氷期(氷河期)・間氷期・温暖化

氷河期1現在は間氷期氷河期2/気候の移り変わり寒冷期と温暖期太陽黒点数の変化大気CO2濃度変動氷期間氷期サイクル周期ミランコビッチ説氷期間氷期サイクル基礎氷期間氷期サイクルと地球軌道地球は氷河期に突入した氷河期3地球の秘密氷河期明けの寒の戻り日本と氷河期ヨーロッパ大陸北グリーンランドの氷床縄文時代に見る地球温暖化佐渡の1万年後・・・
 

雑学の世界・補考   

氷河期 (ice age) 1

地球の気候が長期にわたって寒冷化する期間で、極地の氷床や山地の氷河群が拡大する時代である。氷河時代(ひょうがじだい)、氷期(ひょうき)とも呼ばれる。まれに氷河紀と書かれることがあるが、地質時代を区分する単位(紀)ではないため正しくない。
氷河学的には、氷河期という言葉は、南半球と北半球に氷床がある時期を意味する事が多く、この定義によれば、グリーンランドと南極に氷床が存在する現代、我々は未だ氷河期の中にいることになる。過去数百万年に関して言えば、氷河期という言葉は一般的に、北アメリカとヨーロッパ大陸に氷床が拡大した寒冷期について用いられる(アジア地域は氷床が発達せず寒冷な地帯であったらしい)。この意味で言えば、最後の氷河期は1万年前に終了したということになる。この約1万年前に終わった出来事を、文献によっては「最後の氷河期」と記載していることもあるが、科学者の多くは氷河期が終わったのではなく、氷河期の寒い時期「氷期」が終わったとし、現在を氷期と氷期の間の「間氷期」と考えている。そのため、最終氷期終了後から現在までの期間を後氷期と呼ぶこともある。
ここでは、氷河期は氷河学的な意味で使用し、氷河期の中の寒い時期を氷期(ひょうき、glacial)、氷河期の中のかなり暖かい時期を間氷期(かんひょうき・かんぴょうき、interglacial)と呼ぶ。
過去数百万年は、4万年から10万年の周期で多くの氷期が起こり、これについては研究がさかんに行われている。各氷期と間氷期ではそれぞれ平均気温が異なり、最近の氷期では年平均気温で7-8℃以上低下したというデータもあるが、「気温何度から氷期」というわけではない。その間にも小氷期、小間氷期が認められる。ヨーロッパでは古い方から「ギュンツ」、「ミンデル」、「リス」、「ウルム」の4氷期に区分されている。
数万年単位などの短期的視野ではなく、さらに大局的・長周期的に見ると過去地球上では、少なくとも4回の大氷河期があった。過去五億年の周期図について代表的な氷河期の項目で後述する。
この長い「氷河時代」が重要なのは人類の進化に並行しているからである。氷期が訪れると海岸線が極端に遠退き、陸上の大部分が氷に覆われる。そのため動植物も激減し、動植物を食料とする狩猟採集生活の人類にとっては、大きな打撃であった。人類(猿人)になる前は樹上生活であったらしいが、氷期の環境で地上生活を始め、2足歩行を開始し人類となったというのが通説である。  
氷河期理論の起源
ヨーロッパの山岳地帯に住む人々にとって、過去には氷河がより広がっていたというのは一般的な知識であり(Imbrie and Imbrie 25ページには木コリがスイスのグリムゼル氷河の過去の広がりについて Jean de Charpentier に語ったことが引用されている)、誰かがこのアイデアを作り出した訳ではない。J. Charpentier はこの説を支持する証拠をまとめあげた。1836年には理論をルイ・アガシーに納得させ、アガシーは、Étude sur les glaciers を1840年に出版した。
この最初の段階で研究されたのは現在の氷河期の中で過去数十万年に起こった氷期についてであり、更に過去の氷河期の存在については想像されもしなかった。
氷期の証拠は様々な形で得られる。岩が磨かれたり削られた跡(擦痕)やそのような浸食作用をうけてきた独特の形状の岩(羊背岩など)、氷河の末端や縁辺に堆積した角礫(モレーン)、独特の氷河地形(ドラムリン、氷河谷など)、「ティル」や「ティライト」等の氷河性堆積物である。しかし繰り返し起こる氷河作用が、それ以前の氷河作用の地質学的証拠を変形・消去することで解釈を難しくしており、現在の理論に到達するまでには時間がかかった。
近年では氷床コアや海底堆積物コアの解析により、氷期間氷期の過去数百万年を明らかにすることが可能になっている。
代表的な氷河期
過去地球上では、少なくとも4回の大きな氷河期があった。24億年前から21億年前頃の原生代初期に最も古い氷河期(ヒューロニアン氷期 Huronian glaciation)があったことが仮説として考えられている。
証拠が残っているもので一番古いのは(原生代末期)の7億5千万年前からの氷河期(スターティアン氷期 Sturtian glaciation(〜7億年前)およびマリノア氷期 Marinoan glaciation(〜6.4億年前))で、過去10億年のなかでおそらくもっとも厳しいものであり、氷が赤道まで覆いつくしスノーボールアース(全地球凍結、全球凍結)を作り出した。この氷河期の終結が引続き起きたカンブリア爆発の原因になったと言われているが、この説はまだ新しく現在も論争の的である。
古生代には、4億6千万年前から4億3千万年前にかけて小さな氷河期(アンデス−サハラ氷期 Andean-Saharan glaciation)があり、同じく古生代の3億6千万年前から2億6千万年前にかけてにも氷河の拡大期(カルー氷期 Karoo Ice Age)があり、このときには生物の大量絶滅が起きている。
現在の氷河期は、4000万年前の南極の氷床の成長により始まり、300万年前から起きた北半球での氷床の発達とともに規模が拡大した。更新世に向かうにつれて更に激しくなり、その頃から氷床の拡大と後退の繰り返しによる4万年と10万年の周期が世界中で見られるようになった。最後の氷期(最終氷期)は約1万年前に終った。
氷期と間氷期
それぞれの氷河期と氷河期の間には数百万年続く温暖な期間がいくつかある。更に氷河期の期間中にも(少なくとも最近の氷河期では)より寒冷な時期とより温暖な時期がある。より寒冷な時期が「氷期」、より温暖な時期が、例えば「エーミアン間氷期」のように、「間氷期」と呼ばれている。
最近の氷期が終わったのは、1万年ほど前である。現在は典型的な間氷期が1万2000年ほど続いていると考えられているが、氷床コアデータによる精密な時期の断定は難しく、世界的な寒冷化をもたらす新しい氷期が間もなく始まる可能性もある。今のところ「温室効果ガス」を増加させている人為的な要因の方が、ミランコビッチの軌道周期のどの影響よりも重いだろうと信じられているが、地球軌道要素に対するより最新の研究は、人間活動の影響が無いとしても、現在の間氷期は少なくとも5万年は続くだろうとも示唆している。
氷期と間氷期の変動に関連して、アメリカ国防総省が専門家に依頼して作成した地球温暖化の影響による大規模な気候変動を想定した安全保障についての報告書(Schwartz, P. and Randall, D. 2003)の存在が2004年に明るみに出て注目を集めた。それによると、地球温暖化による海流の変化が原因で、北半球では2010年から平均気温が下がり始め、2017年には平均気温が7〜8℃下がるという。逆に南半球では、急激に温度が上がり、降水量は減り、旱魃などの自然災害が起こるという。  
氷河期が起こる原因
主な3つの要因
なぜ「氷河期」が起こるのか。これは大きなスケールで起こる氷河期についても、氷河期の中で起こるより小さな氷期/間氷期の繰り返しについても、いまだ議論されている問題である。一般的な総意としては、大気組成(特に二酸化炭素とメタンのフラクション)と、「ミランコビッチ・サイクル(英語版)」として知られる、太陽を回る地球の軌道要素(おそらく銀河系を回る太陽系の軌道も関係する)、大陸の配置の組み合わせ、の3つの要素が組み合わされたものがその原因とされている
大気組成の変化
3つの要因のうち、最初の「大気組成の変化」は特に最初の氷河期について重要な原因とされている。スノーボールアース仮説では原生代後期の大規模な氷河時代の始まりと終りは、大気中の二酸化炭素濃度の急激な減少と、急激な上昇が原因であると主張している。残りの二つの要素については、現在最も議論が盛んに行われている。
大陸の配置
北極圏と南極圏に大陸がどれだけ配置されているかが、氷河期が起こる際に重要であることがわかってきた。特に、新生代氷河期が始まった原因は大陸の配置の変化によるところが大きいとされる。それは、大陸の存在によって寒冷期に雪や氷が集積することが可能になり、この現象はアルベド効果のような正のフィードバック効果の引き金となるからである。また、大陸の配置は海洋や大気の循環システムにも大きな影響を与える。
新生代氷河期開始の原因
新生代の氷河時代が始まった原因の大きなものとして南極大陸の移動がある。中生代にゴンドワナ大陸の一部であった南極大陸の分裂と南への移動によって南極大陸の寒冷化が始まり、分裂と南下によって発達した南極環流が南極大陸への熱輸送を遮るようになり更に寒冷化を進めた。4000万年前には南極の氷床の成長が始まり、3000万年前には巨大な氷床で覆われるようになった。その後、300万年前頃から北半球でも氷床の発達が始まったが、この原因としては、北アメリカ-ユーラシア大陸の配置に加えて、パナマ地峡の形成による大規模な海流の変化、ヒマラヤ山脈の隆起による大気システムの大きな変化が提唱されている。
地球軌道要素の変化
地球軌道要素は長期にわたる氷河期では大きな原因とはならないが、現在の氷河期の中で交互に起こっている凍結と溶解の繰り返しのパターンを支配しているように見える。地球軌道とアルベドの変化の複雑なパターンによって、氷期と間氷期の二つのフェーズが起こるようである。
氷河期については現在の氷河期、特に最近40万年間について詳しく研究され理解が進んでいる。最近40万年のデータは、大気組成や気温、氷床量の指標が記録されている氷床コアの分析から得ることができるからである。この期間は氷期/間氷期の繰り返しがミランコビッチの提唱した周期(ミランコビッチ・サイクル)とよく呼応しているので、その説明として軌道要素が一般的に受け入れられている。太陽からの距離の変化(軌道離心率)、地軸の歳差運動、地軸の傾き(傾斜角)が複合して、地球が受ける日射量の変化に影響を与えている。特に重要なのは季節性に強い影響を与える地軸の傾きの変化である。たとえば、北緯65度における7月の太陽光の入射量は計算によれば最大で25%(1平方m当たり400Wから500W)変化するとされている。夏が涼しい時、前の冬に積もった雪が溶けにくくなるので氷床は前進するというのは広く考えられていることである。日射量のわずかな変化は「前の冬の雪が完全に溶解する夏」と「次の冬まで溶けずに残る夏」の間のバランスを調節する。何人かの研究者は、軌道要素は氷期の開始の引き金になるには弱過ぎるとしているが、二酸化炭素のようなフィードバック機構でそれは説明できる。
ミランコビッチ説の問題点
ミランコビッチ周期は、地球軌道パラメーターの周期的な変化が氷河作用の記録に表現されているであろうと予言したが、氷期/間氷期の交代にどのサイクルがもっとも重要であるのかについては更なる説明が求められている。特に過去80万年の間、氷期/間氷期が繰り返す周期は10万年が支配的であり、これは地球軌道要素の離心率と軌道傾斜角の変化に対応しているが、ミランコビッチに予言された3つの周期の中でははるかにもっとも弱いものである。300万年前〜80万年前までの間、氷河作用の支配的なパターンは、地軸の傾き(傾斜角)の変動の4万1000年周期に対応していた。一つの周期が他のものより卓越する理由はまだ理解されておらず、現在重点的に研究が行われている分野であるが、その回答は、おそらく地球の気候システムの中で起こる共鳴現象と関係すると予想される。
最新の研究
従来のミランコビッチの説では10万年周期が支配的な時期が過去8回あったことの説明が難しい。Muller と MacDonald らの研究では、それは軌道の計算が2次元的な手法に基づいているからであり、3次元的な解析を行えば傾斜角にも10万年周期が現れると指摘している。彼らは、これらの軌道傾斜角の変化が日射量の変化を導いていると述べており、同様に太陽系のダストバンドと地球軌道との交差が影響している可能性も提示した。これらは従来提唱されてきたメカニズムとは違うものだが、計算結果は「予言されていた」最近40万年間について得られているデータとほぼ同じ結果を示している。Muller 及び MacDonald の理論は Rial により反論されている。
他には Ruddiman が10万年周期をもっともらしく説明するモデルとして、2万3000年の歳差運動の周期に対する離心率(弱い10万年周期)の変調効果が、4万1000年と2万3,000年の周期でおこる温室効果ガスのフィードバック効果と結びついたという説明をしている。
また、他の理論では Peter Huybers による研究が進んでおり、4万1000年周期がいつも優勢なのであるが、現在は2番目か3番目の周期だけでも氷期へのトリガーとなりうる気候モードに入っているということを議論している。この研究では、10万年周期は8万年と12万年の周期が平均されているものを本当は錯覚しているのではないかと暗示している。この理論は年代測定の不正確さが存在することと整合した矛盾の無いものであるが、現在のところ広く受け入れられているわけではない。  
最近の氷期・間氷期と最終氷期
南北の大陸氷床の発達により、最近の氷期間氷期では海水準が大きく変動したことが知られている(ただし時代を遡ると地殻変動の影響が無視できなくなる)。蒸発した海水が両極に氷床として固定されるため、地上の海水の体積全体が減少し、結果として世界的に海水準が低下する。反対に氷期の終了に伴って融解水が海洋に還元されると海水準は上昇する。酸素同位体比曲線によって示される氷床量の変動は、特に新しい時代になるにつれて、世界的な海水準の変動を反映しているといって良い(上記「過去およそ5百万年間の氷期間氷期の変動」グラフ参照)。その変動幅は最近の氷期では100m以上におよぶ。
日本近海では、太平洋と日本海を結ぶ海峡の深度が浅いため、少なくとも過去数十万年の間の氷期では、海水準の低下に伴って対馬暖流の流入が止まり、気候に大きく影響を与えた。氷期には寒冷化のために亜寒帯林が西日本まで分布していた。また、対馬暖流が流入しないため(現在の日本海側の降雪は対馬暖流の蒸発量に影響を受ける)氷河は日本アルプスおよび北日本の高地にわずかに発達するのみであった。それでも、これらの氷河が最終氷期に形成したカールやモレーンなどの氷河地形は現在の日本アルプスや日高山脈で明瞭に確認することができる。
最も後の氷期は最終氷期とも呼ばれる。最終氷期の終了後、人類が定住し農業が発展するという出来事が起こった。このことは農業の発達が人類の生活様式と深い関係があるということであろう。
亜氷期と亜間氷期
氷期もしくは間氷期が続く間に、更に細かな気候の変動が見られることがある。寒い時期を亜氷期 (stadial)、温暖な時期を亜間氷期 (interstadial) と呼ぶ。最終氷期終了前後から現在にかけてはヨーロッパの泥炭湿地で発見された花粉層序がしばしば用いられ、現在では最終氷期終了〜後氷期にかけての気候変化を表現する際に幅広く使われている。  
 
現在は第4氷河期の間氷期

 

現代以上に暖かい時代でも解けずに残った太古の永久凍土が、カナダ北部で見つかった。北極圏に広がる永久凍土は地球温暖化で解けると、大量の二酸化炭素が放出され悪影響が心配されている。暖かな時代でも解けない凍土が存在することは、温暖化に伴う影響評価の見直しにつながる可能性があるという。発見したのはカナダ・アルバータ大の研究チーム。
米アラスカ州に近い地域で、この周辺は半分以上が永久凍土に覆われ、氷の厚さは数十メートルに及ぶ。研究チームは7年前、この永久凍土を見つけた。
今回、凍土に含まれていた火山灰を放射性年代法で測定し、約74万年前にできたことを突き止めた。地球の気候は、気温が高い間氷期を約10万年間隔で繰り返している。特に、約12万年前の間氷期は今より気温が数度も高く、海面水位も8メートル高かったとされる。
研究チームは「永久凍土は海氷や氷河に比べて、想像以上に解けにくい。温暖化影響を無視できることにはならないが、将来の気候変動の予測精度を向上させるため、さらに調査が必要だ」としている。
温暖化で北極圏の永久凍土が解け、建物崩壊などの影響が懸念されている。しかし、アラスカでの観測では予想以上に解けていない。今回の発見を踏まえ、影響評価の精度を高めることが求められる。  
シベリアの永久凍土がメタンガスを放出
温室効果ガスの一種で太陽熱の捕捉効率が二酸化炭素よりも20倍以上高いメタンが、シベリアの永久凍土から放出されている。永久凍土は基本的に数百年から数千年以上恒常的に凍結している土壌で、その多くは1万年前に終了した最終氷期以降、凍った状態を保っている。当時、シベリア沿岸の海水面は現在よりもおよそ100メートル低い位置にあり、大気にさらされた大地は地下500〜700メートルまで固く凍り付いていた。地球全体の平均気温は産業革命以降およそ0.7度上昇しているが、東シベリア北極陸棚では春の気温が最大5度上昇している。海底の永久凍土層がメタンハイドレートや天然ガスを閉じ込めるフタとなっている限り、メタンが貯蔵庫から漏れ出すことはないと想定される。しかし、地球温暖化の影響により、メタンが大気に放出され始めている可能性がある。一般に、赤道から離れた地域の方が温暖化の影響が大きく、特に北極では温暖化が急速に進行している。  
6億3500万年前に起きた温暖化の原因はメタン?
約6億3500万年前に「スノーボールアース(全地球凍結)」が終わった誘因は、温室効果ガスであるメタンの大量放出だったという研究が発表された。スノーボール理論によると、太古の地球には氷床が赤道まで覆い尽くされた状態の氷河時代があった。「氷床の下に閉じこめられたメタンは、一定の温度と圧力の下では氷状になって安定化する」と、この研究を行ったカリフォルニア大学の地質学者、マーチン・ケネディ氏は述べる。しかし、氷床は本質的に不安定であり、一定の大きさに達すると崩壊し始める。赤道の氷床が崩壊したことで、閉じ込められていたメタンが解放されて地球の温度を押し上げた。この温度上昇によって赤道よりやや高い緯度の氷床が溶け始め、メタンの放出量が増加して、地球の温暖化が加速した。ケネディ氏のチームは、約6億3500年前には赤道付近に位置していた南オーストラリア州の海洋から数百の堆積物のサンプルを収集して分析した結果、氷床の融解とメタン層の不安定化を裏付けるさまざまな化学的痕跡を発見した。一方、カリフォルニア大学スクリップス海洋研究所の古生物学者であるリチャード・ノリス氏は、現在のメタン貯蔵量は膨大であり、気候変動と関連させて目を光らせる必要があることには同意するものの、ケネディ氏が主張するように太古の地球と現代の温暖化を結び付ける根拠は弱いとも指摘している。  
現在は第4氷河期の間氷期
氷河期中の寒い時期と温暖な時期(間氷期)の間隔には周期性があり、明らかに10万年周期の機械的なメカニズムが働いているが、これはミランコビッチ・サイクルと言う天体運動の周期性により説明されている。CO2温暖化説で今世界のみんなが大騒動しているが、最後の第四氷河期が始まったのが10万年前なのでミランコビッチ周期が正しいなら、次の第五氷河期はいつ始まっても不思議ではない。ミランコビッチの説は、地球の公転運動(地軸の傾きや離心率)の変化で、太陽から地球に届く輻射量(熱量)が変化するためだというものです。CO2地球温暖化説は、地表から宇宙に逃げていく輻射量(熱量)だけを考えた説で、温暖化で海水面が暖められ雲量が増えると太陽からの地球に入ってくる輻射(熱量)が減るというような事は考えていないようですし、ましてや太陽から地球が受け取る熱量の変化などは全く考えていない大雑把なものです。過去の人類の歴史で起こった『寒冷化』は、浅間山の大噴火のような大量の粉塵を巻き上げる天変地異(太陽からの輻射熱の減少)で地球が寒冷化し未曾有の大飢饉を引き起こしていた。核戦争での大火災(大量のCO2を放出)や巻き上がった粉塵で『核の冬』が起こるとしたカール・セーガンの考え方も実際にあった過去の歴史を科学的に検証して出来上がっているのでしょう。  
ミランコビッチ・サイクル
セルビアの学者ミランコビッチ(1879年〜1958年)は、地球の自転軸の傾きや公転軌道の変化が、太陽からの日射量の変化を招き、それが氷期の原因となるという説を唱えた(1920年)。地球の自転軸は歳差という首振り運動をしている。この周期は26000年であるが、だ円である地球の公転軌道の長軸方向が22000年周期で変化するために、日射量変化の周期は23000年と19000年になる。また、現在の地球の自転軸は公転面に垂直な向きに対して23.4°傾いているが、これが41000年周期で22°〜23.5°の間で変化する。さらに、地球の公転軌道の離心率も10万年と40万年の周期で、0.005〜0.0543(現在は0.0167)と変化する。こうした変化が組み合わさって、地球が受け取る太陽エネルギーが変化することになる。1970年代から始まった深海底の堆積物の研究からミランコビッチ説が見直されることになった。それは放射性同位元素を用いた年代測定の精度の向上、酸素同位体比を用いた古海水温の推定などによって、たしかにミランコビッチの予想通りの周期での気候の変動が見られるようになったのである。  
氷河期のミランコビッチ周期
地球の自転は一定ではなく、自転軸の傾きも、数万年の周期で変化するし、地球が太陽の周りを回る公転軌道(楕円形)も、約10万年の周期で変化する。それらの変化に合わせ、地球と太陽との距離も変化する。この変動率はおよそ10万年周期で変動し、 さらに41万年でも変動している。地軸の傾きや軌道の離心率により地球の日射量が変動する。そして、その変動周期が4.1万年である事を割り出した。最新の氷期最盛期は、1.8万年前で、8月の日本付近の海水温は、現在より7度位低温であったらしい。ヒプシサマール(高温期)は、日本では縄文時代の前中期およそ、3・4千年前の時期で、本州東北部で豊かな縄文文化が栄え東京湾の入り口付近に造礁サンゴが成育していた。因みに世界では、この豊かな高温の時期にエジプトや黄河等の世界の四大文明が生まれている。また海面が現在より5b近く高く、その痕跡として縄文時代の貝塚が内陸部で多く発見されている。東京・大阪その他の都市も、ほとんど海の底になるが現在そこに都市があるという事は、地球が高温期から再び冷え始めている証拠である。地球規模での大きな温度変化は、各地に異常気象を頻繁に起こさせる。
現在は氷河時代
科学的分類としての氷河時代とは、極地方に氷河が存在している時代のことなので、約165万年前から今現在までの地球は、地球の歴史の中では寒冷な時代(氷河時代)とされている。現在は大陸の氷床(氷河)が陸地の10%であるが、はるかに広く陸地の30%が氷河におおわれた氷期(氷河時代の中でもとくに気温が低下している時期)が大きなもので4回訪れていた事がわかっている。氷期には地球上の水が氷として大量に固定されるために、海水面が最大で150m程度低くなることがある。氷期には地球全体で4℃〜5℃程度気温が低下して、日本はほとんどアジア大陸と陸続きになる。世界的に見ると、スカンジナビア半島や北ヨーロッパ、北アメリカの五大湖付近までが氷床におおわれていて、海岸線が現在よりかなり後退していた。氷期と氷期の間を間氷期といい、最後の氷期は約1万年前に終わり、現在は次の氷期までの間の間氷期であると考えられている。地球が寒冷になり、極地方に氷河が発達したのは現在ばかりではなく、過去にも何回かあった。先カンブリア時代の23億年前、8億年〜6億年前、古生代のオルドビス紀(4.4億年前)、古生代のデボン紀〜石炭紀(3.77億年前〜2.7億年前)が氷河時代であった。数億年の長い時間の間に、氷河時代がなぜ訪れ、また再び暖かくなるのかについては、太陽活動の変化、地球の自転・公転の変化、プレートの運動による大陸の配置の変化、大気中の二酸化炭素の量の変化などが考えられるがよくわかっていない。ミランコビッチ・サイクルは氷河時代の中の氷期−間氷期という数万年〜数十万年というスケールでの変動を考える上では重要だが、大規模な氷河時代が訪れたり、また無氷河時代(極地方にも氷床がない時代)に戻ったりという変化は説明できない。
 
氷河期 2 / 気候の移り変わり

 

氷河期  
ヨーロッパでは氷河の進出した時代がいくつか存在していることが、早くから知られていました。気候変化の流れの中で、新生代に始まった、きわめて寒冷ないくつかの期間を氷期と呼びます(一般には氷河期とも言われています)。また氷期と氷期の間の期間を間氷期といいます。それぞれの時代の氷期の呼び名にはいろいろありますが、ここではヨーロッパ式で呼ぶことにします。主要な氷期は、一般的に下に示した4つが広く知られています。氷期の名称と、そのおおよその期間をまとめると次のようになります。
○ギュンツ氷期:Gunz glaciation(410,000年〜310,000年前)
ギュンツ=ミンデル間氷期
○ミンデル氷期:Mindel glaciation(240,000年〜220,000年前)
ミンデル=リス間氷期
○リス氷期:Riss glaciation(125,000年〜100,000年前)
エーミアン間氷期(リス=ヴュルム間氷期)
○ヴュルム氷期:Wurm glaciation(70,000年〜18,500年前)
このうちギュンツ氷期とヴュルム氷期は長くて、前期と後期に特に寒冷な時期があり、それぞれ初期氷期、主要氷期とよばれています。最近の氷期は18,500年前に終わったヴュルム主要氷期ですが、これを最終氷期としばしば呼ぶこともあります。現在はそれに続く、間氷期にあたる時代であると、一般的に考えられています。
これらの氷期は、ミランコビッチサイクルと呼ばれる地球の動きの変化の周期性が引き金となって、生じたものと考えられています。地球の公転の軌道は楕円ですが、これがしゃげたり真円に近くなったりの変動をくり返しています。この軌道がへしゃげるほど遠日点での太陽からの入射はかなり少なくなります。また自転の地軸もある周期で傾いたり立ったりします。このいわゆる黄道傾斜角が急になる、つまり地軸が公転面に対して倒れ込むほど、夏も冬も厳しくなって、季節変動のコントラストがはっきりします。さらに歳差運動による変化によって、大陸の多い北半球の冬が、今とは逆に遠日点に重なると、北半球の大陸には氷床が発達しやすくなります。この氷床は太陽からの光の反射率、つまりアルベドが高く太陽からの放射をよく反射しますし、自分自身は溶けにくいものなのです。太陽からの放射が多く反射されるほど地球に入る太陽のエネルギーが減少し、地球の寒冷化を招くことになります。そしてさらなる氷床の発達へとつながっていきます。ミランコビッチサイクルが招いた、このような正のフィードバックが働いたことによって、氷期が生じたものと考えられています。
陸上に氷床が発達したため、海面は今より約100m、あるいはそれ以上低下していたと見られています。氷床は、たとえばアメリカ大陸ならば現在のカナダの国土分をすっぽりと覆うくらいに広がっていました。その厚さは3kmにも及んだともいわれています。アメリカ合衆国内は南部を除いてすべて北方林で覆われ、南部も針葉樹林地帯となっていたことがわかっています。
日本はどうかといいますと、北海道の半分以上にはツンドラが広がり、エゾマツやトウヒなどからなる亜寒帯針葉樹林帯が東北から西日本の山地にまで分布していたとみられています。関東から西日本の平地の広い範囲には冷温帯落葉広葉樹林帯、つまりブナなどがどこまでも生い茂っていたとみられます。シイ、カシ、クスノキ、タブノキといった肉厚で光沢を持つ葉を年中つけた木は照葉樹と呼ばれており、現在は西日本の自然林に多く見られます。しかし最終氷期であったこのころは、種子島・屋久島あたりに細々とあったに過ぎなかったようです。現在、たとえば代表的な照葉樹であるタブノキの北限の地は、秋田県の南部の、南極探検で有名な白瀬中尉の故郷である、金浦という町(現・にかほ市)です。よく考えてみますと、この最終氷期当時は、九州の南の端が、現在の秋田県の南部あたりの気候に相当したと、単純に見ることができます。なお、当時は海面が低くなっているために、当時の日本列島は朝鮮半島、そしてサハリンを介して大陸とも地続でしたし、瀬戸内海も存在しませんでした。  
ヤンガードゥリアス期

