記なれば十界三千の仏なり、爰を以て仏南無妙法蓮華経と授記するなり云云。
一化城喩品
御義口伝に云く妙法の化城なれば十界同時の無常なり、蓮華の化城なれば十界三千の開落なり、常住無常倶に妙法蓮華経の全体なり、化城宝処は生死本有なり生死本有の体とは南無妙法蓮華経なり、釈に云く「起は是れ法性の起滅は是れ法性の滅」と。
一五百品
御義口伝に云く此の品には五百弟子授記作仏すと現文に見えたり、然りと雖も妙法の五百なれば十界三千皆五百の弟子なり、蓮華の弟子なれば又清浄なり、所詮十界三千南無妙法蓮華経の弟子に非ずと云う事なし此の経の授記是なり云云。
一人記品
御義口伝に云く此の品には学無学の聖者来つて成仏するなり、既に妙法頂戴の学無学なれば十界互具三千具足の学無学なり妙法の学無学なるが故に不思議の十界に煩悩未だ尽くさざるなり蓮華の学無学なれば十界三千清浄の開落なり、此の学無学何物ぞや学とは法なり無学とは妙なり所謂南無妙法蓮華経なり云云。
一法師品
御義口伝に云く妙法の法師なれば十界皆妙法受持の一句一偈の法師なり、蓮華の法師なれば十界三千清浄の法師なり、十界衆生の色法は能持の人なり十界の心性は所持の法なり、仍つて色心共に法師にして自行化他を顕すなり所謂南無妙法蓮華経の法師なるが故なり云云。
一宝塔品
御義口伝に云く此の宝塔は宝浄世界より涌現するなり、其の宝浄世界の仏とは事相の義をば且らく之を置く、証道観心の時は母の胎内是なり故に父母は宝塔造作の番匠なり、宝塔とは我等が五輪五大なり然るに託胎の胎を宝浄世界と云う故に出胎する処を涌現と云うなり、凡そ衆生の涌現は地輪より出現するなり故に従地湧出と云うなり、妙法の宝浄世界なれば十界の衆生の胎内は皆是れ宝浄世界なり、蓮華の宝浄なれば十界の胎内悉く無垢清浄の世界なり、妙法の地輪なれば十界に亘るなり蓮華の地なれば清浄地なり、妙法の宝浄なれば我等が身体は清浄の宝塔なり妙法蓮華の涌出なれば十界の出胎の産門本来清浄の宝塔なり、法界の塔婆にして十法界即塔婆なり妙法の二仏なれば十界三千皆境智の二仏なり、妙法の一座には三千の心性皆以て二尊の所座なり妙法蓮華二仏一座なれば不思議なり清浄なり、妙法蓮華の見なれば十界の衆生三千の群類皆自身の塔婆を見るなり、十界の不同なれども己が身を見るは三千具足の塔を見るなり己の心を見るは三千具足の仏を見るなり、分身とは父母より相続する分身の意なり、迷う時は流転の分身なり悟る時は果中の分身なり、さて分身の起る処を習うには地獄を習うなり、かかる宝塔も妙法蓮華経の五字より外は之れ無きなり妙法蓮華経を見れば宝塔即一切衆生一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり云云。
一提婆品
御義口伝に云く此の品には釈尊の本師提婆達多の成仏と文殊師利教化の竜女成仏とを説くなり、是れ又妙法蓮華経の提婆竜女なれば十界三千皆調達竜女なり、法界の衆生の逆の辺は調達なり法界の貪欲瞋恚愚癡の方は悉く竜女なり、調達は修徳の逆罪一切衆生は性徳の逆罪なり一切衆生は性徳の天王如来調達は修徳の天王如来なり、竜女は修徳の竜女一切衆生は性徳の竜女なり、所詮釈尊も文殊も提婆も竜女も一つ種の妙法蓮華経の功能なれば本来成仏なり、仍つて南無妙法蓮華経と唱え奉る時は十界同時に成仏するなり、是を妙法蓮華経の提婆達多と云うなり、十界三千竜女なれば無垢世界に非ずと云う事なし、竜女が一身も本来成仏にして南無妙法蓮華経の当体なり云云。
一勧持品
御義口伝に云く此の品の姨母耶輸の記・は十界同時の授記なり妙法の姨母妙法の耶輸なる故なり、十界の衆生の心性は所持の経の体なり是れ即ち勧持の流通なり、心性所持の経を勧持して自行化他に趣くなり、姨母耶輸は女人の成仏なり二万の大士は男子の流通なり此の文陰陽一体にして南無妙法蓮華経の当体なり云云。
一安楽行品
御義口伝に云く妙法の安楽行なれば十界三千悉く安楽行なり、自受用の当体なり身口意誓願悉く安楽行なり、蓮華の安楽行なれば三千十界清浄の修行なり、諸法実相なれば安楽行に非ざること莫し、本門の意は十界の色心本来本有として真実の安楽行なり、安楽行の体とは所謂上行所伝の南無妙法蓮華経是なり云云、霊山浄土に安楽に行詣す可きなり云云。
一涌出品
御義口伝に云く此の品は迹門流通の後本門開顕の序分なり、故に先ず本地無作の三身を顕さんが為に釈尊所具の菩薩なるが故本地本化の弟子を召すなり、是れ又妙法の従地なれば十界の大地なり、妙法の涌出なれば十界皆涌出なり、十界妙法の菩薩なれば皆饒益有情界の慈悲深重の大士なり、蓮華の大地なれば十界の大地も十界涌出の菩薩も本来清浄なり、所詮悟道に約する時は従地とは十界の衆生の大種の所生なり、涌出とは十界の衆生の出胎の相なり菩薩とは十界の衆生の本有の慈悲なり、此の菩薩に本法の妙法蓮華経を付属せんが為に従地涌出するなり、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は従地涌出の菩薩なり外に求むること莫かれ云云。
一寿量品
御義口伝に云く寿量品とは十界の衆生の本命なり、此の品を本門と云う事は本に入る門と云う事なり、凡夫の血肉の色心を本有と談ずるが故に本門とは云うなり、此の重に至らざるを始覚と云い迹門と云うなり、是を悟るを本覚と云い本門と云うなり、所謂南無妙法蓮華経は一切衆生の本有の在処なり爰を以て経に我実成仏已来とは云うなり云云。
一分別品
御義口伝に云く此の品は上の品の時本地無作の三身如来の寿を聞く故に今品にして上の無作の三身を信解するなり、其の功徳を分別するなり功徳とは十界己己の当体の三毒の煩悩を此の品の時其の侭妙法の功徳なりと分別するなり、其の功徳とは本有の南無妙法蓮華経是なり云云。
一随喜品
御義口伝に云く妙法の功徳を随喜する事を説くなり、五十展転とは五とは妙法の五字なり十とは十界の衆生なり展転とは一念三千なり、教相の時は第五十人の随喜の功徳を校量せり五十人とは一切衆生の事なり、妙法の五十人妙法蓮華経を展転するが故なり、所謂南無妙法蓮華経を展転するなり云云。
一法師功徳品
御義口伝に云く無作の三身も如来の寿も分別功徳も随喜も我が身の上の事なり、然らば父母所生の六根は清浄にして自在無碍なり妙法の六根なれば十界三千の六根皆清浄なり、蓮華所具の六根なれば全く不浄に非ざるなり、此の六根にて南無妙法蓮華経と見聞覚知する時は本来本有の六根清浄なり云云。
一不軽品
御義口伝に云く此の菩薩の礼拝の行とは一切衆生の事なり、自他一念の礼拝なり父母果縛の肉身を妙法蓮華経と礼拝するなり、仏性も仏身も衆生の当体の色心なれば直ちに礼拝を行ずるなり、仍つて皆当作仏の四字は南無妙法蓮華経の種子に依るなり。
一神力品
御義口伝に云く十種の神力を現じて上行菩薩に妙法蓮華経の五字を付属し給う此の神力とは十界三千の衆生の神力なり、凡夫は体の神力三世の諸仏は用の神力なり神とは心法力とは色法なり力は法神は妙なり妙法の神力なれば十界悉く神力なり、蓮華の神力なれば十界清浄の神力なり、惣じて三世の諸仏の神力は此の品に尽くせり釈尊出世の神力の本意も此の品の神力なり、所謂妙法蓮華経の神力なり十界皆成と談ずるより外の諸仏の神力は之れ有る可からず、一切の法門神力に非ずと云う事なし云云。
一囑累品
御義口伝に云く此の品には摩頂付属を説きて此の妙法を滅後に留め給うなり、是れ又妙法の付属なれば十界三千皆付属の菩薩なり、又三摩する事は能化所具の三観三身の御手を以て所化の頂上に明珠を譲り与えたる心なり、凡そ頂上の明珠は覚悟知見なり頂上の明珠とは南無妙法蓮華経是なり云云。
一薬王品
御義口伝に云く此の品は薬王菩薩の仏の滅後に於て法華を弘通するなり、所詮焼身焼臂とは焼は照の義なり照は智慧の義なり智能く煩悩の身生死の臂を焼くなり、天台大師も本地薬王菩薩なり、能説に約する時は釈迦なり衆生の重病を消除する方は薬王薬師如来なり又利物の方にて薬王と云う自悟の方にては薬師と云う、此の薬王薬師出世の時は天台大師なり薬王も滅後に弘通し薬師如来も像法暫時の利益有情なり、時を以て身体を顕し名を以て義を顕す事を仏顕し給うなり、薬王菩薩は止観の一念三千の法門を弘め給う、其の一念三千とは所謂南無妙法蓮華経是なり云云。
一妙音品
御義口伝に云く此の菩薩は法華弘通の菩薩なり故に卅四身を現じて十界互具を顕し給い利益説法するなり、是れ又妙法の妙音なれば十界の音声は皆妙音なり、又十界悉く卅四身の所現の妙音なり、又蓮華の妙音なれば十界三千の音声皆無染清浄なり、されば慈覚大師をば妙音の出世と習うなり之に依つて唐決の時引声妙音をば伝え給えり何故有りてか法華を誹謗して大日経等に劣りたりと云うや云云、所謂法界の音声南無妙法蓮華経の音声に非ずと云う事なし云云。
一観音品
御義口伝に云く此の品は甚深の秘品なり息災延命の品なり当途王経と名く、されば此の品に就て職位法門を継ぐぞと習うなり、天台も三大部の外に観音玄という疏を作り章安大師は両巻の疏を作り給えり能く能くの秘品なり、観音法華眼目異名と云いて観音即ち法華の体なり所謂南無妙法蓮華経の体なり云云。
一陀羅尼品
御義口伝に云く此の品は二聖二天王十羅刹女陀羅尼を説きて持経者を擁護し給うなり、所詮妙法陀羅尼の真言なれば十界の語言音声皆陀羅尼なり、されば伝教大師の云く「妙法の真言は他経に説かず普賢常護は他経に説かず」陀羅尼とは南無妙法蓮華経の用なり、此の五字の中には妙の一字より陀羅尼を説き出すなり云云。
一厳王品
御義口伝に云く此の品は二子の教化に依つて父の妙荘厳王邪見を飜し正見に住して沙羅樹王仏と成るなり、沙羅樹王とは梵語なり此には熾盛光と云う、一切衆生は皆是れ熾盛光より出生したる一切衆生なり、此の故に十界衆生の父なり、法華の心にては自受用智なり忽然火起焚焼舎宅とは是なり、煩悩の一念の火起りて迷悟不二の舎宅を焼くなり邪見とは是なり、此の邪見を邪見即正と照したる南無妙法蓮華経の智慧なり所謂六凡は父なり四聖は子なり四聖は正見六凡は邪見故に六道の衆生は皆是れ我が父母とは是なり云云。
一勧発品
御義口伝に云く此の品は再演法華なり本迹二門の極理此の品に至極するなり、慈覚大師云く十界の衆生は発心修行と釈し給うは此の品の事なり、所詮此の品と序品とは生死の二法なり序品は我等衆生の生なり此の品は一切衆生の死なり生死一念なるを妙法蓮華経と云うなり品品に於て初の題号は生の方終の方は死の方なり、此の法華経は生死生死と転りたり、生の故に始に如是我聞と置く如は生の義なり死の故に終りに作礼而去と結したり、去は死の義なり作礼の言は生死の間に成しと成す処の我等衆生の所作なり、此の所作とは妙法蓮華経なり、礼とは不乱の義なり法界妙法なれば不乱なり、天台大師の云く「体の字は礼に訓ず礼は法なり各々其の親を親とし各々其の子を子とす出世の法体も亦復是の如し」と、体とは妙法蓮華経の事なり先づ体玄義を釈するなり、体とは十界の異体なり是を法華経の体とせり此等を作礼而去とは説かれたり、法界の千草万木地獄餓鬼等何の界も諸法実相の作礼に非ずという事なし是れ即ち普賢菩薩なり、普とは法界賢とは作礼而去なり此れ即ち妙法蓮華経なり、爰を以て品品の初めにも五字を題し終りにも五字を以て結し前後中間南無妙法蓮華経の七字なり、末法弘通の要法唯此の一段に之れ有るなり、此等の心を失うて要法に結ばずんば末法弘通の法には不足の者なり剰え日蓮が本意を失う可し、日蓮が弟子檀那別の才覚無益なり、妙楽の釈に云く「子父の法を弘む世界の益有り」と、子とは地涌の菩薩なり父とは釈尊なり世界とは日本国なり益とは成仏なり法とは南無妙法蓮華経なり、今又以て此くの如し父とは日蓮なり子とは日蓮が弟子檀那なり世界とは日本国なり益とは受持成仏なり法とは上行所伝の題目なり。 
 
御講聞書
/自弘安元年三月十九日連連御講至同三年五月二十八日也仍記之畢

 

凡そ法華経と申すは一切衆生皆成仏道の要法なり、されば大覚世尊は説時未至故と説かせ給いて説く可き時節を待たせ給いき、例せば郭公の春をおくり鶏鳥の暁を待ちて鳴くが如くなり、此れ即ち時を待つ故なり、されば涅槃経に云く以知時故名大法師と説かれたり、今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益あるべき時なり、されば此の題目には余事を交えば僻事なるべし、此の妙法の大曼荼羅を身に持ち心に念じ口に唱え奉るべき時なり、之に依って一部二十八品の頂上に南無妙法蓮華経序品第一と題したり。
一妙法蓮華経序品第一の事玄旨伝に云く、一切経の惣要とは謂く妙法蓮華経の五字なり、又云く、一行一切行恒修此三昧文、云う所の三昧とは即ち法華の有相無相の二行なり、此の道理を以て法華経を読誦せん行者は即ち法具の一心三観なり云云、此の釈に一切経と云うは近くは華厳阿含方等般若等なり、遠くは大通仏より已来の諸経なり、本門の意は寿量品を除いて其の外の一切経なり、惣要とは天には日月地には大王人には神眼目の如くなりと云う意を以つて釈せり、此れ即ち妙法蓮華経の枝葉なり、一行とは妙法の一行に一切行を納めたり、法具とは題目の五字に万法を具足すと云う事なり、然る間三世十方の諸仏も上行菩薩等も大梵天王帝釈四王十羅刹女天照大神八幡大菩薩山王二十一社其の外日本国中の小神大神等此の経の行者を守護すべしと法華経の第五巻に分明に説かれたり、影と身と音と響との如し、法華経二十八品は影の如く響の如し、題目の五字は体の如く音の如くなり、題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし、我等が小音なれども、題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし、譬えば小音なれども貝に入れて吹く時遠く響くが如く、手の音はわずかなれども鼓を打つに遠く響くが如し、一念三千の大事の法門是なり、かかる目出度き御経にて渡らせ給えるを、謗る人何ぞ無間に堕在せざらんや、法然弘法等の大悪知識是なり。
一妙法の二字は一切衆生の色心の二法なり、一代説教の中に法の字の上に妙の字を置きたる経は一経もなし、涅槃経の題目にも大涅槃経と云いて大の字あれども妙の字なし、但し大は只是れ妙と云えり然れども大と妙とは不同なり、同じ大なれども華厳経の大方広仏華厳経と云える題号の大と、涅槃経の大と天地雲泥なり、華厳経の大は無得道の大なり。
涅槃経の大は法華同醍醐味の大なり、然れども然涅槃尚劣と云う時は法華経には劣れり、此の事は涅槃経に分明に法華経に劣ると説かれたり、涅槃経に云く如法華中八千声聞得受記・成大果実如秋収冬蔵更無所作云云、此の文分明に我と法華経に劣れりと説かせ給えり。
一蓮華とは本因本果なり、此の本因本果と云うは一念三千なり、本有の因本有の果なり、今始めたる因果に非ざるなり、五百塵点の法門とは此の事を説かれたり、本因の因というは下種の題目なり、本果の果とは成仏なり、因と云うは信心領納の事なり、此の経を持ち奉る時を本因とす其の本因のまま成仏なりと云うを本果とは云うなり、日蓮が弟子檀那の肝要は本果より本因を宗とするなり、本因なくしては本果有る可からず、仍て本因とは慧の因にして名字即の位なり、本果は果にして究竟即の位なり、究竟即とは九識本覚の異名なり、九識本法の都とは法華の行者の住所なり、神力品に云く若しは山谷曠野等と説けり即ち是れ道場と見えたり豈法華の行者の住所は生処得道転法輪入涅槃の諸仏の四処の道場に非ずや。
一本因本果の事法界悉く常住不滅の為体を云うなり、されば妙楽大師此の事を釈する時弘決に云く当知身土一念三千故成道時称此本理一身一念遍於法界云云、此の釈分明に本因本果を釈したり、身と云うは一切衆生なり、土と云うは此の一切衆生の住処なり一念とは此の衆生の念念の作業なり、故成道時称此本理とは本因本果の成道なり、本理と本因本果とは同じ事なり法界とは五大なり、所詮法華経を持ち奉る行者は若在仏前蓮華化生なれば称此本理の成道なり、本理に称うとは妙法蓮華経の本理に称うと云う事なり、法華経の本理に叶うとは此の経を持ち奉るを云うなり、若有能持則持仏身とは是なり。
一爾前無得道の事此の法門は蓮華の二字より起れり、其の故は蓮華の二字を以て云うなり、三世の諸仏の成道を唱うるは蓮華の二字より出でたり、権教に於て蓮華の沙汰無し若しありと云うとも有名無実の蓮華なるべし、三世の諸仏の本時の下種を指して華と名け、此の下種の華によって成仏の蓮を取る、妙法蓮華即ち下種なり、下種即ち南無妙法蓮華経なり、華は本因蓮は本果なれば華の本因を不信謗法の人豈具足せんや、経に云く若人不信毀謗此経則断一切世間仏種云云、此の蓮華に迷う故に十界具足無し、十界具足せざれば一念三千跡形無きなり、一切の法門は蓮華の二字より起れり、一代説教に於て無得道と云うも蓮華の二字より起れり深く之を案ず可し。
一序品の事此の事は、教主釈尊法華経を説き給わんとて先ず瑞相の顕れたる事を云うなり、今末法に入つて南無妙法蓮華経の顕われ給うべき瑞相は彼には百千万倍勝るべきなり、其の故は雨は竜の大小により蓮華は池の浅深に随つて其の色不同なるが如くなるべし。
一品と云う事品とは、釈に云く義類同と云えり、此の法華経は三仏寄合い給いて定判し給えり、三仏とは釈迦多宝分身是なり、此の三仏評定してのたまわく一切衆生皆成仏道は法華経に限りて有りと、皆是真実の証明舌相梵天の誠証要当説真実の金言此等を義類同して題したる品の字なり、天竺には跋渠と云う此には品と云えり、釈迦多宝分身の三仏の御口を以て指し合せ同音に定判し給える我等衆生の成仏なり、譬えば鳥の卵の内より卵をつつく時母又同じくつつきあくるに同じき所をつつきあくるが如し、是れ即ち念慮の感応する故なり、今法華経の成仏も此くの如くなり、三世諸仏の同音に同時に定め給える成仏なり、故に経に云く従仏口生如従仏口等云云。
一如是我聞の事仰に云く如と云うは衆生の如と仏の如と一如にして無二如なり、然りと雖も九界と仏界と分れたるを是と云うなり、如は如を不異に名く即ち空の義なりと釈して少しもことならざるを云うなり、所詮法華経の意は煩悩即菩提生死即涅槃生仏不二迷悟一体といえり、是を如とは云うなり、されば如は実相是は諸法なり、又如は心法是は色法如は寂是は照なり、如は一念是は三千なり、今経の心は文文句句一念三千の法門なり、惣じて如是我聞の四字より外は今経の体全く無きなり如と妙とは同じ事是とは法と又同じ事なり、法華経と釈尊と我等との三全く不同無く如我等無異なるを如と云うなり、仏は悟り凡夫は迷なりと云うを是とは云うなり、我聞と云うは、我は阿難なり、聞とは耳の主と釈せり、聞とは名字即なり、如是の二字は妙法なり、阿難を始めて霊山一会の聴衆同時に妙法蓮華経の五字を聴聞せり仍つて我も聞くと云えり、されば相伝の点には如は是なりきと我れ聞くといえり、所詮末法当今には南無妙法蓮華経を我も聞くと心得べきなり、我は真如法性の我なり、天台大師は同聞衆と判ぜり同じ事を聞く衆と云うなり、同とは妙法蓮華経なり、聞は即身成仏法華経に限ると聞くなり云云。
一如是の二字を約教の下に釈する時文句の一に又一時に四箭を接して地に堕せしめざるも未だ敢て捷しと称せず、鈍驢に策つて跋鼈を駈る尚し一をも得ず何に況や四をや云云、記の一に云く、大経に云く迦葉菩薩問うて云く云何か智者念念の滅を観ずと、仏の言く譬えば四人皆射術を善し聚つて一処に在りて各一方を射るに念言すらく我等は四の箭倶に射て倶に堕せんと、復人有りて念ずらく其の未だ堕せざるに及んで我れ能く一時に手を以て接取せんというが如し、仏の言く、捷疾鬼は復是の人よりも速なり是くの如く、飛行鬼四天王日月神堅疾天は展転して箭よりも疾し、無常は此れに過ぎたりと、此の本末の意は他師此の経の如是に付て釈を設くと云えども更に法蓮華の理に深く叶わざるなり、一二だも義理を尽さざるなり況や因縁をや、何に況や約教観心の四をやと破し給えり、所詮法華経は速疾頓成を以て本とす、我等衆生の無常のはやき事は捷疾鬼よりもはやし、爰を以て出ずる息は入る息を待たず、此の経の如是は爾前の諸経の如是に勝れて超八の如是なり、超八醍醐の如是とは速疾頓成の故なり、妙楽大師云く若し超八の如是に非ずんば、安ぞ此の経の所聞と為さんと云云。
一耆闍崛山の事仰に云く耆闍崛山とは霊鷲山なり、霊とは三世の諸仏の心法なり必ず此の山に仏法を留め給う、鷲とは鳥なり此の山の南に当つて尸陀林あり死人を捨つる所なり、鷲此の屍を取り食うて、此の山に住むなり、さて霊鷲山とは云うなり、所詮今の経の心は迷悟一体と談ず、霊と云うは法華経なり、三世の諸仏の心法にして悟なり、鷲と云うは畜生にして迷なり、迷悟不二と開く中道即法性の山なり、耆闍崛山中と云うは迷悟不二三諦一諦中道第一義空の内証なり、されば法華経を行ずる日蓮等が弟子檀那の住所はいかなる山野なりとも霊鷲山なり行者豈釈迦如来に非ずや、日本国は耆闍崛山日蓮等の類は釈迦如来なるべし、惣じて一乗南無妙法蓮華経を修行せん所はいかなる所なりとも常寂光の都霊鷲山なるべし、此の耆闍崛山中とは煩悩の山なり、仏菩薩等は菩提の果なり、煩悩の山の中にして法華経を三世の諸仏説き給えり、諸仏は法性の依地衆生は無明の依地なり、此の山を寿量品にしては本有の霊山と説かれたり、本有の霊山とは此の娑婆世界なり、中にも日本国なり、法華経の本国土抄娑婆世界なり、本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり云云、瑜伽論に云く東方に小国有り、其の中唯大乗の種姓のみ有り、大乗の種姓とは法華経なり法華経を下種として成仏すべしと云う事なり、所謂南無妙法蓮華経なり小国とは日本国なり云云。
一与大比丘衆の事仰に云く文句の一に云く釈論に明す、大とは亦は多と言い亦は勝と言う、遍く内外の経書を知る故に多と言う、又数一万二千に至る故に多と言う、今明さく大道有るが故に大用有るが故に大知有るが故に故に大と言う、勝とは道勝れ用勝れ知勝る、故に勝と言う、多とは道多く用多く知多し故に多と言う、又云く含容一心一切心なり、故に多と名くるなり、記の一に云く一心一切心と言うは心境倶に心にして各一切を摂す、一切三千を出でざるが故なり、具に止観の第五の文の如し、若し円心に非ざれば三千を摂せず、故に三千惣別咸く空仮中なり、一文既に爾なり他は皆此れに准ぜよ、此の本末の心は心境義の一念三千を釈するなり、止観の第五の文とは夫一心具十法界乃至不可思議境の文を指すなり、心境義の一念三千とは此の与大比丘衆の大の字より釈し出だせり、大多勝の三字三諦三観なり、円頓行者起念の当体三諦三観にして大多勝なり、此の釈に惣と云うは一心の事なり、別とは三千なり、一文とは大の一字なり、今末法に入つては法華経の行者日蓮等の類、正しく大多勝の修行なり、法華経の行者は釈迦如来を始め奉りて悉く大人の為に敬い奉るなり誠に以て大曼荼羅の同共の比丘衆なり、本門の事の一念三千南無妙法蓮華経大多勝の比丘衆なり、文文句句六万九千三百八十四字の字ごとに大多勝なり、人法一体にして即身成仏なり、されば釈に云く大は是れ空の義多は是れ仮の義勝は是れ中の義と、一人の上にも大多勝の三義分明に具足す、大とは迹門多とは本門勝とは題目なり、法華経の本尊を大多勝の大曼荼羅と云うなり、是れ豈与大比丘衆に非ずや、二界八番の雑衆悉く法華の会座の大曼荼羅なり、法華経の行者は二法の情を捨てて唯妙法と信ずるを大というなり、此の題目の一心に一切心を含容するを多と云うなり、諸経諸人に勝れたるが故に勝と云うなり、一切心に法界を尽す一心とは法華経の信心なり、信心即一念三千なり云云。
一爾時世尊の事仰に云く世尊とは釈迦如来所詮世尊とは孝養の人を云うなり、其の故は不孝の人をば世尊とは云わず教主釈尊こそ世尊の本にては御座候え、父浄飯王母摩耶夫人を成道せしめ給うなりされど今経の座には父母御座さざれば方便土へ法華経をば送らせ給うなり、彼土得聞とは是なり、但し法華経の心は十方仏土中唯有一乗法なり・利天に母摩耶夫人生じ給えり、・利天に即したる寂光土なり、方便土に即したる寂光土なり、四土一念皆常寂光なれば、何れも法華経の説処なり、虚空会の時の説法華に豈・利天もるべきや寂光土の説法華に豈方便土もるべきや、何れも法華経の説所なれば同聞衆の人数なり云云。
一浄飯王摩耶夫人成仏証文の事仰に云く方便品に云く我始坐道場観樹亦経行の文是なり、又寿量品に云く、然我実成仏已来の文是なり、教主釈尊の成道の時浄飯王も摩耶も得道するなり、本迹二門の得道の文是なり云云、此の文日蓮が己心の大事なり、我始と我実との文能く能く之を案ず可し、其の故は爾前経の心は父子各別の談道なり、然る間成仏之れ無し、今の経の時父子の天性を定め父子一体と談ぜり父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏即ち父母の成仏なり、釈尊の我始坐道場の時浄飯王摩耶夫人も同時に成道なり、釈尊の我実成仏の時浄飯王摩耶夫人同時なり始本共に同時の成道なり、此の法門は天台伝教等を除いて知る人一人も之れ有る可からず、末法に入つて日蓮等の類堅く秘す可き法門なり、譬えば蓮華の華菓の相離せざるが如くなり、然れば法華経の行者は男女悉く世尊に非ずや、薬王品に云く於一切衆生中亦為第一文、此れ即ち世尊の経文に非ずや、是真仏子なれば法王の子にして世尊第一に非ずや。
一方便品の事妙法蓮華経の五字とは名体宗用教の五重玄義なり、されば止観に十章を釈せり此の十章即ち妙法蓮華経の能釈なり、夫れとは釈名は名玄義なり、体相摂法の二は体玄義なり、偏円の一は教玄義なり、方便正観果報の三は宗玄義なり、起教の一は用玄義なり、始の大意の章と終の旨帰との二をば之を除く、此の意は止観一部の所詮は大意と旨帰とに納れり無明即明の大意なる故なり、無明とも即明とも分別せざるが旨帰なり、今妙法蓮華経の五重玄義を修行し奉れば煩悩即菩提生死即涅槃の開悟を得るなり、大意と旨帰とは法華の信心の事なるべし、以信得入非己智分とは是なり、我等衆生の色心の二法は妙法の二字なり無始色心本是理性妙境妙智と開覚するを大意と云うなり、大は色法の徳意は心法の徳なり大の字は形に訓ぜり、今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る男女貴賎等の色心本有の妙境妙智なり、父母果縛の肉身の外に別に三十二相八十種好の相好之れ無し即身成仏是なり、然る間大の一字に法界を悉く収むるが故に法華経を大乗と云うなり、一切の仏菩薩聖衆人畜地獄等の衆生の智慧を具足し給うが故に仏意と云うなり、大乗と云うも同じ事なり是れ即ち妙法蓮華経の具徳なり、されば九界の衆生の意を以て仏の意とす、一切経の心を以て法華経の意とす、於一仏乗分別説三とは是なり、かかる目出度き法華経を謗じ奉る事三世の諸仏の御舌を切るに非ずや、然るに此の妙法蓮華経の具徳をば仏の智慧にてもはかりがたく何に況や菩薩の智力に及ぶ可けんや、之に依つて大聖塔中偈の相伝に云く、一家の本意は只一言を以て本と為す云云、此の一言とは寂照不二の一言なり或は本末究竟等の一言とも云うなり、真実の義には南無妙法蓮華経の一言なり、本とは凡夫なり、末とは仏なり、究竟とは生仏一如なり、生仏一如の如の体は所謂南無妙法蓮華経是なり云云。
一仏所成就第一希有難解之法唯仏与仏の事仰に云く仏とは釈尊の御事なり、成就とは法華経なり、第一は爾前の不第一に対し希有は爾前の不希有に対し難解之法は爾前の不難解に対したり、此の仏と申すは諸法実相なれば十界の衆生を仏とは云うなり、十界の衆生の語言音声成就にして法華経なり、三世の諸仏の出世の本懐の妙法にして、優曇華の妙文なれば第一希有なり、九界の智慧は及ばざれば難解の法なり、成就とは我等衆生の煩悩即菩提生死即涅槃の事なり、権教の意は終に不成仏なれば成就には非ず、迹門には二乗成仏顕れたり、是れ即ち成就なり、是を仏所成就とは説かれたり、されば唯仏とは釈迦与仏とは多宝なり、多宝涌現なければ与仏とは云いがたし、然りと雖も終には出現あるべき故に与仏を多宝というなり、所詮日蓮等の類いの心は唯仏は釈尊与仏は日蓮等の類いの事なるべし、其の故は唯仏の唯を重ねて譬喩品には唯我一人と説けり、与仏の二字を重ねて、方便品の末に至つて若遇余仏と説けり、釈には深く円理を覚るは、之れを名けて仏と為すと釈せり、是れ即ち与仏と云うは法華経の行者男女の事なり、唯我一人の釈尊に与し上る仏なり、此の二仏寄り合いて、乃能究尽する所の諸法実相の法体なり、されば十如是と云うは十界なり、十界即十如是なり、十如是は即ち法華経の異名なり云云。
一十如是の事仰に云く此の十如是は法華経の眼目一切経の惣要たり、されば此の十如是を開覚しぬれば諸法に於て迷悟無く、実相に於て染浄無し、之れに依つて天台大師は止観の十章も此の十如是より釈出せり、然る間十如是に過たる法門更に以て之れ無し、爰を以て和尚授けて云く十大章は是れ全く十如是若し大意を覚る時性如是の意を以て下の玄如の図を分別す可し、十如是を十大章に習う事は性如是は大意相如是は釈名体如是は体相力如是は摂法作如是は偏円縁如是は方便因如是は正観果報如是は果報本末究竟如是は旨帰なり、此の中に起教の章は化他利物果上化用と云うなり云云。
一自証無上道大乗平等法の事仰に云く末法当今に於て大乗平等の法を証せる事日蓮等の類いに限れりされば此の経文は教主大覚世尊法華経の極理を証して番番に出世し給いて説き給うなり、所詮此の自証と云うは三十成道の時を指すなり、其の故は教主釈尊は十九出家三十成道なり、然る間自証無上道等文、所詮此の品の心は十界皆成の旨を明せり、然れば自証と云うは十界を諸法実相の一仏ぞと説かれたり、地獄も餓鬼も悉く無上大乗の妙法を証得したるなり、自は十界を指したり、恣ままに証すと云う事なり、権教は不平等の経なり、法華経は平等の経なり、今日蓮等の類いは真実自証無上道大乗平等法の行者なり、所謂南無妙法蓮華経の大乗平等法の広宣流布の時なり云云。
一我始坐道場観樹亦経行の事仰に云く、此の文は教主釈尊三十成道の時を説き給えり、観樹の樹と云うは十二因縁の事なり、所詮十二因縁を観じて経行すと説き給えり、十二因縁は法界の異名なり又法華経の異名なり、其の故は樹木は枝葉華菓あり是れ即ち生住異滅の四相なり、大覚世尊十二因縁の流転を観じ経行し給えり、所詮末法当今も一切衆生法華経を謗じて流転す可きを観じて日本国を日蓮経行して南無妙法蓮華経と弘通する事又又此の如くなり、法華の行者は悉く道場に坐したる人なり云云。
一今我喜無畏の事仰に云く此の文は権教を説き畢らせ給いて法華経を説かせ給う時なれば喜びておそれなしと観じ給えり、其の故は爾前の間は一切衆生を畏れ給えり、若し法華経を説かずして空しくやあらんずらんと思召して畏れ深くありと云う文なり、さて今は恐るべき事なく時節来つて説く間畏れなしと喜び給えり、今日蓮等の類も是くの如く日蓮も三十二までは畏れありき、若しや此の南無妙法蓮華経を弘めずしてあらんずらんと畏れありき、今は即ち此の恐れ無く既に末法当時南無妙法蓮華経の七字を日本国に弘むる間恐れなし、終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし云云。
一我聞是法音疑網皆已除の事仰に云く法音とは南無妙法蓮華経なり、疑網とは最後品の無明を云うなり、此の経を持ち奉れば悉く除くと説かれたり、此の文は舎利弗が三重の無明一時倶尽する事を領解せり、今日本国の一切衆生法華経の法音を聞くと云えども未だ能く信ぜず豈疑網皆已に除かんや、除かざれば入阿鼻獄は疑無きなり、疑の字は元品の無明の事なり此の疑を断つを信とは云うなり、釈に云く無疑曰信と云えり身子は此の疑無き故に華光仏と成れり、今日蓮等の類は題目の法音を信受する故に疑網更に無し、如我等無異とて釈迦同等の仏にやすやすとならん事疑無きなり、疑網と云うは色心の二法に有る惑障なり、疑は心法にあり網は色法にあり、此の経を持ち奉り信ずれば色心の二法共に悉く除くと云う事なり、此の皆已の已の字は身子尊者広開三顕一を指して已とは云うなり、今は領解の文段なり、身子妙法実相の理を聴聞して心懐大歓喜せしなり、所詮舎利弗尊者程の智者法華経へ来つて華光仏となり、疑網を断除せり、何に況んや末法当時の権人謗法の人人此の経に値わずんば成仏あらんや云云。
一以本願故説三乗法の事仰に云く此の経文は身子尊者成道の国離垢世界にて三乗の法は悪世には非ず、然りと雖も身子本願の故に説くと云えり、其の本願と云うは身子菩薩の行を立てしに乞眼の婆羅門に眼を抉じられて、其の時菩薩の行を退転したり、此の菩薩の行を百劫立てけるに、六十劫なして今四十劫たらざりき、此の時乞眼に眼を抉じられて其の時菩薩の行を退して願成仏日開三乗法の願を立てたるなり、上品浄土不須開漸なれば三乗の法を説く事は更に以てあるまじけれども以本願故の故にて三乗の法を説くなり、此の行は禅多羅仏の所にして立つるなり、此の事は身子が六住退とて大なる沙汰なり、重重の義勢之れ在り輙く心得難きの事なり、或は欲怖地前の意、或は権者退云云、所詮は六住退とは六根六境に菩薩の行を取られたりと云う事なり、之を以て之を思うに末法当今法華経を修行せんには、必ず身子が退転の如くなるべし、所詮身子が眼を取らるるは菩薩の智慧の行を取らるるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の眼を持ち奉るに謗法の諸人に障礙せらるる豈眼を抉り取らるるに非ずや、所詮彼の乞眼の婆羅門眼を乞いしは身子が菩薩の行を退転せしめんが為に乞いて蹈みつぶして捨てたり、全く菩薩の供養の方を本として眼をば乞わざりしなり、只だ退転せしめん為なり、身子は一念菩薩の行を立ててかかる事に値えり、向後は菩薩の行をば立つ可からず二乗の行を立つ可しと云つて後悔せし故に成仏の日説三乗法するなり、所詮乞眼婆羅門の責を堪えざるが故なり、法華経の行者三類の強敵を堪忍して妙法の信心を捨つ可からざるなり信心を以て眼とせり云云。
一有大長者の事仰に云く此の長者に於いて天台大師三の長者を釈し給えり、一には世間の長者二には出世の長者三には観心の長者是なり、此の中に出世観心の長者を以て、此の品の長者とせり、長者とは釈迦如来の事なり、観心の長者の時は一切衆生なり、所詮法華経の行者は男女共に長者なり、文句の五に委しく釈せり、末法当今の長者と申すは日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり、されば三の長者を釈する時、文句五に云く、二に位号を標するに三と為す、一は世間の長者二は出世の長者三は観心の長者なり、世に十徳を備う、一には姓貴二には位高三には大富四には威猛五には智深六には年耆七には行浄八には礼備九には上歎十には下帰なり云云、又云く、出世の長者は、仏は三世の真如実際の中より生ず、功成り、道著われて、十号極り無し、法財万徳、悉く皆具に満せり、十力雄猛にして、魔を降し外を制す、一心の三智通達せずと云うこと無し、早く正覚を成じて、久遠なること斯くの如し、三業智に随つて、運動して失無し、仏の威儀を具して、心大なること海の如し、十方の種覚共に称誉する所なり、七種の方便而も来つて依止す、是を出世の仏大長者と名く、三に観心とは、観心の智実相より出で生じて仏家にあり、種性真正なり、三惑起らず、未だ真を発さずと雖も是れ如来の衣を着れば、寂滅忍と称す、三諦に一切の功徳を含蔵す、正観の慧愛見を降伏す、中道双べ照して権実並に明なり、久く善根を積みて能く此の観を修す、此の観七方便の上に出でたり、此の観心性を観ずるを上定と名くれば、即ち三業過無し、歴縁対境するに威儀失無し、能く此くの如く観ず、是れ深信解の相諸仏皆歓喜して持法の者を歎美したもう、天竜四部恭敬供養す、下の文に云く、仏子是の地に住すれば、即ち是れ仏受用し給い、経行し及び坐臥し給わんと、既に此の人を称して仏と為す、豈観心の長者と名けざらんやと此の釈分明に観心の長者に十徳を具足すと釈せり、所謂引証の文に、分別功徳品の則是仏受用の文を引けり、経文には仏子住此地とあり、此の字を是の字にうつせり、経行若坐臥の若を及の字にかえたり、又法師品の文を引けり、所詮仏子とは法華経の行者なり、此地とは実相の大地なり、経行若坐臥とは法華経の行者の四威儀の所作の振舞、悉く仏の振舞なり、我等衆生の振舞の当体、仏の振舞なり、此の当体のふるまいこそ長者なれ、仍つて観心の長者は我等凡夫なり、然るに末法当今の法華経の行者より外に、観心の長者無きなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者、無上宝聚不求自得の長者に非ずや、既称此人為仏の六字に心を留めて案ずべきなり云云。
一多有田宅の事仰に云く田宅とは、長者の財宝なり、所詮田と云うは命なり、宅とは身なり、文句の五に田宅をば身命と釈せり、田は米なり、米は命をつぐ、宅は身をやどす是は家なり、身命の二を安穏にするより外に財宝は無きなり、法門に約すれば田は定宅は慧なり、仍つて定は田地の如し、慧は万法の如し、我等一心の田地より諸法の万法は起れり、法華一部方寸知るべしと釈して八年の法華も一心が三千と開きたるなり、所詮田は定なれば妙の徳、宅は慧の徳なれば法の徳、又は本迹両門なり、止観の二法なり、教主釈尊本迹両門の田宅を以つて一切衆生を助け給えり、田宅は我等衆生の色心の二法なり、法華経に値い奉りて、南無妙法蓮華経と唱え奉る時煩悩即菩提生死即涅槃と体達するなり、豈多有田宅の長者に非ずや、多有と云う心は心法に具足する心数なり、色法に具足する所作なり、然らば多有田宅の文は一念三千の法門なり、其の故は一念は定なり、三千は慧なり、既に釈に云く、田宅は別譬なり、田は能く命を養う、禅定の般若を資するに譬う、宅は身を栖ます可し、実境の智の所託と為るに譬う云云、此の釈分明なり、田宅は身命なり、身命は即ち南無妙法蓮華経なり、此の題目を持ち奉る者は豈多有田宅の長者に非ずや、今末法に入つて日蓮等の類多有田宅の本主として如説修行の行者なり云云。
一等一大車の事仰に云く此の大車とは直至道場の大白牛車にして其の疾きこと風の如し、所詮南無妙法蓮華経を等一大車と云うなり、等と云うは諸法実相なり、一とは唯有一乗法なり、大とは大乗なり、車とは一念三千なり、仍つて釈には等の字を子等車等と釈せり、子等の等と如我等無異の等とは同なり、車等の等は平等大慧の等なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は男女貴賎共に無上宝聚不求自得の金言を持つ者なり、智者愚者をきらわず共に即身成仏なり云云、疏の五に云く一に等子二に等車子等しきを以ての故に則ち心等し、一切衆生等しく仏性有るに譬う、仏性同じきが故に等しく是れ子なり、第二に車等とは法等しきを以ての故に仏性に非ざること無し、一切法皆摩訶衍なるに譬う、摩訶衍同じきが故に等しく是れ大車なり、而して各賜と言うは各々本習に随う、四諦六度無量の諸法各各旧習に於て真実を開示す、旧習同じからず故に各と言う、皆摩訶衍なり故に大車と言う云云。
一其車高広の事仰に云く此の車は南無妙法蓮華経なり、即ち我等衆生の体なり、法華一部の総体なり、高広とは仏知見なり、されば此の車を方便品の時は諸仏智慧と説き其の智慧を甚深無量と称歎せり、歎の言には甚深無量とほめたり、爰には其車と説いて高広とほめたり、されば文句の五に云く其車高広の下は如来の知見深遠なるに譬う、横に法界の辺際に周く堅に三諦の源底に徹す故に高広と言うなりと、所詮此の如来とは一切衆生の事なり既に諸法実相の仏なるが故なり、知見とは色心の二法なり知は心法見は色法なり、色心二法を高広と云えり、高広即本迹二門なり此れ即ち南無妙法蓮華経なり云云。
一是朽故宅属于一人の事仰に云く此の文をば文句の五に云く出火の由を明す文、此の宅とは三界の火宅なり、火と云うは煩悩の火なり、此の火と宅とをば属于一人とて釈迦一仏の御利益なり、弥陀薬師大日等の諸仏の救護に非ず、教主釈尊一仏の御化導なり、唯我一人能為救護とは是なり、此の属于一人の文を重ねて、五巻提婆品に説いて云く観三千大千世界乃至無有如芥子許非是菩薩捨身命処為衆生故文、妙楽大師此の属于一人の経文を釈する時記の五に云く、咸く長者に帰す一色一香一切皆然なりと判ぜり、既に咸帰長者と釈して、法界に有りとある一切衆生の受くる苦悩をば、釈尊一人の長者に帰すと釈せり、一色一香一切皆然なりとは、法界の千草万木飛華落葉の為体、是れ皆無常遷滅の質と見て仏道に帰するも、属于一人の利益なり、此の利益の本源は南無妙法蓮華経の内証に引入れしめんが為なり、所詮末法に入つて属于一人の利益は日蓮が身に当りたり、日本国の一切衆生の受くる苦悩は、悉く日蓮一人が属于一人なり、教主釈尊は唯我一人能為救護、日蓮は一人能為救護に云云、文句の五に云く、是朽故宅属于一人の下、第二に一偈有り、失火の由を明す、三界は是れ仏の化応の処発心已来誓つて度脱せんと願う、故に属于一人と云うと、此の釈に発心已来誓願度脱の文、豈日蓮の身に非ずや云云。
一諸鬼神等揚声大叫の事仰に云く諸鬼神等と云うは親類部類等を鬼神と云うなり、我等衆生死したる時妻子眷属あつまりて悲歎するを揚声大叫とは云うなり、文句の五に云く諸鬼神等の下第四に一行半は被焼の相を明す、或は云く親族を鬼神と為し哭泣を揚声と為すと。
一乗此宝乗直至道場の事仰に云く此の経文は我等衆生の煩悩即菩提生死即涅槃を明せり、其の故は文句の五に云く、此の因易ること無きが故に直至と云う、此の釈の心は爾前の心は煩悩を捨てて生死を厭うて別に菩提涅槃を求めたり、法華経の意は煩悩即菩提生死即涅槃と云えり、直と即とは同じ事なり、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の、住処即寂光土と心得可きなり、然れば此の実乗に乗じて、忽ちに妙覚極果の位に至るを直至道場とは云うなり、直至と云う文の意は、四十二位を爰にて極めたり、此の直の一字は、地獄即寂光餓鬼即寂光土なり、法華経の行者の住処、山谷曠野なりとも、直至道場なり、道場とは究竟の寂光なり、仍つて乗此宝乗の上の乗は法華の行者、此の品の意にては中根の四大声聞なり、惣じて一切衆生の事なり、今末法に入つては日蓮等の類いなり、宝乗の乗の字は大白牛車の妙法蓮華経なり、然れば上の乗は能乗下の乗は所乗なり、宝乗は蓮華なり、釈迦多宝等の諸仏も、此の宝乗に乗じ給えり、此れを提婆品に重ねて説く時若在仏前蓮華化生と云云、釈迦多宝の二仏は我等が己心なり、此の己心の法華経に値い奉つて成仏するを顕わさんとして釈迦多宝二仏並座して乗此宝乗直至道場を顕わし給えり、此の乗とは車なり、車は蓮華なり、此の蓮華の上の妙法は、我等が生死の二法二仏なり、直至の至は此れより彼へいたるの至るには非ず住処即寂光と云うを至とは云うなり、此の宝乗の宝は七宝の大車なり、七宝即ち頭上の七穴七穴即ち末法の要法南無妙法蓮華経是なり、此の題目の五字、我等衆生の為には、三途の河にては船となり、紅蓮地獄にては寒さをのぞき、焦熱地獄にては凉風となり、死出の山にては蓮華となり、渇せる時は水となり飢えたる時は食となり、裸かなる時は衣となり、妻となり、子となり、眷属となり、家となり、無窮の応用を施して一切衆生を利益し給うなり、直至道場とは是なり、仍つて此の身を取りも直さず寂光土に居るを直至道場とは云うなり、直の字心を留めて之を案ず可し云云。
一若人不信毀謗此経則断一切世間仏種の事仰に云く此の経文の意は小善成仏を信ぜずんば一切世間の仏種を断ずと云う事なり、文句の五に云く、今経に小善成仏を明す、此れは縁因を取つて仏種と為す、若し小善の成仏を信ぜずんば、即と一切世間の仏種を断ずるなり文、爾前経の心は小善成仏を明さざるなり、法華経の意は一華一香の小善も法華経に帰すれば大善となる、縦い法界に充満せる大善なりとも此の経に値わずんば善根とはならず、譬えば諸河の水大海に入りぬれば鹹の味となる、入らざれば本の水なり、法界の善根も、法華経へ帰入せざれば善根とはならざるなり、されば釈に云く、断一切仏種とは浄名には煩悩を以て如来の種と為す、此れ境界性を取るなり、此の釈の心は浄名経の心ならば我等衆生の一日一夜に作す所の罪業八億四千の念慮を起す、余経の意は皆三途の業因と説くなり、法華経の意は、此の業因即ち仏ぞと明せり、されば煩悩を以て如来の種子とすと云うは此の義なり、此の浄名経の文は、正しく文在爾前義在法華の意なり、此の境界性と云うは、末師釈する時、能生煩悩名境界性と判ぜり、我等衆生の眼耳等の六根に妄執を起すなり、是を境界性と云うなり、権教の意は此の念慮を捨てよと説けり、法華経の心は、此の境界性の外に、三因仏性の種子なし、是れ即ち三身円満の仏果となるべき種性なりと説けり、此の種性を、権教を信ずる人は之を知らず此の経を謗るが故に、凡夫即極の義をも知らず、故に一切世間の仏種を断ずるなり、されば六道の衆生も三因仏性を具足して、終に三身円満の尊容を顕す可き所に、此の経を謗ずるが故に、六道の仏種をも断ずるなり、されば妙楽大師云く、此の経は遍く六道の仏種を開す、若し此の経を謗ずるは、義断に当るなりと、所詮日蓮が意は一切の言は十界をさす、此の経を謗ずるは十界の仏種を断ずるなり、されば、誹謗の二字を大論に云く、口に謗るを誹と云い、心に背くを謗と云うと、仍つて色心三業に経て、法華経を謗じ奉る人は入阿鼻獄疑い無きなり、所謂弘法慈覚智証善導法然達磨等の大謗法の者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る、豈三世の諸仏の仏種を継ぐ者に非ずや云云。
一捨悪知識親近善友の事仰に云く悪知識とは在世にては善星瞿伽利提婆等是なり、善友とは迦葉舎利弗阿難目連等是なり、末法当今に於て悪智識と云うは法然弘法慈覚智証等の権人謗法の人人なり、善智識と申すは日蓮等の類の事なり、惣じて知識に於て重重之れ有り、外護の知識同行の知識実相の知識是なり、所詮実相の知識とは所謂南無妙法蓮華経是なり、知識とは形をしり、心をしるを云うなり、是れ即ち色心の二法なり、謗法の色心を捨てて法華経の妙境妙智の色心を顕すべきなり、悪友は謗法の人人なり、善友は日蓮等の類いなり。
一無上宝聚不求自得の事仰に云く、此の無上宝聚に於て一には釈尊の因行果徳の万行万善の骨髄を宝聚と云うなり、二には妙法蓮華経の事なり、不求とは中根の四大声聞は此くの如き宝聚を任運自在と得たり此実我子我実其父の故なり、総じては一切衆生の事なり、自得と云うは自は十界の事なり、此れは自我得仏来の自と同じ事なり、得も又同じ事なり末法に入つては自得とは日蓮等の類いなり、自とは法華経の行者、得とは題目なり、得の一字には師弟を含みたり、与うると得るとの義を含めり、不求とは仏法に入るには修行覚道の辛労あり、釈迦如来は往来娑婆八千反の御辛労にして求め給う功徳なり、さて今の釈迦牟尼仏と成り給えり、法華経の行者は求めずして此の功徳を受得せり仍て自得とは説かれたり、此の自の字は一念なり得は三千なり、又自は三千得は一念なり、又た自は自なり得は他なり、総じて自得の二字に法界を尽せり、所詮此の妙法蓮華経を自より得たり、自とは釈尊なり、釈尊は即ち我が一心なり、一心の釈迦より受得し奉る南無妙法蓮華経なり、日蓮も生年三十二にして自得し奉る題目なり云云。
一薬草喩品の事仰に云く薬とは是好良薬の南無妙法蓮華経なり、妙法を頂上にいただきたる草なれば、薬に非ずと云う事なし、草は中根の声聞なれども、惣じては一切衆生なり、譬えば土器に薬をかけたるが如し、我等衆生父母果縛の肉身に南無妙法蓮華経の薬をかけたり、煩悩即菩提生死即涅槃は是なり云云、此の分を教うるを喩とは申すなり、釈に云く、喩とは暁訓なりと、提婆竜女の畜生人間も、天帝羅漢菩薩等も、悉く薬草の仏に非ずと云う事なし、末法当今の法華の行者の日蓮等の類い、薬草にして日本国の一切衆生の薬王なり云云。
一現世安穏後生善処の事仰に云く所詮此の妙法蓮華経を聴聞し奉るを現世安穏とも後生善処とも云えり、既に上に聞是法已と説けり聞は名字即の凡夫なり妙法を聞き奉る所にて即身成仏と聞くなり、若有能持即持仏身とは是なり、聞く故に持ち奉るの故に三類の強敵来る来るを以て現世安穏の記文顕れたり、法華の行者なる事疑無きなり、法華の行者はかかる大難に値うべしと見えたり、大難に値うを以て後生善処の成仏は決定せり是れ豈現世にして安穏なるに非ずや、後生善処は提婆品に分明に説けり、所詮現世安穏とは法華経を信じ奉れば三途八難の苦をはなれ善悪上下の人までも皆教主釈尊同等の仏果を得て自身本覚の如来なりと顕す、自身の当体妙法蓮華経の薬草なれば現世安穏なり、爰を開くを後生善処と云うなり、妙法蓮華経と云うは妙法の薬草なり、所詮現世安穏は色法後生善処は心法なり、十界の色心妙法と開覚するを現世安穏後生善処とは云うなり、所詮法華経を弘むるを以て現世安穏後生善処と申すなり云云。
一皆悉到於一切智地の事仰に云く一切智地と云うは法華経なり、譬えば三千大千世界の土地草木人畜等皆大地に備りたるが如くなり、八万法蔵十二部経悉く法華に帰入せしむるなり、皆悉の二字をば善人も悪人も迷も悟も一切衆生の悪業も善業も其の外薬師大日弥陀並びに地蔵観音横に十方堅に三世有りとある諸仏の具徳諸菩薩の行徳惣じて十界の衆生の善悪業作等を皆悉と説けり、是を法華経に帰入せしむるを一切智地の法華経と申すなり、されば文句の七に云く皆悉到於一切智地とは、地とは実相なり、究竟して二に非ず故に一と名くるなり、其の性広博なり、故に名けて切と為す、寂にして常照なり、故に名けて智と為す、無住の本より一切の法を立す、故に名けて地と為す、此れ円教の実説なり、凡そ所説有るは皆衆生をして此の智地に到らしむ云云、此の釈は一切智地の四字を委しく判ぜり、一をば究竟と云い切をば広博と釈し智をば寂而常照と云い地をば無住之本と判ぜり、然るに凡有所説は約教を指し皆令衆生は機縁を納るるなり、十界の衆生を指して切と云い凡有所説を指して、究竟非二故名一也と云えり、一とは三千大千世界十方法界を云うなり、其の上に人畜等あるは地なり、記の七に云く、切を衆に訓ずと文、仍つて一切の二字に法界を尽せり、諸法は切なり実相は一なり、所詮法界実相の妙体照而常寂の一理にして十界三千一法性に非ずと云う事なし是を一と説くなり、さて三千の諸法の己己に本分なれば切の義なり、然らば一は妙切は法なり、妙法の二字一切の二字なり、無住之本は妙の徳立一切法は法の徳なり、一切智地とは南無妙法蓮華経是なり一切智地即一念三千なり、今末法に入つて一切智地を弘通するは日蓮等の類い是なり、然るに一とは一念なり切とは三千なり、一心より松よ桜よと起るは切なり、是は心法に約する義なり、色法にては手足等は切なり、一身なるは一切なり、所詮色心の二法一切智地にして南無妙法蓮華経なり云云。
一此の一切智地の四字に法華経一部八巻文文句句を収めたり、此の一切智地とは三諦一諦非三非一なり、三智に約すれば空智なり、さては三諦とは云い難し、然りと雖も三諦一諦の中の空智なり、されば三諦に於て三三九箇の三諦あり、先ず空諦にて三諦を云う時は空諦と呼出だすが仮諦空諦なるは空諦なり不二するは中道なり、三諦同じく此くの如く心得可きなり、所詮此の一切智地をば九識法性と心得可きなり、九識法性をば、迷悟不二凡聖一如なれば空と云うなり、無分別智光を空と云うなり、此の九識法性とは、いかなる所の法界を指すや、法界とは十界なり、十界即諸法なり、此の諸法の当体本有の妙法蓮華経なり、此の重に迷う衆生の為に、一仏現じて分別説三するは、九識本法の都を立出ずるなり、さて終に本の九識に引入する、夫れを法華経とは云うなり、一切智地とは是れなり、一切智地は我等衆生の心法なり心法即ち妙法なり一切智地とは是なり云云。
一根茎枝葉の事仰に云く此の文をば釈には信戒定慧と云云、此の釈の心は草木は此の根茎枝葉を以て増長と云うなり、仏法修行するも又斯くの如し、所詮我等衆生法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し、法華経の文の如く是名持戒の戒体を本として、正直捨方便但説無上道の如くなるは戒なり、法華経の文相にまかせて、法華三昧を修するは定なり、題目を唱え奉るは慧なり、所謂法界悉く生住異滅するは信己己本分は戒三世不改なるは定なり、各各の徳義を顕したるは慧なり、是れ即ち法界平等の根茎枝葉なり、是れ即ち真如実相の振舞なり、所謂戒定慧の三学妙法蓮華経なり、此れを信ずるを根と云うなり、釈に云く三学倶に伝うるを名けて妙法と日うと云云。
一根茎枝葉の事仰に云く此れは我等が一身なり、根とは心法なり茎とは我等が頭より足に至るまでなり、枝とは手足なり、葉とは毛なり、此の四を根茎枝葉と説けり、法界三千此の四を具足せずと云う事なし、是れ即ち信戒定慧の体にして実相一理の南無妙法蓮華経の体なり、法華不信の人は根茎枝葉ありて増長あるべからず枯槁の衆生なるべし云云。
一枯槁衆生の事仰に云く、法華経を持ち奉る者は、枯槁の衆生に非ざるなり、既に法華経の種子を受持し奉るが故なり、謗法不信の人は下種無き故に枯槁の衆生なり、されば、妙楽大師の云く、余教を以て種と為さず文。
一等雨法雨の事仰に云く等とは平等の事なり、善人悪人、二乗闡提、正見邪見等の者にも、妙法の雨を惜まず平等にふらすと云う事なり、されば法の雨を雨すと云う時は、大覚世尊ふらしてに成り給えり、さて、法の雨ふりてとよむ時は、本より実相平等の法雨は、常住本有の雨なれば、今始めてふるべきに非ず、されば、諸法実相を、譬喩品の時は風月に譬えたり、妙楽大師は何ぞ隠れ何ぞ顕れんと釈せり、実相の法雨は三世常恒にして、隠顕更に無きなり、所詮、等の字はひとしくとよむ時は、釈迦如来の平等の慈悲なり、さて、ひとしきとよむ時は、平等大慧の妙法蓮華経なり、ひとしく法の雨をふらすとは、能弘につけたり、ひとしき法の雨ふりたりと読む時は、所弘の法なり、所詮法と云うは、十界の諸法なり、雨とは十界の言語音声の振舞なり、ふるとは自在にして地獄は洞燃猛火、乃至仏界の上の所作音声を、等雨法雨とは説けり、此の等雨法雨は法体の南無妙法蓮華経なり、今末法に入つて、日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり、此の法雨地獄の衆生餓鬼畜生等に至るまで同時にふりたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給う法雨は題目の五字なり、所謂日蓮建立の御本尊南無妙法蓮華経是なり云云、方便品には本末究竟等と云えり、譬喩品には等一大車と云えり、此の等の字を重ねて説かれたり、或は如我等無異と云えり、此の等の字は宝塔品の如是如是と同じなり、所詮等とは南無妙法蓮華経なり、法雨をふらすとは今身より仏身に至るまで持つや否やと云う受持の言語なり云云。
一等雨法雨の事仰に云く此の時は妙法実相の法雨は十界三千下は地獄上は非想非非想まで横に十方竪に三世に亘つて妙法の功徳をふるを等とは云うなり、さてふるとは一切衆生の色心妙法蓮華経と三世常住ふるなり云云、一義に云く、此の妙法の雨は九識本法の法体なり、然るに一仏現前して説き出す所の妙法なれば、法の雨をふらすと云うなり、其の故は、ふらすと云うは上より下へふるを云うなり、仍つて従果向因の義なり、仏に約すれば、第十の仏果より九界へふらす、法体にてはふる処もふらす処も、真如の一理なり識分にては八識へふり下りたるなり、然らば今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を日本国の一切衆生の頂上にふらすを法の雨をふらすと云うなり云云。
一如従飢国来忽遇大王・の事仰に云く此の文は中根の四大声聞法華に来れる事、譬えばうえたる国より来りて大王のそなえに値うが如くの歓喜なりと云えり、然らば此の文の如くならば法華已前の人は餓鬼界の衆生なり、既に飢国来と説けり、大王・とは醍醐味なり、中根の声聞法華に来つて一乗醍醐の法味を得て忽に法王の位に備りたり、忽の字は爾前の迂廻道の機に対して忽と云うなり、速疾頓成の義を忽と云うなり、仮令外用の八相を唱うる事は所化をして仏道に進めんが為なり、所詮末法に入つては謗法の人人は餓鬼界の衆生なり、此の経に値い奉り南無妙法蓮華経に値い奉る事は併ら大王・たり、忽遇の遇の字肝要たり、釈に云く、成仏の難きには非ず、此の経に値うをかたしとすと云えり、不軽品に云く復遇常不軽と云云、厳王品に云く生値仏法云云、大王の・に値いたり、最も以て南無妙法蓮華経を信受し奉る可きなり、此の経文の如くならば法華より外の一切衆生はいかに高貴の人なりとも餓鬼道の衆生なり、十羅刹女は餓鬼界の羅刹なれども法華経を受持し奉る故に餓鬼に即する一念三千なり、法華へ来らずんば何れも餓鬼飢饉の苦みなるべし、所詮必ず中根の声聞領解の言に我身を餓鬼に類する事は餓鬼は法界に食ありと云えども食する事を得ざるなり、諸法実相の一味の醍醐の妙法あれども終に開覚に能えざる間四十余年食にうえたり云云、一義に云く序品方便より諸法実相の甘露顕れて南無妙法蓮華経あれども広略二重の譬説段まで悟らざるは餓鬼の満満とある食事をくらわざるが如し、所詮日本国の一切衆生は餓鬼界の衆生なり、大王・とは所謂南無妙法蓮華経是なり、遇の字には人法を納めたり、仍つて末に如飢須教食と云えり、うえたるとも大王のをしえを待ちて醍醐を食するが如しと云えり、今南無妙法蓮華経有れども今身より仏身に至るまでの受持をうけずんば成仏は之れ有るべからず、教とは爾前無得道法華成仏の事なり、此の教をうけずんば法華経を読誦すとも大王の位に登る事之れ有る可からず醍醐は題目の五字なり云云。
一大通智勝仏十劫坐道場仏法不現前不得成仏道の事仰に云く此経文は一切衆生の本法流転を説かれたり、されば釈にも出世以前と判ぜり、此は大通仏出世し給えども十小劫の間一経も説給わずと云う経文なり、仍て仏法も現前せざる故に不得成仏と云えり、されども釈を見るに出世以前と云う時は、此の経文は何なる事ぞ此は本法の重を説かれたり、一仏出世すれば流転門となる、一仏も出世無き時は、本法不思議の体なり、迷悟もなく、生仏もなく、成仏もなく、不成仏もなきなり、仍つて不得成仏道と云えり、抑も本法と申すは水があつくなり、火がつめたくならば流転門なるべし、水はいつもつめたく、火はいつもあつく、地獄は何も火焔餓鬼はいつも飢渇其の外万法己己の当位当位の侭なるを本法の体と云うなり、此の重を説き顕したる経文なり、此の本法の重は法華経なり、権教は流転なり、此の流転の衆生を本法の重に引入せられんとての仏の出世なり、其の本法と云うは此の経なり、所詮此の経文本法とは大通智勝仏と云うは我等衆生の色心なり、十劫と云うは十界なり、坐道場と云うは十界の住所其の侭道場なり、道場なれば寂光土なり、法界寂光土にして、十界の衆生悉く諸法実相の仏なれば一仏現ずべきに非ず、迷の衆生無ければ説く可き法も無し、仍つて仏法不現前と云えり、不得成仏道とは始覚本覚の成仏と云う事も無し、本法不思議の体にして万法本有なり、之れに依つて釈には出世以前と判ぜり、然らば、其の本法の体とは、所詮南無妙法蓮華経なり、此の本法の内証に引入せんが為に、仏は四十余年誘引し、終に第五時の本法を説き給えり、今末法に入つて上行所伝の本法の南無妙法蓮華経を弘め奉る、日蓮世間に出世すと云えども、三十二歳までは、此の題目を唱え出さざるは、仏法不現前なり、此の妙法蓮華経を弘めて、終には本法の内証に引入するなり日蓮豈大通智勝仏に非ずや、日本国の一切衆生こそ十劫坐道場とて十界其の侭本法の南無妙法蓮華経へ引入するなり、所詮信心を出だして南無妙法蓮華経と唱え奉る可き者なり云云。
一貧人見此珠其心大歓喜の事仰に云く此珠とは一乗無価の宝珠なり、貧人とは下根の声聞なり、惣じて一切衆生なり、所詮末法に入つて此珠とは南無妙法蓮華経なり、貧人とは日本国の一切衆生なり、此の題目を唱え奉る者は心大歓喜せり、されば見宝塔と云う見と此珠とは同じ事なり所詮此珠とは我等衆生の一心なり、一念三千なり此の経に値い奉る時、一念三千と開くを珠を見るとは云うなり、此の珠は広く一切衆生の心法なり此の珠は体中にある財用なり、一心に三千具足の財を具足せり、此の珠を方便品にして諸法実相と説き、譬喩品にては大白牛車三草二木五百由旬の宝塔、共に皆一珠の妙法蓮華経の宝珠なり、此の経文色心の実相歓喜を説けり見此珠の見は色法なり、其心大と云うは心法なり、色心共に歓喜なれば大歓喜と云うなり、所詮此珠と云うは我等衆生の心法なり、仍つて一念三千の宝珠なり、所謂妙法蓮華経なり、今末代に入つて此の珠を顕す事は日蓮等の類いなり所謂未會有の大曼荼羅こそ正しく一念三千の宝珠なれ、見の字は日本国の一切衆生、広くは一閻浮提の衆生なり、然りと雖も其心大歓喜と云う時は、日蓮が弟子檀那等の信者をさすなり、所詮煩悩即菩提生死即涅槃と体達する、其心大歓喜なり、されば、我等衆生五百塵点の下種の珠を失いて、五道六道に輪廻し、貧人となる、近くは三千塵点の下種を捨てて備輪諸道せり、之れに依つて貧人と成る、今此の珠を釈尊に値い奉りて見付け得て本の如く取り得たり、此の故に心大歓喜せり、末法当今に於いて妙法蓮華経の宝珠を受持し奉りて、己心を見るに、十界互具百界千如一念三千の宝珠を分明に具足せり、是れ併ら末法の要法たる題目なり云云。
一如甘露見潅の事仰に云く甘露とは天上の甘露なり、されば妙楽大師云く実相常住は甘露の如し是れ不死の薬云云、此の釈の心は諸法実相の法体をば甘露に譬えたり、甘露は不死の薬と云えり、所詮妙とは不死の薬なり、此の心は不死とは法界を指すなり、其の故は森羅三千の万法を不思議と歎じたり、生住異滅の当位当位三世常恒なるを不死と云う、本法の徳として水はくだりつめたく火はのぼりあつし、此れを妙と云う、此れ即ち不思議なり、此の重を不死とは云うなり、甘露と妙とは同じ事なり、然らば法界の侭に閣いて妙法なりと説くを本法とも甘露とも云えり、火は水にきゆる本法にして不死なり、十界己己の当位当位の振舞常住本有なるを甘露とも妙法とも不思議とも本法とも止観とも云えり、所詮末法に入つて甘露とは南無妙法蓮華経なり、見潅とは受持の一行なり云云。
一若有悪人以不善心等の事仰に云く悪人とは在世にては提婆瞿伽利等なり、不善心とは悪心を以て仏を罵詈し奉る事を説くなり、滅後には悪人とは弘法慈覚智証善導法然等是なり、不善心とは謗言なり此の謗言を書写したる十住心等選択集等の謗法の書どもなり、さて末法に入て善人とは日蓮等の類いなり善心とは法華弘通の信心なり所謂南無妙法蓮華経是なり云云。
一如是如是の事仰に云く釈に云く法相の是に如し根性の是に如するなり文、法相の是に如すとは諸法実相を重ねて如是と説かれたり、根性の是に如すとは、九法界を説かれたり、然れば機法共に釈迦如来の所説の如く真実なりと証明し給えり、始の如是は教一開会なり次の如是は人一開会なり、権教の意は諸法を妄法ときらいし隔別不融の教なり、根性に於ては性欲不同なれば種種に説法し給えり、仍つて人も成仏せず、今の経の心は諸法実相の御経なれば十界平等に授くる所の妙法なり、根性は不同なれども同じく如是性の一性なり、所詮今末法に入つての如法相是は塔中相承の本尊なり如根性是也と云うは十界宛然の尊像なり法相は南無妙法蓮華経なり、根性は日本国の一切衆生広くは一閻浮提の衆生なり云云。
一是真仏子住淳善地の事仰に云く末法当今に於て釈迦如来の真実の御子と云うは法華経の行者なり、其の故は上の文に能於来世読持此経と説けり来世とは末法なり、読むと云うは法華経の如説修行の行者なり、弘法慈覚智証善導法然等読みて云く第三の劣戯論の法捨閉閣抛理同事勝等と読むは謗法にして三仏の御舌を切るに非ずや何に況や持たんをや、伝教大師云く法華経を讚むると雖も還つて法華の心を死すとは是なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る人は、読持此経の人なり、豈是真仏子に非ずや淳善地は寂光土に非ずや、是真仏子の子の字は十界の衆生なり、所詮此の子の字は法華経の行者に限る、悉是吾子の子は孝不孝を分別せざる子なり、我等皆似仏子の子は中根の声聞仏子に似たりと説かれたり、為治狂子故の子は、久遠の下種を忘れたれば物にくるう子なり、仍つて釈尊の御子にも物にくるう子もあり、不孝の子もあり、孝養の子もあり、所謂法華経の行者真実の釈尊の御子なりと、釈迦多宝分身三千三百万億那由佗の世界に充満せる諸仏の御前にして孝不孝の子を定めをき給えり、父の業をつぐを以て子とせり、三世の諸仏の業とは南無妙法蓮華経是なり、法師品に行如来事と説けり云云、法華経は母なり釈尊は父なり我等衆生は子なり、無量義経に云く諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生み給う文、菩薩とは法華経の行者なり、法師品に云く在家出家行菩薩道云云。
一非口所宣非心所測の事仰に云く非口所宣は色法非心所測は心法なり、色心の二法を以て大海にして教化したる衆生を宣測するに非ずと云えり、末に至つては広導諸群生と説かれたり云云。
一不染世間法如蓮華在水従地而涌出の事仰に云く、世間法とは全く貪欲等に染せられず、譬えば蓮華の水の中より生ずれども淤泥にそまざるが如し、此の蓮華と云うは地涌の菩薩に譬えたり、地とは法性の大地なり所詮法華経の行者は蓮華の泥水に染まざるが如し、但だ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通するを本とせり、世間の法とは国王大臣より所領を給わり官位を給うとも夫には染せられず、謗法の供養を受けざるを以て不染世間法とは云うなり、所詮蓮華は水をはなれて生長せず水とは南無妙法蓮華経是なり、本化の菩薩は蓮華の如く過去久遠より已来本法所持の菩薩なり蓮華在水とは是なり、所詮此の水とは我等行者の信心なり、蓮華は本因本果の妙法なり信心の水に妙法蓮華は生長せり、地とは我等衆生の心地なり涌出とは広宣流布の時一閻浮提の一切衆生法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり云云。
一願仏為未来演説令開解の事仰に云く此の文は弥勒菩薩等末法当今の為に我従久遠来教化是等衆の言を演説令開解せしめ給えと請じ奉る経文なり、此の請文に於て寿量品は顕れたり五百塵点の久遠の法門是なり、開解とは教主釈尊の御内証に此の分ををさえ給うを願くは開かしめ給え同じく一会の大衆の疑をも解かしめ給えと請するなり、此の開解の語を寿量品にして汝等当信解と誡め給えり、若し開解し給わずんば大衆皆法華経に於て疑惑を生ず可しと見給えり、疑を生ぜば三悪道に堕つべしと既に弥勒菩薩申されたり、此の時寿量品顕れずんば即当堕悪道すべきなり寿量品の法門大切なるは是なり、さて此の開解の開に於て二あり、迹門の意は諸法を実相の一理と会したり、さては諸法を実相と開きて見れば十界悉く妙法実相の一理なりと開くを開仏智見と説けり、さて本門の意は十界本有と開いて始覚のきづなを解きたり、此の重を開解と申されたり仍つて演説の二字は釈尊開解の両字は大衆なり、此の演説とは寿量品の久遠の事なり、終に釈尊寿量品を説かせ給いて一切大衆の疑惑を破り給えり云云。
一譬如良医智慧聰達の事仰に云く良医とは教主釈尊智慧とは八万法蔵十二部経なり聡達とは三世了達なり薬とは妙法の良薬なり、さて寿量品の意は十界本有と談ぜりされば此の薬師とは一切衆生の事なり、智慧とは万法己己の自受用報身の振舞なり聡達とは自在自在に振舞うを聡達とは云うなり、所詮末法当今の為の寿量品なれば法華経の行者の上の事なり、此の智慧とは南無妙法蓮華経なり、聡達とは本有無作三身なりと云う事なり、元品の無明の大良薬は南無妙法蓮華経なり、智とは一切衆生の力なり、慧とは一切衆生の言語音声なり、故に偈頌に云く我智力如是慧光照無量と云えり云云。
一一念信解の事仰に云く此の経文は一念三千の宝珠を納めたる函なり此れは現在の四信の初の一念信解なり、さて滅後の五品の初の十心具足初随喜品も一念三千の宝を積みたる函なり、法華経の骨髄末法に於て法華経の行者の修行の相貌分明なり、所詮信と随喜とは心同じなり随喜するは信心なり信心するは随喜なり一念三千の法門は信心随喜の函に納りたり、又此の函とは所謂南無妙法蓮華経是なり又此の函は我等が一心なり此の一心は万法の総体なり総体は題目の五字なり、一念三千と云うが如く一心三千もあり釈に云く介爾も心有れば即ち三千を具すと、又宝函とは我等が色心の二法なり。
本迹両門生死の二法止観の二法なり所詮信心の函に入れたる南無妙法蓮華経の函なり云云。
一見仏聞法信受教誨の事仰に云く此の経文は一念随喜の人は五十の功徳を備うべし、然る間見仏聞法の功徳を具足せり、此の五十展転の五十人の功徳を随喜功徳品には説かれたり、仍つて世世生生の間見仏聞法の功徳を備えたり、所詮末法に入つては仏を見るとは寿量品の釈尊法を聞くとは南無妙法蓮華経なり、教誨とは日蓮等の類い教化する所の諸宗無得道の教誡なり、信受するは法華経の行者なり、所詮寿量開顕の眼の顕れては、此の見仏は無作の三身なり、聞法は万法己己の音声なり、信受教誨は本有随縁真如の振舞なり、是れ即ち色心の二法なり、見聞とは色法なり、信受は信心領納なれば心法なり、所謂色心の二法に備えたる南無妙法蓮華経是なり云云。
一若復有人以七宝満是人所得其福最多の事仰に云く此の経文は七宝を以て三千大千世界に満てて四聖を供養せんよりは法華経の一偈を受持し奉らんにはをとれりと説かれたり、天台大師は生養成栄の四の義を以て、法華経の功徳を釈し給えり、所詮末法に入つては題目の五字即ち是なり、此の妙法蓮華経の五字は万法能生の父母なり、生養成栄も亦復是くの如きなり、仍て釈には法を以つて本と為すと釈せり、三世十方の諸仏は、妙法蓮華経を以て父母とし給えり、此の故に四聖を供養するよりも法華経を持つは勝れたり、七宝は世間の財宝なり、四聖は滅に帰する仏菩薩羅漢なり、さて妙法の功徳は一得永不失なれば朽失せざる功徳なり、此の故に勝れたり云云。
一妙音菩薩の事仰に云く妙音菩薩とは、十界の語言音声なり、此の音声悉く慈悲なり、菩薩とは是れなり。
一爾時無尽意菩薩の事仰に云く此の菩薩は空仮中の三諦なり、意の一字には一切の法門を摂得するなり意と云うは中道の事なり無は空諦なり尽とは仮諦なり、所謂意と云うは南無妙法蓮華経なり、一切諸経の意三世の諸仏の題目の五字なり所詮法華の行者は信心を以て意とせり云云。
一観音妙智力の事仰に云く妙とは不思議なり、智とは随縁真如の智力なり、森羅三千の自受用智なり、観音は円観なり、円観とは一念三千なり、観音とは法華の異名なり、観音と法華とは眼目の異名と釈する間法華経の異名なり、観とは円観音は仏機なり、仍つて観音の二字は人法一体なり、所謂一心三観一念三千是なり云云。
一自在之業の事仰に云く此の自在之業とは自受用報身の智力なり、森羅三千の諸法作業をさして云うなり、其の所作のまま法華経の意は不思議の自在之業なりと説けり、此の自在之業の本は南無妙法蓮華経是なり云云。
一妙法蓮華経陀羅尼の事仰に云く妙法蓮華経陀羅尼とは正直捨方便但説無上道なり、五字は体なり陀羅尼は用なり妙法の五字は我等が色心なり、陀羅尼は色心の作用なり、所詮陀羅尼とは呪なり、妙法蓮華経を以て煩悩即菩提生死即涅槃と呪いたるなり、日蓮等の類い南無妙法蓮華経を受持するを以て呪とは云うなり、若有能持即持仏身とまじないたるなり、釈に云く陀羅尼とは諸仏の密号と判ぜり、所詮法華折伏破権門理の義遮悪持善の義なり云云。
一六万八千人の事仰に云く六とは六根なり、万とは六根に具わる処の煩悩なり八とは八苦の煩悩なり千とは八苦に具足する煩悩なり、是れ即ち法華経に値い奉りて六万八千の功徳の法門と顕るるなり、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る外に六万八千の功徳の法門之れ無きなり云云。
一妙荘厳王の事仰に云く邪見即正の手本なり、所詮森羅三千の万法妙を以て荘厳したる王なり妙とは称歎の語なり荘厳とは色法なり王とは心法なり諸法の色心を不思議とほめたり、然れば、妙荘厳王の言三千の諸法三諦法性の当位なり、所詮日蓮等の類南無妙法蓮華経を以て色心を荘厳したり、此の荘厳とは別してかざり立てたるには非ず当位即妙の荘厳なり、煩悩即菩提生死即涅槃是なり云云。
一華厳大日観経等の凡夫の得道の事仰に云く彼等の衆皆各各其の経経の得道に似たれども真実には法華の得道なり、所謂三五下種の輩なり経に云く始見我身聞我所説文、妙楽大師云く脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐと云えり本種と云うは南無妙法蓮華経是なり云云。
一題目の五字を以て下種の証文と為すべき事仰に云く経に云く教無量菩薩畢竟住一乗文、妙楽大師の云く余教を以て種と為さず文、無量の菩薩とは日本国の一切衆生を菩薩と開会して題目を教えたり、畢竟とは題目の五字に畢竟するなり住一乗とは乗此宝乗直至道場是なり文、下種とはたねを下すなり種子とは成仏の種の事なり、上の経文に教無量菩薩の教の一字は下種の証文なり教とは題目を授くる時の事なり、権教無得道法華得道と教うるを下種とは云うなり、末法に入つて此の経文を出ださん人は有る可からざるなり慥に塔中相承の秘文なり下種の証文秘す可し云云。
一題目の五字末法に限つて持つ可きの事仰に云く経に云く、悪世末法時能持是経者文、此の経とは題目の五字なり、能の一字に心を留めて之れを案ずべし云云、末代悪世日本国の一切衆生に持てと云う経文なり云云。
一天台云く是我弟子応弘我法の事仰に云く我が弟子とは上行菩薩なり我が法とは南無妙法蓮華経なり、権教乃至始覚等は随他意なれば他の法なり、さて此の題目の五字は五百塵点より已来、証得し給える法体なり故に我が法と釈せり、天台云く此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵なり、三世の如来の証得し給える所とは是れなり。
一色心を心法と云う事仰に云く玄の十に云く請を受けて説く時只だ是れ教の意を説く教意は是れ仏意なり仏意は即ち是れ仏智なり仏智至つて深し是の故に三止四請す此くの如きの艱難余経に比するに余経は則ち易し云云、此の釈の意分明なり教意と仏意と仏智とは何れも同じ事なり、教は二十八品なり意は題目の五字なり惣じて仏意とは法華経の異名なり、法華経を以て一切経の心法とせり又題目の五字を以て一代説教本迹二門の神とせり、経に云く妙法蓮華経如来寿量品是なり、此の題目の五字を以て三世の諸仏の命根とせりさて諸経の神法華経なりと云う証文は妙法蓮華経方便品と題したる是なり云云。
一無作の応身我等凡夫也と云う事仰に云く釈に云く凡夫も亦三身の本を得たりと云云、此の本の字は応身の事なりされば本地無作本覚の体は無作の応身を以て本とせり仍つて我等凡夫なり、応身は物に応う身なり其の上寿量品の題目を唱え出し奉るは真実に応身如来の慈悲なり云云。
一諸河無鹹の事仰に云く此無鹹の事をば諸教無得道に譬えたり大海のしをはゆきをば法華経の成仏得道に譬えたり、又諸経に一念三千の法門無きは、諸河にうしをの味無きが如く死人の如し、法華経に一念三千の法門有るはうしをの大海にあるが如く生きたる人の如し、法華経を浅く信ずるはあわのうしをの如し、深く信ずるは、海水の如し、あわはきえやすし、海水は消えざるなり、如説修行最も以て大切なり、然りと雖も、諸経の大河の極深なるも、大海のあわのしをの味をば具足せず、権教の仏は法華経の理即の凡夫には百千万倍劣るなり云云。
一妙楽大師の釈に末法之初冥利不無の釈の事仰に云く此の釈の心は末法に於て冥の利益迹化の衆あるべしと云う事なり、此の釈は薬王品の此経即為閻浮提人病之良薬若人有病得聞是経病即消滅不老不死云云、此の経文の意を底に含めて釈せり、妙楽云く然るに後五百は、且らく一往に従う、末法の初冥利無きにあらず、且く大教の流行す可き時に拠る、故に五百と云う文、仍つて本化の菩薩は顕の利益迹化は冥の利益なるべし云云。
一爾前経瓦礫国の事仰に云く法華経の第三に云く、如従飢国来忽遇大王・と云云、六の巻に云く我此土安穏天人常充満我浄土不毀云云、此の両品の文の意は権教は悉く瓦礫の旅の国なり、あやまりて本国と思いて都と思わん事迷の故なり、一往四十二年住したる国なれば衆生皆本国と思えり、本国は此の法華経なり、信解品に云く遇向本国と、三五の下種の所を指して本国とも浄土とも大王・とも云うなり、下種の心地即ち受持信解の国なり云云。
一無明悪酒の事仰に云く無明の悪酒に酔うと云う事は弘法慈覚智証法然等の人人なり、無明の悪酒と云う証文は勧持品に云く、悪鬼入其身是なり、悪鬼と悪酒とは同じ事なり悪鬼の鬼は第六天の魔王の事なり悪酒とは無明なり無明即魔王魔王即無明なり、其身の身とは日本国の謗法の一切衆生なり、入ると呑むとは同じ事なり、此の悪鬼入る人は阿鼻に入る、さて法華経の行者は入仏知見道故と見えて仏道に入る得入無上道とも説けり、相構え相構えて無明の悪酒を恐るべきなり云云。
一日蓮己証の事仰に云く寿量品の南無妙法蓮華経是れなり、地涌千界の出現末代の当世の別付属の妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に取次ぎ給うべき仏勅使の上行菩薩なり云云、取次とは取るとは釈尊より上行菩薩の手へ取り給うさて上行菩薩又末法当今の衆生に取次ぎ給えり是を取次ぐとは云うなり、広くは末法万年までの取次なり、是を無令断絶とは説かれたり、又結要の五字とも申すなり云云、上行菩薩取次の秘法は所謂南無妙法蓮華経なり云云。
一釈尊の持言秘法の事仰に云く持言の秘法の経文とは寿量品に云く、毎自作是念の文是なり、毎の字は三世常住なり、是念の念とは、わすれ給わずして内証に具足し給えり故に持言なり、秘法とは南無妙法蓮華経是なり秘す可し秘す可し云云。
一日蓮門家の大事の事仰に云く此の門家の大事は涌出品の前三後三の釈なり、此の釈無くんば本化迹化の不同像法付属末法付属迹門本門等の起尽之れ有る可からず、既に止善男子の止の一字は日蓮門家の大事なり秘す可し秘す可し、総じて止の一字は正しく日蓮門家の明鏡の中の明鏡なり口外も詮無し、上行菩薩等を除いては総じて余の菩薩をば悉く止の一字を以て成敗せり云云。
一日蓮が弟子臆病にては叶う可からざる事仰に云く此の意は問答対論の時は爾前迹門の釈尊をも用う可からざるなり、此れは臆病にては釈尊を用いまじきかなんど思うべき故なり、釈尊をさえ用う可からず何に況や其の以下の等覚の菩薩をやまして謗法の人人に於ておや、所謂南無妙法蓮華経の大音声を出だして諸経諸宗を対治すべし、巧於難問答其心無所畏とは是なり云云。
一妙法蓮華経の五字を眼と云う事仰に云く法華第四に云く、仏滅度後能解其義是諸天人世間之眼と云云、此の経文の意は、法華経は人天二乗菩薩仏の眼目なり、此の眼目を弘むるは日蓮一人なり、此の眼には五眼あり、所謂肉眼天眼慧眼法眼仏眼なり、此の眼をくじりて別に眼を入れたる人あり、所謂弘法大師是なり、法華経の一念三千即身成仏諸仏の開眼を止めて、真言経にありと云えり、是れ豈法華経の眼を抽れる人に非ずや、又此の眼をとじふさぐ人あり所謂法然上人是れなり、捨閉の閉の文字は、閉眼の義に非ずや、所詮能弘の人に約しては、日蓮等の類い世間之眼なり、所弘の法に随えば、此の大乗経典は、是れ諸仏の眼なり、所詮眼の一字は一念三千の法門なり、六万九千三百八十四字を此の眼の一字に納めたり、此の眼の字顕われて見れば煩悩即菩提生死即涅槃なり、今末法に入つて、眼とは所謂未會有の大曼荼羅なり、此の御本尊より外には眼目無きなり云云。
一法華経の行者に水火の行者の事仰に云く総じて此の経を信じ奉る人に水火の不同あり、其の故は火の如きの行者は多く水の如き行者はまれなり、火の如しとは此の経のいわれをききて火炎のもえ立つが如く貴く殊勝に思いて信ずれどもやがて消失す、此れは当座は大信心と見えたれども其の信心の灯きゆる事やすしさて水の如きの行者と申すは水は昼夜不退に流るるなり少しもやむ事なし、其の如く法華経を信ずるを水の行者とは云うなり云云。
一女人と妙と釈尊と一体の事仰に云く女人は子を出生す、此の出生の子又子を出生す此くの如く展転して無数の子を出生せり、此の出生の子に善子もあり悪子もあり端厳美麗の子もあり醜陋の子もあり長のひくき子もあり大なる子もあり男子もあり女子もあり云云、所詮妙の一字より万法は出生せり地獄もあり餓鬼もあり乃至仏界もあり権教もあり実教もあり善もあり悪もあり諸法を出生せり云云、又釈迦一仏の御身より一切の仏菩薩等悉く出生せり、阿弥陀薬師大日等は悉く釈尊の一月より万水に浮ぶ所の万影なり、然らば女人と妙と釈尊との三全く不同無きなり、妙楽大師の云く妙即三千三千即法云云、提婆品に云く有一宝珠価直三千大千世界是なり云云。
一置不呵責の文の事仰に云く此の経文に於ては日蓮等の類のおそるべき文字一字之れ有り、若し此の文字を恐れざれば縦い当座は事なしとも未来無間の業たるべし、然らば無間地獄へ引き入る獄卒なるべし夫れは置の一字是なり云云、此の置の一字は獄卒なるべし謗法不信の失を見ながら聞きながら云わずして置かんは必ず無間地獄へ堕在す可し、仍つて置の一字獄卒阿防羅刹なるべし尤も以て恐る可きは置の一字なり云云、所詮此の経文の内に獄卒の一字を恐るべきなり云云、此の獄卒の一字を深く之を思う可し、日蓮は此の字を恐る故に建長五年より今弘安年中まで在在所所にて申しはりしなり只偏に此の獄卒を脱れんが為なり、法華経には若人不信とも生疑不信者とも説き給えり、法華経の文文句句をひらき涅槃経の文文句句をひらきたりとも置いていわずんば叶う可からざるは此の置の一字より外に獄卒は無きなり云云。
一異念無く霊山浄土へ参る可き事仰に云く異念とは不信の事なり若し我が心なりとも不信の意出来せば忽に信心に住すべし、所詮不信の心をば師となすべからず信心の心を師匠とすべし浄心信敬に法華経を修行し奉るべきなり、されば能持是経能説此経と説きて能の字を説かせ給えり霊山ここにあり四土一念皆常寂光とは是なり云云。
一不可失本心の事仰に云く此の本心と云うは法華経の信心の事なり、失と申すは謗法の人にすかされて法華経を捨つる心の出来するを云うなり、されば天台大師云く若し悪友に値えば則ち本心を失うと云云、此の釈に悪友とは謗法の人の事なり、本心とは法華経なり、法華経を本心と云う意は諸法実相の御経なれば十界の衆生の心法を法華経とは申すなり、而るに此の本心を引きかえて迷妄の法に着するが故に本心を失うなり、此の本心に於ては三五の下種の法門なり、若し善友に値う時んば失う所の本心を忽に見得するなり、所謂迦葉舎利弗等是なり、善友とは釈迦如来悪友とは第六天の魔王外道婆羅門是なり、所詮末法に入つて本心とは日蓮弘通の南無妙法蓮華経是なり、悪友とは法然弘法慈覚智証等是なり、若し此の題目の本心を失せんに於ては又三五塵点を経べきなり、但、如是展転至無数劫なるべし、失とは無明の酒に酔いたる事なり仍て本心を失うと云うなり、此の酔をさますとは権教を捨てしむるを云うなり云云。
一天台大師を魔王障礙せし事仰に云く此の事は随分の秘蔵なり、其の故は天台大師一心三観一念三千の観法を説き顕さんとし給いしかば父母左右の膝に住して悩まし奉り障礙し給いしなり、是れ即ち第六天の魔王が父母の形を現じて障礙せしなり、終に魔王に障礙せられ給わずして摩訶止観の法門起れり、何に况や今日蓮が弘むる南無妙法蓮華経は三世の諸仏の成道の師十方薩・の得道の師匠たり、其の上正像二千年の仏法は爾前迹門なれば、魔王自身障礙をなさずともなるべし、今末法の時は、所弘の法は、法華経本門の事の一念三千の南無妙法蓮華経なり、能弘の導師は本化地涌の大菩薩にてましますべし、然る間魔王自身下りて障礙せずんば叶う可からざるなり、仍つて自身下りたる事分明なり、所謂道隆良観最明寺等是なり、然りと雖も諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん、日蓮死去の後は残党ども軍を起すべきか、故に夫れも落居は叶う可からざるなり、其の故は第六天の魔王の眷属日本国に四十九億九万四千八百二十八人なりしが今は日蓮に降参したる事多分なり、経に云く悪鬼入其身とは是なり、此の合戦の起りも、所詮南無妙法蓮華経是なり、魔王に於て体の魔王用の魔王あり、体の魔王とは法性同共の魔王なり妙法の法是なり、用の魔王とは此れより出生する第六天の魔王なり、用の魔王は障礙をなす、然れども体用同共の諸法実相の一理なり、唯有一門の智慧の門に入り、無明法性一体なるべきなり云云、所謂摩訶止観の大事の法門是なり、法華経の一代説教に勝れたるは此の故なり、一念三千とは是なり、法華経第三に云く魔及魔民皆護仏法云云。
一法華経極理の事仰に云く迹門には二乗作仏本門には久遠実成此をさして極理と云うなり、但し是も未だ極理にたらず、迹門にして極理の文は諸仏智慧甚深無量の文是れなり、其の故は此の文を受けて文句の三に云く竪に如理の底に徹し横に法界の辺を窮むと釈せり、さて本門の極理と云うは如来秘密神通之力の文是なり、所詮日蓮が意に云く法華経の極理とは南無妙法蓮華経是なり、一切の功徳法門釈尊の因行果徳の二法三世十方の諸仏の修因感果法華経の文文句句の功徳を取り聚めて此の南無妙法蓮華経と成し給えり、爰を以て釈に云く惣じて一経を結するに唯だ四のみ、其の枢柄を撮つて之を授与す云云、上行菩薩に授与し給う題目の外に法華経の極理は無きなり云云。
一妙法蓮華経五字の蔵の事仰に云く此の意は妙法の五字の中には一念三千の宝珠あり五字を蔵と定む、天台大師玄義の一に判ぜり、所謂此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵なり云云、法華経の第四に云く是れ法華経蔵と云云、妙華厳法阿含蓮方等華般若経涅槃、又云く妙涅槃法般若蓮方等華阿含経華厳、已上妙法蓮華経の五字には十界三千の宝珠あり、三世の諸仏は此の五字の蔵の中より或は華厳の宝を取り出だし或は阿含方等般若の宝を取り出だし種種説法し給えり、加之論師人師等の疏釈も悉く此の五字の中より取り出だして一切衆生に与え給えり、此等は皆五字の中より取り出だし給えども妙法蓮華経の袋をば持ち給わず、所詮五字は上行菩薩の付属にして更に迹化の菩薩諸論師いろはざる題目なり、仍つて上行所伝の南無妙法蓮華経は蔵なり、金剛不壊の袋なり此の袋をそのまま日本国の一切衆生には与え給えり、信心を以て此の財宝を受取るべきなり、今末法に入つては日蓮等の類い受取る所の如意宝珠なり云云。
一我等衆生の成仏は打かためたる成仏と云う証文の事仰に云く経に云く無上宝聚不求自得の文是なり、我等凡夫即極とはたと打かためたる成仏なり所謂不求自得する所の南無妙法蓮華経なればなり云云。
一爾前法華の能くらべの事仰に云く爾前の経にして十悪五逆等の成仏の能なし、今法華経に十界皆成分明なり、爾前の経の無能と云う証文とは方便品に云く但以仮名字引導於衆生の文是なり、さて法華経は能と云う証文は諸法実相の文是なり、今末法に入つて第一の能たる南無妙法蓮華経是なり云云。
一授職の法体の事仰に云く此の文は唯仏与仏の秘文なり輙く云う可からざる法門なり、十界三千の諸法を一言を以て授職する所の秘文なり、其の文とは神力品に云く皆於此経宣示顕説の文是なり、此の五字即十界同時に授職する所の秘文なり十界己己の当体本有妙法蓮華経なりと授職したる秘文なり云云。
一末代譲状の事仰に云く末代とは末法五百年なり、譲状とは手継の証文たる南無妙法蓮華経是なり此れを譲るに二義之れ有り、一には跡をゆずり二には宝をゆずるなり、一に跡を譲ると云うは釈迦如来の跡を法華経の行者にゆずり給えり、其の証文に云く如我等無異の文是なり、次に財宝をゆずると云うは釈尊の智慧戒徳を法華経の行者にゆずり給えり、其の証文に云く無上宝聚不求自得の文是なりと云云、さて此の題目の五字は譲状なり云云。
一本有止観と云う事仰に云く本有の止観と云うは大通を以て習うなり、久遠実成道の仏と大通智勝仏と釈尊との三仏を次の如く仏法僧の三宝と習うなり、此の故に大通は本有の止観なれば即ち三世の諸仏の師範と定めたり、仍つて大通仏を法と習う、此の法は妙法蓮華経是なり、仍つて証文に云く大通智勝仏十劫坐道場の文是なり十劫は即ち十界なり云云。
一入末法四弘誓願の事仰に云く四弘誓願をば一文に口伝せり、其の一文とは所謂神力品に云く於我滅度後応受持斯経是人於仏道決定無有疑と云云、此の経文は法華経の序品より始て四弘誓願の法門を説き終りてさて上行菩薩に妙法蓮華経を付属し給う時妙法の五字に四弘誓願を結びて結句に説かせ給えり滅後とは末法の始の五百年なり、衆生無辺誓願度と云うは是人の人の字なり、誓願は地涌の本化の上行菩薩の誓願に入らんと此れ即ち仏道の二字度脱なり、煩悩無辺なれども煩悩即菩提生死即涅槃と体達す、仏道に入つては煩悩更になし受持斯経の所には法門無尽誓願知分明なり無上菩提誓願証と云うは是人於仏道決定無有疑と定めたる四弘誓願分明なり、教主釈尊末法に入つて四弘誓願も此の文なり、上行菩薩の四弘誓願も此の文なり深く之を思案す可し云云。
一四弘誓願応報如理と云う事仰に云く衆生無辺誓願度は応身なり、煩悩無辺誓願断は報身なり、法門無尽誓願知は智法身なり、無上菩提誓願証は理法身なり、所詮誓願と云うは題目弘通の誓願なり、釈に云く彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なりと是なり云云。
一本来の四弘の事仰に云く諸法の当体本来四弘なり、其の故は衆生と云うは法界なり、所詮法界に理智慈悲の三を具足せり、応報法の三身諸法の自体なり、無作の応身を以て衆生無辺誓願度と云うなり、無作の報身には智徳断徳の二徳を備えたり、煩悩無辺誓願断を以て本有の断徳とは定めたり、法門無尽誓願知を以て本有の智徳とす、無上菩提誓願証を以て無作の法身と云うなり、所詮四弘誓願の中には衆生無辺誓願度を以て肝要とするなり、今日蓮等の類いは南無妙法蓮華経を以て衆生を度する此より外は所詮なきなり、速成就仏身是なり云云、所詮四弘誓願は一念三千なり、さて四弘の弘とは何物ぞ、所謂上行所伝の南無妙法蓮華経なり、釈に云く四弘能所泯すと云云、此の釈は止観に前三教を釈せり、能と云うは如来なり所とは衆生なり能所各別するは権教の故なり、法華経の心は能所一体なり泯すと云うは権教の心は機法共に一同なれば能所泯すと云うなりあえて能所一同して成仏する所を泯すと云うには非ざるなり、今末法に入つて法華経の行者は四弘能所感応の即身成仏の四弘なり云云。
 
種種御振舞御書/建治二年五十五歳御作

 

