太陽の季節

太陽の季節

真赤な太陽
若いとき 気分転換

誰しも 自分のスタイル 変えたいときがある

 


 
 
 
 

 

●太陽の季節 1
街角ギラギラ 陽炎ユラユラ 真夏の果実をもぎとれば
ひび割れながらも あの娘の涙を 乾かす力を手に入れた
「あなたの温度で私をこがして あなたの温度で狂わせて
真夏の果実をもぎとる瞬間をトカゲの気持ちで見つめるわ」
   ここが何処か? どうでもいい
   雨上がり 坂をのぼった風景
   君のシャツに夕陽がつく
   僕達はたぶん 天使なんだよ そう思う
想像できないくらいの太陽
2人の季節をそのままに
ただ今僕らは都会の上空さ
ぼやけた未来へつきささる
   ・・・
ここが何処か? なんてどうでもいいじゃないか
いいじゃないか
ここが何処か? なんてどうでもいいじゃないか
 
 
 
 

 

●太陽の季節 2
あてなき気迫たれ流し 動かぬ体もてあまし
じわりとくるぜ年ごとに
太陽の季節 無駄な努力いつまでも
太陽の季節 お前いつでもどこでも物欲しげ
   知ってるぜ俺はそんなことは 知らねぇでかそんなことは
   つらき本日あてなき気迫 力なき日々生身の体
   失せ行く気力 太陽の季節 遠き真実
   太陽の季節 俺はいつでもどこでも物欲しげ
金持ちになるのがお前の夢だった
えらくなるのがお前の夢だった
ああそうだろう そりゃあそうだろうよ
無能を盾とする我らが情熱
   おめえは若い 若過ぎる 経験だこの世は
   苦し悲しと添い寝を重ね
   太陽の季節 失せ行く気力 敗れた野望
   太陽の季節 我らが造るこの世の晴れ姿
萎(な)えた心を引きずり引きずって 
男のロマンが聞いて呆(あき)れるぜ
ああそうだろう そりゃそうだろう
アホウを旨とするお前の情熱
   ・・・
太陽の季節 ボケゆく頭 動かぬ体
太陽の季節 自由な世界
太陽の季節 太陽の季節 太陽の季節
・・・
 
 
 
 

 

●太陽の季節 3
   伝えてEmotion いつも感じていたくて
   太陽のPassion あなたにあげたい
   抱きしめていて もっと見つめていたい
   愛の奇跡はここから始まる
真夏の太陽が 眩しさを教えてくれた
たくさんの出会いに たった一つの真実
動きだす 熱い心の
砂時計 止まらなくて
臆病になってる 場合じゃない
輝きに今 近づきたい
   ・・・
恋をしてるだけで 風が違って見える
潮の香りそっと ほほを優しくなでるから
友達が気付き出してる
「この恋は 本物だね…」
私の中にあった 強さにも
自信を持てる 走り出せる
   運命のLocation その手離さないでね
   胸のGradation あなたでいっぱい
   ときめきながら ずっと煌きながら
   二人いつでも 一緒にいようね
・・・
運命のLocation その手離さないでね
胸のGradation あなたでいっぱい
ときめきながら ずっと煌きながら
熱い季節は ここから始まる
 
 
 
 

 

●太陽の季節 4
髪の毛を束ねてと 輪ゴムさし出した
君の目に太陽が キラキラ飛び込む
からだを隠した水着が目ざわり
はだかになろうよ すっきりするから
喉ばかりかわくね
冷たいジュースを やさしく飲ませてほしい
オリーブを塗らせてと 君はやわらかい
ふくらみをくっつける 僕の背中に
   奪われたいのは口びるだけかい
   ふざけてたずねる 素肌をぶつけて
   ・・・
   まっ白いあのボート いっしょにこごうよ
   疲れたらこの膝が 枕がわりだよ
   大波に揺れながら
   寝顔に口ずけ 寝顔に口ずけ 寝顔に口ずけ
 
   
 
 

 

●太陽の季節 5
トゥリオンタン トゥリオンタン
魔法の呪文で
トゥルルル ルンルン
トゥリオンタン トゥリオンタン
魔法の呪文で
トゥルルル ルンルン
トゥルルル ルンルン 扉の向こうさ
トゥルルル ルンルン トゥルルルルルー
   太陽の季節はストップ・モーション
   懐かしいフレーバー
   その時、彼女が笑ったような
・・・
   季節はまた巡りストップ・モーション
   どこかで見たような
   水飛沫を上げたウォータースライダー
   鼓動はスローダウン
   願いが散りばめられた夜空
   世界は無限さ
   その時、彼女が笑ったような
 
