傘寿

年寄りの区切り
傘寿

何してきたの
お迎え
創ったもの
残したもの
捨てたもの

 


 
 
 
 
●長寿祝い
長寿を祝う節目の年齢には、還暦や古希、喜寿などの名称があります。本来は数え年で祝いますが、現在では満年齢で祝うことが多くなってきています。ただし、還暦だけは数え年で61歳、満年齢60歳でお祝いします。
還暦(かんれき)…61歳(満60歳)
生まれた年の干支に還ることから、「還暦」と呼ばれるようになりました。赤いちゃんちゃんこの風習があり、赤が長寿祝いの色とされています。また、近年、還暦祝いは「長寿祝い」というよりも「人生の区切りをお祝いする」という意味合いも強くなっているため、必ずしも赤いちゃんちゃんこではなく、赤いお花や小物、旅行などを贈るケースも増えてきています。
古希[古稀](こき)…70歳
中国の唐時代の詩人、杜甫の詩の一節である「人生七十古来稀なり」に由来しています。現代では還暦よりも本格的な長寿の祝いと考えられているようです。紫が長寿祝いの色とされています。
喜寿(きじゅ)…77歳
「喜」という字の草書体が七を3つ重ねた形になり、七十七と読めることに由来しています。紫が長寿祝いの色とされています。
傘寿(さんじゅ)…80歳
「傘」の略字が八と十を重ねた形になり、八十と読めることに由来しています。黄(金茶)が長寿祝いの色とされています。
米寿(べいじゅ)…88歳
「米」の字をくずすと八十八と読めることに由来しています。黄(金茶)が長寿祝いの色とされています。
卒寿(そつじゅ)…90歳
「卒」の略字である「卆」が九十と読めることに由来しています。白が長寿祝いの色とされています。
白寿(はくじゅ)…99歳
百から一を引くと「白」となることに由来しています。白が長寿祝いの色とされています。
紀寿(きじゅ)または百寿(ひゃくじゅ)…100歳
100年が一世紀ということから紀寿、また100歳であることから百寿と呼ばれています。白が長寿祝いの色とされています。

茶寿  108歳
皇寿  111歳
大還暦 120歳
天寿  250歳 
 
 
 
 
●傘寿祝い
今年2022年の傘寿祝いは、1943年(昭和18年)未年 生まれの方です。(数え年でお祝いの場合で表記)
傘寿(さんじゅ)とは
数え年で80歳のお祝いです。「傘」という字の俗字『仐』という字が、八十と読めることから傘寿となりました。また傘が「開く」「末広」などの意味もあって、この傘寿と呼ばれるようにもなったようです。傘寿の80歳を迎えると現代でも長寿のお祝いとなってくるので、派手にお祝いするというよりは、家族や近い関係の人と内輪で祝うことが多いようです。また本人の健康状態もあるので、贈るものは好きなものや趣味のものなど長寿のお祝いに相応しいものを贈るのがいいでしょう。
傘寿の基調色:金茶・オレンジ
傘寿の基調色(テーマカラー)は金茶やオレンジです。金茶は長寿のお祝いの色と言われています。金茶とは明るく黄色がかった茶色で、金色にも近い色合いです。着物や帯にも使われ、その他和の小物や風呂敷、袱紗などにもよく使われる色です。金茶に比較的近い色としてオレンジや黄色も傘寿のお祝いの色です。
傘寿祝い 各年一覧表(2018年〜2025年)
各長寿のお祝いともに「数え年」でお祝いするのが習わしですので、数え年でお祝いする場合を主に一覧表にしています。最近では満年齢でお祝いすることも増えてますので、満年齢でお祝いする場合も付け加えてあります。
お祝い名   年  数え年でお祝いの場合      満年齢でお祝いの場合
傘寿(80歳) 2018年 1939年(昭和14年) 卯年(うさぎ) 1938年(昭和13年) 寅年(とら)
傘寿(80歳) 2019年 1940年(昭和15年) 辰年(たつ)  1939年(昭和14年) 卯年(うさぎ)
傘寿(80歳) 2020年 1941年(昭和16年) 巳年(へび)  1940年(昭和15年) 辰年(たつ)
傘寿(80歳) 2021年 1942年(昭和17年) 午年(うま)  1941年(昭和16年) 巳年(へび)
傘寿(80歳) 2022年 1943年(昭和18年) 未年(ひつじ) 1942年(昭和17年) 午年(うま)
傘寿(80歳) 2023年 1944年(昭和19年) 申年(さる)  1943年(昭和18年) 未年(ひつじ)
傘寿(80歳) 2024年 1945年(昭和20年) 酉年(とり)  1944年(昭和19年) 申年(さる)
傘寿(80歳) 2025年 1946年(昭和21年) 戌年(いぬ)  1945年(昭和20年) 酉年(とり)

