後は野となれ山となれ 東京五輪

菅総理
コロナ対応 都議選 東京オリンピック  総選挙

一か八か
夢のまた夢 悪夢 やつてみるしかない
東京オリンピック 何が何でも 開催
民の命 賭ける

 


夢のまた夢悪夢後は野となれ山となれ冥途の飛脚一か八か衆院解散総選挙はいつ総選挙後の自民議席都議会・・・
コロナ対応 / 非常事態宣言延長ワクチン接種1日100万人外国人入国制限・・・
都議選 / 都民ファーストの会報道緒話自民党・・・
東京オリンピック / 開催の最終決断海外選手団入国参加規制運営規制観客規制コロナ禍 医療対応国民の安全確保感染爆発・・・
総裁選 / 内閣支持率・・・
衆院総選挙 / ・・・
冥途の飛脚 / 飛脚1飛脚2飛脚3飛脚4飛脚5飛脚6・・・けいせい恋飛脚・・・
 恋飛脚大和往来1大和往来2大和往来緒話・・・ 
 
 
 

 

●夢のまた夢  
コロナ収束 都議選圧勝 
オリンピック成功 総裁選 菅総裁続投 総選挙圧勝

●夢のまた夢
とうてい叶いそうもない願い。
およそ実現しない望みのたとえ。
非常にはかないこと。また、到底実現しそうにないこと。夢の中でみる夢という意から。「夢の夢」ともいう。
夢の中で見る夢。非常にはかないことをいう。夢の中で夢を見るような、きわめて儚いこと、現実感が無いことを強調する比喩。例えば、夢から目覚めて起床するという内容の夢(実際はまだ眠りの中)では夢の夢を見たことになる。
「露と落ち 露と消えにし わが身かな なには(浪速)のことも 夢のまた夢」露のように生まれ、露のように死んでいく、私の人生であったなあ。色々なこと(大阪で過ごしたこと)もまるで夢の中のことのようだ / 豊臣秀吉の辞世の句。

●辞世の句
足利義政 / 何事も夢まぼろしと思い知る 身には憂いも喜びもなし
三村勝法師丸 / 夢の世に幻の身の生れ来て 露に宿かる宵の電(いかづち)
織田信長 / 人間五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻のごとくなり
         一たび生を得て 滅せぬもののあるべきか (「敦盛」)
明智光秀 / 順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢覚め来れば 一元に帰す
柴田勝家 / 夏の夜の夢路はかなき跡の名を 雲居にあげよ山郭公(やまほととぎす)
豊臣秀次 / うたたねの夢の浮世を出でてゆく 身の入相の鐘をこそ聞け 
豊臣秀吉 / 露と落ち露と消えにし我身かな 難波の事も夢のまた夢
徳川家康 / 嬉しやと二度さめて一眠り うき世の夢は暁の空
小堀遠州 / 昨日といひ今日とくらしてなす事も なき身の夢のさむる曙
貝原益軒 / 越し方は一夜ばかりの心地して 八十路あまりの夢を見しかな
高橋お伝 / 嬉しきも憂きも夢なり現なり さめては獄屋看ては故里    
夜嵐お絹 / 夜嵐の覚めて跡なし夢の花 
幸徳秋水 / 爆弾のとぶよと見てし初夢は 千代田の松の雪折れの音
電児     / 春の陽に肩のお神に子守唄 閻魔いぶかる夢見の話
瀧善三郎 / きのふみし夢は今更引かへて 神戸が宇良に名をやあげなむ
木付統直 / 古へを慕うも門司の夢の月 いざ入りてまし阿弥陀寺の海 
黒川隆像 / 夢亦是夢 空猶是空 不来不去 端的の中に在り 
三浦義意 / 君が代は千代に八千代もよしやただ うつつのうちの夢のたはぶれ 
 
 
 

 

●悪夢 
コロナ高止まり 都議選混戦 オリンピック開催 
コロナ感染爆発  総選挙惨敗

●悪夢 (あくむ)
いやな恐ろしい夢。また、不吉な夢。「悪夢にうなされる」。夢としか思えないような、思い出すのもいやで恐ろしい現実のたとえ。「戦争の悪夢」。
睡眠中に、鮮やかで生々しい夢を見て強い不安、恐怖、生命の危険などを感じてうなされて覚醒する現象。覚醒後に夢の内容をくわしく話すことができることが睡眠時遊行症(夢遊病)や睡眠時驚愕症(夜驚症)と異なる。

●よく見る夢に隠された深層心理
真っ逆さまに落ちていく。歯が抜ける。大事なプレゼンテーションがある日に寝坊する。そんな夢を見て目が覚めてパニックになり、あぁ、ただの夢だったのかと気づく、ということは誰しもあるはず。でも、いったい、そういう夢にはどんな意味があるのだろう?
「夢は潜在意識的な思考です。その日の思考の続きなのです」と説明するのは、夢分析者の資格を持ち講演も行っているラウリ・ローエンバーグ。睡眠中も、脳は一晩に5つほど夢を見ている(そう、覚えていなくても)。明かされていない潜在意識がたくさんあるということだ。そして、夢はそれぞれ別個のものだが、ある特定の象徴的なパターンを踏襲する傾向にあるという。
そこで、ローエンバーグと、心理学者のウィリアム・ブラウン博士に、次のようなよくある13の夢に隠された深い意味を説明してもらった。あなたが見る夢にはどんな意味があるのか、チェックしてみて。
夢1 / 学生に戻って、試験を受けている
普通、この夢は仕事と関係していると、ローエンバーグは言う。「学校は、人生で初めての仕事の意味」と、ローエンバーグは指摘し、仕事でたいへんなことが待ち構えている時によく見る夢だと加える。「新しいクライアントをゲットしようとしているとか、査定の時期だとか、昇進しようとしているとか、自分がテストされていて、実力を証明しなければならない時ですね」。大事なことは? 「夢の中で、どんな気持ちでしたか? 準備できていましたか?(実際の心を映す)鏡のようなものなのです」と、ローエンバーグ。
夢2 / 誰であれ、とにかくセレブリティと一緒にいる
出てくるセレブがデタラメだと思っても、そのセレブがあなたの潜在意識にあるからには理由がある。IMDBで見たとか Spotifyで聴いたことがあるとか、究極にはその人物に何か大事なところがあって、現在の自分と関わっているのだ。「その人物と過去に何で関係があったか、自問自答してみてください」と、ローエンバーグ。「そのセレブが出ていた映画を観たとか、曲を聴いたとか。映画のタイトルや曲の歌詞にメッセージがあるかもしれません」メッセージは、そのセレブリティの人格と関わる何かである可能性もある。「夢の中で、あなたたちが友人になっているとしたら、あなたがそのセレブを好きだと思う部分が、実はあなたが自分自身の好きだと思っているところと同じなのです」と、ローエンバーグ。「自分のそういうところに気付いてほしいと思っている部分なのです」
夢3 / パートナーが浮気した
「あなたが、今の交際か過去の交際で浮気をしたことがあれば、これは繰り返し現れます。自分自身の中で争点になっているからです」と、ローエンバーグ。覚えておきたい大事なことは、夢は予言ではないということ。「もし、(交際相手と)信頼関係に問題がなければ、これは思いがけなく見た夢で、パートナーが浮気しているという意味ではありません」。その代わり、第三の原因となるものがあるかもしれない。「あなたの時間を取り、注意を奪っている何かがあります。それは仕事かもしれないし、ゴルフや友人、生まれたばかりの赤ちゃん……など、自分の時間や注意を巻き上げられているとあなたが感じている何かです」究極には、あなたの潜在意識の中でパートナーがしたことに腹を立てて目が覚めたりしない限り、この夢はポジティブなもの。「直す必要があることを知らせているのです」と、ローエンバーグ。「あなたとパートナーが夜デートに出かけるとか、ゴルフに出かけるのを控えるとか、何でもいいのです」
夢4 / 大事なことに遅刻しそうになる
あなたの仕事が締め切りに追われるタイプである場合、これはかなり自明の夢だと、ローエンバーグ。そうでなくても、自分が課したスケジュールに問題がありそうだ。「おそらく、痩せたいとか、ある特定の日までにキャリアであるレベルに到達したいなどですね」とのこと。
夢5 / 妊娠した
子供を持とうと思っていないとしても、これはポジティブな夢だとローエンバーグは言う。「あなたの中で何かが成長しているとか発展しているということの反映だからです」。昇進に向かって仕事に新しいアイディアが浮かんだとか、実は「学位取得のための勉強をしているとか、新しい恋愛が始まろうとしている時に、この夢を見る女性は多いのです」とのこと。
夢6 / 崖っぷちに立って、突然、無の空間に落ちていく
「落ちていくという夢は、コントロールできないとか何かに圧倒されている気分と関係しています。支えがないとか不安な気持ちと関係しているかもしれません」と、ブラウン。足元から床があがってきて落ちる夢を見るとか、異なるバリエーションの時は、解釈は違ってくる。「悪魔はディテールに宿ります。落ちるということを一般的に解釈することはできるかもしれませんが、一番大事なのは、その夢を見る人個別の特性があるということ。例えば、ある人にとっては、“失脚”を思う人がいるかもしれません。簡単に言えば、落ちる夢はよくあることでありながら、ディテールはケースによって様々だということです」
夢7 / 声が出なくなり、助けを求めることも叫ぶこともできない
「これは単に夢に過ぎないかもしれませんが、睡眠マヒの結果かもしれません」と、ブラウン。「レム睡眠の時に夢を見ると、体はレム弛緩という自然なマヒ状態を経験します。生理学的に、人間はレム睡眠中は体がマヒ状態になって夢を見ている間に体が動くのを防ぐのです。睡眠マヒを経験する人は通常、レム催眠が終わる前に目を覚まします。この睡眠と覚醒の間のスペースが、夢として経験されることがあるのです。また、覚醒している状態の時に、動けないとか、話せない、場合によっては呼吸できないという経験をすることもあります」
夢8 / 公衆の面前で裸になっている
「こういう夢は決まり悪さや恥といった気分が付随していることが多いですね」と、ブラウン。「弱さや、さらけ出すという気分と関連していることもあります」。しかし、ヌードになって恥ずかしさを感じていないなら、まったく逆の場合も。「そういう人は、見られたい、認知されたい、あるいは褒められたいと思っているのです」
夢9 / 突然、歯が抜ける
あなたは心配性? それなら、抑え込んだ心配が夢になって現れたのかもしれない。「これは、その人が潜在能力や能力、精神力、パワー、“世の中にくらいつく”能力を気にしていると見ることができるかもしれません」と、ブラウン。これは、変化や移行の時に関連してよく見る夢でもある。
夢10 / 追いかけられる
誰に追いかけられているかによる。「怪物に追われている人は多いですね。怪物というのは、無分別な言動や中毒、借金などの現れかもしれません」と、ブラウン。知っている人に追いかけられるという不幸な夢(あるいは悪夢)の場合は、違う意味も。「あなたを追いかけている人とあなたがどう関わっているかということのほうが、追いかけている人物そのものよりも、もっと洞察に満ちていることが多くあります。夢に出てくる人物は、他の人の代理であったり、私たち自身の特徴の置き換えであったりすることもあることを覚えておいてください」
夢11 / 1日の様子や、いま眠りについた場所についての夢を見た
「これは、“日の残り”の好例です」と、ブラウン。「その日、夢を見る前に起こったことが夢の中で使われることはよくあります」と、ブラウン。人は、その日考えたことや見たことから夢を作ることがよくあるのだ。
夢12 / CEOや大統領、王や宗教家など、権力を持つ地位にいる
「表面的には、権力を持つポジションにいる夢を見ることは壮大です」と、ブラウン。「しかし、権力を持つポジションにいる夢を見る人のほとんどは、そういう地位にはいない人です。すなわち、夢の世界で、夢が権力を持たない夢想家を逆の存在にしてくれているのです。壮大に見えることは、実は代償です。夢が、力がないという気持ちを補償して(あるは隠して)いるのです」
夢13 / 考えられないくらいエレガントなディナー・パーティーに出席している、あるいは亡くなった家族と一緒にいるなど、不可能な(ポジティブな意味で)シナリオの夢
この種の夢は、他の詳細にエレガントな夢と並んで、現実をファンタジーで補填する必要があることを象徴している。「晩餐会の夢を見るのは、ご飯を食べ損なった空腹を満たそうとするものです」と、ブラウン。「今は亡き愛する人の夢は、その人を生き返らせようとする手段なのです」  
 
 
 

 

●後は野となれ山となれ 1
目先のことさえなんとか済めば、あとはどうなってもかまわない。
目先のことさえ解決できれば、後はどうなってもかまわないというたとえ。
後のことは、野になるならなれ、山になるならなれ、という意から、当面のことさえ片付いてしまえばどうなってもかまわないということ。自分はするだけのことはしたのだから、後のことは知ったことではないという開き直りの気持ちを込めて使う。勝手にしろとばかりに居直るとも言えるし、場合によっては潔く見えることもある。
「後は野となれ山となれ」は慣用句としてだけでなく、単体でことわざとしても使われます。今現在、目の前にある問題が最優先であり、それさえ解決できれば後のことはどうなっても構わない、という意味合いです。
語源
江戸時代に活躍した近松門左衛門の作品、浄瑠璃「冥途の飛脚」に「野となれ山となれ」の元となるような一説が登場します。飛脚問屋の忠兵衛が顧客の大金を横領し、罪人となって逃亡する場面です。
「栄耀栄華も人の金 はては砂場を打ち過ぎて あとは野となれ大和路や」
忠兵衛は他人の悪口を耳にして激怒し、その衝動でお金を横領してしまいます。恋に落ちた遊女を解放して共に暮らすという願いがあり、そのためには大金が必要だったのです。結果として、忠兵衛たちは捕まれば死罪となる罪人として追われることになります。
「その後は野となって構わない、大和路よ」。そんな語りの言葉が「後は野となれ山となれ」の語源となったといわれています。衝動的とはいえ、行動を起こしたことへの悔いはなく、後はどうなっても構わないのだという覚悟や潔さすら感じさせますね。ちなみに余談ですが、語源に関してもうひとつ。畑などで作物を収穫した後はそこが野山のように荒れようと構わない、という自分勝手な人物の話が、慣用句「野となれ山となれ」を生んだともいわれています。
類義語 「旅の恥はかき捨て」
旅の恥はたとえかいてもその場限りであることを表す慣用句です。見知らぬ旅先には自分を知る人がいないため、普段と違う言動をとって恥をかいても受けるダメージは小さい、ということですね。「後は野となれ山となれ」の完全な同義語とは言えませんが、類義語として共通するのは「後先を心配する必要がない」という状況です。後のことはどうなっても構わない「後は野となれ山となれ」の一つの理由として、「旅の恥はかき捨て」が挙げられるともいえるでしょう。
対義語 「立つ鳥跡を濁さず」「飛ぶ鳥跡を濁さず」
物事の引き際は美しくあるべきことを表す慣用句です。水鳥が飛び去った後の水辺は濁らないことから、立ち去る時は自分のいた場所に痕跡を残さないよう整えるべきであるという意味合いを含みます。「野となれ山となれ」の引き際はどちらかといえば投げやりで、決して美しいといえるものではありません。この点において「立つ(飛ぶ)鳥跡を濁さず」は「野となれ山となれ」の対となる表現であるといえるでしょう。  

●あとは野となれ山となれ 2
朝から満員電車に揺られ 足を踏まれ もみくちゃにされ
やれやれ やっとの思いで職場に着いて コーヒーを入れてブレイクタイム
息をつく間もなく テレフォンが鳴る がなる お客様 荒ぶってる
必死に対応 現場に急行 こんな週6じゃクマも取れないわ!
   嫌になっちゃうよ たまに すべて辞めたくなるけど
   家族の為、愛する人の為、自分自身の未来の為に
   たまに文句は言うけど 挫けず 腐らずに頑張る
   君を見てるよ 僕は知ってるよ その背中を支えさせてくれ!
毎朝5時半に目覚ましをセット 月から土 怒涛の「鬼のフルセット」
15時間の勤務 運ぶ鉄パイプ 汗だくになって働いてるのに
家に帰れば本物の鬼の登場 少しは家事を手伝いなさいと
敵いません!叶いません!構いません! ヘソクリ 3万貯まったもん!
   嫌になっちゃうよ たまに すべて辞めたくなるけど
   家族の為、愛する人の為 ・・・
学生も頑張ってるもん!主婦だって頑張ってるもん!
会社員だって、アルバイトだって 職人も頑張ってるもん!
それぞれ分野は違うけど 自分の場所で日々戦ってる
僕も頑張る!君も頑張る! みんなで共に頑張ろう!
   嫌になっちゃうよ たまに すべて辞めたくなるけど
   家族の為、愛する人の為 ・・・  

●あとは野となれ山となれ 3
透明に成りたい春よ 絵空事を叫びたい夏よ
眼差しよ硬くなれ 夢そのものに
今こそ選ぶとき そこで裂ける 夢 現実
あとは野となれ山となれ 砂漠となれなんとなれ
輝いて怒れる秋よ 取り替えのきかない冬よ
唇に凍り付け このとき
ここで終わらせる 砕け散った純潔を
あとは野となれ山となれ 砂漠となれなんとなれ
あとは野となれ山となれ 砂漠となれなんとなれ
   星になり海になり 風になり砂になり
   辿りつく同じ場所 無限に夢幻のこころ
   あとは野となれ山となれ 砂漠となれなんとなれ
   あとは野となれ山となれ ・・・
何にも無くなるまで  ・・・ 

●「後は野となれ山となれ」は本当か 4
「ことわざの「後は野となれ山となれ」のように、森林は伐採しても、自然に山(森)へと戻るのか――。そんな研究を森林総合研究所(茨城県つくば市)が約40年間にわたって続け、このほど調査結果を公表した。一般的に天然林は伐採しても自然に再生すると考えられてきたが、どの程度の時間をかけてどのように再生するかは科学的に検証されていなかったという。そこで森林総研は新潟県湯沢町の国有林内にある「苗場山ブナ天然更新試験地」で、67年から2008年までの41年間、再生のメカニズムを調査した。77年まではササを減らすための刈り取りや除草剤散布を行い、78年にブナをすべて伐採して、その後芽生えたブナがどう成長するかを分析した。結果、ササの高さはいったん低下したが、ブナ伐採後は以前より高い約2メートルに。一方、ブナはササを超えられず、1メートル以下にとどまるか途中で消えてしまった。30年たった08年でも再生の兆しはみられず、最近の変化も確認できないという。」
周りの山を見ていると、「やっぱりなあ」と思うような結果ではあります。このあたりではササ(笹)ではなく竹ですけど。 
山の手入れをしないと、竹がはびこります。短期間で急速に高さを伸ばす竹は、林の最上部に葉を広げ、成長の遅い木々は竹の下で日が当たらず枯れていくというプロセスが、全国で絶賛進行中。ササは竹ほど高くはならないけど、木の更新が不可能になるという点も考慮にいれれば、樹林がササ原やタケ林に移行していくという意味で同様。
昔はタケノコを掘ったり、竹細工に使ったり、それなりに竹の需要もあったでしょう。さらに。当時は薪や木材として山木は非常に価値がありましたから、その育成を妨げる竹や笹は、山仕事での駆除対象だったでしょう。
それが、安価なプラスチック製品が出回り、山木の需要もないため、山仕事がなくなって現在に至っています。山が笹や竹で覆われていくさまは、風の谷のナウシカに出てくる「腐海」のようでもあります。その進行を止めるには、タケはササより更に厄介です。
「モウソウチクは地下茎による栄養繁殖で拡大するため、効果的な拡大防止法としては、地上部を全て伐採し、地下茎を掘り起こして栄養供給を完全に絶つこととされる。しかしながら、広範囲にわたる急傾斜な竹林の伐採では、地下茎を掘り起こす作業は費用や労力の上で極めて大変なことから、地上部の伐採のみで終始することがほとんどである。一方、林冠を欝閉していたモウソウチクが皆伐により無くなることで、裸地に近い状態となり、すでに地下茎を張り巡らせていたモウソウチクの再生が活発に起き、竹林伐採後の林種転換として目標とされている広葉樹林に自然に到達することは考えにくいという。」
森林総研の担当官は「一度ササの茂る『野』になってしまうと、自然にブナの『山』へと戻るのは難しいことが分かった。近年はスギの伐採後、自然に広葉樹が芽生えて育つことが期待されているが、今回のようにブナの種子が豊富に落ちてくる環境でもうまく成長できなかったので、かなり厳しい」と分析されています。
竹の山や笹の山を放っておいても広葉樹の森に戻らない。もし戻そうとするなら、相当の手間と時間と金が必要になりますね。
オババ「腐海を止めるためには、竹の地下茎も根こそぎ取らねばならぬ」
ナウシカ「そんなの無理よ。だって人手も予算もないのだもの。第一、山仕事ができるオジジだってもういないわ」
ユパ「さよう。もとの自然の状態に戻すと言えば美しいが、実はもはや現代人が腐海の増殖を止めることは非現実的なのじゃ。部分例外はあれど大半は「持続不可能」という意味でな。もはや我々は好むと好まざるとにかかわらず、外来種を含む新しい自然体系を、受け入れ共生する道しかないのだ」
・・・とか思いました。 
 
 
 

 

● 「冥途の飛脚」
近松門左衛門 浄瑠璃
「栄耀栄華も人の金 はては砂場を打ち過ぎて あとは野となれ大和路や」
冥途の飛脚
 
 
 

 

●一か八か 1
結果はどうなろうと、運を天に任せてやってみること。のるかそるか。「よし、一か八か勝負してみよう」。ばくちの用語で、「一か罰か」でさいころの目に一が出るかしくじるかの意とか、「丁か半か」の「丁」「半」の字の上部を取ったものとかいう。
結果が思いどおりになるかどうか見通せない状況だが、せっぱつまって、運を天にまかせ思いきってやってみること。のるかそるか。また、二つのうちのどちらであるか。カルタ賭博から出た語という。[使用例] 賭博かけのとことんの味は、丁か半か、一か八かの簡単な勝負だけだと言いますから、それまでの手続きに麻雀で言えば複雑なガメリがあったりトランプ遊びの微妙な手くだがあったり…するのは、面倒なわけでしょう。[解説] 語源については、「一か罰か」で、骰さ子いの目に一が出るかしくじるかの意とする説や、「丁か半か」の「丁」「半」の字の上の方を取ったものとする説があります。
(カルタ賭博から出た語) 1 結果がどうなるか予想のつかないことを、運を天にまかせて思いきってやってみること。のるかそるか。浄瑠璃・小栗判官車街道(1738)道行「一か罰(バチ)かの仕上を見るも」。2 二つのうちのどちらであるか。浄瑠璃・嵯峨天皇甘露雨(1714)二「青馬(あをむま)の腹へなど、生れては行れぬか、但し釈迦になられたか、いちかばちかが知りたい」。  

●一か八か 2
一か八かとは、確実な勝算はないがうまくいけば大きな見返りが期待できる仕事や勝負に臨む際の心持ちをいった言葉で、「一」と「八」は、一説には、丁半博奕の「丁」と「半」という漢字の上部を取ったものといわれる(非合法なギャンブルだけに、隠語の作り方もややこしいのである)。
「一か八か」は、人生の大勝負に臨む際に用いられる言葉であるが、丁半博奕を語源にしているとしたら、その勝率は50%であり、通常のギャンブルの中ではむしろ安全な賭けの部類に属する。そんな一発勝負で大きな利益が得られるなら、だれもが「一か八か」の賭けをしたくなるのは無理からぬところだが、勝率50%と考えているのは実は本人ばかりであり、客観的な勝率はよほど低い勝負に臨んでいるというのが「一か八か」の現実ではないかと思われる。

●一か八か 3
「一か八か」は結果はどうなろうが、運を天に任せて勝負を試みるという意味の慣用句です。かけごとから生まれた言葉といいますが、サイコロを使ったかけごとで「一か六か」ならイメージできますが、「八」はどこから発生した言葉なのでしょう?
いくつか説がありますが、有力なものは、サイコロを使ったかけごとの言い回しである「丁か半か」の「丁」と「半」それぞれの上部をとったもの、という説です。漢字の一部分を数字に言い換えるとは、考えたものです。ほかにも、同じくかけごとにおいていわれる「一か罰か」(サイコロで1が出て成功するか、失敗するか)を語源とする説。また、かるたを使ったかけごとが語源という説もあります。これは三枚の札を引き、合計点数の末尾一桁の数字で勝負するかけごとで、9が最高点。2枚引いて手元の合計点が9になっているが、ルール上、もう1枚引かなければならないとき、出てくる札が点数に関係ない「釈迦の十」という札であることを祈って、「一か八か釈迦十か」というセリフが生まれたらしく、これが「一か八か」の語源とする説もあります。
かけごとが語源となった数字の入った言葉には、ほかにも「三下」があります。かけごとをする者たちの中で、下っ端の者を指して「三下奴(さんしたやっこ)」といい、この略語が「三下」です。またかけごとをしていなくても、とるに足らない者を「三下」といいました。サイコロの目が三以下だと勝てる見込みがないことから、生まれた言葉だといいます。  

●一か八か 4
運を天に任せて大変危険な賭けや大勝負をするとき、「一か八か……やってみるか」と口をついて出るこの言葉。語源をたどると、カルタ賭博に行き着く。「一か八か釈迦十か」と言いながら札を引くのが本来のシチュエーションらしい。
「釈迦十」とは「釈迦の十」と呼ばれる札で、数に関係しない不札。ここでちょっと「おいちょかぶ(八九)」という花札の三枚遊びの賭博を知る必要がある。
順に三枚の札を引いて、その総計の末尾が九になると最高点を獲得する。手元にすでに一と八の札がある場合、もう札は必要ないにもかかわらずルールでは三枚目を引かねばならない。そのとき、数に関係のない「釈迦十」という札を欲しがるのだ。そこでギャンブラーの口をついて出るのが、「一か八か釈迦十か」というせりふ。しかし、これもいくつかある語源説の一つである。
「一か罰か」という説もある。この場合は、さいころ賭博。つぼ皿で伏せたさいころの目が一と出るかそれとも罰になって、失敗に終わるか……という意味だそうだ。
今一つの説は、丁半賭博から出ている。「丁」と「半」それぞれの字の上部の画「一」と「八」からとって「一か八か」が生まれたとも言われている。
これらの中では、花札賭博を語源とする説が有力のようだ。
「一か八か」という表現は、歌舞伎や浄瑠璃にも取り入れられ、賭博場に限らず、いろんな場面に浸透していった。
ほかにも似た表現がある。「一か六か」は、さいころの目の数で、一が出るか六が出るかで、勝負を決めたのである。
「伸るか反るか」も、成功に終わるか失敗に終わるか、運を天に任せるときに、口をついて出る言葉。これは、長く伸びたり、反ったりする動作にもとづく表現で、「のるかふぞるか」あるいは「のるかふんぞるか」とも言われる。「ふぞる」「ふんぞる」は「踏み反る」の変化したものと思われる。

●一か八か 5
欲しくて欲しくて どうにもまるで消化しきれない炎上
出来れば降ってこいなんて ぬかしてんじゃない
   一か八か 合間はノーサンキュー
   裏返したい今日があるなら
   マルかバツか 飛び込めアンビシャス
   賽の目に光る明日を 賭けてみろ
見つめて見つめて どうにでもなってしまいそうな位の感情
二人は運命だなんて なまけてんじゃない
   一か八か 合間はノーサンキュー
   代えのきかない人がいるなら
   マルかバツか 飛び出せアンビシャス
   その目に光る愛を 賭けてみろ
一か八か 合間はノーサンキュー
裏返したい今日があるなら ・・・
 
 
 

 

●衆院解散総選挙はいつ? 5/7
シナリオ1 東京都議選と同日の投開票 (6/22 公示〜7/4 投開票)
現在考えられる最も早い投開票は、東京都議会議員選挙との同日選挙です。東京都議会議員選挙は6月25日告示・7月4日投開票と決まっていますから、同日選挙とする場合には6月22日公示となります。
東京都議会議員選挙との同日選挙を最も望んでいるのは、自民党東京都連です。3月18日には、東京都連の大御所議員でもある下村博文政調会長が「菅義偉首相の立場で考えれば、選択の幅として都議選と一緒ということも頭の隅にあるかもしれない」と述べています。前回の都議選では都民ファーストの会の躍進を許した自民党ですが、昨年の東京都議会議員補欠選挙では自民党が4戦全勝するなど勢いはあり、衆院同日選にすることで得票を伸ばすねらいがあります。
一方、最も望んでいないのは公明党でしょう。公明党の石井幹事長は3月18日の記者会見で、「オリンピック直前の時期に全国で選挙を行い、終了後に特別国会を開くことなどを考えると現実的な選択肢ではない」と述べるなど否定的な見方を示しています。創価学会の設立の経緯から伝統的に東京都議会議員選挙を重要視する公明党ですが、過去3回の都議選では(第一党が民主、自民、都民ファとめまぐるしく変わる中)23議席をしっかり確保してきたことからも、今回も安定的な選挙をしたいという考えが透けます。ところが近年では保守分裂の選挙において公明党が保守系候補から離反する動きが情勢調査などからみられるほか、公明党支持者の高年齢化やコロナ禍における運動力低下も指摘されており、これまでにない厳しい戦いが予想されます。
現実的には、これに加えてコロナ禍の影響を考える必要があります。緊急事態宣言は5月31日まで延長となっていますが、この日までに緊急事態宣言が必ず終わる保障はありません。緊急事態宣言を延長したり区域変更をする場合には、国会への報告が必要となっていおり、現在も宣言の発出や延長、区域変更の場合には衆議院・参議院それぞれの議院運営委員会で事前報告がなされています。仮に6月に入っても延長や区域変更がなされるようなことであれば、報告先となる衆議院が解散していれば(仮に参議院だけに報告をするとしても)立法府への報告が疎かになるということにもなりますから、望ましくない形と言えるでしょう。
シナリオ2 お盆明けの解散総選挙 (8/24 or 8/31 公示〜9/5 or 9/12 投開票)
次の可能性は、お盆明けの解散総選挙でしょう。菅総理は4月23日の記者会見で「総裁としての任期の中で機会を見て、衆院解散・総選挙を考えないといけない」と述べました。自民党総裁選の任期について問われた質問で、自ら衆院解散総選挙に触れたことからも、菅総理は総裁任期中の解散総選挙に前向きなのでは、と捉えられています。
ただ、8月中の衆院解散・総選挙は非常に例が少ないのも事実です。戦後、衆院解散が8月となったのは昭和27年の「抜き打ち解散」と平成17年の「郵政解散」のみです。特に8月6日の広島原爆の日、8月9日の長崎原爆の日、8月15日の終戦記念日の5日間を挟む形での衆院選挙は戦後一度もありません。麻生政権における解散で自民党が大敗した平成21年の「政権選択選挙」も、7月21日に解散したにもかかわらず公示は8月18日と、現行憲法上最長期間(解散から投票まで40日)に設定されました。これは自民党が大敗した東京都議会議員選挙の影響を遠ざけることも理由としてあったほか、やはり原爆の日、終戦記念日を挟む形での総選挙を忌避したいという考えがあったと言えるでしょう。
政府は自治体に対して、コロナワクチンの接種のうち、65歳以上の接種は7月末までに終わらせてほしいと要請を出しています。このことからも、8月上旬に解散をし、8月末からの選挙戦という流れを想定しているのではないか、という推測に繋がっています。
冒頭に戻りますが、菅総理としてはこの形の選挙であれば、総選挙で自民党が勝利(「勝利」の基準をどこに置くのかがまた問題になりますが、「自公で3分の2」などが設定ラインではないでしょうか)し、直近の選挙で勝ったばかりの総裁を変える必要はないという総裁交代不要論に繋げていきたいという思惑があります。衆院選投開票後直後に自民党総裁選を告示すれば、総裁選への立候補見送りが相次ぎ、無投票となる可能性も否定できません。
ただし、ここまで述べてきたことをひっくり返すことになりますが、この日程は東京オリンピック・パラリンピックと日程が重複します。貴重な外交の場でもある東京五輪期間中に、衆院解散総選挙を行うことは現実的に難しいでしょう。そうなると、このシナリオ2は「東京五輪延期もしくは中止」の条件付きシナリオとなるはずです。もちろん、菅総理が東京オリンピック・パラリンピックの開会中に強行する可能性もありますし、更に1週間遅らせて、パラリンピック閉幕直後の9月7日公示〜9月19日投開票とするプランも考えられるでしょう。
シナリオ3 任期満了直前の解散 (10/12 公示〜10/24 投開票)
最後に考えられるのは任期満了直前の解散です。今春には自民党国会議員事務所に以下のような記載がされているペーパーが出回りました。
   ・9月7日 自民党総裁選挙告示
   ・9月20日 総裁選挙投開票日(総裁決定)
   ・9月22日 首班指名
   ・9月27日 解散
   ・10月12日 総選挙公示日
   ・10月24日 総選挙投票日
この日程は、現在の衆院議員の任期を考えれば、理論上最も遅い形での解散総選挙です。総裁選挙を行い、新総裁の誕生(含む、菅総裁の続投)を経て、解散総選挙に臨むことができます。また、パラリンピックの閉幕後に総裁選を行い、その結果を経て解散総選挙となれば、9月は総裁選に関する報道が相次ぐことで、自民党に有利に働くということも言えます。
ただ、鍵となるのは総裁選の行方です。自民党総裁選は、昨年の安倍総裁の任期途中による辞任とは異なり、任期満了によるものですので、党員投票なども行われる見込みです。総裁選には菅総裁も出馬する見込みですが、このほかにも前回出馬した岸田氏、石破氏をはじめ、河野氏、小泉氏らの立候補も噂されていますし、西村氏、下村氏、野田氏らの名前も上がっています。菅総理の内閣支持率は必ずしも高くなく、一時期は急激に低下するような現象も見られたことから、総裁選は総裁選で注目となるでしょう。既に派閥間での牽制もはじまっていますが、これら一連の動きが報道されることが自民党にとってプラスなのであれば、もしくは東京五輪が開催されれば日程上、シナリオ3となる可能性も十分にあるでしょう。
いずれにせよ、シナリオが非常に限られてきたのは事実です。コロナ感染状況やワクチン接種の状況、さらに東京五輪の開催可否というパターンによってこの中のシナリオのどれになるのか、引き続き注目していきたいと思います。  
 
 
 

 

●総選挙後の自民議席「現状維持」に暗雲か? 5/25
国会の会期末が迫る中、政府は出入国管理法の改正案の成立を今国会で見送った。一方で、国民投票法などの重要法案が続々と審議入り。背景にあるのは内閣支持率の急落だ。AERA 2021年5月31日号から。
急転直下の出来事だった。5月18日、与野党で修正協議が続いていた出入国管理(入管)法改正案の成立見送りが決まった。事実上の廃案だ。入国管理を所管する入管庁にとって同法の改正は悲願。どうしても、今国会で改正しておきたかった。
実は6月16日の会期末に向けて国民投票法改正案、LGBTなど性的少数者をめぐる「理解増進」法案、そして、冒頭の入管法改正案が自民党によって提出された。五輪憲章で「性的指向への差別の禁止」を謳(うた)っているオリンピック・パラリンピックを前に、「差別の禁止」ではなく「その理解を増進する」という、とってつけたかのような法案の提出に、立憲民主党などは「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」という一文を加えなければ法案審議には応じられないと徹底抗戦した。
しかし、この修正案を受けて開かれた自民党の関係部会では「道徳的にLGBTは認められない」「法を盾に裁判が乱発する」など参加議員の大多数が反対。特命委員会の稲田朋美委員長は対応に追われた。初めて国会議員でLGBTの当事者であることを公言した立憲民主党の尾辻かな子・衆議院議員はこれらの発言を受け、「だから(差別を禁止するという内容を盛り込んだ)立法が必要なのです」と同日、ツイッターに書き込んだ。
国会会期末近くになって、国民投票法をはじめ保守性の強い重要法案が続々と審議された。その理由について、ある自民党幹部は一連の法案の実際の審議は、次の解散総選挙後に始まると語った上でこう続けた。
「解散総選挙後の国会構成が、現状維持ならともかく、それも雲行きが怪しくなってきた。続落する内閣支持率を浮揚させる武器は、五輪開催とワクチン以外にない。しかし、五輪を開催した結果、今以上にコロナが拡大すれば、取り返しがつかない事態になる。だから数の上で圧倒的優位な今、前に進めたい法案は進めようということです」
しかし、国民投票法改正案については、立憲民主党がテレビやラジオCMの規制のあり方などについて、「施行後3年を目途に必要な法制上の措置その他の措置を講ずる」とする付則をつける修正案を提出。全面的にそれをのむ格好で自民党は修正案を受け入れた。また、冒頭の入管法については、法務省は同法改正案を最後の最後まで成立させようと粘ったが、最終的には廃案になることが決まった。
そもそも、同法改正案は、外国人の収容や送還のルールを見直す内容だった。しかし、3月に名古屋出入国在留管理局の施設で死亡したスリランカ国籍のウィシュマ・サンダマリさん(当時33)への入管の対応が問題化。自民党は立憲民主党など野党が要求したウィシュマさんの収容中のビデオ映像の開示には頑なに応じなかった。実はこのビデオに関しては、与党の法務委員会メンバー内からも「これは相当、分が悪い」との声が漏れていた。それでも、政権の支持率が盤石であれば、野党の要求を蹴ってでも委員会採決を目指しただろう。
決定打になったのは、この最中に発表された時事通信による世論調査だった。菅政権発足後、内閣支持率は最低の「32.2%」という数字を打ったのだ。この数字に自民党内はざわついた。なぜならば、内閣支持率が30%を割り込めば危険水域と言われているからだ。官邸はすぐさま同法改正案を「取り下げろ」と自民党の二階俊博幹事長に命じた。官邸関係者の一人は内情をこう打ち明ける。
「入管法改正に菅義偉総理は最初から関心がなかった。頭の中はコロナ対応と五輪でいっぱい。東京・大阪でワクチンの大規模接種が始まろうとしているのに、こんなことでオウンゴールを決めても仕方がない。よく出来た総理の鶴の一声でした」
この官邸関係者によると、改正法案の見送りはいいが、絶対にビデオ開示はするな、と官邸は念を押したという。よほどの内容なのだろう。奇しくも、入管法改正案見送りが決定した5月18日は、去年、検察官の定年延長を定めた「検察庁法改正案」が反対する世論に押され見送られた日だった。 
 
 
 

 

●都議会

●都民ファ、自民が第1党争い 小池知事の都政運営に影響 5/2
東京都議選(7月4日投開票、定数127)の投開票まで約2カ月となり、各党は準備を加速させている。都議会第1党の座をめぐり、小池百合子知事の下で前回躍進した地域政党「都民ファーストの会」が維持するか、4年前に大敗した自民党が奪還するかが焦点だ。また、自民、公明両党で過半数に達すれば、小池知事の都政運営にも影響を与えそうだ。
各党の公認候補は1日現在で都民ファ45人(現有議席46)、自民59人(同25)、公明23人(同23)、共産党29人(同18)、立憲民主党27人(同7)など。このほか、日本維新の会や国民民主党、れいわ新選組も擁立。無所属を含めて200人超が出馬を予定しており、さらに増える見通しだ。
都民ファは「前回並みの50人規模の候補者を擁立する」(幹部)方針で最終調整している。ただ、「党運営が不透明」などの理由で離党者が相次いだ上、4年前に選挙協力した公明との関係が悪化。選挙実績が少ない1回生が多いことも不安材料だ。
自民は前回60人を擁立したが、「小池旋風」のあおりを受けて過去最低の23人の当選にとどまった。その後、都民ファと組んだ公明と関係を改善し、選挙協力を復活。自公で再連携し、議席奪還を目指す。公明も8回連続の全員当選を確実にしたい考えだ。
共産と立憲は共倒れを防ぐため、1、2人区で候補者調整を進めているほか、維新も独自候補として9人を擁立。現在議席を持たない国民やれいわも、議席獲得に向け準備している。
都議選はこれまで、その後の国政選挙の前哨戦に位置付けられてきた。今回、衆院選の前に行われた場合、選挙結果は菅義偉首相の解散戦略に影響を与えそうだ。
 

●公明、都議選へ焦り 首都決戦、コロナで準備進まず 5/5
公明党が首都決戦となる東京都議選(7月4日投開票)へ焦りを募らせている。新型コロナウイルスの影響で活動が制約され、準備が思うように進まない。連携相手を小池百合子都知事が率いてきた地域政党「都民ファーストの会」から自民党に代えて全員当選を目指すが、苦戦も予想される。
「今後の選挙、自民、公明でしっかり協力して臨んでいきましょう」。公明党の山口那津男代表は4月30日、首相官邸で菅義偉首相と会談した際、次期衆院選や都議選を念頭にこう呼び掛けた。
2017年の前回都議選で公明党は、自民党とたもとを分かって小池氏と連携。都民ファとの協力を前面に押し出し、候補者全員の当選につなげた。
ただ、この後、都議会最大会派となった都民ファとの関係は徐々に悪化。政策調整などがうまくいかなかったためで、公明党の支持者からは自民党との「復縁」を求める声が上がった。
潮目が変わったのは昨年7月の都議補選だ。同日選となった都知事選で小池氏を実質的に支援しつつ、補選では都民ファと対立する自民党の候補を支援した。公明党関係者は「当初と比べ、小池氏と都民ファの距離が開いている」と指摘。「使い分け」とも映るこうした対応はあり得ると解説する。
自民党東京都連と公明党都本部は3月26日の共同記者会見で、都議選での選挙協力を発表。山口代表は4月27日の記者会見で「自公の選挙協力の効果が最大限出るよう対応したい」と語り、全員当選に意欲を示した。
もっとも、楽観はできない。コロナ禍で動きにくいのは各党とも共通しているとはいえ、公明党の強みである強固な組織力を生かせず、支持者を固め切れていないとされる。現場レベルでは自民党側に前回の「離反」へのしこりも残っており、党内には「かつてない厳しい状況」(幹部)との認識が広がる。
小池氏の都議選へ臨むスタンスが見えていないことも不安材料だ。前回のように「小池旋風」が吹き荒れれば苦戦は避けられない。政府のコロナ対応への批判が飛び火する可能性もある。
東京は山口代表のお膝元で、7回連続で全員当選を果たしてきた。公明党関係者は「一つでも落とせば、代表の責任問題になりかねない」と危機感を示した。
 

●東京都議選告示まで1カ月 小池知事の“本命”はどこに 5/24
東京都議選(定数127、7月4日投開票)は6月25日の告示が1カ月後に迫った。前回選では、小池百合子知事が地域政党「都民ファーストの会」を率いて同党を第1党に躍進させたが、今回はいまだに態度を鮮明にしていない。都議選の結果は今後の衆院選にも影響を及ぼす可能性があり、各党はその動向に神経をとがらせている。
「都民を第一に考えて行動される改革派に、エールを送っていきたい」。21日の定例記者会見で、都議選にどのような態度で臨むかを問われた小池氏は、そう答えた。知事与党として自身を支える都民ファーストの会については、都政で大きな役割を果たしていると述べて配慮しながらも、微妙な言い回しで明確な支持を避けた。
小池氏は2017年の前回選で告示約3週間前に都民フ代表に就任し、前面に立って選挙戦を展開。公明党の協力も得て、追加公認を含めて55議席を獲得する大勝に導いた。逆に自民党は議席を57から23に激減させる歴史的大敗を喫した。都政運営の主導権を握った小池氏は投開票翌日、代表から特別顧問に退いた。
今回の都議選を巡る様相は異なる。都民フは党運営に不満を訴えて離脱者が相次ぐなど、4年前の勢いを失った。一方で、自民は公明と選挙協力を結んで着実に準備を進めている。選挙後の勢力図は見通しにくいが、自公で過半数を占める可能性があり、「小池知事は選挙後を見据えて慎重になっている」(都幹部)という声も上がる。
自民は18、19年度、2年連続で都の一般会計予算案に反対するなど小池氏と対立を続けていた ・・・
 

●都議選告示まで1か月 衆院選見据え各党は国政選挙並みの態勢  5/25
東京都議会議員選挙の告示まで25日であと1か月となりました。前回の選挙で第1党となった都民ファーストの会が党勢を維持できるかや、選挙協力を行う自民党と公明党で過半数を獲得できるかなどが焦点で、各党とも10月に任期満了を迎える衆議院選挙を見据えて国政選挙並みの態勢で臨む方針です。
任期満了に伴う都議会議員選挙は、1か月後の6月25日に告示され、7月4日に投開票が行われます。NHKのまとめによりますと、今回の選挙には42の選挙区の127人の定員に対し、これまでに230人余りが立候補を予定しています。このうち都議会や国会に議席を持つ政党や政治団体の公認候補は、現時点で、
   都民ファーストの会が45人、
   自民党が60人、
   公明党が23人、
   共産党が31人、
   立憲民主党が27人、
   日本維新の会が9人、
   東京・生活者ネットワークが3人、
   国民民主党が4人、
   れいわ新選組が3人、
   古い政党から国民を守る党が2人です。
このほかに、諸派や無所属など少なくとも26人が立候補する予定です。
前回4年前の選挙では、小池知事が代表を務めていた都民ファーストの会が追加公認を含めて55議席を獲得して第1党となりました。一方、前回は都民ファーストの会と選挙協力を行った公明党は、今回、自民党と選挙協力を行います。このため、都民ファーストの会が党勢を維持できるかや、自民党と公明党で過半数を獲得できるかなどが焦点となります。また、共産党や立憲民主党なども議席の上積みをねらいます。選挙戦では新型コロナウイルス対策やオリンピック・パラリンピックの開催などをめぐって論戦が交わされる見通しで、各党とも10月に任期満了を迎える衆議院選挙を見据えて国政選挙並みの態勢で臨む方針です。

●2017年東京都議会議員選挙
  政党         得票数  得票率 獲得議席 改選前
都民ファーストの会   1,884,029.850   33.68     49     6
自由民主党           1,260,101.444   22.53     23    57
公明党                 734,697.000   13.13     23    22
日本共産党             773,722.553   13.83     19    17
民進党                 385,752.149    6.90      5     7
生活者ネット            69,929.000    1.25      1     3
日本維新の会            54,016.000    0.97      1     1
無所属                 375,048.000    6.70      6     5

2017/7/2 (平成29年) に執行された東京都議会の議員を選出する一般選挙。 
 

●衆院選の前哨戦と化した東京都議会議員選挙 5/27
衆院選の前哨戦と化した都議選
東京都議会議員選挙が6月25日告示、7月4日投開票の日程で行われます。今回の都議選は、直後の秋には衆院総選挙が行われることが確定しているため、ほぼほぼ衆院選の前哨戦と化しており、その影響もあって春以降は情勢に変化も出つつあります。各政党会派別に東京都議選の情勢をみていきたいと思います。
小池旋風再来にかける都民ファースト
前回、公認49名・推薦7名を当選させた都民ファーストの会ですが、現有議席は46。会派離脱などの動きもあり、今回は一転して厳しい選挙という見通しです。前回初当選組の中で定数3以下の選挙区では都民ファーストにとってかなり厳しい選挙も多いものの、定数4以上の選挙区や当選2期以上の候補者を中心に激戦となっている選挙区も多く、予断を許しません。特にこの1年はコロナ禍という中で街頭演説などといった活動が難しかった候補者も多く、基礎となる組織票も少ない候補者にとっては、戦い方の難しい選挙となっています。前回は小池旋風によって大勝を収めた都民ファーストですが、小池旋風の再来があるのかどうかが終盤に向けての注目ポイントでしょう。
議席復活を狙うも簡単ではない自民党
都民ファーストが躍進した前回都議選までは都議会第1党であった自民党は、前回失った議席を取り戻すべく各選挙区に新人候補者を擁立しています。情勢をみていくと、定数1の選挙区では自民党が優勢なものの、定数が複数の選挙区においては、現職(や元職)と新人の2〜3名を擁立する構図の選挙区において、主に新人候補の苦戦が伝えられています。コロナ対策への不満などによる内閣支持率の低迷などから「ただなんとなく自民」層が無党派層に戻っている現状もあり、支持組織や友好団体からの集票力の弱い新人候補者のうち、特に選挙戦に出遅れた候補者ほど当落線上で厳しい戦いが強いられています。
またも「23議席」死守できるか公明党
都議会公明党は、2009年(民主党)、2013年(自民党)、2017年(都民ファースト)と都議会第一党が目まぐるしく変わる中で、安定して23議席を維持し続けています。今回も都議会第一党が変わる可能性のある中で、東京都議会議員選挙にはこだわりのある公明党がこの23議席をまたも維持できるかが鍵となるでしょう。現状、各選挙区を見る限りでは堅調な戦いを維持していますが、23区を中心に定数3の選挙区などで他陣営候補者の状況によっては互角の戦いになる可能性も未だ残っています。コロナ禍で集会や座談会が開きにくい状況は変わっておらず、都議選告示直前まで緊急事態宣言が延長となる見込みとなったことが、終盤戦に向けてどれだけ影響として出てくるかにも注目をしています。
衆院選前哨戦の煽りを受けつつある共産党
共産党は現有18議席。2017年(19議席)や2013年(17議席)の共産党獲得議席は、2017年当時の民進党(5議席)や2013年当時の民主党(15議席)よりも多く、国政選挙における民進党や民主党に対する逆風によって野党票が共産党に集中する現象が見られました。しかし今回は確実にある衆院選の前哨戦ということから国政野党第一党である立憲民主党の政党支持率上昇もあり、一転として厳しい選挙となりそうです。特に多摩地域における定数3以上の選挙区では、軒並み野党側候補としての立憲民主党候補の追い風によって、厳しい選挙が見込まれそうです。
国政選挙前に躍進できるか立憲民主党
共産党の項で触れたように、衆院選の前哨戦という位置づけになりつつある中で立憲民主党は議席の上積みを狙う形になっています。特に23区はもとより、多摩地域でも新人(・元職)候補が善戦している選挙区が増えています。一方、選挙区や候補者による差が大きいのも事実で当落線上の候補者も多く、衆議院小選挙区の議員(・総支部長)との連携を含め、終盤戦に向けてどの程度支持を広げられるかが鍵となるでしょう。終盤戦にかけて最も変動が大きくなりそうな政党とも言えます。
衆院選を見据えた活動を広げる日本維新の会
東京進出が大きな課題となっている日本維新の会ですが、今回は衆院選前ということもあり、ある程度の候補者を擁立して戦いに臨んでいます。衆院選東京ブロックでの票の上積みのためにも都議選で集票力を確かめて本戦(衆院選)に望むような構図となっていますが、議席獲得の点でいえば前回(1議席)から多少の上積みの可能性がみえてきたような状況です。共産党と立憲民主党と日本維新の会は政治活動期間中における政党カー(街頭宣伝車)による運動も多く確認されており、衆院選を見据えた「支部長と都議候補予定者との連携」による動きが活発化しているのも特徴です。
このほか、れいわ新選組も複数の候補者の擁立を決定しており、国民民主党や古い政党から国民を守る党(旧・NHKから国民を守る党)も候補者を擁立しています。諸派系や無所属候補者の立候補もある東京都議選は、告示直前まで緊急事態宣言が発出されるという異例の展開の中、激しい終盤戦を迎えることとなりそうです。いずれにせよ政党・会派単独では過半数を取る勢いではないことから、公明党との連携(キャスティングボート)による過半数を自民党が取れるのか、それとも都民ファーストの会が小池旋風再来で踏ん張るか、あるいは野党系が衆院選前哨戦の勢いに乗じて躍進するのかにも注目していきたいと思います。
 
 
 

 

 
 
 

 

●コロナ対応 1
非常事態宣言  6/20 まで延長

●新型コロナ 18都道府県の感染状況 5指標7項目(1日時点) 2021/6/3
政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」は、感染状況を示す4つのステージのうちどのステージにあるか判断するための指標として「医療のひっ迫具合」、「療養者数」、「PCR検査の陽性率」、「新規感染者数」、「感染経路が不明な人の割合」の5つを示しています。
このうち「医療のひっ迫具合」は「病床使用率」「入院率」「重症者用病床の使用率」の3つの項目があります。
内閣官房のまとめによりますと、今月1日時点で、緊急事態宣言が出されている10の都道府県と「まん延防止等重点措置」が適用されている県の合わせて18都道府県では、各地で最も深刻な「ステージ4」に相当する項目が多くあります。
なお、病床関連の指標については、自治体の中にはすぐに受け入れることができる「即応病床数」などをもとに、異なる値を公表しているところもあります。
1-1 医療ひっ迫 使用率
まず医療のひっ迫具合です。病床使用率はステージ3が20%以上、ステージ4は50%以上が目安です。
病床全体の使用率は、北海道で60%、群馬県で43%、東京都で33%、埼玉県で37%、千葉県で25%、神奈川県で32%、石川県で58%、愛知県で64%、三重県で31%、岐阜県で54%、大阪府で53%、兵庫県で52%、京都府で45%、岡山県で58%、広島県で68%、福岡県で71%、熊本県で57%、沖縄県で100%です。
1-2 医療ひっ迫 入院率
入院率はステージ3が40%以下、ステージ4が25%以下が目安です。
入院率は、北海道で15%、群馬県で55%、東京都で42%、埼玉県は適用外、千葉県は適用外、神奈川県は適用外、石川県で51%、愛知県は適用外、三重県で43%、岐阜県で61%、大阪府で17%、兵庫県で39%、京都府で22%、岡山県で44%、広島県で36%、福岡県は適用外、熊本県で52%、沖縄県で23%です。
「適用外」については、文末を参照してください。
1-3 医療ひっ迫 重症者
重症者の病床使用率はステージ3が20%以上、ステージ4は50%以上が目安です。
重症者用の病床使用率は、北海道で35%、群馬県で26%、東京都で44%、埼玉県で22%、千葉県で9%、神奈川県で37%、石川県で31%、愛知県で65%、三重県で18%、岐阜県で29%、大阪府で43%、兵庫県で68%、京都府で30%、岡山県で33%、広島県で37%、福岡県で45%、熊本県で44%、沖縄県で100%でした。
2 療養者数
続いて療養者数は、人口10万人当たりステージ3が20人以上、ステージ4は30人以上が目安です。
北海道で139人、群馬県で18人、東京都で34人、埼玉県で22人、千葉県で15人、神奈川県で22人、石川県で37人、愛知県で64人、三重県で17人、岐阜県で34人、大阪府で95人、兵庫県で29人、京都府で37人、岡山県で34人、広島県で47人、福岡県で75人、熊本県で32人、沖縄県で184人でした。
3 検査陽性率
最近1週間のPCR検査などの陽性率です。ステージ3が5%以上、ステージ4が10%以上が目安です。
北海道で7.4%、群馬県で4.7%、東京都で5.4%、埼玉県で3.2%、千葉県で4.1%、神奈川県で6.7%、石川県で2.1%、愛知県で9.7%、三重県で3.7%、岐阜県で5.8%、大阪府で1.9%、兵庫県で5.1%、京都府で4.7%、岡山県で5.7%、広島県で2.2%、福岡県で4.5%、熊本県で11.7%、沖縄県で10.7%となっています。
4 新規感染者数
人口10万人当たりの直近1週間の新規感染者はステージ3が15人以上、ステージ4は25人以上が目安です。
北海道で53人、群馬県で10人、東京都で27人、埼玉県で12人、千葉県で11人、神奈川県で16人、石川県で15人、愛知県で31人、三重県で11人、岐阜県で22人、大阪府で19人、兵庫県で13人、京都府で13人、岡山県で18人、広島県で26人、福岡県で21人、熊本県で14人、沖縄県で126人となっています。
5 感染経路不明者の割合
最後に感染経路が不明な人の割合です。目安の値はステージ3、ステージ4ともに50%です。
北海道で33%、群馬県で32%、東京都で59%、埼玉県で48%、千葉県で57%、神奈川県で52%、石川県で19%、愛知県で45%、三重県で35%、岐阜県で33%、大阪府で56%、兵庫県で50%、京都府で51%、岡山県で36%、広島県は内閣官房がまとめた時点で報告なし、福岡県は48%、熊本県で42%、沖縄県で56%でした。
指標として新たに採用された「入院率」は、すべての療養者に占める入院できている人の割合です。
新型コロナウイルスの患者が増加すると本来は入院する必要があるのに入院できずに自宅や施設で療養する人が増えることから、「入院率」は数値が低いほど、受け入れることができない患者が増えている、つまり医療がひっ迫している可能性があることになります。
ただ、政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」は以下の場合には適用されないとしています。
・療養者数が、人口10万人当たり10人未満の場合。
・新規陽性者数のうち入院が必要な人が発生届の翌日までに入院できている場合です。
・こうした自治体についてはステージの判断は行われません。

●9都道府県の「緊急事態宣言」 6月20日までの延長を決定 5/28
9都道府県(北海道、東京、愛知、大阪、京都、兵庫、岡山、広島、福岡)への「緊急事態宣言」について、31日までの期間を延長し6月20日までとすることが政府の新型コロナウイルス感染症対策本部で決定された。
菅総理は「全国の新規感染者数は今月中旬以降、減少に転じているが、依然として予断を許さない状況。東京、大阪などでは感染が減少傾向にあるが、新規感染者数は依然として高い水準で、大阪などでは病床のひっ迫が続いている。北海道、沖縄は引き続き感染者の増加がみられ、こうした状況の中で延長の判断をした」と述べた。
また、5県(埼玉、千葉、神奈川、岐阜、三重)への「まん延防止等重点措置」についても期間を延長し、6月20日までとした。

