「これから犯しますよ」

犯す前に「これから犯しますよ」と言いますか  
 
そこに住む人たちに無関係なことでしたら 
大変判りやすい例え話でした 
沖縄の皆様の生活環境生命財産に 直接かかわる問題です 
 
防衛省沖縄防衛局長の本音なのでしょう 
役人政治家の本音を代弁しただけなのでしょう 
 
ワースト・2011流行語


 
現在の東南アジアでの中国動向を考えれば 
地政的に沖縄の立地意義は大きくなるばかりです 
負担をお願いするしかないのが現実です
 
NHKニュースの毎回の前置き言葉 
「オフレコの局長談話・・・」 
聞き様では記事にした方に問題があるかのようにも聞こえました

 
2011/12 
 
 
犯す前に「これから犯しますよ」と言いますか 
防衛局長のレイプ暴言を黙殺した大マスコミ 報じたのは琉球新報1社  
防衛省沖縄防衛局の田中聡局長(50)が「レイプ発言」で更迭された。仲井真弘多・沖縄県知事は「コメントしたくもない」と吐き捨てていたし、沖縄県民の感情を考えるまでもなく、こんな暴言局長はクビが当然だが、驚くのは大マスコミのフヌケぶりだ。問題発言は大勢の記者が聞いていたのに、報じたのは「琉球新報」1社のみ。大マスコミは慌てて、後追いしたのである。  
問題発言が出たのは28日夜。沖縄防衛局が県内外の報道各社に呼びかけ、那覇市内の居酒屋で開かれた懇親会の席だった。  
「会合には琉球新報のほか、読売など計9社の記者が出席しました。この席で、一川保夫防衛相(写真)が県への環境影響評価書の提出時期を明確にしないことについて質問が出ました。これに対し、酔った田中局長が『これから犯す前に犯しますよと言いますか』などと口を滑らせたのです。田中局長は本省の広報課長も経験し、今年8月に沖縄防衛局長になった。記者の扱いは慣れているつもりだったのでしょう。地方のトップになって、カン違いしたのかもしれない。いずれにしたって、あまりに非常識な発言です」(沖縄県政事情通)  
フツーの記者であれば、すぐに反応して当然だ。ところが、この暴言を問題視し、29日の朝刊で報じたのは「琉球新報」のみ。在京メディアは騒ぎが広がってから慌てて後追い報道する始末で、しかも「非公式の懇談会」「オフレコ発言」と付け加えた。自分のところが遅れた“言い訳”をしたのである。  
これじゃあ、報道機関失格だが、大新聞・テレビがスルーした発言が後に問題化したことは過去にもある。7月に松本龍前復興担当相が宮城県庁を訪れた際、村井嘉浩知事に「国は何もしないぞ」と怒鳴った時もそうだ。松本は発言の後、「今の言葉はオフレコ。書いたらその社は終わりだから」とドーカツした。在京メディアはこれにビビった。最初に一部始終を放送したのは地元の「東北放送」だけだった。元共同通信社記者で、同志社大社会学部教授の浅野健一氏はこう言う。  
「今回の発言は非常にヒドイし、こんなことを平然と言う人物が役所の幹部に就いていることも問題です。たとえ懇親会であっても、社会的影響力のある『公人』なのだからメディアは報道しなければなりません。しかし、今の記者クラブメディアは弱腰だから、オフレコと言われると報じない。ジャーナリズムとは何かを理解していないのです」  
ふだんから役人にヘーコラして発表モノばかり報じているから、こうなるのだ。田中局長が泥酔して軽口をたたいたのも、記者をナメ切っている証拠である。しかも、防衛省は「記者との信頼関係が崩れた」なんて寝言を言っている。どうしようもない役所と記者だ。  
琉球新報 2011/11/30報道 
人権感覚欠く発言 報道すべきと判断  
田中聡沖縄防衛局長の不適切発言を29日付朝刊で報じた琉球新報の玻名城泰山編集局長は同日夜、「政府幹部による、人権感覚を著しく欠く発言であり、今の政府の沖縄に対する施策の在り方を象徴する内容でもある」とした上で「非公式の懇談会といえども許されていいはずがない。公共性、公益性に照らして県民や読者に知らせるべきだと判断した」と述べ、報道に踏み切った理由を説明した。  
「知る権利」優先  