いつ傘寿のお祝いするの?
傘寿のお祝いは数え年で行うなら、数えで80歳になったお正月、年初なるべく早い時期にお祝いします。満年齢でお祝いするなら、満80歳の誕生日にお祝いする方が多いです。また敬老の日やお盆休みなど家族や親族が集まりやすいタイミング、お休みの日などにお祝いすることも多いです。
祝いのし表書き
• 「寿」/敬老の日のお祝いを贈る
• 「敬寿」「祝延寿」/長寿や敬老の日のお祝いを贈る
• 「賀華甲」「祝還暦」「還暦御祝」/60歳の誕生日のお祝いを贈る
• 「祝古希」「御古希御祝」「古希御祝」/70歳の誕生日のお祝いを贈る
• 「祝喜寿」「御喜寿御祝」「喜寿御祝」/77歳の誕生日のお祝いを贈る
• 「祝傘寿」「御傘寿御祝」「傘寿御祝」/80歳の誕生日のお祝いを贈る
• 「祝米寿」「米寿御祝」「御米寿御祝」/88歳の誕生日のお祝いを贈る
• 「祝卒寿」「卒寿御祝」「御卒寿御祝」/90歳の誕生日のお祝いを贈る
• 「祝白寿」「白寿御祝」「御白寿御祝」/99歳の誕生日のお祝いを贈る
• 「御上寿御祝」/百歳以上の長寿のお祝いを贈る
賀寿
長寿祝いは、中国から伝わるもので、江戸時代は、40歳で「初老の賀」、50歳で「五〇の賀」をも祝っていました。61歳で「還暦」、70歳で「古希」というふうに年齢の節目に長寿を祝うものですが、40歳、50歳を祝う習慣はすでになくなっています(年齢はいずれも数え歳)。この、還暦以降の長寿のお祝いのことを「賀寿」といいます。 
 
 
 
 
●80歳のお祝い「傘寿」
傘寿といえば、最近は80歳のヒロインが大活躍する漫画のタイトルにもなったりしていますから、そこで初めて知った方もいるのではないでしょうか。最近は医療技術の発展によって平均寿命が延びていることから、傘寿を迎えられる人が多くなっています。そんな傘寿には、還暦では赤、古希では紫のようにテーマの色があります。お祝いをする際には、このテーマの色を意識して演出を用意するのが一般的です。「これからも元気でいてね」と想いを込めて、ご家族や身近な方の傘寿をぜひお祝いしてあげましょう。
「傘寿」のお祝いとは?
数え年で80歳を迎えた方をお祝いする
傘寿祝いとは、数え年で80歳を迎えた方の長寿をお祝いする習慣で、「八十寿」(やそじゅ)とも呼ばれます。その由来は、実は文字の見た目にあります。漢数字で「八十」と縦書きすると、「傘」の略字である「仐」に似て見える……というわけです。
黄色、紫色……お祝いの色には諸説ある
還暦のお祝いは赤色、卒寿のお祝いは白色など、長寿のお祝いにはテーマとなる色がつきもの。しかし、傘寿のお祝いの色は、古稀(70歳)・喜寿(77歳)と同じ紫色とする説と、米寿(88歳)と同じ濃い黄色とする説があります。お祝いする方やご家族がどちらの色をイメージしているか、あらかじめそれとなく聞き出しておけると安心です。
お祝いの形にとらわれず、素敵な思い出づくりを
傘寿といえば、紫色(黄色)のちゃんちゃんこや座布団を身に着けて……というのが昔ながらの祝い方。しかし平均寿命が延び、長寿祝いの歳を迎えても若々しく活動的な方が多い昨今では、昔ながらの形にこだわらないケースも増えてきています。たとえば、ゴルフ好きな方へのお祝いにゴルフのドライバーをプレゼントする人もいます。おしゃれや外出好きな方へのお祝いならば、バッグをプレゼントしたというケースもあります。なかには、回転寿司を初体験するための食事会を開いたという人もいました。このように昔ながらの習慣に従うだけでなく、お祝いをする相手に合わせた祝い方やプレゼントを用意するのが最近の傾向です。 
 