●感染状況ステージ指標に「入院率」追加、分科会 2021/4
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会(会長:尾身茂・地域医療機能推進機構理事長)は4月8日、感染状況を評価する指標の見直しについて意見を交わし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の全入院・療養者数に対する入院者数の割合を示す「入院率」を新たに採用する改定案でほぼ合意した。医療機関や保健所の逼迫具合をより早く探知する狙いがある。ステージの判断はこれまで国や都道府県に委ねられていたが、今後は分科会としても見解を表明する。尾身会長は「これを参考に、国や自治体がより連携して必要な対策を遅滞なく打ってほしい。重点措置、緊急事態宣言を出す時期だと確信を持ったときには、専門家として、政治的な配慮を全くせずに、考えを発表すべきだというのが分科会のコンセンサスだ」と強調した。改定案は、各指標の基準のほか、各ステージで実施すべき内容について再度議論し、最終決定する。
入院待機者も加味して病床逼迫を評価
分科会は2020年8月、(1)確保病床の使用率、(2)療養者数、(3)PCR陽性率、(4)新規報告数、(5)(4)の直近1週間と前週の比較、(6)感染経路不明割合――の6項目を指標とし、各地域の感染状況をステージI〜IVで評価する考え方を取りまとめた。このうち(4)に関しては、1週間平均の1日の新規報告数が人口10万人当たり15人以上でステージIII、25人以上でステージIVとしている。ステージIIIの地域では各種「Go Toキャンペーン」の停止、ステージIVの地域では「緊急事態宣言」などの強い対策を求めていた(『重症者用病床50%以上で「緊急事態宣言」検討、分科会が指標作成』『新型コロナ対応の目安、「ステージ」とは』を参照)。
今回の改定案では、(5)を削除し、新たに入院率を加える。入院率の分子は入院患者数で、分母は、入院患者、自宅・施設療養者、待機者の合計。医療機関や保健所の体制が逼迫し、入院できない患者が増える状況を探知する狙いがある。(2)と(3)は一部数値を改める。
尾身会長は入院率を加える理由として「病床使用率だけでは、今回問題になった自宅や施設で療養する人、(入院調整中で)待機している人が考慮されていなかった。新たに入院率というものを加え、より多角的に医療の逼迫状況が評価できる。当然、ステージが上がってくれば分母となる療養者数が多くなり、数値は減ってくる」と説明した。
具体的には入院率40%でステージIII、25%でステージIVという案を検討しており、次回会合で最終的に決定する。この基準について、尾身会長は「過去の傾向を分析して一番妥当なところではないか」と述べた。
また、これらの指標に基づくステージ判断とは別に、「一般医療と両立可能な最大の確保病床数」に2〜4週間で到達すると見込まれる場合には、感染を一定程度でとどめるための強い対策を打つ「サーキットブレーカー」を発動させるよう求めた。厚生労働省は都道府県に対して、「一般医療と両立可能な病床数」を5月中に算出するよう求めている(『2段構えで新型コロナ病床確保、緊急時は第3波の2倍を想定』を参照)。
第3波の教訓生かし迅速な対応目指す
これまで各地域のステージは分科会が決めるのではなく、国と都道府県による総合的な判断に委ねられており、2020年秋の第3波初期には「ステージ判断の主体があいまいで対策が遅れた」との指摘が出ていた。新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正では、それを教訓にステージIII段階での「サーキットブレーカー」を機能させるため、「まん延防止等重点措置」が設けられた経緯がある。
そのため、今後は分科会としても、必要な場合には、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの評価を踏まえ、ステージ判断に関する見解を示し、国や都道府県による「サーキットブレーカー」の発動などを促すことで合意した。
西村康稔経済再生担当相は「より緊急性を理解しやすい指標で、知事と私で見ながら、『もう危ない』と強く背中を押す指標になっている」と述べ、感染拡大を早期に探知する指標として活用する考えを示した。

●コロナ感染者数が減っても、なぜ医療逼迫が続くのか 2021/2
新型コロナウイルスの新規感染者が減りつつあるのに、医療現場の厳しい状態が改善されない。死者や重症者の数は最多、あるいは高止まりの傾向が続き、入院待ちの自宅療養者が亡くなっている。日本は欧米と比べると感染者数が桁違いに少なく、また人口当たりの病床数は世界トップ級なのに、なぜ医療の逼迫(ひっぱく)が続くのか。
重症者が減らず、続く満床状態
緊急事態宣言が1カ月延長された2月8日以降も続く「医療の逼迫」の要因について、聖マリアンナ医科大学感染症学講座の教授で、同大学病院感染症センター長の國島広之氏は2点を挙げた。
まずは、「重症者はすぐには良くならない」こと。國島氏はこう説明する。
「コロナの患者はそれぞれ症状が千差万別で、軽症者と重症者では医療が全く異なる。重症者は入院すると1カ月以上にわたり治療・療養が必要なこともあり、中にはお亡くなりになる方もいる。長期の入院となるケースが多く、ICU(集中治療室)などでかなりの医療スタッフが必要となる。昨秋からの『第3波』で大量の新規感染者が出たが、入院中の重症者が減らないと病床の空きがなかなか出ないので、自宅療養や、病院ではない『宿泊療養』となり、入院待機者が多数となってしまった。このため、新規発症者が減少に転じても、当分の間、コロナ患者の病床は満床状態が解消されず、逼迫した状態が改善されない」
入院待ちの間に自宅などで急に体調がおかしくなり、救急車を頼んでも、ほとんどの病院に余裕がないため搬送先が見つからず、たらい回しとなるケースが続発。入院できずに亡くなることが続いた。
第3波で患者は高齢化した。東京都内では2月に入り、コロナの入院患者の3割超は80歳代以上のお年寄りが占めた。こうした背景について、國島教授は次のように指摘する。
「超高齢化社会を迎えた地域医療では、高齢者の誤嚥性肺炎や老衰は、施設や訪問診療で診ることが多い。しかし、現在のコロナ診療では、家庭内感染や介護施設のクラスター(集団感染)の発生などで、コロナ対応の病床に入院する高齢者が大変多くなった。お年寄りは重症化しやすく、入院が長期化しやすいので、病床が埋まってしまった」
「また、コロナになった際にどのような医療を受けたいのか決まっていないことも多く、老老介護の介護者が感染者となり、濃厚接触者の被介護者の行き場がなくなるなど、様々な問題も発生している」
さらに医療現場で問題になっているのが、患者がようやく人に感染させる恐れがないまでに回復しても、他の病院に転院しにくく、また元の施設に戻れないこと。受け入れ先が院内感染を恐れるためだ。長期入院していた患者はリハビリが必要なケースが多いが、元患者を受け入れる病院・施設は多くない。こうして回復した患者が入院先に留まっていることもあり、入退院の流れが停滞してしまう。
容易ではないコロナ病床の増設
続いて、國島氏は医療逼迫の2番目の要因として、「コロナ病床の増設が難しいこと」を指摘する。
OECD(経済協力開発機構)の2018年のデータでは、人口千人当たりの病床数は13で、OECD加盟国の平均4.7よりかなり多い。それでは、現在の逼迫状態緩和のため、コロナ病床を増やせばいいと思われるが、簡単な話ではない。國島氏はこう解説する。
「コロナ対応病床は看護・介護度が高いため、通常病棟よりも多くの看護師を要する。従って、コロナ病床を増床すると、より多くの非コロナ病床が減少となる。しかし、急患に対応する急性期病院ではコロナ以外で搬送されてくる患者も多く、診療中のがん、心不全などの治療は主治医が継続して行うので、現状をあまり動かせない」
さらに、病院にとってはコロナ病床の負担も大きい。
「コロナ病床を設けるには病院の感染防止上、病床の区分け(ゾーニング)を行い、飛沫対策などのため空調工事も必要になってくる。また、通常の病院では、ほとんどの医師やスタッフが感染対策のN95マスクなどの個人防護具を日ごろ着用することはないので、トレーニングが必要となる。新型コロナウイルス感染症の集中治療を行える医師、看護師、技師などの人材は少なく、育成するにも感染症専門医には3年間の研修が必要であるなど、時間がかかる」
「現在、多くの病院で職員や患者の感染事例、クラスターが発生し、病床単位での閉鎖が起きている。非コロナ病床・コロナ病床ともに、もし院内感染などが起きれば、さらに地域の病床が減ることになってしまう」
日本の病院は8割が民間病院で、東京では約9割を占める。大半の病院は規模があまり大きくない。このため、コロナ病床数を緊急に増やす必要性があっても、経営上のリスクを考え、資金、人材、設備などの点からも応じられない民間病院がほとんどだ。こうしてコロナ増床が可能な病院は、公的病院や一部の民間病院などに限られてきて、コロナ医療は逼迫している。
改正感染症法で対応拒否の病院名を公表
病院同士の連携が極めて弱いことも、医療逼迫度を増す一因となっている。前述したように、症状が回復した患者の転院が難航している。「コロナ患者を受け入れた」と、風評被害を恐れている病院もある。
重症度が改善した患者らの転院調整は、都道府県などの行政が行うべきだが、民間病院への指示・命令は難しく、これまでは協力要請に留まっていた。病院の役割分担が明確になっていない現状が、医療逼迫の改善を遅らせてきた。
その対策として、2月13日に施行された改正感染症法では、知事が医療機関などに感染患者の受け入れ協力を要請し、従わなければ勧告できるようになり、正当な理由なく拒否した場合は、病院名や施設名を公表できるようになった。「これで、一定の力のある病院に要請がしやすくなった」と語る知事もいる。
國島氏は最後に、医療逼迫を改善するため、こう訴える。
「限りある医療資源の中、コロナ感染患者が増加することで医療逼迫が継続すれば、通常の医療もコロナ診療も、いずれも受療できない方がさらに増えることが懸念される。根本的には感染者を減らすことが必要不可欠です」

●コロナ 病床なぜひっ迫するの? 日本は“世界最多”なのに… 2021/1
日本の新型コロナウイルスの感染者数は欧米各国に比べて桁違いに少ない一方で、病床のひっ迫が問題になっているのはなぜなのでしょうか。背景の1つとして日本は、人口あたりの病床数はOECD=経済協力開発機構の加盟国の中で最も多い一方、医師の数は少なく、規模の小さい民間病院も多いことなどから、患者の受け入れを増やすことが難しいことが指摘されています。
首都圏の病床(14日時点)
(東京) 病床のひっ迫具合を示す「現在確保している病床に占める割合」は78.3%です。このうち重症患者用の病床は54.0%です。
(神奈川) 病床のひっ迫具合を示す「すぐに使える病床の使用率」は89.4%です。このうち重症患者用の病床は、94.4%となっています。
(千葉) 病床のひっ迫具合を示す「すぐに使えるよう確保している病床の使用率」は63.9%でこのうち重症患者用の病床では60.6%です。
(埼玉) 病床のひっ迫具合を示す「現在確保している病床に対する使用率」は68.3%で、このうち重症患者用の病床は、59.7%となっています。
(栃木) 病床のひっ迫具合を示す「すぐに使えるよう確保している病床の使用率」は58.8%です。このうち重症患者用の病床は41.3%です。
病床数は“世界最多” 一方で少ないものが…
OECDがまとめた最新のデータによりますと、2019年には1000人あたりの病床数は日本は13.0床で37の加盟国の中で最も多くなっています。
次いで、韓国が12.4床、ドイツが8.0床、フランスが5.9床、イタリアが3.1床、アメリカが2.9床、イギリスが2.5床などとなっていて、急性期の病床に限っても日本は7.8床で加盟国の中で最も多くなっています。
また、病院の数は、4年前の2017年のデータで日本は8412か所と最も多く、100万人あたりで比べても66.4か所と、75.6か所の韓国に次いで多くイギリスの2倍以上、アメリカの3倍以上と多くなっています。病床や病院の数が多い一方で、医師の数はおととしのデータで1000人あたり2.5人と、このデータの中で示された32か国中27位で、ドイツの4.3人、フランスの3.4人、イギリスの3.0人、アメリカの2.6人と比べても少なくなっています。
病床がひっ迫する背景の1つとして、病床の数に比べて医師など医療スタッフの数が少ないことや、感染症対策の設備が整わない規模の小さな民間の病院が多いことなどが指摘されています。
厚生労働省によりますと、新型コロナウイルスの患者の受け入れが可能だとする病院は、公立病院では71%、日本赤十字社や済生会などの公的病院では83%が受け入れが可能としている一方で民間病院は21%にとどまっています。
 
 
 

 

●コロナ対応 2
コロナワクチン接種 1日 100万人

●「接種ペース、加速必要」 44万回なら緊急事態「あと3回」―専門家試算 6/6
新型コロナウイルスワクチンの接種ペースが現状に近い1日約44万回で推移した場合、緊急事態宣言の発令が来年4月までにあと3回必要になるとの試算を、群星沖縄臨床研修センターの徳田安春センター長(臨床疫学)らがまとめた。政府は高齢者への接種を7月末までに終えるため1日100万回を目標に掲げており、徳田氏は「感染収束には接種ペースを現状の2倍以上に速めるべきだ」と指摘している。
試算は徳田氏と神戸大大学院の国谷紀良准教授(数理科学)が、昨年1月14日〜今年4月20日の感染報告者数などを基に実施。1日の新規感染者数が全国で5000人を超えたら宣言を発令し、1000人以下になったら解除すると仮定した。
4月20日時点では、16歳以上の国民約1億1000万人への接種を500日間で終えるのに1日約44万回の接種が必要だった。このため試算では、1日約44万回接種した場合や、その倍の約88万回接種した場合など複数のシナリオを設定。米ファイザー製を使い、従来株よりも感染力が強い英国型変異株の影響も考慮した。
5月下旬以降の国内の接種回数は、1日50万〜60万回前後で推移している。現状に近い約44万回が続くとすると、来年4月までの間、緊急事態宣言が今年7、10月、来年1月の3回必要との結果が出た。
一方、1日約88万回の接種なら、7月末ごろに宣言が必要となるものの、それ以降は大きな感染拡大は起きないとの結論が得られた。
徳田氏は「今後さらに進む大規模接種では、会場での誘導などさまざまな業務がある。非常事態なのでボランティアも活用するなどし、1日100万回接種を達成してほしい」と話している。

●ワクチン陰謀説を信じる人を強く煽る恐怖の正体 6/6
諸外国に比べて出遅れが目立っていた、日本の新型コロナウイルスワクチン接種。菅義偉首相は「1日100万回接種」を目標に掲げ、自衛隊運営の大規模接種センターもスタートした。少しずつペースは上がってきているようにも見えるが、必要な人に行き渡るまでにはまだまだ相当な時間を要する見込みだ。
そのコロナワクチンをめぐる不穏な動きが一部で見受けられる。ワクチンが人口削減のため生物兵器だとする陰謀論や、ワクチンがヒトDNAを改変するといったデマの流布である。パンデミックの初期にコロナによる健康被害や死亡率、あるいは治療や予防に関する誤った情報が拡散され、多くの人々の恐怖心を煽ったのとまったく同様に、今後の感染症対策全般において悪影響を与えかねない。
ワクチンめぐる陰謀論やデマに深入りする人も
ソーシャルメディア上では、「コロナワクチンを接種すると5GやBluetoothに接続される」という説がまことしやかに取り沙汰され、「コロナワクチンは秘密結社が世界支配と人類削減を進める手段だ」と固く信じている人もいる。YouTubeやTikTokなどの動画コンテンツを目にしたことをきっかけに深入りするパターンが目立つ。インフルエンサーが誘導している例も多い。
ある自民党の地方議員は、「ワクチンは殺人兵器」「打つと5年以内に死ぬ」などと主張。自身のフェイスブックでそもそもコロナは「架空のもので、真犯人は『インフルエンザ』や、電子レンジに近い周波数の移動通信システム、携帯電話で使う電波の『5G』」だと断定している。投稿には毎回数百のリアクションが付き、広範囲にシェアされている。
すでに欧米では、パンデミックの初期の時点でこのような「コロナは存在しない」といった認識をコロナ否認主義(COVID-19 denialism)と呼び、ソーシャルメディアを介して感染症対策の弱体化を目論む情報戦の一種とみて、公衆衛生上の危機を助長する恐れがあるとして注意を促していた。
コロナ否認主義の立場からすれば、「存在しないウイルスのためのワクチン」と捉えるしかないのだから、「何が入っているかわかったものではない」となる。それゆえマイクロチップなど(わたしたちの生命を脅かすと思われる諸々の物質)の埋め込みなどがありうると想像され、マイクロソフトの共同創業者のビル・ゲイツなどが黒幕とされてしまうのである。
ここまで極端なものではないが、コロナワクチンに対する不信感を募らせるフェイクニュースも大量に出回っている。
ワクチン接種によって不妊症になるというのがその1つだ。AFP通信は5月16日に、「新型コロナウイルスのワクチンをめぐり、不妊症を引き起こす恐れがあるとの偽情報がオンラインで拡散している」とし、「アメリカでは接種をためらう人も出ており、専門家らはこうした恐怖をあおる主張は事実無根だと説いている」と報じた。
フェイスブックで出回っている最もひどい偽情報の中には、「ワクチンを接種してない女性が接種済みの男性との性交渉により不妊症になる」「接種を受けた人の97%が不妊症になる」といったものまであったとしている(「ワクチンで不妊症に」 偽情報が拡散、集団免疫獲得の脅威に アメリカ/2021年5月16日/AFP)。アメリカ産科婦人科学会やアメリカ生殖医学会などが共同声明で「ワクチンが生殖能力の喪失につながりうるとの証拠はない」と発表したという。日本でもソーシャルメディアを中心に話題になり、日本産科婦人科学会などが似たような文書を出している。
接種と死亡例との根拠のない関連付けも
加えて、ワクチン有害説へと傾倒しかねない接種と死亡例との根拠のない関連付けなども横行している。しかもこれはかなり意図的であるという。
4月28日に欧州連合(EU)が公表した報告書によれば、今年の初めから、とりわけ西側諸国が開発したコロナワクチンを標的に、偽情報を流すキャンペーンが激化したとしている。ロシアと中国のメディアが西側諸国のワクチンに対する不信感を植え付けることを狙って偽情報を流しているとの分析を示した。
重篤な副反応であるアナフィラキシーショックの事例を扇情的に取り上げ、血栓症などの「ワクチンの副作用の可能性を選択的に強調し、文脈情報や進行中の研究を無視」して報じているとしている。要するに、自国のワクチン外交を有利にするための戦略だというのだ。
以上を簡潔にまとめると、1陰謀論、2デマ、3誇張された情報(一部事実を含む)があり、場合によってはこれらが複雑に絡み合っている。そして、少なくない人々がいわばネット情報が真実を語っていると思い込み、フェイクという霧に覆われた陰謀論の森へと分け入っていくのである。
心理的な背景としては、過剰接続の時代において悲観的な情報を追い続ける「ドゥームスクローリング」の日常化と、すべてが自己責任へと転嫁される新自由主義的な価値規範が浸透したことによる「健康不安」の深刻化が挙げられるだろう。
過剰接続の時代とは、スマートフォンの普及と生活環境への定着に伴い、自らの気分や感情そのものを養分にした情報摂取の常態化を意味する。その傾向はコロナ禍で孤立や孤独感が強まることによってますます拍車が掛かっている。
常に悲観的、逆に楽観的な情報ばかりを追う人も
あらゆる薬や治療がそうであるように、ワクチンもリスクがゼロということはありえない。しかし、稀な事例にフォーカスするのを止められなくなる。健康診断の結果、要精密検査となったり、軽い頭痛、または胃痛がしたりするなどといった異変をきっかけに、ネットを検索して「自分は重大な疾患にかかっているのではないだろうか」と思い詰めることは珍しくないことだが、これが公衆衛生政策のレベルにおける健康不安にまで拡張されたと考えればわかりやすいかもしれない。
次から次へとコロナワクチンに関する悲観的な情報ばかりを漁り続けるドゥームスクローリングはその最たるものだが、他方で、逆に楽観的な情報ばかりを漁り続けるパターンもありうる。去年の2月頃に出回った「ウイルスは耐熱性がなく26〜27度のお湯をたくさん飲めば予防できる」というチェーンメールに代表される予防法に関するデマが度々蔓延したのがそれだ。
先日、筆者の知り合いからコロナワクチンが生物兵器だと言って接種を拒否している70代の父親の話を聞いたが、以前はウイルスは乳酸菌で殺せるから毎日ヨーグルトを食べろと力説していたというから、これは恐らく偶然ではない。まさに本人のネガティブな気分や感情が磁力となって、それらの欲求を満たす情報の断片を吸い上げていくのである。
もう1つの健康不安は、近年増大している健康志向と一体化したものだ。
かつて社会学者のジグムント・バウマンは、安心感が得られる仕事や人間関係の寿命が個人の人生よりもはるかに短くなった時代状況に触れ、「明日会うのが確実なのは、自分自身の身体だけかもしれない」と評した。
つまり、極めてセンシティブで気が滅入るような健康不安の深層には、孤立無援に感じられる寄る辺なさと社会的承認を失うことへの恐れがあるというのである。現代の過酷な生存競争のジャングルにおいて、病者のカテゴリーに振り分けられていないこと、健康でいることが唯一頼りにできる身分証明書となっているからだ。
不健康になることは個人の怠慢?
これは昨今健康であることの重要性が巨大化するヘルスケア産業だけでなく、国家ぐるみで盛んに取り扱われていることと無関係ではない。自己責任論の流行に象徴される新自由主義的な規範の内実とは、健康に関していえば、「健康でいることは個人の義務だが、不健康になることは個人の怠慢だ」という暗黙のメッセージにある。コロナに罹患して後遺症のために働けなくなった人々は、多かれ少なかれこのような理不尽に直面せざるをえなかった。
これは賃金の低下や非正規労働の拡大などといった不安定な境遇への転落が本人のせいとされるのと同様、万が一ワクチンによる健康被害が発生した場合も泣き寝入りしなければならないのではないか、という疑念を抱かせるには十分といえる。
例えば、mRNAワクチンがヒトDNAを改変するという不可逆的変化の恐怖を煽る偽情報を支えているリアリティとは、外部からもたらされる未知のリスクによって回復不能なダメージを被ることへの警戒心と恐れなのである。ここにおいてドゥームスクローリングは、健康被害の実態を追求する方向で作用するかもしれない。陰謀論を信じていなくともワクチン忌避を補強する心性が育まれてしまっている面もあるのだ。
昨年10月にイギリス誌『Nature Medicine』に掲載された国際調査で、国民のワクチン接種の許容度が政府への信頼度と相関するという結果が明らかになったが、このことが日本でも悪い形で表れることが懸念されるといえるかもしれない。
情報発信の仕方を含めたワクチンに関する適切なリスクコミュニケーションはもちろん不可欠ではあるが、中長期的にはここ10年、20年でさらに加速したリスクの個人化、何らかのトラブルや不手際によって突然社会的な地位が奪われ、いとも簡単に見捨てられてしまうことへの不安にこそ目を向けなければならないのではないか。

●ワクチン接種が五輪に間に合わない 「1日100万人」でも効果は4〜6週間後 6/5
新型コロナワクチンの接種が少しずつ広がっている。このペースで進むと、東京五輪前にはかなりの接種率になるのではないかという期待感も一部で出始めている。ひょっとして東京五輪は滑り込みセーフで、「安心安全」な大会にすることができるのか。
開幕までに接種率は3割弱の見通し
野村総研は2021年5月31日、ワクチン接種と、その後の状況についての見通しを公表している。日経新聞がその内容を報じている。イスラエルや英米など先行国の接種状況から、以下のことが分かったという。
・1回目接種率が2割前後に届くまでの間に新規感染者数が減少へと転じ始める。
・1回目接種率が4割前後に達したあたりから、新規感染者数の減少傾向が明確になる。
・2回の接種率が4割前後に近づくにつれ、新規感染者数の抑制・低減傾向が強まる。
こうしたデータを日本に当てはめると、1日最大100万回の接種ができることを前提とした場合、五輪が開幕する7月23日段階の1回目ワクチン接種率は約29%。4割に達するのは8月20日、「2回接種率 4割」は最短で9月9日だという。
これは「1日100万回」を前提としているので、回数が増えれば早まる。逆に回数が1日80万回となった場合には、日本が1回目ワクチン接種率 4割に達する日は9月10日までずれ込むという。
かなりのペースで接種が進んでも、実態として「抑制・低減傾向」が明確になる前に、五輪に突入することになりそうだ。
「100%の発症予防効果」は得られない
特に注意しなければならないのは、ワクチンは接種してすぐ効果を表すものではないということだ。厚生労働省がウェブサイト「新型コロナワクチン Q&A」でシビアな現実を伝えている。
Q:ワクチン接種後に新型コロナウイルスに感染することはありますか。
A:ワクチン接種後でも新型コロナウイルスに感染する場合はあります。また、ワクチンを接種して免疫がつくまでに1〜2週間程度かかり、免疫がついても発症予防効果は100%ではありません。
さらに以下のように詳しく説明している。
「ファイザー社の新型コロナワクチンは、通常、3週間の間隔で2回接種します。最も高い発症予防効果が得られるのは、2回目を接種してから7日程度経って以降です。体の中である程度の抗体ができるまでに1〜2週間程度かかるため、1回目の接種後から2週間程度は、ワクチンを受けていない方と同じくらいの頻度で発症してしまうことが論文等でも報告されています。また、臨床試験においてワクチンを2回接種した場合の有効率は約95%と報告されており、100%の発症予防効果が得られるわけではありません」
「武田/モデルナ社の新型コロナワクチンは、通常、4週間の間隔で2回接種します。臨床試験において、本ワクチンの接種で十分な免疫が確認されたのは、2回目を接種してから14日以降となっています。また、ワクチンを2回接種した場合の有効率は約94%と報告されており、ファイザー社の新型コロナワクチン同様、100%の発症予防効果が得られるわけではありません」
「安心安全」への不安が残る
この説明を読むと、ファイザー社製のワクチンは効果を発揮するまでに約4週間、モデルナ社製は「4週間+14日」、つまり6週間かかることになる。1回目の接種が終わってから、1か月か1か月半たたないと、効果が表れないというのだ。五輪開幕までに約3割の国民がワクチンを打てたとしても、その効果は8月末から9月上旬にならないと出てこない。単純に1回目の接種率だけを見て「安心安全」の判断はできないとがわかる。
しかも有効率は94〜95%だというから、20人に1人ぐらいには効かない。接種したから安心だというわけではない。かなりの確率でまだコロナに感染するリスク、感染を広げるリスクが残っている。
米疾病対策センター(CDC)によると、米国でワクチン接種を完了した7500万人強のうち、5814人が新型コロナに感染した。そのうち45%は60歳以上だった。
NHKは日本の状況を報じている。それによると、医療従事者への先行接種が始まった2月17日から4月15日までにワクチンを接種した約185万人のうち、231人に接種後に新型コロナウイルスへの感染が確認された。このうち205人は1回目の接種後だった。接種者に占める感染者の割合は、0.01%となっている。
ワクチンの接種から効果が出るまではタイムラグがあり、しかも100%の効果ではない。6月4日には、大阪市消防局の50代の救急隊員が、1回目のワクチン接種は終えていたにもかかわらずコロナに感染、死亡したと報じられている。海外で使われているアストラゼネカ製や中国製ワクチンの効果はさらに落ちるとされている。「接種済み」ということで来日してくる五輪関係者も少なくないことが想定されるだけに「安心安全」への不安が残る状況となっている。

●ワクチン接種目標「いけそうだ」と菅首相 1日100万回 6/4
菅義偉首相は4日、坂本哲志地方創生担当相と首相官邸で昼食をともにし、新型コロナウイルスワクチンの「1日100万回」接種について、「目標までいけそうだ」と達成に自信を示した。坂本氏が昼食後、記者団に明らかにした。首相は「とにかくやるんだ」とも語っていたという。首相は最近、閣僚と個別に「ランチ会談」を行っている。記者団から「首相は寂しいのでは」と聞かれた坂本氏は、「寂しいということでもなかった」と話した。

●ワクチン接種1日100万回へ猛チャージ、トヨタやホンダなど「職場接種」を検討 6/2
内閣支持率が急落中の菅首相が「国民が安全安心した日常を取り戻せるように全力で取り組む」などと、意気込みながら「1日100万回接種」を掲げて、新型コロナウイルスのワクチン接種に猛チャージをかけ始めたようだ。
政府はワクチン接種について、職場や大学などで行う「職域接種」を6月21日から開始すると発表。米モデルナ社製のワクチンを使う予定で、国や都道府県による大規模接種と、米ファイザー社製を使う市区町村の接種と合わせて、3つの接種ルートができることになるという。
きょうの各紙が報じているが、一部の企業では実施に向けた検討が始まっていることを伝えている。
それによると、トヨタ自動車も実施を検討していることを表明。接種の対象者や開始の時期など具体的な内容はこれから詰めるという。駐在員など海外で働く従業員は現地で接種を済ませている場合があるが、トヨタの従業員数は、単体で約7万人、連結で約36万人。日本最大規模の従業員数を持つトヨタが職場での接種を進めることで接種ペースを速め、コロナの収束につなげたい考えのようだ。
トヨタのほかにもホンダやキヤノン、JR東日本、日本郵船、日本航空、ソニーグループ、コマツ、伊藤忠商事、セブン&アイ・ホールディングス、三菱ケミカルなどの大手企業でも従業員の接種を検討しているという。
一方、トヨタは地元の愛知県豊田市の集団接種の運営に参画。作業のムダを省く「トヨタ生産方式」を生かしているそうだ。朝日が報じているが、接種の作業にかかる時間をトヨタ社員が計測。「手指消毒12秒」「上着を脱ぐのに30秒」などと確認し、接種を受ける人が滞留しにくい動線を設計。来場者に受付書類をカバンから事前に出してもらうよう呼び掛けるなど「カイゼン」を進める、などと取り上げている。
先週、私も地元の区内の接種場所で1回目の接種を受けたが、会場には複数の誘導係員が親切に案内をしてくれて、検温、問診、接種などがスムーズに進んだ。だが、その案内係の人数が異常なほどに多すぎるのには驚いた。「税金の無駄遣い」とまでは言いたくないが、会場内の密を避ける意味でも“カイゼン”の余地はあるようだ。

●ワクチン接種1千万人超える 1日100万回体制急ぐ  6/2
政府は2日、国内で新型コロナウイルスワクチンを少なくとも1回接種した人の数が1日時点で1千万人を超えたとの集計結果を公表した。医療従事者らが465万人、65歳以上の高齢者らが573万人。合計1038万人で人口の約8%に相当する。伊藤忠商事は国内勤務の社員ら約7500人を対象に21日から接種を始めると発表。政府は東北大や広島大など7大学での接種開始に向けて調整を進めており、1日100万回の接種体制構築を急いでいる。
政府によると、2回目も含めた接種回数の総計は1400万回に迫る。医療従事者で313万人、高齢者47万人で人口の約3%に相当する。

●国内のコロナワクチン接種、オリンピック控え加速−2週間で4倍 6/2
先進国の中でも最も遅れていた国内の新型コロナウイルスワクチンの接種が東京オリンピック・パラリンピックの開催を控え、過去2週間で大幅に加速している。
ブルームバーグのデータによると、2月にワクチン接種を開始して以降、接種回数は1321万回となり、7日間平均はこの2週間で4倍に増えた。特に過去1週間内に300万回以上が接種され、接種スピードの加速がうかがえる。1日当たりの接種回数は現在40万−50万回に増え、欧州連合(EU)が4月に行っていたペースと似た水準に達している。
国内のワクチン接種について批判的だった専門家も、足下の動きを好意的に受け止めている。昨年に豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号の感染対処に当たり、過去に日本のワクチン接種のスピードは途上国並みだとコメントしていた神戸大学の岩田健太郎教授(感染症内科)は、「ワクチン接種自体については過去と違いとても良い」と述べた。
5月21日に政府が米モデルナと英アストラゼネカのワクチンを承認したほか、同24日から東京と大阪で自衛隊による大規模接種会場の運営が始まったことも接種スピードの加速を後押しした。
菅義偉首相は5月28日の会見で、接種が先行する他国で効果を発揮していることから「感染を防止し、収束へ向かわせる切り札がワクチン」だと強調。6月中旬以降は1日100万回の接種を可能にする体制を整える考えを示した。
日本では現在、医療従事者と65歳以上の高齢者向けの先行接種が行われている。約1万1000人のコロナ関連死亡者の96%が60歳以上(5月26日時点)。少子高齢化が進む日本の実情に照らしても、高齢者に対する早期の接種完了が待たれる状況だ。
約3500万人の65歳以上人口のうち、これまでに約14%が少なくとも1回のワクチン接種を受けた。政府は65歳以上の高齢者接種について、7月末までに終える目標を掲げている。SMBC日興証券の牧野潤一チーフエコノミストと関口直人氏はリポートで、65歳以上への接種完了は標準的ケースで7月中旬、保守的ケースで8月中と予想した。
一方、東京オリンピックは7月23日に開会する予定だ。菅首相は、観客を入れての開催に「対応することはできる」との認識を示している。
今後ワクチン接種のスピードがさらに加速する可能性もある。加藤勝信官房長官は1日の記者会見で、職場でのワクチン接種について今月21日に開始することを明らかにした。FNNは、「夜の街」での新型コロナの感染拡大を防ぐため、歓楽街関係者を対象としたワクチンの集団接種を行う案が政府内で浮上していると伝えた。
民間企業もワクチン接種を後押しし始めている。楽天グループは神戸市などと連携し、5月31日から「ノエビアスタジアム神戸」でワクチンの大規模接種を開始。トヨタ自動車の地元の愛知県豊田市では、75歳以上の高齢者を対象にした集団接種が同30日から始まり、「トヨタ生産方式」のノウハウを活用した効率的な会場運営に取り組んでいるとNHKが報じた。
田村憲久厚生労働相は5月30日のフジテレビの報道番組で、65歳以上の高齢者接種について「1回目を打てば2回目は予約を入れていただくので、(終了時期が)見えてきますから、その間を空けてしまうと非常にもったいない話になる」と指摘。64歳以下にも柔軟に接種する考えを示した。 

●コロナワクチン1000万回突破でも見逃せない「接種後死亡」の衝撃 5/29
国内の新型コロナウイルスワクチンの接種回数が、28日までに計1000万回を超えた。
政府によると、26日までに報告された総接種回数は計1059万5100回で、内訳は医療従事者向けが約710万回、高齢者向けが約350万回。2回打ち終えた人はそれぞれ約280万人、約20万人だった。
24日からは自衛隊が東京都と大阪府に設置した大規模会場で接種が始まったほか、厚労省によると、27日時点で宮城、群馬、愛知の3県でも大規模接種を開始。菅政権が「1日100万回接種」を掲げているのを受け、他の自治体でも大規模接種の準備が進んでいるが、改めて注意する必要があるのが、ワクチン接種による副反応だろう。
厚労省の「厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会」によると、医療機関などから報告された死亡事例は、2月17日から5月21日までに計85件。このうち、同部会は5月16日までに報告された55事例の評価を実施し、26日に公表している。いずれも「情報不足等によりワクチンと症状名との因果関係が評価できないもの」とされているのだが、各事例の詳細(いずれもファイザー製)を読むと内容は衝撃的だ。
多くは70〜90代の高齢者なのだが、中には若者も少なくない。例えば、基礎疾患のなかった「26歳の女性」は3月19日午後2時にワクチンを接種。アナフィラキシーや体調変化もみられず、職場で普段通りに勤務していたが、同23日午前11時ごろ、脳出血などで死亡。花粉症だった「37歳の男性」は4月5日午後6時に2回目のワクチンを接種し、3日後の8日朝に心肺停止となった。
特筆するべきは「25歳の男性」の事例だ。男性は、4月23日午後4時にワクチンを接種。25日に友人と過ごしていると、立ち眩みや手の震えを覚えたために帰宅。27日に職場に出勤したのだが、言動に怪しいところがみられたという。
その時の男性の様子を報告した資料にはこうある。
<(男性は)終始落ち着かない様子。問いかけに対しても空返事。小声で「ハイ、ハイ」理解しているのか判断できない>
<話しかけるが全て「ハイ」と返答。(略)(男性は)言いたくない、ダメだ、ダメだ。何、やべぇ、最悪、最高です。楽しい、違う、、。(略)誰かの声が聞こえるかと問うと、「ハイ」と>
その後、男性は両親と一緒に車で職場から帰宅するのだが、帰途の高速道路で車から飛び降りて後続車に引かれ、救急搬送先の病院で死亡が確認された。
家族によると、男性は幼少期に発熱時の異動行動が認められたというのだが、まるでインフルエンザ薬「タミフル」でみられた異常行動と同じではないか。
他にも「47歳の女性」が4月27日にワクチンを接種し、5日後の5月2日早朝にトレイで心肺停止状態に。「67歳の男性」は5月9日にワクチンを接種し、10日後の19日にテニスを楽しんでいる時に「卒倒」し、心肺停止となっている。
いずれもワクチン接種との因果関係は不明とはいえ、どう考えればいいのか。医療ガバナンス研究所理事長で、内科医の上昌広氏がこう言う。
「高齢の人はともかく、若い人がワクチン接種後、比較的早い段階で亡くなっていることは注目するべきでしょう。ワクチンの接種容量が多いほど、副反応は出やすいわけで、例えば体重が90キロを超えるような大柄な米国人と、小柄な日本人が同じ容量のワクチンを接種するのはどうなのか。国はきちんと(リスクについて)アラート(警告)した方がいいと思います」
ワクチンは決して「魔法の薬」ではないことを覚えておいた方がいい。

●ワクチン接種1000万回突破 1日40万回、政府目標遠く 5/28
新型コロナウイルスワクチンの国内での接種回数が、28日までに計1000万回を超えた。各地の大規模会場設置などで加速が図られるが、1日当たりでは最大約40万回にとどまる。高齢者への接種を7月末までに終えるため、政府が掲げる1日100万回には遠く及ばない。
政府によると、26日までに報告された総接種回数は計1059万5100回で、内訳は医療従事者向けが約710万回、高齢者向けが約350万回。2回打ち終えた人はそれぞれ約280万人、約20万人で、2月に始まった医療従事者に限っても対象者の4割以上が接種を終えていない。
24日から自衛隊が東京都と大阪府に設置した大規模会場では、それぞれ1日最大1万人、5000人の接種を見込む。厚生労働省によると、27日時点で宮城、群馬、愛知の3県でも大規模接種を開始。準備や検討を進める自治体も多く、大規模接種の動きはさらに広がるとみられる。
全国の1日当たりの接種回数を見ると、4月下旬から10万回を超えるようになり、今月18日には40万回台に到達。26日は約42万回だった。高齢者接種の本格化に伴い増加しているが、それでも政府目標の半分に満たない。
高齢者で1度目の接種を終えた人は約330万人で、対象となる約3600万人の1割未満。残り約2カ月で全員の2回接種を終えるとすれば、平均で政府目標の1日100万回を達成しても届かない計算となる。
自治体からは、打ち手となる医療従事者の確保が難しいとの声が上がる。政府は救急救命士や臨床検査技師も活用する方針だが、思惑通りの接種完了は見通せない状況が続く。

●ワクチン1日100万回実現に禁手 政権のエゲツない実弾投下 5/27
菅首相が根拠なくブチ上げた「ワクチン接種1日100万回」を実現するため、医療現場への“実弾投下”が本格化。診療所に対する報酬大幅増額が始まった。高齢者接種の7月末完了を目指す菅政権の思惑通り、診療所がワクチンを打ちまくればナント、月180万円も上乗せする。危ういのは、患者ネグレクトと隣り合わせの禁じ手となりかねないことだ。
現在の接種1回あたりの報酬は平日・日中で2070円、休日は4200円。休診日を潰して接種にいそしむよう働きかけてきたわけだが、加算分はさらに手厚い。
7月末までに▶週100回以上の接種を4週間以上実施で1回2000円▶週150回以上は1回3000円――を上乗せ。週150回接種を4週間続けた診療所にはガッポリ、180万円が入ってくる。いずれの条件に満たなくても、1日50回以上打てば1日10万円のボーナスという大盤振る舞い。カネに糸目をつけない札びら作戦だ。
もっとも、もくろみ通りにコトが運ぶかどうか。診療所は「〇〇内科」「△△クリニック」などの看板を掲げる医療機関で、常勤の医師は1〜2人が大半だ。厚労省の「医療施設(静態・動態)調査・病院報告の概況」(2017年)によると、全国の診療所数は10万1471施設。従事者数から割り出した1施設あたりの常勤医師は1・01人、看護師は1・36人と、少数精鋭なのだ。
厚労省によると、通常診療を続ける診療所での平均的な接種回数は1日あたり十数回。
東京都瑞穂町の模擬訓練では、来場から接種完了までの所要時間は12分だった。週150回を平日5日間でこなすには1日30回も打つ必要がある。
ぶっ通しで打ちまくっても6時間を要する計算で、とても通常診療はこなせない。
全診療所の協力を得れば「1日数百回」に達するが、ワクチンは管理設備の問題もあり、現実的ではない。仮にカネに目がくらむ診療所が増えれば、季節の変わり目で風邪をこじらせたり、持病が悪化した患者は行き場を失いかねない。
「政府の接種計画はすべてが机上の空論。高齢者の7月末完了にしても、1日100万回にしても、実行できる医療体制であれば報酬の上積みは必要ありません。医療現場にさらに無理を強いて、混乱のタネを増やすのは、いい加減にしてもらいたい」(西武学園医学技術専門学校東京校校長の中原英臣氏=感染症学)
スガ首相のメンツのために大枚をはたくとは、安倍前首相のやってる感より悪質になってきた。

●菅首相、自衛隊ワクチン接種で加速化狙う 100万回目標、疑問視も 5/25
24日にスタートした自衛隊による新型コロナウイルスワクチンの高齢者向け大規模接種。菅義偉首相は、7月末までの高齢者全員の接種完了に向け、1日100万回の接種目標を掲げている。大規模接種センターの稼働で、遅れが目立つ接種作業をてこ入れし、局面打開を狙う。ただ、首相の思惑通りに進むかどうか疑問視する声もある。
「自衛隊らしく整然と接種が行われている現場を見てほっとした」。首相は24日、自衛隊の東京会場視察後、記者団にこう強調。自ら自衛隊活用を指示した経緯もあり、開設に安堵(あんど)の表情を見せた。接種加速化に向け「内閣を挙げて取り組む」と決意も示した。
7月末の接種完了をにらみ、首相が打ち上げた目標は1日100万回接種。「積み上げた数字ではない」(政府筋)といい、高い目標を公言することで、接種の加速化を狙ったものとみられる。
21日時点の1日の接種回数は、医療従事者と高齢者を合わせて約41万回。政府は自衛隊会場に加え、大規模接種会場を独自に設置する自治体に財政支援するなどして、目標を達成したい考え。
しかし、初日の自衛隊による接種は最大で7500回。徐々に回数を増やし、31日からは最大1万5000回に増やすが、1日100万回の達成は容易ではなく、政府・与党からは疑問の声も上がる。
自民党中堅は「できないことは言ってはいけない」と批判。別の同党中堅も「予約の電話がつながらない人がどれだけいると思っているのか」と、現実離れした発言に不満を示す。政府内からも「打つ手がない政権が自衛隊を使ってアピールしているだけだ」と厳しい声が漏れる。
一方、地方の打ち手不足も課題だ。首相は「救急救命士とか現実的に接種している団体と最終的な打ち合わせをしている。打ち手不足のところに派遣できるよう取り組む」と記者団に語った。これに先立ち、首相は日本薬剤師連盟の山本信夫会長と面会し、接種への協力を要請。山本氏は「最大限の協力をさせていただく」と応じた。  
 
 
 

 

●コロナ対応 3
外国人 入国制限

●日本への入国制限
入国に関して
全ての入国者(日本人を含む。)は、出国前72時間以内の検査証明書を提出しなければなりません。検査証明書を提出できない方は、検疫法に基づき、日本への上陸が認められません。出発国において搭乗前に検査証明書を所持していない場合には、航空機への搭乗を拒否されます。検査証明書の取得が困難かつ真にやむを得ない場合には、出発地の在外公館にご相談ください。
上記に加え、引き続き、令和3年1月8日の決定に基づいて、当分の間、入国拒否対象国・地域からの渡航か否かを問わず、全ての入国者(日本人を含む。)は、入国時の検査を実施の上、検疫所長の指定する場所(自宅等)で14日間待機し、国内において公共交通機関を使用しないことが要請されています。
入国者全員に対して、入国時に14日間の公共交通機関不使用、14日間の自宅又は宿泊施設での待機、位置情報の保存、保健所等から位置情報の提示を求められた場合にはこれに応じること等について(別段の防疫上の措置を取ることとしている場合はそれらの事項について)誓約を求め、入国時にこちら(PDF)の誓約書に必要事項を記入の上、提出していただきます。
誓約に違反した場合には、検疫法上の停留の対象になり得る他、(1)日本人については、氏名や感染拡大の防止に資する情報が公表され得ます。(2)在留資格保持者については、氏名、国籍や感染拡大の防止に資する情報が公表され得る他、出入国管理及び難民認定法の規定に基づく在留資格取消手続及び退去強制手続の対象となり得ますのでご注意ください。
なお、誓約書を提出していただけない場合は、検疫所長の指定する場所(検疫所が確保する宿泊施設に限る。)で14日間待機することが要請されます。
上陸が許可されている人
日本政府は全世界に対し新規外国人の入国を拒否しています。
インド変異株B.1.617 指定国・地域からの再入国
インド、パキスタン、ネパール、モルディブ、バングラデシュからの入国・再入国禁止
インドで初めて確認された変異株B.1.617指定国・地域のうち、特に高い懸念があると判断された国・地域に、本邦への上陸申請日前14日以内に滞在歴のある在留資格保持者の再入国は、当分の間、拒否されます。
令和3年5月18日、指定された国・地域は以下の通り
インド、パキスタン、ネパール、モルディブ、バングラデシュ、スリランカ
(注2)指定日の翌日(インド、パキスタン、ネパールは5月13日)までに再入国許可をもって出国した「永住者」、「日本人の配偶者等」、「永住者の配偶者等」、又は「定住者」の在留資格を有する者が、同措置の対象国・地域から再入国する場合は、特段の事情があるものとされます。なお、「特別永住者」については、今回の再入国拒否対象とはなりません。
なお、上記措置に準じ、令和2年8月31日までに再入国許可をもって現在上陸拒否の対象地域に指定されている国・地域に出国した者であって、その国・地域が上陸拒否の対象地域に指定された後、再入国許可の有効期間が満了し、その期間内に再入国することができなかったとして新たに在留資格認定証明書を取得し査証の発給を受けたもののうち,同措置の対象国・地域に本邦への上陸申請日14日以内に滞在歴のあるものについては、当分の間、原則として上陸拒否されます。
上記該当国からの入国者の検疫
当分の間、入国後3日目及び6日目に改めて検査を行い、いずれの検査においても陰性と判定された者については、検疫所が確保する宿泊施設を退所し、入国後14日間の自宅等待機を求めることとする。
変異株B.1.617指定国・地域に該当する国・地域に指定された国・地域
アイルランド、オランダ、ギリシャ、フィンランド、フランス、ポーランド、ヨルダン、英国、カザフスタン、チュニジア、デンマーク
*アイルランド、オランダ、フランス、フィンランド、ポーランド、英国、デンマークについては変異株流行国としてすでに同様の水際強化措置の対象
上記該当国からの入国者の検疫
インドで初めて確認された変異株B.1.617指定国・地域からのすべての入国者及び帰国者に対し、当分の間、検疫所長の指定する場所(検疫所が確保する宿泊施設に限る)での待機が求められます。その上で、帰国後3日目に改めて検査を行い、陰性と判断された方については、検疫所が確保する宿泊施設を退所し、入国後14日間の自宅待機が求められます。
変異株流行国及び変異ウイルスの感染者が確認された国・地域からの入国
すべての日本人帰国者及び再入国外国人に対して、出国前72時間以内に実施したCOVID-19に関する検査による「陰性」であることの検査証明の提出に加え、当分の間、検疫所長の指定する場所(検疫所が確保する宿泊施設に限る。)での3日間の待機が要請されています。
その上で、入国後3日目において改めて検査を行い、陰性と判定された方は、検疫所が確保する宿泊施設を退所し、入国時から14日間が経過するまでの間、引き続き、自宅等での待機が求められます。 但し、帰国時に検査証明を提出できない日本人帰国者に対しては、検疫所長の指定する場所(検疫所が確保する宿泊施設に限る。)で待機した上で、入国後3日目及び6日目において改めて検査を行い、いずれの検査においても陰性と判定された方は、検疫所が確保する宿泊施設を退所し、入国時から14日間が経過するまでの間、引き続き、自宅等での待機が求められます。1月14日より、保健所等から位置情報の提示を求められた場合、これに応ずることを誓約していただきます。入国時にこちら(PDF)の誓約書に誓約いただきます。誓約に違反した場合には、検疫法上の停留の対象にし得るほか
(1)日本人については、氏名や感染拡大の防止に資する情報が公表され得ます。
(2)在留資格保持者については、氏名、国籍や感染拡大の防止に資する情報が公表され得ることとするとともに、出入国管理及び難民認定法の規定に基づく在留資格取消手続及び退去強制手続の対象となり得ます。なお、誓約書を提出できない方は、検疫所長の指定する場所(検疫所が確保する宿泊施設に限る。)で14日間待機することが要請されます。
現在指定された国・地域は以下の通り:
アイルランド、アメリカ(テネシー州、フロリダ州、ミシガン州、ミネソタ州)、アラブ 首長国連邦、イスラエル、イタリア、インド、ウクライナ、英国、エストニア、オーストリ ア、オランダ、カナダ(オンタリオ州)、スイス、スウェーデン、スペイン、スロバキア、 チェコ、デンマーク、ドイツ、ナイジェリア、ネパール、パキスタン、ペルー、ハンガリー、フィリピ ン、フィンランド、ブラジル、フランス、ベルギー、ポーランド、南アフリカ共和国、ルクセンブルク、レバノン 

●コロナ禍で観光客激減 昨年度は平成以降最少 函館市 6/5
新型コロナウイルスの影響が広がった昨年度、函館市を訪れた観光客などの数はおよそ310万人と前の年度と比べて4割以上減り、平成以降で最も少なくなりました。
函館市によりますと、昨年度に函館市を訪れた人の数はおよそ310万3000人で、前の年度と比べて226万6000人、率にして42.2%減少し、平成元年以降で最も少なくなりました。
また、宿泊客数もおよそ159万9500人と前の年度から半減していて、市は都道府県の境を越える旅行を控える動きが広がり、近場での旅行が増えたためと分析しています。
このうち外国人の宿泊客数は2200人あまりで、前の年度と比べて99.5%の減少と、極めて厳しい結果となりました。
政府が観光目的の入国を制限していることから、市は国内に住んでいる外国人がビジネスなどで訪れた程度だと見ています。
函館市観光部は「観光業界は非常に厳しい状況が続いている。状況が改善する兆しもないが、インターネットやSNSなどを通じて誘客を図っていきたい」と話しています。

●KNT-CTホールディングス、国内増も総販減に 6/5
KNT―CTホールディングスの2021年3月の総取扱額(グループ14社計)は、前年同月比64.1%増の220億8065万円だった。国内旅行が173.0%増の133億9622万円、海外旅行が95.1%減の1億9652万円。外国人旅行が70.7%減の1億8912万円となった。
国内旅行の内訳は、一般団体が30.1%減(8億2745万円)、学生団体が3451.3%増(58億3625万円)。一般が減少するも、学生団体が増加し、合計で394.2%増(66億6371万円)となった。国内企画旅行は、メイトが101.1%増の31億6161万円、クラブツーリズム国内は61.8%増の25億8111万円、合計で80.5%増の57億5113万円。国内個人旅行は163.7%増の9億8137万円だった。
海外旅行の内訳は、一般団体は87.9%減、学生団体は96.8%減で、合計が92.8%減の8688万円となった。海外企画旅行は99.3%減の1463万円、海外個人旅行は86.8%減の9500万円だった。
区分別に見ると、国内一般団体は、大人数での移動を避ける傾向が続き取り扱いが減少となるも、学生団体は、前年がコロナ禍の影響を受けていたことに加え、延期となっていた旅行で中止の確定など年度末計上が増えた影響で増加した。国内企画旅行は、昨年のコロナ禍による影響より上振れして前年より増加となった。
海外一般団体、学生団体ともに国際的な新型コロナウイルス感染者拡大で旅行の中止や延期の影響を受けて取り扱いが減少。海外旅行企画は、国際的な感染者拡大による影響や、航空路線の運休、減便が続き、販売が大きく減少した。
外国人旅行は、レイルパスなどの払い戻しが落ち着くも、外国人の入国制限措置などの影響を受けて前年を下回った。

●自民党、外国人労働者の支援や受け入れ推進など政府への提言を議論 6/2
自民党外国人労働者等特別委員会は5月28日、在留外国人の支援強化を柱とする政府への提言(案)について議論した。提言(案)の主な内容は以下の通り。
1. コロナ禍における外国人への支援
コロナ禍で外国人の帰国希望滞留者の解消に至らず、特定措置により在留する外国人が6万人以上となっていることを受けて、下記の事項を政府に申し入れる方針を示した。
・日本で生活する実情やニーズに沿った各種支援策の実施。
・民間の外国人支援団体による支援の安定化・継続化を目的とした財政支援。
・各種支援策の情報について、民間支援団体による多言語化や一元的な取得を可能に。
・外国人の感染拡大防止に向けて、生活習慣指導を含めて啓発を強化。
・外国人の住所などを確実に把握し、ワクチン接種の案内を届ける措置の実施。
2. 円滑で適正な外国人材の受け入れと共生社会実現のための環境整備
外国人材が安心して活躍できる環境整備を進め、差別がなく活躍できる共生社会の実現を目指して、以下の(1)〜(4)を政府に申し入れる。
(1)特定技能外国人材の受け入れの推進など
<出入国在留管理庁>
・特定技能に関する二国間の協力覚書(MOC)作成国との協議を進め、情報共有や試験の実施などを実現。
<政府>
・コンビニ、スーパーマーケット、運輸、産業廃棄物処理の各分野で、特定技能外国人の参入、技能実習制度の対象職種への追加を含めて検討。
・人出不足のため、在留資格「特別活動」のさらなる活用を議論。
・技能実習生の失踪・不法滞在の防止対策、人権侵害対策、偽装書類対策。
(2)国際金融センターの実現に向けた高度金融人材の受け入れ推進
国際金融センターとして、海外、とくに香港からの高度金融人材の受け入れ促進、同人材の生活・ビジネス環境改善による誘致促進のため、帯同する家事使用人の雇用要件を緩和するなど在留資格上の優遇制度の拡充を決定。すでに東京・大阪・神戸・福岡の自治体が誘致を進めており、制度の周知・広報を含めて速やかに実施する。
(3)日本語教育の推進
・海外で教育機関を設立するなどにより、日本語の普及を目指す民間の取り組みを支援し、日本での就労希望者の人材を育成。
・外国人の日本語習得の受講支援。
・日本語教育機関の事業継続のため、教職員を含めた財政的支援。
・日本語教育機関の類型化などの検討。
・日本語教育機関の学生に対する入国制限の早期緩和を検討。早期に緩和されない場合は、交付済み在留資格証明の有効期限を延長。
(4)共生社会実現のための受け入れ環境整備
・外国人が活躍できる共生社会を実現するための中長期的な行動計画を策定。
・地方公共団体からの要望を踏まえた外国人受入環境整備交付金の対象範囲の見直し。
・コロナ禍で地方創生臨時交付金による外国人技能実習生などの受け入れに関する掛かり増し経費支援の周知・広報を実施。
3. デジタルトランスフォーメーション(DX)の推進
利便性の向上、業務継続性を確保するための環境整備の強化として、下記を政府に申し入れる。
・在留申請など行政手続きのオンライン化を推進。
・マイナンバーカードと在留カードの一体化。
・マイナンバーの識別番号の活用などにより、在留・就労情報を一元的に把握できる仕組みの構築を検討。

●外国人が流出?コロナ禍の「人口25万人急減」の要因 6/2
コロナ禍で人口減少が加速している。速報性のある総務省統計局の人口推計によると、2021年5月1日現在の総人口は1億2536万人で前年比マイナス0.42%(概算値)だった。コロナ感染が広がり始めたほぼ1年前の2020年3月は前年比マイナス0.22%で、マイナス幅が0.2ポイントも拡大した。
筆者は当初、これはコロナ感染による死者数増が原因だと考えた。しかし確認すると、コロナによる死者数は約1万2000人である。総人口の0.2%に相当するのは約25万人なので、コロナに関連した死者数以外に原因がある。
さらに調べると、外国人の減少が大きいことがわかった。人口統計では、総人口から日本人の人口を除くと外国人の人口(日本に3カ月以上滞在している外国籍の人)になる。コロナ直前は前年比11%も伸びていた外国人人口が直近ではマイナスに転じた。そのインパクトがマイナス25万人に相当している。コロナ禍で自国に帰ったままになっているのだ。
外国人が減少する背景に、サービス業の労働需要の急減がある。ほんの少し前まで、飲食店やコンビニには多数のアジア系の店員がいたが、その風景はがらりと変わっている。
だが、コロナ感染はいずれ収束する。対面での個人向けサービスが再び必要になれば、サービス業の労働需要は急回復するだろう。その時、需要に比例して外国人労働者が再び日本に来られる体制をすぐに整備できるかどうか。ワクチン接種を入国の条件にするかどうかなど入国制限をどうコントロールしていくかが課題になると思われる。
そして、人口に関して、いずれ大問題になりそうなのが出生数の減少である。 ・・・

●4月の訪日外国人旅行者、19年比99・6%減…国別最多は中国の3300人  5/19
日本政府観光局が19日発表した4月の訪日外国人旅行者数は、コロナ禍前の2019年4月比99・6%減の1万900人だった。変異した新型コロナウイルスへの感染対策として入国制限を強化していることが響き、大幅に落ち込んだ状況が続いている。
国・地域別では、中国が最も多く3300人、韓国が1100人、変異ウイルス感染拡大が深刻化しているインドと米国が、いずれも600人で続いた。
一方、4月の日本人の出国者数は19年4月比で97・8%減の3万5900人だった。