米軍普天間飛行場の移設問題に関する田中聡沖縄防衛局長の県民を侮辱した問題発言は28日夜、那覇市内で開かれた報道陣との非公式の懇談会であった。関係者の発言内容について記録、報道しないことを前提とした「オフレコ」形式の懇談だったが、琉球新報は読者に伝える責任があると判断して報道に踏み切った。識者はオフレコの原則よりも「国民の知る権利が優先される」と指摘する。  
懇談会は各社負担する会費制で、県内外の9社の記者が参加した。午後8時ごろから始まった懇談は、テーブル中央に座った田中局長を記者が取り囲み、飲食を伴いながら、基地問題について意見を交わした。  
政府が年内提出を予定する環境影響評価(アセス)の評価書提出問題に話題が移った時、本紙記者が「政府はなぜ『年内提出する』と明言しないのか」と問いただした。すると、田中局長は女性を乱暴することに例えて「これから犯す前に『犯しますよ』と言いますか」と応じた。田中局長は、1995年の少女乱暴事件後に、「レンタカーを借りる金があれば女が買えた」と発言し更迭されたマッキー米太平洋軍司令官(当時)の発言を自ら話題にし、肯定する言いぶりもあった。  
公表を前提としないオフレコ内容を報道したことについて、沖縄防衛局報道室は「(懇談は)オフレコだ。発言は否定せざる得ない」とした上で、「(公表すれば)琉球新報を出入り禁止することになる」と警告してきた。  
専修大学の山田健太准教授(言論法)は「メディアはオフレコを守る信義則はあるが、国民の知る権利はそれに優先される」と指摘。「全ての取材は報道する目的で取材するのが原則だ。公人がメディアに対する時、その後ろにいる国民に対して説明責任を果たす認識が必要だ。公共・公益性があると判断した場合、メディアは報道する原則に戻るのが大前提となる」と話している。  
怒り「沖縄を侮辱」「更迭で終わらない」  
「暴言だ」「基地押し付けの本心だ」。米軍普天間飛行場代替施設建設の環境影響評価書の提出時期をめぐり、防衛官僚の沖縄トップが漏らした不適切発言は県民に衝撃と苦痛を与えた。基地の県内移設に反対し、米兵による事件事故を糾弾している市民団体の関係者は「県民への侮辱だ」「更迭で終わらせてはいけない」と反発。「犯す」という言葉の根にある沖縄への差別意識に怒りや批判の声を上げた。  
「更迭で終わる問題ではない。沖縄への政府の姿勢を最もひどい表現で見事に表しており、彼一人の品格の問題に終わらない」。田中聡沖縄防衛局長の暴言に語気を強める基地・軍隊を許さない女たちの会の高里鈴代代表。「相手の立場、意思を無視し有無を言わせず行使する性暴力の本質を表している。性暴力の被害者が傷つき、声も上げられない状況への想像も及んでいない」と憤り、早急に抗議文を出す意向だ。  
県婦人連合会の大城節子会長は、新聞報道を読んで「またか」と手が震えた。繰り返される県民への侮辱的な発言。「沖縄の人をどこまでばかにするのか」と怒りをあらわにした。  
「犯すという言葉は個人の人権や尊厳、人格を侵害する行為だ」と批判し、発言の裏にある県民蔑視を指摘するのは辺野古アセスやり直し訴訟の弁護団長、三宅俊司弁護士。アセス評価書提出については「県の考えを力ずくで抑え付けてでも提出するという決意表明ではないか」。防衛局長という役職の発言に「(防衛省全体が)認識を変えなければ1人辞めてもただのトカゲのしっぽ切りだ」と断じた。  
「ウッターユルサランサー(彼らは許せない)」。朝、新聞を手にした県子ども会育成連絡協議会の玉寄哲永会長は思わず怒りが口をついて出たという。「対米従属、沖縄蔑視。県民の視線で見ない防衛官僚の姿勢は局長が変わっても同じだ」  
宜野湾市内では29日、環境影響評価審査会が開かれていた。評価書が県に提出されればこの場で審議される。傍聴していたアセスやり直し訴訟原告の真喜志好一さんは終了後、発言を報じた紙面を手に「評価書を出すなと発言してほしい」と要望。「本土の官僚が沖縄をどう見ているか分かる。いい加減な評価書を強引に出そうと白状したということだ」と訴えた。  
 
