夢芝居

大昔
高円寺のパチンコ店

景品棚
綺麗なデザインのレコード
「夢芝居」 景品にもらう

レコードに直接 綺麗な絵 プリントされていた
始めて見る

・・・ 今 絵の柄が思い出せない

 


 
 
 
 
 
 
 
 
●夢芝居
恋のからくり 夢芝居
台詞ひとつ 忘れもしない
誰のすじがき 花舞台
行く先の影は見えない
   男と女 あやつりつられ
   細い絆の 糸引き ひかれ
   けいこ不足を 幕は待たない
   恋はいつでも 初舞台
恋は怪しい 夢芝居
たぎる思い おさえられない
化粧衣裳の 花舞台
かい間見る 素顔可愛い
   ・・・ 心の鏡 のぞき のぞかれ
   こなしきれない 涙と笑い
   恋はいつでも 初舞台
・・・ 対のあげはの 誘い誘われ
心はらはら 舞う夢芝居
恋はいつでも 初舞台 
 
 
 
 
 
 
 
 
高円寺は義父の家
義父はお役人
部下がよく遊びに来ていた
義父の家での会食
義母も忙しく 
手伝いに 家内はよく駆り出されていた
私はやることなし
暇つぶしの一つが パチンコだった
 
 
 
 
「夢芝居」の唄
PC遊びのBGM
いつものことで 昔を思い出す
生真面目な義父を 思い出す
とは言え 息子には甘かった
高円寺で 思い出す
夏の風物詩 阿波踊り
 
 
 
 
誰のすじがき 花舞台
   けいこ不足を 幕は待たない
化粧衣裳の 花舞台
   こなしきれない 涙と笑い
心はらはら 舞う夢芝居
恋はいつでも 初舞台 
わずか 4〜5分の世界なのに
起承転結 40行足らずの歌詞なのに
   心をつかむ歌詞 
   命を吹き込む歌い手
自分になぞらえ楽しむ 歌謡曲 演歌 艶歌 怨歌 
 
 
 
 
青春の恋
物の弾み 出会いがしら
後先考えない
はたちの恋 
恋から 愛へ
愛し愛され 恋焦がれ 見つめ合う
どうしよう  一緒の時間
明日 これから 将来 ・・・
中年の恋
相手の良いところだけ見る
気晴らし 心の中は互いに別世界
一時の恋 
さようなら
飲み屋の男女
夢の世界 互いに楽しむ
恋も お遊び
大人の世界
 
 
 
 
 
 
 
 
●島田清次郎  
明治32年-昭和5年31歳没 (1899-1930) 
島田清次郎は、明治32年2月26日、石川県の美川に生まれた。実家は回船業を営んでいたが、清次郎が生まれて間もなく父親が亡くなって没落、母子は貧しい生活を送る。小中学校は、母方の祖父が金沢で営んでいた遊郭から通っており、少年時代の遊郭暮らしの経験はその後の清次郎に大きな影響を与えた。しかし、祖父が米相場で損をして遊郭の経営も傾き始め、清次郎をこれ以上中学に通わせることができなくなった。一時、東京の実業家の庇護を受け、東京の明治学院に通うが、次第に富豪への反感がつのり、激しい衝突の末金沢へ帰り、叔父の元に身を寄せた。  
小中学校では神童といわれていたこともあり、島田はこの頃から自分のことを天才だと信じるようになる。ノートには「清次郎よ、汝は帝王者である。全世界は汝の前に慴伏するであろう!」「人類の征服者、島田清次郎を見よ!」などと書きつけていた。  
金沢では叔父の庇護を受けて商業高校に通うが、弁論大会で校長を弾劾する演説をして停学。さらに読書や創作にかまけて学業を怠るようになり落第、退学となり叔父からも学資を出してもらえなくなった。  
自活しなければならなくなった清次郎は、さまざまな職業を転々とするが、傲慢で人を見下したような態度のためどれも長続きしない。大正6年には目をかけてくれていた仏教思想家・暁烏敏の紹介で京都の宗教新聞「中外日報」に小説『死を超ゆる』を連載。これが商業紙デビュー作となる。翌大正7年にはわずか19歳で中外日報記者として迎えられるが、例によって仕事を頼んでも「僕はそんなつまらないことをするために入社したのではない」という調子なので、わずか二ヶ月でクビになってしまう(このあたりのことは涙骨回想録にも詳しい)。  
新聞社をクビになった清次郎は、中外日報主筆の伊藤証信が友人の評論家生田長江に宛てて書いてくれた紹介状を持って上京。生田長江に長篇『地上』第一部の原稿を手渡す。清次郎は原稿を読んでくれるまで生田宅に何度も日参。生田は辛辣な批評家として知られていたが、この島田の小説をドストエフスキーやトルストイとも比較して大絶賛。さらに社会主義思想家で、後に日本共産党初代書記長となる堺利彦も、社会主義の見地から『地上』を絶賛。こうして『地上』第一部は華々しい宣伝とともに新潮社から刊行されることになり、大正8年には文芸愛好家ばかりか一般読者もまきこんだ大ベストセラーとなる(ただし第一部は無印税の契約だったので清次郎はまったく儲からなかった)。  
清次郎は続けて『地上』を第4部まで刊行。いずれも版を重ね、合計50万部を売り上げて、『地上』は大正期を代表するベストセラーとなった。しかし自ら「精神界の帝王」「人類の征服者」とまで豪語する傲岸不遜な振る舞いは文壇では嫌われ、揶揄する声も多くなる。それでも若者を中心とした一般読者には絶大な人気で、清次郎は『大望』『帝王者』『勝利を前にして』など力強いタイトルの本を次々に出版していった。  
この頃に書かれた断章「閃光雑記」では、「日本全体が己れに反対しても世界全部は己れの味方だ。世界全部が反対しても全宇宙は己れの味方だ。宇宙は人間ではない、だから反対することはない。だから、己れは常に勝利者だ」「滑稽なる案山子共よ、実力なき現代諸方面の人々よ。――今に、目がさめよう」などと書き記している。  
あるときなどは出版元の新潮社を訪ね、社長の佐藤義亮に向かって、「自分の小説が売れているのは政友会で買い占めをやっているのであろう。現代日本の人気者といえば、政友会出身の内相、原敬であるが、今や新しく小説家島田清次郎も人気を得ている。これが気に入らず、政友会は、島田清次郎を民衆に読ませないためにために、ひそかに『地上』の買い占めをやっているに相違ない」と真顔で言ったという。  
堺利彦の絶賛を受けてデビューしたこともあり、デビュー後の清次郎は社会主義運動に接近。社会主義同盟にも加入しているが、清次郎の思想は、基本的には一人の英雄が世の中を導くという英雄主義であり、社会主義とは相容れることがなかった。また、プロレタリア文学運動が本格化するにつれ、文壇での清次郎の居場所はなくなっていった。またこの頃、堺利彦の娘真柄に恋心を抱き求婚するが、父利彦によって拒絶されている(真柄と利彦をモデルにした人物は『地上』第4部に登場する)。  
大正11年1月、それまでファンの女性と手紙のやりとりをしていた清次郎は、山形県に住む女性の家にいきなり押しかけて強引に関係を結んで結婚。同じ年の4月からは妻・豊子を日本に残し、アメリカ、ヨーロッパ各国をめぐる半年間の外遊に出発した。清次郎は赤坂で盛大な送別会を開き、作家仲間に招待状を送ったが、訪れたのは発起人のほかは吉井勇ら2人だけだったという。出発後、清次郎が船上で林田総領事夫人に強引にキスを迫り事務長にたしなめられたという事件が新聞で報じられると、それまでも清次郎の暴力に耐えてきた妻は実家に戻り、二度と清次郎の元には戻らなかった。このとき、豊子はすでに清次郎の息子を宿していた。息子は自分が島田清次郎の息子とは知らないままに育ち、早稲田大学理工学部に入学したが、昭和20年8月15日に若くして亡くなっている。  
さて、外遊中の清次郎は、ちょうどその前に外遊していた皇太子に自分をなぞらえて「精神界のプリンス」と自称。アメリカではクーリッジ大統領と面会し、イギリスでの歓迎パーティには文豪ゴールズワージー(国際ペンクラブ初代会長)やH.G.ウェルズらが出席。このとき、清次郎は日本初の国際ペンクラブ会員になっている。アメリカの老詩人エドウィン・マーカムと面会して「貴方が島田さんですか、大層お若い」と言われ、「肉体は若いが、精神は宇宙創生以来の伝統を持つてゐる……」と答えたのもこの外遊中のことである。  
帰国後、実質上『地上』第5部となる『我れ世に勝てり』(「改元」第1巻)を出版。この小説の中では妻・豊子をモデルにした人物が登場するが、実兄との近親相姦で子供を身ごもり自殺するというひどい扱いを受けている。大正12年4月にはファンレターをきっかけに手紙のやりとりをしていた海軍少将令嬢舟木芳江と逗子の旅館に宿泊。これが監禁陵辱であるとして舟木家から訴えられる事件が起きる。結局、清次郎が提出した芳江からの手紙が決め手となって、二人は以前から親しい関係にあったことがわかり告訴は取り下げとなるが、この女性スキャンダルは新聞や女性誌に大きく取り上げられ、理想主義を旗印にしてきた島田清次郎のイメージは大幅にダウン。最大の味方だった世間からも見放され、注文もなくなり、原稿も受け取ってもらえなくなってしまう(余談だが、この事件は大正15年にすでに「女性の戯れ」というタイトルで映画化されている。天才作家を演じたのは新人俳優であった三田英児、本名浅利鶴雄。劇団四季を創立した浅利慶太の父である)。  
宿代も払えなくなり、知り合いの作家の家を転々としていた清次郎は、大正13年7月30日午前2時半頃、巣鴨の路上を人力車で通行中、警察官の職務質問を受ける。浴衣に血痕が発見されたため逮捕され(本人の説明によれば「帝国ホテルに夕食に行ったが、島田だと言ってもボーイが待遇をしてくれなかったため殴って逃げた」とのこと)、警視庁の金子準二技師(のちの日本精神病院協会理事長)による精神鑑定の結果、早発性痴呆(現在の統合失調症)の診断を受け巣鴨の保養院に収容された。  
入院中には、大泉黒石らが訪れ、新潮社に受け取ってもらえなかった改元第2巻を春秋社から『我れ世に敗れたり』として出版。さらにわずかな詩を、辻潤らが創刊したダダイズム雑誌「悪い仲間」などに発表。外遊中に知り合い意気投合した木村秀雄(新興宗教・観自在宗の教祖。『吾れ世に勝てり』の主人公の兄のモデル)らは清次郎を退院させるべく奔走、清次郎自身も徳富蘇峰らに退院を願い出る書状を何通も送っているが、結局退院は叶うことはなかった。病状は快方に向かっているように見えたが、昭和5年4月29日、肺結核のため31歳で死去。  
    映画・島清
 
 
 
 
●北陸新協の「島清世に敗れたり」   
同じ頃、旧河原町の角の酒房「浮標」で、カウ ンター越しに梅村澪子が「章ちやん、北陸新協の50周年記念になんか本を一つ書いてくれんかいね。高枚生の脚本ばっかし書いとらんと大人のもんも書いてみまっし」と誘惑したものである。梅村は北陸新協の看板女優で、昭和49年、三好十郎の「浮標」の小母さん役を演じたことを記念して、10人ばかり坐れるカウンターのある飲み屋の屋号にしていた。芝居好きの金沢の老壮年のやんちゃ者達が集まる陽気な酒房である。 
梅村に言われて頭を去来したのが島清である。島清こと島田清次郎は、大正時代の美川町出身の小説家。ベストセラーとなった「地上」を引っ提げて文壇に登場したが、成り上がり者と蔑視され、ついには精神病院で死ぬという壮絶な生涯には、かねてから興味をそそられていた。傲岸不遜の裏の小心さと劣等感を持つ男に自分を重ねて眺めていたのかもしれない。東京で一旗揚げるという田舎青年の志に反発するものがあったからかもしれない。また杉森久英が直木賞の「天才と狂人の間」を書いたとき、島清の少年時代を松任の暁鳥家に取材してきた話しを総夫人に聞かされていたからかもしれない。第一稿を書き上げたのは「昭和58年10月23日から11月8日まで」とメモしてあるから、こちらは3週間とかかっていない。第一稿ができてから、あの人も出たい、この人も出したいということで、あわてて登場人物を増やしたりしたので、終稿を書き上げたのは12月になっていた。北陸新協の田中一明が待っている「浮標」へ、バスで急いだ夜はひどい雪で、広小路の神明宮の前まで来たのにバスがなかなか進まずイライラしたことを覚えている。ともあれこれが「斬奸」と並行して資料を調べながら書いた作品で、「島清世に敗れたり」と題名をつけた。
ちょうどその頃、現代演劇協会事務局長の杉本了三から電話があった。「先生、手元に作品があったら、文化庁で戯曲作品を募集しているので応募してみませんか」と薮から棒の話である。「斬奸」はボツになっていたので、北陸新協には黙って、12月20日「島清世に敗れたり」を応募作品として出すことにした。 
年が明けて昭和59年2月、夜10時すぎだった。「文化庁の者ですが、あなたの応募戯曲が入賞しましたが、お受けになりますか」。寝耳に水という言葉どおりの連絡で「ただし、作品が雑誌に掲載されたり上演されたりする時、演出が制作上、作品に手を加えることがあるかも知れませんが、それをご承知頂くことが条件です」。ここからが我が人生の混乱の始まりであった。新聞発表は2月26日だったが、その晩、文学座の北村和夫が電話をくれた。「うちで演るぞ」。「ごめん。福田さんに義理があるので・・・」。「馬鹿もん。うちへもって来い」。重量ある声が響いたが、お断わりした。のちに「馬鹿もん」の意味が理解できたが、あの時、文学座に渡していたら、島清よろしく故郷を捨てて東京に出ることになっ たかもしれない。授賞式は3月23日だった。現代演劇協会の多くの俳優たちが式に来てくれてうれしかったが、 北村和夫も出席して「俺が芸術選奨を貰ったときは30万円だったのに、章ちゃんは百万円か」といいながら「松章、世に出でたり」と書いたお祝いを包んでくれたことがとりわけうれしかった。文学座と昂はまだ分裂の軋轢を引きずり、犬猿の仲であった。
金沢の北陸新協では、創立50周年記念第三弾の「五月」の公演を終え、6月19日に「島清」の配役を発表した。梅村澪子、和沢昌治、喜多文夫、厚沢トモ子、滋野光郎らのベテランを配し、最初から熱気をはらんだ稽古に入った。島清は三林二三夫であった。上演は11月8日から10日までの四ステージ。和沢昌治は「地元の書き手により、地元の人物をテーマにした作品を、地元劇団が上演することは、非常に好ましいことだ。私はこれを長年のぞんでいた」といい、鶴羽信子は「幕が下りた時、鳴り響く拍手の中に、私は一人の幻を見た。何年も思い出すことのなかった私の恩師、ドイツ文学者の伊藤武雄氏が突然私の脳裏に現われたのである。・・・伊藤氏の願ったものは、中央文化に対するアンチテーゼとしての地方文化ではなくて、中央と質的に対等でありながら、その上にこの地方の特質を加えた、香りある文化であったと、私は理解している。・・・演劇を何より愛した伊藤氏が、このような高い水準のこの地方の人々の手になる演劇を見たらどんなに喜ばれたことか」と言ってくれた。 
作者としても北陸新協の公演は、満足いく出来栄えであった。北陸新協創立50周年記念祝賀会が公演の翌11日に開かれ、梅村澪子は「今回の記念公演では3日間で千八百人の人に見て頂いた。ここ十数年なかったこと」と挨拶したが、石川の演劇が抱えるもう一つの問題、新劇の観客養成の必要性をあらためて認識させられた。 
 
