世襲政治

日本の政治

代々 世襲政治家 なんと多いこと
財産は「地盤・看板・鞄」

日本の未来は明るいか
国を思っているか
民を思っているか ・・・

「地盤・看板・鞄」  世襲することを第一に思っています

 


地盤・看板・鞄
世襲政治家
日本には「世襲政治家」が多すぎる、ビジネス界からの転身が少ない根本理由
世襲政治に対する日本人有権者の認識と評価
「世襲議員と政策形成能力のあり方について―政治主導時代の含意」
政策形成能力
世襲議員の横行は政党を死に至らしめる
岸田総理も世襲議員。日本に2世3世の世襲議員が多い理由と、その弊害
二世批判に異議あり――― 実力こそ第一
岸信千世31歳 世襲批判の先に 衆議院補欠選挙山口2区
日本の首相「7割が世襲」の異常。政治を“家業”にして特権を独占する世襲議員の闇
「世襲の、世襲による、世襲のための政治と“美しい国”日本」…
「地盤・看板・カバン」政治家の世襲制限が進まない理由は? 
「息子に甘いパパ」 岸田首相
 ・・・
世襲政治を斬る ! 
 

 

●地盤・看板・鞄
選挙で、当選するのに必要とされる三つの条件、地盤、看板(肩書・地位)、かばん(金銭)をいう俗語。 選挙で当選するために必要とされる三要素。 ジバン(地盤)、カンバン(看板=肩書)、カバン(鞄=金)をいう。
地盤・看板・カバン ・・・ 地盤は選挙区と後援会、看板は知名度、カバンは資金力を指す。 

 

●世襲政治家
世襲である政治家のこと。
近代の代表民主政治においては、血統ではなく人民の選挙によって選ばれた政治家が国会議員(選良)として政治を担うこととなる。一方で、親が政治家であれば、選挙に当選して政治家となるためのさまざまなメリットを享受することとなり、そのようなメリットを活かした政治家が少なからず登場することとなる。このような政治家が、比喩的に「世襲」であると呼ばれる。場合によっては、数代にわたって有力な政治家を輩出する家系すら登場する。また、政治家一族が政治家一族、更には大資本家や貴族と婚姻を通じて閨閥として関係が強化される例もみられる。
世襲政治家については、既存政治家の事実上の家業となる一方で、既存政治家と縁戚関係がない人材の立候補を事実上妨げているという批判があり、また政治団体の世襲による相続税逃れなどが指摘されている。こうした批判がある一方で、世襲を容認しその候補を議員にするのは有権者であるという擁護論もある。一部の政党では、選挙区の地盤を世襲した候補の擁立を自粛している。
政治家の家庭で育つことから早くから政治に目覚め、親の知名度や人脈、支持基盤、財力をうまく活かして若いうちから実績を積むのには有利である。親の秘書等を経て政治家となるケースもある。また、若年で政界入りすることもできる世襲政治家は当選回数を重ねることで政治的影響力を増大させ、若くして政界入りすることが難しい非世襲の政治家よりも優位性がある。
世襲議員と非世襲議員の被説明変数を基準にしたパフォーマンス指標には、質問主意書提出数を除いて 有意な差は見られないとする研究もある。
また独裁政治が行われている国家においては、君主国ではない場合にも権力基盤が引き継がれ、最高指導者等の政権要職者について事実上の世襲が行われることがある。
日本
日本では、大日本帝国憲法下に設置されていた貴族院が世襲制議員などにより構成されていた(ただし単純に門地だけで議員になれたのは皇族と、侯爵以上の爵位の議員のみであり、伯爵以下については同爵者による選挙があった)。日本国憲法が施行された1947年以降は、全ての公職政治家が選挙により国民の信任によって選出されている。
今日、マスメディア等にて「世襲議員」と称されるのは、国会議員職を世襲したいわゆる二世議員等であることが多い。この場合の世襲議員とは概ね、親や祖父母をはじめとする親族が作った選挙区での地盤(後援会。いわゆる「三バン」の一つ)をそのまま継承して選挙に当選した政治家のことを指す。自民党の世襲議員のほとんどがこれである。
北海道選出の日本社会党衆議院議員である2代目岡田春夫は父親が北海道選出の立憲民政党衆議院議員であった初代岡田春夫であり、出身政党が異なるが、選挙区が同じであり地盤を世襲したとして世襲とみなされている。選挙区が違う場合など、世襲で受け継ぐ地盤がなく直接の恩恵を受けていない場合は、世襲と見なさないことが多い。しかし、親子などの親族関係があれば世襲とみなすという考えもある。その考えでは父笹川良一(大阪府選挙区選出)の退職から40年後に当選(立候補自体は父退職から26年後)した笹川堯(群馬県選挙区選出)も、選挙区が異なっており40年間の空白期間が存在するが、父親が国会議員ということで世襲政治家に入っている。
世襲でよく用いられる手法は、有力議員が次の選挙の数ヶ月前に引退を表明して、後継者として子や孫を指名するものである。他の候補に準備期間を与えないために引退・後継者指名を選挙直前まで遅らせるが、この手法はアンフェアだとの指摘がある。指名された後継者は、党の支部などから公認を得て、次の選挙を戦うことになる(党の支部といっても小選挙区支部長は当の世襲させようとする有力議員であることがほとんどである。江藤隆美が引退して江藤拓に世襲させようとした際には県連で「親父が支部長で支部推薦候補が息子なんて話は通らない」と問題になったが結局通過している)。後継者の指名前に世襲となる後継者を秘書として働かせている事例も多い。その一方で、世襲候補として擁立されて当選した世襲政治家が「自分は政治家に向いていない」などの理由で、高齢や病気でもないのに国会議員在職中に次回選挙への不出馬表明という形で引退表明して世襲を終わらせる例もある(例: 63歳の久野統一郎、52歳の木村隆秀)。
また政治家を引退しないまま子や兄弟姉妹を別の選挙(または選挙区)に立候補させる場合もあるが、こちらは後継者という意味合いは薄まる(例: 鳩山威一郎参議院議員と鳩山邦夫衆議院議員・中曽根康弘衆議院議員と中曽根弘文参議院議員・河野洋平衆議院議員と河野太郎衆議院議員・安倍晋三衆議院議員と岸信夫衆議院議員・羽田孜衆議院議員と羽田雄一郎参議院議員)。政治家一家は子どもが生まれた時から選挙に出ることを想定しているためか、自書式投票である日本においては難しい漢字を用いた読みにくい名前は極力避けられ、平易な漢字で多くの人が読みやすい名前をつけたり、名前の一文字を共通させる(通字)など親子関係がはっきりとわかる名前をつける例が多い。中には立候補の際に先代の名前に改名する例もある(例: 岡田春夫・山村新治郎・中村喜四郎)。
古くからの名家の子孫が当該地域から立候補をして当選して政治家になる場合も世襲扱いされることがある。例として、旧久留米藩主であり有馬伯爵家の当主である有馬頼寧が襲爵前に久留米から衆議院選挙に当選して衆議院議員になった例や、旧肥前鹿島藩主であり鹿島鍋島家の当主である鍋島直紹が佐賀県知事選挙に当選して佐賀県知事になった例が世襲と扱われた例もある(どちらとも公選政治家の子孫ではない)。また長州藩士で島根県令・佐藤信寛の子孫が佐藤栄作、岸信介(旧姓佐藤。岸家へ養子入り)、岸信夫、岸信千世、安倍晋三である。
世襲政治家は、日本では長らく与党として政権を担当し、権力に近い立場にあった保守派、即ち自由民主党に多いが、日本社会党・民社党などにも若干の例が見られる(自民党は小泉政権下で安倍晋三幹事長が候補者公募制度を導入し、公認候補者の選定過程に変化が見られたが、公募による候補者選定はあくまで補完的役割にとどまり、同じ新人であれば世襲候補者が優先的に公認を獲得する)。社会党では河上丈太郎、松本治一郎、江田三郎、山花秀雄、横路節雄などの幹部の実子・養子が政治家となっており、社会党から分裂した民社党や社会民主連合にも世襲政治家が存在した。また新自由クラブは幹部のほとんどが国会議員・地方議員を父に持つ世襲政治家であった(このことを理由に「新自由クラブは長持ちしない」と結党時に指摘した議員もいた。詳しくは中村寅太の項を参照)。自民党以外の政党にも世襲政治家は存在しており、民主党ではかつての最高幹部である鳩山由紀夫・小沢一郎・羽田孜はいずれも世襲政治家であった。一方、公明党と日本共産党には世襲政治家はほとんど存在しない。日本共産党は「“三バン”を受け継がない地方議員と国会議員では世襲とはなり得ない」と定義しており、共産党候補者の選挙費用は全額党が負担し、引退者が後継を指名したりもしないため、世襲国会議員は共産党にいないとする。また母川田悦子(2000年から2003年まで衆議院東京都第21区選出議員)の落選から4年後に当選した川田龍平(2007年から2013年まで参議院東京都選挙区選出議員、2013年から参議院比例区選出議員)も、世間的には母親より息子が先に知名度が高く注目を集めていた点はあるが、母親が国会議員であったことや選挙区が重複していたことや母親の秘書を務めていたことから川田も世襲政治家に入っている。
同一選挙区における世襲候補は「三バン」を保持し、他の新人候補と比べて有利に選挙戦に臨む条件が揃っているため、当選後は地盤固めをすることで次の選挙戦を有利に進めることが可能である。また引退に伴う世襲の際に、資金管理団体を非課税で相続できることも問題視されている(他の民間団体の資本金相続は相続税の納税対象に該当する)。
同一選挙区に複数の公認希望者が存在する場合は分裂選挙になることもある。後継者指名前に政治家が死去した場合の弔い選挙においては分裂選挙が起こりやすい。例えば中川一郎が急死した際には、息子の中川昭一と秘書の鈴木宗男の分裂選挙になっている(当時は中選挙区制であったため結果的には両者とも当選)。
政権交代が起こった第45回衆議院議員総選挙では、自由民主党が歴史的大敗を喫したが、このとき自民党で当選した119人のうち世襲議員は50人と、非世襲議員よりも選挙に強いことを実証した。この結果、自民党衆議院議員に占める世襲議員の割合は、解散前の32%から42%、ほぼ4割となった。2017年10月の第48回衆議院議員総選挙の小選挙区当選者のうち、自民党は世襲議員が33%(218人中72人)を占めた。
なお、世襲候補が立候補した選挙で、世襲させた側の先代の政治家(中川昭一でいえば中川一郎)の名前を書いた投票については、世襲候補の得票とはならず無効票となるという事例が1950年の参議院選挙で存在する(櫻内義雄、小瀧彬の項を参照)。 2022年8月現在の世襲4世の政治家は古屋圭司、小泉進次郎、川崎秀人、林芳正(1代とび)、橘慶一郎(1代とび)、麻生太郎の6人である。 なお5世は鳩山二郎と平沼正二郎の二人だけで上記合わせて所属政党はいずれも自民党である。
世襲制限
GHQ下の日本では公職追放令によって公職追放該当者の三親等内の親族と配偶者は一定期間は対象の職への就任が禁止される規定があったが、公選公職に関しては公職追放該当者以外の三親等の親族や配偶者は規制対象外だったため立候補することができ、公職政治家の世襲制限は行われなかった。世襲政治家を問題視する立場から、親族の選挙区からの立候補規制などの世襲立候補の法規制案が浮上するが、日本国憲法第14条「すべて国民は、法の下に平等であつて(中略)門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」や国会議員についてはさらに日本国憲法第44条「両議院の議員(中略)の資格は(中略)門地(中略)によつて差別してはならない」において「門地の差別」に該当し、法規制には憲法規定の問題が浮上する可能性が存在する。
2008年に、民主党は世襲立候補規制の法案作成に着手するが、先述の憲法規定の問題もあり世襲の立候補規制を断念し、世襲の制限については資金管理団体の世襲禁止を盛り込むことになった。また2009年には法案成立とは無関係に、党の内規として資金管理団体及び選挙区を親族に継がせる事は認めない旨を定めた。民主党は「制限される世襲」として以下の条件を全て満たす者と規定している。
1.現職議員の配偶者及び三親等内の親族であること。
2.当該議員の引退、転出に伴って連続立候補をすること。
3.同一選挙区から立候補すること。
これから国政に参入する新人については、以上の条件を全て満たす場合これを公認候補としないことを決めた。ただしこの内規は第45回衆議院議員総選挙から適用されるものであり、これ以前に世襲した候補者に対しては遡及されるものではない。第46回衆議院議員総選挙で元首相の羽田孜が引退し、参議院議員・国土交通大臣だった子息の羽田雄一郎が後継出馬を表明した際には、この内規に抵触するとして出馬断念に至っている。
なお、第45回衆議院議員総選挙で福島1区から当選した石原洋三郎は父が2003年まで福島1区を地盤とする衆議院議員であった石原健太郎であるが、6年間の空白がある。民主党は同一選挙区でも6年間の空白があれば一等親の親族の立候補を認めている。また2003年衆院選と2005年衆院選は福島1区で石原健太郎の長男(石原洋三郎の兄でもある)である石原信市郎を公認候補として擁立しており(2回とも落選)、旧自由党時代も含めて福島1区から2000年衆院選、2003年衆院選、2005年衆院選、2009年衆院選と連続して石原一族を政党公認候補として擁立し続けていることになる。民主党は国政選挙で落選して国会議員になったことがない候補については世襲制限規定に含まれないとして、同一選挙区から世襲候補が連続して立候補することを認めた。他にも、石井登志郎(兵庫7区当選議員)が養父(伯父)の石井一(2005年まで衆議院兵庫1区選出議員・2007年当選参議院議員)と選挙区は重なっていないが同一県内の選挙区において衆議院立候補に限れば4年間の空白期間を経て世襲をした例や菅川洋(広島1区立候補・復活当選)は父の菅川健二(2001年まで参議院広島県選挙区選出議員)と衆参は異なるが選挙区が重複する中で8年間の空白期間を経て世襲をした例や高橋英行(愛媛4区選出議員)は祖父の高橋英吉(1969年まで衆議院旧愛媛3区選出議員)と40年の空白期間を経て世襲した例があった。
制限の対象となるのはあくまでも「現職議員」の後継者に限られていたため、第47回衆議院議員総選挙では新潟6区において前回総選挙で落選し政界を引退した筒井信隆の娘婿である梅谷守が後継として筒井に続き民主党公認で立候補した(落選、その後2021年の第49回衆議院議員総選挙で初当選)。
この内規は民進党でも踏襲されたが、その事実上の後身にあたる立憲民主党には引き継がれておらず、結党後初の国政選挙となる2021年4月に行われた羽田雄一郎の死去に伴う参議院長野県選挙区補欠選挙では雄一郎の弟にあたる羽田次郎が公認され当選した。さらに第49回衆議院議員総選挙に際して当時の党代表であった枝野幸男は「世襲だからと機械的に否定するのは硬直的だ」と述べ、一律に世襲制限は設けず候補者ごとに判断する考えを示した。同選挙では北海道3区で荒井聰の後継として長男の荒井優が公認され、比例復活当選している。
自民党も第45回総選挙から世襲制限を試みたが、検討段階で既に自民党の公認を得ていた千葉1区の臼井正一(父が臼井日出男)と神奈川11区の小泉進次郎(父が小泉純一郎)の2名はそのまま公認され、世襲制限については当面期限を定めないとすることとした。ところが解散後に自民党が示したマニフェストでは「次回(第46回)総選挙から世襲制限を行う」旨が記述された(制限される条件と、遡及しない点については民主党と同じ)。さらにマニフェスト決定後に青森1区の公募候補者として決定された津島淳(父が津島雄二)は党本部の公認を得られず、対応が二転し、結果として候補者によってまちまちの対応をとる事になった。2009年衆院選後に登場した自民党新執行部は「世襲制限は尊重しつつも、候補者選定において世襲を優遇せずに広く人材を集める公募制の観点から議論する」とし、世襲制限の議論を白紙に戻す考えを明らかにした。2010年参院選では「世襲候補に無原則な公認または推薦はしない」ことを公約に盛り込んだ。引退する若林正俊の後継者として公募を経て長男の若林健太が、立候補を表明していた青木幹雄が選挙直前に病気が発覚して不出馬を表明した際には島根県連が緊急に長男の青木一彦がそれぞれ公認候補とされ、2人とも当選を果たした。2011年1月、自民党は衆院選のマニフェストを修正し、各都道府県連が行う公募のプロセスを経ることを条件に世襲制限を撤回する方針を固めた。結果として津島が自民党において世襲制限により公認が見送られた唯一の例となった。
第46回総選挙の後継者選定において公募をおこなった際に大物政治家が引退することによる世襲候補(群馬4区の福田康夫の長男である福田達夫、広島4区の中川秀直の次男である中川俊直、北海道12区の武部勤の長男である武部新、奈良4区の田野瀬良太郎の次男である田野瀬太道、香川3区の大野功統の長男である大野敬太郎)がメディアから批判された。応募者が1人だけだった群馬4区を除いた4選挙区では応募した候補者は複数いたが、広島県連・北海道連・香川県連は3選挙区で世襲を候補とすることを決定した。執行部は世襲批判をかわすために公認候補に関する党員投票を求めたが4道県連が反発した。最終的に世襲1人に絞っていなかった奈良県連では奈良4区の田野瀬の次男と他1人を党員投票を行ったが、4道県連では党員投票が行われないまま世襲を候補とすることを決定し、奈良県連でも党員投票で田野瀬が圧勝したことから世襲である田野瀬を候補とすることが決定した。自民党執行部は「公募で新人候補を約100人決め、世襲は1割弱」としているが、「世襲にお墨付きを与えるだけの『なんちゃって公募』だ。自民党の古い体質は変わっていないと思われ、最悪だ」(若手議員)、「出来レース」(党関係者)との声もある。同選挙では前回落選していた津島も自民党に公認され当選した。  

 

●日本には「世襲政治家」が多すぎる、ビジネス界からの転身が少ない根本理由
昨今は「世襲政治家」への批判が再燃している。自身のホームページに「家系図」を掲載した岸信千代氏、「公用車で観光」疑惑が浮上した岸田翔太郎氏などの言動が目立つからだ。かつては世襲体質を変えようと、各政党が「候補者の公募」に力を入れていた時期もあったが、結果的に「小泉チルドレン」「小沢ガールズ」などと呼ばれた新人は失言や問題行動を繰り返した。なぜ、ビジネス界で活躍する優秀な人材は、あまり政界に入ってこないのだろうか。その根本的要因を考察する。
岸信千代氏に岸田翔太郎氏…「政治家の世襲」が批判の的に
議員の辞職・死去などに伴って、欠員を補充するための「補欠選挙」が4月23日に実施される。衆議院で補欠選挙を行う選挙区は、千葉5区、和歌山1区、山口2区・4区の4つである。
このうち衆議院山口2区の補欠選挙は、岸信夫・前防衛相の辞職に伴うものだ。自民党は公認候補として岸氏の長男・信千代氏を擁立している。
ところが今年2月、信千代氏には思わぬ「逆風」が吹いた。
信千代氏は公式ホームページを開設した際、自身のプロフィールとともに、政界の“重鎮”である親族の名前を列挙した家系図を掲載した。それが、堂々と「世襲」をアピールしていると厳しく批判されたのだ。
家系図に名前が記された親族は、父の信夫氏、伯父の安倍晋三氏、祖父の晋太郎氏、曽祖父の安倍寛氏、岸信介氏、曽祖叔父の佐藤栄作氏の6人である。
補欠選挙の話題からは離れるが、世襲といえば、岸田文雄首相による息子・翔太郎氏の“優遇”も記憶に新しい。
岸田首相は翔太郎氏を首相秘書官に起用し、欧米5カ国訪問時に帯同させたのだが、翔太郎氏には公用車で観光していた疑惑が浮上。首相の息子という「特権」を利用したと批判された(本連載第324回)。「政治家の世襲」に対する批判は昔からあるが、ここに来て再燃している。
「政治家の世襲」とは、親は祖父母など親族が作った「三バン」(地盤、かばん、看板)と呼ばれるものを継承して政治活動を行うことをいう。また、三バンを引き継いでいない場合でも、親子などの親族関係があれば、世襲とみなされる場合もある。
自民党国会議員のおおむね3割が世襲議員である。選挙のたびにその割合は上下する。自民党が選挙に敗れたときに、世襲議員の割合が約4割に上がることもある。世襲議員は選挙において「逆風」に左右されない強さがあるとされる。
世襲議員は、政界でキャリアを重ね、閣僚・党幹部になるのに有利である。第二次岸田改造内閣が2022年8月に発足した際、親族から直接地盤を継承した「純粋な世襲議員」は閣僚20人中9人だった(その後、閣僚辞任によって7人に減少)。また、平成元(1989)年以降の歴代首相の7割が世襲議員である。
だが、世界の中では、世襲議員は当たり前の存在というわけではない。米国議会における世襲議員の比率は約5%にすぎない。ブッシュ家、ケネディ家などは少数派である。
英国では世襲議員はほぼいない。下院議員の約7割が、生まれ故郷でも職場でもない選挙区から立候補する「落下傘候補」である。保守党、労働党など各政党では、「公募」を実施して候補者を決定する「実力主義」が貫かれている。
世襲議員の全員がダメだというつもりはないが、その能力や言動に批判があるのも事実だ。そこで今回は、日本で世襲議員が多い理由と、その背景にある問題を考えたい。
実力者が成り上がる昭和の「閨閥」システムとは?
平成以降、世襲議員が首相になることが多くなったが、それ以前は違っていた。
昭和の時代に活躍した首相の初当選年齢とキャリアは、以下のようなものだった。
・池田勇人氏:49歳(1期目に蔵相就任)
・佐藤栄作氏:47歳(当選前に官房長官、1期目に自由党幹事長、郵政相)
・岸信介氏:45歳(戦前に商工相などを歴任、戦後に公職追放解除後4年で初代自民党幹事長)
・福田赳夫氏:47歳(4期目に政調会長、幹事長)
・大平正芳氏:42歳(5期目に官房長官)
こうした経歴を見ると、当時の日本では、財界・官界で出世した人物が40代以降に初当選し、即幹部に抜擢(ばってき)される実力主義だったことがうかがえる。
ただし、この実力主義は「条件付き」であり、必ずしも世襲と無縁というわけではなかった。
というのも、当時の総理には、ビジネス界や皇族などのそうそうたるメンバーと血縁・婚姻関係を結び、「閨閥(けいばつ)」と呼ばれる親族関係を形成している人物が多かった。
歴代総理の縁戚関係をたどると、日本を代表する財閥である三井家や住友家、ブリヂストン創業者の石橋一族、森コンツェルンの森一族、昭和電工の安西一族、住友銀行元会長の堀田一族、日本郵船元社長の浅尾一族、そして天皇家などに行きつく。
当時の首相の多くは、本人が名門家系の令嬢と結婚するか、自身の子供を名門家系と結婚させることで縁戚関係を築き、「閨閥議員」として権力を握ったのだ。
外部参入組よりも世襲議員が力を持つ理由とは
かつて、官僚となり「閨閥」入りすることは政界への最短コースであり、庶民階級から政界入りする一つの道として確立されていた。
今考えると「閨閥」というシステムは前時代的であり、世襲の一種であることに変わりはないのだが、筆者はこの仕組みに一定の評価を与えている。
あくまで実力でのし上がってきた“強者”たちが、縁戚関係の力を借りて出世の道を切り開くという意味で、「純粋な世襲」とは異なるからだ。実力のない者は、そもそも「閨閥」入りすることは難しく、無条件で既得権益を享受できるわけではない。
だが現在は、閨閥のシステムは終焉を迎え、「純粋な世襲」が当たり前の時代になった。もちろん、外部から政界に参入してくる人材も存在するが、世襲議員のほうが政界でより指導的立場になりやすいのは事実だ。
その一因には、自民党の年功序列システム(当選回数至上主義)の完成がある(前連載第24回)。当選回数至上主義とは、国会議員の当選回数に応じて、閣僚、副大臣、国会の委員会、党の役員といった、さまざまなポストを割り振っていく人事システムである。
自民党議員は当選5〜6回で初入閣までは横並びで出世し、その後は能力や実績に応じて閣僚・党役員を歴任していく。
約300人もいる自民党の国会議員の全員が納得できるように党の役職を割り振るのは簡単ではないため、「当選回数」というわかりやすい基準を設けたのだ。このシステムは自民党政権の長期化に伴って固定化し、「当選回数」が国会議員を評価する絶対的な基準となった。
このシステムでは、若くして国会議員に当選すると、それだけ党内での出世に有利となる。そして、強固な選挙区(地盤)、政治資金(かばん)、知名度(看板)を引き継ぐ世襲議員の初当選年齢は若い。
例えば、小泉純一郎氏は30歳、橋本龍太郎氏は26歳、羽田孜氏は34歳、小渕恵三氏は26歳である。ちなみに、史上最年少で自民党幹事長を務めた小沢一郎氏は27歳で初当選した。
「世襲体質」を変えようとした結果 大物政治家の「チルドレン」が暴走の皮肉
一方、この人事システムでは、官界・ビジネス界で成功した後や、知事などを経験した後に40〜50代で政界入りした人物の実績はほとんど考慮されない。「ただの1年生議員」として扱われ、そこから政界でのキャリアをスタートさせねばならない。
そして、40〜50代で政界入りすると、初入閣するのは 50代後半か60代前半となる。そのとき、彼らと同年代の世襲議員は、既に主要閣僚・党幹部を歴任したリーダーとなっている。
世襲議員を要職に抜擢する人事としては、小泉純一郎内閣の安倍晋三自民党幹事長や石原伸晃国土交通相、麻生太郎内閣の小渕優子少子化担当相、菅義偉内閣の小泉進次郎環境相などが代表例である。
一方、確かに自民党など各政党は、「世襲批判」を受けて「候補者の公募」を行うなど、参入障壁の緩和を図ってきた側面もある。
実際に、2000年代に入ると「小泉チルドレン」(自民党、2005年総選挙)、「小沢ガールズ」(民主党、2009年総選挙)、「安倍チルドレン」(自民党、2012年総選挙)など、三バンを持たない新人の大量当選現象が起こった。
しかし、その結果は惨憺(さんたん)たるものだった。チルドレンのさまざまな失言や不適切な行動によって、「政治家の資質」の低下がより厳しく批判されるようになった。
世襲ありきのシステムを改革しようとした結果、外から政界入りした人材が不祥事を連発させたのだから皮肉なものである。
ビジネス界で活躍する優秀な人材は、なぜあまり政界に入ってこないのだろうか。
筆者は、その理由は二つあると考える。
一つ目は、「1年生議員」として扱われる状況下で出世へのモチベーションを描けないこと。二つ目は、終身雇用・年功序列の「日本型雇用システム」から逸脱するのが難しいことだ(第156回)。
今回は、後者を掘り下げて解説する。現在の雇用慣行では、企業で「正社員」のステータスを得た若者が、年功序列・終身雇用のレールから一度外れると、その恩恵を再び享受することが難しくなる。
そのため転職する場合も、似たような雇用慣行の他社に移る程度であり、政界入りなどの挑戦に踏み切る人は珍しい。
もし政界挑戦などによって会社員としての“空白期間”ができると、中途採用で低評価され、ビジネス界には戻りづらくなるからだ。
すなわち、一般企業の社員が日本で政治家になるということは、大学4年生時の「新卒一括採用」で得た「正社員」の座を捨てることである。生まれながらに三バンを持つ「世襲」の候補者を除けば、大きなリスクのある挑戦となる。
そうなると、年功序列・終身雇用のレールに乗って順調に出世している優秀な人が、わざわざ退職して政治家になる理由がない。会社を辞めるのは、社内で満足な評価を得られず、不満を募らせている人だろう。
世襲議員を高学歴の官僚が支える「逆・学歴社会」が誕生
なお、会社員だけでなく公務員(官僚)でも、「くすぶっている人が外に出たがる」傾向があるという。
あるエリート官僚によると、彼と同じ省から国会議員に転身する人は少なくないものの、政界入りした人物の中で「尊敬できるのは1人しかいない」という。
すなわち、省内で出世コースに乗り、仕事が充実している官僚は政治家に転身しない。転身するのは、省内で評価されず、不満を持っていた官僚なのだ。
ちなみに、英国など欧州では、政治家への道は日本ほどリスキーではない。早期に主要閣僚の業務をこなせる能力を持つ優秀な若者が政界入りしている。40代で首相に就任する政治家も少なくなく、閣僚も若手が起用されることが多い。
また、首相や閣僚を辞任後、政界からビジネス界に転じることも多い。米国のIT企業でCEOを務める者もいる。このようなキャリア形成が可能なのは、年功序列・終身雇用がないからに尽きる。
要するに、優秀な人材が政界を目指せる風土を生むには、政界の中だけでなく、日本社会全体の改革が必要だといえるだろう。
あえて皮肉な言い方をすれば、現在の日本の政界は、成蹊大学、成城大学、学習院大学や、幼稚舎から慶応に入った「世襲のお坊ちゃま・お嬢さま」が牛耳っている。
それ以外の外部参入組は、会社や省庁で出世できずに、政界に転じた人たちで占められている。
そうした人々を、東京大学や京都大学を卒業した官僚が支えているのだ。この構図は「逆・学歴社会」だといえる。
これでは、優秀な人材はバカバカしくなって政界に興味を持たなくなる。これが「政治家の世襲問題」の本質なのではないだろうか。 

