暑さ寒さも彼岸まで

暑さも  寒さも
彼岸で入れ替わり

二河白道 極楽往生を願う信心 西の岸に阿弥陀仏の極楽浄土
浄土へ続く一本の細い白い道 
両側には二つの河、燃え盛る熱い火の河と、冷たい水の河
火の河は怒りや憎しみ、水の河は欲に流される貪りや執着の心を表す
白道を渡る衆生が、現世の煩悩や誘惑・迷いを断ち切り、阿弥陀仏の極楽浄土へ向かう

浄土信仰における「彼岸」とは阿弥陀仏の極楽浄土のこと
 


 
 

 

 
 

 

●「暑さ寒さも彼岸まで」 1
暑さ寒さも彼岸までは、暑さも寒さも春秋の彼岸の頃には和らいでしのぎやすくなることをいいます。これは、夏の残暑も秋の彼岸になれば衰え、冬の余寒も春の彼岸になれば薄らぐことを述べた経験則で、「暑い寒いも彼岸まで」や「暑さ寒さも彼岸ぎり」、「寒さ(暑さ)の果ても彼岸まで」とも言います。また、彼岸とは、雑節の一つで、春分・秋分を挟んで前後3日間ずつの期間を指し、それぞれ「春の彼岸」「秋の彼岸」と言い、季節的には気候の変り目に当ります。
ちなみに、彼岸の頃の太陽は真西に沈むことから、真西には西方浄土があるという仏教説から、この時期に寺院では7日間に渡って「彼岸会」が行われ、また家庭でも先祖の霊を供養するために、仏壇にお供えをしたり、お墓参りに行ったりします。
 
 

 

 
 

 

●「暑さ寒さも彼岸まで」 2
「冬の寒さ(余寒)は春分頃(3月20日前後)まで、夏の暑さ(残暑)は秋分(9月20日前後)頃までには和らぎ、凌ぎやすくなる」という意味の、日本の慣用句である。
実際、気象庁などの観測データによれば、この慣用句の意味するところが概ね的を射ていることは推測可能である。ただし、北日本(東北・北海道)と南日本(九州・沖縄)では比較的大きな差があり、年によって異なるが概ね春分までは冬の季節現象では降雪・積雪・凍結・結氷・降霜の恐れと、気温では真冬日・冬日になることもあり、また概ね秋分までは夏の季節現象では猛暑日・真夏日・熱帯夜になることもある。
平均気温に例えると、3月の春の彼岸は概ね11月下旬から12月上旬(北日本は12月上旬から中旬)の気温、9月の秋の彼岸は概ね5月下旬から6月上旬(南日本は6月上旬から下旬)の気温とほぼ同じであり、それぞれ秋から冬への過渡期の晩秋、春から夏への過渡期の初夏の平均気温と等しくなる。
なお、この慣用句の意味を転じて、「辛いこともいずれ時期が来れば去っていく」という意味の諺(ことわざ)として用いられることも決して少なくない。
 
 

 

 
 

 

●「暑さ寒さも彼岸まで」 3
秋の虫が美しい音色を聴かせてくれる、過ごしやすい季節になってきました。この時期、祖母は決まって「暑さ寒さも彼岸までだね」と言います。
詩人・小説家の島崎藤村も、美術的な写生を散文に応用しようと試みた写生文『千曲川のスケッチ』のなかの一節「第一の花」で同じ言葉を綴っています。
―――「熱い寒いも彼岸まで」とは土地の人のよく言うことだが、彼岸という声を聞くと、ホッと溜息が出る。五ヵ月の余に渡る長い長い冬を漸く通り越したという気がする。その頃まで枯葉の落ちずにいる槲(かしわ)、堅い大きな蕾を持って雪の中で辛抱し通したような石楠木(しゃくなげ)、一つとして過ぎ行く季節の記念でないものは無い。―――
一つとして過ぎ行く季節の記念でないものは無い。
なんて素敵な季節感!初めてこの文章に触れた時、世界がキラキラ輝くように感じたのを覚えています。
前置きが長くなりましたが、今日は「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句についてです。
言葉のままでは、暑さも寒さもお彼岸の頃には落ち着くという意味。そこから広がり、「大変なことであってもいつか乗り越えられる。 だから諦めずに耐えましょう!」と励ましのシーンでも用いられる言葉です。類義語では、「楽あれば苦あり」「塞翁が馬」などが挙げられるかと思います。
そもそもお彼岸は年に2回、「春彼岸」と「秋彼岸」があります。冒頭で紹介した島崎藤村は、長い冬を抜けた喜びなので「春彼岸」について書いていますね。そして今の時期が「秋彼岸」。それぞれ、春分の日(3月21日頃)、秋分の日(9月23日頃)の前後の3日を合わせた1週間がお彼岸です。これは毎年同じ日付とは限らず、今年はこんな感じです。
―――2022年 春彼岸
春分の日は、3月21日(月・祝)
3月18日(金) 彼岸入り
3月21日(月・祝) 中日(春分の日)
3月24日(木) 彼岸明け
―――2022年 秋彼岸
秋分の日は、9月23日(金・祝)
9月20日(火) 彼岸入り
9月23日(金・祝) 中日(秋分の日)
9月26日(月) 彼岸明け
春分や秋分は、二十四節気のひとつです。太陽が真東から昇り真西に沈む、つまり昼と夜の長さが同じになる日のこと。ですので、秋は9月23日の秋分の日を境に徐々に日が短くなっていき、太陽が出ている時間が短くなることで暑さが和らぐんですね。夜が長くなるということは、読書や芸術を楽しむ「秋の夜長」の幕開けです。春のお彼岸はこの逆を意味します。
お彼岸は、お墓参りに行く風習もあります。「彼岸」は、仏教では生死の海を渡ってたどり着く、煩悩や苦しみから解き放たれて自由になる「悟りの世界」。一方で、私たちが生活するこの世界は「此岸(しがん)」と呼ばれ、彼岸は西に、此岸は東に存在すると考えられています。
先ほども述べましたが、春分・秋分は、太陽が真東から昇り真西に沈む日。彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考えられ、ご先祖様を供養するならわしができました。お盆のように炎天下での墓参ではないので、ゆっくりとご先祖様に向けて手を合わせやすい。さらに、彼岸は煩悩や苦しみから解き放たれて自由になる「悟りの世界」。日常で思い悩むことがあっても、彼岸になれば和らぐよと励ますような意味も込められているのかもしれません。
と、ここまで書いてふと思い出したのですが、友人が秋の夜に恋の悩みを打ち明ける電話をかけてきた日、友人は語呂の良さからか「惚れた泣いたも彼岸までだから」と言ったんです。こうして考えると、意外と意味がある言葉のように思えてきました。友人あっぱれ。
これから訪れる冬に備え、心身ご自愛してお過ごしください。
 
 

 

 
 

 

●「暑さも寒さも彼岸まで」 4
「暑さも寒さも彼岸まで」とは、「夏の暑さも冬の寒さも彼岸を境にして穏やかになり過ごしやすくなる」ことを表したことわざです。手紙の冒頭などで使われることがあります。本記事では、「暑さも寒さも彼岸まで」の意味や使い方、あわせて覚えたい関連語を紹介しましょう。
「暑さも寒さも彼岸まで」とは?
「暑さも寒さも彼岸まで」という言葉を知っていますか? 手紙の中で使われたり、挨拶代わりに用いられたりすることわざです。決まり文句として昔から浸透しているため、意識して意味を考えたことはないかもしれませんね。
そこで、本記事では「暑さも寒さも彼岸まで」の意味や使い方をおさらいしましょう。そして、関連語もあわせて紹介します。ぜひ語彙を増やす機会として、有効活用してくださいね。
   「暑さも寒さも彼岸まで」の意味
「暑さも寒さも彼岸まで」には、「夏の暑さも冬の寒さも彼岸を境にして穏やかになり過ごしやすくなる」という意味があります。では、彼岸とはいつのことをさすのでしょうか。
   彼岸の期間
そもそも「彼岸」とは、仏教に関連する言葉です。「生死のさかいを河や海にたとえ、その向こう側の岸」「悟りの境地」という意味があります。
また、ある期間のことをさして「彼岸」と言うことも。こちらの意味が、本記事で紹介している「暑さも寒さも彼岸まで」の「彼岸」です。「お彼岸」とも言いますが、彼岸には春彼岸と秋彼岸があることを知っていましたか?
「春分(3月21日頃)と秋分(9月23日頃)をそれぞれ中日として、その前後の3日にわたる計1週間」が、彼岸の期間に当たります。
つまり、「暑さも寒さも彼岸まで」とは、「春分の日を過ぎれば寒さも和らぎ、秋分の日を過ぎれば暑さも落ち着いてくるだろう」という意味になりますね。
例文を用いて「暑さも寒さも彼岸まで」の使い方を紹介
続いては、「暑さも寒さも彼岸まで」の使い方について見ていきましょう。ことわざを挨拶や手紙で使えるようになると、粋な雰囲気が出て素敵ですよね。ここで、使い方をばっちり押さえておきましょう。
   1:「『暑さも寒さも彼岸まで』と言うように、最近の酷暑も段々と落ちついてまいりました」
「暑さも寒さも彼岸まで」は、手紙などの文面で用いられることが多いようです。そのため、この例のように引用するかたちで使われます。
   2:「『暑さも寒さも彼岸まで』とは言いますが、明日は今季最大の寒波が訪れるようです」
例文1では、「暑さも寒さも彼岸まで」を肯定する言い回しでした。例文2は反対に否定するかたちで用いられています。
   3:「今は辛いかもしれないが、『暑さも寒さも彼岸まで』だよ。もう少しの辛抱だ」
「暑さも寒さも彼岸まで」は季節の移り変わりだけでなく、時間の経過そのものをさして使われることもあるのだとか。この例文では、「辛い時期もいつかは終わる」というニュアンスで、「暑さも寒さも彼岸まで」が使われています。
「暑さも寒さも彼岸が過ぎれば落ち着いてくるように、辛いこともいずれ終わりがくるはずだ」と相手を励ます表現です。
あわせて覚えたい関連語を紹介
社会人になると、季節に合わせた挨拶をする機会が増えますよね。「暑さも寒さも彼岸まで」のほかにも使える表現があると安心です。
そこで、ここでは「暑さも寒さも彼岸まで」に関連する表現を紹介します。
   1:彼岸過ぎまで七雪
「彼岸過ぎまで七雪」とは、「春の彼岸が過ぎても雪が降ること」という意味で「暑さも寒さも彼岸まで」の対義語に相当することわざです。ちなみに「七雪」は、「ななゆき」と読みます。
「彼岸過ぎても七はだれ」と言い換えることもできますよ。「はだれ」とは、「うすく積もった雪やはらはらと降る雪」のことです。「この天気はまさに、彼岸過ぎまで七雪だと言えるだろう」のように使われます。
   2:寒さの果ても涅槃まで
「寒さの果ても涅槃まで」という表現もあります。「涅槃」は「ねはん」と読みますが、この言葉も仏教に関する言葉です。「寒さも陰暦の2月15日にあたる涅槃会(ねはんえ)を過ぎると和らぐ」という意味を持つことわざになります。
「涅槃会」とは、仏教の開祖である釈迦牟尼(しゃかむに)が入滅(にゅうめつ)した忌日(きにち)に行う法会のことです。昔から仏教と日本の四季は深く結びついていたのかもしれませんね。
手紙で使える季節の挨拶を紹介
ここまで「暑さも寒さも彼岸まで」や関連語を紹介してきましたが、ほかにも季節の挨拶はたくさんあります。そこで、手紙で使える季節の挨拶を紹介しましょう。
   1:草木萌動の砌
3月の初旬に使える表現が「草木萌動」です。一般的には「そうもくほうどう」と読みますが、「そうもくめばえいずる」と読むこともあるのだとか。草木萌動は、七十二候のうちのひとつの季節にあたり、「少しずつ暖かくなり草木が芽吹きはじめるようす」を表した言葉です。「萌」は、草木が芽吹くことを表す漢字なので覚えておくと役立つかもしれません。
例えば、「草木萌動の砌(みぎり)、いかがお過ごしでしょうか」などというように使われます。
   2:春の日差しがきらめくころ
プライベートなどで使える柔らかい表現が「春の日差しがきらめくころ」です。「暑さも寒さも彼岸まで」のように寒さが和らいでいることを伝えることができますね。
   3:清涼の候
暑さが落ち着いてきたころにビジネスシーンでも使える時候の挨拶を紹介しましょう。「清涼」とは、「清くさわやかなこと」をさす言葉です。「せいりょう」と読んだり「しょうりょう」と呼んだりします。
ビジネスシーンなど、オフィシャルな場面では「候」や「砌」などと一緒に使うとより丁寧なニュアンスになりますよ。
   4:すがすがしい秋風の吹くころ
親しい間柄の人に宛てた手紙には、口語調のあいさつが向いているかもしれませんね。「すがすがしい秋風」や「秋風がコスモスを撫ぜ」など、情景を想像させるような表現を工夫してみてください。
最後に
本記事では、「暑さも寒さも彼岸まで」の意味や使い方、あわせて覚えたい関連語を見てきました。また、ビジネスシーンとプライベートで使える時候の挨拶もいくつか紹介しています。
日本語の美しい響きを楽しみながら、豊かな表現力を身に付けていきたいですね。
 
 

 

 
 

 