田中聡沖縄防衛局長の不適切発言について  
二次会でのオフレコ?発言をマスコミはどう扱うべきか  
このことについて、国会が大騒ぎをしていますが、私の印象としては、そもそも、酒席での、それも二次会でかなり酔っ払った状態での当局者の発言を、マスコミはどう扱うべきなのか。「オフレコ」条件で内情を話した、ということになっていますが、素面で内情を語ったのとは違って、いわば、二次会での「酔狂」であって、それをまじめに取り上げ大騒ぎする必要が一体何処にあるのか、というものでした。  
一次会という報道もある。  
結論を先に言えば、事の真相は次のようなものだったのではないでしょうか。  
「田中氏は、日本のマスコミとどう付き合うべきか、十分な教育訓練を受けておらず、また外交的経験もなく、たまたまそういうポストに就いたため舞い上がり、はしゃぎ過ぎて誤解を招きやすい不用意な発言をした。それを、「米軍普天間飛行場移設に関する環境影響評価書」の提出を阻止することでこの移設計画の進行を阻止したい地元マスコミに、沖縄の少女暴行事件とを結びつけられ、あたかも日本政府が沖縄をレイプしようとしているかのような話に仕立て上げられた・・・。」  
というのは、私が最初に、次の読売の記事を読んだ時、一体、田中氏はこの時何を言おうとしたのかと疑問に思ったからです。
2011年11月29日(火)13時11分配信 読売新聞  
問題発言した田中局長 
「沖縄防衛局の田中聡局長(50)は28日夜、沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設に向けた環境影響評価書の県への提出時期を一川防衛相が明言していないことについて、女性を乱暴することに例え、「犯す前に『やらせろ』とは言わない」と発言した。  
ただ、「許可なしにやれば犯罪となる」とも語り、提出時期は沖縄の理解を得ながら判断する必要があるとの考えを示したものだが、女性の人権を侵害するとも受けとれる発言に、沖縄から反発の声が強まりそうだ。」  
ここでは、「沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設に向けた環境影響評価書の県への提出時期」が問題になっているわけですが、では、なぜ記者が、田中氏にこの提出時期を尋ねたかというと、記者は、政府がそれを本年度中に沖縄県に提出しようとしているのを阻止したいと思っており、そこで、この問いを田中氏に投げかけたわけですが、田中氏はこれに対して、沖縄の「許可なしにやれば犯罪になる」というような意味のことを男女関係に例えた言い方で、この記者の問いに迎合的に答えた・・・。  
そう考えないと、前段の「犯すまえに『やらせろ』とは言わない」という言葉の意味が理解できなくなるからです。というのは、そもそも、田中氏としては、なんとかして政府の日本の安全保障上の立場を沖縄に理解してもらいたいと思っているわけで、政府の沖縄に対する誠意をうまく説明したいという気持ちはあっても、政府と沖縄の関係を、男性が女性を犯す話に例えて、それをぶち壊そうなどと考えるはずがないからです。  
そのあたりについて、本人は、次のように弁明しています。
「居酒屋での記者との懇談において、評価書の準備状況、提出時期等が話題になり、私から、「『やる』前に『やる』とか、いつ頃『やる』とかということは言えない」「いきなり『やる』というのは乱暴だし、丁寧にやっていく必要がある。乱暴にすれば、男女関係で言えば、犯罪になりますから」といった趣旨の発言をした記憶がある。自分としては、ここで言った「やる」とは評価書を提出することを言ったつもりであり、少なくとも、「犯す」というような言葉を使った記憶はない。しかしながら、今にして思えば、そのように解釈されかねない状況・雰囲気だったと思う。私としては、女性を冒とくする考えは全く持ち合わせていないが、今回の件で女性や沖縄の方を傷つけ、不愉快な思いをさせたことを誠に申し訳なく思い、おわび申し上げたい。」
つまり、「犯す」というような言葉を使った記憶はないが、評価書の提出時期について、「やる前に、いつ頃やる」というような「すでにそれが決まっている」かのような言い方はできないといった。それは乱暴なやり方だから、丁寧にやっていく必要がある。そのことについて、政府が、沖縄の了解を得ないまま(それを「犯す」と表現?)に一方的に調査書を送りつける(それを「やらせろ」と表現?)ようなことは、「男性が女性に乱暴するようなことで犯罪に相当する」というような趣旨の発言をした、と言っているのです 。 
