人生いろいろ

死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ
自分ばかりをせめて  泣いてすごしたわ
一度なくしてわかる  胸のときめき

人生いろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの 


生き方もいろいろ   
 


 
 

 

●人生いろいろ 
死んでしまおうなんて
悩んだりしたわ
バラもコスモスたちも
枯れておしまいと
髪をみじかくしたり
つよく小指をかんだり
自分ばかりをせめて
泣いてすごしたわ
ねぇおかしいでしょ若いころ
ねぇ滑稽でしょ若いころ
笑いばなしに涙がいっぱい
涙の中に若さがいっぱい
人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの
   恋は突然くるわ
   別れもそうね
   そしてこころを乱し
   神に祈るのよ
   どんな大事な恋も
   軽いあそびでも
   一度なくしてわかる
   胸のときめきよ
   いまかがやくのよ私たち
   いまとびたつのよ私たち
   笑いばなしに希望がいっぱい
   希望の中に若さがいっぱい
   ・・・
人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの
・・・
 
 

 

●夢飾り 
この世に男が 住む限り
女は男の 夢飾り
夜に溺れて 夜に枯れ
堕ちてゆくのよ 蝶のよに
生きてるだけでも 辛いことなのに
あなたの心が 解からないのよ
愛は夢のようなもの
夢は風のようなもの
恋は悲しい 走馬燈
あなたは まぼろし
   私は夜明けの 海が好き
   優しい気持ちに なれるもの
   憎いあなたを 憎まずに
   波の彼方に やれるもの
   ゼンマイ仕掛の 踊り子みたいに
   傷跡かさねる 女と男
   窓の向こうに 朝が来る
   愛は醒めて 水になる
   まわれ涙を 散りばめて
   ・・・
生きてるだけでも 辛いことなのに
あなたの心が 解からないのよ
愛は夢のようなもの
夢は風のようなもの
恋は悲しい 走馬燈
・・・
 
 

 

●鳳仙花 
やっぱり器用に 生きられないね
似たような二人と 笑ってた
鳳仙花 鳳仙花
はじけてとんだ 花だけど
咲かせてほしいの あなたの胸で
   ふいても消せない 酒場(ネオン)の匂い
   やさしいあなたが こわいのよ
   鳳仙花 鳳仙花
   ・・・
   つくしてみたいの あなたのそばで
おおきな夢など なくてもいいの
しあわせ短い 一年草
鳳仙花 鳳仙花
・・・
わたしも咲きたい あなたと二人 
 
 

 

●涙の谷間に太陽を 
ながれる涙 あるかぎり
まだ悲しみに 耐えられる
あなたよ 心に燃えている
若いいのちを 信じよう
呼ぼうよ 呼ぼうよ 太陽を
涙の谷間に 太陽を
   愛されないと 泣くよりも
   愛してゆこう どこまでも
   あなたよ この世を嘆くまい
   空の青さは 誰のもの
   ・・・
こがらしの道 つらくても
ひとりじゃないぞ 負けないぞ
あなたよ 明日の幸福は
結ぶこの手に 花ひらく
・・・
涙の谷間に 太陽を 
 
 

 

●ほんきかしら 
ほんきかしら
(好きさ大好きさ世界で君がいちばん好きさ)
うれしいわ うれしいわ
この喜びをどうしましょう
許してね 疑ったりして
たのしいひとことききたかったのよ
   ほんきかしら
   (好きさ大好きさ知ってるくせに)
   好きとあなたから
   いってほしい 女ごころ
   じっと瞳をみてくちびる重ねましょう
ほんきかしら
・・・
昼も夜も おもかげを
しのびながら胸はずむわ
許してね こぼれる涙を
やさしい言葉で泣きたかったのよ
   ほんきかしら
   ・・・
   いつも愛を
   たしかめたい 女ごころ
   そっと瞳をとじくちびる重ねましょう
許してね困らせたりして
ときどき淋しいこれが恋なのよ
ほんきかしら
・・・
夢のはかなさに
ふるえている 女ごころ
かたく手をとりくちびる重ねましょう  
 
 

 

●星空に両手を 
星空に 両手をあげて
この指を 星で飾ろう
君に可愛い あの星を
あなたに青い あの星を
宝石なんて なくっても
こころは夢の エメラルド
星空に 両手をあげて
この指を 星で飾ろうよ
   星空に 両手をあげて
   想い出を そっとさがそう
   消えた花火か あの星は
   母さんの歌 あの星は
   幼い頃が ひとつずつ
   あんなに遠く 光ってる
   ・・・
   想い出を そっとさがそうよ
星空に 両手をあげて
思ってることを 話そう
二人のことを あの星に
未来のことを あの星に
あの星空が しあわせな
あしたをきっと つれてくる
・・・
思ってることを 話そうよ 
 
 

 

●恋しているんだもん 
小指と小指 からませて
あなたと見ていた 星の夜
地球もちっちゃな 星だけど
幸福いっぱい 空いっぱい
だって だって 私は
恋しているんだもん
   仲よしゲンカ して通る
   いつもは楽しい 散歩道
   ごめんなさいねと 言えないで
   涙がいっぱい 胸いっぱい
   ・・・
デイトのたびに ひとつずつ
思っていたこと 思うこと
素敵な言葉の 寄せ書も
ノートにいっぱい 夢いっぱい
・・・
 