●「暑さ寒さも彼岸まで」 5
「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句、いつ、どういう意味で使うの?
様々なシーンで交わされるお天気の話題に「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句がよく登場しますが、その言葉に深い意味が込められているのをご存知でしょうか。今回は「暑さ寒さも彼岸まで」を紐解き、意味や使い方、時期はいつなのかなどをご紹介します。
「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸っていつ?
まずは基本的なことから押さえていきましょう。「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸には、春彼岸と秋彼岸があります。それぞれ、春分の日(3月21日頃)、秋分の日(9月23日頃)を中日として、その前後の3日を合わせた7日間を彼岸といいます。
【春彼岸】
春分の日が3月21日の場合 ※毎年同じ日付とは限りません •3月18日:彼岸入り
•3月21日:彼岸の中日(=春分の日)
•3月24日:彼岸明け
【秋彼岸】
秋分の日が9月23日の場合 ※毎年同じ日付とは限りません •9月20日:彼岸入り
•9月23日:彼岸の中日(=秋分の日)
•9月26日:彼岸明け
春の彼岸を「彼岸」「春彼岸」と呼ぶのに対し、秋の彼岸を「のちの彼岸」「秋彼岸」と呼びますが、いずれの彼岸もお墓参りに行く風習があります。
なぜ「暑さ寒さも彼岸まで」というの?
では、なぜ「暑さ寒さも彼岸まで」というのでしょう? 春分や秋分は二十四節気のひとつで、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになります。秋は秋分の日(=彼岸の中日)を境に日が短くなっていき、秋の夜長に向かいます。つまり、太陽の出番がどんどん短くなるので、暑さも和らいでいくわけです。春はこの逆ですね。
しかし、昼と夜の長さが同じだからといって、春分と秋分の気候が同じになるわけではありません。暑さの名残で秋分のほうが10度以上も気温が高いのですが、厳しい暑さや寒さも目処がつく頃なので、「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるようになり、慣用句として定着していきました。
「暑さ寒さも彼岸まで」の「彼岸」とお墓参りは関係あるの?
「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸にはお墓参りに行く風習がありますが、それはいったいなぜでしょう? 実は、春分と秋分の太陽に関係があります。
仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を「彼岸」といい、その反対側の私達がいる世界を「此岸(しがん)」といいます。そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになりました。
迷い、悩み、煩悩に惑わされている人間が、悟りの世界と通じるときですから、暑さ寒さやそれに伴う様々なつらさも、彼岸のころには和らいで楽になると考え、励まされていたのでしょう。自然に寄り添う暮らしの中で、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉の深さが身に沁みます。
「暑さ寒さも彼岸まで」の意味と使い方・使う時期・例文
それでは、「暑さ寒さも彼岸まで」の意味と使い方・使う時期・例文をまとめてみましょう。
   意味
厳しい残暑や寒さも彼岸の頃には和らいで過ごしやすくなる、という意味。日本人の季節に対する感覚を表現しています。
   使い方・使う時期・例文
季節の移ろいの目安として、その時々の状況に合わせ<肯定><否定><期待や願望>などの使い方ができます。使う時期は、春彼岸の3月頃、秋彼岸の9月頃が多いです。
<肯定の意味>
•今年は寒さが厳しくて大変でしたが、「暑さ寒さも彼岸まで」と言うように暖かくなってきましたね。
•「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、残暑もおさまり涼しくなってまいりました。
<否定の意味>
•「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますが、今年はなかなか暖かくなりませんね。
• 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今年はまだ残暑が続きそうです。
<期待や願望の意味>
•「暑さ寒さも彼岸まで」と言うように、もうじき楽になるから頑張りましょう。
昔と比べて気候が変化しており、従来の季節感とのずれを感じることも多くなりました。暑い寒いだけではなく、上記の通り「暑さ寒さも彼岸まで」の背景にも目を向けてみてはいかがでしょうか。
 
 

 

 
 

 

●「暑さ寒さも彼岸まで」 6
「暑さ寒さも彼岸まで」とは、お彼岸にあたる春分の日や秋分の日を境に、それまでの暑さや寒さが和らいで過ごしやすくなるという意味の日本のことわざ。
仏教由来の年中行事が行われるお彼岸の頃に、ちょうど季節の変わり目がやってきて過ごしやすくなる、という趣旨のことわざ「暑さ寒さも彼岸まで」だが、単に「季節のことわざ」だけの意味合いで話しを終わらせてしまうのはちょっともったいない。
このページでは、果たして「暑さ寒さも彼岸まで」のことわざと関係性があるのか不確かだが、結び付けて考えるとちょっと興味深い仏教の法話「二河白道 にがびゃくどう」について簡単に触れてみたい。
二河白道とお彼岸
二河白道とは、浄土信仰における現世と浄土、そして極楽往生を願う信心をたとえた説法・法話。まずは下の絵図を見ていただくのが早いだろう。
西側の岸に阿弥陀仏の極楽浄土が描かれ、反対側の岸には盗賊や獣の群れが描かれている。
両岸の間には、浄土へ続く一本の細い白い道、いわゆる白道(びゃくどう)が延び、その両側には二つの河、燃え盛る熱い火の河と、冷たい水の河が逆巻いている。
火の河は怒りや憎しみ、水の河は欲に流される貪りや執着の心を表し、白道を渡る衆生が、現世の煩悩や誘惑・迷いを断ち切り、阿弥陀仏の極楽浄土へ向かってひたすらに信心を深めていく様子がたとえられている。
現世の苦しみも浄土(彼岸)まで?
さて、「暑さ寒さも彼岸まで」の話に少し絡めて説明すると、浄土信仰における彼岸(ひがん)とは、すなわち阿弥陀仏の極楽浄土を意味している。
私見だが、「暑さ寒さも彼岸まで」とは、二河白道の絵図に照らして解釈すれば、現世の煩悩・苦しみ(暑さ寒さ)も、阿弥陀仏への信心をもって白道を渡りきれば、これらの煩悩とは無縁の極楽浄土(彼岸)にたどり着けるのだという仏教的な法話として説明できるのではないだろうか?
お墓参りとお彼岸
春と秋のお彼岸シーズンの年中行事といえば、故人や祖先の墓を訪れ供養を行ういわゆる「お墓参り」が欠かせない。
お彼岸は仏教由来の伝統文化なので、お墓参りがお彼岸と結びつくこと自体にはそれほど疑問はないが、具体的にどういった理由・由来で関連付けられたのかについては、不確かな部分が少なくない。
このページでは、「お墓参り」と「お彼岸」の関係性や由来・ルーツについて、浄土信仰的な視点から大まかな解説を試みることとしたい。参考程度にお読みいただければ幸いだ。
   お彼岸と浄土信仰
「彼岸 ひがん」という語句は、浄土信仰と密接な関係にあり、「到達・達成」を意味するインドのサンスクリット語「波羅蜜」(はらみた、はらみった、パーラミター)に由来する。
「波羅蜜」は「到彼岸(とうひがん)」とも意訳されるが、この「彼岸に到達する」とは、煩悩に満ちた現世「此岸(しがん)」から、仏教的な修行や信心により、阿弥陀仏の西方極楽浄土に至ることを表している。
   西方極楽浄土とは?
大乗仏教の経典「阿弥陀経」(あみだきょう)によれば、「これより西方、十万億の仏土を過ぎて世界有り、名けて極楽と曰う」とあり、阿弥陀仏の極楽浄土、すなわち「彼岸」は「西」の方角と結び付けられている。
この西方極楽浄土(せいほうごくらくじょうど)は、宗派によって呼び方や概念は異なるが、仏教における聖域・理想の世界として考えられている。
ちなみに、お墓を建てる際、お墓の向きを東向きにすると、お墓参りの際に西を向いてお参りすることができる(浄土の方向へお参りできる)ので、西向きよりも東向きの墓地の方が人気があり値段が高い傾向にあるという。
   お彼岸に太陽は真西へ沈む
お彼岸と西方極楽浄土との関係は、天文学的なタイミングとも合致している。お彼岸は春分の日と秋分の日の前後に行われる年中行事だ。
春分の日と秋分の日(お彼岸の中日)には、太陽は真東から昇って真西に沈む。つまり、お彼岸の中日の夕陽は西方極楽浄土を指し示すことになり、そこから放たれる陽の光は、まさに阿弥陀如来の後光ともいうべき救いの光なのだ。
お彼岸の中日に夕陽を拝むことは、すなわち阿弥陀仏の西方極楽浄土を拝むことに等しい。浄土信仰の影響下にあった昔の人々にとっては、どれだけ大きなイベントであったか想像に難くない。
日本神話でも天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめとする太陽信仰は古来から日本に根付いており、「彼岸(ひがん)」という言葉自体も、「日願(ひがん)」と説明されるほどに、実は彼岸は太陽と密接に結び付いた行事であったことがうかがえる。
   浄土に近づくための寺参りと墓参り
年2回、夕陽によって西方極楽浄土が示される一大契機に、浄土信仰の諸宗では、お彼岸の中日と前後3日の合計1週間にわたり、彼岸会(ひがんえ)と呼ばれる仏事・法要が大々的に執り行われる。
信徒らはこぞってお寺へお参りし、彼岸、すなわち極楽浄土へ至るための信心を深めていった。その一環として、お寺が管理するお墓にもお参りすることになるが、このお墓参りという行為には、先祖や故人へ思いをはせると同時に、自らもやがて浄土へ至るべく、(浄土にいる)祖先らの声にお墓の前で耳を傾けるという精神的な修行の意味合いがあったと思われる。
   まとめ・結論
かつて、お彼岸という仏教的行事は、太陽が西方極楽浄土を指し示す春分の日と秋分の日に、阿弥陀仏の極楽浄土を心に思い浮かべながら拝む「日願(ひがん)」の性質をもった行事であり、一週間にわたる法要・彼岸会(ひがんえ)のために寺へ参り、浄土(彼岸)へ至るべく信心を深める浄土信仰の仏事であった。
それが明治維新以降の西欧化政策により仏教的な影響力が弱まり、一般庶民の間で西方極楽浄土に対する宗教的関心が薄れていくと、やがて浄土(彼岸)へ至るべく寺へ参り信心を深めるという行事も抜け落ち、先祖のお墓参りだけが慣習として残され、現代における一般的なお彼岸の年中行事(=お墓参り)につながっているのではないだろうか。
 
 

 

 
 

 

●「暑さ寒さも彼岸まで・暑さ忘れて陰忘る」 7
日本には夏の暑さを用いた言葉がいくつかあります。今回はその中から、本来涼しくなる、または暖かくなる時期なのにまだ暑かったり寒かったりする時に使われる慣用句「暑さ寒さも彼岸まで」と、苦労した時期にありがたかったことでも、その時期を抜けてしまえばありがたみを忘れてしまうということを例えた表現「暑さ忘れて陰忘る」の、2つの言葉の由来をご紹介します。
暑さ寒さも彼岸まで
「9月に入ってもまだ暑いが、暑さ寒さも彼岸までというくらいだからもうすぐ涼しくなるだろう」というように、本来涼しくなる、または暖かくなる時期なのにまだ暑かったり寒かったりする時に使われる慣用句です。また、この意味が転じて、「『暑さ寒さも彼岸まで』なのだから、もう少し我慢しよう」のように、今はつらくても時が経てばいずれ去っていく、という意味で使われることもあります。
彼岸とは、お墓参りへ行き先祖供養をする日、と認識している方も多いのではないでしょうか。彼岸は1年のうち春と秋に1回ずつある、昼と夜が同じ長さの雑節(ざっせつ)のひとつなのです。
彼岸は年によって変動するため、日付は固定されていません。毎年の春分の日と秋分の日をそれぞれ中日(ちゅうにち)とし、前後の3日間を含めた計7日間のことを、彼岸と呼びます。彼岸を境に季節が折り返されると考えられていて、この時期には夏の暑さや冬の寒さの目処がつくことから、「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句が生まれました。
彼岸とは、仏教における向こう岸、つまり仏様がいる世界を指しています。これに対し、私たちがいる世界のことを「此岸(しがん)」といいます。彼岸は真西、此岸は真東にあるとされていることから、昼と夜の長さが同じである彼岸は、太陽が真東からのぼり真西に沈む、彼岸と此岸が通じやすい日なのだそう。そのため、彼岸は先祖供養をする日になっているそうです。
彼岸にお墓参りをするのは日本だけといわれています。これは、この時期に自然と祖先に感謝をするという日本独自の習慣で、発祥は聖徳太子が生きたといわれる飛鳥時代までさかのぼるという説があります。
暑さ忘れて陰忘る
「低迷していた時に助けたのに、成功した途端に私のことを忘れているなんて、彼はまさに『暑さ忘れて陰忘る』そのものだ」のように使います。苦労した時期にありがたかったことでも、その時期を抜けてしまえばありがたみを忘れてしまうということを例えた表現です。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」も、同じ意味として使われます。
この慣用句は、夏の暑い時期を思い浮かべると由来がわかりやすいでしょう。真夏の暑い日に照りつける強い日差しの中で、ちょっとした日陰に入ると、涼しさを感じられてありがたい気持ちになりますよね。しかし暑さが和らぐと、日陰に入ることもほとんどなくなり、ありがたいと感じたことも忘れてしまいがちです。この慣用句は、そんな様子を人情に例えて使われています。
ちなみにこの慣用句では、「影」ではなく「陰」を用いますが、この同音の二つの漢字は意味が微妙に異なります。「影」は光が遮られてできた、光源と対になる暗い部分のこと。一方、「陰」は、日の光や雨風があたらないところという意味があり、必ずしも光と対になっているわけではありません。「陰口を叩く」のように暗いところ、隠れたところ指すこともあり、「人目につかない場所」という意味もあります。  
 
 

 

 
 

 