 
 
 

 

●太陽の季節に 6
今 急に思い出した君のその姿に
細い路地裏で立っている
誰かの背中を重ねた
暑い夏の日の夕暮れに
君は僕を離れて行った
弱い僕は振り向きもせず
言葉も掛けずに
   踏ん切りのつかない淡い想いは
   君と見てた花火みたいに
   終わりの来る虚しさを
   ぼんやり待っているだけなんだろう
あなたに捧げるこの歌を
僕が生み出したガラクタを
あの頃みたいに笑ってよ
「変わってないね」と
   少し寂しげな顔をして
   君は僕を離れて行った
   暑い夏の日の夕暮れに
   太陽の季節に
弱点の無い幸せなんて
逆に現実味が無いけど
大事なもの手放して
未だに僕は夢見てるかも
   ・・・
   「変わってないよ」と
・・・
「強くなれるよ」と
   ・・・
   「また逢えるよ」と
 
 
 
 

 

●黄昏'95〜太陽の季節 7
   太陽の光り、月の灯かり 夕暮れに誰と黄昏る
僕らはそもそも昼に生きるのか そうでなければ何故、昼は
太陽の光りで注意を引き たちまち僕らの目を眩ませて
輝きたいと思わせるのか より高く、もっとより高く
空想よりももっと高くと たえず光源へとおびき寄せる
(なら)飛び立とう、そして到達しよう 足場が不安定なのに気づかずに
翼のバランス考慮して 飛翔は合理的に計算され
おかしい所は無いはずなのに 妙に自信だけ持っているのに
昇天への欲望はどうして 狂気の様に見えるのか
   僕らはそもそも夜に生きるのか そうでなければ何故、夜は
   暗闇で視界を奪い去り 月の灯かりで僕らを照らし
   進むべき道を教えるのか より先へもっとより先へ
   ランナーよりももっと先へと たえずゴールへとおびき寄せる
   (なら)走り出そう、そして到達しよう 酒の勢いだと気づかずに
   靴のひもをなおそうとして テーブルのグラスを全部倒す
   足なんかフラフラになっているのに 妙に自信だけついているのに
   泥酔への疾走はどうして 正気の様に見えるのか
太陽の光り、月の灯かり 夕暮れに誰と黄昏る
   ・・・
 
 
 
 

 

●黄昏20〜太陽の季節 8
   太陽の光、月の灯り
   夕暮れに誰と黄昏る
僕らはそもそも昼に生きるのか/そうでなければ何故、昼は
太陽の光で注意を引き/たちまち僕らの目を眩ませて/
輝きたいと思わせるのか
より高く、もっとより高く/空想よりももっと高くと/
たえず光源へとおびき寄せる
(なら)飛び立とう、そして到着しよう/足場が不安定なのに気づかずに
翼のバランス考慮して/飛翔は合理的に計算され
おかしい所は無いはずなのに/妙に自信だけ持っているのに
昇天への欲望はどうして/狂気の様に見えるのか
   僕らはそもそも夜に生きるのか/そうでなければ何故、夜は
   暗闇で視界を奪い去り/月の灯りで僕らを照らし/進むべき道を教えるのか
   より先へもっとより先へ/ランナーよりももっと先へと/
   たえずゴールへとおびき寄せる
   (なら)走り出そう、そして到達しよう/酒の勢いだと気づかずに
   靴のひもをなおそうとして/テーブルのグラスを全部倒す
   足なんかフラフラになっているのに/妙に自信だけついているのに
   泥酔への疾走はどうして/正気の様に見えるのか
太陽の光、月の灯り
夕暮れに誰と黄昏る
   ・・・
 
 
 
 

 

●恋の季節
忘れられないの あの人が好きよ
青いシャツ着てさ 海を見てたわ
私ははだしで 小さな貝の舟
浮かべて泣いたの わけもないのに
恋は私の恋は
空を染めて燃えたよ
死ぬまで私を ひとりにしないと
あの人が云った 恋の季節よ
ルルル・・・・
   ・・・
   夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと
   あの人が云った恋の季節よ
恋は私の恋は
空を染めて燃えたよ
夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと
あの人が云った 恋の季節よ
恋の季節よ 恋の季節よ
 
