あいかわやき |
【相川焼】 |
金太郎焼、無名異焼 |
陶器 |
新潟県佐渡相川 |
佐渡国相川 |
佐渡相川鉱山の土を原料にした陶器。日用粗陶製品が多い。金太郎焼。無名異焼。 |
あいづやき |
【会津焼】 |
本郷焼、若松焼 |
磁器 |
福島県会津若松市 |
会津地方 |
正保年間に始まり、のち白磁染付けなども産したが日用品が多い。本郷焼。若松焼。正保4年(1647)〜 |
あかしやき |
【明石焼】 |
|
陶器 |
兵庫県
明石
|
播州明石地方 |
幕末、播州明石地方産の陶器。元和年間(1615-24)〜大正年間 |
あがのやき |
【上野焼】 |
古唐津・古高取
風 |
陶器 |
福岡県田川郡赤池町 |
豊前国上野 |
慶長5年、細川三斎に従って渡来した朝鮮の尊楷(日本名、上野喜蔵)が創始。遠州七窯の一つ。慶長7年、細川忠興が小倉へ移封になったとき招かれて小倉へ移り、城下の菜園場村に窯を築き、後に上野に移した。作風は素朴重厚で釉薬は主として土灰釉・藁灰釉・鉄釉。
形
の特徴は茶碗でも鉢でも向付・皿でも、高台が比較的高く、俗にバチ高台と呼ぶ外の開いた高台のもの。特徴の銅呈色による緑色の釉の掛かったものは全て皿山本窯のもので、窯印の「左巴に甫」「右巴に高」は幕末天保頃で、古い上野焼には印がない。慶長10年(1605)〜 |
あかはだやき |
【赤膚焼】 |
常滑風、京焼風 |
陶器 |
奈良県大和郡山市、奈良市五条町付近 |
大和国五条村 |
室町時代に土風炉などが焼造され天正年間(1573-1592)に郡山の城主が常滑の陶工与九郎を招いて開窯。しかし江戸中期頃までは不明。天明年間(1781-1789)に京都の陶工治兵衛らが五条山で開窯。まもなく柳沢堯山侯の後援を得て盛業が続いた。奥田木白が名工として著名。京焼風の茶器などの陶器。遠州七窯。天正年間(1573-92)〜 |
あこうやき |
【赤穂焼】 |
雲華焼、江戸今戸焼風 |
陶器 |
兵庫県赤穂市 |
|
兵庫県赤穂市の焼き物。幕末大島宗舟が江戸今戸焼に陶法をならい開窯。雲華焼を主としたが、楽焼、交趾写しなども作っている。幕末〜 |
あこぎやき |
【阿漕焼】 |
再興安東焼、安東焼 |
陶器 |
三重県津市阿漕ケ浦 |
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三重県津市の阿漕ケ浦付近に産した陶器。再興安東。文久年間(1861-4)〜 |
あさひやき |
【朝日焼】 |
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陶器 |
京都府宇治市朝日山 |
山城国宇治 |
小堀遠州の指図で茶器を焼いたが一時絶え江戸末期に再興。遠州七窯。慶長年間(1569-1615)〜 |
あまくさやき |
【天草焼】 |
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陶器 |
熊本県南西部の天草諸島 |
天草島 |
天草石を原料とし主に茶器、菓子器、花瓶などを製する。水の平(たいら)焼。 |
ありたやき |
【有田焼】 |
【伊万里焼】 |
磁器 |
佐賀県有田地方 |
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文禄・慶長の役(1592-98)の際に朝鮮半島からつれてこられた陶工・李参平が1616年(元和2)に泉山で良質の白磁鉱を発見したことにはじまる。染付、赤絵の日用食器が多い。伊万里焼。 |
あわじやき |
【淡路焼】 |
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陶器 |
兵庫県三原郡南淡町付近 |
伊賀村 |
文政2年伊賀村の賀集娶平(かしおみんぺい)の創始。黄色の釉を用いる。文政年間(1818-20)〜 |
あわたやき |
【粟田焼】 |
京焼、粟田口焼 |
陶器 |
京都府京都市東山区粟田付近 |
京都粟田口 |