去ぬる文永五年後の正月十八日西戎大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状をわたす、日蓮が去ぬる文応元年[太歳庚申]に勘えたりし立正安国論今すこしもたがわず符号しぬ、此の書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず末代の不思議なに事かこれにすぎん、賢王聖主の御世ならば日本第一の権状にもをこなわれ現身に大師号もあるべし定めて御たづねありていくさの僉義をもいゐあわせ調伏なんども申しつけられぬらんとをもひしに其の義なかりしかば其の年の末十月に十一通の状をかきてかたがたへをどろかし申す、国に賢人なんどもあるならば不思議なる事かなこれはひとへにただ事にはあらず、天照太神正八幡宮の比の僧について日本国のたすかるべき事を御計らいのあるかとをもわるべきにさはなくて或は使を悪口し或はあざむき或はとりも入れず或は返事もなし或は返事をなせども上へも申さずこれひとへにただ事にはあらず、設い日蓮が身の事なりとも国主となりまつり事をなさん人人は取りつぎ申したらんには政道の法ぞかし、いわうやこの事は上の御大事いできらむのみならず各各の身にあたりてをほいなるなげき出来すべき事ぞかし、而るを用うる事こそなくとも悪口まではあまりなり、此れひとへに日本国の上下万人一人もなく法華経の強敵となりてとしひさしくなりぬれば大禍のつもり大鬼神の各各の身に入る上へ蒙古国の牒状に正念をぬかれてくるうなり、例せば殷の紂王比干といゐし者いさめをなせしかば用いずして胸をほり周の文武王にほろぼされぬ、呉王は伍子胥がいさめを用いず自害をせさせしかば越王勾践の手にかかる、これもかれがごとくなるべきかといよいよふびんにをぼへて名をもをしまず命をもすてて強盛に申しはりしかば風大なれば波大なり竜大なれば雨たけきやうにいよいよあだをなしますますにくみて御評定に僉議あり、頚をはぬべきか鎌倉ををわるべきか弟子檀那等をば所領あらん者は所領を召して頚を切れ或はろうにてせめあるいは遠流すべし等云云。
日蓮悦んで云く本より存知の旨なり、雪山童子は半偈のために身をなげ常啼菩薩は身をうり善財童子は火に入り楽法梵士は皮をはぐ薬王菩薩は臂をやく不軽菩薩は杖木をかうむり師子尊者は頭をはねられ提婆菩薩は外道にころさる、此等はいかなりける時ぞやと勘うれば天台大師は「時に適うのみ」とかかれ章安大師は「取捨宜きを得て一向にすべからず」としるされ、法華経は一法なれども機にしたがひ時によりて其の行万差なるべし、仏記して云く「我が滅後正像二千年すぎて末法の始に此の法華経の肝心題目の五字計りを弘めんもの出来すべし、其の時悪王悪比丘等大地微塵より多くして或は大乗或は小乗等をもつてきそはんほどに、此の題目の行者にせめられて在家の檀那等をかたらひて或はのり或はうち或はろうに入れ或は所領を召し或は流罪或は頚をはぬべし、などいふとも退転なくひろむるほどならばあだをなすものは国主はどし打ちをはじめ餓鬼のごとく身をくらひ後には他国よりせめらるべし、これひとへに梵天帝釈日月四天等の法華経の敵なる国を他国より責めさせ給うなるべし」ととかれて候ぞ、各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず、をやををもひめこををもひ所領をかへりみることなかれ、無量劫よりこのかたをやこのため所領のために命すてたる事は大地微塵よりもをほし、法華経のゆへにはいまだ一度もすてず、法華経をばそこばく行ぜしかどもかかる事出来せしかば退転してやみにき、譬えばゆをわかして水に入れ火を切るにとげざるがごとし、各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり。
仏滅後二千二百二十余年が間迦葉阿難等馬鳴竜樹等南岳天台寺妙楽伝教等だにもいまだひろめ給わぬ法華経の肝心諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉阿難にも勝ぐれ天台伝教にもこへよかし、わづかの小島のぬしらがをどさんををぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使となのりながらをくせんは無下の人人なりと申しふくめぬ、さりし程に念仏者持斎真言師等自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎尼ごぜんたちにとりつきて種種にかまへ申す、故最明寺入道殿極楽寺入道殿を無間地獄に堕ちたりと申し建長寺寿福寺極楽寺長楽寺大仏寺等をやきはらへと申し道隆上人良観上人等を頚をはねよと申す、御評定になにとなくとも日蓮が罪禍まぬかれがたし、但し上件の事一定申すかと召し出てたづねらるべしとて召し出だされぬ、奉行人の云く上のをほせかくのごとしと申せしかば上件の事一言もたがはず申す、但し最明寺殿極楽寺殿を地獄という事はそらごとなり、此の法門は最明寺殿極楽寺殿御存生の時より申せし事なり。
詮ずるところ、上件の事どもは此の国ををもひて申す事なれば世を安穏にたもたんとをぼさば彼の法師ばらを召し合せてきこしめせ、さなくして彼等にかわりて理不尽に失に行わるるほどならば国に後悔あるべし、日蓮御勘気をかほらば仏の御使を用いぬになるべし、梵天帝釈日月四天の御とがめありて遠流死罪の後百日一年三年七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうち(同士打)はじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方よりことには西方よりせめられさせ給うべし、其の時後悔あるべしと平左衛門尉に申し付けしかども太政入道のくるひしやうにすこしもはばかる事なく物にくるう。
去文永八年[太歳辛未]九月十二日御勘気をかほる、其の時の御勘気のやうも常ならず法にすぎてみゆ、了行が謀反ををこし大夫の律師が世をみださんとせしをめしとられしにもこえたり、平左衛門尉大将として数百人の兵者にどうまろきせてゑぼうし(烏帽子)かけして眼をいからし声をあらうす、大体事の心を案ずるに太政入道の世をとりながら国をやぶらんとせしににたり、ただ事ともみへず、日蓮これを見てをもうやう日ごろ月ごろをもひまうけたりつる事はこれなり、さいわひなるかな法華経のために身をすてん事よ、くさきかうべをはなたれば沙に金をかへ石に珠をあきなへるがごとし、さて平左衛門尉が一の郎従少輔房と申す者はしりよりて日蓮が懐中せる法華経の第五の巻を取り出しておもてを三度さいなみてさんざんとうちちらす、又九巻の法華経を兵者ども打ちちらしてあるいは足にふみあるいは身にまとひあるいはいたじきたたみ等家の二三間にちらさぬ所もなし、日蓮大高声を放ちて申すあらをもしろや平左衛門尉がものにくるうを見よ、とのばら但今日本国の柱をたをすとよばはりしかば上下万人あわてて見えし、日蓮こそ御勘気をかほればをくして見ゆべかりしにさはなくしてこれはひがことなりとやをもひけん、兵者どものいろこそへんじて見へしか、十日並びに十二日の間真言宗の失禅宗念仏等良観が雨ふらさぬ事つぶさに平左衛門尉にいゐきかせてありしに或はどつとわらひ或はいかりなんどせし事どもはしげければしるさず、せんずるところは六月十八日より七月四日まで良観が雨のいのりして日蓮に支へられてふらしかねあせをながしなんだのみ下して雨ふらざりし上逆風ひまなくてありし事三度までつかひをつかわして一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか、いづみしきぶ(和泉式部)いろごのみの身にして八斎戒にせいせるうたをよみて雨をふらし、能因法師が破戒の身としてうたをよみて天雨を下らせしに、いかに二百五十戒の人人百千人あつまりて七日二七日せめさせ給うに雨の下らざる上に大風は吹き候ぞ、これをもつて存ぜさせ給へ各各の往生は叶うまじきぞとせめられて良観がなきし事人人につきて讒せし事一一に申せしかば、平左衛門尉等かたうどしかなへずしてつまりふしし事どもはしげければかかず。
さては十二日の夜武蔵守殿のあづかりにて夜半に及び頚を切らんがために鎌倉をいでしにわかみやこうぢ(若宮小路)にうちいでて四方に兵のうちつつみてありしかども、日蓮云く各各さわがせ給うなべちの事はなし、八幡大菩薩に最後に申すべき事ありとて馬よりさしをりて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまことの神か和気清丸が頚を刎られんとせし時は長一丈の月と顕われさせ給い、伝教大師の法華経をかうぜさせ給いし時はむらさきの袈裟を御布施にさづけさせ給いき、今日蓮は日本第一の法華経の行者なり其の上身に一分のあやまちなし、日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり、又大蒙古国よりこの国をせむるならば天照太神正八幡とても安穏におはすべきか、其の上釈迦仏法華経を説き給いしかば多宝仏十万の諸仏菩薩あつまりて日と日と月と月と星と星と鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天並びに天竺漢土日本国等の善神聖人あつまりたりし時、各各法華経の行者にをろかなるまじき由の誓状まいらせよとせめられしかば一一に御誓状を立てられしぞかし、さるにては日蓮が申すまでもなしいそぎいそぎこそ誓状の宿願をとげさせ給うべきにいかに此の処にはをちあわせ給はぬぞとたかだかと申す、さて最後には日蓮今夜頚切られて霊山浄土へまいりてあらん時はまづ天照太神正八幡こそ起請を用いぬかみにて候いけれとさしきりて教主釈尊に申し上げ候はんずるぞいたしとおぼさばいそぎいそぎ御計らいあるべしとて又馬にのりぬ。
ゆいのはまにうちいでて御りやうのまへにいたりて又云くしばしとのばらこれにつぐべき人ありとて、中務三郎左衛門尉と申す者のもとへ熊王と申す童子をつかわしたりしかばいそぎいでぬ、今夜頚切られへまかるなり、この数年が間願いつる事これなり、此の娑婆世界にしてきじとなりし時はたかにつかまれねずみとなりし時はねこにくらわれき、或はめこのかたきに身を失いし事大地微塵より多し、法華経の御ためには一度だも失うことなし、されば日蓮貧道の身と生れて父母の孝養心にたらず国の恩を報ずべき力なし、今度頚を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなりと申せしかば、左衛門尉兄弟四人馬の口にとりつきてこしごへたつの口にゆきぬ、此にてぞ有らんずらんとをもうところに案にたがはず兵士どもうちまはりさわぎしかば、左衛門尉申すやう只今なりとなく、日蓮申すやう不かくのとのばらかなこれほどの悦びをばわらへかし、いかにやくそくをばたがへらるるぞと申せし時、江のしまのかたより月のごとくひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面もみへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみたふれ臥し兵共おぢ怖れけうさめて一町計りはせのき、或は馬よりをりてかしこまり或は馬の上にてうずくまれるもあり、日蓮申すやういかにとのばらかかる大禍ある召人にはとをのくぞ近く打ちよれや打ちよれやとたかだかとよばわれどもいそぎよる人もなし、さてよあけばいかにいかに頚切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんとすすめしかどもとかくのへんじもなし。
はるか計りありて云くさがみのえちと申すところへ入らせ給へと申す、此れは道知る者なしさきうちすべしと申せどもうつ人もなかりしかばさてやすらうほどに或兵士の云くそれこそその道にて候へと申せしかば道にまかせてゆく、午の時計りにえちと申すところへゆきつきたりしかば本間六郎左衛門がいへに入りぬ、さけとりよせてもののふどもにのませてありしかば各かへるとてかうべをうなたれ手をあさへて申すやう、このほどはいかなる人にてやをはすらん我等がたのみて候阿弥陀仏をそしらせ給うとうけ給わればにくみまいらせて候いつるにまのあたりをがみまいらせ候いつる事どもを見て候へばたうとさにとしごろ申しつる念仏はすて候いぬとてひうちぶくろよりすずとりいだしてすつる者あり、今は念仏申さじとせいじやうをたつる者もあり、六郎左衛門が郎従等番をばうけとりぬ、さえもんのじよう(左衛門尉)もかへりぬ。
其の日の戌の時計りにかまくらより上の御使とてたてぶみをもちて来ぬ、頚切れというかさねたる御使かともののふどもはをもひてありし程に六郎左衛門が代官右馬のじようと申す者立ぶみもちてはしり来りひざまづいて申す、今夜にて候べしあらあさましやと存じて候いつるにかかる御悦びの御ふみ来りて候、武蔵守殿は今日卯の時にあたみの御ゆへ御出で候へばいそぎあやなき事もやとまづこれへはしりまいりて候と申す、かまくらより御つかいは二時にはしりて候、今夜の内にあたみの御ゆへはしりまいるべしとてまかりいでぬ、追状に云く此の人はとがなき人なり今しばらくありてゆるさせ給うべしあやまちしては後悔あるべしと云云。
其の夜は十三日兵士ども数十人坊の辺り並びに大庭になみゐて候いき、九月十三日の夜なれば月大にはれてありしに夜中に大庭に立ち出でて月に向ひ奉りて自我偈少少よみ奉り諸宗の勝劣法華経の文のあらあら申して抑今の月天は法華経の御座に列りまします名月天子ぞかし、宝塔品にして仏勅をうけ給い嘱累品にして仏に頂をなでられまいらせ「世尊の勅の如く当に具に奉行すべし」と誓状をたてし天ぞかし、仏前の誓は日蓮なくば虚くてこそをはすべけれ、今かかる事出来せばいそぎ悦びをなして法華経の行者にもかはり仏勅をもはたして誓言のしるしをばとげさせ給うべし、いかに今しるしのなきは不思議に候ものかな、何なる事も国になくしては鎌倉へもかへらんとも思はず、しるしこそなくともうれしがをにて澄渡らせ給うはいかに、大集経には「日月明を現ぜず」ととかれ、仁王経には「日月度を失う」とかかれ、最勝王経には「三十三天各瞋恨を生ず」とこそ見え侍るにいかに月天いかに月天とせめしかば、其のしるしにや天より明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝にかかりてありしかばもののふども皆えんよりとびをり或は大庭にひれふし或は家のうしろへにげぬ、やがて即ち天かきくもりて大風吹き来りて江の島のなるとて空のひびく事大なるつづみを打つがごとし。
夜明れば十四日卯の時に十郎入道と申すもの来りて云く昨日の夜の戌の時計りにかうどのに大なるさわぎあり、陰陽師を召して御うらなひ候へば申せしは大に国みだれ候べし此の御房御勘気のゆへなり、いそぎいそぎ召しかえさずんば世の中いかが候べかるらんと申せば、ゆりさせ給へ候と申す人もあり、又百日の内に軍あるべしと申しつればそれを待つべしとも申す、依智にして二十余日其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度或は人をころす事ひまなし、讒言の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと、さもあるらんとて日蓮が弟子等を鎌倉に置くべからずとて二百六十余人しるさる、皆遠島へ遣すべしろうにある弟子共をば頚をはねらるべしと聞ふ、さる程に火をつくる等は持斎念仏者が計事なり其の余はしげければかかず。
同十月十日に依智を立つて同十月二十八日に佐渡の国へ著ぬ、十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす、夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐなり、彼の李陵が胡国に入りてがんくつにせめられし法道三蔵の徽宗皇帝にせめられて面にかなやきをさされて江南にはなたれしも只今とおぼゆ、あらうれしや檀王は阿私仙人にせめられて法華経の功徳を得給いき、不軽菩薩は上慢の比丘等の杖にあたりて一乗の行者といはれ給ふ、今日蓮は末法に生れて妙法蓮華経の五字を弘めてかかるせめにあへり、仏滅度後二千二百余年が間恐らくは天台智者大師も一切世間多怨難信の経文をば行じ給はず数数見擯出の明文は但日蓮一人なり、一句一偈我皆与授記は我なり阿耨多羅三藐三菩提は疑いなし、相模守殿こそ善知識よ平左衛門こそ提婆達多よ念仏者は瞿伽利尊者持斎等は善星比丘なり、在世は今にあり今は在世なり、法華経の肝心は諸法実相ととかれて本末究竟等とのべられて候は是なり、摩訶止観第五に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」文、又云く「猪の金山を摺り衆流の海に入り薪の火を熾にし風の求羅を益すが如きのみ」等云云、釈の心は法華経を教のごとく機に叶ひ時に叶うて解行すれば七つの大事出来す、其の中に天子魔とて第六天の魔王或は国主或は父母或は妻子或は檀那或は悪人等について或は随つて法華経の行をさえ或は違してさうべき事なり、何れの経をも行ぜよ仏法を行ずるには分分に随つて留難あるべし、其の中に法華経を行ずるには強盛にさうべし、法華経ををしへの如く時機に当つて行ずるには殊に難あるべし、故に弘決の八に云く「若し衆生生死を出でず仏乗を慕わずと知れば魔是の人に於て猶親の想を生す」等云云、釈の心は人善根を修すれども念仏真言禅律等の行をなして法華経を行ぜざれば魔王親のおもひをなして人間につきて其の人をもてなし供養す世間の人に実の僧と思はせんが為なり、例せば国主のたとむ僧をば諸人供養するが如し、されば国主等のかたきにするは既に正法を行ずるにてあるなり、釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり、眼前に見えたり此の鎌倉の御一門の御繁昌は義盛と隠岐法皇ましまさずんば争か日本の主となり給うべき、されば此の人人は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり、日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。
かくてすごす程に庭には雪つもりて人もかよはず堂にはあらき風より外はをとづるるものなし、眼には止観法華をさらし口には南無妙法蓮華経と唱へ夜は月星に向ひ奉りて諸宗の違目と法華経の深義を談ずる程に年もかへりぬ、いづくも人の心のはかなさは佐渡の国の持斎念仏者の唯阿弥陀仏生喩房印性房慈道房等の数百人より合いて僉議すと承る、聞ふる阿弥陀仏の大怨敵一切衆生の悪知識の日蓮房此の国にながされたりなにとなくとも此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるともかへる事なし、又打ちころしたりとも御とがめなし、塚原と云う所に只一人ありいかにがうなりとも力つよくとも人なき処なれば集りていころせかしと云うものもありけり、又なにとなくとも頚を切らるべかりけるが守殿の御台所の御懐妊なればしばらくきられず終には一定ときく、又云く六郎左衛門尉殿に申してきらずんばはからうべしと云う、多くの義の中にこれについて守護所に数百人集りぬ、六郎左衛門尉云く上より殺しまうすまじき副状下りてあなづるべき流人にはあらず、あやまちあるならば重連が大なる失なるべし、それよりは只法門にてせめよかしと云いければ念仏者等或は浄土の三部経或は止観或は真言等を小法師等が頚にかけさせ或はわきにはさませて正月十六日にあつまる、佐渡の国のみならず越後越中出羽奥州信濃等の国国より集れる法師等なれば塚原の堂の大庭山野に数百人六郎左衛門尉兄弟一家さならぬもの百姓の入道等かずをしらず集りたり、念仏者は口口に悪口をなし真言師は面面に色を失ひ天台宗ぞ勝つべきよしをののしる、在家の者どもは聞ふる阿弥陀仏のかたきよとののしりさわぎひびく事震動雷電の如し、日蓮は暫らくさはがせて後各各しづまらせ給へ法門の御為にこそ御渡りあるらめ悪口等よしなしと申せしかば六郎左衛門を始めて諸人然るべしとて悪口せし念仏者をばそくびをつきいだしぬ、さて止観真言念仏の法門一一にかれが申す様をでつしあげて承伏せさせてはちやうとはつめつめ一言二言にはすぎず、鎌倉の真言師禅宗念仏者天台の者よりもはかなきものどもなれば只思ひやらせ給へ、利剣をもてうりをきり大風の草をなびかすが如し、仏法のおろかなるのみならず或は自語相違し或は経文をわすれて論と云ひ釈をわすれて論と云ふ、善導が柳より落ち弘法大師の三鈷を投たる大日如来と現じたる等をば或は妄語或は物にくるへる処を一一にせめたるに、或は悪口し或は口を閉ぢ或は色を失ひ或は念仏ひが事なりけりと云うものもあり、或は当座に袈裟平念珠をすてて念仏申すまじきよし誓状を立つる者もあり。
皆人立ち帰る程に六郎左衛門尉も立ち帰る一家の者も返る、日蓮不思議一云はんと思いて六郎左衛門尉を大庭よりよび返して云くいつか鎌倉へのぼり給うべき、かれ答えて云く下人共に農せさせて七月の比と云云、日蓮云く弓箭とる者はををやけの御大事にあひて所領をも給わり候をこそ田畠つくるとは申せ、只今いくさのあらんずるに急ぎうちのぼり高名して所知を給らぬか、さすがに和殿原はさがみの国には名ある侍ぞかし、田舎にて田つくりいくさにはづれたらんは恥なるべしと申せしかばいかにや思いけめあはててものもいはず、念仏者持斎在家の者どももなにと云う事ぞやと恠しむ。
さて皆帰りしかば去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり、此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければたもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなくゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し、かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使にとらせぬ、つきたる弟子等もあらぎかなと思へども力及ばざりげにてある程に、二月の十八日に島に船つく、鎌倉に軍あり京にもありそのやう申す計りなし、六郎左衛門尉其の夜にはやふねをもつて一門相具してわたる日蓮にたな心を合せてたすけさせ給へ、去る正月十六日の御言いかにやと此程疑い申しつるにいくほどなく三十日が内にあひ候いぬ、又蒙古国も一定渡り候いなん、念仏無間地獄も一定にてぞ候はんずらん永く念仏申し候まじと申せしかば、いかに云うとも相模守殿等の用ひ給はざらんには日本国の人用うまじ用ゐずば国必ず亡ぶべし、日蓮は幼若の者なれども法華経を弘むれば釈迦仏の御使ぞかし、わづかの天照太神正八幡なんどと申すは此の国には重けれども梵釈日月四天に対すれば小神ぞかし、されども此の神人なんどをあやまちぬれば只の人を殺せるには七人半なんど申すぞかし、太政入道隠岐法皇等のほろび給いしは是なり、此れはそれにはにるべくもなし教主釈尊の御使なれば天照太神正八幡宮も頭をかたぶけ手を合せて地に伏し給うべき事なり、法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照し給ふ、かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし、何に況や数百人ににくませ二度まで流しぬ、此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれどもはうに過ぐれば罰あたりぬるなり、又此の度も用ひずば大蒙古国より打手を向けて日本国ほろぼさるべし、ただ平左衛門尉が好むわざわひなり、和殿原とても此の島とても安穏なるまじきなりと申せしかば、あさましげにて立帰りぬ、さて在家の者ども申しけるは此の御房は神通の人にてましますかあらおそろしおそろし、今は念仏者をもやしなひ持斎をも供養すまじ、念仏者良観が弟子の持斎等が云く此の御房は謀叛の内に入りたりけるか、さて且くありて世間しづまる。
又念仏者集りて僉議す、かうてあらんには我等かつえしぬべしいかにもして此の法師を失はばや、既に国の者も大体つきぬいかんがせん、念仏者の長者の唯阿弥陀仏持斎の長者の性諭房良観が弟子の道観等鎌倉に走り登りて武蔵守殿に申す、此の御房島に候ものならば堂塔一宇も候べからず僧一人も候まじ、阿弥陀仏をば或は火に入れ或は河にながす、夜もひるも高き山に登りて日月に向つて大音声を放つて上を呪咀し奉る、其の音声一国に聞ふと申す、武蔵前司殿是をきき上へ申すまでもあるまじ、先ず国中のもの日蓮房につくならば或は国をおひ或はろうに入れよと私の下知を下す、又下文下るかくの如く三度其の間の事申さざるに心をもて計りぬべし、或は其の前をとをれりと云うてろうに入れ或は其の御房に物をまいらせけりと云うて国をおひ或は妻子をとる、かくの如くして上へ此の由を申されければ案に相違して去る文永十一年二月十四日の御赦免の状同三月八日に島につきぬ、念仏者等僉議して云く此れ程の阿弥陀仏の御敵善導和尚法然上人をのるほどの者がたまたま御勘気を蒙りて此の島に放されたるを御赦免あるとていけて帰さんは心うき事なりと云うて、やうやうの支度ありしかども何なる事にや有りけん、思はざるに順風吹き来りて島をばたちしかばあはいあしければ百日五十日にもわたらず、順風には三日なる所を須臾の間に渡りぬ、越後のこう信濃の善光寺の念仏者持斎真言等は雲集して僉議す、島の法師原は今までいけてかへすは人かつたいなり、我等はいかにも生身の阿弥陀仏の御前をばとをすまじと僉議せしかども、又越後のこうより兵者どもあまた日蓮にそひて善光寺をとをりしかば力及ばず、三月十三日に島を立ちて同三月二十六日に鎌倉へ打ち入りぬ。
同四月八日平左衛門尉に見参しぬ、さきにはにるべくもなく威儀を和らげてただしくする上或る入道は念仏をとふ或る俗は真言をとふ或る人は禅をとふ平左衛門尉は爾前得道の有無をとふ一一に経文を引いて申しぬ、平の左衛門尉は上の御使の様にて大蒙古国はいつか渡り候べきと申す、日蓮答えて云く今年は一定なりそれにとつては日蓮已前より勘へ申すをば御用ひなし、譬えば病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし、真言師だにも調伏するならば弥よ此の国軍にまくべし穴賢穴賢、真言師総じて当世の法師等をもつて御祈り有るべからず各各は仏法をしらせ給うておわさばこそ申すともしらせ給はめ、又何なる不思議にやあるらん他事にはことにして日蓮が申す事は御用いなし、後に思い合せさせ奉らんが為に申す隠岐法皇は天子なり権大夫殿は民ぞかし、子の親をあだまんをば天照太神うけ給いなんや、所従が主君を敵とせんをば正八幡は御用いあるべしや、いかなりければ公家はまけ給いけるぞ、此れは偏に只事にはあらず弘法大師の邪義慈覚大師智証大師の僻見をまことと思いて叡山東寺園城寺の人人の鎌倉をあだみ給いしかば還著於本人とて其の失還つて公家はまけ給いぬ、武家は其の事知らずして調伏も行はざればかちぬ今又かくの如くなるべし、ゑぞは死生不知のもの安藤五郎は因果の道理を弁えて堂塔多く造りし善人なり、いかにとして頚をばゑぞにとられぬるぞ、是をもつて思うに此の御房たちだに御祈あらば入道殿事にあひ給いぬと覚え候、あなかしこあなかしこさいはざりけるとおほせ候なとしたたかに申し付け候いぬ。
さてかへりききしかば同四月十日より阿弥陀堂法印に仰付られて雨の御いのりあり、此の法印は東寺第一の智人をむろ等の御師弘法大師慈覚大師智証大師の真言の秘法を鏡にかけ天台華厳等の諸宗をみな胸にうかべたり、それに随いて十日よりの祈雨に十一日に大雨下りて風ふかず雨しづかにて一日一夜ふりしかば守殿御感のあまりに金三十両むまやうやうの御ひきで物ありときこふ、鎌倉中の上下万人手をたたき口をすくめてわらうやうは日蓮ひが法門申してすでに頚をきられんとせしがとかうしてゆりたらばさではなくして念仏禅をそしるのみならず、真言の密教なんどをもそしるゆへにかかる法のしるしめでたしとののしりしかば、日蓮が弟子等けうさめてこれは御あら義と申せし程に日蓮が申すやうはしばしまて弘法大師の悪義まことにて国の御いのりとなるべくば隠岐法皇こそいくさにかち給はめ、をむろ最愛の児せいたか(勢多迦)も頚をきられざるらん、弘法の法華経を華厳経にをとれりとかける状は十住心論と申す文にあり、寿量品の釈迦仏をば凡夫なりとしるされたる文は秘蔵宝鑰に候、天台大師をぬす人とかける状は二教論にあり、一乗法華経をとける仏をば真言師のはきものとりにも及ばずとかける状は正覚房が舎利講の式にあり、かかる僻事を申す人の弟子阿弥陀堂の法印が日蓮にかつならば竜王は法華経のかたきなり、梵釈四王にせめられなん子細ぞあらんずらんと申せば、弟子どものいはくいかなる子細のあるべきぞとをこつきし程に、日蓮云く善無畏も不空も雨のいのりに雨はふりたりしかども大風吹きてありけるとみゆ、弘法は三七日すぎて雨をふらしたり、此等は雨ふらさぬがごとし、三七二十一日にふらぬ雨やあるべき設いふりたりともなんの不思議かあるべき、天台のごとく千観なんどのごとく一座なんどこそたうとけれ、此れは一定やうあるべしといゐもあはせず大風吹来る、大小の舎宅堂塔古木御所等を或は天に吹きのぼせ或は地に吹き入れ、そらには大なる光り物とび地には棟梁みだれたり、人人をもふきころし牛馬ををくたふれぬ、悪風なれども秋は時なればなをゆるすかたもあり此れは夏四月なり、其の上日本国にはふかず但関東八箇国なり八箇国にも武蔵相模の両国なり両国の中には相州につよくふく、相州にもかまくらかまくらにも御所若宮建長寺極楽寺等につよくふけり、ただ事ともみへずひとへにこのいのりのゆへにやとおぼへてわらひ口すくめせし人人もけうさめてありし上我が弟子どももあら不思議やと舌をふるう。
本よりごせし事なれば三度国をいさめんにもちゐずば国をさるべしと、されば同五月十二日にかまくらをいでて此の山に入る、同十月に大蒙古国よせて壱岐対馬の二箇国を打ち取らるるのみならず、太宰府もやぶられて少弐入道大友等ききにげににげ其の外の兵者ども其の事ともなく大体打たれぬ、又今度よせくるならばいかにも此の国よはよはと見ゆるなり、仁王経には「聖人去る時は七難必ず起る」等云云、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に乃至他方の怨賊来りて国人喪乱に遇わん」等云云、仏説まことならば此の国に一定悪人のあるを国主たつとませ給いて善人をあだませ給うにや、大集経に云く「日月明を現ぜず四方皆亢旱す是くの如く不善業の悪王悪比丘我が正法を毀壊せん」云云、仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求め国王太子王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説く、其の王別えずして此の語を信聴せん是を破仏法破国の因縁と為す」等云云、法華経に云く「濁世の悪比丘」等云云、経文まことならば此の国に一定悪比丘のあるなり、夫れ宝山には曲林をきる大海には死骸をとどめず、仏法の大海一乗の宝山には五逆の瓦礫四重の濁水をば入るれども誹謗の死骸と一闡提の曲林をばをさめざるなり、されば仏法を習わん人後世をねがはん人は法華誹謗をおそるべし。
皆人をぼするやうはいかでか弘法慈覚等をそしる人を用うべきと、他人はさてをきぬ安房の国の東西の人人は此の事を信ずべき事なり、眼前の現証ありいのもりの円頓房清澄の西尭房道義房かたうみの実智房等はたうとかりし僧ぞかし、此等の臨終はいかんがありけんと尋ぬべし、これらはさてをきぬ、円智房は清澄の大堂にして三箇年が間一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて十巻をそらにをぼへ、五十年が間一日一夜に二部づつよまれしぞかし、かれをば皆人は仏になるべしと云云、日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底にをつべしと申したりしが此の人人の御臨終はよく候いけるかいかに、日蓮なくば此の人人をば仏になりぬらんとこそおぼすべけれ、これをもつてしろしめせ弘法慈覚等はあさましき事どもはあれども弟子ども隠せしかば公家にもしらせ給はず末の代はいよいよあをぐなり、あらはす人なくば未来永劫までもさであるべし、拘留外道は八百年ありて水となり、迦毘羅外道は一千年すぎてこそ其の失はあらわれしか。
夫れ人身をうくる事は五戒の力による、五戒を持てる者をば二十五の善神これをまほる上同生同名と申して二つの天生れしよりこのかた左右のかたに守護するゆへに失なくて鬼神あだむことなし、しかるに此の国の無量の諸人なげきをなすのみならず、ゆきつしまの両国の人皆事にあひぬ太宰府又申すばかりなし、此の国はいかなるとがのあるやらんしらまほほしき事なり、一人二人こそ失もあるらめそこばくの人人いかん、これひとへに法華経をさぐる弘法慈覚智証等の末の真言師善導法然が末の弟子等達磨等の人人の末の者ども国中に充満せり、故に梵釈四天等の法華経の座の誓状のごとく頭破作七分の失にあてらるるなり。
疑つて云く法華経の行者をあだむ者は頭破作七分ととかれて候に日蓮房をそしれども頭もわれぬは日蓮房は法華経の行者にはあらざるかと申すは道理なりとをぼへ候はいかん、答えて云く日蓮を法華経の行者にてなしと申さば法華経をなげすてよとかける法然等無明の辺域としるせる弘法大師理同事勝と宣たる善無畏慈覚等が法華経の行者にてあるべきか、又頭破作七分と申す事はいかなる事ぞ刀をもてきるやうにわるるとしれるか、経文には如阿梨樹枝とこそとかれたれ、人の頭に七滴あり七鬼神ありて一滴食へば頭をいたむ三滴を食へば寿絶えんとす七滴皆食えば死するなり、今の世の人人は皆頭阿梨樹の枝のごとくにわれたれども悪業ふかくしてしらざるなり、例せばてをおいたる人の或は酒にゑい或はねいりぬればをぼえざるが如し、又頭破作七分と申すは或は心破作七分とも申して頂の皮の底にある骨のひびたふるなり、死ぬる時はわるる事もあり、今の世の人人は去ぬる正嘉の大地震文永の大彗星に皆頭われて候なり、其の頭のわれし時せひせひやみ五臓の損ぜし時あかき腹をやみしなり、これは法華経の行者をそしりしゆへにあたりし罰とはしらずや。
されば鹿は味ある故に人に殺され亀は油ある故に命を害せらる女人はみめ形よければ嫉む者多し、国を治る者は他国の恐れあり財有る者は命危し法華経を持つ者は必ず成仏し候、故に第六天の魔王と申す三界の主此の経を持つ人をば強に嫉み候なり、此の魔王疫病の神の目にも見えずして人に付き候やうに古酒に人の酔い候如く国主父母妻子に付きて法華経の行者を嫉むべしと見えて候、少しも違わざるは当時の世にて候、日蓮は南無妙法蓮華経と唱うる故に二十余年所を追はれ二度まで御勘気を蒙り最後には此の山にこもる、此の山の体たらくは西は七面の山東は天子のたけ北は身延の山南は鷹取の山四つの山高きこと天に付きさがしきこと飛鳥もとびがたし、中に四つの河あり所謂富士河早河大白河身延河なり、其の中に一町ばかり間の候に庵室を結びて候、昼は日をみず夜は月を拝せず冬は雪深く夏は草茂り問う人希なれば道をふみわくることかたし、殊に今年は雪深くして人問うことなし命を期として法華経計りをたのみ奉り候に御音信ありがたく候、しらず釈迦仏の御使か過去の父母の御使かと申すばかりなく候、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。
 
光日房御書

 

去る文永八年太歳辛未九月のころより御勘気をかほりて北国の海中佐渡の嶋にはなたれたりしかば、なにとなく相州鎌倉に住しには生国なれば安房の国はこひしかりしかども我が国ながらも人の心もいかにとやむつびにくくありしかば、常にはかよう事もなくしてすぎしに御勘気の身となりて死罪となるべかりしが、しばらく国の外にはなたれし上はをぼろげならではかまくらへはかへるべからず、かへらずば又父母のはかをみる身となりがたしとをもひつづけしかば、いまさらとびたつばかりくやしくてなどかかかる身とならざりし時日にも月にも海もわたり山をもこえて父母のはかをもみ師匠のありやうをもとひをとづれざりけんとなげかしくて、彼の蘇武が胡国に入りて十九年かりの南へとびけるをうらやみ、仲丸が日本国の朝使としてもろこしにわたりてありしがかへされずしてとしを経しかば月の東に出でたるをみて、我が国みかさの山にも此の月は出でさせ給いて故里の人も只今月に向いてながむらんと心をすましてけり、此れもかくをもひやりし時我が国より或人のびんにつけて衣をたびたりし時彼の蘇武がかりのあし此れは現に衣ありにるべくもなく心なぐさみて候しに、日蓮はさせる失あるべしとはをもはねども此の国のならひ念仏者と禅宗と律宗と真言宗にすかされぬるゆへに法華経をば上にはたうとむよしをふるまい心には入らざるゆへに、日蓮が法華経をいみじきよし申せば威音王仏の末の末法に不軽菩薩をにくみしごとく上一人より下万人にいたるまで名をもきかじまして形をみる事はをもひよらず、さればたとひ失なくともかくなさるる上はゆるしがたし、ましていわうや日本国の人の父母よりもをもく日月よりもたかくたのみたまへる念仏を無間の業と申し禅宗は天魔の所為真言は亡国の邪法念仏者禅宗律僧等が寺をばやきはらひ念仏者どもが頚をはねらるべしと申す上、故最明寺極楽寺の両入道殿を阿鼻地獄に堕ち給いたりと申すほどの大禍ある身なり、此れ程の大事を上下万人に申しつけられぬる上は設ひそらごとなりとも此の世にはうかびがたし、いかにいわうやこれはみな朝夕に申し昼夜に談ぜしうへ平左衛門尉等の数百人の奉行人に申しきかせいかにとがに行わるとも申しやむまじきよししたたかにいゐきかせぬ、されば大海のそこのちびきの石はうかぶとも天よりふる雨は地にをちずとも日蓮はかまくらへは還るべからず、但し法華経のまことにおはしまし日月我をすて給はずばかへり入りて又父母のはかをもみるへんもありなんと心づよくをもひて梵天帝釈日月四天はいかになり給いぬるやらん、天照太神正八幡宮は此の国にをはせぬか、仏前の御起請はむなしくて法華経の行者をばすて給うか、もし此の事叶わずば日蓮が身のなにともならん事はをしからず、各各現に教主釈尊と多宝如来と十方の諸仏の御宝前にして誓状を立て給いしが今日蓮を守護せずして捨て給うならば正直捨方便の法華経に大妄語を加へ給へるか、十方三世の諸仏をたぼらかし奉れる御失は提婆達多が大妄語にもこへ瞿伽利尊者が虚誑罪にもまされたり設ひ大梵天として色界の頂に居し千眼天といはれて須弥の頂におはすとも日蓮をすて給うならば阿鼻の炎にはたきぎとなり無間大城にはいづるごおはせじ、此の罪をそろしとおぼさばいそぎいそぎ国土にしるしをいだし給え、本国へかへし給へと高き山にのぼりて大音声をはなちてさけびしかば、九月の十二日に御勘気十一月に謀反のものいできたり、かへる年の二月十一日に日本国のかためたるべき大将どもよしなく打ちころされぬ、天のせめという事あらはなり、此れにやをどろかれけん弟子どもゆるされぬ。
而れどもいまだゆりざりしかばいよいよ強盛に天に申せしかば頭の白き烏とび来りぬ、彼の燕のたむ太子の馬烏のれい日蔵上人の山がらすかしらもしろくなりにけり、我がかへるべき時やきぬらんとながめし此れなりと申しもあへず、文永十一年二月十四日の御赦免状同三月八日に佐渡の国につきぬ同十三日に国を立ちてまうらというつにをりて十四日はかのつにとどまり、同じき十五日に越後の寺どまりのつにつくべきが大風にはなたれさいわひにふつかぢ(二日程)をすぎてかしはざきにつきて、次の日はこうにつき中十二をへて三月二十六日に鎌倉へ入りぬ、同じき四月八日に平左衛門尉に見参す、本よりごせし事なれば日本国のほろびんを助けんがために三度いさめんに御用いなくば山林にまじわるべきよし存ぜしゆへに同五月十二日に鎌倉をいでぬ。
但し本国にいたりて今一度父母のはかをもみんとをもへどもにしきをきて故郷へはかへれといふ事は内外のをきてなり、させる面目もなくして本国へいたりなば不孝の者にてやあらんずらん、これほどのかたかりし事だにもやぶれてかまくらへかへり入る身なれば又にしきをきるへんもやあらんずらん、其の時父母のはかをもみよかしとふかくおもうゆへにいまに生国へはいたらねどもさすがこひしくて吹く風立つくもまでも東のかたと申せば庵をいでて身にふれ庭に立ちてみるなり、かかる事なれば故郷の人は設い心よせにおもはぬ物なれども我が国の人といへばなつかしくてはんべるところに此の御ふみを給びて心もあらずしていそぎいそぎひらきてみ候へばをととし(一昨年)の六月の八日にいや四郎にをくれてとかかれたり、御ふみもひらかざりつるまではうれしくてありつるが、今此のことばをよみてこそなにしにかくいそぎひらきけんうらしまが子のはこなれやあけてくやしきものかな、我が国の事はうくつらくあたりし人のすへまでもをろかならずをもうにことさら此の人は形も常の人にはすぎてみへうちをもひたるけしきもかたくなにもなしと見えしかども、さすが法華経のみざなればしらぬ人人あまたありしかば言もかけずありしに、経はてさせ給いて皆人も立ちかへる、此の人も立ちかへりしが使を入れて申せしは安房の国のあまつと申すところの者にて候が、をさなくより御心ざしをもひまいらせて候上母にて候人もをろかならず申しなれなれしき申し事にて候へどもひそかに申すべき事の候、さきざきまひりて次第になれまいらせてこそ申し入るべきに候へどもゆみやとる人にみやづかひてひま候はぬ上事きうになり候いぬる上はをそれをかへりみず申すとこまごまときこえしかば、なにとなく生国の人なる上そのあたりの事ははばかるべきにあらずとて入れたてまつりてこまごまとこしかたゆくすへかたりてのちには世間無常なりいつと申す事をしらず、其の上武士に身をまかせたる身なり又ちかく申しかけられて候事のがれがたし、さるにては後生こそをそろしく候へたすけさせ給へときこへしかば経文をひいて申しきかす、彼のなげき申せしは父はさてをき候いぬ、やもめにて候はわをさしおきて前に立ち候はん事こそ不孝にをぼへ候へ、もしやの事候ならば御弟子に申しつたへてたび候へとねんごろにあつらへ候いしが、そのたびは事ゆへなく候へけれども後にむなしくなる事のいできたりて候いけるにや、人間に生をうけたる人上下につけてうれへなき人はなけれども時にあたり人人にしたがひてなげきしなじななり、譬へば病のならひは何の病も重くなりぬれば是にすぎたる病なしとをもうがごとし、主のわかれをやのわかれ夫妻のわかれいづれかおろかなるべきなれども主は又他の主もありぬべし、夫妻は又かはりぬれば心をやすむる事もありなん、をやこのわかれこそ月日のへだつるままにいよいよなげきふかかりぬべくみへ候へ、をやこのわかれにもをやはゆきて子はとどまるは同じ無常なれどもことはりにもや、をひたるはわはとどまりてわきき子のさきにたつなさけなき事なれば神も仏もうらめしや、いかなればをやに子をかへさせ給いてさきにはたてさせ給はずとどめをかせ給いてなげかさせ給うらんと心うし、心なき畜生すら子のわかれしのびがたし、竹林精舎の金鳥はかひこのために身をやき鹿野苑の鹿は胎内の子ををしみて王の前にまいれり、いかにいわうや心あらん人にをいてをや、されば王陵が母は子のためになつきをくだき、神尭皇帝の后は胎内の太子の御ために腹をやぶらせ給いき、此等ををもひつづけさせ給はんには火にも入り頭をもわりて我が子の形をみるべきならばをしからずとこそおぼすらめとおもひやられてなみだもとどまらず。
又御消息に云く人をもころしたりし者なればいかやうなるところにか生れて候らんをほせをかほり候はんと云云、夫れ針は水にしずむ雨は空にとどまらず、蟻子を殺せる者は地獄に入り死にかばねを切れる者は悪道をまぬかれず、何に況や人身をうけたる者をころせる人をや、但し大石も海にうかぶ船の力なり大火もきゆる事水の用にあらずや、小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず、大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ、所謂る粟をつみたりし比丘は五百生が間牛となる、・をつみし者は三悪道に堕ちにき、羅摩王抜提王毘楼真王那・沙王迦帝王毘舎・王月光王光明王日光王愛王持多人王等の八万余人の諸王は皆父を殺して位につく、善知識にあはざれば罪きへずして阿鼻地獄に入りにき、波羅奈城に悪人あり其の名をば阿逸多という母をあひせしゆへに父を殺し妻とせり、父が師の阿羅漢ありて教訓せしかば阿らかむを殺す、母又他の夫にとつぎしかば又母をも殺しつ、具に三逆罪をつくりしかば隣里の人うとみしかば、一身たもちがたくして祇・精舎にゆいて出家をもとめしに諸僧許さざりしかば悪心強盛にして多くの僧坊をやきぬ、然れども釈尊に値い奉りて出家をゆるし給にき、北天竺に城あり細石となづく彼の城に王あり竜印という、父を殺してありしかども後に此れをおそれて彼の国をすてて仏にまいりたりしかば仏懺悔を許し給いき、阿闍世王はひととなり三毒熾盛なり十悪ひまなし、其の上父をころし母を害せんとし提婆達多を師として無量の仏弟子を殺しぬ、悪逆のつもりに二月十五日仏の御入滅の日にあたりて無間地獄の先相に七処に悪瘡出生して玉体しづかならず、大火の身をやくがごとく熱湯をくみかくるがごとくなりしに六大臣まいりて六師外道を召されて悪瘡を治すべきやう申しき、今の日本国の人人の禅師律師念仏者真言師等を善知識とたのみて蒙古国を調伏し後生をたすからんとをもうがごとし、其の上提婆達多は阿闍世王の本師なり、外道の六万蔵仏法の八万蔵をそらにして世間出世のあきらかなる事日月と明鏡とに向うがごとし、今の世の天台宗の碩学の顕密二道を胸にうかべ一切経をそらんぜしがごとし、此れ等の人人諸の大臣阿闍世王を教訓せしかば仏に帰依し奉る事なかりし程に摩竭堤に天変度度かさなり地夭しきりなる上大風大旱ばつ飢饉疫癘ひまなき上他国よりせめられてすでにかうとみえしに悪瘡すら身に出ししかば国土一時にほろびぬとみえし程に俄に仏前にまいり懺悔して罪きえしなり。
これらはさてをき候いぬ人のをやは悪人なれども子善人なればをやの罪ゆるす事あり、又子悪人なれども親善人なれば子の罪ゆるさるる事あり、されば故弥四郎殿は設い悪人なりともうめる母釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶらはば争か彼人うかばざるべき、いかにいわうや彼の人は法華経を信じたりしかばをやをみちびく身とぞなられて候らん、法華経を信ずる人はかまへてかまへて法華経のかたきををそれさせ給へ、念仏者と持斎と真言師と一切南無妙法蓮華経と申さざらん者をばいかに法華経をよむとも法華経のかたきとしろしめすべし、かたきをしらねばかたきにたぼらかされ候ぞ、あはれあはれけさんに入りてくわしく申し候はばや、又これよりそれへわたり候三位房佐度公等にたびごとにこのふみをよませてきこしめすべし、又この御文をば明慧房にあづけさせ給うべし、なにとなく我が智慧はたらぬ者が或はをこづき或は此文をさいかくとしてそしり候なり、或はよも此の御房は弘法大師にはまさらじよも慈覚大師にはこへじなんど人くらべをし候ぞかし、かく申す人をばものしらぬ者とをぼすべし。 ( 建治二年太歳丙子三月日 ) 
 
法華経題目抄 根本大師門人日蓮撰

 

南無妙法蓮華経
問うて云く法華経の意をもしらず只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて一日に一遍一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたるべしや、答えて云くしかるべきなり、問うて云く火火といへども手にとらざればやけず水水といへども口にのまざれば水のほしさもやまず、只南無妙法蓮華経と題目計りを唱うとも義趣をさとらずば悪趣をまぬかれん事いかがあるべかるらん、答えて云く師子の筋を琴の絃として一度奏すれば余の絃悉くきれ梅子のすき声をきけば口につたまりうるをう世間の不思議すら是くの如し況や法華経の不思議をや小乗の四諦の名計りをさやづる鸚鵡なを天に生ず三帰計りを持つ人大魚の難をまぬかる何に況や法華経の題目は八万聖教の肝心一切諸仏の眼目なり汝等此れを唱えて四悪趣をはなるべからずと疑うか、正直捨方便の法華経には「信を以て入ることを得」と云い雙林最後の涅槃経には「是の菩提の因は復無量なりと雖も若し信心を説けば則ち已に摂尽す」等云々。
夫れ仏道に入る根本は信をもて本とす五十二位の中には十信を本とす十信の位には信心初めなりたとひさとりなけれども信心あらん者は鈍根も正見の者なりたとひさとりあるとも信心なき者は誹謗闡提の者なり、善星比丘は二百五十戒を持ち四禅定を得十二部経を諳にせし者提婆達多は六万八万の宝蔵をおぼへ十八変を現ぜしかども此等は有解無信の者今に阿鼻大城にありと聞く、迦葉舎利弗等は無解有信の者なり仏に授記を蒙りて華光如来光明如来といはれき仏説いて云く「疑を生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし」等云云、此等は有解無信の者を説き給う、而るに今の代に世間の学者の云く只信心計りにて解する心なく南無妙法蓮華経と唱うる計りにて争か悪趣をまぬかるべき等云云、此の人人は経文の如くならば阿鼻大城まぬかれがたし、さればさせる解りなくとも南無妙法蓮華経と唱うるならば悪道をまぬかるべし譬えば蓮華は日に随って回る蓮に心なし芭蕉は雷によりて増長す此の草に耳なし、我等は蓮華と芭蕉との如く法華経の題目は日輪と雷との如し、犀の生角を身に帯して水に入りぬれば水五尺身に近づかず栴檀の一葉開きぬれば四十由旬の伊蘭を変ず我等が悪業は伊蘭と水との如く法華経の題目は犀の生角と栴檀の一葉との如し、金剛は堅固にして一切の物に破られずされども羊の角と亀の甲に破らる尼倶類樹は大鳥にも枝おれざれどもかのまつげに巣くうせうれう鳥にやぶらる、我等が悪業は金剛の如く尼倶類樹の如し法華経の題目は羊の角のごとくせうれう鳥の如し琥珀は塵をとり磁石は鉄をすう我等が悪業は塵と鉄との如く法華経の題目は琥珀と磁石との如し。
かくをもひて常に南無妙法蓮華経と唱うべし、法華経の第一の巻に云く「無量無数劫にも是の法を聞かんこと亦難し」第五の巻に云く「是の法華経は無量の国中に於て乃至名字をも聞くことを得可からず」等云云法華経の御名を聞く事はをぼろげにもありがたき事なり、されば須仙多仏多宝仏は世にいでさせ給いたりしかども法華経の御名をだにも説き給わず釈迦如来は法華経のために世にいでさせ給いたりしかども四十二年が間は名をひしてかたりいださせ給わず仏の御年七十二と申せし時はじめて妙法蓮華経ととなえいでさせ給いたりき、しかりといえども摩訶尸那日本の辺国の者は御名をもきかざりき一千余年すぎて三百五十余年に及びてこそ纔に御名計りをば聞きたりしか、さればこの経に値いたてまつる事をば三千年に一度華さく優曇華無量無辺劫に一度値うなる一眼の亀にもたとへたり、大地の上に針を立てて大梵天王宮より芥子をなぐるに針のさきに芥子のつらぬかれたるよりも法華経の題目に値う事はかたし、此の須弥山に針を立ててかの須弥山より大風のつよく吹く日いとをわたさんにいたりてはりの穴にいとのさきのいりたらんよりも法華経の題目に値い奉る事かたし、さればこの経の題目をとなえさせ給はんにはをぼしめすべし、生盲の始めて眼をあきて父母等をみんよりもうれしく強きかたきにとられたる者のゆるされて妻子を見るよりもめづらしとをぼすべし。
問うて云く題目計りを唱うる証文これありや、答えて云く妙法華経の第八に云く「法華の名を受持せん者福量る可からず」正法華経に云く「若し此の経を聞いて名号を宣持せば徳量る可からず」添品法華経に云く「法華の名を受持せん者福量る可からず」等云云、此等の文は題目計りを唱うる福計るべからずとみへぬ、一部八巻二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広なり、方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり、担一四句偈乃至題目計りを唱えとなうる者を護持するは要なり、広略要の中には題目は要の内なり。
問うて云く妙法蓮華経の五字にはいくばくの功徳をかおさめたるや、答えて云く大海は衆流を納めたり大地は有情非情を持てり如意宝珠は万財を雨し梵天は三界を領す妙法蓮華経の五字また是くの如し一切の九界の衆生並に仏界を納む、十界を納むれば亦十界の依報の国土を収む、先ず妙法蓮華経の五字に一切の法を納むる事をいはば経の一字は諸経の中の王なり一切の群経を納む、仏世に出でさせ給いて五十余年の間八万聖教を説きをかせ給いき、仏は人寿百歳の時壬申の歳二月十五日の夜半に御入滅あり、其の後四月八日より七月十五日に至るまで一夏九旬の間一千人の阿羅漢結集堂にあつまりて一切経をかきをかせ給いき、其の後正法一千年の間は五天竺に一切経ひろまらせ給いしかども震旦国には渡らず、像法に入って一十五年と申せしに後漢の孝明皇帝永平十年丁卯の歳仏経始めて渡って唐の玄宗皇帝開元十八年庚午の歳に至るまで渡れる訳者一百七十六人持ち来る経律論一千七十六部五千四十八巻四百八十帙、是れ皆法華経の経の一字の眷属の修多羅なり。
先ず妙法蓮華経の以前四十余年の間の経の中に大方広仏華厳経と申す経まします、竜宮城には三本あり上本は十三世界微塵数の品中本は四十九万八千八百偈下本は十万偈四十八品此の三本の外に震旦日本には僅に八十巻六十巻等あり、阿含小乗経方等般若の諸大乗経等、大日経は梵本には阿・・訶・の五字計りを三千五百の偈をもつてむすべり、況や余の諸尊の種子尊形三摩耶其の数をしらず、而るに漢土には但纔に六巻七巻なり、涅槃経は雙林最後の説漢土には但四十巻是も梵本之れ多し、此等の諸経は皆釈迦如来の所説の法華経の眷属の修多羅なり、此の外過去の七仏千仏遠遠劫の諸仏の所説現在十万の諸仏の説経皆法華経の経の一字の眷属なり、されば薬王品に仏宿王華菩薩に対して云く「譬えば一切の川流江河の諸水の中に海為れ第一なるが如く衆山の中に須弥山為れ第一衆星の中に月天子最も為れ第一」等云云、妙楽大師の釈に云く「已今当説最為第一」等云云、此の経の一字の中に十方法界の一切経を納めたり、譬えば如意宝珠の一切の財を納め虚空の万象を含めるが如し、経の一字は一代に勝る故に妙法蓮華の四字も又八万法蔵に超過するなり、妙とは法華経に云く「方便の門を開いて真実の相を示す」、章安大師の釈に云く「秘密の奥蔵を発く之を称して妙と為す」、妙楽大師此の文を受けて云く「発とは開なり」等云云、妙と申す事は開と云う事なり世間に財を積める蔵に鑰なければ開く事かたし開かざれば蔵の内の財を見ず、華厳経は仏説き給いたりしかども経を開く鑰をば仏彼の経に説き給はず、阿含方等般若観経等の四十余年の経経も仏説き給いたりしかども彼の経経の意をば開き給はず、門を閉じてをかせ給いたりしかば人彼の経経をさとる者一人もなかりき、たとひさとれりとをもひしも僻見にてありしなり、而るに仏法華経を説かせ給いて諸経の蔵を開かせ給いき、此の時に四十余年の九界の衆生始めて諸経の蔵の内の財をば見しりたりしなり、譬えば大地の上に人畜草木等あれども日月の光なければ眼ある人も人畜草木の色形をしらず、日月出で給いてこそ始めてこれをば知る事なれ、爾前の諸経は長夜の闇の如く法華経の本迹二門は日月の如し、諸の菩薩の二目ある二乗の眇目なる凡夫の盲目なる闡提の生盲なる共に爾前の経経にてはいろかたちをばわきまへずありし程に、法華経の時迹門の月輪始めて出で給いし時菩薩の両眼先にさとり二乗の眇目次にさとり凡夫の盲目次に開き生盲の一闡提未来に眼の開くべき縁を結ぶ是れ偏に妙の一字の徳なり。
迹門十四品の一妙本門十四品の一妙合せて二妙、迹門の十妙本門の十妙合せて二十妙、迹門の三十妙本門の三十妙合せて六十妙、迹門の四十妙本門の四十妙観心の四十妙合せて百二十重の妙なり、六万九千三百八十四字一一の字の下に一の妙あり総じて六万九千三百八十四の妙あり、妙とは天竺には薩と云い漢土には妙と云う妙とは具の義なり具とは円満の義なり、法華経の一一の文字一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり、譬えば大海の一・の水に一切の河の水を納め一の如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し、譬えば秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉華菓出来するが如し、爾前の秋冬の草木の如くなる九界の衆生法華経の妙の一字の春夏の日輪にあひたてまつりて菩提心の華さき成仏往生の菓なる、竜樹菩薩の大論に云く「譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」云云、此の文は大論に法華経の妙の徳を釈する文なり、妙楽大師の釈に云く「治し難きを能く治す所以に妙と称す」等云云、総じて成仏往生のなりがたき者四人あり第一には決定性の二乗第二には一闡提人第三には空心の者第四には謗法の者なり、此等を法華経にをいて仏になさせ給ふ故に法華経を妙とは云うなり。
提婆達多は斛飯王の第一の太子浄飯王にはをひ阿難尊者がこのかみ教主釈尊にはいとこに当る南閻浮提にかろからざる人なり、須陀比丘を師として出家し阿難尊者に十八変をならひ外道の六万蔵仏の八万蔵を胸にうかべ五法を行じて殆ど仏よりも尊きけしきなり、両頭を立てて破僧罪を犯さんために象頭山に戒壇を築き仏弟子を招き取り、阿闍世太子をかたらいて云く我は仏を殺して新仏となるべし太子は父の王を殺して新王となり給へ、阿闍世太子すでに父の王を殺せしかば提婆達多は又仏をうかがい大石をもちて仏の御身より血をいだし阿羅漢たる華色比丘尼を打ちころし五逆の内たる三逆をつぶさにつくる、其の上瞿伽梨尊者を弟子とし阿闍世王を檀那とたのみ五天竺十六の大国五百の中国等の一逆二逆三逆等をつくれる者は皆提婆が一類にあらざる事これなし、譬えば大海の諸河をあつめ大山の草木をあつめたるがごとし、智慧の者は舎利弗にあつまり神通の者は目連にしたがひ悪人は提婆にかたらいしなり、されば厚さ十六万八千由旬其の下に金剛の風輪ある大地すでにわれて生身に無間大城に堕ちにき、第一の弟子瞿伽梨も又生身に地獄に入る旃遮婆羅門女もおちにき波瑠璃王もをちぬ善星比丘もおちぬ、又此等の人人の生身に堕ちしをば五天竺十六の大国五百の中国十千の小国の人人も皆これをみる、六欲四禅色無色梵王帝釈第六天の魔王も閻魔法王等も皆御覧ありき、三千大千世界十方法界の衆生も皆聞きしなり、されば大地微塵劫はすぐとも無間大城を出づべからず、劫石はひすらぐとも阿鼻大城の苦はつきじとこそ思い合いたりしに、法華経の提婆品にして教主釈尊の昔の師天王如来と記し給う事こそ不思議にをぼゆれ、爾前の経経実ならば法華経は大妄語法華経実ならば爾前の諸経は大虚誑罪なり、提婆が三逆を具に犯して其の外無量の重罪を作りし天王如来となる、況や二逆一逆等の諸の悪人の得道疑いなき事譬えば大地をかへすに草木等のかへるがごとく堅石をわる者・草をわるが如し、故に此の経をば妙と云ふ。
女人をば内外典に是をそしり三皇五帝の三墳五典に諂曲の者と定む、されば災は三女より起ると云へり国の亡び人の損ずる源は女人を本とす、内典の中には初成道の大法たる華厳経には「女人は地獄の使なり能く仏の種子を断つ外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」と云い、雙林最後の大涅槃経には「一切の江河必ず回曲有り一切の女人必ず諂曲有り」と、又云く「所有三千界の男子の諸の煩悩合集して一人の女人の業障と為る」等云云、大華厳経の文に「能く仏の種子を断つ」と説かれて候は女人は仏になるべき種子をいれり、譬えば大旱・の時虚空の中に大雲をこり大雨を大地に下すにかれたるが如くなる無量無辺の草木花さき菓なる、然りと雖もいれる種はをひずして結句雨しげければくちうするが如し、仏は大雲の如く説教は大雨の如くかれたるが如くなる草木を一切衆生に譬えたり、仏教の雨に潤い五戒十善禅定等の功徳を修するは花さき菓なるが如し、雨ふれどもいりたる種のをひずかへりてくちうするは女人の仏教にあひて生死をはなれずしてかへりて仏法を失ひ悪道に堕つるに譬ふべし、是を「能く仏の種子を断つ」とは申すなり、涅槃経の文に一切の江河のまがれるが如く女人も又まがれりと説かれたるは、水はやわらかなる物なれば石山なんどのこわき物にさへられて水のさきひるむゆへにあれへこれへ行くなり、女人も亦是くの如く女人の心をば水に譬えたり、心よわくして水の如くなり、道理と思う事も男のこわき心に値いぬればせかれてよしなき方へをもむく、又水にゑがくにとどまらざるが如し、女人は不信を体とするゆへに只今さあるべしと見る事も又しばらくあればあらぬさまになるなり、仏と申すは正直を本とす故にまがれる女人は仏になるべからず五障三従と申して五つのさはり三つしたがふ事あり、されば銀色女経には「三世の諸仏の眼は大地に落つとも女人は仏になるべからず」と説かれ大論には「清風はとると云えども女人の心はとりがたし」と云へり。
此くの如く諸経に嫌はれたりし女人を文殊師利菩薩の妙の一字を説き給いしかば忽に仏になりき、あまりに不審なりし故に宝浄世界の多宝仏の第一の弟子智積菩薩、釈迦如来の御弟子の智慧第一の舎利弗尊者、四十余年の大小乗経の経文をもつて竜女の仏になるまじき由を難ぜしかども終に叶はず仏になりにき、初成道の「能く仏の種子を断つ」雙林最後の「一切の江河必ず回曲有り」の文も破れぬ、銀色女経並に大論の亀鏡も空しくなりぬ智積舎利弗は舌を巻きて口を閉ぢ人天大会は歓喜せしあまりに掌を合せたりき、是れ偏に妙の一字の徳なり、此の南閻浮提の内に二千五百の河あり一一に皆まがれり、南閻浮提の女人の心のまがれるが如し、但し娑婆耶と申す河あり縄を引きはえたるが如くして直に西海に入る、法華経を信ずる女人亦復是くの如く直に西方浄土へ入るべし是れ妙の一字の徳なり、妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり、譬えば黄鵠の子死せるに鶴の母子安となけば死せる子還つて活り、鴆鳥水に入れば魚蚌悉く死す犀の角これにふるれば死せる者皆よみがへるが如く爾前の経経にて仏種をいりて死せる二乗闡提女人等妙の一字を持ちぬればいれる仏種も還つて生ずるが如し、天台云く「闡提は心有り猶作仏すべし二乗は智を滅す心生ず可からず法華能く治す復称して妙と為す」と、妙楽云く「但大と云いて妙と名づけざるは一には有心は治し易く無心は治し難し治し難きを能く治す所以に妙と称す」等云云、此等の文の心は大方広仏華厳経大集経大品経大涅槃経等は題目に大の字のみありて妙の字なし、但生る者を治して死せる者をば治せず、法華経は死せる者をも治するが故に妙と云ふ釈なり、されば諸経にしては仏になる者も仏になるべからず其の故は法華は仏になりがたき者すら尚仏になりぬ、なりやすき者は云ふにや及ぶと云う道理立ちぬれば法華経をとかれて後は諸経にをもむく一人もあるべからず。
而るに正像二千年過ぎて末法に入つて当世の衆生の成仏往生のとげがたき事は在世の二乗闡提等にも百千万億倍すぎたる衆生の観経等の四十余年の経経によりて生死をはなれんと思うははかなしはかなし、女人は在世正像末総じて一切の諸仏の一切経の中に法華経をはなれて仏になるべからず、霊山の聴衆道場開悟たる天台智者大師定めて云く「他経は但男に記して女に記せず今経は皆記す」等云云、釈迦如来多宝仏十方諸仏の御前にして摩竭提国王舎城の艮鷲の山と申す所にて八箇年の間説き給いし法華経を智者大師まのあたり聞こしめしけるに我五十余年の一代聖教を説きをく事は皆衆生利益のためなり、但し其の中に四十二年の経経には女人仏になるべからずと説きたまひしなり、今法華経にして女人仏に成るととくとなのらせ給いしを仏滅後一千五百余年に当たつて鷲の山より東北十万八千里の山海をへだてて摩訶尸那と申す国あり震旦国是なり、此の国に仏の御使に出でさせ給ひ天台智者大師となのりて女人は法華経をはなれて仏になるべからずと定めさせ給いぬ。
尸那国より三千里をへだてて東方に国あり日本国となづけたり、天台大師御入滅二百余年と申せしに此の国に生れて伝教大師となのらせ給いて秀句と申す書を造り給いしに「能化所化倶に歴劫無し妙法経の力にて即身に成仏す」と竜女が成仏を定め置き給いたり、而るに当世の女人は即身成仏こそかたからめ往生極楽は法華を憑まば疑いなし、譬えば江河の大海に入るよりもたやすく雨の空より落つるよりもはやくあるべき事なり、而るに日本国の一切の女人は南無妙法蓮華経とは唱へずして女人の往生成仏をとげざる雙観観経等によりて弥陀の名号を一日に六万遍十万遍なんどとなうるは、仏の名号なれば巧なるには似たれども女人不成仏不往生の経によれるが故にいたずらに他の財を数えたる女人なり、これひとえに悪知識にたぼらかされたるなり、されば日本国の一切の女人の御かたきは虎狼よりも山賊海賊よりも父母の敵とわり等よりも法華経をばをしえずして念仏ををしゆるこそ一切の女人のかたきなれ。
南無妙法蓮華経と一日に六万十万千万等も唱えて後に暇あらば時時阿弥陀等の諸仏の名号をも口ずさみなるやうに申し給はんこそ法華経を信ずる女人にてはあるべきに当世の女人は一期の間弥陀の名号をばしきりにとなへ念仏の仏事をばひまなくをこなひ法華経をばつやつや唱へず供養せず或はわづかに法華経を持経者によますれども念仏者をば父母兄弟なんどのやうにをもひなし持経者をば所従眷属よりもかろくをもへり、かくしてしかも法華経を信ずる由をなのるなり、抑も浄徳夫人は二人の太子の出家を許して法華経をひろめさせ竜女は「我闡大乗教度脱苦衆生」とこそ誓ひしが全く他経計りを行じて此の経を行ぜじとは誓はず、今の女人は偏に他経を行じて法華経を行ずる方をしらず、とくとく心をひるがへすべし心をひるがへすべし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。
文永三年丙寅正月六日清澄寺に於て未の時書し畢んぬ。 
 
佐渡御書/文永九年三月五十一歳御作

 

此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たうのつじ十郎入道殿等さじきの尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり、京鎌倉に軍に死る人人を書付てたび候へ、外典抄文句の二玄の四の本末勘文宣旨等これへの人人もちてわたらせ給へ。
世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此身の死するとなるべし牛馬猶身を惜む況や人身をや癩人猶命を惜む何に況や壮人をや、仏説て云く「七宝を以て三千大千世界に布き満るとも手の小指を以て仏経に供養せんには如かず」取意、雪山童子の身をなげし楽法梵志が身の皮をはぎし身命に過たる惜き者のなければ是を布施として仏法を習へば必仏となる身命を捨る人他の宝を仏法に惜べしや、又財宝を仏法におしまん物まさる身命を捨べきや、世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし又主君の為に命を捨る人はすくなきやうなれども其数多し男子ははぢに命をすて女人は男の為に命をすつ、魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ鳥は木にすむ木のひきき事をおじて木の上枝にすむしかれどもゑにばかされて網にかかる、人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし。
仏法は摂受折伏時によるべし譬えば世間の文武二道の如しされば昔の大聖は時によりて法を行ず雪山童子薩・王子は身を布施とせば法を教へん菩薩の行となるべしと責しかば身をすつ、肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし、破戒無戒を毀り持戒正法を用ん世には諸戒を堅く持べし儒教道教を以て釈教を制止せん日には道安法師慧遠法師法道三蔵等の如く王と論じて命を軽うすべし、釈教の中に小乗大乗権経実経雑乱して明珠と瓦礫と牛驢の二乳を弁へざる時は天台大師伝教大師等の如く大小権実顕密を強盛に分別すべし、畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる諛臣と申すは是なり強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべしおごれる者は強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し、正法は一字一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず。
宝治の合戦すでに二十六年今年二月十一日十七日又合戦あり外道悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云、大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし、薬師経に云く「自界叛逆難」と是なり、仁王経に云く「聖人去る時七難必ず起らん」云云、金光明経に云く「三十三天各瞋恨を生ずるは其の国王悪を縦にし治せざるに由る」等云云、日蓮は聖人にあらざれども法華経を説の如く受持すれば聖人の如し又世間の作法兼て知るによて注し置くこと是違う可らず現世に云をく言の違はざらんをもて後生の疑をなすべからず、日蓮は此関東の御一門の棟梁なり日月なり亀鏡なり眼目なり日蓮捨て去る時七難必ず起るべしと去年九月十二日御勘気を蒙りし時大音声を放てよばはりし事これなるべし纔に六十日乃至百五十日に此事起るか是は華報なるべし実果の成ぜん時いかがなげかはしからんずらん、世間の愚者の思に云く日蓮智者ならば何ぞ王難に値哉なんと申す日蓮兼ての存知なり父母を打子あり阿闍世王なり仏阿羅漢を殺し血を出す者あり提婆達多是なり六臣これをほめ瞿伽利等これを悦ぶ、日蓮当世には此御一門の父母なり仏阿羅漢の如し然を流罪し主従共に悦びぬるあはれに無慚なる者なり謗法の法師等が自ら禍の既に顕るるを歎きしがかくなるを一旦は悦ぶなるべし後には彼等が歎き日蓮が一門に劣るべからず、例せば泰衡がせうとを討九郎判官を討て悦しが如し既に一門を亡す大鬼の此国に入なるべし法華経に云く「悪鬼入其身」と是なり。
日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず不軽品に云く「其罪畢已」等云云、不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈打擲せられしも先業の所感なるべし何に況や日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ旃陀羅が家より出たり心こそすこし法華経を信じたる様なれども身は人身に似て畜身なり魚鳥を混丸して赤白二・とせり其中に識神をやどす濁水に月のうつれるが如し糞嚢に金をつつめるなるべし、心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも猶恐しと思はず身は畜生の身なり色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり心も又身に対すればこそ月金にもたとふれ、又過去の謗法を案ずるに誰かしる勝意比丘が魂にもや大天が神にもや不軽軽毀の流類なるか失心の余残なるか五千上慢の眷属なるか大通第三の余流にもやあるらん宿業はかりがたし鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし、我今度の御勘気は世間の失一分もなし偏に先業の重罪を今生に消して後生の三悪を脱れんずるなるべし、般泥・経に云く「当来の世仮りに袈裟を被て我が法の中に於て出家学道し懶惰懈怠にして此れ等の方等契経を誹謗すること有らん当に知るべし此等は皆是今日の諸の異道の輩なり」等云云、此経文を見ん者自身をはづべし今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは是仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり、法然が一類大日が一類念仏宗禅宗と号して法華経に捨閉閣抛の四字を副へて制止を加て権教の弥陀称名計りを取立教外別伝と号して法華経を月をさす指只文字をかぞふるなんど笑ふ者は六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし、うれへなるかなや涅槃経に仏光明を放て地の下一百三十六地獄を照し給に罪人一人もなかるべし法華経の寿量品にして皆成仏せる故なり但し一闡提人と申て謗法の者計り地獄守に留られたりき彼等がうみひろげて今の世の日本国の一切衆生となれるなり。
日蓮も過去の種子已に謗法の者なれば今生に念仏者にて数年が間法華経の行者を見ては未有一人得者千中無一等と笑しなり今謗法の酔さめて見れば酒に酔る者父母を打て悦しが酔さめて後歎しが如し歎けども甲斐なし此罪消がたし、何に況や過去の謗法の心中にそみけんをや経文を見候へば烏の黒きも鷺の白きも先業のつよくそみけるなるべし外道は知らずして自然と云い今の人は謗法を顕して扶けんとすれば我身に謗法なき由をあながちに陳答して法華経の門を閉よと法然が書けるをとかくあらかひなんどす念仏者はさてをきぬ天台真言等の人人彼が方人をあながちにするなり、今年正月十六日十七日に佐渡の国の念仏者等数百人印性房と申すは念仏者の棟梁なり日蓮が許に来て云く法然上人は法華経を抛よとかかせ給には非ず一切衆生に念仏を申させ給いて候此の大功徳に御往生疑なしと書付て候を山僧等の流されたる並に寺法師等善哉善哉とほめ候をいかがこれを破し給と申しき鎌倉の念仏者よりもはるかにはかなく候ぞ無慚とも申す計りなし。
いよいよ日蓮が先生今生先日の謗法おそろしかかりける者の弟子と成けんかかる国に生れけんいかになるべしとも覚えず、般泥・経に云く「善男子過去に無量の諸罪種種の悪業を作らんに是の諸の罪報或は軽易せられ或は形状醜陋衣服足らず飲食・疎財を求めて利あらず貧賎の家及び邪見の家に生れ或は王難に遇う」等云云、又云く「及び余の種種の人間の苦報現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云、此経文は日蓮が身なくば殆ど仏の妄語となりぬべし、一には或被軽易二には或形状醜陋三には衣服不足四には飲食・疎五には求財不利六には生貧賎家七には及邪見家八には或遭王難等云云、此八句は只日蓮一人が身に感ぜり、高山に登る者は必ず下り我人を軽しめば還て我身人に軽易せられん形状端厳をそしれば醜陋の報いを得人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる持戒尊貴を笑へば貧賎の家に生ず正法の家をそしれば邪見の家に生ず善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ是は常の因果の定れる法なり、日蓮は此因果にはあらず法華経の行者を過去に軽易せし故に法華経は月と月とを並べ星と星とをつらね華山に華山をかさね玉と玉とをつらねたるが如くなる御経を或は上げ或は下て嘲哢せし故に此八種の大難に値るなり、此八種は尽未来際が間一づつこそ現ずべかりしを日蓮つよく法華経の敵を責るによて一時に聚り起せるなり譬ば民の郷郡なんどにあるにはいかなる利銭を地頭等におほせたれどもいたくせめず年年にのべゆく其所を出る時に競起が如し斯れ護法の功徳力に由る故なり等は是なり、法華経には「諸の無智の人有り悪口罵詈等し刀杖瓦石を加うる乃至国王大臣婆羅門居士に向つて乃至数数擯出せられん」等云云、獄卒が罪人を責ずば地獄を出る者かたかりなん当世の王臣なくば日蓮が過去謗法の重罪消し難し日蓮は過去の不軽の如く当世の人人は彼の軽毀の四衆の如し人は替れども因は是一なり、父母を殺せる人異なれども同じ無間地獄におついかなれば不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき又彼諸人は跋陀婆羅等と云はれざらんや但千劫阿鼻地獄にて責られん事こそ不便にはおぼゆれ是をいかんとすべき、彼軽毀の衆は始は謗ぜしかども後には信伏随従せりき罪多分は滅して少分有しが父母千人殺したる程の大苦をうく当世の諸人は翻す心なし譬喩品の如く無数劫をや経んずらん三五の塵点をやおくらんずらん。
これはさてをきぬ日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし、修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ外道が云く仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし。
南無妙法蓮華経。
日蓮弟子檀那等御中
佐渡の国は紙候はぬ上面面に申せば煩あり一人ももるれば恨ありぬべし此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ、世間にまさる歎きだにも出来すれば劣る歎きは物ならず当時の軍に死する人人実不実は置く幾か悲しかるらん、いざはの入道さかべの入道いかになりぬらんかはのべ山城得行寺殿等の事いかにと書付て給べし、外典書の貞観政要すべて外典の物語八宗の相伝等此等がなくしては消息もかかれ候はぬにかまへてかまへて給候べし。 
 
曾谷入道殿許御書/文永十二年三月五十四歳御作

 

夫れ以れば重病を療治するには良薬を構索し逆謗を救助するには要法には如かず、所謂時を論ずれば正像末教を論ずれば小大偏円権実顕密国を論ずれば中辺の両国機を論ずれば已逆と未逆と已謗と未謗と師を論ずれば凡師と聖師と二乗と菩薩と他方と此土と迹化と本化となり、故に四依の菩薩等滅後に出現し仏の付属に随つて妄りに経法を演説したまわず、所詮無智の者未だ大法を謗ぜざるには忽ちに大法を与えず悪人為る上已に実大を謗ずる者には強て之を説く可し、法華経第二の巻に仏舎利弗に対して云く「無智の人の中にして此の経を説くこと莫れ」又第四の巻に薬王菩薩等の八万の大士に告げたまわく「此の経は是れ諸仏秘要の蔵なり分布して妄りに人に授与す可からず」云云、文の心は無智の者の而も未だ正法を謗ぜざるには左右無く此の経を説くこと莫れ、法華経第七の巻不軽品に云く「乃至遠く四衆を見ても亦復故に往いて」等云云、又云く「四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り悪口罵詈して言く是の無智の比丘何れの所従り来りてか」等云云、又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云、第二第四の巻の経文と第七の巻の経文と天地水火せり。
問うて日く一経二説何れの義に就いて此の経を弘通すべき、答えて云く私に会通すべからず霊山の聴衆為る天台大師並びに妙楽大師等処処に多くの釈有り先ず一両の文を出さん、文句の十に云く「問うて日く釈迦は出世して踟・して説かず今は此れ何の意ぞ造次にして説くは何ぞや答えて日く本已に善有るには釈迦小を以て之を将護し本未だ善有らざるには不軽大を以て之を強毒す」等云云、釈の心は寂滅鹿野大宝白鷺等の前四味の小大権実の諸経四教八教の所被の機縁彼等が過去を尋ね見れば久遠大通の時に於て純円の種を下せしかども諸衆一乗経を謗ぜしかば三五の塵点を経歴す然りと雖も下せし所の下種純熟の故に時至つて自ら繋珠を顕す但四十余年の間過去に已に結縁の者も猶謗の義有る可きの故に且らく権小の諸経を演説して根機を練らしむ。
問うて日く華厳の時別円の大菩薩乃至観経等の諸の凡夫の得道は如何、答えて日く彼等の衆は時を以て之を論ずれば其の経の得道に似たれども実を以て之を勘うるに三五下種の輩なり、問うて日く其の証拠如何、答えて日く法華経第五の巻涌出品に云く「是の諸の衆生は世世より已来常に我が化を受く乃至此の諸の衆生は始め我が身を見我が所説を聞いて即ち皆信受して如来の慧に入りにき」等云云、天台釈して云く「衆生久遠」等云云、妙楽大師の云く「脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐ」又云く「故に知んぬ今日の逗会は昔成熟するの機に赴く」等云云、経釈顕然の上は私の料簡を待たず例せば王女と下女と天子の種子を下さざれば国主と為らざるが如し。
問うて日く大日経等の得道の者は如何、答えて日く種種の異義有りと雖も繁きが故に之を載せず但し所詮彼れ彼れの経経に種熟脱を説かざれば還つて灰断に同じ化に始終無きの経なり、而るに真言師等の所談の即身成仏は譬えば窮人の妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るが如し王莽趙高の輩外に求む可からず今の真言家なり、此等に因つて論ぜば仏の滅後に於て三時有り、正像二千余年には猶下種の者有り例せば在世四十余年の如し根機を知らずんば左右無く実経を与う可からず、今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり、而るに今時の学者時機に迷惑して或は小乗を弘通し或は権大乗を授与し或は一乗を演説すれども題目の五字を以て下種と為す可きの由来を知らざるか、殊に真言宗の学者迷惑を懐いて三部経に依憑し単に会二破二の義を宣ぶ猶三一相対を説かず即身頓悟の道跡を削り草木成仏は名をも聞かざるのみ、而るに善無畏金剛智不空等の僧侶月氏より漢土に来臨せし時本国に於て末だ存せざる天台の大法盛に此の国に流布せしむるの間自愛所持の経弘め難きに依り一行阿闍梨を語い得て天台の智慧を盗み取り大日経等に摂入して天竺より有るの由之を偽る、然るに震旦一国の王臣等並びに日本国の弘法慈覚の両大師之を弁えずして信を加う已下の諸学は言うに足らず、但漢土日本の中に伝教大師一人之を推したまえり、然れども未だ分明ならず所詮善無畏三蔵閻魔王の責を蒙りて此の過罪を悔い不空三蔵の還つて天竺に渡つて真言を捨てて漢土に来臨し天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし是なり。
問うて日く今時の真言宗の学者等何ぞ此の義を存せざるや、答えて日く眉は近けれども見えず自の禍を知らずとは是の謂か、嘉祥大師は三論宗を捨てて天台の弟子と為る今の末学等之を知らず、法蔵澄観華厳宗を置いて智者に帰す彼の宗の学者之を存せず、玄奘三蔵慈恩大師は五性の邪義を廃して一乗の法に移る法相の学者堅く之を諍う。
問うて日く其の証如何、答えて日く或は心を移して身を移さず或は身を移して心を移さず或は身心共に移し或は身心共に移さず其の証文は別紙に之を出す可し此の消息の詮に非ざれば之を出さず、仏滅後に三時有り、所謂正法一千年前の五百年には迦葉阿難商那和修末田地脇比丘等一向に小乗の薬を以て衆生の軽病を対治す四阿含経十誦八十誦等の諸律と相続解脱経等の三蔵を弘通して後には律宗倶舎宗成実宗と号する是なり、後の五百年には馬鳴菩薩竜樹菩薩提婆菩薩無著菩薩天親菩薩等の諸の大論師初には諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し後には一一に彼の義を破失し了つて諸の大乗経を弘通す是れ又中薬を以て衆生の中病を対治す所謂華厳経般若経大日経深密経等三輪宗法相宗真言陀羅尼禅法等なり。
問うて日く迦葉阿難等の諸の小聖何ぞ大乗経を弘めざるや、答えて日く一には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり、問うて日く竜樹天親等何ぞ一乗経を弘めざるや、答えて日く四つの義有り先の如し、問うて日く諸の真言師の云く「仏の滅後八百年に相当つて竜猛菩薩月氏に出現して釈尊の顕経たる華厳法華等を馬鳴菩薩等に相伝し大日の密経をば自ら南天の鉄塔を開拓し面り大日如来と金剛薩・とに対して之を口決す、竜猛菩薩に二人の弟子有り提婆菩薩には釈迦の顕教を伝え竜智菩薩には大日の密教を授く竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝えず其の間に提婆菩薩の伝うる所の顕教は先づ漢土に渡る其の後数年を経歴して竜智菩薩の伝うる所の秘密の教を善無畏金剛智不空漢土に渡す」等云云此の義如何、答えて日く一切の真言師是くの如し又天台華厳等の諸家も一同に之を信ず、抑竜猛已前には月氏国の中には大日の三部経無しと云うか釈迦よりの外に大日如来世に出現して三部の経を説くと云うか、顕を提婆に伝え密を竜智に授くる証文何れの経論に出でたるぞ、此の大妄語は提婆の欺誑罪にも過ぎ瞿伽利の誑言にも超ゆ漢土日本の王位の尽き両朝の僧侶の謗法と為るの由来専ら斯れに在らずや、然れば則ち彼の震旦既に北蕃の為に破られ此の日域も亦西戎の為に侵されんと欲す此等は且らく之を置く。
像法に入つて一千年月氏の仏法漢土に渡来するの間前四百年には南北の諸師異義蘭菊にして東西の仏法未だ定まらず、四百年の後五百年の前其の中間一百年の間に南岳天台等漢土に出現して粗法華の実義を弘宣したまう然而円慧円定に於ては国師たりと雖も円頓の戒場未だ之を建立せず故に国を挙つて戒師と仰がず、六百年の已後法相宗西天より来れり太宗皇帝之を用ゆる故に天台法華宗に帰依するの人漸く薄し、茲に就いて隙を得て則天皇后の御宇に先に破られし華厳亦起つて天台宗に勝れたるの由之を称す、太宗より第八代玄宗皇帝の御宇に真言始めて月氏より来れり所謂開元四年には善無畏三蔵の大日経蘇悉地経開元八年には金剛智不空の両三蔵の金剛頂経此くの如く三経を天竺より漢土に持ち来り、天台の釈を見聞して智発して釈を作つて大日経と法華経とを一経と為し其の上印真言を加えて密教と号し之に勝るの由、結句権教を以て実教を下す漢土の学者此の事を知らず。
像法の末八百年に相当つて伝教大師和国に託生して華厳宗等の六宗の邪義を糾明するのみに非ずしかのみならず南岳天台も未だ弘めたまわざる円頓戒壇を叡山に建立す、日本一州の学者一人も残らず大師の門弟と為る、但天台と真言との勝劣に於ては誑惑と知つて而も分明ならず、所詮末法に贈りたもうか此等は傍論為るの故に且らく之を置く、吾が師伝教大師三国に未だ弘まらざるの円頓の大戒壇を叡山に建立したもう此れ偏に上薬を持ち用いて衆生の重病を治せんと為る是なり。
今末法に入つて二百二十余年五濁強盛にして三災頻りに起り衆見の二濁国中に充満し逆謗の二輩四海に散在す、専ら一闡提の輩を仰いで棟梁と恃怙謗法の者を尊重して国師と為す、孔丘の孝経之を提げて父母の頭を打ち釈尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す不孝国は此の国なり勝母の閭他境に求めじ、故に青天眼を瞋らして此の国を睨み黄地は憤りを含んで大地を震う、去る正嘉元年の大地動文永元年の大彗星此等の夭災は仏滅後二千二百二十余年の間月氏漢土日本の内に未だ出現せざる所の大難なり、彼の弗舎密多羅王の五天の寺塔を焼失し漢土の会昌天子の九国の僧尼を還俗せしめしに超過すること百千倍なり大謗法の輩国中に充満し一天に弥るに依つて起る所の夭災なり、大般涅槃経に云く「末法に入つて不孝謗法の者大地微塵の如し」[取意]、法滅尽経に「法滅尽の時は狗犬の僧尼恒河沙の如し」等云云[取意]、今親り此の国を見聞するに人毎に此の二の悪有り此等の大悪の輩は何なる秘術を以て之を扶救せん、大覚世尊仏眼を以つて末法を鑒知し此の逆謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう、所謂法華経本門久成の釈尊宝浄世界の多宝仏高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て二仏座を並べしこと宛も日月の如く十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師子の座を並べ敷き衆星の如く列座したもう、四百万億那由佗の大地に三仏二会に充満したもうの儀式は華厳寂場の華蔵世界にも勝れ真言両界の千二百余尊にも超えたり一切世間の眼なり、此の大会に於て六難九易を挙げて法華経を流通せんと諸の大菩薩に諌暁せしむ、金色世界の文殊師利兜史多宮の弥勒菩薩宝浄世界の智積菩薩補陀落山の観世音菩薩等頭陀第一の大迦葉智慧第一の舎利弗等三千世界を統領する無量の梵天須弥の頂に居住する無辺の帝釈一四天下を照耀せる阿僧祗の日月十方の仏法を護持する恒沙の四天王大地微塵の諸の竜王等我にも我にも此の経を付嘱せられよと競い望みしかども世尊都て之を許したまわず、爾の時に下方の大地より未見今見の四大菩薩を召し出したもう、所謂上行菩薩無辺行菩薩浄行菩薩安立行菩薩なり、此の大菩薩各各六万恒河沙の眷属を具足す形貌威儀言を以て宣べ難く心を以て量るべからず、初成道の法慧功徳林金剛幢金剛蔵等の四菩薩各各十恒河沙の眷属を具足し仏会を荘厳せしも大集経の欲色二界の中間大宝坊に於て来臨せし十方の諸大菩薩乃至大日経の八葉の中の四大菩薩も金剛頂経の三十七尊の中の十六大菩薩等も此の四大菩薩に比・すれば猶帝釈と猿猴と華山と妙高との如し、弥勒菩薩衆の疑を挙げて云く「乃一人をも識らず」等云云、天台大師云く「寂場より已降今座より已往十方の大士来会絶えず限る可からずと雖も我れ補処の智力を以て悉く見悉く知る而も此の衆に於ては一人をも識らず」等云云、妙楽云く「今見るに皆識らざる所以は乃至智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、天台又云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深きを知る」云云、例せば漢王の四将の張良樊●陳平周勃の四人を商山の四皓綺里枳角里先生東園公夏黄公等の四賢に比するが如し天地雲泥なり、四皓が為体頭には白雪を頂き額には四海の波を畳み眉には半月を移し腰には多羅枝を張り恵帝の左右に侍して世を治められたる事尭舜の古を移し一天安穏なりし事神農の昔にも異ならず、此の四大菩薩も亦復是くの如し法華の会に出現し三仏を荘厳し謗人の慢幢を倒すこと大風の小樹の枝を吹くが如く衆会の敬心を致すこと諸天の帝釈に従うが如く提婆が仏を打ちしも舌を出して掌を合せ瞿伽梨が無実を構えしも地に臥して失を悔ゆ、文殊等の大聖は身を慙ぢて言を出さず舎利弗等の小聖は智を失して頭を低る、爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、例せば九苞淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るが如し等、此の四大菩薩は釈尊成道の始、寂滅道場の砌にも来らず如来入滅の終りに抜提河の辺にも至らずしかのみならず霊山八年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊弥勒等の発起影向の諸聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音妙音等の発誓弘経の諸大士にも交わらず、但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後仏の滅後正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり、法華経の分別功徳品に云く「悪世末法の時能く是の経を持つ者」云云、涅槃経に云く「譬えば七子の父母平等ならざるに非ず然も病者に於て心則ち偏に重きが如し」云云、法華経の薬王品に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」云云、七子の中に上の六子は且らく之を置く第七の病子は一闡提の人五逆謗法の者末代悪世の日本国の一切衆生なり、正法一千年の前五百年には一切の声聞涅槃し了んぬ、後の五百年には他方来の菩薩大体本土に還り向い了んぬ、像法に入つての一千年には文殊観音薬王弥勒等南岳天台と誕生し傅大士行基伝教等と示現して衆生を利益す。
今末法に入つて此等の諸大士も皆本処に隠居しぬ、其の外、閻浮守護の天神地祗も或は他方に去り或は此の土に住すれども悪国を守護せず或は法味を嘗めざれば守護の力無し、例せば法身の大士に非ざれば三悪道に入られざるが如し大苦忍び難きが故なり、而るに地涌千界の大菩薩一には娑婆世界に住すること多塵劫なり二には釈尊に随つて久遠より已来初発心の弟子なり三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり、是くの如き等の宿縁の方便諸大菩薩に超過せり。
問うて日く其の証拠如何、法華第五涌出品に云く「爾の時に他方の国土より諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる乃至爾の時に仏諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく止みね善男子汝等が此の経を護持せんことを須いじ」等云云、天台云く「他方は此の土結縁の事浅し宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無し」云云、妙楽云く「尚偏に他方の菩薩に付せず豈独り身子のみならんや」云云、又云く「告八万大士とは乃至今の下の文に下方を召すが如く尚本眷属を待つ験し余は未だ堪えざることを」云云、経釈の心は迦葉舎利弗等の一切の声聞文殊薬王観音弥勒等の迹化他方の諸大士は末世の弘経に堪えずと云うなり、経に云く「我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属有り是の諸人等能く我が滅後に於て護持し読誦し広く此の経を説かん、仏是を説きたもう時娑婆世界の三千大千の国土地皆震裂して其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩有り同時に涌出せり、乃至是の菩薩衆の中に四たり導師有り一をば上行と名け二をば無辺行と名け三をば浄行と名け四をば安立行と名く其の衆の中に於て最も為上首唱導の師なり」等云云、天台云く「是れ我が弟子応に我が法を弘むべし」云云、妙楽云く「子父の法を弘む」云云道暹云く「付属とは此の経は唯下方涌出の菩薩に付す何が故に爾る法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云、此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと猶魚の水に練れ鳥の天に自在なるが如し、濁悪の衆生此の大士に遇つて仏種を殖うること例せば水精の月に向つて水を生じ孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し、天台云く「猶百川の海に潮すべきが如し縁に牽れて応生するも亦復是くの如し」云云。
慧日大聖尊仏眼を以て兼ねて之を鑒みたもう故に諸の大聖を捨棄し此の四聖を召し出して要法を伝え末法の弘通を定むるなり、問うて日く要法の経文如何、答えて日く口伝を以て之を伝えん釈尊然後正像二千年の衆生の為に宝塔より出でて虚空に住立し右の手を以て文殊観音梵帝日月四天等の頂を摩でて是くの如く三反して法華経の要よりの外の広略二門並びに前後の一代の一切経を此等の大士に付属す正像二千年の機の為なり、其の後涅槃経の会に至つて重ねて法華経並びに前四味の諸経を説いて文殊等の諸大菩薩に授与したもう、此等は・拾の遺属なり。
爰を以て滅後の弘経に於ても仏の所属に随つて弘法の限り有り然れば則ち迦葉阿難等は一向に小乗経を弘通して大乗経を申べず、竜樹無著等は権大乗経を申べて一乗経を弘通せず、設い之を申べしかども纔かに以て之を指示し或は迹門の一分のみ之を宣べて全く化道の始終を談ぜず、南岳天台等は観音薬王等の化身と為て小大権実迹本二門化道の始終師弟の遠近等悉く之を宣べ其の上に已今当の三説を立てて一代超過の由を判ぜること天竺の諸論にも勝れ真丹の衆釈にも過ぎたり旧訳新訳の三蔵も宛かも此の師には及ばず、顕密二道の元祖も敵対に非ず、然りと雖も広略を以て本と為して未だ肝要に能わず自身之を存すと雖も敢て他伝に及ばず此れ偏に付属を重んぜしが故なり、伝教大師は仏の滅後一千八百年像法の末に相当つて日本国に生れて小乗大乗一乗の諸戒一一に之を分別し梵網瓔珞の別受戒を以て小乗の二百五十戒を破失し又法華普賢の円頓の大王の戒を以て諸大乗経の臣民の戒を責め下す、此の大戒は霊山八年を除いて一閻浮提の内に未だ有らざる所の大戒場を叡山に建立す、然る間八宗共に偏執を倒し一国を挙げて弟子と為る、観勒の流の三論成実道昭の渡せる法相倶舎良弁の伝うる所の華厳宗鑒真和尚の渡す所の律宗弘法大師の門弟等誰か円頓の大戒を持たざらん此の義に違背するは逆路の人なり、此の戒を信仰するは伝教大師の門徒なり日本一州円機純一朝野遠近同帰一乗とは是の謂か、此の外は漢土の三論宗の吉蔵大師並びに一百余人法相宗の慈恩大師華厳宗の法蔵澄観真言宗の善無畏金剛智不空慧果日本の弘法慈覚等の三蔵の諸師は四依の大士に非ざる暗師なり愚人なり、経に於ては大小権実の旨を弁えず顕密両道の趣を知らず論に於ては通申と別申とを糾さず申と不申とを暁めず、然りと雖も彼の宗宗の末学等此の諸師を崇敬して之を聖人と号し之を国師と尊ぶ今先ず一を挙げんに万を察せよ。
弘法大師の十住心論秘蔵宝鑰二教論等に云く「此くの如き乗乗自乗に名を得れども後に望めば戯論と作る」又云く「無明の辺域」又云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗み各自宗に名く」等云云、釈の心は法華の大法を華厳と大日経とに対して戯論の法と蔑り無明の辺域と下し剰え震旦一国の諸師を盗人と罵る、此れ等の謗法謗人は慈恩得一の三乗真実一乗方便の誑言にも超過し善導法然が千中無一捨閉閣抛の過言にも雲泥せるなり、六波羅蜜経をば唐の末に不空三蔵月氏より之を渡す後漢より唐の始めに至るまで未だ此の経有らず南三北七の碩徳未だ此の経を見ず三論天台法相華厳の人師誰人か彼の経の醍醐を盗まんや、又彼の経の中に法華経は醍醐に非ずというの文之有りや不や、而るに日本国の東寺の門人等堅く之を信じて種種に僻見を起し非より非を増し暗より暗に入る不便の次第なり。
彼の門家の伝法院の本願たる正覚の舎利講式に云く「尊高なる者は不二摩訶衍の仏驢牛の三身は車を扶くること能ず秘奥なる者は両部曼陀羅の教顕乗の四法の人は履をも取るに能えず」云云、三論天台法相華厳等の元祖等を真言の師に相対するに牛飼にも及ばず力者にも足らずと書ける筆なり、乞い願わくは彼の門徒等心在らん人は之を案ぜよ大悪口に非ずや大謗法に非ずや、所詮此等の誑言は弘法大師の望後作戯論の悪口より起るか、教主釈尊多宝十方の諸仏は法華経を以て已今当の諸説に相対して皆是真実と定め然る後世尊は霊山に隠居し多宝諸仏は各本土に還りたまいぬ、三仏を除くの外誰か之を破失せん。
就中弘法所覧の真言経の中に三説を悔い還すの文之有りや不や、弘法既に之を出さず末学の智如何せん而るに弘法大師一人のみ法華経を華厳大日の二経に相対して戯論盗人と為す所詮釈尊多宝十方の諸仏を以て盗人と称するか末学等眼を閉じて之を案ぜよ。
問うて日く昔より已来未だ曾て此くの如きの謗言を聞かず何ぞ上古清代の貴僧に違背して寧ろ当今濁世の愚侶を帰仰せんや、答えて曰く汝が言う所の如くば愚人は定んで理運なりと思わんか然れども此等は皆人の偽言に因つて如来の金言を知らざるなり、大覚世尊涅槃経に滅後を警めて言く「善男子我が所説に於て若し疑を生ずる者は尚受くべからず」云云、然るに仏尚我が所説なりと雖も不審有らば之を叙用せざれとなり、今予を諸師に比べて謗難を加う、然りと雖も敢て私曲を構えず専ら釈尊の遺誡に順つて諸人の謬釈を糾すものなり。
夫れ斉の始めより梁の末に至るまで二百余年の間南北の碩徳光宅智誕等の二百余人涅槃経の「我等悉名邪見之人」の文を引いて法華経を以て邪見之経と定め一国の僧尼並びに王臣等を迷惑せしむ、陳隋の比智者大師之を糾明せし時始めて南北の僻見を破り了んぬ、唐の始めに太宗の御宇に基法師勝鬘経の「若如来随彼所欲而方便説即是大乗無有二乗」の文を引いて一乗方便三乗真実の義を立つ此の邪義震旦に流布するのみに非ず、日本の得一が称徳天皇の御時盛んに非義を談ず、爰に伝教大師悉く彼の邪見を破し了んぬ、後鳥羽院の御代に源空法然観無量寿経の読誦大乗の一句を以て法華経を摂入し「還つて称名念仏に対すれば雑行方便なれば捨閉閣抛せよ」等云云。
然りと雖も五十余年の間南都北京五畿七道の諸寺諸山の衆僧等此の悪義を破ること能はざりき予が難破分明為るの間一国の諸人忽ち彼の選択集を捨て了んぬ根露るれば枝枯れ源乾けば流竭くとは蓋し此の謂なるか、加之ならず唐の半玄宗皇帝の御代に善無畏不空等大日経の住心品の如実一道心の一句に於て法華経を摂入し返つて権経と下す、日本の弘法大師は六波羅蜜経の五蔵の中に第四の熟蘇味の般若波羅蜜蔵に於て法華経涅槃経等を摂入し第五の陀羅尼蔵に相対して争つて醍醐を盗む等云云、此等の禍咎は日本一州の内四百余年今に未だ之を糾明せし人あらず予が所存の難勢・く一国に満つ必ず彼の邪義を破られんか此等は且らく之を止む。
迦葉阿難等竜樹天親等天台伝教等の諸大聖人知つて而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法は法華経の文赫赫たり論釈等に載せざること明明なり生知は自ら知るべし賢人は明師に値遇して之を信ぜよ罪根深重の輩は邪推を以て人を軽しめ之を信ぜず且く耳に停め本意に付かば之を喩さん、大集経の五十一に大覚世尊月蔵菩薩に語つて云く「我が滅後に於て五百年の中は解脱堅固次の五百年は禅定堅固、[已上一千年]次の五百年は読誦多聞堅固次の五百年は多造塔寺堅固[已上二千年]次の五百年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」等云云、今末法に入つて二百二十余年我法中闘諍言訟白法隠没の時に相当れり、法華経の第七薬王品に教主釈尊多宝仏と共に宿王華菩薩に語つて云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して悪魔魔民諸の天竜夜叉鳩槃荼等に其の便を得せしむこと無けん」大集経の文を以て之を案ずるに前四箇度の五百年は仏の記文の如く既に符合せしめ了んぬ、第五の五百歳の一事豈唐捐ならん、随つて当世の体為る大日本国と大蒙古国と闘諍合戦す第五の五百に相当れるか、彼の大集経の文を以て此の法華経の文を惟うに後五百歳中広宣流布於閻浮提の鳳詔豈扶桑国に非ずや、弥勒菩薩の瑜伽論に云く「東方に小国有り其の中に唯大乗の種姓のみ有り」云云、慈氏菩薩仏の滅後九百年に相当つて無著菩薩の請に赴いて中印度に来下して瑜伽論を演説す、是れ或は権機に随い或は付属に順い或は時に依つて権経を弘通す、然りと雖も法華経の涌出品の時地涌の菩薩を見て近成を疑うの間仏請に赴いて寿量品を演説し分別功徳品に至つて地涌の菩薩を勧奨して云く「悪世末法の時能く是の経を持たん者」と、弥勒菩薩自身の付属に非ざれば之を弘めずと雖も親り霊山会上に於て悪世末法時の金言を聴聞せし故に瑜伽論を説くの時末法に日本国に於て地涌の菩薩法華経の肝心を流布せしむ可きの由兼ねて之を示すなり、肇公の翻経の記に云く「大師須梨耶蘇摩左の手に法華経を持し右の手に鳩摩羅什の頂を摩で授与して云く仏日西に入つて遺耀将に東に及ばんとす此の経典東北に縁有り汝慎んで伝弘せよ」云云、予此の記の文を拝見して両眼滝の如く一身悦びを・くす、「此の経典東北に縁有り」云云西天の月支国は未申の方東方の日本国は丑寅の方なり、天竺に於て東北に縁有りとは豈日本国に非ずや、遵式の筆に云く「始め西より伝う猶月の生ずるが如し今復東より返る猶日の昇るが如し」云云、正像二千年には西より東に流る暮月の西空より始まるが如し末法五百年には東より西に入る朝日の東天より出ずるに似たり、根本大師の記に云く「代を語れば則ち像の終り末の初地を尋ぬれば唐の東羯の西人を原ぬれば則ち五濁の生闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るが故に」云云、又云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり何を以て知る事を得ん安楽行品に云く末世法滅の時なり」云云此の釈は語美しく心隠れたり、読まん人之を解し難きか、伝教大師の語は我が時に似て心は末法を楽いたもうなり、大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり、大集経の文を以て之を勘うるに大師存生の時は第四の多造塔寺堅固の時に相当る全く第五闘諍堅固の時に非ず、而るに余処の釈に末法太有近の言は有り定めて知んぬ闘諍堅固の筆は我が時を指すに非ざるなり。
予倩事の情を案ずるに大師薬王菩薩として霊山会上に侍して仏上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したもう故に粗之を喩すか、而るに予地涌の一分に非ざれども兼ねて此の事を知る故に地涌の大士に前立ちて粗五字を示す例せば西王母の先相には青鳥客人の来るには・鵲の如し、此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を習学すべし然れば則ち予所持の聖教多多之有り、然りと雖も両度の御勘気衆度の大難の時は或は一巻二巻散失し或は一字二字脱落し或は魚魯の謬・或は一部二部損朽す、若し黙止して一期を過ぐるの後には弟子等定んで謬乱出来の基なり、爰を以つて愚身老耄已前に之を糾調せんと欲す、而るに風聞の如くんば貴辺並びに大田金吾殿越中の御所領の内並びに近辺の寺寺に数多の聖教あり等云云、両人共に大檀那為り所願を成ぜしめたまえ、涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り外には清浄の檀越有つて仏法久住せん」云云、天台大師は毛喜等を相語らい伝教大師は国道弘世等を恃怙む云云。
仁王経に云く「千里の内をして七難起らざらしむ」云云、法華経に云く「百由旬の内に諸の衰患無からしむ」云云、国主正法を弘通すれば必ず此の徳を備う臣民等此の法を守護せんに豈家内の大難を払わざらんや、又法華経の第八に云く「所願虚しからず亦現世に於て其の福報を得ん」又云く「当に今世に於て現の果報を得べし」云云、又云く「此の人は現世に白癩の病いを得ん」又云く「頭破れて七分と作らん」又第二巻に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云、第五の巻に云く「若し人悪み罵らば口則ち閉塞せん」云云、伝教大師の云く「讃する者は福を安明に積み謗ずる者は罪を無間に開く」等云云、安明とは須弥山の名なり、無間とは阿鼻の別名なり、国主持者を誹謗せば位を失い臣民行者を毀呰すれば身を喪す一国を挙りて用いざれば定めて自反他逼出来せしむべきなり、又上品の行者は大の七難中品の行者は二十九難の内下品の行者は無量の難の随一なり、又大の七難に於て七人有り第一は日月の難なり第一の内に又五の大難有り所謂日月度を失し時節反逆し或は赤日出で或は黒日出で二三四五の日出ず或は日蝕して光無く或は日輪一重二三四五重輪現ぜん、又経に云く「二の月並び出でん」と、今此の国土に有らざるは二の日二の月等の大難なり余の難は大体之有り、今此の亀鏡を以て日本国を浮べ見るに必ず法華経の大行者有るか、既に之を謗る者に大罰有り之を信ずる者何ぞ大福無からん。
今両人微力を励まし予が願に力を副え仏の金言を試みよ経文の如く之を行ぜんに徴無くんば釈尊正直の経文多宝証明の誠言十方分身の諸仏の舌相有言無実と為らんか、提婆の大妄語に過ぎ瞿伽利の大誑言に超えたらん日月地に落ち大地反覆し天を仰いで声を発し地に臥して胸を押う殷の湯王の玉体を薪に積み戒日大王の竜顔を火に入れしも今此の時に当るか、若し此の書を見聞して宿習有らば其の心を発得すべし、使者に此の書を持たしめ早早北国に差し遣し金吾殿の返報を取りて速速是非を聞かしめよ、此の願若し成ぜば崑崙山の玉鮮かに求めずして蔵に収まり大海の宝珠招かざるに掌に在らん、恐惶謹言。 
 