 

●世襲政治に対する日本人有権者の認識と評価
日本は民主主義国家の中で、タイ、フィリピン、アイスランドに次いで4番目に世襲政治家が多い国であると言われており、多くの世襲政治家が国政の場で活躍している。こうした世襲政治家がどのように誕生し、受け継がれているかについて、質的な分析を行った研究は多数あるものの、日本の世襲政治を有権者がどのように見ているかに焦点を当てた量的研究はほとんど存在していない。本研究では、それを解明するために、実験も含む全国規模のサーベイを実施し、その結果を実証的に分析した。
まず、有権者は世襲政治家に対してどのようなイメージを抱いているのだろうか。世襲政治家の性格的特徴や得意とする政策領域について、国勢調査に基づく人口構成比に合わせてオンラインサーベイ会社の登録パネルから抽出された全国3000人余りの日本人有権者を対象に、その印象を質問した結果が図1と図2である。
   図1. 世襲政治家に対するステレオタイプ(性格的特徴)
   図2. 世襲政治家に対するステレオタイプ(政策領域)
上記の結果からは、世襲政治家に対してポジティブな側面とネガティブな側面の両方が有権者の間で抱かれていることが伺える。有権者は、非世襲政治家に比べて世襲政治家の方が高学歴・裕福で、政治経験が豊富であり、政財界に幅広い人的ネットワークを持ち、選挙区に利益をもたらしてくれると考える傾向にある。その一方で、世襲政治家の方が、誠実さ、能力、信頼感、決断力といった性格特性のスコアが低く、それらの面ではネガティブに捉えられている。政策領域については、世襲政治家の方が外交や安全保障、産業政策や公共事業といった領域で、非世襲政治家よりも優れていると捉えられている傾向が見られた。
こうした世襲政治家が、選挙において有権者らにどう評価さられるのかを検証するために、続いてコンジョイント実験を行った。この実験では、架空の政治家のプロフィールを有権者に提示し、衆議院議員としてどの程度望ましいかを8段階で評価してもらった。プロフィールの内容は、性別、年齢、学歴、前職、出身地(地元かどうか)、政治経験年数、所属政党、そして親の政治経験の8つの要素からなり、それぞれ無作為に作成した。この実験を、国勢調査に基づく人口構成比に合わせてオンラインサーベイ会社の登録パネルから抽出された全国1126人の日本人有権者を対象に実施した結果を簡単にまとめて示したのが、図3である。上記のプロフィールのうち、親の政治経験がそれぞれ元大臣、元国会議員、元地方政治家であった場合に、親の政治経験が何もなかった場合と比べて、8段階の好感度評価にどう影響したのかを示したものである。いずれも、親に何らかの政治経験があると、衆議院議員としての望ましさのスコアが下がる傾向が示され、特に親が元大臣であった場合に、ネガティブな評価が下される傾向が強かった。
   図3. 親の政治経験の有無が政治家に対する評価に与える影響
以上の結果をまとめると、有権者は世襲政治家に対してネガティブな印象だけではなく、ポジティブな印象も抱いていることが見られたものの、それが必ずしも世襲政治家に対する好感度にはつながっておらず、むしろ世襲であることは、その政治家に対する好感度を下げる結果につながっていることが明らかになった。これらの結果は、なぜ有権者が実際の選挙で世襲政治家に投票し続けるのか、という不可解な問題を我々に提起するものである。世襲である方が候補者として指名されやすいからかもしれない。あるいは、政治資金を先代から有利に受け継ぐことが出来るからかもしれない。また、候補者が世襲であるかどうかを多くの有権者が実際に知らないからなのかもしれない。この謎を解明するためには、今後もさらなる仮説の検証が必要である。  

 

●「世襲議員と政策形成能力のあり方について―政治主導時代の含意」
1.世襲議員の突出
国会、特に与党自民党の世襲議員の多さが、現代日本政治の問題として取り上げられることが多くなった。次の総選挙では一つの大きな争点となる可能性もある。すでに70年代頃からメディアや学者により取り上げられてきたこの問題が、ここに来て大きく注目されるようになったのは、以下のようなことなどからであろう。
・現麻生政権(中山国交大臣の更迭後)の閣僚18人のうち12人が世襲議員であり、 他の6人のうち2人の親が元地方議員であること。
・近年の首相の大半が世襲議員であること、特に橋本龍太郎氏以降は7人中6人が世襲議員であり、唯一の例外である森喜朗氏も祖父・父親が元町長であること。
・安倍氏、福田氏、麻生氏と3代続けて元首相直系の世襲議員が首相となり、最初の2人は政権を放り出すような形で唐突に辞任したこと。
・特定郵便局長の世襲や自民党の旧弊な体質を手厳しく非難していた小泉純一郎元首相が、自分の後任に息子の小泉進次郎氏を指名したこと。
世襲議員の定義にはばらつきがあり、ここで厳密な整理はしない。しかし、定義によって差異はあるが、自民党の現議員のおよそ40%――これでも大半が非世襲の「小泉チルドレン」によって前回衆院選後に比べ大幅に下がっている――が世襲議員であり、自民党あるいは政府幹部になるとその比率は高まる。他方、民主党の世襲議員の比率は20%程度であり自民党よりもだいぶ低いが、代表の小沢一郎氏、幹事長の鳩山由紀夫氏は共に世襲議員である(親の選挙地盤を引き継いでいない鳩山氏については世襲議員に含めない定義もある)。
以下ではさらに、議論の前提となるものとして興味深いファクトを二つほど挙げておく。
・ここ数回の衆院選を通じて世襲議員の比率が圧倒的に低いのは東京ブロックであり、地域差はあるものの、都市部よりも地方の方が世襲議員の比率は高まる。他方で、最大の票田である東京出身の首相は、50年代半ばの鳩山一郎氏以後、長らく出ていない。
・世襲議員の当選率は非常に高く、ここ数回の衆院選において70%〜80%である。これは一般候補者の当選率を大きく上回る。新人に限ってみても、2005年選挙において世襲議員は59%の当選率であり、非世襲議員の当選率を20%以上上回った。
こう見ると、世襲議員の数の多さ一般についてはもちろんのこと、最近の動向で際だつのは、日本政府および自民党の要職にある議員の世襲率の高さであろう。閣僚だけでなく党三役なども世襲議員の比率は高い。しかし、新憲法の施行後、橋本政権までは、首相21人中世襲議員は3人(鳩山一郎氏、宮沢喜一氏、羽田孜氏)に過ぎなかった。
このように政府および自民党幹部に世襲議員が特に多い最大の理由は、70年代頃に自民党内で制度化された、当選回数に応じた役職の割り振りである。その結果、若いうちから当選回数を重ねることが多い世襲議員が若いうちから要職に就き、党内での地位を高め、世間での知名度を上げることが可能となった。首相・閣僚候補となった時点で「若さ」を強調できることも大きいであろう。一方、世襲候補以外で、20代〜30代で、「カバン(鞄)、カンバン(看板)、ジバン(地盤)」の三バンを揃えて中選挙区制で当選することは困難であった。
世襲議員に関しては、様々な角度からの分析や批判が可能である。とりあえず総体としては問題性があることは明らかであろう。非上場のオーナー企業や伝統芸能ならともかく、上場企業や行政組織といった公的性格を有する組織において、ここまで世襲率の高い組織・集団は少ないはずだ。ましてこれは、立法府と行政府という日本の三権のうちの二権の根幹となる母集団である。他の先進民主主義国家と比較しても、日本、特に政権与党の自民党の世襲議員比率は突出して高い。どの国にも世襲議員は少なからず存在するものの、日本に迫るレベルなのはイタリアだけであり(それでも日本より世襲議員比率は低い)、たとえば、米国の全議員に占める世襲議員の比率は5%程度である。
こうした状況は異常である。格差が大きな社会問題となっているが、格差社会に対する対策を打ち出す立場の行政府や立法府の中枢が、階層が血筋によって固定された格差社会の極みのような存在となっているのである。
世襲議員がここまで日本で増え続けたことにはもちろん理由があり、それは日本政治のあらゆる構造的な問題と連関する。本稿では、スコープを限定する意味で、世襲議員と、ここ10年以上強く唱えられてきた政治主導との関係について問題点を提起していきたい。
2.世襲議員の政策立案能力
世襲議員の問題は、通常は社会流動性(social mobility)、機会の均等、後援会・政治資金団体の存続を通じた既得権益の保護、格差問題、といった観点から批判されることが多い。それぞれ重要かつ批判的に検討されるべき問題であるが、本稿では、今まであまり論じられてこなかった世襲議員と、政策形成における政治主導との関係につき論じていきたい。まず、世襲議員の政策立案能力はどうなのだろうか?
   (1) 世襲議員と既得権益バイアス
世襲議員には通常、先代議員を支えてきた後援会がそのまま付いてくるため、親、あるいは祖父、さらには曾祖父の時代からの様々なしがらみや既得権益に縛られ、政策立案に既得権寄りのバイアスがかかりやすいことは推測できる。若い世襲議員などから「(自分は本当は議員になりたくなかったが)親を支えてくれた周りの人たちの手前、跡を継がないとはとうてい言えなかった」という本音がこぼれることがよくある。特に地方では、与党議員を支える後援会には様々な既得権益が結びついており、議員と運命共同体となっている支援者も多い。
他方で、地方議員などから一代で議員になる方が、まったくの無の状態から自分の後援会や政治資金団体を築きあげなければならないため、地元の権益に縛られやすいという見方もありうる。世襲議員の方がその他の議員よりも当選率が高いため、選挙区の利害に囚われにくいという面もあるだろう。
実例として、日本の国会内投票で珍しく与党内で対応が割れた郵政民営化の例を見てみよう。郵政民営化法案に反対あるいは棄権・欠席したいわゆる自民党の造反議員のうち、世襲議員の比率は41.8%で、自民党全体の世襲議員比率と大きな差はない。しかしそれをさらに細分化して見ると面白い数字が見えてくる。法案に反対票を投じた議員の世襲比率は32.4%と低く、棄権・欠席した議員の世襲比率は64.3%と非常に高い。
これは、親や祖父の代から所属していた自民党への忠誠心や、これも親や祖父の代から支援を受けてきた地元有力者とのバランスを取った行動とも見えるし、世間的に世襲議員が批判される「ひ弱さ」「優柔不断」というイメージとも結びつけられるだろう。もちろん郵政民営化法案に反対・棄権した自民党議員が地元権益と強く結びついていたとは決して断定できないが、興味深いデータである。
   (2) 世襲議員の政策形成能力
それでは、純粋に政策立案能力で見た場合、世襲議員のこの異様な多さはどういう問題点をはらむであろうか? 特に官主導から政治主導が強く唱えられる中、この問題は感情論を超えた重要な意味を持つ。
たとえばざっと自民党議員を見回した感覚では、世襲議員の政策形成能力が劣るという印象は受けない。むしろ「政策通」と言われる議員の中には世襲議員の比率が高い印象すら受ける。しかしそのことを額面どおりに受け取るのは適切ではない。
政策形成能力が高い有為な人材は、政治家になる以外に様々な魅力的な職業の選択オプションがあるのが通常である。そういう人材が議員を一つの選択オプションとして見た場合、議員という職業の「やりがい」に、議員になれる可能性(当選可能性等)を掛け合わせ、議員という職業オプションの期待値を割り出すことになる。当然、当選可能性が一般人より非常に高い世襲議員予備軍にとって、議員という職業オプションの期待値は一般人に比べ高くなる。これに対し、当選確率の低い一般人にとって議員という職業オプションの期待値は低くなるので、他に豊富な職業オプションがある有為な人材ほど、他の職業オプションを選ぶ人が多くなる。
つまり、多数の会社から良い条件で誘いを受けているような有為な若者が、わざわざそういう魅力的な他のオプションを捨て、対立候補が非常に強く当選確率が低い選挙区から議員を目指して立候補する可能性は低くなる(そもそも立候補までこぎ着けるのが難しい)。しかしその若者も、祖父の代から築かれた地盤があって、当選がほぼ確実な選挙区を譲られれば、議員を志すかもしれない 。
このように当選確率を一般人と世襲議員とで同等にしない限り、各所から引っ張りだこの有為な人材であればあるほど、一般人は議員という職業オプションを避ける傾向が強まる。さらに、一般人にとっては有力政党から公認を得るまでのプロセスも一大ハードルとなる。つまり一般人は世襲議員予備軍に比べ、当選確率でも大きなハンディキャップがあり、その前段階の立候補確率(有力政党からの公認)でさらに大きなハンディキャップを背負う。そうなると、官僚や地方議員など特別なルートを持つ者を除けば、他に有力な職業オプションを持たない「一か八か」の人材ばかりが、一般人から議員を目指すことになりかねない。世襲議員の存在そのものが、有能な非世襲議員の参入を妨げ、世襲議員の政策形成能力の相対的な優位性を確保しているという見方ができるのである。
   (3) 世襲経営者とのアナロジー
議員の政策形成能力は客観的に測ることが難しい。ただ、ジャンルは違うが、世襲経営者が支配する企業のパフォーマンスについては、経済学者による綿密な実証研究が存在する。それによると、世襲経営者が支配する企業は同一産業内において業績が劣っており、研究開発への支出が小さい。また、Perez-Gonzalez スタンフォード大学ビジネススクール教授の行った実証研究によれば、公開企業で創設者の子孫がCEOに選任されると株価は1パーセント下落する一方、部外者が選任されると2パーセント上昇するという。ROEなど各種経営指標も、世襲経営者がCEOに選ばれた後に大きく落ちる傾向がある。Perez-Gonzalez教授が言うように、世襲経営者など縁故者登用は、労働者市場における人材間競争を制約することで、企業のパフォーマンスを落としている。
また近年、食品偽造問題が発生し、「市場原理主義」や「過当競争」のせいだと言われることが多い。しかし、問題となった企業を見ていくと、不二家、吉兆、石屋製菓(白い恋人)、赤福。多くが同族経営の歴史の古い企業であることがわかる。少し前の雪印、日本ハム、食品ではないがパロマなども同族経営である。偽造などが始まったのも最近ではない。
これらの同族経営企業で不祥事が起きた理由は、世襲経営者の経営能力以上に、同族による内輪の経営の結果ガバナンスが効かなくなったことが要因と考えられる。つまり、競争が過剰だったからではなく、むしろ社内における競争や人材の流動性などが抑圧された結果、有能な経営者が選ばれることが妨げられた上、相互監視の機能が効かなくなったのである。これは、先代から後援会や政治資金団体をそのまま引き継ぐ世襲議員も十分に注意しなければならない現象である。
   (4) 多元的な価値観の実現
国民全体を代表する者として、議員は、民主主義過程を通じた政策立案に、多元的な価値観を持ち込むことが期待される。Robert Dahl など政治学者の規範的研究を挙げるまでもなく、民主主義国家において多元性はそれ自体価値があるし、一定の条件の下で、同種の価値観や判断枠組みを持つ人間の中に、異種の価値観や判断枠組みを持つ人間を入れることで、全体としての判断能力が増すことも数理的に説明できる。
世襲議員の割合が異常に高くなることは、民主主義過程を通じた政策形成における多元性の確保、という意味で重大な問題をはらむ。「カバン(鞄)、カンバン(看板)、ジバン(地盤)」の三バンが参入障壁として新たな人材の前に立ちはだかることにより、異なるバックグランドの人材の参入が制約されるのである。世襲議員は似たような経済環境、家庭環境で育ち、卒業大学などでも偏りがあることが指摘されている 。
憲法上保障された参政権には、「選ぶ権利」だけでなく「選ばれる権利」も含まれる。極端な話、いくら選挙権が十全に保障されたとしても、立候補者が1人しかいなければ(認められなければ)、民主主義は成立しないし、多元性も実現されない。「三バン」という参入障壁が日本の民主主義過程に多元的な価値観が流れ込むことを阻んでいるとすれば、日本の民主主義にとって大きな問題となりうる。
以上、前半部では現在の日本の立法府・行政府中枢における世襲議員の突出を簡単に概観した上、世襲議員の政策形成能力について、既得権益との関係性、世襲経営者の経営能力とのアナロジー、多元性の実現可能性、といった観点から見てきた。
後半部では、「政治主導」時代に世襲議員をどう捉え直すべきか、という観点で議論を展開する予定であり、求められる改革案などについても言及していく。
私は以前から、日本における世襲議員の突出と、「官主導」の政策形成は補完関係にあると指摘してきた。政策形成における真の政治主導を実現するのであれば、世襲議員の問題を再考することは避けて通れない問題であろう。
3.「政治主導」時代の世襲議員――「官主導」との関係
「官主導」から「政治主導」への転換の必要性が唱えられるようになってすでにだいぶ経つ。理由としてよく挙げられるのは、民主主義の審査を受けていない官僚が国を実質的に動かすのはおかしい、前例踏襲主義の官僚では変動の時代に対応できない、などである。そもそも本当に官主導なのか、という点については政治学者の間でも意見が分かれており検討の余地があるが、いずれも正当な指摘である。
政策面における「政治主導」の実現のため何より必要なのは、指導力や知見に富み、有権者の多様な支持を集め、高い政策形成能力を持った人材が政治のリーダーシップを握ることである。議院内閣制においては、政治の行政に対する強い統制権が与えられており、官僚組織に授権しつつもうまくコントロールする最低限の手段は、政治に与えられているはずである。もちろん法制度的に足りないものがあれば補っていく必要があるが、そうした法的手段を創る権能自体も政治が有している。
すでに見てきたように、議員、特に政府および与党幹部に世襲議員が占める割合が極めて高くなっている。本稿後半では、こうした状況が、官主導に代わるべき政治主導の時代にどういう意味を持つかについて見ていきたい。
   (1) 民主主義的正統性をどう考えるか
「官主導」の最大の問題として指摘されているのは、民主主義的な正統性を持たない官僚が国家運営の実質的な主導権を握ることである。そうだとすれば、「政治主導」の時代に求められるのは、民主主義的プロセスを経て選ばれた議員が、内閣などを通じ官僚組織をガバナンスしつつ、政策形成を主導していくこととなる。行政府に入った議員たちには、民主主義過程を通じて吸収される多元的な価値観や利益を代弁し、政策に反映していくことが求められる。
他方、世襲議員批判に対する反論の最大の論拠となっているのも、世襲議員は選挙を経て選ばれている、という点である。つまり民主主義的正統性である。有権者が真に世襲議員を望まないのならば世襲議員は選挙で選ばれないはず、だから第三者が口を挟むべきではない、というわけだ。特定郵便局長の世襲制に批判的だった小泉元首相が息子を世襲候補として立てた件にも、議員の場合は民主的な選挙によって選ばれるから特定郵便局長とは話が違う、という反論は可能である。
つまり、政治主導にとっても、世襲議員にとっても、議員が持つ民主主義的な正統性が最大の支えとなっているのである。だが、異様とも言える世襲議員の突出は、議員の民主主義的正統性に対し重大な問題を投げかける。果たして議員が十全に民主主義的プロセスを経て選ばれたのか、という点に疑義を生じさせるからだ。
たしかに日本の選挙制度は十分に民主的であり、その選挙で有権者の投票を得て勝利したという意味で、世襲議員も厳しい民主主義的プロセスを経たとは言える。しかし、強固な「三バン」を持つ世襲議員などが実際の選挙で非常に優位に立つことは、過去の世襲議員の当選率の高さなどから見て否めないだろう。候補者同士が対等な立場に立って競い合うという、民主主義的競争が十分に行われていない可能性がある。
さらに、すでに述べたように憲法上保障される参政権には「選ぶ権利」だけでなく「選ばれる権利」も含まれる。「選ばれる権利」が十全に保障されない国では、「選ぶ権利」も形骸化する。極端な例を挙げれば、昨年話題になったジンバブエの大統領選では立候補者がムガベ大統領1人であり、投票の85.5%の得票率で圧勝した。しかしこの選挙がいかに公明正大に行われていたとしても、ムガベ大統領に民主主義的な正統性を認める者はいないだろう。
現行の小選挙区制では政党の公認なしに候補者が当選することはほぼ不可能である。逆に、自民党か民主党の公認を受けさえすれば、当選確率は極めて高くなる。その公認の過程が民主主義的でなく、密室(党内)の血液検査(血筋検査)であったとすれば、「選ばれる権利」が十全に保障されたとは言えない。もちろん、民主党は結党以来公募制を盛んに用いており、自民党も最近ではよく公募を行っているが、実際に検証してみればわかるように、「出来レース」となっているものも多い。
「選ばれる権利」が制限されている状況では、「選ぶ権利」も、現実的に当選可能性のある候補者が2人に絞られた後に、非常に限定的に行使されるに過ぎない。世襲議員に反発を感じる有権者であっても、支持する政党の唯一の候補者が世襲候補であれば、その世襲候補に票を投じることも多いはずだ。
単純化した例で見てみよう。たとえば、次回選挙の際の最大の争点が、仮に消費税導入の可否だったとしよう。小選挙区制の下では2大政党制になるのが通常なので、A党の候補Xが消費税導入を支持し、非世襲議員だったとする。B党の候補Yが消費税導入に反対し、世襲候補だったとする。そうなると、たとえ世襲議員に批判的な有権者であっても、消費税という最大争点で導入に反対していれば、いやいやながら世襲候補Yに投票せざるをえないだろう。
このように「国民が自ら代表を選ぶ」という民主主義の建前は、現行の選挙制度、政党制度の下ではその多くがフィクションと化している。小選挙区制度の下で有権者の多くは、二大政党内部において選ばれた2人の候補者のうちいずれを選ぶかの選択権しか与えられない。政党という憲法にも現れない組織の内部手続きが、非常に重要な影響力を与えているのである。政党内で世襲候補が選ばれやすいという状況があるとすれば、世襲議員の民主主義的正統性に大きな留保が付くことになる。
政治主導にとっても、世襲議員にとっても、民主主義的正統性は決定的な重要性を持つ。そうだとすれば今後は、政党内などにもオープンな民主主義過程を埋め込むことが重要となるであろう。また、民主主義的競争が公平かつ熾烈に行われるために、候補者間の競争条件などをなるべく均質化していく努力も必要となる。
   (2) 官僚制との関係
政策形成の過程で、議員と共に重要な役割を担うのが官僚である。その主導権を官僚から議員(特に内閣)へというのが、官主導から政治主導へ、という議論の中心である。したがって、政治主導への途を考えるには、また、現時点で政治の中枢を担っている世襲議員の政策形成能力を考えるには、官僚制との新たな役割分担のあり方を常にセットで考えていかなければならない。
繰り返しになるが、官僚は民主主義的な過程を経て選ばれていない。国民に官僚を「選ぶ権利」は与えられていない。しかし、「選ばれる権利」を「(官僚に)なる権利」と読み替えれば、現時点では実は官僚の方が、議員よりも幅広い人材に門戸を開放していると考えることすら可能である。
大学を卒業し、国家公務員試験に通りさえすれば、誰でも官僚にはなれる。実際、省庁幹部の経歴を見てみれば、試験中心の採用であるため一部の大学の出身者に偏っているものの、生まれ育った家庭環境などは、世襲議員が突出する内閣閣僚や与党幹部より多様である。世襲官僚も、独自に特殊な試験を課していた外務省を除けば非常に少ない。省庁の中には所属職員の子弟の採用を内規で禁じているところもある。
宮崎市定氏の『科挙』(中公新書)によると、6世紀の隋で科挙が導入された背景には、世襲貴族が天子の周囲を固めて、天子が実権を握れない状態があったという。天子が世襲貴族と戦い、今でいう官邸主導の政策立案を進めるためには、幅広い階層から優秀な人材を募る必要があると考えられた。そういう意味では、今の日本の政策形成システムは、世襲議員中心の内閣や与党と、より幅広い人材のプールの中から試験で選ばれた官僚とが、微妙なバランスを保って相互に補完し合っているという見方すら可能である。
また、「官主導」の時代の議員は、政策形成については、官僚の書いたメモを読み上げていれば済んだ。しかし、政治主導の時代の議員は、官僚を逆に使いこなすことで政策を形成していく高い能力が求められる。政治主導の時代にふさわしい議員を増やすには、世襲経営者の分析が示唆するように、現職議員の子弟という狭い社会から選んでいるだけでは足りないだろう。官僚よりもはるかに幅広い人材のプールの中から激しく多面的な競争を経て、優秀な議員が選ばれるような仕組みが必要になる。
こうした実態をきちんと考慮せずに、やみくもに政治主導を推し進めたり、官僚に幅広い人材が集まるシステムを廃棄してしまうと、科挙制度導入以前の隋のように世襲議員ばかりが実権を握り、首相がリーダーシップを発揮しようとしてもそれをサポートする人材を確保できないという状況が生まれかねない。そういう意味では、官僚制に批判的な与党議員の中に世襲議員が目立つことは、単なる偶然ではないのかもしれない。
官主導から政治主導への転換が、隋での科挙官僚から世襲貴族への権限移転とならないようにするためには、官僚制と世襲議員の突出とをセットで改革していくことが必要である。その際に重要となる要素は、すでに述べてきたような、民主主義的正統性と多元性の確保、既得権益からの開放、そして激しい人材間競争の実現である。これらの要素の実現抜きに世襲議員が突出し続け、官僚に人材が集まらなくなれば、科挙制度が導入される以前の隋の状況に追いやられかねない。
次回は、こうした方向性を基に、あるべき改革の姿について、憲法論も含めて見ていくこととする。  