 

 

●哀愁のからまつ林 
涙あふれて はり裂けそうな
胸を両手で 抱きしめる
みえないの みえないの
背のびをしても
あゝ あの人は 行ってしまった
からまつ林
   せめてもいちど 恋しい人の
   腕に甘えて 縋れたら
   それだけで それだけで
   ・・・
   あゝ 弱虫と 風が叱るわ
   日暮の風が
あとも見ないで 別れていった
男らしさが 哀しさが
燃えるよな 燃えるよな
・・・
あゝ 帰りましょう 影を踏み踏み
落葉の道を 
 
 

 

●おもいで日記 
(セリフ)「 指がつめたい人は心が燃えているんだって
ほんとうかしら。
でも、あれほど誓った指切りも
今は遠い想い出になってしまったの…… 」
忘れな草の 青い花
さみしく風に こぼれる道で
わたしは今日も 泣いている
ああ あの人は あの人は
ここでさよなら いったっけ
   心変わりを うらむより
   きれいな恋の 想い出だけを
   いついつまでも 抱きしめて
   ・・・
誰にもおぼえが あるのでしょ
夢より淡い おもいで日記
涙のペンで 書いた日を
・・・
   
 

 

●からたち日記 
こころで好きと 叫んでも
口ではいえず ただあの人と
小さな傘を かたむけた ああ
あの日は雨 雨の
小径(こみち)に白い ほのかな
からたち からたち からたちの花
   ――幸福(しあわせ)になろうね
   あの人はいいました
   私は 小さくうなずいただけで
   胸がいっぱいでした
   うなずいていただけで――
くちづけすらの 想い出も
のこしてくれず 去りゆく影よ
単衣(ひとえ)の袖を かみしめた ああ
あの夜は霧 霧の
小径に泣いて 散る散る
・・・
   ――このままわかれてしまってもいいの
   でも あの人はさみしそうに目をふせて
   それから思い切るように霧の中へ消えて
   ゆきました さようなら 初恋
   からたちの花が散る夜でした――
からたちの実が みのっても
別れた人は もう帰らない
乙女の胸の 奥ふかく ああ
すぎゆく風 風の
小径にいまは 遥かな
・・・
   ――いつか秋になり からたちは 美しい
   金色の実が たくさん実りました
   今日もまた私は一人この道を歩くのです
   きっとあの人が帰ってきそうな
   そんな 気がして――
   
 

 

●東京だョおっ母さん 
久しぶりに 手をひいて
親子で歩ける うれしさに
小さい頃が 浮かんで来ますよ
おっ母さん ここが ここが 二重橋
記念の写真を とりましょね
   やさしかった 兄さんが
   田舎の話を ききたいと
   ・・・
   おっ母さん あれが あれが九段坂
   逢ったら泣くでしょ 兄さんも
さあさ着いた 着きました
達者で永生き するように
・・・
おっ母さん ここが ここが浅草よ
お祭りみたいに にぎやかね  
 
 

 

●逢いたいなァあの人に 
島の日暮れの 段々畑
紺のモンペに 涙がホロリ ホロホロリ
逢いたいなァ あの人に
子供の昔に 二人して
一番星を エー 探したね
   風が泣いてる 夕風夜風
   姉さんかむりに 花びらホロリ ホロホロリ
   ・・・
   つばめは今年も 来たけれど
   私は一人 エー 待ちぼうけ
たばこ畑の 石ころ小道
はいた草履に 夜露がホロリ ホロホロリ
・・・
今夜もこっそり 裏山に
出てみりゃ淋し エー おぼろ月  
 
 

 

●りんどう峠 
りんりんりんどうの 花咲くころサ
姉サは馬コで お嫁に行った
りんりんりんどうは 濃むらさき
姉サの小袖も 濃むらさき濃むらさき
ハイノハイノハイ
   りんりんりんどうの 花咲く峠
   姉サは馬コで あとふりかえる
   ・・・
   いっしょに柴刈る ひとも無いひとも無い
   ハイノハイノハイ
りんりんりんどうは 小雨にぬれる
わたしゃ別れの 涙でぬれる
・・・
姉サは峠に 消えてゆく消えてゆく
ハイノハイノハイ 
 
 

 

●この世の花 
あかく咲く花 青い花
この世に咲く花 数々あれど
涙にぬれて 蕾(つぼみ)のままに
散るは乙女の 初恋の花
   想うひとには 嫁がれず
   想わぬひとの 言うまま気まま
   悲しさこらえ ・・・
   散るもいじらし 初恋の花
君のみ胸に 黒髪を
うずめたたのしい 想い出月夜
よろこび去りて ・・・
夢は返らぬ 初恋の花 
 
 

 

