日本の政治家 

日本の政治家

世襲政治
地盤・看板・鞄
お仕事です

平和ボケ


・・・ 政治家のいない国
 


 
 
●政治家
●政治家 1
政治家・政事家 1
1 政治にたずさわる人。政界にあって直接自分の政見を国または地方自治体の政策に反映させることのできる立場にある人。また、それを反映させようと活動している人。国会議員、地方議会議員などをさしていう。為政者。
※明六雑誌‐九号(1874)運送論〈津田真道〉「故に米価の昂低は民命の関する所にして政事家の尤意を注ぐ所なり」
2 意見の相違や利害の対立などの調整やかけひきのうまい人。また、あれこれと策略をめぐらす人。
政治家 2
1 政治を職業とし、専門的にこれに携わる人。議会の議員をさしていうことが多い。
2 もめごとの調整や駆け引きのうまい人。「あの人はなかなかの政治家だ」
[類語]議員・代議士・選良・党員・党人・陣笠連
政治家 3
職業的に政治に携わる人々を指す。政治家と同じく熱心に政治に参加する人々であっても、その政治参加が選挙のときの政治演説のように臨時のもので、かつ政治以外のところに収入の源泉があるという意味で副業的である場合には 、〈素人〉政治家と呼んで本来の政治家と区別する。かつては君主、貴族(日本では武士)、〈財産と教養〉を有する地方名望家層などの特定の身分が〈生来の政治家〉と目されていたが 、政治権力を行使する正統性がもっぱら選挙による選出に求められるようになった現代では、選挙制の大統領と閣僚と議員、そしてそのような地位につくことを志望して活動している人々を政治家と呼ぶ。革命やクーデタによって政権についた人々は 、いわば自選と互選の政治家である。日本やイギリスのような議院内閣制の国では、政治の表舞台は内閣と議会に限られており、高級公務員は政治過程において重要な役割を果たしていても政治家とは呼ばれないが 、高級公務員が大統領の政治的任命によって選任されるアメリカ、公務員がその地位を保持しながら政策決定に公然と参加するフランス、ドイツ(旧、西ドイツ)については、一部の公務員は政治家とみなされている。みずから公然と政治権力の行使に参加する意思はないが 、集票のマシーンを握ったりロビイングを通じて暗躍し、マス・メディアを通じてジャーナリスト、評論家、解説者として政治的影響力を行使する〈黒幕〉政治家も、政治を主たる生計の資としているかぎり政治家とみなせる。また 、卓越した識見を有して公事に経綸をはかる〈大政治家〉(英語ではステーツマンstatesman)と、その場かぎりの駆引きに終始する〈政治屋〉(ポリティシャンpolitician)を区別し 、目的のために手段を選ばぬ権謀と術策の人(マキアベリスト)を理想主義的な政治家と対比することもあるが、この区別自体が政治的、党派的、主観的である。政治においては 、リアリズムぬきの経綸と理想はありえないからである。術策、陰謀、裏での交渉力、斡旋能力、雄弁、世話役としての面倒見等、政治家に期待される能力の一部に注目して、〈彼(彼女)は政治家だ〉ということもあるが 、これは政治家という用語の比喩的な用法である。
   起源と歴史
政治の最高権力者が自分の手足となって奉仕する幹部を登用したとき、職業政治家が誕生する。最高権力者(歴史的には多くの場合、君主であった)は、貴族、譜代の家臣 、高級聖職者のような身分を周辺にもち、彼らの助言、諫言、同意、奉仕を通じて支配するが、身分、封地封禄、血縁地縁などによって君主と対等に近い権力を有する彼らの抵抗を押し切ってまでもみずからの権力を拡大するには 、職業政治家−−君主の任命と庇護によって生計を立てているという意味で、君主にたいしてだけ忠誠を誓う人々−−を利用しなければならなかった。
この最初の政治家は、伝統的な身分秩序の外にある雑多な社会層から登用されており、身分秩序が解体するにつれてますます広い基盤から登場してくる。読み書きの能力を買われて 、キリスト教圏、イスラム教圏、仏教・儒教圏を問わず僧侶が登用された。古代以来の中国では儒学の教養と文章能力のある文人が試験制度を通じて採用され、財産と身分の世襲に関心のない独身の修道僧や宦官(かんがん)も重宝された。スルタンの宰相には特別に教育を受けた奴隷が 、古代ローマの官僚や帝政ロシアの外交官にはギリシア人などの外国人が用いられた。江戸時代の日本では、側用人、茶坊主などを初期の政治家の例として挙げることができよう。
しかし、絶対主義の成立と平行して資本主義が誕生するとともに、新興のブルジョア階級が政治家の供給源となり、それとともに政治家への道は次の二つに大別されるようになる。一つは 、ブルジョアジーが選挙に基づく議会制と政党制度の発展とともに政治家を輩出していく道であり、もう一つは、大学で法学教育を受けたブルジョア階級出身者が官僚となり、政治家になっていく道であった。前者は郷紳層(ジェントリー)と呼ばれる集団を通じてイギリスと 、共和制のアメリカで全面的に展開し、後者は19世紀西欧における後進国ドイツ、やがては日本でもみられた。もともとイギリスでは、国王が大貴族に対抗して郷紳層を味方に引き入れ 、地方自治体の官職につかせたものであるが、郷紳層はみずからの勢力を強めるために無償で地方行政の管理を引き受け、やがてそれを独占するようになった。他方で、イギリス議会においては 、議会内の多数派の支持を受ける指導者が閣僚に指名される慣行が生まれ、官職任命権は実質的に国王から首相に移り、国王の任命権は名目化していく。そして政党が、首相と閣僚 、その他主要な官職を互いに争う組織として発達した。選挙権の拡張によって議会が民主化されるにつれてこの傾向が強まり、1867年の都市労働者階級への選挙権の拡張とともに 、政党は従来の名望家政党から大衆政党に変わり、党本部や各選挙区の党支部の機関の運営には有給の職員があてられ、これらの人々にまで政治家になる道が開かれた。
イギリスでは、政党を通じて議会が内閣を支配下におくことになり、政治家は議会政治家としての長い習練を経て閣僚、首相に選ばれていく。それにたいしてアメリカでは 、大統領と議会は別の手続で選ばれ、大統領は行政部の長として大幅な官職任命権を握っている。そのためアメリカにおける政党は、全国大会を通じて党の大統領候補者を指名し 、この大統領候補者を押し立てて大統領選挙を戦い、勝利した大統領のもとで官職を分配する機構として発達する(大統領制)。〈勝ったものが戦利品を独占する〉という原則は 、1828年に当選したジャクソン大統領のもとで制度化された。大統領選挙における自党の勝利につくしたという資格だけで、いわば素人の政治家が上は重要な官職から下は地方の郵便局長にまで任命されるこの猟官制度(スポイルズ・システムspoils system)は 、当然に腐敗と浪費をともなったが、イギリス、アメリカがともにヨーロッパ大陸諸国のような官僚制統治を長く免れた理由はこの政治家の自治能力の高さにあった。そのイギリス 、アメリカにおいても、19世紀半ば以降、公務員の任用についての資格試験制度(メリット・システムmerit system)が導入され、公務員の地位が保障されると同時に公務員の政治参加に一定の制限が加えられることになり 、政治家とはもっぱら選挙制による中央、地方の議員、地方自治体の首長、大統領を指すようになった。それとともに、実務への献身と中立性という官僚の資質とは別の、むしろそれとは対照的な資質が 、政治家にたいして期待されるようになる。すなわち、政治家は決定し、官僚はその決定を執行する。現実に官僚制の発達とともに情報は官僚の手中に集中し、計画、立法、政策の立案は官僚によって行われるようになり 、政治家は官僚による事実上の決定に形式的承認を与えるにすぎなくなる場合もある。しかし、官僚は上司と管理法規に対して責任を取るのに比べて、公衆に対する責任を自らの進退をかけて取りうるのは政治家だけである。こうして政治家は公的責任を最終的に清算する立場に立たされることになる。
   現状
すでに述べたように、身分、階層にかかわりなく政治家への道が開かれるようになる過程は、官僚任命権をめぐる闘争の過程でもあったが、同時にその過程を通じて政治家はますます職業化する。政治参加が〈財産と教養〉のある名望家層に限られている社会では 、政治は名誉職と考えられ、政治によって生計を立てることは賤しむべきことであり、時としては腐敗の源と考えられている。国事に奔走して家産を失い、残るは井戸と塀ばかりという〈井戸塀政治家〉は今でもいくらかの敬意をこめて回想されるが 、それは家産を持つ階層だけに政治参加が許されていた時代のことであった。逆に誰もが政治家になれる社会では、議員は歳費によって生活を賄い、調査費、選挙の費用などの政治家としての必要経費は政党や国庫によって賄われる傾向がある。そして政治家は 、弁護士、組合指導者、広告業者、新聞人、教師、あるいは第三世界での学生など、説得と妥協の技術に加えて情熱と献身を備えた社会層から出現する傾向を示すようになる。イギリスでは公共への奉仕は〈貴族たるものの義務〉と長く考えられており 、この貴族的倫理は現在においても政治家に期待されている。逆に民主化の進んだアメリカでは、一般に政治は利権を争う汚い仕事とみなされ、政治家を軽蔑することが政治文化の一部となる。このような政治家にたいする尊敬と軽蔑という矛盾した態度は 、資本主義か社会主義か第三世界かを問わず、さまざまな国でさまざまな程度の組合せにおいてみることができる。
   日本
戦後の日本においては、明治憲法体制下の元老、枢密院、貴族院等の非民主的制度は廃止され、統帥権と現役軍人のみが軍部大臣に任命される制度のもとで〈国家内の国家〉としての地位を守っていた陸海軍が解体され 、知事をはじめ市町村長を上から任命していた中央集権体制が弱められるとともに、政治家と政治家志望者が広く輩出する条件が生まれた。また農地改革によって、旧来の名望家層の基盤が崩壊した。それに代わって業界組織 、労働組合、農業協同組合のような組織が現れ、政治家を育成・培養する基盤となっている。他方で官僚統治の伝統が根強く残っており、政治家は政策形成、政策執行の監督者としての主体性を確立しえなかった。政治家と政治家志望者は〈どぶ板〉を踏んで票を集め 、国庫補助金を誘導してみずからの地盤とする。また主要政党が派閥連合としての性格を強く有しているために、争点を劇的に打ち出して戦うよりも、謙虚に和を求めるタイプが主流を占める。そして政治家の代表−統合機能の弱さを埋めるために 、市民運動、住民運動などの代表者が〈素人〉政治家として一定の役割を果たすことになる。
政治家 4
政治活動に従事する人間。政治家はしばしば politicianと statesmanとに分けられる。イタリアの政治学者 G.モスカは、前者を「統治システムにおける最高の地位に達するのに必要な能力をもち 、それを維持する仕方を心得ている人物」と定義し、後者を「その知識の広さと洞察力の深さによって、自分が生きている社会の欲求をはっきりと正確に感じ取り、できるだけ衝撃や苦痛を避けて 、社会の到達すべき目標に導く最善の手段を発見する方法を知っている人」と定義して、両者を区別している。 M.ウェーバーは、政治家の資質を責任感、情熱、洞察力の3つに求めた。
●政治家 2
政治家とは、職業として政治に携わっている者のことであり、一般的に内閣総理大臣や国務大臣、国会議員、地方議会議員や地方自治体の首長などが政治家と呼ばれる。
職業としての政治
マックス・ヴェーバーは、自身の講演 『職業としての政治』 の中で「政治家の本領は『党派性』と『闘争』である」と指摘している。
アメリカではジェイムズ・ポール・クラークが“政治屋は次の選挙を考え、政治家は次の時代を考える”と喝破した。金や権力など利権を得ることに熱心な政治家を揶揄して「政治屋(せいじや)」と呼ぶこともある。
政治家は国家によって認定された資格に基づく職業ではない。選挙結果によっては職を追われるため、不安定な職業である。政治家は有権者の利益や意向を議会に反映させるが、その方法は有権者の具体的な要望を忠実に実現する方法と、自らが信じる方法で有権者に有益な結果をもたらす方法の2つがある。
世界的に政治家は嫌悪される職業になりつつある。アメリカでは職業政治家に対する嫌悪が広がっており、2016年の大統領選挙では非職業政治家および反職業政治家の候補が支持を伸ばしたとする分析がある。タイでは、2014年のバンコク大学の調査によって、6歳〜14歳の子供の80%前後が、政治に関わる仕事に就きたくないと答えたことが分かった。
政治家と利権
政治家と有権者の利害関係やそれに起因する諸問題は、今も昔も政治の世界では避けて通ることができない。政治家を選出する側である有権者は、諸制度の改善や地元地方へのインフラ整備などによる社会的・福祉的な恩恵、あるいは国家的なイベントや企業誘致や公共事業の受注などによる経済効果を求めるし、政治家も地元への便宜をはかることで次の選挙での再選を期そうとする。社会的な利益の還元として地元を潤す形であれば特に法を犯すこともないが、一部政治家の強烈な圧力によって公共事業の計画を大幅に変更させたり、公共事業をばらまいたりといった行為がしばしば非難の対象となる。こういったことは日本に限らずアメリカでも聞かれる話で、少し古い話だが、1950年代後半にアメリカ陸軍の準中距離弾道ミサイルMGM-31 パーシングの主契約企業の選定作業で、元ミシガン州知事であった陸軍長官ウィルバー・ブラッカーが、契約をミシガン州の企業に与えるように地元から圧力をかけられていたことがあった。候補に挙がっていた企業の中でミシガン州の企業はクライスラーだけであったが、実際に受注したのはマーティン・マリエッタであった。
こういった政治家を仲立ちとする利権が、制度の不備の改善や交通網の整備といった公共の福祉を大幅に超えて特定の個人や企業に対する不正な利益供与に至ると汚職事件にも発展していく。政治家の汚職は幾度となく問題となり、逮捕者が出たり、有罪判決が出て失職するような事件が起こっても後を絶つことがない。また、有罪判決を受けて失職してしまったにもかかわらず、有権者の地元への恩恵の期待から、その政治家が次の選挙で再び当選してしまうことも決して珍しいことではない。
   政治家のクオリティ
ヴェーバーは、『職業としての政治』の中で、政治家にクオリティ(Qualitäten)として次の三つを挙げている。
情熱 : Sacheへの情熱
責任感
目 : 距離をおくこと
日本の「政治家」
一般的に内閣総理大臣や国務大臣、国会議員、地方議会議員や地方自治体の首長などが政治家と呼ばれている。公職選挙法や政治資金規正法においては、その適用対象となる「候補者、立候補予定者、現に公職にある者」を総称して政治家と呼ぶ。
政治家は、国民の代表者として選挙によって選ばれた上で、有権者の意思を国や地方自治体の政策に反映させようと活動する。主な仕事は、自らが所属する議会や委員会での議案の審議に参加することで、修正などの作業に関わり最終的に表決することである。また、陳情を聞いたり集会に参加することで有権者の意見を聞き政策に反映させる。地方自治体の首長や大臣など行政府の役職に就いた場合には、官僚機構全体を統括して調整し動かすことで政策を決定・実行する。
近年では、親族や親戚の後を継承した世襲政治家や、タレントとしての知名度を武器に当選したタレント政治家の割合が増えつつあるが、このような形で政治家となることに疑問を呈する意見もある。世襲議員に関しては、国会議員のうち、選挙における地盤や資源に恵まれるため、当選回数が多く、自分が代表する地域により多くの補助金をもたらしているという分析がある。タレント政治家に関しては、批判も多いが政党を牽引しているとする指摘もある。
また現在、政治家はお札の肖像画になることが出来ない。(過去には岩倉具視などがなったことがある)理由は、後世になって悪い人物だったと判明する場合があるからである。
   評価
政治家を職業として見る時、日本国内での評価は芳しいものではない。村上龍『13歳のハローワーク』では、「ひょっとしたら政治家ほどわかりにくい職業はこの世にないかもしれない。この本は職業を定義するためのものではないので結論を先にいうが、世の13歳はこんなにわかりにくい職業を目指すべきではない」「将来的には、NPOやNGOなどで国際的に活動してきて、利害調整の困難さと重要性を理解した人がやむにやまれず政治に参加するようになればいいと思う。あるいは企業活動と環境保護の調整に長く深く関わった人とか、企業や銀行を見事に再生させた人とか、地域社会や教育の活性化にたずさわった人とか、そういった分野から政治家が現れるようになるべきだ」と酷評されている。