 

●政策形成能力
それでは、近年の世襲議員の突出に対してどのような制度的対応を行うべきか。あるいは行うべきでないのか。政策形成能力という視点に立ちながら、その方向性について簡単に見ていこう。
1.基本的な視点
政治主導の時代の議員には非常に高い能力と見識が求められるということはすでに繰り返し述べてきた。「政治主導」の名の下に、いくら官に対する政治のコントロール権を強めたとしても、政治の側の人材の質を高めていかなければ、真の政治主導は産まれない。政策形成の中心を霞ヶ関から官邸に移すためには、単に法制度などハード面ばかりをいじるのではなく、永田町を中心にソフト面での受け皿を作らなければ、「政策の空白」が生まれてしまう。
そういう意味で、政治における人材の問題は、政治主導の実現にとって極めて重要な意味を持っている。その際には、内閣や与党の中枢を突出した割合で占める世襲議員の問題は避けては通れない。
求められる人材の確保のためにはやはり、幅広いプールの中から参入した多くの人々が競争していくことが最も有効となろう。議員の子弟、という小さな世界だけでは多くは確保できない。これは世襲経営者についての経済学者の実証分析が示唆する結果でもある。
また、政治主導の理念を支えるのは民主主義的正統性であることも述べた。民主主義過程を通じた多元的な価値観の吸収も重要である。二大政党制の下で、真の民主主義的正統性を確保するためには、政党内プロセスに対しても目を向けていかなければならない。
以下では、人材間の競争の活発化、民主主的正統性、多元性の確保、既得権益との関係、といった基本的な視点から改革の方向性を探っていく。ただその前に、世襲議員の問題について必ず語られる憲法問題について言及しておきたい。
2.世襲議員規制と憲法問題
世襲議員を何らかの形で規制しようという動きに対し、「それは憲法改正につながるから無理だ」という議論が、主に現役議員によってよくなされる。よって本稿でも、この点に触れないわけにはいかないだろう。そもそも憲法改正の可能性があるというだけで議論を封じ込めこめようとするのは悪しき風習だが、ここでは、憲法改正の問題になる可能性が極めて低いことを指摘しておく。
世襲候補の立候補などに何らかの規制をかけることは、憲法22条の職業選択の自由、憲法14条の法の下の平等、あとは参政権などとの関係で議論されることが多い。しかし、職業選択の自由のようないわゆる経済的自由権に対する規制に対しては、司法の違憲審査権の行使は抑制的であるべきだ、というのが憲法学者の間での通説的見解である。また、法の下の平等との関係でも、形式的平等(機会の均等)を回復するための措置として位置づけることが可能である。
他方、日本で違憲審査権を持つのは最高裁であるが、その最高裁の基本的な立場は、世襲議員問題など政治の基本にかかわる判断は立法府の裁量に委ねるというものである。また、合憲性に多少の疑義がある場合でも、法文を合憲的に限定解釈するという手法も用いることがある。
そもそも議員の子弟が議員になることを制限することが職業選択の自由などを制約し違憲なのであれば、民間企業などで職員の子弟の採用を禁じている内規も違憲性を帯びることになるはずである。はたしてそうだろうか?
憲法は、企業と社員など私人間の活動に対しても適用される、というのが判例上も学説上も確立した法理である。たとえば日産自動車がかつて定めていた男女別定年制に対して、最高裁は憲法14条(法の下の平等)を間接的に適用して無効だと判示したことがある。もし職員子弟の採用を制限している企業の内規が違憲性を帯びるのであれば、すでに最高裁によって無効とされていてもおかしくない。しかしそのような判断は今までなされていないし、「親の会社に入りたいのに内規で門前払いされた。これは憲法違反だ」と裁判所に泣きついても、その言い分が認められる可能性は非常に小さいと私は考える。
このように、世襲議員を何らかの形で規制する法律が成立したとしても、それが最高裁によって違憲と判断される可能性は非常に低い。そうしたわずかな可能性に脅えて議論自体を抑制するのは適切ではないし、議員定数(公職選挙法)について最高裁から複数回違憲判決を受けている立法府が今さら萎縮すべきことでもない。さらに、万が一違憲判決を受けた場合でも、憲法改正がリアリティを持たないのであれば、法律を廃棄すれば良いだけの話である。
3.改革の方向性
   (1) 政党内部への民主主義プロセスの埋め込み
前回も述べたように、政治主導の理念だけではなく、世襲議員にとっても、民主主義的正統性はその存在を正当化する最大のバックボーンとなっている。民主主義国家において、政治家は国民の姿の投影と言われるが、世襲議員を選んだのも国民なのである。
ただ、国民が自ら本当に(世襲議員を)選んだ、と言えるようにするためには、多くの選択肢が与えられていなければならない。しかし、政治学の「デゥベルジェの法則」を持ち出すまでもなく、小選挙区制では現実的に当選する可能性があるのは2人の候補者――日本の場合はたいていは自民党と民主党の公認候補――しかいない。その2人のうちの1人が世襲候補であれば、有権者が世襲議員に批判的であっても、世襲議員が当選する可能性は大いにある。選挙の争点が無数にあり、有権者の価値観も多様化している割に当選可能性がある候補者が2人しかいないとなると、自分の投票行動を「世襲議員か否か」という争点で決める有権者は少ないからである。
実際、世襲議員への賛否を問う世論調査では過半の者が否定的に答えているが、選挙結果はそうはなっていない。
そうなると、特に小選挙区制の下では、政党内で公認候補が選ばれるプロセスが非常に重要となってくる。政党内で世襲候補が優遇され、親の(当選可能性の高い)選挙区を引き継ぎ楽に公認を受けているとすれば、世襲議員の民主主義的正統性はにわかに怪しくなってくるからだ。もし親のおかげで「最後の2人(二大政党の候補者)」まで苦もなく達して、その「最後の2人」の候補者間での選挙で勝ったからといって、はたして「有権者に選ばれたのだから世襲議員批判は一切あたらない」と言い切れるだろうか。また、人材間の競争という意味でも、多元性の確保という意味でも、政党内のプロセスは重要な意味を持つ。
「政党」という用語は憲法にも規定されておらず、法律に現れたのもごく最近である。しかし、自民党を見ればわかるように、その存在は極めて大きな影響力を持つ。税金による多額の助成も受けている。そういう意味では、特に二大政党については、今後は公器として扱っていかなければならない。
民主主義的正統性の確保のためにも、政治に多くの人材を惹きつけ競争を活発化させるためにも、多元性を吸収するためにも、政党内でのプロセスをより民主化することが望ましい。最低限、内部プロセスが外部から見えるように透明化し、有権者がそれを見て選択をできるようにすることが必要である。
会社には会社法が存在し、内部の意思決定プロセスなどについて、さまざまな規制が加えられている。特に公開会社は公器として扱われ、会社法以外にも、証券取引所などの様々な規制を受け、情報の開示が求められる。今後は、政治資金の透明化なども含め、政党にも政党法のようなものが必要となるのではないか。その際には、民主主義的正統性の重要性にかんがみ、より民主的なプロセスを埋め込んでいくべきである。
   (2) 選挙制度改革
この点については多くの議論があるのでごく簡単に触れる。小選挙区制が世襲議員に有利に働くか否かについては政治学者も含め様々な議論があり、コンセンサスは生まれていない。ただ、選挙制度の問題は、世襲議員について考える際には避けて通れない問題である。
私は、大選挙区制の方が、有権者の世襲議員の可否についての判断権の行使を可能にすると考えている。ただ、その結果がどちらに転ぶかは予想できない。また、イデオロギー対立の時代が終わり、価値観が多様化する中での小選挙区制の導入には、いまだに賛同できない 。
いずれにせよ、大選挙区制においては選挙後の政党間の交渉によって多元的な価値の調整と多数派の形成が図られるのに対し、小選挙区制においては選挙前の政党内において多数派の形成が図られる。その意味でも、前述の政党内プロセスの透明化がますます重要性を持つことになる。
   (3) 競争条件の均質化――「三バン」をどうするか
人材間競争の活発化のためには、人材の競争条件をなるべく均質化することが望まれる。たとえば世襲候補というだけで優れた人材まで排除するのは適切ではないが、世襲議員が「三バン」の相続を通じて初めから優位な地位に立つのも適切ではない。優秀な世襲議員は少なくないが、そういう人材であれば、競争条件を均質化しても必ず競争を勝ち抜いてくるはずである。
資金的な面(「三バン」のカバン)については、ジャーナリストの上杉隆氏などが、後援会の「世襲」が税制面で非常に優遇されていることを指摘している。競争条件の均質化のためには当然、是正が必要となろう。
他方、資金以外の二バン――知名度と地盤――については、親と同一選挙区からの立候補を禁じるなどの規制策が提案されてきた。しかし、それでは競争条件の均質化には十分ではない。なぜなら、中選挙区制時代からの議員は周辺の選挙区に影響力を持っており、また、党県連の幹部として、同じ県の候補者選定などにも大きな力を持つ。後援会の「世襲」もたとえば親と隣の選挙区であれば比較的容易であろう。
その意味では、今後の候補者については、自分の直系親族の選挙区と同じ都道府県の選挙区からの立候補を一定期間(最低で20年間)禁じるのが最も妥当性を持つのではないか。この規制の導入は重大な効果を伴うので、きちんとした実証分析が必要となるが、優秀な世襲候補の機会を一切奪わないことと、競争条件を均質化することとの、ちょうど妥当なバランスはこのあたりだと考えている。もちろんこの規制を入れたとしても世襲候補(議員)は、親の党内でのネットワークを通じて非常に優位な位置に立つと予想される。ただ、競争条件の完全な均質化は不可能である以上、この点での規制はこの限度に留めておき、党内のプロセスの透明化を通じて外部のチェックがはいるようにすべきである。
   (4) 政策形成における政官分担の再構成
すでに述べたように、政治における世襲議員の突出は、「官主導」の政策形成と補完関係にあったと私は考えている。よって、より多くの人材が競争して政治家になるようなメカニズムを構築していくのであれば、官との役割分担も再定義しなくてはならない。また、その過渡期に、官に独占的に蓄えられた政策形成能力をどう移行させていくかについても考えなくてはならない。ただこの点については大きな論題なのでここでは省く。
4.結語
「政治主導」時代の政策形成能力、という視点で、世襲議員の問題を見てきた。しかし究極のところ、政治家を選ぶのも、政治家になる権利を持つのも、有権者である。したがって改革の方向性も、有権者がよりよく政治家を選ぶことができ、政治を志す者がより対等な条件で世襲候補と競争できるためのものに過ぎない。今後はより具体化した提案もしたいと思っているが、その基本的方向性は変わらない。
この論考が始まってから3週間経つが、その間、中川財務大臣の辞任により、世襲議員の問題は再び脚光を浴び始めた。次の選挙では一つの争点になることを期待したい。 

 

●世襲議員の横行は政党を死に至らしめる
国会議員の世襲を禁止せよとの声がある一方で、「職業選択の自由」を侵すといった反論もある。この問題をどう考えればよいのか。
歴史が証明する国家の衰退と繁栄
世襲の問題を考えるために、300年ほど前のヨーロッパを見てみよう。政治的近代化が本格化する前、近世と呼ばれる時代である。
絶対主義・王権神授の名の下に、国王の地位は多くの国で世襲されていた。政府の機構は「家産官僚制」と言われる仕組み、つまり主要な役職がある種の私的な所有物のようになり、親から子へと受け継がれる形となっていた。この仕組みが最も典型的に発達したのが、ルイ14世を頂点としたブルボン朝のフランスである。
そして、主要国の中で、最も早くこのパターンから離脱し、議会を軸とする国政運営と、官僚制における人材の競争的な登用の仕組みを発達させたのがイギリスである。両国が覇権を争った100年余りの「長い18世紀」の歴史が証明したことは、国土も人口も4倍の規模を誇ったフランスが敗れて大革命へと至り、イギリスは大英帝国の建設に成功したという事実である。
何が重要かは明らかであろう。もちろん、イギリスでも土地所有貴族が権力を握り、まさに権力の世襲が大規模に見られた。しかし、イギリス海軍の圧倒的な優秀さと議会下院が示した国家財政を支える力とは、ブルボン朝フランスが象徴するものとは正反対の、競争がもたらす新しい人材、新しい知識、そして新しい産業によって成立していた。古い慣習や社会的身分ではなく、競争こそがその柱であった。つまり、世襲の仕組みから競争の仕組みに変革すること、これこそが長期的な国家の盛衰に大きな影響を及ぼしたのである。
ハードルが高い日本の選挙参入制度
現代日本を見てみると、国会議員の世襲が選挙競争に対する深刻な抑圧となってしまっていることは疑い得ない。そしてその理由は、要するに、選挙の立候補へのハードルが極めて高いことであり、さらにその背景には三つの制度的な条件がある。
第1は公職選挙法である。日本では、公選職の兼任が禁止されているばかりか、立候補に先立って辞職する必要がある(あるいは自動的に失職する)。
市長であり国会議員といった形で公選職を兼任できるフランスはもちろん、アメリカの大統領選挙でも上院議員や州知事が長い期間の予備選挙に参加する場合、彼らの地位は保たれたままである。当選したオバマも対抗馬だったクリントンもマケインも、すべてこの仕組みに守られていた。
第2の制度条件は公務員法である。日本では、公務員が公職の選挙に立候補する場合には、その前に公務員を最終的に辞職しなければならない。ところがフランスやドイツでは、公務員としての身分を保持したままで立候補することが可能で、当選した場合には身分を維持したままで、一時的に職務を離れる形で議員として活動することができる。しかも、ドイツでは市町村の議員と公務員との兼任が可能で、フランスでは、選挙に当選した公務員は派遣身分で国会議員に就き、昇進や昇給、退職年金の権利を十分に確保している。
第3に、日本では政治家や公務員の世界に限らず、社会全体で見ても終身雇用ルールが強いことである。しかも中選挙区制の下で、政党間競争ではなく議員の個人後援会の組織力が競われる選挙となっていたことも、極めて深刻な要素となっていた。これらの条件が重なり合った結果、日本では選挙への参入障壁が他国に比べて圧倒的に高くなってしまったのである。
選挙は一種の競争市場である。しかし日本では、候補者の供給というサプライサイドがかなり極端な寡占状態に陥り、市場としてはうまく機能しなくなっていた。要するに、政治の世界への人材供給が、さまざまな制度のゆがみの結果として極端に細くなっていたこと、これが世襲問題の本質である。
政党にとって「死に至る病」
しかし、問題はこの次元にとどまらない。自由民主党内の年功序列型の人事が問題をさらに深刻にしていたのである。自民党では、当選回数に応じた年功昇進が制度化されていた。初当選から約15年間はいわば見習い期間であり、有力者としての活躍はこれを終えてからであった。この仕組みの下では、初当選時の年齢が決定的な意味を持つ。30歳で初当選した二世議員は、見習い期間を終えた時まだ50歳になっていない。ところが、「たたき上げ」の議員の国会初当選は普通50歳に近づいてからであり、見習い期間の終了は65歳ごろとなる。「いざ勝負」となった時にまだ20年ある世襲議員と、もうほとんど時間切れの議員とは決定的な差がある。
近年、ほぼすべての自民党幹部が世襲議員によって占められていたが、それはある意味当然の帰結だったのである。やや極端に言えば、日本国の総理大臣という地位に到達できるのは、わずか500家系ほどの関係者にすぎない状況に至っていた。これこそが自民党における世襲問題がもたらした究極のゆがみである。
人間の社会には競争が必要である。しかも、質の高い、実質的な競争こそが大切である。世襲を擁護する人の多くは、「選挙民が自由に選んだ結果だから問題ない」と言う。しかし、実質的にほとんど独占企業と言ってもよいほどの支配力を持つ議員とその後援会が、世襲によって既得権のネットワークともども温存されるならば、とても公平な競争があるとは言えない。300年前のヨーロッパにおいて、貴族勢力が自己の支配権を永続化させようとして用いた論理と何らの違いもない。自由市場経済の世界になぜ「独占禁止」の考え方が不可欠なのか、考えてみれば明らかである。
フェアとは言えない選挙で選ばれることを何とも思わない人たちに、「公的」なものへの関与を語る資格などあるのだろうか。そう、世襲の横行は政党にとって「死に至る病」である。そして、一国の政治の質をおとしめ、政治が未来を語るのではなく、過去に縛られることとなる深刻な原因なのである。 

 

●岸田総理も世襲議員。日本に2世3世の世襲議員が多い理由と、その弊害
政治アナリストの伊藤惇夫氏が、日本に2世3世の世襲議員が多い理由や、その弊害について解説しました。選挙制度や日本人の国民性についても触れています。
日本は2世3世の世襲議員が多い。今回、総理に就任した岸田文雄氏も世襲議員だ。
伊藤惇夫氏によると、歴代の総理を見てみても、橋本龍太郎氏以降、菅直人氏、野田佳彦氏、菅義偉氏以外は皆、世襲議員だという。
自民党の議員を見ても、小選挙区で当選した議員のうち33%が世襲議員。これは、世界的に見ても異常なことで、アメリカの場合、下院議員、上院議員の世襲議員の割合はそれぞれ5%程度だという。
一体、なぜ日本は世襲議員がこれほど多いのか? 伊藤惇夫氏は小選挙区制が関係しているという。
伊藤氏「小選挙区で当選するのは1人だけ。当選した議員からしたら、その選挙区は自分の領地。だから、殿様が亡くなると若殿様が跡を継ぐ。実際、そういうことが起きているんです。さらに領地内には殿様を支える後援会、支援団体などの家臣団がいる。殿様を若殿様にすげ替えることでその組織は維持できる。家臣団たちの利権、権力をそのまま維持できる。そういう力も働いているのだと思います」
しかし、誰を議員にするか選ぶのは有権者だ。なぜ有権者は世襲議員に投票するのか?
伊藤氏「有権者はやっぱり、馴染んだ名前、例えばお父さんが大丈夫だったから、息子も大丈夫だという安心感で投票してしまう。日本人は意外と世襲好きですよね。喜んで受け入れる傾向があるのだと私は思います」
ただ、一方で世襲議員が当選することで弊害もあるという。
伊藤氏「もちろん世襲議員の中には、優秀な人もいますが、中には首を傾げざるを得ない人もいる。これに加え、同じ地域で政治の志を持っていて自分の信じた道を歩もうとしている優秀な人の道を閉ざしてしまうことになるのです。政治の世界への優秀な人材の起用が阻害されるわけです」
10月31日には総選挙が行われる予定だが、今回の選挙で自民党は多くのベテランが引退し、その代わりに息子が出ることも多くなるという。
そうした中で、最後に伊藤氏はリスナーに「今、私が話したことを頭に入れて選挙に望んでほしい」とメッセージを送った。 

 

●二世批判に異議あり――― 実力こそ第一
退陣を求められる実力なき政治家
「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙に落ちたらタダの人」――今でも時々聞くこの言葉に込められた発想こそ、日本の戦後政治をダメにしてきたと思う。その表現には、戦後日本社会における政治の位置付けやその役割、あるいは選挙のためには何でもやる、というこれまでの政治風土が凝縮されているのではないだろうか。そこには、いつのまにか「政治家であり続けること」が目的と化してしまった戦後日本政治の悲哀すら私には感じられる。
今日、時代の要請によるふたつの大きな要因で、安易な世襲議員を含む「実力」なき政治家たちは次々に退陣を求められている。
第一に、政治家の役割が劇的な変化を遂げた。これまで「永田町の暗闘」とか「40日抗争」とか、政治記者や政治評論家と称する人々が面白おかしく綴る政治ドラマが大衆小説よろしく世にもてはやされ、その一方で政治の本来の大切な役割であるはずの国家の進路決定は、「選挙」の洗礼を受けることもない霞ヶ関の役人任せであった期間が恐ろしく長かった。
すなわち「政策決定は役人の仕事で、政治家の仕事は選挙と権力闘争」でありがちだった。このような戦後政治風土の中だからこそ、これまで長い間政治における「国民不在の安易な世襲」や「議席の私物化」と批判されるような事例が起こり続けてきたのだ。しかし時代は変わった。
いまの日本は「経済成長、生活水準の向上」という、戦後日本の一貫したゴールを達成した後の新たな国家目標が定まらず、人々の考え方はバラバラであり、政治家がいまこそ国の進路を指し示さねばならない。また、国・地方の借金が合計で約650兆円にものぼるいま、政治家はなけなしの税金の使い道を決めざるを得ない重い責任を負わされている。
こうした厳しい状況下、今日の政治家には国民に代わって責任をもって国家や国民生活の望ましい進路を決定するだけの「未来への洞察力」と「具体的政策立案能力」がいままで以上に求められるのであり、この要件を満たさない政治家は、二世であるか否かに関わらず、やがて淘汰されていくことになろう。
政治家の「気概」とは「公共の福祉」への奉仕
第二の理由は、人々の政治家に対する意識が急速に変わってきていることである。かつて政治家がもっぱら「選挙と永田町の権力抗争」を生業としていた頃には、「政治家であることを目的にする政治家」が社会的にも受け入れられる余地があり、世間がそうした特異な役割や才能を特定の家系に見出してきた向きもたしかにあった。
しかし、いまや国民の意識はまったく違う。政治家の仕事は、あくまでも人様のために働き奉仕する、いわばボランティア的活動であって、決して政治家個人やその家系の名誉のためであってはならない、と皆思っている。イギリスでは国会議員の多くは別に仕事を持ち、委員会は平日の夜、仕事が終わってから開かれることもしばしばだという。日本でも今後このように「公共の福祉」のために奉仕する「気概」をもった本物の政治家だけが求められていくだろう。
高校の時に1年間アメリカ留学をした際、あるホームステイ先で一人の「気概」ある本物の政治家に出会った。そこの「お父さん」はその前年のユタ州知事選挙に出て落選したという。それでもその「お父さん」はこじんまりしたマンションに住みながら、すこぶる元気に会社経営もしているし、何よりも地域での奉仕活動を一生懸命やっていた。
「ああそうか。政治家になろうとする原動力は、社会のために尽くそうという思いなんだ」と悟ったことを昨日のように思い出す。ちょうどその数日前、初めて参議院全国区に立候補した私の父は、次点で落選しており、二人の「お父さん」がダブって見えた。
つまり私がいいたいのは、時代の要請に応えられるだけの「実力」と「気概」さえ持っていれば、二世であろうが三世であろうが世の中に受け入れられるはずだ、ということである。ちょうど、貴乃花が二世だから横綱になるのはおかしい、とか、ハンマー投げの室伏が親子2代にわたってオリンピックに出るのはおかしい、と言う人がいないのと同じことで、中身が「ほんもの」ならばそれこそ何世でもよいはずだ。
二世か否かは関係ない実力勝負の仕組み
そして、だからこそ新しい時代の政治家としてふさわしい「実力」と「気概」を持った人物を、世襲か否かに関係なく正しく選ぶ仕組みや制度が整っているかどうかが重要となってくる。仮にも「実力はあるが二世でない」候補が「二世だが実力がない」候補に負けるような社会であってはならない。そのために私はかねてから公認獲得において「予備選挙」を自民党内でも実施すべきであると主張してきた。
小選挙区制度を実施しているアメリカ、イギリスいずれも各党で予備選挙が行われ、無名の新人も名の通った二世、三世現職議員も皆毎回ゼロからのスタートで各党の公認争いを行っており、実力があれば勝てる仕組みだ。
もちろん日本の場合、誰が公認を決めるかが難しく、党内予備選挙のあり方については慎重な検討を要するところであるが、困難を前に躊躇するよりは、いろいろ実行して改良していったほうがよいと思う。
数年前、英国の女性厚生大臣と話す機会があり、予備選挙の厳しさと、その制度が担保しようとしているイギリスの政党政治における民主主義のかたちを知ることになった。予備選挙で最初に手を上げる人は、何と「多いところで一小選挙区100人近い」というのである。「まずは書類選考。その後演説や討論会をさせて絞り込み、最後に残った数人から投票によって一人を選ぶ」とのことだった。現職の再選率が高いといっても、それは結果の話で、あくまでも現職も新人も皆「毎回ゼロからのスタート」をするのだ。政治家にも選挙のたびに「賞味期限」が試される仕組みが予備選挙なのである。
人材が他党に流れる自民の現職優先
今回「自民党の明日を創る会」の提言の中で予備選挙導入を強く主張した私だが、その背景には、さきの総選挙で、一昔前であれば自民党から立候補していたであろう若き人材がかなり他党に流れてしまった事実があった。企業も政党も最後はヒト。国家もヒトだ。「自民党から出馬できないからやむなく・・・」との声が多く聞かれたが、たしかに自民党は歴史があるだけにどの選挙区にも現職がいることが多い。結局どんなに若くて優秀であっても「現職優先」という「参入障壁」に阻まれて立候補できず、いつまでも新陳代謝が行われない。予備選挙がなければ、有権者に受け入れられない候補者を公認してしまうという「あやまち」を回避することはできず、そのツケは有権者が払うことになってしまうのだ。
世襲議員は親を見て政治家の生活をよく知っており、選挙でも苦労しない、といわれるがとんでもない話だ。親の苦労を身近に見ているだけに、その恐ろしいまでの苦労に飛び込むことに私自身、躊躇したし、ましてや一回だけの人生をたまたま私と一緒に過ごすことになった妻や子供たちにとっては「思わぬ事故」に遭遇するようなものだ。
私が初めて政治家を志してサラリーマンを辞める時には本当に悩んだ。辞職直後、家族に対する申し訳ない思いを胸に、皆で京都に旅をしたときの重たい気持ちは今も忘れられない。しかし、そうした家族の犠牲があっても、なお日本の将来のために自分の全てを賭けてみようと思ったのだった。だからいつの日かわたしが政治の世界から身を引くときが来たとしても、新しい道を模索しながら、かつて転身を決意した際に心に抱いたものと同じ社会への熱い思いは、変わらず私を突き動かしつづけるに違いない。
世襲制を批判するのはたやすい。しかし、若い頃から政治的な環境のなかで広い視野と社会への関心とを培ってきた経験は決して無駄ではないはずである。それを活かせるかどうかは、ひとえに本人の実力と気概にかかっている。いま、問われているのは、二世か否かではなく、時代の大きな転換期にこの国の行方を担おうとする政治家一人一人の生きる構えではないだろうか。社会への熱い思いを抱きつづける政治家が育っていく限り、この国の将来は明るいはずだ。 

 