●島倉千代子
[ 1938/3/30 - 2013/11/8 ] 日本の演歌・歌謡曲歌手。東京府東京市(現在の東京都)品川区北品川出身、日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」。
生涯
   デビュー以前
1938年3月30日(水曜日)、品川区北品川に警察官の父・島倉壽雄()、母・ナカの二男四女の四女として生まれる。島倉家は越前一乗谷城主朝倉義景の末裔という。
1945年(7歳)、長野県松本市へ疎開。両親の実家がある群馬県桐生市にも半年間、疎開していた事がある。井戸から水を運ぶ途中に転倒、水の入ったビンを割り、左手首からひじまでを負傷。母・ナカが「女の子だから(腕を)残して欲しい」と医師に懇願し、切断は免れたが47針を縫い、感覚も無く、動かすこともできなくなる(後に不自由ながらも動かすことができるようになる)。この時の輸血がのちに千代子が患ったC型肝炎の遠因となった。気持ちの沈んだ千代子のために母・ナカは『リンゴの唄』を聞かせるようになる。後に『この世の花』で歌手デビューを遂げた千代子だが、『この世の花』の作曲は『リンゴの唄』の作曲と同じく万城目正によるもの。
1947年(9歳)、東京に戻る。姉の敏子は歌唱力があったが小児麻痺を患っていたために歌手にはなれなかった。大好きな姉のために自分が歌手になると決意。敏子により声楽を学び、近所の「若旦那楽団」に入団。左手に負担の無いアコーディオンを担当。歌唱力があったためボーカルにも起用されていた。地元の品川神社で催されたのど自慢大会には毎回姉妹で参加していた。
1949年3月、童謡『お山のお猿』がテイチクレコードから発売される。ただし誤植(レコード会社の社員によるミスとされている)により「戸倉千代子」名義となってしまったため、「島倉千代子」のデビュー作とはならなかった 。
   1950年代
1953年(15歳)、品川区の私立日本音楽高等学校(現・品川学藝高等学校)へ入学。歌謡コンクールにも積極的に参加するようになる。1954年、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、同社と専属契約。
1955年3月(16歳)、本名「島倉千代子」で歌手デビュー。デビュー曲『この世の花』(同名の映画の主題歌)は半年後に200万枚達成、人気歌手になる(後にテレビドラマでカバーされ、1977年に同名の映画の2作目で再度カバーされる)。1955年23曲、1956年34曲、1957年37曲、1958年33曲と驚異的な速さで新曲を発表。
1957年(19歳)、『東京だョおっ母さん』が150万枚のヒット。映画化もされ、自ら主演する。この年初めてNHK紅白歌合戦に初出場(曲目は『逢いたいなァあの人に』。その後、1976年、1979年にも歌唱)。当時大卒サラリーマンの給料が1万円であったが、千代子は常に財布に2千円入っていた。この年の3月、島倉を殺害しようとした16歳の無職少年が逮捕される 。
1958年(20歳)、港区高輪(北品川の隣町)に一戸建てを購入。同年には『からたち日記』が130万枚のヒットとなった。
   1960年代
1960年(22歳)、美空ひばりとともに『つばなの小径・白い小ゆびの歌』を発表。同年、ひばりを抑えて初めて紅白の紅組トリを務める(1960年から1962年、1973年から1975年の計6回に渡り紅組トリを務める。1975年は唯一の大トリ)。
1961年(23歳)、ファンの投げたテープが両目に当たって失明の危機に陥る。このとき、品川区五反田「守屋眼科」の医師・守屋義人の助けで視力を回復。
1962年(24歳)、何者かによって後援会事務所に爆発物が送りつけられ、負傷者が出る(草加次郎事件)。
1963年(25歳)、父・壽雄が他界。悲しみにくれる中、支えてくれた元阪神タイガースの藤本勝巳と母親の反対を押し切り結婚。結婚前に妊娠したが中絶、結婚後も二子をもうけたが中絶した。後年、この三人の子を合わせて「忍」と名付け、その名を小さな地蔵に付けて肌身離さず持ち歩いた。忍の名は、島倉の墓碑にも千代子と並んで刻まれている 。
1968年(30歳)、「泣き節」を売り物としていた彼女にとり異色の作品である『愛のさざなみ』が幅広い世代の間でヒット。この曲で第10回日本レコード大賞・特別賞を春日八郎と共に受賞。すれ違いの多い生活により別居を経て離婚。家族の元に戻るも反対を押し切って結婚したために門前払いされ、自分だけの戸籍を作る。
   1970年代
1972年(34歳)、母・ナカが脳軟化症により他界。
1975年(37歳)、以前かかった眼科医に頼まれ実印を貸してしまう。その知人だけではなく、島倉が知らない間にマネージャーや全く面識のない赤の他人まで多数の人々の保証人にされてしまう。島倉を保証人に借金を重ねた人々はその後行方不明になり、その借金が雪だるま式に膨らんでいき当時総額16億円といわれた莫大な借金を抱える。後に美空ひばりから「実印は貸すな」と注意を受けたという(ひばり自身も実印を押してしまった経験を持つため)。