 
 
 
●昂・円の「島清世に敗れたり」   
この文化庁舞台芸術創作奨励特別賞という長い名前の受賞作品には、上演にあたって文化庁より一千万円の助成金が出ることになっているが、島清の上演劇団は現代演劇協会昂に決定した。昭和59年7月、事務局長の杉本が、旅先のソウルから「島清、荒川哲生演出。仲谷昇が徳田秋声の線で大方まとまりました」と書いてきた。実はそれ以前に配役について相談があったので、北村和夫や仲谷昇や内田稔を候補に挙げていた。だが三人とも分裂により劇団が違っていた。分裂した者が同じ舞台で共演することはまずないのだが、作者との長い友情からということで「昂」の制作部は「文学座」の北村と「円」の仲谷に連絡を取った。文学座はたちどころに拒否し、円は承知した。 
読売新聞夕刊は「この舞台で演劇集団円の仲谷昇が徳田秋声役で客演するのが注目される。十年前、劇団雲が昴と円に別れて以来初めて一緒の舞台に立つわけで、仲谷自身の希望だが、これを機に、ニ劇団の交流を図りたいという声も出ている」と書いた。「仲谷十年ぶりに古巣に戻って客演」というニュースは、新劇では珍しい事態だったので、その後、各紙が書き立て、観客動員の助けにもなった。実のところは、この文化庁募集作品の公演はすべて新劇団協議会の主催と決まっていたので、両劇団とも協会に入っていて仲谷の出演もあまり抵抗もなく可能になったものであろう。東京の公演は、円からは仲谷と小川玲子役の黒木優美が、あとは昂で固め、島清本人かとまごうような片岡弘貴が主役を演じた。荒川のこだわりで、装置は高田一郎により、セット一杯に組んで、幕を下ろさない二幕構成となった。
荒川のテキスト・レジーは徹底していた。選考委員の一人茨木憲も「受賞作と決定はしたが、無条件というわけではなく、委員の聞からは、いろいろな角度からの、いろいろな意見が出されていた。しかしそれらは、上演に際して修正可能なもの」と言い、「近頃は、世界的に《演出家の時代》などと言われて、劇作家の作品を勝手気ままに料理することが流行しているようで、そのためにあちらこちらで物議をかもしたりしているが、荒川演出の作業はそんなものではない。戯曲の内部に踏みこんで、作者の表現したかったものを端的に引き出す一方で、冗漫に流れがちな部分をいさぎよく切り捨てて、作品の緊密度を高めた」といっている。後に分かることだが、荒川の演出は、開演のその日までセリフに手を入れる性癖があった。初日を前にしての舞台稽古のとき、終幕の看護婦のセリフをどうしようかと言うのだ。事程左様に、上演のためとはいうものの驚くべき加筆であった。もっとも茨木憲の言とは違い、私のセリフをほとんど変えることなく、その間隙に見事に加筆するのだ。  
例を一つ挙げれば、終幕で精神病院の院長が島清を慰めるセリフ「誰も来やしないよ。ここへは誰も来やしない。ここは、どこよりも安全だ。今は静かに休み給え。君は天才でもなければ狂人で もない。ごく普通の青年だよ。今は世間が狂っている。そう、狂っているのはいつも世間だ。さあ静かに休み給え」。これが作者のセリフである。荒川は「ごく普通の青年だよ」の次に、「その正義感も野心も、愛情も冷淡も、不羈も傲慢も、その小心も誇大妄想も、すべて、二つながら普通の青年の心に眠っているものだ。君はただ、それを馬鹿正直にさらけ出して演じてしまっただけのことだ。もし狂っているというなら、それはむしろ世間の方じゃないか」と挿入した。
文化庁との約束だから変更はご随意にと言っていたものの、いささか過剰で思い入れたっぷりのセリフだと思ったが、上演してみるとなかなかの聞かせどころで、観客も納得している。作者の意図としては「時代」を強調したかった部分だが、荒川演出では「青年そのもの」を浮かび上がらせ、今日的普遍的青年像に肉迫することになる。演出者は作者の思惑を遥かに越えた新しい世界を作っているのだ。劇評家の大笹吉雄が「舞台にいつも見えていた病院のベッドを忘れることが出来ません。いうまでもなく、そこに演出の観点があります。時代は病んでいたのです。というよりも、病んでいるというべきでしょうか」という指摘は、演出の荒川と装置の高田へのこの上ない理解であった。昴・円の初演は三百人劇場で、昭和60年3月1日から10日まで、12ステージの上演となった。 
ちょっと別の事件を書き入れると、この年の4月から、私が中華人民共和国上海市の復旦大学に学術教育交流と日本文学日本文化史の講学のため一年間海外出張することになっていた。この事は北陸新協の公演前に中国大使館の王效賢女史の力強い後押しによって中国側で決定したものである。この年は私には暴風が吹き荒れたようで、足も宙に浮いていて、学校にも家族にもとんだ迷惑をかけることになった。東京公演が終わり、慌ただしく準備をして上海に出発したのは3月28日である。昂・円の石川公演は中国出張中の9月9日より始まり、高文連文化教室の公演も重なっていた。そこで上海から夏休み休暇で帰国し、観光会館での公演を一ステージだけ見て再び上海に向うという忙しない夏を過ごした。
上海の一年間を終えて昭和61年3月に帰国してみると、「島清」は文化庁の移動芸術祭の演目に選ばれ、六月から一ヵ月間、西日本の各都市での地方公演となっていた。湖西、碧南、笠原、野洲、有田、丸亀、松山、土佐清水、菊地、川棚、筑紫野、瀬戸田、高梁、大阪と巡って、7月に再び三百人劇場で上演のうえ、終演した。島田清次郎没後五十五年、まさに「島清世に現われたり」であった。 
さて私はかつて、昂・円公演のパンフレットで、「昔も今も依然として地方の人が東京へ出て行って、故郷に錦を飾るというような構図になっている。しかし、中央だけに文化があって、そこからしか文化が伝達されないという一方通行ではなく、地域々々に根を下ろしたものがあるべきです。その土地に住んで、そこで生きていくために必要な文化的な糧を生みだす構図にしなくてはいけないのです」と言った。 
これを受けて荒川は「地域のコミュニティに支えられたプロフェッショナルな演劇活動が、今こそ必要だと思うのです。それが、昔どこにもあった芝居小屋とその町との関係を現代的に再生させたものとして築かれて行くべきだと思いますね。それが、東京における演劇の貧困を反省させるといったようなことにもなるべきなんです。今日かろうじて行われている地方の演劇活動は、これから二十一世紀にかけて、東京の貧困な演劇の再生産に甘んじて行くべきではないと思いますね」と言っている。荒川の永年の持論であるリージョナルシアターの提言である。これが、鏡花劇場創立の底流となるのである。  
 
 
 
 
●島清雑説 / 外遊   
1  
小説「地上」の作者島田清次郎君は、自分の外遊の為めに一人前廿円の会費を徴し、赤坂の「錦水」で送別会を開いた、然るにそれに就て文壇の人々に案内状を出すのに、最初三百枚から出さうとしたのを徳田秋声氏に忠告されて予て面識のある数十名に減らしたのださうだが、当夜集まつたのは発起人以外には吉井勇氏と誰とかの両人きりだつたさうだ、然かも極端に自負心の強い同君は、到底そんなことぐらゐに屁古垂れてはゐず、大洋丸に乗込むや否や「読売新聞」の文芸部に無線電信を打ち、「貴紙を通じて、全国の諸兄姉に暫しの別れを告ぐ!太平洋上にて、島田清郎」とかけた、当人何処まで大きく出る気か知ら、此の分では英太子もロイド、ヂヨージもクレマンソーを三舎を避けるだらうとの評判である。  
島田清次郎君に就ても一つ耳寄りな話は、同君が何時の間にか婚約の女を獲た事である、その娘は小林豊子さんと云つて山形の人、元は単なる「地上」の愛読者に過ぎなかつたさうだが、どうかする間にそれが縁となつて、島田君と婚約を結ぶ間柄とはなつたのである、然るに今まで知らなかつたが、島田君は一種の変態性欲者で、平素は豊子さんを舐め摺るやうに可愛がるが、どうかした拍子に今度は極端に虐ぢめるので、可哀さうに豊子さんの体には生疵が絶えぬさうだ。  
2  
ロンドンに到着した日本の青年小説家島田清次郎君は、曩には日本人クラブに英首相ロイド・ジヨージを招待して、一夕の交歓を尽し、今度は詩人駒井権之助君の紹介で有名な文学者エツチ・ジー・ウヱルズに会つた、その会見に就いて当の島田君の拡げ立てた大風呂敷と、向ふの記者の日本の事情に関する無知とが妙にこんがらかつて、外字新聞がどれもこれも一読したゞけで噴き出したくなりさうな記事を作つて居る、左に見本を一つ御覧に入れて置かう。  
昨日ロンドンで最も幸福だつた人は、悧巧さうな若い日本の小説家島田清次郎であつた、何故なら彼は全く単独で、エツチ・ジー・ウエルズと会ふことが出来たからである、島田はウエルズとゴルズウオシーとを日本語に翻訳したがつてゐる、彼はこれまで小説を十二書いてゐる、さうして最後に出した単行本は既に十万部を売り尽したと云ふ。  
一見、子供としか見えない島田が、日本の詩人駒井権之助が主催で、カヴエンデイツシユ・スクエヤの日本人クラブに開いた午餐会で、ウエルズに会つた。  
フランスには、聡明な人間だけが単純な気持を知るといふ言ひ草がある、たぶんこれはエツチ・ジー・ウエルズが、各々の客の前に奇体な美術的な皿の配られたとき、それに対して殆んど子供らしい歓びを見出した、その場合の気持を説明するものであらう、ウエルズも隣席のハンガリヤ人も、どちらも箸の使ひ方を知らなかつた、けれども駒井が根気よく教へたので、流石に有名な英国の小説家もつい釣り込まれて、変梃な木の道具で蓮根をつまむのに夢中だつた。  
御馳走の中で一つ、綺麗な椀に盛られ、上側にはどろどろした煮汁がかゝり中に色々な味の付いた肉と少量の野菜のはいつたものがあつた。  
「これは私のモスカウだらう」(これなら私にも喰へさうだの意)と云つて、ウエルズは笑つた、次ぎに酒の入つた小さな盃を取上げて、彼は言つた「けれど、これは私のウオータールーだらう」(これはとてもいけない、私には閉口だの意)と。  
客は一同笑つた、若い島田には其の洒落が分らなかつた、けれど彼も亦笑つた。彼の大きな瞳――あまり勉強し過ぎたので眼鏡をかけてゐた――は、日本がウオシントン会議以来、屡々耳にした人物の上に、熱心に向けられた。  
会食の済む頃、駒井は日本の小説家を呼んで演説をさせた、青年は玄人と同じくキモノを着てゐたが、いら/\しながら立ち上つた、彼は自分の英語を使ふことを恥かしがつた。而してとゞのつまり、国語で話すことになつた。  
彼の話は駒井以外の誰にも分らなかつた。が、太い単調な声は感情に震えてゐた、その中から時々「インターナシヨナル」といふ言葉が耳に入るので、話し手の顔を覗いてみると、この若い東洋人は彼の夢、即ち東西を接触せしめようとするそれの実現を、楽しんでゐるかの如く受取れた。  
若い島田の顔が恍惚とした笑ひに拡がつた時、ウエルズは起つて話をした。  
ウエルズの静かな早口は、彼の男らしい文章と較べて、不思議な対照をなす、彼は日本の思想の変つたことを話した、彼は新聞記者としてウオシントンに行くまで、日本を今なほ軍閥主義の好戦国と思つてゐたが、それの全く誤りであつたことを告げ、科学と文芸との進歩は日本のために欣ぶべきであるけれども、それと同時に日本の国民性の失はれないやうに希望すると述べた。  
「国民の服装と食物と箸とが」と、ウエルズは言つた、「日本から離することの出来ないのは、丁度ロースト・ビーフがヨークシヤから、プデイングが英国から離せないのと同じことである」と。  
次いでオールド・ベーレイの助役チヤンプネス君が、一同に代つて謝辞を舒べ生れて三週間目の駒井の娘「鞠子」のために、一同乾盃するから此の席に連れて来るやうにと云つたものだから、駒井はひどく満足したらしかつた、一同は小さな酒の盃を挙げて、赤ン坊のために乾した、駒井は「子」は「球」を意味し、彼がテニスを好むところから娘に「鞠子」と名づけたのだと説明した。  
終りに、召使ひが紙の封筒に箸を入れて、記念品として各々の客に配つた。  
「おもての文字はどんな意味ですか」と、誰やらが質問を放つた、「防腐完全衛生お箸」と、駒井が翻訳したので、一同笑はされた。  
花と、キモノと、蓮根と箸とから、風の強い八月の夕ぐれに、寒いロンドンの大通りへ出ると、それはまた奇妙な対照であつた。  
何はともあれ、日本を出発する際に、二十円の会費で文壇知名士一百名を赤坂の錦水に召集し、豪奢の限りを尽した送別の宴を張らうと企てた島田清次郎君がその晩すつかり的が外れてたつた二人の友人を獲たに過ぎなかつたに引換へ、かういゝ気持に納り返へるとは、ロンドンこそ世界中で住み心地のいゝ国だと、帰つて来て言ふかどうか。  
3  
日本及日本人記者足下。貴誌の文芸記事に島田清次郎の倫敦に於ける英国諸文豪との会宴の記事があつたが、あれは自分から倫敦滞留中にも、同胞間の驚異であつたのだ。  
あの島田の馬鹿が――どうして。あの新聞記事を読んだ時、同胞の誰れもの口より迸つた言葉であつた。  
勿論、駒井氏の斡旋の労に依つたのだが、それには隠れたる島田を助けた否かつぎ上げたものがあつた。  
太平洋航海中、米国旅行中に於ける非常識阿呆振りは島田が倫敦着以前に倫敦同胞間の一つ話となつて居たので、彼れが倫敦へ来ても誰一人相手にするものがなかつたのだ。  
それを拾ひ上げ、一切の世話面倒を見て、駒井君を引合せてあの会合までやらせたのは、一片の紹介状を受取つた東京の実業家に選ばれ米国より英国に来り、ヨークシヤの工場で職工となつて研究をして居る一青年であつたのだ。  
自分はその青年を一度倫敦の日本人倶楽部で見かけたが、惜しいかなその姓名を逸した。日本人としては立派な体躯で、眼光の鋭い意志の鞏固な、而して相手に快感を与へる純英国式の応待振りが今迄もその印象として残つて居る。  
自分はいつも、新聞紙や雑誌に現はれ来る、政治経済学術等の総ての出来事や、洪瀾の影には隠れたる大きな力が動いて居るのを想ふ。  
島田と云ふ馬鹿者の一些事に過ぎぬが、隠れた力として思ふ時にヨークシヤの工場であの青年が、油服を着てコツ/\と働いて居る姿を眼前に髣髴せざるを得ない。 
 