●彼岸花
ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である。クロンキスト体系ではユリ科。リコリス、曼珠沙華(マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ サンスクリット語 manjusaka の音写)とも呼ばれる。学名の種小名 radiata は「放射状」の意味。
全草有毒な多年生の球根性植物。散形花序で6枚の花弁が放射状につく。
道端などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるが、稀に白いものもある。その姿は独特で、夏の終わりから秋の初めにかけて、高さ30 - 50cmの枝も葉も節もない花茎が地上に突出し、その先端に包に包まれた花序が一つだけ付く。包が破れると5 - 7個前後の花が顔を出す。花は短い柄があって横を向いて開き、全体としてはすべての花が輪生状に外向きに並ぶ。花弁は長さ40mm、幅約5mmと細長く、大きく反り返る。
開花終了の後、晩秋に長さ30 - 50cmの線形の細い葉をロゼット状に出す。葉は深緑でつやがある。葉は冬中は姿が見られるが、翌春になると枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えてこない。
欧米では園芸品種が多く開発されている。園芸品種には赤のほか白、黄色の花弁をもつものがある。
日本での分布
日本には北海道から琉球列島まで見られるが、自生ではなく、中国から帰化したものと考えられる。その経緯については、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれているが、土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、畦や土手に植えたとも考えられる。また鱗茎は適切に用いれば薬になり、また水にさらしてアルカロイド毒を除去すれば救荒食にもなる。そのような有用植物としての働きを熟知して運び込まれた可能性もある。
人里に生育し、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列をなすときには花時に見事な景観をなす。湿った場所を好み、時に水で洗われて球根が露出するのが見られる。なお、山間部森林内でも見られる場合があるが、これはむしろそのような場所がかつては人里であった可能性を示す。
日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。また三倍体であるため種子で増えることができない。
有毒性
全草有毒で、特に鱗茎にアルカロイド(リコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリン等)を多く含む有毒植物。経口摂取すると吐き気や下痢を起こし、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死に至ることもある。
日本では水田の畦や墓地に多く見られるが、人為的に植えられたものと考えられている。その目的は、畦の場合はネズミ、モグラ、虫など田を荒らす動物がその鱗茎の毒を嫌って避ける(忌避)ように、墓地の場合は虫除け及び土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐためとされる。モグラは肉食のためヒガンバナに無縁という見解もあるが、エサのミミズがヒガンバナを嫌って土中に住まないためにこの草の近くにはモグラが来ないともいう。
有毒なので農産物ではなく年貢の対象外とされたため、救荒作物として田畑や墓の草取りのついでに栽培された。
鱗茎はデンプンに富む。有毒成分であるリコリンは水溶性で、長時間水に曝せば無害化が可能であるため、救飢植物として第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされたこともある。また、花が終わった秋から春先にかけては葉だけになり、その姿が食用のノビルやアサツキに似ているため、誤食してしまうケースもある。
鱗茎は石蒜(せきさん)という名の生薬であり、利尿や去痰作用があるが、有毒であるため素人が民間療法として利用するのは危険である。毒成分の一つであるガランタミンはアルツハイマー病の治療薬として利用されている。
名前
彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来する。また、「天上の花」という意味も持っており、相反するものがある(仏教の経典より)。ただし、仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」であり、ヒガンバナの外観とは似ても似つかぬものである(近縁種ナツズイセンの花は白い)。『万葉集』にみえる「いちしの花」を彼岸花とする説もある(「路のべの壱師の花の灼然く人皆知りぬ我が恋妻は」、11・2480)。また、毒を抜いて非常食とすることもあるので悲願の花という解釈もある(ただし、食用は一般的には危険である)。
異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもあるが、反対に「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。日本での別名・方言は千以上が知られている。
「花と葉が同時に出ることはない」という特徴から、日本では「葉見ず花見ず」とも言われる。韓国では、ナツズイセン(夏水仙)を、花と葉が同時に出ないことから「葉は花を思い、花は葉を思う」という意味で「相思華」と呼ぶが、同じ特徴をもつ彼岸花も相思花と呼ぶことが多い。
学名のLycoris(リコリス)は、ギリシャ神話の女神・海の精であるネレイドの一人 Lycorias からとられた。
その他
季語・花言葉 / 秋の季語。花言葉は「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」「転生」。「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」。
迷信 / 花の形が燃え盛る炎のように見えることから、家に持って帰ると火事になると言われる。
日本におけるヒガンバナの名所
埼玉県日高市にある巾着田 : ヒガンバナの名所として知られる。500万本のヒガンバナが咲く。巾着田の最寄り駅である西武池袋線高麗駅に多数の臨時列車が停車したり、彼岸花のヘッドマークをあしらった列車を運行したりする。
神奈川県伊勢原市にある日向薬師付近 : 100万本のヒガンバナが咲く。
愛知県半田市の矢勝川の堤防 : 100万本のヒガンバナが咲く。一説には200万本とも。近くに新美南吉記念館があり、新美南吉作『ごんぎつね』の舞台として有名である。
岐阜県海津市の津屋川の土手 : 3kmにわたり10万本のヒガンバナが自生する。
広島県三次市吉舎町辻の馬洗川沿い : 第12回広島県景観会議「景観づくり大賞」の「地域活動の部」で最優秀賞を受賞。また、講談社『週刊 花百科2004.9.16号』で、ヒガンバナの名所全国ベスト10に選ばれた。
長崎県大村市の鉢巻山展望台 : 360度の眺望が広がる鉢巻山の山頂に、100万本のヒガンバナ群落が咲く。期間中、鉢巻山彼岸花祭りが開催されている。
埼玉県横瀬町にある寺坂棚田 : 棚田の畦に100万本のヒガンバナが咲く。横瀬町のシンボル武甲山と黄金の稲穂のコントラストが美しい。西武秩父線横瀬駅より徒歩15分。
相思華(そうしばな)
または「相思花」。彼岸花の異称。秋の季語。
彼岸花ほど異称の多い花も少ないのではないでしょうか。
その名前を拾ってみると、彼岸花・死人花(しびとばな)・天蓋花(てんがいばな)・幽霊花(ゆうれいばな)・捨子花(すてごばな)・狐花(きつねばな)・三昧花(さんまいばな)・曼珠沙華(まんじゅしゃげ)・相思華(そうしばな)。
これだけあれば、幾つかは聞いたことがある名が有りますね。本日取り上げた「相思華」もそうした名前の一つ。
この花は、秋の彼岸の頃に咲き始める強烈な赤色をした花で、あたり一面を埋め尽くすように群生する花です。その季節性と特徴的な姿と色から強烈な印象を与える花です。日本においては、お墓で見かけることの多い花でもあるためか、お墓や死人と結びついたちょっと不気味な名前が多いようです。
こうなってしまった理由は、この植物が有毒であることが関係しています。この花は花から茎、地下の球根に至までリコリンという有毒成分を含む猛毒の植物です。昔、土葬が一般的な埋葬方法であった時代、遺体を野犬などが掘り起こして傷めることを防ぐため、周囲にこの有毒植物を植えて守ったことから、墓地に多い花として墓地や死人と結びついてしまったようです。
田の畦や水路の土手などに多く生えるのも同じく、この毒によってもぐらなどが土手を崩してしまうことを防ぐために植えられたと考えられます。毒も使いようで役に立つという見本のようですね。
役に立ちながら、日本においてはあまりありがたくない名前を頂戴するこの花ですが、お隣韓国では「相思華」と呼ばれます。この呼び名が日本にも及んで「そうしばな」となりました。
相思華という名はこの植物の特殊な成長の様子から来ています。彼岸花の咲いている風景を思い出してください。真っ赤な花が一面を覆う風景の中に、なぜか葉の姿が有りません。この植物は花が咲くときには葉が出ておらず、葉が出る頃には花が散ってしまう不思議な植物なのです。
普通の植物ではあたりまえの花と葉ですが、この植物にあっては花と葉はすれ違い。同じ根から発しているにもかかわらず花と葉はお互いを見ることが出来ないのです。
葉は花を思い、花は葉を思う
お互いを見ることの出来ない花と葉がお互いを想い合うだけ。なんだか悲恋を連想させます。そう考えるとあの強烈な花の色も、毒々しいものではなく、思いの強さを伝えるものに思えてきます。名前一つで印象が変わります。
どこかで彼岸花を見かけることがあったら、そのときにはこの花のもう一つの名前、「相思華」を思い出し、そしてこの花を見直してみてください。 
ジャンボンバナ / 彼岸花はなぜ嫌われた?  
秋になると彼岸花が、田んぼのあぜや墓地などに真っ赤な花を咲かせます。ちょうど彼岸頃に咲くので彼岸花という名がつけられました。江戸時代以前には彼岸花という言い方はなく、インドの古いことば(梵語)の曼珠沙華を使っていました。日本にはマンシュシャカとして伝わりましたが、それがなまって「まんじゅしゃげ」になりました。赤い花という意味です。だが「まんじゅしゃげ」という共通語が全国的に普及する頃には、日本の各地でいろいろな名前(方言名)がつけられていました。死人花とか、幽霊花とか、仏花など縁起でもないことばや奇妙なことばが、千種以上もつくられました。聞いただけでも身震いがするといって、この花は毛嫌いされるようになりました。赤くて美しい花であっても、みんなから嫌われ、田んぼのあぜ道に咲いている彼岸花を見て楽しもうなどという人はいませんでした。
佐野では彼岸花を、昔からジャンボンバナと呼んでいました。今でもそう呼んでいる人が大勢います。ところで葬式のときにたたいて鳴らす鉦の音「ジャンボン」は、葬式の意に転じてしまいました。葬式のときに出す大きな葬式饅頭は、ジャンボン饅頭とよばれるようになり、かつて子どもたちは、それをもらって食べるのを楽しみにしていました。 
天上の花
竹の花、笹の花を「泥食い」といいます。おおよそ六十年に一度、竹や笹はその寿命の尽きるときに花を咲かせ、実を持ちます。その突然降って沸いた餌に、山のネズミは狂喜乱舞。イネ科の竹や笹の実は栄養価が高く、つまりその一大饗宴の後は、当然の結果としてのネズミの大発生となるわけです。
山のように生まれたネズミの子供たちに、餌はありません。ネズミたちは木の根をかじり、草をかじり、餌を求めて里に降りてきて、人間の食料をあさります。竹や笹の花が飢饉のときとかち合いでもしようものなら、人とネズミで残された餌の奪い合い。凶暴になったネズミは、人を襲うこともあったといいます。
かくしてすっかり食べるもののなくなった人々は泥を食う。竹や笹の花が「泥食い」といわれるゆえんです。
そんなネズミでも毒のあるものは食べません。例えば馬が酔う木と書く馬酔木(あせび)。ネズミと比べてはるかに大きな馬が、葉っぱを食べただけで酔ったようになるのですから、ネズミなどいちころ。若い木の多い林に、樹齢の高いアセビがあるのは、アセビが自身の毒のおかげで「泥食い」のときの被害を免れたからなのです。
動物のその鋭敏な感覚を逆手にとって、ご先祖様を祀る大事な墓を守るために、その周りに植えたのが彼岸花です。彼岸花にも毒があって、そのおかげで、ネズミやモグラに墓を荒らされることがなかったのだといいます。
その墓の印象があるからでしょうか、彼岸花には「死人花」とか「地獄花」とかいった、不吉な名前がつけられています。確かに彼岸花の赤は、血の赤のようにも見えますし、死肉を食らった毒々しさと見えなくもありません。しかし墓と結びつけさえしなければなにやら不思議な雰囲気を持った美しい花。それに彼岸花の球根には澱粉がたくさん含まれていて、水にさわせば十分に食用になる。「泥食い」のとき、ネズミに食べられずに最後に残った彼岸花は、人々にとって「天上の花(彼岸花の別名曼珠沙華は、サンスクリット語で天上の花のこと)」。仏様が下された、命をつなぐ最後の食料になったのかもしれません。
浅川マキの歌に、「悲しい恋なら何の花、真っ赤な港の彼岸花」という歌詞の歌があります。若いころ、本当に悲しい恋など知らずに歌っていた彼岸花の歌。では今なら悲しい恋の歌が歌えるかといえば。うーん。 
 
 

 

 
 

 

●彼岸花の花言葉
「情熱」 「独立」 「再会」 「あきらめ」 「転生」 「悲しい思い出」 「思うはあなた一人」 「また会う日を楽しみに」
色別の花言葉
白色 「思うはあなた一人」 「また会う日を楽しみに」
赤色 「情熱」 「独立」 「再開」 「あきらめ」 「悲しい思い出」 「思うはあなた一人」
      「また会う日を楽しみに」 
黄色 「追想」 「深い思いやりの心」 「悲しい思い出」

彼岸花は、その印象的な赤い花色から「情熱」「思うのはあなた一人」といった花言葉が生まれたといわれています。しかし、彼岸花の花は死や不吉なイメージの方が強いですよね。それは、「彼岸花を家に持ち帰ると火事になる」「彼岸花を摘むと死人がでる」「彼岸花を摘むと手が腐る」という3つの恐ろしい迷信があるためです。これらは、花色や花姿が炎を連想させることと、彼岸花のもつ毒によるものとされています。決して怖い花言葉をもっているわけではないのですが、死や不吉な印象があることから贈り物として用いられることはほとんどありません。
 
 

 

 
 

 