●岸信千世31歳 世襲批判の先に 衆議院補欠選挙山口2区
政治家の世襲をめぐって注目を集めたのが衆議院山口2区の補欠選挙だ。元総理大臣で曾祖父の岸信介、防衛大臣を務めた父の信夫、そして今回初めて立候補して選挙戦を制したのは31歳の信千世だ。岸家の看板を背負った選挙は世襲候補に対する批判との戦いでもあった。
保守王国山口の新たな候補者
「伯父の安倍元総理大臣や父は、情熱を持って山口と日本の未来を創るために行動を起こし、こうした意思は私にも通じている。山口と日本の課題の克服に全力で取り組む覚悟だ」ことし2月、山口県岩国市で開いた会見で岸信千世はこう決意を述べ、衆議院山口2区の補欠選挙への立候補を表明した。これからさかのぼること約2か月、信千世の父で防衛大臣を退任した岸信夫は、後援会の会合で「次の選挙は難しい。病気の治療に専念したい」として次の衆議院選挙に立候補せず、長男の信千世を後継とする考えを示した。信千世はテレビ局記者を退職したあと、父の秘書や防衛大臣秘書官を務めていて、こうした動きは政治家になるための布石だと目されていた。31歳の若さで政界への挑戦を決意し、保守王国と言われる山口に新たな将来の有望株の誕生だと関係者の期待は膨らんでいた。
立候補表明後 批判を浴びる事態に
しかし、立候補表明からわずか数日後、世襲批判が一気に吹き荒れる。原因は信千世のホームページに掲載された家系図だった。家系図には、父・信夫だけでなく、伯父・安倍晋三、曾祖父・岸信介、佐藤栄作といった総理大臣経験者の名が連ねられていた。インターネットには「家柄自慢」「なぜ女性は含まれないのか」といった批判の書き込みが相次いだ。政治家の世襲が批判の的になると、ほどなくしてホームページから家系図は削除された。華々しいデビューのはずが、世間からはいきなり出ばなをくじかれる形となった。
世襲批判も楽勝ムードだったが…
それでも陣営には選挙戦での楽勝ムードが漂っていた。信千世の世襲による立候補は誰もが知る、いわば織り込み済みのことで、想定の範囲内の批判だと受け止められていた。3月上旬、総理大臣の岸田文雄が激励に山口を訪れた際、信千世は次のように語り批判をはねのけた。「世間ではいろいろな声が聞かれます。こうした声に一つ一つ惑わされることなく、我々ができることを精いっぱい、一歩一歩着実に歩みを進め、選挙戦、奇をてらわずに戦って参りたい」実際、父・信夫が、過去の選挙で7割ほどの得票率で圧勝していたことや、今回も野党側の候補者の調整が難航していたことも、こうした楽勝ムードに拍車をかけていた。この頃にようやく共産党が候補の擁立を決めたものの、山口にゆかりのない候補だったこともあり、これまで同様、今回も早々に当選確実が決まるという見方が広がっていた。
対立候補は元法務大臣のベテラン
しかし、共産党の候補者擁立の決定からまもなくして、平岡秀夫が突如、立候補を表明した。平岡は2000年の衆議院選挙で、当時8回目の当選を目指した自民党現職で元総理大臣・佐藤栄作の息子・佐藤信二を破り、保守王国山口に風穴を開けた。衆議院議員選挙に5回当選し、旧民主党政権では法務大臣や総務副大臣を歴任したベテランだが、2014年の選挙で落選し一線を退いていた。くしくもこの時の選挙で敗れた相手は信千世の父・信夫だった。平岡は立憲民主党の山口県連顧問であったものの、党からの全面的な支援が受けられないことから、無所属での立候補となった。会見で平岡はこう述べた。「世襲については一概に悪とは思っていない。世襲のいい所もあれば悪いところもあるが、お父さんの思いを背負って全力で働きたいというのであれば、政治に発展がない」この立候補表明のあと、共産党は予定していた候補の擁立を取り下げ、平岡への自主支援を決めた。これにより、告示までわずか2週間にして信千世と平岡の一騎打ちの構図が固まった。
自民幹部も世襲批判を意識
4月11日の告示日当日の出陣式。信千世は父がいつも選挙戦で着ていた白いウインドブレーカーをまとって登場した。父からは地盤だけでなく秘書や後援会など全面的に引き継いで選挙戦を展開。
選挙期間中は自民党安倍派の国会議員のほか、地元の県議会議員や自治体の首長が顔をそろえ、世襲批判をはねつける演説を重ねた。「政治家って別に家系でやるもんじゃない。お父さんの秘書官を務めて、防衛省の中で汗かき飛び回っていた」(萩生田政調会長)「世襲批判を前向きにはねのけて、ニュー岸を見せつけるんだ。皆さんも彼の名前よりも彼の人柄、能力を見るんだというつもりで選挙戦を戦い抜いていただきたい」(世耕弘成参院幹事長)
楽勝ムード一転 危機感に
選挙戦では、少子高齢化に伴う人口減少や過疎化への対応、厳しさを増す地域経済の振興を政策に掲げた信千世。しかし期間中、世襲批判だけでなく、今度は「演説がうまくない」「話の中身がない」といった反応も目立つようになり、じりじりと平岡に差を詰められているという危機感が広がった。岸陣営は当初「父を超える得票数」を目標に掲げていたにも関わらず、手応えを感じられない選挙戦に、ついには「厳しい戦い」とまで漏らすようになった。
戦い制すも無党派支持は限定的
選挙戦を制した信千世。NHKが行った出口調査では、自民党支持層の約80%、公明党の支持層の70%台後半の支持を得たが、特に支持している政党はない、いわゆる無党派層からは20%台後半にとどまった。これに対し、平岡は、無党派層の70%余りから支持を得て、はっきりと投票行動がわかれる結果となった。信千世の勝利は保守王国の牙城に守られた形とも言える。 

 

●日本の首相「7割が世襲」の異常。政治を“家業”にして特権を独占する世襲議員の闇
7月10日は参議院議員通常選挙の投票日です。日本の政治家は石を投げれば「世襲議員」にあたると言われるほど、政治家の身内が議員となります。なぜ、世界にもまれにみるほどの「世襲」が行われているのか?この選挙のタイミングに投票者に考えてもらいたい「世襲議員の闇」に迫ります。
石を投げれば「世襲議員」に当たる
今回のテーマは「世襲議員が日本を滅ぼす!」です。
まもなく第26回参議院議員通常選挙の投票日(7月10日)を迎えます。よいタイミングなので「世襲議員の闇」についてえぐっておきたいと思います。
日本の国会議員数は710名(衆院465名・参院245名)ですが、3人に1人が世襲議員です。
衆院の自民党に限れば4割が世襲なので、石を投げれば大抵当たるでしょう。
それほど日本は、世襲議員だらけなのです。
米国では、上下両院議員で5%以下の世襲比率です。
ここでいう世襲議員の定義は、議員本人と配偶者の3親等内に国会議員、地方議員、地方首長などがいた場合です。
世界でも突出して、世襲議員の比率が高いという「奇観」を呈しているのが、この日本なのです。
総理大臣の世襲率は70%
世襲議員は当選しやすく、若くして選ばれるため、政権与党内でも早く出世できます。世襲議員同士の身びいきや、親の七光りもあって、注目度も高くなりがちです。もちろん、見識や能力、適性といったことは、へったくれも問われません。
「一族」の保身と利権の維持が第一義の目的となっているわけで、「家業」としての政治家継承ですから、政治への志(こころざし)そのものが異質性を帯びています。
社会人としてのスタートからして、自力で道を切り開くことなく、端(はな)から一般国民をなめている存在なわけです。
しかし、こうした世襲議員ばかりが増殖してきたのが日本の国会の実態なのです。
そのせいか、我が国の首相も、脆弱なボンボン世襲だらけです。
平成元年(1989年)〜令和3年(2021年)の32年間を見ても、19人の総理大臣が輩出されましたが、世襲でない首相はたったの6人しかいなかったのです(宇野宗祐、海部俊樹、村山富市、菅直人、野田佳彦、菅義偉)。
つまり総理大臣の世襲率約70%という異常さで、ものすごい「醜怪状況」を世界に晒しているのです。
ところでこれは、国会議員だけに限った事情ではありません。
地方議員も世襲だらけだからです。
ただし、世襲に限らず、地方議員そのものが「痴呆議員」となっている実情については回を改めて記したいと思います。
世襲議員をはびこらせてきた「ザイアンスの法則」
もっとも、ひとくくりに世襲議員はみんなケシカランーーとは切り捨てられません。
「選挙」というフルイにかけられた「選良」という存在であり、なんたって、日本国民が選んだ存在なのですから。
では、日本の有権者が世襲議員をことさらに好む理由は何なのでしょうか。
どうやら、心理学でいう「ザイアンスの法則」に適った現象といえそうです。
ザイアンスの法則とは「人は見知らぬ人には冷淡に接する。人は会えば会うほど好意的になる(単純接触効果)。人はその人物の人間的側面を知るとより強い好意をもつ」という人間心理の法則なのです。
地元で見慣れた顔であればこそ、親近感を覚えるのです。これと類似性があるのは、顔が知られたタレント候補の場合でしょう。
なぜ政治家は自分の議席を身内に譲るのか?
いっぽうで、自分の議席を息子や娘といった身内に譲り、世襲議員を続々と誕生させていく側の論理は、どういうことなのでしょうか。
今回の参議院選挙でも、自民から11人、立民から2人、維新から2人、公明からa人、社民から1人、無所属から2人と合計19人の世襲候補がいるのです。全体の3.5%に相当します。
今回の参院選挙では、一見少なく見えますが、昨年10月の衆院選挙では、131名もの世襲候補がいたのです(全体の23%)。出すほうも出すほうですが、恥ずかし気もなく出るほうも出るほうでしょう。
世襲させたいのは、国会議員の身分があまりにも恵まれているからと言えるでしょう。
オイシイ果実は、身内に継承させることで、赤の他人には絶対渡したくないという一族の論理があるからなのです。
国家・国民のためというよりも、「一族の利権」確保の要素が、極めて強い動機になるからです。
なんたって、当選すれば、「高額報酬」「政治権力」「高待遇」がいっぺんに手に入ります。
国会議員は無税で政治資金を「個人資産」にできる
そして、なんといっても、世襲議員は当選しやすいから…という理由もあるでしょう。
選挙は、昔から「地盤(地元の後援会組織)」「看板(地元での知名度)」「カバン(資金力)」の3バンが大事といわれます。
地元利権を継承させたい支援者も多くいるので、応援体制も整っています。
特に強みは「カバン」でしょう。
政治家の政治資金管理団体は、無税で身内に引き継げるので、親から子への「無税での贈与や相続」も行えてしまうのです。
政治家は引退したらその政治資金は、国庫に返納させるべき性格の金なのにです。こんな不当な制度は禁止すべきでしょう。
2006年に「週刊現代」が報じて発覚した事件では、小沢一郎衆院議員(世襲2代目)の政治団体「陸山会」がゼネコンから得た6億円余の政治献金で土地を購入し、小沢議員の個人名義で登記していたことが問題になりました。
建前上、政治家個人への献金は禁止されていますが、政治資金管理団体経由であれば、巨額の個人資産の形成も容易に図れるゆえんなのです。
国会議員の報酬は異常にオイシイ
では、国会議員の報酬のほうはどうなっているのでしょうか。
まとめてドカンと渡すと、あまりにも高額で目立つため、名目だけ複雑にして、分別して支給しています。
給与に相当する「歳費」が月額129万4千円で、年額で1552万8千円。
ゆえにマスコミ報道などでは、これだけを切り取って国会議員としての給与は年間たったの1,500万円程度などと、ヌケヌケと少なめに告げる人が多いゆえんです。
そしてボーナスに相当する「期末手当」が年間635万円。
ここまでの合計報酬だけでも2,187万円ですが、報酬はまだまだ別名目で支給されます。
「調査研究広報滞在費(旧名称は文書通信交通滞在費)」が月額100万円で年間1,200万円ですが、これは無税で使途の明細報告も不要です。
昨年10月31日の衆議院議員選挙では、1日だけ議員在籍でも月額分の100万円が支給されたので物議を醸しました。
手取りで年間1,200万円が受給できるというのは、サラリーマンの場合なら、年収2,200万円での税率40%が課されての手取り額と同等なのです。
日本の所得税は累進課税ゆえに、高額報酬であるほど税率が高くなります。無税で月額100万円とは、ものすごくオイシイ報酬なのです。
そして、法律など作らなくても、会派経由で入る「立法事務費」が年間780万円あります。
さらに国民一人あたり250円の税金徴収から年間320億円弱の「政党交付金」が、議員一人当たり年間4,400万円分も政党に配られるため、議員個人に対しても最低でも1,000万円ぐらいの「分け前」がもらえます。最低でもです。
ちなみに日本共産党は、支援していない政党にまで、税金を配るのは憲法19条の「思想・良心の自由」を踏みにじり、憲法21条の「結社の自由」を侵害しているとして、一貫して受け取りを拒否し、政党交付金の廃止を求めています。
この点についてはなかなか筋の通った、もっともな主張といえるのですが、共産党に配分される分の交付金が他の政党に分配されているという「矛盾」は残念なのです。
さて、ここまでの国会議員の報酬額を合計すると、年間で約5,000万円超に及びます。
2021年時点での東証一、二部上場企業の社内取締役の平均報酬額3,630万円を軽く凌駕しています。
参議院議員なら解散もなく、6年間の任期ですから、1期務めるだけで3億円が転がり込みます。みんな国民の税金です。
政治資金という名の「合法ワイロ」
この他にも口利きや利権にまつわる合法ワイロと呼ばれる「政治献金」が団体や個人から、議員が管理する政治資金管理団体に入ってきます。
ちなみに2019年の自民党の本部収入は約245億円で、うち政党交付金が72%、企業・団体からの政治献金が10%を占めています。
政党交付金の導入時(1994年)に企業・団体献金を廃止するはずだったにも関わらず、いまだに大企業などからの政治献金‘(団体献金)は廃止されておらず、団体献金枠を超えた金額を個人献金に偽装するなど、政治家が表向きの公約とは裏腹の歪んだ大企業優遇政策が行われるゆえんともなっているのです。
また、ホテルの大宴会場で開く「政治資金パーティ」でもシコタマ稼げます。
議員になるとこんなにオイシイのですから、自分が勝ち取った議席は、能力や適性があろうがなかろうが、是が非でも自分の子息に世襲させたくなるわけです。
国会議員は高額報酬以外にも高待遇がてんこ盛り
国会議員になると、オイシイ特典がまだまだあります。
国会議事堂傍の議員会館の家賃、電話代、水道光熱費はタダですし、地方選出国会議員なら赤坂にある議員宿舎(82平方メートル・3LDK)などは、相場の2割程度の家賃(12万6,000円)で住めます。
海外視察旅行代もタダ、JR全線のグリーン車乗り放題パスや、私鉄の無料乗車パスも支給され、地元選挙区との航空券の往復チケットも月に4回分タダで支給されます。旧名称の「文書通信交通滞在費」との重複もよいところでした。
さらに、公設秘書も3名雇え(第1秘書、第2秘書、政策秘書)、その給与の年間合計2,400万円から、強制的に議員の政治資金管理団体への寄付までさせている議員もいるので、国会議員はまさしく銭ゲバ状態なのです。身内や親戚を秘書にするケースも少なくありません。
人口が日本の2.6倍の米国の上下両院議員の総数は535議席ですが、議員個人に入る年間報酬額は、17万4千ドルだけです(1ドル110円換算だと1,914万円、1ドル136円換算だと2,366万円)。
ただし、立法経費を上院議員で約2億円分、下院議員で約1億円分まで計上してスタッフを雇ったりできますが、透明性は日本の比でなく高いため、議員個人のポケットに入れられる性格の金銭ではありません。
米国と比べ、日本の国会議員が、いかに曖昧で莫大な報酬をフトコロに入れているかがわかります。
それにしても、米国と比べて710名もいる日本の国会議員は多すぎでしょう。せめて半分の350名ぐらいにすべきです。
そうでないために、世襲やタレントでの「政党の員数合わせ」が幅を利かすのです。
こうした日本の国会議員の報酬額や数々の特権は、多数派の政権与党がお手盛りで法案を通過させ、成立させてきたからこそのオイシイお宝だったのです。
一族の特権を守るのが世襲政治家の第一義
選挙の時だけ、実現できない空疎な公約や耳触りのよいスローガンを並べるだけです。
ましてや、世襲議員は「家業」として国会議員を代々続けてきたのですから、一族で蓄積してきた資金力も盤石です。
「一族の特権」を守ることが第一義となるわけですから、シモジモの国民の声に対しても、聞く耳をもたないのは当然なのです。
エビで鯛を釣りたい大企業は、与党に政治献金を流し込み、大企業優先の規制緩和や、税金減額、補助金などを付与してもらう構図です。与党は、大企業対象に優先的に税金を大量にばら撒いてやるだけでよいわけです。
「GOTOキャンペーン」もそうでした。
自民党の幹部は、全国旅行業協会会長として、年間数百万円の政治献金を貰っただけで、たちまち1兆7千億円分の「GOTO予算」を組みました。
合法ワイロの政治献金の制度が許されているために、庶民の声は届かずに、大企業優遇政策が続けられ、肝心の国政は、米国の言いなりに従っていればよい、といったことにもなるわけです。
ちなみに米国で銃規制がすすまないのも、全米ライフル協会が政治献金を上下両院議員にバラ撒いているからです(銃の所持自体は米国憲法が保証)。
日本国民もシラケるいっぽうでなく、みんなが投票に行き、束になってガツーンと政治に風穴を開けてやる必要があるでしょう。
投票率が高くなるほど、政治の緊張度も高まります。
前回の参院選の投票率48.8%のような低投票率では、自公政権が喜ぶだけで、格差は広がり、消費税率も上がるいっぽうの未来となるでしょう。投票率が9割程度になれば、政治も変わるはずです。
いずれにしろ、世襲議員がこれほど跋扈できるのも、蓄積した資金力が潤沢だからですが、こんな代々の利権を継承することを目的化した議員を輩出していると、真に能力のある人が立候補しなくなります。世襲候補でないと、当選しにくいからです。
優秀な人材が政治を担わないと、日本の衰退と混迷は一層深まるばかりでしょう。
ますます国民の声を政治に反映できなくなるからです。
特権に胡坐(あぐら)をかき、利権口利きに走るばかりの世襲議員は国会から追放するのが、国民主権の回復につながるはずなのです。
選挙の時には、真剣に考えてから、貴重な一票を必ず投じたいと思います。 

 

●「世襲の、世襲による、世襲のための政治と“美しい国”日本」…
二世でないと政治家になれないこの国の10年後がヤバすぎる
生まれ持った地位や財産に関係なく、幸せになれる世の中を作ろう―そんな先人たちの思いを、国のトップたる岸田総理が嘲笑う。いつから日本は、親の力で人生が決まる国になってしまったのか。
銀の匙をくわえた二人
「門閥制度は親のかたきで御座る」
貧しい下級武士の家に生まれ、下駄作りで家計を助けた少年は、苦学の末に幕臣となり、遣米使節として「咸臨丸」で海を渡った。江戸開城の年、彼は自らの私塾を「慶應義塾」と名づける。
冒頭の一文は、福沢諭吉翁が『福翁自伝』(1899年刊)で語った有名な言葉である。「義塾」には「学費のいらない学校」の意味が込められていた。
それから120年あまりが経った。いま皮肉にも、慶應義塾大学を出た二人の若者が親の富と権勢を世襲して、政界入りしようとしている。
その一人目、岸田翔太郎氏は32歳の若さで総理官邸中枢に出入りする。父親の岸田文雄総理が、後見役である麻生太郎・自民党副総裁にさえ相談せず、独断で引き上げた。総理の言動、思考、機密事項、身辺のこまごまとした事柄すべてを把握し、他の官邸スタッフとは一線を画す「筆頭秘書官」として、である。
あまりにも露骨な人事には、自民党岸田派の議員すら呆れている。
「翔太郎くんが官邸に入ってから重要情報がやたらマスコミに漏れるようになり、年明けのイギリス外遊では物見遊山していたとすっぱ抜かれた。だいたい、3年前まで三井物産でサラリーマンだった30そこそこの坊ちゃんが、振り出しから筆頭秘書官で1000万円を超える俸給までもらうなんて、あり得ない。後継者にするつもりなら、いくら可愛かろうと、地元の事務所で10年雑巾掛けさせるのが普通です。
経験ゼロの息子をいきなり役員にする中小企業の社長じゃあるまいし。自信過剰につながるから、何より翔太郎くん自身のためにもならないよ」
注目が集まる世襲選挙
もう一人の若者、岸信千世氏はこの4月、初めての選挙に臨む。体調不良で公務が続けられず、'22年12月に政界引退を表明した父・岸信夫前防衛大臣の地盤・山口2区を、31歳にして受け継ぐことになった。
2月7日に開いた出馬表明会見では、「曽祖父、祖父、伯父、そして父。みんな情熱を持ってこの山口と日本の未来をつくるために行動を起こしてまいりました。こうした意志は私にもしっかりと受け継がれております」と、のっけから血筋をアピール。さらに公式サイトには「岸信介」「佐藤栄作」「安倍晋太郎」「安倍晋三」「岸信夫」と、血縁の大物政治家を列記して猛批判を受けた。山口の自民党関係者が言う。
「山口では4区で晋三さんの弔い選挙も行われるから、岸陣営は『何としても信千世を勝たせる』と必死です。しかし、地元では昔からの支持者も含めて正直、冷ややかに見ている人が多い。『まだ子供じゃないか』『地元に全然住んだこともないのに、ただ息子だからといって出すのか』といった声もよく耳にします。旧統一教会の問題で、安倍家や岸家への支持が揺らぐ人も出てきています」
信千世氏の祖母で「政界のゴッドマザー」の異名をとる94歳の安倍洋子氏は、彼を岸信夫氏の後継というより、事実上安倍晋三氏の後継―つまり「総理になる男」と考えているという。岸家の家督継承者が受け継いできた「信」の字に、永遠を意味する「千世」を合わせた彼の名からは、政治家一族の永続にこだわる執念すら伝わる。
アメリカとは大違い
日本の政界は世界でも類を見ない「世襲天国」である。現在の第2次岸田改造内閣では閣僚20人のうち、世襲でない、または政治家と血縁・縁戚関係がない政治家は半数に満たない8人。岸田総理をはじめ、林芳正外務大臣、鈴木俊一財務大臣、加藤勝信厚生労働大臣、河野太郎デジタル大臣など主要な閣僚は世襲組が占める。
自民党幹部に目を向けても、麻生副総裁、組織運動本部長の小渕優子氏、国対委員長の高木毅氏、幹事長代行の梶山弘志氏、参院幹事長の世耕弘成氏ら13のポストのうち8人が世襲だ。自民党全体に占める世襲議員の割合は約3割だが、出世すればするほど増えていくように見える。
歴代総理ではさらに顕著になる。平成以降の総理19人中、世襲組はなんと12人。ちなみにアメリカ大統領は戦後14人いるが、世襲といえるのはケネディ大統領とブッシュ親子だけで、他は貧しい農家や商店主の家庭などから自力で這い上がった人物がごろごろいる。
民間から政界に入った自民党中堅議員は言う。
「私たち叩き上げ組に言わせれば、世襲の連中は政治家人生の至るところにある関門で『優先パス』を持っているようなものです。まずは初出馬の時。自民党は表向き『公募』で候補者を選びますが、選考はちょっと論文を書かせて面接するだけで、実際は親父と地元の有力議員が手を突っ込んで決めてしまう。この時点で一般人は排除されます。選挙戦でも親の後援会と支援団体、地元企業や組織との付き合いを引き継ぐから、よほどの能無しでなければまず負けることはありません。
そして出世。たとえば親が外務大臣だったら、一年生議員のときから外務省の幹部が訪ねてきて『父上にはお世話になりました』と頭を下げてくるから、人脈も引き継げる。それに足元が弱い非世襲組はたまに落選しますが、世襲組はめったに落ちない。当選回数が多い議員ほど人事で優遇されるので、閣僚のイスや党幹部のポストも早く回ってくるわけです」
麻生・二階「権力の相続」
初当選から総理までの道をマラソンにたとえれば、世襲議員は20km地点から車に乗ってスタートできるようなもので、非世襲の議員とは圧倒的な格差がある。まして、父親や伯父が総理ともなれば、周囲が下に置くようなことは決してない。岸田翔太郎氏や岸信千世氏も、小泉進次郎氏と同様、たとえ能力に多少の難があろうとも、若くして自民党の中枢に食い込んでいくことが約束されているのだ。自民党のベテランスタッフが言う。
「他にも、これからの出世頭には世襲組が目立ちます。小泉純一郎政権で農水大臣や幹事長を務めた武部勤さんの息子・新さんは、他に有力議員が少ない農政族で、かつベテラン議員が少ない北海道が地元のため、近いうちに農水大臣や道連会長に就くことが確実。二代続けて『小泉総理・武部幹事長コンビ』になるかもしれません。
元官房長官の塩崎恭久さんの長男・彰久さんはおととしの衆院選で初当選しましたが、政策立案能力と人柄が図抜けていると早くも評判で『嫌われていた親父よりも出世するだろう』と言われています。参議院でも元官房長官の青木幹雄さんの長男・一彦さんが、悪目立ちせず足場を固めて『二代目・参院のドン』の道を確実にしつつある」
現時点で「次期総理候補」と言われる大物も、林外務大臣や河野デジタル大臣など先にも挙げた世襲組ばかりで、叩き上げは茂木敏充幹事長くらいだ。一方、80代に入って引退を控えた麻生氏や二階俊博・自民党元幹事長ら長老も、息子たちへの地盤継承に動き始めている。次世代が頭角を現す2030年前後には、総理や閣僚、幹事長クラスをすべて世襲議員が占めてもおかしくない。
世襲議員に国民の気持ちはわからない
警察官僚から政界へ移り、地盤もコネもカネも持たない境遇から叩き上げた亀井静香・自民党元政調会長が言う。
「世襲は絶対にダメとは言わない。親の背中を見て政治のイロハを学ぶこともあるだろうからね。でもそれだけでは、国民の気持ちはわからないだろうな。ボンボンで不良の麻生はそのいい例だ。
俺は自分の息子には『絶対に政治家になるな』と言い聞かせてきた。岸田は息子を鍛えようと思って官邸に入れたのかもしれないが、これから親父の力を頼んで議員バッジをつけるようなことになれば、結局は弱い政治家になるだけだ。10年後の日本政治はもっと退化してしまうだろうな」
時代が下り、人々の意識が変わるにつれ、世襲政治家は減っていくはずだ―かつて日本人はそう素朴に考えていた。しかし、現実はその逆になっている。背景には、日本政界のあまりにも強い「構造」がある。元共同通信政治部記者・総合選挙センター次長の稲井田茂氏が指摘する。
「近年むしろ世襲議員が増えているのは、つまるところ『そのほうが選挙で勝てるから』という理由に尽きるでしょう。自民党は'09年の政権交代選挙で大敗しましたが、その次の'12年総選挙で政権奪取の原動力となったのが、カネも地盤もある世襲議員たちでした。
新人がゼロから人的ネットワークを作り、資金を集め、組織・団体を説得するのは並大抵のことではないし、選挙運動で『種火』となってくれる側近も、世襲組のほうが出て来やすい。有権者は親と同じ苗字、似た顔の候補者の名前を思わず書いてしまう。結果として、世襲議員しか勝ち上がれないシステムがますます強固になるのです」
悪循環が止まらない
'14年に『21世紀の資本』がベストセラーになったフランスの経済学者トマ・ピケティは、「自由な経済活動ができる資本主義社会では、放っておくと格差が広がり続ける」という理論を示して世界に衝撃を与えた。政治の分野でも、経済と全く同じことが起きている。「自由放任」にすると世襲議員だらけになり、一般人が政治に参加するハードルが上がる。その結果、さらに世襲が増えていく―そんな悪循環がすでに始まっているのだ。
そうした世の中では、仮に政界に進んでいれば有為な政治家になっていたかもしれない人材も、見出されることなく消えてしまう。打破するには、票を投じる有権者も考え方を変える必要があるが、容易ではない。社会学者で「格差の再生産」問題に詳しい、筑波大学教授の土井隆義氏が言う。
「日本人は『政治はお上のもの』という意識が強い高齢層、『誰でも政治参加することが大事』と考える中年層、『何をしたって政治は変わらない』と諦めている若年層の3つの世代に分かれています。
特にこれからの社会を担う40代以下の世代では、平成以降に経済が低迷して格差も広がったために『努力しても報われない』『生まれ持った家柄や資産で人生は決まる』という意識が広がっています。人は過酷な自由競争にさらされると、『生まれ』のように揺るがないものにかえって憧れを抱くという面もあります。
そのような社会では、世襲議員に安心感を抱く有権者が増えていく。そして政治家の側もむしろ『世襲をアピールしたほうが支持される』と考えるのが主流になっていくかもしれない。望ましいことだとは思えません」
日本はもう、総理大臣が子息に堂々と地位や権力を授けて憚らない国になってしまった。このまま「バカボン」に舵取りを任せ続ければ、日本丸の沈没は確実である。 