近ごろ京焼では清水焼が磁器で、栗田焼は陶器を主として焼造している。古くは栗田口焼があり、岩倉山・錦光山・宝山などが著名。近世以降、京都、粟田口から産した陶器。 |
あんとうやき |
【安東焼】 |
古安東、万古焼風 |
陶器 |
三重県津市 |
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安永・天明(1772-1789)ごろ津の藩主藤堂高豊侯が、万古焼の沼波弄山(ぬなみろうざん)の陶工であった瑞牙を招いて安東村で焼かせたのがはじまり。作調は古万古風の色絵を主とするが、なかには焼締め無釉の素地に色絵付したものもあり、古安東の特色の一つになっている。安永・天明年間(1772-89)〜 |
いがやき |
【伊賀焼】 |
|
陶器 |
三重県伊賀上野市付近 |
伊賀国阿山郡丸柱村 |
同地を領有した大名の名にちなみ筒井伊賀、藤堂伊賀、高魏(たかさと)伊賀などと呼ぶ。また、茶人小堀遠州の示教を受けたといわれるものを遠州伊賀という。天平年間(729-49)〜 |
いずしやき |
【出石焼】 |
伊万里風 |
磁器 |
兵庫県出石町 |
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創始は明和元年(1764)長谷治郎兵衛と伊豆屋弥左衛門が出石町細見で開窯した土焼窯であるが、 のち享和元年(1801)出石町谷山に移窯して、伊万里風の磁器を焼き盛業をみた。明和元年(1764)〜 |
いずもやき |
【出雲焼】 |
|
陶磁器 |
島根県 |
|
島根県で焼造された陶磁器。楽山、布志名など多くの窯がある。 |
いそやき |
【磯焼】 |
【薩摩焼】 |
陶器 |
鹿児島市吉野町 |
磯 |
薩摩焼の一つ。嘉永6年藩主島津斉彬が別邸のあった磯(鹿児島市吉野町)で製造したのに始まる。昭和2年頃まで続いた。安政(1855)〜 |
いちのくらがま |
市之倉窯 |
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陶器 |
岐阜県多治見市市之倉 |
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文禄の頃、加藤輿左衛門常政がこの地から出る粘土に魅力を感じて開窯。盃は全国生産の九割を占む。文禄年間〜 |
いぬやまやき |
【犬山焼】 |
呉須赤絵風 |
陶器 |
愛知県犬山市今井 |
尾張国犬山付近 |
尾張国犬山付近の今井村、後に丸山村で焼いた陶器。奥村伝三郎が初代。初めは土器であったが、のち赤絵付陶を作る。桜花と楓の絵、あるいは中国産のいわゆる呉須赤絵のものが多い。宝暦年間(1751-64)〜 |
いまどやき |
【今戸焼】 |
楽焼風 |
陶器 |
東京今戸町(浅草付近) |
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天正年間(1573-1592年)頃、千葉家の一族が現在の東京都台東区に開窯し瓦や土器をつくった。後に今戸焼人形といわれる塑像が知られる。貞享年間(1684-8)〜 |
いまりやき |
【伊万里焼】 |
有田焼、大川内焼、平戸焼、波佐見焼 |
磁器 |
佐賀県有田町一帯 |
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佐賀県有田町とその付近一帯に産する磁器の総称。有田焼、大川内焼、平戸焼、波佐見焼など。製品を伊万里港から出荷したところからの名。元禄以前の作は「古伊万里」という。 |
いりやけんざん |
【入谷乾山】 |
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陶器 |
東京都台東区 |
江戸入谷村 |
尾形乾山作の陶器で江戸入谷村(東京都台東区)で作成されたものの称。 |
いわおやき |
【巌焼】 |
長浜焼 |
陶器 |
島根県浜田市 |
石見国那賀郡長浜村 |
文政ごろに創
窯
。亀、かに、猿などの動物をかたどった細工ものが主で、楽焼に近い軟質陶。長浜焼。 |
いわみやき |
【石見焼】 |
|
陶器 |