●彼岸花の別名
別名 
   彼岸花 (ひがんばな)
   曼珠沙華 (まんじゅしゃげ/まんじゅしゃか)
      [ サンスクリット語で「天上に咲く花」の意味 ]
   死人花 (しびとばな)
   地獄花 (じごくばな)
   幽霊花 (ゆうれいばな)
   剃刀花 (かみそりばな)
   狐花 (きつねばな)
   捨子花 (すてごばな)
   毒花 (どくばな)
   痺れ花 (しびればな)
   天蓋花 (てんがいばな)
   狐の松明 (きつねのたいまつ)
   狐花 (きつねばな)
   葉見ず花見ず (はみずはなみず)
   雷花 (かみなりばな)
   三昧花(さんまいばな)
   相思華(そうしばな)
   レッドスパイダーリリー
   ハリケーンリリー
   マジックリリー
   リコリス
      [ ギリシャ神話の中に登場する海の女神リュコリス(Lycoris)に由来する ]
学名 Lycoris Radiata
   科・属名 ヒガンバナ科・ヒガンバナ属
   英名 Spider lily
   原産地 日本、中国
開花期 7〜10月(原種は9月)
花の色 赤、白、ピンク、黄、クリームなど
 
 

 

 
 

 

●彼岸花と曼珠沙華 

 

ひつじ田の畦の景色の彼岸花
あかつきは白露づくし 彼岸花
あち向いてどの子も帰る曼珠沙華
あはれ来て野には咏へり曼珠沙華
あまつさえ威銃 火の彼岸花
ありふれし明日来るならひ曼珠沙華
いつせいに散るときなきか曼珠沙華
いつぽんのまんじゆしやげ見ししあはせに
いつまで生きる曼珠沙華咲き出した 01
   いとしみ綴る日本の言葉曼珠沙華
   いとどしき朱や折れたる曼珠沙華
   うつりきてお彼岸花の花ざかり
   おづおづと出て曼珠沙華野を走る
   おのおのの紅つらならず曼珠沙華
   おのれにこもればまへもうしろもまんじゆさげ
   お前さん どこへ行くんじや 彼岸花
   お彼岸のお彼岸花をみほとけに
   お針子を姉と慕いし 彼岸花
   かたかたは花そば白し曼珠沙花 02
かなしくてからまる蘂の曼珠沙華
かなしとや見猿のためにまんじゆさげ
かへり観れば行けよ行けよと曼珠沙華
きざみ藁飛び来て曼珠沙華疲れ
くれなゐの冠いただき曼珠沙華
けふの野にはじめて鵙と曼珠沙華
けぶらしめ消えしめ今日の曼珠沙華
ここを墓場とし曼珠沙華燃ゆる
こと欠かぬ鬼火 大江の彼岸花
この世ともあの世とも曼珠沙華の中 03
   この畦のここを繁華に曼珠沙華
   この道や中将姫の彼岸花
   これとても盛ありけりまんじゆさげ
   こんこんと水も土より曼珠沙華
   こんもりと家が隠れて曼珠沙華
   さきがけをゆるさぬ畦の曼珠沙華
   さきほどの陽が総退場 彼岸花
   さみどりの直き茎よし曼珠沙華
   さる寺の煤け杉戸の曼珠沙華
   じゅずだまの小道盡きたり曼珠沙華 04
すがれたる曼珠沙華など見て行きしか
すれちがふ顔昏れてをり曼珠沙華
そのあたり似た草もなし曼珠沙花
たがへずに曼珠沙華咲き草の庵
たたずめばわがかげに燃え曼珠沙華
たちまちに鎌のとばせる曼珠沙華
たはやすく世の終りいふ曼珠沙華
ためらはでゆくさきざきの曼珠沙華
だしぬけに咲かねばならぬ曼珠沙華
ちゝはゝの俄かに恋し曼珠沙華 05
   つきぬけて天上の紺曼珠沙華
   つはものの命は消ぬる曼珠沙華
   どこもかも衝突ばかり曼珠沙華
   どつと咲き而して褪せ曼珠沙華
   どの道も墓地へあつまる 彼岸花
   なかなか死ねない彼岸花さく
   はやすがれゐて貧農の曼珠沙華
   ひしひしと立つや墓場のまん珠さけ
   ひよつと葉は牛が喰ふたか曼珠沙花
   ひらがなの蘂ちらし書き曼珠沙華 06
ふるさとの曼珠沙華今も同じ道
まことお彼岸入の彼岸花
また来れば画家亡くまんじゆさげも失す
まつさをな曼珠沙華見し真夜の底
まどはしの日が雨にさす曼珠沙華
まなうらに薄明の渦曼珠沙華
まんじゅしゃげ 墓地にて開ける法衣函
まんじゆさげうすきねむりをもてあそぶ
まんじゆさげばかりの旅の落つかず
まんじゆさげ一茎一花夜が離れ 07
   まんじゆさげ夕べのひかりとなりて失す
   まんじゆさげ夕日長者の沼炎ゆる
   まんじゆさげ失せて行方もしれぬかな
   まんじゆさげ安静あけて余生感
   まんじゆさげ暮れてそのさきもう見えぬ
   まんじゆさげ月なき夜も蘂ひろぐ
   まんじゆさげ波郷の南療図書館に
   まんじゆさげ白はままつこ一つ咲き
   まんじゆさげ釈放人を待てる群
   まんじゆさげ雲の間より日の柱 08
まんじゆしやげこの一群は倒れたり
まんじゆしやげ亡びのこゑをつらねたる
まんじゆしやげ仮名にて書けばはかなさよ
まんじゆしやげ刈られて蟇が手をつけり
まんじゆしやげ希臘の聖火道それず
まんじゆしやげ揚羽が翅をたたみかけ
まんじゆしやげ盗むを許せ八重葎
まんじゆしやげ花を了れる旗竿を
まんじゆしやげ鴉つぎつぎ腹かすめて
みだれては蘂ねぶりあひ曼珠沙華 09
   むらがりて一つのこゑの曼珠沙華
   もはや手が付けられぬ火の 彼岸花
   ゆき過ぎて振向く花や曼珠沙華
   ゆく水に映え曼珠沙華日々腐つ
   わが室に相應はば相應へ曼珠沙華
   わが家の白曼珠沙華遂に絶ゆ
   われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華
   われも亦掻き消えたしや彼岸花
   コンと咳 コンコンと咳 彼岸花
   トンネルの口や孤独の曼珠沙華 10  

 

一と群の死活まざまざ 彼岸花
一夜にて 火の手のあがる 彼岸花
一徹に並びて咲ける曼珠沙華
一抹の澄気が通る曼珠沙華
一本の火の畦となる曼珠沙華
一茎の紅露につづく曼珠沙華
七草を見は見たれども 彼岸花
万屋の電池買占め 彼岸花
三日はや一尺五寸曼珠沙華
三鬼亡し川にたむろす曼珠沙華 11
   上堤裏に墓四五そして曼珠沙華
   不意といふこと怖しく曼珠沙華
   九十九里の一天曇り曼珠沙華
   乱費にも似るお灯明 彼岸花
   亀石に踏まれて曼珠沙華の反り
   二も三も素木の鳥居 彼岸花
   二列の曼珠沙華路行方知らず
   二十歳の日と同じ紅曼珠沙華
   二里足らぬ道に飽きけり曼珠沙華
   五慾とも五衰とも見え曼珠沙華 12
人を泣かせ己も泣いて曼珠沙華
人来ては去り来ては去り曼珠沙華
人混みを手に燃やし過ぐ曼珠沙華
今年も豊年の花曼珠沙華
今朝すべて踏まれてありぬ曼珠沙華
今生の闇凛々と曼珠沙華
仮の世に生き白曼珠沙華に遇ふ
何よりも曼珠沙華咲く頃待たる
何故にあるのか白の曼珠沙華
何故に在るのか白の曼珠沙華 13
   佛足に一本の曼珠沙華を横たふ
   供へまつるお彼岸のお彼岸花のよろしさ
   偶像の裏そっけなく曼珠沙華
   偶像の裏そつけなく曼珠沙華
   傘さげて使ひあるきや曼珠沙華
   僧房へ少し山路や曼珠沙華
   僻地教師に 褪せて完璧 彼岸花
   入鹿首塚蘂ゆすりゐる曼珠沙華
   共に立つ朱塗鉄筋曼珠沙華
   凝燃と曼珠沙華群雨に堪ふ 14
処得て 賽の川原の 彼岸花
刈られたる試歩のしるべの曼珠沙華
初鵙の一と鳴きに群れ曼珠沙華
刻を逸せず流れ去る水曼珠沙華
前の世に来りし家か曼珠沙華
勧請の女縄(めなは)を宙に曼珠沙華
包帯を干す眩しさの 彼岸花
北鎌倉駅今朝よりの曼珠沙華
十二橋の一橋くぐりまんじゆさげ
十団子の珠のくもりや曼珠沙華 15
   十字架祭まんじゆしやげまだ咲ききらず
   十茎の一茎横斜曼珠沙華
   千手ことごとくくれなゐ曼珠沙華
   半鐘を誰も鳴らさず 彼岸花
   卒然と想起して野の曼珠沙華
   南無大師白に変化し彼岸花
   南面のやや西よりに曼珠沙華
   取巻かれ取巻き竹と曼珠沙華
   叢やきよろりとしたる曼珠沙花
   古塚や誰が細工の曼珠沙花 16
古戦場昼の篝と曼珠沙華
吉備の国空寂とあり曼珠沙華
吉野の冬著莪の崖曼珠沙華の崖
名月や蕾あげたる曼珠沙華
吹上の茶屋はとざせり曼珠沙華
吾が影に容れて四五本彼岸花
吾なしに夫ゐる曼珠沙華を流す
命とは蘂噴き上げし曼珠沙華
和服著てこたびは曼珠沙華の旅
咲いてより広き空享く曼珠沙華 17
   咲き縺れあふ曼珠沙華世阿弥の地
   咲く前はかならず雨や彼岸花
   咳けば目に曼珠沙華来てそこに燃え
   噴出の曼珠沙華より庭の秋
   四十路さながら雲多き午後曼珠沙華
   四方へ地がひろい曼珠沙華咲いたひとむら
   四方より馳せくる畦の曼珠沙華
   四本五本はてはものうし曼珠沙華
   回想がちにまんじゆさげまた群がるよ
   国守に 赤を乱費の 彼岸花 18
土をでて茎透とほる曼珠沙華
土をぬくとき薄紅のまんじゆしやげ
土を出て恋の無念を曼珠沙華
土佐はいま曼珠沙華國遍路行く
土堤刈つてより二日目の曼珠沙華
土着してしまふはかなし曼珠沙華
地の神の挿してまはりし曼珠沙華
地球儀の 日本の赤の 彼岸花
地雷死のキャパを偲べと 彼岸花
坂東の先はえみしや曼珠沙華 19
   堰の水けさしろがねに曼珠沙華
   境内の植込にあな曼珠沙華
   墓となりぬはしやぎだす曼珠沙華
   墓原の曼珠沙華そこへ行かむとす
   墓山に汝も累代曼珠沙華
   声をはばかる人ありて曼珠沙華
   夕びとのかげの去りゆく曼珠沙華
   夕方は遠くの曼珠沙華が見ゆ
   夜の底に虫の生れつぐ曼珠沙華
   夜へつづく雲の量感曼珠沙華 20  

 

大多摩のひとゝこ遅き曼珠沙華
大日仏(だいにち)を硝子籠めにし 彼岸花
大木にはじめての斧曼珠沙華
大足を老いても頼む 彼岸花
天つ日や臥牛に炎ゆる曼珠沙華
天の紅うつろひやすし曼珠沙華
天も待つ初の一茎曼珠沙華
天上へ赤消え去りし曼珠沙華
天国(ハライソ)は知る人ばかり曼珠沙華
天道のあと 月道の 彼岸花 21
   天龍の分水を研ぐ曼珠沙華
   太股に肉戻りたる曼珠沙華
   奈良に見てけふは伊勢路に曼珠沙華
   女の眼拗ねて見ざりし曼珠沙華
   女三人の無言の昏み曼珠沙華
   女子大は白曼珠沙華紅曼珠沙華
   女立ち曼珠沙華立ちけぶりたつ
   妻のゐる彼岸も近し曼珠沙華
   妻の流せし血ほどに曼珠沙華咲かず
   妻子ある故に狂わず 彼岸花 22
妻帰りつつあらむ雨天の曼珠沙華
妻病める家や遽かに曼珠沙華
威し銃鳴るたび紅し曼珠沙華
子供等の声も赤らむ曼珠沙華
安房は山の砂無蓋車に彼岸花
寂光といふあらば見せよ曼珠沙華
寺坂に海が夕づく曼珠沙華
寺道の凹んでをりし彼岸花
対岸の火として眺む曼珠沙華
対岸は今燃えどきの曼珠沙華 23
   居ながらに曼珠沙華咲く崖見ゆる
   屠牛場へ道曲りをり彼岸花
   山へ行く道をふさぎて曼珠沙華
   山墓にあたらしき露曼珠沙華
   山墓に午後もうるほふ曼珠沙華
   山道を降り来て曼珠沙華の道
   山雀のこゑの真近き曼珠沙華
   山麓声なくて初曼珠沙華
   岩戸から 今しもの日矢 彼岸花
   島中を随いてまはれる曼珠沙華 24
崖一面曼珠沙華の葉梅咲けり
嶺かけてひかり満つ野の曼珠沙華
川沿や芒が中の曼珠沙華
川波の高ければこそ曼珠沙華
巨石一つ据ゑて離宮の曼珠沙華
市終るすこしも売れぬ曼珠沙華
師より享く曼珠沙華の句夢さめぬ
幻の柩野をゆく曼珠沙華
幻の町に入つても曼珠沙華
幻花とは今日かげもなき曼珠沙華 25
   幼なにも秘めごとあそび 彼岸花
   幾年も見しかど今の曼珠沙華
   広島へ帰る児のあり彼岸花
   座席得て手に取る如く曼珠沙華
   庭にすがれ野にすがれゆく曼珠沙華
   庭古くおのづから藪曼珠沙華
   廃坑直前の殉職曼珠沙華
   弁当に酢の香立ちたる曼珠沙華
   張る蕋に 日がな機音 彼岸花
   彼岸入り四国の白い曼珠沙華 26
彼岸花 このまま往けば 黄泉の国
彼岸花 城壁に隙あらばこそ
彼岸花 帰山仁王は白布ぐるみ
彼岸花 平成元年 初点火
彼岸花 彼岸花 番水時計ないがしろ
彼岸花 性別ありて世は面白
彼岸花 撮るも 詠うも 夢うつつ
彼岸花 父母への仏事怠るとは
彼岸花 牛も好奇の顔寄せ来る
彼岸花 蕾残すは一茎のみ 27
   彼岸花 蝶あたふたと あたふたと
   彼岸花 迷い鴎に火の海ぞ
   彼岸花かざす韋駄天 鬼の山
   彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり
   彼岸花つんつん咲くも島育ち
   彼岸花ばかりを撮って 百歩ほど
   彼岸花もつて乗りけり稲舟に
   彼岸花彼の岸よりぞ飛来せし
   彼岸花心中などとは 絵空ごと
   彼岸花数珠玉はまだ青くして 28
彼岸花父の病を母嗣ぎき
径まがりまがりて曼珠沙華に厭く
忽焉と父になりけり曼珠沙華
思ひ合すものゝ少き曼珠沙華
性こりもなく今年また曼珠沙華
恋の夢獏に食はさじ曼珠沙華
恍惚は不安のごとく曼珠沙華
悉く鎬削る火 彼岸花
悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる
愁ひつゝ旅の日数や曼珠沙華 29
   我を愛せとバラ我を殺せとまんじゅしゃげ
   我在る限り故友が咲かす彼岸花
   戦友の碑へ 火線成す 彼岸花
   戦無派の 黒髪の丈 彼岸花
   手のとどくむなしさありぬ曼珠沙華
   折る前に 折る音のして 彼岸花
   抜きん出るとは汝のこと 彼岸花
   抱かるべき茎柔軟に曼珠沙華
   捨てきれぬものにふるさと曼珠沙華
   捨子花顔仰向くるあはれなり 30  