精神科医・斎藤環によれば、政治家の特徴として「どんな場所でも、どんな相手でも、とにかく自分の話しかしない」「ガサツで、押しが強く、明らかに後から植え込まれた強い自己肯定感を持っている」という特徴を挙げ、ドブ板選挙は「カルトや自己啓発セミナーの洗脳」と同構造と指摘、「謙虚さと卑屈さを履き違え、駅前で土下座せんばかりに頭を垂れている政治家を見て、子どもたちが「あんなふうになりたい」と思うわけがないでしょう」と批判している。
事実、政治家自身の職業肯定感も低く、NHKによる地方議員2万人への調査では「生まれ変わっても議員になりたいですか」という質問に、現職の地方議員の7割近くが「NO」と回答している。
●政治家 3
暮らしやすい社会の実現に向けて国や自治体の施策を決定する仕事
人々の代表として、社会生活のルールとなる法令をつくったり、国や地方自治体の公務員に指示をする仕事である。議会に出席して審議や決定に参加する「議員」と、自治体の責任者として行政のための指示・決定を行う「首長」とに大別される。議員はさらに、国会で立法や政策の審議に当たる国会議員と、都道府県や市町村の議会でそれぞれの地域に関連した施策について検討する地方議員に分かれる。いずれも、住民による選挙で選ばれるのが最大の特徴。世の中をよくしたいという思いと、強い責任感が求められる仕事である。
「話す力」「聴く力」は不可欠。幅広い知識・教養も必要
自分自身や所属する政党の主張を、誰でも理解できるように分かりやすく説明できる「話す力」が必要不可欠である。そして、多くの人々との対話のなかから、ニーズを的確に把握するための「聴く力」も重要。これらのコミュニケーション能力だけでなく、国や地域をどのようによくしたいのかというビジョンを持つことが必要。政治・経済をはじめとする各分野の学びが、そのための土台となる。
●政治家 4 ――職業としての政治家
T はじめに
他分野の「先生」たちとは異なり、政治家「先生」の職は国家によって認定された資格によって成り立っているわけではない。「国権の最高機関」(日本国憲法第 41 条)である国会で立法に携わるには特別な資格や教育は必要なく 、選挙で勝利をおさめさえすればよいのである。もちろん、選挙で議席を得るには多大なコストを払う必要があり、誰しもができることではない。また、他の「先生」たちと異なり 、その職は不安定である。定期的に行われる選挙で有権者から審判を受け続けなければならず、時としてその職を追われ、権力へのアクセスを失ってしまう。衆院議長を務めた故・大野伴睦の言葉「猿は木から落ちても猿だが 、代議士は選挙に落ちればただの人だ」は、この職業の本質をついている。
民主主義国家において政治家の行動原理は、次の選挙で勝利する確率をあげることだと政治学では考えられている(Mayhew, 1975)。当然ながら、政治家には政策目標や議会内外での昇進目標もあるだろう。しかし 、再選しないことにはそのことも望めないのである。政治家と有権者の関係は弁護士と依頼人の関係に似ている(Lowi, Ginsberg, and Shepsle 2008)。弁護士が依頼人の意を受けて行動し 、依頼人に対してその責任を負うように、政治家も依頼人としての有権者の意向を議会に反映させ、有権者に対して自らの責任を負う。しかし、その委任の方法は必ずしも同じではない。依頼人(=有権者)の具体的な要望を逐一聞き 、そ の ま ま 忠 実 に 実 現 し て い く 方 法( 代 表 者、dele-gate)の他に、一度選ばれてしまえば、フリーハンドを得て、自らが信じる方法で依頼人にとって最良の結果をもたらそうとする方法(委任者 、trustee)も想定される。現実の政治家はこの両者の側面を有しているが、もし政治家が利益に反した行動をとったことがわかれば、依頼人(=有権者)はその政治家を(次の選挙で)交代させるであろう。
この政治家−有権者関係がさらに複雑なのは、「依頼人」である「有権者」が複数で、しかも、誰のことを指すのかが必ずしも一義的ではないという点にもある。代表すべき「有権者」は 、選挙区全体の有権者のことを指すかもしれないし、選挙区の中で自分のことを議員にしてくれた支持者たちかもしれない。さらに、支持団体かもしれないし、あるいは、日本国民全体であるかもしれない。このことは 、誰を「依頼人」とみるかによって政治家のなすべき仕事が異なってくることを示唆する。
このような議論を背景にして、本論では、現代日本における政治家という職業についてその実態を概観する。なお、ここでは紙幅の関係により、特に断らない限り、衆議院議員のみに焦点を当てる。
U 国会議員になるには
政 治 家 を 公 職 者 と 限 定 す れ ば、 現 在、 日 本 に はおよそ 3 万 7000 人の政治家がいる(総務省統計局2014)。このうち国会議員は 722 名(衆議院議員定数480、参議院議員定数 242)である。その他に 、地方公共団体の長として 47 名の都道府県知事と 1737 名の市区町村長、さらに 2677 名の都道府県議会議員、3万 1705 名の市区町村議会議員がいる(2012 年 12 月31 日現在)。公職を目指して政治活動をしている人々をも含めるのであれば 、その数はさらに増大する。
国会議員になるためには様々なルートがあるが、重要な一歩は政党の公認を得ることである。政党の公認は知名度の向上や様々なリソース(資金や選挙のノウハウなど)へのアクセスを可能にする。日銀職員から政治家を志した津村啓介(衆院議員 、民主党)は、一社会人が国会議員になるために主に 4 つの道を想定したと述べている(林・津村 2011)。1地方議員になる2政治家秘書になる3政党の政策スタッフになる4政党による候補者公募制度へ応募する 、の 4 つである。
1から3は、政党組織の人的ネットワークの中で候補者を探すという伝統的な候補者リクルートメント形態に対応している。他方、4は比較的新しい方式で、既存の方法では掬い取れない潜在的な政治家志望者を発掘するための手段である(津村は4を選択した)。
元々は民主党が積極的に行ってきたが、近年では、自民党においても導入が進んでいる。
津村のいうように、衆院議員のうち、地方議員出身は 30.8%、政治家秘書出身も 27.7%と政治家になるルートとしては有力である(ただし、党職員は 1.9%と多くはない)1)。その他には 、政治と密接な世界にいる官僚(19.6%)やマスコミ関係(7.3%)も多い。
国政に参入する時期は人により様々で、2012 年の新人議員の最年少は 28 歳、最年長は 70 歳であるが(平均 45.0 歳)、性別で見ると女性議員が圧倒的に少なく 、わずか 7.9%である。
候補者は選挙区において個人の支持組織を後援会という形で築きあげる。そのための日常的な活動には多額の資金がかかる。議員は平均して 5.3 人のスタッフを抱えており 、さらに、31.0%の衆院議員は事務所を2 つ以上かまえている(平均事務所数 1.4) 2)。当然ながら、選挙期間中の選挙運動自体にも多額の資金が必要となる。しかも 、選挙資金支出の多寡は得票結果に結びつくのである(今井 2011)。
新人候補者にとって活動資金は大きな問題である 3)。政治活動に専念するということは、多くの場合、仕事を辞め収入源を失うということである。さきほどの津村も公認が決まると職を辞し 、知名度と支持を獲得するための選挙区活動を始めた。公認されてから総選挙までの 1 年 3 カ月の活動で、党からの月額 100 万円の活動資金および 1500 万円の公認料(選挙が始まる際に支給)があったにもかかわらず 、個人の貯蓄から300 万円を切り崩している(林・津村 2011)。
このように考えると、いわゆる世襲議員(政治家の家族・親族出身)の有利さが理解できよう。世襲議員はいわゆる三バン、政治資金(カバン)・知名度(カンバン)・後援会組織(ジバン)を引き継ぐことができるので 、他の新人議員に比べて選挙に有利になる。また、支援者からみても、組織を維持して政治的な力を保持するために、後継として異論が出にくい家族・親族候補者は望ましい。世襲議員は全体の 25.0%を占める(毎日新聞 2012 年 12 月 18 日)。
V 国会議員になったら
当選して議席を得ると立法府の一員としての活動が始まる。しかし、国会における議員の立法活動はそれほど盛んではない。成立する法案のほとんどは内閣が提出した法案(閣法)であり 、その成立率も非常に高い。他方、議員提出法案は数も少なく、成立率も低い。さらに、それぞれの法案の採決では、ほとんどの場合、党議拘束がかかり、その賛否については所属政党の執行部の決定に従うことになる。
だからといって官僚の意のままに政策が形成され、議員の影響が極小というわけではない。自民党議員の場合、党・政務調査会、国会の委員会、内閣での活動を通じて、自らの影響力を行使している。たとえば 、法案が国会に提出される前に、政務調査会など与党内での事前審査の場で法案に影響力を行使しようとする。国会の委員会では、審議をコントロールすることで法案の生殺与奪の権を握る。また 、内閣の役職につくことで政策立案にかかわることもできるだろう。政策形成において議員の役割が重要であるのは、官僚の半数が数日に一回以上の頻度で与党議員に接触をしており 、それも官僚からの案件で会っている場合が多いという事実からも明らかである(伊藤 2006)。
政策への影響力を増すためには高い役職につく必要がある。役職の昇進については、自民党内では、当選回数主義(シニオリティルール)が確立されている。国会の常任委員会理事になるには当選 2 回 、初入閣には当選 5 〜 6 回というように、年齢や前職にかかわらず、当選回数を目安にして国会・党・内閣で役職が与えられていく 4)(佐藤・松崎 1986)。
どの役職につくかと同様に重要なことは、どの政策に関わるかである。とりわけ利益誘導につながりやすく再選に有利になる分配領域(国土交通、農林水産など)は、再選戦略にとって重要になる。事実 、選挙に弱い議員ほど農林水産委員会での発言が多い(松本・松尾 2010)。また、自民党の役職配分では、選挙基盤が脆弱な議員に、分配領域の役職があてがわれる一方で(Pekkanen, Nyblade, and Krauss 2006)、民主党では反対に選挙に強い議員に割り当てられる(Fujimura, 2013)。これは 、自民党が個々の議員への評価をもとにした選挙スタイルに依拠しているのに対し、民主党は政党の評価をもとにした選挙スタイルを重視しているためとされる(Fujimura 2013)。
議員の活動分野は選挙区事情によっても異なる。中選挙区制(後述)下では、選挙区内で競合する議員との差別化のため、異なる専門分野を持つ誘因があった(建林 2004)。自分の支持基盤の確立のためにその政策分野に特化し 、官僚に対抗しうるほどの専門知識を獲得して影響力を強めていくのである(族議員と呼ばれる)。
ただし、このような仕事だけが国会議員の活動ではない。選挙区と政府をつなぐために地元支持者の陳情に対応することも仕事の一つである。議員は選挙区民に直接会うだけでなく 、関連団体や市区町村議との接触も多い(伊藤 2006)。さらに、地元選挙区でも継続的に活動する。「金帰火来」とは政治家の日常生活を表す言葉で、金曜日に国会が終わった後に地元に帰り 、国会の開かれる火曜日に東京に戻ってくることを指す。ほとんどすべての議員は国会会期中でも週一回以上地元に帰っており(UTAS データ、2012 年現職候補のみ)、その他の期間も含めれば 、年間でおよそ40 〜 50%は地元活動に費やされている(濱本・根元2011)。当選はまた新たな選挙戦の開始を意味するのである。
W 選挙環境の変化と議員行動
このように議員の活動には選挙が深く関わっており、議員行動の理解には、選挙制度・環境との関連を検討することが重要である。
1994 年の選挙制度改革まで、衆院選では中選挙区制(1947 〜 1993)が採用されていた。一つの選挙区から 3 〜 5 人が選出されるこの制度では 、同一政党(特に自民党)の候補者が一つの選挙区内で競争をするため、他の候補と差別化を図らなければならず、政党単位ではなく候補者単位の選挙運動や支持基盤の形成が促進された。そのため 、政治家は有権者への個別的なサービスや利益誘導を追求するようになった。小選挙区比例代表並立制は、このような個別サービス合戦を抑制し、政党本位の選挙をもたらすために導入された。小選挙区では一人だけが当選するので 、同一政党からの複数立候補がなくなり、さらに比例区では政党ごとに票が集計されるので、政党本位の選挙が行われることが期待されたのである。
選挙制度改革と並行して、有権者意識も変化している。1990 年代以降、有権者の政党離れがすすみ、無党派層が増加した。同時に、メディア環境も変化し、候補者評価の比重は有権者の投票決定の際に小さくなり 、政党・リーダー評価の比重が大きくなってきている。
このような選挙環境の変化は、政治家の活動様式にも変化を迫り、それまでの候補者中心の利益誘導政治は抑制されつつある。議員と利益団体が会う頻度は落ち(久米 2006)、地元自治体と会った時の話題も 、1980 年代は公共事業が多かったが、近年では中央・地方政策などに移っている(品田 2006)。さらに、新しい形の立法活動も注目を集めている。2000 年代以降 、与党攻撃のための重要なツールとして、質問主意書の提出が増加している。質問主意書は、議員が各省庁に提出することができ、それに対する回答は閣議決定され公開される。質問内容は 、選挙区内の利益誘導を図るものよりも、政党の評判をあげるような問題提起型の質問が多くなっており、さらにそれは議員立法に活用されている。つまり、個々の議員が所属政党自体の評価をあげるための行動をとっているのである(根元・濱本 2013)。
しかし、このような影響があったとしても、長年培ってきた候補者中心の組織形成などの行動様式は存続している。現在でも議員は、政府や政党の業績よりも、支持基盤への働きかけや個人的なアピールが重要だと考えている 5)。また 、有権者の 6 割は「外交や経済などの国全体の問題に取り組む政治家」を好ましい議員像として選ぶものの、残りの 4 割も「地元の世話役のような政治家」を望んでいる(JSS-GLOPE2003データ)。
X おわりに
本論では、現代日本の議員行動を政治学の研究蓄積をもとに描出してきた。政治家「先生」のあり方は、選挙を媒介とした民主主義を基礎にしている。
選挙制度改革後のこの 20 年で、政治家が誰を「依頼人」としてその利益を代表している(しようとしている)のかは変化してきた。政治家の職自体が選挙にかかっている以上 、政治家は自分の当落を左右する人たちのことを第一に考えるのは自然である。選挙区の一部の支持基盤を固めればよかった中選挙区制下、政治家にとって重要だったのは、選挙区の中の一部の支持グループであり 、それこそが「依頼人」であった。しかし、選挙制度改革とそれに伴う有権者意識の変化により、代表すべき「有権者」の層は徐々に広がっており、狭い範囲の利害だけではなく 、より広範な利益の代表を目指すような行動をとるようにもなってきている。
さらに近年では、選挙のたびに議席数の大きなスイングが観察され、全国的な争点が選挙結果を決定する「全国化」の傾向がみられる。それに伴い、政治家の職はさらに不安定になり 、多くの「浪人」を生む結果となっている。津村の立候補の例で見たように、政治/選挙活動には多大な金銭コストがかかり、浪人期間の活動は厳しいものになる。2009 年の衆院選で落選した自民党現職議員 165 名のうち 、2012 年の衆院選で返り咲いたものは 74 名(86 名立候補)で、それまでに参院議員へ転出した者が 7 名(15 名)、地方首長への転身は 2 名(11 名)いた 6)。落選議員をどのように処遇し 、次の選挙まで良質な候補者をどれくらい確保できるかは政党にとっても日本の民主主義にとっても重要な課題であろう。