島根県大田市、邇摩郡、江津市、浜田市 |
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三十余の陶器窯から産する日用粗陶器。宝暦年間〜 |
いんきゅうざんやき |
【因久山焼】 |
京焼風 |
陶器 |
鳥取県八頭郡郡家町久能寺 |
因幡国久能寺 |
因幡国久能寺という地名から窯名がつけられた。明和年間(1754-1772)に京都より陶工を迎え開窯。寛政年間(1789-1801)〜 |
いんべやき |
【伊部焼】 |
【備前焼】 |
陶器 |
岡山県備前市伊部 |
備前国 |
一般に備前焼と呼ぶ備前国のせっ器。胡麻釉(表面に灰が被り黄色のごま状ののものが付着したような肌)がかかり光沢のあるものを特に伊部焼とも呼ぶ。茶壺、茶碗、酒壜、置物を得意とする。伊部の語源は古代、祭器(須恵器)をつかさどる忌部氏に出たもの。(釉を用いず鉄分を混ぜた化粧土を薄く塗って光沢をつけ黒みがかった色合いに焼く?) |
うしのとがま |
牛戸窯 |
|
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鳥取県八頭郡西郷村牛戸 |
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鳥取県八頭郡西郷村牛戸で天保年間(1830-1844)金河藤七によって開かれた窯で、明治のはじめには各地に販路が開けていたが、その後瀬戸・美濃に押されて衰微した。昭和のはじめ鳥取民芸館の故吉田璋也氏の目にとまり民芸窯として新生した。吉田璋也(1898-1972)鳥取市の医家に生まれ、新潟医専在学中に「白樺」人道主義に傾倒、柳宗悦が指導する民藝運動に参加し有力メンバーとなった。鳥取に戻ってからは牛戸窯や因州和紙を再興し、木工、染織などの新作民藝を指導。中井窯や出西窯などの民窯を応援し、職工人団体の民藝協団をつくるなど、生涯、民藝運動に没頭した。 |
うつつがわやき |
【現川焼】 |
|
陶器 |
長崎県現川名 |
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元禄5年(1692年)田中五兵衛が子の甚内と創業したが寛保(1741-1744年)頃廃窯。その作品は非常に上作薄手で一見京焼風である。刷毛目を効果的に利用し絵付には白土、鉄、たんばん、呉須などをつかっている。現在、佐世保市の横石臥牛窯で復興されている。元禄5年(1692)〜寛保(1741-4)頃 |
うばがもちやき |
【姥ケ餅焼】 |
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陶器 |
滋賀県草津市 |
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滋賀県草津市の街道茶屋・姥ケ餅茶屋の主人が創始。茶陶と茶屋使用の雑器の二種がある。創始の年代については、元文(1736-1741年)頃と宝暦(1751-1764年)頃との説がある。作品のなかでとくに黒楽茶碗は楽家の左入に託して焼いたといわれる。 |
えちぜんやき |
【越前焼】 |
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陶器 |
福井県丹生郡織田町・宮崎村付近 |
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焼締めの陶器。日本六古窯。鎌倉初期〜 |
おうじやまやき |
【王地山焼】 |
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磁器 |
兵庫県多紀郡篠山町 |
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青磁が優秀である、ほかに染付・赤絵もある。文政(1818-20)初年〜明治 |
おおかわちやき |
【大川内焼】 |
【伊万里焼】、鍋島焼 |
磁器 |
佐賀県 |
肥前国松浦郡大川内 |
鍋島焼。 |
おおたかやき |