そうは言っても、誤解を招きやすい乱暴な言い方をしたことは事実だし、それが誤解を招いていることは事実だから、そうした表現をして、「女性や沖縄の方を傷つけ、不愉快な思いをさせたことは誠に申し訳なく思い、お詫び申し上げたい」と言っているのです。  
では、なぜ、こんな誤解を招きやすい不適切な表現になったかというと、週間フライデーの記事によると、その前段の会話に、「1995年の少女暴行事件については、当時米側関係者が、馬鹿な事をしたものだ、タクシーに乗って逃げる金があったら女を 買えたのに、という発言をして問題になった」ことが話題になっていたということです。あるいは、そうした会話の流れの中で、そうした不適切な表現になったのかも知れませんね。  
また、田中氏は同じ席で、「政治家は分からないが(防衛省の)審議官級の間では、来年夏までに普天間の移設問題で具体的な進展がなければ(普天間の代替となる)辺野古移設はやめる話になっている。普天間は何もなかったかのようにそのまま残る」とも述べています。  
つまり、田中氏は、「来年夏までに普天間の移設問題で具体的な進展がなければ(普天間の代替となる)辺野古移設はやめる話になっている」という防衛省審議官の間での話を記者達に伝えることで、なんとか、そんなことにならないよう、来年の夏までにはこの問題を決着したい。そのためには、政府の「沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設に向けた環境影響評価書」を沖縄には受け取ってもらいたい、ということを言っているのです。  
これは、私が先に述べた「田中氏としては、なんとかして政府の安全保障上の立場を沖縄に理解してもらいたいと思っているわけだから、政府の沖縄に対する誠意を訴える気持ちはあっても、政府と沖縄の関係を、男性が女性を犯す話に例えるはずがありません」という解釈の妥当性を裏書きするものだと思います。  
まあ、以上が、「常識的な解釈」ではないかと私は思いますが、それを「犯す前に『やらせろ』とは言わない」とだけ報道すると、田中氏は、評価書の提出時期はいつになるかと記者に聞かれたその答えとして、「実は政府は沖縄を(女性を犯すように)犯そうと思っているが、今から沖縄を犯そうと思っている政府が、いつ貴方を犯しますよ、などとというはずがない」と言ったことになってしまいます。「(ほとんどの人がこれを事実としているようですが、それは田中氏が酒乱か異常人格でない限りあり得ないことです。私は、これは「犯すつもりなら黙ってやるでしょう。しかしそのつもりはないから十分話し合ってやります(=調査書を提出する)という意味の、逆説的表現だったのではないかと思います。)  
それが、このような報道になったのは、端的に言えば「その新聞記者がそのように解釈したかったから」ということではないでしょうか。しかし、それは、田中氏の発言の全体構造から常識的に判断される解釈とはおよそかけ離れたものになっていると思います。その悪意に満ちた解釈・・・私はこれはほとんど「捏造」に近いというべきではないかと思いますが・・・。  
また、こうした指摘をするマスコミや政治家にほとんどお目にかかれないのは、いかに日本のマスコミや政治家が、こうした見え透いた言論操作に弱いか、ということを物語っているように思われます。  
おそらく、田中氏は、冒頭に述べたように、日本のマスコミのこのような体質に対してあまりに無警戒であったために、不用意に、記者の思惑に迎合してしまい、このような誤解を招きやすい表現をしたのではないかと思います。それにしても、宴会の二次会で”オフレコ”談話をするなど不見識という他ありませんし、こんな無防備なことで日本の防衛ができるのか疑問に思わざるを得ませんが。  
なお、今回の問題については、記者の「オフレコ」破りの報道姿勢を批判する田原総一郎氏のような意見もあります。(「劣化するマスコミ、「失言」報道はナンセンスだ」)  
当然のことだと思いますが、現在の「犯すまえに『やらせろ』とは言わない」という田中発言解釈に異議をはさむことを圧殺するような「空気」支配に陥っては、「人間の思考の自由」を放棄することになりますので、こうした「オフレコ」破り報道が、結果的にどういう事態をもたらすのか、次の山本七平の文章を紹介しておきたいと思います。  
なお、今回の「オフレコ」破り報道を正当化する理屈としては、「オフレコであっても人権に関わるような不適切発言があった場合は報道してもかまわない」というのがあります。しかし、もし、オフレコでの発言でそういう発言があった場合は、記者は「オフレコ」会談に加わった者の責任として、その発言の真意を糺すべきで、そうすれば今回の場合はそれが誤解であることはすぐに判明したはずです。  