 

12000年前になると、夏の太陽からの放射量は7%増加し気候は温暖化の方に向かいました。アメリカやヨーロッパなどの氷床は溶け、植生は北へ、北へと移動していきました。二酸化炭素も増加し、特徴的な温暖な時代が13000〜11000年前に現われました。この温暖期のことを、北欧ではとくにアレレード(Allered)期というそうです。
ところがこのあと、急激に温度が100年間で平均6℃程度も下がった時期が見られました。この寒冷期は11000〜10720年前のわずか280年間の間に生じたとされています。この時期はヤンガードゥリアス(Younger-Dryas)期と呼ばれていて、日本にも存在していたことが分かっています。この時期には再び氷床が著しく発達するなど、氷期の状態に逆戻りしました。ところがこのヤンガードゥリアス期の末期(10720年前)には、なんと50年間の間に7℃の温暖化が生じ、この寒冷期が終わったとされています。
この原因をめぐって、ながらく論争がありました。地球の動き、火山噴火、温室効果ガス濃度の変化、海流の変化などいろいろ言われてきましたが、現在のところ、海流のパターン変化がひき起こしたという説と彗星のような天体が地球に衝突したことによるダスト・煙りによる日射の遮蔽の2つの説に絞られてくるようになりました。
まずは海流説について。海流には、黒潮や親潮として知られるような海面付近に存在する流れの他、海面から800m以上深い場所を流れる深層海流とよばれるものがあり、この2つの流れが組み合わさることよって、海水は立体的に循環しています。グリーンランド近海や南氷洋で海氷ができる際には、海水のうち水の成分の分が先に凍り、凍らなかった残りの塩分の高い海水が、温度も低いこともあって比重が大きくなり、次第に海の底深くに沈み混みます。この塩分の濃くて冷たい海水は海底を這うように移動し、グリーンランド沖の海底を離れて約1200年後に印度洋海底へ、また2000年後に大平洋海底に達します。ここで物凄い水圧の為に海底の海水温が上昇し、海面近くに浮き上がる。そしてこの海水が暖められた後に、海面近くの海流となって赤道付近の熱エネルギーを手みやげに再び南極・北極へ帰って行いきます。この循環は一般にコンベヤーベルトと呼ばれます。
氷期には北米大陸に氷床が大きく広がってましたが、温暖化するにつれてそれが溶け、その水が今の五大湖付近に溜まって巨大な湖を形作っていました。ところが今から13000年前、水かさが増した湖水に耐えかねて湖の周辺が決潰、大量の真水が北大西洋・グリーンランド近海に流れ込んでいきました。そうなると海水が薄まり、塩分濃度が低くなります。これがきっかけで冷たい水が海底に沈み込まなくなり、地球全体のコンベヤーベルトが衰弱していき、さらにその2000年後には完全にこれが停止したのではないか、とされました。コンベヤーベルトが停止すると、北極・南極に向かって、赤道近くからの熱エネルギーが運ばれにくくなり、極に近い高緯度地方は当然寒くなります。寒くなると氷床が発達し、地球全体でみたアルベドが高くなって更に寒冷化し、といった氷期と同様の悪循環に落ち込んだとみられてきました。
一方の彗星の衝突の説について。彗星が衝突すると地表のものが巻き上げられたり、火災により発生したススなどが発生し、それが太陽からの日射を遮ることで寒冷化をひき起こします。良く知られた例としては、今から6500年前にメキシコのユカタン半島付近に発生した小天体の衝突と、それによって発生した急激な寒冷化によって恐竜を中心にした大量絶滅が挙げられます。ところが12900年前にも小天体の衝突があったとする論文が2007年に出され、これが議論をよびました。小天体が衝突することで、このときのダストにイリジウムという物質が含まれることになるのですが、北米を中心にこの部室が12900年前の地層から相次いで見つかった上、その層にススなども大量に存在することから、この小天体が、地表に衝突または空中爆発を起こしたことは、ほぼ間違いないというようになってきました。ということで、最近はこちらの小天体衝突がヤンガードライアス期をひき起こしたというように、定説がひっくり返ることになりました。
ヤンガードゥリアス期では、気候の寒冷化が6℃/100年、温暖化が7℃/50年と、急激な変化があったといわれています。このころ地球上に生えている植物もたまったものではありません。ヤンガードゥリアス期に入ると、北西ヨーロッパではそれまで生えていたトウヒやシラカンバが、あっという間に、より寒冷な地方に生育する低木や草本に置き換わったと言われています。アメリカでも寒冷化と時を同じくして、広葉樹の種類が激減し、代わってトウヒやモミ、シラカンバなどがまたたく間に増加したことが花粉分析から明らかになりました。これに対し、ヤンガードゥリアス期が終わった後の10000〜9800年前には、ツンドラに再びトウヒなどの植物が入ってきたように見えるますが、これは花粉が風によって運ばれたことによる誤認の可能性もあります。
日本でも、ヤンガードゥリアス期が終わってすでに1000年経った9000年前には、大阪平野や名古屋近辺が、暖かさの指数から見るとすでに照葉樹林が生えても良い条件となっているのに、実際の植生は紀伊半島のあたりを北上中であったことが花粉分析から明らかになっています。ここからも、気候の急激な温暖化に植生の反応(移動)が全くついていっていないことがわかります。花粉分析では、たとえば紀伊半島南部から大阪まで、この後、照葉樹林群落が拡大するのに3000年かかったという結果が得られています。また一説では大阪から京都まで、照葉樹林が広がるのに100年かかったといわれています。『♪天満橋から三条へ……』の京阪特急なら30分で走り抜ける距離でも、それだけの年数を必要とするということです。京都・大阪間を40kmとした場合、大阪から京都への植生の移動速度は毎年400m、時速に直すと4cm/h。遅いようですが、植生の移動速度としては異例の速さではないでしょうか。
とはいっても、急激な気候の寒冷化には植生の分布の応答は想像以上に早いのに対して、急激な温暖化への植生分布の応答は100〜1000年オーダーで、かなりゆっくりと見られています。現に、北海道の黒松内付近にあるブナの北限は、今なお北上中とされています。 
ヒプシサーマル期(気候最適期)

 

6000年前までに、全地球的に夏の気温が現在より2〜4℃高い期間が始まった。この頃、夏の太陽からの放射量は現在より4%多く、冬は逆に4%少なくなりました。黒点数から見た太陽活動も、この時期、非常に活発でした。7000〜5000年前までのこの温暖な時期をヒプシサーマル(hypsithermal)期、あるいは気候最適(postglacial climatic optimum)期と呼びます。このころの氷床の著しい縮小にともなって、氷期以来低くなっていた海面は一気に上昇し、現在より数m高くなりました(いわゆる縄文海進です)。魚津の埋没林(富山湾)のように、大陸棚が植物もろとも水没した場所も見られます。アフリカから中近東は現在より多雨で、現在のサハラ砂漠は森林に覆われていたといわれています。亜熱帯高気圧は北に偏り、中緯度は現在より乾燥していたようです。
日本ではこの頃、年平均気温が2℃程度高かったと評価されています。日本におけるヒプシサーマル期の気候帯を見てみますと、6500年前には照葉樹が自生するのが可能な、暖かさの指数85以上の地域(照葉樹林気候)が秋田県沿岸まで達していました。またコナラに代表される暖温帯落葉広葉樹林気候も東北地方のほとんどを覆うまで広がることになりました。関西や東海地方の山にある雑木林が東北で見られたわけです。植生の拡大・北上はこの温暖化にはなかなか付いていけなかったようですが、それでも6500年前には照葉樹が、西日本の低地で爆発的に広がることになりました。大阪に照葉樹林群落の拡大が到達したのもこの頃です。また、海抜で見た森林限界も300〜400m上昇したとされています。 
ヒプシサーマル後の寒冷期

 

ヒプシサーマルの後、5000〜4000年前には気候は冷涼・湿潤化し、降水量も増加しました。大阪の上町台地以外の部分や、名古屋の城より海側から岐阜県にいたる広い地域はこの時まで海でしたが、降水量の増加のため自然の埋め立てが進みました、沖積平野はこの時期にできたといわれています。日本海側で新しくできた沖積低地にはスギが非常に多く発達していった。スギは湿った条件(年降水量で約1800mm以上)で自生する植物である。いまは雨の多い山地にあるのみですが、当時、平野にも生えたというのですから、いかにこの時期に雨が多かったかということがわかります。
この後、4000〜3000年前には一旦温暖となるが、そのあと2500〜2000年前には、特に北日本や山陰、北陸で冷涼な気候が見られました。 
古墳寒冷期

 

日本や中国では3世紀〜7世紀の間、天候が悪化し、冷涼化、降水量の増加が続きました。この時期は中国や日本の歴史の中でも戦乱が多く混乱した時期であるが、その原因がこうした気候の冷涼化が契機となったという見方もあります。戦乱、そう、中国では三国志の時代、日本では倭国大乱の時代にあたる時代です。日本ではこの時期を古墳寒冷期と言う場合もあります。これは、太陽活動が不活発になった時期にだいたい一致します。 
中世温暖期

 

西暦800〜1300年は、現在並み、あるいはそれをやや上回る温暖な時期でした。この現象は全地球的に見られたとされています。この時期、ヨーロッパではノルマン人が大西洋を渡ってグリーンランドに入植しました。また、この頃の大西洋には流氷がほとんど見られなかったと言われています。当時のアイスランドではエンバクなどの麦類が栽培可能でした。この温暖期を中世温暖期(Middle Ages warm epoch)と呼びます。このときの太陽活動は、西暦1100〜1300年には現在並みに活発だったとされています。100年オーダーで気候を見ると、太陽活動が最も影響しているように見える。
また図1は昔の日記や年代記によってわかったサクラの満開時期から計算した、京都の3月の平均気温の推移です。この時代はデータの数が少ないので精度は悪いが、それでも西暦1200年を中心に、気温の高かった時代があったことが定性的にわかりました。
おりしもこの時代は日本の平安時代。のんびりとした時代が続いたのも、この中世温暖期のお陰だったのかもしれません。そういえば、当時の貴族の館は『寝殿造り』と呼ばれる、いかにも風通しのよさそうな、というよりは寒そうな様式をしています。こんな中世温暖期だったから、貴族も寒さに耐えられたのかもしれません。 
小氷期

 

太陽の黒点が少ないことは太陽活動が不活発なことを意味しています。西暦1300年以降、この太陽の黒点が急に少なくなり太陽活動が不活発な時期が繰り返してやってくるようになりました。その時期は1320年頃、1460〜1550年、1660〜1715年、そして1800年前後である。1320年頃の極少期をウォルフ極小期、1460〜1550年のそれをスペーラー極小期、そしてとくに西暦1660〜1715年のおよそ70年間の太陽黒点がほとんど無くなった顕著な黒点極少期間をマウンダー極小期(Maunder minimum)、また一番最近の1800年前後の短い極少期をドルトン極少期と、それぞれ呼びます。
この4つの時期は、サクラの満開日から推定した京都の気温(図1)の低かった時期とかなりシンクロしています。サクラの満開日による3月の京都の気温は冬季の気温にかなり似た傾向を示すと思われますが、やはり、この太陽活動の不活発な時期は、世界的な気候悪化、寒冷化が見られた時代と、全般に一致したようです。西暦1300年以後、1850年までのこの期間を、小氷期(Little Ice Age)と呼びます。この時期には各地で氷河の前進が起きました。日本でも西暦1300年を過ぎると気候悪化が起こり、降水量が増えて、濃尾平野などでは河道変化が繰り返されるようになりました。
特にマウンダー極少期とその次のドルトン極少期にあたる1600〜1850年の寒さの程度はものすごく、小氷期をこの時期に限定する場合もあります。この時期、日本では大雪、冷夏が相次ぎました。淀川が大阪近辺で完全に氷結したこともあります。大阪の河内地方ではそれまで盛んであった綿作が、気候寒冷化・降水量増加にためにイネ・ナタネに転作を余儀なくされたとも言われています。そういえば、この時期の大坂城代が雪の結晶を観察、絵にしているという話を聞いたこともあります。そんなこと、現代では北海道でしかできないと思われます。ともあれ、この時期、とくに19世紀初頭は寒かったようです。日本では小氷期のうちでも最も寒冷な期間、たとえば1830年代と1980年代を比べると冬や春の平均気温は2℃程度、京都に限ると3.4℃も現在よりも低かったと推測されています。 
最近の気候温暖化は何のせい?

 

現在、気候条件は19世紀の前半(前節で触れたドルトン極小期あたり)以降、確実に暖かくなってきました。国連に関係した機関であるIPCCによると、最近100年間に、地球表面全体で平均して0.6℃ほど気温が上がったと報告されています。こうした温暖化が、果たしてなぜ生じたか、今後の気候推移はどうなるか、これについては、最近、議論が沸騰しているようです。詰まる所、『地球温暖化に温室効果気体の濃度上昇がどれほど関与するものなのか?』『太陽活動の盛衰が気候変動に及ぼす影響が、これまで考えられていた以上に大きいのではないか?』というあたりで議論が盛んに闘わされている状況といえるかもしれません。とくに最近になって、太陽活動の盛衰が及ぼす地球大気へのさまざまな影響が次々と明らかになったり、説として出されたりしています。
古くから、太陽活動が活発になると日射量が増加し、気候温暖化に結びつく、と、言われて来ました。しかし、この日射量の変動の幅は、せいぜい2ワット毎平米程度、太陽定数の0.何%に過ぎず、これだけでは大きな気候変動につながらないという矛盾がありました。最近になって、太陽の盛衰によって紫外線量が最大8%も変動することがわかり、これが低緯度・高緯度のそれぞれの上部成層圏から中間圏あたり(高さが約50km程度)の気温差を大きく変動させることがわかりました。例えば太陽活動が活発になって、上空で吸収される紫外線が増え、緯度による気温差が大きくなると、温度風、この場合は上空のジェット気流の強さが増します。そうした風の吹き方に現れた違いが巡り巡って、地上付近の季節風の吹く頻度、熱帯付近の雲の発達のしやすさなど、さまざまな面に影響が出て来ることがわかってきています。いずれも、太陽活動が活発になると気候が温暖になる方向に機能していきます。
太陽活動と地球の気候との関連について、以下のようなものもあります。まだ説の段階で正式に認められたわけでもありませんが、宇宙線の降って来る量が変動し、雲の量の変動に繋がる、というものです。太陽からは太陽風という磁場を伴ったプラズマの粒子(陽子とか電子とか)が出ています。これは通常、地上付近には降って来ません。地磁気のせいで北極、南極に集められ、オーロラを発生させたりするのみです。ところが宇宙ではもっとエネルギーが強く、銀河の中心付近からはるばるやって来るといわれる銀河宇宙線というものがあります。これはエネルギーが強く、普通、地上近く(対流圏)まで降って来ます。この宇宙線は大気分子にあたると分子が荷電し、それによって寄り集まった空気分子の塊(クラスターと言います)を核として霧が発生します(霧箱って、高校の物理で習いましたよね)。太陽活動が不活発な時には、地球の外の磁気雲を形成する太陽風の吹き方が弱かったり、太陽からの磁場そのものが弱くなるくことが少ない結果、電荷を帯びた沢山の銀河宇宙線が、たやすく地球大気、それも下層の対流圏までやってきやすくなり、雲を多く発生させる、ということです。また逆に太陽活動が活発になると、磁気を帯びた太陽風が沢山でたり、太陽から発生する強い磁場のために、電荷を帯びている銀河宇宙線を散乱させるようになり、銀河宇宙線が地球大気に降ってこなくなり、雲のできる量も少なくなり、太陽放射が地面に届きやすくなったり降水量が減少したりして地上付近の気温も上昇するとされています。今、世界のさまざまな研究者が太陽や磁場・宇宙線の観測、加速器などを使った実証実験、古環境の調査や解析結果などを通して、このスベンスマルクの説の検証が進められています。
あくまで個人的意見として……
温室効果ガス濃度上昇=温暖化、と、一般にはイメージされがちですが、正確なところこの濃度上昇が、現に起きている温暖化にどの程度寄与しているかを定量的に高い精度で突き止めたり証明した人は誰もいません。温室効果ガスがとてつもない地球温暖化をもたらすというのは、メカニズムの説明が至極簡単な一つの説に過ぎないのですが、温室効果の説明が至極簡単であっただけに、環境保護を錦の御旗に掲げての『啓蒙』に使用しやすく、また一般への浸透も早かったので、現在のような状況に至ったと個人的には考えます。最近起きてきた気候の温暖化を、ただ盲目的に温室効果ガス濃度上昇のせいとするのでなく、具体的に、以前にどの程度の気候変動があったのか、それが何によってひき起こされたのか、今後、どの程度の気候変動のリスクがあるのか、それらを正確に調べることが我々、気象学・気候学、さらには地球物理などを専門としている者の責務である、と純粋に考えたりもしています。自然科学を志したる者なら、こうして真実を知りたがるのが本来の正常な姿だと思うのです。 
都市化がもたらした昇温

 

前に述べた小氷期とくらべると、現在は、都市でないところでは2℃程度の気温上昇で済んでいるのに、都心ではそれ以上上昇していることが多くみられます。これは都市の構造や、人間活動、大気汚染などのために都市の大気が暖められて(特に夜間に)できる『都市ヒートアイランド』が、気候値にもたらした悪戯と言えるでしょう。こうして気温などの年々の推移に都市の昇温が影響した量を専門的には都市バイアスと呼びます。夜間のヒートアイランドは主に、次に挙げた項目が原因でできると言われています。
○都市の建物による多重反射のお陰で、日中、太陽光がたっぷり吸収される。
○都市の建物や道路が熱を溜めやすい。
○交通、産業活動により消費されたエネルギーが熱として放出される。
○大気汚染、特に塵などが都市からの熱の放射を吸収・遮断。ミニ温室効果が起こる。
○屋根より下のレベルでみると、建物間の街路に熱が溜まり易い。
これらの積み重ねが年々の気温の移り変わりを大きく左右します。またその影響の度合も年々で変化することが、話を複雑にしています。そこに都市がなかったと仮定した場合の気温(自然値)と、実際の都市のなかの温度との差を『都市効果』と、以後、呼ぶことにします。
京都での3月の気温の都市効果を見ると、図2にあるように、今世紀に入ってどんどん増え、1970年あたりにピークに達しました。これは大体、どんな都市でも見られる現象のようです。都市効果自体も季節や時間によって異なります。夏場より冬場、また昼間より夜間のほうが都市効果が大きく出る傾向にあります。
1970年以降は、都心での昇温は一段落といったように見られます。ところが開発が盛んな周辺の衛星都市では都心を追いかけるように昇温が今なお進んでいます。すこし調べて見たのですが、都心の気温の自然値をベースに、周辺地点の気温と比べて見ると、1910〜30年代には都市化が進みはじめた福島や天王寺で昇温が始まっており、1970年頃には岸和田市で相対的な昇温がみられ始めました。また現在でも枚方市の片町線津田駅近くにあるアメダスの冬の気温の値は、都心を追いかけるように、相対的に上昇し続けています(図3)。 
 
寒冷期と温暖期の繰り返し

 

寒冷期と温暖期は定期的に繰り返しており、最近の温暖化傾向も自然のサイクルと見る方が科学的ではないのですか。また、もうすぐ次の寒冷期が来るのではありませんか。
過去に氷期と間氷期がほぼ周期的に繰り返されてきました(注1)。この気候変動は、主として地球が受け取る太陽エネルギー量(日射量)の変動に起因すると考えられています。しかし、20世紀後半からの温暖化は、日射量変動のみでは説明できず、大気中の温室効果ガス濃度の人為的な増加が主因であることがわかっています。また、2万〜10万年スケールの日射量変動は理論的に計算でき、日射量変動による将来の氷期が今後3万年以内に起こる確率は低いと予測されています。近い将来に寒冷期が始まるとは考えられていません。
日射量の変動は気候を変える重要な因子である
地球の歴史をみると、氷期と間氷期が約10万年の周期で起こっていたことがわかっています。この気候変動には、複数の原因が指摘されていますが、中でも北半球夏季の日射量変動が重要な因子であることがわかっています。また、今から過去2000年間に着目すると、比較的小規模な気候変動があったことがわかっており、これについても日射量変動が影響していたと考えられています。以下では、これら二つの時間スケールの自然の気候変動について説明します。
2万〜10万年スケールの日射量変動による気候変動
図1(a)は、過去80万年間の南極の気温変動を示しています。このデータは、南極氷床の過去につくられた氷(氷床コア)を分析し復元(推定)したものです(注2)。気温が顕著に高い間氷期の間隔は約10万年であり、長期スケールの氷期と間氷期の繰り返しが明瞭にみられます。この気候変動の原因は、地球の自転軸の傾きや地球が太陽の周りを回る軌道が周期を持って変動することによって生ずる2万〜10万年スケールの北半球夏季の日射量変動と密接に関係していることがわかっています(この周期変動をミランコビッチサイクルといいます)。詳細な変動機構の説明は割愛しますが、この日射量変動がきっかけとなり気温が変化し、気温変化→氷床や二酸化炭素濃度の変化→気温変化というように気温変化の増幅(注3)を繰り返しながら、気候が遷移したと考えられています。また、氷期から間氷期に遷移するときの気温上昇は、20世紀後半から起きている気温上昇と異なります。例えば、今から約2万1000年前の最終氷期から次の間氷期に遷移する約1万年間での4〜7℃の全球気温上昇に比べて、20世紀後半から起こっている気温上昇速度は約10倍も速いのです。以上のことからわかるように、ミランコビッチサイクルに起因する気候変動では、今も続く現代の温暖化の傾向を説明することができません。 
(a)過去80万年間における南極の気温の推定値の時系列。約10万年スケールでの気温の変動がみられ、氷期と間氷期が繰り返す気候変動が起こっていたことがわかる。 (Jouzel et al. [2007] のデータをもとに作成)
(b)過去1800年間の復元された北半球の気温偏差の時系列。1961〜1990年の平均気温の偏差として示す(複数の推定法を用いたため、値には幅があります)。 中世の温暖期(約900年から約1400年)や小氷期(約1400年から約1900年)と呼ばれるような気候変動があったことがわかる。また、約1970年頃(20世紀後半)から気温が短期間で急激に上昇した、最近の温暖化がみられる。(Mann et al. [2008] PNAS, 105, 36, 13252-13257)(Copyright [2008] National Academy Science, U.S.A.)
今から過去2000年間の自然の気候変動
今から過去2000年間の気温の推移[図1(b)]をみると、「中世の温暖期」や「小氷期」とよばれる、北半球気温の変動幅が1℃未満の気候変動がありました(注4)。これらには数百年スケールの太陽活動の強弱による日射量変動が影響していたと考えられています。例えば、中世には太陽活動が比較的活発であったために温暖であったと推測されており、一方で15〜19世紀頃には太陽活動が低下したために小氷期がもたらされたと考えられています(注5)。しかし、20世紀後半には太陽活動の活発化はみられないことから、20世紀後半の温暖化を太陽活動の変化のみによって説明することはできません(注6)。
20世紀後半の地球温暖化の主因は温室効果ガスの増加である
図1(b)をみると、20世紀半ば以降、短期間で急激な気温上昇が起こっていることがわかります。しかし、上述したように、ミランコビッチサイクルや数百年スケールの太陽活動の強弱に伴う日射量変動では、20世紀後半からの気温上昇を説明できません。では、20世紀後半から起こっている地球温暖化の主因はいったい何なのでしょうか?
これを調べるために、気候モデル研究者らは、20世紀の気候変化に寄与すると考えられるさまざまな因子(温室効果ガス濃度の増加だけでなく、人為起源の硫酸エアロゾル排出の変化、オゾン層の変化、火山噴火、太陽活動変化なども含まれる)を考慮した気候モデル実験(20世紀再現実験)を行いました。この実験では、これら因子をすべて考慮した計算に加え、いくつかの因子を考慮しないなど仮想条件での計算も行い、それらの結果を観測データと比較することにより、20世紀後半の気温変化に対する各因子の寄与度を検討しています。この研究の結果、温室効果ガス濃度の増加を考慮しなければ20世紀後半の温暖化を説明できないことが示されました。これを受けてIPCC第4次評価報告書では、20世紀後半の温暖化の主因は温室効果ガス濃度の人為的な増加である可能性が非常に高いと結論付けています。
今後3万年間に氷期が始まる確率は低い
太陽活動の変動の詳しいメカニズムはまだ明らかになっていないため、今後数十年から100年の間の太陽活動の変化による気候変動予測は困難です。しかし、太陽活動の変化が過去2000年間に起こった程度の強弱で繰り返されると仮定するなら、その影響による気温変動幅は小さいことから、今後100年で予測される人為的な温暖化を打ち消して寒冷化することは考えられません。
ミランコビッチサイクルで説明される、長期スケールの気候変動については、2万〜10万年スケールの日射量変動は理論的に計算でき、氷期が今後3万年以内に始まる確率は低いと予測されています。また、現在の高い大気中の温室効果ガス濃度により氷期の開始が遅れる可能性があるとも指摘されています。
現時点で、今後数10年〜100年の期間でわれわれが優先的に対応を考えるべきは、自然の気候変動ではなく、人為的な温暖化やその影響であるといえるでしょう。

(注1)ココが知りたい温暖化「氷床コアからわかること」を参照
(注2)ここでは南極の気温の推定値のみを示しましたが、各地の気候変化を示す指標(プロキシーデータ)から、図に示したような気候変動が地球規模で起こったことがわかっています。
(注3)ココが知りたい温暖化「氷床コアからわかること」を参照
(注4)これらはヨーロッパでは顕著だったが、全球的には顕著な現象でなかったかもしれないことが報告されています。
(注5)なお、別の寒冷化メカニズムとして、火山噴火の活発化も考えられます。
(注6)ココが知りたい温暖化「太陽の黒点数の変化が温暖化の原因?」を参照 
 
太陽黒点数の変化が温暖化の原因?