 
 
 

 

●涙の季節
あなたが耳もとで
ささやいた夜明けは
ふたりが結ばれた
美しい夜明けよ
ひとすじこぼれる
このほほの涙に
あなたも濡れていた
なつかしい夜明けよ
忘れないわ あのひととき
私は今 あなたのもの
   あなたが耳もとで
   ささやいた夜明けは
   昨日の私が
   消えてゆく夜明けよ
   やさしいその胸に
   生命もあずけて
   あなたに愛され
   満たされた夜明けよ
   ・・・
忘れないわ あのひととき
私は今 あなたのもの
忘れないわ あのひととき
私は今 あなたのもの
・・・
  
 
  
 

 

●かぜの季節
いじわるね黙って むこうにいてよ
恋するふたりが ふるえているのに
いじわるね あたしの気も知らないで
また来る また来る
いたずらなそよ風よ
大好きよ 大好きよ
大好きよ じゃましても
愛しちゃう 愛しちゃう
愛しちゃうふたり
   いじわるね遠くで かくれていてよ
   はじめてふたりが 口づけするのに
   いじわるね あたしのバラ色の耳を
   くすぐる くすぐる
   いたずらなそよ風よ
   みつめ合う みつめ合う
   みつめ合う わたしたち
   恋してる 恋してる
   恋してるふたり
   ・・・
 
 
 
 

 

●真赤な太陽
まっかに燃えた 太陽だから
真夏の海は 恋の季節なの
渚をはしる ふたりの髪に
せつなくなびく 甘い潮風よ
はげしい愛に 灼けた素肌は
燃えるこころ 恋のときめき
忘れず残すため
まっかに燃えた 太陽だから
真夏の海は 恋の季節なの
   いつかは沈む 太陽だから
   涙にぬれた 恋の季節なの
   渚に消えた ふたりの恋に
   砕ける波が 白く目にしみる
   くちづけかわし 永遠を誓った
   愛の孤独 海にながして
   はげしく身をまかす
   ・・・
恋の季節なの 恋の季節なの
恋の季節なの 恋の季節なの
 
 
 
 

 

●真赤な太陽
   真赤な太陽 燃えあがる情熱
   でっかい才能 ありったけの愛
   今日もがんばれよ 今日もがんばれよ
   今日もがんばれよ 今日もがんばれよ
始まりもなく 終わりも見えない ただ何となく 続いてる道
やりたい事を やるだけなのに 何でこんなに ボロボロなんだ
大げさな 事じゃなく 毎日が 命がけ
そんな気持ち そんな日々 思いだす
   ・・・
近くばかりを 見続けてたら 器がさらに 小さくなった
遠くばかりを 見続けてたら とり残された 一人になった
こんにちは さようなら ありがとう また明日
何度でも くり返し 陽は昇る
   ・・・
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 

 