でも、それでは折角「不適切」発言を誘発させたのに、それを政治的に利用できなくなる。だから、その時は黙っていて、抜き打ちで新聞の一面にでかでかと載せることでまず世間の空気を誘発し、それによって本人がいくら弁明しても一切無視されるような空気を醸成する。それで一気に、自分たちに有利な政治状況を創出する・・・もしこれがあたっているとすれば、おそろしいことです。
「自由ということ、自由に考えると言うこと」 山本七平 
「先日あるアメリカ人の記者と話し合った。私(=山本)は、キッシンジャーが、日本の記者はオフレコの約束を破るからと会見を半ば拒否した事件を話し、これは、言論の自由に反することではないか、ときいた。これに対して彼は次のようなまことに面白い見解をのべた。  
人間とは自由自在に考える動物である。いや際限なく妄想を浮べつづけると言ってもよい。自分の妻の死を願わなかった男性はいない、などともいわれるし、時には「あの課長ブチ殺してやりたい」とか「社長のやつ死んじまえ」とか、考えることもあるであろう。しかし、絶えずこう考えつづけることは、それ自体に何の社会的責任も生じない。  
事実、もし人間が頭の中で勝手に描いているさまざまのことがそのまま活字になって自動的に公表されていったら、社会は崩壊してしまうであろう。また、ある瞬間の発想、たとえば「あの課長ブチ殺してやりたい」という発想を、何かの方法で頭脳の中から写しとられたら、それはその人にとって非常に迷惑なことであろう。  
というのはそれは一瞬の妄想であって、次の瞬間、彼自身がそれを否定しているからである。もしこれをとめたらどうなるか、それはもう人間とはいえない存在になってしまう。「フリー」という言葉は無償も無責任も意味する。いわば全くの負い目をおわない「自由」なのだから、以上のような「頭の中の勝手な思考と妄想」は自由思考(フリー・シンキング)と言ってよいかもしれぬ。  
いまもし、数人が集まって、自分のこの自由思考(フリー・シンキング)をそれぞれ全く「無責任」に出しあって、それをそのままの状態で会話にしてみようではないか、という場合、簡単にいえば、各自の頭脳を一つにして、そこで総合的自由思考をやってみようとしたらどういう形になるか、言うまでもなくそれが自由な談話(フリー・トーキング)であり、これが、それを行なう際の基本的な考え方なのである。  
従って、その過程のある一部、たとえば「課長をブチ殺してやりたい」という言葉が出てきたその瞬間に、それを記録し、それを証拠に、「あの男は課長をブチ殺そうとしている」と公表されたら、自由な談話というもの自体が成り立たなくなってしまう。とすると、人間の発想は、限られた個人の自由思考(フリー・シンキング)に限定されてしまう。  
それでは、どんなに自由に思考を進められる人がいても、その人は思考的に孤立してしまい社会自体に何ら益することがなくなってしまうであろう。だからフリー・トーキングをレコードして公表するような行為は絶対にやってはならず、そういうことをやる人間こそ、思考の自由に基づく言論の自由とは何かを、全く理解できない愚者なのだ、と。」  
これは、あるアメリカ人記者の話として山本が紹介しているものですが、山本がここで問題にしていることは、日本人は無意識のうちに、ある力(=空気)に拘束されて、自分がほんとに考えていることを「口にしない」のを当然とし、あえて自分の考えは隠して周りの空気に迎合することで、人間関係の摩擦を回避しようとする傾向がある、ということです。  
そのため、自分が信じてもいない建前の考えを口にするようになり、それをみんながやるから、建前だけの「虚構」の世界ができあがり、誰もそれを「虚構」だと指摘できなくなり、ついにはそれが「現実」となって猛威を振るうようになる。しかし、本当の「人間の自由」とは、自分の見たまま、聞いたまま、感じたままに、難の力にも拘束されず、何の力も顧慮せずに自由に発言することである。  
このように、人間の「自由な思考」を守ることこそが実は「報道の自由」を守るということである。ところが、戦前のマスコミは、軍(時の勝者)の宣撫班のような役割を担い、戦意高揚のための記事を垂れ流し、それに逆らうものは非国民扱いして、人々の「自由な思考」を圧殺した。それと同じことを、戦後も繰り返しているのではないか、というのです。  
このことは、今回の「オフレコ」破りの報道によって、およそ常識では考えられないような田中氏の言葉の解釈が、あたかも事実であるかのように日本のマスコミ界に通用し、田中氏の弁明を圧殺している現実を見るだけでも明らかだと思います。