 
 
 
●島清雑説 / 死去後  
島清の死 / 被害妄想及心気妄想の一例 
昭和五年四月二十九日、天才的の青年文士島○清○郎君は保養院の一室で死んだ。其末路は淋しかつた。  
君が保養院に入院したのは大正十三年七月三十一日で、巣鴨警察署から住所不詳として公費患者で送られて来た、其の入院するに至つた事情が、翌日の東京日々新聞の記事によつて大体知る事が出来る。  
あはれ天才島清クンの末路  
精神病者と鑑定され昨夜保養院送り  
青山墓地の爆弾事件犯人捜査のため巣鴨署では三十日午前一時から全署員を督して管内の総密行を行つた所、午前二時半ごろ巣鴨町二ノ三五先道路で怪しい男を発見し、刑事が取押へると汚れたゆかたになまなましい血痕を発見したので、こいつ大きな獲物とばかり、有無をいはせず引捕へて取調べると、はじめは辻褄の合はぬ事を申し立てゝゐたが、これなん先日吉野博士の宅におしかけ、居候をきめこんでお得意の一問題起こした天才島○清○郎クンと判明したので、同署でももてあまし、引取り方を徳田秋声氏に交渉したが、同氏も受けつけてくれず、今更放還する訳にもゆかず閉口してゐる。同署警察医の鑑定では精神病者なることが確実なので、更に警視庁金子技師の鑑定を仰いだ結果、いよいよ精神病者として三十一日午前九時巣鴨町庚申塚四一四保養院(私立の精神病院)に送られた。  
翌日型の如く診察して大体次のような答弁を得た。  
『年は二十六歳、住所は震災前には代々木富ヶ谷一五六、震災後は郷里金沢に行つたり来たりした。東京では方々友人の所に行つた、此所に来たのは先輩を訪ねる途中警察へ連れられ其れから車で来ました』。  
『体を診て下さい、神経衰弱なんです、私は昨年以来或事件で脳を悩ました、他人が私の云ふ事を正解せず、常に反対する、財政上の事かなんかで、僕の病気は脳の病気で味方の医師でなければ判らぬ』。  
『友人を訪ねても独身の処ならば宜しいが、妻子のある所には一週間二週間と永居は出来ぬ、気の毒です』。  
『入院の前日帝国ホテルに飯食ひに行つたが入れて呉れない、金は二三円持つて居つた、島○だと言つても待遇して呉れない、それでボーイを殴つて逃げて来た、五六人で追駆けて来て日比谷公園の所で私を殴つた、其私を殴つた者は国粋会の佐○間だと言ひました、其時鼻血が出て衣物に血が着いて居たんです』。  
『海防義会の評議員桜○昌○少将が媒酌人で○木よ○えと結婚する事になつて居る』。  
『知人では浅草左衛門町に長○川○太郎と云ふ遠い親戚がある、世話して呉れる先輩は本郷森川町一番地の徳○秋○』。  
『郷里には伯父西○八○が金沢市尻垂坂通町三丁目六に居て、地主で代書をして居ます、母は其伯父の厄介になつて居ます、東京の人達は駄目だから郷里に帰ります』。  
君は白皙黒髪にして眉目清秀、一見して天才児の風がある、病的の症状としては顔貌表情乏しく談話低声で渋滞し、記憶稍不良で感情稍鈍麻し、意志減退して居る、早発性痴呆の破瓜病と云ふ事が判つた。其内に時々親戚知己等の面会があつて、遺伝や既往歴等が判つて来た、父は常○と云ひ三十一歳で病死した、母はみ○と云ひ、五十歳で健存して居る、父方祖父は脚気で五十余歳で死し祖母は長命した、母方祖父が精神病だつた、其れから母の弟が精神病である、君は一人子で同胞がない。  
君は小児の時から癇癪強く自恣だつた、十八歳の時に蓄膿症に罹つた、其外に著患はない、気質は勝気で憤怒し易く、智力は敏捷であつた、中学三年まで修め、次で商業学校一年修業した。  
其後の診察の時に妄覚がある事を愬へる。  
『時々誰か催眠術を掛ける、前からそんな事がありました、其時は頭が苦しくなります、隣に寝て居る人の蒲団が恐ろしく見えた、気味が悪い』。  
入院後三四箇月して、春秋社の神田豊穂氏が大泉黒石氏と同伴で私を訪問して来られた。島○君が原稿を持つて居るそうだが、大泉氏に校閲を願つて物になるようだつたら出版し度いと云ふ事である、其れで君を呼んで来意を告げたら快く原稿を渡した、一二週間後に再び大泉氏が来られて、文章は纏つて居るから出版して貰はうと云ふ事である、其れで君を呼んで其旨を告げ、書物の名を求めたら「我れ世に敗れたり」と命名した。大正十三年十二月、其書は出版された、原稿料は在京の親戚の手を経て郷里の母親の手に入つたようである。  
其頃は終日無為に暮らして原稿等は書かない、無趣味で茫然として眉を顰め、時々悲しそうにして居る、室内に痰を吐き散らし、窓から放尿する、其頃から時々診察の時に、  
『言ひ悪い事ですが黴毒と○○に罹つて身体が痒くて節々が痛みますから癒して下さい』。  
と言ふ。○○の方は事実だが黴毒は事実ではない、血液の反応も陰性である。軽い心気妄想と考へられる。  
又時々人物誤認症があつた、診察中突然私に向つて『あなたは大化会の○○さんですね』と云つた事があつた、又雑誌記者等の面会の時に人を間違へたり、旧知の人を知らないと言つたりした、其等の人の話によれば以前は非常に傲慢で、其れが為めに親友がなく、先輩の人にも感情を害して居る、又利己的で原稿料が手に入つても友人等に奢るやうな事はなく、皆自分で使つて仕舞ふ、先年原稿料二万円這入つた時にも、其れを持つて一人で洋行して来たと云ふ事である、又かつて一高に行つて演説した時に、自分は漱石以後の文豪であると非常な気焔だつたそうである。併し今では私等無名の医師に対しても非常に丁寧である。其後しばしば看護人に向つて、『馬鹿野郎』とか『無礼者』とか怒鳴る事がある、其理由を問ふに、  
『看護人が催眠術を掛けて私を殺さうと思つて居る、危険です』と言ふ、被害妄想である。  
其頃頻りに方々に書面を書いて出さうとする、若槻総理大臣、横田大審院長、床次本党総裁、後藤新平子爵等に宛てたものである(次頁に掲げたのもその一つ)。内容は多くは退院に就いて尽力を頼んだものである。  
こんな容態で大正十四年は過ぎた、其後松岡看護人は小林と云ふ死刑囚と同じ顔をして居ると云つた事がある、其頃は能く手拭で頭を包んで居た、診察の時にも其手拭を取らない、頭から背、腹全部痛いと愬へる、前述の妄覚や妄想は矢張り時々現はれて居る、斯くして大正十五年と昭和二年は過ぎた。  
その後は多くは臥褥して稍沈鬱して居る、人に接するのを嫌ふ。  
昭和三年七月二十三日板橋税務署から税務官吏が病院に調査に来た、其れは君の所得額は印税収入で一箇年二万円となつて居るが、其所得税がずつと滞納になつて居ると云ふのである、其れで全盛時代にはそんな事もあつただろうが、今は精神病で而も公費で入院して居るから、そんな税金は納められる筈がないと言つて帰へした。  
昭和四年になつて新聞を切抜いたり、時々原稿を書いたりして居ることがあつた。又衣類や蒲団を破る事がある食器を窓から捨てることがある。  
昭和五年一月になつて左の肺尖加答児(カタル)を起して来た、三十七度余の発熱があり、時々咳嗽がある、其為めダンダン衰弱して来た。  
其れに下痢も加はつて来た、肺の患部はズンズン進んで来た、遂に四月二十九日、君は天才を抱いて空しく斃れた、行年三十二歳、其末路は淋しく哀れで、而も短命であつたが、君の創作の収穫は長命の凡人の遠く及ばない処である、殊に君のローマンスに至つては、世人に一大センセーシヨンを与え、世の父兄に一大教訓を示した。
「勝つた女性・負けた女性」  
狂天才島田清二郎は、巣鴨保養院の冷い灰色の室に六年間、黄色い薄笑ひをつゞけながら生きてゐた。  
舟木芳江にとつてはそれが何かの奇怪な幻実のように思はれてゐたに相違ない。たとへ彼の女の思想が労働運動に従つてゐる末兄の指導によつてこの六年の間にじりじりと左翼に転向したといふような事実があつたとしても、何としても往年の逗子養神亭事件の思ひ出は時に彼の女の魂を脅かしてゐたに違ひないのである。俄然、今春、島清の死が伝つた前後から舟木芳江甦生の消息が何処からともなく世間に聞こえてきた。  
事実、舟木芳江は彼の女の闘ひ取つた左翼思想を演劇行動によつて示現すべく、今日では左翼劇場女優団の一構成メムバーとして既に「密偵(スパイ)」「吠えろ支那」等の舞台にも立つた。  
隠忍六年間、彼の女は郊外駒沢の兄重信氏の家にひつこもつて書斎の窓から麦畑を眺めながら「一生独身」の誓ひを繰り返して自涜ばかりしてゐたのではなかつた。そこんところが「素晴しき哉、舟木芳江」と讃められないだらうか。  
筆者も甦生の舟木芳江には数回会つたことがある。あたかも水泳選手のようによく整つた健康的な姿体の持ち主で、どつちかといへばクララ・バウ式丸顔の美人に属する。だから彼の女に水泳着を着せてダイビングをやらしてみたいと筆者は思つたのである。然し歯切れのいゝ口調で、真直に対者の眼を見ながら、ぱきぱきと物をいふ点には左翼的な鋭角的な魅力を感じさせるのである。舟木芳江も遂に勝つた。
「島清」と青春  
島清こと島田清次郎の思い出を依頼された瞬間、例によって気軽にOKと即答はしたのものの、よく考えてみると三十年ないし四十年ほど昔のことを思い出そうとするのだから、宿酔の朝、前夜の行状を断片的に思い返してみるとき以上にまとまらない。  
ただかれと筆者は少年時代から、後の隣組といったような近距離に住んでいたし、小学校も中学校も同門だったこと、“地上”第一巻に登場してくる和歌子なる女主人公が、偶然にも後で筆者の義姉というような関係におかれるにいたったので、なんとなくそのおぼろげな記憶をたどって御注文に応じないことには義理が立たぬようにおもわれてきたのである。  
ところでかれは小学時代から筆者とは一年か二年上級だったが、そのころのかれは上小柳町の二階家に母親と間借りをしてたようだった。母親には一度も会う機会はなかったが、彼女は西郭かどこかあの辺のとにかく水商売の家の女中もしくは仲居をやっていたのではないかとおもわれる節がある。  
いつかれの家へ遊びに行っても、かれは独りぼっちで、しかもかれはそうした火の消えたような家庭にありながら、少しもさびしそうな様子もなく、母親からは相当小遣いをねだっていたとみえ、少なくも当時の堅気な家庭に育っていた他のわれわれ少年とくらべるとかなり放縦な環境にめぐまれていたような印象を残している。  
独り住まいをさびしがるどころか、驚いたことには、小学五年ころから、同年もしくは一級上の女子同校生にさかんに附け文を送るという始末で、しかもかれのねらう少女はいわゆる才えん型ばかりで、勉強もでき、みめかたちも整っていないことには相手にしないという調子だった。  
とにかく、相手の少女から返事のくるまで根気よく今日からみれば全くあどけない附け文を、それも差出人名義は“黒坊から”の一点張りで、盛んにラヴ・レターを郵送していた。  
相手の少女が自分に興味をもっていようが、いまいが、そんなことは一向お構いなしで、自分がモーションをかければ、いかなる女性でもなびくにきまっているといったような一つの信念に似た気位と心臓の強さを自負していた。  
島清という男は少年時代から、そうした型に属する心臓男だった。  
小遣いには余り不自由しなかったらしいかれは、夏がくると、われわれ友達を誘って、金石や小舞子の海水浴場へよく出かけたものであるが、かれはいつも女子の海水浴場へ突入、裸体の女性群が逃げまどうのなかへ動ずる色もなく、あたりをへいげい――実際へいげいといった方が一番よく当っているが――それでも目元や口元に野性的ではあるが、どことなく魅力的な愛情をひらめかすことを忘れぬ表情で、憶面もなく泳ぎまわるという始末だった。  
この場合遊泳中の女性群が逃げようが逃げまいが、また同行の男性友達が迷惑を感じようが、感じまいが、一向気にかけるというようなことなく、逆にそうした大胆不敵さを同行の友人に得々と誇っているというようなジェスチュアをとっていた。  
われわれは驚いたり、迷惑をしたり、それでいてかれを引きとめることもできず、いつもかれの心臓には押され通しだった。  
かれの風格、心臓、不敵さというものはかように少年時代から大人も及ばぬ迫力に燃えつつあったのである。  
中学はいまの紫錦台中学の前身、二中だった。学校の成績は小学も中学も、一二を争うほどの秀才だった。  
ところが校内の弁論大会があると、かれは必ず登壇、演題は“人格の輝き”とか“青年の使命”などというすこぶる教訓的なもので、その言々句々、その直情的しかも迫真的舌端の数々はこれまた上級生なども遠く及ばぬ構想とジェスチュアで満場を圧するというふうだった。  
かれが二中を中途退学したのは家庭の事情によるものか、あるいはなにか受持教師と論争の果て憤慨して出たのか、はっきりしたことを知らない。  
一説にはかれは当時中学生はゲートルをつける校則となっていたが、ゲートルは青年の足の発育上、不衛生であり障害であるというのでゲートル廃止論を提言して容れられなかったため憤慨して立ち去ったという話だった。  
二中退学後しばらく姿を消していたが、やがて金沢に舞いもどり、当時彦三にあった金沢商業学校に入学したが、これも一年か二年で教師とけんかして退学してしまった。  
和歌子とのロマンスはこのころから始まったもののようであるが、和歌子以外にもかれに追いかけられた女学生は一二に止まらなかったようである。  
しかし“地上”でみてもわかるように、かれは数ある女性のうちで和歌子には最も興味と執着を感じていたらしい。  
そこで和歌子なる女性の分析を試みることとする。  
地上でクローズ・アップされている彼女のポーズは大体真相に近い。  
かの女の父というのは伊藤博文のブレーン・トラストの一人であったが、伊藤博文が朝鮮で凶弾に倒れた後、寺内元帥ににらまれ、宮仕えはすまじきものと慨嘆して、故郷金沢に帰ってきた。  
和歌子とその弟三人は父とともに朝鮮から引揚げてきたが、父は当時全国的に一時は銅山王と呼ばれた横山一家に随身、尾小屋鉱山の顧問のような資格で官吏から実業界に転身した。  
したがってかれら兄弟の住宅は偶然にも筆者と同じ街に構えられたが姉弟四人はいつも留守居を守っていた。和歌子らの母親はとっくに朝鮮で客死していたから、留守宅は和歌子が主婦格、年齢は島清とおそらく同年だったとおもう。  
和歌子という女性は当時の金沢女性の標準からいうと良くいえば進歩的なタイプだったが悪くいえばいわゆるお転婆娘といった感じの、見方によれば姉御型であり、伝法はだでもあった。  
顔立ちは大和なでしこ型でなく、どちらかといえば変装でもしたら、いわゆる男装の麗人とうたわれたかも知れない。  
なにぶん当時広坂通に新設された第二高等女学校の生徒の洋装が、女にあるまじき服装として問題になるほど封建的だった金沢の一角にそうした毛色の変った女性が出現し、それがたまたま狂的天才の素質をもつ島清の近所に住むこととなったので、それがロマンスの芽生えとなったことは宿命的なめぐり合わせだったかも知れない。  
しかし後で聞いた話だが、島清は例のごとく大いに積極的かつ攻撃的だったようだが、和歌子の方ではそれほどでもなく、警戒的だったという。  
家庭を離れ生活の本拠を尾小屋においていた和歌子の父親が島清のわがいとし子に対する熱意と求愛に動かされて、むしろ一緒にさせてやったら、というので島清を探したころ、かれは金沢を去って京都に苦学していた。  
当時のかれの心境は筆者にとって推測の限りでないが、かれの勤務先きが中外日報であり真渓涙骨の門下生として苦難力行にてい身しているというようなうわさが風の便りに伝えられていた。  
狂的天才島田清次郎の処女作、地上は実にこの京都在留中における苦心の作であったと記憶する。  
“地上”を脱稿してからのかれは、これが売込みのため東奔西走、郷土出身の先輩作家の門をたたいたようだが、いずれも取り合わず、最後に生田長江の知遇を得てようやくこれを新潮社から出版する機会にめぐまれたのである。  
二十歳そこそこの青年作家のかくも大胆な花柳紅灯街素破抜きは、当時の創作界に一大センセーションを巻きおこしたこと周知の通りであるが、この画期的作品がついにかれをしてたちまちのうちに松沢病院(正しくは「保養院」)に狂死を余儀なくせしめるヒューネラル・マーチの前奏曲となったことはまことに一きくの同情なきを得ない。  
筆者が島清に最後に会ったのはこの地上第一巻が全国津々浦々からあらしの歓呼をうけた直後であった。筆者が旧四高在学中のことである。  
かれは金沢地裁前、胡桃町の、この時も二階家の二間を借りていた。  
筆者がかれに敬意を表するため訪れた時である。かれは薄暗い四畳半の二階に、たんすの引出し二つを裏返しに重ねて机代わりとし、端然とすわって、第二巻“地に潜むもの”を執筆中であった。  
隣の部屋には病魔に襲われた母親が横たわっているような気配だった。  
「お母さんも喜んでおられるでしょう。」  
と祝辞を述べた途端  
「そうです、しかし母はぼくがどれだけ偉くなったかを知らないだけかわいそうです、実際総理大臣より偉くなったんですからね。」  
ときた。筆者はつぎの言葉に窮した。  
「私達もこのごろ“アカシヤ”という同人雑誌をまわしたりしておりますが、何かとよろしく。」  
と半ば退却準備にうつるや、かれはすかさず、  
「ぼくのように成功すると、それが刺激となって、君達も真似するようになるんでしょう。」  
筆者は瞬間少し、きているな、と直感し、再会を約してそうこうと暇を告げたが、これが筆者がかれに会った最後となった。  
“地に潜むもの”完成後、かれは矢継早に“われ世に勝てり”を発刊。  
渡米の船中で郷土出身の外交官夫人にたいし恋愛攻勢を試みるほか、最後に海軍少将だったかの令嬢にちょう戦、少年時代さながらの恋愛合戦で終始、その最後がいかにみじめであったかはここに再録するにたえぬものを感ぜしめられる。  
筆者のかれにたいする記憶は大体以上のように決して華々しくもなければ芳しくもないものだった。  
しかしかれの死を慰めるとすれば、もし当時郷土の先輩その他がいま少しくかれを慰ぶし、保護し、鼓舞激励していたらんにはかれもあるいはもっと真人間として、他の郷土先輩作家並みに終りを完了し得たかも知れなかったろうと悔やまれる。  
文壇とか、作家の社会にはわれらの夢想だにおよばぬ封建的残しが今日といえども清算払しょくされずに放置され、依然として新進作家のひのき舞台デビュを困難ならしめているような面も多々温存されているように聞く。  
島清はそうした新進作家中の最初の犠牲者だったようにもうかがわれる。  
これは狂人天才島清を思い出すごとに筆者の脳裏に浮び上ってくるかれにたいする好意的解釈の一端であるのだ。 
 