 

太陽の黒点数の変化と気温の変化との間に強い相関があると聞きました。ということは、太陽活動の活発化が温暖化の主要な原因なのではないのでしょうか。
太陽黒点数の変化は、太陽から地球に降り注ぐ放射エネルギーの変化をもたらすため、地球の平均気温を変化させる可能性はあります。しかし、地球の平均気温は、太陽活動だけでなく、大規模な火山噴火、温室効果ガスや大気汚染物質の増加などによっても変化することに注意が必要です。最新の観測データを見ますと、20世紀半ば以降、長期的には太陽黒点数はほぼ横ばいか減少傾向を示しており、太陽活動が活発化しているとは考えられません。太陽活動が地球の平均気温に及ぼす影響については、まだよくわかっていない点もありますが、温室効果ガスの増加が最近の温暖化の主要な原因であることはほぼ間違いないといえます。
太陽黒点数は太陽活動のよい指標、黒点数の変化は気温の変化をもたらし得る
太陽黒点は太陽表面に見られる黒いしみのような領域を指し、周囲よりも温度が低いために黒く見えています。複数の黒点がまとまって発生することが多く、このまとまりを黒点群と呼びます。太陽黒点数の定義には複数ありますが、一般によく使われているのは相対黒点数と呼ばれるもので、黒点群の数と個々の黒点群に含まれる黒点数から算出され、太陽活動の変化をよく表現した指標として知られています(以降、黒点数=相対黒点数とします)。
太陽表面には、黒点の他にも白斑と呼ばれる周囲より温度が高い(=明るい)領域も存在し、黒点の近くによく現れます。太陽の明るさは、黒点により暗くなる効果と白斑により明るくなる効果のバランスによって決まりますが、白斑の効果がわずかに上回るため、太陽黒点数が増えると太陽の明るさも増加します。この“太陽の明るさ”は地球に降り注ぐ太陽放射エネルギーに相当し、地球の気候システムの駆動源となっています。そのため、太陽黒点数の変化に応じて地球の平均気温が変化することは十分考えられます。
気温を変化させる要因は、太陽からの放射エネルギーの変化だけとは限らない
一方で、地球の平均気温を変化させる要因は、何も太陽エネルギーの変化だけに限られているわけではありません。二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの増加が気温の上昇をもたらすことはよく知られていますし、大規模な火山噴火により成層圏にまで運ばれた火山性ガス(亜硫酸ガスや硫化水素など)から生成される硫酸エアロゾル(硫酸液滴の微粒子)は、地表面に届く日射を遮ることで気温の低下を招きます。同様の効果は、人間活動に伴う大気汚染物質の放出によっても引き起こされます。逆に、煤などは日射を吸収することで地球の大気を暖める効果ももっています。オゾン層の変化や森林破壊(耕作地の拡大)なども地球の気温に影響を与えています。また、これらの要因がなくても、自然界の長い時間の中で変動する“気候の揺らぎ”(注1)も存在し、これによっても気温は変動します。地球の平均気温が変動する原因を考える際には、これらのさまざまな要因についても検討しなければならないことに注意が必要です。
20世紀半ば以降の黒点数はほぼ横ばい、最近の温暖化は温室効果ガスの増加が原因
太陽黒点数と地球の平均気温の経年変化  
太陽黒点数(青く塗られた部分)と地球の平均気温(赤線)の経年変化。(Solar Influences Data Analysis Center の太陽黒点数のデータおよび、Climatic Research Unit の地球の平均気温のデータを元に作成)地球の平均気温は1961〜1990年の30年平均値からの偏差を示している。
以上を踏まえた上で、実際に観測された過去150年間の太陽黒点数と地球の平均気温の変化[図]を見てみましょう。太陽黒点数は約11年の周期を持って増減を繰り返していますが、その最大値は必ずしも一定ではなく、周期ごとに異なっています。この最大値の変化と地球の平均気温の変化を比較しますと、19世紀後半から20世紀前半にかけては、たしかに両者の相関が高いように思われます。しかし、この時期にはすでに温室効果ガスも徐々に増加し始めており、それに伴う気温上昇も考慮しなければなりません。じつは、この時期に観測された気温変化の原因についてはまだよくわかっていないのですが、太陽活動の長期的な変化だけでは説明しきれないと考えられています。
一方で、20世紀半ば以降には、太陽黒点数の長期的な変化はほぼ横ばいかむしろ減少傾向を示しており、そもそも太陽活動が活発化しているとは思われません。つまり、太陽活動の活発化が最近の温暖化の主要な原因であるとは考えられません。詳細は省きますが、気温を変化させる可能性のあるさまざまな効果をできるだけ考慮に入れた最新の研究によれば、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの増加を考えなければ、20世紀半ば以降に観測された温暖化を定性的にも定量的にも説明できないことが明らかになっています。
他の太陽活動指標と温暖化との関係も指摘されているが、現段階では信憑性が低い
地球の平均気温の変化に影響を及ぼす可能性のある太陽活動指標として、太陽黒点数の他にもいくつか候補が挙げられており、最近では、地球に到達する宇宙線(宇宙空間を漂っている電気を帯びた原子核)の強度が注目されています。太陽活動が活発な時期には磁場が大きく乱されるため地球に到達する宇宙線が減少しますが、それに伴って地球を覆っている雲の量が減少し、地表に到達する日射量が増加するために気温が上昇する、とする説です。ここでのポイントは宇宙線強度と地球の雲量の関係で、この説によれば、宇宙線により大気中に生成されたイオンが種となって雲を生成する、とされています。たしかに、定性的な説明としてはあり得るかもしれませんが、このようにして生成される雲は地球全体の雲量のどのくらいの割合を占めるのか、など、定量的にはまだまだ多くの不明な点が残されています。温室効果ガスの増加に伴う気温上昇に関して、大気中の二酸化炭素が2倍に増えたときにどのくらい気温が上昇するか、などの定量的な議論が行われていることと比較しますと、太陽活動−宇宙線−雲の変化による温暖化説は、現段階では信憑性が低いと言わざるを得ません。今後の研究次第では、太陽活動−宇宙線−雲の変化に伴う気温上昇の定量的な議論が可能になるかもしれませんが、それによって、温室効果ガスの増加に伴う気温上昇が無視されることは考えられず、温室効果ガスの増加が最近の温暖化の主要な原因の一つであることは間違いありません。

(注1)気候の揺らぎ:太陽からの放射エネルギーの変化や大規模な火山噴火、人間活動に伴う温室効果ガス排出量の増加など、気候システムの外部からの強制が一切なくても、大気や海洋、雪氷などが相互作用することにより生じる変動を指します。エルニーニョだけでなく、冷夏や暖冬などの年々変動も気候の揺らぎの一部と考えられます。 
 
氷期‐間氷期サイクルにおける大気CO2濃度変動の役割

 

氷期−間氷期サイクルは、人類が進化してきた第四紀(過去258万年間)という時代を特徴づける気候変動である。特に、過去約80万年間の氷期−間氷期サイクルは、約10万年の周期で繰り返し、その振幅は平均気温で5℃以上、大陸氷床の拡大に伴う海水準変動で120mに及ぶ。氷期‐間氷期の繰り返しは、地球軌道要素(公転軌道離心率、地軸の傾動、地軸の歳差運動)の周期的変化が引き起こす地球への日射量の緯度分布や季節分布の変動(いわゆるミランコビッチ・サイクル)に起因することが、既に明らかにされている。しかし、そうした地球軌道要素に伴う日射量の変動は、地球全体が年間に受ける日射の総量をほとんど変化させないため、古気候記録に示されるような、氷期−間氷期サイクルに伴う全球規模の大きな気温変動を引き起こすためには、地球の気候システムに内在する何らかの増幅過程が必要となる。しかしながら、こうした日射量変動がどの様にして増幅されるのか、そのメカニズムは未だに完全には解明されていない。そして、それを解くカギは、氷期から間氷期への移行過程において、何がどういう順番で変化していたのかを知ることにあると考えられている。
南極の氷床コアが保持する古気候記録は、この問題の解明に繋がる重要な情報を与えてくれる。これまでの研究で、氷期から間氷期への移行期(融氷期と呼ばれる)における氷床の融解より数千年先行して、南極の気温および大気中のCO2濃度の変化が起こっていた事が明らかにされており、更に、Monnin et al. (2001)の研究により(少なくとも最終融氷期においては)南極の気温の上昇が、CO2濃度の上昇に数百年先行していたとされていた。これに対し、本研究は、より厳密な対比を行い、南極の気温がやや先行しているようにも見えるが、むしろ、両者は誤差(100年程度)の範囲で同時であり、強くカップリングしていると見るべきだと主張している。
氷床コアの記録において、南極の気温の指標には氷の水素同位体比が用いられており、一方、大気中のCO2濃度は、氷に含まれる気泡に保持された大気の分析値を用いている。ここで、両者の時間差の評価に誤差が生じるのは、氷の水素同位体は、その層準が地表にあった時の降雪の水素同位体比を記録しているのに対して、気泡は、氷床表面下50〜120m位のところで、圧密で気泡が閉じた時点での大気のCO2濃度を記録しているためである。従って、気泡が閉じる深度(Lock-in Depth=LID)をどのくらい正確に推定するかが、時間差の推定誤差を小さくするカギとなる。本研究では、気泡中のN2の窒素同位体比を利用してLIDをより正確に推定した。気泡が相互に通じているLIDより浅い部分では分子拡散により同位体分別が起こり、LIDの深さに比例してN2の窒素同位体比は増大する。この性質を利用してLIDを推定したのである。LIDは、積雪速度や雪の圧密速度など様々な要因で変化する。本研究では、LIDを各層準ごとに細かく推定し、その時代変化を考慮することで、同一層準における気温とCO2濃度記録の時間差をより正確に推定した。
本研究におけるもう一つの工夫は、南極全域をカバーする5地点での気温データを重ねて平均化することにより、南極気温変動データのノイズを著しく小さくしたことである。この結果、気温とCO2濃度の時間差の推定誤差を90〜160年にまで抑えることが出来た。これを基に、最終融氷期(2〜1万年前)における気温とCO2濃度の変化を比較した結果、誤差の範囲で両者の変動のタイミングが一致していたことが示された。また、両者の変動が相関係数0.99以上で相関している事も示された。これらの結果は、どちらかと言えばわずかに気温が先行しているものの、南極の気温と大気中のCO2濃度が強くカップリングしていることを意味する。一旦変化が始まると、両者間の正のフィードバックにより、変化が増幅されて大きくなってゆくのである。
本研究の結果は、氷期から間氷期への変化において、どこにおけるどういう変化が融氷期のきっかけとなったのか、という問題の答えを与えるには至っていない。しかし、南極における気温あるいはそれに直接的に影響を与える海氷分布や表層水における鉛直混合の変化が引き金になっている可能性を強く示唆している。これが本当なら、氷期間氷期サイクルが北半球高緯度域における夏の日射量変動により引き起こされている、つまり、北半球高緯度における変化が引き金になっている、とするミランコビッチの仮説に基づいたこれまでの考え方を修正する必要があるかもしれない。 
 
氷期−間氷期サイクルの周期は、いつ、どの様に変わったのか?

 

現在、私たちは、約3400万年前に始まった地球史の中で最も新しい氷河時代の中にいる。氷河時代は、しばしば、寒冷化して氷床が拡大した氷期と、相対的に温暖で氷床が縮小した間氷期の繰り返し、いわゆる氷期−間氷期サイクルで特徴づけられる。そして現在は、約300万年前の北半球氷床の出現で始まり、それが拡大する過程で顕在化した氷期-間氷期サイクルの中の最も新しい間氷期(後氷期と呼ばれる)に当たる。
氷期−間氷期サイクルは、地球軌道要素の変化(地球の公転軌道の離心率変化や自転軸の傾きの変化、そして公転軌道に対する自転軸のゴマスリ運動)によって引き起こされる日射量の緯度分布および季節分布の準周期的変動(一般に、ミランコビッチサイクルと呼ばれる)が、地球システム内で増幅されることによって引き起こされている。氷期−間氷期サイクルがミランコビッチサイクルに同調している事は既に周知の事実で有るが、今から約125万年前以前には、およそ4万年の地軸傾動周期に同調していた氷期−間氷期サイクルが、およそ70万年前以降はおよそ10万年の離心率変動周期に同調するようになった事は、専門家以外には余り知られていない。この周期の変化は、更新世(Pleistocene:258万年前−約1万年前)の只中に起こったため、MPT(Mid Pleistocene Transition)と呼ばれており、その原因や変化の詳細を明らかにする事は、ミランコビッチサイクルがいかにして氷期−間氷期サイクルを引き起こしたかと言う、未解決の大命題を解く上での重要な手掛かりを与えてくれると期待される。
MPTについては、これまで、「底生有孔虫と呼ばれる海底に棲む単細胞生物の石灰質な殻の酸素同位体比が主に海水の同位体比を反映し、海水の同位体比は大陸氷床の体積(=海水準)を反映する」との仮定のもと、世界の色々な海域から報告された底生有孔虫殻の酸素同位体比の変動を重ね合わせて平均化したデータに基づいてその特徴が議論され、125万年前から70万年前にかけて、氷床が徐々に大きく成ると共に、4万年周期が10万年周期に置き換わって行ったと言われている。これに対して著者らは、底生有孔虫殻の酸素同位体比は、海水の同位体だけでなく殻を沈殿させた時の水温の影響も受けるので、氷床体積の指標としては不完全であると指摘している。そして、南太平洋ニュージーランド沖の水深3290mの深海底から回収された掘削コアから分取された合計1485個の試料中の底生有孔虫殻について、酸素同位体比と同時に水温の指標であるMg/Ca比を測定し、殻が酸素同位体を取り込む際の水温の影響を取り除くことにより、海水の同位体比の変動を過去150万年間に渡って復元した。
復元結果は、従来の考えを覆すもので、数々の示唆に富んでいる。即ち、氷床体積の変化は、従来言われていたように数十万年かけて徐々に起こったわけではなく、95万年前から87万年前の8万年間で急激に起こった事が明らかになった、一方、底層水温の変動様式は、氷床コアに記録された南極の気温の変動様式とよく似ており、南極の気温を反映している事を示唆している。そして、氷期極相期の水温は−1.7℃前後と低く、過去150万年間余り変化が見られない事が示された。一方、間氷期の深層水温は、45万年前以前には、1℃弱低かった。更に面白いのは、間氷期極相期直後の深層水温低下は、氷床体積増加に先行しており、間氷期から氷期に向かうプロセスの前半では、主に水温低下が有孔虫殻の酸素同位体比増加に寄与しており、後半は、主に氷床体積の増加が寄与している事である。そして、少なくとも研究された地点においては、深層水温の変化が有孔虫殻の酸素同位体比変動の半分近くを説明している。
著者らは、更に、何がきっかけで、MPTで氷床体積急増が起こったかについても考察している。即ち、酸素同位体比ステージ24で氷床が成長した後、ステージ23で氷床が余りほとんど融けなかった事が、次のステージ22で更に氷床を拡大させることになったと主張し、同位体ステージ23で氷床が余り融けなかった原因は、この時に、南半球高緯度域の夏の日射が余り上昇しなかったからだと論じている。(そして、筆者はあまり注目していないが)それは、40万年周期で離心率が極小になった時期と一致している。)この解釈は、南半球高緯度の夏の日射量変動が、氷期−間氷期サイクルに影響を与えているという主張を含んでいる点でも重要である。それは、現在、氷期−間氷期サイクルのペースを決めているのが、ミランコビッチが提唱したように北半球の夏の日射量なのか、それとも南半球の日射量なのかで盛んに議論が戦わされているからである。
Elderfieldは、70歳に近い研究者であるが、未だにNature やScienceなど、トップレベルの雑誌に論文を書き続けている。そのアクティビティーの高さには、恐れ入るばかりである。  
 
ミランコビッチ説

 

氷河期
地球には過去に何度も氷河期とよばれる気温の低い時期がありました。7億年ほどまでの氷河期は地球のすべての表面が氷に覆われた「全球凍結」という超氷河期が頻繁にあったこともわかっています。このような地球を「スノーボール・アース」といいます。約6億年前のカンブリア紀直前にスノーボールを脱した地球はその後も何度かの氷河期を経験しましたが、全球凍結はおこっていません。この原因は太陽の進化によって放射される熱エネルギーの総量が増加したためと考えることができます。顕生代(カンブリア紀以降現在まで)には全球凍結はおこりませんでしたが、古生代末には生物種の90%以上が絶滅する大絶滅がおこりました。この原因については天体の衝突という考え方もありますが、氷河期の到来による氷河の発達→海水の減少→大陸棚の消失→植物プランクトンの死滅→酸素欠乏 といった原因が考えられています。中生代には目立った氷河期はありませんが、新生代になって強い氷河期が何度も到来しています。過去200万年の第四紀は氷河期が普通で、氷河期と氷河期の間である間氷期のほうが短く、現在は約1万年前に終わった氷河期(ヴュルム氷期)と次に来る氷河期の間氷期と考えられています。ただし間氷期とは言わず後氷期といいます。
氷河期になると
氷河期の程度にもよりますが、氷河期になると海水が大陸氷河となるため、海退(海面の低下)がおこります。約1万2千年前には海面が最大130m低下しました。日本付近では朝鮮半島・樺太・シベリアが陸続きで、日本海が湖となっていました。日本のような中緯度地方では、高山地帯で氷河が発達し、広葉樹林帯や針葉樹林帯の南限が南に下がってきます。また季節は 春−秋−冬 となり夏がほとんど無くなと考えてよいでしょう。  
原因と考えられる諸説
科学的なものから非科学的なものまで過去に多くの氷河期の原因が考えられました。科学的なものを分類すると次の3つに分類できます。
地球に起因するもの
地球自体が氷河期を招いているという考え方です。ミランコビッチ説もここに含まれます。地球の公転や自転についてのさまざまなことがらや、プレートテクトニクスやプルームテクトニクスなどで説明しようとするものもあります。また火山の噴火によるチリが成層圏に滞留して地表に届く日射量が減少し、異常気象が頻発することも何度かありました。19世紀におこった天明の飢饉などは浅間山の噴火によるエアロゾルが原因であることがわかっていますし、1991年のピナツボ火山の噴火でも気温低下が観測されています。巨大な火山爆発が連続すれば氷河期の引き金になることも考えられます。
太陽に起因するもの
太陽は核融合反応によってエネルギーを生産・放出しているのですが、常に一定というわけではありません。黒点の増減などに周期性がありますし、さらに長い変動も観測されています。またマウンダー極小期(1640-1715年頃)やシュペーラー極小期(1410-1540年頃)といって黒点がほとんど現れない時期もありました。実際にこの時期には寒冷化がおこり「小氷期」とよばれています。小氷期が氷河期の小規模なものかどうかは不明ですが、太陽が長い目で見ると変光星である可能性は捨て切れません。その変化は恒星としては微々たるものではあるけれど、地球に対する影響は大きいと考えられます。
太陽系外に起因するもの
太陽系は銀河の中を波打ちながら約2億年で公転しています。数千万年ごとに銀河面を通過しますが、そのとき巨大な分子雲の中を通過することがあります。このとき 太陽光線が分子雲によって遮られ日射量が低下する可能性があります。太陽系の近傍には分子雲があり、数万年前に通過し終わったといいます。  
ミランコビッチ説
地球の氷河期を地球の軌道面の変化と歳差運動、地軸の傾斜角で説明しようとする説のことです。ユーゴスラビアのミランコビッチ(Milankovitch)によって1930年に唱えられました。現在では主流となっている考え方ですが、まだまだ反対論も多いようです。
地球の海陸の分布
地球上の大陸は北半球に集中しています。ユーラシア大陸・北アメリカ大陸のみならずアフリカ大陸の半分以上が北半球にあります。南アメリカ大陸も一部が北半球です。図は陸半球とよばれる大陸塊を示しています。反対に南太平洋を中心とする部分には陸地は10%しかありません。大陸は海洋と違って熱容量が小さいので、熱しやすく冷めやすいという特徴を持っています。つまり地表に届く太陽エネルギーの変化が海洋に比べてより顕著に表れます。また一旦大陸氷河が形成されると、アルベド(反射能)が極端に変化します。土の茶色や植物の緑色は太陽の光を吸収しますが、氷は反射してしまいます。冬に降った雪が凍って夏を越すと、翌年にはさらに気温が低下してさらに広い地域に拡がります。これによる正のフィードバックで氷河が成長すると考えられます。この逆の現象は氷河の消滅にも適応できます。いずれにせよ、北半球に大陸がかたまっている現在の状況は、北半球での日射量変化がたとえ少しでも氷河期の引き金になるということです。
軌道の形の変化
地球の軌道は太陽を焦点の一つとする楕円軌道です。地球が最も太陽に近づく点を近日点、最も遠ざかる点を遠日点といいます。太陽と地球しかなければ軌道の形は変化しませんが、地球の軌道は他の惑星の影響を受けて(木星が最も大きい)、約10万年周期で変動します。ただし太陽と地球の平均距離はほとんど変化しません。もし平均距離が変化すれば変化が蓄積されて地球は現在の軌道には存在しません。このような形の変化を離心率の変化といいます。公転軌道の形が最もひしゃげると、近日点と半年隔てた遠日点で、太陽の日射量の差は20%となります。最も丸くなると、その差は4%。現在その差は7%です。
歳差運動と近日点移動
地球は、自転軸を北極星に向けたまま、自転と公転をしています。この自転軸が23.5度の傾きを保ったままで、2.6万年の周期で逆回転して首振り、みそすり運動をします。これを歳差運動といいます。だから1万年ほどするとベガ(織女星)の方向に自転軸が向いて、こと座のベガ(織女星)が北極星となります。地球軌道の形が変わらないとすれば、現在は太陽黄経が286度(1月7日頃)に近日点を通過します。北半球の真冬に地球は太陽に最も近づきます。ところが1万3千年後には1月7日は北半球の真夏になるということです。さらに、実際には地球の近日点は他の惑星の影響を受けて緩やかに前進します。歳差運動と近日点前進の結果、近日点通過の季節が約2万年の周期で変化します。現在近日点通過は、北半球の冬に、南半球の夏に起こっていますが1万年のちには近日点通過は北半球の夏に、南半球の冬に起こるようになります。
地軸の傾き
現在の地球の自転軸は、公転軌道面に対して垂直から(傾斜角)23.5度傾いています。南北緯度65.5度(90度マイナス傾斜角)以上の極圏では、太陽の沈まない白夜と暗黒の極夜が半年づつ続きます。自転軸の傾きは、(地球が球でなく扁平なので)月と太陽の重力の引力で、21.8度から24.5度まで4万1千年位の周期で変化します。傾斜角が大きいと白夜や極夜の範囲が広くなり季節変化が大きくなります。
大陸移動
上に述べたことがらによって、北半球への日射量は、たとえ太陽の全放射量が同じでも数万年から数十万年の規模で変化することがわかります。少しの寒冷化が引き金となって大陸氷河が成長しだすとますます寒冷化が進み、少しの大陸氷河が融け出せばさらに温暖化が進むという状況になるようです。現在の地球の大陸は北半球に多く海は南半球に多いのですが、これは最近数千万年の出来事で過去においては大陸が南半球に集中していた時代やバラバラになっていた時代もあったはずです。大陸はプレート運動によって離合集散を繰り返しているので、氷河期は現在の大陸分布が生んだともいえます。  
 
氷期・間氷期サイクルの基礎

 

Milankovitch cycle
天体力学的変動による日射量変動の効果で重要なのは、以下の2つ。
赤道傾角 (obliquity) 項:赤道面と黄道面のずれが時間変化することから 発生する効果。高緯度地方の日射量の季節のコントラストに影響を与える。 obliquity は、約 4 万年(通常 41000 年と言われる)周期で、 22°〜 24°くらいの間で変化する。
気候的歳差項:離心率の変化と歳差運動と近日点の移動の組合わせで、 北半球の夏が近日点にあるか遠日点にあるかということが変化する。 結果として季節のコントラストの大小に影響する。この周期は 23000 年 と 19000 年である。この周期は、歳差の周期 26000 年が 離心率の変化の周期(10 万年、40 万年)などで変調されたと思えば良い。 日射量変動に 10 万年や 40 万年周期の変動はない。
どちらの効果も季節のコントラストに関わりがある。北半球で季節変化が小さくなると氷が増えるとされている。というのは、夏涼しいと氷が融けにくくなり、冬暖かいと湿潤になって雪が増えるからだ。 
10 万年周期の変動
80 万年前以降の変動は 10 万年周期である。これを出す方法はいくつか考えられている。
何らかの非線形性
気候的歳差項には 2.3 万年周期と 1.9 万年周期があり、その2つを合わせた時系列の envelope は 1/(1/1.9 - 1/2.3) = 10.9 万年周期で変動する。これを何らかの非線型性で取り出せば良い。
Paillard (1998) のモデル
間氷期(i)→中間(g)→氷期(G)→間氷期(i)→…という3状態を繰り返すサイクルであるとするおもちゃモデル。この g 状態ではゆっくり氷床が成長してその間は日射に応答するスイッチを切っておくことがポイント。G→i, i→g は、それぞれ日射がある値を上回ったときと下回ったときに起こることにする。すると、それらは比較的短い時間(気候的歳差の2万年程度)で起こることになる。 g 状態では、氷が十分成長するまで日射に応答しなくなる。十分成長すると G 状態に遷移するものとする。氷が十分成長するには5万年程度の時間がかかるとし、しかも日射量変動が少ない時期(10 万年周期の envelope の節の時期)に氷床の成長が起きやすいようなモデルを作る。すると、g→G は、i→g の7万年程度後で、かつ envelope の節の時期あたりに起こるようになる。そのようにして、実際の気候変動を再現できるようになる(しかしモデルにはいろいろなネジがある)。 
時間変化の鋸歯状の非対称性
大きな氷床はゆっくり凍り速く融ける。その理由は、次のようなものであると考えられている。それは
氷が断熱材になるため、氷床の底は暖まって融けやすくなっていること。
氷の重さで地面が下がることと、地面の応答が遅いこと。そのため 十分氷床が発達してから融け始めると、
 地面が下がって高度が下がっている分、氷が融けるのが容易になっている。
 地面が下がって周囲の水が流れ込みやすくなっており、その水の 流れが熱を奪って氷が融けやすくなっている。
である。 
氷期・間氷期サイクルと温室効果ガス
氷期・間氷期サイクルと大気中の温室効果ガスの量の変化は連動している。以下で説明するように、気温と温室効果ガスの量との間には正のフィードバックが存在することが考えられ、それが気温と温室効果ガスの間の相関が高い原因であろう。そして、天体力学的な日射量の変動という些細なことで、気候変化が起こる原因なのでもあろう。以下、各論:
水蒸気
「温暖になると湿潤になり、水蒸気による温室効果が増える」 という正のフィードバックがあるだろう。しかし、直接的な証拠は 堆積物にも樹木にも氷コアにも残らないので(もともとそれらのものは 水分を多く含んでいる)、過去の変動はあまりよくわかっていない。
二酸化炭素
氷コアの記録だと、たしかに氷期・間氷期サイクルと同期して変動している。 氷期最盛期で 200 ppmv くらい、間氷期で 270 ppmv くらい。 変化の理由はよくわかっていないが、海には大気中の 50 倍もの二酸化炭素が あることから海が関与していると考えられる。正のフィードバックがかかる 可能性として以下のようなものが考えられる。(1) 寒くなる→ 二酸化炭素の溶解度が上がる→海に二酸化炭素がたくさん溶けて大気中の 二酸化炭素が減る→温室効果が減ってますます寒くなる (2) 寒くなる→南北の寒暖の差が増す→風が強くなる→陸から海へ栄養が たくさん飛ばされてくる→海中の生物活動がさかんになる→糞という形で 炭素が海底堆積物中に固定される→温室効果が減ってますます寒くなる
メタン
これも気温に対して正のフィードバックが考えられる: 寒くなる→沼地・湿地が乾燥するか凍る→沼地・湿地における バクテリアによるメタン生成が減る→温室効果が減ってますます寒くなる。 
 