1)対象は 2012 年衆院選当選者である。このような経歴の偏りは、自民党の大勝の影響もあるだろう。議員経歴は、『国会便覧』『政官要覧』による。複数の経歴がある場合は重複してカウントした。後述の落選議員データも含め 、データ整理日本労働研究雑誌 29「先生」の働き方には稲村勇輝氏と菊池一真氏の助力を得た。記して謝意を表したい。
2)スタッフ数と事務所数は東京大学谷口研究室・朝日新聞共同 政 治 家 調 査・2012 年 衆 院 選 候 補 者 調 査 デ ー タ( 以 下、UTAS データ)による。
3)現職議員には歳費があり、また、政治献金を集めやすいという点でも有利である。
4)民主党の役職配分においても当選回数主義が確認されている(Fujimura 2013)。
5)選挙運動で最も重要なこととして、支持者・団体への働きかけ(50.2%)という回答が、2 位の政権担当能力(24.3%)を圧倒している。さらに、3 位にも自分の業績・資質(17.5%)という個人要因が挙げられている(UTAS データ)。
6)みんなの党からの参院当選 2 名と維新からの衆院繰り上げ当選 1 名を含む。その他に、死亡が 4 名、明確な引退表明をしたものが 30 名いる。
●政治家 5 ――日本の有権者が政治家に抱くジェンダーステレオタイプ
男女の政治家に抱くステレオタイプとは
日本では1946年に女性が参政権を得て以来、いまだ一度も女性首相が誕生していない。2021年の自民党総裁選挙では、史上初めて2人の女性(野田聖子と高市早苗)が立候補したものの、両者とも敗北したことは記憶に新しいだろう。日本は世界の中でも政治分野におけるジェンダーギャップが大きい国の1つであり、衆議院における女性議員の割合は9.9%と、OECD加盟国の平均である24%を大きく下回っている。
女性首相がまだ誕生しておらず、衆議院において女性議員が極端に少ない日本。その背景には、日本の有権者の間に女性候補者に対するジェンダーステレオタイプにもとづくバイアスが存在していることが考えられる。
日本国民が男女の政治家に対してどのようなステレオタイプを抱いているのか、そして女性首相に対してどの程度の反対があるのか。本稿では、筆者らが日本で行った研究結果を紹介する。
政策領域と個人特性へのジェンダーステレオタイプ
有権者が男女の政治家に対して抱いているステレオタイプについて理解するために、筆者らは米国で行われた既存の調査を踏まえて、11の政策領域と10の個人特性に焦点を当てた調査を2019年に実施した。
ここで用いた項目と質問文は、ウィスコンシン大学ミルウォーキー校のKathleen Dolan教授が2014年に米国で実施した調査で用いたものを参考にしている。
まず、政策領域に関して、11の政策領域それぞれを扱うのがより得意なのは、男女の政治家のどちらであると思うか質問した。回答は「男性政治家の方が得意」、「女性政治家の方が得意」、「男女で差がない」の3つの選択肢の中から1つを選ぶという形式とした。図1は、その調査結果を示したグラフである。図では、日本での調査結果を解釈する上での参考情報として、2014年に同様に実施された米国の調査結果を合わせて示した。
   図1 政策領域におけるジェンダーステレオタイプ
図1の結果を見ると、日本の有権者は、男女の政治家に対して、米国の有権者とよく似たステレオタイプを抱いていることが分かる。具体的には、保育・児童福祉、少子化、教育、社会福祉、医療などの政策領域は、女性政治家の方が得意な領域であると考える傾向にある。一方、移民、財政赤字、犯罪、経済、外交、安全保障といった政策領域については、男性政治家の方が得意領域であると考える傾向にある。
日米間の違いは、米国の方が教育をより女性政治家の領域と捉えているのに対して、日本の方が経済と雇用・財政赤字を男性政治家の領域と捉えている点である。
続いて、個人特性のジェンダーステレオタイプについて見てみよう。政策領域と同様に、10の個人特性を提示し、それぞれの特性について一般的に男女の政治家のどちらにより当てはまるかを尋ねた。図2はその結果をまとめたグラフである。
   図2 個人特性におけるジェンダーステレオタイプ
個人特性についても、日米間でほぼ同様のステレオタイプの存在が明らかになった。日本の有権者は、全般的に女性政治家の方が、思いやりがあり、誠実で、理知的であると認識している。一方、男性政治家の方が、合意形成が上手く、決断力やリーダーシップ能力があり、政治的経験が豊富で、支配的な存在であると認識している。信頼性についてのみ、男女の政治家間で違いが見られなかった。
日米間を比較すると、男性政治家により当てはまるとされる個人特性について、日本人の方が米国人よりも全般的にやや強いステレオタイプを抱いているようである。
以上のような男女の政治家に対するステレオタイプが、有権者の投票行動にどのような影響を及ぼすのかについては、現在、政治学において様々な研究が行われている。ジェンダーステレオタイプに沿った行動をとる候補者の方が選挙で有利であるとする研究がある一方で、有権者の判断は候補者が立候補している政党によって左右され、ステレオタイプの影響は限定的だと主張する研究もある。
それでは、女性が首相になる、あるいは防衛大臣になるということについて、有権者はどのような態度を抱いているだろうか。男性的な個人特性とされる決断力や支配性が求められる首相や、安全保障問題といった男性が得意とされる領域を扱う防衛大臣のポストに女性が就任することに対して、どの程度の日本国民が反対の態度を持っているだろうか。次に、それを調査した結果を紹介する。
ステレオタイプからの逸脱の影響は?女性首相・防衛大臣に対する態度
前回のReview(米国で女性大統領は誕生するか──女性候補者に対する国民の本音)で説明した通り、世論調査で回答者に女性首相・防衛大臣を受け入れるかどうか直接尋ねることは、とても困難なことである。なぜなら、回答者は女性首相・防衛大臣に反対することは社会的に望ましくないと考え、女性首相・防衛大臣を受け入れると偽って回答する可能性があるからである。そこで、このような社会的にデリケートな質問をする際には、回答者の真の態度を導き出すべく「リスト実験」という手法が用いられる。「リスト実験」の詳細に関しては、前回のReviewを参照されたい。
筆者らは、2019年に日本でリスト実験を行い、有権者の間で、女性首相に対する反発がどの程度あるのかを調査した。このリスト実験の内容は、前回のReviewで紹介した米国での研究とほぼ同じである。筆者らのリスト実験がそれと異なっているのは、女性首相だけではなく、女性防衛大臣(安全保障分野は男性的ステレオタイプを想起させると示唆されている)に対する反対の程度を計測し、2つの役職間の比較を行った点である。
このリスト実験では、回答者を無作為に3つのグループに振り分けた。3分の1の回答者にはデリケートな項目を含まない一般的な4つの項目を提示した。残りの回答者には、それらに加えて、「女性が首相になる」あるいは「女性が防衛大臣になる」という2つのデリケート項目のうちいずれかを含めた5項目を提示した。そして、それらの項目のうち、「どれに」反対するかではなく、「いくつに」反対するかについて質問した。この実験の詳細については、本稿のもととなっている学術論文(Endo and Ono, forthcoming)を参照されたい。
有権者の1割が女性首相に反対。特に抵抗がある属性は?
今回のリスト実験の結果を大まかにまとめると、女性首相と女性防衛大臣に反対する回答者の割合は、それぞれ10%、12%であることが分かった(表1)。日本では、女性が首相になることよりも、女性が防衛大臣になることの方が、やや反発が大きいようである。
   表 1 リスト実験の結果(単純集計)
では、どのような属性の人が、女性が首相や防衛大臣になることに反対しているのだろうか。筆者らは、さらに最新の分析手法を用いて、回答者の性別や年齢、支持政党などの属性ごとに、女性が首相や防衛大臣になることに反対する人の割合を推定した(図3)。
   図3 リスト実験の結果(多変量解析による女性首相・防衛大臣に反対する人の割合の推計値)
この図は、女性首相と女性防衛大臣に反対する回答者の割合の推定値を、回答者の属性ごとに示している(横線は95%信頼区間を表す)。
これらの結果から言えることとして、まず1点目に、回答者のそれぞれの属性において全体的に、女性首相と女性防衛大臣に反対する割合に大きな違いは見られなかった。しいて言えば、70歳前後の高齢の回答者において、女性首相よりも女性防衛大臣に反対する割合が上回っている程度である。
2点目に、日本では男女の間で女性首相・防衛大臣に対する態度に差が見られなかった。興味深いことに、女性より男性のほうが女性大統領に対する反発が強かった米国の結果とは異なる。その一方で、年齢における差は米国と同様の傾向が見られ、日本でも若年層ほど女性首相・防衛大臣に反対する傾向がある。
3点目に、支持政党に関して、女性が首相や防衛大臣になることへの反対は、自民党を支持する回答者に強く見られ、その割合は約20%に上った。この推定割合は、自民党以外の政党を支持する者や無党派の者と比較して10ポイント以上の差がある。長期政権与党である自民党支持層の回答結果は、首相を目指す自民党の女性議員にとっては依然として高い壁が存在していることを示唆している。
政治における男女格差を縮小させるには
米国で行われた研究を参照しながら、筆者らは日本でリスト実験を含む調査を実施し、公職に就こうとする女性にとって重要な含意が得られた。
まず、日本人有権者は、米国の有権者と同様に、男女の政治家に対して得意な政策領域や個人特性に関して一定のステレオタイプを持っていることが分かった。
女性が首相や防衛大臣になることは、こうしたステレオタイプからの逸脱を迫るものである。どのくらいの有権者がそれに反対するかについて、リスト実験を通じて検証したところ、女性が首相になることに反対する日本の有権者の割合が約1割、自民党支持者については約2割に上ることが明らかになった。
この傾向は、米国の有権者と同じようなものであり、日本においては長期にわたって政権与党の座を占める自民党から首相が輩出されることを考慮すると、女性首相が誕生する道のりは、米国において女性大統領が誕生するのと同じくらい高いハードルがあることが予想される。
今後このハードルは低くなっていくのであろうか。米国での調査結果によると、2006年から2016年の10年間で、女性大統領に対する米国人有権者の反発はおよそ半減している。日本でも、女性の政治への進出がさらに進めば、そのハードルは低くなっていく可能性があるだろう。
日本は政治分野における男女格差が大きく開く国であり、衆議院において女性議員が占める割合は依然として小さい。女性議員が少ない要因は様々考えられるが、まずは男性に比べて女性の立候補者が少ないという問題がある。
2018年には「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」が公布・施行され、選挙において政党は、男女の候補者数ができる限り均等になるように努力することを課せられた。しかしながら、単なる政党の努力だけでは、なかなかその達成は難しい。とはいえ、クオータ制度を導入して義務化を図るのも、世論の反対などがあり、容易ではないと考えられる。女性の立候補者を増やすにはどのようにしたらよいのかについて、米国では候補者擁立の過程に注目するなど実証的な研究が始まっており、日本でも今後さらなる研究が必要である。
●政治家 6 ――大学生が政治家に聞きたいこと
加藤鮎子 青年部長(衆議院議員)
鈴木隼人 青年副部長(衆議院議員)
依光晃一郎 青年局中央常任委員会議長(高知県会議員)
不破大仁 青年局中央常任委員会副議長(石川県会議員)
高木奎太 京都府連学生部長
臼井梨乃 神奈川県連学生部副部長
子どものころ、やはり生徒会長やクラス長をしていたのでしょうか?
どうして政治家をめざすようになったのですか?
初めて選挙に出るとき、不安はありませんでしたか?
なぜ自民党なんですか?
議員として「やっててよかった」と思った経験を教えてください。
政治家になったことを後悔したことはありますか?
これは職業病だなーって思うことは、どんなときですか?
議員生活での家族の理解はいかがですか?
議員に休みはあるのでしょうか。
議員って儲かるんですか?
たくさん溢れている情報をどう活用していくべきだと思いますか。
そもそも政治って何だろう?政治家って必要なの?
いま学生にしかできないことや、しておくべきことはありますか?
政治家って、ふだん何を考え、何をしているのか知っていますか。わかりにくい政治家の実像を伝えるため、2人の学生部員が勇気を奮ってインタビュー。今回は地方議員にも登場してもらい、その等身大の姿に迫ってくれました。
高木:きょうは、ふだんお忙しい先生方にお集まりいただき、ありがとうございます。自民党京都府連の学生部長を務める高木奎太です。大学では教育学を専攻しています。政治のことをもっと知りたいと思い、議員さんとの距離が近くなると聞いて学生部に入ったのですが、いま部長になっていろいろ勉強させていただいています。
臼井:同じく神奈川県連の学生部副部長を務めている臼井梨乃です。大学では会計学を専攻しています。家族の紹介で学生部の活動に体験入部したとき、先輩たちの志が高く、個性豊かで魅力的で、自分もそんな先輩たちみたいになりたいと思って入りました。
では、先生方も自己紹介をお願いできますか。
加藤:山形3区の衆議院議員の加藤鮎子です。いま青年局で青年部長を拝命しており、青年部の皆さんの研修会の企画などを、鈴木副部長と二人三脚でやらせていただいています。
鈴木:東京10区の衆議院議員の鈴木隼人です。昨年度は青年局の学生部長、今年度は青年部の副部長ということで、ずっと学生や若者と政治をつなぐ仕事をさせていただいています。
依光:今回、青年局の中央常任員委員会議長という立場で参加させてもらった、依光晃一郎と申します。自民党高知県連でも青年局長、それと県議会議員2期目で8年目になります。
不破:同じく中央常任員委員会副議長を務める、石川県議会議員の不破大仁です。金沢生まれで金沢育ち、大学も金沢大学で、いまも地元の活動を一生懸命やっています。
臼井:それでは早速、質問に答えていただきます。きょうは、私たち学生部員に思う存分、質問させてください。最初は軽くジャブからということで、先生方のあまり知られていない姿についてお聞きします。
政治家の先生方は子供のころ、やはり生徒会長とかクラス長だったんですか?
加藤:私は小学生時代、男の子みたいな女の子でした。スカートを一切はかず、いつもズボンはいて男子とばかり遊んでいて。中学ではとにかく部活に夢中で、高校になってからクラス長として自分の所属しているクラスを強くしたり、イベントの長になって、みんなが一体感をもって楽しめる環境をつくることに喜びを感じるようになりましたね。
鈴木:すごく女性らしい加藤先生がそんな男勝りのキャラクターを見せていたとは。ちょっと意外です。
加藤:卒業式にスカートはいていったら、加藤が女装してきたってみんなに言われました(笑)。
依光:私は小学校のときは児童会長をやっていましたが、中学以降ではやりませんでした。
不破:私はずっとクラス長とか生徒会長でした。いまもPTA会長で、学校から離れられていません。
鈴木:僕は逆に、そういう経験をほとんどしてこなかったですね。小学校のときは、毎日友だちと公園で野球をやっているような普通の少年でした。
政治を志したきっかけ
高木:そんな先生方が、どうして政治家を目指すようになったのでしょうか。
依光:県議会議員に立候補するのは市議会議員や国会議員秘書を経験した方が多いので、私の場合は異色でした。東京の大学から実家の瓦屋を継ぐために高知に帰り、職人として働いていた8年前、いきなり県議会議員選挙に出たんです。当然、まわりはびっくりしますよね。
ただ、仕事で中山間地の屋根工事をしていて家のお年寄りと話していると、お子さんは東京に行って帰ってくる予定がないという。このままでは空き家になって地域は過疎化が進む一方で、なんとかできないかと思い詰めて、選挙に立候補することに。そのときは当選できるかどうか別にして、持っている貯金でやれるだけやろうと。いま思えば、よく出たなと思います。
不破:私の場合、父親が金沢で市議会議員を8期、32年やっていて、生まれてからずっと政治家の息子です。漠然と将来そういう道を行くのかなと思っていましたけど、中高生ぐらいになるとすごく嫌になって。選挙に巻き込まれるのはご免だなと思っていました。
ところが、社会人になって結婚して子供ができると、世の中のことをいろいろ考えるようになるんですね。父親は大事な仕事をやっているんだなって思うようになった。そのタイミングで父の体の調子が悪くなって引退することになり、せっかく自分が気づいてやらないのはズルいのでは、という気持ちにだんだんなって。
臼井:選挙への不安はありませんでしたか。
不破:二世だから問題ないだろうと周囲の人は考えるんですけども、本人はあんまりそう思っていない。候補者としては初めての経験なので、やっぱり不安はありますよね。学生さんが就職活動をするとき、意中の会社から選んでもらえるか、ものすごく不安があるのと同じじゃないでしょうか。それと選挙に出ます、政治家を目指しますと宣言したとき、皆さんの目が「お前で本当に大丈夫なのか」と厳しくなったような気がして。そんなプレッシャーを受けながら初挑戦した記憶があります。
加藤:私も二世なんですが、前回の衆議院選挙で父が敗れた相手と戦うことになって、「選挙のときはどうだった」と聞いてみたんです。そのとき、選挙に強いことで知られていた父に「自分もいつも不安だった」と言われて、逆にそれが勇気になりましたね。
鈴木:私の周囲には政治家はあまりいませんでしたが、起業している友人が多かった。彼らは志を持って安定した身分を捨てて、チャレンジしているわけです。一回失敗してもあきらめず、一生懸命努力して事業を軌道に乗せている。私も落選のリスクを恐れずにチャレンジしたいと考えました。
高木:そのなかで、なぜ自民党だったんですか。
依光:県自民党の基本姿勢である綱領に、「美しい自然、温かい人間関係、和と絆のくらし」というのがあって、そうした考え方がいいなと思いました。党歌にある「すぐれた昔の文化を伝え」という歌詞こそが自民党の本質ですし、私のルーツでもある瓦屋という伝統産業を守っていくのも自民党です。
鈴木:自民党のよさはいろんな思想の方が集まり、そのなかで風通しよく議論していること。いろんな角度から一つの案件をもんで、成案として答えを出していく。間違いが起こりにくいシステムをもっています。正直、政治の世界に入るとき、自民党以外を考えたことはありませんでした。
議員でよかった・よくなかった?
高木:議員として「やっててよかった」と思った経験はありますか。
鈴木:自分が訴えている政策が前に進んだことを実感したとき、すごくうれしくなりますね。僕のライフワークは認知症対策なんです。高齢化が進み社会問題化するなかで、認知症のことは国会の中ではあまり議論が行われていない。このままではまずいと、認知症対策基本法をつくりませんかと言い続けてきて、皆さんのお力添えで自民党でも検討を始めてもらうことになりました。
いま自分で認知症国会勉強会というのを立ち上げて、与野党問わず全国会議員の先生にお声がけをしています。出席してくれる先生方はまだまだ少ないけれど、そのうち関心を持ってくれるかなって、地道に継続していくつもりです。
依光:やはり自分が提案したことが実現したとき、議員を志してよかったという気持ちになります。政治家の醍醐味とでもいうんでしょうか。
あと、県会議員になってからはブロック会議で全国回らせてもらうとか、国際交流で各国へ行かせてもらうとかが多い。議員に当選させてもらってから、自分の人生や世界が広がったという認識は確実にあります。
臼井:逆に、政治家になったことを後悔したことがありますか。
鈴木:政治家って、職業というより人生だと思う。家族と過ごす時間は激減しましたが、それは国をよくしたいという自らの志があってやっていることで、後悔はありません。
依光:私も後悔したことはありません。ただ、もし落選したらどうしよう、とは思いましたね。応援してくれた人にお返しができませんから。
高木:職業病だなーって思うこと、どんなことですか?
加藤:学生時代の友人に会って、別れるとき「またねー」って握手するようになったこと(笑)。エッて相手は引くんですが、政治家になったねって言われます。
不破:それは、まさに職業病(笑)。たしかに会うときも握手で、帰り際にも握手で別れますね。
鈴木:僕は反対に、恥ずかしがり屋なんです。皆さんみたいに自然と握手の手が出てこないので、うらやましい。
依光:私は相手が有権者とわかったとき、ドキッとするようなところがあります。実は(選挙区の)香美市に家がありまして、などと言われると背中がしゃんとします(笑)。
家族の理解やプライベートは?
臼井:議員生活での家族の理解はどうですか。
加藤:私は、この道に進みたいけどそれでもいいですかって、付き合う前に宣言しました。実際、選挙の準備を始めるときも、この道に人生をかけたい、それぐらいの想いでやるから協力してくださいって言ったら、夫は自分の仕事を辞めて一緒に地元に来てくれました。
鈴木:すごいなあ。僕も同じで、付き合い始める前に言ったんですよ。結婚するときもその前提があったので、いざ立候補することになったときに、親は心配したりしましたけど、妻のほうからは何の反対もなかった。だから、これから政治家を目指している人はあらかじめ言っておくことですね。
臼井:議員に休みはあるのでしょうか。
加藤:丸一日の休みはなかなかとれないんで、忙しい間をぬって家族との時間をなるべくとるようにしています。いま私の持っている時間は子供か議員にしか使えないので、子供の寝顔にスリスリしたりするのが自分への急速チャージ法ですね。
鈴木:前提として政治家は、人とのコミュニケーションがどっちかといえば好きなほうが多いはず。人と会うことの多い仕事なので、一日中仕事をしていてもストレスにならないんです。
高木:ぶっちゃけ、議員ってもうかるんですか?
不破:もうかります(笑)。学生さんでも、1円のお金にならなくても、自分のためになることだったり経験になりそうだというこ とをやるでしょ、ボランティア活動に行ったり。
議員は、お金の面でいうと決してもうかりません。ただ、いろいろな場所に行って人に出会って話を聞いたり、普通だったら知り合えないような人に悩みを相談され、そのことによって自分も見識を広げられるわけです。これ以上にないぐらいの人生を送らせてもらっている。明石家さんまさんじゃないけど「まるもうけ」だと思います。
若者は友人と旅に出てほしい
臼井:ここからは、私たちの友人からの質問です。政治家の人に何を聞きたいか、みんなに尋ねてきました。
現代はスマホで簡単に情報を手に入れることができますが、インターネットに溢れている情報をどう活用するべきだと思いますか。例えば政治のニュースには偏りがあるといわれますが、そういう情報をどうやって正しいか正しくないか判断すればいいのか、という質問です。
不破:大前提として、すべての情報にはバイアス、つまり先入観や偏見がかかっていると、まず疑ってほしい。情報には発信している誰かがいて、発信したい情報だけを出して、同時に発信すべきものを出さないということがあります。それはインターネットだけではなくて、新聞もテレビも書物もそう。だから、何か知りたいことを調べるとき、必ず違う角度の意見にもふれること。その中からどうも確からしいものはこれだ、というものを見つけるのがいいのかなと思います。
鈴木:そうはいってもどう疑ったらいいかわからないと、真面目な学生なら悩むところかもしれません。でも、僕は現時点ではそれでいいと思う。その問題意識を持ったことが大事で、いつか社会人としての経験を積んで、自分なりの考え方ができてくると、このニュースおかしいと気づけるようになっていきますから。
加藤:インターネットだけでなくて、実際の現場に行ってみるとか、体験した当事者に話を聞きに行くのもいい。そうやって相手の懐に飛び込むことができるのが若い人の特権じゃないかしら。それも情報の集め方に採り入れてほしいと思います。
依光:大学生だったら、国会議員の先生方を含めて会えない人なんていないはず。名の通った、この人信用できそうだっていう人に聞きに行くのは大学生しかできないかもしれませんね。
高木:でも、友人と政治の話をしていると、なかには政治にまったく興味がないし、投票にも行ったことがないとか。そもそも政治家って必要なのって聞かれるんですけど。
加藤:私は政治というのは、いま困っている人のためのものであり、未来の世代の人たちのものでもあると思う。政治家には、あるべき社会のビジョンを示して引っ張っていくタイプと、困っている人の話を聞いてその人たちが幸せになれるように問題を解決していくタイプがある。私自身は後者です。人の声に耳を傾けて、最後の拠り所になれるのはやっぱり政治で、そのために政治家は必要だと私は思います。
私は政治について話すとき、相手がどういう人かで決めるようにしています。大きな夢を語り、元気に頑張っている人だったらその夢の話をするし、いまそれどころじゃない人もいますよね。親が病気とか、アルバイトしなければ大学の学費も払えないとか。そういう人には政治がいま何をできるかを話すし、政治への入り口は多様だと思う。
鈴木:政治の役割を最小限でみたとき、まずルール、法律をつくることがあります。個人の生活もビジネスでもなんのルールもないと、無茶苦茶なことになってしまう。それと、国でも地方でもそうですが、行政の運営を官僚や地方の執行部任せにはできません。ですから、政治家というのは、ルールをつくる主体としても必要だし、行政をチェックするという役割においても必要なんです。
もっと広くみたときの政治家は、社会をつくる仕事だと思う。選挙区内で有権者と密にコミュニケーションをとっている政治家が、自分のあるべきビジョンを語り、みんなで努力していきませんかと訴え、社会を動かしていく。こういう仕事ができるのは、おそらく政治家しかいないでしょう。
依光:政治って何かというと、みんなで話し合って何かを決めること。お金を何に使うか話し合って配分を決めるのが議会であり、高知県だったら年間予算の4500億円をこういう使い道にしますよって、高知県議会が決めているわけです。例えば地元に伝統産業があって衰退しているけど、なんとかこれを守りたい。その伝統的な技術を伝える学校をつくろうという声が挙がれば、それを実現できるのが政治家なんです。
国会議員の先生はルールづくりがメインの仕事だけど、地方議員は地元に直結した課題の解決が可能です。だから問題意識があって、県や市町村はどういうふうにお金を使っているのか、大事だと思うところへの配分が少ないとなったらオレが変えてやる、一番わかりやすい仕事です。
不破:僕はわりと単純化して、ものを伝えたがるところがあって。最初に市議会の選挙に出たとき、「皆さん、町内会費を誰がどんな使い方をしているか知るため、総会に出たことがありますか」と聞くと、誰も総会に出ていない。大学生のサークルでも同じです。サークル員が1000人いたら一斉に話せませんよね。そこで、オレお前に任せるよって選挙で一任されて10人ぐらいのサークル委員で物事を決めていく。これが自治体の議会のしくみだと言っています。そういう身近なところに落とし込んでイメージしてもらえると、政治がなぜ必要かわかってもらえるんじゃないかな。
臼井:最後に私の友人からの質問にお答えください。大学生になって自由と時間を手に入れましたが、自分が何をして過ごすべきかわからなくなるときがあります。いま学生の私にしかできないことや、しておくべきことはありますか。
鈴木:学生と社会人を比べたとき、学生が圧倒的なアドバンテージを持っているのは、時間だと思う。体力もね(笑)。ここを活かしてほしい。
社会人になって友だちをつくろうとしても、時間が限られていますしね。だから学生のうちに、いろんなジャンルの友だちをつくることを目的化してもいいんじゃないかと。そして友だちと一緒に何かをして、思い出をつくってもらいたい。かけがえのない思い出を共有している仲間とは、何十年たっても本当に強い絆が続けられる。学生時代の真っさらな友人関係は大事なんだよと、力を込めてぜひ伝えたいです。
加藤:私も同じで、できるだけ自分と違う人と出会う体験をしてほしい。外国人でも、世代が違う人たちでも、育った環境が違う友だちでもいい。それは全部、将来の肥やしになると思うんですよ。自分と違う人と出会うことで、自分自身の幅が広がりますし、世の中自体もそういうコミュニケーションが増えたほうが平和に近づくと思うので、そういう意味でいろんな経験をしてくださいと言いたい。
依光:大学時代に小さいことでもいいから、自信がついたという経験ができたら最高じゃないでしょうか。自信って、チャレンジして成し遂げて自分で感じるものですから。いまの学生はバイトや授業で忙しく、あっという間に学生時代が終わってしまいがちです。忙しいだけで終わったなんて、もったいなさすぎる。大いなる勘違いでもいいので、自信をもって社会に出るとすごい力になると思う。
不破:僕は、学生時代にぜひパスポートを取って海外に出てほしい。そうじゃないと日本の良さがわかりませんから。そして比較的長期に安宿に泊まって、観光地ばかりじゃなくてスーパーマーケットにも行ってその国の暮らしを観察してみる。そのためにはバイトもしなきゃいけないでしょう。時間が足りなくてスケジュール管理が大変かと思う。でも、すべてこなせるようになると、卒業と同時にスーパー社会人になれますよ(笑)。
臼井:きょうはお忙しいところ、ありがとうございました。政治家の方というと、雲の上の存在のようなイメージがあったんですけど、子供のころやご家族のことも聞くことができ、思っていたより私たちに近い存在なんだと感じることができました。
高木:僕は、政治家の人たちの仕事って大変だなと思ったんですけど、先生方の政治への想いを伺って、なぜ続けられるのか少しわかったような気がしました。どうもありがとうございました。
●政治家 7 ――政治家になるには
子どもの頃、「政治家になりたい」と思っていたことはありませんか?もしかしたら、大人になった今でもその夢をあきらめていないという方もいらっしゃるでしょう。でも、政治家になるにはどうすればいいのでしょうか?そこで今回は、政治家になるための方法を解説します。ぜひチェックしてください。
政治家になるには・その1|必要な資格とは?
政治家になるには、国政選挙や地方自治体の選挙で当選しなければいけません。選挙に出馬するためには年齢要件(政治家の種類により25歳以上の場合と30歳以上の場合あり)と供託金と届出が必要です(出馬に際し、学歴の制限は特にありません)。
政治家になるには・その2|専門知識は必要??
選挙
国会議員であれば国の法律を、地方自治体であれば条例等をつくる、という重要な役割を担います。そのため、法律に関する知識はもちろん、経済や政治、海外情勢等の幅広い知識が必要とされるでしょう。
場合によっては、ある一つの分野に対して深い知識があるというのも政治家にとって武器になることも。とはいえ、幅広く知識を有しているということが前提になるので、ニガテ分野をつくらないということは重要です。
政治家になるには・その3|何をしたらいいの?
少し前は、親が政治家だから子どもも政治家に、といわゆる世襲の形をとることが多かったのですが、最近は政治家の家系ではない人にも道が開けています。政治家への道として考えられる代表的な方法は、以下の5つだといえるでしょう。
<1>議員秘書になる。
<2>政党による公募に応募する。
<3>官僚から政治家を目指す。
<4>政治塾や政治の勉強会に属する。
<5>地方議員からスタートして国会議員を目指す。
気になる政治家の収入って?
政治家の収入
政治家を志すにあたりどうしても気になってしまうのは収入ですよね。国会議員の給与は歳費といわれており、通常議員で月額130万円1000円です。その他に交通費(新幹線や飛行機代)などの諸手当が支給されるので、年収換算すれば2000万円くらいになります。
一方、地方議員は自治体の規模によってかなり異なってきます。月額100万円くらいのところもあれば、それ以下の市町村も多いようです。いずれにせよ、国民たちの税金があるからこそ得られる収入であることには換わりはありません。収入を得ても散財するのではなく、国や地域のための使ってほしいと切に願います。
以上が政治家になるうえで知っておきたいポイントです。激務ですが、政治家だからこそ手がけることのできる仕事はあります。人の役に立ちたいと本気で思う方にとっては、政治家という職業はやりがいのあるものになるでしょう。
 