1977年(39歳)、今度は島倉に信頼され、島倉に手形の裏書をさせていた守屋義人が事業に失敗して、不渡り手形を出し蒸発。島倉は借金の連帯保証人にされ、これにより更に2億4000万円(当時判明分)の債務を負う。20億近くもの莫大な借金返済のため、写真集の発売や全国各地のキャバレー回りや地方興行などをしながら、足掛け7年程で完済した。このような活動をしている最中でも島倉の人気は全く衰えを知らず、NHK紅白歌合戦の連続出場記録は続く。
   1980年代
1984年(46歳)、歌手生活30周年を迎える。
1986年(48歳)、第37回NHK紅白歌合戦で紅白歌合戦への30年連続30回出場を達成。当時の紅白史上最多記録だった。
1987年(49歳)、『人生いろいろ』を発表。「30回という区切りを大切にしたい」と“紅白辞退”の記者会見を行い、紅白連続出場記録は30回でストップ。出場辞退表明の記者会見で若手記者から「結局、落選するのが怖かったということですか」と辛辣な質問をされ、「その通りです」と返答した。『紅白50回』のインタビューで本人は「辞退は前年の時点で決めており、前回身に纏った白色の着物はその表れだった」「ここ数年紅白に出られるか出られないかで不安だった。もし落選したらショックで歌えなくなると思った。そのため、余力のあるうちに辞退しようと思った」と語った。島倉は出場辞退をこの年発売の『人生いろいろ』の作曲者で当時療養中の浜口庫之助に報告したところ、「紅白で『人生いろいろ』が聞けないのか」と返されたことを明かしている 。
1988年(50歳)、『人生いろいろ』が前1987年からこの年にかけて130万枚の大ヒットを記録。当時の人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」での山田邦子やコロッケによる物真似をきっかけに『人生いろいろ』が若者にも受け、再びブレークする。同年の第30回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞。100万枚記念パーティーでは、山田とコロッケが本人の目の前で、島倉の物真似による『人生いろいろ』を歌唱。これに対し島倉は、「山田邦子さんとコロッケさんのおかげで、『人生いろいろ』が若い方にも親しまれるようになり、光栄です」と二人を賞賛する。同年末の第39回NHK紅白歌合戦に2年ぶり31回目の復帰出場となる。この復帰出場に対しては「一度降りたのに」と批判の声も上がった。出演を決めた背景には当時療養中だった浜口に「歌う姿を見て元気になって貰いたい」との思いがあったためである。借金返済の目処がたつ。姉の敏子が目黒川で投身自殺 。
1989年6月(51歳)、美空ひばりが52歳で間質性肺炎による呼吸不全で死去。自身の後援会で愛知県に滞在中に訃報を聞いた島倉はその後のスケジュールを切り上げて目黒区青葉台のひばり邸に駆けつけ、息子の加藤和也に頼み3日間ひばりのそばに張り付いて離れなかったという。
   1990年代
1993年(55歳)、初期の乳癌であることが判明。芸能人で会見を開き、自ら癌であることを発表したのは島倉が初めてだった。手術は成功する。ライブハウスなど歌謡曲の枠をはみ出して活動。
1999年(61歳)、歌手生活45周年を迎える。45周年コンサートではタキシードで全国を廻る。ベストジーニスト賞を受賞。同年、紫綬褒章を受章した。
   2000年代
2003年初頭(65歳)に、慢性肝炎の進行とストレスにより声が出づらくなる傾向に陥ったため、この頃を境に晩年は歌唱曲のキーを下げるなどした。治療と並行しつつも精力的に仕事をこなす。
2004年(66歳)、歌手生活50周年を迎える。第55回NHK紅白歌合戦に生涯最後となった35回目の出場を果たした(当時の紅組史上最多記録)。
2007年(69歳)、事務所のスタッフに資産を奪われ再び多額の借金を抱える。同じ過ちを犯すのは自分のせいと責任を感じ、自らの誕生日に事務所を解散。しかし周りの協力により心機一転スタートすることになり、経理も全部自分でやるために簿記を勉強。同年、映画『ララ、歌は 中山晋平物語』にナレーターとして出演し、中山晋平の世界を表現した。また藤商事からパチンコ機種『CR島倉千代子の千代姫七変化』が発表され、全国のパチンコ店に導入された。
2008年(70歳)、『人生いろいろ』が出身地である品川区の京浜急行電鉄青物横丁駅の接近メロディに採用される。このニュースを聞きつけた島倉自身が、翌2009年1月に青物横丁駅を訪れて実際に流れるメロディに耳を傾けた。後日、京浜急行電鉄に宛てて礼状を改めて送付したという 。
2009年(71歳)、歌手生活55周年を迎える。
この頃、大分県を本拠地として九州各地で営業するリフォーム会社・野田建工のテレビコマーシャルに着物姿で出演していた。なお、野田建工は求人雑誌に大きなカラー広告を多く掲載しており、島倉の写真を求人情報誌で見ることができた。
