寄らば大樹

菅義偉氏 安倍上皇推挙
    寄らば大樹 雪崩を打って派閥集結
岸田文雄氏 あり得ない禅譲期待
    のんきな政治家 
石破茂氏 正論を口にする 
    負け戦覚悟 参加することに意義 

総裁選挙  派閥政治のお祭り 出来レース
安倍政権評価は石棺 闇から闇 ただただ継承
 


総裁選挙 / 9/29/39/49/59/69/79/89/99/109/119/129/139/149/15・・・安倍政権キャッチフレーズ・・・
菅義偉出馬表明選挙昔の選挙・・・
岸田文雄出馬表明選挙昔の選挙・・・
石破茂出馬表明選挙昔の選挙・・・
負け戦負け戦の経験大谷吉継九戸政実徳川家康自軍の怯懦生き延び方・・・
武将の名言1武将の名言2・・・武将の名言3・・・
 
 
 
 
 
 

 

総裁選挙
派閥  政治力学
 
●“絶滅危惧種”二階氏の変幻自在 6/28 
コロナショックで安倍晋三首相の苦闘が続く中、政権ナンバー2の二階俊博自民党幹事長の言動が、政界で注目の的となっている。混戦模様の「ポスト安倍レース」でも、首相の「4選」に言及したかと思えば、反安倍の立場を鮮明にする石破茂元幹事長を「期待の星」などと持ち上げる変幻自在ぶり。首相を筆頭とする世襲政治家とは対照的な「(組織に所属しない)一本どっこの叩き上げ」(自民長老)と位置付けられる二階氏。持ち前のしたたかな腹芸ぶりから「政界の絶滅危惧種」(同)とも呼ばれるだけに、「コロナ政局を動かすキーマン」(自民幹部)になることは間違いない。
これまで、麻生太郎副総理兼財務相、菅義偉官房長官と共に「政権の3本柱」として、首相を支えてきたのが二階氏。ところが、緊急事態宣言を受けてのコロナ対策の目玉だった国民への現金給付をめぐり、政府に「困窮家庭限定30万円」を「全国民一律10万円」に大転換させるきっかけをつくったのが、二階氏の「国民には10万円給付を求める切実な声がある」との発言だった。これを受けて公明党の山口那津男代表が政権離脱もちらつかせて方針転換を迫った結果ではあるが、政界では「公明党と意を通じる二階氏が仕掛けた」と受け止められた。政府がいったん閣議決定した第1次補正予算案の組み直しを余儀なくされたのは前代未聞の事態で、これを機に「首相の求心力低下が加速した」(閣僚経験者)のは間違いない。
二階氏が6月8日に石破氏と会談して、9月に予定される石破派政治資金パーティーでの講演を快諾したことも、ポスト安倍に絡む動きとして、自民党内に波紋を広げた。会談後に二階氏が「高みを目指してほしい期待の星の一人」と、石破氏を持ち上げたからだ。その一方で、国会閉幕直後の18日に告示された東京都知事選では、早くから小池百合子知事の再選支持を公言し、自民党都連の反対を抑え込む剛腕ぶりも見せつけた。「党のことは俺が決めるとのアピール」(側近)だ。
二階氏はすでに81歳と高齢で、常々体調不安説もささやかれ、永田町では「政界引退は間近」との声も少なくない。数々の“爆弾発言”も「その場の思い付きにすぎない」(政府筋)との指摘もあるが、二階氏周辺は「極めて緻密な戦略に基づくもの」と強調する。「ここにきて、二階氏の発言が政局の流れを変えている」(二階派幹部)のは事実だからだ。17日の国会閉幕を受けて、政界では夏から秋にかけての、「コロナ解散」やその前段となる党・内閣人事の断行説が流布されている。「お定まりの衆院解散と人事による党内の抑え込み」(閣僚経験者)とみる向きも多いが、二階氏は1日の記者会見で「早期解散の必要性は感じていない」などと機先を制してもいる。
その一方で二階氏は、首相との“隙間風”がささやかれる菅氏と「水面下で連携を進めている」(細田派幹部)との見方も多い。首相は国会での野党の質問に「官房長官とは一心同体」と強調したが、昨年9月の党・内閣人事で二階氏の交代を模索した首相を押しとどめたのが菅氏だったことは、永田町で周知の事実だ。
そうした中、首相が10日に盟友の麻生氏と2人だけで約1時間も密談したのも、「解散時期や人事を話し合ったとの憶測を党内に広げることでの求心力回復作戦」(自民幹部)とみられている。ただ、こうした「3本柱の足並みの乱れ」(岸田派幹部)が、政局運営での二階氏の存在感を高める要因となっており、二階氏周辺からは「狙うはポスト安倍での最強のキングメーカー」(側近)との声も出ている。  
●揺らぐ「岸田氏禅譲」路線 麻生氏らが疑問符―菅氏でつなぐ案浮上 7/19 
安倍晋三首相の盟友である麻生太郎副総理兼財務相ら首相に近い有力者から、自民党の岸田文雄政調会長を「ポスト安倍」候補として推すことに疑問の声が漏れ始めている。課題の発信力が向上せず、党内での指導力も見えにくいためだ。首相が避けたい石破茂元幹事長の党総裁選出阻止のため、菅義偉官房長官を担ぐ案も浮上しており、首相が描く岸田氏への禅譲路線が揺らいでいる。
「平時の岸田だ。乱世の岸田じゃない」。麻生氏は最近、同僚議員にこう語った。麻生氏はこれまで首相が目指す岸田氏への禅譲路線に異を唱えていなかったが、立場に変化が表れた。
岸田氏の肝煎りとされた新型コロナウイルス対策の「減収世帯への30万円給付」は、公明党が求める一律10万円給付に覆され力量不足が露呈。各種世論調査の「次の首相にふさわしい人」では石破氏に大きく水をあけられ、差が縮まる気配もない。首相周辺は「あれでは石破氏に負けてしまう」と危機感を隠さない。
首相の信頼が厚い閣僚の一人は、首相の後継として政権を任せる場合、岸田氏ではなく「菅氏がつなぐのが一番いい」と指摘する。菅氏は党内に一定の支持派を抱え、党側を押さえる二階俊博幹事長との関係も良好だ。
岸田氏に対する不安の声は首相の耳に直接入っている。ただ、2018年総裁選で自らの支持固めのため岸田氏を不出馬に追い込み、「禅譲」をちらつかせてきた首相としては、ここではしごを外しにくい。最近も「岸田氏の面倒を見てほしい」と周辺に伝え、岸田氏を擁護してみせた。
「ポスト安倍」選びが「選挙の顔」を決める印象を強めれば、知名度の高い石破氏に支持が雪崩を打つ展開は否定できない。「もう少し発信したらいいのに」。首相は岸田派幹部にこう不満を漏らした。今後の評価次第で首相の岸田氏に対する姿勢に変化が生じる可能性もある。  
●静と動 対照的な岸田氏と石破氏のメディア戦略 8/29 
安倍晋三首相(自民党総裁)の後継を選ぶ総裁選に向け、有力候補と目される岸田文雄政調会長と石破茂元幹事長が対照的な滑り出しをみせている。岸田氏は辞任表明直後の首相を気遣い、総裁選への踏み込んだ発言を抑える一方で、石破氏はテレビ局行脚で存在感をアピールする。首相に重用されてきた岸田氏と、批判的な立場をとってきた石破氏のスタンスの違いが「ポスト安倍」レースの号砲とともに際立ってきた。
「首相が退陣を表明した直後だ。今は敬意と感謝を表すことが第一だ」
岸田氏は28日午後、岸田派(宏池会)の会合後、記者団にこう語り、この日のテレビ出演依頼は全て断った。
平成24年の第2次安倍政権発足以降、首相は信頼を寄せる岸田氏を外相や政調会長に起用。首相の「意中の後継」は岸田氏とみられてきた。それだけに岸田氏は周囲に「退陣を表明した直後に『次は俺』と言うのは自分の哲学ではない」と首相の心情を思いやった。
ただ、知名度で石破氏の後塵を拝す岸田氏にとってメディア戦略は重要課題だ。派内にも積極的な出演を求める声は強く、徐々に露出を増やす方向だ。
これに対し、石破氏は28日だけで、計6本の番組に出演。BS−TBS番組では、総裁選に立候補するかどうかを問われ、「(立候補をしないという)そんな無責任なことはしない」と事実上の出馬表明に踏み込んだ。
石破氏はこれまで首相との対立軸を打ち出し、報道各社の世論調査で他のポスト安倍候補を圧倒してきた。知名度を生かしたメディア露出で流れを引き寄せる考えだ。
一方、今回の総裁選は緊急を要することなどを理由に、国会議員らの投票で決める両院議員総会で選ぶ流れが強まっている。国会議員票の伸びが見込めず、党員票に期待する石破氏は、党員票を含めた総裁選の実施に向け、世論の喚起に迫られている事情もある。石破氏率いる石破派(水月会)の関係者は「メディア行脚で通常の総裁選を訴えるしかない」と語った。 
●菅・二階“石破潰し”壮絶…推薦人集まらず総裁選出馬断念か 8/31 
「菅後継」の流れが強まっている“ポスト安倍”の自民党総裁選。ファイティングポーズを取ってきた石破茂元幹事長(63)が、突然、弱気になっている。不出馬も取り沙汰されはじめた。
過去3回、総裁選に出馬している石破氏。安倍首相が退陣表明した28日にも「20人の推薦があれば、やらねばならない。そう遅くない時期に判断したい」と出馬への意欲を語っていた。
ところが、30日出馬について、「党員が選んだという正統性がなければ、強力な政治を進める上でハンディになる」と、党員投票が実施されるかどうかを見定めてから判断する、と答えたのだ。党員投票が行われるフルスペックの総裁選が実施されず、両院議員総会で決まる場合は、出馬しないと宣言したも同然だ。
しかも、不出馬の可能性について問われると「いま、言及はしない」と言葉を濁す始末だった。
一体なにがあったのか。
「総裁選に出馬するためには、20人の推薦人が必要です。なのに、石破派は19人しかいない。そのうえ、メンバー19人のうち4〜5人が、菅・二階陣営に切り崩されてしまったといいます。空手形の可能性もありますが、大臣ポストを約束された議員もいるようです。しかも、切り崩しは続いている。20人の推薦人を集められない可能性もある。石破さんの周辺は、両院議員総会だけで選ぶ総裁選なら出馬を見送ると、もっともらしい説明を用意しているようですが、出馬したくても足元を崩され、出馬できないのが実態でしょう」(自民党関係者)
30日の石破派の会合も、出席者は10人前後だったという。派内では「あいつは裏切ったらしい」と疑心暗鬼が広がっている。
ある石破派議員は、官邸サイドに「総裁選があっても、両院議員総会での選挙だったら石破は出ない。その代わりに石破派に大臣ポストを配分して欲しい」と持ちかけた、という情報も流れている。
「菅・二階陣営は、石破氏の出馬だけは潰したいようです。たとえ、菅さんが新総裁に選ばれても、支持率34%と国民人気1位の石破が党内選挙で敗れ、支持率14%(2位)と人気の劣る菅さんが勝利したら、菅政権は人気が出ない。ベストなのは、菅さんより支持率が低い岸田文雄(7%)との一騎打ちにし、菅さんが圧勝するシナリオです。これなら、国民の歓迎ムードを演出できますからね」(政界関係者)
老獪な菅・二階陣営のシナリオ通りに進んでいる。
ポスト安倍のトップはダントツで石破元幹事長――安倍首相の突然の退陣表明を受けて行われた複数の世論調査で、こんな結果が出た。
共同通信社の世論調査(29、30日実施)で「次期首相に誰がふさわしいか」と聞いたところ、石破元幹事長が34.3%でトップとなり、菅官房長官14.3%、河野防衛相13.6%を大きく引き離した。2018年の総裁選で、安倍に党員らによる地方票で善戦した石破氏への期待の高さが表れた格好だ。4位以下は小泉環境相10.1%、岸田政調会長7.5%の順。
日本経済新聞社とテレビ東京の世論調査(29、30日実施)でも「次の首相にふさわしい人」のトップは石破で28%。以下は河野15%、小泉14%、菅11%、岸田6%と続いた。自民支持層に絞って分析すると、石破28%、河野18%、菅16%、小泉13%、岸田9%だった。
自民党総裁選が国会議員票や各都道府県連票だけで行われ、国民や一般党員の抜きんでた支持が集まる石破氏がはずれ、人気のない菅氏と岸田氏の争いとなれば、国民はドッチラケ。
どちらが勝っても“談合総理”のそしりは免れない。  
●麻生太郎なぜ嫌いな菅支持? 9/1 
ワンサイドゲームになってしまうのか。自民党総裁選は、いつの間にか菅官房長官が支持を広げている。とうとう“スガ嫌い”で知られた麻生副総理まで“菅支持”を決定。党内は雪崩を打ちかねない状況だ。スガ嫌いの麻生太郎氏を懐柔するために、菅陣営は衆院議長ポストを用意したのではないか、と囁かれている。
麻生氏のスガ嫌いは、政界では知らぬ者がいない話だ。この8年間、解散時期や消費税増税について、2人はことごとく対立。ボンボンの麻生氏が、集団就職から成りあがった菅氏を小物扱いし、見下してきたのが実態だ。
2016年5月には、総裁経験者がそろった席で、面罵したこともある。消費税増税を延期するかどうかについて、安倍首相、麻生財務相、谷垣禎一元自民党総裁の3人が公邸に集まって謀議をした場に、菅氏も陪席していた。その菅氏に向かって、麻生氏は不快感を前面に出しながら「総裁経験者でもない者がなぜここにいる」と、面罵したという。政策や信念の違いではなく、肌合いが違うということだ。
もともと麻生氏は“安倍後継”を狙っていたという。
「もし退陣表明した安倍首相が、麻生さんを臨時代理に指名していたら、そのまま麻生さんが“安倍後継”になっていた可能性もあった。安倍政治の継承を掲げ、政治空白をつくるべきではないと訴えれば、党内は反対しづらかった。麻生さんも内心、再登板を狙っていたはずです。でも、臨時代理に指名されず夢はついえた。安倍首相に会ったのに、臨時代理に指名されなかった麻生さんは憮然としていました」(政界関係者)
安倍首相後継の可能性もあった麻生氏は、なぜ天敵の菅氏の支持に回ったのか。政治評論家の有馬晴海氏はこう言う。
「最大の理由は、負け戦はしたくない、ということでしょう。本当は岸田政調会長を担ぎたいのでしょうが、勝てそうにありませんからね。盟友である安倍首相と歩調を合わせるということもあるでしょう。安倍―麻生が固い同盟を結んでいれば、党内で影響力を保てる。安倍―麻生の盟友関係が崩れなければ、菅政権が誕生してもコントロールは可能だという計算もあるはずです」
さらに、党内からは「菅支持を取りつけるために、麻生副総理には衆院議長のポストを用意するのではないか」という声も上がっていた。幣原喜重郎氏以来、2人目となる首相経験者の衆院議長就任は、麻生氏の希望だという。
「衆院議長就任は、麻生さんにとって最高の名誉でしょう。なにしろ、総理と衆院議長の2冠王。皇室につながり、吉田茂を祖父に持つ麻生さんは、自分は特別だと信じ込んでいる。衆院議長就任は、そのプライドをくすぐるはずです。そろそろ息子に議席を譲り、引退しようと考えているだけに、もう身銭を切って54人の派閥を維持する必要もない。菅陣営が麻生さんの支持を取りつけるために、衆院議長ポストを用意してもおかしくありません」(自民党事情通)
派閥が次々に菅氏支持を打ち出している。もう、総裁選に波乱はないのか。 
 9/2

 

●安倍路線「継承、前進」 菅氏が自民総裁選出馬表明 9/2 
自民党の菅義偉官房長官(71)は2日夕、記者会見し、総裁選への立候補を正式表明した。「安倍晋三首相が全身全霊を傾けて進めてきた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めるために持てる力を全て尽くす覚悟だ」と述べ、安倍政権の基本路線を継承する考えを示した。党内5派閥の支持を受けて優位に立ち、「菅総裁」の流れがさらに強まった。
菅氏は「新型コロナウイルス感染拡大防止と社会経済活動の両立を図り、雇用を守り、経済の回復につなげていかなければならない」と強調。「日米関係は外交の基軸だ」として同盟重視の立場を示すとともに、拉致問題、憲法改正など積み残しとなった課題に「引き続き挑戦していきたい」と語った。経済政策「アベノミクス」についても「しっかり引き継ぎ、前に進めたい」と述べた。
菅氏の表明を受け、細田派(98人)の細田博之会長、麻生派(54人)の麻生太郎会長、竹下派(54人)の竹下亘会長がそろって会見し、支持を打ち出した。主要派閥トップが公式な場で総裁選対応の結束を示すのは異例。一方、二階派(47人)と石原派(11人)の幹部は菅氏と順に会い、支持を伝えた。  
●3派閥会長、共同会見で菅氏支持 9/2 
自民党の細田派、竹下派、麻生派の3会長は2日、国会内で共同記者会見を開き、党総裁選に立候補表明した菅義偉官房長官への支持をそろって打ち出した。安倍政権の政策継続を重視し、危機管理能力や決断力で「菅氏の方が優れている」(麻生太郎副総理兼財務相)と強調した。同じ菅氏支持の二階派、石原派は2日午前にそれぞれ立候補要請書を手渡し、足並みの乱れが垣間見えた。
安倍晋三首相の出身派閥、細田派を率いる細田博之会長は「安倍政権を継承してほしい」と強調。竹下派の竹下亘会長は菅氏を「田舎者丸出し」と共感を寄せ、菅氏優位の流れに「政策も政局も含めたものが総裁選だ」と述べた。 
●菅氏支持の3大派閥が会見 政権見据え主導権争い表面化 9/2 
菅義偉官房長官が自民党総裁選への立候補を正式に表明したのを受け、菅氏を支持する細田、麻生、竹下の3派閥の領袖(りょうしゅう)が記者会見を開いた。二階派と石原派も菅氏を支持するが、3大派閥のみの会見となった。国会議員は「菅氏支持」で雪崩を打っており、菅政権の誕生を見据えた派閥の主導権争いが表面化した格好だ。
安倍晋三首相の出身母体で最大派閥・細田派(98人)の会長・細田博之元幹事長は憲法改正や新型コロナウイルス対策などを挙げ、「(菅)官房長官が安倍内閣の業務を引き継いでいただいて、リーダーになることが最善」と支持理由を語った。
安倍首相の盟友で麻生派(54人)会長の麻生太郎副総理兼財務相も「(安倍首相の)これまで進んだ道と全然違うベクトルに話が進むのはいかがなものか。これだけの支持がある政策を継続していっていただける方がいいのではないか」と語った。
記者団から、立候補表明した岸田文雄政調会長も安倍首相の路線を継承すると指摘されると「政調会長、外務大臣もして、よく分かっておられるのは間違いない」と述べた上で「危機管理のコロナっていうものに対する対応は、(国民が)一番関心がある」「非常時だということを考えた時に、菅候補のほうが優れている」と語った。  
●自民執行部、「石破封じ」へ異論抑える 総裁選、党員投票見送り 9/2 
自民党総裁選で焦点だった後継者の選び方は、党員投票を省略して両院議員総会で決着させる方式に決まった。党員参加を求める声が相次いでいたが、新型コロナウイルス感染症に収束の見通しが立たず、時間をかけられないとの論理で二階俊博幹事長ら執行部がはねつけた。党内に不満がくすぶる中、総裁選の形勢を左右する重要な決定が下った。
二階氏は1日の総務会で、安倍晋三首相(党総裁)の体調や新型コロナ対応を理由に両院議員総会での選出を提案。所属議員145人が署名した要望書を提出した小林史明青年局長や、小泉進次郎環境相らが「新総裁の正統性が弱まる」などと党員投票を主張し、賛否が入り乱れた。
ただ、執行部内では「8日告示―14日投開票」の日程が既成事実化しており、そもそも党員投票実施の可能性はほぼなかった。事実上ガス抜きの場となった総務会の議論は約1時間40分続いたが、最後は鈴木俊一総務会長が押し切った。その後の記者会見で鈴木氏は、党員投票の見送りについて「選挙資格の有無を確定するのに時間がかかる」と理解を求めた。
決定を主導した二階氏には、自身が支持する菅義偉官房長官に有利な舞台を整えたいとの思惑がにじむ。首相の辞任表明直後から、政治空白回避の意向を強調し、臨時国会での首相指名までのスケジュールを森山裕国対委員長らと綿密に協議。国会議員票の比重が大きい選出方法へ流れを作り上げた。
両院議員総会方式でも各都道府県連に3票ずつが割り当てられ、東京都連、岐阜県連などが既に党員が参加する予備選実施を決めたが、地方票の合計は141票。国会議員票394票には大きく及ばず、主要派閥の支援を固める菅氏に対し、党員人気が頼みの綱だった石破茂元幹事長は、不利な展開に追い込まれた。
石破氏は1日の会見で「自民党は国民政党で、国会議員だけのものではない」と不満を表明。岸田文雄政調会長は会見で、「党則上、『正統性がない』『おかしい』というわけにはいかない」と認めた上で、なぜ党員投票を省くのか、国民に説明を尽くすよう執行部に求めた。
総務会の結果を受けて執行部は、予備選実施を含め「党員・党友の意見集約に努める」よう都道府県連に通知。しかし、総裁選は一般党員の声よりも主要派閥の都合を反映した結果となるのが濃厚で、党内からは「密室だと批判される」(参院幹部)などと懸念の声が出ている。 
●ポスト安倍、「石破潰し最優先で菅」のあざとさ 9/2 
安倍晋三首相の突然の退陣表明で始まったポスト安倍レースは、あっという間に菅義偉官房長官を後継とする流れが固まった。
7年8カ月続いた「安倍政治の継承」が大義名分だが、国民的人気を誇る反安倍の闘士の石破茂元幹事長だけは後継にしたくないという自民主流派が、石破潰しを最優先させた結果ともみえる。
事実上、菅氏の信任投票に
9月8日告示―14日投開票という日程で実施される自民総裁選は、菅、石破両氏と、一時は本命視された岸田文雄政調会長の3氏による戦いとなるのがほぼ確実となった。しかし、「実態は菅氏の信任投票」(自民幹部)との見方が支配的。まさに「幕が開いたら芝居が終わっていた」というあざとさで、総裁選の投票に参加できない自民党の党員・党友だけでなく、結果を注視する国民からの不満も高まっている。
自民党は9月1日に総務会を開き、執行部方針通りに党大会に代わる両院議員総会で総裁選を行うことを決定した。コロナ禍という国難の中で「政治空白を避ける」のが理由で、党則の「緊急を要するときは両院総会で後任を選任できる」との条項を盾に、党員・党友の投票も含めた本格総裁選ではなく、党員投票を省略する両院総会方式を選択した。
具体的な総裁選日程は2日の党総裁選管理委員会(野田毅会長)で決まるが、党執行部は「9月8日告示―14日投開票」とする方針だ。これを受けて政府は16日に臨時国会を召集し、冒頭の首相指名選挙で新首相を選出、同日中に新内閣を発足させる段取りを描く。
野党側は首相指名に続いて、新首相の所信表明演説とこれに対する各党代表質問を要求しているが、政府与党は会期を18日までの3日間にとどめ、国会論戦は10月下旬に改めて召集する次の臨時国会に先送りする構えで、その場合は一部で取りざたされている秋口解散論も消える。
自民党が決める総裁選の日程は、立憲民主、国民民主両党の解党・合流による150人規模の「新立憲民主党」が15日に旗揚げ総会を開催することを念頭に置いたものだ。その前後に新総裁選出と新内閣発足というスケジュールを組み込めば、「野党再結集という話題をかき消す」(自民幹部)との狙いも透けて見える。
こうした状況を踏まえ、自民党内では各派閥の合従連衡が一気に進んだ。総裁選の仕切り役となる二階幹事長は、8月29日の菅氏との会談で同氏の出馬の意思を確認したとして、30日に二階派(47人)の菅氏支持を決めた。自らが主導して総裁選の流れをつくるという二階流の戦術だ。
窮地に追い込まれる岸田、石破両氏
二階氏の思惑通り、翌31日には第2勢力の麻生派(54人)と最大派閥の細田派(98人)が相次いで菅氏支持の方針を固めた。これに伴い、麻生派の河野太郎防衛相は出馬見送りに傾き、細田派で出馬を模索していた下村博文党選挙対策委員長や稲田朋美幹事長代行も派閥の方針に従う方向となった。
さらに、菅氏に近い無派閥議員グループ(30人前後)や石原派(11人)も菅氏支持で固まった。麻生派と並ぶ第2勢力の竹下派(54人)は態度を決めていないが、菅氏が31日、同派に強い影響力を持つ青木幹雄元参院議員会長と会談して支援を求めたこともあり、「菅後継」を容認する空気が強まっている。
岸田派(47人)と石破派(19人)、様子見の無派閥議員30人前後を除く各派閥が菅氏支持に雪崩を打つように動き、菅後継の流れは決定的となった。そろって窮地に追い込まれたのが岸田、石破両氏だが、どちらも「出馬を断念すれば政治生命も危うくなる」(岸田派幹部)との判断から、総裁選投票方式が決まった1日午後に相次いで出馬表明した。菅氏は2日夕に出馬表明する見通しだ。
そうした中、野田聖子元総務会長も女性代表での出馬を模索しているが、「推薦人20人を集めるのは困難」(周辺)とされる。このため、8日から本番入りする予定の総裁選は菅、岸田、石破の3氏による三つ巴の戦いの構図となる。
告示日の8日午前には3氏の陣営の代表が、それぞれ20人の推薦人名簿を添えて立候補を届け出る。その後は候補者そろい踏みでの都内や地方での街頭演説などを行うのが通例だが、コロナ禍の中での活動には制限があり、日本記者クラブや各テレビ局などの候補者討論会での政策論議が中心となる見通しだ。
両院総会方式での後継選びとなったことで、政界では菅氏の得票数と岸田、石破両氏の2位争いに注目が集まっている。
両院議員総会では、所属議員394人と都道府県代表各3人(141人)の合計535人が投票する。派閥単位で圧倒的な支持を集めている菅氏が、1回戦で過半数の268票以上を獲得すれば、その時点で新総裁就任が決まる。ただ、半数以下となれば得票数1、2位による決選投票(2回戦)となり、議員だけの投票での決着となる。
1回目で過半数の可能性高いが…
派閥単位での菅氏の圧倒的支持がそのまま議員票に反映されれば、同氏の260票以上の獲得が見込まれ、都道府県代表の得票を合わせれば、菅氏が1回戦で過半数を制する可能性が高い。
しかし、総裁選は伝統的に無記名投票で、過去の総裁選でも「判官びいき」などで弱い候補が予想外の得票をするケースが少なくなかった。このため、菅氏の得票が伸びない場合は支持陣営の中の潜在的な「反菅」票の存在が明らかになり、2回戦突入ともなれば菅新総裁の求心力に影を落としかねない。
一方、2位争いが注目されるのは、1年後に実施予定の本格総裁選をにらむ両氏の戦略に大きな影響を与えるからだ。両氏の得票を予測すると、率いる派閥の人数では岸田氏が28人上回っているが、都道府県代表からの得票次第では順位が入れ替わる。
そこで各陣営が神経を尖らせるのが都道府県代表の票の行方だ。それぞれの党員・党友数とは無関係に47都道府県から各3人が代表として投票に参加する。ただ、この3人の代表は各地域で選出された自民議員につながる人物が多く、派閥の影響力も及ぶ。派閥単位の動きを踏まえれば、地方代表票のかなりの部分が菅氏に集まる可能性がある。
ただ、9月1日の総務会で党員・党友投票を求める声が相次いだことを踏まえ、麻生派の鈴木俊一総務会長は各都道府県連で党員・党友による予備選挙を実施することを前提に、執行部方針の両院総会方式で了承を得た。地方代表票は各都道府県での予備選の結果も反映されることになり、党員・党友の人気が高い石破氏の票がかさ上げされそうだ。
首相就任が確定的となった菅氏にとって、今回総裁選は「事実上の信任投票で、何としてでも一発決着」(側近)が必要となる。これに対し、岸田、石破両氏は2回戦に持ち込むことが目標となる。表舞台の候補者討論会で火花を散らし、水面下ではそれぞれの陣営が票の切り崩し合いでしのぎを削ることになりそうだ。 
●二階派幹部「主導権争いという余計な臆測呼ぶ」 菅氏支持各派、早くも綱引き 9/2 
自民党総裁選は2日、「大本命」の官房長官の菅義偉が出馬を正式に表明した。表明前から全7派閥のうち5派閥の支持を取り付け、雌雄がほぼ決する中、周辺では「菅政権」誕生をにらんだ綱引きが始まった。
菅氏「雪深い秋田に生まれ…」
午後5時、東京・永田町で菅の記者会見が始まった。前日に派閥事務所で出馬表明した政調会長の岸田文雄、元幹事長の石破茂と異なり、派閥に属さない菅が会場に選んだのは衆院第2議員会館の会議室だった。
数十台のカメラのレンズが向く中、マイクの前に立った菅は緊張しているようにも見えた。話し始めると、官房長官として毎日こなしている定例記者会見のように無表情だったが、言葉にはやや力がこもっていた。意外な展開となったのは開始から3分。
「私の原点について少しだけお話をさせていただきたい。雪深い秋田の農家の長男に生まれ…」 
首相の安倍晋三を支える黒子役だった菅が自身の生い立ちを詳しく語り始めた。
終盤には東京新聞記者が、首相就任後の記者会見で十分に時間を確保するかという趣旨の質問を62秒間にわたり続けると、こう切り返した。
「早く結論を質問すれば、それだけ時間が浮くわけであります」
菅は安倍路線を継承する考えを強調した。着用していたブルーのネクタイは、安倍が8月28日に辞任表明した際のものと色も柄もそっくりだった。
麻生派幹部「声がけなかった」
菅の周辺では午前から思惑が交錯した。
菅は午前9時41分、東京・永田町の官邸に出邸。50分足らずの10時27分、議員会館の事務所に移った。
数分後、河村建夫ら第4派閥の二階派(志帥会)の幹部が菅の事務所に入り、総裁選出馬の要請書を手渡した。続いて第7派閥の石原派(近未来政治研究会)幹部も出馬要請に訪れた。
安倍の辞任表明後、菅擁立の潮流をいち早く作ったのも二階派領袖で幹事長の二階俊博と、石原派所属の国対委員長、森山裕だった。
両派の先駆けた動きに対し、所属議員数で上位の3派閥からは「二階派も石原派も表明するときにこっちに声をかけてくれればよかったのに、しなかった」と異論が出た。
「二階派外し」?
夕方の菅の出馬会見が最終盤に差し掛かった午後5時40分。隣の衆院第1議員会館の会議室で上位3派閥の会長が共同記者会見を開いた。
細田派(清和政策研究会)の細田博之、竹下派(平成研究会)の竹下亘、麻生派(志公会)の麻生太郎−。平均年齢76歳、平均国会議員歴30年の重鎮3氏が横並びに座り、「田舎者丸出しの菅という男が持つ波を日本の政界に吹き込んでいただきたい」(竹下)などと、そろって菅支持を表明した。
すると、今度は「二階派外しだよね」(菅に近い無派閥議員)という声が漏れた。二階派の河村は記者団に不満を述べた。
「『一緒にやるべきではないか。主導権争いをやっているのではないかと余計な臆測を呼んでもおかしいですよ』と麻生さんに申し上げた」
その麻生は3派閥共同記者会見で、淡々とこう説明した。
「(二階、石原両派は)すでに支持を表明している。ここは表明していない。バラバラに(記者会見を)やってバラバラに集められたら皆さんも迷惑でしょ?」
菅周辺の慌ただしさが増す中、岸田は午前中から参院議員会館の党所属議員の事務所を回り、頭を下げて支持を依頼し続けた。
石破は昼過ぎ、TBS「ひるおび!」に出演。平成20年の総裁選で「そんなに親しくなかった」(石破)という麻生と元官房長官の与謝野馨と争い、麻生が与謝野を立派な人だと思うに至ったとの話を紹介し、こう語った。
「戦ってみて仲良くなることはある。一緒に戦わないと分からないことはある」 
 9/3

 

●露骨な「二階派外し」 3派が菅氏支持表明、復活する派閥政治 9/3 
派閥に属さない菅義偉官房長官を自民党の5派閥がこぞって担ぎ、「派閥政治の復権」がささやかれる今回の総裁選。2日、菅氏支持をアピールした細田、麻生、竹下の3派会長の共同会見に、「菅氏優勢」の流れをつくった二階俊博幹事長率いる二階派は呼ばれなかった。次期政権発足を視野に入れた派閥間のさや当てがあらわになった形。二階氏も「怒っている」とされ、尾を引きそうだ。
「二階派と石原派は、既に菅氏支持を表明されている。だから(2日に支持を決定した)3派。主導権を争っているのではない」
夕方。国会内で開かれた3派会見の席上、麻生派会長の麻生太郎副総理兼財務相は他の2派が同席していない点を問われ、木で鼻をくくったように答えた。
実情は異なる。共同会見の発案は麻生派。菅氏陣営が走りだす上で「うちらが党内主流派で、反主流派じゃない。一発、けん制しておかないと」(麻生派幹部)との思惑から、露骨な二階派外しを仕掛けたのだった。
かたや二階派もこの日朝、所属議員45人の署名を添えて菅氏に出馬を直接要請する場面をしつらえ、「主流派」を演出していた。共同会見の動きに対し、同派幹部は「そんなばかなことがあるか」とほえた。
各派閥がけん制し合い、菅氏により多くの恩を売ろうとする駆け引きの先に見据えるのが、次期政権下での人事の厚遇だ。総理・総裁を頂点とする官邸主導の「安倍1強」が幕を下ろすのと同時に、鳴りを潜めていた派閥の権力闘争が息を吹き返しつつある。党内からは「5派も絡めば選対組織もまとまらない。勝っても『派閥の意向に強く配慮せざるを得ない総裁』になるのは間違いない」(衆院中堅)との声が出ている。 
●3派閥の会長が会見 菅氏支持表明  9/3 
「二階氏だけの手柄にしないためのアピールの場」(自民関係者)
菅氏の出馬会見を受け、細田派(98人)の細田博之会長、麻生派(54人)の麻生太郎会長、竹下派(54人)の竹下亘会長が異例の合同会見を開き、そろって菅氏支持を表明した。麻生氏は「官房長官の職務は経験としては極めて大きい」、細田氏も「大いに頑張っていただきたい」と激励した。
会見場には、同じ菅氏支持の二階派、石原派の姿はなかった。両派は午前中にそれぞれ立候補要請書を手渡し、足並みの乱れが垣間見えた。会見について自民関係者は「菅総裁の誕生を二階氏だけの手柄にしないためのアピールの場だ」とささやいた。
この会見を事前に察知した二階氏側近の河村建夫元官房長官は麻生氏に電話。「なぜ5派で足並みをそろえないのか。マスコミに“対立している”と書かれる」と訴えた。麻生氏は「おたくはもう行動したんだろう」と突き放したという。
会見では“派閥抗争”の質問も出た。二階派や石原派が同席しないのは主導権争いかと問われると、麻生氏は「その2派は既に支持を表明している。争っていない」と反論。ベテラン議員は「派閥の論理丸出しだ。有権者を無視した権力闘争は、後でしっぺ返しを食らう」と漏らした。  
●細田、麻生、竹下3派が菅氏支持表明 二階派参加拒む 9/3 
自民党の細田派、麻生派、竹下派は2日、トップがそろって記者会見し総裁選で菅義偉官房長官を支持すると表明した。二階派も同席を求めたものの3派が拒んだ。菅氏は7派閥のうち石原派を含めた5派閥の支持を受ける。優勢な菅氏陣営のなかで主導権争いが始まったとの見方がある。
二階派の河村建夫会長代行は会見に先立ち記者団に麻生太郎副総理・財務相に「支援する気持ちは同じなんだから一緒にやるべきではないか」と申し入れたと明らかにした。「主導権争いをやっているのではないかという余計な臆測を呼んでもおかしい」とも話した。
二階派は安倍晋三首相が辞任表明した8月28日に幹部会を開き二階俊博幹事長に対応を一任した。二階氏は翌29日に菅氏に支持する意向を伝え、菅氏が優勢になる流れをつくった。二階派は9月2日、菅氏に出馬を求める要請書を手渡した。
細田博之元幹事長は記者会見で「菅氏を支援しようと(3派が)たまたま同時期に決めた」と説明した。麻生氏は「主導権争いではない」と述べた。細田派幹部は「先にパフォーマンスに走ったのは二階派だ」と語った。 
●「二階派だけ抜け駆けたまらない」、菅氏支持3派閥が共同会見… 9/3 
自民党総裁選で菅官房長官を支持する派閥の間で、早くも主導権争いが始まっている。他派閥に先駆けて菅氏支持を打ち出した二階派に対し、党内最大派閥の細田派、ともに第2派閥の麻生、竹下両派のトップ3人は2日、そろって記者会見し、菅氏支持をアピールした。総裁選後の人事をにらみ、存在感を誇示する狙いがありそうだ。
「7年8か月の間、官房長官として安倍首相を支え、あらゆる国内問題、海外の問題にともに戦ってきた菅氏が安倍内閣の業務を引き継ぎ、リーダーになってもらうことが最善だ」
細田派会長の細田博之元幹事長は2日、国会内の記者会見でこう述べ、菅氏を支持する考えを正式に発表した。両隣には麻生派会長の麻生副総理兼財務相、竹下派会長の竹下亘元総務会長が並び、細田氏に続いて菅氏支持を表明した。
主要派閥の領袖りょうしゅうがそろって記者会見に臨み、総裁選対応で結束を示すのは異例だ。3派の議員の合計は206人で、党所属国会議員の過半数を占める。細田派幹部は共同記者会見の狙いについて「二階派外しの動きだ」と明言。別の同派幹部も「二階派だけに抜け駆けされてはたまらない」と語った。
一方、二階派会長代行の河村建夫元官房長官は2日、首相官邸で安倍首相と会談し、菅氏を支持する方針を報告した。共同記者会見に二階派が呼ばれなかったことについては、「これから支援するグループは一つになってやる方がいい」と述べ、首相の出身派閥である細田派の対応に不快感を示した。河村氏は首相との会談に先立ち、麻生氏にも「主導権争いをやっているという余計な臆測を呼ぶ」と懸念を伝えた。
二階幹事長もこの日、竹下派に隠然とした力を持つ青木幹雄元官房長官や、細田派に影響力がある森元首相と相次いで会談した。両派の動きをけん制する狙いがあるとみられる。
二階派は、菅氏の出馬表明前の8月30日、他派閥に先駆けて支持を表明した。その後、岸田、石破両派を除く全派閥が菅氏支持に雪崩を打つ流れを作った。菅氏が総裁選で優位に立つ中で、二階派内からは「菅政権になれば、ポスト争いで優遇が期待できる」との声が出ている。
菅氏支援を確約した二階派議員の署名は2日、菅氏に手渡された。二階氏は署名について、「総裁選でうちが責任を持つということだ」と周辺に語った。
菅氏の陣営で派閥の動きが活発なことに、岸田派の中堅議員は「総裁選が始まってもいないのに、派閥の都合で決着がつく。先祖返りしたような自民党の姿を国民がどう見るのか」と不安視している。 
●「負け戦」を承知で出馬した石破、岸田の狙い! 9/3 
負けると分かっている選挙を戦わなければならない岸田、石破両氏には、立場を超えて、頑張ってくださいと言いたい。負け続けることによって総裁(首相)の座を手に入れた三木武夫の故事もある。臆せず正論を唱えれば活路も開けるというものである。  
ハト派で党内左派として知られた三木武夫が率いる三木派は自民党内では少数派閥だった。三木は自民党総裁選で田中派など大派閥が推す候補に惨敗したが、ひるむことなく「信なくば立たず」と再挑戦した。
総裁選では自民党よりも国民に向かって積極的に問いかけた。有権者は政治の近代化を訴える三木を「クリーン三木」と呼んだ。
田中角栄が金脈事件とロッキード事件で失脚した後は、自民党伝統の「振り子の原理」が働き、ダーティからクリーンへと三木が総理となった。
当時の自民党にはバランス感覚があったが、今は一強とやらで、ソンタクばかりがまかり通る。
石破、岸田が「負け戦」と分かっていて出馬したのは、三木武夫のことが頭に浮かんだのではないか。
16日に誕生する運びの菅義偉内閣は、安倍晋三の残りの任期である来年9月末までの「暫定政権」との見方が強い。
1年後の総裁選では全国の党員、党友が選挙に参加するので両院議員総会のようにはいかない。石破、岸田は1年先を視野に入れ、戦っている。 
●「選挙の顔にならない」切られた岸田氏、「勝てる」菅氏 9/3 
自民党総裁選で5派閥の支持を受け、ほかの候補を圧倒する菅義偉官房長官。安倍晋三首相は当初、岸田文雄政調会長に後継を期待したが、党内や世論の期待が広がらずに支持を見送った。首相批判を繰り返す石破茂元幹事長に「勝てる候補」として浮かんだのが、菅氏だった。
8月28日夕、首相官邸。安倍晋三首相は辞任の意向を表明した記者会見で、自らの病状を説明した。「先月中ごろから体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況となった」
首相が体調を崩した7月半ば、全国で新型コロナウイルスの感染が再拡大していた。首相に国会審議などで説明を求める声が広がっていたが、首相が応じることはなかった。同30日の岸田文雄政調会長との会食を最後に首相官邸から自宅に直帰するようになり、首相周辺は「食が細くなった」と懸念を深めていた。
関係者によると菅義偉官房長官はこのころから、首相の健康不安が高まった場合、自身が後を託される可能性があると考えていたという。
8月上旬には持病の潰瘍(かいよう)性大腸炎の再発が確認されたといい、来年9月まで総裁任期があるはずだった安倍首相の後継探しは抜き差しならない状況に陥った。
「ポスト安倍」への期待を問う世論調査では、首相批判を繰り返す石破茂元幹事長がほかを大きく引き離しトップを走っていた。石破氏は、森友・加計学園の問題や財務省による公文書改ざんの再調査にも言及。菅氏の周辺は「後継候補として重要なのは、そういう問題をほじくり返さない人だ」と語っていた。
石破氏を警戒する首相や盟友の麻生太郎財務相兼副総理らにとって、「ポスト安倍」は岸田氏が適任という判断が早くからあった。「令和の時代はここにいる岸田さんだ」。昨年7月、参院選の応援演説で岸田氏の地元・広島を訪れた首相は、広島ゆかりの池田勇人、宮沢喜一の両元首相に触れ岸田氏を持ち上げた。昨秋の党役員人事でも、一度は党の要の幹事長に岸田氏の起用を検討。長く首相の政務秘書官を務める今井尚哉・首相補佐官が岸田氏の周辺と会食した際、政権運営の心得を説いたこともあったという。
だが、党内では岸田氏の政治手腕を疑問視する声が徐々に強まっていった。今年4月には、新型コロナ対応の経済対策として、首相とともに「減収世帯への30万円給付」を主導したが、二階俊博幹事長や公明党幹部らの反発を招いて「国民一律10万円給付」へと方針転換を余儀なくされた。
「岸田が何をやったんだ」。二階氏はしばしば、岸田氏への批判を口にした。菅氏も「選挙の顔にならない」などと突き放した。「党内は岸田さんではまとまりませんよ」。首相の出身派閥・細田派の閣僚経験者が首相にそう伝えると、首相が「やっぱり、そうだよね」と応じることもあったという。
そんな中で首相の体調が悪化し、「次善の策」(閣僚経験者)として急浮上したのが菅氏だった。岸田氏は31日、首相官邸で首相と会い、「お力添えをお願いいたします」と総裁選での支援を求めた。だが、首相は「個別の名前を挙げるのは控えている」と、口を濁した。
「いつから総理になりたいと思ったんだ」。麻生氏は9月1日、立候補の意向を伝えに来た菅氏に尋ねた。菅氏は最近、自身に近い若手議員を集め、石破、岸田両氏のどちらが後継首相にふさわしいか聞いたところ、大半が石破氏の名を挙げたと説明。「出なければいけないと決意しました」と話したという。 
 9/4