 

故里のどの畦行かむ曼珠沙華
旅の日のいつまで暑き彼岸花
日が没りて道のせかるゝ曼珠沙華
日の落る野中の丘や曼珠沙華
日は天心花冠おごそか曼珠沙華
日向路の咲けば列なす曼珠沙華
日当れば磧さみしき曼珠沙華
日日海を見つつ眼に欲る曼珠沙華
日輪の寂と渡りぬ曼珠沙華
昇天の讃美歌うたふ曼珠沙華 31
   昇天の鳶に真冬の曼珠沙華
   明らかに泣く背の女 彼岸花
   明るさも暗さ人待つ曼珠沙華
   明界のあと 幽界の 彼岸花
   昏くして雨ふりかかる曼珠沙華
   昨日蘇州 今日摂州の 彼岸花
   昨日見てけふ曼珠沙華みあたらず
   昼の夢あかきはまんじゆさげなりし
   昼酒の鬼の踊りし曼珠沙華
   昼間から酔うたり雨の曼珠沙華 32
晩年や小脱に憑かる曼珠沙華
普門品一夜に曼珠沙華が咲き
暦日に違約はなくて 彼岸花
暮色濃い不動に 火支度まんじゅしゃげ
曇り日は眼しづかに曼珠沙華
曼珠沙花郷居の叔父を訪ふ道に
曼珠沙花野暮な親父の墓の前
曼珠沙華 けふも脈(なみ)うつ山河や
曼珠沙華「末期の眼」こそ燃ゆる筈を
曼珠沙華あしたは白き露が凝る 33
   曼珠沙華あたりに他の花寄せず
   曼珠沙華あまた見て又血を減らす
   曼珠沙華いづこも川の波いそぐ
   曼珠沙華うしろ向いても曼珠沙華
   曼珠沙華うせてより野は臥しやすき
   曼珠沙華うち折るらしきうしろかげ
   曼珠沙華おくれたる一本も咲く
   曼珠沙華かかる憶ひ出兵にみな
   曼珠沙華かくかたまれば地の劫火
   曼珠沙華かたまり咲くや北国路 34
曼珠沙華かたみに朱を奪ひあひ
曼珠沙華かなしきさまも京の郊
曼珠沙華かな女の手なるかさねの碑
曼珠沙華からむ蘂より指をぬく
曼珠沙華きのふの赤を忘れたる
曼珠沙華くもりたる日はつつましく
曼珠沙華けふは旅なる吾にもゆ
曼珠沙華けふ衰へぬ花をこぞり
曼珠沙華ここにもありぬありそめて
曼珠沙華ここにも咲ける古刹かな 35
   曼珠沙華ここ夕映えの日が見たし
   曼珠沙華この世の出水絶ゆるなき
   曼珠沙華この群れたがるものの朱
   曼珠沙華しどろに春の闌けてゆく
   曼珠沙華じっとりと垂れ少女の掌
   曼珠沙華すがれて夕日さそひけり
   曼珠沙華すがれて花の老舗たり
   曼珠沙華すつくと系譜絶ゆるべし
   曼珠沙華その呱々の声聞きたしや
   曼珠沙華そろひ傾く水の上 36
曼珠沙華たじろぎて茎のぼりけり
曼珠沙華つき挿す水の少なし
曼珠沙華つつがなかりし門を出づ
曼珠沙華つなぎ合せてレイとせる
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
曼珠沙華にあやされ幼な仏かな
曼珠沙華にも背高の名を付ける
曼珠沙華にも陣備ありにけり
曼珠沙華に彳つわびしさを娘も持ち初め
曼珠沙華に鞭うたれたり夢さむる 37
   曼珠沙華のこして陸が海に入る
   曼珠沙華の一茎枯れしよりの冷
   曼珠沙華の炎へ蝶が死にに来る
   曼珠沙華の葉をぬらしたる粉雪かな
   曼珠沙華の隙なき構へ根より抜く
   曼珠沙華はふりのけぶり地よりたつ
   曼珠沙華ひそかに死者のはなしごゑ
   曼珠沙華ひとむら炎えて落人村
   曼珠沙華ひとりが踏んで径なす
   曼珠沙華ふれあふ蘂と蘂の惨 38
曼珠沙華ほつりと赤し道の辺に
曼珠沙華ほろび我立つ崖の上
曼珠沙華ぽつぽと咲いて寺幟
曼珠沙華まだ咲かぬかと見に出でし
曼珠沙華まつ赤にくらし海のほとり
曼珠沙華までの空気の冷えてゐし
曼珠沙華みとりの妻として生きる
曼珠沙華みな山に消え夜の雨
曼珠沙華むざと折らねばならぬかに
曼珠沙華もう数へねば花消えよ 39
   曼珠沙華もつれる蘂の中けむる
   曼珠沙華もろ手をあげて故郷なり
   曼珠沙華やうやく枯れて夏立てり
   曼珠沙華より沖までの浪激し
   曼珠沙華わが去りしあと消ゆるべし
   曼珠沙華わが庭に咲く人が見る
   曼珠沙華わなわな蘂をほどきけり
   曼珠沙華カメラ放列宥しけり
   曼珠沙華レンブラント呆け生魚喰ふや
   曼珠沙華一ひらの雲魔のごとし 40  

 

曼珠沙華一枚の藪枯れつくす
曼珠沙華一火が飛んで萱原に
曼珠沙華一茎の蕊照る翳る
曼珠沙華三界火宅美しき
曼珠沙華並列し又割拠して
曼珠沙華乙字門葉今いづこ
曼珠沙華人ごゑに影なかりけり
曼珠沙華人来て晩年と言へり
曼珠沙華今年の秋も曲りなし
曼珠沙華今朝出頭す二寸かな 41
   曼珠沙華仏は首失はれ
   曼珠沙華伽藍の階に咲きくだつ
   曼珠沙華何本消えてしまひしや
   曼珠沙華俄かに畦の高くなり
   曼珠沙華入日の中に燠となり
   曼珠沙華冬葉あをあを法隆寺
   曼珠沙華十四五本も生けたらむ
   曼珠沙華十字架を斬るキリスト像
   曼珠沙華卍の旗をいまはおろす
   曼珠沙華南国の出に田が親し 42
曼珠沙華南面十日王者待つ
曼珠沙華印結ぶ指ほどきけり
曼珠沙華名もなき野川海に入る
曼珠沙華周りの空気いつも透く
曼珠沙華咲いてまつくれなゐの秋
曼珠沙華咲きしも見しも束の間や
曼珠沙華咲きそめし紅ほのかにて
曼珠沙華咲きて口上ありさうな
曼珠沙華咲きて日記をまた書き出す
曼珠沙華咲きて金魚の褪せにけり 43
   曼珠沙華咲き絶ぬなり旱雲
   曼珠沙華咲き親不知歯痛み出す
   曼珠沙華咲くとつぶやきひとり堪ゆ
   曼珠沙華咲くとも病躯身動がず
   曼珠沙華咲くほか何も無きところ
   曼珠沙華咲く方へ〜行く
   曼珠沙華咲く水湖へ流れ込む
   曼珠沙華咲けば悲願の如く折る
   曼珠沙華咲けりいくさの場を思ふ
   曼珠沙華咲けり農薬にも減らず 44
曼珠沙華咲けるわが家に旅終る
曼珠沙華咲ける泉も雲の中
曼珠沙華噴き出で逃げ場なき齢
曼珠沙華地下に束ね持つ手あるかに
曼珠沙華地下に血脈あるごとし
曼珠沙華地主の竈燃えゐたり
曼珠沙華地獄の道の軟らかに
曼珠沙華地蔵は影の人にも似
曼珠沙華多しこの寺絵巻めく
曼珠沙華大学生を学に誘ひ 45
   曼珠沙華大川に橋突と見ゆ
   曼珠沙華大路の際にあはれなり
   曼珠沙華天のかぎりを青充たす
   曼珠沙華天のよろこび地に降れば
   曼珠沙華天を望まず地に触れず
   曼珠沙華天皇誕生の歌忘る
   曼珠沙華天降り来りし黒揚羽
   曼珠沙華子のかどはかしなどなくなれ
   曼珠沙華季節は深く照りとほる
   曼珠沙華安心の葉の出でにけり 46
曼珠沙華尽の白を鵙囃す
曼珠沙華山塊ひとつづつ目覚め
曼珠沙華山家は馬のかがやけり
曼珠沙華山脈青く泛かびけり
曼珠沙華峯にかたまり曇り濃し
曼珠沙華川の激する岩もなく
曼珠沙華幼き頃の畷の木
曼珠沙華庭に咲かせて南無阿禰陀
曼珠沙華忌日の入日とどまらず
曼珠沙華忘れし頃に後の月 47
   曼珠沙華忘れゐるとも野に赤し
   曼珠沙華恙なく紅褪せつつあり
   曼珠沙華折れ易し子の声変り
   曼珠沙華抱くほどとれど母恋し
   曼珠沙華捨犬の脚休まずに
   曼珠沙華描かばや金泥もて繊く
   曼珠沙華故人も木がくれ草がくれ
   曼珠沙華故里の野へ愛の鐘
   曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて
   曼珠沙華旅に果てたる馬の墓 48
曼珠沙華旗竿ばかり青く立つ
曼珠沙華日はじりじりと襟を灼く
曼珠沙華日本武の征きし国
曼珠沙華日焼けて網を肩にせる
曼珠沙華日輪すこし海に寄る
曼珠沙華昏れて波音残しけり
曼珠沙華映せり最上川の情
曼珠沙華昼見て夜のけものたち
曼珠沙華智慧の泉の澄むところ
曼珠沙華暮れていつまで青堤 49
   曼珠沙華曼珠沙華とはなりきれず
   曼珠沙華最も赤し陸の果
   曼珠沙華最も遠く思ひ出す
   曼珠沙華最も青く年立ちぬ
   曼珠沙華月光のほか纒ふなし
   曼珠沙華朝戸くる妻衰へり
   曼珠沙華木椅子は雨に濡れはやし
   曼珠沙華朽ち果てし溝存在す
   曼珠沙華松の林を笑ひ出て
   曼珠沙華構も墓も崖に拠る 50  

 