氷期・間氷期サイクルと地球の軌道要素

 

1. 序論 
古気候の研究は図1のようにとらえることができよう。海洋・大気・雪氷・陸面を合わせた「気候システム」を考える。これは多くの変数が相互に関係して変化する系である。変数の例としては、氷の総量、深海の水温、大気中の二酸化炭素濃度などがある。実際に観測することのできる気候指標(図1の右端)、たとえば海底堆積物の有孔虫の酸素同位体組成などは、この気候システムの変数を反映しているが、それ自体ではなく、なんらかの変換 (「観測変換」と呼ぶことにする)を受けた結果である。気候の変数の変化は、気候システム内の相互作用だけで起こるものもありうるが、システム外からの入力にも依存している可能性がある。外力としては、太陽放射の変動、および火山活動などの地球内部からの作用が考えられる。古気候の研究は一般には気候指標の観測値が与えられているだけで、入力もわからなければ、「気候システム」も「観測変換」もブラックボックスであるというところから出発して、それぞれの内容を知ろうとする謎ときである。しかし、外力のうち、地球の軌道要素の変化にともなって地球上の各緯度、各季節に受け取る日射が変わる効果だけが、天体力学にもとづいて、ほぼ決定論的に数百万年の過去にさかのぼることができる。したがって、もし気候システムの変動がこの外力に対する応答として説明できるとすれば、原因から結果への順方向に考えることができるので科学の課題になりやすい。実際、「第四紀」と呼ばれる最近200万年間の氷期・間氷期サイクルを、地球の軌道要素に対する応答として説明しようという観点で、研究が進んでいる。
今から1万年ほど前まで、北アメリカとヨーロッパのかなり広い地域に大陸氷床(巨大な氷河)が広がっていたこと、さらに、氷床は数回の拡大・縮小をくりかえしていたことを、19世紀になって人類は認識した(たとえば 小林・阪口、1982参照)。この準周期的変化を軌道要素の変化で説明する考えは、氷期の天文起源説、あるいは、「Milankovitch理論」として知られている。この理論についての日本語の解説としては、 福井(1938)、土屋(1974, 75, 78)、 中島(1981)、 森山(1987)などがある。 Bergerほか編(1984)はこれを主題としたシンポジウムの記録であり、関連する話題を展望するのによいと思われる。この理論の歴史については、 Berger (1988)に要領のよいまとめがあり、また Imbrie and Imbrie (1979) の読み物もあるので、ここではごく簡単にふれる。
Milankovitchは1879年生まれ、1958年没、ユーゴスラビア(セルビア) の理工学者であり、セルボ・クロアート語のつづりはMilankovic[cの上に'] らしいが、著作のつづりに従っておく。Milankovitch自身の著作は 1920, 1930, 1941年のもの があり、最終版といわれる1941年のものは最近日本語訳が出版された。氷期の原因として軌道要素の変化を考えた先駆者としては、 Adhemar[1842年出版]、Croll[1857年出版]がいるが、Milankovitchの業績は次のようにまとめることができよう(ここでは 1930年の著作を参照した)。
大気上端に入射する日射量の緯度・季節分布を精密に計算した。
軌道要素の変化にともなう日射量の変化を当時としては非常に詳しく計算した。
氷床・気候の変動に対する外力として、北半球高緯度(特に北緯65°) の夏半年の日射量を重視した。氷床の形成には夏に温度があがらないことが重要だと考えたからである。
Milankovitchの学説は1930年代から1950年代には地質・地形学者に重視されたようである。それは一つには他に絶対年代尺度がないからであった。放射性同位体年代が出るようになると、年代尺度として日射量曲線を使う必要がなくなり、また、日射量曲線と地質的証拠とのくいちがいが問題にされるようになった。軌道要素が原因ならば南北半球が交互に氷期になるはずだという誤解 (Crollの言うように歳差が主要な外因であり、しかも応答が海陸分布にあまりよらないとすれば確かにそうであるが)もあり、第四紀気候変動の原因論を軌道要素説にもとづいて展開する人々はむしろ少数派となっていった。
しかし、海底堆積物のボーリングコアを時系列として解析すると、軌道要素の変化と同じ周期をもつ変動が気候指標にも見られることが発見された。代表的論文はHays, Imbrie and Shackleton (1976)である。これは、CLIMAP (Climate: Long-range Investigation, Mapping, Analysis and Prediction)というプロジェクトで、最終氷期の最盛期(約1万8千年前)の環境の全世界規模の空間分布をまとめる (CLIMAP, 1976, 1981)のと並行して進められた研究である。この成功をうけてImbrieらはSPECMAPという名で海底コアの時系列解析のプロジェクトを続け、より洗練された結果を出している(Imbrieら、1984, 1989)。最近、第四紀のものに限らず、堆積物に見られる準周期的な環境変動を解釈する場合には、「ミランコビッチサイクル」の反映である可能性を考えるのは当然となった感がある。
Haysらの仕事は図1の「入力」と「観測データ」の時系列にある種の共通性があることを指摘したにすぎない。両者の共通点とくい違いとをいずれも説明できるような、「気候システム」のメカニズムはどんなものかは未解決である。この問題についての、これまでの研究を展望してみることがこの報告の主題となる。 
2. 地球の軌道要素の変化とそれにともなう日射量の変化

 

ここで考える外力は、大気上端にはいってくる日射量(太陽放射のフラックス密度)である。これは、太陽の出す放射エネルギー量(光度)に、緯度と季節の関数である幾何学的因子をかけて求められる。この因子は、地球の公転と自転のパラメタ(ふつう「軌道要素」と呼ばれる)の関数である。具体的には、公転軌道の離心率(軌道の楕円が円からずれている度合い) e、動く春分点を基準とした近日点の黄経 _pi_(地球・太陽間の距離がどの季節に最も近くなるか)、地軸の傾き(地球の自転軸と公転軸のなす角) εが問題となる軌道要素である。付録Aでもう少し詳しく説明する。これらのパラメタは1万年の時間スケールで変化しており、それが次のような形で日射量に効いてくる。
ここで「_pi_」と表示した文字は、ギリシャ文字のπ(パイ)の字体のひとつだが、円周率を表わすものとは区別される。ギリシャ文字のωの上に波形がのったような形の字である。
(a) まず、地球に到達する日射の1年間、全球の総量(または年平均、全緯度平均)を考えてみる。地球と太陽の距離rの平均はaで一定であるが、放射エネルギーフラックスはrの(-2)乗に比例する。したがって年間・全球の日射総量は、rの1周期平均に、つまり1 / sqrt (1 - e2)に比例する。 eそのものが小さいうえその2次の項なので、季節別あるいは緯度別の日射量に対しては(b), (c)ほど効かない。ただし、離心率の変化の効果はこれだけでなく、(b)にも現われる。
(b) 次に季節別・緯度別の日射量を考える。離心率eが0でなければ、太陽・地球間の距離の年周期変化があるので、各季節の日射の緯度に対する分布の形は変わらないがその大きさは変わる。どの緯度でも同時に、近日点に近い季節に日射が多く、遠日点に近い季節に日射が小さい。しかし、「夏、冬」という言い方をすると、南北半球で逆になる。現在は近日点が北半球の冬至付近にあるので、北半球では(円軌道の場合に比べて)夏の日射が小さく、冬の日射が大きい。南半球ではこの逆になる (図2a、図7a参照)。この効果による日射量の非常に長い期間の平均からの偏差はe sin _pi_、 e cos_pi_の線形結合で表わせる。夏至、冬至の日射量の偏差はe sin _pi_だけに比例する。春分、秋分ならばe cos _pi_ に比例する。_pi_ の変化つまり「気候的歳差」による緯度別・季節別の日射の長期変動の特徴は次のようなものである。南半球と北半球のそれぞれの夏の日射(またはそれぞれの冬の日射)の極大が逆位相になる。もともとの日射量の緯度分布の形を反映して偏差の振幅も低緯度が高緯度よりも大きい。
(c) 地軸の傾きεが大きいと、高緯度の夏の日射が大きくなる。(現在の大気上端での日平均日射は、夏至には極のほうが赤道よりも多くなっている。昼の長さが長いためである。かりにε = 0 だったならば、極点では(直達) 日射は0になるはずであることを考えれば、これがεのおかげであることがわかるだろう。) 地球に到達する全放射量が変わるわけではないので、代償として、冬半球の日射が小さくなり、年平均では、低緯度の日射が小さくなる。 (図2b参照)。εの変化によって起こる、緯度別・季節別の日射の長期変動は、(b)と逆に、南半球と北半球のそれぞれの夏の日射(またはそれぞれの冬の日射)の極大が同位相になる。また、偏差の振幅は高緯度で大きい。この項は、各緯度の年平均の日射も変動させるが、それは赤道に関して南北対称に起こる。
図3に、軌道要素の最近80万年・将来20万年の時系列を示す(Berger, 1978, 1979が与えている三角関数展開の係数を使い、その記述に従って筆者が計算した)。また図4は過去80万年の時系列からBlackman-Tukeyラグ共分散法で計算したパワースペクトルである。 Berger(1984)に従って、過去5百万年の軌道要素の時系列の特徴を述べる。e (現在0.0167)は0.0005と0.0607の間を約9.5万年の周期で振動している。そのパワースペクトルには 41万、9.5万、12万、10万年周期のピークが見られる。ε (現在23.45°)は22°と24.5°の間を約4.1万年で振動している。_pi_は平均2.17万年で1周する(2πふえる)が、スペクトルに卓越する周期成分は2.3万年付近と 1.9万年付近に集中している。e sin _pi_ (現在0.01635)は、-0.05と+0.05の間を、約2.17万年周期を「搬送波」、 eの変動を「信号波」とする振幅変調(AM)のような変動をしている。
季節ごとの日射量の時系列としては、Milankovitch以来多くの文献が夏半年・冬半年の日射量の長期平均からの偏差を示している。地球の公転角速度が一定でないので「半年」の定義はいろいろ考えられるが、Milankovitchの使った「熱量的夏半年(あるいは冬半年)」は時間で2等分したもので、日射量がその中央値よりも大きい(あるいは小さい)期間である。 Blatterら(1984)は1年を4つに分けた各季節の日射量の偏差を示している。ここでは、実際の日平均日射量の値を表示してみた。図5に、両半球の高緯度(65°)と低緯度(20°)の、北半球の夏至のころ(6月21日=実線) と冬至のころ(12月22日=破線)の日射量の、過去80万年および今後 20万年の時系列を示す。ただし、日付は春分を3月21日とした相対的なものである。冬至の日射量を逆の半球の夏至のものと重ねて示した。冬の高緯度 (最下段)の日射量はもともと小さいので、変動の値も大きくないが、南北両半球の時系列はほとんど重なっており、εを反映している。これに対して夏至の回帰線付近(上から2段め)の日射量はe sin _pi_ を反映しており、南北半球できれいに逆位相になっている。
なお、ここでは夏至・冬至の日射を示したが、夏と冬の日射にだけ注目すればよいという保証があるわけではない。赤道地方の日射の極大・極小は夏至・冬至の時期ではない。 Shortら(1991)の2次元エネルギー収支モデルを使った研究の論文ではこのことを重視している。また、中・高緯度でも気候システムの感度が季節によって違う可能性もある(たとえば積雪被覆や海氷の年周期変化の中のある位相で敏感になることが想像される)。
図6は図5の過去80万年の時系列から計算したパワースペクトルである。また、 図7には、現在および9千年前(現在と逆に近日点が北半球の夏至付近にあった)の日平均日射量の緯度・季節分布を示す。 
3. 海底コアの時系列

 

次に、観測される気候指標のうちで、深海底の堆積物のボーリングコアから抽出される情報を説明しよう。使われる変数の意味は 付録Bでやや詳しく述べる。
ここでは古典的となった Haysら(1976)の論文に従って見ていくことにする。この研究では、南インド洋の、どの大陸からも遠い深海の2つのコアを解析した。主要な変数の一つは、有孔虫化石の酸素同位体比である。酸素同位体比の相対値δ18Oが大きいということは、全世界の氷の量が多かったこと、具体的には北アメリカとヨーロッパの氷床が大きかったことを示すと解釈されている。もう一つは、プランクトンの放散虫の種構成から計算したその場の海面水温である。つまり、同じサンプルから北半球と南半球それぞれの気候の特徴を表わすと思われる変数をとった。これを時系列として解釈するうえで問題になるのは時間のめもりである。絶対年代が放射性同位体や地磁気逆転からわかっている層準が少ししかないので、その間は仮に堆積速度が一定と仮定しておく。
彼らの仕事の特徴は、これらの時系列をスペクトル解析して周波数領域で見るということにある。これ以前の議論の多くは、ある特定の緯度の日射量変動曲線と地質・地形的証拠を、時間領域で比較するものだった。周波数領域で見ることによって、「どの緯度が効くのか」という議論をあとまわしにして、「どの軌道要素が効くのか」をさきに考えることができる。これは、海底コアという連続性のよい記録の出現と、スペクトル解析手法の進歩とにささえられてできたことである。
MEM法(maximum entropy method)で求められたパワースペクトル(図8)をみると、ピークは軌道要素および日射量のスペクトル(図9)と共通性が高い。この一致は偶然ではなく、軌道要素がなんらかの過程をへて氷の量や海面水温に影響を及ぼしているのだろうと彼らは考えた。ただし、離心率のスペクトルのピークではあるが、日射量のスペクトルでは明確なピークがない10万年周期が海底コアではいちばん目立っている。
彼らの認識では、海底コアと軌道要素の周期性の一致は、海底コアの時間目盛りの精度よりもすぐれていると思われた。そこで立場を逆転して、海底コアの時系列から2万年前後と4万年前後の周期成分をディジタルフィルタで取り出したとき、それぞれの成分の位相は対応する軌道要素(e sin _pi_、ε)の位相とそれぞれ一定の関係にあるはずだとしたのである。堆積速度一定を仮定したここまでの結果では、過去にさかのぼるほど軌道要素との位相のずれが大きくなるが、それは時間目盛りが正しくないからだと解釈した。そして、位相のずれを最小にするように時間目盛りを調整(tune-up)した。調整ずみの時間目盛りで海底コアの時系列を表示したのが図10 (aが酸素同位体比、bが海面水温、それぞれ中段が全体の値、上側が2万年周期帯、下側が4万年周期帯)である。中段には離心率eがあわせて示してある。離心率に対しては調整していないにもかかわらず、コアの時系列に卓越する10万年周期は、離心率と一定の位相関係にあるようである。
時間領域にもどって図10中段の曲線を見てみると、特徴は次のようにまとめられる。
酸素同位体比、水温ともに、約10万年の準周期的変化が卓越している。
酸素同位体比曲線の10万年周期は増減が対称でなく、のこぎり状の形をしている。ここから推定される全世界の氷の量の変化は、ゆっくりと蓄積し、急に消えるというものである。
南インド洋の海面水温の10万年周期は、長い低温期と短い高温期のくりかえしという形をしており、高温期は氷の少ない時期と一致している。 (これは両半球の気候変動が基本的には同位相であったことを裏づける。) ただし、酸素同位体比曲線と違うのは、低温期の水温レベルがほぼ一定であり、のこぎり状でない点である。
10万年のほかに、周期にすれば2万年から4万年程度の変動が重なっている。ただし、時系列をそのまま見たのでは、周期成分を認識することはむずかしい。また、2つの変数が2--4万年の時間スケールでも同位相で変化しているとは必ずしも言えない。
以上は、最近70万年間(地磁気のBrunnhes正磁極期)の海底コアの解析結果である。より深い堆積物の調査が進むにしたがって、それより古い時代の特徴はやや違っていることがわかってきた。2百万年前から70万年前までの時代の海底コアには、目立った10万年周期変化は見られず、むしろ4万年周期が卓越している(Ruddimanら、1986)。また、第四紀の前半は、後半よりも、酸素同位体比から推定される氷の量が平均的に少なく、またその変動幅も小さめだった。その変化を90万年前ごろに起こった一種の気候ジャンプと考える人もいる(Maasch, 1988)。
なお、Haysらおよびそれ以後のほとんどの研究でのスペクトル解析がMEM法によっていることに注意しておきたい。MEMは周期的時間変化を抽出することにはすぐれているが、その成分の変動が時系列の全分散のどれだけを占めているかを正確に言うことはできない。地球環境の変動には軌道要素という「時計じかけ」に時期を合わせたものがあるらしい、ということは今ではほぼ疑えなくなっている。しかし、それが周期の一定でない変動を圧倒するほどのものかどうか、はっきりと確かめられてはいないようである。 
4. 謎ときの方法論

 

「気候システム」というブラックボックスの中にどのようなしくみがつまっているのかを解明するための方法論は、大きく次のように分けられる。
(A) 数理的(信号処理論的あるいはシステム工学的)な態度。入力信号と出力信号の性質を比較し、その間の変換の数式による表現はどんなものでなければならないかを考える。
(B) 物理的な態度。気候システムの中でどんな物理的プロセスが起きているのかを考える。
もちろん、最終的には、数式としても、物理的プロセスとしても矛盾のない解釈を求めるわけである。実際の研究では、純数理的にできることは限られている。物理的考察によってモデルを組み立て、そのふるまいを数理的にも検討する研究が多い。その中でも、
(あ) 実際的な入力を入れたとき、観測に合う出力が出てくるようなモデルをさがし、その中で起きていることを調べる。
(い) 物理的モデルの数理的構造を解析し、なるべく適用範囲の広いことばで表現する。
という二つの行きかたがあるようである。
氷期・間氷期サイクルの問題に関与してきそうな物理過程には、
(1) 大気と海洋によるエネルギー輸送
(2) 大気と海洋による水(蒸気)輸送
(3) 気温の変化に伴う(雪氷、植物、土壌などを経由しての)アルベドの変化
(4) 積雪とその氷床への発達、消耗(蒸発、融解、氷山分離)
(5) 氷床の重さによる固体地球(特にアセノスフェアと呼ばれる部分)の変形
(6) 海洋の栄養塩と生物活動の変化
(7) 大気中の二酸化炭素濃度の変化
などがある(ここにもれているものもあるだろう)。
次の5節では数理的考察を、6-8節では物理過程に基づいたモデルを紹介する。6節では上記の物理過程のうち(1)、(3)だけを考えたエネルギー収支モデル、 7節では(4)、(5)を中心とした氷床モデル、 8節では他のプロセスも関与させたモデルによる研究を紹介する。それぞれのモデルのふるまいの数理的解釈については筆者の力不足で断片的にしか述べることができない。その面に興味ある人は Ghil and Childress (1987)の 10-12章を参照されることをすすめる。 
5. 10万年周期を出すための数理的モデル

 

まず、数理的な立場で、日射の時系列を入力とし氷の量の時系列を出力とするブラックボックスとして気候システムを考えてみよう。入力信号を二つ重ね合わせたものに対する応答が別々に計算した応答のたし合わせと等しいようなシステムを線形系という。線形系には振幅の変化、位相のずれのほか、時間に関する微分操作、積分操作が含まれてもよい。たとえば積分操作は、入力信号を周波数成分に分け(フーリエ展開し)、長周期ほど絶対値が大きな複素数の重みをつけてたし合わせたものと考えることができる。ともかく、線形応答である限り、出力の卓越周期は入力信号に含まれた周期でなければならない。
今の場合、入力である日射量に大きなパワーのない10万年周期が出力である酸素同位体比のスペクトルに大きなピークとなっていることが問題である。入力信号にも10万年周期成分はeの2次の項としてあることはあるので、
(a)気候システムは入力信号の10万年周期成分に共鳴するような線形系である
と考えれば日射と氷の量の関係を説明できなくはない。しかし、2万年、4 万年あるいは40万年の信号に比べて10万年周期について圧倒的に大きな増幅率を持たせるような物理的メカニズムを考えるのが困難である。
そこで、
(b) 10万年周期は日射に対する応答ではなく、気候システムの中で起こる自励振動である。
あるいは
(c) 日射に対する応答だが、気候システム内の非線形性を考える必要がある
というように認識されるようになってきた。(c)をさらに分けると、
(c1) もともと10万年周期の自励振動をもちうる系に外力が加わり、自励振動の位相が外力によって固定(phase lock)されたものである。
(c2) 系内の非線形性によって生じた、入力信号の周期の整数倍の周期の振動である。
(c3) e sin _pi_の項の時系列の包らく線(envelope)、あるいは、この項がもつ1.9万年周期と2.2万年周期の間でつくられるうなり (combination tone, 結合音)が系の非線形性によって取り出される。
(c4) eの2次の項に対する非線形共鳴応答である。
(c5) その他の型の日射に対する応答。たとえば、2万年周期と 4万年周期が一定の位相関係になったとき、氷床あるいは海洋に急激な変化が起こるとする (Ruddiman, 1987)。
などの考えがある。
ここでは比較的直観に訴えやすい(c3)について考えてみる。e sin _pi_ の時系列(図3)を見て、AM (振幅変調)のラジオの原理の説明図を思い出す人は少なくないと思う。AM変調にもいろいろな変形があるが、基本は次のようなものである (Connor, 1982)。角周波数(= 2π×周波数) ωm、振幅Vmの信号(図11a)を、角周波数ωc、振幅Vcの「搬送波」で送る場合、変調された信号(図11b)は
(Vc + Vm sin ωmt) sin ωct
= Vc sin ωct + (Vm/2) cos (ωc - ωm) t - (Vm/2) cos (ωc + ωm) t
となる。パワースペクトルは図12aのように、搬送波のピークωc (= 2 π fc)を中心として両側にωcだけずれたところに同じ大きさのピークが出る。角周波数ωmのところにはピークはない。これを入力としてもとの信号波形を取り出すのには、よく知られているように、入力を「整流」し、平滑化してやればよい。整流の理想的な形には、入力が正の部分だけを残し、負の部分を0で置きかえる「半波整流」と、入力の絶対値をとる「全波整流」がある。整流された時系列を周波数分析すれば、信号波の周波数ωmと搬送波の周波数ωcの両方にピークがある。平滑化は、ωc付近の周波数成分のパワーを (ωm付近に比べて相対的に)落とすためのものである。
e sin _pi_の時系列は、典型的なAM変調とは違っている。sin _pi_ だけをとっても1.9万年、2.3万年の周期成分からなっており、単純な「搬送波」とはみなせない。しかし、図9の破線と同じように、e sin _pi_ の曲線の包らく線をとれば、ほぼeの曲線が取り出せる点では、一種のAM変調とみなすことができる。したがって、整流器に似たなんらかの非線形フィルタがあればeの信号を取り出すことができる。実際、 Wigley (1976)は、「入力信号を2乗する」というフィルタ操作を使い、1.9万年と2.2万年の重ね合わさった時系列を入力として、出力信号のスペクトルに10万年周期が含まれることを示した。
ではこのような非線形効果を作り出すメカニズムはなんだろうか。 Imbrie and Imbrie (1980)は、氷床の成長にくらべてその崩壊は速いという海底コアの時系列にみられる特徴を背景とし、氷床は成長期と崩壊期で外力に対する応答時間が違うと考えた。
彼らの考えた0次元モデルは次のような緩和型のものである(表記を変えた)。
dI/dt = −(I − Ieq )/ τ
Iは全世界の氷の量を想定した変数である。Ieqは外力であり、本来は日射量を想定しているが、ここでは日射量を固定して与えて定常状態(d I / d t = 0) となったときの氷の量という形にしている。τは系の応答の時定数だが、これを、d I / d t が正のときと、負のときで違う値の定数とする。彼らは、 Ieqとして、ある緯度の日射量曲線(を適当な定数倍したもの)を与え、出力がなるべく海底コアのδ18O曲線に近くなるように、パラメタτを適当に tuningした結果を示している。また、 Snieder (1985)は、同じモデルで、 1.9万年と2.2万年の正弦波から10万年周期が作れることを示した。しかし難点としては、
(ア)Imbrie and Imbrieの「よい」とする結果を得るために、Iの振幅より1桁近く大きく変動する外力Ieqを与えていること
(イ)過去100万年の日射量曲線を入力として計算すると、再現されたスペクトルは10万年よりむしろ40万年付近のピークが強く出ること (より長い海底コアのデータの解析によれば40万年周期も実在するようではあるが、10万年周期よりも大きなパワーをもつとは考えにくい)
ということがある。2つだけの時定数のモデルではスペクトルの特徴の全部は説明しきれないようである。 
6. エネルギー収支モデルによる説明

 