 

●2日前まで分裂懸念…竹下派、菅氏一本化に安堵 自民党総裁選 9/4 
自民党総裁選で、菅義偉官房長官支持でまとまった竹下派(平成研究会、54人)に安堵(あんど)感が広がっている。安倍晋三首相と石破茂元幹事長の一騎打ちとなった前回は衆参が真っ二つに割れ、しこりが残った。今回も自前候補の擁立論がいったんは浮上したが、「一致結束が最優先」(幹部)として、何とか前回の再現を避けて結束を保った。
「一本化できたのはものすごくありがたい。これを出発点にしないといかん」。2日にあった派閥の臨時総会。菅氏支持を取り付けた竹下亘会長は「一枚岩」をアピールした。
わずか2日前の8月31日。衆院若手は会合で「ど真ん中でみこしを担ぎたい」として、茂木敏充外相の出馬を求めた。その数時間後、引退後も影響力を持つ青木幹雄元参院議員会長が、かつて同派に所属していた菅氏と面会。参院側は菅氏支持で動き、今回も分裂が懸念された。
二階派や細田派など主要派閥は早々と菅氏支持で足並みをそろえ、茂木氏を担いでも負け戦になるのは明白。「前回の轍(てつ)を踏んではならない」と幹部は慎重に意見集約を進め、茂木氏が「次はしっかりチャレンジする」と次期総裁選への出馬を目指すことで主戦論の若手を納得させた。
竹下派は亘氏の兄、竹下登元首相が旗揚げした「経世会」が源流。かつて党内最大勢力を誇ったが、近年は有力な首相候補がおらず、2018年には参院側が額賀福志郎前会長の交代を求めて離脱騒動が起きた。同年の総裁選では衆院側が首相、参院側の多くが石破氏を推し、派内に大きなしこりを残した。
かつて同じ弁当を食べる慣例から「一致団結箱弁当」と呼ばれた竹下派。関係者は「衆参でまとまっただけで御の字だ」と胸をなで下ろす。ただ菅氏支持が出遅れ、対応の一本化に腐心した状況を踏まえ、参院若手からは「こんなことでは他派閥に置いていかれる」と冷ややかな声も漏れ、名門派閥復活への道は険しい。 
●「ポスト安倍」に求められるものは何か、国民のために新首相がやるべきこと 9/4 
次期総裁選に向けた動きが活発化しているが…
8月28日、安倍晋三首相がその職を辞することを表明した。その理由は本人の体調不良により総理の職務を続けていくことが困難となったこととされているが、新型コロナ対策では「小中高一斉休校」や「アベノマスク」をはじめとして失策に失策を重ねてきたところ、「退き時を見計っていた」との見方もある。
そもそも一国の総理の健康・体調に関する重要情報が簡単に事前に漏れ、大学病院に検査に行く車列が堂々とテレビカメラに収められるというのは、どう考えても不可思議であり、意図的なものと考えた方がいいだろう。
麻生財務大臣や甘利衆院議員の「安倍総理は働き過ぎ」発言も今回の辞任表明へ向けた地ならしと見ることもできよう。
その一方で、安倍首相の辞任表明会見の前日に流れた「総理の会見の目的は、新型コロナ対策に関し新たな措置について説明するため」という情報は、関心を逸らすためのダミーというか煙幕のようなものだったということであろう。
さて、辞任表明会見を受けて、まるで待ち構えていたかのように次期総裁選に向けた動きが活発化している。
安倍総理からの禅譲が前提とされている岸田政調会長のほか、前回は安倍総理と一騎討ちで戦った石破元幹事長、そして菅官房長官が出馬を表明している。
マスコミ各社の報道も、誰が出馬の意向なのか、誰が意向はあったが出馬を取りやめたのか、誰にどの派閥からの支持が固まったのか、誰と誰が会談・会食したのかといった情報や、両院議員総会で選出するのか、党員・党友投票まで行うのかという、どういう方法で次期総裁を選ぶのかという情報が中心となっていた。
次は「誰か」に注目が集まるのは当然のことと言えば当然だが…
確かに、次の日本の舵取りを任せるのは「誰か」に注目が集まるのは仕方がないというより、当然のことと言えば当然のことかもしれない。
しかし、「誰か」に注目が集まり過ぎれば、なんとなく作り上げられたイメージが先行して、総理という職務の遂行に必要とされる能力や、そもそもこの国の置かれた現状やこの国を取り巻く世界の現状をどのように捉え、分析し、それを踏まえてどの様な政策を企画立案し、実施していこうとしているのかについての議論や批評が後回しにされてしまうことになりかねない。
そもそも「この国の舵取りを任せる」とはそういうことであり、そうした基本的な能力や現状認識として「どのようなものが必要であり、求められるのか」がまず先にあって、その上で「誰か」ということになるのが常道であるはずなのだが(中途採用や重要な役職へ就任すべき者の人選という状況を想定してみれば、容易に察しがつき、理解ができるのではないか)。
加えて言えば、同じ自民党であり、安倍首相の継承者ということになるので、「どう安倍政権の政策、アベノミクスを引き継いでいくのか」、この国の置かれた状況、取り巻く状況を踏まえて「どう修正し、新しい措置を追加していくのか」といったことも議論され、批評されるべきであろう。
こうしたことを考えれば、現在の人物(イメージ)先行型の総裁選への道は望ましいものではないだろう(いろいろと突っ込みどころはあるものの、前回の自民党総裁選では、少なくとも政策議論は行われ、政策という観点からの選択の余地はあった)。
むろん、現在出馬を表明している議員たちは政策集的なものを示すか、基本政策的なことを口にはしているようであるが、政策論争なり、政策を軸にした議論なり批評とはなっているとは言えない。
次期総裁に求められるものは何か
では、次期総裁に求められるものは何であろうか?
それは、アベノミクスが本来目指したが、いまだに達成には程遠い「デフレからの脱却」に必要な措置を矢継ぎ早に講じるとともに、脱グローバルや多極化という世界の実態を踏まえ、安倍政権が推し進めたグローバル化政策や新自由主義政策、そして対米従属深化政策を修正することである。
具体的には、まず、デフレからの脱却のためには緊縮財政から積極財政、つまり歳出を無意味に、教条主義的に抑えるのではなく、未完成であったり中途半端であったりするインフラ、特に地方のインフラへの投資拡大や、介護、保育関係職の公務員化も含めた給与増、教員給与増を含めた初等教育から高等教育までの教育・研究開発投資の拡大、食糧の自給自足体制の強化などを含む総合的な国防・安全保障への歳出拡大、公共サービス・公的サービスへの国・地方公共団体の関与の強化に必要な歳出の拡大などである。
本来、アベノミクスはこの部分、つまり機動的な財政政策を含むものであったが、政権発足当初を除き、消極的であった(「機動的」の意味とは積極的ということではなく、積極的と見せつつ消極的になる、積極財政に見せつつ緊縮を進めるという意味だったということか)。
安倍政権の継承者、アベノミクスの継承を一つの柱に据えるのであれば、積極財政という意味における機動的な財政政策を今度こそ実行すべきであると考えるが、総裁選各候補の考え・政策はどうだろうか?
少なくとも今回の新型コロナショックを受けた補正予算では、事業規模に対して真水、つまり国の財政支出が少なすぎるとの批判もあったが、第2次補正において10兆円の予備費を積むにまで至ったことは、積極財政に端緒を開いたものとして評価できよう。
新型コロナショックへの対応がまだまだ続くことを鑑みれば、この路線の継続は当然のことであり、そのままデフレからの脱却まで突き進む、まさに「この道を真っ直ぐ」進んでしかるべきであろうが、安倍政権やアベノミクスの継承を言いながら、こうした内容を含まないのであれば、要は口だけということになるが。
加えて言えば、歳出拡大とともに求められるのが、国民・消費者、そして日本の企業の大部分を占める中小・零細事業者の大きな負担軽減につながる消費税の減税、最低でも5%への減税である。その必要性に言及し出した総裁選候補者もいると聞くが、これも口だけ格好だけではないことをぜひ具体的な政策として示してもらいたいものであるが(歳出拡大と消費税減税については、安藤裕衆院議員らによる「日本の未来を考える勉強会」がこれまでにいく度となく行ってきた提言をそのまま採用するという方法もあろう)。
今や不可避なのは脱グローバル化である
次に、グローバル化や新自由主義からの脱却について。
反グローバルや脱グローバルの動きは既に世界主要各国で見られてきたし、その一つの象徴が米国におけるトランプ大統領誕生であり、もう一つの象徴が英国のEUからの離脱である。
そのほか、EU加盟諸国内における国民主権回復運動もあるが、日本の多くのマスコミはこれらを「危険な保護主義」だとか「極右運動」だとして否定的に報道し、それを鵜呑みにする政治家や官僚は少なくなかった。
しかし、新型コロナが世界的な感染拡大を見せる中、各国が真っ先に採った行動は、実質的な国境の封鎖であった。その後、都市封鎖までに至った国も多くあったが、その分の生活や仕事の補償を怠らなかった。
つまり、この新型コロナショックの中で明らかとなったのは、国民や国民経済を守ることができるのは国家だけだということであった。
加えて、サプライチェーンのグローバル化のこうした危機への脆弱性もモロに露呈し、改めて国内で消費するものは極力国内で生産することの重要性が認識された。こうした事実からしても、グローバル化やグローバル化政策は大幅な修正を迫られ、各国はその方向に向けて動き出しているようだ。
翻ってこの日本はどうであろう?
いまだに「グローバル、グローバル」と唱える政治家、官僚、財界人、言論人は後をたたず、グローバル化の推進は所与のもの、不可避のものとする見方さえいまだに健在である。
しかし、今や不可避なのは脱グローバル化であって、その方向での政策の大幅な修正が必要とされているのである。
コーポレートガバナンス改革の大きな問題点
さて、こうした状況認識、それを踏まえた具体的な政策を持ち合わせている総裁選候補者はいるのだろうか?
事ここに至ってもまだ「保護主義は危険」「グローバルに開かれた秩序を」などという寝言のようなことをいっているようでは、この危機的状況下、世界の情勢が大きく転換しようとしている状況下でのこの国の舵取りは任せられまい。
新自由主義という意味では、アベノミクスの「第2の矢」、成長戦略はまさにこれを進めるものが中心となっており、それらがこの国の貧困化やイノベーションの起きない状況を創り出してきた。
その一つの中心がコーポレートガバナンス改革である。
その問題点については、拙稿『「日本の貧国化」をさらに進める会社法改正案、絶対に通してはいけない理由』において解説しているのでそちらをご参照いただきたいが、貧困問題を根本的に解決し、イノベーションを進めたいのであれば、このコーポレートガバンス改革を止めるだけではなく、その源に遡って制度を元に戻していくことが必須である。
そこまで頭が回る総裁選候補者は、さて、いるのだろうか?
以前拙稿『コロナ禍のドサクサで進む「成長戦略実行計画」は、日本を破滅させる』で徹底的に批判した成長戦略実行計画なる特定企業の短期的儲けのための軽薄な「プラン」などを引き継ぐようでは、特的企業の私利私欲むさぼり放題、レントシーカーやりたい放題の、開発独裁国に堕するようなものだ。
まさか、そんな人物が自民党総裁に選出されるなどとは思いたくないが…。
アメリカは日本を守ってはくれない
最後に、対米従属深化からの脱却。
これは次の政権だけでどうにかなるものではないだろう。しかし、少なくとも、「自分の国は自分たちで守る」という当たり前の国防・安全保障感を取り戻すことが重要だ。
日米安全保障条約であって「日米同盟」ではないこと、同条約には米国が日本を守る義務など記載されていないこと、従って、アメリカは日本が攻撃された際に守ってくれるなどというのは現実的にありえない絵空事である。
当然のことながら、安倍政権が進めたように「アメリカに付き従えば日本も守ってもらえる」などということは絶対にありえない。単にアメリカに付け込まれ、アメリカの国益のために利用される口実を作ってしまったこと、よって日本は「対等の立場の独立国」としてアメリカとは是々非々で協力し、協調していくことや、すべきことなどをつまびらかにし、国民に説明する。せめて永田町、霞が関の認識を改めていくことぐらいはやってもらわなければいけない。
そんな話は各候補から出てくるのかどうか…。 
●「次は菅さんに」 自民総裁選、安倍首相の一言で流れ― 9/4 
自民党総裁選で菅義偉官房長官優位の流れが早々にできた背景には、安倍晋三首相が辞任表明当日に漏らした一言があった。この一言が出馬に向けて菅氏の背中を押し、大半の派閥が菅氏に雪崩を打つきっかけになったとの見方は強い。菅氏が後継に選ばれれば、首相は次期政権でも一定の発言力を維持する可能性がある。
「次は菅さんに任せたい」。任期途中で職を辞すると表明した先月28日、首相は周辺にこう明言した。「自分が言わなくても、菅さんの出馬を求める声が出るだろう」とも語った。
政権批判を続ける石破茂元幹事長の後継阻止を目指す首相は、岸田文雄政調会長に禅譲するシナリオを長く温め、こうした意向を岸田氏に伝えてきた。しかし、岸田氏待望論は党内外で一向に高まらず、首相は辞任表明の前から「岸田さんで大丈夫か」「勝てるなら菅さんでもいい」と漏らすようになっていた。
首相は31日、岸田氏と首相官邸で面会。総裁選での支援を求めた岸田氏に対し、「自分から個別の名前を挙げるのは控えている」として、岸田氏への「後継指名」はできなくなったと伝えた。
首相の意中の人は菅氏との一言は党内にじわりと広がり、首相による「事実上の後継指名」(ベテラン議員)との認識が醸成されていった。
菅氏は出馬の判断について「誰にも相談していない」と説明している。だが、関係筋によると、首相の意向は遅くとも29日には菅氏に伝わっており、菅氏は同日に二階俊博幹事長と会談、出馬の考えを伝えた。二階派が菅氏支持の方針を30日にいち早く固めたのは「首相の意向を側聞し判断したのではないか」(党関係者)との見方がある。
首相の出身派閥の細田派は31日に仲介者を介して首相の意向を伝えられ、菅氏支持を打ち出した。
首相の盟友である麻生派の麻生太郎会長は28日の辞任表明当日、官邸で首相と約30分間会談している。30日に岸田氏と面会した際、麻生氏は「首相の考えは大事だ」として、首相からの支持獲得が支持の条件だと通告。31日に岸田氏が空振りに終わったことを確認すると、菅氏を一致して推すよう派内に指示した。
首相の説明によれば、辞任の直接の理由は持病の潰瘍性大腸炎の再発だ。ただ、内閣支持率が過去最低レベルに落ち込むなど、政権運営が行き詰まっていたことが首相の気力をそいだとの見方も根強い。首相周辺は「さまざまな批判がやまず、首相は精神的にまいっていた」と明かす。
一方、辞任表明後、内閣支持率は大きく改善した。自民党の閣僚経験者は「首相の影響力はまだまだ大きい。菅氏が勝利すれば、人事についても首相に相談せざるを得ないだろう」と語った。  
●総裁選、街頭演説実施せず 全国遊説ない異例の対応 9/4 
安倍晋三首相の後継を決める自民党総裁選は、出馬表明した菅義偉官房長官、岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長の3氏が4日、支持拡大へ動きを活発化させた。
菅氏は台風10号接近に備える政府の関係閣僚会議に出席し、危機管理に全力を挙げた。岸田氏は地方行脚を始め、石破氏は政策集を発表した。
総裁選挙管理委員会は選挙期間中、新型コロナウイルス対策のため街頭演説を実施しないと決めた。事実上の次期首相を決める総裁選で全国遊説を行わない異例の対応となる。
総裁選は8日に告示し、同日中に演説会と共同記者会見、9日に党青年局・女性局主催の公開討論会、12日に日本記者クラブ主催の討論会を実施する。14日に投開票し、新総裁を選出する。
現職首相の辞任表明を受けた2007年、08年の総裁選は全国複数箇所で候補者が遊説した。
菅氏陣営は4日、議員会館を回って支持を要請。地元選挙区内の党員に対する電話作戦を週末から始めるよう指示した。
岸田氏陣営は地方票に力点を置く方針を確認した。岸田氏は福岡入りし、党福岡県連幹部に支援を求めた。記者団には「多くの県に足を運び、政治姿勢や思いを訴えていく」と強調した。5日は山梨、静岡両県を訪問する予定だ。
石破氏は政策発表で、現政権の経済政策に関し「構造改革が進まず成長力が生かされなかった」と指摘。自身の政策を「ポストアベノミクス」と称して「格差縮小を経済成長につなげる」と低所得者層や子育て世代への財政支援拡充を約束した。 
●自民党総裁選 3氏の陣営 支持拡大に向けた動き本格化  9/4 
自民党総裁選挙は、菅官房長官、岸田政務調査会長、石破元幹事長の3人の陣営が、支持拡大に向けた動きを本格化させています。
菅官房長官 支持の陣営
菅官房長官を支持する細田派、麻生派、竹下派、二階派、石原派の5つの派閥と菅氏に近い無派閥の議員でつくる陣営は、4日午前、手分けをして党所属議員の事務所を訪ねて回り、直接、支持を呼びかけました。
このうち、選挙対策本部の事務総長を務める、竹下派の山口・組織運動本部長は、自主投票の方針を決めている谷垣グループの牧原経済産業副大臣の事務所を訪れ、「支援の輪を広げて頂きたい」と要請したのに対し、牧原氏は、「重く受け止める」と応じました。
このあと山口氏は記者団に対し、「本当は、菅氏本人が事務所を回ることができればいいが、朝から晩まで公務が入っていて、官房長官の仕事を最優先にやらなければならない」と述べました。
岸田政務調査会長
自民党の岸田政務調査会長は、4日午前、党本部で開かれた新型コロナウイルス対策本部の会合に出席し、対策に取り組む決意を示しました。
この中で、岸田氏は、「感染者数の拡大ペースは緩やかになっているものの、引き続き緊張感を持たないといけない。インフルエンザの流行期を前に、医療機関の不安を払拭するため、財政を中心にしっかり支えていかなければならない」と述べ、経営が厳しくなっている医療機関への財政支援に取り組む考えを示しました。
また、岸田氏は、企業が独自に行う従業員向けのPCR検査について、中小企業などでも実施できるよう支援策を検討する考えを示しました。
岸田氏は、午後は、福岡県を訪れる予定で、地元の県連幹部や企業関係者らと会談し、支持や支援を呼びかけることにしています。
石破元幹事長
自民党の石破元幹事長は、午前中、国会内にある理髪店を訪れました。
散髪を前に石破氏は、記者団に対し、「髪を切ってすっきりしたい。学生時代はスポーツ刈りだったので、ちょっとでも長いと気になる」と述べました。
また、記者団が、「日本の政治ではどこを整えたいか」と質問したのに対し、石破氏は、「整えたいのは納得するということだ。政府への納得感や、新型コロナウイルス対策などで『政府に協力しよう』という国民の共感を整えたい」と述べました。
石破氏は、午後は、みずからが訴える政策を発表することにしていて、およそ30分間、リラックスした様子で散髪を済ませたあと、改めて記者団に、「気迫や気合いを示したい。この国や自民党をどうするのかということを、きちんと示さなければならない」と決意を示しました。 
●自民党総裁候補 どう向き合う「負の遺産」 9/4 
「最長政権」から何を引き継ぎ、どこを変えるのか。多くの国民が知りたいテーマだ。それはトップリーダーを目指す自民党総裁候補の政治姿勢に直結する。「負の遺産」にどう向き合うか−についても、各候補は逃げずに議論を深めてほしい。
安倍晋三首相の後継を選ぶ自民党総裁選は、菅義偉官房長官の出馬表明で、岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長による三つどもえの構図が確定した。
党内主要派閥が相次いで支持を打ち出し、最有力視される菅氏は安倍路線の「継承と発展」を力説している。第2次安倍政権の発足以降、一貫して内閣のスポークスマンとされる官房長官を務め、官邸主導の政策決定で安倍首相を支え続けた。
これに対し、岸田氏は経済や社会の格差是正を訴え「分断から協調へ」を唱える。安倍政権を評価した上で「この成果を土台に次の時代を考えていかねばならない」という立場だ。
石破氏は「納得と共感」を掲げる。総主流派体制という党内にあって、非主流の立場で安倍首相と距離を置く。出馬会見で「勇気を持って真実を語り、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる」と宣言した。
3氏の基本的な政治姿勢をリトマス試験紙のようにあぶり出すのが、長期政権の弊害と指摘される森友・加計学園問題や「桜を見る会」を巡る疑惑に対する見解ではないか。
財務省の決裁文書改ざんに発展し、自殺した近畿財務局職員の遺族が真相究明を求め提訴している森友学園問題について、菅氏は「財務省関係の処分が行われ、検察も捜査を行い、既に結論が出ている」として再調査はしないと明言した。獣医学部新設を巡る疑惑がもたれた加計学園問題にも「法令にのっとり検討が進められた」と従来の政府見解を繰り返した。
これに対し石破氏は「検証すべきことがあれば検証しなければならない。何かごまかしていると思われれば納得も共感も得られない」と踏み込んだ。岸田氏は「実際どうだったのかについて、話を聞くことは当然しなければならない」と述べるにとどめた。まさに三者三様だ。
一連の問題や疑惑は全容が解明されていないという意味で現在進行形でもある。例えば現政権が否定する森友学園問題の再調査を巡り、共同通信社の世論調査(7月17〜19日実施)によれば「政府は再調査する必要がある」という回答は82・7%に及んだ。自民党支持層でも71・7%だったことは改めて注目していい。長期政権の功罪を見極める総裁選とすべきである。 
●菅政権の仕掛け人、「二階俊博」が幹事長を絶対手放さない“家庭の事情” 9/4 
旧和歌山2区の“怨念”
少なくともネット世論では、二階俊博・自民党幹事長(81)への批判が急速に高まっている。菅義偉・官房長官(71)の首相就任を実現させ、“キングメーカー”として今後も政界に君臨する可能性が高まるにつれ、SNS上には《老害》などの投稿が増えている。
自民党最高の実力者として、権勢をほしいままにする──二階幹事長は世間から、こんなイメージを持たれているようだ。
だが、それは本当の姿なのだろうか。二階幹事長にも“弱点”があるのではないか。それを探るためにも、改めて“菅擁立”の流れを振り返ってみよう。
新聞各紙の報道を辿ってみると、老害と紙一重の老獪さ、用意周到な計画性には、やはり驚かされる。
読売新聞が8月30日朝刊に掲載した「[スキャナー]総裁選 『安倍後継』菅氏に焦点 実績強み『緊急登板』待望論」には、二階幹事長と菅官房長官の“急接近”を、次のように報じた。
《「次の首相はどうか。やるなら応援するよ」自民党の二階幹事長は6、7月と2か月連続で行った菅氏との会食で、こう水を向けた。いずれでも菅氏は「ありがとうございます」と応じ、二階氏の申し出を拒否しなかった》
着々と打たれた布石
2人は8月20日にも会食を行った。その様子を報じたのは朝日新聞の「菅氏、じわり存在感 総裁任期残り1年、岸田氏・石破氏決め手欠く中」(8月25日朝刊)だ。
《菅氏だが、与党内ではポスト安倍候補として名前が取りざたされることが増えている。菅氏は20日に政治評論家を交えて二階俊博幹事長と2時間半会食。3カ月連続となる実力者同士の会合は耳目を集めた》
《ともに議員秘書、地方議員出身のたたき上げ。両氏の信頼が厚い森山裕国対委員長も交え、政権運営をめぐり連携を密にする。二階氏は3日の記者会見で「しっかりやっておられる。大いに敬意を表している」と菅氏を評価した》
更に二階幹事長は8月28日、TBSのCS放送「TBS NEWS」の「国会トークフロントライン」に出演、ポスト安倍レースで菅官房長官が有力候補と発言した。
自民党総裁の選出方法を早い段階で一任されると、二階幹事長は両院議員総会での選出を決めたと言われている。
理由を新聞各紙は「両院議員総会なら国会議員票で趨勢が決まる。地方党員に人気の高い石破茂・元自民党幹事長(63)の伸長を封じ込めることができる」と解説した。
8月31日には、二階幹事長が記者団に「党員投票は行わない」ことを言明。翌9月1日の自民党総務会で正式に決定した。
目指すは田中角栄!?
一方、菅官房長官も動いた。9月2日に記者会見を開き、自民党総裁選の出馬を表明した。
同じ日には細田、麻生、竹下の3派閥も会見で「菅支持」を発表。二階派は含まれていなかったため、九州のブロック紙である西日本新聞は電子版で「会見呼ばず…露骨な“二階派外し” 『主流派』巡り争い激化」と報じた。
要するに“菅首相”を前提に党内で激しい権力闘争が争われていることが垣間見えたわけだ。
ひょっとすると3派閥には相当な危機感があったのかもしれない。何しろ前日、毎日新聞は「自民党総裁選:菅氏、自民総裁選出馬へ 二階派、支援の方針」の記事を掲載した。
記事にある以下の記述を読むと、二階=菅ラインの結束は更に強固になったように見える。
《菅氏は29日、東京都内で二階氏と会談し、総裁選での支援を要請した。二階氏は「頑張ってください」と伝えたという。会談には森山裕国対委員長も同席した》
4月22日、二階氏は幹事長の通算在職日数が1359日となり、それまで歴代2位だった森喜朗元首相(83)の在職記録を抜いた。9月8日まで幹事長の座にとどまれば、田中角栄元首相(1918〜1993)の最長記録を抜く。
幹事長に執着する理由
二階幹事長が田中角栄元首相を師と仰いでいることは、永田町ではよく知られている。1983年、二階幹事長は中選挙区制だった旧和歌山2区から田中派公認で衆院選に立候補、初当選を果たした。
ロッキード事件の被告として身動きの取れなくなった田中元首相は、最大派閥だった田中派のドンとして自民党総裁=首相の指名権を手中に収め、政界に君臨を続けた。
今、着々と“菅内閣”を誕生させつつある二階幹事長の姿は、“師”である田中角栄元首相に重なって見える。
それこそが二階幹事長の望むところだという。政治担当記者は「二階さんは何が何でも幹事長の座にしがみつき、党内で権力を振るい続ける必要があるのです」と解説する。
「改めて確認しておくと、二階さんと菅さんがこの数年、親交を深めてきたのは紛れもない事実です。仲がいいのは、よく知られていました。ただ、今回の動きには親交以上の、きな臭いものが含まれているのも否定できません」
二階幹事長は何より、幹事長の留任を希望しているという。もし菅官房長官が首相になれば、その願いは「まず叶うでしょう」(同記者)ということだ。
「二階さんは次の衆院選までは立候補する予定で、その次は出馬しないと言われています。引退して息子さんに後を継がせるのが最重要の課題で、それまでは政界の実力者として地位を確保し続けねばならないのです」(同)
長男落選の衝撃
二階幹事長の長男は2016年、和歌山県の御坊市長選に立候補した。父の選挙区は和歌山3区で、御坊市も含まれている。
まさに“父のお膝元”だ。6選を果たしていた現職も、そもそも二階幹事長が政界にスカウトした人物だ。4回も無投票当選を果たしていることにも、圧倒的な「二階王国」の姿が浮かび上がる。
ところが長男が出馬を決め、それを受けて現職も7選への挑戦を発表した。「二階王国」の分裂選挙と大きな話題になり、おまけに市長選の結果は長男の敗北で終わった。
現職が約9300票を集めたのに対し、長男は約5800票に留まった。おまけに長男は小泉進次郎・環境相(39)の応援など、国政選挙なみのバックアップを受けながら、現職を倒すことはできなかった。
「これで長男が後継者として国政に出馬する可能性は低くなったと言われています。二階さんには次男と三男の2人が後継者候補として残っていますが、次男は2018年、元暴力団幹部と共謀して会社の乗っ取りを企んだと報じられました。この報道がどれほど影響を与えたのかは分かりませんが、全日空に勤務していた三男は今、二階さんの秘書をしています。三男後継が現実的と見られているようです」(同)
二階俊博VS.世耕弘成
二階陣営にとって、「たかが御坊市長選」と強がることもできない理由がある。世耕弘成・自民党参院幹事長(57)の動向がそれだ。
「実は旧和歌山2区は、世耕さんの祖父である世耕弘一・衆議院議員(1893〜1965)の地盤でした。伯父である世耕政隆氏(1923〜1998)も1度当選しましたが、次の選挙で落選。そのため参院に転じて5期連続当選を果たしました。この伯父の死去に伴い、1998年、世耕さんは参院に立候補、当選を重ねて現在に至っています。しかしながら世耕さんの本音は、『祖父と同じように衆議院議員として活躍できるよう鞍替えしたい』なのです」(同)
実のところ、世耕参院幹事長と二階幹事長がガチンコで戦えば、世耕幹事長が勝利すると報じたマスコミもある。
もちろん仮定の話であるわけだが、二階幹事長が引退した後、参院から鞍替えした世耕氏と新人の三男が戦うというケースはあり得る。
世耕氏の知名度を考えただけでも、二階サイドの焦りが簡単に想像できるというものだ。
「世耕さんの衆院鞍替えを封じ込み、息子さんへの地盤継承をスムーズに進めるためには、権力が必要です。二階さんからすると、ご自身にいくら権力が集中しても、集中し過ぎるということはありません。菅首相の後見人として党内と国会に君臨しなければ、世耕さんに攻め込まれるという危機感を持っているのです。そして三男を自民党公認で出馬させることに全力を注ぐでしょう」(同) 
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●「岸田文雄」「石破茂」進むも退くも地獄で選んだ自民党総裁選2位争い 9/5 
たとえ2位でも獲得票数次第で岸田派はボス交代も
リアル「半沢直樹」を見ているという評もあった。日本で、最も残酷な人事が展開されるのが永田町だということはよく知られているわけだが、それにしても……。やる前から結果が明らかな勝負に出て討ち死にした後でも、その存在をアピールできるのだろうか。今回の自民党総裁選で最注目は岸田VS石破、どちらが2位になるかだ。
「“平時の岸田、今は有事だから”とオブラートに包んで言われていますけれど、首相に平時も有事もない。いつ地震があるかロケットが飛んでくるか、国際紛争に邦人が巻き込まれるかわからないのだから、常在戦場なんですよ」 と、自民党の閣僚経験者。
「コロナ対策が喫緊の課題でそれは『平時の岸田』には適当ではないという話ですが、要するに岸田さんは失格だということを遠回しに言っているだけです」
「安倍さん(晋三首相)は人を育てなかったとよく言われますけれど、リーダーは自分に何かあった時に誰が後を襲えるかということは常に考えている。安倍さんにとって岸田さんは意中の人だったことは間違いない」
「二階さん(俊博)の抵抗で幹事長にはなれなかったけど、政調会長としてアピールの機会は幾らでもあった。でも、話をしても全くつまらない。だからメディアも取り上げたがらない」
「決断力もない。自民党が下野していた時に国対委員長をやっていたんだけど、その際も幹事長だった石原伸晃にいつもお伺いを立てていたね。今回の総裁選出馬が初めての決断じゃないの?」
負けるのはわかっているけど消化試合ではないという厳しい現実
「安倍さんの考え方はシンプル。自分とたもとを分かった石破さんには絶対に政権を渡したくない。仮に彼が勝つような状況になるなら、誰かに譲るのではなく自分が4選出馬する腹づもりだった」
「でも、それが叶わないほど身体のダメージが大きいとなって、じゃあ誰なら勝てるのかと言うと、それはもう菅さんしかいなかったということです」
「結局、菅さん(義偉官房長官)もやりたくて出たと言うよりはむしろ、他に誰もいないという状況の中で、“自分がやるしかない”と政治家として決断したということでしょう」
菅氏の決断の前から、自民党内では「菅支持」に雪崩を打っていた。それを茫然と見つめるほかなかった岸田、石破の両氏がそれでも出馬したのは、
「出るのも地獄だけど出ないのも地獄で、出馬しない時点で政治生命が終わってしまうのなら出たほうがいいだろうというギリギリの決断。とはいえ消化試合かと言うとそうではなく、来秋予定の正式な総裁選出馬に向け、切符を得るために今回の出馬は必要な通過儀礼だった」 と、永田町関係者。
今回の総裁選は国会議員票394、都道府県票141の合計の過半数を争う。ほとんどの派閥が菅氏を支持しているから、岸田、石破の両氏にとって確実なのは自派閥の陣営しかない。
岸田派が47、石破派が19。
岸田さんは選挙の顔たり得ないから
一方で、各種世論調査はこれまで全て石破氏がトップだった。出馬3人を対象とした直近の朝日新聞の調査では、菅38%:石破25%:岸田5%。都道府県票は地方での人気を反映するとされており、
「これまでの調査とか今回の朝日の数字を見ると、石破さんは岸田さんを超える可能性はある。で、結構差が開いてしまえば岸田さんは派閥のボスとしての求心力はほぼなくなって遠心力だけになる」
少し前までは次期総理総裁に最も近いと言われていたのに、派閥領袖の座さえ失いかねないというわけだ。
別の関係者に聞くと、「石破さんの都道府県票獲得予想は出来過ぎな感じもするけど、不可能ではない。岸田さんは選挙の顔たり得ないから菅さんになったという報道が出ている中で、そんな人に入れようと思う人はいますか? 岸田さんにとっては悲劇でしかないけれど」
岸田派には、ナンバー2の林芳正元文科相、根本匠元復興相、小野寺五典元防衛相らが、ポスト岸田に意欲を燃やしている。
「岸田さんは立候補表明の際に、“私の全てをかけて取り組む”と言いましたね。つまり、結果=私の全てになってしまうわけで、自ら総裁選挙後の生きる道を塞いでしまった感じすらあります」
どこか投げやりに映る印象。それは例えば、総裁選の政策コピーにも現れている。
「『分断から協調』って安倍さんへの当て付けでしかないですよね。ゴニョゴニョと岸田さんは訴えていましたけれど、安倍さんには最後の最後で裏切られた、悔しいと思っているんじゃないでしょうか」 
●古舘伊知郎 自民党総裁選に違和感「公開する隠れ家レストランみたいだよ」 9/5 
フリーアナウンサー、古舘伊知郎(65)が4日放送のニッポン放送「古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD」(後10・00)で、安倍晋三首相(65)の後継を決める自民党総裁選(8日告示、14日投開票)に対しての違和感を明かした。
総裁選は菅義偉官房長官(71)、石破茂氏(63)、岸田文雄政調会長(63)の選挙戦となるが、既に党内7派閥のうち5派閥が菅氏支持に回り優位な情勢となっている。
古舘は政治の話題は総裁選一色とした。「メディアも喜々として総裁選、総裁選ってやっているけど、一方でどっか変な感じしない?菅さんで決まりって言うのはほとんど知っているわけじゃない」と指摘した。
2000年、小渕恵三首相が脳梗塞で倒れ、当時政権幹部だった「5人組」が集まり後継を森喜朗氏(83)に決め、「密室政治」と批判されたことを引き合いに出し、「『何なんだ』って森さんの時さんざん言われたトラウマがあるから。(今回の総裁選を)こうやってお祭り騒ぎにしているんだけども」と持論を展開。「総裁選が全く決まっちゃっていて、盛り上がっていないようで盛り上げている」ところが「むずがゆい」とした。
「結果的には永田町の論理で決まっているわけだからね」と古舘。2日に細田派、竹下派、麻生派の3会長が共同記者会見を開き、菅氏への支持をそろって打ち出した。そのことに触れた上で、「だからなんか、公開する隠れ家レストランみたいだよ。密室政治、永田町の論理で結果的にトントントンって決まっていることを外にはそう見せたくないので、公開する隠れ家レストランで」と、独特の表現を交えて語った。
3人の共同会見については「麻生さん、細田さん、竹下さん、と見ていると何か『集まれ森の長老たち』みたい」とも。サラリーマンは60、65歳で定年するとし、「すごくない?永田町特有の時空間の流れ方って。それを外に向けて公開しているから気持ち悪いんだよ俺は」と話していた。  
●自民党総裁選 40超の都府県連で予備選実施の見通し  9/5 
安倍総理大臣の後任を選ぶ自民党総裁選挙は、これまでに40を超える都府県連で党員などによる予備選挙が行われる見通しで、立候補を表明している菅官房長官、岸田政務調査会長、石破元幹事長の3人は、5日からの週末、各地を訪れるなどして地方票の獲得に力を入れることにしています。
今回の自民党総裁選挙は、394票の「国会議員票」と47の都道府県連に3票ずつ割り当てられた141票の「地方票」のあわせて535票で争われます。
NHKが、各都道府県連に投票先の決め方を取材したところ、これまでに40を超える都府県連が党員などによる予備選挙を行うことがわかりました。
こうした中、立候補を表明している菅官房長官、岸田政務調査会長、石破元幹事長の3人は、5日からの週末、各地を訪れるなどして支持を呼びかけることにしています。
菅氏は5日は地元の横浜市に入り、支援者のもとを訪れることにしているほか、菅氏を支持する5つの派閥などでつくる陣営も、それぞれの地元で支援者などに予備選挙での投票を働きかける方針です。
岸田氏は4日、福岡県を訪れたのに続いて、山梨県や静岡県、それに地元の広島県を訪れ、県連関係者などに支持を呼びかけることにしていて、4日夜、記者団に対し「あらゆる手段を使ってアピールしたい」と述べました。
石破氏は4日から週末にかけて、大阪府や福岡県を訪れることにしているほか、特設のホームページを立ち上げ、すべての都道府県ごとに地域活性化に向けたみずからの考えをアピールする動画を掲載しています。
菅氏が、5つの派閥などから支持を得て国会議員票で優位に立つ中、岸田氏と石破氏は地方票の獲得をきっかけに巻き返しを図りたい考えで、各陣営とも予備選挙をにらんで党員への支持拡大に力を入れることにしています。 
●岸田氏「デジタル都市」石破氏「消費拡大」 地方行脚  9/5 
自民党総裁選に立候補する岸田文雄政調会長と石破茂元幹事長は5日、相次ぎ地方を訪れた。菅義偉官房長官が党内5派閥の支持を受けて議員票で優勢となる。官房長官の公務がある菅氏は地方行脚が難しく、岸田、石破両氏は地方票をテコとした巻き返しを目指す。
岸田氏は5日、岸田派所属議員が県連会長を務める山梨、静岡両県を訪ね県連幹部らに支持を訴えた。静岡市では2019年に亡くなった岸田派の望月義夫前事務総長の墓前で出馬を報告した。
山梨県連の会合で「新型コロナウイルスで東京にいなくても教育を受けられ、仕事ができると実感できた」と述べた。「地方生活と都市生活を両立できる個性ある都市を全国に展開する」と語り、政策集に盛り込んだ「デジタル田園都市国家構想」への理解を求めた。
石破氏は4日に大阪市、5日に福岡市を相次ぎ訪問し地元テレビ番組に出演した。5日のテレビ西日本番組で安倍政権の経済政策「アベノミクス」について「所得は伸びていない」と指摘した。「どうやって消費を伸ばすか考えた時、直接的な経済支援や納税の猶予もある。具体論を示すのが総裁選だ」と強調した。
石破氏は党幹事長や地方創生相として地方訪問を重ねた実績を強調した。福岡市内で記者団に「一夜漬けは効かない。同志が党員にお願いする戦術をあわせてやるしかない」と語った。
菅氏は5日、地元の横浜市で総裁選に向けて準備する党員を激励した。「横浜市議だったことに誇りを持ちながら、新型コロナの感染拡大を阻止し、国民の命と暮らしを守る」と力説した。
総裁選は国会議員票394と47都道府県連の代表が各3票を投じる地方票141の合計535票を巡って争う。菅氏が党内5派閥から支持を受け、議員票を固める。予備選を導入する県連が多いため、岸田、石破両氏は地方票の獲得を急ぐ。 
●派閥政治は支持されない 9/5 
安倍晋三首相の後継を決める自民党総裁選が、しらけた雰囲気を漂わせている。
菅義偉官房長官、岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長が争う三つどもえの構図が固まった。ただし8日の告示を前に、菅氏が多くの派閥の支持を取り付け優勢となっている。
政策論争抜きに派閥の論理で水面下の調整が進められた。これでは国民には分かりにくく、政権の正統性も問われかねない。
岸田、石破両氏はかねて「ポスト安倍」に意欲を見せていたが、菅氏は最近まで「全く考えていない」とけむに巻いていた。それが一転、安倍政治の継承を掲げて出馬を表明。既に党内5派閥から支持を得て、国会議員票で優位に立っている。
党内では菅政権樹立を見越し、早くも派閥間の論功行賞争いが露呈しているというから驚く。
思い出されるのは2000年、当時の小渕恵三首相が病に倒れた時の後継選びだ。党内有力者「五人組」による談合の結果、森喜朗氏を選んだことから政権の正統性が疑問視された。森首相の資質も問われ、政権の支持率は低迷した。
密室での派閥主導政治では、国民の支持は得られない。
今回の総裁選では「地方の声」ともいえる全国一斉の党員・党友投票も見送られる。「手続きに最低でも2カ月かかる」(党執行部)ことから、コロナ禍の下での政治空白を短くするためという。
代わりに40以上の都府県連が予備選を実施する。党員らの意思を可能な限り反映させるためには有意義ではあるだろう。しかし党員・党友投票なら394票あるのに対し、今回は141票しか割り当てられない。地方票の比重は大きく下がる。
安倍政権は14年、地方創生を提唱。東京一極集中の是正などを目指したものの、他の看板政策と同様に目立った成果は上がっていない。新型コロナウイルス対策でも休業要請した事業者への協力金支払いなどで当初、国と地方で取り組みや考え方にずれが見受けられた。
国と地方を「対等・平等」とする地方分権。本気で推進するつもりならもっと地方の声に耳を傾け、意見を吸い上げることが不可欠だ。
若手議員を中心に党員・党友投票を求める動きもあった。党執行部は都道府県連に予備選を促しているが、予備選ができるのなら党員・党友投票も期間を短縮するなどして実施できたのではないか。
総裁選期間中はコロナ対策で候補者による街頭演説、全国遊説も行われない。そうであるなら今まで以上に、政策を国民にアピールする工夫や努力が求められる。
安倍政治の何を継承し、どこを修正するのか。自らの独自色はどう打ち出すのか。アベノミクスの下で解消されなかった格差問題にどう向き合うか。東京一極集中を是正するために何が必要か。
日本の次期リーダーらしく、政策論争を戦わせてもらいたい。 
 9/6

