日蓮聖人御書 [1]

唱法華題目抄立正安国論立正安国論奥書安国論御勘由来守護国家論災難対治抄念仏者追放せしむる宣旨等諸書念仏無間地獄抄当世念仏者無間地獄事題目弥陀名号勝劣事法華浄土問答抄法華真言勝劣事真言七重勝劣事真言天台勝劣事真言諸宗違目真言見聞蓮盛抄八宗違目抄早勝問答北条時宗への御状建長寺道隆への御状極楽寺良観への御状行敏訴状御会通一昨日御書強仁状御返事開目抄上開目抄下如来滅後五五百歳始観心本尊抄本朝沙門日蓮撰撰時抄報恩抄日蓮之を撰す報恩抄送文法華取要抄四信五品抄下山御消息本尊問答抄諸宗問答抄一生成仏抄主師親御書一代聖教大意一念三千理事十如是事一念三千法門十法界事爾前二乗菩薩不作仏事教機時国抄十法界明因果抄顕謗法抄持妙法華問答抄木絵二像開眼之事女人成仏抄聖愚問答抄如説修行抄顕仏未来記当体義抄小乗大乗分別抄立正観抄立正観抄送状顕立正意抄上行菩薩結要付属口伝
日蓮日蓮聖人御書[2]
 

雑学の世界・補考   

唱法華題目抄/文応元年五月三十九歳御作 

 

有る人予に問うて云く世間の道俗させる法華経の文義を弁へずとも一部一巻四要品自我偈一句等を受持し或は自らもよみかき若しは人をしてもよみかかせ或は我とよみかかざれども経に向い奉り合掌礼拝をなし香華を供養し、或は上の如く行ずる事なき人も他の行ずるを見てわづかに随喜の心ををこし国中に此の経の弘まれる事を悦ばん、是体の僅かの事によりて世間の罪にも引かれず彼の功徳に引かれて小乗の初果の聖人の度度人天に生れて而も悪道に堕ちざるがごとく常に人天の生をうけ終に法華経を心得るものと成つて十方浄土にも往生し又此の土に於ても即身成仏する事有るべきや委細に之を聞かん、答えて云くさせる文義を弁えたる身にはあらざれども法華経涅槃経並に天台妙楽の釈の心をもて推し量るにかりそめにも法華経を信じて聊も謗を生ぜざらん人は余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず、但し悪知識と申してわづかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さんを誠と思いて法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて一生さて法華経へ帰り入らざらん人は悪道に堕つべき事も有りなん、仰せに付いて疑はしき事侍り実にてや侍るらん法華経に説かれて候とて智者の語らせ給いしは昔三千塵点劫の当初大通智勝仏と申す仏います其の仏の凡夫にていましける時十六人の王子をはします、彼の父の王仏にならせ給ひて一代聖教を説き給いき十六人の王子も亦出家して其の仏の御弟子とならせ給いけり、大通智勝仏法華経を説き畢らせ給いて定に入らせ給いしかば十六人の王子の沙弥其の前にしてかはるがはる法華経を講じ給いけり、其の所説を聴聞せし人幾千万といふ事をしらず当座に悟をえし人は不退の位に入りにき、又法華経をおろかに心得る結縁の衆もあり其の人人当座中間に不退の位に入らずして三千塵点劫をへたり、其の間又つぶさに六道四生に輪廻し今日釈迦如来の法華経を説き給うに不退の位に入る所謂舎利弗目連迦葉阿難等是なり猶猶信心薄き者は当時も覚らずして未来無数劫を経べきか知らず我等も大通智勝仏の十六人の結縁の衆にもあるらん此の結縁の衆をば天台妙楽は名字観行の位にかなひたる人なりと定め給へり名字観行の位は一念三千の義理を弁へ十法成乗の観を凝し能能義理を弁えたる人なり一念随喜五十展転と申すも天台妙楽の釈のごときは皆観行五品の初随喜の位と定め給へり博地の凡夫の事にはあらず然るに我等は末代の一字一句等の結縁の衆一分の義理をも知らざらんは豈無量の世界の塵点劫を経ざらんや是れ偏えに理深解微の故に教は至つて深く機は実に浅きがいたす処なり只弥陀の名号を唱えて順次生に西方極楽世界に往生し西方極楽世界に永く不退の無生忍を得て阿弥陀如来観音勢至等の法華経を説き給わん時聞いて悟を得んには如かじ然るに弥陀の本願は有智無智善人悪人持戒破戒等をも択ばず只一念唱うれば臨終に必ず弥陀如来本願の故に来迎し給ふ是を以て思うに此の土にして法華経の結縁を捨て浄土に往生せんとをもふは億千世界の塵点を経ずして疾法華経を悟るがためなり法華経の根機にあたはざる人の此の穢土にて法華経にいとまをいれて一向に念仏を申さざるは法華経の証は取り難く極楽の業は定まらず中間になりて中中法華経をおろそかにする人にてやおはしますらんと申し侍るは如何に、其の上只今承り候へば僅に法華経の結縁計ならば三悪道に堕ちざる計にてこそ候へ
六道の生死を出るにはあらず、念仏の法門はなにと義理を知らざれども弥陀の名号を唱え奉れば浄土に往生する由を申すは遥かに法華経よりも弥陀の名号はいみじくこそ聞え侍れ、答えて云く誠に仰せめでたき上智者の御物語にも侍るなればさこそと存じ候へども但し若し御物語のごとく侍らばすこし不審なる事侍り、大通結縁の者をあらあらうちあてがい申すには名字観行の者とは釈せられて侍れども正しく名字即の位の者と定められ侍る上退大取小の者とて法華経をすてて権教にうつり後には悪道に堕ちたりと見えたる上正しく法華経を誹謗して之を捨てし者なり、設え義理を知るようなる者なりとも謗法の人にあらん上は三千塵点無量塵点も経べく侍るか、五十展転一念随喜の人人を観行初随喜の位の者と釈せられたるは末代の我等が随喜等は彼の随喜の中には入る可からずと仰せ候か、是を天台妙楽初随喜の位と釈せられたりと申さるるほどにては又名字即と釈せられて侍る釈はすてらるべきか、所詮仰せの御義を委く案ずればをそれにては候へども謗法の一分にやあらんずらん其の故は法華経を我等末代の機に叶い難き由を仰せ候は末代の一切衆生は穢土にして法華経を行じて詮無き事なりと仰せらるるにや、若しさやうに侍らば末代の一切衆生の中に此の御詞を聞きて既に法華経を信ずる者も打ち捨て未だ行ぜざる者も行ぜんと思うべからず随喜の心も留め侍らば謗法の分にやあるべかるらん、若し謗法の者に一切衆生なるならばいかに念仏を申させ給うとも御往生は不定にこそ侍らんずらめ又弥陀の名号を唱へ極楽世界に往生をとぐべきよしを仰せられ侍るは何なる経論を証拠として此の心はつき給いけるやらん正くつよき証文候か若しなくば其の義たのもしからず、前に申し候いつるがごとく法華経を信じ侍るはさせる解なけれども三悪道には堕すべからず候六道を出る事は一分のさとりなからん人は有り難く侍るか、但し悪知識に値つて法華経随喜の心を云いやぶられて候はんは力及ばざるか又仰せに付いて驚き覚え侍り其の故は法華経は末代の凡夫の機に叶い難き由を智者申されしかばさかと思い侍る処に只今の仰せの如くならば弥陀の名号を唱うとも法華経をいゐうとむるとがによりて往生をも遂げざる上悪道に堕つべきよし承るはゆゆしき大事にこそ侍れ、抑大通結縁の者は謗法の故に六道に回るも又名字即の浅位の者なり又一念随喜五十展転の者も又名字観行即の位と申す釈は何の処に候やらん委く承り候はばや、又義理をも知らざる者僅かに法華経を信じ侍るが悪知識の教によて法華経を捨て権教に移るより外の世間の悪業に引かれては悪道に堕つべからざる由申さるるは証拠あるか、又無智の者の念仏申して往生すると何に見えてあるやらんと申し給うこそよに事あたらしく侍れ、雙観経等の浄土の三部経善導和尚等の経釈に明かに見えて侍らん上はなにとか疑い給うべき、答えて曰く大通結縁の者を退大取小の謗法名字即の者と申すは私の義にあらず天台大師の文句第三の巻に云く「法を聞いて未だ度せず而して世世に相い値うて今に声聞地に住する者有り即ち彼の時の結縁の衆なり」と釈し給いて侍るを、妙楽大師の疏記第三に重ねて此の釈の心を述べ給いて云く「但全く未だ品に入らず、倶に結縁と名づくるが故に」文文の心は大通結縁の者は名字即の者となり、又天台大師の玄義の第六に大通結縁の者を釈して云く「若しは信若しは謗因つて倒れ因つて起く喜根を謗ずと雖も後要らず度を得るが如し」文文の心は大通結縁の者の三千塵点を経るは謗法の者なり例せば勝意比丘が喜根菩薩を謗ぜしが如しと釈す五十展転の人は五品の初めの初随喜の位と申す釈もあり、又初随喜の位の先の名字即と申す釈もあり疏記第十に云く「初めに法会にして聞く是れ初品なるべし第五十人は必ず随喜の位の初めに在る人なり」文文の心は初会聞法の人は必ず初随喜の位の内第五十人は初随喜の位の先の名字即と申す釈なり。
其の上五種法師にも受持読誦書写の四人は自行の人大経の九人の先の四人は解無き者なり解説は化他後の五人は解有る人と証し給へり、疏記第十に五種法師を釈するには「或は全く未だ品に入らず」又云く「一向未だ凡位に入らず」文文の心は五種法師は観行五品と釈すれども又五品已前の名字即の位とも釈するなり、此等の釈の如くんば義理を知らざる名字即の凡夫が随喜等の功徳も経文の一偈一句一念随喜の者五十展転等の内に入るかと覚え候、何に況や此の経を信ぜざる謗法の者の罪業は譬喩品に委くとかれたり持経者を謗ずる罪は法師品にとかれたり、此の経を信ずる者の功徳は分別功徳品随喜功徳品に説けり謗法と申すは違背の義なり随喜と申すは随順の義なりさせる義理を知らざれども一念も貴き由申すは違背随順の中には何れにか取られ候べき、又末代無智の者のわづかの供養随喜の功徳は経文には載せられざるか如何、其の上天台妙楽の釈の心は他の人師ありて法華経の乃至童子戯一偈一句五十展転の者を爾前の諸経のごとく上聖の行儀と釈せられたるをば謗法の者と定め給へり、然るに我が釈を作る時機を高く取りて末代造悪の凡夫を迷はし給わんは自語相違にあらずや故に妙楽大師五十展転の人を釈して云く「恐らくは人謬りて解せる者初心の功徳の大なる事を測らず而して功を上位に推り此の初心を蔑る故に今彼の行浅く功深き事を示して以て経力を顕わす」文文の心は謬つて法華経を説かん人の此の経は利智精進上根上智の人のためといはん事を仏をそれて下根下智末代の無智の者のわづかに浅き随喜の功徳を四十余年の諸経の大人上聖の功徳に勝れたる事を顕わさんとして五十展転の随喜は説かれたり、故に天台の釈には外道小乗権大乗までたくらべ来て法華経の最下の功徳が勝れたる由を釈せり、所以に阿竭多仙人は十二年が間恒河の水を耳に留め耆兎仙人は一日の中に大海の水をすいほす此くの如き得通の仙人は小乗阿含経の三賢の浅位の一通もなき凡夫には百千万倍劣れり、三明六通を得たりし小乗の舎利弗目連等は華厳方等般若等の諸大乗経の未断三惑の一通もなき一偈一句の凡夫には百千万倍劣れり華厳方等般若経を習い極めたる等覚の大菩薩は法華経を僅かに結縁をなせる未断三惑無悪不造の末代の凡夫には百千万倍劣れる由釈の文顕然也、而るを当世の念仏宗等の人我が身の権教の機にて実経を信ぜざる者は方等般若の時の二乗のごとく自身をはぢしめてあるべき処に敢えて其の義なし、あまつさへ世間の道俗の中に僅かに観音品自我偈なんどを読み適父母孝養なんどのために一日経等を書く事あればいゐさまたげて云く善導和尚は念仏に法華経をまじうるを雑行と申し百の時は希に一二を得千の時は希に三五を得ん乃至千中無一と仰せられたり、何に況や智慧第一の法然上人は法華経等を行ずる者をば祖父の履或は群賊等にたとへられたりなんどいゐうとめ侍るは是くの如く申す師も弟子も阿鼻の焔をや招かんずらんと申す。
問うて云く何なるすがた並に語を以てか法華経を世間にいゐうとむる者には侍るやよにおそろしくこそおぼえ候へ、答えて云く始めに智者の申され候と御物語候いつるこそ法華経をいゐうとむる悪知識の語にて侍れ、末代に法華経を失うべき者は心には一代聖教を知りたりと思いて而も心には権実二経を弁へず身には三衣一鉢を帯し或は阿練若に身をかくし或は世間の人にいみじき智者と思はれて而も法華経をよくよく知る由を人に知られなんとして世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて法華経を失うべしと見えて候。
問うて云く其の証拠如何、答えて云く法華経勧持品に云く「諸の無智の人悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし」文妙楽大師此の文の心を釈して云く「初めの一行は通じて邪人を明す、即ち俗衆なり」文文の心は此の一行は在家の俗男俗女が権教の比丘等にかたらはれて敵をすべしとなり、経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為得たりと謂い我慢の心充満せん」文妙楽大師此の文の心を釈して云く「次の一行は道門増上慢の者を明す」文文の心は悪世末法の権教の諸の比丘我れ法を得たりと慢じて法華経を行ずるものの敵となるべしといふ事なり、経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説き世に恭敬せらるる事六通の羅漢の如くならん是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮りて好んで我等が過を出さん而も是くの如き言を作さん此の諸の比丘等は利養を貪るを為つての故に外道の論義を説き自ら此の経典を作りて世間の人を誑惑す名聞を求むるを為つての故に分別して是の経を説くと、常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲するが故に国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人外道の論議を説くと謂わん」[已上]
妙楽大師此の文を釈して云く「三に七行は僣聖増上慢の者を明す」文経並に釈の心は悪世の中に多くの比丘有つて身には三衣一鉢を帯し阿練若に居して行儀は大迦葉等の三明六通の羅漢のごとく在家の諸人にあふがれて一言を吐けば如来の金言のごとくをもはれて法華経を行ずる人をいゐやぶらんがために国王大臣等に向ひ奉つて此の人は邪見の者なり法門は邪法なりなんどいゐうとむるなり。
上の三人の中に第一の俗衆の毀よりも第二の邪智の比丘の毀は猶しのびがたし又第二の比丘よりも第三の大衣の阿練若の僧は甚し、此の三人は当世の権教を手本とする文字の法師並に諸経論の言語道断の文を信ずる暗禅の法師並に彼等を信ずる在俗等四十余年の諸経と法華経との権実の文義を弁へざる故に、華厳方等般若等の心仏衆生即心是仏即往十方西方等の文と法華経の諸法実相即往十方西方の文と語の同じきを以て義理のかはれるを知らず或は諸経の言語道断心行所滅の文を見て一代聖教には如来の実事をば宣べられざりけりなんどの邪念をおこす、故に悪鬼此の三人に入つて末代の諸人を損じ国土をも破るなり故に経文に云く「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其の身に入つて我を罵詈し毀辱せん乃至仏の方便随宜所説の法を知らず」文文の心は濁悪世の時比丘我が信ずる所の教は仏の方便随宜の法門ともしらずして権実を弁へたる人出来すれば詈り破しなんどすべし、是偏に悪鬼の身に入りたるをしらずと云うなり、されば末代の愚人の恐るべき事は刀杖虎狼十悪五逆等よりも三衣一鉢を帯せる暗禅の比丘と並に権経の比丘を貴しと見て実経の人をにくまん俗侶等なり。
故に涅槃経二十二に云く「悪象等に於ては心に恐怖する事無かれ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ何を以ての故に是悪象等は唯能く身を壊りて心を破ること能わず悪知識は二倶に壊るが故に乃至悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至らん」文此文の心を章安大師宣べて云く「諸の悪象等は但是れ悪縁にして人に悪心を生ぜしむる事能わず悪知識は甘談詐媚巧言令色もて人を牽いて悪を作さしむ悪を作すを以ての故に人の善心を破る之を名づけて殺と為す即ち地獄に堕す」文、文の心は悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり、総じて涅槃経の心は十悪五逆の者よりも謗法闡提のものをおそるべしと誡めたり闡提の人と申すは法華経涅槃経を云いうとむる者と見えたり、当世の念仏者等法華経を知り極めたる由をいふに因縁譬喩をもて釈しよくよく知る由を人にしられて然して後には此の経のいみじき故に末代の機のおろかなる者及ばざる由をのべ強き弓重き鎧かひなき人の用にたたざる由を申せば無智の道俗さもと思いて実には叶うまじき権教に心を移して僅かに法華経に結縁しぬるをも飜えし又人の法華経を行ずるをも随喜せざる故に師弟倶に謗法の者となる。
之れに依つて謗法の衆生国中に充満して適仏事をいとなみ法華経を供養し追善を修するにも念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来て法華経は末代の機に叶い難き由を示す、故に施主も其の説を実と信じてある間訪るる過去の父母夫婦兄弟等は弥地獄の苦を増し孝子は不孝謗法の者となり聴聞の諸人は邪法を随喜し悪魔の眷属となる、日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず適仏法を知る智者は国の人に捨てられ守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ利生を止此の国をすて他方に去り給い、悪鬼は便りを得て国中に入り替り大地を動かし悪風を興し一天を悩し五穀を損ず故に飢渇出来し人の五根には鬼神入つて精気を奪ふ是を疫病と名く一切の諸人善心無く多分は悪道に堕つることひとへに悪知識の教を信ずる故なり、仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求め国王太子王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説かん其の王別えずして此の語を信聴し横に法制を作りて仏戒に依らず是れを破仏破国の因縁と為す」文、文の心は末法の諸の悪比丘国王大臣の御前にして国を安穏ならしむる様にして終に国を損じ仏法を弘むる様にして還つて仏法を失うべし、国王大臣此の由を深く知し食さずして此の言を信受する故に国を破り仏教を失うと云う文なり。此の時日月度を失ひ時節もたがひて夏はさむく冬はあたたかに秋は悪風吹き赤き日月出で望朔にあらずして日月蝕し或は二つ三つ等の日出来せん大火大風彗星等をこり飢饉疫病等あらんと見えたり、国を損じ人を悪道にをとす者は悪知識に過ぎたる事なきか。
問うて云く始めに智者の御物語とて申しつるは所詮後世の事の疑わしき故に善悪を申して承らんためなり、彼の義等は恐ろしき事にあるにこそ侍るなれ一文不通の我等が如くなる者はいかにしてか法華経に信をとり候べき又心ねをば何様に思い定め侍らん、答えて云く此の身の申す事をも一定とおぼしめさるまじきにや其の故はかやうに申すも天魔波旬悪鬼等の身に入つて人の善き法門を破りやすらんとおぼしめされ候はん一切は賢きが智者にて侍るにや。
問うて云く若しかやうに疑い候はば我身は愚者にて侍り万の智者の御語をば疑いさて信ずる方も無くして空く一期過し侍るべきにや、答えて云く仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か、又依了義経不依不了義経と説かれて候へば愚癡の身にして一代聖教の前後浅深を弁えざらん程は了義経に付かせ給い候へ、了義経不了義経も多く候阿含小乗経は不了義経華厳方等般若浄土の観経等は了義経、又四十余年の諸経を法華経に対すれば不了義経法華経は了義経、涅槃経を法華経に対すれば法華経は了義経涅槃経は不了義経、大日経を法華経に対すれば大日経は不了義経法華経は了義経なり、故に四十余年の諸経並に涅槃経を打ち捨てさせ給いて法華経を師匠と御憑み候へ法華経をば国王父母日月大海須弥山天地の如くおぼしめせ、諸経をば関白大臣公卿乃至万民衆星江河諸山草木等の如くおぼしめすべし、我等が身は末代造悪の愚者鈍者非法器の者、国王は臣下よりも人をたすくる人父母は他人よりも子をあはれむ者日月は衆星より暗を照らす者法華経は機に叶わずんば況や余経は助け難しとおぼしめせ、又釈迦如来と阿弥陀如来薬師如来多宝仏観音勢至普賢文殊等の一切の諸仏菩薩は我等が慈悲の父母此の仏菩薩の衆生を教化する慈悲の極理は唯法華経にのみとどまれりとおぼしめせ、諸経は悪人愚者鈍者女人根欠等の者を救ふ秘術をば未だ説き顕わさずとおぼしめせ法華経の一切経に勝れ候故は但此の事に侍り、而るを当世の学者法華経をば一切経に勝れたりと讃めて、而も末代の機に叶わずと申すを皆信ずる事豈謗法の人に侍らずや、只一口におぼしめし切らせ給い候へ所詮法華経の文字を破りさきなんどせんには法華経の心やぶるべからず、又世間の悪業に対して云いうとむるとも人人用ゆべからず只相似たる権経の義理を以て云いうとむるにこそ人はたぼらかさるれとおぼしめすべし。
問うて云く或智者の申され候しは四十余年の諸経と八箇年の法華経とは成仏の方こそ爾前は難行道法華経は易行道にて候へ、往生の方にては同事にして易行道に侍り法華経を書き読みても十方の浄土阿弥陀仏の国へも生るべし観経等の諸経の付いて弥陀の名号を唱えん人も往生を遂ぐべし只機縁の有無に随つて何をも諍ふべからず、但し弥陀の名号は人ごとに行じ易しと思いて日本国中に行じつけたる事なれば法華経等の余行よりも易きにこそと申されしは如何、答えて云く仰せの法門はさも侍るらん又世間の人も多くは道理と思いたりげに侍り但し身には此の義に不審あり、其の故は前に申せしが如く末代の凡夫は智者と云うともたのみなし世こぞりて上代の智者には及ぶべからざるが故に愚者と申すともいやしむべからず経論の証文顕然ならんには抑無量義経は法華経を説くが為の序分なり、然るに始め寂滅道場より今の常在霊山の無量義経に至るまで其の年月日数を委く計へ挙げれば四十余年なり、其の間の所説の経を挙るに華厳阿含方等般若なり所談の法門は三乗五乗所習の法門なり修行の時節を定むるには宣説菩薩歴劫修行と云ひ随自意随他意を分つには是を随他意と宣べ四十余年の諸経と八箇年の所説との語同じく義替れる事を定めるには文辞一と雖ど義各異るととけり成仏の方は別にして往生の方は一つなるべしともおぼえず華厳方等般若究竟最上の大乗経頓悟漸悟の法門皆未顕真実と説かれたり此の大部の諸経すら未顕真実なり何に況や浄土の三部経等の往生極楽ばかり未顕真実の内にもれんや其の上経経ばかりを出すのみにあらず既に年月日数を出すをや、然れば華厳方等般若等の弥陀往生已に未顕真実なる事疑い無し、観経の弥陀往生に限つて豈多留難故の内に入らざらんや、若し随自意の法華経の往生極楽を随他意の観経の往生極楽に同じて易行道と定めて而も易行の中に取つても猶観経の念仏往生は易行なりと之を立てられば権実雑乱の失大謗法たる上一滴の水漸漸に流れて大海となり一麈積つて須弥山となるが如く漸く権経の人も実経にすすまず実経の人も権経におち権経の人次第に国中に充満せば法華経随喜の心も留り国中に王なきが如く人の神を失えるが如く法華真言の諸の山寺荒れて諸天善神竜神等一切の聖人国を捨てて去らば悪鬼便りを得て乱れ入り悪風吹いて五穀も成らしめず疫病流行して人民をや亡さんずらん、此の七八年が前までは諸行は永く往生すべからず善導和尚の千中無一と定めさせ給いたる上選択には諸行を抛てよ行ずる者は群賊と見えたりなんど放語を申し立てしが、又此の四五年の後は選択集の如く人を勧めん者は謗法の罪によって師檀共に無間地獄に堕つべしと経に見えたりと申す法門出来したりげに有りしを、始めは念仏者こぞりて不思議の思いをなす上念仏を申す者無間地獄に堕つべしと申す悪人外道ありなんどののしり候しが念仏者無間地獄に堕つべしと申す語に智慧つきて各選択集を委く披見する程にげにも謗法の書とや見なしけん千中無一の悪義を留めて諸行往生の由を念仏者毎に之を立つ、然りと雖も唯口にのみゆるして心の中は猶本の千中無一の思いなり在家の愚人は内心の謗法なるをばしらずして諸行往生の口にばかされて念仏者は法華経をば謗ぜざりけるを法華経を謗ずる由を聖道門の人の申されしは僻事なりと思へるにや、一向諸行は千中無一と申す人よりも謗法の心はまさりて候なり失なき由を人に知らせ而も念仏計りを亦弘めんとたばかるなり偏に天魔の計りごとなり。
問うて云く天台宗の中の人の立つる事あり天台大師爾前と法華と相対して爾前を嫌うに二義あり、一には約部四十余年の部と法華経の部と相対して爾前は・なり法華は妙なりと之を立つ二には約教教に・妙を立て華厳方等般若等の円頓速疾の法門をば妙と歎じ華厳方等般若等の三乗歴別の修行の法門をば前三教と名づけて・なりと嫌へり円頓速疾の方をば嫌わず法華経に同じて一味の法門とせりと申すは如何、答えて云く此の事は不審にもする事侍るらん然る可しとをぼゆ天台妙楽より已来今に論有る事に侍り天台の三大部六十巻総じて五大部の章疏の中にも約教の時は爾前の円を嫌ふ文無し、只約部の時ばかり爾前の円を押ふさねて嫌へり、日本に二義あり園城寺には智証大師の釈より起つて爾前の円を嫌ふと云い山門には嫌はずと云う互に文釈あり倶に料簡あり然れども今に事ゆかず、但し予が流の義には不審晴れておぼえ候、其の故は天台大師四教を立て給うに四の筋目あり、一には爾前の経に四教を立つ二には法華経と爾前と相対して爾前の円を法華の円に同じて前三教を嫌う事あり、三には爾前の円をば別教に摂して前三教と嫌ひ法華の円をば純円と立つ四には爾前の円をば法華に同ずれども但法華経の二妙の中の相待妙に同じて絶待妙には同ぜず、此の四の道理を相対して六十巻をかんがうれば狐疑の冰解けたり一一の証文は且つは秘し且つは繁き故に之を載せず、又法華経の本門にしては爾前の円と迹門の円とを嫌う事不審なき者なり、爾前の円をば別教に摂して約教の時は前三為・後一為妙と云うなり此の時は爾前の円は無量義経の歴劫修行の内に入りぬ、又伝教大師の註釈の中に爾前の八教を挙げて四十余年未顕真実の内に入れ或は前三教をば迂回と立て爾前の円をば直道と云い無量義経をば大直道と云う委細に見る可し。
問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず、常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし、たへたらん人は一偈一句をも読み奉る可し助縁には南無釈迦牟尼仏多宝仏十方諸仏一切の諸菩薩二乗天人竜神八部等心に随うべし愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。
問うて云く只題目計を唱うる功徳如何、答えて云く釈迦如来法華経をとかんとおぼしめして世に出でましまししかども四十余年の程は法華経の御名を秘しおぼしめして御年三十の比より七十余に至るまで法華経の方便をまうけ七十二にして始めて題目を呼び出させ給へば諸経の題目に是を比ぶべからず、其の上法華経の肝心たる方便寿量の一念三千久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり、天台大師玄義十巻を造り給う第一の巻には略して妙法蓮華経の五字の意を宣べ給う、第二の巻より七の巻に至るまでは又広く妙の一字を宣べ八の巻より九の巻に至るまでは法蓮華の三字を釈し第十の巻には経の一字を宣べ給へり、経の一字に華厳阿含方等般若涅槃経を収めたり妙法の二字は玄義の心は百界千如心仏衆生の法門なり止観十巻の心は一念三千百界千如三千世間心仏衆生三無差別と立て給う、一切の諸仏菩薩十界の因果十方の草木瓦礫等妙法の二字にあらずと云う事なし、華厳阿含等の四十余年の経経小乗経の題目には大乗経の功徳を収めず又大乗経にも往生を説く経の題目には成仏の功徳をおさめず又王にては有れども王中の王にて無き経も有り仏も又経に随つて他仏の功徳をおさめず平等意趣をもつて他仏自仏とをなじといひ或は法身平等をもて自仏他仏同じといふ、実には一仏に一切仏の功徳をおさめず今法華経は四十余年の諸経を一経に収めて十方世界の三身円満の諸仏をあつめて釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に一仏一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり、故に妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり諸仏諸経の題目は法華経の所開なり妙法は能開なりとしりて法華経の題目を唱うべし。
問うて云く此の法門を承つて又智者に尋ね申し候えば法華経のいみじき事は左右に及ばず候但し器量ならん人は唯我が身計りは然る可し、末代の凡夫に向つてただちに機をも知らず爾前の教を云いうとめ法華経を行ぜよと申すはとしごろの念仏なんどをば打ち捨て又法華経には未だ功も入れず有にも無にもつかぬようにてあらんずらん、又機も知らず法華経を説かせ給はば信ずる者は左右に及ばず若し謗ずる者あらば定めて地獄に堕ち候はんずらん、其の上仏も四十余年の間法華経を説き給はざる事は若但讃仏乗衆生没在苦の故なりと在世の機すら猶然なり何に況や末代の凡夫をや、されば譬喩品には「仏舎利弗に告げて言わく無智の人の中に此の経を説くことなかれ」云云此等の道理を申すは如何が候べき、答えて云く智者の御物語と仰せ承り候へば所詮末代の凡夫には機をかがみて説け左右なく説いて人に謗ぜさする事なかれとこそ候なれ、彼人さやうに申され候はば御返事候べきやうは抑若但讃仏乗乃至無智人中等の文を出し給はば又一経の内に凡有所見我深敬汝等等と説いて不軽菩薩の杖木瓦石をもつてうちはられさせ給いしをば顧みさせ給はざりしは如何と申させ給へ。
問うて云く一経の内に相違の候なる事こそよに得心がたく侍ればくわしく承り候はん、答えて云く方便品等には機をかがみて此の経を説くべしと見え不軽品には謗ずとも唯強いて之を説くべしと見え侍り一経の前後水火の如し、然るを天台大師会して云く「本已に善有るは釈迦小を以て之を将護し本未だ善有らざるは不軽大を以て之を強毒す」文文の心は本と善根ありて今生の内に得解すべき者の為には直に法華経を説くべし、然るに其の中に猶聞いて謗ずべき機あらば暫く権経をもてこしらえて後に法華経を説くべし、本と大の善根もなく今も法華経を信ずべからずなにとなくとも悪道に堕ちぬべき故に但押して法華経を説いて之を謗ぜしめて逆縁ともなせと会する文なり、此の釈の如きは末代には善無き者は多く善有る者は少し故に悪道に堕ちんこと疑い無し、同くは法華経を強いて説き聞かせて毒鼓の縁と成す可きか然らば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍い無き者をや、又法華経の方便品に五千の上慢あり略開三顕一を聞いて広開三顕一の時仏の御力をもて座をたたしめ給ふ後に涅槃経並に四依の辺にして今生に悟を得せしめ給うと、諸法無行経に喜根菩薩勝意比丘に向つて大乗の法門を強いて説ききかせて謗ぜさせしと、此の二の相違をば天台大師会して云く「如来は悲を以ての故に発遣し喜根は慈を以ての故に強説す」文文の心は仏は悲の故に後のたのしみをば閣いて当時法華経を謗じて地獄にをちて苦にあうべきを悲み給いて座をたたしめ給いき、譬えば母の子に病あると知れども当時の苦を悲んで左右なく灸を加へざるが如し、喜根菩薩は慈の故に当時の苦をばかへりみず後の楽を思いて強いて之を説き聞かしむ、譬えば父は慈の故に子に病あるを見て当時の苦をかへりみず後を思ふ故に灸を加うるが如し、又仏在世には仏法華経を秘し給いしかば四十余年の間等覚不退の菩薩名をしらず、其の上寿量品は法華経八箇年の内にも名を秘し給いて最後にきかしめ給いき末代の凡夫には左右なく如何がきかしむべきとおぼゆる処を妙楽大師釈して云く「仏世は当機の故に簡ぶ末代は結縁の故に聞かしむ」と釈し給へり文の心は仏在世には仏一期の間多くの人不退の位にのぼりぬべき故に法華経の名義を出して謗ぜしめず機をこしらへて之を説く仏滅後には当機の衆は少く結縁の衆多きが故に多分に就いて左右なく法華経を説くべしと云う釈なり是体の多くの品あり又末代の師は多くは機を知らず機を知らざらんには強いて但実経を説くべきかされば天台大師の釈に云く「等しく是れ見ざれば但大を説くに咎無し」文文の心は機をも知らざれば大を説くに失なしと云う文なり又時の機を見て説法する方もあり皆国中の諸人権経を信じて実経を謗し強に用いざれば弾呵の心をもて説くべきか時に依つて用否あるべし。
問うて云く唐土の人師の中に一分一向に権大乗に留つて実経に入らざる者はいかなる故か候、答えて云く仏世に出でましまして先ず四十余年の権大乗小乗の経を説き後には法華経を説いて言わく「若以小乗化乃至於一人我則堕慳貪此事為不可」文文の心は仏但爾前の経許りを説いて法華経を説き給はずば仏慳貪の失ありと説かれたり、後に属累品にいたりて仏右の御手をのべて三たび諌めをなして三千大千世界の外八方四百万億那由佗の国土の諸菩薩の頂をなでて未来には必ず法華経を説くべし。若し機たへずば余の深法の四十余年の経を説いて機をこしらへて法華経を説くべしと見えたり、後に涅槃経に重ねて此の事を説いて仏滅後に四依の菩薩ありて法を説くに又法の四依あり実経をついに弘めずんば天魔としるべきよしを説かれたり故に如来の滅後後の五百年九百年の間に出で給いし竜樹菩薩天親菩薩等・く如来の聖教を弘め給うに天親菩薩は先に小乗の説一切有部の人倶舎論を造つて阿含十二年の経の心を宣べて一向に大乗の義理を明さず次に十地論摂大乗論釈論等を造つて四十余年の権大乗の心を宣べ後に仏性論法華論等を造りて粗実大乗の義を宣べたり竜樹菩薩亦然なり天台大師唐土の人師として一代を分つに大小権実顕然なり余の人師は僅かに義理を説けども分明ならず又証文たしかならず但し末の論師並に訳者唐土の人師の中に大小をば分つて大にをいて権実を分たず或は語には分つといへども心は権大乗のをもむきを出でず此等は不退諸菩薩其数如恒沙亦復不能知とおぼえて候なり。
疑つて云く唐土の人師の中に慈恩大師は十一面観音の化身牙より光を放つ、善導和尚は弥陀の化身口より仏をいだすこの外の人師通を現じ徳をほどこし三昧を発得する人世に多しなんぞ権実二経を弁へて法華経を詮とせざるや、答えて云く阿竭多仙人外道は十二年の間耳の中に恒河の水をとどむ婆籔仙人は自在天となりて三目を現ず、唐土の道士の中にも張階は霧をいだし鸞巴は雲をはく第六天の魔王は仏滅後に比丘比丘尼優婆塞優婆夷阿羅漢辟支仏の形を現じて四十余年の経を説くべしと見えたり通力をもて智者愚者をばしるべからざるか、唯仏の遺言の如く一向に権教を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は権教に宿習ありて実経に入らざらん者は或は魔にたぼらかされて通を現ずるか、但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず。 
 
立正安国論/文応元年七月三十九歳御作

 

旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭飢饉疫癘遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩既に大半に超え悲まざるの族敢て一人も無し、然る間或は利剣即是の文を専にして西土教主の名を唱え或は衆病悉除の願を持ちて東方如来の経を誦し、或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め或は七難即滅七福即生の句を信じて百座百講の儀を調え有るは秘密真言の経に因て五瓶の水を灑ぎ有るは坐禅入定の儀を全して空観の月を澄し、若くは七鬼神の号を書して千門に押し若くは五大力の形を図して万戸に懸け若くは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を企て若くは万民百姓を哀んで国主国宰の徳政を行う、然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼られ乞客目に溢れ死人眼に満てり、臥せる屍を観と為し並べる尸を橋と作す、観れば夫れ二離璧を合せ五緯珠を連ぬ三宝も世に在し百王未だ窮まらざるに此の世早く衰え其の法何ぞ廃れたる是れ何なる禍に依り是れ何なる誤りに由るや。
主人の曰く独り此の事を愁いて胸臆に憤・す客来つて共に嘆く屡談話を致さん、夫れ出家して道に入る者は法に依つて仏を期するなり而るに今神術も協わず仏威も験しなし、具に当世の体を覿るに愚にして後生の疑を発す、然れば則ち円覆を仰いで恨を呑み方載に俯して慮を深くす、倩ら微管を傾け聊か経文を披きたるに世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず。
客の曰く天下の災国中の難余独り嘆くのみに非ず衆皆悲む、今蘭室に入つて初めて芳詞を承るに神聖去り辞し災難並び起るとは何れの経に出でたるや其の証拠を聞かん。
主人の曰く其の文繁多にして其の証弘博なり。
金光明経に云く「其の国土に於て此の経有りと雖も未だ甞て流布せしめず捨離の心を生じて聴聞せん事を楽わず亦供養し尊重し讃歎せず四部の衆持経の人を見て亦復た尊重し乃至供養すること能わず、遂に我れ等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ざらしめ甘露の味に背き正法の流を失い威光及以び勢力有ること無からしむ、悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の路に乖かん、世尊我等四王並びに諸の眷属及び薬叉等斯くの如き事を見て其の国土を捨てて擁護の心無けん、但だ我等のみ是の王を捨棄するに非ず必ず無量の国土を守護する諸天善神有らんも皆悉く捨去せん、既に捨離し已りなば其の国当に種種の災禍有つて国位を喪失すべし、一切の人衆皆善心無く唯繋縛殺害瞋諍のみ有つて互に相讒諂し枉げて辜無きに及ばん、疫病流行し彗星数ば出で両日並び現じ薄蝕恒無く黒白の二虹不祥の相を表わし星流れ地動き井の内に声を発し暴雨、悪風、時節に依らず常に飢饉に遭つて苗実成らず、多く他方の怨賊有つて国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け土地所楽の処有ること無けん」[已上]。
大集経に云く「仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く諸法も亦忘失せん、当の時虚空の中に大なる声有つて地を震い一切皆遍く動かんこと猶水上輪の如くならん城壁破れ落ち下り屋宇悉く●れ圻け樹林の根枝葉華葉菓薬尽きん唯浄居天を除いて欲界の一切処の七味三精気損減して余り有ること無けん、解脱の諸の善論当の時一切尽きん、所生の華菓の味い希少にして亦美からず、諸有の井泉池一切尽く枯涸し土地悉く鹹鹵し・裂して丘澗と成らん、諸山皆・燃して天竜雨を降さず苗稼も皆枯死し生ずる者皆死し尽き余草更に生ぜず、土を雨らし皆昏闇に日月も明を現ぜず四方皆亢旱して数ば諸悪瑞を現じ、十不善業の道貪瞋癡倍増して衆生父母に於ける之を観ること・鹿の如くならん、衆生及び寿命色力威楽減じ人天の楽を遠離し皆悉く悪道に堕せん、是くの如き不善業の悪王悪比丘我が正法を毀壊し天人の道を損減し、諸天善神王の衆生を悲愍する者此の濁悪の国を棄てて皆悉く余方に向わん」[已上]。
仁王経に云く「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る賊来つて国を刧かし百姓亡喪し臣君太子王子百官共に是非を生ぜん、天地怪異し二十八宿星道日月時を失い度を失い多く賊起ること有らん」と、亦云く「我今五眼をもつて明に三世を見るに一切の国王は皆過去の世に五百の仏に侍えるに由つて帝王主と為ることを得たり、是を為つて一切の聖人羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん、若し王の福尽きん時は一切の聖人皆為に捨て去らん、若し一切の聖人去らん時は七難必ず起らん」[已上]。
薬師経に云く「若し刹帝利潅頂王等の災難起らん時所謂人衆疾疫の難他国侵逼の難自界叛逆の難星宿変怪の難日月薄蝕の難非時風雨の難過時不雨の難あらん」[已上]。
仁王経に云く「大王吾が今化する所の百億の須弥百億の日月一一の須弥に四天下有り、其の南閻浮提に十六の大国五百の中国十千の小国有り其の国土の中に七つの畏る可き難有り一切の国王是を難と為すが故に、云何なるを難と為す日月度を失い時節返逆し或は赤日出で黒日出で二三四五の日出で或は日蝕して光無く或は日輪一重二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり、二十八宿度を失い金星彗星輪星鬼星火星水星風星・星南斗北斗五鎮の大星一切の国主星三公星百官星是くの如き諸星各各変現するを二の難と為すなり、大火国を焼き万姓焼尽せん或は鬼火竜火天火山神火人火樹木火賊火あらん是くの如く変怪するを三の難と為すなり、大水百姓を・没し時節返逆して冬雨ふり夏雪ふり冬時に雷電霹・し六月に氷霜雹を雨らし赤水黒水青水を雨らし士山石山を雨らし沙礫石を雨らす江河逆に流れ山を浮べ石を流す是くの如く変ずる時を四の難と為すなり、大風万姓を吹殺し国土山河樹木一時に滅没し、非時の大風黒風赤風青風天風地風火風水風あらん是くの如く変ずるを五の難と為すなり、天地国土亢陽し炎火洞燃として百草亢旱し五穀登らず土地赫燃と万姓滅尽せん是くの如く変ずる時を六の難と為すなり、四方の賊来つて国を侵し内外の賊起り、火賊水賊風賊鬼賊ありて百姓荒乱し刀兵刧起らん是くの如く怪する時を七の難と為すなり」大集経に云く「若し国王有つて無量世に於て施戒慧を修すとも我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば是くの如く種ゆる所の無量の善根悉く皆滅失して其の国当に三の不祥の事有るべし、一には穀貴二には兵革三には疫病なり、一切の善神悉く之を捨離せば其の王教令すとも人随従せず常に隣国の侵・する所と為らん、暴火横に起り悪風雨多く暴水増長して人民を吹・し内外の親戚其れ共に謀叛せん、其の王久しからずして当に重病に遇い寿終の後大地獄の中に生ずべし、乃至王の如く夫人太子大臣城主柱師郡守宰官も亦復た是くの如くならん」[已上]。
夫れ四経の文朗かなり万人誰か疑わん、而るに盲瞽の輩迷惑の人妄に邪説を信じて正教を弁えず、故に天下世上諸仏衆経に於て捨離の心を生じて擁護の志無し、仍て善神聖人国を捨て所を去る、是を以て悪鬼外道災を成し難を致す。
客色を作して曰く後漢の明帝は金人の夢を悟つて白馬の教を得、上宮太子は守屋の逆を誅して寺塔の構を成す、爾しより来た上一人より下万民に至るまで仏像を崇め経巻を専にす、然れば則ち叡山南都園城東寺四海一州五畿七道仏経は星の如く羅なり堂宇雲の如く布けり、・子の族は則ち鷲頭の月を観じ鶴勒の流は亦鶏足の風を伝う、誰か一代の教を褊し三宝の跡を廃すと謂んや若し其の証有らば委しく其の故を聞かん。
主人喩して曰く仏閣甍を連ね経蔵軒を並べ僧は竹葦の如く侶は稲麻に似たり崇重年旧り尊貴日に新たなり、但し法師は諂曲にして人倫を迷惑し王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し、仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求め国王太子王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説かん、其の王別えずして此の語を信聴し横に法制を作つて仏戒に依らず是を破仏破国の因縁と為す」[已上]。
涅槃経に云く「菩薩悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」[已上]。
法華経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん、或は阿練若に納衣にして空閑に在り自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん、利養に貪著するが故に白衣の与めに法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん、乃至常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲するが故に国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人外道の論議を説くと謂わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其の身に入つて我を罵詈し毀辱せん、濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らず悪口して顰蹙し数数擯出せられん」[已上]。
涅槃経に云く「我れ涅槃の後無量百歳四道の聖人悉く復た涅槃せん、正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし、持律に似像して少く経を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養し袈裟を著すと雖も猶猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現し内には貪嫉を懐く唖法を受けたる婆羅門等の如し、実には沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」[已上]。
文に就いて世を見るに誠に以て然なり悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや。
客猶憤りて曰く、明王は天地に因つて化を成し聖人は理非を察して世を治む、世上の僧侶は天下の帰する所なり、悪侶に於ては明王信ず可からず聖人に非ずんば賢哲仰ぐ可からず、今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざるを知んぬ、何ぞ妄言を吐いて強ちに誹謗を成し誰人を以て悪比丘と謂うや委細に聞かんと欲す。
主人の曰く、後鳥羽院の御宇に法然と云うもの有り選択集を作る即ち一代の聖教を破し・く十方の衆生を迷わす、其の選択に云く道綽禅師聖道浄土の二門を立て聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文、初に聖道門とは之に就いて二有り乃至之に準じ之を思うに応に密大及以び実大をも存すべし、然れば則ち今の真言仏心天台華厳三論法相地論摂論此等の八家の意正しく此に在るなり、曇鸞法師往生論の注に云く謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに云く菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り一には難行道二には易行道なり、此の中難行道とは即ち是れ聖道門なり易行道とは即ち是れ浄土門なり、浄土宗の学者先ず須らく此の旨を知るべし設い先より聖道門を学ぶ人なりと雖も若し浄土門に於て其の志有らん者は須らく聖道を棄てて浄土に帰すべし又云く善導和尚正雑の二行を立て雑行を捨てて正行に帰するの文、第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除いて已外大小乗顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名く、第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除いて已下一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑行と名く、私に云く此の文を見るに須く雑を捨てて専を修すべし豈百即百生の専修正行を捨てて堅く千中無一の雑修雑行を執せんや行者能く之を思量せよ、又云く貞元入蔵録の中に始め大般若経六百巻より法常住経に終るまで顕密の大乗経総じて六百三十七部二千八百八十三巻なり、皆須く読誦大乗の一句に摂すべし、当に知るべし随他の前には暫く定散の門を開くと雖も随自の後には還て定散の門を閉ず、一たび開いて以後永く閉じざるは唯是れ念仏の一門なりと、又云く念仏の行者必ず三心を具足す可きの文、観無量寿経に云く同経の疏に云く問うて曰く若し解行の不同邪雑の人等有つて外邪異見の難を防がん或は行くこと一分二分にして群賊等喚廻すとは即ち別解別行悪見の人等に喩う、私に云く又此の中に一切の別解別行異学異見等と言うは是れ聖道門を指す[已上]、又最後結句の文に云く「夫れ速かに生死を離れんと欲せば二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて選んで浄土門に入れ、浄土門に入らんと欲せば正雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて選んで応に正行に帰すべし」[已上]。
之に就いて之を見るに曇鸞道綽善導の謬釈を引いて聖道浄土難行易行の旨を建て法華真言惣じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道難行雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし、剰え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ、近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終つて阿鼻獄に入らん」の誡文に迷う者なり、是に於て代末代に及び人聖人に非ず各冥衢に容つて並びに直道を忘る悲いかな瞳矇を・たず痛いかな徒に邪信を催す、故に上国王より下土民に至るまで皆経は浄土三部の外に経無く仏は弥陀の三尊の外の仏無しと謂えり。
仍つて伝教義真慈覚智証等或は万里の波涛を渉つて渡せし所の聖教或は一朝の山川を廻りて崇むる所の仏像若しくは高山の巓に華界を建てて以て安置し若しくは深谷の底に蓮宮を起てて以て崇重す、釈迦薬師の光を並ぶるや威を現当に施し虚空地蔵の化を成すや益を生後に被らしむ、故に国王は郡郷を寄せて以て灯燭を明にし地頭は田園を充てて以て供養に備う。
而るを法然の選択に依つて則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び付属を抛つて東方の如来を閣き唯四巻三部の教典を専にして空しく一代五時の妙典を抛つ是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め念仏の者に非ざれば早く施僧の懐いを忘る、故に仏閣零落して瓦松の煙老い僧房荒廃して庭草の露深し、然りと雖も各護惜の心を捨てて並びに建立の思を廃す、是を以て住持の聖僧行いて帰らず守護の善神去つて来ること無し、是れ偏に法然の選択に依るなり、悲しいかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり、傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。
客殊に色を作して曰く、我が本師釈迦文浄土の三部経を説きたまいて以来、曇鸞法師は四論の講説を捨てて一向に浄土に帰し、道綽禅師は涅槃の広業を閣きて偏に西方の行を弘め、善導和尚は雑行を抛つて専修を立て、慧心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一行を宗とす、弥陀を貴重すること誠に以て然なり又往生の人其れ幾ばくぞや、就中法然聖人は幼少にして天台山に昇り十七にして六十巻に渉り並びに八宗を究め具に大意を得たり、其の外一切の経論七遍反覆し章疏伝記究め看ざることなく智は日月に斉しく徳は先師に越えたり、然りと雖も猶出離の趣に迷いて涅槃の旨を弁えず、故に・く覿悉く鑑み深く思い遠く慮り遂に諸経を抛ちて専ら念仏を修す、其の上一夢の霊応を蒙り四裔の親疎に弘む、故に或は勢至の化身と号し或は善導の再誕と仰ぐ、然れば則ち十方の貴賎頭を低れ一朝の男女歩を運ぶ、爾しより来た春秋推移り星霜相積れり、而るに忝くも釈尊の教を疎にして恣に弥陀の文を譏る何ぞ近年の災を以て聖代の時に課せ強ちに先師を毀り更に聖人を罵るや、毛を吹いて疵を求め皮を剪つて血を出す昔より今に至るまで此くの如き悪言未だ見ず惶る可く慎む可し、罪業至つて重し科条争か遁れん対座猶以て恐れ有り杖に携われて則ち帰らんと欲す。
主人咲み止めて曰く辛きことを蓼の葉に習い臭きことを溷厠に忘る善言を聞いて悪言と思い謗者を指して聖人と謂い正師を疑つて悪侶に擬す、其の迷誠に深く其の罪浅からず、事の起りを聞け委しく其の趣を談ぜん、釈尊説法の内一代五時の間に先後を立てて権実を弁ず、而るに曇鸞道綽善導既に権に就いて実を忘れ先に依つて後を捨つ未だ仏教の淵底を探らざる者なり、就中法然は其の流を酌むと雖も其の源を知らず、所以は何ん大乗経の六百三十七部二千八百八十三巻並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を薄んず、是れ偏に私曲の詞を展べて全く仏経の説を見ず、妄語の至り悪口の科言うても比無し責めても余り有り人皆其の妄語を信じ悉く彼の選択を貴ぶ、故に浄土の三経を崇めて衆経を抛ち極楽の一仏を仰いで諸仏を忘る、誠に是れ諸仏諸経の怨敵聖僧衆人の讎敵なり、此の邪教広く八荒に弘まり周く十方に遍す、抑近年の災難を以て往代を難ずるの由強ちに之を恐る、聊か先例を引いて汝が迷を悟す可し、止観第二に史記を引いて云く「周の末に被髪袒身礼度に依らざる者有り」弘決の第二に此の文を釈するに左伝を引いて曰く「初め平王の東に遷りしに伊川に髪を被にする者の野に於て祭るを見る、識者の曰く、百年に及ばじ其の礼先ず亡びぬ」と、爰に知んぬ徴前に顕れ災い後に致ることを、又阮藉が逸才なりしに蓬頭散帯す後に公卿の子孫皆之に教いて奴苟相辱しむる者を方に自然に達すと云い・節兢持する者を呼んで田舎と為す是を司馬氏の滅する相と為す[已上]。
又慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云く、「唐の武宗皇帝会昌元年勅して章敬寺の鏡霜法師をして諸寺に於て弥陀念仏の教を伝え令む寺毎に三日巡輪すること絶えず、同二年回鶻国の軍兵等唐の堺を侵す、同三年河北の節度使忽ち乱を起す、其の後大蕃国更た命を拒み回鶻国重ねて地を奪う、凡そ兵乱秦項の代に同じく災火邑里の際に起る、何に況んや武宗大に仏法を破し多く寺塔を滅す乱を撥ること能わずして遂に以て事有り」[已上取意]。
此れを以て之を惟うに法然は後鳥羽院の御宇建仁年中の者なり、彼の院の御事既に眼前に在り、然れば則ち大唐に例を残し吾が朝に証を顕す、汝疑うこと莫かれ汝怪むこと莫かれ唯須く凶を捨てて善に帰し源を塞ぎ根を截べし。
客聊か和ぎて日く未だ淵底を究めざるに数ば其の趣を知る但し華洛より柳営に至るまで釈門に枢・在り仏家に棟梁在り、然るに未だ勘状を進らせず上奏に及ばず汝賎身を以て輙く莠言を吐く其の義余り有り其の理謂れ無し。
主人の曰く、予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや。
其の上涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊ぶる者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」と、余善比丘の身為らずと雖も「仏法中怨」の責を遁れんが為に唯大綱を撮つて粗一端を示す。
其の上去る元仁年中に延暦興福の両寺より度度奏聞を経勅宣御教書を申し下して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ、法然の墓所に於ては感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ其の門弟隆観聖光成覚薩生等は遠国に配流せらる、其の後未だ御勘気を許されず豈未だ勘状を進らせずと云わんや。
客則ち和ぎて曰く、経を下し僧を謗ずること一人には論じ難し、然れども大乗経六百三十七部二千八百八十三巻並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て捨閉閣抛の四字に載す其の詞勿論なり、其の文顕然なり、此の瑕瑾を守つて其の誹謗を成せども迷うて言うか覚りて語るか、賢愚弁ぜず是非定め難し、但し災難の起りは選択に因るの由、其の詞を盛に弥よ其の旨を談ず、所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽う所土民の思う所なり、夫れ国は法に依つて昌え法は人に因つて貴し国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き法を誰か信ず可きや、先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。
主人の日く、余は是れ頑愚にして敢て賢を存せず唯経文に就いて聊か所存を述べん、抑も治術の旨内外の間其の文幾多ぞや具に挙ぐ可きこと難し、但し仏道に入つて数ば愚案を廻すに謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん。
即ち涅槃経に云く「仏の言く唯だ一人を除いて余の一切に施さば皆讃歎す可し、純陀問うて言く云何なるをか名けて唯除一人と為す、仏の言く此の経の中に説く所の如きは破戒なり、純陀復た言く、我今未だ解せず唯願くば之を説きたまえ、仏純陀に語つて言く、破戒とは謂く一闡提なり其の余の在所一切に布施すれば皆讃歎すべく大果法を獲ん、純陀復た問いたてまつる、一闡提とは其の義何ん、仏言わく、純陀若し比丘及び比丘尼優婆塞優婆夷有つて・悪の言を発し正法を誹謗し是の重業を造つて永く改悔せず心に懺悔無らん、是くの如き等の人を名けて一闡提の道に趣向すと為す、若し四重を犯し五逆罪を作り自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども而も心に初めより怖畏懺悔無く肯て発露せず彼の正法に於て永く護惜建立の心無く毀呰軽賎して言に過咎多からん、是くの如き等の人を亦た一闡提の道に趣向すと名く、唯此くの如き一闡提の輩を除いて其の余に施さば一切讃歎せん」と。
又云く「我れ往昔を念うに閻浮提に於て大国の王と作れり名を仙予と曰いき、大乗経典を愛念し敬重し其の心純善に・悪嫉・有ること無し、善男子我爾の時に於て心に大乗を重んず婆羅門の方等を誹謗するを聞き聞き已つて即時に其の命根を断ず、善男子是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」と、又云く「如来昔国王と為りて菩薩の道を行ぜし時爾所の婆羅門の命を断絶す」と、又云く「殺に三有り謂く下中上なり、下とは蟻子乃至一切の畜生なり唯だ菩薩の示現生の者を除く、下殺の因縁を以て地獄畜生餓鬼に堕して具に下の苦を受く、何を以ての故に是の諸の畜生に微善根有り是の故に殺す者は具に罪報を受く、中殺とは凡夫の人より阿那含に至るまで是を名けて中と為す、是の業因を以て地獄畜生餓鬼に堕して具に中の苦を受く上殺とは父母乃至阿羅漢辟支仏畢定の菩薩なり阿鼻大地獄の中に堕す、善男子若し能く一闡提を殺すこと有らん者は則ち此の三種の殺の中に堕せず、善男子彼の諸の婆羅門等は一切皆是一闡提なり」[已上]。
仁王経に云く「仏波斯匿王に告げたまわく是の故に諸の国王に付属して比丘比丘尼に付属せず何を以ての故に王のごとき威力無ければなり」[已上]。
涅槃経に云く「今無上の正法を以て諸王大臣宰相及び四部の衆に付属す、正法を毀る者をば大臣四部の衆当に苦治すべし」と。
又云く「仏の言く、迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり善男子正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭鉾槊を持すべし」と、又云く「若し五戒を受持せん者有らば名けて大乗の人と為す事を得ず、五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く、正法を護る者は当に刀剣器仗を執持すべし刀杖を持すと雖も我是等を説きて名けて持戒と曰わん」と。
又云く「善男子過去の世に此の拘尸那城に於て仏の世に出でたまうこと有りき歓喜増益如来と号したてまつる、仏涅槃の後正法世に住すること無量億歳なり余の四十年仏法の末、爾の時に一の持戒の比丘有り名を覚徳と曰う、爾の時に多く破戒の比丘有り是の説を作すを聞きて皆悪心を生じ刀杖を執持し是の法師を逼む、是の時の国王名けて有徳と曰う是の事を聞き已つて護法の為の故に即便ち説法者の所に往至して是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す、爾の時に説法者厄害を免ることを得たり王爾の時に於て身に刀剣鉾槊の瘡を被り体に完き処は芥子の如き許りも無し、爾の時に覚徳尋いで王を讃めて言く、善きかな善きかな王今真に是れ正法を護る者なり当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし、王是の時に於て法を聞くことを得已つて心大に歓喜し尋いで即ち命終して阿・仏の国に生ず而も彼の仏の為に第一の弟子と作る、其の王の将従人民眷属戦闘有りし者歓喜有りし者一切菩提の心を退せず命終して悉く阿・仏の国に生ず、覚徳比丘却つて後寿終つて亦阿・仏の国に往生することを得て彼の仏の為に声聞衆中の第二の弟子と作る、若し正法尽きんと欲すること有らん時当に是くの如く受持し擁護すべし、迦葉爾の時の王とは即ち我が身是なり、説法の比丘は迦葉仏是なり、迦葉正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん、是の因縁を以て我今日に於て種種の相を得て以て自ら荘厳し法身不可壊の身を成す、仏迦葉菩薩に告げたまわく、是の故に法を護らん優婆塞等は応に刀杖を執持して擁護すること是くの如くなるべし、善男子我涅槃の後濁悪の世に国土荒乱し互に相抄掠し人民飢餓せん、爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん是くの如きの人を名けて禿人と為す、是の禿人の輩正法を護持するを見て駈逐して出さしめ若くは殺し若くは害せん、是の故に我今持戒の人諸の白衣の刀杖を持つ者に依つて以て伴侶と為すことを聴す、刀杖を持すと雖も我是等を説いて名けて持戒と曰わん、刀杖を持すと雖も命を断ずべからず」と。
法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」[已上]。
夫れ経文顕然なり私の詞何ぞ加えん、凡そ法華経の如くんば大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり、故に阿鼻大城に堕して永く出る期無けん、涅槃経の如くんば設い五逆の供を許すとも謗法の施を許さず、蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ、謗法を禁ずる者は不退の位に登る、所謂覚徳とは是れ迦葉仏なり、有徳とは則ち釈迦文なり。
法華涅槃の経教は一代五時の肝心なり其の禁実に重し誰か帰仰せざらんや、而るに謗法の族正道を忘るの人剰え法然の選択に依つて弥よ愚癡の盲瞽を増す、是を以て或は彼の遺体を忍びて木画の像に露し或は其の妄説を信じて莠言を模に彫り之を海内に弘め之を・外に翫ぶ、仰ぐ所は則ち其の家風施す所は則ち其の門弟なり、然る間或は釈迦の手指を切つて弥陀の印相に結び或は東方如来の鴈宇を改めて西土教主の鵝王を居え、或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経と成し或は天台大師の講を停めて善導講と為す、此くの如き群類其れ誠に尽くし難し是破仏に非ずや是破法に非ずや是破僧に非ずや、此の邪義則ち選択に依るなり。
嗟呼悲しいかな、如来誠諦の禁言に背くこと、哀なるかな愚侶迷惑の・語に随うこと、早く天下の静謐を思わば須く国中の謗法を断つべし。
客の日く、若し謗法の輩を断じ若し仏禁の違を絶せんには彼の経文の如く斬罪に行う可きか、若し然らば殺害相加つて罪業何んが為んや。
則ち大集経に云く「頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養す可し、則ち我を供養するに為りぬ、是れ我が子なり若し彼を・打する事有れば則ち我が子を打つに為りぬ、若し彼を罵辱せば則ち我を毀辱するに為りぬ」料り知んぬ善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く僧侶為らんに於ては供養を展ぶ可し、何ぞ其の子を打辱して忝くも其の父を悲哀せしめん、彼の竹杖の目連尊者を害せしや永く無間の底に沈み、提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久しく阿鼻の焔に咽ぶ、先証斯れ明かなり後昆最も恐あり、謗法を誡むるには似たれども既に禁言を破る此の事信じ難し如何が意得んや。
主人の云く、客明に経文を見て猶斯の言を成す心の及ばざるか理の通ぜざるか、全く仏子を禁むるには非ず唯偏に謗法を悪むなり、夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の施を止む、然れば則ち四海万邦一切の四衆其の悪に施さず皆此の善に帰せば何なる難か並び起り何なる災か競い来らん。
客則ち席を避け襟を刷いて日く、仏教斯く区にして旨趣窮め難く不審多端にして理非明ならず、但し法然聖人の選択現在なり諸仏諸経諸菩薩諸天等を以て捨閉閣抛と載す、其の文顕然なり、茲れに因つて聖人国を去り善神所を捨てて天下飢渇し世上疫病すと、今主人広く経文を引いて明かに理非を示す、故に妄執既に飜えり耳目数朗かなり、所詮国土泰平天下安穏は一人より万民に至るまで好む所なり楽う所なり、早く一闡提の施を止め永く衆僧尼の供を致し仏海の白浪を収め法山の緑林を截らば世は羲農の世と成り国は唐虞の国と為らん、然して後法水の浅深を斟酌し仏家の棟梁を崇重せん。
主人悦んで日く、鳩化して鷹と為り雀変じて蛤と為る、悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る、誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜば風和らぎ浪静かにして不日に豊年ならん、但し人の心は時に随つて移り物の性は境に依つて改まる、譬えば猶水中の月の波に動き陳前の軍の剣に靡くがごとし、汝当座に信ずと雖も後定めて永く忘れん、若し先ず国土を安んじて現当を祈らんと欲せば速に情慮を回らし・で対治を加えよ、所以は何ん、薬師経の七難の内五難忽に起り二難猶残れり、所以他国侵逼の難自界叛逆の難なり、大集経の三災の内二災早く顕れ一災未だ起らず所以兵革の災なり、金光明経の内の種種の災禍一一起ると雖も他方の怨賊国内を侵掠する此の災未だ露れず此の難未だ来らず、仁王経の七難の内六難今盛にして一難未だ現ぜず所以四方の賊来つて国を侵すの難なり加之国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱ると、今此の文に就いて具さに事の情を案ずるに百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ先難是れ明かなり後災何ぞ疑わん若し残る所の難悪法の科に依つて並び起り競い来らば其の時何んが為んや、帝王は国家を基として天下を治め人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来つて其の国を侵逼し自界叛逆して其の地を掠領せば豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か、就中人の世に在るや各後生を恐る、是を以て或は邪教を信じ或は謗法を貴ぶ各是非に迷うことを悪むと雖も而も猶仏法に帰することを哀しむ、何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を宗めんや、若し執心飜らず亦曲意猶存せば早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕ちなん、所以は何ん、大集経に云く「若し国王有つて無量世に於て施戒慧を修すとも我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば是くの如く種ゆる所の無量の善根悉く皆滅失し、乃至其の王久しからずして当に重病に遇い寿終の後大地獄に生ずべし王の如く夫人太子大臣城主柱師郡主宰官も亦復是くの如くならん」と。
仁王経に云く「人仏教を壊らば復た孝子無く六親不和にして天竜も祐けず疾疫悪鬼日に来つて侵害し災怪首尾し連禍縦横し死して地獄餓鬼畜生に入らん、若し出て人と為らば兵奴の果報ならん、響の如く影の如く人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」と。
法華経の第二に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と、同第七の巻不軽品に云く「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」と、涅槃経に云く「善友を遠離し正法を聞かず悪法に住せば是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在つて、受くる所の身形縦横八万四千由延ならん」と。
広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず、悲いかな皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る、愚なるかな各悪教の綱に懸つて鎮に謗教の網に纏る、此の朦霧の迷彼の盛焔の底に沈む豈愁えざらんや豈苦まざらんや、汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し。
客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和わざらん、此の経文を披いて具に仏語を承るに誹法の科至つて重く毀法の罪誠に深し、我一仏を信じて諸仏を抛ち三部経を仰いで諸経を閣きしは、是れ私曲の思に非ず則ち先達の詞に随いしなり、十方の諸人も亦復是くの如くなるべし、今の世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明かに理詳かなり疑う可からず、弥よ貴公の慈誨を仰ぎ益愚客の癡心を開けり、速に対治を回して早く泰平を致し先ず生前を安じて更に没後を扶けん、唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ。 
 
立正安国論奥書  

 

文応元年[太歳庚申]之を勘う正嘉より之を始め文応元年に勘え畢る。
去ぬる正嘉元年[太歳丁巳]八月二十三日戌亥の尅の大地震を見て之を勘う、其の後文応元年[太歳庚申]七月十六日を以て宿屋禅門に付して故最明寺入道殿に奉れり、其の後文永元年[太歳甲子]七月五日大明星の時弥此の災の根源を知る、文応元年[太歳庚申]より文永五年[太歳戊辰]後の正月十八日に至るまで九ケ年を経て西方大蒙古国自り我が朝を襲う可きの由牒状之を渡す、又同六年重ねて牒状之を渡す、既に勘文之に叶う、之に準じて之を思うに未来亦然る可きか、此の書は徴有る文なり是れ偏に日蓮が力に非ず法華経の真文の感応の至す所か。
文永六年[太歳己巳]十二月八日之を写す。  
 
安国論御勘由来

 

正嘉元年[太歳丁巳]八月廿三日戌亥の時前代に超え大に地振す、同二年[戊午]八月一日大風同三年[己未]大飢饉正元元年[己未]大疫病同二年[庚申]四季に亘つて大疫已まず万民既に大半に超えて死を招き了んぬ、而る間国主之に驚き内外典に仰せ付けて種種の御祈祷有り、爾りと雖も一分の験も無く還つて飢疫等を増長す。
日蓮世間の体を見て粗一切経を勘うるに御祈請験無く還つて凶悪を増長するの由道理文証之を得了んぬ、終に止むこと無く勘文一通を造り作して其の名を立正安国論と号す、文応元年[庚申]七月十六日[辰時]屋戸野入道に付けて古最明寺入道殿に奏進申し了んぬ此れ偏に国土の恩を報ぜんが為なり、其勘文の意は日本国天神七代地神五代百王百代人王第卅代欽明天皇の御宇に始めて百済国より仏法此の国に渡り桓武天皇の御宇に至つて其の中間五十余代二百六十余年なり、其の間一切経並びに六宗之れ有りと雖も天台真言の二宗未だ之れ有らず、桓武の御宇に山階寺の行表僧正の御弟子に最澄と云う小僧有り[後に伝教大師と号す]、已前に渡る所の六宗並に禅宗之を極むと雖も未だ我が意に叶わず、聖武天皇の御宇に大唐の鑒真和尚渡す所の天台の章疏四十余年を経て已後始めて最澄之を披見し粗仏法の玄旨を覚り了んぬ、最澄天長地久の為に延暦四年叡山を建立す桓武皇帝之を崇め天子本命の道場と号し六宗の御帰依を捨て一向に天台円宗に帰伏し給う。
同延暦十三年に長岡の京を遷して平安城を建つ、同延暦廿一年正月十九日高雄寺に於て南都七大寺の六宗の碩学勤操長耀等の十四人を召し合せ勝負を決談す、六宗の明匠一問答にも及ばず口を閉ずること鼻の如し華厳宗の五教法相宗の三時三論宗の二蔵三時の所立を破し了んぬ但自宗を破らるるのみに非ず皆謗法の者為ることを知る、同じき廿九日皇帝勅宣を下して之を詰る、十四人謝表を作つて皇帝に捧げ奉る、其の後代代の皇帝叡山の御帰依は孝子の父母に仕うるに超え黎民の王威を恐るるに勝れり、或御時は宣明を捧げ或御時は非を以て理に処す等云云、殊に清和天皇は叡山の恵亮和尚の法威に依つて位に即き帝王の外祖父九条右丞相は誓状を叡山に捧げ、源の右将軍は清和の末葉なり鎌倉の御成敗是非を論ぜず叡山に違背す天命恐れ有る者か。
然るに後鳥羽院の御宇建仁年中に法然大日とて二人の増上慢の者有り悪鬼其の身に入つて国中の上下を誑惑し代を挙げて念仏者と成り人毎に禅宗に趣く、存の外に山門の御帰依浅薄なり国中の法華真言の学者棄て置かれ了んぬ、故に叡山守護の天照太神正八幡宮山王七社国中守護の諸大善神法味を・わずして威光を失い国土を捨て去り了んぬ、悪鬼便りを得て災難を致し結句他国より此の国を破る可き先相勘うる所なり、又其の後文永元年[甲子]七月五日彗星東方に出で余光大体一国土に及ぶ、此れ又世始まりてより已来無き所の凶瑞なり内外典の学者も其の凶瑞の根源を知らず、予弥よ悲歎を増長す、而るに勘文を捧げて已後九ケ年を経て今年後の正月大蒙古国の国書を見るに日蓮が勘文に相叶うこと宛かも符契の如し、仏記して云く「我が滅度の後一百余年を経て阿育大王出世し我が舎利を弘めん」と、周の第四昭王の御宇大史蘇由が記に云く「一千年の外声教此の土に被らしめん」と、聖徳太子の記に云く「我が滅度の後二百余年を経て山城の国に平安城を立つ可し」と、天台大師の記に云く「我が滅後二百余年の已後東国に生れて我が正法を弘めん」等云云、皆果して記文の如し。
日蓮正嘉の大地震同じく大風同じく飢饉正元元年の大疫等を見て記して云く他国より此の国を破る可き先相なりと、自讃に似たりと雖も若し此の国土を毀壊せば復た仏法の破滅疑い無き者なり。
而るに当世の高僧等謗法の者と同意の者なり復た自宗の玄底を知らざる者なり、定めて勅宣御教書を給いて此の凶悪を祈請するか、仏神弥よ瞋恚を作し国土を破壊せん事疑い無き者なり。
日蓮復之を対治するの方之を知る叡山を除いて日本国には但一人なり、誓えば日月の二つ無きが如く聖人肩を並べざるが故なり、若し此の事妄言ならば日蓮が持つ所の法華経守護の十羅刹の治罰之を蒙らん、但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず、復禅門に対面を遂ぐ故に之を告ぐ之を用いざれば定めて後悔有る可し、恐恐謹言。 
 
守護国家論/正元元年三十八歳御作 

 

夫れ以んみれば偶十方微塵の三悪の身を脱れて希に閻浮日本の爪上の生を受け亦閻浮日域・爪上の生を捨てて十方微塵・三悪の身を受けんこと疑い無き者なり、然るに生を捨てて悪趣に堕つるの縁・一に非ず或は妻子眷属の哀憐に依り或は殺生悪逆の重業に依り或は国主と成つて民衆の歎きを知らざるに依り或は法の邪正を知らざるに依り或は悪師を信ずるに依る、此の中に於ても世間の善悪は眼前に在り愚人も之を弁うべし仏法の邪正・師の善悪に於ては証果の聖人・尚之を知らず況や末代の凡夫に於ておや。
しかのみならず仏日・西山に隠れ余光・東域を照してより已来・四依の慧灯は日に減じ三蔵の法流は月に濁る実教に迷える論師は真理の月に雲を副え権経に執する訳者は実経の珠を砕きて権教の石と成す、何に況や震旦の人師の宗義其の誤り無からんや何に況や日本辺土の末学誤りは多く実は少き者か、随つて其の教を学する人数は竜鱗よりも多く得道の者は麟角よりも希なり、或は権教に依るが故に或は時機不相応の教に依るが故に或は凡聖の教を弁えざるが故に或は権実二教を弁えざるが故に或は権経を実教と謂うに依るが故に或は位の高下を知らざるが故に、凡夫の習い仏法に就て生死の業を増すこと其の縁・一に非ず。
中昔・邪智の上人有つて末代の愚人の為に一切の宗義を破して選択集一巻を造る、名を鸞・綽・導の三師に仮つて一代を二門に分ち実教を録して権経に入れ法華真言の直道を閉じて浄土三部の隘路を開く、亦浄土三部の義にも順ぜずして権実の謗法を成し永く四聖の種を断じて阿鼻の底に沈む可き僻見なり、而るに世人之に順うこと譬えば大風の小樹の枝を吹くが如く門弟此の人を重んずること天衆の帝釈を敬うに似たり。
此の悪義を破らんが為に亦多くの書有り所謂・浄土決義鈔・弾選択・摧邪輪等なり、此の書を造る人・皆碩徳の名一天に弥ると雖も恐くは未だ選択集謗法の根源を顕わさず故に還つて悪法の流布を増す、譬えば盛なる旱・の時に小雨を降せば草木弥枯れ兵者を打つ刻に弱兵を先んずれば強敵倍力を得るが如し。
予此の事を歎く間・一巻の書を造つて選択集謗法の縁起を顕わし名づけて守護国家論と号す、願わくば一切の道俗一時の世事を止めて永劫の善苗を種えよ、今経論を以て邪正を直す信謗は仏説に任せ敢て自義を存する事無かれ。
分ちて七門と為す、一には如来の経教に於て権実二教を定むることを明し、二には正像末の興廃を明し、三には選択集の謗法の縁起を明し、四には謗法の者を対治すべき証文を出すことを明し、五には善知識並に真実の法には値い難きことを明し、六には法華涅槃に依る行者の用心を明し、七には問に随つて答うることを明す。
大文の第一に如来の経教に於て権実二教を定むることを明すとは此れに於て四有り、一には大部の経の次第を出して流類を摂することを明し、二には諸経の浅深を明し、三には大小乗を定むることを明し、四には且らく権を捨てて実に就くべきことを明す。
第一に大部の経の次第を出して流類を摂することを明さば、問うて云く仏最初に何なる経を説きたまうや、答えて云く華厳経なり、問うて云く其の証如何、答えて云く六十華厳経の離世間浄眼品に云く「是の如く我聞く一時・仏・摩竭提国・寂滅道場に在つて始めて正覚を成ず」と、法華経の序品に放光瑞の時・弥勒菩薩・十方世界の諸仏の五時の次第を見る時文殊師利菩薩に問うて云く、「又諸仏聖主師子の経典の微妙第一なることを演説し給うに其の声清浄に柔軟の音を出して諸の菩薩を教え給うこと無数億万なることを覩る」亦方便品に仏自ら初成道の時を説いて云く「我始め道場に坐し樹を観じ亦経行す、乃至・爾の時に諸の梵王及び諸天帝釈・護世四天王及び大自在天並に余の諸の天衆・眷属百千万・恭敬合掌し礼して我に転法輪を請ずと」此等の説は法華経に華厳経の時を指す文なり、故に華厳経の第一に云く毘沙門天王略月天子略日天子略釈提桓因略大梵略摩醯首羅等略[已上]。
涅槃経に華厳経の時を説いて云く「既に成道し已つて梵天勧請すらく唯願わくば如来当に衆生の為に広く甘露の門を開き給うべし、乃至・梵王復言く世尊・一切衆生に凡そ三種有り所謂・利根・中根・鈍根なり利根は能く受く唯願わくば為に説き給え、仏言く梵王諦に聴け我今当に一切衆生の為に甘露の門を開くべし」亦三十三に華厳経の時を説いて云く「十二部経・修多羅の中の微細の義を我先に已に諸の菩薩の為に説くが如し」。
此くの如き等の文は皆諸仏・世に出で給いて一切経の初めには必ず華厳経を説き給いし証文なり。
問うて云く無量義経に云く「初めに四諦を説き、乃至・次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く」此くの如き文は般若経の後に華厳経を説くと相違如何、答えて云く浅深の次第なるか或は後分の華厳経なるか、法華経の方便品に一代の次第浅深を列ねて云く「余乗有ること無し[華厳経なり]若は二[般若経なり]若は三[方等経なり]」と此の意なり。
問うて云く華厳経の次に何の経を説き給うや、答えて云く阿含経を説き給うなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く法華経の序品に華厳経の次の経を説いて云く「若し人・苦に遭うて老病死を厭うには為に涅槃を説く」方便品に云く「即・波羅奈に趣き、乃至・五比丘の為に説く」涅槃経に華厳経の次の経を定めて云く「即・波羅奈国に於て正法輪を転じて中道を宣説す」此等の経文は華厳経より後に阿含経を説くなり。
問うて云く阿含経の後に何の経を説き給うや、答えて云く方等経なり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く無量義経に云く「初に四諦を説き乃至・次に方等十二部経を説く」涅槃経に云く「修多羅より方等を出す」問うて云く方等とは天竺の語・此には大乗と云う華厳・般若・法華・涅槃等は皆方等なり何ぞ独り方等部に限り方等の名を立つるや、答えて云く実には華厳・般若・法華等皆方等なり然りと雖も今方等部に於て別して方等の名を立つることは私の義に非ず無量義経・涅槃経の文に顕然たり、阿含の証果は一向小乗なり次に大乗を説く方等より已後皆大乗と云うと雖も大乗の始なるが故に初に従つて方等部を方等と云うなり、例せば十八界の十半は色なりと雖も初に従つて色境の名を立つるが如し。
問うて云く方等部の諸経の後に何の経を説き給うや、答えて云く般若経なり、問うて云く何を以て之を知るや答えて云く涅槃経に云く「方等より般若を出す」問うて云く般若経の後には何の経を説き給うや、答えて云く無量義経なり、問うて云く何を以て之を知るや答えて云く仁王経に云く「二十九年中」無量義経に云く「四十余年」問うて云く無量義経には般若経の後に華厳経を列ね涅槃経には般若経の後に涅槃経を列ぬ、今の所立の次第は般若経の後に無量義経を列ぬる相違如何、答えて云く涅槃経第十四の文を見るに涅槃経已前の諸経を列ねて涅槃経に対して勝劣を論じ而も法華経を挙げず、第九の巻に於て法華経は涅槃経より已前なりと之を定め給う、法華経の序品を見るに無量義経は法華経の序文なり、無量義経には般若の次に華厳経を列ぬれども華厳経を初時に遣れば般若経の後は無量義経なり。
問うて云く無量義経の後に何の経を説き給うや、答えて云く法華経を説き給うなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く法華経の序文に云く「諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名ずくるを説き給う、仏此の経を説き已つて結跏趺坐し無量義処三昧に入る」問うて云く法華経の後に何の経を説き給うや、答えて云く普賢経を説き給うなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く普賢経に云く「卻て後・三月我当に般涅槃すべし、乃至・如来昔・耆闍崛山及び余の住処に於て已に広く一実の道を分別し今も此の処に於てす」問うて云く普賢経の後に何の経を説き給うや、答えて云く涅槃経を説き給うなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く普賢経に云く「卻て後・三月我当に般涅槃すべし」涅槃経三十に云く「如来何が故ぞ二月に涅槃し給うや、亦・如来は初生・出家・成道・転法輪皆八日を以てす何ぞ仏の涅槃独り十五日なるやと云う」と大部の経大概是くの如し此より已外諸の大小乗経は次第不定なり、或は阿含経より已後に華厳経を説き法華経より已後に方等般若を説く皆義類を以て之を収めて一処に置くべし。
第二に諸経の浅深を明さば、無量義経に云く「初に四諦を説き[阿含]次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説き菩薩の歴劫修行を宣説す」亦云く「四十余年には未だ真実を顕わさず」又云く「無量義経は尊く過上無し」此等の文の如くんば四十余年の諸経は無量義経に劣ること疑い無き者なり。
問うて云く密厳経に云く「一切経の中に勝れたり」大雲経に云く「諸経の転輪聖王なり」金光明経に云く「諸経の中の王なり」と此等の文を見るに諸大乗経の常の習なり何ぞ一文を瞻て無量義経は四十余年の諸経に勝ると云うや、答えて云く教主釈尊若し諸経に於て互に勝劣を説かずんば・大小乗の差別・権実の不同有るべからず、若し実に差別無きに互に差別浅深等を説かば諍論の根源・悪業起罪の因縁なり、爾前の諸経の第一は縁に随つて不定なり或は小乗の諸経に対して第一と或は報身の寿を説くに諸経の第一なり或は俗諦・真諦・中諦等を説くに第一なりと一切の第一に非ず、今の無量義経の如きは四十余年の諸経に対して第一なり。
問うて云く法華経と無量義経と何れが勝れたるや、答えて云く法華経勝れたり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く無量義経には未だ二乗作仏と久遠実成とを明さず故に法華経に嫌われて今説の中に入るなり。
問うて云く法華経と涅槃経と何れが勝れたるや、答えて云く法華経勝るるなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く涅槃経に自ら如法華中等と説き更無所作と云う、法華経に当説を指して難信難解と云わざるが故なり。
問うて云く涅槃経の文を見るに涅槃経已前をば皆邪見なりと云う如何、答えて云く法華経は如来出世の本懐なる故に「今者已満足・今正是其時・然善男子我実成仏已来」等と説く、但し諸経の勝劣に於ては仏自ら「我所説経典無量千万億」なりと挙げ了つて「已説・今説・当説」等と説く時、多宝仏・地より涌現して皆是真実と定め分身の諸仏は舌相を梵天に付け給う是くの如く諸経と法華経との勝劣を定め了んぬ、此の外・釈迦一仏の所説なれば先後の諸経に対して法華経の勝劣を論ずべきに非ざるなり、故に涅槃経に諸経を嫌う中に法華経を入れず法華経は諸経に勝るる由・之を顕わす故なり、但し邪見の文に至つては法華経を覚知せざる一類の人・涅槃経を聞いて悟を得る故に迦葉童子・自身並に所引を指して涅槃経より已前を邪見等と云うなり経の勝劣を論ずるには非ず。
第三に大小乗を定むることを明さば、問うて云く大小乗の差別如何、答えて云く常途の説の如くんば阿含部の諸経は小乗なり華厳・方等・般若・法華・涅槃等は大乗なり、或は六界を明すは小乗・十界を明すは大乗なり、其の外・法華経に対して実義を論ずる時・法華経より外の四十余年の諸大乗経は皆小乗にして法華経は大乗なり。
問うて云く諸宗に亘て我所拠の経を実大乗と謂い余宗所拠の経を権大乗と云うこと常の習いなり末学に於ては是非定め難し、未だ聞知せず法華経に対して諸大乗経を小乗と称する証文如何、答えて云く宗宗の立義互に是非を論ず就中末法に於て世間出世に就て非を先とし是を後とす自ら是非を知らず愚者の歎くべき所なり、但し且く我等が智を以て四十余年の現文を観るに此の言を破する文無ければ人の是非を信用すべからざるなり、其の上・法華経に対して諸大乗経を小乗と称することは自答を存すべきに非ず、法華経の方便品に云く「仏は自ら大乗に住し給えり、乃至・自ら無上道大乗平等の法を証しき若し小乗を以て化すること乃至一人に於てせば我即ち慳貪に堕せん、此の事は為て不可なり」此の文の意は法華経より外の諸経を皆小乗と説けるなり、亦寿量品に云く「小法を楽う」と此等の文は法華経より外の四十余年の諸経を皆小乗と説けるなり、天台・妙楽の釈に於て四十余年の諸経を小乗なりと釈すとも他師之を許すべからず故に但経文を出すなり。
第四に且らく権教を閣いて実経に就くことを明さば、問うて云く証文如何、答えて云く十の証文有り法華経に云く「但大乗経典を受持することを楽て乃至余経の一偈をも受けざれ」[是一]涅槃経に云く「了義経に依つて不了義経に依らざれ」[四十余年を不了義経という]、[是二]法華経に云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり是の如き人は諸仏の歎めたもう所なり、是れ則ち勇猛なり是れ則ち精進なり是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名く」[末代に於て四十余年の持戒無し、唯法華経を持つを持戒と為す][是三]涅槃経に云く「乗に緩なる者に於ては乃ち名けて緩と為す戒緩の者に於ては名けて緩と為さず菩薩摩訶薩・此の大乗に於て心懈慢せずんば是を奉戒と名づく正法を護らんが為に大乗の水を以て而も自ら澡浴す是の故に菩薩・破戒を現ずと雖も名づけて緩と為さず」[此の文は法華経の戒を流通する文なり][是四]法華経第四に云く「妙法華経・乃至・皆是真実」[此の文は多宝の証明なり][是五]法華経第八普賢菩薩の誓に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」[是六]法華経第七に云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に於て断絶せしむること無けん」釈迦如来の誓なり[是七]法華経第四に多宝並に十方諸仏来集の意趣を説いて云く「法をして久しく住せしめんが故に此に来至し給えり」[是八]法華経第七に法華経を行ずる者の住処を説いて云く「如来の滅後に於て応に一心に受持・読・誦・解説・書写して説の如く修行すべし所在の国土に乃至・若は経巻所住の処若は園の中に於ても若は林の中に於ても若は樹の下に於ても若は僧坊に於ても若は白衣の舎にても若は殿堂に在つても若は山谷曠野にても是の中に皆塔を起て供養すべし所以は何ん当に知るべし是の処は即ち是れ道場なり諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得給う」[是九]法華経の流通たる涅槃経の第九に云く「我涅槃の後正法未だ滅せず余の八十年・爾時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし是の時当に諸の悪比丘有るべし是の経を抄掠して分つて多分と作し能く正法の色香美味を滅す是の諸の悪人復是の如き経典を読誦すと雖も如来深密の要義を滅除して世間荘厳の文を安置し無義の語を飾り前を抄て後に著け後を抄て前に著け前後を中に著け中を前後に著けん当に知るべし是くの如き諸の悪比丘は是魔の伴侶なり、乃至・譬えば牧牛女の多く水を乳に加うるが如く諸の悪比丘も亦復是の如し雑るに世語を以てし錯りて是の経を定む多くの衆生をして正説・正写・正取・尊重・讃歎・供養・恭敬することを得ざらしむ是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず分流すべき所少く言うに足らず彼の牧牛の貧窮の女人展転して乳を売るに乃至糜と成して乳味無きが如し、是の大乗経典・大涅槃経も亦復是の如く展転薄淡にして気味有ること無し気味無しと雖も猶余経に勝る是れ一千倍なること彼の乳味の諸の苦味に於て千倍勝ると為すが如し何を以ての故に是の大乗経典・大涅槃経は声聞の経に於て最上首為り」〔是十〕。
問うて云く不了義経を捨てて了義経に就くとは、大円覚修多羅了義経・大仏頂如来密因修証了義経是の如き諸大乗経は皆了義経なり依用と為す可きや、答えて云く了義・不了義は所対に随つて不同なり二乗菩薩等の所説の不了義に対すれば一代の仏説皆了義なり仏説に就て小乗経は不了義・大乗経は了義なり大乗に就て又四十余年の諸経は不了義経・法華・涅槃・大日経等は了義経なり而るに円覚・大仏頂等の諸経は小乗及び歴劫修行の不了義経に対すれば了義経なり法華経の如き了義には非ざるなり。
問うて云く華厳・法相・三論等の天台真言より已外の諸宗の高祖・各其の依憑の経経に依つて其の経経の深義を極めたりと欲えり是れ爾る可しや如何、答えて云く華厳宗の如きは華厳経に依つて諸経を判じて華厳経の方便と為すなり、法相宗の如きは阿含・般若等を卑しめ華厳・法華・涅槃を以て深密経に同じ同じく中道教と立つると雖も亦法華・涅槃は一類の一乗を説くが故に不了義経なり深密経には五性各別を論ずるが故に了義経と立つるなり、三論宗の如きは二蔵を立てて一代を摂し大乗に於て浅深を論ぜず而も般若経を以て依憑と為す、此等の諸宗の高祖・多分は四依の菩薩なるか定めて所存有らん是非に及ばず。
然りと雖も自身の疑を晴らさんが為に且らく人師の異解を閣いて諸宗の依憑の経経を開き見るに華厳経は旧訳は五十・六十・新訳は八十・四十・其の中に法華涅槃の如く一代聖教を集めて方便と為すの文無し、四乗を説くと雖も其の中の仏乗に於て十界互具・久遠実成を説かず但し人師に至つては五教を立てて先の四教に諸経を収めて華厳経の方便と為す、法相宗の如きは三時教を立つる時・法華等を以て深密経に同ずと雖も深密経五巻を開き見るに全く法華等を以て中道の内に入れず。
三論宗の如きは二蔵を立つる時・菩薩蔵に於て華厳法華等を収め般若経に同ずと雖も新古の大般若経を開き見るに全く大般若を以て法華涅槃に同ずるの文無し華厳は頓教・法華は漸教等とは人師の意楽にして仏説に非ざるなり。
法華経の如きは序分無量義経に慥に四十余年の年限を挙げ華厳・方等・般若等の大部の諸経の題名を呼んで未顕真実と定め正宗の法華経に至つて一代の勝劣を定むる時・我が所説の経典・無量千万億・已説・今説・当説の金言を吐いて、而も其の中に於て此の法華経は最も難信難解なりと説き給う時・多宝仏・地より湧出し妙法蓮華経皆是真実と証誠し分身の諸仏十方より悉く一処に集つて舌を梵天に付け給う。
今此の義を以て余推察を加うるに唐土・日本に渡れる所の五千七千余巻の諸経・以外の天竺・竜宮・四王天・過去の七仏等の諸経並に阿難の未結集の経・十方世界の塵に同ずる諸経の勝劣・浅深・難易・掌中に在り無量千万億の中に豈釈迦如来の所説の諸経を漏らす可けんや已説・今説・当説の年限に入らざる諸経之れ有るべきや願わくば末代の諸人且らく諸宗の高祖の弱文・無義を閣きて釈迦多宝十方諸仏の強文有義を信ず可し、何に況や諸宗の末学・偏執を先と為し末代の愚者人師を本と為して経論を抛つ者に依憑すべきや、故に法華の流通たる雙林最後の涅槃経に仏・迦葉童子菩薩に遺言して言く「法に依つて人に依らざれ義に依つて語に依らざれ智に依つて識に依らざれ了義経に依つて不了義経に依らざれ」と云云。
予世間を見聞するに自宗の人師を以て三昧発得智慧第一と称すれども無徳の凡夫として実経に依つて法門を信ぜしめず不了義の観経等を以て時機相応の教と称し了義の法華涅槃を閣いて譏つて理深解微の失を付け如来の遺言に背いて「人に依つて法に依らざれ・語に依つて義に依らざれ・識に依つて智に依らざれ・不了義経に依つて了義経に依らざれ」と談ずるに非ずや、請い願わくば心有らん人は思惟を加えよ如来の入滅は既に二千二百余の星霜を送れり文殊・迦葉・阿難・経を結集して已後・四依の菩薩重ねて出世し論を造り経の意を申ぶ末の論師に至つて漸く誤り出来す亦訳者に於ても梵漢未達の者・権教宿習の人有つて実の経論の義を曲げて権の経論の義を存せり、之に就て亦唐土の人師・過去の権教の宿習の故に権の経論心に叶う間・実経の義を用いず或は少し白義に違う文有れば理を曲げて会通を構え以て自身の義に叶わしむ、設い後に道理と念うと雖も或は名利に依り或は檀那の帰依に依つて権宗を捨てて実宗に入らず、世間の道俗亦無智の故に理非を弁えず但・人に依つて法に依らず設い悪法たりと雖も多人の邪義に随つて一人の実説に依らず、而るに衆生の機多くは流転に随う設い出離を求むとも亦多分は権教に依る、但恨むらくは悪業の身・善に付け悪に付け生死を離れ難きのみ、然りと雖も今の世の一切の凡夫設い今生を損すと雖も上に出す所の涅槃経第九の文に依つて且らく法華・涅槃を信ぜよ其の故は世間の浅事すら展転多き時は虚は多く実は少し況や仏法の深義に於てをや、如来の滅後二千余年の間・仏法に邪義を副え来り万に一にも正義無きか一代の聖教多分は誤り有るか、所以に心地観経の法爾無漏の種子・正法華経の属累の経末・婆沙論の一十六字・摂論の識の八九・法華論と妙法華経との相違・涅槃論の法華煩悩所汚の文・法相宗の定性無性の不成仏・摂論宗の法華経の一称南無の別時意趣・此等は皆訳者人師の誤りなり、此の外に亦四十余年の経経に於て多くの誤り有るか設い法華涅槃に於て誤有るも誤無きも四十余年の諸経を捨てて法華涅槃に随う可し其の証上に出し了んぬ況や誤り有る諸経に於て信心を致す者・生死を離るべきや。
大文の第二に正像末に就て仏法の興廃有ることを明すとは、之に就て二有り、一には爾前四十余年の内の諸経と浄土の三部経と末法に於て久住・不久住を明す、二には法華涅槃と浄土の三部経並に諸経との久住・不久住を明す。
第一に爾前四十余年の内の諸経と浄土の三部経と末法に於て久住・不久住を明すとは、問うて云く如来の教法は大小・浅深・勝劣を論ぜず但時機に依つて之を行ぜば定めて利益有るべきなり、然るに賢劫・大術・大集等の諸経を見るに仏滅後二千余年已後は仏法皆滅して但・教のみ有つて行証有るべからず、随つて伝教大師の末法灯明記を開くに我延暦二十年辛巳一千七百五十歳〔一説なり〕延暦二十年より已後亦四百五十余歳なり既に末法に入れり、設い教法有りと雖も行証無けん、然るに於ては仏法を行ずる者・万が一も得道有り難きか、然るに雙観経の「当来の世・経道滅尽せんに我慈悲哀愍を以て特り此の経を留め止住せんこと百歳ならん其れ衆生の斯の経に値うこと有らん者は意の所願に随つて皆得道す可し」等の文を見るに釈迦如来一代の聖教皆滅尽の後・唯特り雙観教の念仏のみを留めて衆生を利益す可しと見え了んぬ。
此の意趣に依つて粗浄土家の諸師の釈を勘うるに其の意無きに非ず、道綽禅師は「当今末法は是れ五濁悪世なり唯浄土の一門のみ通入すべき路なり」と書し、善導和尚は「万年に三宝滅して此の経のみ住すること百年なり」と宣べ、慈恩大師は「末法万年に余経悉く滅し弥陀の一教利物偏に増さん」と定め、日本国の叡山の先徳慧心僧都は一代聖教の要文を集めて末代の指南を教ゆる往生要集の序に云く「夫れ往生極楽の教行は濁世末代の目足なり道俗貴賎誰か帰せざる者あらん但し顕密の教法は其の文一に非ず事理の業因其の行惟れ多し利智精進の人は未だ難しと為ず予が如き頑魯の者豈敢てせんや」乃至・次下に云く「就中念仏の数は多く末代経道滅尽の後の濁悪の衆生を利する計りなり」と、総じて諸宗の学者も此の旨を存す可し殊に天台一宗の学者誰か此の義に背く可けんや如何、答えて云く爾前四十余年の経経は各時機に随つて而も興廃有るが故に多分は浄土の三部経より已前に滅尽有る可きか、諸経に於ては多く三乗現身の得道を説く故に末代に於ては現身得道の者之少きなり十方の往生浄土は多くは末代の機に蒙らしむ、之に就て西方極楽は娑婆隣近なるが故に最下の浄土なるが故に日輪東に出で西に没するが故に諸経に多く之を勧む、随つて浄土の祖師のみ独り此の義を勧むるのみに非ず天台妙楽等も亦爾前の経に依るの日は且らく此の筋あり、亦独り人師のみに非ず竜樹・天親も此の意有り、是れ一義なり、亦仁王経等の如きは浄土の三部経より尚久く末法万年の後・八千年住す可しとなり、故に爾前の諸経に於ては一定すべからず。
第二に法華涅槃と浄土の三部経との久住・不久住とを明さば、問うて云く法華・涅槃と浄土の三部経と何れが先に滅すべきや、答えて云く法華涅槃より已前に浄土の三部経は滅す可きなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く無量義経に四十余年の大部の諸経を挙げ了つて「未顕真実」と云う故に雙観経等の「特り此の経を留む」の言は皆方便なり虚妄なり、華厳・方等・般若・観経等の速疾歴劫の往生成仏は無量義経の実義を以て之を検うるに無量無辺不可思議阿僧祗劫を過ぐれども終に無上菩提を成ずることを得ず、乃至・険き逕を行くに留難多きが故にと云う経なり、往生成仏倶に別時意趣なり、大集・雙観経等の住滅の先後は皆随宜の一説なり、法華経に来らざる已前は彼の外道の説に同じ、譬えば江河の大海に趣かず民臣の大王に随わざるが如し、身を苦しめ行を作すとも法華涅槃に至らずんば一分の利益無く有因無果の外道なり、在世滅後倶に教有つて人無く行有つて証無きなり諸木は枯るると雖も松柏は萎まず衆草は散ると雖も鞠竹は変ぜず法華経も亦復是くの如し釈尊の三説・多宝の証明・諸仏の舌相偏に令法久住に在るが故なり。
問うて云く諸経滅尽の後特り法華経のみ留る可き証文如何、答えて云く法華経の法師品に釈尊自ら流通せしめて云く「我が所説の経典無量千万億已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり」と云云、文の意は一代五十年の已今当の三説に於て最第一の経なり、八万聖教の中に殊に未来に留めんと欲して説き給えるなり、故に次の品に多宝如来は地より涌出し分身の諸仏は十方より一処に来集し釈迦如来は諸仏を御使として八方・四百万億那由佗の世界に充満せる菩薩・二乗・人天・八部等を責めて多宝如来並に十方の諸仏・涌出来集の意趣は偏に令法久住の為なり、各三説の諸経滅尽の後・慥に未来五濁難信の世界に於て此の経を弘めんとの誓言を立てよと云える時に二万の菩薩・八十万億那由陀の菩薩・各誓状を立てて云く「我身命を愛せず但無上道を惜む」と、千世界の微塵の菩薩・文殊等皆誓つて云く「我等仏の滅後に於て、乃至・当に広く此の経を説くべし」と云云、其の後・仏十喩を挙げ給う、其の第一の喩は川流江河を以て四十余年の諸経に譬え法華経を以て大海に誓う、末代濁悪の無慚無愧の大早・の時・四味の川流江河は渇ると雖も法華経の大海は減少せず等と説き了つて、次下に正しく説いて云く「我滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布し閻浮提に於て断絶せしむること無けん」と定め了んぬ。
倩文の次第を案ずるに我滅度後の次の後の字は四十余年の諸経滅尽の後の後の字なり、故に法華経の流通たる涅槃経に云く「応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付すべし諸の菩薩は善能く問答するを以てなり是くの如き法宝は則ち久住することを得・無量千世にも増益熾盛にして衆生を利安すべし」[已上]此の如き等の文は法華涅槃は無量百歳にも絶ゆ可からざる経なり、此の義を知らざる世間の学者・大集権門の五五百歳の文を以て此の経に同じ浄土の三部経より已前に滅尽す可しと存ずる立義は一経の先後起尽を忘れたるなり。
問うて云く上に挙ぐる所の曇鸞・道綽・善導・慧心等の諸師は皆法華・真言等の諸経に於て末代不相応の釈を作る之に依つて源空並に所化の弟子・法華・真言等を以て雑行と立て難行道と疎み、行者をば群賊・悪衆・悪見の人等と罵り、或は祖父が履に類し[聖光房の語]或は絃歌等にも劣ると云う[南無房の語]其の意趣を尋ぬれば偏に時機不相応の義を存するが故なり、此等の人師の釈をば如何に之を会すべきや、答えて云く釈迦如来一代五十年の説教・一仏の金言に於て権実二教を分ち権経を捨てて実経に入らしむる仏語顕然たり、此に於て若但讃仏乗・衆生没在苦の道理を恐れ且らく四十二年の権経を説くと雖も若以小乗化・乃至於一人我則堕慳貪の失を脱れんが為に入大乗為本の義を存し本意を遂げ法華経を説き給う。
然るに涅槃経に至つて我滅度せば必ず四依を出して権実二教を弘通せしめんと約束し了んぬ、故に竜樹菩薩は如来の滅後八百年に出世して十住毘婆沙等の権論を造りて華厳・方等・般若等の意を宣べ大論を造りて般若法華の差別を分ち、天親菩薩は如来の滅後・九百年に出世して倶舎論を造りて小乗の意を宣べ唯識論を造りて方等部の意を宣べ最後に仏性論を造りて法華涅槃の意を宣べ了教不了教を分ちて敢て仏の遺言に違わず、末の論師並に訳者の時に至つては一向に権経に執するが故に実経を会して権経に入れ権実雑乱の失・出来せり、亦人師の時に至つては各依憑の経を以て本と為すが故に余経を以て権経と為す是より弥仏意に背く。
而るに浄土の三師に於ては鸞・綽の二師は十住毘婆沙論に依つて難易・聖浄の二道を立つ若し本論に違して法華真言等を以て難易の内に入れば信用に及ばじ、随つて浄土論註並に安楽集を見るに多分は本論の意に違わず、善導和尚は亦浄土の三部経に依つて弥陀称名等の一行一願の往生を立つる時・梁・陳・隋・唐の四代の摂論師総じて一代聖教を以て別時意趣と定む、善導和尚の存念に違するが故に摂論師を破する時・彼の人を群賊等に誓う順次生の功徳を賊するが故に其の所行を難行と称することは必ず万行を以て往生の素懐を遂ぐる故に此の人を責むる時に千中無一と嫌えり、是の故に善導和尚も雑行の言の中に敢えて法華真言等を入れず。
日本国の源信僧都は亦叡山第十八代の座主・慈慧大師の御弟子なり多くの書を造れることは皆法華を弘めんが為なり、而るに往生要集を造る意は爾前四十余年の諸経に於て往生・成仏の二義有り成仏の難行に対して往生易行の義を存し往生の業の中に於て菩提心観念の念仏を以て最上と為す、故に大文第十の問答料簡の中・第七の諸行勝劣門に於ては念仏を以て最勝と為し次下に爾前最勝の念仏を以て法華経の一念信解の功徳に対して勝劣を判ずる時・一念信解の功徳は念仏三昧より勝るる百千万倍なりと定め給えり、当に知るべし往生要集の意は爾前最上の念仏を以て法華最下の功徳に対して人をして法華経に入らしめんが為に造る所の書なり、故に往生要集の後に一乗要決を造つて自身の内証を述ぶる時・法華経を以て本意と為すなり。
而るに源空並に所化の衆此の義を知らざるが故に法華真言を以て三師並に源信所破の難聖雑並に往生要集の序の顕密の中に入れて三師並に源信を法華真言の謗法の人と為す、其の上日本国の一切の道俗を化して法華真言に於て時機不相応の旨を習わしめ在家出家の諸人に於て法華真言の結縁を留む豈仏の記し給う所の「悪世中比丘邪智心諂曲」の人に非ずや、亦則ち一切世間の仏種を断ずの失を免る可けんや。
其の上・山門・寺門・東寺・天台並に日本国中に法華真言を習う諸人を群賊・悪衆・悪見の人等に誓うる源空が重罪何れの劫にか其の苦果を経尽す可きや、法華経の法師品に持経者を罵る罪を説いて云く「若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し若し人・一つの悪言を以て在家出家の法華経を読誦する者を毀・せん其の罪甚だ重し」[已上経文]一人の持者を罵る罪すら尚是くの如し況や書を造り日本国の諸人に罵らしむる罪をや、何に況や此の経を千中無一と定めて法華経を行ずる人に疑を生ぜしむる罪をや、何に況や此の経を捨てて観経等の権経に遷らしむる謗法の罪をや、願わくば一切の源空が所化の四衆頓に選択集の邪法を捨てて忽に法華経に遷り今度阿鼻の炎を脱れよ。
問うて云く正しく源空が法華経を誹謗する証文如何、答えて云く法華経の第二に云く「若し人信ぜずして斯の経を毀謗せば則一切世間の仏種を断ぜん」[経文]不信の相貌は人をして法華経を捨てしむればなり、故に天親菩薩の仏性論の第一に此の文を釈して云く「若し大乗に憎背する者此は是れ一闡提の因なり衆生をして此の法を捨てしむるを為の故に」[論文]謗法の相貌は此の法を捨てしむるが故なり、選択集は人をして法華経を捨てしむる書に非ずや閣抛の二字は仏性論の憎背の二字に非ずや、亦法華経誹謗の相貌は四十余年の諸経の如く小善成仏を以て別時意趣と定むる等なり。
故に天台の釈に云く「若し小善成仏を信ぜずんば則世間の仏種を断ずるなり」妙楽重ねて此の義を宣べて云く「此の経は遍く六道の仏種を開す若し此の経を謗ぜば義・断に当るなり」釈迦多宝十方の諸仏・天親・天台・妙楽の意の如くんば源空は謗法の者なり所詮選択集の意は人をして法華真言を捨てしめんと定めて書き了んぬ謗法の義疑い無き者なり。
大文の第三に選択集謗法の縁起を出さば、問うて云く何れの証拠を以て源空を謗法の者と称するや、答えて云く選択集の現文を見るに一代聖教を以て二つに分つ一には聖道・難行・雑行・二には浄土・易行・正行なり、其の中に聖・難・雑と云うは華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃・大日経等なり[取意]浄・易・正とは浄土の三部経の称名念仏等なり[取意]聖・難・雑の失を判ずるには末代の凡夫之を行ぜば百の時に希に一二を得・千の時に希に三五を得ん或は千が中に一も無し或は群賊・悪衆・邪見・悪見・邪雑の人等と定むるなり、浄・易・正の得を判ずるには末代の凡夫之を行ぜば十は即十生し百は即百生せん等なり謗法の邪義是なり。
問うて云く一代聖教を聖道・浄土・難行・易行・正行・雑行と分ち其の中に難・聖・雑を以て時機不相応と称すること源空一人の新義に非ず曇鸞・道綽・善導の三師の義なり、此亦此等の人師の私の案に非ず其の源は竜樹菩薩の十住毘婆沙論より出でたり、若し源空を謗法の者と称せば竜樹菩薩並に三師を謗法の者と称するに非ずや、答えて云く竜樹菩薩並に三師の意は法華已前の四十余年の経経に於て難易等の義を存す、而るに源空より已来竜樹並に三師の難行等の語を借りて法華真言等を以て難・雑等の内に入れぬ、所化の弟子・師の失を知らずして此の邪義を以て正義と存じ此の国に流布せしむるが故に国中の万民悉く法華・真言に於て時機不相応の想を作す、其の上世間を貧る天台真言の学者世の情に随わんが為に法華真言に於て時機不相応の悪言を吐いて選択集の邪義を扶け、一旦の欲心に依つて釈迦多宝並に十方諸仏の御評定の「令法久住・於閻浮提広宣流布」の誠言を壊り一切衆生をして三世十方の諸仏の舌を切る罪を得せしむ、偏に是れ悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為得たりと謂い、乃至・悪鬼其の身に入り仏の方便随宜所説の法を知らざる故なり。
問うて云く竜樹菩薩並に三師は法華真言等を以て難・聖・雑の中に入れざりしを源空私に之を入るるとは何を以て之を知るや、答えて云く遠く余処に証拠を尋ぬ可きに非ず即選択集に之を見たり、問うて云く其の証文如何、答えて云く選択集の第一篇に云く道綽禅師・聖道浄土の二門を立て而して聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文と約束し了つて、次下に安楽集を引いて私の料簡の段に云く「初に聖道門とは之に就て二有り・一には大乗・二には小乗なり大乗の中に就て顕密権実等の不同有りと雖も今此の集の意は唯顕大及以び権大を存す故に歴劫迂回の行に当る之に準じて之を思うに応に密大及以び実大をも存すべし」[已上]選択集の文なり、此の文の意は道綽禅師の安楽集の意は法華已前の大小乗経に於て聖道浄土の二門を分つと雖も我私に法華・真言等の実大・密大を以て四十余年の権大乗に同じて聖道門と称す「準之思之」の四字是なり、此の意に依るが故に亦曇鸞の難易の二道を引く時亦私に法華真言を以て難行道の中に入れ善導和尚の正雑二行を分つ時も亦私に法華真言を以て雑行の内に入る総じて選択集の十六段に亘つて無量の謗法を作す根源は偏に此の四字より起る誤れるかな畏しきかな。
爰に源空の門弟・師の邪義を救つて云く諸宗の常の習い設い経論の証文無しと雖も義類の同じきを聚めて一処に置く而も選択集の意は法華真言等を集めて雑行の内に入れ正行に対して之を捨つ偏に経の法体を嫌うに非ず但風勢無き末代の衆生を常没の凡夫と定め此の機に易行の法を撰ぶ時・称名の念仏を以て其の機に当て易行の法を以て諸教に勝ると立つ権実浅深の勝劣を詮ずるに非ず、雑行と云うも嫌つて雑と云うに非ず雑と云うは不純を雑と云う其の上諸の経論並に諸師も此の意無きに非ず故に叡山の先徳の往生要集の意偏に是の義なり。
所以に往生要集の序に云く「顕密の教法は其の文一に非ず事理の業因其の行惟れ多し利智精進の人は未だ難しと為ず予が如き頑魯の者豈敢てせんや是の故に念仏の一門に依る」と云云、此の序の意は慧心先徳も法華真言等を破するに非ず但偏に我等頑魯の者の機に当つて法華真言は聞き難く行じ難きが故に我身鈍根なるが故なり敢て法体を嫌うに非ず、其の上序より已外正宗に至るまで十門有り大文第八の門に述べて云く「今念仏を勧むること是れ余の種種の妙行を遮するに非ず只是れ男女・貴賎・行住坐臥を簡ばず時処諸縁を論ぜず之を修するに難からず乃至・臨終には往生を願求するに其の便宣を得ること念仏には如かず」[已上]此等の文を見るに源空の選択集と源信の往生要集と一巻三巻の不同有りと雖も一代聖教の中には易行を撰んで末代の愚人を救わんと欲する意趣は但同じ事なり、源空上人・法華真言を難行と立てて悪道に堕せば慧心先徳も亦此の失を免るべからず如何、答えて云く汝・師の謗法の失を救わんが為に事を源信の往生要集に寄せて謗法の上に弥重罪を招く者なり其の故は釈迦如来五十年の説教に総じて先き四十二年の意を無量義経に定めて云く「険逕を行くに留難多き故に」と無量義経の已後を定めて云く「大直道を行くに留難無きが故に」と仏自ら難易・勝劣の二道を分ちたまえり、仏より外等覚已下末代の凡師に至るまで自義を以て難易の二道を分ち此の義に背く者は外道魔王の説に同じきか、随つて四依の大士・竜樹菩薩の十住毘婆沙論には法華已前に於て難易の二道を分ち敢て四十余年已後の経に於て難行の義を存せず、其の上若し修し易きを以て易行と定めば法華経の五十展転の行は称名念仏より行じ易きこと百千万億倍なり、若し亦勝を以て易行と定めば分別功徳品に爾前四十余年の八十万億劫の間の檀・戒・忍・進・念仏三昧等先きの五波羅蜜の功徳を以て法華経の一念信解の功徳に比するに一念信解の功徳は念仏三昧等の先きの五波羅蜜に勝るる事百千万億倍なり、難易・勝劣と云い行浅功深と云い観経等の念仏三昧を法華経に比するに難行の中の極難行・劣が中の極劣なり。
其の上悪人愚人を扶くること亦教の浅深に依る阿含十二年の戒門には現身に四重五逆の者に得道を許さず、華厳方等般若雙観経等の諸経は阿含経より教深き故に勧門の時は重罪の者を摂すと雖も猶戒門の日は七逆の者に現身の受戒を許さず、然りと雖も決定性の二乗・無性の闡提に於て誡勧共に之を許さず、法華涅槃等には唯五逆七逆謗法の者を摂するのみに非ず亦定性無性をも摂す、就中末法に於ては常没の闡提之多し豈観経等の四十余年の諸経に於て之を扶く可けんや無性の常没・決定性の二乗は但法華涅槃等に限れり、四十余年の経に依る人師は彼の経の機と取る此の人は未だ教相を知らざる故なり。
但し往生要集は一往序分を見る時は法華真言等を以て顕密の内に入れて殆ど末代の機に叶わずと書すと雖も文に入つて委細に一部三巻の始末を見るに、第十の問答料簡の下に正しく諸行の勝劣を定むる時・観仏三昧・般舟三昧・十住毘婆沙論・宝積・大集等の爾前の経論を引いて一切の万行に対して念仏三昧を以て王三昧と立て了んぬ、最後に一つの問答有り爾前の禅定・念仏三昧を以て法華経の一念信解に対するに百千万億倍劣ると定む、復問を通ずる時念仏三昧を万行に勝るると云うは爾前の当分なりと云云、当に知るべし慧心の意は往生要集を造つて末代の愚機を調えて法華経に入れんが為なり、例せば仏の四十余年の経を以て権機を調え法華経に入れ給うが如し。
故に最後に一乗要決を造る其の序に云く「諸宗の権実は古来の諍いなり倶に経論に拠て互いに是非を執す、余寛弘丙午の歳冬十月病中に歎いて云く仏法に遇うと雖も仏意を了せず若し終に手を空うせば後悔何ぞ追わん、爰に経論の文義・賢哲の章疏或は人をして尋ねしめ或は自ら思択し全く自宗他宗の偏党を捨つる時・専ら権智実智の深奥を深ぐるに終に一乗は真実の理・五乗は方便の説を得る者なり、既に今生の蒙を開く何ぞ夕死の恨を残さんや」[已上]此の序の意は偏に慧心の本意を顕すなり、自宗他宗の偏党を捨つるの時浄土の法門を捨てざらんや一乗は真実の理と得る時専ら法華経に依るに非ずや、源信僧都は永観二年甲申の冬十一月往生要集を造り寛弘二年丙午の冬十月の比・一乗要決を作る其の中間二十余年なり権を先にし実を後にする宛も仏の如く亦竜樹・天親・天台等の如し、汝往生要集を便りとして師の謗法の失を救わんと欲すれども敢えて其の義類に似ず義類の同じきを以て一処に聚むとならば何等の義類同なるや、華厳経の如きは二乗界を隔つるが故に十界互具無し方等・般若の諸経は亦十界互具を許さず観経等の往生極楽も亦方便の往生なり成仏往生倶に法華経の如き往生に非ず皆別時意趣の往生成仏なり。
其の上源信僧都の意は四威儀に行じ易き故に念仏を以て易行と云い四威儀に行じ難きが故に法華を以て難行と称せば天台・妙楽の釈を破する人なり所以に妙楽大師の末代の鈍者無智の者等の法華経を行ずるに普賢菩薩並に多宝十方の諸仏を見奉るを易行と定めて云く「散心に法華を誦し禅三昧に入らず坐立行・一心に法華の文字を念ぜよ」[已上]此の釈の意趣は末代の愚者を摂せんが為なり散心とは定心に対する語なり誦法華とは八巻一巻一字一句一偈題目一心一念随喜の者五十展転等なり坐立行とは四威儀を嫌わざるなり一心とは定の一心に非ず理の一心に非ず散心の中の一心なり念法華文字とは此の経は諸経の文字に似ず一字を誦すと雖も八万宝蔵の文字を含み一切諸仏の功徳を納むるなり天台大師玄義の八に云く「手に巻を執らざれども常に是の経を読み口に言声無けれども・く衆典を誦し仏・説法せざれども恒に梵音を聞き心に思惟せざれども普く法界を照す」[已上]此の文の意は手に法華経一部八巻を執らざれども是の経を信ずる人は昼夜十二時の持経者なり口に読経の声を出さざれども法華経を信ずる者は日日時時念念に一切経を読む者なり。
仏の入滅は既に二千余年を経たり然りと雖も法華経を信ずる者の許に仏の音声を留めて時時・刻刻・念念に我死せざる由を聞かしむ心に一念三千を観ぜざれども・く十方法界を照す者なり此等の徳は偏に法華経を行ずる者に備わるなり、是の故に法華経を信ずる者は設い臨終の時・心に仏を念ぜず口に経を誦せず道場に入らざれども心無くして法界を照し音無くして一切経を誦し巻軸を取らずして法華経八巻を拳る徳之有り是れ豈権教の念仏者の臨終正念を期して・十念の念仏を唱えんと欲する者に・百千万倍勝るる易行に非ずや、故に天台大師文句の十に云く「都て諸教に勝るるが故に随喜功徳品と云う」妙楽大師の法華経は諸経より浅機を取る而るを人師此の義を弁えざる故に法華経の機を深く取る事を破して云く「恐らくは人謬つて解する者初心の功徳の大なることを測らずして功を上位に推り此の初心を蔑る故に今彼の行は浅く功は深きことを示して以て経力を顕す」[已上]以顕経力の釈の意趣は法華経は観経等の権経に勝れたるが故に行は浅く功は深し浅機を摂むる故なり、若し慧心の先徳・法華経を以て念仏より難行と定め愚者頑魯の者を摂せずと云わば恐らくは逆路伽耶陀の罪を招かざらんや、恐人謬解の内に入らざらんや。
総じて天台・妙楽の三大部の本末の意には法華経は諸経に漏れたる愚者・悪人・女人・常没闡提等を摂し給う他師仏意を覚らざる故に法華経を諸経に同じ或は地住の機を取り或は凡夫に於ても別時意趣の義を存す、此等の邪義を破して人天四悪を以て法華経の機と定む、種類相対を以て過去の善悪を收む人天に生ずる人豈過去の五戒十善無からんや等と定め了んぬ、若し慧心此の義に背かば豈天台宗を知れる人ならんや、而るを源空深く此の義に迷うが故に往生要集に於て僻見を起し自ら失ち他をも誤る者なり、適宿善有つて実教に入りながら一切衆生を化して権教に還らしめ剰え実教を破せしむ豈悪師に非ずや、彼の久遠下種・大通結縁の者の如き五百・三千の塵劫を経るが如きは法華の大教を捨てて爾前の権小に遷るが故に後に権経を捨てて六道を回りぬ不軽軽毀の衆は千劫阿鼻地獄に堕つ、権師を信じ実経を弘むる者に誹謗を作したるが故なり。
而るに源空我が身唯実経を捨てて権経に入るのみに非ず人を勧めて実経を捨てて権経に入らしめ亦権人をして実経に入らしめず剰え実経の行者を罵るの罪永劫にも浮び難からんか。
問うて云く十住毘婆沙論は一代の通論なり難易の二道の内に何ぞ法華・真言・涅槃を入れざるや、答えて云く一代の諸大乗経に於て華厳経の如きは初頓後分有り初頓の華厳は二乗の成不成を論ぜず方等部の諸経には一向に二乗・無性闡提の成仏を斥う般若部の諸経も之に同じ総じて四十余年の諸大乗経の意は法華・涅槃・大日経等の如くには二乗・無性の成仏を許さず、此等を以て之を・うるに爾前法華の相違は水火の如し滅後の論師・竜樹・天親も亦倶に千部の論師なり所造の論に通別の二論有り通論に於ても亦二有り四十余年の通論と一代五十年の通論となり、其の差別を分つに決定性の二乗・無性闡提の成不成を以て論の権実を定むるなり、而るに大論は竜樹菩薩の造・羅什三蔵の訳なり此の論にも亦二乗作仏を許さず之を以て知んぬ法華已前の諸大乗経の意を申べたる論なることを。
問うて云く十住毘婆沙論の何処に二乗作仏を許さざるの文出でたるや、答えて云く十住毘婆沙論の第五に云く「若し声聞地及び辟支仏地に堕する是を菩薩の死と名く則ち一切の利を失す若し地獄に堕すとも是の如き畏れを生ぜじ若し二乗地に堕すれば則ち大怖畏と為す地獄の中に堕すとも畢竟して仏に至ることを得・若し二乗地に堕すれば畢竟して仏道を遮す」[已上]此の文二乗作仏を許さず宛も浄名等の「於仏法中以如敗種」の文の如し。
問うて云く大論は般若経に依つて二乗作仏を許さず法華経に依つて二乗作仏を許すの文如何、答えて云く大論の一百に云く「問うて云く更に何の法か甚深にして般若に勝れたる者あれば而も般若を以て阿難に属累し余経を以て菩薩に属累するや、答えて云く般若波羅蜜は秘密の法に非ず而るに法華等の諸経は阿羅漢の受決作仏を説く所以に大菩薩能く受けて持用す譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」と、亦九十三に云く「阿羅漢の成仏は論義者の知る所に非ず唯仏のみ能く了し給う」[已上]此等の文を以て之を思うに論師の権実は宛も仏の権実の如し而るを権経に依る人師猥りに法華等を以て観経等の権説に同じ法華・涅槃等の義を仮りて浄土三部経の徳と作し決定性の二乗・無性の闡提・常没の往生を許す権実雑乱の失脱れ難し、例せば外典の儒者・内典を賊みて外典を荘るが如し謗法の失免れ難きか仏自ら権実を分ち給う其の詮を探るに決定性の二乗・無性有情の成・不成是なり、而るに此の義を弁えざる訳者・爾前の経経を訳する時・二乗の作仏・無性の成仏を許す此の義を知る訳者は爾前の経を訳する時・二乗の作仏無性の成仏を許さず、之に依つて仏意を覚らざる人師も亦爾前の経に於て決定性・無性の成仏を明すと見て法華と爾前と同じき思いを作し或は爾前の経に於て決定無性を嫌う文を見・此の義を以て了義経と為し法華・涅槃を以て不了義経と為す共に仏意を覚らず権実二経に迷えり、此等の誤りを出さば但源空一人に限るのみに非ず天竺の論師並に訳者より唐土の人師に至るまで其の義有り、所謂地論師・摂論師の一代の別時意趣・善導・懐感の法華経の一称南無仏の別時意趣・此等は皆権実を弁えざるが故に出来する所の誤りなり、論を造る菩薩・経を訳する三蔵・三昧発得の人師猶以て是くの如し况や末代の凡師に於てをや。
問うて云く汝末学の身として何ぞ論師並に訳者人師を破するや、答えて云く敢えて此の難を致すこと勿れ摂論師並に善導等の釈は権実二教を弁えずして猥りに法華経を以て別時意趣と立つ故に天台妙楽の釈と水火を作す間・且らく人師の相違を閣いて経論に付て是非を・うる時権実の二教は仏説より出でたり天親・竜樹重ねて之を定む、此の義に順ずる人師をば且らく之を仰ぎ此の義に順ぜざる人師をば且らく之を用いず敢て自義を以て是非を定むるに非ず但相違を出す計りなり。
大文の第四に謗法の者を対治すべき証文を出さば、此れに二有り、一には仏法を以て国王大臣並に四衆に付属することを明し、二には正しく謗法の人・王地に処るをば対治す可き証文を明す、第一に仏法を以て国王大臣並に四衆に付属することを明さば、仁王経に云く「仏・波斯匿王に告わく、乃至・是の故に諸の国王に付属して比丘・比丘尼・清信男・清信女に付属せず何を以ての故に王の威力無きが故に、乃至・此の経の三宝をば諸の国王・四部の弟子に付属す」[已上]大集経二十八に云く「若し国王有つて我が法の滅せんことを見て捨てて擁護せずんば無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失し其の国に三種の不祥の事を出さん、乃至・命終して大地獄に生ぜん」[已上]仁王経の文の如くならば仏法を以て先ず国王に付属し次に四衆に及ぼす王位に居る君・国を治むる臣は仏法を以て先と為し国を治む可きなり、大集経の文の如くならば王臣等・仏道の為に無量劫の間・頭目等の施を施し八万の戒行を持ち無量の仏法を学ぶと雖も国に流布する所の法の邪正を直さざれば国中に大風・旱・・大雨の三災起りて万民を逃脱せしめ王臣定めて三悪に堕せん、又雙林最後の涅槃経の第三に云く「今正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に付属す、乃至・法を護らざる者をば禿居士と名く」又云く「善男子・正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せずして応に刀剣・弓箭・鉾槊を持つべし」又云く「五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く正法を護る者は応に刀剣・器杖を執持すべし」云云四十余年の内にも梵網等の戒の如くならば国王大臣の諸人等も一切刀杖・弓箭・矛斧闘戦の具を畜うることを得ず、若し此を畜うる者は定めて現身に国王の位・比丘・比丘尼の位を失い後生は三悪道の中に堕つ可しと定め了んぬ。
而るに今の世は道俗を択ばず弓箭・刀杖を帯せり梵網経の文の如くならば必ず三悪道に堕せんこと疑無き者なり、涅槃経の文無くんば如何にしてか之を救わん亦涅槃経の先後の文の如くならば弓箭・刀杖を帯して悪法の比丘を治し正法の比丘を守護せん者は先世の四重五逆を滅して必ず無上道を証せんと定め給う。
亦金光明経の第六に云く「若し人有つて其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗て流布せず捨離の心を生じ聴聞せんことを楽わず亦供養し尊重し讃歎せず四部の衆の持経の人を見て亦復尊重し乃至供養すること能わず、遂に我等及び余の眷属・無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ざらしめん甘露の味に背き正法の流れを失い威光及以び勢力有ること無く悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の路に乖かん世尊・我等四王並に諸の眷属及び薬叉等斯くの如き事を見て其の国土を捨てて擁護の心無からん但我等のみ是の王を捨棄するに非ず亦無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん既に捨離し已りなば其の国当に種種の災禍有つて国位を喪失すべし一切の人衆皆善心無けん唯繋縛殺害瞋諍のみ有つて互に相讒諂し枉げて辜無きに及ばん、疫病流行し彗星数数出で両日並び現じ薄蝕恒無く黒白の二虹不祥の相を表わし星流れ地動き井の内に声を発し暴雨悪風時節に依らず常に飢饉に遭いて苗実も成らず多く他方の怨賊有つて国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け土地所楽の処有る事無けん」[已上]。
此の経文を見るに世間の安穏を祈るとも而も国に三災起らば悪法流布する故なりと知る可し而るに当世は随分国土の安穏を祈ると雖も去る正嘉元年には大地・大に動じ同二年に大雨大風苗実を失えり定めて国を喪うの悪法此の国に有るかと勘うるなり、選択集の或る段に云く「第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除いて已外・大小顕密の諸経に於て受持読誦する悉く読誦雑行と名く」と書き了つて次に書いて云く「次に二行の得失を判ぜば法華真言等の雑行は失・浄土の三部経は得なり」次下に善導和尚の往生礼讃の十即十生・百即百生・千中無一の文を書き載せて云く「私に云く此の文を見るに弥よ雑を捨てて専を修すべし豈百即百生の専修正行を捨てて堅く千中無一の雑修雑行を執せんや行者能く之を思量せよ」[已上]、此等の文を見るに世間の道俗豈諸経を信ず可けんや、次下に亦書して法華経等の雑行と念仏の正行と勝劣難易を定めて云く「一には勝劣の義・二には難易の義なり初に勝劣の義とは念仏は是れ勝・余行は是れ劣なり次に難易の義とは念仏は修し易く諸行は修し難し」と、亦次下に法華真言等の失を定めて云く「故に知んぬ諸行は機に非ず時を失う念仏往生のみ機に当り時を得たり」亦次下に法華・真言等の雑行の門を閉じて云く「随他の前には暫らく定散の門を開くと雖も随自の後には還つて定散の門を閉ず一度開て以後永く閉じざるは唯・是れ念仏の一門なり」[已上]最後の述懐に云く「夫れ速に生死を離れんと欲せば二種の勝法の中に且らく聖道門を閣いて撰んで浄土門に入れ浄土門に入らんと欲せば正雑二行の中に且らく諸の雑行を抛つて撰んで応に正行に帰すべし」[已上]門弟此の書を伝えて日本六十余州に充満するが故に門人・世間無智の者に語つて云く「上人は智慧第一の身と為て此の書を造り真実の義と定め法華真言の門を閉じて後に開くの文無く抛つて後に還て取るの文無し」等と立つる間世間の道俗一同に頭を傾け其の義を訪う者には仮字を以て選択の意を宣べ或は法然上人の物語を書す間・法華真言に於て難を付けて或は去年の暦・祖父の履に譬え或は法華経を読むは管絃より劣ると是くの如き悪書・国中に充満するが故に法華真言等国に在りと雖も聴聞せんことを楽わず偶行ずる人有りと雖も尊重を生ぜず一向念仏者・法華経の結縁を作すをば往生の障と成ると云う故に捨離の意を生ず、此の故に諸天・妙法を聞くことを得ず法味を甞めざれば威光勢力有ること無し四天王並に眷属・此の国を捨て日本国守護の善神捨離し已るが故に、正嘉元年に大地大に震い同二年に春の大雨苗を失い夏の大旱・に草木を枯し秋の大風に菓実を失い飢渇忽に起りて万民を逃脱せしむること金光明経の文の如し豈選択集の失に非ずや、仏語虚しからざる故に悪法の流布有り既に国に三災起れり而も此の悪義を対治せずんば仏の所説の三悪を脱がる可けんや、而るに近年より予「我身命を愛せず但無上道を惜む」の文を瞻る間・雪山常啼の心を起し命を大乗の流布に替え強言を吐いて云く選択集を信じて後世を願わん人は無間地獄に堕つ可しと、爾時に法然上人の門弟選択集に於て上に出す所の悪義を隠し或は諸行往生を立て或は選択集に於て法華真言を破らざる由を称し、或は在俗に於て選択集の邪義を知らしめざる為に妄語を構えて云く日蓮は念仏を称うる人は三悪道に堕せんと云うと。
問うて云く法然上人の門弟・諸行往生を立つるに失有りや否や、答えて云く法然上人の門弟と称し諸行往生を立つるは逆路伽耶陀の者なり当世も亦諸行往生の義を立つ而も内心には一向に念仏往生の義を存し外には諸行不謗の由を聞かしむるなり、抑此の義を立つる者は選択集の法華真言等に於て失を付け捨閉閣抛・群賊邪見悪見邪雑人・千中無一等の語を見ざるや否や。
第二に正しく謗法人の王地に処るを対治す可き証文を出さば、涅槃経第三に云く「懈怠にして戒を破し正法を毀る者をば王者・大臣・四部の衆応に苦治すべし善男子是の諸の国王及び四部の衆は当に罪有るべきや不や・不なり・世尊・善男子是の諸の国王及び四部の衆は尚罪有ること無し」と、又第十二に云く「我往昔を念うに閻浮提に於て大国の王と作り名を仙予と日いき大乗経典を愛念し敬重し其の心純善にして麁悪嫉妬慳・有ること無かりき、乃至善男子我爾の時に於て心に大乗を重んず婆羅門の方等を誹謗するを聞き・聞き已つて即時に其の命根を断ちき善男子是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」[已上]。
問うて云く梵網経の文を見るに比丘等の四衆を誹謗するは波羅夷罪なり而るに源空が謗法の失を顕わすは豈阿鼻の業に非ずや、答えて曰く涅槃経の文に云く「迦葉菩薩・世尊に言さく如来何が故ぞ彼当に阿鼻地獄に堕すべしと記するや、善男子・善星比丘は多く眷属有り皆善星は是れ阿羅漢なり是れ道果を得つと謂えり我・彼が悪邪の心を壊らんと欲するが故に彼の善星は放逸を以ての故に地獄に堕せりと記す」[已上]此の文に放逸とは謗法の名なり源空も亦彼の善星の如く謗法を以ての故に無間に堕すべし所化の衆此の邪義を知らざるが故に源空を以て一切智人と号し或は勢至菩薩或は善導の化身なりと云う彼が悪邪の心を壊らんが為の故に謗法の根源を顕わす梵網経の説は謗法の者の外の四衆なり仏誡めて云く「謗法の人を見て其の失を顕わさざれば仏弟子に非ず」と、故に涅槃経に云く「我涅槃の後其の方面に随い持戒の比丘有つて威儀具足し正法を護持せば法を壊ぶる者を見て即ち能く駈遣し呵責し徴治せよ当に知るべし是人は福を得んこと無量にして称計す可からず」亦云く「若し善比丘あつて法を壊る者を見て呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり若し能く駈遣し呵責し挙処せば是我弟子真の声聞なり」[已上]。
予仏弟子の一分に入らんが為に此の書を造り謗法の失を顕わし世間に流布す願わくば十方の仏陀此の書に於て力を副え大悪法の流布を止め一切衆生の謗法を救わしめたまえ。
大文の第五に善知識並に真実の法に値い難きことを明さば之に付いて三有り、一には受け難き人身値い難き仏法なることを明し、二には受け難き人身を受け値い難き仏法に値うと雖も悪知識に値うが故に三悪道に堕するを明し、三には正く末代凡夫の為の善知識を明す。
第一に受け難き人身値い難き仏法なることを明さば、涅槃経三十三に云く「爾の時に世尊・地の少土を取つて之を爪上に置き迦葉に告げて言く、是の土多きや十方世界の地土多きや、迦葉菩薩・仏に白して言く、世尊・爪上の土は十方所有の土に比べず善男子・人有り身を捨てて還つて人身を得・三悪の身を捨てて人身を受くることを得・諸根完く具して中国に生れ正信を具足して能く道を修習し道を修習し已つて能く正道を修し正道を修し已つて能く解脱を得・解脱を得已つて能く涅槃に入るは爪上の土の如く、人身を捨て已つて三悪の身を得・三悪の身を捨てて三悪の身を得・諸根具せずして辺地に生じ邪倒の見を信じ邪道を修習し解脱常楽の涅槃を得ざるは十方界の所有の地土の如し」[已上経文]此の文は多く法門を集めて一具と為せり人身を捨てて還つて人身を受くるは爪上の土の如し人身を捨てて三悪道に堕るは十方の土の如し三悪の身を捨てて人身を受くるは爪上の土の如く三悪の身を捨てて三悪の身を得るは十方の土の如し人身を受くるは十方の土の如く人身を受けて六根欠けざるは爪上の土の如し人身を受けて六根を欠けざれども辺地に生ずるは十方の土の如く中国に生ずるは爪上の土の如し中国に生ずるは十方の土の如く仏法に値うは爪上の土の如し、又云く「一闡提と作らず善根を断ぜず是の如き等の涅槃の経典を信ずるは爪上の土の如し乃至・一闡提と作りて諸の善根を断じ是の経を信ぜざる者は十方界所有の地土の如し」[已上経文]此の文の如くんば法華涅槃を信ぜずして一闡提と作るは十方の土の如く法華涅槃を信ずるは爪上の土の如し・此の経文を見て弥感涙押え難し今日本国の諸人を見聞するに多分は権教を行ず設い身口は実教を行ずと雖も心には亦権教を存ず。
故に天台大師摩訶止観の五に云く「其の癡鈍なる者は毒気深く入つて本心を失う故に既に其れ信ぜざれば則ち手に入らず、乃至・大罪聚の人なり、乃至・設い世を厭う者も下劣の乗を翫び枝葉に攀付し狗・作務に狎れ・猴を敬うて帝釈と為し瓦礫を崇んで是れ明珠なりとす此黒闇の人豈道を論ず可けんや」[已上]、源空並に所化の衆深く三毒の酒に酔うて大通結縁の本心を失う法華涅槃に於て不信の思を作し一闡提と作り観経等の下劣の乗に依て方便称名の瓦礫を翫び法然房の・猴を敬うて智慧第一の帝釈と思い法華涅槃の如意珠を捨てて如来の聖教を褊するは権実二教を弁えざるが故なり。
故に弘決の第一に云く「此の円頓を聞いて崇重せざる者は良に近代大乗を習う者の雑濫に由るが故なり」大乗に於て権実二経を弁えざるを雑濫と云うなり、故に末代に於て法華経を信ずる者は爪上の土の如く法華経を信ぜずして権教に堕落する者は十方の微塵の如し、故に妙楽歎いて云く「像末は情澆く信心寡薄にして円頓の教法蔵に溢れ函に満れども暫くも思惟せず便ち瞑目に至る徒に生じ徒に死す一に何ぞ痛しきや」[已上]此の釈は偏に妙楽大師・権者たるの間遠く日本国の当代を鑒みて記し置く所の未来記なり。
問うて云く法然上人の門弟の内にも一切経蔵を安置し法華経を行ずる者有り何ぞ皆謗法の者と称せんや、答えて云く一切経を開き見て法華経を読み難行道の由を称し選択集の悪義を扶けんが為なり経論を開くに付て弥謗法を増すこと例せば善星の十二部経・提婆達多が六万蔵の如し智者の由を称するは自身を重くし悪法を扶けんが為なり。
第二に受け難き人身を受け値い難き仏法に値うと雖も悪知識に値うが故に三悪道に堕することを明さば仏蔵経に云く「大荘厳仏の滅後に五比丘あり一人は正道を知つて多億の人を度し四人は邪見に住す此四人命終の後阿鼻地獄に堕つ仰ぎ伏し伏に臥し左脇に臥し右脇に臥すこと各九百万億歳なり、乃至・若し在家出家の此の人に親近せしもの並に諸の檀越凡そ六百四万億の人あり此の四師と倶に生じ倶に死して大地獄に在つて諸の焼煮を受く大劫若し尽くれば是の四悪人及び六百四万億の人・此の阿鼻地獄より他方の大地獄の中に転生す」[已上]涅槃経三十三に云く「爾時に城中に一の尼乾有り名を苦得と曰う、乃至・善星・苦得に問う答えて曰く我食吐鬼の身を得・善星諦に聴け、乃至・爾の時に善星即ち我所に還つて是の如き言を作す世尊・苦得尼乾は命終の後に三十三天に生ぜんと、乃至・爾時に如来即ち迦葉と善星の所に往き給う善星比丘遥に我来るを見・見已つて即ち悪邪の心を生ず悪心を以ての故に生身に陥ち入つて阿鼻地獄に堕す」[已上]善星比丘は仏の菩薩たりし時の子なり仏に随い奉り出家して十二部経を受け欲界の煩悩を壊り四禅定を獲得せり然りと雖も悪知識たる苦得外道に値い仏法の正義を信ぜざるに依つて出家の受戒・十二部経の功徳を失い生身に阿鼻地獄に堕す苦岸等の四比丘に親近せし六百四万億の人は四師と倶に十方の大阿鼻地獄を経るなり、今の世の道俗は選択集を貴ぶが故に源空の影像を拝して一切経難行の邪義を読む例せば尼乾の所化の弟子が尼乾の遺骨を礼して三悪道に堕せしが如く願わくば今の世の道俗選択集の邪正を知つて後に供養恭敬を致せ爾らずんば定めて後悔有らん。
故に涅槃経に云く「菩薩摩訶薩悪象等に於て心に怖畏すること無く悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ何を以ての故に是の悪象等は唯能く身を壊りて心を壊る能わず悪知識は二倶に壊る故に、是の悪象等は唯一身を壊り悪知識は無量の善身無量の善心を壊る是の悪象等は唯能く不浄の臭き身を破壊す悪知識は能く浄身及以び浄心を壊る是の悪象等は能く肉身を壊り悪知識は法身を壊る悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至る是の悪象等は但身の怨と為り悪知識は善法の怨と為らん是の故に菩薩常に当に諸の悪知識を遠離すべし」[已上]。
請い願わくば今の世の道俗設い此の書を邪義と思うと雖も且らく此の念を抛つて十住毘婆沙論を開き其の難行の内に法華経の入不入を・がえ選択集の準之思之の四字を案じて後に是非を致せ謬つて悪知識を信じ邪法を習い此の生を空うすること莫れ。
第三に正しく末代の凡夫の為の善知識を明さば、問うて云く善財童子は五十余の善知識に値いき其の中に普賢・文殊・観音・弥勒等有り常啼・班足・妙荘厳・阿闍世等は曇無竭・普明・耆婆・二子夫人に値い奉りて生死を離れたり此等は皆大聖なり仏・世を去つて後是の如きの師を得ること難しとなす滅後に於て亦竜樹・天親も去りぬ南岳・天台にも値わず如何が生死を離る可きや、答えて云く末代に於て真実の善知識有り所謂法華涅槃是なり、問うて云く人を以て善知識と為すは常の習いなり法を以て知識と為すに証有りや、答えて云く人を以て知識と為すは常の習いなり然りと雖も末代に於て真の知識無ければ法を以て知識と為すに多くの証有り、摩訶止観に云く「或は知識に従い或は経巻に従い上に説く所の一実の菩提を聞く」[已上]此の文の意は経巻を以て善知識と為す、法華経に云く「若し法華経を閻浮提に行じ受持すること有らん者は応に此の念を作すべし皆是れ普賢威神の力なり」[已上]此の文の意は末代の凡夫法華経を信ずるは普賢の善知識の力なり、又云く「若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写すること有らん者は当に知るべし是の人は即ち釈迦牟尼仏を見るなり仏口より此の経典を聞くが如し当に知るべし是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり」[已上]此の文を見るに法華経は即ち釈迦牟尼仏なり法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世なり。
又云く「若し我成仏して滅度の後十方の国土に於て法華経を説く処有らば我が塔廟是の経を聴かんが為の故に其の前に涌現し為に証明を為さん」[已上]此の文の意は我等法華の名号を唱えて多宝如来本願の故に必ず来りたまう、又云く「諸仏の十方世界に在つて法を説くを尽く還し一処に集めたまう」[已上]釈迦多宝十方の諸仏・普賢菩薩等は我等が善知識なり若し此の義に依らば我等は亦宿善・善財・常啼・班足等にも勝れたり彼は権経の知識に値い我等は実経の知識に値えばなり彼は権経の菩薩に値い我等は実経の仏菩薩に値い奉ればなり。
涅槃経に云く「法に依つて人に依らざれ智に依つて識に依らざれ」[已上]依法と云うは法華涅槃の常住の法なり不依人とは法華涅槃に依らざる人なり設い仏菩薩為りと雖も法華涅槃に依らざる仏菩薩は善知識に非ず況や法華涅槃に依らざる論師・訳者・人師に於てをや、依智とは仏に依る不依識とは等覚已下なり、今の世の世間の道俗・源空の謗法の失を隠さんが為に徳を天下に挙げて権化なりと称す依用すべからず、外道は五通を得て能く山を傾け海を竭すとも神通無き阿含経の凡夫に及ばず羅漢を得・六通を現ずる二乗は華厳・方等・般若の凡夫に及ばず華厳・方等・般若の等覚の菩薩も法華経の名字・観行の凡夫に及ばず設い神通智慧有りと雖も権教の善知識をば用うべからず、我等常没の一闡提の凡夫法華経を信ぜんと欲するは仏性を顕わさんが為の先表なり。
故に妙楽大師の云く「内薫に非ざるよりは何ぞ能く悟を生ぜん故に知んぬ悟を生ずる力は真如に在り故に冥薫を以て外護と為すなり」[已上]法華経より外の四十余年の諸経には十界互具無し十界互具を説かざれば内心の仏界を知らず内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕われず故に四十余年の権行の者は仏を見ず設い仏を見ると雖も他仏を見るなり、二乗は自仏を見ざるが故に成仏無し爾前の菩薩も亦自身の十界互具を見ざれば二乗界の成仏を見ず故に衆生無辺誓願度の願も満足せず故に菩薩も仏を見ず凡夫も亦十界互具を知らざるが故に自身の仏界も顕われず、故に阿弥陀如来の来迎も無く諸仏如来の加護も無し譬えば盲人の自身の影を見ざるが如し。
今法華経に至つて九界の仏界を開くが故に四十余年の菩薩・二乗・六凡始めて自身の仏界を見る此の時此の人の前に始めて仏菩薩二乗立ち給う此の時に二乗菩薩始めて成仏し凡夫も始めて往生す、此の故に在世滅後の一切衆生の誠の善知識は法華経是なり、常途の天台宗の学者は爾前に於て当分の得道を許せども自義に於ては猶当分の得道を許さず然りと雖も此の書に於ては其の義を尽くさず略して之を記すれば追つて之を記すべし。
大文の第六に法華涅槃に依る行者の用心を明さば、一代教門の勝劣・浅深・難易等に於ては先の段に既に之を出す、此の一段に於ては一向に後世を念う末代常没の五逆謗法一闡提等の愚人の為に之を注す、略して三有り、一には在家の諸人正法を護持するを以て生死を離れ悪法を持つに依つて三悪道に堕す可きことを明し、二には但法華経の名字計りを唱えて三悪道を離る可きことを明し、三には涅槃経は法華経の為の流通と成ることを明す。
第一に在家の諸人正法を護持するを以て生死を離れ悪法を持つに依つて三悪道に堕す可きことを明さば、涅槃経第三に云く「仏・迦葉に告わく能く正法を護持するの因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり」と亦云く「時に国王有り名を有徳と曰う、乃至・法を護らんが為の故に、乃至・是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す、乃至・王是の時に於て法を聞くことを得已つて心大に歓喜し尋で即ち命終して阿・仏の国に生ず」[已上]此の文の如くならば在家の諸人別の智行無しと雖も謗法の者を対治する功徳に依つて生死を離る可きなり。
問うて云く在家の諸人仏法を護持す可き様如何、答えて云く涅槃経に云く「若し衆生有つて財物に貪著せば我当に財を施し然して後に是の大涅槃経を以て之を勧め読ましむべし、乃至・先に愛語を以て其の意に随い然る後に漸く当に是の大乗大涅槃経を以て之を勧めて読ましむべし若し凡庶の者には当に威勢を以て之に逼りて読ましむべし若し・慢の者には我当に其れが為に僕使と作り其の意に随順し其れをして歓喜せしめ然して後に復当に大涅槃を以て之を教導すべし、若し大乗経を誹謗する者有らば当に勢力を以て之を摧きて伏せしめ既に摧伏し已つて然して後に勧めて大涅槃を読ましむべし、若し大乗経を愛楽する者有らば我躬ら当に往いて恭敬し供養し尊重し讃歎すべし」[已上]。
問うて云く今の世の道俗偏に選択集に執して法華涅槃に於ては自身不相応の念を作すの間・護惜建立の心無く偶邪義の由を称する人有れば念仏誹謗の者と称して悪名を天下に雨らす斯れ等は如何、答えて云く自答を存す可きに非ず仏自ら此の事を記して云く、仁王経に云く「大王我が滅度の後・未来世の中の四部の弟子諸の小国の王・太子・王子乃ち是れ三宝を住持して護る者転更に三宝を滅破せんこと師子の身中の虫の自ら師子を食うが如くならん外道には非ざるなり多く我仏法を壊り大罪過を得ん正法衰薄し民に正行無く漸く悪を為すを以て其の寿日に減じて百歳に至らん人仏法を壊りて復孝子無く六親不和にして天神も祐けず疾疫悪鬼日に来りて侵害し災怪首尾し連禍縦横して地獄餓鬼畜生に入らん」亦次下に云く「大王未来世の中の諸の小国の王四部の弟子自ら此の罪を作らん破国の因縁、乃至・諸の悪比丘多く名利を求め国王太子王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説かん其の王別えずして此の語を信聴し、乃至・其の時に当つて正法将に滅せんこと久しからず」[已上]。
余選択集を見るに敢て此の文の未来記に違わず、選択集は法華真言等の正法を定めて雑行難行と云い末代の我等に於ては時機相応せず之を行ずる者は千が中に一も無く仏還つて法華等を説くと雖も法華真言の諸行の門を閉じて念仏の一門を開く末代に於て之を行ずる者を群賊等と定め当世の一切の道俗に此の書を信ぜしめ此の義を以て如来の金言と思えり、此の故に世間の道俗に仏法建立の意無く法華真言の正法の法水忽ちに竭き天人減少して三悪日に増長する偏に選択集の悪法に催されて起る所の邪見なり、此の経文を仏記して「我滅度後」と云えるは正法の末八十年像法の末八百年末法の末八千年なり選択集の出る時は像法の末・末法の始なれば八百年の内なり仁王経の記する所の時節に当れり、諸の小国王の王とは日本国の王なり中下品の善は粟散王是なり「如師子身中虫」とは仏弟子の源空是なり諸悪比丘とは所化の衆是なり「説破仏法因縁破国因縁」とは上に挙る所の選択集の語是なり「其王不別信聴此語」とは今の世の道俗邪義を弁えずして猥りに之を信ずるなり。
請い願わくば道俗法の邪正を分別して其の後正法に就て後生を願え今度人身を失い三悪道に堕して後に後悔すとも何ぞ及ばん。
第二に但法華経の題目計りを唱えて三悪道を離る可きことを明さば、法華経の第五に云く「文殊師利是の法華経は無量の国中に於て乃至名字をも聞くことを得べからず」第八に云く「汝等但能く法華名を受持する者を擁護する福量る可らず」提婆品に云く「妙法華経の提婆品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄餓鬼畜生に堕ちず」大般涅槃経名字功徳品に云く「若し善男子善女人有つて是の経の名を聞いて悪趣に生ずと云わば是の処有ること無けん」[涅槃経は法華経の流通たるが故に引けるなり]。
問うて云く但法華の題目を聞くと雖も解心無くば如何にして三悪趣を脱れんや、答えて云く法華経流布の国に生れて此の経の題名を聞き信を生ずるは宿善の深厚なるに依れり設い今生は悪人無智なりと雖も必ず過去の宿善有るが故に此の経の名を聞いて信を致す者なるが故に悪道に堕せず。
問うて云く過去の宿善とは如何、答えて云く法華経の第二に云く「若し此の経法を信受すること有らん者は是の人は已に曾て過去の仏を見たてまつり恭敬し供養し亦此の法を聞けるなり」法師品に云く「又如来滅度の後若し人有つて妙法華経の乃至・一偈一句を聞いて一念も随喜せん者は、乃至・当に知るべし是の諸人等已に曾て十万億の仏を供養せしなり」流通たる涅槃経に云く「若し衆生有つて熈連河沙等の諸仏に於て菩提心を発し乃ち能く是の悪世に於て是の如き経典を受持して誹謗を生ぜず善男子若し能く一恒沙等の諸仏世尊に於て菩提心を発すこと有つて然る後に乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗せず是の典を愛敬せん」[已上経文]。
此等の文の如くんば設い先に解心無くとも此の法華経を聞いて謗ぜざるは大善の所生なり、夫れ三悪の生を受くること大地微塵より多く人間の生を受くるは爪上の土より少し、乃至四十余年の諸経に値うことは大地微塵よりも多く法華涅槃に値うことは爪上の土より少し上に挙ぐる所の涅槃経の三十三の文を見るに設い一字一句なりと雖も此の経を信ずる者は宿縁多幸なり。
問うて云く設い法華経を信ずと雖も悪縁に随わば何ぞ三悪道に堕せざらんや、答えて云く解心無き者権教の悪知識に遇うて実教を退せば悪師を信ずる失に依つて必ず三悪道に堕す可きなり、彼の不軽・軽毀の衆は権人なり大通結縁の者の三千塵点を経しは法華経を退して権教に遷りしが故なり、法華経を信ずる輩は法華経の信を捨てて権人に随わんより外は世間の悪業に於ては法華の功徳に及ばざる故に三悪道に堕つ可からざるなり。
問うて云く日本国は法華涅槃有縁の地なりや否や、答えて云く法華経第八に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめ断絶せざらしむ」七の巻に云く「広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」涅槃経第九に云く「此の大乗経典大涅槃経も亦復是の如し南方の諸の菩薩の為の故に当に広く流布すべし」[已上経文]三千世界広しと雖も仏自ら法華涅槃を以て南方流布の処と定む、南方の諸国の中に於ては日本国は殊に法華経の流布す可き処なり。
問うて云く其の証如何、答えて云く肇公の法華翻経の後記に云く羅什三蔵・須利耶蘇摩三蔵に値い奉りて法華経を授かる時の語に云く「仏日西山に隠れ遺耀東北を照す茲の典東北の諸国に有縁なり汝慎んで伝弘せよ」[已上]東北とは日本なり西南の天竺より東北の日本を指すなり、故に慧心の一乗要決に云く「日本一州円機純一なり朝野遠近同じく一乗に帰し緇素貴賎悉く成仏を期す」[已上]願わくば日本国の道俗選択集の久習を捨てて法華涅槃の現文に依り肇公慧心の日本記を恃みて法華修行の安心を企てよ。
問うて云く法華経修行の者何の浄土を期す可きや、答えて云く法華経二十八品の肝心たる寿量品に云く「我常に此の娑婆世界に在り」亦云く「我常に此処に住し」亦云く「我が此土は安穏」文此の文の如くんば本地久成の円仏は此の世界に在り此の土を捨てて何の土を願う可きや、故に法華経修行の者の所住の処を浄土と思う可し何ぞ煩しく他処を求めんや、故に神力品に云く「若は経巻所住の処若は園中に於ても若は林中に於ても若は樹下に於ても若は僧坊に於ても若は白衣舎にても若は殿堂に在つても若は山谷曠野にても、乃至・当に知るべし是の処は即ち是道場なり」涅槃経に云く「善男子是の大涅槃微妙の経典流布せらるる処は当に知るべし其の地は即ち是れ金剛なり此の中の諸人も亦金剛の如し」[已上]法華涅槃を信ずる行者は余処に求む可きに非ず此の経を信ずる人の所在の処は即ち浄土なり。
問うて云く華厳・方等・般若・阿含・観経等の諸経を見るに兜率・西方・十方の浄土を勧む其の上・法華経の文を見るに亦兜率・西方・十方の浄土を勧む何ぞ此等の文に違して但此の瓦礫荊棘の穢土を勧むるや、答えて云く爾前の浄土は久遠実成の釈迦如来の所現の浄土にして実には皆穢土なり、法華経は亦方便寿量の二品なり寿量品に至つて実の浄土を定むる時此の土は即ち浄土と定め了んぬ、但し兜率・安養・十方の難に至つては爾前の名目を改めずして此の土に於て兜率安養等の名を付く、例せば此の経に三乗の名有りと雖も三乗有らざるが如し「不須更指観経等也」の釈の意是なり、法華経に結縁無き衆生の当世西方浄土を願うは瓦礫の土を楽う者なり、法華経を信ぜざる衆生は誠に分添の浄土無き者なり。
第三に涅槃経は法華経流通の為に之を説き給うことを明さば、問うて云く光宅の法雲法師並に道場の慧観等の碩徳は法華経を以て第四時の経と定め無常の熟蘇味と立つ、天台智者大師は法華涅槃同味と立つと雖も亦・拾の義を存す二師共に権化なり互に徳行を具せり何を正として我等の迷心を晴らす可きや、答えて曰く設い論師訳者為りと雖も仏教に違して権実二教を判ぜずんば且らく疑を加う可し何に況や唐土の人師たる天台・南岳・光宅・慧観・智儼・嘉祥・善導等の釈に於てをや、設い末代の学者為りと雖も依法不依人の義を存し本経本論に違わずんば信用を加う可し。
問うて云く涅槃経の第十四巻を開きたるに五十年の諸大乗経を挙て前四味に譬え涅槃経を以て醍醐味に譬う諸大乗経は涅槃経より劣ること百千万倍なりと定め了んぬ、其の上迦葉童子の領解に云く「我今日より始て正見を得たり此よりの前は我等悉く邪見の人と名く」と此の文の意は涅槃経已前の法華等の一切の衆典を皆邪見と云うなり、当に知るべし法華経は邪見の経にして未だ正見の仏性を明らめず、故に天親菩薩の涅槃論に諸経と涅槃と勝劣を定むる時・法華経を以て般若経に同じて同じく第四時に摂したり豈正見の涅槃経を以て邪見の法華経の流通と為んや如何、答て云く法華経の現文を見るに仏の本懐残すこと無し、方便品に云く「今正しく是れ其時なり」寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す何を以てか衆生をして無上道に入ることを得・速かに仏身を成就することを得せしめん」と神力品に云く「要を以て之を言えば如来の一切の所有の法、乃至・皆此の経に於て宣示顕説す」[已上]此等の現文は釈迦如来の内証は皆此の経に尽くし給う其の上多宝並に十方の諸仏来集の庭に於て釈迦如来の已今当の語を証し法華経に如く経無しと定め了んぬ、而るに多宝諸仏・本土に還るの後に但釈迦一仏のみ異変を存じて還つて涅槃経を説いて法華経を卑まば誰人か之を信ぜん、深く此の義を存ぜよ、随つて涅槃経の第九を見るに法華経を流通して説いて云く「是の経・世に出ること彼の菓実の一切を利益し安楽する所多きが如く能く衆生をして仏性を見わさしむ法華の中の八千の声聞の記・を授かるを得て大菓実を成ずるが如く秋収冬蔵して更に所作無きが如し」と。
此の文の如くんば法華経邪見ならば涅槃経も豈に邪見に非ずや、法華経は大収・涅槃経は・拾なりと見え了んぬ、涅槃経は自ら法華経より劣るの由を称す法華経の当説の文敢て相違無し、但し迦葉の領解並に第十四の文は法華経を下す文に非ず迦葉の自身並に所化の衆今始めて法華経の所説の常住仏性・久遠実成を覚る故に我が身を指して此より已前は邪見なりと云う、法華経已前の無量義経に嫌わるる諸経を涅槃経に重ねて之を挙げて嫌うなり法華経を嫌うには非ざるなり、亦涅槃論に至つては此等の論は書付くるが如く天親菩薩の造・菩提流支の訳なり経文に違すること之多し涅槃論も亦本経に違す当に知るべし訳者の誤りなり信用に及ばず。
問うて云く先の教に漏れたる者を後の教に之を承け取つて得道せしむるを流通と称せば阿含経は華厳経の流通と成る可きや、乃至法華経は前四味の流通と成る可きや如何、答えて日く前四味の諸経は菩薩人天等の得道を許すと雖も決定性の二乗・無性闡提の成仏を許さず、其の上仏意を探りて実を以て之を・うるに亦菩薩人天等の得道も無し十界互具を説かざるが故に久遠実成無きが故に、問うて云く証文如何、答えて云く法華経方便品に云く「若し小乗を以て化すること乃至一人に於てせば我則ち慳貪に堕せん此の事は為て不可なり」[已上]此の文の意は今選択集の邪義を破せんが為に余事を以て詮と為ず故に爾前得道の有無の実義は之を出さず追つて之を・うべし、但し四十余年の諸経は実に凡夫の得道無きが故に法華経は爾前の流通と為らず法華経に於て十界互具・久遠実成を顕わし了んぬ故に涅槃経は法華経の為に流通と成るなり。
大文の第七に問に随つて答うとは、若し末代の愚人上の六門に依つて万が一も法華経を信ぜば権宗の諸人或は自惑に依り或は偏執に依つて法華経の行者を破せんが為に多く四十余年並に涅槃等の諸経を引いて之を難ぜん、而るに権教を信ずる人は之多く或は威勢に依り或は世間の資縁に依り人の意に随つて世路を亘らんが為に或は権教には学者多く実教には智者少し是非に就て万が一も実教を信ずる者有るべからず、是の故に此の一段を撰んで権人の邪難を防がん。
問うて云く諸宗の学者難じて云く「華厳経は報身如来の所説・七処・八会・皆頓極頓証の法門なり、法華経は応身如来の所説・教主既に優劣有り、所説の法門に於て何ぞ浅深無からん随つて対告衆も法慧・功徳林・金剛幢等なり永く二乗を雑えず、法華経は舎利弗等を以て対告衆と為す」[華厳宗難]、法相宗の如きは解深密経を以て依憑と為し難を加えて云く「解深密経は文殊観音等を以て対告衆と為す勝義生菩薩の領解には一代を有・空・中と詮す其の中の中とは華厳・法華・涅槃・深密等なり法華経の信解品の五時の領解は四大声聞なり菩薩と声聞と勝劣天地なり」、浄土宗の如きは道理を立てて云く「我等は法華等の諸経を誹謗するに非ず彼等の諸経は正には大人の為傍には凡夫の為にす断惑証理・理深の教にして末代の我等之を行ずるに千人の中に一人も彼の機に当らず在家の諸人多分は文字を見ず亦華厳法相等の名を聞かず況や其の義を知らんや、浄土宗の意は我等凡夫は但口に任せて六字の名号を称すれば現在に阿弥陀如来二十五の菩薩等を遣わし身に影の随う如く百重千重に行者を囲繞して之を守り給う、故に現世には七難即滅・七福即生し乃至臨終の時は必ず来迎有つて観音の蓮台に乗じ須臾の間に浄土に至り業に随つて蓮華開け法華経を聞いて実相を覚る何ぞ煩しく穢土に於て余行を行じて何の詮か有る但万事を抛つて一向に名号を称せよ」と云云、禅宗等の人云く「一代聖教は月を指す指・天地日月等も汝等が妄心より出でたり十方の浄土も執心の影像なり釈迦十方の仏陀は汝が覚心の所変・文字に執する者は株を守る愚人なり我が達磨大師は文字を立てず方便を仮らず一代聖教の外に仏迦葉に印して此の法を伝う法華経等は未だ真実を宣べず」[已上]。
此等の諸宗の難一に非ず如何ぞ法華経の信心を壊らざる可しや、答て云く法華経の行者は心中に「四十余年已今当皆是真実・依法不依人」等の文を存し而も外に語に之を出さず難に随て之を問うべし抑所立の宗義は何の経に依るや、彼経を引かば引くに随つて亦之を尋ねよ、一代五十年の間の説の中に法華経より先か後か同時なるか亦先後不定なるかと、若し先と答えば未顕真実の文を以て之を責めよ敢えて彼の経の説相を尋ぬること勿れ、後と答えば当説の文を以て之を責めよ、同時と答えば今説の文を以て之を責めよ、不定と答えば不定の経は大部の経に非ず一時一会の説にして亦物の数に非ず其の上不定の教と雖も三説を出でず、設い百千万の義を立つと雖も四十余年の文を載せて虚妄と称せざるより外は用うべからず、仏の遺言に不依不了義経と云うが故なり。
亦智儼・嘉祥・慈恩・善導等を引いて徳を立て難ずと雖も法華涅槃に違する人師に於ては用うべからず依法不依人の金言を抑ぐが故なり。
亦法華経を信ぜん愚者の為に二種の信心を立つ、一には仏に就て信を立て二には経に就て信を立つ、仏に就て信を立つとは権宗の学者来り難じて云わん善導和尚は三昧発得の人師・本地弥陀の化身なり慈恩大師は十一面観音の化身亦筆端より舎利を雨らす此等の諸人は皆彼彼の経経に依つて皆証有り何ぞ汝彼の経に依らず亦彼の師の義を用いざるや、答えて云く汝聞け一切の権宗の大師先徳並に舎利弗・目連・普賢・文殊・観音乃至阿弥陀・薬師・釈迦如来・我等並に十方の諸人の前に集まりて説いて法華経は汝等が機に叶わず念仏等の権経の行を修して往生を遂げ後に法華経を覚ると云わん是の如き説を聞くと雖も敢えて用う可からず、其の故は四十余年の諸の経には法華経の名字を呼ばず何れの処にか機の堪不堪を論ぜん、法華経に於ては釈迦多宝十方諸仏一処に集りて撰定して云く法をして久住せしむ如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめ断絶せざらしむ、此の外に今仏出来して法華経を末代不相応と定めば既に法華経に違す知んぬ此の仏は涅槃経に出す所の滅後の魔仏なり之を信用す可からず、其の已下の菩薩・声聞・比丘等は亦言論するに及ばず此等は不審無し涅槃経に記する所の滅後の魔の所変の菩薩等なり、其の故は法華経の座は三千大千世界の外四百万億阿僧祇の世界なり其の中に充満せる菩薩・二乗・人天・八部等皆如来の告勅を蒙むり各各所在の国土に法華経を弘む可きの由之を願いぬ、善導等若し権者ならば何ぞ竜樹・天親等の如く権教を弘めて後に法華経を弘めざるや法華経の告勅の数に入らざるや何ぞ仏の如く権教を弘めて後に法華経を弘めざるや、若し此の義無くんば設い仏為りと雖も之を信ず可からず今は法華経の中の仏を信ず故に仏に就て信を立つと云うなり。
問うて云く釈迦如来の所説を他仏之を証するを実説と称せば何ぞ阿弥陀経を信ぜざるや、答えて云く阿弥陀経に於ては法華経の如き証明無きが故に之を信ぜず、問うて云く阿弥陀経を見るに釈迦如来の所説の一日七日の念仏を六方の諸仏舌を出し三千を覆うて之を証明せり何ぞ証明無しと云うや、答えて云く阿弥陀経に於ては全く法華経の如き証明無く但釈迦一仏舎利弗に向つて説いて言く我一人阿弥陀経を説くのみに非ず六方の諸仏舌を出し三千を覆うて阿弥陀経を説くと云う此等は釈迦一仏の説なり敢えて諸仏来りたまわず、此等の権文は四十余年の間は教主も権仏の始覚の仏なり仏権なるが故に所説も亦権なり故に四十余年の権仏の説は之を信ず可からず、今の法華涅槃は久遠実成の円仏の実説なり十界互具の実言なり亦多宝十方の諸仏来りて之を証明し給う故に之を信ずべし阿弥陀経の説は無量義経の未顕真実の語に壊れ了ぬ全く釈迦一仏の語にして諸仏の証明には非ざるなり。
二に経に就て信を立つとは、無量義経に四十余年の諸経を挙げて未顕真実と云う、涅槃経に云く「如来は虚妄の言無しと雖も若し衆生・虚妄の説に因つて法利を得と知れば宜しきに随つて方便して則ち為に之を説き給う」又云く「了義経に依つて不了義経に依らざれ」[已上]是の如きの文一に非ず皆四十余年の自説の諸経を虚妄・方便・不了義・魔説と称す是れ皆人をして其の経を捨てて法華涅槃に入らしめんが為なり、而るに何の恃み有つて妄語の経を留めて行儀を企て得道を期するや、今権教の情執を捨て偏に実経を信ず故に経に就て信を立つと云うなり。
問うて云く善導和尚も人に就て信を立て行に就て信を立つ何の差別有らんや、答えて云く彼は阿弥陀経等の三部に依つて之を立て一代の経に於て了義不了義経を分たずして之を立つ、故に法華涅槃の義に対して之を難ずる時は其の義壊れ了んぬ。 
 