 
 
 
 
 
●寄附禁止
●政治家等の寄附禁止
年間を通じて、お歳暮やお年賀、お中元など、何かと贈り物やお祝い事をする機会があると思います。
しかし、政治家は公職選挙法により、自分の選挙区内の人や団体にお金や物を贈ることは、時期や理由を問わず法律で禁止されています。
また、有権者が政治家に対し、寄附を求めることも禁止されています。
皆さま一人ひとりが寄附禁止のルールを守り、明るい選挙を実現しましょう。
禁止される行為
お歳暮、お年賀など
町内会の集会や旅行などの催物への寸志や飲食物の差し入れ
地域の運動会やスポーツ大会への飲食物の差し入れ
お祭りへの差し入れ
結婚祝、香典(政治家本人が結婚披露宴、葬式などに自ら出席する場合は、罰則が適用されない場合があります。)
入学祝、卒業祝
病気見舞い
落成式、開店祝いなどの花輪
葬儀の花輪、供花
「時候のあいさつ」などにも制限があります。
政治家が選挙区内にある者に対して、年賀状や暑中見舞い状などの時候のあいさつを出すことは禁止されています。(答礼のための自筆によるもの、及びインターネットなどを利用するものを除く。)
●政治家の寄附は禁止されています
政治家からの寄附禁止
政治家が選挙区内の人にお金や物を贈ることや有権者が政治家に対し寄附を求めることは、特定の場合を除いて法律で禁止されています。
また、冠婚葬祭における贈答なども寄附になります。
違反となる例
忘年会や新年会への寄附や差し入れ
お歳暮などの贈り物
開店祝いや葬式の花輪
政治家本人が出席しない場合の結婚祝いや香典
町内会の集会や催し物への志や差し入れ
後援団体からの寄附禁止
政治家の後援団体(後援会)が行う寄附も、政治家の寄附同様に禁止されています。「後援団体の設立目的により行う行事または事業に関する寄附」は例外とされていますが、この場合も花輪、香典、祝儀などや、選挙前一定期間にされるものは禁止されています。
政治家の関係会社などからの寄附禁止
政治家が役職員・構成員である会社や団体が、政治家の名前を表示して行う寄附や、政治家の名前を冠した会社・団体がその選挙に関して行う寄附も、政治家の寄附同様に禁止されています。
その他の寄附制限
政治家への寄附についても、国や地方公共団体と請負などの関係にある者の寄附の制限、政治資金規正法による制限などがあります。
 
 
 
 
●裏金問題
●確定申告ならアウト確定…
――政治家がカネの出入りを「不明」と訂正しても許される特別な事情
自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件を受け、安倍派議員らが訂正した政治資金収支報告書に「不明」とする記述が相次ぎ、裏金の使い道など実態がより不透明になっている。16日に始まった確定申告で、一般市民が同じような書類を出せば、税務署から厳しく追及されるはずだ。裏金は課税対象となる可能性があるのに、政治家はなぜ、いいかげんな書類で許されるのか。事情を探ると、政治資金規正法の「穴」が浮かび上がる。
「国民が納得感を持って納税できる環境にない」
16日の衆院内閣委員会では、立憲民主党の中谷一馬氏が「政治家の行動に不公平感、不平等感が広がっている。確定申告が始まったが、国民が納得感を持って納税できる環境にない」と指摘。立民の江田憲司氏は衆院財務金融委で「何千万もの裏金を受け取っておきながら、どうして脱税が問えないのか」と追及した。
鈴木俊一財務相は「国民がそうした怒りを持っておられるということは大きな問題である。きちんと納税されている方に不公平な思いを持っていただかないような丁寧な対応をしていく必要がある」と述べ、裏金事件が確定申告に与える影響に懸念を示した。
政治資金は原則非課税だが、裏金が議員本人の収入と見なされれば、議員の「雑所得」として所得税の課税対象になり得る。税務当局は「政治資金が仮に政治活動に使われず、残額がある場合は雑所得として課税関係が生じる」(星屋和彦国税庁次長)としており、収支報告書の内容が「不明」ばかりでは、税逃れの疑惑は残ったままだ。
二重線で消して「不明」と書いたら「訂正」
安倍派の有力者「5人衆」の一人、萩生田光一前政調会長が代表者を務める「自由民主党東京都第24選挙区支部」は2月上旬、2020年〜22年の3年分の収支報告書を訂正した。いずれも当初記入した収入や支出の総額、翌年への繰越額などを二重線で消し、政治活動に関する支出を追記している。
だが、訂正後の正しい収支の総額や、政治活動に関する支出の金額や年月日などは示さず、訂正部分に手書きで「不明」と書き添えただけ。本紙が「不明」を数えたところ、3年分で計30カ所以上に上っていた。
萩生田氏の事務所は取材に「事務所に支出の記録は残っていても、支出先の領収書の発行が間に合わない場合もあり、一時的に『不明』と記載した」と説明。収支報告書の添付書類に「判明次第訂正する」と書き込み、23年分の公表までに「不明」の記載を減らすとしている。
萩生田氏に加え、同じく5人組の高木毅前国対委員長の収支報告書にも同様の記載があり、「『不明』のオンパレード」(立民の渡辺創衆院議員)と野党の批判が集中している。「政治資金規正法で認められるのか」(立民の後藤祐一衆院議員)と政府の見解をただす声も上がった。
政治資金を所管する松本剛明総務相は「過去に災害などで正確に記載することが不可能な項目は『不明』と記載した事例はある」と説明。岸田文雄首相は「収支報告書は事実に即して記載されるべきものだ」と一般論を述べるにとどめた。
「不明のオンパレード」で済むのは規定がないから
「不明」ばかりの収支報告書がまかり通るのは、政治資金規正法に訂正方法に関する規定がないからだ。総務省の担当者は「収支報告書を作成する政治団体からの問い合わせに対して、二重線で消して訂正する方法などは案内している」と話す。ただ、訂正理由を書くように求めたり、訂正内容が正確かどうかを調べたりする権限はなく、どう記述するかは政治団体側に委ねられているという。
公益財団法人「政治資金センター」の立岩陽一郎理事は「規正法の目的には、政治活動の公明と公正を確保すると明記されているにもかかわらず、『不明』と書いて開き直る萩生田氏らにはあきれる」と憤る。「不明」の収支報告書を許さないため、透明性を確保していないような訂正は受け付けない権限を選挙管理委員会に与えるなどの法改正が必要と訴える。
●政治家の資金「二重取り」のズルさ 
――税金315億円、さらに禁止されたはずの資金源も それでも満足できず裏金か
自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件で、企業・団体献金の規制が改めて問われている。政党には、企業や業界との癒着を防ぐために導入された「政党助成金」が支給されている上、政治家が代表を務める政党支部が「抜け穴」となって禁止されたはずの企業・団体献金も流れる。言わば「二重取り」状態が続いてきたところへ今回発覚した裏金事件。政治家のブラックボックスには、いったいいくらのカネが吸い込まれているのか。(浜崎陽介)
議員が代表者を務める「政党支部」が一気に増えた理由
1980年代後半から90年代にかけてリクルート事件、共和汚職、佐川急便事件、ゼネコン汚職などが相次ぎ、企業から政治家への資金提供が問題視された。
政治改革の目玉の一つとして、非自民の細川連立政権は94年、政党助成法を成立させた。金権腐敗政治と決別するため、政治資金規正法で政治家への企業献金を禁止する代わりに、国民の税金で政党へ活動資金を助成するものだった。
このとき、5年後に政党への企業献金のあり方についても見直すという付則が付き、99年の政治資金規正法改正で、政治家個人の資金管理団体への企業献金は禁止になった。しかし、政党や政党支部には引き続き献金ができたため、議員が代表者を務める政党支部が一気に増えた。政治家サイドへの企業献金を事実上可能にしたうえ、政党助成金との二重取りとなる「焼け太り」だ。
自民に流れる助成金は159億円(2023年)
政党助成金は毎年、国民1人あたり250円を基準として2023年は総額約315億円が計上され、うち自民党には159億円が配分されている。共産党は制度に反対して受け取っていない。
企業・団体からの献金はピーク時から大幅に減少したとはいえ、集金力には個人差が大きい。たとえば、安倍派「5人衆」といわれる有力議員の一人、萩生田光一・前政調会長が代表を務める自民党東京都第24選挙区支部は昨年は約1400万円、一昨年は約4600万円の企業・団体献金を受けた。
「政治には金がかかる」は自民の勝手な論理?
こうした政治資金は何に使うのか。自民党のベテラン衆院議員の元秘書は「秘書の人件費や地元の会合の会費などお金がかかるのは確か。当選回数が少ないほど広報にも費用がかかる」と話す。それでも「パーティー券が売れているのに、記載していないのは考えられない」とあきれる。
政党助成金に詳しい立正大の金子勝名誉教授は「自民党の論理で『政治には金がかかる』『選挙には金がかかる』という言葉を無条件に信じていいのか。私設秘書を雇ったり、買収で金を配る選挙をやるからではないか」と批判する。
「元々、政党助成金を設定した条件は金権腐敗を克服するためだった。政治の世界では小さな抜け道をつくっておくと悪用されてしまう。これをきっかけに今の問題点を洗い出し、もう一回新しいシステムを考えていくことが一番大切なことだ」と話す。
政党助成金 受け取るには、政党助成法上の政党要件を満たす必要がある。総額の半分を各政党の議員数、残り半分は得票数に応じて配分される。政治活動の自由を尊重し、使途の制限はない。2023年の交付額は自民党159億1000万円、立憲民主党68億3200万円、日本維新の会33億5100万円、公明党28億6900万円、国民民主党11億7300万円など。23年までの累計支給総額は9000億円を超える。
 
 
 
 
●地盤・看板・鞄
●地盤・看板・鞄
選挙で、当選するのに必要とされる三つの条件、地盤、看板(肩書・地位)、かばん(金銭)をいう俗語。 選挙で当選するために必要とされる三要素。 ジバン(地盤)、カンバン(看板=肩書)、カバン(鞄=金)をいう。 地盤・看板・カバン ・・・ 地盤は選挙区と後援会、看板は知名度、カバンは資金力を指す。 
●「地盤・看板・カバン」政治家の世襲制限が進まない理由は?
このところ、岸田総理の長男による、総理公邸での振る舞いが物議をかもしていますが、この件をきっかけに、議員の世襲が改めて、問われています。
翔太郎氏が秘書官交代
記者(5月29日)「本人から辞任の申し出があったのか?総理から更迭したのか?」
岸田総理「けじめをつけるために交代させた、今申し上げたとおり」
6月1日に交代となった岸田総理の政務秘書官、長男・翔太郎氏。
2022年の年末、親戚らと総理公邸で忘年会を開き、組閣の記念撮影を真似た“組閣ごっこ”と揶揄される写真が、週刊誌に掲載されました。
また2023年1月の総理外遊中に、公用車を使って観光していたと報じられるなど、批判が相次いでいました。
こうした行動について、街からも厳しい声が…
男性「何をしていいか、何をしちゃダメなのかを分かっていない」
女性「親からのプッシュがあって苦労していないから、多分、自分でそういう区別がついていない」
「地盤・看板・カバン」政界に多い世襲議員
元々、翔太郎氏は、岸田総理の後継者として議員となる、いわゆる「世襲」が期待されていましたが、今回の件で、与党内からも、それを危ぶむ声が聞かれたのです。
親や親族が議員で、選挙区での強固な支持組織、親の代からの知名度、そして資金力という、いわゆる「地盤・看板・カバン」を受け継いで議員になった人を、“世襲議員”と呼びます。
実は岸田総理も、祖父、父から3代続く世襲議員。こうした世襲議員は実に数多くいます。
総理大臣の多くが世襲
初当選・安倍晋三氏(1993年)「父の夢を追い続け、志をしっかりと受け継いでまいります」
例えば安倍晋三元総理は祖父・岸信介(のぶすけ)氏が総理、父・安倍晋太郎氏が外務大臣という議員一家。
福田康夫元総理は父・赳夫氏も総理で、息子の達夫氏が自民党の前総務会長。また民主党政権で総理となった鳩山由紀夫氏も、祖父・一郎氏が総理、父・威一郎氏が外務大臣を務めました。
日本では、1990年代半ばからの20年で、衆議院議員の世襲の割合は、おおむね25%以上、4人に1人とするデータもあります。
世襲制限の議論も…
こうした状況には以前から批判がありました。例えば、2003年の総選挙。父・江藤隆美(たかみ)氏のあとをついで息子・拓氏が出馬した際には…
記者(2003年)「世襲という批判についてはどう、お答えになりますか?」
江藤隆美 氏「馬鹿者!世襲の、何のと言うな!」
そこで自民党は2009年の総選挙のマニフェストで、次回の選挙から「世襲制限」をもうけるとしました。
2009年、小泉純一郎元総理の地盤を受け継いで初当選した息子・進次郎氏は当時、世襲についてこう語っています。
小泉進次郎 氏(2009年)「世襲は歌舞伎役者や落語家みたいに、世襲になりました、成立します、というんじゃないんです。皆さんが当選させて初めて世襲は成立するんです。有権者の皆さんの判断だと思うんです」
世襲の問題点とは?
日本で数多く見られる“世襲議員”。その問題点を、毎日新聞の与良正男さんは…
与良正男・毎日新聞客員編集委員「政治っていう一番公共性を保たなくてはいけない仕事が、一種の“家業”。結果的に新しい人たちが政治家になろうと思ってもなかなか入ってこれない。その大きい壁になっているのは間違いない」
イギリスの世襲事情
片や同じ議院内閣制の先進国イギリスでは19世紀後半、特権階級が支配する政治に労働者の不満が高まり、以後、選挙制度が改革されます。
そして誰でも政治家を目指せるように、2大政党の方針として大部分の候補者は、地元に縁のない選挙区から立候補することとなり、事実上、世襲は難しくなったのです。
サッチャー首相(1979年)「イギリス国民の私への信頼に応えるため、私は休むことなく努力し続けます…」
例えば、首相を見てもサッチャー氏は雑貨店の娘、メージャー氏はサーカス芸人の息子、メイ氏は牧師の娘など、多様な人材登用が進み、世襲議員は下院で5%余りとされています。
世襲制限が進まない理由
一方で容易に「世襲制限」が進まない日本。その訳を与良さんは…
与良正男・毎日新聞客員編集委員「とりわけ日本の場合は、名門とか、家とかいうのも非常に大切にする、個人よりもありがたがる。能力、資質よりもあの家のお坊ちゃんだと。それがどんどん継承されていく。一種の固定化につながる。権力の固定化」
こうした`世襲議員'に、街の声は…
女性「知名度が高くて票が入るのはちょっと仕方ないかなと…」
女性「もうちょっと政策とかちゃんと聞いた上で投票した方がいいのでは」  
 