●緊急事態下でも「1日700人ペースの外国人来日」が意味するもの 5/7
日本における新型コロナウイルスの感染者数はこの1年あまり、増えたり減ったりを繰り返しながら、やや高止まりの状況が今も続く。感染者がゼロにならない、その要因の1つとして、コロナ当初から取りざたされてきたのが、日本の出入国管理、いわゆる「水際対策」だ。
多くの世界各国・地域はコロナ影響下において、厳格な入国基準と入国後の管理体制を敷いている。一方、日本もある程度の入国制限は行っているものの、入国者に対して「日本到着後14日間の自主待機をお願いします」「到着した空港や待機中14日間は公共交通機関を使うのを自粛してください」などといった、あくまで個々への“お願い”ペースにとどめている。
実は今も、外国人の入国は意外なほどある。出入国在留管理庁の統計によると、2021年3月(速報値)の外国人入国者数は約2万人、そのうち新規入国者数が約2,000人だった。直近でも、1日平均700人弱の外国人が、日本へ毎日入国している計算となる。
日本への外国人の入国者数は、コロナ前後でどう変わってきたのか。また、コロナ影響下でも入国が多い国・地域、気になるイギリスやインドからの入国者数、最新の水際対策などを検証する。
昨年12月は「GoTo」停止の一方で約7万人の外国人が入国
先の、出入国在留管理庁の統計によると、日本に入国する外国人数は、コロナ前の2020年1月は約269.9万人だった。翌2月に半減した後、3月が約21万人、4月が約5,300人、そして5月は最も少ない「4,488人」まで減った。
その後、日本政府による入国基準の制限緩和などで、徐々に増えている。2020年12月には「約7万人」の外国人が入国し、そのうち新規入国者がなんと5万人近く。その多くがアジアからで、国別では中国とベトナムがそれぞれ15,000人超で突出していた。
昨年12月ごろといえば、感染の第2波が日本国内で広がり、「GoToトラベル」「GoToイート」が一時停止となり、年末年始の帰省や旅行などに対する自粛要請が出された時期。その月に、1日あたり平均2,000人以上もの外国人を連日入国させていた事実は、驚くよりほかないだろう。
「外国人の新規入国を全面停止」との発表から方向転換
そして、2020年12月25日、イギリス型変異種(N501Y)が、日本で最初に確認された。その後、イギリスから帰国後14日間の健康観察期間中に10名で会食し、のちに新型コロナの感染が判明して会食相手の変異種感染も明らかになって問題視された一件、大阪で感染拡大して重症患者が急増したのも、このイギリス型変異種が急拡大したのが一因だ。
イギリスから入国した外国人数を見ると、2020年12月「468人」、2021年1月「322人」、2月「122人」、3月「206人」と一時より減ってはいるものの、一定数の入国が続いている。なお、日本人の帰国者は、この数字に含まれていない。
日本政府は昨年末、2度目の緊急事態宣言の発出に合わせ、全世界からの外国人の新規入国を、2020年12月28日0時から翌年1月末まで全面停止すると発表した。だがその後、「新型コロナの変異株流行国・地域」ごとに停止との方針に、一転変更。その1月、イギリスから入国した外国人322人のうち51人が新規入国者扱いとなっており、水際対策の徹底とは言い難い現状を、データがはっきり示している。
インドなど流行国・地域から入国で強制隔離はたった3日
当初の中国・武漢、その後のイギリス型や南アフリカ型などに続き、現在はインド型変異株(L452R、E484Q)の感染が、日本でも急速に広がっている。その感染力は、イギリス型を大きく上回るとも言われる。
インドでさらに“二重変異株”が初めて確認されたのが、今年3月末。そのインドから3月に917人もの外国人が、日本に入国している。
世界各国・地域が次々とインドからの入国を全面禁止とした一方、日本政府は4月28日にやっと、インドを含めた6カ国・地域を新たに「新型コロナの変異株流行国・地域」とした。その対策は、インドなどからの入国者は、指定の宿泊施設で3日間滞在し、3日後の検査で陰性のち14日間の自宅待機を求められるといった内容だ。
インドで変異株が猛威を振るい始めてから1ヵ月あまりかかった上、日本への入国がその間ずっと変わらず続いていた事実。しかもいまだ、半ば強制とも言える国内隔離は、たった3日のみ。これでは「日本の水際対策はザル」と言われても、致し方ないのではないだろうか。
日本政府が行う、最新の「水際対策」を詳しく
日本政府が現在行っている「水際対策」を今一度、確認しておく。
外務省が、2021年4月30日に発表した「新型コロナウイルス感染症に関する水際対策の強化に係る措置について」を抜粋すると、以下の通り。(2)と(3)は今回新たに加わった部分だ。
(1)日本到着前14日以内に特定の国・地域(※)に滞在歴がある外国人は、当分の間「特段の事情」がない限り、上陸拒否する
(2)日本人を含むすべての入国者は、出国前72時間以内の検査証明書を提出する必要がある。所持していないと航空機へ搭乗できない。また、特定の国・地域(※)に関わらず、自宅もしくは指定場所で14日間の待機、到着後の空港からも含め国内で14日間の公共交通機関不使用、位置情報の保存などが求められる。「変異株流行国・地域」は陰性証明の提出、検疫所指定の宿泊施設で3日間の待機のち陰性判定だと退所できて14日間の自宅などでの待機。
(3)すでに発給された査証(ビザ)の効力停止。現在、すべての外国籍の人は再入国者を除き、入国前に査証の申請が必要
(4)査証免除措置の停止。ビジネストラック・レジデンストラックなどは一時停止
(5)航空機の到着空港の限定など
(6)「特段の事情」とは、1再入国、2日本人・永住者の配偶者または子、3定住者の配偶者または子で日本に家族が滞在して家族が分離した状態、4「教育」「教授」「医療」の在留資格取得者など
※インド、インドネシア、フィリピン、マレーシア、カナダ、アメリカ、ペルー、メキシコ、ブラジル、UAE、カタール、トルコ、欧州主要国・地域など
共同通信「入国後の誓約不履行、1日300人」報道の衝撃
日本政府による水際対策は、確実に強化はされている。インドなど変異株流行国・地域からの入国だと、日本人も外国人も、出国前・入国時・その3日後と最低3回、コロナの検査を受ける。ただ、検査結果の正確さが100%でない上、その後の待機中(健康観察期間)の行動は入国者任せで連絡のみ、その全行動を追跡できているかも定かではない。
共同通信は2021年5月1日、「入国後の誓約不履行、1日3百人」との記事を配信した。厚生労働省などに取材し、入国後14日間の位置確認で自宅や宿泊施設といった誓約場所での待機が確認できない、離れた場所にいた人が、多い日で1日300人を超えていたことが判明したという。これが事実なら、水際対策が徹底されているとはとても言えないだろう。
東京五輪関係者向け「特例」とワクチン遅れへの懸念
東京五輪の開催が、今年7月23日から8月8日まで予定されている。現状どれくらいの数の選手や関係者らが来日するかは不明だが、相当数になると考えられる。
「Tokyo 2020 Playbooks」(暫定版)に、選手やコーチらに「日本への出国前96時間以内に検査2回」「入国後の毎日ウイルス検査、行動範囲の制限」を条件に14日間の待機を免除し、初日からの練習を許可すると載っている。移動手段は、公共交通機関を“原則”認めず、関係者専用バスや貸切タクシーの使用のみ、違反で資格はく奪も明記されている。この内容は4月28日に更新され、6月に最終版が発表される予定とのこと。
感染者数の大幅減は見込めず、海外からの変異株が次々と日本国内に広がる一方、一般へのワクチン接種の完了時期は、いまだめどが立っていない。
世界に目を向けると、入国時の強制隔離や行動履歴の追跡など、徹底した水際対策で感染拡大をある程度抑えている中国、ニュージーランド、シンガポール、台湾、香港などの国・地域もあれば、イギリスやイスラエル、アメリカなどはワクチン接種でいち早く先行して感染を抑制しようとしている。ワクチンで出遅れた日本が、五輪関係者も含めた外国人の入国を今後もある程度認めるなら、水際対策のさらなる強化と徹底しかない。
 
 
 

 

 
 
 

 

●都議選 1
都民ファーストの会

●都議選“小池劇場”から一夜 コロナで菅政権 厳しい審判  7/5
小池都知事の存在感が際立った東京都議選から一夜。都民から厳しい審判を突き付けられた菅政権は、今後、オリンピックでより厳しい対応を迫られるとみられる。
東京都議会選挙から一夜明け、早速、この人が動き出した。 5日午後、自民党本部で二階幹事長と会談した東京都の小池知事。コロナ対策や今後の都議会運営などについて意見を交わしたとみられる。
東京都・小池知事「コロナの情勢や経済の問題について、オール東京で進めていこうと。(都議選についての話は?)特にこれという話はなかった」
コロナ禍で行われ、4日に投開票された東京都議会選挙では、小池知事が最高顧問を務める都民ファーストの会が予想を上回る31議席を獲得した。
激戦区の千代田区から出馬した平慶翔都議(33)も当選を勝ち取った1人。姉は女優の平愛梨さん。義理の兄はサッカー日本代表の長友佑都選手。選挙戦最終日には、小池知事も応援に入った。 都民ファーストの会・平慶翔都議「大変な体調の中で公務が終わったあとに来てくれました。本当に感謝の一言です、本当にありがたかったと思ってます」
一方、自民党は都議会第1党を奪回したものの、目標としていた自民・公明での過半数獲得には及ばなかった。都民からの厳しい審判を突きつけられた菅首相は5日、「自公で過半数を実現できなかったことは、謙虚に受け止めさせていただきたい」と述べた。
60代 都民「(ワクチンの)数が足りないとか、(予約を)ストップするとか、ああいうのは混乱する。いま一番上の方は信頼をなくしている」
菅政権のコロナ対策を疑問視する声は、与党内からも相次いでいる。
自民党閣僚経験者「ワクチンの混乱、菅さんの支持率、そこに小池さんの風が吹いた」
与党幹部「自民党の敗因は、オリンピックとワクチンの遅れ。菅総理の指導力のなさは目を覆うばかりだ」
首都決戦を終えた東京都では、5日、新たに342人の感染が確認された。6月28日から25人増え、前の週の同じ曜日を上回るのは16日連続。政府内には、6日後に期限が迫る「まん延防止措置」の期間を最長で1カ月程度延長する案が浮上している。

●秋の総選挙を占う都議選で小池都知事は都民ファ「見殺し」の可能性 6/7
衆院選の前哨戦となる東京都議会選挙は、告示まで3週間を切った。前回、圧倒的な人気で都議選を席巻した「都民ファーストの会」。小池百合子都知事が特別顧問を務める都議会最大会派が、強い危機感を抱いているという。
「小池都知事が自民党の二階幹事長と会談したあとから潮目が変わったように見えます。小池は、オリパラ開催可否について、まったく言及しなくなりましたからね。小池劇場の終焉が近づいているのかもしれません」(都庁幹部)
都民ファは、2017年の都議選で49議席を獲得、今年7月の都議選には、新人4人を含む48人が立候補の予定だ。が、「このうち、当選の可能性が高いのは10議席に満たない、という厳しい見方もある」(都議会関係者)という。理由は「小池都知事の失速」だ。
天才的「風をよむ力」も今は
冒頭の「小池・二階」会談は5月11日。2人は、3週間前の4月20日にも会っている。このわずかな間に、何が起きたのだろうか。
「2度目の5月の会談は、二階幹事長が小池都知事を自民党に『呼びつけた』んです。このころ、党内はオリパラ強行開催に舵を切っていた。菅首相がもっとも警戒したのは、小池の天才的なポピュリズム。つまり『五輪中止』発言という切り札です。二階幹事長は、新型コロナ対策の政府方針を説諭しながら、小池に『勝手な発言は厳に慎め』と釘を刺したんです」(二階周辺)
小池都知事は「自民党を訪れた」のではなく、二階俊博幹事長に「呼びつけ」られ、たしなめられた。そのため、その後の取材に対して
「しっかりと感染対策をして、五輪開催に向けた安心安全な準備をしていかなければならないと思っています」(小池都知事)と発言、ぐっと方向転換を見せたのだ。もっとも、
「オリンピックを強行して、そのあと年末にかけて変異種が流行しないことを祈るばかりね」と、悔し紛れに周囲に漏らしているという。
けっきょく、小池は「政争」に敗北したのだ。都議会関係者が解説する。
「今、自民党をはじめ、各団体、各機関で、都議選情勢調査がさかんに行われています。その結果に驚きました。前回、小池率いる都民ファは、49議席と驚異的な議席を獲得、その後、離党者が出たものの現在でも46議席と都議会第一党です。しかし、今度の都議選では苦戦する見通し。たとえば、読売新聞が5月下旬に東京都民を対象に行った世論調査によると、今度の都議選での政党別投票先に「都民ファ」と答えたのは全体の11%。「自民党」と答えたのは30%で、トリプルスコアとなっている。なかには『40議席減』という厳しい調査結果もあったのです。
東京都議会は42選挙区、議員定数127人。小池・都民ファは、公明党の23議席と共闘し、過半数の69議席を確保していた。これが、小池の強い政治力の源泉となっていましたが、これをそのまま維持できるとは思えない」(同)
自民党の選対関係者は、逆にこう自信をのぞかせる。
「都ファは定数5人区以上の8選挙区に滑り込み当選がやっとという予想。対して、巻き返しを図る自民党は、現有の23議席から倍増の勢い。都民の期待値が高まっている立憲と共産党は、選挙協力が実って相応の議席増が見込まれます」
昨年7月の都知事選挙で366万票を獲得した小池人気も、もはや期待できないと見られている。なぜか?
「参謀だった野田数氏を切ったことが、直接的な原因でしょう。彼は創価学会や公明党との強力なパイプ役でしたが、野田氏と小池知事のあいだに温度差が生じ、小池知事は野田氏を『東京水道株式会社』社長にして、体よく遠ざけた。
一方、公明党は自民党とめでたく復縁、なんとか協力体制を取り戻しました。もともと組織力のない都民ファに勝ち目はありません」(都議会議員)
都民ファは生き残りをかけて選挙区調整を急いでいる。が、参謀を欠き、小池の求心力がなくなった今、都議選を戦える力はあるのだろうか。昨日の敵は今日の友、友はすぐに敵になるのが政治の常なのだ。
「なによりの失策、小池は政権攻撃をやり過ぎました。森喜朗東京オリパラ組織委員会との主導権争い、バッハ会長との4者会議ドタキャンと、派手なパフォーマンスを繰り返し存在感をアピールしていました。連日の作業服姿での会見も、今となってはこっけいでしょう。
そして、コロナ感染対策の規制。これによって、生活が立ち行かなくなった多くの都民がいます。規制対象に不公平感が生じ、とくに飲食、サービス業者は反小池になった。
これまで『空気を読む力』は天下一品でしたが、それも危うい。そして、小池にマネージメントはできなかったということです。東京都最強の広報マンでしかなかった」(都庁職員)
自身の立ち位置が不安定な今、「都民ファーストの会」に力を注ぐ余裕はない。いわば「見殺し」にされた都民ファには危機の時が迫る。東京都議会議員選挙投開票日の7月4日は、政治家として全力疾走してきた小池にとって最大のターニングポイントとなるかもしれない。

●東京都議選 小池知事はどう動く…「都民ファ」支援に慎重な理由 6/4
6月25日に告示される東京都議選(定数127)は、小池百合子知事が特別顧問を務める地域政党「都民ファーストの会」が審判を受ける機会となる。都民ファは前回、小池氏が先頭に立って都議会自民党を退け、大躍進。ただ今回は新型コロナウイルスの感染拡大で都政のかじ取りが厳しさを増す中、小池氏と自民の対立は軟化。前回は都民ファと組んだ公明が、自民との選挙協力を復活するなど構図も一変している。小池知事が最終的にどのような動きを見せるかが、都議選の勝敗や選挙後の都政運営に大きな影響を与えそうだ。
「もっとアピールを」
「今回も知事は都民ファを支援するのか、別の対応をとるのか」。告示までまもなく1カ月を迎えようとしていた5月21日。定例記者会見で、質問を受けた小池氏は「都議選というより今はコロナ対策に集中している。あらためて質問いただいてあと1カ月なのかと思うところだ」と強調し、続けた。
「都民ファの皆さんは、受動喫煙防止対策とかITとか5Gとか、専門家が結構、議員としておられるのは、東京や都政をブラッシュアップするという意味でも、また、色々な提案をいただくことでも、大変大きな役割を果たしている。まず都民を第一に考えて行動される改革派にはエールを送っていきたい」
都民ファに一定の評価を示しつつ、具体的に支援するかどうかは言及せず、慎重な姿勢を印象づけた。
都民ファは小池氏が生みの親。2017年の都議選で都議会自民党を「古い議会」などと徹底的に批判し、公認50人中49人が当選、推薦の無所属を含めて55人の勢力を築く旋風を起こした。逆に自民は57の議席数が23にまで落ち込む惨敗を喫した。
都民ファは1期生が7割を占め、地盤が弱い都議が少なくない。所属議員の中には「われわれは小池氏次第。もっとアピールしてほしいが…」と不安の声も漏れる。
「対立は望んでいない」
背景には、小池氏に恨み骨髄だった都議会自民党の姿勢の変化もある。
昨年7月、小池氏が再選した都知事選で、自民は対抗馬擁立を断念した。史上2番目の366万票を得た小池氏に、自民側は徐々に軌道を修正。「パフォーマンスありきで信用できない」などの激しい批判はすっかり影を潜めた。
都議会自民幹部は「対立の構造はもう望んでいない。都民のためだ」とまで語る。小池氏と党本部の二階俊博幹事長の緊密さは知られるが、菅義偉首相との折り合いの悪さも有名だ。都議会自民として、コロナ対策でも政府とのパイプ役を買って出ようとするメッセージを送る。
小池氏もかつてのように「しがらみだらけだ」といった激しい自民批判はみられない。庁内には自民との接近を感じる向きが出ている。自民都連関係者は小池氏の姿勢に「うまく都政を回して、国政に戻るタイミングを計るのではないか」と受け止める。
「根底には相互不信」
ただ「根底には相互不信がある」と都幹部がみるように、今後の距離感がどうなるかは不透明だ。
今回の都議選は、10月に任期満了となる衆院の総選挙に向けた前哨戦と位置づけられ、自民が選挙協力で合意している公明と合わせて過半数を獲得できるかが焦点の1つとなる。
菅義偉首相はコロナ対策への批判で支持率が低迷。政府のコロナ対応に世論の批判がさらに募れば、自民は強い逆風下で戦うことになる。特に感染拡大について都民の不安が高い中で、菅首相、小池氏ともに7月24日に開幕が迫った東京五輪の開催をそのまま進めていくのかも都議選に大きな影響を与える。
23区の区長の1人は「小池氏は主導権をとり続けるためにも自民の大勝は望んでいない。自民の状況次第では対決に持ち込むのでは」とみる。
都幹部の1人は小池氏の都議選でのスタンスについて「どう動けば選挙後の議会運営がやりやすくなるか。ぎりぎりまで情勢を見定めていくだろう」と語る。

●都民ファ、自民が第1党争い 小池知事の都政運営に影響―都議選 5/2
東京都議選(7月4日投開票、定数127)の投開票まで約2カ月となり、各党は準備を加速させている。都議会第1党の座をめぐり、小池百合子知事の下で前回躍進した地域政党「都民ファーストの会」が維持するか、4年前に大敗した自民党が奪還するかが焦点だ。また、自民、公明両党で過半数に達すれば、小池知事の都政運営にも影響を与えそうだ。
各党の公認候補は1日現在で都民ファ45人(現有議席46)、自民59人(同25)、公明23人(同23)、共産党29人(同18)、立憲民主党27人(同7)など。このほか、日本維新の会や国民民主党、れいわ新選組も擁立。無所属を含めて200人超が出馬を予定しており、さらに増える見通しだ。
都民ファは「前回並みの50人規模の候補者を擁立する」(幹部)方針で最終調整している。ただ、「党運営が不透明」などの理由で離党者が相次いだ上、4年前に選挙協力した公明との関係が悪化。選挙実績が少ない1回生が多いことも不安材料だ。
自民は前回60人を擁立したが、「小池旋風」のあおりを受けて過去最低の23人の当選にとどまった。その後、都民ファと組んだ公明と関係を改善し、選挙協力を復活。自公で再連携し、議席奪還を目指す。公明も8回連続の全員当選を確実にしたい考えだ。
共産と立憲は共倒れを防ぐため、1、2人区で候補者調整を進めているほか、維新も独自候補として9人を擁立。現在議席を持たない国民やれいわも、議席獲得に向け準備している。
都議選はこれまで、その後の国政選挙の前哨戦に位置付けられてきた。今回、衆院選の前に行われた場合、選挙結果は菅義偉首相の解散戦略に影響を与えそうだ。 

●都民ファーストの会
日本の政治団体。東京都を地盤に活動する地域政党で、東京都議会の第一会派を形成する。小池百合子が創設、主宰する政治塾「希望の塾」を母体とする。マスメディアは略称を「都民」「都民ファ」「都民F」「都民ファースト」としている。
沿革​
   ●設立​
2016年7月31日の東京都知事選挙で、当時衆議院議員の小池は、自民党から推薦を得られぬも自民党に在籍したままで立候補し、前任者の舛添要一に関する醜聞を俎上にして自民党が優位な都議会体質を批判する手法で支持を集め、自民党推薦の増田寛也らを大差で下して当選した。小池は当選後に「都民ファースト」をマニフェストの謳い文句に掲げて都議会改革を打ち出し、「かがやけTokyo」の音喜多駿、両角穣、上田令子など、旧みんなの党の非自民保守勢力を知事与党として9月15日に政治塾結成の意向を表明した。9月16日に小池の意向を受け、自民党員で豊島区議会議員の本橋弘隆を代表者、音喜多駿を会計責任者として東京都選挙管理委員会に政治団体「都民ファーストの会」設立を届け出た。
2016年9月20日に小池を支援する議員らによる政治団体として発足した。マニフェスト記載の文言より名称を採った。12月13日に自民党東京都連合会から除名処分を受けた豊島区議5人が区議会自民会派から離脱し、本橋弘隆を幹事長とする新会派「都民ファーストの会豊島区議団」を結成して議長に届け出て、2017年1月23日に地域政党として正式に発足し、「かがやけTokyo」は会派名を「都民ファーストの会 東京都議団」と改める。会の代表に小池の政務担当特別秘書の野田数が就任して小池は役職になかったが、4月28日に特別顧問に就任した。
2017年2月5日に投開票された千代田区長選挙が都民ファーストの初選挙となった。千代田区は小池や元知事の猪瀬直樹が「都議会のドン」と呼んで批判する自民党の内田茂都議の地元で、マスメディアは「小池と内田の代理戦争」と大々的に取り上げた。小池が応援した現職の石川雅己が与謝野馨の甥で自民党が推薦する与謝野信らを大差で下した。選挙後、内田は次期都議選に不出馬と政界引退を宣言する。
2月20日、自民党を離脱した都議2名が都民ファーストに合流して会派構成人数が5名になり、都議会での代表質問権を得た。
   ●2017年東京都議会議員選挙​
2016年10月30日に小池が主宰する政治塾「希望の塾」が開かれて、都議選の新人候補などは主にここの塾生から選出された。
2017年4月10日、3回目の規約改定。総会の規定が削除され、代表は総会でなく規約細則の定める代表選考委員会で選出されること、代表以外の役員は代表の指名により選出されることとなった。
2017年4月11日に党の綱領を発表し、都議選のマニフェストを5月3日に一部を、5月23日に全部を発表した。内容は「議会改革」や「受動喫煙防止条例制定」など13の基本政策であった。
この時点で小池は自民党籍を正式に離脱していなかったが、5月30日に都民ファーストの会の代表就任を表明し、6月1日に自民党に離党届を提出したが、自民党は判断を都議選終了後まで保留した。その後に催された「都民ファーストの会 都議選総決起集会」で、小池は「東京大改革を真に進めるための決意を示すため、都民ファーストの代表を務める」と宣言して正式に代表に就任した。
都議選に、希望の塾の塾生をはじめ、自民党や民進党から鞍替えした現役の都議などの公認候補を50人擁立し、公明党で23人と東京・生活者ネットワークで1人と合計24人の選挙協力を締結した公認候補のほかに、主に民進党から離党した無所属候補11人などを推薦した。7月2日の投開票の結果、定数1名の島嶼部選挙区で自民現職に敗れた1人を除く49人が当選した。推薦した民進党出身の無所属候補を選挙終了後に6人追加公認して55議席となり、自民党から都議会第1党を奪取した。さらに選挙協力を行った公明党と生活者ネットワークと合わせて、都民F55、公明23、ネット1で合計79議席となり、小池勢力が過半数を獲得した。
翌3日、小池と野田の役員会において野田の代表再任と小池の特別顧問就任を決定した。小池は同日の会見でこれを発表し、いわゆる二元代表制などへの懸念を理由に挙げ、「知事職に専念する」ことを述べた。同じ日に自民党側は離党届を提出していた小池の離党を了承した。
小池は選挙翌日の3日の記者会見で国政進出について「今はそういう状況にない」と否定していたが、8月2日のフジテレビとのインタビューで、国政選挙に擁立する候補者など国政に進出する準備を進めていると表明した。
7月11日、役員人事を発表した。
   幹事長:増子博樹(民進党出身)
   政調会長:山内晃(自民党出身)
   総務会長:荒木千陽(小池の元秘書)
都民ファーストの会の当選者は、みんなの党出身の結党メンバー、自民党や民進党からの鞍替え組のほかは、議員として無経験で、取材に不慣れな者も多く失言を回避するなどの理由で当選者の取材を制限し、マスコミ対応の想定問答集を制作して所属議員に配布しているとTOKYO MXは報じた。
   ●第48回衆議院議員総選挙​
国政では、小池の側近で小池とともに自民党を離党した若狭勝衆議院議員が、政治団体「日本ファーストの会(にっぽんファーストのかい)」を7月13日に設立した。党名は「国民ファーストの会」も検討されたが、すでに同名の政治団体が設立されていたため、若狭は「混乱を与えてしまうので差し控えた」と述べた。小池は同会には参加しなかったが9月16日に同会の政治塾「輝照塾」の講師を務めた。
9月10日に代表の野田が本来の職務である知事特別秘書に専念するために辞任し、後任に荒木千陽総務会長を代表選考委員会で選出したが、発表後に所属都議や都民に党規約が公開されていないことが議論になり、のち全文公開された。
9月20日に、築地市場移転問題などで小池都知事を補佐した青山学院大学元教授で19日付で東京都顧問を辞職した小島敏郎が、政務調査会事務総長に就任した。
若狭は「日本ファーストの会」を母体とする国政新党立ち上げに向け、民進党を離党した細野豪志や日本維新の会を除名された渡辺喜美らに参加を打診していたが衆議院解散が急迫し、9月25日に小池が自ら代表となって国政政党『希望の党』の結成を発表して27日の記者会見で正式に結党した。
9月28日には民進党が希望の党に事実上合流して公認申請を行うと表明。
10月5日には、希望の党と都民ファーストの会が、政策協定を結び、第48回総選挙における選挙協力に合意。
小池の都知事選挙立候補から支援に関わっていた都議の音喜多駿(後に参議院議員に当選)と上田令子が党の運営方針に反発して離党することを表明し、2017年10月5日に記者会見を行った。
10月22日の投開票の結果、希望の党は伸び悩み公示前勢力を下回り、野党第一党の座も立憲民主党に奪われる結果となった。この結果を受け、都民ファーストの会への合流を検討していた都議会民進党は方針を撤回した。
   ●総選挙後​
2017年11月12日、都内では総選挙後初となる区市町村選挙となる葛飾区議会議員選挙が行われ、都民ファーストの会は新人4人と旧民主党所属だった元職1人の計5人の公認候補を出したが、うち当選は元職うてな(臺)英明1人にとどまった。
2018年2月25日の町田市議会議員選挙では公認の現職小関重太郎が議席を守った。同年4月15日に行われた練馬区議会議員補欠選挙では、自民党から都民ファーストの会結成に加わり、総選挙に希望の党から立候補(東京9区)するも落選した元職1人と、新人1人の計2人の公認候補を擁立したが、いずれも議席を獲得できなかった。練馬区は小池都知事の衆議院議員時代の選挙区の東京10区に含まれており、小池都知事のおひざ元での敗北について、落選した元職の候補者は「ブームが終わったという印象だ」と語った。
2018年3月1日、日本ファーストの会はこの日をもって解散した。
2018年5月には野党再編の有り方を巡り希望の党が分裂。党執行部の多くが民進党と合流してできた国民民主党に参加したほか、細野らは無所属となった。また、一部の保守系議員らが新たに結成した希望の党が小池に特別顧問就任を打診したものの小池は固辞し、「都政に邁進させていただく。(今後は)国政については関与を避けたい」とコメントし、国政からは距離を置くことを表明した。
2018年7月23日、2019年の第19回統一地方選挙の公認候補予定者(1次公認)を発表、都民ファーストの会所属の現職区議10人に公認を出した。その後旧みんなの党の元区議など複数名を公認候補予定者に決定した。
その後も都内各種選挙での敗北が続いた。同年9月30日の品川区長選挙では立憲民主党・日本共産党・自由党とともに元自民党都議の佐藤裕彦を推薦したものの、自民党・公明党推薦の現職濱野健に敗れた。同年12月23日、2017年の都議選では2議席を独占した西東京市の市議会議員選挙にて公認の現職瀧島喜重が落選した。
2019年1月7日には奥澤高広、斎藤礼伊奈、森澤恭子の3都議が「都民ファーストの会の党運営は政策や(推薦候補が敗れた品川区長選挙など)各種選挙などでの意思決定が不明瞭」との理由から離党届を提出。都議の離党者は音喜多、上田に続き計5人となった。奥澤、斎藤、森澤は今後無所属として活動し、奥澤を代表とする新会派「無所属 東京みらい」を立ち上げる、と表明した。奥澤ら3都議は小池との関係について「小池知事に反旗を翻したわけではない」と説明したものの、離党を思いとどまるよう引きとめていたという小池は3都議の離党について「残念」「大義がない」と述べた。その後3都議は議長に会派結成届を提出、正式に都議会都民ファ会派を離団し、2019年1月25日、新会派「無所属 東京みらい」を結成した。
   ●第19回統一地方選挙​
第19回統一地方選挙の前哨戦となった2019年3月の台東区議会議員選挙においては公認の新人2名が当選した。
統一地方選の後半に行われた市区議選挙(4月14日告示、21日投開票)では、都内で392人を擁立した自民党に対し、都民ファーストの会は候補者を大幅に絞り込み、28人の擁立に留めた。また、小池は選挙中の候補者に対する応援を見送った。選挙結果は24人が当選し、議席数を倍増させたが、新人4人が議席を逃し、地盤固めに不安も残す結果となった。現職候補は12人全員が当選した。
5月9日、足立区議会議員選挙では公認候補1名が最下位で当選した。
6月20日、結党以来初となる党代表選挙が告示されたが、現代表の荒木以外に立候補の届け出がなく、23日の全議員・支部長総会で荒木の続投が承認された。
   ●統一地方選挙後​
2020年1月26日、府中市長選挙で自由民主党、公明党、社民党と共に推薦した現職の高野律雄が3期目の当選を果たした。
同年5月17日、奥多摩町長選挙で推薦した元町議会議長の師岡伸公が、自由民主党推薦の現職の河村文夫を破り、初当選した。
6月12日、小池が自身の任期満了に伴う2020年東京都知事選挙への出馬を表明。この選挙では自民党の二階俊博幹事長らが小池の再選を支持する考えを示していたが、小池は政党の推薦を求めない考えを示し、自民党は自主投票となった。これについては小池が来年の都議選で都民ファーストの会と自民党との対立構図を温存させる思惑があったとの見方も出た。都民ファーストの会も小池に対し党として推薦や支持を出さなかったが、代表の荒木千陽が小池陣営の選対本部長に就いた。
同日に投開票が行われる東京都議会議員補欠選挙(4選挙区)では、北区選挙区において小池の元秘書で元タカラジェンヌの天風いぶきを擁立。候補者擁立に消極的な小池を党側が押し切る形の擁立であり、小池は二階に対し「立候補を辞退するよう都民ファーストの候補者を説得したが応じなかった」などと伝え、候補者の応援には入らなかった。また、前回都議選で都民ファーストの会と選挙協力を行った公明党は今回、全選挙区で自民党候補に推薦を出した。
7月5日の投開票の結果、小池は大差で再選したが、天風は候補者5人中4位で落選した。
9月9日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大を巡り、陽性者が外出制限に従わず、他人に感染させた場合に過料を科す条例案を発表した。条例案は11月30日に正式に提案されたが、他会派からは「相互監視を生みかねない」などと批判が続出し、公明党も「罰則がある限り賛成できない」として反対する方針を決めたことで否決される見通しとなった。最終的に公明党が助け舟を出す形で「継続的な協議」の申し入れを行ったことで、都民ファーストの会は12月2日に議案提出を断念した。
12月18日、西郷歩美都議が離党届を提出し、日本維新の会に入党することを発表。都議では6人目の離党者となった。
2021年1月の千代田区長選では、都民ファーストの会が小池の側近の樋口高顕前都議を擁立。この選挙で自民・公明は元千代田区議の早尾恭一を推薦したため、同年の東京都議会選挙の前哨戦と注目された。一方、4年前に小池に名指しで批判された内田茂元都議(自民都連最高顧問)は、早尾が2010年に自民党を離党したちあがれ日本に参加していた経緯などから関係が良好ではなく、早尾の出陣式に現れなかった。31日の投開票の結果、樋口が当選した。
2月15日、栗下善行都議が離党届を提出。2月17日には他党からの都議選出馬を模索し離党届を提出していた石毛茂都議を除名処分とした事が報じられた。
政治的立場​
   ●綱領​
都民ファーストの会は同党の綱領において「東京大改革」を掲げている。以下はその定義である。
――― 「東京大改革」とは、首都東京を、将来にわたって、経済・福祉・環境などあらゆる分野で持続可能な社会となりえるよう、新しい東京へと再構築すること。東京の魅力ある資産を磨き直し、国際競争力を向上させること。都民一人ひとりが活躍できる、安心できる社会にステージアップすることである。
   ●その他​
小池百合子は日本会議を支援する日本会議国会議員懇談会に所属する政治家出身である。
民進党や民主党の出身者も積極的に擁立している。
2017年9月の都議会定例会において、2020年東京オリンピックを見据え、18歳未満の子供がいる家庭における自宅内や車内の禁煙を求める「子どもを受動喫煙から守る条例案」を公明党と共に提出した。
希望の塾​
都民ファーストの会の母体となった政治塾で、小池が塾長を務める。
   ●第1期​
都議選に向けての候補者発掘を目的とし、2016年10月30日から2017年3月4日まで、計6回開講された。講師は猪瀬直樹元都知事、河村たかし名古屋市長、上田清司埼玉県知事など。受講料は男性5万円、女性4万円、25歳以下3万円で計3747人が受講した。
   ●第2期​
都内の区市町村議選の候補者発掘のため、2017年10月29日に開講を予定していたが、11月12日に延期し、さらに来年春に再延期すると発表された。2018年6月には塾が再開されないまま希望の塾ホームページが閉鎖されていることや、2期の応募生が100人足らずであったことが報じられた。
類似の名称の政治塾として松沢成文ら新・希望の党による「希望の党政治塾」(2018年9月開講)があるが、こちらには小池は参加していない。
友好関係にある政党​
希望の党 - 2017年9月25日に小池百合子が自ら代表となって設立した国政政党だが、都民ファーストと同一政党・組織ではない。
公明党 - 国政では自民党と連立を組んでいるが、2017年3月13日に、都民ファーストとの間で都議選における選挙協力を発表。都議会における政策合意を締結した。しかしながら、都議選の翌日に行われた山口那津男代表と安倍晋三自民党総裁の首脳会談の中で、国政レベルでは自公が連携し、引き続き連立政権を運営していくことを確認。2017年9月に希望の党が結成されたことで公明党側から都政での連携を解消する動きも見られ、2017年11月14日に都議会公明党の東村邦浩幹事長が、都民ファーストの会との協力関係を解消し知事与党から離脱する考えを表明した。
東京・生活者ネットワーク - 2017年4月21日に都議選に向けた政策協定を締結し、生活者ネットの公認候補1名を都民ファーストの会が推薦することでも合意した。
減税日本 - 愛知県や名古屋市を中心に活動する地域政党。代表を務める河村たかし名古屋市長が、小池に近しい関係であることから、希望の塾での講演や2017年都議選での応援演説などで協力関係にある。河村は最終的に減税日本と都民ファーストの会の合流を目指すとしており、小池も前向きな考えを示している。
支援団体​
連合東京 - 日本労働組合総連合会(連合)の東京支部、2017年4月7日に合意(もとは民進党の支持組織)。ただし、連合はこれまで通り、民進党候補の応援も行うこととしている。
 
 
 

 

●都議選 2
報道緒話

●自民、衆院選へ危機感 コロナ・五輪対応に反発 7/5
自民党は4日の東京都議選で、公明党と合わせて過半数奪還を目指したが伸び悩んだ。
新型コロナウイルス感染対策や東京五輪をめぐる菅政権の対応への反発があるとみられ、秋までにある衆院選に向け危機感を強めている。
「このままでは衆院選も厳しい」。党幹部の一人は4日夜、衆院選への焦りを隠さなかった。山口泰明選対委員長は党本部で記者団に「残念。どこが足らなかったのか精査し、衆院選に臨んでいかなければいけない」と語った。
伸び悩みの要因は、菅政権のコロナ・五輪対応だ。東京都の新規感染者数が選挙期間中も前週の同じ曜日を上回り続ける中、菅政権は五輪の開催と有観客にこだわった。「切り札」のはずのワクチン接種をめぐる混乱も明らかになった。
党関係者は「都民ファーストの会を引き離せないのは、都民ファが無観客開催を公約に掲げたから。都民は五輪に敏感だ。怖がっている」と指摘した。公明党の石井啓一幹事長は4日夜のNHK番組で「政府は無観客も真剣に検討してほしい」と求めた。
前回の2017年は、小池百合子都知事が都民ファを率いて旋風を巻き起こし、自民党は過去最低の23議席に沈む歴史的大敗を喫した。このため、同党は知事選での支援などを通じて小池氏に接近。小池氏から「少なくとも敵対しない」との感触を得ていた。
都民ファと前回組んだ公明党との選挙協力も復活。自民党内では選挙戦当初から「前回23議席の倍増は固い」との楽観論も飛び交っていた。
過労を理由に入院していた小池氏が都民ファを激励したのは選挙戦最終日。党関係者は「小池氏への同情票もあった」と語った。
菅義偉首相は4日、選挙プランナーの三浦博史氏と首相公邸で意見交換。席上、「結構、都民ファが取るみたいだね」と語ったという。選挙期間中、首相は告示日の出陣式を除いて演説のマイクを握らなかった。自民党は4月の衆参3選挙でも全敗しており、党内では「首相の下で衆院選を戦うのは不安だ」(岸田派中堅)と、「選挙の顔」としての首相に懸念を示す声も漏れた。
一方、立憲民主党と共産党は今回、1〜2人区を中心に候補者を「すみ分け」。立民が共産候補を、共産が立民候補を応援するケースもあった。共産党の志位和夫委員長は4日夜のNHK番組で「かなり効果を挙げ、共闘が進んだ。総選挙につなげたい」と述べ、5日以降、衆院選協力の協議加速を立憲に働き掛ける考えを示した。
ただ、両党が選挙協力を深めることに、立民の支持団体である連合は反発している。国民民主党も反共産の立場。衆院選は今秋に迫っており、立民は難しいかじ取りを迫られそうだ。福山哲郎幹事長は5日未明、記者団に「まずは国民、社民両党と(協議を)やる。その後、共産党とどのような形でやれるか調整したい」と述べるにとどめた。 

●250人前後、立候補へ 投開票まで1カ月―都議選 6/3
東京都議選(25日告示、7月4日投開票)は投開票まで1カ月に迫った。小池百合子知事が特別顧問を務める地域政党「都民ファーストの会」が第1党を維持できるか、あるいは自民党がその座を奪還し、公明党と合わせて過半数を占めるかが焦点。定数127(42選挙区)に対し、3日現在で250人前後が立候補する見通しとなっている。各党は秋までに行われる衆院選の前哨戦と位置付け、国政選挙並みの態勢で臨む方針だ。
都民ファは現有議席が46で、これまで46人の公認候補を発表した。最終的には50人規模とする。しかし、4年前に選挙協力をした公明とは関係が悪化。都議選への態度を明確にしていない小池知事の支援を期待する。
自民は全選挙区に計60人を擁立。前回は過去最低の23議席と歴史的大敗を喫したが、今回は公明と選挙協力を復活した。前回と同じ23人を立てる公明は8回連続の全員当選が懸かる。自民は「最低でも自公で過半数」(都連幹部)を目指すが、都内選出で有権者に現金を提供した疑惑で衆院議員を辞職した菅原一秀前経済産業相の問題が影を落とす。
共産、立憲民主両党は共倒れを防ぐため、1、2人区で候補者調整を加速。共産は31人、立憲は28人を公認して議席の上積みを狙う。両党は選挙戦で東京五輪・パラリンピックの延期や中止を訴え、自民などとの差別化を図る。
さらに日本維新の会が9人、国民民主党が4人、「古い政党から国民を守る党」が4人、れいわ新選組が3人、地域政党「東京・生活者ネットワーク」が3人をそれぞれ公認。新型コロナウイルス対策や五輪開催の是非をめぐり、各党間で激しい論戦が交わされそうだ。

●次に勝つのは誰なのか 東京都議選 5/26
東京都議会議員選挙の告示まで1か月を切った。“夏の首都決戦”は、これまで何度となく、その後の国政にも大きな影響を与えてきた。
このため、各党の力の入れようは、一都道府県議会の選挙にとどまらない。もちろん、今回もしかりだ。ことし10月に任期満了を迎える次の衆議院選挙が、もう目前に迫っている。各党は、今回の都議選に国政選挙並みの態勢で臨む方針だ。
では、今回の都議選の行方を左右するのは、いったい何なのか?
「小池知事」と「五輪・パラ」をキーワードに解説する。
「知事はどう動く?」
今回の都議選は、6月25日(金)告示、7月4日(日)投開票の日程で行われる。
われわれの取材で、政党の関係者や都の幹部から異口同音に発せられる質問がある。
「いったい、知事はどう動くの?」
去年7月の都知事選で再選を果たし、2期目に入った小池百合子は、現在、地域政党「都民ファーストの会」の「特別顧問」という立場だ。
4年前の都議選では、知事であると同時に、地域政党の「代表」として先頭に立ち、都民ファーストの会の躍進を牽引した小池。
だが、選挙直後に「都知事の職務に専念したい」などとして代表を退任していた。とはいえ、素直に考えれば、都民ファーストの会を支援するのが自然なはずだ。
5月21日の定例記者会見で、今回も都民ファーストの会を支援するのかどうか、ストレートに聞いてみた。
すると、「今はコロナ対策に集中」と強調したうえで、次のような答えが返ってきた。
「都民ファーストの会の皆さんは、受動喫煙防止対策とかITとか5Gとか、専門家が結構、議員としておられるのは、東京や都政をブラッシュアップするという意味でも、また、色々な提案をいただくことでも、大変大きな役割を果たしてこられている。
まず都民を第一に考えて行動される改革派にはエールを送っていきたい」
都民ファーストの会への一定の評価や期待は感じられたが、支援の明言はなく、慎重な言い回しが印象に残った。
“振れ幅”は大きく
4年前・2017年の都議選。
投開票日まで残り1か月に迫る中、地域政党の代表に就任した小池は、旋風を巻き起こした。
都民ファーストの会が擁立した50人のうち、49人が当選。追加公認を含めると55議席を獲得し、都議会第1党に駆け上がった。
これに対し、小池から“古い議会”と位置づけられた自民党は、改選前の57議席から23議席と半分以下に減らし、過去最低を大きく割り込む歴史的大敗。
まさに旋風に吹き飛ばされた形となった。
最近の都議選は振れ幅が大きい。
12年前の2009年は、民主党(当時)が54議席を獲得して第1党となり、その勢いで、8月の衆院選でも圧勝。
政権交代を果たした。
8年前の2013年は、前年末の政権奪還の勢いそのままに、自民党は、擁立した59人全員が当選して第1党となる圧勝。
安倍長期政権の流れをつくった。
ここ3回の都議選では、その時その時で最も勢いのある政党が一気に議席を伸ばす現象が続いている。
「都議選はその後の国政を占うバロメーター」
各党が国政選挙並みに力を入れる理由が、そこにある。
もちろん、その後の都政運営にも直結する。
都の幹部は、小池が今回の都議選への態度をまだ明確にしない理由をこう解説した。
「知事は、世論の動向を見極めることに長けている。政党間の選挙協力の構図も、前回とは異なる。選挙後の都議会の勢力図を見据え、情勢をぎりぎりまで分析して、対応を決めるのではないか」
各党の思惑は
都議会に議席を持つ主要政党は、小池の動きをどう見ているのだろうか。
第1党の都民ファーストの会は、当然のごとく、今回も小池の全面支援を期待する。
ことし1月の千代田区長選では、都民ファーストの会の都議会議員を辞めて挑戦した候補が、自民・公明両党が推薦する候補を破って当選。小池は、選挙カーに乗って区内を回り、最終日には街頭で演説に立つという力の入れようだった。
所属議員からは「“小池人気”は健在だ」と安堵の声が上がった。
⼀⽅で、都⺠ファーストの会は、足並みの乱れに悩んできた。4年前の都議選のあと、離党や除名などが相次ぎ、所属都議は55人から46人に減少。今回、立候補しない現職の都議もいる。小池を党の「顔」として前面に押し出したい都民ファーストの会。この4年間、小池と連携し、「車の両輪」として改革を進めてきた自負もある。
「知事を支える勢力」とアピールすることで、小池支持層を取り込みたい考えだ。
これに対し、第2党の自民党は、都民ファーストの会に小池がなるべく肩入れしないことを期待する。
実は、小池の知事就任以降、対立姿勢を示してきた自民党だが、去年から、じわじわと歩み寄りを見せている。
去年3月、それまで2年連続で反対してきた都の当初予算案の採決で、3年ぶりに賛成に転じた。去年の都知事選でも対立候補の擁立を見送り、小池側も、国の予算編成にあたって自民党都連に直接、要望を行うなど、これまでにはなかった動きを見せ始めている。
自民党関係者は、「『小池の敵』と見られ続けるのは選挙で不利に働きかねない」と接近の意図を説明する。一方、「小池にも、安定した都政運営を行うには国政与党と良好な関係を保つ必要があり、対立関係を続けるのは得策ではないという考えもあるのだろう」といった分析もある。
果たして、双方にとって “win-win”の関係は構築されるのか。
今回の都議選で、前回と最も異なる対応を選択したのが、公明党だ。
都議選は、公明党にとって最も重要な選挙の1つで、過去7回連続で擁立した候補全員が当選している。公明党は、前回、小池を支持する立場から都民ファーストの会と選挙協力を結んだが、今回の選挙協力の相手は、自民党。
この対応の変化の背景にあるのは、次の衆院選だ。
公明党が候補を擁立する都内の小選挙区では、ベテラン議員から若手に世代交代する。また、比例代表でも近年、得票が減っており、東京ブロックで今の2議席維持が難しくなってきているという指摘もある。
コロナ禍で公明党が得意とする地道な地元まわりも思うように進まず、衆院選での議席の死守に向けて、都議選では自民党に対し、いわば「恩を売る」という戦略だと関係者は解説する。この自公連携が、小池が態度を明らかにしない大きな要因の1つだと見る関係者は多い。
小池が都民ファーストの会を全面的に支援する中で、自公両党が、都議会の多数派となれば、その後の都政運営が難しくなるからだ。ある自民党関係者は、自公の躍進に期待を示したうえで、「小池に『寝てもらう』(=動かないでもらう)環境は整いつつあるが、何をしてくるかわからないのが小池だ」となお警戒の色を隠さない。
こうした3党の間に割って入りたいのが、都議会第4党の共産党、第5党の立憲民主党だ。両党は今回、1人区、2人区を中心に、候補の一本化を進めている。強調するのは、小池との対立軸だ。
これまでに31人の擁立を決めた共産党は、都民ファーストの会も自民党も公明党も「知事に付き従っている」と批判し、3党の立場には違いがないと訴える。都議選の構図を、3党VS共産党という形に持ち込みたい考えだ。
一方、立憲民主党は、これまでに27人を公認していて、都議会の第2党を狙う。
健全な都政運営にするためには都議会がチェック機能を果たす必要があるとして、その役割を担いたい考えだ。都議会で足場を築き、来たる衆院選に向けて勢いをつけたいとしている。
このほか、日本維新の会は9人を擁立予定。
前回の都議選に都民ファーストの会から立候補して当選し、その後、党運営を批判して離党した音喜多駿が、今は参議院議員として所属する。
また、東京維新の会は「今の都議会には、批判すべきは批判し、後押しすべきは後押しする政党がない」として、小池都政に「是々非々」の態度で臨むと主張する。
東京・生活者ネットワークは、3人が立候補予定。
前回は、小池が率いる都民ファーストの会と選挙協力を行ったが、今回は立憲民主党と選挙協力する。住まいと職、医療・介護・教育の充実を掲げ、「東京を生活のまちに」をスローガンに、現有1議席からの上積みを目指す。
各党が共通して意識しているのは、小池との距離感だ。小池の動向を、各党が固唾をのんで見守っている。
五輪・パラは開催?中止?
ここに来て、大きな焦点に急浮上してきたのが、東京五輪・パラリンピックへのスタンスだ。新型コロナウイルスの厳しい感染状況が続く中、「開催」か「中止」かについては、各党の主張の違いが鮮明となりつつある。
NHKの5月の世論調査で、どのような形で開催すべきと思うか聞いたところ、「中止する」が49%。「これまでと同様に行う」は2%、「観客の数を制限して行う」は19%、「無観客で行う」は23%。「中止する」がおよそ半数にのぼる。
東京五輪の開幕は7月23日。7月4日の投開票日は、その直前だ。
共産党は「大会開催とコロナ対策が両立しないことは明らかだ」として、大会の中止をただちに決断し、コロナ対策に全力集中すべきだと強く訴える。
1ワクチン接種が間に合わず、2世界各地の深刻な感染状況では全世界のアスリートが同じ条件でフェアに競い合う大会にならず、3大会のために医療現場から医師や看護師を引きはがすことに現実性がないことを理由に挙げる。
「コロナ感染拡大の第4波に直面して『東京に来ないで』と言いながら、五輪については『東京に来て』という矛盾した態度だ」と小池の対応を痛烈に批判する。
立憲民主党も、枝野代表が、コロナの感染が拡大する中で十分な医療体制が確保できなければ中止か延期にせざるをえないという認識を示すなど、大会の開催には慎重な姿勢だ。
一方、自民党、公明党は、「安全・安心の大会の開催を」と繰り返し主張する。
自民党は、科学的な知見を踏まえたコロナ対策の徹底と、地域医療への影響を最小限に抑えた医療体制の整備など、現在の都内の感染状況を踏まえた形で開催準備を着実に進めていくことを都に求めている。
公明党も、感染の拡大を防ぐため、水際対策をしっかり行ったうえで、安心・安全な大会の実現に向けて力を尽くしていく考えだ。
都民ファーストの会も、現時点では同様の姿勢だ。
現時点では開催を支持する都議会の関係者からも、こんな指摘が漏れる。「無観客での開催なのか、有観客での開催なのか、決まっていない状況では、五輪・パラについて、有権者に説明することは非常に難しい。最終的に、どう転ぶかわからないし、誰も感染状況を見通すことはできない。だから今は、演説でもあえて触れないようにしている」
日本維新の会は、五輪・パラを推進する立場に変わりはないとしつつ、コロナへの対応が流動的であり、感染の状況を見極める必要があるとしている。
一方、東京・生活者ネットワークは、声明を出し、「変異株の脅威にさらされている局面で、ワクチン接種は緒についたばかりだ」などとして、1日も早く開催中止を決断するよう強く求めている。
カギを握るのは1・2人区
都内の1100万人を超える有権者は、各党の主張や政策を見極め、投票先を選ぶことになるが、都議選全体の帰趨を大きく左右するのは、1人区、2人区の勝敗だと言える。
特に、ここ3回の選挙では、まるでオセロゲームのように結果が置き換わっている。
7つある1人区の選挙区を見ると、2009年は《民主5・自民1・無所属1》、2013年は《自民7》、2017年は《都民ファースト6・自民1》と、いずれも、第1党となった政党が最も多く勝利している。
2人区でも、第1党となった政党が半数以上を得る結果となっている。
今回も、この1人区、2人区でいかに議席を確保できるかが、都議選全体の勝敗のカギを握るのは間違いない。
勢いはどこの党に…
都議選の告示まで1か月あまりとなった5月21日の知事定例記者会見の直後。小池は、総理大臣官邸に姿を現し、菅総理大臣と向き合った。
“身内”の都の幹部からも「この時期の面会はいろいろな憶測を呼んでしまいそうだ」と懸念の声すら上がった約30分間の会談。
コロナ対策やワクチン接種などの意見交換がメインだったという会談のあと、小池は記者団に対し、五輪・パラリンピックについて、「コロナ対策をしっかりして、安全・安心な大会にすべく、連携していこうという話になった」と述べ、開催に向けて政府と連携することで一致したことを明らかにした。
政府も都も、五輪・パラは開催が前提だ。小池の動向、そして大会開催の是非が、どの党の「勢い」に結びつくのか。
都の幹部からは「振れ幅の少ない、安定した都議会になってほしい」といった声も聞かれるが、先行きはなかなか見通せない。
コロナ対策や超高齢社会への対応、首都直下地震への備えなど、課題山積の都政をただす責任を負う127の議席は、どのような彩りやグラデーションを見せるのか。
夏の戦いは、もうすぐそこまで迫っている。

●213人が立候補予定…都民ファに自公挑む  4/25
告示まで2か月となった東京都議選(6月25日告示、7月4日投開票)を巡り、127の定数に対して213人が立候補を予定していることが、24日時点での読売新聞のまとめでわかった。2017年の前回都議選では小池知事が率いた地域政党・都民ファーストの会が第1党に躍進したが、今回は自民党が公明党との選挙協力を復活させて議席奪還を目指しており、都議会の勢力図が一変するかどうかが焦点になりそうだ。
現在、都議会で46議席を有する都民ファは、党の「生みの親」である小池知事を与党として支えてきた。これまでに党運営などへの反発から8人が離脱したものの、次期都議選でも第1党の維持を目指して全42選挙区中、36選挙区に新人4人を含む計44人をすでに公認し、ほかに現職3人が出馬の準備を進めている。1月の区長選で都民ファの元都議が当選した千代田区選挙区(定数1)でも候補者を擁立するため、公認に向けた調整を進めている。
前回選で過去最低となる23議席にとどまり、歴史的大敗を喫した自民は59人が立候補を予定している。千代田区選挙区でも近く候補者を固める見通しだ。自民は公明と合わせ、過半数となる64議席の獲得を最低勝利ラインに掲げる。昨年7月の都議補選では4選挙区で全勝して勢いづくが、定数3の目黒区選挙区などで候補者2人を擁立しており、関係者の間では「共倒れが心配だ」との声も出ている。
公明は現有議席と同数の23人を公認。過去の都議選で7回続けて達成してきた「全員当選」を今回も死守する考えだ。前回17年選では都民ファと共闘し、自民大敗の一因をつくったが、今回は国政と連動して自民との選挙協力を決定した。これに伴って都民ファと対立が深まっており、公認候補を出さない選挙区では自民の候補を支援する予定だ。
一方、ともに知事野党で、現有18議席の共産党は29人を公認し、7議席の立憲民主党は27人を公認し、党勢拡大を図る。共産と立民は1〜2人区の一部選挙区で、競合を避けるための候補者調整を進めており、立民の都連幹部は「野党共闘を進め、自公や都民ファーストの会に対抗していきたい」と強調する。
日本維新の会が6人を公認しているほか、現在は都議会に議席を持たない国民民主党やれいわ新選組なども擁立作業を進めており、議席獲得を目指している。
都議会は20年7月、各選挙区の人口の増減に合わせ定数配分の見直しを実施した。今回選から練馬区選挙区では前回選から1増の定数7、大田区選挙区では1減の定数7が適用される。 
 
 
 

 

●都議選 3
自民党

●自公、過半数届かず 菅政権に打撃―自民、都民ファと僅差で第1党― 7/5
衆院選の前哨戦となる東京都議選(定数127)が4日、投開票された。前回大敗した自民党は都議会第1党に返り咲いたものの伸び悩み、公明党と合わせて56議席と過半数(64)に届かなかった。小池百合子知事が特別顧問を務め、現在最大勢力を有する地域政党「都民ファーストの会」は議席を減らし、自民と僅差で第2党となった。立憲民主党と共産党は現有議席を上回った。
秋までに衆院選を控える中、自公は目標としていた過半数を獲得できず、菅政権に打撃となった。一方、議会の勢力が分散することで、小池氏の都政のかじ取りは難しくなりそうだ。
党派別当選者は自民33人、公明23人、都民ファ31人、立民15人、共産19人など。
都議選の投票率は42.39%で、前回(51.28%)を下回った。新型コロナウイルス対策のほか、感染拡大が懸念される中での五輪開催や観客入りの是非をめぐって論戦が交わされた。
全42選挙区に60人を擁立した自民は、前回選で都民ファと組んだ公明との選挙協力を復活。党幹部や閣僚を投入するなど組織的な選挙戦を展開した。現有25議席から上積みしたものの、過去2番目に少ない33議席にとどまった。23人を公認した公明は、8回連続の全員当選を果たした。
都民ファは現有46議席に対し、47人を立てた。4年前とは異なり公明の協力がない中での戦いとなったが、過労で入院した小池氏は選挙戦最終日に選挙区へ出向き、てこ入れした。
31人を擁立した共産と28人を公認した立民は、五輪の中止・延期を訴えた。主に1、2人区で候補者調整をして、都議選に臨んだ。
このほか、日本維新の会と地域政党「東京・生活者ネットワーク」はそれぞれ1議席を獲得した。