災難対治抄/正元二年三十九歳御作 

 

国土に大地震・非時の大風・大飢饉・大疫病・大兵乱等の種種の災難の起る根源を知りて対治を加う可きの勘文。
金光明経に云く「若し人王有りて其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗て流布せず捨離の心を生じて聴聞せんことを楽わず亦供養し尊重し讃歎せず四部の衆の持経の人を見て亦復尊重し乃至供養すること能わず遂に我等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ず甘露の味に背き正法の流を失い威光及以び勢力有ること無らしむ悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の路に背かん、世尊・我等四王並に諸の眷属及び薬叉等斯くの如き事を見て其の国土を捨てて擁護の心無けん但我等是の王を捨棄するのみに非ず亦無量の国土を守護する諸天善神有らんも皆悉く捨去せん既に捨離し已れば其の国に当に種種の災禍有つて国位を喪失すべし、一切の人衆皆善心無けん唯繋縛・殺害・瞋諍のみ有つて互に相讒諂し枉げて辜無きに及ばん、疫病流行し彗星数ば出で両日並び現じ薄蝕恒無く黒白の二虹不祥の相を表わし星流れ地動き井の内に声を発し暴雨・悪風・時節に依らず常に飢饉に遭い苗実も成らず多く他方の怨賊有つて国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け土地に所楽の処有ること無けん」と。
大集経に云く「若し国王有つて我が法の滅せんを見て擁護せずんば無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失して其の国の中に三種の不祥の事を出さん、乃至命終して大地獄に生ぜん」と。
仁王経に云く「大王・国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱ると、亦云く大王・我今五眼をもつて明に三世を見るに一切の国王は皆過去世に五百の仏に侍うるに由つて帝王主と為ることを得たり、是をもつて一切の聖人羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん若し王の福尽きん時は一切の聖人皆捨て去ることを為さん若し一切の聖人去らん時は七難必ず起る」と。
仁王経に云く「大王吾今化する所の百億の須弥・百億の日月・一一の須弥に四天下有り其の南閻浮提に十六の大国五百の中国十千の小国有り其の国土の中に七つの畏る可き難有り一切の国王是の難の為の故に、云何なるを難と為す日月度を失い時節返逆し或は赤日出で黒日出で二三四五の日出づ或は日蝕して光無く或は日輪一重二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり、二十八宿度を失い金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・・星・南斗・北斗・五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百宦星是くの如き諸星各各変現するを二の難と為すなり、大火・国を焼き万姓焼尽し或は鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火是くの如く変怪するを三の難と為すなり、大水・百姓を漂没して時節返逆し冬雨ふり夏雪ふり冬時に雷電霹靂し六月に冰霜雹を雨らし赤水・黒水・青水を雨らし・土山・石山を雨らし沙礫石を雨らし江河逆まに流れ山を浮かべ石を流す是くの如く変ずる時を四の難と為すなり、大風万姓を吹殺し国土の山河樹木・一時に滅没して非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風・是くの如く変ずる時を五の難と為すなり、天地国土亢陽し炎火洞然として百草亢旱し五穀登らず土地赫然として万姓滅尽せん是くの如く変ずる時を六の難と為すなり、四方の賊来りて国を侵し内外の賊起り火賊・水賊・風賊・鬼賊あつて百姓荒乱し刀兵劫起せん是くの如く怪する時を七の難と為すなり」と。
法華経に云く「百由旬の内をして諸の衰患無からしめん」と。涅槃経に云く「是の大涅槃微妙の経典・流布せらるる処は当に知るべし其の地は即ち是れ金剛なり是の中の諸人亦金剛の如し」と。
仁王経に云く「是の経は常に千の光明を放ちて千里の内をして七難起らざらしむと、又云く諸の悪比丘多く名利を求め国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説く其の王別えずして此の語を信聴し横に法制を作り仏戒に依らず是を破仏破国の因縁と為す」と。
今之を勘うるに法華経に云く「百由旬の内諸衰患なからしむ」と仁王経に云く「千里の内に七難不起らしむ」と、涅槃経に云く「当に知るべし其の地は即ち是れ金剛、是の中の諸人亦金剛の如し」と文。
疑つて云く今此の国土に種種の災難起ることを見聞するに所謂建長八年八月自り正元二年二月に至るまで大地震非時の大風・大飢饉・大疫病等種種の災難連連として今に絶えず大体国土の人数尽く可きに似たり、之に依つて種種の祈請を致す人之多しと雖も其の験無きか、正直捨方便・多宝の証明・諸仏出舌の法華経の文の令百由旬内・雙林最後の遺言の涅槃経の其地金剛の文、仁王経の千里の内に七難不起の文皆虚妄に似たり如何。
答えて云く今愚案を以て之を勘うるに上に挙ぐる所の諸大乗経・国土に在り而も祈請と成らずして災難起ることは少し其の故有るか、所謂金光明経に云く其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗つて流布せず捨離の心を生じて聴聞せんことを楽わず我等四王皆悉く捨て去り其の国当に種種の災禍有るべし、大集経に云く「若し国王有つて我が法の滅せんを見て捨てて擁護せざれば其の国内三種の不祥を出さん」と、仁王経に云く「仏戒に依らざる是を破仏破国の因縁と為す若し一切の聖人去る時は七難必ず起らん」[已上]、此等の文を以て之を勘うるに法華経等の諸大乗経・国中に在りと雖も一切の四衆捨離の心を生じて聴聞し供養するの志を起さざる故に国中の守護の善神・一切の聖人此の国を捨て去り守護の善神聖人等無きが故に出来する所の災難なり。
問うて日く国中の諸人・諸大乗経に於て捨離の心を生じて供養する志を生ぜざる事は何の故より之起るや。
答えて日く仁王経に日く「諸の悪比丘多く名利を求め国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん其の王別えずして此の語を信聴し横に法制を作りて仏戒に依らず」と、法華経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるをこれ得たりと謂い我慢の心充満せん是の人悪心を懐き国王・大臣・婆羅門・居士及び余の諸の比丘に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん悪鬼其の身に入る」等と云云。
此等の文を以て之を思うに諸の悪比丘国中に充満して破国・破仏法の因縁を説く国王並に国中の四衆弁えずして信聴を加うるが故に諸大乗経に於て捨離の心を生ずるなり。
問うて日く諸の悪比丘等国中に充満して破国・破仏戒等の因縁を説くことは仏弟子の中に出来す可きか外道の中に出来す可きか。
答えて日く仁王経に云く「三宝を護る者にして転た更に三宝を滅し破らんこと師子の身中の虫の自ら師子を食うが如し外道には非ず」文。
此の文の如くんば仏弟子の中に於て破国破仏法の者出来す可きか、問うて日く諸の悪比丘正法を壊るに相似の法を以て之を破らんか当に亦悪法を以て之を破るべしとせんか、答えて日く小乗を以て権大乗を破し権大乗を以て実大乗を破し師弟共に謗法破国の因縁を知らざるが故に破仏戒・破国の因縁を成して三悪道に堕するなり。
問うて日く其の証拠如何、答えて日く法華経に云く仏の方便・随宜所説の法を知らずして悪口して顰蹙し数数擯出せられんと。
涅槃経に云く我涅槃の後当に百千無量の衆生有つて誹謗して是の大涅槃を信ぜざるべし三乗の人も亦復是くの如く無上の大涅槃経を憎悪せん[已上]。
勝意比丘の喜根菩薩を謗じて三悪道に堕ちし尼思仏等の不軽菩薩を打つて阿鼻の炎を招くも皆大小権実を弁えざるより之起れり十悪五逆は愚者皆罪為ることを知る故に輙く破国・破仏法の因縁を成ぜず、故に仁王経に云く「其の王別えずして此の語を信聴す」と、涅槃経に云く「若し四重を犯し五逆罪を作り自ら定めて是くの如き重事を犯すと知り而も心に初より怖畏・懺悔無くして肯て発露せず」[已上]。
此くの如き等の文は謗法の者は自他共に子細を知らざる故に重罪を成して国を破し仏法を破するなり。
問うて曰く若爾らば此の国土に於て権教を以て人の意を取り実教を失う者之有るか如何、答えて曰く爾なり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く法然上人所造等の選択集是れなり今其の文を出して上の経文に合せ其の失を露顕せしめん若し対治を加えば国土を安穏ならしむ可きか、選択集に云く「道綽禅師・聖道浄土の二門を立て聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文・初に聖道門とは之に就て二有り一には大乗二には小乗なり大乗の中に就いて顕密・権実等の不同有りと雖も今此の集の意は唯顕大及以び権大を存す故に歴劫迂回の行に当る之に準じて之を思うに密大及以び実大を存すべし、然れば則ち今真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論此等の八家の意正しく此れに在るなり、曇鸞法師の往生論の注に云く「謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに云く菩薩・阿毘跋致を求むるに二種の道有り一には難行道二には易行道なり、此の中に難行道とは即ち是れ聖道門なり易行道とは即ち是れ浄土門なり、浄土宗の学者先ず須く此の旨を知るべし設い先ず聖道門を学する人と雖も若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てて浄土に帰すべし」文、又云く「善導和尚正雑二行を立て雑行を捨てて正行に帰するの文、第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除いて已外・大小乗・顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名く、第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除いて已外一切諸余の仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝恭敬するを悉く礼拝雑行と名く」私に云く此の文を見るに須く雑を捨てて専を修すべし豈百即百生の専修正行を捨てて堅く千中無一の雑修雑行を執せんや行者能く之を思量せよと。
又云く貞元入蔵録の中・始め大般若経六百巻より法常住経に終るまで顕密の大乗経総じて六百三十七部二千八百八十三巻なり皆須く読誦大乗の一句に摂すべし当に知るべし随他の前には暫く定散の門を開くと雖も随自の後には還つて定散の門を閉づ一たび開きて以後永く閉じざるは唯是れ念仏の一門なり文、又最後結句の文に云く「夫れ速に生死を離れんと欲せば二種の勝法の中に且く聖道門を閣て選んで浄土門に入れ浄土門に入らんと欲せば正雑二行の中に且く諸の雑行を抛て選んで正行に帰すべし、」已上選択集の文なり。
今之を勘うるに日本国中の上下万人深く法然上人を信じて此の書を・ぶ故に無智の道俗此の書の中の捨閉閣抛等の字を見て浄土の三部経・阿弥陀仏より外は諸経・諸仏・菩薩・諸天善神等に於て捨閉閣抛等の思を作し彼の仏経等に於て供養受持等の志を起さず還つて捨離の心を生ず故に古の諸大師等の建立せし所の鎮護国家の道場零落せしむと雖も護惜建立の心無し護惜建立の心無きが故に亦読誦供養の音絶え守護の善神も法味を嘗めざるが故に国を捨てて去り四依の聖人も来らざるなり、偏に金光明・仁王等の一切の聖人去る時は七難必ず起らん我等四王皆悉く捨去せん既に捨離し已れば其の国当に種種の災禍有るべしの文に当れり豈諸悪比丘多く名利を求め、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲の人に非ずや。
疑つて云く国土に於て選択集を流布せしむるに依つて災難起ると云わば此の書無き已前は国中に於て災難無かりしか、答えて曰く彼の時も亦災難有り云く五常を破り仏法を失いし者之有りしが故なり所謂周の宇文・元嵩等是なり、難じて曰く今の世の災難五常を破りしが故に之起ると云わば何ぞ必ずしも選択集流布の失に依らんや、答えて曰く仁王経に云く「大王・未来の世の中に諸の小国王・四部の弟子諸の悪比丘横に法制を作りて仏戒に依らず亦復仏像の形・仏塔の形を造作することを聴さず七難必ず起らん」と、金光明経に云く「供養し尊重し讃歎せず其の国に当に種種の災禍有るべし」涅槃経に云く「無上の大涅槃経を憎悪す」等と云云、豈弥陀より外の諸仏諸経等を供養し礼拝し讃歎するを悉く雑行と名くると云うに当らざらんや、難じて云く仏法已前国に於て災難有るは何ぞ謗法の者の故ならんや、答えて云く仏法已前に五常を以て国を治むるは遠く仏誓を以て国を治むるなり礼義を破るは仏の出したまえる五戒を破るなり、問うて云く其の証拠如何、答えて曰く金光明経に云く「一切世間の所有る善論は皆此の経に因る」と、法華経に云く「若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ず」と普賢経に云く「正法をもつて国を治め人民を邪枉せず是れを第三懺悔を修すと名く」と、涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説なり外道の説に非ず」と、止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」と、弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と、広釈に云く「仏三人を遣して且く震旦を化す五常以て五戒の方を開く昔は大宰・孔子に問うて云く三皇五帝は是れ聖人なるか孔子答えて云く聖人に非ず又問う夫子是れ聖人なるか亦答う非なり又問う若し爾らば誰か聖人なる、答えて云く吾聞く西方に聖有り釈迦と号く」文。
此等の文を以て之を勘うるに仏法已前の三皇五帝は五常を以て国を治む夏の桀・殷の紂・周の幽等の礼義を破りて国を喪すは遠く仏誓の持破に当れり。
疑つて云く若し爾らば法華真言等の諸大乗経を信ずる者は何ぞ此の難に値えるや、答えて曰く金光明経に云く「枉げて辜無きに及ばん」と、法華経に云く「横に其の殃に羅る」等と云云、此等の文を以て之を推するに法華真言等を行ずる者も未だ位深からず信心薄く口に誦すれども其の義を知らず一向名利の為に之を誦す先生の謗法の失未だ尽きず外に法華等を行じて内に選択の心を存す此の災難の根源等を知らざる者は此の難を免れ難きか。
疑つて云く若し爾らば何ぞ選択集を信ずる謗法者の中に此の難に値わざる者之有りや、答えて曰く業力不定なり順現業は法華経に云く此の人現世に白癩の病乃至諸の悪重病を得んと、仁王経に云く「人仏教を壊らば復孝子無く六親不和にして天神祐けず疾疫悪鬼日に来りて侵害し災怪首尾し連禍せん」と、涅槃経に云く「若し是の経典を信ぜざる者有らば若は臨終の時或は荒乱に値い刀兵競い起り帝王の暴虐・怨家の讎隙に侵逼せられん」[已上]、順次生業は法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば其の人命終して阿鼻獄に入らん」と、仁王経に云く「人仏教を壊らば死して地獄餓鬼畜生に入らん」[已上]、順後業等は之を略す。
問うて曰く如何にして速かに此の災難を留む可きや、答えて曰く速に謗法の者を治す可し若し爾らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留む可からざるなり、問うて曰く如何が対治す可き、答えて曰く治方亦経に之有り涅槃経に曰く仏言く唯一人を除いて余の一切に施せ正法を誹謗して是の重業を造る唯此くの如き一闡提の輩を除いて其の余の者に施さば一切讃嘆すべし[已上]、此の文の如んば施を留めて対治す可しと見えたり此の外にも亦治方是れ多く具に出すに暇あらず、問うて曰く謗法の者に於て供養を留め苦治を加うるは罪有りや不や、答えて曰く涅槃経に云く、今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付属す正法を毀る者は王者・大臣・四部の衆当に苦治すべし尚罪有ること無けん[已上]。
問うて曰く汝僧形を以て比丘の失を顕すは罪業に非ずや、答えて曰く涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せざれば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」[已上]、予此の文を見るが故に仏法中怨の責を免れんが為に見聞を憚からずして法然上人並に所化の衆等の阿鼻大城に堕つ可き由を称す、此の道理を聞き解く道俗の中に少少は廻心の者有り若し一度高覧を経ん人は上に挙ぐる所の如く之を行ぜずんば大集経の文の若し国王有つて我が法の滅せんを見て捨てて擁護せざれば無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失して其の国の内に三種の不祥を出さん乃至命終して大地獄に生ぜんとの記文を免かれ難きか、仁王経に云く「若し王の福尽きん時は七難必ず起らん」と、此の文に云く「無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失す」等と云云、此の文を見るに且く万事を閣いて先ず此の災難の起る由を勘う可きか若し爾からざれば弥亦重ねて災難起る可きか、愚勘是くの如し取捨は人の意に任す。 
 
念仏者・追放せしむる宣旨・御教書・五篇に集列する勘文状
/正元元年三十八歳御作

 

夫れ以みれば仏法流布の砌には天下静謐なり神明仰崇の界には国土豊饒なり、之に依つて月氏より日域に覃んで君王より人民に至るまで此の義改むること無き職として然り。
爰に後鳥羽院の御宇に源空法師と云う者あり道俗を欺くが故に専修を興して顕密の教理を破し男女を誑かすが故に邪義を構えて仏神の威光を滅し常に四衆を誘うて云く、浄土三部の外は衆経を棄置すべし唱名一行の外は余行を廃退すべし矧んや神祗冥道の恭敬に於ておや況や孝養報恩の事善に於ておや之を信ぜざる者は本願を疑うなりと、爰に頑愚の類は甚深の妙典を軽慢し無智の族は神明の威徳を蔑如す、就中止観・遮那の学窓に臨む者は出離を抑ゆる癡人なり三論・法相の稽古を励む者は菩提を塞ぐ誑人なりと云云。
之に依つて仏法・日に衰え迷執・月に増す然る間・南都北嶺の明徳・奏聞を経て天聴に達するの刻・源空が過咎遁れ難きの間・遠流の宣を蒙むり配所の境に赴き畢んぬ、其の後門徒猶勅命を憚からずして弥専修を興すること殆ど先代に超えたり違勅の至り責めても余り有り故に重ねて専修を停廃し源空の門徒を流罪すべきの由・綸言頻に下る又関東の御下知・勅宣に相添う。
門葉等は遁るべきの術を失い或は山林に流浪し或は遠国に逃隠す、爾してより華夷・称名を抛ちて男女・正説に帰する者なり然るに又近来先規を弁えざるの輩・仏神を崇めざるの類・再び専修の行を企て猶邪悪を増すこと甚し。
日蓮不肖なりと雖も且は天下の安寧を思うが為・且は仏法の繁昌を致さんが為に強ちに先賢の語を宣説し称名の行を停廃せんと欲し又愚懐の勘文を添え頗る邪人の慢幢を倒さんとす、勘注の文繁くして見難し知り易からしめんが為に要を取り諸を省き略して五篇を列ぬ、委細の旨は広本に在くのみ。
奏状篇[詮を取りて之を注す委くは広本に在り]
南都の奏状に云く。
一、謗人謗法の事
右源空・顕密の諸宗を軽んずること土の如く沙の如く智行の高位を蔑ろにすること蟻の如く螻の如し、常に自讃して曰く広く一代聖教を見て知れるは我なり能く八宗の精微を解する者は我なり我諸行を捨つ況や余人に於ておやと、愚癡の道・俗・之を仰ぐこと仏の如く弟子の偏執遥に其の師に超え檀那の邪見弥本説に倍し一天四海漸く以て・し事の奇特を聞くに驚かずんば有る可からず其の中殊に法華の修行を以て専修の讐敵となす、或は此の経を読む者は皆地獄に堕すと云い或は其の行を修せん者は永く生死に留まると云い或は僅に仏道の結縁を許し或は都て浄土の正因を嫌う、然る間・本八軸十軸の文を誦し千部万部の功を積める者も永く以て廃退し剰え前非を悔ゆ、捨つる所の本行の宿習は実に深く企つる所の念仏の薫習は未だ積まず中途に天を仰いで歎息する者多し、此の外・般若・華厳の帰依・真言・止観の結縁・十の八九皆棄置す「之を略す」。
一、霊神を蔑如する事
右我が朝は本是れ神国なり百王彼の苗裔を承けて四海其の加護を仰ぐ、而るに専修の輩永く神明を別えず権化・実類を論ぜず宗廟・祖社を恐れず若し神明を憑まば魔界に堕すと云云。
実類の鬼神に於ては置いて論ぜざるか権化の垂迹に至つては既に是れ大聖なり、上代の高僧皆以て帰伏す行教和尚・宇佐の宮に参るに釈迦三尊の影・月の如くに顕れ仲算大徳・熊野山に詣るに飛滝千仭の水・簾の如くに巻く、凡そ行基・護命・増利・聖宝・空海・最澄・円珍等は皆神社に於て新に霊異を感ず是くの若きは源空に及ばざるの人か又魔界に堕つ可きの類か[之を略す]。
山門の奏状に云く。
一、一向専修の党類・神明に向背する不当の事。
右我が朝は神国なり神道を敬うを以て国の勤めと為す謹んで百神の本を討ぬるに諸仏の迹に非ること無し、所謂伊勢大神宮・八幡・加茂・日吉・春日等は皆是れ釈迦・薬師・弥陀・観音等の示現なり各宿習の地を卜め専ら有縁の儀を調う乃至其の内証に随いて彼の法施を資け念誦・読経・神に依つて事異なり世を挙げて信を取り人毎に益を被る、而るに今専修の徒・事を念仏に寄せて永く神明を敬うこと無し、既に国の礼を失い仍神を無するの咎あり、当に知るべし有勢の神祗定めて降伏の眸を回らして睨みたまわん[之を略す]。
一、一向専修和漢の例快からざる事
右慈覚大師の入唐巡礼記を按ずるに云く唐の武宗皇帝会昌元年章敬寺の鏡霜法師に勅令して諸寺に於て弥陀念仏の教を伝え寺毎に三日巡輪して絶えず同じく二年廻鶻国の軍兵等・唐の界を侵す同じく三年河北の節度使・忽ち乱を起こす其の後大蕃国更に命を拒む廻鶻国重ねて地を奪いぬ、凡そ兵乱秦項の代に同じく災火邑里の際に起る何に況や武宗大に仏法を破し多く寺塔を滅す撥乱すること能わずして逐に以て事有り[已上取意]、是れ則ち恣に浄土の一門を信じて護国の諸教を仰がざるに依つてなり而るに吾朝一向専修を弘通してより以来・国衰微に属し俗多く艱難す[已上之を略す]、又云く音の哀楽を以て国の盛衰を知る詩の序に云く治世の音は安んじて以て楽しむ其の政和げばなり乱世の音は怨んで以て怒る其の政乖けばなり亡国の音は哀んで以て思う其の民は困めばなりと云云、近代念仏の曲を聞くに理世撫民の音に背き已に哀慟の響を成す是れ亡国の音なる可し[是四]、已上奏状。
山門の奏状詮を取る此の如し。
又大和の荘の法印俊範・宝地房の法印宗源・同坊の永尊竪者[後に僧都という並に題者なり]等源空が門徒を対治せんが為に各各子細を述ぶ其の文広本に在り、又諸宗の明徳面面に書を作りて選択集を破し専修を対治する書籍世に伝う。
宣旨篇
南都北嶺の訴状に依つて専修を対治し行者を流罪す可きの由度度の宣旨の内今は少を載せ多を省く委くは広本に在り。
永尊竪者の状に云く弾選択等上送せられて後・山上に披露す弾選択に於ては人毎に之を翫び顕選択は諸人之を謗ず法然上人の墓所は感神院の犬神人に仰付て之を破郤せしめ畢んぬ其の後奏聞に及んで裁許を蒙り畢んぬ、七月の上旬に法勝寺の御八講の次山門より南都に触れて云く清水寺・祇園の辺・南都山門の末寺たるの処に専修の輩身を容れし草菴に於ては悉く破郤せしめ畢んぬ其の身に於ては使庁に仰せて之を搦め取らるるの間・礼讃の声黒衣の色・京洛の中に都て以て止め畢んぬ、張本三人流罪に定めらると雖も逐電の間未だ配所に向わず山門今に訴え申し候なり。
此の十一日の僉議に云く法然房所造の選択は謗法の書なり天下に之を止め置く可からず仍つて在在所所の所持並に其の印板を大講堂に取り上げ三世の仏恩を報ぜんが為に焼失すべきの由奏聞仕り候い畢んぬ重ねて仰せ下され候か、恐恐。
嘉禄三年十月十五日
専修念仏の張本成覚法師・讃岐の大手嶋に経回すと云云実否分明ならず慥に・知を加えらる可きの由・山門の人人申す相尋ね申さしめ給う可きの由殿下の御気色候う所なり仍つて執達件の如し。
嘉禄三年十月二十日参議範輔在り判
修理権亮殿
関東より宣旨の御返事隆寛律師の事、右大弁宰相家の御奉書披露候い畢んぬ、件の律師去る七月の比・下向せしむ鎌倉近辺に経回すると雖も京都の制符に任せ念仏者を追放せらるるの間奥州の方へ流浪せしめ畢んぬ云云、早く在所を尋ね捜して仰せ下さるるの旨に任せ対馬の嶋に追遣可きなり、此の旨を以て言上せしむ可きの状鎌倉殿の仰せに依つて執達件の如し。
嘉禄三年十月十五日武蔵守在り判
相模守在り判
掃部助殿
修理亮殿
専修念仏の事、停廃の宣下重畳の上偸かに尚興行するの条更に公家の知しめす所にあらず偏に有司の怠慢たり早く先符に任せて禁遏せらる可し、其の上衆徒の蜂起に於いては宜く制止を加えしめ給うべし天気に依つて言上件の如し、信盛・頓首恐惶謹言
嘉禄三年六月二十九日左衛門権佐信盛奉
進上天台座主大僧正御房政所
右弁官下す延暦寺
早く僧の隆寛・幸西・空阿弥陀仏の土縁を取り進すべき事の書・権大納言源朝臣雅親勅を宣奉するに件の隆寛等の坐せらるること配流宜く彼の寺に仰せて度縁を取り進せしむ可し、者れば宜く承知して宣に依つて之を行うべし違失ある可からず。
嘉禄三年七月六日左太史小槻宿禰在り判
左少弁藤原朝臣在り判大政官の符・五畿内の諸国司まさに宜く専修念仏の興行を停廃し早く隆寛・幸西・空阿弥陀仏等の遺弟の留まる処に禁法を犯す所の輩を捉え搦むべきの事。
弘仁聖代の格条眼に在り左大臣勅を宣奉し宜く五畿七道に課せて興行の道を停廃し違犯の身を捉え搦むべし、者れば諸国司宜く承知して宣に依つて之を行え符到らば奉行を致せ。
嘉禄三年七月十七日正四位下行右中弁藤原朝臣
修理東大寺大仏長官正五位下左大史兼備前権介小槻宿禰
専修念仏興行の輩停止す可きの由五畿七道に宣下せられ候い畢んぬ、且つは御存知有る可く候、者れば綸言此の如し之を悉にせよ、頼隆・誠恐頓首謹言。
嘉禄三年七月十三日右中弁頼隆在り判
進上天台座主大僧正御房政所
隆寛対馬の国に改めらる可きの由宣下せられ畢んぬ、其の由御下知有る可きの旨仰せ下さる所に候なり此の趣を以て申し入れしめ給う可きの状件の如し。
右中弁頼隆在り判
中納言律師御房
隆寛律師専修の張本たるに依つて山門より訴え申すの間・陸奥に配流せられ畢んぬ而るに衆徒尚申す旨有り仍つて配所を改めて対馬の嶋に追い遣らる可きなり、当時東国の辺に経回すと云云不日に彼の島に追い遣らる可きの由関東に申さる可し、者れば殿下の御気色に依つて執達件の如し。
嘉禄三年九月二十六日参議在り判
修理権亮殿
専修念仏の事、京畿七道に仰せて永く停止せらる可きの由・先日宣下せられ候い畢んぬ、而るに諸国に尚其の聞え有りと云云、宣旨の状を守りて沙汰致す可きの由・地頭・守護所等に仰付けらる可きの由・山門訴え申し候御下知有る可く候、此の旨を以て沙汰申さしめ給う可きの由殿下の御気色候所なり、仍つて執達件の如し。
嘉禄三年十月十日参議在り判
武蔵守殿
嵯峨に下されし院宣
近頃破戒不善の輩厳禁に拘わらず猶専修念仏を企つるの由其の聞え有り、而るに先師法眼存日の時・清涼寺の辺に多く以て止住すと云云、遺跡を相継ぎて若し同意有らば彼の寺の執務縦い相承の理を帯すとも免許の義有る可からざるなり、早く此の旨を存して禁止せしめ給う可し院宣此くの如し仍つて執達件の如し。
建保七年二月四日按察使在り判
治部卿律師御房
謹んで請う院宣一紙
右当寺四至の内に破戒不善の専修念仏の輩法に任せて制止ある可く候更に以て芳心有る可からず候、若し猶寺家の力に拘わらずんば事の由を申し上ぐ可く候、謹んで請くる所件の如し。
建保七年閏二月四日権律師良暁
左弁官下す綱所
まさに諸寺の執務人に下知して専修念仏の輩を糾断せしむべき事。
右・左大臣勅を宣奉す、専修念仏の行は諸宗衰微の基なり、仍つて去る建永二年の春厳制五箇条の裁許を以てせる官符の施行先に畢んぬ、傾く者は進んでは憲章を恐れず退いては仏勅を憚からず或は梵宇を占め或は聚洛に交わる破戒の沙門・党を道場に結んで偏に今按の佯を以てす仏号を唱えんが為に妄りに邪音を作し将に蕩して人心を放逸にせんとす、見聞満座の処には賢善の形を現ずと雖も寂寞破・の夕には流俗の睡りに異ならず是れ則ち発心の修善に非ず濫行の奸謀を企つるなり豈仏陀の元意僧徒の所行と謂わんや。
宜しく有司に仰せて慥に糾断せしむべし若し猶違犯の者は罪科の趣き一に先符に同じ但し道心修行の人をして以て仏法違越の者に濫ぜしむること莫れ更に弥陀の教説を忽せにするに非ず只釈氏の法文を全からしめんとなり、兼ては又諸寺執務の人・五保監行の輩聞知して言わずんば与同罪會つて寛宥せざれ、者れば宜しく承知して宣旨に依つて之を行うべし。
建保七年閏二月八日太史小槻宿禰在り判
謹んで請く綱所
宣旨一通載せらるるはまさに諸寺の執務人に下知して専修念仏の輩を糾断せしむべき事。
右宣旨の状に任せ諸寺に告げ触る可きの状謹んで請くる所件の如し。
建保七年閏二月二十二日之を行う。
頃年以来無慚の徒・不法の侶・如如の戒行を守らず処処の厳制を恐れず恣に念仏の別宗を建て猥りに衆僧の勤学を謗ず、しかのみならず内には妄執を凝らして仏意に乖き外には哀音を引いて人心を蕩かす遠近併ら専修の一行に帰し緇素殆んど顕密の両教を褊す仏法の衰滅而も斯に由る自由の奸悪誠に禁じても余り有り。
是を以て教雅法師に於ては本源を温ねて遠流し此の外同行の余党等慥かに其の行を帝土の中に停廃し悉く其の身を洛陽の外に追郤せよ但し或は自行の為或は化他の為に至心専念・如法修行の輩に於ては制の限りに在らず。
天福二年六月晦日藤原中納言権弁奉る
[天福二年文暦と改む四条院の御宇後堀河院の太子なり、武蔵前司入道殿の御時。]祇園の執行に仰せ付けらるる山門の下知状。
大衆の僉議に云く専修念仏者・天下に繁昌す是れ則ち近年山門無沙汰の致す所なり、件の族は八宗仏法の怨敵なり円頓行者の順魔なり、先ず京都往返の類・在家称名の所に於ては例に任せ犬神人に仰せて宜しく停止せしむべし云云、者れば大衆僉議の旨斯くの如し早く先例に任せ犬神人等に仰せ含めて専修念仏者を停止せしめ給う可し云云、恐恐謹言。
延応二年五月十四日公文勾当審賢
[四条院の御宇武蔵前司殿の御時。]
謹上祇園の執行法眼御房
逐つて申す、去る夜・大衆僉議して先ず此の異名に於て殊に犬神人に付けて之を責む可きの由仰せ含めぬ仍つて実名之を獻ず、専修念仏の張本の事・唯仏・鏡仏・智願・定真・円真・正阿弥陀仏・名阿弥陀仏・善慧・道弁・真如堂狼藉の張本なり已上、唐橋油小路並に八条大御堂六波羅の総門の向いの堂?已上・当時興行の所なり。
延暦寺別院雲居寺
早く一向専修の悪行を禁断す可き事
右頃年以来、愚蒙の結党・・・の会衆を名けて専修と曰い・閭に旁ねし心に一分の慧解無く口に衆罪の悪言を吐き言を一念十声の悲願に寄せて敢て三毒五蓋の重悪を憚からず盲暝の輩是非を弁えず唯情に順ずるを以て多く愚誨に信伏す、持戒修善の人を笑うて之を雑行と号し鎮国護王の教を謗りて之を魔業と称す諸善を擯棄し衆悪を選択し罪を山岳に積み報を泥梨に招く毒気深く入つて禁じても改むること無く偏に欲楽を嗜んで自ら止むこと能わず、猶蒼蝿の唾の為に黏さるるが如く、何ぞ狂狗の雷を逐うて走るに異ならん、恣ままに三寸の舌を振いて衆生の眼目を抜き五尺の身を養わんが為に諸仏の肝心を滅す、併ら只仏法の怨魔と為り専ら緇門の妖怪と謂う可し。
是を以て邪師存生の昔は永く罪条に沈み、滅後の今は亦屍骨を刎らる其の徒・住蓮と安楽とは死を原野に賜い成覚と薩生とは刑を遠流に蒙りぬ此の現罰を以て其の後報を察す可し、方に今且は釈尊の遺法を護らんが為且は衆生の塗炭を救わんが為に宜く諸国の末寺・荘園・神人・寄人等に仰せて重ねて彼の邪法を禁断すべし縦い片時と雖も彼の凶類を寄宿せしむ可からず縦い一言と雖も其の邪説を聴受す可からず、若し又山門所部の内に専修興行の輩有らば永く重科に処して寛宥有ること勿れ、者れば三千衆徒の僉議に依つて仰す所件の如し。
延応二年山門申状
近来二つの妖怪有り人の耳目を驚かす所謂達磨の邪法と念仏の哀音となり。
顕密の法門に属せず王臣の祈請を致さず誠に端拱にして世を蔑り暗証にして人を軽んず小生の浅識を崇めて見性成仏の仁と為し耆年の宿老を笑うて螻蟻・・の類に擬す論談を致さざれば才の長短を表さず決択に交らざれば智の賢愚を測らず、唯牆壁に向うて独り道を得たりと謂い三依纔に紆い七慢専ら盛なり長く舒巻を抛つ附仏法の外道吾が朝に既に出現す、妖怪の至り慎まずんばあるべからず何ぞ強ちに亡国流浪の僧を撰んで伽藍伝持の主と為さんや。
御式目に云く右大将家以後・代代の将軍並に二位殿の御時に於ての事・一向に御沙汰を改ること無きか、追加の状に云く嘉禄元年より仁治に至るまで御成敗の事・正嘉二年二月十日評定、右自今以後に於ては三代の将軍並に二位家の御成敗に準じて御沙汰を改むるに及ばずと云云。
念仏停廃の事、宣旨御教書の趣き南都北嶺の状粗此くの如し、日蓮・弱為りと雖も勅宣並に御下知の旨を守りて偏に南北明哲の賢懐を述ぶ猶此の義を棄置せらるるに非ずんば綸言徳政を故らる可きか将た御下知を仰せらるる可きか、称名念仏の行者又賞翫せらると雖も既に違勅の者なり関東の御勘気未だ御免許をも蒙らず何ぞ恣に関東の近住を企てんや、就中武蔵前司殿の御下知に至りては三代の将軍並に二位家の御沙汰に準じて御沙汰を改むること有る可からずと云云。
然るに今念仏者何の威勢に依つてか宣旨に背くのみに非ず御下知を軽蔑して重ねて称名念仏の専修を結構せん人に依つて事異なりと云う此の謂在るか、何ぞ恣に華夷縦横の経回を致さんや。 
 
念仏無間地獄抄/建長七年三十四歳御作 

 

念仏は無間地獄の業因なり法華経は成仏得道の直路なり早く浄土宗を捨て法華経を持ち生死を離れ菩提を得可き事法華経第二譬喩品に云く「若人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん、其の人命終して阿鼻獄に入らん、一劫を具足して劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫に至らん」云云此の文の如くんば方便の念仏を信じて真実の法華を信ぜざらん者は無間地獄に堕つ可きなり念仏者云く我等が機は法華経に及ばざる間信ぜざる計りなり毀謗する事はなし何の科に地獄に堕つ可きか、法華宗云く信ぜざる条は承伏なるか、次に毀謗と云うは即不信なり信は道の源功徳の母と云へり菩薩の五十二位には十信を本と為し十信の位には信心を始と為し諸の悪業煩悩は不信を本と為す云云、然ば譬喩品の十四誹謗も不信を以て体と為せり今の念仏門は不信と云い誹謗と云い争か入阿鼻獄の句を遁れんや、其の上浄土宗には現在の父たる教主釈尊を捨て他人たる阿弥陀仏を信ずる故に五逆罪の咎に依って必ず無間大城に堕つ可きなり、経に今此の三界は皆是我有なりと説き給うは主君の義なり其の中の衆生悉く是れ吾子と云うは父子の義なり而るに今此の処は諸の患難多し、唯我一人能く救護を為すと説き給うは師匠の義なり而して釈尊付属の文に此法華経をば付属有在と云云何れの機か漏る可き誰人か信ぜざらんや、而るに浄土宗は主師親たる教主釈尊の付属に背き他人たる西方極楽世界の阿弥陀如来を憑む故に主に背けり八逆罪の凶徒なり違勅の咎遁れ難し即ち朝敵なり争か咎無けんや、次に父の釈尊を捨つる故に五逆罪の者なり豈無間地獄に堕ちざる可けんや、次に師匠の釈尊に背く故に七逆罪の人なり争か悪道に堕ちざらんや此の如く教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備て大恩の仏にて御坐す此の仏を捨て他方の仏を信じ弥陀薬師大日等を憑み奉る人は二十逆罪の咎に依つて悪道に堕つ可きなり、浄土の三部経とは釈尊一代五時の説教の内第三方等部の内より出でたり、此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず三世諸仏出世の本懐にも非ず唯暫く衆生誘引の方便なり譬えば塔をくむに足代をゆ(結)ふが如し念仏は足代なり法華は宝塔なり法華を説給までの方便なり法華の塔を説給て後は念仏の足代をば切り捨べきなり、然るに法華経を説き給うて後念仏に執著するは塔をくみ立て後足代に著して塔を用ざる人の如し豈違背の咎無からんや、然れば法華の序分・無量義経には四十余年未顕真実と説給て念仏の法門を打破り給う、正宗法華経には正直捨方便・但説無上道と宣べ給て念仏三昧を捨て給う之に依て阿弥陀経の対告衆長老・舎利弗尊者・阿弥陀経を打捨て法華経に帰伏して華光如来と成り畢んぬ、四十八願付属の阿難尊者も浄土の三部経を抛て法華経を受持して山海慧自在通王仏と成り畢んぬ、阿弥陀経の長老舎利弗は千二百の羅漢の中に智慧第一の上首の大声聞・閻浮提第一の大智者なり肩を並ぶる人なし、阿難尊者は多聞第一の極聖・釈尊一代の説法を空に誦せし広学の智人なり、かかる極位の大阿羅漢すら尚往生成仏の望を遂げず仏在世の祖師此くの如し祖師の跡を踏む可くば三部経を抛ちて法華経を信じ無上菩提を成ず可き者なり仏の滅後に於ては祖師先徳多しと雖も大唐楊州の善導和尚にまさる人なし唐土第一の高祖なり云云、始は楊州の明勝と云える聖人を師と為して法華経を習たりしが道綽禅師に値つて浄土宗に移り法華経を捨て念仏者と成れり一代聖教に於て聖道浄土の二門を立てたり法華経等の諸大乗経をば聖道門と名く自力の行と嫌えり聖道門を修行して成仏を願わん人は百人にまれに一人二人千人にまれに三人五人得道する者や有んずらん乃至千人に一人も得道なき事も有るべし観経等の三部経を浄土門と名け此の浄土門を修行して他力本願を憑んで往生を願わん者は十即十生百即百生とて十人は十人百人は百人決定往生す可しとすすめたり、観無量寿経を所依と為して四巻の疏を作る玄義分・序分義・定善義・散善義是なり、其の外法事讃上下・般舟讃・往生礼讃・観念法門経此等を九帖の疏と名けたり、善導念仏し給へば口より仏の出給うと云つて称名念仏一遍を作すに三体づつ口より出給けりと伝へたり、毎日の所作には阿弥陀経六十巻・念仏十万遍是を欠く事なし、諸の戒品を持つて一戒も破らず三依は身の皮の如く脱ぐ事なく鉢・は両眼の如く身を離さず精進潔斎す女人を見ずして一期生不眠三十年なりと自歎す、凡そ善導の行儀法則を云へば酒肉五辛を制止して口に齧まず手に取らず未来の諸の比丘も是くの如く行ずべしと定めたり、一度酒を飲み肉を食い五辛等を食い念仏申さん者は三百万劫が間地獄に墮す可しと禁しめたり、善導が行儀法則は本律の制に過ぎたり、法然房が起請文にも書載たり、一天四海善導和尚を以て善知識と仰ぎ貴賎上下皆悉く念仏者と成れり・但し一代聖教の大王・三世諸仏の本懐たる法華の文には若し法を聞くこと有らん者は無一不成仏と説き給へり、善導は法華経を行ぜん者は千人に一人も得道の者有る可からずと定む何れの説に付く可きか、無量義経には念仏をば未顕真実とて実に非ずと言ふ法華経には正直捨方便但説無上道とて正直に念仏の観経を捨て無上道の法華経を持つ可しと言ふ此の両説水火なり何れの辺に付く可きや善導が言を信じて法華経を捨つ可きか法華経を信じて善導の義を捨つ可きか如何、夫れ一切衆生皆成仏道の法華経、一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜんの妙典善導が一言に破れて千中無一虚妄の法と成り、無得道教と云はれ平等大慧の巨益は虚妄と成り多宝如来の皆是真実の証明の御言妄語と成るか十方諸仏の上至梵天の広長舌も破られ給ぬ、三世諸仏の大怨敵と為り十方如来成仏の種子を失う大謗法の科甚重し大罪報の至り無間大城の業因なり、之に依つて忽に物狂いにや成けん所居の寺の前の柳の木に登りて自ら頚をくくりて身を投げ死し畢んぬ邪法のたたり踵を回さず冥罰爰に見たり、最後臨終の言に云く此の身厭う可し諸苦に責められ暫くも休息無しと即ち所居の寺の前の柳の木に登り西に向い願つて日く仏の威神以て我を取り観音勢至来つて又我を扶けたまえと唱え畢つて青柳の上より身を投げて自絶す云云、三月十七日くびをくくりて飛たりける程にくくり縄や切れけん柳の枝や折れけん大旱魃の堅土の上に落て腰骨を打折て、二十四日に至るまで七日七夜の間悶絶躄地しておめきさけびて死し畢んぬ、さればにや是程の高祖をば往生の人の内には入れざるらんと覚ゆ此事全く余宗の誹謗に非ず法華宗の妄語にも非ず善導和尚自筆の類聚伝の文なり云云、而も流を酌む者は其の源を忘れず法を行ずる者は其の師の跡を踏む可し云云浄土門に入つて師の跡を踏む可くば臨終の時善導が如く自害有る可きか、念仏者として頚をくくらずんば師に背く咎有る可きか如何。
日本国には法然上人浄土宗の高祖なり十七歳にして一切経を習極め天台六十巻に渡り、八宗を兼学して一代聖教の大意を得たりとののしり、天下無雙の智者山門第一の学匠なり云云、然るに天魔や其の身に入にけん広学多聞の智慧も空く諸宗の頂上たる天台宗を打捨て八宗の外なる念仏者の法師と成りにけり大臣公卿の身を捨て民百姓と成るが如し、選択集と申す文を作つて一代五時の聖教を難破し念仏往生の一門を立てたり、仏説法滅尽経に云く五濁悪世には魔道興盛し魔沙門と作つて我が道を壊乱し悪人転た海中の沙の如く善人甚だ少くして若は一人若は二人ならん云云即ち法然房是なりと山門の状に書かれたり、我が浄土宗の専修の一行をば五種の正行と定め権実顕密の諸大乗をば五種の雑行と簡て浄土門の正行をば善導の如く決定往生と勧めたり、観経等の浄土の三部経の外・一代顕密の諸大乗経・大般若経を始と為して終り法常住経に至るまで貞元録に載する所の六百三十七部・二千八百八十三巻は皆是千中無一の徒物なり永く得道有る可からず、難行・聖道門をば門を閉じ之を抛ち之を閣き之を捨て・浄土門に入る可しと勧めたり、一天の貴賎首を傾け四海の道俗掌を合せ或は勢至の化身と号し或は善導の再誕と仰ぎ一天四海になびかぬ木草なし、智慧は日月の如く世間を照して肩を並ぶる人なし名徳は一天に充ちて善導に超え曇鸞・道綽にも勝れたり貴賎・上下・皆選択集を以て仏法の明鏡なりと思い道俗・男女悉く法然房を以て生身の弥陀と仰ぐ、然りと雖も恭敬供養する者は愚癡迷惑の在俗の人・帰依渇仰する人は無智放逸の邪見の輩なり、権者に於ては之を用いず賢哲又之に随うこと無し。
然る間斗賀尾の明慧房は天下無雙の智人・広学多聞の明匠なり、摧邪輪三巻を造つて選択の邪義を破し、三井寺の長吏・実胤大僧正は希代の学者・名誉の才人なり浄土決疑集三巻を作つて専修の悪行を難じ、比叡山の住侶・仏頂房・隆真法橋は天下無雙の学匠・山門探題の棟梁なり弾選択上下を造つて法然房が邪義を責む、しかのみならず南都・山門・三井より度度奏聞を経て法然が選択の邪義亡国の基為るの旨訴え申すに依つて人王八十三代・土御門院の御宇・承元元年二月上旬に専修念仏の張本たる安楽・住蓮等を捕縛え忽ちに頭を刎ねられ畢んぬ、法然房源空は遠流の重科に沈み畢んぬ、其の時・摂政左大臣家実と申すは近衛殿の御事なり此の事は皇代記に見えたり誰か之を疑わん。
しかのみならず法然房死去の後も又重ねて山門より訴え申すに依つて人皇八十五代・後堀河院の御宇嘉禄三年京都六箇所の本所より法然房が選択集・並に印版を責め出して大講堂の庭に取り上げて三千の大衆会合し三世の仏恩を報じ奉るなりとて之れを焼失せしめ法然房が墓所をば犬神人に仰せ付けて之れを掘り出して鴨河に流され畢んぬ。
宣旨・院宣・関白殿下の御教書を五畿・七道に成し下されて、六十六箇国に念仏の行者・一日片時も之れを置く可からず対馬の島に追い遣る可きの旨諸国の国司に仰せ付けられ畢んぬ、此等の次第・両六波羅の注進状・関東相模守の請文等明鏡なる者なり。
嘉禄三年七月五日に山門に下さるる宣旨に云く。
専修念仏の行は諸宗衰微の基なり、茲に因つて代代の御門・頻に厳旨を降され殊に禁遏を加うる所なり、而るを頃年又興行を構へ山門訴え申さしむるの間・先符に任せて仰せ下さるること先に畢んぬ、其の上且は仏法の陵夷を禁ぜんが為且は衆徒の欝訴を優に依つて其の根本と謂うを以て隆寛・成覚・空阿弥陀仏等其の身を遠流に処せしむ可きの由・不日に宣下せらるる所なり、余党に於ては其の在所を尋ね捜して帝土を追却す可きなり、此の上は早く愁訴を慰じて蜂起を停止す可きの旨・時刻を回さず御下知有る可く候、者綸言此の如し頼隆・誠恐・頓首謹言。
七月五日酉刻右中弁頼隆奉わる
進上天台座主大僧正御房政所
同七月十三日山門に下さるる宣旨に云く。
専修念仏興行の輩を停止す可きの由・五畿七道に宣下せられ畢んぬ、且御存知有る可く候綸言此の如く之を悉にす・頼隆・誠恐・頓首謹言。
七月十三日右中弁頼隆奉わる
進上天台座主大僧正御房政所
殿下御教書
専修念仏の事、五畿七道に仰せて永く停止せらる可きの由・先日宣下せられ候い畢んぬ、而るを諸国に尚其の聞え有り云云、宣旨の状を守つて沙汰致す可きの由・地頭守護所等に仰せ付けらる可きの旨・山門訴え申し候、御存知有る可く候、此の旨を以て沙汰申さしめ給う可き由・殿下の御気色候所なり、仍て執達件の如し。
嘉禄三年十月十日参議範輔在り判
武蔵守殿
永尊竪者の状に云く、此の十一日に大衆僉議して云く法然房所造の選択は謗法の書なり天下之を止め置く可からず、仍て在在所所の所持並に其の印板を大講堂に取り上げて三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしめ畢んぬ、又云く法然上人の墓所をば感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしめ畢んぬ。
嘉禄三年十月十五日・隆真法橋申して云く専修念仏は亡国の本為る可き旨文理之有りと。
山門より雲居寺に送る状に云く、邪師源空・存生の間には永く罪条に沈み滅後の今は且死骨を刎ねられ、其の邪類・住蓮・安楽・死を原野に賜い成覚・薩生は刑を遠流に蒙る殆ど此の現罰を以て其の後報を察す可し云云。
嗚呼世法の方を云えば違勅の者と成り帝王の勅勘を蒙り今に御赦免の天気之れ無し心有る臣下万民・誰人か彼の宗に於て布施供養を展ぶ可きや、仏法の方を云えば正法誹謗の罪人為り無間地獄の業類なり何れの輩か念仏門に於て恭敬礼拝を致す可きや、庶幾くば末代今の浄土宗・仏在世の祖師・舎利弗・阿難等の如く浄土宗を抛つて法華経を持ち菩提の素懐を遂ぐ可き者か。 
 
当世念仏者無間地獄事

 

安房の国長狭郡東条花房の郷蓮華寺に於て浄円房に対して日蓮阿闍梨之を註るす、文永元+年甲子九月二十二日。
問うて曰く当世の念仏者無間地獄と云う事其の故如何、答えて云く法然の選択に就いて云うなり、問うて云く其の選択の意如何、答えて曰く後鳥羽院の治天下建仁年中に日本国に一の彗星出でたり名けて源空法然と曰う選択一巻を記して六十余紙に及べり、科段を十六に分つ第一段の意は道綽禅師の安楽集に依つて聖道浄土の名目を立つ、其の聖道門とは浄土の三部経等を除いて自余の大小乗の一切経殊には朝家帰依の大日経法華経仁王経金光明経等の顕密の諸大乗経の名目阿弥陀仏より已外の諸仏菩薩朝家御帰依の真言等の八宗の名目之を挙げて聖道門と名く、此の諸経諸仏諸宗は正像の機に値うと雖も末法に入つて之を行ぜん者は一人も生死を離る可からずと云云、又曇鸞法師の往生論註に依つて難易の二行を立つ第二段の意は善導和尚の五部九巻の書に依つて正雑二行を立つ、其の雑行とは道綽の聖道門の料簡の如し、又此の雑行は末法に入つては往生を得る者の千中に一も無きなり、下の十四段には或は聖道難行雑行をば小善根随他意有上功徳等と名け念仏等を以ては大善根随自意無上功徳等と名けて、念仏に対して末代の凡夫此れを捨てよ此の門を閉じよ之を閣けよ之を抛てよ等の四字を以て之を制止す、而て日本国中の無智の道俗を始めて大風に草木の従うが如く皆此の義に随つて忽に法華真言等に随喜の意を止め建立の思を廃す、而る間人毎に平形の念珠を以て弥陀の名号を唱え或は毎日三万遍六万遍十万遍四十八万遍百万遍等唱る間又他の善根も無く念仏堂を造ること稲麻竹葦の如く、結句は法華真言等の智者とおぼしき人人も皆或は帰依を受けんが為に或は往生極楽の為に皆本宗を捨てて念仏者と成り或は本宗にして念仏の法門を仰げるなり。
今云く日本国中の四衆の人人は形は異り替ると雖も意根は皆一法を行じて悉く西方の往生を期す、仏法繁昌の国と見えたる処に一の大なる疑を発する事は念仏宗の亀鏡と仰ぐ可き智者達念仏宗の大檀那と為る大名小名並びに有徳の者多分は臨終思う如くならざるの由之を聞き之を見る、而るに善導和尚十即十生と定め十遍乃至一生の間念仏者は一人も漏れず往生を遂ぐ可しと見えたり人の臨終と善導の釈とは水火なり。
爰に念仏者会して云く往生に四つ有り、一には意念往生般舟三昧経に出でたり、二には正念往生阿弥陀経に出でたり、三には無記往生群疑論に出でたり、四には狂乱往生観経の下品下生に出でたり、詰つて曰く此の中の意正の二は且く之を置く無記往生は何れの経論に依つて懐感禅師之を書けるや、経論に之無くば信用取り難し、第四の狂乱往生とは引証は観経の下品下生の文なり、第一に悪人臨終の時妙法を覚れる善知識に値つて覚る所の諸法実相を説かしめて之を聞く者正念存し難く十悪五逆具諸不善の苦に逼め被れて覚ることを得ざれば善知識実相の初門と為る故に称名して阿弥陀仏を念ぜよと云うに音を揚げて唱え了んぬ、此れは苦痛に堪え難くして正念を失う狂乱の者に非るか狂乱の者争か十念を唱う可き、例せば正念往生の所摂なり全く狂乱の往生には例す可からず、而るに汝等が本師と仰ぐ所の善導和尚は此の文を受けて転教口称とは云えども狂乱往生とは云わず、其の上汝等が昼夜十二時に祈る所の願文に云く願くは弟子等命終の時に臨んで心顛倒せず心錯乱せず心失念せず身心諸の苦痛無く身心快楽禅定に入るが如し等云云、此の中に錯乱とは狂乱か而るに十悪五逆を作らざる当世の念仏の上人達並に大檀那等の臨終の悪瘡等の諸の悪重病並に臨終の狂乱は意を得ざる事なり、而るに善導和尚の十即十生と定め又定得往生等の釈の如きは疑無きの処に十人に九人往生すと雖も一人往生せざれば猶不審発る可し、何に況や念仏宗の長者為る善慧隆観聖光薩生南無真光等皆悪瘡等の重病を受けて臨終に狂乱して死するの由之を聞き又之を知る、其の已下の念仏者の臨終の狂乱其の数を知らず、善導和尚の定むる所の十即十生は闕けて嫌える所の千中無一と成んぬ、千中無一と定められし法華真言の行者は粗ぼ臨終の正念なる由之を聞けり、念仏の法門に於ては正像末の中には末法に殊に流布す可し、利根鈍根善人悪人持戒破戒等の中には鈍根悪人破戒等殊に往生す可しと見えたり、故に道綽禅師は唯有浄土一門と書かれ、善導和尚は十即十生と定め往生要集には濁世末代の目足と云えり、念仏は時機已に叶えり行ぜん者空しかる可からざるの処に是くの如きの相違は大なる疑なり、若し之に依つて本願を疑わば仏説を疑うに成んぬ進退惟谷れり此の疑を以て念仏宗の先達並びに聖道の先達に之を尋るに一人として答うる人之れ無し、念仏者救うて云く、汝は法然上人の捨閉閣抛の四字を謗法と過むるか汝が小智の及ばざる所なり、故に上人此の四字を私に之を書くと思えるか、源曇鸞道綽善導の三師の釈より之を出したり、三師の釈又私に非ず、源浄土の三部経竜樹菩薩の十住毘婆沙論より出ず、雙観経の上巻に云く設い我仏を得乃至十念等と云云、第十九の願に云く設い我仏を得て諸の功徳を修め菩提心を発す等と云云、下巻に云く乃至一念等と云云、第十八の願成就の文なり、又下巻に云く「其の上輩者○一向専念其中輩者○一向専念其下輩者○一向専念」と云云、此れは十九願成就の文なり、観無量寿経に云く「仏阿難に告ぐ汝好く是の語を持て是の語を持つ者は即ち是れ無量寿仏の名を持つ」等と云云、阿弥陀経に云く小善根を以てす可からず乃至一日七日等と云云、先ず雙観経の意は念仏往生諸行往生と説けども一向専念と云つて諸行往生を捨て了んぬ、故に弥勒の付属には一向に念仏を付属し了んぬ、観無量寿経の十六観も上の十五の観は諸行往生、下輩一観の三品は念仏往生なり、仏阿難尊者に念仏を付属するは諸行を捨つる意なり、阿弥陀経には雙観経の諸行観無量寿経の前十五観を束ねて、小善根と名け往生を得ざるの法と定め畢んぬ、雙観経の念仏をば無上功徳と名けて弥勒に付属し、観経念仏をば芬陀利華と名けて阿難に付属し、阿弥陀経の念仏をば大善根と名けて舎利弗に付属す、終の付属は一経の肝心を付属するなり又一経の名を付属するなり、三部経には諸の善根多しと雖も其の中に念仏最なり、故に題目には無量寿経観無量寿経阿弥陀経等と云えり、釈摩訶衍論法華論等の論を以て之れを勘うるに一切経の初には必ず南無の二字有り、梵本を以て之を言わば三部経の題目には南無之れ有り、雙観経の修諸の二字に念仏より外の八万聖教残る可からず、観無量寿経の三福九品等の読誦大乗の一句に一切経残る可からず、阿弥陀経の念仏の大善根に対する小善根の語に法華経等漏る可きや、総じて浄土の三部経の意は行者の意楽に随わんが為に暫く諸行を挙ぐと雖も、再び念仏に対する時は諸行の門を閉じて捨閉閣抛する事顕然なり、例せば法華経を説かんが為に無量義経を説くの時に四十余年の経を捨てて法華の門を開くが如し、竜樹菩薩十住毘婆沙論を造つて一代聖教を難易の二道に分てり、難行道とは三部経の外の諸行なり易行道とは念仏なり、経論此くの如く分明なりと雖も震旦の人師此の義を知らず唯善導一師のみ此の義を発得せり、所以に雙観経の三輩を観念法門に書いて云く「一切衆生根性不同にして上中下有り其の根性に随つて仏皆無量寿仏の名を専念することを勧む」等云云、此の文の意は発菩提心修諸功徳等の諸行は他力本願の念仏に値わざりし以前に修する事よと有りけるを忽に之を捨てよと云うとも行者用ゆ可からず故に暫く諸行を許すなり、実には念仏を離れて諸行を以て往生を遂ぐる者之無しと書きしなり、観無量寿経の仏告阿難等の文を善導の疏の四に之れを受けて曰く「上来に定散両門を説くと雖も仏の本願に望めば意衆生の一向に専ら阿弥陀の名を称するに在り」云云、定散とは八万の権実顕密の諸経を尽して之を摂して念仏に対して之れを捨つるなり、善導の法事讃に阿弥陀経の大小善根の故を釈して云く「極楽は無為涅槃界なり随縁の雑善恐らくは生じ難し故に如来要法を選んで教えて弥陀専修を念ぜしむ」等と云云、諸師の中に三部経の意を得たる人は但導一人のみ、如来の三部経に於ては是くの如く有れども正法像法の時は根機猶利根の故に諸行往生の機も之有りけるか。
然るに機根衰えて末法と成る間諸行の機漸く失い念仏の機と成れり、更に阿弥陀如来善導和尚と生れて震旦に此の義を顕し、和尚日本に生れて初は叡山に入つて修行し後には叡山を出でて一向に専修念仏して三部経の意を顕し給いしなり、汝捨閉閣抛の四字を謗法と咎むる事未だ導和尚の釈並びに三部経の文を窺わざるか、狗の雷を齧むが如く地獄の業を増す汝知らずんば浄土家の智者に問え。
不審して云く上の所立の義を以て法然の捨閉閣抛の謗言を救うか実に浄土の三師並に竜樹菩薩仏説により此の三部経の文を開くに念仏に対して諸行を傍と為す事粗経文に之見えたり、経文に嫌われし程の諸行念仏に対して之を嫌わんこと過む可きに非ず、但不審なる処は雙観経の念仏已外の諸行観無量寿経の念仏以外の定散阿弥陀経の念仏の外の小善根の中に法華涅槃大日経等の極大乗経を入れ念仏に対して不往生の善根ぞと仏の嫌わせ給いけるを竜樹菩薩三師並に法然之を嫌わば何の失有らん但三部経の小善根等の句に法華涅槃大日経等は入る可しとも覚えざれば三師並に法然の釈を用いざるなり、無量義経の如きは四十余年未顕真実と説いて法華八箇年を除きて以前四十二年に説く所の大小権実の諸経は一字一点も未顕真実の語に漏る可しとも覚えず、しかのみならず四十二年の間に説く所の阿含方等般若華厳の名目之を出だせり、既に大小の諸経を出して生滅無常を説ける諸の小乗経を阿含の句に摂し、三にして無差別の法門を説ける諸大乗経を華厳海空の句に摂し、十八空等を説ける諸大乗経を般若の句に摂し、弾呵の意を説ける諸大乗経を方等の句に摂す、是くの如く年限を指し経の題目を挙げ無量義経に依つて法華経に対して諸経を嫌い嫌える所の諸経に依れる諸宗を下すこと天台大師の私に非ず、汝等が浄土の三部経の中には念仏に対して諸行を嫌う文は之有りとも嫌わるる諸行は浄土の三部経よりの外の五十年の諸経なりと云う現文は之無し、又無量義経の如く阿含方等般若華厳等をも挙げず誰か知る三部経には諸の小乗経並に歴劫修行の諸経等の諸行を仏小善根と名け給うと云ふ事を、左右無く念仏よりの外の諸行を小善等と云えるを法華涅槃等の一代の教なりと打ち定めて捨閉閣抛の四字を置きては仏意にや乖くらんと不審する計りなり、例せば王の所従には諸人の中諸国の中の凡下等一人も残る可からず民が所従には諸人諸国の主は入る可からざるが如し、誠に浄土の三部経等が一代超過の経ならば五十年の諸経を嫌うも其の謂れ之有りなん三部経の文より事起つて一代を摂す可しとは見えず、但一機一縁の小事なり何ぞ一代を摂して之を嫌わん、三師並に法然此の義を弁えずして諸行の中に法華涅槃並に一代を摂して末代に於て之を行ぜん者は千中無一と定むるは近くは依経に背き遠くは仏意に違う者なり、但し竜樹の十住毘婆沙論の難行の中に法華真言等を入ると云うは論文に分明に之有りや、設い論文に之有りとも慥なる経文之無くば不審の内なり、竜樹菩薩は権大乗の論師為りし時の論なるか、又訳者の入れたるかと意得可し、其の故は仏は無量義経に四十余年は難行道無量義経は易行道と定め給う事金口の明鏡なり、竜樹菩薩仏の記文に当つて出世して諸経の意を演ぶ豈仏説なる難易の二道を破つて私に難易の二道を立てんや、随つて十住毘婆沙論の一部始中終を開くに全く法華経を難行の中に入れたる文之無く只華厳経の十地を釈するに第二地に至り畢つて宣べず、又此の論に諸経の歴劫修行の旨を挙ぐるに菩薩難行道に堕し二乗地に堕して永不成仏の思を成す由見えたり法華已前の論なる事疑無し、竜樹菩薩の意を知らずして此の論の難行の中に法華真言を入れたりと料簡するか、浄土の三師に於ては書釈を見るに難行雑行聖道の中に法華経を入れたる意粗之有り、然りと雖も法然が如き放言の事之無し、しかのみならず仏法を弘めん輩は教機時国教法流布の前後を・む可きか。
如来在世に前の四十余年には大小を説くと雖も説時至らざるの故に本懐を演べ給わず、機有りと雖も時無ければ大法を説き給わず、霊山八年の間誰か円機ならざる時も来る故に本懐を演べたもうに権機移つて実機と成る、法華経の流通並に涅槃経には実教を前とし権教を後とす可きの由見えたり、在世には実を隠して権を前にす滅後には実を前として権を後と為す可き道理顕然なり、然りと雖も天竺国には正法一千年の間は外道有り、一向小乗の国有り、又一向大乗の国有り、又大小兼学の国有り、漢土に仏法渡つても又天竺の如し、日本国に於ては外道も無く小乗の機も無く唯大乗の機のみ有り、大乗に於ても法華よりの外の機無し、但し仏法日本に渡り始めし時暫く小乗の三宗権大乗の三宗を弘むと雖も桓武の御宇に伝教大師の御時六宗情を破つて天台宗と成りぬ、倶舎成実律の三宗の学者も彼の教の如く七賢三道を経て見思を断じ二乗と成らんとは思わず、只彼の宗を習つて大乗の初門と為し彼の極を得んとは思わず、権大乗の三宗を習える者も五性各別等の宗義を捨てて一念三千五輪等の妙観を窺う、大小権実を知らざる在家の檀那等も一向に法華真言の学者の教に随つて之を供養する間日本一洲は印度震旦には似ず一向純円の機なり、恐くは霊山八年の機の如し、之を以て之を思うに浄土の三師は震旦権大乗の機に超えじ、法然に於ては純円の機純円の教純円の国を知らず、権大乗の一分為る観経等の念仏、権実をも弁えざる震旦の三師の釈之を以て此の国に流布せしめ実機に権法を授け、純円の国を権教の国と成し醍醐を嘗むる者に蘇味を与うるの失誠に甚だ多し。
 
題目弥陀名号勝劣事

 

南無妙法蓮華経と申す事は唱えがたく南無阿弥陀仏南無薬師如来なんど申す事は唱えやすく又文字の数の程も大旨は同けれども功徳の勝劣は遥に替りて候なり、天竺の習ひ仏出世の前には二天三仙の名号を唱えて天を願ひけるに仏世に出させ給いては仏の御名を唱ふ、然るに仏の名号を二天三仙の名号に対すれば天の名は瓦礫のごとし仏の名号は金銀如意宝珠等のごとし、又諸仏の名号は題目の妙法蓮華経に対すれば瓦礫と如意宝珠の如くに侍るなり、然るを仏教の中の大小権実をも弁へざる人師なんどが仏教を知りがほにして仏の名号を外道等に対して如意宝珠に譬へたる経文を見又法華経の題目を如意宝珠に譬へたる経文と喩の同きをもつて念仏と法華経とは同じ事と思へるなり、同じ事と思う故に又世間に貴と思う人の只弥陀の名号計を唱うるに随つて皆人一期の間一日に六万遍十万遍なんど申せども法華経の題目をば一期に一遍も唱へず、或は世間に智者と思はれたる人人外には智者気にて内には仏教を弁へざるが故に念仏と法華経とは只一なり南無阿弥陀仏と唱うれば法華経を一部よむにて侍るなんど申しあへり是は一代の諸経の中に一句一字もなき事なり、設ひ大師先徳の釈の中より出たりとも且は観心の釈か且はあて事かなんど心得べし、法華経の題目は過去に十万億の生身の仏に値ひ奉つて功徳を成就する人初めて妙法蓮華経の五字の名を聞き始めて信を致すなり、諸仏の名号は外道諸天二乗菩薩の名号にあはすれば瓦礫と如意宝珠の如くなれども法華経の題目に対すれば又瓦礫と如意宝珠との如し、当世の学者は法華経の題目と諸仏の名号とを功徳ひとしと思ひ又同じ事と思へるは瓦礫と如意宝珠とを同じと思ひ一と思うが如し、止観の五に云く「設い世を厭う者も下劣の乗を翫び枝葉に攀付し狗作務に狎れ・猴を敬いて帝釈と為し瓦礫を崇めて是明珠なりとす此の黒闇の人豈道を論ず可けんや」等云云、文の心は設ひ世をいとひて出家遁世して山林に身をかくし名利名聞をたちて一向後世を祈る人人も法華経の大乗をば修行せずして権教下劣の乗につきたる名号等を唱うるを瓦礫を明珠なんどと思いたる僻人に譬へ闇き悪道に行くべき者と書れて侍るなり、弘決の一には妙楽大師善住天子経をかたらせ給いて法華経の心を顕はして云く「法を聞いて謗を生じ地獄に堕するは恒沙の仏を供養する者に勝る等」云云、法華経の名を聞いてそしる罪は阿弥陀仏釈迦仏薬師仏等の恒河沙の仏を供養し名号を唱うるにも過ぎたりされば当世の念仏者の念仏を六万遍乃至十万遍申すなんど云へども彼にては終に生死をはなるべからず、法華経を聞くをば千中無一雑行未有一人得者なんど名けて或は抛よ或は門を閉じよなんど申す謗法こそ設ひ無間大城に堕るとも後に必生死は離れ侍らんずれ、同くは今生に信をなしたらばいかによく候なん。
問う世間の念仏者なんどの申す様は此身にて法華経なんどを破する事は争か候べき念仏を申すもとくとく極楽世界に参りて法華経をさとらんが為なり、又或は云く法華経は不浄の身にては叶ひがたし恐れもあり念仏は不浄をも嫌はねばこそ申し候へなんど申すはいかん、答えて云く此の四五年の程は世間の有智無智を嫌はず此の義をばさなんめりと思いて過る程に日蓮一代聖教をあらあら引き見るにいまだ此の二義の文を勘へ出さず詮ずるところ近来の念仏者並に有智の明匠とおぼしき人人の臨終の思うやうにならざるは是大謗法の故なり、人ごとに念仏申して浄土に生れて法華経をさとらんと思う故に穢土にして法華経を行ずる者をあざむき又行ずる者もすてて念仏を申す心は出来るなりと覚ゆ謗法の根本此の義より出たり、法華経こそ此の穢土より浄土に生ずる正因にては侍れ念仏等は未顕真実の故に浄土の直因にはあらず、然るに浄土の正因をば極楽にして後に修行すべき物と思ひ極楽の直因にあらざる念仏をば浄土の正因と思う事僻案なり、浄土門は春沙を田に蒔いて秋米を求め天月をすてて水に月を求るに似たり人の心に叶いて法華経を失ふ大術此の義にはすぎず、次に不浄念仏の事一切念仏者の師とする善導和尚法然上人は他事にはいわれなき事多けれども此の事にをいてはよくよく禁められたり、善導の観念法門経に云く酒肉五辛を手に取らざれ口にかまざれ手にとり口にもかみて念仏を申さば手と口に悪瘡付くべしと禁め法然上人は起請を書いて云く酒肉五辛を服して念仏申さば予が門弟にあらずと云云、不浄にして念仏を申すべしとは当世の念仏者の大妄語なり。
問うて云く善導和尚法然上人の釈を引くは彼の釈を用るや否や、答えて云くしからず念仏者の師たる故に彼がことば己が祖師に相違するが故に彼の祖師の禁めをもて彼を禁るなり、例せば世間の沙汰の彼が語の彼の文書に相違するを責るが如し、問うて云く善導和尚法然上人には何事の失あれば用いざるや、答えて云く仏の御遺言には我が滅度の後には四依の論師たりといへども法華経にたがはば用うべからずと涅槃経に返す返す禁め置かせ給いて侍るに法華経には我が滅度の後末法に諸経失せて後殊に法華経流布すべき由一所二所ならずあまたの所に説かれて侍り、随つて天台妙楽伝教安然等の義に此事分明なり、然るに善導法然法華経の方便の一分たる四十余年の内の未顕真実の観経等に依つて仏も説かせ給はぬ我が依経の読誦大乗の内に法華経をまげ入れて還つて我が経の名号に対して読誦大乗の一句をすつる時法華経を抛てよ門を閉じよ千中無一なんど書いて侍る僻人をば眼あらん人是をば用うべしやいなや。
疑つて云く善導和尚は三昧発得の人師本地阿弥陀仏の化身口より化仏を出せり、法然上人は本地大勢至菩薩の化身既に日本国に生れては念仏を弘めて頭より光を現ぜり争か此等を僻人と申さんや、又善導和尚法然上人は汝が見る程の法華経並に一切経をば見給はざらんや定めて其の故是あらんか、答えて云く汝が難ずる処をば世間の人人定めて道理と思はんか、是偏に法華経並に天台妙楽等の実経実義を述べ給へる文義を捨て善導法然等の謗法の者にたぼらかされて年久くなりぬるが故に思はする処なり、先ず通力ある者を信ぜば外道天魔を信ずべきか或る外道は大海を吸干し或る外道は恒河を十二年まで耳に湛えたり第六天の魔王は三十二相を具足して仏身を現ず、阿難尊者猶魔と仏とを弁へず善導法然が通力いみじしというとも天魔外道には勝れず、其の上仏の最後の禁しめに通を本とすべからずと見えたり、次に善導法然は一切経並に法華経をばおのれよりも見たりなんどの疑ひ是れ又謗法の人のためにはさもと思ひぬべし、然りといへども如来の滅後には先の人は多分賢きに似て後の人は大旨ははかなきに似たれども又先の世の人の世に賢き名を取りてはかなきも是あり、外典にも三皇五帝老子孔子の五経等を学びて賢き名を取れる人も後の人にくつがへされたる例是れ多きか、内典にも又かくの如し、仏法漢土に渡りて五百年の間は明匠国に充満せしかども光宅の法雲道場の慧観等には過ぎざりき、此等の人人は名を天下に流し智水を国中にそそぎしかども天台智者大師と申せし末の人彼の義どもの僻事なる由を立て申せしかば初には用ひず後には信用を加えし時始めて五百余年の間の人師の義どもは僻事と見えしなり、日本国にも仏法渡りて二百余年の間は異義まちまちにして何れを正義とも知らざりし程に伝教大師と申す人に破られて前二百年の間の私義は破られしなり、其の時の人人も当時の人の申す様に争か前前の人は一切経並に法華経をば見ざるべき定めて様こそあるらめなんと申しあひたりしかども叶はず経文に違ひたりし義どもなれば終に破れて止みにき、当時も又かくの如し此の五十余年が間は善導の千中無一法然が捨閉閣抛の四字等は権者の釈なればゆへこそあらんと思いてひら信じに信じたりし程に日蓮が法華経の或は悪世末法時或は於後末世或は令法久住等の文を引きむかへて相違をせむる時我が師の私義破れて疑いあへるなり、詮ずるところ後五百歳の経文の誠なるべきかの故に念仏者の念仏をもて法華経を失ひつるが還つて法華経の弘まらせ給うべきかと覚ゆ、但し御用心の御為に申す世間の悪人は魚鳥鹿等を殺して世路を渡る、此等は罪なれども仏法を失ふ縁とはならず懺悔をなさざれば三悪道にいたる、又魚鳥鹿等を殺して売買をなして善根を修する事もあり、此等は世間には悪と思はれて遠く善となる事もあり、仏教をもつて仏教を失ふこそ失ふ人も失ふとも思はず只善を修すると打ち思うて又そばの人も善と打ち思うてある程に思はざる外に悪道に堕つる事の出来候なり、当世には念仏者なんどの日蓮に責め落されて我が身は謗法の者なりけりと思う者も是あり、聖道の人人の御中にこそ実の謗法の人人は侍れ彼の人人の仰せらるる事は法華経を毀る念仏者も不思議なり念仏者を毀る日蓮も奇怪なり、念仏と法華とは一体の物なり、されば法華経を読むこそ念仏を申すよ念仏申すこそ法華経を読むにては侍れと思う事に候なりとかくの如く仰せらるる人人聖道の中にあまたをはしますと聞ゆ、随つて檀那も此の義を存じて日蓮並に念仏者をおこがましげに思へるなり先日蓮が是れ程の事をしらぬと思へるははかなし。
仏法漢土に渡り初めし事は後漢の永平なり渡りとどまる事は唐の玄宗皇帝開元十八年なり、渡れるところの経律論五千四十八巻訳者一百七十六人其の経経の中に南無阿弥陀仏は即南無妙法蓮華経なりと申す経は一巻一品もおはしまさざる事なり、其の上阿弥陀仏の名を仏説き出し給う事は始め華厳より終り般若経に至るまで四十二年が間に所所に説かれたり、但し阿含経をば除く一代聴聞の者是を知れり、妙法蓮華経と申す事は仏の御年七十二成道より已来四十二年と申せしに霊山にましまして無量義処三昧に入り給いし時文殊弥勒の問答に過去の日月燈明仏の例を引いて我燈明仏を見る乃至法華経を説かんと欲すと先例を引きたりし時こそ南閻浮提の衆生は法華経の御名をば聞き初めたりしか、三の巻の心ならば阿弥陀仏等の十六の仏は昔大通智勝仏の御時十六の王子として法華経を習つて後に正覚をならせ給へりと見えたり、弥陀仏等も凡夫にてをはしませし時は妙法蓮華経の五字を習つてこそ仏にはならせ給ひて侍れ、全く南無阿弥陀仏と申して正覚をならせ給いたりとは見えず、妙法蓮華経は能開なり南無阿弥陀仏は所開なり、能開所開を弁へずして南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よと物知りがほに申し侍るなり、日蓮幼少の時習いそこなひの天台宗真言宗に教へられて此の義を存じて数十年の間ありしなり、是れ存外の僻案なり但し人師の釈の中に一体と見えたる釈どもあまた侍る、彼は観心の釈か或は仏の所証の法門につけて述たるを今の人弁へずして全体一なりと思いて人を僻人に思うなり、御・迹あるべきなり、念仏と法華経と一つならば仏の念仏説かせ給いし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ、彼をば本懐ともをぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは念仏と一体ならざる事明白なり、其の上多くの真言宗天台宗の人人に値い奉りて候し時此の事を申しければされば僻案にて侍りけりと申す人是れ多し、敢て証文に経文を書いて進ぜず候はん限りは御用ひ有るべからず是こそ謗法となる根本にて侍れ、あなかしこあなかしこ。 
 
法華浄土問答抄

 

理即
名字即三諦の名を聞く
穢土観行即五品を明す
八十八使の見惑を断ず
法華宗立六即相似即八十一品の思惑を断ず
九品の塵沙を断ず
分真即四十一品の無明を断ず
報土
究竟即一品の無明を断ず
中品戒行世善等
穢土理即
浄土下品
名字即
浄土宗の所立観行即
報土相似即
分真即
究竟即
弁成の立、我が身叶い難きが故に且く聖道の行を捨閉し閣抛し浄土に帰し浄土に往生して法華を聞いて無生を悟ることを得べきなり。
日蓮難じて云く、我が身叶い難ければ穢土に於て法華経等教主釈尊等を捨閉し閣抛し浄土に至つて之を悟る可し等云云、何れの経文に依つて此くの如き義を立つるや、又天台宗の報土は分真即究竟即浄土宗の報土は名字即乃至究竟即等とは何れの経論釈に出でたるや、又穢土に於ては法華経等教主釈尊等を捨閉し閣抛し浄土に至つて法華経を悟る可しとは何れの経文に出でたるや。
弁成の立に、余の法華等の諸行等を捨閉し閣抛して念仏を用ゆる文は観経に云く「仏阿難に告ぐ汝好く是の語を持て是の語を持つ者は即ち是れ無量寿仏の名を持つ」文、浄土に往生して法華を聞くと云う事は文に云く「観世音大勢至大悲の音声を以つて其れが為に広く諸法実相除滅罪法を説く、聞き已つて歓喜し時に応じて即菩提の心を発す」文、余は繁き故に且く之を置く。
又日蓮難じて云く、観無量寿経は如来成道四十余年の内なり法華経は後八箇年の説なり如何んが已説の観経に兼ねて未説の法華経の名を載せて捨閉閣抛の可説と為す可きや、随つて「仏告阿難」等の文に至つては只弥陀念仏を勧進する文なり未だ法華経を捨閉し閣抛することを聞かず、何に況や無量義経に法華経を説かんが為に先ず四十余年の已説の経経を挙げて未顕真実と定め畢んぬ、豈未顕真実の観経の内に已顕真実の法華経を挙げて捨て乃至之を抛てと為す可きや、又云く「久しく此の要を黙して務めて速かに説かず」等云云、既に教主釈尊四十余年の間法華の名字を説かず何ぞ已説観経の念仏に対して此の法華経を抛たんや、次ぎに「下品下生諸法実相除滅罪法等」云云、夫れ法華経已前の実相其の数一に非ず先ず外道の内の長爪の実相内道の内の小乗乃至爾前の四教皆所詮の理は実相なり、何ぞ必ずしも已説の観経に載する所の実相のみ法華経に同じと意得べきや、今度慥なる証文を出して法然上人の無間の苦を救わるべきか。
又弁成の立に、観経は已説の経なりと雖も未来を面とする故に未来の衆生は未来に有る所の経巻之を読誦して浄土に往生すべし、既に法華等の諸経未来流布の故に之れを読誦して往生すべきか、其の法華を捨閉閣抛し観経の持無量寿仏の文に依つて法然是くの如く行じ給うか、観経の持無量寿仏の文の上に諸善を説き一向に無量寿仏を勧持せる故に申せしめ候、実相に於いても多く有りと云う難、彼は浄土の故に此の難来るべからず、法然上人聖道の行機堪え難き故に未来流布の法華を捨閉閣抛す、故に是れ慈悲の至進なれば此の慈悲を以て浄土に往生し全く地獄に堕すべからざるか。
日蓮難じて云く、観経を已説の経なりと云云、已説に於ては承伏か、観経の時未だ法華経を説かずと雖も未来を鑒みて捨閉閣抛すべしと法然上人は意得給うか云云、仏未来を鑒みて已説の経に未来の経を載せて之を制止すと云わば已説の小乗経に未説の大乗経を載せて之を制止すべきか、又已説の権大乗経に未説の実大乗経を載せて未来流布の法華経を制止せば、何が故に仏爾前経に於て法華の名を載せざる由、之を説きたまうや。
法然上人慈悲の事、慈悲の故に法華経と教主釈尊とを抛つなりと云わば所詮上に出す所の証文は未だ分明ならず慥なる証文を出して法然上人の極苦を救わる可きか、上の六品の諸行往生を下の三品の念仏に対して諸行を捨つ豈法華を捨つるに非ずや等云云、観無量寿経の上六品の諸行は法華已前の諸行なり、設い下の三品の念仏に対して上六品の諸行之を抛つとも但法華経は諸行に入らず何ぞ之を閣かんや、又法華の意は爾前の諸行と観経の念仏と共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給うなり、日蓮管見を以て一代聖教並びに法華経の文を勘うるに未だ之を見ず、法華経の名を挙げて或は之を抛ち或は其の門を閉ずる等と云う事を、若し爾らば法然上人の憑む所の弥陀本願の誓文並びに法華経の入阿鼻獄の釈尊の誡文如何ぞ之を免る可けんや、法然上人無間獄に堕せば所化の弟子並びに諸檀那等共に阿鼻大城に堕ちんか、今度分明なる証文を出して法然上人の阿鼻の炎を消さる可し云云。 
 
法華真言勝劣事

 

東寺の弘法大師空海の所立に云く法華経は猶華厳経に劣れり何に況や大日経等に於いてをやと云云、慈覚大師円仁智証大師円珍安然和尚等の云く法華経の理は大日経に同じ印と真言との事に於ては是れ猶劣れるなりと云云[其の所釈は余処に之を出す。]空海は大日経菩提心論等に依つて十住心を立てて顕密の勝劣を判ず、其の中に第六に他縁大乗心は法相宗第七に覚心不生心は三論宗第八に如実一道心は天台宗第九に極無自性心は華厳宗第十に秘密荘厳心は真言宗なり、此の所立の次第は浅き従り深きに至る其の証文は大日経の住心品と菩提心論とに出づと云えり、然るに出す所の大日経の住心品を見て他縁大乗覚心不生極無自性を尋ぬるに名目は経文に之有り然りと雖も他縁覚心極無自生の三句を法相三論華厳に配する名目は之無し、其の上覚心不生と極無自性との中間に如実一道の文義共に之無し、但し此の品の初に「云何なるか菩提謂く如実に自心を知る」等の文之有り、此の文を取つて此の二句の中間に置いて天台宗と名づけ華厳宗に劣るの由之を存す、住心品に於ては全く文義共に之無し、有文有義無文有義の二句を虧く信用に及ばず、菩提心論の文に於ても法華華厳の勝劣都て之を見ざる上、此の論は竜猛菩薩の論と云う事上古より諍論之れ有り、此の諍論絶えざる已前に亀鏡に立つる事は堅義の法に背く、其の上善無畏金剛智等評定有つて大日経の疏義釈を作れり一行阿闍梨の執筆なり、此の疏義釈の中に諸宗の勝劣を判ずるに法華経と大日経とは広略の異なりと定め畢んぬ、空海の徳貴しと雖も争か先師の義に背く可きやと云う難此れ強し[此れ安然の難なり]、之に依つて空海の門人之を陳ずるに旁陳答之有り或は守護経或は六波羅蜜経或は楞伽経或は金剛頂経等に見ゆと多く会通すれども総じて難勢を免れず、然りと雖も東寺の末学等大師の高徳を恐るるの間強ちに会通を加えんとすれども結句会通の術計之無く問答の法に背いて伝教大師最澄は弘法大師の弟子なりと云云、又宗論の甲乙等旁論ずる事之有りと云云。
日蓮案じて云く華厳宗の杜順智厳法蔵等法華経の始見今見の文に就いて法華華厳斉等の義之を存す、其の後澄観始今の文に依つて斉等の義を存すること祖師に違せず其の上一往の弁を加えて法華と華厳と斉等なりと云えり、但し華厳は法華経より先なり華厳経の時仏最初に法慧功徳林等の大菩薩に対して出世の本懐之を遂ぐ、然れども二乗並に下賎の凡夫等根機未熟の故に之を用いず、阿含方等般若等の調熟に依つて還つて華厳経に入らしむ此れを今見の法華経と名づく、大陣を破るに余残堅からざる等の如し、然れば実に華厳経法華経に勝れたり等と云云、本朝に於て勤操等に値いて此の義を習学す後に天台真言を学すと雖も旧執改まらざるが故に此の義を存するか、何に況や華厳経法華経に勝るの由は陳隋より已前南三北七皆此の義を存す、天台已後も又諸宗此の義を存せり但だ弘法一人に非ざるか、但し澄観始見今見の文に依つて華厳経は法華経より勝ると料簡する才覚に於ては天台智者大師涅槃経の「是経出世乃至如法華中」等の文に依つて法華涅槃斉等の義を存するのみに非ず又勝劣の義を存するは此の才覚を学びて此の義を存するか此の義若し僻案ならば空海の義も又僻見なる可きなり、天台真言の書に云く法華経と大日経とは広略の異なり略とは法華経なり、大日経と斉等の理なりと雖も印真言之を略する故なり、広とは大日経なり極理を説くのみに非ず印真言をも説く故なり、又法華経と大日経とに同劣の二義有り、謂く理同事劣なり、又二義有り一には大日経は五時の摂なり是れ与の義なり、二には大日経は五時の摂に非ず是れ奪の義なり、又云く法華経は譬えば裸形の猛者の如し大日経は甲冑を帯せる猛者なり等と云云、又云く印真言無きは其の仏を知る可からず等と云云。
日蓮不審して云く何を以て之を知る理は法華経と大日経と斉等なりと云う事を、答えて云く疏と義釈並に慈覚智証等の所釈に依るなり。
求めて云く此等の三蔵大師等は又何を以て之を知るや理は斉等の義なりと、答えて云く三蔵大師等をば疑う可からず等と云云、難じて云く此の義論義の法に非ざる上仏の遺言に違背す慥に経文を出す可し若し経文無くんば義分無かる可し如何、答う威儀形色経瑜祇経観智儀軌等なり、文は口伝す可し、問うて云く法華経に印真言を略すとは仏よりか経家よりか訳者よりか、答えて云く或は仏と云い或は経家と云い或は訳者と云うなり、不審して云く仏より真言印を略して法華経と大日経と理同事勝の義之有りといわば此の事何れの経文ぞや文証の所出を知らず我意の浮言ならば之を用ゆ可からず若し経家訳者より之を略すといわば仏説に於ては何ぞ理同事勝の釈を作る可きや法華経と大日経とは全躰斉なり能く能く子細を尋ぬ可きなり。
私に日蓮云く威儀形色経瑜祇経等の文の如くば仏説に於ては法華経に印真言有るか、若し爾らば経家訳者之を略せるが、六波羅蜜経の如きは経家之を略す、旧訳の仁王経の如きは訳者之を略せるか、若し爾らば天台真言の理同事異の釈は経家並に訳者の時より法華経大日経の勝劣なり、全く仏説の勝劣に非ず此れ天台真言の極なり、天台宗の義勢才覚の為に此の義を難ず、天台真言の僻見此くの如し、東寺所立の義勢は且く之を置く僻見眼前の故なり、抑天台真言宗の所立理同事勝に二難有り、一には法華経と大日経と理同の義其の文全く之無し、法華経と大日経と先後如何、既に義釈に二経の前後之を定め畢つて法華経は先き大日経は後なりと云へり、若し爾らば大日経は法華経の重説なる流通なり、一法を両度之を説くが故なり若し所立の如くば法華経の理を重ねて之を説くを大日経と云う、然れば則ち法華経と大日経と敵論の時は大日経の理之を奪つて法華経に付く可し、但し大日経の得分は但印真言計りなり、印契は身業真言は口業なり身口のみにして意無くば印真言有る可からず、手口等を奪つて法華経に付けなば手無くして印を結び口無くして真言を誦せば虚空に印真言を誦結す可きか如何、裸形の猛者と甲冑を帯せる猛者との譬の事、裸形の猛者の進んで大陣を破ると甲冑を帯せる猛者の退いて一陣をも破らざるとは何れが勝るるや、又猛者は法華経なり甲冑は大日経なり、猛者無くんば甲冑何の詮か之有らん此れは理同の義を難ずるなり、次に事勝の義を難ぜば法華経には印真言無く大日経には印真言之有りと云云、印契真言の有無に付て二経の勝劣を定むるに大日経に印真言有つて法華経に之無き故に劣ると云わば、阿含経には世界建立賢聖の地位是れ分明なり、大日経には之無し、彼の経に有る事が此の経に無きを以て勝劣を判ぜば大日経は阿含経より劣るか、雙観経等には四十八願是れ分明なり大日経に之無し、般若経には十八空是れ分明なり大日経には之無し、此等の諸経に劣ると云う可きか、又印真言無くんば仏を知る可からず等と云云、今反詰して云く理無くんば仏有る可からず仏無くんば印契真言一切徒然と成るべし。
彼難じて云く賢聖並に四十八願等をば印真言に対す可からず等と云云、今反詰して云く最上の印真言之無くば法華経は大日経等よりも劣るか、若し爾らば法華経には二乗作仏久遠実成之有り大日経には之無し印真言と二乗作仏久遠実成とを対論せば天地雲泥なり、諸経に印真言を簡わざるに大日経に之を説いて何の詮か有る可きや、二乗若し灰断の執を改めずんば印真言も無用なり、一代の聖教に皆二乗を永不成仏と簡い随つて大日経にも之を隔つ、皆成仏までこそ無からめ三分が二之を捨て百分が六十余分得道せずんば仏の大悲何かせん、凡そ理の三千之有つて成仏すと云う上には何の不足か有る可き成仏に於ては・なる仏中風の覚者は之有る可からず、之を以て案ずるに印真言は規模無きか、又諸経には始成正覚の旨を談じて三身相即の無始の古仏を顕さず、本無今有の失有れば大日如来は有名無実なり、寿量品に此の旨を顕す釈尊は天の一月諸仏菩薩は万水に浮べる影なりと見えたり、委細の旨は且く之を置く。
又印真言無くんば祈祷有る可からずと云云、是れ又以ての外の僻見なり、過去現在の諸仏法華経を離れて成仏す可からず法華経を以て正覚を成じ給う、法華経の行者を捨て給わば諸仏還つて凡夫と成り給うべし恩を知らざる故なり、又未来の諸仏の中の二乗も法華経を離れては永く枯木敗種なり、今は再生の華果なり、他経の行者と相論を為す時は華光如来光明如来等は何れの方に付く可きや、華厳経等の諸経の仏菩薩人天乃至四悪趣等の衆は皆法華経に於て一念三千久遠実成の説を聞いて正覚を成ず可し何れの方に付く可きや、真言宗等と外道並に小乗権大乗の行者等と敵対相論を為すの時は甲乙知り難し、法華経の行者に対する時は竜と虎と師子と兎との闘いの如く諍論分絶えたる者なり、慧亮脳を破りし時次第位に即き相応加持する時真済の悪霊伏せらるる等是なり、一向真言の行者は法華経の行者に劣れる証拠是なり、問うて云く義釈の意は法華経大日経共に二乗作仏久遠実成を明かすや如何、答えて云く共に之を明かす、義釈に云く「此の経の心の実相は彼の経の諸法実相なり」と云云、又云く「本初は是れ寿量の義なり」等と云云。
問うて云く華厳宗の義に云く華厳経には二乗作仏久遠実成之を明かす、天台宗は之を許さず、宗論は且く之を置く人師を捨てて本経を存せば華厳経に於ては二乗作仏久遠実成の相似の文之有りと雖も実には之無し、之を以て之を思うに義釈には大日経に於て二乗作仏久遠実成を存すと雖も実には之無きか如何、答えて云く華厳経の如く相似の文之有りと雖も実義之無きか、私に云く二乗作仏無くば四弘誓願満足す可からず、四弘誓願満たずんば又別願も満す可からず、総別の二願満せずんば衆生の成仏も有り難きか能く能く意得可し云云。
問うて云く大日経の疏に云く大日如来は無始無終なり遥に五百塵点に勝れたりと如何、答う毘廬遮那の無始無終なる事華厳浄名般若等の諸大乗経に之を説く独り大日経のみに非ず、問うて云く若し爾らば五百塵点は際限有れば有始有終なり無始無終は際限無し、然れば則ち法華経は諸経に破せらるるか如何、答えて云く他宗の人は此の義を存す天台一家に於て此の難を会通する者有り難きか、今大日経並に諸大乗経の無始無終は法身の無始無終なり三身の無始無終に非ず、法華経の五百塵点は諸大乗経の破せざる伽耶の始成之を破りたる五百塵点なり、大日経等の諸大乗経には全く此の義無し、宝塔の涌現地涌の涌出弥勒の疑寿量品の初の三誡四請弥勒菩薩領解の文に「仏希有の法を説きたもう昔より未だ曾つて聞かざる所なり」等の文是なり、大日経六巻並に供養法の巻金剛頂経蘇悉地経等の諸の真言部の経の中に未だ三止四請三誡四請二乗の劫国名号難信難解等の文を見ず。
問うて云く五乗の真言如何、答う未だ二乗の真言を知らず四諦十二因縁の梵語のみ有るなり、又法身平等に会すること有らんや。
問うて云く慈覚智証等理同事勝の義を存す争か此等の大師等に過ぎんや、答えて云く人を以て人を難ずるは仏の誡なり何ぞ汝仏の制誡に違背するや但経文を以て勝劣の義を存す可し、難じて云く末学の身として祖師の言に背かば之を難ぜざらんや、答う末学の祖師に違する之を難ぜば何ぞ智証慈覚の天台妙楽に違するを何ぞ之を難ぜざるや、問うて云く相違如何、答えて云く天台妙楽の意は已今当の三説の中に法華経に勝れたる経之れ有る可からず、若し法華経に勝れたる経之有りといわば一宗の宗義之を壊る可きの由之を存す、若し大日経法華経に勝るといわば天台妙楽の宗義忽に破る可きをや。
問うて云く天台妙楽の已今当の宗義証拠経文に有りや、答えて云く之れ有り法華経法師品に云く「我が所説の経典は無量千万億已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり」等と云云、此の経文の如くんば五十余年の釈迦所説の一切経の内には法華経は最第一なり、難じて云く真言師の云く法華経は釈迦所説の一切経の中に第一なり、大日経は大日如来所説の経なりと、答えて云く釈迦如来より外に大日如来閻浮提に於て八相成道して大日経を説けるか[是一]、六波羅蜜経に云く過去現在並に釈迦牟尼仏の所説の諸経を分ちて五蔵と為し其の中の第五の陀羅尼蔵は真言なりと真言の経釈迦如来の所説に非ずといわば経文に違す[是二]、「我所説経典」等の文は釈迦如来の正直捨方便の説なり大日如来の証明分身の諸仏広長舌相の経文なり[是三]、五仏の章尽く諸仏皆法華経を第一なりと説き給う[是四]、「要を以て之を言わば如来の一切の所有の法乃至皆此の経に於て宣示顕説す」等と云云、此の経文の如くならば法華経は釈迦所説の諸経の第一なるのみに非ず、大日如来十方無量諸仏の諸経の中に法華経第一なり、此の外一仏二仏の所説の諸経の中に法華経に勝れたるの経之有りと云わば信用す可からず[是五]、大日経等の諸の真言経の中に法華経に勝れたる由の経文之れ無し[是六]、仏より外の天竺震旦日本国の論師人師の中に天台大師より外の人師の所釈の中に一念三千の名目之無し、若し一念三千を立てざれば性悪の義之無し性悪の義之無くんば仏菩薩の普現色身不動愛染等の降伏の形十界の曼荼羅三十七尊等本無今有の外道の法に同じきか[是七]。
問うて云く七義の中に一一の難勢之有り然りと雖も六義は且く之を置く第七の義如何、華厳の澄観真言の一行等皆性悪の義を存す何ぞ諸宗に此の義無しと云うや、答えて云く華厳の澄観真言の一行は天台所立の義を盗んで自宗の義と成すか、此の事余処に勘えたるが如し、問うて云く天台大師の玄義の三に云く「法華は衆経を総括す乃至舌口中に爛る人情を以て彼の大虚を局ること莫れ」等と云云、釈籤の三に云く「法華宗極の旨を了せずして声聞に記する事相のみ華厳般若の融通無礙なるに如かずと謂う諌暁すれども止まず舌の爛れんこと何ぞ疑わん、乃至已今当の妙茲に於て固く迷えり舌爛れて止まざるは猶為れ華報なり謗法の罪苦長劫に流る」等と云云、若し天台妙楽の釈実ならば南三北七並に華厳法相三論東寺の弘法等舌爛れんこと何の疑有らんや、乃至苦流長劫の者なるか、是は且く之を置く慈覚智証等の親り此の宗義を承けたる者法華経は大日経より劣の義存す可し、若し其の義ならば此の人人の「舌爛口中苦流長劫」は如何、答えて云く此の義は最上の難の義なり口伝に存り云云。 
 
真言七重勝劣事/文永七年四十九歳御作

 

一法華大日二経の七重勝劣の事。
一尸那扶桑の人師一代聖教を判ずるの事。
一鎮護国家の三部の事。
一内裏に三宝有り内典の三部に当るの事。
一天台宗に帰伏する人人の四句の事。
一今経の位を人に配するの事。
一三塔の事。
一日本国仏神の座席の事。
法華大日二経の七重勝劣の事。
已今当第一
本門第一
法華経第一
「薬王今汝に告ぐ諸経の中に於いて最も其の上に在り」
迹門第二
涅槃経第二「是経出世」
無量義経第三「次に方等十二部経摩訶般若華厳海空を説く真実甚深真実甚深」
華厳経第四
般若経第五
蘇悉地経第六上に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」、中に云く「猶成就せずんば当に此の法を作すべし決定として成就せん、所謂乞食精勤念誦大恭敬巡八聖跡礼拝行道なり、或は復大般若経七遍或は一百遍を転読す」、下に云く「三時に常に大乗般若等の経を読め」大日経第七三国に未だ弘通せざる法門なり。
尸那扶桑の人師一代聖教を判ずるの事
華厳経第一
涅槃経第二南北の義晋斉等五百余年三百六十余人光宅を以て長と為す。
法華経第三
般若経第一吉蔵の義梁代の人なり。
法華経第一南岳の御弟子なり。
涅槃経第二天台智者大師の御義陳隋二代の人なり。
華厳経第三妙楽等之を用う。
深密経第一
法華経第二玄奘の義唐の始め太宗の御宇の人なり。
般若経第三
華厳経第一
法華経第二法蔵澄観等の義唐の半ば則天皇后の御宇の人なり。
涅槃経第三
大日経第一
法華経第二善無畏不空等の義唐の末玄宗の御宇の人なり。
諸経第三
法華経第一
涅槃経第二伝教の御義人王五十代桓武の御宇及び平城嵯峨の御代の人、比叡山諸経第三延暦寺なり。
大日経第一
華厳経第二弘法の義人王五十二代嵯峨淳和二代の人、東寺高野等なり。
法華経第三
大日経第一
法華経第二慈覚の義善無畏を以て師と為す、仁明文徳清和の三代、叡山講堂諸経第三総持院なり。智証之に同ず、園城寺なり。
鎮護国家の三部の事
法華経
密厳経不空三蔵大暦に法華寺に之を置く、大暦二年護摩寺を改めて法華寺を仁王経立つ、中央に法華経脇士に両部の大日なり。
法華経
浄名経聖徳太子人王三十四代推古天皇の御宇、四天王寺に之を置く摂津の国難波郡仏法最初の寺なり。
勝鬘経
法華経
金光明経伝教大師人王五十代桓武天皇の御宇、比叡山延暦寺止観院に之を置く、仁王経年分得度者一人は遮那業一人は止観業なり。
大日経
金剛頂経慈覚大師人王五十四代仁明天皇の御宇、比叡山東塔の西総持院に之を蘇悉地経置かる、御本尊は大日如来、金蘇の二疏十四巻安置せらる。
内裏に三宝有り内典の三部に当るの事。
神璽国の手験なり。
宝剣国適を禦ぐ財なり、平家の乱の時に海に入りて見えず。
内侍所天照太神影を浮かべ給う神鏡と云う、左馬頭頼茂に打たれて焼失す。
天台宗に帰伏する人人の四句の事
三論の嘉祥大師
一に身心倶に移る華厳の澄観法師
真言の善無畏不空
二に心移りて身移らず華厳の法蔵
法相の慈恩
三に身移りて心移らず慈覚大師
智証大師
四に身心倶に移らず弘法大師
今経の位を人に配するの事
鎌倉殿
征夷将軍無量義経
摂政涅槃経
院迹門十四品
天子本門十四品
三塔の事
中堂伝教大師の御建立止観遮那の二業を置く、御本尊は薬師如来なり、延暦年中の御建立王城の丑寅に当る、桓武天皇の御崇重、天子本命の道場と云う。
止観院天竺には霊鷲山と云い震旦には天台山と云い扶桑に本院は比叡山と云う、三国伝灯の仏法此に極まれり。
講堂慈覚大師の建立鎮護国家の道場と云う、御本尊は大日如来なり、承和年中の建立、止観院の西に真言の三部を置き是を東塔と云うなり、伝教の御弟子第三の座主なり。
総持院
西塔
釈迦堂円澄の建立伝教の御弟子なり。
宝幢院
横川
観音堂慈覚の建立
楞厳院
日本国仏神の座席の事
問う吾が朝には何れの仏を以て一の座と為し何れの法を以て一の座と為し何れの僧を以て一の座と為すや、答う観世音菩薩を以て一の座と為し真言の法を以て一の座と為し東寺の僧を以て一の座と為すなり。
問う日本には人王三十代に仏法渡り始めて後は山寺種種なりと雖も延暦寺を以て天子本命の道場と定め鎮護国家の道場と定む、然して日本最初の本尊釈迦を一の座と為す然らずんば延暦寺の薬師を以て一の座と為すか、又代代の帝王起請を書いて山の弟子とならんと定め給ふ故に法華経を以て法の一の座と為し延暦寺の僧を以て一の座と為す可し、何ぞ仏を本尊とせず菩薩を以て諸仏の一の座と為すや、答う尤も然る可しと雖も慈覚の御時叡山は真言になる東寺は弘法の真言を建立す故に共に真言師なり、共に真言師なるが故に東寺を本として真言を崇む真言を崇むる故に観音を以て本尊とす真言には菩薩をば仏にまされりと談ずるなり、故に内裏に毎年正月八日の内道場の法行わる東寺の一の長者を召して行わる若し一の長者暇有らざれば二の長者行うべし三までは及ぼす可からず云云、故に仏には観音法には真言僧には東寺法師なり、比叡山をば鬼門の方とて之を下す譬えば武士の如しと云うて崇めざるなり故に日本国は亡国とならんとするなり。
問う神の次第如何、答う天照太神を一の座と為し八幡大菩薩を第二の座と為す是より已下の神は三千二百三十二社なり。
 
真言天台勝劣事/文永七年四十九歳御作

 