●真赤な太陽
真赤な太陽 1967/5
「真赤な太陽」は、1967年(昭和42年)5月25日に発売された、美空ひばりとジャッキー吉川とブルー・コメッツの楽曲。
グループ・サウンズ全盛期であったこの頃、美空ひばりが「ブルー・シャトウ」の大ヒットを飛ばしたジャッキー吉川とブルー・コメッツの5人を従えて歌った楽曲。元は美空ひばり芸能生活20周年記念アルバム『歌は我が命〜美空ひばり芸能生活20周年記念』に収録する為に制作された曲で、シングル盤を発売する際にひばりのスタッフの中で評判が高く、ひばりの母・加藤喜美枝もシングル化を推したことから、アルバムからのシングル・カットとして発売されることになったという話が残る。
本楽曲はグループ・サウンズの雰囲気を強調しており、歌番組などでは当時30歳だったひばりが初めてミニスカートを着用し、ゴーゴーダンスを踊りながら歌うなど、それまでのひばりのイメージとは大きく異なる楽曲であり、ひばりの新境地が垣間見えた楽曲であった。
結果的に、「ブルー・シャトウ」の150万枚には及ばなかったものの、140万枚を売り上げるミリオンセラーとなり、記録的な売り上げを残した。これは美空ひばり自身の歴代シングル売り上げ枚数では第4位に相当する。後に多数のシンガー、ミュージシャンにカバーされた曲でもある。
作曲を手がけた原信夫によれば、「ひばりの母さん(加藤喜美枝)から『お嬢に曲を書いてよ』と頼まれて、最初は演歌風のものを書こうと思ったが、ありきたり(のメロディー)になっちゃうんで、開き直ってジャズのリズムで作った」とのことで、ひばりは本曲について「これは私の曲じゃないよね」と原に言うと、「ジャズのリズムならお手の物でしょう」と原が返し、それにひばりは笑みを浮かべたという逸話が残る。また当初は原が率いていたビッグバンド「シャープス&フラッツ」が演奏することも考えたが、グループ・サウンズブームだったことに目をつけて、原の脳裏にふと思い浮かんだブルー・コメッツの井上忠夫(のちに井上大輔)にアレンジを依頼し、バックもブルー・コメッツが務めることになったという。
また原は本楽曲が完成した際、ひばりと江利チエミのどちらに歌わせるか迷った末にひばりの楽曲にしたことも後に語っている。本楽曲がヒットした後にチエミは「あれは本当は私の曲よ」と嫉妬したという。
カップリング曲の『やさしい愛の歌』は、やはり『歌は我が命〜美空ひばり芸能生活20周年記念』収録曲で、「真赤な太陽」の作曲を手がけた原信夫が自身のビッグバンド「シャープス&フラッツ」と共に演奏に加わっている。
真赤な太陽/美空ひばり、黛ジュン、テレサ・テンほか 2010/7
今年の猛暑にボクは不安を抱いています。かつて東京で、こんなに暑い日々が連続したことがあるのだろうか、と。
戦前、アルベール・カミュの「人を殺したのは、太陽のせい」(『異邦人』〜ちなみに久保田早紀じゃないっす)という表現が物議をかもしましたが、70年近く経った今、これが現実にならないことを祈るばかりです。
今日のナンバーはこれ。太陽の歌の定番です。
   美空ひばりとブルー・コメッツ 1967/5/25発売
   吉岡治・作詞、原信夫・作曲(いうまでもなくバックはブルー・コメッツです)
   真赤な太陽(モノクロテレビの画像)
いまはYouTubeで多くの歌手が歌う「真赤な太陽」を鑑賞することができますが、この黛ジュンのカバー録音は当時日の目をみませんでした。
黛ジュンの「真赤な太陽」がなぜ問題になったのでしょうか。まずは鑑賞してから・・・。
手元に一冊の本があります。芸能誌『平凡』の元編集長が当時のヒット曲秘話を集めて刊行した『歌謡曲だよ!人生は』(マガジンハウス・2000年)にそのいきさつが詳述されています。一部抜粋して引用しますと・・・
1967年「恋のハレルヤ」のヒットに続けとばかりに所属レコード会社は、ミニ・スカートの黛ジュン売り出し作戦として「真赤な太陽」でひばりに挑戦させようと企画制作したが、発売寸前でひばり母娘の怒りを買ってしまい、急遽中止となった・・・と書いてあります。
これを読んで思い出すのは、かつてマイ・ブログでも取り上げた「ジュテーム・モア・ノン・プリュ」のブリジット・バルドーの申し出による発売中止事件。