 
 
 
●傘寿は80歳
おじいちゃん、おばあちゃんが80歳となった時に行う長寿祝いは、傘寿(さんじゅ)と呼ばれます。日本には節目ごとに長寿をお祝いする習慣があり、満60歳の還暦、70歳の古希(古稀)、77歳の喜寿と続いて、80歳のタイミングで傘寿のお祝いを行うのです。しかしながら、傘寿祝いとは具体的にどういうものか、その由来やお祝いのしかたなどはあまり知られていないかもしれません。傘寿祝いについて、詳しくご紹介します。
傘寿の由来とは?
傘寿の由来とは、いったいどんなものなのでしょうか。「傘(からかさ)」の文字の略字が縦読みで「八」と「十」に見えることから、傘寿という長寿祝いの呼び名がついたとされています。日本には古くから長寿祝いをする習慣があり、満60歳の還暦、70歳の古希(古稀)、77歳の喜寿、そして80歳の傘寿と続きます。現在では平均寿命も80歳以上となっていますので、80歳の傘寿はまさに現代における長寿祝いの代表的なものといえるでしょう。
2022年に傘寿になる干支は?
2022年に傘寿となる方々の干支は、数え年なら昭和18年(1943年)生まれの未(ひつじ)年、満年齢なら昭和17年(1942年)生まれの午(うま)年です。なお、長寿祝いの時期は地方・地域によってさまざまですので、お祝いの際には、念のため土地の風習を確認しておくと安心です。
傘寿祝いとは?
傘寿祝いとは、長寿祝いの中でも80歳をお祝いする特別な時期です。お祝いする時期はこれといって決まっているわけではないため、敬老の日に合わせたり、お正月、お盆、ゴールデンウィークなどの家族が集まりやすい時期に合わせるのも良いでしょう。お祝いの仕方については、ご家族での食事会や、旅行などが親しまれていますが、特に傘寿祝いをする年齢といえば80歳のご高齢であるため、おじいちゃん、おばあちゃんにとって無理のないプランを立てましょう。
傘寿を象徴する色といえば?
傘寿のテーマカラーとも言える色に「金茶色(黄色)」が挙げられます。これは、稲穂の色からお祝いの色として定着したという説があり、特に東北地方などのお米がよく取れる地域では、金茶色や黄色の傘寿祝いの贈り物を用意するのが風習となっています。なお、地方によっては古希(古稀)や喜寿と同じく、紫色の品物が好まれる場合もあるようです。 
 
 
 
