地震雲

玄関を出て見上げると
青空に 綺麗な「すじ雲」

等間隔の筋 ちょっと心配になる
もしかして  地震雲

夕飯の支度時 悪い予感あたる
地震だ 一度突き上げられ ゆっくり揺すられる
いつものこと 習慣で玄関ドアを開ける
 


「巻雲」は雲の一種。刷毛で伸ばしたように、または繊維状の、細い雲が散らばった形の白い雲である。細い雲片一つ一つがぼやけず輪郭がはっきりしていて、絹のような光沢をもつのが特徴。絹雲と書かれることもある。俗称ですじ雲、はね雲、しらす雲とも呼ばれる。
11/3 15:42 撮影 写真右方向が千葉県
 地震規模 M 5.0
 最大震度 3
 震度
 震度
 震度
11/3 19:04 千葉県北西部 地震規模 M 5.0 最大震度 3
●地震雲
1 はじめに
半年前、あるニュース社からの取材を受け、世間でよく言われる地震の前兆現象の中で科学者として信じられるものはどれか、というアンケートに○△×で答えたことがある。動物の異常行動、前震、鳴動、地盤の隆起と沈降、井戸水や温泉の異常(水量やラドン含有量の変化を含む)、電磁気異常、発光現象などには△をつけたが、地震雲だけは×をつけた。地震学者が書いた前兆現象に関する従来の論文や書籍を見ても、地震雲についてはほとんど取り上げられていない。そこで、地震雲についての書籍を読んで勉強してみたので、その感想を述べて会員の皆様の参考に供する。
2 雲とは
まず雲についての教科書的知識を復習する。雲は大気中で水蒸気が凝結して水滴や氷晶になり、それらの集団がある大きさと形をもつ物体として大気中に浮いているもので、地表からの高さと形状によって分類されている。世界気象機関が制定した「国際雲級図帳」によると、層状に広がる雲は、まず高さによって上層雲(温帯地方での高さ:5〜13 km)、中層雲(2〜7 km)、下層雲(0〜2 km)に区分され、次に形状によって上層雲は巻雲(すじ雲Ci)、巻積雲(うろこ雲Cc)、巻層雲(うす雲Cs)(「巻」は「絹」とも記す)、中層雲は高積雲(ひつじ雲Ac)、高層雲(おぼろ雲As)、乱層雲(雨雲Ns)、下層雲は層積雲(むら雲Sc)と層雲(きり雲St)に区分される。そして中・下層から上層へ鉛直方向に発達する積雲(わた雲Cu)と積乱雲(入道雲Cb)を加え、雲は10種類に分類されている。
3 地震雲のはじまり
東洋では昔から雲の形や動き、風の向きや強さ、太陽や月の見え方などを観察して天気を予知する「観天望気」が行われていた。これは長年の経験の蓄積に基づくもので、「夕焼けなら翌日は晴」、「月に笠がかかると翌日は雨」といった類である。これらは気象学的な説明が可能であり、かなりの確率で当たる。一方、「はじめに」で述べた前兆的「宏観異常」の観察による大地震の予知も中国では昔から行われており、1975年の海城地震はこの観察によって予知され、住民を避難させて人的被害をかなり軽減したとされる(ただし翌年の唐山地震は直前予知に失敗して大災害になった)。そして日本では、戦時中に鍵田忠三郎が雲と地震の関係に気づき、福井地震(1948年)を2日前に予知して確信した。彼は1967〜81年に奈良市長を務め、その間に公衆の面前で何回も地震を予知して的中させ、観天望気による地震予知の経験を著述して1980年に出版した(九州大学の真鍋大覚が監修)。つまり「地震雲」という言葉は鍵田が創始し、彼の出世とともに日本社会に広まった。これに対し、気象庁は「地震雲という雲は存在しない」,「大気の現象である雲と大地の現象である地震は全く関係がない」、「有感地震は毎日必ず日本のどこかで起きており、地震雲が出たと言えば必ず当たる」のような見解を1983年に新聞紙上で発表してその科学的根拠を否定した(1983)。しかし、鍵田の追随者は今も多い。
地震雲は震源地の上だけに出るのではなく、例えば奈良の上に出る雲が、中国唐山や北海道沖の地震をも知らせる。鍵田(1983)は、彼が「恐ろしい」と感じる雲が出た数日後に、必ずどこかで大地震があったというニュースを新聞、ラジオ、テレビが報じるようになったために、雲と地震の関係がわかったのであり、通信が未発達の時代には地震雲を認識できなかったのだという。彼は数百回の地震を予知したと言い、予知を公表して的中させた8例について経緯を記述している。また彼以外の地震予知成功例として1973年のグアテマラと1975年の海城地震を挙げ、どちらも前日に真っ赤な夕焼けが出たと指摘している。なお、鍵田はその後自民党の衆議院議員を1期務め、阪神大震災の前年に逝去した。
4 地震雲のタイプ