「ジュテーム・・」の場合は、結局ジェーン・バーキンという新たしいパートナーによる再録が世界のヒットとなりましたが、黛ジュンの場合は、「この騒動が話題になって「恋のハレルヤ」がまた売れた」(出典同書)ということらしい。
さらに引用のお礼に一言追記しますと、この本には著者の体験というリアリティがあり、伝聞ではない真実味に溢れています。なお3年ほど前に『歌謡曲だよ!人生は』という同じタイトルのオムニバス映画(アルタミラビクチャーズ)がありましたが、どうやら出典本とは無関係みたいです。この映画もメチャクチャよかったのですよ!最高でした。機会をみてご紹介したいと思います。
つぎは珍しいテレサ・テン。本当に天使のようであり、二つの祖国に揺れ動いた歌姫でした。
テレサ・テン真赤な太陽(熱情的月亮)/テレサ・テン(ケ麗君) 台湾宇宙レコード、1968年発売
異色なところでは、絢香とゴスペラーズの「真赤な太陽」というのもありますが、今日の最後はJEROの歌。
さしずめ「真赤な太陽」は世界・世代・男女を問わず、歌い継がれるということでしょうか。
美空ひばり嫌だったミニスカート、生誕祭で秘話 2015/5
「第78回美空ひばり生誕祭」が29日、東京・日比谷公会堂で行われた。美空ひばりさんの1人息子の、ひばりプロダクション加藤和也社長(43)は「亡くなった翌年から毎年、ファンの方が母のために毎年やってくれて今年で25回目。ありがたい」と感謝した。
テレビプロデューサー石井ふく子さん(88)と女優中村メイコ(81)がトークショーを実施。石井さんは、ひばりさんが自宅を初めて訪れた時のエピソードを披露した。「お弁当を持ってきてくれたけど、私の嫌いなものがいっぱい入っていた。『食べなさい!』と言われたので死ぬ思いで食べましたよ。大嫌いなカボチャも食べました」。だが、食わず嫌いだったようで「すごくおいしくて、それから大好きになりました」と笑顔で振り返った。石井さんはナスも苦手。「ねずみに見えるから」だという。
中村は、ひばりさんがヒット曲「真っ赤な太陽」でミニスカートをはいた時のことを「実は最後まで嫌がっていたのよ」と打ち明けた。2人は体のサイズがほとんど同じなので、「私でサイズをはかって作ったんです」と話した。
ちょうど50年前・1967/5/25 GSブームから生まれた美空ひばりの大ヒット 2020/1
戦後の歌謡界に燦然と輝く大スター、美空ひばりが最も多くのヒットを連ねたのは1950年代に遡る。しかし1960年代に入ってからも女王の活躍は続いた。64年に出された「柔」が翌65年の日本レコード大賞を獲得した後も、66年には古賀メロディ「悲しい酒」をリバイバル・ヒットさせる。そしてさらに翌67年に放たれた意外な形のヒット曲が「真赤な太陽」であった。グループサウンズ(=GS)全盛期、ブームを支えた代表格、ジャッキー吉川とブルー・コメッツをバックに従えて、ミニスカートの衣装で歌われたポップス歌謡は、ミリオンセラーを記録し、自身のシングル売上げ4位の大ヒットとなる。その後も多くの歌手にカヴァーされてきた「真赤な太陽」のシングルが日本コロムビアからリリースされたのは今からちょうど50年前、1967年5月25日のことだった。
歌謡曲に明るい向きには周知の事実であろう。美空ひばりは演歌歌手ではない。後年はたしかに演歌調の作品も歌ったが、歌謡曲からフォーク、民謡に端唄、スタンダード・ジャズに至るまでどんなジャンルも華麗に歌いこなすオールラウンドプレイヤーとして歌謡界に君臨した。世間がマンボ・ブームに沸けば「お祭りマンボ」、ドドンパが流行れば「ひばりのドドンパ」、ツイスト人気が世を席巻すると「ひばりのツイスト」といった具合でニューリズムには常に敏感に反応しているし、抜群のセンスで歌われた英語詞のポピュラー・ナンバーにも定評がある。ナット・キング・コールが世を去った時には追悼盤としてスタンダードのカヴァー・アルバムを出したほど。それらを鑑みればGSブーム下で「真赤な太陽」に挑んだのは必然といえるのかもしれないが、既にベテランの域に達してレコ大を獲ったり、古賀メロディを歌い上げていたりしていた時期であっただけに、いきなりミニスカでゴーゴーダンスを踊りながら歌う姿は、世間的にはかなり斬新に映ったものとおぼしい。