 
●80歳の長寿祝い「傘寿(さんじゅ)」
「傘寿(さんじゅ)祝い」とは、80歳の誕生日を迎えた方に対するお祝いです。日本では60歳以降、節目となる年に長寿のお祝いをする風習があり、80歳を迎えた人には傘寿祝いを行います。
傘寿祝いの由来
草書体や略字で「傘」と書くと、「八十」を縦に書いた形(仐)に見えることが「傘寿」祝いの由来とされています。77歳の喜寿同様に、文字に対するしゃれっ気から傘寿祝いは生まれたといえるでしょう。傘寿のことを「八十寿(やそじゅ)」と呼ぶ人もいます。中国から伝わったと言われる「還暦」や「古希」とは違い、傘寿や喜寿は日本発祥のお祝いです。長寿祝いは室町時代頃から始まったとされていますが、庶民に定着したのは江戸時代といわれています。
傘寿祝いの風習、色(テーマカラー)
還暦や古希は室町時代にはじまり、のちに傘寿も加わったとされています。還暦や古希は中国発祥であるため、地域によるお祝いの風習に大きな違いはありません。長寿者がちゃんちゃんこを着て、ご親族で食事会を開いたりしてお祝いすることが多いようです。傘寿のテーマカラーは「黄色(金茶色)」。黄色いお花や黄色を基調としたアイテムをプレゼントに用意して、普段のお誕生日とは違う「特別感」を出したいですね。
傘寿祝いはいつ行うのが一般的?
実際に傘寿祝いの会を開催するタイミングについては、誕生日祝いと一緒にするか、別々にするかで悩む方もいるかもしれません。現在の日本では、傘寿と誕生日を一緒にお祝いしている家族がほとんどのようです。また、誕生日以外で検討されている方は、過ごしやすい季節「春」や「秋」などがお祝いの時期として最適です。特に秋の「敬老の日」などと合わせてお祝いされる方もいらっしゃいます。遠方にお住まいのご親戚もいらっしゃる場合、集まるのは大変だと思いますので、お祝いの時期や祝い方については自分一人で決めず、ご家族やご親戚と事前に話し合って決めるとスムーズに進みます。
傘寿祝いは満年齢で行う?数え年で行う?
2022 年に傘寿を迎えるのは、西暦(昭和)何年の人なのでしょうか?満年齢と数え年の違いとあわせて確認しましょう。2022 年に傘寿を迎えるのは、満年齢でお祝いする場合1942年(昭和17年) 、数え年では1943年(昭和18年)生まれの方です。
満年齢とは生まれた年を0年(0歳)とし、現時点までの時間を表したもので、最も一般的な年齢の数え方です。2000年に生まれ、2019年に誕生日を迎える人は19歳ということになります。対する数え年とは、生まれた時点の年齢を1歳とし、それ以後は元旦のたびに1歳を加算して歳を数える方法です。数え年では、その年の誕生日を迎えていない人は「満年齢+2歳」、迎えている人は「満年齢+1歳」で数えるため、少し複雑といえるでしょう。どちらでお祝いをするかは、その地域や家族それぞれの風習がある場合はそれに従うとよいでしょう。現在は、比較的満年齢を用いてお祝いされる方が多いとされています。実際に傘寿祝いの会を開催するタイミングについては、誕生日祝いと一緒にするか、別々にするかで悩む方もいるかもしれません。現在の日本では、傘寿と誕生日を一緒にお祝いしている家族がほとんどのようです。また、誕生日以外で検討されている方は、過ごしやすい季節「春」や「秋」などがお祝いの時期として最適です。特に秋の「敬老の日」などと合わせてお祝いされる方もいらっしゃいます。遠方にお住まいのご親戚もいらっしゃる場合、集まるのは大変だと思いますので、お祝いの時期や祝い方については自分一人で決めず、ご家族やご親戚と事前に話し合って決めるとスムーズに進みます。
傘寿祝いを行う際に気を付けたいマナー
長寿のお祝いはおめでたいことですが、「あまりお年寄り扱いされたくない」という理由で好まない人もいます。お祝い会を行う前に、ご本人の意向を伺った方が安心です。また、傘寿祝いは他の長寿祝いと同様、80歳の誕生日までに行うのが一般的とされています。どうしても誕生日当日を過ぎてしまいそうなときには、事前にお詫びの一言を添えるのがマナーです。 
 
 
 