問う何なる経論に依つて真言宗を立つるや、答う大日経金剛頂経蘇悉地経並びに菩提心論此の三経一論に依つて真言宗を立つるなり、問う大日経と法華経と何れか勝れたるや、答う法華経は或は七重或いは八重の勝なり大日経は七八重の劣なり、難じて云く驚いて云く古より今に至るまで法華より真言劣ると云う義都て之無し之に依つて弘法大師は十住心を立てて法華は真言より三重の劣と釈し給へり覚鑁は法華は真言の履取に及ばずと釈せり打ち任せては密教勝れ顕教劣るなりと世挙つて此を許す七重の劣と云う義は甚珍しき者をや、答う真言は七重の劣と云う事珍しき義なりと驚かるるは理なり、所以に法師品に云く「已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経は最も為れ難信難解なり」云云、又云く「諸経の中に於て最も其の上に在り」云云、此の文の心は法華は一切経の中に勝れたり[此其一]、次に無量義経に云く「次に方等十二部経摩訶般若華厳海空を説く」云云、又云く「真実甚深甚深甚深なり」云云、此の文の心は無量義経は諸経の中に勝れて甚深の中にも猶甚深なり然れども法華の序分にして機もいまだなましき故に正説の法華には劣るなり[此其二]、次に涅槃経の九に云く「是の経の世に出ずるは彼の果実の利益する所多く一切を安楽ならしむるが如く能く衆生をして仏性を見せしむ、法華の中の八千の声聞記・を得授するが如く大果実を成じ秋収冬蔵して更に所作無きが如し」云云、籤の一に云く「一家の義意謂く二部同味なれども然も涅槃尚劣る」云云、此の文の心は涅槃経も醍醐味法華経も醍醐味同じ醍醐味なれども涅槃経は尚劣るなり法華経は勝れたりと云へり、涅槃経は既に法華の序分の無量義経よりも劣り醍醐味なるが故に華厳経には勝たり[此其三]、次に華厳経は最初頓説なるが故に般若には勝れ涅槃経の醍醐味には劣れり[此其四]、次に蘇悉地経に云く「猶成ぜざらん者は或は復大般若経を転読すること七遍」云云、此の文の心は大般若経は華厳経には劣り蘇悉地経には勝ると見えたり[此其五]、次に蘇悉地経に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」云云、此の文の心は蘇悉地経は大般若経には劣り大日経金剛頂経には勝ると見えたり[此其六]、此の義を以て大日経は法華経より七重の劣とは申すなり法華の本門に望むれば八重の劣とも申すなり。
次に弘法大師の十住心を立てて法華は三重劣ると云う事は安然の教時義と云う文に十住心の立様を破して云く五つの失有り謂く一には大日経の義釈に違する失二には金剛頂経に違する失三には守護経に違する失四には菩提心論に違する失五には衆師に違する失なり、此の五つの失を陳ずる事無くしてつまり給へり、然る間法華は真言より三重の劣と釈し給へるが大なる僻事なり謗法に成りぬと覚ゆ、次に覚鑁の法華は真言の履取に及ばずと舎利講の式に書かれたるは舌に任せたる言なり証拠無き故に専ら謗法なる可し、次に世を挙げて密教勝れ顕教劣ると此を許すと云う事是れ偏に弘法を信じて法を信ぜざるなり、所以に弘法をば安然和尚五失有りと云うて用いざる時は世間の人は何様に密教勝ると思ふ可き抑密教勝れ顕教劣るとは何れの経に説きたるや是又証拠無き事を世を挙げて申すなり、猶難じて云く大日経等は是中央大日法身無始無終の如来法界宮或は色究竟天他化自在天にして菩薩の為に真言を説き給へり法華は釈迦応身霊山にして二乗の為に説き給へり或は釈迦は大日の化身なりとも云へり、成道の時は大日の印可を蒙て・字の観を教えられ後夜に仏になるなり大日如来だにもましまさずば争か釈迦仏も仏に成り給うべき此等の道理を以て案ずるに法華より真言勝れたる事は云うに及ばざるなり、答えて云く依法不依人の故にいかやうにも経説のやうに依る可きなり、大日経は釈迦の大日となつて説き給へる経なり故に金光明と最勝王経との第一には中央釈迦牟尼と云へり又金剛頂経の第一にも中央釈迦牟尼仏と云へり大日と釈迦とは一つ中央の仏なるが故に大日経をば釈迦の説とも云うべし大日の説とも云うべし、又毘盧遮那と云うは天竺の語大日と云うは此の土の語なり釈迦牟尼を毘盧遮那と名づくと云う時は大日は釈迦の異名なり加之旧訳の経に盧舎那と云うをば新訳の経には毘盧遮那と云う然る間新訳の経の毘盧遮那法身と云うは旧訳の経の盧舎那他受用身なり、故に大日法身と云うは法華経の自受用報身にも及ばず況や法華経の法身如来にはまして及ぶ可からず法華経の自受用身と法身とは真言には分絶えて知らざるなり法報不分二三莫弁と天台宗にもきらはるるなり、随つて華厳経の新訳には或は釈迦と称づけ或は毘盧遮那と称くと説けり故に大日は只是釈迦の異名なりなにしに別の仏とは意得可きや、次に法身の説法と云う事何れの経の説ぞや弘法大師の二教論には楞伽経に依つて法身の説法を立て給へり、其の楞伽経と云うは釈迦の説にして未顕真実の権教なり法華経の自受用身に及ばざれば法身の説法とはいへどもいみじくもなし此の上に法は定んで説かず報は二義に通ずるの二身の有るをば一向知らざるなり、故に大日法身の説法と云うは定んで法華の他受用身に当るなり、次に大日無始無終と云う事既に「我昔道場に坐して四魔を降伏す」とも宣べ又「四魔を降伏し六趣を解脱し一切智智の明を満足す」等云云、此等の文は大日は始て四魔を降伏して始て仏に成るとこそ見えたれ全く無始の仏とは見えず、又仏に成りて何程を経ると説かざる事は権教の故なり実教にこそ五百塵点等をも説きたれ、次に法界宮とは色究竟天か又何れの処ぞや色究竟天或は他化自在天は法華宗には別教の仏の説処と云うていみじからぬ事に申すなり又菩薩の為に説くとも高名もなし例せば華厳経は一向菩薩の為なれども尚法華の方便とこそ云はるれ、只仏出世の本意は仏に成り難き二乗の仏に成るを一大事とし給へりされば大論には二乗の仏に成るを密教と云ひ二乗作仏を説かざるを顕教と云へり、此の趣ならば真言の三部経は二乗作仏の旨無きが故に還つて顕教と云ひ法華は二乗作仏を旨とする故に密教と云う可きなり、随つて諸仏秘密の蔵と説けば子細なし世間の人密教勝ると云うはいかやうに意得たるや但し「若し顕教に於て修行する者は久く三大無数劫を経」等と云えるは既に三大無数劫と云う故に是三蔵四阿含経を指して顕教と云いて権大乗までは云わず況や法華実大乗までは都て云わざるなり。
次に釈迦は大日の化身・字を教えられてこそ仏には成りたれと云う事此は偏に六波羅蜜経の説なり、彼の経一部十巻は是れ釈迦の説なり大日の説には非ず是れ未顕真実の権教なり随つて成道の相も三蔵経の教主の相なり六年苦行の後の儀式なるをや、彼の経説の五味を天台は盗み取つて己が宗に立つると云う無実を云い付けらるるは弘法大師の大なる僻事なり、所以に天台は涅槃経に依つて立て給へり全く六波羅蜜経には依らず況んや天台死去の後百九十年あつて貞元四年に渡る経なり何として天台は見給うべき不実の過弘法大師にあり、凡そ彼の経説は皆未顕真実なり之を以て法華経を下さん事甚だ荒量なり、猶難じて云く如何に云うとも印真言三摩耶尊形を説く事は大日経程法華経には之無く事理倶密の談は真言ひとりすぐれたり、其の上真言の三部経は釈迦一代五時の摂属に非ずされば弘法大師の宝鑰には釈摩訶衍論を証拠として法華は無明の辺域戯論の法と釈し給へり爰を以て法華劣り真言勝ると申すなり、答う凡そ印相尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず設い之を説くとも権実大小の差別浅深有るべし、所以に阿含経等にも印相有るが故に必ず法華に印相尊形を説くことを得ずして之を説かざるに非ず説くまじければ是を説かぬにこそ有れ法華は只三世十方の仏の本意を説いて其形がとあるかうあるとは云う可からず、例せば世界建立の相を説かねばとて法華は倶舎より劣るとは云う可からざるが如し、次に事理倶密の事法華は理秘密真言は事理倶密なれば勝るとは何れの経に説けるや抑法華の理秘密とは何様の事ぞや、法華の理とは迹門開権顕実の理か其の理は真言には分絶えて知らざる理なり、法華の事とは又久遠実成の事なり此の事又真言になし真言に云う所の事理は未開会の権教の事理なり何ぞ法華に勝る可きや、次に一代五時の摂属に非ずと云う事是れ往古より諍なり唐決には四教有るが故に方等部に摂すと云へり、教時義には一切智智一味の開会を説くが故に法華の摂と云へり、二義の中に方等の摂と云うは吉き義なり、所以に一切智智一味の文を以て法華の摂と云う事甚だいはれなし彼は法開会の文にして全く人開会なし争か法華の摂と云わるべき、法開会の文は方等般若にも盛んに談ずれども法華に等き事なし彼の大日経の始終を見るに四教の旨具にあり尤も方等の摂と云う可し、所以に開権顕実の旨有らざれば法華と云うまじ一向小乗三蔵の義無ければ阿含の部とも云う可からず、般若畢竟空を説かねば般若部とも云う可からず、大小四教の旨を説くが故に方等部と云わずんば何れの部とか云わん、又一代五時を離れて外に仏法有りと云う可からず若し有らば二仏並出の失あらん、又其の法を釈迦統領の国土にきたして弘む可からず、次に弘法大師釈摩訶衍論を証拠と為て法華を無明の辺域戯論の法と云う事是れ以ての外の事なり、釈摩訶衍論は竜樹菩薩の造なり、是は釈迦如来の御弟子なり争か弟子の論を以て師の一代第一と仰せられし法華経を押下して戯論の法等と云う可きや、而も論に其の明文無く随つて彼の論の法門は別教の法門なり権経の法門なり是円教に及ばず又実教に非ず何にしてか法華を下す可き、其の上彼の論に幾の経をか引くらんされども法華経を引く事は都て之無し権論の故なり、地体弘法大師の華厳より法華を下されたるは遥に仏意にはくひ違いたる心地なり、ゆべからず用ゆべからず。 
 
真言諸宗違目/文永九年五月五十一歳御作

 

土木殿等の人人御中
空に読み覚えよ老人等は具に聞き奉れ早早に御免を蒙らざる事は之を歎く可からず定めて天之を抑うるか、藤河入道を以て之を知れ去年流罪有らば今年横死に値う可からざるか彼を以て之を惟うに愚者は用いざる事なり、日蓮が御免を蒙らんと欲するの事を色に出す弟子は不孝の者なり、敢て後生を扶く可からず、各各此の旨を知れ。
真言宗は天竺より之無し開元の始に善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵等天台大師己証の一念三千の法門を盗んで大日経に入れて之を立て真言宗と号す、華厳宗は則天皇后の御宇に之を始む、澄観等天台の十乗の観法を盗んで華厳経に入れて之を立て華厳宗と号す、法相三論は言うに足らず、禅宗は梁の世に達磨大師楞伽経等を以てす大乗の空の一分なり、其の学者等大慢を成して教外別伝等と称し一切経を蔑如す天魔の所為なり、浄土宗は善導等観経等を見て一分の慈悲を起し摂地二論の人師に向つて一向専修の義を立て畢んぬ、日本の法然之を・り天台真言等を以て雑行に入れ末代不相応の思いを為して国中を誑惑して長夜に迷わしむ、之を明めし導師は但日蓮一人なるのみ。
涅槃経に云く「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵嘖し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり」等云云、潅頂章安大師云く「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり彼が為に悪を除くは即ち彼が親なり」等云云、法然が捨閉閣抛禅家等が教外別伝若し仏意に叶わずんば日蓮は日本国の人の為には賢父なり聖親なり導師なり、之を言わざれば一切衆生の為に「無慈詐親即是彼怨」の重禍脱れ難し、日蓮既に日本国の王臣等の為には「為彼除悪即是彼親」に当れり此の国既に三逆罪を犯す天豈之を罰せざらんや、涅槃経に云く「爾の時に世尊地の少しの土を取つて之を抓の上に置いて迦葉に告げて言わく是の土多きや十方世界の地土多きや、迦葉菩薩仏に白して言さく世尊抓の上の土は十方所有の土の比ならざるなり○四重禁を犯し五逆罪を作つて○一闡提と作つて諸の善根を断じ是の経を信ぜざるものは十方界所有の地土の如し○五逆罪を作らず○一闡提と作らず善根を断ぜず是くの如き等の涅槃経典を信ずるは抓の上の土の如し」等云云、経文の如くんば当世日本国は十方の地土の如く日蓮は抓の上の土の如し。
法華経に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈」等云云、法滅尽経に云く「吾般泥・の後五逆濁世に魔道興盛なり魔沙門と作つて吾が道を壊乱す○悪人転た多くして海中の沙の如し劫尽きんとする時日月転た短く善者甚だ少くして若しは一若しは二人」等云云、又云く「衆魔の比丘命終の後精神当に無択地獄に堕つべし」等云云、今道隆が一党良観が一党聖一が一党日本国の一切の四衆等は是の経文に当るなり、法華経に云く「仮使い劫焼に乾れたる草を担い負いて中に入つて焼けざらんも亦未だ難しとせず我が滅度の後に若し此の経を持つて一人の為にも説かん是れ則ち為れ難し」等云云、日蓮は此の経文に当れり、「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん」等云云、仏陀記して云く後の五百歳に法華経の行者有つて諸の無智の者の為に必ず悪口罵詈刀杖瓦礫流罪死罪せられん等云云、日蓮無くば釈迦多宝十方の諸仏の未来記は当に大妄語なるべきなり。
疑つて云く汝当世の諸人に勝るることは一分爾る可し真言華厳三論法相等の元祖に勝るとは豈に慢過慢の者に非ずや過人法とは是なり汝必ず無間大城に堕つ可し、故に首楞厳経に説いて云く「譬えば窮人妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るが如し況んや復法王如何ぞ妄りに竊まん因地直からざれば果紆曲を招かん」等云云、涅槃経に云く「云何なる比丘か過人法に堕する○未だ四沙門果を得ず云何んぞ当に諸の世間の人をして我は已に得たりと謂わしむべき」等云云、答えて云く法華経に云く「又大梵天王の一切衆生の父の如く」又云く「此の経は○諸経の中の王なり最も為れ第一なり能く是の経典を受持すること有らん者は亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」等云云、伝教大師の秀句に云く「天台法華宗の諸宗に勝れたるは所宗の経に拠るが故なり自讃毀他ならず庶くは有智の君子経を尋ねて宗を定めよ」等云云、星の中に勝れたる月星月の中に勝れたるは日輪なり、小国の大臣は大国の無官より下る傍例なり、外道の五通を得るより仏弟子の小乗の三賢の者の未だ一通を得ざるは天地猶勝る、法華経の外の諸経の大菩薩は法華の名字即の凡夫より下れり何ぞ汝始めて之を驚かんや教に依つて人の勝劣を定む先ず経の勝劣を知らずんば何ぞ人の高下を論ぜんや。
問うて云く汝法華経の行者為らば何ぞ天汝を守護せざるや、答えて云く法華経に云く「悪鬼其の身に入る」等云云、首楞厳経に云く「修羅王有り世界を執持して能く梵王及び天の帝釈四天と権を諍う此の阿修羅は変化に因つて有り天趣の所摂なり」等云云。
能く大梵天王帝釈四天と戦う大阿修羅王有りて禅宗念仏宗律宗等の棟梁の心中に付け入つて次第に国主国中に遷り入つて賢人を失う、是くの如き大悪は梵釈も猶防ぎ難きか何に況んや日本守護の小神をや但地涌千界の大菩薩釈迦多宝諸仏の御加護に非ざれば叶い難きか、日月は四天の明鏡なり、諸天定めて日蓮を知りたまうか日月は十方世界の明鏡なり諸仏も定めて日蓮を知りたまうか、一分も之を疑う可からず、但し先業未だ尽きざるなり日蓮流罪に当れば教主釈尊衣を以て之を覆いたまわんか、去年九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか「必ず心の固きに仮りて神の守り即ち強し」等とは是なり、汝等努努疑うこと勿れ決定して疑い有る可からざる者なり、恐恐謹言。
此の書を以て諸人に触れ示して恨を残すこと勿れ。
土木殿 
 
真言見聞/文永九年七月五十一歳御作

 

問う真言亡国とは証文何なる経論に出ずるや、答う法華誹謗正法向背の故なり、問う亡国の証文之無くば云何に信ず可きや、答う謗法の段は勿論なるか若し謗法ならば亡国堕獄疑い無し、凡そ謗法とは謗仏謗僧なり三宝一体なる故なり是れ涅槃経の文なり、爰を以て法華経には「即ち一切世間の仏種を断ず」と説く是を即ち一闡提と名づく涅槃経の一と十と十一とを委細に見る可きなり、罪に軽重有れば獄に浅深を構えたり、殺生偸盗等乃至一大三千世界の衆生を殺害すれども等活黒繩等の上七大地獄の因として無間に堕つることは都て無し、阿鼻の業因は経論の掟は五逆七逆因果撥無正法誹謗の者なり、但し五逆の中に一逆を犯す者は無間に堕つと雖も一中劫を経て罪を尽して浮ぶ、一戒をも犯さず道心堅固にして後世を願うと雖も法華に背きぬれば無間に堕ちて展転無数劫と見えたり、然れば即ち謗法は無量の五逆に過ぎたり、是を以て国家を祈らんに天下将に泰平なるべしや、諸法は現量に如かず承久の兵乱の時関東には其の用意もなし国主として調伏を企て四十一人の貴僧に仰せて十五壇の秘法を行はる、其の中に守護経の法を紫宸殿にして御室始めて行わる七日に満ぜし日京方負け畢んぬ亡国の現証に非ずや、是は僅に今生の小事なり権教邪法に依つて悪道に堕ちん事浅かるべし。
問う権教邪宗の証文は如何既に真言教の大日覚王の秘法は即身成仏の奥蔵なり、故に上下一同に是の法に帰し天下悉く大法を仰ぐ海内を静め天下を治むる事偏に真言の力なり、権教邪法と云う事如何、答う権教と云う事四教含蔵帯方便の説なる経文顕然なり、然れば四味の諸教に同じて久遠を隠し二乗を隔つ況んや尽形寿の戒等を述ぶれば小乗権教なる事疑無し、爰を以て遣唐の疑問に禅林寺の広修国清寺の維・の決判分明に方等部の摂と云うなり、疑つて云く経文の権教は且く之を置く唐決の事は天台の先徳円珍大師之を破す、大日経の指帰に「法華すら尚及ばず況や自余の教をや」云云、既に祖師の所判なり誰か之に背く可きや、決に云く「道理前の如し」依法不依人の意なり但し此の釈を智証の釈と云う事不審なり、其の故は授決集の下に云く「若し法華華厳涅槃等の経に望めば是れ摂引門」と云へり、広修維・を破する時は法華尚及ばずと書き授決集には是れ摂引門と云つて二義相違せり指帰が円珍の作ならば授決集は智証の釈に非ず、授決集が実ならば指帰は智証の釈に非じ、今此の事を案ずるに授決集が智証の釈と云う事天下の人皆之を知る上、公家の日記にも之を載せたり指帰は人多く之を知らず公家の日記にも之無し、此を以つて彼を思うに後の人作つて智証の釈と号するが能く能く尋ぬ可き事なり、授決集は正しき智証の自筆なり、密家に四句の五蔵を設けて十住心を立て論を引き伝を三国に寄せ家家の日記と号し我が宗を厳るとも皆是れ妄語胸臆の浮言にして荘厳己義の法門なり、所詮法華経は大日経より三重の劣戯論の法にして釈尊は無明纒縛の仏と云う事慥なる如来の金言経文を尋ぬ可し、証文無くんば何と云うとも法華誹謗の罪過を免れず此の事当家の肝心なり返す返す忘失する事勿れ、何れの宗にも正法誹謗の失之有り対論の時は但此の一段に在り仏法は自他宗異ると雖も翫ぶ本意は道俗貴賎共に離苦得楽現当二世の為なり、謗法に成り伏して悪道に堕つ可くば文殊の智慧富楼那の弁説一分も無益なり無間に堕つる程の邪法の行人にて国家を祈祷せんに将た善事を成す可きや、顕密対判の釈は且らく之を置く華厳に法華劣ると云う事能く能く思惟す可きなり、華厳経の十二に云く[四十華厳なり]「又彼の所修の一切功徳六分の一常に王に属す○是くの如く修及び造を障る不善所有の罪業六分の一還つて王に属す」文、六波羅蜜経の六に云く「若し王の境内に殺を犯す者有れば其の王便ち第六分の罪を獲ん偸盗邪行及び妄語も亦復是くの如し何を以ての故に若しは法も非法も王為れ根本なれば罪に於いても福に於いても第六の一分は皆王に属するなり」云云、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に他方の怨賊来り国人喪乱に遭わん」等云云、大集経に云く「若し復諸の刹利国王諸の非法を作し世尊の声聞の弟子を悩乱し若しは以て毀罵し刀杖もて打斫し及び衣鉢種種の資具を奪い若しは他の給施に留難を作す者有らば、我等彼をして自然に卒に他方の怨敵を起さしめ及び自の国土にも亦兵起疫病饑饉非時風雨闘諍言訟せしめ又其の王久しからずして復当に己が国を亡失すべからしむ」云云、大三界義に云く「爾の時に諸人共に聚りて衆の内に一の有徳の人を立て名けて田主と為して各所収の物六分の一を以て以て田主に貢輸す一人を以て主と為し政法を以て之を治む、茲に因つて以後刹利種を立て大衆欽仰して恩率土に流る復大三末多王と名ずく」〔已上倶舎に依り之を出すなり。〕
顕密の事、無量義経十功徳品に云く[第四功徳の下]「深く諸仏秘密の法に入り演説す可き所違無く失為し」と、抑大日の三部を密説と云ひ法華経を顕教と云う事金言の所出を知らず、所詮真言を密と云うは是の密は隠密の密なるか微密の密なるか、物を秘するに二種有り一には金銀等を蔵に篭むるは微密なり、二には疵片輪等を隠すは隠密なり、然れば即ち真言を密と云うは隠密なり其の故は始成と説く故に長寿を隠し二乗を隔つる故に記小無し、此の二は教法の心髄文義の綱骨なり、微密の密は法華なり、然れば即ち文に云く四の巻法師品に云く「薬王此の経は是れ諸仏秘要の蔵なり」云云、五の巻安楽行品に云く「文殊師利此の法華経は諸仏如来秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」云云、寿量品に云く「如来秘密神通之力」云云、如来神力品に云く「如来一切秘要之蔵」云云、しかのみならず真言の高祖竜樹菩薩法華経を秘密と名づく二乗作仏有るが故にと釈せり、次に二乗作仏無きを秘密とせずば真言は即ち秘密の法に非ず、所以は何ん大日経に云く「仏不思議真言相道の法を説いて一切の声聞縁覚を共にせず亦世尊普く一切衆生の為にするに非ず」云云、二乗を隔つる事前四味の諸教に同じ、随つて唐決には方等部の摂と判ず経文には四教含蔵と見えたり、大論第百巻に云く〔第九十品を釈す〕「問うて曰く更に何れの法か甚深にして般若に勝れたる者有つて般若を以て阿難に嘱累し而も余の経をば菩薩に嘱累するや、答えて曰く般若波羅蜜は秘密の法に非ず而も法華等の諸経に阿羅漢の受決作仏を説いて大菩薩能く受用す譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云、玄義の六に云く「譬えば良医の能く毒を変じて薬と為すが如く二乗の根敗反た復すること能わず之を名づけて毒と為す今経に記を得るは即ち是れ毒を変じて薬と為す、故に論に云く余経は秘密に非ずとは法華を秘密と為せばなり、復本地の所説有り諸経に無き所後に在つて当に広く明すべし」云云、籤の六に云く「第四に引証の中論に云く等と言うは大論の文証なり秘密と言うは八経の中の秘密には非ず但是れ前に未だ説かざる所を秘と為し開し已れば外無きを密と為す」文、文句の八に云く「方等般若に実相の蔵を説くと雖も亦未だ五乗の作仏を説かず亦未だ発迹顕本せず頓漸の諸経は皆未だ融会せず故に名づけて秘と為す」文、記の八に云く「大論に云く法華は是れ秘密諸の菩薩に付すと、今の下の文の如きは下方を召すに尚本眷属を待つ験けし余は未だ堪えざることを」云云、秀句の下に竜女の成仏を釈して「身口密なり」と云えり云云、此等の経論釈は分明に法華経を諸仏は最第一と説き秘密教と定め給へるを経論に文証も無き妄語を吐き法華を顕教と名づけて之を下し之を謗ず豈大謗法に非ずや。
抑も唐朝の善無畏金剛智等法華経と大日経の両経に理同事勝の釈を作るは梵華両国共に勝劣か、法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば無量の事有れども流沙葱嶺等の険難五万八千里十万里の路次容易ならざる間枝葉をば之を略せり、此等は併ながら訳者の意楽に随つて広を好み略を悪む人も有り略を好み広を悪む人も有り、然れば即ち玄弉は広を好んで四十巻の般若経を六百巻と成し、羅什三蔵は略を好んで千巻の大論を百巻に縮めたり、印契真言の勝るると云う事是を以て弁え難し、羅什所訳の法華経には是を宗とせず不空三蔵の法華の儀軌には印真言之有り、仁王経も羅什の所訳には印真言之無し不空所訳の経には之を副えたり知んぬ是れ訳者の意楽なりと、其の上法華経には「為説実相印」と説いて合掌の印之有り、譬喩品には「我が此の法印世間を利益せんと欲するが為の故に説く」云云、此等の文如何只広略の異あるか、又舌相の言語皆是れ真言なり、法華経には「治生の産業は皆実相と相違背せず」と宣べ、亦「是れ前仏経中に説く所なり」と説く此等は如何、真言こそ有名無実の真言未顕真実の権教なれば成仏得道跡形も無く始成を談じて久遠無ければ性徳本有の仏性も無し、三乗が仏の出世を感ずるに三人に二人を捨て三十人に二十人を除く、「皆令入仏道」の仏の本願満足す可からず十界互具は思いもよらずまして非情の上の色心の因果争か説く可きや。
然らば陳隋二代の天台大師が法華経の文を解りて印契の上に立て給へる十界互具百界千如一念三千を善無畏は盗み取つて我が宗の骨目とせり、彼の三蔵は唐の第七玄宗皇帝の開元四年に来る如来入滅より一千六百六十四年か、開皇十七年より百二十余年なり何ぞ百二十余年已前に天台の立て給へる一念三千の法門を盗み取つて我が物とするや、而るに己が依経たる大日経には衆生の中に機を簡ひ前四味の諸経に同じて二乗を簡へり、まして草木成仏は思いもよらずされば理を云う時は盗人なり、又印契真言何れの経にか之を簡える若し爾れば大日経に之を説くとも規模ならず、一代に簡われ諸経に捨てられたる二乗作仏は法華に限れり、二乗は無量無辺劫の間千二百余尊の印契真言を行ずとも法華経に値わずんば成仏す可からず、印は手の用真言は口の用なり其の主が成仏せざれば口と手と別に成仏す可きや、一代に超過し三説に秀でたる二乗の事をば物とせず事に依る時は印真言を尊む者劣謂勝見の外道なり。
無量義経説法品に云く「四十余年未顕真実」文、一の巻に云く「世尊は法久くして後要ず当に真実を説きたもうべし」文、又云く「一大事の因縁の故に世に出現したもう」文、四の巻に云く「薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経あり而も此の経の中に於て法華最も第一なり」文、又云く「已に説き今説き当に説かん」文、宝塔品に云く「我仏道を為つて無量の土に於て始より今に至るまで広く諸経を説く而も其の中に於て此の経第一なり」文、安楽行品に云く「此の法華経は是れ諸の如来第一の説なり諸経の中に於て最も為甚深なり」文、又云く「此の法華経は諸仏如来秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」文、薬王品に云く「此の法華経も亦復是くの如し諸経の中に於て最も為其の上なり」文、又云く「此の経も亦復是くの如し諸経の中に於て最も為其の尊なり」文、又云く「此の経も亦復是の如し諸経の中の王なり」文、又云く「此の経も亦復是の如し一切の如来の所説若しは菩薩の所説若しは声聞の所説諸の経法の中に最為第一なり」等云云、玄の十に云く「又已今当の説に最も為れ難信難解前経は是れ已説なり」文、秀句の下に云く「謹んで案ずるに法華経法師品の偈に云く薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経あり而も此の経の中に於て法華最も第一なり」文、又云く「当に知るべし已説は四時の経なり」文、文句の八に云く「今法華は法を論ずれば」云云、記の八に云く「鋒に当る」云云、秀句の下に云く「明かに知んぬ他宗所依の経は是れ王中の王ならず」云云、釈迦多宝十方の諸仏天台妙楽伝教等は法華経は真実華厳経は方便なり、「未だ真実を顕さず正直に方便を捨てて余経の一偈をも受けざれ」「若し人信ぜずして乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云云。
弘法大師は「法華は戯論華厳は真実なり」と云云、何れを用う可きや、宝鑰に云く「此くの如き乗乗は自乗に名を得れども後に望めば戯論と作る」文、又云く「謗人謗法は定めて阿鼻獄に堕せん」文、記の五に云く「故に実相の外は皆戯論と名づく」文、梵網経の疏に云く「第十に謗三宝戒亦は謗菩薩戒と云い或は邪見と云う謗は是れ乖背の名なり・て是れ解理に称わず言は実に当らずして異解して説く者を皆名づけて謗と為すなり」文、玄の三に云く「文証無き者は悉く是れ邪偽彼の外道に同じ」文、弘の十に云く「今の人他の所引の経論を信じて謂いて憑み有りと為して宗の源を尋ねず謬誤何ぞ甚しき」文、守護章上の中に云く「若し所説の経論明文有らば権実大小偏円半満を簡択す可し」文、玄の三に云く「広く経論を引いて己義を荘厳す」文。
抑弘法の法華経は真言より三重の劣戯論の法にして尚華厳にも劣ると云う事大日経六巻に供養法の巻を加えて七巻三十一品或は三十六品には何れの品何れの巻に見えたるや、しかのみならず蘇悉地経三十四品金剛頂経三巻三品或は一巻に全く見えざる所なり、又大日経並びに三部の秘経には何れの巻何れの品にか十界互具之有りや都て無きなり、法華経には事理共に有るなり、所謂久遠実成は事なり二乗作仏は理なり、善無畏等の理同事勝は臆説なり信用す可からざる者なり。
凡そ真言の誤り多き中
一、十住心に第八法華第九華厳第十真言云云何れの経論に出でたるや。
一、善無畏の四句と弘法の十住心と眼前違目なり何ぞ師弟敵対するや。
一、五蔵を立つる時六波羅蜜経の陀羅尼蔵を何ぞ必ず我が家の真言と云うや。
一、震旦の人師争つて醍醐を盗むと云う年紀何ぞ相違するや、其の故は開皇十七年より唐の徳宗の貞元四年戊辰の歳に至るまで百九十二年なり何ぞ天台入滅百九十二年の後に渡れる六波羅蜜経の醍醐を盗み給う可きや顕然の違目なり、若し爾れば謗人謗法定堕阿鼻獄というは自責なるや。
一、弘法の心経の秘鍵の五分に何ぞ法華を摂するや能く能く尋ぬ可き事なり。
真言七重難。
一、真言は法華経より外に大日如来の所説なり云云、若し爾れば大日の出世成道説法利生は釈尊より前か後か如何、対機説法の仏は八相作仏す父母は誰れぞ名字は如何に娑婆世界の仏と云はば世に二仏無く国に二主無きは聖教の通判なり、涅槃経の三十五の巻を見る可きなり、若し他土の仏なりと云はば何ぞ我が主師親の釈尊を蔑にして他方疎縁の仏を崇むるや不忠なり不孝なり逆路伽耶陀なり、若し一体と云はば何ぞ別仏と云うや若し別仏ならば何ぞ我が重恩の仏を捨つるや、唐尭は老い衰へたる母を敬ひ虞舜は頑なる父を崇む[是一]、六波羅蜜経に云く「所謂過去無量・伽沙の諸仏世尊の所説の正法我今亦当に是の如き説を作すべし所謂八万四千の諸の妙法蘊なり○而も阿難陀等の諸大弟子をして一たび耳に聞いて皆悉く憶持せしむ」云云、此の中の陀羅尼蔵を弘法我が真言と云える若し爾れば此の陀羅尼蔵は釈迦の説に非ざるか此の説に違す[是二]、凡そ法華経は無量千万億の已説今説当説に最も第一なり、諸仏の所説菩薩の所説声聞の所説に此の経第一なり諸仏の中に大日漏る可きや、法華経は正直無上道の説大日等の諸仏長舌を梵天に付けて真実と示し給う[是三]、威儀形色経に「身相黄金色にして常に満月輪に遊び定慧智拳の印法華経を証誠す」と、又五仏章の仏も法華経第一と見えたり[是四]、「要を以て之を云わば如来の一切所有の法乃至皆此の経に於て宣示顕説す」云云、此等の経文は釈迦所説の諸経の中に第一なるのみに非ず三世の諸仏の所説の中に第一なり此の外一仏二仏の所説の経の中に法華経に勝れたる経有りと云はば用ゆ可からず法華経は三世不壊の経なる故なり[是五]、又大日経等の諸経の中に法華経に勝るる経文之無し[是六]、釈尊御入滅より已後天竺の論師二十四人の付法蔵其の外大権の垂迹震旦の人師南三北七の十師三論法相の先師の中に天台宗より外に十界互具百界千如一念三千と談ずる人之無し、若し一念三千を立てざれば性悪の義之無し性悪の義無くば仏菩薩の普現色身真言両界の漫荼羅五百七百の諸尊は本無今有の外道の法に同ぜんか、若し十界互具百界千如を立てば本経何れの経にか十界皆成の旨之を説けるや、天台円宗見聞の後邪智荘厳の為に盗み取れる法門なり、才芸を誦し浮言を吐くには依る可からず正しき経文金言を尋ぬ可きなり[是七]。
涅槃経の三十五に云く「我処処の経の中に於て説いて言く一人出世すれば多人利益す一国土の中に二の転輪王あり一世界の中に二仏出世すといわば是の処有ること無し」文、大論の九に云く「十方恒河沙の三千大千世界を名づけて一仏世界と為す是の中に更に余仏無し実には一りの釈迦牟尼仏なり」文、記の一に云く「世には二仏無く国には二主無し一仏の境界には二の尊号無し」文、持地論に云く「世に二仏無く国に二主無く一仏の境界に二の尊号無し」文。 
 
蓮盛抄/建長七年三十四歳御作

 

禅宗云く涅槃の時世尊座に登り拈華して衆に示す迦葉破顔微笑せり、仏の言く吾に正法眼蔵涅槃の妙心実相無相微妙の法門有り文字を立てず教外に別伝し摩訶迦葉に付属するのみと、問うて云く何なる経文ぞや、禅宗答えて云く大梵天王問仏決疑経の文なり、問うて云く件の経何れの三蔵の訳ぞや貞元開元の録の中に曾つて此の経無し如何、禅宗答えて云く此の経は秘経なり故に文計り天竺より之を渡す云云、問うて云く何れの聖人何れの人師の代に渡りしぞや跡形無きなり此の文は上古の録に載せず中頃より之を載す此の事禅宗の根源なり尤も古録に載すべし知んぬ偽文なり、禅宗云く涅槃経の二に云く「我今所有の無上の正法悉く以て摩訶迦葉に付属す」云云此の文如何、答えて云く無上の言は大乗に似たりと雖も是れ小乗を指すなり外道の邪法に対すれば小乗をも正法といはん、例せば大法東漸と云えるを妙楽大師解釈の中に「通じて仏教を指す」と云いて大小権実をふさねて大法と云うなり云云、外道に対すれば小乗も大乗と云われ下臈なれども分には殿と云はれ上臈と云はるるがごとし、涅槃経の三に云く「若し法宝を以て阿難及び諸の比丘に付属せば久住を得じ何を以ての故に一切の声聞及び大迦葉は悉く当に無常なるべし彼の老人の他の寄物を受くるが如し、是の故に応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付属すべし諸の菩薩は善能問答するを以て是くの如きの法宝則ち久住することを得無量千世増益熾盛にして衆生を利安せん彼の壮なる人の他の寄物を受くるが如し是の義を以ての故に諸大菩薩乃ち能く問うのみ」云云、大小の付属其れ別なること分明なり、同経の十に云く「汝等文殊当に四衆の為に広く大法を説くべし今此の経法を以て汝に付属す乃至迦葉阿難等も来らば復当に是くの如き正法を付属すべし」云云故に知んぬ文殊迦葉に大法を付属すべしと云云、仏より付属する処の法は小乗なり悟性論に云く「人心をさとる事あれば菩提の道を得る故に仏と名づく」菩提に五あり何れの菩提ぞや得道又種種なり何れの道ぞや余経に明す所は大菩提にあらず又無上道にあらず経に云く「四十余年未顕真実」云云。
問うて云く法華は貴賎男女何れの菩提の道を得べきや、答えて云く「乃至一偈に於ても皆成仏疑い無し」云云、又云く「正直に方便を捨て但無上道を説く」云云、是に知んぬ無上菩提なり「須臾も之を聞いて即ち阿耨菩提を究竟することを得るなり」此の菩提を得ん事須臾も此の法門を聞く功徳なり、問うて云く須臾とは三十須臾を一日一夜と云う「須臾聞之」の須臾は之を指すか如何、答う件の如し天台止観の二に云く「須臾も廃すること無かれ」云云、弘決に云く「暫くも廃することを許さざる故に須臾と云う」故に須臾は刹那なり。
問うて云く本分の田地にもとづくを禅の規模とす、答う本分の田地とは何者ぞや又何れの経に出でたるぞや法華経こそ人天の福田なればむねと人天を教化し給ふ故に仏を天人師と号す此の経を信ずる者は己身の仏を見るのみならず過現末の三世の仏を見る事浄頗梨に向ふに色像を見るが如し、経に云く「又浄明鏡に悉く諸の色像を見るが如し」云云。
禅宗云く是心即仏即身是仏と、答えて云く経に云く「心は是れ第一の怨なり此の怨最も悪と為す此の怨能く人を縛り送つて閻羅の処に到る汝独り地獄に焼かれて悪業の為に養う所の妻子兄弟等親属も救うこと能わじ」云云、涅槃経に云く「願つて心の師と作つて心を師とせざれ」云云、愚癡無懺の心を以て即心即仏と立つ豈未得謂得未証謂証の人に非ずや。
問う法華宗の意如何、答う経文に「具三十二相乃是真実滅」云云、或は「速成就仏身」云云、禅宗は理性の仏を尊んで己れ仏に均しと思ひ増上慢に堕つ定めて是れ阿鼻の罪人なり、故に法華経に云く「増上慢の比丘は将に大坑に墜ちんとす」禅宗云く毘盧の頂上を・むと、云く毘盧とは何者ぞや若し周遍法界の法身ならば山川大地も皆是れ毘盧の身土なり是れ理性の毘盧なり、此の身土に於ては狗野干の類も之を・む禅宗の規模に非ず若し実に仏の頂を・まんか梵天も其の頂を見ずと云えり薄地争でか之を・む可きや、夫れ仏は一切衆生に於いて主師親の徳有り若し恩徳広き慈父を・まんは不孝逆罪の大愚人悪人なり、孔子の典籍尚以て此の輩を捨つ況んや如来の正法をや豈此の邪類邪法を讃めて無量の重罪を獲んや云云、在世の迦葉は頭頂礼敬と云う滅後の闇禅は頂上を・むと云う恐る可し。
禅宗云く教外別伝不立文字、答えて云く凡そ世に流布の教に三種を立つ、一には儒教此れに二十七種あり、二には道教此れに二十五家あり、三には十二分教天台宗には四教八教を立つるなり此等を教外と立つるか、医師の法には本道の外を外経師と云う人間の言には姓のつづかざるをば外戚と云う仏教には経論にはなれたるをば外道と云う、涅槃経に云く「若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり」云云、弘決九に云く「法華已前は猶是れ外道の弟子なり」云云、禅宗云く仏祖不伝云云、答えて云く然らば何ぞ西天の二十八祖東土の六祖を立つるや、付属摩訶迦葉の立義已に破るるか自語相違は如何、禅宗云く向上の一路は先聖不伝云云、答う爾らば今の禅宗も向上に於ては解了すべからず若し解らずんば禅に非ざるか凡そ向上を歌つて以て・慢に住し未だ妄心を治せずして見性に奢り機と法と相乖くこと此の責尤も親し旁がた化儀を妨ぐ其の失転多し謂く教外と号し剰さえ教外を学び文筆を嗜みながら文字を立てず言と心と相応せず豈天魔の部類外道の弟子に非ずや、仏は文字に依つて衆生を度し給うなり、問う其の証拠如何、答えて云く涅槃経の十五に云く「願わくは諸の衆生悉く皆出世の文字を受持せよ」文、像法決疑経に云く「文字に依るが故に衆生を度し菩提を得」云云、若し文字を離れば何を以てか仏事とせん禅宗は言語を以て人に示さざらんや若し示さずといはば南天竺の達磨は四巻の楞伽経に依つて五巻の疏を作り慧可に伝うる時我漢地を見るに但此の経のみあつて人を度す可し汝此れに依つて世を度す可し云云、若し爾れば猥に教外別伝と号せんや、次に不伝の言に至つては冷煖二途唯自覚了と云つて文字に依るか其れも相伝の後の冷煖自知なり是を以て法華に云く「悪知識を捨て善友に親近せよ」文、止観に云く「師に値わざれば邪慧日に増し生死月に甚し稠林に曲木を曵くが如く出づる期有こと無けん」云云、凡そ世間の沙汰尚以て他人に談合す況んや出世の深理寧ろ輙く自己を本分とせんや、故に経に云く「近きを見る可からざること人の睫の如く遠きを見る可からざること空中の鳥の跡の如し」云云、上根上機の坐禅は且く之を置く当世の禅宗は瓮を蒙つて壁に向うが如し、経に云く「盲冥にして見る所無し大勢の仏及び断苦の法を求めず深く諸の邪見に入つて苦を以て苦を捨てんと欲す」云云、弘決に云く「世間の顕語尚識らず況んや中道の遠理をや円常の密教寧ろ当に識る可けんや」云云、当世の禅者皆是れ大邪見の輩なり、就中三惑未断の凡夫の語録を用いて四智円明の如来の言教を軽んずる返す返す過てる者か、疾の前に薬なし機の前に教なし等覚の菩薩すら尚教を用いき底下の愚人何ぞ経を信ぜざる云云、是を以て漢土に禅宗興ぜしかば其の国忽ちに亡びき本朝の滅す可き瑞相に闇証の禅師充満す、止観に云く「此れ則ち法滅の妖怪なり亦是れ時代の妖怪なり」云云。
禅宗云く法華宗は不立文字の義を破す何故ぞ仏は一字不説と説き給うや、答う汝楞伽経の文を引くか本法自法の二義を知らざるか学ばずんば習うべし其の上彼の経に於いては未顕真実と破られ畢んぬ何ぞ指南と為ん。
問うて云く像法決疑経に云く「如来の一句の法を説きたもうを見ず」云云如何、答う是は常施菩薩の言なり法華経には「菩薩是の法を聞いて疑網皆已に除く千二百の羅漢悉く亦当に作仏すべし」と云つて八万の菩薩も千二百の羅漢も悉く皆列座し聴聞随喜す、常施一人は見えず何れの説に依る可き法華の座に挙ぐる菩薩の上首の中に常施の名之無し見えずと申すも道理なり、何に況や次下に「然るに諸の衆生出没有るを見て法を説いて人を度す」云云、何ぞ不説の一句を留めて可説の妙理を失う可き、汝が立義一一大僻見なり執情を改めて法華に帰伏す可し、然らずんば豈無道心に非ずや。 
 
八宗違目抄/文永九年二月五十一歳御作

 

記の九に云く「若し其れ未だ開せざれば法報は迹に非ず若し顕本し已れば本迹各三なり」文句の九に云く「仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」
法身如来正因仏性
仏報身如来衆生了因仏性
応身如来縁因仏性
小乗経には仏性の有無を論ぜず。
衆生の仏性華厳方等般若大日経等には衆生本より正因仏性有つて了因縁因無し。
法華経には本より三因仏性有り。
文句の十に云く「正因仏性[法身の性なり]は本当に通亙す、縁了仏性は種子本有なり今に適むるに非ざるなり」
今此の三界は皆是れ我が有なり主国王世尊なり
法華経第二に云く其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり親父なり
而も今此の処は諸の患難多し
唯我一人のみ能く救護をなす導師なり
主国王報身如来
寿量品に云く我も亦為世の父文師応身如来
親法身如来
五百問論に云く「若し父の寿の遠を知らずして復父統の邦に迷わば徒らに才能と謂うとも全く人の子に非ず」
又云く「但恐らくは才一国に当るとも父母の年を識らざらんや」
古今仏道論衡[道宣の作]に云く「三皇已前は未だ文字有らず但其の母を識つて其の父を識らず禽獣に同じ[鳥等なり]」等云云、[慧遠法師周の武帝を詰る語なり]
倶舎宗
成実宗一向に釈尊を以て本尊と為す爾りと雖も但応身に限る。
律宗
華厳宗
三論宗釈尊を以て本尊と為すと雖も法身は無始無終報身は有始無終応身は法相宗有始有終なり。
一義に云く大日如来は釈迦の法身なり。
真言宗一向に大日如来を以て本尊と為す二義有り
一義に云く大日如来は釈迦の法身には非ず。
但し大日経には大日如来は釈迦牟尼仏なりと見えたり人師よりの僻見なり。
浄土宗一向に阿弥陀如来を以て本尊と為す。
法華宗より外の真言等の七宗並に浄土宗等は釈迦如来を以て父と為すことを知らず、例せば三皇已前の人禽獣に同ずるが如し鳥の中に鷦鷯鳥も鳳凰鳥も父を知らず獣の中には兎も師子も父を知らず、三皇以前は大王も小民も共に其の父を知らず天台宗よりの外真言等の諸宗の大乗宗は師子と鳳凰の如く小乗宗は鷦鷯と兎等の如く共に父を知らざるなり。
華厳宗に十界互具一念三千を立つること澄観の疏に之有り。
真言宗に十界互具一念三千を立つること大日経の疏に之を出す。
天台宗と同異如何、天台宗已前にも十界互具一念三千を立つるや、記の三に云く「然るに衆釈を攅むるに既に三乗及び一乗三一倶に性相等の十有りと許す何すれぞ六道の十を語らざるや」[此の釈の如くんば天台已前五百余年の人師三蔵等の法華経に依る者一念三千の名目を立てざるか]。
問うて云く華厳宗は一念三千の義を用いるや[華厳宗は唐の則天皇后の御宇に之を立つ]、答えて云く澄観の疏三十三[清涼国師]に云く「止観の第五に十法成乗を明す中の第二に真正発菩提心○釈して云く然も此の経の上下の発心の義は文理淵博にして其の撮略を見る故に取つて之を用い引いて之を証とす」と、二十九に云く「法華経に云く唯仏与仏等と天台云く○便ち三千世間を成すと彼の宗には此れを以つて実と為す○一家の意理として通ぜざる無し」文。
華厳経に云く[旧訳には功徳林菩薩之を説くと、新訳には覚林菩薩之を説くと、弘決には如来林菩薩と引く]「心は工なる画師の種種の五陰を画くが如く一切世間の中に法として造らざること無し心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然なり心と仏と及び衆生と是の三差別無し若し人三世一切の仏を了知せんと欲せば当に是くの如く観ずべし心は諸の如来を造ると」
法華経に云く[此れは略開三の文なり仏の自説なり]「所謂諸法とは如是相如是性如是体如是力如是作如是因如是縁如是果如是報如是本末究竟等」又云く「唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」
蓮華三昧経に云く「本覚心法身常に妙法の心蓮台に住して本より来た三身の徳を具足し三十七尊[金剛界の三十七尊なり]心城に住したまえるを帰命したてまつる心王大日遍照尊心数恒沙諸の如来も普門塵数諸の三昧因果を遠離して法然として具す無辺の徳海本より円満還つて我心の諸仏を頂礼す」、仏蔵経に云く「仏一切衆生心中に皆如来有して結跏趺坐すと見そなわす」文。
問うて云く真言宗は一念三千を用いるや、答えて云く大日経の義釈[善無畏金剛智不空一行]に云く[此の文に五本有り十巻の本は伝教弘法之を見ず智証之を渡す]「此の経は是れ法王の秘宝なり妄りに卑賎の人に示さざれ釈迦出世して四十余年に舎利弗の慇懃なる三請に因りて方に為に略して妙法蓮華の義を説きたまいしが如し、今此の本地の身又是れ妙法蓮華最深の秘処なるが故に、寿量品に云く常在霊鷲山及余諸住処乃至我浄土不毀而衆見焼尽と即ち此の宗の瑜伽の意ならくのみ又補処の菩薩の慇懃の三請に因つて方に為に之を説けり」と、又云く「又此の経の宗は横に一切の仏教を統ぶ唯蘊無我にして世間の心を出で蘊の中に住すと説くが如きは即ち諸部の小乗三蔵を摂す、蘊の阿頼耶を観じて自心の本不生を覚ると説くが如きは即ち諸経の八識三性無性の義を摂す、極無自性心と十緑生の句を説くが如きは即ち華厳般若の種種の不思議の境界を摂して皆其の中に入る、如実知自心を一切種智と名づくと説くが如きは則ち仏性[涅槃経なり]一乗[法華経なり]如来秘蔵[大日経なり]皆其の中に入る種種の聖言に於て其の精要を統べざること無し、毘盧遮那経の疏[伝教弘法之を見る]第七の下に云く天台の誦経は是れ円頓の数息なりと謂う是れ此の意なり」と。
大宋の高僧伝巻の第二十七の含光の伝に云く「代宗光を重んずること[玄宗代宗の御宇に真言わたる含光は不空三蔵の弟子なり]不空を見るが如し勅委して五台山に往いて功徳を修せしむ、時に天台の宗学湛然[妙楽天台第六の師なり]禅観を解了して深く智者[天台なり]の膏腴を得たりと、嘗つて江淮の僧四十余人と清涼の境界に入る、湛然光と相見て西域伝法の事を問う、光の云く一国の僧空宗を体得する有りと問うて智者の教法に及ぶ梵僧云く曾て聞く此の教邪正を定め偏円を暁り止観を明して功第一と推す再三光に嘱す或は因縁あつて重ねて至らば為に唐を翻して梵と為して附し来れ某願くは受持せんと屡屡手を握つて叮嘱す、詳かにするに其の南印土には多く竜樹の宗見を行ず故に此の流布を願うこと有るなりと、菩提心義の三に云く一行和上は元是れ天台一行三昧の禅師なり能く天台円満の宗趣を得たり故に凡そ説く所の文言義理動もすれば天台に合す、不空三蔵の門人含光天竺に帰るの日天竺の僧問わく伝え聞く彼の国に天台の教有りと理致須ゆ可くば翻訳して此の方に将来せんや云云、此の三蔵の旨も亦天台に合す、今或る阿闍梨の云く真言を学せんと欲せば先ず共に天台を学せよと而して門人皆瞋る」云云。
問うて云く華厳経に一念三千を明すや、答えて云く「心仏及衆生」等云云、止観の一に云く「此の一念の心は縦ならず横ならず不可思議なり但己のみ爾るに非ず仏及び衆生も亦復是くの如し、華厳に云く心と仏と及び衆生と是の三差別無しと当に知るべし己心に一切の法を具することを」文、弘の一に云く「華厳の下は引いて理の斉きことを証す、故に華厳に初住の心を歎じて云く心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然り心と仏と及び衆生と是の三差別無し諸仏は悉く一切は心に従つて転ずと了知したまえり、若し能く是くの如く解すれば彼の人真に仏を見たてまつる、身亦是れ心に非ず心も亦是れ身に非ず一切の仏事を作すこと自在にして未曾有なり、若し人三世一切の仏を知らんと欲求せば応に是くの如き観を作すべし心諸の如来を造すと、若し今家の諸の円文の意無くんば彼の経の偈の旨理として実に消し難からん」と。
小乗の四阿含経
三蔵教心生の六界心具の六界を明さず。
大乗
通教心生の六界亦心具を明さず。
別教心生の十界心具の十界を明さず。
思議の十界
爾前華厳等の円
不思議の十界互具
円教
法華の円
止の五に云く「華厳に云く心は工なる画師の種種の五陰を造るが如く一切世間の中に心より造らざること莫しと種種の五陰とは前の十法界の五陰の如きなり」又云く「又十種の五陰一一に各十法を具す謂く如是相性体力作因縁果報本末究竟等なり」文、又云く「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界には即ち三千種の世間を具す此の三千一念の心に在り」文、弘の五に云く「故に大師覚意三昧観心食法及び誦経法小止観等の諸の心観の文に但自他等の観を以て三仮を推せり並びに未だ一念三千具足を云わず、乃至観心論の中に亦只三十六の問を以て四心を責むれども亦一念三千に渉らず、唯四念処の中に略して観心の十界を云うのみ、故に止観に正しく観法を明すに至つて並びに三千を以て指南と為せり、乃ち是れ終窮究竟の極説なり、故に序の中に説己心中所行法門と云う良に以有るなり請う尋ね読まん者心に異縁無かれ」、止の五に云く「此の十重の観法は横竪に収束し微妙精巧なり初は則ち境の真偽を簡び中は則ち正助相添い後は則ち安忍無著なり、意円かに法巧みに該括周備して初心に規矩し将に行者を送って彼の薩雲に到らんとす[初住なり]闇証の禅師誦文の法師の能く知る所に非ざるなり、蓋し如来積劫の懃求したまえる所道場の妙悟したまえる所身子の三請する所法譬の三たび説く所正しく茲に在るに由るか」、弘の五に云く「四教の一十六門乃至八教の一期の始終に遍せり今皆開顕して束ねて一乗に入れ遍く諸経を括りて一実に備う、若し当分を者尚偏教の教主の知る所に非ず況んや復た世間闇証の者をや○、蓋し如来の下は称歎なり十法は既に是れ法華の所乗なり是の故に還つて法華の文を用いて歎ず迹の説に約せば即ち大通智勝仏の時を指して以て積劫と為し寂滅道場を以て妙悟と為す若し本門に約せば我本行菩薩道の時を指して以て積劫と為し本成仏の時を以て妙悟と為す、本迹二門只是れ此の十法を求悟せるなり、身子等とは寂場にして説かんと欲するに物の機未だ宜からず其の苦に堕せん事を恐れて更に方便を施す四十余年種種に調熟し法華の会に至つて初めて略して権を開するに動執生疑して慇懃に三請す五千起ち去つて方に枝葉無し四一を点示して五仏の章を演べ上根の人に被るを名づけて法説と為し、中根は未だ解せざれば猶譬喩を・う下根は器劣にして復た因縁を待つ、仏意聯綿として茲の十法に在り、故に十法の文の末に皆大車に譬えたり今の文の憑る所意此に在り、惑者は未だ見ず尚華厳を指す唯華厳円頓の名を知つて而して彼の部の兼帯の説に昧し、全く法華絶待の意を失つて妙教独顕の能を貶挫す、迹本の二文を験して五時の説を・うれば円極謬らず何ぞ須らく疑を致すべけん是の故に結して正しく茲に在るかと日う」、又云く「初に華厳を引くことを者重ねて初に引いて境相を示す文を牒す前に心造と云うは即ち是れ心具なり故に造の文を引いて以て心具を証す、彼の経第十八の中に功徳林菩薩の偈を説いて云うが如く心は工なる画師の種種の五陰を造るが如く一切世界の中に法として造らざること無し心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然なり心と仏と及び衆生と是の三差別無し、若し人三世の一切の仏を知らんと欲求せば応に是くの如く観ずべし心は諸の如来を造ると今の文を解せずんば如何ぞ偈の心造一切三無差別を消せん」文、諸宗の是非之を以て之を糾明す可きなり、恐恐謹言。 
 
早勝問答/文永八年五十歳御作

 

浄土宗問答。
問う六字の名号は善悪の中には何ぞや、答う一義に云く今問う所の善悪は世出の中には何ぞや、一義に云く云う所の善悪を治定せば堕獄治定なるか、一義に云く名号悪と治定せば堕獄治定なるか、一義に云く念仏無間治定して其の上に善悪を尋ぬるか、一義に云く汝が依経は権実の中には何れぞや。
問う念仏無間と云わば法華も無間なり、答う一義に云く法華無間とは自義なるか経文なるか、一義に云く念仏無間をば治定して法華無間と云うか、一義に云く祖師の謗法を治定して法華も無間と云うか、一義に云く汝が云う所の法華は超過の法華か又弥陀成仏の法華か。
問うて云く念仏無間の証拠二十八品の中には何れぞや、答う一義に云く二十八品の中に証拠有らば堕獄治定なるか、一義に云く法華を誹謗するを証拠とするなり、一義に云く法華の文を尋ぬるは信じて問うか信ぜずして問うか、一義に云く直に入阿鼻獄の文を出すなり、一義に云く妙法蓮華経其の証拠なり、一義に云く弥陀の本誓に背く故なり、一義に云く弥陀の命を断つ故なり、一義に云く有縁の釈尊に背く故なり念仏無間は三世諸仏の配立なり。
問う止観の念仏の事、答う一義に云く法然所立の念仏は堕獄治定して止観を問うか、一義に云く西方の念仏と一なるか異なるか、一義に云く止観の念仏は法華を誹謗するか、一義に云く彼に文段を問う可し、一義に云く止観に依つて浄土宗を建立するか。
問う観経は法華已後の事、答う一義に云く此の故に法華を謗ずるか、一義に云く已前ならば無間は治定なるか、一義に云く汝が謗法は無間をば治定して問うか。
問う観経と法華と同時なり、答う一義に云く同時なる故に法華を謗ずるか、さては返つて観経をも謗ずるなり。
問う先師の謗法は一往なり且くの字を置く故なり、答う一義に云く且く謗ぜよとは自義か経文か、一義に云く始終共に謗ぜば堕獄は治定なるか。
問う未顕真実は往生に非ず成仏の方なり、答う一義に云く此の故に法華を謗ずるか、一義に云く余経は無得道と云う人は僻事か。
問う法華本迹の阿弥陀をば如何、答う一義に云く法華の弥陀は法華経を謗ぜんと誓い給いしか、一義に云く法華の弥陀と三部経と同じきか異なるか、異ならば無間治定なるか。
問う一称南無仏と何んぞ称名を無益と云わんや、答う一義に云く此の故に法華を謗ずるか、一義に云く法華を信じて問うか信ぜずして問うか。
問う法華に「諸の如来に於て」「諸仏を恭敬す」と何ぞ弥陀を捨つるや、答う一義に云く此の故に法華を謗ずるか[大旨上の如し。]
問う「余の深法中に示教利喜す」と何ぞ余経を謗ずるや、答う一義に云く此の故に法華を謗ずるや、一義に云く汝が誹謗は治定して問うか又自義か経文か[大旨上の如し]。
問う普門品に観世音の称名功徳を挙ぐと見えたり何ぞ余の仏菩薩を捨てんや、答う一義に云く此の故に法華を謗ずるか、一義に云く此の観音は法華を謗ずるか、一義に云く此の品に依つて念仏を立つるか、私に云く彼が経文釈義を引かん時は先ず文段を一一問う可し、大段万事の問には誹謗の言を先とす可きなり、前の当家の義云云。
禅宗問答。
問う禅天魔の故如何、答う一義に云く仏経に依らざる故なり、一義に云く一代聖教を誹謗する故なり。
問う禅とは三世諸仏成道の始は坐禅し給へり如何、答う一義に云く汝が坐禅は仏の出世に背かば天魔治定なるか、又坐禅は大小の中には何れぞや、一義に云く仏の端座六年は法華に無益と云うか。
問う禅法には仏説無益なり、答う一義に云く是自義なるか経文なるか、一義に云くやがて是が天魔の所為なり。
問う経文には「是法不可示」と如何、答う一義に云く此の文は法華無益と云う文なるか、一義に云く爾らば法華に依るか、一義に云く文段を以て責む可きなり。
問う竜女は坐禅の成仏なり其の故は経文に「深く禅定に入つて諸法に了達す」と説き給へり、知んぬ法華無益と云うことを、答う一義に云く此の義は自義なるか経文なるか、一義に云く若し法華の成仏ならば天魔治定なるか、一義に云く文殊海中の教化は論説妙法と宣べたり如何。
問う常に坐禅を好み深く禅定に入って常に坐禅を貴ぶとも説けり如何、答う一義に云く文段を以て責む可し、一義に云く此の文は法華無益と云う文なるか、一義に云く此の文を以て禅宗を建立するか。
問う唯独り自のみ明了にして余人の見ざる所と云う故に禅宗ひとり真性を見て余人は見ずと云うなり、答う一義に云く文段を以て責む可し経文を見る可し、問う像法決疑経に云く「一字不説」と爾らば一代は未顕真実と聞きたり真実は只迦葉一人教の外に別伝し給へり如何、答う此の文は仏説か若し仏説ならば汝此の文に依る故に自語相違なり、一義に云く言う所の迦葉は何なる経にて成仏するや、一義に云く言う所の経文は三説の中には何れぞや、一義に云く楞伽経は仏説なるか。
問う三大部に観心之有り何ぞ禅天魔と云うや、答う一義に云く汝は三大部にて宗を立つるか、一義に云く三大部の観心は汝が禅と同じきか、一義に云く汝は天台を師とするか、一義に云く三大部の観心は諸経を捨つるか。
問う雙非の禅の事如何、答う一義に云く一度は法華に依り一度は法華無益なり、一義に云く二義共に天魔なり一義に云く此の義に背かん者は僻事なるか。
問う法華宗は妙法の道理を知るや、答う一義に云く汝は天魔を治定して問うか、一義に云く汝は法華を信じて問うか、一義に云く妙法を知つて問うか知らずして問うか、一義に云く汝が問う所の妙法は今経に付いて百二十の妙有り其の品品を問うか、一義に云く汝は此の妙法に依つて禅を建立するか。
天台宗問答。
問う天台宗を無間という証拠如何、答う一義に云く法華を誹謗する故なり、一義に云く経文に背く故なり。
問う余経無益と云う事は・を判ずる一往の意なり再往の日は諸乗一仏乗と開会す何ぞ一往を執して再往の義を捨つるや、答う一義に云く今言う所の開会とは何れの教の開会ぞや、一義に云く今経に於て本迹の十妙の下に各二十の開会あり亦教行人理の四一開会の中には何れぞや、一義に云く能開所開の中には何れぞや、一義に云く開会の後善悪無しと云うか、一義に云く天台宗は法華を信ずるか、一義に云く開会の後諸宗を簡ばずと云わば天台大師僻事なるか其の故は南三北七云云伝教大師は六宗と云云、一義に云く天台宗は悪行をも致す可きか性悪不断と云うが故に自語相違なりと責む可きなり、一義に云く開会の後に権実を立つる人は僻事なるか爾らば薬王の十喩法師の三説超過云云、一義に云く此の故に開会の心を以て慈覚は法華を謗ずるか、一義に云く汝は慈覚の弟子なるか爾らば謗法治定なるか。
問う善悪不二邪正一如の故に強ちに善悪を云う可からず元意の重是なり、答えて云く天台の出世は悪を息めんが為か又悪を増さんが為か、一義に云く悪事を致せとは法華経二十八品の中には何れの処に見えたるや。
問う絶待妙の事、答う一義に云く先ず文段を問う可し、一義に云く何れの教の絶待ぞや、一義に云く此の故に慈覚は法華を謗ずるか。
問う相待は一往絶待は再往と見えたり如何、答う自義なるか経文なるか、一義に云く相待妙一往と云うは二十八品の中には何れに見えたるや、一義に云く相待妙は法華に明すか余経に明すか若し法華に明さば法華は一往なるか。
問う約教約部の故に約部の日は一往爾前の円を嫌うなり、答う一義に云く言う所の約教は天台の判釈の四種の約教の中には何れぞや、一義に云く約部は落居の釈なるか、一義に云く約部を捨つ可きか、一義に云く約教の時爾前の円を嫌わば堕獄は治定なるか、一義に云く約教の辺にて今昔円同じとは法華経二十八品の中何れぞや、一義に云く玄文の第一の施開廃の三重の故に開会の後も余経を捨つると云う文をば知るか知らざるか。
山門流の真言宗問答
問う法華第一と云うは顕教の門なり真言に対すれば第一とは云う可からず、答う自義なるか経文なるか爰を以て慈覚大師を無間と申すなり、一義に云く真言に対して法華第一ならば亡国治定なるか、一義に云く真言は已今当の中には何れぞや、若し外と云わば一機一縁の一往にして秘密とは云わる可からざるなり。
問う法華と真言とは理同事勝の故に真言に対すれば戯論の法と云うか、答う一義に云くさてこそ汝は無間治定なれ、一義に云くさては慈覚は真言をも謗ずるなり其の故は理同の法華を謗ずる故なり。
問う伝教の本理大綱集の文を以て顕密同と云う事、答う一義に云く此の書は伝教の御作に非ざるなり、一義に云く此の書に依つて法華を慈覚は謗ずるか。
東寺流の問答。
問う真言は釈尊の説と云う事其の証拠如何、答う若し真言釈尊の説ならば亡国は治定なるか、若し然なりと云わば弘法大師五蔵を立つる時法華を六波羅蜜経の五蔵の第四般若波羅蜜蔵第五の陀羅尼蔵をば真言と建立し給へり如何。
問う真言宗を未顕真実とは言うべからず其の故は釈迦の説の外に建立する故なり如何、答えて云く若し釈尊の説教ならば亡国は治定なるか、一義に云く六波羅蜜経は釈迦の説なるか大日の説なるか、若し釈迦の説ならば未顕真実は治定なるか、他云く釈迦所説の顕教無益なりと。
尋ねて云く六波羅蜜経は顕教密教の中には何れぞや、他云く六波羅蜜経は雑部の真言なり我が家の三部は純説の真言なり、答う助証正証と云う事全く弘法の所判に見えず若し弘法の義ならば堕獄は治定なるか、他云く真言は速疾の教顕教は迂回歴劫の教なり云云、自ら云く自義なるか経文なるか、他云く五秘密教に云く「若し顕教に於て修行する者は久しく三大無数劫を経」と説け是れ其の証拠なり如何、答う、さて此の経は釈迦の説なるか大日の説なるか若し釈迦の説ならば未顕真実は治定なるか。
問う法華宗は何れの経に依つて仏の印契相好を造るや顕教には無し但真言の印を盗むと覚えたり如何、答う之に依つて法華を謗ずるか、一義に云く汝盗むの義相違せば亡国は治定なるか、一義に云く汝法華宗の建立する所の大段の妙法蓮華経をば本尊と落居して問うか、一義に云く釈尊を三部に依つて建立する故に驢牛の三身と下すか若し爾なりと云わば返つて汝は真言を誹謗する者なりと責む可し、一義に云く三世の諸仏の印契相好実に妙法蓮華経に依つて具足するの義落居せば亡国は治定なるか、又盗人は治定なるか、一義に云く竜女霊山に即身に印契相好具足し南方に成道を唱えしは真言に依つて建立するか若し爾なりと云わば直に経文を出せと責む可きなり。
問う亡国の証拠如何、答う法華を誹謗する故なり云云、一義に云く三徳の釈尊に背く故なり云云、一義に云く現世安穏後生善処の妙法蓮華経に背き奉る故に今生には亡国後生には無間と云うなり、一義に云く法華経第三の劣とは経文なるか自義なるか若し爾らば亡国治定なるか。
他云く密教に対すれば第三の劣なり、答う一義に云く此の義経文なるか自義なるか、一義に云く顕教の内に法華第一なる事落居するか、若し爾なりと云はばさては弘法は僻事なり顕教の内にして法華を華厳に対して第二真言に対して第三と云う故なり、一義に云く真言に対して第一ならば亡国は治定なるか。
他云く印真言を説かざるが故に第三の劣と云うなり、答う此の故に劣とは経文なるか自義なるか、一義に云く若し法華に説かば亡国は治定なるか。
他云く大日釈迦各別なり、答う一義に云く此の故に法華を謗ずるか、一義に云く若し一仏ならば亡国は治定なるか、一義に云く各別なれば劣とは経文なるか自義なるか。
他云く顕教は応身密教は法身の説なり此の故に法華は第三の劣なり、自ら云く応身の説の故に法華劣とは経文なるか自義なるか、一義に云く法華法身の説ならば亡国治定なるか、一義に云く真言は応身の説ならば亡国は治定なるか。
他云く五智五仏の時は北方は釈迦中央は大日と見えたり如何、答う一義に云く中央釈迦ならば亡国治定なるか、一義に云く北方釈迦と云う事は三部の内に無し不空の義なり仏説に非ず。
他云く法華は穢土の説なり真言は三界の外の法界宮の説なり、答う一義に云く真言は三界の内の説ならば亡国治定なるか[義釈の文。]
他云く顕教の内にて大日釈迦一体と説くとも密教の内にては二仏各別なり名は同じけれども義異るなり如何、答う此の故に亡国と云うなり、一義に云く此くの如く云う事直に経文を出す可きなり。
他云く竜女は真言の成仏法華には三密闕くる故なり、答う自義なるか経文なるか。
他云く経文なり「陀羅尼を得不退転を得たり」云云、陀羅尼は三密の加持なり、答う、此の陀羅尼を真言と云うは自義なるか経文なるか、一義に云くさては弘法の僻事なり其の故は此の陀羅尼を戯論第三の劣と下すなり、一義に云く自語相違なり法華に印有る故なり。
他云く守護経の文に依れば釈迦は大日より三密の法門を習いて成仏するなり、答う此の故に法華を謗ずるか、一義に云く此の文は三説の内なるか外なるか、一義に云く此れに相違せば亡国は治定なるか。
他云く法華経には「合掌を以て敬心し具足の道は聞かんと欲す」と云へり何ぞ印真言を捨つるや、答う此の故に法華を謗ずるか、一義に云く自義なるか経文なるか、一義に云く此の故に真言を捨てずとは経文なるか、一義に云く此の文は真言を持つと云う文なるか、一義に文段を以て責む可し。
他云く弘法大師を無間と云うは経文なるか自義なるか、答う経文なり。
他云く二十八品の中には何れぞや、答う二十八品の中に有らば堕獄治定なるか、他云く爾なり、答う法華を誹謗すること治定なるか若し爾らば経文を出して責む可きなり。 
 
北条時宗への御状

 

謹んで言上せしめ候、抑も正月十八日西戎大蒙古国の牒状到来すと、日蓮先年諸経の要文を集め之を勘えたること立正安国論の如く少しも違わず普合しぬ、日蓮は聖人の一分に当れり未萠を知るが故なり、然る間重ねて此の由を驚かし奉る急ぎ建長寺寿福寺極楽寺多宝寺浄光明寺大仏殿等の御帰依を止めたまえ、然らずんば重ねて又四方より責め来る可きなり、速かに蒙古国の人を調伏して我が国を安泰ならしめ給え、彼を調伏せられん事日蓮に非ざれば叶う可からざるなり、諌臣国に在れば則ち其の国正しく争子家に在れば則ち其の家直し、国家の安危は政道の直否に在り仏法の邪正は経文の明鏡に依る。
夫れ此の国は神国なり神は非礼を稟けたまわず天神七代地神五代の神神其の外諸天善神等は一乗擁護の神明なり、然も法華経を以て食と為し正直を以て力と為す、法華経に云く諸仏救世者大神通に住して衆生を悦ばしめんが為の故に無量の神力を現ずと、一乗棄捨の国に於ては豈善神怒を成さざらんや、仁王経に云く「一切の聖人去る時七難必ず起る」と、彼の呉王は伍子胥が詞を捨て吾が身を亡し桀紂は竜比を失って国位を喪ぼす、今日本国既に蒙古国に奪われんとす豈歎かざらんや豈驚かざらんや、日蓮が申す事御用い無くんば定めて後悔之有る可し、日蓮は法華経の御使なり経に云く「則ち如来の使如来の所遣として如来の事を行ず」と、三世諸仏の事とは法華経なり、此の由方方へ之を驚かし奉る一所に集めて御評議有つて御報に予かる可く候、所詮は万祈を抛つて諸宗を御前に召し合せ仏法の邪正を決し給え、澗底の長松未だ知らざるは良匠の誤り闇中の錦衣を未だ見ざるは愚人の失なり。
三国仏法の分別に於ては殿前に在り所謂阿闍世陳隋桓武是なり、敢て日蓮が私曲に非ず只偏に大忠を懐く故に身の為に之を申さず神の為君の為国の為一切衆生の為に言上せしむる所なり、恐恐謹言。 ( 文永五年〔戊辰〕十月十一日 ) 
 
建長寺道隆への御状

 

夫れ仏閣軒を並べ法門屋に拒る仏法の繁栄は身毒支那に超過し僧宝の形儀は六通の羅漢の如し、然りと雖も一代諸経に於て未だ勝劣浅深を知らず併がら禽獣に同じ忽ち三徳の釈迦如来を抛って、他方の仏菩薩を信ず是豈逆路伽耶陀の者に非ずや、念仏は無間地獄の業禅宗は天魔の所為真言は亡国の悪法律宗は国賊の妄説と云云、爰に日蓮去ぬる文応元年の比勘えたるの書を立正安国論と名け宿屋入道を以て故最明寺殿に奉りぬ、此の書の所詮は念仏真言禅律等の悪法を信ずる故に天下に災難頻りに起り剰え他国より此の国責めらる可きの由之を勘えたり、然るに去ぬる正月十八日牒状到来すと日蓮が勘えたる所に少しも違わず普合せしむ、諸寺諸山の祈祷威力滅する故か将又悪法の故なるか鎌倉中の上下万人道隆聖人をば仏の如く之を仰ぎ良観聖人をば羅漢の如く之れを尊む、其の外寿福寺多宝寺浄光明寺長楽寺大仏殿の長老等は「我慢の心充満し、未だ得ざるを得たりと謂う」の増上慢の大悪人なり、何ぞ蒙古国の大兵を調伏せしむ可けんや、剰え日本国中の上下万人悉く生取と成る可く今世には国を亡し後世には必ず無間に堕せん、日蓮が申す事を御用い無くんば後悔之れ有る可し此の趣鎌倉殿宿屋入道殿平の左衛門の尉殿等へ之を進状せしめ候、一処に寄り集りて御評議有る可く候、敢て日蓮が私曲の義に非ず只経論の文に任す処なり、具には紙面に載せ難し併ながら対決の時を期す、書は言を尽さず言は心を尽さず、恐恐謹言。 ( 文永五年〔戊辰〕十月十一日 ) 
 
極楽寺良観への御状

 

西戎大蒙古国簡牒の事に就て鎌倉殿其の外へ書状を進ぜしめ候、日蓮去る文応元年の比勘え申せし立正安国論の如く毫末計りも之に相違せず候、此の事如何、長老忍性速かに嘲哢の心を翻えし早く日蓮房に帰せしめ給え、若し然らずんば人間を軽賎する者白衣の与に法を説くの失脱れ難きか、依法不依人とは如来の金言なり、良観聖人の住処を法華経に説て云く「或は阿練若に有り納衣にして空閑に在り」と、阿練若は無事と翻ず争か日蓮を讒奏するの条住処と相違せり併ながら三学に似たる矯賊の聖人なり、僣聖増上慢にして今生は国賊来世は那落に堕在せんこと必定なり、聊かも先非を悔いなば日蓮に帰す可し、此の趣き鎌倉殿を始め奉り建長寺等其の外へ披露せしめ候、所詮本意を遂げんと欲せば対決に如かず、即ち三蔵浅近の法を以て諸経中王の法華に向うは江河と大海と華山と妙高との勝劣の如くならん、蒙古国調伏の秘法定めて御存知有る可く候か、日蓮は日本第一の法華経の行者蒙古国退治の大将為り「於一切衆生中亦為第一」とは是なり、文言多端理を尽す能わず併ながら省略せしめ候、恐恐謹言。 ( 文永五年〔戊辰〕十月十一日) 
 
行敏訴状御会通/文永八年五十歳御作

 

当世日本第一の持戒の僧良観聖人並びに法然上人の孫弟子念阿弥陀仏道阿弥陀仏等の諸聖人等日蓮を訴訟する状に云く早く日蓮を召し決せられて邪見を摧破し正義を興隆せんと欲する事云云、日蓮云く邪見を摧破し正義を興隆せば一眼の亀の浮木の穴に入るならん、幸甚幸甚。
彼の状に云く右八万四千の教乃至一を是として諸を非とする理豈に然る可けんや云云、道綽禅師云く当今末法は是五濁悪世なり唯浄土の一門のみ有つて路に通入す可し云云、善導和尚云く千中無一云云、法然上人云く捨閉閣抛云云、念阿上人等の云く一を是とし諸を非とす謗法なり云云、本師三人の聖人の御義に相違す豈に逆路伽耶陀の者に非ずや、将又忍性良観聖人彼等の立義に与力して此を正義と存せらるるか、又云く而るに日蓮偏えに法華一部に執して諸余の大乗を誹謗す云云、無量義経に云く四十余年未顕真実法華経に云く要当説真実と又云く宣示顕説と多宝仏証明を加えて云く皆是真実と十方の諸仏は舌相至梵天と云う云云、已今当の三説を非毀して法華経一部を讃歎するは釈尊の金言なり諸仏の傍例なり敢て日蓮が自義に非ず、其の上此の難は去る延暦大同弘仁の比南都の徳一大師が伝教大師を難破せし言なり、其の難已に破れて法華宗を建立し畢んぬ。
又云く所謂法華前説の諸経は皆是れ妄語なりと云云此又日蓮が私の言に非ず、無量義経に云く未だ真実を顕さず〔未顕真実とは妄語の異名なり〕法華経第二に云く寧ろ虚妄有りや不なり云云、第六に云く此の良医虚妄の罪を説くや不や云云、涅槃経に云く如来虚妄の言無しと雖も若し衆生虚妄の説に因ると知れば云云、天台云く則ち為如来綺語の語云云、四十余年の経経を妄語と称すること又日蓮が私の言に非ず、又云く念仏は無間の業と云云法華経第一に云く我れ則ち慳貪に堕せん此の事為不可なり云云、第二に云く其の人命終して阿鼻獄に入らん云云、大覚世尊但観経念仏等の四十余年の経経を説て法華経を演説したまわずんば三悪道を脱れ難し云云、何に況や末代の凡夫一生の間但自らも念仏の一行に留り他人をも進めずんば豈無間に堕せざらんや、例せば民と子との王と親とに随わざるが如し、何に況や道綽善導法然上人等念仏等を修行する輩法華経の名字を挙げて念仏に対当して勝劣難易等を論じ未有一人得者十即十生百即百生千中無一等と謂うは無間の大火を招かざらんや、又云く禅宗は天魔波旬の説と云云、此又日蓮が私の言に非ず彼の宗の人人の云く教外別伝と云云、仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云、教外別伝の言豈此の科を脱れんや、又云く大小の戒律は世間誑惑の法と云云、日蓮が云く小乗戒は仏世すら猶之を破す其の上月氏国に三寺有り、所謂一向小乗の寺と一向大乗の寺と大小兼行の寺となり云云、一向小と一向大とは水火の如し将又道路をも分隔せり、日本国に去る聖武皇帝と孝謙天皇との御宇に小乗の戒壇を三所に建立せり、其の後桓武の御宇に伝教大師之を責め破りたまいぬ、其の詮は小乗戒は末代の機に当らずと云云、護命景深の本師等其の諍論に負くるのみに非ず六宗の碩徳各退状を捧げ伝教大師に帰依し円頓の戒体を伝受す云云、其の状今に朽ちず汝自ら開き見よ、而るを良観上人当世日本国の小乗は昔の科を存せずという、又云く年来の本尊弥陀観音等の像を火に入れ水に流す等云云、此の事慥なる証人を指し出し申す可し若し証拠無くんば良観上人等自ら本尊を取り出して火に入れ水に流し科を日蓮に負せんと欲するか委細は之を糾明せん時其の隠れ無らんか、但し御尋ね無き間は其の重罪は良観上人等に譲り渡す、二百五十戒を破失せる因縁此の大妄語に如かず無間大城の人他処に求ること勿れ、又云く凶徒を室中に集むと云云、法華経に云く或は阿練若に有り等云云、妙楽云く東春云く輔正記云く此等の経釈等を以て当世日本国に引き向うるに汝等が挙る所の建長寺寿福寺極楽寺多宝寺大仏殿長楽寺浄光明寺等の寺寺は妙楽大師の指す所の第三最甚の悪所なり、東春に云く即ち是れ出家処に一切の悪人を摂す云云、又云く両行は公処に向う等云云、又云く兵杖等云云、涅槃経に云く天台云く章安云く妙楽云く法華経守護の為の弓箭兵杖は仏法の定れる法なり例せば国王守護の為に刀杖を集むるが如し、但し良観上人等弘通する所の法日蓮が難脱れ難きの間既に露顕せしむ可きか、故に彼の邪義を隠さんが為に諸国の守護地頭雑人等を相語らいて言く日蓮並びに弟子等は阿弥陀仏を火に入れ水に流す汝等が大怨敵なりと云云、頚を切れ所領を追い出せ等と勧進するが故に日蓮の身に疵を被り弟子等を殺害に及ぶこと数百人なり、此れ偏に良観念阿道阿等の上人の大妄語より出たり心有らん人人は驚く可し怖る可し云云、毘瑠璃王は七万七千の諸の得道の人を殺す、月氏国の大族王は卒都婆を滅毀し僧伽藍を廃すること凡そ一千六百余処乃至大地震動して無間地獄に堕ちにき、毘盧釈迦王は釈種九千九百九十万人を生け取りて並べ従えて殺戮す積屍莽の如く流血池を成す、弗沙弥多羅王は四兵を興して五天を回らし僧侶を殺し寺塔を焼く、説賞迦王は仏法を毀壊す、訖利多王は僧徒を斥逐し仏法を毀壊す、欽明敏達用明の三王の詔に曰く炳然として宜く仏法を断ずべし云云、二臣自ら寺に詣で堂塔を斫倒し仏像を毀破し火を縦つて之を焼き所焼の仏像を取つて難波の堀江に棄て三尼を喚び出して其の法服を奪い並びに笞を加う云云、大唐の武宗は四千六百余処を滅失して僧尼還俗する者計うるに二十六万五百人なり、去る永保年中には山僧園城寺を焼き払う云云、御願は十五所堂院は九十所塔婆は四基鐘楼は六宇経蔵は二十所神社は十三所僧坊は八百余宇舎宅は三千余等云云、去る治承四年十二月二十二日太政入道浄海東大興福の両寺を焼失して僧尼等を殺す、此等は仏記に云く此等の悪人は仏法の怨敵には非ず三明六通の羅漢の如き僧侶等が我が正法を滅失せん、所謂守護経に云く涅槃経に云く。 
 
一昨日御書/文永八年九月五十歳御作

 

一昨日見参に罷入候の条悦び入り候、抑人の世に在る誰か後世を思わざらん仏の出世は専ら衆生を救わんが為なり、爰に日蓮比丘と成りしより旁法門を開き已に諸仏の本意を覚り早く出離の大要を得たり、其の要は妙法蓮華経是なり、一乗の崇重三国の繁昌の儀眼前に流る誰か疑網を貽さんや、而るに専ら正路に背いて偏に邪途を行ず然る間聖人国を捨て善神瞋を成し七難並びに起つて四海閑かならず、方今世は悉く関東に帰し人は皆士風を貴ぶ、就中日蓮生を此の土に得て豈吾が国を思わざらんや、仍つて立正安国論を造つて故最明寺入道殿の御時宿屋の入道を以て見参に入れ畢んぬ、而るに近年の間、多日の程犬戎浪を乱し夷敵国を伺う、先年勘え申す所近日符合せしむる者なり、彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり、是れ皆時に当つて賞を得謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり、夫れ未萠を知る者は六正の聖臣なり法華を弘むる者は諸仏の使者なり、而るに日蓮忝くも鷲嶺鶴林の文を開いて鵝王烏瑟の志を覚り剰え将来を勘えたるに粗符合することを得たり先哲に及ばずと雖も定んで後人には希なる可き者なり、法を知り国を思うの志尤も賞せらる可きの処邪法邪教の輩讒奏讒言するの間久しく大忠を懐いて而も未だ微望を達せず、剰え不快の見参に罷り入ること偏に難治の次第を愁うる者なり、伏して惟みれば泰山に昇らずんば天の高きを知らず深谷に入らずんば地の厚きを知らず、仍て御存知の為に立正安国論一巻之を進覧す、勘え載する所の文は九牛の一毛なり未だ微志を尽さざるのみ、抑貴辺は当時天下の棟梁なり何ぞ国中の良材を損せんや、早く賢慮を回らして須く異敵を退くべし世を安じ国を安ずるを忠と為し孝と為す、是れ偏に身の為に之を述べず君の為仏の為神の為一切衆生の為に言上せしむる所なり、恐恐謹言。謹上平左衛門殿 ( 文永八年九月十二日 ) 
 
強仁状御返事/建治元年十二月五十四歳御作

 

強仁上人十月二十五日の御勘状同十二月二十六日に到来す、此の事余も年来欝訴する所なり忽に返状を書いて自他の疑冰を釈かんと欲す、但し歎ずるは田舎に於て邪正を決せば暗中に錦を服して遊行し澗底の長松匠を知らざるか、兼ねて又定めて喧嘩出来の基なり、貴坊本意を遂げんと欲せば公家と関東とに奏聞を経て露点を申し下し是非を糾明せば上一人咲を含み下万民疑を散ぜんか、其の上大覚世尊は仏法を以て王臣に付属せり世出世の邪正を決断せんこと必ず公場なる可きなり、就中当時我が朝の体為る二難を盛んにす所謂自界叛逆難と他国侵逼難となり、此の大難を以て大蔵経に引き向えて之を見るに定めて国家と仏法との中に大禍有るか、仍つて予正嘉文永二箇年の大地震と大長星とに驚いて一切経を聞き見るに此の国の中に前代未起の二難有る可し所謂自他叛逼の両難なり、是れ併ながら真言禅門念仏持斎等権小の邪法を以て法華真実の正法を滅失する故に招き出す所の大災なり、只今他国より我が国を逼む可き由兼ねて之を知る故に身命を仏神の宝前に捨棄して刀剣武家の責を恐れず昼は国主に奏し夜は弟子等に語る、然りと雖も真言禅門念仏者律僧等種種の誑言を構え重重の讒訴を企つるが故に叙用せられざるの間処処に於て刀杖を加えられ両度まで御勘気を蒙る剰え頭を刎ねんと擬する是の事なり、夫れ以れば月支漢土の仏法の邪正は且らく之を置く大日本国亡国と為る可き由来之を勘うるに真言宗の元祖たる東寺の弘法天台山第三の座主慈覚此の両大師法華経と大日経との勝劣に迷惑し日本第一の聖人なる伝教大師の正義を隠没してより已来叡山の諸寺は慈覚の邪義に付き神護七大寺は弘法の僻見に随う其れより已来王臣邪師を仰ぎ万民僻見に帰す、是くの如き諂曲既に久しく四百余年を経歴し国漸く衰え王法も亦尽きんとす彼の月支の弗沙弥多羅王の八万四千の寺塔を焚焼し無量仏子の頚を刎ねし、此の漢土の会昌天子の寺院四千六百余所を滅失し九国の僧尼還俗せしめたる此等大悪人為りと雖も我が朝の大謗法には過ぎず、故に青天は眼を瞋らして我が国を睨み黄地は憤を含んで動もすれば夭・を発す、国主聖主に非れば謂れ之を知らず諸臣儒家に非れば事之を勘えず、剰え此の災夭を消さんが為に真言師を渇仰し大難を郤けんが為に持斎等を供養す、譬えば火に薪を加え冰に水を増すが如く悪法は弥貴まれ大難は益々来る只今此の国滅亡せんとす。
予粗先ず此の子細を勘うるの間身命を捨棄し国恩を報ぜんとす、而るに愚人の習い遠きを尊び近きを蔑るか将又多人を信じて一人を捨つるかの故に終に空しく年月を送る、今幸に強仁上人御勘状を以て日蓮を暁諭す然る可くは此の次でに天聴を驚かし奉つて決せん、誠に又御勘文の体為非を以て先と為し若し上人黙止して空しく一生を過せば定めて師檀共に泥梨の大苦を招かん、一期の大慢を以て永劫の迷因を殖ること勿れ速速天奏を経て疾疾対面を遂げ邪見を翻えし給え、書は言を尽さず言は心を尽さず悉悉公場を期す、恐恐謹言。 
 
開目抄上/文永九年二月五十一歳御作

 

夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり。
儒家には三皇五帝三王此等を天尊と号す諸臣の頭目万民の橋梁なり、三皇已前は父をしらず人皆禽獣に同ず五帝已後は父母を弁て孝をいたす、所謂重華はかたくなはしき父をうやまひ沛公は帝となつて大公を拝す、武王は西伯を木像に造り丁蘭は母の形をきざめり、此等は孝の手本なり、比干は殷の世のほろぶべきを見てしゐて帝をいさめ頭をはねらる、公胤といゐし者は懿公の肝をとつて我が腹をさき肝を入て死しぬ此等は忠の手本なり、尹寿は尭王の師務成は舜王の師大公望は文王の師老子は孔子の師なり此等を四聖とがうす、天尊頭をかたぶけ万民掌をあわす、此等の聖人に三墳五典三史等の三千余巻の書あり、其の所詮は三玄をいでず三玄とは一には有の玄周公等此れを立つ、二には無の玄老子等三には亦有亦無等荘子が玄これなり、玄とは黒なり父母未生已前をたづぬれば或は元気よりして生じ或は貴賎苦楽是非得失等は皆自然等云云。
かくのごとく巧に立つといえどもいまだ過去未来を一分もしらず玄とは黒なり幽なりかるがゆへに玄という但現在計りしれるににたり、現在にをひて仁義を制して身をまほり国を安んず此に相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等いう、此等の賢聖の人人は聖人なりといえども過去をしらざること凡夫の背を見ず未来をかがみざること盲人の前をみざるがごとし、但現在に家を治め孝をいたし堅く五常を行ずれば傍輩もうやまい名も国にきこえ賢王もこれを召して或は臣となし或は師とたのみ或は位をゆづり天も来て守りつかう、所謂周の武王には五老きたりつかえ後漢の光武には二十八宿来つて二十八将となりし此なり、而りといえども過去未来をしらざれば父母主君師匠の後世をもたすけず不知恩の者なりまことの賢聖にあらず、孔子が此の土に賢聖なし西方に仏図という者あり此聖人なりといゐて外典を仏法の初門となせしこれなり、礼楽等を教て内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがため王臣を教て尊卑をさだめ父母を教て孝の高きをしらしめ師匠を教て帰依をしらしむ、妙楽大師云く「仏教の流化実に茲に頼る礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」等云云、天台云く「金光明経に云く一切世間所有の善論皆此の経に因る、若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」等云云、止観に云く「我れ三聖を遣わして彼の真丹を化す」等云云、弘決に云く「清浄法行経に云く月光菩薩彼に顔回と称し光浄菩薩彼に仲尼と称し迦葉菩薩彼に老子と称す天竺より此の震旦を指して彼と為す」等云云。
二には月氏の外道三目八臂の摩醯首羅天毘紐天此の二天をば一切衆生の慈父悲母又天尊主君と号す、迦毘羅・楼僧・勒娑婆此の三人をば三仙となづく、此等は仏前八百年已前已後の仙人なり、此の三仙の所説を四韋陀と号す六万蔵あり、乃至仏出世に当つて六師外道此の外経を習伝して五天竺の王の師となる支流九十五六等にもなれり、一一に流流多くして我慢の幢高きこと非想天にもすぎ執心の心の堅きこと金石にも超えたり、其の見の深きこと巧みなるさま儒家にはにるべくもなし、或は過去二生三生乃至七生八万劫を照見し又兼て未来八万劫をしる、其の所説の法門の極理或は因中有果或は因中無果或は因中亦有果亦無果等云云、此れ外道の極理なり所謂善き外道は五戒十善戒等を持つて有漏の禅定を修し上色無色をきわめ上界を涅槃と立て屈歩虫のごとくせめのぼれども非想天より返つて三悪道に堕つ一人として天に留るものなし而れども天を極むる者は永くかへらずとをもえり、各各自師の義をうけて堅く執するゆへに或は冬寒に一日に三度恒河に浴し或は髪をぬき或は巌に身をなげ或は身を火にあぶり或は五処をやく或は裸形或は馬を多く殺せば福をう或は草木をやき或は一切の木を礼す、此等の邪義其の数をしらず師を恭敬する事諸天の帝釈をうやまい諸臣の皇帝を拝するがごとし、しかれども外道の法九十五種善悪につけて一人も生死をはなれず善師につかへては二生三生等に悪道に堕ち悪師につかへては順次生に悪道に堕つ、外道の所詮は内道に入る即最要なり或外道云く「千年已後仏出世す」等云云、或外道云く「百年已後仏出世す」等云云、大涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」等云云、法華経に云く「衆に三毒有りと示し又邪見の相を現ず我が弟子是くの如く方便して衆生を度す」等云云。
三には大覚世尊は此一切衆生の大導師大眼目大橋梁大船師大福田等なり、外典外道の四聖三仙其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし、彼を船として生死の大海をわたるべしや彼を橋として六道の巷こゑがたし我が大師は変易猶をわたり給へり況や分段の生死をや元品の無明の根本猶をかたぶけ給へり況や見思枝葉の・惑をや、此の仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで五十年が間一代の聖教を説き給へり、一字一句皆真言なり一文一偈妄語にあらず外典外道の中の聖賢の言すらいうことあやまりなし事と心と相符へり況や仏陀は無量曠劫よりの不妄語の人されば一代五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし、初成道の始より泥・の夕にいたるまで説くところの所説皆真実なり。
但し仏教に入て五十余年の経経八万法蔵を勘たるに小乗あり大乗あり権経あり実経あり顕教密教・語・語実語妄語正見邪見等の種種の差別あり、但し法華経計り教主釈尊の正言なり三世十方の諸仏の真言なり、大覚世尊は四十余年の年限を指して其の内の恒河の諸経を未顕真実八年の法華は要当説真実と定め給しかば多宝仏大地より出現して皆是真実と証明す、分身の諸仏来集して長舌を梵天に付く此の言赫赫たり明明たり晴天の日よりもあきらかに夜中の満月のごとし仰いで信ぜよ伏して懐うべし。
但し此の経に二箇の大事あり倶舎宗成実宗律宗法相宗三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗んで自宗の骨目とせり、一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。
一念三千は十界互具よりことはじまれり、法相と三論とは八界を立てて十界をしらず況や互具をしるべしや、倶舎成実律宗等は阿含経によれり六界を明めて四界をしらず、十方唯有一仏と云つて一方有仏だにもあかさず、一切有情悉有仏性とこそとかざらめ一人の仏性猶ゆるさず、而るを律宗成実宗等の十方有仏有仏性なんど申すは仏滅後の人師等の大乗の義を自宗に盗み入れたるなるべし、例せば外典外道等は仏前の外道は執見あさし仏後の外道は仏教をききみて自宗の非をしり巧の心出現して仏教を盗み取り自宗に入れて邪見もつともふかし、附仏教学仏法成等これなり、外典も又又かくのごとし漢土に仏法いまだわたらざりし時の儒家道家はいういうとして嬰児のごとくはかなかりしが後漢已後に釈教わたりて対論の後釈教やうやく流布する程に釈教の僧侶破戒のゆへに或は還俗して家にかへり或は俗に心をあはせ儒道の内に釈教を盗み入れたり、止観の第五に云く「今世多く悪魔の比丘有つて戒を退き家に還り駈策を懼畏して更に道士に越済す、復た名利を邀て荘老を誇談し仏法の義を以て偸んで邪典に安き高を押して下に就け尊を摧いて卑に入れ概して平等ならしむ」云云、弘に云く「比丘の身と作つて仏法を破滅す若しは戒を退き家に還るは衛の元嵩等が如し、即ち在家の身を以て仏法を破壊す、此の人正教を偸竊して邪典に助添す、押高等とは道士の心を以て二教の概と為し邪正をして等しからしむ義是の理無し、曾つて仏法に入つて正を偸んで邪を助け八万十二の高きを押して五千二篇の下きに就け用つて彼の典の邪鄙の教を釈するを摧尊入卑と名く」等云云、此の釈を見るべし次上の心なり。
仏教又かくのごとし、後漢の永平に漢土に仏法わたりて邪典やぶれて内典立つ、内典に南三北七の異執をこりて蘭菊なりしかども陳隋の智者大師にうちやぶられて仏法二び群類をすくう、其の後法相宗真言宗天竺よりわたり華厳宗又出来せり、此等の宗宗の中に法相宗は一向天台宗に敵を成す宗法門水火なり、しかれども玄奘三蔵慈恩大師委細に天台の御釈を見ける程に自宗の邪見ひるがへるかのゆへに自宗をばすてねども其の心天台に帰伏すと見へたり、華厳宗と真言宗とは本は権経権宗なり善無畏三蔵金剛智三蔵天台の一念三千の義を盗みとつて自宗の肝心とし其の上に印と真言とを加て超過の心ををこす、其の子細をしらぬ学者等は天竺より大日経に一念三千の法門ありけりとうちをもう、華厳宗は澄観が時華厳経の心如工画師の文に天台の一念三千の法門を偸み入れたり、人これをしらず。
日本我朝には華厳等の六宗天台真言已前にわたりけり、華厳三論法相諍論水火なりけり、伝教大師此の国にいでて六宗の邪見をやぶるのみならず真言宗が天台の法華経の理を盗み取て自宗の極とする事あらはれをはんぬ、伝教大師宗宗の人師の異執をすてて専ら経文を前として責めさせ給しかば六宗の高徳八人十二人十四人三百余人並に弘法大師等せめをとされて日本国一人もなく天台宗に帰伏し南都東寺日本一州の山寺皆叡山の末寺となりぬ、又漢土の諸宗の元祖の天台に帰伏して謗法の失をまぬかれたる事もあらはれぬ、又其の後やうやく世をとろへ人の智あさくなるほどに天台の深義は習うしないぬ、他宗の執心は強盛になるほどにやうやく六宗七宗に天台宗をとされてよわりゆくかのゆへに結句は六宗七宗等にもをよばず、いうにかいなき禅宗浄土宗にをとされて始めは檀那やうやくかの邪宗にうつる、結句は天台宗の碩徳と仰がる人人みなをちゆきて彼の邪宗をたすく、さるほどに六宗八宗の田畠所領みなたをされ正法失せはてぬ天照太神正八幡山王等諸の守護の諸大善神も法味をなめざるか国中を去り給うかの故に悪鬼便を得て国すでに破れなんとす。
此に予愚見をもつて前四十余年と後八年との相違をかんがへみるに其の相違多しといえども先ず世間の学者もゆるし我が身にもさもやとうちをぼうる事は二乗作仏久遠実成なるべし、法華経の現文を拝見するに舎利弗は華光如来迦葉は光明如来須菩提は名相如来迦旃延は閻浮那提金光如来目連は多摩羅跋栴檀香仏富楼那は法明如来阿難は山海慧自在通王仏羅・羅は蹈七宝華如来五百七百は普明如来学無学二千人は宝相如来摩訶波闍波提比丘尼耶輸多羅比丘尼等は一切衆生喜見如来具足千万光相如来等なり、此等の人人は法華経を拝見したてまつるには尊きやうなれども爾前の経経を披見の時はけをさむる事どもをほし、其の故は仏世尊は実語の人なり故に聖人大人と号す、外典外道の中の賢人聖人天仙なんど申すは実語につけたる名なるべし此等の人人に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは申すぞかし、此の大人「唯以一大事因縁故出現於世」となのらせ給いて「未だ真実を顕さず世尊は法久しうして後要ず当に真実を説くべし正直に方便を捨て」等云云、多宝仏証明を加え分身舌を出す等は舎利弗が未来の華光如来迦葉が光明如来等の説をば誰の人か疑網をなすべき。
而れども爾前の諸経も又仏陀の実語なり大方広仏華厳経に云く「如来の知慧大薬王樹は唯二処に於て生長して利益を為作すこと能わず、所謂二乗の無為広大の深坑に堕つると及び善根を壊る非器の衆生は大邪見貪愛の水に溺るるとなり」等云云、此の経文の心は雪山に大樹あり無尽根となづく此を大薬王樹と号す、閻浮提の諸木の中の大王なり此の木の高さは十六万八千由旬なり、一閻浮提の一切の草木は此の木の根ざし枝葉華菓の次第に随つて華菓なるなるべし、此の木をば仏の仏性に譬へたり一切衆生をば一切の草木にたとう、但し此の大樹は火坑と水輪の中に生長せず、二乗の心中をば火坑にたとえ一闡提人の心中をば水輪にたとえたり、此の二類は永く仏になるべからずと申す経文なり、大集経に云く「二種の人有り必ず死して活きず畢竟して恩を知り恩を報ずること能わず、一には声聞二には縁覚なり、譬えば人有りて深坑に堕墜し是の人自ら利し他を利すること能わざるが如く声聞縁覚も亦復是くの如し、解脱の坑に堕して自ら利し及以び他を利すること能わず」等云云、外典三千余巻の所詮に二つあり所謂孝と忠となり忠も又孝の家よりいでたり、孝と申すは高なり天高けれども孝よりも高からず又孝とは厚なり地あつけれども孝よりは厚からず、聖賢の二類は孝の家よりいでたり何に況や仏法を学せん人知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし、其の上舎利弗迦葉等の二乗は二百五十戒三千の威儀持整して味浄無漏の三静慮阿含経をきわめ三界の見思を尽せり知恩報恩の人の手本なるべし、然るを不知恩の人なりと世尊定め給ぬ、其の故は父母の家を出て出家の身となるは必ず父母をすくはんがためなり、二乗は自身は解脱とをもえども利他の行かけぬ設い分分の利他ありといえども父母等を永不成仏の道に入るればかへりて不知恩の者となる。
維摩経に云く「維摩詰又文殊師利に問う何等をか如来の種と為す、答えて曰く一切塵労の疇は如来の種と為る、五無間を以て具すと雖も猶能く此の大道意を発す」等云云、又云く「譬えば族姓の子高原陸土には青蓮芙蓉衡華を生ぜず卑湿汚田乃ち此の華を生ずるが如し」等云云、又云く「已に阿羅漢を得て応真と為る者は終に復道意を起して仏法を具すること能わざるなり、根敗の士其の五楽に於て復利すること能わざるが如し」等云云、文の心は貪瞋癡等の三毒は仏の種となるべし殺父等の五逆罪は仏種となるべし高原の陸土には青蓮華生ずべし、二乗は仏になるべからず、いう心は二乗の諸善と凡夫の悪と相対するに凡夫の悪は仏になるとも二乗の善は仏にならじとなり、諸の小乗経には悪をいましめ善をほむ、此の経には二乗の善をそしり凡夫の悪をほめたり、かへつて仏経ともをぼへず外道の法門のやうなれども詮するところは二乗の永不成仏をつよく定めさせ給うにや、方等陀羅尼経に云く「文殊舎利弗に語らく猶枯樹の如く更に華を生ずるや不や亦山水の如く本処に還るや不や折石還つて合うや不や焦種芽を生ずるや不や、舎利弗の言く不なり、文殊の言く若し得べからずんば云何ぞ我に菩提の記を得るを問うて心に歓喜を生ずるや」等云云、文の心は枯れたる木華さかず山水山にかへらず破れたる石あはずいれる種をいず、二乗またかくのごとし仏種をいれり等となん。
大品般若経に云く「諸の天子今未だ三菩提心を発さずんば応に発すべし、若し声聞の正位に入れば是の人能く三菩提心を発さざるなり、何を以ての故に生死の為に障隔を作す故」等云云、文の心は二乗は菩提心ををこさざれば我随喜せじ諸天は菩提心ををこせば我随喜せん、首楞厳経に云く「五逆罪の人是の首楞厳三昧を聞いて阿耨菩提心を発せば還つて仏と作るを得、世尊漏尽の阿羅漢は猶破器の如く永く是の三昧を受くるに堪忍せず」等云云、浄名経に云く「其れ汝に施す者は福田と名けず、汝を供養する者は三悪道に堕す」等云云、文の心は迦葉舎利弗等の聖僧を供養せん人天等は必ず三悪道に堕つべしとなり、此等の聖僧は仏陀を除きたてまつりては人天の眼目一切衆生の導師とこそをもひしに幾許の人天大会の中にしてかう度度仰せられしは本意なかりし事なり只詮するところは我が御弟子を責めころさんとにや、此の外牛驢の二乳瓦器金器螢火日光等の無量の譬をとつて二乗を呵嘖せさせ給き、一言二言ならず一日二日ならず一月二月ならず一年二年ならず一経二経ならず、四十余年が間無量無辺の経経に無量の大会の諸人に対して一言もゆるし給う事もなくそしり給いしかば世尊の不妄語なりと我もしる人もしる天もしる地もしる、一人二人ならず百千万人三界の諸天竜神阿修羅五天四洲六欲色無色十方世界より雲集せる人天二乗大菩薩等皆これをしる又皆これをきく、各各国国へ還りて娑婆世界の釈尊の説法を彼れ彼れの国国にして一一にかたるに十方無辺の世界の一切衆生一人もなく迦葉舎利弗等は永不成仏の者供養してはあしかりぬべしとしりぬ。
而るを後八年の法華経に忽に悔還して二乗作仏すべしと仏陀とかせ給はんに人天大会信仰をなすべしや、用ゆべからざる上先後の経経に疑網をなし五十余年の説教皆虚妄の説となりなん、されば四十余年未顕真実等の経文はあらませしか天魔の仏陀と現じて後八年の経をばとかせ給うかと疑網するところにげにげにしげに劫国名号と申して二乗成仏の国をさだめ劫をしるし所化の弟子なんどを定めさせ給へば教主釈尊の御語すでに二言になりぬ自語相違と申すはこれなり、外道が仏陀を大妄語の者と咲いしことこれなり、人天大会けをさめてありし程に爾の時に東方宝浄世界の多宝如来高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大七宝塔に乗じて教主釈尊の人天大会に自語相違をせめられてとのべかうのべさまざまに宣べさせ給いしかども不審猶をはるべしともみへずもてあつかいてをはせし時仏前に大地より涌現して虚空にのぼり給う、例せば暗夜に満月の東山より出づるがごとし七宝の塔大虚にかからせ給いて大地にもつかず大虚にも付かせ給はず天中に懸りて宝塔の中より梵音声を出して証明して云く「爾の時に宝塔の中より大音声を出して歎めて云く、善哉善哉釈迦牟尼世尊能く平等大慧教菩薩法仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたもう、是くの如し是くの如し、釈迦牟尼世尊の所説の如きは皆是れ真実なり」等云云、又云く「爾の時に世尊文殊師利等の無量百千万億旧住娑婆世界の菩薩乃至人非人等一切の衆の前に於て大神力を現じたもう、広長舌を出して上み梵世に至らしめ一切の毛孔より乃至十方世界衆の宝樹の下の師子の座の上の諸仏も亦復是くの如く広長舌を出し無量の光を放ちたもう」等云云、又云く「十方より来りたまえる諸の分身の仏をして各本土に還らしめ乃至多宝仏の塔も還つて故の如くし給うべし」等云云、大覚世尊初成道の時諸仏十方に現じて釈尊を慰諭し給う上諸の大菩薩を遣しき、般若経の御時は釈尊長舌を三千にをほひ千仏十方に現じ給い金光明経には四方の四仏現せり、阿弥陀経には六方の諸仏舌を三千にををう、大集経には十方の諸仏菩薩大宝坊にあつまれり、此等を法華経に引き合せてかんがうるに黄石と黄金と白雲と白山と白冰と銀鏡と黒色と青色とをば翳眼の者眇目の者一眼の者邪眼の者はみたがへつべし、華厳経には先後の経なければ仏語相違なしなににつけてか大疑いで来べき、大集経大品経金光明経阿弥陀経等は諸小乗経の二乗を弾呵せんがために十方に浄土をとき凡夫菩薩を欣慕せしめ二乗をわずらはす、小乗経と諸大乗経と一分の相違あるゆへに或は十方に仏現じ給ひ或は十方より大菩薩をつかはし或は十方世界にも此の経をとくよしをしめし或は十方より諸仏あつまり給う或は釈尊舌を三千にをほひ或は諸仏の舌をいだすよしをとかせ給う、此ひとえに諸小乗経の十方世界唯有一仏ととかせ給いしをもひをやぶるなるべし、法華経のごとくに先後の諸大乗経と相違出来して舎利弗等の諸の声聞大菩薩人天等に将非魔作仏とをもはれさせ給う大事にはあらず、而るを華厳法相三論真言念仏等の翳眼の輩彼彼の経経と法華経とは同じとうちをもへるはつたなき眼なるべし。
但在世は四十余年をすてて法華経につき候ものもやありけん、仏滅後に此の経文を開見して信受せんことかたかるべし、先ず一つには爾前の経経は多言なり法華経は一言なり爾前の経経は多経なり此の経は一経なり彼彼の経経は多年なり此の経は八年なり、仏は大妄語の人永く信ずべからず不信の上に信を立てば爾前の経経は信ずる事もありなん法華経は永く信ずべからず、当世も法華経をば皆信じたるやうなれども法華経にてはなきなり、其の故は法華経と大日経と法華経と華厳経と法華経と阿弥陀経と一なるやうをとく人をば悦んで帰依し別別なるなんど申す人をば用いずたとい用ゆれども本意なき事とをもへり。
日蓮云く日本に仏法わたりてすでに七百余年但伝教大師一人計り法華経をよめりと申すをば諸人これを用いず、但し法華経に云く「若し須弥を接つて他方の無数の仏土に擲置かんも亦未だ為難しとせず、乃至若し仏滅後に悪世中に於て能く此の経を説かん是れ則ち為難し」等云云、日蓮が強義経文に普合せり法華経の流通たる涅槃経に末代濁世に謗法の者は十方の地のごとし正法の者は爪上の土のごとしととかれて候はいかんがし候べき、日本の諸人は爪上の土か日蓮は十方の土かよくよく思惟あるべし、賢王の世には道理かつべし愚主の世に非道先をすべし、聖人の世に法華経の実義顕るべし等と心うべし、此の法門は迹門と爾前と相対して爾前の強きやうにをぼゆもし爾前つよるならば舎利弗等の諸の二乗は永不成仏の者なるべしいかんがなげかせ給うらん。
二には教主釈尊は住劫第九の減人寿百歳の時師子頬王には孫浄飯王には嫡子童子悉達太子一切義成就菩薩これなり、御年十九の御出家三十成道の世尊始め寂滅道場にして実報華王の儀式を示現して十玄六相法界円融頓極微妙の大法を説き給い十方の諸仏も顕現し一切の菩薩も雲集せり、土といひ機といひ諸仏といひ始めといひ何事につけてか大法を秘し給うべき、されば経文には顕現自在力演説円満経等云云、一部六十巻は一字一点もなく円満経なり、譬へば如意宝珠は一珠も無量珠も共に同じ一珠も万宝を尽して雨し万珠も万宝を尽すがごとし、華厳経は一字も万字も但同事なるべし、心仏及衆生の文は華厳宗の肝心なるのみならず法相三論真言天台の肝要とこそ申し候へ、此等程いみじき御経に何事をか隠すべき、なれども二乗闡提不成仏ととかれしは珠のきずとみゆる上三処まで始成正覚となのらせ給いて久遠実成の寿量品を説きかくさせ給いき、珠の破たると月に雲のかかれると日の蝕したるがごとし不思議なりしことなり、阿含方等般若大日経等は仏説なればいみじき事なれども華厳経にたいすればいうにかいなし、彼の経に秘せんこと此等の経経にとかるべからず、されば雑阿含経に云く「初め成道」等云云、大集経に云く「如来成道始め十六年」等云云、浄名経に云く「始め仏樹に坐して力めて魔を降す」等云云、大日経に云く「我昔道場に坐して」等云云、仁王般若経に云く「二十九年」等云云。
此等は言うにたらず只耳目ををどろかす事は無量義経に華厳経の唯心法界方等般若経の海印三昧混同無二等の大法をかきあげて或は未顕真実或は歴劫修行等下す程の御経に我先きに道場菩提樹の下に端坐すること六年阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たりと初成道の華厳経の始成の文に同せられし不思議と打ち思うところに此は法華経の序分なれば正宗の事をいはずもあるべし、法華経の正宗略開三広開三の御時唯仏与仏及能究尽諸法実相等世尊法久後等正直捨方便等多宝仏迹門八品を指して皆是真実と証明せられしに何事をか隠すべきなれども久遠寿量をば秘せさせ給いて我始め道場に坐し樹を観じて亦経行す等云云、最第一の大不思議なり、されば弥勒菩薩涌出品に四十余年の未見今見の大菩薩を仏爾して乃ち之を教化して初めて道心を発さしむ等ととかせ給いしを疑つて云く「如来太子為りし時釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり、是より已来始めて四十余年を過ぎたり世尊云何ぞ此の少時に於て大いに仏事を作したまえる」等云云、教主釈尊此等の疑を晴さんがために寿量品をとかんとして爾前迹門のききを挙げて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり」等と云云、正しく此の疑を答えて云く「然るに善男子我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云。
華厳乃至般若大日経等は二乗作仏を隠すのみならず久遠実成を説きかくさせ給へり、此等の経経に二つの失あり、一には行布を存するが故に仍お未だ権を開せずとて迹門の一念三千をかくせり、二には始成を言うが故に尚未だ迹を発せずとて本門の久遠をかくせり、此等の二つの大法は一代の綱骨一切経の心髄なり、迹門方便品は一念三千二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱れたり、しかりといえどもいまだ発迹顕本せざればまことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし根なし草の波の上に浮べるににたり、本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具百界千如一念三千なるべし、かうてかへりみれば華厳経の台上十方阿含経の小釈迦方等般若の金光明経の阿弥陀経の大日経等の権仏等は此の寿量の仏の天月しばらく影を大小の器にして浮べ給うを諸宗の学者等近くは自宗に迷い遠くは法華経の寿量品をしらず水中の月に実の月の想いをなし或は入つて取らんとをもひ或は縄をつけてつなぎとどめんとす、天台云く「天月を識らず但池月を観ず」等云云。
日蓮案じて云く二乗作仏すら猶爾前づよにをぼゆ、久遠実成は又にるべくもなき爾前づりなり、其の故は爾前法華相対するに猶爾前こわき上爾前のみならず迹門十四品も一向に爾前に同ず、本門十四品も涌出寿量の二品を除いては皆始成を存せり、雙林最後の大般涅槃経四十巻其の外の法華前後の諸大経に一字一句もなく法身の無始無終はとけども応身報身の顕本はとかれず、いかんが広博の爾前本迹涅槃等の諸大乗経をばすてて但涌出寿量の二品には付くべき。
されば法相宗と申す宗は西天の仏滅後九百年に無著菩薩と申す大論師有しき、夜は都率の内院にのぼり弥勒菩薩に対面して一代聖教の不審をひらき昼は阿輸舎国にして法相の法門を弘め給う、彼の御弟子は世親護法難陀戒賢等の大論師なり、戒日大王頭をかたぶけ五天幢を倒して此れに帰依す、尸那国の玄奘三蔵月氏にいたりて十七年印度百三十余の国国を見ききて諸宗をばふりすて此の宗を漢土にわたして太宗皇帝と申す賢王にさづけ給い肪尚光基を弟子として大慈恩寺並に三百六十余箇国に弘め給い、日本国には人王三十七代孝徳天皇の御宇に道慈道昭等ならいわたして山階寺にあがめ給へり、三国第一の宗なるべし、此の宗の云く始め華厳経より終り法華涅槃経にいたるまで無性有情と決定性の二乗は永く仏になるべからず、仏語に二言なし一度永不成仏と定め給いぬる上は日月は地に落ち給うとも大地は反覆すとも永く変改有べからず、されば法華経涅槃経の中にも爾前の経経に嫌いし無性有情決定性を正くついさして成仏すとはとかれず、まづ眼を閉じて案ぜよ法華経涅槃経に決定性無性有情正く仏になるならば無著世親ほどの大論師玄奘慈恩ほどの三蔵人師これをみざるべしや此をのせざるべしやこれを信じて伝えざるべしや、弥勒菩薩に問いたてまつらざるべしや、汝は法華経の文に依るやうなれども天台妙楽伝教の僻見を信受して其の見をもつて経文をみるゆえに爾前に法華経は水火なりと見るなり、華厳宗と真言宗は法相三論にはにるべくもなき超過の宗なり、二乗作仏久遠実成は法華経に限らず華厳経大日経に分明なり、華厳宗の杜順智儼法蔵澄観真言宗の善無畏金剛智不空等は天台伝教にはにるべくもなき高位の人なり、其の上善無畏等は大日如来より系みだれざる相承あり、此等の権化の人いかでか・りあるべき、随つて華厳経には「或は釈迦仏道を成じ已つて不可思議劫を経るを見る」等云云、大日経には「我れは一切の本初なり」等云云、何ぞ但久遠実成寿量品に限らん、譬へば井底の蝦が大海を見ず山左が洛中をしらざるがごとし、汝但寿量の一品を見て華厳大日経等の諸経をしらざるか、其の上月氏尸那新羅百済等にも一同に二乗作仏久遠実成は法華経に限るというか。
されば八箇年の経は四十余年の経経には相違せりというとも先判後判の中には後判につくべしというとも猶爾前づりにこそをぼうれ、又、但在世計りならばさもあるべきに滅後に居せる論師人師多は爾前づりにこそ候へ、かう法華経は信じがたき上、世もやうやく末になれば聖賢はやうやくかくれ迷者はやうやく多し、世間の浅き事すら猶あやまりやすし何に況や出世の深法・なかるべしや、犢子方広が聡敏なりし猶を大小乗経にあやまてり、無垢摩沓が利根なりし権実二教を弁えず、正法一千年の内、在世も近く月氏の内なりしすでにかくのごとし、況や尸那日本等は国もへだて音もかはれり人の根も鈍なり寿命も日あさし貪瞋癡も倍増せり、仏世を去つてとし久し仏経みなあやまれり誰れの智解か直かるべき、仏涅槃経に記して云く「末法には正法の者は爪上の土謗法の者は十方の土」とみへぬ、法滅尽経に云く「謗法の者は恒河沙正法の者は一二の小石」と記しをき給う、千年五百年に一人なんども正法の者ありがたからん、世間の罪に依つて悪道に堕る者は爪上の土仏法によつて悪道に堕る者は十方の土俗よりも僧女より尼多く悪道に堕つべし。
此に日蓮案じて云く世すでに末代に入つて二百余年辺土に生をうけ其の上下賎其の上貧道の身なり、輪回六趣の間人天の大王と生れて万民をなびかす事大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず、大小乗経の外凡内凡の大菩薩と修しあがり一劫二劫無量劫を経て菩薩の行を立てすでに不退に入りぬべかりし時も強盛の悪縁におとされて仏にもならず、しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか久遠五百の退転して今に来れるか、法華経を行ぜし程に世間の悪縁王難外道の難小乗経の難なんどは忍びし程に権大乗実大乗経を極めたるやうなる道綽善導法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者法華経をつよくほめあげ機をあながちに下し理深解微と立て未有一人得者千中無一等とすかししものに無量生が間恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ権経より小乗経に堕ちぬ外道外典に堕ちぬ結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり、日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。
これを一言も申し出すならば父母兄弟師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば慈悲なきににたりと思惟するに法華経涅槃経等に此の二辺を合せ見るにいはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしとしりぬ、二辺の中にはいうべし、王難等出来の時は退転すべくは一度に思ひ止るべしと且くやすらいし程に宝塔品の六難九易これなり、我等程の小力の者須弥山はなぐとも我等程の無通の者乾草を負うて劫火にはやけずとも我等程の無智の者恒沙の経経をばよみをぼうとも法華経は一句一偈も末代に持ちがたしととかるるはこれなるべし、今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ。
既に二十余年が間此の法門を申すに日日月月年年に難かさなる、少少の難はかずしらず大事の難四度なり二度はしばらくをく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひわづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし。
法華経の第四に云く「而も此経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等云云、第二に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん」等云云、第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云、又云く「諸の無智の人の悪口罵詈する有らん」等、又云く「国王大臣婆羅門居士に向つて誹謗し我が悪を説いて是れ邪見の人なりと謂わん」と、又云く「数数擯出見れん」等云云、又云く「杖木瓦石もて之を打擲せん」等云云、涅槃経に云く「爾の時に多く無量の外道有つて和合して共に摩訶陀の王阿闍世の所に往き、今は唯一の大悪人有り瞿曇沙門なり、一切世間の悪人利養の為の故に其の所に往集して眷属と為つて能く善を修せず、呪術の力の故に迦葉及び舎利弗目・連を調伏す」等云云、天台云く「何に況や未来をや理化し難きに在るなり」等云云、妙楽云く「障り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉と名く」等云云、南三北七の十師漢土無量の学者天台を怨敵とす、得一云く「咄かな智公汝は是れ誰が弟子ぞ三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説を謗ずる」等云云、東春に云く「問う在世の時許多の怨嫉あり仏滅度の後此経を説く時何が故ぞ亦留難多きや、答えて云く俗に良薬口に苦しと云うが如く此経は五乗の異執を廃して一極の玄宗を立つ、故に凡を斥け聖を呵し大を排い小を破り天魔を銘じて毒虫と為し外道を説いて悪鬼と為し執小を貶して貧賎と為し菩薩を挫きて新学と為す、故に天魔は聞くを悪み外道は耳に逆い二乗は驚怪し菩薩は怯行す、此くの如きの徒悉く留難を為す多怨嫉の言豈唐しからんや」等云云、顕戒論に云く「僧統奏して曰く西夏に鬼弁婆羅門有り東土に巧言を吐く禿頭沙門あり、此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す」等云云、論じて曰く「昔斉朝の光統に聞き今は本朝の六統に見る、実なるかな法華に何況するをや」等云云、秀句に云く「代を語れば則ち像の終り末の始め地を尋ぬれば則ち唐の東羯の西人を原ぬれば則ち五濁の生闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後此の言良に以有るなり」等云云、夫れ小児に灸治を加れば必ず母をあだむ重病の者に良薬をあたうれば定んで口に苦しとうれう、在世猶をしかり乃至像末辺土をや、山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし、像法の中には天台一人法華経一切経をよめり、南北これをあだみしかども陳隋二代の聖主眼前に是非を明めしかば敵ついに尽きぬ、像の末に伝教一人法華経一切経を仏説のごとく読み給へり、南都七大寺蜂起せしかども桓武乃至嵯峨等の賢主我と明らめ給いしかば又事なし、今末法の始め二百余年なり況滅度後のしるしに闘諍の序となるべきゆへに非理を前として濁世のしるしに召し合せられずして流罪乃至寿にもをよばんとするなり、されば日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし、定んで天の御計いにもあづかるべしと存ずれども一分のしるしもなし、いよいよ重科に沈む、還つて此の事を計りみれば我が身の法華経の行者にあらざるか、又諸天善神等の此の国をすてて去り給えるかかたがた疑はし、而るに法華経の第五の巻勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずばほとをど世尊は大妄語の人八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし、経に云く「諸の無智の人あつて悪口罵詈等し刀杖瓦石を加う」等云云、今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ、「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲」又云く「白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如し」此等の経文は今の世の念仏者禅宗律宗等の法師なくば世尊は又大妄語の人、常在大衆中乃至向国王大臣婆羅門居士等、今の世の僧等日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし、又云く「数数見擯出」等云云、日蓮法華経のゆへに度度ながされずば数数の二字いかんがせん、此の二字は天台伝教もいまだよみ給はず況や余人をや、末法の始のしるし恐怖悪世中の金言のあふゆへに但日蓮一人これをよめり、例せば世尊が付法蔵経に記して云く「我が滅後一百年に阿育大王という王あるべし」摩耶経に云く「我が滅後六百年に竜樹菩薩という人南天竺に出ずべし」大悲経に云く「我が滅後六十年に末田地という者地を竜宮につくべし」此れ等皆仏記のごとくなりき、しからずば誰か仏教を信受すべき、而るに仏恐怖悪世然後末世末法滅時後五百歳なんど正妙の二本に正しく時を定め給う、当世法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん、南三北七七大寺等猶像法の法華経の敵の内何に況や当世の禅律念仏者等は脱るべしや、経文に我が身普合せり御勘気をかほればいよいよ悦びをますべし、例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申してつくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕ちて大苦をうくるを見てかたのごとく其の業を造つて願つて地獄に堕ちて苦に同じ苦に代れるを悦びとするがごとし、此れも又かくのごとし当時の責はたうべくもなけれども未来の悪道を脱すらんとをもえば悦びなり。
但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん、諸天等の守護神は仏前の御誓言あり法華経の行者にはさるになりとも法華経の行者とがうして早早に仏前の御誓言をとげんとこそをぼすべきに其の義なきは我が身法華経の行者にあらざるか、此の疑は此の書の肝心一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強くして答をかまうべし。
季札といひし者は心のやくそくをたがへじと王の重宝たる剣を徐君が墓にかく王寿と云いし人は河の水を飲んで金の鵞目を水に入れ公胤といひし人は腹をさいて主君の肝を入る此等は賢人なり恩をほうずるなるべし、況や舎利弗迦葉等の大聖は二百五十戒三千の威儀一もかけず見思を断じ三界を離れたる聖人なり、梵帝諸天の導師一切衆生の眼目なり、而るに四十余年が間永不成仏と嫌いすてはてられてありしが法華経の不死の良薬をなめて・種の生い破石の合い枯木の華菓なんどならんとせるがごとく仏になるべしと許されていまだ八相をとなえずいかでか此の経の重恩をばほうぜざらん、若しほうぜずば彼彼の賢人にもをとりて不知恩の畜生なるべし、毛宝が亀はあをの恩をわすれず昆明池の大魚は命の恩をほうぜんと明珠を夜中にささげたり、畜生すら猶恩をほうず何に況や大聖をや、阿難尊者は斛飯王の次男羅・羅尊者は浄飯王の孫なり、人中に家高き上証果の身となつて成仏ををさへられたりしに八年の霊山の席にて山海慧・七宝華なんと如来の号をさづけられ給う、若し法華経ましまさずばいかにいえたかく大聖なりとも誰か恭敬したてまつるべき、夏の桀殷の紂と申すは万乗の主土民の帰依なり、しかれども政あしくして世をほろぼせしかば今にわるきものの手本には桀紂桀紂とこそ申せ、下賎の者癩病の者も桀紂のごとしといはれぬればのられたりと腹たつなり、千二百無量の声聞は法華経ましまさずば誰か名をも、きくべき其の音をも習うべき、一千の声聞一切経を結集せりとも見る人よもあらじ、まして此等の人人を絵像木像にあらはして本尊と仰ぐべしや、此偏に法華経の御力によつて一切の羅漢帰依せられさせ給うなるべし、諸の声聞法華をはなれさせ給いなば魚の水をはなれ猿の木をはなれ小児の乳をはなれ民の王をはなれたるがごとし、いかでか法華経の行者をすて給うべき、諸の声聞は爾前の経経にては肉眼の上に天眼慧眼をう法華経にして法眼仏眼備われり、十方世界すら猶照見し給うらん、何に況や此の娑婆世界の中法華経の行者を知見せられざるべしや、設い日蓮悪人にて一言二言一年二年一劫二劫乃至百千万億劫此等の声聞を悪口罵詈し奉り刀杖を加えまいらする色なりとも法華経をだにも信仰したる行者ならばすて給うべからず、譬へば幼稚の父母をのる父母これをすつるや、梟鳥が母を食う母これをすてず破鏡父をがいす父これにしたがふ、畜生すら猶かくのごとし大聖法華経の行者を捨つべしや、されば四大声聞の領解の文に云く「我等今は真に是れ声聞なり仏道の声を以て一切をして聞かしむ我等今は真に阿羅漢なり諸の世間天人魔梵に於て普く其の中に於て応に供養を受くべし、世尊は大恩まします希有の事を以て憐愍教化して我等を利益し給う、無量億劫にも誰か能く報ずる者あらん手足をもつて供給し頭頂をもつて礼敬し一切をもつて供養すとも皆報ずること能わじ、若しは以て頂戴し両肩に荷負して恒沙劫に於て心を尽して恭敬し又美膳無量の宝衣及び諸の臥具種種の湯薬を以てし、牛頭栴檀及び諸の珍宝を以て塔廟を起て宝衣を地に布き斯くの如き等の事を以用て供養すること恒沙劫に於てすとも亦報ずること能わじ」等云云。
諸の声聞等は前四味の経経にいくそばくぞの呵嘖を蒙り人天大会の中にして恥辱がましき事其の数をしらず、しかれば迦葉尊者の・泣の音は三千をひびかし須菩提尊者は亡然として手の一鉢をすつ、舎利弗は飯食をはき富楼那は画瓶に糞を入ると嫌わる、世尊鹿野苑にしては阿含経を讃歎し二百五十戒を師とせよなんど慇懃にほめさせ給いて、今又いつのまに我が所説をばかうはそしらせ給うと二言相違の失とも申しぬべし、例せば世尊提婆達多を汝愚人人の唾を食うと罵詈せさせ給しかば毒箭の胸に入るがごとくをもひてうらみて云く「瞿曇は仏陀にはあらず我は斛飯王の嫡子阿難尊者が兄瞿曇が一類なり、いかにあしき事ありとも内内教訓すべし、此等程の人天大会に此程の大禍を現に向つて申すもの大人仏陀の中にあるべしや、されば先先は妻のかたき今は一座のかたき今日よりは生生世世に大怨敵となるべし」と誓いしぞかし、此れをもつて思うに今諸の大声聞は本と外道婆羅門の家より出でたり、又諸の外道の長者なりしかば諸王に帰依せられ諸檀那にたつとまる、或は種姓高貴の人もあり或は富福充満のやからもあり、而るに彼彼の栄官等をうちすて慢心の幢を倒して俗服を脱ぎ壊色の糞衣を身にまとひ白払弓箭等をうちすてて一鉢を手ににぎり貧人乞丐なんどのごとくして世尊につき奉り風雨を防ぐ宅もなく身命をつぐ衣食乏少なりしありさまなるに五天四海皆外道の弟子檀那なれば仏すら九横の大難にあひ給ふ、所謂提婆が大石をとばせし阿闍世王の酔象を放ちし阿耆多王の馬麦婆羅門城のこんづせんしや婆羅門女が鉢を腹にふせし、何に況や所化の弟子の数難申す計りなし、無量の釈子は波瑠璃王に殺され千万の眷属は酔象にふまれ、華色比丘尼は提婆にがいせられ迦廬提尊者は馬糞にうづまれ目・尊者は竹杖にがいせらる、其の上六師同心して阿闍世婆斯匿王等に讒奏して云く「瞿曇は閻浮第一の大悪人なり、彼がいたる処は三災七難を前とす、大海の衆流をあつめ大山の衆木をあつめたるがごとし、瞿曇がところには衆悪をあつめたり、所謂迦葉舎利弗目連須菩提等なり、人身を受けたる者は忠孝を先とすべし、彼等は瞿曇にすかされて父母の教訓をも用いず、家をいで王法の宣旨をもそむいて山林にいたる、一国に跡をとどむべき者にはあらず、されば天には日月衆星変をなす地には衆夭さかんなりなんどうつたう、堪べしともおぼえざりしに又うちそうわざわいと仏陀にもうちそいがたくてありしなり、人天大会の衆会の砌にて時時呵嘖の音をききしかばいかにあるべしともおぼへず只あわつる心のみなり、其の上大の大難の第一なりしは浄名経の「其れ汝に施す者は福田と名けず汝を供養する者は三悪道に堕す」等云云、文の心は仏菴羅苑と申すところにをはせしに梵天帝釈日月四天三界諸天地神竜神等無数恒沙の大会の中にして云く須菩提等の比丘等を供養せん天人は三悪道に堕つべし、此等をうちきく天人此等の声聞を供養すべしや、詮ずるところは仏の御言を用つて諸の二乗を殺害せさせ給うかと見ゆ、心あらん人人は仏をもうとみぬべし、されば此等の人人は仏を供養したてまつりしついでにこそわづかの身命をも扶けさせ給いしか、されば事の心を案ずるに四十余年の経経のみとかれて法華八箇年の所説なくて御入滅ならせ給いたらましかば誰の人か此等の尊者をば供養し奉るべき現身に餓鬼道にこそをはすべけれ。
而るに四十余年の経経をば東春の大日輪寒冰を消滅するがごとく無量の草露を大風の零落するがごとく一言一時に未顕真実と打ちけし、大風の黒雲をまき大虚に満月の処するがごとく青天に日輪の懸り給うがごとく世尊法久後要当説真実と照させ給いて華光如来光明如来等と舎利弗迦葉等を赫赫たる日輪明明たる月輪のごとく鳳文にしるし亀鏡に浮べられて候へばこそ如来滅後の人天の諸檀那等には仏陀のごとくは仰がれ給しか、水すまば月影ををしむべからず風ふかば草木なびかざるべしや、法華経の行者あるならば此等の聖者は大火の中をすぎても大石の中をとをりてもとぶらはせ給うべし、迦葉の入定もことにこそよれ、いかにとなりぬるぞいぶかしとも申すばかりなし、後五百歳のあたらざるか広宣流布の妄語となるべきか日蓮が法華経の行者ならざるか、法華経を教内と下して別伝と称する大妄語の者をまほり給うべきか、捨閉閣抛と定めて法華経の門をとぢよ巻をなげすてよとゑりつけて法華堂を失える者を守護し給うべきか、仏前の誓いはありしかども濁世の大難のはげしさをみて諸天下り給わざるか、日月天にまします須弥山いまもくづれず海潮も増減す四季もかたのごとくたがはずいかになりぬるやらんと大疑いよいよつもり候。
又諸大菩薩天人等のごときは爾前の経経にして記・をうるやうなれども水中の月を取らんとするがごとく影を体とおもうがごとくいろかたちのみあつて実義もなし、又仏の御恩も深くて深からず、世尊初成道の時はいまだ説教もなかりしに法慧菩薩功徳林菩薩金剛幢菩薩金剛蔵菩薩等なんど申せし六十余の大菩薩十方の諸仏の国土より教主釈尊の御前に来り給いて賢首菩薩解脱月等の菩薩の請にをもむいて十住十行十回向十地等の法門を説き給いき、此等の大菩薩の所説の法門は釈尊に習いたてまつるにあらず、十方世界の諸の梵天等も来つて法をとく又釈尊にならいたてまつらず、総じて華厳会座の大菩薩天竜等は釈尊以前に不思議解脱に住せる大菩薩なり、釈尊の過去因位の御弟子にや有るらん十方世界の先仏の御弟子にや有るらん、一代教主始成の正覚の仏の弟子にはあらず、阿含方等般若の時四教を仏の説き給いし時こそやうやく御弟子は出来して候へ、此も又仏の自説なれども正説にはあらず、ゆへいかんとなれば方等般若の別円二教は華厳経の別円二教の義趣をいでず、彼の別円二教は教主釈尊の別円二教にはあらず、法慧等の別円二教なり、此等の大菩薩は人目には仏の御弟子かとは見ゆれども仏の御師ともいゐぬべし、世尊彼の菩薩の所説を聴聞して智発して後重ねて方等般若の別円をとけり、色もかわらぬ華厳経の別円二教なり、されば此等の大菩薩は釈尊の師なり、華厳経に此等の菩薩をかずへて善知識ととかれしはこれなり、善知識と申すは一向師にもあらず一向弟子にもあらずある事なり、蔵通二教は又別円の枝流なり別円二教をしる人必ず蔵通二教をしるべし、人の師と申すは弟子のしらぬ事を教えたるが師にては候なり、例せば仏より前の一切の人天外道は二天三仙の弟子なり、九十五種まで流派したりしかども三仙の見を出でず、教主釈尊もかれに習い伝えて外道の弟子にてましませしが苦行楽行十二年の時苦空無常無我の理をさとり出してこそ外道の弟子の名をば離れさせ給いて無師智とはなのらせ給いしか、又人天も大師とは仰ぎまいらせしか、されば前四味の間は教主釈尊法慧菩薩等の御弟子なり、例せば文殊は釈尊九代の御師と申すがごとし、つねは諸経に不説一字ととかせ給うもこれなり。
仏御年七十二の年摩竭提国霊鷲山と申す山にして無量義経をとかせ給いしに四十余年の経経をあげて枝葉をば其の中におさめて四十余年未顕真実と打消し給うは此なり、此の時こそ諸大菩薩諸天人等はあはてて実義を請せんとは申せしか、無量義経にて実義とをぼしき事一言ありしかどもいまだまことなし、譬へば月の出でんとして其の体東山にかくれて光り西山に及べども諸人月体を見ざるがごとし、法華経方便品の略開三顕一の時仏略して一念三千心中の本懐を宣べ給う、始の事なればほととぎすの初音をねをびれたる者の一音ききたるがやうに月の山の半を出でたれども薄雲のをほへるがごとくかそかなりしを舎利弗等驚いて諸天竜神大菩薩等をもよをして諸天竜神等其の数恒沙の如し仏を求むる諸の菩薩大数八万有り又諸の万億国の転輪聖王の至れる合掌して敬心を以て具足の道を聞かんと欲す等とは請ぜしなり、文の心は四味三教四十余年の間いまだきかざる法門うけ給はらんと請ぜしなり、此の文に具足の道を聞かんと欲すと申すは大経に云く「薩とは具足の義に名く」等云云、無依無得大乗四論玄義記に云く「沙とは訳して六と云う胡法に六を以て具足の義と為すなり」等云云、吉蔵の疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」等云云、天台の玄義の八に云く「薩とは梵語此に妙と翻ずるなり」等云云、付法蔵の第十三真言華厳諸宗の元祖本地は法雲自在王如来迹に竜猛菩薩初地の大聖の大智度論千巻の肝心に云く「薩とは六なり」等云云、妙法蓮華経と申すは漢語なり、月支には薩達磨分陀利伽蘇多攬と申す、善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く「曩謨三曼陀没駄南[帰命普仏陀]・[三身如来]阿阿暗悪[開示悟入]薩縛勃陀[一切仏]枳攘[知]娑乞蒭毘耶[見]・・曩三娑縛[如虚空性]羅乞叉・[離塵相也]薩哩達磨[正法]浮陀哩迦[白蓮華]蘇駄覧[経]惹[入]吽[遍]鑁[住]発[歓喜]縛日羅[堅固]乞叉・[擁護]吽[空無相無願]沙婆訶[決定成就]」此の真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり、此の真言の中に薩哩達磨と申すは正法なり薩と申すは正なり正は妙なり妙は正なり正法華妙法華是なり、又妙法蓮華経の上に南無の二字ををけり南無妙法蓮華経これなり、妙とは具足六とは六度万行、諸の菩薩の六度万行を具足するやうをきかんとをもう、具とは十界互具足と申すは一界に十界あれば当位に余界あり満足の義なり、此の経一部八巻二十八品六万九千三百八十四字一一に皆妙の一字を備えて三十二相八十種好の仏陀なり、十界に皆己界の仏界を顕す妙楽云く「尚仏界を具す、余果も亦然り」等云云、仏此れを答えて云く、「衆生をして仏知見を開か令めんと欲す」等云云、衆生と申すは舎利弗衆生と申すは一闡提衆生と申すは九法界衆生無辺誓願度此に満足す、「我本誓願を立つ一切の衆をして我が如く等しくして異なること無からしめんと欲す我が昔の願せし所の如き今は已に満足しぬ」等云云。
諸大菩薩諸天等此の法門をきひて領解して云く「我等昔より来数世尊の説を聞きたてまつれども未だ曾て是の如き深妙の上法を聞かず」等云云、伝教大師云く「我等昔より来数世尊の説を聞くと謂うは昔法華経の前華厳等の大法を説くを聞けどもとなり、未だ曾て是くの如き深妙の上法を聞かずと謂うは未だ法華経の唯一仏乗の教を聞かざるなり」等云云、華厳方等般若深密大日等の恒河沙の諸大乗経はいまだ一代の肝心たる一念三千の大綱骨髄たる二乗作仏久遠実成等をいまだきかずと領解せり。 
 