そもそもはシングル用に書かれた曲ではなかった。芸能生活20周年記念に企画されたアルバム『歌は我が命』に収録するために制作された曲のひとつで、リサイタルで歌われたところ思いのほか反響が大きく、スタッフ間でも評判がよかったためにシングル・カットされることになる。作曲を手がけたシャープス・アンド・フラッツのリーダー・原信夫の述懐によれば、楽曲提供の候補にはひばりの盟友・江利チエミの名も挙がっていたそうだが、決め手はやはりアレンジを担当した井上忠夫(後の井上大輔)と、氏が所属していたジャッキー吉川とブルー・コメッツがひばりと同じコロムビアの所属だったことであろうか。もしもキングレコードのチエミが歌うことになっていたら、寺内タケシがアレンジを担当して、バニーズを従えて歌ったのかも、などと考えると実に興味深い。67年のレコ大を受賞するなどブルー・コメッツの代表作となる「ブルー・シャトウ」の発売は3月15日。それから2ヶ月後、曲が大ヒットしていた最中のリリースだった「真赤な太陽」は正に注目度最高の絶妙なタイミングで出されたことになる。
発売元だったコロムビアの力の入れようは、レコード盤の作りにも顕著である。シングルの品番は新設された“D−1”(ちなみに“D−2”も美空ひばり。翌68年に井上忠夫と原信夫がAB面をそれぞれ作曲した「太陽と私/星空の微笑み」だった)でレーベルがシルバーの特別仕様。期待に応えて140万枚を売り上げた大ヒットは、ひばりのシングルの中でも「柔」「川の流れのように」「悲しい酒」に次ぐ歴代4位にランキングされている。「真赤な太陽」のヒットはGSブームがいかに凄かったかを証明する事例のひとつといえそうだ。この時期は非ポップス系の歌手だった村田英雄や北島三郎、都はるみやこまどり姉妹らもビートを効かせたオリジナル・ナンバーを発表していたものの、残念ながらヒットに至ったものは少ない。優れた楽曲であることはもちろん、ブルー・コメッツのバックアップもあったとはいえ、美空ひばりのアーティストパワーがいかに抜きん出ていたかが判るだろう。
さて、「真赤な太陽」といえば、どうしても触れておかなければならない有名な話がある。この年(=67年)の2月に東芝から「恋のハレルヤ」で再デビューした黛ジュンが2枚目のシングル「霧のかなたに」を出した後、その2曲に「好きなのに 好きなのに」、そして「真赤な太陽」のカヴァーを加えた4曲入りのコンパクト盤を出すことになった。黛の担当だった高嶋弘之ディレクター(俳優・高島忠夫の実弟でビートルズ担当としても知られる人物)は当然コロムビアにお伺いを立てた後に許可を得てレコーディングを済ませ、ジャケット印刷とレコードもプレスされて発売を待つばかりとなる。ところが直前になって、ひばりサイドにその件が伝わっていなかったことが判明。マネージメントを取り仕切っていた母・加藤喜美枝の逆鱗に触れ、お蔵入りとなってしまう。結局はレコードプレス代など東芝の諸経費一切をコロムビアが負担することで決着し、件のコンパクト盤は1曲が「恋の季節」(ピンキーとキラーズの曲に非ず)に差し替えられて発売された。長らく幻となっていた黛版「真赤な太陽」は、ずっと後、ひばりが世を去って5年後の1994年にCDシングル盤で発売されてようやく陽の目を見たのであるが、これがまた本家に迫るくらいの素晴らしい録音で、後に“一人GS”と称される彼女にピッタリの楽曲であったことを改めて思わせたのだった。なお、ほとぼりが冷めた69年になって黛が出したシングル「不思議な太陽」はイントロから「真赤な太陽」を彷彿させる作りで、タイトルにも黛サイドの無念さが込められた遺恨の一曲であったことは明らかなのだ。そんなわけで当時はシャレにならない大騒動であったろうが、今となっては歌謡史の1ページを賑わした興味深いエピソードである。
美空ひばりとジャッキー吉川とブルー・コメッツ『真赤な太陽』 2021/5
映像
   エキストラのダンサーたちに彩られて
拍手の中ドレスの赤の映像。軽快に体を揺らして歌う美空ひばり。いくらからだを揺らしても、姿勢がきれいです。背筋がすっと通って崩れない。笑顔も出ますし「Yeah!」とかけ声。ノリを演出します。間奏でも謎の小躍り?のようなしぐさ。エンディングのフェイクもバリバリにキマっています。
   ブルー・コメッツと
笑顔のキーボディスト。ドラムスが中央・最前にせり出したセットです。サビはシンガロング(全員で歌う)。 翼のように演奏メンバーが向かって右に広がり、向かって左はキーボディスト。間奏で彼にカメラが寄ります。美空ひばりの髪型、服装、表情や身振り手振りが独特で目を引きます。
