みちづれ

「みちづれ」
PC遊びのBGM 演歌

古臭いイメージの言葉
世代の文化 年寄り 

男女の縁 絆 定め 運命 宿命


もうひとつの 「みちづれ」
会社人間 上司に恵まれず 出世街道を外れた人


 
 
 
 
●みちづれ
水にただよう 浮草に
おなじさだめと 指をさす
言葉少なに 目をうるませて
俺をみつめて うなづくおまえ
きめた きめた おまえとみちづれに
   花の咲かない 浮草に
   いつか 実のなる ときをまつ
   寒い夜更けは お酒を買って
   たまのおごりと はしゃぐ姿に ・・・
根なし明日なし 浮草に
月のしずくの やどるころ
夢の中でも この手をもとめ
さぐりあてれば 小さな寝息 ・・・  
 
 
 
 
 
●みちづれ [道連れ]
1 連れ立って行くこと。同行。また、その人。同行者。「よい―ができる」「旅は―世は情け」
2 一緒に行動させること。同じ道をとらせること。「子を―に心中する」
3 本来の意味は「連れ立って一緒に道を行くこと またその相手」のこと。(「同行」あるいは「同行者」にあたる。) そこから転じて、当事者だけで受けるはずの結末に対して周りの人間を巻き込むこと。自分に危害を与えようとした相手を「人を呪わば穴二つ」とばかりに巻き添えにする場合に多く用いられる。
4 道に連れて行くと書いて「道連れ」。その言葉の通り同じ道へと連れて行くことを意味します。同行、同行者といった意味があるほか、自分が進む路へと強制的に連れ込むこと。つまり、自分と同じ運命へと強制することも意味します。言い換えれば、「同行」や「同伴」、「死なばもろとも」などと同じです。
 
 
・・・勝手な極道とか、遊蕩とかで行留りになった男の、名は体のいい心中だが、死んで行く道連れにされて堪るものではない。――その上、一人身ではないそうだ。――ここへ来る途中で俄盲目の爺さんに逢って、おなじような目の悪い父親があると言って泣いたじゃ・・・ 泉鏡花「みさごの鮨」
 
 
・・・孔雀が豚を道連れにするエソップにでもありそうな図が憶出された。「あの奥さんがYと?」と私は何度も何度も一つ事を繰返して「そうだよ、ホントウだよ」とU氏に何度もいわれても自分の耳を疑わずにはいられなかった。六 駿馬痴漢を乗・・・ 内田魯庵「三十年前の島田沼南」
 
 
・・・の時代がかった文章を借りていうと、 ――さて、お千鶴を道連れに夜逃げをきめこんだ丹造は、流れ流れて故国の月をあとに見ながら、朝鮮の釜山に着いた。 馴れぬ風土の寒風はひとしおさすらいの身に沁み渡り、うたた脾肉の歎に耐えないのであっ・・・ 織田作之助「勧善懲悪」
 
 
・・・汽車の旅って奴は、誰とでもいい、道連れはないよりあった方がいいもんですなア。どんないやな奴でも、道連れがいないよりあった方がいい」「あらッ、じゃ、私はそのいやな奴ですの?」「いや、そんなわけでは……。いや、断じて……」「べつに構・・・ 織田作之助「昨日・今日・明日」
 
 
・・・「人間は、一緒に旅行をすると、その旅の道連れの本性がよくわかる。」 旅は、徒然の姿に似て居ながら、人間の決戦場かも知れない。 この巻の井伏さんの、ゆるやかな旅行見聞記みたいな作品をお読みになりながら、以上の私の注進も、読者はその・・・ 太宰治「『井伏鱒二選集』後記」
 
 
・・・彼女は、幸福に優しく抱擁される代りに、恐ろしく冷やかに刺々しい不調和と面接し、永い永い道連れとならなければならなかったのである。 以前より、自分の正しいと信じるところに勇ましくなった彼女は、あなたはどう思いますという問に対して、正直に、・・・ 宮本百合子「地は饒なり」
 
 
・・・子供を道連れにした心中のニュースほど、心が痛むことはない・・・
・・・旅は道連れということで、友人を誘って旅に出た・・・
・・・自暴自棄になった私は、他人を道連れに死ぬことを考えるようになった・・・
・・・同僚の中に登山が好きな人がいて、登山の良い道連れができたと嬉しい気持ちになりました・・・
 
 
 
 
 