開目抄下

 

又今よりこそ諸大菩薩も梵帝日月四天等も教主釈尊の御弟子にては候へ、されば宝塔品には此等の大菩薩を仏我が御弟子等とをぼすゆへに諌暁して云く「諸の大衆に告ぐ我が滅度の後誰か能く此の経を護持し読誦する今仏前に於て自ら誓言を説け」とはしたたかに仰せ下せしか、又諸大菩薩も「譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し」等と吉祥草の大風に随い河水の大海へ引くがごとく仏には随いまいらせしか。
而れども霊山日浅くして夢のごとくうつつならずありしに証前の宝塔の上に起後の宝塔あつて十方の諸仏来集せる皆我が分身なりとなのらせ給い宝塔は虚空に釈迦多宝坐を並べ日月の青天に並出せるが如し、人天大会は星をつらね分身の諸仏は大地の上宝樹の下の師子のゆかにまします、華厳経の蓮華蔵世界は十方此土の報仏各各に国国にして彼の界の仏此の土に来つて分身となのらず此の界の仏彼の界へゆかず但法慧等の大菩薩のみ互いに来会せり、大日経金剛頂経等の八葉九尊三十七尊等大日如来の化身とはみゆれども其の化身三身円満の古仏にあらず、大品経の千仏阿弥陀経の六方の諸仏いまだ来集の仏にあらず大集経の来集の仏又分身ならず、金光明経の四方の四仏は化身なり、総じて一切経の中に各修各行の三身円満の諸仏を集めて我が分身とはとかれず、これ寿量品の遠序なり、始成四十余年の釈尊が一劫十劫等已前の諸仏を集めて分身ととかるさすが平等意趣にもにずをびただしくをどろかし、又始成の仏ならば所化十方に充満すべからざれば分身の徳は備わりたりとも示現して益なし、天台云く「分身既に多し当に知るべし成仏の久しきことを」等云云、大会のをどろきし意をかかれたり。
其の上に地涌千界の大菩薩大地より出来せり釈尊に第一の御弟子とをぼしき普賢文殊等にもにるべくもなし、華厳方等般若法華経の宝塔品に来集する大菩薩大日経等の金剛薩・等の十六の大菩薩なんども此の菩薩に対当すれば・猴の群る中に帝釈の来り給うが如し、山人に月卿等のまじはるにことならず、補処の弥勒すら猶迷惑せり何に況や其の已下をや、此の千世界の大菩薩の中に四人の大聖まします所謂上行無辺行浄行安立行なり、此の四人は虚空霊山の諸菩薩等眼もあはせ心もをよばず、華厳経の四菩薩大日経の四菩薩金剛頂経の十六大菩薩等も此の菩薩に対すれば翳眼のものの日輪を見るが如く海人が皇帝に向い奉るが如し、大公等の四聖の衆中にありしににたり商山の四皓が恵帝に仕えしにことならず、巍巍堂堂として尊高なり、釈迦多宝十方の分身を除いては一切衆生の善知識ともたのみ奉りぬべし、弥勒菩薩心に念言すらく、我は仏の太子の御時より三十成道今の霊山まで四十二年が間此の界の菩薩十方世界より来集せし諸大菩薩皆しりたり、又十方の浄穢土に或は御使い或は我と遊戯して其の国国に大菩薩を見聞せり、此の大菩薩の御師なんどはいかなる仏にてやあるらん、よも此の釈迦多宝十方の分身の仏陀にはにるべくもなき仏にてこそをはすらめ、雨の猛を見て竜の大なる事をしり華の大なるを見て池のふかきことはしんぬべし、此等の大菩薩の来る国又誰と申す仏にあいたてまつりいかなる大法をか習修し給うらんと疑いし、あまりの不審さに音をもいだすべくもなけれども仏力にやありけん、弥勒菩薩疑つて云く「無量千万億の大衆の諸の菩薩は昔より未だ曾て見ざる所なり是の諸の大威徳の精進の菩薩衆は誰か其の為に法を説いて教化して成就せる、誰に従つてか初めて発心し何れの仏法をか称揚せる、世尊我昔より来未だ曾つて是の事を見ず、願くは其の所従の国土の名号を説きたまえ、我常に諸国に遊べども未だ曾つて是の事を見ず、我れ此の衆の中に於て乃し一人をも識らず忽然に地より出でたり願くは其の因縁を説きたまえ」等云云、天台云く「寂場より已降今座已往十方の大士来会絶えず限る可からずと雖も我補処の智力を以つて悉く見悉く知る、而れども此の衆に於て一人をも識らず然るに我れ十方に遊戯して諸仏に覲奉し大衆に快く識知せらる」等云云、妙楽云く「智人は起を知る蛇は自ら蛇を識る」等云云、経釈の心分明なり詮ずるところは初成道よりこのかた此の土十方にて此等の菩薩を見たてまつらずきかずと申すなり。
仏此の疑を答えて云く「阿逸多汝等昔より未だ見ざる所の者は我是の娑婆世界に於て阿耨多羅三藐三菩提を得已つて是の諸の菩薩を教化し示導して其の心を調伏して道の意を発こさしめたり」等、又云く「我伽耶城菩提樹下に於て坐して最正覚を成ずることを得て無上の法輪を転じ爾して乃ち之を教化して初めて道心を発さしむ今皆不退に住せり、乃至我久遠より来是等の衆を教化せり」等云云、此に弥勒等の大菩薩大に疑いをもう、華厳経の時法慧等の無量の大菩薩あつまるいかなる人人なるらんとをもへば我が善知識なりとをほせられしかば、さもやとうちをもひき、其の後の大宝坊白鷺池等の来会の大菩薩もしかのごとし、此の大菩薩は彼等にはにるべくもなきふりたりげにまします定めて釈尊の御師匠かなんどおぼしきを令初発道心とて幼稚のものどもなりしを教化して弟子となせりなんどをほせあれば大なる疑なるべし、日本の聖徳太子は人王第三十二代用明天皇の御子なり、御年六歳の時百済高麗唐土より老人どものわたりたりしを六歳の太子我が弟子なりとをほせありしかば彼の老人ども又合掌して我が師なり等云云、不思議なりし事なり、外典に申す或者道をゆけば路のほとりに年三十計りなるわかものが八十計りなる老人をとらへて打ちけり、いかなる事ぞととえば此の老翁は我が子なりなんど申すとかたるにもにたり、されば弥勒菩薩等疑つて云く「世尊如来太子為りし時釈の宮を出で伽耶城を去ること遠からずして道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得給えり、是より已来始めて四十余年を過ぎたり、世尊云何ぞ此の少時に於て大いに仏事を作し給える」等云云、一切の菩薩始め華厳経より四十余年会会に疑をまうけて一切衆生の疑網をはらす中に此の疑第一の疑なるべし、無量義経の大荘厳等の八万の大士四十余年と今との歴劫疾成の疑にも超過せり、観無量寿経に韋提希夫人の阿闍世王が提婆にすかされて父の王をいましめ母を殺さんとせしが耆婆月光にをどされて母をはなちたりし時仏を請じたてまつてまづ第一の問に云く「我れ宿し何の罪あつて此の悪子を生む世尊復た何等の因縁有つて提婆達多と共に眷属となり給う」等云云、此の疑の中に「世尊復た何等の因縁有つて」等の疑は大なる大事なり、輪王は敵と共に生れず帝釈は鬼とともならず仏は無量劫の慈悲者なりいかに大怨と共にはまします還つて仏にはましまさざるかと疑うなるべし、而れども仏答え給はず、されば観経を読誦せん人法華経の提婆品へ入らずばいたづらごとなるべし、大涅槃経に迦葉菩薩の三十六の問もこれには及ばず、されば仏此の疑を晴させ給はずば一代の聖教は泡沫にどうじ一切衆生は疑網にかかるべし、寿量の一品の大切なるこれなり。
其の後仏寿量品を説いて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出で伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得給えりと謂えり」等云云、此の経文は始め寂滅道場より終り法華経の安楽行品にいたるまでの一切の大菩薩等の所知をあげたるなり、「然るに善男子我れ実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、此の文は華厳経の「三処の始成正覚」阿含経に云く「初成」浄名経の「始坐仏樹」大集経に云く「始十六年」大日経の「我昔坐道場」等仁王経の「二十九年」無量義経の「我先道場」法華経の方便品に云く「我始坐道場」等を一言に大虚妄なりとやぶるもんなり。
此の過去常顕るる時諸仏皆釈尊の分身なり爾前迹門の時は諸仏釈尊に肩を並べて各修各行の仏なり、かるがゆへに諸仏を本尊とする者釈尊等を下す、今華厳の台上方等般若大日経等の諸仏は皆釈尊の眷属なり、仏三十成道の御時は大梵天王第六天等の知行の娑婆世界を奪い取り給いき、今爾前迹門にして十方を浄土とがうして此の土を穢土ととかれしを打ちかへして此の土は本土なり十方の浄土は垂迹の穢土となる、仏は久遠の仏なれば迹化他方の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり、一切経の中に此の寿量品ましまさずば天に日月の国に大王の山河に珠の人に神のなからんがごとくしてあるべきを華厳真言等の権宗の智者とをぼしき澄観嘉祥慈恩弘法等の一往権宗の人人且は自の依経を讃歎せんために或は云く「華厳経の教主は報身法華経は応身」と或は云く「法華寿量品の仏は無明の辺域大日経の仏は明の分位」等云云、雲は月をかくし讒臣は賢人をかくす人讃すれば黄石も玉とみへ諛臣も賢人かとをぼゆ、今濁世の学者等彼等の讒義に隠されて寿量品の玉を翫ばず、又天台宗の人人もたぼらかされて金石一同のをもひをなせる人人もあり、仏久成にましまさずば所化の少かるべき事を弁うべきなり、月は影を慳ざれども水なくばうつるべからず、仏衆生を化せんとをぼせども結縁うすければ八相を現ぜず、例せば諸の声聞が初地初住にはのぼれども爾前にして自調自度なりしかば未来の八相をごするなるべし、しかれば教主釈尊始成ならば今此の世界の梵帝日月四天等は劫初より此の土を領すれども四十余年の仏弟子なり、霊山八年の法華結縁の衆今まいりの主君にをもひつかず久住の者にへだてらるるがごとし、今久遠実成あらはれぬれば東方の薬師如来の日光月光西方阿弥陀如来の観音勢至乃至十方世界の諸仏の御弟子大日金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩猶教主釈尊の御弟子なり、諸仏釈迦如来の分身たる上は諸仏の所化申すにをよばず何に況や此の土の劫初よりこのかたの日月衆星等教主釈尊の御弟子にあらずや。
而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり、倶舎成実律宗は三十四心断結成道の釈尊を本尊とせり、天尊の太子が迷惑して我が身は民の子とをもうがごとし、華厳宗真言宗三論宗法相宗等の四宗は大乗の宗なり、法相三論は勝応身ににたる仏を本尊とす天王の太子我が父は侍とをもうがごとし、華厳宗真言宗は釈尊を下げて盧舎那の大日等を本尊と定む天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるにつけり、浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とをもうて教主をすてたり、禅宗は下賎の者一分の徳あつて父母をさぐるがごとし、仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり、例せば三皇已前に父をしらず人皆禽獣に同ぜしが如し、寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ不知恩の者なり、故に妙楽云く「一代教の中未だ曾て遠を顕さず、父母の寿知らずんばある可からず若し父の寿の遠きを知らずんば復父統の邦に迷う、徒に才能と謂うとも全く人の子に非ず」等云云、妙楽大師は唐の末天宝年中の者なり三論華厳法相真言等の諸宗並に依経を深くみ広く勘えて寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に迷える才能ある畜生とかけるなり、徒謂才能とは華厳宗の法蔵澄観乃至真言宗の善無畏三蔵等は才能の人師なれども子の父を知らざるがごとし、伝教大師は日本顕密の元祖秀句に云く「他宗所依の経は一分仏母の義有りと雖も然も但愛のみ有つて厳の義を闕く、天台法華宗は厳愛の義を具す一切の賢聖学無学及び菩薩心を発せる者の父なり」等云云、真言華厳等の経経には種熟脱の三義名字すら猶なし何に況や其の義をや、華厳真言経等の一生初地の即身成仏等は経は権経にして過去をかくせり、種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり道鏡が王位に居せんとせしがごとし。
宗宗互に種を諍う予此をあらそはず但経に任すべし、法華経の種に依つて天親菩薩は種子無上を立てたり天台の一念三千これなり、華厳経乃至諸大乗経大日経等の諸尊の種子皆一念三千なり天台智者大師一人此の法門を得給えり、華厳宗の澄観此の義を盗んで華厳経の心如工画師の文の神とす、真言大日経等には二乗作仏久遠実成一念三千の法門これなし、善無畏三蔵震旦に来つて後天台の止観を見て智発し大日経の心実相我一切本初の文の神に天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として其の上に印と真言とをかざり法華経と大日経との勝劣を判ずる時理同事勝の釈をつくれり、両界の漫荼羅の二乗作仏十界互具は一定大日経にありや第一の誑惑なり、故に伝教大師云く「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯じ、旧到の華厳家は則ち影響の規模を隠す」等云云、俘囚の嶋なんどにわたてほのぼのといううたはわれよみたりなんど申すはえぞていの者はさこそとをもうべし、漢土日本の学者又かくのごとし、良・和尚云く「真言禅門華厳三論乃至若し法華等に望めば是接引門」等云云、善無畏三蔵の閻魔の責にあづからせ給しは此の邪見による後に心をひるがへし法華経に帰伏してこそこのせめをば脱させ給いしか、其の後善無畏不空等法華経を両界の中央にをきて大王のごとくし胎蔵の大日経金剛の金剛頂経をば左右の臣下のごとくせしこれなり、日本の弘法も教相の時は華厳宗に心をよせて法華経をば第八にをきしかども事相の時には実慧真雅円澄光定等の人人に伝え給いし時両界の中央に上のごとくをかれたり、例せば三論の嘉祥は法華玄十巻に法華経を第四時会二破二と定れども天台に帰伏して七年つかへ廃講散衆して身を肉橋となせり、法相の慈恩は法苑林七巻十二巻に一乗方便三乗真実等の妄言多し、しかれども玄賛の第四には故亦両存等と我が宗を不定になせり、言は両方なれども心は天台に帰伏せり、華厳の澄観は華厳の疏を造て華厳法華相対して法華を方便とかけるに似れども彼の宗之を以て実と為す此の宗の立義理通ぜざること無し等とかけるは悔い還すにあらずや、弘法も又かくのごとし、亀鏡なければ我が面をみず敵なければ我が非をしらず、真言等の諸宗の学者等我が非をしらざりし程に伝教大師にあひたてまつて自宗の失をしるなるべし。
されば諸経の諸仏菩薩人天等は彼彼の経経にして仏にならせ給うやうなれども実には法華経にして正覚なり給へり、釈迦諸仏の衆生無辺の総願は皆此の経にをいて満足す今者已満足の文これなり、予事の由ををし計るに華厳観経大日経等をよみ修行する人をばその経経の仏菩薩天等守護し給らん疑あるべからず、但し大日経観経等をよむ行者等法華経の行者に敵対をなさば彼の行者をすてて法華経の行者を守護すべし、例せば孝子慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる孝の至りなり、仏法も又かくのごとし、法華経の諸仏菩薩十羅刹日蓮を守護し給う上浄土宗の六方の諸仏二十五の菩薩真言宗の千二百等七宗の諸尊守護の善神日蓮を守護し給うべし、例せば七宗の守護神伝教大師をまほり給いしが如しとをもう、日蓮案じて云く法華経の二処三会の座にましましし、日月等の諸天は法華経の行者出来せば磁石の鉄を吸うがごとく月の水に遷るがごとく須臾に来つて行者に代り仏前の御誓をはたさせ給べしとこそをぼへ候にいままで日蓮をとぶらひ給はぬは日蓮法華経の行者にあらざるか、されば重ねて経文を勘えて我が身にあてて、身の失をしるべし。
疑て云く当世の念仏宗禅宗等をば何なる智眼をもって法華経の敵人一切衆生の悪知識とはしるべきや、答えて云く私の言を出すべからず経釈の明鏡を出して謗法の醜面をうかべ其の失をみせしめん生盲は力をよばず、法華経の第四宝塔品に云く「爾の時に多宝仏宝塔の中に於て半座を分ち釈迦牟尼仏に与う、爾の時に大衆二如来の七宝の塔の中の師子の座の上に在して結跏趺坐し給うを見たてまつる、大音声を以て普く四衆に告げ給わく、誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん、今正しく是れ時なり、如来久しからずして当に涅槃に入るべし、仏此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す」等云云、第一の勅宣なり。
又云く「爾の時に世尊重ねて此の義を宣べんと欲して偈を説いて言く、聖主世尊久しく滅度し給うと雖も宝塔の中に在して尚法の為に来り給えり、諸人云何ぞ勤めて法に為わざらん、又我が分身の無量の諸仏恒沙等の如く来れる法を聴かんと欲す各妙なる土及び弟子衆天人竜神諸の供養の事を捨てて法をして久しく住せしめんが故に此に来至し給えり、譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し、是の方便を以て法をして久しく住せしむ、諸の大衆に告ぐ我が滅度の後誰か能く此の経を護持し読誦せん今仏前に於て自ら誓言を説け」、第二の鳳詔なり。
「多宝如来および我が身集むる所の化仏当に此の意を知るべし、諸の善男子各諦かに思惟せよ此れは為れ難き事なり、宜しく大願を発こすべし、諸余の経典数恒沙の如し此等を説くと雖も未だ為れ難しとするに足らず、若し須弥を接つて他方無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ為れ難しとせず、若し仏滅後悪世の中に於て能く此の経を説かん是則ち為れ難し、仮使劫焼に乾れたる草を担い負うて中に入つて焼けざらんも亦未だ為れ難しとせず、我が滅度の後に若し此の経を持ちて一人の為にも説かん是則ち為れ難し、諸の善男子我が滅後に於て誰か能く此の経を護持し読誦せん、今仏前に於て自ら誓言を説け」等云云、第三の諌勅なり、第四第五の二箇の諌暁提婆品にあり下にかくべし。
此の経文の心は眼前なり青天に大日輪の懸がごとし白面に黶のあるににたり、而れども生盲の者と邪眼の者と一眼のものと各謂自師の者辺執家の者はみがたし万難をすてて道心あらん者にしるしとどめてみせん、西王母がそののもも輪王出世の優曇華よりもあいがたく沛公が項羽と八年漢土をあらそいし頼朝と宗盛が七年秋津嶋にたたかひし修羅と帝釈と金翅鳥と竜王と阿耨池に諍える此にはすぐべからずとしるべし、日本国に此の法顕るること二度なり伝教大師と日蓮となりとしれ、無眼のものは疑うべし力及ぶべからず此の経文は日本漢土月氏竜宮天上十方世界の一切経の勝劣を釈迦多宝十方の仏来集して定め給うなるべし。
問うて云く華厳経方等経般若経深密経楞伽経大日経涅槃経等は九易の内か六難の内か、答えて云く華厳宗の杜順智儼法蔵澄観等の三蔵大師読んで云く「華厳経と法華経と六難の内名は二経なれども所説乃至理これ同じ四門観別見真諦同のごとし」、法相の玄奘三蔵慈恩大師等読んで云く「深密経と法華経とは同く唯識の法門にして第三時の教六難の内なり」三論の吉蔵等読んで云く「般若経と法華経とは名異体同二経一法なり」善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵等読んで云く「大日経と法華経とは理同じ、をなじく六難の内の経なり」、日本の弘法読んで云く「大日経は六難九易の内にあらず大日経は釈迦所説の一切経の外法身大日如来の所説なり」、又或る人云く「華厳経は報身如来の所説六難九易の内にはあらず」、此の四宗の元祖等かやうに読みければ其の流れをくむ数千の学徒等も又此の見をいでず、日蓮なげいて云く上の諸人の義を左右なく非なりといはば当世の諸人面を向くべからず非に非をかさね結句は国王に讒奏して命に及ぶべし、但し我等が慈父雙林最後の御遺言に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云、不依人等とは初依二依三依第四依普賢文殊等の等覚の菩薩が法門を説き給うとも経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず、「了義経に依つて不了義経に依らざれ」と定めて経の中にも了義不了義経を糾明して信受すべきこそ候いぬれ、竜樹菩薩の十住毘婆沙論に云く「修多羅黒論に依らずして修多羅白論に依れ」等云云、天台大師云く「修多羅と合う者は録して之を用いよ文無く義無きは信受すべからず」等云云、伝教大師云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」等云云、円珍智証大師云く「文に依つて伝うべし」等云云、上にあぐるところの諸師の釈皆一分経論に依つて勝劣を弁うやうなれども皆自宗を堅く信受し先師の謬義をたださざるゆへに曲会私情の勝劣なり荘厳己義の法門なり仏滅後の犢子方広後漢已後の外典は仏法外の外道の見よりも三皇五帝の儒書よりも邪見強盛なり邪法巧なり、華厳法相真言等の人師天台宗の正義を嫉ゆへに実経の文を会して権義に順ぜしむること強盛なり、しかれども道心あらん人偏党をすて自他宗をあらそはず人をあなづる事なかれ。
法華経に云く「已今当」等云云、妙楽云く「縦い経有つて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わず」等云云、又云く「已今当の妙茲に於て固く迷う謗法の罪苦長劫に流る」等云云、此の経釈にをどろいて一切経並に人師の疏釈を見るに狐疑の冰とけぬ今真言の愚者等印真言のあるをたのみて真言宗は法華経にすぐれたりとをもひ慈覚大師等の真言勝れたりとをほせられぬればなんどをもえるはいうにかいなき事なり。
密厳経に云く「十地華厳等と大樹と神通勝鬘及び余経と皆此の経従り出でたり、是くの如きの密厳経は一切経の中に勝れたり」等云云、大雲経に云く「是の経は即是諸経の転輪聖王なり何を以ての故に是の経典の中に衆生の実性仏性常住の法蔵を宣説する故なり」等云云、六波羅蜜経に云く「所謂過去無量の諸仏所説の正法及び我今説く所の所謂八万四千の諸の妙法蘊なり、摂して五分と為す一には索咀纜二には毘奈耶三には阿毘達磨四には般若波羅蜜五には陀羅尼門となり此の五種の蔵をもつて有情を教化す、若し彼の有情契経調伏対法般若を受持すること能わず或は復有情諸の悪業四重八重五無間罪方等経を謗ずる一闡提等の種種の重罪を造るに銷滅して速疾に解脱し頓に涅槃を悟ることを得せしむ、而も彼が為に諸の陀羅尼蔵を説く、此の五の法蔵譬えば乳酪生蘇熟蘇及び妙なる醍醐の如し、総持門とは譬えば醍醐の如し醍醐の味は乳酪蘇の中に微妙第一にして能く諸の病を除き諸の有情をして身心安楽ならしむ、総持門とは契経等の中に最も第一と為す能く重罪を除く」等云云、解深密経に云く「爾の時に勝義生菩薩復仏に白して云く世尊初め一時に於て波羅・斯仙人堕処施鹿林の中に在て唯声聞乗を発趣する者の為に四諦の相を以て正法輪を転じ給いき、是甚だ奇にして甚だ此れ希有なり一切世間の諸の天人等先より能く法の如く転ずる者有ること無しと雖も、而も彼の時に於て転じ給う所の法輪は有上なり有容なり是れ未了義なり是れ諸の諍論安足の処所なり、世尊在昔第二時の中に唯発趣して大乗を修する者の為にして一切の法は皆無自性なり無性無滅なり本来寂静なり自性涅槃なるに依る隠密の相を以て正法輪を転じ給いき、更に甚だ奇にして甚だ為れ希有なりと雖も、彼の時に於て転じ給う所の法輪亦是れ有上なり容受する所有り猶未だ了義ならず、是れ諸の諍論安足の処所なり、世尊今第三時の中に於て普く一切乗を発趣する者の為に一切の法は皆無自性無生無滅本来寂静自性涅槃にして無自性の性なるに依り顕了の相を以て正法輪を転じ給う、第一甚だ奇にして最も為れ希有なり、今に世尊転じ給う所の法輪無上無容にして是れ真の了義なり諸の諍論安息の処所に非ず」等云云、大般若経に云く「聴聞する所の世出世の法に随つて皆能く方便して般若甚深の理趣に会入し諸の造作する所の世間の事業も亦般若を以て法性に会入し一事として法性を出ずる者を見ず」等云云、大日経第一に云く「秘密主大乗行あり無縁乗の心を発す法に我性無し何を以ての故に彼往昔是くの如く修行せし者の如く蘊の阿頼耶を観察して自性幻の如しと知る」等云云、又云く「秘密主彼是くの如く無我を捨て心主自在にして自心の本不生を覚す」等云云、又云く「所謂空性は根境を離れ無相にして境界無く諸の戯論に越えて虚空に等同なり乃至極無自性」等云云、又云く「大日尊秘密主に告げて言く秘密主云何なるか菩提謂く実の如く自心を知る」等云云、華厳経に云く「一切世界の諸の群生声聞乗を求めんと欲すること有ること尠し縁覚を求むる者転復少し、大乗を求むる者甚だ希有なり大乗を求むる者猶為れ易く能く是の法を信ずる為れ甚だ難し、況や能く受持し正憶念し説の如く修行し真実に解せんをや、若し三千大千界を以て頂戴すること一劫身動ぜざらんも彼の所作未だ為れ難からず是の法を信ずるは為れ甚だ難し、大千塵数の衆生の類に一劫諸の楽具を供養するも彼の功徳未だ為れ勝れず是の法を信ずるは為れ殊勝なり、若し掌を以て十仏刹を持し虚空に中に於て住すること一劫なるも彼の所作未だ為れ難からず是の法を信ずるは為れ甚だ難し、十仏刹塵の衆生の類に一劫諸の楽具を供養せんも彼の功徳未だ勝れりと為さず是の法を信ずるは為れ殊勝なり、十仏刹塵の諸の如来を一劫恭敬して供養せん若し能く此の品を受持せん者の功徳彼よりも最勝と為す」等云云、涅槃経に云く「是の諸の大乗方等経典復無量の功徳を成就すと雖も是の経に比せんと欲するに喩を為すを得ざること百倍千倍百千万倍、乃至算数譬喩も及ぶこと能わざる所なり、善男子譬えば牛従り乳を出し乳従り酪を出し酪従り生蘇を出し生蘇従り熟蘇を出し熟蘇従り醍醐を出す醍醐は最上なり、若し服すること有る者は衆病皆除き所有の諸薬も悉く其の中に入るが如し、善男子仏も亦是くの如し仏従り十二部経を出し十二部経従り修多羅を出し修多羅従り方等経を出し方等経従り般若波羅蜜を出し般若波羅蜜従り大涅槃を出す猶醍醐の如し醍醐と言うは仏性に喩う」等云云。
此等の経文を法華経の已今当六難九易に相対すれば月に星をならべ九山に須弥を合せたるににたり、しかれども華厳宗の澄観法相三論真言等の慈恩嘉祥弘法等の仏眼のごとくなる人猶此の文にまどへり、何に況や盲眼のごとくなる当世の学者等勝劣を弁うべしや、黒白のごとくあきらかに須弥芥子のごとくなる勝劣なをまどへりいはんや虚空のごとくなる理に迷わざるべしや、教の浅深をしらざれば理の浅深を弁うものなし巻をへだて文前後すれば教門の色弁えがたければ文を出して愚者を扶けんとをもう、王に小王大王一切に少分全分五乳に全喩分喩を弁うべし、六波羅蜜経は有情の成仏あつて無性の成仏なし何に況や久遠実成をあかさず、猶涅槃経の五味にをよばず何に況や法華経の迹門本門にたいすべしや、而るに日本の弘法大師此の経文にまどひ給いて法華経を第四の熟蘇味に入れ給えり、第五の総持門の醍醐味すら涅槃経に及ばずいかにし給いけるやらん、而るを震旦の人師争つて醍醐を盗むと天台等を盗人とかき給へり惜い哉古賢醍醐を嘗めず等と自歎せられたり、此等はさてをく我が一門の者のためにしるす他人は信ぜざれば逆縁なるべし、一・をなめて大海のしををしり一華を見て春を推せよ、万里をわたて宋に入らずとも三箇年を経て霊山にいたらずとも竜樹のごとく竜宮に入らずとも無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも二所三会に値わずとも一代の勝劣はこれをしれるなるべし、蛇は七日が内の洪水をしる竜の眷属なるゆへ烏は年中の吉凶をしれり過去に陰陽師なりしゆへ鳥はとぶ徳人にすぐれたり。
日蓮は諸経の勝劣をしること華厳の澄観三論の嘉祥法相の慈恩真言の弘法にすぐれたり、天台伝教の跡をしのぶゆへなり、彼の人人は天台伝教に帰せさせ給はずば謗法の失脱れさせ給うべしや、当世日本国に第一に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし、大海の主となれば諸の河神皆したがう須弥山の王に諸の山神したがはざるべしや、法華経の六難九易を弁うれば一切経よまざるにしたがうべし。
宝塔品の三箇の勅宣の上に提婆品に二箇の諌暁あり、提婆達多は一闡提なり天王如来と記せらる、涅槃経四十巻の現証は此の品にあり、善星阿闍世等の無量の五逆謗法の者の一をあげ頭をあげ万ををさめ枝をしたがふ、一切の五逆七逆謗法闡提天王如来にあらはれ了んぬ毒薬変じて甘露となる衆味にすぐれたり、竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす、法華已前の諸の小乗教には女人の成仏をゆるさず、諸の大乗経には成仏往生をゆるすやうなれども或は改転の成仏にして一念三千の成仏にあらざれば有名無実の成仏往生なり、挙一例諸と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし、儒家の孝養は今生にかぎる未来の父母を扶けざれば外家の聖賢は有名無実なり、外道は過未をしれども父母を扶くる道なし仏道こそ父母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ、しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は自身の得道猶かなひがたし何に況や父母をや但文のみあつて義なし、今法華経の時こそ女人成仏の時悲母の成仏も顕われ達多の悪人成仏の時慈父の成仏も顕わるれ、此の経は内典の孝経なり、二箇のいさめ了んぬ。
已上五箇の鳳詔にをどろきて勧持品の弘経あり、明鏡の経文を出して当世の禅律念仏者並びに諸檀那の謗法をしらしめん、日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄佐土の国にいたりて返年の二月雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくてをそろしからずみん人いかにをぢぬらむ、此れは釈迦多宝十方の諸仏の未来日本国当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし。
勧持品に云く「唯願くは慮したもうべからず仏滅度の後恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし、諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん、或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂つて人間を軽賎する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん、是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮て好んで我等が過を出さん、常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲するが故に国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人外道の論議を説くと謂わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其身に入つて我を罵詈毀辱せん、濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず悪口し顰蹙し数数擯出せられん」等云云、記の八に云く「文に三初に一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり、次に一行は道門増上慢の者を明す、三に七行は僣聖増上慢の者を明す、此の三の中に初は忍ぶ可し次の者は前に過ぎたり第三最も甚だし後後の者は転識り難きを以ての故に」等云云、東春に智度法師云く「初に有諸より下の五行は第一に一偈は三業の悪を忍ぶ是れ外悪の人なり次に悪世の下の一偈は是上慢出家の人なり第三に或有阿練若より下の三偈は即是出家の処に一切の悪人を摂す」等云云、又云く「常在大衆より下の両行は公処に向つて法を毀り人を謗ず」等云云、涅槃経の九に云く「善男子一闡提有り羅漢の像を作して空処に住し方等大乗経典を誹謗せん諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢是大菩薩なりと謂わん」等云云、又云く「爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有つて是の経を抄略し分ちて多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾無義の語を安置す前を抄して後に著け後を抄して前に著け前後を中に著け中を前後に著く当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云、六巻の般泥・経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行ず、一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん羅漢に似たる一闡提有りとは是の諸の衆生方等を誹謗するなり、一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰し広く方等を説くなり衆生に語つて言く我れ汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の性有る故に然も彼の衆生一闡提なりと謂わん」等云云、涅槃経に云く「我涅槃の後乃至正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし持律に似像して少かに経を読誦し飲食を貪嗜し其の身を長養す、袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現わし内には貪嫉を懐かん唖法を受けたる婆羅門等の如し、実に沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云。
夫れ鷲峯雙林の日月毘湛東春の明鏡に当世の諸宗並に国中の禅律念仏者が醜面を浮べたるに一分もくもりなし、妙法華経に云く「於仏滅度後恐怖悪世中」安楽行品に云く「於後悪世」又云く「於末世中」又云く「於後末世法欲滅時」分別功徳品に云く「悪世末法時」薬王品に云く「後五百歳」等云云、正法華経の勧説品に云く「然後末世」又云く「然後来末世」等云云、添品法華経に云く等、天台の云く「像法の中の南三北七は法華経の怨敵なり」、伝教の云く「像法の末南都六宗の学者は法華の怨敵なり」等云云、彼等の時はいまだ分明ならず、此は教主釈尊多宝仏宝塔の中に日月の並ぶがごとく十方分身の諸仏樹下に星を列ねたりし中にして正法一千年像法一千年二千年すぎて末法の始に法華経の怨敵三類あるべしと八十万億那由佗の諸菩薩の定め給いし虚妄となるべしや、当世は如来滅後二千二百余年なり大地は指ばはづるとも春は花はさかずとも三類の敵人必ず日本国にあるべし、さるにてはたれたれの人人か三類の内なるらん又誰人か法華経の行者なりとさされたるらんをぼつかなし、彼の三類の怨敵に我等入りてやあるらん又法華経の行者の内にてやあるらんをぼつかなし、周の第四昭王の御宇二十四年甲寅四月八日の夜中に天に五色の光気南北に亘りて昼のごとし、大地六種に震動し雨ふらずして江河井池の水まさり一切の草木に花さき菓なりたりけり不思議なりし事なり、昭王大に驚き大史蘇由占つて云く「西方に聖人生れたり」昭王問て云く「此の国いかん」答えて云く「事なし一千年の後に彼の聖言此の国にわたつて衆生を利すべし」彼のわづかの外典の一毫未断見思の者しかれども一千年のことをしる、はたして仏教一千一十五年と申せし後漢の第二明帝の永平十年丁卯の年仏法漢土にわたる、此は似るべくもなき釈迦多宝十方分身の仏の御前の諸菩薩の未来記なり、当世日本国に三類の法華経の敵人なかるべしや、されば仏付法蔵経等に記して云く「我が滅後に正法一千年が間我が正法を弘むべき人二十四人次第に相続すべし」迦葉阿難等はさてをきぬ一百年の脇比丘六百年の馬鳴七百年の竜樹菩薩等一分もたがはずすでに出で給いぬ、此の事いかんがむなしかるべき此の事相違せば一経皆相違すべし、所謂舎利弗が未来の華光如来迦葉の光明如来も皆妄語となるべし、爾前返つて一定となつて永不成仏の諸声聞なり、犬野干をば供養すとも阿難等をば供養すべからずとなん、いかんがせんいかんがせん。
第一の有諸無智人と云うは経文の第二の悪世中比丘と第三の納衣の比丘の大檀那と見へたり、随つて妙楽大師は「俗衆」等云云、東春に云く「公処に向う」等云云、第二の法華経の怨敵は経に云く「悪世中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん」等云云、涅槃経に云く「是の時に当に諸の悪比丘有るべし乃至是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来深密の要義を滅除せん」等云云、止観に云く「若し信無きは高く聖境に推して己が智分に非ずとす、若し智無きは増上慢を起し己れ仏に均しと謂う」等云云、道綽禅師が云く「二に理深解微なるに由る」等云云、法然云く「諸行は機に非ず時を失う」等云云、記の十に云く「恐くは人謬り解せん者初心の功徳の大なることを識らずして功を上位に推り此の初心を蔑にせん故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕す」等云云、伝教大師云く「正像稍過ぎ已て末法太はだ近きに有り法華一乗の機今正しく是其の時なり何を以て知ることを得る安楽行品に云く末世法滅の時なり」等云云、慧心の云く「日本一州円機純一なり」等云云、道綽と伝教と法然と慧心といづれ此を信ずべしや、彼の一切経に証文なし此れは正しく法華経によれり、其の上日本国一同に叡山の大師は受戒の師なり何ぞ天魔のつける法然に心をよせ我が剃頭の師をなげすつるや、法然智者ならば何ぞ此の釈を選択に載せて和会せざる人の理をかくせる者なり、第二の悪世中比丘と指さるるは法然等の無戒邪見の者なり、涅槃経に云く「我れ等悉く邪見の人と名く」等云云、妙楽云く「自ら三教を指して皆邪見と名く」等云云、止観に云く「大経に云く此よりの前は我等皆邪見の人と名くるなり、邪豈悪に非ずや」等云云、弘決に云く「邪は即ち是れ悪なり是の故に当に知るべし唯円を善と為す、復二意有り、一には順を以つて善と為し背を以つて悪と為す相待の意なり、著を以つて悪と為し達を以つて善と為す相待絶待倶に須く悪を離るべし円に著する尚悪なり況や復余をや」等云云、外道の善悪は小乗経に対すれば皆悪道小乗の善道乃至四味三教は法華経に対すれば皆邪悪但法華のみ正善なり、爾前の円は相待妙なり、絶待妙に対すれば猶悪なり前三教に摂すれば猶悪道なり、爾前のごとく彼の経の極理を行ずる猶悪道なり、況や観経等の猶華厳般若経等に及ばざる小法を本として法華経を観経に取り入れて還つて念仏に対して閣抛閉捨せるは法然並びに所化の弟子等檀那等は誹謗正法の者にあらずや、釈迦多宝十方の諸仏は法をして久しく住せしめんが故に此に来至し給えり、法然並に日本国の念仏者等は法華経は末法に念仏より前に滅尽すべしと豈三聖の怨敵にあらずや。
第三は、法華経に云く「或は阿練若に有り納衣にして空閑に在つて乃至白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん」等云云、六巻の般泥・経に云く「羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行じ一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん、羅漢に似たる一闡提有りとは是諸の衆生の方等を誹謗するなり一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰して広く方等を説き衆生に語つて言く我汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の性有るが故に然かも彼の衆生は一闡提と謂わん」等云云、涅槃経に云く「我れ涅槃の後像法の中に当に比丘有るべし持律に似像して少かに経典を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養せん袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現し内には貪嫉を懐く唖法を受けたる婆羅門等の如く実には沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云、妙楽云く「第三最も甚し後後の者転識り難きを以つての故に」等云云、東春云く「第三に或有阿練若より下の三偈は即是出家の処に一切の悪人を摂す」等云云、東春に「即是出家の処に一切の悪人を摂する」等とは当世日本国には何れの処ぞや、叡山か園城か東寺か南都か建仁寺か寿福寺か建長寺かよくよくたづぬべし、延暦寺の出家の頭に甲冑をよろうをさすべきか、園城寺の五分法身の膚に鎧杖を帯せるか、彼等は経文に納衣在空閑と指すにはにず為世所恭敬如六通羅漢と人をもはず又転難識故というべしや華洛には聖一等鎌倉には良観等ににたり、人をあだむことなかれ眼あらば経文に我が身をあわせよ、止観の第一に云く「止観の明静なることは前代未だ聞かず」等云云、弘の一に云く「漢の明帝夜夢みし自り陳朝に・ぶまで禅門に予り厠て衣鉢伝授する者」等云云、補注に云く「衣鉢伝授とは達磨を指す」等云云、止の五に云く「又一種の禅人乃至盲跛の師徒二倶に堕落す」等云云、止の七に云く「九の意世間の文字の法師と共ならず、事相の禅師と共ならず、一種の禅師は唯観心の一意のみ有り或は浅く或は偽る余の九は全く此無し虚言に非ず後賢眼有らん者は当に証知すべきなり」、弘の七に云く「文字法師とは内に観解無くして唯法相を構う事相の禅師とは境智を閑わず鼻膈に心を止む乃至根本有漏定等なり、一師唯有観心一意等とは此は且く与えて論を為す奪えば則ち観解倶に闕く、世間の禅人偏えに理観を尚ぶ既に教を諳んぜず観を以つて経を消し八邪八風を数えて丈六の仏と為し五陰三毒を合して名けて八邪と為し六入を用いて六通と為し四大を以つて四諦と為す、此くの如く経を解するは偽の中の偽なり何ぞ浅くして論ず可けんや」等云云、止観の七に云く「昔・洛の禅師名河海に播き住するときは四方雲の如くに仰ぎ去るときは阡陌群を成し隠隠轟轟亦何の利益か有る、臨終に皆悔ゆ」等云云、弘の七に云く「・洛の禅師とは・は相州に在り即ち斉魏の都する所なり、大に仏法を興す禅祖の一其の地を王化す、時人の意を譲りて其の名を出さず洛は即ち洛陽なり」等云云、六巻の般泥・経に云く「究竟の処を見ずとは彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり」等云云、妙楽云く「第三最も甚だし転識り難きが故に」等、無眼の者一眼の者邪見の者は末法の始の三類を見るべからず一分の仏眼を得るもの此れをしるべし、向国王大臣婆羅門居士等云云、東春に云く「公処に向い法を毀り人を謗ず」等云云、夫れ昔像法の末には護命修円等奏状をささげて伝教大師を讒奏す、今末法の始には良観念阿等偽書を注して将軍家にささぐあに三類の怨敵にあらずや。
当世の念仏者等天台法華宗の檀那の国王大臣婆羅門居士等に向つて云く「法華経は理深我等は解微法は至つて深く機は至つて浅し」等と申しうとむるは高推聖境非己智分の者にあらずや、禅宗の云く「法華経は月をさす指禅宗は月なり月をえて指なにかせん、禅は仏の心法華経は仏の言なり仏法華経等の一切経をとかせ給いて後最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさづく、其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し乃至付法蔵の二十八六祖までに伝う」等云云、此等の大妄語国中を誑酔せしめてとしひさし、又天台真言の高僧等名は其の家にえたれども我が宗にくらし、貪欲は深く公家武家ををそれて此の義を証伏し讃歎す、昔の多宝分身の諸仏は法華経の令法久住を証明す、今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり、かるがゆへに日本国に但法華経の名のみあつて得道の人一人もなし、誰をか法華経の行者とせん、寺塔を焼いて流罪せらるる僧侶はかずをしらず、公家武家に諛うてにくまるる高僧これ多し、此等を法華経の行者というべきか。
仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり、金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なしいかがせんいかがせん、抑たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる誰の僧か刀杖を加へらるる、誰の僧をか法華経のゆへに公家武家に奏する誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる、日蓮より外に日本国に取り出さんとするに人なし、日蓮は法華経の行者にあらず天これをすて給うゆへに、誰をか当世の法華経の行者として仏語を実語とせん、仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓同時なるがごとし、法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし。
有る人云く当世の三類はほぼ有るににたり、但し法華経の行者なし汝を法華経の行者といはんとすれば大なる相違あり、此の経に云く「天の諸の童子以て給使を為さん、刀杖も加えず、毒も害すること能わざらん」又云く「若し人悪罵すれば口則閉塞す」等、又云く「現世には安穏にして後善処に生れん」等云云、又「頭破れて七分と作ること阿梨樹の枝の如くならん」又云く「亦現世に於て其の福報を得ん」等又云く「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん」等云云、答えて云く汝が疑い大に吉しついでに不審を晴さん、不軽品に云く「悪口罵詈」等、又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云、涅槃経に云く「若しは殺若しは害」等云云、法華経に云く「而かも此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し」等云云、仏は小指を提婆にやぶられ九横の大難に値い給う此は法華経の行者にあらずや、不軽菩薩は一乗の行者といはれまじきか、目連は竹杖に殺さる法華経記・の後なり、付法蔵の第十四の提婆菩薩第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ、此等は法華経の行者にはあらざるか、竺の道生は蘇山に流されぬ法道は火印を面にやいて江南にうつさる此等は一乗の持者にあらざるか、外典の者なりしかども白居易北野の天神は遠流せらる賢人にあらざるか、事の心を案ずるに前生に法華経誹謗の罪なきもの今生に法華経を行ずこれを世間の失によせ或は罪なきをあだすれば忽に現罰あるか修羅が帝釈をいる金翅鳥の阿耨池に入る等必ず返つて一時に損するがごとし、天台云く「今我が疾苦は皆過去に由る今生の修福は報将来に在り」等云云、心地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云、不軽品に云く「其の罪畢已」等云云、不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪身に有るゆへに瓦石をかほるとみへたり、又順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり、涅槃経に云く「迦葉菩薩仏に白して言く世尊仏の所説の如く大涅槃の光一切衆生の毛孔に入る」等云云、又云く「迦葉菩薩仏に白して言く世尊云何んぞ未だ菩提の心を発さざる者菩提の因を得ん」等云云、仏此の問を答えて云く「仏迦葉に告わく若し是の大涅槃経を聞くこと有つて我菩提心を発すことを用いずと言つて正法を誹謗せん、是の人即時に夜夢の中に羅刹の像を見て心中怖畏す羅刹語つて言く咄し善男子汝今若し菩提心を発さずんば当に汝が命を断つべし是の人惶怖し寤め已つて即ち菩提の心を発す当に是の人是れ大菩薩なりと知るべし」等云云、いたうの大悪人ならざる者が正法を誹謗すれば即時に夢みてひるがへる心生ず、又云く「枯木石山」等、又云く「・種甘雨に遇うと雖も」等又「明珠淤泥」等、又云く「人の手に創あるに毒薬を捉るが如し」等、又云く「大雨空に住せず」等云云、此等多くの譬あり、詮ずるところ上品の一闡提人になりぬれば順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし例せば夏の桀殷の紂の世には天変なし重科有て必ず世ほろぶべきゆへか、又守護神此国をすつるゆへに現罰なきか謗法の世をば守護神すて去り諸天まほるべからずかるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし還つて大難に値うべし金光明経に云く「善業を修する者は日日に衰減す」等云云、悪国悪時これなり具さには立正安国論にかんがへたるがごとし。
詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。
疑つて云くいかにとして汝が流罪死罪等を過去の宿習としらむ、答えて云く銅鏡は色形を顕わす秦王験偽の鏡は現在の罪を顕わす仏法の鏡は過去の業因を現ず、般泥・経に云く「善男子過去に曾て無量の諸罪種種の悪業を作るに是の諸の罪報は或は軽易せられ或は形状醜陋衣服足らず飲食・疎財を求むるに利あらず貧賎の家邪見の家に生れ或は王難に遭い及び余の種種の人間の苦報あらん現世に軽く受るは斯れ護法の功徳力に由るが故なり」云云、此の経文日蓮が身に宛も符契のごとし狐疑の氷とけぬ千万の難も由なし一一の句を我が身にあわせん、或被軽易等云云、法華経に云く「軽賎憎嫉」等云云二十余年が間の軽慢せらる、或は形状醜陋又云く衣服不足は予が身なり飲食・疎は予が身なり求財不利は予が身なり生貧賎家は予が身なり、或遭王難等此の経文疑うべしや、法華経に云く「数数擯出せられん」此の経文に云く「種種」等云云、斯由護法功徳力故等とは摩訶止観の第五に云く「散善微弱なるは動せしむること能わず今止観を修して健病虧ざれば生死の輪を動ず」等云云、又云く「三障四魔紛然として競い起る」等云云我れ無始よりこのかた悪王と生れて法華経の行者の衣食田畠等を奪いとりせしことかずしらず、当世日本国の諸人の法華経の山寺をたうすがごとし、又法華経の行者の頚を刎こと其の数をしらず此等の重罪はたせるもありいまだはたさざるもあるらん、果すも余残いまだつきず生死を離るる時は必ず此の重罪をけしはてて出離すべし、功徳は浅軽なり此等の罪は深重なり、権経を行ぜしには此の重罪いまだをこらず鉄を熱にいたうきたわざればきず隠れてみえず、度度せむればきずあらはる、麻子をしぼるにつよくせめざれば油少きがごとし、今ま日蓮強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし、鉄は火に値わざれば黒し火と合いぬれば赤し木をもつて急流をかけば波山のごとし睡れる師子に手をつくれば大に吼ゆ。
涅槃経に曰く「譬えば貧女の如し居家救護の者有ること無く加うるに復病苦飢渇に逼められて遊行乞丐す、他の客舎に止り一子を寄生す是の客舎の主駈逐して去らしむ、其の産して未だ久しからず是の児を・抱して他国に至らんと欲し、其の中路に於て悪風雨に遇て寒苦並び至り多く蚊虻蜂螫毒虫の・い食う所となる、恒河に逕由し児を抱いて渡る其の水漂疾なれども而も放ち捨てず是に於て母子遂に共倶に没しぬ、是くの如き女人慈念の功徳命終の後梵天に生ず、文殊師利若し善男子有つて正法を護らんと欲せば彼の貧女の恒河に在つて子を愛念するが為に身命を捨つるが如くせよ、善男子護法の菩薩も亦是くの如くなるべし、寧ろ身命を捨てよ是くの如きの人解脱を求めずと雖も解脱自ら至ること彼の貧女の梵天を求めざれども梵天自ら至るが如し」等云云、此の経文は章安大師三障をもつて釈し給へり、それをみるべし、貧人とは法財のなきなり女人とは一分の慈ある者なり、客舎とは穢土なり一子とは法華経の信心了因の子なり舎主駈逐とは流罪せらる其の産して未だ久しからずとはいまだ信じてひさしからず、悪風とは流罪の勅宣なり蚊虻等とは諸の無智の人有り悪口罵詈等なり母子共に没すとは終に法華経の信心をやぶらずして頚を刎らるるなり、梵天とは仏界に生るるをいうなり引業と申すは仏界までかはらず、日本漢土の万国の諸人を殺すとも五逆謗法なければ無間地獄には堕ちず、余の悪道にして多歳をふべし、色天に生るること万戒を持てども万善を修すれども散善にては生れず、又梵天王となる事有漏引業の上に慈悲を加えて生ずべし、今此の貧女が子を念うゆへに梵天に生る常の性相には相違せり、章安の二はあれども詮ずるところは子を念う慈念より外の事なし、念を一境にする、定に似たり専子を思う又慈悲にもにたり、かるがゆへに他事なけれども天に生るるか、又仏になる道は華厳の唯心法界三論の八不法相の唯識真言の五輪観等も実には叶うべしともみへず、但天台の一念三千こそ仏になるべき道とみゆれ、此の一念三千も我等一分の慧解もなし、而ども一代経経の中には此の経計り一念三千の玉をいだけり、余経の理は玉ににたる黄石なり沙をしぼるに油なし石女に子のなきがごとし、諸経は智者猶仏にならず此の経は愚人も仏因を種べし不求解脱解脱自至等と云云、我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし、妻子を不便とをもうゆへ現身にわかれん事をなげくらん、多生曠劫にしたしみし妻子には心とはなれしか仏道のためにはなれしか、いつも同じわかれなるべし、我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし。
疑つて云く念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり修羅道にや堕つべかるらむ、又法華経の安楽行品に云く「楽つて人及び経典の過を説かざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云、汝此の経文に相違するゆへに天にすてられたるか、答て云く止観に云く「夫れ仏に両説あり一には摂二には折安楽行に不称長短という如き是れ摂の義なり、大経に刀杖を執持し乃至首を斬れという是れ折の義なり与奪途を殊にすと雖も倶に利益せしむ」等云云、弘決に云く「夫れ仏に両説あり等とは大経に刀杖を執持すとは第三に云く正法を護る者は五戒を受けず威儀を修せず、乃至下の文仙予国王等の文、又新医禁じて云く若し更に為すこと有れば当に其の首を断つべし是くの如き等の文並びに是れ破法の人を折伏するなり一切の経論此の二を出でず」等云云、文句に云く「問う大経には国王に親付し弓を持ち箭を帯し悪人を摧伏せよと明す、此の経は豪勢を遠離し謙下慈善せよと剛柔碩いに乖く云何ぞ異ならざらん、答う大経には偏に折伏を論ずれども一子地に住す何ぞ曾て摂受無からん、此の経には偏に摂受を明せども頭破七分と云う折伏無きに非ず各一端を挙げて時に適う而已」等云云、涅槃経の疏に云く「出家在家法を護らんには其の元心の所為を取り事を棄て理を存して匡に大経を弘む故に護持正法と言うは小節に拘わらず故に不修威儀と言うなり、昔の時は平にして法弘まる応に戒を持つべし杖を持つこと勿れ今の時は嶮にして法翳る応に杖を持つべし戒を持つこと勿れ、今昔倶に嶮ならば倶に杖を持つべし今昔倶に平ならば倶に戒を持つべし、取捨宜きを得て一向にす可からず」等云云、汝が不審をば世間の学者多分道理とをもう、いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此のをもひをすてず一闡提人のごとくなるゆへに先づ天台妙楽等の釈をいだしてかれが邪難をふせぐ、夫れ摂受折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし、草木は日輪の眷属寒月に苦をう諸水は月輪の所従熱時に本性を失う、末法に摂受折伏あるべし所謂悪国破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かとしるべし。
問うて云く摂受の時折伏を行ずると折伏の時摂受を行ずると利益あるべしや、答えて云く涅槃経に云く「迦葉菩薩仏に白して言く如来の法身は金剛不壊なり未だ所因を知ること能わず云何、仏の言く迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり、迦葉我護持正法の因縁にて今是の金剛身常住不壊を成就することを得たり、善男子正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭を持つべし、是くの如く種種に法を説くも然も故師子吼を作すこと能わず非法の悪人を降伏すること能わず、是くの如き比丘自利し及び衆生を利すること能わず、当に知るべし是の輩は懈怠懶惰なり能く戒を持ち浄行を守護すと雖も当に知るべし是の人は能く為す所無からん、乃至時に破戒の者有つて是の語を聞き已つて咸共に瞋恚して是の法師を害せん是の説法の者設い復命終すとも故持戒自利利他と名く」等云云、章安の云く「取捨宜きを得て一向にす可からず」等、天台云く「時に適う而已」等云云、譬へば秋の終りに種子を下し田畠をかえさんに稲米をうることかたし、建仁年中に法然大日の二人出来して念仏宗禅宗を興行す、法然云く「法華経は末法に入つては未有一人得者千中無一」等云云、大日云く「教外別伝」等云云、此の両義国土に充満せり、天台真言の学者等念仏禅の檀那をへつらいをづる事犬の主にををふりねづみの猫ををそるるがごとし、国王将軍にみやつかひ破仏法の因縁破国の因縁を能く説き能くかたるなり、天台真言の学者等今生には餓鬼道に堕ち後生には阿鼻を招くべし、設い山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも空閑にして三密の油をこぼさずとも時機をしらず摂折の二門を弁へずばいかでか生死を離るべき。
問うて云く念仏者禅宗等を責めて彼等にあだまれたるいかなる利益かあるや、答えて云く涅槃経に云く「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」等云云、「仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり能く呵責する者は是れ我が弟子駈遣せざらん者は仏法中の怨なり」等云云。
夫れ法華経の宝塔品を拝見するに釈迦多宝十方分身の諸仏の来集はなに心ぞ「令法久住故来至此」等云云、三仏の未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえんとおぼしめす御心の中をすいするに父母の一子の大苦に値うを見るよりも強盛にこそみへたるを法然いたはしともおもはで末法には法華経の門を堅く閉じて人を入れじとせき狂児をたぼらかして宝をすてさするやうに法華経を抛させける心こそ無慚に見へ候へ、我が父母を人の殺さんに父母につげざるべしや、悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや、悪人寺塔に火を放たんにせいせざるべしや、一子の重病を炙せざるべしや、日本の禅と念仏者とをみて制せざる者はかくのごとし「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」等云云。
日蓮は日本国の諸人にしうし(主師親)父母なり一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」等云云、無道心の者生死をはなるる事はなきなり、教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い天台大師の南北並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といはれさせ給いし皆法華経のゆへなればはぢならず愚人にほめられたるは第一のはぢなり、日蓮が御勘気をかほれば天台真言の法師等悦ばしくやをもうらんかつはむざんなりかつはきくわいなり、夫れ釈尊は娑婆に入り羅什は秦に入り伝教は尸那に入り提婆師子は身をすつ薬王は臂をやく上宮は手の皮をはぐ釈迦菩薩は肉をうる楽法は骨を筆とす、天台の云く「適時而已」等云云、仏法は時によるべし日蓮が流罪は今生の小苦なればなげかしからず、後生には大楽をうくべければ大に悦ばし。 
 
如来滅後五五百歳始観心本尊抄本朝沙門日蓮撰
 /文永十年五十二歳御作

 

摩訶止観第五に云く[世間と如是と一なり開合の異なり。]「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り」等云云[或本に云く一界に三種の世間を具す。]
問うて云く玄義に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く文句に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く其の妙楽の釈如何、答えて曰く並に未だ一念三千と云わず等云云、問うて曰く止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く之れ無し、問うて曰く其の証如何、答えて曰く妙楽云く「故に止観に至つて正しく観法を明かす並びに三千を以て指南と為す」等云云、疑つて曰く玄義第二に云く「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是」等云云、文句第一に云く「一入に十法界を具すれば一界又十界なり十界各十如是あれば即ち是れ一千」等云云、観音玄に云く「十法界交互なれば即ち百法界有り千種の性相冥伏して心に在り現前せずと雖も宛然として具足す」等云云、問うて曰く止観の前の四に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明さず、問うて云く其の釈如何、答う弘決第五に云く「若し正観に望めば全く未だ行を論ぜず亦二十五法に歴て事に約して解を生ず方に能く正修の方便と為すに堪えたり是の故に前の六をば皆解に属す」等云云、又云く「故に止観の正しく観法を明かすに至つて並びに三千を以て指南と為す乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に「説己心中所行法門」と云う良に以所有るなり請う尋ね読まん者心に異縁無れ」等云云。
夫れ智者の弘法三十年二十九年の間は玄文等の諸義を説いて五時八教百界千如を明かし前き五百余年の間の諸非を責め並びに天竺の論師未だ述べざるを顕す、章安大師云く「天竺の大論尚其の類に非ず震旦の人師何ぞ労わしく語るに及ばん此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」等云云、墓ないかな天台の末学等華厳真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて還つて彼等が門家と成りぬ章安大師兼ねて此の事を知つて歎いて言く「斯の言若し墜ちなば将来悲む可し」云云。
問うて曰く百界千如と一念三千と差別如何、答えて曰く百界千如は有情界に限り一念三千は情非情に亘る、不審して云く非情に十如是亘るならば草木に心有つて有情の如く成仏を為す可きや如何、答えて曰く此の事難信難解なり天台の難信難解に二有り一には教門の難信難解二には観門の難信難解なり、其の教門の難信難解とは一仏の所説に於て爾前の諸経には二乗闡提未来に永く成仏せず教主釈尊は始めて正覚を成ず法華経迹本二門に来至し給い彼の二説を壊る一仏二言水火なり誰人か之を信ぜん此れは教門の難信難解なり、観門の難信難解は百界千如一念三千非情の上の色心の二法十如是是なり、爾りと雖も木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり、疑つて云く草木国土の上の十如是の因果の二法は何れの文に出でたるや、答えて曰く止観第五に云く「国土世間亦十種の法を具す所以に悪国土相性体力」等と云云、釈籤第六に云く「相は唯色に在り性は唯心に在り体力作縁は義色心を兼ね因果は唯心報は唯色に在り」等云云、金・論に云く「乃ち是れ一草一木一礫一塵各一仏性各一因果あり縁了を具足す」等云云。
問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し、設い諸経の中に処処に六道並びに四聖を載すと雖も法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界百界千如一念三千を知らざるなり。
問うて云く法華経は何れの文ぞ天台の釈は如何、答えて曰く法華経第一方便品に云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云是は九界所具の仏界なり、寿量品に云く「是くの如く我成仏してより已来甚大に久遠なり寿命無量阿僧祇劫常住にして滅せず諸の善男子我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり」等云云此の経文は仏界所具の九界なり、経に云く「提婆達多乃至天王如来」等云云地獄界所具の仏界なり、経に云く「一を藍婆と名け乃至汝等但能く法華の名を護持する者は福量るべからず」等云云、是れ餓鬼界所具の十界なり、経に云く「竜女乃至成等正覚」等云云此れ畜生界所具の十界なり、経に云く「婆稚阿修羅王乃至一偈一句を聞いて阿耨多羅三藐三菩提を得べし」等云云修羅界所具の十界なり、経に云く「若し人仏の為の故に乃至皆已に仏道を成ず」等云云此れ人界所具の十界なり、経に云く「大梵天王乃至我等も亦是くの如く必ず当に作仏することを得べし」等云云此れ天界所具の十界なり、経に云く「舎利弗乃至華光如来」等云云此れ声聞界所具の十界なり、経に云く「其の縁覚を求むる者比丘比丘尼乃至合掌し敬心を以て具足の道を聞かんと欲す」等云云、此れ即ち縁覚界所具の十界なり、経に云く「地涌千界乃至真浄大法」等云云此れ即ち菩薩所具の十界なり、経に云く「或説己身或説他身」等云云即ち仏界所具の十界なり。
問うて曰く自他面の六根共に之を見る彼此の十界に於ては未だ之を見ず如何が之を信ぜん、答えて曰く法華経法師品に云く「難信難解」宝塔品に云く「六難九易」等云云、天台大師云く「二門悉く昔と反すれば難信難解なり」章安大師云く「仏此れを将て大事と為す何ぞ解し易きことを得可けんや」等云云、伝教大師云く「此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」等云云、夫れ在世の正機は過去の宿習厚き上教主釈尊多宝仏十方分身の諸仏地涌千界文殊弥勒等之を扶けて諌暁せしむるに猶信ぜざる者之れ有り五千席を去り人天移さる況や正像をや何に況や末法の初をや汝之を信ぜば正法に非じ。
問うて曰く経文並に天台章安等の解釈は疑網無し但し火を以て水と云い墨を以て白しと云う設い仏説為りと雖も信を取り難し、今数ば他面を見るに但人界に限つて余界を見ず自面も亦復是くの如し如何が信心を立てんや、答う数ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり、瞋るは地獄貪るは餓鬼癡は畜生諂曲なるは修羅喜ぶは天平かなるは人なり他面の色法に於ては六道共に之れ有り四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。
問うて曰く六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり、四聖は全く見えざるは如何、答えて曰く前には人界の六道之を疑う、然りと雖も強いて之を言つて相似の言を出だせしなり四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万か一之を宣べん、所以に世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。
問うて曰く十界互具の仏語分明なり然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり今時之を信ぜずば必ず一闡提と成らん願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ。
答えて曰く汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば釈尊より已下四依の菩薩並びに末代理即の我等如何が汝が不信を救護せんや、然りと雖も試みに之を云わん仏に値いたてまつつて覚らざる者阿難等の辺にして得道する者之れ有ればなり、其れ機に二有り一には仏を見たてまつり法華にして得道す二には仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり、其の上仏教已前は漢土の道士月支の外道儒教四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之れ有り、又利根の菩薩凡夫等の華厳方等般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種を顕示する者多々なり例せば独覚の飛花落葉の如し教外の得道是なり、過去の下種結縁無き者の権小に執着する者は設い法華経に値い奉れども小権の見を出でず、自見を以て正義と為るが故に還つて法華経を以て或は小乗経に同じ或は華厳大日経等に同じ或は之を下す、此等の諸師は儒家外道の賢聖より劣れる者なり、此等は且らく之を置く、十界互具之を立つるは石中の火木中の花信じ難けれども縁に値うて出生すれば之を信ず人界所具の仏界は水中の火火中の水最も甚だ信じ難し、然りと雖も竜火は水より出で竜水は火より生ず心得られざれども現証有れば之を用ゆ、既に人界の八界之を信ず、仏界何ぞ之を用いざらん尭舜等の聖人の如きは万民に於て偏頗無し人界の仏界の一分なり、不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る悉達太子は人界より仏身を成ず此等の現証を以て之を信ず可きなり。
問うて曰く教主釈尊は[此れより堅固に之を秘す]三惑已断の仏なり又十方世界の国主一切の菩薩二乗人天等の主君なり行の時は梵天左に在り帝釈右に侍べり四衆八部後に聳い金剛前に導びき八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ是くの如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや、又迹門爾前の意を以て之を論ずれば教主釈尊は始成正覚の仏なり、過去の因行を尋ね求れば或は能施太子或は儒童菩薩或は尸毘王或は薩・王子或は三祇百劫或は動喩塵劫或は無量阿僧祇劫或は初発心時或は三千塵点等の間七万五千六千七千等の仏を供養し劫を積み行満じて今の教主釈尊と成り給う、是くの如き因位の諸行は皆我等が己身所具の菩薩界の功徳か、果位を以て之を論ずれば教主釈尊は始成正覚の仏四十余年の間四教の色身を示現し爾前迹門涅槃経等を演説して一切衆生を利益し給う、所謂華蔵の時十方台上の盧舎那阿含経の三十四心断結成道の仏、方等般若の千仏等、大日金剛頂の千二百余尊、並びに迹門宝塔品の四土色身、涅槃経の或は丈六と見る或は小身大身と現じ或は盧舎那と見る或は身虚空に同じと見る四種の身乃至八十御入滅舎利を留めて正像末を利益し給う、本門を以て之れを疑わば教主釈尊は五百麈点已前の仏なり因位も又是くの如し、其れより已来十方世界に分身し一代聖教を演説して塵数の衆生を教化し給う、本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば一・と大海と一塵と大山となり、本門の一菩薩を迹門十方世界の文殊観音等に対向すれば猴猿を以て帝釈に比するに尚及ばず、其の外十方世界の断惑証果の二乗並びに梵天帝釈日月四天四輪王乃至無間大城の大火炎等此等は皆我が一念の十界か己身の三千か、仏説為りと雖も之を信ず可からず。
此れを以て之を思うに爾前の諸経は実事なり実語なり、華厳経に云く「究竟して虚妄を離れ染無きこと虚空の如し」と仁王経に云く「源を窮め性を尽して妙智存せり」金剛般若経に云く「清浄の善のみ有り」馬鳴菩薩の起信論に云く「如来蔵の中に清浄の功徳のみ有り」天親菩薩の唯識論に云く「謂く余の有漏と劣の無漏と種は金剛喩定が現在前する時極円明純浄の本識を引く彼の依に非ざるが故に皆永く棄捨す」等云云、爾前の経経と法華経と之を校量するに彼の経経は無数なり時説既に長し一仏二言彼に付く可し、馬鳴菩薩は付法蔵第十一にして仏記に之れ有り天親は千部の論師四依の大士なり、天台大師は辺鄙の小僧にして一論をも宣べず誰か之を信ぜん、其の上多を捨て小に付くとも法華経の文分明ならば少し恃怙有らんも法華経の文に何れの所にか十界互具百界千如一念三千の分明なる証文之れ有りや、随つて経文を開拓するに「断諸法中悪」等云云、天親菩薩の法華論堅慧菩薩の宝性論に十界互具之れ無く漢土南北の諸大人師日本七寺の末師の中にも此の義無し但天台一人の僻見なり伝教一人の謬伝なり、故に清涼国師の云く「天台の謬りなり」慧苑法師の云く「然るに天台は小乗を呼んで三蔵教と為し其の名謬濫するを以て」等云云、了洪が云く「天台独り未だ華厳の意を尽さず」等云云、得一が云く「咄いかな智公汝は是れ誰が弟子ぞ、三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説の教時を謗ず」等云云、弘法大師の云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗んで各自宗に名く」等云云、夫れ一念三千の法門は一代の権実に名目を削り四依の諸論師其の義を載せず漢土日域の人師も之を用いず、如何が之を信ぜん。
答えて曰く此の難最も甚し最も甚し但し諸経と法華との相違は経文より事起つて分明なり未顕と已顕と証明と舌相と二乗の成不と始成と久成と等之を顕わす、諸論師の事、天台大師云く「天親竜樹内鑒冷然たり外には時の宜きに適い各権に拠る所あり、而るに人師偏に解し学者苟も執し遂に矢石を興し各一辺を保ちて大に聖道に乖けり」等云云、章安大師云く「天竺の大論尚其の類に非ず真旦の人師何ぞ労わしく語るに及ばん此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」等云云、天親竜樹馬鳴堅慧等は内鑒冷然なり然りと雖も時未だ至らざるが故に之を宣べざるか、人師に於ては天台已前は或は珠を含み或は一向に之を知らず已後の人師或は初に之を破して後に帰伏する人有り或は一向用いざる者も之れ有り但し断諸法中悪の経文を会す可きなり、彼は法華経に爾前の経文を載するなり往いて之を見るに経文分明に十界互具之を説く所謂「欲令衆生開仏知見」等云云、天台此の経文を承けて云く「若し衆生に仏の知見無んば何ぞ開を論ずる所あらん当に知るべし仏の知見衆生に蘊在することを」云云、章安大師の云く「衆生に若し仏の知見無くんば何ぞ開悟する所あらん若し貧女に蔵無んば何ぞ示す所あらんや」等云云。
但し会し難き所は上の教主釈尊等の大難なり、此の事を仏遮会して云く「已今当説最為難信難解」と次下の六難九易是なり、天台大師云く「二門悉く昔と反すれば信じ難く解し難し鉾に当るの難事なり」章安大師の云く「仏此れを将つて大事と為す何ぞ解し易きことを得可けんや」伝教大師云く「此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」等云云、夫れ仏滅後に至つて一千八百余年三国に経歴して但三人のみ有つて始めて此の正法を覚知せり所謂月支の釈尊真旦の智者大師日域の伝教此の三人は内典の聖人なり、問うて曰く竜樹天親等は如何、答えて曰く此等の聖人は知つて之を言わざる仁なり、或は迹門の一分之を宣べて本門と観心とを云わず或は機有つて時無きか或は機と時と共に之れ無きか、天台伝教已後は之を知る者多多なり二聖の智を用ゆるが故なり所謂三論の嘉祥南三北七の百余人華厳宗の法蔵清涼等法相宗の玄奘三蔵慈恩大師等真言宗の善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵等律宗の道宣等初には反逆を存し後には一向に帰伏せしなり。
但し初の大難を遮せば無量義経に云く「譬えば国王と夫人と新たに王子を生ぜん若は一日若は二日若は七日に至り若は一月若は二月若は七月に至り若は一歳若は二歳若は七歳に至り復国事を領理すること能わずと雖も已に臣民に宗敬せられ諸の大王の子以て伴侶と為らん、王及び夫人の愛心偏に重くして常に与共に語らん所以は何ん稚小なるを以ての故にと云うが如く、善男子是の持経者も亦復是くの如し、諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生ず若し菩薩是の経を聞くことを得て若しは一句若しは一偈若しは一転若しは二転若しは十若しは百若しは千若しは万若しは億万恒河沙無量無数転せば復真理の極を体すること能わずと雖も、乃至已に一切の四衆八部に宗仰せられ諸の大菩薩を以て眷属と為し乃至常に諸仏に護念せられ慈愛偏に覆われん新学なるを以ての故なり」等云云、普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵十方三世の諸仏の眼目なり乃至三世の諸の如来を出生する種なり乃至汝大乗を行じて仏種を断ぜざれ」等云云、又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏是に因つて五眼を具することを得仏の三種の身は方等従り生ず是れ大法印にして涅槃海に印す此くの如き海中能く三種の仏の清浄身を生ず此の三種の身は人天の福田なり」等云云。
夫れ以れば釈迦如来の一代顕密大小の二教華厳真言等の諸宗の依経往いて之を勘うるに或は十方台葉毘盧遮那仏大集雲集の諸仏如来般若染浄の千仏示現大日金剛頂等の千二百尊但其の近因近果を演説して其の遠因果を顕さず、速疾頓成之を説けども三五の遠化を亡失し化導の始終跡を削りて見えず、華厳経大日経等は一往之を見るに別円四蔵等に似たれども再往之を勘うれば蔵通二教に同じて未だ別円にも及ばず本有の三因之れ無し何を以てか仏の種子を定めん、而るに新訳の訳者等漢土に来入するの日天台の一念三千の法門を見聞して或は自ら所持の経経に添加し或は天竺より受持するの由之を称す、天台の学者等或は自宗に同ずるを悦び或は遠きを貴んで近きを蔑みし或は旧を捨てて新を取り魔心愚心出来す、然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。
問うて曰く上の大難未だ其の会通を聞かず如何。
答えて曰く無量義経に云く「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」等云云、法華経に云く「具足の道を聞かんと欲す」等云云、涅槃経に云く「薩とは具足に名く」等云云、竜樹菩薩云く「薩とは六なり」等云云、無依無得大乗四論玄義記に云く「沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり」吉蔵疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」天台大師云く「薩とは梵語なり此には妙と翻ず」等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く「無上宝聚不求自得」云云、我等が己心の声聞界なり、「我が如く等くして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや、宝塔品に云く「其れ能く此の経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり」等云云、釈迦多宝十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す「須臾も之を聞く即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」とは是なり、寿量品に云く「然るに我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、経に云く「我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり」等云云、我等が己心の菩薩等なり、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり、例せば大公周公旦等は周武の臣下成王幼稚の眷属武内の大臣は神功皇后の棟梁仁徳王子の臣下なるが如し、上行無辺行浄行安立行等は我等が己心の菩薩なり、妙楽大師云く「当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し」等云云。
夫れ始め寂滅道場華蔵世界より沙羅林に終るまで五十余年の間華蔵密厳三変四見等の三土四土は皆成劫の上の無常の土に変化する所の方便実報寂光安養浄瑠璃密厳等なり能変の教主涅槃に入りぬれば所変の諸仏随つて滅尽す土も又以て是くの如し。
今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足三種の世間なり迹門十四品には未だ之を説かず法華経の内に於ても時機未熟の故なるか。
此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。
問う正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等余仏小乗権大乗爾前迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す、此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す請う重ねて之を説け委細に之を聞かん。
答えて日く法華経一部八巻二十八品進んでは前四味退いては涅槃経等の一代の諸経惣じて之を括るに但一経なり始め寂滅道場より終り般若経に至るまでは序分なり無量義経法華経普賢経の十巻は正宗なり涅槃経等は流通分なり、正宗十巻の中に於て亦序正流通有り無量義経並に序品は序分なり、方便品より分別功徳品の十九行の偈に至るまで十五品半は正宗分なり、分別功徳品の現在の四信より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分なり。
又法華経等の十巻に於ても二経有り各序正流通を具するなり、無量義経と序品は序分なり方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり、法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚の仏本無今有の百界千如を説いて已今当に超過せる随自意難信難解の正法なり、過去の結縁を尋れば大通十六の時仏果の下種を下し進んでは華厳経等の前四味を以て助縁と為して大通の種子を覚知せしむ、此れは仏の本意に非ず但毒発等の一分なり、二乗凡夫等は前四味を縁と為し漸漸に法華に来至して種子を顕わし開顕を遂ぐるの機是なり、又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し或は普賢涅槃等に至り或は正像末等に小権等を以て縁と為して法華に入る例せば在世の前四味の者の如し。
又本門十四品の一経に序正流通有り涌出品の半品を序分と為し寿量品と前後の二半と此れを正宗と為す其の余は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊に非ず所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ、又迹門並びに前四味無量義経涅槃経等の三説は悉く随他意の易信易解本門は三説の外の難信難解随自意なり。
又本門に於て序正流通有り過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年の諸経十方三世諸仏の微塵の経経は皆寿量の序分なり一品二半よりの外は小乗教邪教未得道教覆相教と名く、其の機を論ずれば徳薄垢重幼稚貧窮孤露にして禽獣に同ずるなり、爾前迹門の円教尚仏因に非ず何に況や大日経等の諸小乗経をや何に況や華厳真言等の七宗等の論師人師の宗をや、与えて之を論ずれば前三教を出でず奪つて之を云えば蔵通に同ず、設い法は甚深と称すとも未だ種熟脱を論ぜず還つて灰断に同じ化の始終無しとは是なり、譬えば王女たりと雖も畜種を懐妊すれば其の子尚旃陀羅に劣れるが如し、此等は且く之を閣く迹門十四品の正宗の八品は一往之を見るに二乗を以て正と為し菩薩凡夫を以て傍と為す、再往之を勘うれば凡夫正像末を以て正と為す正像末の三時の中にも末法の始を以て正が中の正と為す、問うて曰く其の証如何ん、答えて曰く法師品に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」宝塔品に云く「法をして久住せしむ乃至来れる所の化仏当に此の意を知るべし」等、勧持安楽等之を見る可し迹門是くの如し、本門を以て之を論ずれば一向に末法の初を以て正機と為す所謂一往之を見る時は久種を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至って等妙に登らしむ、再往之を見れば迹門には似ず本門は序正流通倶に末法の始を以て詮と為す、在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。
又弥勒菩薩疑請して云く経に云く「我等は復た仏の随宜の所説仏所出の言未だ曾て虚妄ならず仏の所知は皆悉く通達し給えりと信ずと雖も然も諸の新発意の菩薩仏の滅後に於て若し是の語を聞かば或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん、唯然り世尊願くは為に解説して我等が疑を除き給え及び未来世の諸の善男子此の事を聞き已つて亦疑を生ぜじ」等云云、文の意は寿量の法門は滅後の為に之を請ずるなり、寿量品に云く「或は本心を失える或は失わざる者あり乃至心を失わざる者は此の良薬の色香倶に好きを見て即便之を服するに病尽く除癒ぬ」等云云、久遠下種大通結縁乃至前四味迹門等の一切の菩薩二乗人天等の本門に於て得道する是なり、経に云く「余の心を失える者は其の父の来れるを見て亦歓喜し問訊して病を治せんことを求むと雖も然も其の薬を与うるに而も肯えて服せず、所以は何ん毒気深く入つて本心を失えるが故に此の好き色香ある薬に於て美からずと謂えり乃至我今当に方便を設け此の薬を服せしむべし、乃至是の好き良薬を今留めて此に在く汝取つて服す可し差じと憂うること勿れ、是の教を作し已つて復た他国に至つて使を遣わして還つて告ぐ」等云云、分別功徳品に云く「悪世末法の時」等云云。
問うて曰く此の経文の遣使還告は如何、答えて曰く四依なり四依に四類有り、小乗の四依は多分は正法の前の五百年に出現す、大乗の四依は多分は正法の後の五百年に出現す、三に迹門の四依は多分は像法一千年少分は末法の初なり、四に本門の四依は地涌千界末法の始に必ず出現す可し今の遣使還告は地涌なり是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、此の良薬をば仏猶迹化に授与し給わず何に況や他方をや。
神力品に云く「爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者皆仏前に於て一心に合掌し尊顔を瞻仰して仏に白して言さく世尊我等仏の滅後世尊分身の所在の国土滅度の処に於て当に広く此の経を説くべし」等云云、天台の云く「但下方の発誓のみを見たり」等云云、道暹云く「付属とは此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す何が故に爾る法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云、夫れ文殊師利菩薩は東方金色世界の不動仏の弟子観音は西方無量寿仏の弟子薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子普賢菩薩は宝威仏の弟子なり一往釈尊の行化を扶けん為に娑婆世界に来入す又爾前迹門の菩薩なり本法所持の人に非れば末法の弘法に足らざる者か、経に云く「爾の時に世尊乃至一切の衆の前に大神力を現じ給う広長舌を出して上梵世に至らしめ乃至十方世界衆の宝樹の下師子の座の上の諸仏も亦復是くの如く広長舌を出し給う」等云云、夫れ顕密二道一切の大小乗経の中に釈迦諸仏並び坐し舌相梵天に至る文之無し、阿弥陀経の広長舌相三千を覆うは有名無実なり、般若経の舌相三千光を放って般若を説きしも全く証明に非ず、此は皆兼帯の故に久遠を覆相する故なり、是くの如く十神力を現じて地涌の菩薩に妙法の五字を嘱累して云く、経に曰く「爾の時に仏上行等の菩薩大衆に告げ給わく諸仏の神力は是くの如く無量無辺不可思議なり若し我れ是の神力を以て無量無辺百千万億阿僧祗劫に於て嘱累の為の故に此の経の功徳を説くとも猶尽すこと能わじ要を以て此を言わば如来の一切の所有の法如来の一切の自在の神力如来の一切の秘要の蔵如来の一切の甚深の事皆此の経に於て宣示顕説す」等云云、天台云く「爾時仏告上行より下は第三結要付属なり」云云、伝教云く「又神力品に云く以要言之如来一切所有之法乃至宣示顕説[已上][経文]明かに知んぬ果分の一切の所有の法果分の一切の自在の神力果分の一切の秘要の蔵果分の一切の甚深の事皆法華に於て宣示顕説するなり」等云云、此の十神力は妙法蓮華経の五字を以て上行安立行浄行無辺行等の四大菩薩に授与し給うなり前の五神力は在世の為後の五神力は滅後の為なり、爾りと雖も再往之を論ずれば一向に滅後の為なり、故に次下の文に云く「仏滅度の後に能く此の経を持たんを以ての故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現じ給う」等云云。
次下の嘱累品に云く「爾の時に釈迦牟尼仏法座より起つて大神力を現じ給う右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂を摩で乃至今以て汝等に付属す」等云云、地涌の菩薩を以て頭と為して迹化他方乃至梵釈四天等に此の経を嘱累し給う十方より来る諸の分身の仏各本土に還り給う乃至多宝仏の塔還って故の如くし給う可し等云云、薬王品已下乃至涅槃経等は地涌の菩薩去り了つて迹化の衆他方の菩薩等の為に重ねて之を付属し給う・拾遺嘱是なり。
疑つて云く正像二千年の間に地涌千界閻浮提に出現して此の経を流通するや、答えて曰く爾らず、驚いて云く法華経並びに本門は仏の滅後を以て本と為して先ず地涌に之を授与す何ぞ正像に出現して此の経を弘通せざるや、答えて云く宣べず、重ねて問うて云く如何、答う之を宣べず、又重ねて問う如何、答えて曰く之を宣ぶれば一切世間の諸人威音王仏の末法の如く又我が弟子の中にも粗之を説かば皆誹謗を為す可し黙止せんのみ、求めて云く説かずんば汝慳貧に堕せん、答えて曰く進退惟れ谷れり試みに粗之を説かん、法師品に云く「況んや滅度の後をや」寿量品に云く「今留めて此に在く」分別功徳品に云く「悪世末法の時」薬王品に云く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」涅槃経に云く「譬えば七子あり父母平等ならざるに非ざれども然れども病者に於て心則ち偏に重きが如し」等云云、已前の明鏡を以て仏意を推知するに仏の出世は霊山八年の諸人の為に非ず正像末の人の為なり、又正像二千年の人の為に非ず末法の始め予が如き者の為なり、然れども病者に於いてと云うは滅後法華経誹謗の者を指すなり、「今留在此」とは「於此好色香薬而謂不美」の者を指すなり。
地涌千界正像に出でざることは正法一千年の間は小乗権大乗なり機時共に之れ無く四依の大士小権を以て縁と為して在世の下種之を脱せしむ謗多くして熟益を破る可き故に之を説かず例せば在世の前四味の機根の如し、像法の中末に観音薬王南岳天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機有つて円時無き故なり。
今末法の初小を以て大を打ち権を以て実を破し東西共に之を失し天地顛倒せり迹化の四依は隠れて現前せず諸天其の国を棄て之を守護せず、此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ「因謗堕悪必因得益」とは是なり、我が弟子之を惟え地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり寂滅道場に来らず雙林最後にも訪わず不孝の失之れ有り迹門の十四品にも来らず本門の六品には座を立つ但八品の間に来還せり、是くの如き高貴の大菩薩三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。
問うて曰く仏の記文は云何答えて曰く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と、天台大師記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」妙楽記して云く「末法の初冥利無きにあらず」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云、末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意なり、伝教大師日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り末の初地を尋れば唐の東羯の西人を原れば則ち五濁の生闘諍の時なり経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良とに以有るなり」此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ此の本尊有さず、日本国の上宮四天王寺を建立して未だ時来らざれば阿弥陀他方を以て本尊と為す、聖武天皇東大寺を建立す、華厳経の教主なり、未だ法華経の実義を顕さず、伝教大師粗法華経の実義を顕示す然りと雖も時未だ来らざるの故に東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕わさず、所詮地涌千界の為に此れを譲り与え給う故なり、此の菩薩仏勅を蒙りて近く大地の下に在り正像に未だ出現せず末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり、三仏の未来記も亦泡沫に同じ。
此れを以て之を惟うに正像に無き大地震大彗星等出来す、此等は金翅鳥修羅竜神等の動変に非ず偏に四大菩薩を出現せしむ可き先兆なるか、天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云、妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。
一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う、四大菩薩の此の人を守護し給わんこと太公周公の文王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり。 ( 文永十年[太歳癸酉]卯月二十五日 ) 
 
撰時抄/建治元年五十四歳御作

 

釈子日蓮述ぶ
夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし、過去の大通智勝仏は出世し給いて十小劫が間一経も説き給はず経に云く一坐十小劫又云く「仏時の未だ至らざるを知り請を受けて黙然として坐す」等云云、今の教主釈尊は四十余年の程法華経を説き給はず経に云く「説く時未だ至らざるが故」と云云、老子は母の胎に処して八十年、弥勒菩薩は兜率の内院に篭らせ給いて五十六億七千万歳をまち給うべし、彼の時鳥は春ををくり鶏鳥は暁をまつ畜生すらなをかくのごとし何に況や仏法を修行せんに時を糾ざるべしや、寂滅道場の砌には十方の諸仏示現し一切の大菩薩集会し給い梵帝四天は衣をひるがへし竜神八部は掌を合せ凡夫大根性の者は耳をそばだて生身得忍の諸菩薩解脱月等請をなし給いしかども世尊は二乗作仏久遠実成をば名字をかくし即身成仏一念三千の肝心、其義を宣べ給はず、此等は偏にこれ機は有りしかども時の来らざればのべさせ給はず経に云く「説く時未だ至らざる故」等云云、霊山会上の砌には閻浮第一の不孝の人たりし阿闍世大王座につらなり、一代謗法の提婆達多には天王如来と名をさづけ五障の竜女は蛇身をあらためずして仏になる、決定性の成仏は・種の花さき果なり久遠実成は百歳の臾二十五の子となれるかとうたがふ、一念三千は九界即仏界仏界即九界と談ず、されば此の経の一字は如意宝珠なり一句は諸仏の種子となる此等は機の熟不熟はさてをきぬ時の至れるゆへなり、経に云く「今正しく是れ其の時なり決定して大乗を説かん」等云云。
問うて云く機にあらざるに大法を授けられば愚人は定めて誹謗をなして悪道に堕るならば豈説く者の罪にあらずや、答えて云く人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや良医薬を病人にあたう病人嫌いて服せずして死せば良医の失となるか、尋ねて云く法華経の第二に云く「無智の人の中に此の経を説くこと莫れ」同第四に云く「分布して妄りに人に授与すべからず」同第五に云く「此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり、諸経の中に於て最も其の上に在り長夜に守護して妄りに宣説せざれ」等云云、此等の経文は機にあらずば説かざれというか、今反詰して云く不軽品に云く「而も是の言を作さく我深く汝等を敬う等云云四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り、悪口罵詈して言く是の無智の比丘○又云く衆人或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云、勧持品に云く「諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん」等云云、此等の経文は悪口罵詈乃至打擲すれどもととかれて候は説く人の失となりけるか、求めて云く此の両説は水火なりいかんが心うべき答えて云く天台云く「時に適うのみ」章安云く「取捨宜きを得て一向にすべからず」等云云、釈の心は或る時は謗じぬべきにはしばらくとかず或る時は謗ずとも強て説くべし或る時は一機は信ずべくとも万機謗べくばとくべからず或る時は万機一同に謗ずとも強て説くべし、初成道の時は法慧功徳林金剛幢金剛蔵文殊普賢弥勒解脱月等の大菩薩、梵帝四天等の凡夫大根性の者かずをしらず、鹿野苑の苑には倶鄰等の五人迦葉等の二百五十人舎利弗等の二百五十人八万の諸天、方等大会の儀式には世尊の慈父の浄飯大王ねんごろに恋せさせ給いしかば仏宮に入らせ給いて観仏三昧経をとかせ給い、悲母の御ために・利天に九十日が間篭らせ給いしには摩耶経をとかせ給う、慈父悲母なんどにはいかなる秘法か惜ませ給うべきなれども法華経をば説かせ給はずせんずるところ機にはよらず時いたらざればいかにもとかせ給はぬにや。
問うて云くいかなる時にか小乗権経をときいかなる時にか法華経を説くべきや、答えて云く十信の菩薩より等覚の大士にいたるまで時と機とをば相知りがたき事なり何に況や我等は凡夫なりいかでか時機をしるべき、求めて云くすこしも知る事あるべからざるか、答えて云く仏眼をかつて時機をかんがへよ仏日を用て国土をてらせ、問うて云く其の心如何、答えて云く大集経に大覚世尊月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固次の五百年には禅定堅固[已上一千年]次の五百年には読誦多聞堅固次の五百年には多造塔寺堅固[已上二千年]次の五百年には我法の中に於て闘諍言訟して白法隠沒せん等云云、此の五の五百歳二千五百余年に人人の料簡さまざまなり、漢土の道綽禅師が云く正像二千四箇の五百歳には小乗と大乗との白法盛なるべし末法に入つては彼等の白法皆消滅して浄土の法門念仏の白法を修行せん人計り生死をはなるべし、日本国の法然が料簡して云く今日本国に流布する法華経華厳経並びに大日経諸の小乗経天台真言律等の諸宗は大集経の記文の正像二千年の白法なり末法に入つては彼等の白法は皆滅尽すべし設い行ずる人ありとも一人も生死をはなるべからず、十住毘婆沙論と曇鸞法師の難行道道綽の未有一人得者善導の千中無一これなり、彼等の白法隠没の次には浄土三部経弥陀称名の一行ばかり大白法として出現すべし、此を行ぜん人人はいかなる悪人愚人なりとも十即十生百即百生唯浄土の一門のみ有つて路に通入すべしとはこれなり、されば後世を願はん人人は叡山東寺園城七大寺等の日本一州の諸寺諸山の御帰依をとどめて彼の寺山によせをける田畠郡郷をうばいとつて念仏堂につけば決定往生南無阿弥陀仏とすすめければ我が朝一同に其の義になりて今に五十余年なり、日蓮此等の悪義を難じやぶる事はことふり候いぬ、彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし、但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻浮提の内八万の国あり其の国国に八万の王あり王王ごとに臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口口に唱うるがごとく広宣流布せさせ給うべきなり。
問うて云く其の証文如何、答えて云く法華経の第七に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云、経文は大集経の白法隠没の次の時をとかせ給うに広宣流布と云云、同第六の巻に云く「悪世末法の時能く是の経を持つ者」等云云又第五の巻に云く「後の末世の法滅せんとする時」等又第四の巻に云く「而も此経は如来現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」又第七の巻に第五の五百歳闘諍堅固の時を説いて云く「悪魔魔民諸の天竜夜叉鳩槃荼等其の便を得ん」大集経に云く「我が法の中に於て闘諍言訟せん」等云云、法華経の第五に云く「悪世の中の比丘」又云く「或は阿蘭若に有り」等云云又云く「悪鬼其身に入る」等云云、文の心は第五の五百歳の時悪鬼の身に入る大僧等国中に充満せん其時に智人一人出現せん彼の悪鬼の入る大僧等時の王臣万民等を語て悪口罵詈杖木瓦礫流罪死罪に行はん時釈迦多宝十方の諸仏地涌の大菩薩らに仰せつけ大菩薩は梵帝日月四天等に申しくだされ其の時天変地夭盛なるべし、国主等其のいさめを用いずば鄰国にをほせつけて彼彼の国国の悪王悪比丘等をせめらるるならば前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし其の時日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ或は身ををしむゆへに一切の仏菩薩にいのりをかくともしるしなくば彼のにくみつる一の小僧を信じて無量の大僧等八万の大王等、一切の万民皆頭を地につけ掌を合せて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし、例せば神力品の十神力の時十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向つて大音声をはなちて南無釈迦牟尼仏南無釈迦牟尼仏南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。
問うて曰く経文は分明に候天台妙楽伝教等の未来記の言はありや、答えて曰く汝が不審逆なり釈を引かん時こそ経論はいかにとは不審せられたれ経文に分明ならば釈を尋ぬべからず、さて釈の文が経に相違せば経をすてて釈につくべきか如何、彼云く道理至極せり、しかれども凡夫の習経は遠し釈は近し近き釈分明ならばいますこし信心をますべし、今云く汝が不審ねんごろなれば少少釈をいだすべし天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」妙楽大師云く「末法の初め冥利無きにあらず」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり、何を以て知ることを得る、安楽行品に云く末世法滅の時なり」又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東羯の西人を原ぬれば五濁の生闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るなり」云云、夫れ釈尊の出世は住劫第九の減人寿百歳の時なり百歳と十歳との中間在世五十年滅後二千年と一万年となり、其の中間に法華経の流布の時二度あるべし所謂在世の八年滅後には末法の始の五百年なり、而に天台妙楽伝教等は進んでは在世法華経の時にももれさせ給いぬ、退いては滅後末法の時にも生れさせ給はず中間なる事をなげかせ給いて末法の始をこひさせ給う御筆なり、例せば阿私陀仙人が悉達太子の生れさせ給いしを見て悲んで云く現生には九十にあまれり太子の成道を見るべからず後生には無色界に生れて五十年の説法の坐にもつらなるべからず正像末にも生るべからずとなげきしがごとし、道心あらん人人は此を見ききて悦ばせ給え正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ此を信ぜざらんや、彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし、梁の武帝の願に云く「寧ろ提婆達多となて無間地獄には沈むとも欝頭羅弗とはならじ」と云云。
問うて云く竜樹天親等の論師の中に此の義ありや、答えて云く竜樹天親等は内心には存ぜさせ給うといえども言には此の義を宣べ給はず、求めて云くいかなる故にか宣給ざるや、答えて云く多くの故あり一には彼の時にも機なし二には時なし三には迹化なれば付嘱せられ給はず、求めて云く願くは此の事よくよくきかんとをもう、答えて云く夫仏の滅後二月十六日よりは正法の始なり迦葉尊者仏の付嘱をうけて二十年、次に阿難尊者二十年次に商那和修二十年次に優婆崛多二十年次に提多迦二十年、已上一百年が間は但小乗経の法門をのみ弘通して諸大乗経は名字もなし何に況や法華経をひろむべしや、次には弥遮迦仏陀難提仏駄密多脇比丘富那奢等の四五人、前の五百余年が間は大乗経の法門少少出来せしかどもとりたてて弘通し給はず、但小乗経を面としてやみぬ、已上大集経の先五百年解脱堅固の時なり、正法の後六百年已後一千年が前其の中間に馬鳴菩薩毘羅尊者竜樹菩薩提婆菩薩羅・尊者僧・難提僧伽耶奢鳩摩羅駄闍夜那盤陀摩奴羅鶴勒夜那師子等の十余人の人人始には外道の家に入り次には小乗経をきわめ後には諸大乗経をもて諸小乗経をさんざんに破し失ひ給いき此等の大士等は諸大乗経をもつて諸小乗経をば破せさせ給いしかども諸大乗経と法華経の勝劣をば分明にかかせ給はず、設い勝劣をすこしかかせ給いたるやうなれども本迹の十妙二乗作仏久遠実成已今当の妙百界千如一念三千の肝要の法門は分明ならず、但或は指をもつて月をさすがごとくし或は文にあたりてひとはし計りかかせ給いて化導の始終師弟の遠近得道の有無はすべて一分もみへず、此等は正法の後の五百年大集経の禅定堅固の時にあたれり、正法一千年の後は月氏に仏法充満せしかども或は小をもて大を破し或は権経をもつて実経を隠没し仏法さまざまに乱れしかば得道の人やふやくすくなく仏法につけて悪道に堕る者かずをしらず、正法一千年の後像法に入つて一十五年と申せしに仏法東に流れて漢土に入りにき、像法の前五百年の内始の一百余年が間は漢土の道士と月氏の仏法と諍論していまだ事さだまらず設い定まりたりしかども仏法を信ずる人の心いまだふかからず、而るに仏法の中に大小権実顕密をわかつならば聖教一同ならざる故疑をこりてかへりて外典とともなう者もありぬべし、これらのをそれあるかのゆへに摩騰竺蘭は自は知つて而も大小を分けず権実をいはずしてやみぬ、其の後魏晉斉宋梁の五代が間仏法の内に大小権実顕密をあらそひし程にいづれこそ道理ともきこえずして上み一人より下も万民にいたるまで不審すくなからず南三北七と申して仏法十流にわかれぬ所謂南には三時四時五時北には五時半満四宗五宗六宗、二宗の大乗一音等各各義を立て辺執水火なり、しかれども大綱は一同なり所謂一代聖教の中には華厳経第一涅槃経第二法華経第三なり法華経は阿含般若浄名思益等の経経に対すれば真実なり了義経正見なりしかりといへども涅槃経に対すれば無常教不了義経邪見の経等云云、漢より四百余年の末へ五百年に入つて陳隋二代に智・と申す小僧一人あり後には天台智者大師と号したてまつる、南北の邪義をやぶりて一代聖教の中には法華経第一涅槃経第二華厳経第三なり等云云、此れ像法の前五百歳大集経の読誦多聞堅固の時にあひあたれり、像法の後五百歳は唐の始太宗皇宗の御宇に玄奘三蔵月支に入つて十九年が間、百三十箇国の寺塔を見聞して多くの論師に値いたてまつりて八万聖教十二部経の淵底を習いきわめしに其の中に二宗あり所謂法相宗三論宗なり、此の二宗の中に法相大乗は遠くは弥勒無著近くは戒賢論師に伝えて漢土にかへりて太宗皇帝にさづけさせ給う、此の宗の心は仏教は機に随うべし一乗の機のためには三乗方便一乗真実なり所謂法華経等なり、三乗の機のためには三乗真実一乗方便所謂深密経勝鬘経等此れなり、天台智者等は此の旨を弁えず等云云、而も太宗は賢王なり当時名を一天にひびかすのみならず三皇にもこえ五帝にも勝れたるよし四海にひびき漢土を手ににぎるのみならず高昌高麗等の一千八百余国をなびかし内外を極めたる王ときこへし賢王の第一の御帰依の僧なり、天台宗の学者の中にも頭をさしいだす人一人もなし、而れば法華経の実義すでに一国に隠没しぬ、同じき太宗の太子高宗高宗の継母則天皇后の御宇に法蔵法師といふ者あり法相宗に天台宗のをそわるるところを見て前に天台の御時せめられし華厳経を取出して一代の中には華厳第一法華第二涅槃第三と立てけり、太宗第四代玄宗皇帝の御宇開元四年同八年に西天印度より善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵大日経金剛頂経蘇悉地経を持て渡り真言宗を立つ、此の宗の立義に云く教に二種あり一には釈迦の顕教所謂華厳法華等、二には大日の密教所謂大日経等なり、法華経は顕教の第一なり此の経は大日の密教に対すれば極理は少し同じけれども事相の印契と真言とはたえてみへず三密相応せざれば不了義経等云云、已上法相華厳真言の三宗一同に天台法華宗をやぶれども天台大師程の智人法華宗の中になかりけるかの間内内はゆはれなき由は存じけれども天台のごとく公場にして論ぜられざりければ上国王大臣下一切の人民にいたるまで皆仏法に迷いて衆生の得道みなとどまりけり、此等は像法の後の五百年の前二百余年が内なり、像法に入つて四百余年と申しけるに百済国より一切経並びに教主釈尊の木像僧尼等日本国にわたる、漢土の梁の末陳の始にあひあたる、日本には神武天王よりは第三十代欽明天王の御宇なり、欽明の御子用明の太子に上宮王子仏法を弘通し給うのみならず並びに法華経浄名経勝鬘経を鎮護国家の法と定めさせ給いぬ、其の後人王第三十七代に孝徳天王の御宇に三論宗成実宗を観勒僧正百済国よりわたす、同御代に道昭法師漢土より法相宗倶舎宗をわたす、人王第四十四代元正天王の御宇に天竺より大日経をわたして有りしかども而も弘通せずして漢土へかへる此の僧をば善無畏三蔵という、人王第四十五代に聖武天皇の御宇に審祥大徳新羅国より華厳宗をわたして良弁僧正聖武天王にさづけたてまつりて東大寺の大仏を立てさせ給えり同御代に大唐の鑒真和尚天台宗と律宗をわたす、其の中に律宗をば弘通し小乗の戒場を東大寺に建立せしかども法華宗の事をば名字をも申し出させ給はずして入滅し了んぬ、其後人王第五十代像法八百年に相当つて桓武天王の御宇に最澄と申す小僧出来せり後には伝教大師と号したてまつる、始には三論法相華厳倶舎成実律の六宗並びに禅宗等を行表僧正等に習学せさせ給いし程に我と立て給える国昌寺後には比叡山と号す、此にして六宗の本経本論と宗宗の人師の釈とを引き合せて御らむありしかば彼の宗宗の人師の釈所依の経論に相違せる事多き上僻見多多にして信受せん人皆悪道に堕ちぬべしとかんがへさせ給う其の上法華経の実義は宗宗の人人我も得たり我も得たりと自讃ありしかども其の義なし、此れを申すならば喧嘩出来すべしもだして申さずば仏誓にそむきなんとをもひわづらはせ給いしかども終に仏の誡ををそれて桓武皇帝に奏し給いしかば帝此の事ををどろかせ給いて六宗の碩学に召し合させ給う、彼の学者等始めは慢幢山のごとし悪心毒蛇のやうなりしかども終に王の前にしてせめをとされて六宗七寺一同に御弟子となりぬ、例せば漢土の南北の諸師陳殿にして天台大師にせめおとされて御弟子となりしがごとし、此れはこれ円定円慧計りなり其の上天台大師のいまだせめ給はざりし小乗の別受戒をせめをとし六宗の八大徳に梵網経の大乗別受戒をさづけ給うのみならず法華経の円頓の別受戒を叡山に建立せしかば延暦円頓の別受戒は日本第一たるのみならず仏の滅後一千八百余年が間身毒尸那一閻浮提にいまだなかりし霊山の大戒日本国に始まる、されば伝教大師は其の功を論ずれば竜樹天親にもこえ天台妙楽にも勝れてをはします聖人なり、されば日本国の当世の東寺園城七大寺諸国の八宗浄土禅宗律宗等の諸僧等誰人か伝教大師の円戒をそむくべき、かの漢土九国の諸僧等は円定円慧は天台の弟子ににたれども円頓一同の戒場は漢土になければ戒にをいては弟子とならぬ者もありけん、この日本国は伝教大師の御弟子にあらざる者は外道なり悪人なり、而れども漢土日本の天台宗と真言の勝劣は大師心中には存知せさせ給いけれども六宗と天台宗とのごとく公場にして勝負なかりけるゆへにや、伝教大師已後には東寺七寺園城の諸寺日本一州一同に真言宗は天台宗に勝れたりと上一人より下万人にいたるまでをぼしめしをもえり、しかれば天台法華宗は伝教大師の御時計りにぞありける此の伝教の御時は像法の末大集経の多造塔寺堅固の時なり、いまだ於我法中闘諍言訟白法隠没の時にはあたらず。
今末法に入つて二百余歳大集経の於我法中闘諍言訟白法隠没の時にあたれり仏語まことならば定んで一閻浮提に闘諍起るべき時節なり、伝え聞く漢土は三百六十箇国二百六十余州はすでに蒙古国に打ちやぶられぬ華洛すでにやぶられて徽宗欽宗の両帝北蕃にいけどりにせられて韃靼にして終にかくれさせ給いぬ、徽宗の孫高宗皇帝は長安をせめをとされて田舎の臨安行在府に落ちさせ給いて今に数年が間京を見ず、高麗六百余国も新羅百済等の諸国等も皆大蒙古国の皇帝にせめられぬ、今の日本国の壱岐対馬並びに九国のごとし闘諍堅固の仏語地に堕ちず、あたかもこれ大海のしをの時をたがへざるがごとし、是をもつて案ずるに大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか、彼の大集経は仏説の中の権大乗ぞかし、生死をはなるる道には法華経の結縁なき者のためには未顕真実なれども六道四生三世の事を記し給いけるは寸分もたがはざりけるにや、何に況や法華経は釈尊要当説真実となのらせ給い多宝仏は真実なりと御判をそへ十方の諸仏は広長舌を梵天につけて誠諦と指し示し、釈尊は重ねて無虚妄の舌を色究竟に付けさせ給いて後五百歳に一切の仏法の滅せん時上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて謗法一闡提の白癩病の輩の良薬とせんと梵帝日月四天竜神等に仰せつけられし金言虚妄なるべしや、大地は反覆すとも高山は頽落すとも春の後に夏は来らずとも日は東へかへるとも月は地に落つるとも此の事は一定なるべし、此の事一定ならば闘諍堅固の時日本国の王臣と並びに万民等が仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき、これをば愚癡の者は咒詛すとをもひぬべし、法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり、而るを上一人より下万民にいたるまであだをなすをば日月いかでか彼等が頂を照し給うべき地神いかでか彼等の足を戴き給うべき、提婆達多は仏を打ちたてまつりしかば大地揺動して火炎いでにき、檀弥羅王は師子尊者の頚を切りしかば右の手刀とともに落ちぬ、徽宗皇帝は法道が面にかなやきをやきて江南にながせしかば半年が内にゑびすの手にかかり給いき、蒙古のせめも又かくのごとくなるべし、設い五天のつわものをあつめて鉄囲山を城とせりともかなふべからず必ず日本国の一切衆生兵難に値うべし、されば日蓮が法華経の行者にてあるなきかはこれにても見るべし、教主釈尊記して云く末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしととかせ給へり、而るを今の日本国の国主万民等雅意にまかせて父母宿世の敵よりもいたくにくみ謀反殺害の者よりもつよくせめぬるは現身にも大地われて入り天雷も身をさかざるは不審なり、日蓮が法華経の行者にてあらざるかもししからばををきになげかし、今生には万人にせめられて片時もやすからず後生には悪道に堕ん事あさましとも申すばかりなし、又日蓮法華経の行者ならずばいかなる者の一乗の持者にてはあるべきぞ、法然が法華経をなげすてよ善導が千中無一道綽が未有一人得者と申すが法華経の行者にて候か、又弘法大師の云く法華経を行ずるは戯論なりとかかれたるが法華経の行者なるべきか、経文には能持是経能説此経なんどこそとかれて候へよくとくと申すはいかなるぞと申すに於諸経中最在其上と申して大日経華厳経涅槃経般若経等に法華経はすぐれて候なりと申す者をこそ経文には法華経の行者とはとかれて候へ、もし経文のごとくならば日本国に仏法わたて七百余年、伝教大師と日蓮とが外は一人も法華経の行者はなきぞかし、いかにいかにとをもうところに頭破作七分口則閉塞のなかりけるは道理にて候いけるなり、此等は浅き罰なり但一人二人等のことなり、日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし、これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震一天を罰する文永の大彗星等なり、此等をみよ仏滅後の後仏法を行ずる者にあだをなすといへども今のごとくの大難は一度もなきなり、南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし、此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや。
疑つて云く設い正法の時は仏の在世に対すれば根機劣なりとも像末に対すれば最上の上機なり、いかでか正法の始に法華経をば用いざるべき随つて馬鳴竜樹提婆無著等も正法一千年の内にこそ出現せさせ給へ、天親菩薩は千部の論師法華論を造りて諸経の中第一の義を存す真諦三蔵の相伝に云く月支に法華経を弘通せる家五十余家天親は其の一也と已上正法なり、像法に入つては天台大師像法の半に漢土に出現して玄と文と止との三十巻を造りて法華経の淵底を極めたり、像法の末に伝教大師日本に出現して天台大師の円慧円定の二法を我が朝に弘通せしむるのみならず円頓の大戒場を叡山に建立して日本一州皆同じく円戒の地になして上一人より下万民まで延暦寺を師範と仰がせ給う豈に像法の時法華経の広宣流布にあらずや、答えて云く如来の教法は必ず機に随うという事は世間の学者の存知なり、しかれども仏教はしからず上根上智の人のために必ず大法を説くならば初成道の時なんぞ法華経をとき給はざる正法の先五百年に大乗経を弘通すべし、有縁の人に大法を説かせ給うならば浄飯大王摩耶夫人に観仏三昧経摩耶経をとくべからず、無縁の悪人謗法の者に秘法をあたえずば覚徳比丘は無量の破戒の者に涅槃経をさづくべからず、不軽菩薩は誹謗の四衆に向つていかに法華経をば弘通せさせ給いしぞ、されば機に随つて法を説くと申すは大なる僻見なり。
問うて云く竜樹世親等は法華経の実義をば宣べ給わずや、答えて云く宣べ給はず、問うて云く何なる教をか宣べ給いし、答えて云く華厳方等般若大日経等の権大乗顕密の諸経をのべさせ給いて法華経の法門をば宣べさせ給はず、問うて云く何をもつてこれをしるや答えて云く竜樹菩薩の所造の論三十万偈而れども尽して漢土日本にわたらざれば其の心しりがたしといえども漢土にわたれる十住毘婆娑論中論大論等をもつて天竺の論をも比知して此れを知るなり。
疑つて云く天竺に残る論の中にわたれる論よりも勝れたる論やあるらん、答えて云く竜樹菩薩の事は私に申すべからず仏記し給う我が滅後に竜樹菩薩と申す人南天竺に出ずべし彼の人の所詮は中論という論に有るべしと仏記し給う、随つて竜樹菩薩の流天竺に七十家あり七十人ともに大論師なり、彼の七十家の人人は皆中論を本とす中論四巻二十七品の肝心は因縁所生法の四句の偈なり、此の四句の偈は華厳般若等の四教三諦の法門なりいまだ法華開会の三諦をば宣べ給はず。
疑つて云く汝がごとくに料簡せる人ありや、答えて云く天台云く「中論を以て相比すること莫れ」又云く「天親竜樹内鑒冷然して外は時の宜きに適う」等云云、妙楽云く「破会を論ぜば未だ法華に若かざる故に」云云、従義の云く「竜樹天親未だ天台に若かず」云云、問うて云く唐の末に不空三蔵一巻の論をわたす其の名を菩提心論となづく竜猛菩薩の造なり云云、弘法大師云く「此の論は竜猛千部の中の第一肝心の論」と云云、答えて云く此の論一部七丁あり竜猛の言ならぬ事処処に多し故に目録にも或は竜猛或は不空と両方にいまだ事定まらず、其の上此の論文は一代を括れる論にもあらず荒量なる事此れ多し、先ず唯真言法中の肝心の文あやまりなり其の故は文証現証ある法華経の即身成仏をばなきになして文証も現証もあとかたもなき真言経に即身成仏を立て候又唯という唯の一字は第一のあやまりなり、事のていを見るに不空三蔵の私につくりて候を時の人にをもくせさせんがために事を竜猛によせたるか其の上不空三蔵は誤る事かずをほし所謂法華経の観智の儀軌に寿量品を阿弥陀仏とかける眼の前の大僻見陀羅尼品を神力品の次にをける属累品を経末に下せる此等はいうかひなし、さるかとみれば天台の大乗戒を盗んで代宗皇帝に宣旨を申し五台山の五寺に立てたり、而も又真言の教相には天台宗をすべしといえりかたがた誑惑の事どもなり、他人の訳ならば用ゆる事もありなん此の人の訳せる経論は信ぜられず、総じて月支より漢土に経論をわたす人旧訳新訳に一百八十六人なり羅什三蔵一人を除いてはいづれの人人も・らざるはなし、其の中に不空三蔵は殊に誤多き上誑惑の心顕なり、疑つて云く何をもつて知るぞや羅什三蔵より外の人人はあやまりなりとは汝が禅宗念仏真言等の七宗を破るのみならず漢土日本にわたる一切の訳者を用いざるかいかん、答えて云く此の事は余が第一の秘事なり委細には向つて問うべし、但しすこし申すべし羅什三蔵の云く我漢土の一切経を見るに皆梵語のごとくならずいかでか此の事を顕すべき、但し一の大願あり身を不浄になして妻を帯すべし舌計り清浄になして仏法に妄語せじ我死なば必やくべし焼かん時舌焼けるならば我が経をすてよと常に高座にしてとかせ給しなり、上一人より下万民にいたるまで願じて云く願くは羅什三蔵より後に死せんと、終に死し給う後焼きたてまつりしかば不浄の身は皆灰となりぬ御舌計り火中に青蓮華生て其の上にあり五色の光明を放ちて夜は昼のごとく昼は日輪の御光をうばい給いき、さてこそ一切の訳人の経経は軽くなりて羅什三蔵の訳し給える経経殊に法華経は漢土にやすやすとひろまり給いしか。
疑つて云く羅什已前はしかるべし已後の善無畏不空等は如何、答えて云く已後なりとも訳者の舌の焼けるをば・ありけりとしるべしされば日本国に法相宗のはやりたりしを伝教大師責めさせ給いしには羅什三蔵は舌焼けず玄奘慈恩は舌焼けぬとせめさせ給いしかば桓武天王は道理とをぼして天台法華宗へはうつらせ給いしなり、涅槃経の第三第九等をみまいらすれば我が仏法は月支より他国へわたらん時、多くの謬誤出来して衆生の得道うすかるべしととかれて候、されば妙楽大師は「並びに進退は人に在り何ぞ聖旨に関らん」とこそあそばされて候へ、今の人人いかに経のままに後世をねがうともあやまれる経経のままにねがはば得道もあるべからず、しかればとて仏の御とがにはあらじとかかれて候、仏教を習ふ法には大小権実顕密はさてをくこれこそ第一の大事にては候らめ。
疑つて云く正法一千年の論師の内心には法華経の実義の顕密の諸経に超過してあるよしはしろしめしながら外には宣説せずして但権大乗計りを宣べさせ給うことはしかるべしとはをぼへねども其の義はすこしきこえ候いぬ、像法一千年の半に天台智者大師出現して題目の妙法蓮華経の五字を玄義十巻一千枚にかきつくし、文句十巻には始め如是我聞より終り作礼而去にいたるまで一字一句に因縁約教本迹観心の四の釈をならべて又一千枚に尽し給う已上玄義文句の二十巻には一切経の心を江河として法華経を大海にたとえ十方界の仏法の露一・も漏さず妙法蓮華経の大海に入れさせ給いぬ、其の上天竺の大論の諸義一点ももらさず漢土南北の十師の義破すべきをばこれをはし取るべきをば此れを用う、其の上止観十巻を注して一代の観門を一念にすべ十界の依正を三千につづめたり、此の書の文体は遠くは月支一千年の間の論師にも超え近くは尸那五百年の人師の釈にも勝れたり、故に三論宗の吉蔵大師南北一百余人の先達と長者らをすすめて天台大師の講経を聞けと勧むる状に云く「千年の興五百の実復今日に在り乃至南岳の叡聖天台の明哲昔は三業住持し今は二尊に紹係す豈止甘呂を震旦に灑ぐのみならん亦当に法鼓を天竺に震うべし、生知の妙悟魏晉以来典籍風謡実に連類無し乃至禅衆一百余の僧と共に智者大師を奉請す」等云云、修南山の道宣律師天台大師を讃歎して云く「法華を照了すること高輝の幽谷に臨むが若く摩訶衍を説くこと長風の太虚に遊ぶに似たり仮令文字の師千羣万衆ありて彼の妙弁を数め尋ぬとも能く窮むる者無し、乃至義月を指すに同じ乃至宗一極に帰す」云云、華厳宗の法蔵大師天台を讃して云く「思禅師智者等の如き神異に感通して迹登位に参わる霊山の聴法憶い今に在り」等云云、真言宗の不空三蔵含光法師等師弟共に真言宗をすてて天台大師に帰伏する物語に云く高僧伝に云く「不空三蔵と親たり天竺に遊びたるに彼に僧有り問うて曰く大唐に天台の迹教有り最も邪正を簡び偏円を暁むるに堪えたり能く之を訳して将に此土に至らしむ可きや」等云云、此の物語は含光が妙楽大師にかたり給しなり、妙楽大師此の物語を聞いて云く「豈中国に法を失いて之を四維に求むるに非ずや而も此方識ること有る者少し魯人の如きのみ」等云云、身毒国の中に天台三十巻のごとくなる大論あるならば南天の僧いかでか漢土の天台の釈をねがうべき、これあに像法の中に法華経の実義顕れて南閻浮提に広宣流布するにあらずや、答えて云く正法一千年像法の前四百年已上仏滅後一千四百余年にいまだ論師の弘通し給はざる一代超過の円定円慧を漢土に弘通し給うのみならず其の声月氏までもきこえぬ、法華経の広宣流布にはにたれどもいまだ円頓の戒壇を立てられず小乗の威儀をもつて円の慧定に切りつけるはすこし便なきににたり、例せば日輪の蝕するがごとし月輪のかけたるに似たり、何にいわうや天台大師の御時は大集経の読誦多聞堅固の時にあひあたていまだ広宣流布の時にあらず。
問うて云く伝教大師は日本国の士なり桓武の御宇に出世して欽明より二百余年が間の邪義をなんじやぶり天台大師の円慧円定をせんじ給うのみならず、鑒真和尚の弘通せし日本小乗の三処の戒壇をなんじやぶり叡山に円頓の大乗別受戒を建立せり、此の大事は仏滅後一千八百年が間の身毒尸那扶桑乃至一閻浮提第一の奇事なり、内証は竜樹天台等には或は劣るにもや或は同じくもやあるらん、仏法の人をすべて一法となせる事は竜樹天親にもこえ南岳天台にもすぐれて見えさせ給うなり、総じては如来御入滅の後一千八百年が間此の二人こそ法華経の行者にてはをはすれ、故に秀句に云く「経に云く若し須弥を接つて他方無数の仏土に擲げ置かんも亦未だこれ難しとせず乃至若し仏の滅度悪世の中に於て能く此の経を説かん是則ちこれ難し云云、此経を釈して云く浅は易く深は難しとは釈迦の所判なり浅を去て深に就くは丈夫の心なり天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」云云、釈の心は賢劫第九の減人寿百歳の時より如来在世五十年滅後一千八百余年が中間に高さ十六万八千由旬六百六十二万里の金山を有人五尺の小身の手をもつて方一寸二寸等の瓦礫をにぎりて一丁二丁までなぐるがごとく雀鳥のとぶよりもはやく鉄囲山の外へなぐる者はありとも法華経を仏のとかせ給いしやうに説かん人は末法にはまれなるべし、天台大師伝教大師こそ仏説に相似してとかせ給いたる人にてをはすれとなり、天竺の論師はいまだ法華経へゆきつき給はず漢土の天台已前の人師は或はすぎ或はたらず、慈恩法蔵善無畏等は東を西といゐ天を地と申せる人人なり、此等は伝教大師の自讃にはあらず、去る延暦二十一年正月十九日高雄山に桓武皇帝行幸なりて六宗七大寺の碩徳たる善議勝猷奉基寵忍賢玉安福勤操修円慈誥玄耀歳光道証光証観敏等の十有余人、最澄法師と召し合せられて宗論ありしに或は一言に舌を巻いて二言三言に及ばず皆一同に頭をかたぶけ手をあざう、三論の二蔵三時三転法輪法相の三時五性華厳宗の四教五教根本枝末六相十玄皆大綱をやぶらる、例せば大屋の棟梁のをれたるがごとし十大徳の慢幢も倒れにき、爾の時天子大に驚かせ給いて同二十九日に弘世国道の両吏を勅使として重ねて七寺六宗に仰せ下れしかば各各帰伏の状を載せて云く「竊に天台の玄疏を見れば総じて釈迦一代の教を括つて悉く其の趣を顕すに通ぜざる所無く独り諸宗に逾え殊に一道を示す其の中の所説甚深の妙理なり七箇の大寺六宗の学生昔より未だ聞かざる所曾て未だ見ざる所なり三論法相久年の諍い渙焉として氷の如く釈け照然として既に明かに猶雲霧を披いて三光を見るがごとし聖徳の弘化より以降今に二百余年の間講ずる所の経論其の数多く彼此理を争えども其の疑未だ解けず、而るに此の最妙の円宗未だ闡揚せず蓋し以て此の間の羣生未だ円味に応わざるか、伏して惟れば聖朝久しく如来の付を受け深く純円の機を結び一妙の義理始めて乃ち興顕し六宗の学者初めて至極を悟る此の界の含霊今より後悉く妙円の船に載り早く彼岸に済る事を得ると謂いつべし、乃至善議等牽れて休運に逢い乃ち奇詞を閲す深期に非ざるよりは何ぞ聖世に託せんや」等云云、彼の漢土の嘉祥等は百余人をあつめて天台大師を聖人と定めたり、今日本の七寺二百余人は伝教大師を聖人とがうしたてまつる、仏の滅後二千余年に及んで両国に聖人二人出現せり其の上天台大師の未弘の円頓大戒を叡山に建立し給う此れ豈像法の末に法華経広宣流布するにあらずや、答えて云く迦葉阿難等の弘通せざる大法を馬鳴竜樹提婆天親等の弘通せる事前の難に顕れたり、又竜樹天親等の流布し残し給える大法天台大師の弘通し給う事又難にあらはれぬ、又天台智者大師の弘通し給はざる円頓の大戒を伝教大師の建立せさせ給う事又顕然なり、但し詮と不審なる事は仏は説き尽し給えども仏滅後に迦葉阿難馬鳴竜樹無著天親乃至天台伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり、此の深法今末法の始五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべきやの事不審極り無きなり。
問ういかなる秘法ぞ先ず名をきき次に義をきかんとをもう此の事もし実事ならば釈尊の二度世に出現し給うか上行菩薩の重ねて涌出せるかいそぎいそぎ慈悲をたれられよ、彼の玄奘三蔵は六生を経て月氏に入りて十九年法華一乗は方便教小乗阿含経は真実教、不空三蔵は身毒に返りて寿量品を阿弥陀仏とかかれたり、此等は東を西という日を月とあやまてり身を苦めてなにかせん心に染てようなし、幸い我等末法に生れて一歩をあゆまずして三祇をこゑ頭を虎にかわずして無見頂相をゑん、答えて云く此の法門を申さん事は経文に候へばやすかるべし但し此の法門には先ず三の大事あり大海は広けれども死骸をとどめず大地は厚けれども不孝の者をば載せず、仏法には五逆をたすけ不孝をばすくう但し誹謗一闡提の者持戒にして第一なるをばゆるされず、此の三のわざはひとは所謂念仏宗と禅宗と真言宗となり、一には念仏宗は日本国に充満して四衆の口あそびとす、二に禅宗は三衣一鉢の大慢の比丘の四海に充満して一天の明導とをもへり、三に真言宗は又彼等の二宗にはにるべくもなし叡山東寺七寺園城或は官主或は御室或は長吏或は検校なりかの内侍所の神鏡燼灰となりしかども大日如来の宝印を仏鏡とたのみ宝剣西海に入りしかども五大尊をもつて国敵を切らんと思へり、此等の堅固の信心は設い劫石はひすらぐともかたぶくべしとはみへず大地は反覆すとも疑心をこりがたし、彼の天台大師の南北をせめ給いし時も此の宗はいまだわたらず此の伝教大師の六宗をしゑたげ給いし時ももれぬ、かたがたの強敵をまぬがれてかへつて大法をかすめ失う、其の上伝教大師の御弟子慈覚大師此の宗をとりたてて叡山の天台宗をかすめをとして一向真言宗になししかば此の人には誰の人か敵をなすべき、かかる僻見のたよりをえて弘法大師の邪義をもとがむる人もなし、安然和尚すこし弘法を難ぜんとせしかども只華厳宗のところ計りとがむるににてかへて法華経をば大日経に対して沈めはてぬ、ただ世間のたて入の者のごとし。
問うて云く此の三宗の謬・如何答えて云く浄土宗は斉の世に曇鸞法師と申す者あり本は三論宗の人竜樹菩薩の十住毘婆娑論を見て難行道易行道を立てたり、道綽禅師という者あり唐の世の者本は涅槃経をかうじけるが曇鸞法師が浄土にうつる筆を見て涅槃経をすてて浄土にうつて聖道浄土二門を立てたり、又道綽が弟子に善導という者あり雑行正行を立つ、日本国に末法に入つて二百余年後鳥羽院の御宇に法然というものあり一切の道俗をすすめて云く仏法は時機を本とす法華経大日経天台真言等の八宗九宗一代の大小顕密権実等の諸宗等は上根上智の正像二千年の機のためなり、末法に入りてはいかに功をなして行ずるとも其の益あるべからず、其の上弥陀念仏にまじへて行ずるならば念仏も往生すべからず此れわたくしに申すにはあらず竜樹菩薩曇鸞法師は難行道となづけ、道綽は未有一人得者ときらひ善導は千中無一とさだめたり、此等は他宗なれば御不審もあるべし、慧心先徳にすぎさせ給へる天台真言の智者は末代にをはすべきか彼の往生要集には顕密の教法は予が死生をはなるべき法にはあらず、又三論の永観が十因等をみよされば法華真言等をすてて一向に念仏せば十即十生百即百生とすすめければ、叡山東寺園城七寺等始めは諍論するやうなれども、往生要集の序の詞道理かとみへければ顕真座主落ちさせ給いて法然が弟子となる、其の上設い法然が弟子とならぬ人々も弥陀念仏は他仏ににるべくもなく口ずさみとし心よせにをもひければ日本国皆一同に法然房の弟子と見へけり、此の五十年が間一天四海一人もなく法然が弟子となる法然が弟子となりぬれば日本国一人もなく謗法の者となりぬ、譬へば千人の子が一同に一人の親を殺害せば千人共に五逆の者なり一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや、結句は法然流罪をあだみて悪霊となつて我並びに弟子等をとがせし国主山寺の僧等が身に入つて或は謀反ををこし或は悪事をなして皆関東にほろぼされぬ、わづかにのこれる叡山東寺等の諸僧は俗男俗女にあなづらるること猿猴の人にわらはれ俘囚が童子に蔑如せらるるがごとし、禅宗は又此の便を得て持斎等となつて人の眼を迷かしたつとげなる気色なればいかにひがほうもん(僻法門)をいゐくるへども失ともをぼへず、禅宗と申す宗は教外別伝と申して釈尊の一切経の外に迦葉尊者にひそかにささやかせ給へり、されば禅宗をしらずして一切経を習うものは、犬の雷をかむがごとし、猿の月の影をとるににたり云云、此の故に日本国の中に不孝にして父母にすてられ無礼なる故に、主君にかんどうせられあるいは若なる法師等の学文にものうき遊女のものぐるわしき本性に叶る邪法なるゆへに皆一同に持斎になりて国の百姓をくらう蝗虫となれり、しかれば天は天眼をいからかし地神は身をふるう、真言宗と申すは上の二のわざはひにはにるべくもなき大僻見なりあらあら此れを申すべし、所謂大唐の玄宗皇帝の御宇に善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵、大日経金剛頂経蘇悉地経を月支よりわたす、此の三経の説相分明なり其の極理を尋ぬれば会二破二の一乗其の相を論ずれば印と真言と計りなり、尚華厳般若の三一相対の一乗にも及ばず天台宗の爾前の別円程もなし但蔵通二教を面とするを善無畏三蔵をもはく此の経文をあらわにいゐ出す程ならば華厳法相にもをこつかれ天台宗にもわらはれなん大事として月支よりは持ち来りぬさてもだせば本意にあらずとやをもひけん、天台宗の中に一行禅師という僻人一人ありこれをかたらひて漢土の法門をかたらせけり、一行阿闍梨うちぬかれて三論法相華厳等をあらあらかたるのみならず天台宗の立てられけるやうを申しければ善無畏をもはく天台宗は天竺にして聞きしにもなをうちすぐれてかさむべきやうもなかりければ善無畏一行をうちぬひて云く和僧は漢土にはこざかしき者にてありけり、天台宗は神妙の宗なり今真言宗の天台宗にかさむところは印と真言と計りなりといゐければ一行さもやとをもひければ善無畏三蔵一行にかたて云く、天台大師の法華経に疏をつくらせ給へるごとく大日経の疏を造りて真言を弘通せんとをもう汝かきなんやといゐければ一行が云くやすう候、但しいかやうにかき候べきぞ天台宗はにくき宗なり諸宗は我も我もとあらそいをなせども一切に叶わざる事一あり、所謂法華経の序分に無量義経と申す経をもつて前四十余年の経経をば其の門を打ちふさぎ候いぬ、法華経の法師品神力品をもつて後の経経をば又ふせがせぬ肩をならぶ経経をば今説の文をもつてせめ候大日経をば三説の中にはいづくにかをき候べきと問ひければ爾の時に善無畏三蔵大に巧んで云く大日経に住心品という品あり無量義経の四十余年の経経を打ちはらうがごとし、大日経の入漫陀羅已下の諸品は漢土にては法華経大日経とて二本なれども天竺にては一経のごとし、釈迦仏は舎利弗弥勒に向つて大日経を法華経となづけて印と真言とをすてて但理計りをとけるを羅什三蔵此れをわたす天台大師此れをみる、大日如来は法華経を大日経となづけて金剛薩・に向つてとかせ給う此れを大日経となづく我まのあたり天竺にしてこれを見る、されば汝がかくべきやうは大日経と法華経とをば水と乳とのやうに一味となすべし、もししからば大日経は已今当の三説をば皆法華経のごとくうちをとすべし、さて印と真言とは心法の一念三千に荘厳するならば三密相応の秘法なるべし、三密相応する程ならば天台宗は意密なり真言は甲なる将軍の甲鎧を帯して弓箭を横たへ太刀を腰にはけるがごとし、天台宗は意密計りなれば甲なる将軍の赤裸なるがごとくならんといゐければ、一行阿闍梨は此のやうにかきけり、漢土三百六十箇国には此の事を知る人なかりけるかのあひだ始めには勝劣を諍論しけれども善無畏等は人がらは重し天台宗の人人は軽かりけり、又天台大師ほどの智ある者もなかりければ但日日に真言宗になりてさてやみにけり、年ひさしくなればいよいよ真言の誑惑の根ふかくかくれて候いけり、日本国の伝教大師漢土にわたりて天台宗をわたし給うついでに真言宗をならべわたす、天台宗を日本の皇帝にさづけ真言宗を六宗の大徳にならはせ給う、但し六宗と天台宗の勝劣は入唐已前に定めさせ給う、入唐已後には円頓の戒場を立てう立てじの論の計りなかりけるかのあひだ敵多くしては戒場の一事成りがたしとやをぼしめしけん、又末法にせめさせんとやをぼしけん皇帝の御前にしても論ぜさせ給はず弟子等にもはかばかしくかたらせ給はず、但し依憑集と申す一巻の秘書あり七宗の人人の天台に落ちたるやうをかかれて候文なり、かの文の序に真言宗の誑惑一筆みへて候弘法大師は同じき延暦年中に御入唐青竜寺の慧果に値い給いて真言宗をならはせ給へり、御帰朝の後一代の勝劣を判じ給いけるに第一真言第二華厳第三法華とかかれて候、此の大師は世間の人人もつてのほかに重ずる人なり、但し仏法の事は申すにをそれあれどももつてのほかにあらき事どもはんべり、此の事をあらあらかんがへたるに漢土にわたらせ給いては但真言の事相の印真言計り習いつたえて其の義理をばくはしくもさはぐらせ給はざりけるほどに日本にわたりて後大に世間を見れば天台宗もつてのほかにかさみたりければ、我が重ずる真言宗ひろめがたかりけるかのゆへに本日本国にして習いたりし華厳宗をとりいだして法華経にまされるよしを申しけり、それも常の華厳宗に申すやうに申すならば人信ずまじとやをぼしめしけんすこしいろをかえて此れは大日経竜猛菩薩の菩提心論善無畏等の実義なりと大妄語をひきそへたりけれども天台宗の人人いたうとがめ申す事なし。
問うて云く弘法大師の十住心論秘蔵宝鑰二教論に云く「此くの如き乗乗自乗に名を得れども後に望めば戯論と作す」又云く「無明の辺域にして明の分位に非ず」又云く「第四熟蘇味なり」又云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗んで各自宗に名く」等云云、此等の釈の心如何、答えて云く予此の釈にをどろいて一切経並びに大日の三部経等をひらきみるに華厳経と大日経とに対すれば法華経戯論六波羅蜜経に対すれば盗人守護経に対すれば無明の辺域と申す経文は一字一句も候はず此の事はいとはかなき事なれども此の三四百余年に日本国のそこばくの智者どもの用いさせ給へば定めてゆへあるかとをもひぬべし、しばらくいとやすきひが事をあげて余事のはかなき事をしらすべし、法華経を醍醐味と称することは陳隋の代なり六波羅蜜経は唐の半に般若三蔵此れをわたす、六波羅蜜経の醍醐は陳隋の世にはわたりてあらばこそ天台大師は真言の醍醐をば盗ませ給はめ、傍例あり日本の得一が云く天台大師は深密経の三時教をやぶる三寸の舌をもつて五尺の身をたつべしとののしりしを伝教大師此れをただして云く深密経は唐の始玄奘これをわたす天台は陳隋に人智者御入滅の後数箇年あつて深密経わたれり、死して已後にわたれる経をばいかでか破り給うべきとせめさせ給いて候いしかば得一はつまるのみならず舌八にさけて死し候いぬ、これは彼にはにるべくもなき悪口なり、華厳の法蔵三論の嘉祥法相の玄奘天台等乃至南北の諸師後漢より已下の三蔵人師を皆をさえて盗人とかかれて候なり、其の上又法華経を醍醐と称することは天台等の私の言にはあらず、仏涅槃経に法華経を醍醐ととかせ給い天親菩薩は法華経涅槃経を醍醐とかかれて候、竜樹菩薩は法華経を妙薬となづけさせ給う、されば法華経等を醍醐と申す人盗人ならば釈迦多宝十方の諸仏竜樹天親等は盗人にてをはすべきか、弘法の門人等乃至日本の東寺の真言師如何に自眼の黒白はつたなくして弁へずとも他の鏡をもつて自禍をしれ、此の外法華経を戯論の法とかかるること大日経金剛頂経等にたしかなる経文をいだされよ、設い彼彼の経経に法華経を戯論ととかれたりとも訳者の・る事もあるぞかしよくよく思慮のあるべかりけるか、孔子は九思一言周公旦は沐には三にぎり食には三はかれけり外書のはかなき世間の浅き事を習う人すら智人はかう候ぞかし、いかにかかるあさましき事はありけるやらん、かかる僻見の末へなれば彼の伝法院の本願とがうする聖覚房が舎利講の式に云く「尊高なる者は不二摩訶衍の仏なり驢牛の三身は車を扶くること能はず秘奥なる者は両部漫陀羅の教なり顕乗の四法は履を採るに堪へず」と云云、顕乗の四法と申すは法相三論華厳法華の四人、驢牛の三身と申すは法華華厳般若深密経の教主の四仏、此等の仏僧は真言師に対すれば聖覚弘法の牛飼履物取者にもたらぬ程の事なりとかいて候、彼の月氏の大慢婆羅門は生知の博学顕密二道胸にうかべ内外の典籍掌ににぎる、されば王臣頭をかたぶけ万人師範と仰ぐあまりの慢心に世間に尊崇する者は大自在天婆籔天那羅延天大覚世尊此の四聖なり我が座の四足にせんと座の足につくりて坐して法門を申しけり、当時の真言師が釈迦仏等の一切の仏をかきあつめて潅頂する時敷まんだら(曼荼羅)とするがごとし、禅宗の法師等が云く此の宗は仏の頂をふむ大法なりというがごとし、而るを賢愛論師と申せし小僧あり彼をただすべきよし申せしかども王臣万民これをもちゐず、結句は大慢が弟子等檀那等に申しつけて無量の妄語をかまへて悪口打擲せしかどもすこしも命もをしまずののしりしかば帝王賢愛をにくみてつめさせんとし給いしほどにかへりて大慢がせめられたりしかば、大王天に仰ぎ地に伏してなげひての給はく朕はまのあたり此の事をきひて邪見をはらしぬ先王はいかに此の者にたぼらされて阿鼻地獄にをはすらんと賢愛論師の御足にとりつきて悲涙せさせ給いしかば、賢愛の御計いとして大慢を驢にのせて五竺に面をさらし給いければいよいよ悪心盛になりて現身に無間地獄に堕ちぬ、今の世の真言と禅宗等とは此れにかわれりや、漢土の三階禅師の云く教主釈尊の法華経は第一第二階の正像の法門なり末代のためには我がつくれる普経なり法華経を今の世に行ぜん者は十方の大阿鼻獄に堕つべし、末代の根機にあたらざるゆへなりと申して、六時の礼懺四時の坐禅生身仏のごとくなりしかば、人多く尊みて弟子万余人ありしかどもわづかの小女の法華経をよみしにせめられて当坐には音を失い後には大蛇になりてそこばくの檀那弟子並びに小女処女等をのみ食いしなり、今の善導法然等が千中無一の悪義もこれにて候なり、此等の三大事はすでに久くなり候へばいやしむべきにはあらねども申さば信ずる人もやありなん、これよりも百千万億倍信じがたき最大の悪事はんべり、慈覚大師は伝教大師の第三の御弟子なりしかれども上一人より下万民にいたるまで伝教大師には勝れてをはします人なりとをもひり、此の人真言宗と法華宗の実義を極めさせ給いて候が真言は法華経には勝れたりとかかせ給へり、而るを叡山三千人の大衆日本一州の学者等一同の帰伏の義なり、弘法の門人等は大師の法華経を華厳経に劣るとかかせ給えるは、我がかたながらも少し強きやうなれども、慈覚大師の釈をもつてをもうに真言宗の法華経に勝れたることは一定なり、日本国にして真言宗を法華経に勝るると立つるをば叡山こそ強きかたきなりぬべかりつるに慈覚をもつて三千人の口をふさぎなば真言宗はをもうごとし、されば東寺第一のかたうど慈覚大師にはすぐべからず、例せば浄土宗禅宗は余国にてはひろまるとも日本国にしては延暦寺のゆるされなからんには無辺劫はふとも叶うまじかりしを安然和尚と申す叡山第一の古徳教時諍論と申す文に九宗の勝劣を立てられたるに第一真言宗第二禅宗第三天台法華宗第四華厳宗等云云、此の大謬釈につひて禅宗は日本国に充満してすでに亡国とならんとはするなり法然が念仏宗のはやりて一国を失わんとする因縁は慧心の往生要集の序よりはじまれり、師子の身の中の虫の師子を食うと仏の記し給うはまことなるかなや。
伝教大師は日本国にして十五年が間天台真言等を自見せさせ給う生知の妙悟にて師なくしてさとらせ給いしかども、世間の不審をはらさんがために漢土に亘りて天台真言の二宗を伝へ給いし時漢土の人人はやうやうの義ありしかども我が心には法華は真言にすぐれたりとをぼしめししゆへに真言宗の宗の名字をば削らせ給いて天台宗の止観真言等かかせ給う、十二年の年分得度の者二人ををかせ給い、重ねて止観院に法華経金光明経仁王経の三部を鎮護国家の三部と定めて宣旨を申し下し永代日本国の第一の重宝神璽宝剣内侍所とあがめさせ給いき、叡山第一の座主義真和尚第二の座主円澄大師までは此の義相違なし、第三の慈覚大師御入唐漢土にわたりて十年が間顕密二道の勝劣を八箇の大徳にならひつたう、又天台宗の人人広修惟・等にならはせ給いしかども心の内にをぼしけるは真言宗は天台宗には勝れたりけり、我が師伝教大師はいまだ此の事をばくはしく習せ給わざりけり漢土に久しくもわたらせ給わざりける故に此の法門はあらうちにをはしけるやとをぼして日本国に帰朝し叡山東塔止観院の西に総持院と申す大講堂を立て御本尊は金剛界の大日如来此の御前にして大日経の善無畏の疏を本として金剛頂経の疏七巻蘇悉地経の疏七巻已上十四巻をつくる、此の疏の肝心の釈に云く「教に二種有り一は顕示教謂く三乗教なり世俗と勝義と未だ円融せざる故に、二は秘密教謂く一乗教なり世俗と勝義と一体にして融する故に、秘密教の中に亦二種有り一には理秘密の教諸の華厳般若維摩法華涅槃等なり但だ世俗と勝義との不二を説いて未だ真言密印の事を説かざる故に、二には事理倶密教謂く大日教金剛頂経蘇悉地経等なり亦世俗と勝義との不二を説き亦真言密印の事を説く故に」等云云、釈の心は法華経と真言の三部との勝劣を定めさせ給うに真言の三部経と法華とは所詮の理は同じく一念三千の法門なり、しかれども密印と真言等の事法は法華経かけてをはせず法華経は理秘密真言の三部経は事理倶密なれば天地雲泥なりとかかれたり、しかも此の筆は私の釈にはあらず善無畏三蔵の大日経の疏の心なりとをぼせどもなをなを二宗の勝劣不審にやありけん、はた又他人の疑いをさんぜんとやをぼしけん、大師[慈覚]の伝に云く「大師二経の疏を造り功を成し已畢つて心中独り謂らく此の疏仏意に通ずるや否や若し仏意に通ぜざれば世に流伝せじ仍つて仏像の前に安置し七日七夜深誠を翹企し祈請を勤修す五日の五更に至つて夢らく正午に当つて日輪を仰ぎ見弓を以て之を射る其の箭日輪に当つて日輪即転動す夢覚めての後深く仏意に通達せりと悟り後世に伝うべし」等云云、慈覚大師は本朝にしては伝教弘法の両家を習いきわめ異朝にしては八大徳並に南天の宝月三蔵等に十年が間最大事の秘法をきわめさせ給える上二経の疏をつくり了り重ねて本尊に祈請をなすに智慧の矢すでに中道の日輪にあたりてうちをどろかせ給い、歓喜のあまりに仁明天王に宣旨を申しそへさせ給い天台の座主を真言の官主となし真言の鎮護国家の三部とて今に四百余年が間碩学稲麻のごとし渇仰竹葦に同じ、されば桓武伝教等の日本国建立の寺塔は一宇もなく真言の寺となりぬ公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあをぎ官をなし寺をあづけ給ふ、仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印真言なり。
疑つて云く法華経を真言に勝ると申す人は此の釈をばいかがせん用うべきか又すつべきか、答う仏の未来を定めて云く「法に依つて人に依らざれ」竜樹菩薩の云く「修多羅に依れるは白論なり修多羅に依らざれば黒論なり」天台の云く「復修多羅と合せば録して之を用ゆ文無く義無きは信受すべからず」伝教大師云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」等云云、此等の経論釈のごときんば夢を本にはすべからずただついさして法華経と大日経との勝劣を分明に説きたらん経論の文こそたいせちに候はめ、但印真言なくば木画の像の開眼の事此れ又をこの事なり真言のなかりし已前には木画の開眼はなかりしか、天竺漢土日本には真言宗已前の木画の像は或は行き或は説法し或は御物語あり、印真言をもて仏を供養せしよりこのかた利生もかたがた失たるなり、此れは常の論談の義なり、此の一事にをひては但し日蓮は分明の証拠を余所に引くべからず慈覚大師の御釈を仰いで信じて候なり。
問うて云く何にと信ぜらるるや、答えて云く此の夢の根源は真言は法華経に勝ると造定めての御ゆめなり、此の夢吉夢ならば慈覚大師の合せさせ給うがごとく真言勝るべし、但日輪を射るとゆめにみたるは吉夢なりというべきか、内典五千七千余巻外典三千余巻の中に日を射るとゆめに見て吉夢なる証拠をうけ給わるべし、少少此れより出し申さん阿闍世王は天より月落るとゆめにみて耆婆大臣に合せさせ給しかば大臣合せて云く仏の御入滅なり須抜多羅天より日落るとゆめにみる我とあわせて云く仏の御入滅なり、修羅は帝釈と合戦の時まづ日月をいたてまつる、夏の桀殷の紂と申せし悪王は常に日をいて身をほろぼし国をやぶる、摩耶夫人は日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給う、かるがゆへに仏のわらわなをば日種という、日本国と申すは天照太神の日天にてましますゆへなり、されば此のゆめは天照太神伝教大師釈迦仏法華経をいたてまつれる矢にてこそ二部の疏は候なれ、日蓮は愚癡の者なれば経論もしらず但此の夢をもつて法華経に真言すぐれたりと申す人は今生には国をほろぼし家を失ひ後生にはあび地獄に入るべしとはしりて候、今現証あるべし日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行ひ候へば日本かちて候ならば真言はいみじかりけりとおもひ候なん、但し承久の合戦にそこばくの真言師のいのり候しが調伏せられ給し権の大夫殿はかたせ給い、後鳥羽院は隠岐の国へ御子の天子は佐渡の嶋嶋へ調伏しやりまいらせ候いぬ、結句は野干のなきの身にをうなるやうに還著於本人の経文にすこしもたがはず叡山の三千人かまくらにせめられて一同にしたがいはてぬ、しかるに今はかまくらの世さかんなるゆへに東寺天台園城七寺の真言師等と並びに自立をわすれたる法華宗の謗法の人人関東にをちくだりて頭をかたぶけひざをかがめやうやうに武士の心をとりて、諸寺諸山の別当となり長吏となりて王位を失いし悪法をとりいだして国土安穏といのれば、将軍家並びに所従の侍已下は国土の安穏なるべき事なんめりとうちをもひて有るほどに法華経を失う大禍の僧どもを用いらるれば国定めてほろびなん、亡国のかなしさ亡身のなげかしさに身命をすてて此の事をあらわすべし、国主世を持つべきならばあやしとおもひてたづぬべきところにただざんげんのことばのみ用いてやうやうのあだをなす、而るに法華経守護の梵天帝釈日月四天地神等は古の謗法をば不思議とはをぼせども此れをしれる人なければ一子の悪事のごとくうちゆるして、いつわりをろかなる時もあり又すこしつみしらする時もあり、今は謗法を用いたるだに不思議なるにまれまれ諌暁する人をかへりてあだをなす、一日二日一月二月一年二年ならず数年に及ぶ、彼の不軽菩薩の杖木の難に値いしにもすぐれ覚徳比丘の殺害に及びしにもこえたり、而る間梵釈の二王日月四天衆星地神等やうやうにいかり度度いさめらるれどもいよいよあだをなすゆへに天の御計いとして隣国の聖人にをほせつけられて此れをいましめ大鬼神を国に入れて人の心をたぼらかし自界反逆せしむ、吉凶につけて瑞大なれば難多かるべきことわりにて仏滅後二千二百三十余年が間いまだいでざる大長星いまだふらざる大地しん出来せり、漢土日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかどもいまだ日蓮ほど法華経のかたうどして国土に強敵多くまうけたる者なきなり、まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし、仏法日本にわたて七百余年一切経は五千七千宗は八宗十宗智人は稲麻のごとし弘通は竹葦ににたり、しかれども仏には阿弥陀仏諸仏の名号には弥陀の名号ほどひろまりてをはするは候はず、此の名号を弘通する人は慧心は往生要集をつくる日本国三分が一は一同の弥陀念仏者永観は十因と往生講の式をつくる扶桑三分が二分は一同の念仏者法然せんちやくをつくる本朝一同の念仏者、而れば今の弥陀の名号を唱うる人人は一人が弟子にはあらず、此の念仏と申すは雙観経観経阿弥陀経の題名なり権大乗経の題目の広宣流布するは実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや、心あらん人は此れをすひしぬべし、権経流布せば実経流布すべし権経の題目流布せば実経の題目も又流布すべし、欽明より当帝にいたるまで七百余年いまだきかずいまだ見ず南無妙法蓮華経と唱えよと他人をすすめ我と唱えたる智人なし、日出でぬれば星かくる賢王来れば愚王ほろぶ実経流布せば権経のとどまり智人南無妙法蓮華経と唱えば愚人の此れに随はんこと影と身と声と響とのごとくならん、日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし、これをもつてすいせよ漢土月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず。
問うて云く正嘉の大地しん文永の大彗星はいかなる事によつて出来せるや答えて云く天台云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、問て云く心いかん、答えて云く上行菩薩の大地より出現し給いたりしをば弥勒菩薩文殊師利菩薩観世音菩薩薬王菩薩等の四十一品の無明を断ぜし人人も元品の無明を断ぜざれば愚人といはれて寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたるとはしらざりしという事なり、問うて云く日本漢土月支の中に此の事を知る人あるべしや、答えて云く見思を断尽し四十一品の無明を尽せる大菩薩だにも此の事をしらせ給はずいかにいわうや一毫の惑をも断ぜぬ者どもの此の事を知るべきか、問うて云く智人なくばいかでか此れを対治すべき例せば病の所起を知らぬ人の病人を治すれば人必ず死す、此の災の根源を知らぬ人人がいのりをなさば国まさに亡びん事疑いなきか、あらあさましやあらあさましや、答えて云く蛇は七日が内の大雨をしり烏は年中の吉凶をしる此れ則ち大竜の所従又久学のゆへか、日蓮は凡夫なり、此の事をしるべからずといえども汝等にほぼこれをさとさん、彼の周の平王の時禿にして裸なる者出現せしを辛有といゐし者うらなつて云く百年が内に世ほろびん同じき幽王の時山川くづれ大地ふるひき白陽と云う者勘えていはく十二年の内に大王事に値せ給うべし、今の大地震大長星等は国王日蓮をにくみて亡国の法たる禅宗と念仏者と真言師をかたふどせらるれば天いからせ給いていださせ給うところの災難なり。
問うて云くなにをもつてか此れを信ぜん、答えて云く最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行われず」等云云、此の経文のごときんば此国に悪人のあるを王臣此れを帰依すという事疑いなし、又此の国に智人あり国主此れをにくみてあだすという事も又疑いなし、又云く「三十三天の衆咸忿怒の心を生じ変怪流星堕ち二の日倶時に出で他方の怨賊来りて国人喪乱に遭わん」等云云、すでに此の国に天変あり地夭あり他国より此れをせむ三十三天の御いかり有こと又疑いなきか、仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求め国王太子王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説く其王別ずして信じて此語を聴く」等云云、又云く「日月度を失い時節反逆し或は赤日出で或は黒日出で二三四五の日出で或は日蝕して光無く或は日輪一重二重四五重輪現ず」等云云、文の心は悪比丘等国に充満して国王太子王子等をたぼらかして破仏法破国の因縁をとかば其の国の王等此の人にたぼらかされてをぼすやう、此の法こそ持仏法の因縁持国の因縁とをもひ此の言ををさめてをこなうならば日月に変あり大風と大雨と大火等出来し次には内賊と申して親類より大兵乱おこり我がかたうどしぬべき者をば皆打ち失いて後には他国にせめられて或は自殺し或はいけどりにせられて或は降人となるべし是れ偏に仏法をほろぼし国をほろぼす故なり、守護経に云く「彼の釈迦牟尼如来所有の教法は一切の天魔外道悪人五通の神仙皆乃至少分をも破壊せず而るに此の名相の諸の悪沙門皆悉く毀滅して余り有ること無からしむ須弥山を仮使三千界の中の草木を尽して薪と為し長時に焚焼すとも一毫も損すること無し若し劫火起りて火内従り生じ須臾も焼滅せんには灰燼をも余す無きが如し」等云云、蓮華面経に云く「仏阿難に告わく譬えば師子の命終せんに若しは空若しは地若しは水若しは陸所有の衆生敢て師子の身の宍を食わず唯師子自ら諸の虫を生じて自ら師子の宍を食うが如し阿難我が之の仏法は余の能く壊るに非ず是れ我法の中の諸の悪比丘我が三大阿僧祇劫積行勤苦し集むる所の仏法を破らん」等云云、経文の心は過去の迦葉仏釈迦如来の末法の事を訖哩枳王にかたらせ給い釈迦如来の仏法をばいかなるものがうしなうべき、大族王の五天の堂舎を焼き払い十六大国の僧尼を殺せし漢土の武宗皇帝の九国の寺塔四千六百余所を消滅せしめ僧尼二十六万五百人を還俗せし等のごとくなる悪人等は釈迦の仏法をば失うべからず、三衣を身にまとひ一鉢を頚にかけ八万法蔵を胸にうかべ十二部経を口にずうせん僧侶が彼の仏法を失うべし、譬へば須弥山は金の山なり三千大千世界の草木をもつて四天六欲に充満してつみこめて一年二年百千万億年が間やくとも一分も損ずべからず、而るを劫火をこらん時須弥の根より豆計りの火いでて須弥山をやくのみならず三千大千世界をやき失うべし、若し仏記のごとくならば十宗八宗内典の僧等が仏教の須弥山をば焼き払うべきにや、小乗の倶舎成実律僧等が大乗をそねむ胸の瞋恚は炎なり真言の善無畏禅宗の三階等浄土宗の善導等は仏教の師子の肉より出来せる蝗虫の比丘なり、伝教大師は三論法相華厳等の日本の碩徳等を六虫とかかせ給へり、日蓮は真言禅宗浄土等の元祖を三虫となづく、又天台宗の慈覚安然慧心等は法華経伝教大師の師子の身の中の三虫なり。
此等の大謗法の根源をただす日蓮にあだをなせば天神もをしみ地祇もいからせ給いて災夭も大に起るなり、されば心うべし一閻浮提第一の大事を申すゆへに最第一の瑞相此れをこれり、あわれなるかなやなげかしきかなや日本国の人皆無間大城に堕ちむ事よ、悦しきかなや楽かなや不肖の身として今度心田に仏種をうえたる、いまにしもみよ大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本をせめば上一人より下万民にいたるまで一切の仏寺一切の神寺をばなげすてて各各声をつるべて南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱え掌を合せてたすけ給え、日蓮の御房日蓮の御房とさけび候はんずるにや、例せば月支のいう大族王は幻日王に掌をあはせ日本の宗盛はかぢわらをうやまう、大慢のものは敵に随うというこのことわりなり、彼の軽毀大慢の比丘等は始めには杖木をととのへて不軽菩薩を打ちしかども後には掌をあはせて失をくゆ提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども臨終の時には南無と唱えたりき、仏とだに申したりしかば地獄には堕つべからざりしを業ふかくして但南無とのみとなへて仏とはいはず、今日本国の高僧等も南無日蓮聖人ととなえんとすとも南無計りにてやあらんずらんふびんふびん。
外典に曰く未萠をしるを聖人という内典に云く三世を知るを聖人という余に三度のかうみようあり一には去し文応元年[太歳庚申]七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時宿谷の入道に向つて云く禅宗と念仏宗とを失い給うべしと申させ給へ此の事を御用いなきならば此の一門より事をこりて他国にせめられさせ給うべし、二には去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向つて云く日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界反逆難とてどしうちして他国侵逼難とて此の国の人人他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし、建長寺寿福寺極楽寺大仏長楽寺等の一切の念仏者禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ、第三には去年[文永十一年]四月八日左衛門尉に語つて云く、王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず念仏の無間獄禅の天魔の所為なる事は疑いなし、殊に真言宗が此の国土の大なるわざはひにては候なり大蒙古を調伏せん事真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば頼綱問うて云くいつごろよせ候べき、予言く経文にはいつとはみへ候はねども天の御気色いかりすくなからずきうに見へて候よも今生はすごし候はじと語りたりき、此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず只偏に釈迦如来の御神我身に入りかわせ給いけるにや我が身ながらも悦び身にあまる法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり、経に云く所謂諸法如是相と申すは何事ぞ十如是の始の相如是が第一の大事にて候へば仏は世にいでさせ給う、智人は起をしる蛇みづから蛇をしるとはこれなり、衆流あつまりて大海となる微塵つもりて須弥山となれり、日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一・一微塵のごとし、法華経を二人三人十人百千万億人唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ。
問うて云く第二の文永八年九月十二日の御勘気の時はいかにとして我をそんせば自他のいくさをこるべしとはしり給うや、答う大集経[五十]に云く「若し復諸の刹利国王諸の非法を作し世尊の声聞の弟子を悩乱し若しは以て毀罵し刀杖をもて打斫し及び衣鉢種種の資具を奪い若しは他の給施に留難を作す者有らば我等彼をして自然に卒に他方の怨敵を起さしめ及び自界の国土にも亦兵起り飢疫飢饉非時の風雨闘諍言訟譏謗せしめ、又其の王をして久しからずして復当に己れが国を亡失せしむべし」等云云、夫れ諸経に諸文多しといえども此の経文は身にあたり時にのぞんで殊に尊くをぼうるゆへにこれをせんしいだす、此の経文に我等とは梵王と帝釈と第六天の魔王と日月と四天等の三界の一切の天竜等なり、此等の上主仏前に詣して誓つて云く仏の滅後正法像法末代の中に正法を行ぜん者を邪法の比丘等が国主にうつたへば王に近きもの王に心よせなる者我がたつとしとをもう者のいうことなれば理不尽に是非を糾さず彼の智人をさんざんとはぢにをよばせなんどせば、其の故ともなく其の国ににわかに大兵乱出現し後には他国にせめらるべし其の国主もうせ其の国もほろびなんずととかれて候、いたひとかゆきとはこれなり、予が身には今生にはさせる失なし但国をたすけんがため生国の恩をほうぜんと申せしを御用いなからんこそ本意にあらざるに、あまさへ召し出して法華経の第五の巻を懐中せるをとりいだしてさんざんとさいなみ、結句はこうぢをわたしなんどせしかば申したりしなり、日月天に処し給いながら日蓮が大難にあうを今度かわらせ給はずば一つには日蓮が法華経の行者ならざるか忽に邪見をあらたむべし、若し日蓮法華経の行者ならば忽に国にしるしを見せ給へ若ししからずば今の日月等は釈迦多宝十方の仏をたぶらかし奉る大妄語の人なり、提婆が虚誑罪倶伽利が大妄語にも百千万億倍すぎさせ給へる大妄語の天なりと声をあげて申せしかば忽に出来せる自界反逆難なり、されば国土いたくみだれば我身はいうにかひなき凡夫なれども御経を持ちまいらせ候分斉は当世には日本第一の大人なりと申すなり。
問うて云く慢煩悩は七慢九慢八慢あり汝が大慢は仏教に明すところの大慢にも百千万億倍すぐれたり、彼の徳光論師は弥勒菩薩を礼せず大慢婆羅門は四聖を座とせり、大天は凡夫にして阿羅漢となのる無垢論師が五天第一といゐし、此等は皆阿鼻に堕ちぬ無間の罪人なり汝いかでか一閻浮提第一の智人となのれる地獄に堕ちざるべしやおそろしおそろし、答えて云く汝は七慢九慢八慢等をばしれりや大覚世尊は三界第一となのらせ給う一切の外道が云く只今天に罰せらるべし大地われて入りなんと、日本国の七寺三百余人が云く最澄法師は大天が蘇生か鉄腹が再誕か等云云、而りといえども天も罰せずかへて左右を守護し地もわれず金剛のごとし、伝教大師は叡山を立て一切衆生の眼目となる結句七大寺は落ちて弟子となり諸国は檀那となる、されば現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか、伝教大師云く「天台法華宗の諸宗に勝れたるは所依の経に拠るが故に自讃毀他ならず」等云云法華経第七に云く「衆山の中に須弥山これ第一なり此の法華経も亦復かくの如し諸経の中に於て最もこれ其の上なり」等云云、此の経文は已説の華厳般若大日経等、今説の無量義経、当説の涅槃経等の五千七千月支竜宮四王天・利天日月の中の一切経尽十方界の諸経は土山黒山小鉄囲山大鉄囲山のごとし日本国にわたらせ給える法華経は須弥山のごとし。
又云く「能く是の経典を受持すること有らん者も、亦復是くの如し、一切衆生の中に於て亦これ第一なり」等云云、此の経文をもつて案ずるに華厳経を持てる普賢菩薩解脱月菩薩等竜樹菩薩馬鳴菩薩法蔵大師清涼国師則天皇后審祥大徳良弁僧正聖武天皇深密般若経を持てる勝義生菩薩須菩提尊者嘉祥大師玄奘三蔵太宗高宗観勒道昭孝徳天皇、真言宗の大日経を持てる金剛薩・竜猛菩薩竜智菩薩印生王善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵玄宗代宗慧果弘法大師慈覚大師、涅槃経を持てる迦葉童子菩薩五十二類曇無懺三蔵、光宅寺の法雲南三北七の十師等よりも末代悪世の凡夫の一戒も持たず一闡提のごとくに人には思はれたれども、経文のごとく已今当にすぐれて法華経より外は仏になる道なしと強盛に信じて而も一分の解なからん人人は、彼等の大聖には百千万億倍のまさりなりと申す経文なり、彼の人人は或は彼の経経に且く人を入れて法華経へうつさんがためなる人もあり、或は彼の経に著をなして法華経へ入らぬ人もあり、或は彼の経経に留逗のみならず彼の経経を深く執するゆへに法華経を彼の経に劣るという人もあり、されば今法華経の行者は心うべし、譬えば「一切の川流江河の諸水の中に海これ第一なるが如く法華経を持つ者も亦復是くの如し、又衆星の中に月天子最もこれ第一なるが如く法華経を持つ者も亦復是くの如し」等と御心えあるべし、当世日本国の智人等は衆星のごとし日蓮は満月のごとし。
問うて云く古へかくのごとくいえる人ありや、答えて云く伝教大師の云く「当に知るべし他宗所依の経は未だ最為第一ならず其の能く経を持つ者も亦未だ第一ならず天台法華宗は所持の経最為第一なるが故に能く法華を持つ者も亦衆生の中に第一なり、已に仏説に拠る豈自歎ならんや」等云云、夫れ麒麟の尾につけるだにの一日に千里を飛ぶといゐ、転王に随える劣夫の須臾に四天下をめぐるというをば難ずべしや疑うべしや、豈自歎哉の釈は肝にめいずるか若し爾らば法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり、修羅を随へば須弥山をもになひぬべし竜をせめつかはば大海をもくみほしぬべし、伝教大師云く「讃むる者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に聞く」等云云、法華経に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云、教主釈尊の金言まことならば多宝仏の証明たがずば十方の諸仏の舌相一定ならば今日本国の一切の衆生無間地獄に堕ちん事疑うべしや、法華経の八の巻に云く「若し後の世に於て是の経典を受持し読誦せん者は乃至諸願虚しからず、亦現世に於て其の福報を得ん」又云く「若し之を供養し讃歎すること有らん者は当に今世に於て現の果報を得べし」等云云、此の二つの文の中に亦於現世得其福報の八字当於今世得現果報の八字已上一六字の文むなしくして日蓮今生に大果報なくば如来の金言は提婆が虚言に同じく多宝の証明は倶伽利が妄語に異ならじ、謗法の一切衆生も阿鼻地獄に墮つべからず、三世の諸仏もましまさざるか、されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。
抑此の法華経の文に「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」涅槃経に云く「譬えば王使の善能談論して方便に巧なる命を他国に奉るに寧ろ身命を喪うとも終に王所説の言教を匿さざるが如し智者も亦爾なり凡夫中に於て身命を惜まずかならず大乗方等如来の秘蔵一切衆生に皆仏性有りと宣説すべし」等云云、いかやうな事のあるゆへに身命をすつるまでにてあるやらん委細にうけ給わり候はん、答えて云く予が初心の時の存念は伝教弘法慈覚智証等の勅宣を給いて漢土にわたりし事の我不愛身命にあたれるか、玄奘三蔵の漢土より月氏に入りしに六生が間身命をほろぼししこれ等か、雪山童子の半偈のために身をなげ、薬王菩薩の七万二千歳が間臂をやきし事かなんどをもひしほどに経文のごときんば此等にはあらず、経文に我不愛身命と申すは上に三類の敵人をあげて彼等がのりせめ刀杖に及んで身命をうばうともみへたり、又涅槃経の文に寧喪身命等ととかれて候は次下の経文に云く「一闡提有り羅漢の像を作し空処に住し方等経典を誹謗す、諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢是れ大菩薩なりと謂わん」等云云、彼の法華経の文に第三の敵人を説いて云く「或は阿蘭若に納衣にして空閑に在つて乃至世に恭敬せらるること六通の羅漢の如き有らん」等云云、般泥・経に云く「羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行ず」等云云、此等の経文は正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし、されば妙楽大師かいて云く「第三最も甚し後後の者は転識り難きを以ての故なり」等云云、法華経の第五の巻に云く「此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり、諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云、此の経文に最在其上の四文あり、されば此の経文のごときんば法華経を一切経の頂にありと申すが法華経の行者にてはあるべきか、而るを又国王に尊重せらるる人人あまたありて、法華経にまさりてをはする経経ましますと申す人にせめあひ候はん時、かの人は王臣に御帰依あり法華経の行者は貧道なるゆへに、国こぞつてこれをいやしみ候はん時、不軽菩薩のごとく賢愛論師がごとく申しつをらば身命に及ぶべし、此れが第一の大事なるべしとみへて候此の事は今の日蓮が身にあたれり、予が分斉として弘法大師慈覚大師善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵なんどを法華経の強敵なり経文まことならば無間地獄は疑なしなんど申すは裸形にて大火に入るはやすし須弥を手にとてなげんはやすし大石を負うて大海をわたらんはやすし日本国にして此の法門を立てんは大事なるべし云云。
霊山浄土の教主釈尊宝浄世界の多宝仏十方分身の諸仏地涌千界の菩薩等梵釈日月四天等冥に加し顕に助け給はずば一時一日も安穏なるべしや。 
 