●個人都民税20%減税 自民が都議選公約に 6/8
7月4日に投開票が行われる東京都議会議員選挙に向け、自民党が選挙公約を発表し、個人都民税の20%減税を盛り込みました。
都議会自民党・山崎一輝幹事長「コロナを収束させてしっかり都民生活や経済再生、これをさらに加速をさせていく」
自民党の公約では、新型コロナウイルスの感染収束まで、個人都民税の20%減税と事業所税を50%減税することを打ち出し、「都民に還元することで、コロナ禍を乗り切りたい」と訴えました。
一方で、賛否が分かれている東京オリンピックについては、公約に盛り込まず、「政府のルールにのっとって、しっかり前に進めていく責任がある。中止や延期は考えていない」と説明しました。

●自民「五輪開催」触れず 都議選公約、減税主張 6/8
東京都議会自民党は8日、都庁で記者会見を開き、都議選(25日告示、7月4日投開票)の公約を発表した。新型コロナウイルス感染が収束するまでの間、個人都民税を20%、事業所税を50%それぞれ減税するなど16項目を列挙。東京五輪・パラリンピックに関しては、近く観客数などが決まる見通しであることを理由に公約で触れなかった。山崎一輝幹事長は「現時点で中止や延期は考えていない」と述べた。
山崎氏は、小池百合子知事の都政運営について「(コロナ対策などで)しっかりスクラムを組んで前に進めてきたが、是々非々で提言も伝えている」と説明。選挙戦で小池氏に応援を求めるかは明言を避けた。

●都議選「絶対負けられない」 下村氏、自民公認候補に 6/6
自民党東京都連は6日、都議選(25日告示、7月4日投開票)の候補者に対する公認証授与式を党本部で開いた。下村博文党政調会長は「絶対に負けてはならない都議選だ。厳しい状況だが、われわれも全面的に支えていく」と述べ、全力で支援する考えを示した。
都議会の定数は127。自民党は全選挙区に計60人を擁立する。都連の鴨下一郎会長は別の会合で、有権者に現金を渡した疑惑で衆院議員を辞職した菅原一秀前経済産業相=自民党を離党=の問題などに触れ、「それを乗り越え、しっかりと選挙を戦っていかなければならない」と訴えた。 
 
 
 

 

 
 
 

 

●東京オリンピック 1
開催の最終決断

●世界中から笑いものに…「五輪無観客」決断した菅政権のグダグダぶり 7/9
東京オリンピックで、東京や埼玉など1都3県の首都圏会場がすべて無観客となることが決定した。7月8日、IOCと政府、組織委員会などにより5者協議を終えた、丸川珠代五輪相はこう語った。 「緊急事態宣言が新たに東京都に発出されたことを受け、東京都の会場は無観客とすること。緊急事態措置が講じられていない区域については、地域の状況をふまえ、首長と協議のうえ、具体的な措置を決めることで合意を得たところ」
大会組織員会の橋本聖子会長も、以下のように続けた。 「きわめて限定した形で大会開催を余儀なくされたことは、大変残念であります。大会を楽しみにされていたチケット購入者の方々、各地域の皆さまには大変申し訳なく思っております」
組織委員会は9日、無観客開催となったことを受け、販売済みのチケットの総セッションの約95%を払い戻すと発表。しかし、チケット当選者は当然のように不満の声をあげる。

●五輪、開催判断「6月末が限度」 選択肢に再延期なし 5/19
国際オリンピック委員会(IOC)の元副会長で最古参委員のディック・パウンド氏(79)=カナダ=が18日、オンライン形式による時事通信の単独インタビューに応じ、新型コロナウイルスの感染拡大により国内外で開催反対の声が出ている7月開幕の東京五輪について、開催可否の判断は遅くとも6月末までにすべきだとの認識を示した。同氏は「日本に来る人やスポンサー、テレビ、ラジオ局などのことを考えると、6月末までには開催か中止かを知る必要がある」と述べた。
パウンド氏は現状なら大会は開催できると期待しつつ、再延期の選択肢については「ない」と断言。その理由として、大会経費のさらなる負担を強いられる上、来年は2月の北京冬季五輪など競技日程が固まっていると説明。「選択肢は二つ。開催か中止だ」と語った。 
大会中、選手村や競技会場でクラスター(感染者集団)が発生した場合の対応については、「日本の公衆衛生当局が『危険過ぎて続行できない』と判断したら、IOCなどと協議して日本は決断しなければならない」と述べ、打ち切りもあり得るとした。
コロナ対策により、東京五輪の観客は海外からの受け入れを断念したが、国内客の扱いについては6月に決まる予定。パウンド氏は「上限なしにはできそうにないが、いくらかは容認されると思われる。ただ、必要なら無観客で開催することは可能だ」とし、無観客もやむなしとの考えを語った。

●なぜ日本政府は東京五輪を中止しないのか 事態は簡単ではなく 5/15
東京オリンピックの開始まで約2カ月となり、パンデミックを前に開催を中止するよう求める声は日に日に高まっている。ではなぜ日本政府は、中止について何も言わないのか。事態はそう簡単ではないというのが、その理由だ。
日本の状況は芳しくない。
新型コロナウイルスの感染状況が悪化するに伴い、緊急事態宣言が東京を含む4都府県で延長され、さらに3道県に拡大されることになった。
それでも、東京オリンピック・パラリンピックの中止について、政府からの発言はない。医療関係者も世論も、大多数は予定通りの開催に反対しているのだが。
最近の国内世論調査では、70%近い人が、7月23日からの予定通りの開催を望んでいない。しかし、国際オリンピック委員会(IOC)は依然として、大会は実施すると強い姿勢を堅持している。
東京五輪はそもそも昨年夏に予定されていた。そして日本政府はかねて、大会は確実に安全に実施すると、一貫して主張してきた。
それでも10日の衆議院予算委員会で菅義偉首相が、「私はオリンピックファーストでやってきたことはありません。国民の命と暮らしを守る。最優先に取り組んで来ている」と野党の質問に答えた。この日の答弁では世論の圧力に初めて姿勢を曲げたかのようにも見えたが、14日の記者会見では「国際オリンピック委員会は7月開催を既に決定している」と、従来の主張を繰り返した。
ではいったい、五輪中止を決める権限はいったい誰にあるのか? そして、中止はあり得るのだろうか?
中止への手順は?
IOCと開催都市・東京都の契約(日本語版はこちら)は、明確だ。開催契約を解除し、開催を中止する権利はIOCのみにある。開催都市側に、その規定はない。
なぜかというと、オリンピック大会はIOCの「独占的財産」だからだと、国際スポーツ法を専門とするアレクサンドル・ミゲル・メストレ弁護士は、BBCに説明した。オリンピックの「所有者」として、開催契約を解除できるのはIOCなのだという。
契約解除、つまり開催中止の正当な事由としては、戦争や内乱などのほか、「IOCがその単独の裁量で、本大会参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合」という項目が記載されている。パンデミックはこの、深刻な脅威に相当するのではないかという主張もあり得る。
オリンピック憲章にも、「選手のための医療と健康対策を促進し支援する」、「安全なスポーツを奨励」という規定があると、メストレ弁護士は指摘する。
しかしこうした諸々にもかかわらず、IOCはなんとしても大会を実施するつもりに見える。
それでは、IOCの意向に反して日本が自ら率先して、開催をやめることはできるのか?
「この開催都市契約の様々な取り決めのもと、もし日本が一方的に契約を解除する場合、それによるリスクや損失はもっぱら地元の組織委員会のものとなる」と、豪メルボルン大学のジャック・アンダーソン教授(スポーツ法)はBBCに話した。
スポーツ法に詳しいアンダーソン教授によると、この開催都市契約はよくある内容のもので、東京都はもちろん内容を承知して締結した。東京都が承知していなかったのは、パンデミックの発生だ。
「契約はいくつかの不測の事態は予見できるものの、現状の性質は言うまでもなく前例がないものだ」と教授は言う。
「オリンピックは最大のスポーツイベントで、日本とIOCにとっては放送権とスポンサーシップという意味で数十億ドル規模がかかっている。巨大イベントなだけに、全ての当事者に巨大な契約上の義務が伴う」
つまり、日本とIOCが開催都市契約の枠組みの中で、共に中止を決定することが、唯一の現実的なシナリオになる。
もしそういう展開になれば、ここに保険という要素がからんでくる。IOCは保険に入っているし、地元の組織委員会も保険に入っているし、放送各社やスポンサー各社も保険をかけているはずだ。
「もしも東京五輪が中止になるなら、こうした大会に関わる保険金支払いの案件として、おそらく過去最大規模のものになるはずだ。紛れもなく」と、アンダーソン教授は言う。
保険金は大会主催者側の経費実費は補償する。しかし、五輪開催を期待して日本国内で行われた数々な関連投資はほとんど補償されない。たとえば、海外から観客が押し寄せると期待して各地のホテルやレストランが投資した改修費などは、取り戻せない。
相次ぐ批判
現時点では、五輪開催は不確定なままだ。
ここまでの道のりも難関続きだった。昨年実施のはずが1年延期され、聖火リレーは何度も何度も中断された。海外からの一般観客受け入れは中止。そして今や、完全に無観客で空のスタジアムで競技をするという選択肢さえ検討されている。
開催の是非について発言する選手は少なく、おそらく自分たちも悩み、揺れているのではないかと想像される。代表選手になったアスリートにとってオリンピックは長年の訓練の末に獲得した、競技生活の大きなハイライトのひとつだ。
同時にその一方で、パンデミックの渦中、個人や大勢の健康が不安視されている。
日本有数のスター選手、テニスの大坂なおみ選手は五輪について発言した数少ない1人だが、その大坂選手も慎重なためらいを口にするにとどまった。
大坂選手は今月半ば、「私はアスリートなので、もちろんオリンピックは実現してほしい」と述べつつ、「あまりにたくさん大事なことが起きていて、特にこの1年間」と慎重だった。
「私にとって、もし人をリスクにさらすことになるなら(中略)もちろん話し合うべきだし、今そうなっていると思う。結局のところ私はただのアスリートで、今はパンデミックの最中なので」と、大坂選手は話した。
「でも人として考えたとき、私たちはパンデミックのただ中にあると言えるでしょうし、みんなが健康でなければ、そして安全だと思えなければ、それは間違いなくとても心配なことです」
パンデミックの中でオリンピックを開くのは適当だと思うかという質問には、「率直に言って、確信がもてません」と答えた。
千葉県によると、アメリカの陸上チームが県内で予定していた東京オリンピックの事前合宿を取りやめた。「選手の安全面に関する懸念」が理由だという。これを受けて千葉県の熊谷俊人知事は、「中止の判断は大変残念ではあるものの、米国陸連が現在の状況下での最善策として判断したものと考えています」とのコメントを出した。
五輪開催に関わる大勢が同じように、不確実な状況に揺れている。
各国の選手団を受け入れる「ホストタウン」については、すでに40以上の自治体が感染拡大の懸念から、交流事業や事前合宿の受け入れ中止を決めたという。
また、茨城県の大井川和彦知事は12日、大会組織委から選手用の専用病床を確保するよう打診されたものの、「県民より選手を優先できない」として断ったことを明らかにした。五輪開催については、「必ずやらなければいけないことではない。状況に応じて中止の判断もあり得る」と発言している。
さらに、医師の労働組合「全国医師ユニオン」は13日、「コロナ禍においては安心・安全なオリンピックの開催などありえない」として、「政府に対しては、オリンピック選手や関係者の苦悩を考慮し、医療従事者への社会的要請を明確にするためにも、1日も早いオリンピック開催中止の決断を求めるものである」という要望書を日本政府に提出した。
五輪中止そのものを求める意見ばかりではないものの、反対の声が国民や医療関係者の間で高まる中、開催を不安視する人も増え続けている。
金銭だけの問題ではなく
五輪中止で問題になるのは、金銭だけではない。
もし東京大会が中止となった場合、次にすでに予定されているのは2022年2月開幕の北京冬季五輪だ。
アジアで日本と勢力を競い合う中国開催の大会が次に控えているとあっては、日本政府は出来る限りのことをして東京大会を実現しようとするはずだと、これが大方の見方だ。
日本で前回、夏季五輪が開かれたのは1964年の東京五輪だ。当時は、第2次世界大戦後の日本の復興と再建を表す重要な象徴だと、オリンピックはみなされていた。
今回の東京五輪も、日本にとって象徴的な意味合いがあると、アンダーソン教授は説明する。
「日本ではもう長いこと経済が停滞していたし、津波と福島の原発事故もあった。そのため、東京五輪は日本復興の象徴となったはずだ。そういう意味では特に大事な大会だ」
究極的に、大会を実施すべきかどうかの議論は、実際に実施されるかどうかとは別の話になる。近代五輪の歴史で、オリンピックが中止されたのは過去3回のみ。1916年と1940年と1944年の大会中止はいずれも、世界大戦がその理由だった。
それだけに、どれだけ逆風が高まろうとも、IOCが中止を検討さえしようとしない姿勢から、五輪に詳しい人の多くは東京大会は予定通り7月23日に始まるだろうと見ている。それがどういう形での開催になるのかは、まだ不透明だ。

●東京五輪の観客上限6月に判断へ、国内規制準拠が基本 4/28
東京五輪・パラリンピック組織委員会と政府、東京都、国際オリンピック委員会(IOC)、国際パラリンピック委員会(IPC)の代表者は28日、残り3カ月足らずに迫った大会開催を巡り協議し、国内観客の受け入れについて6月に判断することで合意した。上限は国内イベント規制に準じることを基本とすることでも一致した。
5者が共同声明で発表した。声明によると、合意内容は新型コロナウイルス変異株への感染が日本国内で急増している状況も踏まえて決めた。IOCとIPC、組織委は安全な大会を実現するため、大会関係者の削減に引き続き努めるとしている。
協議には組織委の橋本聖子会長のほか、丸川珠代五輪相、小池百合子都知事、IOCのトーマス・バッハ会長、IPCのアンドリュー・パーソンズ会長が参加し、オンライン形式で開催した。
橋本氏は協議後に会見し、「ぎりぎりの判断として無観客という覚悟は持っているが、状況が許せば、より多くの観客に見てもらいたい」と発言。医療に支障をきたすような状況が想定される際は、無観客も決断すると述べた。5者間では五輪を開催すること自体は合意したという。  
世界的に新型コロナ感染の収束が見通せない中、3月下旬の5者協議では既に海外観客の受け入れ断念を決めた。国内でも変異株の感染が急拡大しており、橋本会長は21日、当初4月中に決める予定だった国内観客数(会場動員)の上限について「どの時期に最終判断するか調整中。6月も選択肢」と述べていた。
安心安全な大会運営を最優先課題とする組織委やIOCにとって、今後は外国の選手や大会関係者が入国する際の水際対策に加え、大会での徹底した感染対策が課題となる。
組織委によると、東京大会では現時点で国内観客向けに五輪約364万枚、パラリンピック約77万枚の計約441万枚の観戦チケットが販売済み。昨年12月に公表した予算計画ではチケット収入を900億円と計上していた。
東京都は25日から3回目の緊急事態宣言に入っており、五輪を想定したテスト大会でも観客受け入れ体制の見直しを迫られている。組織委は23日、5月9日に国立競技場で開かれる陸上大会の無観客開催を決め、日本バレーボール協会も1、2日に予定する大会を無観客で実施すると発表した。

●東京オリンピック中止の想定が進む?業種別の影響と対策 4/15
新型コロナウイルス流行の収まりは見えないなか、東京オリンピックの開催を巡っては、「本当に行われるのだろうか」と疑問の拭えない状態が続いています。また、東京オリンピックの中止や開催については、ニュースやネット情報でも憶測ばかりが先走り、明確な方向性が示されず心配な方も多いでしょう。 特に店舗経営をされている方は、集客の見込める「東京オリンピック」という一大イベント開催の行方は常に注目されていることでしょう。そこで本記事では、いつどのような決断が下されても対応できるよう、業種別の対策とおすすめのサービスをご紹介いたします。
東京オリンピック中止に関する最新の動き
政府によると、7月23日から予定されている東京オリンピックの中止や開催については、今まで明確な言及が無い状態で、開催に向けた準備が進められています。度重なる緊急事態宣言に続き、まん延防止等重点措置の適用がなされる中で現在、東京オリンピック中止に関する最新の動きに注目が集まっています。
   中止の可能性を政府が言及(2021年4月15日時点)
2021年4月15日、自民党の二階俊博幹事長は「これ以上とても無理だということだったらこれはもうスパッとやめなきゃいけない」と述べ、新型コロナウイルスの感染状況次第では中止もあり得るとの見方を示しました。その後すぐに「何が何でも開催するのかと問われれば、それは違うという意味で発言した」と釈明する文書を発表していますが、政権幹部が中止の可能性に言及するのは異例であり、東京オリンピックの中止が選択肢にあることを示した形となりました。
   聖火リレーに関する動き
東京オリンピックの代名詞ともいえる「聖火リレー」は、福島県を皮切りに3月25日から各地でスタートしています。聖火リレーは121日かけて全国を巡り、最終的に7月23日の開会式で東京・国立競技場の聖火台に灯される予定となっています。各地の観光名所などを回るルートは延期前の計画とほぼ同じで「密集」を避けるよう呼びかけられていますが、各自治体によっての方針が異なっているようです。
   組織委員会の変更
長期にわたり東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長を務めていたの森喜朗氏は、女性蔑視の発言をめぐり会長職を辞任しました。後任の橋本聖子会長は、女性理事の割合を40%に引き上げることを目標に掲げています。3月3日に行われた評議員会では、理事の人数に関する定款の変更を決議しました。具体的には人数の上限を35名から45名に変更し、12名を理事に選任しています。
   緊急事態宣言下での開催(2021年6月4日時点)
さらに、IOCのジョン・コーツ調整委員長は5月21日、たとえ東京で新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が発令されていても、東京オリンピックは実施すると発言しています。6月現在、全国10都道府県で3回目となる「緊急事態宣言」が出されており、6月20日まで延長することが決まっています。一方で、6月4日、コロナ分科会の尾身会長は「緊急事態宣言が出ている状況での開催は避けるべき」との認識を示しました。東京オリンピックの開催をめぐっては現在、政府は宣言下でも開催するかどうかについては明言を避けています。
東京オリンピックは中止になるのか?
東京オリンピック2021の開催まで約1ヵ月半に迫り、開催に向けた準備が行われています。しかし新型コロナウィルスの状況を踏まえて中止を求める世論が高まっているのも実情です。ここからは、コロナ禍の状況次第という側面も踏まえた上で、今後の状況を確認していきましょう。
   2020東京オリンピックが中止・延期となった理由
新型コロナウイルスの世界的なパンデミックによって、1年程度の延期とすることを発表しました。延期に至る理由として「WHOから提供された情報をもとに、アスリートやオリンピックの関係者全員、国際社会の健康を守るため、IOC会長と日本の首相は、2021年夏を過ぎない日時でスケジュールを変更すべきという結論に至った」と説明しています。その後、延期となった東京オリンピックのスケジュールを発表し、今年の2021年7月23日に開幕するという決定をしました。
   インバウンド観戦客の受け入れを断念
国際オリンピック委員会(IOC)や東京2020組織委員会など国の5者によるリモート協議で、東京2020大会における海外観客の日本への受け入れを断念する旨の最終合意をしました。日本側が安全・安心な大会を実現するために海外在住者の受け入れ見送りを報告し、IOCらが了承した形です。海外在住者が購入した東京オリンピック・パラリンピックチケットは今後払い戻しされるということですが、返金対応の遅れや、支払った代理店への手数料が返金されない可能性があるなど様々な問題が錯綜しています。
   東京オリンピック中止、延期の可能性は
現時点では、競技におけるテスト大会の延期や公道での聖火リレーの中止など、コロナ禍で迎える大会の難しさが改めて浮かび上がっています。このまま開催されるのか、世論や状況を踏まえて中止や延期になるのかは今後も注目されていくでしょう。また、将来的に予定されている4年後のパリ大会や8年後に控えるロサンゼルス大会を先延ばしにして、2024年まで東京オリンピックが延期すべきという意見もあるようです。IOCのバッハ会長は2021年3月10日、改めて東京五輪の開催について「いまのところ開会式が7月23日に行われることは間違いない」と明言しています。また、「東京五輪の中止・再延期の臆測は相手にしない」と、中止や延期の可能性を完全に否定しており、予定通りの開催を強調しています。さらに国際オリンピック委員会も、再延期という選択肢には否定的な見解を述べていますので、現時点で中止や延期の選択肢は無いということができるでしょう。感染対策の徹底を意識しながらの開催の予定となりますが、今後の状況次第では判断の変更も予想されますので、引き続き動向のチェックが必要といえます。
   中止の条件は?
本来、オリンピックの定義には、「中止」や「延期」の条件や概念というものは存在しません。しかし昨年2020年のオリンピックは、史上初となる「延期」という選択がなされました。この「延期」という選択肢は、一般的にはそれほど重い印象ではないかもしれません。しかし、歴史上、都市国家間の戦争を休戦してまで開催されてきた「オリンピズム」という哲学から考えると、「延期」はありえない選択と言えるのです。元々、オリンピック憲章に「延期」の文言は無く、あるのは「中止」だけなのです。過去には戦争を休戦することができずに中止になったケースがありますが、休戦が実現できなかった歴史を刻むことで、世界平和構築への希求をつなげることが「オリンピック」の信念とも言えるでしょう。結論、オリンピックの理念である休戦思想を貫くためには、戦争以外の理由で開催を諦めることはできないというIOCの断固とした決意の表れでもあります。しかし、現在のコロナ禍においては、長い歴史が変わっていく可能性は誰も否定できない状況に直面していると言っても過言ではないでしょう。
   最終決定が下される時期は?
各メディアでは、東京オリンピックの今夏開催に関する世論調査が行われています。国内外の調査ではいずれも、コロナ、制約、不況下の経済減退等の理由で、開催への反対意見が圧倒的多数を占めている状態と言えるでしょう。政府や大会組織委員会は感染防止策として、観客数の削減や、海外からの観客受け入れ断念、無観客での開催といったシナリオで進めていますが、開催を支持する人の少ないことは数字として表れているのが実情です。
これまでの流れを踏まえると、開催に向けた決定事項が積み重なって準備が進められています。最終決定が下される時期といった「区切り」は断定されないという見方が強いのではないかと予想されるでしょう。
東京オリンピック中止に対する世論
東京オリンピック中止を訴える世論の声は高まっています。実際の声について、twitterの投稿を参考にチェックしてみましょう。
皆コロナと闘うだけで精一杯です どうか賢明な判断を 今は無理です#東京オリンピック中止
東京オリンピックの開催に強く反対する。政府は専門家のこの発言に明確な回答をすべきだ。新型コロナウイルスによって、我々国民の生命と財産が危険に冒されている。その中で開催すべきではない。
飲食店を閉めてオリンピックを開催する どこを見て政治をしているんだ。 飲食店はつぶれても良いのか? スポンサー企業の不買運動するしかない・・・
東京オリンピック中止における経済損失
東京オリンピック中止における経済損失のデータは、分析する期間や計算する項目などによって試算した金額が異なります。関西大学の宮本勝浩名誉教授が発表したレポートを参考にしてみましょう。東京オリンピック開催が1年延期された場合の経済的損失は、大会延期にかかる諸費用(約4225億円)+大会延期で失われる経済効果(約2183億円)として、約6408億円と算出されています。また、2021年1月22日発表の試算では、2021年の東京オリンピック・パラリンピックが無観客で開催されたときに失われる経済的損失額は、約2兆4,133億円にのぼることが明らかになっています。
【経済的損失】東京オリンピック・パラリンピック
(1)1 年延期による経済的損失:約 6,408 億円(2020 年 3 月 19 日発表)
(2)簡素化による経済的損失:約 1 兆 3,898 億円(2020 年 11 月 10 日発表)
(3)無観客開催による経済的損失:約 2 兆 4,133 億円(本報告書にて発表)
(4)中止による経済的損失:約 4 兆 5,151 億円(2020 年 3 月 19 日発表)
東京オリンピック中止により影響を受ける主な業種
   航空業界、バス・鉄道・タクシー業界
東京オリンピックのオフィシャルパートナーの日本航空(JAL)と全日本空輸(ANA)は、2020年度の予想売上高が前年比で6割前後の減少となっています。両社は、五輪特需を見越して新型航空機への大規模投資を進めてきたものの、納入延期となっています。また、政府が見込んでいた訪日観光客4000万人を失うことは航空業界にとって死活問題となります。陸路での選手の移動を担うバス会社や鉄道会社、タクシー会社も、航空会社と同様にダメージが大きいでしょう。コロナ禍によって人の移動が減ったことで、交通業界の多くの企業がすでに経営状況を悪化させており、東京オリンピックの中止は業績の低迷に追い打ちをかけると考えられます。
   ホテル、旅館業
東京五輪に向けて大型のインバウンド向け宿泊施設を開発してきた不動産会社が多数あります。特需のために先行投資をしていたホテル業者や民泊オーナーの中には、すでにコロナの影響で観光客が急減し、破たんや破たん寸前のケースも見られており、危機的状況と言えるでしょう。
   飲食業
仮に競技場に観客を入れて五輪が開催された場合、競技が実施される地域では、観戦者が多くのお金を飲食店に使います。インバウンド客の受け入れ断念が決定され、さらに、東京オリンピック自体が中止されれば、こうした観戦者の消費機会は丸ごと失われてしまうことになるでしょう。
   小売業
小売業もインバウンド客を含め、お土産等による売り上げが見込めなくなる業種のひとつです。 最大に盛り上がるオリンピックというイベントに加え、その時の想い出を残そうと関連グッズの購入機会も減るでしょう。
東京オリンピックに関わらずサービス業が今すべき対策
それでは、サービス業を営む店舗向けに、東京オリンピック開催に向けた有効なサービス対策をご紹介します。
   感染予防対策
新しい生活様式に対応できる感染予防を強化するためにも、ウイルス対策グッズやサービスは必要不可欠です。また、セルフオーダーシステムやキャッシュレスなどといった非接触・非対面のITツールの導入も検討しましょう。ITツールの導入を効率的に行うのであれば「IT導入補助金」がおすすめです。IT導入補助金は、業務効率ITツールを導入したい企業に向けて、最大450万円を補助してくれる仕組みとなっています。開店ポータルBizでは、店舗運営における様々な感染予防サービスのご提案をしております。
•感染症ウィルス対策をしたい
•スタイリッシュな家電で除菌対策を考えている
•セキュリティ管理を強化したい
•徹底的に衛生面にこだわったものを導入したい
まずは、どんなサービスが自店舗に見合っているか、専門アドバイザーが課題解決のために無料でお答えしております。まずはお気軽に資料DLからご活用ください!
   オペレーションを見直す
日々の店舗業務において、オリンピックの有無に関わらず「業務効率化」は必須課題のひとつです。この機会に、是非、基本となるオペレーションシステムの見直しをおすすめします。新たなシステム検討のタイミングで、業務効率化やコスト削減、集客についての戦略を再考してみましょう。
   キャッシュレス等の最新システムを導入する
現代社会において、キャッシュレス化はどんどん浸透していますので、キャッシュレスに対応していない店舗はお客様の選択肢に入らなくなってきているのが実情です。今後この流れは、コロナの影響で人との接触を避ける動きによりますます加速していくでしょう。さらに今後、外国人観光客も含め、集客を強化していくならば、キャッシュレスは必須であると言っても過言ではありません。キャッシュレス導入には以下のようなメリットが挙げられます。
•レジ業務の効率化
•顧客管理・対応がスムーズになる
•人的ミスの防止
•集客力アップ
•コロナ感染予防対策
キャッシュレスには、様々なタイプの端末やサービスがあり、それぞれ最新のシステムがどんどん登場していますので、自店舗のニーズに見合ったものを選んでいきましょう。
   WiFi環境を整える
外国人が日本に滞在中に必ずと言っていいほどチェックする項目のひとつにWiFi環境の有無があげられます。外国人選手やコーチは、WiFiを利用しなければスマホを使うことができません。そのためキャッシュレスなどと同様にWiFiは必須の店舗設備になると言えるでしょう。また、Wi-Fiを導入することで集客効果やお客様満足度の向上なのほかにも、キャッシュレス決済時の利用や配線まわりがスッキリするなどのメリットもたくさんあります。WiFiのあるスポットを通知できるサービス「WiFiチラシ」などのサービスもありますので、WiFiを効果的に集客に役立てられるよう、施策を打っておくと良いでしょう。
   トラブル対策を万全に
東京オリンピック開催時、コロナの状況はどう変化しているかはまだ先の見えない状態です。万が一に備えたトラブルの増加も視野に、対策を万全にしておきましょう。具体的には、店員とのトラブルや客同士の揉め事、迷惑行為も出てくるかもしれません。事前準備としては、スタッフ間でロールプレイングを実施し対応マニュアルを作成したり、監視カメラ(クラウドカメラ)の設置など、今後も役立つ対策を講じていきましょう。
   人員確保
今回の東京オリンピックでは、インバウンド客の受け入れを断念する決定が行われましたので、以前に懸念されていた人材の奪い合いのような問題が大きくなることはないでしょう。しかし、コロナ禍における状況変化も考慮し、急遽、人材が必要になった時にも対応できるよう、人員や人材確保の体制だけは整えて置くべきです。現在は、職種ごとに経験やスキルを持ち合わせた人材とマッチングし、即日の勤務に対応するサービス等もありますので、事前に頭に入れておくといざというときに役に立つでしょう。
とにかく感染予防対策はしっかりと!
コロナ化において欠かせないのが感染予防対策です。定期的に店内の除菌や消毒作業をしている旨をお知らせして置くことで、お客様に安心感を与えることができます。ワンプッシュで効果が持続する除菌スプレーや、強力を得られやすい消毒装置などもありますので、集客力をアップさせたい方は是非活用してみてください。
まとめ
本記事では、東京オリンピック中止の想定はどのくらい進んでいるのか、また開催や中止に関わらず、サービス業がしておくべき対策等について詳しく解説しました。世論としては東京オリンピックの中止が求められているものの、現時点では予定通り7月23日から東京オリンピックは開催される予定です。外国人観光客の受け入れは断念という形になりましたが、選手や関係者が宿泊施設や飲食店、お土産店に来店することは大いにあるでしょう。
 
 
 

 

●東京オリンピック 2
海外選手団 入国・参加規制
日本選手団 参加規制

●IOC、東京五輪参加選手のワクチン接種強化を呼び掛け 6/10
国際オリンピック委員会(IOC)のクリストフ・デュビ五輪統括部長は9日、東京五輪の参加資格を得た選手の約80%がすでに新型コロナウイルスワクチンを接種しているが、この割合を引き上げるよう呼び掛けた。
オンライン会見で、選手のワクチン接種率は「数日前に74%と発表したが、現在はこの数字をはるかに上回っている」と指摘。「われわれは目下、全ての国内オリンピック委員会および選手と連絡を取り、どこで支援できるかを確認している。一人一人と連絡を取り終えるまでこの活動を続ける」と述べた。
1万0900人の選手のうち、80%以上が参加資格を得ている。

●東京五輪 海外選手団、7月はじめまでの入国は約180人に 6/3
東京オリンピックについて、7月はじめまでに入国する海外の選手団が8か国、およそ180人にとどまる見通しとなったことが、JNNの取材で分かりました。
東京オリンピックに参加する海外の選手団では、今月1日にオーストラリアの女子ソフトボール代表チームが第一号として入国し、現在、群馬県太田市で事前合宿を行っています。
その後も来日に向けて各国と調整が進められていますが、7月はじめまでの入国を予定しているのが、今月16日に大阪府泉佐野市にウガンダの選手団、今月20日に秋田県大潟村にデンマークのボートチーム、今月27日ごろに静岡県島田市にシンガポールの卓球チームなど、全国8自治体に8か国およそ180人にとどまる見通しとなったことが新たに分かりました。
東京オリンピックでは選手団およそ1万1000人の来日が予定されていますが、コロナ対策の十分な態勢が整わず105の自治体が事前合宿や交流事業を取りやめていて、大半の選手団が大会直前に入国することになります。

●東京五輪控え選手へのワクチン接種進む、豪州の選手団一足早く入国。 6/2
6月1日、五輪選手団の第一号、オーストラリアから入国
新型コロナウイルス感染症の影響で1年延期となった東京五輪。現在のところ7月23日からの開催が予定されており、海外からの五輪選手団がこのほど日本に初めて入国した。第一号となったのは女子ソフトボールのオーストラリア選手団で、6月1日に入国した後、群馬県太田市に滞在し、大会に向けた事前合宿を行う。選手やスタッフ全員が来日前にワクチン接種を済ませ、滞在期間中は毎日PCR検査を実施するという。また、選手は宿泊先のホテルと野球場の往復以外は外出を自粛する。
日本への渡航「中止勧告」に引き上げた米国、選手派遣の影響はないとの見解
米国務省は5月24日、日本国内での新型コロナウイルス感染症の状況が悪化したことを理由に、日本に関する渡航情報を4段階で最も厳しい「渡航中止の勧告」に引き上げた。一方、米国オリンピック・パラリンピック委員会は声明を発表し、東京大会への選手団の派遣に影響はないとの見解を示した。バイデン大統領も、日本政府の努力を支持するとしている。米大統領報道官は、米国からの選手団派遣に関して「厳しい手続きを経て渡航する限定的な枠」で日本に渡航すると述べている。
各国、地域で代表選手へ進むワクチンの優先接種
タイやブラジルなど、世界各国でも五輪代表選手への新型コロナウイルス感染症ワクチンの優先接種が進んでいる。タイでは3月から代表選手の優先接種がスタートしているが、世界的に感染が終息していない中での大会開催への不安も広がっている。ブラジルでは5月12日から代表選手への優先接種が始まった。同政府は、東京五輪・パラリンピックに出場する選手やコーチら1814人に対し、接種を進めていくと発表しているが、一方で累計死者数が42万人を超え、感染の第2波が終息していない中での優先接種に批判の声も上がっている。フィリピンでも5月28日から東京オリンピックに出場する選手やスタッフへの優先接種が始まっている。
EU・イギリス首脳は五輪開催の支持を表明
EUの首脳は5月27日、東京五輪・パラリンピック開催への支持を表明した。海外メディアは、ワクチン接種をした日本人の割合がごくわずかであることや、日本国内の世論調査では五輪の中止を60%〜80%が望んでいるなどといった状況に触れた上で、日本とEUの両首脳が共同で「新型コロナウイルス感染症に打ち勝つ世界の団結の象徴として、安全・安心な形で五輪を開催することを支持する」との声明を発表したと報じている。英国のジョンソン首相は5月28日、日本の菅首相と電話会談し、五輪開催を支持しているとの考えを示した。菅首相はこの電話会談で、安全・安心な形で東京五輪・パラリンピックを開催するとの決意を伝えている。中国の習近平国家主席は5月7日、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長と電話会談し、習氏は「IOCと力を合わせて東京五輪の開催を支援したい」と述べている。また、2022年の北京冬季五輪についても「着実に準備を進めている」とアピールした。
韓国の世論「五輪を中止すべき」が78%
一方、韓国では開催を中止すべきだとの声も上がっている。韓国の世論調査会社リアルメーターが5月24日に発表した意識調査によると、東京五輪を「中止すべきだ」と答えた人が78.2%に上った。一方、「開催すべきだ」は13.4%、「分からない」は8.4%だった。年齢や地域に関係なく、東京五輪を中止すべきだという回答が多かったという。
日本の”オリンピック開催”問題を報じる海外メディア
日本への「渡航中止の勧告」を出している米国では、もし東京五輪が中止になれば、同国が来年の北京冬季五輪ボイコットに乗り出すとの見方もある。その背景には、新型コロナウイルス感染症の流行拡大を防げなかった中国が「人類による新型コロナウイルス感染症克服の象徴」として五輪を開催することは適切ではないとのムードが高まっているからだ。米『ブルームスバーグ』は、渡航中止勧告が、「五輪の開催に向けて、国民や国際社会の説得に苦労している日本にとって、新たな打撃になるだろう」と伝え、豪『オーストラリアン』紙も、「東京五輪を中止すべきでないと自国民に納得させようとする日本政府の希望に対する深刻な後退だ」と報道している。米国では、公衆衛生の専門家らがまとめた、東京五輪・パラリンピックでの新型コロナウイルス感染症対策が不十分だとする論文が医学誌に掲載された。論文には、大会の1年延長を決めた昨年よりも感染が広がっていると指摘し、日本のワクチン接種率は人口のわずか5%で、経済協力開発機構(OECD)加盟国で最も低いと書かれている。
IOC、五輪関係者にワクチンを無償提供
日本でワクチンを少なくとも1回は接種した人の割合は、5月27日時点で人口の約6.4%、接種を完了した人の割合は人口の2.4%となっている。先進国の集まりである経済協力開発機構(OECD)加盟37カ国中、最下位であることが海外メディアでも報じられている。そうした中、IOCは5月上旬、東京大会に参加する各国・地域の選手団に米ファイザー製のワクチンを無償提供すると発表。日本オリンピック委員会(JOC)は5月26日、6月1日から日本選手団らへの接種を本格的に始めることを明らかにした。開催まであと2カ月を切った今、来日する約9万4000人の五輪関係者の感染対策をいかに講じていくかが課題となっている。

●海外選手ら9万人受け入れ可能 五輪コロナ対策で政府 3/19
政府が、今夏予定される東京五輪・パラリンピックでの新型コロナウイルス対策について、選手や大会関係者ら海外からの入国者数を最大9万人と推計し、受け入れ可能と結論付けたことが19日、分かった。実際の入国者数は極力減らす方向で国際オリンピック委員会(IOC)などと調整する。一方、観客ら約100万人については対応困難とした。すでに大会組織委員会には説明しており、組織委や政府はこうした検討などを基に大会開催を実現したい考えだ。
複数の政府、組織委関係者が明らかにした。政府は大会期間中の入国者数について過去の大会実績を基に推計。選手約1万5000人に審判やコーチ、報道、スポンサーなど関係者を加えて最大9万人と仮定し受け入れが可能か検証した。
大会関係の入国者に対しては、行動範囲の限定や公共交通機関を利用しないことなどの必要な防疫措置を取る代わりに、2週間待機を免除する特例措置を適用する。政府は入国審査から健康管理まで一元的に把握できる「統合型健康情報管理システム」(仮称)を新たに構築。入国者には携帯端末へ専用アプリをダウンロードするなどの方法でシステムへアクセスしてもらう。また規制内容は変異株の流行を受けて厳格化する方向で検討している。
選手や関係者ら最大9万人については、システムでの対応が可能と判断された一方、100万人と見込まれる観客や観光客については、システム利用の順守や行動把握が困難で「現実的ではない」(政府高官)と結論付けた。
組織委は19日、政府やIOCなどとの5者協議を20日に開催すると発表。協議では海外からの観客受け入れを断念する方向で最終調整を進める。政府はシステム開発費として約73億円を今年度3次補正予算に計上。大会終了後は訪日外国人向けに活用することも想定している。

●政府、海外選手に対する入国制限の例外規定取りまとめへ… 2020/9
東京五輪・パラリンピックの開催実現に向け、政府は23日、新型コロナウイルス対策を検討する調整会議の第2回会合を開催する。海外選手団に対する入国制限の例外規定を取りまとめる方針だ。
政府や大会組織委員会は、選手らの行動範囲を限定することを条件に、現在水際対策として実施している入国後14日間の待機の例外とすることを検討している。選手らには出国前、入国時、競技前など複数回のPCR検査などを求める方向だ。行動制限を徹底させるため、違反規定も設ける方針で、国際オリンピック委員会(IOC)調整委員会に協力を要請する。
調整会議には杉田和博内閣官房副長官のほか、東京都や大会組織委の幹部が出席する。政府関係者は「入国制限緩和策などのコロナ対策をとりまとめ、IOCにしっかりとアピールしたい」と話している。 
 
 
 

 

●東京オリンピック 3
運営規制
密閉密集密接 拡大規制 強化

●東京五輪、来日選手もGPSで行動管理へ=武藤事務総長 6/10
東京五輪・パラリンピック組織委員会の武藤敏郎事務総長は9日、海外の報道関係者に加え、来日する選手も衛星利用測位システム(GPS)による行動管理の対象になるという考えを示した。
行動を逐一監視するわけではなく、問題が発生した場合に位置情報をさかのぼって確認すると説明した。
 
 
 

 

●東京オリンピック 4
観客規制
最悪 無観客

●東京五輪の海外観客受け入れ断念を決定、5者協議で合意 3/20
東京五輪・パラリンピック組織委員会と政府や東京都、国際オリンピック委員会(IOC)、国際パラリンピック委員会(IPC)の代表者らは20日、大会開催を巡り協議し、海外からの観客の受け入れを断念することで正式合意した。組織委の橋本聖子会長が協議後の記者会見で明らかにした。
組織委の発表文によると、世界の新型コロナウイルスの感染状況は変異株の出現を含めて厳しい状況が続いており、世界各国で国境をまたぐ往来が厳しく制限されている状況下では、今年の夏に海外から日本への自由な入国を保証することは困難だと説明。「すべての参加者及び日本の国⺠にとって、⼀層確実に、安全で安心な大会を実現するための結論」だとした。
橋本会長は会見で、「東京大会はこれまでとは全く異なる大会となるが、アスリートが卓越したパフォーマンスを持って、人々の心を動かす本質は変わらない。今の時代にふさわしい方法で人々をつなぐことができるよう、具体的な仕掛けの検討も進める」と述べた。協議はオンライン形式で丸川珠代五輪相、小池百合子都知事、IOCのトーマス・バッハ会長らが参加した。
丸川五輪相は記者団に対し、「IOC、IPCの方からは全面的に日本側の判断を支持するというコメントがあった」と発言。国内の観客については新型コロナの変異株の状況がどうなるか分からないとした上で、「4月に判断することになる」と述べた。
海外で販売済みのチケットの払い戻し手続きも進める。組織委の武藤敏郎事務総長はチケットの枚数は東京五輪で60万枚、パラリンピックで3万枚に上ると述べた。組織委によると、東京大会の国内販売済みチケットは五輪約448万枚、パラリンピック約97万枚の計約545万枚。
3日の5者協議では海外観客受け入れの可否を3月中に最終的に判断することで一致。橋本会長はホテルや旅行業から早期の判断を求められており、聖火リレーが始まる25日までに判断する意向を示していた。今後は4月中に決める方針の国内観客数(会場動員)の上限が焦点となる。
新型コロナの変異株への感染も広がる中、大会開催は4か月余りに迫った。組織委などにとって今後は観客以外の外国選手や大会関係者が入国する際の水際対策に加え、大会での徹底した感染対策が課題となる。これらは国内観客の上限を判断する上でも重要な要素だ。
日本体操連盟などは9日、東京五輪テスト大会を兼ねて5月4に有明体操競技場で行われる予定だった個人総合のワールドカップ東京大会の中止を発表。読売新聞は同日、組織委がサッカー施設「J ヴィレッジ」(福島県楢葉町、広野町)で予定されている聖火リレーの出発式典を無観客で行う方針を固めたと報じている。
加藤勝信官房長官は9日、五輪開催も見据え、海外からの入国者の受け入れについて、入国前の検査を含む水際対策や入国後の健康状態を把握するためのスマートフォンアプリの開発担当に木原稔首相補佐官を充てたと明らかにした。官房長官の下で関係省庁との調整役を担うという。
組織委の橋本会長は、安心安全な大会を最優先し、巨大化したスポーツイベントを競技中心に見直した「東京五輪モデルをコロナ後も継承」することを提案している。 
 
 
 

 

●東京オリンピック 5
海外持ち込み コロナ禍 
医療対応
 
 
 

 

●東京オリンピック 6
国民の安全確保
クラスターの封じ込め

●東京オリンピック開催を前に「水際対策の強化を」 6/26
関西広域連合は26日、東京五輪の開催を前に、入国時の水際対策を強化することなどを国に求める緊急提言をまとめました。
26日、大阪市内で開かれた関西広域連合委員会には、2府6県の知事や副市長らが参加し、新型コロナウイルスの感染再拡大を防ぐため、今後の取り組みや課題について協議しました。
東京五輪をめぐっては、ウガンダの選手団の中で入国時に陽性者が出たにもかかわらず、濃厚接触者の特定をせずに合宿先の大阪府泉佐野市に移動し、その後新たに陽性者が出る事案が発生。
これを受けて今後、入国時に選手団の陽性が判明した場合、合宿先に移動させず、濃厚接触者を特定するまで検疫所の宿泊施設などにとどめるよう、国に求める緊急提言をまとめました。
この他、緊急提言には、国が職域接種や大規模接種の申請受付を一時休止したことを受け、ワクチンの供給量を確実に確保し、早期に受付を再開することなども盛り込まれています。
 
 
 

 

●東京オリンピック 7
コロナ禍 想定外
感染爆発

●丸川五輪相、加藤官房長官が「五輪開催は感染拡大の原因ではない」 8/11
丸川珠代五輪相が10日に行われた閣議後の会見で、五輪期間中に新型コロナウイルスの感染が拡大したことについて、「オリンピックの開催は感染拡大の原因にはなっていないものと考えている」と因果関係を否定。また、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長(67)が帰国直前に東京・銀座を散策したことについては「14日間しっかりと防疫措置の中で過ごされていることが重要なポイント」「不要不急であるかどうかは、ご本人が判断すべきものであります」と語った。こうした発言が大きな波紋を呼んでいる。 
報道によると、五輪と感染拡大の因果関係について、丸川五輪相は海外から入国した選手や大会関係者約4万3000人のうち、9日時点で陽性者が計151人だったことなどを、「因果関係がない」根拠として挙げた。加藤勝信官房長官も同日に行った記者会見で、「政府としては、(五輪が)現在の(コロナ)感染拡大の直接の原因になっているわけではない」と説明。「東京の夜間滞留人口は減少した。多くの方が連日、日本人選手らの活躍を自宅で観戦し、応援したことの表れだ」と力説した。
「菅首相は東京五輪を安倍さんから引き継いだ政治的レガシー(遺産)にしたい。菅政権の功績にするためにも、コロナの感染拡大と五輪開催の因果関係を認めるわけにはいかない。丸川五輪相、加藤官房長官は菅首相に『右向け右』なので、『因果関係はない』で押し通すしかないのでしょう」(テレビの政治部記者)
思い描いていたシナリオは崩れた。自民党関係者は「東京五輪開催に反対の声は多かったが、いざ始まれば、日本人選手が活躍して国民の間で『五輪をやってよかった』という空気になるだろう」と大会前に話していた。だが、日本人選手がメダルラッシュで盛り上がるのと、コロナの感染者数が増え続ける中で菅首相が説明責任を果たさないまま、五輪開催に踏み切ったのは別問題だ。国民は冷静に見ている。
SNS、ネット上では「五輪開催のアナウンス効果は大きかったと思うよ。みんながみんな政府の言うことを聞かないし。五輪期間中に都市部や観光地の人流は下がるどころか上がる所も多かった。それに比例してコロナ感染者も爆発的に増えてまだまだ天井が見えない状況」、「因果関係を証明するのは難しいでしょうね。でも、感染拡大の一助にはなっていると思いますよ。結局人流を抑制するといっても五輪を開催していれば、何で五輪は移動していいんだってことになりますよ。もう政府のいう事を聞く国民は少ないでしょう」など冷ややかな声が多い。
前出の自民党関係者は「五輪開催中は日本人選手の活躍が政権批判の『風よけ』になっていたが、もうそういう空気ではない。多くの国民が政権に不信感を持ち、怒りが強まっている。コロナの感染者がさらに増えたら菅政権は持ちこたえられるか。末期的な状況を迎えていると思う」と危機感を口にする。
菅首相は9日に開催された長崎の平和祈念式典に出席。報道によると、「開催が1年延期され、様々な制約のもとでの大会となったが、開催国としての責任を果たして無事に終えることができた。選手の皆さん、大活躍だった。素晴らしい大会になった」と東京五輪の意義を強調したという。
コロナは感染拡大の一途をたどっている。東京五輪の競技会場で人混みができている光景を見ると、緊急事態宣言が抑止力になっているとは言い難い。国民の不安は膨らむばかりだ。
 
 
 

 

 
 
 

 

●総裁選 1
内閣支持率

●菅内閣 「支持」29% 内閣発足以降最低を更新 「不支持」52% 8/10
NHKは、今月7日から3日間、全国の18歳以上を対象にコンピューターで無作為に発生させた固定電話と携帯電話の番号に電話をかける「RDD」という方法で世論調査を行いました。調査の対象となったのは、2115人で、57%にあたる1214人から回答を得ました。
菅内閣
NHKの世論調査によりますと、菅内閣を「支持する」と答えた人は、先月より4ポイント下がって29%で、去年9月の内閣発足以降最低を更新しました。一方、「支持しない」と答えた人は、6ポイント上がって52%で、発足以降、もっとも高くなりました。
菅内閣を「支持する」と答えた人は先月より4ポイント下がって29%で、去年9月の内閣発足以降最低を更新しました。一方、「支持しない」と答えた人は、6ポイント上がって52%で、先月につづいて、内閣発足以降、もっとも高くなりました。
支持する理由では、「他の内閣より良さそうだから」が44%、「支持する政党の内閣だから」が23%、「人柄が信頼できるから」が17%、などとなりました。
支持しない理由では、「政策に期待が持てないから」と「実行力がないから」が37%、「人柄が信頼できないから」が13%、などとなりました。
新型コロナウイルス
新型コロナウイルスに自分や家族が感染する不安をどの程度感じるか聞きました。「大いに感じる」が43%、「ある程度感じる」が42%、「あまり感じない」が10%、「まったく感じない」が3%でした。
新型コロナウイルスをめぐる政府の対応について、「大いに評価する」が3%、「ある程度評価する」が32%、「あまり評価しない」が40%、「まったく評価しない」が21%でした。
政府は、今月末(まつ)を期限に、緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の対象地域を拡大しました。感染の拡大防止にどの程度効果があると思うか聞きました。「大いにある」が3%、「ある程度ある」が24%、「あまりない」が49%、「まったくない」が20%でした。
政府は、東京などでは重症患者などを除いて、自宅療養を基本とする方針を決めましたが、その後、中等症の患者も原則入院となると説明しています。これについて聞きました。「大いに納得できる」が6%、「ある程度納得できる」が37%、「あまり納得できない」が35%、「まったく納得できない」が17%でした。
東京オリンピック
東京でオリンピックが開催されたことについて聞きました。「よかった」が26%、「まあよかった」が36%、「あまりよくなかった」が18%、「よくなかった」が16%でした。
東京オリンピックは、「安全・安心な大会」になったと思うか聞きました。「なった」が31%、「ならなかった」が57%でした。
今月24日に開幕する東京パラリンピックをどうすべきだと思うか聞きました。「観客を制限せずに行うべき」が2%、「観客の数を制限して行うべき」が15%、「無観客で行うべき」が60%、「中止すべき」が18%でした。

●五輪後も菅内閣支持率は28%と最低更新 横浜市長選で苦戦 8/10
メダルラッシュとなった五輪という「宴のあと」でも菅政権の支持率の下落がとまらない。
NHKは8月10日夜、菅内閣の支持率が前回より4%下がって、29%という世論調査の数字を発表した。菅内閣の支持率としては過去最低を更新し、不支持率も過去最高の52%となった。NHK世論調査で内閣支持率が3割を切るのは、2012年に自民党が政権を奪還して以降、初めてだ。朝日新聞が先日、発表した菅内閣の支持率(8月7〜8日に実施)も28%と過去最低だった。政府関係者がこう話す。
「NHKの数字は衝撃的でした。朝日も含め他社も厳しい数字でしたが、NHKで30%を切るのは重みが違う。何だかんだ言っても五輪後は支持率が改善すると菅首相は期待していましたからね。ワクチンの高齢者接種が行き渡り、五輪を成功させたのになぜ、という心象でしょうね。新型コロナウイルスの感染拡大で中等症感染者の病床運用見直し、広島の原爆死没者慰霊式での原稿読み飛ばしなど、ボロが出続けていたことも影響しているかも…。官邸はもちろん、自民党内に大きな動揺が走っています。リアルに危険水域で先行きが見えづらくなりました。菅首相のお膝元で行われる横浜市長選の結果次第で菅内閣は瓦解します」
関ケ原ともいえるその横浜市長選(22日投開票)は8日、告示され、現職の林文子氏(75)、菅自民党が推す前国家公安委員長の小此木八郎氏(56)、立憲民主党が推薦する横浜市立大元教授の山中竹春氏(48)、元長野県知事の田中康夫氏(65)、前神奈川県知事の松沢成文氏(63)ら8人が立候補した。だが、実質的には小此木氏、林氏、山中氏の3人の争いとなる情勢だ。
菅首相は7月下旬に地元の横浜市内で配布されたタウン誌で小此木氏支援を表明。市長選レベルで首相が支持を明確にするのは異例のことだ。さらに菅首相は同市内の有権者に「衆議院議員 菅義偉」の名義で「ブレない信念と横浜の未来への責任ある決断を、支持いたします」との小此木氏を支持する文書を送付するなど踏み込んだ。
菅首相に続き、神奈川県選出の小泉進次郎環境相、河野太郎ワクチン担当相も小此木氏の支持を表明し、国政選挙並みの総力体制で臨んでいる。しかし、自民党幹部はこうため息をつく。
「現職閣僚から市長へ転身という異例の決断をした、小此木氏が優位という下馬評だったが、8月に入って実施された情勢調査では、小此木30ポイント、林27ポイント、山中23ポイントと拮抗していた。この数字を聞いて、菅首相はひっくり返りそうになったそうだ。ダントツで勝てると思っていた小此木氏と林氏の差は3ポイントしかない。野党の山中氏とは7ポイント差です。与党の選挙は最初に組織で20ポイントほど差をつけて、最後は10ポイント程度まで詰められても、勝つ先行逃げ切りが王道です。菅内閣と自民党上げて圧勝を目指していた小此木氏が、まだ序盤でここまで詰められている。首相も『本当に大丈夫なのか』『いけるのか』と不安になっている様子だ」
小此木氏の祖父は横浜市議会議長から衆院議員になった。父も地盤を継いで衆院議員となり、建設相、通産相を歴任。祖父の代から横浜市をずっと地盤にして90年近い「老舗」政治家一族だ。なぜ、ここまで苦戦しているのか。
「選挙が混迷しているのは、小此木氏が突然、IR誘致の中止を訴え、出馬したことにあります。菅首相や小此木氏はもともと地元でIRを推進してきました。しかし、横浜市長選の直前、小此木氏が中止の立場に変節しました。現職の林氏は地元の経済団体と一緒に菅内閣の意を受けてIRを推進してきましたが、小此木氏が反対を表明したことで梯子を外された。IR誘致を進めてきた自民党の市議団、県連は分裂し、地元経済界の反発も招きました。経済団体の一部は菅内閣の変節は理不尽と怒り、小此木氏の対抗馬として現職の林氏に出馬を促したそうです。こうした地元の動きに危機感を抱いた菅首相は、懐刀の和泉首相補佐官を裏で動かし、小此木氏を支援するように地元に働きかけていますが、支持は広がっていません」(官邸周辺者)
『小此木八郎氏 横浜市長選出馬の真相と現状』と題された怪文書が撒かれ、菅首相、小此木氏がIR推進から中止に変節した経緯などが詳細に記されていたが、真相は不明だという。
IR誘致を推進してきた現職の林氏は演説で「突然、(IRを)やらないということになって、いまだに理解できない。今までやってきたことは何だったのか。こんな不実があっていいのか。政治に信義はあるのか」と怒りをぶちまけている。
自公両党も賛成し、IR事業者選定の段階まで進めてきたにもかかわらず、菅首相は誘致とりやめを訴えた小此木氏の全面支持を表明。自民党市議36人のうち30人が小此木氏についた。自民党の市議は困惑気味にこう語る。
「小此木氏がIR誘致反対で自民党の横浜市議団とは逆の政策を打ち出したんです。自民党は自主投票とせざるを得なかった。菅首相周辺が横浜市内の企業へ圧力をかけているという噂も聞きます。それに嫌気がさして、選挙に力が入らない市議、県議もけっこういますね」
そして菅首相の「失態」が小此木氏にも重くのしかかっているという。自民党の閣僚経験者はこう言う。
「菅首相の広島の読み飛ばしの報道があった後、横浜市の支援者から電話があった。『菅首相の失敗があると、横浜市長選挙で小此木さんを応援しづらくなる。支援を広げられない』とやんわり協力を断られた」
前出の横浜市議は選挙の情勢についてこう語る。
「陣営は当初、横浜で小此木の看板があればと楽勝ムードだった。それが情勢調査で林氏と3ポイント、山中氏と7ポイントの差と聞いて、ビックリ。現場でやっていても有権者の反応はよくない。コロナの新規感染者が日々、増加する横浜では、数字が発表されるごとに50票、100票と減る感覚があります。小此木氏自身も圧勝ムードが一転して『手を抜くな』とハッパをかけています。最大の争点はIR誘致の是非だが、それより菅首相の動向、コロナ感染拡大の方が有権者の関心は高いように思える。少なくとも菅首相に新規感染者の数を抑えてもらわないと、横浜市長選挙はやばいですよ」
要するにコロナ対応など菅首相の「失政」がそのまま横浜市長選挙に直結する、という空気があるというのだ。
「横浜は東京に次ぐ第二の都市。市政運営も大事だが、国政の状況には敏感に反応するからね。菅首相は小此木氏の応援に自分でマイクを握りたいようだが、逆に相手を利すると、周囲は見合わせるようにと進言している。菅首相周辺はなりふりかまわず組織、団体にプレッシャーをかけて小此木氏への支援を強く求めているよ。私の周りでも『菅首相に近い人から
電話があって、きつく支援を求められた』と言っていた。党内では側近の小此木氏が横浜市長選で負ければ、菅首相の退陣論まで出そうな空気感がある。遅くとも解散総選挙は10月までには行われる。菅首相では選挙の顔にならないという声が相次いでいるので、横浜市長選挙で負ければ、一気に『菅おろし』の声が高まるだろう」(前出の自民党幹部)
横浜市長選は天下分け目の戦いとなりそうだ。