法蓮抄/建治元年五十四歳御作

 

夫れ以れば法華経第四の法師品に云く「若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し若し人一つの悪言を以て在家出家の法華経を読誦する者を毀・せん其の罪甚だ重し」等云云、妙楽大師云く「然も此の経の功高く理絶えたるに約して此の説を作すことを得る余経は然らず」等云云、此の経文の心は一劫とは人寿八万歳ありしより百年に一歳をすて千年に十歳をすつ此くの如く次第に減ずる程に人寿十歳になりぬ、此の十歳の時は当時の八十の翁のごとし、又人寿十歳より百年ありて十一歳となり又百年ありて十二歳となり乃至一千年あらば二十歳となるべし乃至八万歳となる、此の一減一増を一劫とは申すなり、又種種の劫ありといへども且く此の劫を以て申すべし、此の一劫が間身口意の三業より事おこりて仏をにくみたてまつる者あるべし例せば提婆達多がごとし、仏は浄飯王の太子提婆達多は斛飯王の子なり、兄弟の子息なる間仏の御いとこにてをはせしかども今も昔も聖人も凡夫も人の中をたがへること女人よりして起りたる第一のあだにてはんべるなり、釈迦如来は悉達太子としてをはしし時提婆達多も同じ太子なり、耶輸大臣に女あり耶輸多羅女となづく五天竺第一の美女四海名誉の天女なり、悉達と提婆と共に后にせん事をあらそひ給いし故に中あしくならせ給いぬ、後に悉達は出家して仏とならせ給い提婆達多又須陀比丘を師として出家し給いぬ、仏は二百五十戒を持ち三千の威儀をととのへ給いしかば諸の天人これを渇仰し四衆これを恭敬す、提婆達多を人たとまざりしかばいかにしてか世間の名誉仏にすぎんとはげみしほどにとかう案じいだして仏にすぎて世間にたとまれぬべき事五つあり、四分律に云く一には糞掃衣二には常乞食三には一座食四には常露座五には塩及び五味を受けず等云云、仏は人の施す衣をうけさせ給う提婆達多は糞掃衣、仏は人の施す食をうけ給う提婆は只常乞食、仏は一日に一二三反も食せさせ給い提婆は只一座食、仏は塚間樹下にも処し給い提婆は日中常露座なり、仏は便宜にはしを復は五味を服し給い提婆はしを等を服せず、かうありしかば世間提婆の仏にすぐれたる事雲泥なり、かくのごとくして仏を失いたてまつらんとうかがひし程に頻婆舎羅王は仏の檀那なり日日に五百輛の車を数年が間一度もかかさずおくりて仏並びに御弟子等を供養し奉る、これをそねみとらんがために未生怨太子をかたらいて父頻婆舎羅王を殺させ我は仏を殺さんとして或は石をもつて仏を打ちたてまつるは身業なり、仏は誑惑の者と罵詈せしは口業なり、内心より宿世の怨とをもひしは意業なり三業相応の大悪此れにはすぐべからず、此の提婆達多ほどの大悪人三業相応して一中劫が間釈迦仏を罵詈打杖し嫉妬し候はん大罪はいくらほどか重く候べきや、此の大地は厚さは十六万八千由旬なりされば四大海の水をも九山の土石をも三千の草木をも一切衆生をも頂戴して候へども落ちもせずかたぶかず破れずして候ぞかし、しかれども提婆達多が身は既に五尺の人身なりわづかに三逆罪に及びしかば大地破れて地獄に入りぬ、此の穴天竺にいまだ候玄奘三蔵漢土より月支に修行して此れをみる西域と申す文に載せられたり、而るに法華経の末代の行者を心にもをもはず色にもそねまず只たわふれてのりて候が上の提婆達多がごとく三業相応して一中劫仏を罵詈し奉るにすぎて候ととかれて候、何に況や当世の人の提婆達多がごとく三業相応しての大悪心をもつて多年が間法華経の行者を罵詈毀辱嫉妬打擲讒死歿死に当てんをや。
問うて云く末代の法華経の行者を怨める者は何なる地獄に堕つるや、答えて云く法華経の第二に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん一劫を具足して劫尽きなば復死し展転して無数劫に至らん」等云云、此の大地の下五百由旬を過ぎて炎魔王宮あり、その炎魔王宮より下一千五百由旬が間に八大地獄並びに一百三十六の地獄あり、其の中に一百二十八の地獄は軽罪の者の住処八大地獄は重罪の者の住処なり、八大地獄の中に七大地獄は十悪の者の住処なり、第八の無間地獄は五逆と不孝と誹謗との三人の住処なり、今法華経の末代の行者を戯論にも罵詈誹謗せん人人はおつべしと説き給へる文なり、法華経の第四法師品に云く「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て乃至持経者を歎美せんは其の福復彼に過ぎん」等云云、妙楽大師云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養する有らん者は福十号に過ぐ」等云云、夫れ人中には転輪聖王第一なり此の輪王出現し給うべき前相として大海の中に優曇華と申す大木生いて華さき実なる、金輪王出現して四天の山海を平になす大地は緜の如くやはらかに大海は甘露の如くあまく大山は金山草木は七宝なり、此の輪王須臾の間に四天下をめぐる、されば天も守護し鬼神も来つてつかへ竜王も時に随つて雨をふらす、劣夫なんどもこれに従ひ奉れば須臾に四天下をめぐる、是れ偏に転輪王の十善の感得せる大果報なり、毘沙門等の四大天王は又これには似るべくもなき四天下の自在の大王なり、帝釈は・利天の主第六天の魔王は欲界の頂に居して三界を領す、此れは上品の十善戒無遮の大善の所感なり、大梵天王は三界の天尊色界の頂に居して魔王帝釈をしたがへ三千大千界を手ににぎる、有漏の禅定を修行せる上に慈悲喜捨の四無量心を修行せる人なり、声聞と申して舎利弗迦葉等は二百五十戒無漏の禅定の上に苦空無常無我の観をこらし三界の見思を断尽し水火に自在なり故に梵王と帝釈とを眷属とせり、縁覚は声聞に似るべくもなき人なり仏と出世をあらそふ人なり、昔猟師ありき飢えたる世に利・と申す辟支仏にひえの飯を一盃供養し奉りて彼の猟師九十一劫が間人中天上の長者と生る、今生には阿那律と申す天眼第一の御弟子なり、此れを妙楽大師釈して云く「稗飯軽しと雖も所有を尽し及び田勝るるを以ての故に勝るる報を得る」等云云、釈の心はひえの飯は軽しといへども貴き辟支仏を供養する故にかかる大果報に度度生るとこそ書かれて候へ、又菩薩と申すは文殊弥勒等なり、此の大菩薩等は彼の辟支仏に似るべからざる大人なり、仏は四十二品の無明と申す闇を破る妙覚の仏なり、八月十五夜の満月のごとし、此の菩薩等は四十一品の無明をつくして等覚の山の頂にのぼり十四夜の月のごとし、仏と申すは上の諸人には百千万億倍すぐれさせ給へる大人なり、仏には必ず三十二相あり其の相と申すは梵音声無見頂相肉・相白毫相乃至千輻輪相等なり、此の三十二相の中の一相をば百福を以て成じ給へり、百福と申すは仮令大医ありて日本国漢土五天竺十六の大国五百の中国十千の小国乃至一閻浮提四天下六欲天乃至三千大千世界の一切衆生の眼の盲たるを本の如く一時に開けたらんほどの大功徳を一つの福として此の福百をかさねて候はんを以て三十二相の中の一相を成ぜり、されば此の一相の功徳は三千大千世界の草木の数よりも多く四天下の雨の足よりもすぎたり、設い壊劫の時僧・陀と申す大風ありて須弥山を吹き抜いて色究竟天にあげてかへつて微塵となす大風なり、然れども仏の御身の一毛をば動かさず仏の御胸に大火あり平等大慧大智光明火坑三昧と云う、涅槃の時は此の大火を胸より出して一身を焼き給いしかば六欲四海の天神竜衆等仏を惜み奉る故にあつまりて大雨を下し三千の大地を水となし須弥は流るといへども此の大火はきへず、仏にはかかる大徳ましますゆへに阿闍世王は十六大国の悪人を集め一四天下の外道をかたらひ提婆を師として無量の悪人を放ちて仏弟子をのりうち殺害せしのみならず、賢王にてとがもなかりし父の大王を一尺の釘をもつて七処までうちつけ、はつけにし生母をば王のかんざしをきり刀を頭にあてし重罪のつもりに悪瘡七処に出でき、三七日を経て三月の七日に大地破れて無間地獄に堕ちて一劫を経べかりしかども仏の所に詣で悪瘡いゆるのみならず無間地獄の大苦をまぬかれ四十年の寿命延びたりき、又耆婆大臣も御つかひなりしかば炎の中に入って瞻婆長者が子を取り出したりき、之を以て之を思うに一度も仏を供養し奉る人はいかなる悪人女人なりとも成仏得道疑無し、提婆には三十相あり二相かけたり所謂白毫と千輻輪となり、仏に二相劣りたりしかば弟子等軽く思いぬべしとて螢火をあつめて眉間につけて白毫と云ひ千輻輪には鍛冶に菊形をつくらせて足に付けて行くほどに足焼て大事になり結句死せんとせしかば仏に申す、仏御手を以てなで給いしかば苦痛さりき、ここにて改悔あるべきかと思いしにさはなくして瞿曇が習ふ医師はこざかしかりけり又術にて有るなど云ひしなり、かかる敵にも仏は怨をなし給はず何に況や仏を一度も信じ奉る者をば争でか捨て給うべきや。
かかる仏なれば木像画像にうつし奉るに優填大王の木像は歩をなし摩騰の画像は一切経を説き給ふ、是れ程に貴き教主釈尊を一時二時ならず一日二日ならず一劫が間掌を合せ両眼を仏の御顔にあて頭を低て他事を捨て頭の火を消さんと欲するが如く渇して水ををもひ飢えて食を思うがごとく間無く供養し奉る功徳よりも戯論に一言継母の継子をほむるが如く心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は彼の三業相応の信心にて一劫が間生身の仏を供養し奉るには百千万億倍すぐべしと説き給いて候、これを妙楽大師は福過十号とは書れて候なり、十号と申すは仏の十の御名なり十号を供養せんよりも末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかかれたり、妙楽大師は法華経の一切経に勝れたる事を二十あつむる其の一なり、巳上上の二つの法門は仏説にては候へども心えられぬ事なり争か仏を供養し奉るよりも凡夫を供養するがまさるべきや、而れども是を妄語と云はんとすれば釈迦如来の金言を疑い多宝仏の証明を軽しめ十方諸仏の舌相をやぶるになりぬべし、若し爾らば現身に阿鼻地獄に堕つべし、巌石にのぼりてあら馬を走らするが如し心肝しづかならず、又信ぜば妙覚の仏にもなりぬべし如何してか今度法華経に信心をとるべき信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り足なくして千里の道を企つるが如し、但し近き現証を引いて遠き信を取るべし仏の御歳八十の正月一日法華経を説きおはらせ給て御物語あり、「阿難弥勒迦葉我世に出でし事は法華経を説かんがためなり我既に本懐をとげぬ今は世にありて詮なし今三月ありて二月十五日に涅槃すべし」云云、一切内外の人人疑をなせしかども仏語むなしからざればついに二月十五日に御涅槃ありき、されば仏の金言は実なりけるかと少し信心はとられて候、又仏記し給ふ「我滅度の後一百年と申さんに阿育大王と申す王出現して一閻浮提三分の一が主となりて八万四千の塔を立て我が舎利を供養すべし」云云、人疑い申さんほどに案の如くに出現して候いき是よりしてこそ信心をばとりて候いつれ、又云く「我滅後に四百年と申さんに迦弐色迦王と申す大王あるべし五百の阿羅漢を集めて婆沙論を造るべし」と是又仏記のごとくなりき、是等をもつてこそ仏の記文は信ぜられて候へ、若し上に挙ぐる所の二の法門妄語ならば此の一経は皆妄語なるべし、寿量品に我は過去五百塵点劫のそのかみの仏なりと説き給う我等は凡夫なり過ぎにし方は生れてより已来すらなをおぼへず況や一生二生をや況や五百塵点劫の事をば争か信ずべきや、又舎利弗等に記して云く「汝未来世に於て無量無辺不可思議劫を過ぎ及至当に作仏することを得べし号を華光如来と曰わん」云云、又又摩訶迦葉に記して云く「未来世に於て乃至最後の身に於て仏と成為ことを得ん名けて光明如来と曰わん」云云、此等の経文は又未来の事なれば我等凡夫は信ずべしともおぼえず、されば過去未来を知らざらん凡夫は此の経は信じがたし又修行しても何の詮かあるべき是を以て之を思うに現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は信ずる人もありやせん。
今法蓮上人の送り給える諷誦の状に云く「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当り一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」等云云、夫れ教主釈尊をば大覚世尊と号したてまつる、世尊と申す尊の一字を高と申す高と申す一字は又孝と訓ずるなり、一切の孝養の人の中に第一の孝養の人なれば世尊と号し奉る、釈迦如来の御身は金色にして三十二相を備へ給ふ、彼の三十二相の中に無見頂相と申すは仏は丈六の御身なれども竹杖外道も其の御長をはからず梵天も其の頂を見ず故に無見頂相と申す是れ孝養第一の大人なればかかる相を備へまします、孝経と申すに二あり一には外典の孔子と申せし聖人の書に孝経あり、二には内典今の法華経是なり、内外異なれども其意は是れ同じ、釈尊塵点劫の間修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ孝養の事なり、然るに六道四生の一切衆生は皆父母なり孝養おへざりしかば仏にならせ給はず、今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり、所謂地獄の一人餓鬼の一人乃至九界の一人を仏になせば一切衆生皆仏になるべきことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し、囲碁と申すあそびにしちようと云う事あり一の石死しぬれば多の石死ぬ、法華経も又此くの如し金と申すものは木草を失う用を備へ水は一切の火をけす徳あり、法華経も又一切衆生を仏になす用おはします、六道四生の衆生に男女あり此の男女は皆我等が先生の父母なり、一人ももれば仏になるべからず故に二乗をば不知恩の者と定めて永不成仏と説かせ給う孝養の心あまねからざる故なり、仏は法華経をさとらせ給いて六道四生の父母孝養の功徳を身に備へ給へり、此の仏の御功徳をば法華経を信ずる人にゆづり給う、例せば悲母の食う物の乳となりて赤子を養うが如し、「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」等云云、教主釈尊は此の功徳を法華経の文字となして一切衆生の口になめさせ給う、赤子の水火をわきまへず毒薬を知らざれざも乳を含めば身命をつぐが如し、阿含経を習う事は舎利弗等の如くならざれども華厳経をさとる事解脱月等の如くならざれども乃至一代聖教を胸に浮べたる事文殊の如くならざれども一字一句をも之を聞きし人仏にならざるはなし、彼の五千の上慢は聞きてさとらず不信の人なり、然れども謗ぜざりしかば三月を経て仏になりにき「若しは信じ若しは信ぜざれば即ち不動国に生ぜん」と涅槃経に説かるるは此の人の事なり、法華経は不信の者すら謗ぜざれば聞きつるが不思議にて仏になるなり、所謂七歩蛇に食れたる人一歩乃至七歩をすぎず毒の用の不思議にて八歩をすごさぬなり、又胎内の子の七日の如し必ず七日の内に転じて余の形となる八日をすごさず、今の法蓮上人も又此くの如し教主釈尊の御功徳御身に入りかはらせ給いぬ、法蓮上人の御身は過去聖霊の御容貌を残しおかれたるなり、たとへば種の苗となり華の菓となるが如し其華は落ちて菓はあり種はかくれて苗は現に見ゆ、法蓮上人の御功徳は過去聖霊の御財なり、松さかふれば柏よろこぶ芝かるれば蘭なく情なき草木すら此くの如し何に況や情あらんをや又父子の契をや。
彼の諷誦に云く「慈父閉眼の朝より第十三年の忌辰に至るまで釈迦如来の御前に於て自ら自我偈一巻を読誦し奉りて聖霊に回向す」等云云、当時日本国の人仏法を信じたるやうには見へて候へども古いまだ仏法のわたらざりし時は仏と申す事も法と申す事も知らず候しを守屋と上宮太子と合戦の後信ずる人もあり又信ぜざるもあり、漢土も此くの如し摩騰漢土に入つて後道士と諍論あり道士まけしかば始て信ずる人もありしかども不信の人多し、されば烏竜と申せし能書は手跡の上手なりしかば人之を用ゆ、然れども仏経に於てはいかなる依怙ありしかども書かず最後臨終の時子息遺竜を召して云く汝我が家に生れて芸能をつぐ我が孝養には仏経を書くべからず殊に法華経を書く事なかれ、我が本師の老子は天尊なり天に二つの日なし而に彼の経に唯我一人と説くきくわい第一なり、若し遺言を違へて書く程ならば忽に悪霊となりて命を断つべしと云つて舌八つにさけて頭七分に破れ五根より血を吐いて死し畢んぬ、されども其の子善悪を弁へざれば我が父の謗法のゆへに悪相現じて阿鼻地獄に堕ちたりともしらず遺言にまかせて仏経を書く事なし況や口に誦する事あらんをや、かく過ぎ行く程に時の王を司馬氏と号し奉る御仏事のありしに書写の経あるべしとて漢土第一の能書を尋ねらるるに遺竜に定まりぬ、召して仰せ付けらるるに再三辞退申せしかば力及ばずして他筆にて一部の経を書かせられけるが、帝王心よからず尚遺竜を召して仰せに云く汝親の遺言とて朕が経を書かざる事其の謂無しと雖も且く之を免ず但題目計りは書くべしと三度勅定あり、遺竜猶辞退申す大王竜顔心よからずして云く天地尚王の進退なり、然らば汝が親は即ち我が家人にあらずや、私をもつて公事を軽んずる事あるべからず、題目計りは書くべし若し然らずんば、仏事の庭なりといへども速に汝が頭を刎ぬべしとありければ題目計り書けり、所謂妙法蓮華経巻第一乃至巻第八等云云、其の暮に私宅に帰りて歎いて云く我親の遺言を背き王勅術なき故に仏経を書きて不孝の者となりぬ天神も地祗も定んで瞋り不孝の者とおぼすらんとて寝る、夜の夢の中に大光明出現せり朝日の照すかと思へば天人一人庭上に立ち給へり又無量の眷属あり、此の天人の頂上の虚空に仏六十四仏まします、遺竜合掌して問うて云く如何なる天人ぞや、答えて云く我は是れ汝が父の烏竜なり仏法を謗ぜし故に舌八つにさけ五根より血を出し頭七分に破れて無間地獄に堕ちぬ、彼の臨終の大苦をこそ堪忍すべしともおぼへざりしに無間の苦は尚百千億倍なり、人間にして鈍刀をもて爪をはなち鋸をもて頚をきられ炭火の上を歩ばせ棘にこめられなんどせし人の苦を此の苦にたとへばかずならず、如何してか我が子に告げんと思いしかどもかなはず、臨終の時汝を誡て仏経を書くことなかれと遺言せし事のくやしさ申すばかりなし、後悔先にたたず我が身を恨み舌をせめしかどもかひなかりしに昨日の朝より法華経の始の妙の一字無間地獄のかなへの上に飛び来つて変じて金色の釈迦仏となる、此の仏三十二相を具し面貌満月の如し、大音声を出して説て云く「仮令法界に遍く善を断ちたる諸の衆生も一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜん」云云、此の文字の中より大雨降りて無間地獄の炎をけす閻魔王は冠をかたぶけて敬ひ獄卒は杖をすてて立てり、一切の罪人はいかなる事ぞとあはてたり、又法の一字来れり前の如し又蓮又華又経此くの如し六十四字来つて六十四仏となりぬ、無間地獄に仏六十四体ましませば日月の六十四が天に出たるごとし、天より甘露をくだして罪人に与ふ、抑此等の大善は何なる事ぞと罪人等仏に問い奉りしかば六十四の仏の答に云く我等が金色の身は栴檀宝山よりも出現せず是は無間地獄にある烏竜が子の遺竜が書ける法華経八巻の題目の八八六十四の文字なり、彼の遺竜が手は烏竜が生める処の身分なり、書ける文字は烏竜が書くにてあるなりと説き給いしかば無間地獄の罪人等は我等も娑婆にありし時は子もあり婦もあり眷属もありき、いかにとぶらはぬやらん又訪へども善根の用の弱くして来らぬやらんと歎けども歎けども甲斐なし、或は一日二日一年二年半劫一劫になりぬるにかかる善知識にあひ奉つて助けられぬるとて我等も眷属となりて・利天にのぼるか、先ず汝をおがまんとて来るなりとかたりしかば、夢の中にうれしさ身にあまりぬ、別れて後又いつの世にか見んと思いし親のすがたをも見奉り仏をも拝し奉りぬ、六十四仏の物語に云く我等は別の主なし汝は我等が檀那なり、今日よりは汝を親と守護すべし汝をこたる事なかれ、一期の後は必ず来つて都率の内院へ導くべしと御約束ありしかば遺竜ことに畏みて誓いて云く今日以後外典の文字を書く可からず等云云、彼の世親菩薩が小乗経を誦せじと誓い日蓮が弥陀念仏を申さじと願せしがごとし、さて夢さめて此の由を王に申す、大王の勅宣に云く此の仏事已に成じぬ此の由を願文に書き奉れとありしかば勅宣の如くにし、さてこそ漢土日本国は法華経にはならせ給いけれ、此の状は漢土の法華伝記に候。
是は書写の功徳なり、五種法師の中には書写は最下の功徳なり、何に況や読誦なんど申すは無量無辺の功徳なり、今の施主十三年の間毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は唯仏与仏乃能究尽なるべし、夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり自我偈は二十八品のたましひなり、三世の諸仏は寿量品を命とし十方の菩薩も自我偈を眼目とす、自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、此の自我偈を聴聞して仏になりたる人人の数をあげて候には小千大千三千世界の微塵の数をこそあげて候へ、其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり、涅槃経四十巻の中に集りて候いし五十二類にも自我偈の功徳をこそ仏は重ねて説かせ給いしか、されば初め寂滅道場に十方世界微塵数の大菩薩天人等雲の如くに集りて候いし大集大品の諸聖も大日経金剛頂経等の千二百余尊も過去に法華経の自我偈を聴聞してありし人人、信力よはくして三五の塵点を経しかども今度釈迦仏に値い奉りて法華経の功徳すすむ故に霊山をまたずして爾前の経経を縁として得道なると見えたり。
されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う世界の人の父母の如し、今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり、我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや、若し此れを捨て給はば仏還つて我が身を捨て給うなるべし、これを以て思うに田村利仁なんどの様なる兵を三千人生みたらん女人あるべし、此の女人を敵とせん人は此の三千人の将軍をかたきにうくるにあらずや、法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし、今の法華経の文字は皆生身の仏なり我等は肉眼なれば文字と見るなり、たとへば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり、此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず肉眼は黒色と見る二乗は虚空と見菩薩は種種の色と見仏種純熟せる人は仏と見奉る、されば経文に云く「若し能く持つこと有るは即ち仏身を持つなり」等云云、天台の云く「稽首妙法蓮華経一帙八軸四七品六万九千三八四一一文文是真仏真仏説法利衆生」等と書かれて候。
之を以て之を案ずるに法蓮法師は毎朝口より金色の文字を出現す此の文字の数は五百十字なり、一一の文字変じて日輪となり日輪変じて釈迦如来となり大光明を放って大地をつきとをし三悪道無間大城を照し乃至東西南北上方に向つては非想非非想へものぼりいかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給いて彼の聖霊に語り給うらん、我をば誰とか思食す我は是れ汝が子息法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり、此の文字は汝が眼とならん耳とならん足とならん手とならんとこそねんごろに語らせ給うらめ、其の時過去聖霊は我が子息法蓮は子にはあらず善知識なりとて娑婆世界に向つておがませ給うらん、是こそ実の孝養にては候なれ。
抑法華経を持つと申すは経は一なれども持つ事は時に随つて色色なるべし、或は身肉をさひて師に供養して仏になる時もあり、又身を牀として師に供養し又身を薪となし、又此の経のために杖木をかほり又精進し又持戒し上の如くすれども仏にならぬ時もあり時に依つて不定なるべし、されば天台大師は適時而已と書かれ、章安大師は「取捨得宜不可一向」等云云。
問うて云く何なる時か身肉を供養し何なる時か持戒なるべき、答えて云く智者と申すは此くの如き時を知りて法華経を弘通するが第一の秘事なり、たとへば渇者は水こそ用うる事なれ弓箭兵杖はよしなし、裸なる者は衣を求む水は用なし一をもつて万を察すべし、大鬼神ありて法華経を弘通せば身を布施すべし余の衣食は詮なし、悪王あつて法華経を失わば身命をほろぼすとも随うべからず、持戒精進の大僧等法華経を弘通するやうにて而も失うならば是を知つて責むべし、法華経に云く「我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ」云云、涅槃経に云く「寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を匿さざれ」等云云、章安大師の云く「寧喪身命不匿教とは身は軽く法は重し身を死して法を弘む」等云云。
然るに今日蓮は外見の如くば日本第一の僻人なり我が朝六十六箇国二の島の百千万億の四衆上下万人に怨まる、仏法日本国に渡つて七百余年いまだ是程に法華経の故に諸人に悪まれたる者なし、月氏漢土にもありともきこえず又あるべしともおぼへず、されば一閻浮提第一の僻人ぞかし、かかるものなれば上には一朝の威を恐れ下には万民の嘲を顧みて親類もとぶらはず外人は申すに及ばず出世の恩のみならず世間の恩を蒙りし人も諸人の眼を恐れて口をふさがんためにや心に思はねどもそしるよしをなす、数度事にあひ両度御勘気を蒙りしかば我が身の失に当るのみならず、行通人人の中にも或は御勘気或は所領をめされ或は御内を出され或は父母兄弟に捨てらる、されば付きし人も捨てはてぬ今又付く人もなし、殊に今度の御勘気には死罪に及ぶべきがいかが思はれけん佐渡の国につかはされしかば彼の国へ趣く者は死は多く生は稀なり、からくして行きつきたりしかば殺害謀叛の者よりも猶重く思はれたり、鎌倉を出でしより日日に強敵かさなるが如し、ありとある人は念仏の持者なり、野を行き山を行くにもそばひらの草木の風に随つてそよめく声も、かたきの我を責むるかとおぼゆ、やうやく国にも付きぬ北国の習なれば冬は殊に風はげしく雪ふかし衣薄く食ともし、根を移されし橘の自然にからたちとなりけるも身の上につみしられたり、栖にはおばなかるかやおひしげれる野中の三昧ばらにおちやぶれたる草堂の上は雨もり壁は風もたまらぬ傍に昼夜耳に聞く者はまくらにさゆる風の音、朝に眼に遮る者は遠近の路を埋む雪なり、現身に餓鬼道を経寒地獄に堕ちぬ、彼の蘇武が十九年の間胡国に留められて雪を食し李陵が巌窟に入つて六年蓑をきてすごしけるも我が身の上なりき。
今適御勘気ゆりたれども鎌倉中にも且くも身をやどし迹をとどむべき処なければかかる山中の石のはざま松の下に身を隠し心を静むれども大地を食とし草木を著ざらんより外は食もなく衣も絶えぬる処にいかなる御心ねにてかくかきわけて御訪のあるやらん、知らず過去の我が父母の御神の御身に入りかはらせ給うか、又知らず大覚世尊の御めぐみにやあるらん涙こそおさへがたく候へ。
問うて云く抑正嘉の大地震文永の大彗星を見て自他の叛逆我が朝に法華経を失う故としらせ給うゆへ如何、答えて云く此の二の天災地夭は外典三千余巻にも載せられず三墳五典史記等に記する処の大長星大地震は或は一尺二尺一丈二丈五丈六丈なりいまだ一天には見へず地震も又是くの如し、内典を以て之を勘うるに仏御入滅已後はかかる大瑞出来せず、月支には弗沙密多羅王の五天の仏法を亡し十六大国の寺塔を焼き払い僧尼の頭をはねし時もかかる瑞はなし、漢土には会昌天子の寺院四千六百余所をとどめ僧尼二十六万五百人を還俗せさせし時も出現せず、我が朝には欽明の御宇に仏法渡りて守屋仏法に敵せしにも清盛法師七大寺を焼き失い山僧等園城寺を焼亡せしにも出現せざる大彗星なり。
当に知るべし是よりも大事なる事の一閻浮提の内に出現すべきなりと勘えて立正安国論を造りて最明寺入道殿に奉る、彼の状に云く〔取詮〕此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり、禅宗念仏宗等が法華経を失う故なり、彼の法師原が頚をきりて鎌倉ゆゐの浜にすてずば国正に亡ぶべし等云云、其の後文永の大彗星の時は又手ににぎりて之を知る、去文永八年九月十二日の御勘気の時重ねて申して云く予は日本国の棟梁なり我を失うは国を失うなるべしと今は用いまじけれども後のためにとて申しにき、又去年の四月八日に平左衛門尉に対面の時蒙古国は何比かよせ候べきと問うに、答えて云く経文は月日をささず但し天眼のいかり頻りなり今年をばすぐべからずと申したりき、是等は如何にして知るべしと人疑うべし予不肖の身なれども法華経を弘通する行者を王臣人民之を怨む間法華経の座にて守護せんと誓をなせる地神いかりをなして身をふるひ天神身より光を出して此の国をおどす、いかに諌むれども用いざれば結局は人の身に入つて自界叛逆せしめ他国より責むべし。
問うて云く此の事何たる証拠あるや、答う経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行わず」等云云、夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を、仁王経には小難は無量なり中難は二十九大難は七とあり此の経をば一には仁王と名づけ二には天地鏡と名づく、此の国主を天地鏡に移して見るに明白なり、又此の経文に云く「聖人去らん時は七難必ず起る」等云云、当に知るべし此の国に大聖人有りと、又知るべし彼の聖人を国主信ぜずと云う事を。
問うて云く先代に仏寺を失ひし時何ぞ此の瑞なきや、答えて云く瑞は失の軽重によりて大小あり此の度の瑞は怪むべし、一度二度にあらず一返二返にあらず年月をふるままに弥盛なり、之を以て之を察すべし先代の失よりも過ぎたる国主に失あり、国主の身にて万民を殺し又万臣を殺し又父母を殺す失よりも聖人を怨む事彼に過ぐる事を、今日本国の王臣並びに万民には月氏漢土総じて一閻浮提に仏滅後二千二百二十余年の間いまだなき大科人ごとにあるなり、譬えば十方世界の五逆の者を一処に集めたるが如し、此の国の一切の僧は皆提婆瞿伽利が魂を移し国主は阿闍世王波瑠璃王の化身なり、一切の臣民は雨行大臣月称大臣刹陀耆利等の悪人をあつめて日本国の民となせり、古は二人三人逆罪不孝の者ありしかばこそ其の人の在所は大地も破れて入りぬれ、今は此の国に充満せる故に日本国の大地一時にわれ無間に堕ち入らざらん外は一人二人の住所の堕つべきやうなし、例せば老人の一二の白毛をば抜けども老耄の時は皆白毛なれば何を分けて抜き捨つべき只一度に剃捨る如くなり、問うて云く汝が義の如きは我が法華経の行者なるを用いざるが故に天変地夭等ありと、法華経第八に云く「頭破れて七分と作らん」と、第五に云く「若し人悪み罵れば口則ち閉塞す」等云云、如何ぞ数年が間罵とも怨とも其の義なきや、答う反詰して云く不軽菩薩を毀・し罵詈し打擲せし人は口閉頭破ありけるか如何、問う然れば経文に相違する事如何、答う法華経を怨む人に二人あり、一人は先生に善根ありて今生に縁を求めて菩提心を発して仏になるべき者は或は口閉ぢ或は頭破る、一人は先生に謗人なり今生にも謗じ生生に無間地獄の業を成就せる者あり是はのれども口則ち閉塞せず、譬えば獄に入つて死罪に定まる者は獄の中にて何なる僻事あれども死罪を行うまでにて別の失なし、ゆりぬべき者は獄中にて僻事あればこれをいましむるが如し、問うて云く此の事第一の大事なり委細に承わるべし、答えて云く涅槃経に云く法華経に云く云云。 
 
曾谷殿御返事/弘安二年八月五十八歳御作

 

焼米二俵給畢ぬ、米は少と思食し候へども人の寿命を継ぐ者にて候、命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説かせ給へり、米は命を継ぐ物なり譬えば米は油の如く命は燈の如し、法華経は燈の如く行者は油の如し檀那は油の如く行者は燈の如し、一切の百味の中には乳味と申して牛の乳第一なり、涅槃経の七に云く「猶諸味の中に乳最も為れ第一なるが如し」云云、乳味をせんずれば酪味となる酪味をせんずれば乃至醍醐味となる醍醐味は五味の中の第一なり、法門を以て五味にたとへば儒家の三千外道の十八大経は衆味の如し、阿含経は醍醐味なり、阿含経は乳味の如く観経等の一切の方等部の経は酪味の如し、一切の般若経は生蘇味華厳経は熟蘇味無量義経と法華経と涅槃経とは醍醐のごとし又涅槃経は醍醐のごとし法華経は五味の主の如し、妙楽大師云く「若し教旨を論ずれば法華は唯開権顕遠を以つて教の正主と為す独り妙の名を得る意此に在り」云云、又云く「故に知んぬ法華は為れ醍醐の正主」等云云、此の釈は正く法華経は五味の中にはあらず此の釈の心は五味は寿命をやしなふ寿命は五味の主なり、天台宗には二の意あり一には華厳方等般若涅槃法華は同じく醍醐味なり、此の釈の心は爾前と法華とを相似せるににたり世間の学者等此の筋のみを知りて法華経は五味の主と申す法門に迷惑せるゆへに諸宗にたぼらかさるるなり、開未開異なれども同じく円なりと云云是は迹門の心なり、諸経は五味法華経は五味の主と申す法門は本門の法門なり、此の法門は天台妙楽粗書かせ給い候へども分明ならざる間学者の存知すくなし、此の釈に若論教旨とかかれて候は法華経の題目を教旨とはかかれて候、開権と申すは五字の中の華の一字なり顕遠とかかれて候は五字の中の蓮の一字なり独得妙名とかかれて候は妙の一字なり、意在於此とかかれて候は法華経を一代の意と申すは題目なりとかかれて候ぞ、此れを以て知んぬべし法華経の題目は一切経の神一切経の眼目なり、大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべき処に大日経等を以て一切の木画の仏を開眼し候へば日本国の一切の寺塔の仏像等形は仏に似れども心は仏にあらず九界の衆生の心なり、愚癡の者を智者とすること是より始まれり、国のついへのみ入て祈とならず還て仏変じて魔となり鬼となり国主乃至万民をわづらはす是なり、今法華経の行者と檀那との出来する故に百獣の師子王をいとひ草木の寒風をおそるるが如し、是は且くをく法華経は何故ぞ諸経に勝れて一切衆生の為に用いる事なるぞと申すに譬えば草木は大地を母とし虚空を父とし甘雨を食とし風を魂とし日月をめのととして生長し華さき菓なるが如く、一切衆生は実相を大地とし無相を虚空とし一乗を甘雨とし已今当第一の言を大風とし定慧力荘厳を日月として妙覚の功徳を生長し大慈大悲の華さかせ安楽仏果の菓なつて一切衆生を養ひ給ふ、一切衆生又食するによりて寿命を持つ、食に多数あり土を食し水を食し火を食し風を食する衆生もあり、求羅と申す虫は風を食すうぐろもちと申す虫は土を食す、人の皮肉骨髄等を食する鬼神もあり、尿糞等を食する鬼神もあり、寿命を食する鬼神もあり、声を食する鬼神もあり、石を食するいをくろがねを食するばくもあり、地神天神竜神日月帝釈大梵王二乗菩薩仏は仏法をなめて身とし魂とし給ふ、例せば乃往過去に輪陀王と申す大王ましましき一閻浮提の主なり賢王なり、此の王はなに物をか供御とし給うと申せば白馬の鳴声をきこしめして身も生長し身心も安穏にしてよをたもち給う、れいせば蝦蟆と申す虫の母のなく声を聞いて生長するがごとし、秋のはぎのしかの鳴くに華のさくがごとし、象牙草のいかづちの声にはらみ柘榴の石にあふてさかうるがごとし、されば此の王白馬ををほくあつめてかはせ給ふ、又此の白馬は白鳥をみてなく馬なれば、をほくの白鳥をあつめ給いしかば我が身の安穏なるのみならず百官万乗もさかへ天下も風雨時にしたがひ他国もかうべをかたぶけてすねんすごし給うにまつり事のさをいにやはむべりけん又宿業によつて果報や尽きけん千万の白鳥一時にうせしかば又無量の白馬もなく事やみぬ、大王は白馬の声をきかざりしゆへに華のしぼめるがごとく月のしよくするがごとく、御身の色かはり力よはく六根もうもうとしてぼれたるがごとくありしかば、きさきももうもうしくならせ給い百官万乗もいかんがせんとなげき、天もくもり地もふるひ大風かんぱちしけかちやくびように人の死する事肉はつか骨はかはらとみへしかば他国よりもをそひ来れり、此の時大王いかんがせんとなげき給いしほどにせんする所は仏神にいのるにはしくべからず、此の国にもとより外道をほく国国をふさげり、又仏法という物ををほくあがめをきて国の大事とす、いづれにてもあれ白鳥をいだして白馬をなかせん法をあがむべし、まづ外道の法にをほせつけて数日をこなはせけれども白鳥一疋もいでこず白馬もなく事なし、此の時外道のいのりをとどめて仏教にをほせつけられけり、其の時馬鳴菩薩と申す小僧一人ありめしいだされければ此の僧の給はく国中に外道の邪法をとどめて仏法を弘通し給うべくば馬をなかせん事やすしといふ、勅宣に云くをほせのごとくなるべしと、其の時に馬鳴菩薩三世十方の仏にきしやうし申せしかばたちまちに白鳥出来せり、白馬は白鳥を見て一こへなきけり、大王馬の声を一こへきこしめして眼を開き給い白鳥二ひき乃至百千いできたりければ百千の白馬一時に悦びなきけり、大王の御いろなをること日しよくのほんにふくするがごとし、身の力心のはかり事先先には百千万ばいこへたり、きさきもよろこび大臣公卿いさみて万民もたな心をあはせ他国もかうべをかたぶけたりとみへて候。
今のよも又是にたがうべからず、天神七代地神五代已上十二代は成劫のごとし先世のかいりきと福力とによつて今生のはげみなけれども国もおさまり人の寿命も長し、人王のよとなりて二十九代があひだは先世のかいりきもすこしよはく今生のまつり事もはかなかりしかば国にやうやく三災七難をこりはじめたり、なをかんどより三皇五帝の世ををさむべきふみわたりしかば其をもつて神をあがめて国の災難をしづむ、人王第三十代欽明天王の世となりて国には先世のかいふくうすく悪心がうじやうの物をほく出来て善心をろかに悪心はかしこし、外典のをしへはあさしつみもをもきゆへに外典すてられ内典になりしなり、れいせばもりやは日本の天神七代地神五代が間の百八十神をあがめたてまつりて仏教をひろめずしてもとの外典となさんといのりき、聖徳太子は教主釈尊を御本尊として法華経一切経をもんしよとして両方のせうぶありしについには神はまけ仏はかたせ給いて神国はじめて仏国となりぬ、天竺漢土の例のごとし、今此三界皆是我有の経文あらはれさせ給うべき序なり、欽明より桓武にいたるまで二十よ代二百六十余年が間仏を大王とし神を臣として世ををさめ給いしに仏教はすぐれ神はをとりたりしかども未だよをさまる事なし。
いかなる事にやとうたがはりし程に桓武の御宇に伝教大師と申す聖人出来して勘えて云く神はまけ仏はかたせ給いぬ、仏は大王神は臣かなれば上下あひついでれいぎただしければ国中をさまるべしとをもふに国のしづかならざる事ふしんなるゆへに一切経をかんがへて候へば道理にて候けるぞ、仏教にをほきなるとがありけり、一切経の中に法華経と申す大王をはします、ついで華厳経大品経深密経阿含経等はあるいは臣の位あるいはさふらいのくらいあるいはたみの位なりけるを或は般若経は法華経にはすぐれたり三論宗或は深密経は法華経にすぐれたり法相宗或は華厳経は法華経にすぐれたり華厳宗或は律宗は諸宗の母なりなんど申して一人として法華経の行者なし、世間に法華経を読誦するは還つてをこつきうしなうなり、「之に依つて天もいかり守護の善神も力よはし」云云、所謂「法華経をほむといえども返つて法華の心をころす」等云云、南都七大寺十五大寺日本国中の諸寺諸山の諸僧等此のことばをききてをほきにいかり天竺の大天漢土の道士我が国に出来せり所謂最澄と申す小法師是なり、せんする所は行きあはむずる処にてかしらをわれかたをきれをとせうてのれと申せしかども桓武天皇と申す賢王たづねあきらめて六宗はひが事なりけりとて初めてひへい山をこんりうして天台法華宗とさだめをかせ円頓の戒を建立し給うのみならず、七大寺十五大寺の六宗の上に法華宗をそへをかる、せんする所六宗を法華経の方便となされしなり、れいせば神の仏にまけて門まほりとなりしがごとし、日本国も又又かくのごとし法華最第一の経文初めて此の国に顕れ給い能竊為一人説法華経の如来の使初めて此の国に入り給いぬ、桓武平城嵯峨の三代二十余年が間は日本一州皆法華経の行者なり、しかれば栴檀には伊蘭釈尊には提婆のごとく伝教大師と同時に弘法大師と申す聖人出現せり、漢土にわたりて大日経真言宗をならい日本国にわたりてありしかども伝教大師の御存生の御時はいたう法華経に大日経すぐれたりといふ事はいはざりけるが、伝教大師去ぬる弘仁十三年六月四日にかくれさせ給いてのちひまをえたりとやをもひけん、弘法大師去ぬる弘仁十四年正月十九日に真言第一華厳第二法華第三法華経は戯論の法無明の辺域天台宗等は盗人なりなんど申す書どもをつくりて、嵯峨の皇帝を申しかすめたてまつりて七宗に真言宗を申しくはえて七宗を方便とし真言宗は真実なりと申し立て畢んぬ。
其の後日本一州の人ごとに真言宗になりし上其の後又伝教大師の御弟子慈覚と申す人漢土にわたりて天台真言の二宗の奥義をきはめて帰朝す、此の人金剛頂経蘇悉地経の二部の疏をつくりて前唐院と申す寺を叡山に申し立て畢んぬ、此れには大日経第一法華経第二其の中に弘法のごとくなる過言かずうべからず、せむぜむにせうせう申し畢んぬ、智証大師又此の大師のあとをついでをんじやう寺に弘通せり、たうじ寺とて国のわざはいとみゆる寺是なり、叡山の三千人は慈覚智証をはせずば真言すぐれたりと申すをばもちいぬ人もありなん、円仁大師に一切の諸人くちをふさがれ心をたぼらかされてことばをいだす人なし、王臣の御きえも又伝教弘法にも超過してみへ候へばえい山七寺日本一州一同に法華経は大日経にをとりと云云、法華経の弘通の寺寺ごとに真言ひろまりて法華経のかしらとなれり、かくのごとくしてすでに四百余年になり候いぬ、やうやく此の邪見ぞうじやうして八十一乃至五の五王すでにうせぬ仏法うせしかば王法すでにつき畢んぬ。
あまつさへ禅宗と申す大邪法念仏宗と申す小邪法真言と申す大悪法此の悪宗はなをならべて一国にさかんなり、天照太神はたましいをうしなつてうぢごをまほらず八幡大菩薩は威力よはくして国を守護せずけつくは他国の物とならむとす、日蓮此のよしを見るゆへに仏法中怨倶堕地獄等のせめをおそれて粗国主にしめせども、かれらが邪義にたぼらかされて信じ給う事なし還つて大怨敵となり給いぬ法華経をうしなふ人国中に充満せりと申せども人しる事なければただぐちのとがばかりにてある事今は又法華経の行者出来せり日本国の人人癡の上にいかりををこす邪法をあいし正法をにくむ、三毒がうじやうなる一国いかでか安穏なるべき、壊劫の時は大の三災をこる、いはゆる火災水災風災なり、又減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇疫病合戦なり、飢渇は大貪よりをこりやくびやうはぐちよりをこり合戦は瞋恚よりをこる、今日本国の人人四十九億九万四千八百二十八人の男女人人ことなれども同じく一の三毒なり、所謂南無妙法蓮華経を境としてをこれる三毒なれば人ごとに釈迦多宝十方の諸仏を一時にのりせめ流しうしなうなり、是れ即ち小の三災の序なり。
しかるに日蓮が一るいいかなる過去の宿しうにや法華経の題目のだんなとなり給うらん、是をもつてをぼしめせ今梵天帝釈日月四天天照太神八幡大菩薩日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎは過去の輪陀王のごとし、白馬は日蓮なり白鳥は我らが一門なり白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天帝釈日月四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきとつよづよとをぼしめすべし。
抑貴辺の去ぬる三月の御仏事に鵞目其の数有りしかば今年一百よ人の人を山中にやしなひて十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ、此れらは末代悪世には一えんぶだい(閻浮提)第一の仏事にてこそ候へ、いくそばくか過去の聖霊もうれしくをぼすらん、釈尊は孝養の人を世尊となづけ給へり貴辺あに世尊にあらずや、故大進阿闍梨の事なげかしく候へども此れ又法華経の流布の出来すべきいんえんにてや候らんとをぼしめすべし、事事命ながらへば其の時申すべし。  
 
秋元御書/弘安三年一月五十九歳御作

 

於身延
筒御器一具付三十並に盞付六十送り給び候い畢んぬ、御器と申すはうつはものと読み候、大地くぼければ水たまる青天浄ければ月澄めり、月出でぬれば水浄し雨降れば草木昌へたり、器は大地のくぼきが如し水たまるは池に水の入るが如し、月の影を浮ぶるは法華経の我等が身に入らせ給うが如し、器に四の失あり一には覆と申してうつぶけるなり又はくつがへす又は蓋をおほふなり、二には漏と申して水もるなり、三には・と申してけがれたるなり水浄けれども糞の入りたる器の水をば用ゆる事なし、四には雑なり飯に或は糞或は石或は沙或は土なんどを雑へぬれば人食ふ事なし、器は我等が身心を表す、我等が心は器の如し口も器耳も器なり、法華経と申すは仏の智慧の法水を我等が心に入れぬれば或は打ち返し或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆ひ或は口に唱へじと吐き出しぬ、譬えば器を覆するが如し、或は少し信ずる様なれども又悪縁に値うて信心うすくなり或は打ち捨て或は信ずる日はあれども捨つる月もあり是は水の漏が如し、或は法華経を行ずる人の一口は南無妙法蓮華経一口は南無阿弥陀仏なんど申すは飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し、法華経の文に「但大乗経典を受持することを楽うて乃至余経の一偈をも受けざれ」等と説くは是なり、世間の学匠は法華経に余行を雑えても苦しからずと思へり、日蓮もさこそ思い候へども経文は爾らず、譬えば后の大王の種子を妊めるが又民ととつげば王種と民種と雑りて天の加護と氏神の守護とに捨てられ其の国破るる縁となる、父二人出来れば王にもあらず民にもあらず人非人なり、法華経の大事と申すは是なり、種熟脱の法門法華経の肝心なり、三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり、南無阿弥陀仏は仏種にはあらず真言五戒等も種ならず、能く能く此の事を習い給べし是は雑なり、此の覆漏・雑の四の失を離れて候器をば完器と申してまたき器なり、塹つつみ漏らざれば水失る事なし、信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし、今此の筒の御器は固く厚く候上漆浄く候へば法華経の御信力の堅固なる事を顕し給うか、毘沙門天は仏に四つの鉢を進らせて四天下第一の福天と云はれ給ふ、浄徳夫人は雲雷音王仏に八万四千の鉢を供養し進らせて妙音菩薩と成り給ふ、今法華経に筒御器三十盞六十進らせて争か仏に成らせ給はざるべき。
抑日本国と申すは十の名あり扶桑野馬台水穂秋津洲等なり、別しては六十六箇国島二つ長さ三千余里広さは不定なり、或は百里或は五百里等、五畿七道郡は五百八十六郷は三千七百二十九田の代は上田一万一千一百二十町乃至八十八万五千五百六十七町人数は四十九億八万九千六百五十八人なり、神社は三千一百三十二社寺は一万一千三十七所男は十九億九万四千八百二十八人女は二十九億九万四千八百三十人なり、其の男の中に只日蓮第一の者なり、何事の第一とならば男女に悪まれたる第一の者なり、其の故は日本国に国多く人多しと云へども其の心一同に南無阿弥陀仏を口ずさみとす、阿弥陀仏を本尊とし九方を嫌いて西方を願う、設い法華経を行ずる人も真言を行ふ人も、戒を持つ者も智者も愚人も余行を傍として念仏を正とし罪を消さん謀は名号なり、故に或は六万八万四十八万返或は十返百返千返なり、而るを日蓮一人阿弥陀仏は無間の業禅宗は天魔の所為真言は亡国の悪法律宗持斎等は国賊なりと申す故に上一人より下万民に至るまで父母の敵宿世の敵謀叛夜討強盗よりも或は畏れ或は瞋り或は詈り或は打つ、是を・る者には所領を与へ是を讃むる者をば其の内を出だし或は過料を引かせ殺害したる者をば褒美なんどせらるる上両度まで御勘気を蒙れり、当世第一の不思議の者たるのみならず人王九十代仏法渡りては七百余年なれどもかかる不思議の者なし、日蓮は文永の大彗星の如し日本国に昔より無き天変なり、日蓮は正嘉の大地震の如し秋津洲に始めての地夭なり、日本国に代始まりてより已に謀叛の者二十六人第一は大山の王子第二は大石の山丸乃至第二十五人は頼朝第二十六人は義時なり、二十四人は朝は責められ奉り獄門に首を懸けられ山野に骸を曝す、二人は王位を傾むけ奉り国中を手に拳る王法既に尽きぬ、此等の人人も日蓮が万人に悪まるるに過ぎず、其の由を尋ぬれば法華経には最第一の文あり、然るを弘法大師は法華最第三慈覚大師は法華最第二智証大師は慈覚の如し、今叡山東寺園城寺の諸僧法華経に向いては法華最第一と読めども其の義をば第二第三と読むなり、公家と武家とは子細は知ろしめさねども御帰依の高僧等皆此の義なれば師檀一同の義なり、其の外禅宗は教外別伝と云云法華経を蔑如する言なり、念仏宗は千中無一未有一人得者と申す心は法華経を念仏に対して挙げて失ふ義なり、律宗は小乗なり正法の時すら仏免し給う事なし況や末法に是を行じて国主を誑惑し奉るをや、妲己妹喜褒似の三女が三王を誑らかして代を失いしが如し、かかる悪法国に流布して法華経を失う故に安徳尊成等の大王天照太神正八幡に捨てられ給いて或は海に沈み或は島に放たれ給い相伝の所従等に傾けられ給いしは天に捨てられさせ給う故ぞかし、法華経の御敵を御帰依有りしかども是を知る人なければ其の失を知る事もなし、「知人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」とは是なり。
日蓮は智人に非ざれども蛇は竜の心を知り烏の世の吉凶を計るが如し、此の事計りを勘へ得て候なり、此の事を申すならば須臾に失に当るべし申さずば又大阿鼻地獄に堕つべし。
法華経を習うには三の義あり一には謗人、勝意比丘苦岸比丘無垢論師大慢婆羅門等が如し、彼等は三衣を身に纒い一鉢を眼に当てて二百五十戒を堅く持ちて而も大乗の讎敵と成りて無間大城に堕ちにき、今日本国の弘法慈覚智証等は持戒は彼等が如く智慧は又彼比丘に異ならず、但大日経真言第一法華経第二第三と申す事百千に一つも日蓮が申す様ならば無間大城にやおはすらん、此の事は申すも恐れあり増して書き付くるまでは如何と思い候へども法華経最第一と説かれて候に是を二三等と読まん人を聞いて人を恐れ国を恐れて申さずば即是彼怨と申して一切衆生の大怨敵なるべき由経と釈とにのせられて候へば申し候なり、人を恐れず世を憚からず云う事我不愛身命但惜無上道と申すは是なり、不軽菩薩の悪口杖石も他事に非ず世間を恐れざるに非ず唯法華経の責めの苦なればなり、例せば祐成時宗が大将殿の陣の内を簡ばざりしは敵の恋しく恥の悲しかりし故ぞかし、此れは謗人なり。
謗家と申すは都て一期の間法華経を謗せず昼夜十二時に行ずれども謗家に生れぬれば必ず無間地獄に堕つ、例せば勝意比丘苦岸比丘の家に生まれて或は弟子となり或は檀那と成りし者共が心ならず無間地獄に堕ちたる是なり、譬えば義盛が方の者軍をせし者はさて置きぬ腹の内に有りし子も産を待たれず母の腹を裂かれしが如し、今日蓮が申す弘法慈覚智証の三大師の法華経を正しく無明の辺域虚妄の法と書かれて候は若し法華経の文実ならば叡山東寺園城寺七大寺日本一万一千三十七所の寺寺の僧は如何が候はんずらん、先例の如くならば無間大城疑無し、是れは謗家なり。
謗国と申すは謗法の者其の国に住すれば其の一国皆無間大城になるなり、大海へは一切の水集り其の国は一切の禍集まる、譬えば山に草木の滋きが如し、三災月月に重なり七難日日に来る、飢渇発れば其の国餓鬼道と変じ疫病重なれば其の国地獄道となる軍起れば其の国修羅道と変ず、父母兄弟姉妹をば簡ず妻とし夫と憑めば其の国畜生道となる、死して三悪道に堕つるにはあらず現身に其の国四悪道と変ずるなり、此れを謗国と申す。
例せば大荘厳仏の末法師子音王仏の濁世の人人の如し、又報恩経に説かれて候が如くんば過去せる父母兄弟姉妹一切の人死せるを食し又生たるを食す、今日本国亦復是くの如し真言師禅宗持斎等人を食する者国中に充満せり、是偏に真言の邪法より事起れり、竜象房が人を食いしは万が一顕れたるなり、彼に習いて人の肉を或は猪鹿に交へ或は魚鳥に切り雑へ或はたたき加へ或はすしとして売る、食する者数を知らず皆天に捨てられ守護の善神に放されたるが故なり、結句は此の国他国より責められ自国どし打ちして此の国変じて無間地獄と成るべし、日蓮此の大なる失を兼て見し故に与同罪の失を脱れんが為め仏の呵責を思う故に知恩報恩の為め国の恩を報ぜんと思いて国主並に一切衆生に告げ知らしめしなり。
不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり、五戒の初めにも不殺生戒八戒十戒二百五十戒五百戒梵網の十重禁戒華厳の十無尽戒瓔珞経の十戒等の初めには皆不殺生戒なり、儒家の三千の禁の中にも大辟こそ第一にて候へ、其の故は「・満三千界無有直身命」と申して三千世界に満つる珍宝なれども命に替る事はなし、蟻子を殺す者尚地獄に堕つ況や魚鳥等をや青草を切る者猶地獄に堕つ況や死骸を切る者をや、是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり、況や供養を展ぶ可けんや、故に仙予国王は五百人の法師を殺し覚徳比丘は無量の謗法の者を殺し阿育大王は十万八千の外道を殺し給いき、此等の国王比丘等は閻浮第一の賢王持戒第一の智者なり、仙予国王は釈迦仏覚徳比丘は迦葉仏阿育大王は得道の仁なり、今日本国も又是くの如し持戒破戒無戒王臣万民を論ぜず一同に法華経誹謗の国なり、設い身の皮をはぎて法華経を書き奉り肉を積んで供養し給うとも必ず国も滅び身も地獄に堕ち給うべき大なる科あり、唯真言宗念仏宗禅宗持斎等を禁めて身を法華経によせよ、天台の六十巻を空に浮べて国主等には智人と思われたる人人の或は智の及ばざるか、或は知れども世を恐るるかの故に或は真言宗をほめ或は念仏禅律等に同ずれば彼等が大科には百千超えて候、例せば成良義村等が如し、慈恩大師は玄賛十巻を造りて法華経を讃めて地獄に堕つ、此の人は太宗皇帝の御師玄奘三蔵の上足十一面観音の後身と申すぞかし、音は法華経に似たれども心は爾前の経に同ずる故なり、嘉祥大師は法華玄十巻を造りて既に無間地獄に堕つべかりしが法華経を読む事を打ち捨てて天台大師に仕えしかば地獄の苦を脱れ給いき、今法華宗の人人も又是くの如し、比叡山は法華経の御住所日本国は一乗の御所領なり、而るを慈覚大師は法華経の座主を奪い取りて真言の座主となし三千の大衆も又其の所従と成りぬ、弘法大師は法華宗の檀那にて御坐ます嵯峨の天皇を奪い取りて内裏を真言宗の寺と成せり、安徳天皇は明雲座主を師として頼朝の朝臣を調伏せさせ給いし程に、右大将殿に罰せらるるのみならず安徳は西海に沈み明雲は義仲に殺され給いき、尊成王は天台座主慈円僧正東寺御室並に四十一人の高僧等を請下し奉り内裏に大壇を立てて義時右京の権の大夫殿を調伏せし程に、七日と申せし六月十四日に洛陽破れて王は隠岐の国或は佐渡の島に遷され座主御室は或は責められ或は思い死に死に給いき、世間の人人此の根源を知る事なし此れ偏に法華経大日経の勝劣に迷える故なり、今も又日本国大蒙古国の責を得て彼の不吉の法を以て御調伏を行わると承わる又日記分明なり、此の事を知らん人争か歎かざるべき。
悲いかな我等誹謗正法の国に生れて大苦に値はん事よ、設い謗身は脱ると云うとも謗家謗国の失如何せん、謗家の失を脱れんと思はば父母兄弟等に此の事を語り申せ、或は悪まるるか或は信ぜさせまいらするか、謗国の失を脱れんと思はば国主を諫暁し奉りて死罪か流罪かに行わるべきなり、我不愛身命但惜無上道と説かれ身軽法重死身弘法と釈せられし是なり、過去遠遠劫より今に仏に成らざりける事は加様の事に恐れて云い出さざりける故なり、未来も亦復是くの如くなるべし今日蓮が身に当りてつみ知られて候、設い此の事を知る弟子等の中にも当世の責のおそろしさと申し露の身の消え難きに依りて或は落ち或は心計りは信じ或はとかうす、御経の文に難信難解と説かれて候が身に当つて貴く覚え候ぞ、謗ずる人は大地微塵の如し信ずる人は爪上の土の如し、謗ずる人は大海進む人は一・。
天台山に竜門と申す所あり其の滝百丈なり、春の始めに魚集りて此の滝へ登るに百千に一つも登る魚は竜と成る、此の滝の早き事矢にも過ぎ電光にも過ぎたり、登りがたき上に春の始めに此の滝に漁父集りて魚を取る網を懸くる事百千重或は射て取り或は酌んで取る、鷲・鴟梟虎狼犬狐集りて昼夜に取り・ふなり十年二十年に一つも竜となる魚なし、例せば凡下の者の昇殿を望み下女が后と成らんとするが如し、法華経を信ずる事此にも過ぎて候と思食せ、常に仏禁しめて言く何なる持戒智慧高く御坐して一切経並に法華経を進退せる人なりとも法華経の敵を見て責め罵り国主にも申さず人を恐れて黙止するならば必ず無間大城に堕つべし、譬えば我は謀叛を発さねども謀叛の者を知りて国主にも申さねば与同罪は彼の謀叛の者の如し、南岳大師の云く「法華経の讎を見て呵責せざる者は謗法の者なり無間地獄の上に堕ちん」と、見て申さぬ大智者は無間の底に堕ちて彼の地獄の有らん限りは出ずべからず、日蓮此の禁めを恐るる故に国中を責めて候程に一度ならず流罪死罪に及びぬ、今は罪も消え過も脱れなんと思いて鎌倉を去りて此の山に入つて七年なり。
此の山の為体日本国の中には七道あり七道の内に東海道十五箇国、其の内に甲州飯野御牧波木井の三箇郷の内波木井と申す、此の郷の内戌亥の方に入りて二十余里の深山あり、北は身延山南は鷹取山西は七面山東は天子山なり、板を四枚つい立てたるが如し、此の外を回りて四つの河あり北より南へ富士河西より東へ早河此れは後なり、前に西より東へ波木井河の内に一つの滝あり身延河と名けたり、中天竺の鷲峰山を此の処へ移せるか将又漢土の天台山の来れるかと覚ゆ、此の四山四河の中に手の広さ程の平かなる処あり、爰に庵室を結んで天雨を脱れ木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨を折りて身を養ひ秋は果を拾いて命を支へ候つる程に、去年十一月より雪降り積て改年の正月今に絶る事なし、庵室は七尺雪は一丈四壁は冰を壁とし軒のつららは道場荘厳の瓔珞の玉に似たり、内には雪を米と積む、本より人も来らぬ上雪深くして道塞がり問う人もなき処なれば現在に八寒地獄の業を身につくのへり、生きながら仏には成らずして又寒苦鳥と申す鳥にも相似たり、頭は剃る事なければうづらの如し、衣は冰にとぢられて鴦鴛の羽を冰の結べるが如し、かかる処へは古へ眤びし人も問わず弟子等にも捨てられて候いつるに此の御器を給いて雪を盛りて飯と観じ水を飲んでこんずと思う、志のゆく所思い遣らせ給へ又又申すべく候、恐恐謹言。  
 
兄弟抄/文永十二年四月五十四歳御作

 

夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心十二部経の骨髄なり、三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ、今現に経蔵に入つて此れを見るに後漢の永平より唐の末に至るまで渡れる所の一切経論に二本あり、所謂旧訳の経は五千四十八巻なり、新訳の経は七千三百九十九巻なり、彼の一切経は皆各各分分に随つて我第一なりとなのれり、然而法華経と彼の経経とを引き合せて之を見るに勝劣天地なり高下雲泥なり、彼の経経は衆星の如く法華経は月の如し彼の経経は燈炬星月の如く法華経は大日輪の如し此れは総なり。
別して経文に入つて此れを見奉れば二十の大事あり、第一第二の大事は三千塵点劫五百塵点劫と申す二つの法門なり、其三千塵点と申すは第三の巻化城喩品と申す処に出でて候、此の三千大千世界を抹して塵となし東方に向つて千の三千大千世界を過ぎて一塵を下し又千の三千大千世界を過ぎて一塵を下し此くの如く三千大千世界の塵を下はてぬ、さてかえつて下せる三千大千世界と下さざる三千大千世界をともにおしふさねて又塵となし、此の諸の塵をもてならべをきて一塵を一劫として経尽しては、又始め又始めかくのごとく上の諸塵の尽し経たるを三千塵点とは申すなり、今三周の声聞と申して舎利弗迦葉阿難羅云なんど申す人人は過去遠遠劫三千塵点劫のそのかみ大通智勝仏と申せし仏の第十六の王子にてをはせし菩薩ましましき、かの菩薩より法華経を習いけるが悪縁にすかされて法華経を捨つる心つきにけり、かくして或は華厳経へをち或は般若経へをち或は大集経へをち或は涅槃経へをち或は大日経或は深密経或は観経等へをち或は阿含小乗経へをちなんどしけるほどに次第に堕ちゆきて後には人天の善根後に悪にをちぬ、かくのごとく堕ちゆく程に三千塵点劫が間、多分は無間地獄少分は七大地獄たまたまには一百余の地獄まれには餓鬼畜生修羅なんどに生れ大塵点劫なんどを経て人天には生れ候けり。
されば法華経の第二の巻に云く「常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること己が舎宅の如し」等云云、十悪をつくる人は等活黒繩なんど申す地獄に堕ちて五百生或は一千歳を経、五逆をつくれる人は無間地獄に堕ちて一中劫を経て後は又かへりて生ず、いかなる事にや候らん法華経をすつる人はすつる時はさしも父母を殺すなんどのやうにをびただしくはみへ候はねども無間地獄に堕ちては多劫を経候、設父母を一人二人十人百人千人万人十万人百万人億万人なんど殺して候ともいかんが三千塵点劫をば経候べき、一仏二仏十仏百仏千仏万仏乃至億万仏を殺したりともいかんが五百塵点劫をば経候べき、しかるに法華経をすて候いけるつみによりて三周の声聞が三千塵点劫を経諸大菩薩の五百塵点劫を経候けることをびただしくをぼへ候、せんするところは・をもつて虚空を打てばくぶしいたからず石を打てばくぶしいたし、悪人を殺すは罪あさし善人を殺すは罪ふかし或は他人を殺すは・をもつて泥を打つがごとし父母を殺すは・をもつて石を打つがごとし、鹿をほうる犬は頭われず師子を吠る犬は腸くさる日月をのむ修羅は頭七分にわれ仏を打ちし提婆は大地われて入りにき、所対によりて罪の軽重はありけるなり。
さればこの法華経は一切の諸仏の眼目教主釈尊の本師なり、一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ十方の仏の身より血を出す罪にもこへて候けるゆへに三五の塵点をば経候けるなり此の法華経はさてをきたてまつりぬ又此の経を経のごとくにとく人に値うことは難にて候、設い一眼の亀の浮木には値うともはちすのいとをもつて須弥山をば虚空にかくとも法華経を経のごとく説く人にあひがたし。
されば慈恩大師と申せし人は玄奘三蔵の御弟子太宗皇帝の御師なり、梵漢を空にうかべ一切経を胸にたたへ仏舎利を筆のさきより雨らし牙より光を放ち給いし聖人なり、時の人も日月のごとく恭敬し後の人も眼目とこそ渇仰せしかども伝教大師これをせめ給うには雖讃法華経還死法華心等云云、言は彼の人の心には法華経をほむとをもへども理のさすところは法華経をころす人になりぬ、善無畏三蔵は月支国うぢやうな(鳥仗那)国の国王なり、位をすて出家して天竺五十余の国を修行して顕密二道をきわめ、後には漢土にわたりて玄宗皇帝の御師となる、尸那日本の真言師誰か此人のながれにあらざる、かかるたうとき人なれども一時に頓死して閻魔のせめにあはせ給う、いかなりけるゆへとも人しらず。
日蓮此れをかんがへたるに本は法華経の行者なりしが大日経を見て法華経にまされりといゐしゆへなり、されば舎利弗目連等が三五の塵点を経しことは十悪五逆の罪にもあらず謀反八虐の失にてもあらず、但悪知識に値うて法華経の信心をやぶりて権経にうつりしゆへなり、天台大師釈して云く「若し悪友に値えば則ち本心を失う」云云、本心と申すは法華経を信ずる心なり、失うと申すは法華経の信心を引きかへて余経へうつる心なり、されば経文に云く「然与良薬而不肯服」等云云、天台の云く「其の心を失う者は良薬を与うと雖も而かも肯て服せず生死に流浪し他国に逃逝す」云云。
されば法華経を信ずる人のをそるべきものは賊人強盗夜打ち虎狼師子等よりも当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人人なり、此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、但あくのさかなのみをすすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす、法華経を信ずる人をばいかにもして悪へ堕さんとをもうに叶わざればやうやくすかさんがために相似せる華厳経へをとしつ杜順智儼法蔵澄観等是なり、又般若経へすかしをとす悪友は嘉祥僧詮等是なり、又深密経へすかしをとす悪友は玄奘慈恩是なり、又大日経へすかしをとす悪友は善無畏金剛智不空弘法慈覚智証是なり、又禅宗へすかしをとす悪友は達磨慧可等是なり、又観経へすかしをとす悪友は善導法然是なり、此は第六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかすなり、法華経第五の巻に「悪鬼其の身に入る」と説かれて候は是なり。
設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入つて法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり、何に況んや其の已下の人人にをいてをや、又第六天の魔王或は妻子の身に入つて親や夫をたぼらかし或は国王の身に入つて法華経の行者ををどし或は父母の身に入つて孝養の子をせむる事あり、悉達太子は位を捨てんとし給いしかば羅・羅はらまれてをはしませしを浄飯王此の子生れて後出家し給えといさめられしかば魔が子ををさへて六年なり、舎利弗は昔禅多羅仏と申せし仏の末世に菩薩の行を立てて六十劫を経たりき、既に四十劫ちかづきしかば百劫にてあるべかりしを第六天の魔王菩薩の行の成ぜん事をあぶなしとや思いけん、婆羅門となりて眼を乞いしかば相違なくとらせたりしかども其より退する心出来て舎利弗は無量劫が間無間地獄に堕ちたりしぞかし、大荘厳仏の末の六百八十億の檀那等は苦岸等の四比丘にたぼらかされて普事比丘を怨みてこそ大地微塵劫が間無間地獄を経しぞかし、師子音王仏の末の男女等は勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根比丘を笑うてこそ無量劫が間地獄に堕ちつれ。
今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり、法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」涅槃経に云く「横に死殃に羅り呵嘖罵辱鞭杖閉繋飢餓困苦是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云、般泥・経に云く「衣服不足にして飲食・疎なり財を求めるに利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或いは王難及び余の種種の人間の苦報に遭う現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云、文の心は我等過去に正法を行じける者にあだをなしてありけるが今かへりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりてやうやうの果報をうくるなかに或は貧家に生れ或は邪見の家に生れ或は王難に値う等云云、この中に邪見の家と申すは誹謗正法の家なり王難等と申すは悪王に生れあうなり、此二つの大難は各各の身に当つてをぼへつべし、過去の謗法の罪を滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給う、又法華経の行者をあだむ国主にあへり経文明明たり経文赫赫たり、我身は過去に謗法の者なりける事疑い給うことなかれ、此れを疑つて現世の軽苦忍びがたくて慈父のせめに随いて存外に法華経をすつるよしあるならば我身地獄に堕つるのみならず悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちてともにかなしまん事疑いなかるべし、大道心と申すはこれなり。
各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる、此の度こそまことの御信用はあらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なり尸毘王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともやあるらん、それにつけても、心あさからん事は後悔あるべし、又前車のくつがへすは後車のいましめぞかし、今の世にはなにとなくとも道心をこりぬべし、此の世のありさま厭うともよも厭われじ日本の人人定んで大苦に値いぬと見へて候眼前の事ぞかし、文永九年二月の十一日にさかんなりし華の大風にをるるがごとく清絹の大火にやかるるがごとくなりしに世をいとう人のいかでかなかるらん文永十一年の十月ゆきつしまのものども一時に死人となりし事はいかに人の上とををぼすか当時もかのうてに向かいたる人人のなげき老たるをやをさなき子わかき妻めづらしかりしすみかうちすててよしなき海をまほり雲のみうればはたかと疑いつりぶねのみゆれば兵船かと肝心をけす、日に一二度山えのぼり夜に三四度馬にくらををく、現身に修羅道をかんぜり、各各のせめられさせ給う事も詮するところは国主の法華経のかたきとなれるゆへなり、国主のかたきとなる事は持斎等念仏真言師等が謗法よりをこれり、今度ねうしくらして法華経の御利生心みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよをづる心ねすがたをはすべからず、定んで女人は心よはくをはすればごぜたちは心ひるがへりてやをはすらん、がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにてうちふるまいいゐしがごとくすこしもをづる心なかれ、わだが子となりしものわかさのかみ(若狭守)が子となりし将門貞当が郎従等となりし者、仏になる道にはあらねどもはぢををもへば命をしまぬ習いなり、なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ。
あまりにをぼつかなく候へば大事のものがたり一つ申す、?白ひ叔せい(伯夷叔斉)と申せし者は胡竹国の王の二人の太子なり、父の王弟の叔せいに位をゆづり給いき、父しして後叔せい位につかざりき、白ひが云く位につき給え叔せいが云く兄位を継ぎ給え白ひが云くいかに親の遺言をばたがへ給うぞと申せしかば親の遺言はさる事なれどもいかんが兄ををきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ、周の文王につかへしほどに文王殷の紂王に打たれしかば武王百箇日が内にいくさををこしき、白ひ叔せいは武王の馬の口にとりつきていさめて云くをやのしして後三箇年が内にいくさををこすはあに不孝にあらずや、武王いかりて白ひ叔せいを打たんとせしかば大公望せいして打たせざりき、二人は此の王をうとみてすやうと申す山にかくれゐてわらびををりて命をつぎしかば、麻子と申す者ゆきあひて云くいかにこれにはをはするぞ二人上件の事をかたりしかば麻子が云くさるにてはわらびは王の物にあらずや、二人せめられて爾の時よりわらびをくわず、天は賢人をすて給わぬならひなれば天白鹿と現じて乳をもつて二人をやしなひき、白鹿去つて後に叔せいが云く此の白鹿の乳をのむだにもうましまして肉をくわんといゐしかば白ひせいししかども天これをききて来らず、二人うへて死ににき、一生が間賢なりし人も一言に身をほろぼすにや、各各も御心の内はしらず候へばをぼつかなしをぼつかなし。
釈迦如来は太子にてをはせし時父の浄飯王太子ををしみたてまつりて出家をゆるし給はず、四門に二千人のつわものをすへてまほらせ給ひしかども、終にをやの御心をたがへて家をいでさせ給いき、一切はをやに随うべきにてこそ候へども仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か、されば心地観経には孝養の本をとかせ給うには棄恩入無為真実報恩者等云云、言はまことの道に入るには父母の心に随わずして家を出て仏になるがまことの恩をほうずるにてはあるなり、世間の法にも父母の謀反なんどををこすには随わぬが孝養とみへて候ぞかし、孝経と申す経に見へて候、天台大師も法華経の三昧に入らせ給いてをはせし時は父母左右のひざに住して仏道をさえんとし給いしなり、此れは天魔の父母のかたちをげんじてさうるなり。
白ひすくせいが因縁はさきにかき候ぬ、又第一の因縁あり、日本国の人王第十六代に王をはしき応神天王と申す今の八幡大菩薩これなりこの王の御子二人まします嫡子をば仁徳次男は宇治王子天王次男の宇治の王子に位をゆづり給いき、王ほうぎよならせ給いて後宇治の王子の云く兄位につき給うべし、兄の云く、いかにをやの御ゆづりをばもちゐさせ給わぬぞ、かくのごとくたがいにろむじて、三箇年が間位に王をはせざりき、万民のなげきいうばかりなし天下のさいにてありしほどに、宇治の王子云く我いきてあるゆへにあに位に即き給わずといつて死させ給いにき、仁徳これをなげかせ給いて又ふししづませ給いしかば、宇治の王子いきかへりてやうやうにをほせをかせ給いて又ひきいらせ給いぬ、さて仁徳位につかせ給いたりしかば国をだやかなる上しんらはくさひかうらいも日本国にしたがひてねんぐを八十そうそなへけるとこそみへて候へ。
賢王のなかにも兄弟をだやかならぬれいもあるぞかしいかなるちぎりにて兄弟かくはをはするぞ浄蔵浄眼の二人の太子の生れかはりてをはするか薬王薬上の二人か、大夫志殿の御をやの御勘気はうけ給わりしかどもひやうへの志殿の事は今度はよもあににはつかせ給はじさるにてはいよいよ大夫志殿のをやの御不審はをぼろげにてはゆりじなんどをもつて候へばこのわらわの申し候はまことにてや候らん、御同心と申し候へばあまりのふしぎ(不思議)さに別の御文をまいらせ候、未来までのものがたりなに事かこれにすぎ候べき。
西域と申す文にかきて候は月氏に婆羅・斯国施鹿林と申すところに一の隠士あり仙の法を成ぜんとをもう、すでに瓦礫を変じて宝となし人畜の形をかえけれどもいまだ風雲にのつて仙宮にはあそばざりけり、此の事を成ぜんがために一の烈士をかたらひ長刀をもたせて壇の隅に立てて息をかくし言をたつ、よひよりあしたにいたるまでものいはずば仙の法成ずべし、仙を求る隠士は壇の中に坐して手に長刀をとつて口に神呪をずうす約束して云く設ひ死なんとする事ありとも物言う事なかれ烈士云く死するとも物いはじ、此の如くして既に夜中を過ぎて夜まさにあけんとする時、如何が思いけん烈士大に声をあげて呼はる、既に仙の法成ぜず、隠士烈士に言つて云く何に約束をばたがふるぞ口惜しき事なりと云う、烈士歎いて云く少し眠つてありつれば昔し仕へし主人自ら来りて責めつれども師の恩厚ければ忍で物いはず、彼の主人怒つて頚をはねんと云う、然而又ものいはず、遂に頚を切りつ中陰に趣く我が屍を見れば惜く歎かし然而物いはず、遂に南印度の婆羅門の家に生れぬ入胎出胎するに大苦忍びがたし然而息を出さず、又物いはず已に冠者となりて妻をとつぎぬ、又親死ぬ又子をまうけたり、かなしくもありよろこばしくもあれども物いはず此くの如くして年六十有五になりぬ、我が妻かたりて云く汝若し物いはずば汝がいとをしみの子を殺さんと云う、時に我思はく我已に年衰へぬ此の子を若し殺されなば又子をまうけがたしと思いつる程に声をおこすとをもへばをどろきぬと云いければ、師が云く力及ばず我も汝も魔にたぼらかされぬ終に此の事成ぜずと云いければ、烈士大に歎きけり我心よはくして師の仙法を成ぜずと云いければ、隠士が云く我が失なり兼て誡めざりける事をと悔ゆ、然れども烈士師の恩を報ぜざりける事を歎きて遂に思ひ死にししぬとかかれて候、仙の法と申すは漢土には儒家より出で月氏には外道の法の一分なり、云うにかひ無き仏教の小乗阿含経にも及ばず況や通別円をや況や法華経に及ぶべしや、かかる浅き事だにも成ぜんとすれば四魔競て成じかたし、何に況や法華経の極理南無妙法蓮華経の七字を始めて持たん日本国の弘通の始ならん人の弟子檀那とならん人人の大難の来らん事をば言をもつて尽し難し心をもつてをしはかるべしや。
されば天台大師の摩訶止観と申す文は天台一期の大事一代聖教の肝心ぞかし、仏法漢土に渡つて五百余年南北の十師智は日月に斉く徳は四海に響きしかどもいまだ一代聖教の浅深勝劣前後次第には迷惑してこそ候いしが、智者大師再び仏教をあきらめさせ給うのみならず、妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり、此の法門は漢土に始るのみならず月氏の論師までも明し給はぬ事なり、然れば章安大師の釈に云く「止観の明静なる前代に未だ聞かず」云云、又云く「天竺の大論尚其の類に非ず」等云云、其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。
此の釈に三障と申すは煩悩障業障報障なり、煩悩障と申すは貪瞋癡等によりて障礙出来すべし、業障と申すは妻子等によりて障礙出来すべし、報障と申すは国主父母等によりて障礙出来すべし、又四魔の中に天子魔と申すも是くの如し今日本国に我も止観を得たり我も止観を得たりと云う人人誰か三障四魔競へる人あるや、之に随えば将に人をして悪道に向わしむと申すは只三悪道のみならず人天九界を皆悪道とかけり、されば法華経を除きて華厳阿含方等般若涅槃大日経等なり、天台宗を除きて余の七宗の人人は人を悪道に向わしむる獄卒なり、天台宗の人人の中にも法華経を信ずるやうにて人を爾前へやるは悪道に人をつかはす獄卒なり。
今二人の人人は隠士と烈士とのごとし一もかけなば成ずべからず、譬えば鳥の二つの羽人の両眼の如し、又二人の御前達は此の人人の檀那ぞかし女人となる事は物に随つて物を随える身なり夫たのしくば妻もさかふべし夫盗人ならば妻も盗人なるべし、是れ偏に今生計りの事にはあらず世世生生に影と身と華と果と根と葉との如くにておはするぞかし、木にすむ虫は木をはむ水にある魚は水をくらふ芝かるれば蘭なく松さかうれば柏よろこぶ、草木すら是くの如し、比翼と申す鳥は身は一つにて頭二つあり二つの口より入る物一身を養ふ、ひほくと申す魚は一目づつある故に一生が間はなるる事なし、夫と妻とは是くの如し此の法門のゆへには設ひ夫に害せらるるとも悔ゆる事なかれ、一同して夫の心をいさめば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし、此くの如くおはさば設ひいかなる事ありとも日蓮が二聖二天十羅刹釈迦多宝に申して順次生に仏になしたてまつるべし、心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり。
設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし、中にも日蓮が法門は古へこそ信じかたかりしが今は前前いひをきし事既にあひぬればよしなく謗ぜし人人も悔る心あるべし、設ひこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず、始は信じてありしかども世間のをそろしさにすつる人人かずをしらず、其の中に返つて本より謗ずる人人よりも強盛にそしる人人又あまたあり、在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども後にすつるのみならず返つて仏をはうじ奉りしゆへに仏も叶い給はず無間地獄にをちにき、此の御文は別してひやうへの志殿へまいらせ候、又太夫志殿の女房兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給うべしきかせさせ給うべし南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。 
 
呵責謗法滅罪抄/文永十年五十二歳御作

 

御文委く承り候、法華経の御ゆへに已前に伊豆の国に流され候いしもかう申せば謙ぬ口と人はおぼすべけれども心ばかりは悦ば入つて候いき、無始より已来法華経の御ゆへに実にても虚事にても科に当るならば争かかかるつたなき凡夫とは生れ候べき、一端はわびしき様なれども法華経の御為なればうれしと思い候いしに少し先生の罪は消えぬらんと思しかども無始より已来の十悪四重六重八重十重五無間誹謗正法一闡提の種種の重罪大山より高く大海より深くこそ候らめ、五逆罪と申すは一逆を造る猶一劫無間の果を感ず。
一劫と申すは人寿八万歳より百年に一を減し是くの如く乃至十歳に成りぬ、又十歳より百年に一を加うれば次第に増して八万歳になるを一劫と申す、親を殺す者此程の無間地獄に堕ちて隙もなく大苦を受くるなり、法華経誹謗の者は心には思はざれども色にも嫉み戯れにも・る程ならば経にて無けれども法華経に名を寄たる人を軽しめぬれば上の一劫を重ねて無数劫無間地獄に堕ち候と見えて候、不軽菩薩を罵打し人は始こそさありしかども後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶ事諸天の帝釈を敬ひ我等が日月を畏るるが如くせしかども始め・りし大重罪消えかねて千劫大阿鼻地獄に入つて二百億劫三宝に捨てられ奉りたりき。
五逆と謗法とを病に対すれば五逆は霍乱の如くして急に事を切る、謗法は白癩病の如し始は緩に後漸漸に大事なり、謗法の者は多くは無間地獄に生じ少しは六道に生を受く、人間に生ずる時は貧窮下賎等白癩病等と見えたり、日蓮は法華経の明鏡をもつて自身に引き向かへたるに都てくもりなし、過去の謗法の我が身にある事疑いなし此の罪を今生に消さずば未来争か地獄の苦をば免るべき、過去遠遠の重罪をば何にしてか皆集めて今生に消滅して未来の大苦を免れんと勘えしに当世時に当つて謗法の人人国国に充満せり、其の上国主既に第一の誹謗の人たり、此の時此の重罪を消さずば何の時をか期すべき、日蓮が小身を日本国に打ち覆うてののしらば無量無辺の邪法の四衆等無量無辺の口を以て一時に・るべし、爾の時に国主は謗法の僧等が方人として日蓮を怨み或は頚を刎ね或は流罪に行ふべし、度度かかる事、出来せば無量劫の重罪一生の内に消なんと謀てたる大術少も違う事なくかかる身となれば所願も満足なるべし。
然れども凡夫なれば動すれば悔ゆる心有りぬべし、日蓮だにも是くの如く侍るに前後も弁へざる女人なんどの各仏法を見ほどかせ給わぬが何程か日蓮に付いてくやしとおぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は偏に只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば感涙押え難し、妙楽大師の釈に云く[記七]「故に知んぬ末代一時も聞くことを得聞き已つて信を生ずる事宿種なるべし」等云云、又云く[弘二]「運像末に在つて此の真文を矚る宿に妙因を殖うるに非ざれば実に値い難しと為す」等云云。
妙法蓮華経の五字をば四十余年此れを秘し給ふのみにあらず迹門十四品に猶是を抑へさせ給ひ寿量品にして本果本因の蓮華の二字を説き顕し給ふ、此の五字をば仏文殊普賢弥勒薬王等にも付属せさせ給はず、地涌の上行菩薩無辺行菩薩浄行菩薩安立行菩薩等を寂光の大地より召し出して此れを付属し給ふ、儀式ただ事ならず宝浄世界の多宝如来大地より七宝の塔に乗じて涌現せさせ給ふ、三千大千世界の外に四百万億那由佗の国土を浄め高さ五百由旬の宝樹を尽一箭道に殖え並べて宝樹一本の下に五由旬の師子の座を敷き並べ十方分身の仏尽く来り坐し給ふ、又釈迦如来は垢衣を脱で宝塔を開き多宝如来に並び給ふ、譬えば青天に日月の並べるが如し帝釈と頂生王との善法堂に在すが如し、此の界の文殊等他方の観音等十方の虚空に雲集せる事星の虚空に充満するが如し、此の時此の土には華厳経の七処八会十方世界の台上の盧舎那仏の弟子法慧功徳林金剛幢金剛蔵等の十方刹土塵点数の大菩薩雲集せり、方等の大宝坊雲集の仏菩薩般若経の千仏須菩提帝釈等大日経の八葉九尊の四仏四菩薩金剛頂経の三十七尊等涅槃経の倶尸那城へ集会せさせ給いし十方法界の仏菩薩をば文殊弥勒等互に見知りて御物語り是ありしかば此等の大菩薩は出仕に物狎れたりと見え候、今此の四菩薩出でさせ給うて後釈迦如来には九代の本師三世の仏の御母にておはする文殊師利菩薩も一生補処とののしらせ給うふ弥勒等も此の菩薩に値いぬれば物とも見えさせ給はず、譬えば山かつが月卿に交り・猴が師子の座に列るが如し、此の人人を召して妙法蓮華経の五字を付属せさせ給いき、付属も只ならず十神力を現じ給ふ、釈迦は広長舌を色界の頂に付け給へば諸仏も亦復是くの如く四百万億那由佗の国土の虚空に諸仏の御舌赤虹を百千万億並べたるが如く充満せしかばおびただしかりし事なり、是くの如く不思議の十神力を現じて結要付属と申して法華経の肝心を抜き出して四菩薩に譲り、我が滅後に十方の衆生に与へよと慇懃に付属して其の後又一つの神力を現じて文殊等の自界他方の菩薩二乗天人竜神等には一経乃至一代聖教をば付属せられしなり、本より影の身に随つて候様につかせ給ひたりし迦葉舎利弗等にも此の五字を譲り給はず此れはさてをきぬ、文殊弥勒等には争か惜み給うべき器量なくとも嫌い給うべからず、方方不審なるを或は他方の菩薩は此の土に縁少しと嫌ひ、或は此の土の菩薩なれども娑婆世界に結縁の日浅し、或は我が弟子なれども初発心の弟子にあらずと嫌はれさせ給う程に、四十余年並びに迹門十四品の間は一人も初発心の御弟子なし、此の四菩薩こそ五百塵点劫より已来教主釈尊の御弟子として初発心より又他仏につかずして二門をもふまざる人人なりと見えて候、天台の云く「但下方の発誓を見る」等云云、又云く「是れ我が弟子なり応に我が法を弘むべし」等云云、妙楽の云く「子父の法を弘む」等云云、道暹云く「法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云、此の妙法蓮華経の五字をば此の四人に譲られ候。
而るに仏の滅後正法一千年像法一千年末法に入つて二百二十余年が間月氏漢土日本一閻浮提の内に未だ一度も出でさせ給はざるは何なる事にて有るらん、正くも譲らせ給はざりし文殊師利菩薩は仏の滅後四百五十年まで此の土におはして大乗経を弘めさせ給ひ、其の後も香山清涼山より度度来つて大僧等と成つて法を弘め、薬王菩薩は天台大師となり観世音は南岳大師と成り、弥勒菩薩は傅大士となれり、迦葉阿難等は仏の滅後二十年四十年法を弘め給ふ、嫡子として譲られさせ給へる人の未だ見えさせ給はず、二千二百余年が間教主釈尊の絵像木像を賢王聖主は本尊とす、然れども但小乗大乗華厳涅槃観経法華経の迹門普賢経等の仏真言大日経等の仏宝塔品の釈迦多宝等をば書けどもいまだ寿量品の釈尊は山寺精舎にましまさず何なる事とも量りがたし、釈迦如来は後五百歳と記し給ひ正像二千年をば法華経流布の時とは仰せられず、天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾わん」と未来に譲り、伝教大師は「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等と書き給いて、像法の末は未だ法華経流布の時ならずと我と時を嫌ひ給ふ、さればをしはかるに地涌千界の大菩薩は釈迦多宝十方の諸仏の御譲り御約束を空く黙止てはてさせ給うべきか。
外典の賢人すら時を待つ郭公と申す畜鳥は卯月五月に限る、此の大菩薩も末法に出ずべしと見えて候、いかんと候べきぞ瑞相と申す事は内典外典に付いて必ず有るべき事の先に現ずるを云うなり、蜘蛛かかつて喜事来り・鵲鳴いて客人来ると申して小事すら験先に現ず何に況や大事をや、されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れには似るべくもなき大瑞なり、故に天台の云く「雨の猛きを見ては竜の大きなる事を知り華の盛なるを見ては池の深き事を知る」と書かれて候、妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を知る」と云云、今日蓮も之を推して智人の一分とならん、去る正嘉元年[太歳丁巳]八月二十三日戌亥の刻の大地震と、文永元年[太歳甲子]七月四日の大彗星、此等は仏滅後二千二百余年の間未だ出現せざる大瑞なり、此の大菩薩の此の大法を持ちて出現し給うべき先瑞なるか、尺の池には丈の浪たたず驢吟ずるに風鳴らず、日本国の政事乱れ万民歎くに依つては此の大瑞現じがたし、誰か知らん法華経の滅不滅の大瑞なりと。
二千余年の間悪王の万人に・らるる謀叛の者の誰人にあだまるる等日蓮が失もなきに高きにも下きにも罵詈毀辱刀杖瓦礫等ひまなき事二十余年なり、唯事にはあらず過去の不軽菩薩の威音王仏の末に多年の間罵詈せられしに相似たり、而も仏彼の例を引いて云く我が滅後の末法にも然るべし等と記せられて候に近くは日本遠くは漢土等にも法華経の故にかかる事有りとは未だ聞かず人は悪んで是を云はず、我と是を云はば自讃に似たり、云わずば仏語を空くなす過あり、身を軽んじて法を重んずるは賢人にて候なれば申す、日蓮は彼の不軽菩薩に似たり、国王の父母を殺すも民が考妣を害するも上下異なれども一因なれば無間におつ、日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども同業なれば彼の不軽菩薩成仏し給はば日蓮が仏果疑うべきや、彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり、日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり、彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ、此れは未だ渇仰せず知らず無数劫をや経んずらん不便なり不便なり。
疑つて云く正嘉の大地震等の事は去る文応元年[太歳庚甲]七月十六日宿屋の入道に付けて故最明寺入道殿へ奉る所の勘文立正安国論には法然が選択に付いて日本国の仏法を失ふ故に天地瞋をなし自界叛逆難と他国侵遍難起こるべしと勘へたり、此には法華経の流布すべき瑞なりと申す先後の相違之有るか如何、答えて云く汝能く之を問えり、法華経の第四に云く「而も此の経は如来現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等云云、同第七に況滅度後を重ねて説いて云く「我が滅度の後後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布せん」等云云、仏滅後の多怨は後五百歳に妙法蓮華経の流布せん時と見えて候、次ぎ下に又云く「悪魔魔民諸天竜夜叉鳩槃荼」等云云、行満座主伝教大師を見て云く「聖語朽ちず今此の人に遇えり我れ披閲する所の法門日本国の阿闍梨に授与す」等云云、今も又是くの如し末法の始に妙法蓮華経の五字を流布して日本国の一切衆生が仏の下種を懐妊すべき時なり、例せば下女が王種を懐妊すれば諸女瞋りをなすが如し、下賎の者に王頂の珠を授与せんに大難来らざるべしや、一切世間多怨難信の経文是なり、涅槃経に云く「聖人に難を致せば他国より其の国を襲う」と云云、仁王経も亦復是くの如し[取意]、日蓮をせめて弥よ天地四方より大災雨の如くふり泉の如くわき浪の如く寄せ来るべし、国の大蝗虫たる諸僧等近臣等が日蓮を讒訴する弥よ盛ならば大難倍来るべし、帝釈を射る修羅は箭還つて己が眼にたち阿那婆達多竜を犯さんとする金翅鳥は自ら火を出して自身をやく、法華経を持つ行者は帝釈阿那婆達多竜に劣るべきや、章安大師の云く「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり慈無くして詐わり親むは則ち是れ彼が怨なり」等云云、又云く「彼が為に悪を除くは則ち是れ彼が親なり」等云云。
日本国の一切衆生は法然が捨閉閣抛と禅宗が教外別伝との誑言に誑かされて一人もなく無間大城に堕つべしと勘へて国主万民を憚からず大音声を出して二十余年が間よばはりつるは竜逢と比干との直臣にも劣るべきや、大悲千手観音の一時に無間地獄の衆生を取り出すに似たるか、火の中の数子を父母が一時に取り出さんと思ふに手少なければ慈悲前後有るに似たり、故に千手万手億手ある父母にて在すなり、爾前の経経は一手二手等に似たり法華経は「一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」と無数手の菩提是なり、日蓮は法華経並びに章安の釈の如くならば日本国の一切衆生の慈悲の父母なり、天高けれども耳とければ聞かせ給うらん地厚けれども眼早ければ御覧あるらん天地既に知し食しぬ、又一切衆生の父母を罵詈するなり父母を流罪するなり、此の国此の両三年が間の乱政は先代にもきかず法に過ぎてこそ候へ。
抑悲母の孝養の事仰せ遣され候感涙押へ難し、昔元重等の五童は五郡の異性の他人なり兄弟の契りをなして互に相背かざりしかば財三千を重ねたり、我等親と云う者なしと歎きて途中に老女を儲けて母と崇めて一分も心に違はずして二十四年なり、母忽に病に沈んで物いはず、五子天に仰いで云く我等孝養の感無くして母もの云わざる病あり、願くは天孝の心を受け給はば此の母に物いはせ給へと申す、其の時に母五子に語つて云く我は本是れ大原の陽猛と云うものの女なり、同郡の張文堅に嫁す文堅死にき、我に一人の児あり名をば烏遺と云いき彼が七歳の時乱に値うて行く処をしらず、汝等五子に養はれて二十四年此の事を語らず、我が子は胸に七星の文あり右の足の下に黒子ありと語り畢つて死す、五子葬をなす途中にして国令の行くにあひぬ、彼の人物記する嚢を落せり此の五童が取れるになして禁め置かれたり、令来つて問うて云く汝等は何くの者ぞ、五童答えて云く上に言えるが如し、爾の時に令上よりまろび下て天に仰ぎ地に泣く、五人の縄をゆるして我が座に引き上せて物語りして云く我は是れ烏遺なり、汝等は我が親を養いけるなり此の二十四年の間多くの楽みに値へども非母の事をのみ思い出でて楽みも楽しみならず、乃至大王の見参に入れて五県の主と成せりき、他人集つて他の親を養ふに是くの如し、何に況や同父同母の舎弟妹女等がいういうたるを顧みば天も争か御納受なからんや。
浄蔵浄眼は法華経をもつて邪見の慈父を導びき、提婆達多は仏の御敵四十余年の経経にて捨てられ臨終悪くして大地破れて無間地獄に行きしかども法華経にて召し還して天王如来と記せらる、阿闍世王は父を殺せども仏涅槃の時法華経を聞いて阿鼻の大苦を免れき。
例せば此の佐渡の国は畜生の如くなり又法然が弟子充満せり、鎌倉に日蓮を悪みしより百千万億倍にて候、一日も寿あるべしとも見えねども各御志ある故に今まで寿を支へたり、是を以て計るに法華経をば釈迦多宝十方の諸仏大菩薩供養恭敬せさせ給へば此の仏菩薩は各各の慈父慈母に日日夜夜十二時にこそ告げさせ給はめ、当時主の御おぼえのいみじくおはするも慈父悲母の加護にや有るらん、兄弟も兄弟とおぼすべからず只子とおぼせ、子なりとも梟鳥と申す鳥は母を食ふ破鏡と申す獣の父を食わんとうかがふ、わが子四郎は父母を養ふ子なれども悪くばなにかせん、他人なれどもかたらひぬれば命にも替るぞかし、舎弟等を子とせられたらば今生の方人人目申す計りなし、妹等を女と念はばなどか孝養せられざるべき、是へ流されしには一人も訪う人もあらじとこそおぼせしかども同行七八人よりは少からず、上下のくわても各の御計ひなくばいかがせん、是れ偏に法華経の文字の各の御身に入り替らせ給いて御助けあるとこそ覚ゆれ。
何なる世の乱れにも各各をば法華経十羅刹助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり、事繁ければとどめ候。 
 