報恩抄日蓮之を撰す

 

夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあてこう演と申せし臣下は腹をさひて衛の懿公が肝を入れたり、いかにいわうや仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか、譬へば衆盲をみちびかんには生盲の身にては橋河をわたしがたし方風を弁えざらん大舟は諸商を導きて宝山にいたるべしや、仏法を習い極めんとをもはばいとまあらずば叶うべからずいとまあらんとをもはば父母師匠国主等に随いては叶うべからず是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは父母師匠等の心に随うべからず、この義は諸人をもはく顕にもはづれ冥にも叶うまじとをもう、しかれども外典の孝経にも父母主君に随はずして忠臣孝人なるやうもみえたり、内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等云云、比干が王に随わずして賢人のなをとり悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりしこれなり。
かくのごとく存して父母師匠等に随わずして仏法をうかがひし程に一代聖教をさとるべき明鏡十あり、所謂る倶舎成実律宗法相三論真言華厳浄土禅宗天台法華宗なり此の十宗を明師として一切経の心をしるべし世間の学者等おもえり此の十の鏡はみな正直に仏道の道を照せりと小乗の三宗はしばらくこれををく民の消息の是非につけて他国へわたるに用なきがごとし、大乗の七鏡こそ生死の大海をわたりて浄土の岸につく大船なれば此を習いほどひて我がみも助け人をもみちびかんとおもひて習ひみるほどに大乗の七宗いづれもいづれも自讃あり我が宗こそ一代の心はえたれえたれ等云云、所謂華厳宗の杜順智儼法蔵澄観等、法相宗の玄奘慈恩智周智昭等、三論宗の興皇嘉祥等、真言宗の善無畏金剛智不空弘法慈覚智証等、禅宗の達磨慧可慧能等、浄土宗の道綽善導懐感源空等、此等の宗宗みな本経本論によりて我も我も一切経をさとれり仏意をきはめたりと云云、彼の人人云く一切経の中には華厳経第一なり法華経大日経等は臣下のごとし、真言宗の云く一切経の中には大日経第一なり余経は衆星のごとし、禅宗が云く一切経の中には楞伽経第一なり乃至余宗かくのごとし、而も上に挙ぐる諸師は世間の人人各各おもえり諸天の帝釈をうやまひ衆星の日月に随うがごとし我等凡夫はいづれの師師なりとも信ずるならば不足あるべからず仰いでこそ信ずべけれども日蓮が愚案はれがたし、世間をみるに各各我も我もといへども国主は但一人なり二人となれば国土おだやかならず家に二の主あれば其の家必ずやぶる一切経も又かくのごとくや有るらん何の経にてもをはせ一経こそ一切経の大王にてはをはすらめ、而るに十宗七宗まで各各諍論して随はず国に七人十人の大王ありて万民をだやかならじいかんがせんと疑うところに一の願を立つ我れ八宗十宗に随はじ天台大師の専ら経文を師として一代の勝劣をかんがへしがごとく一切経を開きみるに涅槃経と申す経に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云依法と申すは一切経不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり、此の経に又云く「了義経に依つて不了義経に依らざれ」等云云、此の経に指すところ了義経と申すは法華経不了義経と申すは華厳経大日経涅槃経等の已今当の一切経なり、されば仏の遺言を信ずるならば専ら法華経を明鏡として一切経の心をばしるべきか。
随つて法華経の文を開き奉れば「此の法華経は諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云此の経文のごとくば須弥山の頂に帝釈の居がごとく輪王の頂に如意宝珠のあるがごとく衆木の頂に月のやどるがごとく諸仏の頂に肉髻の住せるがごとく此の法華経は華厳経大日経涅槃経等の一切経の頂上の如意宝珠なり。
されば専ら論師人師をすてて経文に依るならば大日経華厳経等に法華経の勝れ給えることは日輪の青天に出現せる時眼あきらかなる者の天地を見るがごとく高下宛然なり、又大日経華厳経等の一切経をみるに此の経文に相似の経文一字一点もなし、或は小乗経に対して勝劣をとかれ或は俗諦に対して真諦をとき或は諸の空仮に対して中道をほめたり、譬へば小国の王が我が国の臣下に対して大王というがごとし、法華経は諸王に対して大王等と云云、但涅槃経計りこそ法華経に相似の経文は候へ、されば天台已前の南北の諸師は迷惑して法華経は涅槃経に劣と云云、されども専ら経文を開き見るには無量義経のごとく華厳阿含方等般若等の四十余年の経経をあげて涅槃経に対して我がみ勝るととひて又法華経に対する時は是の経の出世は乃至法華の中の八千の声聞に記・を授くることを得て大菓実を成ずるが如き秋収冬蔵して更に所作無きが如し等と云云、我れと涅槃経は法華経には劣るととける経文なり、かう経文は分明なれども南北の大智の諸人の迷うて有りし経文なれば末代の学者能く能く眼をとどむべし、此の経文は但法華経涅槃経の勝劣のみならず十方世界の一切経の勝劣をもしりぬべし、而るを経文にこそ迷うとも天台妙楽伝教大師の御れうけんの後は眼あらん人人はしりぬべき事ぞかし、然れども天台宗の人たる慈覚智証すら猶此の経文にくらしいわうや余宗の人人をや。
或る人疑つて云く漢土日本にわたりたる経経にこそ法華経に勝たる経はをはせずとも月氏竜宮四王日月・利天都率天なんどには恒河沙の経経ましますなれば其中に法華経に勝れさせ給う御経やましますらん、答て云く一をもつて万を察せよ庭戸を出でずして天下をしるとはこれなり、癡人が疑つて云く我等は南天を見て東西北の三空を見ず彼の三方の空に此の日輪より別の日やましますらん、山を隔て煙の立つを見て火を見ざれば煙は一定なれども火にてやなかるらんかくのごとくいはん者は一闡提の人としるべし生盲にことならず、法華経の法師品に釈迦如来金口の誠言をもつて五十余年の一切経の勝劣を定めて云く「我所説の経典は無量千万億にして已に説き今説き当に説ん而も其の中に於て此法華経は最も為難信難解なり」等云云、此の経文は但釈迦如来一仏の説なりとも等覚已下は仰いで信ずべき上多宝仏東方より来りて真実なりと証明し十方の諸仏集りて釈迦仏と同く広長舌を梵天に付け給て後各各国国へ還らせ給いぬ、已今当の三字は五十年並びに十方三世の諸仏えの御経、一字一点ものこさず引き載せて法華経に対して説せ給いて候を十方の諸仏此座にして御判形を加えさせ給い各各又自国に還らせ給いて我弟子等に向わせ給いて法華経に勝れたる御経ありと説せ給はば其の所化の弟子等信用すべしや、又我は見ざれば月氏竜宮四天日月等の宮殿の中に法華経に勝れさせ給いたる経やおはしますらんと疑いをなすはされば梵釈日月四天竜王は法華経の御座にはなかりけるか、若し日月等の諸天法華経に勝れたる御経まします汝はしらずと仰せあるならば大誑惑の日月なるべし、日蓮せめて云く日月は虚空に住し給へども我等が大地に処するがごとくして堕落し給はざる事は上品の不妄語戒の力ぞかし、法華経に勝れたる御経ありと仰せある大妄語あるならば恐らくはいまだ壊劫にいたらざるに大地の上にどうとおち候はんか無間大城の最下の堅鉄にあらずばとどまりがたからんか、大妄語の人は須臾も空に処して四天下を廻り給うべからずとせめたてまつるべし、而るを華厳宗の澄観等真言宗の善無畏金剛智不空弘法慈覚智証等の大智の三蔵大師等の華厳経大日経等は法華経に勝れたりと立て給わば我等が分斉には及ばぬ事なれども大道理のをすところは豈諸仏の大怨敵にあらずや、提婆瞿伽梨もものならず大天大慢外にもとむべからず、かの人人を信ずる輩はをそろしをそろし。
問て云く華厳の澄観三論の嘉祥法相の慈恩真言の善無畏乃至弘法慈覚智証等を仏の敵との給うか、答えて云く此大なる難なり仏法に入りて第一の大事なり愚眼をもつて経文を見るには法華経に勝れたる経ありといはん人は設いいかなる人なりとも謗法は免れじと見えて候、而るを経文のごとく申すならばいかでか此の諸人仏敵たらざるべき、若し又恐をなして指し申さずは一切経の勝劣むなしかるべし、又此人人を恐れて末の人人を仏敵といはんとすれば彼の宗宗の末の人人の云く法華経に大日経をまさりたりと申すは我れ私の計にはあらず祖師の御義なり戒行の持破智慧の勝劣身の上下はありとも所学の法門はたがふ事なしと申せば彼人人にとがなし、又日蓮此れを知りながら人人を恐れて申さずは寧喪身命不匿教者の仏陀の諌暁を用いぬ者となりぬ、いかんがせんいはんとすれば世間をそろし止とすれば仏の諌暁のがれがたし進退此に谷り、むべなるかなや、法華経の文に云く「而かも此経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況んや滅度の後をや」又云く一切世間怨多くして信じ難し等云云、釈迦仏を摩耶夫人はらませ給いたりければ第六天の魔王摩耶夫人の御腹をとをし見て我等が大怨敵法華経と申す利剣をはらみたり事の成ぜぬ先にいかにしてか失うべき、第六天の魔王大医と変じて浄飯王宮に入り御産安穏の良薬を持候大医ありとののしりて毒を后にまいらせつ、初生の時は石をふらし乳に毒をまじへ城を出でさせ給いしには黒き毒蛇と変じて道にふさがり乃至提婆瞿伽利波瑠璃王阿闍世王等の悪人の身に入りて或は大石をなげて仏の御身より血をいだし或は釈子をころし或は御弟子等を殺す、此等の大難は皆遠くは法華経を仏世尊に説かせまいらせじとたばかりし如来現在猶多怨嫉の大難ぞかし、此等は遠き難なり近き難には舎利弗目連諸大菩薩等も四十余年が間は法華経の大怨敵の内ぞかし、況滅度後と申して未来の世には又此の大難よりもすぐれてをそろしき大難あるべしととかれて候、仏だにも忍びがたかりける大難をば凡夫はいかでか忍ぶべきいわうや在世より大なる大難にてあるべかんなり、いかなる大難か提婆が長三丈広一丈六尺の大石阿闍世王の酔象にはすぐべきとはおもへども彼にもすぐるべく候なれば小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ、付法蔵の人人は四依の菩薩仏の御使なり提婆菩薩は外道に殺され師子尊者は檀弥羅王に頭を刎ねられ仏陀密多竜樹菩薩等は赤幡を七年十二年さしとをす馬鳴菩薩は金銭三億がかわりとなり如意論師はおもひじにに死す。
此れ等は正法一千年の内なり、像法に入つて五百年仏滅後一千五百年と申せし時漢土に一人の智人あり始は智・後には智者大師とがうす、法華経の義をありのままに弘通せんと思い給しに天台已前の百千万の智者しなじなに一代を判ぜしかども詮して十流となりぬ所謂南三北七なり十流ありしかども一流をもて最とせり、所謂南三の中の第三の光宅寺の法雲法師これなり、此の人は一代の仏教を五にわかつ其の五の中に三経をえらびいだす、所謂華厳経涅槃経法華経なり一切経の中には華厳経第一大王のごとし涅槃経第二摂政関白のごとし第三法華経は公卿等のごとし此れより已下は万民のごとし、此の人は本より智慧かしこき上慧観慧厳僧柔慧次なんど申せし大智者より習ひ伝え給るのみならず南北の諸師の義をせめやぶり山林にまじわりて法華経涅槃経華厳経の功をつもりし上梁の武帝召し出して内裏の内に寺を立て光宅寺となづけて此の法師をあがめ給う、法華経をかうぜしかば天より花ふること在世のごとし、天鑒五年に大旱魃ありしかば此の法雲法師を請じ奉りて法華経を講ぜさせまいらせしに薬草喩品の其雨普等四方倶下と申す二句を講ぜさせ給いし時天より甘雨下たりしかば天子御感のあまりに現に僧正になしまいらせて諸天の帝釈につかえ万民の国王ををそるるがごとく我とつかへ給いし上或人夢く此人は過去の灯明仏の時より法華経をかうぜる人なり、法華経の疏四巻あり此の疏に云く「此経未だ碩然ならず」亦云く「異の方便」等云云、正く法華経はいまだ仏理をきわめざる経と書かれて候、此の人の御義仏意に相ひ叶ひ給いければこそ天より花も下り雨もふり候けらめ、かかるいみじき事にて候しかば漢土の人人さては法華経は華厳経涅槃経には劣にてこそあるなれと思いし上新羅百済高麗日本まで此の疏ひろまりて大体一同の義にて候しに法雲法師御死去ありていくばくならざるに梁の末陳の始に智・法師と申す小僧出来せり、南岳大師と申せし人の御弟子なりしかども師の義も不審にありけるかのゆへに一切経蔵に入つて度度御らんありしに華厳経涅槃経法華経の三経に詮じいだし此の三経の中に殊に華厳経を講じ給いき、別して礼文を造りて日日に功をなし給いしかば世間の人おもわく此人も華厳経を第一とおぼすかと見えしほどに法雲法師が一切経の中に華厳第一涅槃第二法華第三と立てたるがあまりに不審なりける故にことに華厳経を御らんありけるなり、かくて一切経の中に法華第一涅槃第二華厳第三と見定めさせ給いてなげき給うやうは如来の聖教は漢土にわたれども人を利益することなしかへりて一切衆生を悪道に導びくこと人師の・によれり、例せば国の長とある人東を西といゐ天を地といゐいだしぬれば万民はかくのごとくに心うべし、後にいやしき者出来して汝等が西は東汝等が天は地なりといはばもちうることなき上我が長の心に叶わんがために今の人をのりうちなんどすべしいかんがせんとはおぼせしかどもさてもだすべきにあらねば光宅寺の法雲法師は謗法によつて地獄に堕ちぬとののしられ給う、其の時南北の諸師はちのごとく蜂起しからすのごとく烏合せり、智・法師をば頭をわるべきか国ををうべきかなんど申せし程に陳主此れをきこしめして南北の数人に召し合せて我と列座してきかせ給いき、法雲法師が弟子等の慧栄法歳慧曠慧・なんど申せし僧正僧都已上の人人百余人なり各各悪口を先とし眉をあげ眼をいからし手をあげ柏子をたたく、而れども智・法師は末座に坐して色を変ぜず言を・らず威儀しづかにして諸僧の言を一一に牒をとり言ごとにせめかえす、をしかへして難じて云く抑も法雲法師の御義に第一華厳第二涅槃第三法華と立させ給いける証文は何れの経ぞ慥かに明かなる証文を出ださせ給えとせめしかば各各頭をうつぶせ色を失いて一言の返事なし。
重ねてせめて云く無量義経に正しく次説方等十二部経摩訶般若華厳海空等云云、仏我と華厳経の名をよびあげて無量義経に対して未顕真実と打ち消し給う法華経に劣りて候無量義経に華厳経はせめられて候ぬいかに心えさせ給いて華厳経をば一代第一とは候けるぞ各各御師の御かたうどせんとをぼさば此の経文をやぶりて此れに勝れたる経文を取り出だして御師の御義を助け給えとせめたり。
又涅槃経を法華経に勝るると候けるはいかなる経文ぞ涅槃経の第十四には華厳阿含方等般若をあげて涅槃経に対して勝劣は説れて候へどもまつたく法華経と涅槃経との勝劣はみへず、次上の第九の巻に法華経と涅槃経との勝劣分明なり、所謂経文に云く「是の経の出世は乃至法華の中の八千の声聞記・を受くることを得て大菓実を成ずるが如き秋収冬蔵して更に所作無きが如し」等云云、経文明に諸経をば春夏と説かせ給い涅槃経と法華経とをば菓実の位とは説かれて候へども法華経をば秋収冬蔵の大菓実の位涅槃経をば秋の末冬の始・拾の位と定め給いぬ、此の経文正く法華経には我が身劣ると承伏し給いぬ、法華経の文には已説今説当説と申して此の法華経は前と並との経経に勝れたるのみならず後に説かん経経にも勝るべしと仏定め給う、すでに教主釈尊かく定め給いぬれば疑うべきにあらねども我が滅後はいかんかと疑いおぼして東方宝浄世界の多宝仏を証人に立て給いしかば多宝仏大地よりをどり出でて妙法華経皆是真実と証し十方分身の諸仏重ねてあつまらせ給い広長舌を大梵天に付け又教主釈尊も付け給う、然して後多宝仏は宝浄世界えかへり十方の諸仏各各本土にかへらせ給いて後多宝分身の仏もおはせざらんに教主釈尊涅槃経をといて法華経に勝ると仰せあらば御弟子等は信ぜさせ給うべしやとせめしかば日月の大光明の修羅の眼を照らすがごとく漢王の剣の諸侯の頚にかかりしがごとく両眼をとぢ一頭を低れたり、天台大師の御気色は師子王の狐兎の前に吼えたるがごとし鷹鷲の鳩雉をせめたるににたり、かくのごとくありしかばさては法華経は華厳経涅槃経にもすぐれてありけりと震旦一国に流布するのみならずかへりて五天竺までも聞へ月氏大小の諸論も智者大師の御義には勝れず教主釈尊両度出現しましますか仏教二度あらはれぬとほめられ給いしなり。
其の後天台大師も御入滅なりぬ陳隋の世も代わりて唐の世となりぬ章安大師も御入滅なりぬ、天台の仏法やうやく習い失せし程に唐の太宗の御宇に玄奘三蔵といゐし人貞観三年に始めて月氏に入りて同十九年にかへりしが月氏の仏法尋ね尽くして法相宗と申す宗をわたす、此の宗は天台宗と水火なり而るに天台の御覧なかりし深密経瑜伽論唯識論等をわたして法華経は一切経には勝れたれども深密には劣るという、而るを天台は御覧なかりしかば天台の末学等は智慧の薄きかのゆへにさもやとおもう、又太宗は賢王なり玄奘の御帰依あさからず、いうべき事ありしかどもいつもの事なれば時の威をおそれて申す人なし、法華経を打ちかへして三乗真実一乗方便五性各別と申せし事は心うかりし事なり、天竺よりはわたれども月氏の外道が漢土にわたれるか法華経は方便深密経は真実といゐしかば釈迦多宝十方の諸仏の誠言もかへりて虚くなり玄奘慈恩こそ時の生身の仏にてはありしか。
其後則天皇后の御宇に天台大師にせめられし華厳経に又重ねて新訳の華厳経わたりしかば、さきのいきどをりをはたさんがために新訳の華厳をもつて天台にせめられし旧訳の華厳経を扶けて華厳宗と申す宗を法蔵法師と申す人立てぬ、此の宗は華厳経をば根本法輪法華経をば枝末法輪と申すなり、南北は一華厳二涅槃三法華天台大師は一法華二涅槃三華厳今の華厳宗は一華厳二法華三涅槃等云云。
其の後玄宗皇帝の御宇に天竺より善無畏三蔵は大日経蘇悉地経をわたす、金剛智三蔵は金剛頂経をわたす、又金剛智三蔵の弟子あり不空三蔵なり、此の三人は月氏の人種姓も高貴なる上人がらも漢土の僧ににず法門もなにとはしらず後漢より今にいたるまでなかりし印と真言という事をあひそいてゆゆしかりしかば天子かうべをかたぶけ万民掌をあわす、此の人人の義にいわく華厳深密般若涅槃法華経等の勝劣は顕教の内釈迦如来の説の分なり、今の大日経等は大日法王の勅言なり彼の経経は民の万言此経は天子の一言なり、華厳経涅槃経等は大日経には梯を立ても及ばず但法華経計りこそ大日経には相似の経なれ、されども彼の経は釈迦如来の説民の正言此の経は天子の正言なり言は似れども人がら雲泥なり、譬へば濁水の月と清水の月のごとし月の影は同じけれども水に清濁ありなんど申しければ、此の由尋ね顕す人もなし諸宗皆落ち伏して真言宗にかたぶきぬ、善無畏金剛智死去の後不空三蔵又月氏にかへりて菩提心論と申す論をわたしいよいよ真言宗盛りなりけり、但し妙楽大師といふ人あり天台大師よりは二百余年の後なれども智慧かしこき人にて天台の所釈を見明めてありしかば天台の釈の心は後にわたれる深密経法相宗又始めて漢土に立てたる華厳宗大日経真言宗にも法華経は勝れさせ給いたりけるを、或は智のをよばざるか或は人に畏るるか或は時の王威をおづるかの故にいはざりけるかかくてあるならば天台の正義すでに失なん、又陳隋已前の南北が邪義にも勝れたりとおぼして三十巻の末文を造り給う所謂弘決釈籤疏記これなり、此の三十巻の文は本書の重なれるをけづりよわきをたすくるのみならず天台大師の御時なかりしかば御責にものがれてあるやうなる法相宗と華厳宗と真言宗とを一時にとりひしがれたる書なり。
又日本国には人王第三十代欽明天皇の御宇十三年壬申十月十三日に百済国より一切経釈迦仏の像をわたす、又用明天皇の御宇に聖徳太子仏法をよみはじめ和気の妹子と申す臣下を漢土につかはして先生所持の一巻の法華経をとりよせ給いて持経と定め、其の後人王第三十七代孝徳天王の御宇に三論宗華厳宗法相宗倶舎宗成実宗わたる、人王第四十五代に聖武天王の御宇に律宗わたる已上六宗なり、孝徳より人王五十代の桓武天皇にいたるまでは十四代一百二十余年が間は天台真言の二宗なし、桓武の御宇に最澄と申す小僧あり山階寺の行表僧正の御弟子なり、法相宗を始めとして六宗を習いきわめぬ而れども仏法いまだ極めたりともおぼえざりしに華厳宗の法蔵法師が造りたる起信論の疏を見給うに天台大師の釈を引きのせたり此の疏こそ子細ありげなれ此の国に渡りたるか又いまだわたらざるかと不審ありしほどに有人にとひしかば其の人の云く大唐の揚州竜興寺の僧鑒真和尚は天台の末学道暹律師の弟子天宝の末に日本国にわたり給いて小乗の戒を弘通せさせ給いしかども天台の御釈持ち来りながらひろめ給はず人王第四十五代聖武天王の御宇なりとかたる、其の書を見んと申されしかば取り出だして見せまいらせしかば一返御らんありて生死の酔をさましつ此の書をもつて六宗の心を尋ねあきらめしかば一一に邪見なる事あらはれぬ、忽に願を発て云く日本国の人皆謗法の者の檀越たるが天下一定乱れなんずとおぼして六宗を難ぜられしかば七大寺六宗の碩学蜂起して京中烏合し天下みなさわぐ、七大寺六宗の諸人等悪心強盛なり、而るを去ぬる延暦二十一年正月十九日に天王高雄寺に行幸あつて七寺の碩徳十四人善議勝猷奉基寵忍賢玉安福勤操修円慈誥玄耀歳光道証光証観敏等の十有余人を召し合わす、華厳三論法相等の人人各各我宗の元祖が義にたがはず最澄上人は六宗の人人の所立一一に牒を取りて本経本論並に諸経諸論に指し合わせてせめしかば一言も答えず口をして鼻のごとくになりぬ、天皇をどろき給いて委細に御たづねありて重ねて勅宣を下して十四人をせめ給いしかば承伏の謝表を奉りたり、其書に云く「七箇の大寺六宗の学匠乃至初て至極を悟る」等云云又云く「聖徳の弘化より以降今に二百余年の間講ずる所の経論其数多し、彼此理を争うて其の疑未だ解けず而も此の最妙の円宗猶未だ闡揚せず」等云云、又云く「三論法相久年の諍渙焉として氷の如く解け照然として既に明かに猶雲霧を披いて三光を見るがごとし」云云、最澄和尚十四人が義を判じて云く「各一軸を講ずるに法鼓を深壑に振い賓主三乗の路に徘徊し義旗を高峰に飛す長幼三有の結を摧破して猶未だ歴劫の轍を改めず白牛を門外に混ず、豈善く初発の位に昇り阿荼を宅内に悟らんや」等云云、弘世真綱二人の臣下云く「霊山の妙法を南岳に聞き総持の妙悟を天台に闢く一乗の権滞を慨き三諦の未顕を悲しむ」等云云、又十四人の云く「善議等牽れて休運に逢て乃ち奇詞を閲す深期に非るよりは何ぞ聖世に託せんや」等云云、此の十四人は華厳宗の法蔵審祥三論宗の嘉祥観勒法相宗の慈恩道昭律宗の道宣鑒真等の漢土日本元祖等の法門瓶はかはれども水は一なり、而るに十四人彼の邪義をすてて伝教の法華経に帰伏しぬる上は誰の末代の人か華厳般若深密経等は法華経に超過せりと申すべきや、小乗の三宗は又彼の人人の所学なり大乗の三宗破れぬる上は沙汰のかぎりにあらず、而るを今に子細を知らざる者六宗はいまだ破られずとをもへり、譬へば盲目が天の日月を見ず聾人が雷の音をきかざるゆへに天には日月なし空に声なしとをもうがごとし。
真言宗と申すは日本人王第四十四代と申せし元正天皇の御宇に善無畏三蔵大日経をわたして弘通せずして漢土へかへる、又玄・等大日経の義釈十四巻をわたす又東大寺の得清大徳わたす、此等を伝教大師御らんありてありしかども大日経法華経の勝劣いかんがとおぼしけるほどにかたがた不審ありし故に去る延暦二十三年七月御入唐西明寺の道邃和尚仏滝寺の行満等に値い奉りて止観円頓の大戒を伝受し霊感寺の順暁和尚に値い奉りて真言を相伝し同延暦二十四年六月に帰朝して桓武天王に御対面宣旨を下して六宗の学生に止観真言を習はしめ同七大寺にをかれぬ、真言止観の二宗の勝劣は漢土に多く子細あれども又大日経の義釈には理同事勝とかきたれども伝教大師は善無畏三蔵のあやまりなり、大日経は法華経には劣りたりと知しめして八宗とはせさせ給はず真言宗の名をけづりて法華宗の内に入れ七宗となし大日経をば法華天台宗の傍依経となして華厳大品般若涅槃等の例とせり、而れども大事の円頓の大乗別受戒の大戒壇を我が国に立う立じの諍論がわずらはしきに依りてや真言天台の二宗の勝劣は弟子にも分明にをしえ給わざりけるか、但依憑集と申す文に正しく真言宗は法華天台宗の正義を偸みとりて大日経に入れて理同とせり、されば彼の宗は天台宗に落ちたる宗なり、いわうや不空三蔵は善無畏金剛智入滅の後月氏に入りてありしに竜智菩薩に値い奉りし時月氏には仏意をあきらめたる論釈なし、漢土に天台という人の釈こそ邪正をえらび偏円をあきらめたる文にては候なれ、あなかしこあなかしこ月氏へ渡し給えとねんごろにあつらへし事を不空の弟子含光といゐし者が妙楽大師にかたれるを記の十の末に引き載せられて候をこの依憑集に取り載せて候、法華経に大日経は劣るとしろしめす事伝教大師の御心顕然なり、されば釈迦如来天台大師妙楽大師伝教大師の御心は一同に大日経等の一切経の中には法華経はすぐれたりという事は分明なり、又真言宗の元祖という竜樹菩薩の御心もかくのごとし、大智度論を能く能く尋ぬるならば此の事分明なるべきを不空があやまれる菩提心論に皆人ばかされて此の事に迷惑せるか。
又石淵の勤操僧正の御弟子に空海と云う人あり後には弘法大師とがうす、去ぬる延暦二十三年五月十二日に御入唐、漢土にわたりては金剛智善無畏の両三蔵の第三の御弟子慧果和尚といゐし人に両界を伝受し大同二年十月二十二日に御帰朝平城天王の御宇なり、桓武天王は御ほうぎよ平城天王に見参し御用いありて御帰依他にことなりしかども平城ほどもなく嵯峨に世をとられさせ給いしかば弘法ひき入れてありし程に伝教大師は嵯峨天王の弘仁十三年六月四日御入滅、同じき弘仁十四年より弘法大師王の御師となり真言宗を立てて東寺を給真言和尚とがうし此より八宗始る、一代の勝劣を判じて云く第一真言大日経第二華厳第三は法華涅槃等云云、法華経は阿含方等般若等に対すれば真実の経なれども華厳経大日経に望むれば戯論の法なり教主釈尊は仏なれども大日如来に向うれば無明の辺域と申して皇帝と俘囚との如し、天台大師は盗人なり真言の醍醐を盗んで法華経を醍醐というなんどかかれしかば法華経はいみじとをもへども弘法大師にあひぬれば物のかずにもあらず、天竺の外道はさて置きぬ漢土の南北が法華経は涅槃経に対すれば邪見の経といゐしにもすぐれ華厳宗が法華経は華厳経に対すれば枝末教と申せしにもこへたり、例ば彼の月氏の大慢婆羅門が大自在天那羅延天婆籔天教主釈尊の四人を高座の足につくりて其の上にのぼつて邪法を弘めしがごとし、伝教大師御存生ならば一言は出されべかりける事なり、又義真円澄慈覚智証等もいかに御不審はなかりけるやらん天下第一の大凶なり、慈覚大師は去ぬる承和五年に御入唐漢土にして十年が間天台真言の二宗をならう、法華大日経の勝劣を習いしに法全元政等の八人の真言師には法華経と大日経は理同事勝等云云、天台宗の志遠広修維・等に習いしには大日経は方等部の摂等云云、同じき承和十三年九月十日に御帰朝嘉祥元年六月十四日に宣旨下、法華大日経等の勝劣は漢土にしてしりがたかりけるかのゆへに金剛頂経の疏七巻蘇悉地経の疏七巻已上十四巻此疏の心は大日経金剛頂経蘇悉地経の義と法華経の義は其の所詮の理は一同なれども事相の印と真言とは真言の三部経すぐれたりと云云、此れは偏に善無畏金剛智不空の造りたる大日経の疏の心のごとし、然れども我が心に猶不審やのこりけん又心にはとけてんけれども人の不審をはらさんとやおぼしけん、此の十四巻の疏を御本尊の御前にさしをきて御祈請ありきかくは造りて候へども仏意計りがたし大日の三部やすぐれたる法華経の三部やまされると御祈念有りしかば五日と申す五更に忽に夢想あり、青天に大日輪かかり給へり矢をもてこれを射ければ矢飛んで天にのぼり日輪の中に立ちぬ日輪動転してすでに地に落んとすとをもひてうちさめぬ、悦んで云く我吉夢あり法華経に真言勝れたりと造りつるふみは仏意に叶いけりと悦ばせ給いて宣旨を申し下して日本国に弘通あり、而も宣旨の心に云く「遂に知んぬ天台の止観と真言の法義とは理冥に符えり」等と云云、祈請のごときんば大日経に法華経は劣なるやうなり、宣旨を申し下すには法華経と大日経とは同じ等云云。
智証大師は本朝にしては義真和尚円澄大師別当慈覚等の弟子なり、顕密の二道は大体此の国にして学し給いけり天台真言の二宗の勝劣の御不審に漢土へは渡り給けるか、去仁寿二年に御入唐漢土にしては真言宗は法全元政等にならはせ給い大体大日経と法華経とは理同事勝慈覚の義のごとし、天台宗は良・和尚にならひ給い真言天台の勝劣大日経は華厳法華等には及ばず等云云、七年が間漢土に経て去る貞観元年五月十七日に御帰朝、大日経の旨帰に云く「法華尚及ばず況や自余の教をや」等云云、此釈は法華経は大日経には劣る等云云、又授決集に云く「真言禅門乃至若し華厳法華涅槃等の経に望むれば是れ摂引門」等云云、普賢経の記論の記に云く同じ等云云、貞観八年丙戌四月廿九日壬申勅宣を申し下して云く「聞くならく真言止観両教の宗同じく醍醐と号し倶に深秘と称す」等云云、又六月三日の勅宣に云く「先師既に両業を開いて以て我が道と為す代代の座主相承して兼ね伝えざること莫し在後の輩豈旧迹に乖かんや、聞くならく山上の僧等専ら先師の義に違いて偏執の心を成ず殆んど余風を扇揚し旧業を興隆するを顧みざるに似たり、凡そ厥の師資の道一を闕きても不可なり伝弘の勤め寧ろ兼備せざらんや、今より以後宜く両教に通達するの人を以て延暦寺の座主と為し立てて恒例と為すべし」云云。
されば慈覚智証の二人は伝教義真の御弟子、漢土にわたりては又天台真言の明師に値いて有りしかども二宗の勝劣は思い定めざりけるか或は真言すぐれ或は法華すぐれ或は理同事勝等云云、宣旨を申し下すには二宗の勝劣を論ぜん人は違勅の者といましめられたり、此れ等は皆自語相違といゐぬべし他宗の人はよも用いじとみえて候、但二宗斉等とは先師伝教大師の御義と宣旨に引き載せられたり、抑も伝教大師いづれの書にかかれて候ぞや此の事よくよく尋ぬべし、慈覚智証と日蓮とが伝教大師の御事を不審申すは親に値うての年あらそひ日天に値い奉りての目くらべにては候へども慈覚智証の御かたふどをせさせ給はん人人は分明なる証文をかまへさせ給うべし、詮ずるところは信をとらんがためなり、玄奘三蔵は月氏の婆沙論を見たりし人ぞかし天竺にわたらざりし宝法師にせめられにき、法護三蔵は印度の法華経をば見たれども嘱累の先後をば漢土の人みねども・といひしぞかし、設い慈覚伝教大師に値い奉りて習い伝えたりとも智証義真和尚に口決せりといふとも伝教義真の正文に相違せばあに不審を加えざらん、伝教大師の依憑集と申す文は大師第一の秘書なり、彼の書の序に云く「新来の真言家は則ち筆授の相承を泯し旧到の華厳家は則ち影響の軌範を隠し、沈空の三論宗は弾訶の屈恥を忘れて称心の酔を覆う、著有の法相は撲揚の帰依を非し青竜の判経を撥う等、乃至謹んで依憑集の一巻を著わして同我の後哲に贈る某の時興ること日本第五十二葉弘仁の七丙申の歳なり」云云、次ぎ下の正宗に云く「天竺の名僧大唐天台の教迹最も邪正を簡ぶに堪えたりと聞いて渇仰して訪問す」云云、次ぎ下に云く「豈中国に法を失つて之を四維に求むるに非ずや而かも此の方に識ること有る者少し魯人の如きのみ」等云云、此の書は法相三論華厳真言の四宗をせめて候文なり、天台真言の二宗同一味ならばいかでかせめ候べき、而も不空三蔵等をば魯人のごとしなんどかかれて候、善無畏金剛智不空の真言宗いみじくばいかでか魯人と悪口あるべき、又天竺の真言が天台宗に同じきも又勝れたるならば天竺の名僧いかでか不空にあつらへ中国に正法なしとはいうべき、それはいかにもあれ慈覚智証の二人は言は伝教大師の御弟子とはなのらせ給ども心は御弟子にあらず、其の故は此の書に云く「謹で依憑集一巻を著わして同我の後哲に贈る」等云云、同我の二字は真言宗は天台宗に劣るとならひてこそ同我にてはあるべけれ我と申し下さるる宣旨に云く「専ら先師の義に違い偏執の心を成す」等云云、又云く「凡そ厥師資の道一を闕いても不可なり」等云云、此の宣旨のごとくならば慈覚智証こそ専ら先師にそむく人にては候へ、かうせめ候もをそれにては候へども此れをせめずば大日経法華経の勝劣やぶれなんと存じていのちをまとにかけてせめ候なり、此の二人の人人の弘法大師の邪義をせめ候はざりけるは最も道理にて候いけるなり、されば粮米をつくし人をわづらはして漢土へわたらせ給はんよりは本師伝教大師の御義をよくよくつくさせ給うべかりけるにや、されば叡山の仏法は但だ伝教大師義真和尚円澄大師の三代計りにてやありけん、天台座主すでに真言の座主にうつりぬ名と所領とは天台山其の主は真言師なり、されば慈覚大師智証大師は已今当の経文をやぶらせ給う人なり、已今当の経文をやぶらせ給うはあに釈迦多宝十方の諸仏の怨敵にあらずや、弘法大師こそ第一の謗法の人とおもうに、これはそれにはにるべくもなき僻事なり、其の故は水火天地なる事は僻事なれども人用ゆる事なければ其の僻事成ずる事なし、弘法大師の御義はあまり僻事なれば弟子等も用ゆる事なし事相計りは其の門家なれども其の教相の法門は弘法の義いゐにくきゆへに善無畏金剛智不空慈覚智証の義にてあるなり、慈覚智証の義こそ真言と天台とは理同なりなんど申せば皆人さもやとをもう、かうをもうゆへに事勝の印と真言とにつひて天台宗の人人画像木像の開眼の仏事をねらはんがために日本一同に真言宗におちて天台宗は一人もなきなり、例せば法師と尼と黒と青とはまがひぬべければ眼くらき人はあやまつぞかし、僧と男と白と赤とは目くらき人も迷わず、いわうや眼あきらかなる者をや、慈覚智証の義は法師と尼と黒と青とがごとくなるゆへに智人も迷い愚人もあやまり候て此の四百余年が間は叡山園城東寺奈良五畿七道日本一州皆謗法の者となりぬ。
抑も法華経の第五に「文殊師利此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」云云、此の経文のごとくならば法華経は大日経等の衆経の頂上に住し給う正法なり、さるにては善無畏金剛智不空弘法慈覚智証等は此の経文をばいかんが会通せさせ給うべき、法華経の第七に云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり」等云云、此の経文のごとくならば法華経の行者は川流江河の中の大海衆山の中の須弥山衆星の中の月天衆明の中の大日天、転輪王帝釈諸王の中の大梵王なり、伝教大師の秀句と申す書に云く「此の経も亦復是くの如し乃至諸の経法の中に最も為第一なり能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり」已上経文なりと引き入れさせ給いて次下に云く「天台法華玄に云く」等云云、已上玄文とかかせ給いて上の心を釈して云く「当に知るべし他宗所依の経は未だ最も為れ第一ならず其の能く経を持つ者も亦未だ第一ならず、天台法華宗所持の法華経は最も為れ第一なる故に能く法華を持つ者も亦衆生の中の第一なり已に仏説に拠る豈自歎ならん哉」等云云、次下に譲る釈に云く「委曲の依憑具さに別巻に有るなり」等云云、依憑集に云く「今吾が天台大師法華経を説き法華経を釈すること群に特秀し唐に独歩す明に知んぬ如来の使なり讃る者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に開く」等云云、法華経天台妙楽伝教の経釈の心の如くならば今日本国には法華経の行者は一人もなきぞかし、月氏には教主釈尊宝塔品にして一切の仏をあつめさせ給て大地の上に居せしめ大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて教主釈尊は北の上座につかせ給う、此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日金剛頂経の金剛界の大日の主君なり、両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給う此れ即ち法華経の行者なり天竺かくのごとし、漢土には陳帝の時天台大師南北にせめかちて現身に大師となる「群に特秀し唐に独歩す」というこれなり、日本国には伝教大師六宗にせめかちて日本の始第一の根本大師となり給う月氏漢土日本に但三人計りこそ於一切衆生中亦為第一にては候へ、されば秀句に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」等云云、仏滅後一千八百余年が間に法華経の行者漢土に一人日本に一人已上二人釈尊を加へ奉りて已上三人なり。
外典に云く聖人は一千年に一出で賢人は五百年に一出づ、黄河は・渭ながれをわけて五百年には半河すみ千年には共に清むと申すは一定にて候けり、然るに日本国は叡山計りに伝教大師の御時法華経の行者ましましけり、義真円澄は第一第二の座主なり第一の義真計り伝教大師ににたり、第二の円澄は半は伝教の御弟子半は弘法の弟子なり、第三の慈覚大師は始めは伝教大師の御弟子ににたり、御年四十にて漢土にわたりてより名は伝教の御弟子其の跡をばつがせ給えども法門は全く御弟子にはあらず、而れども円頓の戒計りは又御弟子ににたり蝙蝠鳥のごとし鳥にもあらずねずみにもあらず梟鳥禽破鏡獣のごとし、法華経の父を食らい持者の母をかめるなり日をいるとゆめにみしこれなり、されば死去の後は墓なくてやみぬ、智証の門家園城寺と慈覚の門家叡山と修羅と悪竜と合戦ひまなし園城寺をやき叡山をやく、智証大師の本尊の慈氏菩薩もやけぬ慈覚大師の本尊大講堂もやけぬ現身に無間地獄をかんぜり、但中堂計りのこれり、弘法大師も又跡なし弘法大師の云く東大寺の受戒せざらん者をば東寺の長者とすべからず等御いましめの状あり、しかれども寛平法王は仁和寺を建立して東寺の法師をうつして我寺には叡山の円頓戒を持ざらん者をば住せしむべからずと宣旨分明なり、されば今の東寺の法師は鑒真が弟子にもあらず弘法の弟子にもあらず戒は伝教の御弟子なり又伝教の御弟子にもあらず伝教の法華経を破失す、去る承和二年三月二十一日に死去ありしかば公家より遺体をばほうぶらせ給う、其の後誑惑の弟子等集りて御入定と云云、或はかみをそりてまいらするぞといゐ或は三鈷をかんどよりなげたりといゐ或は日輪夜中に出でたりといゐ或は現身に大日如来となりたりといひ或は伝教大師に十八道ををしへまいらせ給うといゐて、師の徳をあげて智慧にかへ我が師の邪義を扶けて王臣を誑惑するなり、又高野山に本寺伝法院といいし二の寺あり本寺は弘法のたてたる大塔大日如来なり、伝法院と申すは正覚房の立てし金剛界の大日なり、此の本末の二寺昼夜に合戦あり例せば叡山園城のごとし、誑惑のつもりて日本に二の禍の出現せるか、糞を集めて栴檀となせども焼く時は但糞の香なり大妄語を集めて仏とがうすとも但無間大城なり、尼・が塔は数年が間利生広大なりしかども馬鳴菩薩の礼をうけて忽にくづれぬ、鬼弁婆羅門がとばりは多年人をたぼらかせしかども阿・縛・沙菩薩にせめられてやぶれぬ、・留外道は石となつて八百年陳那菩薩にせめられて水となりぬ、道士は漢土をたぼらかすこと数百年摩騰竺蘭にせめられて仙経もやけぬ、趙高が国をとりし王莽が位をうばいしがごとく法華経の位をとて大日経の所領とせり、法王すでに国に失せぬ人王あに安穏ならんや、日本国は慈覚智証弘法の流なり一人として謗法ならざる人はなし。
但し事の心を案ずるに大荘厳仏の末一切明王仏の末法のごとし、威音王仏の末法には改悔ありしすら猶千劫阿鼻地獄に堕つ、いかにいわうや日本国の真言師禅宗念仏者等は一分の廻心なし如是展転至無数劫疑なきものか、かかる謗法の国なれば天もすてぬ天すつればふるき守護の善神もほこらをやひて寂光の都へかへり給いぬ、但日蓮計り留り居て告げ示せば国主これをあだみ数百人の民に或は罵詈或は悪口或は杖木或は刀剣或は宅宅ごとにせき或は家家ごとにをう、それにかなはねば我と手をくだして二度まで流罪あり、去ぬる文永八年九月の十二日に頚を切らんとす、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に他方の怨賊来つて国人喪乱に遭う」等云云、大集経に云く「若しは復諸の刹利国王有つて諸の非法を作して世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵し刀杖をもつて打斫し及び衣鉢種種の資具を奪い、若しは他の給施せんに留難を作さば我等彼れをして自然に他方の怨敵を卒起せしめん及び自らの国土も亦兵起り病疫飢饉し非時の風雨闘諍言訟せしめん、又其の王をして久しからずして復当に已が国を亡失せしめん」等云云、此等の経文のごときは日蓮この国になくば仏は大妄語の人阿鼻地獄はいかで脱給うべき、去ぬる文永八年九月十二日に平の左衛門並びに数百人に向て云く日蓮は日本国のはしらなり日蓮を失うほどならば日本国のはしらをたをすになりぬ等云云、此の経文に智人を国主等若は悪僧等がざんげんにより若は諸人の悪口によつて失にあつるならば、にはかにいくさをこり又大風吹き他国よりせめらるべし等云云、去ぬる文永九年二月のどしいくさ同じき十一年の四月の大風同じき十月に大蒙古の来りしは偏に日蓮がゆへにあらずや、いわうや前よりこれをかんがへたり誰の人か疑うべき、弘法慈覚智証の・国に年久し其の上禅宗と念仏宗とのわざわいあいをこりて逆風に大波をこり大地震のかさなれるがごとし、さればやふやく国をとろう太政入道が国をおさへ承久に王位つきはてて世東にうつりしかども但国中のみだれにて他国のせめはなかりき、彼は謗法の者はあれども又天台の正法もすこし有り、其の上ささへ顕わす智人なしかるがゆへになのめなりき、譬へば師子のねぶれるは手をつけざればほへず迅流は櫓をささへざれば波たかからず盗人はとめざればいからず火は薪を加えざればさかんならず、謗法はあれどもあらわす人なければ王法もしばらくはたえず国もをだやかなるににたり、例せば日本国に仏法わたりはじめて候いしに始はなに事もなかりしかども守屋仏をやき僧をいましめ堂塔をやきしかば天より火の雨ふり国にはうさうをこり兵乱つづきしがごとし、此れはそれにはにるべくもなし、謗法の人人も国に充満せり、日蓮が大義も強くせめかかる修羅と帝釈と仏と魔王との合戦にもをとるべからず、金光明経に云く「時に鄰国の怨敵是くの如き念を興さん当に四兵を具して彼の国土を壊るべし」等云云、又云く「時に王見已つて即四兵を厳いて彼の国に発向し討罰を為んと欲す我等爾の時に当に眷属無量無辺の薬叉諸神と各形を隠して為に護助を作し彼の怨敵をして自然に降伏せしむべし」等云云、最勝王経の文又かくのごとし、大集経云云仁王経云云、此等の経文のごときんば正法を行ずるものを国主あだみ邪法を行ずる者のかたうどせば大梵天王帝釈日月四天等隣国の賢王の身に入りかわりて其の国をせむべしとみゆ、例せば訖利多王を雪山下王のせめ大族王を幻日王の失いしがごとし、訖利多王と大族王とは月氏の仏法を失いし王ぞかし、漢土にも仏法をほろぼしし王みな賢王にせめられぬ、これは彼にはにるべくもなし仏法のかたうどなるようにて仏法を失なう法師を扶くと見えて正法の行者を失うゆへに愚者はすべてしらず智者なんども常の智人はしりがたし、天も下劣の天人は知らずもやあるらん、されば漢土月氏のいにしへのみだれよりも大きなるべし。
法滅尽経に云く「吾般泥・の後五逆濁世に魔道興盛し魔沙門と作つて吾が道を壊乱せん、乃至悪人転多く海中の沙の如く善者甚だ少して若しは一若しは二」云云、涅槃経に云く「是くの如き等の涅槃経典を信ずるものは爪上の土の如く乃至是の経を信ぜざるものは十方界の所有の地土の如し」等云云、此の経文は時に当りて貴とく予が肝に染みぬ、当世日本国には我も法華経を信じたり信じたり、諸人の語のごときんば一人も謗法の者なし、此の経文には末法に謗法の者十方の地土正法の者爪上の土等云云、経文と世間とは水火なり、世間の人云く日本国には日蓮一人計り謗法の者等云云、又経文には大地より多からんと云云、法滅尽経には善者一二人、涅槃経には信者爪上土等云云、経文のごとくならば日本国は但日蓮一人こそ爪上土一二人にては候へ、されば心あらん人人は経文をか用ゆべき世間をか用ゆべき。
問て云く涅槃経の文には涅槃経の行者は爪上の土等云云、汝が義には法華経等云云如何、答えて云く涅槃経に云く「法華の中の如し」等云云、妙楽大師云く「大経自ら法華を指して極と為す」等云云、大経と申すは涅槃経なり涅槃経には法華経を極と指て候なり、而るを涅槃宗の人の涅槃経を法華経に勝ると申せしは主を所従といゐ下郎を上郎といゐし人なり、涅槃経をよむと申すは法華経をよむを申すなり、譬へば賢人は国主を重んずる者をば我をさぐれども悦ぶなり、涅槃経は法華経を下て我をほむる人をばあながちに敵とにくませ給う、此の例をもつて知るべし華厳経観経大日経等をよむ人も法華経を劣とよむは彼れ彼れの経経の心にはそむくべし、此れをもつて知るべし法華経をよむ人の此の経をば信ずるようなれども諸経にても得道なるとおもうは此の経をよまぬ人なり、例せば嘉祥大師は法華玄と申す文十巻造りて法華経をほめしかども妙楽かれをせめて云く「毀其の中に在り何んぞ弘讃と成さん」等云云、法華経をやぶる人なりされば嘉祥は落ちて天台につかひて法華経をよまず我れ経をよむならば悪道まぬかれがたしとて七年まで身を橋とし給いき、慈恩大師は玄賛と申して法華経をほむる文十巻あり伝教大師せめて云く「法華経を讃むると雖も還て法華の心を死す」等云云、此等をもつておもうに法華経をよみ讃歎する人人の中に無間地獄は多く有るなり、嘉祥慈恩すでに一乗誹謗の人ぞかし、弘法慈覚智証あに法華経蔑如の人にあらずや、嘉祥大師のごとく講を廃し衆を散じて身を橋となせしも猶已前の法華経誹謗の罪やきへざるらん、例せば不軽軽毀の衆は不軽菩薩に信伏随従せしかども重罪いまだのこりて千劫阿鼻に堕ちぬ、されば弘法慈覚智証等は設いひるがへす心ありとも尚法華経をよむならば重罪きへがたしいわうやひるがへる心なし、又法華経を失い真言教を昼夜に行い朝暮に伝法せしをや、世親菩薩馬鳴菩薩は小をもつて大を破せる罪をば舌を切らんとこそせさせ給いしか、世親菩薩は仏説なれども阿含経をばたわふれにも舌の上にをかじとちかひ、馬鳴菩薩は懺悔のために起信論をつくりて小乗をやぶり給き、嘉祥大師は天台大師を請じ奉りて百余人の智者の前にして五体を地になげ遍身にあせをながし紅のなんだをながして今よりは弟子を見じ法華経をかうぜじ弟子の面をまほり法華経をよみたてまつれば我力の此の経を知るににたりとて天台よりも高僧老僧にておはせしがわざと人のみるときをひまいらせて河をこへかうざにちかづきてせなかにのせまいらせて高座にのぼせたてまつり結句御臨終の後には隋の皇帝にまいらせて小児が母にをくれたるがごとくに足ずりをしてなき給いしなり、嘉祥大師の法華玄を見るにいたう法華経を謗じたる疏にはあらず但法華経と諸大乗経とは門は浅深あれども心は一とかきてこそ候へ此れが謗法の根本にて候か。
華厳の澄観も真言の善無畏も大日経と法華経とは理は一とこそかかれて候へ、嘉祥大師とがあらば善無畏三蔵も脱がたしされば善無畏三蔵は中天の国主なり位をすてて他国にいたり殊勝招提の二人にあひて法華経をうけ百千の石の塔を立てしかば法華経の行者とこそみへしか、しかれども大日経を習いしよりこのかた法華経を大日経に劣るとやおもひけん、始はいたう其の義もなかりけるが漢土にわたりて玄宗皇帝の師となりぬ、天台宗をそねみ思う心つき給いけるかのゆへに、忽に頓死して二人の獄卒に鉄の縄七すぢつけられて閻魔王宮にいたりぬ、命いまだつきずといゐてかへされしに法華経を謗ずるとやおもひけん真言の観念印真言等をばなげすてて法華経の今此三界の文を唱えて縄も切れかへされ給いぬ、又雨のいのりをおほせつけられたりしに忽に雨は下たりしかども大風吹きて国をやぶる、結句死し給いてありしには弟子等集りて臨終いみじきやうをほめしかども無間大城に堕ちにき、問うて云く何をもつてかこれをしる、答えて云く彼の伝を見るに云く「今畏の遺形を観るに漸く加縮小し黒皮隠隠として骨其露なり」等云云、彼の弟子等は死後に地獄の相の顕われたるをしらずして徳をあぐなどをもへどもかきあらはせる筆は畏が失をかけり、死してありければ身やふやくつづまりちひさく皮はくろし骨あらはなり等云云、人死して後色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀の金言ぞかし、善無畏三蔵の地獄の業はなに事ぞ幼少にして位をすてぬ第一の道心なり、月氏五十余箇国を修行せり慈悲の余りに漢土にわたれり、天竺震旦日本一閻浮提の内に真言を伝へ鈴をふる此の人の徳にあらずや、いかにして地獄に堕ちけると後生をおもはん人人は御尋ねあるべし。
又金剛智三蔵は南天竺の大王の太子なり、金剛頂経を漢土にわたす其の徳善無畏のごとし、又互いに師となれり、而るに金剛智三蔵勅宣によて雨の祈りありしかば七日が中に雨下る天子大に悦ばせ給うほどに忽に大風吹き来る、王臣等けうさめ給いき使をつけて追はせ給いしかどもとかうのべて留りしなり、結句は姫宮の御死去ありしに、いのりをなすべしとて御身の代に殿上の二女七歳になりしを薪につみこめて焼き殺せし事こそ無慚にはおぼゆれ、而れども姫宮もいきかへり給はず不空三蔵は金剛智と月支より御ともせり、此等の事を不審とやおもひけん畏と智と入滅の後月氏に還りて竜智に値い奉り真言を習いなをし天台宗に帰伏してありしが心計りは帰えれども身はかへる事なし、雨の御いのりうけ給わりたりしが三日と申すに雨下る、天子悦ばせ給いて我れと御布施ひかせ給う、須臾ありしかば大風落ち下りて内裏をも吹きやぶり雲閣月卿の宿所一所もあるべしともみへざりしかば天子大に驚きて宣旨なりて風をとどめよと仰せ下さる且らくありては又吹き又吹きせしほどに数日が間やむことなし、結句は使をつけて追うてこそ風もやみてありしか、此の三人の悪風は漢土日本の一切の真言師の大風なり。
さにてあるやらん去ぬる文永十一年四月十二日の大風は阿弥陀堂の加賀法印東寺第一の智者の雨のいのりに吹きたりし逆風なり、善無畏金剛智不空の悪法をすこしもたがへず伝えたりけるか心にくし心にくし。
弘法大師は去ぬる天長元年の二月大旱魃のありしに先には守敏祈雨して七日が内に雨を下す但京中にふりて田舎にそそがず、次に弘法承取て一七日に雨気なし二七日に雲なし三七日と申せしに天子より和気の真綱を使者として御幣を神泉苑にまいらせたりしかば天雨下事三日、此れをば弘法大師並に弟子等此の雨をうばひとり我が雨として今に四百余年弘法の雨という、慈覚大師の夢に日輪をいしと弘法大師の大妄語に云く弘仁九年の春大疫をいのりしかば夜中に大日輪出現せりと云云、成劫より已来住劫の第九の減已上二十九劫が間に日輪夜中に出でしという事なし、慈覚大師は夢に日輪をいるという内典五千七千外典三千余巻に日輪をいるとゆめにみるは吉夢という事有りやいなや、修羅は帝釈をあだみて日天をいたてまつる其の矢かへりて我が眼にたつ、殷の紂王は日天を的にいて身を亡す、日本の神武天皇の御時度美長と五瀬命と合戦ありしに命の手に矢たつ、命の云く我はこれ日天の子孫なり日に向い奉りて弓をひくゆへに日天のせめをかをほれりと云云、阿闍世王は邪見をひるがえして仏に帰しまいらせて内裏に返りてぎよしんなりしが、おどろいて諸臣に向て云く日輪天より地に落とゆめにみる諸臣の云く仏の御入滅か云云、須跋陀羅がゆめ又かくのごとし、我国は殊にいむべきゆめなり神をば天照という国をば日本という、又教主釈尊をば日種と申す摩耶夫人日をはらむとゆめにみてまうけ給える太子なり、慈覚大師は大日如来を叡山に立て釈迦仏をすて真言の三部経をあがめて法華経の三部の敵となせしゆへに此の夢出現せり。
例せば漢土の善導が始は密州の明勝といゐし者に値うて法華経をよみたりしが後には道綽に値うて法華経をすて観経に依りて疏をつくり法華経をば千中無一念仏をば十即十生百即百生と定めて此の義を成ぜんがために阿弥陀仏の御前にして祈誓をなす、仏意に叶うやいなや毎夜夢の中に常に一りの僧有りて来て指授すと云云、乃至一経法の如くせよ乃至観念法門経等云云、法華経には「若し法を聞く者有れば一として成仏せざる無し」と善導は「千の中に一も無し」等云云、法華経と善導とは水火なり善導は観経をば十即十生百即百生無量義経に云く「観経は未だ真実を顕さず」等云云、無量義経と楊柳房とは天地なり此れを阿弥陀仏の僧と成りて来つて汝が疏は真なりと証し給わんはあに真事ならんや、抑阿弥陀は法華経の座に来りて舌をば出だし給はざりけるか、観音勢至は法華経の座にはなかりけるか、此れをもつてをもへ慈覚大師の御夢はわざわひなり。
問うて云く弘法大師の心経の秘鍵に云く「時に弘仁九年の春天下大疫す、爰に皇帝自ら黄金を筆端に染め紺紙を爪掌に握りて般若心経一巻を書写し奉り給う予講読の撰に範りて経旨の宗を綴る未だ結願の詞を吐かざるに蘇生の族途に彳ずむ、夜変じて而も日光赫赫たり是れ愚身の戒徳に非ず金輪御信力の所為なり、但し神舎に詣でん輩は此の秘鍵を誦し奉れ、昔予鷲峰説法の筵に陪して親り其の深文を聞きたてまつる豈其の義に達せざらんや」等云云、又孔雀経の音義に云く「弘法大師帰朝の後真言宗を立てんと欲し諸宗を朝廷に群集す即身成仏の義を疑う、大師智拳の印を結びて南方に向うに面門俄に開いて金色の毘盧遮那と成り即便本体に還帰す、入我我入の事即身頓証の疑い此の日釈然たり、然るに真言瑜伽の宗秘密曼荼羅の道彼の時より建立しぬ」、又云く「此の時に諸宗の学徒大師に帰して始めて真言を得て請益し習学す三論の道昌法相の源仁華厳の道雄天台の円澄等皆其の類なり」、弘法大師の伝に云く「帰朝泛舟の日発願して云く我が所学の教法若し感応の地有らば此三鈷其の処に到るべし仍て日本の方に向て三鈷を抛げ上ぐ遥かに飛んで雲に入る十月に帰朝す」云云、又云く「高野山の下に入定の所を占む乃至彼の海上の三鈷今新たに此に在り」等云云、此の大師の徳無量なり其の両三を示すかくのごとくの大徳ありいかんが此の人を信ぜずしてかへりて阿鼻地獄に堕といはんや、答えて云く予も仰いで信じ奉る事かくのごとし但古の人人も不可思議の徳ありしかども仏法の邪正は其にはよらず、外道が或は恒河を耳に十二年留め或は大海をすひほし或は日月を手ににぎり或は釈子を牛羊となしなんどせしかどもいよいよ大慢ををこして生死の業とこそなりしか、此れをば天台云く「名利を邀め見愛を増す」とこそ釈せられて候へ、光宅が忽に雨を下し須臾に花をさかせしをも妙楽は「感応此の如くなれども猶理に称わず」とこそかかれて候へ、されば天台大師の法華経をよみて「須臾に甘雨を下せ」伝教大師の三日が内に甘露の雨をふらしておはせしも其をもつて仏意に叶うとはをほせられず、弘法大師いかなる徳ましますとも法華経を戯論の法と定め釈迦仏を無明の辺域とかかせ給へる御ふでは智慧かしこからん人は用ゆべからず、いかにいわうや上にあげられて候徳どもは不審ある事なり、「弘仁九年の春天下大疫」等云云、春は九十日何の月何の日ぞ是一、又弘仁九年には大疫ありけるか是二、又「夜変じて日光赫赫たり」と云云、此の事第一の大事なり弘仁九年は嵯峨天皇の御宇なり左史右史の記に載せたりや是三、設い載せたりとも信じがたき事なり成劫二十劫住劫九劫已上二十九劫が間にいまだ無き天変なり、夜中に日輪の出現せる事如何又如来一代の聖教にもみへず未来に夜中に日輪出ずべしとは三皇五帝の三墳五典にも載せず仏経のごときんば壊劫にこそ二の日三の日乃至七の日は出ずべしとは見えたれどもかれは昼のことぞかし夜日出現せば東西北の三方は如何、設い内外の典に記せずとも現に弘仁九年の春何れの月何れの日何れの夜の何れの時に日出ずるという公家諸家叡山等の日記あるならばすこし信ずるへんもや、次ぎ下に「昔予鷲峰説法の筵に陪して親り其の深文を聞く」等云云、此の筆を人に信ぜさせしめんがためにかまへ出だす大妄語か、されば霊山にして法華は戯論大日経は真実と仏の説き給けるを阿難文殊が・りて妙法華経をば真実とかけるかいかん、いうにかいなき婬女破戒の法師等が歌をよみて雨す雨を三七日まで下さざりし人はかかる徳あるべしや是四、孔雀経の音義に云く「大師智拳の印を結んで南方に向うに面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云、此れ又何れの王何れの年時ぞ漢土には建元を初とし日本には大宝を初として緇素の日記大事には必ず年号のあるが、これほどの大事にいかでか王も臣も年号も日時もなきや、又次ぎに云く「三論の道昌法相の源仁華厳の道雄天台の円澄」等云云、抑も円澄は寂光大師天台第二の座主なり、其の時何ぞ第一の座主義真根本の伝教大師をば召さざりけるや、円澄は天台第二の座主伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なり、弟子を召さんよりは三論法相華厳よりは天台の伝教義真の二人を召すべかりけるか、而も此の日記に云く「真言瑜伽の宗秘密曼荼羅彼の時よりして建立す」等云云、此の筆は伝教義真の御存生かとみゆ、弘法は平城天皇大同二年より弘仁十三年までは盛に真言をひろめし人なり、其の時は此の二人現におはします又義真は天長十年までおはせしかば其の時まで弘法の真言はひろまらざりけるかかたがた不審あり、孔雀経の疏は弘法の弟子真済が自記なり信じがたし、又邪見者が公家諸家円澄の記をひかるべきか、又道昌源仁道雄の記を尋ぬべし、「面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云、面門とは口なり口の開けたりけるか眉間開くとかかんとしけるが・りて面門とかけるか、ぼう書をつくるゆへにかかるあやまりあるか、「大師智拳の印を結んで南方に向うに面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云、涅槃経の五に云く「迦葉仏に白して言さく世尊我今是の四種の人に依らず何を以ての故に瞿師羅経の中の如き仏瞿師羅が為に説きたまわく若し天魔梵破壊せんと欲するが為に変じて仏の像と為り三十二相八十種好を具足し荘厳し円光一尋面部円満なること猶月の盛明なるが如く眉間の毫相白きこと珂雪に踰え乃至左の脇より水を出し右の脇より火を出す」等云云、又六の巻に云く「仏迦葉に告げたまわく我般涅槃して乃至後是の魔波旬漸く当に我が正法を沮壊す乃至化して阿羅漢の身及仏の色身と作り魔王此の有漏の形を以て無漏の身と作り我が正法を壊らん」等云云、弘法大師は法華経を華厳経大日経に対して戯論等云云、而も仏身を現ず此れ涅槃経には魔有漏の形をもつて仏となつて我が正法をやぶらんと記し給う、涅槃経の正法は法華経なり故に経の次ぎ下の文に云く「久く已に成仏す」、又云く「法華の中の如し」等云云、釈迦多宝十方の諸仏は一切経に対して「法華経は真実大日経等の一切経は不真実」等云云、弘法大師は仏身を現じて華厳経大日経に対して「法華経は戯論」等云云、仏説まことならば弘法は天魔にあらずや、又三鈷の事殊に不審なり漢土の人の日本に来りてほりいだすとも信じがたし、已前に人をやつかわしてうずみけん、いわうや弘法は日本の人かかる誑乱其の数多し此等をもつて仏意に叶う人の証拠とはしりがたし。
されば此の真言禅宗念仏等やうやくかさなり来る程に人王八十二代尊成隠岐の法皇権の太夫殿を失わんと年ごろはげませ給いけるゆへに大王たる国主なればなにとなくとも師子王の兎を伏するがごとく、鷹の雉を取るやうにこそあるべかりし上叡山東寺園城奈良七大寺天照太神正八幡山王加茂春日等に数年が間或は調伏或は神に申させ給いしに二日三日だにもささへかねて佐渡国阿波国隠岐国等にながし失て終にかくれさせ給いぬ、調伏の上首御室は但東寺をかへらるるのみならず眼のごとくあひせさせ給いし第一の天童勢多伽が頚切られたりしかば調伏のしるし還著於本人のゆへとこそ見へて候へ、これはわづかの事なり此の後定んで日本国の諸臣万民一人もなく乾草を積みて火を放つがごとく大山のくづれて谷をうむるがごとく我が国他国にせめらるる事出来すべし、此の事日本国の中に但日蓮一人計りしれり、いゐいだすならば殷の紂王の比干が胸をさきしがごとく夏の桀王の竜蓬が頚を切りしがごとく檀弥羅王の師子尊者が頚を刎ねしがごとく竺の道生が流されしがごとく法道三蔵のかなやきをやかれしがごとくならんずらんとはかねて知りしかども法華経には「我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」ととかれ涅槃経には「寧身命を喪うとも教を匿さざれ」といさめ給えり、今度命をおしむならばいつの世にか仏になるべき、又何なる世にか父母師匠をもすくひ奉るべきとひとへにをもひ切りて申し始めしかば案にたがはず或は所をおひ或はのり或はうたれ或は疵をかうふるほどに去ぬる弘長元年辛酉五月十二日に御勘気をかうふりて伊豆の国伊東にながされぬ、又同じき弘長三年癸亥二月二十二日にゆりぬ。
其の後弥菩提心強盛にして申せばいよいよ大難かさなる事大風に大波の起るがごとし、昔の不軽菩薩の杖木のせめも我身につみしられたり覚徳比丘が歓喜仏の末の大難も此れには及ばじとをぼゆ、日本六十六箇国嶋二の中に一日片時も何れの所にすむべきやうもなし、古は二百五十戒を持ちて忍辱なる事羅云のごとくなる持戒の聖人も富楼那のごとくなる智者も日蓮に値いぬれば悪口をはく正直にして魏徴忠仁公のごとくなる賢者等も日蓮を見ては理をまげて非とをこなう、いわうや世間の常の人人は犬のさるをみたるがごとく猟師が鹿をこめたるににたり、日本国の中に一人として故こそあるらめという人なし道理なり、人ごとに念仏を申す人に向うごとに念仏は無間に堕つるというゆへに、人ごとに真言を尊む真言は国をほろぼす悪法という、国主は禅宗を尊む日蓮は天魔の所為というゆへに我と招けるわざわひなれば人ののるをもとがめずとがむとても一人ならず、打つをもいたまず本より存ぜしがゆへにかういよいよ身もをしまず力にまかせてせめしかば禅僧数百人念仏者数千人真言師百千人或は奉行につき或はきり人につき或はきり女房につき或は後家尼御前等について無尽のざんげんをなせし程に最後には天下第一の大事日本国を失わんと咒そする法師なり、故最明寺殿極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり御尋ねあるまでもなし但須臾に頚をめせ弟子等をば又頚を切り或は遠国につかはし或は篭に入れよと尼ごぜんたち(御前達)いからせ給いしかばそのまま行われけり。
去ぬる文永八年辛未九月十二日の夜は相模の国たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん其の夜はのびて依智というところへつきぬ、又十三日の夜はゆりたりとどどめきしが又いかにやありけんさどの国までゆく、今日切るあす切るといひしほどに四箇年というに結句は去ぬる文永十一年太歳甲戌二月十四日にゆりて同じき三月二十六日に鎌倉へ入り同じき四月八日平の左衛門の尉に見参してやうやうの事申したりし中に今年は蒙古は一定よすべしと申しぬ、同じき五月の十二日にかまくらをいでて此の山に入れり、これはひとへに父母の恩師匠の恩三宝の恩国恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつれども破れざればさでこそ候へ、又賢人の習い三度国をいさむるに用いずば山林にまじわれということは定まるれいなり、此の功徳は定めて上三宝下梵天帝釈日月までもしろしめしぬらん、父母も故道善房の聖霊も扶かり給うらん、但疑い念うことあり目連尊者は扶けんとおもいしかども母の青提女は餓鬼道に墜ちぬ、大覚世尊の御子なれども善星比丘は阿鼻地獄へ墜ちぬ、これは力のまますくはんとをぼせども自業自得果のへんはすくひがたし、故道善房はいたう弟子なれば日蓮をばにくしとはをぼせざりけるらめどもきわめて臆病なりし上清澄をはなれじと執せし人なり、地頭景信がおそろしさといゐ提婆瞿伽利にことならぬ円智実成が上と下とに居てをどせしをあながちにをそれていとをしとをもうとしごろの弟子等をだにもすてられし人なれば後生はいかんがと疑わし、但一の冥加には景信と円智実成とがさきにゆきしこそ一のたすかりとはをもへども彼等は法華経十羅刹のせめをかほりてはやく失ぬ、後にすこし信ぜられてありしはいさかひの後のちぎりき(乳切木)なり、ひるのともしびなにかせん其の上いかなる事あれども子弟子なんどいう者は不便なる者ぞかし、力なき人にもあらざりしがさどの国までゆきしに一度もとぶらはれざりし事は法華経を信じたるにはあらぬぞかしそれにつけてもあさましければ彼の人の御死去ときくには火にも入り水にも沈みはしりたちてもゆひて御はかをもたたいて経をも一巻読誦せんとこそおもへども賢人のならひ心には遁世とはおもはねども人は遁世とこそおもうらんにゆへもなくはしり出ずるならば末へもとをらずと人おもひぬべし、さればいかにおもひたてまつれどもまいるべきにあらず、但し各各二人は日蓮が幼少の師匠にておはします、勤操僧正行表僧正の伝教大師の御師たりしがかへりて御弟子とならせ給いしがごとし、日蓮が景信にあだまれて清澄山を出でしにかくしおきてしのび出でられたりしは天下第一の法華経の奉公なり後生は疑いおぼすべからず。
問うて云く法華経一部八巻二十八品の中に何物か肝心なるや、答えて云く華厳経の肝心は大方広仏華厳経阿含経の肝心は仏説中阿含経大集経の肝心は大方等大集経般若経の肝心は摩訶般若波羅蜜経雙観経の肝心は仏説無量寿経観経の肝心は仏説観無量寿経阿弥陀経の肝心は仏説阿弥陀経涅槃経の肝心は大般涅槃経かくのごとくの一切経は皆如是我聞の上の題目其の経の肝心なり、大は大につけ小は小につけて題目をもつて肝心とす、大日経金剛頂経蘇悉地経等亦復かくのごとし、仏も又かくのごとし大日如来日月燈明仏燃燈仏大通仏雲雷音王仏是等の仏も又名の内に其の仏の種種の徳をそなへたり、今の法華経も亦もつてかくのごとし、如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即一部八巻の肝心、亦復一切経の肝心一切の諸仏菩薩二乗天人修羅竜神等の頂上の正法なり、問うて云く南無妙法蓮華経と心もしらぬ者の唱うると南無大方広仏華厳経と心もしらぬ者の唱うると斉等なりや浅深の功徳差別せりや、答えて云く浅深等あり、疑て云く其の心如何、答えて云く小河は露と涓と井と渠と江とをば収むれども大河ををさめず大河は露乃至小河を摂むれども大海ををさめず、阿含経は井江等露涓ををさめたる小河のごとし、方等経阿弥陀経大日経華厳経等は小河ををさむる大河なり、法華経は露涓井江小河大河天雨等の一切の水を一・ももらさぬ大海なり、譬えば身の熱者の大寒水の辺にいねつればすずしく小水の辺に臥ぬれば苦きがごとし、五逆謗法の大きなる一闡提人阿含華厳観経大日経等の小水の辺にては大罪の大熱さんじがたし、法華経の大雪山の上に臥ぬれば五逆誹謗一闡提等の大熱忽に散ずべしされば愚者は必ず法華経を信ずべし、各各経経の題目は易き事同じといへども愚者と智者との唱うる功徳は天地雲泥なり、譬へば大綱は大力も切りがたし小力なれども小刀をもつてたやすくこれをきる、譬へば堅石をば鈍刀をもてば大力も破がたし、利剣をもてば小力も破りぬべし、譬へば薬はしらねども服すれば病やみぬ食は服すれども病やまず、譬へば仙薬は命をのべ凡薬は病をいやせども命をのべず。
疑つて云く二十八品の中に何か肝心ぞや、答えて云く或は云く品品皆事に随いて肝心なり、或は云く方便品寿量品肝心なり、或は云く方便品肝心なり、或は云く寿量品肝心なり、或は云く開示悟入肝心なり、或は云く実相肝心なり。
問うて云く汝が心如何答う南無妙法蓮華経肝心なり、其の証如何阿難文殊等如是我聞等云云、問うて云く心如何、答えて云く阿難と文殊とは八年が間此の法華経の無量の義を一句一偈一字も残さず聴聞してありしが仏の滅後に結集の時九百九十九人の阿羅漢が筆を染めてありしに先づはじめに妙法蓮華経とかかせ給いて如是我聞と唱えさせ給いしは妙法蓮華経の五字は一部八巻二十八品の肝心にあらずや、されば過去の燈明仏の時より法華経を講ぜし光宅寺の法雲法師は「如是とは将に所聞を伝えんとす前題に一部を挙ぐるなり」等云云、霊山にまのあたりきこしめしてありし天台大師は「如是とは所聞の法体なり」等云云章安大師の云く記者釈して曰く「蓋し序王とは経の玄意を叙し玄意は文心を述す」等云云、此の釈に文心とは題目は法華経の心なり妙楽大師云く「一代の教法を収むること法華の文心より出ず」等云云、天竺は七十箇国なり総名は月氏国日本は六十箇国総名は日本国月氏の名の内に七十箇国乃至人畜珍宝みなあり、日本と申す名の内に六十六箇国あり、出羽の羽も奥州の金も乃至国の珍宝人畜乃至寺塔も神社もみな日本と申す二字の名の内に摂れり、天眼をもつては日本と申す二字を見て六十六国乃至人畜等をみるべし法眼をもつては人畜等の此に死し彼に生るをもみるべし譬へば人の声をきいて体をしり跡をみて大小をしる蓮をみて池の大小を計り雨をみて竜の分斉をかんがう、これはみな一に一切の有ることわりなり、阿含経の題目には大旨一切はあるやうなれども但小釈迦一仏のみありて他仏なし、華厳経観経大日経等には又一切有るやうなれども二乗を仏になすやうと久遠実成の釈迦仏いまさず、例せば華さいて菓ならず雷なつて雨ふらず鼓あつて音なし眼あつて物をみず女人あつて子をうまず人あつて命なし又神なし、大日の真言薬師の真言阿弥陀の真言観音の真言等又かくのごとし、彼の経経にしては大王須弥山日月良薬如意珠利剣等のやうなれども法華経の題目に対すれば雲泥の勝劣なるのみならず皆各各当体の自用を失ふ、例せば衆星の光の一の日輪にうばはれ諸の鉄の一の磁石に値うて利性のつき大剣の小火に値て用を失ない牛乳驢乳等の師子王の乳に値うて水となり衆狐が術一犬に値うて失い、狗犬が小虎に値うて色を変ずるがごとし、南無妙法蓮華経と申せば南無阿弥陀仏の用も南無大日真言の用も観世音菩薩の用も一切の諸仏諸経諸菩薩の用皆悉く妙法蓮華経の用に失なはる、彼の経経は妙法蓮華経の用を借ずば皆いたづらのものなるべし当時眼前のことはりなり、日蓮が南無妙法蓮華経と弘むれば南無阿弥陀仏の用は月のかくるがごとく塩のひるがごとく秋冬の草のかるるがごとく冰の日天にとくるがごとくなりゆくをみよ。
問うて云く此の法実にいみじくばなど迦葉阿難馬鳴竜樹無著天親南岳天台妙楽伝教等は善導が南無阿弥陀仏とすすめて漢土に弘通せしがごとく、慧心永観法然が日本国を皆阿弥陀仏になしたるがごとくすすめ給はざりけるやらん、答えて云く此の難は古の難なり今はじめたるにはあらず、馬鳴竜樹菩薩等は仏の滅後六百年七百年等の大論師なり、此の人人世にいでて大乗経を弘通せしかば諸諸の小乗の者疑つて云く迦葉阿難等は仏の滅後二十年四十年住寿し給いて正法をひろめ給いしは如来一代の肝心をこそ弘通し給いしか、而るに此の人人は但苦空無常無我の法門をこそ詮とし給いしに今馬鳴竜樹等かしこしといふとも迦葉阿難等にはすぐべからず是一、迦葉は仏にあひまいらせて解をえたる人なり、此の人人は仏にあひたてまつらず是二、外道は常楽我浄と立てしを仏世に出でさせ給いて苦空無常無我と説かせ給いき、此のものどもは常楽我浄といへり、されば仏も御入滅なり又迦葉等もかくれさせ給いぬれば第六天の魔王が此のものどもが身に入りかはりて仏法をやぶり外道の法となさんとするなり、されば仏法のあだをば頭をわれ頚をきれ命をたて食を止めよ国を追へと諸の小乗の人人申せしかども馬鳴竜樹等は但一二人なり昼夜に悪口の声をきき朝暮に杖木をかうふりしなり、而れども此の二人は仏の御使ぞかし、正く摩耶経には六百年に馬鳴出で七百年に竜樹出でんと説かれて候、其の上楞伽経等にも記せられたり又付法蔵経には申すにをよばず、されども諸の小乗のものどもは用いず但めくらぜ(理不尽)めにせめしなり、如来現在猶多怨嫉況滅度後の経文は此の時にあたりて少しつみしられけり、提婆菩薩の外道にころされ師子尊者の頚をきられし此の事をもつておもひやらせ給へ。
又仏滅後一千五百余年にあたりて月氏よりは東に漢土といふ国あり陳隋の代に天台大師出世す、此の人の云く如来の聖教に大あり小あり顕あり密あり権あり実あり、迦葉阿難等は一向に小を弘め馬鳴竜樹無著天親等は権大乗を弘めて実大乗の法華経をば或は但指をさして義をかくし或は経の面をのべて始中終をのべず、或は迹門をのべて本門をあらはさず、或は本迹あつて観心なしといひしかば、南三北七の十流が末数千万人時をつくりどつとわらふ、世の末になるままに不思議の法師も出現せり、時にあたりて我等を偏執する者はありとも後漢の永平十年丁卯の歳より今陳隋にいたるまでの三蔵人師二百六十余人をものもしらずと申す上謗法の者なり悪道に墜つるといふ者出来せり、あまりのものくるはしさに法華経を持て来り給へる羅什三蔵をもものしらぬ者と申すなり、漢土はさてもをけ月氏の大論師竜樹天親等の数百人の四依の菩薩もいまだ実義をのべ給はずといふなり、此をころしたらん人は鷹をころしたるものなり鬼をころすにもすぐべしとののしりき、又妙楽大師の時月氏より法相真言わたり漢土に華厳宗の始まりたりしをとかくせめしかばこれも又さはぎしなり。
日本国には伝教大師が仏滅後一千八百年にあたりていでさせ給い天台の御釈を見て欽明より已来二百六十余年が間の六宗をせめ給いしかば在世の外道漢土の道士日本に出現せりと謗ぜし上仏滅後一千八百年が間月氏漢土日本になかりし円頓の大戒を立てんというのみならず、西国の観音寺の戒壇東国下野の小野寺の戒壇中国大和の国東大寺の戒壇は同く小乗臭糞の戒なり瓦石のごとし、其を持つ法師等は野干猿猴等のごとしとありしかばあら不思議や法師ににたる大蝗虫国に出現せり仏教の苗一時にうせなん、殷の紂夏の桀法師となりて日本に生まれたり、後周の宇文唐の武宗二たび世に出現せり仏法も但今失せぬべし国もほろびなんと大乗小乗の二類の法師出現せば修羅と帝釈と項羽と高祖と一国に並べるなるべしと、諸人手をたたき舌をふるふ、在世には仏と提婆が二の戒壇ありてそこばくの人人死にき、されば他宗にはそむくべし我が師天台大師の立て給はざる円頓の戒壇を立つべしという不思議さよあらおそろしおそろしとののしりあえりき、されども経文分明にありしかば叡山の大乗戒壇すでに立てさせ給いぬ、されば内証は同じけれども法の流布は迦葉阿難よりも馬鳴竜樹等はすぐれ馬鳴等よりも天台はすぐれ天台よりも伝教は超えさせ給いたり、世末になれば人の智はあさく仏教はふかくなる事なり、例せば軽病は凡薬重病には仙薬弱人には強きかたうど有りて扶くるこれなり。
問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉阿難等馬鳴竜樹等天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり、例せば風に随つて波の大小あり薪によつて火の高下あり池に随つて蓮の大小あり雨の大小は竜による根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながしというこれなり、周の代の七百年は文王の礼孝による秦の世ほどもなし始皇の左道によるなり、日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教天台にも超へ竜樹迦葉にもすぐれたり、極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、是れひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず時のしからしむる耳、春は花さき秋は菓なる夏はあたたかに冬はつめたし時のしからしむるに有らずや。
「我滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して悪魔魔民諸の天竜夜叉鳩槃荼等に其の便りを得せしむること無けん」等云云、此の経文若しむなしくなるならば舎利弗は華光如来とならじ迦葉尊者は光明如来とならじ目・は多摩羅跋栴檀香仏とならじ阿難は山海慧自在通王仏とならじ摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏とならじ耶輸陀羅比丘尼は具足千万光相仏とならじ、三千塵点も戯論となり五百塵点も妄語となりて恐らくは教主釈尊は無間地獄に堕ち多宝仏は阿鼻の炎にむせび十方の諸仏は八大地獄を栖とし一切の菩薩は一百三十六の苦をうくべしいかでかその義候べき、其の義なくば日本国は一同の南無妙法蓮華経なり、されば花は根にかへり真味は土にとどまる、此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。 ( 建治二年[太歳丙子]七月二十一日 )
 
報恩抄送文

 

御状給り候畢ぬ、親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ、御本尊図して進候此の法華経は仏の在世よりも仏の滅後正法よりも像法像法よりも末法の初には次第に怨敵強くなるべき由をだにも御心へあるならば日本国に是より外に法華経の行者なしこれを皆人存じ候ぬべし、道善御房の御死去の由去る月粗承わり候、自身早早と参上し此の御房をもやがてつかはすべきにて候しが自身は内心は存ぜずといへども人目には遁世のやうに見えて候へばなにとなく此の山を出でず候、此の御房は又内内人の申し候しは宗論やあらんずらんと申せしゆへに十方にわかて経論等を尋ねしゆへに国国の寺寺へ人をあまたつかはして候に此の御房はするがの国へつかはして当時こそ来て候へ、又此の文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ詮なからん人人にきかせなばあしかりぬべく候、又設いさなくともあまたになり候はばほかさまにもきこえ候なば御ため又このため安穏ならず候はんか、御まへと義成房と二人此の御房をよみてとして嵩がもりの頂にて二三遍又故道善御房の御はかにて一遍よませさせ給いては此の御房にあづけさせ給いてつねに御聴聞候へ、たびたびになり候ならば心づかせ給う事候なむ、恐恐謹言。 ( 七月二十六日 )
 
法華取要抄/文永十一年五月五十三歳御作

 

扶桑沙門日蓮之を述ぶ
夫れ以れば月支西天より漢土日本に渡来する所の経論五千七千余巻なり、其中の諸経論の勝劣浅深難易先後自見に任せて之を弁うことは其の分に及ばず、人に随い宗に依つて之を知る者は其の義紛紕す、所謂華厳宗の云く「一切経の中に此の経第一」と、法相宗の云く「一切経の中に深密経第一」と、三論宗の云く「一切経の中に般若経第一」と、真言宗の云く「一切経の中に大日の三部経第一」と、禅宗の云く或は云く「教内には楞伽経第一」と、或は云く「首楞厳経第一」と或は云く「教外別伝の宗なり」と、浄土宗の云く「一切経の中に浄土の三部経末法に入りては機教相応して第一なり」と、倶舎宗成実宗律宗云く「四阿含並に律論は仏説なり華厳経法華経等は仏説に非ず外道の経なり」或は云く或は云く、而に彼れ彼れ宗宗の元祖等杜順智儼法蔵澄観玄奘慈恩嘉祥道朗善無畏金剛智不空道宣鑒真曇鸞道綽善導達磨慧可等なり、此等の三蔵大師等は皆聖人なり賢人なり智は日月に斉く徳は四海に弥れり、其の上各各に経律論に依り更互に証拠有り随つて王臣国を傾け土民之を仰ぐ末世の偏学設い是非を加うとも人信用を致さじ、爾りと雖も宝山に来り登つて瓦石を採取し栴檀に歩み入つて伊蘭を懐き取らば悔恨有らん、故に万人の謗りを捨て猥りに取捨を加う我が門弟委細に之を尋討せよ。
夫れ諸宗の人師等或は旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず或は新訳の経論を見て旧訳を捨置き或は自宗の曲に執著して己義に随い愚見を注し止めて後代に之を加添す、株杭に驚き騒ぎて兎獣を尋ね求め智円扇に発して仰いで天月を見る非を捨て理を取るは智人なり、今末の論師本の人師の邪義を捨て置いて専ら本経本論を引き見るに五十余年の諸経の中に法華経第四法師品の中の已今当の三字最も第一なり、諸の論師諸の人師定めて此経文を見けるか、然りと雖も或は相似の経文に狂い或は本師の邪会に執し或は王臣等の帰依を恐るるか、所謂金光明経の「是諸経之王」密厳経の「一切経中勝」六波羅蜜経の「総持第一」大日経の「云何菩提」華厳経の「能信是経最為難」般若経の「会入法性不見一事」大智度論の「般若波羅蜜最第一」涅槃論の「今者涅槃理」等なり、此等の諸文は法華経の已今当の三字に相似せる文なり然りと雖も或は梵帝四天等の諸経に対当すれば是れ諸経の王なり或は小乗経に相対すれば諸経の中の王なり或は華厳勝鬘等の経に相対すれば一切経の中に勝れたり全く五十余年の大小権実顕密の諸経に相対して是れ諸経の王の大王なるに非ず所詮所対を見て経経の勝劣を弁うべきなり、強敵を臥伏するに始て大力を知見する是なり、其の上諸経の勝劣は釈尊一仏の浅深なり全く多宝分身の助言を加うるに非ず私説を以て公事に混ずる事勿れ、諸経は或は二乗凡夫に対揚して小乗経を演説し、或は文殊解脱月金剛薩・等の弘伝の菩薩に対向して全く地涌千界の上行等には非ず、今法華経と諸経とを相対するに一代に超過すること二十種之有り、其の中最要二有り所謂三五の二法なり三とは三千塵点劫なり諸経は或は釈尊の因位を明すこと或は三祇或は動逾塵劫或は無量劫なり、梵王云く此の土には二十九劫より已来知行の主なり第六天帝釈四天王等も以て是くの如し、釈尊と梵王等と始めて知行の先後之を諍論す爾りと雖も一指を挙げて之を降伏してより已来梵天頭を傾け魔王掌を合せ三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる是なり、又諸仏の因位と釈尊の因位と之を糾明するに諸仏の因位は或は三祇或は五劫等なり釈尊の因位は既に三千塵点劫より已来娑婆世界の一切衆生の結縁の大士なり、此の世界の六道の一切衆生は他土の他の菩薩に有縁の者一人も之無し、法華経に云く「爾の時に法を聞く者は各諸仏の所に在り」等云云、天台云く「西方は仏別に縁異り故に子父の義成せず」等云云、妙楽云く「弥陀釈迦二仏既に殊なり況や宿昔の縁別にして化導同じからざるをや結縁は生の如く成熟は養の如し生養縁異れば父子成ぜず」等云云、当世日本国の一切衆生弥陀の来迎を待つは譬えば牛の子に馬の乳を含め瓦の鏡に天月を浮ぶるが如し、又果位を以て之を論ずれば諸仏如来或は十劫百劫千劫已来の過去の仏なり、教主釈尊は既に五百塵点劫より已来妙覚果満の仏なり大日如来阿弥陀如来薬師如来等の尽十方の諸仏は我等が本師教主釈尊の所従等なり、天月の万水に浮ぶ是なり、華厳経の十方台上の毘盧遮那大日経金剛頂経両界の大日如来は宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり、例せば世の王の両臣の如し此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり、此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来教主釈尊の愛子なり不孝の失に依つて今に覚知せずと雖も他方の衆生には似る可からず、有縁の仏と結縁の衆生とは譬えば天月の清水に浮ぶが如く無縁の仏と衆生とは譬えば聾者の雷の声を聞き盲者の日月に向うが如し、而るに或る人師は釈尊を下して大日如来を仰崇し或る人師は世尊は無縁なり阿弥陀は有縁なり、或る人師の云く小乗の釈尊と或は華厳経の釈尊と或は法華経迹門の釈尊と此等の諸師並びに檀那等釈尊を忘れて諸仏を取ることは例せば阿闍世太子の頻婆沙羅王を殺し釈尊に背いて提婆達多に付きしが如し、二月十五日は釈尊御入滅の日乃至十二月十五日も三界慈父の御遠忌なり、善導法然永観等の提婆達多に誑されて阿弥陀仏の日と定め畢んぬ、四月八日は世尊御誕生の日なり薬師仏に取り畢んぬ、我が慈父の忌日を他仏に替るは孝養の者なるか如何、寿量品に云く「我も亦為れ世の父狂子を治する為の故に」等云云、天台大師云く「本此の仏に従つて初めて道心を発す亦此の仏に従つて不退地に住す乃至猶百川の海に潮すべきが如く縁に牽かれて応生すること亦復是くの如し」等云云。
問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩第二は二乗第三は凡夫なり、安楽行より勧持提婆宝塔法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く況滅度後の文是なり、疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者」等云云、問うて曰く自讃は如何、答えて曰く喜び身に余るが故に堪え難くして自讃するなり、問うて曰く本門の心如何、答えて曰く本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり、問うて曰く略開近顕遠の心如何、答えて曰く文殊弥勒等の諸大菩薩梵天帝釈日月衆星竜王等初成道の時より般若経に至る已来は一人も釈尊の御弟子に非ず此等の菩薩天人は初成道の時仏未だ説法したまわざる已前に不思議解脱に住して我と別円二教を演説す釈尊其の後に阿含方等般若を宣説し給う然りと雖も全く此等の諸人の得分に非ず、既に別円二教を知りぬれば蔵通をも又知れり勝は劣を兼ぬる是なり委細に之を論ぜば或は釈尊の師匠なるか善知識とは是なり釈尊に随うに非ず、法華経の迹門の八品に来至して始めて未聞の法を聞いて此等の人人は弟子と成りぬ舎利弗目連等は鹿苑より已来初発心の弟子なり、然りと雖も権法のみを許せり、今法華経に来至して実法を授与し法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩二乗大梵天帝釈日月四天竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり、若し爾れば今我等天に向つて之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり。
問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり、疑つて云く此の法門前代に未だ之を聞かず経文に之れ有りや、答えて曰く予が智前賢に超えず設い経文を引くと雖も誰人か之を信ぜん卞和が啼泣伍子胥が悲傷是なり、然りと雖も略開近顕遠動執生疑の文に云く「然も諸の新発意の菩薩仏の滅後に於て若し是の語を聞かば或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん」等云云、文の心は寿量品を説かずんば末代の凡夫皆悪道に堕せん等なり、寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く」等云云、文の心は上は過去の事を説くに似たる様なれども此の文を以て之れを案ずるに滅後を以て本と為す先ず先例を引くなり、分別功徳品に云く「悪世末法の時」等云云、神力品に云く「仏滅度の後に能く是の経を持たんを以つての故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現じ給う」等云云、薬王品に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云、又云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」等云云、涅槃経に云く「譬えば七子の如し父母平等ならざるに非ざれども然も病者に於て心則ち偏に重し」等云云、七子の中の第一第二は一闡提謗法の衆生なり諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり、諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり、此の一閻浮提は縦広七千由善那八万の国之れ有り正像二千年の間未だ広宣流布せざるに法華経当世に当つて流布せしめずんば釈尊は大妄語の仏多宝仏の証明は泡沫に同じく十方分身の仏の助舌も芭蕉の如くならん。
疑つて云く多宝の証明十方の助舌地涌の涌出此等は誰人の為ぞや、答えて曰く世間の情に云く在世の為と、日蓮云く舎利弗目・等は現在を以て之を論ずれば智慧第一神通第一の大聖なり、過去を以て之を論ずれば金竜陀仏青竜陀仏なり、未来を以て之を論ずれば華光如来、霊山を以て之を論ずれば三惑頓尽の大菩薩、本を以て之を論ずれば内秘外現の古菩薩なり、文殊弥勒等の大菩薩は過去の古仏現在の応生なり、梵帝日月四天等は初成已前の大聖なり、其の上前四味四教一言に之を覚りぬ仏の在世には一人に於ても無智の者之れ無し誰人の疑を晴さんが為に多宝仏の証明を借り諸仏舌を出し地涌の菩薩を召さんや方方以て謂れ無き事なり、経文に随つて「況滅度後令法久住」等云云、此等の経文を以て之を案ずるに偏に我等が為なり、随つて天台大師当世を指して云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」伝教大師当世を記して云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云、「末法太有近」の五字は我が世は法華経流布の世に非ずと云う釈なり。
問うて云く如来滅後二千余年竜樹天親天台伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり、問うて曰く正像等に何ぞ弘通せざるや、答えて曰く正像に之を弘通せば小乗権大乗迹門の法門一時に滅尽す可きなり、問うて曰く仏法を滅尽するの法何ぞ之を弘通せんや、答えて曰く末法に於ては大小権実顕密共に教のみ有つて得道無し一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ、逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る、例せば不軽品の如し我が門弟は順縁なり日本国は逆縁なり、疑つて云く何ぞ広略を捨て要を取るや、答えて曰く玄奘三蔵は略を捨てて広を好み四十巻の大品経を六百巻と成す羅什三蔵は広を捨て略を好む千巻の大論を百巻と成せり、日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり、九包淵が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取る支道林が経を講ずるには細科を捨てて元意を取る等云云、仏既に宝塔に入つて二仏座を並べ分身来集し地涌を召し出し肝要を取つて末代に当てて五字を授与せんこと当世異義有る可からず。
疑つて云く今世に此の法を流布せば先相之れ有りや、答えて曰く法華経に「如是相乃至本末究竟等」云云、天台云く「蜘虫掛りて喜び事来たり・鵲鳴いて客人来る小事猶以て是くの如し何に況や大事をや」取意、問うて曰く若し爾れば其の相之れ有りや、答えて曰く去ぬる正嘉年中の大地震文永の大彗星其より已後今に種種の大なる天変地夭此等は此先相なり、仁王経の七難二十九難無量の難、金光明経大集経守護経薬師経等の諸経に挙ぐる所の諸難皆之有り但し無き所は二三四五の日出る大難なり、而るを今年佐渡の国の土民は口口に云う今年正月廿三日の申の時西の方に二の日出現す或は云く三の日出現す等云云、二月五日には東方に明星二つ並び出ず其の中間は三寸計り等云云、此の大難は日本国先代にも未だ之有らざるか、最勝王経の王法正論品に云く「変化の流星堕ち二の日倶時に出で他方の怨賊来つて国人喪乱に遭う」等云云、首楞厳経に云く「或は二の日を見し或は両つの月を見す」等、薬師経に云く「日月薄蝕の難」等云云、金光明経に云く「彗星数ば出で両つの日並び現じ薄蝕恒無し」大集経に云く「仏法実に隠没せば乃至日月明を現ぜず」仁王経に云く「日月度を失い時節返逆し或は赤日出で黒日出で二三四五の日出ず或は日蝕して光無く或は日輪一重二三四五重輪現ぜん」等云云、此の日月等の難は七難二十九難無量の諸難の中に第一の大悪難なり、問うて曰く此等の大中小の諸難は何に因つて之を起すや、答えて曰く「最勝王経に曰く非法を行ずる者を見て当に愛敬を生じ善法を行ずる人に於て苦楚して治罰す」等云云、法華経に云く涅槃経に云く金光明経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行われず」等云云、大集経に云く「仏法実に隠没し乃至是くの如き不善業の悪王悪比丘我が正法を毀壊す」等、仁王経に云く「聖人去る時七難必ず起る」等、又云く「法に非ず律に非ず比丘を繋縛すること獄囚の法の如くす爾の時に当つて法滅せんこと久しからず」等、又云く「諸の悪比丘多く名利を求め国王太子王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説かん其の王別まえずして此の語を信聴せん」等云云、此等の明鏡を齎て当時の日本国を引き向うるに天地を浮ぶること宛も符契の如し眼有らん我が門弟は之を見よ、当に知るべし此の国に悪比丘等有つて天子王子将軍等に向つて讒訴を企て聖人を失う世なり、問うて曰く弗舎密多羅王会昌天子守屋等は月支真旦日本の仏法を滅失し提婆菩薩師子尊者等を殺害す其の時何ぞ此の大難を出さざるや、答えて曰く災難は人に随つて大小有る可し正像二千年の間悪王悪比丘等は或は外道を用い或は道士を語らい或は邪神を信ず仏法を滅失すること大なるに似たれども其の科尚浅きか、今当世の悪王悪比丘の仏法を滅失するは小を以て大を打ち権を以て実を失う人心を削て身を失わず寺塔を焼き尽さずして自然に之を喪す其の失前代に超過せるなり、我が門弟之を見て法華経を信用せよ目を瞋らして鏡に向え、天瞋るは人に失有ればなり、二の日並び出るは一国に二の国王並ぶ相なり、王と王との闘諍なり、星の日月を犯すは臣王を犯す相なり、日と日と競い出るは四天下一同の諍論なり、明星並び出るは太子と太子との諍論なり、是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し本門の三つの法門之を建立し一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か。 ( 文永十一年五月 )
 
四信五品抄/建治三年四月十日五十六歳御作

 

青鳧一結送り給び候い了んぬ。
今来の学者一同の御存知に云く「在世滅後異なりと雖も法華を修行するには必ず三学を具す一を欠いても成ぜず」云云。
余又年来此の義を存する処一代聖教は且らく之を置く法華経に入つて此の義を見聞するに序正の二段は且らく之を置く流通の一段は末法の明鏡尤も依用と為すべし、而して流通に於て二有り一には所謂迹門の中の法師等の五品二には所謂本門の中の分別功徳の半品より経を終るまで十一品半なり、此の十一品半と五品と合せて十六品半此の中に末法に入つて法華を修行する相貌分明なり是に尚事行かずんば普賢経涅槃経等を引き来りて之れを糾明せんに其の隠れ無きか、其の中の分別功徳品の四信と五品とは法華を修行するの大要在世滅後の亀鏡なり。
荊谿の云く「一念信解とは即ち是れ本門立行の首なり」と云云、其の中に現在の四信の初の一念信解と滅後の五品の第一の初随喜と此の二処は一同に百界千如一念三千の宝篋十方三世の諸仏の出る門なり、天台妙楽の二の聖賢此の二処の位を定むるに三の釈有り所謂或は相似十信鉄輪の位或は勧行五品の初品の位未断見思或は名字即の位なり、止観に其の不定を会して云く「仏意知り難し機に赴きて異説す此を借って開解せば何ぞ労しく苦に諍わん」云云等。
予が意に云く、三釈の中名字即は経文に叶うか滅後の五品の初の一品を説いて云く「而も毀呰せずして随喜の心を起す」と若し此の文相似の五品に渡らば而不毀呰の言は便ならざるか、就中寿量品の失心不失心等は皆名字即なり、涅槃経に「若信若不信乃至熈連」とあり之を勘えよ、又一念信解の四字の中の信の一字は四信の初めに居し解の一字は後に奪わるる故なり、若し爾らば無解有信は四信の初位に当る経に第二信を説いて云く「略解言趣」と云云、記の九に云く「唯初信を除く初は解無きが故に」随つて次下の随喜品に至って上の初随喜を重ねて之を分明にす五十人是皆展転劣なり、第五十人に至って二の釈有り一には謂く第五十人は初随喜の内なり二には謂く第五十人は初随喜の外なりと云うは名字即なり、教弥よ実なれば位弥よ下れりと云う釈は此の意なり、四味三教よりも円教は機を摂し爾前の円教よりも法華経は機を摂し迹門よりも本門は機を尽すなり教弥実位弥下の六字心を留めて案ず可し。
問う末法に入って初心の行者必ず円の三学を具するや不や、答えて日く此の義大事たる故に経文を勘え出して貴辺に送付す、所謂五品の初二三品には仏正しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分に限る慧又勘ざれば信を以て慧に代え信の一字を詮と為す、不信は一闡提謗法の因信は慧の因名字即の位なり、天台云く「若し相似の益は隔生すれども忘れず名字勧行の益は隔生すれば即ち忘る或は忘れざるも有り忘るる者も若し知識に値えば宿善還つて生ず若し悪友に値えば則ち本心を失う」云云、恐らくは中古の天台宗の慈覚智証の両大師も天台伝教の善知識に違背して心無畏不空等の悪友に遷れり、末代の学者慧心の往生要集の序に誑惑せられて法華の本心を失い弥陀の権門に入る退大取小の者なり、過去を以て之を推するに未来無量劫を経て三悪道に処せん若し悪友に値えば即ち本心を失うとは是なり。
問うて日く其の証如何答えて日く止観第六に云く「前教に其の位を高うする所以は方便の説なればなり円教の位下きは真実の説なればなり」弘決に云く「前教と云うより下は正く権実を判ず教弥よ実なれば位弥よ下く教弥よ権なれば位弥よ高き故に」と、又記の九に云く「位を判ずることをいわば観境弥よ深く実位弥よ下きを顕す」と云云、他宗は且らく之を置く天台一門の学者等何ぞ実位弥下の釈を閣いて慧心僧都の筆を用ゆるや、畏智空と覚証との事は追つて之を習え大事なり大事なり一閻浮提第一の大事なり心有らん人は聞いて後に我を外め。
問うて云く末代初心の行者何物をか制止するや、答えて日く檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜の気分と為すなり是れ則ち此の経の本意なり、疑って云く此の義未だ見聞せず心を驚かし耳を迷わす明かに証文を引て請う苦に之を示せ、答えて云く経に云く「須く我が為に復た塔寺を起て及び僧坊を作り四事を以て衆僧を供養することをもちいざれ」此の経文明かに初心の行者に檀戒等の五度を制止する文なり、疑って云く汝が引く所の経文は但寺塔と衆僧と計りを制止して未だ諸の戒等に及ばざるか、答えて日く初を挙げて後を略す、問て日く何を以て之を知らん、答えて日く次下の第四品の経文に云く「況や復人有つて能く是の経を持ちて兼ねて布施持戒等を行ぜんをや」云云、経文分明に初二三品の人には檀戒等の五度を制止し第四品に至って始めて之を許す後に許すを以て知んぬ初に制する事を、問うて日く経文一往相似たり将た又疏釈有りや、答えて日く汝が尋ぬる所の釈とは月氏四依の論か将た又漢土日本の人師の書か本を捨て末を尋ね体を離れて影を求め源を忘れて流を貴ぶ分明なる経文を閣いて論釈を請い尋ぬ本経に相違する末釈有らば本経を捨てて末釈に付く可きか然りと雖も好みに随て之を示さん、文句の九に云く「初心は縁に紛動せられて正業を修するを妨げんことを畏る直ちに専ら此の経を持つ即ち上供養なり事を廃して理を存するは所益弘多なり」と、此の釈に縁と云うは五度なり初心の者兼ねて五度を行ずれば正業の信を妨ぐるなり、譬えば小船に財を積んで海を渡るに財と倶に没するが如し、直専持此経と云うは一経に亘るに非ず専ら題目を持って余文を雑えず尚一経の読誦だも許さず何に況や五度をや、「廃事存理」と云うは戒等の事を捨てて題目の理を専らにす云云、所益弘多とは初心の者諸行と題目と並び行ずれば所益全く失うと云云。
文句に云く「問う若爾らば経を持つは即ち是れ第一義の戒なり何が故ぞ復能く戒を持つ者と言うや、答う此は初品を明かす後を以て難を作すべからず」等云云、当世の学者此の釈を見ずして末代の愚人を以て南岳天台の二聖に同ず誤りの中の誤りなり、妙楽重ねて之を明して云く「問う若し爾らば若し事の塔及び色身の骨を須いず亦須く事の戒を持つべからざるべし乃至事の僧を供養することを須いざるや」等云云、伝教大師の云く「二百五十戒忽に捨て畢んぬ」唯教大師一人に限るに非ず鑒真の弟子如宝道忠並びに七大寺等一同に捨て了んぬ、又教大師未来を誡めて云く「末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり市に虎有るが如し此れ誰か信ず可き」云云。
問う汝何ぞ一念三千の観門を勧進せず唯題目許りを唱えしむるや、答えて日く日本の二字に六十六国の人畜財を摂尽して一も残さず月氏の両字に豈七十ケ国無からんや、妙楽の云く「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」又云く「略して界如を挙ぐるに具さに三千を摂す、文殊師利菩薩阿難尊者三会八年の間の仏語之を挙げて妙法蓮華経と題し次下に領解して云く「如是我聞」と云云。
問う其の義を知らざる人唯南無妙法蓮華経と唱うるに解義の功徳を具するや否や、答う小児乳を含むに其の味を知らざれども自然に身を益す耆婆が妙薬誰か弁えて之を服せん水心無けれども火を消し火物を焼く豈覚有らんや竜樹天台皆此の意なり重ねて示す可し。
問う何が故ぞ題目に万法を含むや、答う章安の云く「蓋し序王とは経の玄意を叙す玄意は文の心を述す文の心は迹本に過ぎたるは莫し」妙楽の云く「法華の文心を出して諸教の所以を弁ず」云云、濁水心無けれども月を得て自ら清めり草木雨を得豈覚有つて花さくならんや妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ、初心の行者其の心を知らざれども而も之を行ずるに自然に意に当るなり。
問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ、妙楽の云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有る者は福十号に過ぐ」と、優陀延王は賓頭盧尊者を蔑如して七年の内に身を喪失し相州は日蓮を流罪して百日の内に兵乱に遇えり、経に云く「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出さん若は実にもあれ若は不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん乃至諸悪重病あるべし」又云く「当に世世に眼無かるべし」等云云、明心と円智とは現に白癩を得道阿弥は無眼の者と成りぬ、国中の疫病は頭破七分なり罰を以て徳を推するに我が門人等は福過十号疑い無き者なり。
夫れ人王三十代欽明の御宇に始めて仏法渡りし以来桓武の御宇に至るまで二十代二百余年の間六宗有りと雖も仏法未だ定らず、爰に延暦年中に一りの聖人有つて此の国に出現せり所謂伝教大師是なり、此の人先きより弘通する六宗を糾明し七寺を弟子と為して終に叡山を建てて本寺と為し諸寺を取つて末寺と為す、日本の仏法唯一門なり王法も二に非ず法定まり国清めり其の功を論ぜば源已今当の文より出でたり其の後弘法慈覚智証の三大師事を漢土に寄せて大日の三部は法華経に勝ると謂い剰さえ教大師の削ずる所の真言宗の宗の一字之を副えて八宗と云云、三人一同に勅宣を申し下して日本に弘通し寺毎に法華経の義を破る是偏に已今当の文を破らんと為して釈迦多宝十方の諸仏の大怨敵と成りぬ、然して後仏法漸く廃れ王法次第に衰え天照太神正八幡等の久住の守護神は力を失い梵帝四天は国を去つて已に亡国と成らんとす情有らん人誰か傷み嗟かざらんや、所詮三大師の邪法の興る所は所謂東寺と叡山の総持院と園城寺との三所なり禁止せずんば国土の滅亡と衆生の悪道と疑い無き者か予粗此の旨を勘え国主に示すと雖も敢て叙用無し悲む可し悲む可し。 
 
下山御消息/建治三年六月五十六歳御代作

 