●支持率低下 政府与党に危機感 野党は国会の早期召集要求へ  8/11
菅内閣の支持率の低下を受け、政府・与党内では、政権に対する国民の見方は依然厳しいとして危機感が広がっています。
野党側は政府の新型コロナ対応は不十分で早急に議論すべきだとして、臨時国会の早期召集を求めることにしています。
今月のNHKの世論調査で菅内閣を「支持する」と答えた人は29%で、去年9月の内閣発足以降最低を更新するなど、各種の世論調査で内閣支持率が低下しています。
政府・与党内では、新型コロナウイルスの感染急拡大が影響したという見方が大勢で、政権に対する国民の見方は依然厳しいとして衆議院選挙を前に危機感が広がっています。
また、「東京オリンピックの開催がプラスになったとは言えない」「記者会見などでの菅総理大臣のことばが国民に届いていないのではないか」といった声も出ています。
政府・与党としては、自治体とも連携して感染拡大を食い止めるとともに、優先してワクチン接種を進めた65歳以上の高齢者で、新規感染者や重症者が減少しているとして、若い世代への接種を加速させるなどして、国民の理解を得たい考えです。
一方、野党側は政府の新型コロナ対応は不十分だと国民が受け止めた結果で早急に議論すべきだとして、引き続き菅総理大臣の出席も含め、臨時国会の早期召集を求めることにしています。
ただ、内閣支持率の低下が野党の支持につながっているとは言えないという見方も出ていて、候補者調整など衆議院選挙に向けた準備を加速させる方針です。

●内閣支持率がまたまた低下!菅政権は“無のスパイラル”から抜け出せない 8/11
内閣支持率30%を切ったNHK
8月10日に解禁されたNHKの世論調査で、内閣支持率が4ポイント下落して29%となり、ついに30%を切った。2012年12月に自民党が政権復帰して以来の低水準とのこと。しかも不支持率は52%と、前月比で6ポイントも上昇し、こちらも同じく政権復帰後の最高値となっている。菅政権はいよいよ断末魔の様相だ。
8月7日と8日に実施された朝日新聞の調査でも、内閣支持率は28%と30%を切っていた。朝日新聞の調査は与党に厳しく出る傾向にあると言われているが、とりわけNHKの数字が衝撃的だったのは、菅首相がもっとも信頼している調査と言われるからだ。
「貧すれば鈍する」との言葉の通り、最近の菅首相はツイていない。8月6日に広島市で行われた平和式典では、事前に準備された挨拶文を一部読み飛ばした。9日に長崎市での平和祈念式典では1分遅刻した。いずれも原爆被害者を追悼し、世界に向かって平和祈念をアピールする重要な式典だ。菅首相に限らずその周辺にも、緊張感を欠いていると批判されても仕方ない。
横浜市長選に出馬した小此木氏との関係
8月8日に告示された横浜市長選もその一連といえるだろう。そもそも焦点となっているカジノを含むIR整備計画については、菅首相の三男が勤務する大成建設がマカオに本拠地を置く中国系のメルコリゾーツ&エンターテインメントと組んで参加している。ところが菅政権で国家公安委員長を務めていた小此木八郎氏がIR反対を表明して市長選出馬を表明。菅首相は小此木氏の父の故・彦三郎氏に秘書として仕えた関係だ。
小此木氏が出馬を決意したのは5月24日で、6月頃から菅首相に相談していた節がある。しかし菅首相はすんなりと承知せず、むしろ逡巡していたようだ。
「家族同然」と言われる両者の関係だが、実のところはそれほど穏やかではないようだ。小此木氏にすれば、自分の衆議院初当選は1993年で国政進出は菅首相より3年早いが、政治的手腕で菅首相を凌駕することはできない。
一方で菅首相にしても、自分の意のままになった林文子市長はともかく、「本家筋の小此木市長」ではやりにくさも出てくるだろう。人間関係が権力関係を複雑化しているのだ。
藤木氏の本心は?
それは、立憲民主党が推薦する山中竹春元横浜市立大学教授を応援しているといわれる藤木幸夫横浜港ハーバーリゾート協会会長にもあてはまる。「ハマのドン」とも言われる藤木氏は7月17日の山中氏の事務所開きで挨拶した時、「おととい菅から電話がかかってきた。内容は言えないが」と菅首相との関係を匂わせた。また8月10日に外国特派員協会で講演した時には、藤木氏は「当選するのは八郎」とあっさりと言い切った。そもそも藤木氏は山下ふ頭でのカジノ建設に反対で、その他については反対ではないとされている。
いずれにも明らかなのは、自分のメンツを失いたくないことだ。菅首相にとって小此木氏を抑えている限り、横浜市議時代から築き上げた「影の市長」の地位はゆるぎない。だからあえて地元のタウン紙でIR反対を表明する小此木氏の支持を明らかにし、小此木氏支持を渋っていた6人に寝返るように指示もした。8月18日に91歳を迎える藤木氏は、横浜港湾協会会長を退いているが、菅首相は政治生命がかかっている。昨年8月に安倍普三前首相が体調を悪化させたため、運よく転がり込んできた権力を、やすやすと手放したくはないはずだ。
「無のスパイラル」から抜け出せない
しかしながら“単なる幸運”は長くは続かない。権力のトップに君臨し続けるには、それなりの素養が必要だ。歴代の宰相は安岡正篤といった東洋哲学の大家などをブレーンとし、中曽根康弘は全生庵で毎週座禅を組んだという。国家の指導者としての魂を磨くためには、食事を共にして意見を聞くだけでは足りないのだ。
現在の菅政権はまさに「無のスパイラル」に陥っている。素養のなさが自信のなさを生み出し、それが支持率低下の原因となり、ますます自信を失っていく。もはや国政には踏ん張る場所もないが、最後の砦が政治家としてスタートを切った横浜市という次第。だからまずは自分が応援する候補が勝たねばならず、IRについての賛否はその次になっている。
だがそれが内閣支持率の低下を止める保証はない。立憲民主党の福山哲郎幹事長は8月10日の会見で、「底が割れた」と表現した。たとえ横浜市長選で小此木氏が勝利しても、菅政権の延命には繋がらないという意味だろう。いったい菅政権は、どこまで落ちていくのだろうか。

●菅首相“イエローカード”を何枚もらえば気が済むのか 支持率は危険水域 8/12
“イエローカード”を何枚もらえば気が済むのか。9日、長崎市で開かれた長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に菅首相は1分遅刻した。当初首相周辺は「所用のため」と説明後「時間管理上の不手際」と修正したそうだが、10日に政府関係者がトイレに立ち寄ったのが理由と明かした。「所用」ならぬ「小用」…。
6日の広島市での平和祈念式典でも原稿の一部を読み飛ばし「原爆」を「ゲンパツ」と読み違えた。ミスは誰にもあるが、ここは絶対ミスが許されないという場面。東京五輪開会式で天皇陛下の開会宣言の際も当初着席したままだった。勝負どころは、からっきし弱いタイプなのか。
70歳を過ぎた身には、この猛暑はこたえるだろうが緊張感にも欠けているといわれても仕方ない。8月末までに国民の4割が2回接種、という頼みのワクチン接種もまだ3割程度。コロナの脅威がひたひたと忍び寄っているのに、首相の口から希望を持てるような声明は聞かれない。「命は自分で守る」と覚悟を決めるほかない。
そんな折、福井県では福井市内の体育館に100床の臨時病床設置を発表した。新規感染者が急増しステージ4を超えたが、杉本知事は「原則として自宅療養者は出さない」として医師、看護師も常駐させるという。東京や首都圏と規模が違うとはいえ県民の命を守ろうというリーダーの気概が感じられる。
こうした“野戦病院”の必要性は当初から言われているのに首相は無関心だ。世論調査の支持率は朝日新聞が28%、NHKが29%と20%台の危険水域に入りレッドカードもちらつき始めた。五輪のメダルラッシュでの政権浮揚など、所詮は幻想だったのかもしれない。

●支持率が下げ止まらない菅政権 8/12
新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからない中、メディアの世論調査を見ると、菅内閣支持率は下げ続けている。
8月7〜8日に実施された朝日新聞世論調査では、内閣支持率は28%(−3)%で政権発足以来最低、不支持率は53(+4)%であった。
読売新聞世論調査(7〜9日)では、内閣支持率は35%で政権発足以来最低、不支持率は54%である。
NHK世論調査(7〜9日)では、内閣支持率29(−4)%で政権発足以来最低、不支持率52(+6)%。
支持率2割台は政権への赤信号である。
「1日に100万回」のワクチン接種という菅首相の号令で、接種は一気に進んだが、全国の自治体や職域接種を行う企業や団体に必要な数の配分が行われず、接種予約をキャンセルせざるをえない状況になっている。接種予約ができずに不満を持つ都市住民が増えている。
そのような実態を菅首相は理解していないようである。官僚が報告する数字のみを鵜呑みにして、実態を見ない弊害が内閣支持率の低下に繋がっている。
自民党が長い期間政権に就いてきた理由は、民意をきちんと掴んでいたからである。町村議会から国会まで議員を務める自民党の政治家たちが、選挙区の有権者の声を謙虚に聞き、政策に反映させてきた。そして、自民党の政務調査会の各部会で徹底した議論を行い、その結果を政府の政策とするという政策形成プロセスが機能していた。しかし、最近は党の存在が薄れ、首相官邸が全てを仕切るようになっている。
そうなったのは、安倍長期政権下であり、「政高党低」と言われる状況が生まれた。私が厚労大臣であった2007〜2009年の頃は、事情は逆で、「党高政低」であった。たとえば、党の厚労部会で纏まった方針に厚労大臣が反対するのは困難であった。
同時に、党の政務活動には積極的に評価すべき点もあり、官僚機構に雁字搦めにされる大臣に援護射撃を行い、補完、支援をする役割を果たすこともあった。たとえば、薬害肝炎訴訟問題の解決には、厚労族の重鎮議員たちに随分と助けてもらったものである。
ところが、今は、部会は官邸の意向の追認機関に成り下がってしまっている。個々の議員にしてみれば、官邸の考え方と異なる政策を部会で提示すれば、反主流派と見なされ、出世の道が閉ざされてしまう。
官邸の意向を忖度するのは、高級官僚に限ったことではなく、自民党の国会議員もそうなのである。
そのような体たらくになっても、野党が非力で分裂し、カリスマ的リーダーも存在しないために、政権を維持できている。それがまた、改革への意欲を失わせるという悪循環に陥っているのである。政権交代の可能性がほとんどない状況は、政権党を堕落させる。
しかし、公明党の支援がなければ小選挙区で勝ち上がれないほど、自民党の足腰が弱っている。
謙虚に国民の声を聞き、それを政策として実現させる努力を怠ると、自民党は来たるべき衆院選で大敗するであろう。 
 
 
 

 

●総裁選 2

●総裁選不出馬の説明は2分、会見せず 9/3
菅義偉首相は3日の自民党臨時役員会で党総裁選への不出馬を表明後、官邸のエントランスで記者団の質問に答える「ぶら下がり取材」に応じたが、追加質問を受け付けず、わずか2分程度で終わった。通例では、首相が国内外に大きな影響を与える退陣を決断したら、すぐに正式な記者会見を開いて理由などを説明していた。
首相は記者団の取材に対して、新型コロナウイルス対策と総裁選の両立は莫大ばくだいなエネルギーが必要で困難だと指摘。「来週にでも改めて記者会見をしたい」と述べると、小野日子ひかりこ内閣広報官が「終わります」と宣言して打ち切った。
記者から「今日は最後まで答えてください」「丁寧な説明をお願いします」と呼び掛けて追加の質問を求めたが、首相は振り向かずにそのまま立ち去った。
政府は来週にも、東京や愛知など計21都道府県に12日までの期限で出されている新型コロナの緊急事態宣言の取り扱いについて、解除するかどうかを判断する。首相は新型コロナ対応に関する記者会見を開く予定で、その場で退陣についても説明する考えとみられる。
安倍晋三前首相は昨年8月、辞意を表明した日に、コロナ対策として設定されていた記者会見で辞める理由などを説明した。
菅首相の発言
先ほど開かれました自民党役員会において、私自身、新型コロナ対策に専任をしたい、そういう思いのなかで、自民党総裁選挙には出馬をしない、こうしたことを申し上げました。
総理大臣になってから、まさに新型コロナ対策中心とするさまざまな国が抱える問題について全力で取り組んできました。そして、今月17日から、自民党の総裁選挙が始まることになっていまして、私自身、出馬を予定する中で、このコロナ対策と選挙活動、こうしたことを考えたときに、実際、ばく大なエネルギーが必要でありまして、まあ、そういう中で、やはり、両立はできない。どちらかに選択をすべきである。国民のみなさんにお約束を何回ともしています。新型コロナウイルス、この感染拡大を防止するために、私は専任をしたい、そういう判断をしました。
国民のみなさんの命と暮らしを守る、内閣総理大臣として私の責務でありますので、専任をして、ここをやり遂げたい。このように思います。また来週にでもあらためて記者会見をしたい。このように思います。以上です。  
 
 
 

 

●総裁選 3

高市・岸田・河野 総裁選出馬表明
安倍の御神の後ろ盾期待か 岸田・河野 徐々に改革発言に靄がかかりだす 
あいまいな政策表明にすり替わる
9/16 野田聖子 参戦

政策 税金のバラマキ合戦
   足りないぶんは お札を印刷します
   国の借金バブル 膨らませます

9/29 総裁セレモニー 岸田文雄 圧勝
 
 
 

 

 
 
 

 

●衆院総選挙 1
 
 
 

 

●衆院総選挙 2
 
 
 

 

●衆院総選挙 3
 
 
 

 

 
 
 

 

 
 
 

 

●「冥途の飛脚」 1 二段目封印切
冥途の飛脚二段目(中の巻)は、忠兵衛の身の破滅のもととなるできごとを描いた封印切の場面である。封印切とは、飛脚問屋として客から預かった大事な金の封印を、客に無断で切ってしまうこと、つまり横領の行為をさしていう言葉だ。信用がもとでの商売で、これほど重大な犯罪行為はない。この罪を犯した者は、死を以て償うしか道がないのだ。
この封印切には伏線がある。忠兵衛は梅川の身請け問題を巡って金の入用に迫られ、友人の八右衛門へ届けられた金を無断で使ってしまっていた。金の受け取りを催促しに来た八右衛門は、忠兵衛から事情を聞かされて、怒るどころか一時立て替える形で、受け渡しを延期してやった。それどころか、心配する養母の気持ちをなだめてやるために、忠兵衛がきちんと金を受け渡したと見せかける芝居に協力までしてやるのである。
この芝居を打つ場面がまた、見どころの一つになっている。忠兵衛は櫛箱から鬢水入れを取り出すと、それを紙に包んで金貨の包みのように見せかけ、養母の目の前で八右衛門に手渡す。それを八右衛門は何の疑問もない表情で受け取るのだ。
地色「ヤレ有難や此の櫛箱に焼物の鬢水入、これ氏神と三度頂き紙押広げるくるくると、駿河包みに手ばしこく金五十両墨黒に、似せも似せたり五十杯、母には一杯参らせし、
フシ「その悪知恵ぞ勿体なき
詞「これこれ八右衛門殿、今渡さいでもすむ金ながら、母の心を休める為、
地色「男を立てる其方と見て詮方なう渡す金、きっぱりと受け取って母の心を
色「休めてたも
忠兵衛の勝手放題ともいえる望みに、八右衛門はどこまでも調子を合わせ、養母の目の前で偽の受け取り証文まで書いてやる。
こうしてみれば、八右衛門は忠兵衛にとっては恩人であるべきはずを、忠兵衛はつまらぬ意地を張るために、八右衛門と梅川の目の前で、封印切という重大な罪を犯してしまうのだ。
その意地というのは、忠兵衛の八右衛門にたいする面当てという形をとっている。八右衛門は別に、忠兵衛に対して金の催促をしたわけでもないのに、忠兵衛は八右衛門の態度に自分への侮蔑を感じ取って、何が何でも負債を解消してやろうという激情に駆られる、この激情にそそのかされる形で、封印を切ってしまうのだ。
このやりとりが、封印切を名場面にしているのだが、この場面を演じる二人の役者、八右衛門と忠兵衛とが、何となく呼吸が合わぬ雰囲気を醸し出し、どうも割り切れない気持ちを観客に与える。
封印切が演じられるのは、梅川らの遊女が遊んでいた茶店である。そこへ八右衛門がやってきて、遊女たちを相手に茶のみ話をする。話の内容は忠兵衛のことだ。これまでのいきさつを明かしたうえで、もうこんな男とは係わりを持たぬほうがよいと、女らに話す。それを二階にしのびながら聞いていた梅川は、忠兵衛を案じて涙を流す。
そこへ忠兵衛もやってきて、八右衛門の話を立ち聞きし、大いに起こる、そこから一気に封印切へと邁進するのだ。
地「忠兵衛元来悪い虫押えかねてずんと出で、八右衛門が膝に
色「むんずと居かかり・・・
詞「措いてくれ気遣すな五十両や百両、友達に損かける忠兵衛ではごあらぬアア、八右衛門様八右衛門め、
地色「さア金渡す手形戻せと、金取り出し包みを解かんとする所を
ところが、八右衛門はここでも冷静にふるまう
色「やい忠兵衛
詞「よっぽどのたはけを尽くせ、その心を知ったる故異見をしても聞くまじと、郭の衆を頼んで此方から避けてもらうたらば、根性も取直し人間にもならうかと、男づくの念比だけ、五十両が惜しければ母御の前でいふわいやい、てんがうな手形を書き無筆の母御をなだめしが、是でも八右衛門が届かぬか
この言葉から、八右衛門はどこまでも友達の身の上を案じて言っているのがわかる。ところが忠兵衛のほうは、そんな忠告は耳に入らない、自分の不始末をなじられたことでのぼせ上り、当座の勢いで封印を切って、その金を八右衛門にぶつけるのだ。
この様子を見ていた梅川は、そもそもこの事態は自分のために忠兵衛が無理をして金の工面に走ったのが原因だと思えば、自分を思う忠兵衛の気持ちはありがたく感じられながらも、大それた行為の行く末を思うと胸のつぶれるほど心配になる
地「情なや忠兵衛様なぜそのやうに上らんす、そもや郭へ来る人のたとへ持丸長者でも金に詰まるは
フシ「有る習
色「ここの恥は恥ならず何を当てに人の金、封を切って蒔散し詮議にあうて牢櫃の、縄かかるのといふ恥と替へらるか、恥かくばかり梅川は何とされといふことぞ、とっくと心を落しつけ八様に詫び言し、金を束ねて其の主へ早う届けて下さんせ、わしを人手にやりともないそれは此の身も同じこと、身ひとつ捨てると思うたら、皆胸に込めてゐる、年とてもまあ二年下宮島へも身を仕切り、大阪の浜に立っても此方様一人は養うて、男に憂き目かけまいもの気を静めて下さんせ、浅ましい気にならんしたかうは誰がした、私がした、皆梅川が故なれば忝いやらいとしいやら、心を推して下さんせと、口説き立て口説き立て小判の上にはらはらと、
フシ「涙は井出のやまぶきに露置き、添ふるごとくなり
ここで梅川は、大阪の浜に立っても忠兵衛を養ってやる覚悟だから、なにとぞこの場の恥を忘れて、大それたことはしないでと、忠兵衛に哀願している。大阪の浜に立つとは、むしろ一枚持って男を引く女のことである。自分は幾多落ちぶれても、お前のためなら苦労とは思わない、だから命を大事にして自分と細々と生きてほしい、これはそんな切羽詰まった女の言葉なのだ。
だが忠兵衛は女の真心を受け止めない。忠兵衛の心は目先の恥のためにかたくなになっている。そんな忠兵衛を前に、梅川は絶望し、八右衛門はあきれ返る。
こうして大それた罪である封印切が行われる。忠兵衛に残されているのは、死ぬ定めだけである。忠兵衛はその定めを、自分が命を張ってまで愛した梅川とともに、受け入れたいと願う。
地「なぜに命が惜しいぞ二人死ぬれば本望、今とても易いこと分別据ゑて
色「下んせなう
詞「ヤレ命生きゃうと思うて此の大事が成るものか、生きらるるだけ添はるるだけ高は死ぬると覚悟しや、
地色「アアさうじゃ生きらるるだけ此の世で沿はう、・・・
色「木綿附鳥に別れ行く栄耀栄華も人の金、果ては砂場を打ちすぎて、後は野となれ山となれ、
二人は大和路を目指して逃げ延びてゆく。 

 
 

 

●「冥途の飛脚」 2
淡路町の段
「みをづくし難波に咲くやこの花の」から始まる淡路町の段、「亀屋飛脚 為替」と大書された暖簾が下がる飛脚屋の店先のセットで手代が忙しげに働く内にそこにはいない主人公・忠兵衛の出自などが手際良く語られ、武家からの支払督促には慇懃に、町人(後で登場する八右衛門の使い)の督促には上からの物言いで対応するのも飛脚屋の日常。黒い頭巾をかぶった母・妙閑が客からの督促の多いことを心配し愚痴をこぼして下がるところへ(ここから奥)下手から腕組みして忠兵衛(遣うのは桐竹勘十郎師)が登場しました。冒頭の語りによれば忠兵衛の年齢はまだ24歳で大和から養子に入り今は店を差配する立場ですが、留守の内に催促は入っているであろうことは察していて、ちょうどそこへ出てきた飯炊き女に色仕掛けで様子を聞こうとするものの相手がすっかりその気になっておかしな方に話が進み失敗。そこへ今度は友人の八右衛門がやってきて、顔を合わせたくない忠兵衛は逃れようとしたものの見つかってしまいます。江戸から届いているはずの五十両をなぜいつまでも届けないのかと詰め寄る八右衛門に、忠兵衛はその五十両を遊女・梅川を請け出すための手付に使ってしまったと涙の告白。「されども遅うて四五日中ほかの銀も上るはず」だから損はさせないと絞り泣く忠兵衛を遣う勘十郎師も肩を震わせていましたが、よう言うた、了簡して待ってやると男気を見せた八右衛門もこれが滅茶苦茶な言い分であることには気づいたはずです。妙閑に呼び止められてやむなく店内に入った八右衛門は律儀な妙閑の手前、とっさの悪知恵で鬢水入れを紙に包み五十両に見立てて渡す忠兵衛と顔を見合わせて「一ツ、金子五十両受け取り申さず候」と偽の受取証文を返しましたが、ここで八右衛門が物わかりの良さを示さなければ本当の悲劇は防げたのかもしれません。安心した妙閑が奥に下り八右衛門も帰宅して夜になったところに、シャラーンと鈴が鳴って荷駄を背負った馬が到着。ここで手代が冒頭の武家からの督促のことを報告したため、忠兵衛は自ら三百両を懐中に入れて客の屋敷に出向くことになります。ここで店舗のセットが引き上げられ、場面は堀端の道。忠兵衛は上手から下手へと歩き、遠景の町屋は逆に左から右へと動いていきますが、ふと足が止まったところで気づくと北の堂島に行かねばならないのにいつもの癖で南へ向かっています。ここまで来たからには梅川の顔を見に行こうか、いやこの金を持っていては使ってしまうから先に届けようかと悩むところ、太夫・三味線・人形の息がぴったり合って身悶えします。ついに梅川を訪ねることに決心した忠兵衛が羽織の脱げるのも気づかず足を速めるとそこにいた犬に蹴つまずいて吠えかけられますが、石を投げつけて犬を追い払い下手へ。詞章の最後に「一度は思案二度は不思案、三度飛脚。戻れば合はせて六道の、冥土の、飛脚」と引き返せない道に入ってしまったことが語られて幕となります。
封印切の段
この段を語る太夫は竹本千歳太夫師、三味線は豊澤富助師。ここからは歌舞伎でもおなじみの段になりますが、上記の通り八右衛門の人格が歌舞伎とは異なるので進行にも違いが出てきます。舞台上のセットは新町の揚屋越後屋(歌舞伎では井筒屋)で、下手四分の一ほどが屋外、格子戸を入って右側が屋内。さらに屋内は三段構造になっており、一段上がった中段が花車(女主人)が丸火鉢で手をあぶる場所、そこから上手へ小さく一段上がったところが障子で閉め切られる独立した部屋になっていて遊女たちが詰めている「二階」です。下手から現れた遊女・梅川(吉田勘彌師)は、田舎客の身請話が進んでいることに憂鬱になって島屋を抜け出し花車の元へやってきたところ。二階の障子が開くと女郎たちが拳に興じており、一人が負け続けて酒を飲まされていましたが、そこへ混じった梅川が忠兵衛の手付の期限も切れてこのままでは本意を遂げることができないとしみじみ嘆くと、一座の女郎たちは自分の身の上にも思い合わせてもらい泣きをします。ここで気分を変えようということになり、竹本の師匠に浄瑠璃を習っているという禿が三味線を持ってきて「夕霧文章」の一節を弾き語り。少女らしい高い声ながら「とかくただ恋路には偽りもなく誠もなし、縁のあるのが誠ぞや」と遊女の恋のままならぬ定めを歌う禿の撥は富助師の三味線に見事にシンクロしていますが、この間下の階の花車は何をしているのかと見れば草子物を熱心に読み時折ページをめくっていました。ともあれ梅川と二人の女郎は禿の浄瑠璃にさらにどんよりとなってしまいますが、これを聞きつけた八右衛門が越後屋に入ってきて下段の位置で煙管を使い始めました。来たのが八右衛門だと知った梅川は会いたくないと二階の障子を閉めましたが、二人の女郎が座敷に降りたところで八右衛門は、梅川も忠兵衛もいないうちに耳打っておくことがあると一同を集めたちょうどそのとき、気ぜわしげな様子の忠兵衛が下手から現れて中に八右衛門がいることに気付き思わず立ち聞きの形。梅川も二階から階下の様子に聞き耳を立てています。そうとは知らない八右衛門は忠兵衛が梅川の身請のために手付の五十両を出したことから「方々の届け銀が不埒になり、当たる所が嘘八百、いかう鐺が詰まつて来た」ことを明かした上で「獄門の種ご覧あれ」とくだんの鬢水入れを示したため一同驚き、二階の障子も一枚開いてそこに「顔を畳に摺り付けて声を隠して泣」いている梅川の姿が見えました。忠兵衛はと言えば、自分が恥をかかされていると思って身悶えしながら「懐の三百両、五十両引き抜いて面へぶち付け」てやろうかと考えるものの、これは「武士の銀」だと一度は思いとどまって越後屋の軒先の水槽の陰に隠れます。しかるに八右衛門の説明は、このままでは忠兵衛は盗みにも走ろうし聖徳太子が直に教化しても直らないだろうとやや暴走気味ですが、それでも忠兵衛を「寄せ付けてくださるな」と一同に頼み込みました。ここが歌舞伎の「封印切」と大きく違うところで、歌舞伎では八右衛門はあくまで敵役。忠兵衛を徐々に追い詰めてのっぴきならない仕儀に至らせるのですが、こちらの八右衛門は淡路町の段でも見られたように忠兵衛を友達と思い、それゆえにこれ以上の罪を重ねさせないよう廓の人々に事情を明かすといういわば善人です。しかし「忠兵衛元来悪い虫」、怒りに我を忘れ髪を乱して越後屋の中に入ると八右衛門に「五十両や百両、友達に損かける忠兵衛ではごあらぬわいの、八右衛門様、八右衛門め、サア銀渡す手形渡せ」と激昂。これに対し八右衛門は一度は驚いたものの忠兵衛の手を押さえたっぷり間をとって短慮を戒めましたが、このやりとりは二人の男のそれぞれが乗り移ったような千歳太夫師の熱演が圧倒的。しかしすっかり頭に血が上っている忠兵衛は懐から小判を次々に落とし、床に当たるガチャーンと言う音にそこにいる全員がビクっと身体を震わせて舞台上にはのっぴきならない緊張感が走りました。十・二十・三十……ついにまとめて五十両(棒の先に房のように小判がついた作り物)を八右衛門に投げつける忠兵衛。これに怒った八右衛門との間に五十両の投げ合いがしばらく続くところへ梅川が割って入って八右衛門の言うことが道理だとその場を収めると、顔を背ける忠兵衛の膝に手を置き、廓で金に詰まるのと人の銀の封を切って縄にかかるのとどちらが恥か、あと二年の年期が明ければ大坂の浜で客を引いてでもあなた一人は養ってみせると健気なクドキを聞かせて泣き伏しました。もはや引く道のない忠兵衛は、これは養子に来たときの持参金だと言い放って花車に身請の金を払うばかりかその場の者たちに「金銀降らす邯鄲の夢の間の栄耀」。喜ぶ花車、得心いかぬ様子の八右衛門以下一同がその場を去って梅川と二人きりになったところで、忠兵衛はわっと泣き出して真相を明かし、これを聞いて愕然とした梅川も「なぜに命が惜しいぞ、二人死ぬれば本望」と健気に応えます。生きられるだけはこの世で添おうと抱き合う二人。手続も済み、震える声でさらばとその場を立つ二人に花車は「めでたいと申さうか、お名残惜しいと申さうか、千日言うても尽きぬ事」と声を掛けますが、今の忠兵衛には千日前の刑場が思われるばかり。二人のたうつように越後屋を後にします。
道行相合駕籠
この日は演じられない「新口村」へと人目を避けての道行(野澤松之輔補綴版)。どろどろと太鼓が鳴り、柝が入って浅葱幕が落ちるとそこは寒々しい大和路の景観。遠くに山や五重塔、近景にはすっかり刈り取られたあとの田やススキが侘しい風情です。下手から登場した駕籠の中から現れた梅川と忠兵衛は、駕籠舁を帰らせて二人きりになると互いをいたわり合います。「門に立ちたは忍びの夫かえ、野風身の毒こち入らんせ」と艶めいた詞章が笛・鳴物入りで歌われるうちに背景が動いて背後には案山子、遠景の山の端には雪。睦みあった廓での思い出を語り、互いの親に思いを馳せ、抱き合って泣く二人の上に雪が降りかかり、一枚しかない忠兵衛の羽織を譲り合った後に案山子の笠を取り上げて忠兵衛が差し掛け、その下で震えながら抱き合う二人を隠すように雪が本降りになったところでしみじみと余韻を残しながら幕が引かれました。 

 
 

 

●「冥途の飛脚」 再考 3
世話物「冥途の飛脚」は、正徳元年七月以前、大坂竹本座で初演されたと推定される。
新町の遊女梅川と馴染んだ亀屋忠兵衛は、梅川を田舎客と競り合って、友人八右衛門の公金五十両を身請けの手付金に流用した。八右衛門は忠兵衛の頼みに応え、善意で公金返済の猶予を与えた。八右衛門は、忠兵衛を廓に寄せ付けないようにするため、廓で窮境暴露をした。公金流用許諾時と窮境暴露時の八右衛門についての見解は、大久保忠国氏や重友毅氏などの敵役ではない善人が誤解から確執を生むと捉える見解と、富田康之氏などの性格や言動の矛盾を認める見解がある。八右衛門の窮境暴露を戸口で聞いていた忠兵衛は、梅川の面目と自身の一分のために封印切を犯した。これは、八右衛門が忠兵衛と梅川が不在だと思い込んでいたために起きた不幸だ。八右衛門の窮境暴露は、八右衛門が深く忠兵衛のことを考えずに社会的に正しい行いを善意で行った結果招かれたことで、公金流用時同様に一貫して善人の統一的な行動と捉えるべきだ。封印切の際に八右衛門や梅川が踏みとどまらせようと諭すように、忠兵衛以外は、皆後先のことを考えて行動した。一線を超えた行動を選択する結局の主体は忠兵衛自身だ。封印切後、忠兵衛は公金で梅川を身請けして、共に故郷の新口村に向かった。孫右衛門については、廣末保氏が主人公の中心の悲劇に対して巻き込まれる者の「従属的悲劇」を述べる。また、大久保忠国氏の理想的姿と讃美する見解と田辺幸雄氏の浪花節的情緒悲劇と賛美しない見解がある。私は孫右衛門の「従属的悲劇」は、忠兵衛と梅川を語る上で欠かせないものだと考えており、大久保氏に賛同している。近松は新口村の場で、梅川に忠兵衛の父親の孫右衛門と対面させ、彼女が忠兵衛の嫁として認められるという慈悲を与えた。 「冥途の飛脚」では、忠兵衛の封印切の責任を問われる亀屋の悲劇等を描かず、忠兵衛と梅川に同情を見出し、悪人とし125て描かない意思を持っていたのだ。
「冥途の飛脚」の八右衛門は敵役ではない。「近松門左衛門集2」(小学館)「解説」で「堀川波鼓」敵役床右衛門が「主人公を破滅へと触接的に導かな」くなったと敵役の役割の変化を指摘する。 「冥途の飛脚」はドラマの主筋において、敵役の役割が変化した先行作品の要素を組み込んでいる。近松世話浄瑠璃における敵役不在のドラマは「冥途の飛脚」時点で一定以上の成熟を迎える。その後、 「生玉心中」「心中天の網島」等、敵役不在の物語が定型化し、敵役が主題に影響せずとも物語が成立するようになった。「冥途の飛脚」の八右衛門のように近松の他の世話物でも主人公たちに善意を持って積極的に介入してくる第三者が存在する。善意による介入者には、〔1〕社会規範に準じる行動、〔2〕当事者の意向に添う世間の常識を度外視した行動、〔3〕自身の心情のための行動という介入意図があった。彼らは、それなりに主人公の立場で考えて行動するが、主人公に内密でそれぞれが勝手な思い込み行動に移すため、悲劇を招き、結果的には主人公を追い詰める。良い方向に向かうために善人が努力した結果、不幸を招くという善意による介入は、外的要因がなく内部崩壊する 「淀鯉出世滝徳」で転換期を迎え、「冥途の飛脚」で円熟する。これ以後、定型化し、「心中天の網島」等で先行作品の焼き直しがされた。物語を円熟させるために、敵役に代わって近松が設定したのが善意による介入だ。廣末保氏が「従属的悲劇」について指摘するが、これは、善意による介入が敵役に成り代わった際に副産物として生まれたドラマであろう。
忠兵衛と梅川は犯罪者とその原因である。遊女の身の上に同情を寄せる「三世相」の作中引用や梅川を孫右衛門と対面させる慈悲を与える場面の描写等から、近松が二人に責任を追求する作品として 「冥途の飛脚」を描かなかったことがわかる。「冥途の飛脚」八右衛門のように、近松の世話物では正論の暴力を描き、社会規範に反する人々をすくい上げた。敵役を排し、善意による介入者に物語の転換者としての役割を与えたことで、どこにも責任の所在を求めることのできない息苦しさが生んだ不幸を効果的に表現している。そのひとつの成功例が 「冥途の飛脚」である。 

 
 

 

●「冥途の飛脚」 4
今回は「冥途の飛脚」を観劇してきました。前に見た「女殺油地獄」に続き、近松門左衛門作の世話物。こちらも大坂で実際にあった飛脚屋の横領事件を元に書かれた作品だそうです。冥途の飛脚とはよく言ったもので、飛脚を生業にする主人公の忠兵衛は、新町の遊女梅川との恋に溺れるあまり我を失い、足速に人生を転落していくのです。近松門左衛門は、巷で話題になっている事件を題材にして作品をつくり、耳目を集めることにも長けていたそうなのですが、このような、男女についてのうわさ話や、お金の絡む事件は、江戸の時代でも大きな話題になっていたのでしょうか。観劇の回数を重ねるうちに、物語の作られた当時(冥途の飛脚の初演は1711年)の観客には、どういった受け取られかたをしていたのか知りたくなってきました。当然、現代に生きる自分たちとは違う感受性なわけですから、季節や植物から感じ取られる意味や、家族や隣人に対する感情も付き合い方も違うでしょう。
ちょっと話は逸れますが、先日、「丁稚奉公」という言葉を調べていたところ、丁稚、手代、番頭、旦那と、位が上がる際に呼び名も変わっていくという記述がありました。商店に住み込みで働くようになる10歳頃から10年間ほどの丁稚時代には、呼び名に「〜松」と付くそうで、丁稚の次の位で、手代となると呼び名に「〜吉」や「〜七」。番頭時代は「〜助」となるそうです。ちなみに丁稚はおおむね10代、番頭を任されるのは30歳前後ということで、今まで、名前について、それほど深く意味を考えたことがなかったのですが、そんなことを知っていると、登場人物の名前を聞いただけで、素性や身分がわかり、その上で見えてくる景色もあるのでしょうね。
ところで、この物語の序盤で舞台となっている亀屋の場面でも手代が登場しています。彼は非常に落ち着いていて格好良く、主要な役でもないのにとても印象に残っているのですが、名前はなんと伊兵衛でした。先に述べたことを直ちに覆すようですが、つまり、呼び名にも例外があったってことなんでしょうかねぇ。ふふふ、なんだか、わからなくなってきました。
手代の伊兵衛
何千両もの大金を預かり、江戸ー大坂間の百三十里、行き来している飛脚の亀屋。その手代の伊兵衛は、トラブルが発生しても、慌てることなく場を収める有能な姿をみせてくれます。
「一度は思案。二度は無思案(ぶしあん)」と、最初は思案をしたにも関わらず、次第に分別を失くしていき、羽織を落としたことにも気がつかず、我を忘れて梅川の待つ廓へ向かってしまう。そんな忠兵衛の心情を描きだす「羽織落とし」の場面は「冥途の飛脚」の中でも大きな見せ場のひとつ。川縁を何度も行きつ戻りつ、ウロウロとする忠兵衛。仕事で預かっている大切な金を持って、梅川の元へ行って使い込めば、彼は死罪となるでしょうし、彼の家業である飛脚屋の信用はどうなってしまうでしょう。しかし梅川に会いたい気持ちは止められず悩む忠兵衛。すると、舞台袖から呑気に登場する野良犬の姿。悩む忠兵衛の姿を横目に我関せずといった仕草を見せる野良犬との対比がおかしく、会場を大きく湧かせていました。最後に、犬は忠兵衛に蹴られて逃げて行くのですが、その姿が情けなくもあり、コミカルでもあり、思わず頬が緩んでしまいます。
「羽織落とし」の場面での犬
文楽、伝統芸能という言葉の重さに、実際に見に行くまでは、妙に構えてしまっていたのですが、色んな演目を見ていくと、それぞれに笑いの要素が入っていて、要は文楽も娯楽のひとつなのだな、という気持ちになる場面でした。
「封印切の段」では、新町越後屋に八右衛門が訪れ、金に困っている忠兵衛のことを慮って、ことの主因となっている遊女・梅川と別れさせるように他の遊女に頼むのですが、そこへ運悪く、客へ届けるはずの大金を持ったまま忠兵衛が現れ、ここでのやり取りを聞いてしまう。二階には梅川が部屋に隠れてその話を聞いている。まさに「仇の始まり」。いかにも何か起こりそうな雰囲気が漂っています。
ところが、人格者として描かれている八右衛門は、先の「淡路町の段」で起きた出来事(自分が忠兵衛の罪を見逃してやったこと)や、そのやり取りを、忠兵衛の母親にばれないようにするために、金を鬢水入れと入れ替えてごまかした狡っ辛い手口まで、遊女らに事細かに吹聴しているのですから、八右衛門のやり方がうまかったとは到底思えません。
なにせ、忠兵衛は先の「淡路町の段」で、八右衛門の50両を梅川の身請けの手付金として使い込んだことがばれてしまったので、その折りに「自分のことを人だと思うから腹が立つだろうけど、犬だと思ってくれ。犬の命だと思って助けてくれ」とか、「こんなことまで言うのは喉から剣を吐くよりも辛い」など、自分を徹底的に下げて許しを請うていたのにも関わらず、その内容を、よりによって梅川に聞かれてしまうような場所で言わなくても!という気持ちがしたでしょう。しかし「自分を犬と思ってくれ」とはねぇ。この感覚は、当時は普通に受け入れられたのでしょうか。
八右衛門の親切心は、忠兵衛にとってはおせっかい。事態は悪い方へ転がっていきます。
さて、この噛み合わせの良くない出来事がきっかけとなって、忠兵衛は傷つき、そして激情し、ズカズカと座敷へ入って、懐の300両の封印を切り、八右衛門へ向けて、さっき許してもらった50両など要らんとばかりに投げつけてますが、まあ、人の金を持って遊郭に来ちゃっている時点で、相当格好悪い上に、恩人に事の次第を全部ばらされて怒っているんですからね。この啖呵も空々しく響きます。
劇中では「短気は損気」と言われていますが、短気というよりも気持ちのコロコロ変わる忠兵衛の姿は、単に子供染みているようにも伺えます。そしてついに二階に隠れていた梅川が心配して下りてきて、言い争う八右衛門との間に割って入って諌める言葉にも、忠兵衛は耳を貸すことはありません。むしろ、その梅川のとった優しい行為が、更に忠兵衛のプライドを傷つけ追いつめてしまうのです。「女殺油地獄」でもそうでしたが、近松門左衛門が作り出す主人公が、次第に追いつめられていく描写が巧みで引き込まれました。
新町の遊郭
ストーリーにも引き込まれますが、「封印切の段」では、遊郭のセットがとても美しく、その色彩に目を奪われてしまいました。
結局、忠兵衛は自分が手にしているのは、自由に使える金なのだと嘘をつき、梅川を身請けすることに成功するのですが、この先、捕まれば死罪ということがわかっています。梅川の朋輩に「めでたいと申さうか、お名残惜しいと申さうか、千日言ふても尽きぬこと」と祝われるも、「その千日が迷惑」と切って捨てるように退けて、急いで廓を出て行くのです。
ずらりと並んだ太夫と三味線が壮観。
「道行相合かご」
場面は雪の舞う野辺。最後は逃げていく二人を描く悲しい場面。薄のサラサラという音や、鳥の羽音にさえ、追手の影をみて怯えてしまう忠兵衛と梅川。上手には、ずらりと太夫(6人)と三味線(4人)が並び、同じフレーズを謡い奏でます。物語はしっとりと終わるのかと思っていたら全く逆で、合奏ならではの厚い壁のような音が客席へ迫ってきます。そして、最後にゴーン、ゴーン、ゴーンと鐘の音が3度響き、その音が小さくなっていくと、次第に現実に戻ってくることができました。最後は物語がどうこうと考えるよりも、ただ圧倒され、音の渦に巻き込まれてしまったかのように感じた、初春文楽公演でした。 

 
 

 