 

●「地盤・看板・カバン」政治家の世襲制限が進まない理由は? 
このところ、岸田総理の長男による、総理公邸での振る舞いが物議をかもしていますが、この件をきっかけに、議員の世襲が改めて、問われています。
翔太郎氏が秘書官交代
記者(5月29日)「本人から辞任の申し出があったのか?総理から更迭したのか?」
岸田総理「けじめをつけるために交代させた、今申し上げたとおり」
6月1日に交代となった岸田総理の政務秘書官、長男・翔太郎氏。
2022年の年末、親戚らと総理公邸で忘年会を開き、組閣の記念撮影を真似た“組閣ごっこ”と揶揄される写真が、週刊誌に掲載されました。
また2023年1月の総理外遊中に、公用車を使って観光していたと報じられるなど、批判が相次いでいました。
こうした行動について、街からも厳しい声が…
男性「何をしていいか、何をしちゃダメなのかを分かっていない」
女性「親からのプッシュがあって苦労していないから、多分、自分でそういう区別がついていない」
「地盤・看板・カバン」政界に多い世襲議員
元々、翔太郎氏は、岸田総理の後継者として議員となる、いわゆる「世襲」が期待されていましたが、今回の件で、与党内からも、それを危ぶむ声が聞かれたのです。
親や親族が議員で、選挙区での強固な支持組織、親の代からの知名度、そして資金力という、いわゆる「地盤・看板・カバン」を受け継いで議員になった人を、“世襲議員”と呼びます。
実は岸田総理も、祖父、父から3代続く世襲議員。こうした世襲議員は実に数多くいます。
総理大臣の多くが世襲
初当選・安倍晋三氏(1993年)「父の夢を追い続け、志をしっかりと受け継いでまいります」
例えば安倍晋三元総理は祖父・岸信介(のぶすけ)氏が総理、父・安倍晋太郎氏が外務大臣という議員一家。
福田康夫元総理は父・赳夫氏も総理で、息子の達夫氏が自民党の前総務会長。また民主党政権で総理となった鳩山由紀夫氏も、祖父・一郎氏が総理、父・威一郎氏が外務大臣を務めました。
日本では、1990年代半ばからの20年で、衆議院議員の世襲の割合は、おおむね25%以上、4人に1人とするデータもあります。
世襲制限の議論も…
こうした状況には以前から批判がありました。例えば、2003年の総選挙。父・江藤隆美(たかみ)氏のあとをついで息子・拓氏が出馬した際には…
記者(2003年)「世襲という批判についてはどう、お答えになりますか?」
江藤隆美氏「馬鹿者!世襲の、何のと言うな!」
そこで自民党は2009年の総選挙のマニフェストで、次回の選挙から「世襲制限」をもうけるとしました。
2009年、小泉純一郎元総理の地盤を受け継いで初当選した息子・進次郎氏は当時、世襲についてこう語っています。
小泉進次郎 氏(2009年)「世襲は歌舞伎役者や落語家みたいに、世襲になりました、成立します、というんじゃないんです。皆さんが当選させて初めて世襲は成立するんです。有権者の皆さんの判断だと思うんです」
世襲の問題点とは?
日本で数多く見られる“世襲議員”。その問題点を、毎日新聞の与良正男さんは…
与良正男・毎日新聞客員編集委員「政治っていう一番公共性を保たなくてはいけない仕事が、一種の“家業”。結果的に新しい人たちが政治家になろうと思ってもなかなか入ってこれない。その大きい壁になっているのは間違いない」
イギリスの世襲事情
片や同じ議院内閣制の先進国イギリスでは19世紀後半、特権階級が支配する政治に労働者の不満が高まり、以後、選挙制度が改革されます。
そして誰でも政治家を目指せるように、2大政党の方針として大部分の候補者は、地元に縁のない選挙区から立候補することとなり、事実上、世襲は難しくなったのです。
サッチャー首相(1979年)「イギリス国民の私への信頼に応えるため、私は休むことなく努力し続けます…」
例えば、首相を見てもサッチャー氏は雑貨店の娘、メージャー氏はサーカス芸人の息子、メイ氏は牧師の娘など、多様な人材登用が進み、世襲議員は下院で5%余りとされています。
世襲制限が進まない理由
一方で容易に「世襲制限」が進まない日本。その訳を与良さんは…
与良正男・毎日新聞客員編集委員「とりわけ日本の場合は、名門とか、家とかいうのも非常に大切にする、個人よりもありがたがる。能力、資質よりもあの家のお坊ちゃんだと。それがどんどん継承されていく。一種の固定化につながる。権力の固定化」
こうした`世襲議員'に、街の声は…
女性「知名度が高くて票が入るのはちょっと仕方ないかなと…」
女性「もうちょっと政策とかちゃんと聞いた上で投票した方がいいのでは」  

 