 
 
 
 
 
 
●政治
●政治 1
1 主権者が、領土・人民を治めること。まつりごと。
2 ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。
類語  政(まつりごと) / 関連語 国事(こくじ)  
●政治 2
1 国を治めること。近代では、主権者が立法、司法、行政などの諸機関を通じて国家的統一を維持し、国民の共同生活を守ること。政事。まつりごと。
※地蔵菩薩霊験記(16C後)二「商売も彼の国の市に立まくぞ思いける政治(セイチ)三十年の間」
※当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉九「大に政治(セイヂ)の改良でも、おこなはふといふ志で居りながら」 〔書経‐畢命〕
2 会社、労働組合、学校などの社会集団で、意見の相違や利害の対立などを調整することについてもいう。
[語誌]明治時代においては、「政治家」「政事家」、「政治学」「政事学」といった語形が併用され、「政治」「政事」の意の区別がなくなった。ヘボンの「和英語林集成」初版では「政事」だけであったが、改正増補版では「政治」の見出しも見られる。 
●政治 3
政治ということばは、さまざまな意味で用いられる。それは今日、国家における政策決定の過程や制度を指して用いられることが多いが、しかし、国家をこえた国際社会での権力闘争(国際政治)や国家内諸集団での意思決定(私的政治)をめぐっても 、しばしば用いられてきている。このような広い用例の核にあるのは、集団や社会には一般に、その成員全体を拘束する統一的な決定をつくりだす機能が存在するという認識であり 、その機能あるいはそれに付随するさまざまな現象を指して、政治あるいは政治的ということばが用いられてきたということができる。
   政治とは何か
政治の状況化−−権力と闘争
集団や社会内のどこかで行われた決定を、集団全体のものとして他者に受容させる究極的な決め手となるのは、権力である。この意味で、政治の第1の局面は、統一的な決定の裏付けとなる一元的な権力の秩序をつくりだすことであり 、また、その争奪をめぐる権力闘争としてあらわれる。権力がどのように構成されるかは、集団や社会の歴史的構造や状況によって異なる。原始社会においては、呪術能力の保持が権力の重要な基盤であったのに対し 、市民社会においては富や財産の所有が権力者への道を開いた。組織化が進行した現代社会では、官僚組織の出世の階梯を上昇することやマス・メディアを操作することが、権力行使の新たな手段となっている。しかし 、いずれの時代をも通じて、他者の身体への強制力すなわち暴力を集中し独占すること、すなわち武力や警察力の掌握が、権力の究極的な基盤であることに変りはない。したがってマキアベリは 、近代国家の出発に際して、何よりもまず、頼りになる軍隊を創出して国家の基礎とすることを説いたのである。その教訓は、今日のすべての国家に受け継がれている。しかし、政治において権力がむきだしの形で行使されるのは 、むしろ例外的な事態に属する。権力は、成員の自発的かつ日常的な服従の調達に失敗したことに対する究極的な手段として発動されるのであって、それは政治の状況化に対応するものだといえよう。あらゆる政治はつねに 、このような状況化の様相を内側に秘めているが、しかし、政治の安定は、その制度化を通じてはじめてえられる。
政治の制度化−−権威と正統性
集団や社会の中で、ある期間を通じて、統一的な決定を下すのは誰であるべきか、あるいはどの機関であるべきかが、成員全体にとって明確に意識されているとき、その政治は制度化されたとすることができる。制度化が完成した政治において 、決定作成者あるいは機関は、政府や執行部として組織化されて、その決定に成員を従わせる権利を主張し、成員はその決定に対して服従の義務意識をもつようになる。そのとき 、決定作成者や機関は、一般に、集団や社会に対して政治的権威を樹立したという(権威)。
政治的権威の成立の核になっているのは、M.ウェーバーによれば、決定作成者や機関が正統(当)性Legitimitätを獲得することである。その社会に一般的な社会倫理(エートス)を背景にして 、支配者の決定に従うのが正しいという観念がいきわたるとき、支配者は正統化されたといわれる。歴史社会におけるそのような正統化の基本的タイプは、ウェーバーによれば、前近代社会では伝統 、近代社会では法に即して決定作成者や機関が組織されることであり、また危機的な社会においては、超人的な指導者の資質(カリスマ)への信仰が基盤になるとされる。
しかし、政治的権威は、ウェーバーのいう正統性をこえて、もっと広い背景の下でも成立する。近代国家は、絶対君主制の下、王権神授説で君主の支配を権威づけようとした。市民革命の後には 、被治者の同意にのっとって決定作成が行われることが権威成立の新しい基盤になったし、またナショナリズムの高揚の時代には、民族的な共同性に訴えることによって、指導者はしばしば自己の愚行への批判をそらすことができたのである。
政治的権威と権力は、相伴うとはかぎらない。一国の政治的権威である首相と政界の最大の実力者とが食い違い、そこから複雑な政治力学が発生するというようなことは 、政治が制度化と状況化との拮抗のうえにあるかぎり、むしろ通常の事態だといえる。しかし、権威は、完全に権力から独立して永続しえないということもまた事実である。亡命政権は 、どのように正統性を主張しえても、実効的な支配を持続できなければ、やがて友好国や民衆からも見捨てられる。この意味で、決定が権力的裏付けによって確実に遂行されるという威信は 、集団や社会に秩序をもたらすという効果によって、それ自体権威の成立の基盤になるのである。
政策と指導
どのように権威と権力によって裏付けられた支配でも、その決定が適切さを欠き失政をつづけるなら、やがて崩壊に直面せざるをえない。したがって、政策決定と実施における賢明さは 、決定作成者に権威をもたらすもうひとつの基盤である。とりわけ、市民国家の成立後、決定作成者が国民的指導者として立ち現れるようになった状況の下では、政治の重要な側面は 、いかにして公共の福祉や国民的利益の名の下に、実質的に多くの国民の願望や欲求を満たす政策を立案し遂行するかという課題としてあらわれることになった。
政策立案とは、どのような手段がどのような効果をもたらすかの事実判断と、それを担う主体の能力判断を総合しながら状況の下で可能な選択肢群を設定し、国民的利益という目標価値の内容を明確にしてそれらの選択肢の中から最適の方策を選択する行為である。それは 、軍事や運動あるいは企業などにおいては、戦略や戦術の問題として論議される。その意味で政策的思考は、すべての集団や社会における政治的思考の基本的な局面を構成している。
賢明かつ適切に政策を立案し、かつそれを実施するためには、集団や社会は、情報を収集し、選択肢を判断し、決定を効果的に遂行する頭脳と手足を必要とする。その役割を担うのは 、通常、官僚制である。政治的決定が集団成員全体の要求にこたえるものという前提が強化されるにつれて、官僚制は肥大していくのが常である。
市民革命以降の民主化の進行は、政策決定が適切に行われるだけではなく、それが国民社会の成員全体によって常時理解され、積極的に支持されることを必要とさせるようになった。政治指導は 、この意味で、客観的に適切な決定をするだけでなく、ときにはそれにもまして、成員に主観的に受容されるような決定を行い実施していくことに力点が置かれることになる。指導の過程は 、したがってまた指導者や政府の演説や宣伝などを通じて成員を説得する過程であり、マス・メディアの発達に伴って、それはまた、争点の操作や外敵の創出、イデオロギーや神話の流布から情報の統制にいたるまでのあらゆるコミュニケーション活動が遂行される過程でもある。
合意と自治
民主化、すなわち決定が成員の合意にもとづいて行われることの正統化は、政治に新たな側面をつけ加えることになる。そこには、指導者の選出から決定の作成にいたるまでの過程が 、成員の合意にもとづき自治として行われるという前提から生じるすべての問題が含まれる。それは、古代ギリシアの民主制においてはじまったものだが、しかし国民国家のような大規模社会において 、問題はその複雑性をいちじるしく増大した。ここでは、国民代表や議会制民主主義あるいは政党政治や権力分立などについてのさまざまな理論と慣行が案出される一方、合意の創出に向けての交渉や妥協あるいは言論や集会などを通じての世論獲得競争などのさまざまな技能が普及するようになった。このような伝統が定着した国々においては 、政治とは、狭い意味では権力的な支配に代わる自治的な決定作成の制度や技能の全体を指し示すことばとして用いられてきている。
このような議会制民主主義をめぐる政治は、政治の大衆化がはじまった現代初期においては、ソビエト社会主義やファシズムにみられるように、政策の効果的遂行の名目やカリスマ的正統性によって攻撃され危機にさらされた。しかし20世紀の後半以降 、大衆民主主義が成熟へと向かうにつれ、合意と自治の政治は、地方分権や市民参加などの枠組みを加えて、より新たな発展を示しつつある。
政治の必然性
集団や社会は、なぜ政治を必要とするのか。市民社会の社会的自治の下、〈チープ・ガバメント(安価な政府)〉が主張された時代を背景に、政治とは社会的利益の対立の究極的な調整機能であるとか 、犯罪者や外敵からの防衛のためにのみ必要とされるという見方が一般的だった。このような政治観が、市民国家の階級的役割を粉飾するのに役立っているとしたK.マルクスは 、政治すなわち成員全体を拘束する統一的な決定は、権力を握る支配階級の利益のために形成され維持されると論じた。政治を、かぎられた社会的価値の権威的な配分過程と定義する現代のD.イーストンや 、政治は社会的価値を争奪してエリートが上昇していく過程だとするH.D.ラスウェルらは、階級社会観を前提としていないものの政治の役割を限定的に考える点で、市民社会以来の伝統を継いでいる。
しかし、20世紀の福祉国家の時代を背景にして、政治にもっと積極的な機能を認める考え方がますます有力になっている。今日の国家における決定が、政治権力の基盤となっている特定の集団や階級 、あるいはエリートたちの私的利害と重なっていることを否定することはできないが、しかし、単にそれのみにとどまらず、国民経済の円滑な維持、国土の開発と環境保全、教育・文化の発展あるいは社会保障の進展などに対して 、不可欠の役割を果たしていることは、資本主義国家であると社会主義国家であるとを問わず、否定することができない。そのかぎりで政治は、単なる利害の調整、価値の配分機能をこえて 、価値の創出という機能をも果たしているのである。
政治はまた、人間が必要とする諸価値に限界があることから生まれるとしばしばされてきた。〈豊かな社会〉化の中で政治的無関心や脱政治現象が増大しているのは、こういう見方にそれなりの理由があることを説明している。しかし 、その〈豊かな社会〉を維持するために政治的決定の役割はますます増大する一方、他方ではより精神的に充足した生活を求める底辺での政治参加が増大しているのも事実なのである。この意味で 、政治は、人間の能力に限界があり、したがって人間が集団や社会生活を通じて問題の解決を求めるところでは、つねに不可避の現象だということができよう。
これまで政治が生起する場について、主として地域的住民社会の歴史的発展に即しながらも、集団と社会を区別することなく説明してきた。教会や労働組合などの私的集団の政治的機構と地域社会が形成する国家の政府との間に本質的な違いはないという考え方は 、20世紀初頭の政治的多元主義によって提起され、政治的行動主義の理論家たちによって継承された。しかし、地域内の集団すべてに対して最高権威(主権)を主張し、権力の究極的基盤である暴力を独占する近代国家の政治と他の集団の政治との間に質的な差があることは 、当然、認められなければならない。とはいえ、国際社会の組織化が進行し、ヨーロッパ共同体のような超国家的機構も生まれて、国家主権を制限する一方、国内では分権化が進行し 、またさまざまな民間団体や多国籍企業の国際的連携による活動も活発化しつつあるのが現代の状況である。政治の考察を国家の政治のみに限定することは、明らかに狭すぎるのである。
   日本の政治
近代日本の政治は、一般に明治国家の形成からはじまるとされる。廃藩置県と国民軍の創設による権力の集中 、天皇の神格化による権威の確立によって絶対主義国家を形成した明治国家は、やがて議会制度と政党政治を導入、また学校制度と結びついた専門官僚制を組織して近代市民社会に対応する政治体制へと転換をはかった。しかし 、男子普通選挙制の施行に伴う政治の大衆化の動揺の中で、熱狂的な大衆ナショナリズムと結びついた軍部独裁政治が勃興し、日本は中国大陸ついで東南アジア諸国の侵略へと向かうが 、連合諸国の反撃を浴びて敗戦にいたる。戦後、経済成長が軌道にのるにつれて議会制民主主義は安定し、いわゆる〈55年体制〉を形成するが、その中で〈豊かな社会〉が定着するに従って 、市民参加や〈地方の時代〉など、日本の民主政治も新たな展開を迎えつつある。
以上のような基本的様相に即するかぎり、近代日本の政治は、欧米諸国と似た発展過程をたどってきた。それは、明治時代以降、日本が欧米諸国と同様に資本主義的工業社会として発展してきたことから生じている。しかし 、アジアの一国として独自の文化的・社会的伝統をもち、欧米諸国に遅れて近代国家の建設にのりだした日本の政治には、おのずと特有の政治的力学が形成されてきた。それは基本的に 、日本の近代国家が、欧米諸国の外圧に対抗するために、エリート層(旧社会の下級武士およびその後継者としての軍部と官僚)によって上から建設されたという事実から生まれている。そこでは 、市民革命を通じて市民階級が政治の主導権を奪い、絶対主義国家に対抗する市民国家の諸原則を自らの手で形成することは、ついに起こらなかったのである。
制度的特質
近代日本の最初の憲法である明治憲法(大日本帝国憲法)は、一面では自由民権運動への譲歩として、しかし、基本的には日本が近代国家であることを欧米諸国に証明して条約改正を勝ち取るための近代化政策の一貫として制定された。そこでは 、天皇主権の下に〈臣民の権利〉は抑制され、議会は開設されたものの、政府は議会や政党を超越して組織することが可能であった。また、軍部は天皇の統帥権に直属する半ば独立した存在であり 、内閣の統制に反抗してそれを瓦解に追い込むこともできた。明治末期からいわゆる大正デモクラシーの時代にかけて、明治国家を建設した藩閥およびそれと連携した官僚・軍部・貴族らの支配エリート層は 、政党に代表される地主・ブルジョア層と妥協して政党政治の慣行をつくりだしていったが、ロシア革命と政治の大衆化の衝撃の中で、治安維持法を制定して体制批判を封殺し、やがて軍部独裁へと道を開くことになった。それは 、ひとつには、明治憲法のもつこのような絶対主義的な性格の制約を、ついにのりこえる道を見いだすことができなかったことによる。
敗戦後、連合国の占領下に制定された日本国憲法は、こういう制約を取り除き、本格的な政党政治を可能にする制度的基盤を、はじめて日本でつくりだした。天皇主権は 、国家神道とともに否定され、国民主権の下に、イギリス的な議院内閣制とアメリカ的な地方自治制が導入された。さまざまな政治的自由権や参政権は、婦人参政権も含めて、基本的人権として保障された。また 、軍備の放棄によって、ふたたび侵略的ナショナリズムをあおり、軍部独裁へといたる道は、法的に閉ざされた。他方、勤労者の団結権や集会・結社・表現の自由が保障されたことにより 、革新諸政党は大衆運動を通じて勢力を伸長し、政治に影響をあたえる道が開けた。これらは、占領下に遂行された内務省・特高警察の解体、農地改革、家制度の廃止などと相まって 、戦前と戦後の日本の政治環境を基本的に転換させたといえよう。しかし、こういう体制変革の中で、日本の政治は、制度的に欧米民主主義諸国と基本的に同質のものとなったと単純にみなすことはできない。そこには 、明治国家以来の近代日本政治の特質の一部が、依然として持ち越されていた。その最大のものは、一口に〈三割自治〉といわれる財政面での中央の地方に対する優越であり、また 、スト権剝奪にあらわれた公務員に対するきびしい政治活動の制限である。それは、国家官僚制を政争から超越して国益を体現すべき特権的な聖域とした戦前の伝統を継ぐものであり 、やがてエリート官僚層と保守党の癒着の下に、中央から地方への利益誘導を集票装置として、軽武装下の経済成長を国家目標とする永続的な支配体制を戦後日本に建設していく基盤となった。
政治文化の特質
近代国家の諸制度が、欧米諸国を範として〈外から〉かつ〈上から〉移入されたということは、政治的権威や正統性の基盤となり、また制度の解釈や運用の根拠となる社会倫理や政治文化が 、前近代的構造や日本的な伝統を保持しつづけたまま残されたということを意味する。ここから〈和魂洋才〉〈タテマエとホンネ〉などの二重構造が生まれるとともに、輸入された近代的な政治制度が 、それ自身の正統性をつくりだすことなく、危機に際して土着的な文化や原理によって攻撃され動揺するという力学が生まれることになった。
明治国家が欧米諸国に対抗して上からの近代化を遂行するのに並行して努力したのは、政治的権威を伝統的政治文化に即して打ち立てるために、国家神道を背景にして国家の基軸として天皇を神格化すること 、その意味での国体の樹立だった。そして明治維新は、王政復古という天皇親政によって、封建的な身分制度の桎梏(しつこく)に悩む庶民を解放する〈御一新〉としての性格をも合わせもっていた。ここから 、欧米的な近代化を上から遂行するエリート集団が新たな特権的支配層として大衆の目に映じるようになるにつれ、天皇をいただいて維新をやり直そうという革新右翼の原理主義的運動が生まれることになる。それは1930年代の社会的危機を背景に 、青年将校や右翼グループを中心に、しばしばクーデタ的テロリズムに訴え、支配体制を揺るがせた。天皇は、国家の政治機関であるという、明治以来の官僚層の常識とされてきた近代的な国家論が 、ついに公式に否定されるにいたったのは、その結果のひとつである。
戦前の天皇制国家を支えたもうひとつの政治文化の基盤は、近代日本を通じて温存された共同体的かつ権威主義的な社会構造から形成された。家父長支配の家制度と閉鎖的な村落共同体 、そして地主・資本家など旦那衆の身分的支配の構造は、あらゆる〈主義者〉を異端視し、批判を抑圧することで個人の自立を妨げ、滅私奉公の精神を社会のすべての領域で強調させたのである。また 、日本社会に土着的な固有神道に由来する社会倫理は、キリスト教的な客観倫理とは対照的に、〈時の勢い〉〈日本民族の元気〉などという生命主義的な正統化を、しばしば政治の世界にもちこんだ。天皇制国家は 、こういう政治文化の側面に依拠するかぎりにおいて、天皇を家長、国民を赤子とする家族国家、伝統的淳風美俗を鼓吹する道徳国家、郷土への排他的愛着を核にする自己中心的ナショナリズムによって支えられる共同体国家でもあった。それは 、現人神(あらひとがみ)としての天皇への絶対的帰一を要求する原理主義的な革新主義とは、必ずしも調和するものではなかったが、政党政治の円滑な発展を妨げ、アジア侵略に対する大衆的熱狂をかきたてて軍部独裁政治をつくりだす支えとなった点で相補う役割を果たしたのである。