曼珠沙華武器のごとくに倒れ腐ちて
曼珠沙華汝の好きな土堤に咲く
曼珠沙華汝れが才華もうとましや
曼珠沙華池中の魚藍観音に
曼珠沙華河口にちかき川流る
曼珠沙華波海上に飜るなし
曼珠沙華波郷に遣らむ友二にも
曼珠沙華泣かぬ少女の嫌はるる
曼珠沙華泣きたい人を泣かせ置く
曼珠沙華泣き出でし子を負ひすかし 51
   曼珠沙華洗ひざらしの空にして
   曼珠沙華海が聞えずなりゆけり
   曼珠沙華海なき国をいでず住む
   曼珠沙華海は怒濤となりて寄る
   曼珠沙華消えたる茎のならびけり
   曼珠沙華消えてしまひし野面かな
   曼珠沙華消えゆくものの如く消ゆ
   曼珠沙華消え果てて墓寧からむ
   曼珠沙華淡路一芸興すべし
   曼珠沙華漁夫過ぎてより昏れ果てぬ 52
曼珠沙華漆黒の蝶つゆ吸へり
曼珠沙華濡るれば濡るる野の烏
曼珠沙華火宅めがけて消防車
曼珠沙華灯消えゆく避暑の家
曼珠沙華炎のすがれゆく青衣囚
曼珠沙華烏瓜また猫の話
曼珠沙華無月の客に踏れけり
曼珠沙華燃えはてし野の水澄めり
曼珠沙華猫みつめ犬素通りす
曼珠沙華獣骨舎利を置く磧 53
   曼珠沙華現れてもの遠くなる
   曼珠沙華田を驚かす音もなく
   曼珠沙華男根担ぎ来て祀る
   曼珠沙華町へと畷塗りつぶし
   曼珠沙華畦を衂りて古蹟たり
   曼珠沙華発するまへの土の声
   曼珠沙華白雲とほり易くせり
   曼珠沙華盛りをすぎて雨ざんざ
   曼珠沙華目的地まで暮るるなかれ
   曼珠沙華相聞歌人老いし後 54
曼珠沙華真赤で稲荷鮨食べる
曼珠沙華真赤な嘘の形して
曼珠沙華瞳のならぶ川向う
曼珠沙華砂利すぐ乾き大地湿る
曼珠沙華稲架木を負ひてよろめき来
曼珠沙華童子童女と連れとほる
曼珠沙華競馬の馬をあゆまする
曼珠沙華竹林に燃え移りをり
曼珠沙華紅を失ふ海は何を
曼珠沙華絶叫しては遠ざかる 55
   曼珠沙華罪の意識にすがらるる
   曼珠沙華群がり途切れまたつゞく
   曼珠沙華職なきごとく街行けば
   曼珠沙華胸間くらく抱きをり
   曼珠沙華腐つと咲くとひとところ
   曼珠沙華茎の脆さよ折り散らす
   曼珠沙華茎見えそろふ盛りかな
   曼珠沙華草薙いで雨あがつたり
   曼珠沙華落暉も蘂をひろげけり
   曼珠沙華蕊のもつれをほぐし終ふ 56
曼珠沙華蘂の崩れの破滅型
曼珠沙華蘂毛のごとし鋼のごとし
曼珠沙華蛇の口して莟上ぐ
曼珠沙華行き交ふ人の「ごめんやす」
曼珠沙華西より褪せのひろがりて
曼珠沙華見れば見ざれば安からず
曼珠沙華記憶のいまも蕊を張る
曼珠沙華誓ひ一言にて足れり
曼珠沙華誰にも媚びる大学生にも
曼珠沙華赤し船より上り来て 57
   曼珠沙華赤衣の僧のすくと佇つ
   曼珠沙華越し一枚の日向灘
   曼珠沙華跨いてふぐり赫とせり
   曼珠沙華身ぢかきものを焼くけぶり
   曼珠沙華身体髪膚仮のもの
   曼珠沙華軌条がこゝに断ち切れて
   曼珠沙華逃るるごとく野の列車
   曼珠沙華遊ぶ鳥さへもたぬ也
   曼珠沙華過ぎゐてまぶし一悪路
   曼珠沙華遠い処を逍遥す 58
曼珠沙華遠き世のこゑ漂ふか
曼珠沙華野川に映りゐるもあり
曼珠沙華鏡のかけも芥にて
曼珠沙華長き貨車ゆき眠くなる
曼珠沙華陵と知らず過ぎてけり
曼珠沙華障子はる妻独言
曼珠沙華雨のつづきの晴れた日に
曼珠沙華雨粒落す夕日中
曼珠沙華雲はしづかに徘徊す
曼珠沙華雲より鴉下りにけり 59
   曼珠沙華霧に鮮烈飛騨に入る
   曼珠沙華静かに静かに風渡る
   曼珠沙華革命の文字遠くしぬ
   曼珠沙華頭上ヘリコプターが飛び
   曼珠沙華願ひを蘂に拡げたる
   曼珠沙華風すぎこころふと危し
   曼珠沙華飛火の如くここにまた
   曼珠沙華飯粒こぼし銭落し
   曼珠沙華首級はいまも生きをるか
   曼珠沙華馬が首ふり首ふり行く 60  

 

曼珠沙華駅に煙の直上す
曼珠沙華髪のほつれに西日ざし
曼珠沙華鶏鳴声を八裂に
曼珠沙華鼎のごとし札所寺
月も老い黒きばかりに曼珠沙華
月代や蘂うかべたる曼珠沙華
月余師を看護り野に出づ曼珠沙華
月山遥か岩の裂け目の曼珠沙華
月読の夜ごとに濡れて彼岸花
朝の食卓よりわが庭の曼珠沙華 61
   朝夕に曼珠沙華のぞみ込みにけり
   朝暁の田水流るゝ曼珠沙華
   木曾を出て伊吹日和や曼珠沙華
   朱唇仏さながらに暮れ曼珠沙華
   村中に藁殖ゆるころ曼珠沙華
   杣が子の摘みあつめゐる曼珠沙華
   林出ればチヤタレーの森曼珠沙華
   森に入らむとして径細し曼珠沙華
   棲む鬼へ火攻め 裾田の彼岸花
   棺に入るる曼珠沙華高捧げ行く 62
橋立は 常緑にて 彼岸花
機関車の火屑散る闇曼珠沙華
機音に 蕋うちふるう曼珠沙華
欝々と蔭のところの曼珠沙華
歌に知る東の国の曼珠沙華
歩きつつ百姓の礼曼珠沙華
歩哨小屋 いまも孤立し 曼珠沙華
死人花どの兵が弱虫か
死屍ふみし如し夜道の曼珠沙華
死顔はよくてありたき彼岸花 63
   殉教の血の今に燃え曼珠沙華
   残蝉の喘鳴おこる 彼岸花
   母泊めてのこらず咲きぬ彼岸花
   気が付けば 仲間みな失せ 彼岸花
   水分けして 日本の背の 彼岸花
   水勢に水勢搦む曼珠沙華
   水攻めは 由良の逆波 彼岸花
   水音の還らぬ日々の曼珠沙華
   汀女亡し今年乏しき曼珠沙華
   汽罐車のすぐそこへ来る曼珠沙華 64
沈痛の紅曼珠沙華暮れんとす
河二月曼珠沙華葉をびつしりと
沼尻の畦の十字に曼珠沙華
法窟の大破に泣くや曼珠沙華
波が来て紅噴きこぼす曼珠沙華
波ゆけばひかりを放つ曼珠沙華
泣きながら過ぎてふりむく曼珠沙華
洲も末のここにさかりて彼岸花
流れ急どかつと曼珠沙華捨つる
流水の疲れゐる辺の曼珠沙華 65
   浄土をば偲ぶべしとや曼珠沙華
   海上に星らんらんと曼珠沙華
   海陸の間の鉄路の曼珠沙華
   海鳥の影過ぎしあと曼珠沙華
   消え残る一本立の曼珠沙華
   涙出る手紙読みたり曼珠沙華
   淡彩の聖観世音曼珠沙華
   深山田は雲の通ひ路曼珠沙華
   清涼のきのふともなし曼珠沙華
   溜息を もはや惜しまず 彼岸花 66
潮騒に紐ほどきたる曼珠沙華
濁流にうすら日射し来曼珠沙華
濁流を越え曼珠沙華後にせり
瀬をくぐりふたたび曼珠沙華が浮く
瀬戸際の 男の業の 曼珠沙華
火の島の火色惜しまず曼珠沙華
火の段をなせる棚田の曼珠沙華
火事見舞御礼の貼札 彼岸花
火授けは神か 悪魔か 彼岸花
火鎮めの祠かたむき 彼岸花 67
   炭住の崖いち早き曼珠沙華
   炭焼きが行くだけの道曼珠沙華
   燃え殻の夕雲を置く曼珠沙華
   燃るかと立寄る塚のまんじゆしやげ
   燕みな海に送りぬ曼珠沙華
   父と兄癌もて呼ぶか彼岸花
   父に似し乞食の眼ぞ曼珠沙華
   父母よりも他人恋うた日 まんじゅしゃげ
   父母を知る者らも減りて 彼岸花
   父若く我いとけなく曼珠沙華 68
狂えずに 一世過ぎゆく 彼岸花
狂ひたきほどの日曼珠沙華を見に
狂女のみに媚態ありし代曼珠沙華
狂死てふ死に方もあり曼珠沙華
狭軌道両側に咲く曼珠沙華
猪垣のブリキに並ぶ曼珠沙華
瑞の茎いつもそろヘり曼珠沙華
生き面の下は死に面 彼岸花
生ひたちと老耄一如曼珠沙華
田の中の墓原いくつ曼珠沙華 69
   田の畦に朱の鋼材と曼珠沙華
   町中に草場ありその曼珠沙華
   畦行けばやいのやいのと曼珠沙華
   白曼珠沙華薬用に阿波人は
   百姓の出歩く曼珠沙華の道
   皇居横目に黒人沈思 彼岸花
   目にためてたまりてけふの曼珠沙華
   真盛りの首切られたる 彼岸花
   眼前の水に父澄む曼珠沙華
   眼帯の内なる眼にも曼珠沙華 70  

 

知らぬ顔ふりかへり笑ふ曼珠沙華
石敢当畦にとんだる曼珠沙華
石見れば 墓と合点し 彼岸花
砂に陽のしみ入る音ぞ曼珠沙華
砂地にて援軍見えぬ 彼岸花
磯道を越ゆる怒濤や曼珠沙華
禁煙の三日坊主や曼珠沙華
秀野忌の淵に火かざす曼珠沙華
私は好きあなたは嫌ふ彼岸花
秋燕の目に恐ろしき曼珠沙華 71
   秋風に枝も葉もなし曼珠沙花
   秣にもならぬあはれや曼珠沙花
   空事の紅もまじりて曼珠沙華
   空港に曼珠沙華みて阿波に入る
   空澄めば飛んで来て咲くよ曼珠沙華
   突出の鬼色曼珠沙華朽ちて
   立仏 座仏 寝仏 彼岸花
   童らの鞄がさはぐ曼珠沙華
   端の茎より曼珠沙華噴かんとす
   筑波遠く旅の日暮れぬ曼珠沙華 72
筬の音が丘に織り出す曼珠沙華
箱根下りてまだ暮れきらず曼珠沙華
築山の一つの峯の曼珠沙華
築山の裾曲々々の曼珠沙華
篠原を風吹き分くる曼珠沙華
紅々と吾照る曼珠沙華の中
紅さして筆鋒ほぐる曼珠沙華
紅をもて子規忌供養す曼珠沙華
紅を眼にとめて曼珠沙華ぞと思ふ
紅蕊に日は当り散る曼珠沙華 73
   紺青の 天が下なる 彼岸花
   繚乱す炎となれぬ曼珠沙華
   考へても疲るゝばかり曼珠沙華
   聖域を 蝶には許し 彼岸花
   背なの子に飴しやぶらする曼珠沙華
   花さかる径のうすいろ曼珠沙華
   花とびし花びらとびし曼珠沙華
   花の上に捨てありし花曼珠沙華
   花の巻くみどりの露や曼珠沙華
   花失せて醜の男の曼珠沙華 74
花散りしあとに虚空や曼珠沙華
花火師が村中を馳せ 彼岸花
花火師の旅してゐたり曼珠沙華
花野川流れて褪せぬまんじゆしやげ
若き日は死も栄えなりき曼珠沙華
草に曼珠沙華咲き夜夜枕にねむり
草は冷め巌なほ温く曼珠沙華
草むらや土手ある限り曼珠沙花
草川のそよりともせぬ曼珠沙華
草隠れ咲く曼珠沙華幾許ぞ 75
   荒降りの赤土流れ曼珠沙華
   落城の絵説き看板 彼岸花
   落日の燃えて移りぬ曼珠沙華
   落窪を真紅にしたり曼珠沙華
   葉もなしに何をあわてゝ曼珠沙花
   葉も花にさいてや赤し曼珠沙花
   葉も花になつてしまうか曼珠沙花
   葬人の歯あらはに哭くや曼珠沙華
   葬人歯あらはに泣くや曼珠沙華
   蒼を巻き浪は倒るる曼珠沙華 76
蒼穹の渦巻きはじむ曼珠沙華
蒼穹を鵙ほしいまゝ曼珠沙華
蕊張つて飛び立つかまへ曼珠沙華
蕊張るは物を云ふなり曼珠沙華
蕊張れる曼珠沙華掌を合せたく
蕋ひくき彼岸花雨渡岸寺
蕋張れば 風の治まる 彼岸花
蕾なす喜びは曼珠沙華も持つ
薪割る背今年曼珠沙華見しや否や
薬干す家に摘み来ぬ曼珠沙華 77
   藪おもて花簪や曼珠沙華
   藪に集り畦々に散り曼珠沙華
   蘂が蘂舐めて雨中の曼珠沙華
   蘂の針かくもそろへり曼珠沙華
   蘂搦みあひて滅びの曼珠沙華
   虚子ここにあり曼珠沙華畦にあり
   蛙とんで水濁らざり曼珠沙華
   蜜教の山へ導くまんじゆしやげ
   血がすこし古びし頃の曼珠沙華
   血圧がすこし高くて曼珠沙華 78
行き過ぎてうしろからこゑ曼珠沙華
行く人の途中で消えし曼珠沙華
褪せたるも褪せかかれるも曼珠沙華
西国の畦曼珠沙華曼珠沙華
見えてゐて彼岸花誰も採りにゆかず
親しまぬ土よりいでゝ曼珠沙華
訃へそこも岬入日の曼珠沙華
讃岐の川石一つなし曼珠沙華
貧血をいちにち忘れ 彼岸花
赤に少し離れて白い曼珠沙華 79
   赤シャツの甲斐なき男 彼岸花
   赤旗で覆う死もある 彼岸花
   赤髭のあるじ顔なり曼珠沙華
   足元に寄つて集つて曼珠沙華
   跪坐永し吾も一本の曼珠沙華
   踏み込んで血がせめぎあふ曼珠沙華
   身のなかの一隅昏らし曼珠沙華
   身を捨てし旅曼珠沙華曼珠沙華
   転移てふかなしき語あり曼珠沙華
   輓馬にも力与へし曼珠沙華 80  