 
●傘寿とは?
2022年(令和4年) に傘寿になる方
【80歳|数え年でお祝いする】1943年(昭和18年)
【79歳|満年齢でお祝いする】1942年(昭和17年)
傘寿の意味・由来
長寿祝いは賀寿とも言い、中国の風習を取り入れて、日本では奈良時代から始まった日本特有の風習のようです。一般的に知られている中国ルーツの還暦や古希と異なり、77歳の喜寿以降の年祝いの起源は室町時代とも言われる日本発祥のお祝いのようです。「寿」には「長命」という意味もあります。
長寿のお祝いは還暦から始まり、長寿を祝う節目の年齢にはそれぞれ名前が付けられていて由来があります。感謝の気持ちといつまでも長生きしてほしいことを願ってお祝いしてあげたいものですね。
   数え年
生まれた時点で1歳と数え、正月(1月1日)を迎えるたびに一つ歳を加えます。胎内で赤ちゃんは十月十日の妊娠期間を経て命を宿し、その期間も年齢として考え、命を尊ぶ考え方として、生まれた時に1歳と数えるようです。
   傘寿(さんじゅ):80歳(満79歳)
別の言い方では八十寿(やそじゅ)。傘の字の略字「仐」を分解すると八十となることに由来。長寿祝いの色は金茶。
厚生労働省が発表している平成30年の簡易生命表では、日本人の平均寿命が女性87.32歳、男性81.25歳、5年ごとに発表している平成27年の完全生命表では、女性86.99歳、男性80.75歳と公表されております。80歳の傘寿は少し届きませんが、75歳以上の「後期高齢者」であり、まさしく長寿といってよいでしょう。おめでとうございます。
2022年(令和4年)長寿祝い早見表
名称 お祝いの年齢  数え年でお祝い    満年齢でお祝い
還暦 61歳(満60歳)  1963年 昭和38年   1962年 昭和37年
古希 70歳(満69歳)  1953年 昭和28年   1952年 昭和27年
喜寿 77歳(満76歳)  1946年 昭和21年   1945年 昭和20年
傘寿 80歳(満79歳)  1943年 昭和18年   1942年 昭和17年
米寿 88歳(満87歳)  1935年 昭和10年   1934年 昭和9年
卒寿 90歳(満89歳)  1933年 昭和8年    1932年 昭和7年
白寿 99歳(満98歳)  1924年 大正13年   1923年 大正12年
百寿 100歳(満99歳)  1923年 大正12年   1922年 大正11年

80歳以上の日本の人口
日本を含む多くの国で、高齢者は65歳以上と定義されています。日本では65〜74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼びます。総務省統計局による人口推計では、日本の総人口は1億2621万9千人。80歳以上の人口は、1121万3千人。人口は減少傾向にありますが、高齢者の割合は今後も増加していきます。80歳・傘寿以上の日本の人口がどのくらいなのかを人口統計表から抜粋してみましたのでご興味ある方はご参考までに。
【80〜84歳】532万0千人(男:219万3千人|女:312万7千人)
【85〜89歳】359万5千人(男:126万6千人|女:232万9千人)
【90〜94歳】175万3千人(男:47万9千人|女:127万3千人)
【95〜99歳】47万4千人(男:8万6千人|女:38万9千人)
【100歳以上】7万1千人(男:9千人|女:6万2千人)
上記合計:1121万3千人(男:403万3千人|女:718万0千人) 
 
 
 
 
●お迎え
傘寿
することはなし コロナで引きこもり
つい昔を思う
思い出すのは 悪いことばかり
神様仏様閻魔様
天国地獄
やはり 地獄でしょう
ボケの始まり
大事な家内との結婚式の日 今年 ふぅーと頭から消える
今日は何の日 怒られた
 
 
 