 
 
 
●島田清次郎氏の「地上」   
「多少ながらいいものをもっているようです。会ってやって下さい」という意味の生田長江氏の紹介状を持って、きわめて謙譲で、無口な青年が、私を訪ねて来た。それが島田清次郎氏であった。大正八年の春のことである。 
持って来た原稿を、社の二、三の人たちに読んでもらった。相当見られるというのと、いや、大したもんじゃないという、二様の意見だった。結局冒険して出すこともなかろうとの説に帰したが、私が読んでみると、なるほど稚拙な点は否めないが、しかもどこか不思議な迫力があり、いい意味の大衆性をもっているので、未練があって棄てかねる。で、初めの方を二、三度読みかえして見てから、とうとう出すことに決め、郵便で出版承諾の旨を言ってやると、彼は飛んで来た。非常な喜び方だったことはいうまでもない。 
この時の素朴な感謝に溢れた彼と、後の傲岸(ごうがん)無比な彼とが同一人であったということは、今考えても不思議なくらいである。かくして「地上」第一巻が生まれた(大正8年6月)。 
初版は三千部刷ったが、初めの売行きは普通だった。それが二十日ばかり経ってから俄然売れ出し、徳富蘇峰翁や堺枯川氏などの激賞をきっかけに、各新聞雑誌における評判は、文字どおり嘖々(さくさく)たるものであった。十版、二十版と増刷して、発売高は三万部に達した。つづいて「地上」第二巻を出したが、これも初版一万部が、たった2日間で売れ尽す盛況であった。この奇蹟以上の売行きに、あの謙虚寡黙だった青年が私に向かって、「自分の小説が、これほど世に迎えられようとは実際思っていなかった。それにしても、第二巻などはあまり売れ過ぎるように思う。これは恐らく、政友会で買い占めをやっているのであろう。現代日本の人気者は、政友会出身の内相原敬であるが、今や新しく一世の人気を贏ち得ようとする者に小説家島田清次郎がある。これは政友会の堪え得るところでない。で、政友会はこの上、島田清次郎を民衆に知らしめないために、ひそかに「地上」の買い占めをやっているに相違ない」と語った。これには私も、すこしヘンだぞと思わざるを得なかった。 
第三巻は、本が出来てから初めて読んで、その支離滅裂さに驚き、すこしへんだぞと思った予感が、まさに的中して来たことを情けなく思った。それでも初版の三万部は事なく消化されてしまった。 
第四巻の出版にはかなり躊躇されたが、騎虎の勢どうにもならないで出した。やはり相当に売れた。 
「日本の若き文豪が、民意を代表して欧米各国を訪れるのである」と豪語して、海外漫遊に出かけたのはその頃であるが、あちらで奇矯な振舞いをして、在留の同胞に殴られたという噂をしばしば耳にした。 
帰ってからは、あの「島清事件」だ。一遍にぴしゃんと凹まされてしまって、彼は再び起つことが出来なかった。盛名を馳せた人で悲惨な末路を見せるものは珍しくないが、彗星のように突如現われて四辺を眩惑し、わずか両三年にして、また、たちまち彗星のように消え去った、島田清次郎の如きは、恐らく空前にして、絶後というべきであろう。 
 
 
 