 

●岸田・石破氏、派閥の見直し言及 NHK番組で討論 9/6 
自民党総裁選に立候補表明した岸田文雄政調会長と石破茂元幹事長が6日、NHK番組に出演し、派閥の在り方の見直しに言及した。派閥の方針が総裁選に大きな影響を与えているとの指摘に対し「派閥の弊害は謙虚に受け止める」(岸田氏)、「政策集団という原点に立ち返るべきだ」(石破氏)と訴えた。
岸田氏は、派閥の意義に関し「人材育成という良い面もあるが、派閥のありようを通じて党のありようを考える。総裁選はその機会だ」と語った。石破氏は「党員のための自民党であるべきだ」と述べ、党員の意思を重視する姿勢を強調した。
菅義偉官房長官は台風10号への対応優先で出演を取りやめた。 
●安倍と麻生の石破茂への“ふか〜い恨み” 政策より“好き嫌い”で決まる 9/6 
9月14日に行われる自民党総裁選は、すでに議員票の7割を固めた菅義偉官房長官が勝利すると見られている。だが、そもそもマスコミ各社の世論調査で、「次期首相に相応しい政治家」としてトップで名前が挙がるのは石破茂元幹事長だった。にもかかわらず、自民党国会議員から石破待望論が出なかった。なぜか。最も大きな理由は、安倍晋三首相と麻生太郎財務相は、石破氏が大嫌い。「石破だけは総理・総裁にさせない」ことで一致していることが、党内でも知られていたからだ。そこには、石破氏に対する“共通の恨み”があるそうだが……。
政治ジャーナリストの田崎史郎氏は、二人が石破氏を嫌う理由について、出演したテレビ番組で次のように語っている。「安倍さんも麻生さんも石破さんが嫌いなんです。石破さんは、お二人が総理だった時、退陣するよう迫った。あの時のことを、俺の足を引っ張りやがった……と今も恨んでいるんです」。ならば、石破氏の言動を検証してみよう。
第1次安倍政権は、2007年7月29日の参院選挙で惨敗。これを機に“安倍おろし”が始まった。参院選の2カ月前に松岡利勝農水相が議員宿舎で自殺。後任の赤城徳彦農水相には事務所費問題が発生した。7月3日には、久間章生防衛相の原爆投下「しょうがない」発言で辞任したことなどが響き、参院選では37議席と惨敗。小沢一郎率いる民主党に大きく議席を奪われた。
にもかかわらず、続投を表明した安倍首相に対して、自民党の派閥領袖からは安倍首相を支持する声が相次いだものの、責任を追及する声も出た。その急先鋒が石破氏だった。
7月30日付の読売新聞には、こんな記述がある。《石破茂・元防衛長官(津島派)も「安倍首相は辞めるべきだ。そうでないと、自民党が終わってしまう」と述べ、首相退陣を求める考えを示した。》
7月31日付の朝日新聞でも、《石破茂元防衛庁長官も「総理は『私か、小沢代表の選択だ』と何度も訴えた。これを有権者にどう説明するのか。挙党一致は答えにならない」と首相の退陣を促した。》
8月7日の自民党代議士会でも、石破氏は安倍首相の責任を追及した。8月8日付の読売新聞によると、《小坂憲治政調副会長(津島派)や石破茂・元防衛長官(同)も「(首相が)何を反省するかが大事だ。それを明らかにしてほしい」と批判した。首相は険しい表情でこうした意見を聞いていた。》
さらに同じ11日付の産経新聞では、「【単刀直言】石破茂元防衛庁長官 国民政党の地位失った」記事の中で、厳しく安倍首相の責任を追及している。
《一度政権を失えば簡単には戻れない。(中略)このまま自民党のイメージがどんどん悪くなり、結果的にそんな政権を作ることに加担していいのか。》
《参院選は安倍首相自らが「政権選択の選挙だ」と言ったことで性格が変わってしまった。候補者の人柄や実績と関係なく結果が左右された。選挙でなぜ負けたかを徹底的に分析しなければ次はない。なぜ負け、どう改めるかを首相が早急に示す必要がある。》
《首相が地位に恋々としているとは思わない。強い使命感があるのだろう。ただ、選挙で民意が示された以上、無視することがあってはならない。》
まさかこの発言がトドメを刺したわけではなかろうが、2日後の13日、安倍首相は慶応大学病院に入院した。
2008年9月に首相に就任した麻生氏の場合はどうか。09年5月に民主党の代表が小沢から鳩山由紀夫に代わると、自民党は大型地方選挙で6連敗を喫し、内閣支持率を急低下させた。そのため、自民党内で麻生首相への退陣要求が高まった。いわゆる、「麻生おろし」である。
7月12日の都議選で自民党が大敗すると、「反麻生」の中川秀直、加藤紘一らが、総選挙前に総裁選を行うために両院議員総会開催に賛同する議員を募った。総裁選前倒しは、麻生に代わる別の総裁を擁立すること意味する。これに対し、麻生首相は7月13日、21日に衆院を解散し、8月30日投開票の日程で総選挙を行うという「解散予告」をした。
当時、農水相だった石破氏は、7月11日、北海道釧路市で麻生首相を擁護する講演を行っている。12日付のサンケイスポーツによると、《石破農相は「昨年(の総裁選で)、みんなで麻生太郎に決めた」とこれまでの経緯を強調し、麻生首相を擁護。「あれが悪い、これが悪いと言う暇があれば、われわれがどれだけのことをやり何を目指すのか、1人でも2人でも説得するのが自民党の責任だし、公明党への信義だ」と述べた。》
ところが、その舌の根も乾かないうちに、180度方針転換。講演の4日後の7月15日、石破氏は与謝野馨財務相と一緒に、両院議員総会開催に賛成する署名をしているのだ。16日付の毎日新聞によると、《与謝野氏、石破両氏は15日、首相官邸に麻生首相を訪ね、約40分間会談。地方選連敗を統括するため、総会開催に応じるよう促した。》
「麻生さんからすれば、大臣に起用した石破氏の造反はかなり屈辱的だったでしょう。現在、石破派に属する後藤田正純さんや平将明さんも麻生首相に退陣を要求していますから、石破派に対する麻生さんの恨みはかなり深いものがありますよ」(政治部デスク)
結局、両院議員総会は開催されなかったものの、予定通り21日に衆院は解散され、自民党は大敗。下野することになった。
田崎氏は「当時の石破さんの判断は間違っていなかった」とも解説している。自民党総裁は、政策は二の次で、所詮好き嫌いで決まってしまうというわけである。これが日本によって良いのかどうか……。 
●総裁選「あつ森」活用を中断 規約違反の指摘相次ぐ―石破氏 9/6 
自民党総裁選に出馬する石破茂元幹事長の陣営は6日、プレーヤーがオンラインで交流する任天堂のゲームソフト「あつまれ どうぶつの森」で、告示日の8日から「選挙活動」を展開すると発表した。しかし、政治活動を制限した同社の利用規約に抵触する可能性があると、インターネット上などで指摘が相次ぎ、確認のため計画をいったん中断した。
新型コロナウイルス対策の外出自粛下でヒットした商品で、一般の暮らしにも通じているとアピールする狙いがあったとみられるが、出だしでつまずいた格好だ。
「あつ森」はプレーヤーが住む島を自由にデザインし、互いに行き来する内容。石破氏をモデルにした「いしばちゃん」と「じみん島(とう)」が登場し、石破氏の似顔絵ポスター貼りを呼び掛け、協力してくれたプレーヤーの島を訪問する予定だった。  
●自民党総裁選、政策論争活発化 岸田氏と石破氏、菅氏との違い強調 9/6 
自民党総裁選(8日告示、14日投開票)に立候補する菅義偉官房長官(71)と岸田文雄政調会長(63)、石破茂元幹事長(63)が政策論争を活発化させている。6日には岸田氏と石破氏がNHK討論番組にそろって出演。新型コロナウイルス対策や経済政策などをテーマに論戦し、台風10号対応のため番組を欠席した菅氏の安倍政権「継承」路線との違いを強調した。
岸田氏は新型コロナ対策について「感染症対策と経済対策は車の両輪」だと政府の基本方針を支持しつつ、「医療におけるPCR検査も大事だし、経済社会を回すためのPCRについて工夫し、努力をしていくことも大事だ」とした。
菅氏は5日発表の政策集で「来年前半までに全国民分のワクチンの確保を目指す」と打ち出したが、岸田氏は経済活動再開にはPCR検査体制の拡充こそ急務だとの認識を示した。
石破氏は、新型コロナの重症患者減少を根拠に現在も医療現場は逼迫(ひっぱく)していないとする政府見解について、医療機関の経営難など窮状を列挙し「私は違うと思っている」と主張。新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正を収束後に行うとする政府方針についても「感染を収束させるために特措法の改正。そういう考え方があるべきだ」として、早期改正の必要性を訴えた。
安倍首相の経済政策「アベノミクス」について、菅氏が継承するとしているのに対し、岸田氏は「格差の少ない豊かな社会」を掲げ、修正に意欲を見せている。石破氏は円安誘導などで外需拡大を図ったアベノミクスについて「外国に頼りすぎていたのではないか」と指摘し、「内需主導、地域分散」型の経済を目指すとしている。石破氏は消費税の果たすべき役割を検証するとも述べている。
派閥のあり方について、石破氏は「自民党は国民、党員のための党であり、国会議員のための党ではない。政策集団という原点に立ち返るべきだ」と言及。岸田氏も「派閥の弊害を国民から指摘される。我々は謙虚に受け止め、あるべき姿を考えていかなければならない」と戒めた。 
 9/7

 

●自民党総裁選8日告示 3候補が詰めの準備  9/7 
安倍晋三首相の後継を決める自民党総裁選は8日、告示される。立候補する菅義偉官房長官、岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長の3氏は7日、詰めの準備を進めた。台風10号への対応にあたりながら推薦人を調整し、支持拡大を訴えた。
菅氏は首相官邸で台風10号の被害状況について報告を受けた。通常通り定例記者会見に臨み、政府の方針を説明した。
菅氏の陣営は都内のホテルで会合を開き、支持を取り付けた5派閥や無派閥の議員らが立候補に必要な20人の推薦人名簿を調整する。
岸田氏は台風10号の影響を考慮して神戸市などへの訪問予定を取りやめた。7日午前に都内で記者団に新型コロナウイルスのPCR検査拡充に向けて「中小零細企業を支援し、経済・社会を動かす」と語った。
同日昼に国会内で陣営の選挙対策本部の発足式を開いた。本部長には遠藤利明元五輪相が就任する。
石破氏は党所属の参院議員の事務所を回り、支援を呼びかけた。民放のテレビやラジオ番組にも出演し、党員票の上積みを目指す。
総裁選は8日告示、14日投開票の日程で実施する。8日は3候補が立候補を届け出た後、所見発表演説会と共同記者会見を開く。14日に都内のホテルで開く両院議員総会で新総裁を選出する。
今回の総裁選は全国一律の党員投票は実施しない。国会議員394と47都道府県連に3票ずつ割り振った地方票141の合計535票で争う。 
 9/8

 

●自民党総裁選 立会演説会 9/8 
自民党総裁選挙は、8日午後、立会演説会が行われ、本格的な論戦が始まりました。石破元幹事長は、東京一極集中を是正し地方創生を進めることを訴え、菅官房長官は、安倍政権の継承とともに省庁横断でデジタル化を推進するデジタル庁を新設する考えを明らかにし、岸田政務調査会長は、新型コロナウイルスによって広がった格差の解消に取り組む考えを示しました。
8日告示された自民党総裁選挙は、午後1時から党本部で立会演説会が行われ、石破元幹事長、菅官房長官、岸田政務調査会長の3人が立候補の決意などを述べ、支持を訴えました。
石破氏の訴え
石破元幹事長は、「自民党は、勇気を持ち、自由かったつに真実を語る政党でなければならない。あらゆる組織と協議し、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる政党でなければならない」と述べました。
そのうえで、「鉄道や道路、情報網が発達すればするほど、東京への一極集中が進むのは国の仕組みによるものだ。もう一度、地方創生に全身全霊をかけ、新しい日本をつくり、『納得と共感』の政治を行い、『グレートリセット』としてこの国の設計図を書き換える。日本のため、次の時代のために、全身全霊で臨みたい」と述べました。
菅氏の訴え
菅官房長官は、「安倍総理大臣が道半ばで退くことになり、この国難にあって政治の空白は許されず、一刻の猶予もない。安倍総理大臣が進めてきた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めたい」と述べました。
そのうえで、「新型コロナウイルスで浮かび上がったのは、デジタル化の必要性だ。行政のデジタル化については、できることから前倒しして措置し、複数の省庁に分かれている政策を強力に進める体制としてデジタル庁を新設したい」と述べました。
岸田氏の訴え
岸田政務調査会長は、「安倍総理大臣が残した輝かしい成果を土台として、次の時代を考えていかなければいけない。多くの国民の声を丁寧にしっかり聞き、政治のエネルギーに変える『聞く力』を再確認して新しい時代に向かっていかなければならない」と述べました。
そのうえで、「新型コロナウイルスの戦いで格差が生じていて、真剣に向き合わなければならない課題になっている。成長の果実の分配を考えなければならず、中間層に対しては、教育や住宅の支援が最も効果的であるという議論も行われていて、最低賃金の引き上げも考えていく。全身全霊をかけてこの選挙に臨んでいきたい」と述べました。
新型コロナ対策で入場制限 ネット中継も
今回の立会演説会は、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、党執行部や各陣営の入場を20人までに制限し、そのもようは、インターネットで中継されました。
選挙管理委員の岩屋元防衛相「全力で訴えてほしい」
自民党総裁選挙の選挙管理委員を務める岩屋毅 元防衛大臣は、立会演説会のあと記者団に対し、「3人の候補者による正々堂々とした演説で総裁選挙がスタートできてよかった。安倍総理大臣に対する敬意を表したうえで、何を引き継ぎ、どこを変えていくのかが問われる。3人とも全力で訴えてほしい」と述べました。
立会演説会 3陣営の反応は
石破元幹事長の陣営の選挙対策本部長を務める山本 元農林水産大臣は、記者団に対し、「石破氏の演説には華があり、情熱がぐいぐい伝わってきた。安倍政権では、安倍総理大臣と石破氏の間で『引き算』の関係だったが、今回は、石破氏、菅氏、岸田氏で『足し算』となるような戦いをしたい」と述べました。また、石破陣営の地方票の獲得目標については、「各都道府県で1票ずつ、合わせて47票を上乗せしたい」と述べました。
菅官房長官の陣営で選挙対策本部の役員を務める桜田 元オリンピック・パラリンピック担当大臣は、記者団に対し、「それぞれの候補者に特徴があり、性格も政策もわかる、いい演説会だった。国の政策をしっかりと打ち出せる人が総裁にふさわしい」と述べました。菅官房長官の陣営の木村哲也衆議院議員は、記者団に対し、「演説は3人とも力強く、菅氏は、生い立ちから政治家になるまでの思いを訴えていた。今は政治の実行力や解決力、そして強いリーダーが求められていると思う。地道に菅氏の政策を党員に訴えていきたい」と述べました。
岸田政務調査会長の陣営の選挙対策本部長を務める谷垣グループの遠藤 元オリンピック・パラリンピック担当大臣は、記者団に対し、「岸田氏は、日頃、自分の思いをあまり出さないイメージがあったが、きょうは、長年培ってきた経験や思いをしっかり伝えていた。また、中間層や所得の低い人、恵まれない人をしっかり支援する『協調社会』を作っていくという、大変いい話をしていた。このような思いを党員や国会議員に伝えていけば、共感を得ることができると確信している」と述べました。 
●自民党総裁選 立候補の3氏が共同会見で論戦 9/8 
安倍総理大臣の後任を選ぶ自民党総裁選挙に立候補した、石破元幹事長、菅官房長官、岸田政務調査会長の3人は、党本部でそろって記者会見に臨みました。今回の総裁選挙の争点について、それぞれ持論を展開する一方、衆議院の解散・総選挙の時期については、3人とも新型コロナウイルス対策を最優先にすべきだという考えを強調しました。
今回の総裁選の争点について
石破元幹事長は、「国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる党でなければならない。国民や党員に自分たちの党だと認識してもらえるようにするための党の在り方が争点の1つになる」と述べました。
菅官房長官は、「新型コロナウイルス対策や、戦後最大の落ち込みになっている経済をどう立て直すかが争点だ。トップに立ち、政権運営をするわけだから、国民にとってはそうしたことが一番重要だろう」と述べました。
岸田政務調査会長は、「安倍政権の7年8か月は高く評価しているが、ここから先は次の人間が担う。ウィズコロナ、アフターコロナから先の経済や社会保障、地方政策、そして外交などの大きな方向性・ビジョンを党員や国民にしっかり示し、論じ合うことだ」と述べました。
衆議院の解散・総選挙の時期について
石破氏は、「重要法案が否決されるなど、衆議院の意思と内閣の意思が異なったときに、主権者たる国民の意思を聞くのが解散の趣旨だ。総理大臣の専権事項であり、決まればあらがえないが、今コロナ禍において、そういう状況にはなっていないと思う」と述べました。
菅氏は、「国民が政権に期待しているのは、新型コロナウイルスの感染を収束させ、安心できる日常を取り戻してほしいということだ。解散を考えたときに、新型コロナウイルスの状況は大きく影響すると思っており、感染状況を最優先すべきだ」と述べました。
岸田氏は、「まずは、新型コロナウイルス対策で、やるべきことを早急にやることが第一だ。そこから先は、世の中や政治の動き、浮かび上がってきた課題を見たうえで、政治が国民の皆さんからエネルギーをいただかなければいけないという判断があれば、解散はあり得ると思う」と述べました。
森友学園や加計学園をめぐる問題などを踏まえた政治姿勢について
石破氏は、「特定の人だけが利益を受けることを政府がやっていいはずがない。公文書改ざんが起こると真面目な公務員がやっていられなくなる。官僚が本当に国家や国民のために働けるような政府をつくっていかなければならない」と述べました。
菅氏は、「国民から客観的に見ておかしいということがあれば、見直しをしなければならない。文書の改ざんは二度とこうしたことを起こしてはならない。謙虚に耳を傾けながらしっかり取り組んでいきたい」と述べました。
岸田氏は、「トップダウンや官邸主導で強力な取り組みを行っていかなければならない課題もあるが、権力は鋭いやいばのようなものであり、絶えず謙虚に丁寧に使っていかなければならない。トップダウンとボトムアップの2つの手法を使い分け、説明責任を果たす姿勢が何より大事なのではないか」と述べました。
憲法改正について
石破氏は、「もう一度、自民党が平成24年にまとめた改正草案に立ち返るべきだ。最高裁判所の裁判官の国民審査や、臨時国会の召集についてなどをきちんと憲法に明記すべきで、それを国民に訴えるため、まず国会で議論をする努力を最大限に行う」と述べました。
菅氏は、「自民党の結党以来の党是であり、当然、憲法改正は行うべきだ。自民党はすでに4項目の改正案を提示しており、国会の憲法審査会で各党が考え方を示し、議論を進めていくべきだ。総裁になれば、審査会を進めていくことにしっかり挑戦したい」と述べました。
岸田氏は、「自民党が示している4項目の改正案は、しっかり議論を進める材料として訴えていかなければならない。自衛隊の明記や緊急事態の際に国会の権能をどう維持するかなど、国民にしっかり考えてもらう機会を増やすことが王道だ」と述べました。
ミサイル防衛体制を含む新たな安全保障戦略について
石破氏は、「敵基地攻撃能力の保有は憲法上は可能だが、着手の時期の判断や、専守防衛に反しないかどうかを、現実に即して考えなければならない。日本単独の判断でできるのか、日米安全保障条約との関係も詰めないままに、敵基地攻撃能力が一人歩きするのは極めて危険だ」と述べました。
菅氏は、「憲法の範囲内で、専守防衛という考え方のもと、今、自民党で議論をしている。最終的には与党の議論を見据えながら対応していきたい」と述べました。
岸田氏は、「敵基地攻撃能力の保有は、ミサイル防衛体制が全体として十分なのかという議論の中で出てきた課題だ。法律的にも技術的にも、詰めないといけない点はたくさんあるが、国民の命や暮らしを守る備えとして必要なのかどうか議論を行う意味はある」と述べました。 
●総理めざす3人の違いは 9/8 
安倍総理大臣の後任は誰か。8日に告示された自民党総裁選挙には、元幹事長の石破茂、官房長官の菅義偉、政務調査会長の岸田文雄、の3人が立候補した。与党第一党の党首は、すなわち総理大臣。当選者は、第99代の総理大臣に就任する。党首選びといえども、自民党員だけの話ではない。3人の違いを政策面から探った。
安倍政権との距離感は
今回の総裁選挙で焦点の1つになるのが、7年8か月の憲政史上最長となった安倍政権を継承するのか、転換するのかだ。3人のパンフレットからは、安倍政権との距離感が読み取れる。
石破は幹事長、地方創生担当大臣と政権の要職を務めた。4年前の2016年に閣外に出てからは、安倍とは距離を置いてきた。「納得と共感。」を強く打ち出している。森友学園や加計学園を巡る問題などでは、政府に説明責任を果たすよう求めてきた。「納得と共感」が得られなければ、1強状態の自民党も、国民からの支持を失いかねないと警鐘を鳴らす。新しい時代に生き残るためには「グレートリセット」して、国民の納得と共感を得ながら、この国の設計図を書き換える必要があると訴える。
「国民を信じない政治が、国民から信頼されるはずはなく、誠実に、謙虚に、真正面から逃げることなく訴え、国民の納得と共感のもとに政策を実行することが、次の時代に課せられた責任だ」(1日 立候補表明会見)
菅は第2次安倍政権発足以降、一貫して官房長官を務め、屋台骨として政権を支えてきた。パンフレットには、キーワードに位置付ける「自助 共助 公助」とともに、菅の署名入りで立候補会見での発言内容が添えられている。立候補表明の記者会見で打ち出した、安倍政権の継承だ。
「国難にあって政治の空白は決して許されず、一刻の猶予もない。安倍総理大臣が全身全霊を傾けて進めてきた取り組みを継承し、さらに前に進めるために、持てる力をすべて尽くす覚悟だ」(2日 立候補表明会見)
パンフレットに並ぶ政策も、これまでの実績や今の政府の方針が多くを占める。
岸田が大きく掲げた「分断から協調へ」というスローガンには、微妙な立ち位置がにじむ。外務大臣、政務調査会長と、安倍政権では要職に起用され、安倍を支えてきた。前回2年前の総裁選挙では、直前まで立候補を模索したが、最終的には安倍の支援に回った。安倍からの「禅譲」を期待したという見方も出ていたが、今回、安倍から明確な支援は得られなかった。安倍政権で進めてきたことは評価し、成果を土台としながら補完、修正していく立場を取る。
「大きな成果が上がったが、どんな政策も10年、20年と通用するほど甘いものではない。時代は変化しており、その変化に対応していかなければならない。新たに浮かびあがった課題にしっかり取り組みたい」(1日 立候補表明会見)
アベノミクスから、〇〇ミクスへ
安倍政権の看板政策といえば、アベノミクスだ。デフレからの脱却に向けて、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の「三本の矢」を打ち出した。このアベノミクスをどう評価し、今後どうするのかも、総裁選挙の注目点だ。
菅は、株価も約8000円から2万3000円前後まで上げ、雇用も増やすこともできたと実績を示した上で、「アベノミクスをしっかりと責任をもって引き継ぎ、さらに前に進めていきたい」と強調する。“異次元”の金融緩和を行ってきた日銀との関係についても、「総理と同じように進めていきたい」と維持する方針を示した。地方の経済を活性化させるために打ち出しているのが、地方銀行の再編だ。「地方銀行は数が多い」と口にしていて、人口減少の中で、経営環境も厳しくなるのは避けられないとして、経営基盤を強化するために、再編も選択肢の1つだとしている。
政調会長として、安倍政権の経済政策にも関わってきた岸田。アベノミクスでGDPが拡大し、雇用が改善されたことは実績として評価している。一方で、成長の果実が大企業や富裕層にとどまり、中間層や中小企業や地方にまで届いていないという指摘があることに言及。子どもの貧困が話題になるなど格差の問題が生じているとして、新たに浮かび上がった課題に取り組むとしている。中間所得層を重視した経済政策を進めるとして、最低賃金の引き上げに加え、教育費や住宅費の負担軽減策に取り組むと訴える。
石破も、株価や企業の利益は上がったが、低所得者の所得を上げることは十分に実現できておらず、アベノミクスは軌道修正が必要だと指摘する。所得格差が固定化されたとして、低所得者や子育て世代への支援を拡充することを打ち出している。人口減少が進む中で日本経済を維持するためには、潜在力が高いものの、まだ十分いかしきれていない地方や中小企業、第1次産業や女性などの生産性をあげていくことが不可欠だと主張。地域分散と内需主導型経済への転換を目指すとしている。
新型コロナ対策
目下、最大の課題は、新型コロナウイルスへの対応だ。いかに感染拡大を封じ込め、経済社会活動と両立させていくのかが問われている。来年に延期された東京オリンピック・パラリンピックの開催が実現できるのかにも大きく関わることになる。
3人とも最優先に取り組むことに掲げていることには変わりない。その中で論点の1つとなっているのが、新型コロナ対策の特別措置法の見直しについてだ。与野党からは、休業要請などの実効性をあげるため、「強制力がともなうようすべきだ」とか、「要請に応じた事業者に補償すべきだ」などの意見が出ている。3人はどう考えているのか。
菅は、まずは感染の収束に全力を挙げるべきだとして、従来の政府の見解通り、感染の収束後に特措法見直しの検討を本格化させたいという立場だ。
これに対し石破は、「早く収束させるために、どうするかという考え方もあるはずだ」として、速やかに見直しに向けた議論を始めるべきだと主張している。
岸田も「自粛要請に応じるか、応じないかで不公平感がある」と指摘し、強制的な措置を可能とすることも含め、法改正に向けた議論を進めるべきだとしている。
このほか、菅は、感染防止と経済の両立を図るため、「Go Toキャンペーン」を推進する考えを示す。岸田は、医療機関の経営が深刻な状況であるとして、財政面での支援の充実を訴えている。石破は、家計を支えるため税負担の軽減を含む経済的支援を主張している。
消費税は
新型コロナの影響が長引き、日本経済への打撃は深刻さを増している。ことし4月から6月までのGDP=国内総生産は、リーマンショック後を超える最大の落ち込みとなった。消費を喚起するために、野党側からだけでなく自民党内からも、消費税を一時的にゼロにすべきだという声もあがっている。消費税の減免はあり得るのか。3人の考えを見てみる。
菅は、収入が減少した事業者には消費税の納税猶予の措置はとっているものの、「消費税自体は、社会保障のために必要なものだ」と否定的な考えを示している。消費税収を活用した幼児教育や高等教育の無償化などを進める考えだ。
党内では財政再建論者と見られている岸田も、「基幹税である消費税を引き下げた場合、終息後に、平時の状態に速やかに戻すことが難しくなる」と指摘し、否定的な考えを示している。財政や金融での支援で、対策を進めるべきだという立場だ。
石破は消費税にほとんど言及していない。コロナへの経済対策として、「家計を支えるため税負担の軽減を含む経済的支援」と打ち出している。具体的にどの税か、明らかにしていない。
外交で存在感示せるか
7年8か月にわたり総理大臣を務めた安倍は、80の国と地域、のべ176の国と地域を訪問。国際的な存在感を示してきた。中でもアメリカのトランプ大統領とは個人的な関係を構築し、日米同盟はこれまでで最も強固だとも言われた。一方で、北朝鮮による拉致問題や北方領土問題などでは、解決の道筋は見出せないままだ。安倍のあと、外交面で存在感を示せるのだろうか。
歴代最長の4年半余りにわたって外務大臣を務めた岸田。外交経験も豊富で、強みの1つだ。アメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領の被爆地・広島への訪問にも力を尽くした。広島が地元でもある岸田。核軍縮はライフワークだとして、核兵器のない世界を目指すという大きな方向性に向けて取り組む考えだ。外務大臣の経験も生かし、日本の科学技術や文化・芸術を生かした「ソフトパワー外交」を打ち出している。
拉致問題担当大臣も兼務している菅。立候補表明の会見では、安倍との出会いは拉致問題を通じてだったと明らかにした。問題解決のためには、ありとあらゆるものを駆使してやるべきだという考えは安倍とも同じだと強調。「北朝鮮のキム・ジョンウン朝鮮労働党委員長とも、条件をつけずに会って、活路を切り開いていきたい」と決意を語った。菅は、日米首脳の電話会談には、すべて同席してきたという。日米同盟を基軸としながら、近隣諸国とも関係を作っていく今の日本の立ち位置は変えるべきではないというスタンスだ。
石破は安倍外交について、「アメリカのトランプ大統領や、ロシアのプーチン大統領との関係など、外交関係が強化された」と評価。首脳個人の信頼関係を、政府と政府、国民と国民の関係に広げ、日米同盟や日ロ関係の強化などに取り組みたいとしている。拉致問題の解決は、安倍政権で実現できなかった大きな問題の一つだとして、ピョンヤンに連絡事務所を設置するなどして主体的に取り組む考えだ。
政治への信頼は
森友学園や加計学園の問題、「桜を見る会」をめぐる対応は、内閣支持率低下の一因ともなり、自民党内からも、「長期政権によるおごりやゆがみの象徴だ」という指摘が出ていた。森友学園をめぐる問題では、財務省で決裁文書が改ざんされるという前代未聞の事態が発生した。真相を解明するため再調査を求める声もあがっている。
石破は「総理の言うことは、信用できる、共感できる、納得できる、そう思ってもらえなければ、政権なんか担う意味はない」と言ってきた。国民から疑念が上がる以上、説明責任を果たすべきだと主張する。国会として調査を行う方法もあるという考えも示している。
岸田も、納得しない国民がいる以上、説明を続ける必要があるとして、政府に対応を促してきた。政治姿勢については、こう強調する。「低姿勢でもなければ、高姿勢でもない。正しい姿勢、正姿勢の政治を進めていきたい」
立候補表明の会見で、こうした問題を問われた菅。森友学園をめぐる問題については、財務省で関係者が処分され、検察の捜査も行われて、既に結論が出ていると強調した。公文書の管理も含め、法令や規則に基づいて適切に対応していくと繰り返す。
憲法改正は
安倍が強い意欲を示してきた憲法改正。自民党の党是でもある。安倍政権下で、与党と憲法改正に前向きな勢力が、衆・参ともに改正の発議に必要な3分の2の議席を占めた時期もあったが、国会で具体的な議論には至らなかった。憲法改正に、3人はどう向き合うのか。
3人の中で一番明確に考え方を示しているのは石破だ。党草案による憲法改正を目指すとしている。注目すべきは、改正内容を「党草案」としていることだ。安倍政権のもとでまとめられた、自衛隊の明記などの4項目ではない。自民党が野党時代の2012年にまとめた、9条を改正して「国防軍」を保持するなどとしたものだ。よりハードルが高いような気もするが、石破は「国民の理解を得つつ、真正面から向き合う」と述べる。
菅は立候補表明時に、安倍から引き継ぐものの1つとして憲法改正に言及した。打ち出した政策にも「憲法改正にも取り組みます」と記されている。自民党がまとめた4項目のたたき台に基づき、国会の憲法審査会で与野党の枠を超えて建設的な議論が行えるよう、挑戦していきたいとしている。
岸田も「時代の変化に対応した憲法改正を、国民の理解を深めつつ、国民とともに目指す」としている。党内ではハト派と目される岸田は、かつて9条の改正は当面考えないとしていたが、徐々に前向きな姿勢を示すようになり、去年秋からは「自衛隊の明記」など4項目の党の改正案を説明に地方行脚を始めていた。「ポスト安倍」レースで安倍の支援を期待したい思惑があったものとみられる。「もし私が政権を担うことになったとしても、しっかり取り組んでいきたい」と語る岸田。4項目の改正案の実現に取り組む考えだ。
カラーは出ているか?
最後に3人のこだわりを見てみたい。独自のカラーが出ているだろうか。
初代の地方創生担当大臣を務めた石破は、地方の活性化を強く訴える。視察や講演で地方を訪れ、人一倍、現場を見てきたという自負がある。
新たに「東京一極集中是正担当大臣」を設け、農林水産業や中小企業の振興とともに、遠隔医療や自動運転、ドローン技術の導入を地方から始め、今世紀中頃までに約300万人の地方移住を実現させることを目指すとした構想を打ち出している。
菅が訴えるのは、携帯電話料金の引き下げ。第1次安倍政権で総務大臣を務めて以来、問題意識を持ってきた。上位3社が市場のほぼ9割を占める状態が続き、諸外国と比較しても高い料金を維持し、約20%もの営業利益を上げていると指摘。おととし、「携帯電話料金は、4割程度引き下げられる余地がある」とも発言した。
事業者間で競争がしっかり働く仕組みを徹底をしていくと主張する。そして、こう力を込める。「行政の縦割りを打破し、既得権益を取り払い、悪しき前例主義を排し、規制改革を全力で進める。国民のために働く内閣を作りたい」
岸田が打ち出すのは「デジタル田園都市国家構想」だ。どこかで聞いたことがある。そう、岸田の派閥の大先輩にもあたる大平正芳総理大臣が掲げた「田園都市国家構想」だ。
都市の活力と田園のゆとりの結合を目指した40年前の構想を、新しい時代に合わせて、最新のデジタル技術やビッグデータを活用したものにリメークした格好だ。5Gを地方から整備するなどして、地方の利便性向上や経済再生を図り、豊かな地方と都市が共存を図ろうと訴える。
知りたいことは他にも
新型コロナによる国民生活への影響が長引く中、どうこの国を導いていくのか。社会保障は、安全保障は、教育は、エネルギー政策は…。まだまだ知りたいことは山ほどある。14日の投票まで、党員だけでなく、国民にオープンで深い論戦を期待したい。 
●出馬会見(要旨) 9/8 
石破茂 元幹事長
【政治姿勢】次の時代のために何をしていくかを明確にすべきだ。国民を信じない政治が、国民から信頼されるはずがない。真っ正面から諸課題を訴え、国民の納得と共感のもとに政策を実行する。国民を信じ、誠実に率直に語れば、国民は必ず応えてくれる。総力を挙げて積極果敢に取り組みたい。
【党員投票】党員に投票する資格が与えられないのは極めて残念だ。我が党は国民のものであって、国会議員だけのものではない。
【新型コロナウイルス対策】PCR検査の拡大が必要だ。経済活動の制限で暮らしが苦しい人も大勢おり、経済対策と感染拡大防止の両立を図っていく。感染収束に必要であれば、新型コロナ対策の特別措置法は改正するべきだ。
【憲法改正】2012年にまとめた憲法改正草案が自民党唯一の案だ。(2018年3月にまとめた)4項目の党改憲案は総務会などで正式に決定したという認識を持っていない。
【経済政策】地域分散型の内需主導の経済に転換する政策を進める。アベノミクスで株価はあがり、企業の業績も好調だが、伸び悩む個人の所得を上げていくことが必要だ。
【消費税】景気の変動に影響されにくい安定財源として、必要性は高く認める。低所得者に逆進性の影響が及ばないようにするやり方がないか、検証する。
【地方創生】国任せの行政から地域任せの行政に変える。権限や財源を地方に渡して、主権者の意識を高める。
菅義偉 官房長官
【安倍政権継承】第2次安倍内閣の発足以来、官房長官として首相の下で日本経済の再生、外交安全保障の再構築などの重要課題に取り組んできた。今年に入ってからは新型コロナウイルス感染症の拡大という、かつてない事態に直面する中、感染拡大と医療崩壊を防ぎ、同時に社会経済活動を再開するという課題に真っ正面から取り組んできた。政治の空白は許されない。一刻の猶予もない。安倍首相が全身全霊を傾けて進めてきた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めるために、私の持てる力をすべて尽くす覚悟だ。
新型コロナウイルスの感染拡大防止と社会経済活動の両立を図り、雇用を守り、経済の回復につなげていかなければならない。目の前にある危機を乗り越えることに全力を挙げつつ、少子高齢化問題、戦後外交の総決算、憲法改正にも引き続き挑戦していきたい。
【政治姿勢】世の中には数多くの「当たり前でないこと」が残っている。ダムの水量調整では行政の縦割りを打ち破った。一昨年、携帯電話料金は4割程度引き下げる余地があると表明した。事業者間で競争が働く仕組みをさらに検討していきたい。現場の声に耳を傾け、何が当たり前なのかを見極めて判断し、大胆に実行する。
国の基本は自助、共助、公助だ。まず自分でやってみて、地域や自治体が助け合う。その上で政府が責任を持って対応する。このような国のあり方を目指すには、国民から信頼をされる政府でなければならない。
【経済・金融政策】アベノミクスを責任を持って引き継ぎ、前に進めたい。雇用を守り、企業を存続させるため、必要であれば金融政策をさらに進めたい。地方の銀行は数が多すぎる。
【外交・拉致問題】日米同盟を基軸としながら、近隣諸国との関係を作っていく。今の日本の立ち位置は変えるべきでない。ロシアとの平和条約問題は、次の世代に先送りせず、終止符を打つ決意で首相は取り組んできた。この方針は変わらない。拉致問題はありとあらゆるものを駆使して解決するべきだ。金正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長とも条件を付けずに会い、活路を切り開きたい。
【沖縄基地負担】沖縄基地負担軽減の担当相として、米海兵隊の基地である北部訓練場の一部返還などを実現させた。名護市辺野古に米軍普天間飛行場を移設することで、普天間飛行場の危険除去を実現できる。
【地方創生】秋田の農家で育った私の中には、地方を大切にしたい気持ちが脈々と流れている。総務相に就任し、「ふるさと納税」を成立させた。外国人観光客の誘致、農産品の輸出促進の取り組みも、地方経済を元気にしたいという思いからだ。都会と地方の両方とも良くするという思いで国の政治を前に進めたい。
【派閥政治】私自身は派閥に所属していない。派閥にはいい所も悪い所もあるが、私は派閥連合に推されて今ここにいるわけではない。自らの判断で出馬を決意し、派閥に所属していない人たちのエネルギーが押し上げてくれている。
岸田文雄 政調会長
【政治姿勢】国民のため、国家のため、私の全てをかけてこの戦いに臨んでいきたい。様々な課題に立ち向かうには、国民の協力がなくてはならない。国民の声を丁寧に聴く力も求められる。国民の協力を引き出すことのできるリーダーを目指していきたい。
【安倍政権の評価】経済でも外交でも大きな成果があったが、10年、20年、同じ政策を続けて通用するほど甘いものではない。中間層や中小企業、地方にも成長の果実が届く「トリクルダウン」が実感できないとの指摘がある。格差の問題など、新たな課題に取り組まなければならない。
【財政・金融政策】数年間は思い切った財政出動を続けなければならないが、金利を下げ、財政出動し続けると、経済の変動に有効な政策手段を失う。各国が平時に戻す努力をする時に、日本も遅れることなく、財政の健全化や金利を考えていくべきだ。
【憲法改正】自衛隊の憲法における明確化も重要な課題だが、緊急事態対応や教育の充実、「1票の格差」の物差しが人口割りしか書いていないことも現代的な課題だ。誰がリーダーになっても絶えず考えていかなければならない。
【衆院解散】衆院解散・総選挙は、国民の声をエネルギーとして重要な政策を進めていく機会でもある。必要であれば、国民の声を聞くことを考えることはありえる。
【日韓関係】両国の国民の感情をコントロールし、冷静な外交の対話を行っていく環境整備も大事だ。 
●菅氏、河井夫妻側への1.5億円「総裁になったら責任持って対応」 9/8 
自民党総裁選の候補者は8日の共同記者会見で、前法相の河井克行被告と妻の案里被告が公職選挙法違反の罪で起訴された事件の実態解明に取り組む姿勢もテーマとなった。昨年7月の参院選で党本部から夫妻側に1億5千万円が渡っていたことが明らかになっているが、菅義偉官房長官は「私自身は今、政府の立場なので、申し上げることはできない。もし総裁になったら、責任を持って対応したい」と述べるにとどめた。
事件の舞台となった広島が地元の岸田文雄政調会長は「問題は深刻化している。政治の信頼が問われている」と指摘。「党員の気持ちにしっかり応え、説明責任を果たす。私が党に指示を出せる立場に立ったら、こういった姿勢は大事にしたい」と語った。
石破茂・元幹事長は「『私たちの党費、私たちの税金、こんなことに使われるの?』と思う人が出てくるのは当然ではないか。解明する責務は自民党にある」と主張した。  
 9/9