頼基陳状/建治三年六月五十六歳御代作

 

去ぬる六月二十三日の御下文島田の左衛門入道殿山城の民部入道殿両人の御承りとして同二十五日謹んで拝見仕り候い畢んぬ、右仰せ下しの状に云く竜象御房の御説法の所に参られ候いける次第をほかた穏便ならざる由、見聞の人遍く一方ならず同口に申し合い候事驚き入つて候、徒党の仁其の数兵杖を帯して出入すと云云。
此の条跡形も無き虚言なり、所詮誰人の申し入れ候けるやらん御哀憐を蒙りて召し合せられ実否を糾明され候はば然るべき事にて候、凡そ此の事の根源は去る六月九日日蓮聖人の御弟子三位公頼基が宿所に来り申して云く近日竜象房と申す僧京都より下りて大仏の門の西桑か谷に止住して日夜に説法仕るが申して云く現当の為仏法に御不審存ぜむ人は来りて問答申す可き旨説法せしむる間、鎌倉中の上下釈尊の如く貴び奉るしかれども問答に及ぶ人なしと風聞し候、彼へ行き向いて問答を遂げ一切衆生の後生の不審をはらし候はむと思い候、聞き給はぬかと申されしかども折節官仕に隙無く候いし程に思い立たず候いしかども、法門の事と承りてたびたび罷り向いて候えども頼基は俗家の分にて候い一言も出さず候し上は悪口に及ばざる事厳察足る可く候。
ここに竜象房説法の中に申して云く此の見聞満座の御中に御不審の法門あらば仰せらる可くと申されし処に、日蓮房の弟子三位公問うて云く生を受けしより死をまぬかるまじきことはり始めてをどろくべきに候はねども、ことさら当時日本国の災・に死亡する者数を知らず眼前の無常人毎に思いしらずと云ふ事なし、然る所に京都より上人御下りあつて人人の不審をはらし給うよし承りて参りて候つれども御説法の最中骨無くも候なばと存じ候し処に問うべき事有らむ人は各各憚らず問い給へと候し間悦び入り候、先づ不審に候事は末法に生を受けて辺土のいやしき身に候へども中国の仏法幸に此の国にわたれり是非信受す可き処に経は五千七千数多なり、然而一仏の説なれば所詮は一経にてこそ候らむに華厳真言乃至八宗浄土禅とて十宗まで分れてをはします、此れ等の宗宗も門はことなりとも所詮は一かと推する処に、弘法大師は我が朝の真言の元祖法華経は華厳経大日経に相対すれば門の異なるのみならず其の理は戯論の法無明の辺域なり、又法華宗の天台大師等は諍盗醍醐等云云、法相宗の元祖慈恩大師云く「法華経は方便深密経は真実無性有情永不成仏」云云、華厳宗の澄観云く「華厳経は本教法華経は末教或は華厳は頓頓法華は漸頓」等云云、三論宗の嘉祥大師の云く「諸大乗経の中には般若教第一」云云、浄土宗の善導和尚云く「念仏は十即十生百即百生法華経等は千中無一」云云、法然上人云く「法華経を念仏に対して捨閉閣抛或は行者は群賊」等云云、禅宗の云く「教外別伝不立文字」云云、教主釈尊は法華経をば世尊の法は久しくして後に要当に真実を説きたもうべし、多宝仏は妙法華経は皆是真実なり十方分身の諸仏は舌相梵天に至るとこそ見えて候に弘法大師は法華経をば戯論の法と書かれたり、釈尊多宝十方の諸仏は皆是真実と説かれて候、いづれをか信じ候べき、善導和尚法然上人は法華経をば千中無一捨閉閣抛釈尊多宝十方分身の諸仏は一として成仏せずと云う事無し皆仏道を成ずと云云、三仏と導和尚然上人とは水火なり雲泥なり何れをか信じ候べき何れをか捨て候べき就中彼の導然両人の仰ぐ所の雙観経の法蔵比丘の四十八願の中に第十八願に云く「設い我れ仏を得るとも唯五逆と誹謗正法とを除く」と云云、たとひ弥陀の本願実にして往生すべくとも、正法を誹謗せむ人人は弥陀仏の往生には除かれ奉るべきか又法華経の二の巻には「若し人信ぜざれば其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云云、念仏宗に詮とする導然の両人は経文実ならば阿鼻大城をまぬかれ給ふべしや、彼の上人の地獄に堕ち給わせば末学弟子檀那等自然に悪道に堕ちん事疑いなかるべし、此等こそ不審に候へ上人は如何と問い給はれしかば。
竜上人答て云く上古の賢哲達をばいかでか疑い奉るべき、竜象等が如くなる凡僧等は仰いで信じ奉り候と答え給しを、をし返して此の仰せこそ智者の仰せとも覚えず候へ、誰人か時の代にあをがるる人師等をば疑い候べき、但し涅槃経に仏最後の御遺言として「法に依つて人に依らざれ」と見えて候、人師にあやまりあらば経に依れと仏は説かれて候、御辺はよもあやまりましまさじと申され候、御房の私の語と仏の金言と比には三位は如来の金言に付きまいらせむと思い候なりと申されしを。
象上人は人師にあやまり多しと候はいづれの人師に候ぞと問はれしかば、上に申しつる所の弘法大師法然上人等の義に候はずやと答え給い候しかば象上人は嗚呼叶い候まじ我が朝の人師の事は忝くも問答仕るまじく候、満座の聴衆皆皆其の流にて御座す鬱憤も出来せば定めてみだりがはしき事候なむ恐れあり恐れありと申されし処に、三位房の云く人師のあやまり誰ぞと候へば経論に背く人師達をいだし候し憚ありかなふまじと仰せ候にこそ進退きはまりて覚え候へ、法門と申すは人を憚り世を恐れて仏の説き給うが如く経文の実義を申さざらんは愚者の至極なり、智者上人とは覚え給はず悪法世に弘まりて人悪道に堕ち国土滅すべしと見へ候はむに法師の身として争かいさめず候べき、然れば則ち法華経には「我身命を愛まず」涅槃経には「寧ろ身命を喪うとも」等云云、実の聖人にてをはせば何が身命を惜みて世にも人にも恐れ給うべき、外典の中にも竜蓬と云いし者、比干と申せし賢人は頚をはねられ胸をさかれしかども夏の桀殷の紂をばいさめてこそ賢人の名をば流し候しか、内典には不軽菩薩は杖木をかほり師子尊者は頭をはねられ竺の道生は蘇山にながされ法道三蔵は面に火印をさされて江南にはなたれしかども正法を弘めてこそ聖人の名をば得候しかと難ぜられ候しかば。
竜上人の云くさる人は末代にはありがたし我我は世をはばかり人を恐るる者にて候、さやうに仰せらるる人とてもことばの如くにはよもをはしまし候はじと候しかば。
此の御房は争か人の心をば知り給うべき某こそ当時日本国に聞え給う日蓮聖人の弟子として候へ、某が師匠の聖人は末代の僧にて御坐候へども当世の大名僧の如く望んで請用もせず人をも●はず聊か異なる悪名もたたず只此の国に真言禅宗浄土宗等の悪法並に謗法の諸僧満ち満ちて上一人をはじめ奉りて下万民に至るまで御帰依ある故に法華経教主釈尊の大怨敵と成りて現世には天神地祇にすてられ他国のせめにあひ、後生には阿鼻大城に堕ち給うべき由経文にまかせて立て給いし程に此の事申さば大なるあだあるべし申さずんば仏のせめのがれがたし、いはゆる涅槃経に「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり」等と云云、世に恐れて申さずんば我が身悪道に堕つべきと御覧じて身命をすてて去る建長年中より今年建治三年に至るまで二十余年が間あえてをこたる事なし、然れば私の難は数を知らず国王の勘気は両度に及びき、三位も文永八年九月十二日の勘気の時は供奉の一人にて有りしかば同罪に行はれて頚をはねらるべきにてありしは身命を惜むものにて候かと申されしかば。
竜象房口を閉て色を変え候しかば此の御房申されしは是程の御智慧にては人の不審をはらすべき由の仰せ無用に候けり苦岸比丘勝意比丘等は我れ正法を知りて人をたすくべき由存ぜられて候しかども我が身も弟子檀那等も無間地獄に堕ち候き、御法門の分斉にてそこばくの人を救はむと説き給うが如くならば師檀共に無間地獄にや堕ち給はんずらむ今日より後は此くの如き御説法は御はからひあるべし、加様には申すまじく候へども悪法を以て人を地獄にをとさん邪師をみながら責め顕はさずば返つて仏法の中の怨なるべしと仏の御いましめのがれがたき上聴聞の上下皆悪道にをち給はん事不便に覚え候へば此くの如く申し候なり、智者と申すは国のあやうきをいさめ人の邪見を申しとどむるこそ智者にては候なれ、是はいかなるひが事ありとも世の恐しければいさめじと申されむ上は力及ばず、某は文殊の智慧も富楼那の弁説も詮候はずとて立たれ候しかば、諸人歓喜をなし掌を合せ今暫く御法門候へかしと留め申されしかどもやがて帰り給い了んぬ、此の外は別の子細候はず且つは御推察あるべし法華経を信じ参らせて仏道を願ひ候はむ者の争か法門の時悪行を企て悪口を宗とし候べき、しかしながら御ぎやうさく有る可く候其上日蓮聖人の弟子となのりぬる上罷り帰りても御前に参りて法門問答の様かたり申し候き、又た其の辺に頼基しらぬもの候はず只頼基をそねみ候人のつくり事にて候にや早早召し合せられん時其の隠れ有る可らず候。
又仰せ下さるる状に云く極楽寺の長老は世尊の出世と仰ぎ奉ると此の条難かむの次第に覚え候、其の故は日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば久成如来の御使上行菩薩の垂迹法華本門の行者五五百歳の大導師にて御座候聖人を頚をはねらるべき由の申し状を書きて殺罪に申し行はれ候しが、いかが候けむ死罪を止て佐渡の島まで遠流せられ候しは良観上人の所行に候はずや其の訴状は別紙に之れ有り、抑生草をだに伐るべからずと六斎日夜説法に給われながら法華正法を弘むる僧を断罪に行わる可き旨申し立てらるるは自語相違に候はずや如何此僧豈天魔の入れる僧に候はずや、但し此の事の起は良観房常の説法に云く日本国の一切衆生を皆持斎になして八斎戒を持たせて国中の殺生天下の酒を止めむとする処に日蓮房が謗法に障えられて此の願叶い難き由歎き給い候間日蓮聖人此の由を聞き給いていかがして彼が誑惑の大慢心をたをして無間地獄の大苦をたすけむと仰せありしかば、頼基等は此の仰せ法華経の御方人大慈悲の仰せにては候へども当時日本国別して武家領食の世きらざる人にてをはしますをたやすく仰せある事いかがと弟子共同口に恐れ申し候し程に、去る文永八年[太歳辛未]六月十八日大旱魃の時彼の御房祈雨の法を行いて万民をたすけんと申し付け候由日蓮聖人聞き給いて此体は小事なれども此の次でに日蓮が法験を万人に知らせばやと仰せありて、良観房の所へつかはすに云く七日の内にふらし給はば日蓮が念仏無間と申す法門すてて良観上人の弟子と成りて二百五十戒持つべし、雨ふらぬほどならば彼の御房の持戒げなるが大誑惑なるは顕然なるべし、上代も祈雨に付て勝負を決したる例これ多し、所謂護命と伝教大師と守敏と弘法なり、仍て良観房の所へ周防房入沢の入道と申す念仏者を遣わす御房と入道は良観が弟子又念仏者なりいまに日蓮が法門を用うる事なし是を以て勝負とせむ、七日の内に雨降るならば本の八斎戒念仏を以て往生すべしと思うべし、又雨らずば一向に法華経になるべしといはれしかば是等悦びて極楽寺の良観房に此の由を申し候けり、良観房悦びないて七日の内に雨ふらすべき由にて弟子百二十余人頭より煙を出し声を天にひびかし或は念仏或は請雨経或は法華経或は八斎戒を説きて種種に祈請す、四五日まで雨の気無ければたましゐを失いて多宝寺の弟子等数百人呼び集めて力を尽し祈りたるに七日の内に露ばかりも雨降らず其の時日蓮聖人使を遣す事三度に及ぶ、いかに泉式部と云いし婬女能因法師と申せし破戒の僧狂言綺語の三十一字を以て忽にふらせし雨を持戒持律の良観房は法華真言の義理を極め慈悲第一と聞へ給う上人の数百人の衆徒を率いて七日の間にいかにふらし給はぬやらむ、是を以て思ひ給へ一丈の堀を越えざる者二丈三丈の堀を越えてんややすき雨をだにふらし給はず況やかたき往生成仏をや、然れば今よりは日蓮怨み給う邪見をば是を以て翻えし給へ後生をそろしくをぼし給はば約束のままにいそぎ来り給へ、雨ふらす法と仏になる道をしへ奉らむ七日の内に雨こそふらし給はざらめ、旱魃弥興盛に八風ますます吹き重りて民のなげき弥弥深し、すみやかに其のいのりやめ給へと第七日の申の時使者ありのままに申す処に良観房は涙を流す弟子檀那同じく声をおしまず口惜しがる日蓮御勘気を蒙る時此の事御尋ね有りしかば有りのままに申し給いき、然れば良観房身の上の恥を思はば跡をくらまして山林にもまじはり約束のままに日蓮が弟子ともなりたらば道心の少にてもあるべきにさはなくして無尽の讒言を構えて殺罪に申し行はむとせしは貴き僧かと日蓮聖人かたり給いき又頼基も見聞き候き、他事に於てはかけはくも主君の御事畏れ入り候へども此の事はいかに思い候ともいかでかと思はれ候べき。
仰せ下しの状に云く竜象房極楽寺の長老見参の後は釈迦弥陀とあをぎ奉ると云云、此の条又恐れ入り候、彼の竜象房は洛中にして人の骨肉を朝夕の食物とする由露顕せしむるの間、山門の衆徒蜂起して世末代に及びて悪鬼国中に出現せり、山王の御力を以て対治を加えむとて住所を焼失し其の身を誅罰せむとする処に自然に逃失し行方を知らざる処にたまたま鎌倉の中に又人の肉を食の間情ある人恐怖せしめて候に仏菩薩と仰せ給う事所従の身として争か主君の御あやまりをいさめ申さず候べき、御内のをとなしき人人いかにこそ存じ候へ。
同じき下し状に云く是非につけて主親の所存には相随わんこそ仏神の冥にも世間の礼にも手本と云云、此の事最第一の大事にて候へば私の申し状恐れ入り候間本文を引くべく候、孝経に云く「子以て父に争わずんばあるべからず臣以て君に争わずんばあるべからず」、鄭玄曰く「君父不義有らんに臣子諌めざるは則ち亡国破家の道なり」新序に曰く「主の暴を諌めざれば忠臣に非ざるなり、死を畏れて言わざるは勇士に非ざるなり」、伝教大師云く「凡そ不誼に当つては則ち子以て父に争わずんばあるべからず臣以て君に争わずんばあるべからず当に知るべし君臣父子師弟以て師に争わずんばあるべからず」文、法華経に云く「我れ身命を愛まず但無上道を惜む」文、涅槃経に云く「譬えば王の使の善能談論し方便に巧にして命を他国に奉ずるに寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を匿さざるが如し智者も亦爾り」文、章安大師云く「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれとは身は軽く法は重し身を死して法を弘む」文、又云く「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり慈無くして詐り親むは則ち是れ彼が怨なり能く糺治する者は彼の為めに悪を除く則ち是れ彼が親なり」文、頼基をば傍輩こそ無礼なりと思はれ候らめども世の事にをき候ては是非父母主君の仰せに随い参らせ候べし。
其にとて重恩の主の悪法の者にたぼらかされましまして悪道に堕ち給はむをなげくばかりなり、阿闍世王は提婆六師を師として教主釈尊を敵とせしかば摩竭提国皆仏教の敵となりて闍王の眷属五十八万人仏弟子を敵とする中に耆婆大臣計り仏の弟子なり、大王は上の頼基を思し食すが如く仏弟子たる事を御心よからず思し食ししかども最後には六大臣の邪義をすてて耆婆が正法にこそつかせ給い候しが其の如く御最後をば頼基や救い参らせ候はんずらむ此の如く申さしめ候へば阿闍世は五逆罪の者なり彼に対するかと思し食しぬべし、恐れにては候へども彼には百千万倍の重罪にて御座すべしと御経の文には顕然に見えさせ給いて候、所謂「今此の三界は皆是れ我有なり其中の衆生は悉く是れ吾子なり」文文の如くば教主釈尊は日本国の一切衆生の父母なり師匠なり主君なり阿弥陀仏は此の三の義ましまさず、而るに三徳の仏を閣いて他仏を昼夜朝夕に称名し六万八万の名号を唱えましますあに不孝の御所作にわたらせ給はずや、弥陀の願も釈迦如来の説かせ給いしかども終にくひ返し給いて唯我一人と定め給いぬ、其の後は全く二人三人と見え候はず、随つて人にも父母二人なし何の経に弥陀は此の国の父何れの論に母たる旨見へて候観経等の念仏の法門は法華経を説かせ給はむ為のしばらくのしつらひなり、塔くまむ為の足代の如し、而るを仏法なれば始終あるべしと思う人大僻案なり、塔立てて後足代を貴ぶほどのはかなき者なり、又日よりも星は明と申す者なるべし、此の人を経に説いて云く「復教詔すと雖も而も信受せず其の人命終して阿鼻獄に入らん」、当世日本国の一切衆生の釈迦仏を抛つて阿弥陀仏を念じ法華経を抛つて観経等を信ずる人或は此くの如き謗法の者を供養せむ俗男俗女等存外に五逆七逆八虐の罪ををかせる者を智者と竭仰する諸の大名僧並びに国主等なり、如是展転至無数劫とは是なり、此の如き僻事をなまじゐに承りて候間次を以て申せしめ候、宮仕をつかまつる者上下ありと申せども分分に随つて主君を重んぜざるは候はず、上の御ため現世後生あしくわたらせ給うべき事を秘かにも承りて候はむに傍輩世に憚りて申し上ざらむは与同罪にこそ候まじきか。
随つて頼基は父子二代命を君にまいらせたる事顕然なり故親父[中務某]故君の御勘気かふらせ給いける時数百人の御内の臣等心かはりし候けるに中務一人最後の御供奉して伊豆の国まで参りて候き、頼基は去る文永十一年二月十二日の鎌倉の合戦の時、折節伊豆の国に候しかば十日の申の時に承りて唯一人筥根山を一時に馳せ越えて御前に自害すべき八人の内に候き、自然に世しづまり候しかば今に君も安穏にこそわたらせ給い候へ、爾来大事小事に付けて御心やすき者にこそ思い含まれて候頼基が今更何につけて疎縁に思いまいらせ候べき、後生までも随従しまいらせて頼基成仏し候はば君をもすくひまいらせ君成仏しましまさば頼基もたすけられまいらせむとこそ存じ候へ。
其れに付ひて諸僧の説法を聴聞仕りて何れか成仏の法とうかがひ候処に日蓮聖人の御房は三界の主一切衆生の父母釈迦如来の御使上行菩薩にて御坐候ける事の法華経に説かれてましましけるを信じまいらせたるに候、今こそ真言宗と申す悪法日本国に渡りて四百余年去る延暦二十四年に伝教大師日本国にわたし給いたりしかども此の国にあしかりなむと思し食し候間宗の字をゆるさず天台法華宗の方便となし給い畢んぬ、其の後伝教大師御入滅の次をうかがひて弘法大師伝教に偏執して宗の字を加えしかども叡山は用うる事なかりしほどに慈覚智証短才にして二人の身は当山に居ながら心は東寺の弘法に同意するかの故に我が大師には背いて始めて叡山に真言宗を立てぬ日本亡国の起り是なり、爾来三百余年或は真言勝れ法華勝れ一同なむど諍論事きれざりしかば王法も左右なく尽きざりき、人王七十七代後白河法皇の御宇に天台の座主明雲一向に真言の座主になりしかば明雲は義仲にころされぬ頭破作七分是なり、第八十二代隠岐の法皇の御時禅宗念仏宗出来つて真言の大悪法に加えて国土に流布せしかば、天照太神正八幡の百王百代の御誓やぶれて王法すでに尽きぬ、関東の権の大夫義時に天照太神正八幡の御計いとして国務をつけ給い畢んぬ、爰に彼の三の悪法関東に落ち下りて存外に御帰依あり、故に梵釈二天日月四天いかりを成し先代未有の天変地夭を以ていさむれども用い給はざれば鄰国に仰せ付けて法華経誹謗の人を治罰し給う間、天照太神正八幡も力及び給はず、日蓮聖人一人此の事を知し食せり、此くの如き厳重の法華経にてをはして候間、主君をも導きまいらせむと存じ候故に無量の小事をわすれて今に仕われまいらせ候、頼基を讒言申す仁は君の御為不忠の者に候はずや、御内を罷り出て候はば君たちまちに無間地獄に堕ちさせ給うべし、さては頼基仏に成り候ても甲斐なしとなげき存じ候。
抑彼の小乗戒は富楼那と申せし大阿羅漢諸天の為に二百五十戒を説き候しを浄名居士たんじて云く「穢食を以て宝器に置くこと無れ」等云云、鴦崛摩羅は文殊を呵責し嗚呼蚊蚋の行は大乗空の理を知らずと、又小乗戒をば文殊は十七の失を出だし如来は八種の譬喩を以て是をそしり給うに驢乳と説き蝦蟆に譬えられたり、此れ等をば鑒真の末弟子は伝教大師をば悪口の人とこそ嵯峨天皇には奏し申し候しかども経文なれば力及び候はず、南都の奏状やぶれて叡山の大戒壇立ち候し上は、すでに捨てられ候し小乗に候はずや、頼基が良観房を蚊蚋蝦蟆の法師なりと申すとも経文分明に候はば御とがめあるべからず。
剰へ起請に及ぶべき由仰せを蒙むるの条存外に歎き入て候、頼基不法時病にて起請を書き候程ならば君忽に法華経の御罰を蒙らせ給うべし、良観房が讒訴に依りて釈迦如来の御使日蓮聖人を流罪し奉りしかば聖人の申し給いしが如く百日が内に合戦出来して若干の武者滅亡せし中に、名越の公達横死にあはせ給いぬ、是れ偏に良観房が失ひ奉りたるに候はずや、今又竜象良観が心に用意せさせ給いて頼基に起請を書かしめ御座さば君又其の罪に当らせ給はざるべしや、此くの如き道理を知らざる故か、又君をあだし奉らむと思う故か、頼基に事を寄せて大事を出さむとたばかり候人等御尋ねあつて召し合わせらるべく候、恐惶謹言。 
 
四条金吾殿御返事/建治三年五十六歳御作

 

御文あらあらうけ給わりて長き夜のあけとをき道をかへりたるがごとし、夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり、中にも天竺をば月氏という我国をば日本と申す一閻浮提八万の国の中に大なる国は天竺小なる国は日本なり、名のめでたきは印度第二扶桑第一なり、仏法は月の国より始めて日の国にとどまるべし、月は西より出で東に向ひ日は東より西へ行く事天然のことはり、磁石と鉄と雷と象華とのごとし、誰か此のことはりをやぶらん。
此の国に仏法わたりし由来をたづぬれば天神七代地神五代すぎて人王の代となりて第一神武天皇乃至第三十代欽明天皇と申せし王をはしき、位につかせ給いて三十二年治世し給いしに第十三年壬申十月十三日辛酉に此の国より西に百済国と申す州あり日本国の大王の御知行の国なり、其の国の大王聖明王と申せし国王あり、年貢を日本国にまいらせしついでに金銅の釈迦仏並に一切経法師尼等をわたしたりしかば天皇大に喜びて群臣に仰せて西蕃の仏をあがめ奉るべしやいなや、蘇我の大臣いなめの宿禰と申せし人の云く西蕃の諸国みな此れを礼すとよあきやまとあに独り背やと申す、物部の大むらじをこし中臣のかまこ等奏して日く我が国家天下に君たる人はつねに天地しやそく百八十神を春夏秋冬にさいはいするを事とす、しかるを今更あらためて西蕃の神を拝せばおそらくは我が国の神いかりをなさんと云云、爾の時に天皇わかちがたくして勅宣す、此の事を只心みに蘇我の大臣につけて一人にあがめさすべし、他人用いる事なかれ、蘇我の大臣うけ取りて大に悦び給いて此の釈迦仏を我が居住のおはた(小墾田)と申すところに入まいらせて安置せり、物部の大連不思議なりとていきどをりし程に日本国に大疫病おこりて死せる者大半に及ぶすでに国民尽きぬべかりしかば、物部の大連隙を得て此の仏を失うべきよし申せしかば勅宣なる、早く他国の仏法を棄つべし云云、物部の大連御使として仏をば取りて炭をもつてをこしつちをもつて打ちくだき仏殿をば火をかけてやきはらひ僧尼をばむちをくわう、其の時天に雲なくして大風ふき雨ふり、内裏天火にやけあがつて大王並に物部の大連蘇我の臣三人共に疫病ありきるがごとくやくがごとし、大連は終に寿絶えぬ蘇我と王とはからくして蘇生す、而れども仏法を用ゆることなくして十九年すぎぬ。
第三十一代の敏達天皇は欽明第二の太子治十四年なり左右の両臣は一は物部の大連が子にて弓削の守屋父のあとをついで大連に任ず蘇我の宿禰の子は蘇我の馬子と云云、此の王の御代に聖徳太子生給へり用明の御子敏達のをいなり御年二歳の二月東に向つて無名の指を開いて南無仏と唱へ給へば御舎利掌にあり、是れ日本国の釈迦念仏の始めなり、太子八歳なりしに八歳の太子云く「西国の聖人釈迦牟尼仏の遺像末世に之を尊めば則ち禍を銷し福を蒙る之を蔑れば則ち災を招き寿を縮む」等云云、大連物部の弓削宿禰の守屋等いかりて云く「蘇我は勅宣を背きて他国の神を礼す」等云云、又疫病未だ息まず人民すでにたえぬべし、弓削守屋又此れを間奏す云云、勅宣に云く「蘇我の馬子仏法を興行す宜く仏法を卻ぞくべし」等云云、此に守屋中臣の臣勝海大連等両臣と、寺に向つて堂塔を切たうし仏像をやきやぶり、寺には火をはなち僧尼の袈裟をはぎ笞をもつてせむ又天皇並に守屋馬子等疫病す、其の言に云く「焼くがごとしきるがごとし」又瘡をこるはうそうといふ、馬子歎いて云く「尚三宝を仰がん」と勅宣に云く「汝独り行え但し余人を断てよ」等云云、馬子欣悦し精舎を造りて三宝を崇めぬ。
天皇は終八月十五日崩御云云、此の年は太子は十四なり第三十二代用明天皇の治二年欽明の太子聖徳太子の父なり、治二年丁未四月に天皇疫病あり、皇勅して云く「三宝に帰せんと欲す」云云、蘇我の大臣詔に随う可しとて遂に法師を引いて内裏に入る豊国の法師是なり、物部の守屋大連等大に瞋り横に睨んで云く天皇を厭魅すと終に皇隠れさせ給う五月に物部の守屋が一族渋河の家にひきこもり多勢をあつめぬ、太子と馬子と押し寄せてたたかう、五月六月七月の間に四箇度合戦す、三度は太子まけ給う第四度めに太子願を立てて云く「釈迦如来の御舎利の塔を立て四天王寺を建立せん」と馬子願て云く「百済より渡す所の釈迦仏を寺を立てて崇重すべし」と云云、弓削なのつて云く「此れは我が放つ矢にはあらず我が先祖崇重の府都の大明神の放ち給ふ矢なり」と、此の矢はるかに飛んで太子の鎧に中る、太子なのる「此は我が放つ矢にはあらず四天王の放ち給う矢なり」とて迹見の赤梼と申す舎人にいさせ給へば矢はるかに飛んで守屋が胸に中りぬ、はだのかはかつ(秦川勝)をちあひて頚をとる、此の合戦は用明崩御崇峻未だ位に即き給わざる其の中間なり。
第三十三崇峻天皇位につき給う、太子は四天王寺を建立す此れ釈迦如来の御舎利なり、馬子は元興寺と申す寺を建立して百済国よりわたりて候いし教主釈尊を崇重す、今の代に世間第一の不思議は善光寺の阿弥陀如来という誑惑これなり、又釈迦仏にあだをなせしゆへに三代の天皇並に物部の一族むなしくなりしなり又太子教主釈尊の像一体つくらせ給いて元興寺に居せしむ今の橘寺の御本尊これなり、此れこそ日本国に釈迦仏つくりしはじめなれ。
漢土には後漢の第二の明帝永平七年に金神の夢に見て博士蔡・王遵等の十八人を月氏につかはして仏法を尋ねさせ給いしかば中天竺の聖人摩騰迦竺法蘭と申せし二人の聖人を同永平十年丁卯の歳迎へ取りて崇重ありしかば、漢土にて本より皇の御いのりせし儒家道家の人人数千人此の事をそねみてうつたへしかば、同永平十四年正月十五日に召し合せられしかば漢土の道士悦びをなして唐土の神百霊を本尊としてありき、二人の聖人は仏の御舎利と釈迦仏の画像と五部の経を本尊と恃怙み給う、道士は本より王の前にして習いたりし仙経三墳五典二聖三王の書を薪につみこめてやきしかば古はやけざりしがはいとなりぬ、先には水にうかびしが水に沈みぬ、鬼神を呼しも来らず、あまりのはづかしさに・善信費叔才なんど申せし道士等はおもい死にししぬ、二人の聖人の説法ありしかば舎利は天に登りて光を放ちて日輪みゆる事なし、画像の釈迦仏は眉間より光を放ち給う、呂慧通等の六百余人の道士は帰伏して出家す、三十日が間に十寺立ちぬ、されば釈迦仏は賞罰ただしき仏なり、上に挙ぐる三代の帝並に二人の臣下釈迦如来の敵とならせ給いて今生は空く後生は悪道に堕ちぬ。
今の代も又これにかはるべからず、漢土の道士信費等日本の守屋等は漢土日本の大小の神祇を信用して教主釈尊の御敵となりしかば神は仏に随い奉り行者は皆ほろびぬ、今の代も此くの如く上に挙ぐる所の百済国の仏は教主釈尊なり、名を阿弥陀仏と云つて日本国をたぼらかして釈尊を他仏にかへたり、神と仏と仏と仏との差別こそあれども釈尊をすつる心はただ一なり、されば今の代の滅せん事又疑いなかるべし、是は未だ申さざる法門なり秘す可し秘す可し、又吾一門の人人の中にも信心もうすく日蓮が申す事を背き給はば蘇我が如くなるべし、其の故は仏法日本に立ちし事は蘇我の宿禰と馬子との父子二人の故ぞかし、釈迦如来の出世の時の梵王帝釈の如くにてこそあらまじなれども、物部と守屋とを失いし故に只一門になりて位もあがり国をも知行し一門も繁昌せし故に高挙をなして崇峻天皇を失いたてまつり王子を多く殺し結句は太子の御子二十三人を馬子がまご入鹿の臣下失ひまいらせし故に、皇極天皇は中臣の鎌子が計いとして教主釈尊を造り奉りてあながちに申せしかば入鹿の臣並に父等の一族一時に滅びぬ。
此れをもつて御推察あるべし、又我が此の一門の中にも申しとをらせ給はざらん人人はかへりて失あるべし、日蓮をうらみさせ給うな少輔房能登房等を御覧あるべし、かまへてかまへて此の間はよの事なりとも御起請かかせ給うべからず火はをびただしき様なれども暫くあればしめる水はのろき様なれども左右なく失いがたし、御辺は腹あしき人なれば火の燃るがごとし一定人にすかされなん、又主のうらうらと言和かにすかさせ給うならば火に水をかけたる様に御わたりありぬと覚ゆ、きたはぬかねはさかんなる火に入るればとくとけ候、冰をゆに入るがごとし、剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり、まへにかう申すはきたうなるべし仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なりいかにいとをしはなれじと思うめなれども死しぬればかひなしいかに所領ををししとをぼすとも死しては他人の物、すでにさかへて年久しすこしも惜む事なかれ、又さきざき申すがごとくさきざきよりも百千万億倍御用心あるべし。
日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。
穴賢穴賢あらかるべからず吾が家にあらずんば人に寄合事なかれ、又夜廻の殿原はひとりもたのもしき事はなけれども法華経の故に屋敷を取られたる人人なり、常はむつばせ給うべし、又夜の用心の為と申しかたがた殿の守りとなるべし、吾方の人人をば少少の事をばみずきかずあるべしさて又法門なんどを聞ばやと仰せ候はんに悦んで見え給うべからず、いかんが候はんずらん、御弟子共に申してこそ見候はめとやわやわとあるべしいかにもうれしさにいろに顕われなんと覚え聞かんと思う心だにも付かせ給うならば火をつけてもすがごとく天より雨の下るがごとく万事をすてられんずるなり。
又今度いかなる便も出来せばしたため候し陳状を上げらるべし、大事の文なればひとさはぎはかならずあるべし、穴賢穴賢。 
 
崇峻天皇御書/建治三年九月五十六歳御作

 

白小袖一領銭一ゆひ又富木殿の御文のみなによりもかきなしなまひじきひるひじきやうやうの物うけ取りしなじな御使にたび候いぬ、さてはなによりも上の御いたはりなげき入つて候、たとひ上は御信用なき様に候へどもとの其の内にをはして其の御恩のかげにて法華経をやしなひまいらせ給い候へば偏に上の御祈とぞなり候らん、大木の下の小木大河の辺の草は正しく其の雨にあたらず其の水をえずといへども露をつたへいきをえてさかうる事に候。
此れもかくのごとし、阿闍世王は仏の御かたきなれども其の内にありし耆婆大臣仏に志ありて常に供養ありしかば其の功大王に帰すとこそ見へて候へ、仏法の中に内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候、法華経には「我深く汝等を敬う」涅槃経には「一切衆生悉く仏性有り」馬鳴菩薩の起信論には「真如の法常に薫習するを以ての故に妄心即滅して法身顕現す」弥勒菩薩の瑜伽論には見えたり、かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり、されば御内の人人には天魔ついて前より此の事を知りて殿の此の法門を供養するをささえんがために今度の大妄語をば造り出だしたりしを御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがために此の病はをこれるか、上は我がかたきとはをぼさねども一たんかれらが申す事を用い給いぬるによりて御しよらうの大事になりてながしらせ給うか、彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ、和讒せし人も又其の病にをかされぬ、良観は又一重の大科の者なれば大事に値うて大事をひきをこしていかにもなり候はんずらん、よもただは候はじ。
此れにつけても殿の御身もあぶなく思いまいらせ候ぞ、一定かたきにねらはれさせ給いなんすぐろくの石は二つ並びぬればかけられず車の輪は二あれば道にかたぶかず、敵も二人ある者をばいぶせがり候ぞ、いかにとがありとも弟ども且くも身をはなち給うな、殿は一定腹あしき相かをに顕れたり、いかに大事と思へども腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知らせ給へ殿の人にあだまれてをはさば設い仏にはなり給うとも彼等が悦びと云う、此れよりの歎きと申し口惜しかるべし、彼等がいかにもせんとはげみつるに、古よりも上に引き付けられまいらせてをはすれば外のすがたはしづまりたる様にあれども内の胸はもふる計りにや有らん、常には彼等に見へぬ様にて古よりも家のこを敬ひきうだちまいらせ給いてをはさんには上の召しありとも且くつつしむべし、入道殿いかにもならせ給はば彼の人人はまどひ者になるべきをばかへりみず、物をぼへぬ心にとののいよいよ来るを見ては一定ほのをを胸にたきいきをさかさまにつくらん、若しきうだちきり者の女房たちいかに上の御そろうはと問い申されば、いかなる人にても候へ膝をかがめて手を合せ某が力の及ぶべき御所労には候はず候をいかに辞退申せどもただと仰せ候へば御内の者にて候間かくて候とてびむをもかかずひたたれこはからず、さはやかなる小袖色ある物なんどもきずして且くねうじて御覧あれ。
返す返す御心への上なれども末代のありさまを仏の説かせ給いて候には濁世には聖人も居しがたし大火の中の石の如し、且くはこらふるやうなれども終にはやけくだけて灰となる、賢人も五常は口に説きて身には振舞いがたしと見へて候ぞ、かうの座をば去れと申すぞかし、そこばくの人の殿を造り落さんとしつるにをとされずしてはやかちぬる身が穏便ならずして造り落されなば世間に申すこぎこひでの船こぼれ又食の後に湯の無きが如し、上よりへやを給いて居してをはせば其処にては何事無くとも日ぐれ暁なんど入り返りなんどに定めてねらうらん、又我が家の妻戸の脇持仏堂家の内の板敷の下か天井なんどをば、あながちに心えて振舞い給へ、今度はさきよりも彼等はたばかり賢かるらん、いかに申すとも鎌倉のえがら夜廻りの殿原にはすぎじ、いかに心にあはぬ事有りともかたらひ給へ。
義経はいかにも平家をばせめおとしがたかりしかども成良をかたらひて平家をほろぼし、大将殿はおさだを親のかたきとをぼせしかども平家を落さざりしには頚を切り給はず、況や此の四人は遠くは法華経のゆへ近くは日蓮がゆへに命を懸けたるやしきを上へ召されたり、日蓮と法華経とを信ずる人人をば前前彼の人人いかなる事ありともかへりみ給うべし、其の上殿の家へ此の人人常にかようならばかたきはよる行きあはじとをぢるべし、させる親のかたきならねば顕われてとはよも思はじ、かくれん者は是れ程の兵士はなきなり、常にむつばせ給へ、殿は腹悪き人にてよも用ひさせ給はじ、若しさるならば日蓮が祈りの力及びがたし、竜象と殿の兄とは殿の御ためにはあしかりつる人ぞかし天の御計いに殿の御心の如くなるぞかしいかに天の御心に背かんとはをぼするぞ設い千万の財をみちたりとも上にすてられまいらせ給いては何の詮かあるべき已に上にはをやの様に思はれまいらせ水の器に随うが如くこうしの母を思ひ老者の杖をたのむが如く主のとのを思食されたるは法華経の御たすけにあらずや、あらうらやましやとこそ御内の人人は思はるるらめとくとく此の四人かたらひて日蓮にきかせ給へさるならば強盛に天に申すべし、又殿の故御父御母の御事も左衛門の尉があまりに歎き候ぞと天にも申し入れて候なり、定めて釈迦仏の御前に子細候らん。
返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時殿はともして馬の口に付きてなきかなしみ給いしをばいかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏法華経も地獄にこそをはしまさずらめ、暗に月の入るがごとく湯に水を入るるがごとく冰に火をたくがごとく日輪にやみをなぐるが如くこそ候はんずれ、若しすこしも此の事をたがへさせ給うならば日蓮うらみさせ給うな。
此の世間の疫病はとののまうすがごとく年帰りなば上へあがりぬとをぼえ候ぞ、十羅刹の御計いか今且く世にをはして物を御覧あれかし、又世間のすぎえぬやうばし歎いて人に聞かせ給うな、若しさるならば賢人にははづれたる事なり、若しさるならば妻子があとにとどまりてはぢを云うとは思はねども、男のわかれのおしさに他人に向いて我が夫のはぢをみなかたるなり、此れ偏にかれが失にはあらず我がふるまひのあしかりつる故なり。
人身は受けがたし爪の上の土人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけりよかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし。
第一秘蔵の物語あり書きてまいらせん、日本始りて国王二人人に殺され給う、其の一人は崇峻天皇なり、此の王は欽明天皇の御太子聖徳太子の伯父なり、人王第三十三代の皇にてをはせしが聖徳太子を召して勅宣下さる、汝は聖智の者と聞く朕を相してまいらせよと云云、太子三度まで辞退申させ給いしかども頻の勅宣なれば止みがたくして敬いて相しまいらせ給う、君は人に殺され給うべき相ましますと、王の御気色かはらせ給いてなにと云う証拠を以て此の事を信ずべき、太子申させ給はく御眼に赤き筋とをりて候人にあだまるる相なり、皇帝勅宣を重ねて下しいかにしてか此の難を脱れん、太子の云く免脱がたし但し五常と申すつはものあり此れを身に離し給わずば害を脱れ給はん、此のつはものをば内典には忍波羅蜜と申して六波羅蜜の其の一なりと云云、且くは此れを持ち給いてをはせしがややもすれば腹あしき王にて是を破らせ給いき、或時人猪の子をまいらせたりしかばこうがいをぬきて猪の子の眼をづぶづぶとささせ給いていつかにくしと思うやつをかくせんと仰せありしかば、太子其の座にをはせしが、あらあさましやあさましや君は一定人にあだまれ給いなん、此の御言は身を害する剣なりとて太子多くの財を取り寄せて御前に此の言を聞きし者に御ひきで物ありしかども、有人蘇我の大臣馬子と申せし人に語りしかば馬子我が事なりとて東漢直駒直磐井と申す者の子をかたらひて王を害しまいらせつ、されば王位の身なれども思う事をばたやすく申さぬぞ、孔子と申せし賢人は九思一言とてここのたびおもひて一度申す、周公旦と申せし人は沐する時は三度握り食する時は三度はき給いき、たしかにきこしめせ我ばし恨みさせ給うな仏法と申すは是にて候ぞ。
一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。 
 
月水御書/文永元年四月四十三歳御作

 

伝え承はる御消息の状に云く法華経を日ごとに一品づつ二十八日が間に一部をよみまいらせ候しが当時は薬王品の一品を毎日の所作にし候、ただもとの様に一品づつをよみまいらせ候べきやらんと云云、法華経は一日の所作に一部八巻二十八品或は一巻或は一品一偈一句一字或は題目ばかりを南無妙法蓮華経と只一遍となへ或は又一期の間に只一度となへ或は又一期の間にただ一遍唱うるを聞いて随喜し或は又随喜する声を聞いて随喜し是体に五十展転して末になりなば志もうすくなり随喜の心の弱き事二三歳の幼穉の者のはかなきが如く牛馬なんどの前後を弁へざるが如くなりとも、他経を学する人の利根にして智慧かしこく舎利弗目連文殊弥勒の如くなる人の諸経を胸の内にうかべて御坐まさん人人の御功徳よりも勝れたる事百千万億倍なるべきよし経文並に天台妙楽の六十巻の中に見え侍り、されば経文には「仏の智慧を以て多少を籌量すとも其の辺を得ず」と説かれて仏の御智慧すら此の人の功徳をばしろしめさず、仏の智慧のありがたさは此の三千大千世界に七日若しは二七日なんどふる雨の数をだにもしろしめして御坐候なるが只法華経の一字を唱えたる人の功徳をのみ知しめさずと見えたり、何に況や我等逆罪の凡夫の此の功徳をしり候いなんや、然りと云えども如来滅後二千二百余年に及んで五濁さかりになりて年久し事にふれて善なる事ありがたし、設ひ善を作人も一の善に十の悪を造り重ねて結句は小善につけて大悪を造り心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり、然るに如来の世に出でさせ給いて候し国よりしては二十万里の山海をへだてて東によれる日域辺土の小嶋にうまれ五障の雲厚うして三従のきづなにつながれ給へる女人なんどの御身として法華経を御信用候はありがたしなんどとも申すに限りなく候、凡そ一代聖教を披き見て顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だにも近来は法華経を捨て念仏を申し候に何なる御宿善ありてか此の法華経を一偈一句もあそばす御身と生れさせ給いけん。
されば此の御消息を拝し候へば優曇華を見たる眼よりもめづらしく一眼の亀の浮木の穴に値へるよりも乏き事かなと心ばかりは有がたき御事に思いまいらせ候間、一言一点も随喜の言を加えて善根の余慶にもやとはげみ候へども只恐らくは雲の月をかくし塵の鏡をくもらすが如く短く拙き言にて殊勝にめでたき御功徳を申し隠しくもらす事にや候らんといたみ思ひ候ばかりなり、然りと云えども貴命もだすべきにあらず一滴を江海に加へ×火を日月にそへて水をまし光を添ふると思し食すべし、先法華経と申すは八巻一巻一品一偈一句乃至題目を唱ふるも功徳は同じ事と思し食すべし、譬えば大海の水は一滴なれども無量の江河の水を納めたり、如意宝珠は一珠なれども万宝をふらす、百千万億の滴珠も又これ同じ法華経は一字も一の滴珠の如し、乃至万億の字も又万億の滴珠の如し、諸経諸仏の一字一名号は江河の一滴の水山海の一石の如し、一滴に無量の水を備えず一石に無数の石の徳をそなへもたず、若し然らば此の法華経は何れの品にても御坐しませ只御信用の御坐さん品こそめづらしくは候へ。
総じて如来の聖教は何れも妄語の御坐すとは承り候はねども再び仏教を勘えたるに如来の金言の中にも大小権実顕密なんど申す事経文より事起りて候、随って論師人師の釈義にあらあら見えたり、詮を取つて申さば釈尊の五十余年の諸教の中に先四十余年の説教は猶うたがはしく候ぞかし、仏自ら無量義経に「四十余年未だ真実を顕さず」と申す経文まのあたり説かせ給へる故なり、法華経に於ては仏自ら一句の文字を「正直に方便を捨てて但だ無上道を説く」と定めさせ給いぬ、其の上多宝仏大地より涌出でさせ給いて「妙法華経皆是真実」と証明を加へ十方の諸仏皆法華経の座にあつまりて舌を出して法華経の文字は一字なりとも妄語なるまじきよし助成をそへ給へり、譬えば大王と后と長者等の一味同心に約束をなせるが如し、若し法華経の一字をも唱えん男女等十悪五逆四重等の無量の重業に引かれて悪道におつるならば日月は東より出でさせ給はぬ事はありとも大地は反覆する事はありとも大海の潮はみちひぬ事はありとも、破たる石は合うとも江河の水は大海に入らずとも法華経を信じたる女人の世間の罪に引かれて悪道に堕つる事はあるべからず、若し法華経を信じたる女人物をねたむ故腹のあしきゆへ貪欲の深きゆへなんどに引れて悪道に堕つるならば釈迦如来多宝仏十方の諸仏無量曠劫よりこのかた持ち来り給へる不妄語戒忽に破れて調達が虚誑罪にも勝れ瞿伽利が大妄語にも超えたらん争かしかるべきや。
法華経を持つ人憑しく有りがたし、但し一生が間一悪をも犯さず五戒八戒十戒十善戒二百五十戒五百戒無量の戒を持ち一切経をそらに浮べ一切の諸仏菩薩を供養し無量の善根をつませ給うとも、法華経計りを御信用なく又御信用はありとも諸経諸仏にも並べて思し食し又並べて思し食さずとも他の善根をば隙なく行じて時時法華経を行じ法華経を用ひざる謗法の念仏者なんどにも語らひをなし、法華経を末代の機に叶はずと申す者を科とも思し食さずば一期の間行じさせ給う処の無量の善根も忽にうせ並に法華経の御功徳も且く隠れさせ給いて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん事雨の空にとどまらざるが如く峰の石の谷へころぶが如しと思し食すべし、十悪五逆を造れる者なれども法華経に背く事なければ往生成仏は疑なき事に侍り、一切経をたもち諸仏菩薩を信じたる持戒の人なれども法華経を用る事無ければ悪道に堕つる事疑なしと見えたり。
予が愚見をもつて近来の世間を見るに多くは在家出家誹謗の者のみあり、但し御不審の事法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり、されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、又別に書き出してもあそばし候べく候、余の二十六品は身に影の随ひ玉に財の備わるが如し、寿量品方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり、薬王品提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども提婆品は方便品の枝葉薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候、されば常には此の方便品寿量品の二品をあそばし候て余の品をば時時御いとまのひまにあそばすべく候。
又御消息の状に云く日ごとに三度づつ七つの文字を拝しまいらせ候事と、南無一乗妙典と一万遍申し候事とをば日ごとにし候が、例の事に成つて候程は御経をばよみまいらせ候はず、拝しまいらせ候事も一乗妙典と申し候事もそらにし候は苦しかるまじくや候らん、それも例の事の日数の程は叶うまじくや候らん、いく日ばかりにてよみまいらせ候はんずる等と云云、此の段は一切の女人ごとの御不審に常に問せ給い候御事にて侍り、又古へも女人の御不審に付いて申したる人も多く候へども一代聖教にさして説かれたる処のなきかの故に証文分明に出したる人もおはせず、日蓮粗聖教を見候にも酒肉五辛婬事なんどの様に不浄を分明に月日をさして禁めたる様に月水をいみたる経論を未だ勘へず候なり、在世の時多く盛んの女人尼になり仏法を行ぜしかども月水の時と申して嫌はれたる事なし、是をもつて推し量り侍るに月水と申す物は外より来れる不浄にもあらず、只女人のくせかたわ生死の種を継ぐべき理にや、又長病の様なる物なり例せば屎尿なんどは人の身より出れども能く浄くなしぬれば別にいみもなし是体に侍る事か。
されば印度尸那なんどにもいたくいむよしも聞えず、但し日本国は神国なり此の国の習として仏菩薩の垂迹不思議に経論にあひにぬ事も多く侍るに是をそむけば現に当罰あり、委細に経論を勘へ見るに仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり、此の由を知ざる智者共神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強義を申して多くの檀那を損ずる事ありと見えて候なり、若し然らば此の国の明神多分は此の月水をいませ給へり、生を此の国にうけん人人は大に忌み給うべきか、但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候か、元より法華経を信ぜざる様なる人人が経をいかにしても云いうとめんと思うがさすがにただちに経を捨てよとは云いえずして、身の不浄なんどにつけて法華経を遠ざからしめんと思う程に、又不浄の時此れを行ずれば経を愚かにしまいらするなんどおどして罪を得させ候なり、此の事をば一切御心得候て月水の御時は七日までも其の気の有らん程は御経をばよませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給うべし、又不慮に臨終なんどの近づき候はんには魚鳥なんどを服せさせ給うても候へ、よみぬべくば経をもよみ及び南無妙法蓮華経とも唱えさせ給い候べし、又月水なんどは申すに及び候はず又南無一乗妙典と唱えさせ給う事是れ同じ事には侍れども天親菩薩天台大師等の唱えさせ給い候しが如く只南無妙法蓮華経と唱えさせ給うべきか、是れ子細ありてかくの如くは申し候なり、穴賢穴賢。 
 
星名五郎太郎殿御返事/文永四年十二月四十六歳御作

 

漢の明夜夢みしより迦竺二人の聖人初めて長安のとぼそに臨みしより以来唐の神武皇帝に至るまで天竺の仏法震旦に流布し、梁の代に百済国の聖明王より我が朝の人王三十代欽明の御宇に仏法初めて伝ふ、其れより已来一切の経論諸宗皆日域にみてり、幸なるかな生を末法に受くるといへども霊山のきき耳に入り身は辺土に居せりといへども大河の流れ掌に汲めり、但し委く尋ね見れば仏法に於て大小権実前後のおもむきあり、若し此の義に迷いぬれば邪見に住して仏法を習ふといへども還つて十悪を犯し五逆を作る罪よりも甚しきなり、爰を以て世を厭ひ道を願はん人先ず此の義を存ずべし、例せば彼の苦岸比丘等の如し、故に大経に云く「若し邪見なる事有らんに命終の時正に阿鼻獄に堕つべし」と云へり。
問う何を以てか邪見の失を知らん予不肖の身たりといへども随分後世を畏れ仏法を求めんと思ふ、願くは此の義を知らん、若し邪見に住せばひるがへして正見におもむかん、答う凡眼を以て定むべきにあらず浅智を以て明むべきにあらず、経文を以て眼とし仏智を以て先とせん、但恐くは若し此の義を明さば定めていかりをなし憤りを含まん事を、さもあらばあれ仏勅を重んぜんにはしかず、其れ世人は皆遠きを貴み近きをいやしむ但愚者の行ひなり、其れ若し非ならば遠とも破すべし其れ若し理ならば近とも捨つべからず、人貴むとも非ならば何ぞ今用いん、伝え聞く彼の南三北七の十流の学者威徳ことに勝れて天下に尊重せられし事既に五百余年まで有りしかども陳隋二代の比天台大師是を見て邪義なりと破す、天下に此の事を聞いて大きに是をにくむ、然りといへども陳王隋帝の賢王たるに依て彼の諸宗に天台を召し決せられ、邪正をあきらめて前五百年の邪義を改め皆悉く大師に帰す。
又我が朝の叡山の根本大師は南都北京の碩学と論じて仏法の邪正をただす事皆経文をさきとせり、今当世の道俗貴賎皆人をあがめて法を用いず心を師として経によらず、之に依て或は念仏権教を以て大乗妙典をなげすて或は真言の邪義を以て一実の正法を謗ず、是等の類豈大乗誹謗のやからに非ずや、若し経文の如くならば争か那落の苦みを受けざらんや、之に依て其の流をくむ人もかくの如くなるべし、疑つて云く念仏真言は是れ或は権或は邪義又行者或は邪見或は謗法なりと此の事甚だ以て不審なり、其の故は弘法大師は是れ金剛薩・の化現第三地の菩薩なり、真言は是れ最極甚深の秘密なり、又善導和尚は西土の教主弥陀如来の化身なり、法然上人は大勢至菩薩の化身なりかくの如きの上人を豈に邪見の人と云うべきや、答えて云く此の事本より私の語を以て是を難ずべからず経文を先として是をただすべきなり、真言の教は最極の秘密なりと云うは三部経の中に於て蘇悉地経を以て王とすと見えたり、全く諸の如来の法の中に於て第一なりと云う事を見ず、凡そ仏法と云うは善悪の人をゑらばず皆仏になすを以て最第一に定むべし、是れ程の理をば何なる人なりとも知るべきことなり、若し此の義に依らば経と経とを合せて是を×すべし、今法華経には二乗成仏あり真言経には之無しあまつさへあながちに是をきらへり、法華経には女人成仏之有り真言経にはすべて是なし、法華経には悪人の成仏之有り真言経には全くなし、何を以てか法華経に勝れたりと云うべき、又若し其の瑞相を論ぜば法華には六瑞あり、所謂雨華地動し白毫相の光り上は有頂を極め下は阿鼻獄を照せる是なり、又多宝の塔大地より出て分身の諸仏十方より来る、しかのみならず上行等の菩薩の六万恒沙五万四万三万乃至一恒沙半恒沙等大地よりわきいでし事此の威儀不思議を論ぜば何を以て真言法華にまされりと云わん、此等の事委くのぶるにいとまあらずはづかに大海の一滴を出す。
爰に菩提心論と云う一巻の文あり竜猛菩薩の造と号す、此の書に云く「唯真言法の中に即身成仏す故に是れ三摩地の法を説く諸教の中に於て闕いて書るさず」と云えり、此の語は大に不審なるに依て経文に就てこれを見るに即身成仏の語は有れども即身成仏の人全くなし、たとひありとも法華経の中に即身成仏あらば諸教の中にをいてかいて而もかかずと云うべからず此の事甚だ以て不可なり、但し此の書は全く竜猛の作にあらず委き旨は別に有るべし、設ひ竜猛菩薩の造なりともあやまりなり、故に大論に一代をのぶる肝要として「般若は秘密にあらず二乗作仏なし法華は是秘密なり二乗作仏あり」と云えり、又云く「二乗作仏あるは是秘密二乗作仏なきは是顕教」と云えり、若し菩提心論の語の如くならば別しては竜樹の大論にそむき総じては諸仏出世の本意一大事の因縁をやぶるにあらずや、今竜樹天親等は皆釈尊の説教を弘めんが為に世に出ず、付法蔵二十四人の其の一なり何ぞ此くの如き妄説をなさんや、彼の真言は是れ般若経にも劣れり何に況や法華に並べんや、爾るに弘法の秘蔵宝鑰に真言に一代を摂するとして法華を第三番に下し、あまつさへ戯論なりと云えり、謹んで法華経を披きたるに諸の如来の所説の中に第一なりと云えり、又已今当の三説に勝れたりと見えたり、又薬王の十喩の中に法華を大海にたとへ日輪にたとへ須弥山にたとへたり、若し此の義に依らば深き事何ぞ海にすぎん明かなる事何ぞ日輪に勝れん高き事何ぞ須弥山に越ゆる事有らん、喩を以て知んぬべし何を以てか法華に勝れたりと云はんや、大日経等に全く此の義なし但己が見に任せて永く仏意に背く、妙楽大師日く「請う眼有らん者は委悉に之を尋ねよ」と云へり、法華経を指て華厳に劣れりと云うは豈眼ぬけたるものにあらずや、又大経に云く「若し仏の正法を誹謗する者あらん正に其の舌を断べし」と、嗚呼誹謗の舌は世世に於て物云うことなく邪見の眼は生生にぬけて見ること無らん加之らず「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終えて阿鼻獄に入らん」の文の如くならば定めて無間大城に堕ちて無量億劫のくるしみを受けん、善導法然も是に例して知んぬべし、誰か智慧有らん人此の謗法の流を汲んで共に阿鼻の焔にやかれん、行者能く畏るべし此れは是れ大邪見の輩なり、所以に如来誠諦の金言を按ずるに云く「我が正法をやぶらん事は譬えば猟師の身に袈裟をかけたるが如し、或は須陀・斯那含阿那含阿羅漢辟支仏及び仏の色身を現じて我が正法を壊らん」といへり。
今此の善導法然等は種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す、就中彼の真言等の流れ偏に現在を以て旨とす、所謂畜類を本尊として男女の愛法を祈り荘園等の望をいのる、是くの如き少分のしるしを以て奇特とす、若し是を以て勝れたりといはば彼の月氏の外道等にはすぎじ、彼の阿竭多仙人は十二年の間恒河の水を耳にただへたりき、又耆菟仙人の四大海を一日の中にすひほし、×留外道は八百年の間石となる豈是にすぎたらんや、又瞿曇仙人が十二年の程釈身と成り説法せし、弘法が刹那の程にびるさな(毘盧舎那)の身と成りし、其の威徳を論ぜば如何、若し彼の変化のしるしを信ぜば即ち外道を信ずべし当に知るべし彼れ威徳ありといへども猶阿鼻の炎をまぬがれず、況やはづかの変化にをいてをや況や大乗誹謗にをいてをや、是一切衆生の悪知識なり近付くべからず畏る可し畏る可し、仏の曰く「悪象等に於ては畏るる心なかれ悪知識に於ては畏るる心をなせ、何を以ての故に悪象は但身をやぶり意をやぶらず悪知識は二共にやぶる故に、此の悪象等は但一身をやぶる悪知識は無量の身無量の意をやぶる、悪象等は但不浄の臭き身をやぶる悪知識は浄身及び浄心をやぶる、悪象は但肉身をやぶる悪知識は法身をやぶる、悪象の為にころされては三悪に至らず悪知識の為に殺されたるは必ず三悪に至る、此の悪象は但身の為のあだなり、悪知識は善法の為にあだなり」と、故に畏る可きは大毒蛇悪鬼神よりも弘法善導法然等の流の悪知識を畏るべし、略して邪見の失を明すこと畢んぬ。
此の使あまりに急ぎ候ほどにとりあへぬさまにかたはしばかりを申し候、此の後又便宜に委く経釈を見調べてかくべく候、穴賢穴賢、外見あるべからず候若命つれなく候はば仰せの如く明年の秋下り候て且つ申すべく候、恐恐。 
 
日妙聖人御書/文永九年五月五十一歳御作

 

過去に楽法梵志と申す者ありき、十二年の間多くの国をめぐりて如来の教法を求む、時に総て仏法僧の三宝一つもなし、此の梵志の意は渇して水をもとめ飢えて食をもとむるがごとく仏法を尋ね給いき、時に婆羅門あり求めて云く我れ聖教を一偈持てり若し実に仏法を願はば当にあたふべし、梵志答えて云くしかなり、婆羅門の云く実に志あらば皮をはいで紙とし骨をくだいて筆とし髄をくだいて墨とし血をいだして水として書かんと云はば仏の偈を説かん、時に此の梵志悦びをなして彼が申すごとくして皮をはいでほして紙とし乃至一言をもたがへず、時に婆羅門忽然として失ぬ、此の梵志天にあふぎ地にふす、仏陀此れを感じて下方より湧出て説て云く「如法は応に修行すべし非法は行ずべからず今世若しは後世法を行ずる者は安穏なり」等云云、此の梵志須臾に仏になる此れは二十字なり、昔釈迦菩薩転輪王たりし時き「夫生輙死此滅為楽」の八字を尊び給う故に身をかへて千燈にともして此の八字を供養し給い人をすすめて石壁要路にかきつけて見る人をして菩提心をおこさしむ、此の光明×利天に至る天の帝釈並びに諸天の燈となり給いき。
昔釈迦菩薩仏法を求め給いき、癩人あり此の人にむかって我れ正法を持てり其の字二十なり我が癩病をさすりいだきねぶり日に両三斤の肉をあたへば説くべしと云う、彼が申すごとくして二十字を得て仏になり給う、所謂「如来は涅槃を証し永く生死を断じ給う、若し至心に聴くこと有らば当に無量の楽を得べし」等云云。
昔雪山童子と申す人ありき、雪山と申す山にして外道の法を通達せしかどもいまだ仏法をきかず、時に大鬼神ありき説いて云く「諸行無常是生滅法」等云云、只八字計りを説いて後をとかず時に雪山童子此の八字を得て悦きはまりなけれども半なる如意珠を得たるがごとく華さき菓ならざるににたり、残の八字をきかんと申す、時に大鬼神の云く我れ数日が間飢えて正念乱るゆへに後の八字をときがたし食をあたへよと云う、童子問うて云く何をか食とする、鬼答えて云く我は人のあたたかなる血肉なり、我れ飛行自在にして須臾の間に四天下を回って尋ぬれどもあたたかなる血肉得がたし、人をば天守り給う故に失なければ殺害する事かたし等云云、童子の云く我が身を布施として彼の八字を習い伝えんと云云、鬼神の云く智慧甚だ賢し我をやすかさんずらん、童子答えて云く瓦礫に金銀をかへんに是をかえざるべしや我れ徒に此の山にして死しなば鴟梟虎狼に食はれて一分の功徳なかるべし、後の八字にかえなば糞を飯にかふるがごとし、鬼の云く我いまだ信ぜず、童子の云く証人あり過去の仏もたて給いし大梵天王釈提桓因日月四天も証人にたち給うべし、此の鬼神後の偈をとかんと申す、童子身にきたる鹿の皮をぬいで座にしき踞跪合掌して此の座につき給へと請す、大鬼神此の座について説て云く「生滅滅已寂滅為楽」等云云、此の偈を習ひ学して若しは木若しは石等に書き付けて身を大鬼神の口になげいれ給う、彼の童子は今の釈尊彼の鬼神は今の帝釈なり。
薬王菩薩は法華経の御前に臂を七万二千歳が間ともし給い、不軽菩薩は多年が間二十四字の故に無量無辺の四衆に罵詈毀辱杖木瓦石而打擲之せられ給いき、所謂二十四字と申すは「我深く汝等を敬う敢て軽慢せず所以は何ん汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」等云云、かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり、昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字の為に千歳が間阿私仙人にせめつかはれ身を床となさせて給いて今の釈尊となり給う。
然るに妙法蓮華経は八巻なり八巻を読めば十六巻を読むなるべし、釈迦多宝の二仏の経なる故へ、十六巻は無量無辺の巻軸なり、十方の諸仏の証明ある故に一字は二字なり釈迦多宝の二仏の字なる故へ一字は無量の字なり十方の諸仏の証明の御経なる故に、譬えば如意宝珠の玉は一珠なれども二珠乃至無量珠の財をふらすことこれをなじ、法華経の文字は一字は一の宝無量の字は無量の宝珠なり、妙の一字には二つの舌まします釈迦多宝の御舌なり、此の二仏の御舌は八葉の蓮華なり、此の重なる蓮華の上に宝珠あり妙の一字なり。
此妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜と申して身をうえたる虎にかひし功徳鳩にかひし功徳、尸羅波羅蜜と申して須陀摩王としてそらことせざりし功徳等、忍辱仙人として歌梨王に身をまかせし功徳、能施太子尚闍梨仙人等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給う、今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子これなり、我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし彼の功徳を全体うけとる故なり、経に云く「如我等無異」等云云、法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり、譬えば父母和合して子をうむ子の身は全体父母の身なり誰か是を諍うべき、牛王の子は牛王なりいまだ師子王とならず、師子王の子は師子王となるいまだ人王天王等とならず、今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申して教主釈尊の御子なり、教主釈尊のごとく法王とならん事難かるべからず、但し不孝の者は父母の跡をつがず尭王には丹朱と云う太子あり舜王には商均と申す王子あり、二人共に不孝の者なれば父の王にすてられて現身に民となる、重華と禹とは共に民の子なり孝養の心ふかかりしかば尭舜の二王召して位をゆづり給いき、民の身忽ち玉体にならせ給いき、民の現身に王となると凡夫の忽に仏となると同じ事なるべし、一念三千の肝心と申すはこれなり、なをいかにとしてか此功徳をばうべきぞ、楽法梵志雪山童子等のごとく皮をはぐべきか身をなぐべきか臂をやくべきか等云云、章安大師云く「取捨宜しきを得て一向にすべからず」等これなり、正法を修して仏になる行は時によるべし、日本国に紙なくば皮をはぐべし、日本国に法華経なくて知れる鬼神一人出来せば身をなぐべし、日本国に油なくば臂をもともすべし、あつき紙国に充満せり皮をはいでなにかせん、然るに玄奘は西天に法を求めて十七年十万里にいたれり、伝教御入唐但二年なり波涛三千里をへだてたり。
此等は男子なり上古なり賢人なり聖人なりいまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を、竜女が即身成仏も摩訶波闍波提比丘尼の記×にあづかりしも、しらず権化にやありけん、又在世の事なり、男子女人其の性本より別れたり火はあたたかに水はつめたし海人は魚をとるにたくみなり山人は鹿をとるにかしこし、女人は物をそねむにかしこしとこそ経文にはあかされて候へ、いまだきかず仏法にかしこしとは、女人の心を清風に譬えたり風はつなぐともとりがたきは女人の心なり、女人の心をば水にゑがくに譬えたり、水面には文字とどまらざるゆへなり、女人をば誑人にたとへたり、或時は実なり或時は虚なり、女人をば河に譬えたり一切まがられるゆへなり、而るに法華経は正直捨方便等皆是真実等質直意柔・等柔和質直者等と申して正直なる事弓の絃のはれるがごとく墨のなはをうつがごとくなる者の信じまいらする御経なり、糞を栴檀と申すとも栴檀の香なし、妄語の者を不妄語と申すとも不妄語にはあらず、一切経は皆仏の金口の説不妄語の御言なり、然れども法華経に対しまいらすれば妄語のごとし綺語のごとし悪口のごとし両舌のごとし、此の御経こそ実語の中の実語にて候へ、実語の御経をば正直の者心得候なり、今実語の女人にておはすか、当に知るべし須弥山をいただきて大海をわたる人をば見るとも此の女人をば見るべからず、砂をむして飯となす人をば見るとも此の女人をば見るべからず、当に知るべし釈迦仏多宝仏十方分身の諸仏上行無辺行等の大菩薩大梵天王帝釈四王等此女人をば影の身にそうがごとくまほり給うらん、日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん日妙聖人等云云。
相州鎌倉より北国佐渡の国其の中間一千余里に及べり、山海はるかにへだて山は峨峨海は涛涛風雨時にしたがふ事なし、山賊海賊充満せり、宿宿とまりとまり民の心虎のごとし犬のごとし、現身に三悪道の苦をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者国に充満し今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑいまだ世間安穏ならず、而れども一の幼子ありあづくべき父もたのもしからず離別すでに久し。
かたがた筆も及ばず心弁へがたければとどめ畢んぬ。 
 
乙御前御消息/建治元年八月五十四歳御作

 

漢土にいまだ仏法のわたり候はざりし時は三皇五帝三王乃至大公望周公旦老子孔子つくらせ給いて候いし文を或は経となづけ或は典等となづく、此の文を披いて人に礼儀をおしへ父母をしらしめ王臣を定めて世をおさめしかば人もしたがひ天も納受をたれ給ふ、此れにたがいし子をば不孝の者と申し臣をば逆臣の者とて失にあてられし程に、月氏より仏経わたりし時或一類は用ふべからずと申し或一類は用うべしと申せし程にあらそひ出来て召し合せたりしかば外典の者負けて仏弟子勝ちにき、其の後は外典の者と仏弟子を合せしかば冰の日にとくるが如く火の水に滅するが如くまくるのみならずなにともなき者となりしなり、又仏経漸くわたり来りし程に仏経の中に又勝劣浅深候いけり、所謂小乗経大乗経顕経密経権経実経なり、譬えば一切の石は金に対すれば一切の金に劣れども又金の中にも重重あり、一切の人間の金は閻浮檀金には及び候はず、閻浮檀金は梵天の金には及ばざるがごとく一切経は金の如くなれども又勝劣浅深あるなり、小乗経と申す経は世間の小船のごとくわづかに人の二人三人等は乗すれども百千人は乗せず、設ひ二人三人等は乗すれども此岸につけて彼岸へは行きがたし、又すこしの物をば入るれども大なる物をば入れがたし、大乗と申すは大船なり人も十二十人も乗る上大なる物をもつみ鎌倉よりつくしみちの国へもいたる。
実経と申すは又彼の大船の大乗経にはにるべくもなし、大なる珍宝をもつみ百千人のりてかうらいなんどへもわたりぬべし、一乗法華経と申す経も又是くの如し、提婆達多と申すは閻浮第一の大悪人なれども法華経にして天王如来となりぬ、又阿闍世王と申せしは父をころせし悪王なれども法華経の座に列りて一偈一句の結縁衆となりぬ、竜女と申せし蛇体の女人は法華経を文珠師利菩薩説き給ひしかば仏になりぬ、其の上仏説には悪世末法と時をささせ給いて末代の男女にをくらせ給いぬ、此れこそ唐船の如くにて候一乗経にてはおはしませ、されば一切経は外典に対すれば石と金との如し、又一切の大乗経所謂華厳経大日経観経阿弥陀経般若経等の諸の経経を法華経に対すれば螢火と日月と華山と蟻塚との如し、経に勝劣あるのみならず大日経の一切の真言師と法華経の行者とを合すれば水に火をあはせ露と風とを合するが如し、犬は師子をほうれば腸くさる修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る、一切の真言師は犬と修羅との如く法華経の行者は日輪と師子との如し、冰は日輪の出でざる時は堅き事金の如し、火は水のなき時はあつき事鉄をやけるが如し、然れども夏の日にあひぬれば堅冰のとけやすさあつき火の水にあひてきへやすさ、一切の真言師は気色のたうとげさ智慧のかしこげさ日輪をみざる者の堅き冰をたのみ水をみざる者の火をたのめるが如し。
当世の人人の蒙古国をみざりし時のおごりは御覧ありしやうにかぎりもなかりしぞかし、去年の十月よりは一人もおごる者なし、きこしめししやうに日蓮一人計りこそ申せしがよせてだにきたる程ならば面をあはする人もあるべからず、但さるの犬ををそれかゑるの蛇ををそるるが如くなるべし、是れ偏に釈伽仏の御使いたる法華経の行者を一切の真言師念仏者律僧等ににくませて我と損じ、ことさらに天のにくまれをかほれる国なる故に皆人臆病になれるなり、譬えば火が水をおそれ木が金をおぢ雉が鷹をみて魂を失ひねずみが・にせめらるるが如し、一人もたすかる者あるべからず、其の時はいかがせさせ給うべき、軍には大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり。
女人は夫を魂とす夫なければ女人魂なし、此の世に夫ある女人すら世の中渡りがたふみえて候に、魂もなくして世を渡らせ給うが魂ある女人にもすぐれて心中かひがひしくおはする上神にも心を入れ仏をもあがめさせ給へば人に勝れておはする女人なり、鎌倉に候いし時は念仏者等はさてをき候いぬ、法華経を信ずる人人は志あるもなきも知られ候はざりしかども御勘気をかほりて佐渡の島まで流されしかば問い訪う人もなかりしに女人の御身としてかたがた御志ありし上我と来り給いし事うつつならざる不思議なり、其の上いまのまうで又申すばかりなし、定めて神もまほらせ給ひ十羅刹も御あはれみましますらん、法華経は女人の御ためには暗きにともしび海に船おそろしき所にはまほりとなるべきよしちかはせ給へり、羅什三蔵は法華経を渡し給いしかば毘沙門天王は無量の兵士をして葱嶺を送りしなり、道昭法師野中にして法華経をよみしかば無量の虎来りて守護しき、此れも又彼にはかはるべからず、地には三十六祇天には二十八宿まほらせ給う上人には必ず二つの天影の如くにそひて候、所謂一をば同生天と云い二をば同名天と申す左右の肩にそひて人を守護すれば、失なき者をば天もあやまつ事なし況や善人におひてをや、されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりもつよかるべしとおぼすべし、例には他を引くべからず、日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんとせしかども今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしとおぼすべし、一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり、日本国にはかしこき人人はあるらめども大将のはかり事つたなければかひなし、壹岐対馬九ケ国のつはもの並に男女多く或はころされ或はとらはれ或は海に入り或はがけよりおちしものいくせんまんと云う事なし、又今度よせなば先にはにるべくもあるべからず、京と鎌倉とは但壹岐対馬の如くなるべし、前にしたくしていづくへもにげさせ給へ、其の時は昔し日蓮を見じ聞かじと申せし人人も掌をあはせ法華経を信ずべし、念仏者禅宗までも南無妙法蓮華経と申すべし、抑法華経をよくよく信したらん男女をば肩にになひ背におうべきよし経文に見えて候上くまらゑん(鳩摩羅・)三蔵と申せし人をば木像の釈迦をわせ給いて候いしぞかし、日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ昔と今と一同なり、各各は日蓮が檀那なり争か仏にならせ給はざるべき。
いかなる男をせさせ給うとも法華経のかたきならば随ひ給うべからず、いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれどもかさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にてはをはすれども志をかさぬれば他人よりも色まさり利生もあるべきなり、木は火にやかるれども栴檀の木は、やけず、火は水にけさるれども仏の涅槃の火はきえず、華は風にちれども浄居の華はしぼまず水は大干旱魃に失れども黄河に入りぬれば失せず、檀弥羅王と申せし悪王は月氏の僧の頚を切りしにとがなかりしかども師子尊者の頚を切りし時刀と手と共に一時に落ちにき、弗沙密多羅王は鶏頭摩寺を焼し時十二神の棒にかふべわられにき、今日本国の人人は法華経のかたきとなりて身を亡ぼし国を亡ぼしぬるなり、かう申せば日蓮が自讚なりと心えぬ人は申すなり、さにはあらず是を云わずば法華経の行者にはあらず、又云う事の後にあへばこそ人も信ずれ、かうただかきをきなばこそ未来の人は智ありけりとはしり候はんずれ、又身軽法重死身弘法とのべて候ば身は軽ければ人は打ちはり悪むとも法は重ければ必ず弘まるべし、法華経弘まるならば死かばね還つて重くなるべし、かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし、利生あるならば今の八幡大菩薩といははるるやうにいはうべし、其の時は日蓮を供養せる男女は武内若宮なんどのやうにあがめらるべしとおぼしめせ、抑一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし、況や日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳をや、何に況や一閻浮提四天下の人の眼のしゐたるをあけて候はんをや、法華経の第四に云く「仏滅度の後に能く其の義を解せんは是諸の天人世間之眼なり」等云云、法華経を持つ人は一切世間の天人の眼なりと説かれて候、日本国の人の日蓮をあだみ候は一切世間の天人の眼をくじる人なり、されば天もいかり日日に天変あり地もいかり月月に地夭かさなる、天の帝釈は野干を敬いて法を習いしかば今の教主釈尊となり給い雪山童子は鬼を師とせしかば今の三界の主となる、大聖上人は形を賎みて法を捨てざりけり、今日蓮おろかなりとも野干と鬼とに劣るべからず、当世の人いみじくとも帝釈雪山童子に勝るべからず、日蓮が身の賎きについて巧言を捨てて候故に国既に亡びんとするかなしさよ、又日蓮を不便と申しぬる弟子どもをもたすけがたからん事こそなげかしくは覚え候へ。
いかなる事も出来候はば是へ御わたりあるべし見奉らん山中にて共にうえ死にし候はん、又乙御前こそおとなしくなりて候らめ、いかにさかしく候らん、又又申すべし。 
 
善無畏抄/建治元年五十四歳御作

 

善無畏三歳は月氏烏萇奈国の仏種王の太子なり、七歳にして位に即き給う十三にして国を兄に譲り出家遁世し五天竺を修行して五乗の道を極め三学を兼ね給いき、達磨掬多と申す聖人に値い奉りて真言の諸印契一時に頓受し即日に御潅頂なし人天の師と定まり給いき、・足山に入りては迦葉尊者の髪を剃り王城に於て雨を祈り給いしかば観音日輪の中より出て水瓶を以て水を潅ぎ、北天竺の金粟王の塔の下にして仏法を祈請せしかば文殊師利菩薩大日経の胎蔵の曼荼羅を現して授け給う、其の後開元四年丙辰に漢土に渡る玄宗皇帝之を尊むこと日月の如し、又大旱魃あり皇帝勅宣を下す、三蔵一鉢に水を入れ暫く加持し給いしに水の中に指許りの物有り変じて竜と成る其の色赤色なり、白気立ち昇り鉢より竜出でて虚空に昇り忽に雨を降す、此の如くいみじき人なれども一時に頓死して有りき、蘇生りて語つて云く我死つる時獄卒来りて鉄の繩七筋付け鉄の杖を以て散散にさいなみ閻魔宮に到りにき、八万聖教一字一句も覚えず唯法華経の題名許り忘れざりき題名を思いしに鉄の繩少し許ぬ息続いて高声に唱えて云く今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子而今此処多諸患難唯我一人能為救護等云云、七つの鉄の繩切れ砕け十方に散す閻魔冠を傾けて南庭に下り向い給いき、今度は命尽きずとて帰されたるなりと語り給いき、今日蓮不審して云く善無畏三蔵は先生に十善の戒力あり五百の仏陀に仕えたり、今生には捨て難き王位をつばきを捨てるが如く之を捨て幼少十三にして出家し給い、月支国を廻りて諸宗を習い極め天の感を蒙り化道の心深くして震旦国に渡りて真言の大法を弘めたり、一印一真言を結び誦すれば過去現在の無量の罪滅しぬらん何の科に依りて閻魔の責をば蒙り給いけるやらん不審極り無し、善無畏三蔵真言の力を以て閻魔の責を脱れずば天竺震旦日本等の諸国の真言師地獄の苦を脱る可きや、委細に此の事を勘えたるに此の三蔵は世間の軽罪は身に御せず諸宗並びに真言の力にて滅しぬらん、此の責は別の故無し法華経誹謗の罪なり、大日経の義釈を見るに此の経は是れ法王の秘宝妄りに卑賎の人に示さず、釈迦出世の四十余年に舎利弗慇懃の三請に因って方に為に略して妙法蓮華の義を説くが如し、今此の本地の身又是れ妙法蓮華最深秘処なり、故に寿量品に云く「常に霊鷲山及び余の諸の住処に在り、乃至我が浄土は毀れざるに而も衆は焼き尽くと見る」と、即ち此の宗瑜伽の意なるのみ、又「補処の菩薩の慇懃三請に因って方に為に之を説く」等云云、此の釈の心は大日経に本迹二門開三顕一開近顕遠の法門有り、法華経の本迹二門の如し、此の法門は法華経に同じけれども此の大日経に印と真言と相加わりて三密相応せり、法華経は但意密許りにて身口の二密闕けたれば法華経をば略説と云い大日経をば広説と申す可きなりと書かれたり、此の法門第一の・謗法の根本なり、此の文に二つの・り有り、又義釈に云く「此の経横に一切の仏教を統ぶ」等云云、大日経は当分随他意の経なるを・りて随自意跨節の経と思えり、かたがた・りたるを実義と思し食す故に閻魔の責をば蒙りたりしか智者にて御座せし故に此の謗法を悔い還えして法華経に飜りし故に此の責を免がるるか、天台大師釈して云く「法華は衆経を総括す乃至軽慢止まざれば舌口中に爛る」等云云、妙楽大師云く「已今当の妙此に於て固く迷えり舌爛止まざるは猶華報と為す、謗法の罪苦長劫に流る」等云云、天台妙楽の心は法華経に勝れたる経有りと云はむ人は無間地獄に堕つ可しと書かれたり善無畏三蔵は法華経と大日経とは理は同じけれども事の印真言は勝れたりと書かれたり、然るに二人の中に一人は必悪道に堕つ可しとをぼふる処に天台の釈は経文に分明なり、善無畏の釈は経文に其証拠見えず、其の上閻魔王の責の時我が内証の肝心と思食す大日経等の三部経の内の文を誦せず、法華経の文を誦して此の責を免れぬ、疑無く法華経に真言勝ると思う・を飜したるなり其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌には大日経金剛頂経の両部の大日をば左右に立て法華経多宝仏をば不二の大日と定めて両部の大日をば左右の巨下の如くせり。
伝教大師は延暦二十三年の御入唐霊感寺の順暁和尚に真言三部の秘法を伝う、仏滝寺の行満座主に天台止観宝珠を請け取り顕密二道の奥旨を極め給いたる人、華厳三論法相律宗の人人の自宗我慢の辺執を倒して天台大師に帰入せる由を書かせ給いて候、依憑集守護章秀句なむど申す書の中に善無畏金剛智不空等は天台宗に帰入して智者大師を本師と仰ぐ由のせられたり、各各思えらく宗を立つる法は自宗をほめて他宗を嫌うは常の習なりと思えり、法然なむどは又此例を引きて曇鸞の難易道綽の聖道浄土善導が正雑二行の名目を引きて天台真言等の大法を念仏の方便と成せり、此等は牛跡に大海を入れ県の額を州に打つ者なり、世間の法には下剋上背上向下は国土亡乱の因縁なり、仏法には権小の経経を本として実経をあなづる、大謗法の因縁なり恐る可し恐る可し。
嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖或時は一代聖教を五時に分け或時は二蔵と判ぜり、然りと雖も竜樹菩薩の造の百論中論十二門論大論を尊んで般若経を依憑と定め給い、天台大師を辺執して過ぎ給いし程に智者大師の梵網等の疏を見て少し心とけやうやう近づきて法門を聴聞せし程に結句は一百余人の弟子を捨て般若経並びに法華経をも講ぜず七年に至つて天台大師に仕えさせ給いき、高僧伝には「衆を散じ身を肉橋と成す」と書かれたり、天台大師高坐に登り給えば寄りて肩を足に備え路を行き給えば負奉り給うて堀を越え給いき、吉蔵大師程の人だにも謗法を恐れてかくこそ仕え給いしか、然るを真言三論法相等の宗宗の人人今末末に成りて辺執せさせ給うは自業自得果なるべし。
今の世に浄土宗禅宗なんど申す宗宗は天台宗にをとされし真言華厳等に及ぶ可からず、依経既に楞伽経観経等なり此等の経経は仏の出世の本意にも非ず一時一会の小経なり一代聖教を判ずるに及ばず、而も彼の経経を依経として一代の聖教を聖道浄土難行易行雑行正行に分ち教外別伝なむどののしる、譬えば民が王をしえたげ小河の大海を納むるが如し、かかる謗法の人師どもを信じて後生を願う人人は無間地獄脱る可きや、然れば当世の愚者は仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱がれ法華経を信じぬれば不慮に謗法の科を脱れたり。
其の上女人は五障三従と申して世間出世に嫌われ一代の聖教に捨てられ畢んぬ、唯法華経計りにこそ竜女が仏に成り諸の尼の記・はさづけられて候ぬれば一切の女人は此の経を捨てさせ給いては何の経をか持たせ給うべき、天台大師は震旦国の人仏滅後一千五百余年に仏の御使として世に出でさせ給いき、法華経に三十巻の文を注し給い文句と申す文の第七の巻には「他経には但男に記して女に記せず」等云云、男子も余経にては仏に成らざれども且らく与えて其をば許してむ、女人に於ては一向諸経に於ては叶う可からずと書かれて候、縦令千万の経経に女人成る可しと許され為りと雖も法華経に嫌われなば何の憑か有る可きや。
教主釈尊我が諸経四十余年の経経を未顕真実と悔い返し涅槃経等をば当説と嫌い給い無量義経をば今説と定め置き、三説に秀でたる法華経に「正直に方便を捨て但無上道を説く世尊の法は久しくして後要当に真実を説くべし」と釈尊宣べ給いしかば、宝浄世界の多宝仏は大地より出でさせ給いて真実なる由の証明を加え、十方分身の諸仏広長舌を梵天に付け給う、十方世界微塵数の諸仏の舌相は不妄語戒の力に酬いて八葉の赤蓮華に生出させ給いき、一仏二仏三仏乃至十仏百仏千万億仏の四百万億那由佗の世界に充満せる仏の御舌を以て定め置き給える女人成仏の義なり、謗法無くして此の経を持つ女人は十方虚空に充満せる慳貪嫉妬瞋恚十悪五逆なりとも草木の露の大風にあえるなる可し三冬の冰の夏の日に滅するが如し、但滅し難き者は法華経謗法の罪なり、譬えば三千大千世界の草木を薪と為すとも須弥山は一分も損じ難し、縦令七つの日出でて百千日照すとも大海の中をばかわかしがたし、設い八万聖教を読み大地微塵の塔婆を立て大小乗の戒行を尽し十方世界の衆生を一子の如くに為すとも法華経謗法の罪はきゆべからず、我等過去現在未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受くるは偏に法華経誹謗の罪なるべし、女人と生れて百悪身に備ふるも根本此の経誹謗の罪より起れり。
然者此の経に値い奉らむ女人は皮をはいで紙と為し血を切りて墨と為し骨を折りて筆と為し血の涙を硯の水と為して書き奉ると雖も飽く期あるべからず、何に況や衣服金銀牛馬田畠等の布施を以て供養せむはもののかずにてかずならず。 
 
妙密上人御消息/建治二年三月五十五歳御作

 

青鳧五貫文給い候い畢んぬ、夫れ五戒の始は不殺生戒六波羅蜜の始は檀波羅蜜なり、十善戒二百五十戒十重禁戒等の一切の諸戒の始めは皆不殺生戒なり、上大聖より下蚊虻に至るまで命を財とせざるはなし、これを奪へば又第一の重罪なり、如来世に出で給いては生をあわれむを本とす、生をあわれむしるしには命を奪はず施食を修するが第一の戒にて候なり、人に食を施すに三の功徳あり一には命をつぎ二には色をまし三には力を授く、命をつぐは人中天上に生れては長命の果報を得仏に成りては法身如来と顕れ其の身虚空と等し、力を授くる故に人中天上に生れては威徳の人と成りて眷属多し、仏に成りては報身如来と顕れて蓮華の台に居し八月十五夜の月の晴天に出でたるが如し、色をます故に人中天上に生れては三十二相を具足して端正なる事華の如く、仏に成りては応身如来と顕れて釈迦仏の如くなるべし、夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり大海の初は一露なり一を重ぬれば二となり二を重ぬれば三乃至十百千万億阿僧祇の母は唯一なるべし。
されば日本国には仏法の始まりし事は天神七代地神五代の後人王百代其の初めの王をば神武天皇と申す、神武より第三十代に当りて欽明天皇の御宇に百済国より経並びに教主釈尊の御影僧尼等を渡す、用明天皇の太子の上宮と申せし人仏法を読み初め法華経を漢土よりとりよせさせ給いて疏を作りて弘めさせ給いき、それより後人王三十七代孝徳天皇の御宇に観勒僧正と申す人新羅国より三論宗成実宗を渡す、同じき御代に道昭と申す僧漢土より法相宗倶舎宗を渡す、同じき御代に審祥大徳華厳宗を渡す、第四十四代元正天皇の御宇に天竺の上人大日経を渡す、第四十五代聖武天皇の御宇に鑑真和尚と申せし人漢土より日本国に律宗を渡せし次でに天台宗の玄義文句円頓止観浄名疏等を渡す、然れども真言宗と法華宗との二宗をばいまだ弘め給はず、人王第五十代桓武天皇の御代に最澄と申す小僧あり後には伝教大師と号す、此の人入唐已前に真言宗と天台宗の二宗の章疏を十五年が間但一人見置き給いき、後に延暦二十三年七月に漢土に渡りかへる年の六月に本朝に著かせ給いて、天台真言の二宗を七大寺の碩学数十人に授けさせ給いき、其の後于今四百年なり、総じて日本国に仏法渡りて于今七百余年なり、或は弥陀の名号或は大日の名号或は釈迦の名号等をば一切衆生に勧め給へる人人はおはすれども、いまだ法華経の題目南無妙法蓮華経と唱へよと勧めたる人なし、日本国に限らず月氏等にも仏滅後一千年の間迦葉阿難馬鳴竜樹無著天親等の大論師仏法を五天竺に弘通せしかども漢土に仏法渡りて数百年の間摩騰迦竺法蘭羅什三蔵南岳天台妙楽等或は疏を作り或は経を釈せしかどもいまだ法華経の題目をば弥陀の名号の如く勧められず、唯自身一人計り唱へ或は経を講ずる時講師計り唱る事あり、然るに八宗九宗等其の義まちまちなれども多分は弥陀の名号次には観音の名号次には釈迦仏の名号次には大日薬師等の名号をば唱へ給へる高祖先徳等はおはすれども何なる故有りてか一代諸教の肝心たる法華経の題目をば唱へざりけん、其の故を能く能く尋ね習い給ふべし、譬えば大医の一切の病の根源薬の浅深は弁へたれども故なく大事の薬をつかふ事なく病に随ふが如し。
されば仏の滅後正像二千年の間は煩悩の病軽かりければ一代第一の良薬の妙法蓮華経の五字をば勧めざりけるか、今末法に入りぬ人毎に重病有り阿弥陀大日釈迦等の軽薬にては治し難し、又月はいみじけれども秋にあらざれば光を惜む花は目出けれども春にあらざればさかず、一切時による事なり、されば正像二千年の間は題目の流布の時に当らざるか、又仏教を弘るは仏の御使なり随つて仏の弟子の譲りを得る事各別なり、正法千年に出でし論師像法千年に出づる人師等は多くは小乗権大乗法華経の或は迹門或は枝葉を譲られし人人なり、いまだ本門の肝心たる題目を譲られし上行菩薩世に出現し給はず、此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中国ごと人ごとに弘むべし、例せば当時日本国に弥陀の名号の流布しつるが如くなるべきか。
然るに日蓮は何の宗の元祖にもあらず又末葉にもあらず持戒破戒にも闕て無戒の僧有智無智にもはづれたる牛羊の如くなる者なり、何にしてか申し初めけん上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を先立てねごとの様に心にもあらず南無妙法蓮華経と申し初て候し程に唱うる者なり、所詮よき事にや候らん又悪き事にや侍るらん我もしらず人もわきまへがたきか、但し法華経を開いて拝し奉るに此の経をば等覚の菩薩文殊弥勒観音普賢までも輙く一句一偈をも持つ人なし、「唯仏与仏」と説き給へり、されば華厳経は最初の頓説円満の経なれども法慧等の四菩薩に説かせ給ふ、般若経は又華厳経程こそなけれども当分は最上の経ぞかし、然れども須菩提これを説く、但法華経計りこそ三身円満の釈迦の金口の妙説にては候なれ、されば普賢文殊なりとも輙く一句一偈をも説かせ給うべからず、何に況や末代の凡夫我等衆生は一字二字なりとも自身には持ちがたし、諸宗の元祖等法華経を読み奉れば各各其の弟子等は我が師は法華経の心を得給へりと思へり、然れども詮を論ずれば慈恩大師は深密経唯識論を師として法華経をよみ、嘉祥大師は般若経中論を師として法華経をよむ、杜順法蔵等は華厳経十住毘婆沙論を師として法華経をよみ、善無畏金剛智不空等は大日経を師として法華経をよむ、此等の人人は各法華経をよめりと思へども未だ一句一偈もよめる人にはあらず、詮を論ずれば伝教大師ことはりて云く「法華経を讃すと雖も還って法華の心を死す」云云、例せば外道は仏経をよめども外道と同じ蝙蝠が昼を夜と見るが如し、又赤き面の者は白き鏡も赤しと思ひ太刀に顔をうつせるもの円かなる面をほそながしと思ふに似たり。
今日蓮は然らず已今当の経文を深くまほり一経の肝心たる題目を我も唱へ人にも勧む、麻の中の蓬墨うてる木の自体は正直ならざれども自然に直ぐなるが如し、経のままに唱うればまがれる心なし、当に知るべし仏の御心の我等が身に入らせ給はずば唱へがたきか、又それ他人の弘めさせ給ふ仏法は皆師より習ひ伝へ給へり、例せば鎌倉の御家人等の御知行所領の地頭或は一町二町なれども皆故大将家の御恩なり、何に況や百町千町一国二国を知行する人人をや、賢人と申すはよき師より伝へたる人聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり、仏滅後月氏漢土日本国に二人の聖人あり所謂天台伝教の二人なり、此の二人をば聖人とも云うべし又賢人とも云うべし、天台大師は南岳に伝えたり是は賢人なり、道場にして自解仏乗し給いぬ又聖人なり、伝教大師は道邃行満に止観と円頓の大戒を伝へたりこれは賢人なり、入唐已前に日本国にして真言止観の二宗を師なくしてさとり極め、天台宗の智慧を以て六宗七宗に勝れたりと心得給いしは是れ聖人なり、然れば外典に云く「生れながらにして之を知る者は上なり[上とは聖人の名なり]学んで之を知る者は次なり[次とは賢人の名なり]」内典に云く「我が行師の保無し」等云云、夫れ教主釈尊は娑婆世界第一の聖人なり、天台伝教の二人は聖賢に通ずべし、馬鳴竜樹無著天親等老子孔子等は或は小乗或は権大乗或は外典の聖賢なり、法華経の聖賢には非ず。
今日蓮は聖にも賢にも非ず持戒にも無戒にも有智にも無智も当らず、然れども法華経の題目の流布すべき後五百歳二千二百二十余年の時に生れて近くは日本国遠くは月氏漢土の諸宗の人人唱へ始めざる先に南無妙法蓮華経と高声によばはりて二十余年をふる間或は罵られ打たれ或は疵をかうほり或は流罪に二度死罪に一度定められぬ、其の外の大難数をしらず譬へば大湯に大豆を漬し小水に大魚の有るが如し、経に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」又云く「諸の無智の人有りて悪口罵詈す」或は云く「刀杖瓦石を加え或は数数擯出せらる」等云云、此等の経文は日蓮日本国に生ぜずんば但仏の御言のみ有りて其の義空しかるべし、譬へば花さき菓みならず雷なりて雨ふらざらんが如し、仏の金言空くして正直の御経に大妄語を雑へたるなるべし、此等を以て思ふに恐くは天台伝教の聖人にも及ぶべし又老子孔子をも下しぬべし、日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり、二人三人十人百人一国二国六十六箇国已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人も唱へ給うらん、又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん、木はしづかならんと思へども風やまず春を留んと思へども夏となる、日本国の人人は法華経は尊とけれども日蓮房が悪ければ南無妙法蓮華経とは唱えまじとことはり給ふとも今一度も二度も大蒙古国より押し寄せて壹岐対馬の様に男をば打ち死し女をば押し取り京鎌倉に打ち入りて国主並びに大臣百官等を搦め取り牛馬の前にけたてつよく責めん時は争か南無妙法蓮華経と唱へざるべき、法華経の第五の巻をもって日蓮が面を数箇度打ちたりしは日蓮は何とも思はずうれしくぞ侍りし、不軽品の如く身を責め勧持品の如く身に当つて貴し貴し。
但し法華経の行者を悪人に打たせじと仏前にして起請をかきたりし梵王帝釈日月四天等いかに口惜かるらん、現身にも天罰をあたらざる事は小事ならざれば始中終をくくりて其の身を亡すのみならず議せらるるか、あへて日蓮が失にあらず謗法の法師等をたすけんが為に彼等が大禍を自身に招きよせさせ給うか。
此等を以て思ふに便宜ごとの青鳧五連の御志は日本国の法華経の題目を弘めさせ給ふ人に当れり、国中の諸人一人二人乃至千万億の人題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し、殊に十羅刹女は法華経の題目を守護せんと誓わせ給う、此を推するに妙密上人並びに女房をば母の一子を思ふが如く・牛の尾を愛するが如く昼夜にまほらせ給うらん、たのもしたのもし、事多しといへども委く申すにいとまあらず、女房にも委く申し給へ此は諂へる言にはあらず、金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる、二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へと思食すべし。 
 
日女御前御返事/弘安元年六月五十七歳御作

 