敗戦後の制度と社会構造の変革と権威の失墜に伴う民主化の進行は、こういう戦前の政治文化のあり方を大きく変化させた。とりわけ天皇の神格化の否定と国家と宗教の分離 、国家主義教育の禁止と教育勅語の失効、軍部の消滅、そして家制度・地主制度の解体と女性の政治参加は、明治以来公に認められることのなかった私的幸福の追求をはじめて正統化させ 、核家族を単位に平和で豊かな消費生活を送ることが、日本人の自明の価値的前提とされるようになった。保守党が、経済成長による豊かな社会の創造を、党の基本政策として訴えることによって 、政権の独占を果たしつづけたのは、ひとつにはそれがこのような政治文化の転換に即していたことによっている。
しかし、それは戦前的な政治文化の特質のすべてが消滅したということではありえない。そのある部分は、そのまま戦後の政治の中へと持ち越された。とりわけ、共同体的文化の伝統に根ざす集団主義的な社会倫理は 、経済成長に伴う農村からの急激な人口流出が都市での工業化社会の拡大を支えていたかぎりにおいて、企業活動や政治活動の核心に生きつづけた。そしてその反面、個人の積極的な主張と活動に裏付けられた自治の文化の大衆的な形成は 、大きく取り残されることになった。それはまた、戦後正統化された私的な幸福の追求が、急激な経済成長と農村共同体の解体の中で、経済的な利益の追求へと単純化されたことによる。中央政府に財政権限が集中した〈三割自治〉の構造は 、それに拍車をかけた。このようにして、55年体制の下ではじめて定着した大衆民主主義下の日本の政党政治は、急速に、大衆的な利益集団が中央政府に組織的圧力をかけて、利益を奪い取る〈圧力民主主義〉の政治へと変形し 、政党は大衆党員を組織しえないままに、これらの利益集団の政治機関へと転化し多党化していったのである。それはまた他面では、官僚エリート層と結びついた保守党が、〈天下党〉へと上昇していく過程でもあった。1970年代以降の〈豊かな社会〉の持続と高年齢社会の到来は 、このような政治文化の特質に静かな革命をもたらしつつあることは確かである。それは、一方では、大衆に生活の量よりも質を求めさせはじめると同時に、若年層や都市中間層を中心に〈支持政党なし〉の脱政党政治的文化を広げさせつつある。しかし 、それが究極的に日本の政党政治の構造をどのような方向に変えていくかは、ゆっくりと時間をかけて判断しなければならないだろう。 
●政治 4
政治を表す西欧の語は、古代ギリシアの都市国家であるポリスpolis、およびそれから派生したポリテイアpoliteia(市民権、国家)その他の関連語に由来する。英語のポリティックスpoliticsは、初め徒党や派閥を組む人々の活動に対する悪口として用いられたが、近代の政党制、代表制の確立とともに非難めいた意味はなくなった。しかし今日でも、英語では、政治といえば「汚い仕事」という連想が残っており、低劣な政治家をポリティシャンpolitician(政治屋)とよんで、ステーツマンstatesman(国士)と区別することがある。さらに英語のポリティックスについていえば、それは、政治の現実ないし過程を表すとともに、それを研究する政治学を意味することもある。またドイツ語のポリティークPolitikは政治と政策の両方の意味があり、英語のようにポリシーpolicy(政策)という別の語をもっていないから、そのいずれを意味するかに注意しなければならない。
政治とは何か―概念と定義
政治とは何か、あるいは政治とは何を意味するかという問いに対する解答は、観察者、研究者のもっている経験や問題意識によって異なる。さらにまた政治ということばそれ自体がもっている語源的な意味に影響される面がある。すでにみたように政治にあたる西欧語は、ポリス(都市国家)に由来したところから、政治をポリスの業務、すなわち国家の仕事として考える見方が広まるようになった。このように政治を国家の統治行為とするとしても、国家の形態や性格は歴史とともに変化してきているので、より一般的に、人間の公共生活あるいは共同生活に必要な業務の遂行や問題の処理を表すことばとして理解されている。そこで、政治を、国家に特有のものとして限定的にみるか、それとも、人間が集団生活をするところ、そこに政治があるとみるべきかは、観察者の問題関心によって異なる。前者の立場を「政治国家現象説」、後者を「政治集団現象説」とよんで区別することがあるが、後者の立場をとる場合でも、政治が国家というもっとも制度化された集団のなかにおいて典型的、集約的に現れることについては異存がない。ともあれ今日では、政治は国家にとどまらず、国際社会やあるいは各種の集団にみられる現象であるという考え方がより一般的となりつつあるといえよう。
今日では、政治を「集団の政策(意思)決定過程」とみる見方、あるいはそれに類した規定の仕方が一般的に行われている。この場合の「集団」はもちろん国家や地方自治体にとどまらず、いろいろな社会集団や、国内的、国際的団体を含む。また「政策決定過程」とは、広義には目標の選択、目標達成方法の決定、そしてそれらの実施あるいは実行の全過程を表す。「政策決定」policy-makingは「政策形成」と表現される場合もあり、また「意思決定」decision-makingは「決定作成」という表現が用いられることもある。政策決定と意思決定とは同じ意味に用いられることもあるが、意思決定のほうがより広い意味に用いられている。政策決定は政府の行為に関して用いられることが多く、また、政治に関して意思決定の語が用いられる場合、たとえば選挙は一つの意思決定過程ではあっても、狭義における政策の決定ではない。けれども、政治過程全体をさして政策決定過程という場合には、政策決定者を支持するものとしての選挙もその一部に含まれる。いずれにしても政治を政策決定過程とみる見方は、伝統的政治学の静態的、制度論的な政治の見方に対して、政治の動態や過程を重視する行動論的政治学あるいは現代政治学とよばれる立場にたつ政治の定義であるといえよう。この政治の見方はH・ラスウェルによって代表されるが、もう1人の代表的なアメリカの政治学者D・イーストンは、政治を「社会に対する価値の権威的配分」と定義した。これもラスウェルの政治の定義と同工異曲である。というのは、政治は、形式的にいえば「政策決定過程」であり、内容的にいえば「価値の権威的配分」ということになるからである。
こうして、政治を「国家」という制度・構造から説明するのではなく、逆に「国家」を政治という過程・機能から説明しようとするところに行動論的な政治の定義ないし見方の特色がある。そして政治という機能が認められる限り、それが「国家」とはいえないような「原始社会」や「種族社会」であっても、これを政治研究の対象とすることができる。
政治の本質的特徴
政治とは何かという政治の意味、あるいは政治をして政治たらしめる本質的特徴が、政治概念、そして政治の定義には含まれていなければならない。
ところで、政治を政策(意思)決定という角度からみる場合、そこに当然「権力」の問題が関連してくる。なぜなら「権力」はラスウェルによれば、「意思決定への参加」にほかならないからである。この面からいえば、「政治」は「権力過程」であり、また「権力関係」という流動的な状況を抜きにしては考えられない。決定作成過程に参加し影響力を行使するには、暴力行使や利益誘導、さらには理性的説得から宣伝やシンボル操作に至るまで種々の方法がある。したがって、政治にとって不可欠な要素としては、暴力ないし実力、利益や価値、情報や知識、そして思想やイデオロギーなどがあり、またこれらのものを組み合わせて行使するための組織や集団、さらにこうした決定作成をめぐって権力闘争が行われる際のルールや手続、制度なども政治には不可欠である。
政治は権力をめぐる、そしてまた権力を基礎とした決定作成過程であるが、権力関係はきわめて流動的、可変的であって、市民社会の段階から大衆社会、情報化社会へと社会の性格が変化するにつれて、社会の人々の意識や相互関係がますます流動化し、権力の基盤や態様も変化する。たとえば、今日ではマス・メディアが政策決定に大きな影響を及ぼすに至る。また社会の変化につれて政治の争点も変化する。たとえば、豊かな社会の登場とともに、経済的、物質的利益をめぐる争点から、生きがいや環境の問題といった「生活の質」あるいはライフ・スタイルの見直し、そして高齢化社会における福祉や生きがいの創出などに関連する施策に、政治の争点は移行する。
政治においては、以上のような絶え間ない流動化、状況化がみられるとともに、他方で権威の正統性や秩序の安定を求める制度化の過程が進行する。この過程のなかで支配と被支配、エリートと大衆といった役割や機能の分化が固定化される。こうして政治においては状況化が進めば進むほど不安定となり、制度化が進みすぎると政治は硬直化して自発的政治参加が低下する。政治には両者のバランスがたいせつである。
今日の政治では、一方で政治参加の幅が広がれば広がるほど、他方で官僚制が肥大し管理化が進行するという二律背反がみられる。
また一方で政治的無関心が増大すればするほど、他方で政治的ラディカリズムの運動も進行するという矛盾がみられる。
さらにまた、現代の政治では、個人の私生活化、非政治化が進行するとともに、社会の政治化が進展してあらゆるものが政治に組み入れられていく。「孤独なる群衆」の増大とともに、「集団の噴出」が至る所におこって政治過程にそれぞれ影響する。
政治は、価値や目標をめぐる闘争であるとともに、手段や方法の選択をめぐる闘いでもある。ところで、政治に価値や目標を提供するものが「神話」であり、手段、方法を提供するものが「技術」である。こうした観点からいえば、政治はR・M・マッキーバーのいうように、神話と技術の複合体であり、そのどちらを欠くこともできない。神話は、イデオロギーや信念という形で人間の非合理的な意思や感情に訴え、技術は、それが自然科学的技術であるにせよ、組織化、制度化といった社会的技術であるにせよ、人間の合理性に訴えかける。神話を人々に植え付けるために種々の政治的儀式がつくりあげられ、演劇的効果が盛り上げられる。他方、技術は有効な手段としての効率を優先させ、ときとして独裁的支配や大量虐殺といった非人間化を促進することがある。
こうして政治は、自己のうちに二律背反的要素を含み、天使にも悪魔にも奉仕するというあいまいさをもち、しかも人間の運命を決定的に左右するという深刻な側面をもっているから、政治の本質を見極め、これに正しく対処することが不可欠である。
ところで政治は、人間の社会的、集団的共同生活を維持し、存続させるための共同的決定作成過程であることはすでに述べたが、この営みによって人間の生活条件が改善され、社会的環境の整備が図られる。これを政治の順機能とよび、これに逆行するような政治の働きを政治の逆機能という。いうまでもなく政治の順機能の促進は、共同生活を営むすべての人の責任である。
政治は、現状の不備を改善し、人間の共同生活のためのよりよい環境を形成するという目的を志向するものとして、未来づくりをその本質的特徴の一部とする。政治は未来の形成に重大な関係をもつ。しかも今日では、未来形成のための予測や計画が、それに必要な情報の収集や処理によって、従来よりもはるかに正確かつ迅速になされるようになった。けれども未来形成にはつねにまた多かれ少なかれリスクが伴うことも否定しえない。したがって政治にはつねに賭(か)けの要素があり、決断を必要とする。とりわけ危機的状況においては政治における決断の要素が重要となる。未来づくりのための賭けを回避するとき、政治は守旧的、現状維持的となり、自ら危機を招くに至る。
歴史の転換期にたたされているといわれる今日、政治のもつ未来形成的機能は改めて注目される必要がある。今日、政治はグローバル(地球的)なかかわりをもつとともに、未来へのかかわりをもつことが、強調されなければならない。 
●政治 5
政治の役割や仕組み
政治とは、主権者が領土や人民を治める政(まつりごと)を指します。また政治には、意見の対立を調整し、社会の意思決定をするという意味もあります。
1、政治とは
政治には以下2つの意味があります。
・主権者が領土や人民を治めること
・社会の対立を調整し、社会全体をまとめること
「政治って国家だけのものじゃないの?」と思った方もいるかもしれませんが、政治は会社や学校にも存在します。
人が集まれば意見や考え方も違うため、そうした違いを放置してしまうと争いやトラブルの原因にもなります。
そのため政治による意見の調整が必要になるのです。
2、政治の役割
政治が担う役割は、多数の人が暮らす共同体(社会)における秩序の維持と発展です。
古代ギリシアでは、敵から土地を守るためにポリス(都市国家)が生まれ、中世では、封建制度により各々の能力に沿った共同体が形成され、近代では、豊かな共同体を実現するための学問が発達しました。
もし政治が行わなければ、こうした共同体のルールや共通意識は形成されず、争いによって分裂していた可能性も高いです。
政治とは、共同体(社会)を維持し発展させていくために必要な「コミュニティの基盤」と言えるかもしれません。
3、日本における政治の仕組み
現行の日本における政治では
・国民
・憲法
・政府
・国会
などが重要な役割を担っています。
日本の政治は『国民主権』が基本であり、国民が政治権力の責任主体です。
国民主権は日本国憲法で定められており、憲法は国の最高法規(1番大事なルール)になります。
国民が主権を持つため、政治の実働部隊である政府と国会で働く国会議員は、国民の投票によって決まるのです。
政府は『内閣』とも呼ばれ、内閣総理大臣と国務大臣で構成されています。内閣は国の行政を担う機関であり、主な仕事は国会にさまざまな政策の提案をすることです。
国会では提案された政策などが話し合われ、その内容や施行について決定します。
4、政治資金とは
政治資金とは
・政治家
・政党
・政治団体
の政治活動に必要な資金です。
政治資金は『政治資金規正法』に基づき、公開が義務付けられています。政治資金の使い道は主に以下の2種類です。
・事務所の人件費及び光熱費などの経常経費
・選挙やパーティー(宴会)開催などの政治活動費
政治資金の財源には、寄付やパーティーで集まったお金、政党交付金などがあります。政治家がパーティーを開催してもいいの?と疑問に思った方もいるかもしれません。
・政治家への寄付(政治献金)
・政治資金パーティー
について、更に詳しく確認しましょう。
   (1)政治家への寄付(政治献金)
日本では政治家への物品を除く直接的な寄付(献金)は禁止されています。
ただし物品の場合も、年間150万円以下に限られます。政治家にお金を直接寄付したい場合は、後援会や資金管理団体に寄付をすることです。
この場合も、1団体につき年間150万円までです。また、政治家個人に対する寄付は、選挙運動に関するもの(陣中見舞いなど)に限り、年間150万円以内で寄付ができます。
ただし、企業や組合などの団体による、政治家個人に向けた寄付は一切禁止されています。
   (2)政治資金パーティー
政治資金パーティーとは、政治資金を集めるために開催されるイベントです。
パーティーは原則、政治団体によって開催され
・勉強会
・励ます会
・セミナー
などが行われます。
ただし、政治資金パーティーの開催者は「開催するパーティーが政治資金パーティーであること」を書面で伝える必要があります。
参加者はパーティー券の購入により、お金を支払います。パーティー券の購入は政治活動への寄付には当たらないためです。
パーティーという性質上
・パーティーの収入の明確化
・パーティー券の大口購入者の公開
・量的制限や斡旋制限の規制(支払額の制限、威迫的行為の禁止など)
といった規則が決められています。
まとめ
政治とは共同体をまとめあげ、より良い暮らしや生活を実現するためのものです。 
●政治 6
政治の最も一般的なイメージは、ある一定のルールのもとに存在する支配=服従の関係としての政治であろう。政治学者 R.A.ダールは、社会における権力現象全般を政治ととらえる立場から 、政治を権力、ルール、権威を含む関係全般として定義できるとする。こうした見解には、政治の独自性を政府と国民との公の関係からとらえようとする立場から反論があることには留意する必要があろう。中世までは政治と社会は概念的には未分化で 、政治とは社会活動の全般をさすものであった。社会が政治から独立し、その上位の概念となったのは近代の資本主義社会の成立以降のことである。社会学者 T.パーソンズは政治を 、経済とともに社会を構成するサブシステムとしてとらえている。経済との関係でいえば、市場の原理が適合されない、いわゆる非市場の選択のうち最大のものが政治だということができよう。 
●政治 7
…特定の少数者が権力を背景として集団に一定の秩序を付与しようとすること。政治とほぼ同義に用いられることが多いが、厳密に解すれば、統治は少数の治者と多数の被治者との分化を前提とし 、治者が被治者を秩序づけることを意味するのに対して、政治は、少なくとも、対等者間の相互行為によって秩序が形成されることを理想としている。こうした差異を端的に示しているのは 、政治と統治の言語としての差異であろう。… 
●政始 8
政治(せいじ)とは、国家の意思決定機関である主権をもとに、共同体の領土や資源を管理し、それに属する構成員間あるいは他共同体との利害を調整して社会全体を統合する行為、もしくは作用全般を指す言葉である[1]。
英語における政治(politics)の語源は古代ギリシアのポリス(都市国家)に由来する。ポリスは政治的共同体(ポリティーケ・コイノーニア)とも呼ばれ、君主制を廃止した後に民主政・寡頭制・僭主などと様々な政治体制へと切り替えて、立法などの手段を用いて市民間の利害を調節し、商業や戦争などを通してポリス全体を発展させたことが今日において知られている。経済学の視点から政治の本質を再配分の過程と見なす考えもある。
定義
広辞苑では「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象。」とする[2]。
大辞泉では「1. 主権者が、領土・人民を治めること。2. ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。」とした[3]。
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、政治を研究する政治学を《善い社会》の実現を試みるためのマスターサイエンスであると位置づけた。
政治哲学者のハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で、政治を自己とは異なる他者に対して言語を使って働きかけ、結合する行為であると捉えた。
政治学者のロバート・ダール(1915年 - 2014年)は、社会における権力現象全般を政治ととらえる立場をとり、政治というのは権力・ルール・権威を含むような関係全般、と定義できるとした[4]。
Andrew Heywoodは2002年の書籍で、「人々が生きるうえでの一般的なルールを作り、保存し、改定する活動」 (The activity through which people make, preserve and amend the general rules under which they live.)とした[5]。
   広義と狭義
狭義の政治は、国あるいはその他の自治体での法や政策についての意思決定、社会問題の解決・最小化、対立や利害の調整、外国との関係の処理、公的財産の処理などを政府や政党、政治家などの職業的・公的に行う場合をいう。広義の政治は、あらゆる対人関係で起こる目標の選択、目標達成方法の決定、そしてそれらの実施あるいは実行の全過程をいう[6][7]。例として、学校の生徒会やサークルなどでの意思決定も、広い意味での「政治」ということができる[8]。
   主体
民主政国家の場合は、署名運動、請願や討論、デモ活動によって、国民が政治活動を行うことがあり[9]、国民による選挙によって選出された、職業として政治活動を行う者を「政治家」という[10]。政治活動家とは区別される。