 
●映画「地上」  
(1957/吉村公三郎監督) 
大正初期の金沢。遊郭裏の置き屋の二階で、母お光(田中絹代)と貧しい生活を送る中学5年生の大河平一郎(川口浩)。社会改革への熱い夢を持つ彼を、芸者の冬子(香川京子)や資本家の子女である和歌子(野添ひとみ)らは慕う。強烈な自我を持つ平一郎は、自らの恋愛にまで、階級社会の持つ矛盾が暗い影を落としていることを敏感に察知し煩もんする。そして、上京し身を立てることを決意する。 
大正初期の作家島田清次郎の同名小説を原作に「美徳のよろめき」の新藤兼人が脚色、「夜の蝶」の吉村公三郎が監督した文芸篇。撮影は「地獄花」の中川芳久。主演は「くちづけ」(1957)のコンビ川口浩と野添ひとみ、「太夫さんより 女体は哀しく」の田中絹代、「夜の鴎」の佐分利信、「ひかげの娘」の香川京子。ほかに川崎敬三、月田昌也、三宅邦子、新人安城啓子、小沢栄太郎、信欣三など。色彩は大映カラー。 
あらすじ 
金沢中学五年の大河平一郎は、針仕事で生計をたてている母のお光と、遊廓裏のある置屋の二階で貧しい暮しを送っていた。ある晩、部屋に冬子という若い女が飛びこんできた。彼女は明日置屋春風楼に売られることになっていたが、階下の主人に無体をいわれて逃げてきたのだ。平一郎は泣いて訴える冬子をただ見守る他なかった。学校の授業料にも事欠いて、お光は春風楼の下働きに行こうとするが、平一郎は反対した。学校で倫理の時間に校長が将来何になるかと質問した。軍人、芸術家志望の多い中で、平一郎は私利私欲に走らぬ、貧乏人を救う政治家になりたいと言った。その現代政治への痛烈な批判に、校長は学生の本分を逸脱するなと彼を叱った。友人の深井と重い気持で下校した平一郎は、その晩母と春風楼へ引越さねばならなかった。犀川のほとりへ散歩に出た平一郎は、登校の途中よく行き会う和歌子に逢った。お互いを意識して二人は過ぎた。彼は彼女に恋文を書き深井に託した。深井のとりなしで、二人は逢引し、心が通った。和歌子も平一郎に愛の手紙を手渡した。彼は友人の吉田の工場がストに入ったのを知り、篭城中の工場を訪れ、吉田を激励した。和歌子の父吉倉社長ら町の有力者は春風楼に集り、スト弾圧のために、金沢にきた政商天野から指図をうけた。春風楼では、天野に抱妓の中から冬子をとりもった。彼女はその前に一目だけでもと平一郎を訪ねてきた。卯辰山で和歌子と将来を誓ったのも束の間、平一郎は学校の思想調査で、彼女の恋文を発見され停学処分になった。ストは官憲の弾圧で流血と混乱の中に終った。平一郎母子は春風楼を追われた。冬子が来て、天野と共に東京へ行くことになったと告げた。「私はもう駄目。せめて貴方だけ駄目にならないで」と。平一郎は再出発を計り上京を決心した。二人の最後の別れの日、和歌子は一緒に逃げてと涙と共に哀願した。「君を愛しているから。ぼくには何も出来ないんだよ」平一郎は泣きながら、彼女への愛を振り切って狂ったように駈け去った。 
 
 
 
 
 
 
 
 
●真夏の夜の夢  
骨まで溶けるような
テキーラみたいなキスをして
夜空もむせかえる
激しいダンスを踊りましょう
   私 遠い夢は待てなかった
最後は もっと私を見て
燃えつくすように
さよなら ずっと忘れないわ
今夜の二人のこと
   花火は舞い上がり
   スコールみたいに降りそそぐ ・・・
   いつしか終わって消えるまで
あなたの影 私だけのものよ
   最後は もっと抱いて抱いて
   息もできぬほど
   さよなら ずっとアモーレ・アモーレ
   この世であなたひとり
踊るライト まわるダンスフロア
   カリビアン・ナイト もっと私を見て
   燃えつくすように
   さよなら ずっと忘れないわ
   今夜の二人のこと
最後は もっと抱いて抱いて
息もできぬほど ・・・
この世であなたひとり
   カリビアン・ナイト ああふけてゆくわ
   もり上がるリズム ・・・
   今夜の二人のこと  
 
 
 
 
●怨み節  
花よ綺麗と おだてられ
咲いてみせれば すぐ散らされる
馬鹿なバカな 馬鹿な女の怨み節
   運命哀しと あきらめて
   泣きをみせれば また泣かされる
   女おんな 女なみだの怨み節
憎い口惜しい 許せない
消すに消えない ・・・
尽きぬつきぬ 尽きぬ女の怨み節
   夢よ未練と わらわれて
   覚めてみせます ・・・
   女おんな 女ごころの怨み節
真赤なバラにゃ トゲがある
刺したかないが 刺さずにゃおかぬ
燃えるもえる 燃える女の怨み節
   死んで花実が 咲くじゃなし
   怨み一筋 生きて行く
   女おんな 女いのちの怨み節  
 
 
 
 
●東京流れもの
風が吹いたら 吹かれます
雨が降ったら 濡れまする
馬鹿な男と 云わりょうと
馬鹿は承知の 一本気
あー 東京流れもの
   あの娘可愛い かれん花
   俺がいたんじゃ トゲを持つ
   すねるつもりじゃ ないけれど ・・・
姓は誰々 名は誰と
一人自分にきる タンカ
笑いなさるな 極道の ・・・
   男一匹 皮ジャンに
   飾りましょうか 白い花
   聞いてくれるな 身の上は
   明日も一人で 流れてく
   あー 東京流れもの  
 
 
 
 
●夜明のうた
夜明けのうたよ あたしの心の
きのうの悲しみ 流しておくれ
夜明けのうたよ あたしの心に
若い力を 満たしておくれ
   夜明けのうたよ あたしの心の
   あふれる想いを わかっておくれ ・・・
夜明けのうたよ あたしの心の
小さな倖(しあわ)せ 守っておくれ
夜明けのうたよ あたしの心に
思い出させる ふるさとの空 
 
 
 
 
●アンコ椿は恋の花
三日おくれの 便りをのせて
船が行く行く 波浮港
いくら好きでも あなたは遠い
波の彼方へ 去ったきり
あんこ便りは あんこ便りは
あゝ 片便り
   三原山から 吹き出す煙
   北へなびけば 思い出す
   惚れちゃならない 都の人に
   よせる思いが 灯ともえて ・・・
風にひらひら かすりの裾が
舞えばはずかし 十六の
長い黒髪 プッツリ切って
かえるカモメに たくしたや
あんこつぼみは あんこつぼみは
あゝ 恋の花
 
 
 
 
●お座敷小唄
富士の高嶺に降る雪も
京都先斗町に降る雪も
雪に変りはないじゃなし
とけて流れりゃ皆同じ
   好きで好きで大好きで
   死ぬ程好きなお方でも
   妻という字にゃ勝てやせぬ ・・・
ぼくがしばらく来ないとて
短気おこしてやけ酒を
飲んで身体をこわすなよ
お前一人の身ではない
   一目見てから好きになり
   ほどの良いのにほだされて
   よんでよばれている内に ・・・
どうかしたかと肩に手を
どうもしないとうつむいて
目にはいっぱい泪ため
貴方しばらく来ないから
   唄はさのさかどどいつか
   唄の文句じゃないけれど
   お金も着物もいらないわ
   貴方ひとりが欲しいのよ
 
 
 
 
●愛と死を見つめて
まこ・・・・・・
甘えてばかりで ごめんネ
みこは・・・・・・
とってもしあわせなの
はかないいのちと しった日に
意地悪いって 泣いたとき
涙をふいて くれた・・・・・・まこ
   まこ・・・・・・
   わがままいって ごめんネ
   みこは・・・・・・
   ほんとにうれしかったの
   たとえその瞳は 見えずとも ・・・
まこ・・・・・・
げんきになれずに ごめんネ
みこは・・・・・・
もっと生きたかったの
たとえこの身は 召されても
二人の愛は 永遠に咲く
みこのいのちを いきて・・・・・・まこ
 
   
 
 
●しあわせはどこに
街には楽しい 人の波
空にはあかるい バラの雲
つばめもおどるよ 青い風
それなのにわたしは一人 ただ一人
しあわせは ああ
しあわせは どこに
   わたしは都の 片隅の
   名もない野の花 乙女花
   咲く日も散る日も 君知らず
   さみしさよわたしは一人 ただ一人 ・・・   
くもらぬこころの 真珠だま
のぞけば悲しい 恋の傷
この傷消えるは いつの日ぞ
いとしさよわたしは一人 ただ一人 ・・・ 
 
 
 
 
●この世の花
赤く咲く花 青い花
この世に咲く花 数々あれど
涙にぬれて 蕾のままに
散るは乙女の 初恋の花
   想うひとには 嫁がれず
   想わぬひとの 言うまま気まま
   悲しさこらえ 笑顔を見せて ・・・
君のみ胸に 黒髪を 
うずめたたのし 想い出月夜
よろこび去りて 涙はのこる ・・・ 
 
 
 
 
●哀愁日記
山のひと夜の ゆきずりの
愛の言葉を 忘れかね
涙ぐみ 清い優しい 眸の君を
呼べば都の 夕陽が紅い
   雨の降る日は 窓の外
   風の吹く夜は 星の空
   あの人は いつもどこかで私を見てる ・・・
弱い乙女の ゆく途は
いつも砂漠の ひとり旅
幸福は見えぬ小鳥か消え行く虹か ・・・ 
 
 
 
 
●恋の季節
忘れられないの あの人が好きよ
青いシャツ着てさ 海を見てたわ
私ははだしで 小さな貝の舟
浮かべて泣いたの わけもないのに
恋は私の恋は
空を染めて燃えたよ
死ぬまで私を ひとりにしないと
あの人が云った 恋の季節よ
ルルル・・・・
   ・・・
   夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと
   あの人が云った恋の季節よ
恋は私の恋は
空を染めて燃えたよ
夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと
あの人が云った 恋の季節よ
恋の季節よ 恋の季節よ
 
 
 
 
●真赤な太陽
まっかに燃えた 太陽だから
真夏の海は 恋の季節なの
渚をはしる ふたりの髪に
せつなくなびく 甘い潮風よ
はげしい愛に 灼けた素肌は
燃えるこころ 恋のときめき
忘れず残すため
まっかに燃えた 太陽だから
真夏の海は 恋の季節なの
   いつかは沈む 太陽だから
   涙にぬれた 恋の季節なの
   渚に消えた ふたりの恋に
   砕ける波が 白く目にしみる
   くちづけかわし 永遠を誓った
   愛の孤独 海にながして
   はげしく身をまかす
   ・・・
恋の季節なの 恋の季節なの
恋の季節なの 恋の季節なの
 
 
 
 
●人生いろいろ 
死んでしまおうなんて
悩んだりしたわ
バラもコスモスたちも
枯れておしまいと
髪をみじかくしたり
つよく小指をかんだり
自分ばかりをせめて
泣いてすごしたわ
ねぇおかしいでしょ若いころ
ねぇ滑稽でしょ若いころ
笑いばなしに涙がいっぱい
涙の中に若さがいっぱい
人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの
   恋は突然くるわ
   別れもそうね
   そしてこころを乱し
   神に祈るのよ
   どんな大事な恋も
   軽いあそびでも
   一度なくしてわかる
   胸のときめきよ
   いまかがやくのよ私たち
   いまとびたつのよ私たち
   笑いばなしに希望がいっぱい
   希望の中に若さがいっぱい
   ・・・
人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの
・・・
 
 
 
 
●からたち日記 
こころで好きと 叫んでも
口ではいえず ただあの人と
小さな傘を かたむけた ああ
あの日は雨 雨の
小径(こみち)に白い ほのかな
からたち からたち からたちの花
   ――幸福(しあわせ)になろうね
   あの人はいいました
   私は 小さくうなずいただけで
   胸がいっぱいでした
   うなずいていただけで――
くちづけすらの 想い出も
のこしてくれず 去りゆく影よ
単衣(ひとえ)の袖を かみしめた ああ
あの夜は霧 霧の
小径に泣いて 散る散る
・・・
   ――このままわかれてしまってもいいの
   でも あの人はさみしそうに目をふせて
   それから思い切るように霧の中へ消えて
   ゆきました さようなら 初恋
   からたちの花が散る夜でした――
からたちの実が みのっても
別れた人は もう帰らない
乙女の胸の 奥ふかく ああ
すぎゆく風 風の
小径にいまは 遥かな
・・・
   ――いつか秋になり からたちは 美しい
   金色の実が たくさん実りました
   今日もまた私は一人この道を歩くのです
   きっとあの人が帰ってきそうな
   そんな 気がして――
 
 
 
 
●いい日旅立ち
雪解け間近の北の空に向い
過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時
帰らぬ人達 熱い胸をよぎる
せめて今日から一人きり 旅に出る
   あゝ日本のどこかに
   私を待ってる人がいる
   いい日 旅立ち 夕焼けをさがしに
   母の背中で聞いた歌を道連れに…
岬のはずれに少年は魚釣り
青いすすきの小径を帰るのか
私は今から 想い出を創るため
砂に枯木で書くつもり“さよなら"と
   ・・・ 
   いい日 旅立ち 羊雲をさがしに
   父が教えてくれた歌を道連れに…
・・・
いい日 旅立ち 幸福をさがしに
子供の頃に歌った歌を道連れに…
 
 
 
 
●ひと夏の経験
あなたに女の子の一番 
大切なものをあげるわ
小さな胸の奥にしまった 
大切なものをあげるわ
愛する人に 捧げるため 
守ってきたのよ
汚れてもいい 泣いてもいい 
愛は尊いわー
誰でも一度だけ 経験するのよ 
誘惑の甘い罠
   あなたに女の子の一番 
   大切なものをあげるわ
   綺麗な泪色に輝く 
   大切なものをあげるわ
   愛する人が 喜ぶなら 
   それで倖せよ
   こわれてもいい 捨ててもいい 
   愛は尊いわー  ・・・  
 
 
 
 
● 「夢」
 
抱きしめて夢をみたい すぐに逢いにゆきたい 夜を飛び越えて
甘い夢のような 揺れたひとときは終わらない 抱いて 抱きしめて 夜明けまで
忘れないで夢の島々 魚たちも愛しあう海で あなたと生きていたいの
泣いた女の涙も知れずに いっそこのままふらちな心で 夢から醒めずわからず
夢はそうよ 見る前に醒めてしまったら 何にもならない
炎のように燃えてdesire 恋もdanceほど 夢中になれないなんてね 淋しい
未来を夢見ていた どこかで恋をしてるなら 今度はあきらめないでね
確かめあって 連れていって 二人だけの夢の世界へ
さみしい夢と戦う 離さないでこの心を
やさしい言葉と すてきな笑顔で 夢をみさせて グッドバイなんて
 