 

轆轤蹴る 彼岸花もう火を消したが
透明に昼がきて白彼岸花
造成の土盛りが進む曼珠沙華
運ばれゆく死者に帰路なし曼珠沙華
道ばたに大森彦七曼珠沙華
道ばたやきよろりとしたる曼珠沙花
道ばたや魂消たやうに曼珠沙花
道祖神より秀でよや曼珠沙華
道詮忌待たずに曼珠沙華に来し
遠きより見る月明のまんじゆさげ 81
   遠くしてすがれたるかな曼珠沙華
   遠くゐて極楽とんぼ曼珠沙華
   遠の赤かならずや曼珠沙華と思ふ
   遥けくて眼路暗くなる曼珠沙華
   酒のんだ僧の後生やまんじゆ沙花
   野ぜんちをさゝへて咲くや曼珠さけ
   野にて裂く封書一片曼珠沙華
   野の池に仏微笑す曼珠沙華
   野路ゆきて華鬘つくらな曼珠沙華
   釘づけに船は艇庫に曼珠沙華 82
釣篝へと 投げ込まん 彼岸花
開くまで 青い炎の彼岸花
間合大事の師弟の交わり 彼岸花
限りなくゼロがつづきて曼珠沙華
陵と離れ離れに曼珠沙華
陵や何と思ふて曼珠沙花
集まって 分れて 彼岸花の畦
離れ咲きて吾を呼び止む曼珠沙華
離れ咲くは秘仏めくなり曼珠沙華
離郷の目に畦あり曼珠沙華が咲き 83
   雨あしのつばらに見えて曼珠沙華
   雨の日も茎並みそろふ曼珠沙華
   雨傘の荷とはなりにし曼珠沙華
   雨粒は宙にあらそひ曼珠沙華
   雨音の一揆のごとし曼珠沙華
   雲ながれ野は曼珠沙華咲く頃か
   雲下りてゐる峡道の曼珠沙華
   雲天や盛り過ぎたる曼珠沙華
   霜降に瑞々しきは曼珠沙華
   露の村いきてかがやく曼珠沙華 84
露の香にしんじつ赤き曼珠沙華
露むすぶ處さへなし曼珠沙花
露明き小野の饗宴曼珠沙華
青柿は後れをとりて 彼岸花
青空は山国にのみ曼珠沙華
青茎に 発火用意の 彼岸花
須磨寺や松が根に咲く曼珠沙華
頬削げの写俳亭来る 彼岸花
風と遊べる曼珠沙華皇女の陵
風の日の野面きらめく曼珠沙華 85
   飛火してことし洲に咲く曼珠沙華
   餘の草にはなれて赤しまんじゆさけ
   香薬師もとに還らず曼珠沙華
   駅長の指呼確認に 彼岸花
   鯖道は淡海へいづる曼珠沙華
   鳥はもとより虫の羽音す曼珠沙華
   黒蝶の何と移り気 曼珠沙華 -86  
 
 

 

 
 

 

●幽霊花と死人花と狐花・・・ 

 

こぞり出て幽霊花の茎あかり
死人花何の匂もなかりけり
忘られし盆茣蓙古び死人花
天国に言葉あるやと死人花
生き生きと少女の描く死人花
明日香路に血の色撒きて死人花
死人花と疎みし祖母の懐しき
畦焼いて幽霊花を咲かせます
カーブして幽霊花の多き街
風情なき人の名づけし死人花
死人花なんぞでするな町興し
あやしくも夕日を受けし死人花
死人花の緋文字が乱舞してゐたり
捨子花顔仰向くるあはれなり
厚顔で叱られにゆく狐花
狐花すっくと伸び来夏おわる
わたくしのすべてみせます狐花
幽霊はなべて女や狐花
異星より着地せしかな狐花
忽然と庭に咲きたり狐花
狐花白きも咲きぬ稲荷みち
黄昏るる川に沿ふ径狐花
恋しくば尋ぬるあては狐花
咲きつなぎ山へ誘ふ狐花
燃え尽きて未だに怪し狐花
狐花聞きをり野良の立ち話
飛火野の畦に白置く狐花
狐花彦根に井伊の赤備  
 
 

 

 
 

 

●彼岸花・緒話  

 

●彼岸花の別名
彼岸花は、他にも学名由来の「リコリス」、仏典由来の「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」といった別名をもっています。 その他、花びらの様子が蜘蛛を連想させることから英語で「Red spider lily(レッドスパイダーリリー)」と呼ばれることも。 その印象的な咲き姿から別名や異名が多いのも彼岸花の特徴です。

 

●彼岸花の花言葉
彼岸花全体の花言葉は「情熱」「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」など。「別れ」を連想させるようなネガティブな印象の花言葉をもちますが、怖い花言葉はもっていません。
では、なぜ彼岸花には怖いイメージがあるのでしょうか。それは、彼岸花=お墓の周りに咲いている花、というイメージがあるからかもしれませんね。彼岸花は強い毒をもつので、土葬が主流だった時代にモグラやネズミから遺体を守るため墓地によく植えられていたそう。また、毒によって「食べると彼岸(死後の世界)に行く」という言い伝えもあり、そこから派生した「死人花」「地獄花」といった異名も彼岸花に怖いイメージをもつ理由のひとつかもしれません。
白い彼岸花の花言葉
白い彼岸花の花言葉は「また会う日を楽しみに」「想うはあなたひとり」。ロマンティックな印象を受けますが、故人を想う花言葉とも受けとることができますね。
黄色の彼岸花の花言葉
黄色の彼岸花の花言葉は「深い思いやり」「追想」「陽気」「元気な心」。黄色らしく明るい花言葉をたくさんもっています。
オレンジの彼岸花の花言葉
オレンジの彼岸花の花言葉は「妖艶」。日陰でオレンジ色の花を咲かせる妖しく美しい咲き姿に由来するといわれています。

 

●彼岸花
彼岸花[ヒガンバナ]とは
彼岸花とは、ヒガンバナ科・ヒガンバナ属(リコリス属)の多年草で球根植物です。道端や人里に近い川岸、田のあぜ道などに群生し、夏の終わりから秋にかけて咲きます。
彼岸花をよく見てみると、高さ30cm〜50cmの長い茎に大きな花がポツンと咲いています。では彼岸花には葉はないの? いえいえ、ちゃんとあります!
彼岸花の大きな特徴は、一般的な花と少し違うその生態。彼岸花は球根から花が出てきて、その花が枯れた後に葉が成長します。だから葉がない状態で花が咲いているのです。花と葉を同時に見ることができない事から「葉見ず花見ず」と言われ、昔の人は恐れをなしたとか。
実は冬から春にはちゃんと葉が繁り、花をつけない寒い季節にしっかり栄養を球根に貯えているのです。多くの植物は春に芽を出し、夏に葉を繁らせ秋に枯れますが、彼岸花はその逆。冬に葉を繁らせ春に枯れ、秋に花を咲かせます。
彼岸花の名前の由来と別名は?
一般的に呼ばれている「彼岸花(ヒガンバナ)」は、秋の彼岸の頃に開花することにちなんだ名前です。毒のあるこの植物を食べた後には「彼岸」=「あの世(死)」しかない、ということに由来するという説も。
英語では「Red spider lily(レッドスパイダーリリー)」「Hurricane lily(ハリケーンリリー)」「Red magic lily(レッドマジックリリー)」などと呼ばれます。
彼岸花は別名が多いことで知られています。その数、なんと1000以上とも。
一番多く耳にするのは「曼珠沙華(マンジュシャゲ)」ではないでしょうか。法華経などの仏典に由来し、梵語で「紅色の花」を意味すると言われています。その他、仏具の天蓋に似ていることから「天蓋花(テンガイバナ)」、学名の「Lycoris radiata(リコリス・ラジアータ)」から「リコリス」などの別名もあります。
「彼岸」=「あの世(死)」から不吉な言葉をイメージする別名がたくさんあります。
例えば、死人花(シビトバナ)、地獄花(ジゴクバナ)、幽霊花(ユウレイバナ)、剃刀花(カミソリバナ)、狐花(キツネバナ)、捨子花(ステゴバナ)、毒花(ドクバナ)、雷花(カミナリバナ)、痺れ花(シビレバナ)、葉見ず花見ず(ハミズハナミズ)。
どの別名も良いイメージとは言えませんが、たくさんの別名があるということは、それだけ人々に親しまれてきた花ということではないでしょうか。
ちなみに「曼珠沙華」とはサンスクリット語で「天界に咲く花」「見る者の心を柔軟にする」という意味も。「赤い花」「天上の花」として、めでたい兆しとされることもあります。
彼岸花の種類・色
   赤色の彼岸花
日本で多く見ることができる彼岸花の色は「赤」。一般的に流通しているものは、赤い花が咲く「リコリス・ラディアータ」と呼ばれる品種です。
花びらの色は品種改良が進み、「赤」以外にもとても美しい彼岸花があります。
   白色の彼岸花
白い彼岸花は、「シロバナマンジュシャゲ」、学名から「アルビフローラ」と呼ばれることもあります。花びらの反り返りが緩やかな柔らかい印象の品種です。
花びらがクリーム色の「リコリスニアホワイト」、白色の花びらにピンクの筋か入った「リコリスアルビフローラ」という品種もあります。
   黄色の彼岸花
黄色の彼岸花として多く見られるのは「ショウキズイセン」と呼ばれるヒガンバナ科の花です。
淡い黄緑色の花びらが特徴的な「カチューシャ」や、花びらの黄色味が強い「喝采」という品種もあります。
その他、彼岸花と同じヒガンバナ属(リコリス属)で彼岸花に似ている花の中にピンクやオレンジなどがあります。
彼岸花の花言葉
彼岸花の花言葉は「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」「情熱」。「悲しき思い出」は、墓地などでよく見られることに由来すると言われています。
それぞれの色の彼岸花の花言葉も紹介します。
   「赤色の彼岸花」の花言葉
情熱・独立・再会・あきらめ・悲しい思い出・想うはあなた一人・また会う日を楽しみに
「情熱」は「赤」をイメージする言葉ですが、亡くなった人を偲び、別れを連想させる言葉が多いようです。
   「白色の彼岸花」の花言葉
また会う日を楽しみに・想うはあなた一人
「想うはあなた一人」は、長い茎の上にだけ花が咲き、その花が落ちてから葉が出る様子から付けられたと言われ、「白」の純粋なイメージと重なる一途な想いを表しています。
   「黄色の彼岸花」の花言葉
悲しい思い出・追想・深い思いやりの心・陽気・元気
他の色の花言葉と違って、明るく前向きな言葉があります。「黄色」という明るい色のイメージかもしれませんね。

 

●彼岸花の怖い別名とその理由
彼岸花の別名と言われて一番最初に思い浮かぶのは「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」だと思います。しかし彼岸花にはなんと1,000を超える異名があるといわれているのだそう。
その中にはもちろん良い意味の言葉もありますが、怖くて少し不気味な言葉がほとんど。そこからも彼岸花が怖いというイメージがついたのではないかといわれています。
ここでは彼岸花の怖い別名を抜粋して、その名前になった理由も一緒に紹介します。
曼珠沙華
彼岸花の別名として一番有名な「曼珠沙華」。この言葉は仏教用語で「天上の花」という意味を持っています。曼珠沙華は一見怖いイメージが無いように見えますが、「天上=あの世」という解釈で不吉なイメージとされているのだそう。
親死ね子死ね
お次はなんとも恐ろしい言葉。上の「彼岸花はなぜ不吉なイメージなの?」で紹介した通り、彼岸花は花と葉が同時に出ないことからこの別名が付けられたと言われています。
また少し怖い話ですが、彼岸花にある毒で親子が互いに殺し合ったことからこの別名が付けられたという説も。深い闇を感じられるような話ですね。
この名前に似ている「捨て子花」という別名もあります。これは彼岸花の独特な咲き方に関係していて、葉と花を親子に見立てたもの。葉(親)に捨てられた花(子)=「捨て子花」という事で、この名前になったそうです。
南無阿弥陀仏(なんまいだっぽ)
この言葉はもともと浄土宗や浄土真宗などで、 阿弥陀仏(あみだぶつ)への帰依を表して唱えるもの。その名の通り彼岸花を食べるとあの世へ行ってしまうことから付けられた別名です。
他にも中毒死してしまうことを表す「喉焼花(のどやけばな)」という別名もあります。
忘花(わすればな)
一見「忘花」と言われても何を忘れてしまったか、どうして花を忘れてしまったのか、などよく分からない言葉ですよね。しかし彼岸花には他にも「道忘花(みちわすればな)」や「道迷草(みちまよいぐさ)」という別名があります。
これらから連想して、現実世界の道を忘れてしまい、あの世へ引っ張られてしまうという意味なのではないかと言われているのだとか。
その他にも「幽霊花」などまだまだ怖い別名がたくさんあります。これだけ不吉な名前を付けられていたら、彼岸花は怖いというイメージが付いてしまうのも、致し方なしです。

 