【大高焼】 |
粟田焼 |
陶器 |
愛知県 |
尾張国知多郡大高村 |
明和年間に山口金延が粟田焼にならって製作した陶器。 |
おおたにやき |
【大谷焼】 |
|
陶器 |
徳島県鳴門市大谷 |
|
江戸中期、阿波藩蜂須賀侯の御用窯として開かれ
間
もなく廃止され、その後民窯として阿波特産の藍染用の甕をつくってきた。紐づくりや蹴りロクロによる大甕や大鉢の作製が今でも続けられている。江戸中期〜 |
おおたやき |
【太田焼】 |
薩摩錦手
風
、真葛焼 |
磁器 |
神奈川県
横浜市中区南太田町 |
|
明治4年鈴木佐兵衛が京都清水、真葛原の陶工を招き、鹿児島から土を取り寄せて焼いた。薩摩錦手に似る。真葛焼。 |
おおひやき |
【大桶焼】 |
|
陶器 |
石川県金沢市大桶町 |
|
貞享3年(1686)〜現在 |
おおひらやき |
【太平焼】 |
|
陶器 |
岐阜県 |
美濃国可児郡久々利村太平 |
瀬戸系の古窯。 |
おけはざまやき |
【桶狭間焼】 |
【古戦場焼】 |
陶器 |
愛知県
名古屋市緑区南部 |
桶狭間 |
桶狭間の古戦場付近で瀬戸の陶工加藤勝助が嘉永年間に焼いた陶器。器底に「古戦場」および勝助の号「春永」の印がある。古戦場焼。 |
おしこうじやき |
【押小路焼】 |
|
陶器 |
京都市粟田口 |
|
京都市粟田口で寛永元年(1624年)に開窯した三文字屋九右衛門の子の庄左衛門と助左衛門が、同押小路東洞院東入るで創業した窯。明和(1764-1672年)までつづいた。 |
おつきやき |
【小月焼】 |
|
陶器 |
山口県下関市小月 |
|
日用品を主とする陶器。慶応年間、藩主の清末家に招かれた京都の陶工藤崎惣介が焼き始めた。 |
おとこやまやき |
【男山焼】 |
|
磁器 |
和歌山県有田郡広川町 |
|
和歌山県有田郡広川町の辺りで文政10年から崎山利兵衛が焼いた磁器。文政(1818-30)の頃〜明治11年(1878) |
おとこやまやき |
【男山焼】 |
|
陶器 |
兵庫県姫路 |
|
明治10年兵庫県姫路で士族への授産を目的に男山で焼いた陶器。4〜5年で廃された。 |
おどやき |
【尾戸焼】 |
京焼風 |
陶器 |
高知県 |
土佐国尾戸 |
承応2年、野々村仁清の門人久野松柏が藩主山内忠義に招かれて
始
る。承応2年(1653)〜 |
おとわやき |
【音羽焼】 |
京焼 |
陶器 |
大阪府貝塚市堀新町 |
|
京焼の一つでその源流にあたる。寛文年間の創始といわれる。享保頃京都五条坂に移された窯が五条清水焼であるとされ、初期の音羽焼は無印で古音羽という。寛永四年酒井庄太郎の創始により、大阪府貝塚市堀新町あたりで産した陶器。京音羽焼の分派とみられる。 |
おにゅうやき |
【遠敷焼】 |
|
陶器 |
福井県遠敷郡上中町三宅 |
|
嘉永元年小西藤兵が田土で小器を作ったのに始まる。しもぶくろやき。 |
おばたやき |
【小畑焼】 |
【萩焼】 |
磁器 |
山口県萩市小畑 |
|
萩焼の一種。 |
おふけやき |
【御深井焼】 |
美濃焼風 |
磁器 |
愛知県
名古屋 |
名古屋城御深井丸 |
名古屋城御深井丸の御用窯。元和3年(1616)〜 |
おむろやき |
【御室焼】 |
仁清焼、おもろやき、仁和寺焼 |
陶器 |
京都府 |
|
江戸時代初期、野々村仁清が京都御室仁和寺の門前に開窯。智や仁金森宗和の指導で好みの茶碗、茶入、茶碗などを焼いた。仁清没後も継続され永楽和全もここで焼いたという。元禄初年で絶えた。仁清焼。おもろやき。仁和寺焼。 |
おりべやき |
【織部焼】 |
|
陶器 |
岐阜県土岐市 |
|
岐阜県土岐市泉町久尻元屋敷。慶長(1596-1615)初年頃〜寛永(1624-44) |
おんこやき |
【温故焼】 |
御勝山焼 |
陶器 |
岐阜県大垣市赤坂 |
|
嘉永2年、清水平七(温故)が創始。御勝山焼。 |
おんたやき |
【小鹿田焼】 |
|
陶器 |
大分県日田市 |
|
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