入力がエネルギーフラックスであることから、気候変動をエネルギー収支のプロセスだけで定量的に説明できないかという期待がもたれる。 Milankovitch (1930)は局所的な地表面の放射収支を考えた。その中で雪氷が白いために日射を多く反射し、地表面の受け取るエネルギーを小さくするためより雪氷を維持しやすくなる、という雪氷アルベドフィードバックを考慮している。しかし現代からみると、 Milankovitchのモデルは、大気からの長波放射の扱いにも問題があるし、大気の運動によるエネルギー輸送を鉛直・水平とも計算にいれていないという、不備なものである。
南北1次元エネルギー収支モデル( 第6章2節参照)の中で雪氷アルベドフィードバックの役割を考えた Budyko (1969)と Sellers (1970)は、そのモデル (年平均の平衡モデル)の解が地軸の傾きεに伴った日射の緯度分布を変えた場合にどう変わるかを調べたが、応答は小さかった。Budykoは詳しい結果を述べていないが、軌道要素を変えたのに対して雪氷の限界の変化は緯度1°以下だったという。Sellersの場合、εを21°55’から24°24’まで変えたのに対して、温度の違いは全球平均で0.6 K、最大となった赤道から南緯10°の緯度帯で0.8 Kであった。軌道要素に伴う年平均日射量の変化はもう一つ離心率eの直接の効果があるが、これはeの2次の項であり、太陽定数の 1 / 1000の変化と同じとみなせるから、やはり応答は小さいはずである。
しかし、季節変化を入れると、軌道要素に伴う日射量の変化に対する気候システムの応答は、氷期・間氷期サイクルを説明するほどに大きくなりうることがSuarez and Held (1979)や Budyko and Vasishcheva [1971年、 Budyko 1980から引用]によって示された。つまり、気候システムはどの季節の日射に対しても同じ感度で応答するわけではなく、敏感な季節があることになる。BudykoやSellersのモデルに比べた特徴は次のところにある。
(1) 季節変化を考えた。Suarez and Heldは1年周期で変化する日射を与えて、長時間積分することにより、1年周期で繰り返す広い意味の平衡解を求めている。Budyko and Vasishchevaのは、夏と冬の温度をそれぞれ変数にとって連立させた定常モデルである。
(2) 海洋混合層の熱容量、および陸の熱容量(海より小さい)を与えた。これは季節変化の振幅を現実的にするために必要である。
なお、Suarez and Heldのモデルでは、
(3) 地表面温度と大気の温度を区別し、そのあいだの熱の交換を具体的に表現した。
(4) さらに、大気を2層に分け、気温の鉛直勾配の変化の緯度による違いを表現した。
(5) 地表面のアルベドを温度だけに依存させるのではなく、1年以下の時間スケールでの積雪の持続性を考慮して決めた。ただし、雪が氷床となることは考えていない。
などのくふうをしており、それぞれに気候感度にも影響を与えているが、年平均モデルとの違いを考えるうえでの本質ではないと思われる。
Suarez and Held は、夏に残る雪氷の広がりおよび全球平均気温に注目して結果をまとめている。このモデル気候システムは北半球の夏の日射の影響を強く感じる。これを入力とし全球平均気温を出力とすると、出力の長期平均からの偏差はほぼ入力の偏差に比例している。日射量の変化を周期成分に分けて与え、結果を合計しても、合成した日射量変化を与えた場合の結果とほとんど違わない。
このように線形に近い系では、Haysら の見つけたスペクトルの周期のうち2万年と4万年は説明できるが、 10万年はeの2次の項によるぶんだけしか出ない。したがって、海底コアの10万年周期を説明するには、このモデルに含まれていないメカニズムを追加する必要があると考えられる。 
7. 氷床モデルによる時系列の再現

 

日射量変化を入力として10万年周期を作るメカニズムとして、氷床のダイナミクスを考えるのは自然なことである。氷のかん養(蓄積)、消耗のほか氷の流動およびその重さによる固体地球の変形をある程度考慮した力学モデルをこの問題に適用したのは、Weertman (1976) が初めのようである。それから Oerlemans (1980), Birchfieldら (1981)の仕事を経て、Pollard (1982)に至って、観測された酸素同位体比とかなり近い氷の質量の時系列の再現に成功した。ただし、これらの研究では、入力としては、氷床の均衡線 (氷のかん養量と消耗量が一致する位置)が北半球のある緯度の夏の日射量の変化に比例して平行移動すると仮定している。
彼らのモデルは、東西方向には一様な状況を考え、氷の運動方程式に基づいて、南北1次元の問題として、氷床の高さと氷床の底(基盤岩と接するところ)の高さを予報するものである。ただし、最初の Weertman (1976)は、氷を完全塑性体と仮定することにより、氷床の形は、平衡解である、断面が放物線となる形となり、それぞれの時点での氷の総量が決まると遅れなしにこの形に調節されるとした。Oerlemans (1980)や Pollard (1982, 83)は、氷の運動方程式を使っているが、変形速度と応力の関係は温度に依存しないとした、「簡単な流動」型 (第6章4節参照)のものである。各緯度の氷床の高さを変数とし、方程式を鉛直積分して、一種の非線形拡散方程式の形にしたものを用いている。氷にとっての基盤岩である固体地球の応答については、 Weertman (1976)は即時にアイソスタシー(重さの均衡)が成り立つと仮定した。 Oerlemans (1980)は1万年程度の時定数の遅れを考えた。Birchfieldら (1981)はより現実的と考えられる3千年程度の時定数を考えたが、10万年周期の応答を得ることができなかった。 Pollard (1982)は、アセノスフェア (上部マントルのうち比較的塑性的な部分)を薄い流体層で近似する方法で、線形拡散型の式で表現した。
またPollard (1983)は、 Pollard (1982)のモデルを大気の拡散型エネルギー収支モデルと結合して、日射量の緯度分布を入力として与え、前の論文と同様に観測に似た時系列を再現した。前の論文の入力に関する仮定をより物理的根拠のあるものにおきかえたことになる。氷床モデルが緯度だけの関数である南北1次元モデルであるのに対し、大気モデルは東西の次元ももった2次元拡散型モデルであり、やや理想化された海陸分布をもつ。このような構成にした理由は、おそらく、現実的な振幅の気候変動を作るのに、海と陸の両方が必要であり、海上の空気と陸上の空気の熱交換を表現するのには、直接に「混ざる」という表現が適当だと考えたからだろう。気温と地表面温度の区別はしていない。また、氷床のかん養については、大気モデルが水蒸気という変数を含まないので、降水量が現在の観測値で固定され、それが雪になるかどうかが気温で決まるとしている。
酸素同位体比曲線にある10万年周期およびのこぎり状波形を作るために、なんらかの非線形性がきいているはずである。Pollardがいろいろなプロセスを入れたり抜いたりして調べたところによれば、
(a) 氷の蓄積にともなって地面(氷の面)が高くなり、温度が下がるとともに水蒸気が得にくくなる
ということからもある程度の非線形性は出てくるが、むしろ、
(b) 氷の重さに対する固体地球の応答が遅れること
(c) 海面や湖に接した部分で氷山の分離(calving)により効率よく氷が消耗すること
の2つの効果がないと観測に似た氷の量を再現するのは困難である。ただし、 (c)の効果は定量がむずかしく、モデルでの表現も消耗率を一定値で与えるというあらっぽいものである。そのほか、このモデルでは取り入れていないが、 Ruddimanらが指摘している
(d) 氷床のとけ水が海の表面に広がり、海氷を作りやすくして、海から大気への水蒸気供給を少なくし、氷床のかん養となる降水を少なくしてしまう
という効果が(c)の代わりに効いている可能性もあると述べている。
Hyde and Peltier(1985, 1987) は、calvingや海氷のようなよくわからないプロセスを考えなくても、上記の(a)、(b)だけで10 万年周期が作られると主張している。彼らが重点を置いているのは固体地球、とくに上部マントルの力学モデル( Peltier, 1982参照)である。氷の重さに対する固体地球の応答の遅れを、一つの時定数で表現するのは無理があり、水平スケールによって違った応答時間を考える必要がある、また Pollardのようにアセノスフェアを浅い流体層で近似するのもよくない、というのが彼らの主張である。そのため固体地球は全球領域で球面調和関数で展開し、各モードごとに違う時定数の応答を計算して重ね合わせている。氷の部分は軸対称(2つの緯度円にはさまれた輪状)を仮定し、南北1次元の非線形拡散方程式に持ち込む。大気中の過程はモデルに含まれておらず、外力としてはWeertmanと同様、均衡線の緯度を指定する方法によっている。 1つめの論文では、周期的外力(たとえば2.3万年周期)からでも10 万年程度(たとえば9.2万年)の周期が作られることを示した。 2つめの論文では、北半球高緯度の日射量曲線への応答として、海底コアの時系列に似た氷床の変化が再現できることを示した。
Hyde and Peltierのモデルに周期的外力を与えると、入力の周期の整数倍のもののうち、10万年周期に近いものが選ばれる。 5節の(c2)のメカニズムである。Pollardのモデルでも、周期的な外力を与えて、約10万年周期が出ることを確かめている( Pollard, 1984)。これらのモデルは外力なしで自励振動が起こるもの( 5節の(b)や(c1) )ではないようである。(ただしこの点は確認していない。) 
8. 水蒸気供給と二酸化炭素の変動

 

6, 7節の議論がエネルギー収支、氷の質量収支だけをやや細かく扱ってきたのに対して、より多くのプロセスを同時に考えようとするGhil、森山、 Saltzmanらの研究がある。ただし、いずれも、空間分解能は0次元で、全球合計の量で議論を組み立てようとしたものである。もちろん空間分布が本質的であり合計量で話がすまない可能性もあるのだが、それを扱うと自由度(実質的な変数の数)がふえて、考えることがむずかしくなるから避けているのである。Saltzman (1987)に従って議論を進めると、1万年から10万年の時間スケールの変動を説明するためには、予報変数(連立方程式に時間変化項のはいってくる変数)は、少なくとも1千年以上の時間スケールをもったものを考えればよさそうである。これに含まれる量には、氷の量のほか、気候系全体の平均温度(質量を考慮すると深海の温度とほぼ同じ)、大気中の二酸化炭素濃度、固体地球の変形などがある。
大気および海洋混合層の温度は、千年以上の時間スケールでは、氷の量などの遅い変数が決まれば、定常問題の解として診断的に決まるものと考えてよさそうである。しかし、深層までの海の温度は、氷床の発達と同じ程度の時間スケールで変化すると思われるので、これをからめると話は複雑になりうる。特に、温度が低くなると氷の成長がさまたげられるような負のフィードバックを考えると、外力なしに振動する自励振動系を作ることができる。実際、氷床をかん養するためには雪となる水蒸気の供給が必要である。温度が低くなりすぎると、一つには飽和水蒸気圧の温度依存性のため、もう一つには海氷が海からの蒸発をさまたげるために、水蒸気供給が減ることはありそうである。(南極氷床の氷コアの解析によれば、寒冷期のほうが氷床のかん養が少なかったらしい。) これを重視して非常に単純化すれば、次のようなモデルが作れる。
CI(dI/dt) = aT
CT(dT/dt) = −bI (*)
ここでIは氷の総量、Tは気候系全体の平均温度(主として深海の温度を反映する)をそれぞれ無次元化したものとし、CIとCTはそれぞれ氷床のダイナミクス(主として流動)の時定数、気候系の熱容量に対応する時定数とする。 aとbが正の定数とし、CIとCTがほぼ等しいとすると、この系のTTとIは外力なしに振動し、IはTより1 / 4周期遅れる。なお、この振動系は線形であり、振動の振幅は初期値しだいで自由にとれる。ただし、現実に上のaが正であることが確認されたわけではないことに注意したい。6、7節で前提としたような、温度が上がれば、氷の消耗(融解や蒸発)がふえること、雪が雨に変わり、かん養も減ることの2つの、aを負にする効果も共存しているからである。
変数を「温度」と「氷の量」の2つだけにしながら、パラメタにもう少し物理的意味づけをし、それとともに非線形効果を持ち込んだ Kallen, Crafoord and Ghil (1979) のモデルがある。Ghil and Le Treut (1981)、Le Treut and Ghil (1983)はこれに固体地球の応答の遅れをつけ加え、いろいろな入力に対する応答を議論している。これらのモデルで振動が起こるしくみは本質的にはここに述べたようなものである。しかし、非線形性の結果、(I, T)の空間 (相空間)である一定の経路が"limit cycle"として現われる。つまり、これらのモデルのもつ周期解では、温度や氷の量の変動の振幅が自由にとれるのではなく、変動の過程が決まってしまう。その周辺の状態から出発すると、長い時間がたつとこの周期変動に近づく。5節で「自励振動」と言った場合、このようなlimit cycleと(*)式のような線形自由振動を区別しなかったが、解の数学的構造は違ったものである。
もう一つ、二酸化炭素濃度の問題がある。これが氷期・間氷期サイクルの要因だという考えは古くからあったが、最近特に注目されるようになったきっかけの一つは、グリーンランドや南極の氷床コアの気泡の分析から、実際に氷期の大気中のCO2濃度が低かったことがわかったこと( Neftelら、1982; Lorius, 1989)である。またもう一つは、大気大循環モデルによる最終氷期最盛期のシミュレーション( Manabe and Broccoli, 1985a, b, Broccoli and Manabe, 1987)で、北半球に氷床を置くだけでは南半球の気温を下げる効果がなく、実際南半球が寒かったことを説明するのはおそらくCO2であろうと結論したことである。 (これは海洋結合モデルではないので、「海洋が赤道を越えて熱を運ぶ結果、南北半球が同時に寒くなる」という可能性が否定されたわけではない。しかし、氷期の深層循環は現在よりも弱かったらしいので、海洋の熱輸送による説明は困難である。)
氷コアにみられる大気中のCO2濃度の変化と、同じ氷の酸素あるいは水素の同位体比から推定された温度の変化との間に位相のずれはないようである。 CO2を変化させる要因について、ことに、後氷期に急速にCO2が増加した理由について、いろいろな説明が試みられているが、まだ定説はない (Broecker, 1982; Broecker and Peng, 1987a, b, Martin, 1990)。一つの説(Knox and McElroy, 1984、ほか)は、海洋の植物プランクトンの光合成活動がかぎであるというものである。光合成は主として栄養塩(リン、窒素、あるいは鉄)の分布によって制約されているが、日射量変化に伴ってもある程度の変化があり、これが栄養塩を通して別の季節・場所の光合成活性にも影響して、海洋のとりこむ CO2量が全体として変わるという論になっている。いずれにせよ、 CO2は温室効果を通じて気温にはねかえる。なお、日射に対するCO2の応答がどちらの半球でも同じように起こるとすれば、これはe sin _pi_の曲線を「全波整流」してeの信号を取り出すメカニズムとなることも期待できる。しかし、実際に光の量が光合成量を大きく制約している場所は少なく、この効果も重視するのは無理があるらしい。
森山とSaltzmanはそれぞれに生物・CO2フィードバックを導入しているが、結果として起こる気候系の振動に対するその役割は違っている。 Moriyama (1986)のモデルは基本的にGhil and Le Treutのものと同じである。ただし自励振動の周期がGhilらのモデルでは1万年のオーダーだったのを、10万年周期になるようにCTを1千年から1万年に大きくしている。 (Saltzmanのモデルでも同様に大きなCTを採用している)。これだけだと、日射量に対する応答は10万年周期が卓越したものになる。さらに日射量から二酸化炭素を通して温度へのフィードバックを加えると、2万年周期に対する線形的応答も強まって、氷の量の時系列の特徴が観測に近づく、という主張のようである。ただし、氷床の発達に効くのが北緯10°の夏の日射、CO2に効くのが北緯65°の冬の日射だとした仮定に非常に任意性がある。
Saltzman (1987)は、氷の量I、海洋深層の温度T、大気中のCO2濃度μの3つの予報変数をもつモデルを考えた。気温や海洋表層の温度はこれらから診断的に決まるとする。このモデルでは、約10万年の振動が自励的に起こる。また、軌道要素のある線形結合を外力として与えたときのIの変動は、海底コアのδ18Oとよく似たのこぎり状を示した。TはほとんどIと並行して変動しており(氷の多いとき高温)、違った動きをするμの存在が振動を形成するのに本質的である。なお診断変数である気温はほぼμと連動しているようである。関連する論文として、 Saltzman and Sutera (1984), Saltzmanら(1984), Saltzman and Maasch (1988), Maasch and Saltzman (1990)もある。
これらの0次元モデルの役割りは、「こんなフィードバックもありうる」ということ、および複数のフィードバックを共存させた場合にどんなことがおこりうるかを例として示すことである。ある組み合わせに論理的矛盾があることを示すことはたまにはできるが、複数のモデルのどちらが正しいか検証することはむずかしい。たとえ現実的な外力のもとでシミュレートした結果を古気候指標の時系列と比較しても、その一致がよいモデルのほうが正しいということは必ずしも言えないと思われるからである。 
9. 氷期・間氷期サイクルはいつから始まったのか

 

第四紀に見られるような、大陸氷床の消長を含む気候の準周期的変動は、この 1億年のうちで、他には確認されていない。地質時代区分としての第四紀の初め(約200万年前)は、特定の場所の地層で決めた約束ごとにすぎないが、ほぼそのころから、それ以前より大きな振幅の準周期的変動が起こるようになったらしい。また、第四紀の中でも体制の変化があったようである。 3節で述べたように、10万年周期が目立つのは最近70万年ほどであり、その前はむしろ4万年周期が目立つ。地球の気候の構成要素が根本的に変わったとは思えないのだが、振動型の変化が起こったり起こらなかったりすること、また卓越周期が変わることをどのように説明したらよいのだろうか。
Moriyama (1987)は、 Kallenら(1979)のモデルのパラメタ依存性を調べ、パラメタのゆっくりした変動に対して、振動しない気候から振動する気候への急な遷移が起こる可能性があることを指摘した。一つは、深海まで含めた気候システムの熱容量から決まる時定数CTと氷床の流動の時定数CLの比が変わると解の構造が変わりうる。もう一つ、氷床が発達し得る大陸の緯度分布の変化を反映して、モデルの式の係数( 8節の(*)式のaに相当するもの)が修正されることによっても解の構造が変わりうる。Moriyamaは大陸移動にともなう後者の変化が氷期・間氷期サイクルを開始させたと推測している。
Northら(1983)の、季節変化を含む 2次元拡散型エネルギー収支モデルによる研究の主張は、現在のユーラシアのように大きな大陸では夏に陸上の気温が高くなるので氷床ができにくいということである。Crowleyら(1986) はこれの応用として、グリーンランドの緯度の変化が氷床の発達に重要な役割りを果たしたと考えている。
大陸移動よりも短い時間スケールでの気候システムの外部パラメタの変化として注目されることに、チベット高原・ヒマラヤ山脈が10万年間で 1 km程度の速度で隆起しているということがある。そのぶんだけ過去には山が低かったとすれば、大気の運動の形が、あるいは雪氷の分布が違っていてもおかしくない。 Kutzbachら(1989), Ruddiman and Kutzbach (1989)は、大気大循環モデルで山なし実験を行ない、冬の偏西風の谷の位置が変わり、北アメリカ氷床の中心部となったラブラドル高原付近の天候が変わった可能性を述べている。一方、チベット・ヒマラヤの隆起はまた夏のモンスーン循環も大きく変えたはずである( 安成、1980)。 Maasch and Saltzman (1990)は彼らの0次元モデルのパラメタのゆるやかな変化に伴って振動のもようが急に変わることを示した。Moriyama (1987)と同様な発見であるが、彼らはこれを約90万年前の気候体制変化の説明に使おうとしている。
ここでは一定と考えてきた、放射に効く大気成分、あるいは太陽エネルギーフラックスそのもの(太陽定数)の変化も考えられないわけではない。たとえば山地の隆起に伴って風化作用が活発になれば、大気組成に影響するだろうという議論もされている。大気組成の変化の実態は、堆積物の同位体分析が進むとわかってくると期待できる。
第四紀より古い時代の堆積物にも、軌道要素の周期と思われる2万年、 4万年、10万年周期が見られることがある( Fischer, 1986; Berger, 1989)。古い時代の堆積物の周期性の解析に使われている変数は、まだ気候変数との対応がついていないものが多い。気候変動の大きさは第四紀に比べれば小さかったというのが常識となっているが、同じ尺度で比較して確かにそうなのか確認する必要がある。
もう一つの問題は、第四紀の10万年周期の説明のほとんどで大陸氷床が不可欠の部品とされていることである。世界に大きな氷床がなかったと考えられている白亜紀から古第三紀の時代に10万年周期変動があったとすると、別のメカニズムを考えなくてはならない。ただし、もし
10万年周期が見られるという報告が、実はe sin _pi_ の曲線と同様に 2万年周期が10万年で振幅変調されているという意味ならば、
あるいは
観測値のスペクトルに10万年周期があっても、それがe sin _pi_ に比例した気候変数の変化を、非線形の「観測変換」を通して見たものであれば、
「10万年周期の気候変動には大陸氷床が必要だ」という議論はくずれない。
いずれにしても、このような気候の体制の変化の研究は、証拠の面でも、理論的面でも、まだ初等的段階にあると言えるだろう。 
10. 今後への問題

 

氷期・間氷期サイクルと軌道要素の関連の議論で、いろいろなモデルのいずれが正しいのかの検証をするためには、事実の蓄積がまだまだ不足している。確かに海底コアの時系列的解析は進んだが、ある時間断面での全球空間分布がまとめられたのは、1万8千年前( CLIMAP, 1981)および一つ前の間氷期である12万年前( CLIMAP, 1984)だけである。大陸氷床、二酸化炭素、海氷などなどの「どちらが先か」という問題に答えるためには、もっとたくさんの時間断面での世界像がほしい。一つには第四紀の範囲で時間分解能を細かくすること、もう一つにはより古い時代にわたって第四紀と定量的に比較可能な形にまとめることである。観測事実をまとめるだけでも、多くの人の参加、しかも相互のことばの統一を必要とする、大プロジェクトになりそうである。
また、全体像を得るためには、観測のないところはなんらかの(経験的なものも含めた)モデルで埋めなくてはならない。大気の大循環モデル(予報モデル) を使った現代の気象データの「4次元同化」はかなりの成功をおさめている。また、CLIMAP関連では、大気だけあるいはそれと海洋混合層を変数とし、氷床などを固定された境界条件とした1万8千年前の気候の再現実験も行なわれた。一方、固体地球のレオロジーのモデルでは、外力として氷床の重さのほか海水の重さの分布の変化も考慮し、各地点での地殻と海面との相対変位をシミュレートして、海岸段丘の高さなどの地形学的証拠と比較する研究も行なわれるようになった(中田・Lambeck, 1988)。次に期待されるのは、氷床、深海、固体地球などのおそい系の時間発展を予報型モデルで時間外挿することにより、観測データをっていく、古気候データの4次元同化である。それに適した氷床モデル、固体地球のレオロジーモデルの建設はこれからの課題だし、海洋、特に深層循環や海氷のモデルについても経験を積まなければならない。この場合、大気は「速いプロセス」なのでなるべく消去して考えたいのだが、大気上端の日射量と海陸分布、地形、氷の分布を与えられたとき、大気の状態、たとえば定常プラネタリー波の谷の位置、雲の分布、降水分布などがどう決まるかを答えられるようにはまだなっていない。大気のモデリングの研究も、またそのパラメタを決めるための観測も、必要性は決して失われていない。
1992年7月追記: 浜野(1992)は、海底コアの磁化率から推定した第四紀の地磁気強度の時系列を説明するため、氷床の消長(つまり陸と海との水の質量配分の変化)に伴う地球の慣性モーメントの変化が、地球の自転の変動を通じて地球のコア(核)の流体の運動に影響するという仮説を提唱した。ところが、日射量に関係する軌道要素は、実は公転と自転のパラメタを組み合わせたものである。氷床の変動が自転のパラメタを変えうるということは、軌道要素が気候システムにとって全くの外力ではなく、軌道要素と氷の量・分布との間のフィードバックがありうるということを意味する。 Rubincam (1990)は、火星の場合について、雪氷の質量移動から軌道要素へのフィードバックを議論した。地球の場合を含めた計算は現在、東大理学部の伊藤孝士によって進行中である。 
付録A / 地球の軌道要素についての補足説明

 