   2010年代・死去
持病の慢性肝炎が進行していた中で2010年12月に肝臓癌を発症したことが判明、手術・入退院を繰り返していた。肝臓癌発症はごく少数の関係者にしか打ち明けていなかった。その間、3度の肝動脈塞栓術を受けたが、2013年前半には肝硬変に至っていた。同年3月30日、75歳の誕生日にはコロムビアレコードの100周年を記念し復活したイベント「コロムビア大行進2013」に出演し、数千人の聴衆を前にトークを交えながら『人生いろいろ』など数曲を歌った。同年5月から仕事をセーブするようになり、同年6月21日、宮崎県延岡市で開催したコンサートが生涯最後のステージとなった。同年6月、日本テレビ「1番ソングSHOW」の取材を受けた(これが生涯最後のテレビ取材となった)。同年9月14日にブログを更新した(最後の更新)。
同年10月中旬に一時退院、2014年のデビュー60周年に向け復帰への意欲は衰えず、死去3日前の2013年11月5日に自宅で記念曲『からたちの小径』を録音した。レコーディングは当初、11月15日に行う予定だったが、島倉自身から「その日まで待てない」と関係者に連絡を入れて11月5日に急遽吹き込みが行われた。同曲の作曲を担当し、レコーディングにも立ち会った南こうせつは「(島倉の具合から)1回位しか歌えないかと思ったが、3回も歌われた。奇跡の歌声だった」と語った 。
11月6日、「体調が悪いので来てほしい」と自宅からスタッフに電話して中目黒の東京共済病院に再入院。入院先から島倉本人が南こうせつへ電話をかけ、感謝の意を伝えたという。翌々日の2013年11月8日朝に容体が急変。午後12時30分、東京共済病院の病室にて所属事務所の女性スタッフに看取られ、眠るように息を引き取った。死因は肝臓がんだった。満75歳没(享年76)。周囲の関係者にはあらかじめ、通夜は密葬とし、香典は断るように伝えていた。
島倉の訃報を受けて、当時内閣官房長官だった菅義偉を始め、北島三郎、五木ひろし、細川たかし、氷川きよし、水前寺清子、大月みやこ、都はるみ、八代亜紀、小林幸子、森昌子など島倉を敬愛していた後輩の演歌歌手達、またコロッケ、山田邦子らものまねタレントも追悼のコメントをそれぞれ発表した。
島倉の死去から6日後の2013年11月14日、葬儀が南青山の青山葬儀所で営まれた。会場には、『からたちの小径』の録音後に涙声で次の言葉を語る、島倉の生涯最後となる肉声テープが流された 。
「私の部屋の中にスタジオができて、そこで私はできる限りの声で歌いました。自分の人生の最後に、二度と見られない風景を見せて頂きながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした。人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」
また告別式では、島倉に憧れて演歌歌手となった石川さゆりが代表として「本当に寂しいです。もっともっと、お元気で歌っていて欲しかった。優しく、時に厳しく、叱ってくれる人が、居なくなってしまいました…」「これからも、私達後輩を、空高くから見守っていて下さい」と、涙で時折言葉を詰まらせながら弔辞を読んだ。『からたちの小径』は四十九日にあたる12月18日にシングル発売された。同曲は遺作となったが、「来年発売の記念CDボックスに入れたい」と関係者は語っていた 。
同年12月31日の第64回NHK紅白歌合戦では石川の『津軽海峡・冬景色』の歌唱前に島倉の追悼コーナーが設けられた。当初、番組側は石川に島倉の持ち歌である『東京だョおっ母さん』や『人生いろいろ』の歌唱を要請していたが、石川が「島倉さんとは親しいですが、都はるみさんや五木ひろしさんなど、自分よりも仲の良かった先輩歌手がいるのに、そんな出しゃばった真似はできない」とその打診を断ったとされる 。
戒名は寳婕院千代歌愛大姉。故郷・北品川の臨済宗東海寺大山墓地に生前に建てていた墓に眠る。
エピソード
   地方との結びつき
島倉は、地方小唄や音頭といった新民謡を数多くレコードに吹き込んでいた。それらの中には、『松井田小唄』『祇園まつり音頭』『七夕おどり』など地元の人以外にも広く親しまれ、全国的によく知られた歌もある。それぞれの地元では、大スターである島倉がレコードに吹き込んだこともあって、親しまれている場合が多い。当時の音源を祭りの際に使用し続けているところもある。
また、仙台市の『ミス仙台』(二葉あき子のカバー)や、大阪市の『小鳥が来る街』などといった、地方の愛唱歌の類もレコードに吹き込んでいる。また、民謡で『祖谷の粉ひき節』『島原の子守唄』『五木の子守唄』などをレコードに吹き込み、ヒットさせている。
   美空ひばりとの秘話
7歳の時の怪我で左手が不自由になって以来、引きこもりがちとなった島倉には友達が一人もいなかった。そんな彼女が夢中になったのが1歳年長の美空ひばりである。アルバイトをしてはひばりのコンサートに行く、追っかけとなった。