 

●総裁選投票できるなら…菅氏44%、石破氏36%、岸田氏9% 9/9 
毎日新聞と社会調査研究センターは8日、安倍晋三首相の後任を選ぶ自民党総裁選の告示を受けて緊急の全国世論調査を実施した。「あなたが投票できるとしたら誰に投票しますか」と尋ねたところ、菅義偉官房長官と答えた人が44%で、石破茂元幹事長が36%で続いた。岸田文雄政調会長は9%にとどまった。党内5派閥の支持を固めた菅氏優位の情勢を反映する一方、石破氏への世論の支持も根強くあるようだ。
安倍政権から「変化を期待」55%
次の首相に期待するのは安倍政権からの継続性か、それとも政策や政治姿勢の変化かとの質問には過半数の55%が「変化を期待する」と答え、「継続性を期待する」との回答は33%、「どちらとも言えない」は11%だった。
継続性を期待する層の85%が菅氏を支持しており、菅氏が安倍路線の継承者と受け止められていることがうかがわれる。変化を期待する層の56%が石破氏、22%が菅氏と回答。長期政権からの変化を望む声は強いものの、石破氏がその受け皿になり切れていない。
安倍内閣の支持率は50%で、前回調査(8月22日)の34%から16ポイントの大幅増となった。不支持率は前回の59%から42%に減少した。新型コロナウイルス対策などへの批判で内閣支持率は低迷していたが、安倍首相が持病の悪化を理由に辞任を表明したことで、長期政権をねぎらう雰囲気が広がったとみられる。
自民党の政党支持率も39%と前回調査より10ポイント増えた。こうした情勢を受け、安倍首相への同情票や新政権へのご祝儀票が期待できるうちに衆院解散・総選挙を行うよう求める声が自民党内で強まっている。
調査では「首相が代わったら早く衆院選を行って国民に信を問うべきだ」「今は選挙より新型コロナウイルス対策を優先すべきだ」という二つの異なる意見を例示し、どちらに考えが近いかを質問。「コロナ対策を優先すべきだ」との回答が65%を占め、「早く衆院選を行うべきだ」の23%を大きく上回った。「どちらとも言えない」は11%だった。
第2次安倍政権が発足した2012年12月と比較して自身の暮らしがどうなったかを聞いたところ「良くなった」23%、「悪くなった」24%、「変わらない」52%だった。
安倍政権の政策や首相の政治姿勢に対する評価は以下の通り。
   <新型コロナ対策>評価する29%・評価しない47%
   <経済>評価する45%・評価しない35%
   <社会保障>評価する29%・評価しない41%
   <外交・安全保障>評価する57%・評価しない27%
   <首相の政治姿勢>評価する43%・評価しない39%  
●自民党総裁選、3候補の政策は 外交・安保で力点に違い 9/9 
次の首相を決めることになる自民党総裁選に、石破茂元幹事長、菅義偉官房長官、岸田文雄政調会長の3氏が立候補した。新首相は直ちに、新型コロナウイルス対策や経済再生、外交・安全保障など山積する課題に直面することになる。3氏の主な主張をまとめた。
新型コロナウイルスによる経済の落ち込みが続く中での総裁選となったことで、3氏とも最優先課題に掲げたのは、感染対策と経済の両立だった。
コロナ対策では、菅氏は現政権の方針を引き継ぎ、「来年前半までに全国民分のワクチン確保」を強調。政府の需要喚起策である「Go To キャンペーン」をいっそう進め、観光業も支援していく考えだ。
石破氏は、強制力がないと指摘される新型ウイルスのための特別措置法について「感染を早期に収束させるために改正を考えるべきだ」と主張。収束後に検討するとしてきた現政権との違いを強調した。岸田氏は、冬に感染が拡大するインフルエンザ対策を強化するため、ワクチンの無料接種も訴えている。
経済政策では、菅氏は、規制改革や競争強化を重視した主張が多い。実績として縦割り行政の打破や携帯電話料金の引き下げなどを挙げ、コロナ禍で遅れが明らかになったIT政策の司令塔として「デジタル庁」の創設を掲げる。地方銀行の再編も示唆している。8日の演説会では「既得権益を取り払い、競争がしっかり働くようにさらに改革を徹底したい」と訴えた。
石破氏、岸田氏は、菅氏との違いを出すため、格差の是正を重視する。
石破氏は東京への一極集中の改善を強調。新しい資本主義を訴え、「地方、農林水産業、女性、サービス業の力を引き出さなければならない」と述べた。岸田氏は「人に優しい持続可能な資本主義」を掲げた。教育費や住宅費の負担軽減をはかり、中間層を支援していく考えを示している。ただ、いずれも具体策に乏しく、十分に対抗軸を示せていない。
拉致問題、アジア外交、核軍縮…
外交・安全保障政策では日米同盟を基軸とする点に変わりはないが、力点を置く部分から違いがみえる。
菅氏は安倍政権がめざした「戦後外交の総決算」を継承する。なかでも拉致問題の解決を優先課題として挙げる一方、政策パンフレットや8日の所見発表では、北方領土をめぐる日ロ平和条約交渉には触れなかった。「中国をはじめとする近隣国と安定的な関係を構築する」と中国のみを名指ししているのも特徴だ。
石破氏は「アジアと歴史に誠実に向き合う外交」として、中国・韓国・北朝鮮を挙げつつ「近隣諸国をはじめとするアジア諸国との信頼関係の構築」をめざす。拉致問題の解決に向けて、東京と平壌に連絡所を開くことも持論だ。安倍政権で事実上の2島返還にかじを切った北方領土交渉では「4島返還を譲るべきでない」と違いを強調する。
安倍政権で外相を務めた岸田氏は「安倍外交」を評価したうえで、科学技術や文化芸術など「ソフトパワー」を活用した外交や多国間外交の重視を掲げる。被爆地・広島が地元なだけに、核軍縮に向けて「現実的な取り組み」を積み重ねていきたい、とも語る。
憲法改正について、菅氏は「しっかり挑戦していきたい」としつつも、「スケジュールありきではない」と述べ、2020年の新憲法施行をめざすとした安倍晋三首相との違いをにじませる。石破氏は安倍氏のもとでまとめられた9条への自衛隊明記など「改憲4項目」ではなく、12年に党がまとめた憲法改正草案をもとに議論すべきだと主張。岸田氏は4項目を基本に議論を進めるとしつつも「国民にしっかり考えてもらう機会を増やすことが王道だ」としている。
候補者の横顔は
自民党総裁選に立候補を届け出た3氏は、どんな人なのか。経歴やその人柄に迫った。
   石破茂元幹事長 田中角栄氏に背中押され政治家に
鳥取県八頭郡出身で、鳥取大学教育学部付属中学、慶応義塾高校、慶応大を卒業。鳥取県知事や参院議員などを務めた父・二朗氏からは「(政治家は)お前みたいな人のいいやつに務まる仕事じゃない」と言われたという。旧三井銀行に入行した。
二朗氏の死後、二朗氏と親交が深かった田中角栄元首相に背中を押されて、政治家の道へ。田中派の職員を経て、86年に初当選。93年、宮沢内閣の不信任決議案に賛成した。無所属で衆院選を戦い、後に離党。新生党、新進党に所属した。
97年、自民に復党し、2002年に防衛庁長官で初入閣。その後、防衛相、農林水産相を務めた。
「師」と仰ぐ田中氏から受けた「選挙は歩いた家の数、握った手の数しか票は出ない」との教えを選挙哲学とする。
08年、12年の党総裁選に立候補。第2次安倍政権では幹事長、地方創生相を務め、15年9月に「水月会」(石破派)を旗揚げした。安倍晋三首相との一騎打ちになった18年の総裁選では、45%の地方票を獲得し、存在感を示した。
キャンディーズなど70年代アイドルに一家言持ち、クラシック音楽も好む。
   菅義偉官房長官 安倍1強を築いた仕事師
秋田県雄勝町(現湯沢市)出身。実家の農業は継がず、高校卒業後に家出同然で上京した。町工場に住み込みで働き、苦学して法政大を卒業した。
「世の中を動かしているのは政治だ」と思い、通産相を務めた小此木彦三郎氏の秘書に。横浜市議を2期務め、1996年の衆院選で初当選。閣僚や党幹部らに世襲議員が多い中、珍しい「たたき上げ」だ。
第1次安倍内閣で総務相に起用され、ふるさと納税を提唱した。安倍晋三首相とは北朝鮮をめぐる「拉致議連」を通じて懇意に。12年の総裁選では「もう一度、総理大臣にしたい」と、安倍氏を担ぎ出し、再登板を実現。自らは危機管理を担う官房長官に就いた。
霞が関人事の掌握に注力し、信頼する幹部を重用する一方、意に沿わなければ容赦なく交代させる手法で、官邸主導の「安倍1強」を築いた。自他ともに認める「仕事師」。特に力を注ぐ農産品の輸出や観光施策は、官僚らから「スガ案件」と言われてきた。
酒は飲まず、大の甘党。毎朝40分の散歩が日課だが、いつでも官邸に駆けつけられるよう、常にスーツを着用している。
   岸田文雄政調会長 ポスト安倍目指し政調会長に
東京生まれ。祖父・正記氏、父・文武氏も衆院議員だった。旧通産省職員だった文武氏の出向で米ニューヨークに住み、帰国後は開成高から早稲田大へ。日本長期信用銀行(当時)に就職した。文武氏の秘書を経て、1993年に初当選。安倍晋三首相とは当選同期だ。
2007年、第1次安倍政権で沖縄・北方担当相で初入閣。12年の第2次安倍政権で外相になり、4年7カ月務め、オバマ米大統領(当時)の広島訪問などの成果を残した。
12年に党内の伝統派閥・宏池会の会長を引き継いだ。宮沢喜一元首相以来、27年ぶりの宏池会からの首相を目指す。
17年には「ポスト安倍」を目指して安倍首相(党総裁)に党の要職への起用を希望し、政調会長に就任。18年の総裁選では派閥内で期待された出馬を見送り、首相3選を支持。「優柔不断」などと批判も浴びた。
堅実で目立つことを好まず、元高校球児であることから「8番セカンド」と例えられたことも。酒豪で知られ、外相時代にはロシアのラブロフ外相とウォッカを飲み比べながら会談した逸話が残る。広島カープの大ファンでもある。 
●岸田氏に票分け“施し案” 世論調査劣勢も「2位になれば次に目を残せる」 9/9 
自民党総裁選が8日、告示され、菅義偉官房長官、石破茂元幹事長、岸田文雄政調会長の3氏が立候補を届け出た。14日に投開票され、安倍晋三首相の後継総裁が決定する。国会議員票、地方票ともに菅氏が圧倒する中で「岸田氏に票を分けよう」という“施し案”が出るなど党内情勢を左右する2着争いがヒートアップ。党所属議員の注目は今後の人事に移っている。
東京・永田町の党本部で行われた立候補者演説会。菅氏は勝負カラーの黄色のネクタイ姿で「首相は道半ばで退かれた。悔しさを推察すると政治的空白を作ることはできない」と力を込めた。
5派閥と無派閥議員約30人の支援を受け、党所属の国会議員票の約7割を固め、地方票も約6割を獲得する見通しとされる。圧勝ムードの中で、党幹部らから漏れてきたのは岸田氏への“票分け”だ。すでに党幹部らが見据えるのは“次の次の総裁”。永田町では菅氏について「ワンポイントかと思われたが、この優勢ムードで次の任期3年をプラスして4年やるつもりだろう」とみられている。4年後に菅氏は75歳。「首相の座を譲っても不思議ではない」とされ「宏池会の会長で岸田派を率いる岸田氏に挑戦の余地を残せるようにすべきでは」の指摘が党内で上がり始めた。
「2位になれば次に芽を残せる」と岸田氏周辺では次点を目指す動きが活発化。3位なら政府・党内ともに役職のない“無役”になるとみる関係者は多い。朝日新聞が7日に発表した世論調査によると、岸田氏を「次の首相のふさわしい人」としたのはわずか6%。菅氏の48%はおろか、石破氏の27%にも及ばない。石破氏が2位なら「菅氏への不満票がかなり集まったとして、石破氏の影響力が残る。岸田氏に2位になってほしい」と語る自民党議員もいる。
森喜朗元首相も7日に「安倍さんの本心は岸田さんだ。しかし周りが(菅氏で)納得する空気になって、乗らざるを得なくなった」と援軍のコメントを出していた。党内の“石破つぶし”の側面からも“施し案”が進む。
14日の投開票で菅氏に続く2位は誰になるのか。岸田氏へどれほどの票が回るのか、まだまだ生臭い駆け引きは続きそうだ。
▽自民党総裁選の仕組み 党則に「総裁が任期中に欠け、特に緊急を要するとき」は、党大会に代わる両院議員総会で後任を選ぶことができる規定がある。この場合、党所属国会議員1人1票と47都道府県連3票ずつで投票される。国会議員票が394票、都道府県連票が141票。いずれも有効投票の過半数を得た候補がいなければ、上位2人の決選投票になる。立候補には推薦人20人が必要となる。  
 9/10

 

●自民党総裁選 政策論戦 子育て支援や省庁再編 9/10 
自民党総裁選挙は、今月14日の投開票に向けて、立候補している石破元幹事長、菅官房長官、岸田政務調査会長の3人が、子育て支援策や省庁再編などで政策面での独自色をアピールし合う展開となっています。
安倍総理大臣の後任を選ぶ自民党総裁選挙は、9日、党の青年局と女性局が主催する公開討論会が開かれるなど、立候補している石破元幹事長、菅官房長官、岸田政務調査会長の3人の論戦が本格化しています。
こうした中、3人の候補者は、政策面での独自色をアピールし合う展開となっていて、子育て支援策をめぐっては、石破氏が、女性を支援するための法案や予算措置をリスト化して実現を目指す姿勢を示す一方、菅氏は、不妊治療に公的医療保険を適用し、経済負担の軽減を図る考えを示し、岸田氏は、出産費用を実質ゼロにする政策を進めると訴えています。
また、省庁再編をめぐっては、菅氏が、省庁横断でデジタル化を推進するための「デジタル庁」の新設を打ち出したのに対し、岸田氏は、ビッグデータなどを活用する「データ庁」やデジタル化を推進する新たな司令塔組織を設置する考えを示し、石破氏は、首都直下地震など大規模災害に対応するため、防災省を新設する構想を明らかにしています。
総裁選挙は、12日、日本記者クラブ主催の討論会も予定されていて、今月14日の投開票に向けて、より幅広い支持を獲得しようと、政策面での論戦が活発になっています。 
●自民党総裁選 3候補 支持拡大へ 活動続く 9/10 
安倍総理大臣の後任を選ぶ自民党総裁選挙に立候補している石破元幹事長、菅官房長官、岸田政務調査会長の3人は、10日も、地方に出向いたり議員に協力を呼びかけたりして支持拡大に向けた活動を展開しています。
石破氏 東日本大震災の被災地訪問へ
石破元幹事長は、10日午後、東日本大震災の被災地の宮城県と福島県を訪れ、被災した人たちや、地元の首長らと意見を交わすことにしています。
これに先立って、石破氏は、東京都内で記者団に対し、東日本大震災の発生から来年で10年になることに触れ、「当時、自民党は野党で、私は政務調査会長を務めていた。被災地に出向き、ひと晩泊まり込んだことが、復興庁の創設を提案するに至った原点だ。いまは防災省の設置を訴えているが、もう1度、原点に戻りたい」と述べました。
また、石破氏は、福島第一原子力発電所で増え続けているトリチウムなど放射性物質を含む水の処分方法について、「海や大気中に放出するにしても、国際社会の理解を得なければできず、安全だということを国民や世界に知らせることが政府の役割だ。政府が責任を持つために何をすべきを、きょうの意見交換で申し上げたい」と述べました。
菅氏 議員の事務所を個別訪問
菅官房長官は10日午前中、9日に続き、党所属議員の事務所を個別に訪れて支持を呼びかけました。
このうち麻生派の務台衆議院議員の事務所では、務台氏が「頑張ってください。私の地元の自民党支部はすべて菅氏で頑張るということになりました」と激励しました。
これに対し菅氏は「ありがとうございます。一生懸命頑張りますので、もう少しだけお願いします」と応じていました。
午後は官房長官としての公務をこなしながら、議員会館の、みずからの事務所で宮城県や愛知県、岡山県、沖縄県など16の県の地方議員とオンラインで意見交換し、支援を呼びかけました。
この中で、菅氏は「私自身、秋田県で生まれて高校まで育ち、働くために東京に出てきて、横浜市議会議員を2期8年務めた。いかに現場に足を運び、現場の声を聞きながら政治をすることが大事か分かっている」と述べました。
そのうえで「地方の活力がなければ、日本は元気が出ないという思いで議論をさせてもらいたい。一生懸命、この国を前に進める思いで取り組みたい」と述べ、支援を呼びかけました。
岸田氏 最後の地方訪問で福島市へ
岸田政務調査会長は、宮城県栗原市を訪れ、地元の農家の人たちと意見交換しました。
この中で、コメ農家の男性が、「刈り取り間近だが、新型コロナの影響で業務用のコメが余っていて価格が下がると言われている。価格を安定させてもらいたい」と要望しました。
これに対し、岸田氏は、「大きな影響が出ていると認識している。価格の調整が難しいようなら、さらなる政治の対応が必要だ。政治の責任を果たしたい」と応じました。
このあと、田んぼの脇で地元のコメを使ったおにぎりを食べながら懇談し、岸田氏は、「農業はもうけだけでなく、水田に水をためる防災の機能や文化面でも地域を支える役割がある。若い人たちに参加してもらえる環境をつくりたい」と述べました。
岸田氏は、このあと、福島市を訪れ、新型コロナウイルスの影響で宿泊客が減っている温泉街を視察し、関係者と意見交換しました。
この中で、地元の観光協会の担当者は、「東日本大震災の影響で廃業した旅館の跡地に、新たな公衆浴場をつくって活用してきたが、新型コロナの影響で厳しい状況だ。自分たちでも努力するが、国の支援もお願いしたい」と要望しました。
これに対し、岸田氏は「みなさんの旅館がフル稼働できるよう、党としても頑張っていきたい。福島の復興なくして日本の再生はないという思いを大事にしたい」と応じました。
このあと岸田氏は、党の福島県連を訪れ、地元の県議会議員らに対し、支援を呼びかけました。
岸田氏が、選挙期間中に地方を訪問するのは、10日が最後となる予定です。
岸田氏は、記者団に対し、「各地を回る中で、地域ごとにさまざまな思いがあることが分かり、多様な日本を目指さなければならないと痛感した。私が掲げるビジョンを実現できるよう、最後まで努力を続けたい」と述べました。 
 9/11

 

●自民党総裁選 3候補 支持拡大へ 運動繰り広げる 9/11 
安倍総理大臣の後任を選ぶ自民党総裁選挙に立候補している3人は、投開票を3日後に控え、街頭演説でみずからの政策を訴えたり、党所属の国会議員に個別に支持を呼びかけたりして、選挙戦後半の運動を繰り広げています。
石破氏 取材対応で経済政策訴える
石破元幹事長は、11日午前、議員会館の事務所で雑誌のインタビューに応じ、みずからの経済政策について訴えました。
この中で、石破氏は、安倍政権の経済政策について、「株価や企業収益が上がり、有効求人倍率が1を超えたことは評価すべきだが、日本経済は決して強くなったわけではない。円安や低金利、なかなか上がらない賃金という状況で、いわゆるコストカット型の金融資本主義という面が加速したのではないか」などと指摘しました。
このあと、石破氏は、党所属の参議院議員の事務所を個別に回って、支持を呼びかけました。
石破氏は、みずからの事務所で記者団に対し、「投票権はなくても、いかに国民、党員に訴えるかが大事だ。どの選挙でも、投票用紙を前にするまで、しゅん巡している人は大勢いるので、そういう人に訴えていくことに尽きる」と述べました。
また石破氏は、菅官房長官が将来的な消費税率の引き上げに言及したことに関連し「これだけ経済格差が開いてくると、逆進性をもつ消費税が低所得者に負担になっているのは間違いない。重要なことは、所得の高くない人に、いかに可処分所得を与えるかであり、消費税のみで語るのは全体的なバランスとしてよくない。社会保障改革もセットで論じるべきだ」と述べました。
菅氏 地方議員と意見交換し支援呼びかけへ
菅官房長官は、11日は午前8時すぎから議員会館の事務所で、選挙対策本部の幹部と打ち合わせを行ったあと、午前9時すぎに総理大臣官邸に入り記者会見などの公務に臨みました。
菅氏は、午後は出身地の秋田県に加え、北海道や京都府などの地方議員とオンラインで意見交換して支援を呼びかけるほか、党本部でインターネット番組に出演することにしています。
岸田氏 初の街頭演説で経済再生に向けた決意訴える
岸田政務調査会長は11日朝、東京のJR新橋駅前で、今回の総裁選挙で初めてとなる街頭演説を行い、経済の再生に向けた決意などを訴えました。
この中で岸田氏は大学卒業後、銀行に勤めていたことに触れ「当時は、多くの日本人が『あすはきょうより必ずいい日になる』と信じ、前向きに生きていた。しかし、いま新型コロナウイルスの猛威で、日本経済は戦後最大の国難に直面している。いま一度、前を向いて生きるためには、経済の新しい成長のエンジンを考えなければならない」と訴えました。
そのうえで、「デジタルやデータといった基盤のもとに経済のエンジンを生み出して雇用を吸収する。所得の格差や大企業と中小企業の格差など顕在化している格差の問題に向き合い、公益に資する持続可能な資本主義を考えていかなければならない」と強調しました。
このあと岸田氏は、通勤途中の会社員などと写真撮影に応じていました。 
 9/12

 

●公開討論会 立候補の3氏 新型コロナ対策など論戦 9/12 
自民党総裁選挙に立候補している3人は12日、日本記者クラブが主催する公開討論会に臨みました。新型コロナウイルス対策の特別措置法について、石破元幹事長が早期の改正を訴えたのに対し、菅官房長官は、当面は現状の枠組みで対策を続ける考えを示し、岸田政務調査会長は見直しの議論は進めるべきだという考えを示しました。
目指す国家像
◇石破氏「一人一人に居場所があり、幸せを実感できる国をつくらなければならない。地方でも十分に教育が受けられ、雇用と所得があることが新しい社会だ」
◇菅氏「『自助・共助・公助』だ。まず、自分でやってみて、地域や家族が互いに助け合い、政府がセーフティーネットで守っていく。縦割り行政や前例主義、既得権益を打破して規制改革を進め、国民に信頼される社会をつくっていく」
◇岸田氏「今の時代にふさわしい、日本に適した持続可能な資本主義をつくっていく。格差や分断に向き合い、多様性を認め、国民の一体感をしっかりと感じられる、経済や社会をつくっていきたい」
新型コロナウイルス対策の特別措置法
◇石破氏「感染を収束させるため必要があれば改正すべきだ。経済活動を抑えることに強制力を伴うとすれば、経済的な支援が必要だ」
◇菅氏「まずは、今のまま対策をしっかりやっていきたい。必要があれば見直しはしなければならないが人権問題などいろんな問題が絡んでいるし、国会での付帯決議で慎重に対応するよう求められている」追加の経済対策について「不十分なら徹底して次の手を打っていく。雇用と事業が継続できるよう責任を持って対応していきたい」
◇岸田氏「議論を進め、準備ができれば国会で審議することを考えなければならない。自粛要請に応じた人と応じなかった人の公平性の問題をどう考えるかや、自粛要請を行った場合の支援などの論点で議論を行うことは重要だ」
消費税を含む税制の在り方
◇石破氏「社会保障改革の議論なくして、財政や税制を語ってはいけない。次の時代に過大な負担を残さないという意味で、財政の健全化を念頭から外すべきではない」
◇菅氏「『経済再生なくして財政健全化なし』という基本方針の中で、アベノミクスを成功させてきた。安倍総理大臣は『消費税率は10年は引き上げない』と言っているが、私も全く同じ意見だ。ただ、将来まで否定すべきではなく、10年は考えないということだ」
◇岸田氏「消費税の増税は、社会保障制度改革をしっかり行ったうえで必要ならば考える。ただ、去年、税率を引き上げたばかりで、新型コロナウイルスとの闘いもあり、しばらく触ることは難しいと思う」
外交・安全保障
◇石破氏「日米地位協定の改定も視野に入れて、対等な日米同盟をつくっていくべきだ。アジアに日本の理解者を増やすためにもっと努力をしたい」
◇菅氏「日米同盟を基軸としてアジアの国々とつきあっていくことが大事だ。中国や韓国をはじめ近隣諸国とは、それぞれ難しい問題はあるが、二者択一ではなく戦略的にしっかりつき合い、常に意思疎通を行うことができる外交を進めていきたい」「外交は継続が大事だ。安倍総理大臣の首脳外交のようなことはできないので、私なりの外交姿勢を貫きたい。安倍総理大臣には、当然、相談していくことになる」
◇岸田氏「米中の対立や保護主義などの分断が進む中で、マルチ外交の道を探ることが存在感を示す方向ではないか。基本的な価値観を共有する国々と協力し、地球規模の課題で日本がルールづくりを先導していくことが大事だ」
森友学園や加計学園の問題 「桜を見る会」への対応
◇石破氏「必要があれば再調査すべきだ。納得したという国民が少なくとも過半数にならないといけない。桜を見る会は、内閣や総理大臣が主催するのだから公平でないとおかしい。次に開催する時は、変わったと分かってもらえることが必要だ」
◇菅氏「森友学園の問題は、財務省の調査結果などが出ているが、二度とこうしたことを起こさないよう再発防止策をつくっていく。加計学園の問題をめぐっては、法令にのっとって、オープンなプロセスで検討が進められたことも明らかになっている」
◇岸田氏「説明が十分かどうかは、説明を受ける側が納得したかどうかで判断されなければならない。国民から見て公平・平等なのかという観点から、対応を考えなければならない」 
 9/13

 