御布施七貫文送り給び畢んぬ、属累品の御心は仏虚空に立ち給いて四百万億那由佗の世界にむさしの(武蔵野)のすすきのごとく富士山の木のごとくぞくぞくとひざをつめよせて頭を地につけ身をまげ掌をあはせあせを流し、つゆしげくおはせし上行菩薩等文殊等大梵天王帝釈日月四天王竜王十羅刹女等に法華経をゆづらんがために、三度まで頂をなでさせ給ふ、譬えば悲母の一子が頂のかみをなづるがごとし、爾の時に上行乃至日月等忝き仰せを蒙りて法華経を末代に弘通せんとちかひ給いしなり、薬王品と申すは昔喜見菩薩と申せし菩薩日月浄明徳仏に法華経を習わせ給いて其の師の恩と申し法華経のたうとさと申しかんにたへかねて万の重宝を尽くさせ給いしかどもなを心ゆかずして身に油をぬりて千二百歳の間当時の油にとうしみを入れてたくがごとく身をたいて仏を供養し後に七万二千歳が間ひぢをともしびとしてたきつくし法華経を御供養候き。
されば今法華経を後五百歳の女人供養せば其の功徳を一分ものこさずゆづるべし、譬えば長者の一子に一切の財宝をゆづるがごとし、妙音品と申すは東方の浄華宿王智仏の国に妙音菩薩と申せし菩薩あり、昔の雲雷音王仏の御代に妙荘厳王の后浄徳夫人なり、昔法華経を供養して今妙音菩薩となれり、釈迦如来の娑婆世界にして法華経を説き給ふにまいりて約束申して末代の女人の法華経を持ち給うをまもるべしと云云。
観音品と申すは又普門品と名く、始は観世音菩薩を持ち奉る人の功徳を説きて候、此を観音品と名づく後には観音の持ち給へる法華経を持つ人の功徳をとけり此を普門品と名く、陀羅尼品と申すは二聖二天十羅刹女の法華経の行者を守護すべき様を説きけり、二聖と申すは薬王と勇施となり二天と申すは毘沙門と持国天となり十羅刹女と申すは十人の大鬼神女四天下の一切の鬼神の母なり又十羅刹女の母あり鬼子母神是なり、鬼のならひとして人を食す、人に三十六物あり所謂糞と尿と唾と肉と血と皮と骨と五蔵と六腑と髪と毛と気と命等なり、而るに下品の鬼神は糞等を食し中品の鬼神は骨等を食す上品の鬼神は精気を食す、此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す疫病の大鬼神なり、鬼神に二あり一には善鬼二には悪鬼なり、善鬼は法華経の怨を食す悪鬼は法華経の行者を食す、今日本国の去年今年の大疫病は何とか心うべき此を答ふべき様は一には善鬼なり梵王帝釈日月四天の許されありて法華経の怨を食す、二には悪鬼が第六天の魔王のすすめによりて法華経を修行する人を食す、善鬼が法華経の怨を食ふことは官兵の朝敵を罰するがごとし、悪鬼が法華経の行者を食ふは強盗夜討等が官兵を殺すがごとし、例せば日本国に仏法の渡りてありし時仏法の敵たりし物部の大連守屋等も疫病をやみき蘇我宿禰の馬子等もやみき、欽明敏達用明の三代の国王は心には仏法釈迦如来を信じまいらせ給いてありしかども外には国の礼にまかせて天照太神熊野山等を仰ぎまいらせさせ給ひしかども仏と法との信はうすく神の信はあつかりしかば強きにひかれて三代の国王疫病疱瘡にして崩御ならせ給いき、此をもて上の二鬼をも今の代の世間の人人の疫病をも日蓮が方のやみしぬをも心うべし、されば身をすてて信ぜん人人はやまぬへんもあるべし又やむともたすかるへんもあるべし、又大悪鬼に値いなば命を奪はるる人もあるべし、例せば畠山重忠は日本第一の大力の大将なりしかども多勢には終にほろびぬ。
又日本国の一切の真言師の悪霊となれると並に禅宗念仏者等が日蓮をあだまんがために国中に入り乱れたり、又梵釈日月十羅刹の眷属日本国に乱入せり、両方互に責めとらんとはげむなり、而るに十羅刹女は総じて法華経の行者を守護すべしと誓はせ給いて候へば一切の法華経を持つ人人をば守護せさせ給うらんと思い候に法華経を持つ人人も或は大日経はまされりなど申して真言師が法華経を読誦し候はかへりてそしるにて候なり、又余の宗宗も此を以て押し計るべし、又法華経をば経のごとく持つ人人も法華経の行者を或は貪瞋癡により或は世間の事により或はしなじなのふるまひによつて憎む人あり、此は法華経を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰をかほるなり、例せば父母なんどには謀反等より外は子息等の身として此に背けば不孝なり、父が我がいとをしきめをとり母が我がいとをしきおとこを奪ふとも子の身として一分も違はば現世には天に捨てられ後生には必ず阿鼻地獄に堕つる業なり、何に況や父母にまされる賢王に背かんをや、何に況や父母国王に百千万億倍まされる世間の師をや、何に況や出世間の師をや、何に況や法華経の御師をや。
黄河は千年に一度すむといへり聖人は千年に一度出ずるなり、仏は無量劫に一度出世し給ふ、彼には値うといへども法華経には値いがたし、設ひ法華経に値い奉るとも末代の凡夫法華経の行者には値いがたし、何ぞなれば末代の法華経の行者は法華経を説ざる華厳阿含方等般若大日経等の千二百余尊よりも末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く「供養すること有る者は福十号に過ぎ若し悩乱する者は頭七分に破れん」云云、今日本国の者去年今年の疫病と去正嘉の疫病とは人王始まりて九十余代に並なき疫病なり、聖人の国にあるをあだむゆへと見えたり、師子を吼る犬は腸切れ日月をのむ修羅は頭の破れ候なるはこれなり、日本国の一切衆生すでに三分が二はやみぬ又半分は死しぬ今一分は身はやまざれども心はやみぬ、又頭も顕にも冥にも破ぬらん、罰に四あり総罰別罰冥罰顕罰なり、聖人をあだめは総罰一国にわたる又四天下又六欲四禅にわたる、賢人をあだめば但敵人等なり、今日本国の疫病は総罰なり定めて聖人の国にあるをあだむか、山は玉をいだけば草木かれず国に聖人あれば其の国やぶれず、山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず、国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人は弁へざるか。
設ひ日月の光ありとも盲目のために用ゆる事なし、設ひ声ありとも耳しひのためになにの用かあるべき、日本国の一切衆生は盲目と耳しひのごとし、此の一切の眼と耳とをくじりて一切の眼をあけ一切の耳に物をきかせんはいか程の功徳かあるべき、誰の人か此の功徳をば計るべき、設ひ父母子をうみて眼耳有りとも物を教ゆる師なくば畜生の眼耳にてこそあらましか、日本国の一切衆生は十方の中には西方の一方一切の仏の中には阿弥陀仏一切の行の中には弥陀の名号此の三を本として余行をば兼ねたる人もあり一向なる人もありしに、某去ぬる建長五年より今に至るまで二十余年の間遠くは一代聖教の勝劣先後浅深を立て近くは弥陀念仏と法華経の題目との高下を立て申す程に上一人より下万民に至るまで此の事を用ひず、或は師師に問い或は主主に訴へ或は傍輩にかたり或は我が身の妻子眷属に申す程に、国国郡郡郷郷村村寺寺社社に沙汰ある程に、人ごとに日蓮が名を知り法華経を念仏に対して念仏のいみじき様法華経の叶ひがたき事諸人のいみじき様日蓮わろき様を申す程に上もあだみ下も悪む日本一同に法華経と行者との大怨敵となりぬ、かう申せば日本国の人人並に日蓮が方の中にも物におばえぬ者は人に信ぜられんとあらぬ事を云うと思へり、此は仏法の道理を信じたる男女に知らせんれうに申す、各各の心にまかせ給うべし。
妙荘厳王品と申すは殊に女人の御ために用る事なり、妻が夫をすすめたる品なり、末代に及びても女房の男をすすめんは名こそかわりたりとも功徳は但浄徳夫人のごとし、いはうや此は女房も男も共に御信用あり鳥の二の羽そなはり車の二つの輪かかれり何事か成ぜざるべき、天あり地あり日あり月あり日てり雨ふる功徳の草木花さき菓なるべし。
次に勧発品と申すは釈迦仏の御弟子の中に僧はあまたありしかども迦葉阿難左右におはしき王の左右の臣の如し、此は小乗経の仏なり、又普賢文殊と申すは一切の菩薩多しといへども教主釈尊の左右の臣なり、而るに一代超過の法華経八箇年が間十方の諸仏菩薩等大地微塵よりも多く集まり候しに左右の臣たる普賢菩薩のおはせざりしは不思議なりし事なり、而れども妙荘厳王品をとかれてさておはりぬべかりしに東方宝威徳浄王仏の国より万億の伎楽を奏し無数の八部衆を引率しておくればせして参らせ給いしかば、仏の御きそくやあしからんずらんと思ひし故にや色かへて末代に法華経の行者を守護すべきやうをねんごろに申し上られしかば、仏も法華経を閻浮に流布せんことことにねんごろなるべきと申すにやめでさせ給いけん、返つて上の上位よりもことにねんごろに仏ほめさせ給へり。
かかる法華経を末代の女人二十八品を品品ごとに供養せばやとおぼしめす但事にはあらず、宝塔品の御時は多宝如来釈迦如来十方の諸仏一切の菩薩あつまらせ給いぬ、此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候、例せば蓮のみに蓮華の有るがごとく后の御腹に太子を懐妊せるがごとし、十善を持てる人太子と生んとして后の御腹にましませば諸天此を守護す故に太子をば天子と号す、法華経二十八品の文字六万九千三百八十四字一一の文字は字ごとに太子のごとし字毎に仏の御種子なり、闇の中に影あり人此をみず虚空に鳥の飛跡あり人此をみず大海に魚の道あり人これをみず月の中に四天下の人物一もかけず人此をみず、而りといへども天眼は此をみる。
日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦多宝十方の諸仏は御らんあり、日蓮又此をすいすあらたうとしたうとし、周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末三十七代八百年の間すゑずゑはひが事ありしかども根本の功によりてさかへさせ給ふ、阿闍世王は大悪人たりしかども父びんばさら(頻婆沙羅)王の仏を数年やしなひまいらせし故に九十年の間位を持ち給いき、当世も又かくの如く法華経の御かたきに成りて候代なれば須臾も持つべしとはみえねども故権の大夫殿武蔵の前司入道殿の御まつりごといみじくて暫く安穏なるか、其も始終は法華経の敵と成りなば叶うまじきにや。
此の人人の御僻案には念仏者等は法華経にちいんなり日蓮は念仏の敵なり、我等は何れをも信じたりと云云、日蓮つめて云く代に大禍なくば古にすぎたる疫病飢饉大兵乱はいかに、召も決せずして法華経の行者を二度まで大科に行ひしはいかに不便不便、而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給うは釈迦多宝十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり此の功徳をもてる人一閻浮提に有るべしや、恐恐謹言。 
 
妙一女御返事/弘安三年七月五十九歳御作

 

問うて云く、日本国に六宗七宗八宗有り何れの宗に即身成仏を立つるや、答えて云く伝教大師の意は唯法華経に限り弘法大師の意は唯真言に限れり、問うて云く其の証拠如何、答えて云く伝教大師の秀句に云く「当に知るべし他宗所依の経には都て即身入無し一分即入すと雖も八地已上に推して凡夫身を許さず天台法華宗のみ具に即入の義有り」云云、又云く「能化所化倶に歴劫無し妙法経力即身成仏す」等云云、又云く「当に知るべし此の文に成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり」と等云云、此の釈の心は即身成仏は唯法華経に限るなり。
問うて云く弘法大師の証拠如何、答えて云く弘法大師の二教論に云く「菩提心論に云く唯真言法の中に即身成仏する故は是れ三摩地の法を説くなり諸教の中に於て闕いて書さず、諭して曰く此の論は竜樹大聖の所造千部の論の中に秘蔵肝心の論なり此の中に諸教と謂うは他受用身及び変化身等の所説の法諸の顕教なり、是れ三摩地の法を説くとは自性法身の所説秘密真言の三摩地の行是なり金剛頂十万頌の経等と謂う是なり」問うて云く此の両大師所立の義水火なり何れを信ぜんや、答えて云く此の二大師は倶に大聖なり同年に入唐して両人同じく真言の密教を伝受す、伝教大師の両界の師は順暁和尚弘法大師の両界の師は慧果和尚順暁慧果の二人倶に不空の御弟子なり、不空三蔵の大日如来六代の御弟子なり、相伝と申し本身といひ世間の重んずる事日月のごとし、左右の臣にことならず末学の膚にうけて是非しがたし、定めて悪名天下に充満し大難を其の身に招くか然りと雖も試に難じて両義の是非を糾明せん、問うて云く弘法大師の即身成仏は真言に限ること何れの経文何れの論文ぞや、答えて云く弘法大師は竜樹菩薩の菩提心論に依るなり、問うて云く其の証拠如何、答えて云く弘法大師の二教論に菩提心論を引いて云く「唯真言法の中のみ乃至諸教の中に於て闕いて書さず」云云、問うて云く経文有りや、答えて云く弘法大師の即身成仏義に云く「六大無礙にして常に瑜伽なり四種の曼荼各離れず三密加持すれば速疾に顕る重重にして帝網の如くなるを即身と名く、法然として薩般若を具足す心王心数刹塵に過たり各五智無際智を具す円鏡力の故に実の覚智なり」等云云、疑つて云く此の釈は何れの経文に依るや、答えて云く金剛頂経大日経等に依る、求めて云く其の経文如何、答えて云く弘法大師其の証文を出して云く「此の三昧を修する者は現に仏菩提を証す」文、又云く「此の身を捨てずして神境通を逮得し大空位に遊歩して身秘密を成す」文、又云く「我本より不生なるを覚る」文、又云く「諸法は本より不生なり」云云。
難じて云く此等の経文は大日経金剛頂経の文なり、然りと雖も経文は或は大日如来の成正覚の文或は真言の行者の現身に五通を得るの文或は十回向の菩薩の現身に歓喜地を証得する文にして猶生身得忍に非ず何に況や即身成仏をや、但し菩提心論は一には経に非ず論を本とせば背上向下の科依法不依人の仏説に相違す。
東寺の真言師日蓮を悪口して云く汝は凡夫なり弘法大師は三地の菩薩なり、汝未だ生身得忍に非ず弘法大師は帝の眼前に即身成仏を現ず、汝未だ勅宣を承けざれば大師にあらず日本国の師にあらず等云云是一、慈覚大師は伝教義真の御弟子智証大師は義真慈覚の御弟子安然和尚は安慧和尚の御弟子なり、此の三人の云く法華天台宗は理秘密の即身成仏真言宗は事理倶密の即身成仏と云云、伝教弘法の両大師何れもをろかならねども聖人は偏頗なきゆへに慈覚智証安然の三師は伝教の山に栖むといへども其の義は弘法東寺の心なり、随って日本国四百余年は異義なし汝不肖の身としていかんが此の悪義を存ずるや是二、答えて云く悪口をはき悪心ををこさば汝にをいては此の義申すまじ、正義を聞かんと申さば申すべし、但し汝等がやうなる者は物をいはずばつまりぬとをもうべし、いうべし悪心ををこさんよりも悪口をなさんよりもきらきらとして候経文を出して汝が信じまいらせたる弘法大師の義をたすけよ、悪口悪心をもてをもうに経文には即身成仏無きか、但し慈覚智証安然等の事は此れ又覚証の両大師日本にして教大師を信ずといへども、漢土にわたりて有りし時元政法全等の義を信じて心には教大師の義をすて、身は其の山に住すれどもいつわりてありしなり。
問うて云く汝が此の義はいかにしてをもひいだしけるぞや、答えて云く伝教大師の釈に云く「当に知るべし此の文は成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり」とかかれて候は、上の提婆品の我於海中の経文をかきのせてあそばして候、釈の心はいかに人申すとも即身成仏の人なくば用ゆべからずとかかせ給へり、いかにも純円一実の経にあらずば即身成仏はあるまじき道理あり、大日経金剛頂経等の真言経には其の人なし又経文を見るに兼但対帯の旨分明なり、二乗成仏なし久遠実成あとをけづる、慈覚智証は善無畏金剛智不空三蔵の釈にたぼらかされてをはするか、此の人人は賢人聖人とはをもへども遠きを貴んで近きをあなづる人なり、彼の三部経に印と真言とあるにばかされて大事の即身成仏の道をわすれたる人人なり、然るを当時叡山の人人法華経の即身成仏のやうを申すやうなれども慈覚大師安然等の即身成仏の義なり、彼の人人の即身成仏は有名無実の即身成仏なり其の義専ら伝教大師の義に相違せり、教大師は分段の身を捨てても捨てずしても法華経の心にては即身成仏なり、覚大師の義は分段の身をすつれば即身成仏にあらずとをもはれたるがあへて即身成仏の義をしらざる人人なり。
求めて云く慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり汝は四百余年の年紀をへだてたり如何、答えて云く師の口より伝うる人必ずあやまりなく後にたづねあきらめたる人をろそかならば経文をすてて四依の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてて口伝を用ゆべきか、伝教大師の御釈無用なり慈覚大師の口伝真実なるべきか、伝教大師の秀句と申す御文に一切経になき事を十いだされて候に第八に即身成仏化導勝とかかれて次下に「当に知るべし此の文成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり、乃至当に知るべし他宗所依の経には都て即身入無し」等云云、此の釈を背きて覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用ゆべきか。
求めて云く教大師の釈の中に菩提心論の唯の字を用いざる釈有りや不や、答えて云く秀句に云く「能化所化倶に歴劫無く妙法経力即身成仏す」等云云、此の釈は菩提心論の唯の字を用いずと見へて候、問うて云く菩提心論を用いざるは竜樹を用いざるか答えて云く但恐くは訳者の曲会私情の心なり、疑つて云く訳者を用いざれば法華経の羅什をも用ゆ可からざるか、答えて云く羅什には現証あり不空には現証なし、問うて云く其の証如何、答えて云く舌の焼けざる証なり具には聞くべし、求めて云く覚証等は此の事を知らざるか、答えて云く此の両人は無畏等の三蔵を信ずる故に伝教大師の正義を用いざるか、此れ則ち人を信じて法をすてたる人人なり。
問うて云く日本国にいまだ覚証然等を破したる人をきかず如何、答えて云く弘法大師の門家は覚証を用ゆべしや覚証の門家は弘法大師を用ゆべしや。
問うて云く両方の義相違すといへども汝が義のごとく水火ならず誹謗正法とはいわず如何、答えて云く誹謗正法とは其の相貌如何外道が仏教をそしり小乗が大乗をそしり権大乗が実大乗を下し実大乗が権大乗に力をあわせ詮ずるところは勝を劣という法にそむくがゆへに謗法とは申すか、弘法大師の大日経を法華経華厳経に勝れたりと申す証文ありや、法華経には華厳経大日経等を下す文分明なり、所謂已今当等なり、弘法尊しと雖も釈迦多宝十方分身の諸仏に背く大科免れ難し事を権門に寄せて日蓮ををどさんより但正しき文を出だせ、汝等は人をかたうどとせり日蓮は日月帝釈梵王をかたうどとせん、日月天眼を開いて御覧あるべし、将又日月の宮殿には法華経と大日経と華厳経とをはすとけうしあわせて御覧候へ、弘法慈覚智証安然の義と日蓮が義とは何れがすぐれて候、日蓮が義もし百千に一つも道理に叶いて候はばいかにたすけさせ給はぬぞ彼の人人の御義もし邪義ならばいかに日本国の一切衆生の無眼の報をへ候はんをば不便とはをぼせ候はぬぞ。
日蓮が二度の流罪結句は頚に及びしは釈迦多宝十方の諸仏の御頚を切らんとする人ぞかし日月は一人にてをはせども四天下の一切衆生の眼なり命なり、日月は仏法をなめて威光勢力を増し給うと見へて候、仏法のあぢわいをたがうる人は日月の御力をうばう人一切衆生の敵なり、いかに日月は光を放ちて彼等が頂をてらし寿命と衣食とをあたへてやしなひ給うぞ、彼の三大師の御弟子等が法華経を誹謗するは偏に日月の御心を入れさせ給いて謗ぜさせ給うか、其の義なくして日蓮がひが事ならば日天もしめし彼等にもめしあはせ其の理にまけてありとも其の心ひるがへらずば天寿をもめしとれかし。
其の義はなくしてただ理不尽に彼等にさるの子を犬にあづけねづみの子を・にたぶやうにうちあづけてさんざんにせめさせ給いて彼等を罰し給はぬ事心へられず、日蓮は日月の御ためにはをそらくは大事の御かたきなり、教主釈尊の御前にてかならずうたへ申すべし、其の時うらみさせ給うなよ、日月にあらずとも地神も海神もきかれよ日本の守護神もきかるべし、あへて日蓮が曲意はなきなり、いそぎいそぎ御計らいあるべし、ちちせさせ給いて日蓮をうらみさせ給うなよ、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経、恐恐。 
 
法門申さるべき様の事/文永六年四十八歳御作

 

法門申さるべきやう、選択をばうちをきて先ず法華経の第二の巻の今此三界の文を開いて釈尊は我等が親父なり等定め了るべし、何の仏か我等が父母にてはをはします、外典三千余巻にも忠孝の二字こそせんにて候なれ忠は又孝の家より出ずとこそ申し候なれ、されば外典は内典の初門此の心は内典にたがわず候か、人に尊卑上下はありといえども親を孝するにはすぎずと定められたるか、釈尊は我等が父母なり一代の聖教は父母の子を教えたる教経なるべし、其の中に天上竜宮天竺なんどには無量無辺の御経ましますなれども、漢土日本にはわづかに五千七千余巻なり、此等の経経の次第勝劣等は私には弁えがたう候、而るに論師大師先徳には末代の人の智慧こへがたければ彼の人人の料簡を用ゆべきかのところに、華厳宗の五教四教法相三論の三時二蔵或は三転法輪世尊法久後要当説真実の文は又法華経より出て候金口の明説なり、仏説すでに大に分れて二途なり、譬へば世間の父母の譲の前判後判のごとし、はた又世間の前判後判は如来の金言をまなびたるか、孝不孝の根本は前判後判の用不用より事をこれり、かう立て申すならば人人さもやとをぼしめしたらん時申すべし。
抑浄土の三部経等の諸宗の依経は当分四十余年の内なり、世尊は我等が慈父として未顕真実ぞと定めさせ給ふ御心はかの四十余年の経経に付けとをぼしめし候か、又説真実の言にうつれとをぼしめし候か、心あらん人人御賢察候べきかとしばらくあぢわひてよも仏程の親父の一切衆生を一子とをぼしめすが真実なる事をすてて未顕真実の不実なる事に付けとはをぼしめさじ、さて法華経にうつり候はんは四十余年の経経をすてて遷り候べきか、はた又かの経経並びに南無阿弥陀仏等をばすてずして遷り候べきかとおぼしきところに凡夫の私のはからいぜひにつけてをそれあるべし、仏と申す親父の仰を仰ぐべしとまつところに仏定めて云く「正直捨方便」等云云、方便と申すは無量義経に未顕真実と申す上に以方便力と申す方便なり、以方便力の方便の内に浄土三部経等の四十余年の一切経は一字一点も漏るべからざるか、されば四十余年の経経をすてて法華経に入らざらん人人は世間の孝不孝はしらず仏法の中には第一の不孝の者なるべし、故に第二譬喩品に云く「今此三界乃至雖復教詔而不信受」等云云、四十余年の経経をすてずして法華経に並べて行ぜん人人は主師親の三人のをほせを用いざる人人なり。
教と申すは師親のをしへ詔と申すは主上の詔勅なるべし、仏は閻浮第一の賢王聖師賢父なり、されば四十余年の経経につきて法華経へうつらず、又うつれる人人も彼の経経をすててうつらざるは三徳備えたる親父の仰を用いざる人天地の中に住むべき者にはあらず、この不孝の人の住処を経の次下に定めて云く「若人不信乃至其人命終入阿鼻獄」等云云、設い法華経をそしらずともうつり付ざらん人人不孝の失疑なかるべし、不孝の者は又悪道疑なし故に仏は入阿鼻獄と定め給いぬ、何に況や爾前の経経に執心を固なして法華経へ遷らざるのみならず、善導が千中無一法然が捨閉閣抛とかけるはあに阿鼻地獄を脱るべしや、其の所化並びに檀那は又申すに及ばず、雖復教詔而不信受と申すは孝に二つあり世間の孝の孝不孝は外典の人人これをしりぬべし、内典の孝不孝は設い論師等なりとも実教を弁えざる権教の論師の流を受けたる末の論師なんどは後生しりがたき事なるべし、何に況や末末の人人をや。
涅槃経の三十四に云く「人身を受けん事は爪上の土三悪道に堕ちん事は十方世界の土四重五逆乃至涅槃経を謗ずる事は十方世界の土四重五逆乃至涅槃経を信ずる事は爪の上の土」なんどととかれて候、末代には五逆の者と謗法の者は十方世界の土のごとしとみへぬ、されども当時五逆罪つくる者は爪の上の土つくらざる者は十方世界の土と説かれ候へば経文そらごとなるやうにみへ候をくはしくかんがへみ候へば不孝の者を五逆罪の者とは申し候か、又相似の五逆と申す事も候、さるならば前王の正法実法を弘めさせ給えと候を今の王の権法相似の法を尊んで天子本命の道場たる正法の御寺の御帰依うすくして、権法邪法の寺の国国に多くいできたれるは、愚者の眼には仏法繁盛とみへて仏天智者の御眼には古き正法の寺寺やうやくうせ候へば一には不孝なるべし賢なる父母の氏寺をすつるゆへ二には謗法なるべし、若ししからば日本国当世は国一同に不孝謗法の国なるべし、此の国は釈迦如来の御所領仏の左右臣下たる大梵天王第六天の魔王にたはせ給いて大海の死骸をとどめざるがごとく宝山の曲林をいとうがごとく此の国の謗法をかへんとおぼすかと勘え申すなりと申せ。
この上捨てられて候四十余年の経経の今に候はいかになんど俗の難せば返詰して申すべし、塔をくむあししろは塔くみあげては切りすつるなりなんど申すべし、此の譬は玄義の第二の文に「今の大教若し起れば方便の教絶す」と申す釈の心なり、妙と申すは絶という事絶と申す事は此の経起れば已前の経経を断止ると申す事なるべし、正直捨方便の捨の文字の心又嘉祥の日出ぬるに星かくるの心なるべし、但し爾前の経経は塔のあししろなれば切りすつるとも又塔をすりせん時は用ゆべし又切りすつべし、三世の諸仏の説法の儀式かくのごとし。
又俗の難に云く慈覚大師の常行堂等の難これをば答うべし、内典の人外典をよむ得道のためにはあらず才学のためか、山寺の小児の倶舎の頌をよむ得道のためか、伝教慈覚は八宗を極め給へり一切経をよみ給う、これみな法華経を詮と心へ給はん梯磴なるべし。
又俗の難に云く何にさらば御房は念仏をば申し給はぬ、答えて云く伝教大師は二百五十戒をすて給いぬ時にあたりて法華円頓の戒にまぎれしゆへなり、当世は諸宗の行多けれども時にあたりて念仏をもてなして法華経を謗ずるゆえに金石迷いやすければ唱え候はず、例せば仏十二年が間常楽我浄の名をいみ給いき、外典にも寒食のまつりに火をいみあかき物をいむ、不孝の国と申す国をば孝養の人はとをらず、此等の義なるべし、いくたびも選択をばいろへずして先ずかうたつべし。
又御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事かへすがへす不思議にをぼへ候、そのゆへは僧となりぬ其の上一閻浮提にありがたき法門なるべし、設い等覚の菩薩なりともなにとかをもうべき、まして梵天帝釈等は我等が親父釈迦如来の御所領をあづかりて正法の僧をやしなうべき者につけられて候、毘沙門等は四天下の主此等が門まほり又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし、其の上日本秋津嶋は四州の輪王の所従にも及ばず但嶋の長なるべし、長なんどにつかへん者どもに召されたり上なんどかく上面目なんど申すは旁せんずるところ日蓮をいやしみてかけるか、総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるうせう房がごとし、わ御房もそれていになりて天のにくまれかほるな。
のぼりていくばくもなきに実名をかうるでう物くるわし、定めてことばつき音なんども京なめりになりたるらん、ねずみがかわほりになりたるやうに鳥にもあらずねずみにもあらず田舎法師にもあらず京法師にもにずせう房がやうになりぬとをぼゆ、言をば但いなかことばにてあるべしなかなかあしきやうにて有るなり、尊成とかけるは隠岐の法皇の御実名かかたがた不思議なるべし。
かつしられて候やうに当世の高僧真言天台等の人人の御いのりは叶うまじきよし、前前に申し候上今年鎌倉の真言師等は去年より変成男子の法をこなはる、隆弁なんどは自歎する事かぎりなし、七八百余人の真言師東寺天台の大法秘法尽して行ぜしがついにむなしくなりぬ、禅宗律僧等又一同に行いしかどもかなはず、日蓮が叶うまじと申すとて不思議なりなんどをどし候いしかども皆むなしくなりぬ、小事たる今生の御いのりの叶はぬを用つてしるべし大事たる後生叶うべしや。
真言宗の漢土に弘まる始は天台の一念三千を盗み取つて真言の教相と定めて理の本とし枝葉たる印真言を宗と立て宗として天台宗を立て下す条謗法の根源たるか、又華厳法相三論も天台宗日本になかりし時は謗法ともしられざりしが伝教大師円宗を勘えいだし給いて後謗法の宗ともしられたりしなり、当世真言等の七宗の者しかしながら謗法なれば大事のいのり叶うべしともをぼへず、天台宗の人人は我が宗は正なれども邪なる他宗と同ずれば我が宗の正をもしらぬ者なるべし、譬へば東に迷う者は対当の西に迷い東西に迷うゆへに十方に迷うなるべし。
外道の法と申すは本内道より出でて候、而れども外道の法をもつて内道の敵となるなり、諸宗は法華経よりいで天台宗を才学として而も天台宗を失うなるべし、天台宗の人人は我が宗は実義とも知らざるゆへに我が宗のほろび我が身のかろくなるをばしらずして他宗を助けて我が宗を失うなるべし、法華宗の人が法華経の題目南無妙法蓮華経とはとなえずして南無阿弥陀仏と常に唱えば法華経を失う者なるべし、例せば外道は三宝を立つ其の中に仏宝と申すは南無摩醯修羅天と唱えしかば仏弟子は翻邪の三帰と申して南無釈迦牟尼仏と申せしなり、此れをもつて内外のしるしとす、南無阿弥陀仏とは浄土宗の依経の題目なり、心には法華経の行者と存すとも南無阿弥陀仏と申さば傍輩は念仏者としりぬ、法華経をすてたる人とをもうべし、叡山の三千人は此の旨を弁えずして王法にもすてられ叡山をもほろぼさんとするゆへに自然に三宝に申す事叶わず等と申し給うべし。
人不審して云く天台妙楽伝教等の御釈に我がやうに法華経並びに一切経を心えざらん者は悪道に堕つべしと申す釈やあると申さば、玄の三籤の三及び已今当等をいだし給うべし、伝教大師六宗の学者日本国の十四人を呵して云く「顕戒論の下に云く昔斉朝の光統を聞き今は本朝の六統を見る、実なるかな法華の何況や」等云云、華厳真言法相三論の四宗を呵して云く「依憑集に云く新来の真言家は即ち筆受の相承を泯ぼし、旧到の華厳家は則ち影響の軌模を隠す。
沈空の三論宗は弾訶の屈恥を忘れ称心の酔を覆う、著有の法相宗は僕陽の帰依を非し青竜の判経を撥う」等云云、天台妙楽伝教等は真言等の七宗の人人は設い戒定はまつたくとも謗法のゆへに悪道脱るべからずと定められたり、何に況や禅宗浄土宗等は勿論なるべし、されば止観は偏に達磨をこそはして候めれ、而るに当世の天台宗の人人は諸宗に得道をゆるすのみならず諸宗の行をうばい取つて我が行とする事いかん、当世の人人ことに真言宗を不審せんか立て申すべきやう、日本国は八宗あり真言宗大に分れて二流あり所謂東寺天台なるべし、法相三論華厳東寺の真言等は大乗宗設い定慧は大乗なれども東大寺の小乗戒を持つゆへに戒は小乗なるべし、退大取小の者小乗宗なるべし、叡山の真言宗は天台円頓の戒をうく全真言宗の戒なし、されば天台宗の円頓戒にをちたる真言宗なり等申すべし、而るに座主等の高僧名を天台宗にかりて一向真言宗によて法華経をさぐるゆへに叡山皆謗法になりて御いのりにしるしなきか。
問うて云く天台法華宗にたいして真言宗の名をけづらるる証文如何、答えて云く学生式に云く[伝教大師作なり]「天台法華宗年分学生式[一首]年分度者の人[柏原先帝天台法華宗伝法者に加えらる]凡そ法華宗天台の年分は弘仁九年より叡山に住せしめて一十二年山門を出さず両業を修学せしめん、凡そ止観業の者○凡そ遮那業の者」等云云、顕戒論縁起の上に云く「新法華宗を加えんことを請う表一首、沙門最澄○華厳宗に二人天台法華宗に二人」等云云、又云く「天台の業に二人[一人大毘盧遮那経を読ましめ一人摩訶止観を読ましむ]」此等は天台宗の内に真言宗をば入れて候こそ候めれ、嘉祥元年六月十五日の格に云く「右入唐廻て請益す伝灯法師位円仁の表に・く、伏して天台宗の本朝に伝わることを尋ぬれば○延暦廿四年○廿五年特天台の年分度者二人を賜う一人は真言の業を習わし一人は止観の業を学す○然れば則ち天台宗の止観と真言との両業は是れ桓武天皇の崇建する所」等云云、叡山にをいては天台宗にたいしては真言宗の名をけづり天台宗を骨とし真言をば肉となせるか。
而るに末代に及びて天台真言両宗中あしうなりて骨と肉と分け座主は一向に真言となる骨なき者のごとし大衆は多分天台宗なり肉なきもののごとし、仏法に諍いあるゆへに世間の相論も出来して叡山静ならず朝下にわづらい多し、此等の大事を内内は存すべし、此の法門はいまだをしえざりきよくよく存知すべし。
又念仏宗は法華経を背いて浄土の三部経につくゆへに阿弥陀仏を正として釈迦仏をあなづる、真言師大日をせんとをもうゆへに釈迦如来をあなづる、戒にをいては大小殊なれども釈尊を本とす余仏は証明なるべし、諸宗殊なりとも釈迦を仰ぐべきか、師子の中の虫師子をくらう、仏教をば外道はやぶりがたし内道の内に事いできたりて仏道を失うべし仏の遺言なり、仏道の内には小乗をもつて大乗を失い権大乗をもつて実大乗を失うべし、此等は又外道のごとし、又小乗権大乗よりは実大乗法華経の人人がかへりて法華経をば失はんが大事にて候べし、仏法の滅不滅は叡山にあるべし、叡山の仏法滅せるかのゆえに異国我が朝をほろぼさんとす、叡山の正法の失するゆえに大天魔日本国に出来して法然大日等が身に入り、此等が身を橋として王臣等の御身にうつり住み、かへりて叡山三千人に入るゆえに師檀中不和にして御祈祷しるしなし、御祈請しるしなければ三千の大衆等檀那にすてはてられぬ。
又王臣等天台真言の学者に問うて云く念仏禅宗等の極理は天台真言とは一つかととはせ給へば、名は天台真言にかりて其の心も弁えぬ高僧天魔にぬかれて答えて云く、禅宗の極理は天台真言の極理なり弥陀念仏は法華経の肝心なりなんど答え申すなり、而るを念仏者禅宗等のやつばらには天魔乗りうつりて当世の天台真言の僧よりも智慧かしこきゆえに全くしからず、禅ははるかに天台真言に超えたる極理なり、或は云く「諸教は理深我等衆生は解微なり、機教相違せり得道あるべからず」なんど申すゆへに、天台真言等の学者王臣等檀那皆奪いとられて御帰依なければ現身に餓鬼道に堕ちて友の肉をはみ仏神にいかりをなし檀那をすそし年年に災を起し或は我が生身の本尊たる大講堂の教主釈尊をやきはらい或は生身の弥勒菩薩をほろぼす、進んでは教主釈尊の怨敵となり退いては当来弥勒の出世を過たんとくるい候か、この大罪は経論にいまだとかれず、又此の大罪は叡山三千人の失にあらず公家武家の失となるべし。
日本一州上下万人一人もなく謗法なれば大梵天王帝桓並びに天照大神等隣国の聖人に仰せつけられて謗法をためさんとせらるるか、例せば国民たりし清盛入道王法をかたぶけたてまつり結句は山王大仏殿をやきはらいしかば天照大神正八幡山王等よりきせさせ給いて源の頼義が末の頼朝に仰せ下して平家をほろぼされて国土安穏なりき、今一国挙りて仏神の敵となれり、我が国に此の国を領すべき人なきかのゆへに大蒙古国は起るとみへたり、例せば震旦高麗等は天竺についでは仏国なるべし、彼の国国禅宗念仏宗になりて蒙古にほろぼされぬ、日本国は彼の二国の弟子なり二国のほろぼされんにあに此の国安穏なるべしや、国をたすけ家ををもはん人人はいそぎ禅念がともがらを経文のごとくいましめらるべきか、経文のごとくならば仏神日本国にましまさず、かれを請しまいらせんと術はおぼろげならでは叶いがたし、先ず世間の上下万人云く八幡大菩薩は正直の頂にやどり給い別のすみかなし等云云、世間に正直の人なければ大菩薩のすみかましまさず、又仏法の中に法華経計りこそ正直の御経にてはおはしませ、法華経の行者なければ大菩薩の御すみかおはせざるか。
但し日本国には日蓮一人計りこそ世間出世正直の者にては候へ、其の故は故最明寺入道に向つて禅宗は天魔のそいなるべしのちに勘文もつてこれをつげしらしむ、日本国の皆人無間地獄に堕つべし、これほど有る事を正直に申すものは先代にもありがたくこそ、これをもつて推察あるべしそれより外の小事曲ぐべしや、又聖人は言をかざらずと申す、又いまだ顕れざる後をしるを聖人と申すか、日蓮は聖人の一分にあたれり、此の法門のゆへに二十余所をわれ結句流罪に及び身に多くのきずをかをほり弟子をあまた殺させたり、比干にもこえ伍しそにもをとらず、提婆菩薩の外道に殺され師子尊者の檀弥利王に頚をはねられしにもをとるべきか、もししからば八幡大菩薩は日蓮が頂をはなれさせ給いてはいづれの人の頂にかすみ給はん、日蓮を此の国に用いずばいかんがすべきとなげかれ候なりと申せ、又日蓮房の申し候仏菩薩並びに諸大善神をかへしまいらせん事は別の術なし、禅宗念仏宗の寺寺を一つもなく失い其の僧らをいましめ叡山の講堂を造り霊山の釈迦牟尼仏の御魂を請し入れたてまつらざらん外は諸神もかへり給うべからず、諸仏も此の国を扶け給はん事はかたしと申せ。 
 
教行証御書/文永十二年三月五十四歳御作

 

夫れ正像二千年に小乗権大乗を持依して其の功を入れて修行せしかば大体其の益有り、然りと雖も彼れ彼れの経経を修行せし人人は自依の経経にして益を得ると思へども法華経を以て其の意を探れば一分の益なし、所以は何ん仏の在世にして法華経に結縁せしが其の機の熟否に依り円機純熟の者は在世にして仏に成れり、根機微劣の者は正法に退転して権大乗経の浄名思益観経仁王般若経等にして其の証果を取れること在世の如し、されば正法には教行証の三つ倶に兼備せり、像法には教行のみ有って証無し、今末法に入りては教のみ有つて行証無く在世結縁の者一人も無し権実の二機悉く失せり、此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す「是の好き良薬を今留めて此に在く汝取つて服す可し差えじと憂る勿れ」とは是なり、乃往過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字を一切衆生に向つて唱えしめしがごとし、彼の二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値つて益を得たり、是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり、今も亦是くの如し、彼は像法此れは濁悪の末法彼は初随喜の行者此れは名字の凡夫彼は二十四字の下種此れは唯五字なり、得道の時節異なりと雖も成仏の所詮は全体是れ同じかるべし。
問うて云く上に挙ぐる所の正像末法の教行証各別なり何ぞ妙楽大師は「末法の初冥利無きにあらず且く大教の流行すべき時に拠る」と釈し給うや如何、答えて云く得意に云く正像に益を得し人人は顕益なるべし在世結縁の熟せる故に、今末法には初めて下種す冥益なるべし已に小乗権大乗爾前迹門の教行証に似るべくもなし現に証果の者之無し、妙楽の釈の如くんば、冥益なれば人是を知らず見ざるなり。
問うて云く末法に限りて冥益と知る経文之有りや、答えて云く法華経第七薬王品に云く「此の経は則ち為閻浮提の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん」等云云、妙楽大師云く「然も後の五百は且く一往に従う末法の初冥利無きにあらず且く大教の流行す可き時に拠るが故に五百と云う」等云云。
問うて云く汝が引く所の経文釈は末法の初五百に限ると聞きたり権大乗経等の修行の時節は尚末法万年と云へり如何、答えて曰く前釈已に且従一往と云へり再往は末法万年の流行なるべし、天台大師上の経文を釈して云く「但当時大利益を獲るのみに非ず後の五百歳遠く妙道に沾わん」等云云、是れ末法万年を指せる経釈に非ずや、法華経第六分別功徳品に云く「悪世末法の時能く是の経を持てる者」と安楽行品に云く末法の中に於て是の経を説かんと欲す等云云此等は皆末法万年と云う経文なり、彼れ彼れの経経の説は四十余年未顕真実なり或は結集者の意に拠るか依用し難し、拙いかな諸宗の学者法華経の下種を忘れ三五塵点の昔を知らず純円の妙経を捨てて亦生死の苦海に沈まん事よ、円機純熟の国に生を受けて徒に無間大城に還らんこと不便とも申す許り無し、崑崙山に入りし者の一の玉をも取らずして貧国に帰り栴檀林に入つて瞻蔔を蹈まずして瓦礫の本国に帰る者に異ならず、第三の巻に云く「飢国より来りて忽ち大王の膳に遇うが如し」第六に云く「我が此の土は安穏○我が浄土は毀れず」等云云。
状に云く難問に云く爾前当分の得道等云云、涅槃経第三に「善男子応当修習」の文を立つ可し之を受けて弘決第三に「所謂久遠必無大者」と会して「爾前の諸経にして得道せし者は久遠の初業に依るなるべし」と云つて一分の益之無き事を治定して、其の後滅後の弘経に於ても亦復是くの如く正像の得益証果の人は在世の結縁に依るなるべし等云云、又彼が何度も爾前の得道を云はば無量義経に四十余年の経経を仏我れと未顕真実と説き給へば我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ人師の言語は無用なり、涅槃経には依法不依人と説かれて大に制せられて候へばなんど立てて未顕真実と打ち捨て打ち捨て正直捨方便世尊法久後なんどの経釈をば秘して左右無く出すべからず。
又難問に云く得道の所詮は爾前も法華経もこれ同じ、其の故は観経の往生或は其の外例の如し等云云と立つ可し、又未顕真実其の外但似仮名字等云云と、又同時の経ありと云はば法師品の已今当の説をもつて会す可きなり、玄義の三籤の三の文を出す可し、経釈能く能く料簡して秘す可し。
一状に云く真言宗云云等、答う彼が立つる所の如き弘法大師の戯論無明の辺域何れの経文に依るやと云つて彼の依経を引かば云うべし大日如来は三世の諸仏の中には何れぞやと云つて善無畏三蔵金剛智等の偽りをば汝は知れるやと云つて其の後一行筆受の相承を立つ可し、大日経には一念三千跡を削れり漢土にして偽りしなり、就中僻見有り毘廬の頂上を蹈む証文は三世の諸仏の所説に之有りや、其の後彼云く等云云、立つ可し大慢婆羅門が高座の足等云云、彼れ此れ是くの如き次第何なる経文論文に之を出すやと等云云、其の外常に教へし如く問答対論あるべし、設ひ何なる宗なりとも真言宗の法門を云はば真言の僻見を責む可く候。
次に念仏の曇鸞法師の難行易行道綽が聖道浄土善導が雑行正行法然が捨閉閣抛の文、此等の本経本論を尋ぬべし、経に於て権実の二経有ること例の如し、論に於ても又通別の二論有り、黒白の二論有ること深く習うべし、彼の依経の浄土三部経の中に是くの如き等の所説ありや、又人毎に念仏阿弥陀等之を讃す又前の如し、所詮和漢両国の念仏宗法華経を雑行なんど捨閉閣抛する本経本論を尋ぬべし、若し慥なる経文なくんば是くの如く権経より実経を謗ずるの過罪、法華経の譬喩品の如くば阿鼻大城に堕落して展転無数劫を経歴し給はんずらん、彼の宗の僻謬を本として此の三世諸仏の皆是真実の証文を捨つる其の罪実と諸人に評判せさすべし、心有らん人誰か実否を決せざらんや、而して後に彼の宗の人師を強に破すべし、一経の株を見て万経の勝劣を知らざる事未練なる者かな、其の上我と見明らめずとも釈尊並びに多宝分身の諸仏の定判し給へる経文法華経許り皆是真実なるを不真実未顕真実を已顕真実と僻める眼は牛羊の所見にも劣れる者なるべし、法師品の已今当無量義経の歴劫修行未顕真実何なる事ぞや五十余年の諸経の勝劣ぞかし、諸経の勝劣は成仏の有無なり、慈覚智証の理同事勝の眼善導法然の余行非機の目禅宗が教外別伝の所見は東西動転の眼目南北不弁の妄見なり、牛羊よりも劣り蝙蝠鳥にも異ならず、依法不依人の経文毀謗此経の文をば如何に恐れさせ給はざるや、悪鬼入其身して無明の悪酒に酔ひ沈み給うらん。
一切は現証には如かず善無畏一行が横難横死弘法慈覚が死去の有様実に正法の行者是くの如くに有るべく候や、観仏相海経等の諸経並びに竜樹菩薩の論文如何が候や、一行禅師の筆受の妄語善無畏のたばかり弘法の戯論慈覚の理同事勝曇鸞道綽が余行非機是くの如き人人の所見は権経権宗の虚妄の仏法の習いにてや候らん、それほどに浦山敷もなき死去にて候ぞやと和らかに又強く両眼を細めに見顔貌に色を調へて閑に言上すべし。
状に云く彼此の経経得益の数を挙ぐ等云云、是れ不足に候と先ず陳ぶべし、其の後汝等が宗宗の依経に三仏の証誠之有りや未だ聞かず、よも多宝分身は御来り候はじ、此の仏は法華経に来り給いし間一仏二言はやはか御坐候べきと次に六難九易何なる経の文に之有りや、若し仏滅後の人人の偽経は知らず、釈尊の実説五十年の説法の内には一字一句も有るべからず候なんど立つ可し、五百塵点の顕本之有りや三千塵点の結縁説法ありや一念信解五十展転の功徳何なる経文に説き給へるや、彼の余経には一二三乃至十功徳すら之無し五十展転まではよも説き給い候はじ、余経には一二の塵数を挙げず何に況や五百三千をや、二乗の成不成竜畜下賎の即身成仏今の経に限れり、華厳般若等の諸大乗経に之有りや、二乗作仏は始めて今経に在り、よも天台大師程の明哲の弘法慈覚の如き無文無義の偽りはおはし給はじと我等は覚え候、又悪人の提婆天道国の成道法華経に並びて何なる経にか之有りや、然りと雖も万の難を閣いて何なる経にか十法界の開会等草木成仏之有りや、天台妙楽の無非中道惑耳驚心の釈は慈覚智証の理同事勝の異見に之を類す可く候や、已に天台等は三国伝灯の人師普賢開発の聖師天真発明の権者なり、豈経論になき事を偽り釈し給はんや、彼れ彼れの経経に何なる一大事か之有るや、此の経には二十の大事あり就中五百塵点顕本の寿量に何なる事を説き給へるとか人人は思召し候、我等が如き凡夫無始已来生死の苦底に沈輪して仏道の彼岸を夢にも知らざりし衆生界を無作本覚の三身と成し実に一念三千の極理を説くなんど浅深を立つべし、但し公場ならば然るべし私に問註すべからず、慥に此の法門は汝等が如き者は人毎に座毎に日毎に談ずべくんば三世諸仏の御罰を蒙るべきなり、日蓮己証なりと常に申せし是なり、大日経に之有りや、浄土三部経の成仏已来凡歴十劫之に類す可きや、なんど前後の文乱れず一一に会す可し、其の後又云うべし、諸人は推量も候へ是くの如くいみじき御経にて候へばこそ多宝遠来して証誠を加え分身来集して三仏の御舌を梵天に付け不虚妄とは・しらせ給いしか、地涌千界出現して濁悪末代の当世に別付属の妙法蓮華経を一閻浮提の一切衆生に取り次ぎ給うべき仏の勅使なれば八十万億の諸大菩薩をば止善男子と嫌はせ給しか等云云、又彼の邪宗の者どもの習いとして強に証文を尋ぬる事之有り、涌出品並びに文句の九記の九の前三後三の釈を出すべし、但日蓮が門家の大事之に如かず。
又諸宗の人大論の自法愛染の文を問難とせば、大論の立所を尋ねて後執権謗実の過罪をば竜樹は存知無く候いけるか、「余経は秘密に非ず法華是れ秘密」と仰せられ譬如大薬師と此の経計り成仏の種子と定めて又悔い返して「自法愛染不免堕悪道」と仰せられ候べきか、さで有らば仏語には「正直捨方便不受余経一偈」なんど法華経の実語には大に違背せり、よもさにては候はじ、若し末法の当世時剋相応せる法華経を謗じたる弘法曇鸞なんどを付法蔵の論師釈尊の御記文にわたらせ給う菩薩なれば鑒知してや記せられたる論文なるらん、覚束無しなんどあざむくべし、御辺や不免墮悪道の末学なるらん痛敷候、未来無数劫の人数にてや有るらんと立つ可し。
又律宗の良観が云く法光寺殿へ訴状を奉る其の状に云く、忍性年来歎いて云く当世日蓮法師と云える者世に在り斎戒は堕獄す云云、所詮何なる経論に之有りや[是一]、又云く当世日本国上下誰か念仏せざらん念仏は無間の業と云云、是れ何なる経文ぞや慥なる証文を日蓮房に対して之を聞かん[是二]、総じて是体の爾前得道の有無の法門六箇条云云、然るに推知するに極楽寺良観が已前の如く日蓮に相値うて宗論有る可きの由・る事有らば目安を上げて極楽寺に対して申すべし、某の師にて候者は去る文永八年に御勘気を蒙り佐州へ遷され給うて後同じき文永十一年正月の比御免許を蒙り鎌倉に帰る、其の後平金吾に対して様様の次第申し含ませ給いて甲斐の国の深山に閉篭らせ給いて後は、何なる主上女院の御意たりと云えども山の内を出で諸宗の学者に法門あるべからざる由仰せ候、随つて其の弟子に若輩のものにて候へども師の日蓮の法門九牛が一毛をも学び及ばず候といへども法華経に付いて不審有りと仰せらるる人わたらせ給はば存じ候なんど云つて、其の後は随問而答の法門申す可し、又前六箇条一一の難門兼兼申せしが如く日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず、彼れ彼れの経経と法華経と勝劣浅深成仏不成仏を判ぜん時爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず何に況や其の以下の等覚の菩薩をや、まして権宗の者どもをや、法華経と申す大梵王の位にて民とも下し鬼畜なんどと下しても其の過有らんやと意を得て宗論すべし。
又彼の律宗の者どもが破戒なる事山川の頽るるよりも尚無戒なり、成仏までは思もよらず人天の生を受くべしや、妙楽大師云く「若し一戒を持てば人中に生ずることを得若し一戒を破れば還て三途に堕す」と、其の外斎法経正法念経等の制法阿含経等の大小乗経の斎法斎戒今程の律宗忍性が一党誰か一戒を持てる還堕三途は疑無し、若しは無間地獄にや落ちんずらん不便なんど立てて宝塔品の持戒行者と是を・しるべし、其の後良有つて此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持つて後行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、三世の諸仏は此の戒を持つて法身報身応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給う、此れを「諸教の中に於て之を秘して伝へず」とは天台大師は書き給へり、今末法当世の有智無智在家出家上下万人此の妙法蓮華経を持つて説の如く修行せんに豈仏果を得ざらんや、さてこそ決定無有疑とは滅後濁悪の法華経の行者を定判せさせ給へり、三仏の定判に漏れたる権宗の人人は決定して無間なるべし、是くの如くいみじき戒なれば爾前迹門の諸戒は今一分の功徳なし、功徳無からんに一日の斎戒も無用なり。
但此の本門の戒を弘まらせ給はんには必ず前代未聞の大瑞あるべし、所謂正嘉の地動文永の長星是なるべし、抑当世の人人何の宗宗にか本門の本尊戒壇等を弘通せる、仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず、日本人王三十代欽明天皇の御宇に仏法渡つて今に七百余年前代未聞の大法此の国に流布して月氏漢土一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ、又已前の重末法には教行証の三つ倶に備われり例せば正法の如し等云云、已に地涌の大菩薩上行出でさせ給いぬ結要の大法亦弘まらせ給うべし、日本漢土万国の一切衆生は金輪聖王の出現の先兆の優曇華に値えるなるべし、在世四十二年並びに法華経の迹門十四品に之を秘して説かせ給はざりし大法本門正宗に至つて説き顕し給うのみ。
良観房が義に云く彼の良観が日蓮遠国へ下向と聞く時は諸人に向つて急ぎ急ぎ鎌倉へ上れかし為に宗論を遂げて諸人の不審を晴さんなんど自讃毀他する由其の聞え候、此等も戒法にてや有らん強ち尋ぬ可し、又日蓮鎌倉に罷上る時は門戸を閉じて内へ入るべからずと之を制法し或は風気なんど虚病して罷り過ぎぬ、某は日蓮に非ず其の弟子にて候まま少し言のなまり法門の才覚は乱れがはしくとも律宗国賊替るべからずと云うべし、公場にして理運の法門申し候へばとて雑言強言自讃気なる体人目に見すべからず浅・しき事なるべし、弥身口意を調え謹んで主人に向うべし主人に向うべし。 
 
破良観等御書

 

良観道隆悲願聖人等が極楽寺建長寺寿福寺普門寺等を立てて叡山の円頓大戒を蔑如するが如し、此れは第一には破僧罪なり二には仏の御身より血を出だす、今の念仏者等が教主釈尊の御入滅の二月十五日ををさへとり阿弥陀仏の日とさだめ仏生日の八日をば薬師仏の日といゐ、一切の真言師が大日如来をたのみて教主釈尊は無明に迷える仏我等が履とりにも及ばず結句は潅頂して釈迦仏の頭をふむ、禅宗の法師等は教外別伝とののしりて一切経をばほんぐにはをとり我等は仏に超過せりと云云、此は南印度の大慢ばら門がながれ出仏身血の一分なり、第三に蓮花比丘尼を打ちころすこれ仏の養母にして阿羅漢なり、此れは阿闍世王の提婆達多をすてて仏につき給いし時いかりをなして大火・をやきしかばはらをすへかねて此の尼のゆきあひ候たりしを打ち殺せしなり、今の念仏者等が念仏と禅と律と真言とをせめられてのぶるかたわなし、結句は檀那等をあひかたらひて日蓮が弟子を殺させ予が頭等にきずをつけざんそうをなして二度まで流罪あわせて頚をきらせんとくわだて弟子等数十人をろうに申し入るるのみならず、かまくら内に火をつけて日蓮が弟子の所為なりとふれまわして一人もなく失わんとせしが如し。
而るに提婆達多が三逆罪は仏の御身より血をいだせども爾禅の仏久遠実成の釈迦にはあらず、殺羅漢も爾前の羅漢法華経の行者にはあらず、破和合僧も爾前小乗の戒なり法華円頓の大戒の僧にもあらず、大地われて無間地獄に入りしかども法華経の三逆ならざればいたうも深くあらざりけるかのゆへに提婆は法華経にして天王如来とならさせ給う、今の真言師念仏者禅律等の人人並に此れを御帰依ある天子並びに将軍家日本国の上下万人は法華経の強敵となる上一乗の行者の大怨敵となりぬ、されば設い一切経を覚り十方の仏に帰依し一国の堂塔を建立し一切衆生に慈悲ををこすとも衆流大海に入りかんみとなり衆鳥須弥山に近ずきて同色となるがごとく、一切の大善変じて大悪となり七福かへりて七難をこり現在眼前には他国のせめきびしく自身は兵にやぶられ妻子は敵にとられて後生には無間大城に堕つべし。
此れをもんてをもうに故弥四郎殿は設い大罪なりとも提婆が逆にはすぐべからず、何に況や小罪なり法華経を信ぜし人なれば無一不成仏疑なきものなり。
疑て云く今の真言師等を無間地獄と候は心へられぬ事なり、今の真言は源弘法大師伝教大師慈覚大師智証大師此の四大師のながれなり、此の人人地獄に堕ち給はずば今の真言師いかで堕ち候べき、答えて云く地獄は一百三十六あり一百三十五の地獄へは堕つる人雨のごとし其の因やすきゆへなり、一の無間大城へは堕つる人かたし五逆罪を造る人まれなるゆへなり、又仏前には五逆なし但殺父殺母の二逆計りあり、又二逆の中にも仏前の殺父殺母は決定として無間地獄へは堕ちがたし畜生の二逆のごとし、而るに今日本国の人人は又一百三十五の地獄へはゆきがたし、日本国の人人形はことなれども同じく法華経誹謗の輩なり、日本国異なれども同じく法華誹謗の者となる事は源伝教より外の三大師の義より事をこれり。
問うて云く三大師の義如何、答えて云く弘法等の三大師は其の義ことなれども同じく法華経誹謗は一同なり、所謂善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵の法華経誹謗の邪義なり。
問うて云く三大師の地獄へ堕つる証拠如何、答えて云く善無畏三蔵は漢土日本国の真言宗の元祖なり彼の人すでに頓死して閻魔のせめにあへり、其のせめに値う事は他の失ならず法華経は大日経に劣ると立てしゆへなり、而るを此の失を知らずして其の義をひろめたる慈覚智証地獄を脱るべしや、但し善無畏三蔵の閻魔のせめにあづかりし故をだにもたづねあきらめば此の事自然に顕れぬべし善無畏三蔵の鉄の縄七すぢつきたる事は大日経の疏に我とかかれて候上日本醍醐の閻魔堂相州鎌倉の閻魔堂にあらわせり、此れをもつて慈覚智証等の失をば知るべし。
問うて云く法華経と大日の三部経の勝劣は経文如何、答えて曰く法華経には諸経の中に於て最も其の上に在りと説かれて此の法華経は一切経の頂上の法なりと云云、大日経七巻金剛頂経三巻蘇悉地経三巻已上十三巻の内法華経に勝ると申す経文は一句一偈もこれなし、但蘇悉地経計りにぞ三部の中に於て此の経を王と為すと申す文候、此れは大日の三部経の中の王なり全く一代の諸経の中の大王にはあらず、例せば本朝の王を大王といふ此れは日本国の内の大王なり全く漢土月支の諸王に勝れたる大王にはあらず、法華経は一代の一切経の中の王たるのみならず三世十方の一切の諸仏の所説の中の大王なり、例せば大梵天王のごときんば諸の小王転輪王四天王釈王魔王等の一切の王に勝れたる大王なり、金剛頂経と申すは真言教の頂王最勝王経と申すは外道天仙等の経の中の大王全く一切経の中の頂王にはあらず、法華経は一切経の頂上の宝珠なり、論師人師をすてて専ら経文をくらべばかくのごとし、而るを天台宗出来の後月氏よりわたれる経論並に天竺漢土にして立てたる宗宗の元祖等修羅心をさしはさめるかのゆへに或は経論にわたくしの言をまじへて事を仏説によせ或は事を月氏の経によせなんどして私の筆をそへ仏説のよしを称す、善無畏三蔵等は法華経と大日経との勝劣を定むるに理同事勝と云云、此れは仏意にはあらず、仏説のごとくならば大日経等は四十余年の内四十余年の内にも華厳般若等には及ぶべくもなし、但阿含小乗経にすこしいさてたる経なり、而るを慈覚大師等は此の義を弁えずして善無畏三蔵を重くをもうゆへに理同事勝の義を実義とをもえり、弘法大師は又此等にはにるべくもなき僻人なり、所謂法華経は大日経に劣るのみならず華厳経等にもをとれり等云云、而を此の邪義を人に信ぜさせんために或は大日如来より写瓶せりといゐ或は我まのあたり霊山にしてきけりといゐ或は師の慧果和尚の我をほめし或は三鈷をなげたりなんど申し種種の誑言をかまへたり、愚な者は今信をとる、又天台の真言師は慈覚大師を本とせり、叡山の三千人もこれを信ずる上堕つて代代の賢王の御世に勅宣を下す、其の勅宣のせんは法華経と大日経とは同醍醐譬へば鳥の両翼人の左右の眼等云云、今の世の一切の真言師は此の義をすぎず、此等は螢火を日月に越ゆとをもひ蚯蚓を花山より高しという義なり、其の上一切の真言師は潅頂となづけて釈迦仏を直ちにかきてしきまんだら(敷曼陀羅)となづけて弟子の足にふませ、或は法華経の仏は無明に迷える仏人の中のいぞのごとし真言師が履とりにも及ばずなんどふみにつくれり、今の真言師は此の文を本疏となづけて日日夜夜に談義して公家武家のいのりとがうしてををくの所領を知行し檀那をたぼらかす、事の心を案ずるに彼の大慢ばら門がごとく無垢論師にことならず、此等は現身に阿鼻の大火を招くべき人人なれども強敵のなければさてすぐるか、而りといへども其のしるし眼前にみへたり、慈覚と智証との門家等闘諍ひまなく弘法と聖覚が末孫が本寺と伝法院叡山と薗城との相論は修羅と修羅と猿と犬とのごとし、此等は慈覚の夢想に日をいるとみ弘法の現身妄語のすへか、仏末代を記して云く謗法の者は大地微塵よりも多く正法の者は爪上の土よりすくなかるべし、仏語まことなるかなや今日本国かの記にあたれり。
予はかつしろしめされて候がごとく幼少の時より学文に心をかけし上大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て日本第一の智者となし給へ、十二のとしより此の願を立つ其の所願に子細あり今くはしくのせがたし、其の後先ず浄土宗禅宗をきく其の後叡山薗城高野京中田舎等処処に修行して自他宗の法門をならひしかども我が身の不審はれがたき上本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからずいづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし論師訳者人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりともはばかるべからず何に況や其の已下の人をや、父母師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらずありのままに申すべしと誓状を立てしゆへに三論宗の嘉祥華厳宗の澄観法相宗の慈恩等をば天台妙楽伝教等は無間地獄とせめたれども真言宗の善無畏三蔵弘法大師慈覚智証等の僻見はいまだせむる人なし、善無畏不空等の真言宗をすてて天台による事は妙楽大師の記の十の後序並に伝教大師の依憑集にのせられたれどもいまだくはしからざればにや慈覚智証の謬・は出来せるかと強盛にせむるなり。
かく申す程に年卅二建長五年の春の比より念仏宗と禅宗と等をせめはじめて後に真言宗等をせむるほどに念仏者等始にはあなづる、日蓮いかにかしこくとも明円房公胤僧上顕真座主等にはすぐべからず、彼の人人だにもはじめは法然上人をなんぜしが後にみな堕ちて或は上人の弟子となり或は門家となる、日蓮はかれがごとし我つめん我つめんとはやりし程に、いにしへの人人は但法然をなんじて善導道綽等をせめず、又経の権実をいわざりしかばこそ念仏者はをごりけれ、今日蓮は善導法然等をば無間地獄につきをとして専ら浄土の三部経を法華経にをしあはせてせむるゆへに、螢火に日月江河に大海のやうなる上念仏は仏のしばらくの戯論の法実にこれをもつて生死をはなれんとをもわば大石を船に造り大海をわたり大山をになて嶮難を越ゆるがごとしと難ぜしかば面をむかうる念仏者なし。
後には天台宗の人人をかたらひてどしうち(同志打)にせんとせしかどもそれもかなはず、天台宗の人人もせめられしかば在家出家の心ある人人少少念仏と禅宗とをすつ、念仏者禅宗律僧等我が智力叶わざるゆへに諸宗に入りあるきて種種の讒奏をなす、在家の人人は不審あるゆへに各各の持僧等或は真言師或は念仏者或はふるき天台宗或は禅宗或は律僧等をわきにはさみて或は日蓮が住処に向い或はかしこへよぶ、而れども一言二言にはすぎず迦旃延が外道をせめしがごとく徳慧菩薩が摩沓婆をつめしがごとくせめしゆへに其の力及ばず、人は智かしこき者すくなきかのゆへに結句は念仏者等をばつめさせてかなはぬところには大名してものをぼへぬ侍どものたのしくて先後も弁えぬ在家の徳人等挙て日蓮をあだするほどに或は私に狼藉をいたして日蓮がかたの者を打ち或は所ををひ或は地をたて或はかんだうをなす事かずをしらず、上に奏すれども人の主となる人はさすが戒力といゐ福田と申し子細あるべきかとをもひて左右なく失もなされざりしかばきりものどもよりあひてまちうど等をかたらひて数万人の者をもつて夜中にをしよせ失わんとせしほどに十羅刹の御計らいにてやありけん日蓮其の難を脱れしかば両国の吏心をあわせたる事なれば殺されぬをとがにして伊豆の国へながされぬ、最明寺殿計りこそ子細あるかとをもわれていそぎゆるされぬ。
さりし程に最明寺入道殿隠れさせ給いしかばいかにも此の事あしくなりなんず、いそぎかくるべき世なりとはをもひしかどもこれにつけても法華経のかたうどつよくせば一定事いで来るならば身命をすつるにてこそあらめと思い切りしかば讒奏の人人いよいよかずをしらず、上下万人皆父母のかたきとわりをみるがごとし、不軽菩薩の威音王仏のすへにすこしもたがう事なし。 
 
千日尼御前御返事/弘安元年七月二十八日五十七歳御作

 

弘安元年太歳戊寅七月六日佐渡の国より千日尼と申す人、同じく日本国甲州波木井郷の身延山と申す深山へ同じき夫の阿仏房を使として送り給う御文に云く、女人の罪障はいかがと存じ候へども御法門に法華経は女人の成仏をさきとするぞと候いしを万事はたのみまいらせ候いて等云云。
夫れ法華経と申し候御経は誰れ仏の説き給いて候ぞとをもひ候へば此の日本国より西漢土より又西流沙葱嶺と申すよりは又はるか西月氏と申す国に浄飯王と申しける大王の太子十九の年位をすてさせ給いて檀どく山と申す山に入り御出家三十にして仏とならせ給い身は金色と変じ神は三世をかがみさせ給う、すぎにし事来るべき事かがみにかけさせ給いておはせし仏の五十余年が間一代一切の経経を説きおかせ給う、此の一切の経経仏の滅後一千年が間月氏国にやうやくひろまり候いしかどもいまだ漢土日本国等へは来り候はず、仏滅度後一千十五年と申せしに漢土へ仏法渡りはじめて候いしかども又いまだ法華経はわたり給はず。
仏法漢土にわたりて二百余年に及んで月氏と漢土との中間に亀茲国と申す国あり、彼の国の内に鳩摩羅えん三蔵と申せし人の御弟子に鳩摩羅什と申せし人彼の国より月氏に入り須利耶蘇磨三蔵と申せし人に此の法華経をさづかり給いき、其の経を授けし時の御語に云く此の法華経は東北の国に縁ふかしと云云、此の御語を持ちて月氏より東方漢土へはわたし給いしなり。
漢土には仏法わたりて二百余年後秦王の御宇に渡りて候いき、日本国には人王第三十代欽明天皇の御宇治十三年壬申十月十三日辛酉の日此れより西百済国と申す国より聖明皇日本国に仏法をわたす、此れは漢土に仏法わたりて四百年仏滅後一千四百余年なり、其の中にも法華経はましまししかども人王第三十二代用明天皇の太子聖徳太子と申せし人漢土へ使をつかわして法華経をとりよせまいらせて日本国に弘通し給いき、それよりこのかた七百余年なり、仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候上月氏漢土日本の山山河河海海里里遠くへだたり人人心心国国各各別別にして語かわりしなことなれば、いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁え候べき、ただ経経の文字を引き合せてこそ知るべきに一切経はやうやうに候へども法華経と申す御経は八巻まします流通に普賢経序文の無量義経各一巻已上此の御経を開き見まいらせ候へば明かなる鏡をもつて我が面を見るがごとし、日出でて草木の色を弁えるににたり、序品の無量義経を見みまいらせ候へば「四十余年未だ真実を顕わさず」と申す経文あり、法華経の第一の巻方便品の始めに「世尊の法は久しき後に要らず当に真実を説きたもうべし」と申す経文あり、第四の巻の宝塔品には「妙法華経皆是真実」と申す明文あり、第七の巻には「舌相梵天に至る」と申す経文赫赫たり、其の外は此の経より外のさきのちならべる経経をば星に譬へ江河に譬へ小王に譬へ小山に譬へたり、法華経をば月に譬へ日に譬へ大海大山大王等に譬へ給へり、此の語は私の言には有らず皆如来の金言なり十方の諸仏の御評定の御言なり、一切の菩薩二乗梵天帝釈今の天に懸りて明鏡のごとくにまします、日月も見給いき聞き給いき其の日月の御語も此の経にのせられて候、月氏漢土日本国のふるき神たちも皆其の座につらなり給いし神神なり、天照太神八幡大菩薩熊野すずか等の日本国の神神もあらそひ給うべからず、此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし空飛ぶ者の王たり鷲のごとし、南無阿弥陀仏経等はきじのごとし兎のごとし鷲につかまれては涙をながし師子にせめられては腸わたをたつ、念仏者律僧禅僧真言師等又かくのごとし、法華経の行者に値いぬればいろを失い魂をけすなり。
かかるいみじき法華経と申す御経はいかなる法門ぞと申せば、一の巻方便品よりうちはじめて菩薩二乗凡夫皆仏になり給うやうをとかれて候へどもいまだ其のしるしなし、設えば始めたる客人が相貌うるわしくして心もいさぎよくよく口もきいて候へばいう事疑なけれどもさきも見ぬ人なればいまだあらわれたる事なければ語のみにては信じがたきぞかし、其の時語にまかせて大なる事度度あひ候へばさては後の事もたのもしなんど申すぞかし、一切信じて信ぜられざりしを第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり、譬へばくろき物を白くなす事漆を雪となし不浄を清浄になす事濁水に如意珠を入れたるがごとし、竜女と申せし小蛇を現身に仏になしてましましき、此の時こそ一切の男子の仏になる事をば疑う者は候はざりしか、されば此の経は女人成仏を手本としてとかれたりと申す、されば日本国に法華経の正義を弘通し始めましませし叡山の根本伝教大師の此の事を釈し給うには「能化所化倶に歴劫無し妙法経力即身成仏す」等、漢土の天台智者大師法華経の正義をよみはじめ給いしには「他経は但男に記して女に記せず乃至今経は皆記す」等云云、此れは一代聖教の中には法華経第一法華経の中には女人成仏第一なりとことわらせ給うにや、されば日本の一切の女人は法華経より外の一切経には女人成仏せずと嫌うとも法華経にだにも女人成仏ゆるされなばなにかくるしかるべき。
しかるに日蓮はうけがたくして人身をうけ値いがたくして仏法に値い奉る、一切の仏法の中に法華経に値いまいらせて候、其の恩徳ををもへば父母の恩国主の恩一切衆生の恩なり、父母の恩の中に慈父をば天に譬へ悲母をば大地に譬へたりいづれもわけがたし、其の中にも悲母の大恩ことにほうじがたし、此れを報ぜんとをもうに外典の三墳五典孝経等によて報ぜんとをもへば現在をやしないて後世をたすけがたし、身をやしない魂をたすけず内典の仏法に入りて五千七千余巻の小乗大乗は女人成仏かたければ悲母の恩報じがたし小乗は女人成仏一向に許されず、大乗経は或は成仏或は往生を許たるやうなれども仏の仮言にて実事なし、但法華経計りこそ女人成仏悲母の恩を報ずる実の報恩経にて候へと見候いしかば悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願す、其れに日本国の一切の女人は漢土の善導日本の慧心永観法然等にすかされて詮とすべきに南無妙法蓮華経をば一国の一切の女人一人も唱うることなし、但南無阿弥陀仏と一日に一返十返百千万億反乃至三万十万反一生が間昼夜十二時に又他事なし、道心堅固なる女人も又悪人なる女人も弥陀念仏を本とせり、わづかに法華経をこととするやうなる女人も月まつまでのてずさびをもわしき男のひまに心ならず心ざしなき男にあうがごとし。
されば日本国の一切の女人法華経の御心に叶うは一人もなし、我が悲母に詮とすべき法華経をば唱えずして弥陀に心をかけば法華経は本ならねばたすけ給うべからず、弥陀念仏は女人たすくるの法にあらず必ず地獄に堕ち給うべし、いかんがせんとなげきし程に我が悲母をたすけんがために弥陀念仏は無間地獄の業なり五逆にはあらざれども五逆にすぎたり、父母を殺す人は其の肉身をばやぶれども父母を後生に無間地獄には入れず、今日本国の女人は必ず法華経にて仏になるべきをたぼらかして一向に南無阿弥陀仏になしぬ、悪ならざればすかされぬ、仏になる種ならざれば仏にはならず弥陀念仏の小善をもつて法華経の大善を失う小善の念仏は大悪の五逆にすぎたり、譬へば承平の将門は関東八箇国をうたへ天喜の貞任は奥州をうちとどめし民を王へ通せざりしかば朝敵となりてついにほろぼされぬ、此等は五逆にすぎたる謀反なり。
今日本国の仏法も又かくのごとし色かわれる謀反なり、法華経は大王大日経観無量寿経真言宗浄土宗禅宗律僧等は彼れ彼れの小経によて法華経の大怨敵となりぬるを日本の一切の女人等は我が心のをろかなるをば知らずして我をたすくる日蓮をかたきとをもひて大怨敵たる念仏者禅律真言師等を善知識とあやまてり、たすけんとする日蓮かへりて大怨敵とをもわるるゆへに女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上又佐渡の国へながされぬ。
ここに日蓮願つて云く日蓮は全く・なし設い僻事なりとも日本国の一切の女人を扶けんと願せる志はすてがたかるべし、何に況や法華経のままに申す、而るを一切の女人等信ぜずばさでこそ有るべきにかへりて日蓮をうたする、日蓮が僻事か釈迦多宝十方の諸仏菩薩二乗梵釈四天等いかに計らい給うぞ、日蓮僻事ならば其の義を示し給へ、ことには日月天は眼前の境界なり、又仏前にしてきかせ給える上法華経の行者をあだまんものをば「頭破れて七分と作らん」等と誓わせ給いて候へばいかんが候べきと日蓮強盛にせめまいらせ候ゆへに天此の国を罰すゆへに此の疫病出現せり、他国より此の国を天をほせつけて責めらるべきに両方の人あまた死ぬべきに天の御計らいとしてまづ民を滅ぼして人の手足を切るがごとくして大事の合戦なくして此の国の王臣等をせめかたぶけて法華経の御敵を滅ぼして正法を弘通せんとなり。
而るに日蓮佐渡の国へ流されたりしかば彼の国の守護等は国主の御計らいに随いて日蓮をあだむ万民は其の命に随う、念仏者禅律真言師等は鎌倉よりもいかにもして此れへわたらぬやう計ると申しつかわし極楽寺の良観房等は武蔵の前司殿の私の御教書を申して弟子に持たせて日蓮をあだみなんとせしかばいかにも命たすかるべきやうはなかりしに天の御計らいはさてをきぬ、地頭地頭念仏者念仏者等日蓮が庵室に昼夜に立ちそいてかよう人もあるをまどわさんとせめしに阿仏房にひつをしおわせ夜中に度度御わたりありし事いつの世にかわすらむ、只悲母の佐渡の国に生れかわりて有るか。
漢土に沛公と申せし人王の相有りとて秦の始皇の勅宣を下して云く沛公打ちてまいらせん者には不次の賞を行うべし、沛公は里の中には隠れがたくして山に入りて七日二七日なんど有るなり、其の時命すでにをわりぬべかりしに沛公の妻女呂公と申せし人こそ山中を尋ねて時時命をたすけしが彼は妻なればなさけすてがたし、此れは後世ををぼせずばなにしにかかくはおはすべき、又其の故に或は所ををい或はくわれうをひき或は宅をとられなんどせしについにとをらせ給いぬ、法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こそ今生には退せぬとわみへて候へ、されば十万億供養の女人なり、其の上人は見る眼の前には心ざし有りともさしはなれぬれば心はわすれずともさでこそ候に去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間此の山中に候に佐渡の国より三度まで夫をつかはす、いくらほどの御心ざしぞ大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし、釈迦如来は我が薩・王子たりし時うへたる虎に身をかいし功徳尸毘王とありし時鳩のために身をかへし功徳をば我が末の代かくのごとく法華経を信ぜん人にゆづらむとこそ多宝十方の仏の御前にては申させ給いしか。
其の上御消息に云く尼が父の十三年は来る八月十一日又云くぜに一貫もん等云云、あまりの御心ざしの切に候へばありえて御はしますに随いて法華経十巻をくりまいらせ候、日蓮がこいしくをはせん時は学乗房によませて御ちやうもんあるべし、此の御経をしるしとして後生には御たづねあるべし、抑去年今年のありさまはいかにかならせ給いぬらむとをぼつかなさに法華経にねんごろに申し候いつれどもいまだいぶかしく候いつるに七月二十七日の申の時に阿仏房を見つけて尼ごぜんはいかにこう入道殿はいかにとまづといて候いつればいまだやまず、こう入道殿は同道にて候いつるがわせはすでにちかづきぬこわなしいかんがせんとてかへられ候いつるとかたり候いし時こそ盲目の者の眼のあきたる死し給える父母の閻魔宮より御をとづれの夢の内に有るをゆめにて悦ぶがごとし、あわれあわれふしぎ(不思議)なる事かな、此れもかまくらも此の方の者は此の病にて死ぬる人はすくなく候、同じ船にて候へばいづれもたすかるべしともをぼへず候いつるにふねやぶれてたすけぶねに値えるか、又竜神のたすけにて事なく岸へつけるかとこそ不思議がり候へ。
さわの入道の事なげくよし尼ごぜんへ申しつたへさえ給え、ただし入道の事は申し切り候いしかばをもい合せ給うらむ、いかに念仏堂ありとも阿弥陀仏は法華経のかたきをばたすけ給うべからず、かえりて阿弥陀仏の御かたきなり後生悪道に堕ちてくいられ候らむ事あさまし。
ただし入道の堂のらうにていのちをたびたびたすけられたりし事こそいかにすべしともをぼへ候はね、学乗房をもつてはかにつねづね法華経をよませ給えとかたらせ給え、それも叶うべしとはをぼえず、さても尼のいかにたよりなかるらむとなげくと申しつたへさせ給い候へ、又又申すべし。 
 
千日尼御返事/弘安三年七月二日五十九歳御作

 

追伸、絹の染袈裟一つまいらせ候、豊後房に申し候べし既に法門日本国にひろまりて候、北陸道をば豊後房なびくべきに学生ならでは叶うべからず九月十五日已前にいそぎいそぎまいるべし、こう入道殿の尼ごぜんの事なげき入つて候、又こいしこいしと申しつたへさせ給へ、かずの聖教をば日記のごとくたんば房にいそぎいそぎつかわすべし、山伏房をばこれより申すにしたがいてこれへはわたすべし、山伏の現にあだまれ候事悦び入つて候。
鵞目一貫五百文のりわかめほしいしなじなの物給び候い了んぬ、法華経の御宝前に申し上げて候、法華経に云く「若し法を聞く者有らば一として成仏せざること無し」云云、文字は十字にて候へども法華経を一句よみまいらせ候へば釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞ、故に妙楽大師の云く「若し法華を弘むるは凡そ一義を消するも皆一代を混じて其の始末を窮めよ」等云云、始と申すは華厳経末と申すは涅槃経華厳経と申すは仏最初成道の時法慧功徳林等の大菩薩解脱月菩薩と申す菩薩の請に趣いて仏前にてとかれて候、其の経は天竺竜宮城兜率天等は知らず日本国にわたりて候は六十巻八十巻四十巻候、末と申すは大涅槃経此れも月氏竜宮等は知らず我が朝には四十巻三十六巻六巻二巻等なり、此れより外の阿含経方等経般若経等は五千七千余巻なり、此れ等の経経は見ずきかず候へども但法華経の一字一句よみ候へば彼れ彼れの経経を一字もをとさずよむにて候なるぞ、譬へば月氏日本と申すは二字二字に五天竺十六の大国五百の中国十千の小国無量の粟散国の大地大山草木人畜等をさまれるがごとし、譬へば鏡はわづかに一寸二寸三寸四寸五寸と候へども一尺五尺の人をもうかべ一丈二丈十丈百丈の大山をもうつすがごとし。
されば此の経文をよみて見候へば此の経をきく人は一人もかけず仏になると申す文なり、九界六道の一切衆生各各心心かわれり、譬へば二人三人乃至百千人候へども一尺の面の内しちににたる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人十人六道九界の衆生の心いかんがかわりて候らむ、されば花をあいし月をあいしすきをこのみにがきをこのみちいさきをあいし大なるをあいしいろいろなり、善をこのみ悪をこのみしなじななり、かくのごとくいろいろに候へども法華経に入りぬれば唯一人の身一人の心なり、譬へば衆河の大海に入りて同一の鹹味なるがごとく衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし、提婆が三逆も羅・羅が二百五十戒も同じく仏になりぬ、妙荘厳王の邪見も舎利弗が正見も同じく授記をかをほれり、此れ即ち無一不成仏のゆへぞかし、四十余年の内の阿弥陀経等には舎利弗が七日の百万反大善根をとかれしかども未顕真実ときらわれしかば七日ゆをわかして大海になげたるがごとし、ゐ提希が観経をよみて無生忍を得しかども正直捨方便とすてられしかば法華経を信ぜずば返つて本の女人なり、大善を用うる事なし法華経に値わざればなにかせん、大悪をも歎く事無かれ一乗を修行せば提婆が跡をもつぎなん、此等は皆無一不成仏の経文のむなしからざるゆへぞかし。
されば故阿仏房の聖霊は今いづくにかをはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候、若し此の事そらごとにて候わば日蓮がひがめにては候はず、釈迦如来の世尊法久後要当説真実の御舌も多宝仏の妙法華経皆是真実の舌相も四百万億那由佗の国土にあさのごとくいねのごとく星のごとく竹のごとくぞくぞくとすきまもなく列なつてをはしましし諸仏如来の一仏もかけ給はず、広長舌を大梵王宮に指し付けてをはせし御舌どものくぢらの死にてくされたるがごとくいわしのよりあつまりてくされたるがごとく皆一時にくちくされて十方世界の諸仏如来大妄語の罪にをとされて寂光の浄土の金るり大地はたとわれて提婆がごとく無間大城にかつぱと入り法蓮香比丘尼がごとく身より大妄語の猛火ぱといでて実報華王の花のその一時に灰燼の地となるべし、いかでかさる事は候べき、故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給はずば諸仏は大苦に堕ち給うべし、ただをいて物を見よただをいて物を見よ、仏のまことそら事は此れにて見奉るべし、さてはをとこははしらのごとし女はなかわのごとし、をとこは足のごとし女人は身のごとし、をとこは羽のごとし女はみのごとし、羽とみとべちべちになりなばなにをもつてかとぶべき、はしらたうれなばなかは地に堕ちなん、いへにをとこなければ人のたましゐなきがごとし、くうじをたれにかいゐあわせん、よき物をばたれにかやしなうべき、一月二日たがいしをだにもをぼつかなくをもいしに、こぞの三月の二十一日にわかれにしがこぞもまちくらせどまみゆる事なし、今年もすでに七つきになりぬ、たといわれこそ来らずともいかにをとづれはなかるらん、ちりし花も又さきぬおちし菓も又なりぬ、春の風もかわらず秋のけしきもこぞのごとし、いかにこの一事のみかわりゆきて本のごとくなかるらむ、月は入りて又いでぬ雲はきへて又来る、この人人の出でてかへらぬ事こそ天もうらめしく地もなげかしく候へ、さこそをぼすらめいそぎいそぎ法華経をらうれうとたのみまいらせ給いて、りやうぜん浄土へまいらせ給いてみまいらせさせ給うべし。
抑子はかたきと申す経文もあり「世人子の為に衆の罪を造る」の文なり、・鷲と申すとりはをやは慈悲をもつて養へば子はかへりて食とす梟鳥と申すとりは生まれては必ず母をくらう、畜生かくのごとし、人の中にもはるり王は心もゆかぬ父の位を奪い取る、阿闍世王は父を殺せり、安禄山は養母をころし安慶緒と申す人は父の安禄山を殺す安慶緒は又史師明に殺されぬ史師明は史朝義と申す子に又ころされぬ、此れは敵と申すもことわりなり、善星比丘と申すは教主釈尊の御子なり、苦得外道をかたらいて度度父の仏を殺し奉らんとす、又子は財と申す経文もはんべり所以に経文に云く「其の男女追つて福を修すれば大光明有つて地獄を照し其の父母に信心を顕さしむ」等と申す、設い仏説ならずとも眼の前に見えて候。
天竺に安足国王と申せし大王はあまりに馬をこのみてかいしほどに後にはかいなれて鈍馬を竜馬となすのみならず牛を馬ともなす結句は人を馬となしてのり給いき、其の国の人あまりになげきしかば知らぬ国の人を馬となす、他国の商人のゆきたりしかば薬をかいて馬となして御まやうにつなぎつけぬ、なにとなけれども我が国はこいしき上妻子ことにこいしくしのびがたかりしかどもゆるす事なかりしかばかへる事なし、又かへりたりともこのすがたにては由なかるべし、ただ朝夕にはなげきのみにしてありし程に一人ありし子父のまちどきすぎしかば人にや殺されたるらむ又病にや沈むらむ子の身としていかでか父をたづねざるべきといでたちければ母なげくらく男も他国よりかへらず一人の子もすててゆきなば我いかんがせんとなげきしかども子ちちのあまりにこいしかりしかば安足国へ尋ねゆきぬ、ある小屋にやどりて候しかば家の主申すやうあらふびんやわどのはをさなき物なり而もみめかたち人にすぐれたり、我に一人の子ありしが他国にゆきてしにやしけん又いかにてやあるらむ、我が子の事ををもへばわどのをみてめもあてられず、いかにと申せば此の国は大なるなげき有り、此の国の大王あまり馬をこのませ給いて不思議の草を用い給へり、一葉せばき草をくわすれば人馬となる、葉の広き草をくわすれば馬人となる、近くも他国の商人の有りしをこの草をくわせて馬となして第一の御まやに秘蔵してつながれたりと申す、此の男これをきいてさては我が父は馬と成りてけりとをもいて返つて問う其の馬は毛はいかにとといければ家の主答えて云く栗毛なる馬の肩白くぶちたりと申す、此の物此の事をききてとかうはからいて王宮に近づき葉の広き草をぬすみとりて我が父の馬になりたりしに食せしかば本のごとく人となりぬ、其の国の大王不思議なるおもひをなして孝養の者なりとて父を子にあづけ給へり、其れよりついに人を馬となす事はとどめられぬ。
子ならずばいかでか尋ねゆくべき、目連尊者は母の餓鬼の苦をすくひ浄蔵浄眼は父の邪見をひるがいす、此れよき子の親の財となるゆへぞかし、而るに故阿仏聖霊は日本国北海の島のいびすのみなりしかども後生ををそれて出家して後生を願いしが此の人日蓮に値いて法華経を持ち去年の春仏になりぬ、尸陀山の野干は仏法に値いて生をいとひ死を願いて帝釈と生れたり、阿仏上人は濁世の身を厭いて仏になり給いぬ、其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて去年は七月二日父の舎利を頚に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す、子にすぎたる財なし子にすぎたる財なし南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。 
 
一谷入道御書/建治元年五月八日五十四歳御作

 

去る弘長元年[太歳辛酉]五月十二日に御勘気を蒙つて伊豆の国伊東の郷と云う処に流罪せられたりき、兵衛の介頼朝のながされてありし処なり、さありしかども程無く同三年[太歳癸亥]二月二十二日に召し返されぬ、又文永八年[太歳辛未]九月十二日重ねて御勘気を蒙りしが忽に頚を刎らるべきにてありけるが子細ありけるかの故にしばらくのびて北国佐渡の嶋を知行する武蔵の前司預りて其の内の者どもの沙汰として彼の嶋に行き付いてありしが彼の島の者ども因果の理をも弁へぬあらゑびすなればあらくあたりし事は申す計りなし、然れども一分も恨むる心なし、其の故は日本国の主として少しも道理を知りぬべき相模殿だにも国をたすけんと云う者を子細も聞ほどかず理不尽に死罪にあてがう事なれば況や其の末の者どもの事はよきもたのまれずあしきもにくからず。
此の法門を申し始めしより命をば法華経に奉り名をば十方世界の諸仏の浄土にながすべしと思い儲けしなり、弘演と云いし者は主衛の懿公の肝を取りて我が腹を割いて納めて死にき、予譲と云いし者は主の知伯が恥をすすがんがために劒を呑んで死せしぞかし、是は但わづかの世間の恩を報ぜんがためぞかし。
況や無量劫より已来六道に流転して仏にならざりし事は法華経の御ために身を惜み命を捨てざる故ぞかし、されば喜見菩薩と申せし菩薩は千二百歳の間身を焼いて日月浄明徳仏を供養し、七万二千歳の間臂を焼いて法華経を供養し奉る其の人は薬王菩薩ぞかし、不軽菩薩は法華経の御ために多劫の間罵詈毀辱杖木瓦石にせめられき、今の釈迦仏にあらずや、されば仏になる道は時により品品に替つて行ずべきにや、今の世には法華経はさる事にておはすれども時によりて事ことなるなれば山林に交わりて読誦すとも将又里に住して演説すとも持戒にして行ずとも臂を焼いて供養すとも仏にはなるべからず、日本国は仏法盛なるやうなれども仏法について不思議あり人是を知らず、譬えば虫の火に入り鳥の蛇の口に入るが如し真言師華厳宗法相三論禅宗浄土宗律宗等の人人は我も法を得たり我も生死を離れたる人とは思へども立始めし本師等依経の心をも弁えず、但我が心の思い付いて有りしままに其の経を取り立てんと思へる墓無き心計りにて法華経に背けば又仏意にも叶わざる事をば知らずして弘め行く程に国主万民是を信じぬ又他国へ渡り又年久しく成りぬ、末学の者共本師の誤をば知らずして弘め習ひし人人をも智者とは思へり、源濁りぬれば流浄からず身曲りぬれば影直からず、真言の元祖善無畏等は既に地獄に堕ちぬべかりしが或は改悔して地獄を免れたる者もあり、或は唯依経を弘めて法華経の讃歎をもせざれば生死は離れねども悪道に堕ちざる人もあり、而るを末末の者此の事を知らずして諸人一同に信をなしぬ、譬えば破たる船に乗つて大海に浮び酒に酔る者の火の中に臥せるが如し。
日蓮是を見し故に忽に菩提心を発して此の事を申し始めしなり、世間の人人何に申すとも信ずる事はあるべからず、還つて流罪死罪せらるべしとは兼て知つてありしかども今の日本国は法華経に背き釈迦仏を捨つる故に後生は必ず無間大城に堕ちん事はさておきぬ今生にも必ず大難に値うべし、所謂他国より責め来つて上一人より下万民に至るまで一同の歎きあるべし、譬えば千人の兄弟が一人の親を殺したらんに此の罪を千に分ては受くべからず、一一に皆無間大城に堕ちて同じく一劫を経べし、此の国も又又是くの如し、娑婆世界は五百塵点劫より已来教主釈尊の御所領なり、大地虚空山海草木一分も他仏の有ならず、又一切衆生は釈尊の御子なり、譬えば成劫の始め一人の梵王下つて六道の衆生をば生て候ぞかし、梵王の一切衆生の親たるが如く釈迦仏も又一切衆生の親なり、又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師にておはするぞかし、父母を知るも師の恩なり黒白を弁うも釈尊の恩なり、而るを天魔の身に入つて候善導法然なんどが申すに付いて国土に阿弥陀堂を造り或は一郡一郷一村等に阿弥陀堂を造り或は百姓万民の宅のごとに阿弥陀堂を造り或は宅宅人人ごとに阿弥陀仏を書造り或は人ごとに口口に或は高声に唱へ或は一万遍或は六万遍なんど唱うるに少しも智慧ある者はいよいよこれをすすむ、譬へば火にかれたる草をくわへ水に風を合せたるに似たり、此の国の人人は一人もなく教主釈尊の御弟子御民ぞかし、而るに阿弥陀等の他仏を一仏もつくらずかかず念仏も申さずある者は悪人なれども釈迦仏を捨て奉る色は未だ顕れず、一向に阿弥陀仏を念ずる人人は既に釈尊仏を捨て奉る色顕然なり、彼の人人の墓無き念仏を申す者は悪人にてあるぞかし、父母にもあらず主君師匠にてもおはせぬ仏をばいとをしき妻の様にもてなし、現に国主父母明師たる釈迦仏を捨て乳母の如くなる法華経をば口にも誦し奉らず是れ豈不孝の者にあらずや、此の不孝の人人一人二人百人千人ならず一国二国ならず上一人より下万民に至るまで日本国皆こぞりて一人もなく三逆罪の者なり、されば日月は色を変じて此れをにらめ大地も瞋りてをどりあがり大彗星天にはびこり大火国に充満すれども僻事ありともおもはず、我等は念仏にひまなし其の上念仏堂を造り阿弥陀仏を持ち奉るなんど自讃するなり、是は賢き様にて墓無し、譬えば若き夫妻等が夫は女を愛し女は夫をいとおしむ程に父母のゆくへをしらず、父母は衣薄けれども我はねや熱し、父母は食せざれども我は腹に飽きぬ、是は第一の不孝なれども彼等は失ともしらず、況や母に背く妻父にさかへる夫逆重罪にあらずや、阿弥陀仏は十万億のあなたに有つて此の娑婆世界には一分も縁なし、なにと云うとも故もなきなり、馬に牛を合せ犬に・をかたらひたるが如し。
但日蓮一人計り此の事を知りぬ、命を惜みて云はずば国恩を報ぜぬ上教主釈尊の御敵となるべし、是を恐れずして有のままに申すならば死罪となるべし、設ひ死罪は免るとも流罪は疑なかるべしとは兼て知つてありしかども仏の恩重きが故に人をはばからず申しぬ、案にたがはず両度まで流されて候いし中に文永九年の夏の比佐渡の国石田の郷一谷と云いし処に有りしに預りたる名主等は公と云ひ私と云ひ父母の敵よりも宿世の敵よりも悪げにありしに宿の入道と云ひ妻と云ひつかう者と云ひ始はおぢをそれしかども先世の事にやありけん、内内不便と思ふ心付きぬ、預りよりあづかる食は少し付ける弟子は多くありしに僅の飯の二口三口ありしを或はおしきに分け或は手に入て食しに宅主内内心あつて外にはをそるる様なれども内には不便げにありし事何の世にかわすれん、我を生みておはせし父母よりも当時は大事とこそ思いしか、何なる恩おもはげむべしまして約束せし事たがうべしや。
然れども入道の心は後世を深く思いてある者なれば久しく念仏を申しつもりぬ、其の上阿弥陀堂を造り田畠も其の仏の物なり、地頭も又をそろしなんど思いて直ちに法華経にはならず、是は彼の身には第一の道理ぞかし、然れども又無間大城は疑無し、設ひ是より法華経を遣したりとも世間もをそろしければ念仏すつべからずなんど思はば、火に水を合せたるが如し、謗法の大水法華経を信ずる小火をけさん事疑なかるべし、入道地獄に堕つるならば還つて日蓮が失になるべし、如何んがせん如何んがせんと思いわづらひて今まで法華経を渡し奉らず、渡し進せんが為にまうけまいらせて有りつる法華経をば鎌倉の焼亡に取り失ひ参せて候由申す、旁入道の法華経の縁はなかりけり、約束申しける我が心も不思議なり、又我とはすすまざりしを鎌倉の尼の還りの用途に歎きし故に口入有りし事なげかし、本銭に利分を添えて返さんとすれば又弟子が云く御約束違ひなんど申す、旁進退極りて候へども人の思わん様は狂惑の様なるべし、力及ばずして法華経を一部十巻渡し奉る、入道よりもうばにてありし者は内内心よせなりしかば是を持ち給へ。
日蓮が申す事は愚なる者の申す事なれば用ひず、されども去る文永十一年[太歳甲戌]十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに対馬の者かためて有りしに宗総馬尉逃ければ百姓等は男をば或は殺し或は生取にし女をば或は取り集めて手をとをして船に結い付け或は生け取にす一人も助かる者なし、壹岐によせても又是くの如し、船おしよせて有りけるには奉行入道豊前前司は逃げて落ちぬ、松浦党は数百人打たれ或は生け取にせられしかば寄せたりける浦浦の百姓ども壹岐対馬の如し、又今度は如何が有るらん彼の国の百千万億の兵日本国を引回らして寄せて有るならば如何に成るべきぞ、北の手は先ず佐渡の島に付いて地頭守護をば須臾に打ち殺し百姓等は北山へにげん程に或は殺され或は生け取られ或は山にして死ぬべし、抑是れ程の事は如何として起るべきぞと推すべし、前に申しつるが如く此の国の者は一人もなく三逆罪の者なり、是は梵王帝釈日月四天の彼の蒙古国の大王の身に入らせ給いて責め給うなり。
日蓮は愚なれども釈迦仏の御使法華経の行者なりとなのり候を用いざらんだにも不思議なるべし、其の失に依つて国破れなんとす、況や或は国国を追ひ或は引はり或は打擲し或は流罪し或は弟子を殺し或は所領を取る、現の父母の使をかくせん人人よかるべしや、日蓮は日本国の人人の父母ぞかし主君ぞかし明師ぞかし是を背ん事よ、念仏を申さん人人は無間地獄に堕ちん事決定なるべし、たのもしたのもし。
抑蒙古国より責めん時は如何がせさせ給うべき、此の法華経をいただき頚にかけさせ給いて北山へ登らせ給うとも年比念仏者を養ひ念仏を申して、釈迦仏法華経の御敵とならせ給いて有りし事は久しし、又若し命ともなるならば法華経ばし恨みさせ給うなよ、又閻魔王宮にしては何とか仰せあるべき、おこがましき事とはおぼすとも其の時は日蓮が檀那なりとこそ仰せあらんずらめ、又是はさてをきぬ、此の法華経をば学乗房に常に開かさせ給うべし、人如何に云うとも念仏者真言師持斎なんどにばし開かさせ給うべからず、又日蓮が弟子となのるとも日蓮が判を持ざらん者をば御用いあるべからず、恐恐謹言。 
 
中興入道消息/弘安二年十一月三十日五十八歳御作

 