 
●創ったもの
販売促進
二工程・色分解
   輸入感材の販促 全国を走る
    Agfa Verimask
   マスキング シルバーマスク
   ストロボプリンター
   アルファベットマスク
      印刷技術協会 色分解講師
網掛 コンタクト スクリーン
   リスフィルム
   ハイライト露光 主露光 フラッシュ露光
   濃度計 対数計算 計算尺
ダイレクト・スクリーニング
海外出張 輸入製品の技術勉強 
   アグファ 写真製版感材
   3M カラーキー
   ? フィルム自動現像機 (その後DSと提携)
   グラビアシリンダー修正装置
   製版縦型カメラ セレクトロン
   ハイデル活版印刷機 工場に放置されたサビた印刷機シリンダーが記憶に残る
      鋳造した時のひずみを取り除くためとのこと
フィルム自動現像機・補充装置 
   知識不足 工業所有権取得失敗
   大手感材メーカーに奪われる
昭和47年 会社やめ友人と独立 会社創る
   裏の社名 一匹狼クラブ
   資金・スポンサーは中堅照明機器メーカー
   一生懸命走りました
   資材販売
   設備販売
      商社の60回割賦販売 まねる
      職人さんの独立 割賦販売で後押し
   オイルショック あっという間の崩壊
   会社も店仕舞い スポンサーに拾ってもらう
   独立した職人さんの会社も倒産
      不動産担保でちょっと助かる
公害対策機器 時流にのる
   工場・排水中和処理装置 全自動処理 中堅印刷工場
   グラビア・六価クロム回収装置 大手町・印刷工場屋上設置
   フィルム自現・銀回収装置 一時銀価格高騰
   企画・販売が仕事 販売した機器の保守関連の記憶がない
   1966年6月 / 映写装置、音響再生装置等の製造販売と技術サービスを目的とする
            日本ジーベックス株式会社を設立
   1976年6月 / 株式会社IPCを吸収合併し、本社製版機材部とする
   1981年4月 / 日本シーラント株式会社と合併し、株式会社ユーテックとなる
   1986年7月 / 株式会社ウシオユーテックに社名変更
平行光露光装置  光真っすぐ 工業所有権寿命まっとう
   出発点 点光源での重ね焼き 見当が合わない
   パンチ レジスターピン ハニカムボード黒塗装
反転プリンター
   暗室フィルム ハニカムプリンター
   明室フィルム フレネルレンズ露光
   紫外線感光材 走行式露光
真空密着システム 短時間達成
   密着ゴムシート ゴムシートの中央から密着開始
   密着ロール・ゴムシート ゴムシートを片辺から展開しながら密着開始
ドライドット 網版修正システム 職人さんの技 工業所有権取得
   使用権2社に販売 
積算光量計 シリーズ化 焼枠・殖版機 市場独占
   職人さん 高機能が大好き
自動追尾照明システム 舞台演出 
   超音波 人に発信器 演出空間に複数の受信器
   三次元座標測定
   スタートは結婚式のショーアップ
照明演出のシミュレーション・ソフト 開発
   三次元座標計算   
   松任谷由実 「真夏の夜の夢」 リハを一人で楽しんだことがある
原寸カメラ セルフォックレンズ 企画販売で終わり
   これまでにない小型カメラ
   欠点 解像力不足
コピーカメラ アイデア商品 
   事務所のコピー機をまねて 画像の縮小拡大
   試作機 友人に押し売り
   アイデア先行 商品化に失敗 大損 2000万
   工場の皆さんの努力  完成度を上げ OEM 受注で穴埋め 
アイデアで終わった企画
   液晶ガラス検査装置
      開発費が高額 撤退
      大手が商品化に成功 大きな市場になったようだ
   多層基板 画線面積測定装置
      多層基板を手掛けるメーカー少なく 試作1台販売で終了
      市場調査不足
販売促進
光源
   製版カメラ クセノンランプ
   焼枠 殖版機  水銀ランプ メタルハライドランプ  
   照度分布 露光技術資料 
   交換ランプの計画販売 急な納品の負担軽減
保守サービス 有料化
代理店サポート 顧客情報の共有化
OEM 
小型フィルム自動現像機 
   最初は部材特性を知らず 大失敗 製造してくれた友人に結果的に大損押付け
   改良機 私は失敗から学んだ部材特性の通訳 町工場の皆さんの力で商品化
   鉄・ステンレス デルリン・ジュラコン 金属・塩化ビニール 
   薬品循環ポンプ 水中ポンプの耐薬性不足で失敗 全国交換に走った
   搬送ローラー ローラー心金 金棒の癖とり 長期の首つるし知る
      幅 30cm 長さ 30m 写植ロールペーパーの現像に成功
   排気ポンプ 機器内部の換気
   耐薬塗料 酢酸雰囲気への対応
拡散転写プロセッサー 
   感材自体が特許侵害 結果開発機器も頓挫
拡散転写恒温装置 
   自吸ポンプ 感温リードスイッチ 小型 安価 4000台 ・・・
筆ペン
   オペークを筆先のペンに詰める 使うのはレタッチの職人さん
   職人さんの筆への拘り 軽く見すぎて大失敗 
   全て返品 作ってくれた友人にも迷惑を掛けました
   友人はこれが転機か フィルム・刷版などの薬品をペンに詰め 商品化に成功
麻雀
   サイコロを振りぞろ目が出たら ドラを1個増やす(その裏も)
   ピンぞろなら ドラを2個増やす(その裏も)
   よく普及しました
機器の保守サービス管理のデジタル化 
   ソフト開発 保守サービス履歴 紙から PC データベースに移行 
   保守担当者 大喜び
   私はデータベース管理プログラムの作り方をマスター
契約社員 3年
PCデスク 陽の目見ず 商品寿命の予想大当たり
   液晶モニターへの移行期までの商品企画
   ブラウン管モニターをデスクの中に収納 PCを使用する時 上面に押しあげる
   思考実験
ミラー設計 ソフト開発 
   独自の設計システム 評価されませんでした
   唯一の商品化 2焦点ペンライト・ミラー
空気清浄機 独断先行 
   自分で50台試験販売 印刷業界 市場の可能性確信
   紙粉が舞う業界 不乾のりフィルター のりで紙粉・ほこりをキャッチ・離さない
   増産直前 販売中止
   私の独断 上司は印刷業界知識「0」 不安だったのでしょう
   印刷業界で実績を作り 「ダスキン」へ売込みたかった
   フィルターの寿命は約1ヶ月 ダスキン・マットの交換時にフィルターも
競馬出目占い 勝馬予想ソフト開発
ショバ代が高い博打です 勝てませんでした
株価提灯理論 株価予想ソフト開発
湾岸戦争 リーマンショック 対応できませんでした
「創ったもの」 書き出したらキリがない
失敗と成功 取り返したもの 取り返せなかったもの
やはり悪いことばかり 思い出す
多くの友人 多くの信じてついてきてくれた町工場の皆さん 多くの迷惑をかけました
ちゃんとしたお詫びもせず 会社を変わり渡り歩きました
やはり 一匹狼 身から出たサビ
今になって 若かったとはいえ 自分の欠点 気配りの無さに 腹が立つ
夜中 ふと目が覚め 頭をかすめる
神様のお仕置き
 