●日曜討論ダイジェスト 「総裁選 立候補者が論戦」 9/13 
14日、投開票が行われる自民党総裁選挙に立候補している石破元幹事長、菅官房長官、岸田政務調査会長の3人は、NHKの「日曜討論」で、新型コロナウイルスに伴う追加の経済対策や、社会保障制度改革などについて論戦を交わしました。
この中で、新型コロナウイルスに伴う追加の経済対策について、石破元幹事長は「生産設備や人が消えたわけではなく、消費が消えたから厳しい状況になったのであり、国債発行も視野に、ありとあらゆる手段を使わないと経済は失速する。どの層の所得を増やすかが大事で、低所得者の所得が上がれば消費に使ってもらえる。新型コロナウイルス対策で経済全体の仕組みを変えるチャンスではないか」と述べました。
菅官房長官は「雇用をしっかり確保し、企業の事業を継続させることがいちばん大事だ。4月から6月のGDPの下落率が戦後最大となり、新型コロナウイルスの状況がまだ続いている中で、できることはすべてやるというのが基本的な考え方だ。そのために予備費を積んだ。さらにその先必要であれば、経済対策は必要だ」と述べました。
岸田政務調査会長は「ヒト・モノ・カネを動かす努力を続けなければならない。先は不透明であり、予備費の活用やさらなる財政措置、経済対策が必要になることは十分に考えておかなければならない。世界各国が大型の財政出動を行っており、金利が低くおさえられている今、必要なものをちゅうちょしてはならない」と述べました。
そして、経済対策の一環として消費税率を引き下げることについては、3人とも否定的な考えを示しました。
また、今後の社会保障制度の在り方について、石破氏は「あと20年たつと高齢者数もピークを迎え、今のままでは持続可能ではないことを認識すべきだ。国民皆保険は何としても守っていかなければならないが、がんや成人病などリスクがばらばらになる中、時代にふさわしい保険の在り方を考える必要がある。設計を見直し、一人一人の幸せを実現したい」と述べました。
菅氏は「少子高齢化社会が続くので、支えられる側の人を支える側にするために70歳まで働けるようにする。年金の受給年齢を延ばす、医療費も予防に重点を置くなど、全体構造を見直してしっかり実行に移していくことが大事だ」と述べました。そのうえで、全世代型社会保障の最終報告の取りまとめについて「ことしの暮れに新型コロナウイルスの感染状況がどうなっているかが判断の一つになる」と述べました。
岸田氏は「年齢に応じた負担ではなく支払い能力によって負担することや、年金の受給開始年齢などを選択できる社会保障、さらに、医療・介護分野での民間活力の利用などをしっかり考えることで、まずは持続可能性を考えたい。そのうえで、財政との関係で、消費税をはじめとする税制をしっかり考えたい」と述べました。
一方、菅氏は、総裁選挙後の人事について「総理大臣になれば、基本的に改革意欲のある人を登用したい。『役所の縦割り』などを打破して、規制改革を進めていかなければならない。そうした意欲のある人を活用して、国民のためになる内閣を作っていきたい」と述べました。
石破元幹事長「全力尽くしたい」
石破元幹事長は、記者団に対し、「投票箱のふたが閉まるまでが選挙であり、最後まで全力を尽くしたい。多くの人に支えてもらっており、『自分としては、これ以上できない』というところまでやりたい。国民や党員の中で失われつつある『納得と共感』を取り戻すという訴えを最後までやらなければいけない」と述べました。
菅官房長官「悔いの無い総裁選挙を戦う」
菅官房長官は、記者団に対し、「『地方の活力無くして、国の活力なし』と訴え、総務大臣時代にふるさと納税制度をつくるなど具体的な形で進めてきた。選挙戦で優勢であるとすれば、そうしたことに対する期待ではないか。最後まで悔いの無い総裁選挙を戦う」と述べました。
岸田政務調査会長「同志とともに働きかけ続けたい」
岸田政務調査会長は、記者団に対し、「政務調査会長の立場としてではなく、自分自身の思いを訴えなければいけないと気付き、後半戦は、思いや政治姿勢をしっかり伝えることができた。最後まで同志とともに働きかけを続けたい」と述べました。 
●総裁選3候補 最後まで支持訴え 9/13 
安倍総理大臣の後任を選ぶ自民党総裁選挙は14日、投開票が行われます。
石破元幹事長、菅官房長官、岸田政務調査会長の3人の候補者は、それぞれ選挙情勢を分析するとともに、まだ態度を決めていない議員に電話をかけるなどして最後まで支持を訴えました。
自民党総裁選挙に立候補している石破元幹事長、菅官房長官、岸田政務調査会長の3人は、NHKの「日曜討論」に出演したあと、記者団に対し、14日の投票開票向けた決意を示しました。
石破氏は「投票箱のふたが閉まるまでが選挙であり、最後まで全力を尽くしたい。多くの人に支えてもらっており、『自分としては、これ以上できない』というところまでやりたい。国民や党員の中で失われつつある『納得と共感』を取り戻すという訴えを最後までやらなければいけない」と述べました。
菅氏は「『地方の活力無くして、国の活力なし』と訴え、総務大臣時代にふるさと納税制度を作るなど具体的な形で進めてきた。選挙戦で優勢であるとすれば、そうしたことに対する期待ではないか。最後まで悔いの無い総裁選挙を戦う」と述べました。
岸田氏は「政務調査会長の立場としてではなく、自分自身の思いを訴えなければいけないと気付き、後半戦は思いや政治姿勢をしっかり伝えることができた。最後まで同志とともに働きかけを続けたい」と述べました。
このあと3人の候補者は、それぞれ選挙情勢を分析するとともに、まだ態度を決めていない議員に電話をかけるなどして支持を訴えました。
石破氏は、富山県高岡市で開かれた地元議員の会合に出席し「地方創生は『これをやらなければ日本はなくなる』という危機感のもとに進めていくべきだ」と述べ、地方創生に取り組む考えを強調しました。
菅官房長官は「日曜討論」に出演したあと、東京都内で秘書らと選挙情勢を分析するとともに、今後の対応などについて打ち合わせを行いました。
岸田氏は党本部に入り、まだ態度を明らかにしていない議員に直接、電話をかけるなどして支持を呼びかけるとともに、各地で行われている地方票の開票状況について報告を受けました。 
●「衆院選 すぐかもしれない」麻生氏 9/13 
衆議院の解散・総選挙の時期について、麻生副総理兼財務大臣は、新潟県新発田市で行った講演で「1年以内に衆議院選挙は確実に行われる。下手したらすぐかもしれない」と述べ、早期の解散もありうるという見方を示しました。
この中で麻生副総理兼財務大臣は、衆議院の解散・総選挙の時期について「タイミングは極めて大事だ。私の内閣でもすぐにやりたかったが、リーマンショックで足止めされ、その後、大敗の全責任を負う総裁となった」と述べました。
そのうえで「総理大臣は解散権を使う場合に最も悩む。いずれにせよ、1年以内に衆議院選挙は確実に行われる。下手したらすぐかもしれない」と述べ、早期の解散もありうるという見方を示しました。
また麻生氏は、14日に投開票が行われる自民党総裁選挙で菅官房長官を支持する理由について「次の時代を担う総理大臣は世界の流れを見て選ばないといけない。アメリカとの関係を踏まえるべきで、安倍総理大臣のそばでずっと見てきた菅氏が非常時では優れていると思う」と述べました。 
 9/14

 

●自民党新総裁に菅義偉官房長官 岸田文雄氏と石破茂氏を破る 9/14 
自民党は9月14日、党大会に代わる両院議員総会を東京都内のホテルで開き、菅義偉官房長官(71)を第26代総裁に選出した。党所属国会議員394人と47都道府県連代表3人ずつが投票。菅氏が377票を獲得、89票の岸田文雄政調会長(63)、68票の石破茂元幹事長(63)を破った。16日召集の臨時国会で、安倍晋三首相(65)の後継となる第99代首相に指名。16日中に新内閣を発足させる。首相交代は7年8カ月ぶり。
菅氏は15日に幹事長ら党四役を選任。公明党の山口那津男代表との党首会談に臨み、連立政権樹立の合意文書に署名する。16日午後、衆参両院本会議の首相指名選挙で自公両党の投票を受け、新首相に指名される。直ちに組閣に着手し、皇居での首相任命式と閣僚認証式を経て、新内閣を発足させる方針だ。
菅氏の総裁任期は安倍氏の残り任期となる来年9月まで。衆院議員任期も来年10月に近づいており、菅氏が任期中に衆院解散・総選挙に踏み切るタイミングが今後の焦点となる。
総裁選で菅氏は、体調不良により辞任表明した安倍氏の路線継承を前面に打ち出し、新型コロナウイルス対策重視とアベノミクス継続を訴えた。岸田氏は格差問題に取り組むと強調し、石破氏は「納得と共感」を掲げて政治の信頼回復を主張したが、及ばなかった。  
●石破茂、菅義偉、岸田文雄の3氏の得票数は? 9/14 
自民党総裁選の投開票が9月14日、党大会に代わる両院議員総会で実施され、菅義偉氏が第26代自民党総裁に選出された。
16日に召集される臨時国会で、安倍晋三首相の後継となる第99代首相に指名される見込みだ。
安倍首相の後任を選ぶ自民党総裁選は、394票の「国会議員票」と、47の都道府県連に3票ずつ割り当てられた141票の「地方票」の合計535票をめぐって選挙戦を繰り広げた。(投票総数は534票)
主要派閥の支持を受けた菅氏が圧倒的な勝利を収めた一方で、2位争いは、地方票でリードした石破氏を議員票で岸田氏が逆転する形となった。
総裁選に立候補した3氏の得票数は、届け出順に以下の通り。
   石破茂氏 =68票(議員票 26票/地方票 42票)
   菅義偉氏 =377票(議員票 288票/地方票 89票)
   岸田文雄氏=89票(議員票  79票/地方票 10票)  
●田崎史郎氏、総裁選2位の岸田文雄氏は「24票、施し票があったということ」 9/14 
14日放送の日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」(月〜金曜・後1時55分)では、この日、投開票された自民党総裁選を速報。菅義偉官房長官(71)が377票を獲得し、新総裁に選ばれた瞬間を放送した。
政治ジャーナリストの田崎史郎氏(70)は岸田文雄政調会長(63)が89票で2位となったことについて、「20数票上積みされてますね。89票獲得しましたが、24票、施し票があったということです。このくらい(石破茂氏と)差をつけておかないと、危ない、安心できなかったってことです」と分析。
宮根誠司キャスター(57)は「これで来年の総裁選も残ったということですね」と岸田氏の今後についてコメントした。 
●総理総裁を目指し次の歩み進めると岸田氏 9/14 
自民党の岸田文雄政調会長は14日、党総裁選敗北を受けた陣営会合で「今日の戦いが終わった今、新たなスタートだと思っている。総理・総裁を目指して次の歩みを進めていきたい」と述べた。 
●自民党新総裁に菅官房長官を選出 あさって首相に就任へ  9/14 
安倍総理大臣の後任を選ぶ自民党の総裁選挙は、国会議員と都道府県連の代表による投票の結果、菅官房長官が新しい総裁に選出されました。菅氏は、16日、衆参両院の本会議で行われる総理大臣指名選挙を経て第99代の総理大臣に就任する見通しです。
安倍総理大臣の後任を選ぶ自民党の総裁選挙は、394票の「国会議員票」と、47の都道府県連に3票ずつ割り当てられた141票の「地方票」の、合わせて535票をめぐって争われ、14日午後2時から東京都内のホテルで開かれた両院議員総会で、国会議員と都道府県連の代表による投票が行われました。
開票結果は合わせて発表され、有効投票534票のうち、
菅官房長官が377票、
岸田政務調査会長が89票、
石破元幹事長が68票を
それぞれ獲得し、菅氏が新しい総裁に選出されました。
地方票では、菅氏が89票、岸田氏が10票、石破氏が42票をそれぞれ獲得していることから、国会議員票は、菅氏が288票、岸田氏が79票、石破氏が26票を獲得したものとみられます。
菅氏は、このあと午後6時から党本部で記者会見し、今後の党運営の方針や、重点的に取り組む政策課題などについて、みずからの見解を明らかにすることにしています。
直ちに党役員人事の検討へ 16日に首相に就任する見通し
また直ちに幹事長や総務会長など、党役員人事の検討に入り、15日に正式に決定することにしています。
そして、16日に召集される臨時国会で、衆参両院の本会議での総理大臣指名選挙を経て、第99代の総理大臣に就任する見通しです。
菅 新総裁「目指す社会像は『自助、共助、公助、そして絆』」
自民党の菅・新総裁は、両院議員総会で新しい総裁に選ばれたあと壇上であいさつし、冒頭「自民党総裁として、およそ8年、総理大臣として7年8か月にわたって、日本のリーダーとして国家・国民のために、尽力いただいた安倍総理大臣に心から感謝を申し上げる」と述べました。
そのうえで「新型コロナウイルスが拡大するという国難にあって政治の空白は許されない。この危機を乗り越え、国民1人1人が安心し、安定した生活ができるように安倍総理大臣が進めてきた取り組みを継承して進めていかなければならない。私にはその使命がある」と述べました。
そして菅氏は「私の目指す社会像は、『自助、共助、公助、そして絆』だ。役所の縦割りや既得権益、悪しき前例主義を打破して規制改革を進めていく。国民のために働く内閣をつくっていく」と述べました。
菅 新総裁 勝利を報告「前例主義打ち破り規制改革進める」
菅・新総裁は、両院議員総会のあと会場のホテルでみずからを支持した議員を前に、総裁選挙の勝利を報告しました。
この中で菅氏は「立候補表明してから本当に短い期間だったが、選挙対策本部長を務めた小此木・元国家公安委員長をはじめ、各グループや衆議院選挙の当選同期の議員の皆さんに大変なお力添えをいただき、こんなにも多くの票を獲得して新総裁に就任することができた。また、地方票についても獲得に自信がなかったが、日ごとに支援の輪が広がっていることを実感できる選挙戦だった」と振り返りました。
そのうえで「行政の縦割りや既得権益、悪しき前例主義を打ち破って規制改革を進めることで、国民に納得してもらえる仕事を絶対に実行したい。この気持ちを忘れないで自民党総裁として一生懸命に頑張るので、皆さんの支援を心からお願いしたい」と述べました。
安倍首相「令和時代に最もふさわしい自民党新総裁」
安倍総理大臣は、両院議員総会であいさつし「きょう、自民党総裁のバトンを菅義偉・新総裁に渡す。7年8か月、官房長官として国のために、黙々と汗を流してきた菅氏の姿をずっと見てきた。この人なら間違いない。令和時代に最もふさわしい自民党の新総裁ではないか。菅・新総裁を先頭に、『コロナ禍』を乗り越えて、輝く日本を築き上げていこう」と述べました。
岸田政調会長「総理・総裁を目指すべく努力続けたい」
岸田政務調査会長は、記者団に対し、「大きな方向性が決まっていたにもかかわらず、派閥の枠組みを超えて多くの支持をいただいた。大変ありがたいことで、これからも多くの方々に理解と協力をしてもらえるよう努力したい」と述べました。
そのうえで、記者団が、「来年の自民党総裁選挙に再び立候補するのか」と質問したのに対し、岸田氏は「そう受け止めてもらって結構だ。これから先の政治日程がどうなるのか全く予想はつかないが、将来に向けて、総理・総裁を目指すべく努力を続けたい」と述べました。
石破元幹事長「来年のことは、まだ終わったばかりで言えない」
石破元幹事長は、記者団に対し、「厳しい状況の中で、『石破』と書いてもらえたことは、ありがたいことで、真摯(しんし)にお礼を言いたい。いろいろな声が寄せられた総裁選挙であり、すべてを反映させることは難しいが、菅・新総裁には、政治の光があたらない人に、光をあてるような政治を期待したい」と述べました。
一方、次の総裁選挙への対応については、「来年のことは、まだ終わったばかりで言えない。新体制がどうなり、何を打ち出すのか。一党員として、自民党が多くの支持を得られるように協力したい。いま言えるのはそれだけだ」と述べました。
自民党 新しい党役員人事 菅新総裁に一任
両院議員総会のあと、自民党は、会場のホテル内の別室で、臨時の役員会や総務会を開き、新しい党役員人事を、菅・新総裁に一任することを決めました。  
●「改革意欲のある人を閣僚に」 自民党・菅新総裁就任会見 9/14 
既得権益、前例主義を打倒して規制改革を進めたい
菅 新総裁:
改めまして、先ほど自由民主党総裁に就任をいたしました菅義偉であります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
私は高校まで秋田で育てられた一農家の長男坊であります。地縁血縁のない私が政治の世界に飛び込んで、まさにゼロからのスタートでありましたけれども、この歴史と伝統のある自由民主党、その総裁に就任させていただける、そうしたことはまさに民主国家日本の一つの象徴でもあるのかなというふうに思っています。
私自身横浜の市議会議員を2期8年の経験をしています。まさに現場に耳を傾けながら、そして何がおかしいのか、そうしたことをひとつひとつ見極めて仕事を積み重ねてきました。
自由民主党総裁に就任した今、まさにそうしたおかしな部分があれば徹底的に見直しをし、この日本の国を前に進めていきたいと思います。そういう中でやはり役所の縦割り、さらに既得権益、そして前例主義を打倒して規制改革をしっかり進めていきたい、このように思ってます。そして国民のために働く内閣というものを作っていきたい、その思いで自由民主党総裁として取り組んでいきたいというふうに思っております。
そして私自身は内閣官房長官として7年8カ月安倍総理のもとで日本経済の再生、そして外交安全保障の再構築、さらには全世代型社会保障制度の実現など、まさに重要課題に取り組んできました。
このコロナ問題は、安倍総理が陣頭指揮を執っていたのでありますけれども、病気のために道半ばで安倍総理が退かれる事になりました。
その時に私自身まさに悩みました。それはこのコロナウイルスの感染が拡大する中で政治空白を作ってはならない。そして国民の皆さん一人一人が安心して安定した生活を取り戻す、そのためにはこの危機を乗り越えていくためには、安倍総理の下で取りまとめてきたコロナ対策とか、そうしたものを実行に移さなければならない。私自身熟慮に熟慮に重ねて出馬に踏み切ったわけでありますけれども、そういう中で今日総裁選挙によって就任をすることができました。
私自身の政治に対する基本的な姿勢は、そのような姿勢でありますので、ぜひ皆さんにもご理解をいただく中でこの日本の国を前に進めていきたい。よろしくお願い申し上げます。
「地方の現場をよく知っている」ことが支持を集めた
記者:
日本経済新聞です。今回の総裁選が圧倒的な票差の勝利となりました。まず支持された理由、勝因についてどうお考えでしょうか。また党内の5派閥から支持を受けましたが一部には派閥主導の密室政治といった批判もありました。今後の政権運営において派閥の意向に政策が左右されることはありませんでしょうか。一方、討論の場では「森友・加計」問題、「桜を見る会」といった安倍政権のいわゆる負の遺産に関し一貫して追加的な対応を否定されてまいりました。選挙戦で政策論争が深まらなかったかも含め深められたかも含め、今回の総裁選のあり方が党員や国民に理解を得られたかどうお考えでしょうか。
菅 新総裁:
まず今回の総裁選挙で、今日両院議員総会で発表されましたように、圧倒的大多数の支持のもとに就任をさせていただいたというふうに思っています。
そして私を支持をしていただいた大きな理由として、やはり私自身が地方出身で、地方の現場をよく知っている、ふるさと納税を総務大臣の時に作ったことや、そうした地方の発展のためにインバウンドで地方の特産品を全部免税品にしたとか、あるいは農業も輸出に力を入れて政権交代をして、4500億円から9000億円になって農林水産業も海外に出はじめたとか、そうしたことがかなり浸透し始めてきているなということがあります。
それと私、市議会議員を2期8年横浜で経験しました。地方議員の人たちが今回一生懸命に応援してくださったというふうにも思ってます。そういうことがあって、私自身にこの票が集まってきたのかなというふうに思います。
それとやはり先ほど冒頭申し上げましたように、まさに政治空白は作っちゃならない。コロナ対策をちゃんとやってほしい、そして経済もしっかり再生してほしい。まさにこの両立というものを多くの皆さんが今望み始めてきたのではないかなというふうに思っています。そうしたことが相まって、私の大きな勝利につながったのではないかなというふうに思います。いずれにしろこうしたことをしっかりこれからもやり遂げていきたいというふうに思ってます。
また派閥でありますけども、私は派閥に入っていません。私自身、この総裁選挙へ出馬する決心をしたのが一番遅かったと思います。
先ほど申し上げましたけど、総理が病気のために退かれる、そうした時にこのコロナ対策、そして私はGoToキャンペーンも主導しましたので、経済対策、そうしたことを実行に移す人間、私はまさに悩みに悩んだんですけど、やはりこれは私がやらなきゃならない、そういう判断をしましたけれども、そうしたこの極めて困難な状況にはやはり党内の国会議員の皆さんは、官房長官として7年8カ月仕事してきてますので、菅がやはり一番適任じゃないかなという声が広がってきたんじゃないでしょうか。
私は、派閥の人からもいろんな意味で左右されて、冒頭申し上げましたけど、まさにこの縦割りあるいは既得権益、そして悪しき前例主義、こうしたものを打ち破っていくのが私の仕事でありますから、そうした派閥の皆さんの弊害ということは私は全くない。ただ政策を説明をさせていただいて、大きな数をいただきましたので、安定して自分の目指す政治を行っていけるそういう環境は整ってきたのではないかなというふうに思います。
また、この「森友・加計・桜」について安倍政権においては様々なご指摘を受けております。そういう中で客観的におかしいと思ったことについては、正していかなければならないというふうに思いますし、国民の皆さんに何事も丁寧に説明をすることも大事だというふうに思います。
その上で成果を出して国民の理解をいただく、そうした対応をしっかり行っていきたいと思います。
閣僚は「改革意欲のある人」
記者:
TBSです。党役員閣僚人事について伺います。全体としてどのような方針で臨むのでしょうか。指示を受けた派閥に配慮する派閥均衡型を取るお考えなのか、石破・岸田両氏や両派からの起用もお考えでしょうか。具体的には二階幹事長や麻生副総理兼財務相には続投を求めますか。またご自身の後任にあたる官房長官は「総合的に仕事ができる人が望ましい」と発言されていましたが、どのような点を重視しどなたを充てるお考えでしょうか。 加えて新総裁の出馬を支えた森山国対委員長の要職起用の声も上がりますが、どのように処遇するお考えでしょうか。さらに組閣にあたっては安倍政権を継承する方針から居抜き内閣や小幅改造などの見方も出ていますが大幅に改造する考えはありますでしょうか。また、民間人の登用についても併せてお聞かせください。
菅 新総裁:
まず基本的な人事方針ですけれども、それについては総理総裁がしっかりした方向性を示して各閣僚と一体となって仕事を行っていきたいそう思っています。ですから私が目指すのは先ほど申し上げましたが、規制改革は徹底してやりたいと思っていますので改革意欲のある人、改革に理解を示してくれる人、そうした人を中心に人事を進めていきたいというふうに思います。
派閥均衡型、石破さん、岸田さん両方を起用するかどうかということですけれども、これについては総裁選が終わった時点ですべて終了した、自民党の旗の下にみんな結集して一致団結してこの国を前に進めていこう、とこう私がご挨拶させていただきました。そういう面において適材適所、さっき言いましたけど、改革意欲のある人、そうした人たちはいろんな派閥に散らばっていますので、そうした観点から登用していきたいというふうに思っています。
二階幹事長、麻生副総理続投ということですけども、内閣の要そしてまた党の要であります。極めて政権運営で重要なお二方だと思います。続投かどうかはまだ決めていません。
官房長官は「総合的に力のある人」
それと官房長官であります。官房長官は、私は7年8カ月やるにつれて、いろんな要素がありますが、それと総理との組み合わせもそうだと思います。そうしたことを全体的に考えて、総合的な力がある人がやはり一番落ち着くんじゃないかと思います。
森山国対委員長でありますけど、本当に素晴らしい国対委員長だというふうに思いますし、政治経験も豊かでありますから。森山委員長の能力というのは私は大変高く評価をしております。人事どうすることは全く決めてません。
また、安倍政権を継承する方針から、居抜き内閣や小幅改造ということではありますけれども、これは総理大臣が変わるわけですから、思い切って私の政策に方向が合う人を登用して、仕事をしていかないと、国民の皆さんに申し訳ないですから、改革意欲があって仕事ができる人をしっかり結集して、「国民のために働く内閣」、こうしたものを私はつくっていきたいというふうに思っています。民間の登用はまだ決めてません。
今日総裁に就任したばかりであり、明日、党の主な人事があるわけでありますから、とにかく総裁選出馬から今日まで全く時間がない中で、毎日毎日懸命に取り組んできましたので、ようやく今日で落ち着きました。
ゆっくり考える暇も実はないのですが、私自身の基本方針、改革への意欲があって仕事ができる人、そうした人を中心にこれから進めていきたいというふうに思います。
解散は「コロナが完全に下火になった時」
記者:
毎日新聞です。衆議院の解散についてお伺いします。具体的にどのような条件が整えば解散に踏み切るお考えでしょうか。菅総裁これまで解散に関してはコロナ対策最優先だと発言されてきましたが、何をもってコロナ感染の収束というふうにご判断されますでしょうか。またその収束に当たると判断した場合には即座に衆院解散をお考えなのでしょうか。さらに菅さんは総裁選期間中デジタル庁の創設であるとか、厚労省の組織再編など省庁改革も打ち出されてきましたけれども、族議員であるとかあるいは省庁の抵抗も多く予想されます。小泉純一郎元首相がかつて郵政民営化を争点に衆院選を戦い、国民の世論を背景に改革を進めましたが、菅さんも衆院選で省庁改革を争点として党などの考えはありませんでしょうか。
菅 新総裁:
衆議院の解散がどんな条件かということですけども、私は官房長官の時から常に、コロナ問題を収束してほしいというのが国民の皆さんの大きな声である、また経済を再生してほしい、これも皆さんの大きな声がある。そうしたことを申し上げてきました。
やはり今はまさにコロナがまだ感染者が毎日出ている状況でありますから、ここを徹底して収束にもっていく、そして経済の、GoToキャンペーンを主導してまいりました。地方の経済を考えたときにこのキャンペーンはやるべきだという判断でした。いろいろ皆さんからご批判をいただきましたけれども、結果的には780万人の方が利用してコロナの陽性の方は確か7人ぐらいだったと思います。
これは地方から大変評価をいただいてます。やはりこのことによって地方の旅館やホテルなど食品の納入業者だとかお土産屋さんだとかそうした地方経済にはものすごく役に立ってきているというふうに思ってます。
そういう中で、その条件ということでありますけれども、そこはやはり専門家の先生から、GoToキャンペーンの時もそうだったですけど、そうした専門家の先生の考え方を参考にしながら判断をさせていただいてますので、その特別の条件というよりも、先生方の見方がもう完全に下火になってきたと、そうでなければそこはなかなか難しいのではないかなというふうに思っております。
それとせっかく総理大臣に、総裁に就任したわけですから、仕事をしたいなっと思ってますので、収束も徹底して行っていきたいと思いますし、そうした中でこの解散の時期というのはなかなか悩ましい問題になると思います。 官房長官のときは総理大臣がやるといえばやるやらないといえばやらない、こういう乱暴な発言をしましたけども。きょうは今申し上げましたように、やはりコロナが収束と同時に経済を立て直すことが大事だというふうに思います。
そうすると収束したらすぐやるのかというとそんなことでもないと思います。全体を見ながら判断をしたいというふうに思います。
デジタル庁へ法改正の準備
それとデジタル庁やこの厚労省再編の省庁改革ということでありますけど、今回のコロナ禍の中で浮き彫りになったのは、やはりこの日本のデジタル関係が機能しなかったということが一つの大きな課題であります。
実は私、マイナンバーカードを去年から対応してきていたのです。これだけのお金をかけて、12パーセントでしたから、これを普及させようと思って、まずやったのが厚生労働省に健康保険証として使えるような、こうしたことを厚労省とけんけんかくかくしました。かなり強い抵抗があったんですけども、これは何とか協力してもらえるようにいたしました。ですから確かLINEでしたか、もうそんなに時間かからないで保険証は使えるようになりました。
今は免許証も検討になってますから、少しずつ省庁の壁を越えながら、最終的にはこのマイナンバーカードがあれば役所にわざわざ行かなくても24時間365日できるようなそういう方向にしたいというふうに思います。
私がなぜこのデジタル庁を作るといったかといえば、やはりどうしても各省庁が持っているんです。それを法律改正しなければこれできませんから、思い切ってその象徴としてデジタル庁を作る。それで法改正も早速やっていきたいと、法改正に向けてさっそく準備をしていきたいと思っています。
そういう中で、このデジタル庁というものを作り上げてひとつの象徴になると思います。
私自身このコロナ禍の中にあって、第2次補正で光ファイバーに500億円予算をつけてます。これは私、総務省が当初300億円の要求だったんですけれども、こういう機会だから一挙に日本全国に光ファイバーを敷設しようと思いまして、離島まで含めると500億円でできるということで、要求より200億円多くつけてますから。そういう意味で意気込みというのも皆さんにご理解をいただけるのかなというふうに思ってます。
選挙で省庁再編というのは、考えてもないんですけども、ただ抵抗するというんですかね。今は省庁の皆さんも、変えていかなければならない、私はかなりの人たちが思い始めてきたんじゃないでしょうか。
私が今官房長官にやってるからとということでなくてですね、やはり省庁そのものもやはり改革に前向きにしないと立ち行かなくなるという、そうした考え方の方が非常に大きくなってきているのかなというふうに思ってます。
いずれにしろ、この目標を決めたらそれに向かって進んでいきたいと思ってます。
北方領土と憲法改正問題
記者:
北海道新聞です。北方領土問題に関する基本的な立場について2点を伺います。日露両国は平和条約締結後の歯舞色丹2島の引き渡しを明記した日ソ共同宣言を基礎に交渉を進めることで合意し2島返還に方針変換したと言われています。一方、日本の世論は歴史的経緯などを踏まえ明確に四島返還を主張すべきだとの声もあります。菅さんは以前、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すると説明されていましたが、ロシア側に四島返還を求めていく考えはありますでしょうか。また、ロシア側は改正憲法に領土の割譲禁止を明記したほか、高齢化した元島民からは領土問題が未解決のまま置き去りにされるとの懸念の声も出ています。菅さんは先日の日本記者クラブの討論会で外交について、安倍首相にも相談しながら行っていくとおっしゃいました。今後どのように北方領土返還を実現するのでしょうか。具体的にお考えをお聞かせください。
菅 新総裁:
北方領土については私今申し上げましたように四島の帰属を明確にした上で交渉していく。それと安倍総理に相談ということですけど、やはりロシアがプーチン大統領でありますから、総理とプーチン大統領の間は極めて信頼感があります。
もっと言いますと、森元総理とプーチン大統領ともやはりものすごい信頼感があるんですよね。そういう中で安倍外交についても、森元総理大臣からいろんな助言とかいただいて進めてきているということも事実でありますので、やはり外交というのは総合力でありますから、ありとあらゆるものを駆使する中で進めていくだろうというふうに思います。
それと、プーチン大統領は柔道が大好きで、日本の山下選手と一緒に来ればその交渉が主役となる、そういうことを平気で言われるほど、柔道には親近感を持っているようで、プーチン大統領の訪日した時もすべて山下選手に同行いただいたということも事実ですから、やはり同じ人間ですから、自分のあう人ということはものすごく大事なんだろうと思います。
記者:
産経新聞です。憲法改正について伺います。菅総裁はこの総裁選を通じて憲法改正に挑戦する考えを示しておられました。ただ安倍政権では野党の反対もあってなかなか国会の審議が進まない状況です。菅総裁は憲法改正に具体的にどう取り組んでいくのか、その意欲と必要性についてもまたお伺いできればと思います。
菅 新総裁:
自民党は憲法改正を是として立党された政党であることも事実です。そしてもう70年以上経つわけでありますから、現実とそぐわないことはたくさんあります。
そういう中で自民党は4項目を決定し、そこの4項目を中心に今国会の中でそれぞれの政党の立場を明確にして、まず審査会を動かしていくことが大事だと思います。そこで議論して国民の雰囲気を高めていくということも大事だと思います。いずれにしろ私自身総裁として、そうした憲法改正4項目を中心に自民党が決定をしますので、そうしたことに挑戦をしていきたいというふうに思います。 
 9/15

 

●新体制スタート 自民・菅総裁 初の役員会 9/15 
自民党の菅新総裁は15日、就任後初めての役員会を開き「重要課題に党と政府が一体となってしっかり取り組みたい」などと述べ、党が一丸となるよう呼びかけました。
菅新総裁は午後2時から、就任後初めての役員会で新役員を前に「重要課題に党と政府が一体となってしっかり取り組みたい」などと述べました。
「新総裁をしっかりとお支えし、円満な党の運営に心を砕いて参りたい」(自民党 二階俊博幹事長)
党役員人事では二階幹事長が再任された他、総務会長に佐藤元総務大臣、政調会長に下村元文科大臣が就任しています。
菅新総裁はこの後、16日誕生する「菅内閣」の組閣人事を本格化させることにしています。  
 
 
 
 

 

●安倍政権7年8カ月のキャッチフレーズ 
連続在職日数で歴代単独最長を更新したばかりの28日、安倍晋三首相は辞意を表明した。政権復帰を果たした平成24年末以降、安倍政権はさまざまなキャッチフレーズを掲げてきた。首相は何を訴え、実現し、何が次代に託されることになったのか。主なスローガンを通じ、安倍政権の約7年8カ月を振り返る。
日本を、取り戻す。
民主党政権時代の24年12月、首相は野党の自民党総裁として臨んだ衆院選で294議席を獲得し、政権を奪還した。
「世界をリードする技術力を持ち、豊かな教育を受け、だれもが安心して生活できる、それが本来の日本の姿です。取り戻す。皆さまとともに総力で」
自民党のCMでこう訴えた首相。念頭にあったのは、3年3カ月に及ぶ民主党政権がもたらした混乱からの回復だ。首相は昨年2月の自民党大会でも「悪夢のような民主党政権」と呼ぶなど、旧民主党政権への批判は安倍政権の通奏低音となっている。
アベノミクス
政権を奪還した直後に首相が打ち出したのがデフレからの脱却だ。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略からなる「三本の矢」を掲げた。
首相自身が起用した日本銀行の黒田東彦(はるひこ)総裁と連携して「異次元の金融緩和」を実現。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)や欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)など、懸案の貿易協定を進めたことも、安倍政権の特徴だ。
一連の経済政策は「アベノミクス」と呼ばれる。実は18年9月に発足した第1次政権でも、自民党幹部が「アベノミクス」と呼んでいたが、ほとんど注目されなかった。第2次政権以降は定着し、首相も頻繁に言及するようになった。
一方、新型コロナウイルス対策として全戸に配布された布マスクは「アベノマスク」と揶揄された。野党がアベノマスク批判に力点を置いた背景には、政権の基盤であるアベノミクスを陳腐に見せる意図もにじんだ。
地球儀を俯瞰(ふかん)
経済と並び、支持を集めたのが積極的な外交だ。首相は約7年8カ月で延べ176カ国・地域を訪問した。飛行距離は地球の約39・53周に上る。
この間、トランプ米大統領と蜜月関係を築いたほか、ロシアのプーチン大統領、インドのモディ首相らとも太いパイプを構築した。先進7カ国(G7)首脳会議(サミット)では中心的役割を演じるようになった。
昨年10月の所信表明演説でも、首相は「地球儀を俯瞰する外交」を柱の一つに掲げた。ただ、新型コロナの感染拡大以降は外遊する機会を失い、政権浮揚のテコを失った。
働き方改革
第2次政権発足から2年が過ぎた頃には、経済成長を追求する一方、国民の生活に直接関わる政策で幅広い支持を狙うようになる。その一つが「働き方改革」だ。
「働き方改革」という考え方自体は26年6月に発表された新成長戦略で打ち出した。長時間労働の是正と多様で柔軟な働き方の実現、雇用形態にかかわらない公正な待遇の確保を中心とした政策を進めていく。30年6月には「働き方改革関連法」が成立した。野党の支持基盤である労働組合に働きかけるのが安倍政権の特徴ともいえた。
27年10月の内閣改造では盟友の甘利明氏を1億総活躍担当相に任命。社会保障政策にも積極的に取り組む姿勢を示した。高齢者に偏りがちだった社保政策の恩恵を現役世代に広げ、少子化の流れを是正することも狙い、昨年9月には「全世代型社会保障検討会議」も立ち上げた。
憲法改正の主役はあなた
首相が任期中の実現を訴えていた憲法改正。それを端的に示したのが、今年1月に発表された自民党のポスターだ。初めて改憲をテーマに作成したキャッチコピーを採用した。首相自らが考案したという。
「私たちに課せられた大きな責任でもある憲法改正に向けて、大きな歩みを進めていこうではないか。それが自民党の歴史的使命でもある」
1月7日、党本部で開かれた仕事始め式でこう述べた首相だったが、主要野党は国会で憲法審査会での改憲議論を拒み、首相は改憲の夢を果たせなかった。
「だれが総裁になられても、党として約束をしていることであり、取り組む」
首相は辞意を表明した記者会見でこう強調し、退陣後も一議員として改憲に取り組む考えを示した。 
●アベノミクス指標に“仕掛け” GDP算出方法変更、不都合な試算拒む 2019/12 
安倍晋三首相は「経済最優先」を掲げることで底堅い支持を集めてきた。政権が発足した2012年12月からの景気回復は「戦後最長に及んだ可能性が高い」(内閣府)とされ、国内総生産(GDP)の伸びもその「成果」に数えられる。ただ、アピールに使われる数字の裏側に目を凝らせば、数字を大きく見せる“仕掛け”も見え隠れする。アベノミクスの成果は本物なのか−。
「名目GDPが1割以上成長し、過去最高となった」。首相はアベノミクスの成果をこう強調する。
経済の成長や景気を表すGDP。首相は15年、景気実感に近いとされる名目値を20年ごろに600兆円に引き上げる目標を掲げ、達成可能と明言した。
15年度当時の名目GDPは500兆円程度にとどまっていたが、その後に数値が急伸。直近の19年7〜9月期は559兆円に達している。
ただ、この伸びは額面通りには受け取れない。うち30兆円程度は16年12月に算出方法を変えた影響によるものだからだ。国際基準に合わせたり、基準年を05年から11年に変えたりした結果、企業の研究開発費などが加わって全体を押し上げた。実際、新基準の15年度は532兆円となった。
内閣府はこうした経緯を公表しており「基準変更は国際基準に合わせる目的で、数字を押し上げる意図はない」と説明するが、政府目標は「600兆円」のままだ。実績の“かさ上げ”で目標が達成しやすくなっており、エコノミストからは「目標を上方修正すべきだ」といった批判の声も相次ぐ。

GDPを巡っては、来年1月発効の日米貿易協定の経済効果試算も“水増し”の疑いが出ている。
政府は10月に公表した試算で、協定発効で日本のGDPは約0・8%押し上げられると結論づけた。ただ、その前提としたのは交渉で先送りされた自動車関連関税の撤廃だった。
首相は国会で自動車関税について「交渉継続ではない。撤廃されることが前提だ」と強調した。だが米側は「日本側の野心」(ライトハイザー米通商代表)の問題と捉えており、まともに取り合う気配はない。
「自国第一主義」を掲げるトランプ米大統領が今後、追加関税を課す可能性も否定できない。それでも政府は、関税が撤廃されない場合を想定した試算を拒み続けている。
「試算をすれば都合の悪い数字が出て、日米にとって『ウィンウィン(両者が勝つ)』という政府の説明が覆ってしまうのだろう」(商社幹部)。経済界からも疑いの目が向けられている。