鵞目一貫文送り給い候い了んぬ妙法蓮華経の御宝前に申し上げ候い了んぬ、抑日本国と申す国は須弥山よりは南一閻浮提の内縦広七千由旬なり、其の内に八万四千の国あり、所謂五天竺十六の大国五百の中国十千の小国無量の粟散国微塵の島島あり、此等の国国は皆大海の中にありたとへば池にこのはのちれるが如し、此の日本国は大海の中の小島なりしほみてば見へずひればすこしみゆるかの程にて候いしを神のつき出させ給いて後人王のはじめ神武天皇と申せし大王をはしましき、それよりこのかた三十余代は仏と経と僧とはましまさずただ人と神とばかりなり、仏法をはしまさねば地獄もしらず、浄土もねがはず、父母兄弟のわかれありしかどもいかんがなるらん、ただ露のきゆるやうに日月のかくれさせ給うやうにうちをもいてありけるが然るに人王第三十代欽明天皇と申す大王の御宇に此の国より戌亥の角に当りて百済国と申す国あり、彼の国よりせいめい王と申せし王金銅の釈迦仏と此の仏の説かせ給へる一切経と申すふみと此をよむ僧をわたしてありしかば仏と申す物もいきたる物にもあらず、経と申す物も外典の文にもにず、僧と申す物も物はいへども道理もきこへず形も男女にもにざりしかばかたがたあやしみをどろきて左右の大臣大王の御前にしてとかう僉議ありしかども多分はもちうまじきにてありしかば、仏はすてられ僧はいましめられて候いしほどに用明天皇の御子聖徳太子と申せし人びだつの二年二月十五日東に向いて南無釈迦牟尼仏と唱えて御舎利を御手より出し給いて同六年に法華経を読誦し給ふ、それよりこのかた七百余年王は六十余代に及ぶまでやうやく仏法ひろまり候いて日本六十六箇国二つの島にいたらぬ国もなし、国国郡郡郷郷里里村村に堂塔と申し寺寺と申し仏法の住所すでに十七万一千三十七所なり、日月の如くあきらかなる智者代代に仏法をひろめ衆星のごとくかがやくけんじん国国に充満せり、かの人人は自行には或は真言を行じ或は般若或は仁王或は阿弥陀仏の名号或は観音或は地蔵或は三千仏或は法華経読誦しをるとは申せども無智の道俗をすすむるにはただ南無阿弥陀仏と申すべし、譬えば女人の幼子をまうけたるに或はほり或はかわ或はひとりなるには母よ母よと申せばききつけぬればかならず他事をすててたすくる習なり、阿弥陀仏も又是くの如し我等は幼子なり阿弥陀仏は母なり地獄のあな餓鬼のほりなんどにをち入りぬれば南無阿弥陀仏と申せば音と響きとの如く必ず来りてすくひ給うなりと一切の智人ども教へ給いしかば我が日本国かく申しならはして年ひさしくなり候。
然るに日蓮は中国都の者にもあらず辺国の将軍等の子息にもあらず遠国の者民が子にて候いしかば日本国七百余年に一人もいまだ唱へまいらせ候はぬ南無妙法蓮華経と唱え候のみならず、皆人の父母のごとく日月の如く主君の如くわたりに船の如く渇して水のごとくうえて飯の如く思いて候南無阿弥陀仏を無間地獄の業なりと申し候ゆへに食に石をたひたる様にがんせきに馬のはねたるやうに渡りに大風の吹き来たるやうにじゆらくに大火のつきたるやうに俄にかたきのよせたるやうにとわりのきさきになるやうにをどろきそねみねたみ候ゆへに去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間退転なく申しつより候事月のみつるがごとくしほのさすがごとくはじめは日蓮只一人唱へ候いしほどに、見る人値う人聞く人耳をふさぎ眼をいからかし口をひそめ手をにぎりはをかみ父母兄弟師匠ぜんうもかたきとなる、後には所の地頭領家かたきとなる後には一国さはぎ後には万民をどろくほどに、或は人の口まねをして南無妙法蓮華経ととなへ或は悪口のためにとなへ或は信ずるに似て唱へ或はそしるに似て唱へなんどする程に、すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経のこりの九分は或は両方或はうたがひ或は一向念仏者なる者は父母のかたき主君のかたき宿世のかたきのやうにののしる、村主郷主国主等は謀叛の者のごとくあだまれたり、かくの如く申す程に大海の浮木の風に随いて定めなきが如く軽毛の虚空にのぼりて上下するが如く日本国ををはれあるく程に、或時はうたれ或時はいましめられ或時は疵をかほふり或時は遠流或時は弟子をころされ或時はうちをはなれなんどする程に、去ぬる文永八年九月十二日には御かんきをかほりて北国佐渡の島にうつされて候いしなり、世間には一分のとがもなかりし身なれども故最明寺入道殿極楽寺入道殿を地獄に堕ちたりと申す法師なれば謀叛の者にもすぎたりとて相州鎌倉竜口と申す処にて頚を切らんとし候いしが科は大科なれども法華経の行者なれば左右なくうしなひなばいかんがとやをもはれけん、又遠国の島にすてをきたるならばいかにもなれかし。
上ににくまれたる上万民も父母のかたきのやうにおもひたれば道にても又国にても若しはころすか若しはかつえしぬるかにならんずらんとあてがはれて有りしに、法華経十羅刹の御めぐみにやありけん、或は天とがなきよしを御らんずらんにやありけん、島にてあだむ者は多かりしかども中興の次郎入道と申せし老人ありき、彼の人は年ふりたる上心かしこく身もたのしくて国の人にも人とをもはれたりし人の此の御房はゆへある人にやと申しけるかのゆへに子息等もいたうもにくまず、其の已下の者どもたいし彼等の人人の下人にてありしかば内内あやまつ事もなく唯上の御計いのままにてありし程に、水は濁れども又すみ月は雲かくせども又はるることはりなれば、科なき事すでにあらわれていゐし事もむなしからざりけるかのゆへに、御一門諸大名はゆるすべからざるよし申されけれども相模守殿の御計らひばかりにてついにゆりて候いてのぼりぬ、ただし日蓮は日本国には第一の忠の者なり肩をならぶる人は先代にもあるべからず後代にもあるべしとも覚えず。
其の故は去ぬる正嘉年中の大地震文永元年の大長星の時内外の智人其の故をうらなひしかどもなにのゆへいかなる事の出来すべしと申す事をしらざりしに、日蓮一切経蔵に入りて勘へたるに真言禅宗念仏律等の権小の人人をもつて法華経をかろしめたてまつる故に梵天帝釈の御とがめにて西なる国に仰せ付けて日本国をせむべしとかんがへて、故最明寺入道殿にまいらせ候いき、此の事を諸道の者、をこつきわらひし程に九箇年すぎて去ぬる文永五年に大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状わたりぬ、此の事のあふ故に念仏者真言師等あだみて失はんとせしなり、例せば漢土に玄宗皇帝と申せし御門の御后に上陽人と申せし美人あり、天下第一の美人にてありしかば楊貴妃と申すきさきの御らんじて此の人王へまいるならば我がをぼへをとりなんとて宣旨なりと申しかすめて、父母兄弟をば或はながし或は殺し上陽人をばろうに入れて四十年までせめたりしなり、此れもそれににて候、日蓮が勘文あらわれて大蒙古国を調伏し日本国かつならば此の法師は日本第一の僧となりなん、我等が威徳をとろうべしと思うかのゆへに讒言をなすをばしろしめさずして、彼等がことばを用いて国を亡さんとせらるるなり、例せば二世王は趙高が讒言によりて李斯を失ひかへりて趙高が為に身をほろぼされ、延喜の御門はしへいのをとどの讒言によりて菅丞相を失いて地獄におち給いぬ、此れも又かくの如し、法華経のかたきたる真言師禅宗律僧持斎念仏者等が申す事を御用いありて日蓮をあだみ給うゆへに、日蓮はいやしけれども所持の法華経を釈迦多宝十方の諸仏梵天帝釈日月四天竜神天照太神八幡大菩薩人の眼をおしむがごとく諸天の帝釈をうやまうがごとく母の子を愛するがごとくまほりおもんじ給うゆへに、法華経の行者をあだむ人を罰し給う事父母のかたきよりも朝敵よりも重く大科に行ひ給うなり。
然るに貴辺は故次郎入道殿の御子にてをはするなり御前は又よめなりいみじく心かしこかりし人の子とよめとにをはすればや、故入道殿のあとをつぎ国主も御用いなき法華経を御用いあるのみならず法華経の行者をやしなはせ給いてとしどしに千里の道をおくりむかへ去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に丈六のそとば(・堵波)をたてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕してをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ其の風にあたりて大海の苦をはなれ東風きたれば西山の鳥鹿其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生れん、況やかのそとばに随喜をなし手をふれ眼に見まいらせ候人類をや、過去の父母も彼のそとばの功徳によりて天の日月の如く浄土をてらし孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事水すめば月うつりつづみをうてばひびきのあるがごとしとをぼしめし候へ等云云、此れより後後の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ。 
 
最蓮房御返事

 

夕ざりは相構え相構えて御入り候へ、得受職人功徳法門委細申し候はん。
御礼の旨委細承り候い畢んぬ、都よりの種種の物慥かに給び候い畢んぬ、鎌倉に候いし時こそ常にかかる物は見候いつれ此の島に流罪せられし後は未だ見ず候、是れ体の物は辺土の小島にてはよによに目出度き事に思い候。
御状に云く去る二月の始より御弟子となり帰伏仕り候上は自今以後は人数ならず候とも御弟子の一分と思し食され候はば恐悦に相存ず可く候云云、経の文には「在在諸仏の土に常に師と倶に生れん」とも或は「若し法師に親近せば速かに菩薩の道を得ん是の師に随順して学せば恒沙の仏を見たてまつることを得ん」とも云へり、釈には「本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退地に住せん」とも、或は云く「初此の仏菩薩に従つて結縁し還つて此の仏菩薩に於て成就す」とも云えり、此の経釈を案ずるに過去無量劫より已来師弟の契約有りしか、我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか。
予日本の体を見るに第六天の魔王智者の身に入りて正師を邪師となし善師を悪師となす、経に「悪鬼入其身」とは是なり、日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばずして王臣を始として良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり、然るに今時は師に於て正師邪師善師悪師の不同ある事を知つて邪悪の師を遠離し正善の師に親近すべきなり、設い徳は四海に斉く智慧は日月に同くとも法華経を誹謗するの師をば悪師邪師と知つて是に親近すべからざる者なり、或る経に云く「若し誹謗の者には共住すべからず若し親近し共住せば即ち阿鼻獄に趣かん」と禁め給う是なり、いかに我が身は正直にして世間出世の賢人の名をとらんと存ずれども悪人に親近すれば自然に十度に二度三度其の教に随ひ以て行くほどに終に悪人になるなり、釈に云く「若し人本悪無きも悪人に親近すれば後必ず悪人と成り悪名天下に遍からん」云云、所詮其の邪悪の師とは今の世の法華誹謗の法師なり、涅槃経に云く「菩薩悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ悪智識に於ては怖畏の心を生ぜよ、悪象の為に殺されては三趣に至らず、悪友の為に殺さるれば必ず三趣に至らん」、法華経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲」等云云、先先申し候如く善無畏金剛智達磨慧可善導法然東寺の弘法園城寺の智証山門の慈覚関東の良観等の諸師は今の正直捨方便の金言を読み候には正直捨実教但説方便教と読み或は於諸経中最在其上の経文をば於諸経中最在其下と或は法華最第一の経文をば法華最第二第三等と読む、故に此等の法師原を邪悪の師と申し候なり。
さて正善の師と申すは釈尊の金言の如く諸経は方便法華は真実と正直に読むを申す可く候なり、華厳の七十七の入法界品之を見る可し云云、法華経に云く「善知識は是れ大因縁なり所謂化導して仏を見たてまつり阿耨菩提を発することを得せしむ」等云云、仏説の如きは正直に四味三教小乗権大乗の方便の諸経念仏真言禅律等の諸宗並びに所依の経を捨て但唯以一大事因縁の妙法蓮華経を説く師を正師善師とは申す可きなり、然るに日蓮末法の初の五百年に生を日域に受け如来の記文の如く三類の強敵を蒙り種種の災難に相値つて身命を惜まずして南無妙法蓮華経と唱え候は正師か邪師か能能御思惟之有る可く候。
上に挙ぐる所の諸宗の人人は我こそ法華経の意を得て法華経を修行する者よと名乗り候へども予が如く弘長には伊豆の国に流され文永には佐渡嶋に流され或は竜口の頚の座等此の外種種の難数を知らず、経文の如くならば予は正師なり善師なり諸宗の学者は悉く邪師なり悪師なりと覚し食し候へ、此の外善悪二師を分別する経論の文等是れ広く候へども兼て御存知の上は申すに及ばず候。
只今の御文に自今以後は日比の邪師を捨て偏に正師と憑むとの仰せは不審に覚へ候、我等が本師釈迦如来法華経を説かんが為に出世ましませしには他方の仏菩薩等来臨影響して釈尊の行化を助け給う、されば釈迦多宝十方の諸仏等の御使として来つて化を日域に示し給うにもやあるらん、経に云く「我於余国遣化人為其集聴法衆亦遣化随順不逆」此の経文に比丘と申すは貴辺の事なり、其の故は聞法信受随順不逆眼前なり争か之を疑い奉るべきや、設い又在在諸仏土常与師倶生の人なりとも三周の声聞の如く下種の後に退大取小して五道六道に沈輪し給いしが成仏の期来至して順次に得脱せしむべきゆへにや、念仏真言等の邪法邪師を捨てて日蓮が弟子となり給うらん有り難き事なり。
何れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め彼等をして捨邪帰正せしめ給いて順次に三仏座を並べたもう常寂光土に詣りて釈迦多宝の御宝前に於て我等無始より已来師弟の契約有りけるか無かりけるか又釈尊の御使として来つて化し給へるかさぞと仰せを蒙つてこそ我が心にも知られ候はんずれ、何様にもはげませ給へはげませ給へ。
何となくとも貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ、結句は卯月八日夜半寅の時に妙法の本円戒を以て受職潅頂せしめ奉る者なり、此の受職を得るの人争か現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん、若し今生妙覚ならば後生豈等覚等の因分ならんや、実に無始曠劫の契約常与師倶生の理ならば日蓮今度成仏せんに貴辺豈相離れて悪趣に堕在したもう可きや、如来の記文仏意の辺に於ては世出世に就いて更に妄語無し、然るに法華経には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし、是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」或は「速為疾得無上仏道」等云云、此の記文虚くして我等が成仏今度虚言ならば諸仏の御舌もきれ多宝の塔も破れ落ち二仏並座は無間地獄の熱鉄の牀となり方実寂の三土は地餓畜の三道と変じ候べし、争かさる事候べきやあらたのもしやたのもしや是くの如く思いつづけ候へば我等は流人なれども身心共にうれしく候なり。
大事の法門をば昼夜に沙汰し成仏の理をば時時刻刻にあぢはう、是くの如く過ぎ行き候へば年月を送れども久からず過ぐる時刻も程あらず、例せば釈迦多宝の二仏塔中に並座して法華の妙理をうなづき合い給いし時五十小劫仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂わしむと云いしが如くなり、劫初より以来父母主君等の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よもあらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し。
余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん、貴辺の御勘気疾疾許させ給いて都へ御上り候はば日蓮も鎌倉殿はゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り京都へ音信申す可く候、又日蓮先立つてゆり候いて鎌倉へ帰り候はば貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候、恐恐謹言。 
 
祈祷抄/文永九年五十一歳御作

 

問うて云く華厳宗法相宗三論宗小乗の三宗真言宗天台宗の祈をなさんにいづれかしるしあるべきや、答て云く仏説なればいづれも一往は祈となるべし、但法華経をもつていのらむ祈は必ず祈となるべし、問うて云く其の所以は如何、答えて云く二乗は大地微塵劫を経て先四味の経を行ずとも成仏すべからず、法華経は須臾の間此れを聞いて仏になれり、若爾らば舎利弗迦葉等の千二百万二千総じて一切の二乗界の仏は必ず法華経の行者の祈をかなふべし、又行者の苦にもかわるべし、故に信解品に云く「世尊は大恩まします希有の事を以て憐愍教化して我等を利益し給う無量億劫にも誰れか能く報ずる者あらん、手足をもて供給し頭頂をもつて礼敬し一切をもつて供養すとも皆報ずること能わず、若しは以て頂戴し両肩に荷負して恒沙劫に於て心を尽して恭敬し、又美膳無量の宝衣及び諸の臥具種種の湯薬を以てし牛頭栴檀及び諸の珍宝以つて塔廟を起て宝衣を地に布き斯くの如き等の事もつて供養すること恒沙劫に於てすとも亦報ずること能わじ」等云云、此の経文は四大声聞が譬喩品を聴聞して仏になるべき由を心得て、仏と法華経の恩の報じがたき事を説けり、されば二乗の御為には此の経を行ずる者をば父母よりも愛子よりも両眼よりも身命よりも大事にこそおぼしめすらめ、舎利弗目連等の諸大声聞は一代聖教いづれも讃歎せん行者をすておぼす事は有るべからずとは思へども爾前の諸経はすこしうらみおぼす事も有らん「於仏法中已如敗種」なんどしたたかにいましめられ給いし故なり、今の華光如来名相如来普明如来なんどならせ給いたる事はおもはざる外の幸なり、例せば崑崙山のくづれて宝の山に入りたる心地してこそおはしぬらめ、されば領解の文に云く「無上宝珠不求自得等」云云。
されば一切の二乗界法華経の行者をまほり給はん事は疑あるべからず、あやしの畜生なんども恩をば報ずる事に候ぞかし、かりと申す鳥あり必ず母の死なんとする時孝をなす、狐は塚を跡にせず畜生猶此くの如し況や人類をや、されば王寿と云ひし者道を行きしにうえつかれたりしに、路の辺に梅の樹あり其の実多し寿とりて食してうへやみぬ、我れ此の梅の実を食して気力をます其の恩を報ぜずんばあるべからずと申して衣をぬぎて梅に懸けてさりぬ、王尹と云いし者は道を行くに水に渇しぬ、河をすぐるに水を飲んで銭を河に入れて是を水の直とす、竜は必ず袈裟を懸けたる僧を守る、仏より袈裟を給て竜宮城の愛子に懸けさせて金翅鳥の難をまぬがるる故なり、金翅鳥は必ず父母孝養の者を守る、竜は須弥山を動かして金翅鳥の愛子を食す、金翅鳥は仏の教によつて父母の孝養をなす者僧のとるさんばを須弥の頂にをきて竜の難をまぬかるる故なり、天は必ず戒を持ち善を修する者を守る、人間界に戒を持たず善を修する者なければ人間界の人死して多く修羅道に生ず、修羅多勢なればをごりをなして必ず天ををかす、人間界に戒を持ちて善を修するの者多ければ人死して必ず天に生ず、天多ければ修羅をそれをなして天ををかさず、故に戒を持ち善を修する者をば天必ず之を守る、何に況や二乗は六凡より戒徳も勝れ智慧賢き人人なり、いかでか我が成仏を遂げたらん法華経を行ぜん人をば捨つべきや。
又一切の菩薩並に凡夫は仏にならんがために、四十余年の経経を無量劫が間行ぜしかども仏に成る事なかりき、而るを法華経を行じて仏と成つて今十方世界におはします仏仏の三十二相八十種好をそなへさせ給いて九界の衆生にあをがれて、月を星の回れるがごとく須弥山を八山の回るが如く、日輪を四州の衆生の仰ぐが如く輪王を万民の仰ぐが如く、仰がれさせ給うは法華経の恩徳にあらずや、されば仏は法華経に誡めて云く「須らく復た舎利を安ずることをもちいざれ」涅槃経に云く「諸仏の師とする所所謂法なり是の故に如来恭敬供養す」等云云、法華経には我舎利を法華経に並ぶべからず、涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説せ給へり、仏此の法華経をさとりて仏に成りしかも人に説き聞かせ給はずば仏種をたたせ給ふ失あり、此の故に釈迦如来は此の娑婆世界に出でて説かんとせさせ給いしを、元品の無明と申す第六天の魔王が一切衆生の身に入つて、仏をあだみて説かせまいらせじとせしなり、所謂波瑠璃王の五百人の釈子を殺し、鴦崛摩羅が仏を追、提婆が大石を放旃遮婆羅門女が鉢を腹にふせて仏の御子と云いし、婆羅門城には仏を入れ奉る者は五百両の金をひきき、されば道にはうばらをたて井には糞を入れ門にはさかむきをひけり食には毒を入れし、皆是れ仏をにくむ故に、華色比丘尼を殺し、目連は竹杖外道に殺され、迦留陀夷は馬糞に埋れし皆仏をあだみし故なり、而れども仏さまざまの難をまぬかれて御年七十二歳、仏法を説き始められて四十二年と申せしに中天竺王舎城の丑寅耆闍崛山と申す山にして、法華経を説き始められて八年まで説かせ給いて、東天竺倶尸那城跋提河の辺にして御年八十と申せし、二月十五日の夜半に御涅槃に入らせ給いき、而りといへども御悟りをば法華経と説きをかせ給へば此の経の文字は即釈迦如来の御魂なり、一一の文字は仏の御魂なれば此の経を行ぜん人をば釈迦如来我が御眼の如くまほり給うべし、人の身に影のそへるがごとくそはせ給うらん、いかでか祈とならせ給はざるべき。
一切の菩薩は又始め華厳経より四十余年の間仏にならんと願い給いしかどもかなはずして、法華経の方便品の略開三顕一の時「仏を求むる諸の菩薩大数八万有り、又諸の万億国の転輪聖王の至れる合掌して敬心を以て具足の道を聞かんと欲す」と願いしが、広開三顕一を聞いて「菩薩是の法を聞いて疑網皆已に断ちぬ」と説かせ給いぬ、其の後自界他方の菩薩雲の如く集り星の如く列り給いき、宝塔品の時十方の諸仏各各無辺の菩薩を具足して集り給いき、文殊は海より無量の菩薩を具足し、又八十万億那由佗の諸菩薩又過八恒河沙の菩薩地涌千界の菩薩分別功徳品の六百八十万億那由佗恒河沙の菩薩又千倍の菩薩復一世界の微塵数の菩薩復三千大千世界の微麈数の菩薩復二千中国土の微塵数の菩薩復小千国土の微塵数の菩薩復四四天下の微塵数の菩薩三四天下二四天下一四天下の微塵数の菩薩復八世界微塵数の衆生薬王品の八万四千の菩薩妙音品の八万四千の菩薩又四万二千の天子普門品の八万四千陀羅尼品の六万八千人妙荘厳王品の八万四千人勧発品の恒河沙等の菩薩三千大千世界微塵数等の菩薩此れ等の菩薩を委く数へば十方世界の微塵の如し、十方世界の草木の如し、十方世界の星の如し、十方世界の雨の如し、此等は皆法華経にして仏にならせ給いて、此の三千大千世界の地上地下虚空の中にまします、迦葉尊者は・足山にあり、文殊師利は清凉山にあり、地蔵菩薩は伽羅陀山にあり、観音は補陀落山にあり、弥勒菩薩は兜率天に、難陀等の無量の竜王阿修羅王は海底海畔にあり、帝釈は・利天に梵王は有頂天に魔醯修羅は第六の佗化天に四天王は須弥の腰に日月衆星は我等が眼に見へて頂上を照し給ふ、江神河神山神等も皆法華経の会上の諸尊なり。
仏法華経をとかせ給いて年数二千二百余年なり、人間こそ寿も短き故に仏をも見奉り候人も待らぬ、天上は日数は永く寿も長ければ併ながら仏をおがみ法華経を聴聞せる天人かぎり多くおはするなり人間の五十年は四王天の一日一夜なり、此れ一日一夜をはじめとして三十日は一月十二月は一年にして五百歳なり、されば人間の二千二百余年は四王天の四十四日なり、されば日月並びに毘沙門天王は仏におくれたてまつりて四十四日いまだ二月にたらず、帝釈梵天なんどは仏におくれ奉りて一月一時にもすきず、わづかの間にいかでか仏前の御誓並びに自身成仏の御経の恩をばわすれて、法華経の行者をば捨てさせ給うべきなんど思いつらぬればたのもしき事なり、されば法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし影の体にそえるがごとし、すめる水に月のうつるがごとし方諸の水をまねくがごとし磁石の鉄をすうがごとし琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし世間の法には我がおもはざる事も父母主君師匠妻子をろかならぬ友なんどの申す事は恥ある者は意にはあはざれども名利をもうしなひ、寿ともなる事も侍るぞかし、何に況や我が心からをこりぬる事は、父母主君師匠なんどの制止を加うれどもなす事あり。
さればはんよき(范於期)と云いし賢人は我頚を切つてだにこそけいかと申せし人には与へき、季札と申せし人は約束の剣を徐の君が塚の上に懸けたりき、而るに霊山会上にして即身成仏せし竜女は小乗経には五障の雲厚く三従のきづな強しと嫌はれ、四十余年の諸大乗経には或は歴劫修行にたへずと捨てられ、或は初発心時便成正覚の言も有名無実なりしかば女人成仏もゆるさざりしに設い人間天上の女人なりとも成仏の道には望なかりしに竜畜下賎の身たるに女人とだに生れ年さへいまだたけずわづかに八歳なりき、かたがた思ひもよらざりしに文殊の教化によりて海中にして法師提婆の中間わづかに宝塔品を説かれし時刻に仏になりたりし事はありがたき事なり、一代超過の法華経の御力にあらずばいかでかかくは候べき、されば妙楽は「行浅功深以顕経力」とこそ書かせ給へ、竜女は我が仏になれる経なれば仏の御諌なくともいかでか法華経の行者を捨てさせ給うべき、されば自讃歎仏の偈には「我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」等とこそすすませさせ給いしか、竜女の誓は其の所従の「非口所宣非心所測」の一切の竜畜の誓なり娑竭羅竜王は竜畜の身なれども子を念う志深かりしかば大海第一の宝如意宝珠をもむすめにとらせて即身成仏の御布施にせさせつれ此の珠は直三千大千世界にかふる珠なり。
提婆達多は師子頬王には孫釈迦如来には伯父たりし斛飯王の御子阿難尊者の舎兄なり、善聞長者のむすめの腹なり、転輪聖王の御一門南閻浮提には賎しからざる人なり、在家にましましし時は夫妻となるべきやすたら(耶輙多羅)女を悉達太子に押し取られ宿世の敵と思いしに、出家の後に人天大会の集まりたりし時仏に汝は癡人唾を食へる者とのられし上名聞利養深かりし人なれば仏の人にもてなされしをそねみて我が身には五法を行じて仏よりも尊げになし鉄をのして千輻輪につけ螢火を集めて白毫となし六万宝蔵八万宝蔵を胸に浮べ、象頭山に戒場を立て多くの仏弟子をさそひとり、爪に毒を塗り仏の御足にぬらむと企て蓮華比丘尼を打殺し大石を放て仏の御指をあやまちぬ、具に三逆を犯し結句は五天竺の悪人を集め仏並びに御弟子檀那等にあだをなす程に、頻婆娑羅王は仏の第一の御檀那なり、一日に五百輛の車を送り日日に仏並びに御弟子を供養し奉りき、提婆そねむ心深くして阿闍世太子を語いて父を終に一尺の釘七つをもつてはりつけになし奉りき、終に王舎城の北門の大地破れて阿鼻大城に墜ちにき、三千大千世界の人一人も是を見ざる事なかりき、されば大地微塵劫は過ぐとも無間大城をば出づべからずとこそ思ひ候に法華経にして天王如来とならせ給いけるにこそ不思議に尊けれ、提婆達多仏になり給はば語らはれし所の無量の悪人、一業所感なれば皆無間地獄の苦ははなれぬらん、是れ偏に法華経の恩徳なり、されば提婆達多並びに所従の無量の眷属は法華経の行者の室宅にこそ住せ給うらめとたのもし。
諸の大地微塵の如くなる諸菩薩は等覚の位までせめて元品の無明計りもちて侍るが釈迦如来に値い奉る元品の大石をわらんと思ふに、教主釈尊四十余年が間は「因分可説果分不可説」と申して妙覚の功徳を説き顕し給はず、されば妙覚の位に登る人一人もなかりき本意なかりし事なり、而るに霊山八年が間に「唯一仏乗名為果分」と説き顕し給いしかば諸の菩薩皆妙覚の位に上りて釈迦如来と悟り等しく須弥山の頂に登つて四方を見るが如く長夜に日輪の出でたらんが如くあかなくならせ給いたりしかば仏の仰せ無くとも法華経を弘めじ又行者に替らじとはおぼしめすべからず、されば「我不愛身命但惜無上道不惜身命当広説此経」等とこそ誓ひ給いしか。
其の上慈父の釈迦仏悲母の多宝仏慈悲の父母等同じく助証の十方の諸仏一座に列らせ給いて、月と月とを集めたるが如く日と日とを並べたるが如くましましし時、「諸の大衆に告ぐ我が滅度の後誰か能く此の経を護持し読誦せんものなる、今仏前に於て自ら誓言を説け」と三度まで諌させ給いしに、八方四百万億那由佗の国土に充満せさせ給いし諸大菩薩身を曲低頭合掌し倶に同時に声をあげて「世尊の勅の如く当に具さに奉行したてまつるべし」と三度まで声を惜まずよばわりしかば、いかでか法華経の行者にはかわらせ給はざるべき、はんよき(范於期)と云いしものけいかに頭を取せきさつと云いしもの徐の君が塚に刀をかけし、約束を違へじがためなり、此れ等は震旦辺土のえびすの如くなるものどもだにも友の約束に命をも亡ぼし身に代へて思ふ刀をも塚に懸くるぞかし、まして諸大菩薩は本より大悲代受苦の誓ひ深し仏の御諌なしともいかでか法華経の行者を捨て給うべき、其の上我が成仏の経たる上仏慇懃に諌め給いしかば仏前の御誓丁寧なり行者を助け給う事疑うべからず。
仏は人天の主一切衆生の父母なり而も開導の師なり、父母なれども賎き父母は主君の義をかねず、主君なれども父母ならざればおそろしき辺もあり、父母主君なれども師匠なる事はなし諸仏は又世尊にてましませば主君にてはましませども娑婆世界に出でさせ給はざれば師匠にあらず又「其中衆生悉是吾子」とも名乗らせ給はず釈迦仏独主師親の三義をかね給へり、しかれども四十余年の間は提婆達多を罵給ひ諸の声聞をそしり菩薩の果分の法門を惜み給しかば、仏なれどもよりよりは天魔破旬ばしの我等をなやますかの疑ひ人にはいはざれども心の中には思いしなり、此の心は四十余年より法華経の始まで失せず、而るを霊山八年の間に宝塔虚空に現じ二仏日月の如く並び諸仏大地に列り大山をあつめたるがごとく、地涌千界の菩薩虚空に星の如く列り給いて、諸仏の果分の功徳を吐き給いしかば宝蔵をかたぶけて貧人にあたうるがごとく崑崙山のくづれたるににたりき、諸人此の玉をのみ拾うが如く此の八箇年が間珍しく貴き事心髄にもとをりしかば諸菩薩身命も惜まず言をはぐくまず誓をなせし程に属累品にして釈迦如来宝塔を出でさせ給いてとびらを押したて給いしかば諸仏は国国へ返り給ひき、諸の菩薩等も諸仏に随ひ奉りて返らせ給ひぬ。
やうやう心ぼそくなりし程に「郤後三月当般涅槃」と唱えさせ給いし事こそ心ぼそく耳をどろかしかりしかば諸菩薩二乗人天等ことごとく法華経を聴聞して仏の恩徳心肝にそみて、身命をも法華経の御ために投て仏に見せまいらせんと思いしに仏の仰の如く若し涅槃せさせ給はばいかにあさましからんと胸さはぎしてありし程に仏の御年満八十と申せし二月十五日の寅卯の時東天竺舎衛国倶尸那城跌提河の辺にして仏御入滅なるべき由の御音上は有頂横には三千大千界までひびきたりしこそ目もくれ心もきえはてぬれ、五天竺十六の大国五百の中国十千の小国無量の粟散国等の衆生一人も衣食を調へず上下をきらはず、牛馬狼狗・鷲・・等の五十二類の一類の数大地微塵をもつくしぬべし況や五十二類をや、此の類皆華香衣食をそなへて最後の供養とあてがひき、一切衆生の宝の橋おれなんとす一切衆生の眼ぬけなんとす一切衆生の父母主君師匠死なんとすなんど申すこえひびきしかば身の毛のいよ立のみならず涙を流す、なんだをながすのみならず頭をたたき胸ををさへ音も惜まず叫びしかば血の涙血のあせ倶尸那城に大雨よりもしげくふり大河よりも多く流れたりき、是れ偏えに法華経にして仏になりしかば仏の恩の報ずる事かたかりしなり。
かかるなげきの庭にても法華経の敵をば舌をきるべきよし座につらなるまじきよしののしり侍りき、迦葉童子菩薩は法華経の敵の国には霜雹となるべしと誓い給いき、爾の時仏は臥よりをきてよろこばせ給いて善哉善哉と讃め給いき、諸菩薩は仏の御心を推して法華経の敵をうたんと申さば、しばらくもいき給いなんと思いて一一の誓はなせしなり、されば諸菩薩諸天人等は法華経の敵の出来せよかし仏前の御誓はたして釈迦尊並びに多宝仏諸仏如来にもげに仏前にして誓いしが如く、法華経の御ためには名をも身命をも惜まざりけりと思はれまいらせんとこそおぼすらめ。
いかに申す事はをそきやらん、大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず、法華経の行者を諸の菩薩人天八部等二聖二天十羅刹等千に一も来つてまほり給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り下は九界をたぼらかす失あり、行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし、袋きたなしとて金を捨る事なかれ伊蘭をにくまば栴檀あるべからず、谷の池を不浄なりと嫌はば蓮を取らざるべし、行者を嫌い給はば誓を破り給いなん、正像既に過ぎぬれば持戒は市の中の虎の如し智者は麟角よりも希ならん、月を待つまでは灯を憑べし宝珠のなき処には金銀も宝なり、白烏の恩をば黒烏に報ずべし聖僧の恩をば凡僧に報ずべし、とくとく利生をさづけ給へと強盛に申すならばいかでか祈りのかなはざるべき。
問うて云く上にかかせ給ふ道理文証を拝見するにまことに日月の天におはしますならば大地に草木のおふるならば、昼夜の国土にあるならば大地だにも反覆せずば大海のしほだにもみちひるならば、法華経を信ぜん人現世のいのり後生の善処は疑いなかるべし、然りと雖も此の二十余年が間の天台真言等の名匠多く大事のいのりをなすにはかばかしくいみじきいのりありともみえず、尚外典の者どもよりもつたなきやうにうちをぼへて見ゆるなり、恐らくは経文のそらごとなるか行者のをこなひのをろかなるか時機のかなはざるかと、うたがはれて後生もいかんとをぼう。
それはさてをきぬ御房は山僧の御弟子とうけ給はる父の罪は子にかかり師の罪は弟子にかかるとうけ給はる、叡山の僧徒の薗城山門の堂塔仏像経巻数千万をやきはらはせ給うが、ことにおそろしく世間の人人もさわぎうとみあへるはいかに前にも少少うけ給はり候ぬれども今度くわしくききひらき候はん、但し不審なることはかかる悪僧どもなれば三宝の御意にもかなはず天地にもうけられ給はずして、祈りも叶はざるやらんとをぼへ候はいかに、答て云くせんぜんも少少申しぬれども今度又あらあら申すべし、日本国にをいては此の事大切なり、これをしらざる故に多くの人口に罪業をつくる、先づ山門はじまりし事は此の国に仏法渡つて二百余年、桓武天皇の御宇に伝教大師立て始め給いしなり、当時の京都は昔聖徳太子王気ありと相し給いしかども天台宗の渡らん時を待ち給いし間都をたて給はず、又上宮太子の記に云く「我が滅後二百余年に仏法日本に弘まる可し」云云、伝教大師延暦年中に叡山を立て給ふ桓武天皇は平の京都をたて給いき、太子の記文たがはざる故なり、されば山門と王家とは松と栢とのごとし、蘭と芝とににたり、松かるれば必ず栢かれらんしぼめば又しばしぼむ、王法の栄へは山の悦び王位の衰へは山の歎きと見えしに既に世関東に移りし事なにとか思食しけん。
秘法四十一人の行者承久三年辛巳四月十九日京夷乱れし時関東調伏の為め隠岐の法皇の宣旨に依つて始めて行はれ御修法十五檀の秘法、一字金輪法[天台座主慈円僧正伴僧十二口関白殿基通の御沙汰]四天王法[成興寺の宮僧正僧伴八口広瀬殿に於て修明門院の御沙汰]不動明王法[成宝僧正伴僧八口花山院禅門の御沙汰]大威徳法[観厳僧正伴僧八口七条院の御沙汰]転輪聖王法[成賢僧正伴僧八口同院の御沙汰]十壇大威徳法[伴僧六口覚朝僧正俊性法印永信法印豪円法印猷円僧都慈賢僧正賢乗僧都仙尊僧都行遍僧都実覚法眼已上十人大旨本坊に於て之を修す]如意輪法[妙高院僧正伴僧八口宜秋門院の御沙汰]毘沙門法[常住院僧正三井伴僧六口資賃の御沙汰]御本尊一日之を造らせらる調伏の行儀は如法愛染王法[仁和寺御室の行法五月三日之れを始めて紫宸殿に於て二七日之を修せらる]仏眼法[大政僧正三七日之を修す]六字法[快雅僧都]愛染王法[観厳僧正七日之を修す]不動法[勧修寺の僧正伴僧八口皆僧綱]大威徳法[安芸僧正]金剛童子法[同人]已上十五壇の法了れり、五月十五日伊賀太郎判官光季京にして討たれ、同十九日鎌倉に聞え、同二十一日大勢軍兵上ると聞えしかば残る所の法六月八日之れを行ひ始めらる、尊星王法[覚朝僧正]太元法[蔵有僧都]五壇法[大政僧正永信法印全尊僧都猷円僧都行遍僧都]守護経法[御室之を行はせらる我朝二度之を行う]五月二十一日武蔵の守殿が海道より上洛し甲斐源氏は山道を上る式部殿は北陸道を上り給う、六月五日大津をかたむる手甲斐源氏に破られ畢んぬ、同六月十三日十四日宇治橋の合戦同十四日に京方破られ畢んぬ、同十五日に武蔵守殿六条へ入り給ふ諸人入り畢んぬ、七月十一日に本院は隠岐の国へ流され給ひ中院は阿波の国へ流され給ひ第三院は佐渡の国へ流され給ふ、殿上人七人誅殺せられ畢んぬ、かかる大悪法年を経て漸漸に関東に落ち下りて諸堂の別当供僧となり連連と之を行う、本より教法の邪正勝劣をば知食さず、只三宝をばあがむべき事とばかりおぼしめす故に自然として是を用ひきたれり、関東の国国のみならず叡山東寺薗城寺の座主別当皆関東の御計と成りぬる故に彼の法の檀那と成り給いぬるなり。
問て云く真言の教を強に邪教と云う心如何、答えて云く弘法大師云く第一大日経第二華厳経第三法華経と能能此の次第を案ずべし、仏は何なる経にか此の三部の経の勝劣を説き判じ給へるや、若し第一大日経第二華厳経第三法華経と説き給へる経あるならば尤も然るべし、其の義なくんば甚だ以て依用し難し、法華経に云く「薬王今汝に告ぐ我所説の諸経而かも此の経の中に於て法華最も第一なり」云云、仏正く諸教を挙げて其の中に於いて法華第一と説き給ふ、仏の説法と弘法大師の筆とは水火の相違なり尋ね究むべき事なり、此筆を数百年が間凡僧高僧是を学し貴賎上下是を信じて大日経は一切経の中に第一とあがめける事仏意に叶はず、心あらん人は能く能く思い定むべきなり、若し仏意に相叶はぬ筆ならば信ずとも豈成仏すべきや、又是を以て国土を祈らんに当に不祥を起さざるべきや、又云く「震旦の人師等諍て醍醐を盗む」云云、文の意は天台大師等真言教の醍醐を盗んで法華経の醍醐と名け給へる事は、此の筆最第一の勝事なり、法華経を醍醐と名け給へる事は、天台大師涅槃経の文を勘へて一切経の中には法華経を醍醐と名くと判じ給へり、真言教の天竺より唐土へ渡る事は天台出世の以後二百余年なり、されば二百余年の後に渡るべき真言の醍醐を盗みて法華経の醍醐と名け給ひけるか此の事不審なり不審なり、真言未だ渡らざる以前の二百余年の人人を盗人とかき給へる事証拠何れぞや、弘法大師の筆をや信ずべき、涅槃経に法華経を醍醐と説けるをや信ずべき、若し天台大師盗人ならば涅槃経の文をば云何がこころうべき、さては涅槃経の文真実にして弘法の筆邪義ならば邪義の教を信ぜん人人は云何、只弘法大師の筆と仏の説法と勘へ合せて正義を信じ侍るべしと申す計りなり。
疑て云く大日経は大日如来の説法なり若し爾らば釈尊の説法を以て大日如来の教法を打ちたる事都て道理に相叶はず如何、答えて云く大日如来は何なる人を父母として何なる国に出で大日経を説き給けるやらん、もし父母なくして出世し給うならば釈尊入滅以後、慈尊出世以前、五十六億七千万歳が中間に仏出でて説法すべしと云う事何なる経文ぞや、若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間邪教とは申すなり、其の迷謬尽しがたし纔か一二を出すなり、加之並びに禅宗念仏等を是を用る、此れ等の法は皆未顕真実の権教不成仏の法無間地獄の業なり、彼の行人又謗法の者なり争でか御祈祷叶ふべきや、然るに国主と成り給ふ事は過去に正法を持ち仏に仕ふるに依つて大小の王皆梵王帝釈日月四天等の御計ひとして郡郷を領し給へり、所謂経に云く「我今五眼をもて明に三世を見るに一切の国王皆過去世に五百の仏に侍するに由つて帝王主と為ることを得たり」等云云、然るに法華経を背きて真言禅念仏等の邪師に付いて諸の善根を修せらるるとも、敢て仏意に叶はず神慮にも違する者なり能く能く案あるべきなり、人間に生を得る事都て希なり適生を受けて法の邪正を極めて未来の成仏を期せざらん事返返本意に非ざる者なり、又慈覚大師御入唐以後本師伝教大師に背かせ給いて叡山に真言を弘めんが為に御祈請ありしに日を射るに日輪動転すと云う夢想を御覧じて、四百余年の間諸人是を吉夢と思へり、日本国は殊に忌むべき夢なり、殷の紂王日輪を的にして射るに依つて身亡びたり、此の御夢想は権化の事なりとも能く能く思惟あるべきか、仍つて九牛の一毛註する所件の如し。 
 
諸法実相抄/文永十年五月五十二歳御作

 

問うて云く法華経の第一方便品に云く「諸法実相乃至本末究竟等」云云、此の経文の意如何、答えて云く下地獄より上仏界までの十界の依正の当体悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり依報あるならば必ず正報住すべし、釈に云く「依報正報常に妙経を宣ぶ」等云云、又云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」、又云く「阿鼻の依正は全く極聖の自心に処し、毘盧の身土は凡下の一念を逾えず」云云、此等の釈義分明なり誰か疑網を生ぜんや、されば法界のすがた妙法蓮華経の五字にかはる事なし、釈迦多宝の二仏と云うも妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時事相に二仏と顕れて宝塔の中にしてうなづき合い給ふ、かくの如き等の法門日蓮を除きては申し出す人一人もあるべからず、天台妙楽伝教等は心には知り給へども言に出し給ふまではなし胸の中にしてくらし給へり、其れも道理なり、付嘱なきが故に時のいまだいたらざる故に仏の久遠の弟子にあらざる故に、地涌の菩薩の中の上首唱導上行無辺行等の菩薩より外は、末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし、是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり、されば釈迦多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く「如来秘密神通之力」是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり、其の故は如来と云うは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏二仏三仏本仏迹仏の通号なり」と判じ給へり、此の釈に本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり、然れども迷悟の不同にして生仏異なるに依つて倶体倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり、さてこそ諸法と十界を挙げて実相とは説かれて候へ、実相と云うは妙法蓮華経の異名なり諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり、天台云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」と云云、此の釈の意は実相の名言は迹門に主づけ本有の妙法蓮華経と云うは本門の上の法門なり、此の釈能く能く心中に案じさせ給へ候へ。
日蓮末法に生れて上行菩薩の弘め給うべき所の妙法を先立て粗ひろめ、つくりあらはし給うべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏迹門宝塔品の時涌出し給う多宝仏涌出品の時出現し給ふ地涌の菩薩等を先作り顕はし奉る事、予が分斉にはいみじき事なり、日蓮をこそにくむとも内証にはいかが及ばん、さればかかる日蓮を此の嶋まで遠流しける罪無量劫にもきへぬべしとも覚へず、譬喩品に云く「若し其の罪を説かば劫を窮むるも尽きず」とは是なり、又日蓮を供養し又日蓮が弟子檀那となり給う事、其の功徳をば仏の智慧にてもはかり尽し給うべからず、経に云く「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」と云へり、地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや入りなまし、若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那地涌の流類に非ずや、経に云く「能く竊かに一人の為めに法華経の乃至一句を説かば当に知るべし是の人は則ち如来の使如来の所遣として如来の事を行ずるなり」と、豈に別人の事を説き給うならんや、されば余りに人の我をほむる時は如何様にもなりたき意の出来し候なり、是ほむる処の言よりをこり候ぞかし、末法に生れて法華経を弘めん行者は、三類の敵人有つて流罪死罪に及ばん、然れどもたえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞかたにかけせなかにをふべきぞ大善根の者にてあるぞ一切衆生のためには大導師にてあるべしと釈迦仏多宝仏十方の諸仏菩薩天神七代地神五代の神神鬼子母神十羅刹女四大天王梵天帝釈閻魔法王水神風神山神海神大日如来普賢文殊日月等の諸尊たちにほめられ奉る間、無量の大難をも堪忍して候なり、ほめられぬれば我が身の損ずるをもかへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをもしらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり。
いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、釈迦仏多宝仏十方の諸仏菩薩虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり、既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来に奉り給いし時、妙法蓮華経の旛をさし顕し、釈迦多宝の二仏大将としてさだめ給いし事あにいつはりなるべきや、併ら我等衆生を仏になさんとの御談合なり。
日蓮は其の座には住し候はねども経文を見候にすこしもくもりなし、又其の座にもやありけん凡夫なれば過去をしらず、現在は見へて法華経の行者なり又未来は決定として当詣道場なるべし、過去をも是を以て推するに虚空会にもやありつらん、三世各別あるべからず、此くの如く思ひつづけて候へば流人なれども喜悦はかりなしうれしきにもなみだつらきにもなみだなり涙は善悪に通ずるものなり彼の千人の阿羅漢仏の事を思ひいでて涙をながし、ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給へば、千人の阿羅漢の中の阿難尊者はなきながら如是我聞と答え給う、余の九百九十人はなくなみだを硯の水として、又如是我聞の上に妙法蓮華経とかきつけしなり、今日蓮もかくの如し、かかる身となるも妙法蓮華経の五字七字を弘むる故なり、釈迦仏多宝仏未来日本国の一切衆生のためにとどめをき給ふ処の妙法蓮華経なりと、かくの如く我も聞きし故ぞかし、現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあへず、鳥と虫とはなけどもなみだをちず、日蓮はなかねどもなみだひまなし、此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり、若しからば甘露のなみだとも云つべし、涅槃経には父母兄弟妻子眷属にはかれて流すところの涙は四大海の水よりもををしといへども、仏法のためには一滴をもこぼさずと見えたり、法華経の行者となる事は過去の宿習なり、同じ草木なれども仏とつくらるるは宿縁なるべし、仏なりとも権仏となるは又宿業なるべし。
此文には日蓮が大事の法門どもかきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給へ意得させ給うべし、一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへてあひかまへて信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経、恐恐謹言。
追申候、日蓮が相承の法門等前前かき進らせ候き、ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首上行等の四菩薩の変化か、さだめてゆへあらん、総じて日蓮が身に当ての法門わたしまいらせ候ぞ、日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん、南無妙法蓮華経と唱へて日本国の男女をみちびかんとおもへばなり、経に云く一名上行乃至唱導之師とは説かれ候はぬか、まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う、此の文あひかまへて秘し給へ、日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ、とどめ畢んぬ。
 
十八円満抄

 

問うて云く十八円満の法門の出処如何、答えて云く源蓮の一字より起れるなり、問うて云く此の事所釈に之を見たりや、答えて云く伝教大師の修禅寺相伝の日記に之在り此法門は当世天台宗の奥義なり秘すべし秘すべし。
問うて云く十八円満の名目如何、答えて云く一に理性円満二に修行円満三に化用円満四に果海円満五に相即円満六に諸教円満七に一念円満八に事理円満九に功徳円満十に諸位円満十一に種子円満十二に権実円満十三に諸相円満十四に俗諦円満十五に内外円満十六に観心円満十七に寂照円満十八に不思議円満[已上]。
問うて云く意如何、答えて云く此の事伝教大師の釈に云く次に蓮の五重玄とは蓮をば華因成果の義に名く、蓮の名は十八円満の故に蓮と名く、一に理性円満謂く万法悉く真如法性の実理に帰す実性の理に万法円満す故に理性を指して蓮と為す、二に修行円満謂く有相無相の二行を修して万行円満す故に修行を蓮と為す、三に化用円満謂く心性の本理に諸法の因分有り此の因分に由つて化他の用を具す故に蓮と名く、四に果海円満とは諸法の自性を尋ねて悉く本性を捨て無作の三身を成す法として無作の三身に非ること無し故に蓮と名く、五に相即円満謂く煩悩の自性全く菩提にして一体不二の故に蓮と為す、六に諸教円満とは諸仏の内証の本蓮に諸教を具足して更に闕減なきが故に、七に一念円満謂く根塵相対して一念の心起るに三千世間を具するが故に、八に事理円満とは一法の当体而二不二にして闕減無く具足するが故に、九に功徳円満謂く妙法蓮華経に万行の功徳を具して三力の勝能有るが故に、十に諸位円満とは但だ一心を点ずるに六即円満なるが故に、十一に種子円満とは一切衆生の心性に本より成仏の種子を具す権教は種子円満無きが故に皆成仏道の旨を説かず故に蓮の義無し、十二に権実円満謂く法華実証の時は実に即して而かも権権に即して而かも実権実相即して闕減無き故に円満の法にして既に三身を具するが故に諸仏常に法を演説す、十三に諸相円満謂く一一の相の中に皆八相を具して一切の諸法常に八相を唱う、十四に俗諦円満謂く十界百界乃至三千の本性常住不滅なり本位を動せず当体即理の故に、十五に内外円満謂く非情の外器に内の六情を具す有情数の中に亦非情を具す、余教は内外円満を説かざるが故に草木成仏すること能わず草木非成仏の故に亦蓮と名けず十六に観心円満とは六塵六作常に心相を観ず更に余義に非るが故に、十七に寂照円満とは文に云く法性寂然なるを止と名く寂にして而かも常に照すを観と名くと、十八に不思議円満謂く細しく諸法の自性を尋ねるに非有非無にして諸の情量を絶して亦三千三観並びに寂照等の相無く大分の深義本来不思議なるが故に名けて蓮と為るなり、此の十八円満の義を以て委く経意を案ずるに今経の勝能並に観心の本義良とに蓮の義に由る、二乗悪人草木等の成仏並びに久遠塵点等は蓮の徳を離れては余義有ること無し、座主の伝に云く玄師の正決を尋ねるに十九円満を以て蓮と名く所謂当体円満を加う、当体円満とは当体の蓮華なり謂く諸法自性清浄にして染濁を離るるを本より蓮と名く、一経の説に依るに一切衆生の心の間に八葉の蓮華有り男子は上に向い女人は下に向う、成仏の期に至れば設い女人なりと雖も心の間の蓮華速かに還りて上に向う、然るに今の蓮仏意に在るの時は本性清浄当体の蓮と成る若し機情に就いては此の蓮華譬喩の蓮と成る。
次に蓮の体とは体に於て多種有り、一には徳体の蓮謂く本性の三諦を蓮の体と為す、二には本性の蓮体三千の諸法本より已来当体不動なるを蓮の体と為す、三には果海真善の体一切諸法は本是れ三身にして寂光土に住す設い一法なりと雖も三身を離れざる故に三身の果を以て蓮の体と為す、四には大分真如の体謂く不変随縁の二種の真如を並びに証分の真如と名く本迹寂照等の相を分たず諸法の自性不可思議なるを蓮の体と為す。
次に蓮の宗とは果海の上の因果なり、和尚の云く六即の次位は妙法蓮華経の五字の中には正しく蓮の字に在り蓮門の五重玄の中には正しく蓮の字より起る、所以何ん理即は本性と名く本性の真如理性円満の故に理即を蓮と名け果海本性の解行証の位に住するを果海の次位と名く、智者大師自解仏乗の内証を以て明に経旨を見給うに蓮の義に於て六即の次位を建立し給えり故に文に云く此の六即の義は一家より起れりと、然るに始覚の理に依て在纒真如を指して理即と為し妙覚の証理を出纒真如と名く、正く出纒の為めに諸の万行を修するが故に法性の理の上の因果なり故に亦蓮の宗と名く蓮に六の勝能有り一には自性清浄にして泥濁に染まず[理即]、二には華台実の三種具足して減すること無し[名字即諸法即是れ三諦と解了するが故に]、三には初め種子より実を成ずるに至るまで華台実の三種相続して断ぜず[観行即念念相続して修し廃するなき故に]、四には華葉の中に在つて未熟の実真の実に似たり[相似即]、五には花開き蓮現ず[分真即]、六には花落ちて蓮成ず[究竟即]、此の義を以ての故に六即の深義は源蓮の字より出でたり。
次に蓮の用とは六即円満の徳に由つて常に化用を施すが故に。
次に蓮の教とは本有の三身果海の蓮性に住して常に浄法を説き八相成道し四句成利す、和尚云く証道の八相は無作三身の故に四句の成道は蓮教の処に在り只無作三身を指して本覚の蓮と為す、此の本蓮に住して常に八相を唱へ常に四句の成道を作す故なり[已上]、修禅寺相伝の日記之をみるに妙法蓮華経の五字に於て各各五重玄なり[蓮の字の五重玄義此くの如し余は之を略す]、日蓮案じて云く此の相伝の義の如くんば万法の根源、一心三観一念三千三諦六即境智の円融本迹の所詮源蓮の一字より起る者なり云云。
問うて云く総説の五重玄とは如何、答えて云く総説の五重玄とは妙法蓮華経の五字即五重玄なり、妙は名法は体蓮は宗華は用経は教なり、又総説の五重玄に二種有り一には仏意の五重玄二には機情の五重玄なり。
仏意の五重玄とは諸仏の内証に五眼の体を具する即ち妙法蓮華経の五字なり、仏眼は妙法眼は法慧眼は蓮天眼は華肉眼は経なり、妙は不思議に名く故に真空冥寂は仏眼なり、法は分別に名く法眼は仮なり分別の形なり、慧眼は空なり果の体は蓮なり、華は用なる故に天眼と名く神通化用なり、経は破迷の義に在り迷を以て所対と為す故に肉眼と名く、仏智の内証に五眼を具する即ち五字なり五字又五重玄なり故に仏智の五重玄と名く、亦五眼即五智なり、法界体性智は仏眼大円鏡智は法眼平等性智は慧眼妙観察智は天眼成所作智は肉眼なり、問う一家には五智を立つるや、答う既に九識を立つ故に五智を立つべし、前の五識は成所作智第六識は妙観察智第七識は平等性智第八識は大円鏡智第九識は法界体性智なり。
次に機情の五重玄とは機の為に説く所の妙法蓮華経は即ち是れ機情の五重玄なり首題の五字に付いて五重の一心三観有り、伝に云く、
妙不思議の一心三観天真独朗の故に不思議なり。
法円融の一心三観理性円融なり総じて九箇を成す。
蓮得意の一心三観果位なり。
華複疎の一心三観本覚の修行なり。
経易解の一心三観教談なり。
玄文の第二に此の五重を挙ぐ文に随つて解すべし、不思議の一心三観とは智者己証の法体理非造作の本有の分なり三諦の名相無き中に於て強いて名相を以つて説くを不思議と名く、円融とは理性法界の処に本より已来三諦の理有り互に円融して九箇と成る、得意とは不思議と円融との三観は凡心の及ぶ所に非ず但だ聖智の自受用の徳を以て量知すべき故に得意と名く、複疎とは無作の三諦は一切法に遍して本性常住なり理性の円融に同じからず故に複疎と名く、易解とは三諦円融等の義知り難き故に且らく次第に附して其の義を分別す故に易解と名く、此れを附文の五重と名く、次に本意に依て亦五重の三観有り、一に三観一心[入寂門の機]、二に一心三観[入照門の機]、三に住果還の一心三観上の機有りて知識の一切の法は皆是れ仏法なりと説くを聞いて真理を開す入真已後観を極めんが為に一心三観を修す、四に為果行因の一心三観謂く果位究竟の妙果を聞いて此の果を得んが為に種種の三観を修す、五に付法の一心三観五時八教等の種種の教門を聞いて此の教義を以て心に入れて観を修す故に付法と名く、山家の云く[塔中の言なり]亦立行相を授く三千三観の妙行を修し解行の精微に由つて深く自証門に入る我汝が証相を領するに法性寂然なるを止と名け寂にして常に照すを観と名くと。
問うて云く天真独朗の止観の時一念三千一心三観の義を立つるや、答えて云く両師の伝不同なり、座主の云く天真独朗とは一念三千の観是なり、山家師の云く一念三千而も指南と為す一念三千とは一心より三千を生ずるにも非ず一心に三千を具するにも非ず並立にも非ず次第にも非ず故に理非造作と名く、和尚の云く天真独朗に於ても亦多種有り乃至迹中に明す所の不変真如も亦天真なり、但し大師本意の天真独朗とは三千三観の相を亡し一心一念の義を絶す此の時は解無く行無し教行証の三箇の次第を経るの時行門に於て一念三千の観を建立す、故に十章の第七の処に於て始めて観法を明す是れ因果階級の意なり、大師内証の伝の中に第三の止観には伝転の義無しと云云、故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂にして実証の分に非ず、開元符州の玄師相伝に云く言を以て之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之を観ずる時は教証は行の体と成る証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ宛かも此の宗の本意立教の元旨なり和尚の貞元の本義源此れより出でたるなり。
問うて云く天真独朗の法滅後に於て何れの時か流布せしむべきや、答えて云く像法に於て弘通すべきなり、問うて云く末法に於て流布の法の名目如何、答えて云く日蓮の己心相承の秘法此の答に顕すべきなり所謂南無妙法蓮華経是なり、問うて云く証文如何、答えて云く神力品に云く「爾の時仏上行等の菩薩に告げたまわく要を以て之を言わば乃至宣示顕説す」云云、天台大師云く「爾時仏告上行の下は第三結要付属なり」又云く「経中の要説要は四事に在り総じて一経を結するに唯四ならくのみ其の枢柄を撮つて之を授与す」問うて云く今の文は上行菩薩等に授与するの文なり汝何んが故ぞ己心相承の秘法と云うや、答えて云く上行菩薩の弘通し給うべき秘法を日蓮先き立つて之を弘む身に当るの意に非ずや上行菩薩の代官の一分なり、所詮末法に入つて天真独朗の法門無益なり助行には用ゆべきなり正行には唯南無妙法蓮華経なり、伝教大師云く「天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時日本国に弘通す是れ豈時国相応の仏法に非ずや、末法に入つて天真独朗の法を弘めて正行と為さん者は必ず無間大城に墜ちんこと疑無し、貴辺年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う真実時国相応の智人なり総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし。
上に挙ぐる所の法門は御存知為りと雖も書き進らせ候なり、十八円満等の法門能く能く案じ給うべし並びに当体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等前前に書き進らせしが如く委くは修禅寺相伝日記の如し天台宗の奥義之に過ぐべからざるか、一心三観一念三千の極理は妙法蓮華経の一言を出でず敢て忘失すること勿れ敢て忘失すること勿れ、伝教大師云く「和尚慈悲有つて一心三観を一言に伝う」玄旨伝に云く「一言の妙旨なり一教の玄義なり」と云云、寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す何を以てか衆生をして無上道に入り速に仏身を成就することを得せしめん」と云云、毎自作是念の念とは一念三千生仏本有の一念なり、秘す可し秘す可し、恐恐謹言。 ( 弘安三年十一月三日 ) 
 
波木井三郎殿御返事/文永十年八月五十二歳御作

 

鎌倉に筑後房弁阿闍梨大進阿闍梨と申す小僧等之有り之を召して御尊び有る可し御談義有る可し大事の法門等粗ぼ申す、彼等は日本に未だ流布せざる大法少少之を有す随つて御学問注るし申す可きなり。
鳥跡飛び来れり不審の晴ること疾風の重雲を巻いて明月に向うが如し、但し此の法門当世の人上下を論ぜず信心を取り難し其の故は仏法を修行するは現世安穏後生善処等と云云、而るに日蓮法師法華経の行者と称すと雖も留難多し当に知るべし仏意に叶わざるか等云云、但し此の邪難先業の由御勘気を蒙るの後始めて驚く可きに非ず、其の故は法華経の文を見聞するに末法に入つて教の如く法華経を修行する者は留難多かる可きの由経文赫赫たり眼有らん者は之を見るか、所謂法華経の第四に云く「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云又云く「諸の無智の人の悪口罵詈等し刀杖瓦礫を加うる有らん」等云云、又云く「悪世の中の比丘」等云云、又云く「或は阿蘭若に納衣にして空閑に在る有らん乃至白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん」等云云、又云く「常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲する故に国王大臣波羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説かん」等云云、又云く「悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん」等云云、又云く「数数擯出せらる」等云云、大涅槃経に云く「一闡提羅漢の像を作し空閑の処に住し方等大乗経典を誹謗すること有るを諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢なり是れ大菩薩なりと謂わん」等云云、又云く「正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし持律に似像して少しく経を読誦し飲食を貪嗜し其の身を長養し乃至袈裟を服すと雖も猶猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠を伺ふが如し」等云云、又般泥・経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有り、乃至」等云云、予此の明鏡を捧げ持つて日本国に引き向けて之を浮べたるに一分も陰れ無し惑有阿蘭若納衣在空閑とは何人ぞや為世所恭敬如六通羅漢とは又何人ぞや、諸凡夫見已皆謂真阿羅漢是大菩薩とは此れ又誰ぞや、持律少読誦経とは又如何、是の経文の如く仏仏眼を以て末法の始を照見したまい当世に当つて此等の人人無くんば世尊の謬乱なり、此の本迹二門と雙林の常住と誰人か之を信用せん今日蓮仏語の真実を顕さんが為日本に配当して此の経を読誦するに或有阿蘭若住於空処等と云うは、建長寺寿福寺極楽寺建仁寺東福寺等の日本国の禅律念仏等の寺寺なり、是等の魔寺は比叡山等の法華天台等の仏寺を破せん為に出来するなり、納衣持律等とは当世の五七九の袈裟を着たる持斎等なり、為世所恭敬是大菩薩とは道隆良観聖一等なり、世と云うは当世の国主等なり、有諸無智人諸凡夫人等とは日本国中の上下万人なり、日蓮凡夫たる故に仏教を信ぜず但し此の事に於ては水火の如く手に当てて之を知れり、但し法華経の行者有らば悪口罵詈刀杖擯出等せらる可し云云、此の経文を以て世間に配当するに一人も之れ無し誰を以てか法華経の行者と為さん敵人は有りと雖も法華経の持者は無し、譬えば東有つて西無く天有つて地無きが如し仏語妄説と成るを如何、予自讃に似たりと雖も之を勘え出して仏語を扶持す所謂日蓮法師是なり、其の上仏不軽品に自身の過去の現証を引いて云く爾の時に一りの菩薩有り常不軽と名く等云云、又云く悪口罵詈等せらる、又云く或は杖木瓦石を以て之を打擲す等云云、釈尊我が因位の所行を引き載せて末法の始を勧励したもう不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて忽に妙覚の極位に登らせたまいぬ、日蓮此の経の故に現身に刀杖を被むり二度遠流に当る当来の妙果之を疑う可しや、如来の滅後に四依の大士正像に出世して此の経を弘通したもうの時にすら猶留難多し、所謂付法蔵第二十の提婆菩薩第二十五の師子尊者等或は命を断たれ頚を刎らる、第八の仏駄密多第十三の竜樹菩薩等は赤き旛を捧げ持ちて七年十二年王の門前に立てり、竺の道生は蘇山に流され法祖は害を加えられ法道三蔵は面に火印を捺され、慧遠法師は呵責せられ天台大師は南北の十師に対当し、伝教大師は六宗の邪見を破す、此等は皆王の賢愚に当るに依つて用取有るのみ敢て仏意に叶わざるに非ず正像猶以て是くの如し何に況や末法に及ぶにおいてをや、既に法華経の為に御勘気を蒙れば幸の中の幸なり瓦礫を以て金銀に易ゆるとは是なり、但し歎くらくは仁王経に云く「聖人去る時七難必ず起る」等云云、七難とは所謂大旱魃大兵乱等是なり、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行われず」等云云、愛悪人とは誰人ぞや上に挙ぐる所の諸人なり治罰善人とは誰人ぞや上に挙ぐる所の数数見擯出の者なり、星宿とは此の二十余年の天変地夭等是なり、経文の如くならば日蓮を流罪するは国土滅亡の先兆なり、其の上御勘気已前に其の由之を勘え出す所謂立正安国論是なり誰か之を疑わん之を以て歎と為す、但し仏滅後今に二千二百二十二年なり、正法一千年には竜樹天親等仏の御使と為て法を弘む然りと雖も但小権の二教を弘通して実大乗をば未だ之を弘通せず像法に入つて五百年に天台大師漢土に出現して南北の邪義を破失して正義を立てたもう、所謂教門の五時観門の一念三千是なり、国を挙げて小釈迦と号す、然りと雖も円定円慧に於ては之を弘宣して円戒は未だ之を弘めず、仏滅後一千八百年に入りて日本の伝教大師世に出現して欽明より已来二百余年の間六宗の邪義之を破失す、其の上天台の未だ弘めたまわざる円頓戒之を弘宣したもう所謂叡山円頓の大戒是なり、但し仏滅後二千余年三朝の間数万の寺々之有り、然りと雖も本門の教主の寺塔地涌千界の菩薩の別に授与したもう所の妙法蓮華経の五字未だ之を弘通せず弘むべしと云う経文は有つて国土には無し時機の未だ至らざる故か、仏記して云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布し閻浮提に於いて断絶せしむること無けん」等云云、天台記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」等云云、伝教大師記して云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」等云云、此れ等の経釈は末法の始を指し示すなり、外道記して云く「我が滅後一百年に当つて仏世に出でたもう」と云云、儒家に記して云く「一千年の後仏法漢土に渡る」等云云、是くの如き凡人の記文すら尚以て符契の如し況や伝教天台をや何に況や釈迦多宝の金口の明記をや、当に知るべし残る所の本門の教主妙法の五字一閻浮提に流布せんこと疑無き者か、但し日蓮法師に度度之を聞きける人人猶此の大難に値つての後之を捨つるか、貴辺は之を聞きたもうこと一両度一時二時か然りと雖も未だ捨てたまわず御信心の由之を聞く偏えに今生の事に非じ、妙楽大師の云く「故に知んぬ末代一時聞くことを得聞き已つて信を生ずること宿種なるべし」等云云、又云く「運像末に居し此の真文を矚る妙因を植えたるに非ざるよりは実に遇い難しと為す」等云云、法華経に云く「過去に十万億の仏を供養せん人人間に生れて此の法華を信ぜん」又涅槃経に云く「熈連一恒供養の人此の悪世に生れて此の経を信ぜん」等云云〔取意〕、阿闍世王は父を殺害し母を禁固せし悪人なり、然りと雖も涅槃経の座に来つて法華経を聴聞せしかば現世の悪瘡を治するのみに非ず四十年の寿命を延引したまい結句は無根初住の仏記を得たり、提婆達多は閻浮第一の一闡提の人一代聖教に捨て置かれしかども此の経に値い奉りて天王如来の記・を授与せらる彼を以て之を推するに末代の悪人等の成仏不成仏は罪の軽重に依らず但此経の信不信に任す可きのみ、而るに貴辺は武士の家の仁昼夜殺生の悪人なり、家を捨てずして此所に至つて何なる術を以てか三悪道を脱る可きか、能く能く思案有る可きか、法華経の心は当位即妙不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり、天台の云く「他経は但善に記して悪に記せず今経は皆記す」等云云、妙楽の云く「唯円教の意は逆即是順なり自余の三教は逆順定まるが故に」等云云、爾前分分の得道有無の事之を記す可しと雖も名目を知る人に之を申すなり、然りと雖も大体之を教る弟子之れ有り此の輩等を召して粗之を聞くべし、其の時之を記し申す可し、恐恐謹言。 
 
松野殿御返事

 

鵞目一結白米一駄白小袖一送り給畢ぬ、抑も此の山と申すは南は野山漫漫として百余里に及べり、北は身延山高く峙ちて白根が嶽につづき西には七面と申す山峨峨として白雪絶えず、人の住家一宇もなし、適ま問いくる物とては梢を伝ふ・猴なれば少も留まる事なく還るさ急ぐ恨みなる哉、東は富士河漲りて流沙の浪に異ならず、かかる所なれば訪う人も希なるに加様に度度音信せさせ給ふ事不思議の中の不思議なり。
実相寺の学徒日源は日蓮に帰伏して所領を捨て弟子檀那に放され御座て我身だにも置き処なき由承り候に日蓮を訪い衆僧を哀みさせ給う事誠の道心なり聖人なり、已に彼の人は無雙の学生ぞかし然るに名聞名利を捨てて某が弟子と成りて我が身には我不愛身命の修行を致し仏の御恩を報ぜんと面面までも教化申し此くの如く供養等まで捧げしめ給う事不思議なり、末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧比丘尼は名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事譬えば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来るを見ていがみほへ食合が如くなるべしと云う心なり、是くの如きの僧尼は皆皆悪道に堕すべきなり、此学徒日源は学生なれば此の文をや見させ給いけん、殊の外に僧衆を訪ひ顧み給う事誠に有り難く覚え候。
御文に云く此の経を持ち申して後退転なく十如是自我偈を読み奉り題目を唱へ申し候なり、但し聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり、但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり、此の経の修行に重重のしなあり其大概を申せば記の五に云く「悪の数を明かすことをば今の文には説不説と云ふのみ」、有る人此れを分つて云く「先きに悪因を列ね次ぎに悪果を列ぬ悪の因に十四あり一に・慢二に懈怠三に計我四に浅識五に著欲六に不解七に不信八に顰蹙九に疑惑十に誹謗十一に軽善十二に憎善十三に嫉善十四に恨善なり」此の十四誹謗は在家出家に亘るべし恐る可し恐る可し、過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり、法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてかくの如く礼拝し給う何に況や持てる在家出家の者をや、此の経の四の巻には「若しは在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり」と見へたり、或は「若実若不実」とも説かれたり、之れを以つて之れを思ふに忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり。
加様に心得て唱うる題目の功徳は釈尊の御功徳と等しかるべし、釈に云く阿鼻の依正は全く極聖の自身に処し毘盧の身土は凡下の一念を逾えず云云、十四誹謗の心は文に任せて推量あるべし、加様に法門を御尋ね候事誠に後世を願はせ給う人か能く是の法を聴く者は斯の人亦復難しとて此経は正き仏の御使世に出でずんば仏の御本意の如く説く事難き上、此の経のいはれを問い尋ねて不審を明らめ能く信ずる者難かるべしと見えて候、何に賎者なりとも少し我れより勝れて智慧ある人には此の経のいはれを問い尋ね給うべし、然るに悪世の衆生は我慢偏執名聞名利に著して彼れが弟子と成るべきか彼れに物を習はば人にや賎く思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候、法師品には「人有りて八十億劫の間無量の宝を尽して仏を供養し奉らん功徳よりも法華経を説かん僧を供養して後に須臾の間も此の経の法門を聴聞する事あらば我れ大なる利益功徳を得べしと悦ぶべし」と見えたり、無智の者は此の経を説く者に使れて功徳をうべし、何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし。
此の三位房は下劣の者なれども少分も法華経の法門を申す者なれば仏の如く敬いて法門を御尋ねあるべし、依法不依人此れを思ふべし、されば昔独りの人有りて雪山と申す山に住み給き其の名を雪山童子と云う、蕨をおり菓を拾いて命をつぎ鹿の皮を著物とこしらへ肌をかくし閑に道を行じ給いき、此の雪山童子おもはれけるは倩世間を観ずるに生死無常の理なれば生ずる者は必ず死す、されば憂世の中のあだはかなき事譬ば電光の如く朝露の日に向ひて消るに似たり、風の前の灯の消へやすく芭蕉の葉の破やすきに異ならず、人皆此の無常を遁れず終に一度は黄泉の旅に趣くべし、然れば冥途の旅を思うに闇闇としてくらければ日月星宿の光もなく、せめて灯燭とてともす火だにもなし、かかる闇き道に又ともなふ人もなし、娑婆にある時は親類兄弟妻子眷属集りて父は慈みの志高く母は悲しみの情深く、夫婦は海老同穴の契りとて大海にあるえびは同じ畜生ながら夫妻ちぎり細かに、一生一処にともなひて離れ去る事なきが如く鴛鴦の衾の下に枕を並べて遊び戯る中なれども彼の冥途の旅には伴なふ事なし、冥冥として独り行く誰か来りて是非を訪はんや、或は老少不定の境なれば老いたるは先立若きは留まる是れは順次の道理なり歎きの中にもせめて思いなぐさむ方も有りぬべし、老いたるは留まり若きは先立つされば恨の至つて恨めしきは幼くして親に先立つ子、嘆きの至つて歎かしきは老いて子を先立つる親なり、是くの如く生死無常老少不定の境あだにはかなき世の中に但昼夜に今生の貯をのみ思ひ朝夕に現在の業をのみなして、仏をも敬はず法をも信ぜず無行無智にして徒らに明し暮して、閻魔の庁庭に引き迎へられん時は何を以つてか資糧として三界の長途を行き、何を以て船筏として生死の曠海を渡りて実報寂光の仏土に至らんやと思ひ、迷へば夢覚れば寤しかじ夢の憂世を捨てて寤の覚りを求めんにはと思惟し、彼の山に篭りて観念の牀の上に妄想顛倒の塵を払ひ偏に仏法を求め給う所に。
帝釈遥に天より見下し給いて思し食さるる様は、魚の子は多けれども魚となるは少なく菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし、人も又此くの如し菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入る者は少し、都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ事にふれて移りやすき物なり、鎧を著たる兵者は多けれども戦に恐れをなさざるは少なきが如し、此の人の意を行て試みばやと思いて帝釈鬼神の形を現じ童子の側に立ち給う、其の時仏世にましまさざれば雪山童子普く大乗経を求むるに聞くことあたはず、時に諸行無常是生滅法と云う音ほのかに聞ゆ、童子驚き四方を見給うに人もなし但鬼神近付て立ちたり、其の形けはしくをそろしくて頭のかみは炎の如く口の歯は剣の如く目を瞋らして雪山童子をまほり奉る、此れを見るにも恐れず偏に仏法を聞かん事を喜び怪しむ事なし、譬えば母を離れたるこうしほのかに母の音を聞きつるが如し、此事誰か誦しつるぞいまだ残の語あらんとて普ねく尋ね求るに更に人もなければ、若しも此の語は鬼神の説きつるかと疑へどもよもさもあらじと思ひ彼の身は罪報の鬼神の形なり此の偈は仏の説き給へる語なり、かかる賎き鬼神の口より出づべからずとは思へども、亦殊に人もなければ若し此の語汝が説きつるかと問へば、鬼神答て云う我れに物な云いそ食せずして日数を経ぬれば飢え疲れて正念を覚えず、既にあだごと云いつるならん我うつける意にて云へば知る事もあらじと答ふ、童子の云く我れは此の半偈を聞きつる事半なる月を見るが如く半なる玉を得るに似たり、慥に汝が語なり願くは残れる偈を説き給へとのたまふ、鬼神の云く汝は本より悟あれば聞かずとも恨は有るべからず吾は今飢に責められたれば物を云うべき力なし都て我に向いて物な云いそと云う、童子猶物を食ては説かんやと問う、鬼神答て食ては説きてんと云う、童子悦びてさて何物をか食とするぞと問へば、鬼神の云く汝更に問うべからず此れを聞きては必ず恐を成さん、亦汝が求むべき物にもあらずと云へば童子猶責めて問い給はく其の物をとだにも云はば心みにも求めんとの給えば鬼神の云く我れ但人の和らかなる肉を食し人のあたたかなる血を飲む、空を飛び普ねく求れども人をば各守り給う仏神ましませば心に任せて殺しがたし、仏神の捨て給う衆生を殺して食するなりと云う、其時雪山童子の思い給はく我れ法の為に身を捨て此の偈を聞き畢らんと思いて、汝が食物ここに有り外に求むべきにあらず、我が身いまだ死せず其の肉あたたかなり我が身いまだ寒ず其の血あたたかならん、願くは残の偈を説き給へ此の身を汝に与えんと云う、時に鬼神大に瞋て云く誰か汝が語を実とは憑むべき、聞いて後には誰をか証人として糾さんと云う、雪山童子の云く此の身は終に死すべし徒に死せん命を法の為に投げばきたなくけがらはしき身を捨てて後生は必ず覚りを開き仏となり清妙なる身を受くべし、土器を捨てて宝器に替るが如くなるべし、梵天帝釈四大天王十方の諸仏菩薩を皆証人とせん我れ更に偽るべからずとの給えり、其の時鬼神少し和で若し汝が云う処実ならば偈を説かんと云う其の時雪山童子大に悦んで身に著たる鹿の皮を脱いで法座に敷頭を地に付け掌を合せ跪き、但願くは我が為に残の偈を説き給へと云うて至心に深く敬い給ふ、さて法座に登り鬼神偈を説いて云く生滅滅已寂滅為楽と此の時雪山童子是を聞き悦び貴み給う事限なく後生までも忘れじと度度誦して深く其の心にそめ、悦ばしき処はこれ仏の説き給へるにも異ならず歎かわ敷き処は我れ一人のみ聞きて人の為に伝へざらん事をと深く思いて石の上壁の面路の辺の諸木ごとに此の偈を書き付け願くは後に来らん人必ず此の文を見其の義理をさとり実の道に入れと云い畢つて、即高き木に登りて鬼神の前に落ち給へり、いまだ地に至らざるに鬼神俄に帝釈の形と成りて雪山童子の其身を受取りて平かなる所にすえ奉りて恭敬礼拝して云く我れ暫く如来の聖教を惜みて試に菩薩の心を悩し奉るなり、願くは此の罪を許して後世には必ず救ひ給へと云ふ、一切の天人又来りて善哉善哉実に是れ菩薩なりと讃め給ふ、半偈の為めに身を投げて十二劫生死の罪を滅し給へり此の事涅槃経に見えたり、然れば雪山童子の古を思へば半偈の為に猶命を捨て給ふ、何に況や此の経の一品一巻を聴聞せん恩徳をや何を以てか此れを報ぜん、尤も後生を願はんには彼の雪山童子の如くこそあらまほしくは候へ、誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば我が身命を捨て仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。
とても此の身は徒に山野の土と成るべし惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず人久しといえども百年には過ず其の間の事は但一睡の夢ぞかし、受けがたき人身を得て適ま出家せる者も仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし法師と云う名字をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし、迹門には「我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ」ととき本門には「自ら身命を惜まず」ととき涅槃経には「身は軽く法は重し身を死して法を弘む」と見えたり、本迹両門涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり、此等の禁を背く重罪は目には見えざれども積りて地獄に堕つる事譬ば寒熱の姿形もなく眼には見えざれども、冬は寒来りて草木人畜をせめ夏は熱来りて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。
然るに在家の御身は但余念なく南無妙法蓮華経と御唱えありて僧をも供養し給うが肝心にて候なり、それも経文の如くならば随力演説も有るべきか、世の中ものうからん時も今生の苦さへかなしし、況や来世の苦をやと思し食しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合せて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり、信心弱くしてはかかる目出たき所に行くべからず行くべからず、不審の事をば尚尚承はるべく候、穴賢穴賢。 ( 建治二年丙子十二月九日 ) 
 
松野殿後家尼御前御返事

 

法華経第五の巻安楽行品に云く文殊師利此法華経は無量の国の中に於て乃至名字をも聞くことを得べからず云云、此の文の心は我等衆生の三界六道に輪回せし事は或は天に生れ或は人に生れ或は地獄に生れ或は餓鬼に生れ畜生に生れ無量の国に生をうけて無辺の苦しみをうけてたのしみにあひしかども一度も法華経の国には生ぜず、たまたま生れたりといへども南無妙法蓮華経と唱へず、となふる事はゆめにもなし人の申すをも聞かず、仏のたとへを説かせ給うに一眼の亀の浮木の穴に値いがたきにたとへ給うなり、心は大海の中に八万由旬の底に亀と申す大魚あり、手足もなくひれもなし腹のあつき事はくろがねのやけるがごとし、せなかのこうのさむき事は雪山ににたり、此の魚の昼夜朝暮のねがひ時時剋剋の口ずさみには腹をひやしこうをあたためんと思ふ、赤栴檀と申す木をば聖木と名つく人の中の聖人なり、余の一切の木をば凡木と申す愚人の如し、此の栴檀の木は此の魚の腹をひやす木なり、あはれ此の木にのぼりて腹をば穴に入れてひやしこうをば天の日にあてあたためばやと申すなり、自然のことはりとして千年に一度出る亀なり、しかれども此の木に値事かたし、大海は広し亀はちいさし浮木はまれなり、たとひよのうききにはあへども栴檀にはあはず、あへども亀の腹をえりはめたる様にがい分に相応したる浮木の穴にあひがたし我が身をち入りなばこうをもあたためがたし誰か又とりあぐべき、又穴せばくして腹を穴に入れえずんば波にあらひをとされて大海にしづみなむ、たとひ不思議として栴檀の浮木の穴にたまたま行きあへども我一眼のひがめる故に浮木西にながるれば東と見る故にいそいでのらんと思いておよげば弥弥とをざかる、東に流るを西と見る南北も又此くの如し云云、浮木にはとをざかれども近づく事はなし、是の如く無量無辺劫にも一眼の亀の浮木の穴にあひがたき事を仏説き給へり、此の喩をとりて法華経にあひがたきに譬ふ、設ひあへどもとなへがたき題目の妙法の穴にあひがたき事を心うべきなり、大海をば生死の苦海なり亀をば我等衆生にたとへたり、手足のなきをば善根の我等が身にそなはらざるにたとへ、腹のあつきをば我等が瞋恚の八熱地獄にたとへ背のこうのさむきをば貧欲の八寒地獄にたとへ千年大海の底にあるをば我等が三悪道に堕ちて浮びがたきにたとへ、千年に一度浮ぶをば三悪道より無量劫に一度人間に生れて釈迦仏の出世にあひがたきにたとう、余の松木ひの木の浮木にはあひやすく栴檀にはあひがたし、一切経には値いやすく法華経にはあひがたきに譬へたり、たとひ栴檀には値うとも相応したる穴にあひがたきに喩うるなり、設ひ法華経には値うとも肝心たる南無妙法蓮華経の五字をとなへがたきにあひたてまつる事のかたきにたとう、東を西と見北を南と見る事をば我れ等衆生かしこがほに智慧有る由をして勝を劣と思ひ劣を勝と思ふ、得益なき法をば得益あると見る機にかなはざる法をば機にかなう法と云う、真言は勝れ法華経は劣り真言は機にかなひ法華経は機に叶はずと見る是なり。
されば思いよらせ給へ仏月氏国に出でさせ給いて一代聖教を説かせ給いしに四十三年と申せしに始めて法華経を説かせ給ふ、八箇年が程一切の御弟子皆如意宝珠のごとくなる法華経を持ち候き、然れども日本国と天竺とは二十万里の山海をへだてて候しかば法華経の名字をだに聞くことなかりき、釈尊御入滅ならせ給いて一千二百余年と申せしに漢土へ渡し給ふ、いまだ日本国へは渡らず、仏滅後一千五百余年と申すに日本国の第三十代欽明天皇と申せし御門の御時百済国より始めて仏法渡る、又上宮太子と申せし人唐土より始めて仏法渡させ給いて其れより以来今に七百余年の間一切経並に法華経はひろまらせ給いて、上一人より下万人に至るまで心あらむ人は法華経を一部或は一巻或は一品持ちて或は父母の孝養とす、されば我等も法華経を持つと思う、しかれども未だ口に南無妙法蓮華経とは唱へず信じたるに似て信ぜざるが如し、譬えば一眼の亀のあひがたき栴檀の聖木にはあいたれどもいまだ亀の腹を穴に入れざるが如し、入れざればよしなし須臾に大海にしづみなん、我が朝七百余年の間此の法華経弘まらせ給いて或は読む人或は説く人或は供養せる人或は持つ人稲麻竹葦よりも多し、然れどもいまだ阿弥陀の名号を唱うるが如く南無妙法蓮華経とすすむる人もなく唱うる人もなし、一切の経一切の仏の名号を唱うるは凡木にあうがごとし、未だ栴檀ならざれば腹をひやさず日天ならざれば甲をもあたためず、但目をこやし心を悦ばしめて実なし華さいて菓なく言のみ有りてしわざなし。
但日蓮一人ばかり日本国に始めて是を唱へまいらする事、去ぬる建長五年の夏のころより今に二十余年の間昼夜朝暮に南無妙法蓮華経と是を唱うる事は一人なり、念仏申す人は千万なり、予は無縁の者なり念仏の方人は有縁なり高貴なり、然れども師子の声には一切の獣声を失ふ虎の影には犬恐る、日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし、法華経のなき所にこそ弥陀念仏はいみじかりしかども南無妙法蓮華経の声出来しては師子と犬と日輪と星との光くらべのごとし、譬えば鷹と雉とのひとしからざるがごとし、故に四衆とりどりにそねみ上下同くにくむ讒人国に充満して奸人土に多し故に劣を取りて勝をにくむ、譬えば犬は勝れたり師子をば劣れり星をば勝れ日輪をば劣るとそしるが如し然る間邪見の悪名世上に流布しややもすれば讒訴し或は罵詈せられ或は刀杖の難をかふる或は度度流罪にあたる、五の巻の経文にすこしもたがはず、さればなむだ左右の眼にうかび悦び一身にあまれり。
ここに衣は身をかくしがたく食は命をささへがたし、例せば蘇武が胡国にありしに雪を食として命をたもつ、伯夷は首陽山にすみし蕨ををりて身をたすく父母にあらざれば誰か問うべき三宝の御助にあらずんばいかでか一日片時も持つべき未だ見参にも入らず候人のかやうに度度御をとづれのはんべるはいかなる事にやあやしくこそ候へ、法華経の第四の巻には釈迦仏凡夫の身にいりかはらせ給いて法華経の行者をば供養すべきよしを説かれて候、釈迦仏の御身に入らせ給い候か又過去の善根のもよをしか、竜女と申す女人は法華経にて仏に成りて候へば末代に此の経を持ちまいらせん女人をまほらせ給うべきよし誓わせ給いし、其の御ゆかりにて候か、貴し貴し。 ( 弘安二年己卯三月二十六日 ) 
 
刑部左衛門尉女房御返事

 

今月飛来の雁書に云く此の十月三日母にて候もの十三年に相当れり銭二十貫文等云云、夫外典三千余巻には忠孝の二字を骨とし内典五千余巻には孝養を眼とせり、不孝の者をば日月も光ををしみ地神も瞋をなすと見へて候、或経に云く六道の一切衆生仏前に参り集りたりしに仏彼れ等が身の上の事を一一に問い給いし中に仏地神に汝大地より重きものありやと問い給いしかば地神敬んで申さく大地より重き物候と申す、仏の曰くいかに地神偏頗をば申すぞ此の三千大千世界の建立は皆大地の上にそなわれり、所謂須弥山の高さは十六万八千由旬横は三百三十六万里なり大海は縦横八万四千由旬なり、其の外の一切衆生草木等は皆大地の上にそなわれり、此れを持てるが大地より重き物有らんやと問い給いしかば、地神答て云く仏は知食しながら人に知らせんとて問い給うか、我地神となること二十九劫なり其の間大地を頂戴して候に頚も腰も痛むことなし、虚空を東西南北へ馳走するにも重きこと候はず、但不孝の者のすみ候所が身にあまりて重く候なり、頚もいたく腰もおれぬべく膝もたゆく足もひかれず眼もくれ魂もぬけべく候、あわれ此の人の住所の大地をばなげすてばやと思う心たびたび出来し候へば不孝の者の住所は常に大地ゆり候なり、されば教主釈尊の御いとこ提婆達多と申せし人は閻浮提第一の上臈王種姓なり、然れども不孝の人なれば我等彼の下の大地を持つことなくして大地破れて無間地獄に入り給いき、我れ等が力及ばざる故にて候と、かくの如く地神こまごまと仏に申し上げ候しかば仏はげにもげにもと合点せさせ給いき、又仏歎いて云く我が滅後の衆生の不孝ならん事提婆にも過ぎ瞿伽利にも超えたるべし等云云取意、涅槃経に末代悪世に不孝の者は大地微塵よりも多く孝養の者は爪上の土よりもすくなからんと云云。
今日蓮案じて云く此の経文は殊にさもやとをぼへ候、父母の御恩は今初めて事あらたに申すべきには候はねども母の御恩の事殊に心肝に染みて貴くをぼへ候、飛鳥の子をやしなひ地を走る獣の子にせめられ候事目もあてられず魂もきえぬべくをぼへ候、其につきても母の御恩忘れがたし、胎内に九月の間の苦み腹は鼓をはれるが如く頚は針をさげたるが如し、気は出づるより外に入る事なく色は枯れたる草の如し、臥ば腹もさけぬべし坐すれば五体やすからず、かくの如くして産も既に近づきて腰はやぶれてきれぬべく眼はぬけて天に昇るかとをぼゆ、かかる敵をうみ落しなば大地にもふみつけ腹をもさきて捨つべきぞかし、さはなくして我が苦を忍びて急ぎいだきあげて血をねぶり不浄をすすぎて胸にかきつけ懐きかかへて三箇年が間慇懃に養ふ、母の乳をのむ事一百八十斛三升五合なり、此乳のあたひは一合なりとも三千大千世界にかへぬべし、されば乳一升のあたひを・へて候へば米に当れば一万一千八百五十斛五升稲には二万一千七百束に余り布には三千三百七十段なり、何に況や一百八十斛三升五合のあたひをや、他人の物は銭の一文米一合なりとも盗みぬればろうのすもりとなり候ぞかし、而るを親は十人の子をば養へども子は一人の母を養ふことなし、あたたかなる夫をば懐きて臥せどもこごへたる母の足をあたたむる女房はなし、給孤独園の金鳥は子の為に火に入り・尸迦夫人は夫の為に父を殺す、仏の云く父母は常に子を念へども子は父母を念はず等云云、影現王の云く父は子を念ふといえども子は父を念はず等是れなり、設ひ又今生には父母に孝養をいたす様なれども後生のゆくへまで問う人はなし母の生てをはせしには心には思はねども一月に一度一年に一度は問いしかども死し給いてより後は初七日より二七日乃至第三年までは人目の事なれば形の如く問い訪ひ候へども、十三年四千余日が間の程はかきたえ問う人はなし、生てをはせし時は一日片時のわかれをば千万日とこそ思はれしかども十三年四千余日の程はつやつやをとづれなし如何にきかまほしくましますらん夫外典の孝経には唯今生の孝のみををしへて後生のゆくへをしらず身の病をいやして心の歎きをやめざるが如し内典五千余巻には人天二乗の道に入れていまだ仏道へ引導する事なし。
夫目連尊者の父をば吉占師子母をば青提女と申せしなり、母死して後餓鬼道に堕ちたり、しかれども凡夫の間は知る事なし、証果の二乗となりて天眼を開きて見しかば母餓鬼道に堕ちたりき、あらあさましやといふ計りもなし、餓鬼道に行きて飯をまいらせしかば纔に口に入るかと見えしが飯変じて炎となり口はかなへの如く飯は炭をおこせるが如し、身は灯炬の如くもえあがりしかば神通を現じて水を出だして消す処に水変じて炎となり弥火炎のごとくもゑあがる、目連自力には叶はざる間仏の御前に走り参り申してありしかば、十方の聖僧を供養し其の生飯を取りて纔に母の餓鬼道の苦をば救い給へる計りなり釈迦仏は御誕生の後七日と申せしに母の摩耶夫人にをくれまいらせましましき、凡夫にてわたらせ給へば母の生処を知しめすことなし、三十の御年に仏にならせ給いて父浄飯王を現身に教化して証果の羅漢となし給ふ、母の御ためには・利天に昇り給いて摩耶経を説き給いて父母を阿羅漢となしまいらせ給いぬ、此れ等をば爾前の経経の人人は孝養の二乗孝養の仏とこそ思い候へども、立ち還つて見候へば不孝の声聞不孝の仏なり、目連尊者程の聖人が母を成仏の道に入れ給はず、釈迦仏程の大聖の父母を二乗の道に入れ奉りて永不成仏の歎きを深くなさせまいらせ給いしをば、孝養とや申す、べき不孝とや云うべき、而るに浄名居士目連を毀て云く六師外道が弟子なり等云云、仏自身を責めて云く我則ち慳貪に堕ちなん此の事は為めて不可なり等云云、然らば目連は知らざれば科浅くもやあるらん、仏は法華経を知ろしめしながら生てをはする父に惜み死してまします母に再び値い奉りて説かせ給はざりしかば大慳貪の人をばこれより外に尋ぬべからず。
つらつら事の心を案ずるに仏は二百五十戒をも破り十重禁戒をも犯し給う者なり、仏法華経を説かせ給はずば十方の一切衆生を不孝に堕し給ふ大科まぬかれがたし、故に天台大師此の事を宣べて云く「過則ち仏に属す」云云、有人云く是れ十方三世の御本誓に違背し衆生を欺誑すること有るなり等云云、夫四十余年の大小顕密の一切経並に真言華厳三論法相倶舎成実律浄土禅宗等の仏菩薩二乗梵釈日月及び元祖等は法華経に随ふ事なくば何なる孝養をなすとも我則堕慳貪の科脱るべからず、故に仏本願に趣いて法華経を説き給いき、而るに法華経の御座には父母ましまさざりしかば親の生れてまします方便土と申す国へ贈り給て候なり、其の御言に云く「而かも彼の土に於いて仏の智慧を求めて是の経を聞くことを得ん」等云云、此の経文は智者ならん人人は心をとどむべし、教主釈尊の父母の御ために説かせ給いて候経文なり、此の法門は唯天台大師と申せし人計りこそ知りてをはし候ひけれ、其の外の諸宗の人人知らざる事なり、日蓮が心中に第一と思ふ法門なり。
父母に御孝養の意あらん人人は法華経を贈り給べし、教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給いて候、日蓮が母存生しておはせしに仰せ候し事をもあまりにそむきまいらせて候しかば、今をくれまいらせて候があながちにくやしく覚へて候へば一代聖教を・へて母の孝養を仕らんと存じ候間、母の御訪い申させ給う人人をば我が身の様に思ひまいらせ候へば、あまりにうれしく思ひまいらせ候間あらあらかきつけて申し候なり、定めて過去聖霊も忽に六道の垢穢を離れて霊山浄土へ御参り候らん、此の法門を知識に値わせ給いて度度きかせ給うべし、日本国に知る人すくなき法門にて候ぞ、くはしくは又又申すべく候、恐恐謹言。
 
妙法比丘尼御返事

 