1953年の落選を経て、1954年憧れのひばりが所属するコロムビアレコードのコンクールに合格。しかし既に大スターだったひばりにはなかなか会えなかった。
1961年、それまではひばりが不動の1位だった雑誌『明星』のファン投票で島倉が1位となってからは、ますますひばりに会う機会が失われていく。「ひばりさんが出る番組には島倉は出られない。という空気が築かれていた」と島倉自身が語っている。
周囲の仲間たちがひばりと交友関係を築いた後も、島倉はひばりとは同所属のコロムビアレコード関連や各歌番組などの仕事で妹分として共演はしてもプライベートでは交流することは一切なかった。両者とも親しかった和田アキ子は島倉に「今度、一緒にひばりさんに会おう」と誘ったが「恐れ多くて…」と遠慮していたという。
1984年2月2日、長年憧れながらもひばりとの距離が縮められずにいた島倉に思わぬ出来事が起こる。所属のコロムビアレコード主催で島倉のデビュー30周年記念パーティーに今まで一度も飛び入り出演をしたことがなかったひばりが島倉やコロムビアレコードの役員・関係者などに一切連絡もなく島倉に手渡す花束を持参して一人でパーティー会場へ突如やってきたのである。驚きと嬉しさで涙が止まらない島倉にひばりは「これからは人に騙されない人生を送って欲しい。私は実印は絶対離しません」と述べ会場の笑いをとっていた。
その頃、ひばりは自身を深く理解してくれる家族を相次いで亡くしており、今一番に自身を理解できるのは妹分の島倉かもしれないと考えていたという。2人には共通点が多々あったからである。同学年で若くしてスターになり、ファンに塩酸をかけられ負傷したひばりとファンが投げたテープがあたり失明の危機に陥った島倉。離婚経験、金銭トラブル、家族の死、そして歌への熱意。
翌年の3月3日毎年極親しい女友達だけを集め美空ひばり邸で行われる「ひな祭り」に島倉は初めて参加する。その時ひばりに頼んで書いて貰ったサイン色紙には「舞う鳥も私と同じこの世にも生きてこそあれ歌ひとすじ一筋の道」という短歌が書かれており島倉の宝物となった。
1987年夏、ひばりが病気で福岡の病院に入院した直後に島倉が「面会謝絶は重々承知の上で、ひばり姉さんに逢えなくても病室の前を一目見るだけでいいから直ぐにでも駆けつけたい。」とひばり本人やコロムビアレコード役員などの関係者に直訴したところ直ぐ様「お千代なら来てもいいわよ」とひばりが了解して即見舞いに訪れた。島倉本人は大変緊張しながら「ひばり姉さんを励ますつもり」で病室に入ったら、病室のひばりが「お千代、良く来たわね」と生来の明るさで島倉を迎え、「お千代が来てくれたから鍋焼きうどん(島倉の好物)の出前でも取って食べよう」と食欲がなかったのにも関わらず完食したそうで病人とは思えない元気さを島倉の前に見せた。そのひばりの姿に「私が励ますつもりで行ったのに、逆に私の方がひばり姉さんに励まされちゃって…… こっちの方が恐縮でした」と後にテレビのインタビューで語っていた。
島倉が紅白出場辞退をした際、ひばりから「お千代、(辞退したことに)後悔はない? ここからが見せどころよ」とアドバイスを受けたという。
最晩年、闘病生活を送っていたひばりはどんなに親交の深い芸能界の友人、親友などが見舞いに訪れても、プライベートでも実妹のように大変可愛がっていた島倉と、島倉と同様に弟のように可愛がっていたとんねるずの三人以外の面会は一切拒否していたとされる。
   声優に挑戦
2003年6月29日、フジテレビ『FNS27時間テレビ』内アニメ『ちびまる子ちゃん』(「歌は心・人生いろいろ」の巻)において、本人役で自身初の声優に挑戦した。この回のストーリーはまる子の祖母・こたけからの「病に倒れた友人に一目会ってあげてほしい」という手紙を受け取り、変装をして清水にやってくるという設定だった。挿入歌として「からたち日記」(1番をアカペラ(無伴奏)で歌うシーンもある)、エンディングテーマには「人生いろいろ」が起用された。2011年、DVDとして発売されている 。
   その他
・ 59年間の歌手生活において、ステージで一度も口パクはしなかった。
・ 人を疑わない性格のため多くの人に「騙された」「裏切られた」と言われる島倉に対し、作詞家のなかにし礼は「その分、騙した人の数の何倍もの音楽関係者、芸能関係者が彼女を助けてきた」と語った。
・ なかにしは彼女の代表曲のひとつである「愛のさざなみ」を作詞している。結婚後ミリオンから遠のき、離婚により暗いイメージがつきかけた島倉のために作ったこの異色の曲は久々のミリオンとなった。
・ 横文字が苦手で『クイズ$ミリオネア』に出演した際、正解発表前の言葉「ファイナルアンサー」が言えず、代わりに「おしまいアンサー」と言っていた。
・ 『NHKのど自慢』への出場経験も有しているが、結果は「鐘一つ」に終わったとされている。
・ 島倉は八人きょうだいで姉二人が一歳、六歳で逝去している。弟二人は俳優デビューしたものの、一人は引退し、もう一人は作詞家に転身した。  
 