●「息子に甘いパパ」 岸田首相
●首相長男外遊中「公用車で観光」 「週刊新潮」報道受け点検へ 1/26
岸田文雄首相の長男の翔太郎秘書官が、欧米歴訪に同行した際、滞在先で公用車を利用して観光していたと「週刊新潮」が報じた。磯崎仁彦官房副長官は26日の記者会見で、公用車の運用状況を点検すると明らかにした。一方で、視察内容の重要性などから必要な範囲内での利用だったとの認識も示した。
今週発売の週刊新潮は、翔太郎氏が今月9〜15日に首相の欧米5カ国歴訪に同行した際、フランス・パリや英ロンドンで公用車を使い観光や買い物などをしたと報じた。
翔太郎氏は昨年10月、岸田事務所の公設秘書から政務担当の首相秘書官に就任。与野党から「身内びいき」と批判された経緯がある。
●首相長男 翔太郎秘書官“公用車観光”報道「運用は必要範囲で」 1/26
岸田総理大臣の欧米歴訪に同行した長男の翔太郎秘書官が公用車で観光などを行ったと報じられたことについて、木原官房副長官は、一般論として公用車での視察などはありえるとしたうえで、運用は必要な範囲にとどめるべきだという認識を示しました。
1月26日発売の「週刊新潮」は、今月、岸田総理大臣が欧米5か国を歴訪した際、同行した長男で秘書官を務める翔太郎氏が、現地で公用車を使って観光や買い物を行ったと報じました。
これについて、木原官房副長官は記者会見で「一般論として言えば、総理大臣の外国訪問で行事に同席しない関係者が必要上、官用車を利用して視察や訪問を行うことがある」と述べました。
そのうえで「その際、業務の内容や重要性、視察先の安全情勢や交通状況などに照らしつつ、必要とされる範囲内での運用とすべきであることは当然だ」と述べました。
●首相長男撮影の観光地写真、官房長官「使ってない」 公用車を利用 1/30
岸田文雄首相の長男で、政務秘書官を務める翔太郎氏(32)が、首相の欧米歴訪時に公用車で観光地をめぐって撮影した写真が、政府の対外発信で使われていないことがわかった。松野博一官房長官が30日午前の記者会見で明らかにした。これまで政府は、公用車を利用して観光地をめぐったのは対外発信用の撮影だと説明していた。
松野氏は「現時点では対外発信に使用していない」と認めたうえで、撮影した写真は「(外国訪問の)日程終了直後に対外発信に使用することもあれば、一定期間収集し、後日、一連の活動記録として対外発信に使用することもある」と説明した。
翔太郎氏は、今月9〜15日の首相のフランス、イタリア、英国、カナダ、米国の歴訪に同行した。その際に、日本大使館の公用車を利用して、パリやロンドンの観光名所を訪れ、現地の百貨店で買い物をしたと週刊新潮が報じた。
報道を受けて、政府は翔太郎氏に聞き取るなど調査した。木原誠二官房副長官は27日の会見で、対外発信に使うための撮影や、首相の土産購入などが目的だったとの結果を公表。観光や私用の買い物はなかったとして「不適切な行動はなかった」と説明した。
ただ、野党からは首相の任命責任を問う声が上がっている。立憲民主党の泉健太代表は27日の会見で、「(翔太郎氏が)秘書官になって、担務は何か誰もわかっていない。出てくるのは『官邸の情報が漏れた』『買い物に行った』とか、任命した側も問われる」と述べた。
翔太郎氏は岸田首相の公設の政策秘書を務めた後、昨年10月に首相秘書官に任命された。首相による身内の起用に対し、野党から「公私混同」との批判もでていた。
●岸田首相、長男行動「適切か考える」 公用車で観光報道 1/30
岸田文雄首相は30日の衆院予算委員会で、欧米訪問に同行した首相秘書官で長男の翔太郎氏が公用車で観光や買い物をしたとの週刊誌報道に言及した。「身内であろうがなかろうが、首相秘書官として行動が適切だったかどうか考えなければならない」と述べた。
「さまざまなご指摘をいただいている。今後、関係者がより緊張感を持ってこうした行動について考えていかなければならない。改めて徹底させたい」とも語った。
松野博一官房長官は同日の記者会見で、翔太郎氏が海外で撮影した写真について「現時点で対外発信に使用していない」と明らかにした。「(首相の外国訪問の)直後に使用することもあれば、後日に一連の活動記録として対外発信に使うこともある」と説明した。
外務省は同日、立憲民主党の質問状に「個人の観光動機による行動は一切なかった」と文書で回答した。「観光施設の中には一切入っていない」とも記した。
26日発売の週刊新潮は翔太郎氏が首相の欧米訪問に同行した際、公用車で観光や買い物に行ったと報じていた。
木原誠二官房副長官は27日の記者会見で、翔太郎氏の公務の一つとして「首相の対外発信に使うための街の風景やランドマークの外観撮影」をあげた。
●岸田首相「肯定も否定もしない」 翔太郎秘書官“公用車で観光” 1/30
岸田首相は30日、欧米歴訪に同行した長男・翔太郎秘書官が、公用車を使い、観光地などを訪問したと一部で報じられたことについて、「肯定も否定もしない」とした上で、「より緊張感を持って、こうした行動について考えていかなければならない」と述べた。
立憲民主党の山井衆院議員は、30日の衆院予算委員会で、翔太郎秘書官が岸田首相の欧米歴訪に同行した際に公用車を使い、観光地などを訪問したと一部で報じられたことについて、事実関係を質した。
これに対し、岸田首相は「『具体的な場所については特定しない』ということなので肯定も否定もしないということだと認識している」とした上で、「こうした行動について様々な指摘を受けているのは事実だ。今後、首相秘書官をはじめ関係者において、より緊張感を持ってこうした行動について考えていかなければならない」と述べた。
その上で「改めて徹底させたいと考えている」と強調した。
●「政権の超重要ポスト」が「長男の育成枠」に…身内は守る岸田首相の甘さ 2/9
岸田文雄首相の欧米歴訪に同行した長男の岸田翔太郎秘書官が、同行中に公用車で観光し、土産を買っていたと週刊新潮が報じた。ジャーナリストの宮原健太さんは「この問題の本質は、長男を政務秘書官にしている点にある。政権安定を目指すのであれば、身内ではなく、政局観に長けた人物を登用すべきだ」という――。
「同性婚見るのも嫌だ」荒井秘書官は更迭されたが…
官僚の不祥事は珍しいことではないが、首相側近が立て続けに問題を起こすことは極めて異例であろう。岸田文雄首相を支えるはずの荒井勝喜秘書官と岸田翔太郎秘書官のことである。
荒井氏は2月3日夜、記者団のオフレコ取材に応じた際、同性婚に関して「見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」などと差別的な発言をした。毎日新聞は「岸田政権の中枢で政策立案に関わる首相秘書官がこうした人権意識を持っていることは重大な問題だ」(毎日新聞2月5日朝刊)と判断し、荒井秘書官の実名を出して報道。他社も追随し大問題となって、翌4日に荒井氏は更迭されることとなった。
オフレコ取材の内容を報道したことについては賛否両論あるが、オフレコ取材であっても匿名で発言が報道されることは許容されていることや、差別などが含まれた重大発言については過去に実名で報道された例があることを考えると、荒井氏の発言はあまりにも軽率であり、岸田政権の緩さが表れていると言えるだろう。
しかし、一方で、行動が問題視されながら、今もなお秘書官としてのうのうと勤務している人物がいる。そう、岸田首相が溺愛する長男、翔太郎氏のことである。
私はこの翔太郎氏がいまだに秘書官として勤務できていることこそ問題であると考えている。
「ただの土産話」で済まされる問題ではない
一度、翔太郎氏の問題について振り返ろう。
岸田首相は1月9日から15日にかけて欧米5カ国を歴訪。アメリカのバイデン大統領やイギリスのスナク首相らと会談し、5月に控えるG7広島サミットに向けて弾みをつける中、首相秘書官である翔太郎氏は公用車を乗り回して観光を繰り返していた。訪れたのはイギリスのビッグベンやバッキンガム宮殿、カナダのオタワ市内のマーケットなどの名所旧跡。1月26日発売の『週刊新潮』が報じ、マスコミ各社も後追いした。
国会でも取り上げられ、政府側の官僚は翔太郎氏の観光について「総理訪問についての対外発信に使用する目的での街の風景やランドマーク等の撮影、政治家としての総理の土産等の購入」だったと説明。「総理の土産購入は秘書官の公務なのか」という問いに岸田首相は「公務である」と答弁した。
国会のやりとりを聞いていても首を傾げたくなるが、今回の話をただの総領の甚六が起こした「土産話」として済ますことはできない。一事が万事そうなのである。かつて首相官邸を取材していた身として思うのは、ここに岸田政権の支持率が低迷している根本原因があるということだ。
身内を秘書官にする風習がはびこっている
首相長男による問題行動といえば、菅義偉前首相の長男、正剛氏による総務省官僚接待問題が思い出される。
正剛氏は菅氏が総務大臣だった頃に秘書官を務め、映像制作会社である東北新社に入社した後にも、かつての古巣の官僚に対して違法な接待を繰り返していた。国会では総務審議官などが処分される大問題となり、菅政権は大きなダメージを負った。
情けないことに日本の首相が二代続けて、秘書官に起用した長男が起こした問題によって追及を受けているわけだが、このように身内に秘書官を務めさせる風習は永田町にはびこっている。
例えば安倍晋三元首相は父の晋太郎氏が外務大臣だった頃に秘書官に任命され、現職の福田達夫衆院議員は父の康夫氏が首相の時に秘書官を経験している。
そもそも秘書官とは何者なのか
そもそも秘書官とは何者なのか。簡単に言えば大臣の仕事をサポートする国家公務員である。給料はもちろん私たちの税金である国費から支払われている。
その秘書官にも2種類あり、各省庁から選ばれて大臣の公務を補佐する事務秘書官と、大臣の政治家としての仕事を補佐し、自由に任命することができる政務秘書官とがいる。冒頭の荒井氏は事務秘書官であり、翔太郎氏は政務秘書官となるわけだ。
では、政務秘書官という仕事は身内に簡単に任せることができるような内容なのだろうか。秘書官の仕事といえば、経産省の職員が作った西村康稔経産大臣の対応マニュアルが流出し、ニュースで取り上げられたことが記憶に新しい。そこには「お土産の購入量が非常に多いため、荷物持ち人員が必要。秘書官一人では持ちきれない」などと書かれていた。
良いか悪いかは別にして、実際に大臣によっては土産購入の荷物持ちのような雑務を秘書官に任せるような場合もある。しかし、国のトップである首相を支える首相秘書官となると趣が変わってくる。
歴代は「影の総理」に「官邸のラスプーチン」…
首相に仕える事務秘書官は官邸主導で行われる重要政策の調整などにあたるため、その後は各省庁の局長クラスに就くような出世頭がなることが多い。そして、政務秘書官も首相の信頼のおけるブレーンとして政治的手腕を振るうことが求められるのだ。一般の大臣秘書官と比べるとレベルが違うと言えるだろう。
例えば、私が首相官邸を取材していた頃、安倍晋三首相の政務秘書官である経産省出身の今井尚哉氏は「影の総理」とも言われ、外交から内政まで強い影響力を持っていた。安倍政権が2017年に衆議院を前倒しして解散した際にも、消費税増税の使途変更を大義とすることを主導したと言われており、この不意打ち解散の中で野党は分裂、現在まで政治的影響が残り続けている。安倍政権の功罪をここで論じるのは控えるが、今井氏は政権が憲政史上最長となるよう支え続けた功労者の1人であると言えるだろう。
また、同じく長期政権を築いた小泉政権でも、小泉純一郎氏を事務所秘書などとして長年にわたって支え続けた飯島勲氏が政務秘書官となり、辣腕らつわんを振るって「官邸のラスプーチン」などと言われたことは有名だ。
支持率が低迷し続ける理由が詰まっている
翻って今の岸田政権はどうだろうか。
政務秘書官は2人おり、元経産次官として経験豊富な嶋田隆氏も側近として岸田首相をサポートしている。ところが、政策への関心が高く、政局的な動きは弱いというのが官邸周辺の評判だ。
実際、昨年末に政府が防衛増税の方針を決めた際には、自民党内から異論が噴出。閣内からも高市早苗経済安全保障大臣が「総理の真意が理解できません」と不満をツイッターに投稿するなど、大荒れの状態となった。政府与党内の事前の根回しや調整があまりにも欠如していたことがうかがえる。
本来ならば、そうした中でこそ奔走しなければならないのが政務秘書官というポジションなのだが、その1人が何かとお騒がせの岸田首相の長男、翔太郎氏なのである。
外遊中に土産物を買うために走り回っている場合ではないのだ。少なくとも、私が安倍政権を首相官邸で取材していた時には、政務秘書官がランドマーク撮影や土産購入などの雑務をするなど考えられなかった。
岸田政権は首相のブレーンである政務秘書官という役職を軽く見ているとしか思えない。まだ30代で政治経験も少ないの長男をその職に任命し、さらに雑務をさせている。ここに、岸田政権の「異次元の甘さ」があるのだ。
そして、その甘さ故に政府与党内での調整や連携もうまくいかず、防衛増税について内外から異論が噴出する中で支持率を下げていく。まさに一事が万事、岸田政権の体質が今回の翔太郎氏の土産問題に表れているのである。
後継者を育てるためのポジションではない
そもそも、首相に限らず国家公務員である秘書官というポジションが、身内を育てるために使われている永田町の風習に憤りを覚える国民は多いのではないだろうか。
世襲議員に対する風当たりも強い世の中だ。私はもう大臣を含めて身内を秘書官に就けることはやめたほうが良いのではないかと思う。もし、子供に「親の背中を見せたい」と思うのならば、せめて秘書官ではなく、秘書として起用してもらいたい。
「秘書官」と「秘書」は1文字違いだが、その意味合いはまったく異なるものだ。
秘書官は既に説明したが、「官」の字がつく通り、大臣などに仕える「官僚」である。一方で、秘書は地元や永田町などの議員事務所で個々の政治家の仕事をサポートする存在だ。
今回、翔太郎氏がした土産購入なども、秘書の仕事であったならばうなずけるところだ。たとえ首相や大臣であっても、個々の政治家としての活動という側面が強い雑務については事務所の秘書に任せるべきではないだろうか。
長男は私設秘書として雇えばいい
岸田首相が翔太郎氏を後継として育てようとしていたとしても、秘書官ではなく、事務所の秘書として雇っているならば何ら問題はない。
細かい話になるが、国会議員は公設秘書を3人まで持つことができる。国費で給与を賄える特別職の国家公務員だ。そのため、議員事務所で給与を負担する私設秘書として雇うことがより適切だろう。
いずれにしても、政務秘書官というポジションに長男の翔太郎氏を置いて、土産購入などをさせているということは、岸田政権が置かれている政治的状況を見ても、あるいは身内びいきと思えるような永田町の風習から考えても、到底理解できるものではない。
岸田首相が自らの政権を安定させたいと思うならば、すぐにでも翔太郎氏を政務秘書官から外し、政局観に長けた人物を新たに登用するべきだ。これは揶揄やゆなどではなく、心の底から思う本音だ。
翔太郎氏の問題を、単なる外遊の「土産話」として消化し、このまま国会を乗り切ろうとしているのであれば、その甘さが政権内部を蝕み、また新たな火種を抱えることになるだろう。
問題の本質を見極め、自らの「異次元の甘さ」を断ち切ることができるかどうか、これが今の岸田首相には問われている。  
●息子をかばう岸田首相に「公務と言ってるけど、苦しい言い訳ですね」 2/23
今田耕司がMCをつとめるトークバラエティ『今田耕司のネタバレMTG』。その2月25日放送回の収録がおこなわれ、タレントの金子恵美がゲストで登場。岸田文雄首相の長男で、政務秘書官の翔太郎氏について言及した。
2022年10月、父・岸田文雄首相の政務秘書官に就任した息子・翔太郎氏。政務秘書官はまさに首相の懐刀であり、非常に重要なポジションのため、通常は経験に富んだ実力派の人物が任命されるが、岸田首相は息子を指名。大きな批判を浴びた。
そして1月、翔太郎氏が首相の欧米5カ所訪問に同行した際、ロンドンやパリ市内を公用車を使って観光していたことが発覚し、さらなる批判が殺到。そこでも首相は息子をかばい、「総理大臣のおみやげを購入することは、政務秘書官の本来業務に含まれ得る」と擁護し、SNSの投稿では「#岸田辞めろ」「#世襲議員は絶滅させよう」が入り乱れる事態となった。
世間では、いわゆる世襲議員や2世への風当たりが強い。「ジバン(地盤)」「カンバン(看板)」「カバン」をそのまま引き継ぐため当選する可能性が高く、世間ズレした能力のない人物まで議員になれてしまう側面があるからだ(もちろん、優秀な世襲議員もいるが)。元衆議院議員で、政界の事情をよく知る金子は、「総理は公務と言ってるけど、苦しい言い訳ですね」とチクリ。
●首相長男の秘書官を“厳重注意” 各党の反応は 5/26
岸田総理大臣の長男の翔太郎秘書官が、去年の年末に総理大臣公邸で親戚と忘年会を開いていたことをめぐり、各党の反応をまとめました。
今週発売の「週刊文春」は、岸田総理大臣の長男の翔太郎秘書官が、去年の年末に総理大臣公邸で親戚と忘年会を開き写真を撮影していたなどと報じ、岸田総理大臣は26日、「行動は不適切で厳重に注意した」と重ねて説明しました。
公明党 石井幹事長「適切とは言えず大変遺憾だ」
公明党の石井幹事長は記者会見で「報道された行為は適切とは言えず大変遺憾だ。総理大臣秘書官はいちばんに総理大臣を支える立場であり、自覚と緊張感を持って職務にあたってほしい」と求めました。
また、今回の件を受けた処分の必要性については「岸田総理大臣の人事権の範囲であるが、国民の信頼を損なうことのないように対処してほしい」と述べました。
立民 泉代表「厳重注意だけなら甘すぎ」
立憲民主党の泉代表は、記者会見で「政務秘書官は国から給料をもらっている公務員であり、岸田総理大臣は息子を特別扱いせずに、一公務員であることを踏まえて、公正・適正かつ厳正に処分するのが普通ではないか。厳重注意だけなら甘すぎだ」と述べました。
また、記者団から翔太郎氏が秘書官を続けることは適正だと思うか問われたのに対し「岸田総理大臣が考えることだ。世の中や周りがどう見ているのかを考えるべきだ」と述べました。
共産 田村政策委員長「まだかばうのか」
共産党の田村政策委員長は、記者会見で「岸田総理大臣の息子が秘書官だということを当初から問題視する声があり、不祥事が重なっても、まだかばうのか。更迭という意見が出るのは当然だ。適材適所でないことは明らかで岸田総理大臣の責任も問われなければならない」と述べました。
国民 榛葉幹事長「息子だからかばっているなら大問題」
国民民主党の榛葉幹事長は、記者会見で「税金から給料をもらっている公人が、納税者や有権者から疑問を呈される言動を繰り返しているのだから、翔太郎氏が記者会見して説明責任を果たすべきで、できないならみずから職を辞するべきだ。岸田総理大臣が息子だからかばっているとしたら大問題だ」と述べました。
●「立憲民主党」 のテレビ露出情報 5/26
岸田総理の長男・岸田翔太郎氏が赤い絨毯のセンターで笑顔を見せる。別の写真ではコップを片手に寝そべる男性。岸田総理のおいと報じられている。写真が撮られたのは岸田総理と翔太郎氏が暮らす総理公邸。官邸事務所によると万全な警備体制に加え執務機能も備える年間維持費は1億6000万円。総理公邸で去年12月30日に岸田家の親族10人以上が集まり忘年会をしていたと週刊文春に報じられた。紙面にはテーブルいっぱいに置かれた食事やビールなどの写真や日本政府の演説台でポーズを決める写真などはしゃぐ様子。岸田総理は「報道されているような行為については適切さを欠くものであり国民の皆さんの不信をかうようなことであるならば誠に遺憾なことであると思っております」と述べ翔太郎氏を厳しく注意したことも明らかにした。処分や更迭についてはしない考えを示した。翔太郎氏が首相秘書官に起用されたのは去年10月。今年1月には岸田総理の欧米訪問に同行した際、公用車で観光していたなどと報じられていた。この時政府は首相のお土産物の購入などを行っていただけで不適切な行動はなかったと強調。秘書官に起用された直後に問題視される行動を重ねたことになる。立憲民主党の蓮舫議員は「総理の秘書官が親族にそれを許して忘年会を行う。これはやりすぎではないんだろうかと」などと述べ、山井国対委員長代理は「思い出づくりの場所ではありません。危機管理の場所です。公私混同も甚だしい」などと述べた。日本維新の会の馬場代表は「常識の範囲を逸脱しているのであればやはり身内だからこそ厳しい対処をすべき、写真を撮ったぐらいでは許容してあげてもいいんじゃないかなと」などと述べた。総理秘書官の経験者からは厳しい指摘。「公邸の使い方は総理次第だが秘書官は本来、総理が公邸を私物化しないよう管理しなければいけません。その秘書官がこれではお話になりません」。野党は国会で追求するかまえ。 
●岸田首相=「息子に甘いパパ」が払う痛すぎる代償 5/30
地元・広島でのG7サミット(主要7カ国首脳会議)を終えたばかりの岸田文雄首相。アメリカ・バイデン大統領らの広島平和記念資料館(原爆資料館)訪問や、ウクライナ・ゼレンスキー大統領の来日など、外務大臣経験者ならではの外交手腕を発揮したばかりだが、思わぬ「責任問題」がのしかかりつつある。
発端となったのは、週刊誌に「公私混同」を問われかねない、長男の岸田翔太郎・首相秘書官らの様子が伝えられたこと。官房長官も「適切さを欠く」と表現するような写真が流出し、任命責任を問われる事態となったのは、一国のリーダーとして大きな痛手だろう。
以前から「世襲」には強い風当たりがあったが、それに加えて「危機管理の甘さ」を感じさせるような事案が起きた。衆議院の解散総選挙がウワサされているなかでのスキャンダル。翔太郎氏の秘書官辞任が発表され、ひとまずの収束が考えられるものの、今後の対応によっては、しこりが残りかねない。
忘年会「悪ノリ写真」事案の流れ
一連の騒動を、時系列順に振り返っていこう。始まりは、2023年5月24日、雑誌「週刊文春」(6月1日号)のウェブ版「週刊文春 電子版」に、「岸田一族『首相公邸』大ハシャギ写真 階段に寝そべり、総理会見ごっこ」と題した記事が載ったこと。首相公邸内で昨年12月に行われたという、岸田首相の親戚が集う「忘年会」の様子を伝えたものだ。
文春記事では「首相の甥」が、演説台でポーズを決めたり、赤じゅうたん敷きの階段に寝そべったりする様子も掲載。閣僚のお披露目よろしく、階段で撮影された記念写真には、家主である首相自身の姿は見られないが、翔太郎氏はおさまっていた。
「首相公邸」と名前が似た施設として、「首相官邸」がある。首相官邸公式サイトでは、両者の区別を「総理が執務をする『官邸』に対して、総理の日常生活を行う住まいを『公邸』」としているが、完全に「私邸同様の存在」とみなされている訳ではない。
松野博一官房長官は5月25日の記者会見で、「総理大臣の迎賓機能、執務機能を有する公的な施設であり、今回の報道にあるような行為は、適切さを欠くものである」との認識を示した。翔太郎氏には首相から注意をし、首相自身も私的な居住スペースでの食事に顔を出していたと、松野氏は会見で説明している。
なお、「首相秘書官」の職をめぐっては今年2月、性的少数者に対して「見るのも嫌だ」などと発言した荒井勝喜氏(経産省)が、発言翌日すぐさま更迭(こうてつ)されていた。それだけに、翔太郎氏に対しては注意のみであることで、「身内に甘いのでは」と指摘する声が相次いでいた。
その後、政府は5月29日夜になって、6月1日付で翔太郎氏が辞職すると発表した。首相自身も同日の会見で、今回報じられた行動が「公的立場にある政務秘書官として不適切」であるとし、「ケジメをつけるため交代させる」と発言。翔太郎氏の辞職後は、前任であった岸田事務所の山本高義氏が復帰すると発表された。
事実上の更迭となり、首相自身も任命責任があると認めたものの、辞職理由のひとつにサミット閉会により地元の調整業務が一段落したことをあげたり、一度は「注意」で済まそうとした背景もあり、SNSなどでの反応はあまり芳しくない。
厳しい目で見られる「世襲」「七光り」
SNS時代の到来により、「世襲」や「七光り」に対する風当たりは、以前よりも確実に高まっている。政策論議に持ち込もうとすると、法解釈や、諸外国の事例など、それなりに前提知識が必要となる。その点、世襲たたきであれば、図式としてわかりやすく、世論も「手ぶら」で参加しやすい。光熱費や物価の高騰などで、先が見えない日々を過ごすなか、一石を投じる「きっかけ」として、一定の支持があるのだろう。
2021年には、映像制作会社に勤めていた菅義偉首相(当時)の長男が、総務省幹部を接待していたと判明。「放送局の許認可」といった法律論に加え、菅氏の総務相時代に、長男が大臣政務秘書官として務めていた経緯から、コンプライアンス意識が欠けていると問題視された。
今年4月の衆院補選(山口2区)で初当選した、岸信千世氏も記憶に新しい。岸信介元首相のひ孫であり、父は岸信夫元防衛相、伯父は安倍晋三元首相という「お家柄」を引っ提げて、引退した父の後継候補として出馬。公式サイトに、岸信介氏の弟・佐藤栄作元首相や、晋三・信夫兄弟の祖父である安倍寛元衆院議員、同兄弟の父の安倍晋太郎元外相をふくめた「家系図」を掲載したところ、「女性の存在が消されている」「血筋しかアピールできることがないのか」などと炎上につながった。
結果として、信千世氏は6万1369票(得票率52.5%)を集め、平岡秀夫元法相(5万5601票、47.5%)を下したが、まだ盤石な地盤とは言えない状況だ。
そこにプラスオンする「危機管理のマズさ」
翔太郎氏の場合は、昨年10月の首相秘書官就任以降、今回だけでなくスキャンダルが明かされていた。真偽は不明ながら、テレビ局の記者に情報をリークしていたのでは、との疑惑を、12月に月刊誌「FACTA(ファクタ)」が報道。1月には週刊新潮(デイリー新潮)が、首相の欧米歴訪に同行していた翔太郎氏が、公用車でパリやロンドンを観光し、お土産を購入していたと伝えた。
そこへきて、今回の文春報道となれば、首相秘書官としての適性を問う論調が出てもおかしくはない。そうした未来を予見できなかった意味で、今回の流出は完全なる失策と言えるだろう。
人気YouTuberのHIKAKIN(ヒカキン)さんは、かつてインターネットにおける「炎上回避法7箇条」のなかで、「LINEやDM(ダイレクトメッセージ)はすべて流出すると思うこと」「つねに最悪な事態を想定する」(2022年5月20日投稿の動画より)といった項目を挙げていた。政界と芸能界で状況は異なるものの、「もしも」に対しての備えには、通底するところがあるだろう。
トップシークレットを扱う要職を担う人物が、その責任を問われている「大ハシャギ写真」。そもそも「この様子をスマホで撮ったら、もし流出したときに、どんな印象を与えるんだろう」などと、参加者それぞれが思いをめぐらせていれば、避けられた事案なのではないだろうか。
サイバー攻撃の脅威が伝えられるなか、デジタル面における危機管理意識の重要性は、日に日に高まっている。「たかが忘年会の写真で」と言ったとて、国際社会における「外交の岸田」の顔に泥を塗りかねないと考えると、著名人の不倫LINEとはワケが違う。
そもそも、どれだけ相手を信頼していても、安心しきるわけにいかないのが、政治の世界だ。票数で勝ち負けが可視化される世界では、虎視眈々と失点を待ち受けているライバルも珍しくない。金権政治や汚職ならまだしも、とある1日だけ「ハメを外した」ことを理由に、リスクマネジメントを問われるのは、あまりにもったいない。
支持率は低下、問われる「リスクマネジメント」
筆者は先日、運転免許証の更新へ行ってきた。ペーパードライバーながら、ゴールド(優良運転者)という、あまり胸を張れない属性なのだが、講習で久々に「だろう運転」と「かもしれない運転」と聞き、ネット社会でも同じだよなと感じた。
「だろう」と楽観的に動くのではなく、つねに最悪の事態を考えながら、「かもしれない」と危険を予測する。そして、スマートフォンにおけるLINEやDMは、自動車のドライブレコーダーではないか。安全運転も危険運転も記録され、いざというときには証拠となって、自分自身を有利にも不利にもする──。どちらもHIKAKIN氏の金言と近い印象を受ける。
今回の騒動、さっそく影響は出ているようで、日経電子版は5月28日、この週末の日本経済新聞・テレビ東京による世論調査の結果を「内閣支持47%、5ポイント低下 首相長男の行動影響か」の見出しで伝えた。
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同調査では、内閣支持率がほぼ横ばいだったものの、29日の産経ウェブ版記事では、G7サミットによる政権浮揚効果が見込まれながらも、今回の事案などが支持率を押し下げた可能性を指摘している。こうした変化を察知して、早急に辞任での幕引きを決めたのだろう。
なかなか決断しないからと、「検討使」なる不名誉なあだ名をつけられてしまっていた岸田首相が、就任1年半にして、ようやく存在感を示し始めた矢先の「大ハシャギ」報道、からの翔太郎氏の更迭。野党どころか、自民党内からも苦言が出るなか、政権基盤を盤石にするには、まず身内から再発防止に向けた「リスクマネジメント体制」を構築することが先決なのかもしれない。
●首相が長男更迭 地位の私物化を猛省せよ 5/31
親も子も公私の分別がついていなかったということだ。けじめをつけるのが遅れたのは、身内に甘いからにほかならない。
岸田文雄首相が政務担当秘書官の長男翔太郎氏の更迭を決めた。任命からわずか8カ月足らずだった。
首相公邸で親族と忘年会を開き、赤じゅうたんの階段で組閣の時のような記念撮影をするなどしていた。翔太郎氏は首相が立つ位置で表情を緩めていた。
公邸は首相が生活する私的空間であると同時に、賓客の接遇や執務にも使われる公的な場所である。そこで悪ふざけとしか言いようのない写真に納まっていた。公私混同も甚だしい。危機管理の面でも問題となりかねない。
翔太郎氏の軽率な行動が問題となったのはこれが初めてではない。
今年1月に首相の欧米訪問に同行し、公用車で観光地を回り、土産を買っていたことも激しい批判を浴びた。
岸田事務所に入って3年程度の32歳が秘書官に起用された理由は、首相の息子である以外になかろう。
ただでさえ身を律するべきなのに、特権的立場をかさに着るような行動に弁解の余地はない。退職手当などの返納を申し出たのは当然だ。
首相の責任も免れまい。忘年会に顔を出し、あいさつもしたという。外遊中の土産購入も「公務」と擁護した。
首相自身、祖父から続く3代目の世襲政治家だ。将来を見据え、息子をそばに置いて政治的経験を積ませようとしたことは容易に想像できる。地位の私物化ではないか。
忘年会が報じられた先週、国会で野党が翔太郎氏の更迭を求めても首相は厳重注意にとどめた。突如方針転換したのは今週に入ってからだ。
直近の世論調査で、先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)開催の効果で上昇が見込まれた内閣支持率は低下や横ばいもあった。
国民の厳しい視線にようやく気付いたということか。翔太郎氏をかばった当初の判断の誤りは明白だ。最高権力者としての資質に疑義を抱かれていることも深刻に受け止めてもらいたい。
政治家の親から地盤、看板(知名度)、かばん(資金)を引き継げる世襲候補が優位に立てるのが日本の選挙の現状だ。岸田内閣の閣僚も世襲政治家が少なくない。
政治家として重視されるのは個人の能力や見識でなくてはならない。世襲の場合も例外ではない。
家系によって政治に携わる人材が固定され、庶民感覚から懸け離れるようでは民主主義が劣化するばかりだ。岸田首相親子の問題は世襲の弊害を露呈したといえよう。
岸田内閣は防衛力増強や異次元と称する少子化対策を掲げる。財源は国民に痛みを求めなくてはならない。その折にリーダーがこれでは説得力を欠く。猛省を求める。 
●岸田首相が長男・翔太郎氏の更迭を渋った本当の理由 6/6
岸田文雄首相の長男・翔太郎氏が首相秘書官を辞職した。昨年末、親族らを首相公邸に招いて忘年会を開催したと『週刊文春』が報じたのがきっかけだった。岸田政権はこれからどうなるのか。ジャーナリストの鮫島浩さんは「翔太朗氏の更迭の背景には、全責任を翔太郎氏になすり付けようとする岸田首相の意図が透けて見える。支持率のさらなる低下は避けられない」という――。
G7広島サミットで急上昇した内閣支持率の暗転
首相公邸で昨年末に催された岸田一族の大忘年会が「公私混同」として強烈な批判を浴びている。G7広島サミットで急上昇した内閣支持率は急降下し、「岸田外交」で稼いだ貯金を瞬く間に費消してしまった格好だ。
今なら勝てるとして自民党内で高まった「6月解散・7月総選挙」論は急速にしぼみ、岸田文雄首相は一転して窮地に陥った。
大忘年会がここまで批判を浴びたのはなぜか。身内のスキャンダルに足元をすくわれた岸田政権はどうなるのか。岸田政権は大きな転期を迎えたといっていい。政局を大きく動かした一連の騒動を俯瞰ふかんして分析しつつ、今後の政局を大胆に展望してみよう。
「首相公邸で大ハシャギ」の文春砲で一転
はじまりは5月24日の文春オンラインのスクープだった。岸田首相の長男翔太郎氏が昨年12月30日、従兄弟ら親族を首相公邸に招いて大ハシャギしたという内容だ。
翔太郎氏と同世代の若者たちが、新閣僚が並んで撮影に応じる赤絨毯の階段に寝そべり、さらには「閣僚ごっこ」をして記念撮影する様子を撮影したスクープ写真の数々は、世襲政治家一族の公私混同ぶりを浮き彫りにした。