例時に於ては尤も阿弥陀経を読まる可きか等云云此の事は仰せ候はぬ已前より親父の代官といひ私の計と申し此の四五年が間は退転無し、例時には阿弥陀経を読み奉り候しが去年の春の末へ夏の始めより阿弥陀経を止めて一向に法華経の内自我偈読誦し候又同くば一部を読み奉らむとはげみ候これ又偏に現当の御祈祷の為なり、但し阿弥陀経念仏を止めて候事は此れ日比日本国に聞へさせ給う日蓮聖人去る文永十一年の夏の比同じき甲州飯野御牧波木井の郷の内身延の嶺と申す深山に御隠居せさせ給い候へば、さるべき人人御法門承わる可きの由候へども御制止ありて入れられずおぼろげの強縁ならではかなひがたく候しに有人見参の候と申し候しかば信じまいらせ候はんれうには参り候はず、ものの様をも見候はんために閑所より忍びて参り御庵室の後に隠れ人人の御不審に付きてあらあら御法門とかせ給い候き。
法華経と大日経華厳般若深密楞伽阿弥陀経等の経経の勝劣浅深等を先として説き給いしを承り候へば法華経と阿弥陀経等の勝劣は一重二重のみならず天地雲泥に候けり、譬ば帝釈と猿猴と鳳凰と烏鵲と大山と微塵と日月と螢炬等の高下勝劣なり、彼彼の経文と法華経とを引き合せてたくらべさせ給いしかば愚人も弁えつ可し白白なり赤赤なり、されば此の法門は大体人も知れり始めておどろくべきにあらず又仏法を修行する法は必ず経経の大小権実顕密を弁うべき上よくよく時を知り機を鑑みて申すべき事なり、而るに当世日本国は人毎に阿みだ経並に弥陀の名号等を本として法華経を忽諸し奉る世間に智者と仰がるる人人我も我も時機を知れり知れりと存ぜられげに候へども小善を持て大善を打ち奉り権経を以て実経を失ふとがは小善還つて大悪となる薬変じて毒となる親族還つて怨敵と成るが如し難治の次第なり、又仏法には賢なる様なる人なれども時に依り機に依り国に依り先後の弘通に依る事を弁へざれば身心を苦めて修行すれども験なき事なり、設い一向に小乗流布の国には大乗をば弘通する事はあれども一向大乗の国には小乗経をあながちにいむ事なりしゐてこれを弘通すれば国もわづらひ人も悪道まぬかれがたし、又初心の人には二法を並べて修行せしむる事をゆるさず月氏の習いには一向小乗の寺の者は王路を行かず一向大乗の僧は左右の路をふむ事なし井の水河の水同じく飲む事なし何に況や一房に栖みなんや、されば法華経に初心の一向大乗の寺を仏説き給うに「但大乗経典を受持せんことを楽つて、乃至余経の一偈をも受けざれ」又云く「又声聞を求むる比丘比丘尼優婆塞優婆夷に親近せざれ」又云く「亦問訊せざれ」等云云、設い親父たれども一向小乗の寺に住する比丘比丘尼をば一向大乗の寺の子息これを礼拝せず親近せず何に況や其法を修行せんや大小兼行の寺は後心の菩薩なり。
今日本国は最初に仏法渡りて候し比大小雑行にて候しが人王四十五代聖武天皇の御宇に唐の揚州竜興寺の鑑真和尚と申せし人漢土より我が朝に法華経天台宗を渡し給いて有りしが円機未熟とやおぼしけん此の法門をば己心に収めて口にも出だし給はず、大唐の終南山の豊徳寺の道宣律師の小乗戒を日本国の三所に建立せり此れ偏に法華宗の流布すべき方便なり、大乗出現の後には肩を並べて行ぜよとにはあらず例せば儒家の本師たる孔子老子等の三聖は仏の御使として漢土に遣されて内典の初門に礼楽の文を諸人に教えたりき、止観に経を引いて云く「我三聖を遣して彼の震旦を化す」等云云、妙楽大師云く「礼楽前に馳せ真道後に啓く」と云云、仏は大乗の初門に且らく小乗戒を説き給いしかども時すぎぬれば禁めて云く涅槃経に云く「若し人有つて如来は無常なりと言わん云何んぞ是の人舌堕落せざらん」と等云云、其の後人王第五十代桓武天皇の御宇に伝教大師と申せし聖人出現せり始めには華厳三論法相倶舎成実律の六宗を習い極め給うのみならず、達磨宗の淵底を探り究め給ひ剰へいまだ日本国に弘通せざる天台真言の二宗をも尋ね顕わして浅深勝劣を心中に究竟し給へり、去延暦二十一年正月十九日に桓武皇帝高雄山に行幸なり給い、南都七大寺の長者善議勤操等の十四人を教大師に召し合せて六宗と法華宗との勝劣を糾明せられしに六宗の碩学宗宗毎に我宗は一代超過の由各各に立て申されしかども教大師の一言に万事破れ畢んぬ、其の後皇帝重ねて口宣す和気弘世を御使として諌責せられしかば七大寺六宗の碩学一同に謝表を奉り畢んぬ、一十四人の表に云く「此界の含霊而今而後悉く妙円の船に載り早く彼岸に済ることを得」云云、教大師云く「二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ」云云、又云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」又云く「一乗の家には都て権を用いず」又云く「穢食を以て宝器に置くこと無し」又云く「仏世の大羅漢已に此の呵嘖を被むれり滅後の小蚊虻何ぞ此れに随わざらん」云云、此れ又私の責めにはあらず法華経には「正直に方便を捨て但無上道を説く」云云涅槃経には「邪見の人」等云云、邪見方便と申すは華厳大日経般若経阿弥陀経等の四十余年の経経なり、捨とは天台の云く「廃るなり」又云く「謗とは背くなり」正直の初心の行者の法華経を修行する法は上に挙ぐるところの経経宗宗を抛つて一向に法華経を行ずるが真の正直の行者にては候なり、而るを初心の行者深位の菩薩の様に彼彼の経経と法華経とを並べて行ずれば不正直の者となる、世間の法にも賢人は二君に仕へず貞女は両夫に嫁がずと申す是なり、又私に異議を申すべきにあらず。
如来は未来を鑑みさせ給いて我が滅後正法一千年像法一千年末法一万年が間我が法門を弘通すべき人人並に経経を一一にきりあてられて候、而るに此を背く人世に出来せば設い智者賢王なりとも用うべからず、所謂我が滅後の次の日より正法五百年の間は一向小乗経を弘通すべし迦葉阿難乃至富那奢等の十余人なり、後の五百年には権大乗経の内華厳方等深密般若大日経観経阿みだ経等を弥勒菩薩文殊師利菩薩馬鳴菩薩竜樹菩薩無著菩薩天親菩薩等の四依の大菩薩等の大論師弘通すべしと云云、此れ等の大論師は法華経の深義を知し食さざるにあらず然而法華経流布の時も来らざる上釈尊よりも仰せ付けられざる大法なれば心には存じて口に宣べ給はず或時は粗口に囀る様なれども実義をば一向に隠して演べ給はず、像法一千年の内に入りぬれば月氏の仏法漸く漢土日本に渡り来る世尊眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に法華経の半分迹門十四品を譲り給う、これは又地涌の大菩薩末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり、所謂迹門弘通の衆は南岳天台妙楽伝教等是なり、今の時は世すでに上行菩薩等の御出現の時剋に相当れり、而るに余愚眼を以てこれを見るに先相すでにあらはれたるか、而るに諸宗所依の華厳大日阿みだ経等は其の流布の時を論ずれば正法一千年の内後の五百年乃至像法の始めの諍論の経経なり、而るに人師等経経の浅深勝劣等に迷惑するのみならず仏の譲り状をもわすれ時機をも勘へず猥りに宗宗を構え像末の行となせり、例せば白田に種を下だして玄冬に穀をもとめ下弦に満月を期し夜中に日輪を尋ぬる如し、何に況や律宗なんど申す宗は一向小乗なり月氏には正法一千年の前の五百年の小法又日本国にては像法の中比法華経天台宗の流布すべき前に且らく機を調養せむがためなり、例せば日出でんとて明星前に立ち雨下らむとて雲先おこるが如し、日出雨下て後の星雲はなにかせん而るに今は時過ぬ又末法に入りて之を修行せば重病に軽薬を授け大石を小船に載するが如し修行せば身は苦く暇は入りて験なく華のみ開きて菓なからん、故に教大師像法の末に出現して法華経の迹門の戒定慧の三が内其の中円頓の戒壇を叡山に建立し給いし時二百五十戒忽に捨て畢んぬ、随つて又鑑真の末の南都七大寺の一十四人三百余人も加判して大乗の人となり一国挙つて小律儀を捨て畢んぬ、其の授戒の書を見る可し分明なり。
而るを今邪智の持斎の法師等昔し捨てし小乗経を取り出して一戒もたもたぬ名計りなる二百五十戒の法師原有つて公家武家を誑惑して国師とののしる剰我慢を発して大乗戒の人を破戒無戒とあなづる、例せば狗犬が師子を吠え猿猴が帝釈をあなづるが如し、今の律宗の法師原は世間の人人には持戒実語の者の様には見ゆれども其の実を論ぜば天下第一の大不実の者なり、其の故は彼等が本文とする四分律十誦律等の文は大小乗の中には一向小乗小乗の中にも最下の小律なり、在世には十二年の後方等大乗へうつる程の且くのやすめ言滅後には正法の前の五百年は一向小乗の寺なり此れ亦一向大乗の寺の毀謗となさんがためなり、されば日本国には像法半に鑑真和尚大乗の手習とし給う教大師彼の宗を破し給いて人をば天台宗へとりことし宗をば失うべしといへども後に事の由を知らしめんがために我が大乗の弟子を遣してたすけをき給う、而るに今の学者等は此の由を知らずして六宗は本より破れずして有りとおもへり墓無し墓無し、又一類の者等天台の才学を以て見れば我が律宗は幼弱なる故に漸漸に梵網経へうつり結句は法華経の大戒を我が小律に盗み入れて還つて円頓の行者を破戒無戒と咲へば、国主は当時の形貌の貴げなる気色にたぼらかされ給いて天台宗の寺に寄せたる田畠等を奪い取つて彼等にあたへ万民は又一向大乗の寺の帰依を抛ちて彼の寺にうつる、手づから火をつけざれども日本一国の大乗の寺を焼き失い抜目鳥にあらざれども一切衆生の眼を抜きぬ仏の記し給ふ阿羅漢に似たる闡提是なり、涅槃経に云く「我涅槃の後無量百歳に四道の聖人も悉く復涅槃せん正法滅して後像法の中に於いて当に比丘有るべし、持律に似像し少く経を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養せん、乃至袈裟を服すと雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如く外には賢善を現し内には貪嫉を懐き唖法を受けたる婆羅門等の如く実に沙門に非ずして沙門の像を現し邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云、此の経文に世尊未来を記し置き給う。抑釈尊は我等がためには賢父たる上明師なり聖主なり、一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼を以て未来悪世を鑑み給いて記し置き給う記文に云く「我涅槃の後無量百歳」云云仏滅後二千年已後と見へぬ、又「四道の聖人悉く復涅槃せん」云云、付法蔵の二十四人を指すか、「正法滅後」等云云像末の世と聞えたり、「当に比丘有るべし持律に似像し」等云云今末法の代に比丘の似像を撰び出さば日本国には誰の人をか引き出して大覚世尊をば不妄語の人とし奉るべき、俗男俗女比丘尼をば此の経文に載たる事なし但比丘計なり比丘は日本国に数を知らず、然るに其の中に三衣一鉢を身に帯せねば似像と定めがたし唯持斎の法師計相似たり一切の持斎の中には次下の文に持律ととけり律宗より外は又脱ぬ、次下の文に「少し経を読誦す」云云相州鎌倉の極楽寺の良観房にあらずば誰を指し出だし経文をたすけ奉るべき、次下の文に「猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如く外には賢善を現し内には貪嫉を懐く」等云云両火房にあらずば誰をか三衣一鉢の猟師伺猫として仏説を信ず可し、哀れなるかな当時の俗男俗女比丘尼等檀那等が山の鹿家の鼠となりて猟師猫に似たる両火房に伺われたぼらかされて今生には守護国土の天照太神正八幡等にすてられ他国の兵軍にやぶられて猫の鼠を捺え取るが如く猟師の鹿を射死が如し、俗男武士等は射伏切伏られ俗女は捺え取られて他国へおもむかん王昭君楊貴妃が如くになりて後生には無間大城に一人もなく趣くべし。
而るを余此の事を見る故に彼が檀那等が大悪心をおそれず強盛にせむる故に両火房内内諸方に讒言を企てて余が口を塞がんとはげみしなり、又経に云く「汝を供養する者は三悪道に堕つ」等云云、在世の阿羅漢を供養せし人尚三悪道まぬかれがたし、何に況や滅後の誑惑の小律の法師原をや、小戒の大科をばこれを以て知んぬ可し、或は又驢乳にも譬えたり還つて糞となる、或は狗犬にも譬えたり大乗の人の糞を食す、或は・猴或は瓦礫と云云、然れば時を弁へず機をしらずして小乗戒を持たば大乗の障となる、破れば又必ず悪果を招く其の上今の人人小律の者どもは大乗戒を小乗戒に盗み入れ驢乳は牛乳を入れて大乗の人をあざむく、大偸盗の者大謗法の者其のとがを論ずれば提婆達多も肩を並べがたく瞿伽利尊者が足も及ばざる閻浮第一の大悪人なり帰依せん国土安穏なるべしや、余此の事を見るに自身だにも弁へなばさでこそあるべきに日本国に智者とおぼしき人人一人も知らず国すでにやぶれなんとす、其の上仏の諌暁を重んずる上一分の慈悲にもよをされて国に代りて身命を捨て申せども国主等彼にたぼらかされて用ゆる人一人もなし譬へば熱鉄に冷水を投げ睡眠の師子に手を触るが如し、爰に両火房と申す法師あり身には三衣を皮の如くはなつ事なし、一鉢は両眼をまほるが如し二百五十戒堅く持ち三千の威儀をととのへたり、世間の無智の道俗国主よりはじめて万民にいたるまで地蔵尊者の伽羅陀山より出現せるか迦葉尊者の霊山より下来するかと疑ふ、余法華経の第五の巻の勧持品を拝見したてまつれば末代に入りて法華経の大怨敵三類あるべし其の第三の強敵は此の者かと見畢んぬ、便宜あらば国敵をせめて彼れが大慢を倒して仏法の威験をあらはさんと思う処に両火房常に高座にして歎いて云く「日本国の僧尼には二百五十戒五百戒男女には五戒八斎戒等を一同に持たせんとおもうに、日蓮が此の願の障りとなる」と云云、余案じて云く「現証に付て事を切らんと思う処に、彼常に雨を心に任せて下す由披露あり、古へも又雨を以て得失をあらはす例これ多し、所謂伝教大師と護命と守敏と弘法と等なり、此に両火房上より祈雨の御いのりを仰せ付けられたり」と云云、此に両火房祈雨あり去る文永八年六月十八日より二十四日なり、此に使を極楽寺へ遣す年来の御歎きこれなり「七日が間に若一雨も下らば御弟子となりて二百五十戒具さに持たん上に、念仏無間地獄と申す事ひがよみなりけりと申すべし余だにも帰伏し奉らば我弟子等をはじめて日本国大体かたぶき候なん」と云云、七日が間に三度の使をつかはす、然れどもいかんがしたりけむ一雨も下らざるの上、頽風・風旋風暴風等の八風十二時にやむ事なし剰二七日まで一雨も下らず風もやむ事なし、されば此の事は何事ぞ和泉式部と云いし色好み能因法師と申せし無戒の者此は彼の両火房がいむところの三十一文字ぞかし、彼の月氏の大盗賊南無仏と称せしかば天頭を得たり、彼の両火房並に諸僧等の二百五十戒真言法華の小法大法の数百人の仏法の霊験いかなれば婬女等の誑言大盗人が称仏には劣らんとあやしき事なり、此れを以て彼等が大科をばしらるべきにさはなくして還つて讒言をもちゐらるるは実とはおぼへず所詮日本国亡国となるべき期来るか、又祈雨の事はたとひ雨下らせりとも雨の形貌を以て祈る者の賢不賢を知る事あり雨種種なり或は天雨或は竜雨或は修羅雨或は・雨或は甘雨或は雷雨等あり、今の祈雨は都て一雨も下らざる上二七日が間前よりはるかに超過せる大旱魃大悪風十二時に止む事なし、両火房真の人ならば忽に邪見をもひるがへし跡をも山林にかくすべきに其の義なくして面を弟子檀那等にさらす上剰讒言を企て日蓮が頚をきらせまいらせんと申し上あづかる人の国まで状を申し下して種をたたんとする大悪人なり、而るを無智の檀那等は恃怙して現世には国をやぶり後生には無間地獄に堕ちなん事の不便さよ、起世経に云く「諸の衆生有りて放逸を為し清浄の行を汚す故に天雨を下さず」又云く「不如法あり慳貪嫉妬邪見顛倒なる故に天則ち雨を下さず」又経律異相に云く「五事有て雨無し一二三之を略す四には雨師婬乱五には国王理をもつて治めず雨師瞋る故に雨ふらず」云云、此等の経文の亀鏡をもて両火房が身に指し当て見よ少もくもりなからん、一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか二には慳貪なるか三には嫉妬なるか四には邪見なるか五には婬乱なるか此の五にはすぐべからず、又此の経は両火房一人には限るべからず昔をかがみ今をもしれ、弘法大師の祈雨の時二七日の間一雨も下らざりしもあやしき事なり、而るを誑惑の心強盛なりし人なれば天子の御祈雨の雨を盗み取て我が雨と云云、善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵の祈雨の時も小雨は下たりしかども三師共に大風連連と吹いて勅使をつけてをはれしあさましさと、天台大師伝教大師の須臾と三日が間に帝釈雨を下らして小風も吹かざりしもたとくぞおぼゆるおぼゆる。
法華経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在りて、乃至利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如きもの有らん」又云く「常に大衆の中に在て我等を毀らんと欲するが故に国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説き乃至悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん」、又云く「濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らずして悪口して顰蹙し数数擯出せられん」等云云、涅槃経に云く「一闡提有つて羅漢の像を作し空処に住し方等大乗経典を誹謗す諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢是れ大菩薩なりと謂えり」等云云、今予法華経と涅槃経との仏鏡をもつて当時の日本国を浮べて其影をみるに誰の僧か国主に六通の羅漢の如くたとまれて而も法華経の行者を讒言して頚をきらせんとせし、又いづれの僧か万民に大菩薩とあをがれたる、誰の智者か法華経の故に度度処処を追はれ頚をきられ弟子を殺され両度まで流罪せられて最後に頚に及ばんとせし、眼無く耳無きの人は除く眼有り耳有らん人は経文を見聞せよ、今の人人は人毎とに経文を我もよむ我も信じたりといふ只にくむところは日蓮計なり経文を信ずるならば慥にのせたる強敵を取出して経文を信じてよむしるしとせよ、若し爾らずんば経文の如く読誦する日蓮をいかれるは経文をいかれるにあらずや仏の使をかろしむるなり、今の代の両火房が法華経の第三の強敵とならずば釈尊は大妄語の仏多宝十方の諸仏は不実の証明なり、又経文まことならば御帰依の国主は現在には守護の善神にすてられ国は他の有となり後生には阿鼻地獄疑なし、而るに彼等が大悪法を尊まるる故に理不尽の政道出来す彼の国主の僻見の心を推するに日蓮は阿弥陀仏の怨敵父母の建立の堂塔の讎敵なれば仮令政道をまげたりとも仏意には背かじ天神もゆるし給うべしとをもはるるか、はかなしはかなし委細にかたるべけれども此れは小事なれば申さず心有らん者推して知んぬべし、上に書挙るより雲泥大事なる日本第一の大科此の国に出来して年久くなる間、此の国既に梵釈日月四天大王等の諸天にも捨てられ守護の諸大善神も還つて大怨敵となり法華経守護の梵帝等鄰国の聖人に仰せ付けて日本国を治罰し仏前の誓状を遂げんとおぼしめす事あり。
夫れ正像の古へは世濁世に入るといへども始めなりしかば国土さしも乱れず聖賢も間間出現し福徳の王臣も絶えざりしかば政道も曲る事なし万民も直かりし故に小科を対治せんがために三皇五帝三王三聖等出現して墳典を作りて代を治す、世しばらく治りたりしかども漸漸にすへになるままに聖賢も出現せず福徳の人もすくなければ三災は多大にして七難先代に超過せしかば外典及びがたし、其の時治を代えて内典を用いて世を治す随つて世且くはおさまるされども又世末になるままに人の悪は日日に増長し政道は月月に衰減するかの故に又三災七難先よりいよいよ増長して小乗戒等の力験なかりしかば其の時治をかへて小乗の戒等を止めて大乗を用ゆ、大乗又叶わねば法華経の円頓の大戒壇を叡山に建立して代を治めたり、所謂伝教大師日本三所の小乗戒並に華厳三論法相の三大乗戒を破失せし是なり、此の大師は六宗をせめ落させ給うのみならず禅宗をも習い極め剰え日本国にいまだひろまらざりし法華宗真言宗をも勘え出して勝劣鏡をかけ顕密の差別黒白なり、然れども世間の疑を散じがたかりしかば去る延暦年中に御入唐漢土の人人も他事には賢かりしかども法華経大日経天台真言の二宗の勝劣浅深は分明に知らせ給はざりしかば、御帰朝の後本の御存知の如く妙楽大師の記の十の不空三蔵の改悔の言を含光がかたりしを引き載せて天台勝れ真言劣なる明証を依憑集に定め給う剰え真言宗の宗の一字を削り給う、其の故は善無畏金剛智不空の三人一行阿闍梨をたぼらかして本はなき大日経に天台の己証の一念三千の法門を盗み入れて人の珍宝を我が有とせる大誑惑の者なりと心得給へり、例せば澄観法師が天台大師の十法成乗の観法を華厳に盗み入れて還つて天台宗を末教と下せしが如しと御存知あて宗の一字を削りて叡山は唯七宗たるべしと云云、而るを弘法大師と申し天下第一の自讃毀他の大妄語の人、教大師御入滅の後対論なくして公家をかすめたてまつりて八宗と申し立てぬ、然れども本師の跡を紹継する人人は叡山は唯七宗にてこそあるべきに教大師の第三の弟子慈覚大師と叡山第一の座主義真和尚の末弟子智証大師と此の二人は漢土に渡り給いし時日本国にて一国の大事と諍論せし事なれば天台真言の碩学等に値い給う毎に勝劣浅深を尋ね給う、然るに其の時の明匠等も或は真言宗勝れ或は天台宗勝れ或は二宗斉等し或は理同事異といへども倶に慥の証文をば出さず、二宗の学者等併しながら胸臆の言なり然るに慈覚大師は学極めずして帰朝して疏十四巻を作れり所謂金剛頂経の疏七巻蘇悉地経の疏七巻なり此の疏の体たらくは法華経と大日経の三部経とは理は同く事は異なり等云云、此の疏の心は大日経の疏と義釈との心を出すがなを不審あきらめがたかりけるかの故に本尊の御前に疏を指し置て此の疏仏意に叶へりやいなやと祈せいせし処に夢に日輪を射ると云云、うちをどろきて吉夢なり真言勝れたる事疑なしとおもひて宣旨を申し下す日本国に弘通せんとし給いしがほどなく疫病やみて四ケ月と申せしかば跡もなくうせ給いぬ、而るに智証大師は慈覚の御為にも御弟子なりしかば、遺言に任せて宣旨を申し下し給う所謂真言法華斉等なり譬ば鳥の二の翼人の両目の如し又叡山も八宗なるべしと云云、此の両人は身は叡山の雲の上に臥すといへども心は東寺里中の塵にまじはる本師の遺跡を紹継する様にて還つて聖人の正義を忽諸し給へり、法華経の於諸経中最在其上の上の字をうちかへして大日経の下に置き先づ大師の怨敵となるのみならず存外に釈迦多宝十方分身大日如来等の諸仏の讎敵となり給う、されば慈覚大師の夢に日輪を射ると見しは是なり仏法の大科此れよりはじまる日本国亡国となるべき先兆なり、棟梁たる法華経既に大日経の椽梠となりぬ、王法も下剋上して王位も臣下に随うべかりしを其の時又一類の学者有りて堅く此の法門を諍論せし上座主も両方を兼ねて事いまだきれざりしかば世も忽にほろびず有りけるか、例せば外典に云く「大国には諍臣七人中国には五人小国には三人諍論すれば仮令政道に謬誤出来すれども国破れず乃至家に諌子あれば不義におちず」と申すが如し仏家も又是くの如し、天台真言の勝劣浅深事きれざりしかば少少の災難は出来せしかども青天にも捨てられず黄地にも犯されず一国の内の事にてありし程に人王七十七代後白河の法皇の御宇に当りて天台座主明雲伝教大師の止観院の法華経の三部を捨てて慈覚大師の総持院の大日経の三部に付き給う、天台山は名計りにて真言の山になり法華経の所領は大日経の地となる天台と真言と座主と大衆と敵対あるべき序なり、国又王と臣と諍論して王は臣に随うべき序なり一国乱れて他国に破らるべき序なり、然れば明雲は義仲に殺されて院も清盛にしたがひられ給う、然れども公家も叡山も共に此の故としらずして世静ならずすぐる程に災難次第に増長して人王八十二代隠岐の法皇の御宇に至つて一災起れば二災起ると申して禅宗念仏宗起り合いぬ、善導房は法華経は末代には千中無一とかき、法然は捨閉閣抛と云云、禅宗は法華経を失はんがために教外別伝不立文字とののしる、此の三の大悪法鼻を並べて一国に出現せしが故に此の国すでに梵釈二天日月四王に捨てられ奉り守護の善神も還つて大怨敵とならせ給う然れば相伝の所従に責随えられて主上上皇共に夷島に放たれ給い御返りなくしてむなしき島の塵となり給う詮ずる所は実経の所領を奪い取りて権経たる真言の知行となせし上日本国の万民等禅宗念仏宗の悪法を用いし故に天下第一先代未聞の下剋上出来せり而るに相州は謗法の人ならぬ上文武きはめ尽せし人なれば天許し国主となす随つて世且く静なりき、然而又先に王法を失いし真言漸く関東に落ち下る存外に崇重せらるる故に鎌倉又還つて大謗法一闡提の官僧禅僧念仏僧の檀那と成りて新寺を建立して旧寺を捨つる故に天神は眼を瞋らして此の国を睨め地神は憤を含めて身を震ふ長星は一天に覆ひ地震は四海を動かす余此等の災夭に驚いて粗内典五千七千外典三千等を引き見るに先代にも希なる天変地夭なり、然而儒者の家には記せざれば知る事なし仏法は自迷なればこころへず此の災夭は常の政道の相違と世間の謬誤より出来せるにあらず定めて仏法より事起るかと勘へなしぬ、先ず大地震に付て去る正嘉元年に書を一巻注したりしを故最明寺の入道殿に奉る御尋ねもなく御用いもなかりしかば国主の御用いなき法師なればあやまちたりとも科あらじとやおもひけん念仏者並に檀那等又さるべき人人も同意したるとぞ聞へし夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかどもいかんがしたりけん其の夜の害もまぬかれぬ、然れども心を合せたる事なれば寄せたる者も科なくて大事の政道を破る日蓮が未だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ、されば人のあまりににくきには我がほろぶべきとがをもかへりみざるか御式目をも破らるるか御起請文を見るに梵釈四天天照太神正八幡等を書きのせたてまつる、余存外の法門を申さば子細を弁えられずば日本国の御帰依の僧等に召し合せられて其れになを事ゆかずば漢土月氏までも尋ねらるべし、其れに叶わずば子細ありなんとて且くまたるべし、子細も弁えぬ人人が身のほろぶべきを指をきて大事の起請を破らるる事心へられず。
自讃には似たれども本文に任せて申す余は日本国の人人には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり、一には父母なり二には師匠なり三には主君の御使なり、経に云く「即如来の使なり」と又云く「眼目なり」と又云く「日月なり」と章安大師の云く「彼が為に悪を除くは則ち是彼が親なり」等云云、而るに謗法一闡提国敵の法師原が讒言を用いて其義を弁えず左右なく大事たる政道を曲げらるるはわざとわざはひをまねかるるか墓無し墓無し、然るに事しづまりぬれば科なき事は恥かしきかの故にほどなく召返されしかども故最明寺の入道殿も又早くかくれさせ給いぬ、当御時に成りて或は身に疵をかふり或は弟子を殺され或は所所を追れ或はやどをせめしかば一日片時も地上に栖むべき便りなし、是に付けても仏は一切世間多怨難信と説き置き給う諸の菩薩は我不愛身命但惜無上道と誓へり、加刀杖瓦石数数見擯出の文に任せて流罪せられ刀のさきにかかりなば法華経一部よみまいらせたるにこそとおもひきりてわざと不軽菩薩の如く覚徳比丘の様に竜樹菩薩提婆菩薩仏陀密多師子尊者の如く弥強盛に申しはる、今度法華経の大怨敵を見て経文の如く父母師匠朝敵宿世の敵の如く散散に責るならば定めて万人もいかり国主も讒言を収て流罪し頚にも及ばんずらん、其時仏前にして誓状せし梵釈日月四天の願をもはたさせたてまつり法華経の行者をあだまんものを須臾ものがさじと起請せしを身にあてて心みん、釈尊多宝十方分身の諸仏の或は共に宿し或は衣を覆はれ或は守護せんとねんごろに説かせ給いしをも実か虚言かと知つて信心をも増長せんと退転なくはげみし程に案にたがはず去る文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして佐土の国へ流罪せらる、外には遠流と聞えしかども内には頚を切ると定めぬ余又兼て此の事を推せし故に弟子に向つて云く我が願既に遂ぬ悦び身に余れり人身は受けがたくして破れやすし、過去遠遠劫より由なき事には失いしかども法華経のために命をすてたる事はなし、我頚を刎られて師子尊者が絶えたる跡を継ぎ天台伝教の功にも超へ付法蔵の二十五人に一を加えて二十六人となり不軽菩薩の行にも越えて釈迦多宝十方の諸仏にいかがせんとなげかせまいらせんと思いし故に言をもおしまず已前にありし事後に有るべき事の様を平の金吾に申し含めぬ此の語しげければ委細にはかかず。
抑も日本国の主となりて万事を心に任せ給へり何事も両方を召し合せてこそ勝負を決し御成敗をなす人のいかなれば日蓮一人に限つて諸僧等に召合せずして大科に行わるるらん是れ偏にただ事にあらずたとひ日蓮は大科の者なりとも国は安穏なるべからず、御式目を見るに五十一箇条を立てて終りに起請文を書載せたり、第一第二は神事仏事乃至五十一等云云、神事仏事の肝要たる法華経を手ににぎれる者を讒人等に召合せられずして彼等が申すままに頚に及ぶ然れば他事の中にも此の起請文に相違する政道は有るらめども此れは第一の大事なり、日蓮がにくさに国をかへ身を失はんとせらるるか魯の哀公が忘事の第一なる事を記せらるるには移宅に妻をわすると云云、孔子の云く身をわするる者あり国主と成りて政道を曲ぐるなり是云云、将又国主は此の事を委細には知らせ給はざるか、いかに知らせ給はずとのべらるるとも法華経の大怨敵と成給いぬる重科は脱るべしや、多宝十方の諸仏の御前にして教主釈尊の申す口として末代当世の事を説かせ給いしかば諸の菩薩記して云く「悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん、乃至数数擯出せられん」等云云、又四仏釈尊の所説の最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、乃至他方の怨賊来つて国人喪乱に遭わん」等云云、たとい日蓮をば軽賎せさせ給うとも教主釈尊の金言多宝十方の諸仏の証明は空かるべからず一切の真言師禅宗念仏者等の謗法の悪比丘をば前より御帰依ありしかども其の大科を知らせ給はねば少し天も許し善神もすてざりけるにや、而るを日蓮が出現して一切の人を恐れず身命を捨てて指し申さば賢なる国主ならば子細を聞き給うべきに聞きもせず用いられざるだにも不思議なるに剰へ頚に及ばむとせし事は存外の次第なり、然れば大悪人を用いる大科正法の大善人を耻辱する大罪二悪鼻を並べて此の国に出現せり、譬ば修羅を恭敬し日天を射奉るが如し故に前代未聞の大事此の国に起るなり、是又先例なきにあらず夏の桀王は竜蓬が頭を刎ね殷の紂王は比干が胸をさき二世王は李斯を殺し優陀延王は賓頭盧尊者を蔑如し檀弥羅王は師子尊者の頚をきる武王は慧遠法師と諍論し憲宗王は白居易を遠流し徽宗皇帝は法道三蔵の面に火印をさす、此等は皆諌暁を用いざるのみならず還つて怨を成せし人人現世には国を亡し身を失ひ後生には悪道に堕つ是れ又人をあなづり讒言を納れて理を尽さざりし故なり、而るに去る文永十一年二月に佐土の国より召返されて同四月の八日に平金吾に対面して有りし時理不尽の御勘気の由委細に申し含めぬ、又恨むらくは此の国すでに他国に破れん事のあさましさよと歎き申せしかば金吾が云く何の比か大蒙古は寄せ候べきと問いしかば経文には分明に年月を指したる事はなけれども天の御気色を拝見し奉るに以ての外に此の国を睨みさせ給うか今年は一定寄せぬと覚ふ若し寄するならば一人も面を向う者あるべからず此れ又天の責なり、日蓮をばわどのばら(和殿原)が用いぬ者なれば力及ばず、穴賢穴賢真言師等に調伏行わせ給うべからず若し行わするほどならいよいよ悪かるべき由申付けてさて帰りてありしに上下共に先の如く用いさりげに有る上本より存知せり国恩を報ぜんがために三度までは諌暁すべし用いずば山林に身を隠さんとおもひしなり、又上古の本文にも三度のいさめ用いずば去れといふ本文にまかせて且く山中に罷り入りぬ、其の上は国主の用い給はざらんに其れ已下に法門申して何かせん申したりとも国もたすかるまじ人も又仏になるべしともおぼへず。
又念仏無間地獄阿弥陀経を読むべからずと申す事も私の言にはあらず、夫れ弥陀念仏と申すは源と釈迦如来の五十余年の説法の内前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり、然れども如来の金言なれば定めて真実にてこそあるらめと信ずる処に後八年の法華経の序分たる無量義経に仏法華経を説かせ給はんために先づ四十余年の経経並に年紀等を具に数へあげて未顕真実乃至終不得成無上菩提と若干の経経並に法門を唯一言に打ち消し給う事譬えば大水の小火をけし大風の衆の草木の露を落すが如し、然後に正宗の法華経の第一巻に至つて世尊法久後要当説真実又云く正直捨方便但説無上道と説き給う譬へば闇夜に大月輪の出現し大塔立て後足代を切り捨つるが如し、然後実義を定めて云く「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す、復教詔すと雖も而も信受せず、乃至経を読誦し書き持つこと有らん者を見て軽賎憎嫉して而も結恨を懐かん、其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云、経文の次第普通の性相の法には似ず常には五逆七逆の罪人こそ阿鼻地獄とは定めて候に此れはさにては候はず在世滅後の一切衆生阿弥陀経等の四十余年の経経を堅く執して法華経へうつらざらんとたとひ法華経へ入るとも本執を捨てずして彼彼の経経を法華経に並て修行せん人と又自執の経経を法華経に勝れたりといはん人と法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱せん者と此れ等の諸人を指しつめて其人命終入阿鼻獄と定めさせ給いしなり、此の事はただ釈迦一仏の仰なりとも、外道にあらずば疑うべきにてはあらねども已今当の諸経の説に色をかへて重き事をあらはさんがために宝浄世界の多宝如来は自はるばる来給いて証人とならせ給う、釈迦如来の先判たる大日経阿弥陀経念仏等を堅く執して後の法華経へ入らざらむ人人は入阿鼻獄は一定なりと証明し、又阿弥陀仏等の十方の諸仏は各各の国国を捨てて霊山虚空会に詣で給い宝樹下に坐して広長舌を出し大梵天に付け給うこと無量無辺の虹の虚空に立ちたらんが如し、心は四十余年の中の観経阿弥陀経悲華経等に法蔵比丘の諸菩薩四十八願等を発して凡夫を九品の浄土へ来迎せんと説く事は且く法華経已前のやすめ言なり、実には彼れ彼れの経経の文の如く十方西方への来迎はあるべからず実とおもふことなかれ釈迦仏の今説き給うが如し実には釈迦多宝十方の諸仏寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出し給う広長舌なり、我等と釈迦仏とは同じ程の仏なり釈迦仏は天月の如し我等は水中の影の月なり釈迦仏の本土は実には娑婆世界なり天月動き給はずば我等もうつるべからず此の土に居住して法華経の行者を守護せん事臣下が主上を仰ぎ奉らんが如く父母の一子を愛するが如くならんと出し給う舌なり、其の時阿弥陀仏の一二の弟子観音勢至等は阿弥陀仏の塩梅なり雙翼なり左右の臣なり両目の如し、然而極楽世界よりはるばると御供し奉りたりしが無量義経の時仏の阿弥陀経等の四十八願等は未顕真実乃至法華経にて一名阿弥陀と名をあげて此等の法門は真実ならずと説き給いしかば実とも覚へざりしに阿弥陀仏正く来りて合点し給いしをうち見てさては我等が念仏者等を九品の浄土へ来迎の蓮台と合掌の印とは虚しかりけりと聞定めてさては我等も本土に還りて何かせんとて八万二万の菩薩のうちに入り或は観音品に遊於娑婆世界と申して此の土の法華経の行者を守護せんとねんごろに申せしかば、日本国より近き一閻浮提の内南方補陀落山と申す小所を釈迦仏より給いて宿所と定め給ふ、阿弥陀仏は左右の臣下たる観音勢至に捨てられて西方世界へは還り給はず此の世界に留りて法華経の行者を守護せんとありしかば此の世界の内欲界第四の兜率天弥勒菩薩の所領の内四十九院の一院を給いて阿弥陀院と額を打つておはするとこそうけ給はれ、其の上阿弥陀経には仏舎利弗に対して凡夫の往生すべき様を説き給ふ、舎利弗舎利弗又舎利弗と二十余処までいくばくもなき経によび給いしはかまびすしかりし事ぞかし、然れども四紙の一巻が内すべて舎利弗等の諸声聞の往生成仏を許さず法華経に来りてこそ始て華光如来光明如来とは記せられ給いしか一閻浮提第一の大智者たる舎利弗すら浄土の三部経にて往生成仏の跡をけづる、まして末代の牛羊の如くなる男女彼彼の経経にて生死を離れなんや、此の由を弁へざる末代の学者等並に法華経を修行する初心の人人かたじけなく阿弥陀経を読み念仏を申して或は法華経に鼻を並べ、或は後に此れを読みて法華経の肝心とし功徳を阿弥陀経等にあつらへて西方へ回向し往生せんと思ふは譬へば飛竜が驢馬を乗物とし師子が野干をたのみたるか将又日輪出現の後の衆星の光大雨の盛時の小露なり、故に教大師云く「白牛を賜う朝には三車を用いず、家業を得る夕に何ぞ除糞を須いん」、故に経に云く「正直に方便を捨て但無上道を説く」又云く「日出でぬれば星隠れ巧を見て拙を知る」と云云、法華経出現の後は已今当の諸経の捨てらるる事は勿論なりたとひ修行すとも法華経の所従にてこそあるべきに今の日本国の人人道綽が未有一人得者善導が千中無一慧心が往生要集の序永観が十因法然が捨閉閣抛等を堅く信じて或は法華経を抛ちて一向に念仏を申す者もあり、或は念仏を本として助けに法華経を持つ者もあり或は弥陀念仏と法華経とを鼻を並べて左右に念じて二行と行ずる者もあり或は念仏と法華経と一法の二名なりと思いて行ずる者もあり、此れ等は皆教主釈尊の御屋敷の内に居して師主をば指し置き奉りて阿弥陀堂を釈迦如来の御所領の内に国毎に郷毎に家家毎に並べ立て或は一万二万或は七万返或は一生の間一向に修行して主師親をわすれたるだに不思議なるに、剰へ親父たる教主釈尊の御誕生後入滅の両日を奪い取りて、十五日は阿弥陀仏の日八日は薬師仏の日等云云、一仏誕入の両日を東西二仏の死生の日となせり是豈に不孝の者にあらずや逆路七逆の者にあらずや、人毎に此の重科有りてしかも人毎に我が身は科なしとおもへり無慚無愧の一闡提人なり、法華経の第二の巻に主と親と師との三大事を説き給へり一経の肝心ぞかし、其の経文に云く「今此の三界は皆是れ我有なり其中の衆生は悉く是れ吾が子なり、而も今此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す」等云云、又此の経に背く者を文に説いて云く「復教詔すと雖も而も信受せず、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云、されば念仏者が本師の導公は其中衆生の外か唯我一人の経文を破りて千中無一といいし故に現身に狂人と成りて楊柳に登りて身を投げ堅土に落ちて死にかねて十四日より二十七日まで十四日が間顛倒狂死し畢んぬ、又真言宗の元祖善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵等は親父を兼ねたる教主釈尊法王を立下て大日他仏をあがめし故に善無畏三蔵は閻魔王のせめにあづかるのみならず又無間地獄に堕ちぬ、汝等此の事疑あらば眼前に閻魔堂の画を見よ、金剛智不空の事はしげければかかず、又禅宗の三階信行禅師は法華経等の一代聖教をば別教と下だす我が作れる経をば普経と崇重せし故に四依の大士の如くなりしかども法華経の持者の優婆夷にせめられてこえを失ひ現身に大蛇となり数十人の弟子を呑み食う。
今日本国の人人はたとひ法華経を持ち釈尊を釈尊と崇重し奉るとも真言宗禅宗念仏者をあがむるならば無間地獄はまぬがれがたし、何に況や三宗の者共を日月の如く渇仰し我が身にも念仏を事とせむ者をや心あらん人人は念仏阿弥陀経等をば父母師君宿世の敵よりもいむべきものなり、例せば逆臣が旗をば官兵は指す事なし寒食の祭には火をいむぞかし、されば古への論師天親菩薩は小乗経を舌の上に置かじと誓ひ、賢者たりし吉蔵大師は法華経をだに読み給はず、此等はもと小乗経を以て大乗経を破失し法華経を以て天台大師を毀謗し奉りし謗法の重罪を消滅せんがためなり、今日本国の人人は一人もなく不軽軽毀の如く苦岸勝意等の如く一国万人皆無間地獄に堕つべき人人ぞかし、仏の涅槃経に記して末法には法華経誹謗の者は大地微塵よりもおほかるべしと記し給いし是なり、而に今法華経の行者出現せば一国万人皆法華経の読誦を止めて吉蔵大師の天台大師に随うが如く身を肉橋となし不軽軽毀の還つて不軽菩薩に信伏随従せしが如く仕うるとも、一日二日一月二月一年二年一生二生が間には法華経誹謗の重罪は尚なをし滅しがたかるべきに其の義はなくして当世の人人は四衆倶に一慢をおこせり、所謂念仏者は法華経を捨てて念仏を申す日蓮は法華経を持といへども念仏を持たず我等は念仏を持ち法華経をも信ず戒をも持ち一切の善を行ず等云云、此等は野兎が跡を隠し金鳥が頭を穴に入れ、魯人が孔子をあなづり善星が仏ををどせしにことならず鹿馬迷いやすく鷹鳩変じがたき者なり、墓無し墓無し、当時は予が古へ申せし事の漸く合かの故に心中には如何せんとは思ふらめども年来あまりに法にすぎてそしり悪口せし事が忽に翻がたくて信ずる由をせず、而も蒙古はつよりゆく、如何せんと宗盛義朝が様になげくなり、あはれ人は心はあるべきものかな孔子は九思一言周公旦は浴する時は三度にぎり食する時は三度吐給う賢人は此の如く用意をなすなり世間の法にもはふにすぎばあやしめといふぞかし、国を治する人なんどが人の申せばとて委細にも尋ねずして左右なく科に行はれしはあはれくやしかるらんに夏の桀王が湯王に責められ呉王が越王に生けどりにせられし時は賢者の諌暁を用いざりし事を悔ひ阿闍世王が悪瘡身に出で他国に襲はれし時は提婆を眼に見じ耳に聞かじと誓い、乃至宗盛がいくさにまけ義経に生けどられて鎌倉に下されて面をさらせし時は東大寺を焼き払はせ山王の御輿を射奉りし事を歎きしなり、今の世も又一分もたがふべからず日蓮を賎み諸僧を貴び給う故に自然に法華経の強敵となり給う事を弁へず、政道に背きて行はるる間梵釈日月四天竜王等の大怨敵となり給う、法華経守護の釈迦多宝十方分身の諸仏地涌千界迹化他方二聖二天十羅刹女鬼子母神他国の賢王の身に入り代りて国主を罰し国をほろぼさんとするを知らず、真の天のせめにてだにもあるならばたとひ鉄囲山を日本国に引回し須弥山を蓋として十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも法華経の敵となり教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き散して散散に・たりし大禍は現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ日本守護の天照太神正八幡等もいかでかかかる国をばたすけ給うべきいそぎいそぎ治罰を加えて自科を脱がれんとこそはげみ給うらめをそく科に行う間日本国の諸神ども四天大王にいましめられてやあるらん知り難き事なり教大師云く「竊に以れば菩薩は国の宝なること法華経に載せ大乗の利他は摩訶衍の説なり弥天の七難は大乗経に非ずんば何を以てか除くことを為ん、未然の大災は菩薩僧に非ずんば豈冥滅することを得んや」等云云、而るを今大蒙古国を調伏する公家武家の日記を見るに或は五大尊或は七仏薬師或は仏眼或は金輪等云云、此れ等の小法は大災を消すべしや還著於本人と成りて国忽に亡びなんとす、或は日吉の社にして法華の護摩を行うといへども不空三蔵が・れる法を本として行う間祈祷の儀にあらず、又今の高僧等は或は東寺の真言或は天台の真言なり東寺は弘法大師天台は慈覚智証なり、此の三人は上に申すが如く大謗法の人人なり、其れより已外の諸僧等は或は東大寺の戒壇の小乗の者なり、叡山の円頓戒は又慈覚の謗法に曲げられぬ彼の円頓戒も迹門の大戒なれば今の時の機にあらず旁叶うべき事にはあらず、只今国土やぶれなん後悔さきにたたじ不便不便と語り給いしを千万が一を書き付けて参らせ候。
但し身も下賎に生れ心も愚に候へば此の事は道理かとは承わり候へども国主も御用いなきかの故に鎌倉にては如何が候けん不審に覚え候、返す返すも愚意に存じ候はこれ程の国の大事をばいかに御尋ねもなくして両度の御勘気には行はれけるやらんと聞食しほどかせ給はぬ人人の或は道理とも或は僻事とも仰せあるべき事とは覚え候はず、又此の身に阿弥陀経を読み候はぬも併ら御為父母の為にて候、只理不尽に読むべき由を仰せを蒙り候はば其の時重ねて申すべく候、いかにも聞食さずしてうしろの推義をなさん人人の仰せをばたとひ身は随う様に候えども心は一向に用いまいらせ候まじ、又恐れにて候へども兼ねてつみしらせまいらせ候、此の御房は唯一人おはします若しやの御事の候はん時は御後悔や候はんずらん世間の人人の用いねばとは一旦のをろかの事なり上の御用あらん時は誰人か用いざるべきや、其の時は又用いたりとも何かせん人を信じて法を信ぜず、又世間の人人の思いて候は親には子は是非に随うべしと君臣師弟も此くの如しと此れ等は外典をも弁えず内典をも知らぬ人人の邪推なり外典の孝経には子父臣君諍うべき段もあり、内典には恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ、悉達太子は閻浮第一の孝子なり父の王の命を背きてこそ父母をば引導し給いしか、比干が親父紂王を諌暁して胸をほられてこそ賢人の名をば流せしか、賎み給うとも小法師が諌暁を用ひ給はずば現当の御歎きなるべし、此れは親の為に読みまいらせ候はぬ阿弥陀経にて候へばいかにも当時は叶うべしとはおぼへ候はず、恐恐申し上げ候。 
 
本尊問答抄/弘安元年九月五十七歳御作

 

問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、答う法華経の第四法師品に云く「薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復舎利を安んずることを須いじ所以は何ん此の中には已に如来の全身有す」等云云、涅槃経の第四如来性品に云く「復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり」云云、天台大師の法華三昧に云く「道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け」等云云。
疑つて云く天台大師の摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり、不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦多宝を以て法華経の本尊とせり、汝何ぞ此等の義に相違するや、答えて云く是れ私の義にあらず上に出だすところの経文並びに天台大師の御釈なり、但し摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは彼は常坐常行非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり、文殊問経般舟三昧経請観音経等による、是れ爾前の諸経の内未顕真実の経なり、半行半坐三昧には二あり、一には方等経の七仏八菩薩等を本尊とす彼の経による、二には法華経の釈迦多宝等を引き奉れども法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊とすべし、不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず、上に挙ぐる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊法華経の行者の正意なり。
問うて云く日本国に十宗あり所謂倶舎成実律法相三論華厳真言浄土禅法華宗なり、此の宗は皆本尊まちまちなり所謂倶舎成実律の三宗は劣応身の小釈迦なり、法相三論の二宗は大釈迦仏を本尊とす華厳宗は台上のるさな(盧遮那)報身の釈迦如来、真言宗は大日如来、浄土宗は阿弥陀仏、禅宗にも釈迦を用いたり、何ぞ天台宗に独り法華経を本尊とするや、答う彼等は仏を本尊とするに是は経を本尊とす其の義あるべし、問う其の義如何仏と経といづれか勝れたるや、答えて云く本尊とは勝れたるを用うべし、例せば儒家には三皇五帝を用いて本尊とするが如く仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし。
問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり、問う其証拠如何、答う普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり三世の諸の如来を出生する種なり」等云云、又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏は是に因つて五眼を具することを得たまえり仏の三種の身は方等より生ず是れ大法印にして涅槃海を印す此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず此の三種の身は人天の福田応供の中の最なり」等云云、此等の経文仏は所生法華経は能生仏は身なり法華経は神なり、然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし而るに今木画の二像をまうけて大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもとも逆なり。
問うて云く法華経を本尊とすると大日如来を本尊とするといづれか勝るや、答う弘法大師慈覚大師智証大師の御義の如くならば大日如来はすぐれ法華経は劣るなり、問う其の義如何、答う弘法大師の秘蔵宝鑰十住心に云く「第八法華第九華厳第十大日経」等云云是は浅きより深きに入る、慈覚大師の金剛頂経の疏蘇悉地経の疏智証大師の大日経の旨帰等に云く「大日経第一法華経第二」等云云、問う汝が意如何、答う釈迦如来多宝仏総じて十方の諸仏の御評定に云く已今当の一切経の中に法華最為第一なり云云、問う今日本国中の天台真言等の諸僧並びに王臣万民疑つて云く日蓮法師めは弘法慈覚智証大師等に勝るべきか如何、答う日蓮反詰して云く弘法慈覚智証大師等は釈迦多宝十方の諸仏に勝るべきか是一、今日本の国王より民までも教主釈尊の御子なり釈尊の最後の御遺言に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云、法華最第一と申すは法に依るなり、然るに三大師等に勝るべしやとの給ふ諸僧王臣万民乃至所従牛馬等にいたるまで不孝の子にあらずや是二、問う弘法大師は法華経を見給はずや、答う弘法大師も一切経を読み給へり、其の中に法華経華厳経大日経の浅深勝劣を読み給うに法華経を読給う様に云く文殊師利此の法華経は諸仏如来秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の下に在り、又読み給う様に云く薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経あり而も此の経の中に於て法華最第三云云、又慈覚智証大師の読み給う様に云く諸経の中に於て最も其の中に在り又最為第二等云云、釈迦如来多宝仏大日如来一切の諸仏法華経を一切経に相対して説いての給はく法華最第一、又説いて云く法華最も其の上に在り云云、所詮釈迦十方の諸仏と慈覚弘法等の三大師といづれを本とすべきや、但し事を日蓮によせて釈迦十方の諸仏には永く背きて三大師を本とすべきか如何。
問う弘法大師は讃岐の国の人勤操僧正の弟子なり、三論法相の六宗を極む、去る延暦二十三年五月桓武天皇の勅宣を帯びて漢土に入り順宗皇帝の勅に依りて青竜寺に入りて慧果和尚に真言の大法を相承し給へり慧果和尚は大日如来よりは七代になり給う人はかはれども法門はをなじ譬えば瓶の水を猶瓶にうつすがごとし、大日如来と金剛薩・竜猛竜智金剛智不空慧果弘法との瓶は異なれども所伝の智水は同じ真言なり此の大師彼の真言を習いて三千の波涛をわたりて日本国に付き給うに平城嵯峨淳和の三帝にさづけ奉る、去る弘仁十四年正月十九日に東寺を建立すべき勅を給いて真言の秘法を弘通し給う然らば五畿七道六十六箇国二の島にいたるまでも鈴をとり杵をにぎる人たれかこの末流にあらざるや。
又慈覚大師は下野の国の人広智菩薩の弟子なり、大同三年御歳十五にして伝教大師の御弟子となりて叡山に登りて十五年の間六宗を習い法華真言の二宗を習い伝え承和五年御入唐漢土の会昌天子の御宇なり、法全元政義真法月宗叡志遠等の天台真言の碩学に値い奉りて顕密の二道を習い極め給う、其の上殊に真言の秘教は十年の間功を尽し給う大日如来よりは九代なり嘉祥元年仁明天皇の御師なり、仁寿斉衡に金剛頂経蘇悉地経の二経の疏を造り叡山に総持院を建立して第三の座主となり給う天台の真言これよりはじまる。
又智証大師は讃岐の国の人天長四年御年十四叡山に登り義真和尚の御弟子となり給う、日本国にては義真慈覚円澄別当等の諸徳に八宗を習い伝え去る仁寿元年に文徳天皇の勅を給いて漢土に入り宣宗皇帝の大中年中に法全良・和尚等の諸大師に七年の間顕密の二教習い極め給いて去る天安二年に御帰朝文徳清和等の皇帝の御師なり、何れも現の為当の為月の如く日の如く代代の明主時時の臣民信仰余り有り帰依怠り無し故に愚癡の一切偏に信ずるばかりなり誠に法に依つて人に依らざれの金言を背かざるの外は争か仏によらずして弘法等の人によるべきや、所詮其の心如何、答う夫れ教主釈尊の御入滅一千年の間月氏に仏法の弘通せし次第は先五百年は小乗後の五百年は大乗小大権実の諍はありしかども顕密の定めはかすかなりき、像法に入りて十五年と申せしに漢土に仏法渡る始は儒道と釈教と諍論して定めがたかりきされども仏法やうやく弘通せしかば小大権実の諍論いできたる、されどもいたくの相違もなかりしに、漢土に仏法渡りて六百年玄宗皇帝の御宇善無畏金剛智不空の三三蔵月氏より入り給いて後真言宗を立てしかば、華厳法華等の諸宗は以ての外にくだされき上一人自り下万民に至るまで真言には法華経は雲泥なりと思いしなり、其の後徳宗皇帝の御宇に妙楽大師と申す人真言は法華経にあながちにをとりたりとおぼしめししかども、いたく立てる事もなかりしかば法華真言の勝劣を弁える人なし。
日本国は人王三十代欽明の御時百済国より仏法始めて渡りたりしかども始は神と仏との諍論こわくして三十余年はすぎにき、三十四代推古天皇の御宇に聖徳太子始めて仏法を弘通し給う慧観観勒の二の上人百済国よりわたりて三論宗を弘め、孝徳の御宇に道昭禅宗をわたす文武の御宇に新羅国の智鳳法相宗をわたす第四十四代元正天皇の御宇に善無畏三蔵大日経をわたす然而弘まらず、聖武の御宇に審祥大徳朗弁僧正等華厳宗をわたす人王四十六代孝謙天皇の御宇に唐代の鑒真和尚律宗と法華経をわたす律をばひろめ法華をば弘めず、第五十代桓武天皇の御宇に延暦二十三年七月伝教大師勅宣を給いて漢土に渡り妙楽大師の御弟子道邃行満に値い奉りて法華宗の定慧を伝え道宣律師に菩薩戒を伝え順暁和尚と申せし人に真言の秘教を習い伝えて日本国に帰り給いて、真言法華の勝劣は漢土の師のおしへに依りては定め難しと思食しければここにして大日経と法華経と彼の釈と此の釈とを引き並べて勝劣を判じ給いしに大日経は法華経に劣りたるのみならず大日経の疏は天台の心をとりて我が宗に入れたりけりと勘え給へり。
其の後弘法大師真言経を下されける事を遺恨とや思食しけむ真言宗を立てんとたばかりて法華経は大日経に劣るのみならず華厳経に劣れりと云云、あはれ慈覚智証叡山園城にこの義をゆるさずば弘法大師の僻見は日本国にひろまらざらまし、彼の両大師華厳法華の勝劣をばゆるさねど法華真言の勝劣をば永く弘法大師に同心せしかば存外に本の伝教大師の大怨敵となる、其の後日本国の諸碩徳等各智慧高く有るなれども彼の三大師にこえざれば今四百余年の間日本一同に真言は法華経に勝れけりと定め畢んぬたまたま天台宗を習へる人人も真言は法華に及ばざるの由存ぜども天台の座主御室等の高貴におそれて申す事なしあるは又其の義をもわきまへぬかのゆへにからくして同の義をいへば一向真言師はさる事おもひもよらずとわらふなり。
然らば日本国中に数十万の寺社あり皆真言宗なりたまたま法華宗を並ぶとも真言は主の如く法華は所従の如くなり若しくは兼学の人も心中は一同に真言なり、座主長吏検校別当一向に真言たるうへ上に好むところ下皆したがふ事なれば一人ももれず真言師なり、されば日本国或は口には法華経最第一とはよめども心は最第二最第三なり或は身口意共に最第二三なり、三業相応して最第一と読める法華経の行者は四百余年が間一人もなしまして能持此経の行者はあるべしともおぼへず、如来現在猶多怨嫉況滅度後の衆生は上一人より下万民にいたるまで法華経の大怨敵なり。
然るに日蓮は東海道十五箇国の内第十二に相当る安房の国長狭の郡東条の郷片海の海人が子なり、生年十二同じき郷の内清澄寺と申す山にまかり登り住しき、遠国なるうへ寺とはなづけて候へども修学の人なし然而随分諸国を修行して学問し候いしほどに我が身は不肖なり人はおしへず十宗の元起勝劣たやすくわきまへがたきところに、たまたま仏菩薩に祈請して一切の経論を勘て十宗に合せたるに倶舎宗は浅近なれども一分は小乗経に相当するに似たり、成実宗は大小兼雑して謬・あり律宗は本は小乗中比は権大乗今は一向に大乗宗とおもへり又伝教大師の律宗あり別に習う事なり、法相宗は源権大乗経の中の浅近の法門にてありけるが次第に増長して権実と並び結句は彼の宗宗を打ち破らんと存ぜり譬えば日本国の将軍将門純友等のごとし下に居て上を破る、三論宗も又権大乗の空の一分なり此れも我は実大乗とおもへり、華厳宗は又権大乗と云ひながら余宗にまされり譬えば摂政関白のごとし然而法華経を敵となして立てる宗なる故に臣下の身を以て大王に順ぜんとするがごとし、浄土宗と申すも権大乗の一分なれども善導法然がたばかりかしこくして諸経をば上げ観経をば下し正像の機をば上げ末法の機をば下して末法の機に相叶える念仏を取り出して機を以て経を打ち一代の聖教を失いて念仏の一門を立てたり譬えば心かしこくして身は卑しき者が身を上げて心はかなきものを敬いて賢人をうしなふがごとし、禅宗と申すは一代聖教の外に真実の法有りと云云譬えばをやを殺して子を用い主を殺せる所従のしかも其の位につけるがごとし、真言宗と申すは一向に大妄語にて候が深く其の根源をかくして候へば浅機の人あらはしがたし一向に誑惑せられて数年を経て候先ず天竺に真言宗と申す宗なし然れども有りと云云、其の証拠を尋ぬ可きなり所詮大日経ここにわたれり法華経に引き向けて其の勝劣を見候処に大日経は法華経より七重下劣の経なり証拠彼の経此の経に分明なり[此に之を引かず]しかるを或は云く法華経に三重の主君或は二重の主君なりと云云以ての外の大僻見なり、譬えば劉聡が下劣の身として愍帝に馬の口をとらせ超高が民の身として横に帝位につきしがごとし又彼の天竺の大慢婆羅門が釈尊を床として坐せしがごとし漢土にも知る人なく日本にもあやしめずしてすでに四百余年をおくれり。
是くの如く仏法の邪正乱れしかば王法も漸く尽きぬ結句は此の国他国にやぶられて亡国となるべきなり、此の事日蓮独り勘え知れる故に仏法のため王法のため諸経の要文を集めて一巻の書を造る仍つて故最明寺入道殿に奉る立正安国論と名けき、其の書にくはしく申したれども愚人は知り難し、所詮現証を引いて申すべし抑人王八十二代隠岐の法王と申す王有き去ぬる承久三年[太歳辛巳]五月十五日伊賀太郎判官光末を打捕まします鎌倉の義時をうち給はむとての門出なり、やがて五畿七道の兵を召して相州鎌倉の権の太夫義時を打ち給はんとし給うところに還りて義時にまけ給いぬ、結句我が身は隠岐の国にながされ太子二人は佐渡の国阿波の国にながされ給う公卿七人は忽に頚をはねられてき、これはいかにとしてまけ給いけるぞ国王の身として民の如くなる義時を打ち給はんは鷹の雉をとり猫の鼠を食むにてこそあるべけれこれは猫のねずみにくらはれ鷹の雉にとられたるやうなり、しかのみならず調伏力を尽せり所謂天台の座主慈円僧正真言の長者仁和寺の御室園城寺の長吏総じて七大寺十五大寺智慧戒行は日月の如く、秘法は弘法慈覚等の三大師の心中の深密の大法十五壇の秘法なり、五月十九日より六月の十四日にいたるまであせをながしなづきをくだきて行いき最後には御室紫宸殿にして日本国にわたりていまだ三度までも行はぬ大法六月八日始めて之を行う程に同じき十四日に関東の兵軍宇治勢多をおしわたして洛陽に打ち入りて三院を生け取り奉りて九重に火を放ちて一時に焼失す、三院をば三国へ流罪し奉りぬ又公卿七人は忽に頚をきる、しかのみならず御室の御所に押し入りて最愛の弟子の小児勢多伽と申せしをせめいだして終に頚をきりにき御室思いに堪えずして死に給い畢んぬ母も死す童も死す、すべて此のいのりをたのみし人いく千万といふ事をしらず死にきたまたまいきたるもかひなし、御室祈りを始め給いし六月八日より同じき十四日までなかをかぞふれば七日に満じける日なり、此の十五壇の法と申すは一字金輪四天王不動大威徳転法輪如意輪愛染王仏眼六字金剛童子尊星王太元守護経等の大法なり此の法の詮は国敵王敵となる者を降伏して命を召し取りて其の魂を密厳浄土へつかはすと云う法なり、其の行者の人人も又軽からず天台の座主慈円東寺御室三井の常住院の僧正等の四十一人並びに伴僧等三百余人なり云云、法と云ひ行者と云ひ又代も上代なりいかにとしてまけ給いけるぞたとひかつ事こそなくとも即時にまけおはりてかかるはぢにあひたりける事、いかなるゆへといふ事を余人いまだしらず、国主として民を討たん事鷹の鳥をとらんがごとしたとひまけ給うとも一年二年十年二十年もささうべきぞかし五月十五日におこりて六月十四日にまけ給いぬわづかに三十余日なり、権の大夫殿は此の事を兼てしらねば祈祷もなしかまへもなし。
然而日蓮小智を以て勘えたるに其の故あり所謂彼の真言の邪法の故なり僻事は一人なれども万国のわづらひなり一人として行ずとも一国二国やぶれぬべし況や三百余人をや国主とともに法華経の大怨敵となりぬいかでかほろびざらん、かかる大悪法としをへてやうやく関東におち下りて諸堂の別当供僧となり連連と行えり本より辺域の武士なれば教法の邪正をば知らずただ三宝をばあがむべき事とばかり思ふゆへに自然としてこれを用いきたりてやうやく年数を経る程に今他国のせめをかうふりて此の国すでにほろびなんとす、関東八箇国のみならず叡山東寺園城七寺等の座主別当皆関東の御はからひとなりぬるゆへに隠岐の法皇のごとく大悪法の檀那と成定まり給いぬるなり、国主となる事は大小皆梵王帝釈日月四天の御計いなり、法華経の怨敵となり定まり給はば忽に治罰すべきよしを誓い給へり、随つて人王八十一代安徳天皇に太政入道の一門与力して兵衛佐頼朝を調伏せんがために、叡山を氏寺と定め山王を氏神とたのみしかども安徳は西海に沈み明雲は義仲に殺さる一門皆一時にほろび畢んぬ、第二度なり今度は第三度にあたるなり。
日蓮がいさめを御用いなくて真言の悪法を以て大蒙古を調伏せられば日本国還つて調伏せられなむ還著於本人と説けりと申すなり、然らば則ち罰を以て利生を思うに法華経にすぎたる仏になる大道はなかるべきなり現世の祈祷は兵衛佐殿法華経を読誦する現証なり。
此の道理を存ぜる事は父母と師匠との御恩なれば父母はすでに過去し給い畢んぬ、故道善御房は師匠にておはしまししかども法華経の故に地頭におそれ給いて心中には不便とおぼしつらめども外にはかたきのやうににくみ給いぬ、後にはすこし信じ給いたるやうにきこへしかども臨終にはいかにやおはしけむおぼつかなし地獄まではよもおはせじ又生死をはなるる事はあるべしともおぼへず中有にやただよひましますらむとなげかし、貴辺は地頭のいかりし時義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして生死をはなれさせ給うべし。
此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず、漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ経には上行無辺行等こそ出でてひろめさせ給うべしと見へて候へどもいまだ見へさせ給はず、日蓮は其の人に候はねどもほぼこころえて候へば地涌の菩薩の出でさせ給うまでの口ずさみにあらあら申して況滅度後のほこさきに当り候なり、願わくは此の功徳を以て父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候、其の旨をしらせまいらせむがために御不審を書きおくりまいらせ候に他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給い候へ、又これより申さんと存じ候、いかにも御房たちはからい申させ給へ。 
 
諸宗問答抄/建長七年三十四歳御作

 

問うて云く抑法華宗の法門は天台妙楽伝教等の御釈をば御用い候や如何、答て云く最も此の御釈共を明鏡の助証として立て申す法門にて候、問て云く何を明鏡として立てられ候ぞや彼の御釈共には爾前権教を簡び捨てらる事候はず、随つて或は初後仏慧円頓義斉とも或は此妙彼妙妙義殊なること無しとも釈せられて華厳と法華との仏慧同じ仏慧にて異なること無しと釈せられ候、通教別教の仏慧も法華と同じと見えて候何を以て偏に法華勝れたりとは仰せられ候や意得ず候如何、答て云く天台の御釈を引かれ候は定て天台宗にて御坐候らん、然るに天台の御釈には教道証道とて二筋を以て六十巻を造られて候、教道は即教相の法門にて候証道は即内証の悟の方にて候、只今引れ候釈の文共は教証の二道の中には何れの文と御得意候て引かれ候ぞや、若し教門の御釈にて候わば教相には三種の教相を立て爾前法華を釈して勝劣を判ぜられ候、先づ三種の教相と申すは何にて候ぞやと之を尋ぬ可し、若し三種の教相と申すは一には根性の融不融の相二には化導の始終不始終の相三には師弟の遠近不遠近の相なりと答へばさては只今引かれ候御釈は何れの教相の下にて引かれ候やと尋ぬ可きなり、若し根性の融不融の下にて釈せらると答へば又押し返して問う可し根性の融不融の下には約教約部とて二の法門あり何れぞと尋ぬ可し、若し約教の下と答へば又問う可し約教約部に付いて与奪の二の釈候只今の釈は与の釈なるか奪の釈なるかと之を尋ね可し、若し約教約部をも与奪をも弁えずと云わばさてはさては天台宗の法門は堅固に無沙汰にて候けり、尤も天台法華の法門は教相を以て諸仏の御本意を宣られたり若し教相に闇くして法華の法門を云ん者は雖讃法華経還死法華心とて法華の心を殺すと云う事にて候、其の上「若し余経を弘むるに教相を明らめざるも義に於て傷ること無し若し法華を弘むるに教相を明さざれば文義闕くること有り」と釈せられて殊更教相を本として天台の法門は建立せられ候、仰せられ候如く次第も無く偏円をも簡ばず邪正も選ばず法門申さん者をば信受せざれと天台堅く誡しめられ候なり、是程に知食さず候けるに中々天台の御釈を引かれ候事浅・き御事なりと責む可きなり、但し天台の教相を三種に立てらるる中に根性の融不融の相の下にて相待妙絶待妙とて二妙を立て候、相待妙の下にて又約教約部の法門を釈して仏教の勝劣を判ぜられて候、約教の時は一代の教を蔵通別円の四教に分つて之に付いて勝劣を判ずる時は前三為・後一為妙とは判ぜられて蔵通別の三教をば・教と嫌ひ後の一教をば妙法と選取せられ候へども此の時もなほ爾前権教の当分の得道を許し且く華厳等の仏慧と法華の仏慧とを等から令めて只今の初後仏慧円頓義斉等の与の釈を作られ候なり、然りと雖も約部の時は一代の教を五時に分つて五味に配し華厳部阿含部方等部般若部法華部と立てられ前四味為・後一為妙と判じて奪の釈を作られ候なり、然れば奪の釈に云く「細人・人二倶犯過従過辺説倶名・人」と、此釈の意は華厳部にも別円二教を説かれて候へば円の方は仏慧と云わるるなり、方等部にも蔵通別円の四教を説れたれば円の方は又仏慧なり般若部にも通別円の後三教を説いて候へば其れも円の方は仏慧なり、然りと雖も華厳は別教と申すえせ物をつれて説れたる間わるき物つれたる仏慧なりとて簡わるるなり方等部の円も前三教のえせ物をつれたる仏慧なり般若部の円も前二・のえせ物をつれたる仏慧なり、然る間仏慧の名は同と雖も過の辺に従つて・と云われてわるき円教の仏慧と下され候なり、之に依て四教にても真実の勝劣を判ずる時は一往は三蔵を名て小乗と為し再往は三教を名て小乗と為すと釈して一往の時は二百五十戒等の阿含三蔵教の法門を総じて小乗の法と簡い捨てらるれども、再往の釈の時は三蔵教と大乗と云いつる通教と別教との三教皆小乗の法と本朝の智証大師も法華論の記と申す文を作つて判釈せられて候なり。
次に絶待妙と申すは開会の法門にて候なり、此の時は爾前権教とて嫌ひ捨らるる所の教を皆法華の大海におさめ入るるなり、随つて法華の大海に入りぬれば爾前の権教とて嫌わるる者無きなり、皆法華の大海の不可思議の徳として南無妙法蓮華経と云う一味にたたきなしつる間念仏戒真言禅とて別の名言を呼び出す可き道理會て無きなり、随つて釈に云く「諸水入海同一鹹味諸智入如実智失本名字」等と釈して本の名字を一言も呼び顕す可らずと釈せられて候なり、世間の人天台宗は開会の後は相待妙の時斥い捨てられし所の前四味の諸経の名言を唱うるも又諸仏諸菩薩の名言を唱うるも皆是法華の妙体にて有るなり大海に入らざる程こそ各別の思なりけれ大海に入つて後に見れば日来よしわるしと嫌ひ用ひけるは大僻見にて有りけり、嫌はるる諸流も用ひらるる冷水も源はただ大海より出でたる一水にて有りけり、然れば何の水と呼びたりとてもただ大海の一水に於て別別の名言をよびたるにてこそあれ、各別各別の物と思うてよぶにこそ科はあれ只大海の一水と思うて何れをも心に任せて有縁に従つて唱え持つに苦しかる可からずとて念仏をも真言をも何れをも心に任せて持ち唱うるなり。
今云う此の義は与えて云う時はさも有る可きかと覚れども奪つて云う時は随分堕地獄の義にて有るなり、其の故は縦ひ一人此くの如く意得何れをも持ち唱るとても万人此の心根を得ざる時は只例の偏見偏情にて持ち唱えれば一人成仏するとも万人は皆地獄に堕す可き邪見の悪義なり、爾前に立てる所の法門の名言と其の法門の内に談ずる所の道理の所詮とは皆是偏見偏情によりて入邪見稠林若有若無等の権教なり、然れば此等の名言を以て持ち唱へ此等の所詮の理を観ずれば偏に心得たるも心得ざるも皆大地獄に堕つべし、心得たりとて唱へ持ちたらん者は牛蹄に大海を納めたる者の如し是僻見の者なり、何ぞ三悪道を免がれん又心得ざる者の唱へ持たんは本迷惑の者なれば邪見権教の執心によつて無間大城に入らん事疑い無き者なり、開会の後も・教とて嫌い捨てし悪法をば名言をも其の所詮の極理をも唱へ持つて交ゆべからずと見えて候弘決に云く「相待絶待倶に須く悪を離るべし円に著する尚悪なり況や復余をや」云云、文の心は相待妙の時も絶待妙の時も倶に須く悪法をば離るべし円に著する尚悪し況や復余の法をやと云う文なり、円と云うは満足の義なり余と云うは闕減の義なり、円教の十界平等に成仏する法をすら著したる方を悪ぞと嫌ふ、況や復十界平等に成仏せざるの悪法の闕たるを以て執著をなして朝夕受持読誦解説書写せんをや、設ひ爾前の円を今の法華に開会し入るるとも爾前の円は法華の一味となる事無し、法華の体内に開会し入れられても体内の権と云われて実とは云わざるなり、体内の権を体外に取出して且く於一仏乗分別説三する時権に於て円の名を付て三乗の中の円教と云われたるなり、之に依りて古へも金杖の譬を以て三乗にあてて沙汰する事あり、譬へば金の杖を三に打をりて一づつ三乗の機根に与へて何れも皆金なり然れば何ぞ同じ金に於て差別の思をなして勝劣を判ぜんやと談合したり、此はうち聞く所はさもやと覚えたれども悪く学者の得心たるなり、今云う此の義は譬へば法華の体内の権の金杖を仏三根にあてて体外に三度うちふり給へる其の影を機根が見付ずして皆真実の思を成して己が見に任せたるなり、其の真実には金杖を打折て三になしたる事が有らばこそ今の譬は合譬とはならめ、仏は権の金杖を折らずして三度ふり給へるを機根ありて三に成りたりと執著し得心たる返す返す不得心の大邪見なり大邪見なり、三度振りたるも法華の体内の権の功徳を体外の三根に配して三度振りたるにてこそ有れ、全く妙体不思議の円実を振りたる事無きなり、然れば体外の影の三乗を体内の本の権の本体へ開会し入るれば本の体内の権と云われて全く体内の円とは成らざるなり、此の心を以て体内体外の権実の法門をば得意弁ふべき者なり。
次に禅宗の法門は或は教外別伝不立文字と云ひ或は仏祖不伝と云ひ修多羅の教は月をさす指の如しとも云ひ或は即身成仏とも云つて文字をも立てず仏祖にも依らず教法をも修学せず画像木像をも信用せずと云うなり、反詰して云く仏祖不伝にて候はば何ぞ月氏の二十八祖東土の六祖とて相伝せられ候や、其の上迦葉尊者は何ぞ一枝の花房を釈尊より授けられ微笑して心の一法を霊山にして伝えたりとは自称するや、又祖師無用ならば何ぞ達磨大師を本尊とするや、又修多羅の法無用ならば何ぞ朝夕の所作に真言陀羅尼をよみつるぞや、首楞厳経金剛経円覚経等を或は談し或は読誦するや、又仏菩薩を信用せずんば何ぞ南無三宝と行住坐臥に唱うるやと責む可きなり、次に聞き知らざる言を以て種種申し狂はば云う可し、凡そ機には上中下の三根あり随つて法門も三根に与へて説事なり、禅宗の法門にも理致機関向上として三根に配て法門を示され候なり、御辺は某が機をば三根の中には何れと得意て聞知せざる法門を仰せられ候ぞや、又理致の分か機関の分か向上の分に候かと責む可きなり、理致と云うは下根に道理を云いきかせて禅の法門を知らする名目なり、機関とは中根には何なるか本来の面目と問へば庭前の柏樹子なんど答えたる様の言づかひをして禅法を示す様なり、向上と云うは上根の者の事なり此の機は祖師よりも伝えず仏よりも伝えず我として禅の法門を悟る機なり、迦葉霊山微笑の花に依て心の一法を得たりと云う時に是れ尚中根の機なり、所詮禅の法門と云う事は迦葉一枝の花房を得しより已来出来せる法門なり、抑も伝えし時の花房は木の花か草の花か五色の中には何様なる色の花ぞや又花の葉は何重の葉ぞや委細に之を尋ぬ可きなり、此の花をありのままに云い出したる禅宗有らば実に心の一法をも一分得たる者と知る可きなり、設ひ得たりとは存知すとも真実の仏意には叶う可からず如何となれば法華経を信ぜざるが故なり、此の心は法華経の方便品の末長行に委く見えたり委は引て拝見し奉る可きなり、次に禅の法門何としても物に著する所を離れよと教えたる法門にて有るなり、さと云へば其れも情なりかうと云うも其れも情なりとあなたこなたへすべりとどまらぬ法門にて候なり、夫れを責む可き様は他人の情に著したらん計りをば沙汰して己が情量に著し封ぜらる所をば知らざるなり、云うべき様は御辺は人の情計りをば責むれども御辺情を情と執したる情をばなど離れ得ぬぞと反詰すべきなり、凡そ法として三世諸仏の説きのこしたる法は無きなり汝仏祖不伝と云つて仏祖よりも伝えずとなのらばさては禅法は天魔の伝うる所の法門なり如何、然る間汝断常の二見を出でず無間地獄に堕せん事疑無しと云つて何度もかれが云う言にてややもすれば己がつまる語なり、されども非学匠は理につまらずと云つて他人の道理をも自身の道理をも聞き知らざる間暗証の者とは云うなり、都て理におれざるなり譬えば行く水にかずかくが如し。
次に即身即仏とは即身即仏なる道理を立てよと責む可し其の道理を立てずして無理に唯即身即仏と云わば例の天魔の義なりと責む可し但即身即仏と云う名目を聞くに天台法華宗の即身成仏の名目つかひを盗み取て禅宗の家につかふと覚えたり、然れば法華に立つる様なる即身即仏なるか如何とせめよ、若し其の義無く押して名目をつかはばつかはるる語は無障礙の法なり譬えば民の身として国王と名乗ん者の如くなり如何に国王と云うとも言には障り無し己が舌の和かなるままに云うとも其の身は即土民の卑しく嫌われたる身なり、又瓦礫を玉と云う者の如し石瓦を玉と云いたりとも會て石は玉にならず、汝が云う所の即身即仏の名目も此くの如く有名無実なり不便なり不便なり。
次に不立文字と云う所詮文字と云う事は何なるものと得心此くの如く立てられ候や、文字は是一切衆生の心法の顕れたる質なりされば人のかける物を以て其の人の心根を知つて相する事あり、凡そ心と色法とは不二の法にて有る間かきたる物を以て其の人の貧福をも相するなり、然れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり汝若し文字を立てざれば汝が色心をも立つ可からず汝六根を離れて禅の法門一句答へよと責む可きなり、さてと云うもかうと云うも有と無との二見をば離れず無と云わば無の見なりとせめよと有と云わば有の見なりとせめよ、何れも何れも叶わざる事なり。
次に修多羅の教は月をさす指の如しと云うは月を見て後は徒者と云う義なるか若其義にて候わば御辺の親も徒者と云う義か又師匠は弟子の為に徒者か又大地は徒者か又天は徒者か、如何となれば父母は御辺を出生するまでの用にてこそあれ御辺を出生して後はなにかせん、人の師は物を習い取るまでこそ用なれ習い取つて後は無用なり、夫れ天は雨露を下すまでこそあれ雨ふりて後は天無用なり大地は草木を出生せんが為なり草木を出生して後は大地無用なりと云わん者の如し、是を世俗の者の譬に喉過ぬればあつさわすれ病愈えぬれば医師をわすると云うらん譬に少も違わず相似たり、所詮修多羅と云うも文字なり文字は是れ三世諸仏の気命なりと天台釈し給へり、天台は震旦禅宗の祖師の中に入れたり、何ぞ祖師の言を嫌はん其の上御辺の色心なり凡そ一切衆生の三世不断の色心なり、何ぞ汝本来の面目を捨て不立文字と云うや、是れ昔し移宅しけるに我が妻を忘れたる者の如し、真実の禅法をば何としてか知るべき哀なる禅の法門かなと責む可し。
次に華厳法相三論倶舎成実律宗等の六宗の法門いかに花をさかせても申しやすく返事すべき方は能能いはせて後南都の帰伏状を唯読みきかす可きなり、既に六宗の祖師が帰伏の状をかきて桓武天皇に奏し奉る、仍て彼帰伏状を山門に納められぬ其外内裏にも記せられたり諸道の家家にも記し留めて今にあり、其より已来華厳宗等の六宗の法門末法の今に至るまで一度も頭をさし出さず何ぞ唯今事新く捨られたる所の権教無得道の法にをいて真実の思をなし此くの如く仰せられ候ぞや心得られずとせむべし。
次に真言宗の法門は先ず真言三部経は大日如来の説か釈迦如来の説かと尋ね定めて釈迦の説と言はば釈尊五十年の説教にをいて已今当の三説を分別せられたり、其の中に大日経等の三部は何れの分にをさまり候ぞと之を尋ぬ可し、三説の中にはいづくにこそおさまりたりと云はば例の法門にてたやすかるべき問答なり、若法華と同時の説なり義理も法華と同じと云はば法華は是純円一実の教にて會て方便を交へて説く事なし、大日経等は四教を含用したる経なり何ぞ時も同じ義理も同じと云わんや謬りなりとせめよ、次に大日如来の説法と云はば大日如来の父母と生ぜし所と死せし所を委く沙汰し問うべし、一句一偈も大日の父母なし説所なし生死の所なし有名無実の大日如来なり然る間殊に法門せめやすかるべきなり若法門の所詮の理を云はば教主の有無を定めて説教の得不得をば極む可き事なり、設ひ至極の理密事密を沙汰すとも訳者に虚妄有り法華の極理を盗み取て事密真言とか立てられてあるやらん不審なり、之に依りて法の所談は教主の有無に随て沙汰有る可きなりと責む可きなり、次に大日如来は法身と云はば法華よりは未顕真実と嫌い捨てられたる爾前権教にも法身如来と説たり何ぞ不思議なるべきやと云う可きなり、若無始無終の由を云ていみじき由を立て申さば必大日如来に限らず我等一切衆生螻蟻・・等に至るまでみな無始無終の色心なり、衆生に於て有始有終と思ふは外道の僻見なり汝外道に同ず如何と云う可きなり。
次に念仏は是浄土宗所用の義なり、此れ又権教の中の権教なり譬えば夢の中の夢の如し有名無実にして其の実無きなり一切衆生願て所詮なし、然れば云う所の仏も有為無常の阿弥陀仏なり何ぞ常住不滅の道理にしかんや、されば本朝の根本大師の御釈に云く「有為の報仏は夢中の権果無作の三身は覚前の実仏」と釈して阿弥陀仏等の有為無常の仏をば大にいましめ捨てをかれ候なり、既に憑む所の阿弥陀仏有名無実にして名のみ有つて其の体なからんには往生す可き道理をば委く須弥山の如く高く立て大海の如くに深く云とも何の所詮有るべきや又経論に正き明文ども有と云はば明文ありとも未顕真実の文なり、浄土の三部経に限らず華厳経等より初て何の経教論釈にか成仏の明文無らんや、然れども権教の明文なる時は汝等が所執の拙きにてこそあれ経論に無き僻事なり、何れも法門の道理を宣べ厳り依経を立てたりとも夢中の権果にて無用の義に成る可きなり返す返す。 
 
一生成仏抄/建長七年三十四歳御作

 

夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは妙法蓮華経是なり故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり、文理真正の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり唯所詮一心法界の旨を説き顕すを妙法と名く故に此の経を諸仏の智慧とは云うなり、一心法界の旨とは十界三千の依正色心非情草木虚空刹土いづれも除かずちりも残らず一念の心に収めて此の一念の心法界にx満するを指して万法とは云うなり、此の理を覚知するを一心法界とも云うなるべし、但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず・法なり、・法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。
都て一代八万の聖教三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとはゆめゆめ思ふべからず、然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し、然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり、故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり、爰を以て止観には雖学仏教還同外見と釈せり、然る間仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり、之に依つて浄名経の中には諸仏の解脱を衆生の心行に求めば衆生即菩提なり生死即涅槃なりと明せり、又衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。
抑妙とは何と云う心ぞや只我が一念の心不思議なる処を妙とは云うなり不思議とは心も及ばず語も及ばずと云う事なり、然ればすなはち起るところの一念の心を尋ね見れば有りと云はんとすれば色も質もなし又無しと云はんとすれば様様に心起る有と思ふべきに非ず無と思ふべきにも非ず、有無の二の語も及ばず有無の二の心も及ばず有無に非ずして而も有無に・して中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名くるなり、此の妙なる心を名けて法とも云うなり、此の法門の不思議をあらはすに譬を事法にかたどりて蓮華と名く、一心を妙と知りぬれば亦転じて余心をも妙法と知る処を妙経とは云うなり、然ればすなはち善悪に付いて起り起る処の念心の当体を指して是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば成仏の直道とは云うなり、此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず穴賢穴賢、一生成仏の信心南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。 
 
主師親御書/建長七年三十四歳御作

 

釈迦仏は我等が為には主なり師なり親なり一人してすくひ護ると説き給へり、阿弥陀仏は我等が為には主ならず親ならず師ならず、然れば天台大師是を釈して日く「西方は仏別にして縁異なり仏別なるが故に隠顕の義成ぜず縁異なるが故に子父の義成ぜず、又此の経の首末に全く此の旨無し眼を閉じて穿鑿せよ」と実なるかな釈迦仏は中天竺の浄飯大王の太子として十九の御年家を出で給いて檀特山と申す山に篭らせ給ひ、高峯に登つては妻木をとり深谷に下つては水を結び難行苦行して御年三十と申せしに仏にならせ給いて一代聖教を説き給いしに、上には華厳阿含方等般若等の種種の経経を説かせ給へども内心には法華経を説かばやとおぼしめされしかども衆生の機根まちまちにして一種ならざる間仏の御心をば説き給はで人の心に随ひ万の経を説き給へり、此くの如く四十二年が程は心苦しく思食しかども今法華経に至つて我が願既に満足しぬ我が如くに衆生を仏になさんと説き給へり、久遠より已来或は鹿となり或は熊となり或時は鬼神の為に食われ給へり、此くの如き功徳をば法華経を信じたらん衆生は是れ真仏子とて是実の我が子なり此の功徳を此の人に与へんと説き給へり、是れ程に思食したる親の釈迦仏をばないがしろに思ひなして唯以一大事と説き給へる法華経を信ぜざらん人は争か仏になるべきや能く能く心を留めて案ずべし。
二の巻に云く「若し人信ぜずして此の経をx謗せば則ち一切世間の仏種を断ず乃至余経の一偈をも受けざれ」と文の心は仏にならん為には唯法華経を受持せん事を願つて余経の一偈一句をも受けざれと、三の巻に云く「飢国より来つて忽ち大王の膳に遇うが如し」と文の心は飢えたる国より来つて忽に大王の膳にあへり心は犬野干の心を致すとも迦葉目連等の小乗の心をば起さざれ破れたる石は合うとも枯木に花はさくとも二乗は仏になるべからずと仰せられしかば須菩提は茫然として手の一鉢をなげ迦葉は涕泣の声大千界を響すと申して歎き悲みしが今法華経に至つて迦葉尊者は光明如来の記・を授かりしかば目連須菩提摩訶迦旃延等は是を見て我等も定めて仏になるべし飢えたる国より来つて忽に大王の膳にあへるが如しと喜びし文なり、我等衆生無始曠劫より已来妙法蓮華経の如意宝珠を片時も相離れざれども無明の酒にたぼらかされて衣の裏にかけたりとしらずして少きを得て足りぬと思ひぬ、南無妙法蓮華経とだに唱え奉りたらましかば速に仏に成るべかりし衆生どもの五戒十善等のわずかなる戒を以て或は天に生れて大梵天帝釈の身と成つていみじき事と思ひ或時は人に生れて諸の国王大臣公卿殿上人等の身と成つて是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、是を仏は夢の中のさかへまぼろしのたのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり、又四の巻に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」云云。
釈迦仏は師子頬王の孫浄飯王には嫡子なり十善の位をすて五天竺第一なりし美女耶輸多羅女をふりすてて十九の御年出家して勤め行ひ給いしかば三十の御年成道し御坐して三十二相八十種好の御形にて御幸なる時は大梵天王帝釈左右に立ち多聞持国等の四天王先後囲繞せり、法を説き給ふ御時は四弁八音の説法は祇園精舎に満ち三智五眼の徳は四海にしけり、然れば何れの人か仏を悪むべきなれども尚怨嫉するもの多し、まして滅度の後一毫の煩悩をも断ぜず少しの罪をも弁へざらん法華経の行者を悪み嫉む者多からん事は雲霞の如くならんと見えたり、然れば則ち末代悪世に此の経を有りのままに説く人には敵多からんと説かれて候に世間の人人我も持ちたり我も読み奉り行じ候に敵なきは仏の虚言か法華経の実ならざるか、又実の御経ならば当世の人人経をよみまいらせ候は虚よみか実の行者にてはなきか如何能く能く心得べき事なり明むべき物なり、四の巻に多宝如来は釈迦牟尼仏御年三十にして仏に成り給ふに、初には華厳経と申す経を十方華王のみぎりにして別円頓大の法輪法慧垢徳林金剛幢金剛蔵の四菩薩に対して三七日の間説き給いしにも来り給はず、其の二乗の機根叶はざりしかば瓔珞細・の衣をぬぎすて・弊垢膩の衣を著波羅奈国鹿野苑に趣いて十二年の間生滅四諦の法門を説き給ひしに阿若倶鄰等の五人証果し八万の諸天は無生忍を得たり、次に欲色二界の中間大宝坊の儀式浄名の御室には三万二千の牀を立て般若白鷺池の辺十六会の儀式染浄虚融の旨をのべ給いしにも来り給はず、法華経にも一の巻乃至四の巻人記品までも来り給はず宝塔品に至つて初めて来り給へり。
釈迦仏先四十余年の経を我と虚事と仰せられしかば人用うる事なく法華経を真実なりと説かせ給へども仏と云うは無虚妄の人とて永く虚言し給はずと聞きしに一日ならず二日ならず一月ならず二月ならず一年二年ならず四十余年の程まで虚言したり仰せられしかば又此の経を実と説き給うも虚言にやあらんずらんと不審なししかば此の不審釈迦仏一人しては舎利弗を始め事はれがたかりしに此の多宝仏宝浄世界よりはるばると来らせ給いて法華経は皆是れ真実なりと証明し給いしに先の四十余年の経を虚言と仰せらるる事実の虚言に定まるなり、又法華経より外の一切経を空に浮べて文文句句阿難尊者の如く覚り富楼那の弁舌の如くに説くとも其れを難事とせず、又須弥山と申す山は十六万八千由旬の金山にて候を他方世界へつぶてになぐる者ありとも難事には候はじ、仏の滅度の後当世末代悪世に法華経を有りのままに能く説かん是を難しとすと説かせ給へり、五天竺第一の大力なりし提婆達多も長三丈五尺広一丈二尺の石をこそ仏になげかけて候いしか又漢土第一の大力楚の項羽と申せし人も九石入の釜に水満ち候いしをこそひさげ候いしか其れに是は須弥山をばなぐる者は有りとも此の経を説の如く読み奉らん人は有りがたしと説かれて候に人ごとに此の経をよみ書き説き候、経文を虚言に成して当世の人人を皆法華経の行者と思ふべきか能く能く御心得有るべき事なり、五の巻提婆品に云く「若し善男子善女人有りて妙法華経の提婆達多品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄餓鬼畜生に堕せずして十方の仏前に生ぜん」と、此の品には二つの大事あり一には提婆達多と申すは阿難尊者には兄斛飯王には嫡子師子頬王には孫仏にはいとこにて有りしが仏は一閻浮提第一の道心者にてましまししに怨をなして我は又閻浮提第一の邪見放逸の者とならんと誓つて万の悪人を語いて仏に怨をなして三逆罪を作つて現身に大地破れて無間大城に堕ちて候いしを天王如来と申す記・を授けらるる品にて候、然れば善男子と申すは男此の経を信じまひらせて聴聞するならば提婆達多程の悪人だにも仏になる、まして末代の人はたとひ重罪なりとも多分は十悪をすぎずまして深く持ち奉る人仏にならざるべきや、二には娑竭羅竜王のむすめ竜女と申すは八歳のくちなは仏に成りたる品にて候此の事めづらしく貴き事にて候、其の故は華厳経には「女人は地獄の使なり能く仏種子を断ず外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」と、文の心は女人は地獄の使よく仏の種をたつ外面は菩薩に似たれども内心は夜叉の如しと云へり、又云く「一度女人を見る者はよく眼の功徳を失ふ設ひ大蛇をば見るとも女人を見るべからず」と云い、又有る経には「所有の三千界の男子の諸の煩悩を合せ集めて一人の女人の業障と為す」と三千大千世界にあらゆる男子の諸の煩悩を取り集めて女人一人の罪とすと云へり、或経には「三世の諸仏の眼は脱て大地に堕つとも女人は仏に成るべからず」と説き給へり、此の品の意は人畜をいはば畜生たる竜女だにも仏に成れりまして我等は形のごとく人間の果報なり、彼の果報にはまされり争か仏にならざるべきやと思食すべきなり。
中にも三悪道におちずと説かれて候其の地獄と申すは八寒八熱乃至八大地獄の中に初め浅き等活地獄を尋ぬれば此の一閻浮提の下一千由旬なり、其の中の罪人は互に常に害心をいだけりもしたまたま相見れば猟師が鹿にあへるが如し各各鉄の爪を以て互につかみさく血肉皆尽きて唯残つて骨のみあり或は獄卒棒を以て頭よりあなうらに至るまで皆打ちくだく身も破れくだけて猶沙の如し、焦熱なんど申すは譬えんかたなき苦なり鉄城四方に回つて門を閉じたれば力士も開きがたく猛火高くのぼつて金翅のつばさもかけるべからず、餓鬼道と申すは其の住処に二あり一には地の下五百由旬の閻魔王宮にあり、二には人天の中にもまじはれり其の相種種なり或は腹は大海の如くのんどは鍼の如くなれば明けても暮れても食すともあくべからず、まして五百生七百生なんど飲食の名をだにもきかず或は己が頭をくだきて脳を食するもあり或は一夜に五人の子を生んで夜の内に食するもあり、万菓林に結べり取らんとすれば悉く剣の林となり万水大海に流入りぬ飲んとすれば猛火となる如何にしてか此の苦をまぬがるべき、次に畜生道と申すは其の住所に二あり根本は大海に住す枝末は人天に雑れり短き物は長き物にのまれ小き物は大なる物に食はれ互に相食んでしばらくもやすむ事なし、或は鳥獣と生れ或は牛馬と成つても重き物をおほせられ西へ行かんと思へば東へやられ東へ行かんとすれば西へやらる山野に多くある水と草をのみ思いて余は知るところなし、然るに善男子善女人此の法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱え奉らば此の三罪を脱るべしと説き給へり何事か是にしかんたのもしきかなたのもしきかな、又五の巻に云く「我れ大乗経を闡いて苦の衆生を度脱す」と心はわれ大乗の教をひらいてと申すは法華経を申す苦の衆生とは何ぞや地獄の衆生にもあらず餓鬼道の衆生にもあらず只女人を指して苦の衆生と名けたり、五障三従と申して三つしたがふ事有つて五つの障りあり竜女我女人の身を受けて女人の苦をつみしれり然れば余をば知るべからず女人を導かんと誓へり、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。 
 
一代聖教大意/正嘉二年二月三十七歳御作

 

四教は一には三蔵教二には通教三には別教四には円教なり。
始に三蔵とは阿含経の意なり此の経の意は六道より外を明さず但し六道[地餓畜修人天]の内の因果の道理を明す、但し正報は十界を明すなり地餓畜修人天声聞縁覚菩薩仏なり依報が六にて有れば六界と申すなり、此の教の意は六道より外を明さざれば三界より外に浄土と申す生処ありと言わず又三世に仏は次第次第に出世すとは云へども横に十方に並べて仏有りとも云わず、三蔵とは一には経蔵[亦云定蔵]二には律蔵[亦云戒蔵]三には論蔵[亦云慧蔵]なり但し経律論の定戒慧戒定慧慧定戒と云う事あるなり、戒蔵とは五戒八戒十善戒二百五十戒五百戒なり定蔵とは味禅[定名]浄禅無漏禅なり慧蔵とは苦空無常無我の智慧なり、戒定慧の勝劣と云うは但上の戒計りを持つ者は三界の内の欲界の人天に生を受くる凡夫なり、但し上の定計りを修する人は戒を持たざれども定の力に依つて上の戒を具するなり、此の定の内に味禅浄禅は三界の内色無色界へ生ず無漏禅は声聞縁覚と成つて見思を断じ尽し灰身滅智するなり、慧は又苦空無常無我と我が色心を観ずれば上の戒定を自然に具足して声聞縁覚とも成るなり、故に戒より定は勝れ定より慧は勝れたり、而れども此の三蔵教の意は戒が本体にてあるなり、されば阿含経を総結する遺教経には戒を説けるなり、此の教の意は依報には六界正報には十界を明せども而も依報に随つて六界を明す経と名くるなり、又正報に十界を明せども縁覚菩薩仏も声聞の悟に過ぎざれば但声聞教とも申す、されば仏も菩薩も縁覚も灰身滅智する教なり、声聞に付いて七賢七聖の位あり、六道は凡夫なり。
一に五停心
外凡三賢二に別想念処
智と言う事なり三に総想念処
七賢一に・法
内凡四善根二に頂法
三に忍法
四に世第一法
此の七賢の位は六道の凡夫より賢く生死を厭ひ煩悩を具しながら煩悩を発さざる賢人なり、例せば外典の許由巣父が如し。
一に数息息を数えて散乱を治す
二に不浄身の不浄を観じて貪欲を治す
五停心三に慈悲慈悲を観じて嫉妬を治す
四に因縁十二因縁を観じて愚癡を治す
五に界方便地水火風空識の六界を観じて障道を治す又は念仏と云う
一に身外道は身を浄と言い仏は不浄と説き給う
別想念処二に受外道は三界を楽と言い仏は苦と説き給う
三に心外道は心を常と言い仏は無常と説き給う
四に法外道は一切衆生に我有りと云い仏は無我と説き給う
外道は常[心]楽[受]我[法]浄[身]仏は苦不浄無常無我と説く総想念処とは先の苦不浄無常無我を調練して観ずるなり・法は智慧の火煩悩の薪を蒸せば煙の立つなり故に・法と云う、頂法は山の頂に登つて四方を見るに雲無きが如し、世間出世間の因果の道理を委く知つて闇き事無きに譬えたるなり、始め五停心より此の頂法に至るまで退位と申して悪縁に値へば悪道に堕つ而れども此の頂法の善根は失せずと習うなり、忍法は此の位に入る人は永く悪道に堕ちず、世第一法は此の位に至る賢人なり但今聖人と成る可きなり。
一に見道二随信行鈍根
随法行利根
二に修道三信解鈍根
正と言う事なり阿羅漢見得利根
七聖三身証利鈍に亘る
三に無学道二慧解脱鈍根
倶解脱利根
見思の煩悩を断ずる者を聖と云う、此の聖人に三道あり、見道とは見思の内の見惑を断じ尽くす、此の見惑を尽くす人をば初果の聖者と申す、此の人は欲界の人天には生るれども永く地餓畜修の四悪趣には堕ちず、天台云く「見惑を破るが故に四悪趣を離る」文、此の人は未だ思惑を断ぜず貪瞋癡有り、身に貪欲ある故に妻を帯す、而れども他人の妻を犯さず、瞋恚あれども物を殺さず、鋤を以て地をすけば虫自然に四寸去る、愚癡なる故に我が身初果の聖者と知らず、婆娑論に云く「初果の聖者は妻を八十一度一夜に犯すと」[取意]天台の解釈に云く「初果地を耕すに虫四寸を離るるは道共の力なり」と、第四果の聖者阿羅漢を無学と云ひ亦は不生と云う、永く見思を断じ尽して三界六道に此の生の尽きて後生ずべからず見思の煩悩無きが故なり、又此の教の意は三界六道より外に処を明さざれば生処有りと知らず身に煩悩有りとも知らず又生因なく但灰身滅智と申して身も心もうせ虚空の如く成るべしと習う、法華経にあらずば永く仏になるべからずと云うは二乗是なり、此の教の修行の時節は声聞は三生[鈍根]六十劫[利根]又一類の最上利根の声聞一生の内に阿羅漢の位に登る事あり、縁覚は四生[鈍根]百劫[利根]菩薩は一向凡夫にて見思を断ぜず而も四弘誓願を発し六度万行を修し三僧祇百大劫を経て三蔵教の仏と成る仏と成る時始めて見思を断尽するなり、見惑とは一には身見[亦我見と云う]二には辺見[亦断見常見と云う]三には邪見[亦撥無見と云う]四には見取見[亦劣謂勝見と云う]五には戒禁取見[亦非因計因非道計道見と云う]なり見惑は八十八有れども此の五が根本にて有るなり、思惑とは一には貪二には瞋三には癡四には慢なり思惑は八十一有れども此の四が根本にて有るなり、此の法門は阿含経四十巻婆沙論二百巻正理論顕宗論倶舎論に具に明せり、別して倶舎宗と申す宗有り又諸の大乗に此の法門少少明す事あり謂く方等部の経涅槃経等なり但し華厳般若法華には此の法門無し。
次に通教とは[大乗の始なり]又戒定慧の三学あり、此の教の意のおきて大旨は六道を出でず少分利根なる菩薩六道より外に推し出すことあり、声聞縁覚菩薩共に一の法門を習い見思を三人共に断じ而も声聞縁覚灰身滅智の意に入る者もあり入らざる者もあり、此の教に十地あり。
一乾慧地三賢
二性地四善根賢人
三八人地見道位聖人
見惑を断ず
四見地初果の聖人
十地五薄地
六離欲地思惑を断ず
七已弁地阿羅漢見思を断じ尽す
八辟支仏地習気を尽す
九菩薩地誓つて習を扶けて生ずるなり
十仏地見思を断じ尽す
此通教の法門は別して一経に限らず方等経般若経心経観経阿弥陀経雙観経金剛般若等の経に散在せり、此通教の修行の時節は動踰塵劫を経て仏に成ると習うなり、又一類の疾く成ると云う辺もあり已上上の蔵通二教には六道の凡夫本より仏性ありとも談ぜず始めて修すれば声聞縁覚菩薩仏とおもひおもひに成ると談ずる教なり。
次に別教又戒定慧の三学を談ず此の教は但菩薩計りにて声聞縁覚を雑えず、菩薩戒とは三聚浄戒なり五戒八戒十善戒二百五十戒五百戒梵網の五十八の戒瓔珞の十無尽戒華厳の十戒涅槃経の自行の五支戒護佗の十戒大論の十戒是等は皆菩薩の三聚浄戒の内摂律儀戒なり、摂善法戒とは八万四千の法門を摂す、饒益有情戒とは四弘誓願なり定とは観練熏修の四種の禅定なり慧とは心生十界の法門なり、五十二位を立つ五十二位とは一に十信二に十住三に十行四に十回向五に十地等覚[一位]妙覚[二位]なり、已上五十二位。
十信退位凡夫菩薩未だ見思を断ぜず
十住不退位
五十二位十行
十回向見思麈沙を断ぜる菩薩
十地無明を断ぜる菩薩
等覚
妙覚無明を断じ尽せる仏なり
此の教は大乗なり戒定慧を明す戒は前の蔵通二教に似ず尽未来際の戒金剛宝戒なり、此の教の菩薩は三悪道を恐しとせず二乗道を恐る地餓畜等の三悪道は仏の種子を断ぜず二乗の道は仏の種子を断ずればなり、大荘厳論に云く「恒に地獄に処すと雖も大菩提を障えず若し自利の心を起さば是れ大菩提の障なり」と、此の教の習は真の悪道とは三無為の火・なり真の悪人とは二乗を云うなり、されば悪を造るとも二乗の戒をば持たじと談ず、故に大般若経に云く「若し菩薩設い恒河沙劫に妙なる五欲を受くるとも菩薩戒に於ては猶犯と名けずと若し一念二乗の心を起さば即ち名けて犯と為す」文、此の文に妙なる五欲とは色声香味触の五欲なり色欲とは青黛珂雪白歯等声欲とは絲竹管絃香欲とは沈檀芳薫味欲とは猪鹿等の味触欲とは・膚等なり、此に恒河沙劫に著すれども菩薩戒は破れず一念の二乗の心を起すに菩薩戒は破ると云える文なり、太賢の古迹に云く「貪に汚さるると雖も大心尽きざるをもつて無余の犯無し起せども無犯と名く」文、二乗戒に趣くを菩薩の破戒とは申すなり華厳般若方等総じて爾前の経にはあながちに二乗をきらうなり定慧此れを略す、梵網経に云く「戒をば謂いて大地と為し定をば謂いて室宅と為す智慧は為灯明なり」文、此の菩薩戒は人畜黄門二形の四種を嫌わず但一種の菩薩戒を授く、此の教の意は五十二位を一一の位に多倶低劫を経て衆生界を尽して仏に成るべし一人として一生に仏に成る者無し、又一行を以て仏に成る事無し一切行を積んで仏と成る微塵を積んで須弥山と成すが如し、華厳方等般若梵網瓔珞等の経に此の旨分明なり、但し二乗界の此の戒を受くる事を嫌ふ、妙楽の釈に云く「・く法華已前の諸経を尋ぬるに実に二乗作仏の文無し」文。
次に円教とは此の円教に二有り一には爾前の円二には法華涅槃の円なり、爾前の円に五十二位又戒定慧あり、爾前の円とは華厳経の法界唯心の法門文に云く「初発心の時便ち正覚を成ずと」又云く「円満修多羅」文、浄名経に云く「無我無造にして受者無けれども善悪の業敗亡せず」文、般若経に云く「初発心より即ち道場に坐す」文、観経に云く「韋提希時に応じて即ち無生法忍を得」文、梵網経に云く「衆生仏戒を受くれば位大覚に同じ即ち諸仏の位に入り真に是れ諸仏の子なり」文、此は皆爾前の円の証文なり、此の教の意は又五十二位を明す名は別教の五十二位の如し但し義はかはれり、其の故は五十二位が互に具して浅深も無く勝劣も無し、凡夫も位を経ずとも仏にもなり又往生するなり、煩悩も断ぜざれども仏に成る障り無く一善一戒を以ても仏に成る少少開会の法門を説く処もあり、所謂浄名経には凡夫を会し煩悩悪法も皆会す但し二乗を会せず、般若経の中には二乗の所学の法門をば開会して二乗の人と悪人をば開会せず、観経等の経に凡夫一毫の煩悩をも断ぜず往生すと説くは皆爾前の円教の意なり、法華経の円経は後に至つて書く可し[已上四教]。
次に五時、五時とは一には華厳経[結経梵網経]別円二教を説く、二には阿含[結経遺教経]但三蔵教の小乗の法門を説く、三には方等経宝積経観経等の説時を知らざる権大乗経なり[結経瓔珞経]、但し蔵通別円の四教を皆説く、四には般若経[結経仁王経]通教別教円教の後三教を説く三蔵教を説かず、華厳経は三七日の間の説阿含経は十二年の説方等般若は三十年の説、已上華厳より般若に至る四十二年なり、山門の義には方等は説時定まらず説処定まらず般若経三十年と申す、寺門の義には方等十六年般若十四年と申す、秘蔵の大事の義には方等般若は説時三十年但し方等は前般若は後と申すなり、仏は十九出家三十成道と定むる事は大論に見えたり、一代聖教五十年と申す事は涅槃経に見えたり、法華経已前四十二年と申す事は無量義経に見えたり、法華経八箇年と申す事は涅槃経の五十年の文と無量義経の四十二年の文の間を勘うれば八箇年なり、已上十九出家三十成道五十年の転法輪八十入滅と定む可し、此等の四十二年の説教は皆法華経の汲引の方便なり、其の故は無量義経に云く「我先に道場菩提樹下に端坐すること六年阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり○方便力を以てす、四十余年には未だ真実を顕さず初に四諦を説き[阿含経なり]次に方等十二部経摩訶般若華厳海空を説く」文。
私に云く説の次第に順ずれば華厳阿含方等般若法華涅槃なり、法門の浅深の次第を列ぬれば阿含方等般若華厳涅槃法華と列ぬべし、されば法華経涅槃経には爾くの如く見えたり華厳宗と申す宗は智厳法師法蔵法師澄観法師等の人師華厳経に依つて立てたり、倶舎宗成実宗律宗は宝法師光法師道宣等の人師阿含経に依つて立てたり、法相宗と申す宗は玄奘三蔵慈恩法師等方等部の内に上生経下生経成仏経解深密経瑜伽論唯識論等の経論に依つて立てたり、三論宗と申す宗は般若経百論中論十二門論大論等の経論に依つて吉蔵大師立て給へり、華厳宗と申すは華厳と法華涅槃は同じく円教と立つ余は皆劣と云うなる可し、法相宗には解深密経と華厳般若法華涅槃は同じ程の経と云う、三論宗とは般若経と華厳法華涅槃は同じ程の経なり、但し法相の依経諸の小乗経は劣なりと立つ、此等は皆法華已前の諸経に依つて立てたる宗なり、爾前の円を極として立てたる宗どもなり、宗宗の人人の諍は有れども経経に依つて勝劣を判ぜん時はいかにも法華経は勝れたるべきなり、人師の釈を以て勝劣を論ずる事無し。
五には法華経と申すは開経には無量義経[一巻]法華経八巻結経には普賢経[一巻]上の四教四時の経論を書き挙ぐる事は此の法華経を知らん為なり、法華経の習としては前の諸経を習わずしては永く心を得ること莫きなり、爾前の諸経は一経一経を習うに又余経を沙汰せざれども苦しからず、故に天台の御釈に云く「若し余経を弘むるには教相を明さざれども義に於て傷むこと無し若し法華を弘むるには教相を明さずんば文義闕くること有り」文、法華経に云く「種種の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり」文、種種の道と申すは爾前一切の諸経なり仏乗の為とは法華経の為に一切の経を説くと申す文なり。
問う諸経の如きは或は菩薩の為或は人天の為或は声聞縁覚の為機に随つて法門もかわり益もかわる此の経は何なる人の為ぞや、答う此の経は相伝に有らざれば知り難し所詮悪人善人有智無智有戒無戒男子女子四趣八部総じて十界の衆生の為なり、所謂悪人は提婆達多妙荘厳王阿闍世王善人は韋提希等の人天の人有智は舎利弗無智は須利槃特有戒は声聞菩薩無戒は竜畜なり女人は竜女なり、総じて十界の衆生円の一法を覚るなり此の事を知らざる学者法華経は我等凡夫の為には有らずと申す仏意恐れ有り、此の経に云く「一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此の経に属せり」文、此の文の菩薩とは九界の衆生善人悪人女人男子三蔵教の声聞縁覚菩薩通教の三乗別教の菩薩爾前の円教の菩薩皆此の経の力に有らざれば仏に成るまじと申す文なり、又此の経に云く「薬王多く人有りて在家出家の菩薩の道を行ぜんに若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養することを得ること能わずんば当に知るべし是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜず、若し是の経典を聞くことを得ること有らば乃ち能く菩薩の道を行ずるなりと」文、此の文は顕然に権教の菩薩の三祇百劫動踰塵劫無量阿僧祇劫の間の六度万行四弘誓願は此の経に至らざれば菩薩の行には有らず善根を修したるにも有らずと云う文なり、又菩薩の行無ければ仏にも成らざる事も顕然なり。
天台妙楽の末代の凡夫を勧進する文、文句に云く「好堅地に処して牙已に百囲せり頻伽・に在つて声衆鳥に勝れたり」文、此の文は法華経の五十展転の第五十の功徳を釈する文なり、仏苦に校量を説き給うに権教の多劫の修行又大聖の功徳よりも此の経の須臾結縁の愚人の随喜の功徳百千万億勝れたる事経に見えつれば此の意を大師譬を以て顕し給えり、好堅樹と申す木は一日に百囲にて高くをう、頻伽と申す鳥は幼だも諸の大小の鳥の声に勝れたり、権教の修行の久きに諸の草木の遅く生長するを譬へ、法華の行の速に仏に成る事を一日に百囲なるに譬へ、権教の大小の聖人をば諸鳥に譬へ法華の凡夫のはかなきを・の声の衆鳥に勝るるに譬う、妙楽大師重ねて釈して云く「恐らくば人謬りて解せる者初心の功徳の大なることを測らずして功を上位に推り此の初心を蔑る故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕す」文、末代の愚者は法華経は深理にしていみじけれども我等が下機に叶わずと言つて法を挙げ機を下して退する者を釈する文なり。
又妙楽大師末代に此の法の捨てられん事を歎いて云く「此の円頓を聞きて崇重せざる者は良に近代に大乗を習える者の雑濫するに由るが故なり、況や像末に情澆く信心寡薄に円頓の教法蔵に溢れ函に盈れども暫くも思惟せず便ち目を瞑ぐに至る徒に生じ徒に死す一に何ぞ痛ましきや有る人云く聞いて行ぜずんば汝に於て何ぞ預らん此れは未だ深く久遠の益を知らず、善住天子経の如き文殊舎利弗に告ぐ法を聞き謗を生じて地獄に堕つるは恒沙の仏を供養する者に勝れたり地獄に堕つと雖も地獄より出でて還つて法を聞くことを得ると、此れは仏を供し法を聞かざる者を以て校量と為り聞いて謗を生ずる尚遠種と為す況や聞いて思惟し勤めて修習せんをや」と、又云く「一句も神に染ぬれば咸く彼岸を資く思惟修習永く舟航に用いたり随喜見聞恒に主伴と為る、若は取若は捨耳に経て縁と成り或は順或は違終に斯れに因つて脱すと」文、私に云く若取若捨或順或違の文は肝に銘ずるなり。
法華翻経の後記に云く[釈僧肇記]「什[羅什三蔵なり]姚興王に対して曰く予昔天竺国に在りし時・く五竺に遊びて大乗を尋討し大師須梨耶蘇摩に従つて理味を餐受するに頂を摩でて此の経を属累して言く、仏日西に隠れ遺光東北を照らす茲の典東北諸国に有縁なり汝慎んで伝弘せよ」と文、私に云く天竺よりは此の日本は東北の州なり、慧心の一乗要決に云く「日本一州円機純熟朝野遠近同じく一乗に帰し緇素貴賎悉く成仏を期す唯一師等あつて若し信受せず権とや為ん実とや為ん権為らば責む可し」浄名に云く「衆の魔事を覚知して其行に随わず善力方便を以て意に随つて度すと実為らば憐む可し」此経に云く「当来世の悪人は仏説の一乗を聞いて迷惑して信受せず法を破して悪道に堕つ」文。
妙法蓮華経妙は天台玄義に云く「言う所の妙とは妙は不可思議に名くるなり」と、又云く「秘密の奥蔵を発く之を称して妙と為す」と、又云く「妙とは最勝修多羅甘露の門なり故に妙と言うなり」と、法は玄義に云く「言う所の法とは十界十如権実の法なり」、又云く「権実の正軌を示す故に号して法と為す」と、蓮華は玄義に云く「蓮華とは権実の法に譬うるなり」、又云く「久遠の本果を指す之を喩うるに蓮を以てし不二の円道に会す之を譬うるに華を以てす」文、経は又云く「声仏事を為す之を称して経と為す」文、私に云く法華以前の諸経に小乗は心生ずれば六界心滅すれば四界なり、通教以て是くの如し、爾前の別円の二教は心生の十界なり小乗の意は六道四生の苦楽は衆生の心より生ずと習うなりされば心滅すれば六道の因果は無きなり、大乗の心より十界を生ず、華厳経に云く「心は工なる画師の如く種種の五陰を造る一切世界の中に法として造らざること無し」文、造種種五陰とは十界の五陰なり仏界をも心法をも造ると習う心が過去現在未来の十方の仏と顕ると習うなり、華厳経に云く「若し人三世一切の仏を了知せんと欲せば当に是くの如く観すべし心は諸の如来を造ると」法華已前の経のおきては上品の十悪は地獄の引業中品の十悪は餓鬼の引業下品の十悪は畜生の引業五常は修羅の引業三帰五戒は人の引業三帰十善は六欲天の引業なり、有漏の坐禅は色界無色界の引業五戒八戒十戒十善戒二百五十戒五百戒の上に苦空無常無我の観は声聞縁覚の引業五戒八戒乃至三聚浄戒の上に六度四弘の菩提心を発すは菩薩なり仏界の引業なり、蔵通二教には仏性の沙汰なし但菩薩の発心を仏性と云う、別円二教には衆生に仏性を論ず但し別教の意は二乗に仏性を論ぜず、爾前の円教は別教に附して二乗の仏性の沙汰無し此等は皆・法なり、今の妙法とは此等の十界を互に具すと説く時妙法と申す、十界互具と申す事は十界の内に一界に余の九界を具し十界互に具すれば百法界なり、玄の二に云く「又一法界に九法界を具すれば即ち百法界有り」文、法華経とは別の事無し十界の因果は爾前の経に明す今は十界の因果互具をおきてたる計りなり、爾前の経意は菩薩をば仏に成るべし声聞は仏に成るまじなんど説けば菩薩は悦び声聞はなげき人天等はおもひもかけずなんとある経もあり、或は二乗は見思を断じて六道を出でんと念い菩薩はわざと煩悩を断ぜず六道に生れて衆生を利益せんと念ふ、或は菩薩の頓悟成仏を見或は菩薩の多倶低劫の修行を見或は凡夫往生の旨を説けば菩薩声聞の為には有らずと見て人の不成仏は我が不成仏、人の成仏は我が成仏凡夫の往生は我が往生聖人の見思断は我等凡夫の見思断とも知らず四十二年をば過ぎしなり。
然るに今経にして十界互具を談ずる時声聞の自調自度の身に菩薩界を具すれば六度万行も修せず多倶低劫も経ぬ声聞が諸の菩薩のからくして修したりし無量無辺の難行道が声聞に具する間をもはざる外に声聞が菩薩と云われ人をせむる獄卒慳貪なる凡夫も亦菩薩と云はる、仏も又因位に居して菩薩界に摂せられ妙覚ながら等覚なり、薬草喩品に声聞を説いて云く「汝等が所行は是れ菩薩の道なり」と、又我等六度をも行ぜざるが六度満足の菩薩なる文経に云く「未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在前しなん」と、我等一戒をも受けざるが持戒の者と云わるる文経に云く「是則ち勇猛なり是則ち精進なり是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名く」文。
問うて云く諸経にも悪人が仏に成る華厳経の調達の授記普超経の闍王の授記大集経の婆籔天子の授記又女人が仏に成る胎経の釈女の成仏畜生が仏に成る阿含経の鴿雀の授記二乗が仏に成る方等だらに経首楞厳経等なり、菩薩の成仏は華厳経等具縛の凡夫の往生は観経の下品下生等女人の女身を転ずるは雙観経の四十八願の中の三十五の願此等は法華経の二乗竜女提婆菩薩の授記に何なるかわりめかある、又設いかわりめはありとも諸経にても成仏はうたがひなし如何、答う予の習い伝うる処の法門此の答に顕るべし此の答に法華経の諸経に超過し又諸経の成仏を許し許さぬは聞うべし秘蔵の故に顕露に書さず。
問うて曰く妙法を一念三千と言う事如何、答う天台大師此の法門を覚り給うて後玄義十巻文句十巻覚意三昧小止観浄名疏四念処次第禅門等の多くの法門を説き給いしかども此の一念三千をば談義し給はず、但十界百界千如の法門ばかりにておはしませしなり、御年五十七の夏四月の比荊州の玉泉寺と申す処にて御弟子章安大師と申す人に説ききかせ給いし止観十巻あり、上の四帖に猶をしみ給いて但六即四種三昧等計の法門にてありしに五の巻より十境十乗を立てて一念三千の法門を書き給へり、此れを妙楽大師末代の人に勧進して言く「並に三千を以て指南と為す○請うらくは尋ね読まん者心に異縁無かれ」文、六十巻三千丁の多くの法門も由無し但此の初の二三行を意得可きなり、止観の五に云く「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界には即ち三千種の世間を具す此の三千一念の心に在り」文、妙楽承け釈して云く「当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称て一身一念法界に・ねし」文、日本の伝教大師比叡山建立の時根本中堂の地を引き給いし時地中より舌八つある鑰を引き出したり、此の鑰を以て入唐の時に天台大師より第七代妙楽大師の御弟子道邃和尚に値い奉りて天台の法門を伝へ給いし時、天機秀発の人たりし間道邃和尚悦んで天台の造り給へる十五の経蔵を開き見せしめ給いしに十四を開いて一の蔵を開かず、其時伝教大師云く師此の一蔵を開き給えと請い給いしに邃和尚云く「此の一蔵は開く可き鑰無し天台大師自ら出世して開き給う可し」と云云其の時伝教大師日本より随身の鑰を以て開き給いしに此の経蔵開けたりしかば経蔵の内より光室に満ちたりき、其の光の本を尋ぬれば此の一念三千の文より光を放ちたりしなりありがたき事なり、其の時邃和尚は返つて伝教大師を礼拝し給いき、天台大師の後身と云云、依つて天台の経蔵の所釈は遺り無く日本に亘りしなり、天台大師の御自筆の観音経章安大師の自筆の止観今比叡山の根本中堂に収めたり。
一自性自力迦毘羅外道
二他性他力・楼僧伽外道
四性計三共性共力勒娑婆外道
四無因性無因力自然外道
外道に三人あり、一には仏法外の外道[九十五種の外道]二に附仏法成の外道[小乗]三には学仏法の外道[妙法を知らざる大乗の外道なり。]今の法華経は自力も定めて自力にあらず十界の一切衆生を具する自なる故に我が身に本より自の仏界一切衆生の他の仏界我が身に具せり、されば今仏に成るに新仏にあらず又他力も定めて他力に非ず他仏も我等凡夫の自具なるが故に又他仏が我等が如く自に現同するなり、共と無因は略す。
法華経已前の諸経は十界互具を明さざれば仏に成らんと願うには必ず九界を厭う九界を仏界に具せざるが故なり、されば必ず悪を滅し煩悩を断じて仏には成ると談ず凡夫の身を仏に具すと云わざるが故に、されば人天悪人の身を失いて仏に成ると申す、此れをば妙楽大師は厭離断九の仏と名くされば爾前の経の人人は仏の九界の形を現ずるをば但仏の不思議の神変と思ひ仏の身に九界が本よりありて現ずるとは言わず、されば実を以てさぐり給うに法華経已前には但権者の仏のみ有つて実の凡夫が仏に成りたりける事は無きなり、煩悩を断じ九界を厭うて仏に成らんと願うは実には九界を離れたる仏無き故に往生したる実の凡夫も無し、人界を離れたる菩薩界も無き故に但法華経の仏の爾前にして十界の形を現して所化とも能化とも悪人とも善人とも外道とも言われしなり、実の悪人善人外道凡夫は方便の権を行じて真実の教とうち思いなしてすぎし程に法華経に来つて方便にてありけり、実には見思無明も断ぜざりけり往生もせざりけりなんと覚知するなり、一念三千は別に委く書す可し。
此の経には二妙あり釈に云く「此の経は唯二妙を論ず」と一には相待妙二には絶待妙なり、相待妙の意は前の四時の一代聖教に法華経を対して爾前と之を嫌い、爾前をば当分と言い法華を跨節と申す、絶待妙の意は一代聖教は即ち法華経なりと開会す、又法華経に二事あり一には所開二には能開なり開示悟入の文或は皆已成仏道等の文、一部八巻二十八品六万九千三百八十四字一一の字の下に皆妙の文字あるべしこれ能開の妙なり、此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり、阿含経開会の文は経に云く「我が此の九部の法は衆生に随順して説く大乗に入るに為本なり」と云云、華厳経開会の文は一切世間天人及び阿修羅は皆謂えり今の釈迦牟尼仏等の文、般若経開会の文は安楽行品の十八空の文、観経等の往生安楽開会の文は「此に於て命終して即ち安楽世界に往く」等の文、散善開会の文は「一たび南無仏と称せし皆已に仏道を成じき」の文、一切衆生開会の文は「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」、外典開会の文は「若し俗間経書治世語言資生の業等を説かんも皆正法に順ぜん」文、兜率開会の文人天所開会の文しげきゆへにいださず。
此の経を意得ざる人は経の文に此の経を読んで人天に生ずと説く文を見或は兜率・利なんどにいたる文を見或は安養に生ずる文を見て穢土に於て法華経を行ぜば経はいみじけれども行者不退の地に至らざれば穢土にして流転し久しく五十六億七千万歳の晨を期し或は人畜等に生れて隔生する間自の苦しみ限り無しなんと云云或は自力の修行なり難行道なり等云云、此れは恐らくは爾前法華の二途を知らずして自ら癡闇に迷うのみに非ず一切衆生の仏眼を閉ずる人なり、兜率を勧めたる事は小乗経に多し少しは大乗経にも勧めたり西方を勧めたる事は大乗経に多し此等は皆所開の文なり、法華経の意は兜率に即して十方仏土中西方に即して十方仏土中人天に即して十方仏土中と云云、法華経は悪人に対しては十界の悪を説くは悪人五眼を具しなんどすれば悪人のきわまりを救い、女人に即して十界を談ずれば十界皆女人なる事を談ず、何にも法華円実の菩提心を発さん人は迷の九界へ業力に引かるる事無きなり。
此の意を存じ給いけるやらん法然上人も一向念仏の行者ながら選択と申す文には雑行難行道には法華経大日経等をば除かれたる処もあり委く見よ又慧心の往生要集にも法華経を除きたり、たとい法然上人慧心法華経を雑行難行道として末代の機に叶わずと書き給うとも日蓮は全くもちゆべからず、一代聖教のおきてに違い三世十方の仏陀の誠言に違する故にいわうやそのぎなし、而るに後の人の消息に法華経を難行道経はいみじけれども末代の機に叶わず謗らばこそ罪にてもあらめ、浄土に至つて法華経をば覚るべしと云云、日蓮が心は何にも此の事はひが事と覚ゆるなりかう申すもひが事にや有らん、能く能く智人に習う可し。 ( 正嘉二年二月十四日 ) 
 
一念三千理事/正嘉二年三十七歳御作

 

十二因縁図、問う流転の十二因縁とは何等ぞや答う一には無明倶舎に云く「宿惑の位は無明なり」文、無明とは昔愛欲の煩悩起りしを云うなり、男は父に瞋を成して母に愛を起す、女は母に瞋を成して父に愛を起すなり倶舎の第九に見えたり、二には行倶舎に云く「宿の諸業を行と名く」と文、昔の造業を行とは云うなり業に二有り一には牽引の業なり我等が正く生を受く可き業を云うなり、二には円満の業なり余の一切の造業なり所謂足を折り手を切る先業を云うなり是は円満の業なり、三には識倶舎に云く「識とは正く生を結する蘊なり」文、正く母の腹の中に入る時の五蘊なり、五蘊とは色受想行識なり亦五陰とも云うなり、四には名色倶舎に云く「六処の前は名色なり」文、五には六処倶舎に云く「眼等の根を生ずるより三和の前は六処なり」文、六処とは眼耳鼻舌身意の六根出来するを云うなり、六には触倶舎に云く「三受の因の異なるに於て未だ了知せざるを触と名く」文、火は熱しとも知らず水は寒しとも知らず刀は人を切る物とも知らざる時なり、七には受倶舎に云く「婬愛の前に在るは受なり」文、寒熱を知つて未だ婬欲を発さざる時なり、八には愛倶舎に云く「資具と婬とを貪るは愛なり」文、女人を愛して婬欲等を発すを云うなり、九には取倶舎に云く「諸の境界を得んが為に・く馳求するを取と名く」文、今世に有る時世間を営みて他人の物を貪り取る時を云うなり、十には有倶舎に云く「有は謂く正しく能く当有の果を牽く業を造る」文、未来又此くの如く生を受く可き業を造るを有とは云うなり、十一には生倶舎に云く「当の有を結するを生と名く」文、未来に正く生を受けて母の腹に入る時を云うなり、十二には老死倶舎に云く「当の受に至るまでは老死なり」文、生老死を受くるを老死憂悲苦悩とは云うなり。
問う十二因縁を三世両重に分別する方如何、答う無明と行とは過去の二因なり識と名色と六入と触と受とは現在の五果なり愛と取と有とは現在の三因なり生と老死とは未来の両果なり、私の略頌に云く過去の二因[無明行]現在の五果[識名色六入触受]現在の三因[愛取有]未来の両果[生老死]と、問う十二因縁流転の次第如何、答う無明は行に縁たり行は識に縁たり識は名色に縁たり名色は六入に縁たり六入は触に縁たり触は受に縁たり受は愛に縁たり愛は取に縁たり取は有に縁たり有は生に縁たり生は老死憂悲苦悩に縁たり是れ其の生死海に流転する方なり此くの如くして凡夫とは成るなり、問う還滅の十二因縁の様如何答う無明滅すれば則ち行滅す行滅すれば則ち識滅す識滅すれば則ち名色滅す名色滅すれば則ち六入滅す六入滅すれば則ち触滅す触滅すれば則ち受滅す受滅すれば則ち愛滅す愛滅すれば則ち取滅す取滅すれば則ち有滅す有滅すれば則ち生滅す生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す、是れ其の還滅の様なり仏は還つて煩悩を失つて行く方なり私に云く中有の人には十二因縁具に之無し又天上にも具には之無く又無色界にも具には之無し。
一念三千理事十如是とは如是相は身なり[玄二に云く相以て外に拠る覧て別つ可し文籤六に云く相は唯色に在り]文、如是性は心なり[玄二に云く性以て内に拠る自分改めず文籤六に云く性は唯心に在り]文、如是体は身と心となり[玄二に云く主質を名けて体となす]文、如是力は身と心となり[止に云く力は堪忍を用となす]文如是作は身と心となり[止に云く建立を作と名く]文、如是因は心なり[止に云く因とは果を招くを因と為す亦名けて業となす]文、如是縁[止に云く縁は縁業を助くるに由る]文、如是果[止に云く果は剋獲を果と為す]文、如是報[止に云く報は酬因を報と曰う]文、如是本末究竟等[玄二に云く初めの相を本と為し後ちの報を末と為す]文、三種世間とは五陰世間[止に云く十種陰果不同を以ての故に五陰世間と名くるなり]文、衆生世間[止に云く十界の衆生寧ろ異らざるを得る故に衆生世間と名くるなり]文、国土世間[止に云く十種の所居通じて国土世間と称す]文、五陰とは新訳には五蘊と云うなり陰とは聚集の義なり一に色陰五色是なり二に受陰領納是なり三に相陰倶舎に云く想は像を取るを体と為すと文四に行陰造作是行なり五に識陰了別是れ識なり止の五に婆沙を引いて云く識先ず了別し次に受は領納し相は相貌を取り行は違従を起し色は行に由つて感ずと。
百界千如三千世間の事、十界互具即百界と成るなり、地獄[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是地下赤鉄]、餓鬼[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是地下]畜生[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是水陸空]修羅[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是海畔底]、人[衆生世間十如是]、五陰世間[十如是]国土世間[十如是須弥四州]、天[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是宮殿]声聞[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是同居土]、縁覚[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是同居土]、菩薩[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是同居方便実報]、仏[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是寂光土]。
止観の五に云く「心縁と合すれば則ち三種世間三千の性相皆心より起る」文、弘の五に云く「故に止観に正しく観法を明すに至つて並びに三千を以て指南と為す、乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に説己心中所行の法門と云う良に以有るなり、請う尋ねて読まん者心に異縁無かれ」文、又云く「妙境の一念三千を明さずんば如何ぞ一に一切を摂ることを識る可けん、三千は一念の無明を出でず是の故に唯苦因苦果のみ有り」文、又云く「一切の諸業十界百界千如三千世間を出でざるなり」文、籤の二に云く「仮は即ち衆生実は即ち五陰及び国土即ち三世間なり千の法は皆三なり故に三千有り」文、弘の五に云く「一念の心に於て十界に約せざれば事を収むること・からず三諦に約せざれば理を摂ること周からず十如を語らざれば因果備わらず三世間無んば依正尽きず」文、記の一に云く「若三千に非ざれば摂ること・からず若し円心に非ざれば三千を摂せず」文、玄の二に云く「但衆生法は太だ広く仏法は太だ高し初学に於て難と為し心は則ち易しと為す」文、弘の五に云く「初に華厳を引くことは心の工なる画師の如く種種の五陰を造る一切世界の中に法として造らざること無し、心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然なり心仏及び衆生是の三差別無し若し人三世一切の仏を求め知らんと欲せば当に是くの如く観ずべし心は諸の如来を造る」と、金・論に云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土なり」三身釈の事、先ず法身とは大師大経を引いて「一切の世諦は若し如来に於ては即ち是第一義諦なり衆生顛倒して仏法に非ずと謂えり」と釈せり、然れば則ち自他依正魔界仏界染浄因果は異なれども悉く皆諸仏の法身に背く事に非ざれば善星比丘が不信なりしも楞伽王の信心に同じく般若蜜外道が意の邪見なりしも須達長者が正見に異らず、即ち知んぬ此の法身の本は衆生の当体なり、十方諸仏の行願は実に法身を証するなり、次に報身とは大師の云く「法如如の智如如真実の道に乗じ来つて妙覚を成ず智如の理に称う理に従つて如と名け智に従つて来と名く即ち報身如来なり盧舎那と名け此には浄満と翻ず」と釈せり、此れは如如法性の智如如真実の道に乗じて妙覚究竟の理智法界と冥合したる時理を如と名く智は来なり。 
 
十如是事/正嘉二年三十七歳御作

 

我が身が三身即一の本覚の如来にてありける事を今経に説いて云く如是相如是性如是体如是力如是作如是因如是縁如是果如是報如是本末究竟等文、初めに如是相とは我が身の色形に顕れたる相を云うなり是を応身如来とも又は解脱とも又は仮諦とも云うなり、次に如是性とは我が心性を云うなり是を報身如来とも又は般若とも又は空諦とも云うなり、三に如是体とは我が此の身体なり是を法身如来とも又は中道とも法性とも寂滅とも云うなり、されば此の三如是を三身如来とは云うなり此の三如是が三身如来にておはしましけるをよそに思ひへだてつるがはや我が身の上にてありけるなり、かく知りぬるを法華経をさとれる人とは申すなり此の三如是を本として是よりのこりの七つの如是はいでて十如是とは成りたるなり、此の十如是が百界にも千如にも三千世間にも成りたるなり、かくの如く多くの法門と成りて八万法蔵と云はるれどもすべて只一つの三諦の法にて三諦より外には法門なき事なり、其の故は百界と云うは仮諦なり千如と云うは空諦なり三千と云うは中諦なり空と仮と中とを三諦と云う事なれば百界千如三千世間まで多くの法門と成りたりと云へども唯一つの三諦にてある事なり、されば始の三如是の三諦と終の七如是の三諦とは唯一つの三諦にて始と終と我が一身の中の理にて唯一物にて不可思議なりければ本と末とは究竟して等しとは説き給へるなり、是を如是本末究竟等とは申したるなり、始の三如是を本とし終の七如是を末として十の如是にてあるは我が身の中の三諦にてあるなり、此の三諦を三身如来とも云へば我が心身より外には善悪に付けてかみすぢ計りの法もなき物をされば我が身が頓て三身即一の本覚の如来にてはありける事なり、是をよそに思うを衆生とも迷いとも凡夫とも云うなり、是を我が身の上と知りぬるを如来とも覚とも聖人とも智者とも云うなり、かう解り明かに観ずれば此の身頓て今生の中に本覚の如来を顕はして即身成仏とはいはるるなり、譬えば春夏田を作りうへつれば秋冬は蔵に収めて心のままに用うるが如し春より秋をまつ程は久しき様なれども一年の内に待ち得るが如く此の覚に入つて仏を顕はす程は久しき様なれども一生の内に顕はして我が身が三身即一の仏となりぬるなり。
此の道に入ぬる人にも上中下の三根はあれども同じく一生の内に顕はすなり、上根の人は聞く所にて覚を極めて顕はす、中根の人は若は一日若は一月若は一年に顕はすなり、下根の人はのびゆく所なくてつまりぬれば一生の内に限りたる事なれば臨終の時に至りて諸のみえつる夢も覚てうつつになりぬるが如く只今までみつる所の生死妄想の邪思ひがめの理はあと形もなくなりて本覚のうつつの覚にかへりて法界をみれば皆寂光の極楽にて日来賎と思ひし我が此の身が三身即一の本覚の如来にてあるべきなり、秋のいねには早と中と晩との三のいね有れども一年が内に収むるが如く、此れも上中下の差別ある人なれども同じく一生の内に諸仏如来と一体不二に思い合せてあるべき事なり。
妙法蓮華経の体のいみじくおはしますは何様なる体にておはしますぞと尋ね出してみれば我が心性の八葉の白蓮華にてありける事なり、されば我が身の体性を妙法蓮華経とは申しける事なれば経の名にてはあらずしてはや我が身の体にてありけると知りぬれば我が身頓て法華経にて法華経は我が身の体をよび顕し給いける仏の御言にてこそありければやがて我が身三身即一の本覚の如来にてあるものなり、かく覚ぬれば無始より已来今まで思いならわししひが思いの妄想は昨日の夢を思いやるが如くあとかたもなく成りぬる事なり、是を信じて一遍も南無妙法蓮華経と申せば法華経を覚て如法に一部をよみ奉るにてあるなり、十遍は十部百遍は百部千遍は千部を如法によみ奉るにてあるべきなり、かく信ずるを如説修行の人とは申すなり、南無妙法蓮華経。 
 