 

 

●作品
●1950年代
1955 / 2 この世の花               200万枚
1955 / 2 お役者がらす
1955 / 3 乙女船・別れの夜船
1955 / 9 りんどう峠               130万枚
         布良(めら)の娘
1955 /11 おもいでの花・浪花の雨
1956 / 1 温泉(いでゆ)の姉妹
1956 / 2 山のけむりよいつまでも・母恋い京人形・さすらいの花
         夕月子守唄
1956 / 8 さすらいの浜辺
1956 / 8 東京の人さようなら
1956 /12 逢いたいなァあの人に     120万枚
         東京のお兄さん ・この世の花・おもいでの花
1957 / 1 花嫁峠・山の分教場・乙女流しは寂しいね・日本橋から
         青い潮(牧場の姫百合)・青い潮(青い潮に夢乗せる)
1957 / 3 逢いたいなァあの人に・りんどう峠
1957 / 5 初恋の人さようなら・あの人は優しかった・祇園まつり音頭
         長刀鉾祇園囃子・忘れ得ぬ人・街に咲く花
1957 / 6 永遠に答えず ・故郷のかおり
         東京だョおっ母さん        150万枚
1958 / 1 お別れ波止場
1958 / 3 思い出さん今日は・北京の小鳥売り・あの人いつ来るかしら
1958 / 5 島原の子守唄・岳の新太郎さん・待ち呆けさん
         祇園小唄(春・夏)・祇園小唄(秋・冬)
         からたち日記             130万枚
1959 /   あなたと別れて・さよなら地蔵さん
1959 / 6 おもいで日記              60万枚
         海鳴りの聞こえる町        70万枚
         哀愁のからまつ林          60万枚
         白い小ゆびの歌 ・風ッ子さんどこの子サ・湖畔の詩集
●1960年代
1960 / 2 日本よいとこ
1960 / 3 白樺物語・他国の雨・初恋の丘・遠い人・紫いろの夢         
         花散る下田                70万枚
         炭坑(やま)の子守唄 ・哀愁の信濃路・雨降り峠・マツリカの花言葉
         銀杏が星に恋をした
1961 / 泣きべそ電話
1961 / 2 日本晴れだよ・お手をつないで・かるかやの丘・小島の母灯台
1961 / 5 すずらんの花             100万枚
         襟裳岬
1961 /10 十国峠の白い花・里の夕焼
1961 /11 恋しているんだもん        80万枚
         サフランの旅愁
1961 /12 夕月                     100万枚
         君は東京へ帰る人 ・日本一だよ
1962 / お顔みたいな逢いたいな・哀愁岬
1962 / 4 祭の夜は・裏町の唄・愛と死のかたみ・なみだの福音
1962 / 6 お早よう青空さん・雨の坂道
1962 / 7 明日もきっといいことが・コスモスの駅・郡上恋しや・七夕おどり
1962 / 8 大阪のお母さん・加茂川
1962 /10 別れるときは死ぬときよ・さよならとさよなら・恋ゆえの花
         小っちゃな幸せの歌 ・愛の悲しさ・女ごころの片P波
1963 / 1 あなたに私に雨が降る・砂山のひぐれ
1963 / 2 愛情・一人ぽっちになっちゃった・あの橋の畔で・海を遙かな
1963 / 3 雨の降る日の午後でした・愛のうず潮・大阪音頭
1963 / 5 むらさきの慕情・あわれ君ゆえに・わかれ渚・二人だけの砂丘
1963 / 7 四季の新津・新潟音頭・祭り酒・下田の千鳥
1963 / 9 花散りぬ・せせらぎの唄・かなしみの歌
         星空に両手を              70万枚
1963 /11 武蔵野エレジー・未練の雨・いつもふたりは・ありがとうお母さん
1964 /   ふたりだけの太陽・いまのまんまでいいんじゃな
         星影のエアーポート ・おもかげ岬・舞すがた・夕顔
1964 / 3 ニッポン音頭
1964 / 4 石竹の歌
1964 / 7 愛するゆえに・女はいつも・雪国・愛のくもり空・小鳥が来る街
1964 / 9 心ブラブラリはエヽヤナイカ
1964 /12 ゴンシャン紅帯・あなたの手紙・恋人さん・花のワルツ
1965 / 2 旅ははてなく・花のゆくえ
1965 / 5 夜道は一人じゃ帰れない
         ふたりの虹・つぎの世もあなたと・花咲く平野
1965 /10 赤坂の夜は更けて・風の中のあなた
1965 /12 新妻鏡・目ン無い千鳥
1966 / 2 まわり道・赤いキャンドル
1966 / 4 ほんきかしら              60万枚
         悲しみにキスを
1966 / 5 小雨の陸橋・愛して恋して夢を見て
1966 / 7 クラブがはねたら・赤坂の月
1966 /10 涙の谷間に太陽を          50万枚
         愛の星空
1966 /12 そっとおしえて・しのび逢う人
1967 / 2 哀しみの川のほとりに・ああ室戸岬
1967 / 5 永遠に答えず・涙の十字架
1967 / 6 二人が好きになった夜・風の足あと
1967 / 7 ほれているのに            50万枚
         アモーレ東京 ・星より遠く別れても・その人の名をいえない
1967 /10 女の慕情・女のレピート
1967 /11 大阪夜曲・バラ色の風に乗って
1968 /   女の幸せ・こころの湖
1968 / 4 私を忘れて・真白い東京・いのちある限り・夕映えの想い出
         道博音頭