 
 
 
●残したもの
友人の会社で
1997-1998年 米国のインターネット情報との出会い
   浮遊ほこりの動きを知る 空気清浄の思考実験 
1999年 インターネットとの関り
   今も友人に感謝しています
   HPの制作を任せてくれました 
   写真 ニコンのデジカメを用意てくれました
   新商品「サビない水」
情報発信 新しい宣伝手段を知る
情報を集める 整理 故事来歴 新旧 量と質 写真 図版 ビジュアル化
発信し続ける
HPの黎明期 友人の会社を含め5社のHPを制作
   DIDSNG  印刷・製版 薬材メーカー 
   KRNMSISKS 製版 機器メーカー 
   YMTDNS 電子制御 機器メーカー 
   SNWART 製版会社 
   THSIK 印刷 機器メーカー 
情報量の多さ 評価されました 
零細企業のHP Google 検索 トップに表示されました
   大昔 Google 表示システムも単純 
      表示順 ほぼアクセス数に比例
   ネットで情報 探し始めた時代      
   当時の一般的なHP 会社案内の延長程度でした
制作ソフトは FrontPage
画像編集は ImageComposer と PictureManager
骨董品 博物館物 今も使い続けている
簡単な操作 使いやすい
 
 
 
 
1/26 懐かしい 元気そうな声を聴く
最後の会社 社長からのお電話
昔 会社PR HPを創った  写真にこだわりの強い方だった
トップ頁背景の朝明けの写真 思い出す
人の先入観を知る 朝明けは左に太陽右を照らす 夕焼けは右に太陽左を照らす
このHPもその名残の一つ
仕事合間の気分転換がスタート 
「娘への遺言」「雑学の世界」 いつの間にか22年
最近  ネット情報で気が付いたこと
HPでは  自分の考えが常識にかなっているかどうか
テーマの本体・周辺・関連・故事来歴 ネット情報で調べている
その都度調べ 時々の参考になる情報をコピペ
・・・そのネット情報 検索できる期間が短かくなっているように感じる?
    感覚的には 2-3ヶ月で消えているのでは・・・
昔より短い気がする 
全体の情報量の大幅な拡大からか 新陳代謝速度もスピードアップか
 
 
 