「晴れた空に一筋の太い帯状の雲」(図1)というのが最も出現数の多い地震雲のタイプであり(上出、2005によると地震雲全体の7〜8割)、放射型の帯状雲の場合はその延長方向で、波紋型(同心円状)の帯状雲の場合は直角方向で、2日後(鍵田、1983)または数日後〜10日後(上出)に地震が起きるという。その他に上出は断層型(層状の雲と青空の境界が直線)、肋骨状、放射状、弓状、さや豆状、波紋型、稲穂型など、鍵田は石垣状、レンズ状、点状、綿状の白旗雲、縄状の低い雲、白蛇状、断層状(層状の雲が直線的に割れる)があるとし、「足のない入道雲」が関東大震災の数時間前に出たと言う。また、異常に赤い朝焼けや夕焼け、赤い月や太陽・月の周囲の光柱なども地震の前兆とされる。しかし上出は、「間違えやすい雲も多く、実際に雲を眺めて『これは、普通の雲』『これは、地震雲』と区別することも容易ではありません」、「この判断ができるようになるには時間がかかります。私の場合は約十余年かかりました」と述べており、「これであなたも大地震を予知できる」という彼の本のタイトルとは違う。「地震を止める雲」というのもあり、これが地震雲と一緒に出ると地震は起きないという。最も有名な地震雲は、1995年1月17日の阪神大震災の8日前〜前日にかけて何回か神戸付近の上空に出現した竜巻型(らせん状)の雲であるが(弘原海、 1998)、上出は竜巻型を地震雲の仲間に入れず、飛行機雲としている。また、衛星画像から「さざなみ雲」を探して、その分布範囲の中心が震源位置で、面積がマグニチュードを示すとして地震予報を行っている人もいるが(森谷、2009)、これは地震雲から震源地を推定する「鍵真(がんじん)の法則」(鍵田、 1983)に似ている。
太い帯状の雲にしても、なぜ、どのように地震と関連して形成されるのかは説明されておらず、結局のところ地震雲かどうかを決めるのは観察者の直感であり、雲の形、大きさ、高さなどの客観的かつ厳密な基準は示されていない。地震雲から地震が起こる時期、場所、規模を推定するやり方についても同様である。素人は本の写真と見比べて判断するしかないが、本に載っている地震雲と同じような雲(図1)が空に出ていても、騒がない方がよい。心配なら訓練のつもりで数日間、自分一身の安全に配慮した行動をとればよい。1993年1月15日の釧路沖地震の一週間後に「地震雲が出た。また大地震が来る」というデマが広がり、多くの釧路市民が不安におびえた事例がある(毎日新聞1993年5月3日東京版)。実際には、釧路での次の大地震は翌年10月4日の北海道東方沖地震だった。また、空振りの地震予告が広まって大きな混乱と経済的損失をもたらした事例としては1978年のメキシコや1981年のペルーの騒動がある(森谷、2009)。一方で2009年のイタリア・ラクイラ群発地震では、安全宣言が出た数日後に大地震が起こって300人以上が死亡し、安全宣言に関与した地震学者らが刑事裁判で有罪判決を受けた(本学会は2012年11月2日にこれを憂慮する声明を発表)。地震が「起きる」と言っても「起きない」と言っても非常に危うい。
5 雲と放射線・電磁気など
雲は放射線の通過や人工的な微粒子の付加によっても生じる。放射線の飛跡を示す「ウィルソンの霧箱」の実験は、放射線の通路に沿って水滴の列(雲)ができることを示している。飛行機雲は、飛行機のエンジンから排出された微粒子の周囲に氷の結晶ができ、それがしばらくの時間、飛行機の飛跡に残ることを示している。人工降雨の実験も、上空に雨滴の核となる微細な結晶を撒いたり、地表で古タイヤを燃やしたりする。渋滞が激しい東京の環状8号線沿いにできる「環八雲」はある種の地震雲と似ている。ただし、これらは空気中の水蒸気量が飽和していることが条件で、飛行機雲が出る時に地震雲が出やすい(上出、2005)という経験則はうなずける。地震の震源付近から何らかの放射性物質や微粒子が放出されるのであれば、その上の水蒸気に飽和した大気に特徴的な雲ができるのは、あり得ることである。実際いくつかの地震の前に、それらの震源の近くで、地下からのラドン(気体の放射性元素)の放出が観測されている(例えば阪神大震災の前;安岡ほか、 1996; 脇田、 1996; 佐伯ほか、 1995)。ラドンは岩石中のトリウムやウランの放射壊変により発生するもので、平常時でも地下室の空気中には比較的多く含まれ、断層、地すべり、地割れなどが発生すると地表へ放出される(人為的な掘削工事でも同様)。因みに人間の自然被曝の半分程度は、ラドンを呼吸することによる内部被曝である。