御文に云くたふかたびら(太布帷)一つあによめにて候女房のつたうと云云、又おはりの次郎兵衛殿六月二十二日に死なせ給うと云云。
付法蔵経と申す経は仏我が滅後に我が法を弘むべきやうを説かせ給いて候、其の中に我が滅後正法一千年が間次第に使をつかはすべし、第一は迦葉尊者二十年第二は阿難尊者二十年第三は商那和修二十年乃至第二十三は師子尊者なりと云云、其の第三の商那和修と申す人の御事を仏の説かせ給いて候やうは、商那和修と申すは衣の名なり、此の人生れし時衣をきて生れて候いき不思議なりし事なり、六道の中に地獄道より人道に至るまでは何なる人も始はあかはだかにて候に天道こそ衣をきて生れ候へ、たとひ何なる賢人聖人も人に生るるならひは皆あかはだかなり、一生補処の菩薩すら尚はだかにて生れ給へり何かに況や其の外をや、然るに此の人は商那衣と申すいみじき衣にまとはれて生れさせ給いしが、此の衣は血もつかずけがるる事もなし、譬えば池に蓮のをひをしの羽の水にぬれざるが如し、此の人次第に生長ありしかば又此の衣次第に広く長くなる、冬はあつく夏はうすく春は青く秋は白くなり候し程に長者にてをはせしかば何事もともしからず、後には仏の記しをき給いし事たがふ事なし、故に阿難尊者の御弟子とならせ給いて御出家ありしかば此の衣変じて五条七条九条等の御袈裟となり候き、かかる不思議の候し故を仏の説かせ給いしやうは乃往過去阿僧祗劫の当初此の人は商人にて有りしが、五百人の商人と共に大海に船を浮べてあきなひをせし程に海辺に重病の者あり、しかれども辟支仏と申して貴人なり、先業にてや有りけん、病にかかりて身やつれ心をぼれ不浄にまとはれてをはせしを、此の商人あはれみ奉りてねんごろに看病して生しまいらせ、不浄をすすぎすてて・布の商那衣をきせまいらせてありしかば、此聖人悦びて願して云く汝我を助けて身の恥を隠せり此の衣を今生後生の衣とせんとてやがて涅槃に入り給いき、此の功徳によりて過去無量劫の間人中天上に生れ生るる度ごとに、此の衣身に随いて離るる事なし、乃至今生に釈迦如来の滅後第三の付嘱をうけて商那和修と申す聖人となり、摩突羅国の優留荼山と申す山に大伽藍を立てて無量の衆生を教化して仏法を弘通し給いし事二十年なり、所詮商那和修比丘の一切のたのしみ不思議は皆彼の衣より出生せりとこそ説かれて候へ。
而るに日蓮は南閻浮提日本国と申す国の者なり、此の国は仏の世に出でさせ給いし国よりは東に当りて二十万余里の外遥なる海中の小島なり、而るに仏御入滅ありては既に二千二百二十七年なり、月氏漢土の人の此の国の人人を見候へば此の国の人の伊豆の大島奥州の東のえぞなんどを見るやうにこそ候らめ、而るに日蓮は日本国安房の国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり、此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思いて候し程に、皆人の願わせ給う事なれば阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し程に、いささかの事ありて、此の事を疑いし故に一の願をおこす、日本国に渡れる処の仏経並に菩薩の論と人師の釈を習い見候はばや、又倶舎宗成実宗律宗法相宗三論宗華厳宗真言宗法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗浄土宗と申す宗も候なり、此等の宗宗枝葉をばこまかに習はずとも所詮肝要を知る身とならばやと思いし故に、随分にはしりまはり十二十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉京叡山園城寺高野天王寺等の国国寺寺あらあら習い回り候し程に一の不思議あり、我れ等がはかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし、いづれもいづれも心に入れて習ひ願はば生死を離るべしとこそ思いて候に、仏法の中に入りて悪しく習い候ぬれば謗法と申す大なる穴に堕ち入つて、十悪五逆と申して日日夜夜に殺生偸盗邪婬妄語等をおかす人よりも五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち心には八万法蔵をうかべて候やうなる、智者聖人の一生が間に一悪をもつくらず人には仏のやうにをもはれ、我が身も又さながらに悪道にはよも堕ちじと思う程に、十悪五逆の罪人よりもつよく地獄に堕ちて阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬ事の候けるぞ、譬えば人ありて世にあらんがために国主につかへ奉る程に、させるあやまちはなけれども我心のたらぬ上身にあやしきふるまひかさなるを、猶我身にも失ありともしらず又傍輩も不思議ともをもはざるに后等の御事によりてあやまつ事はなけれども自然にふるまひあしく王なんどに不思議に見へまいらせぬれば、謀反の者よりも其の失重し、此の身とがにかかりぬれば父母兄弟所従なんども又かるからざる失にをこなはるる事あり。
謗法と申す罪をば我れもしらず人も失とも思はず但仏法をならへば貴しとのみ思いて候程に此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり、所謂勝意比丘苦岸比丘なんど申せし僧は二百五十戒をかたく持ち三千の威儀を一もかけずありし人なれども、無間大城に堕ちて出づる期見へず、又彼の比丘に近づきて弟子となり檀那となる人人存の外に大地微塵の数よりも多く地獄に堕ちて師とともに苦を受けしぞかし、此の人後世のために衆善を修せしより外は又心なかりしかどもかかる不祥にあひて候しぞかし。
かかる事を見候しゆへにあらあら経論を勘へ候へば、日本国の当世こそ其に似て候へ、代末になり候へば世間のまつり事のあらきにつけても世の中あやうかるべき上、此の日本国は他国にもにず仏法弘まりて国をさまるべきかと思いて候へば、中中仏法弘まりて世もいたく衰へ人も多く悪道に堕つべしと見へて候、其の故は日本国は月氏漢土よりも堂塔等の多き中に大体は阿弥陀堂なり、其の上家ごとに阿弥陀仏を木像に造り画像に書き人毎に六万八万等の念仏を申す、又他方を抛うちて西方を願う愚者の眼にも貴しと見え候上、一切の智人も皆いみじき事なりとほめさせ給う。
又人王五十代桓武天皇の御宇に弘法大師と申す聖人此の国に生れて、漢土より真言宗と申すめずらしき法を習い伝へ平城嵯峨淳和等の王の御師となりて東寺高野と申す寺を建立し、又慈覚大師智証大師と申す聖人同じく此宗を習い伝えて叡山園城寺に弘通せしかば日本国の山寺一同に此の法を伝へ今に真言を行ひ鈴をふりて公家武家の御祈をし候、所謂二階堂大御堂若宮等の別当等是れなり、是れは古も御たのみある上当世の国主等家には柱天には日月河には橋海には船の如く御たのみあり。
禅宗と申すは又当世の持斎等を建長寺等にあがめさせ給うて父母よりも重んじ神よりも御たのみあり、されば一切の諸人頭をかたぶけ手をあさふ、かかる世にいかなればにや候らん、天変と申して彗星長く東西に渡り地夭と申して大地をくつがへすこと大海の船を大風の時大波のくつがへすに似たり、大風吹いて草木をからし飢饉も年年にゆき疫病月月におこり大旱魃ゆきて河池田畠皆かはきぬ、此くの如く三災七難数十年起りて民半分に減じ残りは或は父母或は兄弟或は妻子にわかれて歎く声秋の虫にことならず、家家のちりうする事冬の草木の雪にせめられたるに似たり、是はいかなる事ぞと経論を引き見候へば仏の言く法華経と申す経を謗じ我れを用いざる国あらばかかる事あるべしと、仏の記しをかせ給いて候御言にすこしもたがひ候はず。
日蓮疑て云く日本には誰か法華経と釈迦仏をば謗ずべきと疑ふ、又たまさか謗ずる者は少少ありとも信ずる者こそ多くあるらめと存じ候、爰に此の日本国に人ごとに阿弥陀堂をつくり念仏を申す、其の根本を尋ぬれば道綽禅師善導和尚法然上人と申す三人の言より出でて候、是れは浄土宗の根本今の諸人の御師なり、此の三人の念仏を弘めさせ給いし時にのたまはく未有一人得者千中無一捨閉閣抛等云云、いふこころは阿弥陀仏をたのみ奉らん人は一切の経一切の仏一切の神をすてて但阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すべし、其の上ことに法華経と釈迦仏を捨てまいらせよとすすめしかばやすきままに案もなくばらばらと付き候ぬ、一人付き始めしかば万人皆付き候いぬ、万人付きしかば上は国主中は大臣下は万民一人も残る事なし、さる程に此の国存の外に釈迦仏法華経の御敵人となりぬ。
其故は「今此三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此処は諸の患難多し唯我れ一人のみ能く救護を為す」と説いて、此の日本国の一切衆生のためには釈迦仏は主なり師なり親なり、天神七代地神五代人王九十代の神と王とすら猶釈迦仏の所従なり、何かに況や其の神と王との眷属等をや、今日本国の大地山河大海草木等は皆釈尊の御財ぞかし、全く一分も薬師仏阿弥陀仏等の他仏の物にはあらず、又日本国の天神地神九十余代の国主並に万民牛馬生と生る生ある者は皆教主釈尊の一子なり、又日本国の天神地神諸王万民等の天地水火父母主君男女妻子黒白等を弁え給うは皆教主釈尊御教の師なり、全く薬師阿弥陀等の御教にはあらず、されば此の仏は我等がためには大地よりも厚く虚空よりも広く天よりも高き御恩まします仏ぞかし、かかる仏なれば王臣万民倶に人ごとに父母よりも重んじ神よりもあがめ奉るべし、かくだにも候はば何なる大科有りとも天も守護してよもすて給はじ地もいかり給うべからず。
然るに上一人より下万人に至るまで阿弥陀堂を立て阿弥陀仏を本尊ともてなす故に天地の御いかりあるかと見え候、譬えば此の国の者が漢土高麗等の諸国の王に心よせなりとも、此の国の王に背き候なば其の身はたもちがたかるべし、今日本国の一切衆生も是くの如し、西方の国主阿弥陀仏には心よせなれども我国主釈迦仏に背き奉る故に此の国の守護神いかり給うかと愚案に勘へ候、而るを此の国の人人阿弥陀仏を或は金或は銀或は銅或は木画等に志を尽くし仏事をなし、法華経と釈迦仏をば或は墨画或は木像にはくをひかず或は草堂に造りなんどす、例せば他人をば志を重ね妻子をばもてなして父母におろかなるが如し。
又真言宗と申す宗は上一人より下万民に至るまで此れを仰ぐ事日月の如し、此れを重んずる事珍宝の如し、此の宗の義に云く大日経には法華経は二重三重の劣なり、釈迦仏は大日如来の眷属なりなんど申す此の事は弘法慈覚智証の仰せられし故に今四百余年に叡山東寺園城日本国の智人一同の義なり。
又禅宗と申す宗は真実の正法は教外別伝なり法華経等の経経は教内なり、譬えば月をさす指渡りの後の船彼岸に到りてなにかせん月を見ては指は用事ならず等云云、彼の人人謗法ともをもはず習い伝えたるままに存の外に申すなり、然れども此の言は釈迦仏をあなづり法華経を失ひ奉る因縁となりて、此の国の人人皆一同に五逆罪にすぎたる大罪を犯しながら而も罪ともしらず。
此大科次第につもりて人王八十二代隠岐の法皇と申せし王並びに佐渡の院等は我が相伝の家人にも及ばざりし、相州鎌倉の義時と申せし人に代を取られさせ給いしのみならず島島にはなたれて歎かせ給いしが終には彼の島島にして隠れさせ給いぬ、神ひは悪霊となりて地獄に堕ち候いぬ、其の召仕はれし大臣已下は或は頭をはねられ或は水火に入り其の妻子等は或は思い死に死に或は民の妻となりて今五十余年其外の子孫は民のごとし、是れ偏に真言と念仏等をもてなして法華経釈迦仏の大怨敵となりし故に天照太神正八幡等の天神地祇十方の三宝にすてられ奉りて、現身には我が所従等にせめられ後生には地獄に堕ち候ぬ。
而るに又代東にうつりて年をふるままに彼の国主を失いし、真言宗等の人人鎌倉に下り相州の足下にくぐり入りてやうやうにたばかる故に本は上臈なればとてすかされて鎌倉の諸堂の別当となせり、又念仏者をば善知識とたのみて大仏長楽寺極楽寺等とあがめ、禅宗をば寿福寺建長寺等とあがめをく、隠岐の法皇の果報の尽き給いし失より百千万億倍すぎたる大科鎌倉に出来せり、かかる大科ある故に天照太神正八幡等の天神地祇釈迦多宝十方の諸仏一同に大にとがめさせ給う故に、隣国に聖人有りて万国の兵のあつめたる大王に仰せ付けて、日本国の王臣万民を一同に罰せんとたくませ給うを、日蓮かねて経論を以て勘へ候いし程に、此れを有りのままに申さば国主もいかり、万民も用ひざる上、念仏者禅宗律僧真言師等定めて忿りをなしてあだを存じ王臣等に讒奏して我が身に大難おこりて、弟子乃至檀那までも少しも日蓮に心よせなる人あらば科になし、我が身もあやうく命にも及ばんずらん、いかが案もなく申し出すべきとやすらひし程に、外典の賢人の中にも世のほろぶべき事を知りながら申さぬは諛臣とてへつらへる者不知恩の人なり、されば賢なりし竜逢比干なんど申せし賢人は、頚をきられ胸をさかれしかども国の大事なる事をばはばからず申し候いき、仏法の中には仏いましめて云く法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし、譬へば父母を人の殺さんとせんを子の身として父母にしらせず、王をあやまち奉らんとする人のあらむを、臣下の身として知りながら代をおそれて申さざらんがごとしなんど禁られて候。
されば仏の御使たりし提婆菩薩は外道に殺され、師子尊者は檀弥羅王に頭をはねられ、竺の道生は蘇山へ流され、法道は面にかなやきをあてられき、此等は皆仏法を重んじ王法を恐れざりし故ぞかし、されば賢王の時は仏法をつよく立つれば王両方を聞あきらめて勝れ給う智者を師とせしかば国も安穏なり、所謂陳隋の大王桓武嵯峨等は天台智者大師を南北の学者に召し合せ、最澄和尚を南都の十四人に対論せさせて論じかち給いしかば寺をたてて正法を弘通しき、大族王優陀延王武宗欽宗欽明用明或は鬼神外道を崇重し或は道士を帰依し或は神を崇めし故に、釈迦仏の大怨敵となりて身を亡ぼし世も安穏ならず、其の時は聖人たりし僧侶大難にあへり、今日本国すでに大謗法の国となりて他国にやぶらるべしと見えたり。
此れを知りながら申さずば縦ひ現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし、後生を恐れて申すならば流罪死罪は一定なりと思い定めて去ぬる文応の比故最明寺入道殿に申し上げぬ、されども用い給う事なかりしかば、念仏者等此の由を聞きて上下の諸人をかたらひ打ち殺さんとせし程にかなはざりしかば、長時武蔵の守殿は極楽寺殿の御子なりし故に親の御心を知りて理不尽に伊豆の国へ流し給いぬ、されば極楽寺殿と長時と彼の一門は皆ほろぶるを各御覧あるべし、其の後何程もなくして召し返されて後又経文の如く弥よ申しつよる、又去ぬる文永八年九月十二日に佐渡の国へ流さる、日蓮御勘気の時申せしが如くどしうち(同士打)はじまりぬ、それを恐るるかの故に又召し返されて候、しかれども用ゆる事なければ万民も弥弥悪心盛んなり。
縦ひ命を期として申したりとも国主用いずば国やぶれん事疑なし、つみしらせて後用いずば我が失にはあらずと思いて、去ぬる文永十一年五月十二日相州鎌倉を出でて六月十七日より此の深山に居住して門一町を出でず既に五箇年をへたり。
本は房州の者にて候いしが地頭東条左衛門尉景信と申せしもの極楽寺殿藤次左衛門入道一切の念仏者にかたらはれて度度の問註ありて結句は合戦起りて候上極楽寺殿の御方人理をまげられしかば東条の郡ふせがれて入る事なし、父母の墓を見ずして数年なり、又国主より御勘気二度なり、第二度は外には遠流と聞こへしかども内には頚を切るべしとて、鎌倉竜の口と申す処に九月十二日の丑の時に頚の座に引きすへられて候いき、いかがして候いけん月の如くにをはせし物江の島より飛び出でて使の頭へかかり候いしかば、使おそれてきらず、とかうせし程に子細どもあまたありて其の夜の頚はのがれぬ、又佐渡の国にてきらんとせし程に日蓮が申せしが如く鎌倉にどしうち始まりぬ、使はしり下りて頚をきらず結句はゆるされぬ、今は此の山に独りすみ候。
佐渡の国にありし時は里より遥にへだたれる野と山との中間につかはらと申す御三昧所あり、彼処に一間四面の堂あり、そらはいたまあわず四壁はやぶれたり雨はそとの如し雪は内に積もる、仏はおはせず筵畳は一枚もなし、然れども我が根本より持ちまいらせて候教主釈尊を立てまいらせ法華経を手ににぎり蓑をき笠をさして居たりしかども、人もみへず食もあたへずして四箇年なり、彼の蘇武が胡国にとめられて十九年が間蓑をき雪を食としてありしが如し。
今又此山に五箇年あり、北は身延山と申して天にはしだて南はたかとりと申して鶏足山の如し、西はなないたがれと申して鉄門に似たり東は天子がたけと申して富士の御山にたいしたり、四の山は屏風の如し、北に大河あり早河と名づく早き事箭をいるが如し、南に河あり波木井河と名づく大石を木の葉の如く流す、東には富士河北より南へ流れたりせんのほこをつくが如し内に滝あり身延の滝と申す白布を天より引くが如し此の内に狭小の地あり日蓮が庵室なり深山なれば昼も日を見奉らず夜も月を詠むる事なし峯にははかうの・かまびすしく谷には波の下る音鼓を打つがごとし地にはしかざれども大石多く山には瓦礫より外には物もなし国主はにくみ給ふ万民はとぶらはず冬は雪道を塞ぎ夏は草をひしげり鹿の遠音うらめしく蝉の鳴く声かまびすし訪う人なければ命もつぎがたしはだへをかくす衣も候はざりつるにかかる衣ををくらせ給えるこそいかにとも申すばかりなく候へ。
見し人聞きし人だにもあはれとも申さず、年比なれし弟子つかへし下人だにも皆にげ失とぶらはざるに聞きもせず見もせぬ人の御志哀なり、偏に是れ別れし我が父母の生れかはらせ給いけるか、十羅刹の人の見に入りかはりて思いよらせ給うか、唐の代宗皇帝の代に蓬子将軍と申せし人の御子李如暹将軍と申せし人勅定を蒙りて北の胡地を責めし程に、我が勢数十万騎は打ち取られ胡国に生け取られて四十年漸くへし程に、妻をかたらひ子をまうけたり、胡地の習い生取をば皮の衣を服せ毛帯をかけさせて候が、只正月一日計り唐の衣冠をゆるす、一年ごとに漢土を恋いて肝をきり涙をながす、而る程に唐の軍おこりて唐の兵胡地をせめし時ひまをえて胡地の妻子をふりすててにげしかば、唐の兵は胡地のえびすとて捕へて頚をきらんとせし程に、とかうして徳宗皇帝にまいらせてありしかば、いかに申せども聞もほどかせ給はずして南の国呉越と申す方へ流されぬ、李如暹歎いて云く進ては涼原の本郷を見ることを得ず退ては胡地の妻子に逢ふことを得ず云云、此の心は胡地の妻子をもすて又唐の古き栖をも見ずあらぬ国に流されたりと歎くなり、我が身には大忠ありしかどもかかる歎きあり。
日蓮も又此くの如し日本国を助けばやと思う心に依りて申し出す程に、我が生れし国をもせかれ又流されし国をも離れぬ、すでに此の深山にこもりて候が彼の李如暹に似て候なり、但し本郷にも流されし処にも妻子なければ歎く事はよもあらじ、唯父母のはかとなれし人人のいかがなるらんとおぼつかなしとも申す計りなし、但うれしき事は武士の習ひ君の御為に宇治勢多を渡し前をかけなんどしてありし人は、たとひ身は死すれども名を後代に挙げ候ぞかし、日蓮は法華経のゆへに度度所をおはれ戦をし身に手をおひ弟子等を殺され両度まで遠流せられ既に頚に及べり、是れ偏に法華経の御為なり、法華経の中に仏説かせ給はく我が滅度の後後の五百歳二千二百余年すぎて此の経閻浮提に流布せん時、天魔の人の身に入りかはりて此の経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば或はのり打ち所をうつし或はころしなんどすべし、其の時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし、我れ又因位の難行苦行の功徳を譲るべしと説かせ給う取意。
されば過去の不軽菩薩は法華経を弘通し給いしに、比丘比丘尼等の智慧かしこく二百五十戒を持てる大僧ども集まりて優婆塞優婆夷をかたらひて不軽菩薩をのり打ちせしかども、退転の心なく弘めさせ給いしかば終には仏となり給う、昔の不軽菩薩は今の釈迦仏なり、それをそねみ打ちなんどせし大僧どもは千劫阿鼻地獄に堕ちぬ、彼の人人は観経阿弥陀経等の数千の経一切の仏名阿弥陀念仏を申し法華経を昼夜に読みしかども、実の法華経の行者をあだみしかば法華経念仏戒等も助け給はず千劫阿鼻地獄に堕ちぬ、彼の比丘等は始には不軽菩薩をあだみしかども後には心をひるがへして、身を不軽菩薩に仕うる事やつこの主に随うがごとく有りしかども無間地獄をまぬかれず、今又日蓮にあだをせさせ給う日本国の人人も此くの如し、此は彼には似るべくもなし彼は罵り打ちしかども国主の流罪はなし杖木瓦石はありしかども疵をかほり頚までには及ばず、是は悪口杖木は二十余年が間ひまなし疵をかほり流罪頚に及ぶ、弟子等は或は所領を召され或はろうに入れ或は遠流し或は其の内を出だし或は田畠を奪ひなんどする事夜打強盗海賊山賊謀叛等の者よりもはげしく行はる、此れ又偏に真言念仏者禅宗等の大僧等の訴なり、されば彼の人人の御失は大地よりも厚ければ此の大地は大風に大海に船を浮べるが如く動転す、天は八万四千の星瞋をなし昼夜に天変ひまなし、其の上日月大に変多し仏滅後既に二千二百二十七年になり候に大族王が五天の寺をやき十六の大国の僧の頚を切り武宗皇帝の漢土の寺を失ひ仏像をくだき、日本国の守屋が釈迦仏の金銅の像を炭火を以てやき僧尼を打ちせめては還俗せさせし時も是れ程の彗星大地震はいまだなし、彼には百千万倍過ぎて候大悪にてこそ候いぬれ、彼は王一人の悪心大臣以下は心より起る事なし、又権仏と権経との敵なり僧も法華経の行者にはあらず、是は一向に法華経の敵王一人のみならず一国の智人並びに万民等の心より起れる大悪心なり、譬えば女人物をねためば胸の内に大火もゆる故に、身変じて赤く身の毛さかさまにたち五体ふるひ面に炎あがりかほは朱をさしたるが如し眼まろになりてねこの眼のねづみをみるが如し、手わななきてかしわの葉を風の吹くに似たりかたはらの人是を見れば大鬼神に異ならず。
日本国の国主諸僧比丘比丘尼等も又是くの如し、たのむところの弥陀念仏をば日蓮が無間地獄の業と云うを聞き真言は亡国の法と云うを聞き持斎は天魔の所為と云うを聞いて念珠をくりながら歯をくひちがへ鈴をふるにくびをどりたり戒を持ちながら悪心をいだく極楽寺の生仏の良観聖人折紙をささげて上へ訴へ建長寺の道隆聖人は輿に乗りて奉行人にひざまづく諸の五百戒の尼御前等ははくをつかひてでんそうをなす、是れ偏に法華経を読みてよまず聞いてきかず善導法然が千中無一と弘法慈覚達磨等の皆是戯論教外別伝のあまきふる酒にえはせ給いてさかぐるひにておはするなり、法華最第一の経文を見ながら大日経は法華経に勝れたり禅宗は最上の法なり律宗こそ貴けれ念仏こそ我等が分にはかなひたれと申すは酒に酔える人にあらずや星を見て月にすぐれたり石を見て金にまされり東を見て西と云い天を地と申す物ぐるひを本として月と金は星と石とには勝れたり東は東天は天なんど有りのままに申す者をばあだませ給はば勢の多きに付くべきか只物ぐるひの多く集まれるなり、されば此等を本とせし云うにかひなき男女の皆地獄に堕ちん事こそあはれに候へ涅槃経には仏説き給はく末法に入つて法華経を謗じて地獄に堕つる者は大地微塵よりも多く信じて仏になる者は爪の上の土よりも少しと説かれたり此れを以つて計らせ給うべし日本国の諸人は爪の上の土日蓮一人は十方の微塵にて候べきか、然るに何なる宿習にてをはすれば御衣をば送らせ給うぞ爪の上の土の数に入らんとおぼすか又涅槃経に云く「大地の上に針を立てて大風の吹かん時大梵天より糸を下さんに糸のはしすぐに下りて針の穴に入る事はありとも、末代に法華経の行者にはあひがたし」法華経に云く「大海の底に亀あり三千年に一度海上にあがる栴檀の浮木の穴にゆきあひてやすむべし而るに此の亀一目なるが而も僻目にて西の物を東と見東の物を西と見るなり」末代悪世に生れて法華経並びに南無妙法蓮華経の穴に身を入るる男女にたとへ給へり何なる過去の縁にてをはすれば此の人をとふらんと思食す御心はつかせ給いけるやらん、法華経を見まいらせ候へば釈迦仏の其の人の御身に入らせ給いてかかる心はつくべしと説かれて候譬へばなにとも思はぬ人の酒をのみてえいぬればあらぬ心出来り人に物をとらせばやなんど思う心出来る、此れは一生慳貪にして餓鬼に堕つべきを其の人の酒の縁に菩薩の入りかはらせ給うなり、濁水に珠を入れぬれば水すみ月に向いまいらせぬれば人の心あこがる、画にかける鬼には心なけれどもおそろし、とわりを画にかけば我が夫をばとらねどもそねまし、錦のしとねに蛇をおれるは服せんとも思はず、身のあつきにあたたかなる風いとはし、人の心も此くの如し、法華経の方へ御心をよせさせ給うは女人の御身なれども竜女が御身に入らせ給うか。
さては又尾張の次郎兵衛尉殿の御事見参に入りて候いし人なり、日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へどもいとをしと申す人は千人に一人もありがたし、彼の人はよも心よせには思はれたらじなれども、自体人がらにくげなるふりなくよろづの人になさけあらんと思いし人なれば、心の中はうけずこそをぼしつらめども、見参の時はいつはりをろかにて有りし人なり、又女房の信じたるよしありしかば実とは思い候はざりしかども、又いたう法華経に背く事はよもをはせじなればたのもしきへんも候、されども法華経を失ふ念仏並びに念仏者を信じ我が身も多分は念仏者にてをはせしかば後生はいかがとをぼつかなし、譬えば国主はみやづかへのねんごろなるには恩のあるもあり又なきもあり、少しもをろかなる事候へばとがになる事疑なし、法華経も又此くの如し、いかに信ずるやうなれども法華経の御かたきにも知れ知らざれ、まじはりぬれば無間地獄は疑なし。
是はさてをき候ぬ、彼の女房の御歎いかがとをしはかるにあはれなり、たとへばふじのはなのさかんなるが松にかかりて思う事もなきに松のにはかにたふれ、つたのかきにかかれるがかきの破れたるが如くにをぼすらん、内へ入れば主なしやぶれたる家の柱なきが如し、客人来れども外に出でてあひしらうべき人もなし、夜のくらきにはねやすさまじくはかをみればしるしはあれども声もきこへず、又思いやる死出の山三途の河をば誰とか越え給うらん只独り歎き給うらん、とどめをきし御前たちいかに我をばひとりやるらん、さはちぎらざりとや歎かせ給うらん、かたがた秋の夜のふけゆくままに冬の嵐のをとづるる声につけても弥弥御歎き重り候らん、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。 ( 弘安元年戊寅九月六日 )  
 
内房女房御返事

 

内房よりの御消息に云く八月九日父にてさふらひし人の百箇日に相当りてさふらふ、御布施料に十貫まいらせ候乃至あなかしこあなかしこ、御願文の状に云く「読誦し奉る妙法蓮華経一部読誦し奉る方便寿量品三十巻読誦し奉る自我偈三百巻唱え奉る妙法蓮華経の題名五万返」云云同状に云く「伏して惟れば先考の幽霊生存の時弟子遥に千里の山河を凌ぎ親り妙法の題名を受け然る後三十日を経ずして永く一生の終りを告ぐ」等云云、又云く「嗚呼閻浮の露庭に白骨仮りに塵土と成るとも霊山の界上に亡魂定んで覚蕊を開かん」又云く「弘安三年女弟子大中臣氏敬白す」等云云。
夫れ以れば一乗妙法蓮華経は月氏国にては一由旬の城に積み日本国にては唯八巻なり、然るに現世後生を祈る人或は八巻或は一巻或は方便寿量或は自我偈等を読誦し讃歎して所願を遂げ給ふ先例之多し此は且らく之を置く、唱へ奉る妙法蓮華経の題名五万返と云云、此の一段を宣べんと思いて先例を尋ぬるに其の例少なし、或は一返二返唱へて利生を蒙る人粗これ有るか、いまだ五万返の類を聞かず、但し一切の諸法に亘りて名字あり其の名字皆其の体徳を顕はせし事なり、例せば石虎将軍と申すは石の虎を射徹したりしかば石虎将軍と申す、的立の大臣と申すは鉄的を射とをしたりしかば的立の大臣と名く、是皆名に徳を顕はせば今妙法蓮華経と申し候は一部八巻二十八品の功徳を五字の内に収め候、譬へば如意宝珠の玉に万の宝を収めたるが如し、一塵に三千を尽す法門是なり、南無と申す字は敬う心なり随う心なり、故に阿難尊者は一切経の如是の二字の上に南無等云云、南岳大師云く南無妙法蓮華経云云、天台大師云く稽首南無妙法蓮華経云云、阿難尊者は斛飯王の太子教主釈尊の御弟子なり、釈尊御入滅の後六十日を過ぎて迦葉等の一千人文殊等の八万人大閣講堂にして集会し給いて仏の別を悲しみ給ふ上、我等は多年の間随逐するすら六十日の間の御別を悲しむ、百年千年乃至末法の一切衆生は何をか仏の御形見とせん、六師外道と申すは八百年以前に二天三仙等の説き置きたる四韋陀十八大経を以てこそ師の名残とは伝へて候へ、いざさらば我等五十年が間一切の声聞大菩薩の聞き持ちたる経経を書き置きて未来の衆生の眼目とせんと僉議して、阿難尊者を高座に登せて仏を仰ぐ如く、下座にして文殊師利菩薩南無妙法蓮華経と唱へたりしかば、阿難尊者此れを承け取りて如是我聞と答ふ、九百九十九人の大阿羅漢等は筆を染めて書き留め給いぬ、一部八巻二十八品の功徳は此の五字に収めて候へばこそ文殊師利菩薩かくは唱へさせ給うらめ、阿難尊者又さぞかしとは答え給うらめ、又万二千の声聞八万の大菩薩二界八番の雑衆も有りし事なれば合点せらるらめ、天台智者大師と申す聖人妙法蓮華経の五字を玄義十巻一千丁に書き給いて候、其の心は華厳経は八十巻六十巻四十巻阿含経数百巻大集方等数十巻大品般若四十巻六百巻涅槃経四十巻三十六巻、乃至月氏竜宮天上十方世界の大地微塵の一切経は妙法蓮華経の経の一字の所従なり、妙楽大師重ねて十巻造るを釈籤と名けたり、天台以後に渡りたる漢土の一切経新訳の諸経は皆法華経の眷属なり云云、日本の伝教大師重ねて新訳の経経の中の大日経等の真言の経を皆法華経の眷属と定められ候い畢んぬ、但し弘法慈覚智証等は此の義に水火なり此の義後に粗書きたり、譬へば五畿七道六十六箇国二つの島其の中の郡と荘と村と田と畠と人と牛馬と金銀等は皆日本国の三字の内に備りて一つも闕くる事なし、又王と申すは三の字を横に書きて一の字を豎さまに立てたり、横の三の字は天地人なり、豎の一文字は王なり、須弥山と申す山の大地をつきとをして傾かざるが如し、天地人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり、王に二つあり一には小王なり人王天王是なり二には大王なり大梵天王是なり、日本国は大王の如し国国の受領等は小王なり、華厳経阿含経方等経般若経大日経涅槃経等の已今当の一切経は小王なり、譬へば日本国中の国王受領等の如し、法華経は大王なり天子の如し、然れば華厳宗真言宗等の諸宗の人人は国主の内の所従等なり、国国の民の身として天子の徳を奪ひ取るは下剋上背上向下破上下乱等これなり、設いいかに世間を治めんと思ふ志ありとも国も乱れ人も亡びぬべし、譬へば木の根を動さんに枝葉静なるべからず大海の波あらからんに船おだやかなるべきや、華厳宗真言宗念仏宗律僧禅僧等我が身持戒正直に智慧いみじく尊しといへども、其の身既に下剋上の家に生れて法華経の大怨敵となりぬ、阿鼻大城を脱るべきや、例せば九十五種の外道の内には正直有智の人多しといへども、二天三仙の邪法を承けしかば終には悪道を脱るる事なし。
然るに今の世の南無阿弥陀仏と申す人人、南無妙法蓮華経と申す人を或は笑ひ或はあざむく、此れは世間の譬に稗の稲をいとひ家主の田苗を憎む是なり、是国将なき時の盗人なり日の出でざる時の・なり、夜打強盗の科めなきが如く地中の自在なるが如し、南無妙法蓮華経と申す国将と日輪とにあはば大火の水に消へ・猴が犬に値うなるべし、当時南無阿弥陀仏の人人南無妙法蓮華経の御声の聞えぬれば、或は色を失ひ或は眼を瞋らし或は魂を滅し或は五体をふるふ、伝教大師云く日出れば星隠れ巧を見て拙きを知る、竜樹菩薩云く謬辞失い易く邪義扶け難し、徳慧菩薩云く面に死喪の色有り言に哀怨の声を含む、法歳云く昔の義虎今は伏鹿なり等云云、此等の意を以て知ぬべし、妙法蓮華経の徳あらあら申し開くべし、毒薬変じて薬となる妙法蓮華経の五字は悪変じて善となる、玉泉と申す泉は石を玉となす此の五字は凡夫を仏となす、されば過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり、石変じて玉と成るが如し孝養の至極と申し候なり、故に法華経に云く「此の我が二りの子已に仏事を作しぬ」又云く「此の二りの子は是我が善知識なり」等云云。
乃往過去の世に一の大王あり名を輪陀と申す、此の王は白馬の鳴くを聞きて色もいつくしく力も強く供御を進らせざれども食にあき給ふ他国の敵も冑を脱き掌を合す、又此の白馬鳴く事は白鳥を見て鳴きけり、然るに大王の政や悪しかりけん又過去の悪業や感じけん、白鳥皆失せて一羽もなかりしかば白馬鳴く事なし、白馬鳴かざりければ大王の色も変じ力も衰へ身もかじけ謀も薄くなりし故に国既に乱れぬ、他国よりも兵者せめ来らんに何とかせんに歎きし程に、大王の勅宣に云く国には外道多し皆我が帰依し奉る仏法も亦かくの如し、然るに外道と仏法と中悪し何にしても白馬を鳴かせん方を信じて一方を我が国に失ふべしと云云、爾の時に一切の外道集りて白鳥を現じて白馬を鳴かせんとせしかども白鳥現ずる事なし、昔は雲を出だし霧をふらし風を吹かせ波をたて身の上に火を出だし水を現じ人を馬となし馬を人となし一切自在なりしかども、如何がしけん白鳥を現ずる事なかりき、爾の時に馬鳴菩薩と申す仏子あり十方の諸仏に祈願せしかば白鳥則出で来りて白馬則鳴けり、大王此を聞食し色も少し出で来り力も付きはだへもあざやかなり、又白鳥又白鳥と千の白鳥出現して千の白馬一時に鶏の時をつくる様に鳴きしかば、大王此の声を聞食し色は日輪の如し膚は月の如し力は那羅延の如し謀は梵王の如し、爾の時に綸言汗の如く出でて返らざれば一切の外道等其の寺を仏寺となしぬ。
今日本国亦かくの如し、此の国は始めは神代なり漸く代の末になる程に人の意曲り貪瞋癡強盛なれば神の智浅く威も力も少し、氏子共をも守護しがたかりしかば漸く仏法と申す大法を取り渡して人の意も直に神も威勢強かりし程に、仏法に付き謬り多く出来せし故に国あやうかりしかば、伝教大師漢土に渡りて日本と漢土と月氏との聖教を勘へ合せて、おろかなるをば捨て賢きをば取り偏頗もなく勘へ給いて、法華経の三部を鎮護国家の三部と定め置きて候しを、弘法大師慈覚大師智証大師と申せし聖人等、或は漢土に事を寄せ或は月氏に事を寄せて法華経を或は第三第二或は戯論或は無明の辺域等と押し下し給いて、法華経を真言の三部と成さしめて候いし程に、代漸く下剋上し此の邪義既に一国に弘まる、人多く悪道に落ちて神の威も漸く滅し氏子をも守護しがたき故に八十一乃至八十五の五主は或は西海に沈み或は四海に捨てられ今生には大鬼となり後生は無間地獄に落ち給いぬ、然りといえども此の事知れる人なければ改る事なし、今日蓮此の事をあらあら知る故に国の恩を報ぜんとするに日蓮を怨み給ふ。
此等はさて置きぬ氏女の慈父は輪陀王の如し氏女は馬鳴菩薩の如し、白鳥は法華経の如し白馬は日蓮が如し南無妙法蓮華経は白馬の鳴くが如し、大王の聞食して色も盛んに力も強きは、過去の慈父が氏女の南無妙法蓮華経の御音を聞食して仏に成せ給ふが如し。 ( 弘安三年八月十四日 )  
 
浄蓮房御書/建治元年六月五十四歳御作

 

細美帷一つ送り給び候い畢んぬ、善導和尚と申す人は漢土に臨・と申す国の人なり、幼少の時密州と申す国の明勝と申す人を師とせしが彼の僧は法華経と浄名経を尊重して我も読誦し人をもすすめしかば善導に此れを教ゆ、善導此れを習いて師の如く行ぜし程に過去の宿習にや有りけん、案じて云く仏法には無量の行あり機に随いて皆利益あり教いみじといへども機にあたらざれば虚きがごとし、されば我れ法華経を行ずるは我が機に叶はずはいかんが有るべかるらん、教には依るべからずと思いて一切経蔵に入り両眼を閉ぢて経をとる観無量寿経を得たり、披見すれば此の経に云く「未来世の煩悩の賊に害せらるる者の為清浄の業を説く」等云云、華厳経は二乗のため法華経涅槃経等は五乗にわたれどもたいしは聖人のためなり、末法の我等が為なる経は唯観経にかぎれり、釈尊最後の遺言には涅槃経にはすぐべからず、彼の経には七種の衆生を列ねたり、第一は入水則没の一闡提人なり生死の水に入りしより已来いまに出でず譬へば大石を大海に投入たるがごとし、身重くして浮ぶことを習はず常に海底に有り此れを常没と名く、第二をば出已復没と申す譬へば身に力有りとも浮ぶことをならはざれは出で已つて復入りぬ此れは第一の一闡提の人には有らねども一闡提のごとし又常没と名く、第三は出已不没と申す生死の河を出でてよりこのかた没することなし、此れは舎利弗等の声聞なり、第四は出已即住第五は観方第六は浅処第七は到彼岸等なり、第四第五第六第七は縁覚菩薩なり、釈迦如来世に出でさせ給いて一代五時の経経を説き給いて第三已上の人人を救い給い畢んぬ、第一は捨てさせ給いぬ、法蔵比丘阿弥陀仏此れをうけとつて四十八願を発して迎えとらせ給う、十方三世の仏と釈迦仏とは第三巳上の一切衆生を救い給う、あみだ(阿弥陀)仏は第一第二を迎えとらせ給う、而るに今末代の凡夫は第一第二に相当れり、而るを浄影大師天台大師等の他宗の人師は此の事を弁えずして九品の浄土に聖人も生ると思へり・りが中の・りなり、一向末代の凡夫の中に上三品は遇大始めて大乗に値える凡夫、中の三品は遇小始めて小乗に値へる凡夫、下の三品は遇悪一生造悪無間非法の荒凡夫、臨終の時始めて上の七種の衆生を弁えたる智人に行きあひて岸の上の経経をうちすてて水に溺るるの機を救はせ給う、観経の下品下生の大悪業に南無阿弥陀仏を授けたり、されば我れ一切経を見るに法華経等は末代の機には千中無一なり、第一第二の我等衆生は第三已上の機の為に説かれて候、法華経等を末代に修行すれば身は苦しんで益なしと申して善導和尚は立所に法華経を抛げすてて観経を行ぜしかば三昧発得して阿弥陀仏に見参して重ねて此の法門を渡し給う四帖の疏是なり、導の云く「然るに諸仏の大悲は苦なる者に於て心偏に常没の衆生を愍念す是を以て勧めて浄土に帰せしむ亦水に溺るる人の如く急に須く偏に救うべし岸上の者何ぞ用いて済うことを為さん」と云云、又云く「深心と言えるは即ち是れ深信の心なり、亦二種有り、一には決定して自身は現に是れ罪悪生死の凡夫なり曠劫より已来常に没し常に流転して出離の縁有ること無しと深信す」又云く「二には決定して彼の阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受したもうこと疑無く慮り無く彼の願力に乗ずれば定めて往生を得ると深信す」云云、此の釈の心は上にかき顕して候、浄土宗の肝心と申すは此れなり、我等末代の凡夫は涅槃経の第一第二なり、さる時に釈迦仏の教には出離の縁有ること無し、法蔵比丘の本願にては「定得往生と知るを三心の中の深心とは申すなり」等云云、此又導和尚の私儀には非ず、綽禅師と申せし人の涅槃経を二十四反かうぜしが曇鸞法師の碑の文を見て立所に涅槃経を捨てて観経に遷りて後此の法門を導には教えて候なり、鸞法師と申せし人は斉の代の人なり漢土にては時に独歩の人なり、初には四論と涅槃経とをかうぜしが菩提流支と申す三蔵に値いて四論と涅槃を捨て観経に遷りて往生をとげし人なり、三代が間伝え候法門なり、漢土日本には八宗を習う智人も正法すでに過ぎて像法に入りしかばかしこき人人は皆自宗を捨てて浄土の念仏に遷りし事此なり、日本国のいろはは天台山の慧心の往生要集此なり、三論の永観が十因往生講の式此等は皆此の法門をうかがい得たる人人なり、法然上人も亦爾なり云云。
日蓮云く此の義を存ずる人人等も但恒河の第一第二は一向浄土の機と云云、此れ此の法門の肝要か、日蓮涅槃経の三十二と三十六を開き見るに第一は誹謗正法の一闡提常没の大魚と名けたり、第二は又常没其の第二の人を出ださば提婆達多瞿伽梨善星等なり、此れは誹謗五逆の人人なり、詮する所第一第二は謗法と五逆なり、法蔵比丘の「設い我仏を得んに十方衆生至心に信楽して我が国に生れんと欲し乃至十念して若し生ぜずんば正覚を取らじ唯五逆と誹謗正法とを除く」云云、此の願の如きんば法蔵比丘は恒河の第一第二を捨てはててこそ候いぬれ、導和尚の如くならば末代の凡夫阿弥陀仏の本願には千中無一なり、法華経の結経たる普賢経には五逆と誹謗正法は一乗の機と定め給いたり、されば末代の凡夫の為には法華経は十即十生百即百生なり、善導和尚が義に付いて申す詮は私案にはあらず阿弥陀仏は無上念王たりし時娑婆世界は已にすて給いぬ、釈迦如来は宝海梵志として此の忍土を取り給い畢んぬ、十方の浄土には誹謗正法と五逆と一闡提とをば迎うべからずと阿弥陀仏十方の仏誓い給いき、宝海梵志の願に云く「即ち十方浄土の擯出の衆生を集めて我当に之を度すべし」云云、法華経に云く「唯我一人のみ能く救護を為す」等云云。
唯我一人の経文は堅きやうに候へども釈迦如来の自義にはあらず、阿弥陀仏等の諸仏我と娑婆世界を捨てしかば教主釈尊唯我一人と誓つてすでに娑婆世界に出で給いぬる上はなにをか疑い候べき鸞綽導心観然等の六人の人人は智者なり日蓮は愚者なり非学生なり、但し上の六人は何れの国の人ぞ三界の外の人か六道の外の衆生か、阿弥陀仏に値い奉りて出家受戒して沙門となりたる僧か、今の人人は将門純友清盛義朝等には種性も及ばず威徳も足らず、心のがうさは申すばかりなけれども朝敵となりぬれば其の人ならざる人人も将門か純友かと舌にうちからみて申せども彼の子孫等もとがめず、義朝なんど申すは故右大将家の慈父なり、子を敬いまいらせば父をこそ敬いまいらせ候べきにいかなる人人も義朝為朝なんど申すぞ、此れ則王法の重く逆臣の罪のむくゐなり、上の六人も又かくのごとし、釈迦如来世に出でさせ給いて一代の聖教を説きをかせ給う、五十年の説法を我と集めて浅深勝劣虚妄真実を定めて四十余年は未だ真実を顕さず已今当第一等と説かせ給いしかば多宝十方の仏真実なりと加判せさせ給いて定めをかれて候を彼の六人は未顕真実の観経に依りて皆是れ真実の法華経を第一第二の悪人の為にはあらずと申さば今の人人は彼にすかされて数年を経たるゆへに将門純友等が所従等彼を用いざりし百姓等を或は切り或は打ちなんどせしがごとし、彼をおそれて従いし男女は官軍にせめられて彼の人人と一時に水火のせめに値いしなり。
今日本国の一切の諸仏菩薩一切の経を信ずるやうなれども心は彼の六人の心なり身は又彼の六人の家人なり、彼の将門等は官軍の向はざりし時は大将の所従知行の地且らく安穏なりしやうなりしかども違勅の責め近づきしかば、所は修羅道となり男子は厨者の魚をほふるがごとし、炎に入り水に入りしなり、今日本国も又かくのごとし、彼の六人が僻見に依って今生には守護の善神に放されて三災七難の国となり後生には一業所感の衆生なれば阿鼻大城の炎に入るべし、法華経の第五の巻に末代の法華経の強敵を仏記し置き給えるは如六通羅漢と云云、上の六人は尊貴なること六通を現ずる羅漢の如し。
然るに浄蓮上人の親父は彼等の人人の御檀那なり、仏教実ならば無間大城疑いなし、又君の心を演ぶるは臣親の苦をやすむるは子なり、目・尊者は悲母の餓鬼の苦を救い浄蔵浄眼は慈父の邪見を翻し給いき、父母の遺体は子の色心なり、浄蓮上人の法華経を持ち給う御功徳は慈父の御力なり、提婆達多は阿鼻地獄に堕ちしかども天王如来の記を送り給いき彼は仏と提婆と同性一家なる故なり、此れは又慈父なり子息なり、浄蓮上人の所持の法華経いかでか彼の故聖霊の功徳とならざるべき、事多しと申せども止め畢んぬ三反人によませてきこしめせ、恐恐謹言。  
 
新池御書/弘安三年二月五十九歳御作

 

うれしきかな末法流布に生れあへる我等かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人、抑人界に生を受くるもの誰か無常を免れん、さあらんに取つては何ぞ後世のつとめをいたさざらんや、倩世間の体を観ずれば人皆口には此の経を信じ手には経巻をにぎるといへども経の心にそむく間悪道を免れ難し、譬えば人に皆五臓あり一臓も損ずれば其の臓より病出て来て余の臓を破り終に命を失うが如し、爰を以て伝教大師は「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死す」等云云、文の心は法華経を持ち読み奉り讃むれども法華の心に背きぬれば還つて釈尊十方の諸仏を殺すに成りぬと申す意なり、終に世間の悪業衆罪は須弥の如くなれども此の経にあひ奉りぬれば諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし、然れども此の経の十四謗法の中に一も二もをかしぬれば其の罪消えがたし、所以は何ん一大三千界のあらゆる有情を殺したりとも争か一仏を殺す罪に及ばんや、法華の心に背きぬれば十方の仏の命を失ふ罪なり、此のをきてに背くを謗法の者とは申すなり、地獄おそるべし炎を以て家とす、餓鬼悲むべし飢渇にうへて子を食ふ、修羅は闘諍なり畜生は残害とて互に殺しあふ、紅蓮地獄と申すはくれなゐのはちすとよむ、其の故は余りに寒につめられてこごむ間せなかわれて肉の出でたるが紅の蓮に似たるなり、況や大紅蓮をや、かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利我慢偏執有るべきや。
思食すべし法華経をしれる僧を不思議の志にて一度も供養しなば悪道に行くべからず、何に況や十度二十度乃至五年十年一期生の間供養せる功徳をば仏の智慧にても知りがたし、此の経の行者を一度供養する功徳は釈迦仏を直ちに八十億劫が間無量の宝を尽して供養せる功徳に百千万億勝れたりと仏は説かせ給いて候、此の経にあひ奉りぬれば悦び身に余り左右の眼に涙浮びて釈尊の御恩報じ尽しがたし、かやうに此の山まで度度の御供養は法華経並に釈迦尊の御恩を報じ給うに成るべく候、弥はげませ給うべし懈ることなかれ、皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が中程は信心もよはく僧をも恭敬せず供養をもなさず自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし、始より終りまで弥信心をいたすべしさなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき、何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶべし。
噫過ぎし方の程なきを以て知んぬ我等が命今幾程もなき事を春の朝に花をながめし時ともなひ遊びし人は花と共に無常の嵐に散りはてて名のみ残りて其の人はなし花は散りぬといへども又こん春も発くべしされども消えにし人は亦いかならん世にか来るべき秋の暮に月を詠めし時戯れむつびし人も月と共に有為の雲に入りて後面影ばかり身にそひて物いふことなし月は西山に入るといへども亦こん秋も詠むべし然れどもかくれし人は今いづくにか住みぬらんおぼつかなし無常の虎のなく音は耳にちかづくといへども聞いて驚くことなし屠所の羊の今幾日か無常の道を歩まん雪山の寒苦鳥は寒苦にせめられて夜明なば栖つくらんと鳴くといへども日出でぬれば朝日のあたたかなるに眠り忘れて又栖をつくらずして一生虚く鳴くことをう一切衆生も亦復是くの如し地獄に堕ちて炎にむせぶ時は願くは今度人間に生れて諸事を閣ひて三宝を供養し後世菩提をたすからんと願へどもたまたま人間に来る時は名聞名利の風はげしく仏道修行の灯は消えやすし、無益の事には財宝をつくすにおしからず、仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事これただごとにあらず、地獄の使のきをふものなり寸善尺魔と申すは是なり、其の上此の国は謗法の土なれば守護の善神は法味にうへて社をすて天に上り給へば社には悪鬼入りかはりて多くの人を導く、仏陀化をやめて寂光土へ帰り給へば堂塔寺社は徒に魔縁の栖と成りぬ、国の費民の歎きにていらかを並べたる計りなり、是れ私の言にあらず経文にこれあり習ふべし。
諸仏も諸神も謗法の供養をば全く請け取り給はず況や人間としてこれをうくべきや、春日大明神の御託宣に云く飯に銅の炎をば食すとも心穢れたる人の物をうけじ、座に銅の焔には坐すとも心汚れたる人の家にはいたらじ、草の廊萱の軒にはいたるべしと云へり、縦令千日のしめを引くとも不信の所には至らじ、重服深厚の家なりとも有信の所には至るべし云云、是くの如く善神は此の謗法の国をばなげきて天に上らせ給いて候、心けがれたると申すは法華経を持たざる人の事なり、此の経の五の巻に見えたり、謗法の供養をば銅焔とこそおほせられたれ、神だにも是くの如し況や我等凡夫としてほむらをば食すべしや、人の子として我が親を殺したらんものの我に物をえさせんに是を取るべきや、いかなる智者聖人も無間地獄を遁るべからず、又それにも近づくべからず与同罪恐るべし恐るべし。
釈尊は一切の諸仏一切の諸神人天大会一切衆生の父なり主なり師なり、此の釈尊を殺したらんに争か諸天善神等うれしく思食すべき、今此の国の一切の諸人は皆釈尊の御敵なり、在家の俗男俗女等よりも邪智心の法師ばらは殊の外の御敵なり、智慧に於ても正智あり邪智あり智慧ありとも其の邪義には随ふべからず、貴僧高僧には依るべからず、賎き者なりとも此の経の謂れを知りたらんものをば生身の如来のごとくに礼拝供養すべし是れ経文なり、されば伝教大師は無智破戒の男女等も此の経を信ぜん者は小乗二百五十戒の僧の上に座席に居よ末座すべからず況や大乗此の経の僧をやとあそばされたり、今生身の如来の如くにみえたる極楽寺の良観房よりも此の経を信じたる男女は座席を高く居ることこそ候へ、彼の二百五十戒の良観房も日蓮に会いぬれば腹をたて眼をいからす是ただごとにはあらず、智者の身に魔の入りかはればなり、譬えば本性よき人なれども酒に酔いぬればあしき心出来し人の為にあしきが如し、仏は法華以前の迦葉舎利弗目連等をば是を供養せん者は三悪道に墮つべし、彼が心は犬野干の心には劣れりと説き給いて候なり、彼の四大声聞等は二百五十戒を持つことは金剛の如し三千の威儀具足する事は十五夜の月の如くなりしかども法華経を持たざる時は是くの如く仰せられたり、何に況やそれに劣れる今時の者共をや。
建長寺円覚寺の僧共の作法戒文を破る事は大山の頽れたるが如く威儀の放埒なることは猿に似たり、是を供養して後世を助からんと思ふははかなしはかなし、守護の善神此の国を捨つる事疑あることなし、昔釈尊の御前にして諸天善神菩薩声聞異口同音に誓をたてさせ給いて若し法華経の御敵の国あらば或は六月に霜霰と成りて国を飢饉せさせんと申し、或は小虫と成りて五穀をはみ失はんと申し、或は旱魃をなさん或は大水と成りて田園をながさんと申し、或は大風と成りて人民を吹き殺さんと申し、或は悪鬼と成りてなやまさんと面面に申させ給ふ、今の八幡大菩薩も其の座におはせしなり争か霊山の起請の破るるをおそれ給はざらん、起請を破らせ給はば無間地獄は疑なき者なり恐れ給うべし恐れ給うべし、今までは正く仏の御使出世して此の経を弘めず国主もあながちに御敵にはならせ給はず但いづれも貴しとのみ思ふ計りなり。
今某仏の御使として此の経を弘むるに依りて上一人より下万民に至るまで皆謗法と成り畢んぬ、今までは此の国の者ども法華経の御敵にはなさじと一子のあひにくの如く捨てかねておはせども霊山の起請のおそろしさに社を焼き払いて天に上らせ給いぬ、さはあれども身命をおしまぬ法華経の行者あれば其の頭には住むべし、天照太神八幡大菩薩天に上らせ給はば其の余の諸神争か社に留るべき、縦ひ捨てじと思食すとも霊山のやくそくのままに某呵責し奉らば一日もやはかおはすべき、譬えば盗人の候に知れぬ時はかしこやここに住み候へども能く案内知りたる者の是こそ盗人とののしりどめけばおもはぬ外に栖を去るが如く、某にささへられて社をば捨て給ふ、然るに此の国思いの外に悪鬼神の住家となれり哀なり哀なり。
又一代聖教を弘むる人多くおはせども是れ程の大事の法門をば伝教天台もいまだ仰せられず、其も道理なり末法の始の五百年に上行菩薩の出世あつて弘め給ふべき法門なるが故なり、相構へていかにしても此の度此の経を能く信じて命終の時千仏の迎いに預り霊山浄土に走りまいり自受法楽すべし、信心弱くして成仏ののびん時某をうらみさせ給ふな、譬えば病者に良薬を与ふるに毒を好んでくひぬれば其の病愈えがたき時我がとがとは思はず還って医師を恨むるが如くなるべし、此の経の信心と申すは少しも私なく経文の如くに人の言を用ひず法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ、仏に成り候事は別の様は候はず、南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり、譬えば鳥の卵は始は水なり其の水の中より誰かなすともなけれども觜よ目よと厳り出来て虚空にかけるが如し、我等も無明の卵にしてあさましき身なれども南無妙法蓮華経の唱への母にあたためられまいらせて三十二相の觜出でて八十種好の鎧毛生そろひて実相真如の虚空にかけるべし、爰を以て経に云く「一切衆生は無明の卵に処して智慧の口ばしなし、仏母の鳥は分段同居の古栖に返りて無明の卵をたたき破りて一切衆生の鳥をすだてて法性真如の大虚にとばしむ」と説けり取意。
有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず、有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし、皆此の経の意なり私の言にはあらずされば二の巻には「信を以て入ることを得己が智分に非ず」とて智慧第一の舎利弗も但此の経を受け持ち信心強盛にして仏になれり己が智慧にて仏にならずと説き給へり、舎利弗だにも智慧にては仏にならず、況や我等衆生少分の法門を心得たりとも信心なくば仏にならんことおぼつかなし、末代の衆生は法門を少分こころえ僧をあなづり法をいるかせにして悪道におつべしと説き給へり、法をこころえたるしるしには僧を敬ひ法をあがめ仏を供養すべし、今は仏ましまさず解悟の智識を仏と敬ふべし争か徳分なからんや、後世を願はん者は名利名聞を捨てて何に賎しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正く経文なり。
今時の禅宗は大段仁義礼智信の五常に背けり、有智の高徳をおそれ老いたるを敬ひ幼きを愛するは内外典の法なり、然るを彼の僧家の者を見れば昨日今日まで田夫野人にして黒白を知らざる者もかちんの直綴をだにも著つればうち慢じて天台真言の有智高徳の人をあなづり礼をもせず其の上に居らんと思うなり、是れ傍若無人にして畜生に劣れり、爰を以て伝教大師の御釈に云く川獺祭魚のこころざし林烏父祖の食を通ず鳩鴿三枝の礼あり行雁連を乱らず羔羊踞りて乳を飲む賎き畜生すら礼を知ること是くの如し、何ぞ人倫に於て其の礼なからんやとあそばされたり取意、彼等が法に迷ふ事道理なり、人倫にしてだにも知らず是れ天魔破旬のふるまひにあらずや。
是等の法門を能く能く明らめて一部八巻廿八品を頭にいただき懈らず行ひ給へ、又某を恋しくおはせん時は日日に日を拝ませ給へ某は日に一度天の日に影をうつす者にて候、此の僧によませまひらせて聴聞あるべし、此の僧を解悟の智識と憑み給いてつねに法門御たづね候べし、聞かずんば争か迷闇の雲を払はん足なくして争か千里の道を行かんや、返す返す此の書をつねによませて御聴聞あるべし、事事面の次を期し候間委細には申し述べず候、穴賢穴賢。 ( 弘安三年二月日 ) 
 
高橋入道殿御返事/建治元年七月五十四歳御作

 

進上高橋入道殿御返事日蓮
我等が慈父大覚世尊は人寿百歳の時中天竺に出現しましまして一切衆生のために一代聖教をとき給う、仏在世の一切衆生は過去の宿習有つて仏に縁あつかりしかばすでに得道成りぬ、我が滅後の衆生をばいかんがせんとなげき給いしかば八万聖教を文字となして一代聖教の中に小乗経をば迦葉尊者にゆづり大乗経並びに法華経涅槃等をば文殊師利菩薩にゆづり給う、但八万聖教の肝心法華経の眼目たる妙法蓮華経の五字をば迦葉阿難にもゆづり給はず、又文殊普賢観音弥勒地蔵竜樹等の大菩薩にもさづけ給はず、此等の大菩薩等ののぞみ申せしかども仏ゆるし給はず、大地の底より上行菩薩と申せし老人を召しいだして多宝仏十方の諸仏の御前にして釈迦如来七宝の塔中にして妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給う。
其の故は我が滅後の一切衆生は皆我が子なりいづれも平等に不便にをもうなり、しかれども医師の習い病に随いて薬をさづくる事なれば我が滅後五百年が間は迦葉阿難等に小乗経の薬をもつて一切衆生にあたへよ、次の五百年が間は文殊師利菩薩弥勒菩薩竜樹菩薩天親菩薩に華厳経大日経般若経等の薬を一切衆生にさづけよ、我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩観世音菩薩等法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ、末法に入りなば迦葉阿難等文殊弥勒菩薩等薬王観音等のゆづられしところの小乗経大乗経並びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず、所謂病は重し薬はあさし、其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし、其の時一切衆生此の菩薩をかたきとせん、所謂さるのいぬをみたるがごとく鬼神の人をあだむがごとく過去の不軽菩薩の一切衆生にのりあだまれしのみならず杖木瓦礫にせめられしがごとく覚徳比丘が殺害に及ばれしがごとくなるべし。
其の時は迦葉阿難等も或は霊山にかくれ恒河に没し弥勒文殊等も或は都率の内院に入り或は香山に入らせ給い、観世音菩薩は西方にかへり普賢菩薩は東方にかへらせ給う、諸経は行ずる人はありとも守護の人なければ利生あるべからず、諸仏の名号は唱うるものありとも天神これをかごすべからず、但し小牛の母をはなれ金鳥のたかにあえるがごとくなるべし、其の時十方世界の大鬼神一閻浮提に充満して四衆の身に入つて或は父母をがいし或は兄弟等を失はん、殊に国中の智者げなる持戒げなる僧尼の心に此の鬼神入つて国主並びに臣下をたぼらかさん、此の時上行菩薩の御かびをかほりて法華経の題目南無妙法蓮華経の五字計りを一切衆生にさづけば彼の四衆等並びに大僧等此の人をあだむ事父母のかたき宿世のかたき朝敵怨敵のごとくあだむべし、其の時大なる天変あるべし、所謂日月蝕し大なる彗星天にわたり大地震動して水上の輪のごとくなるべし、其の後は自界叛逆難と申して国主兄弟並びに国中の大人をうちころし後には他国侵逼難と申して鄰国よりせめられて或はいけどりとなり或は自殺をし国中の上下万民皆大苦に値うべし、此れひとへに上行菩薩のかびをかをほりて法華経の題目をひろむる者を或はのり或はうちはり或は流罪し或は命をたちなんどするゆへに仏前にちかひをなせし梵天帝釈日月四天等の法華経の座にて誓状を立てて法華経の行者をあだまん人をば父母のかたきよりもなをつよくいましむべしとちかうゆへなりとみへて候に、今日蓮日本国に生まれて一切経並びに法華経の明鏡をもて日本国の一切衆生の面に引向たるに寸分もたがはぬ上仏の記し給いし天変あり地夭あり、定んで此の国亡国となるべしとかねてしりしかばこれを国主に申すならば国土安穏なるべくもたづねあきらむべし、亡国となるべきならばよも用いじ、用いぬ程ならば日蓮は流罪死罪となるべしとしりて候いしかども仏いましめて云く此の事を知りながら身命ををしみて一切衆生にかたらずば我が敵たるのみならず一切衆生の怨敵なり、必ず阿鼻大城に堕つべしと記し給へり。
此に日蓮進退わづらひて此の事を申すならば我が身いかにもなるべし我が身はさてをきぬ父母兄弟並びに千万人の中にも一人も随うものは国主万民にあだまるべし、彼等あだまるるならば仏法はいまだわきまへず人のせめはたへがたし、仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに此の法を持つによつて大難出来するはしんぬ此の法を邪法なりと誹謗して悪道に堕つべし、此れも不便なり又此れを申さずは仏誓に違する上、一切衆生の怨敵なり大阿鼻地獄疑いなし、いかんがせんとをもひしかどもをもひ切つて申し出しぬ、申し始めし上は又ひきさすべきにもあらざればいよいよつより申せしかば、仏の記文のごとく国主もあだみ万民もせめき、あだをなせしかば天もいかりて日月に大変あり大せいせいも出現しぬ大地もふりかえしぬべくなりぬ、どしう(同士打)ちもはじまり他国よりもせめるなり、仏の記文すこしもたがわず日蓮が法華経の行者なる事も疑はず。
但し去年かまくらより此のところへにげ入り候いし時道にて候へば各各にも申すべく候いしかども申す事もなし、又先度の御返事も申し候はぬ事はべちの子細も候はず、なに事にか各各をばへだてまいらせ候べき、あだをなす念仏者禅宗真言師等をも並びに国主等をもたすけんがためにこそ申せ、かれ等のあだをなすはいよいよ不便にこそ候へ、まして一日も我がかたとて心よせなる人人はいかでかをろかなるべき世間のをそろしさに妻子ある人人のとをざかるをばことに悦ぶ身なり、日蓮に付てたすけやりたるかたわなき上わづかの所領をも召さるるならば子細もしらぬ妻子所従等がいかになげかんずらんと心ぐるし。
而も去年の二月に御勘気をゆりて三月の十三日に佐渡の国を立ち同月の二十六日にかまくらに入る、同四月の八日平左衛門尉にあひたりし時やうやうの事どもとひし中に蒙古国はいつよすべきと申せしかば、今年よすべし、それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし、たすからんとをもひしたうならば日本国の念仏者と禅と律僧等が頚を切つてゆいのはまにかくべし、それも今はすぎぬ但し皆人のをもひて候は日蓮をば念仏師と禅と律をそしるとをもひて候、これは物のかずにてかずならず真言宗と申す宗がうるわしき日本国の大なる呪咀の悪法なり、弘法大師と慈覚大師此の事にまどひて此の国を亡さんとするなり、設い二年三年にやぶるべき国なりとも真言師にいのらする程ならば一年半年に此のくにせめらるべしと申しきかせて候いき。
たすけんがために申すを此程あだまるる事なればゆりて候いし時さどの国よりいかなる山中海辺にもまぎれ入るべかりしかども此の事をいま一度平左衛門に申しきかせて日本国にせめのこされん衆生をたすけんがためにのぼりて候いき、又申しきかせ候いし後はかまくらに有るべきならねば足にまかせていでしほどに便宜にて候いしかば設い各各はいとはせ給うとも今一度はみたてまつらんと千度をもひしかども心に心をたたかいてすぎ候いき、そのゆへはするがの国は守殿の御領ことにふじなんどは後家尼ごぜんの内の人人多し、故最明寺殿極楽寺殿のかたきといきどをらせ給うなればききつけられば各各の御なげきなるべしとおもひし心計りなり、いまにいたるまでも不便にをもひまいらせ候へば御返事までも申さず候いき、この御房たちのゆきすりにもあなかしこあなかしこふじかじま(富士賀島)のへんへ立ちよるべからずと申せどもいかが候らんとをぼつかなし。
ただし真言の事ぞ御不審にわたらせ給い候らん、いかにと法門は申すとも御心へあらん事かたし但眼前の事をもつて知しめせ、隠岐の法皇は人王八十二代神武よりは二千余年天照太神入りかわらせ給いて人王とならせ給う、いかなる者かてきすべき上欽明より隠岐の法皇にいたるまで漢土百済新羅高麗よりわたり来る大法秘法を叡山東寺園城七寺並びに日本国にあがめをかれて候、此れは皆国を守護し国主をまほらんためなり、隠岐の法皇世をかまくらにとられたる事を口をしとをぼして叡山東寺等の高僧等をかたらひて義時が命をめしとれと行ぜしなり、此の事一年二年ならず数年調伏せしに権の大夫殿はゆめゆめしろしめさざりしかば一法も行じ給はず又行ずとも叶うべしともをぼへずありしに天子いくさにまけさせ給いて隠岐の国へつかはされさせ給う、日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給う王なり、先生の十善戒の力といひいかでか国中の万民の中にはかたぶくべき、設いとがありともつみあるをやを失なき子のあだむにてこそ候いぬらめ、設い親に重罪ありとも子の身として失に行はんに天うけ給うべしや、しかるに隠岐の法皇のはぢにあはせ給いしはいかなる大禍ぞ此れひとへに法華経の怨敵たる日本国の真言師をかたらはせ給いしゆへなり。
一切の真言師は潅頂と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきて此れを足にふみて秘事とするなり、かかる不思議の者ども諸山諸寺の別当とあおぎてもてなすゆへにたみの手にわたりて現身にはぢにあひぬ、此の大悪法又かまくらに下つて御一門をすかし日本国をほろぼさんとするなり、此の事最大事なりしかば弟子等にもかたらず只いつはりをろかにて念仏と禅等計りをそしりてきかせしなり、今は又用いられぬ事なれば身命もおしまず弟子どもにも申すなり、かう申せばいよいよ御不審あるべし、日蓮いかにいみじく尊くとも慈覚弘法にすぐるべきか、この疑すべてはるべからずいかにとかすべき。
但し皆人はにくみ候にすこしも御信用のありし上此れまでも御たづねの候は只今生計りの御事にはよも候はじ定めて過去のゆへか、御所労の大事にならせ給いて候なる事あさましく候、但しつるぎはかたきのため薬は病のため、阿闍世王は父をころし仏の敵となれり、悪瘡身に出で後に仏に帰伏し法華経を持ちしかば悪瘡も平癒し寿をも四十年のべたりき、而も法華経は閻浮提人病之良薬とこそとかれて候へ、閻浮の内の人は病の身なり法華経の薬あり、三事すでに相応しぬ一身いかでかたすからざるべき、但し御疑のわたり候はんをば力をよばず、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。
覚乗房はわき房に度度よませてきこしめせきこしめせ。 
 
三三蔵祈雨事/建治元年六月五十四歳御作

 

夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ、又三千大千世界のなかには舎利弗迦葉尊者をのぞいては仏よにいで給はずば一人もなく三悪道に堕つべかりしが、仏をたのみまいらせし強縁によりて一切衆生はをほく仏になりしなり、まして阿闍世王あうくつまら(鴦掘摩羅)なんど申せし悪人どもはいかにもかなうまじくて必ず阿鼻地獄に堕つべかりしかども教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給いてこそ仏にはならせ給いしか、されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり、而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり、而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく善知識は爪上の土よりもすくなし、補陀落山の観世音菩薩は善財童子の善知識別円二教ををしへていまだ純円ならず、常啼菩薩は身をうて善知識をもとめしに曇無竭菩薩にあへり、通別円の三教をならひて法華経ををしへず、舎利弗は金師が善知識九十日と申せしかば闡提の人となしたりき、ふるな(富楼那)は一夏の説法に大乗の機を小人となす、大聖すら法華経をゆるされず証果のらかん機をしらず、末代悪世の学者等をば此をもつてすひしぬべし、天を地といゐ東を西といゐ火を水とをしへ星は月にすぐれたり、ありづかは須弥山にこへたり、なんど申す人人を信じて候はん人人はならはざらん悪人にはるかをとりてをしかりぬべし。
日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず、而るに去る文永五年の比東には俘囚をこり西には蒙古よりせめつかひつきぬ、日蓮案じて云く仏法を信ぜざればなり定めて調伏をこなはれずらん、調伏は又真言宗にてぞあらんずらん、月支漢土日本三箇国の間に且く月支はをく、漢土日本の二国は真言宗にやぶらるべし、善無畏三蔵漢土に亘りてありし時は唐の玄宗の時なり、大旱魃ありしに祈雨の法ををほせつけられて候しに大雨ふらせて上一人より下万民にいたるまで大に悦びし程に須臾ありて大風吹き来りて国土をふきやぶりしかばけをさめてありしなり、又其の世に金剛智三蔵わたる、又雨の御いのりありしかば七日が内に大雨下り上のごとく悦んでありし程に、前代未聞の大風吹きしかば真言宗はをそろしき悪法なりとて月支へをわれしがとかうしてとどまりぬ、又同じ御世に不空三蔵雨をいのりし程三日が内に大雨下る悦さきのごとし、又大風吹きてさき二度よりもをびただし数十日とどまらず、不可思議の事にてありしなり、此は日本国の智者愚者一人もしらぬ事なり、しらんとをもはば日蓮が生きてある時くはしくたづねならへ、日本国には天長元年二月に大旱魃あり、弘法大師も神泉苑にして祈雨あるべきにてありし程に守敏と申せし人すすんで云く「弘法は下臈なり我は上臈なりまづをほせをかほるべし」と申す、こうに随いて守敏をこなう、七日と申すには大雨下りしかども京中計りにて田舎にふらず、弘法にをほせつけられてありしかば七日にふらず二七日にふらず三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給いき、而るを東寺の門人等我が師の雨とがうす、くわしくは日記をひきて習うべし、天下第一のわうわくのあるなり、これより外に弘仁九年の春のえきれい又三古なげたる事に不可思議の誑惑あり口伝すべし。
天台大師は陳の世に大旱魃あり法華経をよみて須臾に雨下り王臣かうべをかたぶけ万民たなごころをあはせたり、しかも大雨にもあらず風もふかず甘雨にてありしかば、陳王大師の御前にをはしまして内裏へかへらんことをわすれ給いき、此の時三度の礼拝はありしなり。
去る弘仁九年の春大旱魃ありき嵯峨の天王真綱と申す臣下をもつて冬嗣のとり申されしかば法華経金光明経仁王経をもつて伝教大師祈雨ありき、三日と申せし日ほそきくもほそきあめしづしづと下りしかば天子あまりによろこばせ給いて、日本第一のかたことたりし大乗の戒壇はゆるされしなり、伝教大師の御師護命と申せし聖人は南都第一の僧なり、四十人の御弟子あいぐして仁王経をもつて祈雨ありしが五日と申せしに雨下りぬ、五日はいみじき事なれども三日にはをとりて而も雨あらかりしかばまけにならせ給いぬ、此れをもつて弘法の雨をばすひせさせ給うべし、かく法華経はめでたく真言はをろかに候に日本のほろぶべきにや一向真言にてあるなり、隠岐の法王の事をもつてをもうに真言をもつて蒙古とえぞとをでうぶくせば日本国やまけんずらんとすひせしゆへに此の事いのちをすてていゐてみんとをもひしなり、いゐし時はでしら(弟子等)せいせしかどもいまはあひぬれば心よかるべきにや、漢土日本の智者五百余年の間一人もしらぬ事をかんがへて候なり、善無畏金剛智不空等の祈雨に雨は下りて而も大風のそひ候はいかにか心へさせ給うべき、外道の法なれどもいうにかひなき道士の法にも雨下る事あり、まして仏法は小乗なりとも法のごとく行うならばいかでか雨下らざるべき、いわうや大日経は華厳般若にこそをよばねども阿含にはすこしまさりて候ぞかし、いかでかいのらんに雨下らざるべきされば雨は下りて候へども大風のそいぬるは大なる僻事のかの法の中にまじわれるなるべし、弘法大師の三七日に雨下らずして候を天子の雨を我が雨と申すは又善無畏等よりも大にまさる失のあるなり。
第一の大妄語には弘法大師の自筆に云く、「弘仁九年の春疫れいをいのりてありしかば夜中に日いでたり」と云云、かかるそらごとをいう人なり、此の事は日蓮が門家第一の秘事なり本文をとりつめていうべし、仏法はさてをきぬ上にかきぬる事天下第一の大事なり、つてにをほせあるべからず御心ざしのいたりて候へばをどろかしまいらせ候、日蓮をばいかんがあるべかるらんとをぼつかなしとをぼしめすべきゆへにかかる事ども候、むこり国だにもつよくせめ候わば今生にもひろまる事も候いなん、あまりにはげしくあたりし人人はくゆるへんもやあらんずらん。
外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしがやうやくわかれて九十五種なり、其の中に多くの智者神通のものありしかども一人も生死をはなれず、又帰依せし人人も善につけ悪につけて皆三悪道に堕ち候いしを仏出世せさせ給いてありしかば、九十五種の外道十六大国の王臣諸民をかたらひて或はのり或はうち或は弟子或はだんな等無量無辺ころせしかども仏たゆむ心なし、我此の法門を諸人にをどされていゐやむほどならば一切衆生地獄に堕つべしとつよくなげかせ給いしゆへに退する心なし、この外道と申すは先仏の経経を見てよみそこないて候いしより事をこれり。
今も又かくのごとし、日本の法門多しといへども源は八宗九宗十宗よりをこれり、十宗のなかに華厳等の宗宗はさてをきぬ、真言と天台との勝劣に弘法慈覚智証のまどひしによりて日本国の人人今生には他国にもせめられ後生にも悪道に堕つるなり、漢土のほろび又悪道に堕つる事も善無畏金剛智不空のあやまりよりはじまれり、又天台宗の人人も慈覚智証より後はかの人人の智慧にせかれて天台宗のごとくならず、さればさのみやはあるべき。
いわうや日蓮はかれにすぐべきとわが弟子等をぼせども仏の記文にはたがはず、末法に入つて仏法をばうじ無間地獄に堕つべきものは大地微塵よりも多く、正法をへたらん人は爪上の土よりもすくなしと涅槃経にはとかれ、法華経には設い須弥山をなぐるものはありとも我が末法に法華経を経のごとくにとく者ありがたしと記しをかせ給へり、大集経金光明経仁王経守護経はちなひをん(般泥・)経最勝王経等に末法に入つて正法を行ぜん人出来せば邪法のもの王臣等にうたへてあらんほどに彼の王臣等他人がことばにつひて一人の正法のものを或はのり或はせめ或はながし或はころさば梵王帝釈無量の諸天天神地神等りんごくの賢王の身に入りかはりてその国をほろぼすべしと記し給へり、今の世は似て候者かな。
抑各各はいかなる宿善にて日蓮をば訪はせ給へるぞ、能く能く過去を御尋ね有らばなにと無くとも此度生死は離れさせ給うべし、すりはむどく(須梨槃特)は三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ是れ偏に末代の今の世を表するなり、敢て人の上と思し食すべからず事繁ければ止め置き候い畢んぬ、抑当時の怱怱に御志申す計り候はねば大事の事あらあらをどろかしまひらせ候、ささげ(大角豆)青大豆給い候いぬ。 
 
三沢抄/建治四年二月五十七歳御作

 

かへすがへすするがの人人みな同じ御心と申させ給い候へ。
柑子一百こぶのりをご等の生の物はるばるとわざわざ山中へをくり給いて候、ならびにうつぶさの尼ごぜんの御こそで一給い候い了んぬ。
さてはかたがたのをほせくはしくみほどき候。
抑仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれどもまことに仏になる人は爪の上の土よりもすくなしと大覚世尊涅槃経にたしかにとかせ給いて候いしを、日蓮みまいらせ候ていかなればかくわかたかるらむとかんがへ候いしほどにげにもさならむとをもう事候、仏法をばがくすれども或は我が心のをろかなるにより或はたとひ智慧はかしこきやうなれども師によりて我が心のまがるをしらず、仏教をなをしくならひうる事かたし、たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいで仏にならむとする時にはかならず影の身にそうがごとく雨に雲のあるがごとく三障四魔と申して七の大事出現す、設ひからくして六はすぐれども第七にやぶられぬれば仏になる事かたし、其の六は且くをく第七の大難は天子魔と申す物なり、設い末代の凡夫一代聖教の御心をさとり摩訶止観と申す大事の御文の心を心えて仏になるべきになり候いぬれば第六天の魔王此の事を見て驚きて云く、あらあさましや此の者此の国に跡を止ならばかれが我が身の生死をいづるかはさてをきぬ又人を導くべし、又此の国土ををさへとりて我が土を浄土となす、いかんがせんとて欲色無色の三界の一切の眷属をもよをし仰せ下して云く、各各ののうのうに随つてかの行者をなやましてみよそれにかなわずばかれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりてあるひはいさめ或はをどしてみよそれに叶はずば我みづからうちくだりて国主の身心に入りかわりてをどして見むにいかでかとどめざるべきとせんぎし候なり。
日蓮さきよりかかるべしとみほどき候いて末代の凡夫の今生に仏になる事は大事にて候いけり釈迦仏の仏にならせ給いし事を経経にあまたとかれて候に第六天の魔王のいたしける大難いかにも忍ぶべしともみへ候はず候、提婆達多阿闍世王の悪事はひとへに第六天の魔王のたばかりとこそみて候へ、まして如来現在猶多怨嫉況滅度後と申して大覚世尊の御時の御難だにも凡夫の身日蓮にかやうなる者は片時一日も忍びがたかるべし、まして五十余年が間の種種の大難をや、まして末代には此等は百千万億倍すぐべく候なる大難をばいかでか忍び候べきと心に存して候いしほどに聖人は未萠を知ると申して三世の中に未来の事を知るをまことの聖人とは申すなり、而るに日蓮は聖人にあらざれども日本国の今の代にあたりて此の国亡亡たるべき事をかねて知りて候いしに此れこそ仏のとかせ給いて候況滅度後の経文にあたりて候へ、此れを申しいだすならば仏の指させ給いて候未来の法華経の行者なり、知りて而かも申さずば世世生生の間をうしことどもり生ん上教主釈尊の大怨敵其の国の国主の大讎敵他人にあらず、後生は又無間大城の人此れなりとかんがへみて或は衣食にせめられ或は父母兄弟師匠同行にもいさめられ或は国主万民にもをどされしにすこしもひるむ心あるならば一度に申し出ださじととしごろひごろ心をいましめ候いしが抑過去遠遠劫より定めて法華経にも値い奉り菩提心もをこしけん、なれども設い一難二難には忍びけれども大難次第につづき来りければ退しけるにや、今度いかなる大難にも退せぬ心ならば申し出すべしとて申し出して候いしかば経文にたがわず此の度度の大難にはあいて候いしぞかし。
今は一こうなりいかなる大難にもこらへてんと我が身に当てて心みて候へば不審なきゆへに此の山林には栖み候なり、各各は又たといすてさせ給うとも一日かたときも我が身命をたすけし人人なればいかでか他人にはにさせ給うべき、本より我一人いかにもなるべし我いかにしなるとも心に退転なくして仏になるならばとのばらをば導きたてまつらむとやくそく申して候いき、各各は日蓮ほども仏法をば知らせ給わざる上俗なり、所領あり妻子あり所従ありいかにも叶いがたかるべし、只いつわりをろかにてをはせかしと申し候いきこそ候へけれ、なに事につけてかすてまいらせ候べきゆめゆめをろかのぎ候べからず。
又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門はただ仏の爾前の経とをぼしめせ、此の国の国主我が代をもたもつべくば真言師等にも召し合せ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんず、さらばよもあわじとをもひて各各にも申さざりしなり。
而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頚をはねられんとせし時よりのちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうてさどの国より弟子どもに内内申す法門あり、此れは仏より後迦葉阿難竜樹天親天台妙楽伝教義真等の大論師大人師は知りてしかも御心の中に秘せさせ給いし、口より外には出し給はず、其の故は仏制して云く「我が滅後末法に入らずば此の大法いうべからず」とありしゆへなり、日蓮は其の御使にはあらざれども其の時剋にあたる上存外に此の法門をさとりぬれば聖人の出でさせ給うまでまづ序分にあらあら申すなり、而るに此の法門出現せば正法像法に論師人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光巧匠の後に拙を知るなるべし、此の時には正像の寺堂の仏像僧等の霊験は皆きへうせて但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候、各各はかかる法門にちぎり有る人なればたのもしとをぼすべし。
又うつぶさの御事は御としよらせ給いて御わたりありしいたわしくをもひまいらせ候いしかどもうぢがみへまいりてあるついでと候しかばけさんに入るならば定めてつみふかかるべし、其の故は神は所従なり法華経は主君なり所従のついでに主君へのけさんは世間にもをそれ候、其の上尼の御身になり給いてはまづ仏をさきとすべし、かたがたの御とがありしかばけさんせず候、此の又尼ごぜん一人にはかぎらず、其の外の人人もしもべのゆ(下部温泉)のついでと申す者をあまたをひかへして候、尼ごぜんはをやのごとくの御としなり、御なげきいたわしく候いしかども此の義をしらせまいらせんためなり。
又とのはをととし(一昨年)かのけさんの後そらごとにてや候いけん御そらうと申せしかば人をつかわしてきかんと申せしに此の御房たちの申せしはそれはさる事に候へども人をつかわしたらばいぶせくやをもはれ候はんずらんと申せしかば世間のならひはさもやあるらむ、げんに御心ざしまめなる上御所労ならば御使も有りなんとをもひしかども御使もなかりしかばいつわりをろかにてをぼつかなく候いつる上無常は常のならひなれどもこぞことしは世間はうにすぎてみみへまいらすべしともをぼへず、こひしくこそ候いつるに御をとづれあるうれしとも申す計りなし、尼ごぜんにもこのよしをつぶつぶとかたり申させ給い候へ、法門の事こまごまとかきつへ申すべく候へども事ひさしくなり候へばとどめ候。
ただし禅宗と念仏宗と律宗等の事は少少前にも申して候、真言宗がことに此の国とたうどとをばほろぼして候ぞ、善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵弘法大師慈覚大師智証大師此の六人が大日の三部経と法華経との優劣に迷惑せしのみならず、三三蔵事をば天竺によせて両界をつくりいだし狂惑しけるを三大師うちぬかれて日本へならひわたし国主並に万民につたへ、漢土の玄宗皇帝も代をほろぼし日本国もやうやくをとろへて八幡大菩薩の百王のちかいもやぶれて八十二代隠岐の法王代を東にとられ給いしはひとへに三大師の大僧等がいのりしゆへに還著於本人して候、関東は此の悪法悪人を対治せしゆへに十八代をつぎて百王にて候べく候いつるを、又かの悪法の者どもを御帰依有るゆへに一国には主なければ梵釈日月四天の御計いとして他国にをほせつけてをどして御らむあり、又法華経の行者をつかわして御いさめあるをあやめずして彼の法師等に心をあわせて世間出世の政道をやぶり、法にすぎて法華経の御かたきにならせ給う、すでに時すぎぬれば此の国やぶれなんとす。
やくびやうはすでにいくさにせんふせわまたしるしなり、あさましあさまし。 
 
南条兵衛七郎殿御書/文永元年十二月四十三歳御作

 

御所労の由承り候はまことにてや候らん、世間の定なき事は病なき人も留りがたき事に候へばまして病あらん人は申すにおよばず但心あらん人は後世をこそ思いさだむべきにて候へ、又後世を思い定めん事は私にはかなひがたく候、一切衆生の本師にてまします釈尊の教こそ本にはなり候べけれ。
しかるに仏の教へ又まちまちなり人の心の不定なる故か。
しかれども釈尊の説教五十年にはすぎず、さき四十余年の間の法門に華厳経には心仏及衆生是三無差別阿含経には苦空無常無我大集経には染浄融通大品経には混同無二雙観経観経阿弥陀経等には往生極楽、此等の説教は皆正法像法末法の一切衆生をすくはんがためにこそとかれはべりけんめ、しかれども仏いかんがおぼしけん無量義経に「方便の力を以て四十余年には未だ真実を顕さず」と説かれて先四十余年の往生極楽等の一切経は親の先判のごとくくひかへされて「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずることを得ず」といゐきらせ給いて法華経の方便品に重ねて「正直に方便を捨て但無上の道を説く」と説かせ給へり、方便をすてよととかれてはべるは四十余年の念仏等をすてよととかれて候、かうたしかにくひかへして実義を定むるには「世尊の法は久くして後要当に真実を説くべし」といひ「久しく斯の要を黙して務いで速かに説かず」等と定められしかば、多宝仏は大地よりわきいでさせ給いてこの事真実なりと証誠をくわへ、十方の諸仏は八方にあつまりて広長舌相を大梵天宮につけさせ給ふ、二処三会二界八番の衆生一人もなくこれをみ候いき、此等の文をみ候に仏教を信ぜぬ悪人外道はさておき候いぬ、仏教の中に入り候ても爾前権教念仏等を厚く信じて十遍百遍千遍一万乃至六万等を一日にはげみて十年二十年のあひだにも南無妙法蓮華経と一遍だにも申さぬ人人は先判に付いて後判をもちゐぬ者にては候まじきか、此等は仏説を信じたりげには我身も人も思いたりげに候へども仏説の如くならば不孝の者なり。
故に法華経の第二に云く「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す復教詔すと雖も而も信受せず」等云云、此の文の心は釈迦如来は我等衆生には親なり師なり主なり、我等衆生のためには阿弥陀仏薬師仏等は主にてはましませども親と師とにはましまさず、ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる、親も親にこそよれ釈尊ほどの親師も師にこそよれ主も主にこそよれ釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ、この親と師と主との仰せをそむかんもの天神地祗にすてられたてまつらざらんや、不孝第一の者なり故に雖復教詔而不信受等と説かれたり、たとひ爾前の経につかせ給いて百千万億劫行ぜさせ給うとも法華経を一遍も南無妙法蓮華経と申させ給はずば不孝の人たる故に三世十方の聖衆にもすてられ天神地祗にもあだまれ給はんか[是一]。
たとひ五逆十悪無量の悪をつくれる人も根だにも利なれば得道なる事これあり、提婆達多鴦崛摩羅等これなり、たとひ根鈍なれども罪なければ得道なる事これあり須利槃特等是なり、我等衆生は根の鈍なる事すりはんどくにもすぎ物のいろかたちをわきまへざる事羊目のごとし、貪瞋癡きわめてあつく十悪は日日にをかし五逆をばおかさざれども五逆に似たる罪又日日におかす、又十悪五逆にすぎたる謗法は人毎にこれあり、させる語を以て法華経を謗ずる人はすくなけれども人ごとに法華経をばもちゐず、又もちゐたるやうなれども念仏等のやうには信心ふかからず、信心ふかきものも法華経のかたきをばせめず、いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにもせめざれば得道ありがたし、たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども君の敵をしりながら奏もせず私にもあだまずば奉公皆うせて還つてとがに行はれんが如し、当世の人人は謗法の者としろしめすべし[是二]。
仏入滅の次の日より千年をば正法と申して持戒の人多く得道の人これあり。
正法千年の後は像法千年なり破戒の者は多く得道すくなし、像法千年の後は末法万年なり持戒もなし破戒もなし無戒の者のみ国に充満せん、而も濁世と申してみだれたる世なり、清世と申してすめる世には直繩のまがれる木をけづらするやうに非をすて是を用うるなり、正像より五濁やうやういできたりて末法になり候へば五濁さかりにすぎて、大風の大波を起して岸を打つのみならず又波と波とをうつなり、見濁と申すは正像やうやうすぎぬれば、わづかの邪法の一つをつたへて無量の正法をやぶり世間の罪にて悪道におつるものよりも仏法を以て悪道に堕つるもの多しとみへはんべり。
しかるに当世は正像二千年すぎて末法に入つて二百余年、見濁さかりにして悪よりも善根にて多く悪道に堕つべき時刻なり悪は愚癡の人も悪としればしたがはぬ辺もあり火を水を以てけすが如し、善は但善と思ふほどに小善に付いて大悪の起る事をしらず、所以に伝教慈覚等の聖跡ありすたれあばるれども念仏堂にあらずといひてすてをきてそのかたはらにあたらしく念仏堂をつくり彼の寄進の田畠をとりて念仏堂によす、此等は像法決疑経の文の如くならば功徳すくなしとみへはべり、これらをもつてしるべし善なれども大善をやぶる小善は悪道に堕つるなるべし、今の世は末法のはじめなり、小乗経の機権大乗経の機皆うせはてて唯実大乗経の機のみあり、小船には大石をのせず悪人愚者は大石のごとし、小乗経並に権大乗経念仏等は小船なり、大悪瘡の湯治等は病大なれば小治およばず、末代濁世の我等には念仏等はたとへば冬田を作るが如し時があはざるなり[是三知]。
国をしるべし国に随つて人の心不定なり、たとへば江南の橘の淮北にうつされてからたちとなる、心なき草木すらところによる、まして心あらんもの何ぞ所によらざらん、されば玄奘三蔵の西域と申す文に天竺の国国を多く記したるに国の習として不孝なる国もあり孝の心ある国もあり瞋恚のさかんなる国もあり愚癡の多き国もあり、一向に小乗を用る国もあり一向大乗を用る国もあり大小兼学する国もありと見へ侍り、又一向に殺生の国一向に偸盗の国又穀の多き国又粟等の多き国不定あり、抑日本国はいかなる教を習つてか生死を離るべき国ぞと勘えたるに法華経に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめ断絶せざらしむ」等云云、此の文の心は法華経は南閻浮提の人のための有縁の経なり、弥勒菩薩の云く「東方に小国有り唯だ大機のみ有り」等云云、此の論の文の如きは閻浮提の内にも東の小国に大乗経の機あるか、肇公の記に云く「茲の典は東北の小国に有縁なり」等云云、法華経は東北の国に縁ありとかかれたり、安然和尚の云く「我が日本国皆大乗を信ず」等云云、慧心の一乗要決に云く「日本一州円機純一」等云云、釈迦如来弥勒菩薩須梨耶蘇摩三蔵羅什三蔵僧肇法師安然和尚慧心の先徳等の心ならば日本国は純に法華経の機なり、一句一偈なりとも行ぜば必ず得道なるべし有縁の法なるが故なり、たとへばくろかねを磁石のすうが如し方諸の水をまねくににたり、念仏等の余善は無縁の国なり磁石のかねをすわず方諸の水をまねかざるが如し、故に安然の釈に云く「如実乗に非ずんば恐らくは自他を欺かん」等云云、此の釈の心は日本国の人に法華経にてなき法をさずくるもの我が身をもあざむき人をもあざむく者と見えたり、されば法は必ず国をかんがみて弘むべし、彼の国によかりし法なれば必ず此の国にもよかるべしとは思うべからず[是四]。
又仏法流布の国においても前後を勘うべし、仏法を弘むる習い必ずさきに弘めける法の様を知るべきなり、例せば病人に薬をあたふるにはさきに服したる薬の様を知るべし、薬と薬とがゆき合いてあらそひをなし人をそんずる事あり、仏法と仏法とがゆき合いてあらそひをなして人を損ずる事のあるなり、さきに外道の法弘まれる国ならば仏法をもつてこれをやぶるべし、仏の印度にいでて外道をやぶりまとうか(摩騰迦)ぢくほうらん(竺法蘭)の震旦に来つて道士をせめ上宮太子和国に生れて守屋をきりしが如し、仏教においても小乗の弘まれる国をば大乗経をもつてやぶるべし、無著菩薩の世親の小乗をやぶりしが如し、権大乗の弘まれる国をば実大乗をもつてこれをやぶるべし、天台智者大師の南三北七をやぶりしが如し、而るに日本国は天台真言の二宗のひろまりて今に四百余歳、比丘比丘尼うばそく(優婆塞)うばひの四衆皆法華経の機と定りぬ、善人悪人有智無智皆五十展転の功徳をそなふ、たとへば崑崙山に石なく蓬莱山に毒なきが如し、而るを此の五十余年に法然といふ大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして珠に似たる石をもつて珠を投させ石をとらせたるなり、止観の五に云く「瓦礫を貴んで明珠なりと申す」は是なり、一切衆生石をにぎりて珠とおもふ、念仏を申して法華経をすてたる是なり、此の事をば申せば還つてはらをたち法華経の行者をのりてことに無間の業をますなり[是五]。
但とのはこのぎをきこしめして念仏をすて法華経にならせ給いてはべりしが、定めてかへりて念仏者にぞならせ給いてはべるらん、法華経をすてて念仏者とならせ給はんは峯の石の谷へころび空の雨の地におつるとおぼせ大阿鼻地獄疑なし、大通結縁の者の三千塵点劫を久遠下種の者の五百塵点を経し事、大悪知識にあいて法華経をすてて念仏等の権教にうつりし故なり、一家の人人念仏者にてましましげに候いしかばさだめて念仏をぞすすめまいらせ給い候らん、我が信じたる事なればそれも道理にては候へども悪魔の法然が一類にたぼらかされたる人人なりとおぼして大信心を起し御用いあるべからず、大悪魔は貴き僧となり父母兄弟等につきて人の後世をば障るなり、いかに申すとも法華経をすてよとたばかりげに候はんをば御用いあるべからず、まづ御きやうさくあるべし。
念仏実に往生すべき証文つよくば此の十二年が間念仏者無間地獄と申すをばいかなるところへ申しいだしてもつめずして候べきか、よくよくゆはき事なり、法然善導等がかきをきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候いき、このごろの人の申すもこれにすぎず、結句は法門はかなわずしてよせてたたかひにし候なり、念仏者は数千万かたうど多く候なり、日蓮は唯一人かたうどは一人もこれなし、今までもいきて候はふかしぎ(不可思議)なり、今年も十一月十一日安房の国東条の松原と申す大路にして、申酉の時数百人の念仏等にまちかけられて候いて、日蓮は唯一人十人ばかりものの要にあふものはわづかに三四人なり、いるやはふるあめのごとしうつたちはいなづまのごとし、弟子一人は当座にうちとられ二人は大事のてにて候、自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけんうちもらされていままでいきてはべり、いよいよ法華経こそ信心まさり候へ、第四の巻に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云、日本国に法華経よみ学する人これ多し、人の妻をねらひぬすみ等にて打はらるる人は多けれども法華経の故にあやまたるる人は一人もなし、されば日本国の持経者はいまだ此の経文にはあわせ給はず唯日蓮一人こそよみはべれ我不愛身命但惜無上道是なりされば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。
もしさきにたたせ給はば梵天帝釈四大天王閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ、よもはうしんなき事は候はじ、但一度は念仏一度は法華経となへつ二心ましまし人の聞にはばかりなんどだにも候はばよも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ後にうらみさせ給うな、但し又法華経は今生のいのりともなり候なれば、もしやとしていきさせ給い候はばあはれとくとく見参してみづから申しひらかばや、語はふみにつくさずふみは心をつくしがたく候へばとどめ候いぬ、恐恐謹言。 
 
薬王品得意抄/文永二年四十四歳御作

 

此の薬王品の大意とは此の薬王品は第七の巻二十八品の中には第二十三の品なり、此の第一巻に序品方便品の二品有り序品は二十八品の序なり、方便品より人記品に至るまで八品は正には二乗作仏を明し傍には菩薩凡夫の作仏を明かす、法師宝塔提婆勧持安楽の五品は上の八品を末代の凡夫の修行す可き様を説くなり、又涌出品は寿量品の序なり、分別功徳品より十二品は正には寿量品を末代の凡夫の行ず可き様を傍には方便品等の八品を修行す可き様を説くなり、然れば此の薬王品は方便品等の八品並びに寿量品を修行す可き様を説きし品なり。
此の品に十の譬有り、第一大海の譬、先ず第一の譬を粗申す可し、此の南閻浮提に二千五百の河あり、西倶耶尼に五千の河あり総じて此の四天下に二万五千九百の河あり、或は四十里乃至百里一里一町一尋等の河之有り、然りと雖も此の諸河は総じて深浅の事大海に及ばず、法華已前の華厳経阿含経方等経般若経深密経阿弥陀経涅槃経大日経金剛頂経蘇悉地経密厳経等の釈迦如来の所説の一切経大日如来の所説の一切経阿弥陀如来の所説の一切経薬師如来の所説の一切経過去現在未来三世の諸仏所説の一切経の中に法華経第一なり、譬えば諸経は大河中河小河等の如し法華経は大海の如し等と説くなり、河に勝れたる大海に十の徳有り、一に大海は漸次に深し河は爾からず、二に大海は死屍を留めず河は爾らず、三に大海は本の名字を失う河は爾らず、四に大海は一味なり河は爾らず、五に大海は宝等有り河は爾らず、六に大海は極めて深し河は爾らず、七に大海は広大無量なり河は爾らず、八に大海は大身の衆生等有り河は爾らず、九に大海は潮の増減有り河は爾らず、十に大海は大雨大河を受けて盈溢無し河は爾らず。
此の法華経には十の徳有り諸経には十の失有り、此の経は漸次深多にして五十展転なり諸経には猶一も無し況や二三四乃至五十展転をや河は深けれども大海の浅きに及ばず諸経は一字一句十念等を以て十悪五逆等の悪機を摂すと雖も未だ一字一句の随喜五十展転には及ばざるなり、此の経の大海に死屍を留めずとは法華経に背く謗法の者は極善の人為りと雖も猶之を捨つ何に況や悪人なる上謗法を為さん者をや、設い諸経を謗ずと雖も法華経に背かざれば必ず仏道を成ず、設い一切経を信ずと雖も法華経に背かば必ず阿鼻大城に堕つ、乃至第八には大海は大身の衆生あり等と云うは大海には摩竭大魚等大身の衆生之有り、無間地獄と申すは縦広八万由旬なり五逆の者無間地獄に堕ちては一人にて必ず充満す、此の地獄の衆生は五逆の者大身の衆生なり、諸経の小河大河の中には摩竭大魚之無し法華経の大海には之有り、五逆の者仏道を成す是れ実には諸経に之無し諸経に之有りと云うと雖も実には未顕真実なり、故に一代聖教を諳し天台智者大師の釈に云く他経は但菩薩に記して二乗に記せず乃至但善に記して悪に記せず、今経は皆記す等云云、余は且く之を略す。
第二には山に譬う、十宝山等とは、山の中には須弥山第一なり、十宝山とは一には雪山二には香山三には軻梨羅山四には仙聖山五には由乾陀山六には馬耳山七には尼民陀羅山八には斫伽羅山九には宿慧山十には須弥山なり、先の九山とは諸経諸山の如し、但し一一に財あり須弥山は衆財を具して其の財に勝れたり、例せば世間の金の閻浮檀金に及ばざるが如し、華厳経の法界唯心般若の十八空大日経の五相成身観経の往生より法華経の即身成仏勝れたるなり、須弥山は金色なり、一切の牛馬人天衆鳥等此の山に依れば必ず本色を失つて金色なり余山は爾らず一切の諸経は法華経に依れば本の色を失う例せば黒色の物の日月の光に値えば色を失うが如し諸経の往生成仏等の色は法華経に値えば必ず其の義を失う。
第三には月に譬う衆星は或は半里或は一里或は八里或は十六里には過ぎず、月は八百余里なり衆星は光有りと雖も月に及ばず、設い百千万億乃至一四天下三千大千十方世界の衆星之を集むとも一の月の光に及ばず、何に況や一の星月の光に及ぶ可きや、華厳経阿含経方等般若涅槃経大日経観経等の一切の経之を集むとも法華経の一字に及ばじ、一切衆生の心中の見思塵沙無明の三惑並に十悪五逆等の業は暗夜のごとし華厳経等の一切経は闇夜の星のごとし法華経は闇夜の月のごとし法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照すが如し深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し月無くして但星のみ有る夜には強力の者かたましき者なんどは行歩すといへども老骨の者女人なむどは行歩に叶わず、満月の時は女人老骨なむども、或は遊宴のため或は人に値わんが如き行歩自在なり、諸経には菩薩大根性の凡夫は設い得道なるとも二乗凡夫悪人女人乃至末代の老骨の懈怠無戒の人人は往生成仏不定なり、法華経は爾らず、二乗悪人女人等猶仏に成る何に況や菩薩大根性の凡夫をや、又月はよいよりも暁は光まさり春夏よりも秋冬は光あり、法華経は正像二千年よりも末法には殊に利生有る可きなり、問うて云く証文如何答えて云く道理顕然なり、其の上次ぎ下の文に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無し」等云云、此の経文に二千年の後南閻浮提に広宣流布すべしととかれて候は第三の月の譬の意なり、此の意を根本伝教大師釈して云く「正像稍過ぎ已て末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」等云云、正法千年も像法千年も法華経の利益諸経に之れ勝る可し然りと雖も月の光の春夏の正像二千年末法の秋冬に至つて光の勝るが如し。
第四に日の譬は星の中に月の出でたるは星の光には月の光は勝るとも未だ星の光を消さず、日中には星の光消ゆるのみに非ず又月の光も奪いて光を失う、爾前は星の如く法華経の迹門は月の如し寿量品は日の如し、寿量品の時は迹門の月未だ及ばず何に況や爾前の星をや、夜は星の時月の時も衆務を作さず、夜暁て必ず衆務を作す、爾前迹門にして猶生死を離れ難し本門寿量品に至つて必ず生死を離る可し、余の六譬之を略す、此の外に又多くの譬此の品に有り、其の中に渡りに船を得たるが如しと此の譬の意は生死の大海には爾前の経は或は筏或は小船なり、生死の此岸より生死の彼岸には付くと雖も生死の大海を渡り極楽の彼岸にはとつきがたし、例せば世間の小船等が筑紫より坂東に至り鎌倉よりいの嶋なんどへとつけども唐土へ至らず唐船は必ず日本国より震旦国に至るに障り無きなり又云く「貧きに宝を得たるが如し」等云云、爾前の国は貧国なり爾前の人は餓鬼なり法華経は宝の山なり人は富人なり。
問うて云く爾前は貧国といふ経文如何答えて云く授記品に云く「飢えたる国より来つて忽ちに大王の膳に遇へるが如く」等云云、女人の往生成仏の段は経文に云く「若し如来の滅後後の五百歳の中に若し女人有つて是の経典を聞いて説の如く修行せば此に於て命終して即ち安楽世界阿弥陀仏の菩薩大衆に囲遶せられて住する処に往いて蓮華の中宝座の上に生じ」等云云。
問うて日く此の経此の品に殊に女人の往生を説く何の故か有るや、答えて日く仏意測り難し此の義決し難きか但し一の料簡を加えば女人は衆罪の根本破国の源なり、故に内典外典に多く之を禁しむ其の中に外典を以て之を論ずれば三従あり三従と申すは三したがうと云ふなり、一には幼にしては父母に従う嫁して夫に従う老いて子に従う此の三障有りて世間自在ならず、内典を以て之を論ずれば五障有り五障とは一には六道輪回の間男子の如く大梵天王と作らず二には帝釈と作らず三には魔王と作らず四には転輪聖王と作らず五には常に六道に留まりて三界を出でて仏に成らず[超日月三昧経の文なり]、銀色女経に云く「三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも法界の諸の女人は永く成仏の期無し」等云云、但し凡夫すら賢王聖人は妄語せずはんよき(樊於期)といゐし者はけいかに頚をあたいきさつと申せし人は徐君が塚に剣をかけたりきこれ約束を違えず妄語無き故なり何に況や声聞菩薩仏をや、仏は昔凡夫にてましましし時小乗経を習い給いし時五戒を受け始め給いき五戒の中の第四の不妄語の戒を固く持ち給いき財を奪われ命をほろぼされし時も此の戒をやぶらず大乗経を習い給いし時又十重禁戒を持ち其の十重禁戒の中の第四の不妄語戒を持ち給いき、此の戒を堅く持ちて無量劫之を破りたまわず終に此の戒力に依て仏身を成じ三十二相の中に広長舌相を得たまえり、此の舌うすくひろくながくして或は面にををい或は髪際にいたり或は梵天にいたる舌の上に五の画あり印文のごとし其の舌の色は赤銅のごとし舌の下に二の珠あり甘露を涌出す此れ不妄語戒の徳の至す所なり、仏此の舌を以て三世の諸仏の御眼は大地に落つとも法界の女人は仏になるべからずと説かれしかば一切の女人は何なる世にも仏には成らせ給うまじきとこそ覚えて候へ、さるにては女人の御身も受けさせ給いては設ひ后三公の位にそなはりても何かはすべき善根仏事をなしてもよしなしとこそ覚え候へ、而るを此の法華経の薬王品に女人の往生をゆるされ候ぬる事又不思議に候、彼の経の妄語か此の経の妄語かいかにも一方は妄語たるべきか、若し又一方妄語ならば一仏に二言あり信じ難し但し無量義経の四十余年には未だ真実を顕さず涅槃経の如来には虚妄の言無しと雖も若し衆生虚妄の説に因ると知しめすの文を以て之を思えば仏は女人は往生成仏すべからずと説かせ給いけるは妄語と聞えたり、妙法華経の文に世尊の法は久くして後に要ず当に真実を説くべし妙法華経乃至皆是真実と申す文を以て之を思うに女人の往生成仏決定と説かるる法華経の文は実語不妄語戒と見えたり、世間の賢人も但一人ある子が不思議なる時或は失ある時は永く子為るべからざるの理起請を書き或は誓言を立ると雖も命終の時に臨めば之を許す、然りと雖も賢人に非ずと云わず又妄語せる者とも云わず仏も亦是くの如し、爾前四十余年が間は菩薩の得道凡夫の得道善人男子等の得道をば許すやうなれども、二乗悪人女人なんどの得道此れをば許さず或は又許すににたる事もあり、いまだ定めがたかりしを仏の説教四十二年すでに過ぎて八年が間摩謁提国王舎城耆闍崛山と申す山にして法華経を説かせ給うとおぼせし時先づ無量義経と申す経を説かせ給ふ無量義経の文に云く四十余年云云。 
 