   無伴奏の歌唱のイントロ
ゆっくりしたテンポ、伴奏なしボーカルのみのイントロ。真赤なドレスで上手(ステージ向かって右)から登場。後頭部に真赤な太陽然とした大きな花のような頭飾りをつけています。サビで手拍子をあおるようなパフォーマンス。間奏にギターソロ。ボーカルフェイクも「Ye! Ye!」と息巻く熱、この楽曲に対する美空ひばり自身の解釈の方向性を感じます。一方、ラストの歌詞「恋の季節なの」を繰り返すところで繊細な表情の歌声を見せ、ぐっと注意をひきます。駆け抜けるように終わってしまいますが、熱量の起伏で見せるところもあるパフォーマンス。美空ひばりもコンサートの演目として重宝していたのではないかと思えます。
   尾崎紀世彦と
黄金色に輝くえりもと。レモンイエローのドレスに白い手袋。34歳……(現在の私に近い年齢なので気になってしまいました)。普段私が持っている美空ひばりのイメージよりお若くみえます。尾崎紀世彦と共演してこの曲を演奏したのですね。彼は黒い上下。美空ひばりを立てていますが、サビで張り上げた声がいかにも『また逢う日まで』が私に印象づけた通りの不屈の歌唱に思えます。ここではカウンターメロディを歌ったり、重唱したり。テレビ番組の映像のようです。
曲について
美空ひばりのシングル(1967)。アルバム『歌は我が命〜美空ひばり芸能生活20周年記念』に収録。作詞:吉岡治、作曲:原信夫。作詞者は『おもちゃのチャチャチャ』をこども向けに補作詞した人として覚えがあります。
美空ひばり『真赤な太陽』を聴く
あやしげなチープ感ただようトーンのオルガンのイントロ。倍音の分布を思わせる独特かつ定番なトーンです。定位は右側寄り。平歌では短く2拍目や3拍目ウラをとる2小節、ロングトーンする2小節をくりかえします。
サックス。左側に定位しておりオルガンと対の存在感です。イントロのモチーフやカウンターメロディ、オブリガードを奏でたり、右側のオルガンと協調して非常に短い音でリズムを演出したりしています。
エレキギター。左側に定位。2拍目にストロークしてリズムのアクセントに加担しています。サビのストロークはダウンの4つの拍頭を重んじつつオルタネイトで味付けしている感じがします。温和で耳に心地よいアタック。オルガンのぴーぴーと特徴のあるサウンド、サックスの艶やかなエッジと合わせ、バンドのバランス良好です。
ドラムス。中央でリズムを支えるとともにサウンドの中核。平歌のスネアストロークが非常に繊細。構成の端境でリムとヘッド両方を同時にヒットしたような「カン!」という甲高いアクセント。まるで演出家が舞台稽古を仕切る際に手を打ち鳴らすように、場面の転換を促します。ダイナミクスやニュアンスを変幻自在に操り、表情に富んだドラムス。お手本にします。
ベース。やや右寄りの定位、ピックストロークでしょうか。ペキンパキンとしたアタックにズゥゥンと深い響きが追随します。キックとシンクロしたストローク。サビでは8ビートのダウンストロークでたたみかけます。サビ前半4小節のベースの上下の動きが激しく、緊張感を醸します。5度跳躍を中心にセブンスも含めて動かします。こちらも手本にしたいベースライン。
私としてはThe Zombies『Time of the Season』を思い出すベーシックで、ちょっと面影が重なるような感覚もあるのですが、収録アルバム『Odessey and Oracle』の発表が1968年。『真赤な太陽』(1967)の発表年が先です。洋楽を参考にした邦楽曲は枚挙にいとまがありませんが、『真赤な太陽』と『Time of the Season』については私が紐付けただけで他人の空似といって良さそうです。どちらもクールな響きと演奏の熱量を持つ私のお気に入り。
『真赤な太陽』リスニングの話に戻り、バックグラウンドボーカル。バンドメンバーがサビで美空ひばりとユニゾンしています。ユニゾンに続くフレーズではパートを分けて重唱。次いでエンディングの歌詞「恋の季節なの」を繰り返すところでは抑制を効かせてひそめたようなあやしげな発声で男声がレスポンス。隠しごと(秘めごと)をしているかのような含みを感じます。バンドメンバーの歌唱が鉄壁の美空ひばりをさらにフォロー。向かうところ敵なしのミュージシャンシップです。