●旅は道連れ世は情け
同行者のいない旅は、心細いものである。世渡りでも長い人生の旅をしているようなものであるから、互いに助け合って人生行路を渡ってゆくのが賢明であることをいう。
・・・一人で旅をするよりも、誰かと一緒に旅をすると助け合えたり、心の支えとなったりと心強い様を言います。 また、人情を持って生活することで、人と人の繋がりが大事なことも意味します。現代では失われがちですが、他者とのコミュニケーションの形成で非常に大事な「人情」を表したものになります。旅は道連れ世は情けの由来は、江戸時代に浅井了意の著である「東海道名所記」に記述されたことに由来します。 江戸時代は現代と違い、情報流通が大変少ないものでした。 また、公共機関の電車やバスなどがなかった時代ですので、徒歩による旅行は今とは比べ物にならないほど困難が付き纏い、江戸時代では一人で旅行することは難しいものとされていました。そこで、旅をする上で一人では解決出来ない問題や、世情などを知るために一人で旅をするよりも、誰かと一緒に旅をした方が良いと言われた時代背景があります。
・・・「旅は道連れ、世は情け」という言葉には、旅は同行者がいることで安心できることから、世の中を渡っていくためには、人々が協力し合い助け合うことが大切だといった意味で使われます。優しさを持って共に生きることが必要であるといった「教訓」が込められている言葉です。「旅は道連れ、世は情け」について、辞書では以下のように説明がされています。旅では道連れのあることが心強く、同じように世を渡るには互いに情けをかけることが大切である。とくに現代社会では、人々が孤立しやすくなっており、人との繋がりが薄れているため「旅は道連れ、世は情け」の意味を肝に銘じておきたい言葉です。「旅は道連れ、世は情け」の起源は、江戸時代に書かれた「東海道名所記」という書物にあります。当時の旅行は情報が不足しており、公共交通機関も存在しないため、一人旅は非常に困難であったようです。そのため同行者がいることは、大きな助けと考えられていました。こうした背景から「旅は道連れ世は情け」ということわざが生まれたのです。厳しい旅を共に体験することで、お互いに支え合い、協力することが大切であることを教えています。
・・・「旅をする時は、一緒に旅をする道連れ・同行者がいると心強いように、世の中を渡っていくには情けを持って仲良くやっていくことが大切」といった意味があります。他人との関わりには、人情を持ち、お互い助け合うことが大切だということを伝えています。人と人との関わりが薄くなりがちな現代だからこそ、覚えておきたい言葉でしょう。このことわざの由来は、浅井了意 (あさいりょうい) 著の「東海道名所記」にある記述です。「東海道名所記」は江戸時代に書かれたものですが、この時代の旅は現代よりも旅先についての情報量が少ない状況で行くもので、電車など公共の交通機関もありませんでした。そういった状況での一人旅はとても不安で厳しいもので、同行者がいることは大きな心の支えになっていたのでしょう。「旅は道連れ世は情け」は、厳しい旅を経験する際に、助け合うことの大切さを説いた言葉なのです。
・・・旅は道連れ世は情けとは、旅をするときに道連れがいると心強いように、世の中を渡っていくには人情をもって仲良くやっていくことが大切だということ。昔は情報量も少なく、旅先に知人などもおらず、今と違って旅は大変不安なものだったことから、旅に同行者がいるということはとても心強く感じられた。同様に、人生の旅も人の情けや思いやりがあってこそ心強く感じられるものだし、助け合う気持ちが大切だということ。「江戸いろはかるた」の一つ。
・・・(1)旅をするなら一緒に行く者が居ると心強く、世の中を渡るなら情けを掛ける事が大切である。(2)人とは助け合ったり情けを掛け合ったりと、互いに親切にするべきという教え。(3)「旅は道連れ」だけでも同義。”旅は道連れ”は「旅行をする時は一緒に行く仲間が居れば大変心強い」、”世は情け”は「世の中を渡るには互いに人情や思いやりで助け合うべき」で、二つを合わせて仲間の有難味や助け合いの精神を大事にするべきとなる言葉が「旅は道連れ世は情け」です。一人旅は不安で寂しくなるので、仲間が居るとそれだけで心強くなれ、また世の中を渡るのは旅同様に辛く厳しいものだからこそ、相手には情けを掛けて親切にすべきと説いています。よって、旅も世の中を渡るのも人情こそ最も大事であり、困っている人が居たら助けるのが人の道なのです。「旅は道連れ世は情け」は江戸時代後期に始まった「江戸いろはかるた」の一つです。文献としては、江戸時代の日本文学「俳諧」の「毛吹草」(1638年)などに文言が記されています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2023/7