大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略という「三本の矢」を掲げたアベノミクスの手詰まり感が強まっている。日銀による金融緩和は円安・株高の流れを生み出し、企業と投資家には利益をもたらしたが、大半の国民に景気回復の実感は乏しいままだ。
企業業績の改善は鮮明だ。この7年間(2012年度〜18年度)で企業の経常利益は約1・7倍になり、内部留保は約159兆円増え、企業の現金・預金も約55兆円増えた。
有効求人倍率は安倍政権が発足した12年12月に0・83倍だったが、19年11月は1・57倍まで改善。安倍晋三首相はこの数字をアベノミクスの成果として誇示するが、日本経済が少子高齢化で生産年齢人口が減り、構造的な人手不足に陥っていることの裏返しとの見方は強い。
当初、首相は企業がもうかれば賃金上昇や雇用や投資の拡大につながり、経済は好循環する「トリクルダウン」という説を唱えたが、肝心の賃金は伸び悩んでいる。企業の稼ぎを人件費に充てた割合を指す「労働分配率」は、約72%から約66%に低下している。
日銀の大規模な金融緩和も2%のインフレ目標達成は遠く、地方銀行の経営悪化など副作用が目立つ。成長戦略もスローガンばかりが先行し、大きな成果は見当たらない。
政府関係者は自嘲気味にこう語る。「アベノミクスの肝は数字をどう見せるか。この繰り返しだ」 
●戦後から安倍政権まで続く“記録破棄” 日本の無責任体質 9/5 
第2次世界大戦のアジアの激戦地を、わが男声合唱団の有志と訪ねる慰霊献歌ツアーを行っている。
無人の海や山林に向かって歌うと、いまでも遺骨が置き去りになったままの亡くなった方々の無念をまざまざと感じる。霊感のまったくない私だが、急に起こった風が頬をなでてゆくのに、魂の実在を感じた。これは行った者でなければ知り得ないことで、同行した全員が経験している。
兵士たちは弾薬も食料も医薬品もない中で、絶望的な戦いを強いられた。なかでも許しがたいのは、彼らに徹底抗戦の命令を下した軍上層部の多くが、敗戦後も生き永らえていることだ。一部の戦犯を除けば、兵士たちに死ぬことを命じた高官の多くは戦後も生き、軍人恩給で豊かな生活を送った。
恩給法はGHQによって1946年に一度廃止されたが、旧軍関係者らの働きかけにより53年に復活した。だが、その額は職業軍人でも高官と一般の兵士で6倍近い差があり、在職した最短年限(下士官以下12年、准士官以上13年)の普通恩給の仮定俸給年額は大将で833万円、一般の兵士で145万円だ(2020年現在)。
生き永らえた者の中には政治家や実業家に転身した者もあるし、高度経済成長に向かう戦後社会で地位や名誉を得た者も少なくない。これでは、過酷な戦地で亡くなった人たちが報われない。彼らに命令を下したかつての軍上層部は自らの保身を優先し、100万人を超える犠牲者を踏み台にしたとしか考えられない。 
あの戦争を指導し、泥沼に導いたのは誰なのか、追及されるべきはその責任の所在だ。
しかし敗戦の際、軍や官庁の文書の多くが焼却され、軍事作戦や国策の立案者、指揮命令系統などの機密事項が灰になった。今、私たちが当時を知るには米国の資料に頼るしかない。あの戦争で国民の運命を狂わせた張本人は誰なのか、ほとんどわからないままになっているのだ。
責任者が責任逃れをし、隠蔽に走る体質は今の日本にもある。森友学園問題で先年も近畿財務局の職員が公文書の改ざんを強要されたことを告発して亡くなったが、これも霞が関や永田町の人間が問題の本質を隠すために行ったのは明らかだ。
コロナ対策の専門家会議でも、残された速記録が黒塗りだらけなのには呆れた。委員に公開を望まない人がいるためだというが、これだけ大きな政策決定のプロセスが開示されないなんて諸外国ではありえないことで、現代の民主国家とは呼べない。また責任がうやむやになる。絶対に記録は残すべきだ。
英国ではチャーチルがルーズベルトに欧州参戦を促す悲鳴のような電文を打ったことがあり、80年間は機密扱いだと聞いたことがあるが、いずれは公開されるだろう。
アメリカでも人的情報源の開示などの重要な機密でも、その解除は50年か75年後とされているし、旧ソ連関連の文書でさえ、ロシアにはきちんと残されている。
国の責任ある立場に立つ者の言動は記録され、消されることはないのが国際社会の原則だ。自分の行いは時期が来れば必ず公開される。まかり間違えば歴史に汚名を残すことになりかねない。その不名誉への恐れがあるから、為政者は襟を正すのではないか。
国民の生命や生活に影響する政策立案に関わる者には大きな責任がある。だからこそ、その名前といつ何をやったかはすべて、歴史に記されるべきなのだ。  
●アベ政治の闇も引き継ぐ菅政権では日本経済は立ち行かない 9/9 
ポスト安倍を決める自民党総裁選が8日、告示された。派閥の談合が露骨で、仲間内で甘い汁を吸うアベ政治そのもの。菅官房長官が継承するのは象徴的だ。何より問題なのは、菅がやってきたことを検証せず、ヨイショ報道を流すメディアのあり方である。
森友疑惑をめぐり、安倍首相が国会で「私や妻が関係していたということになれば総理大臣も国会議員も辞める」と見えを切った1週間後、菅は定例会見で「決裁文書は30年間保存しているわけであり、そこにほとんどの部分は書かれているんじゃないか」と発言。財務省が公文書改ざんに走る前のタイミングで、菅は改ざん前の公文書に目を通した、あるいは改ざんに関わった疑いがある。
米軍普天間基地の辺野古移設をめぐっても、沖縄県民は7回の国政選挙と住民投票で「辺野古NO」を訴えたが、完全に無視。菅は2014年から沖縄基地負担軽減担当も兼務している。安倍政権が抱える闇に近い部分を担ってきたのが菅ではないのか。メディアはなぜこうした事実を報じないのか。
もうひとつ問題なのは、最優先課題に掲げる新型コロナウイルス対策だ。菅は「感染拡大防止と社会経済活動の両立を図る」と言っていたが、懐刀と言われる和泉洋人首相補佐官は問題人物。厚労省の大坪寛子審議官との公費を使った“コネクト不倫疑惑”は周知だが、大失敗したクルーズ船対応にあたったのもこのコンビ。彼らを頼りにしている限り、コロナ対応がうまくいくわけがない。
大失策のアベノミクスを継承するのも大問題だ。2年で2%の物価上昇は7年8カ月たっても実現せずデフレ不況に逆戻り。この間、日銀は530兆円の国債や34兆円のETFを購入した。売りに出せば市場の暴落を招くので売るに売れない。出口のないネズミ講に陥っている。カネの切れ目が縁の切れ目とばかりに安倍は辞任を余儀なくされたのに、路線継承を明言する菅は一体どうするつもりなのか。
異次元緩和と巨額の財政出動で経済を持たせてきたアベ政治のせいで、国民は茹でガエル状態。東京五輪の中止が現実味を帯び、不動産バブルの崩壊も差し迫っている。渋谷や新宿では空室率が急上昇し、宿泊業は青息吐息。マイナス金利に苦しみ、不動産向けに過剰融資を重ねてきた地銀や信金はますます追い込まれる。
世界が大不況になれば日本の経常収支は赤字になり、国債の国内消費はかなわず、財政危機は避けられない。デタラメなアベノミクスが生んだリスクが次々にはじける中、根本的な対策を立てない菅がこの国のトップになれば、日本経済はより危うくなるだろう。  
●安倍外交とは打てないのに“俺は4番”と力むバッターだった 9/9 
安倍政権の外交を象徴するシーンがある。2017年9月の国連での演説だ。ここで安倍総理は「必要なのは対話ではない。圧力なのです」と語り、各国に北朝鮮との対話を拒否するよう求めた。
国連という対話の場で他国を非難する場面がないわけではないが、民主国家が対話を拒否するのは珍しい。この時、トランプ米大統領も演説している。そして、金正恩委員長を「ロケットマン」と呼ぶなど挑発しているが、実は対話は拒否していない。逆だ。「国連での彼らの対応を見守ろう」と述べて、対話へのシグナルを送っている。
その結果も私たちは知っている。米朝首脳会談の開催だ。安倍政権は焦っただろう。安倍総理は拉致問題で手を尽くしたかのような発言を繰り返しているが、私が米朝首脳会談前と後の2度にわたって平壌で対日政策担当者を取材した印象とは異なる。彼らは「安倍さんは本気ではないでしょう」と半ばあきらめ顔で語っていた。それが日朝外交の実際のところだろう。
では日米関係はどうだったか? トランプ大統領との個人的な関係を強調するが、鉄鋼関税で日本側が求めた適用除外にはならなかった。自衛隊の装備はトランプ政権の求めるままに増えて出費は増大。その日米の個人的な関係は日本の外交力を削いだ側面も否定できない。例えば、イランを訪問した際は、既にアメリカの使者のように扱われて成果は出せなかった。それは、日本が築き上げてきたイラン外交が途絶えた瞬間だった。
安倍総理の外交とは何か? 私は、野球に例えるなら、打てないのに「チームの4番打者だ」と力んだバッターだと思っている。「チーム」をアジアと置き換えても良い。その「4番」に座るために、トランプ大統領からお墨付きを得る必要があった。しかし、力んでバットを振っても結果が出ないように、外交は成果を出せずに終わった。本来の日本の力、安倍総理の力量からすれば、7番か8番打者だろう。
それでもヒットを打ち、チームプレー、つまり周辺国との関係を構築できれば、3番を任されたかもしれない。メジャーリーグに渡った松井秀喜選手がチームバッティングに徹してそうなったように。そうなれば、周辺国との関係を良好に保ち、拉致問題にも進展が見られたかもしれない。
しかし安倍総理は結果より「4番」にこだわった。そこに計算もあったはずだ。外交成果は選挙で票になりにくい。ならば、「4番」として遇されている方が選挙映えする。支持者も喜ぶ。かくして長期政権は外交を動かす手段から目的と化した。それが安倍外交の姿だ。
では次はどうか? 岸田氏、石破氏であれば別の選択もとり得るだろう。しかし、仮に菅氏になれば安倍外交の継承、つまり「4番」に座り続けるしかない。菅氏は外交については「スタメン」に入るのも難しいレベルだろう。そういう打者が「4番」に座ったらどうなるのか? せめてバントの練習くらいはしてほしい。 
 
 
 

 

 
 
 
 

 

長年の誼(よしみ)
安倍政治の継承
 
 
 
 
 
 

 

●菅官房長官が会見 総裁選出馬を表明 9/2 
活力ある地方をつくっていきたい
安倍総裁の取り組みを継承し、さらに前に進める
菅:本日お集まりをいただきましてありがとうございます。衆議院議員の菅義偉であります。どうぞよろしくお願い申し上げます。第2次安倍内閣が発足して以来7年と8カ月にわたり内閣官房長官として総理の下で日本経済の再生、外交安全保障の再構築、全世代型社会保障制度の実現など、この国の未来を左右する重要な課題に取り組んでまいりました。
今年に入ってからは新型コロナウイルス感染症の拡大というかつてない時代に直面する中で、その感染拡大と医療崩壊を防ぎ、同時に社会経済活動を再開していくという課題に真っ正面から取り組んでまいりました。こうした中で、陣頭指揮を執られていた安倍総理が道半ばで退かれることになりました。総理の無念な思いを推察をいたしております。
しかしこの国難にあって政治の空白は決して許されません。一刻の猶予もありません。この危機を乗り越え、全ての国民の皆さんが安心できる生活を1日も早く取り戻すことができるために、1人の政治家として、安倍政権を支えた者として今なすべきことは何か、熟慮をしてまいりました。そして私は自由民主党総裁選挙に立候補する決意をいたしました。安倍総裁が全身全霊を傾けて進めてこられた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めるために私の持てる力を全て尽くす覚悟であります。
私の原点について少しだけお話をさせていただきたいと思います。雪深い秋田の農家の長男に生まれ、地元で高校まで卒業をいたしました。卒業後すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てまいりました。町工場で働き始めましたが、すぐに厳しい現実に直面をし、紆余曲折を得て、2年遅れて法政大学に進みました。
38歳で横浜市会議員、47歳で国会議員に
いったんは民間企業に就職しましたが、世の中が見え始めたころ、もしかしたらこの国を動かしているのが政治ではないか、そうした思いに至り、縁があって横浜選出の国会議員、小此木彦三郎先生の事務所に秘書としてたどり着きました。26歳のころです。秘書を11年務めたところ、偶然、横浜市会議員選挙に挑戦する機会に恵まれ、38歳で市会議員に当選しました。そして地方政治に携わる中で、国民の生活をさらに良くしていくためには地方分権を進めなければならない、そういう思いの中で国政を目指し、47歳で当選させていただきました。地縁も血縁もないところから、まさにゼロからのスタートでありました。
世の中には数多くの当たり前でないことが残っております。それを見逃さず、国民生活を豊かにし、この国がさらに力強く成長するためにいかなる改革が必要なのか、求められているのか、そのことを常に考えてまいりました。
その1つの例が洪水対策のためのダムの水量調整でした。長年、洪水対策には国交省の管理する多目的ダムだけが活用され、同じダムでありながら経産省が管理する電力ダムや農水省の管理する農業用のダムは台風が来ても事前放流ができませんでした。このような行政の縦割りの弊害を打ち破り、台風シーズンのダム管理を国交省に一元した結果、今年からダム全体の洪水対策に使える水量が倍増しています。河川の氾濫防止に大きく役立つものと思います。
もう1つの例は携帯電話の料金であります。国民の財産である公共の電波を提供されるにもかかわらず、上位3社が市場約9割の寡占状態を維持し、世界でも高い料金で約20%もの営業利益を上げております。私がおととし携帯電話料金は4割程度引き下げられる余地があると表明したのも、このような問題意識があったからであります。事業者間で競争がしっかり働く仕組みをさらに徹底していきたい、このように思います。
現場の声に耳を傾け、何が当たり前なのかを見極めて判断をし、そして大胆に実行する。このような私の信念はこれからも揺らぎません。秋田の農家で育った私の中には、横浜市会議員時代も、国会議員になってからも、地方を大切にしたいという気持ちが脈々と流れております。活力ある地方をつくっていきたいとの思いを常に胸に抱きながら政策を実行してきております。
当選4回で総務大臣に就任
第1次安倍政権では当選4回で総務大臣に就任をいたしました。地方から都会に出てきている人たちの多くは生まれ育ったふるさとになんらかの貢献をしたい、またふるさとの絆を大切にしたい、そうした思いを抱いているに違いないと考え、かねて自分の中で温めていたふるさと納税というものを成立させました。また、官房長官として力強く進めてきた外国人観光客の誘致、いわゆるインバウンドの拡大や農産品の輸出促進、こうした取り組みも地方経済をもっと元気にしたい、その思いからであります。この思いも今後変わりません。
わが国はこれまで経験のしたことない国難に直面しております。なんとしてもコロナ感染拡大の防止と社会経済活動の両立を図り、雇用を守り、経済の回復につなげていかなければなりません。ポストコロナを見据えた改革を着実に進めていく必要があると思います。その上で少子高齢化問題への対応、戦後外交の総決算をはじめとする外交・安全保障に、その課題、とりわけ拉致問題解決に向けた取り組み、そして憲法改正。まずは目の前にある危機を乗り越えることに全力を挙げつつ、こうした山積する課題にも引き続き挑戦をしていきたいと思います。
そしてそれらを乗り越えていくためには今後も国民の皆さんのご協力をお願いしなければなりません。私自身、国の基本というのは自助、共助、公助であると思っております。自分でできることはまず自分でやってみる。そして地域や自治体が助け合う。その上で政府が責任を持って対応する。当然のことながらこのような国の在り方を目指すときには、国民の皆さんから信頼をされ続ける政府でなければならないと思っております。
目の前に続く道は決して平坦ではありません。しかし安倍政権が進めてきた改革の歩みを決して止めるわけにはなりません。その決意を胸に全力を尽くす覚悟であります。皆さま方のご理解とご協力をお願い申し上げます。私からは以上であります。
司会:それではただ今より質疑に移らせていただきます。皆さまにお願いがございます。質問される方は挙手にてお願いいたします。私が指名いたしますので、社名、氏名をお申し出ののち、質問をお願いします。時間に限りがある中で多数の方がお越しですので、質問はお1人さま1問、簡潔にお願いいたします。それではご質問を受けたいと思います。じゃあ一番後ろの方。
ポスト安倍は考えていないと言い続けてきたが
共同通信:共同通信の飯川と申します。1点お伺いいたします。菅さんはこれまで総理後継、ポスト安倍についてまったく考えていないとおっしゃい続けていました。このお考えがいつどのような事態をきっかけに変わられたのか。安倍総理に後継を託されるなどの出来事はあったのか。総理とのやりとりを含めお聞かせください。
菅:私自身は何回となくご質問いただいたときに、考えてないということを申し上げました。そして、総理とのやりとりの中でそうしたことはありませんでした。冒頭申し上げましたように、この新型コロナ対策、その陣頭指揮を執られた安倍総理が道半ばに退かれることになって、私自身、政治家として、また総理と内閣官房長官として仕事をしてみた者として、そうした中で熟慮をし、総理が辞意を表明したそのあとに、私自身はまさに熟慮、熟慮に重ねた結果として判断をしたということであります。
司会:そうしたら座ってる方、2列目の、女性の隣の右隣の男性の方、はい。
アベノミクスは引き継ぐのか
日本経済新聞:日本経済新聞の重田と申します。経済政策についてお伺いいたします。安倍政権ですけれども、経済政策であるアベノミクス、これは引き継がれるのでしょうか。異次元の金融緩和と積極的な財政政策、これを引き継ぐのか、またその場合、日銀と政府によるアコード、これも維持されるのでしょうか。あと7年8カ月のアベノミクスで反省点もあったかと思われます。どういう点が反省点で、長官が総理になられた場合、これをどう克服するのか、それについても併せてお聞かせください。
菅:まず安倍政権が発足して、一貫して経済政策最優先で取り組んできました。私たち、政権交代する以前の日本の状況、為替が75円を超えそうになり、株価は8000円。そういう中で経済最優先に取り組んできました。アベノミクスの結果として、現在は非常に厳しい経済状況の中にあって、為替は105円前後、株価は2万3000円前後でありますから、そういう意味の中で雇用を増やすこともできました。
ですから、私自身はアベノミクスというものをしっかりと責任を持って引き継いで、さらに前に進めていきたい、このように思っています。日銀との関係については、やはり総理と同じように進めていきたい、このように思っています。
司会:そうしたら3列目の一番右でマスクをして手をあげている男性の方、はい。
官房長官にはどのような資質の人を求めるのか
テレビ朝日:すいません、テレビ朝日の前田です、よろしくお願いします。安倍政権の取り組みを継承するということだと思うんですけれども、菅官房長官に欠けているのは安倍総理にとっての菅長官のような存在だという指摘があります。長官が総理総裁になられた場合に、官房長官にはどのような資質の方を求めるのか。また念頭にある人物などいれば、よろしくお願いします。
菅:私ども自民党国会議員の中には優秀な方、たくさんいらっしゃいます。そうした中から私自身がこの総裁選挙を勝たせていただいた暁には、まさに安定してこの日本の国を前進させる、そうした豊富な人材の中から選んでいきたい、こういうふうに思っています。
司会:では一番前の列の、2つ目の島の左から2人目のマスクをしていらっしゃる方。
拉致問題にどう対応するつもりか
ニコニコ動画:ニコニコ動画の七尾です。よろしくお願いします。拉致問題についてお聞きします。安倍総理は先ほどの会見で拉致問題、解決できなかったことについて、非常に無念な思いを吐露されたと思います。官房長官、今、拉致問題担当でございますけれども、総理になられたら拉致問題解決に当たってはどのような対応を取られるおつもりでしょうか。例えば日朝会談、首脳会談の可能性の必要性についても併せてお願いします。
菅:実際、私自身、官房長官として、また拉致問題担当大臣でありますけども、そもそも私と総理との最初の出会いはこの拉致問題でありました。そういう中で、拉致問題解決についてはありとあらゆるものを駆使してやるべきであるという考え方。そしてまた、拉致問題担当になる以前から官房長官として拉致問題については総理と、ある意味で、まさに相談をしながら進めてきているということも事実であります。ですから拉致問題解決のためには、金正恩委員長とも条件を付けずに会って、活路を切り開いていきたい、そうした気持ちも同じであります。
司会:ビデオのカメラの後ろにも座っていらっしゃるので、スタッフの方がいらっしゃいますでしょうか。はい、そしたらお願いいたします。
 
ロシアとの交渉方針は踏襲するのか
北海道新聞:北海道新聞の石井です。よろしくお願いします。ロシアとの北方領土問題を含む平和条約交渉についてお伺いします。安倍総理は2018年11月の首脳会談で、平和条約締結後の二島引き渡しを明記した日ソ共同宣言を交渉の基礎に位置付けました。四島返還から二島返還を軸とした交渉に大きくかじを切ったわけですが、交渉は行き詰まっています。総理になられた場合、安倍政権の交渉方針を踏襲するお考えでしょうか。
菅:ロシアとの平和条約問題については次の世代に先送りせずに終止符を打つ、そうした決意で総理、取り組んできました。領土問題解決、平和条約締結をするとの方針に私自身も一緒になって取り組んできましたので、この方針については変わりありません。
司会:すいません、まだ後ろでもいらっしゃるんで、後ろの方に、スタッフの方、マイクを渡していただいてよろしいですか。渡りましたですか、マイク。どうぞ。
安全保障面も引き継ぐのか
インディペンデント・ウェブ・ジャーナル:IWJ記者の・・・と申します。安倍政権の路線をお引き継ぎになると伺いましたけれども、安全保障面、すなわち安倍首相は敵基地攻撃能力の保有というものを強調されているようですが、その路線もお引き継ぎになられるということでしょうか。その場合、日本国民が危険にさらされるのではないかという不安も聞かれるようなんですが、それについてお考えをお聞かせください。
菅:今の問題については与党から提言書をいただいています。憲法の範囲内、専守防衛の範囲内においての提言書をいただいておるわけでありますけども、これから与党ともしっかり協議をしながらそこは進めていきたいというふうに思います。
司会:じゃあすいません、後ろのほうから取りあえずもう1人だけスタッフの方マイクお渡しいただいてよろしいですか。すいませんお願いします。
米国とどのような協力関係を築くのか
ジャパンタイムズ:すいません、ジャパンタイムズの・・・と申します。よろしくお願いします。安全保障に関係するのですが、安倍政権下ではやはり安倍総理自身がトランプ大統領と非常に親しい関係にあったわけですけども、安全保障の協力も含めて、今後アメリカと、菅さんが総理になられたときにはどういうような協力というか、協力をしていくのか、その点をお伺いします。
菅:まず、日米関係というのはわが国の外交のまさに基軸でもあります。ですから私自身も昨年、訪米をいたしまして、ペンス副大統領をはじめ関係者と会談をしてまいりました。まさに日米同盟を基軸としながら近隣諸国との関係をつくっていく、そうした今の日本の立ち位置ということは変えるべきじゃないというふうに思いますし、総理は先日のトランプ大統領との電話会談、私、日米の首脳の電話会談には全て同席をしております。
そういう中でまさにこの友情関係がいかに厚いかというものを感じることのできる、総理とトランプ大統領との会談でありました。ですから総理大臣とトランプ大統領の間のような信頼関係を築くというのは、これは極めて時間が掛かることだというふうには思いますけれども、ただトランプ大統領を支えている閣僚、そしてまた今、申し上げましたけれども副大統領、そうした関係者とは私もかなり昵懇に進めさせていただいている、このことも事実であります。
司会:では前のほうにいきますけども。マイクはどこにある? じゃあそこの列の一番奥に手あげてらっしゃる女性の方で。
森友・加計学園、桜を見る会の再調査は?
TBSテレビ:ありがとうございます。TBS、『報道特集』の膳場と申します。安倍政権の負の遺産、森友・加計学園、「桜を見る会」について国民が納得していない事案であって、再調査を求める声が出ています。これに対してはどのように対応されますか。先に出馬表明をしています石破さんは何がどう問題かの解明をまず第一に行い、必要ならば再調査を当然やると会見で述べていらっしゃいます。再調査を求める声に対して菅さんはどう対応されますか。
菅:森友問題については財務省関係の処分も行われ、検察の捜査も行われてすでに結論が出ていることでありますから、そこについては現在のままであります。また、加計についても法令にのっとりオープンなプロセスで検討が進められてきたというふうにも思っております。「桜を見る会」については国会でさまざまなご指摘があり、今年は中止をして、これからの在り方を全面的に見直すことにいたしております。
司会:そしたらこの2つ目の、3列目の一番の右側の方。3列目、もう1個後ろの方。
横浜の人たちに思うところがあれば
神奈川新聞:神奈川新聞の・・・です。菅さんは小選挙区が導入された1996年の衆院選から連続で8期当選されていて、選挙に強いというふうな、今は印象なのですが、先ほど言及があった33年前の市会議員選挙、横浜市会議員選挙ですね。あの当時は秋田出身で神奈川はもとより、肝心の横浜にも地縁、血縁がなく、そしてとても貧乏でした。そうした地盤も看板も、かばんもない、そういう状況下であの選挙を勝ち抜いたことが今につながっていると思うのですが、そうしたことを支えた神奈川の人たち、とりわけ横浜の人たちに対して今、思うところがあれば教えていただきたいです。
菅:今ご指摘をいただきました最初の選挙っていうのは、私にとりまして極めて厳しい状況の中の、市会議員の選挙でした。市会議員で当選をさせていただいて、私自身が1つの大きな自信を得たことも事実だったというふうに思います。この横浜の市会議員、人口が今370万人おりますけど、また私の生まれ育ったところは小学校も中学校もまさに閉鎖されているような田舎でありますから、私自身、こうした都会と、そして地方を、両方ともよく知っている、そういう思いの中でこれからもこの国の政治というのを前に進めていきたいというふうに思います。
実際に横浜という町は、今申し上げましたけども、人口370万人で東京のベッドタウンでありましたけども、みなとみらい21地区を皮切りに横浜も大きく変わってきているというふうに思います。私のときは待機児童が全国で一番悪かったんですけども、今はゼロになるほど、この待機児童対策っていうのは取り組んでいるというふうに思います。横浜市会議員のときに、横浜保育室を市長と一緒になってつくった、今も私の1つの誇りにもなっています。
司会:じゃあ一番前の列の机に座っていらっしゃる一番右側の方で。
安倍政権の単なる延長か
毎日新聞:毎日新聞の秋山と申します。長官の冒頭の発言、また今の質疑を聞いておりまして、まるで安倍総理のご発言を聞いているかのように感じました。菅総理として目指す政治というのは、安倍政権の政治の単なる延長なんでしょうか。違うのであれば何がどう違うのか、国民に分かりやすく説明していただけますか。
菅:今今、私に求められているのは、コロナ対策を最優先でしっかりやってほしい、それが私は最優先だと思っています。それと同時に私自身が内閣官房長官として、官房長官は役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣だと思っていますので、そうした中で私自身が取り組んできた、そうした縦割りの弊害、そうしたことをぶち破って新しいものをつくっていく、そこが私自身は、これから多くの少し弊害があると思っていますので、やり遂げていきたい、こういうふうに思っております。
司会:そしたら今度は2列目の。じゃあ3列目の。眼鏡掛けた、はい。 
震災復興にはどのような位置付けで臨むのか
河北新報:仙台の河北新報の・・・と申します。安倍政権は東日本大震災からの復興を最重要課題に掲げてきました。まだ震災の復興は道半ばですけれども、長官としては震災からの復興というのはどのような位置付けで臨まれますでしょうか。
菅:先般の福島知事からいろんな復興の状況の説明を受けました。まさにこれから復興に向けて、さまざまな具体的な事業を進めていかなければならない、そういう時期に差し掛かっているというふうに、知事との会談の中で、そうした思いをいたしました。
司会:私もあれしておりましたら、もう時間がかなり押してまいりましたので、このビデオカメラから奥の後ろの方で、これから3問質問をお受けをしてと思っております。スタッフの方、マイクを持って後ろ行っていただいてよろしいでしょうか。お願いします。
地方の声をくみ取るために党員投票をやるべきでは
中国新聞:中国新聞の下久保です。よろしくお願いします。先ほど菅さんは地方分権への情熱を語られて、秋田のご出身っていうことで、地方の方は期待も大きいんだと思うんですけど、一方で基地問題で向き合った沖縄への態度っていうのは、果たしてそれが分権に対する情熱がどこまであったのかっていうような疑問も覚えます。また、地方の声を反映するため、幅広い地方の声を反映するためにもやはり総裁選で、少なくとも自民党の党員であったり党友の声を聞く党員投票っていうのをやるべきで、ご本人はその点について、地方の声をくみ取るために党員投票をやるべきだというご意見はなかったんでしょうか。
菅:私は後者であります。それぞれ党は党のルールによって、今この総裁選挙が行われておりますから、その中で全力を尽くしていきたいというふうに思います。また、沖縄の基地負担軽減、そのために私自身、沖縄基地負担軽減担当大臣として、この7年と8カ月の間に、例えば沖縄においては北部訓練場、まさに復興後、最も大規模な返還をはじめ、目に見える形で実現をしたことというのはあるというふうに自分自身思っています。
司会:それでは後ろの席のほうの方にまたマイクをお渡しをいただきたいと思います。
各派閥の意向に振り回されないか
ビデオニュース・ドットコム:ありがとうございます。ビデオニュースの神保といいます。長官はかねてより派閥政治というものに批判的な立場を取られていたとは思うんですけれども、今回自民党の大きな派閥がこぞって今のところ長官の支援を表明しております。まず、その派閥単位でそうやって応援されて選挙を戦うことについて長官はどう思われるか。またそのような形で総理に仮になっても、各派閥の意向に非常に左右されるというか、振り回されるようなことになって、菅政権というものが果たして本当に独自色のようなことは出せるのかどうかという、その2点についてお願いします。
菅:まず菅色を出せるかということについては、私はこのコロナ対策を全力で尽くしてやり上げる、それと同時に自らの考えを示しながらそこは実現をしていきたいというふうに思いますし、それは必ずできるというふうに思います。そして私自身は派閥に現在所属をしていません。自民党の派閥、いいところもあり悪いところもあるというふうに思います。しかし私は派閥の連合で推されて今ここにいるわけではありません。
私自身、自らの判断によって出馬を決意をした。そして私を支えてくれる当選4回以下の国会議員の人たち、皆さん誰一人派閥に所属してない。そうした人たちのエネルギーが私を押し上げてくれている、こういうふうに思います。
司会:では後ろ側の方に。
今の金融政策はどこまで続けるつもりか
ブルームバーグ:すいません、ブルームバーグの延広と申します。金融政策に関してなんですが、長官、先ほど日本銀行との関係、安倍総理と同じように進めたいということだったんですが、やはり異次元の金融緩和をこのまま続けていますと、地方の金融機関を中心に弊害、さまざまなものが出ていると思うのですが、菅政権としてはやはりこの金融政策、どこまで続けていくのか、出口に向かってどのように取り組んでいかれるのか、今、非常に厳しい経済状況ではありますがお考えをお聞かせください。
菅:今の状況の中でやはり雇用を守り、企業を存続させていく、そのために政府としては状況を見て必要であれば、そこはしっかりと金融政策をさらに進めていきたいと思います。まさにここが正念場だというふうに思っています。それと地方の銀行について、私、先般も申し上げましたけれども、こうした銀行については数が多すぎるという話もさせていただきました。
いずれにしろ、金融というのは企業の、今このような状況の中で企業の皆さんを支えるためには必要だというふうに思っていますが、将来的には先ほど申し上げましたように数が多すぎるのではないかというふうに思っています。
司会:まだ手があがっておりますがお時間の関係があるので。
記者:フリーランスにも質問させてください。
司会:あと3問程度。
記者:出来レースじゃないですかこれ。こんな会見、出来レースじゃないですか。
司会:いや、出来レースではありません。
記者:だったら大手のメディアばかり、顔見て当ててるでしょう。違いますか。
司会:違います。申し訳ありませんが、まったくもって違います。
記者:菅さん、横浜をカジノ業者に売り渡すんですか。
記者:公文書を捨てないでください、公文書を改ざんしないでください。約束してください。今ここで約束してください。逃げないでください。
司会:一番前の席の右の男性。
菅氏の言う地方に沖縄は入っていないのか
東京新聞:すいません、東京新聞の・・・です。よろしくお願いいたします。先ほどもお話がありました、沖縄の基地負担軽減の件でお伺いしたいと思います。辺野古の新基地建設については沖縄では選挙でも住民投票でも何度となく反対の民意が示されています。先ほど長官、地方分権を進めないといけないと、地方を大切にしたいというふうにおっしゃられましたけれども、沖縄の民意を尊重して、新基地建設工事を立ち止まって中止するお考えはないのか、また長官の言う地方というのに沖縄というのは入っていないんでしょうか。
菅:もちろん入っています。沖縄については皆さんご承知のとおり、SACO合意によって日米で合意をして、そして沖縄の地元の市長、それで県知事とも合意した中で、辺野古建設というものは決まったんではないでしょうか。そうした中で、辺野古に普天間飛行場を移設することによって、普天間飛行場の危険除去というのを、これは実現できるわけでありますから。そうした中で進めているということも、ぜひご理解をいただきたい。
そしてそれによって、あの普天間飛行場跡地が日本に帰ってきますから、東京ドーム100個分ともいわれています。そして、米軍の3分の1が沖縄から海外に出ていくということにもなっています。そうしたことをしっかり進めていく。また私自身、沖縄基地負担軽減担当大臣になったときに始めたのが、沖縄の第2滑走路の建設であります。このことも先般、完成したのじゃないでしょうか。さらに私には沖縄の負担軽減担当大臣としての思いをしっかり抱きながら沖縄問題っていうのは行っています。
司会:それではあと2問でさせていただきたいと思います。今そこにマイクがありますので、その向こう側の手をあげてらっしゃる女性の方。
しっかりと会見時間を取って答えてくれるのか
東京新聞:東京新聞の望月と申します。今日、長官の会見の状況を見て、これまでとかなり違って、いろんな記者さんを指されているなと感じました。私自身が3年間、長官会見を見続けている中で、非常に心残りなのが、やはり都合の悪い、不都合な真実に関しての追及が続くと、その記者に対する質問妨害や制限というのが長期間にわたって続きました。これから総裁になったときに、各若手の番記者さんが朝も夕方も頑張ると思います。その都度、今日のこの会見のように、きちんとその番記者の厳しい追及も含めて、それに応じるつもりはあるのか。また、首相会見、安倍さんの会見ですね、台本どおりではないかと、劇団みたいなお芝居じゃないかという批判もたくさん出ておりました。今後、首相会見でも単に官僚が作ったかもしれないような。
司会:すいませんが、時間の関係で簡潔によろしくお願いします。
東京新聞:すいません。答弁書を読み上げるだけでなく、長官自身の言葉、生の言葉で、事前の質問取りをないものも含めて、しっかりと会見時間を取って答えていただけるのか、その点をお願いいたします。
菅:限られた時間の中でルールに基づいて記者会見というのは行っております。ですから早く結論を、質問すればそれだけ時間が浮くわけであります。
司会:そこの男性。2列目の男性。女性の隣の。
原発再稼働を進める方針を踏襲するのか
福島民友:すいません、福島県の福島民友新聞の桑田と申します。よろしくお願いいたします。原子力政策についてお尋ねいたします。現在、安倍政権は、原子力発電を重要なベースロード電源と位置付けて、安全が確認されたものは再稼働して進めております。長官も総理になられた際はその政策を踏襲するのでしょうか。あと、福島第一原子力発電所におきましては、ALPSで処理した水の保管についての問題が今、続いております。次の政権でこちらの問題について解決しなければならないとお考えですか。あらためて、ご意見をお聞かせいただければと思います。
菅:まず、次の政権と言われましたけど、次の政権で解決しなけなきゃならない、この思いはそうです。そして、今の全体の電力政策の中で、原子力政策、原子力もあるわけでありますから、それに基づいて行っていきたいというふうに思います。
司会:では、まだまだ手はあがっておりますけども時間の関係で今日は本当にご容赦を賜りたいと思います。これにて本日の記者会見は終了させていただきたいと思います。どうもご協力大変ありがとうございました。
記者:長官、・・・。
司会:それでは、菅義偉衆議院議員が退場いたします。どうぞ、よろしくお願いを申し上げます。
記者:解散したりしないんですか。どうなんですか。答えてくださいよ。
司会:どうも大変ご協力ありがとうございました。 
 
 

 