●冥途の飛脚 5 
淡路町の段
みをづくし難波に咲くやこの花の、里は三筋に町の名も、佐渡と越後の合の手を通ふ千鳥の淡路町、亀屋の世継忠兵衛、今年二十の上はまだ四年以前に大和より、敷金持つて養子分、後家妙閑の介抱故、商ひ功者駄荷積づもり、江戸へも上下三度笠、茶の湯俳諧碁双六延に書く手の角取れて酒も三つ四つ五つところ紋羽二重も出ず入らず、無地の丸鍔象嵌の国細工には稀男、色のわけ知り里知りて暮れるを待たず飛ぶ足の、飛脚宿の忙しさ、荷を造るやらほどくやら、手代は帳面算盤を奥口ともにどや/\と、千万両のやりくりも筑紫東の取りやりも、ゐながら金の由由さは、一歩小判や白銀に翼のあるがごとくなり。町廻りの状取立帰つて、『それ/\』と留帳付くるところへ、「誰そ頼もふ忠兵衛宿にゐやるか」と、案内するは出入の屋敷の侍、手代ども慇懃に、「ヤアこれは/\甚内さま、忠兵衛は留守なればお下し物の御用ならば、私に仰せ聞けられませ、お茶持ておじや」とあひしらふ、「イヤ/\下りの用はなし、江戸若旦那より御状がきた、コレお聞きやれ」と押し開き、「『来月二日出の三度に金子三百両差上せ申すべく候ふ、九日十日両日の中その地亀屋忠兵衛方より、右三百両受取り、内々申し置き候ふ事ども埒明け申さるべく候ふ、則ち飛脚の受取証文この度上せ候ふ間、金子受取り次第この証文忠兵衛に渡し申さるべく候』サこれ、この通り仰せ下された、今日まで届かぬ故、大事の御用の手筈が違ふ、なぜかやうに不埒な」と、鼻を、しかめて云ひければ、「ハヽ御尤も/\さりながらこの中の雨続き、川々に水が出ますれば道中に日が込み、金の届かぬのみならず、手前も大分の損銀、もし盗賊か切り取りか、道からふつと出来心万々貫目取られても十八軒の飛脚宿から弁へ、芥子ほども御損かけませぬ、お気遣ひあられな」と、云はせも果てず、「コレサ/\云ふまでもない。卸損かけては忠兵衛が首が飛ぶ、日限延びては御用の間が明くにより、それ故の詮索、迎ひ飛脚を遣はして、早速に持参せい」と徒士若党も刀の威光、銀拵へもうさんなる、なまり散らして帰りしが、また、「頼みませふ/\中の島丹波屋八右衛門から来ました。江戸小舟町米問屋の為替銀、添へ状は届いたが銀はなぜ届きませぬこの中文を進ぜても返事もござらず、使を遣れば酢のこんにやくのといつ届けさつしやるぞ。『この者に渡して人をつけて下され、手形戻そ』と申さるゝサア、金子受け取らふ」と立ちはだかつて喚きける。主思ひの手代の伊兵衛騒がぬ体にて、「コレお使、八右衛門さまがそのやうに理屈臭い口上はあるまい、五千両七千両人の銀を預つて百卅里を家にし江戸大阪を、広ふ狭ふする亀屋、そこ一軒ではあるまいし遅いこともなふては、今でも旦那帰られたらばこの方から返事せふ。五十両に足らぬ金、あたかしましう云ふまい」嵩から出れば、気をのまれ、使は真面目に帰りけり。母妙閑は炬燵の側離るゝことも納戸を出で、「ヤア今のはなんぞ、丹波屋の金の届いたはたしか十日も以前のこと、なぜ忠兵衛は渡さぬの、けさから二軒三軒の金の催促聞いてゐる、親父の代からこの家に金一匁の催促得ず、つひに仲間へ難儀をかけず十八軒の飛脚屋の、鑑と云はれたこの亀屋、皆は心もつかぬか忠兵衛がこの頃の素振りがどうも呑み込まぬ、昨今の者は知るまいが、じたいこれの実子でなし、もとは大和新口村、勝木孫右衛門といふ大百姓の一人子、不思議の縁でこれの世取に貰ひしが、世帯廻り商売ごと何に愚かはなけれども、この頃はそは/\と何も手に付かぬと見た、意見のしたいことあれど、せは/\云ふより云はぬ身を恥じ入らせふと思ふて目をねぶつても聞き所、見所は見てゐる、いつの間にやら大気になり、延の鼻紙二枚三枚手に当り次第、重ねながら鼻かみやる過ぎ逝かれし親父の話に、鼻紙びんびと使ふ者は曲者ぢやと云はれたが、忠兵衛がうちを出ざまに延紙三折づゝ入れて出て、なにほど鼻をかむやら戻りには一枚も残らぬ、身が達者なの若いのとてあのやうに鼻かんでは、どこぞで病も出ませふ」とよまひ言して入りければ、丁稚、小者も笑止がり、「早う帰つて下されかしと、待つ日も西の戻り足、見世さし頃になりにけり。籠の鳥なる、梅川に焦れて通ふ廓雀、忠兵衛はとぼとぼと外の工面内の首尾、心は蜘蛛手かく縄や十文色も出て来るは、『南無三宝日が暮れる』と足をそらに立帰り、門口には着きけれども、「留守のうちに方々の催促使、妙閑の耳に入つていかやうの、首尾になつたも気遣はし、誰ぞ出よかし内証を、とくと聞いて入りたし」とわが家ながら敷居高く、うちを覗けば飯焚の、まんめが酒屋へ行く体なり「きやつは木で鼻没義道者、たゞは云ふまじ、濡れかけて、だまして問はん」と思案する間にによつと出る、樽持つた手をしかと締むれば、「アレ/\旦那さんの/\」と声立つる、「アアかしましい/\コリヤ/\粋めおれが首だけなづんでゐる、思ひ内にあれば色外に顕わるゝ、目付きをそちも見て取つたか、可愛らしい顔付きで、気の毒がらすはどうじやいやい、いつそ殺せ」と抱き付けば、「エヽ嘘つかんせ、毎日々々新町通ひ、延の鼻紙二折三折、結構な鼻をかまんすもの。なんのわしらに手鼻もかみたふあるまい、あの嘘つきが」と振り切るを、また抱き付いて、「そちに嘘ついてなんの徳、コリヤ、実じや、実じや」と云ひければ、「ムヽそれが定なら晩に寝所へござんすか」「オヽなるほど/\忝ない、それについて今ちよつと問ふことあり」と云ひけれども、「アそれも寝所でしっぽりと聞きませふ、コレ旦那はん、必ず騙にさんすなゑ、そんならわしはお湯沸かいて、腰湯して待ちます」と云ひ捨て、振り切り走りけり。忠兵衛はうそ腹の、立煩ひてゐるところに、「北の町からいかつげに来るは誰ぢゃ、ヤア、中の島の八右衛門、きやつに逢てはむつかし」と、東の方へ、出違へば、「ヤコレ忠兵衛、はづすまい/\」と声かけられ、ヤ八右衛門この中は久しい、昨日も今日も 一昨日も、人やろ/\と思ふてなにやかやと延引した。めつきりと寒い、が親父の疝気は、婆様の 虫歯は、アヽいかふ酒臭い過しやるな/\、明日は早々人やらふ、ヤコレれそが言伝てしたぞや、近日一座いたしたい」とたくしかくれば、八右衛門、「おけやい/\/\口三味線に乗せかけても乗るやうな男でない、コリヤそちが商売は三度でないか、身が方へ上つた江戸為替の五十両はなんとして届けぬ、五日三日は了簡もあるぞかし、心易いは格別、高駄賃かくからは大事の家職十日にあまれど埒明かず、今日も使をやつたれば、手代めがかさ高な返事した、よもや脇へはそうもあるまい、八右衛門をなぶるかい、北浜靫中の島天満の市の側まで、親爺とも云はるゝ八右衛門、なぶってよくばなぶられふ、が金は今日受け取る。たゞし仲間へこたゑふか、まづお袋に逢はう」と、内へ入るを引留め、「さりとては謝つた、これ手を合はす、たつた一言聞いてたも、拝む/\」とさゝやけば、「また口先で済まそふや、梅川をだましたと男の意気は逢ふた、云ふことあらばサア聞かふ」と苦々しくきめつけられ、「これ、その声を母が聞けば死んでも一分立たぬこと、一生の御恩ぞさりとては面白ない」とはら/\と泣きけるが「なにを隠そふこの金は十四日以前に上りしが、知つての通り梅川が田舎客、金づくめにて張り合ひかける、この方は母手代の目を忍んでわづか二百目三百目のへつり銀、追い倒されて生きた心もせぬところに、請け出す談合極まつて手を打たぬばかりといふ、川が歎き、われらが一分、すでに心中する筈で、互の咽へ脇差のひいやりとまでしたれども、死なぬ時節かいろ/\の邪魔ついて、その夜は泣いて引別れ、明くれば当月十二日、そなたへ渡る江戸金がふらりと上るをなにかなしに、懐に押込んで新町までいつ散に、どふ飛んだやら覚えばこそ、だん/\宿を頼んで、田舎客の談合破らせ、こつちへ根引の相談しめ、かの五十両手附けに渡し、まんまと川を取り留めしも、八右衛門といふ男を友達に持ちし故と、心の内では朝晩に北に向ひて拝むぞや。さりながらいかに懇ろなればとて、さきに断り立て置いて使へば借るも同前、跡ではいかゞと思ふうちその方からは催促、嘘に嘘が重なつて初手の誠も虚言となれば、今なにを云ふても誠には思はれじ、されども遅ふて四五日中ほかの金も上る筈、いかやうとも仕送つて一銭一字損かけまじ、この忠兵衛を人と思へば腹も立つ。犬の命を助けたと思ふて了簡頼み入る。これを思へば世の中にお仕置者の絶へぬも道理、この上は忠兵衛も盗みせふよりほかはなし、男の口からかやうのこと、云はれふものか推量あれ、咽より剣を吐くとても、これほどにはあるまじ」と絞り、泣きにぞ泣きゐたる。鬼とも組まん八右衛門、ほろりと涙ぐみ、「云い憎いことよふ云ふた、丹波屋の八右衛門男ぢや、了簡して待つてやる、首尾よふせよ」と云ひければ、忠兵衛土に額をつけ、忝い/\父二人母三人、親は五人持つたれどもその恩よりは八右衛門、貴殿の御恩忘れぬ」とかふは、涙ばかりなり。「そふ思へば満足、サア人も見るそのうち」と立ち別れんとせしところに、内より母の声として「ヤア八右衛門さまか、忠兵衛これへ通しましや」と、声かけられて、詮方なく、もぢ/\連れ立ち入りにけり。母は律儀一遍に、「さきほどはお使、また御自身のお出で、御尤も御尤も。コレあなたの金の届いたは十日も以前なんとして延引ぞ、胸にとつくと手を置いてよふ思案してみや、遅ふ届けば飛脚はいらぬ、なにがそなたの商売ぞ、サア今渡してあげましや」と云へども渡す金はなし、八右衛門も底意は聞く、「コレお袋恥づかしながら八右衛門が五十両や七十両、急にいることもなし、これよりすぐに長掘まで参れば、明日でも」と立たんとすれば、「イヤ/\大事のお金預れば気遣ひで夜も寝られず、ノウ忠兵衛、きり/\渡しや」とせり立てられ、『あつ』と云ふより納戸に入り、うろ/\しても、金はなし、入れもせぬ戸棚の錠開ける顔して、ぴんといふ鍵の手前も恥づかしく、胸に願立て神おろし狂気のごとく気をもみしが、『ヤレありがたや、この櫛箱に焼物の鬢水入れこれ氏神』と三度戴き紙押し広げくる/\と、駿河包に手ばしこく金五十両墨黒に、似せも似せたり五十杯、母には一杯参らせし、その悪智恵ぞ勿体なき。「コレ/\八右衛門殿、今渡さいでも済む金ながら母の心を休めるため、男を立つるそなたと見て詮方なふ渡す金、さつぱりと受取つて母の心を安めてたも。包は解くに及ぶまじ、いらふて見ても五十両、サどふしてたもる」と差し出す。八右衛門手に取つて、「ハテ誰ぞと思ふ、丹波屋の八右衛門、受け取るに仔細はない。コレお袋、江戸為替確かに受け取りました。不動参りに待ちます」と立つところを、妙閑誠と思ひてや、「コレ忠兵衛、仕切為替の作法は金と手形と引替へ、もし御持参なきならば一筆ちよつと書かせましや、ものは念じや」と云ひければ、「オヽそれ/\、母は無筆の一文字も読まれねども、しるしばかりに一筆」と硯出して目配せすれば、「易いこと/\忠兵衛、文言これ見や」と、筆に任せて書き散らす。『一ツ金子五十両受け取り申さず候。右約束の通り晩には廓で飲みかけ、我等はたいこ実正明白なり。何時なりとも騒ぎの節きつと参上申すべく候。依つて紋日の為鬢水入件の如し』と、あほうのたらだら書き散らし、「さらばお暇申さう」と、表へ出づれば、妙閑は、「書いたものこそもの云へ」と、まただまされし正直の親の心や仏の顔も、三度飛脚の江戸の左右待つ夜もやう/\更けにけり表に馬の鈴の音、「コリヤ/\駄荷が着いたぞ、中戸々々」と声高に、手んでに葛籠、かたげ込む。忠兵衛親子機嫌よく、「サア拍子が直つた来年も仕合せ馬、馬子衆に酒よ煙草よ」と、硯控へつ帳付けて、家内どんどと賑へば、手代の伊兵衛けうとげに、「ノウ堂島のお屋敷から『金三百両九日に来る筈、先状が上つた、なにとて遅い』とお侍の甚内殿が睨め付けて帰られた、なんと/\」と云ひければ、宰領が打飼より、「その三百両合点、これ急々の御用今夜中にお届け」方々の為替金高八百両、ぐはらり/\と取り出す、忠兵衛いよ/\勢ひよく、「白銀は内蔵へ、金子は戸棚へ、母者人わたしは直にこの小判、お屋敷へ持参する。人の金を預れば表も気をつけ早ふ締め、火の用心が第一、戻りはちつと遅ふても、駕籠で行けば気づかひない、夜食しまふてはや寝よ」と、金懐中に羽織の紐、結ぶ霜夜の門の口、出馴れし足の癖になり、心は北へ行く/\と、思ひながらも身は南、西横掘をうか/\と、気にしみづきし妓がこと、米屋町まで歩み来て、「ヤア、これはしたり、堂島のお屋敷へ行く筈、狐が化かすか南無三宝」と引返せしが、「ム、われ知らずこゝまで来たは、梅川が用あつて、氏神のお誘ひ、ちよつと寄つて顔見てから」と立帰つては「いや大事、この金持つては使ひたからふ、おいてくれふおいてくれふ/\おいてくれふか、いて退けう/\/\/\いて退けうか、イヤ/\やっぱりおいてくれふ/\/\/\おいてくれふか、いて退けういて退けう/\/\いて退けうか、………、エ、行きもせい」と、一度は思案二度は不思案、三度飛脚。戻れば合はせて六道の、冥途の、飛脚と
封印切りの段
「ゑい/\/\烏がな/\、浮気烏が月夜も闇も、首尾を求めてな逢はふ/\とさ青編笠の、紅葉して、炭火ほのめくタベまで思ひ思ひの恋風や、恋と哀れは種一つ、梅かんばしく松高き、位は、よしや引きしめて哀れ深きは見世女郎、さらさ禿が知るべして、橋がかけたや佐渡屋町越後は女主人とて、立寄る妓も気兼ねせず、底意残さぬ恋の渕。身の憂きしほで梅川も、こゝを思ひの定宿と、よその勤めもかきのもと、島屋をちよつと島隠れ、「申しきよさん、今日は島屋でかの田舎のうてずに、せびらかされて頭が痛い、忠さんはまだ見へぬかゑ、せめての所縁にこなさんの、顔が見たさに貸しに来た」と、入るさの門の障子戸も、明くる朝の形見かや。「さつてもよふござんした、アレ二階にも女郎さんたちが大勢遊びにござんして、お客待つ間の酒ごと、拳をしてござんする、こなさんも気晴らしに一挙して洒一つ、傍輩さんもござんす」と、上る二階の隙間風、男交ぜずの火鉢酒、拳の手品の手もたゆく、「ろま、せさい」「とうらい」「さんな」「同じこととよ」豊川に、声の高瀬がさす腕には、「はま」「さん」「きう」「ごう」「りう」「すむゐ」「ソレ/\なんと、地体一つは鳴波瀬さん。アレ梅川様のござんした」「ノウよいところへ来て下んした、こなさん拳の上手、宵から千代歳さんに、仕つけられて無念な、敵取つて下んせ、銚子直しや」と云ひければ、「アヽうたての酒や、拳をする気もあらばこそ、この梅川が今の身を少しは泣いてもらいたい、田舎の客が身請のこと、今日も今日とて島屋にて、理屈をつめてねだれ言、腹が立つやら憎いやら、とは云ひながらこれは先。忠兵衛さんは後手といひ宿の精力一つにて、手附も渡し約束の日限切れるも云ひ延し、今日まではつながれしが、忠さんも世帯持、養子の母御の手前といひ、屋敷方歴々の町方を引受けて東路かけての大事の商売、いかなることか邪魔になり、田舎の客に請けられては、わが身一つは死んでものけふ、天神太夫の身でもなし、『さもしい金に気が触れた見世女郎の浅ましさ』と世間の唱へ、傍輩の掃部(かもん)殿を始めとして格子女郎衆の手前もあり、忠さんと本意を遂げ、とやかふ人に謡はれし、面が脱ぎたふござんす」と、泣きしみづきて語るにぞ、一座の女郎身の上に、思い合せて『もつとも』と連れて涙を流せしが、「アヽいかふ気がめいる、わつさりと浄瑠璃にせまいか、禿どもちよつと往て竹本頼母様借つておじや」「イヤさきに鬢附買ふとて聞きましたが、芝居からすぐに越後町の扇屋へ往かんしたげな、私は頼母様の弟子なればよふ似た所を聞かんせ、サア三味線」と夕霧の昔を、今にひきかけて、「傾城に誠なしと世の人の申せども、それは皆僻言訳知らずの詞ぞや、誠も嘘ももと一つ、たとへば命なげうちいかに誠をつくしても、男の方より便りなく遠ざかるその時は、心やたけに思ひても、かふした身なればまゝならず、おのづから思はぬ花の根引きに合ひ、かけし誓ひも嘘となり、又始めより偽りの勤めばかりに逢ふ人も、絶へず重ぬる色衣つひの寄るべとなる時は、始めの嘘も皆誠、とかくたゞ恋路には偽りもなく誠もなし、縁のあるのが誠ぞや、逢ふこと叶はぬ男をば思ひ/\て思ひが積り、思ひざめにも醒むるもの辛や所在と恨むらん。『恨まば恨めいとしいといふこの病ひ、勤めする身の持病か』と、恋に浮世を投げ首の酒も、白けて醒めにけり。中の島の八右衛門九軒の方より浄瑠璃聞きつけ、「ヤア皆知つた妓の声々、花車内にか」とつつと入り、柄差箒逆手に取り、二階の下から板敷を、ぐはた/\と突き鳴らし、「女郎衆あんまりぢやぞや、こゝにも人が聞いてゐる、いかなる男でそれほどに恋しいぞ、男がなふて淋しくば、お気には入らずと、これにも一人、貸してやろか」と喚きける、梅川はそれとも知らず、「テモ逢ひたいが定ちやもの、憎いなら来て叩かんせ、きよさん、下なは誰さんぢやえ」「イヤ大事ござんせぬ中の島の八さん」と聞くより梅川『ハツ』として「アコレ/\あのさんには逢ひともない、皆さんおりて下さんせ。私が二階にゐることを、必ず必ず云ふまいぞ」「そこらは粋じや」と打ちうなづき皆々、座敷に出でければ、「ヤア千代歳さん、鳴渡瀬さん、歴々の御参会、梅川殿は宵の口、島屋をもらふて去なれたげな、忠兵衛もまだ見へそもない、コレ花車こゝへ寄らしやれ、女郎衆も禿どもも忠兵衛がことにつき、耳打つて置くことがあるサこゝへ/\」とひそ/\すれば、「ハアなにごとやら気づかひな」と思へど二階の梅川に、『悪い噂も聞かせんか』と皆気を配る折節に、忠兵衛は世を忍ぶ心の氷三百両、身も懐も冷ゆる夜に越後屋に走り着き、内を覗けば、八右衛門横座をしめてわが評判、『はつ』と驚き立ち聞きす、二階には梅川が、心をすます壁に耳漏るゝぞ仇の始めなる。かくと知らねば八右衛門、「コレ、かふ云へば忠兵衛を憎み猜むやうなれど、あの男が身のなる果てが可愛ひ、もつとも千両二千両人の金をことづかりしばしの宿を貸すれども、手金といふては家屋敷、家財かけて十五貫目、二十貫目に足らぬ身代、大和の親が長者でも、亀屋へ養子に越すからはモたかの知れた百姓、かういふこの八右衛門も若い者の習ひ、一年に五百目一貫目、揚屋の座敷も踏まねばならぬ、身にも応ぜぬ忠兵衛が梅川にのぼりつめ、島屋の客と張り合ひ、五月よりこのかたの揚げ詰め、身請もこの頃極まり、百六十両のうち五十両手附に渡したげな。それ故に方々の届け金が不埒になり、当るところが嘘八百、いかふ鐺がつまつて来た、今でも梅川が、請出さるゝに極まらば、借銭もあらふし、泣いても二百五十両、天から降ろふか地から湧かふか、盗みせふより外はない、かの手附けの五十両、マどこから出たと思し召す。身が方へ来る江戸為替中で取つて使ふたを、それとも知らず乞ひに行く。養子の母御がいとしぼや、のぼつた金は知つてなり『渡せ/\』とせつかれて、忠兵衛が戻した小判、ドレお目にかけふか」と一包み取り出し、「コレ、かふ見たところは五十両、さらば正体あらはして獄門の種御覧あれ」と包みを切つて切りほどけば焼物の鬢水入主も一座の女郎も『ハアヽ』とばかりに怖気立ち、身を縮むれば、二階には、顔を畳に摺り付けて声を隠して泣きゐたり。短気は損気の忠兵衛、傾城は公界者、五十両の目腐り金、取り替へた倦上、若い者に恥かゝせ川が聞いたら死にたかろ、懐の三百両、五十両引抜いて面へぶちつけ存分云ひ、わが身の一分川が面目、すゝいでやらふか、アゝされどもこれは武士の金、ことに急用こゝが大事の、堪忍」と手を懐へ幾度か、とやせんかくやしやうげ鳥、いすかの嘴のくひちがふ心を知らぬぞ是非もなき。八右衛門水入取り上げ、「コレこれも買はば十八文、いかに相場が安いとて五十両を二分五厘替へ、神武このかたないこと、友達さへこれなれば他人を騙るは御推量、この次は段々に巾着切から家尻切、はては首切りイヤモいかにしても笑止な。あのごとくに乱れては主親の勘当も、釈迦達磨の意見でも聖徳太子がぢきに教化なされても、いかな/\直らぬ、廓でこの沙汰ぱつとして、寄せつけぬやうに頼みます。梅川どんへも吹き込んで、こつちから挨拶切り、島屋の客にさらりと請け出させて仕舞ひたい、皆あの流が心中か女郎の衣裳を盗むか、ろくなことは出かさず、片小鬢剃りこぼたれ大門口に曝され、友達の一分捨てさする、人でなしとはあれがこと、ヤコレ可愛くば寄せつけて下さるな」と語るを聞けば梅川も、悲しいといとしいと身のはかなさをかきまぜて、胸引き裂ける忍び泣き、「アゝ刃物がな鋏でも、舌を切つても、死にたい」と悶へ伏したる苦しみを、下には各々推量して、「ひよんな心にならんした運の悪い梅川さん、いとしぼいは川さんお一人に止めた」と、下女、料理人、うら若き、禿も袖を絞りける。忠兵衛元来悪い虫、押へかねてずんど出で、八右衛門が膝にむずとゐかゝり、「コレ丹波屋の八右衛門殿、常々の口ほどあつてオオ男ぢゃ見事ぢゃ、三人寄れば公界忠兵衛が身代の棚卸してくれる忝いわい、コリヤこの水入も男同士、母の心を安めるため、『受取つてくれるか』と、謎をかけて渡したをこの忠兵衛が五十両損かけふかと気づかひさに、廓三界披露して男の一分捨てさするのか、たゞしまた島屋の客に賄賂取つて、梅川に藁を焚きあちらへやらふといふことか、措いてくれ/\/\、気づかひすな五十両や百両、友達に揖掛ける忠兵衛ではごあらぬごあらぬ/\ごあらぬわいの、八右衛門さま、八右衛門め、サア金渡す手形渡せ」と、金取り出し包を解かんとするところを、八右衛門押へて、「コリヤ/\/\待てやい忠兵衛、よつぽどのたはけをつくせ、その心を知つた故意見をしても聞くまじと、廓の衆を頼んでこつちから除けてもらふたらば、根性も取直し、人間にもならふかとコリヤコレ男づくの懇ろだけ、コリヤ五十両が惜しければ母者の前で云ふわいやい、てんがうな手形を書き無筆の母者をなだめたがこれでもこの八右衛門が届かぬか、エ、その金嵩も三百両、手金のあらふやうもなし、定めてどこぞの仕切金、その金に庇をつけ、八右衛門をしたやうにコリヤ、鬢水入ではわれ済むまいぞよ、たゞし代りに首やるか、のぼりつめるその手間で、届けるところへ届けてしまへ、エゝ性根の据らぬ気違ひめ」と割つつ口説いつ叱れども、「イヤ/\/\仁義立て措いてくれ/\/\、この金をよそのとは、この忠兵衛が三百両持つまいものか、女郎衆の前といひ身代を見立てられ、なほ返さねば一分立たぬ」と、思い切つたる封印の、包解いて十二十三十、始終つまらぬ五十両、くる/\と引包み、「コレ亀屋忠兵衛が人に損をかけぬ証拠、サア受け取れ」と投げつくる、「エゝ男の面へなんとするぞい、恭いと礼云ふて、 返し直せ」と投げ戻す、「おのれになんの礼云はふ」と、また投げつけつ投げ返し腕まくりしてぎしみ合ふ。梅川涙にくれながら梯子かけおり、「ノウすつきりわしが聞きました。皆島八さんのがお道理ぢや、コレ/\/\手を合せる、梅川に許して下さんせ」と声をあげて泣きけるが、「情なや忠兵衛さん、なぜ、そのやうにのぼらんす、そもや廓へ来る人の、たとへ持丸長者でも金に詰るはある習ひ。こゝの恥は恥ならず、なにをあてに人の金、封を切つて撒き散らし詮議にあふて牢櫃の、縄かゝるのといふ恥とこの恥と替へらるか、恥かくばかりか梅川はなんとなれといふことぞ。とつくと心を落しつけ八さんに詫言し、金をつかねてその主へ早ふ届けて下さんせ。わしを人手にやりともないそれはこの身も同じこと、身一つ捨つると思ふたら皆胸にこめてゐる、/\年とてもマア二年下宮島へも身を仕切り、大阪の浜に立つてもこなさん一人は養ふて、男に憂き目はかけまいもの、コレ気を静めて下さんせ、浅ましい気にならんしたかふは誰がしたエゝわしがした、皆梅川が故なれば忝いやらいとしいやら、心を推して下さんせ」と口説き立て/\小判の上にはら/\と涙は、井出の山吹に、露置き添ふるごとくなり。忠兵衛気も有頂天前後括らぬ間に合筵敷金のこと思ひ出し、「ハテ喧しい、この忠兵衛をそれほどたはけと思やるか、この金は気づかひない。八右衛門も知つてゐる、養子に来る時大和から、敷金に持つて来てよそへ預け置いた金、身請のために取り戻した、 コレ花車こゝへ」と呼び寄せ、「先に手附に五十両、今百十両、合せて百六十両、これ川が身の代、これまた四十五両、いつぞやしめた帳面、買ひがかりの借銭、五両は遣手九月からの揚銭、万事十五両ほどと覚えたが、算用が喧しい、二十両で帳消しや、この十両はこなたへ御祝儀やら骨折分、りんも玉も五兵衛も一両づゝじや来い/\」と金銀降らす邯鄲の夢の間の栄耀なり。「サア今の間に埒明け、今宵の中に出るやうに、頼む/\」と云ひければ、主俄かに勇みをなし、「ないほどはないも金、ある段にはあるものかは、気を死なそふことではない、川さん嬉しう思はんしょ、大事の金を持つて行く、りんも玉も供しや」と引連れ走り、出でにけり。八右衛門も済まぬ顔、「誠とは思はねども、たゞさへもらふこの小判、返すものを云はれぬ辞儀、五十両確かに受取つた、ソレ手形返す」と投げ出し、「梅川殿、へゝよい男持つてお仕合せ、妓さんたちこれに」と金懐中し出でければ、「わしらもいざ帰りましよ、川さんめでたふござんす」と皆宿々へぞ帰りける。忠兵衛は気をせいて、「花車はなぜ遅いぞ、五兵衛行てせいてくれ」と立ちに立つてせきければ、「イヤ、身請の衆は親方が済んでから、宿老殿で判を消し、月行事から札取らねば大門が出られませぬ、まちつと隙が入りませふかい」「そこらをはやう、こりや頼む」と、また一両投げ出す、「おつとまかせ」と足軽く、走る三里の灸よりも小判の利きぞ、応へける。「サア/\この間に身拵え、べた/\した取りなり、帯もきりゝと仕直しや」とめつたに急けば、「なんぞいの、一代の外聞、傍輩衆へも盃ごと、暇乞ひも訳よふして、ゆるりと出して下さんせ」と、なに心なく勇む顔、男は『わつ』と泣き出し、「いとしやなにも知らずか。今の小判は堂島のお屋敷の急用金、この金を散らしては身の大事は知れたこと、随分堪えて見つれども友女郎の真中で、可愛い男が恥辱を取り、そなたの心の無念さを晴らしたいと思ふより、ふつと金に手をかけてもふ引かれぬは男の役、かうなる因果と思ふてたも。八右衛門が面つき直に母にぬかす顔、十八軒の仲間から詮議に来るは今のこと、地獄の上の一足飛び、飛んでたもや」とばかりにて、縋りついて泣きければ。梅川『ハツ』と慄ひ出し声も涙にわな/\と、「それ見さんせ、常々云ひしはこゝのこと、なぜに命が惜しいぞ、二人死ぬれば本望、今とても易いこと分別据へて下んせなふ」「ヤレ命生きやふと思ふてこの大事がなるものか、生きらるゝだけ添はるゝだけ、たかは死ぬると覚悟しや」「アゝそふぢゃ、生きらるゝだけこの世で添はふ、ほんに忘れた私が大事の守をうちの箪笥に置いて来た、これが欲しい」と云ひければ、「ハテ、かゝる悪事を仕出して、いかな守の力にもこの科が逃れうか、とかく死ぬ身と合点してわれはそなたの回向せん、そなたはこの忠兵衛が回向を頼む」と、泣きければ、梅川ひしと抱きつき、むせ返りてぞ歎きける。越後主従立帰り、「サア/\どこもかも将明けた、お出の勝手近ければ西口ヘ札が廻つた」と、云へども、夫婦はわな/\と、「さらば」「さらば」も震ひ声、「お寒さうな酒はいの」「酒も咽喉を、トゝゝ通りませぬ」「めでたいと申そふか、お名残り惜しいと申そふか、千日云ふてもつきぬこと」「エ、その千日が迷惑」と、ゆふつげ鳥に別れ行く、栄耀栄華も人の金、果は砂場を打過ぎて、跡は野となれ大和路や足に、任せて
道行相合かご
翠帳紅閏に枕ならべし閨のうち、馴れし衾の夜すがらも、四ツ門のあと夢もなし、さるにても我がつまの秋よりさきにかならずと、仇し情の世を頼み、人の頼みの綱きれて、夜半の中戸もひきかへて、人目の関にせかれゆく、冷えたる足を太股に、相合炬燵相輿の膝組み交すかごのうち、狭き局の睦言の過ぎしその日が思はれて、いとゞ涙のこぼれ口、比翼煙管の薄煙り、霧も絶え/\晴れ亙り、麦の葉生えに風荒れて、朝出の賤や火をもらふ、野守が見る目恥づかしとかご立てさせて暇をやる。価の露の命さえ惜しからぬ身は惜しからず、惜しむは名残りばかりぞや、今は人目も慰めの言葉やさしく忠兵衛が、「コレイノウコレ梅川、なにくど/\と思うぞや、定めなき世の定めぞと、思ひ定めたわが命、ともに一蓮托生の約束ごととあきらめて、赦してたも」とうち沈む。「ノウなに云はんすぞ忠兵衛さん、いろで逢ひしは、はや昔、今は真身の女夫合い、恋は今生さきの世まで冥途の道をこのやうに、手をひこうぞや」「ひかれふ」と、また取り交し泣く涙、空に霙のひと曇り、霰交りに吹く木の葉、袖の凍りと閉合へり。はや故郷のほど近し、こゝは人目も多ければ、里の裏道畦道へ、こちへ/\と袖覆ひ、すぢりもちりて行く程に、「アレ、あれを見や、どこの田舎も恋の世や」背戸に菜をつむ十七八が「門に立つたは忍びの夫かゑ、野風身の毒こち這入らんせ、野風身の毒、身の毒野風、エゝこち入らんせ、こちござれ、恋は楽しや苦しや辛や、いよ忍びての、忍びてのよその睦言ねたましく「それ覚えてか、いつのこと、かの初雪の朝込みに、寝巻ながらに送られし、大門口の薄雪も、今この雪も変らねど、変り果てたる互の身、われゆえ染めていとほしや。もとの白地を浅黄より、恋は誉田の八幡に、起請誓紙の筆の罰、そなたを避けて」と泣く涙、「ノウ、コレ申しさりとては、今さら聞えぬなんの愚痴。逢ひ初めてから二度三度、待つ夜、待つ夜の畳算、仇な勤めを実にして、末は女夫と心の誓ひ、越後で切つた封印の科はこなたの科でなし、皆この私ゆえなれば、女冥利に尽きること、たとえこの身は縛り首、逆轢もいとはねど、唯いとしぼは私が母、京の六条数珠屋町、定めてこの中この間、詮議に人がいきつらふ。日頃が目まい持ちなれば、どうならんした事ちややら、ま一度京の母さまにも、一目逢うて死にたいもの」「オゝ道理とも尤とも、我もそなたののお袋に婿ぢゃと云ふて逢ひもしたし、また新口の実の親に、嫁ぢゃと云ふて引き逢はせ、喜ぶ顔も見たけれどそれも叶はぬ身のしだら。親父さまの百年の御寿命めでたふ過ぎてのち、せめて未来で嫁舅、必ずやいの梅川」と人目なければ抱き合い、よゝと崩おれ泣き沈む。涙の雨の横時雨、野辺の笹原薄原、ばう/\さらさらさつとなつたは、もしや追手の尋ぬるよと、おおい重なり影かくす。ふりさけ見れば人にはあらで妻恋鳥の羽音にも、怖ちる身となる落人の、身をしのぶ道、恋の道、ここの旅寵、かしこの宿、三日四日いつかさて、命のかねのわびしくも、消ゆる心の細の道、我から狭き憂世の道、野越え山くれ里村越えて、行くは恋ゆえ捨つる世や、表れはかなき

 
 

 

●冥途の飛脚 6
飛脚屋亀屋の場
花の難波の色里に 目抜き通りが三筋あり 佐渡屋町と越後町 その間を千鳥のように通うのは 淡路町亀屋の跡取りで 忠兵衛二十四になる
四年前に大和から 持参金をたずさえて 後家妙閑の養子となり 大事にされて商いも 積荷の差配もうまくなり 江戸へも三度往復し 茶の湯俳諧囲碁双六 手なれた文字は丸くなり 人柄丸く角とれて 酒も三、四、五杯は飲み 五つ紋の紋羽二重の 羽織も立派に着こなして 無地の丸鍔象嵌(まるつばぞうがん)の 田舎細工の脇差の 田舎者には珍しく 垢抜けのしたいい男
恋の道も色里も おぼえて日暮れを待ち切れず 飛び出す足の飛脚宿は忙しい 荷を造ったりほどいたり 手代は帳面をつけ算盤おく 奥から店まで大勢が 千両万両をやり繰りし 九州関東とやり取りし 居ながら金を自由に動かす 一分小判や白銀に まるで翼があるようだ
町回りの集配人が帰って来て せわしく帳簿をつけているところへ
侍「誰か頼もう。忠兵衛さんはおられるか。」と、取り次ぎを頼むのは 得意先の屋敷の侍であった 手代たちは丁重に
手代「ああ、これは甚内さま。忠兵衛は留守をしておりますので、江戸へ下る荷物のご用でしたら私にお申し付けください。お茶をお持ちしなさい。」 と、応対する
甚内「いや、荷物を送る用件ではない。江戸の若殿から手紙が届いたのだ。いま読むから聞きなさい。」 と、手紙を開き
甚内「『来月二日に江戸を発つ三度飛脚で金三百両を送ります。九日十日両日のうちに、そちらの亀屋忠兵衛の店からその三百両を受け取り、かねて内密に申しつけておいたことについて、処理してください。ついては飛脚の受け取り証文を送りますので、金を受け取る際にこの証文を忠兵衛にお渡しください。』と、このように書かれている。きょうまで届かなかったので、大切な仕事の予定が狂ってしまったではないか。どうしてこのような失態が起きるのだ。」 と、しかめ面をつくって言うと
手代「まったくおっしゃる通りでございます。ですが、このところ雨が続いて河川が氾濫して運搬に日数がかかり、金が届かないばかりか、私どももたいへん損をいたしております。盗賊に奪われたり、道中出来心を起こして持ち逃げされたりして、万一何万貫目取られても、十八軒の飛脚宿が弁償して、わずかの損もおかけしませんので、ご心配なさいませんように。」 を、最後まで言わせず
甚内「そんなことは言うまでもない。損をかけたら忠兵衛の首が飛ぶ。金が遅れると仕事が進まないからそれで聞いているのだ。迎えの飛脚をやって早く持って来い。」 と、徒士若侍が刀の威光を借りて言う その刀のあやしい銀細工はきっと鉛で 言葉もあやしい田舎訛りで いばり散らして帰って行った また
使い「ごめんください。中の島の丹波屋八右衛門のところから来ました。江戸小舟町米問屋からの為替銀について、添え状は届きましたが金はどうして届かないのでしょう。この間から手紙を出しておりますが返事もありません。使いをやればなんのかの言うし、いつ届けてもらえるのですか。『この者に金を渡して人をつけてよこして下さい。そうすれば証文を返しましょう。』と、主人が申しています。さあ、お金をいただきましょう。」 と、玄関に立ってわめいた
主人思いの手代の伊兵衛は 落ち着いたようすで
伊兵衛「これ、お使いの人。八右衛門さんがそんな理屈っぽい言い方をなさるはずがないでしょう。五千両七千両という金をお客さまから預かって、東海道百三十里を我が家のように行き来し、江戸大阪間を広くも狭くもする亀屋です。そちら一軒だけがお客さまではないし、遅くなることもあります。いまにも旦那が帰って来られたら、こちらから返事をしましょう。五十両にもいかない金のことで、そうやかましく言うものでもないでしょう。」 と、上から出ると圧倒されて 使いはおとなしく帰って行った
母妙閑はこたつのそばを いつもは離れることもなかったが 納戸部屋から出て来て
妙閑「これ、今のはなんですか。丹波屋のお金はたしか十日も前に届いていますね。なぜ忠兵衛はお金を渡さないの。今朝から二軒も三軒も金の催促が来ています。おやじの代からこの家では、銀一匁も催促を受けたことがありません。この亀屋は一度も仲間に迷惑をかけたことがなく、十八軒の飛脚屋の鑑のように言われてきました。だれも気がつかないのですか。近ごろの忠兵衛のようすはどうもおかしい。最近来た者は知らないでしょうが、もともとこの家の子ではありません。もとは大和の新口村、勝木孫右衛門という大百姓のひとり子で、お母上は亡くなって継母に育てられたために、ひねくれて悪い遊びをするようになっても困るとお父上が考えて、それでこの家の跡取りとして養子にしたのです。家の中のことも商売のこともなにも不満はありませんが、近ごろそわそわして何も手につかないようです。注意したいことはありますが、養母も継母も同じように思うかも知れない。あれこれ言うより言わないで、自分で気づいて恥ずかしく思った方がいいと、見ぬふりをしています。けれども聞くべきところは聞き、見るべきところは見ているつもりです。いつの間にか贅沢になり、鼻紙も二枚三枚と手あたり次第重ねて鼻をかんでいます。亡くなった夫は、鼻紙を気安く使う者は油断ならないと言っておりました。忠兵衛が家を出るときにちり紙を三束ずつ懐に入れて出て行くが、いったいどれだけ鼻をかむのでしょう。帰りには一枚も残っていません。体が丈夫だとか言って、あんなに鼻をかんでいてはどこか病気になるでしょう。」 と、愚痴をこぼして奥に入るので 丁稚も召使いも気の毒がって
丁稚「旦那さま、早くお帰りください。」 と、待っていると 日も西に傾いて 店じまいの時刻になった
籠の鳥の身の上の 遊女梅川に恋い焦れ 廓に通う里雀 忠兵衛はとぼとぼと 金の工面や家のこと 心は曇るし思いは乱れ そろそろ辻君の出る時刻
忠兵衛「しまった、日が暮れる。」 と、飛ぶように帰って来て 戸口には着いたけど 留守の間にあちこちから 催促の使いがやって来て 妙閑に知られてどのような 話になったか気にかかる 誰か出て来て家の中 しっかり聞いて入りたい わが家(いえ)ながら敷居は高く 中を覗くと飯炊きの 万が酒屋へ行くようす
忠兵衛「あいつは木で鼻をくくったような愛想の悪いやつだから、ただでは言わないだろう。色仕掛けで騙して聞いてやろう。」 と、考えているとぬっと出てきたので 樽を持った手をぎゅっと握ると
万「あら、旦那さまだ。」 と、声を上げる
忠兵衛「これ、静かにしないか、この色女。おれは本気で惚れてしまった。『思い内にあれば色外に現れる』と言うが、おれの目を見て気付いてくれたか。かわいい顔してなんで気をもませるのだ。いっそ殺してくれ。」 と、抱きつくと
万「まあ、嘘をおっしゃい。毎日毎日新町に通って、鼻紙を二束も三束も使って結構な鼻をかんでいらっしゃるんだもの、わたしなどには手鼻もかみたくないくせに。この嘘つき。」 と、振りほどく また抱きついて
忠兵衛「おまえに嘘をついてどんな得がある。ほんとうだよ。」 と、言うと
万「それがほんとうなら、今晩寝床へ来てくれますか。」
忠兵衛「ああ、いいとも、もちろんだ。うれしいことを言ってくれる。ところで、ちょっと聞きたいことがある。」 と、言ったが
万「それも寝床の中でしっぽりと聞きますわ。きっと騙さないでね。では、わたしはお湯を沸かして腰湯して待っています。」 と、言い捨てて 振り切り走って行った 忠兵衛はちょっとむかつくが 家に入ることもできず ぐずぐずしていると 北側の町から肩をいからせ やって来るのは誰だろう
忠兵衛「あれは中の島の八右衛門 あいつに会っては面倒だ」 と、東の方へ逃げようとする
八右衛門「まて、忠兵衛。逃げるな。」 と、声をかけられ
忠兵衛「ああ、八右衛門か。このところご無沙汰だった。昨日も今日も、一昨日も使いをやろうと思いながら、いろいろあって遅くなった。ずいぶん寒くなったがおやじさんの腹の具合はどうだ。ばあさまの虫歯はよくなったのか。おい、ひどく酒くさいぞ。飲み過ぎはよくないな。明日すぐに使いをやろう。そうそう、あれに伝言を頼まれた。『また今度お座敷に呼んでください』だそうだ。」 と、まくしたてると
八右衛門「よせやい、口三味線にのせようとしてもおれはのらんよ。おまえの商売は三度飛脚ではないか。おれのところへ江戸から届いた為替の五十両をなぜ届けない。親しい仲だがそれとこれとは別の話だ。高い料金を取るからには大事な家業だ。五日や三日なら我慢もできるが、十日以上経つのに埒が明かない。今日も使いをやったが、手代のやつが横柄な返事をした。まさかほかの客にそうは言うまい。八右衛門をなめているのか。北浜、靫(うつぼ)、中の島から天満の市(いち)の側まで、おやじとも呼ばれている八右衛門だ。なめたければなめればいいが金は今日もらおう。それとも飛脚仲間に訴えようか。いや、まずおふくろさんと会って話そう。」 と、中へ入ろうとするのを引きとめ
忠兵衛「これはこちらが悪かった。この通り手を合わせる。一言だけ聞いてくれ。頼む。」 と、ささやくと
八右衛門「また口先で済ませようとするのか。梅川と同じように騙そうと思っても、男のおれは騙されないぞ。言いたいことがあるなら聞くだけは聞いてやろう。」 と、苦々しく決めつけられ
忠兵衛「いや、その言葉を母が聞いたら死んでも顔が合わせられない。一生恩に着る。まったくもって面目ない。」 と、はらはら涙を流す
忠兵衛「じつは、あの金は十四日前に届いていた。知っているように、梅川の田舎者の客が金にまかせて張り合ってくる。こちらは母や手代の目を盗んでかすめ取った わずか二百目や三百目の金しかないから、金の工面に追いまくられて生きた心地もしなかったが、とうとうその客が梅川を身請けすることになって、まもなく手打ちするという。梅川は嘆くしおれにも面目がある。もはや心中するしかないと、互いの喉に脇差をひんやり当てるまではしたのだが、まだ死ぬ時期ではないのかいろいろと邪魔が入って、その夜は泣いて別れた。明くる今月十二日、思いがけず江戸からそちらへ渡す金が届いたので、考えもなく懐に押しこみ、無我夢中で新町まで駆けつけた。梅川の親方にことの次第を話して頼むと、田舎客の話を破談にしてくれるというので、自分の方への身請けの相談をして、あの五十両を手付けに渡し、それで梅川を取り戻すことができた。これも八右衛門を友達に持ったおかげと感謝し、朝晩北の方を向いて心の中で手を合わせている。しかし、いくら親しいからといって、先に断ってから使うのであれば借りるのと同じだが、後ではどうかと思っているうちにそちらから催促され、いいわけについた嘘に嘘が重なって、はじめに本当であったことまで嘘になってしまい、今さら何を言っても本当とは思われないだろう。けれども、遅くて四、五日中にほかの金も送られてくるはずだ。どうにでもやりくりして、びた一文損はさせない。この忠兵衛を人と思えば腹も立つだろうが、犬の命を助けたと思って我慢してほしい。今となっては世の中に罪人が絶えないのもよくわかる。こうなったら忠兵衛も盗みでも働くよりしようがないのだ。男がこんなことを口にする気持ちをわかってほしい。喉から剣を吐いてもこれほど苦しくはないだろう。」 と、身もだえして泣いていた 鬼とでも相撲を取りそうな 八右衛門はほろりと涙ぐんで
八右衛門「言いにくいことをよく言った。丹波屋の八右衛門は男だ。我慢して待ってやる。うまくやれ。」 と言うと 忠兵衛はひたいを土につけ
忠兵衛「ありがたい。父二人、母三人と、親は五人いるが、それらの親の恩より、八右衛門、あなたの恩は忘れない。」 と、ただ泣くばかりだ
八右衛門「そう思ってくれれば満足だ。さあ、人が見る。そのうち会おう。」 と、別れようとするところへ 中から母の声がして
妙閑「まあ、八右衛門さまなの。忠兵衛、こちらにお通ししなさい。」 と、声をかけられ仕方なく もじもじ連れ立って入って行った
母はこの上なく律儀に
妙閑「先ほどお使いがおいでになったばかりなのに、今度はご自身がお見えになるのも無理のないことです。これ、こちらのお金が届いたのは十日も前のことでしょう。どうして延ばしているのです。しっかり胸に手を当てて考えてごらん。遅く届くのでしたら飛脚はいりません。あなたの商売はなんですか。今すぐお渡しなさい。」 と言うが、渡す金はない 八右衛門も実情はわかっているので
八右衛門「いや、おふくろさま。はばかりながらこの八右衛門が、五十両や七十両の金を急に必要になることもありません。これからすぐに長堀まで参りますので、明日にでも。」 と、立とうとすると
妙閑「いいえ、大切なお金を預かっていると気になって夜も眠れません。これ、忠兵衛。早くお渡ししなさい。」 と、せきたてられ
忠兵衛「はい。」 と、答えて納戸に入り うろうろしてみたものの金はない 入れたおぼえもない戸棚の鍵を 入れたふりしてぴんと開ける 鍵の音さえ恥ずかしく 心の中で願をかけ 霊呼びおろして気をもんで 狂ったようにしていたが
忠兵衛「おや、ありがたい。櫛箱に陶器の鬢水入れが入っていた。これこそ氏神さまのお助けだ。」 と、三度押しいただいて紙を広げ 小判包みのやり方で くるくるとすばやく包み 「金五十両」と墨で書く みごとに似せた五十両で 母に一杯食わせたその悪知恵は 罪深い
忠兵衛「それでは八右衛門さん。今渡さなくてもいいのですが、母を安心させるために、男らしいあなたと見込んで仕方なくお金を渡します。このまま受け取って母を安心させてやってください。包みは開けるまでもないでしょう。さわってみれば五十両とわかります。どうなさいますか。」 と、差し出す 八右衛門は手に取って
八右衛門「私をだれだと思われる。丹波屋の八右衛門だ。受け取るのに文句はない。ほら、おふくろさま。江戸為替はたしかに受け取りました。不動参りのときはお立ち寄りください。」 と、立ち上がろうとすると 妙閑は本当に金を受け取ったと思い
妙閑「これ、忠兵衛。仕切り為替は、金と手形を引き替えにすることになっている。手形をお持ちでないなら、ちょっと一筆書いていただきなさい。念には念を入れろと言うでしょう。」 と言うと
忠兵衛「ああ、そうだった。母は文盲なので一字も読めないが、形だけ一筆お願いしよう。」 と、硯を出して目くばせすると
八右衛門「ああ、いいですよ、忠兵衛さん。文句はこれでいいですか。」 と、筆にまかせて書きなぐる
八右衛門「一つ、金子五十両受け取り申さず。右約束のとおり晩には廓で飲んで私が太鼓持ちになることは明白である。いつ何時でも廓で遊ぶときは必ず参上いたしましょう。よって祝い日のため鬢水入れは以上の通り。」 と、いいかげんに書き散らし
八右衛門「ではお暇しましょう。」 と、表へ出ると
妙閑「書いたものこそ確かな証拠。」 と、まただまされた正直者の 親の心は仏の顔も三度まで 三度飛脚の江戸の便りを 待つ夜も次第に更けていった
表に馬の鈴の音
馬子「おいおい、荷物が着いたぞ。中戸を開けろ。」 と、大声で叫んで 手に手につづらを担ぎ込む 忠兵衛親子は機嫌よく
忠兵衛親子「さあ、調子が出てきた。来年も幸せだ。」「馬子衆に酒を飲ませてあげなさい。煙草も持って来なさい。」 と、硯を引き寄せ帳面つけて 家内は大いににぎわうが 手代の伊兵衛はいぶかしそうに
伊兵衛「おい、堂島のお屋敷から、『金三百両が九日に来ることになっている。受け取り証文が届いたのにどうして金は遅いのだ。』と、お侍の甚内さまが睨みつけて帰られたが、その金はどうした。」 と言うと 飛脚頭が胴巻から
飛脚頭「その三百両はこっちです。急ぎの用なので今夜中にお届けください。」 と言って  あちこちの為替金八百両を がらがらと取り出す 忠兵衛はますます調子に乗って
忠兵衛「白銀は中の蔵へ。金貨は戸棚へ。母上、私はすぐにこの小判をお屋敷へ持参します。人のお金を預かるので表に気をつけて早く戸締りし、とくに火の用心はしっかりと。帰りは少し遅くなるが駕籠で帰れば心配ない。夜食が済んだら早く寝なさい。」 と、金を懐に入れて羽織の紐を結び 霜の降りた夜の玄関を出ると 通いなれた足の癖で 心は北へ行こうと思うのに 体は南へ向かい 西横堀をぼんやり通り過ぎ 心から離れない遊女のことを考えながら 米屋町までやって来て
忠兵衛「あれ、堂島のお屋敷へ行くはずなのに、狐に化かされたのか。しまった。」 と、引き返したが
忠兵衛「いや、気付かないうちにここまで来たのは、梅川のほうで用があって氏神さまが導かれたのか。ちょっと寄って顔を見てから。」 と、立ち戻って
忠兵衛「いや、ここが大事なところだ。この金を持っていては使いたくなる。やめておこうか、行ってしまおうか。行ってしまえ。」 と、一度は思案したものの 二度目は分別失って 三度飛脚の自分が廓へ 戻れば合わせて六道の 冥途の飛脚と
新町越後屋の場
「えいえい カラスがな カラスがな 恋するカラスが 月夜も闇も 彼女を求めて 逢おう 逢おうと やって来る」
青い編み笠赤く染め 炭火ほのめく夕べまで 恋の思いはそれぞれに 恋と情けは道ひとつ
梅と呼ばれる天神は 梅に劣らず芳しく 太夫は松にたとえられ 高い位でよいけれど おしなべて情け深いは見世女郎
禿(かぶろ)童女の案内で 渡って行きたい佐渡屋町 女主人の越後屋は 立ち寄る遊女も気兼ねなく 思いを遂げる恋の園
つらいときには梅川も 思いを晴らす定宿と よその勤めを怠って 島屋をちょっと抜け出した
梅川「きよさん、こんばんは。きょうは島屋であの無粋な田舎者に無理を言われたので頭が痛い。忠さまはまだ見えませんか。いいの、せめてあなたにだけでもお会いしたくて、お座敷を抜けてきました。」 と、玄関の障子戸をあけるのも 明くるあしたのあけ納めか
きよ「まあ、よくいらっしゃいました。あのように、二階にも女郎さんたちが大勢遊びにおいでになって、お客さまを待つ間のお酒の座興に、拳(けん)をしておられます。あなたも気晴らしに拳でもしてお酒など召し上がれ。お仲間衆もおられます。」 と言われて 隙間風吹く二階に上がる 女ばかりの火鉢酒は 拳遊びの手つきもだるく
女郎たち「ろませ(6)。」「さい(7)。」「とうらい(10)。」「さんな(3)、おあいこね。」 と、豊川に 声高く高瀬がさす拳は
女郎たち「はま(8)。」「さん(3)。」「きゅう(9)。」「ごう(5)。」「りゅう(6)。」
女郎「すむい(4)、ほらほら、どうです。鳴門瀬さん、もともと一杯くらいは飲めるでしょう。」
女郎「あれ、梅川さんがお見えになった。」
女郎「まあ、よいところへおいでになった。あなた、拳遊びがお上手だったわね。夕方から千代歳さんに負け続けてくやしいから、かたきをとってください。ちょっと、お銚子を持ってきて。」 と言うと
梅川「もう、お酒なんていいわよ。拳をする気にもなれません。この梅川の今の身の上を少しは同情してください。きょうも島屋で田舎の客が、理屈をつけてまた身請けを押しつけてくる。腹が立つし憎らしい。でもこっちが先で忠兵衛さまは後なのを、親方が一肌脱いでくださったおかげで、手付け金を渡すことができ、約束の日が来ても支払いを先に延ばしてもらい、きょうまで待ってもらいました。けれども、忠さまも所帯持ちで養子の母上さまもいらっしゃるし、蔵屋敷のお武家さまや大商人のお歴々とも取引し、東海道を行き来してだいじな商売をなさっている。何が邪魔をして田舎者に身請けされるかわかりません。そうなったらひとりで死んでしまいましょう。天神や太夫ほどの身分でもないのに、わずかのお金でおかしくなった見世女郎のあさましさと、世間の評判にもなるでしょう。仲間の掃部(かもん)さんをはじめ格子女郎の手前もあり、忠さまと一緒になって、いろいろ人に噂されるようになった恥をすすぎたい。」 と、泣き濡れて語ると 一座の女郎たちは自分の身の上に重ね 「そうよね、ほんとうに」と つられて涙を流したが
女郎「ああ、とても気が滅入る。気晴らしに浄瑠璃をしませんか。禿たち、ちょっと行って竹本頼母さんを借りてきなさい。」
梅川「いや、さっき鬢付けを買うときに聞きましたが、芝居小屋からそのまま越後町の扇屋に行かれたそうよ。私は頼母さんの弟子なので、よく似ているところをお聞きかせしましょう。さあ、三味線をお願いします。」 と、夕霧太夫の物語を 今の自分に重ね合わせて
梅川「傾城に真心なしと 世間の人は言うけれど そんなことはありません 恋を知らない言い草です まことも嘘も根は同じ たとえば命を投げ出して いかにまことを尽くしても 男の方(かた)から便りなく 遠ざかるそのときは どんなに切なく思っても こうした身ではままならない いつか誰かに身請けされ かけた誓いも嘘になる また初めから偽りの 仕事としてだけ逢う人も いつも逢って情事を重ね 最後の頼りとなるときは はじめの嘘もみなまこと どうして恋路に 嘘とまことのあるものか 縁のあるのがまことです 逢えない男を思い続けて思いが積もり 思いざめして冷めるもの つらいひどいと恨むでしょうが 恨めしければ恨むがいいさ 男をいとしく思うのは 勤めする身のかなしい病か」 と歌うと、恋に浮世を捨てるほどの 悩ましい思いが一座に広がり 酒もすっかり醒めてしまった
中の島の八右衛門 九軒町のあたりから 浄瑠璃を聞きつけて
八右衛門「おや、どれも聞き覚えのある女郎の声だ。おかみ、いるか。」 と、すっと入り 長柄の箒を逆に持ち 二階の下から板敷を がたがたと突き鳴らし
八右衛門「女郎衆、ひどいじゃないか。ここで聞いている者がいるのに。そんなにほしいのはどんな男だ。男がいなくて寂しいならここにひとりいるぞ。お気に召すまいが貸してやろうか。」 と、わめいた 梅川は誰かわからず
梅川「でも、本当にお逢いしたいのですもの。憎らしいと思うなら、ここまで来て叩いたらいいわ。きよさん、下にいるのはどなたです。」
きよ「いいえ、大丈夫です。中の島の八さまです。」 と、聞いて梅川ははっとして
梅川「だめです。あの方には会いたくない。みなさん、下りてください。わたしが二階にいると決して言わないでください。」
女郎「わかっています。」 と、うなずき合って みんなで座敷に出てみると
八右衛門「おや、千代歳さんに鳴門瀬さん。お歴々のおそろいか。梅川さんは夕方島屋の座敷を抜けて出られたそうだ。忠兵衛もまだ見えそうにない。おかみ、ここへ寄りなさい。女郎衆も禿たちも、忠兵衛のことで耳に入れておきたいことがある。さあ、こちらへ。」 と、内緒めかすと
女郎たち「さあ、何ごとでしょう。」「心配だわ。」 と言いつつ二階の梅川に 悪いうわさが聞えはしないか みなで気遣うそのときに 忠兵衛は世をしのび 心も凍りつくような 三百両を持ったまま 身も懐も冷える夜に 越後屋まで走って来て 中を覗くと八右衛門 上座に座って自分のうわさ はっと驚き立ち聞きする
二階では梅川が 心を澄まして聞いている 壁に耳をそばだてて 聞こえて恨みの種となる そうとは知らず八右衛門
八右衛門「こんなことを言うと忠兵衛を憎んだり妬んだりしているみたいだが、神に誓ってそうではない。あの男の行く末をかわいそうに思って言うのだ。なるほど千両、二千両と人の金を預かり一時的に家に置いているが、自分の金としては家屋敷や家財を合わせて十五貫目くらいしかない。財産は二十貫目にもならない。大和の親が金持ちだと言っても、亀屋へ養子にやるくらいだから百姓としてもたかが知れている。こういうこの八右衛門も若い者の習いとして、一年に五百目や一貫目くらいの金は、揚げ屋に遊女を呼んで使わなければならない。それを分不相応にも忠兵衛は梅川にのぼせあげ、島屋の客と張り合い、五月になってからはほとんど毎日揚げつづけ、とうとう最近になって身請けすることが決まり、百六十両のうち五十両を手付けに渡したそうだ。そのためあちらこちらへ届ける金が工面できなくなり、行く先々で嘘八百を並べてごまかすから、いよいよどうにもならなくなってきた。今すぐにでも梅川が廓を出ることになったら、借金もあるだろうし、なくても二百五十両が天から降るわけでもないし、地面から湧いてくるわけでもない。盗みでもするほかない。ところでその手付けの五十両はどこから手に入れたと思われるか。私のところに江戸から届くはずの為替を途中で抜いて使ったのを、それとも知らずにもらいに行ったときの、養子の母上がかわいそうだ。江戸から届いたことをご存じで、『渡せ、渡せ。』と催促なさるので、忠兵衛が私に返した小判をお目にかけようか。」 と、包みを取り出して
八右衛門「ほらこのように見たところ五十両だが、正体を現したらさらし首になる、その種をごらん。」 と、包みを切って 開くと陶器の鬢水入れ 主人も女郎たちも 「いやだ」と恐がり身をすくめ 二階で梅川は顔を畳につけて 声を忍んで泣いていた
短気のために損をする忠兵衛
忠兵衛「わずか五十両のはした金を立て替えたと自慢して、若い者に恥をかかせるのだな。遊女は人気商売なのに、川が聞いたら死にたくなるだろう。懐の三百両から五十両を引き抜いて顔に叩きつけ、言いたいことを言って男としての面目を立て、梅川のめんつをすすいでやろう。ああしかし、これは武士の急ぎの金。ここで辛抱することが大事だ。」 と、何度か手を懐に持って行き ああしようかこうしようか しょげかえっているが 心を知らぬ忠兵衛が 鶍(いすか)のくちばしのように 食い違うのも無理はない
八右衛門は水入れを取り上げ
八右衛門「これは買えば十八文だ。いくら相場が安くても、五十両を二分五厘の銀に替えるとは、神武天皇以来聞いたことがない。友達でさえこうなのだから、他人を騙すのは推して知るべし。この次は次第に掏りから泥棒に、しまいにはつかまって首斬りされてしまう。どう考えても気の毒なことだ。あのようにおかしくなってしまうと、主人や親に勘当されても釈迦や達磨に意見されても、聖徳太子がみずからお教えになってもなかなか治らない。廓でこの話をぱっと広めて寄せつけないようにしてください。梅川さんにもよく言いきかせてこちらから縁を切り、島屋の客に早く身請けさせてしまってもらいたい。あんなやり方をする者は、みな心中か、女郎の衣装を盗むか、ろくなことは仕出かさず、片方の鬢を剃りおとされて大門口で曝しものにされ、友達の面目までなくさせる。人でなしとはあいつのことだ。かわいそうだと思うなら寄せつけないでください。」 と、話すのを聞くと梅川も 悲しいといとしいと 身のはかなさがまじりあい 胸が引き裂かれるような思いで 忍び泣いている
梅川「ああ、刃物が欲しい。鋏でもいいから舌を切って死にたい。」 と、悶え苦しむありさまを 下ではそれぞれ想像して
人々「いやな気持におなりになった。」「運の悪い梅川さん。」「川さまばかりが気の毒な目に。」 と、下女も料理人も幼い禿も 涙の袖を絞ったことだ
生来の短気を押さえ兼ね 忠兵衛は中に入って来て 八右衛門の膝ににじり寄り
忠兵衛「丹波屋の八右衛門さんよ。いつも立派なことをおっしゃるが、男らしいね。みごとだね。三人寄ればもう立派な社会だが、そこで忠兵衛の財産を棚卸してくれてありがとうね。それにこの水入れも、男同士で母を安心させるために、受け取ってくれるかと謎かけして渡したのに、この忠兵衛が五十両の損をさせるのではないかと心配して廓中に言いふらし、男の面目をつぶすのか。それとも島屋の客から賄賂をもらって梅川をたきつけ、むこうへ身請けさせようということか。よせやい、心配するな。五十両や百両の金を友達に損させるような忠兵衛ではない。おい、八右衛門さん。こら、八右衛門。さあ、金を渡す。手形を返せ。」 と、金を取り出し包みを解こうとするが 八右衛門は押しとどめ
八右衛門「ちょっと待て。おい忠兵衛。馬鹿もいいかげんにしろ。おまえのそういうところを知っているから、意見しても聞くまいと思い、廓の皆さんにお願いして、こちらから避けてもらったら、それで心も入れ替え真人間になってくれるかと、男気からの親切でやったまでだ。五十両が惜しかったら母上の前で言ってやったわ。ふざけた手形を書いて字の読めない母上をなだめたのに、これでも八右衛門の気持ちがわからないか。その金包みの大きさでは三百両、手持ちの金がそんなにあるはずはない。きっとどこかへ支払う金だろう。その金に手をつけたら八右衛門にしたように小鬢入れではすまないぞ。それともかわりに首をやるのか。のぼせ上がる前に届け先へ届けてしまえ。まったく根性の据わらぬ馬鹿者だ。」 と、説いてきかせて叱るのだが
忠兵衛「いや、仁義立てはよしてくれ。この金をよその金だと言ったか。この忠兵衛が三百両持たないだと。女郎衆の前でもあるし財産を見くびられ、それでも返さなければ面目が立たない。」 と、包みをほどいて十二十 三十四十と結局は もう取り返しのつかない五十両 くるくると包んで
忠兵衛「これは亀屋忠兵衛が人に損をさせない証拠の金だ。さあ受け取れ。」 と、投げつける
八右衛門「男の顔に何をする。ありがとうと礼を言ってから返せ。」 と、投げ返す
忠兵衛「おまえに礼など言うものか。」 と、また投げつけ投げ返し 腕まくりしてもみ合っている 梅川は涙を流しながら 階段を駆け下りて
梅川「いますっかり聞きました。すべて島八さまのおっしゃる通りです。この通りお願いです。梅川に免じてお許しください。」 と、声を上げて泣いたが
梅川「情けない、忠兵衛さま。なぜそんなにのぼせ上がるのです。そもそも廓へ来る人は、たとえ大金持ちでもお金に困ることがあるものです。ここの恥は恥ではありません。何のあてがあって他人の金の封を切って撒きちらし、取り調べを受けて牢につながれたり、縄をかけられたりする恥と、この恥を引き替えになさるのです。恥をかくだけではありません。梅川にどうなれというのです。じっくり気持ちを落ち着け八さまにお詫びし、お金を揃えて持ち主に早く届けてくださいませ。わたしを他人に渡したくない、それはわたしも同じ気持ちです。わが身を捨てる覚悟さえすればどうにでもなる。その覚悟はすべて胸にしまってあります。年季といってもあと二年、宮島へでも身売りし、大阪の川岸で辻に立ってもあなたひとりくらい養って、男に苦労は掛けません。気持ちを鎮めてください。情けないお気持ちになられましたが、誰のせいかと言えばわたしのせいです。みなこの梅川のためなのですから、うれしいと思いますしいとしいとも思います。この気持ちを察してください。」 と、つらい思いを繰り返し 小判の上にはらはらと こぼす涙は咲き誇る 井手玉川の山吹に 露を添えたようである
忠兵衛は心もうわの空 前後つじつま考えず 持参金を思い出し
忠兵衛「なにを、やかましい。この忠兵衛をそれほど馬鹿と思っているのか。この金は心配ない。八右衛門も知っている。養子に来るとき大和から持参金に持ってきて、よそに預けておいた金を身請けのために取り戻したのだ。おかみ、こっちに来てほしい。」 と、呼びよせて
忠兵衛「以前に手付けとして五十両渡したな。ここに百十両ある。合わせて百六十両、これが川の身請けの代金だ。それから四十五両、これは請求されていた付けで買った借金。五両は遣り手の婆さんに。九月からの揚げ代は全部で十五両ほどと思うが、計算が面倒だから二十両で帳消しにしてくれ。この十両はあなたへの祝儀と手間賃に。りんも玉も五兵衛も一両ずつやろう。こっちへ来い。」 と、金銀降らす邯鄲(かんたん)の つかの間に見た豪勢な夢
忠兵衛「では、すぐに手続きを済ませ、今夜のうちに廓を出られるようにしてほしい。」 と言うと 主人はにわかに勢いづいて
きよ「お金というのはないときにはないがあるときにはあるものだね。気を落としちゃいけないのだね。川さま、うれしいでしょう。さあ、だいじなお金をいただいて行きましょう。りんも玉もついておいで。」 と、引き連れ走って行った 八右衛門は気に入らないという顔で
八右衛門「ほんとうとは思わないが、もともともらうはずのこの小判を返すのも筋が通らない。よし、五十両はたしかに受け取った。手形は返す。」 と、投げ出し
八右衛門「梅川さん、いい男を持ってお幸せだね。女郎さんたちもごゆっくり。」 と、金を懐に入れて表に出ると
女郎たち「わたしたちも、さあ帰りましょう。川さま、おめでとうございます。」 と、みな自分の置き屋に帰って行った
忠兵衛は気がせいて
忠兵衛「おかみはなぜ遅いのだ。五兵衛、行って急がせてくれ。」 と、立ったままで落ち着かないが
五兵衛「いえ、身請けの遊女は親方の許しをもらってから、町年寄さまに証文の判を消していただき、月当番に札をもらわないと大門から出ることができません。まだ少し時間がかかるでしょう。」
忠兵衛「そこをなんとか早くならないか。」 と、また一両投げ出す
五兵衛「わかった。まかせてください。」 と、足取り軽やかに走り出す 三里に灸を据えるより 小判のほうが効き目が早い
忠兵衛「さあ、この間に身支度をしなさい。だらりとした身なりを整え帯もきりりと締め直しなさい。」 と、むやみに急かすと
梅川「なんですか。一世一代の名誉を仲間の方たちに祝っていただき、暇乞いもきちんと終えてゆっくり出してください。」 と、何も知らずうれしそう 男はわっと泣き出して
忠兵衛「かわいそうに何も知らないのか。いまの小判は堂島のお屋敷の急用の金だ。この金を使い込んだのでは無事すまないのは間違いない。精一杯がまんしてみたが、仲間の女郎の真っただ中でだいじな男が辱めを受けたおまえの、無念な気持ちを晴らしてやりたいと思ったために、思わず金に手をつけてしまって男としてもうあとに引くことができない。こうなる運命だったと思ってほしい。八右衛門の顔つきではすぐに母に言いつけるだろう。十八軒の仲間から、いまにも取り調べがやって来るだろう。地獄の真上をひと飛びすることになるが、一緒に逃げてくれないか。」 とだけ言って、すがりついて泣くと 梅川は「はあ」と震えはじめた 声も涙に消えてわなわな震え
梅川「ほら、ごらんなさい。いつも言っていたのはこのことです。命など惜しくありません。二人で死ねたら本望です。すぐにでもかまいません。覚悟を決めてください。そうしましょう。」
忠兵衛「いや、生きながらえようと思ってこんな決意ができるものか。生きられるだけ生き一緒にいられるだけ一緒にいて、最後は死ぬものと覚悟してくれ。」
梅川「ええ、そうね。生きられるだけこの世で生きて一緒にいましょう。いまにも人が来るでしょうからここに隠れていてください。」 と、屏風の陰に押し入れ
梅川「そうだ、わたしの大切なお守りを、家の箪笥に置いてきてしまいました。あれがほしい。」 と言ったので
忠兵衛「だが、このような悪事を働いてしまっては、どんなお守りの力でもこの罪を逃れることなどできはしない。所詮死ぬ身と覚悟してわたしはお前の供養をしよう。おまえは私の供養を頼む。」 と、屏風の上に顔を出す
梅川「いやよ、悲しい、おそろしい。早くやめてください。いやなものによく似ている。」 と、屏風にしっかり抱きついて 嘆いて嗚咽しつづけた 越後屋の主従が帰って来て
きよ「これでどこもかしこも手続きはすみました。出るのに近くて都合がよいので、西口に札を回してもらいました。」 というが、夫婦はわなわな震え 「さようなら」の声も震えている
きよ「寒そうですが、お酒でもいかが。」
梅川「お酒はのどを通りません。」
きよ「めでたいと言いましょうか名残惜しいと申しましょうか、どう言えばいいのか千日続けても思いは尽きません。」
梅川「よしてください、『千日』なんて。千日寺へ処刑されに行くみたいで。」
と言いながら鶏の 鳴く声とともに別れていく 栄耀栄華も人の金 はかなく砂となり果てる 西口南の砂場を過ぎて あとは野となれやまと路へ 足にまかせて
道行 忠兵衛梅川相合駕籠
きれいなお部屋に枕を並べ いつもの布団で過ごした夜も 大門閉める太鼓の音も 過ぎれば夢の跡もない
それにしても秋までに 必ず身請けしてやると 男の言葉をあてにして はかない情けの世を頼み 人を頼みの綱切れて 庭の戸口の逢い引きと 違っていまは人の目に 晒され人の中を行く
昨日のままの鬢付けや 髪の結い目のほつれたところ 結ってあげると櫛を持つ その手は涙で凍えつき 冷えた足を男の股(もも)にくっつけて 互いの足を炬燵にしながら ふたりで乗って行く駕籠が 休んで息をつくときに 「まだ生きているのが不思議ね」と 涙をこぼす河堀口(こぼれぐち)
明けぬ間(あいだ)のしばらくだけ 駕籠の簾を上げてさえ 膝組みかわす駕籠の中 狭い部屋でいつかの夜に していたポーズと似ているが 炭の埋(うづ)み火燃え尽きて 朝(あした)の霜と置き換わり 夜半の嵐に吹かれて答える 禿(かむろ)童女はここにはいない禿松 過ぎてしまったあの夜が いっそう涙の種となる
忠兵衛「何をくどくど思うのだ この駕籠こそが一蓮托生」 と、慰め合って慰みに ひとつの煙管をふたりで吸うと 薄い煙に霧が晴れ 麦の葉に吹く風強く 朝出の農夫や火を借りに 来る人の目が恥ずかしく 駕籠止めさせて暇をやる 支払う金は露ほども 命でさえも惜しまぬ身には 惜しくはないがそれよりも 徒歩(かち)裸足になることさえも 惜しくない 惜しむはこの世の名残だけ
被りなれた綿帽子
梅川「わたしの顔よりあなたの肌に」 と、紫色の風防ぐ びらり帽子を着せかける
昔は逢瀬を楽しんだ いまはまことの夫婦愛 頼めばここは「かのゑさる」 願いのかなう庚申堂 拝んで振り向いて見る 勝鬘院の愛染さま かわいらしくなりますように 祈る芝居の子役衆
道頓堀のあの人この人 なれた廓のだれそれと 紋でおぼえた提灯の 中にかなしい「槌屋内」とは 抱え主の紋どころ この木瓜(もっこう)の横に添え 自分の紋の松皮菱に 松の寿命の千歳まで ふたりの行く末祈ったが はかない契りは提灯の 火が消えるように消えていく 命の消える夕べには この紋つけてわれわれの 経帷子にしようと決めて 冥途の道をこのように 手を引きましょう引かれようと また手を取り合い泣く涙 袖を凍らせ閉じ合わす
関所などない道だけど 聞きながら行くので進まない 今朝の姿のそのままで 素足に雪駄が凍りつく 空はみぞれのひと曇り あられまじりに吹く木の葉 ひらりと落ちて ちょうど平野(ひらの)に行きかかる ここは知る人多いので これに入れと袖広げ 里の裏道あぜ道を くねくね曲がって藤井寺
忠兵衛「あれをごらん どこの田舎も恋しているね」
裏の畑で十七、八の 菜を摘む娘が歌っている
娘「戸口に立つのはあなたなの こっそり訪ねて来てくれた 野に吹く風は体に毒よ こちらへ入ってくださいね」
恋人たちの楽しげな 声を聞いて妬ましく
忠兵衛「そうだ覚えているか いつかあの初雪の朝 寝間着姿で送ってくれた 大門口の薄雪も 今降る雪も変わりはないが 変わってしまったわが身のゆくえ 私のために染まったおまえがいとおしい 元の白地が浅黄より 恋に染まって濃い紺に 誉田八幡に誓って書いた 誓詞の罰が当たるなら せめておまえを避けてくれ」 と、しばし涙を人前で 「許してくれよ」と泣いている
梅川「でもねえあなたそうは言っても わたしもただではすまない」 と、次から次へと涙はこぼれ 三つ折りちり紙絞るほど 泣き泣き歩く着物の裾に からまる小笹や枯野のすすき 茫々さらさらさっと鳴る
忠兵衛「あれは追手が私たちを 探しているのだ」 と、覆い重なり姿を隠し 仰ぎ見すれば人ではない
忠兵衛「雉の羽音を恐がるように なってしまった身の上は いかなる罪の報いだ」 と、悲しみ嘆いて行く姿 それ見て泣くか笑っているか 富田林の群烏(むらがらす) たったひと晩見逃しも しないでとがめる声高く 高間山の葛城の 一言主の神ではないが 昼の道中つつましく 身を隠す道恋の道 自分で狭めた浮世の道 竹の内峠で袖濡れて 石道続く岩屋道 野越え山越え里々越えて 行くは恋ゆえ
新口村の場
平和な時代の掟は厳しく 畿内やあたりに追手がかかる 中でも大和は生国なので 十七軒の飛脚問屋が あるいは巡礼古着買い 節季の門付け非人に化けて 家から家へと覗いて回る のぞきからくり飴売りと なって子供に飴なめさせて 話を聞き出し追いつめる 罠にかかった鳥たちや 網代につかまる魚のように 逃れられない運命だ
かわいそうな忠兵衛は 自分だけでも世をしのぶのに 目立つ身なりの梅川を 隠せないので駕籠借りて 奈良の旅籠屋三輪の茶屋 五日三日と夜を明かし 二十日余りに四十両 使い果たして二分残る 鐘の響きも所持金も かすむ初瀬を遠くに眺め 生まれ故郷の新口村(にのくちむら)に 着いたのだが
忠兵衛「なあ、お梅。ここは私の生れた村だ。二十歳まで育ったので覚えているが、十二月の末にこれほど物乞いや行商人がいたことは正月でもない。ほら、あそこにも立っている。畑のむこうにも二、三人。なんだかいやな気がしてきた。四、五町歩けば実の親、孫右衛門の家なんだが、音信不通になっているし、継母だからなあ。この藁葺きは忠三郎といって小作させていた小百姓の家だ。心を打ち明けられる頼もしい男だ。ひとまずここに入ろう。」 と、ふたりそろって
忠兵衛「忠三郎さんは御在宅ですか。ご無沙汰しています。」 と、すっと入ると 女房らしい女が
女房「どなたですか。うちの人は今朝から庄屋さんに呼び出されて、今は留守にしています。」 という
忠兵衛「忠三郎さんに奥さまはいらっしゃらなかったが、あなたはどなたでしょうか。」
女房「はい。わたしは三年前にこの家に嫁入りしたので、それより前の知り合いはだれがだれだかわかりません。ああ、そういえば、おふたりは大阪の方ではございませんか。うちの人の主人、孫右衛門さんの継子の忠兵衛という人が、大阪へ養子に行って傾城を買い、人の金を盗み、その傾城を連れて逃げたということで、代官さまがお調べになっています。孫右衛門さんはとっくに親子の縁を切って関係ないとはいうものの、実の親子なのでやはり年とってからの気苦労がお気の毒です。うちの人は馴染みの方のことなので、もしかしたらこの近くに現れるのではないか、見つけられてはかわいそうだとあちこち気をつけておられます。庄屋さまは呼びに来るし寄り合いだの印判だの、節季十二月だというのにこの村は傾城のことで大騒ぎ。ほんとに困った傾城さんです。」 と、遠慮もなく話した 忠兵衛ははっとして
忠兵衛「そうそう、大阪でもそんな噂を聞きました。私たちは夫婦で正月にかけて伊勢参りするつもりですが、懐かしくて立ち寄りました。ちょっと呼んできてください。帰る前に立ち話でもさせてください。大阪から来たとは言わないでお願いします。」 というと
女房「それはひどくお急ぎですね。行って呼んで来ましょう。でも鎌田村のお寺に京都の本山から来てくださって、毎日お説教をしていますので、そちらの方に回ったかもしれません。汁の下に薪をくべておいてください。」 と、たすきをしたまま走って行った あとの扉を梅川が ぴしゃりと閉めて錠をおろし
梅川「ここはもう敵に囲まれてしまっています。大丈夫でしょうか。」 というと
忠兵衛「忠三郎というのは百姓には珍しく男らしいやつだから、頼んでひと晩泊めてもらって、死ぬとしてもこの故郷の土にかえって一緒の墓に入り、あの世で嫁姑の対面をさせたい。」 と、涙で目をうるませた
梅川「それは嬉しいことでしょう。でも、わたしの母は京都の六条に住んでいます。こうしている間にもきっと捜査の手が伸びているでしょう。日頃からめまいの持病があるのでどうなることか。もう一度京都のお母さんにもひと目会ってから死にたい。」
忠兵衛「それはもちろんだ。私もおまえの母上に会って婿だと名乗りたい。」 と、人目がないので抱き合って 涙の雨は袖からあふれ 折から横時雨が窓を打つ
忠兵衛「おや、降ってきたようだ。」 と、西向きの竹格子 反故紙張った障子をすかし 見ると風吹く農道に 後ろしぶきに降る雨を 背中に下げた笠で受け お寺参りに連れ立ち急ぐ
忠兵衛「あそこに行くのはみな村の知り合いばかりだ。先頭は垂井端の助三郎、この人も村の顔役で、あの婆さんが荷持ち瘤のあるでんの母親。それはたいへんなお茶好きだ。あそこにいる剃り下げ髪の男は、昔はひどく貧乏だったが、年貢が払えず娘を京都の島原に売って、その娘がお大尽に請け出され奥さまに納まったのだ。婿のおかげで田も五町、蔵も二か所持つ大金持ち。私も同じように傾城を身請けするのに、おまえの母上につらい思いをさせるのは残念だ。八十八歳で一升の飯を残さず食べた。今はちょうど九十五歳だ。そこに来た坊主は鍼医師の道庵と言って、あいつが針を打って母を殺した。思えば母のかたきだ。」 と、つらい身の上からくる恨みの言葉
忠兵衛「おや、あそこに見えるのがおやじさんだ。」
梅川「あの麻布の肩衣をつけた人が孫右衛門さんですか。ほんとに目元が似ていらっしゃる。」
忠兵衛「それほどよく似た親と子が、言葉を交わすこともできない。これも親の罰だ。お年も寄るし足元も弱くなられた。この世のお別れです。」 と、手を合わせば
梅川「見初めの見納めということですね。わたしは嫁でございます。わたしたちの命は今にも危うくなりそうですが、百歳まで長生きされてからあの世でお目にかかりましょう。」 と、口の中でつぶやく ふたりで手を合わせ 声を上げて泣いた
孫右衛門は年老いて 弱った足で戸口の前を通り過ぎ 田んぼの溝の薄氷 踏んで滑って高下駄の 鼻緒が切れて横向きに 泥田の中へ転げこむ 「ああ悲しい」と忠兵衛は もがいても騒いでも 身の上考え出られない 梅川あわてて走り出て 抱き起こして裾絞り
梅川「どこも痛みませんか。お年寄りなのにお気の毒に。おみ足もすすいで鼻緒もすげてさしあげましょう。なにもご遠慮なさいますな。」 と、腰膝さすっていたわると 孫右衛門は起き上がり
孫右衛門「どなたでしょうか。おかげさまでけがは大丈夫です。お若いご婦人なのにおやさしい。年寄りとお思いになって、嫁にもおよばない心のこもった介抱をありがとうございます。いくらお寺にお参りしても、ほら、ここの心が邪ではお参りしないのと同じことです。あなたの親切こそほんとうの後生願いというものです。もう手を洗ってください。ちょうどここに藁もある。鼻緒は自分ですげましょう。」 と、懐のちり紙を取り出すと
梅川「よい紙がございます。こよりをひねってあげましょう。」
延紙引き裂くその手元 孫右衛門は不思議そうに
孫右衛門「あなたはこのあたりではお見かけしたことのないお方だが、このように親切にしてくださるのはどなたさまゆえなのでしょう。」 と、顔をつくづく眺めると 梅川はいっそう胸がつまる
梅川「いえ、わたしは旅の者です。わたしの舅のおやじさまがちょうどあなたの年頃で、お姿もそっくりなので、まったく他人のお世話をしているとは思えないのです。お年を召した舅さまの寝起きを抱きかかえてお世話するのは嫁の仕事です。お役に立てればわたしもどんなにうれしいことか。まして夫にとっては実の親のことですから、飛び立ってでもお世話したいはずです。おやじさまの紙とわたしの紙を取り換えて、わたしが頂戴して夫の肌につけさせ、父上にそっくりなおやじさまの形見にさせたいと思います。」 と、ちり紙袖におし包む おさえる涙もこぼれ出て 悲しい思いも顔に出て
その言葉の端々から 孫右衛門は推し量り 親子の愛は捨てがたく 老いの涙を流したが
孫右衛門「そうか、あなたの舅にこの私が似ているから孝行してくれるのですか。うれしいけれども腹も立ちます。大人になった息子を、わけあって親子の縁を切って大阪へ養子にやったところ、魔がさして他人の金をずいぶんと使い込み、とうとうそこを逃げてこの村まで捜査されているところです。誰のせいかといえば嫁のせいではないか。まったく愚かなことを言うようですが、世のことわざに言う、『盗みをする子は憎くなく、縄かける人が恨めしい。』とはこのことです。縁を切った親子であればよくも悪くも関係ないというものの、『大阪へ養子に行って、利口で起用で努力もして財産を蓄えた あのような子を勘当した孫右衛門は馬鹿者、間抜けなやつ。』と言われても、そのうれしさはどれほどでしょう。けれども、いまにも探し出され、縄をかけられ連れて行かれるときに、『よいときに勘当して孫右衛門はよくやった。運のいいやつだ。』とほめられても、その悲しさはどれほどでしょう。その瞬間が今から思いやられて、『一日でも早く往生させて下さい。』と、これからお参りする阿弥陀如来さま親鸞上人さまに、拝んでお願いしてきます。仏さまに嘘は申しません。」 と、地面にどっとひれ伏して 声を限りに泣いたので 梅川も声を上げ 忠兵衛は障子から 手を出し伏し拝み 身を悶えさせ嘆くのは 無理ないことだと思われた
なおも涙を押しぬぐい
孫右衛門「ほんとうに、血のつながりは悲しいものです。縁を切った親子のつながりが、仲のよい他人よりも重たく感じられるのは世の常のことです。盗みや騙りをする前に、どうして内緒でこういう傾城にこういう事情の金がいると便りでもしてくれなかったのか。不幸をともにするのが親子だというではありませんか。ことに母を亡くした息子だから、私の隠居の田地を売ってでも、罪人にすることはなかったのに。今では世間に知れ渡り、養母にも迷惑をかけ、人に損をさせ苦労をかけ、それをいまさら孫右衛門の子でございますと言って、かくまっていることができるでしょうか。ひと晩の宿を貸すことができるでしょうか。みなあいつの心がけのせいで、自分の身の置き所をなくして苦しんでいる。お嫁さんにまでつらい思いをさせ、広い世間から逃げ隠れし、知り合い親友親からも隠れなければならないほど身を持ち崩して、ろくな死に方もできないだろう。そのように産んだ覚えはない、憎らしいやつだと思いますが、かわいくて仕方がないのです。」 とだけ言ってわっと泣き出し 消え入るように沈み込む 血筋を分けた親の思いは哀れなものだ
涙を浮かべ 銀貨一枚取り出して
孫右衛門「これは難波御堂の建設に寄進するお金です。ちょうどここに持ち合せていました。あなたをお嫁さんだと思ってあげるのではありません。このたびのお礼のためです。この辺をうろうろしていてはよく似ているといって捕まります。つれあいはなおさらです。これを旅費にして御所(ごせ)街道に入ってひと足でも早く逃げなさい。あなたのつれあいにも、言葉は交わさなくてもひと目顔でも見たいが、いやそれでは世間の義理が立ちません。どうかご無事でよい便りを。」 と、涙ながらに二歩三歩 行っては帰り
孫右衛門「どうでしょう。会ってもいいでしょうか。」
梅川「どうして人が知りましょう。会ってやってくださいませ。」
孫右衛門「いや、大阪への義理を欠くことはできない。どうか親に子の供養などさせることのないよう、くれぐれもお願いします。」 と、涙にむせて 振り返り振り返り 泣く泣く別れ行くあとに 夫婦はわっと泣き伏して 人目も忘れ泣いている 親子の仲ははかないものだ
忠三郎の女房が 雨に濡れて帰ってきて
女房「お待たせしてすみません。うちの人は庄屋さまのお宅からお寺に参ったそうで、会うことができませんでした。でも、雨も上がってきましたから、まもなく帰って来るでしょう。」 と言うところへ 忠三郎は息を切って駆けつけた
忠三郎「これは忠兵衛さん。おやじさまから詳しい話は聞いています。あなたのことでこの村に密偵がやって来て、代官さまがお調べになっています。こんな危険なところへ真っ昼間にやって来るとは、運のないお方です。あなたの姿を見たのでしょうか、にわかに家捜しが始まっています。村の家並みの片端から順にきて、今おやじさまの家を捜しているところで、次が私の家の番です。おやじさまはかわいそうに、『早く逃がしてやってほしい。』と、狂わんばかりになっておられます。もう、鰐が口を開いて足元に迫っているようです。さあ、裏道から御所(ごせ)街道を山伝いにお逃げなさい。」 と言うと 夫婦はうろたえる 忠三郎の女房はわけもわからず
女房「わたしも一緒に逃げましょうか。」
忠三郎「あほか。」 と、忠三郎は女房を引き寄せ 夫婦に古蓑古笠を着せた ふたりは雨足の乱れる中を 足元がよろけるほど心を乱し
忠兵衛・梅川「この親切は死んでも忘れはいたしません。」 と、心に深くしまい込み 人目を避けながら出て行った
忠三郎「ひとまず安心した。」 と、ほっとしていると 庄屋と村役人が先に立ち 代官所の追手たち 忠三郎の玄関裏口 ふた手に分かれてどかどかと 押し入り筵をまくり上げ 簀の子を破って 唐櫃米櫃灰俵 ひっくり返して捜索する
追手「土間も合わせて二十畳ない小さな家の、どこにも隠れる場所はない。この家は大丈夫だ。野道を捜せ。」 と、言い捨てて 茶畑の間々をかり立てて 通って行った
親の孫右衛門は裸足のままで
孫右衛門「どうだ忠三郎。うまくいったかどうか教えてくれ。」
忠三郎「大丈夫、心配ありません。夫婦そろって何ごともなく、うまく逃がすことができました。」
孫右衛門「それはありがたい。助かった。阿弥陀さまのおかげです。これからまたお寺へ参って親鸞上人にお礼を申し上げよう。ほんとにうれしい、ありがたい。」 と、ふたり連れ立って行くところへ
声「亀屋忠兵衛と槌屋の梅川が、たったいま捕えられた。」 と、声が聞こえ 北のほうの集落で 人だかりがしている やがて追手の役人が 夫婦に縄をかけて連れて来る 孫右衛門は気を失い 息も止まりそうなようすである そのありさまを見て梅川は 「夫も自分も縄をかけられ とうとう罪人になってしまった」 と、目の前が暗くなり 嘆き悲しむばかりである 忠兵衛は大声を上げ
忠兵衛「私は罪を犯したのだから、殺されても仕方ないと覚悟はできています。供養をお願いします。親の嘆く姿が目に入るので往生の妨げになります。願いはひとつ、どうかお情けで顔を包んでください。」 と、泣くので役人は 腰の手ぬぐい絞って 忠兵衛に目隠しをする 忠兵衛が「めんない千鳥」の遊びの鬼なら 梅川は鳴く百(もも)千鳥か川千鳥 川の流れも行く末も いずれわからぬものながら 身は恋に沈むとも たてた浮き名はいつまでも 難波に残りとどまった  
 