まず公転を考える。天体としての地球の運動は、質点の力学でよく近似できるが、それに作用する力は、太陽の重力のほか他の惑星の重力もある。したがってその予測問題は多体問題となり、厳密にはとけない。しかし幸い、太陽の質量が惑星の質量よりもずっと大きいので、地球の運動は短期的には太陽・地球の2体問題の解であるKepler運動であり、そのパラメタが他の惑星の影響でゆっくりと変化するという取り扱い(摂動法)ができる。 Keplerの法則に従った運動といっても自由度があり、1つの具体的な運動を指定するには、6 個のパラメタを指定する必要がある。たとえばある時刻の惑星の位置と速度のそれぞれ3次元ベクトルの成分を指定してもよい。ただし天文学では、次の要素を使う習慣がある。i以下は、図13のように、太陽を中心とする天球(単位半径の球)の表面での位置の指定である。なお、Kepler運動は双曲線、放物線を含むがここでは楕円の場合に限る。
a 楕円軌道の半長径(長いほうの対称軸の直径の半分)。 Kepler運動ではこれは太陽と惑星との(時間についての)平均距離に等しい。
e 楕円軌道の離心率(eccentricity)。半短径をbとすると、 e = sqrt( a2 - b2 ) / a。
i 軌道傾角(inclination)。ある基準面に対する、軌道の含まれる面のなす角度。
Ω 昇交点黄経。軌道面が基準面と交わる点のうち、惑星の運動が基準面の下側から上側に向かう点を昇交点という。天球上・基準面上で基準方向(ふつう春分点をとる)から昇交点までの角距離をΩとする。
ω 近日点引き数。近日点は太陽から惑星までの距離が最小となるところであり、長径上にある。天球上・軌道面上で、昇交点から近日点までの角距離をωとする。
T 近日点通過の日時。
なお、Ω + ωを近日点黄経という。(i = 0のときΩ、ωは定義できなくなるが和には意味がある。) 基準のxy平面としては地球の軌道面(黄道面)、x方向としては春分点(天動説のなごりで、地球から春分のとき太陽を見る方向をこのように呼ぶ。太陽から、地球が秋分に通過する点に向かう方向と言ってもよい)を使うのがふつうであるが、地球の軌道および自転の変化のため、これらも動く。そこで、天体力学の計算には、慣性系(回転していないと考えられている座標系)で、ある時点(たとえば1950年初め)の軌道面をxy平面とし、基準時点の春分点をx方向として、位置を指定したほうがよい。この立場では、「固定した春分点に対する近日点黄経」Πが使われる。
いっぽう、地球上の季節を決めているのは基本的に地軸が公転軸に対して傾いていることである。したがって気候に対しては、iが直接効くのではなく、地軸と公転軌道の軸のなす角ε (obliquity: ここでは「地軸の傾き」と呼んでおく。赤道面と黄道面のなす角と言ってもよい)の変化を通して問題になる。また、近日点黄経についても、慣性系に対する方向ではなく、地軸の傾く方向を反映したそのときどきの春分点を基準とした近日点の方向を表わす「動く春分点に対する近日点黄経」_pi_が問題になる。
_pi_、εの変化には地球の自転の変化も関係してくる。自転は角速度 (軸性)ベクトルの3成分、あるいは、角速度の大きさと、自転軸の基準軸 (たとえばある時点の自転の軸)からの傾きと方位角の3要素で指定できる。これらの要素が太陽、月および他の惑星の引力によって変化する。実際の自転軸は、地球の形で決まる慣性モーメントの軸のまわりをゆれているので、長期の変化を論じる場合にはこの「形の軸」(ここでは地軸と呼ぶ)の動きを記述すればよい。太陽と月の重力の効果による地軸の方向の変動は「章動」と呼ばれ、半年、1年、18.6年などの周期をもつが、周期成分を平均してしまうと残るのは「歳差」(precession)と呼ばれるものである。これは、地軸が公転軌道の軸のまわりを、傾きを一定として、方向を変えていくものである。この結果、春分点の慣性系での方向がずれていき、約2.58万年で 1周する。これがΠと_pi_の差を作る。動く春分点を基準とした近日点の黄経_pi_は約2.17万年で1周する。これはΠの変化と歳差の組合わさった結果だが、歳差のほうが量的に大きいので、これを「気候的歳差」と呼ぶことがある。一方εの変化は、公転軌道面の傾きiの変化が、歳差によって動く赤道面に投影されたものである。(現代の観測によるεの変化には、これで説明できない残差があるが、その原因が明らかになっていないので、長期変動の計算に含めることはできない。)
実際に、軌道要素の長期(公転周期に比べて長い時間スケール)の変化を扱う場合には、軌道の内で惑星がどの位置にあるかに依存する相互作用の項を平均してしまった式で計算する「永年摂動法」が使われる。これは、上のTに関する情報を無視したことに相当する。なお、月が地球と一体でないこと、および相対論的効果は、第1近似では無視できるが、近似の精度を高めるときには問題になる。惑星の摂動によっては、aは変化しない。求めるべき変数は{e,ω,i,Ω}であるが、計算精度などの理由で、 {e sin Π,e cos Π,sin i sin Ω,sin i cos Ω}の時間変化の式にしておき、この4つの変数の時間変化がそれぞれ比較的少数の三角関数の項の和 (e sin Π=Σ Mj sin (gj t + βj) のような形))で表わせると仮定してその係数を求めるという方法をとる。求められた4つの変数の式を変形して、日射量の式に現われる{e,e sin _pi_,e cos _pi_,ε}を三角関数の項の和の形で求める。(したがって、これから計算した季節平均日射量のパワースペクトルは原理的に、比較的少数の線スペクトルの集まりになる。多くの論文で示されている幅のあるスペクトルは、有限時間で打ち切ったサンプルを通常の時系列解析で処理した結果である。) Berger(1988)の見積もりによれば、 Berger(1978)に示した軌道要素の計算は、時系列としては、現在からe sin _pi_・e cos _pi_について 150万年、eについて3百万年、εについて4百万年程度さかのぼって信頼できる。また、三角関数に展開した周期を論ずる(位相がずれてもよい) 場合は、少なくとも5百万年前までの議論に使えるということである。それよりも古い時代については、これまでの計算で無視してきた、複数の惑星の複合効果(木星と土星の有名な930年周期は考慮済みだが、それ以外) や、展開の高次の項がきいてくる可能性があるということである。 
付録B / 海底コアのデータについての補足

 

海底堆積物は陸上に比べて侵食されることが少なく、特に深海の陸から遠いところでは堆積速度がおそいために、ボーリング(掘削)によるコアの比較的短い長さに、長期間の環境変動が連続的に記録されていると期待される。ただし海洋底拡大・沈み込みのため、2億年以上はさかのぼれない。また、底生生物によってかきまぜられることや、深海底の半分程度の地域では炭酸カルシウムが溶解することなどにより、記録の解釈がむずかしくなることもある。陸から遠い深海底の堆積物を構成しているのは、主として生物の殻である。例をあげると、炭酸カルシウムを主成分とする殻を作る生物として、有孔虫(動物)、コッコリスフォリッド(植物)、珪酸を主成分とする殻を作る生物として、珪藻(植物)、放散虫(動物)などがある。これらの多くは海の表面近くに浮遊するもの(プランクトン)であるが、有孔虫などには底にすむもの(ベントス)もある。これらの生物化石の種類が一つの情報源であり、それの安定同位体の構成比がもう一つの情報源となる。
有孔虫なら有孔虫と一口に言っても、生物分類の「属」や「種」のレベルでは多様な種類を含んでおり、それぞれが温度、塩分などの違った環境に適応している。この関係を逆に使って、生物化石群集中の種の構成比から、温度、塩分などの環境要素を推定することができる。第四紀のものだと、種のほとんどが現在生きているものなので、現在の生息環境で較正することができる。このような古環境の研究は古くから行われているが、Imbrieらは、因子分析という多変量統計学の方法で、水温などの推定値を客観的(他の人でも同じ手順に従えば同じ結果を再現できるという意味)に出すことに成功した。
同位体としては酸素18が多く使われている。これはふつうの酸素原子 (酸素16)よりも重いので、蒸発が起きているときは、蒸気のほうには少なく、液体の水のほうに多くなる傾向がある。ただし、この質量分別は、温度が高くなるにしたがって無差別になっていく。大陸氷床は固体ではあるが、いったん海から蒸発した水が雪となって降ったものと考えられるから、氷期(氷床の総質量が多かった時期)には、海水には重い酸素18が多く、間氷期には少なかったはずである。過去の海水は残っていないので、実際に測定されている海底コアの酸素同位体比は有孔虫などの殻の炭酸カルシウムを分析したものである。生物が殻をつくる過程で海水から炭酸カルシウムを沈殿させるときも、質量分別が起こる。その程度は温度、塩分および生物の種類に依存し、実験で測定することができる。かつては、海底堆積物のコアに含まれる化石の酸素同位体比の変動は、海水の温度の変動がこの沈殿反応の分別過程を通じて現われたものだと考えられたこともあった。しかし、定量的な見積もりをしてみると、第四紀に関しては、氷床と海水の分配の効果のほうが、その場の温度の効果よりも大きく効いており、酸素同位体比の時系列は、全世界の氷の量の指標であるという考えが、現在では常識である。ただし、時系列の細かい違いから、温度の情報も取り出せるという考えもある(一例が Broecker and Denton, 1989にある)。
なお、酸素同位体比は、ふつう
δ18O(‰)=((サンプルの[18O] / [16O]) - (標準海水の[18O] / [16O]))/(標準海水の[18O] / [16O]) × 1000
という形で表示される。 
付録C: 大気大循環モデルによる研究

 

ここでは、話を軌道要素に対する応答実験に限る。古気候の実験として有名な、 CLIMAPの最終氷期最盛期の気候の再現実験は、これに含まれない。
現在大気大循環モデルで行なえる実験は、モデルの中の経過時間が数十年から百年程度である。よく行なわれる実験設定としては
(あ) 海洋混合層を熱容量一定の板として大気と結合させ、季節変化する日射を与えて数十年積分する
(い) 海面水温を境界値として与え、季節を固定した日射を与えて数百日積分する
の2通りがある。いずれにしても、氷期・間氷期サイクルに比べれば瞬間の "snap shot"であり、氷床などはそれぞれの実験ごとに固定された境界条件として与えることになる。研究の位置づけとしては、 6節に述べた、エネルギー収支モデルによる定常解(正確には1年周期解)の研究に水循環などの過程を加えたものと考えられるだろう。
Kutzbach and Guetter (1986)は、 1万8千年前から現在までを3千年きざみにしたそれぞれの時期の気候を大循環モデルでシミュレートし、花粉分析などの証拠と対比しようとした。それぞれの時代の軌道要素による日射量を与えた。地表面の境界条件は、かなり主観的ではあるが、1万8千年前と現在の間を内挿したものを与えた。氷床のあった時期の結果には氷床の影響が強く出ているが、その次に目立ったのは、北半球の日射量の最大であった9千年前を中心とした時代の、北半球の陸上の夏の気候である。インドやメキシコ湾岸などでは降水が多かった。これは「海陸の加熱差が大きくなったため、熱帯モンスーン循環が強まった」と解釈されている。いっぽうモンスーンの空気が侵入しない内陸部では、日射量の直接の効果で、温度が高く、乾燥した (降水と蒸発の差が小さくなった)。これは花粉分析や湖の水位などの証拠と対応している。古気候の証拠からは、ヒプシサーマル(hypsithermal) などと呼ばれる温度の極大は5千から6千年前とされている。9千年前には氷床の一部が残っていたので日射の効果が打ち消されて、極大がずれたと解釈されている。この研究の延長に Kutzbach and Gallimore (1988), Prell and Kutzbach (1987)などがある。後者は過去の間氷期(特に12万年前)に対象を広げている。
Rindら(1989)は、最終氷期の始まりの時期の軌道要素を与えた実験をして、北アメリカ氷床の成立は軌道要素で説明できないと結論した(問題は残る。 第6章4節参照)。
Oglesby and Park (1989)は、氷床のなかった白亜紀の状況で、堆積岩のしまもようの説明を意識して、降水・蒸発の分布が軌道要素によってどう変わるかを調べている。 
 
地球は氷河期に突入した

 

懐疑論...
そのうち朝起きたら、9階建てのビル分の雪に埋もれてるだろう。氷河期というのは見事に、ゼンマイ仕掛けのように11500年の周期でやってくる。気づいたら最終氷期が11500年前に起きてます...
科学的知見...
CO2による温暖化効果は、軌道の変化や(例えばマウンダー極小期の)太陽活動の変動と比べて、ずっと大きいです。
ほんの数世紀前、地球は「小氷期」と呼ばれる比較的穏やかな氷河期を迎えた。小氷期の一部は太陽黒点数が著しく減少した期間(マウンダー極小期)と一致してます。太陽活動の低下と火山活動の頻発との組み合わせが大きく貢献し、ヨーロッパ地方では海洋循環の変動が効果があったとされてる。 
図1:太陽放射量(Total Solar Irradiance | TSI)。1880年から1978年までSolanki。1979年から2009年までPMOD。
今現在の時代にマウンダー極小期を体験する可能性はあるのか?太陽活動は現在冷却化の傾向を示しています。2009年の活動量ほど低くなったのは一世紀以上前です。しかし、将来の太陽活動を予測するには問題があります。グランド極大期(e.g. 20世紀後半)からグランド極小期(e.g. マウンダー極小期)の周期は無秩序で予測するのは難しいからです。
例えばマウンダー極小期が21世紀に起きたとしましょう。地球の気候にどんな影響を与えるか?マウンダー極小期まで太陽活動が落ち着いた時、どんな気候応答が生じるかシミュレーションしてみると、太陽起源の温度低下より、人為起源温室効果ガスの温度上昇の方が断然強かった。太陽活動の低下から来る冷却化は0.1℃あたりと推定されており(マックス0.3℃)、温室効果ガスからの温暖化は3.7〜4.5℃と推定されてます(排出量によって異なる)。 
図2:1961〜1990年をベースとした1900〜2100年の地球平均温度偏差。A1B排出シナリオ(赤)、A2排出シナリオ(マゼンタ色)。太陽強制シナリオは三つ:平均(実線)、マウンダー極小期(破線)、マウンダー極小期からさらに放射照度を低下(点線)。NASAの観測された温度データ(青)。
しかし、過去の気候は小氷期よりもさらに劇的な変化を経験してます。過去40万年、地球は何度も氷河期を経験し、10万年周期で、短期間暖まってます。こういった氷期と氷期の間に来る温暖な期間は間氷期と呼ばれており、大体1万年続く。現在の間氷期は1.1万年前始まりました。もしや間氷期が終わる頃なのか? 
図3:ボストーク、南極での気温変化。緑色の棒で間氷期がマークされてます。
氷河期はどうやって起動するのか?地球の軌道が変化すれば、北半球へ当たる日光は夏に低下する。北部の氷床は夏、だんだん溶けなくなり、何千年もかけて発達する。これは地球のアルベドを増幅させ、氷床の発達と冷却をより強く強制する。この過程は1万〜2万年くらい継続し、氷河期となる。
間氷期の長さは皆異なります。南極にあるドームCの氷コアを使って72万年前までの地球の温度を瞥見できます。42万年前、地球の気候は現在の状態とさほど変わらなかったのです。その期間、間氷期は2.8万年続いたので、現在の間氷期も、人間の介入を除外しても同じくらいの長さに続く可能性があります。
40万年前と現在の似たような状況は地球の軌道によるものです。両間氷期とも、軌道要素の変化から来る強制力は他の間氷期と比べて少ないのです。シミュレーションによれば、現在の間氷期はCO2排出なしでも1.5万年あたり継続されるとの事です。
もちろん、人間活動を除外した間氷期の推定は理論上のものです。大事なのは、人間が介入すると氷河期起動のタイミングはどう影響されるのか。この質問に答えた一研究によると、CO2濃度が高ければ高い程、氷河期を起動する「引き金」、日射量は低くなくてはなりません。
図4は様々な排出シナリオに基づいて気候応答を検証したものです。緑線はCO2が無い「自然」な応答。青線は人為起源CO2を300ギガトン排出した時のシナリオです(我々はもう既に超えてます)。オレンジ線は1000ギガトンの排出、起きれば13万年氷河期を防ぐという計算です。5000ギガトンの排出(赤線)が起きれば、氷河期時代を50万年遅らせる事ができます。今の状態、比較的弱い軌道強制力と長いCO2の寿命、両方を合わせ考えると、過去260万年、最長の間氷期になる可能性があります。 
図4:将来の地球平均温度に対するCO2効果。CO2排出無し(緑)、300Gton(青)、1000Gton(オレンジ)、5000Gton(赤)。
氷河期が間近という懸念は置いておいていいでしょう。氷河期が本当に切迫してると言うなら、北部の氷床に目を寄せてください。氷床が発達してれば、1万年かかる氷河期の過程が始まってるのかもしれません。しかし、現在の北極の永久凍土層は削剥、融解し初めています。北極の海氷は融解、グリーンランドの氷床は体積の縮小が加速してます。氷河期が起こる条件としてはいまいちです。 
 
氷河期 3

 

地球は今、永いスパンでみると、氷河期に向かっている、ということです。それを知った時、私は暗い気持ちになりました。どうせその頃は私は存在しないから、どうでもいいようなものの、この地球が次第に冷えて氷河に覆われていく、というイメージは気持ちのいいものではなかった。
ところが、最近知ったのですが、地球上では氷河期の方が、むしろ生命の豊かな時代だったようです。
というのは氷河期には大気中の水蒸気が凍って地上に蓄えられ、少しずつ融けて常時適度に地面に水分が供給されるので、森が豊かに広がり、動物が大いに繁殖したのだそうです。
氷河期は空気が乾燥してむしろ雪が少なかったので、地表の草を動物が食べ易かった。
氷河期が終わると、地上の氷が融け、どんどん水蒸気になって上空に去り、地表は乾き、森が減り砂漠が増えました。地上の乾燥とは逆に、空気は湿り、雪が増えて動物の食料の草を覆い隠し、それがマンモスの絶滅の一因になったと考えられています。
地表の乾燥と雪の増加とは矛盾するじゃないか、と私も奇異に思いましたが、つまり、こういうことではないかと思います。
陸上の生き物にとって不可欠な「真水」は、地球上のすべての水の一%しか存在しません。
ところで、宇宙から見ると、地球の全面積の五〇%が常に雲に覆われています。しかし、そのとき雨の降っている部分はその三%にしか過ぎません。雨を降らす雲は例外的な雲なのです。
早い話が、現在のような温暖期には、地球上の真水の大部分は水の形でなく、雲の形、または目に見えない水蒸気の形で存在し、そのうちの例外が地上に降って来るのです。
しかも、そのなけなしの真水も、強い日差しでたちまち水蒸気になって空に戻ってしまう。さもなければ、河となって流れ去ってしまう(そして最終的には海に流れ込んで塩水になってしまう)。
ところが、氷河期には、その例外的に地表に降ってきた真水は、すぐに氷の形になってその場に貯蓄されます。蒸発もせず、河にもなりません。
塵も積もれば山となる。どんなに微々たる量の真水でも大部分が失われずにその場に蓄えられていけば、いつかは氷山になる。つまり、氷山とは真水の貯金箱なのですね。
地上に真水が増えれば、上空には水蒸気が減る。従って空気が乾燥して雪が減る、ということになるのでしょう。
こうして氷河期は、生き物に必要な真水が、温暖期よりも地表に多く存在し、生き物の大いに繁殖する豊穣の時代になる、というわけです。
事実、氷河期の代表的な動物といえば、ご存知の通り巨大なマンモスですよね。
ところで、マンモスがなぜそんなに巨大になったか、といえば、それもまた、氷河期のせいだ、とのことです。もちろん氷河期は豊穣の時代で、大食いの図体を養えるほど食料の草が豊富だったから、ということもありますが、それなら個体は小さくて数が多くてもよかった筈です。
それなのになぜあんなにマンモスが巨大になったか、といえば、寒い時には大きい方が有利だからです。
数学の時間に、「面積は長さの二乗に比例し、体積は長さの三乗に比例する」と習ったことを思い出して下さい。
動物の身長が2倍になると、表面積は四倍になり、体積は八倍になります。そこまで増えなくても、体積が2倍になっても表面積は一・六倍程度しか増えません。
寒い時には表面積が大きいほど恒温動物の体温は沢山失われます。だから同じ体積だったら表面積が小さい方が有利です。ところが、体積が増えれば増えるほど表面積の増え方が少なくなってゆく。だから寒い時には図体が大きいほど有利なのです。だからマンモスはあんなに巨大なのです。ただ、いくらでも大きいほど良い、というわけにもいかない。必要な食料も増えるとか、いろいろ他のデメリットとの兼ね合いで、あの大きさが最適、ということになったのでしょうね。
人類の発展にも、氷河期は大いに寄与しているようです。
南北アメリカ大陸がゴンドワナ大陸から分離した時には、まだ人類は発生していませんでした。従ってアメリカ大陸には、人類はいませんでした。霊長類も南北アメリカには「原猿類」しか棲んでいません。
やがて氷河期が来て、ベーリング海峡が凍り、アジア大陸とアメリカ大陸が地続きになりました。その時には既に現生人類にまで進化していたわれわれのご先祖は、お陰で自分の足で歩いてアジアからアメリカに渡って行きました。アラスカも氷に覆われていたので、却って足場がしっかりしていて、移動に好都合だったようです。
ベーリング海峡を越えた人類が、南アメリカ南端のマゼラン海峡まで達するのに要した時間は、当時の人類の文明段階を考えると驚異的な短さだったようです。
ともあれ、氷河期がなかったら、人類はコロンブスの新大陸発見まで、南北アメリカ大陸に一歩も足を踏み入れたことが無いままだったに違いありません。(そんなアメリカ大陸をちょっと見てみたかった気もしますがね)
そんなわけで、氷河期というものは、嘗て私がイメージしていたような荒涼たる死の世界ではなく、まさにその正反対の、豊穣と発展のダイナミックな世界だったようです。
地球の生物にとっては、むしろ「温暖化」の方が、よっぽど荒涼と死に近い世界なのでしょう。 
 
地球の秘密

 

1 火山 
私たちの星、地球。この宇宙でもたぐいまれなる惑星は、46億年の歳月をかけ、地表の景色を変え続け、生命を育んできた。このシリーズでは、地質学者のイアン・スチュアートが、地球を形作った自然の力を4つの切り口から紹介する。第1回のテーマは、「火山」。
恐ろしい破壊力を持つ火山。実は、それは地球にとって欠かせない力だと言える。火山は、世界の姿を常に変え続けてきた。地球に生命が生まれる鍵となり、氷河期という生命最大の危機から地球を救ったのも火山だ。そして、今この瞬間も、酸素と二酸化炭素を循環させることで、生物と協力し、生物が住める環境を整えている。
そんな火山の秘密を解き明かすため、ナビゲーターである、イアン・スチュアートは、エチオピア、アイスランド、ニュージーランド、オーストラリアと世界各地を旅する。それは同時に地球46億年の歴史を駆け抜ける旅でもあるのだ。圧倒的な迫力の映像でお届けする博士の時空を超えた冒険が、大陸を動かし、生命を誕生させた灼熱の神秘の世界へ誘う。
地平線まで続く一面の荒野。草木1本生えていない灰色の地に、もうもうと白い煙が立ちこめる。煙を吐き出しているのは、世界でも有数の活火山、エチオピアのエルタアレ火山だ。その火口にやって来たイアン・スチュアートの額に汗がにじむ。足下の切り立った岩場の先には、静かに煮え立つ溶岩の湖。溶岩の動きをもっとよく見るためには、崩れやすい岩場をロープで30メートルも垂直に降りて行かなければならない。
勇気を奮い起こし、火口のふちに降り立ったイアンは、溶岩が最も美しく見える夜を待つ。そして日中容赦なく照りつけていた太陽が山陰に沈むと、眼下に真っ赤に燃える溶岩の湖の姿が浮かび上がった。まさに息をのむ光景。まるで灼熱(しゃくねつ)のかまどだ。その壮絶な熱エネルギーは、いったい地球にどんな変化をもたらしたのか?
火山の秘密を探るイアンの壮大な冒険の旅が始まった。それは、地球内部の熱の力について知ることにほかならない。46億年前、地球が誕生した時に閉じ込められた大量の熱が、火山活動の源になっているからだ。地球の熱は、大陸を動かし、地表の形を変え続け、巨大な山脈を作るほどの力を持っている。海の中で最初の大気を作ったのも、地球に生命が生まれる環境を整えたのも、地球内部の熱の力だ。そうして46億年もの長い年月をかけ、変化し続けてきた地球の歴史は、世界の各地に刻まれている。
アイスランドには、大陸の分裂によってできた「地球の裂け目」がある。ニュージーランドには、生命が誕生したばかりの太古の地球の環境とよく似た高温の池が存在する。イアンは実際に現地へ飛び、その2つの場所から地球の秘密をわかりやすく解説。さらに、氷河期の地球を体験するため、吹雪が荒れる真冬のアルプスへ。オーストラリアでは、火山が氷河期から地球を救った後の生命の劇的な進化の過程を目撃する。
イアン・スチュアートと共に、時空を超えた旅に出れば、火山が地球の命の源であることがきっと分かるはずだ。 
2 大気

 

私たちの星、地球。この宇宙でもたぐいまれなる惑星は、46億年の歳月をかけ、地表の景色を変え続け、生命を育んできた。このシリーズでは、地質学者のイアン・スチュアートが、地球を形作った自然の力を4つの切り口から紹介する。第2回のテーマは、「大気」。
大気は目に見えないものだと思っていないだろうか? だがそれは大きな間違いだ。大気はさまざまな形で私たちの目の前に姿を現し、存在の証しを地球上に刻み続けている。その現象の数々をとらえた映像は、まさに驚きの連続だ。そしてそこから分かってくるのは、大気が矛盾で渦巻いているということ。気候を生み出す大気は、地表の形を変えるほどの強大なパワーを持つ反面、とても繊細。生物に酸素を供給し、宇宙の有害物からも守ってくれている。そんな私たちの生存に必要不可欠な大気に、今、大きな危機が訪れている…。
今回の地質学者イアン・スチュアートの旅は、大気圏見学ツアーから幕を開ける。超音速のジェット機が雲を切り裂き、あっという間に対流圏を抜け、高度15キロの成層圏へ。頭上に広がる暗い青色をたたえた空は、はるか彼方の宇宙をすぐそこに感じさせる。さらに、成層圏からのダイブ、空の上のサーフィンと驚がくの映像体験へ。大気が織りなす、美しくも荒々しい気象現象の数々を目の当たりにする。空に打ち寄せる大波のように、オーストラリアに浮かんだ地球最大の雲。アンデスの有名な稲妻は、見る者を圧倒。アリゾナで見た、大きくうねる曲線のしま模様が描かれた岩石は、風が造り上げた自然の巨大彫刻だ。46億年前、地球が誕生して間もなく生まれた大気には、酸素は存在していなかった。それを変えたのが、20億年ほど前に地上に現れた原始生命体ストロマトライトだ。ストロマトライトは、微生物が堆積して岩石状になったもので、初めて光合成を行って酸素を放出した生命体。現在でもオーストラリアの海岸に群生している。今日の大気は数十億年をかけて、生物と見事なバランス関係を保ちながら作られてきたものなのである。
しかし今、そのバランスが人間の活動によって脅かされている。シベリアの永久凍土に気候災害の引き金が眠っていると言うイアンは、ある実験を行った。それは、凍った湖面に穴を掘り、火を近づけるというもの。すると、なんと湖面のあちこちで氷から炎が噴き出した。氷の中のメタンガスが引火したのだ!
大量のメタンガスが埋まっている広大なシベリアの永久凍土。メタンガスの温室効果は、二酸化炭素の23倍だ。地球温暖化の影響でシベリアの永久凍土が解け、大量のメタンガスが放出されると、温室効果はますます進み、気候に劇的な変化をもたらすだろう。
すでにシベリアの永久凍土は解け始めている。今まさに地球に危機が訪れようとしているのだ。 
3 氷

 