●自民党あっちこっちでスガってる」=寄らば大樹の枝や幹 9/3 
ざれ歌の短冊が東京・永田町かいわいで風に舞っていたとか、いなかったとか。いわく「自民党あっちこっちでスガってる」。漢字では「縋(すが)ってる」だろう。一体、何に。寄らば大樹の枝や幹。それとも、勝ち馬の横っ腹やたてがみか。はたまた「1強」の残像なのか。
安倍首相の後任を決める自民党総裁選は、昨日までに3人が出馬を決め、構図が固まった。だが、7つの派閥のうち5つが推す菅官房長官が圧倒的に優位の情勢という。7年8カ月続いた政権のもとで、さまざまな恩恵にあずかったり、威を借りたりしていた先生方が、現状の変更を嫌って、旗下にはせ参じた、と取れる。
菅さんといえば何より森友、加計の両学園や「桜を見る会」、さらには検察幹部の定年延長問題などで、政権への批判の矢面に立った。本丸を守り通した剛腕の将のごとき印象がある。官僚への差配を通じ「忖度(そんたく)の体系」の元締のように恐れられていたかもしれない。そんなイメージで、清新なスタートを切れるだろうか。
総裁選は14日が投開票だが、焦点はすでに党幹部や閣僚の人事なのだろう。ここはぜひ、後任の官房長官に注目したい。内閣の調整役や報道官として在職日数を更新し続けてきた政治家が、トップに立つ自らを支える存在として誰を起用するか。新政権のカラーを左右しそうだ。周囲がうなる人選を期待しよう。 
●菅義偉氏「官房長官は閣僚束ねる力必要、橋下徹氏は改革の道筋つけた」 9/5 
自民党総裁選に立候補した菅義偉官房長官は5日午前、日本テレビの番組に出演し、首相に選出された場合の閣僚人事について問われ、官房長官としての資質については閣僚を束ねて政策を推進する力が必要と指摘した。
また民間人の閣僚起用として元大阪府知事の橋下徹氏の名前が上がっていることに関し、これまでの支援の経緯や大阪行政の改革の道筋をつけた人物として評価した。
菅氏が首相に選出された場合の弱みとして「安倍晋三首相にとっての菅官房長官のような人材がいない」点を指摘されている。
同氏は官房長官になる資質について、スポークスマンとして政府としてメッセージを届けることに加えて「閣僚をとりまとめて政策を前に進めていくため、縦横をまとめて政策を推進する力が必要」だとした。具体的人選については「今は全く考えていない」とし、例として河野太郎防衛相や森山裕国会対策委員長の名前を挙げられると「非常に悩みますね」と答えた。
菅氏が首相となった場合の閣僚人事については、支援派閥による影響力が重しとなるとの観測があるが、「党のルールに従って総裁選が行われていると理解している」と反論。ただ「派閥の支援は大変力強い限りだ」とも述べた。また安倍首相が辞意を公表した際に、「禅譲の話はなかった」とも語った。
また同氏が日本維新の会との距離も近く、橋下氏の閣僚起用も取り沙汰されている。菅氏は、橋下氏のような民間人の閣僚起用について「仮定の話には答えない」としたうえで、橋下氏が大阪府知事となった際に党として支援した経緯を紹介。さらに総務相時代に大阪府と市の行政効率が悪いと指摘し橋下氏や松井氏がそれを改革してきた実績を指摘。「橋下氏は改革の一つの道筋をつけてきたと思う」と評した。
菅氏にとって外交が弱みの一つとして挙げられることがあるが、それについても反論。安倍首相とトランプ米大統領の37回の会談にも沖縄出張以外の時は全て出席しており、日米関係についての政策にも関与しているとし「官房長官というのは外に出ることはあまりない。ただ外交というのは継続だと思っている。そこはしっかりやれると思っている」とアピールした。
新型コロナウイルス対策で政府債務が膨らみ、財政状況に改めて懸念の声もあるが、当面は財政拡大は容認する考え方を示した。「給付や融資を中心に行い雇用をしっかり守り、企業が事業を継続できる環境を作ることが今最も大事」と述べた。  
●下積み時代振り返り「まさか総裁選立候補とは」 自民横浜市連であいさつ 9/5 
自民党総裁選への立候補を表明した菅義偉官房長官(71)は5日、横浜市中区で自民党横浜市連女性局のスタッフらを前にあいさつし「(安倍晋三首相の後任の)ポスト安倍は『全く考えていない』と言い続け、実際そうだったが、今回これだけの国難で政治空白は許されず、逃げることはできない。思い切ってこの国のために、全力で頑張らなきゃならないと思って総裁選に出馬する決意をした」と党員投票での支持を訴えた。
菅氏は20〜30代の時に国会議員秘書として横浜で下積み時代を過ごしており、「ここに来たら、いろんな思いが次から次へと走馬灯のように浮かんできた。政治の世界に飛び込んで、まさか国会議員、大臣になれると思っていなかった」と振り返った。
菅氏は5日朝の読売テレビの番組でも「政治の世界に入った時は市議も非常に遠い存在で、総務相になった時も『何で俺がここにいるんだろう』という思いだった。官房長官になって、まさか私自身が総理・総裁に向けて立候補するということは全く考えられなかった。原点を大事にしながら、政治をしっかりやらないとという思いだ」と語っていた。. 
●維新、「菅首相」に期待感 蜜月関係拡大か―自民総裁選 9/7 
自民党総裁選で優位に立つ菅義偉官房長官に対し、日本維新の会が連携への期待を強めている。安倍政権下で築いた蜜月関係をさらに深め、「大阪都構想」など維新の重点政策に今度は首相の立場で後押しを受けたいとの思惑があるためだ。菅氏もこれに応える姿勢を示しており、菅氏が新首相に就けば政権運営に一定の影響が及びそうだ。
維新の松井一郎代表(大阪市長)は4日、市役所で記者団に「安倍晋三首相の女房役だった菅氏が引き継ぐのは当然の話だ」と強調した。馬場伸幸幹事長も記者会見で「一緒にやっていく思いで取り組んでいきたい」と語っている。
維新はもともと自民党に所属していた政治家が多く、憲法改正など安倍政権と主張が重なる。他の野党と一線を画し、政府・与党にしばしば協力してきた。安倍、菅、松井各氏と橋下徹元大阪市長の4者の会食は年末の恒例行事だ。
安倍政権も維新との関係を重視。菅氏を中心に2025年の大阪・関西万博実現に力を貸し、大阪府・市が誘致を目指すカジノを含む統合型リゾート(IR)をめぐっても息の合ったところを見せた。
大阪都構想は維新の「一丁目一番地」の課題。11月に予定される住民投票で過半数を取ることが至上命令だ。
これに対し、菅氏は自民党大阪府連が反対を訴える中にあっても都構想に好意的な考えを表明。6日の時事通信のインタビューに「(維新とは)政策が似ている部分がかなりある」と答えた。維新側は「心強い限り。信頼関係のたまものだ」(幹部)と手放しで喜ぶ。
ただ、首相官邸と維新のパイプが太くなることには自民党に「党内の足並みを乱す」(幹部)と快く思わない向きもある。大阪選出のある中堅議員は「大阪自民党を見捨てる気か」と語気を強めた。  
●菅氏 9/7
菅氏、二階氏は「非常に頼りになる存在」 9/7
菅義偉官房長官は午前の記者会見で、二階俊博幹事長の評価について問われ、「政策を実行していくためには、政府・与党が緊密に連携することが不可欠。二階幹事長に党内をしっかりと取りまとめて頂けるので、非常に頼りになる存在だ」と持ち上げた。
二階氏は16年8月から自民党幹事長を務めており、8日には田中角栄元首相を抜いて通算在職日数の記録を更新する。今回の総裁選では、二階派のトップとして、他派閥に先駆けて菅氏を支持。菅氏優位の流れを主導した。「菅政権」が発足した場合、「菅―二階」ラインが力を増しそうだ。
また、朝日新聞などの世論調査で、退陣表明後の安倍政権への評価が軒並み上昇している理由についても問われた。菅氏は「個々の世論調査についてコメントは差し控えたい」としつつ、「それぞれ皆さんが調査されて、内容についても(分析)されているんだろうと思う」と笑みを浮かべる場面も。「安倍政権の継承」を掲げる菅氏にとって、世論調査の結果は自らの追い風にもなる可能性がある。
岐阜の地銀トップ、菅氏に苦言「地銀の中身みて」 9/7
大垣共立銀行(岐阜県大垣市)の土屋嶢(たかし)会長が、菅義偉官房長官の地銀再編を促すような一連の発言をめぐり、「もうちょっと地銀の中身をみて発言してほしかった」と苦言を呈した。名古屋市内で7日、報道陣の取材に答えた。
土屋氏は「地銀は努力をしており、地域ごとに規模やサービスにも種類がある。十把一絡げにせず、精査したうえで考えていくべきだ」と語った。一方、自行の対応については「金融機関どうしの再編のなかに入っていくことはない。ほかの業種、業態と提携は進めていく」と話した。
土屋氏は昨年まで26年、同行の頭取を務めた。「銀行はサービス業」を合言葉に、年中無休の店舗やドライブスルーの自動現金出入機(ATM)など、ユニークな取り組みを次々と導入したことで知られる。
菅氏は2日の会見で、地方銀行について「将来的には数が多過ぎるのではないか」と言及。3日の会見でも「個々の経営判断の話になるが、再編も一つの選択肢だ」と述べていた。
「菅先生一択」で応援 ブドウ持参の山梨知事 9/7
山梨県の長崎幸太郎知事が首相官邸を訪れ、菅義偉官房長官と面会し、特産のブドウを渡した。長崎氏は面会後、記者団の取材に「総裁選の必勝祈願をし、頑張って下さいという思いを伝えた」と語った。菅氏から謝意が伝えられたという。
長崎氏は総裁選について「菅先生、一択」ときっぱり。長崎氏が野党系現職候補と争った昨年1月の県知事選では、菅氏が選挙応援に訪れた。「極めて長い個人的な付き合いが(菅氏と)ある」とした上で、「ぜひこの場を借りて恩返ししたい」とも話した。
●菅氏 9/8
進次郎氏「菅さんの改革に期待」 9/8
小泉進次郎環境相は8日午前の閣議後の記者会見で、自民党総裁選では菅義偉官房長官を支援すると表明した。「菅さんは大胆な改革をする思いを持っている方だと思っている。そういった改革に期待したい」と述べた。
小泉氏は2018年の総裁選では、安倍晋三首相ではなく石破茂・元幹事長を支持。今回の総裁選では当初、河野太郎防衛相について「出るなら応援する」と明言していた。
菅氏、外交「長官として重要案件に関与」経験を強調 9/8
菅義偉官房長官は、自民党総裁選の告示日となった8日午前も、定例の閣議後会見に臨んだ。首相に就いた場合に、諸外国の首脳との間でどのような信頼関係を築いていくか問われ、「総裁選の結果も出ていない」と述べた。一方で、「7年8カ月にわたって官房長官として外交の重要案件に常に関与してきた。わが国の外交政策の要諦(ようてい)をつかむ上でも有益な経験だった」とも強調。「外交においてケミストリー(首脳同士の相性)は重要な要素の一つではあるが、国益はケミストリーだけで左右されるような簡単なものではない」とも語った。
総裁選に立候補した3人のうち、岸田文雄政調会長は第2次安倍政権下で外相を4年7カ月務めた。石破茂元幹事長は防衛相経験がある。一方、菅氏の官房長官と総務相を務めたが、外交手腕は未知数との指摘もある。菅氏は2日の総裁選立候補会見では昨年の訪米経験を紹介。「(2次政権での)日米の首脳の電話会談には、全て同席をしている」とアピールしている。
菅氏は会見を終わると、首相官邸を出た。菅氏は総裁選候補者の共同記者会見があり、午後の首相官邸の記者会見は岡田直樹官房副長官が行う。
菅氏も出陣式 「公務優先で…」 9/8
自民党総裁選に立候補した菅義偉官房長官は8日午前、国会近くのホテルでの「出陣式」に出席し、「コロナ対策、経済対策、この国難を解決しなければならない。そういう思いで、熟慮に熟慮して(出馬を)決心した。何としても日本のかじ取り役として働かせて頂きたい」と呼びかけた。
菅氏はあいさつの冒頭、「先ほど閣議が終わった後に記者会見を行い、公務優先で遅くなりました」と説明。「コロナ禍のなかで、多くのみなさん、ご商売をやっている方は大変な状況だ。まず政府として行うことは、こうした人たちに対しての給付だ。コロナ禍が進むなら、ちゅうちょなく対応していかなければならない」と語った。
秋田出身の菅氏は「地方の活力なくして国の活力ない」と強調。安倍晋三首相の海外の首脳との会談に自らが同席してきた過去も紹介し、「私自身、重要な政策決定には関わり続けている」とアピールした。
菅氏「普通の人間でも努力すれば、総理に」 9/8
菅義偉官房長官は8日の自民党総裁選の演説会で、自らの「たたき上げ」の政治家人生を紹介した上で、「私のような普通の人間でも、努力をすれば、総理大臣を目指すことができる。まさにこれが日本の民主主義ではないか」と訴えた。
菅氏は「私の原点についてお話をさせていただきたい。雪深い秋田の農家の長男として生まれた」と切り出し、「国政を目指し、47歳で当選した。地縁・血縁のないゼロからのスタートだった。五十数年前に上京した際、今日の自分の姿は全く想像をすることもでなかった」と語った。
安倍晋三首相を7年8カ月にわたり官邸中枢で支えてきただけに、菅氏は「総理が進めてきた取り組みを継承し、前に進めたい」と強調。「デジタル庁」の新設などを訴えた。
菅氏、アベノミクス「引き継ぐ」 9/8
菅義偉官房長官は8日の自民党総裁選の候補者の共同記者会見で、安倍晋三首相が掲げた経済政策「アベノミクス」を継承していく姿勢を強調した。「安倍政権の評価すべきは、最初に経済政策だと思う。安倍政権の経済政策は引き継いでいきたい」と述べた。
菅氏は「アベノミクスという金融緩和、財政出動、成長戦略に取り組んだ結果、新たな雇用が生まれ、地価が上がってきた」と指摘。「コロナの中で雇用を確保し、事業を推進する。給付と融資が行き届くようにするのが大事だ」と語った。
菅氏、衆院解散は「コロナの状況、大きく影響」 9/8
自民党総裁選に立候補した3人は、8日の共同記者会見で、早期の衆院解散・総選挙の是非について見解を示した。岸田文雄政調会長は「まずは新型コロナウイルス対策、やるべきことを早急にやる。そこから先はあり得るだろう」と語ると、石破茂・元幹事長も「コロナ禍にあって、私は『そうだ』とはまったく思っていない」と否定的な立場を強調した。菅義偉官房長官は「コロナの状況がどうか、ということは大きく影響するだろう」と述べるにとどめた。
菅氏、人事は「改革意欲と専門的立場」 9/8
菅義偉官房長官は8日の党総裁選の候補者の共同記者会見で、次の総裁・首相に就いた場合の党役員・閣僚人事について、議員の「改革意欲」と「専門性」を重視する方針を示した。「改革意欲のある人をまず優先として考えたい。そこに、専門的立場の人が、やはり優先した方がいいと思っている」と述べた。
菅氏は「人事は適材適所でやるものだろう。『大臣になって何をやるか』という意欲のある人だと思う」とも語った。
●菅氏「自衛隊、憲法で否定」→「言葉足らずだった」 9/9
菅義偉官房長官が8日夜のTBS番組で「自衛隊の立ち位置というのが、憲法の中で否定をされている」と述べた。この発言について、菅氏は9日午前の記者会見で真意を問われ、「若干、言葉足らずだったため、誤解を招いたかもしれない」とし、「憲法に違反するものではないというのが政府の正式な見解だ」と発言を訂正した。
8日の番組では、石破茂元幹事長が、菅氏に自衛隊を明記する憲法改正についての考えを質問。菅氏は自衛隊が災害対策などで国民に歓迎されているものの「憲法の中で否定されている」とし、「(憲法に)自衛隊の位置づけというものをしっかり盛り込むべきだ」と述べた。
だが、政府は自衛隊について、憲法9条2項で禁じられた戦争を遂行する能力がある「軍隊」ではなく、合憲の存在との立場。安倍晋三首相は「多くの憲法学者が自衛隊を違憲としている」ことを挙げて、自衛隊の明記を主張してきた。
このことについて菅氏は9日の会見で、「私の発言は、自衛隊を違憲と主張する方々もいるという趣旨で申し上げたものだ」と釈明。菅氏は記者団から「首相と同じ立場であると言いたかったのか」と問われ、「その通りだ」と答えた。  
●菅自民総裁、麻生・二階両氏は極めて重要−閣僚は改革意欲重視 9/14 
自民党の第26代総裁に選出された菅義偉氏(71)は14日夕の記者会見で、麻生太郎副総理兼財務相と二階俊博幹事長を続投させるかどうかは決めていないとしながらも、「極めて政権運営で重要な2人だ」と評価した。新政権の党役員や閣僚は「改革意欲のある人、理解を示してくれる人」を中心に人選を進める考えも示した。
総裁選で圧勝したことについて「安定して自分の目指す政治を行っていける、そういう環境が整ってきた」と強調。閣僚交代が小幅にとどまるかどうかの質問に対しては、「思い切って私の政策の方向に合う人を投入して、仕事をしていかないと国民の皆さんに申し訳ない」と語った。
菅氏は15日に党役員人事を行った上で、16日召集予定の臨時国会で首相に指名される。総裁としての任期は来年9月まで。 
総裁選結果 石破茂氏 68 / 菅義偉氏 377 / 岸田文雄氏 89 / 有効投票数 534
最後の官房長官会見(午前11時14分)
2012年12月26日の就任から7年8カ月で、会見の回数は3200回を超えた。菅氏は「次から次へと一つが終わるとまた新しい課題がくる。それが国家運営だなと痛切に感じている」と在任期間を振り返った。官房長官を辞めたいと思ったことは「何回もある」とし、野党の強い抵抗にあった15年の安全保障法制などを挙げ、「国会運営がうまくいかない時、眠れないこと度々あった」とも述べた。
決起集会(午後1時)
菅氏は投開票前に行った陣営の決起集会で「勝利は目前だと思う」と述べた。首相就任後は「役所の縦割り、あしき前例主義をぶち壊したい」とし、「国民から信頼される政府を作りたい」との決意も示した。決起集会には細田博之元幹事長、麻生太郎副総理兼財務相、竹下亘元総務会長ら主要派閥のトップも出席した。
総裁選を戦った石破茂元幹事長と岸田文雄政調会長がともに父親の地盤を引き継いだのに対し、菅氏は非世襲議員。「秋田から出てきて、地縁も血縁もない中で政治の世界に飛び込んだ」と振り返り、「ゼロからのスタートでも日本では首相にもなれることを実証したい」と語った。
両院議員総会で投票開始(午後2時)
東京都港区のホテルで現職国会議員による投票が始まった。菅氏は黄色のネクタイにマスク姿。名前を呼ばれると壇上に上がり、一票を投じた。
圧勝(午後3時20分)
安倍晋三首相は菅氏を「令和時代に最もふさわしい自民党の新総裁」と持ち上げ、「一議員として全力で支えたい」と語った。菅氏は安倍首相に謝意を示した上で、一致団結を訴えた。役所の縦割りや既得権益、前例主義を打破し、規制改革を進める考えも示した。
二階幹事長「全面的に信頼して協力」(午後4時)
二階俊博幹事長は菅氏について「力量、誠実さ、実行力、すべての面で政治家に必要な要素を兼ね備えて持っている」とした上で、「全面的に信頼して協力をさせていただく」と記者団に語った。党役員と新内閣の人事については「総裁が新たな観点で、日本国の将来、自民党のあるべき立場、姿を考えて決めることだ」と述べるにとどめた。
中西経団連会長「わが国を代表する政治家」
経団連は、菅氏について「豊富な経験に裏打ちされた卓越した政策手腕と幅広い調整能力を兼ね備えた、わが国を代表する政治家」と評価する中西宏明会長のコメントを発表。新体制を早急にスタートさせた上で、ポストコロナ時代の新しい経済社会を切り開くことを期待するとした。
新浪サントリーHD社長「コロナ対策など大いに期待」
政府の経済財政諮問会議で民間議員も務めるサントリーホールディングスの新浪剛史社長は、「コロナ対策、経済対策、外交などさまざまな分野において、安倍政権をしっかりと引き継ぎ、さらにそれをより発展させていくことを大いに期待する」とのコメントを発表した。
就任会見(午後6時)
菅氏は当面の課題として新型コロナウイルスの感染拡大を「徹底して収束にもっていく」と言明。来年10月までが任期となっている衆院の早期解散は、専門家がコロナの感染拡大について完全に下火になってきたと判断しない限り、「なかなか難しい」と慎重な考えを示した。その上で、「総裁に就任したわけだから仕事をしたいと思っている。収束も徹底して行っていきたいし、その中で解散の時期は1年しかないのでなかなか悩ましい問題だ」とも述べた。  
 
 
 

 

●次期首相に最も近い男・菅官房長官、哀しいまでの「中身のなさ」 2019/10 
「渡り鳥の男」
菅の政治家人生を一言で表せば、少なくとも官房長官就任までは、「負け続け」であったと言えるだろう。
秋田県の農家の出身である菅は、高校卒業後、上京して働きながら法政大学を卒業した。その後、衆院議員秘書を経て横浜市議会議員に当選。市議を2期務めた後、小選挙区制初の96年衆院選に立候補して、国政選挙に初当選した。
その際、当時の最大派閥である橋本派の支援を受けて同派に入会。しかし、橋本龍太郎内閣総辞職に伴う98年の自民党総裁選では、当選1回ながら派閥会長の小渕恵三に反旗を翻し、元官房長官の梶山静六を担いで敗北した。
すると菅は、同派を脱会して今度は当時、政界のプリンスと言われた加藤紘一率いる加藤派へと移籍した。加藤が野党の提出した森喜朗内閣不信任決議案に同調しようとした「加藤の乱」では、加藤と行動をともにしたものの、鎮圧されて失敗。その直後に加藤派が分裂すると今度は反加藤の堀内派、その後の古賀派に入会した。
2006年総裁選では、早くから安倍晋三を担いで奔走。その功で、第一次安倍内閣ではわずか当選4回にして総務相に就任した。敗北続きの菅にとって初の勝利だったが、その安倍内閣はわずか1年で総辞職する。
その後の総裁選で、今度は古賀派が推す福田康夫ではなく麻生太郎を担ぎ、またしても敗北。福田内閣の総辞職を受けた総裁選では再び担いだ麻生が勝利し、党選対委員長代理などとして麻生政権を支えたが、翌2009年の衆院選では結党以来の大惨敗を喫し、自民党を野党に転落させた。
麻生辞任後の総裁選では古賀派を脱会し、河野太郎を担いで奔走したものの、谷垣禎一に敗北している。
菅は「世代交代」「脱派閥」を自身のスローガンにしてきたこともあり、自民党内では長く異端児扱いされてきた。元首相の森喜朗らベテラン議員にも早期引退を公然と迫るなどしてきたため、特に古株からは嫌われてきた。
所属する派閥を次々と変え、仕える主人を乗り換えてきたことから、いつしか「裏切りの菅」「渡り鳥の男」と陰口を叩かれるようにもなった。
陰口と辣腕
特定の組織や個人に忠誠を誓うのではなく、その時々で最善だと思う人間を担ぐ──その行動様式は、「ムラ社会」である永田町では極めて異質だ。かつての自民党だったら「信用できない男」としてとっくに居場所を失っていただろう。
小選挙区制度になって四半世紀が経過し、派閥がかつての結束力を失った平成の政界だからこそ、菅は特異な手法で這い上がってくることができた。菅のような「叩き上げ」の議員が減り、政局を動かすことができる「政治偏差値」の高い議員が激減していることも、菅に有利に働いた。
その経歴故に、安倍周辺からは「菅は自分にとって役に立たないと思えば安倍だって裏切る。経歴をみれば一目瞭然だ」との警戒の声が常に漏れる。
こうした菅に関する数多のマイナスイメージを消し去ったのは、もちろん官房長官としての手腕だ。6年以上の長期にわたり、危機管理と官僚操縦で辣腕を発揮してきた。
就任早々の2013年1月にアルジェリアで発生した人質事件では、危機管理の司令塔の役割を果たし、マスコミ報道もコントロールした。閣僚や副大臣、政務官らが問題発言をすれば、派閥領袖の意向などお構い無しに有無を言わさず交代させてきた。
加計学園の問題では、元文科事務次官・前川喜平への対応で珍しく冷静さを欠いて感情的になり、内閣支持率を下落させたと批判されたが、政権を危機に陥れる可能性のある禍根の芽を早め早めに摘み取ってきた手腕は、誰もが認めている。
ただ、日々の記者会見では、政権への批判的な意見について問われると「全く問題はない」「批判は当たらない」との常套句で断定するのが常で、高圧的だとの批判が就任当初からついて回る。
霞が関の官僚たちの操縦も見事だ。2014年には、橋本内閣以来の課題であった官邸主導・政治主導の行政を実現するため、各省局長のすぐ下のポストである審議官級以上の約600人の人事を一元管理する内閣人事局を設置した。
菅は、各省の幹部人事に官邸の承認が必須になったこの制度をフル活用し、各省の事務次官や局長の人事に介入。安倍政権の方針に異を唱える官僚は排除され、今や「霞が関全体が、菅のほうを向いて仕事をしている」とまで言われる。
これによって、各省幹部や関係業界と結びついて力をふるってきたいわゆる「族議員」は影響力を失い、首相官邸の望む政策をスムーズに実現させる環境が整った。
「政治主導」の裏と表
安倍と菅の2人は、官僚主導を排し政治主導を実現させること、具体的には、戦後日本で絶大な力を発揮してきた財務省の影響力排除という方向性を、当初から共有していた。それが、安倍が菅を信頼する理由のひとつになっている。
そもそも安倍は、2006年の一度目の首相就任前から「財務省主導の行政を打破しないとね。最終的には予算編成権も内閣に移したい」と漏らしていた。
このような「政治主導の実現」を安倍とともに進めたことには、一定の評価をすべきだろう。ただ、菅は「無派閥の国会議員の陳情の処理や選挙対策で、各省に対する影響力を最大限利用している」(官邸関係者)とも言われる。
加えて、警察や内閣情報調査室から上がってくる機密情報を独占し、それを政権に敵対する勢力や、自らの政敵の追い落としに使っていることも指摘される。
加計学園問題で官邸の対応を厳しく批判した前川喜平が、売春の温床になっている「出会い系バー」に頻繁に出入りしていたことを読売新聞が大々的に報じたが、その際も情報源は官邸、元締めは菅だと囁かれた。
安倍政権を支える3本柱の一人と言われた甘利明が、建設会社から現金を受け取ったとの週刊誌報道を受けて閣僚辞任に追い込まれた際も、菅が懇意の週刊誌側に情報を流したとの噂が一部で流れ、甘利自身も菅を疑っているという。菅と甘利は、ともに安倍政権の柱でありながら、同じ神奈川県連内で微妙な関係にある。
何をしたいのかわからない
政策面に目を移すと、菅は政治家として何を実現させたいと思っているのか、まったく不明だ。
ネットで菅の公式ホームページを覗くと、「政策」という項目はあるものの、そこには自民党の政策が列挙されているだけで、なんら思い入れは感じられない。菅自身、親しい永田町関係者に「私には国家観というものがない。しょせん地方議員上がりですから、安倍さんとは違いますよ」と漏らしてきたのだ。
菅が自らの実績として唯一強くアピールしているのが、総務相時代に創設した「ふるさと納税制度」だ。菅は官房長官としてこの制度をさらに拡充した。だが、今やこの制度は、返礼品の過当競争や都市部の税収の大幅減など、むしろ弊害が指摘されるようになった。
そのほかに菅が強く推し進めた代表的な政策といえば、携帯電話料金の引き下げ、人手不足対策としての外国人労働者の受け入れ枠拡大、それに外国人観光客を増やすためのビザ発給要件の緩和だ。
しかし、携帯電話料金は「4割削減」という当初の掛け声ほどには下がらず、外国人労働者受け入れに至っては、「拙速に進めた結果、労働条件や生活環境の整備が置き去りにされた」など強い批判が巻き起こっている。
首相と首相官邸の役割として極めて重要な外交や防衛に関しても、北朝鮮による拉致問題は別として、菅が関心を示してきた形跡はほとんどない。本人のプロフィールを見ても、国交省、経産省、それに総務省関係の役職は歴任しているものの、党の部会等を含め外交や防衛関係に関わった形跡はない。
50歳近くになって衆院議員に初当選した菅は、政治家としての最終目標を幹事長や官房長官に置いてきた。そのため、外交の勉強はしてこなかったのだろう。首相官邸の関係者は「菅さんは国際情勢や軍事に関する知見がなく、海外の要人と会っても話が続かない」と打ち明ける。
それでも菅は、今年5月、あえて訪米して米副大統領のマイク・ペンスと会談した。官房長官として異例の訪米に踏み切ったこと自体、永田町では「首相への意欲への表れだ」と受け止められたが、霞が関に命じて首相と同等の約40人の分厚い体制でサポートさせたことも波紋を呼んだ。
このとき外務省は、北米局長やアジア大洋州局長らの他、普段は日米首脳会談でしか通訳を務めない最優秀の英語遣いの職員も同行させた。ただ、「長官は基本的に外務省が用意したペーパー以上のことは言わないので、失敗はないことは初めから約束されていた」(官邸関係者)という。
首相にふさわしい人物か?
安倍は周囲に「総裁4選を目指す考えはない」と繰り返している。そうなると、菅が総裁選に立候補する決意さえ固めれば、「菅首相」の誕生は現実味を帯びてくる。
表立って菅に盾突く人間は、もはや皆無となった。だが、ただひとり公然と菅を叱りつける男がいる。横浜で港湾荷役業を営む横浜港湾協会会長の藤木幸夫だ。
「ハマのドン」と言われる藤木は、かつては菅の後見人といわれ、市議時代から菅とタッグを組んで横浜の港湾利権を仕切ってきたといわれる。
ところがその藤木は今、「ハマにカジノは許さない」と、菅が進めるカジノの横浜誘致に公然と反対する。地元関係者によれば、菅がある時から藤木を切ったのだという。この関係者は「菅長官は、藤木氏と付き合うと危ないと判断したのだろう。トップを狙う上で、身辺をきれいにしておこうと思ったのかもしれない」と漏らす。
自らを「国家観がない」と評して恥じない男に、わが国は命運を託すことになるのだろうか。政策や志ではなく、権謀術数と情報操作で霞が関や永田町を操る──その集大成として、首相の座に手をかけようとしている「安倍政権のゲッベルス」の本質を、われわれ国民は改めてじっくりと見極める必要があるだろう。  
●「令和おじさん」菅官房長官、いつの間にか最強の政治家になっていた 2019/10 
事実上の「菅内閣」
自民党総裁としての任期が残り2年となった安倍晋三。先日の内閣改造は、安倍が世話になった政治家や官僚への「恩返し内閣」ともいえる布陣となった。
安倍が1年生議員の頃から「将来の首相候補」として応援してもらった衛藤晟一ら首相補佐官3人と、萩生田光一、西村康稔という2人の官房副長官経験者を初入閣させた。さらに、経産官僚としての栄達の道を捨てて安倍に尽くしてきた首席秘書官の今井尚哉を首相補佐官兼務とし、その処遇を改善した。
こうした今回の人事に、永田町を熟知するベテラン秘書は「首相が総裁4選を本当に考えていない証だ。場合によっては来年のオリ・パラ後に勇退することも視野に入れているのではないか」と読み解く。
一方、麻生太郎、二階俊博、岸田文雄、菅義偉という、安倍政権を支えてきた大黒柱たちが推薦する初入閣候補を軒並み入閣させた。その結果、これまで「事前の身体検査で引っ掛かり、入閣できない」と言われてきた面々も登用され、「在庫一掃内閣」との野党の批判も的外れとは言えない顔ぶれとなった。これはもちろん、政権の終わりが迫る中でも各派の支持を得て求心力を保ち、レームダック化を防ぐ狙いだ。
その中で、自らの勢力拡張に向け、最大の成果を得たのが官房長官の菅だ。
今春、菅を囲む中堅議員による「令和の会」を発足させた菅原一秀を経産相に、やはり菅を囲む中堅・若手議員による「向日葵会」を主宰する河井克行を法相に押し込んだ。そして何より、最近は菅に近いことを隠さなくなった小泉進次郎が環境相に就任した。
2009年に自らも古賀派を脱退して以来、派閥に属さない菅。だが、官房長官就任後にその絶大な力を利用して無派閥議員の囲い込みを進め、今や70人余の無派閥議員のうち、若手を中心に40人〜50人は事実上の「菅派」と言われる。
前出の2つの会のほか、若手議員による「ガネーシャの会」など、菅を囲む無派閥議員を中心としたグループは4つもある。今回、菅自身と小泉を含めれば「無派閥・菅派」の入閣は4人で、最大派閥・細田派をも凌駕している。
自民党内からは「もはや事実上の菅内閣ではないか」との声が上がり、首相補佐官の今井ら安倍周辺は「主導権を菅に奪われかねない」と警戒を強める。
小泉進次郎の後見人として
もっとも、小泉進次郎については今回、菅が強く入閣を安倍に迫ったわけではない。
小泉は2012年、2018年の自民党総裁選で、いずれも安倍が蛇蝎のごとく嫌う石破茂に投票。森友・加計学園をめぐる問題がマスコミを賑わせた際には、政府の姿勢を公然と批判した。
そのため、安倍は当初、今回も入閣させようとは考えていなかった。菅が、一度は安倍に「進次郎を入閣させたらどうですか。今回は受けると思いますよ」と進言したのは確かだ。だが、安倍が消極的だったため、それ以上、強く推すようなことはなかったという。
今回の入閣は、安倍自身のいわゆる「お友達」や、主流各派が推薦する「危ない議員」を数多く入閣させるための「隠れ蓑」として、進次郎人気を利用しようと安倍自身が思い直した結果だった。
だが、マスコミ報道の多くは「進次郎の入閣は菅のおかげ」との論調で報じた。これにも安倍周辺は「菅が自らを大きく見せようとして記者を誘導したのでは」と疑いの目を向けた。
改造の直前にも、小泉と滝川クリステルの結婚発表とほぼ同時に「月刊文藝春秋」に小泉と菅の対談が掲載されたこともあって、あの首相官邸の菅を訪ねての結婚報告自体が「出来レース」との見方が永田町を駆けめぐった。安倍周辺は「菅は、進次郎人気も利用して政権取りに前のめりになっている」と警戒を強めていたのだ。
一方、安倍自身は、小泉について周囲に「環境省は課題山積だ。お手並み拝見だな」と冷ややかに語る。小泉を「ポスト安倍」候補と公言する菅との温度差は明らかだ。
今年の統一地方選と参院選は、いずれも自民党の勝利に終わった。安倍の任期切れが近づく中、両選挙では四分五裂の野党そっちのけで、安倍政権の実力者たちによる熾烈な覇権争いが繰り広げられていた。「ポスト安倍」政権下で誰が主導権を握るのかをめぐって、党内抗争がいよいよ本格化していたのだ。
その主役は、もちろん「影の総理」である菅だ。
麻生太郎を敵視する理由
菅の標的はまず、安倍の盟友であり政権の大黒柱である副総理・財務相の麻生太郎。次いで次期首相の最有力候補である自民党政調会長の岸田文雄だ。
菅と麻生の2人の対立は、これまでも度々報道されてきた。
かつては菅が麻生を支えた時期もあったのだが、第2次安倍政権発足後、2人はともに政権の要でありながら、重要な局面でことごとくぶつかってきた。
2015年には消費税への軽減税率の導入をめぐって、公明党の意向に沿った大規模導入を主張する菅に対し、財務相の麻生が反対して対立。翌16年には、麻生が予定通り2017年の消費増税の実施を求め、仮に再延期するなら衆参ダブル選で信を問うよう主張したのに対し、菅は衆院解散に猛反対した上で消費増税の再延期を唱えて全面衝突──。
いずれのケースも、安倍は最終的に菅の判断に軍配を上げた。
その因縁の2人が今、「ポスト安倍」時代を睨んで水面下で暗闘を繰り広げている。否、菅が麻生の力を削ぐために権謀術数の限りを尽くしている、と言ったほうが正確かもしれない。
菅がなぜ、麻生を敵視するのかは単純な理由だ。最大派閥・細田派の事実上の領袖である安倍と、第三派閥を率いる麻生が、ともに「ポスト安倍」の一番手に岸田を考えているからだ。
安倍・麻生が協力して「岸田政権」が誕生すれば、そこに菅が入り込む余地はなく、権力の中枢からはじき出される可能性が高い。それゆえ菅は、麻生と岸田の2人を標的にするのだ。
もう少し説明すると、安倍と岸田は初当選同期かつ二世議員同士でもあり、気心が知れた間柄だ。安倍は首相退任後も最大派閥の会長として政権に影響力を行使したいと考えており、それには「岸田首相」がうってつけである。
福岡県知事選、麻生の激怒
一方、麻生と岸田はもともと同じ宏池会=旧宮沢派の仲間であり、今も定期的に酒食を共にする。麻生派には今回の改造で外相から防衛相に横滑りした河野太郎という総裁候補もいるが、麻生は、派閥活動と距離を置く河野を次の総裁選で担ぐつもりはない。そのため、有力な選択肢として岸田の擁立を考えているのだ。
この2人が岸田の脇を固めれば、菅に出番はない。
数でみても、最大派閥の安倍派=細田派と第3派閥の麻生派、それに第4派閥の岸田派が組めば、それだけで自民党国会議員の過半数を超える。菅はこの構図を何とか打破しようと策謀を巡らせてきた。
菅と麻生の対立が如実に表れたのが、4月に麻生の地元である福岡県で行われた県知事選である。
事実上、麻生が擁立した自民党推薦の新人・武内和久と、現職の小川洋の一騎打ちとなり、現職の小川が圧勝。麻生は選挙後、党推薦候補が惨敗した責任を取るとして県連最高顧問の職を辞した。
麻生が、特に失点もない現職の小川に対抗馬を立てた理由は、2016年9月の衆院福岡6区の補欠選挙にあった。
保守分裂選挙となったこの補選で、麻生は当時の県連会長(県議)の長男を支援し、小川に対してその応援に入るよう求めた。ところが小川は、一旦は了解したにもかかわらず、直前に病気と称して病院に逃げ込んだ。
小川は8年前、麻生が自ら手引きして福岡県知事に据えた男だ。その小川が裏切ったことに、麻生は激怒した。その後は小川が陳情に訪れても面会謝絶を貫き、周囲には「(県知事選で)必ず対抗馬を立てる」と宣言してきた。
だが、そうした麻生の態度には、麻生後援会の幹部でさえ、「応援要請に応じなかったというだけで、あそこまで怒るとは」と驚きを隠さなかった。
県知事選の3か月前には、安倍晋三が麻生に世論調査の結果を示し、「現職の小川には勝てませんよ」と撤退するよう説得した。しかしその際も、麻生は「これは私の面子の問題だ」と一歩も引かなかった。安倍は仕方なく、新人の武内に党本部の推薦を出すことを了承したが、安倍も「歳のせいか、麻生さんもおかしくなったね」と首を傾げた。
菅の術中にはまった
麻生はなぜ、そこまで意固地になったのか。カギは菅の存在だった。
前述した16年の衆院補選で、小川が麻生から応援を頼まれた時、すでに麻生の推す候補の劣勢は明らかだった。悩んだ小川は、対立候補を支援していた旧知の菅に相談。菅に「応援には行かない方がいい」とアドバイスされた小川は、病院に逃げ込んだ──少なくとも、麻生はそう信じているという。
麻生側近は「面子を潰されたと感じた麻生は、それゆえ負け戦覚悟で知事選に突っ込んだ」と明かす。
地元の最有力議員と対立関係に陥った小川は、その後も折に触れて菅に相談した。麻生が自分に対立候補を立ててくることを知った際には、弱気になり立候補断念も検討したが、菅は「心配いらない。私が応援する」と激励。それゆえ、小川は昨夏頃には立候補の意向を固め、麻生との全面対決に突き進んだのである。
麻生は、自分が擁立した武内に自民党本部の推薦が出れば、小川は立候補を断念すると考えていたようだが、結局、菅の術中に嵌り大きな痛手を負ったというわけだ。 
 
 

 

 
 
 

 

総理の禅譲 期待
個性控え目 安倍政権のサポーターに徹してきた
 
 
 

 