神国王御書

 

夫れ以れば日本国を亦水穂の国と云い亦野馬台又秋津島又扶桑等云云、六十六ヶ国二つの島已上六十八ヶ国東西三千余里南北は不定なり、此の国に五畿七道あり五畿と申すは山城大和河内和泉摂津等なり、七道と申すは東海道十五箇国東山道八箇国北陸道七箇国山陰道八ヶ国山陽道八ヶ国南海道六ヶ国西海道十一ヶ国亦鎮西と云い又太宰府と云云、已上此れは国なり、国主をたづぬれば神世十二代は天神七代地神五代なり、天神七代の第一は国常立尊乃至第七は伊奘諾尊男なり、伊奘册尊妻なり、地神五代の第一は天照太神伊勢太神宮日の神是なりいざなぎいざなみの御女なり、乃至第五は彦波瀲武・・草葺不合尊此の神は第四のひこほの御子なり母は竜の女なり、已上地神五代已上十二代は神世なり、人王は大体百代なるべきか其の第一の王は神武天皇此れはひこなぎさ(彦波瀲)の御子なり、乃至第十四は仲哀天皇[八幡御父なり]第十五は神功皇后[八幡御母なり]第十六は応神天皇にして仲哀と神功の御子今の八幡大菩薩なり、乃至第二十九代は宣化天皇なり、此の時までは月支漢土には仏法ありしかども日本国にはいまだわたらず。
第三十代は欽明天皇此の皇は第二十七代の継体の御敵子なり治三十二年、此の皇の治十三年[壬申]十月十三日[辛酉]百済国の聖明皇金銅の釈迦仏を渡し奉る、今日本国の上下万人一同に阿弥陀仏と申す此れなり、其の表の文に云く臣聞く万法の中には仏法最善し世間の道にも仏法最上なり天皇陛下亦修行あるべし、故に敬つて仏像経教法師を捧げて使に附して貢献す宜く信行あるべき者なり[已上]、然りといへども欽明敏達用明の三代三十余年は崇め給う事なし、其の間の事さまざまなりといへども其の時の天変地夭は今の代にこそにて候へども今は亦其の代にはにるべくもなき変夭なり、第三十三代崇峻天皇の御宇より仏法我が朝に崇められて第三十四代推古天皇の御宇に盛にひろまりき、此の時三論宗と成実宗と申す宗始めて渡りて候いき、此の三論宗は月氏にても漢土にても、日本にても大乗宗の始なり、故に宗の母とも宗の父とも申す、人王三十六代皇極天皇の御宇に禅宗わたる、人王四十代天武の御宇に法相宗わたる、人王四十四代元正天皇の御宇に大日経わたる、人王四十五代に聖武天皇の御宇に華厳宗を弘通せさせ給う、人王四十六代孝謙天皇の御宇に律宗と法華宗わたる、しかりといへども唯律宗計りを弘めて天台法華宗は弘通なし。
人王第五十代に最澄と申す聖人あり、法華宗を我と見出して倶舎宗成実宗律宗法相宗三論宗華厳宗等の六宗をせめをとし給うのみならず、漢土に大日宗と申す宗有りとしろしめせり、同じき御宇に漢土にわたりて四宗をならいわたし給う、所謂法華宗真言宗禅宗大乗の律宗なり、しかりといへども法華宗と律宗とをば弘通ありて禅宗をば弘め給はず、真言宗をば宗の字をけづり七大寺等の諸僧に潅頂を許し給う、然れども世間の人人はいかなるという事をしらず、当時の人人の云く此の人は漢土にて法華宗をば委細にならいて真言宗をばくはしくも知ろし食し給はざりけるかとすいし申すなり。
同じき御宇に空海と申す人漢土にわたりて真言宗をならう、しかりといへどもいまだ此の御代には帰朝なし、人王第五十一代に平城天皇の御宇に帰朝あり、五十二代嵯峨の天皇の御宇に弘仁十四年[癸卯]正月十九日に真言宗の住処東寺を給いて護国教王院とがうす、伝教大師御入滅の一年の後なり。
人王五十四代仁明天皇の御宇に円仁和尚漢土にわたりて重ねて法華真言の二宗をならいわたす、人王五十五代文徳天皇の御宇に仁寿と斉衝とに金剛頂経の疏蘇悉地経の疏已上十四巻を造りて大日経の義釈に並べて真言宗の三部とがうし、比叡山の内に総持院を建立し真言宗を弘通する事此の時なり、叡山に真言宗を許されしかば座主両方を兼ねたり、しかれども法華宗をば月のごとく真言宗をば日のごとしといいしかば、諸人等は真言宗はすこし勝れたりとをもへけり、しかれども座主は両方を兼ねて兼学し給いけり大衆も又かくのごとし。
同じき御宇に円珍和尚と申す人御入唐漢土にして法華真言の両宗をならう、同じき御宇に天安二年に帰朝す、此の人は本朝にしては叡山第一の座主義真第二の座主円澄別当光定第三の座主円仁等に法華真言の両宗をならいきわめ給うのみならず又東寺の真言をも習い給へり、其の後に漢土にわたりて法華真言の両宗をみがき給う今の三井寺の法華真言の元祖智証大師此れなり、已上四大師なり。
総じて日本国には真言宗に又八家あり、東寺に五家弘法大師を本とす天台に三家慈覚大師を本とす。
人王八十一代をば安徳天皇と申す父は高倉院の長子母は太政入道の女建礼門院なり、此の王は元暦元年[乙巳]三月二十四日八島にして海中に崩じ給いき、此の王は源ノ頼朝将軍にせめられて海中のいろくづの食となり給う、人王八十二代は隠岐の法王と申す高倉の第三の王子文治元年[丙午]御即位、八十三代には阿波の院隠岐の法皇の長子建仁二年に位を継ぎ給う、八十四代には佐渡の院隠岐の法皇の第二の王子承久三年[辛巳]二月二十六日に王位につき給う、同じき七月に佐渡の島にうつされ給う、此の二三四の三王は父子なり鎌倉の右大将の家人義時にせめられさせ給へるなり。
此に日蓮大いに疑つて云く仏と申すは三界の国主大梵王第六天の魔王帝釈日月四天転輪聖王諸王の師なり主なり親なり、三界の諸王は皆は此の釈迦仏より分ち給いて諸国の総領別領等の主となし給へり、故に梵釈等は此の仏を或は木像或は画像等にあがめ給う、須臾も相背かば梵王の高台もくづれ帝釈の喜見もやぶれ輪王もかほり落ち給うべし、神と申すは又国国の国主等の崩去し給えるを生身のごとくあがめ給う、此れ又国王国人のための父母なり主君なり師匠なり片時もそむかば国安隠なるべからず、此れを崇むれば国は三災を消し七難を払い人は病なく長寿を持ち後生には人天と三乗と仏となり給うべし。
しかるに我が日本国は一閻浮提の内月氏漢土にもすぐれ八万の国にも超えたる国ぞかし、其の故は月氏の仏法は西域等に載せられて候但だ七十余国なり其の余は皆外道の国なり、漢土の寺は十万八千四十所なり、我が朝の山寺は十七万一千三十七所なり、此の国は月氏漢土に対すれば日本国に伊豆の大島を対せるがごとし、寺をかずうれば漢土月氏のも雲泥すぎたり、かれは又大乗の国小乗の国大乗も権大乗の国なり、此れは寺ごとに八宗十宗をならい家家宅宅に大乗を読誦す、彼の月氏漢土等は仏法を用ゆる人は千人に一人なり、此の日本国は外道一人もなし、其の上神は又第一天照太神第二八幡大菩薩第三は山王等の三千余社、昼夜に我が国をまほり朝夕に国家を見そなわし給う、其の上天照太神は内侍所と申す明鏡にかげをうかべ内裏にあがめられ給い八幡大菩薩は宝殿をすてて主上の頂を栖とし給うと申す、仏の加護と申し神の守護と申しいかなれば彼の安徳と隠岐と阿波佐渡等の王は相伝の所従等にせめられて或は殺され或は島に放れ或は鬼となり或は大地獄には堕ち給いしぞ、日本国の叡山七寺東寺園城等の十七万一千三十七所の山山寺寺にいささかの御仏事を行うには皆天長地久玉体安穏とこそいのり給い候へ、其の上八幡大菩薩は殊に天王守護の大願あり、人王第四十八代に高野天皇の玉体に入り給いて云く、我が国家開闢より以来臣を以て君と為すこと未だ有らざる事なり、天之日嗣必ず皇緒を立つ等云云、又太神行教に付して云く我に百王守護の誓い有り等云云。
されば神武天皇より巳来百王にいたるまではいかなる事有りとも玉体はつつがあるべからず王位を傾くる者も有るべからず、一生補処の菩薩は中夭なし聖人は横死せずと申す、いかにとして彼れ彼の四王は王位ををいをとされ国をうばはるるのみならず命を海にすて身を島島に入れ給いけるやらむ、天照太神は玉体に入りかわり給はざりけるか八幡大菩薩の百王の誓はいかにとなりぬるぞ、其の上安徳天皇の御宇には明雲の座主御師となり太上入道並びに一門怠状を捧げて云く「彼の興福寺を以て藤氏の氏寺と為し春日の社を以て藤氏の氏神と為すが如く、延暦寺を以て平氏の氏寺と号し日吉の社を以て平氏の氏神と号す」云云、叡山には明雲座主を始めとして三千人の大衆五檀の大法を行い、大臣以下は家家に尊勝陀羅尼不動明王を供養し諸寺諸山には奉幣し大法秘法を尽くさずという事なし。
又承久の合戦の御時は天台の座主慈円仁和寺の御室三井等の高僧等を相催して日本国にわたれる所の大法秘法残りなく行われ給う、所謂承久三年[辛巳]四月十九日に十五檀の法を行わる、天台の座主は一字金輪法等五月二日は仁和寺の御室如法愛染明王法を紫宸殿にて行い給う、又六月八日御室守護経法を行い給う、已上四十一人の高僧十五壇の大法此の法を行う事は日本に第二度なり、権の大夫殿は此の事を知り給う事なければ御調伏も行い給はず、又いかに行い給うとも彼の法法彼の人人にはすぐべからず、仏法の御力と申し王法の威力と申し彼は国主なり三界の諸王守護し給う、此れは日本国の民なりわづかに小鬼ぞまほりけん代代の所従重重の家人なり、譬へば王威を用いて民をせめば鷹の雉をとり・のねずみを食い蛇のかへるをのみ師子王の兎を殺すにてこそ有るべけれ、なにしにかかろがろしく天神地祇には申すべき、仏菩薩をばをどろかし奉るべき、師子王が兎をとらむには精進すべきか、たかがきじを食んにはいのり有るべしや、いかにいのらずとも大王の身として民を失わんには大水の小火をけし大風の小雲を巻くにてこそ有るべけれ、其の上大火に枯木を加うるがごとく大河に大雨を下すがごとく王法の力に大法を行い合せて頼朝と義時との本命と元神とをば梵王と帝釈等に抜き取らせ給う、譬へば古酒に酔る者のごとし蛇の蝦の魂を奪うがごとし頼朝と義時との御魂御名御姓をばかきつけて諸尊諸神等の御足の下にふませまいせていのりしかばいかにもこらうべしともみへざりしにいかにとして一年一月も延びずしてわづか二日一日にはほろび給いけるやらむ、仏法を流布の国主とならむ人人は能く能く御案ありて後生をも定め御いのりも有るべきか。
而るに日蓮此の事を疑いしゆへに幼少の比より随分に顕密二道並びに諸宗の一切の経を或は人にならい或は我れと開見し勘へ見て候へば故の候いけるぞ、我が面を見る事は明鏡によるべし国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず、仁王経金光明経最勝王経守護経涅槃経法華経等の諸大乗経を開き見奉り候に仏法に付きて国も盛へ人の寿も長く又仏法に付いて国もほろび人の寿も短かかるべしとみへて候、譬へば水は能く船をたすけ水は能く船をやぶる、五穀は人をやしない人を損ず、小波小風は大船を損ずる事かたし大波大風には小船をやぶれやすし、王法の曲るは小波小風のごとし大国と大人をば失いがたし、仏法の失あるは大風大波の小船をやぶるがごとし国のやぶるる事疑いなし、仏記に云く我滅するの後末代には悪法悪人の国をほろぼし仏法を失には失すべからず譬へば三千大千世界の草木を薪として須弥山をやくにやけず劫火の時須弥山の根より大豆計りの火出でて須弥山やくが如く我が法も又此くの如し悪人外道天魔波旬五通等にはやぶられず、仏のごとく六通の羅漢のごとく三衣を皮のごとく身に紆い一鉢を両眼にあてたらむ持戒の僧等と大風の草木をなびかすがごとくなる高僧等我が正法を失うべし、其の時梵釈日月四天いかりをなし其の国に大天変大地夭等を発していさめむにいさめられずば其の国の内に七難ををこし父母兄弟王臣万民等互に大怨敵となり梟鳥が母を食い破鏡が父をがいするがごとく自国をやぶらせて結句他国より其の国をせめさすべしとみへて候。
今日蓮一代聖教の明鏡をもつて日本国を浮べ見候に此の鏡に浮んで候人人は国敵仏敵たる事疑いなし、一代聖教の中に法華経は明鏡の中の神鏡なり、銅鏡等は人の形をばうかぶれどもいまだ心をばうかべず、法華経は人の形を浮ぶるのみならず心をも浮べ給へり、心を浮ぶるのみならず先業をも未来をも鑒み給う事くもりなし、法華経の第七の巻を見候へば「如来の滅後において仏の所説の経の因縁及び次第を知り義に随つて実の如く説かん、日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」等云云、文の心は此の法華経を一字も一句も説く人は必ず一代聖教の浅深と次第とを能く能く弁えたらむ人の説くべき事に候、譬へば暦の三百六十日をかんがうるに一日も相違せば万日倶に反逆すべし、三十一字を連ねたる一句一字も相違せば三十一字共に歌にて有るべからず、謂る一経を読誦すとも始め寂滅道場より終り雙林最後にいたるまで次第と浅深とに迷惑せば其の人は我が身に五逆を作らずして無間地獄に入り此れを帰依せん檀那も阿鼻大城に堕つべし何に況や智人一人出現して一代聖教の浅深勝劣を弁えん時元祖が迷惑を相伝せる諸僧等或は国師となり或は諸家の師となりなんどせる人人自のきずが顕るる上人にかろしめられん事をなげきて、上に挙ぐる一人の智人を或は国主に訴へ或は万人にそしらせん、其の時守護の天神等の国をやぶらん事は芭蕉の葉を大風のさき小舟を大波のやぶらむがごとしと見へて候。
無量義経は始め寂滅道場より終り般若経にいたるまでの一切経を或は名を挙げ或は年紀を限りて未顕真実と定めぬ、涅槃経と申すは仏最後の御物語に初め初成道より五十年の諸教の御物語四十余年をば無量義経のごとく邪見の経と定め法華経をば我が主君と号し給う、中に法華経ましまして已今当の勅宣を下し給いしかば多宝十方の諸仏加判ありて各各本土にかへり給いしを月氏の付法蔵の二十四人は但小乗権大乗を弘通して法華経の実義を宣べ給う事なし、譬へば日本国の行基菩薩と鑒真和尚との法華経の義を知り給いて弘通なかりしがごとし、漢土の南北の十師は内にも仏法の勝劣を弁えず外にも浅深に迷惑せり、又三論宗の吉蔵華厳宗の澄観法相宗の慈恩此れ等の人人は内にも迷い外にも知らざりしかども道心堅固の人人なれば名聞をすてて天台の義に付きにき、知らずされば此の人人は懺悔の力に依りて生死やはなれけむ、将た又謗法の罪は重く懺悔の力は弱くして阿闍世王無垢論師等のごとく地獄にや堕ちにけん。
善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵等の三三蔵は一切の真言師の申すは大日如来より五代六代の人人即身成仏の根本なり等云云、日蓮勘えて云く法偸の元祖なり盗人の根本なり、此れ等の人人は月氏よりは大日経金剛頂経蘇悉地経等を齎し来る、此の経経は華厳経般若経涅槃経等に及ばざる上法華経に対すれば七重の下劣なり、経文に見へて赫赫たり明明たり、而るを漢土に来りて天台大師の止観等の三十巻を見て舌をふるい心をまよわして此れに及ばずば我が経弘通しがたし、勝れたりといはんとすれば妄語眼前なり、いかんがせんと案ぜし程に一つの深き大妄語を案じ出だし給う、所謂大日経の三十一品を法華経二十八品並に無量義経に腹合せに合せて三密の中の意密をば法華経に同じ其の上に印と真言とを加えて法華経は略なり大日経は広なり已にも入れず今にも入れず当にもはづれぬ、法華経をかたうどとして三説の難を脱れ結句は印と真言とを用いて法華経を打ち落して真言宗を立てて侯、譬へば三女が后と成りて三王を喪せしがごとし、法華経の流通の涅槃経の第九に我れ滅して後の悪比丘等我が正法を滅すべし、譬へば女人のごとしと記し給いけるは是なり、されば善無畏三蔵は閻魔王にせめられて鉄の繩七脉つけられてからくして蘇りたれども又死する時は黒皮隠隠として骨甚だ露焉と申して無間地獄の前相其の死骨に顕れ給いぬ、人死して後色の黒きは地獄に堕つとは一代聖教に定むる所なり、金剛智不空等も又此れをもつて知んぬべし、此の人人は改悔は有りと見へて候へども強盛の懺悔のなかりけるか、今の真言師は又あへて知る事なし、玄宗皇帝の御代の喪いし事も不審はれて候。
日本国は又弘法慈覚智証此の謗法を習い伝えて自身も知ろしめさず人は又をもひもよらず、且くは法華宗の人人相論有りしかども終には天台宗やうやく衰えて叡山五十五代の座主明雲人王八十一代の安徳天皇より已来は叡山一向に真言宗となりぬ、第六十一代の座主顕真権僧正は天台座主の名を得て真言宗に遷るのみならず、然る後法華真言をすてて一向謗法の法然が弟子となりぬ、承久調伏の上衆慈円僧正は第六十二代並びに五九七十一代の四代の座主隠岐の法皇の御師なり、此等の人人は善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵慈覚智証等の真言をば器はかわれども一の智水なり、其の上天台宗の座主の名を盗みて法華経の御領を知行して三千の頭となり一国の法の師と仰がれて大日経を本として七重くだれる真言を用いて八重勝れりとをもへるは天を地とをもい民を王とあやまち石を珠とあやまつのみならず珠を石という人なり、教主釈尊多宝仏十方の諸仏の御怨敵たるのみならず一切衆生の眼目を奪い取り三善道の門を閉ぢ三悪道の道を開く、梵釈日月四天等の諸天善神いかでか此の人を罰せさせ給はざらむ、いかでか此の人の仰く檀那をば守護し給うべき、天照太神の内侍所も八幡大菩薩の百王守護の御ちかいもいかでか叶はせ給うべき。
余此の由を且つ知りしより已来一分の慈悲に催されて粗随分の弟子にあらあら申せし程に次第に増長して国主まで聞えぬ、国主は理を親とし非を敵とすべき人にてをはすべきかいかがしたりけん諸人の讒言ををさめて一人の余をすて給う、彼の天台大師は南北の諸人あだみしかども陳隋二代の帝重んじ給いしかば諸人の怨もうすかりき、此の伝教大師は南都七大寺讒言せしかども桓武平城嵯峨の三皇用い給いしかば怨敵もおかしがたし、今日蓮は日本国十七万一千三十七所の諸僧等のあだするのみならず国主用い給わざれば万民あだをなす事父母の敵にも超え宿世のかたきにもすぐれたり、結句は二度の遠流一度の頭に及ぶ、彼の大荘厳仏の末法の四比丘並に六百八十万億那由佗の諸人が普事比丘一人をあだみしにも超へ師子音王仏の末の勝意比丘無量の弟子等が喜根比丘をせめしにも勝れり、覚徳比丘がせめられし不軽菩薩が杖木をかをほりしも限りあれば此れにはよもすぎじとぞをぼへ候。
若し百千にも一つ日蓮法華経の行者にて侯ならば日本国の諸人後生の無間地獄はしばらくをく、現身には国を失い他国に取られん事彼の徽宗欽宗のごとく優陀延王訖利多王等に申せしがごとくならん、又其の外は或は其の身は白癩黒癩或は諸悪重病疑いなかるべきかもし其の義なくば又日蓮法華経の行者にあらじ此の身現身には白癩黒癩等の諸悪重病を受け取り後生には提婆瞿伽利等がごとく無間大城に堕つべし日月を射奉る修羅は其の矢還つて我が眼に立ち師子王を吼る狗犬は我が腹をやぶる釈子を殺せし波琉璃王は水中の大火に入り仏の御身より血を出だせし提婆達多は現身に阿鼻の炎を感ぜり金銅の釈尊をやきし守屋は四天王の矢にあたり東大寺興福寺を焼きし清盛入道は現身に其身もうる病をうけにき彼等は皆大事なれども日蓮が事に合すれば小事なり小事すら猶しるしあり大事いかでか現罰なからむ。
悦ばしいかな経文に任せて五五百歳広宣流布をまつ悲いかな闘諍堅固の時に当つて此の国修羅道となるべし、清盛入道と頼朝とは源平の両家本より狗犬と猿猴とのごとし、少人少福の頼朝をあだせしゆへに宿敵たる入道の一門ほろびし上科なき主上の西海に沈み給いし事は不便の事なり、此れは教主釈尊多宝十方の諸仏の御使として世間には一分の失なき者を一国の諸人にあだまするのみならず両度の流罪に当てて日中に鎌倉の小路をわたす事朝敵のごとし、其の外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて仏像経巻を諸人にふまするのみならず糞泥にふみ入れ日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候いしをとりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ、此の事如何なる宿意もなし当座の科もなし、ただ法華経を弘通する計りの大科なり。
日蓮天に向つて声をあげて申さく法華経の序品を拝見し奉れば梵釈と日月と四天と竜王と阿修羅と二界八番の衆と無量の国土の諸神と集会し給いたりし時已今当に第一の説を聞きし時我とも雪山童子の如く身を供養し薬王菩薩の如く臂をもやかんとをもいしに、教主釈尊多宝十方の諸仏の御前にして今仏前に於て自ら誓言を説けと諌暁し給いしかば幸に順風を得て世尊の勅の如く当に具さに奉行すべしと二処三会の衆一同に大音声を放ちて誓い給いしはいかんが有るべき、唯仏前にては是くの如く申して多宝十方の諸仏は本土にかへり給う、釈尊は御入滅ならせ給いてほど久くなりぬれば末代辺国に法華経の行者有りとも梵釈日月等御誓いをうちわすれて守護し給う事なくば日蓮がためには一旦のなげきなり、無始已来鷹の前のきじ蛇の前のかへるの前のねずみ犬の前のさると有りし時もありき、ゆめの代なれば仏菩薩諸天にすかされまいらせたりける者にてこそ候はめ。
なによりもなげかしき事は梵と帝と日月と四天等の南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値をすてさせ給いて現身に天の果報も尽きて花の大風に散るがごとく雨の空より下るごとく其の人命終入阿鼻獄と無間大城に堕ち給はん事こそあはれにはをぼへ候へ、設い彼の人人は三世十方の諸仏をかたうどとして知らぬよしのべ申し給うとも日蓮は其の人人には強きかたきなり、若し仏の返頗をはせずば梵釈日月四天をば無間大城には必ずつけたてまつるべし、日蓮が眼をそろしくばいそぎいそぎ仏前の誓いをばはたし給へ、日蓮が口、○。
又むぎひとひつ鵞目両貫わかめかちめみな一俵給い畢んぬ、干いやきごめ各各一かうぶくろ給い畢んぬ、一一の御志はかきつくすべしと申せども法門巨多に候へば留め畢んぬ、他門にきかせ給うなよ大事の事どもかきて候なり。 
 
南条殿御返事/建治二年三月五十五歳御作

 

かたびら一つしをいちだ(塩一駄)あぶら五そう給び候い了んぬ、ころもはかんをふせぎ又ねつをふせぐみをかくしみをかざる、法華経の第七やくわうぼん(薬王品)に云く「如裸者得衣」等云云、心ははだかなるもののころもをへたるがごとし、もんの心はうれしき事をとかれて候。
ふほうぞう(付法蔵)の人のなかに商那和衆と申す人あり衣をきてむまれさせ給う、これは先生に仏法にころもをくやうせし人なり、されば法華経に云く「柔和忍辱衣」等云云、こんろん山には石なしみのぶのたけにはしをなし、石なきところにはたまよりもいしすぐれたり、しをなきところにはしをこめにもすぐれて候、国王のたからは左右の大臣なり左右の大臣をば塩梅と申す、みそしをなければよわたりがたし左右の臣なければ国をさまらず、あぶらと申すは涅槃経に云く風のなかにあぶらなしあぶらのなかにかぜなし風をぢする第一のくすりなり、かたがたのものをくり給いて候御心ざしのあらわれて候事申すばかりなし、せんするところはこなんでうどの(故南条殿)の法華経の御しんようのふかかりし事のあらわるるか、王の心ざしをば臣のべをやの心ざしをば子の申しのぶるとはこれなり、あわれことののうれしとをぼすらん。
つくしにををはしの太郎と申しける大名ありけり、大将どのの御かんきをかほりてかまくらゆひのはまつちのろうにこめられて十二年めしはじしめられしときつくしをうちいでしにごぜんにむかひて申せしはゆみやとるみとなりてきみの御かんきをかほらんことはなげきならず、又ごぜんにをさなくよりなれしかいまはなれん事いうばかりなし、これはさてをきぬ、なんしにてもによしにても一人なき事なげきなり、ただしくわいにんのよしかたらせ給うをうなごにてやあらんずらんをのこごにてや候はんずらん、ゆくへをみざらん事くちおし、又かれが人となりてちちというものもなからんなげき、いかがせんとをもへども力及ばずとていでにき。
かくて月ひすぐれことゆへなく生れにきをのこごにてありけり、七歳のとしやまでらにのぼせてありければともだちなりけるちごどもをやなしとわらひけり、いへにかへりてははにちちをたづねけり、ははのぶるかたなくしてなくより外のことなし、此のちご申す天なくしては雨ふらず地なくしてはくさをいず、たとい母ありともちちなくばひととなるべからず、いかに父のありどころをばかくし給うぞとせめしかば母せめられて云うわちごをさなければ申さぬなりありやうはかうなり、此のちごなくなく申すやうさてちちのかたみはなきかと申せしかば、これありとてををはしのせんぞの日記ならびにはらの内なる子にゆづれる自筆の状なり、いよいよをやこひしくてなくより外の事なし、さていかがせんといゐしかばこれより郎従あまたともせしかども御かんきをかほりければみなちりうせぬ、そののちはいきてや又しにてやをとづるる人なしとかたりければふしころびなきていさむるをももちゐざりけり。
ははいわくをのれをやまでらにのぼする事はをやのけうやうのためなり、仏に花をもまいらせよ経をも一巻よみて孝養とすべしと申せしかばいそぎ寺にのぼりていえへかへる心なし、昼夜に法華経をよみしかばよみわたりけるのみならずそらにをぼへてありけり、さて十二のとし出家をせずしてかみをつつみとかくしてつくしをにげいでてかまくらと申すところへたづねいりぬ。
八幡の御前にまいりてふしをがみ申しけるは八幡大菩薩は日本第十六の王本地は霊山浄土に法華経をとかせ給いし教主釈尊なり、衆生のねがいをみて給わんがために神とあらわれさせ給う、今わがねがいみてさせ給え、をやは生きて候か、しにて候かと申していぬの時より法華経をはじめてとらの時までによみければなにとなきをさなきこへはうでんにひびきわたりこころすごかりければまいりてありける人人もかへらん事をわすれにき、皆人いちのやうにあつまりてみければをさなき人にて法師ともをぼえずをうなにてもなかりけり。
をりしもきやうのにゐどの御さんけいありけり、人めをしのばせ給いてまいり給いたりけれども御経のたうとき事つねにもすぐれたりければはつるまで御聴聞ありけりさてかへらせ給いておはしけるがあまりなごりをしさに人をつけてをきて大将殿へかかる事ありと申させ給いければめして持仏堂にして御経よませまいらせ給いけり。
さて次の日又御聴聞ありければ西のみかど人さわぎけり、いかなる事ぞとききしかば今日はめしうどのくびきらるるとののしりけり、あわれわがをやはいままで有るべしとはをもわねどもさすが人のくびをきらるると申せば我が身のなげきとをもひてなみだぐみたりけり、大将殿あやしとごらんじてわちごはいかなるものぞありのままに申せとありしかば上くだんの事一一に申しけり、をさふらひにありける大名小名みすの内みなそでをしぼりけり、大将殿かぢわらをめしてをほせありけるは大はしの太郎というめしうどまいらせよとありしかば只今くびきらんとてゆいのはま(由比浜)へつかわし候いぬ、いまはきりてや侯らんと申せしかばこのちご御まへなりけれどもふしころびなきけり、ををせのありけるはかぢわらわれとはしりていまだ切らずばぐしてまいれとありしかばいそぎいそぎゆいのはま(由比浜)へはせゆく、いまだいたらぬによばわりければすでに頚切らんとて刀をぬきたりけるときなりけり。
さてかじわらををはしの太郎をなわつけながらぐしてまいりてををにはにひきすへたりければ大将殿このちごにとらせよとありしかばちごはしりをりてなわをときけり、大はしの太郎はわが子ともしらずいかなる事ゆへにたすかるともしらざりけり、さて大将殿又めしてこのちごにやうやうの御ふせた(布施給)びてををはしの太郎をたぶのみならず、本領をも安堵ありけり。
大将殿をほせありけるは法華経の御事は昔よりさる事とわききつたへたれども丸は身にあたりて二つのゆへあり、一には故親父の御くびを大上入道に切られてあさましともいうばかりなかりしに、いかなる神仏にか申すべきとおもいしに走湯山の妙法尼より法華経をよみつたへ千部と申せし時、たかをのもんがく房をやのくびをもて来りてみせたりし上かたきを打つのみならず日本国の武士の大将を給いてあり、これひとへに法華経の御利生なり、二つにはこのちごがをやをたすけぬる事不思議なり、大橋の太郎というやつは頼朝きくわいなりとをもうたとい勅宣なりともかへし申してくびをきりてん、あまりのにくさにこそ十二年まで土のろうには入れてありつるにかかる不思議あり、されば法華経と申す事はありがたき事なり、頼朝は武士の大将にて多くのつみをつもりてあれども法華経を信じまいらせて候へばさりともとこそをもへとなみだぐみ給いけり。
今の御心ざしみ候へば故なんでうどのはただ子なればいとをしとわをぼしめしけるらめどもかく法華経をもて我がけうやうをすべしとはよもをぼしたらじ、たとひつみありていかなるところにおはすともこの御けうやうの心ざしをばえんまほうわう(閻魔法王)ぼんでんたひしやくまでもしろしめしぬらん、釈迦仏法華経もいかでかすてさせ給うべき、かのちごのちちのなわをときしとこの御心ざしかれにたがわず、これはなみだをもちてかきて候なり。
又むくりのおこれるよしこれにはいまだうけ給わらず、これを申せば日蓮房はむくり国のわたるといへばよろこぶと申すこれゆわれなき事なり、かかる事あるべしと申せしかばあだがたきと人ごとにせめしが経文かぎりあれば来るなりいかにいうともかなうまじき事なり、失もなくして国をたすけんと申せし者を用いこそあらざらめ、又法華経の第五の巻をもつて日蓮がおもてをうちしなり、梵天帝釈是を御覧ありき、鎌倉の八幡大菩薩も見させ給いき、いかにも今は叶うまじき世にて候へばかかる山中にも入りぬるなり、各各も不便とは思へども助けがたくやあらんずらん、よるひる法華経に申し候なり、御信用の上にも力もをしまず申させ給え、あえてこれよりの心ざしのゆわきにはあらず、各各の御信心のあつくうすきにて候べし、たいしは日本国のよき人人は一定いけどりにぞなり候はんずらん、あらあさましやあさましや、恐恐謹言。 
 
上野殿母御前御返事

 

南条故七郎五郎殿の四十九日御菩提のために送り給う物の日記の事、鵞目両ゆひ白米一駄芋一駄すりだうふ(摺豆腐)こんにやく柿一篭ゆ五十等云云御菩提の御ために法華経一部自我偈数度題目百千返唱へ奉り候い畢ぬ。
抑法華経と申す御経は一代聖教には似るべくもなき御経にて而かも唯仏与仏と説かれて仏と仏とのみこそしろしめされて等覚已下乃至凡夫は叶はぬ事に候へ。
されば竜樹菩薩の大論には仏已下はただ信じて仏になるべしと見えて候、法華経の第四法師品に云く「薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経あり而も此の経の中に於て法華最も第一なり」等云云、第五の巻に云く「文殊師利此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云、第七の巻に云く「此の法華経も亦復是くの如し諸経の中に於て最も其の上たり」又云く「最も照明たり最も其の尊たり」等云云、此等の経文私の義にあらず仏の誠言にて候へば定めてよもあやまりは候はじ、民が家に生れたる者我は侍に斉しなんど申せば必ずとが来るまして我れ国王に斉しまして勝れたりなんと申せば我が身のとがとなるのみならず父母と申し妻子と云ひ必ず損ずる事大火の宅を焼き大木の倒るる時小木等の損ずるが如し。
仏教も又かくの如く華厳阿含方等般若大日経阿弥陀経等に依る人人の我が信じたるままに勝劣も弁へずして我が阿弥陀経等は法華経と斉等なり将た又勝れたりなんど申せば其の一類の人人は我が経をほめられうれしと思へども還つてとがとなりて師も弟子も檀那も悪道に堕つること箭を射るが如し、但し法華経の一切経に勝れりと申して候はくるしからず還つて大功徳となり候、経文の如くなるが故なり。
此の法華経の始に無量義経と申す経おはします、譬えば大王の行幸の御時将軍前陣して狼籍をしづむるが如し、其の無量義経に云く「四十余年には未だ真実を顕さず」等云云、此れは将軍が大王に敵する者を大弓を以て射はらひ又太刀を以て切りすつるが如し、華厳経を読む華厳宗阿含経の律僧等観経の念仏者等大日経の真言師等の者共が法華経にしたがはぬをせめなびかす利剣の勅宣なり、譬えば貞任を義家が責め清盛を頼朝の打ち失せしが如し、無量義経の四十余年の文は不動明王の剣索愛染明王の弓箭なり。
故南条五郎殿の死出の山三途の河を越し給わん時煩悩の山賊罪業の海賊を静めて事故なく霊山浄土へ参らせ給うべき御供の兵者は無量義経の四十余年未顕真実の文ぞかし。
法華経第一の巻方便品に云く「世尊の法は久くして後要らず当に真実を説きたもうべし」又云く「正直に方便を捨てて但無上道を説く」云云、第五の巻に云く「唯髻中の明珠」又云く「独り王の頂上に此の一珠有り」又云く「彼の強力の王の久しく護れる明珠を今乃ち之を与うるが如し」等云云、文の心は日本国に一切経わたれり七千三百九十九巻なり彼れ彼れの経経は皆法華経の眷属なり、例せば日本国の男女の数四十九億九万四千八百二十八人候へども皆一人の国王の家人たるが如し、一切経の心は愚癡の女人なんどの唯一時に心うべきやうはたとへば大塔をくみ候には先ず材木より外に足代と申して多くの小木を集め一丈二丈計りゆひあげ候なり、かくゆひあげて材木を以て大塔をくみあげ候いつれば返って足代を切り捨て大塔は候なり、足代と申すは一切経なり大塔と申すは法華経なり、仏一切経を説き給いし事は法華経を説かせ給はんための足代なり、正直捨方便と申して法華経を信ずる人は阿弥陀経等の南無阿弥陀仏大日経等の真言宗阿含経等の律宗の二百五十戒等を切りすて抛ちてのち法華経をば持ち候なり、大塔をくまんがためには足代大切なれども大塔をくみあげぬれば足代を切り落すなり、正直捨方便と申す文の心是なり、足代より塔は出来して候へども塔を捨てて足代ををがむ人なし、今の世の道心者等一向に南無阿弥陀仏と唱えて一生をすごし南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人人は大塔をすてて足代ををがむ人人なり、世間にかしこくはかなき人と申すは是なり。
故七郎五郎殿は当世の日本国の人人にはにさせ給はず、をさなき心なれども賢き父の跡をおひ御年いまだはたちにも及ばぬ人が、南無妙法蓮華経と唱えさせ給いて仏にならせ給いぬ無一不成仏は是なり、乞い願わくは悲母我が子を恋しく思食し給いなば南無妙法蓮華経と唱えさせ給いて故南条殿故五郎殿と一所に生れんと願はせ給へ、一つ種は一つ種別の種は別の種同じ妙法蓮華経の種を心にはらませ給いなば同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給うべし、三人面をならべさせ給はん時御悦びいかがうれしくおぼしめすべきや。
抑此の法華経を開いて拝見仕り候へば「如来則ち為に衣を以て之を覆いたもう又他方現在の諸仏の護念する所と為らん」等云云、経文の心は東西南北八方並びに三千大千世界の外四百万億那由佗の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給う、天には星の如く地には稲麻のやうに並居させ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬えば大王の太子を諸の臣下の守護するが如し、但四天王一類のまほり給はん事のかたじけなく候に、一切の四天王一切の星宿一切の日月帝釈梵天等の守護せさせ給うに足るべき事なり、其の上一切の二乗一切の菩薩兜率内院の弥勒菩薩迦羅陀山の地蔵補陀落山の観世音清凉山の文殊師利菩薩等各各眷属を具足して法華経の行者を守護せさせ給うに足るべき事に候に又かたじけなくも釈迦多宝十方の諸仏のてづからみづから来り給いて昼夜十二時に守らせ給はん事のかたじけなさ申す計りなし。
かかるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給いて今日は四十九日にならせ給へば一切の諸仏霊山浄土に集まらせ給いて或は手にすへ或は頂をなで或はいだき或は悦び月の始めて出でたるが如く花の始めてさけるが如くいかに愛しまいらせ給うらん、抑いかなれば三世十方の諸仏はあながちに此の法華経をば守らせ給ふと勘へて候へば道理にて候けるぞ法華経と申すは三世十方の諸仏の父母なりめのとなり主にてましましけるぞや、かえると申す虫は母の音を食とす母の声を聞かざれば生長する事なし、からぐら(迦羅求羅)と申す虫は風を食とす風吹かざれば生長せず、魚は水をたのみ鳥は木をすみかとす仏も亦かくの如く法華経を命とし食としすみかとし給うなり、魚は水にすむ仏は此の経にすみ給う鳥は木にすむ仏は此の経にすみ給う月は水にやどる仏は此の経にやどり給う、此の経なき国には仏まします事なしと御心得あるべく候。
古昔輪陀王と申せし王をはしき南閻浮提の主なり、此の王はなにをか供御とし給いしと尋ぬれば白鳥のいななくを聞いて食とし給う、此の王は白馬のいななけば年も若くなり色も盛んに魂もいさぎよく力もつよく又政事も明らかなり、故に其の国には白馬を多くあつめ飼いしなり、譬えば魏王と申せし王の鶴を多くあつめ徳宗皇帝のほたるを愛せしが如し、白馬のいななく事は又白鳥の鳴きし故なり、されば又白鳥を多く集めしなり、或時如何しけん白鳥皆うせて白馬いななかざりしかば、大王供御たえて盛んなる花の露にしほれしが如く満月の雲におほはれたるが如し、此の王既にかくれさせ給はんとせしかば、后太子大臣一国皆母に別れたる子の如く皆色をうしなひて涙を袖におびたり如何せん如何せん、其の国に外道多し当時の禅宗念仏者真言師律僧等の如し、又仏の弟子も有り当時の法華宗の人人の如し、中悪き事水火なり胡と越とに似たり、大王勅宣を下して云く、一切の外道此の馬をいななかせば仏教を失いて一向に外道を信ぜん事諸天の帝釈を敬うが如くならん、仏弟子此の馬をいななかせば一切の外道の頚を切り其の所をうばひ取りて仏弟子につくべしと云云、外道も色をうしなひ仏弟子も歎きあへり、而れどもさてはつべき事ならねば外道は先に七日を行ひき、白鳥も来らず白馬もいななかず、後七日を仏弟子に渡して祈らせしに馬鳴と申す小僧一人あり、諸仏の御本尊とし給う法華経を以て七日祈りしかば白鳥壇上に飛び来る、此の鳥一声鳴きしかば一馬一声いななく、大王は馬の声を聞いて病の牀よりをき給う、后より始めて諸人馬鳴に向いて礼拝をなす、白鳥一二三乃至十百千出来して国中に充満せり、白馬しきりにいななき一馬二馬乃至百千の白馬いななきしかば大王此の音を聞こし食し面貌は三十計り心は日の如く明らかに政正直なりしかば、天より甘露ふり下り、勅風万民をなびかして無量百歳代を治め給いき。
仏も又かくの如く多宝仏と申す仏は此の経にあひ給はざれば御入滅此の経をよむ代には出現し給う、釈迦仏十方の諸仏も亦復かくの如し、かかる不思議の徳まします経なれば此の経を持つ人をばいかでか天照太神八幡大菩薩富士千眼大菩薩すてさせ給うべきとたのもしき事なり、又此の経にあだをなす国をばいかに正直に祈り候へども必ず其の国に七難起りて他国に破られて亡国となり候事大海の中の大船の大風に値うが如く大旱魃の草木を枯らすが如しとをぼしめせ、当時日本国のいかなるいのり候とも日蓮が一門法華経の行者をあなづらせ給へばさまざまの御いのり叶はずして大蒙古国にせめられてすでにほろびんとするが如し、今も御覧ぜよただかくては候まじきぞ是れ法華経をあだませ給う故と御信用あるべし。
抑故五郎殿かくれ給いて既に四十九日なり、無常はつねの習いなれども此の事うち聞く人すら猶忍びがたし、況や母となり妻となる人をや心の中をしはかられて候、人の子には幼きもあり長きもありみにくきもありかたわなるもある物をすら思いになるべかりけるにや、をのこごたる上よろづにたらひなさけあり、故上野殿には壮なりし時をくれて歎き浅からざりしに此の子を懐姙せずば火にも入り水にも入らんと思いしに此の子すでに平安なりしかば誰にあつらへて身をもなぐべきと思うて、此に心をなぐさめて此の十四五年はすぎぬ、いかにいかにとすべき、二人のをのこごにこそになわれめとたのもしく思ひ候いつるに今年九月五日月を雲にかくされ花を風にふかせてゆめかゆめならざるかあわれひさしきゆめかなとなげきをり候へばうつつににてすでに四十九日はせすぎぬ、まことならばいかんがせん、さける花はちらずしてつぼめる花のかれたる、をいたる母はとどまりてわかきこはさりぬ、なさけなかりける無常かな無常かな。
かかるなさけなき国をばいといすてさせ給いて故五郎殿の御信用ありし法華経につかせ給いて常住不壊のりやう山浄土へとくまいらせ給うちちはりやうぜんにまします母は娑婆にとどまれり、二人の中間にをはします故五郎殿の心こそをもひやられてあわれにをぼへ候へ、事多しと申せどもとどめ候い畢んぬ、恐恐謹言。 
 
衆生身心御書

 

衆生の身心をとかせ給う其の衆生の心にのぞむとてとかせ給へば人の説なれども衆生の心をいでず、かるがゆへに随他意の経となづけたり、譬へばさけもこのまぬをやのきわめてさけをこのむいとをしき子あり、かつはいとをしみかつは心をとらんがためにかれにさけをすすめんがために父母も酒をこのむよしをするなり、しかるをはかなき子は父母も酒をこのみ給うとをもへり。
提謂経と申す経は人天の事をとけり、阿含経と申す経は二乗の事をとかせ給う、華厳経と申す経は菩薩のことなり、方等般若経等は或は阿含経提謂経ににたり、或は華厳経にもにたり、此れ等の経経は末代の凡夫これをよみ候へば仏の御心に叶うらんとは行者はをもへどもくはしくこれをろむずれば己が心をよむなり、己が心は本よりつたなき心なればはかばかしき事なし、法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給う、仏の御心はよき心なるゆへにたといしらざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし、麻の中のよもぎつつの中のくちなはよき人にむつぶものなにとなけれども心もふるまひも言もなをしくなるなり、法華経もかくのごとしなにとなけれどもこの経を信じぬる人をば仏のよき物とをぼすなり、此の法華経にをひて又機により時により国によりひろむる人によりやうやうにかわりて候をば等覚の菩薩までもこのあわひをばしらせ給わずとみへて候、まして末代の凡夫はいかでかちからひをををせ候べき。
しかれども人のつかひに三人あり、一人はきわめてこざかしき、一人ははかなくもなし又こざかしからず、一人はきわめてはかなくたしかなる、此の三人に第一はあやまちなし、第二は第一ほどこそなけれどもすこしこざかしきゆへに主の御ことばに私の言をそうるゆへに第一のわるきつかいとなる、第三はきわめてはかなくあるゆへに私の言をまじへずきわめて正直なるゆへに主の言ばをたがへず、第二よりもよき事にて候あやまつて第一にもすぐれて候なり、第一をば月支の四依にたとう、第二をば漢土の人師にたとう、第三をば末代の凡夫の中に愚癡にして正直なる物にたとう。
仏在世はしばらく此れををく仏の御入滅の次の日より一千年をば正法と申す、この正法一千年を二つにわかつ、前の五百年が間は小乗経ひろまらせ給う、ひろめし人人は迦葉阿難等なり、後の五百年は馬鳴竜樹無著天親等権大乗経を弘通せさせ給う、法華経をばかたはし計りかける論師もあり、又つやつや申しいださぬ人もあり、正法一千年より後の論師の中には少分を仏説ににたれども多分をあやまりあり、あやまりなくして而もたらざるは迦葉阿難馬鳴竜樹無著天親等なり、像法に入り一千年漢土に仏法わたりしかば始めは儒家と相論せしゆへにいとまなきかのゆへに仏教の内の大小権実の沙汰なし、やうやく仏法流布せし上月支よりかさねがさね仏法わたり来るほどに前の人人はかしこきやうなれども後にわたる経論をもつてみればはかなき事も出来す、又はかなくをもひし人人もかしこくみゆる事もありき、結句は十流になりて千万の義ありしかば愚者はいづれにつくべしともみへず、智者とをぼしき人は辺執かぎりなし、而れども最極は一同の義あり所謂一代第一は華厳経第二は涅槃経第三は法華経此の義は上一人より下万民にいたるまで異義なし、大聖とあうぎし法雲法師智蔵法師等の十師の義一同なりしゆへなり。
而るを像法の中の陳隋の代に智・と申す小僧あり後には智者大師とがうす、法門多しといへども詮するところ法華涅槃華厳経の勝劣の一つ計りなり、智・法師云く仏法さかさまなり云云、陳主此の事をたださんがために南北の十師の最頂たる恵・僧上恵光僧都恵栄法歳法師等の百有余人を召し合わせられし時法華経の中には「諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云、又云く「已今当説最為難信難解」等云云、已とは無量義経に云く「摩訶般若華厳海空」等云云、当とは涅槃経に云く「般若はら蜜より大涅槃を出だす」等云云、此の経文は華厳経涅槃経には法華経勝ると見ゆる事赫赫たり明明たり御会通あるべしとせめしかば、或は口をとぢ或は悪口をはき或は色をへんじなんどせしかども、陳主立つて三拝し百官掌をあわせしかば力及ばずまけにき。
一代の中には第一法華経にてありしほどに像法の後の五百に新訳の経論重ねてわたる大宗皇帝の貞観三年に玄奘と申す人あり月支に入りて十七年五天の仏法を習いきわめて貞観十九年に漢土へわたりしが深密経瑜伽論唯識論法相宗をわたす、玄奘云く「月支に宗宗多しといへども此の宗第一なり」大宗皇帝は又漢土第一の賢王なり玄奘を師とす、此の宗の所詮に云く「或は三乗方便一乗真実」或は一乗方便三乗真実又云く「五性は各別なり決定性と無性の有情は永く仏に成らず」等と云云、此の義は天台宗と水火なり而も天台大師と章安大師は御入滅なりぬ其の已下の人人は人非人なりすでに天台宗破れてみへしなり。
其の後則天皇后の御世に華厳宗立つ前に天台大師にせめられし六十巻の華厳経をばさしをきて後に日照三蔵のわたせる新訳の華厳経八十巻をもつて立てたり、此の宗のせんにいわく華厳経は根本法輪法華経は枝末法輪等云云、則天皇后は尼にてをはせしが内外典にこざかしき人なり、慢心たかくして天台宗をさげをぼしてありしなり、法相といゐ華厳宗といゐ二重に法華経かくれさせ給う。
其の後玄宗皇帝の御宇に月支より善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵大日経金剛頂経蘇悉地経と申す三経をわたす、此の三人は人がらといゐ法門といゐ前前の漢土の人師には対すべくもなき人人なり、而も前になかりし印と真言とをわたすゆへに仏法は已前には此の国になかりけりとをぼせしなり、此の人人の云く天台宗は華厳法相三論には勝れたりしかれども此の真言経には及ばずと云云、其の後妙楽大師は天台大師のせめ給はざる法相宗華厳宗真言宗をせめ給いて候へども天台大師のごとく公場にてせめ給はざればただ闇夜のにしきのごとし、法華経になき印と真言と現前なるゆへに皆人一同に真言まさりにて有りしなり。
像法の中に日本国に仏法わたり所謂欽明天皇の六年なり、欽明より桓武にいたるまで二百余年が間は三論成実法相倶舎華厳律の六宗弘通せり、真言宗は人王四十四代元正天皇の御宇にわたる、天台宗は人王第四十五代聖武天王の御宇にわたる、しかれどもひろまる事なし、桓武の御代に最澄法師後には伝教大師とがうす、入唐已前に六宗を習いきわむる上十五年が間天台真言の二宗を山にこもり給いて御覧ありき、入唐已前に天台宗をもつて六宗をせめしかば七大寺皆せめられて最澄の弟子となりぬ、六宗の義やぶれぬ、後延暦廿三年に御入唐同じき廿四年御帰朝天台真言の宗を日本国にひろめたり、但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向つてとかざるか。
同代に空海という人あり後には弘法大師とがうす、延暦廿三年に御入唐大同三年御帰朝但真言の一宗を習いわたす、此の人の義に云く法華経は尚華厳経に及ばず何に況や真言にをひてをや。
伝教大師の御弟子に円仁という人あり後に慈覚大師とがうす、去ぬる承和五年の御入唐同十四年に御帰朝十年が間真言天台の二宗をがくす、日本国にて伝教大師義真円澄に天台真言の二宗を習いきわめたる上漢土にわたりて十年が間八箇の大徳にあひて真言を習い宗叡志遠等に値い給いて天台宗を習う、日本に帰朝して云く天台宗と真言宗とは同じく醍醐なり倶に深秘なり等云云、宣旨を申してこれにそう。
其の後円珍と申す人あり後には智証大師とがうす、入唐已前には義真和尚の御弟子なり、日本国にして義真円澄円仁等の人人に天台真言の二宗習いきわめたり、其の上去ぬる仁嘉三年に御入唐同貞観元年に御帰朝七年が間天台真言の二宗を法全良・等の人人に習いきわむ、天台真言の二宗の勝劣は鏡をかけたり、後代に一定あらそひありなん定むべしと云つて天台真言の二宗は譬へば人の両の目鳥の二の翼のごとし、此の外異義を存ぜん人人をば祖師伝教大師にそむく人なり山に住むべからずと宣旨を申しそへて弘通せさせ給いきされば漢土日本に智者多しといへども此の義をやぶる人はあるべからず、此の義まことならば習う人人は必ず仏にならせ給いぬらん、あがめさせ給う国王等は必ず世安穏になりぬらんとをぼゆ。
但し予が愚案は人に申せども、御もちゐあるべからざる上身のあだとなるべし、又きかせ給う弟子檀那も安穏なるべからずとをもひし上其の義又たがわず、但此の事は一定仏意には叶わでもやあるらんとをぼへ候、法華経一部八巻二十八品には此の経に勝れたる経をはせば此の法華経は十方の仏あつまりて大妄語をあつめさせ給えるなるべし、随つて華厳涅槃般若大日経深密等の経経を見るに「諸経の中に於て最も其の上に在り」の明文をやぶりたる文なし、随つて善無畏等玄奘等弘法慈覚智証等種種のたくみあれども法華経を大日経に対してやぶりたる経文はいだし給わず、但印真言計りの有無をゆへとせるなるべし、数百巻のふみをつくり漢土日本に往復して無尽のたばかりをなし宣旨を申しそへて人ををどされんよりは経文分明ならばたれか疑をなすべき、つゆつもりて河となる河つもりて大海となる塵つもりて山となる山かさなりて須弥山となれり小事つもりて大事となる何に況や此の事は最も大事なり、疏をつくられけるにも両方の道理文証をつくさるべかりけるか、又宣旨も両方を尋ね極めて分明の証文をかきのせていましめあるべかりけるか。
已今当の経文は仏すらやぶりがたし何に況や論師人師国王の威徳をもつてやぶるべしや、已今当の経文をば梵王帝釈日月四天等聴聞して各各の宮殿にかきとどめてをはするなり、まことに已今当の経文を知らぬ人の有る時は先の人人の邪義はひろまりて失なきやうにてはありとも此の経文をつよく立て退転せざるこわ物出来しなば大事出来すべし、いやしみて或はのり或は打ち或はながし或は命をたたんほどに梵王帝釈日月四天をこりあひて此の行者のかたうどをせんほどに存外に天のせめ来りて民もほろび国もやぶれんか、法華経の行者はいやしけれども守護する天こわし、例せば修羅が日月をのめば頭七分にわる犬は師子をほゆればはらわたくさる、今予みるに日本国かくのごとし、又此れを供養せん人人は法華経供養の功徳あるべし、伝教大師釈して云く「讚めん者は福を安明に積み謗せん者は罪を無間に開かん」等云云。
ひへのはんを辟支仏に供養せし人は宝明如来となりつちのもちゐを仏に供養せしかば閻浮提の王となれり、設いこうをいたせどもまことならぬ事を供養すれば大悪とはなれども善とならず、設い心をろかにすこしきの物なれどもまことの人に供養すればこう大なり、何に況や心ざしありて、まことの法を供養せん人人をや。
其の上当世は世みだれて民の力よわし、いとまなき時なれども心ざしのゆくところ山中の法華経へまうそうかたかんなををくらせ給う福田によきたねを下させ給うか、なみだもとどまらず。 
 
富士一跡門徒存知の事

 

先ず日蓮聖人の本意は法華本門に於ては曾つて異義有るべからざるの処、其の整足の弟子等忽に異趣を起して法門改変す況や末学等に於ては面面異轍を生ぜり、故に日興の門葉に於ては此の旨を守つて一同に興行せしむべきの状仍つて之を録す。
一、聖人御在生の時弟子六人を定むる事、[弘安五年十月日之を定む]
一日昭弁阿闍梨
二日朗大国阿闍梨
三日興白蓮阿闍梨
四日向佐渡阿闍梨
五日頂伊予阿闍梨
六日持蓮華阿闍梨
此の六人の内五人と日興一人と和合せざる由緒条条の事。
一、五人一同に云く、日蓮聖人の法門は天台宗なり、仍つて公所に捧ぐる状に云く天台沙門と云云、又云く先師日蓮聖人天台の余流を汲むと云云、又云く桓武聖代の古風を扇いで伝教大師の余流を汲み法華宗を弘めんと欲す云云。
日興が云く、彼の天台伝教所弘の法華は迹門なり今日蓮聖人の弘宣し給う法華は本門なり、此の旨具に状に載せ畢んぬ、此の相違に依つて五人と日興と堅く以て義絶し畢んぬ。
一、五人一同に云く、諸の神社は現当を祈らんが為なり仍つて伊勢太神宮と二所と熊野と在在所所に参詣を企て精誠を致し二世の所望を願う。
日興一人云く、謗法の国をば天神地祗並びに其の国を守護するの善神捨離して留らず、故に悪鬼神其の国土に乱入して災難を致す云云、此の相違に依つて義絶し畢んぬ。
一、五人一同に云く、如法経を勤行し之を書写し供養す仍つて在在所所に法華三昧又は一日経を行ず。
日興が云く、此くの如き行儀は是れ末法の修行に非ず、又謗法の代には行ずべからず、之に依つて日興と五人と堅く以て不和なり。
一、五人一同に云く、聖人の法門は天台宗なり仍つて比叡山に於て出家授戒し畢んぬ。
日興が云く、彼の比叡山の戒は是は迹門なり像法所持の戒なり、日蓮聖人の受戒は法華本門の戒なり今末法所持の正戒なり、之に依つて日興と五人と義絶し畢んぬ。
已前の条条大綱此くの如し此の外巨細具に注し難きなり。
一、甲斐の国波木井郷身延山の麓に聖人の御廟あり而るに日興彼の御廟に通ぜざる子細は彼の御廟の地頭南部六道入道[法名日円]は日興最初発心の弟子なり、此の因縁に依つて聖人御在所九箇年の間帰依し奉る滅後其の年月義絶する条条の事。
釈迦如来を造立供養して本尊と為し奉るべし是一。
次に聖人御在生九箇年の間停止せらるる神社参詣其の年に之を始む二所三島に参詣を致せり是二。
次に一門の勧進と号して南部の郷内のフクシの塔を供養奉加之有り是三。
次に一門仏事の助成と号して九品念仏の道場一宇之を造立し荘厳せり、甲斐国其の処なり是四。
已上四箇条の謗法を教訓するに日向之を許すと云云、此の義に依つて去る其の年月彼の波木井入道の子孫と永く以て師弟の義絶し畢んぬ、よつて御廟に相通ぜざるなり。
一、聖人の御例に順じ日興六人の弟子を定むる事。
一日目
二日華
三日秀聖人に常随給仕す
四日禅
五日仙
六日乗聖人に値い奉らず。
已上の五人は詮ずるに聖人給仕の輩なり、一味和合して異義有るべからざるの旨議定する所なり。
一、聖人御影像の事。
或は五人と云い或は在家と云い絵像木像に図し奉る事在在所所に其の数を知らず而るに面面不同なり。
爰に日興が云く、御影を図する所詮は後代に知らしめん為なり是に付け非に付け有りの侭に図し奉る可きなり、之に依つて日興門徒の在家出家の輩聖人を見奉る仁等一同に評議して其の年月図し奉る所なり、全体異らずと雖も大概麁相に之を図す仍つて裏に書き付けを成すなり、但し彼の面面の図像一も相似ざる中に去る正和二年日順図絵の本有り、相似の分なけれども自余の像よりも少し面影有り、而る間後輩に彼此是非を弁ぜしめんが為裏書に不似と付け置く。
一、聖人御書の事付けたり十一ヶ条
彼の五人一同の義に云く、聖人御作の御書釈は之無き者なり、縦令少少之有りと雖も或は在家の人の為に仮字を以て仏法の因縁を粗之を示し、若は俗男俗女の一毫の供養を捧ぐる消息の返札に施主分を書いて愚癡の者を引摂したまえり、而るに日興、聖人の御書と号して之を談じ之を読む、是れ先師の恥辱を顕す云々、故に諸方に散在する処の御筆を或はスキカエシに成し或は火に焼き畢んぬ。
此くの如く先師の跡を破滅する故に具に之を註して後代の亀鏡と為すなり。
一、立正安国論一巻。
此れに両本有り一本は文応元年の御作是れ最明寺殿宝光寺殿へ奏上の本なり、一本は弘安年中身延山に於て先本に文言を添えたもう、而して別の旨趣無し只建治の広本と云う。
一、開目抄一巻、今開して上下と為す。
佐土国の御作四条金吾頼基に賜う、日興所持の本は第二転なり、未だ正本を以て之を校えず。
一、報恩抄一巻、今開して上下と為す。
身延山に於て本師道善房聖霊の為に作り清澄寺に送る日向が許に在りと聞く、日興所持の本は第二転なり、未だ正本を以て之を校えず。
一、撰時抄一巻、今開して上中下と為す。
駿河国西山由井某に賜る、正本日興に上中二巻之れ在り[此中に面目俄に開く事]下巻に於いては日昭が許に之在り。
一、下山抄一巻。
甲斐の国下山郷の兵庫五郎光基の氏寺平泉寺の住僧因幡房日永追い出さるる時の述作なり、直に御自筆を以て遣さる、正本の在所を知らず。
一、観心本尊抄一巻。
一、取要抄一巻。
一、四信五品抄一巻。
[法門不審の条条申すに付いての御返事なり仍つて彼の進状を奥に之を書く。
] 已上の三巻は因幡国富城荘の本主今は常住下総国五郎入道日常に賜わる、正本は彼の在所に在り。
一、本尊問答抄一巻。
一、唱題目抄一巻。
此の書最初の御書文応年中常途天台宗の義分を以て且く爾前法華の相違を註し給う、仍つて文言義理共に爾なり。
一、御筆抄に法華本門の四字を加う、故に御書に之無しと雖も日興今義に従って之を置く、先例無きに非ざるか。
一、本尊の事四箇条
一、五人一同に云く、本尊に於ては釈迦如来を崇め奉る可しとて既に立てたり、随つて弟子檀那等の中にも造立供養の御書之れ在りと云云、而る間盛に堂舎を造り或は一躰を安置し或は普賢文殊を脇士とす、仍つて聖人御筆の本尊に於ては彼の仏像の後面に懸け奉り又は堂舎の廊に之を捨て置く。
日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり。
一、上の如く一同に此の本尊を忽緒し奉るの間或は曼荼羅なりと云って死人を覆うて葬る輩も有り、或は又沽却する族も有り、此くの如く軽賎する間多分は以て失せ畢んぬ。
日興が云く、此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず正像末に未だ弘通せざる本尊なり、然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、是れ偏に広宣流布の時本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉る可し。
一、日興弟子分の本尊に於ては一一皆書き付け奉る事誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事最も其の恐れ有りと雖も或は親には強盛の信心を以て之を賜うと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も弟子等之を捨つ、之に依つて或は以て交易し或は以て他の為に盗まる、此くの如きの類い其れ数多なり故に所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり。
一、御筆の本尊を以て形木に彫み不信の輩に授与して軽賎する由諸方に其の聞え有り所謂日向日頂日春等なり。
日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。
本尊人数等又追放人等、頚切られ、死を致す人等。
一、本門寺を建つ可き在所の事。
五人一同に云く、彼の天台伝教は存生に之を用いらるるの間直に寺塔を立てたもう、所謂大唐の天台山本朝の比叡山是なり而るに彼の本門寺に於ては先師何の国何の所とも之を定め置かれずと。
爰に日興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国富士山は是れ日本第一の名山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由奏聞し畢んぬ、仍つて広宣流布の時至り国主此の法門を用いらるるの時は必ず富士山に立てらるべきなり。
一、王城の事。
右、王城に於ては殊に勝地を撰ぶ可きなり、就中仏法は王法と本源躰一なり居処随つて相離るべからざるか、仍つて南都七大寺北京比叡山先蹤之同じ後代改まらず、然れば駿河の国富士山は広博の地なり一には扶桑国なり二には四神相応の勝地なり、尤も本門寺と王城と一所なるべき由且は往古の佳例なり且は日蓮大聖人の本願の所なり。
一、日興集むる所の証文の事。
御書の中に引用せらるる若は経論書釈の文若は内外典籍伝の文等、或は大綱随義転用し或は粗意を取つて述用し給えり、之に依つて日興散引の諸文典籍等を集めて次第に証拠を勘校す、其の功未だ終らず且らく集むる所なり。
一内外論の要文[上下二巻]開目抄の意に依つて之を撰ぶ。
一本迹弘経要文[上中下三巻]撰時抄の意に依つて之を撰ぶ。
一漢土の天台妙楽邪法を対治して正法を弘通する証文一巻。
一日本の伝教大師南都の邪宗を破失して法華の正法を弘通する証文一巻。
已上七巻之を集めて未だ再治せず。
一、奏聞状の事。
一先師聖人文永五年申状一通。
一同八年申状一通。
一日興其の年より申状一通。
一漢土の仏法先ず以て沙汰の次第之を図す一通。
一本朝仏法先ず以て沙汰の次第之を図す一通。
一三時弘経の次第並びに本門寺を建つ可き事。
一先師の書釈要文一通。
一、追加八箇条。
近年以来日興所立の義を盗み取り己が義と為す輩出来する由緒条条の事。
一、寂仙房日澄始めて盗み取つて己が義と為す彼の日澄は民部阿闍梨の弟子なり、仍つて甲斐国下山郷の地頭左衛門四郎光長は聖人の御弟子なり御遷化の後民部阿闍梨を師と為す[帰依僧なり]、而るに去る永仁年中新堂を造立し一躰仏を安置するの刻み、日興が許に来臨して所立の義を難ず、聞き已つて自義と為し候処に正安二年民部阿闍梨彼の新堂並びに一躰仏を開眼供養す、爰に日澄本師民部阿闍梨と永く義絶せしめ日興に帰伏して弟子と為る、此の仁盗み取つて自義と為すと雖も後改悔帰伏の者なり、一、去る永仁年中越後国に摩訶一と云う者有り[天台宗の学匠なり]日興が義を盗み取つて盛んに越後国に弘通するの由之を聞く。
一、去る正安年中以来浄法房天目と云う者有り[聖人に値い奉る]日興が義を盗み取り鎌倉に於て之を弘通す、又祖師の添加を蔑如す。
一、弁阿闍梨の弟子少輔房日高去る嘉元年中以来日興が義を盗み取つて下総の国に於て盛んに弘通す。
一、伊予阿闍梨の下総国真間の堂は一躰仏なり、而るに去る年月日興が義を盗み取つて四脇士を副う彼の菩薩の像は宝冠形なり。
一、民部阿闍梨も同く四脇士を造り副う、彼の菩薩像は比丘形にして納衣を著す、又近年以来諸神に詣ずる事を留むるの由聞くなり。
一、甲斐国に肥前房日伝と云う者有り[寂日房向背の弟子なり]日興が義を盗み取つて甲斐国に於て盛んに此の義を弘通す是れ又四脇士を造り副う彼の菩薩の像は身皆金色剃髪の比丘形なり、又神詣を留むるの由之を聞く。
一、諸方に聖人の御書之を読む由の事。
此の書札の抄別状有り之を見るべし。 
 
五人所破抄

 

夫れ以れば諸仏懸遠の難きことは譬を曇華に仮り妙法値遇の縁は比を浮木に類す、塵数三五の施化に猶漏れて正像二千の弘経も稍過ぎ已んぬ、闘諍堅固の今は乗戒倶に緩うして人には弊悪の機のみ多し何の依憑しきこと有らんや、設い内外兼包の智は三祇に積み大小薫習の行は百劫を満つとも時と機とを弁ぜず本と迹とに迷倒せば其れも亦信じ難からん。
爰に先師聖人親り大聖の付を受けて末法の主為りと雖も、早く無常の相を表して円寂に帰入するの刻五字を紹継するが為に六人の遺弟を定めたもう。
日昭と日朗と日興と日向と日頂と日持と[已上六人なり。]
五人武家に捧ぐる状に云く[未だ公家に奏せず。]
天台の沙門日昭謹んで言上す。
先師日蓮は忝くも法華の行者と為て専ら仏果の直道を顕し天台の余流を酌み地慮の研精を尽すと云々。
又云く、日昭不肖の身為りと雖も兵火永息の為副将安全の為に法華の道場を構え、長日の勤行を致し奉る、已に冥冥の志有り豈昭昭の感無からんや[詮を取る。]
天台沙門日朗謹んで言上す。
先師日蓮は如来の本意に任せ先判の権経を閣いて後判の実教を弘通せしむるに、最要未だ上聞に達せず愁欝を懐いて空しく多年の星霜を送る玉を含みて寂に入るが如く逝去せしめ畢んぬ、然して日朗忝くも彼の一乗妙典を相伝して鎮に国家を祈り奉る[詮を取る]。
天台法華宗の沙門日向日頂謹んで言上す。
桓武聖代の古風を扇ぎ伝教大師の余流を汲み立正安国論に准じて法華一乗を崇められんことを請うの状。
右謹んで旧規を検えたるに祖師伝教大師は延暦年中に始めて叡山に登り法華宗を弘通したもう云云。
又云く法華の道場に擬して天長地久を祈り今に断絶すること無し[詮を取る]。
日興公家に奏し武家に訴えて云く。
日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり、所謂大覚世尊未来の時機を鑒みたまい世を三時に分ち法を四依に付して以来、正法千年の内には迦葉阿難等の聖者先ず小を弘めて大を略す竜樹天親等の論師は次に小を破りて大を立つ、像法千年の間異域には則ち陳隋両主の明時に智者は十師の邪義を破る、本朝には亦桓武天皇の聖代に伝教は六宗の僻論を改む、今末法に入つては上行出世の境本門流布の時なり正像已に過ぎぬ何ぞ爾前迹門を以て強いて御帰依有る可けんや、就中天台伝教は像法の時に当つて演説し日蓮聖人は末法の代を迎えて恢弘す、彼は薬王の後身此れは上行の再誕なり経文に載する所解釈炳焉たる者なり。
凡そ一代教籍の濫觴は法華の中道を解かんが為三国伝持の流布は盍ぞ真実の本門を先とせざらんや、若し瓦礫を貴んで珠玉を棄て燭影を捧げて日光を哢せば只風俗の迷妄に趁いて世尊の化導を謗ずるに似るか、華の中に優曇有り木の中に栴檀有り凡慮覃び難し併ながら冥鑑に任す云云、本と迹と既に水火を隔て時と機と亦天地の如し、何ぞ地涌の菩薩を指して苟も天台の末弟と称せんや。
次に祈国の段亦以て不審なり、所以は何ん文永免許の古先師素意の分既に以て顕れ畢んぬ、何ぞ僭聖道門の怨敵に交り坐して鎮に天長地久の御願を祈らんや、況や三災弥起り一分も徴し無し啻に祖師の本懐に違するのみにあらず還つて己身の面目を失うの謂いか。
又五人一同に云く凡そ倭漢両朝の章疏を披いて本迹二門の元意を探るに判教は玄文に尽し弘通は残る所無し、何ぞ天台一宗の外に胸臆の異義を構えんや、拙いかな尊高の台嶺を褊して辺鄙の富山を崇み、明静の止観を閣いて仮字の消息を執する、誠に是れ愚癡を一身に招き耻辱を先師に及ぼす者か、僻案の至りなり甚だ以て然るべからず、若し聖人の製作と号し後代に伝えんと欲せば宜く卑賎の倭言を改め漢字を用ゆべし云云。
日興が云く、夫れ竜樹天親は即ち四依の大士にして円頓一実の中道を申ぶと雖も而も権を以て面と為し実を隠して裏に用ゆ、天台伝教は亦五品の行位にして専ら本迹二門の不同を分ち而も迹を弘め衆を救い本を残して末に譲る、内鑒は然りと雖も外は時宜に適うかの故に或は知らざるの相を示し或は知つて而も未だ闡揚せず、然るに今本迹両経共に天台の弘通と称するの条は経文に違背し解釈は拠を失う、所以は宝塔三箇の鳳詔に驚き勧持二万の勅答を挙げて此土の弘経を申ぶと雖も迹化の菩薩に許さず、過八恒沙の競望を止めて不須汝等護持此経と示し地涌千界の菩薩を召して如来一切所有の法を授く、迹化他方の極位すら尚劫数の塵点に暗し止善男子の金言に豈幽微の実本を許さんや、本門五字の肝要は上行菩薩の付嘱なり誰か胸臆なりと称せんや[委細文の如し経を開いて見るべし]。
次に天台大師経文を消したもうに、「如来之を止むるに凡そ三義有り汝等各各自ら己が住有り若し此の土に住すれば彼の利益を廃せん、又他方は此土に結縁の事浅し宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん、又若し之を許さば則ち下を召すことを得ず下若し来らずんば迹も破することを得ず遠も顕すことを得ず是を三義と為す、如来之を止めて下方を召して来らすに亦三義有り、是れ我が弟子応に我が法を弘むべし、縁深厚なるを以て能く此土に遍して益し分身の土に遍して益し他方の土に遍して益し、又開近顕遠することを得、是の故に彼を止めて下を召すなり」文、又云く「爾前仏告上行の下是れ第三に結要付嘱」と云々、伝教大師は本門を慕いて「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」文、又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を原ぬれば則ち唐の東羯の西人を尋ぬれば則ち五濁の生闘諍の時経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るなり」云云。
加之大論の中に「法華は是れ秘密なれば諸の菩薩に付す」と宣ぶ、今の下文に下方を召すが如く尚本眷属を待つ験けし余は未だ堪えず、輔正記に云く「付嘱を明せば此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す、何を以ての故に爾る、法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」[論釈一に非ず繁を恐れて之を略す]。
観音薬王は既に迹化に居す南岳天台誰人の後身ぞや、正像過ぎて二千年未だ上行の出現を聞かず末法も亦二百余廻なれば本門流布の時節なり何ぞ一部の総釈を以て猥に三時の弘経を難ぜんや、次に日本と云うは惣名なり亦本朝を扶桑国と云う富士は郡の号即ち大日蓮華山と称す、爰に知んぬ先師自然の名号と妙法蓮華の経題と山州共に相応す弘通此の地に在り、遠く異朝の天台山を訪えば台星の所居なり大師彼の深洞を卜して迹門を建立す、近く我が国の大日山を尋ぬれば日天の能住なり聖人此の高峰を撰んで本門を弘めんと欲す、閻浮第一の富山なればなり五人争でか辺鄙と下さんや。
次に上行菩薩は本極法身微妙深遠にして寂光に居すと雖も未了の者の為に事を以て理を顕し地より涌出したまいて以来付を本門に承け時を末法に待ち生を我朝に降し訓を仮字に示す、祖師の鑒機失無くんば遺弟の改転定めて恐れ有らんか、此等の所勘に依つて浅智の仰信を致すのみ、抑梵漢の両字と扶桑の一点とは時に依り機に随つて互に優劣無しと雖も倩上聖被下の善巧を思うに殆んど天竺震旦の方便に超えたり、何ぞ倭国の風俗を蔑如して必ずしも漢家の水露を崇重せん、但し西天の仏法東漸の時既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し、遠沾の飜訳は諍論に及ばず雅意の改変は独り悲哀を懐く者なり。
又五人一同に云く、先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔之を刻み、弘安帰寂の日も随身せり何ぞ輙く言うに及ばんや云云。
日興が云く、諸仏の荘厳同じと雖も印契に依つて異を弁ず如来の本迹は測り難し眷属を以て之を知る、所以に小乗三蔵の教主は迦葉阿難を脇士と為し伽耶始成の迹仏は普賢文殊左右に在り、此の外の一躰の形像豈頭陀の応身に非ずや、凡そ円頓の学者は広く大綱を存して網目を事とせず倩聖人出世の本懐を尋ぬれば源と権実已過の化導を改め上行所伝の乗戒を弘めんが為なり、図する所の本尊は亦正像二千の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり、今に当つては迹化の教主既に益無し況や・・婆和の拙仏をや、次に随身所持の俗難は只是れ継子一旦の寵愛月を待つ片時の螢光か、執する者尚強いて帰依を致さんと欲せば須らく四菩薩を加うべし敢て一仏を用ゆること勿れ云云。
又五人一同に云く、富士の立義の体為らく啻に法門の異類に擬するのみに匪ず剰え神無の別途を構う、既に以て道を失う誰人か之を信ぜんや。
日興が云く、我が朝は是れ神明和光の塵仏陀利生の境なり、然りと雖も今末法に入つて二百余年御帰依の法は爾前迹門なり誹謗の国を棄捨するの条は経論の明文にして先師の勘うる所なり、何ぞ善神聖人の誓願に背き新に悪鬼乱入の社壇に詣でんや、但し本門流宣の代、垂迹還住の時は尤も上下を撰んで鎮守を定む可し云云。
又五人一同に云く、如法一日の両経は共に以て法華の真文なり、書写読誦に於ても相違有るべからず云云。
日興が云く、如法一日の両経は法華の真文為りと雖も正像転時の往古平等摂受の修行なり、今末法の代を迎えて折伏の相を論ずれば一部読誦を専とせず但五字の題目を唱え三類の強敵を受くと雖も諸師の邪義を責む可き者か、此れ則ち勧持不軽の明文上行弘通の現証なり、何ぞ必ずしも折伏の時摂受の行を修すべけんや、但し四悉の廃立二門の取捨宜く時機を守るべし敢て偏執すること勿れ云云。
又五人の立義既に二途に分れ戒門に於て持破を論ず云云。
日興が云く、夫れ波羅提木叉の用否行住四威儀の所作平嶮の時機に随い持破に凡聖有り、爾前迹門の尸羅を論ずれば一向に制禁す可し、法華本門の大戒に於ては何ぞ又依用せざらんや。
但し本門の戒躰委細の経釈面を以て決す可し云云。
身延の群徒猥に疑難して云く、富士の重科は専ら当所の離散に有り、縦い地頭非例を致すとも先師の遺跡を忍ぶ可し既に御墓に参詣せず争か向背の過罪を遁れんや云云。
日興が云く、此の段顛倒の至極なり言語に及ばずと雖も未聞の族に仰せて毒鼓の縁を結ばん、夫れ身延興隆の元由は聖人御座の尊貴に依り地頭発心の根源は日興教化の力用に非ずや、然るを今下種結縁の最初を忘れて劣謂勝見の僻案を起し師弟有無の新義を構え理非顕然の諍論を致す、誠に是れ葉を取つて其の根を乾かし流を酌んで未だ源を知らざる故か、何に況や慈覚智証は即伝教入室の付弟叡山住持の祖匠なり、若宮八幡は亦百王鎮護の大神日域朝廷の本主なり、然りと雖も明神は仏前に於て謗国捨離の願を立て先聖は慈覚を指して本師違背の仁と称す、若し御廟を守るを正と為さば円仁所破の段頗る高祖の誤謬なり、非例を致して過無くんば其の国棄捨の誓い都べて垂迹の不覚か、料り知んぬ悪鬼外道の災を作し宗廟社稷の処を辞す善神聖人の居は即ち正直正法の頂なり、抑身延一沢の余流未だ法水の清濁を分たず強いて御廟の参否を論ぜば汝等将に砕身の舎利を信ぜんとす何ぞ法華の持者と号せんや、迷暗尤も甚し之に准じて知る可し伝え聞く天台大師に三千余の弟子有り章安朗然として独り之を達す、伝教大師は三千侶の衆徒を安く義真以後は其れ無きが如し、今日蓮聖人は万年救護の為に六人の上首を定む然りと雖も法門既に二途に分れ門徒亦一准ならず、宿習の至り正師に遇うと雖も伝持の人自他弁じ難し、能く是の法を聴く者此の人亦復難しと此の言若し堕ちなば将来悲む可し、経文と解釈と宛かも符契の如し迹化の悲歎猶此くの如し本門の墜堕寧ろ愁えざらんや、案立若し先師に違わば一身の短慮尤も恐れ有り言う所亦仏意に叶わば五人の謬義甚だ憂う可し取捨正見に任す思惟して宜しく解すべし云云。
此の外支流異義を構え諂曲稍数多なり、其の中に天目の云く、已前の六人の談は皆以て嘲哢すべきの義なり但し富山宜しと雖も亦過失有り迹門を破し乍ら方便品を読むこと既に自語相違せり信受すべきに足らず、若し所破の為と云わば弥陀経をも誦すべけんや云云。
日興が云く、聖人の炳誡の如くんば沙汰の限りに非ずと雖も慢幢を倒さんが為に粗一端を示さん、先ず本迹の相違は汝慥に自発するや去る□□□□[正安二年]の比天目当所に来つて問答を遂ぐるの刻み日興が立義一一証伏し畢んぬ、若し正見を存せば尤も帰敬を成すべきの処に還つて方便読誦の難を致す誠に是れ無慚無愧の甚しきなり、夫れ狂言綺語の歌仙を取つて自作に備うる卿相すら尚短才の耻辱と為す、況や終窮究竟の本門を盗み己が徳と称する逆人争か無間の大苦を免れんや、照覧冥に在り慎まずんばあるべからず。
次に方便品の疑難に至つては汝未だ法門の立破を弁ぜず恣に祖師の添加を蔑如す重科一に非ず罪業上の如し、若し知らんと欲せば以前の如く富山に詣で尤も習学の為宮仕を致す可きなり、抑彼等が為に教訓するに非ず正見に任せて二義を立つ、一には所破の為二には文証を借るなり、初に所破の為とは純一無雑の序分には且く権乗の得果を挙げ廃迹顕本の寿量には猶伽耶の近情を明す、此れを以て之を思うに方便称読の元意は只是れ牒破の一段なり、若し所破の為と云わば念仏をも申す可きか等の愚難は誠に四重の興廃に迷い未だ三時の弘経を知らず重畳の狂難嗚呼の至極なり、夫れ諸宗破失の基は天台伝教の助言にして全く先聖の正意に非ず何ぞ所破の為に読まざるべけんや、経釈の明鏡既に日月の如し天目の暗者邪雲に覆わるる故なり、次に迹の文証を借りて本の実相を顕すなり、此等の深義は聖人の高意にして浅智の覃ぶ所に非ず[正機には将に之を伝うべし]云云。 
 
日興遺誡置文

 

夫れ以みれば末法弘通の恵日は極悪謗法の闇を照し久遠寿量の妙風は伽耶始成の権門を吹き払う、於戲仏法に値うこと希にして喩を曇華の蕚に仮り類を浮木の穴に比せん、尚以て足らざる者か、爰に我等宿縁深厚なるに依つて幸に此の経に遇い奉ることを得、随つて後学の為に条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり。
一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。
一、五人の立義一一先師の御弘通に違する事。
一、御書何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有る可し、若し加様の悪侶出来せば親近す可からざる事。
一、偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得可き事。
一、謗法を呵責せずして遊戲雑談の化儀並に外書歌道を好む可からざる事。
一、檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況や其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云。
一、器用の弟子に於ては師匠の諸事を許し閣き御抄以下の諸聖教を教学す可き事。
一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事。
一、予が後代の徒衆等権実を弁えざる間は父母師匠の恩を振り捨て出離証道の為に本寺に詣で学文す可き事。
一、義道の落居無くして天台の学文す可からざる事。
一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。
一、論議講説等を好み自余を交ゆ可からざる事。
一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事。
一、身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事。
一、弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を為す可き事。
一、下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事。
一、時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
一、衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事。
一、衣の墨黒くすべからざる事。
一、直綴を着す可からざる事。
一、謗法と同座す可からず与同罪を恐る可き事。
一、謗法の供養を請く可からざる事。
一、刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す。
但し出仕の時節は帯す可からざるか、若し其れ大衆等に於ては之を許す可きかの事。
一、若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居る可からざる事。
一、先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の・犯有りと雖も衆徒に差置く可き事。
一、巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫す可き事。
右の条目大略此くの如し、万年救護の為に二十六箇条を置く後代の学侶敢て疑惑を生ずる事勿れ、此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず、仍つて定むる所の条条件の如し。 ( 元弘三年[癸酉]正月十三日 ) 
 
白米一俵御書

 

白米一俵けいもひとたわらこふのりひとかご御つかいをもつてわざわざをくられて候。
人にも二つの財あり一には衣二には食なり経に云く「有情は食に依つて住す」と云云文の心は生ある者は衣と食によつて世にすむと申す心なり、魚は水にすむ水を宝とす木は地の上にをいて候地を財とす、人は食によつて生あり食を財とす、いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、遍満三千界無有直身命ととかれて三千大千世界にみてて候財もいのちにはかへぬ事に候なり、さればいのちはともしびのごとし食はあぶらのごとし、あぶらつくればともしびきへぬ食なければいのちたへぬ、一切のかみ仏をうやまいたてまつる始の句には南無と申す文字ををき候なり、南無と申すはいかなる事ぞと申すに南無と申すは天竺のことばにて候、漢土日本には帰命と申す帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり、我が身には分に随いて妻子眷属所領金銀等をもてる人人もあり又財なき人人もあり、財あるも財なきも命と申す財にすぎて候財は候はず、さればいにしへの聖人賢人と申すは命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。
いわゆる雪山童子と申せし人は身を鬼にまかせて八字をならへり、薬王菩薩と申せし人は臂をやいて法華経に奉る、我が朝にも聖徳太子と申せし人は手のかわをはいで法華経をかき奉り、天智天皇と申せし国王は無名指と申すゆびをたいて釈迦仏に奉る、比れ等は賢人聖人の事なれば我等は叶いがたき事にて候。
ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり、志ざしと申すはなに事ぞと委細にかんがへて候へば観心の法門なり、観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へばただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が身のかわをわぐにて候ぞ、うへたるよにこれはなしてはけうの命をつぐべき物もなきにただひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が身命を仏にまいらせ候にて候ぞ、これは薬王のひぢをやき雪山童子の身を鬼にたびて候にもあいをとらぬ功徳にて候へば聖人の御ためには事供やう凡夫のためには理くやう止観の第七の観心の檀ばら蜜と申す法門なり、まことのみちは世間の事法にて候、金光明経には「若し深く世法を識らば即ち是れ仏法なり」ととかれ涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を妙楽大師は法華経の第六の巻の「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」との経文に引き合せて心をあらわされて候には彼れ彼れの二経は深心の経経なれども彼の経経はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば世間の法を仏法に依せてしらせて候、法華経はしからずやがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。
爾前の経の心心は、心より万法を生ず、譬へば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す、法華経はしからず心すなはち大地大地即草木なり、爾前の経経の心は心のすむは月のごとし心のきよきは花のごとし、法華経はしからず月こそ心よ花こそ心よと申す法門なり。
此れをもつてしろしめせ、白米は白米にはあらずすなはち命なり。
美食ををさめぬ人なれば力をよばず山林にまじわり候いぬ、されども凡夫なればかんも忍びがたく熱をもふせぎがたし、食ともし表○目が万里の一食忍びがたく思子孔が十旬九飯堪ゆべきにあらず、読経の音も絶えぬべし観心の心をろそかなり。
しかるにたまたまの御とぶらいただ事にはあらず、教主釈尊の御すすめか将又過去宿習の御催か、方方紙上に尽し難し、恐恐謹言。 
 
上野尼御前御返事

 

・牙一駄[四斗定]あらひいも一俵送り給びて南無妙法蓮華経と唱へまいらせ候い了んぬ。
妙法蓮華経と申すは蓮に譬えられて候、天上には摩訶曼陀羅華人間には桜の花此等はめでたき花なれども此れ等の花をば法華経の譬には仏取り給う事なし、一切の花の中に取分けて此の花を法華経に譬へさせ給う事は其の故候なり、或は前花後菓と申して花は前に菓は後なり或は前菓後花と申して菓は前に花は後なり、或は一花多菓或は多花一菓或は無花有菓と品品に候へども蓮華と申す花は菓と花と同時なり、一切経の功徳は先に善根を作して後に仏とは成ると説くかかる故に不定なり、法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り口に唱ふれば其の口即仏なり、譬えば天月の東の山の端に出ずれば其の時即水に影の浮かぶが如く音とひびきとの同時なるが如し、故に経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら千人は千人ながら一人もかけず仏に成ると申す文なり。
抑御消息を見候へば尼御前の慈父故松野六郎左衛門入道殿の忌日と云云、子息多ければ孝養まちまちなり、然れども必ず法華経に非ざれば謗法等云云、釈迦仏の金口の説に云く「世尊の法は久しくして後要らず当に真実を説きたもうべし」と、多宝の証明に云く、妙法蓮華経は皆是れ真実なりと十方の諸仏の誓に云く舌相梵天に至る云云、これよりひつじさるの方に大海をわたりて国あり漢土と名く、彼の国には或は仏を信じて神を用いぬ人もあり或は神を信じて仏を用いぬ人もあり或は日本国も始はさこそ候いしか、然るに彼の国に烏竜と申す手書ありき漢土第一の手なり、例せば日本国の道風行成等の如し、此の人仏法をいみて経をかかじと申す願を立てたり、此の人死期来りて重病をうけ臨終にをよんで子に遺言して云く汝は我が子なりその跡絶ずして又我よりも勝れたる手跡なり、たとひいかなる悪縁ありとも法華経をかくべからずと云云、然して後五根より血の出ずる事泉の涌くが如し舌八つにさけ身くだけて十方にわかれぬ、然れども一類の人人も三悪道を知らざれば地獄に堕つる先相ともしらず。
其の子をば遺竜と申す又漢土第一の手跡なり、親の跡を追うて法華経を書かじと云う願を立てたり、其の時大王おはします司馬氏と名く仏法を信じ殊に法華経をあふぎ給いしが同じくは我が国の中に手跡第一の者に此の経を書かせて持経とせんとて遺竜を召す、竜申さく父の遺言あり是れ計りは免し給へと云云、大王父の遺言と申す故に他の手跡を召して一経をうつし畢んぬ、然りといへ共御心に叶い給はざりしかば又遺竜を召して言はく汝親の遺言と申せば朕まげて経を写させず但八巻の題目計りを勅に随うべしと云云、返す返す辞し申すに王瞋りて云く汝が父と云うも我が臣なり親の不孝を恐れて題目を書かずば違勅の科ありと勅定度度重かりしかば不孝はさる事なれども当座の責をのがれがたかりしかば法華経の外題を書きて王へ上げ宅に帰りて父のはかに向いて血の涙を流して申す様は天子の責重きによつて亡き父の遺言をたがへて既に法華経の外題を書きぬ。
不孝の責免れがたしと歎きて三日の間墓を離れず食を断ち既に命に及ぶ、三日と申す寅の時に已に絶死し畢つて夢の如し、虚空を見れば天人一人おはします帝釈を絵[ゑ]にかきたるが如し無量の眷属天地に充満せり、爰に竜問うて云く何なる人ぞ答えて云く汝知らずや我は是れ父の烏竜なり、我人間にありし時外典を執し仏法をかたきとし、殊に法華経に敵をなしまいらせし故に無間に堕つ、日日に舌をぬかるる事数百度或は死し或は生き天に仰き地に伏してなげけども叶う事なし、人間へ告げんと思へども便りなし、汝我が子として遺言なりと申せしかば其の言炎と成つて身を責め剣と成つて天より雨り下る、汝が不孝極り無かりしかども我が遺言を違へざりし故に自業自得果うらみがたかりし所に金色の仏一体無間地獄に出現して仮使遍法界断善諸衆生一聞法華経決定成菩提と云云、此の仏無間地獄に入り給いしかば大水を大火になげたるが如し、少し苦みやみぬる処に我合掌して仏に問い奉りて何なる仏ぞと申せば仏答えて我は是れ汝が子息遺竜が只今書くところの法華経の題目六十四字の内の妙の一字なりと言ふ、八巻の題目は八八六十四の仏六十四の満月と成り給へば無間地獄の大闇即大明となりし上無間地獄は当位即妙不改本位と申して常寂光の都と成りぬ、我及び罪人とは皆蓮の上の仏と成りて只今都率の内院へ上り参り候が先ず汝に告ぐるなりと云云、遺竜が云く、我が手にて書きけり争でか君たすかり給うべき、而も我が心よりかくに非ず、いかにいかにと申せば、父答えて云く汝はかなし汝が手は我が手なり汝が身は我が身なり汝が書きし字は我が書きし字なり、汝心に信ぜざれども手に書く故に既にたすかりぬ、譬えば小児の火を放つに心にあらざれども物を焼くが如し、法華経も亦かくの如し存外に信を成せば必ず仏になる、又其の義を知りて謗ずる事無かれ、但し在家の事なればいひしこと故大罪なれども懺悔しやすしと云云、此の事を大王に申す、大王の言く我が願既にしるし有りとて遺竜弥朝恩を蒙り国又こぞつて此の御経を仰ぎ奉る。
然るに故五郎殿と入道殿とは尼御前の父なり子なり、尼御前は彼の入道殿のむすめなり、今こそ入道殿は都率の内院へ参り給うらめ、此の由をはわきどのよみきかせまいらせ給うべし、事そうそうにてくはしく申さず候。
恐恐謹言。 
 
上野殿御返事/弘安二年四月二十日五十八歳御作

 

抑日蓮種種の大難の中には竜口の頚の座と東条の難にはすぎず、其の故は諸難の中には命をすつる程の大難はなきなり、或はのりせめ或は処をおわれ無実を云いつけられ或は面をうたれしなどは物のかずならず、されば色心の二法よりをこりてそしられたる者は日本国の中には日蓮一人なり、ただしありとも法華経の故にはあらじ、さてもさてもわすれざる事はせうばう(少輔房)が法華経の第五の巻を取りて日蓮がつらをうちし事は三毒よりをこる処のちやうちやくなり。
天竺に嫉妬の女人あり男をにくむ故に家内の物をことごとく打ちやぶり、其の上にあまりの腹立にやすがたけしきかわり眼は日月の光のごとくかがやきくちは炎をはくがごとしすがたは青鬼赤鬼のごとくにて年来男のよみ奉る法華経の第五の巻をとり両の足にてさむざむにふみける、其の後命つきて地獄にをつ両の足ばかり地獄にいらず獄卒鉄杖をもつてうてどもいらず、是は法華経をふみし逆縁の功徳による、いま日蓮をにくむ故にせうぼう(少輔房)が第五の巻を取りて予がをもてをうつ是も逆縁となるべきか、彼は天竺此れは日本かれは女人これはをとこかれは両のあしこれは両の手彼は嫉妬の故此れは法華経の御故なり、されども法華経第五の巻はをなじきなり、彼の女人のあし地獄に入らざらんに此の両の手無間に入るべきや、ただし彼は男をにくみて法華経をばにくまず、此れは法華経と日蓮とをにくむれば一身無間に入るべし、経に云く「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云々、手ばかり無間に入るまじとは見へず不便なり不便なり、ついには日蓮にあひて仏果をうべきか不軽菩薩の上慢の四衆のごとし。
夫れ第五の巻は一経第一の肝心なり竜女が即身成仏あきらかなり、提婆はこころの成仏をあらはし竜女は身の成仏をあらはす、一代に分絶たる法門なり、さてこそ伝教大師は法華経の一切経に超過して勝れたる事を十あつめ給いたる中に即身成仏化導勝とは此の事なり、此の法門は天台宗の最要にして即身成仏義と申して文句の義科なり真言天台の両宗の相論なり、竜女が成仏も法華経の功力なり、文殊師利菩薩は唯常宣説妙法華経とこそかたらせ給へ、唯常の二字は八字の中の肝要なり、菩提心論の唯真言法中の唯の字と今の唯の字といづれを本とすべきや、彼の唯の字はをそらくはあやまりなり、無量義経に云く「四十余年未だ真実を顕さず」、法華経に云く「世尊の法は久しくして後に要当に真実を説きたもうべし」、多宝仏は皆是真実とて法華経にかぎりて即身成仏ありとさだめ給へり、爾前経にいかように成仏ありともとけ権宗の人人無量にいひくるふともただほうろく千につち一つなるべし、法華折伏破権門理とはこれなり、尤もいみじく秘奥なる法門なり。
又天台の学者慈覚よりこのかた玄文止の三大部の文をとかくれうけんし義理をかまうとも去年のこよみ昨日の食のごとしけうの用にならず、末法の始の五百年に法華経の題目をはなれて成仏ありといふ人は仏説なりとも用ゆべからず、何に況や人師の義をや、爰に日蓮思ふやう提婆品を案ずるに提婆は釈迦如来の昔の師なり、昔の師は今の弟子なり今の弟子はむかしの師なり、古今能所不二にして法華経の深意をあらわす、されば悪逆の達多には慈悲の釈迦如来師となり愚癡の竜女には智慧の文殊師となり文殊釈迦如来にも日蓮をとり奉るべからざるか、日本国の男は提婆がごとく女は竜女にあひにたり、逆順ともに成仏を期すべきなり是れ提婆品の意なり。
次に勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり、誰か出でて日本国唐土天竺三国にして仏の滅後によみたる人やある、又我よみたりとなのるべき人なし又あるべしとも覚へず、及加刀杖の刀杖の二字の中にもし杖の字にあう人はあるべし刀の字にあひたる人をきかず、不軽菩薩は杖木瓦石と見えたれば杖の字にあひぬ刀の難はきかず、天台妙楽伝教等は刀杖不加と見えたれば是又かけたり、日蓮は刀杖の二字ともにあひぬ、剰へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜口となり、一度もあう人なきなり日蓮は二度あひぬ、杖の難にはすでにせうばう(少輔房)につらをうたれしかども第五の巻をもつてうつ、うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻不思議なる未来記の経文なり、さればせうばうに日蓮数十人の中にしてうたれし時の心中には法華経の故とはをもへどもいまだ凡夫なればうたてかりける間つえをもうばひちからあるならばふみをりすつべきことぞかし、然れどもつえは法華経の五の巻にてまします。
いまをもひいでたる事あり、子を思ふ故にやをやつぎの木の弓をもつて学文せざりし子にをしへたり、然る間此の子うたてかりしは父にくかりしはつぎの木の弓、されども終には修学増進して自身得脱をきわめ又人を利益する身となり、立ち還つて見ればつぎの木をもつて我をうちし故なり、此の子そとば(率塔婆)に此の木をつくり父の供養のためにたててむけりと見へたり、日蓮も又かくの如くあるべきか、日蓮仏果をえむに争かせうばう(少輔房)が恩をすつべきや、何に況や法華経の御恩の杖をや、かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし。
又涌出品は日蓮がためにはすこしよしみある品なり、其の故は上行菩薩等の末法に出現して南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり、しかるに先日蓮一人出来す六万恒沙の菩薩よりさだめて忠賞をかほるべしと思へばたのもしき事なり、とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ。
日蓮生れし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり、相かまへて相かまへて自他の生死はしらねども御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならずむかいにまいり候べし、三世の諸仏の成道はねうしのをわりとらのきざみの成道なり、仏法の住処鬼門の方に三国ともにたつなり此等は相承の法門なるべし委くは又申すべく候、恐恐謹言。
かつへて食をねがひ渇して水をしたうがごとく恋いて人を見たきがごとく病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人べにしろいものをつくるがごとく法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後悔あるべし、云云。 
 

 

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