概要
政治のより具体的な構成について観察すると、政治はどのように社会に働きかけているのかという客観的な問題と、政治はどのように社会に働きかけるべきかという規範的な問題に大別することができる。しかし現実の政治ではこの二種類の問題は混合した形で現れるものであり、これは後述するように政治の本性が何であるかという議論で表現されている。客観的な観点に立てば、政治は社会に対して秩序を与えており、またその動態を制御するための制度が考案されている。領土と国民を主権の下で統治するという国家の制度や、国家を組織運営する立法府、行政府そして司法府という政府組織、そして統治者を選出するための民主主義の原則に基づいた代議制など、数多くの政治的制度が存在する。さらに政治的作用は制度の体系だけではなく、経済や文化の状況や、企業や圧力団体などの主体に動態的に影響している。市民運動やマスコミの活動は政治的な相互作用を生み出している。
次に政治の規範的問題に移れば、多種多様な政治イデオロギーがこの問題に応答している。政治イデオロギーとは後述するようにさまざまな問題に対する政治的態度を指導する観念の体系であり、代表的なものに自由主義や保守主義、社会主義などがある。また個別的な問題に対するフェミニズムや環境保護主義があり、さらに宗教原理主義までをも含めればさらに政治的態度の種類は多様なものだと認められる。これらの思想や態度が主要な論点としている規範の問題は人間本性や社会の自然なあり方、そして自由や平等、さらには幸福や正義などの理念を踏まえた上での統治者の権力、被治者の権利などに及んでいる。こうした議論が現実の政治秩序を理論的に基礎付けており、憲法、外交、選挙、基本的人権、市場、社会福祉、義務教育、国防などの在り方を示している。
本項目では読者の政治における全般的な理解を助けるために、政治学的な主題を広く扱っている。したがって、いくつかの重要な主題を取り上げ、その詳細についてはそれぞれの項目を参照されたい。そこで第1章では政治の根本的な概念を基礎付ける政治の本性や権力、道徳の原理について概説し、次に主要な政治イデオロギーとして自由主義、保守主義、そして社会主義を取り上げる。また政治体制の観点からは権威主義、全体主義、権威主義の特性などを検討し、政治の場として機能している国家や国際政治の在り方も素描する。そして政治過程を構成する政党や市民、団体などの政治的相互作用に着目し、統治機構についても立法府や行政府などを論じる。最後に政治の出力である政策領域について概括する。ここで詳細に取り上げることができない各国の政治情勢や政治史については各国の政治の諸項目を、政治を研究する政治学の方法や概念については政治学を参照されたい。
政治の原理
   政治権力
権力とは一般に他者に対してその意志に反してでも従わせることのできる能力と一般的な定義が与えられている。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは「抵抗に逆らってでも自己意思を貫徹するあらゆる機会」と捉えている。権力に対する認識については権力が生じる資源の実体性から把握する方法と、権力が生じる他者との関係性から把握する方法がある。フィレンツェの政治思想家ニッコロ・マキアヴェッリは政治権力は軍事力という暴力装置によって裏付けられなければならないと考えており、これは権力資源の実体性から権力を把握するものである。またアメリカの政治学者ロバート・ダールは『誰が統治するのか?』の中で権力を「他からの働きかけがなければBがしないであろうことを、AがBに行わせることが可能なとき、AはBに対して権力を持つ」という他者との関係において定式化している。そして権力は集団において意思決定することで行使されると考えた。この権力の本質をめぐる議論から分かるように、権力の概念とは論争的なものであり、権力は権威や暴力などの概念との関係の観点からも議論される。
フランスの哲学者ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』は権力の概念をめぐる議論で新しい観点を提示した。フーコーの権力理論によれば、近代の刑罰について研究することで知識と権力の密接な関係を「権力と知とは相互に直接含みあう」と指摘している。つまり権力は知識が協同することで初めて人間の行動を支配することが可能となるものであり、科学的な知識であっても権力と無関係に独自に存在するものではないと論じた。権力の概念に対する見解についていくつか概観したが、いずれも政治の根本的な構成要素として権力を位置づけている。なぜなら、政治においてそれぞれの主体は権力を活用することによって目的を達成することが可能となるためである。
権力の機能には他者の積極的な服従と消極的な服従の両方が含まれる。他者の積極的な服従を獲得する能力は厳密に言えば権力と区別して権威と呼ばれる。アメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムが実施したミルグラム実験が示すところによれば、教授の命令に対して多くの被験者は自己に責任が及ばないために、他者に対して継続的に電気ショック[要曖昧さ回避]で危害を加えることが確認できる。このような権威者に対する他者の服従は人間の心理だけでなく、合理性の観点からも理解することができる。イギリスの政治思想家トマス・ホッブズやジョン・ロックの政治思想によれば、権威者がおらず各人が自分の判断で勝手に行動している自然状態において、各人は自己の生命と財産を守るという合理的な理由に基づいて政府組織を構築したと論じている。これは権威者に対して人々が服従することによって安定した秩序がもたらされると考えることができる。ウェーバーは『支配の社会学』において権力が受容される理由を心理的要因や合理的要因とは異なる観点から捉えており、正当性の概念で説明している。つまり人間が権力の働きである支配を受容するさまざまな理由は伝統的正当性、合法的正当性、そしてカリスマ的正当性の三種類に大別することが可能であると論じた。いずれかの正当性を備えているならば、それは支配される人々にとっては服従しうるものとなる。一方で権力は消極的な服従を強制的に獲得する機能も持つことに着目することができる。ドイツの政治思想家カール・マルクスや革命家ウラジミール・レーニンは権力を国家権力に限定して捉え、それが支配階級であるブルジョワジーによって運営されるプロレタリアートに対する暴力的な強制装置であると考えた。このマルクス主義的な権力理論によれば、国家に支配される国民は抑圧されていると考えられる。
   政治道徳
政治において正義とは適切な均衡が存在する状態を言う。この基本的な正義の概念を理解する上で古代ギリシアの哲学者プラトンの議論が参考になる。プラトンは『国家』において正義は個人においては理性、意志、情欲の三つが精神的に調和している状態であり、国家においては政治家の知恵と軍人の勇気、そして庶民の節制の精神が調和している状態を指すものと論じた。しかし均衡をどのように実現するかについてより具体的に考えるならば、分配の問題に取り組む必要がある。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で正義を道徳的に正当な利害の配分と捉え、もしこの配分が正当な均衡を失えば、それは不正な状態であるために是正しなければならないと論じた。
アリストテレスの正義の定式は現代に発展されている。哲学者ジョン・ロールズは『正義論』において共通善を自由と考え、恵まれない人々のために恵まれる人々の自由を制限することで、平等に自由に必要な基本財を分配する正義の理論を展開している。したがって恵まれない人々の基本的な自由を、恵まれた人々が負担することで社会の不正は是正されると論じた。この見解には反論がある。哲学者ロバート・ノージックは自己の自由を最大化するためにある程度の自由を制約しながら社会を形成するのであり、もし恵まれた人々の財産を他の人々のために制限するならば、それは不当な自由の侵害であると指摘した。これらの議論は社会において正義の基準が複合的に存在することを浮き彫りにしている。そこで哲学者マイケル・ウォルツァーは社会の多元性を踏まえた複合的平等を主張しており、またシュクラールが不正義によって被害を受けた人々の意見に注意することを提唱している。
正義論での諸々の立場は倫理学では徳倫理学、功利主義、そして義務論に系統化することができる。徳倫理学はプラトンやアリストテレスに代表される立場であり、いかに善い状態になるのかを主眼に置いている。また功利主義はジェレミ・ベンサムやジョン・スチュアート・ミルに代表される説であり、「最大多数の最大幸福」という言葉でしばしば要約されるように社会万人の利益になる行為を正当化する。そして義務論はイマヌエル・カントに代表される理論であり、理性を以って義務を確立し、それを実施することを正当化する。これらの道徳理論は政治理論や政治イデオロギー、公共政策を正当化している。
政治システム
イーストンは『政治分析の基礎』において政治システム論を展開している。政治を一つのシステムとして捉え、環境からもたらされる入力を変換して社会に価値を権威的に配分し、出力するものというモデルを構築した。政治システムは入力の過程から始まり出力の過程で終る。この入力とは環境からの要求や指示であり、出力とは社会を公的に制御することに関する制作活動である。出力を終えるとフィードバックが始まる。出力された結果は社会に影響を与えてまた新たな支持や要求などの入力過程をもたらす。このフィードバックの循環をフィードバック・ループと言う。
政治システムはアーモンドにより発展させられる。アーモンドは入力機能を政治的社会化と補充、政治的コミュニケーション、利益表出、利益集約があり、出力機能にはルールの作成である立法、ルールの適用である行政、ルールの裁定である司法の三つの機能があるとする。政治システム入力機能である政治的コミュニケーションはマスメディア、利益表出機能は利益団体、利益集約機能は政党が機能を果たしている。
   国家
国家は原則的には一定の限定された領域における統治機構を指すものとして理解できる。政治史において国家はさまざまな形態をとってきたが、政治学において国家は近代の西欧で成立した国民国家を想定している。国家の要件としては、限られた国境線で区分された領域性を持つ領土、領土内で秩序を構築する法律を制定してこれを維持する排他性を持つ主権、そしてそこに居住する住民の言語的、文化的な統合性を持つ国民の三要素が挙げられる。これは国際法において国家の承認を行う際の要件でもある。またジャン・ボダンの『国家論六編』によれば主権には立法権だけでなく、司法権や官職任命権、宣戦布告権や講和権、課税権や貨幣鋳造権などを含む唯一にして不可分の絶対的な権力であると論じられている。
国家論の展開においては小さな政府と大きな政府の議論が重要であった。小さい政府は18世紀にアダム・スミスの経済的な自由主義に始まる「神の見えざる手」の思想が基礎にある。つまり政府は経済活動に介入することなく治安維持と国防だけを行うべきとする議論であり、ラッサールには夜警国家とも呼ばれた。しかし普通選挙制が採用されると市民の政治的な自由が容認され、自由放任の風潮は薄れた。そして格差拡大や貧困の深刻化により政府の役割は社会への介入が増大していき、福祉国家として発展していった。
また近代国家では権力の極端な一元化を避けるための権力の分散の必要性も述べられた。法を制定する立法権、法を適用して判決を下す司法権、そしてそれを除いた国家作用の全てを包括する行政権の三つを分離させて均衡させることをモンテスキューが『法の精神』で論じられた。これが三権分立である。19世紀までの国家は三権の中でも立法権を有する立法府が行政府や司法府に優越する立法国家であったが、20世紀以後には社会福祉政策の充実化が進んで行政府の権限が強化されたために行政国家と呼ばれる。
   政府
政府は国家において安定的な支配を維持するための体制である。政治過程においても構造的な影響を与えるものであり、基本的な政治分析の際にも政治体制は注目される。君主制、貴族制、共和制、民主制、独裁制などさまざまな政府形態が歴史上採用されてきた。アリストテレスは統治者の数とその統治の受益者という二つの観点から分類法を考案した。また別の区分として民主主義体制・権威主義体制・全体主義体制の三分類がある。また制度は可変的なものであり、政権交代や指導者の交代のような政府変動や、支配集団全体の交代をもたらす体制変動は権威主義から民主主義へなどのように基本的な体制の変動を伴う。
民主主義 (Democracy) は国民の政治参加と自由な活動に価値をおく政治体制であり、社会における多様な利害関係や価値観の対立を政治の場で解決することを重視する。独裁制と対比されることもあり、現代では世界的に重要視されている政治理念でもある。国民が直接的に政治に参加する直接民主制と代議員を国民から選出して政治に間接的に参加する間接民主制がある。民主主義の下では政党制、選挙制度また投票行動などが政治過程に影響するようになる。
ロバート・ダールのポリアーキー論は政治体制の分析において、自由な政府批判を容認する公的異議申し立ての度合いと政治関与可能な国民の割合に注目し、両者を兼ね備えているものがポリアーキーと読んだ。ただしこのような伝統的な民主主義は同質的な国民においてのみ成立するものであり、国民の間に同質性がなければ合意は形成できないとしていた。しかしレイプハルトは多極共存型民主主義の理論を展開してそれに反論した。すなわち民族的な同質性は必ずしも必要なものではなく、大連合の形成、相互拒否権の確保、比例性原理、少数派の自立性に基づいた多極共存型民主主義であれば政治秩序を安定させることは可能であると論じた。
世界の政治体制には政治秩序だけではなく全体主義と呼ばれる体制を保持している国もある。全体主義とは個人に対する社会の優越を基礎としてあらゆる思想、生活、社会活動などを統制しようとする政治体制である。これはかつての専制政治とはあらゆる観点から異なったものであった。20世紀における近代技術に基づいた大衆社会の操作性に起因するものである。単一の政治勢力が、社会の価値観や生活様式、政治的な言論を含めた社会全体を再構築し、個人を監視して時には拘束した。ドイツのナチズムやイタリアのファシズム、日本の軍国主義やソビエトのスターリニズムなどが歴史的な事例として挙げることができる。
カール・J・フリードリッヒやツビグニュー・ブレジンスキーは全体主義の特徴を挙げており、まず人間生活の全てを包括する教義となる包括的なイデオロギー、そして社会の再構築を行う単一の政治勢力、大衆の忠誠を獲得して反逆者を処分するための秘密警察すなわち組織的脅迫、さらにイデオロギーを宣伝するためのマスコミの独占、反乱を封じ込めるための武器独占、管理が容易で利益を独占できる統制経済、以上の六つである。全体主義にはソヴィエト連邦のイメージが強いために左翼的、またはマルクス主義的な政治体制と考えられている場合があるが、右翼的な全体主義も十分に考えられる。ただし右翼的な全体主義はドイツのナチズムのように、革命的なイデオロギーよりもむしろナショナリズムに依拠し、国家の偉大さや栄光を強調した全体主義社会を構築しようとする。
権威主義と呼ばれる体制も民主主義の対極にある政治体制として論じられるが、全体主義と混用される場合も多い。権威主義は全体主義のように大衆を統制したり教育したりすることは意図しない。だが権威主義の政治体制においては上層部を占める少数の政治勢力によって大衆の政治参加は最低限に抑制される。リンスによって20世紀のフランコ政権のスペイン政治体制を説明するために提唱された概念であり、形式的で無力な議会制と抑圧的で威圧的な官僚制を特徴とする。全体主義のカリスマ性やイデオロギー性はほとんど認められず、同じものではない。国連大使であったジーン・J・カークパトリックは権威主義と全体主義の違いを強調し、全体主義は一度成立すると自己改革の可能性はないが、権威主義ではそうとは限らないと述べている。
発展途上国の多くは民主主義でも全体主義でもない選択肢として、一党支配という権威主義を経験しているが、結果は芳しくない。ジンバブエの政治体制は1980年に二党制で発足したものの、与党のロバート・ムガベが社会主義を主張し、部族の軍事力を以って敵対勢力を打ち倒し、一党制を成立させる。しかし新しい法規制や税制はことごとく失敗に終わり、また批判すらをも封じ込め、貧困をより深刻化させた。1974年からそれまで権威主義や全体主義を採用していた各国が民主化の傾向に進み始め、チリ、韓国、台湾などは市場の自由化とともに民主化を推進することができた。
市民社会
市民社会 (Civil Society) とは政治において政府の対概念であり、政治に参加する国民の構成員から成る公共的な領域を言う。古代ギリシアのポリスにおける民主主義に起源を見ることが出来るが、近代においては市民革命以後に発生したものとされる。政治的無関心や無責任を示すような政治社会の場合には大衆社会と呼んで区別する場合もある。
市民社会の概念は社会の機能をどこまで含むものとして捉えるべきかで見解が分かれる。ウォルツァーは市民社会を「非強制的な人間の結社の空間」と捉えて家族や宗教、イデオロギーのために形成されるとしたが、これは市民社会を非常に幅広い社会機能の集合として捉えており、市場をも含みうるものとしている。しかしハーバーマスやキーンらは市民社会をあくまで国家権力や市場経済からは独立した人々の活動を基盤とする公的領域として理解する。
   国際政治
国際政治 (International politics) は国内政治と根本的に異なる性質を持っている。政治は国家の内部での事象であったが、国際政治は国家の関係の中で発生するからである。国内政治を観察する場合は国家には主権があり、領域においてその主権は絶対的なものである。しかしながら実際には理論どおりではない。国家の主権が有効である領域においても、例えば外国の軍事力により占領された場合には、もはやその地域の主権の実際の有効性は失われる。その意味で主権は国際政治においては多数が並存する相対的なものとして捉えることができる。世界政府というものは存在しないために主権国家同士は国内政治とはまた異なる種類の権謀術数を行うために、国内政治には見られない同盟や貿易、戦争などの現象も見られる。
国際政治には現実主義と理想主義という二つの学派が存在する。国際政治における現実主義とはマキアヴェリが提起し、E・H・カーやハンス・モーゲンソウにより発展させられた権力政治に基づいた勢力均衡の政治理論と実践を意味する。現実主義によれば国際秩序の安定性は各国の勢力が均衡状態になった場合に生まれるものであり、この権力関係が崩れれば戦争や紛争が勃発するものと考える。
また国際政治の主要な学派である理想主義は国際政治を道徳的な価値観または国際法の観点から見なす理論と実践である。トマス・アクィナスはキリスト教神学に基づいて正戦の本質を議論し、国際秩序において自然法が存在すると論じた。そしてヴェゲティウスは主権国家を規律する国際法を体系化し、近代的な国際法の確立に寄与した。イマニュエル・カントも戦争を回避するために道徳と理性を結合して人類は普遍的かつ恒久的な平和を目指すものと捉えている。
政治イデオロギー
   イデオロギー