 
 

 

 
 
 

 

 
 
 

 

 
 
 

 

●けいせい恋飛脚
人形浄瑠璃の演目のひとつ。全二段、安永2年(1773年)大坂にて初演。菅専助・若竹笛躬の合作。近松門左衛門作の『冥途の飛脚』を改作したもの。
あらすじ​
上の巻​
(生玉の段)大坂の飛脚問屋亀屋の跡取り忠兵衛は、もと大和国新口村の百姓勝木孫右衛門のせがれであった。亀屋には先代の一人娘お諏訪がおり、養子の忠兵衛はこのお諏訪の婿と決まっている。しかし忠兵衛はお諏訪をよそにして、新町の槌屋抱えの遊女梅川と互いに深い仲となっていた。
生玉神社では多くの参詣人や大道芸なども出て賑やかな中、お諏訪が家の女中たちを供にして通りかかり、境内にある水茶屋で休む。婿の忠兵衛のことを恋い慕っているお諏訪は、忠兵衛との仲がもっとよくなるようにと寺社に願掛けに出かけていたのだった。だが生玉には、忠兵衛と梅川も訪れていた。お諏訪はふたりが仲むつまじそうに話をしているのを陰からみて悋気し悲しむ。
梅川は人に呼ばれてその場を外したが、ひとりになった忠兵衛の前に丹波屋八右衛門が現れる。八右衛門は亀屋に頼んで江戸から五十両の為替の金を送ってもらうはずだった。ところがその期日が十日を過ぎても一向に届いたとの知らせがない、どうしたわけかと責め立てる。忠兵衛は、じつは梅川を身請けしようという田舎の客がいて、その客に梅川を取られまいと、たまたま届いたその五十両を梅川を身請けするための手付け金として使ってしまったのだという。梅川の身請け金は合せて二百五十両、養子の忠兵衛が自由に出来る額ではない。どうか待ってくれと、八右衛門に土下座し涙して謝る忠兵衛。これに八右衛門は「待ってやろう」と言い、そのかわり梅川の身請けの手付け五十両の受取りを、金を返すまで預かろうという。忠兵衛はそれを承知しその受取りを忠兵衛に渡したが、忠兵衛は八右衛門が本来受け取るはずの五十両の受取りを先に書いてくれるよう八右衛門に頼む。八右衛門もそれを承知してその場で受取りを書いて渡す。
しかしこの八右衛門は悪人であった。亀屋には先代の甥で利平という男がいたが、これが姪に当たるお諏訪に横恋慕し、忠兵衛に替って亀屋を乗っ取ろうとしていた。八右衛門もこの利平に与していたのである。利平が出てきて、八右衛門と今後のことについて悪巧みをする。八右衛門はその場を去る。日も暮れて人通りもなくなった境内、利平は人を待つために一人残っている。道哲という下部を一人連れた医者が来る。利平はこともあろうに忠兵衛を毒殺しようと企んでおり、その毒薬の調合をこの道哲に任せていた。しかも効めを試すため、道哲の下部にその毒を無理やり飲ませた。下部は絶命する。これを見た利平は満足して毒薬を受け取り、その代金として亀屋で盗んだ五十両の金を道哲に渡し立去った。だがそのあと、死んだはずの下部がむっくと体を起こす…。
(飛脚屋の段)次の日のこと。淡路町の亀屋では、忠兵衛の養母妙閑が娘お諏訪とともに店先に出ていると甥の利平がやってきた。利平は、ちかごろ忠兵衛が新町の遊郭に揚げ詰めで家内のことを疎かにしているとあてこすり、自分を跡継ぎにするようそれとなく妙閑に勧めるが、妙閑にはいらぬ世話だと叱られる。ばつがわるそうに利平が奥へ入ると、そのあと忠兵衛とは懇意にしている者だと称して梅川忠兵衛という侍が来る。妙閑は侍を奥へと通す。ひとりになったお諏訪の前に利平が再びあらわれ、嫌がるお諏訪にしなだれかかり口説いていると、酒に酔った忠兵衛(亀屋)が戻る。利平は道哲から受取った例の毒薬を使おうと、こっそり塩茶に入れて忠兵衛(亀屋)に飲ませた。ところが案に相違して茶を飲み干した忠兵衛(亀屋)は苦しむ様子もなくしゃんとしている。五十両もの大金を費やして効き目なし…利平はむしゃくしゃし、どこかへいってしまった。
そこへ八右衛門が来るが、八右衛門は忠兵衛(亀屋)が自分宛の為替金を使い込んだことを暴露してしまう。その金を渡せと厳しく責め立てる八右衛門。この騒ぎに出てきた妙閑が自分のへそくりから五十両を弁済しようとするが、金をしまっておいた箪笥の引出しには五十両が無くてびっくりする。その五十両はじつは利平が盗み、毒薬の代金として道哲に渡したものだった。この五十両もおまえが盗んだのだろうと忠兵衛(亀屋)は責められ、ついには利平から散々に殴られる。そして横領の罪で代官所へ引かれようとしたまさにその時、奥より最前この家を訪れた侍の梅川忠兵衛が出て八右衛門と利平を投げ飛ばした。
利平は侍の顔をみて仰天する。ゆうべ生玉の境内で、毒を飲ませて死なせたはずの道哲の下部ではないか。さらに忠兵衛(侍)は懐から利平が盗んだ五十両を妙閑に手渡し、八右衛門が手にした梅川の手付け五十両の受取りも取り戻した。八右衛門と利平は渋々ながらこの場を出て行かざるを得なかった。
忠兵衛(侍)は皆の前で物語る。じつは自分はあの遊女梅川の兄、そして医者の道哲というのは京の六条珠数屋町に住む梅川の父であると。梅川の父はもと梅川忠太夫という公家に仕えた武士であった。それがふとしたきっかけで利平たちの悪事を知り、忠兵衛(侍)と図り毒薬と偽って和中散という薬を利平に渡し、忠兵衛(亀屋)たちを助けたのである。妙閑を初めとする人々は忠兵衛(侍)に感謝し、お礼がしたいと忠兵衛(侍)をいざない皆奥へと入った。
夜もだいぶ更けた。するとお諏訪がひそかに金をしまってある帳場の箪笥に近づき、その中から金を取って去ろうとするのを妙閑に見つかって捕らえられる。この騒ぎに忠兵衛(亀屋)も出てきた。お諏訪は置手紙を残しており、それを見るとお諏訪にはほかに好きな男がいて、その男に金を差し出して駆け落ちすると書かれている。娘のふしだらに怒る妙閑。だがじつは、夫と定まったはずの忠兵衛(亀屋)と梅川の仲を見て、自分は身を引こうと家を飛び出し死ぬつもりであったことがわかる。お諏訪にはほかに男など最初からいなかったのである。これを知った妙閑は涙し娘に詫び、さらに忠兵衛(亀屋)にはこのままお諏訪と仲良く夫婦になってくれと頼む。お諏訪のここまでの心根を見せられた忠兵衛(亀屋)も、もはや否とはいえず梅川とは縁を切ることを約束し、その場でお諏訪と夫婦の盃を交わすのだった。この様子を見た梅川の兄の忠兵衛は満足し、「仲人は宵の内」と亀屋を出る。そこへ様子を伺い隠れていた八右衛門と利平が忠兵衛(侍)に襲い掛かるが、忠兵衛(侍)はふたりを投げ飛ばして悠々と立ち去るのであった。
下の巻​
(西横堀の段)次の日の、時は七つを過ぎた夜のこと。忠兵衛(亀屋)は中ノ島の蔵屋敷に届ける為替の金を懐にして歩いていた。ところがその足はいつの間にか、遊郭のある新町に近い西横堀へ来ている。それに気が付いた忠兵衛(亀屋)、梅川に逢っていこうか、いやいやそれでは妙閑とお諏訪にすまぬ…と迷うも、結局顔を見るだけならとつい新町へと向ってしまう。
(新町の段)一方、梅川は憂鬱であった。忠兵衛(亀屋)は梅川を身請けのため、手付けとして五十両の金を出したものの、残りの金を渡す期限がとっくに過ぎてしまった。このままでは忠兵衛(亀屋)が梅川を身請けする話は流れることになる。そればかりかあの丹波屋の八右衛門が梅川を今日にでも身請けしたいと、梅川の抱え主である槌屋治右衛門に相談していたのである。梅川は田舎の客の席からこっそり抜け出し、親しくしている井筒屋の女主人お清のもとを訪ねて話をしていると、梅川を探しに槌屋治右衛門がやってきた。
治右衛門は、八右衛門が梅川を身請けすることに話が決まりそうだと伝えに来たのである。梅川は涙ながらにその話は待ってくれと切々と頼む。亀屋忠兵衛が梅川と深い馴染みであることは治右衛門も知っていたので、治右衛門は男気を見せて梅川の願いを聞き入れるが、ちょうどそのころ表では、その忠兵衛(亀屋)が井筒屋の前まで来ていた。
そこへ八右衛門が二百五十両の金を持って現れ、治右衛門にこの金で直ぐに梅川を身請けさせろという。治右衛門は請合わない。八右衛門は、治右衛門が忠兵衛に肩入れして承知しないのだろうと思い、散々に忠兵衛への悪口を言い散らす。その場で耳にする梅川は死んでしまいたいと思うほど辛かったが、表に居てそれまでの様子を聞いていた忠兵衛はついに怒りを爆発させ、つっと中に入って「五十両や百両で友達に損かける忠兵衛じゃないぞ…大和から敷金に持って来た三百両コリャ見てくれ」と蔵屋敷へ届けるはずの三百両を出して包みを解き、その中の五十両を「サア受取れ」と八右衛門の眉間めがけて投げつけた。投げつけられた八右衛門は目もくらむほどの痛さ、しかしこの忠兵衛の勢いに気を吞まれ、金を懐にねじ込み慌てて逃げ帰ったのだった。
忠兵衛はさらに二百両を治右衛門の前に出し、この金ですぐに梅川の身請けができるよう頼むと、治右衛門はそれを承知し金を持って帰った。お清やほかの遊女たちも梅川が晴れての年季明けを祝って酒にしようというが、忠兵衛は少しでも早く梅川を連れて廓を出たいとせかすので、では急ぎその手続きをしようと、お清もみなを連れて出て行った。
ふたりきりとなった忠兵衛と梅川。遊女が廓を出る時には色々としきたりがある。それを無視して何をそのように急ぐのかと梅川が尋ねると、忠兵衛はいま八右衛門や治右衛門に渡した金は、じつは蔵屋敷へ届ける金だと白状する。忠兵衛は横領の大罪を犯してしまったのである。飛脚屋が客の届け物を横領すれば死罪と決まっていた。あまりのことに忠兵衛はもとより梅川も嘆く。また亀屋の妙閑やお諏訪にはすまぬと思いつつも、この上は一日なりとも逃げ延びて夫婦として暮らそうと決心する。やがてお清たちが戻り、忠兵衛と梅川はついに廓を出ることになる。しかしいずれは死罪の運命が待ち構えているかと思うと二人の気持は暗く、祝いの言葉をかけて送り出す廓の人々を後に、その足は大和へとは向うのであった。
(新口村の段)はたして忠兵衛たちは追われる身の上となり、その追手は忠兵衛の生まれ故郷大和国新口村へも延びていた。飛脚屋仲間からの追手は物売りなどに変装し、村の中を探索している。季節は正月を迎えようとしていた。
そんな追手が待ち構えているとも知らずに、忠兵衛と梅川は人目を忍びながら、雪の降る中ようようこの新口村まで辿りつく。忠兵衛の実父孫右衛門は今もこの村に住んでいるが長らく音信不通であり、今の身の上を晒すのも不孝、そこで村を出る前に親しくしていた百姓の忠三郎の家を忠兵衛たちは訪ねる。だがそこには忠三郎の女房がいるばかりで、忠三郎は庄屋に呼ばれて不在である。さらに女房の話には、忠兵衛が大坂で金を横領し、梅川を連れて逃げていることが村の中で知れ渡っていた。忠兵衛と梅川はこれを聞いてはっとするが素性を隠し、忠三郎を呼んでくれるよう女房に頼むと襷を外して出かけて行った。
ふたりは家に鍵をかけ、しばらく呆然としていたが、梅川は京にいる両親や兄忠兵衛(侍)のこと、また忠兵衛(亀屋)は妙閑やお諏訪のことを思い出し、ともにそれらに済まぬと思いながら涙する。やがて奥の間の明り障子を細めに開け表を見ると、かつて忠兵衛が目にした在所の人々が、寺の行事に集まるため吹雪くなか傘を差して野道を歩むのが見える。その最後には孫右衛門の姿があった。それを見た忠兵衛と梅川は顔を合わせることはできぬと嘆きつつ、この世の暇乞いとして遠くの孫右衛門に向い手を合わせるのだった。
とぼとぼと歩む孫右衛門、凍った道に足をとられその拍子に下駄の鼻緒も切れてどうと倒れた。これを見た忠兵衛ははっとして気を揉むが出てゆくことはできない。だが梅川は慌てて家を飛び出し、孫右衛門を抱え起こして介抱する。
梅川はこちらへと孫右衛門を家の中へといざない、上がり口に座らせた。忠兵衛は奥の一間に隠れている。孫右衛門は見知らぬ女からの親切に戸惑いながらも礼を言い、下駄の鼻緒が切れたので、懐からちり紙を出してすげようとすると、梅川が自分がよい紙を持っているといって自分のちり紙を出し、それを紙縒りにして孫右衛門の下駄をすげた。ここらあたりでは見かけぬ顔、なぜこんなにも親切にしてくれるのかと尋ねる孫右衛門。梅川は、自分の夫にちょうどあなたのような父親がいるので他人事とは思われない、できればその懐中のちり紙と、自分のちり紙を取り替えてほしいと頼み、つい涙をこぼすのだった。
孫右衛門は悟った。さてはこれが実子忠兵衛とともに逃げている女か…孫右衛門も涙が出た。「こなたの舅にこの親父が、似たというての孝行か。エエ嬉しうござる。が腹が立ちますわい」。忠兵衛が人から追われる身の上になったのも「その傾城の嫁御ゆへ」、親の手の届かない所で息子が罪を犯し罰せられるのが悲しい、この上は早くお迎えが来るよう阿弥陀様にお願いしているところだと、どうとひれ伏し悶え泣いた。これには梅川も声をあげて泣き、奥の一間で忠兵衛も孫右衛門に向って手を合わせ身悶えしながら嘆く。
孫右衛門は大坂の養母妙閑が忠兵衛の代りに牢に入れられたことを話し、実の親の自分は養家への義理を思えば息子をかくまうことは出来ず、顔を見たなら自ら縛って突き出さねばならぬ。義理ある養母をこれ以上牢に入れることはせず、一日も早く自首して出るようにと勧める。ただしそれも親の見ない所で…この場は落ち延びよと、寺に納めるための金を路銀として梅川に渡した。梅川は、忠兵衛を「咎人にしたもわたしから…お赦されなされて下さりませ」と詫び、「親子は一世の縁とやら、この世の別れにたったひと目」と忠兵衛に会うことを勧めるが、孫右衛門はやはり養家亀屋への義理を思って会おうとはしない。では顔を見ぬようにすればと、梅川は手拭いで孫右衛門に目隠しをした。孫右衛門は、「手先なと触ったら、それが本望逢うた心…必ずこなたの連合ひに、物言はして下さるな」という内にも忠兵衛が奥より飛び出し、父と子は互いに物も言わず、手と手を取り交わして泣くのであった。
そこへ、大勢の人の来る音が迫る。役人たちと巡礼姿に変装した八右衛門、利平がやって来たのである。忠三郎の家を見て中に踏み込もうとするも、そのとき長谷の近くで忠兵衛と名乗る者を見つけ絡めとろうとしたが抗っているとの知らせ。この知らせを聞きそれこそ忠兵衛に違いないと、八右衛門利平も含めて皆その場を走り去った。この様子に「天の助けかかたじけない」と、孫右衛門は忠兵衛たちに裏道から御所街道へ行くよう教え、忠兵衛たちは落ち延びてゆく。孫右衛門は涙ながらに遠ざかる二人を見送った。
そのころ降り積む雪の中で、役人捕手たちに囲まれながらもこれを投げのけていたのは梅川の兄の梅川忠兵衛であった。捕手たちはこれをお尋ね者の亀屋忠兵衛と思い捕らえようとしていたのである。忠兵衛(侍)は、妹の縁につながる亀屋忠兵衛を探し出し、意見して自首させようとしただけだと言いながらなおも役人たちと争っていると、八右衛門と利平が駆けつけそれは亀屋忠兵衛ではない、やはりさっきの新口村にいると知らせたので、捕手たちは残らずまた村へと駆け戻った。あとに残った八右衛門と利平、以前の意趣返しと忠兵衛(侍)にかかるが、結局二人は忠兵衛(侍)に取り押さえられ縛られる。そこへ代官が供を連れて駆け来り、忠兵衛(亀屋)と梅川が尋常に名乗り出て捕まり、駕籠で大坂に送られたと伝えた。悦ぶ忠兵衛(侍)、そしてこれまでの悪事が露見した八右衛門と利平も、そのまま引っ立てられて大坂へと送られるのであった。
解説​
近松門左衛門作『冥途の飛脚』は正徳元年(1711年)の7月以前に初演された。『けいせい恋飛脚』は『冥途の飛脚』の初演から六十年ほどして上演された改作で、近松の作にはなかった話や人物が加えられている。
最初に原作である『冥途の飛脚』にはなかった「生玉の段」を増補し、「淡路町」に当たる「飛脚屋の段」についても大幅に内容を書替えている。生玉の境内では忠兵衛と梅川が会うところをお諏訪が見かけたり、忠兵衛が八右衛門に為替の五十両を催促される場面がある。八右衛門は、近松の作では友達思いと見られる人物であるが、本作では完全に敵役となっている。
この八右衛門と共謀し、亀屋を乗っ取ろうというのが利平である。この利平も八右衛門と同じく敵役であるが、作中では「下作者」(げさくもの)すなわち下品下劣の人物といわれ、お諏訪にいやらしく言い寄ったり、忠兵衛に毒を飲まそうとして失敗するなど、端敵といった格である。毒を飲ませた忠兵衛がいきなり顔をしかめ「アイタタタ」と言い出すのでしてやったりと内心喜ぶが、忠兵衛は「イヤイヤ気遣ひしてたもんな…脇壷にこんな針が一本あった」利平「そしたりゃ今の痛かったは」忠兵衛「この針がさわったのじゃ」というオチ。そして「今呑ましたのが五十両、高い物よう呑んだなァ…」と悔しがって逃げ出してしまうというおかしみを見せる。
亀屋の一人娘お諏訪は養子忠兵衛のいいなづけで、まだ祝言をあげていない振袖姿の娘である。『冥途の飛脚』での忠兵衛には梅川以外の女性関係について語られる事がないが、老舗の飛脚屋で二十四にもなった跡取り息子が、これというわけもないのに所帯はおろか何の縁談もないというのはほんらい不自然であり、また男一人に女二人の三角関係とすることで、話を膨らませたものと見られる。なお、お諏訪は「日親様」へ願掛けに行く途中で生玉境内の茶屋に立ち寄って忠兵衛と梅川を見かけることになるが、この「日親様」がなんなのかは不明である。
新しく登場した人物として最も活躍しているのは、遊女梅川の兄梅川忠兵衛である。「生玉」では医者道哲じつはこれも梅川の父に従う下部に変装し、利平に脅されて毒(じつは偽薬)を飲まされるくだりでは飲むのを渋って道化たやりとりを見せ、そのあとの「飛脚屋」では侍姿で亀屋を訪れ、八右衛門と利平の悪事を退けて忠兵衛を助け、五十両の金も妙閑に戻すという捌き役となっている。さらに「新口村」では最後に捕方や、八右衛門利平を相手に大立回りを見せる。梅川の抱え主である槌屋治右衛門も、八右衛門が梅川身請けの金を見せても忠兵衛と梅川のことを思って首を縦に振らず、遊郭の主人ながら情ある人物として描かれている。
『冥途の飛脚』には下之巻の最初に「相合駕籠」の道行があるが、『けいせい恋飛脚』では道行を省き、「封印切」の次にすぐ「新口村」へと移る。近松の作では、この段は正月を迎えようとする頃で雨が降っている。当時の暦は太陰太陽暦であり、現在の暦では一月の下旬か二月初め頃のことである。『けいせい恋飛脚』でも時期は同じだがこれを雪の降る場面とし、歌舞伎の『恋飛脚大和往来』においても現行では雪景色とする。
近松の作の地の文には、「…借駕籠に日を送り、奈良の旅籠や三輪の茶屋、五日三日夜を明かし、二十日余りに四十両、使い果して二歩残る」とあり、この「二十日余りに」云々は古くから名文句として知られているが、『けいせい恋飛脚』では梅川が孫右衛門から金を受け取ったとき、孫右衛門に自分のことで忠兵衛を罪人にして済まないと詫びる形にして使われており、これは歌舞伎でも同様である。ちなみに安永9年(1780年)1月、豊竹八重太夫が江戸に下り『けいせい恋飛脚』の「新口村」を外記座で語ったが、これが大当り大評判となり、「二十日余りに四十両」という文句を語らぬ者はなかったほどだったという。
「新口村」の最後は、近松の作では忠兵衛たちは縛り上げられ、それを見た孫右衛門は卒倒するという悲惨な終りかたをする。本作では目隠しをしたままの孫右衛門が忠兵衛たちを逃がしたあと、所変って梅川の兄忠兵衛が立回りのすえ八右衛門たちを捕らえ、忠兵衛たちは自ら名乗り出て捕まったことが代官により語られて終る。ただし現行の文楽では、孫右衛門が忠兵衛たちを見送るところで幕となる。
近松作の『冥途の飛脚』は「名作」であると一般には評され、この『けいせい恋飛脚』はその近松の作を「改悪」したものといわれているが、『難波土産』(元文3年〈1738年〉刊)には「あやつりを見ようならば今のしばゐにしくはなく、本を読みてたのしむには中古近松が作にしくはなし」とある。近松の書いた浄瑠璃は読みものとしては面白いが、人形浄瑠璃の舞台で実際に上演するためのテキストとしては適さなくなっていたということである。近松よりのちの舞台内容の複雑化が進んだ時代では、もはや近松の作の多くはそのままではそれを見る側が満足できなくなっていた。それがよいか悪いかは別として、『けいせい恋飛脚』はそうした時世の中で作られたのであり、事実江戸時代から今日に至るまで繰り返し上演されてきたのは、「改悪」とされる『けいせい恋飛脚』であった。『冥途の飛脚』は近代以降に復活上演されるようになるが、「新口村」だけは『けいせい恋飛脚』のものが現在も上演されている。現行の歌舞伎で上演されている『恋飛脚大和往来』の内容も『冥途の飛脚』ではなく本作に依拠しているのをみても、「梅川忠兵衛」として受け入れられてきたのは改作である『けいせい恋飛脚』のほうである。  
 
 
 

 