一念三千法門/正嘉二年三十七歳御作

 

法華経の余経に勝れたる事何事ぞ此の経に一心三観一念三千と云う事あり、薬王菩薩漢土に出世して天台大師と云われ此の法門を覚り給いしかども先ず玄義十巻文句十巻覚意三昧小止観浄名疏四念処次第禅門等の多くの法門を説きしかども此の一念三千の法門をば談じ給はず百界千如の法門計りなり、御年五十七の夏四月の比荊州玉泉寺と申す処にて御弟子章安大師に教え給ふ止観と申す文十巻あり、上四帖に猶秘し給いて但六即四種三昧等計りなり、五の巻に至つて十境十乗一念三千の法門を立て夫れ一心に具す等と云云是より二百年後に妙楽大師釈して云く「当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称て一身一念法界に遍し」と云云、此の一念三千一心三観の法門は法華経の一の巻の十如是より起れり、文の心は百界千如三千世間云云、さて一心三観と申すは余宗は如是とあそばす是れ僻事にて二義かけたり天台南岳の御義を知らざる故なり、されば当宗には天台の所釈の如く三遍読に功徳まさる、第一に是相如と相性体力以下の十を如と云ふ如と云うは空の義なるが故に十法界皆空諦なり是を読み観ずる時は我が身即報身如来なり八万四千又は般若とも申す、第二に如是相是れ我が身の色形顕れたる相なり是れ皆仮なり相性体力以下の十なれば十法界皆仮諦と申して仮の義なり是を読み観ずる時は我が身即応身如来なり又は解脱とも申す、第三に相如是と云うは中道と申して仏の法身の形なり是を読み観ずる時は我が身即法身如来なり又は中道とも法性とも涅槃とも寂滅とも申す、此の三を法報応の三身とも空仮中の三諦とも法身般若解脱の三徳とも申す此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり、是をしるを如来とも聖人とも悟とも云う知らざるを凡夫とも衆生とも迷とも申す。
十界の衆生各互に十界を具足す合すれば百界なり百界に各各十如を具すれば千如なり、此の千如是に衆生世間国土世間五陰世間を具すれば三千なり、百界と顕れたる色相は皆総て仮の義なれば仮諦の一なり千如は総て空の義なれば空諦の一なり三千世間は総じて法身の義なれば中道の一なり、法門多しと雖も但三諦なり此の三諦を三身如来とも三徳究竟とも申すなり始の三如是は本覚の如来なり、終の七如是と一体にして無二無別なれば本末究竟等とは申すなり、本と申すは仏性末と申すは未顕の仏九界の名なり究竟等と申すは妙覚究竟の如来と理即の凡夫なる我等と差別無きを究竟等とも平等大慧の法華経とも申すなり、始の三如是は本覚の如来なり本覚の如来を悟り出し給へる妙覚の仏なれば我等は妙覚の父母なり仏は我等が所生の子なり、止の一に云く「止は則仏の母観は即仏の父なり」と云云、譬えば人十人あらんずるが面面に蔵蔵に宝をつみ我が蔵に宝のある事を知らずかつへ死しこごへ死す、或は一人此の中にかしこき人ありて悟り出すが如し九人は終に知らず、然るに或は教えられて食し或はくくめられて食するが如し、弘の一の止観の二字は正しく聞体を示す聞かざる者は本末究竟等も徒らか、子なれども親にまさる事多し重華はかたくなはしき父を敬いて賢人の名を得たり、沛公は帝王と成つて後も其の父を拝す其の敬われし父をば全く王といはず敬いし子をば王と仰ぐが如し、其れ仏は子なれども賢くましまして悟り出し給へり、凡夫は親なれども愚癡にして未だ悟らず委しき義を知らざる人毘盧の頂上をふむなんど悪口す大なる僻事なり。
一心三観に付いて次第の三観不次第の三観と云う事あり委く申すに及ばず候、此の三観を心得すまし成就したる処を華厳経に三界唯一心と云云、天台は諸水入海とのぶ仏と我等と総て一切衆生理性一にてへだてなきを平等大慧と云うなり、平等と書いてはおしなべてと読む、此の一心三観一念三千の法門諸経にたえて之無し法華経に遇わざれば争か成仏す可きや、余経には六界八界より十界を明せどもさらに具を明かさず、法華経は念念に一心三観一念三千の謂を観ずれば我が身本覚の如来なること悟り出され無明の雲晴れて法性の月明かに妄想の夢醒て本覚の月輪いさぎよく父母所生の肉身煩悩具縛の身即本有常住の如来となるべし、此を即身成仏とも煩悩即菩提とも生死即涅槃とも申す、此の時法界を照し見れば悉く中道の一理にて仏も衆生も一なり、されば天台の所釈に「一色一香中道に非ざること無し」と釈し給へり、此の時は十方世界皆寂光浄土にて何れの処をか弥陀薬師等の浄土とは云わん、是を以て法華経に「是の法は法位に住して世間の相常住なり」と説き給ふさては経をよまずとも心地の観念計りにて成仏す可きかと思いたれば一念三千の観念も一心三観の観法も妙法蓮華経の五字に納れり、妙法蓮華経の五字は又我等が一心に納りて候けり、天台の所釈に「此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵三世の如来の証得したもう所なり」と釈したり、さて此の妙法蓮華経を唱うる時心中の本覚の仏顕る我等が身と心をば蔵に譬へ妙の一字を印に譬へたり、天台の御釈に「秘密の奥蔵を発く之を称して妙と為す権実の正軌を示す故に号して法と為す、久遠の本果を指す之を喩うるに蓮を以てす、不二の円道に会す之を譬うるに華を以てす、声仏事を為す之を称して経と為す」と釈し給う、又「妙とは不可思議の法を褒美するなり又妙とは十界十如権実の法なり」と云云、経の題目を唱うると観念と一なる事心得がたしと愚癡の人は思い給ふべし、されども天台止の二に而於説黙と云へり、説とは経黙とは観念なり、又四教義の一に云く「但功の唐捐ならざるのみに非ず亦能く理に契うの要なるをや」と云云、天台大師と申すは薬王菩薩なり此の大師の説而観而と釈し給ふ元より天台の所釈に因縁約教本迹観心の四種の御釈あり四種の重を知らずして一しなを見たる人一向本迹をむねとし一向観心を面とす、法華経に法譬因縁と云う事あり法説の段に至つて諸仏出世の本懐一切衆生成仏の直道と定む、我のみならず一切衆生直至道場の因縁なりと定め給いしは題目なり、されば天台玄の一に「衆善の小行を会して広大の一乗に帰す」と広大と申すは残らず引導し給うを申すなり、仮使釈尊一人本懐と宣べ給うとも等覚以下は仰いで此の経を信ず可し況や諸仏出世の本懐なり、禅宗は観心を本懐と仰ぐとあれども其は四種の一面なり、一念三千一心三観等の観心計りが法華経の肝心なるべくば題目に十如是を置くべき処に題目に妙法蓮華経と置かれたる上は子細に及ばず、又当世の禅宗は教外別伝と云い給うかと思へば又捨られたる円覚経等の文を引かるる上は実経の文に於て御綺に及ぶべからず候、智者は読誦に観念をも並ぶべし愚者は題目計りを唱ふとも此の理に会う可し、此の妙法蓮華経とは我等が心性総じては一切衆生の心性八葉の白蓮華の名なり是を教え給ふ仏の御詞なり、無始より以来我が身中の心性に迷て生死を流転せし身今此の経に値ひ奉つて三身即一の本覚の如来を唱うるに顕れて現世に其内証成仏するを即身成仏と申す、死すれば光を放つ是れ外用の成仏と申す来世得作仏とは是なり、略挙経題玄収一部とて一遍は一部云云、妙法蓮華経と唱うる時心性の如来顕る耳にふれし類は無量阿僧祗劫の罪を滅す一念も随喜する時即身成仏す縦ひ信ぜざれども種と成り熟と成り必ず之に依て成仏す、妙楽大師の云く「若は取若は捨耳に経て縁と成る、或いは順或いは違終いに斯れに因つて脱す」と云云、日蓮云く若取若捨或順或違の文肝に銘ずる詞なり法華経に若有聞法者等と説れたるは是か、既に聞く者と説れたり観念計りにて成仏すべくば若有観法者と説かるべし、只天台の御料簡に十如是と云うは十界なり此の十界は一念より事起り十界の衆生は出来たりけり、此の十如是と云は妙法蓮華経にて有けり此の娑婆世界は耳根得道の国なり以前に申す如く当知身土と云云、一切衆生の身に百界千如三千世間を納むる謂を明が故に是を耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり、一切衆生と申すは草木瓦礫も一切衆生の内なるか、[有情非情]、抑草木は何ぞ金・論に云く「一草一木一礫一塵各一仏性各一因果具足縁了」等と云云、法師品の始に云く「無量の諸天竜王夜叉乾闥婆阿修羅迦楼羅緊那羅摩・羅伽人と非人と及び比丘比丘尼、妙法蓮華経の一偈一句を聞いて乃至一念も随喜せん者は我皆阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く」と云云、非人とは総じて人界の外一切有情界とて心あるものなり況や人界をや、法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し、譬えば春夏田を作るに早晩あれども一年の中には必ず之を納む、法華の行者も上中下根あれども必ず一生の中に証得す、玄の一に云く「上中下根皆記・を与う」と云云、観心計りにて成仏せんと思ふ人は一方かけたる人なり、況や教外別伝の坐禅をや、法師品に云く「薬王多く人有て在家出家の菩薩の道を行ぜんに若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養すること得ること能わずんば当に知るべし是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜず、若し是の経典を聞くこと得ること有らば乃ち能善菩薩の道を行ずるなり」と云云、観心計りにて成仏すべくんば争か見聞読誦と云わんや、此の経は専ら聞を以て本と為す凡此の経は悪人女人二乗闡提を簡ばず故に皆成仏道とも云ひ又平等大慧とも云う、善悪不二邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す故に即身成仏と申し一生に証得するが故に一生妙覚と云ふ、義を知らざる人なれども唱ふれば唯仏と仏と悦び給ふ我即歓喜諸仏亦然云云、百千合せたる薬も口にのまざれば病愈えず蔵に宝を持ども開く事をしらずしてかつへ懐に薬を持ても飲まん事をしらずして死するが如し、如意宝珠と云う玉は五百弟子品の此の経の徳も又此くの如し、観心を並べて読めば申すに及ばず観念せずと雖も始に申しつるごとく所謂諸法如是相如云云と読む時は如は空の義なれば我が身の先業にうくる所の相性体力其の具する所の八十八使の見惑八十一品の思惑其の空は報身如来なり、所謂諸法如是相云云とよめば是れ仮の義なれば我が此の身先業に依つて受けたる相性体力云云其の具したる塵沙の惑悉く即身応身如来なり、所謂諸法如是と読む時は是れ中道の義に順じて業に依つて受くる所の相性等云云、其に随いたる無明皆退いて即身法身の如来と心を開く、此の十如是三転によまるる事三身即一身一身即三身の義なり三に分るれども一なり一に定まれども三なり。 
 
十法界事/正元元年三十八歳御作

 

二乗三界を出でざれば即ち十法界の数量を失う云云、問う十界互具を知らざらん者六道流転の分段の生死を出離して変易の土に生ず可きや、答う二乗は既に見思を断じ三界の生因無し底に由つてか界内の土に生る事を得ん是の故に二乗永く六道に生ぜず、故に玄の第二に云く「夫れ変易に生るに則ち三種有り三蔵の二乗通教の三乗別教の三十心」[已上]此の如き等の人は皆通惑を断じ変易の土に生ずることを得て界内分段の不浄の国土に生ぜず。
難じて云く小乗の教は但是れ心生の六道を談じて是れ心具の六界を談ずるに非ず、是の故に二乗は六界を顕さず心具を談ぜず云何ぞ但六界の見思を断じて六道を出ず可きや、故に寿量品に云える一切世間天人阿修羅とは爾前迹門両教の二乗三教の菩薩並に五時の円人を皆天人修羅と云う豈に未断見思の人と云うに非ずや、答う十界互具とは法華の淵底此の宗の沖微なり四十余年の諸経の中には之を秘して伝えず、但し四十余年の諸の経教の中に無数の凡夫見思を断じて無漏の果を得能く二種の涅槃の無為を証し塵数の菩薩通別の惑を断じ頓に二種の生死の縛を超ゆ、無量義経の中に四十余年の諸経を挙げて未顕真実と説くと雖も而も猶爾前三乗の益を許す、法華の中に於て正直捨方便と説くと雖も尚見諸菩薩授記作仏と説く此くの如き等の文爾前の説に於て当分の益を許すに非ずや、但し爾前の諸経に二事を説かず謂く実の円仏無く又久遠実成を説かず故に等覚の菩薩に至るまで近成を執する思い有り此の一辺に於て天人と同じく能迷の門を挙げ生死煩悩一時に断壊することを証せず故に唯未顕真実と説けり、六界の互具を明さざるが故に出ず可からずとは此の難甚だ不可なり、六界互具せば即ち十界互具す可し何となれば権果の心生とは六凡の差別なり心生を観ずるに何ぞ四聖の高下無からんや。
第三重の難に云く所立の義誠に道理有るに似たり委く一代聖教の前後を・うるに法華本門並に観心の智慧を起さざれば円仏と成らず、故に実の凡夫にして権果だも得ず所以に彼の外道五天竺に出でて四顛倒を立つ、如来出世して四顛倒を破せんが為に苦空等を説く此れ則ち外道の迷情を破せんが為なり、是の故に外道の我見を破して無我に住するは火を捨てて以て水に随うが如し堅く無我を執して見思を断じ六道を出ずると謂えり、此れ迷の根本なり故に色心倶滅の見に住す大集等の経経に断常の二見と説くは是れなり、例せば有漏外道の自らは得道すと念えども無漏智に望むれば未だ三界を出でざるが如し、仏教に値わずして三界を出ずるといわば是の処有ること無し小乗の二乗も亦復是くの如し、鹿苑施小の時外道の我を離れて無我の見に住す此の情を改めずして四十余年草庵に止宿するの思い暫くも離るる時無し、又大乗の菩薩に於て心生の十界を談ずと雖も而も心具の十界を論ぜず、又或る時は九界の色心を断尽して仏界の一理に進む是の故に自ら念わく三惑を断尽して変易の生を離れ寂光に生るべしと、然るに九界を滅すれば是れ則ち断見なり進んで仏界に昇れば即ち常見と為す九界の色心の常住を滅すと欲うは豈に九法界に迷惑するに非ずや、又妙楽大師の云く「但し心を観ずと言わば則ち理に称わず」文、此の釈の意は小乗の観心は小乗の理に称わざるのみ、又天台の文句第九に云く「七方便並に究竟の滅に非ず」[已上]、此の釈は是れ爾前の前三教の菩薩も実には不成仏と云えるなり、但し未顕真実と説くと雖も三乗の得道を許し正直捨方便と説くと雖も而も見諸菩薩授記作仏と云うは、天台宗に於て三種の教相有り第二の化導の始終の時過去の世に於て法華結縁の輩有り爾前の中に於て且らく法華の為に三乗当分の得道を許す所謂種熟脱の中の熟益の位なり是は尚迹門の説なり、本門観心の時は是れ実義に非ず一往許すのみ、其の実義を論ずれば如来久遠の本に迷い一念三千を知らざれば永く六道の流転を出ず可からず、故に釈に云く「円乗の外を名けて外道と為す」文、又「諸善男子楽於小法徳薄垢重者」と説く若し爾れば経釈共に道理必然なり、答う執難有りと雖も其の義不可なり、所以は如来の説教は機に備りて虚からず是を以て頓等の四教蔵等の四教八機の為に設くる所にして得益無きに非ず、故に無量義経には「是の故に衆生の得道差別あり」と説く、誠に知んぬ「終に無上菩提を成ずることを得ず」と説くと雖も而も三法四果の益無きに非ず、但是れ速疾頓成と歴劫迂回との異なるのみ、是れ一向に得道無きに非ざるなり、是の故に或は三明六通も有り或は普現色身の菩薩も有り縦い一心三観を修して以て同体の三惑を断ぜずとも既に析智を以て見思を断ず何ぞ二十五有を出でざらん、是の故に解釈に云く「若し衆生に遇うて小乗を修せしめば我則ち慳貪に堕せん此の事不可なりとして祇二十五有を出す」[已上]、当に知るべし此の事不可と説くと雖も而も出界有り但是れ不思議の空を観ぜざるが故に不思議の空智を顕さずと雖も何ぞ小分の空解を起さざらん、若し空智を以て見思を断ぜずと云わば開善の無声聞の義に同ずるに非ずや、況や今の経は正直捨権純円一実の説なり諸の爾前の声聞の得益を挙げて「諸漏已に尽きて復煩悩無し」と説き又「実に阿羅漢を得此の法を信ぜず是の処有ること無し」と云い又「三百由旬を過ぎて一城を化作す」と説く、若し諸の声聞全く凡夫に同ぜば五百由旬一歩も行く可からず。
又云く「自ら所得の功徳に於て滅度の想を生じて当に涅槃に入るべし、我余国に於て作仏して更に異名有らん是の人滅度の想を生じて涅槃に入ると雖も而も彼の土に於て仏の智慧を求めて是の経を聞くことを得ん」[已上]、此の文既に証果の羅漢法華の座に来らずして無余涅槃に入り方便土に生じて法華を説くを聞くと見えたり、若し爾らば既に方便土に生じて何んぞ見思を断ぜざらん是の故に天台妙楽も「彼土得聞」と釈す、又爾前の菩薩に於て「始めて我が身を見我が所説を聞いて即ち皆信受し如来慧に入りにき」と説く、故に知んぬ爾前の諸の菩薩三惑を断除して仏慧に入ることを、故に解釈に云く「初後の仏慧円頓の義斉し」[已上]。
或は云く「故に始終を挙ぐるに意仏慧に在り」と若し此等の説相経釈共に非義ならば正直捨権の説唯以一大事の文妙法華経皆是真実の証誠皆以て無益なり皆是真実の言は豈一部八巻に亘るに非ずや、釈迦多宝十方分身の舌相至梵天の神力三世諸仏の誠諦不虚の証誠空く泡沫に同ぜん、但し小乗の断常の二見に至つては且く大乗に対して小乗を以て外道に同ず小益無きに非ざるなり、又七方便並に究竟の滅に非ざるの釈或は復但し心を観ずと言わば則ち理に称わずとは又是れ円実の大益に対して七方便の益を下して並に非究竟滅即不称理と釈するなり。
第四重の難に云く法華本門の観心の意を以て一代聖教を按ずるに菴羅果を取つて掌中に捧ぐるが如し、所以は何ん迹門の大教起れば爾前の大教亡じ本門の大教起れば迹門爾前亡じ観心の大教起れば本迹爾前共に亡ず此れは是れ如来所説の聖教従浅至深して次第に迷を転ずるなり、然れども如来の説は一人の為にせず此の大道を説きて迷情除かざれば生死出で難し、若し爾前の中に八教有りとは頓は則ち華厳漸は則ち三味秘密と不定とは前四味に亘る蔵は則ち阿含方等に亘る通は是れ方等般若円別は是れ則ち前四味の中に鹿苑の説を除く、此くの如く八機各各不同なれば教説も亦異なり四教の教主亦是れ不同なれば当教の機根余仏を知らず、故に解釈に云く「各各仏独り其の前に在すと見る」[已上]。
人天の五戒十善二乗の四諦十二菩薩の六度三祇百劫或は動逾塵劫或は無量阿僧祗劫円教の菩薩の初発心時便成正覚明かに知んぬ機根別なるが故に説教亦別なり、教別なるが故に行も亦別なり行別なるが故に得果も別なり此れ即ち各別の得益にして不同なり。
然るに今法華方便品に「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」と説き給う爾の時八機並に悪趣の衆生悉く皆同じく釈迦如来と成り互に五眼を具し一界に十界を具し十界に百界を具せり、是の時爾前の諸経を思惟するに諸経の諸仏は自界の二乗を二乗も又菩薩界を具せず三界の人天の如きは成仏の望絶えて二乗菩薩の断惑即ち是れ自身の断惑なりと知らず、三乗四乗の智慧は四悪趣を脱るるに似たりと雖も互に界界を隔つ而も皆是れ一体なり、昔の経は二乗は但自界の見思を断除すると思うて六界の見思を断ずることを知らず菩薩も亦是くの如し自界の三惑を断尽せんと欲すと雖も六界二乗の三惑を断ずることを知らず、真実に証する時は一衆生即十衆生十衆生即一衆生なり、若し六界の見思を断ぜざれば二乗の見思を断ず可からず是くの如く説くと雖も迹門は但九界の情を改め十界互具を明す故に即ち円仏と成るなり、爾前当分の益を嫌うこと無きが故に「三界の諸漏已に尽き三百由旬を過ぎて始めて我身を見る」と説けり又爾前入滅の二乗は実には見思を断ぜず故に六界を出でずと雖も迹門は二乗作仏が本懐なり故に「彼の土に於いて是の経を聞くことを得」と説く、既に「彼の土に聞くことを得」と云う故に知んぬ爾前の諸経には方便土無し故に実には実報並に常寂光も無し、菩薩の成仏を明す故に実報寂光を仮立す然れども菩薩に二乗を具す二乗成仏せずんば菩薩も成仏す可からざるなり、衆生無辺誓願度も満せず二乗の沈空尽滅は即ち是れ菩薩の沈空尽滅なり凡夫六道を出でざれば二乗も六道を出ず可からず、尚下劣の方便土を明さず況や勝れたる実報寂光を明さんや、実に見思を断ぜば何ぞ方便を明さざらん菩薩実に実報寂光に至らば何ぞ方便土に至ること無らん、但断無明と云うが故に仮りに実報寂光を立つと雖も而も上の二土無きが故に同居の中に於て影現の実報寂光を仮立す、然るに此の三百由旬は実には三界を出ずること無し迹門には但是れ始覚の十界互具を説きて未だ必ず本覚本有の十界互具を明さず故に所化の大衆能化の円仏皆是れ悉く始覚なり、若し爾らば本無今有の失何ぞ免るることを得んや、当に知るべし四教の四仏則ち円仏と成るは且く迹門の所談なり是の故に無始の本仏を知らず、故に無始無終の義欠けて具足せず又無始色心常住の義無し但し是の法は法位に住すと説くことは未来常住にして是れ過去常に非ざるなり、本有の十界互具を顕さざれば本有の大乗菩薩界無きなり、故に知んぬ迹門の二乗は未だ見思を断ぜず迹門の菩薩は未だ無明を断ぜず六道の凡夫は本有の六界に住せざれば有名無実なり。
故に涌出品に至つて爾前迹門の断無明の菩薩を「五十小劫半日の如しと謂えり」と説く是れ則ち寿量品の久遠円仏の非長非短不二の義に迷うが故なり、爾前迹門の断惑とは外道の有漏断の退すれば起るが如し未だ久遠を知らざるを以て惑者の本と為すなり、故に四十一品断の弥勒本門立行の発起影響当機結縁の地涌千界の衆を知らず、既に一分の無始の無明を断じて十界の一分の無始の法性を得れば何ぞ等覚の菩薩を知らざらん、設い等覚の菩薩を知らざるも争でか当機結縁の衆を知らざらん乃ち不識一人の文は最も未断三惑の故か、是を以て本門に至つては則ち爾前迹門に於て随他意の釈を加え又天人修羅に摂し「貪著五欲妄見網中為凡夫顛倒」と説き、釈の文には「我坐道場不得一法」と云う蔵通両仏の見思断も別円二仏の無明断も並に皆見思無明を断ぜず故に随他意と云う、所化の衆生三惑を断ずと謂えるは是れ実の断に非ず答の文に開善の無声聞の義に同ずとは汝も亦光宅の有声聞の義に同ずるか、天台は有無共に破し給うなり、開善は爾前に於て無声聞を判じ光宅は法華に於て有声聞を判ず故に有無共に難有り、天台は「爾前には則ち有り今経には則ち無し所化の執情には則ち有り長者の見には則ち無し」此くの如きの破文皆是れ爾前迹門相対の釈にて有無共に今の難には非ざるなり、「但し七方便並に究竟の滅に非ず又但し心を観ずと云わば則ち理に称わず」との釈は円益に対し当分の益を下して「並非究竟滅即不称理」と云うなりと云うは金・論には「偏に清浄の真如を指す尚小の真を失えり仏性安んぞ在らん」と云う釈をば云何が会す可き、但し此の尚失小真の釈は常には出だす可からず最も秘蔵す可し、但し「妙法蓮華経皆是真実」の文を以て迹門に於て爾前の得道を許すが故に爾前得道の義有りと云うは此れは是れ迹門を爾前に対して真実と説くか、而も未だ久遠実成を顕さず是れ則ち彼の未顕真実の分域なり所以に無量義経に大荘厳等の菩薩の四十余年の得益を挙ぐるを仏の答えたもうに未顕真実の言を以てす、又涌出品の中に弥勒疑つて云く「如来太子為りし時釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、乃至四十余年を過ぐ」[已上]仏答えて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出で伽耶城を去ること遠からずして三菩提を得たりと謂えり我実に成仏してより以来」[已上]、我実成仏とは寿量品已前を未顕真実と云うに非ずや是の故に記の九に云く「昔七方便より誠諦に至るまでは七方便の権と言うは且く昔の権に寄す若し果門に対すれば権実倶に是れ随他意なり」[已上]、此の釈は明かに知んぬ迹門をも尚随他意と云うなり、寿量品の皆実不虚を天台釈して云く「円頓の衆生に約すれば迹本二門に於て一実一虚なり」[已上]、記の九に云く「故に知んぬ迹の実は本に於て猶虚なり」[已上]、迹門既に虚なること論に及ぶ可からず但し皆是真実とは若し本門に望むれば迹は是れ虚なりと雖も一座の内に於て虚実を論ず故に本迹両門倶に真実と言うなり、例せば迹門法説の時の譬説因縁の二周も此の一座に於て聞知せざること無し故に名けて顕と為すが如し、記の九に云く「若し方便教は二門倶に虚なり因門開し竟りて果門に望むれば則ち一実一虚なり本門顕れ竟れば則ち二種倶に実なり」[已上]、此の釈の意は本門未だ顕れざる以前は本門に対すれば尚迹門を以て名けて虚と為す若し本門顕れ已りぬれば迹門の仏因は即ち本門の仏果なるが故に天月水月本有の法と成りて本迹倶に三世常住と顕るるなり、一切衆生の始覚を名けて迹門の円因と言い一切衆生の本覚を名けて本門の円果と為す修一円因感一円果とは是なり、是くの如く法門を談ずるの時迹門爾前は若し本門顕れずんば六道を出でず何ぞ九界を出でんや。 
 
爾前二乗菩薩不作仏事/正元元年三十八歳御作

 

問うて云く二乗永不成仏の教に菩薩の作仏を許す可きや、答えて云く楞伽経第二に云く「大慧何者か無性乗なる、謂く一闡提なり大慧一闡提とは涅槃の性無し何を以ての故に解脱の中に於て信心を生ぜず涅槃に入らず、大慧一闡提とは二種あり何等をか二と為す一には一切の善根を梵焼す二には一切衆生を憐愍して一切衆生界を尽さんとの願を作す大慧云何が一切の善根を梵焼する謂く菩薩蔵を謗じて是くの如きの言を作す、彼の修多羅毘尼解脱の説に随順するに非ず諸の善根を捨つと是の故に涅槃を得ず、大慧衆生を憐愍して衆生界を尽さんとの願を作す者是を菩薩と為す、大慧菩薩は方便して願を作す若し諸の衆生の涅槃に入らざる者あらば我も亦涅槃に入らずと是の故に菩薩摩訶薩涅槃に入らず、大慧是を二種の一闡提無涅槃性と名く是の義を以ての故に決定して一闡提の行を取る、大慧菩薩仏に白して言く世尊此の二種の一闡提何等の一闡提か常に涅槃に入らざる、仏大慧に告げたまわく菩薩摩訶薩の一闡提は常に涅槃に入らず何を以ての故に能善く一切諸法本来涅槃なりと知るを以て是の故に涅槃に入らず一切の善根を捨つる闡提には非ず、何を以ての故に大慧彼れ一切の善根を捨つる闡提は若し諸仏善知識等に値いたてまつれば菩提心を発し諸の善根を生じて便ち涅槃を証す」等と云云、此の経文に「若し諸の衆生涅槃に入らざれば我も亦涅槃に入らじ」等云云。
前四味の諸経に二乗作仏を許さず之を以て之を思うに四味諸経の四教の菩薩も作仏有り難きか、華厳経に云く「衆生界尽きざれば我が願も亦尽きず」等と云云、一切の菩薩必ず四弘誓願を発す可し其の中の衆生無辺誓願度の願之を満せざれば無上菩提誓願証の願又成じ難し、之を以て之を案ずるに四十余年の文二乗に限らば菩薩の願又成じ難きか。
問うて云く二乗成仏之無ければ菩薩の成仏も之無き正き証文如何、答えて云く涅槃経三十六に云く「仏性は是れ衆生に有りと信ずと雖も必ず一切に皆悉く之有らず是の故に名けて信不具足と為す」と[三十六本三十二]、此の文の如くんば先四味の諸菩薩は皆一闡提の人なり二乗作仏を許さず二乗の作仏を成ぜざるのみに非ず、将又菩薩の作仏も之を許さざる者なり、之を以て之を思うに四十余年の文二乗作仏を許さずんば菩薩の成仏も又之無きなり、一乗要決の中に云く「涅槃経三十六に云く仏性は是れ衆生に有りと信ずと雖も必ず一切皆悉く之有らず是の故に名けて信不具足と為すと[三十六本三十二]、第三十一に説く一切衆生及び一闡提に悉く仏性有りと信ずるを菩薩の十法の中の第一の信心具足と名くと、[三十六本第三十]、一切衆生悉有仏性を明すは是れ少分に非ず、若し猶堅く少分の一切なりと執せば唯経に違するのみに非ず亦信不具なり何に因つてか楽つて一闡提と作るや此れに由つて全分の有性を許すべし理亦一切の成仏を許すべし○」慈恩の心経玄賛に云く「大悲の辺に約すれば常に闡提と為る大智の辺に約すれば亦当に作仏すべし、宝公の云く大悲闡提は是れ前経の所説なり前説を以て後説を難ず可からざるなり諸師の釈意大途之に同じ」文、金・の註に云く「境は謂く四諦なり百界三千の生死は即ち苦なり此の生死即ち是れ涅槃なりと達するを衆生無辺誓願度と名く百界三千に三惑を具足す此の煩悩即ち是れ菩提なりと達するを煩悩無辺誓願断と名く生死即涅槃と円の仏性を証するは即ち仏道無上誓願成なり、惑即菩提にして般若に非ざること無ければ即ち法門無尽誓願知なり、惑智無二なれば生仏体同じ苦集唯心なれば四弘融摂す一即一切なりとは斯の言徴有り」文、慈覚大師の速証仏位集に云く「第一に唯今経の力用仏の下化衆生の願を満す故に世に出でて之を説く所謂諸仏の因位四弘の願利生断惑知法作仏なり然るに因円果満なれば後の三の願は満ず、利生の一願甚だ満じ難しと為す彼の華厳の力十界皆仏道を成ずること能わず阿含方等般若も亦爾なり後番の五味皆成仏道の本懐なる事能わず、今此の妙経は十界皆成仏道なること分明なり彼の達多無間に堕するに天王仏の記を授け竜女成仏し十羅刹女も仏道を悟り阿修羅も成仏の総記を受け人天二乗三教の菩薩円妙の仏道に入る、経に云く我が昔の所願の如きは今者已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむと云云、衆生界尽きざるが故に未だ仏道に入らざる衆生有りと雖も然れども十界皆成仏すること唯今経の力に在り故に利生の本懐なり」と云云。
又云く「第一に妙経の大意を明さば諸仏は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現し一切衆生悉有仏性と説き聞法観行皆当に作仏すべし、抑仏何の因縁を以て十界の衆生悉く三因仏性有りと説きたもうや、天親菩薩の仏性論縁起分の第一に云く如来五種の過失を除き五種の功徳を生ずるが為に故に一切衆生悉有仏性と説きたもう[已上]謂く五種の過失とは一には下劣心二には高慢心三には虚妄執四には真法を謗じ五には我執を起すなり、五種の功徳とは一には正勤二には恭敬三には般若四には闍那五には大悲なり、生ずること無しと疑うが故に大菩提心を発すこと能わざるを下劣心と名け、我に性有つて能く菩提心を発すと謂えるを高慢と名け、一切の法無我の中に於て有我の執を作すを虚妄執と名け一切諸法の清浄の智慧功徳を違謗するを謗真法と名け意唯己を存して一切衆生を憐むことを欲せざるを起我執と名く此の五に翻対して定めて性有りと知りて菩提心を発す」と。 
 
教機時国抄/弘長二年二月十日四十一歳御作

 

本朝沙門日蓮之を註す
一に教とは釈迦如来所説の一切の経律論五千四十八巻四百八十帙天竺に流布すること一千年仏の滅後一千一十五年に当つて震旦国に仏経渡る、後漢の孝明皇帝永平十年丁卯より唐の玄宗皇帝開元十八年庚午に至る六百六十四歳の間に一切経渡り畢んぬ、此の一切の経律論の中に小乗大乗権経実経顕経密経あり此等を弁うべし、此の名目は論師人師よりも出でず仏説より起る十方世界の一切衆生一人も無く之を用うべし之を用いざる者は外道と知るべきなり、阿含経を小乗と説く事は方等般若法華涅槃等の諸大乗経より出でたり、法華経には一向に小乗を説きて法華経を説かざれば仏慳貪に堕すべしと説きたもう、涅槃経には一向に小乗経を用いて仏を無常なりと云わん人は舌口中に爛るべしと云云。
二に機とは仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし舎利弗尊者は金師に不浄観を教え浣衣の者には数息観を教うる間九十日を経て所化の弟子仏法を一分も覚らずして還つて邪見を起し一闡提と成り畢んぬ、仏は金師に数息観を教え浣衣の者に不浄観を教えたもう故に須臾の間に覚ることを得たり、智慧第一の舎利弗すら尚機を知らず何に況や末代の凡師機を知り難し但し機を知らざる凡師は所化の弟子に一向に法華経を教うべし、問うて云く無智の人の中にして此の経を説くこと莫れとの文は如何、答えて云く機を知るは智人の説法する事なり又謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり、例せば不軽菩薩の如し亦智者と成る可き機と知らば必ず先ず小乗を教え次に権大乗を教え後に実大乗を教う可し、愚者と知らば必ず先ず実大乗を教う可し信謗共に下種と為ればなり。
三に時とは仏教を弘めん人は必ず時を知るべし、譬えば農人の秋冬田を作るに種と地と人の功労とは違わざれども一分も益無く還つて損す一段を作る者は少損なり、一町二町等の者は大損なり、春夏耕作すれば上中下に随つて皆分分に益有るが如し、仏法も亦復是くの如し、時を知らずして法を弘めば益無き上還つて悪道に堕するなり、仏出世したもうて必ず法華経を説かんと欲するに縦い機有れども時無きが故に四十余年には此の経を説きたまわず故に経に云く「説時未だ至らざるが故なり」等と云云、仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し、正法には破戒無戒を捨てて持戒の者を供養すべし像法には無戒を捨てて破戒の者を供養すべし、末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし但し法華経を謗ぜん者をば正像末の三時に亘りて持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず、供養せば必ず国に三災七難起り供養せし者も必ず無間大城に堕すべきなり、法華経の行者の権経を謗ずるは主君親師の所従子息弟子等を罰するが如し、権経の行者の法華経を謗ずるは所従子息弟子等の主君親師を罰するが如し、又当世は末法に入つて二百一十余年なり、権経念仏等の時か法華経の時か能く能く時刻を勘うべきなり。
四に国とは仏教は必ず国に依つて之を弘むべし国には寒国熱国貧国富国中国辺国大国小国一向偸盗国一向殺生国一向不孝国等之有り、又一向小乗の国一向大乗の国大小兼学の国も之有り、而るに日本国は一向に小乗の国か一向に大乗の国か大小兼学の国なるか能く之を勘うべし。
五に教法流布の先後とは未だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴かざる者あり既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり必ず先に弘まれる法を知つて後の法を弘むべし先に小乗権大乗弘らば後に必ず実大乗を弘むべし先に実大乗弘らば後に小乗権大乗を弘むべからず、瓦礫を捨てて金珠を取るべし金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ。
已上の此の五義を知つて仏法を弘めば日本国の国師と成る可きか所以に法華経は一切経の中の第一の経王なりと知るは是れ教を知る者なり、但し光宅の法雲道場の慧観等は涅槃経は法華経に勝れたりと、清涼山の澄観高野の弘法等は華厳経大日経等は法華経に勝れたりと、嘉祥寺の吉蔵慈恩寺の基法師等は般若深密等の二経は法華経に勝れたりと云う、天台山の智者大師只一人のみ一切経の中に法華経を勝れたりと立つるのみに非ず法華経に勝れたる経之れ有りと云わん者を諌暁せよ止まずんば現世に舌口中に爛れ後生は阿鼻地獄に堕すべし等と云云、此等の相違を能く能く之を弁えたる者は教を知れる者なり、当世の千万の学者等一一に之に迷えるか、若し爾らば教を知れる者之れ少きか教を知れる者之れ無ければ法華経を読む者之れ無し法華経を読む者之れ無ければ国師となる者無きなり、国師となる者無ければ国中の諸人一切経の大小権実顕密の差別に迷うて一人に於ても生死を離るる者之れ無く、結句は謗法の者と成り法に依つて阿鼻地獄に堕する者は大地の微塵よりも多く法に依つて生死を離るる者は爪上の土よりも少し、恐る可し恐る可し、日本国の一切衆生は桓武皇帝より已来四百余年一向に法華経の機なり、例せば霊山八箇年の純円の機為るが如し[天台大師聖徳太子鑒真和尚根本大師安然和尚慧心等の記に之有り]是れ機を知れるなり、而るに当世の学者の云く日本国は一向に称名念仏の機なり等と云云、例せば舎利弗の機に迷うて所化の衆を一闡提と成せしが如し。
日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年後五百歳に当つて妙法蓮華経広宣流布の時刻なり是れ時を知れるなり、而るに日本国の当世の学者或は法華経を抛ちて一向に称名念仏を行じ或は小乗の戒律を教えて叡山の大僧を蔑り或は教外を立てて法華の正法を軽しむ此等は時に迷える者か、例せば勝意比丘が喜根菩薩を謗じ徳光論師が弥勒菩薩を蔑りて阿鼻の大苦を招きしが如し、日本国は一向に法華経の国なり例せば舎衛国の一向に大乗なりしが如し、又天竺には一向に小乗の国一向に大乗の国大小兼学の国も之有り、日本国は一向大乗の国なり大乗の中にも法華経の国為る可きなり[瑜伽論肇公の記聖徳太子伝教大師安然等の記之有り]是れ国を知れる者なり、而るに当世の学者日本国の衆生に向つて一向に小乗の戒律を授け一向に念仏者等と成すは「譬えば宝器に穢食を入れたるが如し」等云云[宝器の譬伝教大師の守護章に在り]、日本国には欽明天皇の御宇に仏法百済国より渡り始めしより桓武天皇に至るまで二百四十余年の間此の国に小乗権大乗のみ弘まり法華経有りと雖も其の義未だ顕れず、例せば震旦国に法華経渡つて三百余年の間法華経有りと雖も其の義未だ顕れざりしが如し、桓武天皇の御宇に伝教大師有して小乗権大乗の義を破して法華経の実義を顕せしより已来又異義無く純一に法華経を信ず、設い華厳般若深密阿含大小の六宗を学する者も法華経を以て所詮と為す、況や天台真言の学者をや何に況や在家の無智の者をや、例せば崑崙山に石無く蓬莱山に毒無きが如し、建仁より已来今に五十余年の間大日仏陀禅宗を弘め、法然隆寛浄土宗を興し実大乗を破して権宗に付き一切経を捨てて教外を立つ、譬えば珠を捨てて石を取り地を離れて空に登るが如し此は教法流布の先後を知らざる者なり。
仏誡めて云く「悪象に値うとも悪知識に値わざれ」等と云云、法華経の勧持品に後の五百歳二千余年に当つて法華経の敵人三類有る可しと記し置きたまえり当世は後五百歳に当れり、日蓮仏語の実否を勘うるに三類の敵人之有り之を隠さば法華経の行者に非ず之を顕さば身命定めて喪わんか、法華経第四に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等と云云、同じく第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」と、又云く、「我身命を愛せず但無上道を惜む」と、同第六に云く「自ら身命を惜まず」と云云、涅槃経第九に云く「譬えば王使の善能談論し方便に巧みなる命を他国に奉け寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を匿さざるが如し、智者も亦爾なり凡夫の中に於て身命を惜まずして要必大乗方等を宣説すべし」と云云、章安大師釈して云く「寧喪身命不匿教とは身は軽く法は重し身を死して法を弘めよ」等と云云、此等の本文を見れば三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず之を顕すは法華経の行者なり、而れども必ず身命を喪わんか、例せば師子尊者提婆菩薩等の如くならん云云。 
 
十法界明因果抄/文応元年五月三十九歳御作

 

沙門日蓮撰
八十華厳経六十九に云く「普賢道に入ることを得て十法界を了知す」と、法華経第六に云く「地獄声畜生声餓鬼声阿修羅声比丘声比丘尼声[人道]天声[天道]声聞声辟支仏声菩薩声仏声」と[已上十法界名目なり。]第一に地獄界とは観仏三昧経に云く「五逆罪を造り因果を撥無し大衆を誹謗し四重禁を犯し虚く信施を食するの者此の中に堕す」と[阿鼻地獄なり]、正法念経に云く「殺盗婬欲飲酒妄語の者此の中に堕す」と[大叫喚地獄なり]、正法念経に云く「昔酒を以て人に与えて酔わしめ已つて調戯して之を翫び彼をして羞恥せしむるの者此の中に堕す」と[叫喚地獄なり]、正法念経に云く「殺生偸盗邪婬の者此の中に堕す」と[衆合地獄なり]、涅槃経に云く「殺に三種有り謂く下中上なり○下とは蟻子乃至一切の畜生乃至下殺の因縁を以て地獄に堕し乃至具に下の苦を受く」文。
問うて云く十悪五逆等を造りて地獄に堕するは世間の道俗皆之を知れり謗法に依つて地獄に堕するは未だ其の相貌を知らざる如何、答えて云く堅慧菩薩の造勒那摩提の訳究竟一乗宝性論に云く「楽て小法を行じて法及び法師を謗じ○如来の教を識らずして説くこと修多羅に背いて是真実義と言う」文、此の文の如くんば小乗を信じて真実義と云い大乗を知らざるは是れ謗法なり、天親菩薩の説真諦三蔵の訳仏性論に云く「若し大乗に憎背するは此は是一闡提の因なり衆生をして此の法を捨てしむるを為ての故に」文、此の文の如くんば大小流布の世に一向に小乗を弘め自身も大乗に背き人に於ても大乗を捨てしむる是を謗法と云うなり、天台大師の梵網経の疏に云く「謗は是れ乖背の名・て是れ解理に称わず言実に当らず異解して説く者を皆名けて謗と為すなり己が宗に背くが故に罪を得」文、法華経の譬喩品に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」文、此の文の意は小乗の三賢已前大乗の十信已前末代の凡夫の十悪五逆不孝父母女人等を嫌わず此等法華経の名字を聞いて或は題名を唱え一字一句四句一品一巻八巻等を受持し読誦し乃至亦上の如く行ぜん人を随喜し讃歎する人は法華経よりの外、一代の聖教を深く習い義理に達し堅く大小乗の戒を持てる大菩薩の如き者より勝れて往生成仏を遂ぐ可しと説くを信ぜずして還つて法華経は地住已上の菩薩の為或は上根上智の凡夫の為にして愚人悪人女人末代の凡夫等の為には非ずと言わん者は即ち一切衆生の成仏の種を断じて阿鼻獄に入る可しと説ける文なり、涅槃経に云く「仏の正法に於て永く護惜建立の心無し」文、此の文の意は此の大涅槃経の大法世間に滅尽せんを惜まざる者は即ち是れ誹謗の者なり、天台大師法華経の怨敵を定めて云く「聞く事を喜ばざる者を怨と為す」文、謗法は多種なり大小流布の国に生れて一向に小乗の法を学して身を治め大乗に遷らざるは是れ謗法なり、亦華厳方等般若等の諸大乗経を習える人も諸経と法華経と等同の思を作し人をして等同の義を学ばしめ法華経に遷らざるは是れ謗法なり、亦偶円機有る人の法華経を学ぶをも我が法に付けて世利を貪るが為に汝が機は法華経に当らざる由を称して此の経を捨て権経に遷らしむるは是れ大謗法なり、此くの如き等は皆地獄の業なり人間に生ずること過去の五戒は強く三悪道の業因は弱きが故に人間に生ずるなり、亦当世の人も五逆を作る者は少く十悪は盛に之を犯す亦偶後世を願う人の十悪を犯さずして善人の如くなるも自然に愚癡の失に依つて身口は善く意は悪しき師を信ず、但我のみ此の邪法を信ずるに非ず国を知行する人人民を聳て我が邪法に同ぜしめ妻子眷属所従の人を以て亦聳め従え我が行を行ぜしむ、故に正法を行ぜしむる人に於て結縁を作さず亦民所従等に於ても随喜の心を至さしめず、故に自他共に謗法の者と成りて修善止悪の如き人も自然に阿鼻地獄の業を招くこと末法に於て多分之れ有るか。
阿難尊者は浄飯王の甥斛飯王の太子提婆達多の舎弟釈迦如来の従子なり、如来に仕え奉つて二十年覚意三昧を得て一代聖教を覚れり、仏入滅の後阿闍世王阿難を帰依し奉る、仏の滅後四十年の此阿難尊者一の竹林の中に至るに一りの比丘有り一の法句の偈を誦して云く「若し人生じて百歳なりとも水の潦涸を見ずんば生じて一日にして之を覩見することを得るに如かず」[已上]、阿難此の偈を聞き比丘に語つて云く此れ仏説に非ず汝修行す可らず爾時に比丘阿難に問うて云く仏説は如何、阿難答えて云く若人生じて百歳なりとも生滅の法を解せずんば生じて一日にして之を解了することを得んには如かず[已上]此の文仏説なり、汝が唱うる所の偈は此の文を謬りたるなり、爾の時に比丘此の偈を得て本師の比丘に語る、本師の云く我汝に教うる所の偈は真の仏説なり阿難が唱うる所の偈は仏説に非ず阿難年老衰して言錯謬多し信ず可らず、此の比丘亦阿難の偈を捨てて本の謬りたる偈を唱う阿難又竹林に入りて之を聞くに我が教うる所の偈に非ず重ねて之を語るに比丘信用せざりき等云云、仏の滅後四十年にさえ既に謬り出来せり何に況んや仏の滅後既に二千余年を過ぎたり、仏法天竺より唐土に至り唐土より日本に至る論師三蔵人師等伝来せり定めて謬り無き法は万が一なるか、何に況や当世の学者偏執を先と為して我慢を挿み火を水と諍い之を糾さず偶仏の教の如く教を宣ぶる学者をも之を信用せず故に謗法ならざる者は万が一なるか。
第二に餓鬼道とは正法念経に云く「昔財を貪りて屠殺せるの者此の報を受く」と、亦云く「丈夫自ら美食を・い妻子に与えず或は婦人自ら食して夫子に与えざるは此の報を受く」と、亦云く「名利を貪るが為に不浄説法する者此の報を受く」と、亦云く「昔酒を・に水を加うる者此の報を受く」と、亦云く「若し人労して少物を得たるを誑惑して之を取り用いける者此の報を受く」と、亦云く「昔行路人の病苦ありて疲極せるに其の売を欺き取り直を与うること薄少なりし者此の報を受く」と、又云く「昔刑獄を典主人の飲食を取りし者此の報を受く」と、亦云く「昔陰凉樹を伐り及び衆僧の園林を伐りし者此の報を受く」と文、法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること己が舎宅の如し」文、慳貪偸盗等の罪に依つて餓鬼道に堕することは世人知り易し、慳貪等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依つて餓鬼道に堕することは智者に非ざれば之を知らず能く能く恐る可きか。
第三に畜生道とは愚癡無慙にして徒に信施の他物を受けて之を償わざる者此の報を受くるなり、法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○当に畜生に堕すべし」[文已上三悪道なり]。
第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁義礼智信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」文。
第五に人道とは報恩経に云く「三帰五戒は人に生る」文。
第六に天道とは二有り、欲天には十善を持ちて生れ色無色天には下地は・苦障上地は静妙離の六行観を以て生ずるなり。
問うて云く六道の生因は是くの如し抑同時に五戒を持ちて人界の生を受くるに何ぞ生盲聾・●・陋・・背傴貧窮多病瞋恚等無量の差別有りや、答えて云く大論に云く「若は衆生の眼を破り若は衆生の眼を屈り若は正見の眼を破り罪福無しと言わん是の人死して地獄に堕し罪畢つて人と為り生れて従り盲なり、若は復仏塔の中の火珠及び諸の灯明を盗む是くの如き等の種種の先世の業因縁をもて眼を失うなり○聾とは是れ先世の因縁師父の教訓を受けず行ぜず而も反つて瞋恚す是の罪を以ての故に聾となる、復次に衆生の耳を截り若は衆生の耳を破り若は仏塔僧塔諸の善人福田の中の・椎鈴貝及び鼓を盗む故に此の罪を得るなり、先世に他の舌を截り或は其の口を塞ぎ或は悪薬を与えて語ることを得ざらしめ、或は師の教父母の教勅を聞き其の語を断つ○世に生れて人と為り唖にして言うこと能わず○先世に他の坐禅を破り坐禅の舎を破り諸の咒術を以て人を咒して瞋らし闘諍し婬欲せしむ今世に諸の結使厚重なること婆羅門の其の稲田を失い其の婦復死して即時に狂発し裸形にして走りしが如くならん、先世に仏阿羅漢辟支仏の食及び父母所親の食を奪えば仏世に値うと雖も猶故飢渇す罪の重きを以ての故なり、○先世に好んで鞭杖拷掠閉繋を行じ種種に悩すが故に今世の病を得るなり○先世に他の身を破り其の頭を截り其の手足を斬り種種の身分を破り或は仏像を壊り仏像の鼻及び諸の賢聖の形像を毀り或は父母の形像を破る是の罪を以ての故に形を受くる多く具足せず、復次に不善法の報身を受くること醜陋なり」文、法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○若し人と為ることを得ては諸根闇鈍にして盲聾背傴ならん○口の気常に臭く鬼魅に著せられん貧窮下賎にして人に使われ多病瘠痩にして依怙する所無く○若は他の叛逆し抄劫し竊盗せん是くの如き等の罪横に其の殃に羅らん」文。
又八の巻に云く「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出さん若は実にもあれ若は不実にもあれ此の人は現世に白癩の病を得ん若し之を軽笑すること有らん者は当に世世に牙歯疎欠醜き脣平める鼻手脚繚戻し眼目角・に身体臭穢にして悪瘡膿血水腹短気諸の悪重病あるべし」文、問うて云く何なる業を修する者が六道に生じて其の中の王と成るや、答えて云く大乗の菩薩戒を持して之を破る者は色界の梵王欲界の魔王帝釈四輪王禽獣王閻魔王等と成るなり、心地観経に云く「諸王の受くる所の諸の福楽は往昔會つて三の浄戒を持し戒徳薫修して招き感ずる所人天の妙果王の身を獲○中品に菩薩戒を受持すれば福徳自在の転輪王として心の所作に随つて尽く皆成じ無量の人天悉く遵奉す、下の上品に持すれば大鬼王として一切の非人咸く率伏す戒品を受持して欠犯すと雖も戒の勝るるに由るが故に王と為ることを得下の中品に持すれば禽獣の王として一切の飛走皆帰伏す清浄の戒に於て欠犯有るも戒の勝るるに由るが故に王と為ることを得、下の下品に持すれば・魔王として地獄の中に処して常に自在なり禁戒を毀り悪道に生ずと雖も戒の勝るるに由るが故に王と為る事を得○若し如来の戒を受けざる事有れば終に野干の身をも得ること能わず何に況んや能く人天の中の最勝の快楽を感じて王位に居せん」文、安然和尚の広釈に云く「菩薩の大戒は持して法王と成り犯して世王と成る而も戒の失せざること譬えば金銀を器と成すに用ゆるに貴く器を破りて用いざるも而も宝は失せざるが如し」亦云く「無量寿観に云く劫初より已来八万の王有つて其の父を殺害すと此則ち菩薩戒を受けて国王と作ると雖も今殺の戒を犯して皆地獄に堕れども犯戒の力も王と作るなり」大仏頂経に云く「発心の菩薩罪を犯せども暫く天神地祗と作る」と、大随求に云く「天帝命尽きて忽ち驢の腹に入れども随求の力に由つて還つて天上に生ず」と、尊勝に云く「善住天子死後七返畜生の身に堕すべきを尊勝の力に由つて還つて天の報を得たり」と、昔国王有り千車をもて水を運び仏塔の焼くるを救う自ら・心を起して阿修羅王と作る、昔梁の武帝五百の袈裟を須弥山の五百の羅漢に施す、誌公云く「往五百に施すに一りの衆を欠けり罪を犯して暫く人王と作る即ち武帝是なり、昔国王有つて民を治むること等からず今天王と作れども大鬼王と為る、即ち東南西の三天王是なり拘留孫の末に菩薩と成りて発誓し現に北方毘沙門と作る是なり」云云、此等の文を以て之を思うに小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。
第七に声聞道とは此の界の因果をば阿含小乗十二年の経に分明に之を明せり、諸大乗経に於ても大に対せんが為に亦之をば明せり、声聞に於て四種有り一には優婆塞俗男なり五戒を持し苦空無常無我の観を修し自調自度の心強くして敢て化他の意無く見思を断尽して阿羅漢と成る此くの如くする時自然に髪を剃るに自ら落つ、二には優婆夷俗女なり五戒を持し髪を剃るに自ら落つること男の如し三には比丘僧なり二百五十戒[具足戒なり]を持して苦空無常無我の観を修し見思を断じて阿羅漢と成る此くの如くするの時髪を剃らざれども生ぜず、四に比丘尼なり五百戒を持す余は比丘の如し、一代諸経に列座せる舎利弗目連等の如き声聞是なり永く六道に生ぜず亦仏菩薩とも成らず灰身滅智し決定して仏に成らざるなり、小乗戒の手本たる尽形寿の戒は一度依身を壊れば永く戒の功徳無し、上品を持すれば二乗と成り中下を持すれば人天に生じて民と為る之を破れば三悪道に堕して罪人と成るなり、安然和尚の広釈に云く「三善は世戒なり因生して果を感じ業尽きて悪に堕す譬えば楊葉の秋至れば金に似れども秋去れば地に落つるが如し、二乗の小戒は持する時は果拙く破る時は永く捨つ譬えば瓦器の完くして用うるに卑しく若し破れば永く失するが如し」文。
第八に縁覚道とは二有り一には部行独覚仏前に在りて声聞の如く小乗の法を習い小乗の戒を持し見思を断じて永不成仏の者と成る、二には鱗喩独覚無仏の世に在りて飛花落葉を見て苦空無常無我の観を作し見思を断じて永不成仏の身と成る戒も亦声聞の如し此の声聞縁覚を二乗とは云うなり。
第九に菩薩界とは六道の凡夫の中に於て自身を軽んじ他人を重んじ悪を以て己に向け善を以て他に与えんと念う者有り、仏此の人の為に諸の大乗経に於て菩薩戒を説きたまえり、此の菩薩戒に於て三有り一には摂善法戒所謂八万四千の法門を習い尽さんと願す、二には饒益有情戒一切衆生を度しての後に自ら成仏せんと欲する是なり、三には摂律儀戒一切の諸戒を尽く持せんと欲する是なり、華厳経の心を演ぶる梵網経に云く「仏諸の仏子に告げて言く十重の波羅提木叉有り若し菩薩戒を受けて此の戒を誦せざる者は菩薩に非ず仏の種子に非ず我も亦是くの如く誦す一切の菩薩は已に学し一切の菩薩は当に学し一切の菩薩は今学す」文、菩薩と言うは二乗を除いて一切の有情なり、小乗の如きは戒に随つて異るなり、菩薩戒は爾らず一切の有心に必ず十重禁等を授く一戒を持するを一分の菩薩と云い具に十分を受くるを具足の菩薩と名く、故に瓔珞経に云く「一分の戒を受くること有れば一分の菩薩と名け乃至二分三分四分十分なるを具足の受戒と云う」文。
問うて云く二乗を除くの文如何、答えて云く梵網経に菩薩戒を受くる者を列ねて云く「若し仏戒を受くる者は国王王子百官宰相比丘比丘尼十八梵天六欲天子庶民黄門婬男婬女奴婢八部鬼神金剛神畜生乃至変化人にもあれ但法師の語を解するは尽く戒を受得すれば皆第一清浄の者と名く」文、此の中に於て二乗無きなり、方等部の結経たる瓔珞経にも亦二乗無し、問うて云く二乗所持の不殺生戒と菩薩所持の不殺生戒と差別如何、答えて云く所持の戒の名は同じと雖も持する様並に心念永く異るなり、故に戒の功徳も亦浅深あり、問うて云く異なる様如何、答えて云く二乗の不殺生戒は永く六道に還らんと思わず故に化導の心無し亦仏菩薩と成らんと思わず但灰身滅智の思を成すなり、譬えば木を焼き灰と為しての後に一塵も無きが如し故に此の戒をば瓦器に譬う破れて後用うること無きが故なり、菩薩は爾らず饒益有情戒を発して此の戒を持するが故に機を見て五逆十悪を造り同く犯せども此の戒は破れず還つて弥弥戒体を全くす、故に瓔珞経に云く「犯すこと有ども失せず未来際を尽くす」文、故に此の戒をば金銀の器に譬う完くして持する時も破する時も永く失せざるが故なり、問うて云く此の戒を持する人は幾劫を経てか成仏するや、答えて云く瓔珞経に云く「未だ住前に上らざる○若は一劫二劫三劫乃至十劫を経て初住の位の中に入ることを得」文、文の意は凡夫に於て此の戒を持するを信位の菩薩と云う、然りと雖も一劫二劫乃至十劫の間は六道に沈輪し十劫を経て不退の位に入り永く六道の苦を受けざるを不退の菩薩と云う未だ仏に成らず還つて六道に入れども苦無きなり。
第十に仏界とは菩薩の位に於て四弘誓願を発すを以て戒と為す三僧祗の間六度万行を修し見思塵沙無明の三惑を断尽して仏と成る、故に心地観経に云く「三僧企耶大劫の中に具に百千の諸の苦行を修し功徳円満にして法界に遍く十地究竟して三身を証す」文、因位に於て諸の戒を持ち仏果の位に至つて仏身を荘厳す三十二相八十種好は即ち是の戒の功徳の感ずる所なり、但し仏果の位に至れば戒体失す譬えば華の果と成つて華の形無きが如し、故に天台の梵網経の疏に云く「仏果に至つて乃ち廃す」文、問うて云く梵網経等の大乗戒は現身に七逆を造れると並に決定性の二乗とを許すや、答えて云く梵網経に云く「若し戒を受けんと欲する時は師問い言うべし汝現身に七逆の罪を作らざるやと、菩薩の法師は七逆の人の与に現身に戒を受けしむることを得ず」文、此の文の如くんば七逆の人は現身に受戒を許さず、大般若経に云く「若し菩薩設い恒河沙劫に妙の五欲を受くるとも菩薩戒に於ては猶犯と名けず若し一念二乗の心を起さば即ち名けて犯と為す」文、大荘厳論に云く「恒に地獄に処すと雖も大菩提を障ず若し自利の心を起さば是れ大菩提の障なり」文、此等の文の如くんば六凡に於ては菩薩戒を授け二乗に於ては制止を加うる者なり、二乗戒を嫌うは二乗所持の五戒八戒十戒十善戒二百五十戒等を嫌うに非ず彼の戒は菩薩も持す可し但二乗の心念を嫌うなり、夫れ以みれば持戒は父母師僧国王主君の一切衆生三宝の恩を報ぜんが為なり、父母は養育の恩深し一切衆生は互に相助くる恩重し国王は正法を以て世を治むれば自他安穏なり、此に依つて善を修すれば恩重し主君も亦彼の恩を蒙りて父母妻子眷属所従牛馬等を養う、設い爾らずと雖も一身を顧る等の恩是重し師は亦邪道を閉じ正道に趣かしむる等の恩是深し仏恩は言うに及ばす是くの如く無量の恩分之有り、而るに二乗は此等の報恩皆欠けたり故に一念も二乗の心を起すは十悪五逆に過ぎたり一念も菩薩の心を起すは一切諸仏の後心の功徳を起せるなり、已上四十余年の間の大小乗の戒なり、法華経の戒と言うは二有り、一には相待妙の戒二には絶待妙の戒なり、先ず相待妙の戒とは四十余年の大小乗の戒と法華経の戒と相対して爾前を・戒と云い法華経を妙戒と云うて諸経の戒をば未顕真実の戒歴劫修行の戒決定性の二乗戒と嫌うなり、法華経の戒は真実の戒速疾頓成の戒二乗の成仏を嫌わざる戒等を相対して・妙を論ずるを相対妙の戒と云うなり。
問うて云く梵網経に云く「衆生仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入る位大覚に同じ已に実に是諸仏の子なり」文。
華厳経に云く「初発心の時便ち正覚を成ず」文、大品経に云く「初発心の時即ち道場に坐す」文、此等の文の如くんば四十余年の大乗戒に於て法華経の如く速疾頓成の戒有り何ぞ但歴劫修行の戒なりと云うや、答えて云く此れに於て二義有り一義に云く四十余年の間に於て歴劫修行の戒と速疾頓成の戒と有り法華経に於ては但一つの速疾頓成の戒のみ有り、其の中に於て四十余年の間の歴劫修行の戒に於ては法華経の戒に劣ると雖も四十余年の間の速疾頓成の戒に於ては法華経の戒に同じ、故に上に出す所の衆生仏戒を受れば即ち諸仏の位に入る等の文は法華経の須臾聞之即得究竟の文に之同じ、但し無量義経に四十余年の経を挙げて歴劫修行等と云えるは四十余年の内の歴劫修行の戒計りを嫌うなり速疾頓成の戒をば嫌わざるなり、一義に云く四十余年の間の戒は一向に歴劫修行の戒法華経の戒は速疾頓成の戒なり、但し上に出す所の四十余年の諸経の速疾頓成の戒に於ては凡夫地より速疾頓成するに非ず凡夫地より無量の行を成じて無量劫を経最後に於て凡夫地より即身成仏す、故に最後に従えて速疾頓成とは説くなり、委悉に之を論ぜば歴劫修行の所摂なり、故に無量義経には総て四十余年の経を挙げて仏無量義経の速疾頓成に対して宣説菩薩歴劫修行と嫌いたまえり、大荘厳菩薩の此の義を承けて領解して云く「無量無辺不可思議阿僧祗劫を過れども終に無上菩提を成ずることを得ず、何を以ての故に菩提の大直道を知らざるが故に険逕を行くに留難多きが故に、乃至大直道を行くに留難無きが故に」文、若し四十余年の間に無量義経法華経の如く速疾頓成の戒之れ有れば仏猥りに四十余年の実義を隠し給うの失之れ有り云云、二義の中に後の義を作る者は存知の義なり、相待妙の戒是なり、次に絶待妙の戒とは法華経に於ては別の戒無し、爾前の戒即ち法華経の戒なり其の故は爾前の人天の楊葉戒小乗阿含経の二乗の瓦器戒華厳方等般若観経等の歴劫菩薩の金銀戒の行者法華経に至つて互に和会して一同と成る、所以に人天の楊葉戒の人は二乗の瓦器菩薩の金銀戒を具し菩薩の金銀戒に人天の楊葉二乗の瓦器を具す余は以て知んぬ可し、三悪道の人は現身に於て戒無し過去に於て人天に生れし時人天の楊葉二乗の瓦器菩薩の金銀戒を持ち退して三悪道に堕す、然りと雖も其の功徳未だ失せず之有り三悪道の人法華経に入る時其の戒之を起す故に三悪道にも亦十界を具す、故に爾前の十界の人法華経に来至すれば皆持戒なり、故に法華経に云く「是を持戒と名く」文、安然和尚の広釈に云く「法華に云く能く法華を説く是を持戒と名く」文、爾前経の如く師に随つて、戒を持せず但此の経を信ずるが即ち持戒なり、爾前の経には十界互具を明さず故に菩薩無量劫を経て修行すれども二乗人天等の余戒の功徳無く但一界の功徳を成ず故に一界の功徳を以て成仏を遂げず、故に一界の功徳も亦成ぜず、爾前の人法華経に至りぬれば余界の功徳を一界に具す、故に爾前の経即ち法華経なり法華経即ち爾前の経なり、法華経は爾前の経を離れず爾前の経は法華経を離れず是を妙法と言う、此の覚り起りて後は行者阿含小乗経を読むとも即ち一切の大乗経を読誦し法華経を読む人なり、故に法華経に云く「声聞の法を決了すれば是諸経の王なり」文、阿含経即ち法華経と云う文なり、「一仏乗に於て分別して三と説く」文、華厳方等般若即ち法華経と云う文なり、「若し俗間の経書治世の語言資生の業等を説かんも皆正法に順ず」文、一切の外道老子孔子等の経は即ち法華経と云ふ文なり、梵網経等の権大乗の戒と法華経の戒とに多くの差別有り、一には彼の戒は二乗七逆の者を許さず二には戒の功徳に仏果を具せず三には彼は歴劫修行の戒なり是くの如き等の多くの失有り、法華経に於ては二乗七逆の者を許す上博地の凡夫一生の中に仏位に入り妙覚至つて因果の功徳を具するなり。 ( 正元二年庚申四月二十一日 )
 
顕謗法抄/弘長二年四十一歳御作

 

本朝沙門日蓮撰
第一に八大地獄の因果を明し、第二に無間地獄の因果の軽重を明し、第三に問答料簡を明し、第四に行者弘経の用心を明す。
第一に八大地獄の因果を明さば、第一に等活地獄とは此の閻浮提の地の下一千由旬にあり此の地獄は縦広斉等にして一万由旬なり、此の中の罪人はたがいに害心をいだく若たまたま相見れば犬と・とのあえるがごとし、各鉄の爪をもて互につかみさく血肉既に尽きぬれば唯骨のみあり、或は獄卒手に鉄杖を取つて頭より足にいたるまで皆打くだく身体くだけて沙のごとし、或は利刀をもつて分分に肉をさく然れども又よみがへりよみがへりするなり此の地獄の寿命は人間の昼夜五十年をもつて第一四王天の一日一夜として四王天の天人の寿命五百歳なり、四王天の五百歳を此れ等活地獄の一日一夜として其の寿命五百歳なり、此の地獄の業因をいはばものの命をたつもの此の地獄に堕つ螻蟻蚊・等の小虫を殺せる者も懺悔なければ必ず此の地獄に堕つべし、譬へばはりなれども水の上にをけば沈まざることなきが如し、又懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懺悔には此の罪きえがたし、譬へばぬすみをして獄に入りぬるもののしばらく経て後に御免を蒙りて獄を出ずれども又重ねて盗をして獄に入りぬれば出ゆるされがたきが如し、されば当世の日本国の人は上一人より下万民に至まで此の地獄をまぬがるる人は一人もありがたかるべし、何に持戒のをぼへをとれる持律の僧たりとも蟻虱なんどを殺さず蚊・をあやまたざるべきか、況や其外山野の鳥鹿江海の魚鱗を日日に殺すものをや、何に況や牛馬人等を殺す者をや。
第二に黒繩地獄とは等活地獄の下にあり縦広は等活地獄の如し、獄卒罪人をとらえて熱鉄の地にふせて熱鉄の繩をもつて身にすみうつて熱鉄の斧をもつて繩に随つてきりさきけづる又鋸を以てひく又左右に大なる鉄の山あり山の上に鉄の幢を立て鉄の繩をはり罪人に鉄の山をををせて繩の上よりわたす繩より落ちてくだけ或は鉄のかなえに堕し入れてにらる此の苦は上の等活地獄の苦よりも十倍なり、人間の一百歳は第二の・利天の一日一夜なり其の寿一千歳なり此の天の寿一千歳を一日一夜として此の第二の地獄の寿命一千歳なり、殺生の上に偸盗とてぬすみをかさねたるもの此の地獄にをつ、当世の偸盗のものものをぬすむ上物の主を殺すもの此の地獄に堕つべし。
第三に衆合地獄とは黒繩地獄の下にあり縦広は上の如し多くの鉄の山二つづつに相向へり、牛頭馬頭等の獄卒手に棒を取つて罪人を駈りて山の間に入らしむ、此の時両の山迫り来て合せ押す身体くだけて血流れて地にみつ、又種種の苦あり、人間の二百歳を第三の夜摩天の一日一夜として此の天の寿二千歳なり此の天の寿を一日一夜として此の地獄の寿命二千歳なり、殺生偸盗の罪の上に邪婬とて他人のつまを犯す者此の地獄の中に堕つべし、而るに当世の僧尼士女多分は此の罪を犯す殊に僧にこの罪多し、士女は各各互にまほり又人目をつつまざる故に此の罪ををかさず僧は一人ある故に婬欲とぼしきところに若し有身ば父ただされあらはれぬべきゆへに独ある女人ををかさず、もしやかくるると他人の妻をうかがひふかくかくれんとをもうなり、当世のほかたうとげなる僧の中にことに此の罪又多くあるらんとをぼゆ、されば多分は当世たうとげなる僧此の地獄に堕つべし。
第四に叫喚地獄とは衆合の下にあり縦広前に同じ獄卒悪声出して弓箭をもつて罪人をいる、又鉄の棒を以て頭を打つて熱鉄の地をはしらしむ、或は熱鉄のいりだなにうちかへしうちかへし此の罪人をあぶる、或は口を開てわける銅のゆを入るれば五臓やけて下より直に出ず、寿命をいはば人間の四百歳を第四の都率天の一日一夜とす、又都率天の四千歳なり都率天の四千歳の寿を一日一夜として此の地獄の寿命四千歳なり、此の地獄の業因をいはば殺生偸盗邪婬の上に飲酒とて酒のむもの此の地獄に堕つべし、当世の比丘比丘尼優婆塞優婆夷の四衆の大酒なる者此の地獄の苦免れがたきか、大論には酒に三十六の失をいだし梵網経には酒盃をすすめる者五百生に手なき身と生るととかせ給う人師の釈にはみみずていの者となるとみへたり、況や酒をうりて人にあたえたる者をや何に況や酒に水を入れてうるものをや当世の在家の人人この地獄の苦まぬがれがたし。
第五に大叫喚地獄とは叫喚の下にあり縦広前に同し、其の苦の相は上の四の地獄の諸の苦に十倍して重くこれをうく、寿命の長短を云わば人間の八百歳は第五の化楽天の一日一夜なり此の天の寿八千歳なり此の天の八千歳を一日一夜として此の地獄の寿命八千歳なり、殺生偸盗邪婬飲酒の重罪の上に妄語とてそらごとせる者此の地獄に堕つべし、当世の諸人は設い賢人上人なんどいはるる人人も妄語せざる時はありとも妄語をせざる日はあるべからず、設い日はありとも月はあるべからず設い月はありとも年はあるべからず設い年はありとも一期生妄語せざる者はあるべからず、若ししからば当世の諸人一人もこの地獄をまぬがれがたきか。
第六に焦熱地獄とは大叫喚地獄の下にあり縦広前にをなじ、此の地獄に種種の苦あり若し此の地獄の豆計りの火を閻浮提にをけらんに一時にやけ尽きなん況や罪人の身の・なることわたのごとくなるをや、此の地獄の人は前の五つの地獄の火を見る事雪の如し、譬へば人間の火の薪の火よりも鉄銅の火の熱きが如し、寿命の長短は人間の千六百歳を第六の他化天の一日一夜として此の天の寿千六百歳なり此の天の千六百歳を一日一夜として此の地獄の寿命一千六百歳なり、業因を云わば殺生偸盗邪婬飲酒妄語の上邪見とて因果なしという者此の中に堕つべし、邪見とは有人の云く人飢えて死ぬれば天に生るべし等と云云、総じて因果をしらぬ者を邪見と申すなり世間の法には慈悲なき者を邪見の者という、当世の人人此の地獄を免れがたきか。
第七に大焦熱地獄とは焦熱の下にあり縦広前の如し、前の六つの地獄の一切の諸苦に十倍して重く受るなり、其の寿命は半中劫なり、業因を云わば殺生偸盗邪婬飲酒妄語邪見の上に浄戒の比丘尼ををかせるもの此の中に堕つべし、又比丘酒をもつて不邪婬戒を持てる婦女をたぼらかし或は財物をあたへて犯せるもの此の中に堕つべし、当世の僧の中に多く此の重罪あるなり、大悲経の文に末代には士女は多くは天に生じ僧尼は多くは地獄に堕つべしととかれたるはこれていの事か、心あらん人人ははづべしはづべし。
総じて上の七大地獄の業因は諸経論をもつて勘え当世日本国の四衆にあて見るに此の七大地獄をはなるべき人を見ず又きかず、涅槃経に云く末代に入りて人間に生ぜん者は爪上の土の如し三悪道に堕つるものは十方世界の微塵の如しと説かれたり、若爾らば我等が父母兄弟等の死ぬる人は皆上の七大地獄にこそ堕ち給いては候らめあさましともいうばかりなし、竜と蛇と鬼神と仏菩薩聖人をば未だ見ずただをとにのみこれをきく当世に上の七大地獄の業を造らざるものをば未だ見ず又をとにもきかず、而るに我が身よりはじめて一切衆生七大地獄に堕つべしとをもえる者一人もなし、設い言には堕つべきよしをさえづれども心には堕つべしともをもわず、又僧尼士女地獄の業をば犯すとはをもえども或は地蔵菩薩等の菩薩を信じ或は阿弥陀仏等の仏を恃み或は種種の善根を修したる者もあり、皆をもはく我はかかる善根をもてればなんどうちをもひて地獄をもをぢず、或は宗宗を習へる人人は各各の智分をたのみて又地獄の因ををぢず、而るに仏菩薩を信じたるも愛子夫婦なんどをあいし父母主君なんどをうやまうには雲泥なり、仏菩薩等をばかろくをもえるなり、されば当世の人人の仏菩薩を恃ぬれば宗宗を学したれば地獄の苦はまぬがれなんなんどをもえるは僻案にや心あらん人人はよくよくはかりをもうべきか。
第八に大阿鼻地獄とは又は無間地獄と申すなり欲界の最底大焦熱地獄の下にあり此の地獄は縦広八万由旬なり、外に七重の鉄の城あり地獄の極苦は且く之を略す前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として大阿鼻地獄の苦一千倍勝れたり、此の地獄の罪人は大焦熱地獄の罪人を見る事他化自在天の楽みの如し、此の地獄の香のくささを人かくならば四天下欲界六天の天人皆ししなん、されども出山没山と申す山此の地獄の臭き気ををさへて人間へ来らせざるなり、故に此の世界の者死せずと見へぬ、若し仏此の地獄の苦を具に説かせ給はば人聴いて血をはいて死すべき故にくわしく仏説き給はずとみへたり、此の無間地獄の寿命の長短は一中劫なり一中劫と申すは此の人寿無量歳なりしが百年に一寿を減じ又百年に一寿を減ずるほどに人寿十歳の時に減ずるを一減と申す、又十歳より百年に一寿を増し又百年に一寿を増する程に八万歳に増するを一増と申す、此の一増一減の程を小劫として二十の増減を一中劫とは申すなり、此の地獄に堕ちたる者これ程久しく無間地獄に住して大苦をうくるなり、業因を云わば五逆罪を造る人此の地獄に堕つべし、五逆罪と申すは一に殺父二に殺母三に殺阿羅漢四に出仏身血五に破和合僧なり、今の世には仏ましまさずしかれば出仏身血あるべからず、和合僧なければ破和合僧なし、阿羅漢なければ殺阿羅漢これなし、但殺父殺母の罪のみありぬべし、しかれども王法のいましめきびしくあるゆへに此の罪をかしがたし、若爾らば当世には阿鼻地獄に堕つべき人すくなし但し相似の五逆罪これあり木画の仏像堂塔等をやきかの仏像等の寄進の所をうばいとり率兜婆等をきりやき智人を殺しなんどするもの多し、此等は大阿鼻地獄の十六の別処に堕つべし、されば当世の衆生十六の別処に堕つるもの多きか又謗法の者この地獄に堕つべし。
第二に無間地獄の因果の軽重を明さば、問うて云く五逆罪より外の罪によりて無間地獄に堕んことあるべしや、答えて云く誹謗正法の重罪なり、問うて云く証文如何、答えて云く法華経第二に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等と云云、此の文に謗法は阿鼻地獄の業と見へたり、問うて云く五逆と謗法と罪の軽重如何、答て云く大品経に云く「舎利弗仏に白して言く世尊五逆罪と破法罪と相似するや、仏舎利弗に告わく相似と言うべからず所以は何ん若し般若波羅蜜を破れば即ち十方諸仏の一切智一切種智を破るに為んぬ、仏宝を破るが故に法宝を破るが故に僧宝を破るが故に三宝を破るが故に即ち世間の正見を破す世間の正見を破れば○則ち無量無辺阿僧祇の罪を得るなり無量無辺阿僧祇の罪を得已つて則ち無量無辺阿僧祇の憂苦を受るなり」文又云く「破法の業因縁集るが故に無量百千万億歳大地獄の中に堕つ、此の破法人の輩一大地獄より一大地獄に至る若し劫火起る時は他方の大地獄の中に至る、是くの如く十方に・くして彼の間に劫火起る故に彼より死し破法の業因縁未だ尽きざるが故に是の間の大地獄の中に還来す」等と云云、法華経第七に云く「四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り悪口罵詈して言く是れ無智の比丘と、或は杖木瓦石を以て之れを打擲す乃至千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」等と云云、此の経文の心は法華経の行者を悪口し及び杖を以て打擲せるもの其の後に懺悔せりといえども罪いまだ滅せずして千劫阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ、懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり況や懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出ずる期かたかるべし、故に法華経第二に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫に至らん」等と云云。
第三に問答料簡を明さば問うて云く五逆罪と謗法罪との軽重はしんぬ謗法の相貌如何、答えて云く天台智者大師の梵網経の疏に云く謗とは背なり等と云云、法に背くが謗法にてはあるか天親の仏性論に云く若し憎は背くなり等と云云、この文の心は正法を人に捨てさせるが謗法にてあるなり、問うて云く委細に相貌をしらんとをもうあらあらしめすべし、答えて云く涅槃経第五に云く「若し人有りて如来は無常なりと言わん云何ぞ是の人舌堕落せざらん」等云云、此の文の心は仏を無常といはん人は舌堕落すべしと云云、問うて云く諸の小乗経に仏を無常と説かるる上又所化の衆皆無常と談じき若爾らば仏並に所化の衆の舌堕落すべしや、答えて云く小乗経の仏を小乗経の人が無常ととき談ずるは舌ただれざるか、大乗経に向つて仏を無常と談じ小乗経に対して大乗経を破するが舌は堕落するか、此れをもつてをもうにをのれが依経には随えども依経よりすぐれたる経を破するは破法となるか、若爾らば設い観経華厳経等の権大乗経の人人所依の経の文の如く修行すともかの経にすぐれたる経経に随はず又すぐれざる由を談ぜば謗法となるべきか、されば観経等の経の如く法をえたりとも観経等を破せる経の出来したらん時其の経に随わずば破法となるべきか、小乗経を以てなぞらえて心うべし。
問うて云く雙観経等に乃至十念即得往生なんととかれて候が彼のけうの教の如く十念申して往生すべきを後の経を以て申しやぶらば謗法にては候まじきか、答えて云く仏観経等の四十余年の経経を束て未顕真実と説かせ給いぬれば此の経文に随つて乃至十念即得往生等は実には往生しがたしと申す此の経文なくば謗法となるべし、問うて云く或人云く無量義経の四十余年未顕真実の文はあえて四十余年の一切の経経並に文文句句を皆未顕真実と説き給にはあらず、但四十余年の経経に処処に決定性の二乗を永不成仏ときらはせ給い釈迦如来を始成正覚と説き給しを其の言ばかりをさして未顕真実とは申すなりあえて余事にはあらず、而るをみだりに四十余年の文を見て観経等の凡夫のために九品往生なんぞを説きたるを妄りに往生はなき事なりなんど押し申すあにをそろしき謗法の者にあらずやなんど申すはいかに、答えて云く此の料簡は東土の得一が料簡に似たり、得一が云く未顕真実とは決定性の二乗を仏爾前の経にして永不成仏ととかれしを未顕真実とは嫌はるるなり前四味の一切には亘るべからずと申しき、伝教大師は前四味に亘りて文文句句に未顕真実と立て給いき、さればこの料簡は古の謗法者の料簡に似たり、但し且く汝等が料簡に随て尋ね明らめん、問う法華已前に二乗作仏を嫌いけるを今未顕真実というとならば先ず決定性の二乗を仏の永不成仏と説かせ給し処処の経文ばかりは未顕真実の仏の妄語なりと承伏せさせ給うか、さては仏の妄語は勿論なり若し爾らば妄語の人の申すことは有無共に用いぬ事にてあるぞかし、決定性の二乗永不成仏の語ばかり妄語となり若し余の菩薩凡夫の往生成仏等は実語となるべきならば信用しがたき事なり、譬へば東方を西方と妄語し申さん人は西方を東方と申すべし二乗を永不成仏と説く仏は余の菩薩の成仏をゆるすも又妄語にあらずや、五乗は但一仏性なり二乗の仏性をかくし菩薩凡夫の仏性をあらはすは返つて菩薩凡夫の仏性をかくすなり。
有人云く四十余年未顕真実とは成仏の道ばかり未顕真実なり往生等は未顕真実にはあらず、又難じて云く四十余年が間の説の成仏を未顕真実と承伏せさせ給はば雙観経に云う不取正覚成仏已来凡歴十劫等の文は未顕真実と承伏せさせ給うか、若し爾らば四十余年の経経にして法蔵比丘の阿弥陀仏になり給はずば法蔵比丘の成仏すでに妄語なり、若し成仏妄語ならば何の仏か行者を迎え給うべきや、又かれ此の難を通して云ん四十余年が間は成仏はなし阿弥陀仏は今の成仏にはあらず過去の成仏なり等と云云、今難じて云く今日の四十余年の経経にして実の凡夫の成仏を許されずば過去遠遠劫の四十余年の権経にても成仏叶いがたきか、三世の諸仏の説法の儀式皆同きが故なり、或は云く不得疾成無上菩提ととかるれば四十余年の経経にては疾くこそ仏にはならねども遅く劫を経てはなるか、難じて云く次下の大荘厳菩薩等の領解に云く「不可思議無量無辺阿僧祇劫を過るとも終に無上菩提を成ずることを得ず」等と云云、此の文の如くならば劫を経ても爾前の経計りにては成仏はかたきか。
有は云う華厳宗の料簡に云く四十余年の内には華厳経計りは入るべからず、華厳経にすでに往生成仏此ありなんぞ華厳経を行じて往生成仏をとげざらん、答えて云く四十余年の内に華厳経入るべからずとは華厳宗の人師の義なり、無量義経には正く四十余年の内に華厳海空と名目を呼び出して四十余年の内にかずへ入れられたり、人師を本とせば仏に背くになりぬ。
問うて云く法華経をはなれて往生成仏をとげずば仏世に出させ給ては但法華経計をこそ説き給はめ、なんぞわづらはしく四十余年の経経を説かせ給うや、答えて云く此の難は仏自ら答え給えり「若し但仏乗を讃せば衆生苦に没在して法を破して信ぜざるが故に三悪道に墜ちなん」等の経文これなり、問うて云くいかなれば爾前の経をば衆生謗せざるや、答えて云く爾前の経経は万差なれども束ねて此れを論ずれば随他意と申して衆生の心をとかれてはんべり故に違する事なし、譬へば水に石をなぐるにあらそうことなきがごとし又しなじなの説教はんべれども九界の衆生の心を出でず衆生の心は皆善につけ悪につけて迷を本とするゆへに仏にはならざるか、問うて云く衆生謗ずべきゆへに仏最初に法華経をとき給はずして四十余年の後に法華経をとき給はば汝なんぞ当世に権経をばとかずして左右なく法華経をといて人に謗をなさせて悪道に堕すや、答えて云く仏在世には仏菩提樹の下に坐し給いて機をかがみ給うに当時法華経を説くならば衆生謗じて悪道に堕ちぬべし、四十余年すぎて後にとかば謗せずして初住不退乃至妙覚にのぼりぬべしと知見しましましき、末代濁世には当機にして初住の位に入るべき人は万に一人もありがたかるべし、又能化の人も仏にあらざれば機をかがみん事もこれかたし、されば逆縁順縁のために先ず法華経を説くべしと仏ゆるし給へり、但し又滅後なりとも当機衆になりぬべきものには先ず権教をとく事もあるべし、又悲を先とする人は先ず権経をとく釈迦仏のごとし慈を先とする人は先ず実経をとくべし不軽菩薩のごとし、又末代の凡夫はなにとなくとも悪道を免れんことはかたかるべし同じく悪道に堕るならば法華経を謗ぜさせて堕すならば世間の罪をもて堕ちたるにはにるべからず、聞法生謗堕於地獄勝於供養恒沙仏者等の文のごとし、此の文の心は法華経をはうじて地獄に堕ちたるは釈迦仏阿弥陀仏等の恒河沙の仏を供養し帰依渇仰する功徳には百千万倍すぎたりととかれたり。
問うて云く上の義のごとくならば華厳法相三論真言浄土等の祖師はみな謗法に堕すべきか、華厳宗には華厳経は法華経には雲泥超過せり法相三論もてかくのごとし、真言宗には日本国に二の流あり東寺の真言は法華経は華厳経にをとれり何に況や大日経にをいてをや、天台の真言には大日経と法華経とは理は斉等なり印真言等は超過せりと云云、此等は皆悪道に堕つべしや、答えて云く宗をたて経経の勝劣を判ずるに二の義あり、一は似破二は能破なり一に似破とは他の義は吉とをもえども此をはすかの正義を分明にあらはさんがためか、二に能破とは実に他人の義の勝れたるをば弁えずして迷うて我が義すぐれたりとをもひて心中よりこれを破するをば能破というされば彼の宗宗の祖師に似破能破の二の義あるべし、心中には法華経は諸経に勝れたりと思えども且く違して法華経の義を顕さんとをもひてこれをはする事あり、提婆達多阿闍世王諸の外道が仏のかたきとなりて仏徳を顕し後には仏に帰せしがごとし、又実の凡夫が仏のかたきとなりて悪道に堕つる事これ多し、されば諸宗の祖師の中に回心の筆をかかずば謗法の者悪道に堕ちたりとしるべし、三論の嘉祥華厳の澄観法相の慈恩東寺の弘法等は回心の筆これあるか、よくよく尋ねならうべし。
問うて云くまことに今度生死をはなれんとをもはんになにものをかいとひなにものをか願うべきや、答う諸の経文には女人等をいとうべしとみへたれども雙林最後の涅槃経に云く「菩薩是の身に無量の過患具足充満すと見ると雖も涅槃経を受持せんと欲するを為ての故に猶好く将護して乏少ならしめず、菩薩悪象等に於ては心に恐怖すること無れ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ、何を以ての故に是れ悪象等は唯能く身を壊りて心を壊る事能わず、悪知識は二倶に壊るが故に、悪象の若きは唯一身を壊る悪知識は無量の身無量の善心を壊る、悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては三趣に至る」等と云云此の経文の心は後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし一切の悪縁よりは悪知識ををそるべしとみえたり。
されば大荘厳仏の末の四の比丘は自ら悪法を行じて十方の大阿鼻地獄を経るのみならず、六百億人の檀那等をも十方の地獄に堕しぬ、鴦堀摩羅は摩尼跋陀が教に随つて九百九十九人の指をきり結句母並に仏をがいせんとぎす、善星比丘は仏の御子十二部経を受持し四禅定をえ欲界の結を断じたりしかども苦得外道の法を習うて生身に阿鼻地獄に堕ちぬ、提婆が六万蔵八万蔵を暗じたりしかども外道の五法を行じて現に無間に堕ちにき、阿闍世王の父を殺し母を害せんと擬せし大象を放つて仏をうしないたてまつらんとせしも悪師提婆が教なり、倶伽利比丘が舎利弗目連をそしりて生身に阿鼻に堕せし、大族王の五竺の仏法僧をほろぼせし、大族王の舎弟は加・弥羅国の王となりて健駄羅国の率都婆寺塔一千六百所をうしなひし、金耳国王の仏法をほろぼせし、波瑠璃王の九千九十万人の人をころして血ながれて池をなせし、設賞迦王の仏法を滅し菩提樹をきり根をほりし、後周の宇文王の四千六百余所の寺院を失ひ二十六万六百余の僧尼を還俗せしめし、此等は皆悪師を信じ悪鬼其の身に入りし故なり。
問うて云く天竺震旦は外道が仏法をほろぼし小乗が大乗をやぶるとみえたり、此の日本国もしかるべきか、答えて云く月支尸那には外道あり小乗あり此の日本国には外道なし小乗の者なし、紀典博士等これあれども仏法の敵となるものこれなし、小乗の三宗これあれども彼宗を用て生死をはなれんとをもはず但大乗を心うる才覚とをもえり、但し此の国には大乗の五宗のみこれあり人人皆をもえらく彼の宗宗にして生死をはなるべしとをもう故にあらそいも多くいできたり、又檀那の帰依も多くあるゆへに利養の心もふかし。
第四に行者仏法を弘むる用心を明さば、夫れ仏法をひろめんとをもはんものは必ず五義を存して正法をひろむべし、五義とは一には教二には機三には時四には国五には仏法流布の前後なり、第一に教とは如来一代五十年の説教は大小権実顕密の差別あり、華厳宗には五教を立て一代ををさめ其の中には華厳法華を最勝とし華厳法華の中に華厳経を以て第一とす、南三北七並に華厳宗の祖師日本国の東寺の弘法大師此の義なり、法相宗は三時に一代ををさめ其の中に深密法華経を一代の聖教にすぐれたりとす、深密法華の中法華経は了義経の中の不了義経深密経は了義経の中の了義経なり、三論宗に又二蔵三時を立つ三時の中の第三中道教とは般若法華なり、般若法華の中には般若最第一なり、真言宗には日本国に二の流あり東寺流は弘法大師十住心を立て第八法華第九華厳第十真言法華経は大日経に劣るのみならず猶華厳経に下るなり、天台の真言は慈覚大師等大日経と法華経とは広略の異法華経は理秘密大日経は事理倶密なり、浄土宗には聖道浄土難行易行雑行正行を立てたり浄土の三部経より外の法華経等の一切経は難行聖道雑行なり、禅宗には二の流あり一流は一切経一切の宗の深義は禅宗なり一流は如来一代の聖教は皆言説如来の口輪の方便なり禅師は如来の意密言説にをよばず教外の別伝なり、倶舎宗成実宗律宗は小乗宗なり天竺震旦には小乗宗の者大乗を破する事これ多し日本国には其の義なし。
問うて云く諸宗の異義区なり一一に其の謂れありて得道をなるべきか又諸宗皆謗法となりて一宗計り正義となるべきか、答えて云く異論相違ありといえども皆得道なるか、仏の滅後四百年にあたりて健駄羅国の迦弐色迦王仏法を貴み一夏僧を供し仏法をといしに一一の僧異義多し此の王不審して云く仏説は定て一ならんと終に脇尊者に問う、尊者答て云く金杖を折つて種種の物につくるに形は別なれども金杖は一なり形の異なるをば諍うといへども金たる事をあらそはず、門門不同なればいりかどをば諍えども入理は一なり等と云云、又求那跋摩云く諸論各異端なれども修行の理は二無し偏執に是非有りとも達者は違諍無し等と云云、又五百羅漢の真因各異なれども同く聖理をえたり、大論の四悉檀の中の対治悉檀摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣此等は此の善を嫌い此の善をほむ、檀戒進等一一にそしり一一にほむる皆得道をなる、此等を以てこれを思うに護法清弁のあらそい智光戒賢の空中南三北七の頓漸不定一時二時三時四時五時四宗五宗六宗天台の五時華厳の五教真言教の東寺天台の諍浄土宗の聖道浄土禅宗の教外教内、入門は差別せりというとも実理に入る事は但一なるべきか。
難じて云く華厳の五教法相三論の三時禅宗の教外浄土宗の難行易行南三北七の五時等門はことなりといへども入理一にして皆仏意に叶い謗法とならずといはば謗法という事あるべからざるか謗法とは法に背くという事なり法に背くと申すは小乗は小乗経に背き大乗は大乗経に背く法に背かばあに謗法とならざらん謗法とならばなんぞ苦果をまねかざらん、此の道理にそむくこれひとつ、大般若経に云く「般若を謗ずる者は十方の大阿鼻地獄に堕つべし」法華経に云く「若し人信ぜずして乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と涅槃経に云く「世に難治の病三あり一には四重二には五逆三には謗大乗なり」此等の経文あにむなしかるべき、此等は証文なり、されば無垢論師大慢婆羅門熈連禅師嵩霊法師等は正法を謗じて現身に大阿鼻地獄に堕ち舌口中に爛れたりこれは現証なり、天親菩薩は小乗の論を作つて諸大乗経をはしき、後に無著菩薩に対して此の罪を懺悔せんがために舌を切らんとくい給いき、謗法もし罪とならずんばいかんが千部の論師懺悔をいたすべき、闡提とは天竺の語此には不信と翻す不信とは一切衆生悉有仏性を信ぜざるは闡提の人と見へたり。
不信とは謗法の者なり恒河の七種の衆生の第一は一闡提謗法常没の者なり、第二は五逆謗法常没等の者なりあに謗法ををそれざらん、答えて云く謗法とは只由なく仏法を謗ずるを謗法というか我が宗をたてんがために余法を謗ずるは謗法にあらざるか、摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣とは仮令人ありて一生の間一善をも修せず但悪を作る者あり而るに小縁にあいて何れの善にてもあれ一善を修せんと申すこれは随喜讃歎すべし、又善人あり一生の間ただ一善を修す而るを他の善えうつさんがためにそのぜんをそしる、一事の中に於て或は呵し或は讃すというこれなり、大論の四悉檀の中の対治悉檀又これをなじ、浄名経の弾呵と申すは阿含経の時ほめし法をそしるなり、此等を以てをもふに或は衆生多く小乗の機あれば大乗を謗りて小乗経に信心をまし或は衆生多く大乗の機なれば小乗をそしりて大乗経に信心をあつくす、或は衆生弥陀仏に縁あれば諸仏をそしりて弥陀に信心をまさしめ、或は衆生多く地蔵に縁あれば諸菩薩をそしりて地蔵をほむ、或は衆生多く華厳経に縁あれば諸経をそしりて華厳経をほむ、或は衆生大般若経に縁あれば諸経をそしりて大般若経をほむ、或は衆生法華経或は衆生大日経等同く心うべし、機を見て或は讃め或は毀る共に謗法とならず而るを機をしらざる者みだりに或は讃め或は呰るは謗法となるべきか、例せば華厳宗三論法相天台真言禅浄土等の諸師の諸経をはして我が宗を立つるは謗法とならざるか。
難じて云く宗を立てんに諸経諸宗を破し仏菩薩を讃むるに仏菩薩を破し他の善根を修せしめんがためにこの善根をはするくるしからずば阿含等の諸の小乗経に華厳経等の諸大乗経をはしたる文ありや、華厳経に法華大日経等の諸大乗経をはしたる文これありや、答えて云く阿含小乗経に諸大乗経をはしたる文はなけれども華厳経には二乗大乗一乗をあげて二乗大乗をはし涅槃経には諸大乗経をあげて涅槃経に対してこれをはす、密厳経には一切経中王ととき無量義経には四十余年未顕真実ととかれ阿弥陀経には念仏に対して諸経を小善根ととかる、これらの例一にあらず故に又彼の経経による人師皆此の義を存せり、此等をもつて思うに宗を立つる方は我が宗に対して諸経を破るはくるしからざるか、難じて云く華厳経には小乗大乗一乗とあげ密厳経には一切経中王ととかれ涅槃経には是諸大乗とあげ阿弥陀経には念仏に対して諸経を小善根とはとかれたれども無量義経のごとく四十余年と年限を指して其の間の大部の諸経阿含方等般若華厳等の名をよびあげて勝劣をとける事これなし、涅槃経の是諸大乗の文計りこそ雙林最後の経として是諸大乗ととかれたれば涅槃経には一切経は嫌はるかとをぼうれども是諸大乗経と挙げて次ぎ下に諸大乗経を列ねたるに十二部修多羅方等般若等とあげたり無量義経法華経をば載せず、但し無量義経に挙ぐるところは四十余年の阿含方等般若華厳経をあげたり、いまだ法華経涅槃経の勝劣はみへず密厳に一切経中王とはあげたれども一切経をあぐる中に華厳勝鬘等の諸経の名をあげて一切経中王ととく故に法華経等とはみへず、阿弥陀経の小善根は時節もなし善根の相貌もみへず、たれかしる小乗経を小善根というか又人天の善根を小善根というか又観経雙観経の所説の諸善を小善根というかいまだ一代を念仏に対して小善根というとはきこえず。
又大日経六波羅蜜経等の諸の秘教の中にも一代の一切経を嫌うてその経をほめたる文はなし、但し無量義経計りこそ前四十余年の諸経を嫌い法華経一経に限りて已説の四十余年今説の無量義経当説の未来にとくべき涅槃経を嫌うて法華経計りをほめたり、釈迦如来過去現在未来の三世の諸仏世にいで給いて各各一切経を説き給うにいづれの仏も法華経第一なり、例せば上郎下郎不定なり田舎にしては百姓郎従等は侍を上郎といふ、洛陽にして源平等已下を下郎といふ三家を上郎といふ、又主を王といはば百姓も宅中の王なり地頭領家等も又村郷郡国の王なりしかれども大王にはあらず、小乗経には無為涅槃の理が王なり小乗の戒定等に対して智慧は王なり、諸大乗経には中道の理が王なり又華厳経は円融相即の王般若経は空理の王大集経は守護正法の王薬師経は薬師如来の別願を説く経の中の王雙観経は阿弥陀仏の四十八願を説く経の中の王大日経は印真言を説く経の中の王一代一切経の王にはあらず、法華経は真諦俗諦空仮中印真言無為の理十二大願四十八願一切諸経の所説の所詮の法門の大王なり、これ教をしれる者なり而るを善無畏金剛智不空法蔵澄観慈恩嘉祥南三北七曇鸞道綽善導達磨等の我が所立の依経を一代第一といえるは教をしらざる者なり、但し一切の人師の中には天台智者大師一人教をしれる人なり、曇鸞道綽等の聖道浄土難行易行正行雑行は源と十住毘婆沙論に依る彼本論に難行の内に法華真言等を入ると謂は僻案なり、論主の心と論の始中終をしらざる失あり慈恩が深密経の三時に一代ををさめたる事、又本経の三時に一切経の摂らざる事をしらざる失あり、法蔵澄観等が五教に一代ををさむる中に法華経華厳経を円教と立て又華厳経は法華経に勝れたりとをもえるは所依の華厳経に二乗作仏久遠実成をあかさざるに記小久成ありとをもひ華厳よりも超過の法華経を我経に劣ると謂うは僻見なり、三論の嘉祥の二蔵等又法華経に般若経すぐれたりとをもう事は僻案なり、善無畏等が大日経は法華経に勝れたりという法華経の心をしらざるのみならず大日経をもしらざる者なり。
問て云く此等皆謗法ならば悪道に堕ちたるか如何、答て云く謗法に上中下雑の謗法あり慈恩嘉祥澄観等が謗法は上中の謗法か其上自身も謗法としれるかの間悔還す筆これあるか、又他師をはするに二あり能破似破これなり教はまさりとしれども是非をあらはさんがために法をはすこれは似破なり、能破とは実にまされる経を劣とをもうてこれをはすこれは悪能破なり、又現にをとれるをはすこれ善能破なり、但し脇尊者の金杖の譬は小乗経は多しといえども同じ苦空無常無我の理なり、諸人同く此の義を存じて十八部二十部相ひ諍論あれども但門の諍にて理の諍にはあらず故に共に謗法とならず、外道が小乗経を破するは外道の理は常住なり小乗経の理は無常なり空なり故に外道が小乗経をはするは謗法となる、大乗経の理は中道なり小乗経は空なり小乗経の者が大乗経をはするは謗法となる大乗経の者が小乗経をはするは破法とならず、諸大乗経の中の理は未開会の理いまだ記小久成これなし法華経の理は開会の理記小久成これあり、諸大乗経の者が法華経をはするは謗法となるべし法華経の者の諸大乗経を謗するは謗法となるべからず、大日経真言宗は未開会記小久成なくば法華経已前なり開会記小久成を許さば涅槃経とをなじ、但し善無畏三蔵金剛智不空一行等の性悪の法門一念三千の法門は天台智者の法門をぬすめるか、若し爾らば善無畏等の謗法は似破か又雑謗法か五百羅漢の真因は小乗十二因縁の事なり無明行等を縁として空理に入ると見へたり、門は諍えども謗法とならず摂論の四意趣大論の四悉檀等は無著菩薩竜樹菩薩滅後の論師として法華経を以て一切経の心をえて四悉四意趣等を用いて爾前の経経の意を判ずるなり未開会の四意趣四悉檀と開会の四意趣四悉檀を同ぜば、あに謗法にあらずや此等をよくよくしるは教をしれる者なり、四句あり一に信而不解二に解而不信三に亦信亦解四に非信非解、問うて云く信而不解の者は謗法なるか答えて云く法華経に云く「信を以つて入ることを得」等と云云、涅槃経の九に云く難じて云く涅槃経三十六に云く我契経の中に於て説く二種の人有り仏法僧を謗ずと、一には不信にして瞋恚の心あるが故に二には信ずと雖も義を解せざるが故に善男子若し人信心あつて智慧有ること無き是の人は則ち能く無明を増長す若し智慧有つて信心あること無き是の人は則ち能く邪見を増長す善男子不信の人は瞋恚の心あるが故に説いて仏法僧宝有ること無しと言わん、信者は慧無く顛倒して義を解するが故に法を聞く者をして仏法僧を謗ぜしむ等と云云、此の二人の中には信じて解せざる者を謗法と説く如何、答えて云く此の信而不解の者は涅槃経の三十六に恒河の七種の衆生の第二の者を説くなり、此の第二の者は涅槃経の一切衆生悉有仏性の説を聞いて之を信ずと雖も又不信の者なり。
問うて云く如何ぞ信ずと雖も不信なるや、答えて云く一切衆生悉有仏性の説を聞きて之を信ずと雖も又心を爾前の経に寄する一類の衆生をば無仏性の者と云うなり此れ信而不信の者なり問うて云く証文如何、答えて云く恒河第二の衆生を説いて云く経に云く「是くの如き大涅槃経を聞くことを得て信心を生ず是を名けて出と為す」と又云く「仏性は是れ衆生に有りと信ずと雖も必ずしも一切皆悉く之有らず是の故に名けて信不具足と為す」文此の文の如くんば口には涅槃を信ずと雖も心に爾前の義を存する者なり又此の第二の人を説いて云く「信ずる者にして慧無く顛倒して義を解するが故に」等と云云、顛倒解義とは実経の文を得て権経の義を覚る者なり。
問うて云く信而不解得道の文如何、答えて云く涅槃経の三十二に云く「是れ菩提の因は復無量なりと雖も若し信心を説けば已に摂尽す」文九に云く「此の経を聞き已つて悉く皆菩提の因縁と作る法声光明毛孔に入る者は必定して当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし」等と云云、法華経に云く「信を以て入ることを得」等と云云、問うて云く解而不信の者は如何、答う恒河の第一の者なり、問うて云く証文如何、答えて云く涅槃経の三十六に第一を説て云く「人有りて是の大涅槃経の如来常住無有変易常楽我浄を聞くとも終に畢竟して於涅槃の一切衆生悉有仏性に入らざるは一闡提の人なり方等経を謗じ五逆罪を作り四重禁を犯すとも必ず当に菩提の道を成ずることを得須陀・の人斯陀含の人阿那含の人阿羅漢の人辟支仏等必ず当に阿○菩提を成ずることを得べし是の語を聞き已つて不信の心を生ず」等と云云。
問うて云く此の文不信とは見えたり解而不信とは見えず如何、答えて云く第一の結文に云く「若し智慧有つて信心有ること無き是の人は則ち能く邪見を増長す」文。 
 
持妙法華問答抄/弘長三年四十二歳御作

 

抑も希に人身をうけ適ま仏法をきけり、然るに法に浅深あり人に高下ありと云へり何なる法を修行してか速に仏になり候べき願くは其の道を聞かんと思ふ、答えて云く家家に尊勝あり国国に高貴あり皆其の君を貴み其の親を崇むといへども豈国王にまさるべきや、爰に知んぬ大小権実は家家の諍ひなれども一代聖教の中には法華独り勝れたり、是れ頓証菩提の指南直至道場の車輪なり、疑つて云く人師は経論の心を得て釈を作る者なり然らば則ち宗宗の人師面面各各に教門をしつらい釈を作り義を立て証得菩提と志す何ぞ虚しかるべきや、然るに法華独り勝ると候はば心せばくこそ覚え候へ、答えて云く法華独りいみじと申すが心せばく候はば釈尊程心せばき人は世に候はじ何ぞ誤りの甚しきや、且く一経一流の釈を引いて其の迷をさとらせん、無量義経に云く「種種に法を説き種種に法を説くこと方便力を以てす四十余年未だ真実を顕さず」云云、此の文を聞いて大荘厳等の八万人の菩薩一同に「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずることを得ず」と領解し給へり、此の文の心は華厳阿含方等般若の四十余年の経に付いていかに念仏を申し禅宗を持ちて仏道を願ひ無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも無上菩提を成ずる事を得じと云へり、しかのみならず方便品には「世尊は法久くして後要当に真実を説きたもうべし」ととき、又唯有一乗法無二亦無三と説きて此の経ばかりまことなりと云い、又二の巻には「唯我一人のみ能く救護を為す」と教へ「但楽いて大乗経典を受持して乃至余経の一偈をも受けず」と説き給へり、文の心はただわれ一人してよくすくひまもる事をなす、法華経をうけたもたん事をねがひて余経の一偈をもうけざれと見えたり、又云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云云、此の文の心は若し人此の経を信ぜずして此の経にそむかば則ち一切世間の仏のたねをたつものなりその人は命をはらば無間地獄に入るべしと説き給へり、此等の文をうけて天台は将非魔作仏の詞正く此の文によれりと判じ給へり、唯人師の釈計りを憑みて仏説によらずば何ぞ仏法と云う名を付くべきや言語道断の次第なり、之に依つて智証大師は経に大小なく理に偏円なしと云つて一切人によらば仏説無用なりと釈し給へり、天台は「若し深く所以有り復修多羅と合せるをば録して之を用ゆ無文無義は信受す可からず」と判じ給へり、又云く「文証無きは悉く是れ邪の謂い」とも云へり、いかが心得べきや。
問うて云く人師の釈はさも候べし爾前の諸経に此の経第一とも説き諸経の王とも宣べたり若し爾らば仏説なりとも用うべからず候か如何、答えて云く設い此の経第一とも諸経の王とも申し候へ皆是れ権教なり其の語によるべからず、之に依つて仏は「了義経によりて不了義経によらざれ」と説き妙楽大師は「縦い経有りて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わざれば兼但対帯其の義知んぬ可し」と釈し給へり、此の釈の心は設ひ経ありて諸経の王とは云うとも前に説きつる経にも後に説かんずる経にも此の経はまされりと云はずば方便の経としれと云う釈なり、されば爾前の経の習として今説く経より後に又経を説くべき由を云はざるなり、唯法華経計りこそ最後の極説なるが故に已今当の中に此の経独り勝れたりと説かれて候へ、されば釈には「唯法華に至つて前教の意を説いて今教の意を顕す」と申して法華経にて如来の本意も教化の儀式も定りたりと見えたり、之に依つて天台は「如来成道四十余年未だ真実を顕さず法華始めて真実を顕す」と云へり、此の文の心は如来世に出でさせ給いて四十余年が間は真実の法をば顕さず法華経に始めて仏になる実の道を顕し給へりと釈し給へり。
問うて云く已今当の中に法華経勝れたりと云う事はさも候べし、但し有人師の云く四十余年未顕真実と云うは法華経にて仏になる声聞の為なり爾前の得益の菩薩の為には未顕真実と云うべからずと云う義をばいかが心得候べきや、答えて云く法華経は二乗の為なり菩薩の為にあらず、されば未顕真実と云う事二乗に限る可しと云うは徳一大師の義か此れは法相宗の人なり、此の事を伝教大師破し給うに「現在の・食者は偽章数巻を作りて、法を謗じ人を謗ず何ぞ地獄に堕せざらんや」と破し給ひしかば徳一は其の語に責められて舌八にさけてうせ給いき、未顕真実とは二乗の為なりと云はば最も理を得たり、其の故は如来布教の元旨は元より二乗の為なり一代の化儀三周の善巧併ら二乗を正意とし給へり、されば華厳経には地獄の衆生は仏になるとも二乗は仏になるべからずと嫌い、方等には高峯に蓮の生ざるように二乗は仏の種をいりたりと云はれ、般若には五逆罪の者は仏になるべし二乗は叶うべからずと捨てらる、かかるあさましき捨者の仏になるを以て如来の本意とし法華経の規模とす、之に依つて天台の云く「華厳大品も之を治すること能わず唯法華のみ有りて能く無学をして還つて善根を生じ仏道を成ずることを得せしむ所以に妙と称す、又闡提は心有り猶作仏す可し二乗は智を滅す心生ず可からず法華能く治す復称して妙と為す」と云云、此の文の心は委く申すに及ばず誠に知んぬ華厳方等大品等の法薬も二乗の重病をばいやさず又三悪道の罪人をも菩薩ぞと爾前の経にはゆるせども二乗をばゆるさず、之に依つて妙楽大師は「余趣を実に会すること諸経に或は有れども二乗は全く無し故に菩薩に合して二乗に対し難きに従つて説く」と釈し給えり、しかのみならず二乗の作仏は一切衆生の成仏を顕すと天台は判じ給へり、修羅が大海を渡らんをば是れ難しとやせん、嬰児の力士を投ん何ぞたやすしとせん、然らば則ち仏性の種あるものは仏になるべしと爾前にも説けども未だ焦種の者作仏すべしとは説かず、かかる重病をたやすくいやすは独り法華の良薬なり、只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし。
問うて云く一を以て万を察する事なればあらあら法華のいわれを聞くに耳目始めて明かなり、但し法華経をばいかように心得候てか速に菩提の岸に到るべきや、伝え聞く一念三千の大虚には慧日くもる事なく一心三観の広池には智水にごる事なき人こそ其の修行に堪えたる機にて候なれ、然るに南都の修学に臂をくだく事なかりしかば瑜伽唯識にもくらし北嶺の学文に眼をさらさざりしかば止観玄義にも迷へり、天台法相の両宗はほとぎを蒙りて壁に向へるが如し、されば法華の機には既にもれて候にこそ何んがし候べき、答えて云く利智精進にして観法修行するのみ法華の機ぞと云つて無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行なり是れ還つて愚癡邪見の至りなり、一切衆生皆成仏道の教なれば上根上機は観念観法も然るべし下根下機は唯信心肝要なり、されば経には「浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄餓鬼畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん」と説き給へり、いかにも信じて次の生の仏前を期すべきなり、譬えば高き岸の下に人ありて登ることあたはざらんに又岸の上に人ありて繩をおろして此の繩にとりつかば我れ岸の上に引き登さんと云はんに引く人の力を疑い繩の弱からん事をあやぶみて手を納めて是をとらざらんが如し争か岸の上に登る事をうべき、若し其の詞に随ひて手をのべ是をとらへば即ち登る事をうべし、唯我一人能為救護の仏の御力を疑い以信得入の法華経の教への繩をあやぶみて決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず菩提の岸に登る事難かるべし、不信の者は堕在泥梨の根元なり、されば経には「疑を生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし」と説かれたり、受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて争か虚くて候べきぞ、同じく信を取るならば又大小権実のある中に諸仏出生の本意衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ、持つ処の御経の諸経に勝れてましませば能く持つ人も亦諸人にまされり、爰を以て経に云く「能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為第一なり」と説き給へり大聖の金言疑ひなし、然るに人此の理をしらず見ずして名聞狐疑偏執を致せるは堕獄の基なり、只願くは経を持ち名を十方の仏陀の願海に流し誉れを三世の菩薩の慈天に施すべし、然れば法華経を持ち奉る人は天竜八部諸大菩薩を以て我が眷属とする者なり、しかのみならず因身の肉団に果満の仏眼を備へ有為の凡膚に無為の聖衣を著ぬれば三途に恐れなく八難に憚りなし、七方便の山の頂に登りて九法界の雲を払ひ無垢地の園に花開け法性の空に月明かならん、是人於仏道決定無有疑の文憑あり唯我一人能為救護の説疑ひなし、一念信解の功徳は五波羅蜜の行に越へ五十展転の随喜は八十年の布施に勝れたり、頓証菩提の教は遥に群典に秀で顕本遠寿の説は永く諸乗に絶えたり、爰を以て八歳の竜女は大海より来つて経力を刹那に示し本化の上行は大地より涌出して仏寿を久遠に顕す言語道断の経王心行所滅の妙法なり、然るに此の理をいるかせにして余経にひとしむるは謗法の至り大罪の至極なり、譬を取るに物なし、仏の神変にても何ぞ是を説き尽きん菩薩の智力にても争か是を量るべき、されば譬喩品に云く「若し其の罪を説かば劫を窮むとも尽きず」と云へり文の心は法華経を一度もそむける人の罪をば劫を窮むとも説き尽し難しと見えたり、然る間三世の諸仏の化導にももれ恒沙の如来の法門にも捨てられ冥きより冥きに入つて阿鼻大城の苦患争か免れん誰か心あらん人長劫の悲みを恐れざらんや、爰を以て経に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云云、文の心は法華経をよみたもたん者を見てかろしめいやしみにくみそねみうらみをむすばん其の人は命をはりて阿鼻大城に入らんと云へり、大聖の金言誰か是を恐れざらんや正直捨方便の明文豈是を疑うべきや、然るに人皆経文に背き世悉く法理に迷へり汝何ぞ悪友の教へに随はんや、されば邪師の法を信じ受くる者を名けて毒を飲む者なりと天台は釈し給へり汝能く是を慎むべし是を慎むべし。
倩ら世間を見るに法をば貴しと申せども其の人をば万人是を悪む汝能く能く法の源に迷へり何にと云うに一切の草木は地より出生せり、是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし之に依つて天台は仏世すら猶人を以て法を顕はす末代いづくんぞ法は貴けれども人は賎しと云はんやとこそ釈して御坐候へ、されば持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし、然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり其の子を賎しむるは即ち其の親を賎しむなり、爰に知んぬ当世の人は詞と心と総てあはず孝経を以て其の親を打つが如し豈冥の照覧恥かしからざらんや地獄の苦み恐るべし恐るべし慎むべし慎むべし、上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、下根に望めても・慢ならざれ上根ももるる事あり心をいたさざるが故に凡そ其の里ゆかしけれども道たえ縁なきには通ふ心もをろそかに其の人恋しけれども憑めず契らぬには待つ思もなをざりなるやうに彼の月卿雲閣に勝れたる霊山浄土の行きやすきにも未だゆかず我即是父の柔・の御すがた見奉るべきをも未だ見奉らず、是れ誠に袂をくだし胸をこがす歎ならざらんや、暮行空の雲の色有明方の月の光までも心をもよほす思なり、事にふれをりに付けても後世を心にかけ花の春雪の朝も是を思ひ風さはぎ村雲まよふ夕にも忘るる隙なかれ、出ずる息は入る息をまたず何なる時節ありてか毎自作是念の悲願を忘れ何なる月日ありてか無一不成仏の御経を持たざらん、昨日が今日になり去年の今年となる事も是れ期する処の余命にはあらざるをや、総て過ぎにし方をかぞへて年の積るをば知るといへども今行末にをいて一日片時も誰か命の数に入るべき、臨終已に今にありとは知りながら我慢偏執名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は志の程無下にかひなし、さこそは皆成仏道の御法とは云いながら此の人争でか仏道にものうからざるべき、色なき人の袖にはそぞろに月のやどる事かは、又命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり、若し是れ二念三念を期すと云はば平等大慧の本誓頓教一乗皆成仏の法とは云はるべからず、流布の時は末世法滅に及び機は五逆謗法をも納めたり、故に頓証菩提の心におきてられて狐疑執著の邪見に身を任する事なかれ、生涯幾くならず思へば一夜のかりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん、又得たりとも是れ夢の中の栄へ珍しからぬ楽みなり、只先世の業因に任せて営むべし世間の無常をさとらん事は眼に遮り耳にみてり、雲とやなり雨とやなりけん昔の人は只名をのみきく、露とや消え煙とや登りけん今の友も又みえず、我れいつまでか三笠の雲と思ふべき春の花の風に随ひ秋の紅葉の時雨に染まる、是れ皆ながらへぬ世の中のためしなれば法華経には「世皆牢固ならざること水沫泡焔の如し」とすすめたり「以何令衆生得入無上道」の御心のそこ順縁逆縁の御ことのは已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ又本意に叶はば仏の恩を報ずるなり、悲母深重の経文心安ければ唯我一人の御苦みもかつかつやすみ給うらん、釈迦一仏の悦び給うのみならず諸仏出世の本懐なれば十方三世の諸仏も悦び給うべし「我即歓喜諸仏亦然」と説かれたれば仏悦び給うのみならず神も即ち随喜し給うなるべし、伝教大師是を講じ給いしかば八幡大菩薩は紫の袈裟を布施し、空也上人是を読み給いしかば松尾の大明神は寒風をふせがせ給う、されば「七難即滅七福即生」と祈らんにも此の御経第一なり現世安穏と見えたればなり、他国侵逼の難自界叛逆の難の御祈祷にも此の妙典に過ぎたるはなし、令百由旬内無諸衰患と説かれたればなり。
然るに当世の御祈祷はさかさまなり先代流布の権教なり末代流布の最上真実の秘法にあらざるなり、譬えば去年の暦を用ゐ烏を鵜につかはんが如し是れ偏に権教の邪師を貴んで未だ実教の明師に値わせ給はざる故なり、惜いかな文武の卞和があら玉何くにか納めけん、嬉いかな釈尊出世の髻の中の明珠今度我身に得たる事よ、十方諸仏の証誠としているがせならず、さこそは「一切世間多怨難信」と知りながら争か一分の疑心を残して決定無有疑の仏にならざらんや、過去遠遠の苦みは徒らにのみこそうけこしか、などか暫く不変常住の妙因をうへざらん未来永永の楽みはかつかつ心を養ふともしゐてあながちに電光朝露の名利をば貪るべからず、「三界無安猶如火宅」は如来の教へ「所以諸法如幻如化」は菩薩の詞なり、寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき、願くは「現世安穏後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。 
 
木絵二像開眼之事/文永元年四十三歳御作

 

仏に三十二相有す皆色法なり、最下の千輻輪より終り無見頂相に至るまでの三十一相は可見有対色なれば書きつべし作りつべし梵音声の一相は不可見無対色なれば書く可らず作る可らず、仏滅後は木画の二像あり是れ三十一相にして梵音声かけたり故に仏に非ず又心法かけたり、生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり、何ぞ涅槃の後分には生身の仏と滅後の木画の二像と功徳斉等なりといふや又大瓔珞経には木画の二像は生身の仏にはをとれりととけり、木画の二像の仏の前に経を置けば三十二相具足するなり、但心なければ三十二相を具すれども必ず仏にあらず人天も三十二相あるがゆへに、木絵の三十一相の前に五戒経を置けば此の仏は輪王とひとし、十善論と云うを置けば帝釈とひとし、出欲論と云うを置けば梵王とひとし全く仏にあらず、又木絵二像の前に阿含経を置けば声聞とひとし、方等般若の一時一会の共般若を置けば縁覚とひとし、華厳方等般若の別円を置けば菩薩とひとし全く仏に非らず、大日経金剛頂経蘇悉地経等の仏眼大日の印真言は名は仏眼大日といへども其の義は仏眼大日に非ず、例せば仏も華厳経は円仏には非ず名にはよらず三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつれば必ず純円の仏なり云云、故に普賢経に法華経の仏を説て云く「仏の三種の身は方等より生ず」文、是の方等は方等部の方等に非ず法華を方等といふなり、又云く「此の大乗経は是れ諸仏の眼なり諸仏是に因つて五眼を具することを得る」等云云、法華経の文字は仏の梵音声の不可見無対色を可見有対色のかたちとあらはしぬれば顕形の二色となれるなり、滅せる梵音声かへつて形をあらはして文字と成つて衆生を利益するなり、人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法声は色法心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり、色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり、故に天台の釈に云く「請を受けて説く時は只是れ教の意を説く教の意は是れ仏意仏意即是れ仏智なり仏智至て深し是故に三止四請す、此の如き艱難あり余経に比するに余経は則易し」文此の釈の中に仏意と申すは色法ををさへて心法といふ釈なり、法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是なり、故に天台は「一色一香無非中道」と云云、妙楽是をうけて釈に「然るに亦倶に色香中道を許せども無情仏性は耳を惑わし心を驚かす」云云、華厳の澄観が天台の一念三千をぬすみて華厳にさしいれ法華華厳ともに一念三千なり、但し華厳は頓頓さきなれば法華は漸頓のちなれば華厳は根本さきをしぬれば法華は枝葉等といふて我理をえたりとおもへる意山の如し然りと雖も一念三千の肝心草木成仏を知らざる事を妙楽のわらひ給へる事なり、今の天台の学者等我一念三千を得たりと思ふ、然りと雖も法華をもつて或は華厳に同じ或は大日経に同ず其の義を論ずるに澄観の見を出でず善無畏不空に同ず、詮を以て之を謂わば今の木絵二像を真言師を以て之を供養すれば実仏に非ずして権仏なり権仏にも非ず形は仏に似たれども意は本の非情の草木なり、又本の非情の草木にも非ず魔なり鬼なり、真言師が邪義印真言と成つて木絵二像の意と成れるゆへに例せば人の思変じて石と成り倶留と黄夫石が如し、法華を心得たる人木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し、今真言を以て日本の仏を供養すれば鬼入つて人の命をうばふ鬼をば奪命者といふ魔入つて功徳をうばふ魔をば奪功徳者といふ、鬼をあがむるゆへに今生には国をほろぼす魔をたとむゆへに後生には無間獄に堕す、人死すれば魂去り其の身に鬼神入り替つて子孫を亡ぼす、餓鬼といふは我をくらふといふ是なり、智者あつて法華経を讃歎して骨の魂となせば死人の身は人身心は法身生身得忍といへる法門是なり、華厳方等般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す、涅槃経に身は人身なりと雖も心は仏心に同ずといへるは是なり、生身得忍の現証は純陀なり、法華を悟れる智者死骨を供養せば生身即法身是を即身といふ、さりぬる魂を取り返して死骨に入れて彼の魂を変えて仏意と成す成仏是なり、即身の二字は色法成仏の二字は心法死人の色心を変えて無始の妙境妙智と成す是れ則ち即身成仏なり、故に法華経に云く「所謂諸法如是相[死人の身]如是性[同く心]如是体[同く色心等]云云、又云く「深く罪福の相に達して・く十方を照したまう微妙の浄き法身相を具せること三十二」等云云、上の二句は生身得忍下の二句は即身成仏即身成仏の手本は竜女是なり生身得忍の手本は純陀是なり。 
 
女人成仏抄/文永二年四十四歳御作

 

提婆品に云く「仏告諸比丘未来世中乃至蓮華化生」等云云、此の提婆品に二箇の諌暁あり所謂達多の弘経釈尊の成道を明し又文殊の通経竜女の作仏を説く、されば此の品を長安宮に一品切り留めて二十七品を世に流布する間秦の代より梁の代に至るまで七代の間の王は二十七品の経を講読す、其の後満法師と云いし人此の品法華経になき由を読み出され候いて後長安城より尋ね出し今は二十八品にて弘まらせ給う、さて此の品に浄心信敬の人のことを云うに一には三悪道に堕せず二には十方の仏前に生ぜん三には所生の処には常に此の経を聞かん四には若し人天の中に生ぜば勝妙の楽を受けん五には若し仏前に在らば蓮華より化生せんとなり、然るに一切衆生は法性真如の都を迷い出でて妄想顛倒の里に入りしより已来身口意の三業になすところ善根は少く悪業は多し、されば経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云、我等衆生三界二十五有のちまたに輪回せし事鳥の林に移るが如く死しては生じ生じては死し車の場に回るが如く始め終りもなく死し生ずる悪業深重の衆生なり、爰を以て心地観経に云く「有情輪回して六道に生ずること猶車輪の始終無きが如く或は父母と為り男女と為り生生世世互いに恩有り」等云云、法華経二の巻に云く「三界は安きこと無し猶火宅の如く衆苦充満せり」云云、涅槃経二十二に云く「菩薩摩訶薩諸の衆生を観ずるに色香味触の因縁の為の故に昔無量無数劫より以来常に苦悩を受く、一一の衆生一劫の中に積る所の身の骨は王舎城の毘富羅山の如く飲む所の乳汁は四海の水の如く身より出す所の血は四海の水より多く父母兄弟妻子眷属の命終に涕泣して出す所の目涙は四大海の水より多し、地の草木を尽くして四寸の籌と為して以て父母を数うるに亦尽くすこと能わじ、無量劫より已来或は地獄畜生餓鬼に在つて受くる所の行苦称計す可からず亦一切衆生の骸骨をや」云云、是くの如くいたづらに命を捨るところの骸骨は毘富羅山よりも多し恩愛あはれみの涙は四大海の水よりも多けれども仏法の為には一骨をもなげず、一句一偈を聴聞して一滴の涙をもおとさぬゆへに三界の篭樊を出でずして二十五有のちまたに流転する衆生にて候なり、然る間如何として三界を離るべきと申すに仏法修行の功力に依つて無明のやみはれて法性真如の覚を開くべく候、さては仏法は何なるをか修行して生死を離るべきぞと申すに但一乗妙法にて有るべく候、されば慧心僧都七箇日加茂に参篭して出離生死は何なる教にてか候べきと祈請申され候いしに明神御託宣に云く「釈迦の説教は一乗に留まり諸仏の成道は妙法に在り菩薩の六度は蓮華に在り二乗の得道は此の経に在り」云云、普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり三世の諸の如来を出生する種なり」云云、此の経より外はすべて成仏の期有るべからず候上殊更女人成仏の事は此の経より外は更にゆるされず、結句爾前の経にてはをびただしく嫌はれたり、されば華厳経に云く「女人は地獄の使なり能く仏の種子を断ず外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」云云、銀色女経に云く「三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも法界の諸の女人は永く成仏の期無し」云云、或は又女人には五障三従の罪深しと申す、其れは内典には五障を明し外典には三従を教えたり、其の三従とは少くしては父母に従ひ盛にしては夫に従ひ老いては子に従ふ一期身を心に任せず、されば栄啓期が三楽を歌ひし中にも女人と生れざるを以て一楽とす、天台大師云く「他経には但菩薩に記して二乗に記せず但男に記して女に記せず」とて全く余経には女人の授記これなしと釈せり、其上釈迦多宝の二仏塔中に並坐し給ひし時文殊妙法を弘めん為に海中に入り給いて仏前に帰り参り給いしかば宝浄世界の多宝仏の御弟子智積菩薩は竜女成仏を難じて云く「我釈迦如来を見たてまつれば無量劫に於て難行苦行し功を積み徳を累ね菩薩の道を求むること未だ曾つて止息したまわず、三千大千世界を観るに乃至芥子の如き許りも是れ菩薩の身命を捨てたもう処に非ざること有ること無し、衆生の為の故なり」等云云、所謂智積文殊再三問答いたし給う間は八万の菩薩万二千の声聞等何れも耳をすまして御聴聞計りにて一口の御助言に及ばず、然るに智慧第一の舎利弗文殊の事をば難ずる事なし多くの故を以て竜女を難ぜらる所以に女人は垢穢にして是れ法器に非ずと小乗権教の意を以て難ぜられ候いしかば文殊が竜女成仏の有無の現証は今仏前にして見え候べしと仰せられ候いしに、案にたがはず八歳の竜女蛇身をあらためずして仏前に参詣し価直三千大千世界と説かれて候如意宝珠を仏に奉りしに、仏悦んで是を請取り給いしかば此の時智積菩薩も舎利弗も不審を開き女人成仏の路をふみわけ候、されば女人成仏の手本是より起つて候委細は五の巻の経文之を読む可く候、伝教大師の秀句に云く「能化の竜女歴劫の行無く所化の衆生も歴劫の行無し能化所化倶に歴劫無し妙法経力即身成仏す」天台の疏に云く「智積は別教に執して疑いを為し竜女は円を明して疑いを釈く身子は三蔵の権を挾んで難ず竜女は一実を以て疑いを除く」海竜王経に云く「竜女作仏し国土を光明国と号し名をば無垢証如来と号す」云云、法華已前の諸経の如きは縦い人中天上の女人なりといふとも成仏の思絶たるべし、然るに竜女畜生道の衆生として戒緩の姿を改めずして即身成仏せし事は不思議なり、是を始として釈尊の姨母摩訶波闍波提比丘尼等勧持品にして一切衆生喜見如来と授記を被り羅・羅の母耶輸陀羅女も眷属の比丘尼と共に具足千万光相如来と成り、鬼道の女人たる十羅刹女も成仏す、然れば尚殊に女性の御信仰あるべき御経にて候、抑此の経の一文一句を読み一字一点を書く尚出離生死証大菩提の因なり、然れば彼の字に結縁せし者尚炎魔の庁より帰され六十四字を書し人は其の父を天上へ送る、何に況や阿鼻の依正は極聖の自心に処し地獄天宮皆是れ果地の如来なり、毘盧の身土は凡下の一念を逾ず遮那の覚体も衆生の迷妄を出でず妙文は霊山浄土に増し六万九千の露点は紫磨金の輝光を副え給うべし、殊に過去聖霊は御存生の時より御信心他に異なる御事なりしかば今日講経の功力に依つて仏前に生を受け仏果菩提の勝因に登り給うべし云云、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 
 
聖愚問答抄/文永二年四十四歳御作

 