私たちの星、地球。この宇宙でもたぐいまれなる惑星は、46億年の歳月をかけ、地表の景色を変え続け、生命を育んできた。このシリーズでは、地質学者のイアン・スチュアートが、地球を形作った自然の力を4つの切り口から紹介する。第3回のテーマは、「氷」。
氷はただの凍った水ではない。人類が地球に現れて以来、世界を形作る上で最大の役割を果たしてきたと言えるだろう。氷が誕生した氷河期以降、氷は大地を削り、時に自然の猛威を振るい、地球の気候を大きく変動させてきた。その軌跡をたどるため、アルプスの氷壁、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園、ノルウェーのスバルトイス氷河、グリーンランドのヤコブスハブン氷河を訪れ、その残された数々の驚くべき現象に出会う。
そして、氷の力は人類の進化の道筋までも変えてきた。世界各地の氷が、地球温暖化により解け始めている今、氷は私たちの未来の鍵を握っている。
今回の地質学者イアン・スチュアートの旅は、アルプス山脈から始まる。完全に凍って氷壁となった滝をよじ登る彼の周囲に広がるのは、切り立った雪と氷の世界。氷河は誕生以来、大地の形を変えるほどの大きな力を見せつけてきた。氷河に削られてできた崖の中でも、特に素晴らしいのがカリフォルニアのエル・キャピタン。氷に磨かれた岸壁は、ロッククライミングの名所だ。
ではなぜ、氷が固い岩をも削れるような力を持っているのか? その強大な力の謎に迫るため、イアンはノルウェーのスバルトイス氷河へ。ここでは氷河の働きを中から見ることができるのだ。氷河学者ミリアム・ジャクソンと共に水力発電所のトンネルを進むと、氷河の最深部、氷と岩がぶつかる場所にたどり着く。トンネルの奥に待ち受けていたのは、幻想的なアートのような氷河内部の世界。氷に含まれる岩石の堆積物と、氷の持つ流動性が浸食作用を生み出したことが分かる。
グリーンランド、アイスバーグ・アレーでは、氷が気候にもたらした影響について探索する。氷は太陽の光と熱を反射することによって、気候を変化させてきた。氷が広範囲に広がっていた氷河時代には、かなりの量の太陽エネルギーが宇宙に反射されたため、地球の吸収するエネルギー量が減少し、不安定な気候となった。そして、その急激な変化に順応できた種だけか生き残ったという点において、氷は人類の進化を促したとも言える。
現在、地球の温暖化により世界中の氷河が解け始めている。最後に訪れたグリーンランドのヤコブスハブン氷河では、氷河の流れ去る速度が速くなってきている。コロラド大学のコンラッド・ステフェン教授は、その原因は、解けだした水が氷河の底に到達し、滑りやすくなっているためだと考えた。イアンは、教授の研究チームに同行し、氷河の表面の穴"ムーラン"からカメラを入れて撮影を試みるが、底まで到達できず、検証は次回にもちこされることになった。
氷河の旅を終えて、イアンは語る。「世界中の氷が溶けて崩壊し、氷が無くなるときがきたら、それは私たちの文明、地球が大きく変わる時なのかもしれない」。 
4 海

 

私たちの星、地球。この宇宙でもたぐい稀なる惑星は、45億年の歳月をかけ、地表の景色を変え続け、生命を育んできた。
このシリーズでは、地質学者のイアン・スチュワートが、地球を形作った自然の力を4つの切り口から紹介する。第4話のテーマは、「海」。
海は、荒々しい力で海岸線を刻み、エネルギーを地球全体に移動させ、地球の姿と気候を変えてきた。また、海に生息する植物プラントンと海流のネットワークは生物の生存に欠かせないものである。それを体感するためにイアンは地中海のシチリア諸島、ニューヨーク州グリーンレイク、イタリアのドロミーティ、イギリスのシリー諸島、パラオ諸島を訪れ、岩塩採掘場のチャペル、かつて海底だった地層など興味深い映像と共に、海の現在と過去を検証する。かつて海の生物が死に絶えた時代の遺物を探索し、そこで何か起こっていたかを解き明かしていく。そして、地球のすべての生命の基盤である「海」を見つめ、未来の「海」のあり方に思いをめぐらす。
地球の4分の3を覆う海は、40億年の間存在し、海岸線を削り、気候を変動させ、生命の運命を左右してきた。
海には、エネルギーを捕らえ、保存し、伝え続ける力がある。風の力によって波が生まれ、月の引力が潮を満ち引きさせる。
まずイアン・スチュアートはハワイの海を訪れ、波の構造を解説し、海がどのようにして誕生したかを分かりやすく説明する。
誕生以来、大陸の移動にともない、姿を変え続けてきた海。600万年前には、地中海が蒸発したこともあった。この劇的な出来事の痕跡をシチリア島の地下500メートルの所で見ることができる。岩塩採掘場を訪れたイアンは、地中海が干上がって出来た膨大な量の岩塩の層と、海水と地下からの熱水で結晶した石膏の洞窟を探索する。地中海の蒸発は、動物にも特有の進化を及ぼし、シチリア島で発見されたヤギほどの大きさの象の化石を紹介する。
シリー諸島では、メキシコ湾流を体感しながら、海が持つ一番大きな力、海洋大循環について解き明かす。太平洋コンベアベルトは、地球の熱を循環させ、気候に影響を与え、生命の生存に欠かせない酸素や栄養分を運んでいる。もしそれが機能しなくなれば、地球の生物はほとんど絶滅してしまうだろう。イアンは、2億5千年前に死に絶えた生物が堆積した、ドロミーティ山脈にある黒い岩の層を訪ね、かつてそれが現実だったことを実証する。
そして現在、海は新たな危機に直面している。人類が大気中に放出している大量の二酸化炭素が、水温を上昇させ、海水を酸性にしているのだ。最後に訪れたのは、その影響が顕著に見られる南太平洋のパラオ諸島。水温に敏感なクラゲや、酸性では生きていけない珊瑚が死滅の脅威に脅かされている。また生命の源で、酸素を作り出している植物プラントンも酸性に弱く、海の健康は著しく損なわれている。
そんな地球の「海」をみつめたイアンは「人間と海の闘いで、人間が勝つことはない」と語る。
人類にとって、「海」の健康を保つことは、重要な課題なのだ。 
 
氷河期明けの「寒の戻り」は天体衝突が原因?

 

今から1万2800年前、氷河期から温暖化に向かう途中の一時的な寒冷期「ヤンガードリアス期」は、天体衝突によってもたらされたという説がある。当時の地層に残った小球体を米大学の研究チームが分析したところ、この説を裏付ける結果が出された。
約6500万年前に恐竜などの生物が大量絶滅したのは、直径10km程度の隕石が地球に衝突して急激な寒冷化を引き起こしたからだという仮説が有力だ。似たことが、もう少し小規模ながら、比較的最近も起こっていたかもしれない。
最後の氷河期が終わって地球が温暖化に向かっていた時期にも、何度か「寒の戻り」と呼べるような寒冷期が存在した。中でも1万2800年前からおよそ1000年続いたヤンガードリアス期は寒冷化が顕著であったようだ。マンモスなどの巨大ほ乳類の多くが北アメリカ大陸から消えた時期や、同じく北アメリカ大陸で広まっていた石器文化であるクローヴィス文化の終焉と重なることからも注目されている。
ヤンガードリアス期をもたらした原因としては、海洋循環の変化によって赤道付近の暖かい海水が北へ届かなくなったという仮説が有力だった。一方、近年注目されるようになったのが天体衝突説だ。2007年に、クローヴィス文化の遺跡から相次いで炭素を多く含む黒土が見つかったという発表があり、これは小惑星か彗星が北アメリカ大陸に衝突(または衝突直前に空中爆発)したことで地上の植生が焼けた痕跡だと考えられた。しかし、火災の多くは人為的なものだと考えられるので、黒土は天体衝突がもたらしたものとは言いきれない。他にも様々な反論があげられている。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校のジェームス・ケネット名誉教授らは新しい証拠を見つけた。砂や岩が高温で溶けてから再び固まったことで形成された、直径1mmにも満たないビーズ状の物体だ。こうした小球体は火山の噴火や雷の落下に伴って作られることもあるが、ケネット名誉教授らは700個近い小球体の成分や磁性を分析して天体衝突以外の要因を反証してきた。
小球体は北アメリカ大陸だけではなく、南アメリカの一部やヨーロッパ、中東にも分布している。天体の落下地点を推定するのはまだ難しいが、ケネット名誉教授は「この証拠は、アメリカの大型動物の大半が悲劇的にも絶滅してしまった主な原因が大規模な天体衝突であることを示し続けています。幾度もの氷河期をせっかく乗り越えた矢先、この天変地異でいなくなってしまったのです」とコメントしている。
 
日本と氷河期について

 

今から約200万年前の新生代第4紀更新世前期から、約1万年前の完新世初期までの間に、少なくとも4回の氷期があり、それ以前の2回の氷期を加えて北半球では合わせて6回の氷期があったと言われています。それぞれの氷期の間には比較的気候の穏やかな間氷期がありました。
これらの氷期がやってくる以前の北半球の地域は気候は温暖で、落葉広葉樹林におおわれていたと言われています。しかし、氷河期の訪れによって絶滅したり、あるいは南へと移動したと言われています。
現在は北半球では氷河が見られますが、これらは陸地の10%をおおっているに過ぎません。ところが最後の氷河期には全陸地の27%が氷河におおわれていたと言われています。日本ではヴュルム氷期の終わり頃(今から1万年ほど前)には、雪線の高さが今よりおよそ1000メートル低く、北海道の日高山脈や東北地方の高山、北アルプスには氷河があったと推定されています。これらの氷河の存在は、氷河の浸食作用によって形成されたと考えられるU字谷の頭部にカール(圏谷)があることなどで分かります。
氷河期には、海面は大幅に低下しました。地球の寒冷化によって氷が溶けず、川となって海に流れ込む水の量が減少したためです。その結果海底の一部は海上に姿を現し陸地化したと考えられます。ヴュルム氷期には海面が140mも低下したと言われています。そのため、日本は朝鮮半島やサハリンと陸続きになって多くの動植物が日本にやってきました。現在のベーリング海峡もヴュルム氷期には陸地化して、アジア大陸と北米大陸が陸続きになっていました(ベーリング陸橋)。後氷河期になると日本列島は日本海によって完全にアジア大陸から隔離されてしまい、日本特有の生物が分化したりしました。 
 
ヨーロッパ大陸

 

1 ヨーロッパ大陸の誕生  
地球の北半球に位置するヨーロッパ大陸。この巨大な大陸は、5億年前、南極の近くに離ればなれの状態で存在していた。では、ヨーロッパ大陸は、どのようにして現在の姿になったのだろうか?5億年前の地殻変動、3億年前にヨーロッパを覆い尽くした熱帯雨林、そして2億年前に大陸を支配した恐竜。ヨーロッパ大陸が誕生(完成)するまでの5億年にわたる壮大な物語が、ダイナミックなCG映像によって鮮やかに甦る。
現在、ヨーロッパ大陸には多くの都市が存在し、7億人もの人々が住んでいる。この大陸が今の姿となるまでには、何億年もの長い年月をかけた壮大な物語があった。
今からおよそ5億年前、ヨーロッパは一つの大陸ではなく、離ればなれの状態で南極の近くに位置していた。離ればなれの陸地は、地下を流れるマントルに引きずられて少しずつ移動し、やがて衝突した。そうやって何百万年もかけて移動と衝突を繰り返した結果、陸地がつながり、一つの巨大な大陸が誕生したのである。そして、この時の衝突で、カレドニア山脈やウラル山脈が生まれた。ヨーロッパ大陸はその後も移動を続け、3億年前には赤道付近に達する。赤道付近の暖かく湿った気候のもと、世界最初の森が生まれ、その森は、やがて大陸全体を覆い尽くした。
しかし、その巨大な熱帯雨林は、2億5千万年前にはヨーロッパから姿を消すこととなる。その頃、地球上に存在していた全ての大陸が一つになり、"パンゲア大陸"と呼ばれる、とてつもなく巨大な大陸が誕生した。そのパンゲア大陸の一部となったヨーロッパ大陸は、海から遠く離れ、雨も降らなくなり、熱帯雨林は全て枯れ果ててしまったのである。
何千万年もの間、砂漠と化していたヨーロッパ大陸に劇的な変化が訪れたのは、およそ2億年前。パンゲア大陸が分裂を始め、ヨーロッパに再び海が誕生した。命を吹き返したヨーロッパ大陸。やがて、恐竜による支配が始まる。そんな中、移動を続けていたヨーロッパ大陸は、現在の北アメリカに当たる部分を切り離し、その結果、大西洋が誕生した。
およそ6500万年前。ユカタン半島に隕石が衝突し、その影響で恐竜は絶滅する。その代わりに地上で繁栄したのが、ほ乳類である。
何億年もかけて少しずつ形を作ってきたヨーロッパ大陸。その完成が近づいていた。ヨーロッパ大陸を最終的に完成させたのは、アフリカ大陸による圧迫であった。アフリカ大陸による圧迫で、ピレネー山脈、カルパチア山脈、アルプス山脈が誕生したのである。
そして、550万年前に地中海が誕生し、ヨーロッパの南の境界線が形作られた。これが、ヨーロッパ大陸形成の最終段階となる。 
2 氷河期のヨーロッパ

 

今から200万年前、氷河期が訪れ、ヨーロッパ大陸は巨大な氷河で覆い尽くされた。この氷河期は、その後、ヨーロッパの地形を大きく変えることとなる。ロシアにあるヨーロッパ最大の湖、ラドガ湖や、ノルウェーのフィヨルド、そしてアルプス山脈の深い渓谷などは、どれも氷河期による影響で生まれた。
番組では、最新のCG技術を駆使して厚さ2000メートルにも及ぶ巨大な氷河を再現し、氷河期がヨーロッパの地形を作り替えていく様子に迫る。
およそ200万年前、ヨーロッパを氷河期が襲った。太陽を回る地球の軌道が変化し、太陽からの距離が遠くなったため、地球が受ける太陽の光の量が減ってしまったのである。その結果、気温は急激に下がり、巨大な氷河がヨーロッパ大陸を覆い尽くした。この氷河期は、その後、ヨーロッパの地形を大きく作り替えることとなる。そして氷河期は、地形だけではなく、ヨーロッパに住む様々な生き物たちにも大きな影響を与えた。
氷河期、海水が氷河の中に取り込まれて凍ったため、海面は現在より100メートル以上も低く、当時は北海もベーリング海峡も陸地だったと考えられている。北海でマンモスの骨が見つかったことから、北海がかつて陸地だったことが明らかとなった。
およそ4万年前、厳しい氷河期が続く中、人類の祖先であるクロマニヨン人は、アフリカからヨーロッパへ向けて旅を始めた。その頃、ヨーロッパ大陸ではネアンデルタール人が生き延びていたが、ネアンデルタール人は、およそ3万年前に絶滅してしまう。一方、クロマニヨン人はヨーロッパの環境にうまく適応し、繁栄していく。
そして、今からおよそ1万年前、再び地球の軌道が変化し、長く続いた氷河期は終わりを告げた。100年足らずの間に気温は10度も上昇し、氷河は一気に溶け始める。何万年分もの雪解け水でヨーロッパ大陸の川は勢いを増し、川の氾濫によって多くの湖が生まれた。ロシアにあるヨーロッパ最大の湖、ラドガ湖もその一つである。また、溶けだした氷河が自らの重みで滑るようにして移動し、進みながら周りの岩や地面を削って、アルプスの深い渓谷やノルウェーのフィヨルドを作った。フィヨルドとは、氷河が地面を削って出来た深い谷が、氷が溶けて海面が上がったことで水没し、形成された入り江である。
大陸中を覆っていた氷河が溶けたことで海面の水位は100メートル以上も上昇し、新たな海岸線が生まれた。これによって、ヨーロッパ大陸の輪郭が、現在とほぼ同じになったのである。ヨーロッパの気候は暖かく穏やかになり、大陸は再び森で覆われ、生命に満ち溢れた。氷河期の到来と終結が、ヨーロッパ大陸の地形と生態系を大きく変えたのである。 
3 人類と拡大する文明

 

1万年前に氷河期が終わった後、驚くべき速さで繁栄した人類。8000年前には農業が始まり、4000年前には青銅を加工する技術が発達、人類はヨーロッパ中の森林を伐採するようになる。そして、ローマ帝国の誕生。ローマ帝国の繁栄は、何世紀も続いた。18世紀後半には産業革命が始まり、人類は、かつてないほど大量に森林を伐採した。すさまじい勢いで文明を発展させ、ヨーロッパの姿を変えていく人類の歴史に迫る。
今からおよそ1万年前、氷河期が終わり、気候が穏やかになったヨーロッパ大陸は、一面森で覆い尽くされ、生命に満ち溢れていた。そのころ人類は、森で狩りをして食料を得ていた。
しかし、およそ8000年前、ヨーロッパ大陸の南西部で、新しい生活様式が始まる。ヨーロッパの東からやってきた人々が、地中海沿岸で農業を始めたのである。農業は瞬く間にヨーロッパ中に広がり、人類は畑や牧草地を作るために次々と森林を伐採していった。さらに、4000年前には銅や青銅を加工する技術が発達し、金属を加工するときの燃料となる木材を得るため、人類は大量に森林を伐採する。
そして、ヨーロッパ大陸の各地に埋蔵されている金属を、すべて手にしたいという欲望が、一つの強大な国を生み出した。それがローマ帝国である。ローマ帝国はヨーロッパ大陸全体に道路を張り巡らせ、帝国の思想と文化は、その道路を通じてヨーロッパの隅々にまで伝えられた。何世紀にもわたって繁栄したローマ帝国は、その後、徐々に衰退し、滅亡する。
11世紀に入ると、ローマ・カトリック教会が大々的な修道院の建設を始めた。修道士たちは広大な森林を切り開き、次々と修道院を建設する。そして、森林を伐採した後に、大きな町が造られた。その後、人類は、度重なる不幸に見舞われることとなる。14世紀には、伝染病・ペストがヨーロッパ全体で流行し、多くの犠牲者を出した。さらに、19世紀には、ジャガイモを腐らせるジャガイモ疫病菌がアイルランドからヨーロッパ中に広まり、ヨーロッパ史上、最悪の大飢饉を引き起こした。しかし、人類はその度に災難を乗り越え、文明を発展させ、町を拡大してきたのである。
そんな中、イギリスでは、世界中に大きな影響を与えることとなる、あることが始まっていた。産業革命である。蒸気機関が発明されて一度に大量の製品を生産することができるようになり、次々と工場が建てられた。19世紀後半には、工場の煙がヨーロッパ大陸全体を覆った。
すさまじい勢いで発展し、次々と新しい文明を生み出してヨーロッパの姿を変えていった人類。その劇的な歴史に迫る。 
4 ヨーロッパ大陸の未来

 

21世紀のヨーロッパ大陸。これまで自然を破壊し続け、野生動物たちを絶滅に追いやってきた人類は、ようやく自然の大切さに気付いた。ヨーロッパでは現在、野生動物を保護する計画が進められている。果たして、失われた自然を甦らせることは出来るのか。番組では、野生動物とうまく共存するために力を尽くす人々の姿を追いながら、ヨーロッパ大陸の未来を考える。
現在、ヨーロッパ大陸の人口はおよそ7億人にまで膨れ上がり、大陸のいたるところに大きな都市が存在している。そうした人類の繁栄と引き替えに、自然は破壊され、野生動物たちは居場所をなくしてしまった。
イタリア、ローマ。この街には、毎年、冬になると、300万羽ものムクドリが北の方からやってくる。街では多くの熱が発生するため、ローマのような大都市は郊外よりも気温が高く、ムクドリたちは、その暖かさに集まってくるのである。しかし、ムクドリの群れはところ構わず空からフンの雨を降らすため、ローマの人々は大きな被害を受けている。
オーストリアのウィーンにも、居場所をなくした野生動物たちがいた。ウィーンのシンボルの一つ、シュテファン寺院には、ハヤブサや、イタチの仲間のテンが住み着いている。また、スペイン北部の町アルファロでは、コウノトリが大聖堂の上に巣を作り、イギリスのロンドンには、およそ1万匹ものアカギツネが生息している。街に住み着いた、このような野生動物たちが、かつてのように自然の中で暮らすことができるよう、人々は自然と野生動物たちの保護に乗り出した。
現在ヨーロッパでは、大陸を移動しようとする野生動物の多くが、交通事故によって命を落としている。そこで、人々は、道路の上に動物たちの通り道を作り、動物たちが自動車と接触することなく道を横切ることが出来るようにした。
また、産業革命が始まって以来、何十年にもわたって汚染され続けてきたドナウ川やライン川の浄化にも着手する。そして、汚染によって長いことライン川から姿を消していたアトランティックサーモンを放流するという計画を始めた。夏に、何百万というサーモンの子供をライン川の支流に放流するのである。毎年、ほんのわずかながら、大人になったサーモンが海から戻ってくるようになった。
こうした人間たちの努力によって、ヨーロッパの自然は、少しずつ息を吹き返している。しかし、考えなければならない問題はまだたくさんある。外来種の動物や植物の異常繁殖、そして急速に進む温暖化。ようやく再生した自然を守るために、今人類がするべきことは何なのか、ヨーロッパ大陸の未来を考える。 
 
北グリーンランドの氷床コアから
 最終間氷期における気候と氷床の変動を復元

 

国立極地研究所が参加した北グリーンランド氷床深層掘削計画(North Greenland Eemian Ice Drilling:NEEM計画)によって掘削された氷床コアから、エーム間氷期と言われる最終間氷期(13万年前〜11万5千年前)の気候と氷床の変動が復元されました。北グリーンランドでは、最終間氷期が始まったばかりの12万6千年前頃が最も温暖で、気温が現在よりも約8℃±4℃高かったことが分かりました。その後、気温は徐々に低下しました。12万8千年前と12万2千年前の間の6千年間に北グリーンランドの氷床の厚さは400±250m減少し、12万2千年前には氷床表面高度が現在よりも130±300m低下していました。また、現在では殆ど融雪が生じない北グリーンランド内陸部でも、12万7千年前から11万8千年前には、2012年の7月と同様、夏に氷床表面で融解が生じていました。この研究成果は、地球温暖化に伴う将来のグリーンランド氷床の変動を予測するために重要な情報を与えてくれます。
研究の背景
これまで北半球の氷床コアから得られていなかった最終間氷期の気候・環境変動の記録を得るために、北グリーンランド氷床深層掘削計画(略してNEEM計画)の下で氷床コア掘削が実施されました。NEEM計画は、コペンハーゲン大学をリーダーとして日本を含む14カ国が参加した国際共同掘削計画です。掘削地点は北緯77.45度、西経51.06度、標高約2450mのグリーンランド氷床上で、掘削計画の名前に因んでNEEMと呼ばれています。2008年に開始された掘削は、2010年7月末に岩盤直上の2537mの深さまで達しました。その後、氷と岩屑が入り交じった層を数メートル掘削した後、2012年の夏に掘削計画が終了しました。NEEMで掘削された氷床コア(NEEMコア)はNEEM計画の参加国に分配され、現在、様々な分析が行なわれているとろころですが、NEEM計画全体としての最初の研究成果が1月24日発行の科学誌Natureで報告されます。 
研究方法
NEEMコアの氷の酸素同位体比の分析と、同コアから抽出した空気の量と成分の分析を行ないました。これらの結果とモデル計算を組み合わせることによって、最終間氷期の気温、氷床高度、氷床表面融解についての情報を得ることができました。
研究成果
NEEMでは、岩盤付近で氷の層が褶曲していたため、現在から最終氷期に至るまでの連続した氷を掘削することができませんでした。層の褶曲がない場合、深いところほど古い時代の氷が存在するはずですが、NEEMでは、氷の深さと年代の関係が逆転していたり、同じ時代の氷が3回現れたりするなど、層の乱れがありました。そこで、NEEMコアの酸素同位体比や空気の成分の分析結果を、グリーンランドの他の地点や南極で掘削された氷床コアの分析結果と比較することにより、褶曲した氷の各層の年代を決めました。そのようにして、NEEMコアから得られたデータを年代順のデータとしてつなぎあわせた結果、最終間氷期の大部分は連続した層として保存されていることが明らかになり、最終間氷期の気候・環境をほぼ完全に復元することができました。
図2はNEEMコアから復元された最終間氷期の気温と氷床高度の変動を示したものです。図2aの黒線は氷の酸素同位体比で、赤線は酸素同位体比から推定された気温です。気温は、最近千年の平均値からのずれとして表されており、正の値は現在よりも高温だったことを意味します。図2bの実線は含有空気量のデータで、一点鎖線は氷床表面融解がない場合の含有空気量の推定値です。実際には氷床表面融解が生じていたため、含有空気量のデータは一点鎖線からはずれて値が大きく低下しています。融解がない場合、含有空気量は氷床高度の変化に伴う気圧変化と日射量変化の影響を受けて変化します。図2cの青色の一点鎖線は、これに基づき、融解がないとした場合の含有空気量の推定値(黒の一点鎖線)から日射量の変化(緑色線)による影響と氷床流動の影響(水色線)を差し引いて、氷床高度の変化を推定した結果を、現在からの差として示したものです。
図2から、北グリーンランドでは、最終間氷期が始まったばかりの12万6千年前頃が最も温暖で、気温が現在よりも約8℃±4℃高かったことが分かります。また、12万8千年前と12万2千年前の間の6千年間に氷床の厚さが400±250m減少し、12万2千年前には氷床表面高度が現在よりも130±300m低下していたことが分かります。
図2の薄い灰色で囲まれた部分(11万8千年前〜12万7千年前)は、氷床表面の融解が生じていた時代です。図3は、含有空気量だけでなく、NEEMコアから抽出した空気の希ガスの存在比(σKr/Ar、σXe/Ar)やメタン(CH4)濃度も極端に大きな値になっている深さがあることを示しており、この時代に氷床表面が融解していたことを裏付ける強力な証拠です。
今後の展望
現在のNEEMでは、夏でも気温が融点を超えることが希であるため、近年は氷床表面の融解が殆ど観測されていませんでしたが、2012年の7月は例外的に暖かく、顕著な融解が観測されました。今後、地球温暖化が進行すれば、最終間氷期と同様に北グリーンランド内陸部でも大規模な融解が起こると考えられます。
最終間氷期は現在よりもかなり温暖で、グリーンランド氷床の内陸部でも大規模な表面融解が起きていたと考えられますが、NEEMコアの研究結果に基づくと、最終間氷期におけるグリーンランド氷床の氷の量は、最低でも現在の90%はあったと推定され、従来の推定値よりも大きくなりました。最終間氷期には海水準が現在よりも4〜8m高かったと推定されていますが、グリーンランド氷床の縮小だけではこれだけの海面上昇は説明できません。本研究の結果は、最終間氷期に南極氷床が縮小し、海面上昇に大きく寄与していたことを示唆しています。
NEEMコアは現在各国が精力的に分析を進めており、日本もエアロゾル、大気成分、微生物、物理特性などの研究を実施しています。日本はドームふじコアの研究も実施しており、両極の氷床コアの比較研究によって、全球規模の気候・環境変動メカニズムの解明を目指しています。
研究方法
NEEMコアの氷の酸素同位体比の分析と、同コアから抽出した空気の量と成分の分析を行ないました。これらの結果とモデル計算を組み合わせることによって、最終間氷期の気温、氷床高度、氷床表面融解についての情報を得ることができました。 
 
縄文時代に見る地球温暖化

 