 
●捨てたもの
バブル崩壊  リストラ
1995年 印刷業界 さようなら
昭和39年(1964) 社会人になる
何社かを渡り歩き 印刷業界との付合い30年余
お世話になりました
業界の水先案内いただいた方々 皆さん逝ってしまいました
今も顔を思い出す人がいる
2000年代に入り 急速なデジタル化
印刷業界も様変わり
印刷を支えてきた周辺業種 多くが消えました
版下 写真製版 レタッチ 刷版 校正
多くの知り合いの会社 消えました
 
 
 
 


2022/2
 
 
 
 
 
●40年間咲き続けた湿板法という名の花
1枚のモノクロ写真がある。そのモノクロ写真からC、M、Y、Bkの4色を使用してカラー印刷物に色再現するのが人工着色の技術である。
人工着色の可能性は、日本人の手さきの器用さ、工芸的センスによって拡大され、実用化されたものと思われる。版画や日本画・染色・織物・陶芸などに伝統的に養われてきた、繊細にして華麗な技術は、外国より輸入した写真製版の技術を日本的ユニークさで開花ささせた。その特長的なものがHBプロセス法である。この方法は、アメリカで写真製版法の特許をとったウイリアム・ヒューブナーとブライシュタインの頭文字のHとBを組合わせたものである。通常、湿板レタッチ法は、このHBプロセスをいう。
湿板写真法は日本では「なま撮り写真」とか「ガラス写しの写真」と呼ばれた。湿板写真とは文字通り、感光板が濡れている時に感光する写真で、その主薬は沃度化合物を主体とした、いわゆる沃化銀と称するものである。
プロセス製版変遷史(「印刷情報」1981年4月号)の中で、山下喜代治氏は次のように語っている。
写真撮影用の感光剤沃度コロジオンを塗布する硝子板(今のようなポリエステルフィルムではなく、その時分は種板といって、撮影用の写真版は全部磨き硝子板である)の洗浄と、卵白水溶液の下引き作業が準備作業の一部だが、これがなかなか大変な仕事であった。俗に『硝子板洗い3年』といわれるくらい骨が折れた。」
ガラス板洗いは、当時の見習いカメラマンの修行のひとつとされていたのである。
   表1:技術革新の主要な年表(レタッチ関連)
日本にHB法の特許と製版装置が購入されたのは、大正8(1919)年の7月で、最初のHB式の製版装置は大阪市西淀川区海老江の市田オフセット印刷株式会社の工場に設備された。大正9(1920)年の末ごろからHBプロセスの印刷物が現われるようになった。以来、HBプロセス法(湿板レタッチ)はレタッチ技術の主流として40年間も続いたのである。
この湿板レタッチ40年の技術は末期には、フィルムマスキング法と重曹しながら、昭和35(1960)年頃まで現存した。
日本の製版がフィルム化にたちおくれたのは、太平洋戦争による主要都市の戦災、印刷会社の壊滅、技術情報や資材の入手困難等が影響したといわれている。カラーフィルムが日本で原稿として使われ始めたのは昭和25(1950)年頃であるから、人工着色レタッチは、それまでの印刷物に主要な役割を果たしたといえよう。
表1、表2は、製版の技術革新の要約である。(主としてレタッチに関連のものを中心にまとめた)。
   表2:プロセス製版技術革新年表
「続・レタッチ技術手帖」(社団法人日本印刷技術協会、坂本恵一)より  
●湿板 
写真用感光材の一種。コロジオン溶液と沃化銀を混合してガラス板に塗布し、硝酸銀溶液中にひたし、乾燥しないうちにカメラに入れ、撮影するもの。初期の写真や写真製版に用いられた。
写真感光板の一。コロジオンと沃化物ようかぶつとの混合液をガラス板に塗り、これを硝酸銀の容液に浸したもの。乾かないうちに撮影に使う。乾板が発明される前のもの。
…〈しつばん〉ともコロジオン(ニトロセルロースをエーテルに溶解したもの)を乳剤の結合剤とし,これにヨウ化銀微結晶を分散してコロジオン写真乳剤を作る。この乳剤をガラス板に塗布し,余滴を落として乾かさない(このことから湿板の名がある)でカメラに装置して写真を撮影する。このため,湿板写真では撮影者が使用直前にコロジオン乳剤を調合して感光材料を準備する必要がある。…