聖愚問答抄[上]
夫れ生を受けしより死を免れざる理りは賢き御門より卑き民に至るまで人ごとに是を知るといへども実に是を大事とし是を歎く者千万人に一人も有がたし、無常の現起するを見ては疎きをば恐れ親きをば歎くといへども先立つははかなく留るはかしこきやうに思いて昨日は彼のわざ今日は此の事とて徒らに世間の五慾にほだされて白駒のかげ過ぎやすく羊の歩み近づく事をしらずして空しく衣食の獄につながれ徒らに名利の穴にをち三途の旧里に帰り六道のちまたに輪回せん事心有らん人誰か歎かざらん誰か悲しまざらん。
嗚呼老少不定は娑婆の習ひ会者定離は浮世のことはりなれば始めて驚くべきにあらねども正嘉の初め世を早うせし人のありさまを見るに或は幼き子をふりすて或は老いたる親を留めをき、いまだ壮年の齢にて黄泉の旅に趣く心の中さこそ悲しかるらめ行くもかなしみ留るもかなしむ、彼楚王が神女に伴いし情を一片の朝の雲に残し劉氏が仙客に値し思いを七世の後胤に慰む予か如き者底に縁つて愁いを休めん、かかる山左のいやしき心なれば身には思のなかれかしと云いけん人の古事さへ思い出でられて末の代のわすれがたみにもとて難波のもしほ草をかきあつめ水くきのあとを形の如くしるしをくなり。
悲しいかな痛しいかな我等無始より已来無明の酒に酔て六道四生に輪回して或時は焦熱大焦熱の炎にむせび或時は紅蓮大紅蓮の氷にとぢられ或時は餓鬼飢渇の悲みに値いて五百生の間飲食の名をも聞かず、或時は畜生残害の苦みをうけて小さきは大きなるにのまれ短きは長きにまかる是を残害の苦と云う、或時は修羅闘諍の苦をうけ或時は人間に生れて八苦をうく生老病死愛別離苦怨憎会苦求不得苦五盛陰苦等なり或時は天上に生れて五衰をうく、此くの如く三界の間を車輪のごとく回り父子の中にも親の親たる子の子たる事をさとらず夫婦の会遇るも会遇たる事をしらず、迷へる事は羊目に等しく暗き事は狼眼に同し、我を生たる母の由来をもしらず生を受けたる我が身も死の終りをしらず、嗚呼受け難き人界の生をうけ値い難き如来の聖教に値い奉れり一眼の亀の浮木の穴にあへるがごとし、今度若し生死のきづなをきらず三界の篭樊を出でざらん事かなしかるべしかなしかるべし。
爰に或る智人来りて示して云く汝が歎く所実に爾なり此くの如く無常のことはりを思い知り善心を発す者は麟角よりも希なり、此のことはりを覚らずして悪心を発す者は牛毛よりも多し、汝早く生死を離れ菩提心を発さんと思はば吾最第一の法を知れり志あらば汝が為に之を説いて聞かしめん、其の時愚人座より起つて掌を合せて云く我は日来外典を学し風月に心をよせていまだ仏教と云う事を委細にしらず願くば上人我が為に是を説き給へ、其の時上人の云く汝耳を伶倫が耳に寄せ目を離朱が眼にかつて心をしづめて我が教をきけ汝が為に之を説かん夫れ仏教は八万の聖教多けれども諸宗の父母たる事戒律にはしかずされば天竺には世親馬鳴等の薩・唐土には慧曠道宣と云いし人是を重んず、我が朝には人皇四十五代聖武天皇の御宇に鑒真和尚此の宗と天台宗と両宗を渡して東大寺の戒壇之を立つ爾しより已来当世に至るまで崇重年旧り尊貴日に新たなり、就中極楽寺の良観上人は上一人より下万民に至るまで生身の如来と是を仰ぎ奉る彼の行儀を見るに実に以て爾なり、飯嶋の津にて六浦の関米を取つては諸国の道を作り七道に木戸をかまへて人別の銭を取つては諸河に橋を渡す慈悲は如来に斉しく徳行は先達に越えたり、汝早く生死を離れんと思はば五戒二百五十戒を持ち慈悲をふかくして物の命を殺さずして良観上人の如く道を作り橋を渡せ是れ第一の法なり、汝持たんや否や。
愚人弥掌を合せて云く能く能く持ち奉らんと思ふ具に我が為に是を説き給へ抑五戒二百五十戒と云う事は我等未だ存知せず委細に是を示し給へ、智人云く汝は無下に愚かなり五戒二百五十戒と云う事をば孩児も是をしる然れども汝が為に之を説かん、五戒とは一には不殺生戒二には不偸盗戒三には不妄語戒四には不邪淫戒五には不飲酒戒是なり、二百五十戒の事は多き間之を略す、其の時に愚人礼拝恭敬して云く我今日より深く此の法を持ち奉るべし。
爰に予が年来の知音或所に隠居せる居士一人あり予が愁歎を訪わん為に来れるが始には往事渺茫として夢に似たる事をかたり終には行末の冥冥として弁え難き事を談ず欝を散し思をのべて後予に問うて云く抑人の世に有る誰か後生を思はざらん、貴辺何なる仏法をか持ちて出離をねがひ又亡者の後世をも訪い給うや、予答えて云く一日或る上人来つて我が為に五戒二百五十戒を授け給へり実に以て心肝にそみて貴し、我深く良観上人の如く及ばぬ身にもわろき道を作り深き河には橋をわたさんと思へるなり、其の時居士示して云く汝が道心貴きに似て愚かなり、今談ずる処の法は浅ましき小乗の法なり、されば仏は則ち八種の喩を設け文殊は又十七種の差別を宣べたり或は螢火日光の喩を取り或は水精瑠璃の喩あり爰を以て三国の人師も其の破文一に非ず、次に行者の尊重の事必ず人の敬ふに依つて法の貴きにあらずされば仏は依法不依人と定め給へり、我伝え聞く上古の持律の聖者の振舞は殺を言い収を言うには知浄の語有り行雲廻雪には死屍の想を作す而るに今の律僧の振舞を見るに布絹財宝をたくはへ利銭借請を業とす教行既に相違せり誰か是を信受せん、次に道を作り橋を渡す事還つて人の歎きなり、飯嶋の津にて六浦の関米を取る諸人の歎き是れ多し諸国七道の木戸是も旅人のわづらい只此の事に在り眼前の事なり汝見ざるや否や。
愚人色を作して云く汝が智分をもつて上人を謗し奉り其の法を誹る事謂れ無し知つて云うか愚にして云うかおそろしおそろし、其の時居士笑つて云く嗚呼おろかなりおろかなり彼の宗の僻見をあらあら申すべし、抑教に大小有り宗に権実を分かてり鹿苑施小の昔は化城の戸ぼそに導くといへども鷲峯開顕の莚には其の得益更に之れ無し、其の時愚人茫然として居士に問うて云く文証現証実に以て然なりさて何なる法を持つてか生死を離れ速に成仏せんや、居士示して云く我れ在俗の身なれども深く仏道を修行して幼少より多くの人師の語を聞き粗経教をも聞き見るに末代我等が如くなる無悪不造のためには念仏往生の教にしくはなし、されば慧心の僧都は「夫れ往生極楽の教行は濁世末代の目足なり」と云ひ法然上人は諸経の要文を集めて一向専修の念仏を弘め給ふ中にも弥陀の本願は諸仏超過の崇重なり始め無三悪趣の願より終り得三法忍の願に至るまでいづれも悲願目出けれども第十八の願殊に我等が為に殊勝なり、又十悪五逆をもきらはず一念多念をもえらばずされば上一人より下万民に至るまで此の宗をもてなし給う事他に異なり又往生の人それ幾ぞや。
其の時愚人の云く実に小を恥じて大を慕ひ浅を去て深に就は仏教の理のみに非ず世間にも是れ法なり我早く彼の宗にうつらんと思ふ委細に彼の旨を語り給へ、彼の仏の悲願の中に五逆十悪をも簡ばずと云へる五逆とは何等ぞや十悪とは如何、智人の云く五逆とは父を殺し母を殺し阿羅漢を殺し仏身の血を出し和合僧を破す是を五逆と云うなり、十悪とは身に三口に四意に三なり身に三とは殺盗婬口に四とは妄語綺語悪口両舌意に三とは貪瞋癡是を十悪と云うなり、愚人云く我今解しぬ今日よりは他力往生に憑を懸くべきなり、爰に愚人又云く以ての外盛にいみじき密宗の行人あり是も予が歎きを訪わんが為に来臨して始には狂言綺語のことはりを示し終には顕密二宗の法門を談じて予に問うて云く抑汝は何なる仏法をか修行し何なる経論をか読誦し奉るや、予答えて云く我一日或る居士の教に依つて浄土の三部経を読み奉り西方極楽の教主に憑を深く懸くるなり、行者の云く仏教に二種有り一には顕教二には密教なり顕教の極理は密教の初門にも及ばずと云云、汝が執心の法を聞けば釈迦の顕教なり我が所持の法は大日覚王の秘法なり、実に三界の火宅を恐れ寂光の宝台を願はば須く顕教を捨てて密教につくべし。
愚人驚いて云く我いまだ顕密二道と云う事を聞かず何なるを顕教と云ひ何なるを密教と云へるや、行者の云く予は是れ頑愚にして敢て賢を存ぜず然りと雖も今一二の文を挙げて汝が矇昧を挑げん、顕教とは舎利弗等の請に依つて応身如来の説き給う諸教なり密教とは自受法楽の為に法身大日如来の金剛薩・を所化として説き給う処の大日経等の三部なり、愚人の云く実に以て然なり先非をひるがへして賢き教に付き奉らんと思うなり。
又爰に萍のごとく諸州を回り蓬のごとく県県に転ずる非人のそれとも知らず来り門の柱に寄り立ちて含笑語る事なし、あやしみをなして是を問うに始めには云う事なし後に強て問を立つる時彼が云く月蒼蒼として風忙忙たりと、形質常に異に言語又通ぜず其の至極を尋れば当世の禅法是なり、予彼の人の有様を見其の言語を聞きて仏道の良因を問う時、非人の云く修多羅の教は月をさす指教網は是れ言語にとどこほる妄事なり我が心の本分におちつかんと出立法は其の名を禅と云うなり、愚人云く願くは我聞んと思ふ、非人の云く実に其の志深くば壁に向い坐禅して本心の月を澄ましめよ爰を以て西天には二十八祖系乱れず東土には六祖の相伝明白なり、汝是を悟らずして教網にかかる不便不便、是心即仏即心是仏なれば此の身の外に更に何にか仏あらんや。
愚人此の語を聞いてつくづくと諸法を観じ閑かに義理を案じて云く仏教万差にして理非明らめ難し宜なるかな常啼は東に請い善財は南に求め薬王は臂を焼き楽法は皮を剥ぐ善知識実に値い難し、或は教内と談じ或は教外と云う此のことはりを思うに未だ淵底を究めず法水に臨む者は深淵の思いを懐き人師を見る族は薄冰の心を成せり、爰を以て金言には依法不依人と定め又爪上土の譬あり若し仏法の真偽をしる人あらば尋ねて師とすべし求めて崇べし、夫れ人界に生を受くるを天上の糸にたとへ仏法の視聴は浮木の穴の類せり、身を軽くして法を重んずべしと思うに依つて衆山に攀歎きに引れて諸寺を回る足に任せて一つの巌窟に至るに後には青山峨峨として松風常楽我浄を奏し前には碧水湯湯として岸うつ波四徳波羅蜜を響かす深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕し広野に綻ぶる梅も界如三千の薫を添ふ言語道断心行所滅せり謂つ可し商山の四皓の所居とも又知らず古仏経行の迹なるか、景雲朝に立ち霊光夕べに現ず嗚呼心を以て計るべからず詞を以て宣ぶべからず、予此の砌に沈吟とさまよひ彷徨とたちもとをり徙倚とたたずむ、此処に忽然として一の聖人坐す其の行儀を拝すれば法華読誦の声深く心肝に染みて閑・の戸ほそを伺へば玄義の牀に臂をくだす、爰に聖人予が求法の志を酌知て詞を和げ予に問うて云く汝なにに依つて此の深山の窟に至れるや、予答えて云く生をかろくして法をおもくする者なり、聖人問て云く其の行法如何、予答えて云く本より我は俗塵に交りて未だ出離を弁えず、適善知識に値て始には律次には念仏真言並に禅此等を聞くといへども未だ真偽を弁えず、聖人云く汝が詞を聞くに実に以て然なり身をかろくして法をおもくするは先聖の教へ予が存ずるところなり、抑上は非想の雲の上下は那落の底までも生を受けて死をまぬかるる者やはある、然れば外典のいやしきをしえにも朝に紅顔有つて世路に誇るとも夕には白骨と為つて郊原に朽ちぬと云へり、雲上に交つて雲のびんづらあざやかに廻雪たもとをひるがへすとも其の楽みをおもへば夢の中の夢なり、山のふもと蓬がもとはつゐの栖なり玉の台錦の帳も後世の道にはなにかせん、小野の小町衣通姫が花の姿も無常の風に散り攀●張良が武芸に達せしも獄卒の杖をかなしむ、されば心ありし古人の云くあはれなり鳥べの山の夕煙をくる人とてとまるべきかは、末のつゆ本のしづくや世の中のをくれさきたつためしなるらん、先亡後滅の理り始めて驚くべきにあらず願ふても願ふべきは仏道求めても求むべきは経教なり、抑汝が云うところの法門をきけば或は小乗或は大乗位の高下は且らく之を置く還つて悪道の業たるべし。
爰に愚人驚いて云く如来一代の聖教はいづれも衆生を利せんが為なり、始め七処八会の筵より終り跋提河の儀式まで何れか釈尊の所説ならざる設ひ一分の勝劣をば判ずとも何ぞ悪道の因と云べきや、聖人云く如来一代の聖教に権有り実有り大有り小有り又顕密二道相分ち其の品一に非ず、須く其の大途を示して汝が迷を悟らしめん、夫れ三界の教主釈尊は十九歳にして伽耶城を出て檀特山に篭りて難行苦行し三十成道の刻に三惑頓に破し無明の大夜爰に明しかば須く本願に任せて一乗妙法蓮華経を宣ぶべしといへども機縁万差にして其の機仏乗に堪えず、然れば四十余年に所被の機縁を調へて後八箇年に至つて出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給へり、然れば仏の御年七十二歳にして序分無量義経に説き定めて云く「我先きに道場菩提樹の下に端坐すること六年にして阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり、仏眼を以て一切の諸法を観ずるに宣説す可からず、所以は何ん諸の衆生の性慾不同なるを知れり性慾不同なれば種種に法を説く種種に法を説くこと方便の力を以てす四十余年には未だ真実を顕わさず」文、此の文の意は仏の御年三十にして寂滅道場菩提樹の下に坐して仏眼を以て一切衆生の心根を御覧ずるに衆生成仏の直道たる法華経をば説くべからず、是を以て空拳を挙げて嬰児をすかすが如く様様のたばかりを以て四十余年が間はいまだ真実を顕わさずと年紀をさして青天に日輪の出で暗夜に満月のかかるが如く説き定めさせ給へり、此の文を見て何ぞ同じ信心を以て仏の虚事と説かるる法華已前の権教に執著して、めずらしからぬ三界の故宅に帰るべきや、されば法華経の一の巻方便品に云く「正直に方便を捨て但無上道を説く」文、此の文の意は前四十二年の経経汝が語るところの念仏真言禅律を正直に捨てよとなり、此の文明白なる上重ねていましめて第二の巻譬喩品に云く「但楽つて大乗経典を受持し乃至余経の一偈をも受けざれ」文、此の文の意は年紀かれこれ煩はし所詮法華経より自余の経をば一偈をも受くべからずとなり、然るに八宗の異義蘭菊に道俗形ちを異にすれども一同に法華経をば崇むる由を云う、されば此等の文をばいかが弁へたる正直に捨てよと云つて余経の一偈をも禁むるに或は念仏或は真言或は禅或は律是れ余経にあらずや、今此の妙法蓮華経とは諸仏出世の本意衆生成仏の直道なり、されば釈尊は付属を宣べ多宝は証明を遂げ諸仏は舌相を梵天に付けて皆是真実と宣べ給へり、此の経は一字も諸仏の本懐一点も多生の助なり一言一語も虚妄あるべからず此の経の禁を用いざる者は諸仏の舌をきり賢聖をあざむく人に非ずや其の罪実に怖るべし、されば二の巻に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ず」文、此の文の意は若人此経の一偈一句をも背かん人は過去現在未来三世十方の仏を殺さん罪と定む、経教の鏡をもつて当世にあてみるに法華経をそむかぬ人は実に以て有りがたし、事の心を案ずるに不信の人尚無間を免れず況や念仏の祖師法然上人は法華経をもつて念仏に対して抛てよと云云、五千七千の経教に何れの処にか法華経を抛てよと云う文ありや、三昧発得の行者生身の弥陀仏とあがむる善導和尚五種の雑行を立てて法華経をば千中無一とて千人持つとも一人も仏になるべからずと立てたり、経文には若有聞法者無一不成仏と談じて此の経を聞けば十界の依正皆仏道を成ずと見えたり、爰を以て五逆の調達は天王如来の記・に予り非器五障の竜女も南方に頓覚成道を唱ふ況や復・・の六即を立てて機を漏らす事なし、善導の言と法華経の文と実に以て天地雲泥せり何れに付くべきや就中其の道理を思うに諸仏衆経の怨敵聖僧衆人の讎敵なり、経文の如くならば争か無間を免るべきや。
爰に愚人色を作して云く汝賎き身を以て恣に莠言を吐く悟つて言うか迷つて言うか理非弁え難し、忝なくも善導和尚は弥陀善逝の応化或は勢至菩薩の化身と云へり、法然上人も亦然なり善導の後身といへり、上古の先達たる上行徳秀発し解了底を極めたり何ぞ悪道に堕ち給うと云うや、聖人云く汝が言然なり予も仰いで信を取ること此くの如し但し仏法は強ちに人の貴賎には依るべからず只経文を先きとすべし身の賎をもつて其の法を軽んずる事なかれ、有人楽生悪死有人楽死悪生の十二字を唱へし毘摩大国の狐は帝釈の師と崇められ諸行無常等の十六字を談ぜし鬼神は雪山童子に貴まる是れ必ず狐と鬼神との貴きに非ず只法を重んずる故なり、されば我等が慈父教主釈尊雙林最後の御遺言涅槃経の第六には依法不依人とて普賢文殊等の等覚已還の大薩・法門を説き給ふとも経文を手に把らずば用ゐざれとなり、天台大師の云く「修多羅と合する者は録して之を用いよ文無く義無きは信受す可からず」文、釈の意は経文に明ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり、伝教大師の云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」文、前の釈と同意なり、竜樹菩薩の云く「修多羅白論に依つて修多羅黒論に依らざれ」と文、意は経の中にも法華已前の権教をすてて此の経につけよとなり、経文にも論文にも法華に対して諸余の経典を捨てよと云う事分明なり、然るに開元の録に挙る所の五千七千の経巻に法華経を捨てよ乃至抛てよと嫌ふことも又雑行に摂して之を捨てよと云う経文も全く無しされば慥の経文を勘へ出して善導法然の無間の苦を救はるべし、今世の念仏の行者俗男俗女経文に違するのみならず又師の教にも背けり、五種の雑行とて念仏申さん人のすつべき日記善導の釈之れ有り、其の雑行とは選択に云く「第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除いて已外大小乗顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名く乃至第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除いて已外一切諸余の仏菩薩等及諸の世天に於て礼拝恭敬するを悉く礼拝雑行と名く、第四に称名雑行とは上の弥陀の名号を称するを除いて已外自余の一切仏菩薩等及諸の世天等の名号を称するを悉く称名雑行と名く、第五に讃歎供養雑行とは上の弥陀仏を除いて已外一切諸余の仏菩薩等及諸の世天等に於て讃歎し供養するを悉く讃歎供養雑行と名く」文。
此の釈の意は第一の読誦雑行とは念仏申さん道俗男女読むべき経あり読むまじき経ありと定めたり、読むまじき経は法華経仁王経薬師経大集経般若心経転女成仏経北斗寿命経ことさらうち任せて諸人読まるる八巻の中の観音経此等の諸経を一句一偈も読むならばたとひ念仏を志す行者なりとも雑行に摂せられて往生す可からず云云予愚眼を以て世を見るに設ひ念仏申す人なれども此の経経を読む人は多く師弟敵対して七逆罪となりぬ。
又第三の礼拝雑行とは念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙ぐる所の諸仏菩薩諸天善神を礼するをば礼拝雑行と名け又之を禁ず、然るを日本は神国として伊奘諾伊奘册の尊此の国を作り天照大神垂迹御坐して御裳濯河の流れ久しくして今にたえず豈此の国に生を受けて此の邪義を用ゆべきや、又普天の下に生れて三光の恩を蒙りながら誠に日月星宿を破する事尤も恐れ有り。
又第四の称名雑行とは念仏申さん人は唱うべき仏菩薩の名あり唱えまじき仏菩薩の名あり、唱うべき仏菩薩の名とは弥陀三尊の名号、唱うまじき仏菩薩の名号とは釈迦薬師大日等の諸仏、地蔵普賢文殊日月星、二所と三嶋と熊野と羽黒と天照大神と八幡大菩薩と此等の名を一遍も唱えん人は念仏を十万遍百万遍申したりとも此の仏菩薩日月神等の名を唱うる過に依つて無間にはおつとも往生すべからずと云云、我世間を見るに念仏を申す人も此等の諸仏菩薩諸天善神の名を唱うる故に是れ又師の教に背けり。
第五の讃歎供養雑行とは念仏申さん人は供養すべき仏は弥陀三尊を供養せん外は上に挙ぐる所の仏菩薩諸天善神に香華のすこしをも供養せん人は念仏の功は貴とけれども此の過に依つて雑行に摂すと是をきらふ、然るに世を見るに社壇に詣でては幣帛を捧げ堂舎に臨みては礼拝を致す是れ又師の教に背けり、汝若し不審ならば選択を見よ其の文明白なり、又善導和尚の観念法門経に云く「酒肉五辛誓つて発願して手に捉らざれ口に喫まざれ若し此の語に違せば即ち身口倶に悪瘡を著けんと願ぜよ」文、此の文の意は念仏申さん男女尼法師は酒を飲まざれ魚鳥をも食わざれ其の外にらひる蒜)等の五つのからくくさき物を食わざれ是を持たざる念仏者は今生には悪瘡身に出で後生には無間に堕すべしと云云、然るに念仏申す男女尼法師此の誡をかへりみず恣に酒をのみ魚鳥を食ふ事剣を飲む譬にあらずや。
爰に愚人の云く誠に是れ此の法門を聞くに念仏の法門実に往生すと雖も其の行儀修行し難し況や彼の憑む所の経論は皆以て権説なり往生す可からざるの条分明なり、但真言を破する事は其の謂れ無し夫れ大日経とは大日覚王の秘法なり大日如来より系も乱れず善無畏不空之を伝え弘法大師は日本に両界の曼陀羅を弘め、尊高三十七尊秘奥なるものなり然るに顕教の極理は尚密教の初門にも及ばず爰を以て後唐院は法華尚及ばず況や自余の教をやと釈し給へり此の事如何が心うべきや。
聖人示して云く予も始は大日に憑を懸けて密宗に志を寄す然れども彼の宗の最底を見るに其の立義も亦謗法なり汝が云う所の高野の大師は嵯峨天皇の御宇の人師なり、然るに皇帝より仏法の浅深を判釈すべき由の宣旨を給いて十住心論十巻之を造る、此の書広博なる間要を取つて三巻に之を縮め其の名を秘蔵宝鑰と号す始異生羝羊心より終秘密荘厳心に至るまで十に分別し、第八法華第九華厳第十真言と立てて法華は華厳にも劣れば大日経には三重の劣と判じて此くの如きの乗乗は自乗に仏の名を得れども後に望めば戯論と作ると書いて法華経を狂言綺語と云い釈尊をば無明に迷へる仏と下せり、仍て伝法院建立せし弘法の弟子正覚房は法華経は大日経のはきものとり(履物採)に及ばず釈迦仏は大日如来の牛飼にも足らずと書けり、汝心を静めて聞け一代五千七千の経教外典三千余巻にも法華経は戯論三重の劣華厳経にも劣り釈尊は無明に迷へる仏にて大日如来の牛飼にも足らずと云う慥なる文ありや、設ひさる文有りと云うとも能く能く思案あるべきか。
経教は西天より東土に・ぼす時訳者の意楽に随つて経論の文不定なり、さて後秦の羅什三蔵は我漢土の仏法を見るに多く梵本に違せり我が訳する所の経若し誤りなくば我死して後身は不浄なれば焼くると云えども舌計り焼けざらんと常に説法し給いしに焼き奉る時御身は皆骨となるといへども御舌計りは青蓮華の上に光明を放つて日輪を映奪し給いき有り難き事なり、さてこそ殊更彼の三蔵所訳の法華経は唐土にやすやすと弘まらせ給いしか、然れば延暦寺の根本大師諸宗を責め給いしには法華を訳する三蔵は舌の焼けざる験あり汝等が依経は皆誤れりと破し給ふは是なり、涅槃経にも我が仏法は他国へ移らん時誤り多かるべしと説き給へば経文に設ひ法華経はいたずら事釈尊をば無明に迷へる仏なりとありとも権教実教大乗小乗説時の前後訳者能く能く尋ぬべし、所謂老子孔子は九思一言三思一言周公旦は食するに三度吐き沐するに三度にぎる外典のあさき猶是くの如し況や内典の深義を習はん人をや、其の上此の義経論に迹形もなし人を毀り法を謗じては悪道に堕つべしとは弘法大師の釈なり必ず地獄に堕んこと疑い無き者なり。
爰に愚人茫然とほれ忽然となげひて良久しうして云く此の大師は内外の明鏡衆人の導師たり徳行世に勝れ名誉普く聞えて或は唐土より三鈷を八万余里の海上をなぐるに即日本に至り或は心経の旨をつづるに蘇生の族途に彳む、然れば此の人ただ人にあらず大聖権化の垂迹なり仰いで信を取らんにはしかじ、聖人云く予も始めは然なり但し仏道に入つて理非を勘へ見るに仏法の邪正は必ず得通自在にはよらず是を以て仏は依法不依人と定め給へり前に示すが如し、彼の阿伽陀仙は恒河を片耳にただへて十二年耆兎仙は一日の中に大海をすひほす張階は霧を吐き欒巴は雲を吐く然れども未だ仏法の是非を知らず因果の道理をも弁へず、異朝の法雲法師は講経勤修の砌に須臾に天華をふらせしかども妙楽大師は感応斯くの如きも猶理に称わずとていまだ仏法をばしらずと破し給う、夫れ此の法華経と申すは已今当の三説を嫌つて已前の経をば未顕真実と打破り肩を並ぶる経をば今説の文を以てせめ已後の経をば当説の文を以て破る実に三説第一の経なり、第四の巻に云く「薬王今汝に告ぐ我所説の経典而かも此の経の中に於て法華最第一なり」文、此の文の意は霊山会上に薬王菩薩と申せし菩薩に仏告げて云く始華厳より終涅槃経に至るまで無量無辺の経恒河沙等の数多し其の中には今の法華経最第一と説かれたり、然るを弘法大師は一の字を三と読まれたり、同巻に云く「我仏道の為に無量の土に於て始より今に至るまで広く諸経を説く而も其の中に於て此の経第一なり」と、此の文の意は又釈尊無量の国土にして或は名字を替え或は年紀を不同になし種種の形を現して説く所の諸経の中には此の法華経を第一と定められたり、同き第五巻には最在其上と宣べて大日経金剛頂経等の無量の経の頂に此の経は有るべしと説かれたるを弘法大師は最在其下と謂へり、釈尊と弘法と法華経と宝鑰とは実に以て相違せり釈尊を捨て奉つて弘法に付くべきか、又弘法を捨てて釈尊に付奉るべきか、又経文に背いて人師の言に随ふべきか人師の言を捨てて金言を仰ぐべきか用捨心に有るべし、又第七の巻薬王品に十喩を挙げて教を歎ずるに第一は水の譬なり江河を諸経に譬へ大海を法華に譬へたり、然るを大日経は勝れたり法華は劣れりと云う人は即大海は小河よりもすくなしと云わん人なり、然るに今の世の人は海の諸河に勝る事をば知るといへども法華経の第一なる事をば弁へず、第二は山の譬なり衆山を諸経に譬へ須弥山を法華に譬へたり須弥山は上下十六万八千由旬の山なり何れの山か肩を並ぶべき法華経を大日経に劣ると云う人は富士山は須弥山より大なりと云わん人なり、第三は星月の譬なり諸経を星に譬へ法華経を月に譬ふ月と星とは何れ勝りたりと思へるや、乃至次下には此の経も亦復是くの如し一切の如来の所説若しは菩薩の所説若しは声聞の所説諸の経法の中に最も為れ第一とて此の法華経は只釈尊一代の第一と説き給うのみにあらず大日及び薬師阿弥陀等の諸仏普賢文殊等の菩薩の一切の所説諸経の中に此の法華経第一と説けり、されば若し此の経に勝りたりと云う経有らば外道天魔の説と知るべきなり、其の上大日如来と云うは久遠実成の教主釈尊四十二年和光同塵して其の機に応ずる時三身即一の如来暫く毘盧遮那と示せり、是の故に開顕実相の前には釈迦の応化と見えたり、爰を以て普賢経には釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名け其の仏の住処を常寂光と名くと説けり、今法華経は十界互具一念三千三諦即是四土不二と談ず其の上に一代聖教の骨髄たる二乗作仏久遠実成は今経に限れり、汝語る所の大日経金剛頂経等の三部の秘経に此等の大事ありや善無畏不空等此等の大事の法門を盗み取つて己が経の眼目とせり本経本論には迹形もなき誑惑なり急ぎ急ぎ是を改むべし。
抑大日経とは四教含蔵して尽形寿戒等を明せり唐土の人師は天台所立の第三時方等部の経なりと定めたる権教なりあさましあさまし、汝実に道心あらば急いで先非を悔ゆべし夫れ以れば此の妙法蓮華経は一代の観門を一念にすべ十界の依正を三千につづめたり。
聖愚問答抄[下]
爰に愚人聊か和いで云く経文は明鏡なり疑慮をいたすに及ばず但し法華経は三説に秀で一代に超ゆるといへども言説に拘はらず経文に留まらざる我等が心の本分の禅の一法にはしくべからず凡そ万法を払遣して言語の及ばざる処を禅法とは名けたり、されば跋提河の辺り沙羅林の下にして釈尊金棺より御足を出し拈華微笑して此の法門を迦葉に付属ありしより已来天竺二十八祖系乱れず唐土には六祖次第に弘通せり、達磨は西天にしては二十八祖の終東土にしては六祖の始なり相伝をうしなはず教網に滞るべからず、爰を以て大梵天王問仏決疑経に云く「吾に正法眼蔵の涅槃妙心実相無相微妙の法門有り教外に別に云う文字を立てず摩訶迦葉に付属す」とて迦葉に此の禅の一法をば教外に伝ふと見えたり、都て修多羅の経教は月をさす指月を見て後は指何かはせん心の本分禅の一理を知つて後は仏教に心を留むべしや、されば古人の云く十二部経は総て是れ閑文字と云云、仍つて此の宗の六祖慧能の壇経を披見するに実に以て然なり、言下に契会して後は教は何かせん此の理如何が弁えんや、聖人示して云く汝先ず法門を置いて道理を案ぜよ、抑我一代の大途を伺わず十宗の淵底を究めずして国を諌め人を教ふべきか、汝が談ずる所の禅は我最前に習い極めて其の至極を見るに甚だ以て僻事なり、禅に三種あり所謂如来禅と教禅と祖師禅となり、汝が言う所の祖師禅等の一端之を示さん聞いて其の旨を知れ若し教を離れて之を伝うといわば教を離れて理なく理を離れて教無し理全く教教全く理と云う道理汝之を知らざるや拈華微笑して迦葉に付属し給うと云うも是れ教なり不立文字と云う四字も即教なり文字なり此の事和漢両国に事旧りぬ今いへば事新きに似たれども一両の文を勘えて汝が迷を払はしめん、補註十一に云く又復若し言説に滞ると謂わば且く娑婆世界には何を将つて仏事と為るや、禅徒豈言説をもつて人に示さざらんや、文字を離れて解脱の義を談ずること無し豈に聞かざらんや乃至次ぎ下に云く豈に達磨西来して直指人心見性成仏すと而るに華厳等の諸大乗経に此の事無からんや、嗚呼世人何ぞ其れ愚かなるや汝等当に仏の所説を信ずべし諸仏如来は言虚妄無し、此の文の意は若し教文にとどこほり言説にかかはるとて教の外に修行すといはば此の娑婆国にはさて如何がして仏事善根を作すべき、さように云うところの禅人も人に教ゆる時は言を以て云はざるべしや其の上仏道の解了を云う時文字を離れて義なし、又達磨西より来つて直に人心を指して仏なりと云う是程の理は華厳大集大般若等の法華已前の権大乗経にも在在処処に之を談ぜり是をいみじき事とせんは無下に云いがひなき事なり嗚呼今世の人何ぞ甚ひがめるや只中道実相の理に契当せる妙覚果満の如来誠諦の言を信ずべきなり又妙楽大師の弘決の一に此の理を釈して云く「世人教を蔑にして理観を尚ぶは誤れるかな誤れるかな」と、此の文の意は今の世の人人は観心観法を先として経教を尋ね学ばず還つて教をあなづり経をかろしむる是れ誤れりと云う文なり、其の上当世の禅人自宗に迷へり、続高僧伝を披見するに習禅の初祖達磨大師の伝に云く教に藉つて宗を悟ると、如来一代の聖教の道理を習学し法門の旨宗宗の沙汰を知るべきなり、又達磨の弟子六祖の第二祖慧可の伝に云く達磨禅師四巻の楞伽を以て可に授けて云く「我漢の地を観るに唯此の経のみ有り仁者依行せば自ら世を度する事を得ん」と、此の文の意は達磨大師天竺より唐土に来つて四巻の楞伽経をもつて慧可に授けて云く我此の国を見るに是の経殊に勝れたり汝持ち修行して仏に成れとなり、此等の祖師既に経文を前とす若し之に依つて経に依ると云はば大乗か小乗か権教か実教か能く能く弁ふべし、或は経を用いるには禅宗も楞伽経首楞厳経金剛般若経等による是れ皆法華已前の権教覆蔵の説なり、只諸経に是心即仏即心是仏等の理の方を説ける一両の文と句とに迷いて大小権実顕露覆蔵をも尋ねず、只不二を立てて而二を知らず謂己均仏の大慢を成せり、彼の月氏の大慢が迹をつぎ此の尸那の三階禅師が古風を追う然りと雖も大慢は生ながら無間に入り三階は死して大蛇と成りぬをそろしをそろし、釈尊は三世了達の解了朗かに妙覚果満の智月潔くして未来を鑒みたまい像法決疑経に記して云く「諸の悪比丘或は禅を修する有つて経論に依らず自ら己見を逐つて非を以て是と為し是邪是正と分別すること能わず・く道俗に向つて是くの如き言を作さく我能く是を知り我能く是を見ると当に知るべし此の人は速かに我法を滅す」と、此の文の意は諸悪比丘あつて禅を信仰して経論をも尋ねず邪見を本として法門の是非をば弁えずして而も男女尼法師等に向つて我よく法門を知れり人はしらずと云つて此の禅を弘むべし、当に知るべし此の人は我が正法を滅すべしとなり、此の文をもつて当世を見るに宛も符契の如し汝慎むべし汝畏るべし、先に談ずる所の天竺に二十八祖有つて此の法門を口伝すと云う事其の証拠何に出でたるや仏法を相伝する人二十四人或は二十三人と見えたり、然るを二十八祖と立つる事所出の翻訳何にかある全く見えざるところなり、此の付法蔵の人の事私に書くべきにあらず如来の記文分明なり、其の付法蔵伝に云く「復比丘有り名けて師子と曰う・賓国に於て大に仏事を作す、時に彼の国王をば弥羅掘と名け邪見熾盛にして心に敬信無く・賓国に於て塔寺を毀壊し衆僧を殺害す、即ち利剣を以て用いて師子を斬る頚の中血無く唯乳のみ流出す法を相付する人是に於て便ち絶えん」此の文の意は仏我が入涅槃の後に我が法を相伝する人二十四人あるべし其の中に最後弘通の人に当るをば師子比丘と云わん、・賓国と云う国にて我が法を弘むべし彼の国の王をば檀弥羅王と云うべし邪見放逸にして仏法を信ぜず衆僧を敬はず堂塔を破り失ひ剣をもつて諸僧の頚を切るべし即師子比丘の頚をきらん時に頚の中に血無く只乳のみ出ずべし、是の時に仏法を相伝せん人絶ゆべしと定められたり、案の如く仏の御言違わず師子尊者頚をきられ給う事実に以て爾なり、王のかいな共につれて落ち畢んぬ、二十八祖を立つる事甚以て僻見なり禅の僻事是より興るなるべし、今慧能が壇経に二十八祖を立つる事は達磨を高祖と定むる時師子と達磨との年紀遥かなる間三人の禅師を私に作り入れて天竺より来れる付法蔵系乱れずと云うて人に重んぜさせん為の僻事なり此の事異朝にして事旧りぬ、補註の十一に云く「今家は二十三祖を承用す豈・有らんや、若し二十八祖を立つるは未だ所出の翻訳を見ざるなり、近来更に石に刻み版に鏤め七仏二十八祖を図状し各一偈を以て伝授相付すること有り嗚呼仮託何ぞ其れ甚だしきや識者力有らば宜しく斯の弊を革むべし」是も二十八祖を立て石にきざみ版にちりばめて伝うる事甚だ以て誤れり此の事を知る人あらば此の誤をあらためなをせとなり、祖師禅甚だ僻事なる事是にあり先に引く所の大梵天王問仏決疑経の文を教外別伝の証拠に汝之を引く既に自語相違せり、其の上此の経は説相権教なり又開元貞元の再度の目録にも全く載せず是録外の経なる上権教と見えたり、然れば世間の学者用ゐざるところなり証拠とするにたらず。
抑今の法華経を説かるる時益をうる輩迹門界如三千の時敗種の二乗仏種を萠す四十二年の間は永不成仏と嫌はれて在在処処の集会にして罵詈誹謗の音をのみ聞き人天大会に思いうとまれて既に飢え死ぬべかりし人人も今の経に来つて舎利弗は華光如来目連は多摩羅跋旃檀香如来阿難は山海慧自在通王仏羅・羅は・七宝華如来五百の羅漢は普明如来二千の声聞は宝相如来の記・に予る顕本遠寿の日は微塵数の菩薩増道損生して位大覚に鄰る、されば天台大師の釈を披見するに他経には菩薩は仏になると云つて二乗の得道は永く之れ無し、善人は仏になると云つて悪人の成仏を明さず男子は仏になると説いて女人は地獄の使と定む人天は仏になると云つて畜類は仏になるといはず、然るを今の経は是等が皆仏になると説くたのもしきかな末代濁世に生を受くといへども提婆が如くに五逆をも造らず三逆をも犯さず、而るに提婆猶天王如来の記・を得たり況や犯さざる我等が身をや、八歳の竜女既に蛇身を改めずして南方に妙果を証す況や人界に生を受けたる女人をや、只得難きは人身値い難きは正法なり汝早く邪を翻えし正に付き凡を転じて聖を証せんと思はば念仏真言禅律を捨てて此の一乗妙典を受持すべし、若し爾らば妄染の塵穢を払つて清浄の覚体を証せん事疑なかるべし。
爰に愚人云く今聖人の教誡を聴聞するに日来の矇昧忽に開けぬ天真発明とも云つべし理非顕然なれば誰か信仰せざらんや、但し世上を見るに上一人より下万民に至るまで念仏真言禅律を深く信受し御座すさる前には国土に生を受けながら争か王命を背かんや、其の上我が親と云い祖と云い旁念仏等の法理を信じて他界の雲に交り畢んぬ、又日本には上下の人数幾か有る、然りと雖も権教権宗の者は多く此の法門を信ずる人は未だ其の名をも聞かず、仍て善処悪処をいはず邪法正法を簡ばず内典五千七千の多きも外典三千余巻の広きも只主君の命に随ひ父母の義に叶うが肝心なり、されば教主釈尊は天竺にして孝養報恩の理を説き孔子は大唐にして忠功孝高の道を示す師の恩を報ずる人は肉をさき身をなぐ主の恩をしる人は弘演は腹をさき予譲は剣をのむ親の恩を思いし人は丁蘭は木をきざみ伯瑜は杖になく、儒外内道は異なりといへども報恩謝徳の教は替る事なし然れば主師親のいまだ信ぜざる法理を我始めて信ぜん事既に違背の過に沈みなん法門の道理は経文明白なれば疑網都て尽きぬ後生を願はずば来世苦に沈むべし進退惟谷れり我如何がせんや、聖人云く汝此の理を知りながら猶是の語をなす理の通ぜざるか意の及ばざるか我釈尊の遺法をまなび仏法に肩を入れしより已来知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす、予父母の後世を助け国家の恩徳を報ぜんと思うが故に身命を捨つる事敢て他事にあらず唯知恩を旨とする計りなり、先ず汝目をふさぎ心を静めて道理を思へ我は善道を知りながら親と主との悪道にかからんを諌めざらんや、又愚心の狂ひ酔つて毒を服せんを我知りながら是をいましめざらんや、其の如く法門の道理を存じて火血刀の苦を知りながら争か恩を蒙る人の悪道におちん事を歎かざらんや、身をもなげ命をも捨つべし諌めてもあきたらず歎きても限りなし、今世に眼を合する苦み猶是を悲む況や悠悠たる冥途の悲み豈に痛まざらんや恐れても恐るべきは後世慎みても慎むべきは来世なり、而るを是非を論ぜず親の命に随ひ邪正を簡ばず主の仰せに順はんと云う事愚癡の前には忠孝に似たれども賢人の意には不忠不孝是に過ぐべからず。
されば教主釈尊は転輪聖王の末師子頬王の孫浄飯王の嫡子として五天竺の大王たるべしといへども生死無常の理をさとり出離解脱の道を願つて世を厭ひ給しかば浄飯大王是を歎き四方に四季の色を顕して太子の御意を留め奉らんと巧み給ふ、先づ東には霞たなびくたえまよりかりがねこしぢに帰り・の梅の香玉簾の中にかよひでうでうたる花の色ももさへづりの鴬春の気色を顕はせり、南には泉の色白たへにしてかの玉川の卯の華信太の森のほととぎす夏のすがたを顕はせり、西には紅葉常葉に交ればさながら錦をおり交え荻ふく風閑かにして松の嵐ものすごし過ぎにし夏のなごりには沢辺にみゆる螢の光あまつ空なる星かと誤り松虫鈴虫の声声涙を催せり、北には枯野の色いつしかものうく池の汀につららゐて谷の小川もをとさびぬ、かかるありさまを造つて御意をなぐさめ給うのみならず四門に五百人づつの兵を置いて守護し給いしかども終に太子の御年十九と申せし二月八日の夜半の比車匿を召して金泥駒に鞍置かせ伽耶城を出て檀特山に入り十二年高山に薪をとり深谷に水を結んで難行苦行し給ひ三十成道の妙果を感得して三界の独尊一代の教主と成つて父母を救ひ群生を導き給いしをばさて不孝の人と申すべきか、仏を不孝の人と云いしは九十五種の外道なり父母の命に背いて無為に入り還つて父母を導くは孝の手本なる事仏其の証拠なるべし、彼の浄蔵浄眼は父の妙荘厳王外道の法に著して仏法に背き給いしかども二人の太子は父の命に背いて雲雷音王仏の御弟子となり終に父を導いて沙羅樹王仏と申す仏になし申されけるは不孝の人と云うべきか、経文には棄恩入無為真実報恩者と説いて今生の恩愛をば皆すてて仏法の実の道に入る是れ実に恩をしれる人なりと見えたり、又主君の恩の深き事汝よりも能くしれり汝若し知恩の望あらば深く諌め強いて奏せよ非道にも主命に随はんと云う事佞臣の至り不忠の極りなり、殷の紂王は悪王比干は忠臣なり政事理に違いしを見て強て諌めしかば即比干は胸を割かる紂王は比干死して後周の王に打たれぬ、今の世までも比干は忠臣といはれ紂王は悪王といはる、夏の桀王を諌めし竜蓬は頭をきられぬされども桀王は悪王竜蓬は忠臣とぞ云う主君を三度諌むるに用ゐずば山林に交れとこそ教へたれ何ぞ其の非を見ながら黙せんと云うや、古の賢人世を遁れて山林に交りし先蹤を集めて聊か汝が愚耳に聞かしめん、殷の代の太公望は・渓と云う谷に隠る、周の代の伯夷叔斉は首陽山と云う山に篭る、秦の綺里季は商洛山に入り漢の厳光は孤亭に居し、晋の介子綏は緜上山に隠れぬ、此等をば不忠と云うべきか愚かなり汝忠を存ぜば諌むべし孝を思はば言うべきなり。
先ず汝権教権宗の人は多く此の宗の人は少し何ぞ多を捨て少に付くと云う事必ず多きが尊くして少きが卑きにあらず、賢善の人は希に愚悪の者は多し麒麟鸞鳳は禽獣の奇秀なり然れども是は甚だ少し牛羊烏鴿は畜鳥の拙卑なりされども是は転多し、必ず多きがたつとくして少きがいやしくば麒麟をすてて牛羊をとり鸞鳳を閣いて烏鴿をとるべきか、摩尼金剛は金石の霊異なり、此の宝は乏しく瓦礫土石は徒物の至り是は又巨多なり、汝が言の如くならば玉なんどをば捨てて瓦礫を用ゆべきかはかなしはかなし、聖君は希にして千年に一たび出で賢佐は五百年に一たび顕る摩尼は空しく名のみ聞く麟鳳誰か実を見たるや世間出世善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり、然れば何ぞ強ちに少きをおろかにして多きを詮とするや土沙は多けれども米穀は希なり木皮は充満すれども布絹は些少なり、汝只正理を以て前とすべし別して人の多きを以て本とすることなかれ。
爰に愚人席をさり袂をかいつくろいて云く誠に聖教の理をきくに人身は得難く天上の絲筋の海底の針に貫けるよりも希に仏法は聞き難くして一眼の亀の浮木に遇うよりも難し、今既に得難き人界に生をうけ値い難き仏教を見聞しつ今生をもだしては又何れの世にか生死を離れ菩提を証すべき、夫れ一劫受生の骨は山よりも高けれども仏法の為にはいまだ一骨をもすてず多生恩愛の涙は海よりも深けれども尚後世の為には一滴をも落さず、拙きが中に拙く愚かなるが中に愚かなり設ひ命をすて身をやぶるとも生を軽くして仏道に入り父母の菩提を資け愚身が獄縛をも免るべし能く能く教を示し給へ。
抑法華経を信ずる其の行相如何五種の行の中には先ず何れの行をか修すべき丁寧に尊教を聞かん事を願う、聖人示して云く汝蘭室の友に交つて麻畝の性と成る誠に禿樹禿に非ず春に遇つて栄え華さく枯草枯るに非ず夏に入つて鮮かに注ふ、若し先非を悔いて正理に入らば湛寂の潭に遊泳して無為の宮に優遊せん事疑なかるべし、抑仏法を弘通し群生を利益せんには先ず教機時国教法流布の前後を弁ふべきものなり、所以は時に正像末あり法に大小乗あり修行に摂折あり摂受の時折伏を行ずるも非なり折伏の時摂受を行ずるも失なり、然るに今世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交つて観法を修し五種六種乃至十種等を行ずべきなり、折伏の時はかくの如くならず経教のおきて蘭菊に諸宗のおぎろ誉れを擅にし邪正肩を並べ大小先を争はん時は万事を閣いて謗法を責むべし是れ折伏の修行なり、此の旨を知らずして摂折途に違はば得道は思もよらず悪道に堕つべしと云う事法華涅槃に定め置き天台妙楽の解釈にも分明なり是れ仏法修行の大事なるべし、譬ば文武両道を以て天下を治るに武を先とすべき時もあり文を旨とすべき時もあり、天下無為にして国土静かならん時は文を先とすべし東夷南蛮西戎北狄蜂起して野心をさしはさまんには武を先とすべきなり、文武のよき事計りを心えて時をもしらず万邦安堵の思をなして世間無為ならん時甲冑をよろひ兵杖をもたん事も非なり、又王敵起らん時戦場にて武具をば閣いて筆硯を提ん事是も亦時に相応せず摂受折伏の法門も亦是くの如し正法のみ弘まつて邪法邪師無からん時は深谷にも入り閑静にも居して読誦書写をもし観念工夫をも凝すべし、是れ天下の静なる時筆硯を用ゆるが如し権宗謗法国にあらん時は諸事を閣いて謗法を責むべし是れ合戦の場に兵杖を用ゆるが如し、然れば章安大師涅槃の疏に釈して云く「昔は時平かにして法弘まる応に戒を持すべし杖を持すること勿れ今は時嶮しくして法翳る応に杖を持すべし戒を持すること勿れ今昔倶に嶮しくば倶に杖を持すべし今昔倶に平かならば応に倶に戒を持すべし、取捨宜きを得て一向にす可からず」と此の釈の意分明なり、昔は世もすなをに人もただしくして邪法邪義無かりき、されば威儀をただし穏便に行業を積んで杖をもつて人を責めず邪法をとがむる事無かりき、今の世は濁世なり人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし此の時は読誦書写の修行も観念工夫修練も無用なり、只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき又法門を以ても邪義を責めよとなり、取捨其旨を得て一向に執する事なかれと書けり、今の世を見るに正法一純に弘まる国か邪法の興盛する国か勘ふべし、然るを浄土宗の法然は念仏に対して法華経を捨閉閣抛とよみ善導は法華経を雑行と名け剰へ千中無一とて千人信ずとも一人得道の者あるべからずと書けり、真言宗の弘法は法華経を華厳にも劣り大日経には三重の劣と書き戯論の法と定めたり、正覚房は法華経は大日経のはきものとりにも及ばずと云ひ釈尊をば大日如来の牛飼にもたらずと判せり、禅宗は法華経を吐たるつばき月をさす指教網なんど下す、小乗律等は法華経は邪教天魔の所説と名けたり、此等豈謗法にあらずや責めても猶あまりあり禁めても亦たらず。
愚人云く日本六十余州人替り法異りといへども或は念仏者或は真言師或は禅或は律誠に一人として謗法ならざる人はなし、然りと雖も人の上沙汰してなにかせん只我が心中に深く信受して人の誤りをば余所の事にせんと思ふ、聖人示して云く汝言う所実にしかなり我も其の義を存ぜし処に経文には或は不惜身命とも或は寧喪身命とも説く、何故にかやうには説かるるやと存ずるに只人をはばからず経文のままに法理を弘通せば謗法の者多からん世には必ず三類の敵人有つて命にも及ぶべしと見えたり、其の仏法の違目を見ながら我もせめず国主にも訴へずば教へに背いて仏弟子にはあらずと説かれたり、涅槃経第三に云く「若し善比丘あつて法を壊らん者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」と、此の文の意は仏の正法を弘めん者経教の義を悪く説かんを聞き見ながら我もせめず我が身及ばずば国主に申し上げても是を対治せずば仏法の中の敵なり、若し経文の如くに人をもはばからず我もせめ国主にも申さん人は仏弟子にして真の僧なりと説かれて候、されば仏法中怨の責を免れんとてかやうに諸人に悪まるれども命を釈尊と法華経に奉り慈悲を一切衆生に与へて謗法を責むるを心えぬ人は口をすくめ眼を瞋らす、汝実に後世を恐れば身を軽しめ法を重んぜよ是を以て章安大師云く「寧ろ身命を喪ふとも教を匿さざれとは身は軽く法は重し身を死して法を弘めよ」と、此の文の意は身命をばほろぼすとも正法をかくさざれ、其の故は身はかろく法はおもし身をばころすとも法をば弘めよとなり、悲いかな生者必滅の習なれば設ひ長寿を得たりとも終には無常をのがるべからず、今世は百年の内外の程を思へば夢の中の夢なり、非想の八万歳未だ無常を免れず・利の一千年も猶退没の風に破らる、況や人間閻浮の習は露よりもあやうく芭蕉よりももろく泡沫よりもあだなり、水中に宿る月のあるかなきかの如く草葉にをく露のをくれさきだつ身なり、若し此の道理を得ば後世を一大事とせよ歓喜仏の末の世の覚徳比丘正法を弘めしに無量の破戒此の行者を怨みて責めしかば有徳国王正法を守る故に謗法を責めて終に命終して阿・仏の国に生れて彼の仏の第一の弟子となる、大乗を重んじて五百人の婆羅門の謗法を誡めし仙予国王は不退の位に登る、憑しいかな正法の僧を重んじて邪悪の侶を誡むる人かくの如くの徳あり、されば今の世に摂受を行ぜん人は謗人と倶に悪道に堕ちん事疑い無し、南岳大師の四安楽行に云く「若し菩薩有つて悪人を将護し治罰すること能わず乃至其の人命終して諸悪人と倶に地獄に堕せん」と、此の文の意は若し仏法を行ずる人有つて謗法の悪人を治罰せずして観念思惟を専らにして邪正権実をも簡ばず詐つて慈悲の姿を現ぜん人は諸の悪人と倶に悪道に堕つべしと云う文なり、今真言念仏禅律の謗人をたださずいつはつて慈悲を現ずる人此の文の如くなるべし。
爰に愚人意を竊にし言を顕にして云く誠に君を諌めて家を正しくする事先賢の教へ本文に明白なり外典此くの如し内典是に違うべからず、悪を見ていましめず謗を知つてせめずば経文に背き祖師に違せん其の禁め殊に重し今より信心を至すべし、但し此経を修行し奉らん事叶いがたし若し其の最要あらば証拠を聞かんと思ふ、聖人示して云く今汝の道意を見るに鄭重慇懃なり、所謂諸仏の誠諦得道の最要は只是れ妙法蓮華経の五字なり、檀王の宝位を退き竜女が蛇身を改めしも只此の五字の致す所なり、夫れ以れば今の経は受持の多少をば一偈一句と宣べ修行の時刻をば一念随喜と定めたり、凡そ八万法蔵の広きも一部八巻の多きも只是の五字を説かんためなり、霊山の雲の上鷲峯の霞の中に釈尊要を結び地涌付属を得ることありしも法体は何事ぞ只此の要法に在り、天台妙楽の六千張の疏玉を連ぬるも道邃行満の数軸の釈金を並ぶるも併しながら此の義趣を出でず、誠に生死を恐れ涅槃を欣い信心を運び渇仰を至さば遷滅無常は昨日の夢菩提の覚悟は今日のうつつなるべし、只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし。
愚人掌を合せ膝を折つて云く貴命肝に染み教訓意を動ぜり然りと雖も上能兼下の理なれば広きは狭きを括り多は少を兼ぬ、然る処に五字は少く文言は多し首題は狭く八軸は広し如何ぞ功徳斉等ならんや、聖人云く汝愚かなり捨少取多の執須弥よりも高く軽狭重広の情溟海よりも深し、今の文の初後は必ず多きが尊く少きが卑しきにあらざる事前に示すが如し、爰に又小が大を兼ね、一が多に勝ると云う事之を談ぜん彼の尼拘類樹の実は芥子三分が一のせいなりされども五百輛の車を隠す徳あり是小が大を含めるにあらずや、又如意宝珠は一あれども万宝を雨して欠処之れ無し是れ又少が多を兼ねたるにあらずや、世間のことわざにも一は万が母といへり此等の道理を知らずや、所詮実相の理の背契を論ぜよ強ちに多少を執する事なかれ、汝至つて愚かなり今一の譬を仮らん、夫れ妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり仏性とは法性なり法性とは菩提なり、所謂釈迦多宝十方の諸仏上行無辺行等普賢文殊舎利弗目連等、大梵天王釈提桓因日月明星北斗七星二十八宿無量の諸星天衆地類竜神八部人天大会閻魔法王上は非想の雲の上下は那落の炎の底まで所有一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり、されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時我が身の法性の法報応の三身ともにひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり、例せば篭の内にある鳥の鳴く時空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し。
爰に愚人云く首題の功徳妙法の義趣今聞く所詳かなり但し此の旨趣正しく経文に是をのせたりや如何、聖人云く其の理詳かならん上は文を尋ぬるに及ばざるか然れども請に随つて之れを示さん法華経第八陀羅尼品に云く「汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せん福量るべからず」此の文の意は仏鬼子母神十羅刹女の法華経の行者を守らんと誓い給うを讃むるとして汝等法華の首題を持つ人を守るべしと誓ふ、其の功徳は三世了達の仏の智慧も尚及びがたしと説かれたり、仏智の及ばぬ事何かあるべきなれども法華の題名受持の功徳ばかりは是を知らずと宣べたり、法華一部の功徳は只妙法等の五字の内に篭れり、一部八巻文文ごとに二十八品生起かはれども首題の五字は同等なり、譬ば日本の二字の中に六十余州島二つ入らぬ国やあるべき篭らぬ郡やあるべき、飛鳥とよべば空をかける者と知り走獣といへば地をはしる者と心うる一切名の大切なる事蓋し以て是くの如し、天台は名詮自性句詮差別とも名者大綱とも判ずる此の謂れなり、又名は物をめす徳あり物は名に応ずる用あり法華題名の功徳も亦以て此くの如し。
愚人云く聖人の言の如くば実に首題の功莫大なり但し知ると知らざるとの不同あり、我は弓箭に携り兵杖をむねとして未だ仏法の真味を知らず若し然れば得る所の功徳何ぞ其れ深からんや、聖人云く円頓の教理は初後全く不二にして初位に後位の徳あり一行一切行にして功徳備わらざるは之れ無し若し汝が言の如くば功徳を知つて植えずんば上は等覚より下は名字に至るまで得益更にあるべからず、今の経は唯仏与仏と談ずるが故なり、譬喩品に云く「汝舎利弗尚此の経に於ては信を以て入ることを得たり況や余の声聞をや」文の心は大智舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をやとなり、されば法華経に来つて信ぜしかば永不成仏の名を削りて華光如来となり嬰児に乳をふくむるに其の味をしらずといへども自然に其の身を生長す、医師が病者に薬を与うるに病者薬の根源をしらずといへども服すれば任運と病愈ゆ若し薬の源をしらずと云つて医師の与ふる薬を服せずば其の病愈ゆべしや薬を知るも知らざるも服すれば病の愈ゆる事以て是れ同じ、既に仏を良医と号し法を良薬に譬へ衆生を病人に譬ふされば如来一代の教法を擣・和合して妙法一粒の良薬に丸ぜり豈知るも知らざるも服せん者煩悩の病愈えざるべしや病者は薬をもしらず病をも弁へずといへども服すれば必ず愈ゆ、行者も亦然なり法理をもしらず煩悩をもしらずといへども只信ずれば見思塵沙無明の三惑の病を同時に断じて実報寂光の台にのぼり本有三身の膚を磨かん事疑いあるべからず、されば伝教大師云く「能化所化倶に歴劫無く妙法経の力即身成仏す」と法華経の法理を教へん師匠も又習はん弟子も久しからずして法華経の力をもつて倶に仏になるべしと云う文なり、天台大師も法華経に付いて玄義文句止観の三十巻の釈を造り給う、妙楽大師は又釈籤疏記輔行の三十巻の末文を重ねて消釈す、天台六十巻とは是なり、玄義には名体宗用教の五重玄を建立して妙法蓮華経の五字の功能を判釈す、五重玄を釈する中の宗の釈に云く「綱維を提ぐるに目として動かざること無く衣の一角を牽くに縷として来らざる無きが如し」と、意は此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし、譬ば網の目無量なれども一つの大綱を引くに動かざる目もなく衣の糸筋巨多なれども一角を取るに糸筋として来らざることなきが如しと云う義なり、さて文句には如是我聞より作礼而去まで文文句句に因縁約教本迹観心の四種の釈を設けたり、次に止観には妙解の上に立てる所の観不思議境の一念三千是れ本覚の立行本具の理心なり、今爰に委しくせず、悦ばしいかな生を五濁悪世に受くといへども一乗の真文を見聞する事を得たり、熈連恒沙の善根を致せる者此の経にあい奉つて信を取ると見えたり、汝今一念随喜の信を致す函蓋相応感応道交疑い無し。
愚人頭を低れ手を挙げて云く我れ今よりは一実の経王を受持し三界の独尊を本師として今身自り仏身に至るまで此の信心敢て退転無けん、設ひ五逆の雲厚くとも乞ふ提婆達多が成仏を続ぎ十悪の波あらくとも願くは王子覆講の結縁に同じからん、聖人云く人の心は水の器にしたがふが如く物の性は月の波に動くに似たり、故に汝当座は信ずといふとも後日は必ず翻へさん魔来り鬼来るとも騒乱する事なかれ、夫れ天魔は仏法をにくむ外道は内道をきらふ、されば猪の金山を摺り衆流の海に入り薪の火を盛んになし風の求羅をますが如くせば豈好き事にあらずや。 
 
如説修行抄

 

夫れ以んみれば末法流布の時生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり、其の故は在世は能化の主は仏なり弟子又大菩薩阿羅漢なり、人天四衆八部人非人等なりといへども調機調養して法華経を聞かしめ給ふ猶怨嫉多し、何に況んや末法今の時は教機時刻当来すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり、弟子又闘諍堅固白法隠没三毒強盛の悪人等なり、故に善師をば遠離し悪師には親近す、其の上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり、されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし況滅度後の大難の三類甚しかるべしと、然るに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしかども大小の難来る時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ、兼て申さざりけるか経文を先として猶多怨嫉況滅度後況滅度後と朝夕教へし事は是なり予が或は所ををわれ或は疵を蒙り或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるるを見聞くとも今始めて驚くべきにあらざる物をや。
問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや、答えて云く釈尊は法華経の御為に今度九横の大難に値ひ給ふ、過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り竺の道生は蘇山に流され法道三蔵は面に火印をあてられ師子尊者は頭をはねられ天台大師は南三北七にあだまれ伝教大師は六宗ににくまれ給へり、此等の仏菩薩大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり、此れ等の人人を如説修行の人と云わずんばいづくにか如説修行の人を尋ねん、然るに今の世は闘諍堅固白法隠没なる上悪国悪王悪臣悪民のみ有りて正法を背きて邪法邪師を崇重すれば国土に悪鬼乱れ入りて三災七難盛に起れり、かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返しせめをとしすれどもかたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。
問うて云く如説修行の行者と申さんは何様に信ずるを申し候べきや、答えて云く当世日本国中の諸人一同に如説修行の人と申し候は諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、念仏を申すも真言を持つも禅を修行するも総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり等云云、予が云く然らず所詮仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり我等が本師釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食しかども衆生の機根未熟なりしかば先ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に真実たる法華経を説かせ給いしなり、此の経の序分無量義経にして権実のはうじを指て方便真実を分け給へり、所謂以方便力四十余年未顕真実是なり、大荘厳等の八万の大士施権開権廃権等のいはれを心得分け給いて領解して言く法華経已前の歴劫修行等の諸経は終不得成無上菩提と申しきり給ひぬ、然して後正宗の法華に至つて世尊法久後要当説真実と説き給いしを始めとして無二亦無三除仏方便説正直捨方便乃至不受余経一偈と禁め給へり、是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじきに末法の今の学者何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思いて或は真言或は念仏或は禅宗三論法相倶舎成実律等の諸宗諸経を取取に信ずるなり、是くの如き人をば若人不信毀謗此経即断一切世間仏種乃至其人命終入阿鼻獄と定め給へり、此等のをきての明鏡を本として一分もたがえず唯有一乗法と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり。
難じて云く左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経と云はばこそ、只一経に限りて経文の如く五種の修行をこらし安楽行品の如く修行せんは如説修行の者とは云われ候まじきか如何、答えて云く凡仏法を修行せん者は摂折二門を知る可きなり一切の経論此の二を出でざるなり、されば国中の諸学者等仏法をあらあら学すと云へども時刻相応の道をしらず四節四季取取に替れり、夏は熱く冬はつめたく春は花さき秋は菓なる春種子を下して秋菓を取るべし秋種子を下して春菓を取らんに豈取らる可けんや、極寒の時は厚き衣は用なり極熱の夏はなにかせん、凉風は夏の用なり冬はなにかせん、仏法も亦復是くの如し小乗の流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり、然るに正像二千年は小乗権大乗の流布の時なり、末法の始めの五百年には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり、此の時は闘諍堅固白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり、敵有る時は刀杖弓箭を持つ可し敵無き時は弓箭兵杖何にかせん、今の時は権教即実教の敵と成るなり、一乗流布の時は権教有つて敵と成りてまぎらはしくば実教より之を責む可し、是を摂折二門の中には法華経の折伏とは申すなり、天台云く「法華折伏破権門理」とまことに故あるかな、然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば冬種子を下して春菓を求る者にあらずや、鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なり、権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや、されば末法今の時法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へしぞ、誰人にても坐せ諸経は無得道堕地獄の根源法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ三類の強敵来らん事疑い無し。
我等が本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ天台大師は三十余年伝教大師は二十余年今日蓮は二十余年の間権理を破す其の間の大難数を知らず、仏の九横の難に及ぶか及ばざるは知らず、恐らくは天台伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値い給いし事なし、彼は只悪口怨嫉計りなり、是は両度の御勘気遠国に流罪せられ竜口の頚の座頭の疵等其の外悪口せられ弟子等を流罪せられ篭に入れられ檀那の所領を取られ御内を出だされし、是等の大難には竜樹天台伝教も争か及び給うべき、されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ、されば釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊天台伝教の三人はさてをき候ぬ、末法に入つては日蓮並びに弟子檀那等是なり、我等を如説修行の者といはずば釈尊天台伝教等の三人も如説修行の人なるべからず、提婆瞿伽利善星弘法慈覚智証善導法然良観房等は即ち法華経の行者と云はれ、釈尊天台伝教日蓮並びに弟子檀那は念仏真言禅律等の行者なるべし、法華経は方便権教と云はれ念仏等の諸経は還つて法華経となるべきか、東は西となり西は東となるとも大地は持つ所の草木共に飛び上りて天となり天の日月星宿は共に落ち下りて地となるためしはありともいかでか此の理あるべき。
哀なるかな今日本国の万民日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上今日は身の上なれば日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし、只今仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈みて大苦に値わん時我等何計無慚と思はんずらん、汝等何計うらやましく思はんずらん、一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるともゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ、縦ひ頚をば鋸にて引き切りどうをばひしほこを以てつつき足にはほだしを打ってきりを以てもむとも、命のかよはんほどは南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦多宝十方の諸仏霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へはしり給はば二聖二天十羅刹女は受持の者を擁護し諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり、あらうれしやあらうれしや。 ( 文永十年癸酉五月 ) 
 
顕仏未来記

 

沙門日蓮之を勘う
法華経の第七に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云、予一たびは歎いて云く仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ何なる罪業に依つて仏の在世に生れず正法の四依像法の中の天台伝教等にも値わざるやと、亦一たびは喜んで云く何なる幸あつて後五百歳に生れて此の真文を拝見することぞや、在世も無益なり前四味の人は未だ法華経を聞かず正像も又由し無し南三北七並びに華厳真言等の学者は法華経を信ぜず、天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」等云云広宣流布の時を指すか、伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云末法の始を願楽するの言なり、時代を以て果報を論ずれば竜樹天親に超過し天台伝教にも勝るるなり。
問うて云く後五百歳は汝一人に限らず何ぞ殊に之を喜悦せしむるや、答えて云く法華経の第四に云く「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」文、天台大師云く「何に況や未来をや理化し難きに在り」文、妙楽大師云く「理在難化とは此の理を明すことは意衆生の化し難きを知らしむるに在り」文、智度法師云く「俗に良薬口に苦しと言うが如く此の経は五乗の異執を廃して一極の玄宗を立つ故に凡を斥ぞけ聖を呵し大を排し小を破る乃至此くの如きの徒悉く留難を為す」等云云、伝教大師云く「代を語れば則ち像の終り末の始地を尋れば唐の東羯の西人を原れば則ち五濁の生闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るなり」等云云、此の伝教大師の筆跡は其の時に当るに似たれども意は当時を指すなり正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有りの釈は心有るかな、経に云く「悪魔魔民諸天竜夜叉鳩槃荼等其の便りを得ん」云云、言う所の等とは此の経に又云わく「若は夜叉若は羅刹若は餓鬼若は富単那若は吉遮若は毘陀羅若は・駄若は烏摩勒伽若は阿跋摩羅若は夜叉吉遮若は人吉遮」等云云、此の文の如きは先生に四味三教乃至外道人天等の法を持得して今生に悪魔諸天諸人等の身を受けたる者が円実の行者を見聞して留難を至すべき由を説くなり。
疑つて云く正像の二時を末法に相対するに時と機と共に正像は殊に勝るるなり何ぞ其の時機を捨てて偏に当時を指すや、答えて云く仏意測り難し予未だ之を得ず試みに一義を案じ小乗経を以て之を勘うるに正法千年は教行証の三つ具さに之を備う像法千年には教行のみ有つて証無し末法には教のみ有つて行証無し等云云、法華経を以て之を探るに正法千年に三事を具するは在世に於て法華経に結縁する者か、其の後正法に生れて小乗の教行を以て縁と為し小乗の証を得るなり、像法に於ては在世の結縁微薄の故に小乗に於て証すること無く此の人権大乗を以て縁と為して十方の浄土に生ず、末法に於ては大小の益共に之無し、小乗には教のみ有つて行証無し大乗には教行のみ有つて冥顕の証之無し、其の上正像の時の所立の権小の二宗漸漸末法に入て執心弥強盛にして小を以て大を打ち権を以て実を破り国土に大体謗法の者充満するなり、仏教に依つて悪道に堕する者は大地微塵よりも多く正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少きなり、此の時に当つて諸天善神其の国を捨離し但邪天邪鬼等有つて王臣比丘比丘尼等の身心に入住し法華経の行者を罵詈毀辱せしむべき時なり、爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時不軽菩薩我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人日蓮は名字の凡夫なり。
疑つて云く何を以て之を知る汝を末法の初の法華経の行者なりと為すと云うことを、答えて云く法華経に云く「況んや滅度の後をや」又云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん」又云く「数数擯出せられん」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」又云く「杖木瓦石をもつて之を打擲す」又云く「悪魔魔民諸天竜夜叉鳩槃荼等其の便りを得ん」等云云、此の明鏡に付いて仏語を信ぜしめんが為に、日本国中の王臣四衆の面目に引き向えたるに予よりの外には一人も之無し、時を論ずれば末法の初め一定なり、然る間若し日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん、難じて云く汝は大慢の法師にして大天に過ぎ四禅比丘にも超えたり如何、答えて云く汝日蓮を蔑如するの重罪又提婆達多に過ぎ無垢論師にも超えたり、我が言は大慢に似たれども仏記を扶け如来の実語を顕さんが為なり、然りと雖も日本国中に日蓮を除いては誰人を取り出して法華経の行者と為さん汝日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にす豈大悪人に非ずや。
疑つて云く如来の未来記汝に相当れり、但し五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、答えて云く四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや、疑つて云く何を以て汝之を知る、答えて云く月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く、妙楽大師の云く「豈中国に法を失いて之を四維に求むるに非ずや」等云云、天竺に仏法無き証文なり漢土に於て高宗皇帝の時北狄東京を領して今に一百五十余年仏法王法共に尽き了んぬ、漢土の大蔵の中に小乗経は一向之れ無く大乗経は多分之を失す、日本より寂照等少少之を渡す然りと雖も伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し、故に遵式の云く「始西より伝う猶月の生ずるが如し今復東より返る猶日の昇るが如し」等云云、此等の釈の如くんば天竺漢土に於て仏法を失せること勿論なり、問うて云く月氏漢土に於て仏法無きことは之を知れり、東西北の三洲に仏法無き事は何を以て之を知る、答えて云く法華経の第八に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」等云云、内の字は三洲を嫌う文なり、問うて曰く仏記既に此くの如し汝が未来記如何、答えて曰く仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり、其の前相必ず正像に超過せる天変地夭之れ有るか、所謂仏生の時転法輪の時入涅槃の時吉瑞凶瑞共に前後に絶えたる大瑞なり、仏は此れ聖人の本なり経経の文を見るに仏の御誕生の時は五色の光気四方に遍くして夜も昼の如し仏御入滅の時には十二の白虹南北に亘り大日輪光り無くして闇夜の如くなりし、其の後正像二千年の間内外の聖人生滅有れども此の大瑞には如かず、而るに去ぬる正嘉年中より今年に至るまで或は大地震或は大天変宛かも仏陀の生滅の時の如し、当に知るべし仏の如き聖人生れたまわんか、大虚に亘つて大彗星出づ誰の王臣を以て之に対せん、当瑞大地を傾動して三たび振裂す何れの聖賢を以て之に課せん、当に知るべし通途世間の吉凶の大瑞には非ざるべし惟れ偏に此の大法興廃の大瑞なり、天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深きを知る」等云云、妙楽の云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、日蓮此の道理を存して既に二十一年なり、日来の災月来の難此の両三年の間の事既に死罪に及ばんとす今年今月万が一も脱がれ難き身命なり、世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え、幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ、願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん、我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん、我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん、但し今夢の如く宝塔品の心を得たり、此の経に云く「若し須弥を接つて他方の無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ為難しとせず乃至若し仏の滅後に悪世の中に於て能く此の経を説かん是れ則ち為難し」等云云、伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり、天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云云、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。 ( 文永十年太歳癸酉後五月十一日 ) 
 
当体義抄

 

日蓮之を勘う
問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華経の当体なり、問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、答う勿論なり経に云く「所謂諸法乃至本末究竟等」云云、妙楽大師釈して云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」と云云、天台云く「十如十界三千の諸法は今経の正体なるのみ」云云、南岳大師云く「云何なるを名けて妙法蓮華経と為すや答う妙とは衆生妙なるが故に法とは即ち是れ衆生法なるが故に」云云、又天台釈して云く「衆生法妙」と云云。
問う一切衆生の当体即妙法の全体ならば地獄乃至九界の業因業果も皆是れ妙法の体なるや、答う法性の妙理に染浄の二法有り染法は熏じて迷と成り浄法は熏じて悟と成る悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり、此の迷悟の二法二なりと雖も然も法性真如の一理なり、譬えば水精の玉の日輪に向えば火を取り月輪に向えば水を取る玉の体一なれども縁に随て其の功同じからざるが如し、真如の妙理も亦復是くの如し一妙真如の理なりと雖も悪縁に遇えば迷と成り善縁に遇えば悟と成る悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり、譬えば人夢に種種の善悪の業を見夢覚めて後に之を思えば我が一心に見る所の夢なるが如し、一心は法性真如の一理なり夢の善悪は迷悟の無明法性なり、是くの如く意得れば悪迷の無明を捨て善悟の法性を本と為す可きなり、大円覚修多羅了義経に云く「一切諸の衆生の無始の幻無明は皆諸の如来の円覚の心従り建立す」云云、天台大師の止観に云く「無明癡惑本是れ法性なり癡迷を以ての故に法性変じて無明と作る」云云、妙楽大師の釈に云く「理性体無し全く無明に依る無明体無し全く法性に依る」云云、無明は所断の迷法性は所証の理なり何ぞ体一なりと云うやと云える不審をば此等の文義を以て意得可きなり、大論九十五の夢の譬天台一家の玉の譬誠に面白く思うなり、正く無明法性其の体一なりと云う証拠は法華経に云く「是の法は法位に住して世間の相常住なり」云云、大論に云く「明と無明と異無く別無し是くの如く知るをば是を中道と名く」云云、但真如の妙理に染浄の二法有りと云う事証文之れ多しと雖も華厳経に云く「心仏及衆生是三無差別」の文と法華経の諸法実相の文とには過ぐ可からざるなり南岳大師の云く「心体に染浄の二法を具足して而も異相無く一味平等なり」云云、又明鏡の譬真実に一二なり委くは大乗止観の釈の如し又能き釈には籤の六に云く「三千理に在れば同じく無明と名け三千果成すれば咸く常楽と称す三千改むること無ければ無明即明三千並に常なれば倶体倶用なり」文、此の釈分明なり。
問う一切衆生皆悉く妙法蓮華経の当体ならば我等が如き愚癡闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや、答う当世の諸人之れ多しと雖も二人を出でず謂ゆる権教の人実教の人なり而も権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の当体と云わる可からず実教の法華経を信ずる人は即ち当体の蓮華真如の妙体是なり涅槃経に云く「一切衆生大乗を信ずる故に大乗の衆生と名く」文、南岳大師の四安楽行に云く「大強精進経に云く衆生と如来と同共一法身にして清浄妙無比なるを妙法華経と称す」文、又云く「法華経を修行するは此の一心一学に衆果普く備わる一時に具足して次第入に非ず亦蓮華の一華に衆果を一時に具足するが如し是を一乗の衆生の義と名く」文、又云く「二乗声聞及び鈍根の菩薩は方便道の中の次第修学なり利根の菩薩は正直に方便を捨て次第行を修せず若し法華三昧を証すれば衆果悉く具足す是を一乗の衆生と名く」文、南岳の釈の意は次第行の三字をば当世の学者は別教なりと料簡す、然るに此の釈の意は法華の因果具足の道に対して方便道を次第行と云う故に爾前の円爾前の諸大乗経並びに頓漸大小の諸経なり証拠は無量義経に云く「次に方等十二部経摩訶般若華厳海空を説いて菩薩の歴劫修行を宣説す」文、利根の菩薩は正直に方便を捨てて次第行を修せず若し法華経を証する時は衆果悉く具足す是を一乗の衆生と名くるなり此等の文の意を案ずるに三乗五乗七方便九法界四味三教一切の凡聖等をば大乗の衆生妙法蓮華の当体とは名く可からざるなり、設い仏なりと雖も権教の仏をば仏界の名言を付く可からず権教の三身は未だ無常を免れざる故に何に況や其の余の界界の名言をや、故に正像二千年の国王大臣よりも末法の非人は尊貴なりと釈するも此の意なり、南岳釈して云く「一切衆生法身の蔵を具足して仏と一にして異り有ること無し」、是の故に法華経に云く「父母所生清浄常眼耳鼻舌身意亦復如是」文、又云く「問うて云く仏何れの経の中に眼等の諸根を説いて名けて如来と為や、答えて云く大強精進経の中に衆生と如来と同じく共に一法身にして清浄妙無比なるを妙法蓮華経と称す」文、他経に有りと雖も下文顕れ已れば通じて引用することを得るなり、大強精進経の同共の二字に習い相伝するなり法華経に同共して信ずる者は妙経の体なり不同共の念仏者等は既に仏性法身如来に背くが故に妙経の体に非ざるなり、所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居身土色心倶体倶用無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体自在神力の顕わす所の功能なり敢て之を疑う可からず之を疑う可からず、問う天台大師妙法蓮華の当体譬喩の二義を釈し給えり爾れば其の当体譬喩の蓮華の様は如何、答う譬喩の蓮華とは施開廃の三釈委く之を見るべし、当体蓮華の釈は玄義第七に云く「蓮華は譬えに非ず当体に名を得類せば劫初に万物名無し聖人理を観じて準則して名を作るが如し」文、又云く「今蓮華の称は是れ喩を仮るに非ず乃ち是れ法華の法門なり法華の法門は清浄にして因果微妙なれば此の法門を名けて蓮華と為す即ち是れ法華三昧の当体の名にして譬喩に非ざるなり」又云く「問う蓮華定めて是れ法華三昧の蓮華なりや定めて是れ華草の蓮華なりや、答う定めて是れ法蓮華なり法蓮華解し難し故に草花を喩と為す利根は名に即して理を解し譬喩を仮らず但法華の解を作す中下は未だ悟らず譬を須いて乃ち知る易解の蓮華を以て難解の蓮華に喩う、故に三周の説法有つて上中下根に逗う上根に約すれば是れ法の名中下に約すれば是れ譬の名なり三根合論し雙べて法譬を標す是くの如く解する者は誰とか諍うことを為さんや」云云、此の釈の意は至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時因果倶時不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因妙果倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり、故に伝教大師云く「一心の妙法蓮華とは因華果台倶時に増長す三周各各当体譬喩有り、総じて一経に皆当体譬喩あり別して七譬三平等十無上の法門有りて皆当体蓮華有るなり、此の理を詮ずる教を名けて妙法蓮華経と為す」云云、妙楽大師の云く「須く七譬を以て各蓮華権実の義に対すべし○何者蓮華は只是れ為実施権開権顕実七譬皆然なり」文、又劫初に華草有り聖人理を見て号して蓮華と名く此の華草因果倶時なること妙法蓮華に似たり故に此の華草同じく蓮華と名くるなり水中に生ずる赤蓮華白蓮華等の蓮華是なり、譬喩の蓮華とは此の華草の蓮華なり此の華草を以て難解の妙法蓮華を顕す天台大師の妙法は解し難し譬を仮りて顕れ易しと釈するは是の意なり。
問う劫初より已来何人か当体の蓮華を証得せしや、答う釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり、今日又中天竺摩訶陀国に出世して此の蓮華を顕わさんと欲すに機無く時無し故に一法の蓮華に於て三の草華を分別し三乗の権法を施し擬宣誘引せしこと四十余年なり、此の間は衆生の根性万差なれば種種の草華を施し設けて終に妙法蓮華を施したまわざる故に、無量義経に云く「我先に道場菩提樹下乃至四十余年未だ真実を顕さず」文、法華経に至つて四味三教の方便の権教小乗種種の草華を捨てて唯一の妙法蓮華を説き三の華草を開して一の妙法蓮華を顕す時、四味三教の権人に初住の蓮華を授けしより始めて開近顕遠の蓮華に至つて二住三住乃至十住等覚妙覚の極果の蓮華を得るなり。
問う法華経は何れの品何れの文にか正しく当体譬喩の蓮華を説き分けたるや、答う若し三周の声聞に約して之を論ぜば方便の一品は皆是当体蓮華を説けるなり、譬喩品化城喩品には譬喩蓮華を説きしなり、但方便品にも譬喩蓮華無きに非ず余品にも当体蓮華無きに非ざるなり、問う若し爾らば正く当体蓮華を説きし文は何れぞや答う方便品の諸法実相の文是なり、問う何を以て此の文が当体蓮華なりと云う事を知ることを得るや、答う天台妙楽今の文を引て今経の体を釈せし故なり、又伝教大師釈して云く「問う法華経は何を以て体と為すや、答う諸法実相を以て体と為す」文、此の釈分明なり[当世の学者此の釈を秘して名を顕さず然るに此の文の名を妙法蓮華と曰う義なり]、又現証は宝塔品の三身是れ現証なり、或は涌出の菩薩竜女の即身成仏是なり、地涌の菩薩を現証と為す事は経文に如蓮華在水と云う故なり、菩薩の当体と聞たり竜女を証拠と為す事は霊鷲山に詣で千葉の蓮華の大いさ車輪の如くなるに坐しと説きたまう故なり、又妙音観音の三十三四身なり是をば解釈には法華三昧の不思議自在の業を証得するに非ざるよりは安ぞ能く此の三十三身を現ぜんと云云、或は「世間相常住」文、此等は皆当世の学者の勘文なり、然りと雖も日蓮は方便品の文と神力品の如来一切所有之法等の文となり、此の文をば天台大師も之を引いて今経の五重玄を釈せしなり、殊更此の一文正しき証文なり。
問う次上に引く所の文証現証殊勝なり何ぞ神力の一文に執するや、答う此の一文は深意有る故に殊更に吉なり、問う其の深意如何、答う此の文は釈尊本眷属地涌の菩薩に結要の五字の当体を付属すと説きたまえる文なる故なり、久遠実成の釈迦如来は我が昔の所願の如き今は已に満足す、一切衆生を化して皆仏道に入ら令むとて御願已に満足し、如来の滅後後五百歳中広宣流布の付属を説かんが為地涌の菩薩を召し出し本門の当体蓮華を要を以て付属し給える文なれば釈尊出世の本懐道場所得の秘法末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此の文なり、故に末法今時に於て如来の御使より外に当体蓮華の証文を知つて出す人都て有る可からざるなり真実以て秘文なり真実以て大事なり真実以て尊きなり、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経[爾前の円の菩薩等の今経に大衆八万有つて具足の道を聞かんと欲す云云、是なり、]問う当流の法門の意は諸宗の人来つて当体蓮華の証文を問わん時は法華経何れの文を出す可きや、答う二十八品の始に妙法蓮華経と題す此の文を出す可きなり、問う何を以て品品の題目は当体蓮華なりと云う事を知ることを得るや、故は天台大師今経の首題を釈する時蓮華とは譬喩を挙ぐると云つて譬喩蓮華と釈し給える者をや、答う題目の蓮華は当体譬喩を合説す天台の今の釈は譬喩の辺を釈する時の釈なり、玄文第一の本迹の六譬は此の意なり同じく第七は当体の辺を釈するなり、故に天台は題目の蓮華を以て当体譬喩の両説を釈する故に失無し、問う何を以て題目の蓮華は当体譬喩合説すと云う事を知ることを得んや、南岳大師も妙法蓮華経の五字を釈する時「妙とは衆生妙なるに故に法とは衆生法なる故に蓮華とは是れ譬喩を借るなり」文、南岳天台の釈既に譬喩蓮華なりと釈し給う如何、答う南岳の釈も天台の釈の如し云云、但当体譬喩合説すと云う事経文分明ならずと雖も南岳天台既に天親竜樹の論に依て合説の意を判釈せり、所謂法華論に云く「妙法蓮華とは二種の義有り一には出水の義、乃至泥水を出るをば諸の声聞如来大衆の中に入つて坐し諸の菩薩の如く蓮華の上に坐して如来無上智慧清浄の境界を説くを聞いて如来の密蔵を証するを喩うるが故に二に華開とは諸の衆生大乗の中に於て其心怯弱にして信を生ずること能わず故に如来の浄妙法身を開示して信心を生ぜしめんが故なり」文、諸の菩薩の諸の字は法華已前の大小の諸菩薩法華経に来つて仏の蓮華を得ると云う事法華論の文分明なり、故に知ぬ菩薩処処得入とは方便なり、天台此の論の文を釈して云く今論の意を解せば若し衆生をして浄妙法身を見せしむと言わば此れ妙因の開発するを以つて蓮華と為るなり、若し如来大衆に入るに蓮華の上に坐すと言わば此は妙報の国土を以て蓮華と為るなり、又天台が当体譬喩合説する様を委細に釈し給う時大集経の我今仏の蓮華を敬礼すと云う文と法華論の今の文とを引証して釈して云く「若し大集に依れば行法の因果を蓮華と為す菩薩上に処すれば即ち是れ因の華なり仏の蓮華を礼すれば即ち是れ果の華なり、若し法華論に依れば依報の国土を以て蓮華と為す復菩薩蓮華の行を修するに由つて報蓮華の国土を得当に知るべし依正因果悉く是れ蓮華の法なり、何ぞ譬をもつて顕すことをもちいん鈍人の法性の蓮華を解せざる為の故に世の華を挙げて譬と為す亦何の妨げかあるべき」文、又云く若し蓮華に非んば何に由つて遍く上来の諸法を喩えん法譬雙べ弁ずる故に妙法蓮華と称するなり、次に竜樹菩薩の大論に云く「蓮華とは法譬並びに挙ぐるなり」文、伝教大師が天親竜樹の二論の文を釈して云く「論の文但妙法蓮華経と名くるに二種の義あり唯蓮華に二種の義有りと謂うには非ず、凡そ法喩とは相い似たるを好しと為す若し相い似ずんば何を以てか他を解せしめん、是の故に釈論に法喩並び挙ぐ一心の妙法蓮華は因華果台倶時に増長す此の義解し難し喩を仮れば解し易し此の理教を詮ずるを名けて妙法蓮華経と為す」文、此等の論文釈義分明なり文に在つて見る可し包蔵せざるが故に合説の義極成せり、凡そ法華経の意は譬喩即法体法体即譬喩なり、故に伝教大師釈して云く「今経は譬喩多しと雖も大喩は是れ七喩なり此の七喩は即ち法体法体は即ち譬喩なり、故に譬喩の外に法体無く法体の外に譬喩無し、但し法体とは法性の理体なり譬喩とは即ち妙法の事相の体なり事相即理体なり理体即事相なり故に法譬一体とは云うなり、是を以て論文山家の釈に皆蓮華を釈するには法譬並べ挙ぐ」等云云、釈の意分明なる故重ねて云わず。
門う如来の在世に誰か当体の蓮華を証得せるや、答う四味三教の時は三乗五乗七方便九法界帯権の円の菩薩並びに教主乃至法華迹門の教主総じて本門寿量の教主を除くの外は本門の当体蓮華の名をも聞かず何に況んや証得せんをや、開三顕一の無上菩提の蓮華尚四十余年には之を顕さず、故に無量義経に終不得成無上菩提とて迹門開三顕一の蓮華は爾前に之を説かずと云うなり、何に況んや開近顕遠本地難思境智冥合本有無作の当体蓮華をば迹化弥勒等之を知る可きや、問う何を以て爾前の円の菩薩迹門の円の菩薩は本門の当体蓮華を証得せずと云う事を知ることを得ん、答う爾前の円の菩薩は迹門の蓮華を知らず迹門の円の菩薩は本門の蓮華を知らざるなり、天台云く「権教の補処は迹化の衆を知らず迹化の衆は本化の衆を知らず」文、伝教大師云く「是直道なりと雖も大直道ならず」云云、或は云く「未だ菩提の大直道を知らざるが故に」云云此の意なり、爾前迹門の菩薩は一分断惑証理の義分有りと雖も本門に対するの時は当分の断惑にして跨節の断惑に非ず未断惑と云わるるなり、然れば菩薩処処得入と釈すれども二乗を嫌うの時一往得入の名を与うるなり、故に爾前迹門の大菩薩が仏の蓮華を証得する事は本門の時なり真実の断惑は寿量の一品を聞きし時なり、天台大師涌出品の五十小劫仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂わしむの文を釈して云く「解者は短に即して長五十小劫と見る惑者は長に即して短半日の如しと謂えり」文、妙楽之を受けて釈して云く「菩薩已に無明を破す之を称して解と為す大衆仍お賢位に居す之を名けて惑と為す」文、釈の意分明なり爾前迹門の菩薩は惑者なり地涌の菩薩のみ独り解者なりと云う事なり、然るに当世天台宗の人の中に本迹の同異を論ずる時異り無しと云つて此の文を料簡するに解者の中に迹化の衆入りたりと云うは大なる僻見なり経の文釈の義分明なり何ぞ横計を為す可けんや、文の如きは地涌の菩薩五十小劫の間如来を称揚するを霊山迹化の衆は半日の如く謂えりと説き給えるを天台は解者惑者を出して迹化の衆は惑者の故に半日と思えり是れ即ち僻見なり、地涌の菩薩は解者の故に五十小劫と見る是れ即ち正見なりと釈し給えるなり、妙楽之を受けて無明を破する菩薩は解者なり未だ無明を破せざる菩薩は惑者なりと釈し給いし事文に在つて分明なり、迹化の菩薩なりとも住上の菩薩は已に無明を破する菩薩なりと云わん学者は無得道の諸経を有得道と習いし故なり、爾前迹門の当分に妙覚の位有りと雖も本門寿量の真仏に望むる時は惑者仍お賢位に居ると云わるる者なり権教の三身未だ無常を免れざる故は夢中の虚仏なるが故なり、爾前と迹化の衆とは未だ本門に至らざる時は未断惑の者と云われ彼に至る時正しく初住に叶うなり、妙楽の釈に云く「開迹顕本皆初住に入る」文、仍賢位に居すの釈之を思い合すべし、爾前迹化の衆は惑者未だ無明を破せざる仏菩薩なりと云う事真実なり真実なり、故に知ぬ本門寿量の説顕れての後は霊山一会の衆皆悉く当体蓮華を証得せしなり、二乗闡提定性女人悪人等も本仏の蓮華を証得するなり、伝教大師一大事の蓮華を釈して云く「法華の肝心一大事の因縁は蓮華の所顕なり、一とは一実相なり大とは性広博なり事とは法性の事なり一究竟事は円の理教智行、円の身若達なり一乗三乗定性不定性内道外道阿闡阿顛皆悉く一切智地に到る是の一大事仏の知見を開示し悟入して一切成仏す」女人闡提定性二乗等の極悪人霊山に於て当体蓮華を証得するを云うなり。
問う末法今時誰れ人か当体蓮華を証得せるや、答う当世の体を見るに大阿鼻地獄の当体を証得する人之れ多しと雖も仏の蓮華を証得せるの人之れ無し其の故は無得道の権教方便を信仰して法華の当体真実の蓮華を毀謗する故なり、仏説いて云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」文、天台云く「此の経は・く六道の仏種を開く若此の経を謗せば義断ずるに当るなり」文、日蓮云く此の経は是れ十界の仏種に通ず若し此の経を謗せば義是れ十界の仏種を断ずるに当る是の人無間に於て決定して墮在す何ぞ出ずる期を得んや、然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法邪師の邪義を捨てて正直に正法正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり、問う南岳天台伝教等の大師法華経に依つて一乗円宗の教法を弘通し給うと雖も未だ南無妙法蓮華経と唱えたまわざるは如何、若し爾らば此の大師等は未だ当体蓮華を知らず又証得したまわずと云うべきや、答う南岳大師は観音の化身天台大師は薬王の化身なり等云云、若し爾らば霊山に於て本門寿量の説を聞きし時は之を証得すと雖も在生の時は妙法流布の時に非ず、故に妙法の名字を替えて止観と号し一念三千一心三観を修し給いしなり、但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱うる事を自行真実の内証と思食されしなり、南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文、天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、又云く「稽首妙法蓮華経」云云、又「帰命妙法蓮華経」云云、伝教大師の最後臨終の十生願の記に云く「南無妙法蓮華経」云云、問う文証分明なり何ぞ是くの如く弘通したまわざるや、答う此れに於て二意有り一には時の至らざるが故に二には付属に非ざるが故なり、凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり地涌千界の大士の付属なり是の故に南岳天台伝教等は内に鑑みて末法の導師に之を譲りて弘通し給わざりしなり。 
 
小乗大乗分別抄/文永十年五十二歳御作

 

夫れ小大定めなし一寸の物を一尺の物に対しては小と云い五尺の男に対しては六尺七尺の男を大の男と云う、外道の法に対しては一切の大小の仏教を皆大乗と云う大法東漸通指仏教以為大法等と釈する是なり、仏教に入つても鹿苑十二年の説四阿含経等の一切の小乗経をば諸大乗経に対して小乗経と名けたり、又諸大乗経には大乗の中にとりて劣る教を小乗と云う華厳の大乗経に其余楽小法と申す文あり、天台大師はこの小法というは常の小乗経にはあらず十地の大法に対して十住十行十回向の大法を下して小法と名くと釈し給へり、又法華経第一の巻方便品に若以小乗化乃至於一人と申す文あり天台妙楽は阿含経を小乗と云うのみにあらず華厳経の別教方等般若の通別の大乗をも小乗と定め給う、又玄義の第一に会小帰大是漸頓泯合と申す釈をば智証大師は初め華厳経より終り般若経にいたるまで四教八教の権教諸大乗経を漸頓と釈す泯合とは八教を会して一大円教に合すとこそことはられて候へ、又法華経の寿量品に楽於小法徳薄垢重者と申す文あり、天台大師は此経文に小法と云うは小乗経にもあらず又諸大乗経にもあらず久遠実成を説かざる華厳経の円乃至方等般若法華経の迹門十四品の円頓の大法まで小乗の法なり、又華厳経等の諸大乗経の教主の法身報身毘盧遮那盧舎那大日如来等をも小仏なりと釈し給ふ、此の心ならば涅槃経大日経等の一切の大小権実顕密の諸経は皆小乗経八宗の中には倶舎宗成実宗律宗を小乗と云うのみならず華厳宗法相宗三論宗真言宗等の諸大乗宗を小乗宗として唯天台の一宗計り実大乗宗なるべし、彼彼の大乗宗の所依の経経には絶えて二乗作仏久遠実成の最大の法をとかせ給はず、譬えば一尺二尺の石を持つ者をば大力といはず一丈二丈の石を持つを大力と云うが如し、華厳経の法界円融四十一位般若経の混同無二十八空乾慧地等の十地瓔珞経の五十二位仁王経の五十一位薬師経の十二の大願雙観経の四十八願大日経の真言印契等此等は小乗経に対すれば大法秘法なり、法華経の二乗作仏久遠実成に対すれば小乗の法なり、一尺二尺を一丈二丈に対するが如し、又二乗作仏久遠実成は法華経の肝用にして諸経に対すれば奇たりと云へども法華経の中にてはいまだ奇妙ならず一念三千と申す法門こそ奇が中の奇妙が中の妙にて華厳大日経等に分絶たるのみならず、八宗の祖師の中にも真言等の七宗の人師名をだにもしらず天竺の大論師竜樹菩薩天親菩薩は内には珠を含み外には書きあらはし給はざりし法門なり、雨衆が三徳米斉が六句の先仏の教を盗みとれる様に華厳宗の澄観真言宗の善無畏等は天台大師の一念三千の法門を盗み取って我が所依の経の心仏及衆生の文の心とし心実相と申す文の神とせるなり、かくのごとく盗み取って我が宗の規模となせるが又還って天台宗を下し華厳宗真言宗には劣れる法なりと申す、此等の人師は世間の盗人にはあらねども仏法の盗人なるべし、此等をよくよく尋ね明むべし。
又世間の天台宗の学者並びに諸宗の人人の云く法華経は但二乗作仏久遠実成計りなり等云云、今反詰して云く汝等が承伏に付いて但二乗作仏と久遠実成計り法華経にかぎつて諸経になくば此れなりとも豈奇が中の奇にあらずや、二乗作仏諸経になくば仏の御弟子頭陀第一の迦葉智慧第一の舎利弗神通第一の目連等の十大弟子千二百の羅漢万二千の声聞無数億の二乗界過去遠遠劫より未来無数劫にいたるまで法華経に値いたてまつらずば永く色心倶に滅して永不成仏の者となるべし豈大なる失にあらずや、又二乗界仏にならずば迦葉等を供養せし梵天帝釈四衆八部比丘比丘尼等の二界八番の衆はいかんがあるべき、又久遠実成が此の経に限らずんば三世の諸仏無常遷滅の法に堕しなん、譬えば天に諸星ありとも日月ましまさずんばいかんがせん地に草木ありとも大地なくばいかんがせん、是は汝が承伏に付いての義なり実をもつて勘へ申さば二乗作仏なきならば九界の衆生仏になるべからず、法華経の心は法爾のことはりとして一切衆生に十界を具足せり、譬えば人一人は必ず四大を以てつくれり一大かけなば人にあらじ、一切衆生のみならず十界の依正の二法非情の草木一微塵にいたるまで皆十界を具足せり、二乗界仏にならずば余界の中の二乗界も仏になるべからず又余界の中の二乗界仏にならずば余界の八界仏になるべからず、譬えば父母ともに持ちたる者兄弟九人あらんか二人は凡下の者と定められば余の七人も必ず凡下の者となるべし、仏と経とは父母の如し九界の衆生は実子なり声聞縁覚の二人永不成仏の者となるならば菩薩六凡の七人あに得道をゆるさるべきや、今此の三界は皆是我が有なり其の中の衆生は悉く是吾子なり乃至唯我一人のみ能く救護を為すの文をもつて知るべし、又菩薩と申すは必ず四弘誓願をおこす第一衆生無辺誓願度の願成就せずば第四の無上菩提誓願証の願も成就すべからず、前四味の諸経にては菩薩凡夫は仏になるべし二乗は永く仏になるべからず等云云、而るをかしこげなる菩薩もはかなげなる六凡も共に思へり我等仏になるべし二乗は仏にならざればかしこくして彼の道には入ざりけると思ふ、二乗はなげきをいたき此の道には入るまじかりし者をと恐れかなしみしが今法華経にして二乗を仏になし給へる時二乗仏になるのみならずかの九界の成仏をもときあらはし給へり、諸の菩薩此の法門を聞いて思はく我等が思ひははかなかりけり爾前の経経にして二乗仏にならずば我等もなるまじかりける者なり、二乗を永不成仏と説き給ふは二乗一人計りなげくべきにあらざりけり我等も同じなげきにてありけりと心うるなり。
又寿量品の久遠実成が爾前の経経になき事を以て思ふに爾前には久遠実成なきのみならず仏は天下第一の大妄語の人なるべし、爾前の大乗第一たる華厳経大日経等に始めて正覚を成じ我昔道場に坐す等云云、真実甚深正直捨方便の無量義経と法華経の迹門には我先に道場にして我始め道場に坐すと説れたり、此等の経文は寿量品の然るに我実に成仏してより已来無量無辺なりの文より思い見ればあに大妄語にあらずや、仏の一身すでに大妄語の身なり一身に備えたる六根の諸法あに実なるべきや、大冰の上に造れる諸舎は春をむかへては破れざるべしや水中の満月は実に体ありや、爾前の成仏往生等は水中の星月の如し爾前の成仏往生等は体に随ふ影の如し、本門寿量品をもつて見れば寿量品の智慧をはなれては諸経は跨節当分の得道共に有名無実なり、天台大師此の法門を道場にして独り覚知し玄義十巻文句十巻止観十巻等かきつけ給うに諸経に二乗作仏久遠実成絶えてなき由を書きをき給ふ、是は南北の十師が教相に迷つて三時四時五時四宗五宗六宗一音半満三教四教等を立てて教の浅深勝劣に迷いし此等の非義を破らんが為にまず眼前たる二乗作仏久遠実成をもつて諸経の勝劣を定め給いしなり、然りと云つて余界の得道をゆるすにはあらず、其の後華厳宗の五教法相宗の三時真言宗の顕密五蔵十住心義釈の四句等は南三北七の十師の義よりも尚・れる教相なり。
此等は他師の事なればさてをきぬ又自宗の学者が天台妙楽伝教大師の御釈に迷うて爾前の経経には二乗作仏久遠実成計りこそ無けれども余界の得道は有りなんど申す人人一人二人ならず日本国に弘まれり、他宗の人人是に便を得て弥天台宗を失ふ此等の学者は譬えば野馬の蜘蛛の網にかかり渇る鹿の陽炎をおふよりもはかなし例せば頼朝の右大将家は泰衡を討たんが為に泰衡を誑して義経を討たせ、太政入道清盛は源氏を喪して世をとらんが為に我が伯父平馬介忠正を切る義朝はたぼらかされて慈父為義を切るが如し、此等は墓なき人人のためしなり、天台大師法華経より外の経経には二乗作仏久遠実成は絶えてなしなんど釈し給へば菩薩の作仏凡夫の往生はあるなんめりとうち思いて我等は二乗にもあらざれば爾前の経経にても得道なるべし此の念い心中にさしはさめり、其の中にも観経の九品往生はねがひやすき事なれば法華経をばなげすて念仏申して浄土に生れて観音勢至阿弥陀仏に値いたてまつて成仏を遂ぐべし云云、当世の天台宗の人人を始として諸宗の学者皆此くの如し実義をもつて申さば一切衆生の成仏のみならず六道を出で十方の浄土に往生する事はかならず法華経の力なり、例せば日本国の人唐土の内裏に入らん事は必ず日本の国王の勅定によるべきが如し穢土を離れて浄土に入る事は必ず法華経の力なるべし、例せば民の女乃至関白大臣の女に至るまで大王の種を下せば其の産る子王となりぬ、大王の女なれども臣下の種を懐姙せば其の子王とならざるが如し、十方の浄土に生るる者は三乗人天畜生等までも皆王の種姓と成つて生るべし皆仏となるべきが故なり、阿含経は民の女の民を夫とし華厳方等般若等は臣の女の臣を夫とせるが如し、又華厳経方等般若大日経等の円教の菩薩等は大王の女の臣下を夫とせるが如し、皆浄土に生るべき法にはあらず、又華厳阿含方等般若等の経経の間に六道を出づる人あり是は彼彼の経経の力には非ず過去に法華経の種を殖えたりし人現在に法華経を待たずして機すすむ故に爾前の経経を縁として過去の法華経の種を発得して成仏往生をとぐるなり、例せば縁覚の無仏世にして飛花落葉を観じて独覚の菩提を証し孝養父母の者の梵天に生るるが如し飛花落葉孝養父母等は独覚と梵天との修因にはあらねどもかれを縁として過去の修因を引きおこし彼の天に生じ独覚の菩提を証す、而るに尚過去に小乗の三賢四善根にも入らず有漏の禅定をも修せざる者は月を観じ花を詠じ孝養父母の善を修すれども独覚ともならず色天にも生ぜず、過去に法華経の種を殖ざる人は華厳経の席に侍りしかども初地初住にものぼらず、鹿苑説教の砌にても見思をも断ぜず観経等にても九品の往生をもとげず、但大小の賢位のみに入つて聖位にはのぼらずして法華経に来つて始めて仏種を心田に下して一生に初地初住等に登る者もあり、又涅槃の座へさがり乃至滅後未来までゆく人もあり、過去に法華経の種を殖たる人人は結縁の厚薄に随つて華厳経を縁として初地初住に登る人もあり、阿含経を縁として見思を断じて二乗と成る者もあり、観経等の九品の行業を縁として往生する者もあり、方等般若も此れをもつて知んぬべし、此等は彼彼の経経の力にはあらず偏に法華経の力なり譬えば民の女に王の種を下せるを人しらずして民の子と思ひ大臣等の女に王の種を下せるを人しらずして臣下の子と思へども大王より是を尋ぬれば皆王種となるべし、爾前にして界外へ至る人を法華経より之を尋ぬれば皆法華経の得道なるべし、又過去に法華経の種を殖えたる人の根鈍にして爾前の経経に発得せざる人人は法華経にいたりて得道なる、是は爾前の経経をばめのととしてきさき腹の太子王子と云うが如くなるべし、又仏の滅後にも正法一千年が間は在世の如くこそなけれども過去に法華経の種を殖えて法華涅槃経にて覚りをとぐる者もありぬ現在在世にて種を下せる人人も是多し。
又滅後なれども現に法華経ましませば外道の法より小乗経にうつり小乗経より権大乗にうつり権大乗より法華経にうつる人人数をしらず、竜樹菩薩無著菩薩世親論師等是なり、像法一千年には正法のほどこそ無けれども又過去現在に法華経の種を殖えたる人人も少少之有り、而るを漸漸に仏法澆薄になる程に宗宗も偏執石の如くかたく我慢山の如く高し、像法の末に成りぬれば仏法によつて諍論興盛して仏法の合戦ひまなし、世間の罪よりも仏法の失に依つて無間地獄に堕つる者数をしらず。
今は又末法に入つて二百余歳過去現在に法華経の種を殖えたりし人人もやうやくつきはてぬ、又種をうへたる人人は少少あるらめども世間の大悪人出生の謗法の者数をしらず国に充満せり、譬えば大火の中の小水大水の中の小火大海の中の水大地の中の金なんどの如く悪業とのみなりぬ、又過去の善業もなきが如く現在の善業もしるしなし、或は弥陀の名号をもつて人を狂はし法華経をすてしむれば背上向下のとがあり、或は禅宗を立てて教外と称し仏教をば真の法にあらずと蔑如して増上慢を起し、或は法相三論華厳宗を立てて法華経を下し、或は真言宗大日宗と称して法華経は釈迦如来の顕教にして真言宗に及ばず等云云、而るに自然に法門に迷う者もあり或は師師に依つて迷う者もあり、或は元祖論師人師の迷法を年久しく真実の法ぞと伝へ来る者もあり、或は悪鬼天魔の身に入りかはりて悪法を弘めて正法ぞと思ふ者もあり、或ははづかの小乗一途の小法をしりて大法を行ずる人はしからずと我慢して我が小法を行ぜんが為に大法秘法の山寺をおさへとる者もあり、或は慈悲魔と申す魔身に入つて三衣一鉢を身に帯し小乗の一法を行ずるやからはづかの小法を持ちて国中の棟梁たる比叡山竜象の如くなる智者どもを一分我が教にたがへるを見て邪見の者悪人なんどうち思へり、此の悪見をもつて国主をたぼらかし誑惑して正法の御帰依をうすうなしかへつて破国破仏の因縁となせるなり、彼の妹己妲己褒・と申せし后は心もおだやかにみめかたちも人にすぐれたりき、愚王これを愛して国をほろぼす因縁となす、当世の禅師律師念仏者なんど申す聖一道隆良観道阿弥念阿弥なんど申す法師どもは鳩鴿が糞土を食するが如し西施が呉王をたぼらかししに似たり、或は我が小乗の臭糞驢乳の戒を持て。 
 
立正観抄/文永十一年五十三歳御作

 

法華止観同異決日蓮撰
当世天台の教法を習学するの輩多く観心修行を貴んで法華本迹二門を捨つと見えたり、今問う抑観心修行と言うは天台大師の摩訶止観の説己心中所行法門の一心三観一念三千の観に依るか、将又世流布の達磨の禅観に依るか、若し達磨の禅観に依るといわば教禅は未顕真実妄語方便の禅観なり法華経妙禅の時には正直捨方便と捨てらるる禅なり、祖師達磨禅は教外別伝の天魔禅なり、共に是れ無得道妄語の禅なり仍て之を用ゆ可からず、若し天台の止観一心三観に依るとならば止観一部の廃立天台の本意に背く可からざるなり、若し止観修行の観心に依るとならば法華経に背く可からず止観一部は法華経に依つて建立す一心三観の修行は妙法の不可得なるを感得せんが為なり、故に知んぬ法華経を捨てて但だ観を正とするの輩は大謗法大邪見天魔の所為なることを、其の故は天台の一心三観とは法華経に依つて三昧開発するを己心証得の止観とは云う故なり。
問う天台大師止観一部並びに一念三千一心三観己心証得の妙観は併しながら法華経に依ると云う証拠如何、答う予反詰して云く法華経に依らずと見えたる証文如何、人之を出して云く「此の止観は天台智者己心中所行の法門を説く或は又故に止観に至つて正く観法を明かす並に三千を以て指南と為す乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に説己心中所行法門と云えり良に以有るなり」文、難じて云く此の文は全く法華経に依らずと云う文に非ず既に説己心中所行の法門と云うが故なり天台の所行の法門は法華経なるが故に此の意は法華経に依ると見えたる証文なり但し他宗に対するの時は問答大綱を存す可きなり、所謂云う可し若し天台の止観法華経に依らずといわば速かに捨つ可きなりと、其の故は天台大師兼ねて約束して云く「修多羅と合せば録して之を用いよ文無く義無きは信受す可からず」云云、伝教大師の云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」文、竜樹の大論に云く「修多羅に依るは白論なり修多羅に依らざるは黒論なり」文、教主釈尊云く「依法不依人」文、天台は法華経に依り竜樹を高祖にしながら経文に違し我が言を飜じて外道邪見の法に依つて止観一部を釈する事全く有る可からざるなり、問う正しく止観は法華経に依ると見えたる文之有りや、答う余りに多きが故に少少之を出さん止観に云く「漸と不定とは置いて論ぜず今経に依つて更に円頓を明かさん」文、弘決に云く「法華経の旨を攅て不思議十乗十境待絶滅絶寂照の行を成ず」文、止観大意に云く「今家の教門は竜樹を以て始祖と為す慧文は但内観を列ねて視聴するのみ南岳天台に及んで復法華三昧陀羅尼を発するに因つて義門を開拓して観法周備す、○若し法華を釈するには弥弥須く権実本迹を暁了すべし方に行を立つ可し此の経独り妙と称することを得方に此に依つて以て観意を立つ可し、五方便及び十乗軌行と言うは即ち円頓止観全く法華に依る円頓止観は即ち法華三昧の異名なるのみ」文、文句の記に云く「観と経と合すれば他の宝を数うるに非ず方に知んぬ止観一部は是れ法華三昧の筌・なり若し斯の意を得れば方に経旨に会う」云云、唐土の人師行満の釈せる学天台宗法門大意に云く「摩訶止観一部の大意は法華三昧の異名を出でず経に依つて観を修す」文、此等の文証分明なり、誰か之を論ぜん、問う天台四種の釈を作るの時観心の釈に至つて本迹の釈を捨つと見えたり、又法華経は漸機の為に之を説き止観は直達の機の為に之を説くと如何、答う漸機の為に説けば劣り頓機の為に説けば勝るとならば今の天台宗の意は華厳真言等の経は法華経に勝れたりと云う可きや、今の天台宗の浅・さは真言は事理倶密の教なる故に法華経に勝れたりと謂えり、故に止観は法華に勝ると云えるも道理なり道理なり。
次に観心の釈の時本迹を捨つと云う難は法華経何れの文人師の釈を本と為して仏教を捨てよと見えたるや設い天台の釈なりとも釈尊の金言に背き法華経に背かば全く之を用ゆ可からざるなり、依法不依人の故に竜樹天台伝教元よりの御約束なるが故なり、其上天台の釈の意は迹の大教起れば爾前の大教亡じ本の大教興れば迹の大教亡じ観心の大教興れば本の大教亡ずと釈するは本体の本法をば妙法不思議の一法に取り定めての上に修行を立つるの時、今像法の修行は観心修行を詮と為るに迹を尋ぬれば迹広し本を尋ぬれば本高うして極む可からず、故に末学機に叶い難し但己心の妙法を観ぜよと云う釈なり、然りと雖も妙法を捨てよとは釈せざるなり若し妙法を捨てば何物を己心と為して観ず可きや、如意宝珠を捨て瓦石を取つて宝と為す可きか、悲しいかな当世天台宗の学者は念仏真言禅宗等に同意するが故に天台の教釈を習い失つて法華経に背き大謗法の罪を得るなり、若し止観を法華経に勝ると云わば種種の過之有り止観は天台の道場所得の己証なり、法華経は釈尊の道場所得の大法なり[是一]釈尊は妙覚果満の仏なり天台は住前未証なれば名字観行相似には過ぐ可からず四十二重の劣なり[是二]法華は釈尊乃至諸仏出世の本懐なり止観は天台出世の己証なり[是三]法華経は多宝の証明あり来集の分身は広長舌を大梵天に付く皆是真実の大白法なり[是四]止観は天台の説法なり是くの如き等の種種の相違之有れども仍お之を略するなり、又一つの問答に云く所被の機上機なる故に勝ると云わば実を捨てて権を取れ天台云く「教弥弥権なれば位弥弥高し」と釈し給う故なり所被の機下劣なる故に劣ると云わば権を捨てて実を取れ、天台の釈には教弥弥実なれば位弥弥下しと云う故なり、然而して止観は上機の為に之を説き法華は下機の為に之を説くと云わば止観は法華に劣れる故に機を高く説くと聞えたり実にさもや有るらん、天台大師は霊山の聴衆として如来出世の本懐を宣べたもうと雖も時至らざるが故に妙法の名字を替えて止観と号す迹化の衆なるが故に本化の付属を弘め給わず正直の妙法を止観と説きまぎらかす故に有のままの妙法ならざれば帯権の法に似たり、故に知んぬ天台弘通の所化の機は在世帯権の円機の如し、本化弘通の所化の機は法華本門の直機なり、止観法華は全く体同と云わん尚人師の釈を以て仏説に同ずる失甚重なり、何に況や止観は法華経に勝ると云う邪義を申し出すは但是れ本化の弘経と迹化の弘通と像法と末法と迹門の付属と本門の付属とを末法の行者に云い顕わさせん為の仏天の御計いなり、爰に知んぬ当世天台宗の中に此の義を云う人は祖師天台の為には不知恩の人なり豈其の過を免れんや、夫れ天台大師は昔霊山に在ては薬王と名け今漢土に在ては天台と名け日本国の中にては伝教と名く三世の弘通倶に妙法と名く、是くの如く法華経を弘通し給う人は在世の釈尊より外は三国に其の名を聞かず有り難く御坐します大師を其の末学其の教釈を悪く習うて失無き天台に失を懸けたてまつる豈大罪に非ずや。
今問う天台の本意は何法ぞや碩学等の云く「一心三観是なり」今云く一実円満の一心三観とは誠に甚深なるに似たれども尚以て行者修行の方法なり三観とは因の義なるが故なり慈覚大師の釈に云く「三観とは法体を得せしめんが為の修観なり」云云、伝教大師云く「今止観修行とは法華の妙果を成ぜんが為なり」云云、故に知んぬ一心三観とは果地果徳の法門を成ぜんが為の能観の心なることを何に況や三観とは言説に出でたる法なる故に如来の果地果徳の妙法に対すれば可思議の三観なり。
問う一心三観に勝れたる法とは何なる法ぞや、答う此の事誠に一大事の法門なり唯仏与仏の境界なるが故に我等が言説に出す可からざるが故に是を申す可らざるなり、是を以て経文には「我が法は妙にして思い難し言を以て宣ぶ可からず」云云妙覚果満の仏すら尚不可説不思議の法と説き給う何に況や等覚の菩薩已下乃至凡夫をや、問う名字を聞かずんば何を以て勝法有りと知ることを得んや、答う天台己証の法とは是なり、当世の学者は血脈相承を習い失う故に之を知らざるなり故に相構え相構えて秘す可く秘す可き法門なり、然りと雖も汝が志神妙なれば其の名を出すなり一言の法是なり伝教大師の一心三観一言に伝うと書き給う是なり、問う未だ其の法体を聞かず如何、答う所詮一言とは妙法是なり、問う何を以て妙法は一心三観に勝れたりと云う事を知ることを得るや、答う妙法は所詮の功徳なり三観は行者の観門なる故なり此の妙法を仏説いて言く「道場所得法我法妙難思是法非思量不可以言宣」云云、天台の云く「妙は不可思議言語道断心行所滅なり法は十界十如因果不二の法なり」と、三諦と云うも三観と云うも三千と云うも共に不思議法とは云えども天台の己証天台の御思慮の及ぶ所の法門なり、此の妙法は諸仏の師なり今の経文の如くならば久遠実成の妙覚極果の仏の境界にして爾前迹門の教主諸仏菩薩の境界に非ず経に唯仏与仏乃能究尽とは迹門の界如三千の法門をば迹門の仏が当分究竟の辺を説けるなり、本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず何に況や菩薩凡夫をや、止観の二字をば観名仏知止名仏見と釈すれども迹門の仏智仏見にして妙覚極果の知見には非ざるなり、其の故は止観は天台己証の界如三千三諦三観を正と為す迹門の正意是なり、故に知んぬ迹仏の知見なりと云う事を但止観に絶待不思議の妙観を明かすと云えども只一念三千の妙観に且らく与えて絶待不思議と名けるなり。
問う天台大師真実に此の一言の妙法を証得したまわざるや、答う内証爾らざるなり、外用に於ては之を弘通したまわざるなり、所謂内証の辺をば祕して外用には三観と号して一念三千の法門を示現し給うなり、問う何が故ぞ知り乍ら弘通し給わざるや、答う時至らざるが故に付属に非ざるが故に迹化なるが故なり、問う天台此の一言の妙法を証得し給える証拠之有りや、答う此の事天台一家の祕事なり世に流布せる学者之を知らず潅頂玄旨の血脈とて天台大師自筆の血脈一紙之有り、天台御入滅の後は石塔の中に之有り伝教大師御入唐の時八舌の鑰を以て之を開き道邃和尚より伝受し給う血脈とは是なり、此の書に云く「一言の妙旨一教の玄義」文、伝教大師の血脈に云く「夫れ一言の妙法とは両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし両眼を閉じて無念に住する時は不変真如なるべし、故に此の一言を聞くに万法茲に達し一代の修多羅一言に含す」文、此の両大師の血脈の如くならば天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり、一心三観とは所詮妙法を成就せん為の修行の方法なり、三観は因の義妙法は果の義なり但因の処に果有り果の処に因有り因果倶時の妙法を観ずるが故に是くの如き功能を得るなり、爰に知んぬ天台至極の法門は法華本迹未分の処に無念の止観を立てて最祕の大法とすと云える邪義大なる僻見なりと云う事を四依弘経の大薩・は既に仏経に依つて諸論を造る天台何ぞ仏説に背いて無念の止観を立てたまわんや、若し此の止観法華経に依らずといわば天台の止観教外別伝の達磨の天魔の邪法に同ぜん都て然る可からず哀れなり哀れなり。
伝教大師の云く「国主の制に非ざれば以て遵行する無く法王の教に非ざれば以て信受すること無けん」と文、又云く「四依論を造るに権有り実有り三乗旨を述ぶるに三有り一有り、所以に天台智者は三乗の旨に順じて四教の階を定め一実の教に依つて一仏乗を建つ、六度に別有り、戒度何ぞ同じからん受法同じからず威儀豈同じからんや、是の故に天台の伝法は深く四依に依り亦仏経に順う」文、本朝の天台宗の法門は伝教大師より之を始む若し天台の止観法華経に依らずと云わば日本に於ては伝教の高祖に背き漢土に於ては天台に背く両大師の伝法既に法華経に依る豈其の末学之に違せんや、違するを以て知んぬ当世の天台家の人人其の名を天台山に借ると雖も所学の法門は達磨の僻見と善無畏の妄語とに依ると云う事、天台伝教の解釈の如くんば己心中の秘法は但妙法の一言に限るなり、然而当世の天台宗の学者は天台の石塔の血脈を秘し失う故に天台の血脈相承の秘法を習い失いて我と一心三観の血脈とて我意に任せて書を造り錦の袋に入れて頚に懸け箱の底に埋めて高直に売る故に邪義国中に流布して天台の仏法破失するなり、天台の本意を失い釈尊の妙法を下す是れ偏えに達磨の教訓善無畏の勧なり、故に止観をも知らず一心三観一心三諦をも知らず一念三千の観をも知らず本迹二門をも知らず相待絶待の二妙をも知らず法華の妙観をも知らず教相をも知らず権実をも知らず四教八教をも知らず五時五味の施化をも知らず、教機時国相応の義は申すに及ばず実教にも似ず権教にも似ざるなり道理なり道理なり。
天台伝教の所伝は法華経は禅真言より劣れりと習う故に達磨の邪義真言の妄語と打ち成つて権教にも似ず実教にも似ず二途に摂せざるなり、故に大謗法罪顕れて止観は法華経に勝ると云う邪義を申し出して過無き天台に失を懸けたてまつる故に高祖に背く不孝の者法華経に背く大謗法罪の者と成るなり。
夫れ天台の観法を尋ぬれば大蘇道場に於て三昧開発せしより已来目を開いて妙法を思えば随縁真如なり目を閉じて妙法を思えば不変真如なり此の両種の真如は只一言の妙法に有り我妙法を唱うる時万法茲に達し一代の修多羅一言に含す、所詮迹門を尋ぬれば迹広く本門を尋ねぬれば本高し如かじ己心の妙法を観ぜんにはと思食されしなり、当世の学者此の意を得ざるが故に天台己証の妙法を習い失いて止観は法華経に勝り禅宗は止観に勝れたりと思いて法華経を捨てて止観に付き止観を捨てて禅宗に付くなり、禅宗の一門云く松に藤懸る松枯れ藤枯れて後如何上らずして一枝なんど云える天魔の語を深く信ずる故なり、修多羅の教主は松の如く其の教法は藤の如し各各に諍論すと雖も仏も入滅して教法の威徳も無し爰に知んぬ修多羅の仏教は月を指す指なり禅の一法のみ独妙なり之を観ずれば見性得達するなりと云う大謗法の天魔の所為を信ずる故なり、然而法華経の仏は寿命無量常住不滅の仏なり、禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり、是法住法位世間相常住の金言に背く僻見なり、禅は法華経の方便無得道の禅なるを真実常住法と云うが故に外道の常見なり、若し与えて之を言わば仏の方便三蔵の分斉なり若し奪つて之を言わば但外道の邪法なり与は当分の義奪は法華の義なり法華の奪の義を以ての故に禅は天魔外道の法と云うなり、問う禅を天魔の法と云う証拠如何、答う前前に申すが如し。 
 
立正観抄送状/文永十二年二月五十四歳御作

 

今度の御使い誠に御志の程顕れ候い畢んぬ又種種の御志慥に給候い畢んぬ。
抑承わり候、当世の天台宗等止観は法華経に勝れ禅宗は止観に勝る、又観心の大教興る時は本迹の大教を捨つと云う事先ず天台一宗に於て流流各別なりと雖も慧心檀那の両流を出でず候なり、慧心流の義に云く止観の一部は本迹二門に亘るなり謂く止観の六に云く「観は仏知と名く止は仏見と名く念念の中に於て止観現前す乃至三乗の近執を除く」文、弘決の五に云く「十法既に是れ法華の所乗なり是の故に還つて法華の文を用いて歎ず、若し迹説に約せば即ち大通智勝仏の時を指して以て積劫と為し寂滅道場を以て妙悟と為す、若し本門に約せば我本行菩薩道の時を指して以て積劫と為し本成仏の時を以て妙悟と為す本迹二門只是此の十法を求悟す」文、始の一文は本門に限ると見えたり次の文は正しく本迹に亘ると見えたり、止観は本迹に亘ると云う事文証此に依るなりと云えり、次に檀那流には止観は迹門に限ると云う証拠は弘決の三に云く「還つて教味を借つて以て妙円を顕す○故に知んぬ一部の文共に円成の開権妙観を成ずるを」文、此の文に依らば止観は法華の迹門に限ると云う事文に在りて分明なり両流の異義替れども共に本迹を出でず当世の天台宗何くより相承して止観は法華経に勝ると云うや、但し予が所存は止観法華の勝劣は天地雲泥なり。
若し与えて此を論ぜば止観は法華迹門の分斉に似たり、其の故は天台大師の己証とは十徳の中の第一は自解仏乗第九は玄悟法華円意なり、霊応伝の第四に云く「法華の行を受けて二七日境界す」文、止観の一に云く「此の止観は天台智者己心中に行ずる所の法門を説く」文、弘決の五に云く「故に止観に正しく観法を明すに至つて並びに三千を以て指南と為す○故に序の中に云く己心中に行ずる所の法門を説く」文、己心所行の法とは一念三千一心三観なり三諦三観の名義は瓔珞仁王の二経に有りと雖も一心三観一念三千等の己心所行の法門をば迹門十如実相の文を依文として釈成し給い畢んぬ。
爰に知んぬ止観一部は迹門の分斉に似たりと云う事を若し奪つて之を論ぜば爾前権大乗即別教の分斉なり其の故は天台己証の止観とは道場所得の妙悟なり所謂天台大師大蘇の普賢道場に於て三昧開発し証を以て師に白す師の曰く法華の前方便陀羅尼なりと霊応伝の第四に云く「智・師に代つて金字経を講ず一心具足万行の処に至つて・疑有り思為に釈して曰く汝が疑う所は此乃ち大品次第の意なるのみ未だ是法華円頓の旨にあらざるなり」文、講ずる所の経既に権大乗経なり又次第と云えり故に別教なり、開発せし陀羅尼又法華前方便と云えり故に知んぬ爾前帯権の経別教の分斉なりと云う事を己証既に前方便の陀羅尼なり止観とは己心中所行の法門を説くと云うが故に、明かに知んぬ法華の迹門に及ばずと云う事を何に況や本門をや、若し此の意を得ば檀那流の義尤も吉なり此等の趣を以て止観は法華に勝ると申す邪義をば問答有る可く候か、委細の旨は別に一巻書き進らせ候なり、又日蓮相承の法門血脈慥に之を註し奉る、恐恐謹言 ( 文永十二乙亥二月二十八日 )
 
顕立正意抄/文永十一年十二月五十三歳御作

 

日蓮去る正嘉元年[太歳丁巳]八月二十三日大地震を見て之を勘え定めて書ける立正安国論に云く「薬師経の七難の内五難忽ちに起つて二難猶残れり所以他国侵逼の難自界叛逆の難なり、大集経の三災の内二災早く顕れ一災未だ起らず、所以兵革の災なり、金光明経の内の種種の災過一一起ると雖も他方の怨賊国内を侵掠する此の災未だ露われず此の難未だ来らず、仁王経の七難の内六難今盛にして一難未だ現ぜず所以四方より賊来つて国を侵すの難なり、しかのみならず国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るる故に万民乱ると、今此の文に就て具さに事の情を案ずるに百鬼早く乱れ万民多く亡びぬ先難是れ明なり後災何ぞ疑わん若し残る所の難悪法の科に依つて並び起り競い来らば其の時何為や、帝王は国家を基として天下を治む、人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方より賊来つて此の国を侵逼し自界叛逆して此の地を掠領せば豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん」等云云[已上立正安国論の言なり。]
今日蓮重ねて記して云く大覚世尊記して云く「苦得外道七日有つて死す可し死して後食吐鬼に生れん苦得外道の言く七日の内には死す可からず我羅漢を得て餓鬼道に生れじと」等云云、瞻婆城の長者の婦懐姙す六師外道の云く「女子を生まん」仏記して云く「男子を生まん」等云云、仏記して云く「卻て後三月あつて我当に般涅般すべし」等云云、一切の外道云く「是れ妄語なり」等云云、仏の記の如く二月十五日に般涅槃し給う、法華経の第二に云く「舎利弗汝未来世に於て無量無辺不可思議劫を過て乃至当に作仏するを得べし号をば華光如来と曰わん」等云云、又第三の巻に云く「我が此の弟子摩訶迦葉未来世に於て当に三百万億に奉覲することを得べし乃至最後身に於て仏と成ることを得ん名をば光明如来と曰わん」等云云、又第四の巻に云く「又如来滅度の後に若し人有つて妙法華経の乃至一偈一句を聞いて一念も随喜せん者には我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く」等云云、此等の経文は仏未来世の事を記し給う、上に挙ぐる所の苦得外道等の三事符合せずんば誰か仏語を信ぜん設い多宝仏証明を加え分身の諸仏長舌を梵天に付くとも信用し難きか、今亦以て是くの如し設い日蓮富楼那の弁を得て目連の通を現ずとも勘うる所当らずんば誰か之を信ぜん、去ぬる文永五年に蒙古国の牒状渡来する所をば朝に賢人有らば之を怪む可し、設い其れを信ぜずとも去る文永八年九月十二日御勘気を蒙りしの時吐く所の強言次の年二月十一日に符合せしむ、情有らん者は之を信ず可し何に況や今年既に彼の国災兵の上二箇国を奪い取る設い木石為りと雖も設い禽獣為りと雖も感ず可く驚く可きに偏えに只事に非ず天魔の国に入つて酔えるが如く狂えるが如く歎く可し哀む可し恐る可し厭う可し、又立正安国論に云く「若し執心飜えらずして亦曲意猶存せば早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕せん」等云云、今符合するを以て未来を案ずるに日本国の上下万人阿鼻大城に堕ちんこと大地を的と為すが如し、此等は且らく之を置く日蓮が弟子等又此の大難脱れ難きか彼の不軽軽毀の衆は現身に信伏随従の四字を加れども猶先謗の強きに依つて先ず阿鼻大城に堕して千劫を経歴して大苦悩を受く、今日蓮が弟子等も亦是くの如し或は信じ或は伏し或は随い或は従う但だ名のみ之を仮りて心中に染まざる信心薄き者は設い千劫をば経ずとも或は一無間或は二無間乃至十百無間疑無からん者か是を免れんと欲せば各薬王楽法の如く臂を焼き皮を剥ぎ雪山国王等の如く身を投げ心を仕えよ、若し爾らずんば五体を地に投げ・身に汗を流せ、若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め若し爾らずんば奴婢と為つて持者に奉えよ若し爾らずんば等云云、四悉檀を以て時に適うのみ、我弟子等の中にも信心薄淡き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し其の時我を恨む可からず等云云。 
 
上行菩薩結要付属口伝/建治元年五十四歳御作

 

妙法蓮華経見宝塔品第十一「爾の時に仏前に七宝の塔有り」と云云、又云く「即時に釈迦牟尼仏神通力を以て諸の大衆を接して皆虚空に在たもう、大音声を以て普く四衆に告げたまわく誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん今正く是れ時なり如来久しからずして当に涅槃に入るべし仏此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す」云云、又云く「諸余の教典数恒沙の如し」と云云、又云く「諸の大衆に告ぐ我滅度の後に誰か能く斯の経を護持し読誦せん今仏前に於て自ら誓言を説け」と又云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり是の如きの人は諸仏の歎め給う所なり」と云云、妙法蓮華経勧持品第十三「爾時薬王菩薩摩訶薩及び大楽説菩薩摩訶薩二万の菩薩眷属と倶に皆仏前に於て是の誓言を作さく唯願くば世尊以て慮したもうべからず我等仏の滅後に於て当に此の経典を奉持し読誦し説きたてまつるべし、後の悪世の衆生は善根転た少くして増上慢多く利供養を貪り不善根を増し解脱を遠離せん教化すべきこと難しと雖も我等当に大忍力を起して此の経を読誦し持説し書写し種種に供養して身命を惜まざるべし、爾の時に衆中の五百の阿羅漢の授記を得たる者仏に白して言さく世尊我れ等亦自ら誓願すらく異の国土に於て広く此の経を説かんと、復学無学の八千人の授記を得たる者有り座従り起て合掌し仏に向いたてまつりて是誓言を作さく世尊我等亦当に他の国土に於て広く此の経を説きたてまつるべし所以は何ん是の娑婆国の中は人弊悪多く増上慢を懐き功徳浅薄に瞋濁諂曲にして心不実なるが故に」と云云、又云く「爾の時に世尊八十万億那由佗の諸の菩薩摩訶薩を視す是の諸の菩薩は皆是阿惟越致なり、即時に諸の菩薩倶に同く声を発して偈を説いて言さく、唯願くは慮したもうべからず仏の滅度の後恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるをこれ得たりと謂い我慢の心充満せん、或は阿練若に納衣にして空閑に在り自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん、利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮りて好んで我等の過を出ださん、濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らずして悪口して顰蹙し数数擯出せられん」と云云。
文句の八に云く「初めに一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり、次に一行は道門増上慢の者を明す、三に七行は僣聖増上慢の者を明す、故に此の三の中初めは忍ぶ可し次は前に過ぐ第三は最も甚し」と云云。
涌出品に云く「爾の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩八恒河沙の数に過ぎたり、大衆の中に於て起立し合掌し礼を作して仏に白して言く、世尊若し我等に仏の滅後に於て此の娑婆世界に在つて勤加精進し是の経典を護持し読誦し書写し供養せんことを聴したまわば当に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし、爾の時に仏諸の菩薩摩訶薩衆に告く止みね善男子汝等が此の経を護持せんことを須いじ所以は何ん我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り、一一の菩薩各六万恒河沙の眷属有り是の諸人等能く我が滅後に於て護持し読誦し広く此の経を説かん」と云云五巻畢。
属累品に云く「爾の時に釈迦牟尼仏法座従り起つて大神力を現じたもう右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて是の言を作したまわく我無量百千万億阿僧祇劫に於て是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり今以て汝等に付属す汝等当に一心に此の法を流布して広く増益せしむべし、是くの如く三たび諸の菩薩摩訶薩の頂を摩でて是の言を作したまわく我無量百千万億阿僧祇劫に於て是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり今以て汝等に付属す、汝等当に受持読誦し広く此の法を宣べて一切衆生をして普く聞知することを得せしむべし所以は何ん如来は大慈悲有つて諸の慳・無く亦畏るる所無く能く衆生に仏の智慧如来の智慧自然の智慧を与う如来は是一切衆生の大施主なり汝等亦随つて如来の法を学ぶべし慳・を生ずること勿れ」と云云。
文句の九に云く[涌出品下]「如来之を止めたもうに凡そ三義有り、汝等各各に自ら己が任有り若し此の土に住せば彼の利益を廃せん、又他方は此土結縁の事浅し宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん又若し之を許さば則ち下を召すことを得ず下若し来らずんば迹を破することを得ず遠を顕すことを得ず是を三義もつて如来之を止めたもうと為す、下方を召して来らしむるに亦三義有り是れ我が弟子なり我が法を弘むべし縁深広なるを以て能く此の土に遍じて益し分身の土に遍して益し他方の土に遍して益す、又開近顕遠することを得是の故に彼を止めて下を召すなり」と云云。
記に云く「問う諸の仏菩薩は共に未熟を熟す何の彼此有らん分身散影して普く十方に遍す而るを己任及び廃彼と言うや、答う諸の仏菩薩は実に彼此無し但機に在無有り無始法爾なり故に第二の義を以て初の義を顕わして結縁事浅と云う、初め此の仏菩薩に従つて結縁し還つて此の仏菩薩に於て成就す」と云云、又云く「子父の法を弘むるに世界の益有り」と云云、記の八に云く「因薬王とは本薬王に託し茲に因せて余に告ぐ此れ流通の初なり先に八万の大士に告ぐとは、大論に云く法華は是秘密なれば諸の菩薩に付すと、下の文に下方を召すが如きは尚本眷属を待つ験し余は未だ堪えず」云云、問う何が故ぞ他方を止めて本眷属を召すや、答う私の義有る可らず霊山の聴衆天台の所判に任す可し、疏に云く「涌出に三と為す一には他方の菩薩弘経を請す二には如来許したまわず三には下方の涌出なり、他方の菩薩は通経の福の大なることを聞いて咸く願を発し此の土に住して弘宣せんと欲するが故に請ず、之が為に如来之を止めたもう」等と云云。
結要付属の事
初に称歎付属爾時仏告猶不能尽
二に結要付属以要言之宣示顕説
結要勧持四三に正勧付属是故汝等起塔供養
四に釈勧付属所以者何而般涅槃
疏の十に云く「爾時仏告上行の下は是れ第三に結要付属なり」と云云、又云く「結要に四句有り、一切法とは一切皆是れ仏法なり此は一切皆妙名を結するなり一切力とは通達無礙にして八自在を具す此れは妙用を結するなり一切秘蔵とは一切処に遍して皆是れ実相なり此れは妙体を結するなり一切深事とは因果は是れ深事なり此は妙宗を結するなり、皆於此経宣示顕説とは総じて一経を結する唯四ならくのみ其枢柄を撮つて之を授与す」と云云、記に云く「結要有四句とは本迹二門に各宗用有り二門の体は両処殊ならず」と云云輔正記に云く付属とは此の経は唯下方涌出の菩薩に付す何を以ての故に爾る法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す云云。
一正く付属
一如来の付属二付属を釈す
初に付属に三二菩薩の領受三付属を誡む[余の深法の中の下なり]
属累品の文段に二有り三事畢て唱散す
次に時衆の歓喜説是語時の下三行余
第一の五百歳解脱堅固
第二の五百歳禅定堅固
大集経の五箇五百歳とは第三の五百歳読誦多聞堅固
第四の五百歳多造塔寺堅固
第五の五百歳闘諍堅固
夫れ仏滅度の後二月十六日より正法なり、迦葉仏の付属を請け次に阿難尊者次に商那和修次に優婆・多次に提多迦此の五人各各二十年にして一百年なり、其の間は但小乗経の法門のみ弘通して諸大乗経は名字もなし何に況や法華経をや、次に弥遮迦仏陀難陀仏駄密多脇比丘富那奢等の五人は五百年の間大乗の法門少少出来すと雖も取立てて弘通せず但小乗経を正と為す已上大集経の前の五百年解脱堅固に当れり、正法の後の五百年には馬鳴竜樹乃至師子等の十余人の人人始には外道の家に入り次には小乗経を極め後には諸大乗経を以て散散に小乗経等を破失しき、然りと雖も権大乗と法華経との勝劣未だ分明ならず浅深を書かせ給いしかども本迹の十妙二乗作仏久遠実成已今当等百界千如一念三千の法門をば名をも書き給わず此大集経の禅定堅固に当れり、次に像法に入つては天竺は皆権実雑乱して地獄に堕する者数百人ありき、像法に入つて一百余年の間は漢土の道士と月氏の仏法と諍論未だ事定らざる故に仏法を信ずる心未だ深からずまして権実を分くる事なし、摩騰竺法蘭は自は知りて而も大小を分たず権実までは思いもよらず、其の後魏晋宋斉梁の五代の間漸く仏法の中に大小権実顕密を諍いし程に何れをも道理とも聞えず南三北七の十流我意に仏法を弘む、爾れども大に分つに一切経の中には一には華厳二には涅槃三には法華と云云、爾れども像法の始の四百年に当つて天台大師震旦に出現して南北の邪義一一に之を破し畢んぬ、此大集経の多聞堅固の時に当れり、像法の後の五百年には三論法相乃至真言等を各三蔵将来す、像法に入つて四百余年あつて日本国へ百済国より一切経並に釈尊の木像僧尼等を渡す梁の末陳の始めに相当る日本国には神武天皇より第三十代欽明天皇の御宇なり、像法の後の五百年に三論法相等の六宗面面の異義あり爾れども各邪義なり、像法八百年に相当つて伝教大師日本に出でて彼の六宗の義を皆責め伏せ給えりと云云、伝教已後には東寺園城寺等の諸寺日本一同に云く「真言宗は天台宗に勝れたり」と云云、此大集経の多造塔寺堅固の時なり今末法に入つて仏滅後二千二百二十余年に当りて聖人出世す是は大集経の闘諍言訟白法隠没の時なり云云、夫れ釈迦の御出世は住劫第九の減人寿百歳の時なり百歳と十歳との中間は在世は五十年滅後は正像二千年と末法一万年となり、其の中間に法華経流布の時二度之れ有る可し、所謂在世の八年滅後には末法の始の五百年なり。
夫れ仏法を学する法には必ず時を知る可きなり過去の大通智勝仏は出世し給いて十小劫が間一偈も之を説かず経に云く「一坐十小劫」と云云、又云く「仏時末だ至らずと知しめして請を受け黙然として坐したまえり」と、今の教主釈尊も四十余年の間は法華経を説きたまわず経に云く「説時未だ至らざるが故なり」等云云、老子は母の胎に処して八十年弥勒菩薩は兜率の内院にして五十六億七千万歳を待ちたもう仏法を修行する人人時を知らざらんや、爾らば末法の始には純円一実の流布とは知らざれども経文に任するに「我が滅度の後後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」と云云、誠に以て分明なり。 
 

 

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