過去の地球 −繰り返した気候変動−  
地球は四十六億年の歴史の中で、ダイナミックに気候変動を繰り返してきました。地球が氷の塊に、あるいは逆にサウナのような状況になるといった温度の大変化があったのです。そのたびに生物は絶滅と多様化を繰り返し、進化してきました。
そして、現在。おそらく地球は新しい局面を迎えています。これは過去から続く全体の流れをとらえ、その中に今の地球を位置づけることでより鮮明になるでしょう。
寒い地球(氷期)と暖かい地球(間氷期)を繰り返すリズムも、現在の位置づけを知るヒントです。氷期から間氷期への急激な地球温暖化は、この数十万年間に何度もありました。二万年前の氷期の最盛期以降、約一万年前に間氷期となり、六千年前には温暖のピークを迎えています。
この一万年前以降の急激な海面上昇がいわゆる"縄文海進"です。神奈川では現在より海面が四メートルほど、海水温は約二度高くなりました。現在では南の暖かい海にすむ貝が、当時の地層から見つかるように、貝たちの応答がかつての急激な温暖化の様子を知る手掛かりとなっています。
現在の地球温暖化は、人類の活動による要因が強いものです。温室効果ガスの二酸化炭素の増加もその一つです。その二酸化炭素濃度は、過去数十万年に知られる値をはるかに超えています。今後、地球のシステムがどのように作用するのかは予測不可能です。
地球環境問題を考えるとき、個々の情報の蓄積とともに、それらの情報をもとにして多面的に地球をとらえることが必要でしょう。それでも私たちは、地球のごく一部を見ているにすぎません。これから私たちはどう生きるか、過去の地球を知り、現在をとらえ、未来を考えていくことにしましょう。
氷期と間氷期 −大小のリズムで変動−

 

月面では空気が無く、約十五日ごとに昼と夜が繰り返されるため、一カ月のうちに表面温度が約マイナス一七〇〜一二〇度の範囲で変化します。それに比べると空気があり、十二時間ごとに昼と夜が訪れる地球の表面温度は、非常に安定しているといえます。
しかし、四十六億年におよぶ地球史の中では、気候は大きなリズムや小さなリズムを持って常に変動してきました。およそ二十二億年前と七億年前には、地表のほとんどが氷に覆われた全地球凍結が起こりました。
それが解けた直後には反対に熱帯のような気候が訪れたようです。恐竜が栄えた中生代は全般に暑い時代でしたが、特に白亜紀には暑い時代が何千万年も続いたようです。
一般に氷河時代と呼ばれるのは、およそ百七十万年前から始まる新生代第四紀ですが、寒冷化は三百五十万年前頃から始まっています。その間、地球は寒暖を繰り返して、グラフはノコギリの歯のようです。
最近百万年の変化に着目すると、およそ八十万年前以降からは、約十万年周期の気候変動が顕著となっていることがうかがえます。これはミランコビッチ・サイクルとして説明されています。
しかし、気候変動が起こる原因は、太陽放射の変動や太陽からの距離の変動といった、エネルギーの入力から始まって、大陸の配置によって変化する海洋や大気の循環などのエネルギーの移動、それに地球からの放射量を左右する氷床の消長、大気の組成、エアロゾル(空気中に浮遊する微粒子)の量などが互いに影響し合っています。
それら相互のかかわりは大変に複雑で、原因と結果をはっきりと対応させることは非常に困難です。  
下末吉期 −12.5万年前にも温暖化−

 

約六千年前にピークを迎えた縄文海進よりも昔の約一二・五万年前、縄文時代よりも温暖だった時期がありました。この時期は下末吉期(しもすえよしき)と呼ばれ、その海進は下末吉海進(しもすえよしかいしん)と名付けられています。
これは横浜市鶴見区の下末吉地域にちなんだ名前です。下末吉海進も縄文海進と同様に日本各地で確認されていますが、神奈川県では東京湾側、相模湾側から海が入り込み、二俣川−権太坂−上大岡地域で、三浦半島がかろうじてつながっていたというほど規模が大きい海進でした。
下末吉海進のときにたまった地層は、下末吉層または下末吉層相当層といわれ、神奈川県東部によく保存されていて、西部ではあまり確認できていません。川崎、横浜地域では、各地で行われた道路工事や宅地開発のたびに、下末吉層が確認され、当時の海の様子が詳しく分かっています。
下末吉期の海に生息していた貝化石から、当時の様子が分かります。東京湾側の港北区菊名付近からは、バカガイ、ナミガイ、ハマグリ、イタヤガイなど沿岸砂底にすむ貝の化石が見つかっています。戸塚や藤沢ではカキ礁の化石が見つかっていて、湾奥だったことが分かります。
また、さらに奥まった泉区岡津町などでは、現在有明海などの干潟にすむハイガイの化石が見つかっていることから、干潟が発達していたことが想像できます。ハイガイは現在の関東地方の海では寒くて生活できません。ハイガイの化石が見つかったことから、下末吉期が暖かかったことも分かるのです。
一方、陸の様子も違っていました。現在では絶滅したナウマンゾウが当時生息していて、横浜、横須賀、藤沢などから化石が発見されています。  
縄文海進 −鶴岡八幡宮下まで海−

 

鎌倉の旧市街地は滑川の低地に広がっています。低地は二方を山に囲まれ、南が由比ケ浜の海に面しており、鶴岡八幡宮を頂点とする、ほぼ二等辺三角形となっています。この滑川低地には砂と泥の軟弱な沖積層が積もっていて、そこには縄文海進を示す保存の良い貝化石が含まれています。
以前、八幡宮境内に県立近代美術館が建設されたとき、地下から大量の貝化石が出ました。さらに鎌倉市国宝館の資料館ができたときにも、貝化石や昔の海岸を示す地形がみつかりました。これらの情報をもとに市街地の縄文海進最盛期(六千年前)の地形を復元すると、滑川低地は内湾となっていたことが分かりました。
湾口が由比ケ浜で幅約二キロ、湾奥が鶴岡八幡宮の東方に達していました。湾奥までの長さは約三キロとなり、湾口の広いわりに奥行きの浅い開いた入り江でした。湾の最も奥が鎌倉宮付近に達し、干潟となっていて、ハマグリやシオフキ、イボキサゴなどが生息していました。
湾奥に近い鶴岡八幡宮境内では、大イチョウのある石段の下まで海が迫り、波が打ち寄せるきれいな砂浜となっていました。そこには現在の相模湾沿岸には生息していないタイワンシラトリやシオヤガイ、ヒメカニモリなど熱帯から亜熱帯の暖かい海にすむ貝が生息していました。
また、鎌倉大仏のある長谷の谷は幅の狭い入り江となり、ここにも泥層が厚く積もっていることが大仏の地下から明らかになりました。この泥層からも熱帯にすむカモノアシガキのほか、イボウミニナ、カワアイなどの貝化石がみつかっています。  
貝化石を読む −湾岸の古環境を復元−

 

東京湾や相模湾沿岸にみられる沖積低地は、泥や砂層が厚く積もって軟弱な沖積層となっています。大きな工事などで、これらの沖積低地を掘り起こすと、保存の良い貝化石をはじめ、海にすんでいたいろいろな生きもの化石がみつかります。
中でも泥層中には二枚の殻が合わさった貝化石が埋まっていることが多くみられます。これは貝が生きていた状態のまま化石になっていることを示しています。この貝の種類と生態、その種の分布が分かれば、貝が生きていた当時の海岸線や海底の環境を知ることができます。
この点に注目して、県内に分布している沖積層中の貝化石を貝類群集としてまとめてみると、内湾から沿岸にかけ分布する沖積層には、大きく十一のグループとなっていることが明らかになりました。
例えば、鶴見川低地や大岡川の低地の奥まった地点から産出するマガキやハイガイ、オキシジミは、内湾の奥の泥干潟に生息する貝で、この地点まで縄文海進で海水が入って入り江となっていたことを示しています。ハマグリやアサリ、カガミガイは内湾でも砂泥底の広がる干潟で、砂地に浅く潜って生息しています。
この化石が沖積層からみつかれば、そこはかつて内湾の砂地の発達する干潟となっていたことを示しています。チョウセンハマグリやダンベイキサゴ、ベンケイガイの化石が沖積層から産出すれば、この沖積層は湘南海岸や房総の九十九里浜のように外海に面した沿岸に堆積(たいせき)した地層であることを知ることができます。
サザエやアワビ、トコブシなどの巻き貝化石が砂礫(されき)層から産出すれば、外海に面した岩礁海岸付近で堆積した地層であることを教えてくれます。このように貝化石の示す情報から、縄文の海の古環境を復元することができました。 
海面変動 −100年当たり2メートル上昇−

 

六千年前ごろ、神奈川では海面が今よりも約四メートル高く、縄文海進のピークを迎えていました。二万年前の氷期最盛期の海面は百二十メートル低かったのですから、わずか一万数千年の間に急激に上昇したことになります。この急激な海面上昇に伴い、積もっていった堆積(たいせき)物が川崎や横浜などの低地をつくる沖積層です。
沖積層から見つかる貝化石から、貝が生きていた当時の海岸線を復元できます。たとえば、マガキは潮の満ち干する場所(潮間帯)にすむ貝です。そのカキ礁の化石が見つかれば、その場所がかつての海岸線であった証拠となります。また、放射性炭素(炭素14)が一定の速度で壊れることを利用した年代測定(14C法)から沖積層中の貝殻の年代を知ることができます。
多摩川・鶴見川低地では、沖積層の貝が多数見つかっています。その貝が見つかった深さと年代測定の値から海面変化曲線を描きました。潮間帯にすむ種の点を結んだ曲線が、海面の高さの変化を表しています。0メートルは現在の海水面の高さです。横軸は年代、縦軸は高さ(深さ)を示しています。
一万年前以降、海面が急激に上昇した様子がよく分かります。図中の八千八百年前、深さマイナス三八メートルの青点は、羽田空港地下から見つかったマガキによる情報です。八千八百年前は、それだけ海面が低かった証拠です。
約九千年前から七千五百年前にかけては、三十メートルも海面が一気に上昇しています。これは百年当たり、およそ二メートルも上昇したことになります。急激な海面上昇の後、六千年前におよそ約四メートルの高さまで海面が達しました。
神奈川の沖積層からの貝を使って、過去に起こった地球温暖化による海面上昇を具体的に示すことができました。氷期には多量にあった南極の氷が、地球温暖化により一気に解けて海面上昇をもたらしたのです。 
縄文の海 −見つかった「温暖種」−

 

房総半島南部から相模湾沿岸の沖積低地を埋めている砂や泥層には、現在の南関東沿岸では全く生息していないハイガイやシオヤガイをはじめ、タイワンシラトリ、カモノアシガキ、ベニエガイなど、熱帯から亜熱帯の暖かい海にすむ貝(温暖種)が産出します。
これらの温暖種がいつごろ相模湾沿岸まで進出してきたか調べてみると、二回に分かれてやってきたことが明らかになりました。最初にやってきたグループはハイガイやシオヤガイ、コゲツノブエ、ヒメカニモリ、カニノテムシロガイです。
縄文海進が始まったおよそ九千五百年前に出現し、海進最盛期の、海面が現在より四メートル前後も高くなった六千年前にもっとも繁栄していたことが分りました。その後、この温暖種は生息していた干潟が海面の低下によって失われていくのにつれ、相模湾沿岸から消滅していきました。
次にやってきたグループはタイワンシラトリやカモノアシガキ、チリメンユキガイ、ベニエガイの熱帯種で、房総館山の沼や三浦の油壺で知られる礁サンゴと一緒に六千五百年前に黒潮に乗って、房総南部から相模湾沿岸まで北上してきました。
この時期は地球温暖化が最も進み、海面と海水温が高くなりました。熱帯種の貝と礁サンゴが見つかったことから、南関東では海水温が現在より二度ほど高かったことが明らかになりました。その後、これらの温暖種は四千二百年前まで生息していましたが、海水温と海面の低下によって相模湾沿岸から完全に消滅してしまいました。
ちなみに、タイワンシラトリはタイワンの名がついているように熱帯の貝です。現在生息しているところは、台湾以南の熱帯の海で、遠浅できれいな砂浜海岸にみられます。 
古中村湾 −隆起した縄文期の海−

 

古中村湾は、大磯丘陵南西部の小田原市と二宮町の境を流れる中村川(河口付近では押切川)の低地にできた内湾です。縄文海進によって、約九千年前から中村川の谷へ海が入りはじめ、六千五百年前には現在の海岸線からおよそ二.五キロも奥まで広がる古中村湾となっていました。
昨年、中村川流域の造成工事により古中村湾にすんでいた貝化石がみつかりました。その中に、現在は紀伊半島より南の暖かい海にすむハイガイ、シオヤガイ、コゲツノブエなどが見られます。約六千五百年前の相模湾沿岸は、現在よりずっと暖かい環境だったのです。
さて、この古中村湾の貝を含む地層は、現在海抜二十メートル付近まで分布しています。このように六千五百年前の古中村湾の地層が台地の上の高さにまで分布しているのは、地震による隆起を繰り返してきたためです。特に相模湾湾奥を震源とする巨大地震によって、大磯丘陵が大きく隆起することが分かっています。
地震による隆起の結果、古中村湾から海水が退き、浜名湖のような海水と淡水が入り交じっている汽水湖の古中村潟が誕生しました。その年代は約六千五百〜六千三百年前の間です。古中村潟には、これまでの古中村湾にすむ海の貝たちに代わり、汽水域にすむヤマトシジミが潟にすみつくことになったのです。
そして、縄文前期(約五千七百〜五千三百年前)には、羽根尾貝塚が古中村潟の西岸につくられました。この古中村潟も、その後に続いた巨大地震によって湿地へと変化していきました。
この地域では、縄文海進による海面の上昇よりも大地の隆起量が大きく、縄文海進のピーク前に海が退くこととなりました。大磯丘陵に見られる海面の変動を考えるときには、温暖化などによる地球規模の海面変動の動きだけでなく、地域の沈降や隆起といった地震に伴う大地の動きも合わせる必要があるのです。 
沼サンゴ層 −北限群生地に熱帯種−

 

房総半島南端の館山湾には、現在、規模は小さいながら水深一〇メートル前後の海底にサンゴの群生地があります。そこでは二十五種類のサンゴが生息していて、世界で最北の群生地点として大変貴重です。
ところが約六千五百年〜五千五百年前の縄文時代には、この海に現在よりはるかに規模の大きな群生があり、八十種類以上ものサンゴが生息していたことが化石調査により分かっています。化石では細かな組織構造や軟体部が失われていますので、種類を決めるのは難しいことですが、それでもこんなに多く見つかっています。
当時、実際にはもっと多くの種類がいたと想像できます。このさんご礁は、館山湾周辺の沼(ぬま)地区に分布する沖積層に化石さんご礁として残っていて、「沼サンゴ層」と呼ばれています。また、化石の中には、現在では鹿児島県以南にしかいない種類が含まれています。
サンゴは一年間で成長できる速さが海水温によって違います。そのことをキクメイシというサンゴでみますと、伊豆半島江ノ浦の現生種では三.〇一ミリ、奄美大島では四.八二ミリ、そして沼層化石では四.六一ミリです。沼層産化石の年間成長率は、奄美大島の値に近いものです。サンゴ化石と一緒にみられる貝化石からは、ベニエガイ、ヨロイガイ、オハグロガキなど、現在の南関東には分布していない熱帯種が見つかっています。
このような点から沼さんご礁が分布していた約六千五百年〜五千五百年前の館山湾の環境を推定すると、現在の紀伊半島以南、南九州から奄美大島ほどの暖かな海水の洗う内湾になっていたと考えられます。 
貝塚 −環境変化知る指標に−

 

土器の使用が始まった縄文時代草創期、人々は旧石器時代と同様に狩猟や採集に頼る生活を営んでいました。
やがて縄文時代早期(約九千年前)になると気候が温暖化し、海面の上昇により海岸地帯におぼれ谷の地形が発達して、内湾や入り江がつくり出され、遠浅の砂浜や干潟が拡大されました。このころから海と人間との深い結びつきが始まり、人々は河口や入り江に出て魚や貝の捕獲を行うようになったのです。
食料に用いられたあとの魚の骨や貝の殻は、彼らの住まいの周辺に捨てられました。そこにはイノシシやシカの骨や角、土器のかけら、作りかけの銛(もり)や釣り針、折れた石器なども混じっています。それらは長い時間を経て堆積(たいせき)し、貝塚を形成したのです。
横須賀市吉井貝塚は縄文時代早期末から中期に至る、およそ六千五百〜四千五百年前に形成された貝塚です。上下二つの貝層からなり、下部は海進最高期に、上部は海退期に形成されました。下部貝層は内湾の潮間帯の砂地や泥地に生息するマガキ、ハイガイを主体に、オキシジミ、ハマグリなどの二枚貝が多く見られ、ここからは早期末の土器が出土しています。
上部貝層はマガキ、ハイガイなどの二枚貝が減少し、イシダタミ、スガイ、クボガイ、レイシガイ、サザエなどの波打ち際の岩礁地帯に生息する巻き貝が多く見られ、ここからは中期後半の土器が出土しています。
このことは、早期末の海進最高期に伴って発達した内湾が、中期以降になると次第に縮小され、マガキやハイガイの生息できる環境が失われていったことを示しています。
このように、同一場所における貝層の様相の違いは、時期によって、自然環境が変化していったことを知る手掛かりになっています。 
温室効果 −濃度増す二酸化炭素−

 

地球全体での平均気温は、およそ一四度です。これは地球の表面を覆う「大気」の働きによるものです。もし大気がなければ、マイナス一八度になってしまうと考えられています。
太陽からの光は、大気を素通りするので地表が暖まります。暖められた地表は宇宙へ熱を逃がすのですが、この逃げていく熱の一部が大気を暖めます。この様子が農業で使う「温室」のガラス屋根の役割に似ているので、「温室効果」といいます。
大気の成分の中で、温室効果に大きな影響を与えるのは、水蒸気です。温室効果全体の八割以上を受け持っているといわれます。水蒸気の量は、季節や場所での変動が激しく、大気中の濃度は0.1〜5%と幅があります。
このほかには二酸化炭素やメタン、フロン(ハロカーボン)があります。これらは「温室効果ガス」として地球温暖化問題の原因物質として扱われています。この温室効果ガスは、観測の結果、量が増えてきていることが分かりました。
図は、二酸化炭素濃度と気温との関係を示しています。気温は紫色の棒グラフが各年の値、赤い折れ線が五年間の移動平均を示しています。二酸化炭素濃度は、波を打っている水色の線が観測値で、中央の青い線が五年間の移動平均を示しています。
気温の上昇と、二酸化炭素濃度の上昇のカーブが似ていると思いませんか? 温室効果ガス濃度の増加は、気温の上昇を招くと考えられています。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が発表した未来予測では、このまま何の対策も取らずにいると、百年後には最大で九〇〇ppmまで二酸化炭素が増大し、気温も四.五度上昇すると警告しています。 
リズム −狂った?寒暖の周期−

 

地球の気候変化には一定のリズムがあるようです。過去を振り返ると、暖かい時期と寒い時期は交互にやってきています。今は暖かい時期を終え、寒くなっていく時期にあたるはずです。
図は、ここ最近の(といっても、地球の歴史の中でのことで、私たちの感覚ではずっと昔のことですが)環境の変化をイメージしたものです。矢印は、気温や海面の高さなどの変化の傾向を表しています。丸顔は、神奈川の大地の変化を示しています。丸の上側にある緑色の部分は陸地で、下側の水色は海です。この企画展では「かながわくん」と呼んでいます。
気温の高い時期、かながわくんも暑がっています。この時期では、下側にある海の部分が増えています。寒い時期、かながわくんは震えています。暖かい時期に比べると海が狭くなっています。
矢印の変化にも注目してください。暖かくなる変化は急激に進み、逆に寒くなる変化はゆっくり進みます。神奈川では、一万年前から六千年前にかけての縄文海進期に、海面が一気に、およそ四十メートルも上昇したことが分かっています。おそらく、暖かくなると、さらにその暖かくなることを助ける仕組み(正のフィードバック)が働くのでしょう。
またこの矢印は、大気中の二酸化炭素CO2濃度の変化も示しています。赤い点線は、産業革命以前の過去数十万年間での南極での濃度の最高値(約二八〇ppm)です。現在は、この濃度を超えてしまっています。
これは何を意味するのでしょうか?CO2などの温室効果ガスの濃度は、気候の変動に大きな影響を与えるといいます。気候変化のリズムからみれば寒くなっていくはずの気候。逆に暖かくなってしまうのでしょうか? 
 
佐渡の1万年後、10万年後の姿

 

1、暖と寒の10万年サイクル 
筆者が出版した『黄金と流刑の島佐渡」では、島の誕生から、佐渡市の誕生までを書いた。
筆者の本の締めくくりは、佐渡島民の終焉(終り)を考えていた。それはまた人類の死滅を書くことになる。気の重い話である。
筆者は、「・・・佐渡」の本の中で、氷河期のことを書いた。ミンデル(40万年前)、リス(20万年前)、ヴエルム(7万年前)との説に従って、佐渡渡来の人類の歴史を書いた。
その人類の滅亡を予測することはさして難しいことではない。古地理学、古気候学、動物学、古生物学などでは人類滅亡後のそれに取って代わる動植物のシナリオもできている
一つの種が死滅すればほかの種がそれにとって代わるのである。
最近「2億年後の生命世界」なる本も出版された。
学者の学説や科学的データーに基づき、佐渡島の未来や島民の未来を書き残しておくこととした。
まず間違いのないことは、この地球も50億年くらいで消滅するとされているから、佐渡島も永久に存在することはない。また人類は、500万年も存在することはなく、100万年内に死滅するであろう。この辺まではほぼ間違いのない推論である。 
そこで、筆者は人類の大量死滅はどのような場合に、どのような状況で起きるのかについて推論を試みる。
結論から先に述べると、人類は、4000年ないし5000年先の地球の極度の温室化によって死滅の速度を速め、1万年ないし2万年先の氷河期の到来によってほぼ死に絶える。間氷期と氷河期は、通常10万年周期で繰り返される。つまり温暖期1万年、氷期9万年のサイクルは、地球誕生から繰り返されてきている。
現在のウルム氷河期は6000年前に間氷期に入り、地球は温暖化し、現在に至っている。この温暖化傾向は後4000年は続き、その後9万年間の氷河期が待っているのである。その9万年の氷河期を人類が生き延びることはほとんど困難と筆者は考えるのである。これからなぜそのように考えるかについて述べる。 
2、人類が地球に現れたのは、1日のうちの1分相当

 

地球の誕生から現在まで、50億年という月日が流れているが、人類は地質学上の新世代になって現れた。いまから400万年前に猿人が現れ、80万年前にジャワや北京に原人が現れ、次に15万年前にネアンデルタール旧人、3万年前にクロマニヨン新人が現れた。
このことから、人類らしきものが地球上に現れたのはせいぜい400万年前であり、地球の誕生から現在までを1日経過したと仮定すれば、人類は、ほんの1分前に現れたことになる。
人類が現れてから400万年間に、10万年サイクルの氷河期は、40回起こった。特に200万年前から1万年前までの氷河時代(地質学上更新世)は、氷河の発達、後退が繰り返された。現代はヴエルム氷河期のうちの温暖化のすすむ後氷期に属する。先に述べたごと4000~5000年はこの温暖化傾向が続くのである。
3、人類は地球温室効果期を生き延びれるか

 

現在地球上では、温室効果の抑制が叫ばれ、世界各国が石油の消費を削減するための条約いわゆる京都議定書を締結しようとしたが、アメリカの反対にあってはできなかった。その結果空気中の二酸化炭素、有毒ガス、ちりの量が多くなり、世界各地に酸性雨が降り、植物や動物が死滅しつつある。
人類は核兵器の実験を繰り返し、戦争で大量の爆薬を使用している。これらは大気を著しく汚染している。
また筆者の著書「佐渡」の144ページでも指摘したとおり、、農薬、化学肥料、合成洗剤などの界面活性剤が大量に河川から海へ流され、魚介類を経て人間の口に運ばれている。DDT、.PCB、.LAS、ダイオキシンなどの環境ホルモンも母体から胎児へと受け継がれている。これらの環境ホルモンは、内分泌攪乱物質であり、子孫を産めなくさせ、人間の正常な知能活動を阻害する。
酸性雨による松枯れ現象、少子化現象、児童の殺傷事件の頻発など、筆者の恐れていた人類による地球破壊の兆候が現れはじめている。
プレートテクスにクスの理論により、やがて大陸の移動に伴う海や陸の火山活動が活発になり、それに人為的なフロンガスの放出、ガソリンなどの異常な消費などにより、大気の上層は、ちりと灰の細かい粒子が充満し、太陽からの放射熱をさえぎる。
その結果気温が下がり、動物は死に始め、植物もしおれはじめる。
筆者は本の中で「これを食い止める手だては、人類がおごりを捨て、謙虚に自然と向かい合うことができるかどうかにかかっている」と述べた。
人類の多くは、この地球温室化現象や火山活動、環境汚染などで死滅したが、それでも幾人かの人類は生き延びていくのである。 
4、10万年後の人類の死滅

 

間氷期の温暖化時代は4000年~5000年で終り、それに続いて、10万年サイクルの氷河期が、9万年続くのである。そしてしぶとい人類も、その氷河期を生き残れることはほとんど不可能であった。
今から1万年後にやってきた氷河期は、人類にとって厳しいものとなった。
北アメリカのほとんどは氷の下になった。北ヨーロッパ氷の下になり、その氷の厚さは、3キロであった。アマゾン川流域にあった緑の鬱蒼とした熱帯雨林は、乾燥した草原に変わった。大量の水が氷になり、海面は150メートル低下した。
人類のエネルギー消費が、地球を揺るがす壊滅的な結果をもたらしたため、生態系がずたずたになった。冬の夜は気温は摂氏マイナス60度を下回った。表土の下にある、永久凍土層は、1年中凍ったままで、水を通さなかった。
北ヨーロッパにも春は訪れる。表土はゆるみ、ツンドラは水溜りが点在する、湿地となった。
このような厳しい環境が続いたため、人類は作物を作ることができず、飢のために次々に死んでいった。また食用の動物、たとえば牛とか、豚とかあるいは飢えと寒さで死滅し、魚類の大半は、氷の海に閉じ込められ、死滅していった。このためい人類は、食用の植物群、食用の動物群を失い、絶滅の道をたどっていった。
100万年の間に、間氷期と氷期が10年サイクルで10回も訪れたため、この繰り返しで、人類のみでなく、人類とともに同期に生存した、動物たちや植物群も死滅してしまった。
人類は絶滅したが、生命が絶滅したわけではない。滅んで言った生物の代わりに、環境に適応した別の動物や植物が誕生していくのである。
今後500万年の早い時期に、人類は滅亡すると予測するものがいる(ドウーガル・ディクソン)。
筆者は、1万年から始まる氷河期から人類は死滅への道を歩み、氷河期のピークの来る10万年後までには全人類は死滅すると推測する。
人類が現れたのは、せいぜい400万年前で、長い地球の歴史から見れば、ほんの一瞬である。そしてこれからの地球は、大陸の移動、火山活動、凍結、氷河期を繰り返しながら、50億年というとてつもない年月を刻み続けることになる。 
 

 

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