ラドン222の半減期は3。8日であり、これが震源付近から放出され、上昇気流に乗って上空に達すると、水蒸気に飽和した大気中に帯状の雲ができる可能性はあるが、実証されていない。ラドンに起因する大気イオン(帯電エアロゾル)濃度を各地で測定して地震予測をめざす全国組織もある(弘原海、 1998)。この他、震源域から発生する電磁波や流体力学的な重力波(表面波)で地震雲が形成されるとする考えもある(週刊現代特別取材班、 2005; 森谷、 2009)。一方、オーストラリア北東部に特徴的なMorning Gloryという雲は白蛇状〜波紋型地震雲に似るが、この地域には地震は起きない。奇妙な雲を地震と直結せず、まずは気象学的によく考える必要がある。
最近、M9クラスの巨大地震発生の40〜50分前より、GPS衛星(高度約2万km)から震源地域周辺のGPSステーションに届く電波が遅れることがわかり、高層大気の電離層に電子数の増加などの地震前兆現象が現れる可能性が指摘されている(日置、 2011; 2012)。ただし、M8クラス以下の地震では、この前兆現象は現れないという。1990年代以来、電離層またはより下層の大気圏で反射されて遠方から届く放送電波を検知して地震を予測する研究が行われてきた(串田、2012; 早川、2011; 森谷、2009など)。電離層(高度70 km以上、最も電子密度が高いのは200〜300 km上空)は雲ができる高さ(10 km程度以下)よりはるか上にあるが、大気が電離しているので地表や地下の電磁気的な変化に敏感に反応するのかもしれない。この方法の研究者は、既に地震が「予報」できる段階になっていると言うが(震源が浅いM6以上の直下型地震は的中率9割以上:早川、 2011)、東日本大震災などの海溝型地震や深発地震の場合は予報が難しく、大震災以後は福島の電波施設の被害と「日本の地下がぐちゃぐちゃに荒れて」いるため的中率6〜7割が限度という(早川、2011)。これは地電流によるギリシャ式地震予知法と同程度の的中率である(石渡、 2010)。電波を使う方法も、地震の前に震源上空の高層大気に出る「電子の地震雲」を受信機で捉えようとする観天望気の一種であり、太陽活動など他の要因をよく考慮する必要がある。
6 まとめ
地震雲という語は、戦後の高度成長期に奈良市長を14年務めた鍵田忠三郎によって創始されたが、その思想は古代から東洋に続く観天望気の経験論の延長上にある。鍵田の思想は、「地震は地球の病気、大気と大地は一体、自然に帰る、衆生済度」などのキーワードで捉えることができる。鍵田(1983)は、雲で地震を予知することと、大都会の生活を捨てて「自らの生活を正し自然生活に戻ること」が地震災害を防ぐ唯一の方法だと述べている。しかしこれは、「地震雲」が認識可能になったのは通信の発達(都市文明の恩恵)によるという、彼が同じ本の中で述べていることと矛盾するように思う。また、彼は市長在職中に多額の税金を滞納し、この負の遺産は後に市長になった彼の二男を辞職に追い込んだというから(毎日新聞2004年12月25日奈良版)、彼が「自らの生活を正し」たかどうかも疑問である。私は、漢方的な観天望気の重要性・有用性を認めており、個人の科学研究の出発点は、思い付き、思い込み、思い違いであっても構わないと考えている。地震雲の研究は日本で生まれた「草の根」的な学問であり、誰かが突破口をみつければ客観的な科学になって世界に貢献する可能性があるが、まだその域に達していないように思う。地震雲は、全天曇り、雨や雪、雲のない快晴、夜間の場合は観測が困難だが、高層大気の「電子の雲」の電波観測は天候や昼夜によらず可能でデータの客観性が高く、公的な地震予報につながる可能性がある。しかし、地震の前にそのような電子の雲ができるメカニズムは地震雲と同様に不明である。地質学では、大気の変化と地質現象(特に火山活動や風化過程)との関連を昔から研究してきたが、地下深部での岩石の破壊・変形現象も地質学の守備範囲であり、今後はその電磁気学的、放射化学的な側面も研究すべきだと思う。
7 おわりに
私は最近、米国出張中にサンフランシスコ市内からサンアンドレアス断層沿いに出現した「地震雲」を目撃したが(図1;周囲の飛行機雲よりずっと太かった)、サンフランシスコ周辺でその後10日以内に大地震が起きたという話は幸いにして聞かない。半年前のアンケートで地震雲に×をつけたのは、今のところ間違っていなかったと思っている。珍しい雲についてご教示いただいた池田保夫・平田大二両会員に感謝する。 
   地震雲  


2022/11/3