美空ひばりのボーカル。ノンビブラートから、伸ばすトーンでビブラートを強める移ろいが麗しいです。細かいしゃくりの色付けが繊細で機微があり妙。ピッチの経過、ハマりどころの気持ちよさは言わずもがな。情感をたっぷり表現しつつも軽妙で、朗々とした品格。アクの付け方・抜き方の幅、自由なバランス感覚も卓越しています。
感想、後記
美空ひばり・ジャッキー吉川とブルー・コメッツ両者の個性が拮抗。どちらに著しく譲るでもなく、双方が魅力を高めあっています。夢のようなグループです。
ワントップでもステージに輝く美空ひばりにとって、ジャッキー吉川とブルー・コメッツとの共同は、新しい境地への一歩だったのではと想像します。もちろん、美空ひばりの幅広いキャリアのすべてを知ればこれに適う前例もあるのかもしれません。美空ひばり史への関心がますます深まる一曲でもあります。あらゆるバンドマンやソロ歌手とシェアしたい理想のモデル。
バンドは全体でひとつの生け花のようなものかもしれません。一輪の花たる歌手がそこにコミットし、花瓶とすべての草花を合わせた生け花全体が、共同によって一段と華を増すようなイメージでしょうか。曲のタイトル『真赤な太陽』が想像を掻き立てます。きっと生け花でも映えることでしょう。
生け花はたとえのひとつですが、素晴らしい作品は媒体を超越します。太陽の恩恵を受けて、新しい芽が伸びる様子を思います。
ところで、自分達の名義を持つバンドがバックバンドを担当しても、共同名義を冠することなく、ソロ歌手のみの名義で発表する事例も多いと思います。
『真赤な太陽』についていえば、事情を知らない私から見ても、バンドメンバーのボーカルへの参加度の高さが目立ちます。アレンジメントへの全面的な貢献もバンドメンバーの領分でしょう。当時のグループ・サウンズブームのすさまじさも、背景として手伝った面もあるかもしれません。人気最上位のミュージシャンらによる、勢いある共同だったのかなと想像します。
作詞とキャスティングどちらが先かわかりませんが、歌詞“恋の季節なの”を表現する上でも混声の編成が好ましく思えます。表現者たちの共同、すなわち恋の季節か。
原信夫さんが部署の壁越えさせた「真赤な太陽」美空ひばりさん新境地開く 2021/6
日本を代表するビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」のリーダーとして、国内ジャズの礎を築いたテナーサックス奏者の原信夫(はら・のぶお、本名塚原信夫)さんが肺炎のため21日に亡くなった。94歳だった。
原信夫さんが作曲した美空ひばりさんの「真赤な太陽」(作詞・吉岡治、編曲・井上忠夫)は、グループ・サウンズ(GS)全盛期の、1967年(昭42)5月23日に発売された。
すでに歌謡界の女王だったひばりさんは間もなく30歳で、芸能生活20周年を迎えていた。「柔」が65年の日本レコード大賞を獲得し、翌66年には古賀メロディーの傑作「悲しい酒」をリバイバルヒットさせていた。東京五輪年に発売された「柔」では時に柔道着を着て力強く、「悲しい酒」では着物姿で絶唱した。「真赤な太陽」は、そうした流れの中で発売された。
誰もが驚いた。ひばりさんが真っ赤なミニスカートで踊りながら歌ったのだ。しかも、バックバンドは編曲を担当した井上が所属したジャッキー吉川とブルー・コメッツ。同じ67年3月15日に、同年末に日本レコード大賞を獲得する「ブルー・シャトウ」を発表し、大ヒットさせている最中だった。
当時、ひばりさんは日本コロムビアの邦楽。ブルー・コメッツは洋楽の部署に所属していた。当時、邦楽と洋楽の壁は厚く、共演など難しい時代だった。原さんは親しくしていた井上に編曲を依頼。そして上層部と直談判して、女王とGSという異色の共演を実現させたのだ。原さんがひばりさんの新境地として作曲し、時代の流れを敏感に察知していたひばりさんが意欲的に挑戦した、昭和を代表する1曲となった。140万枚といわれる売り上げは、「川の流れのように」「柔」「悲しい酒」に次ぎ、ひばりさんの歴代4位となっている。 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 

 

 
 
 
    
 

 

  
 
 
 
 

 



2023/11