貴方には見られたくないわ 次の朝は一人目覚める 愛は 悪い夢ね
夜明けと共にこの首筋に夢の跡 だから愛の谷間で溺れたい
高い塔に蒼い月が上るわ 絨毯に寝転び いい夢見なさい
つらい思いが多くなるけれど 夢見ずに いられない もしかしたら
すべてが変わって見えたの どんな夢も叶えられる奇跡 ずっとずっと はなれないでね
あの夏の悪夢を永遠の心に 過ちは神の数だけ我れに ああ無情
悪魔に身を渡し 天使の夢見るぜ ダイヤモンドの雨が降る
抱き合って墜ちてゆく 他人が見た夢の中へ 毒薬の接吻で 俺を殺しなよ
失った夢だけが 美しく見えるのは何故かしら 過ぎ去った優しさも今は 甘い記憶
あなたと笑い あなたと泣いて 夜明けを歩き 明日へ願い 夢を見た
 
はかない夢だけど もういない きみに会えなくなるなんて
夢がもし儚いままで終わるのなら 明日もBlue 二度と帰らない 青春の終わりに
お店の仕事は辛いけど 胸にゃでっかい夢がある
夢をひとすじ あなたと二人 生きて 生きてあなた 愛されたいの
胸に心に 離さず抱いて 幸せを 振りかえる あじさいの夢よ
死ぬまでなんて 夢が 夢が 溶けて落ちてゆく 泣いて港 小雨が熱い
夢の中でも すすり泣く 今でも私は あなたが欲しい
あなたしかいないもの こんなわたしに夢見せてくれるのは 哀しみなんていらない
あなただけです 夢ひとつ あなただけです 分けるのは
小指のほてりを噛む夜は 夢であんたがあゝ逢いにくる
 
ありんこみたいに走ってさ 夢さがし くじけたときは あんた この指とまれ
逢いたかろうと吹雪が騒ぐ 二人の暮らしは夢よ あんた 形見の筒袖 情けがしみる
命の恋よ 胸を抱けば背中が寒い 夢でもいいから逢いに来て
人は誰も 哀しい天使 夢の翼 終りのない 旅をつづける
はなれてくらしても 心それぞれに いつか逢う日を 夢みて さよなら
甘い口づけ 遠い想い出 夢のあいだに 浮かべて 泣こうか
風の吹く夜 誰かに会いたい 夢に見たのさ おまえに会いたい
両手をまるめて 夢を溜めてる
散りぬる夢よ 泣いて 細くやつれたぬけがらを あなた 抱いてくれますか
いつも欲しがる女の夢を あなた泣かせて 捨ててゆく 逃げてゆく
 
泣けてきそうな黄昏 酔えないとまり木 夢でいいからもいちど あなたに逢いたい
きっとお酒のせいですね せめてうたかた 灯す夢あかり
夢を持ちましょ お互いに それにチョイト笑顔を そえりゃいい
夢の花咲くその日まで ついて行きます ついて行かせて おしどり街道めおと道
人生いつでも七転び あとの一ツで 夢をみて 笑顔で生きましょ おとうさん
わたしはおんな 灰になるまで 男の胸に おんなは抱かれて 夢をみる
夢ならさめるな 旅の夜 おまえと俺の 雨宿り
わたしが手にするしあわせは 夢も うつつも わたしのものよ
肌に冷たい夢しずく いまも未練の爪をかみ あなた あなた あなたの影を 独り追う
馬鹿な女でよかったら 明日を夢見る 止まり木に 戻って ねえあんた
 
夢に見ました幸せを 夢がさめればむなしさが 強く生きよう女の道を
笑顔千両で ヨイショと越える おんな人生 夢街道
お梶あなたについてゆく おんな哀しい恋綴り 逢いたい せめて夢でも 藤十郎
思い出だけじゃ 女は泣くよ お酒と夢で これから生きる
愛の誓いなんか あてにならない夢 壊れかければ ただの悪い嘘になる
泣くも笑うも 人生一路 夢を宝に 夢を宝に あゝお立ち酒
はかない色模様 何もかもが 夢のように 蒼く透きとおる
春夏秋冬 朝から晩まで ファッションブックとにらめっこ 夢みるは あこがれのカッコマン
夢の島に 心 魅かれて いるだけか
もう嫌よ カモメおしえて お前なら どこへ捨てます この夢を
 
心に住んでるあなたを 夢の中へ どうぞしのんできてね
キャラバン この愛は そう 奇跡への 旅 夢
時雨で濡れてるこの躯 夢であんたが 抱きに来る
見えぬ明日の夢を信じ 生きてゆくとき なぜか なぜが身にしむ 心 心うた
泣けた泣けたよ 夢追い川で 明日をたずねて こころ舟
この世に未来の夢咲かそう 人の笑顔が 明日を呼ぶ
時代の流れの真ん中で 夢を叶えて 花を咲かせて 青い御空の下
波を枕に潮鳴り聞いて マドロスは ほろりほろり見るのさ ああ母の夢
夢中で とべ とべ サウンド・オブ・パラダイス 胸を叩くところまで
夢の数だけ 咲いててくれる あの日あの時 咲いててくれる
 
呼べどこだまはかえらない 恋は一度ささすらい者が 男泣きしてみる夢さ
あなたの夢に目覚めれば 空が赤い やがて日が変わる
甘くて愛しい 笑って 夢から醒めない ひまわりが揺れる夏なのに
夢で会いたい 心の痛みを 吹く風の谷間に 捨てて
背中から そっと毛布をかけられて 目覚めるなんて 夢のまた夢
サクラ吹雪の サライの空へ いつか帰る その時まで 夢はすてない
心にしみて 夢を明日に つなぎます 今日の幸せ あゝ有り難とう
夢でもいいわ 嘘でもいいわ 帰って下さい しぐれの港
ゆるしてよ なくしたくない 夢だから 寒いまくらと ああしのび泣き
明日はいらない あなたが欲しい 夢をかえして しのび川
 
雪になりそな 今年もなにゆえ さかのぼれば夢 二人でいて楽しけりゃ なおのこと
夢中にさせないで 心で泣いてるのだって アナタのためだから
憐れ君のために泣こう 僕も同じ夢を見よう すべての人に 恋をしな
遅いでしょうか この恋は 夢がゆられて 流れゆく 雨の すみだ川
今はじっとしてて せめて10秒 私に夢をみせて
夜がふけると空いちめんのキラ星が 夢を飾った窓辺に落ちてくる
長い夢を観てるだけなら 幸せにならなきゃ損だよ 遠いめぐり逢いだから
夢を浮べた ぐい呑みほして 今日もスチャラカ スチャラカチャンです たそがれ酒場
宇宙を駆け翔ぶ 獅子になり 夢をつかんで 二人の未来
夢と希望を グラスに託して ダメな男に 乾杯
 
ゆれる ゆれる 夢にゆれる 夜を忘れて 夜に向かって
帰らぬあなたは夢の中 淋しいよ 切ないよ 枕を濡らして泣いてます
夢をください 消えない夢を 泣いて紅ひく とまり木の花
夢のしずくを 枕に宿し いとしいあなたと しのび逢う
かならず花咲く その日がくると 誓うふたりに夢灯り
女房になれと言ったのよ そうよ おじさん このお酒 夢の欠片よ にがい酒
人生の残り半分 せめておまえと暮らしたいけど 夢さ 幻さ 摩天楼に灯がともる
ねえシュロの葉陰で うとうと夢見れば ココナツ色の風 もう私は人魚
燃えて添い寝の 夢ごこち 女模様の 女模様の 万華鏡
そうさ 一緒の夢がある ひとりで泣くなよ いつか 倖せ 来るじゃないか
 
情けが夢が せめて届けて ぬくもりを 酒につぶやく ひとり言
何処にいるのよ あなたは何処に 夢を 夢をつないで ひとり札幌
歌こそ生命の その言葉通りのhあなた 何度でもビロードの夢をありがとう
幸せになるんだよ 夢のひとつに 肩寄せて 生きてゆこうな 二人して
夢のお城と言うおまえ 木の葉みたいに 舞いながら 何処へ流れる ふたり川
まわり道したそのぶんを きっと幸福つかめると あゝ夢をこの手に ふたり道
いつかきらめく海にでる 死ぬまで一緒 あなたと一緒 夢が舵とる ふたり舟
迷っているのに夢見てしまう 私から誘うかもしれない きれいな夕日に涙がにじむ
まだ咲かぬ見果てぬ夢 遥か後ろを照らすのは あどけない夢
旅路の宿の ひとり寝は おまえを夢見て 寒かろう
 
見張る男はでかいのなんの 君が捕われの身なんて たとえ夢にも思えない
哀しみを 埋めながら 故郷に雪が降る 夢が降る
夢でも抱いとくれ 涙のみちのく 冬挽歌
わたしも届かぬ 愛だから 生きてることだって 夢じゃない
南無三 あゝ夢を切る 俺も生きたい ムサシのように
夢がなければ生きられない 夢を見なけりゃ 生きてる値打ちがない
あるとき街角で足をとめる かすかな追い風もふりかえる 私は夢見る SingleGirl
きみと夢みることもない 心はいつでも空まわり 聴かせる夢さえ遠ざかる
熱いこの肌 ほしくはないか あんた荒くれ 波まくら わたしゃ一人寝 夢まくら
時間を重ねて 夢を育てて 二人 どこまでも一緒だよ
 
似合ったあの娘と 見た夢を 偲べばグラスに また浮かぶ
ああ 札幌 札幌 慕情の都 君とここに住みたかった 夢はまださめない
夢を残して過ぎてゆく ラブ・ナイト・スポット おまえとあなたと ふたりきり
霧笛がかなしみゆする旅の宿 酔った寝顔のおさなさに 夢よやさしくこぼれておくれ
夢だろうと 現実だろうと わが人生に 悔いはない
あなたの唇 あなたの黒髪 夢にまで見る いとしい恋人よ
夢とお酒と 燃える手で 堕ちてゆきたい 今夜もあなた
忘れられない夢がある 北のネオンの 止まり木で 男はそんな 阿呆鳥
恋や夢のかけら みんな海に流してく
もう一度めぐり逢えたら その時は 痩せた分だけ 愛して欲しい 夢もはかなく 波に散る
 
背中の夢に 浮かぶ小舟に あなたがいまでも 手をふるようだ
やらなきゃならない 夢ひとつ 俺の 俺の人生 ああ ああアン 浪花節
袖を引く 夢も寒々下町川よ 明日の願いを酉の市 賭けて待ちたい またの春
あれは遠い遠い夢と 呼びかけても応えない 夏の幻影
歌姫 スカートの裾を 歌姫 潮風になげて 夢も 哀しみも 欲望も 歌い流してくれ
心もからだも熱か 闇を流れる火の河で うちはあんたの夢をみる
そっと噛みしめ いついつまでも つきあいましょうね あなたの夢に
パンドラの箱の中に残る それは夢 夢でひとつに
信じて咲いたら夢の花 なみだで咲いたら嘘の花 悲しいものよ 切ないものよ
いまでもあなたの心の妻と 北のはずれのとまり木で 夢を待ってる花咲港
 
見つめているわ だから今夜もだきしめて 夢のような 愛がこわいの
一人夕陽に浮かべる涙 いとしき日々のはかなさは 消え残る夢 青春の影
も一度まみれたい 夢も あしたも いらないわ あなただけ
幸せを唄う 夢をみるの 愛の旅路を あなたとあなたと歩く
通り過ぎた夢 そっと振り向き ホロリ あぁ逢いたい
手描きの人生 江戸友禅に 夢見る隅田の 愛染流し
愛が嘘でも夢でも あなたを信じ 息をひそめて私は 生きてゆきたいの
流氷のように 恋流されて 夢流されて 愛流されて 愛流されて
伊勢佐木あたりに 灯がともる 夢をふりまく 灯がともる
悔いはしません別れが来ても 命つくすわこの人に 夢をみさせて あゝ伊豆の雨
 
ふられ上手な女たちよ 乾杯 乾杯 夢追い人ね 女たちは
夢の続きをまた見るの 漢江 漢江 早く逢いたいの
負けないで生きている だから 同じ夢過ごした日々を忘れない
あなたに逢えたしあわせは 苦しみさえも 夢にする
あんたの血には 夢の遺伝子 一つもないじゃないの
漕いで行きたい夢小舟 熱い命火 届けたい
かなわぬ夢ほど 胸を飾る おもいで
世界中が明日の太陽を待ってる 夢を見るたび はり裂けそうなEverynight
貴方の夢が かなうように 祈る心に 銀の雨が降る
やさしく そして 美しい幸福を ありがとう 夢のエアポート
 
頬をつねってよ 夢じゃないのさって なぜか wow shine on me 離さないでね
明日また逢いましょう 夢さそう ふたりづれ 雨の街 恋の街
哀愁みなと 船でゆく人 かえる人 明日は私に いい夢つれてこい
夢をのこして 消えてゆく 逢えない二人を 結ぶように
いつか ひと山 あてたらきっと 連れて行きたい 異国町 夢ひろがる駅前カフェ
すがりつくよな夢がある 円山 花町 母さんの 願いがしみた日陰町
みれん水割 恨みを流す 明日に生きる 夢に生きる 横浜のおんな
夢を見ないで眠れても そっと寝返るすき間が寒い ここは旅路の港町
魚座に初恋 今は獅子座のあなたに夢中よ
背中の夢に浮かぶ小舟に あなたが今でも手をふるようだ
 
花染められて 染まり染まったままで 心震える 夜の蒼さに もう夢 もう
裏目つづきの世間を飛ばす 夢の土俵さ 東京は 風も吹くけど 花も咲く
ひと息にぐっと乾せ 夢に酔え 見上げる 樹になれ 華になれ
荒れるな海よ おまえに惚れた 男の夢を 奪うな海よ
今も夢を見てるの あたし強くなれるわ  あたし生きていけるわ
髪が凍る 夢が凍る 命が凍る 一目逢う日を ああ待ちます 待ちますあなた
花をみつめて 夢を探したら 海峡平野は もう春の海
夢でもいゝから もう一度だけ あなたに抱かれて眠りたい
捨てきれず 夢も愛し 街角すみれ
もう少しで 逢える そんな夢みて 私 眠むる
 