翔太郎氏は岸田政権発足から一年を迎えた昨年10月、31歳の若さで首相秘書官に抜擢された。世論は「縁故人事」として激しく反発し、内閣支持率は急落。年明けには翔太郎氏が首相外遊に同行した際、パリやロンドンで公用車に乗って観光地や高級デパートを巡ったことが発覚。岸田首相が「公務だった」とかばったことで世論の怒りは過熱し、内閣支持率は続落したのである。
翔太郎氏は岸田政権のアキレス腱となった。
G7は「息子を隠し、妻を担ぐ」戦略は成功したが…
岸田首相は翔太郎氏に地元の広島サミットの下準備を担当させ、表舞台から遠ざけた。代わって裕子夫人を全面に打ち出し、首相夫人としては初めてとなる単独訪米でバイデン大統領夫妻と面会させ、自らの訪韓にも同伴させて尹錫悦大統領の夫人と親交を深めさせ、サミットでは裕子夫人が各国首脳の配偶者をもてなす「もうひとつの広島サミット」を演出した。
「息子を隠し、妻を担ぐ」戦略は見事に的中し、マスコミはファーストレディー外交を好意的に報じて内閣支持率は急回復。菅義偉前首相ら反主流派が年明けに仕掛けた「岸田降ろし」の動きはすっかり影を潜めたのである。
表舞台から姿を消していた翔太郎氏が久しぶりにメディアに登場したのが、サミット閉幕3日後の「文春砲」だった。
岸田首相はただちに翔太郎氏を厳重注意したと表明したものの、首相秘書官を続けさせる意向を示したことで世論の批判は沸騰し、週末の世論調査で内閣支持率は急落。岸田首相は週明けにあわてて翔太郎氏の秘書官更迭を発表し、幕引きを図った。
ここへ襲いかかったのが、写真週刊誌「フライデー」が報じた第二弾だった。なんと大忘年会には翔太郎氏と同世代の従兄弟だけでなく、岸田首相夫妻に加え、首相の兄弟とその配偶者ら親世代も参加していたことが、フライデーが入手した一枚の集合写真で明らかになったのだ。
保身のために長男をかばう岸田首相
総勢18人の岸田一族に囲まれ、裸足に寝間着姿でご満悦の表情を浮かべる岸田首相と、その隣で微笑む裕子夫人――。首相公邸での集合写真は、この大忘年会の主催者が長男翔太郎氏ではなく、岸田首相自身ではないかという強い疑念を惹起させたのである。
なぜ翔太郎氏は更迭されなければならなかったのか。むしろ更迭されるべきは親戚一同を招集した岸田首相ではないのか。
岸田首相は第1弾の文春砲の後、自らの関与について国会で「顔は出して、あいさつはした」と答弁していた。翔太郎氏を更迭する理由については「公邸での行動が不適切であり、けじめをつけるために交代させる」としていた。
誰もがこの説明を聞いて「翔太郎氏が同世代の従兄弟たちを首相公邸に招いて忘年会を主催し、岸田首相はそこへ少し顔を出してあいさつをしただけ」と錯覚したことだろう。
フライデーの第2弾はその幻想を打ち砕いた。岸田首相は、息子に全責任を転嫁するため、国会でウソの答弁をしたのではないか――。岸田首相はフライデーの第2弾を受け、一転して「年末に親族と食事をともにした」と認めたうえで、「公邸の中には私的スペースと公的スペースがある。その私的スペースで親族と同席した」と釈明した。
翔太郎氏ら子世代は公的スペースの赤絨毯の階段で悪ふざけをしたからアウト、自分たち親世代は私的スペースで宴会しただけだからセーフ、と言いたいのだろう。
守り切れないと分かれば、全責任を負わせて切る
しかしこの釈明には決定的な欠陥がある。翔太郎氏は忘年会の途中で子世代を引き連れて首相公邸の公的スペースを案内した。そこで従兄弟たちが羽目を外したのであって、翔太郎氏自身が赤絨毯の階段に寝そべったわけではない。翔太郎氏が問われたのは「管理不行き届き」の責任なのだ。
私的スペースで岸田首相ら親世代が宴会を続けていた時、翔太郎氏ら子世代が公的スペースに向かったことを知らなかったとは思えない。仮に知らなかったとしても、管理不行き届きの責任を負うべきは、首相公邸の主として大忘年会を主催した岸田首相本人であろう。どう考えても長男更迭のブーメランは首相自身に跳ね返ってくる。
6月21日に会期末を迎える国会最終盤で、岸田家による権力私物化・公私混同は最大の焦点に浮上してきた。
単に岸田一族が首相公邸で大ハシャギしたという問題にとどまらず、首相が自らの責任を回避するために国会で自らの関与を隠す「ウソ」を発言し(「虚偽答弁」と断定できなくても「はぐらかした」とは言えるだろう)、息子に全責任を負わせようとした姑息こそくな姿勢が問われるのだ。内閣支持率は続落する可能性が高い。
今解散しても維新を勝たせるだけ
支持率低迷にあえぐ立憲民主党には、国会終盤に内閣不信任案を提出することへのためらいが強かった。岸田首相に6月解散の大義を与え、総選挙を誘発して大惨敗を喫しかねないからだ。
ところが、大忘年会騒動のおかげで内閣支持率が急落したため、解散におびえることなく内閣不信任案を出しやすくなった。むしろ岸田首相が不信任案に対抗して衆院解散を断行することに躊躇する政治状況に立場が入れ替わったのである。
岸田首相が6月解散・7月総選挙を断行する最大のメリットは「内閣支持率が高く、今なら確実に勝てる」ことだった。支持率急落でメリットは吹き飛んだ。
そもそも7月総選挙には、野党第1党の立憲を打ち負かしても、野党第2党の維新を躍進させ、立憲以上に強力な野党第1党の誕生を後押しするリスクがあった。内閣支持率が急落するなかで無理やり総選挙に突入すれば、大量の政権批判票が維新になだれ込む可能性が高まるだろう。
自民党は公明党との選挙協力を固めつつ、立憲と維新を競わせて野党を分断することで国政選挙で連戦戦勝してきた。立憲が壊滅的に敗北し、維新が歴史的な躍進を遂げれば、野党間のバランスが崩れ、立憲の多くは維新に駆け込み、政界地図は大きく塗り変わる。
「そもそも岸田首相は6月解散に前向きではなかった」
岸田首相が率いる宏池会(岸田派)は、財務省を介して野田佳彦元首相ら立憲幹部とのパイプはあるものの、維新との縁は薄い。むしろ維新と親密な関係を築いてきたのは、岸田首相の最大の政敵である菅前首相だ。「立憲崩壊・維新台頭」は自民党内の力学では岸田首相に不利に働く。
岸田首相にとってもうひとつの6月解散のデメリットは、来年秋の自民党総裁選まで1年以上あることだ。総裁選前に解散を断行する意義は、総選挙に勝利した勢いで総裁選を無投票で乗り切ることにあるのだが、いま総選挙で圧勝しても、その効力が1年以上続く保証はない。
その間にスキャンダルや失政で内閣支持率が下落すれば、総裁選前に「岸田降ろし」が再燃する恐れは拭えない。解散の時期が早すぎるのである。岸田派関係者は「そもそも岸田首相は6月解散に前向きではなかった」と明かす。
とはいえ、「今なら勝てる」という自民党内の期待を黙殺して6月解散を見送れば、あとで「あの時に解散しておけばよかった」という不満が党内に充満し、岸田降ろしが再燃するかもしれない。「大忘年会騒動で6月解散論が下火になり、岸田首相は安心して解散を先送りできる。むしろホッとしている」(岸田派関係者)という側面もある。
「6月解散論」が沈静化したもう一つの理由
岸田首相が探る次の一手は「解散より人事」だろう。野党提出の内閣不信任案を粛々と否決して国会を閉じた後、今夏に内閣改造・自民党役員人事を断行して体制を一新し、内閣支持率が再上昇すればその勢いで9月解散・10月総選挙を狙うという筋書きだ。
岸田政権の主流派は、第2派閥の麻生派(麻生太郎副総裁)、第3派閥の茂木派(茂木敏充幹事長)、第4派閥の岸田派(岸田総裁)。反主流派は無派閥議員を束ねる菅前首相と二階派(二階俊博元幹事長)で、昨年夏に急逝した安倍晋三元首相の後継争いが激化する最大派閥・安倍派を引っ張りあっているのが、現在の自民党の権力構造である。安倍派会長レースの先頭を走る萩生田光一政調会長は菅氏と気脈を通じ、萩生田氏に対抗する世耕弘成参院幹事長は麻生氏に接近している。
大忘年会騒動とともに6月解散論を沈静化させたのは、衆院東京28区をめぐる自公対立だった。公明党は独自候補擁立を主張したが、自民党都連会長の萩生田氏は譲らず、公明党は「28区擁立を断念する代わりに東京では自民候補を推薦しない」と通告。マスコミは「連立解消の危機」と騒ぎ、選挙地盤の弱い自民若手を中心に「公明推薦を得られないかもしれない」との不安が広がって6月解散論がしぼむ一因になった。
公明党の強硬姿勢を後押ししたのは創価学会である。創価学会は岸田―麻生―茂木の主流派と縁が薄く、菅―二階の反主流派とのパイプが強い。さらに自民都連を率いる萩生田氏も菅氏と親密だ。岸田首相が6月解散を決行して勝利すれば長期政権が視野に入り、菅氏や二階氏の影響力は大幅に低下する。6月解散を阻止するために菅氏が創価学会や萩生田氏としめし合わせ、自公対立を演出したと私はみている。
夏の人事は、茂木幹事長の処遇が焦点
岸田首相が大忘年会騒動で批判を浴びる最中、菅氏は日韓議連会長としてソウルを訪問し、尹大統領と会談した。菅氏は6月2日、首相官邸を訪れて岸田首相に訪韓結果を報告したが、この場で岸田首相は菅氏へ自公関係の修復へ協力を求めたとの見方が永田町に広がっている。
私はこの場で、岸田首相と菅氏が「6月解散見送り」で一致し、さらには今夏に内閣改造・党役員人事を行うことでも大筋合意した可能性があるとみている。岸田首相がつまずき、菅氏は勢いを取り戻しつつある。両者の和解が整う絶妙のタイミングが訪れたといっていい。
今夏の人事の最大の焦点は、茂木幹事長の処遇だ。内閣支持率が下落した昨秋以降、茂木氏はポスト岸田への意欲を隠さなくなり、年明けには首相に十分な根回しをしないまま児童手当の所得制限撤廃を打ち上げ、今春には訪米してポスト岸田をアピールした。岸田首相は茂木氏への警戒を強め、統一地方選・衆参補選では茂木氏よりも森山裕選対委員長を信頼して指揮を任せた。
森山氏は少数派閥(森山派)の領袖。地方議員出身で知名度は高くない78歳のベテランだが、国会対策や選挙対策に精通し、実務型として党内評価は高い。とりわけ菅氏や二階氏とは親密だ。今夏の人事で茂木幹事長を更迭し、森山氏を後任に起用すれば「岸田・菅の和解」による「主流派組み換え」の象徴人事となる。
9月解散含みの政局は続く
地味な森山氏とは別に、目玉人事となりうるのは、茂木派ホープの小渕優子元経産相の官房長官への抜擢だ。小渕氏は小渕恵三元首相の娘で早くから将来の首相候補と目されたが、派閥内で茂木氏に押さえ込まれてきた。茂木氏を更迭して小渕氏を引き上げれば、茂木派を分断することもできる。
岸田派関係者は「現在の松野博一官房長官は安倍派に配慮した人選にすぎず、実質的な官房長官役は岸田派の木原誠二官房副長官が担っている。木原氏と小渕氏は同世代で極めて親しく、小渕氏は外向けの官房長官、木原氏は実務を担う副長官にすればよい」と話す。
さらにサプライズがあるとすれば、菅氏の副総理起用だ。これが実現すれば「岸田・菅の和解」の完成といえよう。昨夏の内閣改造でも「菅副総理」案は浮上したが、麻生氏の猛反対で見送られた。岸田首相としては茂木氏だけ更迭して「麻生副総裁―菅副総理」の挙党体制を築きたいところだが、麻生・菅両氏の確執は深い。どちらを取るのか、ギリギリの判断を迫られるだろう。
6月解散を見送れば今夏の内閣改造・党役員人事が大きな焦点となる。岸田・菅の和解が成立して主流派が入れ替わった場合も、両者が決裂して菅氏が岸田降ろしを再燃させた場合も、9月解散含みの政局は続く。岸田首相が麻生氏と菅氏のどちらに軸足を置いた人事を行うのか、それが最大の注目ポイントだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●世襲政治を斬る ! 
●安倍政権以降、有事が当たり前のようになってきた
今の政治を、ということですね。
民主党を「悪夢のようだ」と散々言った安倍さんになってから、本当にひどいことになりました。森・加計・桜もさることながら、2015年の安保法制から、今のこういう戦争へ戦争へという流れが始まりました。
安保法制のとき、「あの法律は憲法に抵触するのではないか」と内閣法制局長官が言ったら、安倍さんは、その内閣法制局長官をクビにして、小松一郎さんという外務省の役人を長官にしました。(注・外務省出身者が法制局長官になったのは初めて)
首相は全部の人事権を持っているからすごいですよね。
こういう人事があって、法律を通してしまった。そのときに、菅直人のよく知っている方から電話があり、「こんなことをしたら、日本は大変なことになりますよ」と言われました。
あの辺からです。今まで自民党でもあそこまで抑制が効かない政権はなかったのに、それがずっと暴走し続けて、しかも人気があって、選挙も何度もあったのに、続いた。
そして去年ぐらいから、ウクライナの戦争もあって、何となく有事が当たり前のような形になってしまう。
考えてみたら、私が生まれたあと、朝鮮有事もありましたけど、日本は出ていかなかった。あのときは自衛隊もなく、警察予備隊でしたからね。それが自衛隊になりましたが、ベトナムの有事のときも、日本は行っていません。韓国は兵隊を出して、ずいぶん亡くなっています。
日本は、有事になっても出せない。うちは武器を持っている人は出せない。これが、日本の憲法なんです。それを打ち破っていこうという力が強くなって、どんどん悪い方向へ行っている感じがします。
中村哲さんがまだお元気な頃に、国会に来て話されたときのことが忘れられません。こういうことをおっしゃいました。
「自分の親がアメリカ兵に殺されたら、子供はみんなタリバンになるんです。絶対に日本は武器を持ってアフガニスタンへ入らないでください」
本当に、そのとおりと思います。
だから、武器を持っては行かない、違う支援をしなければいけないのに、今や軍艦まで作って売ろうかというようなことまで言われています。非常に危険です。
ここにいる方は、多分そういうことに反対の方が多いと思いますが、やっぱり選挙なんですよね。首相を選ぶのも選挙です。
統一地方選があります。ぜひ、原発反対と戦争反対の人を選んでいただきたいと思います。
●岸田政権は閣議決定どころか、家族会議で物事を決めている
最初に、いまの総理大臣、岸田文雄さんですが、世襲の3代目であるだけでなく、実は、宮澤喜一さんの親戚なんです。
岸田首相のお父さん(岸田文武、衆議院議員)の妹(怜子)が、宮澤さんの弟(宮澤弘、県知事、参議院議員)と結婚しています。
だから、岸田首相の叔母さんの夫の兄が、宮澤喜一さん。
それで、宮澤弘さんと怜子さんの息子が宮澤洋一さんで、岸田首相とは従兄弟同士になります。洋一さんは、東大を出て大蔵省に入り、伯父である宮澤喜一さんの地盤を継いで衆議院議員となり、いま、自民党の税制調査会長をしています。
よく、「岸田政権は閣議決定だけで物事を決めてけしからん」と言われますけど、そうじゃないんです。従兄弟同士で、いわば家族会議で決めてるんです。
「洋一ちゃん、増税しなきゃ駄目じゃないかな」「文雄ちゃん、君はいいこと言うね、増税は嫌われるけど、決断しなければ駄目だよ」「そうか。やっぱり増税するよ」
なんて、こんなことを従兄弟同士で話して、決めている。
さらに、岸田さんは財務省に人脈がないので、「洋一ちゃん、日銀総裁は誰がいいかな」と宮澤洋一さんに相談して、今度の日銀総裁が決まったんです。
さらにこの岸田・宮澤家の一族は、総理大臣だった鈴木善幸さんとも親戚なんです。
鈴木善幸さんの息子の鈴木俊一さん(衆議院議員)が、ちょっと遠いのですが、宮澤喜一さんと姻戚関係にあります。
喜一・弘兄弟のお母さん(宮澤こと)は、小川平吉という長野県の政治家一族の娘で、その兄弟のひとり、小川平五さんの娘の敦子さん(宮澤喜一の従妹)の夫が、鈴木俊一さんです。
宮澤喜一さんとは義理の従兄弟となります。
その鈴木俊一さんが、いま、岸田内閣で財務大臣です。総理大臣と財務大臣と税制調査会長が親戚ということです。日本のいまの税制は、この3人の親戚同士で決められている。
閣議決定どころじゃないんです。家族会議で決まっています。
「来年はおじいちゃんの13回忌だけどどうしようか」というようなことを家族会議で決めるのは構いませんけれども、増税とかを家族会議で決めてもらっては困る。
世襲が続くと、政治家の子同士が結婚するので、タテだけでなく、ヨコにも広がってき、親戚だらけになります。
●岸田、宮澤、鈴木(善幸)、麻生、吉田、岸、佐藤、安倍は親戚だった
さらに驚くべきことに、鈴木俊一さんのお姉さん(千賀子)は、元総理で、安倍政権でずっと財務大臣をしていた麻生太郎さんと結婚しています。
だから、鈴木俊一さんと麻生太郎さんは義理の兄弟。いまの財務大臣と、元財務大臣が義理の兄弟なわけです。それで義兄弟同士で、「太郎さん、増税しないといけないですかね」「増税は人気無ないけど、やんなきゃだめなんだよ」とか、相談しているんでしょう。
麻生太郎さんは、ご存知のとおり、吉田茂の孫ですね。吉田さんの娘(和子)が、麻生太賀吉さん(衆議院議員)と結婚して、太郎さんが生まれました。
麻生家は九州の財閥です。吉田茂はお金を作らないという条件で総理大臣になったんですが、お金出なしでは政治はできません。でも、吉田さんはお金がない。それなのに吉田学校という派閥を維持できたのは、麻生太賀吉さんが面倒を見ていたからです。
だから麻生太賀吉さんは、吉田茂が総理大臣を辞めたら、自分もすぐに国会議員を辞めてしまい、会社経営に専念します。政治に何の未練もなかったようです。
麻生太郎さんは、二世政治家で、かつてお父さんの太賀吉さんが出た選挙区から出ていますが、何十年も空白があります。
麻生家は炭鉱から始まって、いまはグループ企業がいくつもある大財閥です。でも、太郎さんは、長男なのに事業は継げなかった。弟さんが継いでいます。
多分、お父さんは、太郎さんに会社を任せたら潰れるかもしれないので、それは困るので、政治家にさせたんでしょう。そういう人が政治家になって、国が潰れたらどうするんだってことですが、総理大臣にまでなってしまいました。
ここまでで、岸田、宮澤、鈴木、麻生、吉田という5人の総理大臣が、ひとつの家系図にいることが分かりました。
それだけではないんです。
実は、吉田茂と、岸信介・佐藤栄作兄弟も親戚なんです。安倍晋三さんもその一族。
つまり、8人の総理大臣が、ひとつの大きな家系図のなかにいるんです。親戚なんです。
戦後77年間で、この8人で35年間政権の座にいます。約半分です。
戦後、自民党がずっと政権を取っているどころじゃなく、吉田茂を頂点とした大ファミリーが日本の政治をずっと動かしていて、たまに、他の人が政権につくけど、それはだいたい短命に終わっています。それが、日本の戦後政治の実態です。
いま、何人も出てきたので、一度には覚えられないかもしれませんが、これだけ覚えてください。
戦後、吉田茂から今の岸田さんまで33人の総理大臣がいて、そのうちの8人が親戚である。
●岸田内閣の20人の大臣中9人が世襲議員
次に、いまの岸田内閣の20人の大臣を見てみます。
そのうち9人がいわゆる世襲議員です。自分か配偶者の親族に国会議員、衆議院議員がいて、その選挙区を継いだ人たちです。
それ以外にも、世襲議員ではないけど、親戚に政治家のいるグレーゾーンの人が4人います。
これが岸田内閣の実態です。つまり自民党の縮図ですね。
●世襲議員の定義
ここで、「世襲議員の定義」をしておきましょう。
これは私が決めたんではなくて、マスコミとか学会が決めた定義で、さらにかつての民主党が決めたルールでもあるんです。
「現職議員の配偶者および3親等以内の親族が、その選挙区から、連続して立候補する」
そうして当選した議員を、「世襲議員」といいます。
「政治家の子」であるだけでは、「二世議員」ではありますが、「世襲議員」ではないんです。
たとえば、菅直人さんの息子の菅源太郎さんは、直人さんの選挙区とは全然関係ない岡山県から立候補したことがありますが(落選)、それで当選しても世襲議員ではなかったわけです。
武蔵野市の隣の杉並区を選挙区としていた石原伸晃さんも、石原慎太郎さんの息子だけど、選挙区は違うので、二世議員ですが、世襲議員ではありません。
そういう厳密な定義にあてはめても、岸田内閣は20人中9人が世襲議員です。
世襲議員の話をしますと、「世襲を禁止すればいいじゃないか」と言う方がいます。
ところが、そうはいかないんです。
憲法14条に「全て国民は法のもとに平等であって、人種、信条、性別社会的身分または門地により政治的経済的または社会的関係において差別されない。」とあります。
「門地」とは「家柄」です。要するに、「この家柄の人は駄目だよとは言えない」というのが憲法です。
さらに憲法44条では「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。」とありますから、この条項がある限り、世襲議員を法律で禁止することはできません。
だから、有権者が判断するしかない。あるいは各政党が判断するしかないわけです。
かつての民主党は、自分たちのルールとして、【以下の三要件を満たす立候補は認めない 現職議員の配偶者及び三親等内の親族であること。当該議員の引退、転出に伴って連続立候補をすること。同一選挙区から立候補すること。】と決め、そういう人は公認しませんでした。
このルールがあったので、親の選挙区からの立候補を断念した人もいます。
でも、でも残念ながら今の立憲民主党にはこのルールありませんので、世襲議員がいます。
この件では、自民党のことだけを批判できません。
●戦後の33人の総理大臣のうち、25人は親族に国会議員がいる
岸田首相を中心にした巨大ファミリーがあり、そこに8人の総理大臣がいることと、いまの岸田内閣は20人中9人の世襲議員がいることを紹介しました。
では、戦後の歴代の総理大臣を順番にみていきます。
右が昭和、左が平成・令和です。
グレーのところが、総理大臣本人。左が親、右が子となります。
たとえば、吉田茂はお父さんとお兄さん、さらに奥さんのお父さんが国会議員。さらに、娘婿と孫も国会議員、ということがわかります。
この表で、右も左も空欄なのが、世襲とは縁のない政治家で、8人しかいません。
逆にいえば、33人中25人、約75パーセントが、親族に国会議員のいる政治家です。
世襲とは関係ない総理大臣は、昭和では、社会党の片山哲さん、早稲田出身でジャーナリストだった石橋湛山さんの2人。
どちらも短命内閣でした。
平成になると、海部俊樹さん、村山富市さん、森喜朗さん、菅直人さん、野田佳彦さん、菅義偉さんの6人。だから、合計8人です。みな2年以内の短命内閣でした。
森さんはお祖父さん・お父さんとも石川県で長年、村長や町長をやっていた地方政治家でした。菅義偉さんも青森県で、お父さんが町会議員でした。菅直人さんは、妻の伸子さんのお母さんが岡山で町会議員をしていました。そういう意味では親族に地方政治がいます。
森さんはお父さんが町長をしていた所から出ていますが、菅直人さん、菅義偉さんの二人は、関係のない所から立候補しています。
8人のうち、石橋、海部、森、野田の4人は早稲田出身。一応、なんとなく、在野精神が残っている感じです。早稲田で世襲議員なのは、岸田さんだけですね。岸田さんは東大を3回落ちて、さすがに3浪はさせてもらえず、やむなく早稲田に行ったそうなので、もともと早稲田的ではないんでしょう。
●吉田茂と岸信介・佐藤栄作は親戚
吉田茂についてみていきます。
娘の和子さんが麻生太賀吉さんと結婚して、太郎さんが生まれた。これはよく知られているので驚きはないのですが、よく見ると、吉田茂と岸信介・佐藤栄作兄弟は親戚なんです。これはけっこう衝撃ですね。
戦後の自民党は、吉田茂を原点とした宏池会と、岸信介を原点とした清和会の2つの流れがあって、それぞれの間で擬似的政権交代をしていたと、よく言われます。
たしかに派閥の歴史としては、それは正しいのですが、それだけでは見えない。
吉田茂と、岸信介は、血の繋がりはないんだけれども、親戚関係にあるわけです。
さらに、岸信介の実弟である佐藤栄作は、吉田学校の優等生でもありました。
つまり、昔のエスタブリッシュメントは、どこかでみんな親戚として繋がっているんです。
政治家だけでなく、財界ともつながっています。
説明しますと、吉田茂の娘の桜子さんの夫が、吉田寛という人で、この「吉田」は偶然一緒なだけで、親戚ではありません。
吉田寛の母・さわは、佐藤信彦の娘で、そのお姉さんの茂世さんの子が、岸信介と佐藤栄作となります。岸家と佐藤家の関係は複雑なので、あとで詳しく話します。
つまり、岸信介から見ますと、母の妹(叔母)の子(従兄弟)の妻が吉田茂の娘ということです。
結局のところ、宏池会・清和会での政権交代説というのは、源平交代説が今は否定されているように、真っ赤な嘘であり、結局はひとつの巨大ファミリーによる政権が続いていると言えます。
●最初の世襲総理は、鳩山一郎
では、吉田茂と対立していたとされる鳩山一郎さんは、どうなのか。
実は、鳩山一郎こそが最初の世襲政治家の総理大臣と言えます。
戦前の総理大臣には、世襲政治家はいません。貴族院議員はほとんどが世襲だし、衆議院議員のなかにも世襲はいましたが、総理大臣はいません。もともと、衆議院議員で総理大臣という人そのものが少ないということもあります。戦前は議院内閣制ではありませんから。
終戦時の首相は鈴木貫太郎、それから東久邇宮稔彦王、そして幣原喜重郎と短命の政権が続きました。この3人も父も子も政治家ではありません。
鳩山一郎さんの和夫さんは弁護士でもあり政治家でもありましたが、55歳で亡くなってしまい、一郎さんが文京区の地盤を継ぎました。世襲議員と言っていいでしょう。
そして戦争になって、戦後になって、1946年4月の総選挙では鳩山一郎率いる自由党が第一党になり、まだ旧憲法なので国会での首班指名ではなく、天皇から総理大臣になれという大命降下がおりる直前に、鳩山さんは公職追放となってしまいました。マッカーサー司令部の方から、鳩山は駄目という指示が出たようです。
それで、吉田茂が総理大臣になった。その後、社会党の片山哲、芦田均が総理になりました。片山さんは親族に政治家はいません。
芦田均はお父さん(芦田鹿之助)が衆議院議員でしたが、1904年の選挙で一期当選しただけで、それから25年以上が過ぎて1933年に初当選なので、厳密には世襲議員ではありません。
その芦田内閣の後、吉田茂が復権し、1954年まで続いたわけです。
そして公職追放が解除されていた、鳩山一郎が総理大臣になりました。
●鳩山家は5世代が政治家
鳩山一郎の孫が鳩山由紀夫さんで、菅直人さんと民主党を作り、2009年に総理大臣になりました。鳩山和夫から数えると、4代目です。
しかし、由紀夫さんは4世議員ですが、世襲議員ではありません。
鳩山一郎は1956年まで総理で、その間に自民党が結党されました。そして59年に現職の議員のまま亡くなります。その長男の鳩山威一郎は大蔵官僚となっていて、後を継ぎませんでした。威一郎さんは大蔵省の事務次官までつとめ、自民党から参議院の全国区に出て参議院議員となりました。三世議員だけど、選挙区は継いでいません。
その次男の鳩山邦夫さんが、1976年にかつて祖父・一郎の選挙区だった文京区のある東京8区(中選挙区時代)から出て、4世議員になりましたが、15年くらい空白がありますから、厳密には世襲議員ではありません。そのため選挙は弱く、落選も経験しています。
その兄の由紀夫さんも、東京ではなく、北海道から立候補しています。ここは曽祖父の鳩山和夫が開拓した地域で、鳩山家とも縁のある地域らしいですが、選挙地盤があったわけではありません。引退する自民党の議員の地盤を継ぎました。
鳩山邦夫さんも民主党に参加しましたが、都知事選に立候補することになり、議員を辞任し、民主党も離党、都知事選は落選しました。
そのときに、東京2区の地盤は自分の秘書から都議会議員になっていた人に譲っていたので、いまさら戻れず、何がどうなったのか自民党に戻り、あろうことか、菅直人さんのいる東京18区から立候補しました。
この選挙では比例代表の単独1位になっていたので当選は確実でしたが、小選挙区の東京18区では、菅さんに、というか菅伸子さんに負けて落選、比例復活でした。
そのまま18区で次も頑張るのかなと思っていたら、伸子さんが怖いのか、次の選挙では福岡県から立候補して当選しました。
なぜ邦夫さんは福岡へ行ったか。福岡には、由紀夫・邦夫兄弟のお母さんの実家である、ブリヂストン創業家の石橋家があるからです。
由紀夫さんたちのお母さんの鳩山安子さんは、石橋正二郎さんの娘です。鳩山一郎から見ると、息子・威一郎の妻の実家がブリヂストンとなり、鳩山一郎の戦後の政治資金の面倒を見ていたのが、石橋家だったわけです。
吉田茂も、娘の夫が麻生財閥でしたが、鳩山一郎も息子の妻の実家が石橋財閥という、そういう関係です。
なお、音羽にある鳩山御殿ですが、これは戦前に建てられており、石橋家の財産とは関係なく、どこからのお金で建てたのかは、よくわかりません。
鳩山家は、由紀夫さんは引退し、その息子は政治家はなっていません。邦夫さんは亡くなり、その次男の二郎さんが福岡6区から出て当選しています。
ただ、由紀夫さんの息子は東大卒で、和夫から5世代にわたり東大を出ていますが、二郎さんは東大ではない。鳩山家は4世代目までは「東大を出て政治家」でしたが、5世代目で、東大と政治家は分離しました。
●岸信介と佐藤栄作の複雑な兄弟関係
鳩山政権時代に自民党が結党され、鳩山さんが辞任すると、総裁選となり、石橋湛山が勝って、総理大臣になりました。石橋さんは親族に政治家はいません。
石橋湛山は総理になってすぐに病気となり、辞任し、次に岸信介が総理大臣となりました。
岸信介と佐藤栄作は、いまのところ、兄弟で総理になった唯一の家ですが、苗字が違うことから分かるように、複雑な家系となっています。でも、両親とも同じ、実の兄弟です。
まず佐藤家というのがあります。源義経の家来だった佐藤忠信が祖先とされている何代も続いている家で、明治になって、佐藤信彦という人が当主となります。
長男の松介が、佐藤家を継ぎました。長女の茂世は、岸家の三男だった秀助を婿養子にとり、佐藤家の分家を作りました。その妹のさわの息子が吉田茂の娘と結婚します。
佐藤本家の松介には男子は生まれず、娘・寛子しかいませんでした。
佐藤分家には、三人の男子が生まれたので、長男が佐藤分家を継ぎ、次男・信介は父の実家である岸家の養子になりました。そして伯父にあたる岸信政の娘・良子と結婚したわけです。いとこ同士の結婚です。
佐藤分家の三男・栄作は、本家の娘である寛子と、ここもいとこ同士の結婚をして婿養子になりました。姓は同じですが、分家の佐藤さんの三男から、本家の佐藤さんの跡取りとなったわけです。
●兄・岸信介が先に出世したが、戦犯容疑で獄中に
信介・栄作兄弟とも東大を出て、官僚になりました。兄の信介のほうが先に出世し、東条英機内閣で商工大臣になり、「開戦詔書」にも署名したので、戦後、A級戦犯容疑者となり逮捕されたわけです。巣鴨プリズンに入っていましたが、なぜかアメリカ軍は岸信介を許して無罪放免となったわけです。
このとき、岸信介とアメリカとの間でどんな密約があったのかは、永遠の謎となっています。
岸さんが1948年12月に巣鴨プリズンを釈放されたとき、弟の栄作さんは吉田内閣で官房長官をやっておりました。このときは運輸省の次官を辞め、次の衆院選に出ようとしていた時期、つまりまだ国会議員ではなかったんですが、官房長官をしていたんです。
吉田茂はすごいワンマンだったので、こういう人事が可能だったんですね。鳩山一郎たちが公職追放を解除されて復権するまでに、吉田茂は佐藤栄作や池田勇人たち若い官僚を大量に衆議院に立候補させていくわけですが、それだけでなく、当選1回とか2回でも優秀な人はどんどん大臣にした。当選0回の佐藤栄作は官房長官になった。
そういうダイナミックな時代でした。
岸信介としては、自分が獄中にいる間に、弟が官房長官に出世していたわけです。
出獄すると、岸さんは、着の身着のままの格好で、首相官邸へ弟に会いに行きました。そして守衛さんに「官房長官に会いたい」と言ったら、「あなたは誰ですか」とか「何の用だ」と質問して、なかなか入れてくれない。「官房長官の兄だ」と言うと、「本当ですか」と疑って、どこかに電話している。そうしたら、栄作さんが走ってきて、兄弟の対面となったという逸話が残っております。
栄作さんは戦争中は左遷されたりして不遇で、権力の中心にいなかったので、公職追放にもなにもないですんだ。兄弟の運命は逆転していたわけですが、復権すると、岸さんは一気に権力の中枢に駆け上り、1945年にA級戦犯容疑で逮捕されてから12年後の1957年に内閣総理大臣になります。
●吉田茂はなぜ高知県から立候補したか
岸内閣は60年安保で終わって、次が池田内閣です。吉田茂の愛弟子と言われる人ですが、吉田は外務省、池田は大蔵省で、戦前・戦中は何の接点もなく、戦後に吉田茂が総理大臣になってからの付き合いです。
ここで、また吉田茂の話に戻りますが、この人は外交官で、英米派で開戦には反対でした。だから、戦争中は不遇でしたが、それが戦後は幸いして総理大臣になりました。
最初に就任したときは、旧憲法だったので、国会議員ではないのに総理大臣になったんですが、新しい憲法になったので、総理大臣を続けるには国会議員でなければならなくなった。それで、どの選挙区から出ようかという話になります。
吉田茂は、神奈川県の大磯に家がありました。後に西武が買って大磯ロングビーチとするところです。だから、普通なら、自宅のある神奈川県から立候補する。
ところが、高知県から出ます。吉田茂は高知県で自由民権運動をしていた竹内綱という人の5男として生まれ、生まれたと同時に、その友人である吉田家の養子になりました。