●恋飛脚大和往来 1
歌舞伎の演目のひとつ。人形浄瑠璃『けいせい恋飛脚』を歌舞伎に脚色したもの。通称『梅川忠兵衛』。
あらすじ​
大和国新口村の百姓孫右衛門のせがれ忠兵衛は、大坂の飛脚屋亀屋に養子に出され、その家の一人娘おすわと縁組して亀屋を継ぐことになっていた。しかし先代の甥に当たる利兵衛は丹波屋八右衛門と共謀し、忠兵衛に替って自分が亀屋の跡取りになろうとし、またいとこに当たるおすわにも横恋慕している。おすわは忠兵衛のことを憎からず思っていたが、忠兵衛は新町の遊女梅川と互いに深く馴染み、遊郭に通いつめていた…。
(この芝居は古くは序幕として「生玉神社の場」という場面から演じられていたが、現行の舞台ではその上演は絶えており、台本も廃滅して伝わらない。ただし内容としてはいくつかの点で相違はあるものの、おおむね『けいせい恋飛脚』の上之巻「生玉の段」と同じものだったと見られる〈後述〉。『けいせい恋飛脚』「生玉の段」のあらすじを参照)
亀屋の場
飛脚屋の亀屋で誰も居ない店先に利兵衛がそっと中へ入り、神棚にある対の神酒徳利の片方を取り、医者の道哲に作らせた毒薬を混ぜ、ふたたび神棚に戻す。これで忠兵衛を毒殺するつもりである。利兵衛は立ち去る。だがこの様子を、忠兵衛は奥からこっそり見ていた。忠兵衛は神酒徳利の左右を取替え、これも再び奥へと入る。
新口村の忠三郎が医者道哲を伴って訪れ、亀屋に泊まることになる。そのあと、養母おさのとおすわの前に利兵衛が現われ、忠兵衛が近頃商売もそっちのけで新町の遊郭に通いつめていることを当てこすり、養子の忠兵衛は早く生れ在所に返し、自分を亀屋の跡継ぎにするようそれとなく言うが、おさのは取り合わず、奥へと入ってしまった。続いて奥へと入ろうとしたおすわを利兵衛はとらえ、自分と夫婦になれと口説き、嫌がるおすわを追回す。そこへ忠兵衛が出てきて利兵衛を投げ飛ばすところに、丹波屋八右衛門が亀屋に来た。
忠兵衛は梅川身請けの為に、八右衛門宛ての為替五十両をその手付けに使ってしまった。昨日それを八右衛門に追及され、なんとか待ってもらえることに収まったはずが、その五十両を今返せと尋ねてきたのである。進退に窮する忠兵衛。するとそれまでの様子を聞いていたおさのが奥より出て八右衛門に申し開きをし、自分の蓄えから五十両を出そうとする。ところがその五十両をしまっていたはずの箪笥の引出しを開けると金がない。その五十両とは利兵衛がひそかに盗み取り、医者の道哲に毒薬の代金として渡していたのである。それを知った上で八右衛門は、忠兵衛がその金を盗んだのだろうと言いがかりをつけるが、忠兵衛は利兵衛こそ金を盗んだ張本人と主張する。
すると八右衛門は、門口に貼ってあった熊野牛王の護符をはがし、それを燃やして二つのかわらけに分けて入れ、さらに神棚より神酒徳利の両方をとり、その二つのかわらけに注いだ。盗んでいながら盗んでないと偽りをいう者がこれを飲めば、たちまち熊野の神の罰が当たって血を吐き死ぬであろう。八右衛門は、忠兵衛と利兵衛にそれぞれかわらけの神酒を飲むよう勧める。じつは、八右衛門は利兵衛がこの神酒徳利の一方に毒を仕込んだことを知っているので、利兵衛には毒の無いほうの徳利から神酒を注ぎ、忠兵衛には毒の入った徳利の中身を飲ませようとしていたのである。忠兵衛に注いだ神酒に毒が入っているはずであった。「イヤモウてんごうらしい事じゃが、面ばれにのめなら呑もうわい」と、忠兵衛は神酒をぐっと飲みほす。「しめた」と内心悦ぶ八右衛門と利兵衛。続いて利兵衛も神酒を飲み干した。
ところが、異変は利兵衛の身に現われた。利兵衛は忠兵衛に向いなおもまくし立てるが、そうするうち次第に体が熱くなってきた…これはどうしたことかと大汗も出て体もこわばってくる。忠兵衛は利兵衛が神酒徳利に毒を入れたあと、左右の位置を変えて置いた。すなわちそれと知らず毒を飲んだのは利兵衛のほうだったのである。しくじったと気付いた八右衛門は逃げ出そうとするが、忠兵衛に止められる。しかし五十両の金は戻らず、おさのとおすわが案じていると、「イヤその金は私がおかえし申しましょう」と奥から道哲が出て、利兵衛から受け取った五十両をおさのに渡した。少し容態のおさまった利兵衛が道哲の顔を見て「わりゃ昨日の医者め、どうしてここへ」とびっくりする。
道哲は皆の前で事情を話した。自分はもと遊女梅川の父親に仕えた者であり、その梅川に金のいる事が起きたと聞いて京より下ってきた。その途中で利兵衛と出会い、利兵衛は自分が医者だと聞いて毒薬の調合を頼んだ。だが利兵衛に渡したのは長命丸という薬であり、利兵衛から受け取った金も亀屋に返すつもりであったと。おさのは八右衛門に五十両を渡して受取りを求める。八右衛門は受取りを書いて渡し、皆に向って散々憎まれ口を叩いて出て行くと、道哲もおさのたちから感謝されつつも暇乞いをして去っていった。
夜も更けた。利兵衛はまだのぼせて倒れているが、そこへ白い浴衣を着た風呂上りの忠三郎がでてくる。だが気が付いて忠三郎の顔を見た利兵衛はまたもびっくりする。昨日生玉で無理やり毒を飲ませて死なせたはずの道哲の下部ではないか。利兵衛はのぼせて道哲の話を聞いていなかった。するとこの様子に忠三郎も調子に乗って、幽霊となり利兵衛たちに恨みごとを言いにやってきたとさんざん脅かすので、怯えた利兵衛は忠三郎に追いかけられながら逃げてゆく。
静まり返った亀屋の内で、おすわがふるえながら、戸棚から三百両の金をぬすみ出していたが、暗い中つまづいて転んでしまう。この物音におさのと忠兵衛が出てきて、おさのが「ここなぬす人めが」と取り押さえると娘のおすわなのでびっくりする。ふと見るとおすわがなにか書き付けたものを持っているので取り上げてみると、それは忠兵衛のほかに自分には好きな男がいて、その男のために三百両を持って駆け落ちするという内容であった。
あまりのことに母のおさのは怒るのを忠兵衛がなだめ、おすわを諭してなおも話を聞こうとする。おすわはついに思い余ってすべてを打ち明けた。昨日生玉の社に立寄ったおり、たまたま忠兵衛が梅川と一緒に居るところを目にし、身請けの金が出来なくては男がすたるという言葉を聞き、この三百両を廓へ持って行き梅川を身請けし、自分は身を引くつもりだったのだと。
これを聞いた忠兵衛はおすわに詫び、梅川とは縁を切ることを約束する。おさのも疑ったことをおすわに詫び、奥へと入った。そのあと利兵衛と八右衛門はなおも諦めようとはせず、最前書いた為替五十両の受取りと梅川の手付け証文を盗もうとするが、そこへ再び出てきた忠三郎に邪魔され、利兵衛は取り押さえられ八右衛門は表に突き出されるのであった。
茶屋の場
夜の新町の茶屋井筒屋では、お大尽と呼ばれる客たちが来て遊女や禿などを呼び、酒盛りをして賑やかである。そんななか井筒屋の女主人おゑんは使用人に梅川宛ての手紙を渡して使いにやらせると、まもなく梅川が来ておゑんとふたり話をする。
梅川は気が重かった。忠兵衛が五十両の金を手付けに出したおかげで、以前からの田舎の客の身請け話は止まったが、忠兵衛が残りの身請けの金を持ってくる期限は昨日で切れてしまった。これでは忠兵衛の身請け話は流れてしまう。その忠兵衛はここ十日ほど、梅川のもとを尋ねてこない。そこへ昨日からあの八右衛門が、梅川を身請けする相談を抱え主の槌屋治右衛門に持ちかけていたのである。
そこへ忠兵衛が忍んでやってくる。忠兵衛は蔵屋敷へ為替の金を届ける途中で、三百両の大金を懐にしていたが、梅川が頼んだ廓の者に呼ばれて来たのである。残りの金の工面がつかない忠兵衛は、廓に顔を出しづらかった。おゑんの手引きで忠兵衛は梅川と会い、たがいに積る話をする。
井筒屋に、梅川を探しに槌屋治右衛門が訪れる。治右衛門に呼ばれておゑんと梅川が出てくるが、治右衛門は、梅川を身請けするのが八右衛門に話が決まることを梅川に伝えにきたのだった。なおも忠兵衛のことを思う梅川は、涙ながらその話は待ってくれるように治右衛門に頼む。治右衛門は梅川が長年亀屋忠兵衛と深い馴染であることはわかっていたので、男気を出して八右衛門の話は断ることを梅川に約束した。
だがその場に八右衛門が現れ、梅川を身請けするための金二百五十両を治右衛門の前に出し、これですぐに梅川を身請けさせろという。治右衛門が忠兵衛と梅川のことを思って取り合わずにいるので、治右衛門は忠兵衛についての悪口を散々にその場で言い散らした。二階の座敷にいた忠兵衛はこれを腹に据えかね、ついに二階から飛び出し八右衛門の前に出て、大和の実の親から来た三百両、「これ見ておけ」と蔵屋敷に届けるはずの三百両を懐から取り出そうとする。だが手荒く扱ったせいで金の包み紙が自ずと破れ、小判が床に散らばった。この勢いに八右衛門は気を呑まれ、おゑんと梅川は喜ぶ。八右衛門は「ドリャおいとま致そうか」と座を立ち帰ろうとするが、そのとき破れた金の包み紙をそっと拾い、表に出て行灯のあかりで包み紙を見て驚き走り去る。
忠兵衛は身請けの金として二百両を治右衛門に、これまで井筒屋で遊んだ掛りとして五十両の金をおゑんに渡す。治右衛門もおゑんも喜んで、これから梅川の門出を祝って酒にしようというが、忠兵衛は、それはあとでよいから少しも早く梅川を連れて廓を出たいという。ではその手続きをと、忠兵衛と梅川の二人を残しみな出て行った。
やたらと出立をせかす忠兵衛を梅川は不審に思い尋ねると、なんと今出した金はじつは蔵屋敷からの預かり金で、八右衛門の悪口に辛抱することができず自分の金と偽ったというのである。飛脚屋が客の預かり物に手をつければ死罪と決まっていた。これに驚き嘆く梅川、忠兵衛も養家亀屋の養母やおすわにすまぬと思い嘆くのであった。やがておゑんたちが戻り、梅川は晴れて廓を出られる身となったが、先行きのことを思うと忠兵衛と梅川の心は暗く、門出を祝う廓の衆をあとに、大和国へと逃げて行く。
新口村の場
はたして忠兵衛たちは人から追われる身となった。忠兵衛の生れ故郷大和新口村では、すでに亀屋以外の飛脚屋十七軒が追手を送り込み、様々な物売りに変装して村中を探索し、忠兵衛たちが来るのを待ち構えていた。
そんな新口村へ雪の降る中、忠兵衛と梅川は人目を忍びながら辿り着く。忠兵衛の実の親孫右衛門は今もこの村に住んでいるが、会うことは出来ない。そこで村で親しくしていた百姓の久六をとりあえず尋ねようと、ふたりは久六の家を訪れる。しかしそこにいたのは久六の女房で、しかもその話によれば忠兵衛が金を横領して逃げている事は村中に知れ渡っており、久六もその事で今庄屋に呼ばれているのだという。それを聞いた忠兵衛たちははっとしながらも素性を隠し、久六を呼んでくれるように頼むと、久六の女房は出かけていった。
二人は家の中に入り、やがて障子を細めに開けて表の方を見ると、忠兵衛が見知った顔が寺の行事に集まるため、ぞろぞろと道を行くのが見える。だがその最後に見えたのは、孫右衛門であった。孫右衛門に会うことが叶わぬ忠兵衛と梅川は、遠くに見える孫右衛門に向って嘆きつつ手を合わせる。
孫右衛門は久六の家の前を通りかかろうとした。すると凍った道に足をとられ、その拍子に下駄の鼻緒も切れてどうと転ぶ。これを見た忠兵衛は飛び出して助けたいと思っても出て行くことはできない。すると梅川が慌てて走り出て、孫右衛門を抱え起こし泥水のついた裾を絞るなどして介抱する。
孫右衛門は、見知らぬ女からの親切を不思議に思いながらも礼をいう。下駄の鼻緒を切らしたので、孫右衛門は懐からちり紙を出してすげようとすると、梅川は「ここによい紙がござんす、紙縒りひねってあげましょう」と、自らが懐中するちり紙を出してそれを紙縒りにし、孫右衛門の下駄をすげるのだった。だが、さらに孫右衛門の持っているちり紙と、自分の持っているちり紙を取り替えたいといいつつ涙を見せる梅川の様子に、孫右衛門はこれが忠兵衛が逃げ回り連れ歩いている遊女であると悟った。孫右衛門は、近くに居るであろう息子の忠兵衛にも向けて息子のしたことを嘆くと梅川も声をあげて泣き、隠れている忠兵衛も孫右衛門に向い手を合わせて嘆くのであった。
孫右衛門は大坂亀屋の養母が牢に入れられたことを話し、養母をこれ以上苦しめず、一日も早く名乗って出ろと諭すが、「したが、どうぞそれも、親の目にかからぬ所で縄にかかってくれい」と言い、寺に納める金を路銀にせよと梅川に渡し、その場を立とうとする。梅川は忠兵衛にひと目会ってほしいと頼むが、孫右衛門は顔を合わせて捕らえなければ養家への義理が立たぬと、会おうとはしない。しかしやはり、息子への未練が断ち切れぬ孫右衛門、ならば目隠しして言葉を交わさなければよかろうと、梅川に頼んで目隠しをした。忠兵衛は駆け出て、父親と物はいえずに涙ながらに手を握り合う。
そこへ久六の女房が大慌てで駆け戻り、まもなくこの家に大勢の役人が来るから、忠兵衛たちは逃げるようにとの久六の言葉を伝える。物売りに化けた飛脚屋からの追手たちがやってきて忠兵衛を囲むが、忠兵衛はそれらを退けて落ち延びようとするのだった。
解説​
本作は『冥途の飛脚』の改作である『けいせい恋飛脚』(安永2年〈1773年〉初演)を、さらに歌舞伎の演目として脚色したものである。その内容や竹本の詞章は『けいせい恋飛脚』のものに拠っている。和事の人気演目のひとつとして知られ、特に「封印切」(ふういんきり)と「新口村」(にのくちむら)はそれぞれ単独で上演されることも多い。古くは「生玉」(生玉神社)、「亀屋」、「茶屋場」(封印切)、「新口村」という構成であったが、このうち「生玉」と「亀屋」は上演が絶え、「封印切」と「新口村」が今に残る。以下、各幕についてそれぞれ解説する。
なお『恋飛脚大和往来』の外題については「こいびきゃくやまとおうらい」とも読まれているが、渥美清太郎は「こいのたより - 」とするのが本当だろうという。ただし江戸時代の番付にも「こひびきゃく - 」と振り仮名を付けているものがある。
生玉・亀屋​
「生玉」と「亀屋」の場は、現行の舞台ではいずれも廃滅し上演されないが一通り解説しておく。
現在「生玉」の場に当たる台本は伝わっておらず、「亀屋」の場の台本については国立国会図書館デジタルコレクションで公開されており、それによれば原作とした『けいせい恋飛脚』上の巻の「飛脚屋の段」とは内容が書替えられている。
原作『けいせい恋飛脚』で出てきた梅川の兄梅川忠兵衛は出ず、その代わりの役として新口村の忠三郎が医者の道哲とともに亀屋を訪れる。道哲もじつは梅川の父ではなく、かつてその父に仕えた家来筋の者ということになっている。さらに梅川の父が武士だったのも、もとは京都珠数屋町に住む裕福な町人だったらしい人物に身分が変更されている。それが零落して大和国新口村へと移り、そこで手習いの師匠をしていたが、その教え子のひとりが養子へ行く前の忠兵衛で、その遺言として大坂新町に身を売った一人娘のお梅、すなわち梅川のことを忠兵衛に託す。そして大坂へ来た忠兵衛は、梅川を探すために新町の遊郭に出入りし、梅川を見つけたのちは互いに深い馴染みとなった…という話になっているのである。忠兵衛が梅川の身請けにこだわるのも、梅川の父親から梅川のことを頼まれたという義理もあってのことだとする。
利兵衛(利平)についても敵役であることは変わらないが、これにチャリがかった性格を原作よりもふくらませている。八右衛門と企んで忠兵衛に毒を飲まそうとするが、自身が毒を飲んでしまい暑さにのぼせあがり、さらに浴衣姿の忠三郎を見て幽霊と思い込みおびえる滑稽さなど、役者にとってはしどころが多いように書替えられている。
このように「亀屋」は原作『けいせい恋飛脚』の筋を変えているので、当然「生玉」の場においても、原作とは内容が違うことになる。つまり生玉神社で毒を飲んで死んだと見せかけたのは、梅川の兄忠兵衛ではなく新口村の忠三郎であり、医者道哲の正体も違う。ただしそのほかは、のちにおすわが金を持ち出そうとしたときの台詞に、「願立てに日親様へ参詣の戻りかけとて、思わずきのふ生玉の水茶屋で立聞きすれば、忠兵衛様と梅川殿の事…」とあり、おおむね原作に沿った筋だったと見られる。
なお亀屋の養母の名について原作では「妙閑」としており、『恋飛脚大和往来』においても通常は「妙閑」であるが、国立国会図書館デジタルコレクション公開の台本では役名が「おさの」となっている。寛政8年(1796年)正月に大坂角の芝居で『恋飛脚大和往来』が上演されたとき、澤村国太郎演じる養母の名が「かめやおさの」となっており、この台本の内容も或いはこの時のものである可能性があるが、確かなことは不明である。また利兵衛が神酒徳利に毒を仕込んだとき、「四条の芝居で吾妻がした小栗判官の狂言から思ひ付いたこの趣向」というせりふがあるが、これもいつのことか明らかではない。
封印切​
「亀屋」で梅川とは縁を切るとおすわに約束したはずの忠兵衛ではあったが、結局「梅川にたった一言、暇乞いやら言い訳やら」いうつもりでと、新町の梅川のもとを訪ねることになる。忠兵衛にはじつは梅川への未練が残っており、その点は『けいせい恋飛脚』と同様であるが、そこをさらに後押しするように、梅川の使いの者に呼ばれるという話の流れになっている。井筒屋の門口にまで来ると頭に手ぬぐいを置き「梶原源太は俺かしらん」と、和事のじゃらじゃらとした二枚目ぶりを見せる。「梶原源太」云々とは、人形浄瑠璃の『ひらかな盛衰記』(元文4年〈1739年〉初演)で色男の梶原源太が遊郭に通う様子になぞらえたのである。そのあと井筒屋に入った忠兵衛は十日ぶりに会った梅川と口説のあと、舞台上手の二階座敷へともに入る。
槌屋治右衛門が来て梅川とのやりとりのあと、八右衛門が身請けの金を持って現れ忠兵衛について散々悪口すると、上手の二階座敷から堪えきれなくなった忠兵衛が、階段を降りて八右衛門の前に出る。ここで忠兵衛は八右衛門にそれまでいわれた悪口に対し、言葉を返すことになるが、十三代目片岡仁左衛門はこの忠兵衛について、和事の役として「終始受け身で、台詞も動きもいじめられ役の心得でやること」、「つまり忠兵衛は辛抱立役、すなわちじっと耐える役という性根で演じます」と述べている。
このときの二人の口論は客席を沸かせるが、ほとんどアドリブで演じられるため融通無碍な技量が必要である。初代中村鴈治郎の忠兵衛と四代目市川市蔵演じる八右衛門とのやりとりは漫才のようで面白かったという。このあと忠兵衛が封印を切り、金をばらまいて「ど、ど、どんなもんじゃい」と大見得を切るところが眼目であるが、この封印を切る型にも立って切るやり方や座ったままで切るやり方など、役者によっていろいろと違いがある。他にも井筒屋の大道具の作り、また幕切れの忠兵衛の引っ込み、さらに忠兵衛が足袋を履いているか否かなど、役者により細かい違いが見られる。
八右衛門は、忠兵衛を追い詰める重要な役どころで、即興で上方の言葉使いを駆使する上に憎々しさと愛嬌とが混ざり合った演技を必要とする。腕の良い役者が演じると忠兵衛の悲劇が強まる効果が生じ、その意味では戦前の市蔵と、戦後に初代吉右衛門の忠兵衛に付き合った六代目市川團之助とが最高のレベルであった。近年では、二代目中村鴈治郎、十七代目中村勘三郎、五代目中村富十郎などの幹部俳優が好演し、現在では、五代目片岡我當、九代目市川中車などが得意としている。
亀屋忠兵衛は初代中村鴈治郎や二代目實川延若、さらに十一代目片岡仁左衛門も演じ、得意とした役である。彼らの芸は後に、子の世代の二代目鴈治郎・三代目延若・十三代目仁左衛門から、孫の世代の四代目坂田藤十郎や十五代目仁左衛門へと継承された。他方、東京においても初代中村吉右衛門、また近年では十八代目勘三郎、十代目松本幸四郎、四代目市川猿之助、六代目片岡愛之助ら、多くの役者によって演じられてきた。とは言え、上方歌舞伎の代表的な演目・役柄に変わりはなく、四代目鴈治郎は前名の五代目翫雀および鴈治郎、それぞれの襲名披露で忠兵衛を演じている。
新口村​
「封印切」のはなやかな茶屋場から、場面は変わって雪の「新口村」となる。この場は最後の部分を除けば『冥途の飛脚』、『けいせい恋飛脚』と内容はおおむね同じであるが、場面は『けいせい恋飛脚』と同様雪が降っている。もっとも江戸での豊後節系浄瑠璃による「新口村」では、『冥途の飛脚』と同じく雨(春雨)にしたこともある。『日本戯曲全集』の台本では幕開きに、巡礼や物売りに変装した追手たちが出てひとくさり台詞があって引っ込み、浅葱幕を切って落とすと雪景色に新口村の藁葺き家、そこに花道から忠兵衛と梅川が、「落人のためかや今は冬枯れて、すすき尾花はなけれども…」という浄瑠璃で出る段取りとなる。ちなみにこの浄瑠璃の語り出しは、のちに文句を少し変えて『道行旅路の花聟』に転用されている。
忠兵衛と梅川の格好は、黒地に梅の裾模様で比翼紋の付いた揃いの着物というのが通常であるが、初代鴈治郎が演じたときには忠兵衛が縞、梅川が小紋とそれぞれ違う着付けにした事があったという。忠兵衛たちが新口村で訪ねるのは忠三郎の家であるが、『日本戯曲全集』の台本ではどうした都合か「久六」という人物になっている(上のあらすじでは敢えてそのままとした)。また家に居るのは忠三郎の女房であるのを変えて、忠三郎の妹とすることも古くにはあった。
孫右衛門が忠兵衛たちの潜む家の近くで転び、それを見た梅川が出てきて孫右衛門を介抱する。近松の作ではそれが、そのまま読めば表でのことのように見えるが、『けいせい恋飛脚』では梅川は孫右衛門を「マアマアこちへと手を引いて、内へ伴ひ上り口」と、家の中へ入れて孫右衛門を介抱するように書かれている。十一代目仁左衛門が忠兵衛と孫右衛門の二役を替って見せたときは、『けいせい恋飛脚』のように梅川が孫右衛門を家の中に入れる段取りであったが、現在の型では家には入れず表でのやりとりとするのが普通である。
古くは幕切れに、忠兵衛と八右衛門の立回りを見せたという。『日本戯曲全集』でも幕開きに出た追手たちがふたたび現われ、忠兵衛との立回りがあって幕となるが、現行の演出では梅川と忠兵衛が次第に遠のき、孫右衛門がこれを見送る雪中での別れで幕となる。降りしきる雪に三人が涙ながらにわかれる抒情性豊かな場面は人気が高い。このとき孫右衛門から遥か遠く離れた様子をあらわすため、忠兵衛と梅川をそれぞれ子役に替えて出すこともある。
昭和57年(1982年)12月の京都南座顔見世では、「新口村」が二代目鴈治郎の忠兵衛、二代目扇雀の梅川、十三代目仁左衛門の孫右衛門で演じられたが、鴈治郎は翌年初めに没したのでその最後の舞台でもあった。のちに仁左衛門は、このときの幕切れ近く親子が別れるくだりについて、「鴈治郎さんの忠兵衛が、私の孫右衛門にしがみついて離れない。それを思い切って、さらに突きやる…親子一世の別れ一刻でも永くしがみついていたいという忠兵衛の子の情と、それを突き放す、つまり息子を早く逃がしてやりたいという親の情とのせめぎあいが、二人の間に生まれたのです」と述懐している。
なお歌舞伎の「新口村」には、古くはひとりの役者による「七役早替り」という演出があった。これは享和3年(1803年)9月、大坂中の芝居で初代浅尾為十郎が七役早替りとして出したのが最初である(ただしこのときは為十郎は病気休演し、代役を初代浅尾工左衛門が勤めた)。これはのちに三代目中村歌右衛門も天保2年(1831年)に中の芝居で演じている。そのときの台本の一部が『伝奇作書追加』(西沢一鳳著)に残っているが、それによれば歌右衛門は亀屋忠兵衛、萬歳才蔵、馬子仕合せよし蔵、大和屋ほう六、願人坊主、娘お福の六役を勤め、まず最初に中村松江の梅川とともに忠兵衛で出て、そのあと馬子やそのほかの人物にそれぞれ早替りして所作事を見せ、それらがすむとふたたび忠兵衛となっていつも通りの孫右衛門との別れになるというものであった。歌右衛門は孫右衛門も演じて七役とするつもりだったが、このときの座組の都合で孫右衛門の役はほかの役者に譲ったという。
また十一代目仁左衛門が大正7年(1918年)のころに忠兵衛と孫右衛門の二役を替ったときには、その替るあいだのツナギとしてこれもいろいろな者を舞台に出しており、竹馬に乗った大人の役者が扮する子供だとか、下男を連れた医者、最後は相撲取りとその父親というのが出てくるが、この父親が子役で、息子の相撲取りに鼻をかんでやろうしてその体に梯子を立てかけ、鼻をかんでやるのが大いに受けたという。ただしこのツナギは十三代目仁左衛門が仁左衛門襲名で忠兵衛と孫右衛門を早替りで演じたとき、萬歳だけを出すのにかえている。
初演その他について​
『恋飛脚大和往来』という演目が歌舞伎で演じられた例については、伊原敏郎著『歌舞伎年表』(第三巻)宝暦7年(1757年)の記事に次のようにある。
○七月二十八日、大坂、大松座(大西)、「恋飛脚大和往来」。切狂言「初月夜最中心中」。
これが知られる限り最も古いが、渥美清太郎は、『恋飛脚大和往来』の初演はこのときではなく、この以前にすでに上演されていただろうという。しかし「初月夜最中心中」が「梅川忠兵衛」の道行の所作事ならば、「月夜」だとか「心中」などとあるのをみると、『冥途の飛脚』のものとは内容が異なっていたと考えられる。これは天明5年(1785年)4月、大坂で上演された『昔今恋飛脚』においても、大切所作として『恋闇卯月の楓葉』が出されている(「卯月」は旧暦4月のこと)。『冥途の飛脚』や『けいせい恋飛脚』の季節は正月に近い頃である。また寛政6年(1794年)8月の江戸桐座では『四方錦故郷旅路』(よものにしきこきょうのたびじ)を上演しているが、その大切に『月眉恋最中』(つきのまゆこいのもなか)という常磐津浄瑠璃による所作事を出し、番付には四代目松本幸四郎の役名が「大和のやぼ大じん実は新口村孫右衛門」とあるなど、これも『冥途の飛脚』や『けいせい恋飛脚』とは違う内容だったようである。
いっぽう安永9年(1780年)7月には、江戸市村座で『道行恋飛脚』(みちゆきこいのひきゃく)が上演されている。これは『けいせい恋飛脚』の「新口村」の詞章にいくらか手を加え、富本節の浄瑠璃で演じたものである。このように歌舞伎における「梅川忠兵衛」はその時々で内容を書替え、また一方では『けいせい恋飛脚』の内容に沿って上演されていた。しかしそれも時代が下ると『けいせい恋飛脚』に沿った内容に集約され、『恋飛脚大和往来』の外題で上演されることになる。ただし江戸ではそれとは別に、場所を江戸にした書替え物が幕末に至るも上演されている。
現行で演じられる『恋飛脚大和往来』の内容については、寛政年間にまでさかのぼることができる。国立国会図書館デジタルコレクションには「亀屋」のほかに「茶屋場」(封印切)と「新口村」を合綴した台本が公開されているが、「茶屋場」の最初には役名とそれを演じる役者の名が記されている。この役割が寛政4年(1792年)2月、京都北西芝居で興行の『恋飛脚大和往来』の番付と照らし合わせるとほぼ同じものであり、内容としてはこの時のものとみられる。その本文は多少の相違はあるものの、『日本戯曲全集』に収める台本と同じ系統のものである。この系統の台本が多少の改変を経ながらも、現在の「封印切」や「新口村」として伝わっている。
豊後節系浄瑠璃による「梅川忠兵衛」​
上でも述べたように「梅川忠兵衛」の芝居は江戸でも舞台に取り上げられているが、その最後の幕である「新口村」はこれを「道行」と称し、豊後節系の浄瑠璃(富本節、常磐津節、清元節)で上演されている。ただしそれらはいずれも、『けいせい恋飛脚』の「新口村」の詞章を多少改めたものである。またそれ以外の内容については、舞台を江戸に書替える事があった。
・『道行恋飛脚』(みちゆきこいのひきゃく) 富本節。安永9年7月、江戸市村座。忠兵衛が四代目松本幸四郎、梅川が三代目瀬川菊之丞。
・『三種笠慈愛旅路』(さんどがさじあいのたびじ) 常磐津節。文化7年(1810年)9月、江戸森田座。忠兵衛が初代片岡市蔵、梅川が中村友吉。
・『道行故郷の春雨』(みちゆきこきょうのはるさめ) 清元節。文政(1824年)7年3月、江戸市村座。忠兵衛と孫右衛門が三代目坂東三津五郎、梅川が五代目岩井半四郎。三津五郎が二役早替り。この曲では場面が雪ではなく雨としている。 
 
 
 

 

●恋飛脚大和往来 2
もとは、あの有名な「近松門左衛門」の作品です。「もとは」というのは、いま上演されているのは近松の原作とはかなりニュアンスの違う舞台になってしまっているからです。近松原作のタイトルは「冥途の飛脚」といいます。原型のほうが作品としてはおもしろいのですが、人物描写などがリアル、かつ繊細すぎるため、善悪を単純化したほうがわかりやすい舞台上演には改作版の方が向いている、ことになっています。
台詞劇なので、聞き取れないとわかりにくいです。とくに前半。近松なので使われているのが古い上方言葉なのもハードルを上げています。なので設定説明と、今出ない序盤の部分の説明を書きます。
主人公の忠兵衛は「亀屋」という飛脚屋の養子です。
「飛脚屋」というのは、主に江戸と京阪との間の手紙やちょっとした荷物の運搬をする商売です(大量運輸には船を使った)。荷物の中で特に重要だったのは、江戸と京阪という大型経済圏の間での、お金のやりとりです。江戸時代も後期になると完全に「為替決済システム」が完成するので、物理的な現ナマのやりとりはなくなります。飛脚屋が運ぶのは、紙切れ=為替だけです。為替を両替屋(今の銀行に近い)に持っていくと現金が手に入るしくみです。しかし近松の時代だと江戸も前半なので、まだ飛脚屋が現金を運んでいたのです。自分のものではないけれど大金が無造作に目の前をウロウロする環境が、忠兵衛を狂わせたのです。
現行上演出ない事も多いですが、一応原作に即して飛脚屋、「亀屋」の場から書きます。
「亀屋店先」の場
忠兵衛は4年前に大和の田舎、新口村(にのくちむら)から亀屋に養子に来ました。亀屋の主人はすでに死んでしまっておらず、養母の妙閑(みょうかん)さんが店をきりもりしつつ忠兵衛のめんどうを見ています。忠兵衛も勉強して商売のこととかいろいろ覚えましたが、いろいろ覚えすぎて廓通いまで学習してしまいます。最近は遊び歩いてばかりです。今は、すっかり恋人同士になってしまった「梅川(うめがわ)」のところにいりびたりです。
でも妙閑さんの下、手代や番頭さんがしっかりしているのでお店は何とか回っています。
目下問題なのは、出入りのとあるお武家さまが、江戸からくるはずの三百両が来ないと言っていることです。これは道中の川止めなどがあったせいで実際にまだ届いていないのですが、公務でのお金が届かないとまずいので、亀屋でも困っています。忠兵衛の友人でもある丹波屋八右衛門(たんばや はちえもん)さんのところの商売のお金もまだ届きません。妙閑さんは心配しています。
忠兵衛が帰宅して、外から店の様子をうかがったりしているところで、八右衛門に鉢合わせします。お金の事を聞かれて「恋人の遊女、梅川(うめがわ)を身請けしたいので手付に使った」と謝ります。正直に言って謝ったので八右衛門は許します。
そして一緒にお店に入り、妙閑さんにわからないように「鬢水入れ(びんみずいれ)」を紙に包みます。「鬢水入れ(びんみずいれ)」というのは、水を入れて鏡のそばにおいておく小さい浅い容器です。髪の毛をちょっとなでつけるのに使いました。楕円形で小さいものなので小判包みにカタチが似ています。これを紙に包んでお金に見せかけて、妙閑さんの前で八右衛門に渡して、ごまかそうとしたのです。八右衛門も受け取って、受取状と称して(妙関さんは字が読めないので)てきとうな文章を書いて渡します。忠兵衛は目先のお金についてうまくごまかせたのでひと安心します。
ここまでは、友人同士のなれあいで片付く、悪ふざけの範囲です。ここに江戸からの荷物がやっと届きます。お屋敷に届ける三百両も来ました。勇んで三百両届けようと駆け出す忠兵衛。
現行上演ここから始まることが多いです。ていうかわかりにくいのはここまでなので、何らかの方法で(ここで読んだりとか)ここまでの状況を把握してしまえば、この後はわりと見やすいかと思います。
百両というのは、今の貨幣価値だと600万ちょっととお思いください。このお芝居だと江戸も初期なので貨幣価値も高めです。700万近いです。三百両だと1千万円前後ということになります。大金です。
花道に向かう忠兵衛です。さっさとお屋敷にお金を届けなくては。しかし、迷っています。梅川が心配です。ていうか会いたいです。ここで言うセリフ「会わずにいんではこの胸が…」が、とても有名です。
この「いんで」は、文法分解すると、帰る、いなくなるを意味する動詞「いぬ」の連用形「い」+「て」、「いにて」の音便です。「(梅川に)会わないで帰っては、この胸が(切ない)」みたいな意味です。
今でも西日本だと「帰れ」「出て行け」の意味で「いね」って使うのでしょうか。10年くらい前だと聞いたことある気がします。有名なセリフなので細かく書いてみました。
で、結局、梅川が待っているだろうからと会いに行くことにします。俺ってば女にこんなに思われて、いい男だから困っちゃう、というわけで、当時のモテ男の代表であった「梶原源太景季(かじわらげんた かげすえ)」を引き合いに出して「梶原源太は 俺かしらん」といい気分になって、廓に向かいます。
ここで頭に手ぬぐいを乗せるのは、梶原源太が出る人気狂言「ひらかな盛衰記」の中、梅が枝に会いに行く梶原源太の様子を真似しているのです。
ついでに言うと、このお芝居の遊女の名前が「梅川(うめがわ)」なのは、源太の恋人の遊女が「梅が枝(うめがえ)」なのを意識していると思います。「梅川」の読みは「うめかわ」でなく「うめがわ」なのも、「うめがえ」に近い音にしているのでしょう。
井筒屋(いづつや)裏口
井筒屋は遊女屋です。原作だと「越後屋」です(どうでもいい)。下女の手引きで忍び込んだ忠兵衛と梅川との、他の客の来ない奥座敷での密談&色模様です。
近松の原作にはない、歌舞伎の入れ事です。現行上演では、お芝居の前半部分がカットなので、身請けの問題も含めてここまでの事情を説明するための場面でもありますが、たあいもない痴話喧嘩をしてラブラブなぶたりを見て楽しむシーンでもあります。ここでも忠兵衛はかなり子供っぽく、今後のなりゆきが心配される雰囲気です。そのまま越後屋の表座敷でのクライマックスの「封印切り」に続きます。
井筒屋座敷
「封印切」の場面です。この「封印」というのは何かといいますと、忠兵衛は、武家屋敷に届けるはずの藩の御用金を持っています。江戸から送られてきたものです。御用金は紙に包まれており、そこに「正式な御用金である」ことが明記されています。この小判を包んだ紙には、勝手にはがされて中身がすり替えられないように、1個1個ハンコを押してあるのです。これが「封印」です。「封印」された小判は、お金であると同時にその封印は公文書でもあります。
忠兵衛はこれをやぶってしまうのです。ヤバいです。重罪です。ぶっちゃけ死罪です。何が彼をそこまで追いつめたのか。みたいな場面です。
お友達の八右衛門さんがまず井筒屋のお座敷にやってきます。
近松の原作だと、八右衛門さんは完全に中立の立場です。忠兵衛のことも非常に冷静に見ていて、心配しています。ついでに言うと梅川もかなりしっかりした女性に描かれており、忠兵衛にガンガン異見をします。
しかし現行上演だと、八右衛門さんは悪役です。そして梅川に横恋慕しています。梅川は自己主張できない悲しいタイプの女です。あーいらいらする。
さて、八右衛門は、忠兵衛がまじめにお金を届けにお屋敷に行ったと思っています。まさかここに来ているとは思っていません。じっさいは忠兵衛は二階の座敷にいるのですが、八右衛門は知りません。
さて、八右衛門は前の幕での鬢水入れとニセ証文を取り出して、忠兵衛の悪口を言いはじめます。あいつはお金に困っていてこんな見苦しい真似までする状態だ。かかわらないほうがいい。もうあいつはもう出入り禁止にしたほうがいい、みたいな内容です。原作だと友達を立ち直らせるための辛口異見なのですが、現行上演では、梅川ちゃんを手に入れるために邪魔者を排除しようと画策している状態です。
あまりにひどい事を言われたので、二階にいた忠兵衛が怒って下りてきます。ここでふたりの言い争いになります。
八右衛門は、忠兵衛を「イナカモノ」「養子」「貧乏」ともともとバカにしていたのです(現行上演設定)。これでまたムキになって怒る忠兵衛も同じレベルなわけですが。
忠兵衛は自分の実家は田舎だけど金持ちだと主張します。ちょうど今日、田舎の実家からお小遣いとしてお金が届いた。お金には困っていない、と言い、お屋敷に届けるたずのお金を自分のものだと言い張って見栄を張ります。
はじめは袱紗(ふくさ お金を包んだ布)の上から見せるだけだったのですが、鬢水入れの前科があるので信じてもらえません。火鉢にコツコツ当てて音を聞かせてもダメです。ついに忠兵衛は「御用金」の封印を切って小判をばらまきます。
普通の精神状態ではできないことですが、 梅川をどうしても身請けしたかったというのと、廓で「かっこいい自分」を演じていたのに、それを全否定されて、現実を受け入れられなかった。そんなかんじだと思います。上司に連れられて高級クラブに行った若い銀行マンがホステスに入れあげてサラ金地獄に。ついに会社の金に手を付けて。みたいな図式を想像していただくとわかりやすいと思います。
原作だと、かなりはっきり「廓での遊女相手の見栄と現実の区別が付かなくなったバカ男」として忠兵衛は描かれます。いつの時代にもバーチャルにはまって破滅する人はいるのです。
そして、黄金の色というものはやはり説得力があります。華やかな廓の座敷に小判がバラまかれる絵面は、実際に行われている「公金横領」という重罪とのギャップもあって、そら恐ろしい美しさです。
三百両の中から、梅川の身請け、今までの茶屋遊びのツケ、身請けの手数料として各方面へご祝儀と、お金をばらまく忠兵衛。もういくらも残りません。今夜中に出発したいからと言うのでみんなおおあわてで準備に走り去ります。手続きして鑑札(身分証明書)を作らないと梅川は廓の大門の外に出られないのです。
何も知らずによろこぶ梅川に忠兵衛は真実を告げて「一緒に死んでくれ」と言います。梅川も、驚きますが覚悟を決め、短い間でも夫婦でいられれば満足、と言います。何も知らない廓のみんなに送られてふたりは旅立ちます。
八右衛門はこっそり封印の紙を拾っており、公金横領に気付いているのでした。
「新口村」(にのくちむら)に続きます。
「新口村」
こちらは前半部分の「封印切り」と違って殆ど近松の原作通りの展開、名セリフもほぼそのまま聞けます。息子を思う父親孫右衛門の痛々しいまでの心情が伝わってきます。後半ちょっと原作とは変わっていますが、全体のテーマに影響はありません。あと舞台を雪景色にしたのは歌舞伎のデザインです。キレイでいいです。
公金横領の大罪を犯した主人公の忠兵衛と共犯の梅川(うめがわ)、捕まったら首が飛びます。横領したのは三百両ですが、梅川の身請けや茶屋のツケや祝儀なんかであらかた消え、さらに表を歩けないので相合駕籠、大きめの駕籠にふたり一緒に乗って行くのですが、当然割高です、それで移動、ふつうの旅籠は泊まれないので茶屋泊まり、あれやこれやでどんどんお金はなくなってもう路銀もありません。逃げ切れないと覚悟したふたり、最後の別れを告げようと忠兵衛の実の父親のいる大和の新口村(にのくちむら)にやってきます。
もうすでにあちこちに、行商人や門付けに化けた役人らしいアヤシイ人影、ちょっと実家に行くのはムリそう。なので、近くにある小作の忠三郎さんに頼もうとします。おうちには奥さん、最近お嫁に来たので(といっても若くはない)忠兵衛を知らず、忠兵衛と梅川のウワサをします「困った傾城さまだ、大迷惑だ」。ふたりヒヤヒヤ。でも頼まれて忠三郎さんを呼びに行ってくれます。
二人で外を窺っていると、お寺のお参り(「道場」と浄瑠璃で言うのが「お寺」のこと)の帰りの、お父さんの孫右衛門さんがとおりかかります。お友達と何人かで歩いていて、忠兵衛がなつかしそうにあれは誰、あれは誰、と梅川に説明するくだりがあるのですが、今カットかも、表だっては会えないので家の中からお父さんを拝むふたり、と、孫右衛門さんの雪駄の鼻緒が切れて雪の中に転びます。息子の事で心労で、ちょっとおぼつかないかんじの孫右衛門さん、見かねた梅川が駆け寄って、懐紙で鼻緒をすげてあげます。って「すげて」って言葉通じるの? 懐紙でコヨリを付くって鼻緒を雪駄をつないでなおしてあげるのです。はじめは親切なおねえさんにお礼を言っていた孫右衛門ですが、だんだんに事情を察します。そばの家の中に忠兵衛がいることも察します。忠兵衛の犯罪のせいで、養子先の亀屋も罰を受けます。でも実の親である孫右衛門さんは、養子に出すとき「縁切り」をしているので連座責任はありません。でも、お父さんは、縁を切った息子が出世してりっぱになって、回りに「縁を切って失敗したな」と同情されても、それはどれほど嬉しいだろう、息子が不始末をしでかして、回りに「縁を切っておいてよかったな」と褒められても、こんな悲しいことはない、と言って泣きます。近松らしい名台詞ですよ。たまりかねた梅川は、孫右衛門に目隠しをして(本当に顔を見てしまったら自分をごまかせなくなって役人に渡さなくてはならないので)、忠兵衛と会わせます。ここが山場です。
孫右衛門さんはお金をいくらか渡して、ふたりを逃がそうとします。現行上演、このまま逃げるふたりを孫右衛門さんが見送るところで幕になる演出が多いです。
近松の原作だとふたりは逃げるけど捕まって引かれてきます。泣き悲しむ父親を見ていられない忠兵衛が、役人にたのんで目隠しをしてもらって、幕です。現行上演の目隠しをしての親子の対面の演出は、この部分のアレンジですよ。
あと最近は忠兵衛と孫右衛門と2役替わる事が多いです。どちらもいい役者さんが必要なのに、出番がイマイチ少ないからですが、どうしても演出的に早変わりをしたりダミーの役者さんと吹き替えを使ったりしなくてはならず、見る側はちょっとめんどくさいです。ひいきの役者さんがたくさん見られればいい、という向きにはいい演出かもしれません。  
 
 
 

 

●恋飛脚大和往来・緒話
恋飛脚大和往来 1
「こいのたよりやまとおうらい」または「こいびきゃくやまとおうらい」と読む。宝暦7(1757)年の初演というから、約260年前の作品だ。この作品には原作があり、近松門左衛門の『冥途の飛脚』がそれに当たる。著作権のない時代は今とは考え方が正反対とも言え、先行作品の面白い部分をいかに「頂いて」、さらに面白く練り上げて見せるか、が歌舞伎の狂言作者の腕の見せ所でもあった。元よりそこには「剽窃」や「盗作」というマイナスのイメージはない。
歌舞伎の上方狂言の代表作の一つで、『封印切』『新口村』の二場面が上演されることが多い。大和から大坂の両替商に養子に出された忠兵衛は、遊女の梅川と相思相愛になるものの、金持ちのボンボンで底意地の悪い八右衛門に張り合われ、意地づくで店の金に手を付けてしまう。今で言えば「横領」だ。ようやく梅川を身請けはしたものの、大坂にいられるわけもなく、生まれ故郷の大和・新口村を目指す。ここまでが『封印切』。
忠兵衛の故郷へようやくたどり着いた梅川と忠兵衛の二人だが、ここにもすでに追手が回っている。一目、実の父・孫右衛門に会いたい、と願う忠兵衛だが、義理に縛られた孫右衛門は、いくら可愛い息子でも養子に出した先の養い親が牢に入れられた状況では、親子の別れをすることもできない…。ちょうど、上方で庶民が力を付け出し「家」という制度が確立し、家同士に「義理」の感覚が生まれて来た様子が、この芝居からも窺える。
苦肉の策で、すべての原因ともなった梅川が、孫右衛門に目隠しをさせ、言葉を交わさせずに、手を握り合って親子の別れをしたその時、追手がかかる…。雪の中、何とか我が子を落ち延びさせようとする老爺の姿が痛ましく、哀しい。『封印切』の忠兵衛は片岡仁左衛門、梅川は先代の四代目中村雀右衛門、孫右衛門は仁左衛門の父、十三世片岡仁左衛門の組み合わせを最も多く観ているのではないだろうか。梅川は六世中村歌右衛門、中村藤十郎の舞台も濃密な記憶があるが、雀右衛門の梅川が役に一番近かったように感じる。
「色男金と力はなかりけり」を地で行く忠兵衛の役は、上方の二枚目の色気と柔らかさが必要な役だが、大阪と東京を2時間40分で行き来できる現在、純然たる上方歌舞伎を求めることが難しくなっているのも事実だ。若手にも挑戦の仕甲斐がある役で、歌舞伎を代表する役柄の一つとして、いろいろな役者に手掛けてもらいたい、とも思う。忠兵衛の悲劇が浮き立つには、相手の敵役である八右衛門の芝居が巧くないと、面白くならない。悪役が憎らしいほど、悲劇は引き立つ。金は持っているが人には好かれない、というタイプの人間を、リアルに描写することで、忠兵衛と梅川の状況がより哀しさを増すのだ。
『新口村』は、ほとんどが孫右衛門と梅川の芝居で、演じ方によっては幕開きの忠兵衛と孫右衛門を二役替わる方法がある。ただ、孫右衛門は老け役で、歌舞伎で言うところの「肚」、深い心理描写と表現ができないと、ただめそめそと泣いている老人になってしまう。我が子の愚かさを嘆きつつも、毅然とした部分を持ち、それが最後には親子の情に負ける、という感情のせめぎ合いを自然に演じるのは難しい。最近の歌舞伎界が抱えている問題の一つに老け役の払底がある。上演頻度が以前に比べて少なくなったのは、この理由によるところが大きいだろう。一朝一夕には解決できない問題だけに、難しく、重要な課題である。10月、名古屋の顔見世での上演は、どのような結果になるのだろうか。
恋飛脚大和往来 2
今月の歌舞伎座は、夜の部の「盟三五大切」通し狂言が吉右衛門丈、仁左衛門丈、時蔵丈の顔合わせ、四世鶴屋南北生誕二百五十年ということで目玉になっているのですが、都合で昼の部の「恋飛脚大和往来 封印切 / 新口村」を幕見席で観ました。江戸役者の染五郎丈が上方和事狂言を代表する役の一つ・忠兵衛を勤めます。
「封印切」は以前鴈治郎丈の忠兵衛、富十郎丈の八右衛門で観たことがありますが、今日の染五郎丈は鴈治郎型ではなく仁左衛門型となります。以下は請け売りですが、型によって階段の向きやセリフの配分などが違うほか、ことに封印を切るところが鴈治郎型では突き飛ばされたはずみに金包みの封が切れ、もはやこれまでと残りも切っていくのに対し、仁左衛門型では怒りに任せて自分で封を切ってしまい、一瞬動揺するものの、ままよと残りも切っていきます。最後の死出の旅立ちも、鴈治郎型では先に行かせた梅川のもとへ忠兵衛が一人花道を引いていきますが、今日は二人手をとりあって消えていきます。
染五郎丈は「女殺油地獄」の与兵衛に続き、この「封印切」の忠兵衛でも上方世話物での破滅型の主人公を見事に演じました。たぶん上方和事に通じた大阪の観客に見せればいろいろな意見が出るのでしょうけれど、ここは染五郎丈の意気を買いたい。かたや仁左衛門丈の八右衛門が、嫌なヤツだが悪役というのとも違う面白い役柄で舞台と客席とをぐいぐい引っ張るのがもちろんさすが。忠兵衛が怒り心頭で飛び出してきてからの掛け合いは最初漫才のごとくでしたが、八右衛門が徐々に忠兵衛を追いつめ、忠兵衛の声が上ずり早口となって進退窮まっていく展開の緊迫感には固唾を飲みました。そしてとうとう、封印を切ってしまった忠兵衛が立ち上がって覚悟の小判をぶちまけるよもやの結末まで一本線。
その仁左衛門丈は続く「新口村」では忠兵衛の父・孫右衛門を演じます。本来仁左衛門型の「新口村」では忠兵衛 / 孫右衛門を早替わりで演じるのだそうですが、今日は大罪を犯した息子を思う老父に専念。幕切れ前、御所街道を落ちていく二人は雪の竹林の向こうに、折り返しのスロープを去っていきます。ここでの真横からのライティングが、効果的かつ歌舞伎座としては斬新。そして二人を見送る孫右衛門がよろけて木に突き当たると枝の上に積もっていた雪が落ち、崩れるように座り込んで顔を覆う幕切れにもらい泣き。
恋飛脚大和往来 3
新町井筒屋の場 <配役>
   亀屋忠兵衛    翫雀改め 中村 鴈治郎
   傾城梅川     中村 扇 雀
   槌屋治右衛門   中村 橋之助(予定の我當が急病のため)
   井筒屋おえん   片岡 秀太郎
   丹波屋八右衛門  片岡 仁左衛門
飛脚問屋亀屋の養子忠兵衛は井筒屋抱えの遊女梅川と深い仲。身請けの半金の工面ができずに窮しているところ、梅川へ横恋慕する飛脚仲間の丹波屋八右衛門が、梅川を身請けすると言い出します。忠兵衛への悪口雑言を繰り返す八右衛門と、それを聞きつけた忠兵衛が言い争ううち、忠兵衛が懐に預かり持っていた公金の封印が切れてしまい…。
「玩辞楼十二曲」の内の一つ。近松門左衛門の『冥途の飛脚』を基にした『けいせい恋飛脚』を歌舞伎化した作品です。上方和事を代表する忠兵衛役を新鴈治郎が勤めます。
「玩辞楼十二曲の内の一つ」と銘打っての演目。これは初耳だった。今までいやというくらいこの演目は観てきた。そのほとんどが新鴈治郎のお父上の坂田藤十郎が忠兵衛を演じたもの。もともとは浄瑠璃だから、浄瑠璃版の『冥途の飛脚』も何回か(通しではなかったけど)観ている。私個人の好みとしていえば、浄瑠璃版の方がいい。そういえば今月、文楽劇場でも『冥途の飛脚』が乗っている。歌舞伎になると強いemotional investmentが入ることが多く、そのベタベタ感がときとして煩わしい。この『恋飛脚大和往来』中の「封印切」がとくにそう。「新口村」のほうがマシ。同じ近松物でも『曾根崎心中』の方はもう少し、抑制が効いているように思う。
で、今回の「封印切」も観るのに気が重かった。そして、残念なことに予想通りだった。
「じゃらじゃらと」という表現がなんども劇中に出てくるが、まさにそのじゃらじゃらが全編を満たしていた。何というか役者のナルシシズム。近松もビックリだろう。これが三代目鴈治郎(現藤十郎)の作り上げた忠兵衛像というのは、あまりにも哀しい。今度襲名した鴈治郎もそれを継承することを期待されているので、こういう演じ方になってしまうのかもしれない。でももったいない。彼には独自のユーモアのセンスがあり、それが実験的な歌舞伎では発揮されきていた。だから、お父上の忠兵衛とは違った行き方があってもよかったのにと残念至極。
「またあれか」と、私のように「敬遠」する人も多かったのでは。客席はフルではなかった。襲名興行なんだからもっと埋まっていてもよかった。その分、友人と私の席は前から三列目というかってなかったほどの良席。でもこんな前の席なのに、うれしくなかった。1月最初に観た「新春浅草歌舞伎」を満たしていたあの熱気がなかったから。舞台が近いと演者のそういう熱気が直に伝わって来る。それがなかった。
「玩辞楼十二曲」の内の一曲なんてことになると、たしかに伝統の重みはハンパないだろう。でも、だからこそ、新しい演じ方が必要なのだ。それによって自分自身の「忠兵衛」像を打ち出せるかどうかで、客が見続けていてくれるかどうかは決まる。能じゃないんだから、伝統はぶっ壊すためにあると思う。そこから新しいもの、時代に則したもの、観客に「来て良かった」と思ってもらうものを創りだして行かなくては、歌舞伎という演劇の意味がないと思う。
一人だけ大御所の中で新しさを出せた人がいた。仁左衛門。八右衛門をやるにはオトコマエすぎましたけどね。
恋飛脚大和往来 封印切 4
新橋演舞場 夜の部2幕目は「恋飛脚大和往来 -封印切- 」です。
飛脚問屋の養子・忠兵衛と遊女梅川が恋仲になり、忠兵衛は梅川を身請けしようと手付を打ちますが、残金の支払いに窮してしまう。そこへ忠兵衛の仲間・八右衛門が現れ、忠兵衛の悪態を突き出すものだから・・・思わず忠兵衛がとってしまった行動は・・・
当時は電信もありませんから為替も小判を飛脚が運ぶ。飛脚が目がくらんでつい為替を横領、なんてことがないよう、為替には封印がしてありその封印を切っただけで打ち首、となる大罪とされていた、という当時の背景を知っておく と一層舞台を面白く見ることができるかもしれ ません。
舞台は郭の井筒屋。梅川はここ何日も姿を見せない忠兵衛を待ちわびています。一方、忠兵衛は梅川を身請けしようと50両の手付を打つものの、あとの残金の支払いに窮してしまいとうとうその期限も過ぎてしまいます。
梅川からの手紙を見た忠兵衛もいてもたってもおれず、為替の金を預かったまま、井筒屋に立ち寄ってしまいます。忠兵衛を待ち焦がれ、すっかりしょげている梅川をおえんは不憫に思い、やってきた忠兵衛に裏の小座敷で二人会うように、と取り持ちます。
獅童丈演ずる忠兵衛、常の獅童丈の声よりは高い声だったため、もしやのどを痛めたか?と、単純にも思ってしまったのですが、いえいえ、どうやら、忠兵衛の少しお調子者な感じをだすための演出だったよう。
二人は明かりのない小座敷で、しばし話しをしていますが、やがて、おえんがやってきて、二人を表の二階につれて行きます。
実は梅川は八右衛門からも身請けをしたいと、言われているのです。しかも、槌屋の主人・治右衛門も借金をしており返済の日が来ているという切羽詰まった状況。
そんな中、八右衛門がやってきて梅川の身請けをと250両を差し出すのですが、主人は梅川から先ほど本心も聞いたところ。それに八右衛門の横柄な態度に嫌気がさし、身請けを断ります。
八右衛門は腹いせなのか忠兵衛のことを貧乏百姓のせがれ、借りた金も返さぬ肥えだめ担ぎ、などと言って、さんざんな悪態をつきます。さすがに2階でこれを聞いていた忠兵衛、堪えることができなくなり八右衛門の前に現れます。
言いたい放題にいいやがって、百姓とはいっても金はある。先日、父がこちらにきて小遣いをおいていってくれた。と忠兵衛は言ってしまいます。ただでさへ忠兵衛とは大違い、ケチでゲジゲジで、とおえんからも先ほど嘲られて面白くなく思っている八右衛門。これ見よがしに、たしかに自分は嫌われ者かもしれないけれど、金は私のことを好いていてくれる。と言い、小判の包みでわざと音を立てて見せ忠兵衛を挑発します。
どうにか、言い抜け、言い抜けしてきた忠兵衛ですが、八右衛門が「いくら忠兵衛が金があると音をたててみせても、その金は贋金だ。忠兵衛の父が泥で作ったものだろう」とあまりに執拗に畳みかけるものですから、なぜ、そこまで言うのかと忠兵衛の口元もゆがみます。そして忠兵衛、懐の為替の金を出すにだせず、ジリジリとしながら懐の為替につい手がいってしまいます。
それでも、この金は出せないと必至に気持ちを抑えているのでしょうか、懐あたりで長いことモゾモゾ、モゾモゾやっています。しかし、やがて忠兵衛の顔が、一瞬ハッ、とした表情になり、やがて苦悶しているような顔つきになったと思うと、しばらくのちに態度が一変。懐から小判を見せるのでした。
そう、懐に手をやっているうちに封印が切れてしまったのでした。封印を切れば、打ち首。忠兵衛は、ここでそれまで張り詰めていた気持ちがぷっつりと切れてしまったのでしょう。次々と、封をきってしまうのでした。そして、梅川をこの金で身請けするというのでした。
事情を知らぬ井筒屋の人びとは、忠兵衛と相思相愛である梅川の身請けを喜ぶのですが、八右衛門は、忠兵衛が封印を切ったのでは、と気づきます。忠兵衛の落した封印らしきものを何気ないふりでひろい、井筒屋を出てそれが封印であることを確認するのでした。
井筒屋の人々が梅川の門出の準備をする間に、何も知らぬ梅川に忠兵衛は先ほどの金は実は公金であった。もはやこの首は胴につながっていまい、と告げ、一緒に死んでほしい、と梅川に言うのでした。梅川も忠兵衛の申し出を受け入れ、おえんの見送る中、悲壮な面持ちで、二人は井筒屋を立ち去るのでした。
封をきってしまい、打ち首の大罪を犯してしまった忠兵衛。一緒になるために身請けの金が必要でしたが、身請けができてももはやこの世で、梅川と一緒になることができません。梅川も一緒に死ぬことを受け入れつつも、ちゃんと歩くことができません。二人ともよろけながら郭の外につながる道にみたてた花道を下がってゆくのでした。
なんと皮肉な運命の二人か。
いつもより、やや高い声で?と心配しましたが、これも役作り。予習したので(?) ストーリーはあらかた知ってはいましたが、獅童丈の熱演にすっかり舞台に引き込まれてしまいました。実に魅力ある役者さんです。
亀屋忠兵衛・・・獅童 / 傾城梅川・・・笑三郎 / 槌屋治右衛門・・・寿猿 / 丹波屋八右衛門・・・猿弥 / 井筒屋おえん・・・門之助 
恋飛脚大和往来 5
幹部俳優たちがいかに早く人間国宝になるかにしのぎを削っている歌舞伎界にあって、文化庁主催の芸術祭は重要なイベント。ということで10月は芸術祭十月大歌舞伎となります。
午前か午後のどちらかを見るか悩みましたが、とりあえず、ひいきの孝太郎さんが出ている『赤い陣羽織』のある午前の部に。
予約はしたのはいいのですが、よく調べてみると「赤い陣羽織」は木下順二作の元はといえば民話劇。歌舞伎でやるのは1961年以来のこと。
孝太郎さんはリラックスして百姓の女房役を演じている。しかし、花道の七三のところの芝居で、客席が一番沸いたのは馬の孫太郎の演技。中に入っている人は名馬でしたね。とはいっても、さすがに肝心のところの芝居では切なさを出す孝太郎さんはよかったです。庶民の切なさがにじみ出るんですよね。ぼくは声をかけるなんていうことはできませんが、それでも、今回は手を叩くところもなんかはかりがたかったという感じで終わりました。
次の『恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)』は上方和事。近松門左衛門作の世話浄瑠璃『冥途の飛脚』の改作が歌舞伎に移されたもの。今回は「封印切」と「新口村」を通してやってくれました。
馴染みの遊女梅川を身請けしようと手付けを払いながら、その後の金が工面できない貧乏商人、忠兵衛が主人公。同じように梅川に惚れ、身請けの二百五十両もの大金を持ってやってきたのが忠兵衛の遊び友達である八右衛門。八右衛門は忠兵衛とは違い羽振りがよく、忠兵衛にも金を貸してやるような間柄。
ところが遊女梅川は八右衛門が好かない。振られた八右衛門は「ありゃ大和の国の呑百姓の倅やで、あほらし」と忠兵衛の悪口をさんざんぱら並べたて、あまりのことに二階で大人しくしていた忠兵衛も階段を駆け下りてやりあう事に。
二人のやりとりは舞台ならではというか、小説なんかでは説明がついていきません。貧乏な忠兵衛に本当に金をもっているのかと聞き、自分の小判を火鉢にコンコンとあて「ええ音や」と意地悪く攻め立てる八右衛門。忠兵衛は金こそ持ってはいるものの、それは堂島の御屋敷に届ける三百両の為替金。もちろん、そんな公金を使って身請けしたりすれば死罪。しかし、さらに八右衛門に攻めたてられ、勢いで封印を切ってしまう忠兵衛。「もしこの金が味な金であったなら、その首は胴についてはおらぬぞよ」と八右衛門に云われるまでもなく、ここまで来たら毒を喰らわば皿までと預かっていた三百両の為替金の封をすべて切り、梅川を身請けしてしまいます。
そうなると後はもちろん素早く心中の旅。
当時、為替、株などの言葉は自前の日本語としてすでに存在しており、民衆の間では近代的な金融経済の土台がしっかりと存在していたという網野善彦さんあたりの論議を思い出してしまいました。そういった面ではもうほとんど、背景となる経済社会は近現代劇とあまり変わらないかも。近松といい、安永二年(1773年)にその原作を改作して歌舞伎にした菅専助と若竹東工郎といい、なんとモダンな感覚を持っていたか。なにせ、テーマが銭ですもん。その物神性を、思わず封印を破ることによって浮かび上がらせます。素晴らしい。
しかも、悪事が破綻してしまうと後はしらばっくれるか、それもバレると心中してしまうというという感覚は今の日本人もそのまま持っています。歌舞伎の世話物、上方和事はいろいろ考えさせてくれます。
「封印切」では藤十郎さんの忠兵衛が、失礼ながらあのお年なのにちゃんと若旦那という感じがするから素晴らしい。秀太郎さんは六月に続き、世の中の裏も表も見極めましたという感じの役。声がちょっと出ていなかったように感じましたが、なにもかもわきまえていますという風情を裾さばきで出す動きが素晴らしい。「新口村」では竹三郎さんの忠三女房が舞台引き締めていました。
「新口村」はちょっと退屈してしまったんですが、それでも、雪景色の書き割りに、さらに雪が降る中、道行する梅川と忠兵衛の姿は美しく舞台の中で映えていました。これは伝統の型の力ですよね。見事でした。
この後は玉三郎さまとラブリンこと愛之助さんによる舞踊歌舞伎「羽衣」。いいですね、最後はあまり考えることなく、ただただ美しいものを見て午前の部を終わるという呼吸は。
恋飛脚大和往来 封印切 新町井筒屋の場 6
昨年の11月の南座以来の「封印切」。上方和事の代表的芝居である。忠兵衛の仁左衛門は前半は、徹底して三枚目の心でする二枚目で笑いを誘い、後半は辛抱立役という松嶋屋型をいかんなく見せた。
まず花道の出。縦縞の着物に羽織を着ている。井筒屋の門口をちょっと覗く。花道では為替の金を届けるため、寄ってはおれないと思いながら、この門口では梅川会いたさに気持ちが浮ついている様をしぐさと足取りで見せる。そして眼目の「ちっととやっととお粗末ながら、梶原源太は俺かしらん」と手拭を頭に乗せて袖を振る。身請けの後金のメドがたたないのに深刻になっていない。後半の悲劇を引きたてる歌舞伎の常套でもあるのだが。
つぎに井筒屋の門口でおえん・秀太郎、梅川・孝太郎と顔を合わせていると仲居が「川さん、川さん」と呼びにくるので下手の塀にこうもりの形でへばりつくおかしみ。
帰ろうとする忠兵衛におえんが口を寄せて何か言いかける。「耳なら耳と早う言うてくれたらええのに。耳ならなんぼでもお使い」と漫才のようなやりとりも軽妙。
おえんが計らう塀外の密会。下手から忍んで来た忠兵衛が出窓あたりに来るものの、窓の障子を開けたおえんが、帰ろうとする忠兵衛の羽織の紐を出窓の格子に結び付け、障子を閉める。帰ろうに帰れない忠兵衛の三枚目ぶり。つっころばしの芸でいかにも上方風、大阪弁も自然に聞こえ、今ではこうした大阪ものが出来る役者が少なくなった。
おえんが塀の木戸口から梅川を連れて来る。梅川忠兵衛の色模様から痴話喧嘩と進む。孝太郎相手だから息もぴったり。羽織を広げて二人が極まる。いつもながら仁左衛門の若さには脱帽。とても親子とは思えず、間違いなくカップルなのである。
後半は辛抱立役の忠兵衛になる。八右衛門・愛之助が井筒屋来て忠兵衛の悪口をさんざん言う。これを上手中二階で聞いている忠兵衛はたまらず障子を開ける。後ろ向きになって口惜しさ、無念さ、怒りの心情を体で表現する。障子を開けたまま、忠兵衛と八右衛門の二元中継の芝居が展開していく。たいてい歌舞伎の場合、ひとりの役者に焦点があたって芝居することが普通なのに双方の攻めと受けのコントラストが面白い。
辛抱しきれず忠兵衛は下手向きの階段を降りて来る。「八右衛門」と叫んで逃げる八右衛門をつかまえ「礼を言うぞよ、礼を」と引き据える。
ふたりの口論。八右衛門は次々とどんどん挑発していく。金を見せろと言われ、縁起物の玩具のえびす小判とののしられ、火鉢に金包を叩いて音聞かせろと迫られる。言われれば言われるほどむきになる忠兵衛といたぶる八右衛門のコントラストはここまで続く。仁左衛門は人の好さを感じさせる。
クライマックスの封印切は、八右衛門が忠兵衛を突き飛ばすと梅川がわっと泣く。忠兵衛は興奮のあまり夢中で封印を切ってしまう。切って、切ってしまったことに後悔と驚き、覚悟を決めて座ったままで「五十両、百両」と前へ置き、中腰で「百五十両、二百両」と小判を落とす。「びっくりするな、まだあるわい」で立ち上がり「二百五十両」で多くの小判が落ち「三百両」で小判の上に座り込む。一連の経過を見ていると自分でも切ってしまうのではないかと同情してしまう。このなりゆきは説得力があるのである。
八右衛門が帰り、おえんや仲居が身請けの手続きにでかけた後、梅川が「四年このかた廓へござんして、門出のわけも知ったお前、なんでそのように急かしゃんすえ」と問うのに「急かねばならぬ、道が遠い」と応え、お屋敷の為替の金の封印を切ったと明かし「もう忠兵衛がこの首は、胴についてはいぬわいやい」で門口の戸を開け、外の様子を伺い、戸を閉めると舞台ののれんが落ちる。竹本が〽地獄の上のひと飛びと・・・と悲劇を劇的に語る。仁左衛門は孝太郎を抱きしめて右手で向こうをさす。より一層哀れさを感じさせる。
この後梅川とふたりで花道を去る。成駒家型では先に梅川が入り、後から忠兵衛の引っ込みをたっぷり見せるが、ふたりで下るのが自然だし、見栄え、情ともにすぐれている。
孝太郎の梅川。十日ほど忠兵衛に逢わない日が続くので身請けの後金への不安を感じ、たまらず忠兵衛にたよりするが返事がない。その不安と一途な思いをおえんに訴える。忠兵衛の顔を見るや「好きやねん」と悦び飛んで出る。気持ちがよく現れている。
塀外での忠兵衛との逢瀬では忠兵衛の羽織をふたりで持っての極まりも「ご両人」に仕上がっている。仁左衛門を立てている。
親方の槌屋治右衛門・彌十郎に「八右衛門殿の方へ行って貰わずはなるまい」と言われて
「もうし旦那さん、お前の前では言いにくいことなれど忠兵衛さんとは深い仲・・・」
と切々と訴える。情がこもった台詞廻しがいい。
終盤忠兵衛に「死んでくれい」と言われて「死んでくれとは勿体ない。わたしゃ礼を言うて死にまする・・・」も無条件に忠兵衛を受け入れている心持ちになっている。恋を超越した梅川が見えていた。
秀太郎の梅川は可愛らしさが随所で見られたが、孝太郎はやや理知的というか分別ある女になっている。
秀太郎のおえんは今や板についた、他の追随を許さない花車方。いかにも色町の女将という現実感がある。かつては梅川役者だったのに。忠兵衛と梅川を取り持つ如才なさがリアルである。ふたりのことを親身になっているのが、とりもちで欲出ているし、治右衛門の「八右衛門殿の方へ・・」に対して煙管を立てながら梅川に「頼め」と目配せするところ、腹の据わった女将になっている。八右衛門の忠兵衛の悪口三昧に啖呵きってボロクソに言うところも溜飲を下げた。ただふたりを塀外であわせるとき、「いつものようにじゃらじゃらしてんとこうならこうと・・・」とか「おお、てれくさ」があっさりしていて、このやりかたもあるかも知れないが、上方のこってりした、粘っこい、まったりしたせりふが聞きたかった。
愛之助の八右衛門は来る早々「お茶屋であぐらかいたらあきまへんか」と傲慢ぶりを見せ、忠兵衛の悪口をテンポよく敵役らしく運んだ。しかも仁左衛門相手だけに厭味や憎まれ口も色濃く出していて本人の工夫は伺われる。のではあるが、所詮師匠筋の仁左衛門を前にするとやむを得ないのであるが、どうしても格の違いが出てしまう。でもこの役は上方役者でないと様にならない。惜しむらくは我當が元気なら仁左衛門に対抗できるのだが。また逆に愛之助の忠兵衛に仁左衛門の八右衛門なら成り立つと思う。
彌十郎の治右衛門は、「廓はもちろん大坂中で誰知らぬ者もない槌屋治右衛門・・・」という親方の風格を感じさせた。梅川の申し出に「云いにくいことをよう云うた」と男気を見せる。柄の大きさもあって適役である。親父の好太郎も孝夫時代にこの役を勤めているのも縁なのではないか。
松嶋屋一門の千壽が女郎鳴渡瀬、りき彌が仲居お愛、當史弥が仲居お玉、佑次郎と松四朗が太鼓持で出てベテランの嶋之亟が遣手お勘で締めてチームワークばっちりの見どころたっぷりの芝居となった。 
 
 
 

 

 
 

 

 
 
 
 

 



2021/6-