君だけは はなさない 手をつなぎ 二人でかける 夢の世界へ
きっと泣くだろ君は ああその日を夢見ている 君は心の 妻だから
バカにゃ未練は ないけれど 忘れられない 奴ばかり 夢は夜ひらく
あゝこの胸に 愛しき人よ 夢のままの 時よ遥かに
抱きしめて夢を見せて 抱きしめて愛にふれて さみしさに夢を見せて
夢のしずくに 身をまかせ 夜明けせつない 女ごころの 月見草
燃える故郷 走馬燈 幻夢のえれじい 男と女 冬に迷子の にごりえの街
熱き心よ今何処 あゝ花も夢もかえらず 逢いたい逢いたい 今の君に逢いたい
生きるささえは ただひとつ ああ 故郷へ帰る 夢があるから
夢を裏切ることがなく 生きてくれたら 嬉しいの
 
明日の夢がある 小さな小さな 倖せはここに
それぞれの利き腕で 夢を見るのも女あたし 夫がいます でも愛さずにいられない
幸せさがして 夢をみて 明日を信じて ちょいと人生泣き笑い
貴方の口許 あの笑顔 淡い夢でした
港酒場で 背を丸め 夢でおまえと 添い寝する
暗闇の中 むなしい恋唄 あの日あの頃は 今どこに 今日も消える 夢ひとつ
追えば逃げる背中 指が宙をつかむ はかなく散る夢 あゝ
ふたりで刻んだ 夢こけし エンヤコラマカセの 舟唄に ゆれてゆられて 最上川
からだをはんぶんずらして眠る そんな寝姿忘れない 合縁橋の合縁橋の夢やどり
俺は飛べなくなるまで夢はすてない
 
しみじみ浮かぶ あの娘 燃えて夢見る 度胸船
今日も最高やねエ ただそれだけで 浪花に夢の風が吹く
キムタクさえも かすむような男 いつか出逢える あなたを夢見て
その夢いまだに 果たしていない 今夜はのみたい 女房とふたり
そばで一緒に しぶきを浴びる 夢を追います 根室海峡
生まれたままの子供のように さあ 安らぎなさい お伽ばなしの夢の間に間に
人は覚えているのだろう 幼い日に見た夢を 思い出してみない
かなしい夢とは 知りながら 妻と呼ばれて 寝起きがしたい
終わらない夏に誰かとめぐり逢う 夢の中で彷徨いながら 涙も枯れ果てた
酒の肴にする貴男 ひかげの花で終るなら 夢を見ないで 別れたい
 
恋の夕笛 さやかにわたる ああ わたしの札幌 あなたの札幌 夢呼ぶ街よ
夏は夢見てよく眠り 秋は心の人になる 三日月に 約束しよう
ああ見上げれば 満天の星 遥か夜空に夢が燃え立つョー 山陽道
あなたの知らない 誰かに身を寄せ 夢路をたどるの あなたを忘れて
四つのお願い聞いて聞いてくれたら あなたに私は 夢中 恋をしちゃうわ
夢見るようで いたいから 思い過ごしも恋 それでもいい 今のうち
君のおもいでよ 君のほほえみよ ここへおいで 今宵せめて夢を見よう
買って 売って 買って 売って 夢と詩の言葉
見逃すはずはない 夢なら醒めてよ まだこの娘は 抱かれてくれない
どんな男といるんだろう 夢の苦さを知りもせず 夢をさがしているんだろ
 
ありのままに生きることを みつけておいでよ はじけそうな あの日の夢
好きなあなたの 寝顔をながめ 夢で花咲け 若狭の春よ
一夜の夢で 終るなら 波に浮かんだ 小舟のように 名残り枕を 重ねたい
泣いたり笑ったり 俺の人生夢芝居 故郷は いつも 酒の中
夢の前 生きゆく人の咲きほこる命 流れし 光のように
遊びだったら 抱いていた あゝ夢がよろける 影法師
うしろ髪ひく恋だけど 昔に戻れる夢もない 倖せ祈って あぁ俺は今夜も酒とふたりづれ
夢も薄れる 肌寒さ いろいろあって いま独り ああ いま独り
夢をさがそと わかれたが 未練がお前が あゝ酒二合
春が来るよな夢をみて ホケキョホケキョと鳴いていた
 
はるかな夢 もう誰もここにいない ひき潮の海のように
夢を未来に賭けながら 夫を敬い助け合い やがて白髪の 生えるまで
今日はめでたい 希望の船出 夢の帆柱 天までとどけ 舵を明日へ 祝い船
ついて行きたい ついて行きたい 夢を点して 出で湯橋
おんなの夢は 惚れ通す 俺が倖せくれてやる
くじけそうです このままじゃ 春のしぐれが 切なくて 心にともす 夢灯り
春になれ 夢を連れてこい もうあと幾つ眠れば 桜の便り
薄い陽ざしの この世でも 泣かされながら しあわせさがす 春の夢
見たいものです 初孫の いつか世に出る ひとり立ち 夢が心の 杖になる
いつかはお願い かなえてほしい 女の夢をかなえてほしい
 
夢を見てたの お馬鹿さん 泣いてみせても 私の負けね
つかんだつもりでも わたしには女の しあわせ夢かしら
これが女のまごころなのよ あなただけを信じながら 夢を見たいのよ
男は酒に酔い 女は夢に酔う 眠りたい 眠りたい あなたのゆりかごで
命あずけて せめて夢でなぞる ぬくもり 逢いたい女の わがまま
浮世川 ああ今日も 小舟のように ゆれて流れて 流れてゆれて 女の一生 夢航路
夢でいいから もう一度 おねがいやさしく 抱きしめて
良しとせぬ我が身の要望も ちょいとあざ笑うかの 夢のような 熱中
夢をかぞえて 袂を噛めば 逢坂山の あゝ 月もなみだの 傘をさす
痩せてやつれた 夢をみて 眠れぬ夜更けが またつづく
 
色づく夢が 色づく夢がまだあった ふるえる愛が ふるえる愛がまだあった
夢つばめ 生命が縁を奪うまで いつも 隣りにいて欲しい
霧に抱かれた 黄浦江 恋ひと夜 夢ひと夜 二人の上海 上海しのび逢い
ほどよき酔いよ 心の酒 煌めき 芳しき夢よ 心の酒 輝き
おれのみちずれ おまえと決めて 夢よかれるな この胸にいつまでも
嘘じゃない 夢じゃない 夢物語り 心ゆくまで
心凍らせて 夢を凍らせて 涙の終わりに ならないように
雨が教えたお店があるわ 雨が教えた夢がある 恋は 二人の北新地
モノクロの夢が 誰かの胸の中 今夜も色づいて どこかで 深夜劇場の明かりが消える
舵に運命を まかせた人生 夢は大漁 親父と俺の 親子船
 
夢みる人よ 身も心も身も心も 一つに溶けて 今 俺の腕の中で 眠る人よ
お前ひとりの しあわせだけを 祈る 祈る 盃に 酒をつぐ あゝ夢をつぐ 人情酒場
夢の小島に 着きたがる 人生海峡 おんなの旅は 今日も荒海
魂に刻み 大志 忘れずに 夢 限りなき 明日を行く
明日の倖せ夢にみて 生きてゆこうよ二人して 人生夫婦二人づれ
ひとりが淋しい 淋しい夜は 夢であなたに たどり着きます
こうしてひとり 肩を抱いて 夢をみるわ
心のぬくもりも今は 忘れてみるわ 忘れてみよう 揺れる二人の夢もよう
肌があなたを 恋しがる せめて唇 この胸に 夢はつれづれ 水鏡
さらりと小粋な 酒がいい いゝねいゝね 小粋だなんて 夢をつぎたす 裏通り
 
酔わせて 死なせて 火の酒で 酔いどれて 夢のつづきを見ないよう
夢の果てまで 一緒です 花はひと咲き 酔芙蓉
集めるみたいな 夢さがし さがしつかれて 躓いて それでも春待つ 酔恋花
つわものの 昔を語る武勇伝 海を見おろす 海を見おろす 夢の跡
抱いてください 燃えつきるまで 夢であなたに逢えますか 春は名ばかり 大三島
木ぼりの人形 にぎって眠る 若いあの娘の 見る夢も
夢よ飛んでけ恨み忘れて あなたに届け せつない気持
嘘でいいから 耳もとで 夢をください もうひとつ 渡りたい 渡れない 盛り場渡し舟
わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る
赤い鳥が逃げた いつかふたりが住む 夢をさがして さがして
 
涙じゃないわ 春をかくした 雪のれん 酔ったら見えそう 夢あかり
雪割草は私の心 夢をささやく 花びらに 愛の運命を たくしたい
また今日もあんたの夢に 夢に泣かされ枕を濡らす
夢にはぐれた 恋人形 寒さを凌ぐ 旅の衣は 恋ひとすじの あゝこころ糸
照らす雪洞 夢あかり 熱いおんなの いのち灯を
私はもういない 熱いキッスで夢中にさせる 歓んでおもいきり
わたしの命 夢の歌です夢の歌です 千恵っ子よされ
心からの涙はひとつだけ 言葉にならない 通り過ぎた季節は夢の中へ
暗い夜空にまたひとつ夢が溢れた 南十字に戯れる星座に願いを
希望と夢に満ちてた そんな 私に戻れるはず 素敵に
 
望む雷州 海峡通う あの船に君と揺られたい 恋と夢の島 海南島
夢も色づく 日昏れ刻 想い出はアカシア 瞼の白い花
いつか闇へと 旅立つ日にも 優しい腕の中 想い定めて 夢の盃
夢をつないだ 運命の糸をヨー たぐり寄せたい この胸に
あなたに駆け寄り 傘をさす 袖摺坂の あゝ夢しぐれ
だけど心に いつも明日の 夢を抱き きらめく人生 生きようよ
夢を積み荷の いのち船 俺はしっかり 舵をとる
そのまた夢を 夢と信じて 夢を見た 京都 大原 うつせみの恋
いつかあなたに めぐり逢う ああ 夢を見ました 今日もまた大阪ごころ
そんな女とそんな男が 一夜限りの夢に酔う 大阪 大阪 大阪ナイトクラブ
 
三十路女の夢ひとつ 明日は咲かせて 北新地 あなたひとすじ 大阪なさけ
一つ 命を懸けた人 今でも好きや 大阪ひとり 夢で素直になれたのに
夢まで酔わせて 薔薇のくちづけ
女はいつもみをつくし 男はいつも明日へ逃げる 大阪 大阪 恋と夢が 川に映る街
七色のネオンさえ 甘い夢を唄ってる 宵闇の大阪は 二人づれ恋の街
また胸が痛いなら この掌で抱きしめ 夢見橋 渡ろうね あんたとふたり
占う路地裏に 星がながれる 堂島あたり 夢もぬれます 大阪無情
夢のとなりに 住まわせて 泣けば濡れます 大阪夜曲
夢を抱きしめ 耐えながら 祈りつづけて 待っている 二人の倖せ涙で遠い
負けて泣いたら 世間が笑う 明日に咲かせろ おとこ夢
 
愛して たとえ 束の間の夢でも かまいはしないから
海があいつの 声で涕く 悔やんでみても もう遅い 夢は儚ない 男の慕情
吉野の流れは お宝だ 盆のお囃子 夢を呼ぶ 連の網笠 花と咲く
我慢の船さ ここが一番 男の勝負 夢は 夢は 夢は大漁の 男船
なんちゃらほいさで 嫁とりの 夢も重なる 男灘
どうせ勝負は時の運 そうと決れば 一気に夢を かけて花咲く 男でいたい
ここが見せ場の花舞台 あばれ男の 夢祭り 燃えて火となれ 華となれ
吐息のあい間に雨の音がする あなたのしぐさで心も溶けてしまう
この恋終わりますか 女はいつも 夢に抱かれて夢にもたれて 暮らしていたくて
霧笛 たそがれ 思案橋 別れても 信じていたい 遠いあの日の 夢ものがたり
 
女房おまえに 釣られた俺が 長良ひとすじ いのちひとすじ さかな釣る 夢を釣る
夢のひと枝 花が咲く 帰って来いよ 津軽の里へ
浮くも沈むも 一緒だと ひとこと言われりゃヨー 夢に酔うのに 追分酒場
もう泣かないわ さびしくないわ 天使も夢みる 春だから
語るセリフにつまされる 夢だけはすてまいね 姉妹 お役者 渡り鳥
土のやさしさ その上に 明日は咲かせる 夢の花
耐えてひと花 咲かせたい 土佐の女はヨー 夢おんな
夢にしがみついてろ 勝っても負けたとしても 明日は鬼になれ
夢があるだけ まだいいの 冬・七夕の 恋ならば 次の逢瀬も 雪見月
北の港は 雪景色 せめて今夜は 夢にでも 逢いに帰って 頼むから
 
冬の露地 冬の風 冬の町 冬の酒 冬の夢 冬の空 冬の雨 冬の酒
ああ生命は生命 夢は夢 何処で咲くかは 風に訊け
想い出は置いてゆけ 流れ着くこの先に 旅を終らす 夢は無い
夢で泣くなよ 愛しい 愛しいおんな 耐えて花咲け ああ冬花火
夜は真珠かガラスの街は もらす吐息に 夢もかけあし夢もかけあし 東京セレナーデ
恋の砂漠の東京で 明日は いいことありそうな 咲く花 散る夢 東京無情
このまま抱かれて 燃えながら 冬の寒さを 忘れたい ああ 女の夢を流すな 谷の水
誰にも渡せぬ 恋だもの 夢に生きたい 湯の町椿
わたしゃ湯河原実平さまと 天下取ったる 夢を見た
君の瞳に愛を見る 男はいつも憧れ気分 抱きしめる時さえ夢暦
 