1968 / 6 今日からは二人・泣きませぬ
1968 / 7 愛のさざなみ・月のためいき
1968 /11 慕情はかなく・そっと愛して
1968 /12 わかれ・涙をあげる
1969 / 日本うれしや
1969 / 4 捧げる愛は・涙きざんで
1969 / 7 あの波の果てまで・愛は涙にぬれて
1969 / 8 花のいのり・忘れないで札幌・ふるさとの子守唄・乙女妻
1969 /10 天使が空を通る時・木屋町の夜
1969 /12 すみだ川                  70万枚
         築地明石町
●1970年代
1970 / 1 哀愁の湖・雨にうたれて
1970 / 3 この愛が終るなんて・誰かがやきもちやくかしら
1970 / 7 柿の木坂の家・雨の湯島天神
1970 / 9 美しきは女の旅路・おんなの子守唄
1971 /   願いが、もしも・野薔薇のワルツ
1971 / 4 沖繩音頭・日本うれしや・壇の浦子守唄・花は生きている
         1,000日の恋
1971 / 7 美幸は星になった・愛の旅びと・竜飛岬・編みかけの手袋
1972 /   赤い自転車・飛騨のふるさと
1972 / 6 その悲しみのうしろから・人は誰でも
1972 / 9 津軽の宿・しの笛の村
1972 /12 人生峠・小さいけれど大事な人生
1973 /   越前竹人形・越前竹山唄
1973 / 3 人生七ころび・小さな愛の唄・あじさい旅情・長崎恋姿
1973 / 5 親鸞おどり・二人の影にも・残月・女舞
1974 /   すいれん慕情・夕凪の浜辺
1974 / 3 阿国恋すがた・出雲をあとに・幸せのうしろ姿・風の宿
         愛の終り・信じているから
1974 / 7 ミス仙台・七夕おどり
1974 /10 流し唄・明日の別れ
1975 / 5 悲しみの宿・女のともしび・日本晴ればれ音頭
1976 / 1 北の港で待つ女・ギター流しでお客さん
1976 / 5 星が流れました・追憶
1976 / 8 おじいさん おばあさん ありがとう
         しゃっきり音頭 ・霧の音・夕焼けの歌
1977 /   想い出の舞扇・お光紅梅
1977 / 5 京都 北嵯峨 別れ寺・昭和のはじめのあの頃は
1977 / 7 ひろしまの母・海ぞいのふる里
1977 /11 わたし京都へ・はぐれ花
1978 /   女性・愛の花
1978 / 2 日本の祭り・木曽節
1978 /10 恋みれん・手拍子さん
1979 /   弾き語り・愛呼ぶ渚
1979 / 5 噂・女の私が得たものは・サーシャわが愛・スターシャ永遠に
●1980年代
1980 / 1 春秋の舞唄・千歳扇の舞
1980 / 5 女がひとり・あなたに愛を
1980 / 7 綱わたり・滝の白糸
1980 /12 愛の砂漠・さいはての宿
1981 / 4 鳳仙花                    80万枚
         たそがれに
1982 / 8 みちのく十綱橋・飯坂小唄
1982 /12 ためいき橋・命あずけて
1983 / 8 積木くずし・愛とは何・流氷岬・ふたりの港
1984 /   母子星・しばれ酒
1984 / 1 恋椿・涙
1984 /10 夢飾り                    60万枚
         あなたの小樽
1986 / 4 くちべに挽歌・おんな橋
1987 / 1 浅草メロドラマ・演歌づくし
1987 / 4 人生いろいろ             130万枚
         花ごよみ
1987 / 5 夢 浪漫 NARA・リラの頃 岬ホテル・浪花姉妹・ぼたん雪
1988 / 9 心うきうき・夢のつばさ
1989 / 3 ゆずり葉の宿・恋瀬橋
1989 /11 おんなの一生・雨音
●1990年代
1990 / 6 祖谷の粉ひき節・一合まいた
1990 /12 夢待人・愛ひとすじに
1991 / 9 今日も初恋・人生花ざかり
1992 / 6 空蝉(うつせみ)・柳橋情話
1992 /11 それ行けダイエーホークス音頭
1993 / 3 女の夢灯り・空蝉(うつせみ)
1993 / 9 ほれているのに・女の慕情
1993 /12 あしたになれば・この生命を授かって
1994 / 1 昔も今も…女・恋…女
1994 / 7 夢おまもり・虹待ち人
1994 / 9 ちょっとだけ・下田しぐれ
1995 / 1 すみだ川・からたち日記
1995 / 3 あの頃にとどけ・しあわせの誕生日
1995 / 7 片瀬月・ラムプの宿で
1995 /12 木枯らしのクリスマス・忘れていたクリスマス
         火の酒                    30万枚
         逢いたいよ〜酒は涙か溜息か入り〜
1996 /11 ときめきをさがしに・一人ぼっちにならないで
1997 / 5 美しき天然
1997 / 9 私って・幸せの道しるべ
1998 / 3 花なら花らしく・風の中で
1998 /12 柿の実ひとつ・あじさい坂の雨・人生はショータイム
         悲しみにさよなら
1999 / 9 ヨコハマ・ビギン
●2000年代
2000 / 2 三日月慕情・感謝の旅路
2001 / 1 北どまり・切符一枚
2002 / 2 君・ほほえみの扉
2003 / 3 海かがみ・夢だから・ちよこまち
2004 / 3 風のみち・心がたり
2005 / 3 ちよこまち・人生いろいろ
2006 / 3 それいけGoGo・そろそろり
2007 / 5 おかえりなさい・あの頃へ
2009 / 1 風になる・ひとりじゃないよ
●2010年代
2010 / 1 私の小さな幸せの花・哀秋
2012 / 2 愛するあなたへの手紙・光を感じて
2013 /12 からたちの小径・この世の花  
 
 

 

 
 
   
 
 
 

 



2023/11