竹内綱はその後、事業に成功し、かつ高知県の代議士になり、長男の竹内明太郎(吉田茂の実の兄)も事業と選挙区を継いで代議士でした。ですが、最後に当選したのは1920年なので、20年以上の空白があります。吉田茂は二世ではあるけど、世襲議員とは言えません。
さっきの世襲議員の定義にも、該当しませんし、父や兄の後援会の利権を守るために高知県から出たわけでもない。
しかも、吉田茂は高知県では暮らしたことはない。それなのに、なぜ高知県から立候補したのでしょう。
住んでいる神奈川県から出ると、地元の人が陳情に来るだろう。しかし、吉田茂は貴族趣味の人なので、地元民の面倒など見る気はない。そうすると、「あの代議士は何もしてくれない」となって、次の選挙は落ちるかもしれない。高知県なら遠いから、当時は飛行機も新幹線もないので、陳情に来る人はいないだろう。そういう理由で高知県から出たそうです。
それで、選挙になっても選挙区には1日か2日しかいなかったんですが、当選し、以後も当選を重ねます。
当時の有権者は、いまより偉いですね。そこに住んでいたわけでもない人なのに、投票して当選させた。しかも、何の面倒も見なかったのに、連続当選させていた。当時の高知県の人は、吉田茂に地元利益誘導を求めていなかったわけです。
こうして吉田茂は代議士となり、そのほかに20人以上の新人を当選させて吉田学校を作ります。その代表が、池田勇人と佐藤栄作の2人です。
この2人はそれぞれ派閥を率いて、自民党総裁選を闘い、先に池田勇人が総理大臣になりました。
●池田勇人の娘たちの夫
池田勇人の親族では、最初の妻(直子)が廣澤金次郎という貴族院議員の娘ですが、貴族院議員には選挙区はないので、地盤を継いだわけではなく、池田勇人は国会議員としては初代です。広島が選挙区でする。
それで60年安保の後に、総理大臣となり、64年の東京オリンピックが終わると、病気で辞任しました。その後、総理大臣になるのが佐藤栄作です。
池田勇人には男の子はなく、女の子3人が生まれ、長女は金融王と呼ばれた近藤荒樹という人の長男・荒一郎と結婚しました。この近藤家が池田勇人の政治資金の面倒を見たわけです。吉田茂にとっての麻生家、鳩山一郎にとっての石橋家のようなものです。
派閥を維持するにはかなりの資金が必要なわけです。それにはお金持ちが身近にいないといけない。菅直人さんも、長男の源太郎さんがどこかの大企業の社長の娘さんと結婚していれば、長く続いたかもしれませんね。
これは冗談ですが、それはさておき、池田さんは長女は金融王に嫁がせ、二女は大蔵官僚と結婚させて婿養子にしました。それが、池田行彦さんで、衆議院議員になりました。ただ、池田勇人は総理を辞めた年、64年に国会議員も引退しており、池田行彦さんが立候補するのは1976年なので、10年以上の空白があります。
その池田行彦さんの選挙区を継いでいるのが、寺田稔さんです。岸田内閣で総務大臣でしたが、辞任に追い込まれました。この人は、池田勇人の長女と近藤荒一郎の間に生まれた娘さん(池田勇人の孫)の夫です。池田勇人の孫の夫ですね。血はつながっていませんが、池田勇人の娘の夫、孫の夫とつながっています。
次が長期政権になった佐藤栄作さんです。
私は1960年生まれなので、池田さんは覚えてなく、物心がついたころから小学6年生まで、「総理大臣といえば佐藤さん」で、このままずっと続くのかと思っていたら、三角大福の総裁選というのがあって、田中角栄さんになり、総理大臣って交代するのかとびっくりしました。
●文鮮明に騙された岸信介はどうしようもない
菅伸子「岸信介さん、あの人は孫の安倍晋三さんとは違って、東大も出ているので、ましだろうと思っていたんですが、文鮮明に騙されたでしょう。何ですか、って。統一教会が日本に入ってきたのは、彼が騙されたからです。これ、どうしようもないですね。それと、日本って戦犯になった人を首相にまた選ぶ国なんですね。ドイツでは考えられないでしょう。ナチス党にいた人が、絶対、戦後は選ばれていないでしょう。不思議ですね。」
中川右介「本当に不思議です。」
●吉田茂と岸信介の一致点
さて、吉田対岸という対立構造があるとされてきました。
吉田さんは憲法を守り、経済重視で軽武装。岸さんは国家主義的で、憲法改正、重武装。たしかに、政策としては対立しているんですが、どちらも官僚出身で、党人派が嫌いという点では一致しています。
そして、池田さんが辞めた後の総裁選では、池田さんが河野一郎に禅譲するとの憶測が出ると、佐藤栄作を次の総理にすることで、吉田・岸は一致します。吉田さんにとって佐藤栄作は愛弟子だし、岸信介にとっては実の弟なので、何の問題もない。
こうして吉田と岸が手を結び、佐藤栄作を総理にします。その結果、総理になれなかったのが、河野一郎でした。
人事というのは、要するに人脈で決まる。それはタテの線である世襲と、ヨコの線である姻戚関係もからみ、複雑な人間関係で左右されているわけです。
佐藤さんは長い政権でした。1972年に総理を辞めた後も衆議院議員は続けていて、74年の参院選に次男の佐藤信二さんが参議院の全国区から立候補して当選しました。総理経験者が息子を国会議員にした最初の例となります。栄作さんが亡くなると、信二さんは衆議院のその選挙区から出て当選します。
信二さんの娘(栄作の孫)の夫・阿達雅史さんが、いま参議院議員です。選挙区は継いでいませんが、世襲に近いですね。
●叩き上げの田中角栄だが
ポスト佐藤は三角大福中の誰かということなりました。
その結果、田中角栄さんが政権を取りました。角栄さんはイメージ通り、叩き上げの人です。新潟で生まれて、苦労して建築会社を作って、それでお金も作って、戦後すぐの選挙に立候補して当選を重ねていきました。官僚出身ではないので、吉田学校の一員と言えるかどうかは微妙なんですが、今では田中角栄も吉田学校の一員ということになっています。
これは田中角栄が自分を吉田茂の弟子としておいたほうが都合がいいと、マスコミに頼んで、吉田学校の一員と吉田茂も認めていたという伝説を作ったという説もあります。
ともかく、田中角栄さんはたたき上げの政治家で大変人気がありました。親族に政治家はいません。完全な初代です。
小学校しか出ていないというので、当時の少学生――私もそのひとりですが――にも人気がありました。
田中角栄には、息子さんがいましたが早くに亡くなってしまいまして、娘の真紀子さんだけとなりますが、他に、お妾さんの間に何人か子どもがいました。しかし、真紀子さんが絶対に認めないので、この人たちが後を継ぐことはなかった。
真紀子さんは、鈴木直人さんという福島の衆議院議員の息子の直紀さんと結婚して、婿養子としました。
しかし、角栄さんはこの田中直紀さんに、田中家は継がせたけれど、新潟の自分の選挙区を継がせようとは考えてなかったようで、福島の実のお父さんである鈴木直人さんの選挙区から立候補させました。鈴木直人さんは現職の議員のまま亡くなり、その後は、他の自民党の議員で地盤を継いでいたのですが、その人たちも引退したので、直紀さんが福島へ戻ったわけです。
結果として、真紀子さんが新潟の選挙区を継ぎますが、それは角栄さんが倒れた後です。85年に倒れましたが、86年の衆院選でも当選、しかし一度も国会に登院できないまま、90年の総選挙には立候補せず引退しました。それから一期あって、93年の総選挙に、真紀子さんは立候補したわけです。これは田中角栄が娘に継がせようとしたというより、真紀子さんが勝手に出たと見るべきでしょう。
その後、夫婦とも民主党にいた時期もあるなど、いろいろありましたが、真紀子さんの子は政治家にはならず、田中家は国会から消えました。
総理を辞めた後も政界を動かしていた田中角栄さんですが、結局日本の政治史においては一種の徒花的な存在で終わりました。
●三木武夫の妻の実家は世襲政治家一族
角栄さんと総理の座を争った人たちは、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘の順で総理大臣になりました。中曽根さんの前に、鈴木善幸さんもいますね。
この人たちも、角栄さん同様に、国会議員としては、みな初代です。たたき上げといっていいです。
三木さんも妻の睦子さんの実家は森コンツェルンで、戦前の15大財閥のひとつで、お父さんは会社経営をしながら衆議院議員で、その息子たちも議員です。
しかし、三木さんは結婚する前に、衆議院議員になっていたので、妻の実家の力で議員になったわけでもないし、選挙区もまったく違います。森家は千葉で、三木さんは徳島県です。
戦後も、三木さんと森一族は自民党内で別の派閥でしたから、政治活動も一緒にしていません。
だいぶたってから、森一族の森美秀さんが三木派に入りました。多分、このあたりから森財閥の資金が三木派に入っていたのではと思います。
三木派を継いだ河本敏夫さんは、三光汽船の社長でお金持ちでした。河本さんと三木さんも、実は親戚です。三木さんの娘の紀世子さんの夫(高橋亘)の兄弟(高橋達夫)の妻(敏江)が、河本さんの娘という関係です。
それで、三木さんが亡くなった後の三木家ですが、息子は後を継ぎませんでした。ですから地盤は他の政治家が継いだ。
ところが、娘の紀世子さんの息子・高橋立さんが(三木武夫の孫)、祖母にあたる三木睦子さんの養子になって三木立となって、1996年に民主党から、東京の中野区・渋谷区の選挙区から立候補しました。徳島から出る話もありましたが、生まれも育ちも東京なので、東京から出ることになったわけです。でも落選しました。東京では「総理大臣の孫」というだけでは当選できません。
その後、娘の紀世子さんは、参議院の徳島選挙区から野党統一候補として立候補して当選し、一期つとめました。それで、三木家の政治家は終わりてす。
河本さんは総裁選に出ましたが、負けました。さらに三光汽船が倒産してしまいました。いまは大会社の社長が国会議員置をしていることは、ほとんどないんですが、昔はそういう例は頻繁にありました。西武の堤康次郎さんは衆議院議長もしていました。特に戦前は、大企業の社長さんが国会議員になるのはごく当たり前でした。
河本さんはそういう「経営者で代議士」という最後の世代です。
●初の父子総理、福田赳夫・福田康夫
三木さんの次が、田中角栄さんの宿命のライバル・福田赳夫さん。
福田さんの父と兄は群馬県の町長でしたが、国会議員としては、福田赳夫さんは初代となります。その後、弟の宏一さんが参議院議員になります。
そして、福田赳夫さんの後を継いだのが、息子の福田康夫さんで、いまのところ、唯一の父子が総理大臣になった家です。岸・佐藤は兄弟、近衛文麿・細川護熙と鳩山一郎・由紀夫、吉田茂・麻生太郎は、祖父と孫ですから。
福田康夫さんは総理を辞めると引退し、その息子・達夫が継ぎました。三代目になります。
福田家は、赳夫さんの娘(和子)が大蔵官僚だった越智道雄さんと結婚し、その後、越智さんは東京の選挙区から立候補して当選、いまは、その息子の越智隆雄さんが継いでいます。だから、いまの国会には福田赳夫さんの孫が二人、福田達夫と越智隆雄といるわけです。
●総理在任中に亡くなった大平正芳の後継者は?
次の大平正芳さんも、お父さんが村会議員、お兄さんが町長でしたが、国会議員としては初代です。大蔵官僚から吉田学校の一員になりました。
在職中に、しかも衆参ダブル選挙のさなかに亡くなりました。自分も衆院選の候補者だったのに亡くなったわけですが、候補者が亡くなった場合、その選挙区は補充立候補できるので、大平さんの女婿で大蔵官僚から首相秘書官になっていた森田一さんが立候補して当選しました。大平さんの息子もいたのですが、誰も政治家にはなりませんでした。
森田一さんの後は、大平家の人は継いでいません。遠い親戚が、国民民主党の玉木雄一郎さんです。
大平さんが急死したので、その後は同じ派閥からと、鈴木善幸さんが総理になりました。鈴木善幸さんは最初は社会党から立候補して、二期目で自民党に移った人で、政治家としては初代です。でも、先ほど言ったように、息子・俊一が世襲し、さらに娘は麻生太郎さんと結婚しています。
●中曽根康弘は息子を参議院議員に
次が中曽根康弘さんです。ご本人も長く総理大臣をやっていて、国会議員も長く、引退後も長生きしていましたが、息子の弘文さんは参議院議員、その子(康弘の孫)が、いま、衆議院議員です。
中曽根家は、康弘さんが長く衆議院議員を続けたので、息子の弘文さんは参議院の群馬選挙区から出たわけです。そして、その妻の兄弟が、文部科学次官で、この武蔵野政治塾の講師もしている前川喜平さんという関係です。前川さんは親戚ですが、思想信条は中曽根さんとはだいぶ違うようです。
●二世たちは、政治家を目指していない
このように、三角大福中は、みな、自分は国会議員としては初代でしたが、その子(女婿含む)が国会議員になっています。
そのうち、三代まで続いているのが、福田家と中曽根家。
その前の、佐藤栄作、池田勇人、岸信介も、自分は初代なのに、子や娘婿は政治家になりました。二世議員の時代になってしまうわけです。
ところが、よく見ると、この総理大臣経験者たちが、自分の子が子どもの頃から、自分の後を継がせたいと思った例は少ない。田中家のように、角栄さんの判断能力がなくなってから、娘の真紀子さんが出たり、大平さんのように急死してしまい娘婿が出たとか、そういう例もあります。
御本人が元気なうちに後継者と指名したのは福田家くらいですね。中曽根家は康弘さんがいつまでも辞めないので、息子は参議院議員のままでした。
●竹下登・金丸信・小沢一郎は親戚
中曽根さんの後が、竹下登さんたちの時代になります。昭和も終わります。竹下派、経世会の全盛期でした。
竹下派には、竹下さんの他、金丸信、小沢一郎という実力者がいましたが、この3人は親戚です。
竹下さんは、お父さんが村会議員でしたが、国会議員としては初代です。
そして息子はいなくて、娘の一子さんが結婚したのが、金丸さんの息子(康信)という関係です。子ども同士を結婚させたわけです。この金丸康信さんは山梨県のお父さんの地盤は継げませんでした。金丸家は一代限りでした。
竹下登さんの島根県の地盤を継いだのは、親子ほど年の離れた異母弟の亘さんです。亘さんの妻(雅子)と、小沢一郎さんの妻(和子)が、姉妹です。福田組社長の娘さんたちです。
小沢一郎さんの父の小沢佐重喜さんは吉田学校のひとりです。佐重喜さんが急死して、小沢さんは弁護士になるため法律を学んでいましたが、急遽、立候補して政治家になりました。社会人経験のない人です。
小沢一郎さんには男の子が3人か4人いましたが、離婚したので、子どもたちとも別れ、誰も継ぐ人はいません。
竹下亘さんの後も、親族は誰も継ぎませんでした。
全盛期を誇った経世会のトップ3人は、小沢さんはまだ現役ですが、家としては、これで終わりでしょう。
ついでにいうと、竹下さんの二女の子、つまり孫がミュージシャンのDAIGOです。似ているかどうかの判断は、おまかせします。そして、その妻が女優の北川景子です。北川景子さんは竹下登さんとは血のつながりはありませんが、その子は竹下さんのひ孫となります。
●昔から世襲議員が多かったわけではない
竹下さんで昭和の時代が終わります。
昭和戦後の現憲法下での総理大臣は吉田茂から竹下さんまでで15人。そのうち、厳密な世襲政治家は鳩山一郎のみで、あとは、吉田茂や芦田均も、お父さんやお兄さんが議員を辞めてから何十年もたってから立候補しているので、世襲政治家とは言えない。
奥さんのお父さんが国会議員だったのが、池田さん、三木さんですが、選挙区は異なります。
岸さんと佐藤さんは兄弟ですが、佐藤栄作がお兄さんの岸信介の地盤をついたのかといえば、とんでもない話で、中選挙区時代でしたので、2人は同じ山口2区から立候補して競い合っていた。お互いに相手には負けるなと、選挙戦は骨肉の争いだったらしいです。
みんな初代なのに、片山哲と石橋湛山以外の13人は、みな子どもや弟が国会議員になりました。
そして、平成・令和になると、今度は大半が、お父さんかお祖父さんが国会議員という、二世議員、三世議員が総理大臣になっていきます。
時代が下がれば下がるほど世襲議員が増えてくる。けっして、昔から国会議員は世襲だったわけではないんです。
なぜ昭和の戦後は、世襲議員が少なかったのか。これは、戦後、戦前からの国会議員の大半が公職追放にあって一旦政界から去ったことが大きいでしょう。大量の旧世代がいなくなったので、吉田学校の人たちが、どっと政界に入ることができ、入れ替わったわけです。
だから戦後の昭和の時代までは世襲議員は少なかった。でも、その初代の政治家たちの子が、選挙区を継いでてくようになっていったわけです。
●世襲議員は何の目的で政治家になったのか
中川右介「さて、五十嵐さん、生まれる前の話だったと思いますが、ここまでで、何かご質問、ご意見はありますか?」
五十嵐えり「私もこの本(『世襲』)も読みまして、今もお話を聞きまして思うのは、国をどうするかではなく、自分の家業を長らえることが目的となっているんじゃないかと。」
中川右介「まさにそうなんですね。世襲の候補者は、父とか祖父の「意思を継いで」とか言って政治家になりますが、それは、あまり国民には関係のない話です。でも、彼らにはそれしかないんですね、意思を継ぐということは、ようするに、家を継ぐこと、家業を継ぐことです。お父さんは青雲の志を持って政治家になったのに、息子や孫になってくると、お父さん・お祖父さんの意思を継ぐことだけが目的となっている。」
●テーマなしに政治家になる意味はない
菅伸子「私は、鳩山さんの兄弟と、同じ党(民主党)だったこともあり、割合とお付き合いもありましたけど、私たちとは違いましたね。政治家って、市議でも都議でも国会議員でも、何か「ここはおかしい」「ここを変えたい」「ここをこうしたほうが、市民にとって、もっと便利になる」というような、テーマがあって、なるものだと思うんですよ。だけど、鳩山さんたちと話していると、何の矛盾も感じていないわけですよ。今の生活の中で、何も矛盾が見ていない。それなのに、なぜ政治家になるんだろうと、思いました。私の夫(菅直人)の最初のテーマは土地問題でした。山口県の田舎から、菅の父が東京に転勤になって、こちらに来たら、田舎では100坪ぐらいの土地の家に住んでいたのに、東京では45坪くらいの家も、買えなかった。それくらい、東京の土地は高い。これはなぜだ、おかしいというので、農地の宅地並み課税を推進する運動をしたのが、始まりでした。土地問題については、国会議員になってからも、何度も質問していましたが、取り入れられることはありませんでした。そうしたら、バブルで土地が上がったりして、うまくいかなかった。うまくいくことは少ないんですが、何かそういうテーマがないと、政治家になる意味がないと思うんです。それなのに、テーマがなくて政治家になる人がいるのが、本当に不思議です。岸田さんは、「聞く力」があるとか言っていますが、「考える頭」を持ってほしいと、そう思いますね。考える頭のない人ばかりが、世襲の人は多いです。何事も疑問がなければ始まらないですよ。「これはおかしい」という。でも、世襲の人には疑問も何もない。そういう人を選んでしまう日本という国は、封建制度に戻った方が国民はしっくりするんじゃないかと思ってしまいます。殿様の子は殿様、百姓の子は百姓というほうが安定していくのかなと思うような、変な時代錯誤になっております。」
中川右介「切実な改革志向がない人たちが政治家になってしまうと、そうは言っても政治家になった以上は何かやらなければならない、名前を残したいと思う。そうすると出てくるのが、「強い国になろう」とか「戦争のできる国にしよう」「憲法を変えよう」という、そういう方向へ行くんでしょうね。国民はそんなことを望んでいないのに、そういうことで業績を上げれば、歴史に残ると思ってしまうのでしょう。世襲の人は、まわりも世襲というか、経済的・社会的に恵まれているので、生まれてからずっと、生活に困っている人たちと会ったことがないので、格差とか貧困が分からないと思います。これも世襲の弊害のひとつです。」
●平成初期、宇野、海部、宮澤
さて、平成時代に入ります。
最初の総理大臣は宇野宗佑さんでした。短命でしたね。
この人も政治家としては初代でした。そして娘婿が選挙区を継ぎましたが、そんなに当選は重ねられず、宇野家は政界から消えました。
その次が海部俊樹さんで、非世襲の政治家です。自分の子も政治家にしませんでした。
そして宮澤喜一さんが登場します。吉田学校出身で、東京帝国大学卒業の最後の総理大臣です。ようやく本格政権が誕生したと言われました。
宮澤さんは、岸田さんの親戚ということで、最初のほうでも話しました。政治家一族です。
父(宮澤裕)が戦前の衆議院議員で広島が選挙区。喜一さんは東京帝国大学から大蔵省に入り、池田勇人が大蔵大臣のときに秘書官となり、それがきっかけで最初は参議院の広島選挙区から出て政界に入りました。その後、衆議院に転じます。
母の実家が、長野県を地盤とする政治家一家の小川一族です。
宮澤喜一さんが衆議院議員になると、弟の弘さんが参議院議員となります。喜一さんの子は誰も政治家にはならず、孫が女優の宮澤エマさんです。ミュージカルで活躍していましたが、去年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で北条政子の妹の役を演じていました。これは別に宮澤さんの孫だからという理由での起用ではないと思います。
ですから、宮澤喜一さんの直系の子孫は政治家にはなっていませんが、弟の子、甥にあたる宮澤洋一さんが、喜一さんの衆議院の選挙区を継いで、いま、自民党の税制調査会長をしているわけです。
この一族の政治家は、みな東大を出ています。
宮澤さんは、自民党総裁としては、15代目でした。徳川幕府は15代将軍で終わりました。そんなことを思っていたら、1993年、非自民連立政権として、細川政権が誕生し、自民党政権も15代で、いったん終わりました。
皆さんの記憶にも新しいところで、この細川政権の誕生で、新しい時代が来ると思いました。
●世襲の中の世襲、細川護熙
細川護熙さんは、当時は日本新党の代表でしたが、最初は自民党の参議院議員で、その後、熊本県知事になった人です。
ご存知の通り、戦国武将の細川幽斎の子孫です。母方は近衛家の人で、戦前の近衛文麿首相の孫にあたります。近衛家は藤原家のひとつですから、大化の改新の藤原鎌足までさかのぼれます。世襲ということで考えれば、世襲の塊のような人です。
だから、保守派の人たちも、いまの自民党はちょっとだらしないから、野党に政権を任せようかとなったとき、細川さんならば安心だったのでしょう。これが、市民運動出身の菅直人だったら、警戒されたでしょう。
世襲政治家でも、細川さんクラスになると、いまさら権力なんか欲しくないし、お金もあるので、淡白で、あっさりと政権を投げ出してしまいました。
●吉田学校の二世、羽田孜
そして、また混迷の時代が始まります。
細川さんの後で連立政権で総理大臣になったのが、羽田孜さんです。
羽田さんは二世の世襲議員で、お父さんの羽田武嗣郎さんは吉田学校のひとりで、長野県から、戦後当選した政治家です。羽田孜さんは政治家になるつもりはなく、小田急バスに勤めていたら、武嗣郎さんが60歳くらいで脳出血で倒れ、闘病しながら議員も続けていたけれど、次の選挙は無理だと引退し、息子の孜さんが、地元後援会からどうしてもと頼まれる形で立候補しました。
本人は、それまでは政治家になる気はなかったということに、一応は、なっています。多分それは本音だろうとも思います。そういう意味では、政治家になる準備をしないまま政治家になった人です。
お父さんが吉田学校で、田中派にいたので孜さんも田中派に入り、竹下さんについていき、さらに小沢に担がれて、一緒に自民党を出ました。経験も積んで、人柄も良かったので、皆から慕われ、悪く言えば小沢一郎が担ぎやすい人で、総理大臣になったということです。
総理在任期間は短く、その後は民主党に入りました。
そして、長男の雄一郎さんは参議院の長野選挙区から出て議員になりました。民主党には世襲禁止ルールがありましたが、衆議院の小選挙区と参議院とは、選挙区は違うので、公認されたのでしょう。
その後、羽田孜さんが引退すると、雄一郎さんに衆議院の選挙区を継いでくれとの声が地元から出たのですが、当時の民主党のルールではできないので、出ませんでした。
それで雄一郎さんは参議院議員を続け、その間に民主党はいろいろあって、立憲民主党に入っていました。そうしたら、2020年12月にコロナで急死されました。それで、補欠選挙となったんですが、立憲民主党には世襲禁止ルールがないので、弟の次郎さんが立候補して当選しました。
これは、どうなんでしょうか。
今日、最初に深沢さんが「緩んでいる」とおっしゃっていましたが、まさに、これは立憲民主党の緩みではないかと思います。
あまり個人攻撃はしたくないんですが、羽田次郎さんは、世田谷区の区議選に立候補して落選している方です。自分が暮らしている区から区議選に出たら落ちたけど、長野県ではお父さんとお兄さんの「羽田」という名前があれば、通ってしまう。
そういう現実があります。
●またも吉田学校の二世、橋本龍太郎
次の村山富市さんは社会党ですから、世襲も何もないです。
その次が自民党に戻って、橋本龍太郎さん。羽田孜さんと同じ田中派・竹下派の世襲議員です。お父さんの橋本龍伍さんは大蔵官僚から政治家になった吉田学校のひとり。2回結婚していて、2人の妻とも政治家の娘です。でも、選挙区を継いだわけではありません。初代と言っていい政治家でした。
橋本家では、龍太郎さんではなく、弟の大二郎さんが政治家になる予定だったようです。NHKに入り、高知県知事になった人です。ところが、龍伍さんが亡くなったとき、大二郎さんはまだ若くて、被選挙権がなく立候補できない。そこで、呉羽紡績に勤めていた龍太郎さんが出ることになったそうです。
羽田さんと同じで、政治家になる気はなく、準備しないでなった人です。
1996年に自民・社会・さきがけの連立政権として橋本内閣ができ、菅直人さんは厚生大臣になりました。
橋本家は、その後、龍太郎さんの息子の橋本岳さんが三代目として継いでいます。
●娘が継いだ小渕恵三
その次が小渕恵三さん。経世会の二世議員です。お父さんの小渕光平さんは群馬県の実業家で、町会議員をしていましたが、戦後になって、衆議院議員となり、吉田学校のひとりです。
1958年に光平さんは54歳で急死し、そのとき、小渕恵三さんはまだ被選挙権がなかったので、次の選挙はほかの人が地盤を継いだのですが、高齢だったので落選しました。そこで、その次の選挙には、大学院生だった恵三さんが26歳で立候補して当選しました。
ですから、小渕恵三さんは、一日も社会人経験がない人で、その点は小沢一郎さんと同じです。
経世会出身の三人、羽田孜、橋本龍太郎、小渕恵三、それから総理ではないけど小沢一郎さんたちは、みな政治家を目指していたわけではなく、お父さんが急に亡くなったり、病気になったので、仕方なく後を継いでいます。
そして、小渕恵三さんは、総理在任中に倒れ、そのまま亡くなりました。
後を継いだのは、娘の小渕優子さんでした。
田中角栄さんは、娘の真紀子さんに「お前が男だったなあ」とよく言っていたそうです。「男だったら後を継がせたのに」という意味です。
角栄さんの世代は女が後を継ぐなんて考えられなかったんでしょう。娘しかいなければ、婿養子に継がせる。それが常識でしたが、小渕さんの時代になると、女でもいいとなりました。
ということで、女性でも世襲できることになったわけです。
これを「女性の進出」と言っていいかどうか。
五十嵐さん、どう思いますか。
五十嵐えり「たまたま女性だっただけじゃないですか。本人がやりたかったとか。」
中川右介「もうそれもあるだろうけどでも、昔だったら、後援会が許さなかったんじゃないかと。」
五十嵐「少しは変わってきたんでしょうかね。」
中川右介「と思うことにしましょう。」
●森喜朗は地方政治家の子
さて、小渕さんが倒れ、密室で選ばれたと評判の悪いスタートだったのが、森喜朗さんです。
経世会から、清和会へと自民党内で政権交代しました。
清和会は福田赳夫さんの派閥で、そのあとを安部晋太郎さんが継いだけど、病気になったこともあって、総理大臣にはなれませんでした。その派閥を森さんが継いでいました。
森さんの家は、婿養子が継いできた家で、お祖父さんは石川県で村長や町長を長くしていました。その婿養子のお父さんも、9期も町長していたので、その町は森王国みたいになっていたわけです。でも、衆議院の選挙区はその町だけではないので、喜朗さんは最初の選挙では自民党の公認をもらえず、泡沫候補だったらしいです。
ところが、岸信介が応援にきてくれ、さらに選挙中にある家が火事になって、森さんが飛び込んで、仏壇を運びだして、それが口コミで広がって、「あいつはたいしたやつだ」となって、当選できたそうです。
まさに火事場の馬鹿力で当選したわけです。その勢いで、総理大臣にまでなりました。
森さんには息子さんがいて、県会議員でしたが、交通事故で亡くなりました。いろいろスキャンダルもあったので、存命でも国会議員になれたかどうかはちょっと微妙ですが、継ぐべき息子がいなくなったため、森さんはいつまでも辞めなかったとも思います。
優秀な息子がいればさっさと引退できるんだけれども、それができない。
これはどっちがいいかという話です。次の小泉さんは、あっさり引退して、小泉進次郎さんに譲りました。
●世襲三代目の小泉純一郎
その小泉純一郎は、3代目の世襲です。初代、お祖父さんの小泉又次郎さんは横須賀で港湾労働者をしていた人で、戦前、「刺青大臣」と呼ばれていた人です。
それで娘がいましたが、本当の娘かどうかはちょっと微妙らしいです。で、その娘さんが一目惚れしたのが、純也さんで、非常にハンサムな人でした。政治家志望だったので、小泉家の婿養子となって、そこに生まれたのが、純一郎さんです。
総理を辞めると、次の選挙には出ず、小泉進次郎さんが継ぎました。4代目です。もしかしたら、父と子で総理大臣になるかもしれません。
小泉家には、かなり遠い親戚に石原慎太郎さんもいます。
小泉さんの後が、安倍晋三さんで、そのあと、福田康夫さんと、清和会政権が続きました。
政治家3代目の小泉さん、安倍家3代目で母方の祖父は岸信介の安倍晋三さん、福田赳夫の子の福田康夫さん、麻生家二代目で吉田茂の孫の麻生太郎さんと、「孫の時代」です。
その孫たちの自民党政権を倒したのが、鳩山家4代目の鳩山由紀夫さんでした。
そして、鳩山さんが一年もたたずに辞めてしまい、菅直人さんです。
●世襲ではない菅直人、野田佳彦、菅義偉
菅さんは世襲議員ではありません。ただ、親族には地方政治家はいまして、妻・伸子さんのお母さんが、岡山の金光町の町会議員で議長もつとめた方です。亡くなった後に、お父さんも議員になりました。でも、菅直人さんの選挙区は、ここ東京ですから、何も関係ありません。息子の源太郎さんは、岡山県から衆院選に出ましたが、その選挙区も金光町は含まれていませんでした。
岡山での源太郎さんの対立候補は逢沢一郎さんで、世襲の3代目でした。勝てませんでしたね。
政治家になるには、「地盤・看板・カバン」が必要と言われますが、やはり「地盤」が最大ですね。名前は養子になれば、その名を名乗ることもできるわけです。でも、それだけではダメで、地盤がないと選挙は難しいというのが現実です。
菅さんのあとは、野田佳彦さん。世襲とは縁のない人です。
安倍晋三さんが復活して、そのあとは菅義偉さん。お父さんは青森県の町会議員でしたが、菅義偉さんの選挙区は神奈川県なので、世襲ではないです。
その次が、岸田文雄さんで、3代目の世襲。
以上、後半は駆け足でしたが、戦後の総理大臣について世襲という観点から見てきました。
●政治の世襲のまとめ
・ 政治家の世襲は戦後の現象で、「昔から」ではない。
・ 33人の総理大臣のうち、父または祖父も総理大臣だったのは5人。父や祖父・兄が国会議員なのは17人。子や弟、甥などが国会議員なのは22人。親族に国会議員がいないのは8人。
・ 岸信介・佐藤栄作・安倍晋三の一族三名だけで、戦後78年のうち20年も政権の座にあった。吉田茂・麻生太郎・鈴木善幸・宮澤喜一・岸田文雄も加えると、36年。
・ 「世襲」の利点である「英才教育」「帝王学」はなされている気配がない。
・ 二代目は「親の突然の死」など成り行きで政治家になっていて、幼少期から政治家を目指していない。
・ 世襲議員がいることで、外部からの優秀な人材の登用が阻まれている。
・ 娘がいてもその婿養子が継ぐケースが大半で、女性に継がせる例は少ない。
●世襲の利点である「英才教育」がなされていない
世襲に利点があるとしたら、子どものころから、「お前は政治家になるんだ」「将来は総理大臣を目指せ」と育てられることです。そう言うだけではだめで、それにふさわしい教育をする。英会話の学校へ通わせて英語がペラペラになるとか、憲法や国会法や内閣法をぜんぶ暗記するとか、いろいろな法律や国際情勢の知識も身につけ、外国に留学して外国にも人脈を作るとか、そういう英才教育がなされていれば、まだましかなとも思うのですが、どうも、そんな人は見かけません。
33人の総理大臣の最終学歴を見ますと、いちばん多いのは東京帝国大学卒業で、吉田茂、片山哲、芦田均、鳩山一郎、岸信介、佐藤栄作、福田赳夫、中曽根康弘、宮澤喜一と9人です。東京大学の鳩山由紀夫さんを入れて10名。ただ、そのうちの8人が昭和の総理大臣です。
もちろん、東大を出てなければいけないとか、東大を出たから偉いとは言えません。東大かどうかだけで人間を判断してはいけないのだけれど、客観的事実として、総理大臣の偏差値は、だんだん下がっています。
英才教育がなされているとは思えないというのは、そういうことです。 
 
 
 
 

 



2023/6