夢という名の 荷車を ひいて明日の 道をゆく
月に一夜は 逢えると言えば 夢が咲くんや 恋すじがきに
永遠に抱いていてあげる いい夢を見なさいな うたかたの夢を 夜桜がさわぐ
杏子畑も花盛り あなたの夢は何の色
夢を抱いて 生きてゆく それでいいのよ 日陰の女
女ざかりの短かさを あなたその手で抱きしめて 夢待ち 浮き草 忍ぶ雨
夢追い人ひとり 風の姿に似て 熱き心きみに
抱いて 強く抱いて涙があふれる どうぞお願い 夢ならさめずに このまま
漁火ばかりが あああー旅のみちづれ どこまで 夢を漕ぐ
恋も着きます 夢もゆく 春の紅さす ネオン町
 
抱いて下さい待つ身はつらい 明日を夢見る夫婦川 あなたを待ちます博多舟
咲いて乱れて夢うつつ あなたの愛に 散って嬉しい 北の花です 薄雪草
夫婦燗酒 晩酌に せめて明日を 夢みよう
僕を抱きしめて はじめて泣いた はじめて泣いた 僕は夢の中で
貴方の胸へと ずっと包んでいてね 見失う心 夢までも こわさずにいて
はなさない 夢の中へ 誘い込む 夢の中で 愛しあう
百年に一度 世紀末の 夢まぼろしでございますぞ
夫婦きずなの 結びめに 点る小さな 夢灯り 待っていてくれ 惚れ女房
そう言う私も昭和の女 浮世世渡り下手やけど 浪花女の女の夢がある
あなた この手を離さずに 夫婦日めくり 夢ごよみ
 
夢とゆう名の 傘さして 生きて行きたい 夫婦みち
ついてゆきます これから先も 夫婦宿借り 夢あかり
髪の芯まで 焦れていても あゝ思いかなわない 夢で逢いたい 浮世川
夢を見ましょう 恋しい人の どこへ行きましょ 着けましょう浮世船
演歌は浪曲 荒海仕込み ふたり揃って 舞台へ立った 夢が命の 父娘鷹
なにを信じて 生きればいいの 未練裏町 夢を下さい 舞酔い酒
夢の似顔絵は 彼と似ていたの
雲の切れ間に 星ひとつ 風の街 明日を夢見る 風の街
風まかせ 夢まかせ 俺の人生風まかせ 明日は明日の風が吹く
夢のつづきで しばるのね だからはなさない だから捨てられない
 
泣いて甘える夢枕 母恋巡礼 鈴を鳴らして 花供養
歌へや歌へや泡沫の 夢幻やこの世はざれごと 歌へばこの世は中々よ
忘れないで心の隅に もう夢の中しか逢えないから
あの人の思い出を 抱きしめて 忘れな草 もう一度 ふるえてよ あの人の夢にとどけ
忘れ蛍よ 届けておくれ 未練たちきる すべもない 弱い女の 夢ひとつ
私ひとりを 待っている 涙の故郷 夢に夢に うかぶから
あれから幾つ 何年過ぎた 帰ろかな帰りたい ふる里夢ん中
夢ひとつ 北はみぞれか しぐれる頃か やけにおふくろ 気にかかる
土産の一枚 いつの日織れる あなたと涙の 添い寝の夢むしろ
ああ言わないで 夢を見せててもう少し
 
真冬の浜辺に傷あと埋め 夢はあきらめて 北へ流れる
北へ帰ろう星降る夜に みとせの夢よわが恋よ 君くれないの くちびるよ
親父仕込みの 俺らの宝 嵐を越えてく 北海船だ 男の夢がある
もう離れずに夢を探そう 涙を捨てて過去さえ捨てて 愛が飛び立つ北空港
たとえ時代が変わっても 生きざまはひとつだけ 夢追いすぎると 言われても
もう一度 さいごの夢を 抱きしめて 北へひとすじ 北斗星
雪解け季節を 夢にみて あんたの枕と 添い寝する 添い寝する
離れて淋しい 夢追うよりも 未練捨てたい この海に 心乱れる 北半島
せめて夢なら 逢えますか 窓に小雨の 窓に小雨の 北埠頭
あんたの夢が 積もってゆく おかえりなさい 終わり電車の ベルも呼んでいる
 
ママがいつもいつも綺麗で それが夢でありませんように メリークリスマス
マリーが僕に恋をする 甘く悲しい夢を見た 夢を見た 夢を見た
魔の接吻 美の接吻 夢の接吻 愛の接吻 喪の接吻
涙のむこうに 揺れている 夢をみつめて 生きてゆくのよ
天使に逢いにゆく そして雲の上寝そべって 貴方の夢を見る
辛いのよ しあわせ信じて 涙を越えて 生きる女の 夢いちど
おんなが哀しい いのち狂おしく あなたひとりに あゝ 夢おぼろ
だまされたわけじゃない あなたを恨むと不幸せ 男と女は 夢芝居
夢があるから 信じているの そうだよね あなたとならば
肩を寄せていつまでも ついてゆきます めぐるしあわせ 女の夢ごよみ
 
帰りたくない 雨の夜 胸にしみ込む 路地灯り 私いつまで 夢さがし
二人で咲かす 夢ざくら いまはお酒の 相手も馴れて 目元もほんのり 宵化粧
夢さぐり 愛さぐり さみしい 夢の中で 夢の中で わたしを 抱きしめて
夜明けの向こうに明日が見える 灯り求めて夢つづり
夢でもいいから思い出して 愛し合った日のこと
生きて行きますこの町で 夢に縋って夢で逢えるから
心の夢を 忘れないよと 想いがはしる アア 夢のグラスがあなたをせめる
訊いても返事 ない夜更 あぁこれが未練か あのひとと 夢のつづきが 見たかった
流す涙も うれしかろ 抱いてください この世は夢のゆめ
いつか夢が きっと夢が そこに吹いて来るから
 
果てしない夢の続き 見させてあげるから
夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか
かぼそい肩に 幸せを 幸せを 夢の中まで おれがくれてやる
麗しき夢の都 今宵また 花咲き 花散る
ひとりでいれば なおさら辛い 夢の道草 くりかえし あなたの肌を 恋しがる
せめて この世の どこまでも あなた ひとひら 夢の露
嘘を信じて 待ちましょう 夢は夜ひらく 夢は夜ひらく
そんな昔もありました 思い出してはまた涙 夢は夜ひらく
負けないわ 女の女の 幸せよりも 夢を選んだ 私です
あなたの声に 花いちりん 飾るのよ 飾るのよ おんなの夢ひとつ
 
おどけてみたい 夜更けまで いつも いつも あなた 赤い絆で 夢仕度
対のあげはの誘い誘われ 心はらはら舞う夢芝居 恋はいつでも初舞台
たどりつくのさ きらめく星に 琥珀のかおりよ 夢はてしなく
元気をだしなよ 人生勝負 夢の舞台の 幕開きだ
夜の命が 燃えつきるまで 朝よ来ないで 夢情話
他の誰かと 人生を お前はさがして いるだろか 夢をのみほす ひとり酒
未練が涙の 河になる 初雪舞い散る 夢織り酒場
酒は憂き世の 子守唄 夢 酔々酔 忘れ上手は 倖せ上手
優しさなんか 恋しくないよ ぬくもりなんか 欲しくはないよ どうせひとりの 夢酔枕
つのる望郷夢千里 うたを乗せなみだ乗せ 今日も船がゆく
 
愛をなくした私は生きる 夢を見るには 遅すぎるかしら
耐えて行けます 浮世みち 女ごころの 夢一夜
夢の香りを かがせてくれた
明日に生きて みようじゃないか 夜明けの手枕 夢もどき
夢よもういちど 酒をわすれて朝のある 暮らしがほしい あなたにつくしたい
男と女はなおつらい それでいいのさ いいんだよ 逢うも別れも 夢ん中
明日の灯りを この胸に 生きる男の 夢ひとつ
抱いて探すの あなたの匂い しょせんふたりは 夢花火
それもいいぜと 笑い顔 今日も明日も 陽は昇る 日本列島 夢街道
恋人に変って 逢いに来る きっと会うだろ 夢蛍
 
今は静かに心を閉じて 夢の中へ とんでゆくわ
いい日もあるでしょ 春もくる 花は浮草 夢待ち酒場
涙 ため息 夢待ち酒場 ひとり注ぎたす おんな酒 夢を下さい 私にも
夢でいいの あの人は この世で一番一番 好きだから
明日の陽ざしがみえてくる 合縁奇縁の ふたりづれ 夢追い坂は きずな坂
心にもえさせて 夢を追いましょ もう一度
湯の香に匂う黒髪が 今夜もあなたに濡れながら 乱れてからむ 夢追い川よ
酒がのみたきゃ 買うてのめ しょせん男の ゆく道は ひとりぼっちの 夢登り
輝く未来が 待っている ああ 降るような この星の下で 数える明日に 夢灯り
明日を信じて 生きてく私 こんな一途な 女の 夢灯を 消さないで
 
祈る幸せ 末広がりに 枝は栄えて 天までも 縁めでたい 夢盃よ
土産話しも ない今は ひゅるりひゅるり 飛び乗る夜汽車も 夢ン中
十六で捨ててきた 雪のふるさとあの町へ 夢で今夜は ああ帰りたい
女蟋蟀 羽根震わせて 浅い眠りに 耐えきれず 手繰る明日の 夢ひとつ
鬼火みたいな心を抱いて たぶん 惚れるは 無我夢中
みんな夢ん中 どうすりゃいいの 霧笛鳴らし 船が出る
風のように 花のように 名古屋の街で あゝ夢を追いかけるひと
夢は千里の 旅の果て ここが勝負の三度笠
ぐっと干そうよ なあ おまえ ふたりの夢よ 明日咲け 明日酒
誰だって 言い知れぬ思いに迷いながら 夢を追いかけてる
 
紅の寒椿 夢の中でも 散りいそぐ 鳴門海峡 海が鳴る
すがる想いが なお募る 夢が 夢が 夢が散る 女かなしい 夜の雪
とどかない夢だから なおさら淋しい淋しい この胸よ 夜空 遠く果てしない
おもいで大阪 心に刻んで 夢を飲み干す 夜更けのふたり
明日をみつめて 生きてゆく ゆめと希望の 夜明けの甲府駅
夜明けまぢかの この部屋で 今は ひとりで 吐息せつなく 夢の中
生命がある 勇気がある 夢がある そして お前にゃ 俺がいる
夢に逢いたい おんなの旅路 雪が雪が 空に連れ舞う 憂愁平野
あなた鍵を置いて 私髪をといて さみしかった 夢のつづきを 始めましょう
小鳥が夢を 見る頃は 空にはきらきら 金の星
 
船は来るのに 戻らぬ人を 鴎どうして 忘れりゃいいの 夢を返して 夕霧海峡
春はいつくる 涙が枯れたら 鴎の唄に 明日を夢見る 夕霧岬
酒か沈む夕陽のはかない夢 夕焼けに 恋のかけらを浮かべ 男一人
むなしく返るは谺よ 君よ眠れ また逢う日を 夢みるような 星あかり
コウロギが うたってる 媽々の宝は 夢の中にいます
ぬくもり添えて いまに時代は 大きくかわる 花は葵で 夢も咲く
醒めたでしょうか 夢はかげろう 泡雪の 波の花散る 日本海
夢が一つの想い出さ 泣いて涙が枯れたなら 明日の光を胸に抱く
心の悲しみ 流したら 裏町川よ 幸せの 夢を運んで 私にも
ひとすじの白い道 夢を見たいの いつまでも
 
心にさし込む悲しさは ひたむきな追い風か 散り花の夢よ
行こか釧路へ戻ろか襟裳 春はどこやら 旅まくら 夢の 絆 ひとすじ 女のさだめ
花の咲く頃 ああ白いほほえみも うしろすがたも 遠い夢の中 あなたはいない
時はゆくとも いのち果てるまで 君よ夢を心に 若き旅人よ
夢に見た未来から 悲しくてたまらない 街角に雪が降る
あなたに抱かれ まわるまわる輪舞曲 涙も夢も めくるめく フィエスタ
夢を描いて また消して ひとりみつめる 薄紫の 肌に冷たい 麗人の花
泣かせるつもりなの 夢のひととき いまは私だけ そうよ私だけ 何も言わないで
ひととき 戯れでいい 夢の続きみたいの
夢からさめずにいたいだけ お熱いのが好き 心に灯がともるような
 
心を空しくさせる 夢じゃないさ 最後の人 命あるかぎり 愛してるわ
せめて今夜は 夢でいい 朝になるまで そばにいて
わかっているけど今はただ あなただけ あなただけ 夢をみさせて わたし女
最初のこの夢 離さない 心重ねる 宿火命恋火 あなた
女の夢が 冷たいグラスの底で泣く 夜よわたしに なぜ永い
胸の傷跡 消せるやら まだ忘れない まだまだ恋しい 夢にはぐれた 恋千鳥
夢を支えて ついて行く 惚れぬいて 惚れぬいて 浪花の 花になる
ついてゆきたい 男の夢に 浪花そだちの 女です
生きる女の 夢ひとつ 消しは 消しは 消しはしません 浪花の灯り
小春びよりの明日を呼ぶ ええやないか あいあい傘で 夢をひろげる 浪花めおと橋
 
肩よせあって 夢が虹となる 浪花人生 夫婦花
気ばればいつか 夢も咲く あんたはうちの 浪花灯りや 春灯り
帯には短い襷でも ふたりの心の 〆かざり 明日につなぐ 夢あかり
浪花人情 捨てられません 涙もろうて 笑いの華よ 浮世舞台に 夢と咲け
我慢 我慢さ 夢じゃない おっ母さーん 今に花咲く 春が来る
逢うことも見ることも ない夢の女か 流れゆく時の中 人は旅をする
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2024/4