政治を人間社会の集合的な意思決定と捉えた場合に、その社会の正義がどのように設定され、どのように達成されようとするのかは非常に重要な問題になってくる。この問題と密接に関わるのがイデオロギー(Ideologie)である。これは国家や階級などの一定の社会集団が保有する政治的な観念である。これは価値体系とも呼ばれ、ある主体の政治的な立場の思想的、理論的な基盤ともなっている。イデオロギーは元々はフランス革命の時代においてデスチュット・ド・トラシーにより『観念学要綱』で用いられた「観念の起源を決定する科学」を意味する概念であった。ダールによれば支配者に正当性を与え、またその政治的影響力を権威に転換させるものである。時代や政治的立場によっては政治的な教義として用いられる一方で、ナポレオンがトラシーを批判して空論家「イデオローグ」と呼んだように、妄想や不毛な思想として蔑視される場合もあった。
イデオロギーはいくつかに分類できる。その最も代表的なものとして挙げられるのが保守主義と進歩主義である。この二分法は革命後のフランス国民公会で保守的な王党派が右側の議席に、革新的なジャコバン党が左側の議席に座っていたことから右と左とも呼ばれる。このようなイデオロギーは政治勢力の分裂と対立をもたらしうる重要な要素であり、冷戦期においては資本主義と共産主義のイデオロギーを巡る思想の争いが国際政治に影響した。
イデオロギーを社会の中でどのように位置づけるのかについてマルクスとエンゲルスは支配階級と被支配階級を前提として、支配階級が自らの支配の正当化を行うための道具だと説明した。これはイデオロギーが空論とする考え方に基づいており、マルクス自身の思想はイデオロギーとは認めなかった。これをカール・マンハイムは批判した。マンハイムは一切の知識は時代的な文脈により制約されているという議論を、知識の存在被拘束性という概念で説明した。さらにアイゼンクはイデオロギーを段階的に発展するものとして捉え、評価の段階である意見、準拠の段階である態度を経て信念の段階であるアイデオロジー(Ideology)が発生するとされる。しかしイデオロギーの終焉を論じる学説もあり、レイモン・アロンは20世紀において経済発展がイデオロギー的な対立を緩和するように働いていることを指摘し、ダニエル・ベルは『イデオロギーの終焉』を著してイデオロギーが知識人の支持を近年失いつつあることを論じた。
   民主主義
民主主義は、封建的な王侯貴族ではなく、税金を払う市民を中心に政治を行うことを主張する政治思想である。個人の権利は、その個人が積極的に政治に参加することによって実現するものであるという。イェーリングは「権利のための闘争」で民主主義の義務と権利について整理している。
   自由主義
自由主義は個人の権利を保護し、選択の自由を最大化することを主張する政治思想である。経済学者アダム・スミスは政府の市場に対する干渉が経済成長を妨げる危険性を指摘した。なぜなら特定の組織が市場を独占すれば、価格の競争や商品開発の動機が失われてしまうためである。つまり経済の自由放任を維持することで市場は自らの調整能力を発揮することが可能となる。この経済学的な見解は、社会が政府から可能な限り自由であるべきという古典的自由主義のイデオロギーとして確立された。しかし古典的自由主義が前提と見なしたほど市場の調整機能は完全ではないことが明らかになると自由主義の理論は近代的自由主義のイデオロギーへと発展する。トマス・ヒル・グリーンは政府による社会への干渉を問題にするのではなく、政府が社会の自由を保障することを問題とした。つまり消極的な政府からの自由を目標とするのではなく、積極的自由を実現するために政府の干渉を正当化した。
   保守主義
保守主義は原則として急進的な革新を否定し、既に確立された社会の秩序を保持することを主張する政治思想である。保守主義はエドマンド・バークの政治思想に由来している。バークの主張はフランス革命での急進的な自由主義の勢力が社会が展開してきた政治の伝統や道徳の基準を破壊することに対して批判的であった。バークは現存する伝統は歴史的な試行錯誤の結果であり、全てが悪いわけではないと考えていた。もし政治制度を改革するならば、革命という手段ではなく、時間をかけて段階的に調整するべきであると論じている。
   社会主義
社会主義は一般的に生産手段を社会的に管理することを主張する政治思想である。自由主義に対する批判としてカール・マルクスは独自の政治理論を発展させた。マルクスは経済学的研究を通じ、資本家の下で労働者は価値を生産するが、その価値の一部だけが賃金として支払われており、余剰価値は資本に奪われる資本の法則を明らかにした。つまり労働者は自らの労働に見合った賃金がないために市場の商品を購入することができない不公平が生じる。レーニンのような急進的な社会主義者はこの不平等を是正するために政治秩序の変革を強いる革命を主張する。一方でベルンシュタインのような穏健な社会主義者は修正主義とも呼ばれ、労働者の生活状況を改善する福祉国家の確立を主張した。
   無政府主義
権力による支配に反対する政治思想である。従って、無政府主義者は国家を廃止して市民自らが築き上げる平等な社会を目指している。
   フェミニズム
女性解放を目指す政治思想であり、あらゆる男女差別の撤廃を目指す(もしくは男性よりも女性を優位にする可能性すらある)。例えば、女性の政治参加の推進であったり、労働環境の改善やハラスメントの反対なども該当する。#MeToo運動なども同様である。19世紀に始まる女性の社会進出を後押ししてきた政治思想である。
政治的相互作用
政治過程とは政策の決定を巡る各集団の利益の対立や合意の形成などの政治的な過程を言う。アーサー・F・ベントリーが1908年に『統治過程論』で従来の制度論的な政治学を「死せる政治学」と読んで批判し、より動態的な現象として政治を分析することを論じたことに始まる。例えば利益団体の活動は制度的な規定を受けていないにもかかわらず、現実には政治的な影響力を行使している。政治過程論はこのような実態に着目して政治に対する入力や出力を明らかにしようとする。
   政治文化
政治システムは比較政治学に分析の基盤となるモデルを提供したが、そのことによって政治システムにとっての外部環境が政治システムに相違をもたらすことが考えられる。これが政治文化である。アーモンドとヴァーヴァによって著された『現代市民の政治文化』では一般の文化には政治的側面があり、それらの集合体が政治文化として政治に影響していると論じた。そしてアメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、メキシコの調査から構成員の認知や評価の志向から未分化型政治文化、臣民型政治文化、参加者型政治文化に類型化された。ただしすべてがこの類型に従うわけでもなく、アーモンド自身がイギリスのような臣民型と参加者型が複合された政治文化があることも重視し、これを市民文化として評価した。
   政党
政党とは政治的な理念や目的を共有し、それを達成するために活動する団体を指す。政党は基本的には私的結社であるが、議会に参加する意味で公的主体でもあり、多くの国が政党の活動に助成金を出している。政党にはさまざまな政治的な機能がある。個別的で多様な国民の意志をまとめあげて議会に媒介する利益集約機能は最も代表的なそれである。さらに政治的指導者の選出機能、意思決定の組織化機能、市民を政治的に関与させる機能、政権担当および批判機能の機能などもあり、民主主義体制においてはこのような政党が十分に機能することを想定している。
政党の分類についてはウェーバーが『商業としての政治』で論じている。ウェーバーは政党が貴族主義的政党から大衆政党に発展していくと論じた。これは政党を目的から区分したものであり、イギリスの政治史とも合致する。またデュヴェルジェは少数の有力者の下に緩やかに組織されている政党である幹部政党と共産党を典型として一般の有権者を基盤として厳格に組織された大衆組織政党という分類を述べている。政治的な思想傾向を反映して保守政党、中道政党、革新政党、包括政党という類型もしばしば用いられる。
政党が社会において存在している形態を政党制と呼ぶ。デュヴェルジェは一党制、二党制、多党制に三分した。そして『政党社会学』で政党が歴史や社会構造、宗教教義、人種、民族対立などに起因するものである一方、政党制は選挙制度と深い関係があることを論じている。またサルトーリは『現代政党学』で非競合的なものと競合的なものを提示した。そしてそれまで二大政党制は安定的な政党制をもたらすと考えられていたが、サルトーリは二大政党制は例外的な政党制であると論じ、穏健な多党制も推奨することで「二大政党制の神話」を否定した。
   政治意識
政治意識は政治への関心、態度、行動の様式を示す概念であり、政治的社会化によって獲得する。この政治意識は普通選挙の導入による政治参加の拡大を通じて人民の意識が注目されることとなった。特にこの非合理性というものについてウォーラスが論じており、人間が常に合理的に行動するという主知主義の立場を批判し、非合理的な側面、例えば愛情、恐怖、憎悪、疑惑、忠誠などの感情、が重要な役割を果たすことを指摘した。したがって民主主義は常に非合理性により自滅する危険性を持ち、このような政治意識は大衆操作に利用することも可能である。政治教育によって政治意識を合理化する必要性もウォーラスは述べている。
   マスメディア
マスメディアは政治社会において人々を政治参加や政治活動に向かわせる。マスメディアは市民社会において議論された公共的な意見である世論を反映し、政府が行う政策を社会に紹介する、媒介者としての役割を担っている。マスメディアの機能は大きく分けて環境の監視、社会部分相互の関連付け、社会的遺産の世代間伝達の三つであるとラスウェルは論じている。マスメディアの問題はさまざまであるが、まず商業主義の弊害が指摘される。マスメディアは中立的な立場を保持しようとしても、企業体である限りは不利益な情報を報道できない場合がある。さらにマスメディアの発達によって政治社会に印象が実体に先行する場合が生まれ、政治的能力と無関係な基準で選挙で選出される政治状況も見られるようになっている。
   圧力団体
圧力団体とはキーによれば公共政策に影響力を及ぼすための私的な団体である。具体的には、業界団体、労働組合、消費者団体、宗教団体、環境保護団体、女性団体などである。圧力団体は利益集団や利益団体と区別される。利益集団とは単に政治に関心を持つあらゆる集団を指し、利益団体は職業的な利益に基づいて組織化された集団であり、圧力団体は利益集団がさらに自己の利益を維持、増大させるための圧力を備えた集団である。
圧力団体の機能には利益表出、代表性の補完、政治のフィードバック、情報提供、政治教育などがあるが、圧力はエリートに限定された手段であり、また一部の利益が過剰に政治に影響を与えるなどの逆機能を併せ持つ。ローウィは『自由主義の終焉』においてアメリカ政治において圧力団体が野放しにされている状況を非難しており、これを利益集団自由主義と称した。アメリカでは圧力団体は議員、官僚との密接な関係を作り上げ、この関係は「鉄の三角形」とも呼ばれ、業界団体、族議員、官僚が特定の権益のために政治に影響を及ぼす強い政策ネットワークが構築されていた。
利益集団は多元主義の考えでは競争関係にある。多元主義とは政治を国家の外側に存在する世論や圧力団体などから説明する考えである。利益集団間の協調によって社会秩序が形成されるという考え方があり、これはネオ・コーポラティズムと言う。つまり政策決定の際に主要な利益集団と官僚が協議することにより遂行されている政治状況であり、オーストリアやスウェーデンが具体例として挙げられる。コーポラティズムとは団体協調主義とも言われ、職能別の代表が政治に参加することで政治的な調和を生み出そうとする思想である。ネオ・コーポラティズムは各分野において一元化された全国組織が存在していることが必要となる。これは政府機関との協議を行う慣行を形成するために不可欠な要件である。
統治機構
   立法府
立法府は政治制度において特に重要な立法権を掌握している政治機関であり、基本的には法案を審議して制定することができる権限を持つ。また憲法改定の提案、条約の批准などの権限を持つ場合もあり、他の政府機関に対して優越的な地位にある。議院内閣制を採用している場合では立法府は行政府に対して直接的な影響力を保有している。
立法府は複数の国民の代表が出席した議会で審議を行うことで成り立っている。議員はエドマンド・バークは18世紀にブリストル演説で国民全体の代表と定めており、単なる選出母体の指示に従って行動する委任代理ではないことを明示した。選挙により選出される議員は提出される法案について審議を行い、多数決の原理に従って制定する。この多数決原理は多数派と少数派との間で妥協のと譲歩の可能性が吟味され、十分に建設的な議論に基づいて行われなければならないとされている。
しかしながら現実の政治ではしばしば政治問題の専門化と複雑化に対する議会の無能力、緊急的な政治問題に対する立法過程の遅滞などの問題が指摘されている。
   行政府
行政府は立法と司法の機能以外の国家作用を行う政治機関である。各国によって微妙に異なるが、行政府の長である大統領または首相は国家の代表として一般的に認識され、外交権、統帥権、任命権、立法権など、国家の最高指導者として非常に総合的な権限を持っている。
行政府の具体的な制度は国によって一様ではない。例えば大統領制と議院内閣制がある。大統領制は独自に選挙を経て大統領を選出する。この過程において議会が直接的に選出に介入することはできない。一方で議院内閣制では議員の中から行政府の長となる人物を選出し、また場合によっては不信任決議によって首相を罷免することにより影響力を行使することが可能である。ただし議院内閣制はイギリスのサッチャー首相のように議会に強い基盤を持っていれば大統領よりも強い権力を発揮することが可能である。
またフランスやドイツでは首相と大統領両方が存在するが、これらの国では大統領は名目的な地位に過ぎないことが多い。従って大統領制においては行政府が立法府から独立しており、議院内閣制の下で選出された首相は議会に対して責任を持っている。また別の制度として半大統領制・議院内閣制・議会統治制・首相公選制などもある。
   司法府
司法府は立法により制定された法律を適用して裁定する政治機関であり、裁判所から構成される。法には法体系の基礎となる憲法を最高位として、犯罪行為を取り締まる刑法、賠償や商行為などについて定めている民法、政府機関の規則や命令を含む行政法、国家間で合意された条約などを含む国際法などがあり、また慣習法となっているものや成文法として確立されているものもある。国民に対して法を適用するだけではなく、三権分立が確立された国家において立法府にはおおむね立法に対する審査権が付与されている。例えばドイツの憲法裁判所は法律が憲法に違反するかどうかを審査する権限を持っている。
ただし全ての司法府がそうであるとも限らない。アメリカでは最高裁判所に連邦法の違憲審査権について特別に規定されていない。またゲリイが「裁判官を政治家にする」と批判したように、違憲審査権を司法府に与えることも見送られている。しかし立法府の権限を規制するためには、また三権分立の思想を実現するためには、裁判所の権限が必要であった。ただし実際のほとんどの国の司法府には政治的な影響力が認められず、またそれが期待されていることも少ない。何故ならば、最も上位の裁判所である最高裁判所ですら審理される案件はごく一部であり、そもそも司法府の権限は立法府によって規定されている。裁判所の決定を実行するためには行政府の権力が必要となる。そして重要な着眼として、裁判官には「法の下の平等」という思想に基づいて常に公平であることが要求されているからであり、政治的な立場に偏りがあることは望ましくないとされる。
   官僚機構
公共政策
近代社会は複雑化が進んでいるために非常に多面的であるが、近代・現代の政治機構はほぼすべての領域において政策機能を発達させており、何らかの影響力を行使することができる。
   安全保障
安全保障は自らの価値を何らかの手段により脅威から守ることである。安全保障でまず問題となるのは国家の存続と独立、国民の生命、財産、つまり国防である。
これらは国家安全保障の上で最も基本的な国益として設定されるものであり、これを守るために軍隊が必要とされる。
国防は軍事力を「抑止力」として準備し、また戦争や紛争事態において実際に運用することで行われる。仮想敵国に自国の単独防衛だけで対処できないと思われる場合には同盟を形成して勢力均衡を図ろうとする。その勢力均衡の結果、核戦略が国防において重要な領域となっており、核抑止理論を基礎とした仮想敵国の制圧が目指される。
しかしこのような従来の安全保障では十分に平和を保持できず、また戦争が勃発した際に戦火が拡大する恐れがあったため、集団安全保障の体制が第一次世界大戦後〜戦間期における国際連盟、第二次世界大戦後〜現在における国際連合で追求された。集団安全保障は参加国が武力の不行使を相互に約束し、もしそれを破棄する参加国がいれば他の参加国がそれに対して制裁を実施することで秩序を回復するものであった。
近年は安全保障の概念は広がりを見せており、「人間の安全保障」と呼ばれるように、エネルギー、食糧、人権などが安全保障の対象となり、経済的手段や外交的手段が安全保障において重要視されるようになっている。
   経済産業
政治にとって経済は規制を最小限にして市場経済の下に自由な取引を促進すべきものという資本主義の発想と、計画経済の下にある程度の管理に置いて必要な公共財を提供するという社会主義または共産主義の発想と、2種類のあり方が存在する。
これは経済を巡るイデオロギーと関連した論争であるが、現代の政治を観察すると現実の経済状況によって必要な産業復興支援や金融政策を打ち出している。
事実的な意味で経済が政治とどのように関わっているのかには4つの主要な考え方がある。
イギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルに代表される新古典派経済学では「経済は政治から独立した活動」である。
「経済が政治を規定するものである」と考える学説に、カール・マルクスに端を発するマルクス経済学・マルクス主義がある。
一方で反対にジョン・メイナード・ケインズによるケインズ経済学では「市場経済には政治的な統制を要する」と強調する。
加えて、政治経済学では経済と政治の相互作用の中で政策が形成されると捉える。
   社会福祉
政治の機能を安全保障や治安維持などに限定する「自由主義国家論(夜警国家)」(あるいは小さな政府)に対し、政治が福祉に注目する「福祉国家論」(あるいは大きな政府)が登場したのは比較的最近のことである。
国家が国民の生活水準を保証するための近代的な社会保障制度を構築し始めたのは現代に入ってからである。
失業や傷病等による就労不能等により所得を喪失した場合に現金給付を受ける「所得保障」、医療サービスの機会を確保する「医療保障」、高齢者や一人親家庭(母子家庭・父子家庭)、障害者等に対する一定のサービス提供を保障する「社会福祉」のサービスという3種類に福祉政策の機能は分類できる。
ウィーレンスキーは、64ヵ国の福祉国家の国民総生産(GNP)に対する福祉支出の割合を調査して福祉国家の度合いを比較したが、その度合いはその国の政策やイデオロギーとは関係なく、経済の発展水準によることを論じた。経済水準の向上は少子高齢化をもたらし、福祉の必要性を増大させると政府は福祉政策を徐々に充実させていくからだと考えられる。しかしこれは政治的要因が考慮されていないことや、福祉支出の対国民総生産(GNP)比だけが問題となっていることなどが批判され、キャッスルズがより研究を精緻化し、政府の財政規模が大きいほど所得再配分(富の再分配)が頻繁に実施される一般傾向を示した。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2024/3


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