●彼岸花の花言葉
赤い彼岸花の花言葉
赤い彼岸花の花言葉は「情熱」「独立」「再会」「諦め」「悲しい思い出」。最後の悲しい思い出は墓地に彼岸花を植えるようになったことから、この花言葉になったのではないかといわれています。
「情熱」は真っ赤で色鮮やかな彼岸花の見た目にぴったりですね。
白色の彼岸花の花言葉
彼岸花は実は赤色だけではなく、白や黄色の彼岸花もあります。彼岸花は「リコリス」と呼ばれる球根植物で、赤い彼岸花以外は比較的リコリスと呼ばれることが多いのだそう。
白い彼岸花の花言葉は「また会う日を楽しみに」「想うはあなた一人」。こちらは先程の赤い彼岸花に比べると少し明るくロマンチックな言葉に聞こえますが、故人への思いなのではないかという気もしてしまいます。
黄色の彼岸花の花言葉
黄色の彼岸花の花言葉は「追想」「深い思いやり」「陽気」「元気な心」。悲しみを乗り越えた後の前向きな様子をイメージできます。
「陽気」という花言葉が黄色い彼岸花にぴったりですね。

 

●彼岸花の別名一覧
原産が日本ということもあり、身近な存在として親しまれてきた彼岸花。”彼岸花”という名から、不吉なイメージを持つ人もいるでしょう。ところが彼岸花という名以外にも、彼岸花には多くの別名があることを知っていますか?今回はそんな彼岸花の別名とその由来、色によって異なる種類までもをまとめてご紹介します!
彼岸花とは?
学名:Lycoris Radiata
科・属名:ヒガンバナ科・ヒガンバナ属
英名:Spider lily
原産地:日本、中国
開花期:7〜10月(原種は9月)
花の色:赤、白、ピンク、黄、クリームなど
全草有毒植物と言って、花や葉、はたまた球根までもに毒をもつ彼岸花。
その毒たるや球根一つでネズミ1500匹の致死量となるほど。しかしその毒性を使って、彼岸花を田畑沿いに植えることで害獣を寄せ付けないようにしていたとされています。またその美しさから、彼岸花畑が観光名所となり彼岸花の里と呼ばれる土地もあります。毒の危険性がある反面、有益に利用することで上手く共存しているようですね。
由来別!彼岸花の別名一覧
彼岸花の別名はおよそ1000種類にも及ぶとされています。次は由来別にした別名をご紹介します!
   死などに由来した別名
お彼岸の頃に咲くことや墓地などにも植えられることが多いのでこのような名がついたのだと思われます。
•死人花
•地獄花
•幽霊花
   彼岸花の持つ毒性に由来した別名
まさに毒そのものを象徴した別名。中毒症状では痺れなども起こすことから付いたと考えられます。
•毒花
•痺れ花
   花の姿に由来した別名
花の形やその赤々とした色から付けられたものでしょう。狐火というように、火と狐は妖艶のイメージもあり彼岸花の印象にも合致していますね。
•天蓋花
•狐の松明
•狐花
   珍しい別名
あまり聞くことのない別名ですが、”葉見ず花見ず”の花が咲くころに葉は出ず、葉が出たころに花は枯れているという生態を表した別名もあります。それぞれが彼岸花の特徴をうまく表しながらも印象を損なうことのない名をつけ親しんでいたことが窺えますね。
•葉見ず花見ず
•雷花
•石蒜
•龍爪花
•剃刀花
•捨子花
   よく知られた別名
それぞれ彼岸花の別名としてはよく聞く名です。また敢えて曼殊沙華と呼ぶ人も多いです。
•曼珠沙華
•リコリス
彼岸花?地域によって異なる名
彼岸花の別名は地域によっても異なるとされ、方言の衰退が進む昨今では貴重な方言の資料としても重宝されているようです
•北海道…ウドンゲ・シニンノハナ
•沖縄…イー・コンソウ
•大阪…オマンジュウバナ・シュウトメバナ
•東京…ゴシャメンバナ・シブトッパナ
赤だけじゃない!色に寄って異なる種類
彼岸花は赤のイメージが強いと思いますが、その実、白や黄色の等色鮮やか。そこで色別の種類と、それぞれの名称をまとめてみました。
   白色の彼岸花
•リコリスニアホワイト クリーム色の花弁にピンク色がさし色となって可愛らしい種類。
•リコリスアルビフローラ 白の花弁にピンク色の筋か入ってるのが特徴。
•シロバナマンジュシャゲ[br num=”1″]赤の彼岸花に比べ花弁の反り返りや縁のフリルが緩やか。
   黄色の彼岸花
•ショウキズイセン 主に四国から沖縄に自生している。[br num=”1″]花弁は目がさめるような鮮やかな黄色をしている。
•カチューシャ 緑がかった淡い黄色が特徴。
•喝采 花弁はカチューシャと比べて黄色の強いクリーム色。
   ピンクの彼岸花
•貴婦人 濃いピンク色をしており、花弁の先は紫色
•水中花 薄いピンクに紫の筋が花弁の先から伸びている
•ヘイジャクス 鮮やかなピンク色と紫が縁からグラデーションになっている
まとめ
彼岸花や曼殊沙華といった名前で呼ばれることが多いものの、生態や地域によって面白い別名がたくさんあることがわかりました。たくさんの別名があるということは、その分多くの人に親しまれているということでしょう。今も昔と変わらぬ姿のまま人々を魅了して楽しませてくれる彼岸花は、日本になくてはならない花のようですね。

 

●彼岸花の不吉な別名
9月10日頃から田んぼやお墓に赤い花が出てきますね。9月23日頃のお彼岸に咲くため「彼岸花(ひがんばな)」と一般的に呼ばれます。
彼岸花は英語で「red spider lily」と表現されます。「赤い蜘蛛のユリ」とちょっと怖い名前ですね。日本語では多くの不吉な名前・怖い名前があります。一方で、仏教に関係する素晴らしい別名もあります。
「なぜ彼岸花には不吉な名前が使われているのか」をテーマに、お彼岸に咲く花、彼岸花についてお坊さんが紹介します。
彼岸花の概要
•毒: 花・茎・球根とあらゆる部分に毒をもつ
•開花時期:9月から10月にかけて咲く。秋のお彼岸が見頃
 春の彼岸(3月)には咲かない
•別名:死人花・幽霊花・曼珠沙華など
•花言葉: 「再会」「あきらめ」 など
•咲く場所:田んぼやお墓によく咲く
彼岸花は1000を超える別名がある
彼岸花は赤い真っ赤な花が特徴的。不吉な怖い別名が多い花
彼岸花という名前は、お彼岸という時期を表す言葉をそのまま花の名前として使用しているため、わかりやすいですね。一方で他にも多くの別名があります。それらの多くは悪い印象を与える言葉です。
悪い印象の名前と良い意味の名前を紹介します。
    良い意味
   •彼岸花
   •曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
    悪い印象
   •毒花(どくばな)
   •死人花(しびとばな)
   •幽霊花(ゆうれいばな)
   •地獄花(じごくばな)
いくつか例を挙げました。 良い印象を与える言葉はほとんどなく、多くはひどい言葉です。
彼岸花には1000以上の名前があると言われています。
また 『12ヶ月のしきたり : 知れば納得! 暮らしを楽しむ(2007年新谷尚紀監修)』によると、彼岸花には「情熱」「悲しい思い出」「独立」「再会」「あきらめ」の花言葉があるとされます。
なぜ怖い不吉な印象を与える言葉が多いのか?その理由を説明していきます。
不吉で怖い名前がある理由
不吉で怖い名前がつけられたのには理由があります。 彼岸花が咲く場所がヒントになります。
    彼岸花が咲く場所
   •仏教寺院や神社
   •墓
   •田んぼのあぜ道
   •河岸や山の斜面
彼岸花が咲く場所には共通点があります。目的があって人工的に植えられたのです。
   お彼岸の時期に墓で咲く彼岸花は死を連想するから
彼岸花の赤い花が墓を囲うように​密集して咲くのをよく見かけます。また宗教施設でもあるお寺や神社でもよく見られます。
墓は遺体や遺骨を埋める場所です。そして彼岸花が咲くお彼岸(秋分の日前後)は、墓参りして先祖供養する習慣があります。
墓石を取り囲むように赤い彼岸花が咲いている様子は、お参りに来た人にとても不吉なイメージを与えたのでしょう。
墓に咲く花から死を連想し死人花と名づけ、ユラユラと揺れる赤い大きな花を持つ姿が幽霊にも見えたのでしょう。
    彼岸花の迷信
   •真っ赤な花は、死者の血を吸った色。
   •真っ赤な花は、地獄の炎である。家に花を持ち帰ると火事になる。
   彼岸花は全体に毒があるから
彼岸花は、球根・花・茎・葉と全体に毒をもっています。そのため食べることはできません。食べると下痢や嘔吐が起こり、ひどい場合は体が麻痺して死ぬことがあります。
誤って食べることが無いように、戒めとして毒花と呼ばれます。
    まとめ
   1.死者を弔う場所(墓地・寺・神社)で目にする
   2.全体が毒で食べられない
彼岸花のネガティブな名前には、死・宗教・毒が連想されます。
   有用な植物だったのでわざと怖い名前を付けた
彼岸花は三倍体であり、自然に増加しません。人間の手によって人工的に植えられました。
彼岸花には毒があります。この毒は人体だけでなく、モグラやキツネやネズミなどにも効果があります。そのため「寺社仏閣」「墓」「川の土手」「田んぼ」などの重要な場所に動物防除として植えられたのです。
   •モグラなどが遺体を荒らすのを防ぐため
   •土手や斜面を傷めないようにするため
かつての日本では遺体を直接地面に埋める土葬の埋葬方法がありました。土に埋めた遺体は時間をかけて腐敗し分解され、土は平らになります。しかしモグラやキツネなどが遺体を荒らすと適切に分解することが困難になります。
かつての人たちは、動物を近づけないように、墓や土手に有害な花を植えていたと言われています。有用な植物である彼岸花をあやまって取ってしまわないように、怖い名前をつけて戒めていたのでしょう。
曼珠沙華の意味。彼岸花との違い
悪い印象の言葉はたくさんありますが、一方で曼殊沙華(まんじゅしゃげ)という素晴らしい名前もあります。
曼殊沙華は仏教に関連する花です。仏教経典に登場する花であり、地上に存在しない天上の花とされます。
たとえば、妙法蓮華教では次の1節があります。
「是時天雨曼陀羅華 摩訶曼陀羅華 曼殊沙華 摩訶曼殊沙華 而散仏上 及諸大衆」 妙法蓮華経序品第一
「お釈迦さまが法華経を説こうとする前に、天から曼荼羅華や曼殊沙華が雨のように降り注いだ」のような意味です。
曼殊沙華(彼岸花)は仏教の経典に登場し、仏を供養し仏法を讃嘆する花なので、尊い花として仏教寺院に植えられることもあります。
   白曼殊沙華と彼岸花の違いは花の色
白い彼岸花が曼殊沙華と呼ばれることもある
ちなみに仏教の経典に登場する曼殊沙華は、白く柔らかい花と考えられています。そのため、花が赤色の場合は彼岸花と呼び、白色の彼岸花が曼殊沙華であると区別する人もいます。
   まめ知識。ピンク色の彼岸花は夏水仙
ピンク色の彼岸花は夏水仙(ナツズイセン)という
ピンク色の彼岸花は、夏水仙(ナツズイセン)と呼びます。彼岸花と同じく、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の植物なので そっくりな見た目です。彼岸花の仲間なので毒も持ちます。
四国や中国や九州地方で8月に開花するので、彼岸花より少し早い時期に見られます。
彼岸花の球根は非常時に食べることができた
彼岸花を墓や田んぼの近くに植える理由は、彼岸花が毒をもち、悪さをする動物を除けるのに役立ったからです。
しかし、彼岸花の球根は長時間水にさらされると、毒が抜けて食べられるようになります。
かつての人たちは食糧不足の年に非常食として食べていたと言われています。湿地に強い彼岸花は田んぼや川のような水辺でも育つため、江戸時代には土壌を荒らす動物を排除する効果とともに非常食として、多くの彼岸花を植えていたようです。
彼岸花は普通に食べるものではないので、子供たちがそれを掘って食べないように、意図的に不吉な名前にしたと言われています。
「お坊さんが思うこと / 毒をもつ彼岸花は普段は食べることがありません。しかし非常時には救荒作物として食べられます。思えば寺にはイチョウやソテツも植えられます。これらも彼岸花と同じく丈夫な植物であり、毒を抜くと実を食べることができます。寺に彼岸花が多くみられるのは、もしもの時の備えとして植えていたからじゃないのかな?」
彼岸花(曼殊沙華)のまとめ
秋分の時期(お彼岸の頃)に見事に赤い花が咲くので、彼岸花と呼ばれます。また曼殊沙華と呼ぶ仏教に関係する素晴らしい別名があります。
しかし、幽霊花や死人花や毒花のように怖い不吉な印象の言葉がたくさんあります。
彼岸花はかつての人々にとっては非常に有用な植物でした。墓や田んぼや堤防の動物除け、飢饉の年には毒を取り除いて非常食として食べていました。そして湿った土地で育つため、日本中どこにでも植えられました。
現代では9月のお彼岸に墓参りに行くと必ず咲いているので、一部の人からは薄気味悪い植物に感じるのかもしれません。揺れる赤い花は死んだ人や幽霊を想像します。真っ赤な色は死者の血の色だと言う人もいます。
彼岸花に1000以上の名前が付けられたのは、動物除けや非常食として有用な植物であり昔から人間の生活と密接に関係していたからではないだろうか。 
 
 
 
 
 
  

 



2023/9