●岸田氏が会見 総裁選出馬を表明 9/2 
ソフトパワー外交を進めたい
先ほど立候補の表明をさせていただいた
岸田:はい、いいですか。お願いします。あ、そうだ。じゃあ最初、出だしだけ少し話します。本日開かれました自民党の総務会において、これから行われます自民党の総裁選挙の方式、やり方について議論が行われ、そして総務会として了解をする、こうした手続きが行われました。自民党総裁選挙の方式について確定したということでありますので、私自身、今までも立候補に向けては準備をしている、立候補するということは申し上げてきましたが、あらためて正式に自民党総裁選挙に向けての出馬、立候補の表明をさせていただいた。こういった次第であります。先ほど立候補の表明をさせていただいた次第であります。
これから、おそらくあすにはこの総裁選挙の具体的な日程等も確定するものだと思っています。いよいよ総裁選挙の方式、そして日程が明らかになるということでありますので、今日、立候補の表明をさせていただいたこの瞬間から、この戦いに向けて、勝利に向けて、多くの同志の皆さんと共にこの努力を始めたいと思います。大変厳しい道のりを感じていますが、国民のため、国家のため、私の全てを懸けてこの戦いに臨んでいきたいと存じます。そして1人でも多くの国民の皆さんに共感してもらい、力を与えていただき、戦いを進めていきたいと思っています。あらためて皆さんのご協力、お力添え、心からお願いを申し上げる次第です。冒頭はそのぐらいでよろしいですか。
どういう人がリーダーに向いていると思うか
NHK:NHKの清水です。お願いします。これから国のリーダーを目指すことになると思います。ご自身の能力や個性の中で、どういう人がリーダーに向いていると思われるか。ほかの候補者でなく、自分がリーダーとして、自分にしかできないことはなんだと考えるか教えてください。
岸田:まず、どんなリーダーを目指すかということですが、リーダーにはいろんなタイプがあると思います。トップダウンで物事を進めていくリーダー、あるいは政治手法として、あえて敵を浮かび上がらせて、そして自らの存在を明らかにしていく、こういったリーダーとか、さまざまなリーダーがあると思いますが、私は先ほどの立候補表明の中でも申し上げたように、今の時代、さまざまな課題に立ち向かうためにも国民の協力がなくてはならない。新型コロナウイルス対策1つ取ってみても、国民の協力なくしてさまざまな政策は実現することができない。こういった認識に基づいて、この国民の協力を引き出せるリーダーを目指していきたいと思っています。
そのためには、まずは政治の信頼、何よりも大事だというふうに思いますし、さらには国民の声を丁寧に聞く、人の声を聞く力、こうしたものも政治に求められるのではないか。このように思います。こうした国民の協力を引き出すことのできるリーダーを、ぜひ目指していきたいと思います。
そして、ほかの人間にできないことは何かということですが、ほかの人間、比較する対象がさまざまですから、比較する相手によって、これは違いがあるのかもしれませんが、やはり政治においては今申し上げた姿勢を大事にしていきたいというふうに思いますし、また、政策ということにおいては、やはり経済と外交、この2つは私がこれまで歩んできたさまざまな経歴、政治におけるさまざまな努力、こういったことを振り返りますときに、他のさまざまな方々と比べても遜色のない、しっかりとした力を発揮できるのではないか。このように感じています。ぜひそうありたいと、そしてそれをしっかり国民の皆さんに示していきたいと思っています。
司会:次の方、はい。
経済・外交政策を具体的に聞きたい
産経新聞:産経新聞の・・・です。最初にお伺いします。経済と外交のことをお伺いしましたが、安倍政権と比べて、これから岸田政権になれば、経済と外交ではどのような政策を敷かれるのか、具体的にお願いします。
岸田:これも先ほど立候補表明の中で一部申し上げさせていただきましたが、安倍内閣の7年8カ月、経済においても外交においても大きな成果の上がった7年8カ月であったと私も思っています。経済においても成長の果実、GDPにおいても企業収益においても、また、雇用においても、これは7年8カ月の間、ずいぶん変わった。また、外交においても7年8カ月前、それまでは毎年のように日本のトップリーダーが代わるということで、日本の国際社会における存在感、これも大変寂しい状況にあった。こういったことでありましたが、この7年8カ月、安定政権の下で日本の国際的な存在感、発言力、こういったものも格段、高まった。こういった時代であったと思っています。
しかしながら、どんな政策も、これは10年、20年、同じ政策を続けていて通用するほど甘いものではないということです。時代はどんどん変化しているわけですから、その変化にしっかり対応していかなければならない。こういったことだと思います。何よりも今は新型コロナウイルスとの闘いに直面しているわけですから、よりそういった思いを強くしています。
トリクルダウンが実感できないという指摘も
よって、安倍時代のさまざまな経済政策についても、しっかりとこれからも持続していかなければいけない部分もありますが、例えば格差の問題。確かに成長の果実はさまざまな努力によってしっかりと感じられるわけですが、それがどう分配されてきたのか。大企業や富裕層においては確かにそうした成長の果実、実感できるのかもしれませんが、じきトリクルダウンが生じて、中間層や中小企業や地方にもこういった成長の果実が届くんだといわれ続けていましたが、なかなかそのトリクルダウン、実感できない。こういった指摘がありました。さらには格差の問題についても、子供の貧困、あるいは子ども食堂などというものが話題になる、こういった時代を考えましても、しっかり立ち向かっていかなければならない。
安倍時代の成果は高く評価しながらも、今言ったような時代の変化の中にあって、新たに浮かび上がってきた課題についてはしっかり取り組まなければいけない、このように思っています。よって格差の問題、あるいは分断から協調へというような言葉で表し、努力をしたいということを申し上げました。
外交ということについても、先ほど申し上げましたように大きな成果は上がってきたと思いますが、今、国際社会自体がさらに変化している、これが実態であると思います。米中の対立がより深刻化してきた。そして国際社会において保護主義、自国第一主義、さらにはブロック経済、こうしたことがいわれている。こういった時代にあって、日本のような島国で、資源がなく、そして人口が減少していく、こういった国がどうやって存在感を示していくのか、これを今、真剣に考えていかなければならない、こういったことだと思います。
そのために、先ほども少し申し上げましたが、基本的な価値観に基づくソフトパワー外交というものをしっかり進めていきたい。こういったことを申し上げています。安倍政権における成果を評価しつつも、新しい時代に向けて今申し上げたような課題に取り組んでいかなければならない。こういった問題意識を私は持っています。
新型コロナ対策は何に重点を置くのか
朝日新聞:朝日新聞の・・・です。今、国民が最も気にしているのは、足元はコロナの問題だと思います。総裁になられて、新型コロナ対策としてはどういったことを重点にやりたいと思っていらっしゃいますか。
岸田:まず新型コロナウイルス対策、基本は長期戦の様相を呈してきていますので、感染症対策と経済対策、これは共に人の命に関わる重大な課題だと認識をして、車の両輪としてしっかりと進めていかなければいけない、こういった課題であると思っています。経済政策についても、この長期戦の様相を見せる中にあって、まだしばらく需要の回復というのは見込めないと感じていますので、財政措置、金融措置、これは引き続き思い切って行わなければならないと思います。すでに明らかになっている事業規模230兆円の緊急経済対策、これも一日も早く実施しなければなりませんし、そして先日も予備費の執行が新たに確認されましたが、必要なものは付け加えていく、こういった点は大事なんではないか。このように思います。
そしてこの感染症対策、そして経済対策、両方を通じてより充実させなければいけないのは、検査の体制ではないかと思っています。感染症対策として検査の実数を上げる、さらには体制を整備する、これが大事だということ、これは当然のことであり、今までもいわれてきたわけですが、これ経済においても、これからこの経済において人や金や物、これをしっかり動かしていくということを考えますと、そのために検査体制をしっかり整備していく、こうした努力も必要になってくるんではないか、このように思います。
ですから感染症対策、そして経済対策、それぞれやらなければいけないことは、医療機関への支援をはじめさまざまありますが、共通する課題として検査体制の充実、実数を上げることと同時に、それぞれの検査をどう使っていくのか、適切なシステムをつくっていく、こういった観点は重要になってくるのではないか。こんな認識を持っています。
東アジア地域の軍縮を呼び掛ける考えは?
朝日新聞:すいません、朝日新聞の藤田と申します。外交・安全保障で、ちょっと・・・具体的に。東アジアの安保環境が引き続き厳しいということで、安倍首相は敵基地攻撃能力を含む新たな安保戦略を検討するのを・・・会見でもおっしゃっていましたが、これを引き継がれるのかというのが1つと、もう1つは、さはさりながら、それだと・・・ばかりですのでやめたいと・・・されましたが、中国も含めてミサイル問題、地域の軍縮を呼び掛けていくというようなお考えはあるかどうか、それをお願いします。
岸田:まず敵基地攻撃の課題ですが、この議論はご案内のとおり、イージス・アショアを断念するということから、わが国のミサイル防衛体制が十分であるのか、そして今後どうあるべきなのか、こういった議論を行った、その1つとして敵基地攻撃が必要なのかどうか、こういった議論が行われた。こうした議論の進み方であったと思います。まずは国民の命や暮らしを守るために、わが国の安全保障体制、これがどうあるべきなのか、十分なのか、こういった議論をしっかり進めていく。これが何よりも基本であると思っています。
そしてその中で、敵基地攻撃というもの、これはもう戦後の議論の中においても、憲法上は必要最低限のもの、ほかに手段がないという場合であったならば、これは可能であるという解釈は行いながらも、実際にはその能力も持たず、導入の計画もない、こういった政府答弁を続けてきた、こういった課題であると認識をしています。この議論はしっかり進めていくということではありますが、実際のところ専守防衛、そしてわが国の平和憲法との関係において現実的な対応ができるのかどうか、こういった観点からしっかり議論を進めていく、こういったことではないかと思います。
核軍縮は政治家としてのライフワーク
そして2点目として、平和の問題、指摘がありました。これは、日本は、先ほど私もソフトパワー外交ということを申し上げました。これは基本的な価値観を共有する国々と地球規模の課題に取り組んでいくことによって日本の存在感を示していくというような考え方ですが、その地球規模の課題の1つに平和、これは大変重要な課題として取り上げていかなければならないと思っています。
そして平和の中でも、私自身、これはご指摘のアジアの安全保障にも深く関わることですが、核軍縮、これは私にとって、政治家としてのライフワークであると思っています。被爆地、戦争被爆地から出た、被爆地・広島から出た初めての外務大臣という立場であった私としても、外務大臣在任中から核軍縮、これについては強い関心を持ち、努力をしてきました。ぜひこれからもこの核軍縮については、核兵器のない世界を目指すという大きな方向性に向けてしっかりと取り組んでいきたい、このように思っています。
金融緩和を続けるのか
日本経済新聞:日本経済新聞の・・・です。経済政策で言うと、いわゆるアベノミクス「3本の矢」との違いというのを問われると思います。金融政策については物価安定目標2%を堅持して金融緩和を続けるのかどうか。財政についてはプライマリーバランスの黒字化をいつ目指すのか。最後、アベノミクスでも道半ばといわれた成長戦略についてはどのようにリードしていくのか。この3点についてお伺いします。
岸田:まず、アベノミクス「3本の矢」との関係で言いますと、おっしゃるように、このアベノミクスは「3本の矢」と言いながら、実際は1本目の矢と2本目の矢、これを中心に経済政策が進められてきた、こういったことではありました。マイナス金利をはじめとする金融政策、そして思い切った財政出動、これがエンジンとなって経済を進めてきた、こういったことは間違いないと思います。
ただ、今、もうマイナス金利、これ以上、金利も深掘りができない。金融緩和、これ以上どうだろうか。こういった議論がある。実際、弊害として地方の金融機関をはじめ、さまざまなところで問題が指摘をされている、こういったことでありますし、財政、もともとこの厳しい日本の財政状況の中で、今回のコロナウイルス対策でさらなる財政出動が求められている、こういった状況ですから、財政出動についてもどこまでできるのか、こういった状況にあるとは思っています。
3本目の成長戦略を思い切って進めないと
ただ、これら金融政策も財政政策もすでに市場に織り込み済みですので、これをいきなり変えるとか触るということになりますと、これはまた別の弊害が出たりしますので、基本的なスタンスは、これらについてもしっかり大事にしながらも、まさに経済の持続可能性ということを考えたならば、この3本目の成長戦略、これを思い切って進めないと経済の持続可能性は維持できないんではないか、こういった問題意識を持っています。
そして、この経済の成長を考えた場合、これからの経済の成長を考えた場合に、なんと言ってもエンジンであるのは、21世紀の石油といわれるビッグデータであったり、あるいは5Gをはじめとする最新の技術、こういったものになるのではないか、このように思います。このビッグデータと、そして最新の技術、これに教育を結び付けることによって、遠隔教育ですとか、このビッグデータと、そして技術に医療を結び付けることによって遠隔医療ですとか、こうした組み合わせによって、ドローン宅配とか自動運転とかスマート農林水産業とか、さまざまな成長戦略を考えていくことができる。
先ほど立候補表明の中で紹介させていただきましたデジタル田園都市構想。これもまさにビッグデータと最新の技術と、そして地方を組み合わせることによって構想を進めていく、こういったことなんではないかと思います。ぜひ、この新しい時代の成長戦略というものをしっかり打ち出すことによって、3本目の矢、新たな経済のエンジンとしてしっかりと活用していく、こういったことを考えていかなければいけないと思います。
そして幾つかご質問がありましたが、プライマリーバランスの話がありました。これは先ほど言ったように、もともと先進国最悪といわれている財政状況があり、そして財政の健全化がいわれる中にあって、今回、新型コロナウイルス対策ということで、おそらく今年、90兆円を超える多くの国債を発行しなければいけない。こういった状況についてどう考えるかということですが、今回の新型コロナウイルス対策は、日本においてもこれは戦後最大の国難といわれる大変深刻な状況ですが、これは世界規模で感染の影響が拡大をしています。よって世界各国、少なくとも主要国は、アメリカも含めて、これからしばらくは思い切った財政出動をし続けていく、こういった時代が続くと思います。
数年は金利引き上げが難しい状況が続く
そして厳しい経済状況ですから、これから数年は各国も金利を引き上げることはなかなか難しいという状況が続くと思います。よって、ここ数年間は、わが国も各国に遅れることなく、新型コロナウイルス、思い切った財政出動を続けていかなければいけない、こういった立場にあります。しかしながら金利を下げる、そして財政出動をし続ける、こういったことになりますと、経済の変動に対して有効な政策手段を失うことになる、手を縛ることになりますので、おそらく数年先には各国とも、財政も、あるいは金利も、平時に戻そうと努力をしてくるはずでありますから、そのときには日本も遅れることなく財政の健全化、あるいは金利についてもしっかり考えていく。こうした考え方に基づいて、これからの政策を進めていく。これがあるべき姿ではないか。このように思っています。
早期解散も選択肢から排除しない考えか
西日本新聞:西日本新聞の・・・です。衆議院議員の任期も残り1年余りとなる中で、解散総選挙の時期についてどのようにお考えでしょうか。党内には新しい総裁選出すぐの実施を求める声もありますが、早期解散も選択肢から排除しない考えか、理由と併せて教えてください。
岸田:まず、今、新型コロナウイルスとの闘い、激しい闘いが続いています。それに専念しなければならない。国民の命や暮らし、事業や雇用を守る、これに専念しなければいけない事態であると思います。よって、解散について考えることは、難しい面はあると思います。ただ、解散の時期については、もちろんそのときのトップリーダーが判断することではありますが、私は、さまざまな選択肢は排除するべきではない。なぜならば解散総選挙というのは国民の皆さんに選択をしてもらう、選んでもらう大切な機会でありますが、政治を進める側にとっては、選挙によって政治のエネルギーをいただく、政治・政策をしっかり進めていくために、あらためて国民の皆さんの声を受けて、それをエネルギーとして重要な政策を進めていく、こうした機会でもありますので、政治の立場から考えても、状況に応じて、必要であればこれは国民の皆さんの声を聞く、こういったことを考えることはありうるのではないかと思っています。
今、特定の時期はまったく頭にありません。もちろん私はまだトップリーダーではありませんから、一般論として申し上げているわけですが、そういった理屈で物事を考えるべきなのではないか。一政治家として、一般論として申し上げます。
党員投票見送りについてどう考えるか
共同通信:共同通信の・・・です。総裁選の方式なんですけれども、本日の総務会で党員投票が見送られることになりました。地方の声が十分に届かないのではないかと・・・、これについてどう考えますでしょうか。また、・・・派閥が・・・状態に・・・、どのように・・・していきたいか、お願いします。
岸田:まず総裁選挙の進め方については、先ほどの総務会において確認をされました。両院議員総会を通じて行うということとなりました。まず、これは自民党の党則6条に基づいて、総裁が欠けた場合に基本はフルスペックの総裁選挙を行うわけですが、緊急の場合等においては両院議員総会で決定することができる、こうした党則になっています。ですから両院議員総会において決めるということは、これは党則のとおりの手続きでありますので、これを党則上、正当性がないとかおかしいとか言うわけにはいかない。これが事実であると思います。
事実、これは事務局から聞いていますが、任期途中で総裁が欠けた際にフルスペックで総裁選挙を行ったということは今までないというような説明も受けています。あくまでもこの手続きは党則に基づいたものであるということは、しっかり申し上げておかなければならないと思います。
説明し尽くしていないから厳しい声が
しかしながら、なぜ緊急の事態であり、そしてそういう対応を取ったのか。フルスペックの総裁選挙をやった場合に、これは名簿の確定等から考えますと、1カ月半から2カ月掛かるというような事務的な問題ですとか、それから両院議員総会をやるといっても、各県でそれぞれ党員投票をやるというような動きが今どんどん広がっているということとか、こういったことをしっかりと説明していないから、説明し尽くしていないから、国民の中から、これは方式としておかしいのではないか。事実、150人以上の国会議員が、これはフルスペックでやるべきだというような意見も出している、こういったことなんだと思います。
私は、今日の総務会でも申し上げたんですが、手続きがそうだとしても、多くの国民の皆さんにどうしてそうなのかということについて、そしてその中にあっても、それぞれ党員投票の努力を県連等で行っているというような実態、こういったものが伝わっていないから、これはこの厳しい声にもつながっているんではないか。これはぜひしっかりと説明することによって、こうした取り組みについてしっかりと理解してもらう、こういったことは大変重要なのではないか。このように思っています。
そしてもう1つ。戦いは大変厳しいのではないか、そういったご指摘がありました。これについてはおっしゃるとおりだと思います。ただ、これは選挙戦、まだこれから、告示もされていない、始まってもいない段階です。これは選挙というもの、あるいは政治というもの、これは毎日毎日いろんなことが起こって、いろんな変化があります。そんな中で1つ1つ私の思いを訴えさせていただき、そして1人1人の心に届くように、丁寧にこの訴えを続けることによって活路を見いだすべく努力を続けていく、これに尽きると思っています。以上です。
総理になった場合、モリカケ・桜の再調査は
田中:フリーの田中と申します。ちょっと意地悪な質問で申し訳ございません。岸田会長が総理になられた場合、モリカケ、桜の再調査はいかがいたしますか。
岸田:私も今ご指摘の問題についてはマスコミ等でいろいろな話、承知をしております。いろいろな話も聞いています。ですから、そういった問題について、もしそういう立場に立ったならば、実際どうだったのかということについて話を聞くということは当然しなければならないんではないかと思います。その上で、実態が分かった上で何かすることがないか、こういったことについて考えていく、こういったことだと思います。今の段階では、中にいた人間でもありませんし、それから実態を承知しているわけではありませんので、もし、じゃあ官邸に入ったならば、あるいはトップリーダーになったならばということについては今申し上げたような答えとさせていただきたいと思います。
政治の清廉さを打ち出す考えは
記者1:・・・新聞の・・・です。クリーンな政治についてお伺いしたいんですが、長期政権ではいろんな資質が問われるようになり、いろんな問題がありました。岸田政権になった場合は、自民党内での政治のクリーンさ、清潔さであったりとか、不祥事をなくしていこうとか、どのような政治の清廉さ、潔白さっていうのを打ち出していこうと思いますか。
岸田:先ほど申し上げましたが、今、さまざまな課題に立ち向かうに当たって、国民の協力というものは不可欠であると思っています。よって、そのために信頼と聞く力が大事だということを申し上げました。ぜひ、この信頼というのは政治の大きな原動力にもなる、こういった課題だということで、真剣に取り組んでいかなければならない、このように思います。
そして信頼を取り戻すために、さまざまな取り組みの透明性を高めていかなければいけない、こういったことだと思いますし、それから物事を決める手法として、よくトップダウンかボトムアップかということがいわれます。トップダウンで物事を決める、これは迅速にものを決める上で大変重要です。ボトムアップで物事を決める、これは多くの人たちの声を吸い上げるという意味で重要です。
どっちがいいのかという議論はあるわけですが、答えはどっちがいいというものではありません。これはケース・バイ・ケース、適切に使い分けることができるかどうか、これが賢い政治だと思います。政治手法においてもトップダウンとボトムアップ、これ、適切に使い分けられる賢い政治を進めることによって、多くの皆さんの声も適切にくみ上げる、政治の信頼につながっていく、こういったことになるのではないかとは考えています。具体的にはそういった考えに基づいて、信頼を得るためにどうあるべきなのか、個々に考えていく、こういった課題であると思っています。
憲法改正を行う考えは
読売新聞:読売新聞の・・・です。憲法改正についてお伺いいたします。安倍総理は悲願である憲法改正をできずに退陣することになります。岸田会長が総裁になられたら、憲法改正は行うお考えはありますでしょうか。
岸田:はい。憲法というもの、これは国の基本であり、国民として、政治として、この国の基本を定めるものについて、時代の変化の中で絶えず考えていかなければいけない、どうあるべきかを考えていかなければいけない、こうした課題であると認識をしています。そして自民党においては、すでに4つの項目にわたって、たたき台素案を明らかにし、憲法改正の議論に臨んでいます。
この4項目につきましても、自衛隊の憲法における明確化、意見論争への終止符、これも大変重要な課題でありますが、今、首都直下型地震をはじめ、災害の時代といわれる中にあって、緊急事態にあっても国民の代表である国会の権能をしっかり守っていくためにはどうあるべきなのか、こうした緊急事態対応ですとか、また、先ほども格差の問題申し上げましたが、子供の貧困、子ども食堂、こういったことが注目を集める、こうした格差が拡大していく中にあって、さらにはこの所得の格差が教育の格差を生み、そして教育の格差が所得の格差を再生産する負のスパイラルが始まっているといわれている日本の社会にあって、日本国憲法は内容として義務教育の無償化しか書いていないという状況。
9条以外にも重要課題はたくさんあるのでは
これは、この格差の問題1つ取っても、日本国に生まれた子供であるならば最低限の教育を受ける、こうした権利を考えていくなど、教育の充実の問題、これも自民党の4項目の中の1つですが、これも大変重要な、現代的な憲法改正の課題だと思いますし、さらには4つ目として一票の格差の問題。この問題は東京への過度の集中、都市部への人口が集中する中にあって、日本の選挙においては、日本国憲法に一票の平等の物差しとして人口割りしか書いていないがために、人口が都市部にどんどん集中していきますと、日本の議員の定数はどんどん都市部に集中していってしまう。これが現実です。
もう少しすると日本国の国会議員、4割以上は関東から選ばれるという時代が来るんではないか、こんなことがいわれるぐらい、人口集中によって、憲法において一票の平等の物差しが、人口割りしか書いていないがために議員の定数がどんどんと移動していく。そして地方においては、結果として鳥取、埼玉は1つの県でも参議院の議席1つを維持できない。2つの県で1議席。高知や徳島、これも1県で1議席を守れない。こういった状況がある。一方、東京にはどんどん国会議員が集中していく。
こういった状況を考えると、憲法における一票の格差の物差し、地域へのつながりですとか、県の塊ですとか、もう少しほかの塊も総合的に考えるような物差しを考えていかないと、この状況はどんどんと進んでいってしまう。どんどんと、努力は続いていますが、毎回毎回、国政選挙をやるたびに違憲裁判が提起される、こういった状況がずっと続いていってしまう。こういったことを考えても、憲法の一票の平等の物差しについて考えてみる、これも極めて現代的な課題ではないかと思います。
このように憲法改正という議論、ややもしますと9条の問題が頭に来る。これは9条の問題も大変重要な議論ではありますが、それ以外にも現代的な課題として大変重要な課題、たくさんあるんではないか、このように思っています。こういったことについては、政権が代わっても、誰がリーダーになっても、絶えず考えていかなければいけない課題ではないかと私は思っています。
男性:すみません、そろそろ時間ですので。
司会:時間なので、これで、じゃあ最後の1問だけ。
日韓関係の課題をどう解決するのか
記者2:現在、隣国のさまざまな・・・問題起きていますけれども、・・・ですけども、特にその中で日韓関係を、いろいろ、さまざまな課題があると思いますけれども、どう解決するつもりですか。例えば首脳同士で直接向き合って会談するとか、今後の・・・。
岸田:日韓関係についての質問ですが、私も外務大臣時代、慰安婦問題に関する日韓合意、まさにこの合意を結んだ担当大臣でありましたので、大変深い思いがあります。その中で、今の日韓関係、大変残念な状況にあると思っています。これは韓国側にもいろいろな言い分はあるのかもしれませんが、私としては、この日韓関係については、まずは国際法を守らなければいけない、そして国際的な約束はしっかり守らなければならない、そして国際儀礼はしっかり守らなければいけない。こういった原則についてはしっかりと、どうあるべきなのか、これは韓国の皆さんにもしっかり考えていただき、われわれも共に考えていく、こういった努力をしなければ、なかなか今の状況は変えられないのではないか、そんな心配をしています。
冷静な外交の対話を行うための環境整備も大事
そしてこうした国際関係、二国間関係を考える場合に、外交当事者の努力、もちろん大事ではありますが、私も外務大臣をしていて感じたことですが、特に歴史や領土、こういった問題に関わる二国間関係に関わってみますと、厳しい球は、前からより後ろからのほうが大変厳しい球が飛んでくる、こういった現実もあります。そういったことを考えますと、やっぱり両国関係において、両国の国民の感情というものをしっかりと冷静にコントロールすることを行い、その上で冷静な外交の対話を行っていく、こうした環境整備も大事なんではないかと思っています。
韓国側にも言い分はあるかもしれませんが、私は日本の立場として、国際法をはじめ、しっかりと韓国の皆さんにもいま一度見つめ直していただき、ぜひ前向きな行動を取っていただきますよう、お願いしたいと思っています。
司会:じゃあこれでちょっと時間になりましたので。
記者3:すみません、カジノの見直しについて一言お願いします。菅さんが推薦してるんで、対抗する意味でぜひ。見直すべきではないかと。
岸田:うん?
記者3:お考えをお伺いしたいんですが。
司会:もうここで終わり。
記者3:一言お願いします。
岸田:いやいや、カジノについては法律に基づいてさまざまな手続きが進んでいます。これは現実で、それは、法律はもう成立をし、さまざまな取り組みが進んでいる、こういったことだと思います。個々の問題については、これはちょっと現状、細部は、詳細、承知しておりませんので、法律に基づいて物事を進めていく、こういった課題であると思っています。以上です。
司会:それではまだあろうかと思いますが、時間がまいりましたので、これで締めさせていただきます。ありがとうございました。
岸田:ありがとうございました。 

 

●岸田氏 経済格差や分断是正へ「公正でやさしい、芯の通った政治」 9/3 
安倍晋三首相(自民党総裁)の後任を選ぶ党総裁選(8日告示、14日投開票)で、岸田文雄政調会長(63)は3日午前、東京都内で記者会見し、公約「岸田ビジョン」を発表した。「分断から協調へ」をテーマに経済格差や国際社会の分断を是正する「公正でやさしい、芯の通った政治」を掲げた。会見では、格差是正へ取り組む姿勢を示し「新しい時代の成長戦略も考えなくてはならない」と述べた。
公約では安倍政権の実績を認める一方、「経済や社会、国際社会の分断が深まりつつある」と指摘。デジタル技術とデータの利活用を通じ「協調」へ転換する「デジタル田園都市国家構想」の実現を提唱した。具体的な施策として、最低賃金の引き上げや教育費・住宅費の負担軽減による中間所得層対策などを挙げた。
菅義偉官房長官(71)は細田、麻生、竹下、二階、石原各派の事務総長と無派閥議員らが開いた選挙対策本部準備会合に出席し「安倍政権の立場を継承し、全身全霊でこの国のために頑張る」と述べた。
石破茂元幹事長(63)は国会内の歯科医院で週1回の歯科検診をこなし、決戦に向けたコンディションを整えた。 
●「分断から協調へ」岸田氏が政策発表 3氏出馬表明の自民党総裁選 9/3 
自民党総裁選に立候補を表明した衆議院広島1区選出の岸田文雄政調会長が、3日、具体的な政策集を発表しました。
宏池会事務所で会見した岸田政調会長は、「今、求められるのは『分断から協調』と強く訴え、格差問題と向き合う」と述べました。
政策パンフレットでは、「公正でやさしい、芯の通った政治を実現する」と強調。そのうえで、「まずは新型コロナウイルスとの戦いに勝ち抜く」として、PCR検査体制の拡充や、医療提供体制の充実などを挙げ、感染症対策と経済社会活動対策の両立に向けた出口戦略を描くとしています。
また、10の約束として、持続可能な新しい資本主義の構築や、デジタル田園都市国家構想を提示しています。
総裁選には、ほかに菅官房長官と石破元幹事長が立候補を表明。主要派閥の支持を得ている菅氏が圧倒的リードを広げていて、岸田氏は厳しい戦いを強いられています。 
●麻生氏から岸田氏への「宿題」 2人の空気一変、逆境に 9/4 
突然の首相退陣を、自民党の岸田文雄政調会長は講演のために訪れた新潟市で聞いた。急いで帰京したものの「ポスト安倍」をめぐるうごめきは、岸田氏抜きで一気に進んだ。数日のうちに5派閥が菅義偉官房長官の支持を表明。「大事な時に東京にいないなんて致命的だ」。自民党内ではそんな辛辣(しんらつ)な声も聞かれる。
岸田氏が期待していた麻生派や細田派も菅氏支持。岸田派(宏池会)内には悲愴(ひそう)感が漂う。「こんな形ではしごを外されるなんて」。同派幹部はそう顔をゆがめた。別の幹部は悔やむ。「禅譲を狙うという戦略自体、取るべきではなかった」
派内には撤退論もくすぶったが、岸田氏は1日、「国民のため、国家のため、私の全てをかけて取り組む」と正式に出馬を表明した。同派幹部は「『負けそうだから、またしっぽを巻いて逃げた』と思われたら、政治家として終わる」と苦しい状況を解説した。
岸田氏は吹っ切れたかのように発信を強める。3日には一番乗りで政策集を公表。会見では菅氏が掲げる「安倍政権の継承」に対し、「私は安倍政権時代の政策の発展、充実」と主張し、「どんな政策も5年10年と同じことをして通用するほど世の中は甘くはない」と指摘した。 ・・・  
●目線は次期?窮地の岸田氏 麻生氏が突き付けた条件に「できません」 9/4 
安倍晋三首相が辞任表明する前まで、後継候補の「先頭ランナー」と目されていた岸田文雄政調会長。自民党総裁選で大きく出遅れ、窮地に立っている。首相や麻生太郎副総理兼財務相の後押しを取り付け勢いに乗る戦略は、そのまま菅義偉官房長官にお株を奪われる形で早々と頓挫した。もし惨敗すれば、政治生命の保証もない。反転攻勢に転じ、どこまで菅氏の背に食らい付いていけるか−。
3日午前。都内の岸田派事務所で総裁選の政策を発表した岸田氏は「国民の理解が、今の(厳しい選挙)状況を動かしていくことを願っている」。序盤戦で菅氏の圧倒的優位が報道される中、ファイティングポーズを強調した。続けて昼の民放番組に生出演し、新型コロナウイルス感染症と最前線で闘う国立病院など2カ所を視察、現場重視の姿勢を見せた。深夜もテレビ局をはしごした。
「地味で優柔不断な優等生」の印象が強い岸田氏が、何か吹っ切れたように動きだした。地元・広島から呼び寄せた妻と一緒のショットも公開し、親しみやすさを売り込む姿に、距離を置く派閥の衆院ベテランは背水の覚悟を感じ取った。「ようやく顔つきが変わってきたよな」

初当選同期同士で、首相が気が置けない友人の岸田氏。第2次安倍政権では外相を4年7カ月、党政調会長を3年1カ月と常に要職の座を任された。首相がバトンを託す相手と見定め、そのゴールをお膳立てしようと岸田氏にアシストを出したのは明らかだった。だが、「次の首相」を問う世論調査では毎回、首相が目の敵にする石破茂元幹事長に大きく水をあけられ続けた。
6月のことだ。再び非常事態の様相を呈し始めていた新型コロナ対応と今後の政権運営で腹合わせするため、首相と盟友・麻生氏は一対一で向き合った。ふと「平時なら(次期首相は岸田氏で)いいんだがな…」。水を向ける麻生氏に、首相は「化けきれなかったよね」とうなずいた。
この前後から首相の胸中で「岸田氏の優先順位が下がっていた」(麻生氏周辺)とみられる。持病の再発による退陣劇が世間を震撼(しんかん)させた8月28日午後、岸田氏の姿は党本部ではなく、講演先の新潟県にあった。織田信長が本能寺の変で倒れた後、織田領の配分を決める「清洲会議」に間に合わず没落したとの説がある家臣・滝川一益を引き合いに、「岸田氏の命運は尽きた」(党関係者)ともささやかれた。

菅氏が電光石火で実力者の二階俊博幹事長と会談し、総裁選の流れを一気にたぐり寄せつつあった同月30日、岸田氏は助力を麻生氏にすがった。そして、条件を突き付けられた。自ら率いる岸田派(宏池会)の前会長で、政界に隠然と影響力を残す古賀誠元幹事長との絶縁だった。
政界の要石である麻生、古賀の両氏は長年にわたり、地元・福岡の政財界を巻き込んでお互いをけん制し合ってきた間柄。「それはできません」と拒む岸田氏に、麻生氏は最後の助け舟を出した。「だったら、首相に『岸田を応援する』と言わせてこい」−。
翌31日。官邸に出向いた岸田氏に、友人が掛けた言葉はむなしく響いた。「(総裁である)自分の立場から個別の名前を挙げるのは控えている」。麻生氏は、菅氏支持にかじを切った。雪崩が加速した。
もはや菅氏の優位は揺るがない。それでも、岸田派は「派閥の人数(岸田氏を除き46人)と石破氏の得票をいずれも上回れば、来秋の『次の総裁選』に望みがつながる」(若手)とし、支持固めと他派閥の切り崩しに奔走する。菅氏支持を決めたとはいえ、後見役だった首相と麻生氏がひそかに、岸田氏に温情票を回す可能性もある。麻生氏の側近は「菅氏に何かあったら、次こそは岸田氏だ。そのカードを完全に捨てたわけじゃない」と話す。  
●中間層や中小、地方への分配手厚く 岸田文雄氏に聞く 自民総裁選 9/6 
−多くの派閥が菅義偉官房長官を支持し、厳しい情勢だ。
「厳しいながらも協力してくれる人がいる。総裁選に真剣に臨み、国民に政策や思い、政治姿勢をしっかり訴えていく。それが党員・党友による予備選の結果につながり、国会議員票にも跳ね返ってくると思う」
−安倍政権の路線をどう継承し、どう変えるか。
「同じことを5年、10年やって通用するほど甘くない。新型コロナウイルスへの対応など時代は変化している。安倍政権の成果を土台にして政策を進化、充実させていく」
−総裁選の政策集で「分断から協調へ」を掲げ、格差解消を打ち出した。
「アベノミクスが大きな成果を出したことは間違いない。ただ、成長の果実が中小企業や地方に行き届いておらず格差が広がっている。中間層や中小企業、地方への分配を手厚くして格差を解消する。中間層などが負担を感じている教育や住宅を支援する」
−地方活性化へデジタル化を推進する「デジタル田園都市構想」も掲げた。
「田園都市構想は、自然豊かな地方と都市を結び、個性ある発展につなげようと40年前の大平内閣が打ち出した。当時は成果が出なかったが、コロナ対策で東京の過度な密集や、東京にいなくても仕事ができることを身をもって理解した。この雰囲気の中でデジタル化を進める。ビッグデータや5Gを活用することで地方を盛り上げていく」
−具体的には。
「自動運転が高齢者の移動を支え、ドローン宅配は人手不足をカバーできる。遠隔の教育や診療、スマート農林水産業も地方を支える大きな要素になる」
−憲法改正への取り組みは。
「(自衛隊の明記など)自民党が示した4項目の改正案は進めるべきだ。ただ、自衛隊は(戦力の不保持と交戦権の否認をうたった)9条2項を残した上での明記であり、平和憲法の精神は維持される」
−日韓関係にはどういう姿勢で臨むか。
「韓国に国際条約、国際法、国際儀礼を守ってもらうことは譲れない。話し合いを進めるにも、国民感情や社会の雰囲気を落ち着かせながらやることが重要だ」  
●総裁選「大本命」は岸田文雄? 9/6 
病身にムチ打ち、いわれなき批判を浴び続けながらの7年8カ月、安倍総理、ほんとうにお疲れさまでした。
このくらいのことを、なぜ大メディアは言えないのか。最もひどかったのは毎日新聞。8月30日の社説のタイトルが「『安倍政治』の弊害 民主主義ゆがめた深い罪」。
『週刊文春』(9月10日号)は早速、「二階が牛耳る菅『談合政権』の急所を撃つ」。
政治部デスク、担当記者などのコメント中心のありがちな政局記事。唯一、おもしろかったのは番記者と酒を飲みながら語ったという二階俊博幹事長のコメント。たとえば二階氏に自派閥のパーティーの講師を依頼してきた石破茂氏について。
〈「向こうは清水の舞台から飛び降りたような気分で来たのかもしれんがな。二、三日前から急に近づいてきたって、全然ダメだ」〉
言いたい放題は続いて、
〈「最近の総裁選は、生徒会長選挙に毛が生えたようなもんだ」〉。
『週刊新潮』(9月10日号)は「日々没する国ニッポン」という11ページの大特集の中で約4ページを割いて「『菅義偉』総理への道」。菅さんの履歴中心の記事だが、おもしろかったのは一時すきま風が吹いていたという横浜の港湾荷役業「藤木企業」会長で「横浜のドン」といわれる藤木幸夫氏との手打ちの話。
記者が「去年のインタビューでは『(菅氏は)安倍の腰巾着』と言っていたが」と聞くと、ドン慌てず騒がず、
〈「いまでも腰巾着ですよ。腰巾着ってのは、すごい褒め言葉なんですよ。腰の巾着だよ。旅に出る時に持っていくんだよ。腰巾着が無くなったら旅は中止だよ」〉。さすがドンだ。
『週刊朝日』(9・11)はトップが「菅官房長官 総理への『Go To』失速 『大本命』は岸田文雄」で、自らが失速。
『ニューズウィーク日本版』(9・8)では同誌コラムニストのグレン・カール氏が、「安倍が残した日本のレガシー」。〈安倍晋三首相の辞任は(中略)世界中の人々にとって大きな損失〉〈第2次大戦後の日本で最も成果を上げた首相〉と高く評価している。 
●「新しいリーダーを」初挑戦の岸田氏が決意 9/8 
自民党総裁選に初めて立候補した岸田文雄政調会長は8日午前、国会近くのホテルでの「出陣式」で、「われわれ自民党は新しいリーダーを選ばなければならない。この戦いにおいて、しっかりと存在感を示し、戦い抜く」と決意を語った。
岸田氏は「安倍時代の7年8カ月は経済・外交の成果で大きく成長し、存在感を示してきた。しかし今、新型コロナウイルスとの戦いなどの大きな国難に直面し、『これから』を考えていかなければならない」と指摘。「徹底した現実主義のもとに国民が何を求めているかを判断し、そして勇気を持って変えるものは変えていく。これが保守本流の考え方」とした上で、「激動の時代、混乱の時代こそ、自民党、保守に求められてきた力を発揮できる」と訴えた。 
●岸田氏「国会議員になってもさまざまな失敗」 9/8 
自民党の岸田文雄政調会長は8日の党総裁選の演説会で、自らの人生を「本当に多くの失敗を繰り返してきた」としながら、「国民の声を聞き、政治のエネルギーに換える。『聞く力』を再確認し、新しい時代に向かっていかなければならない」と訴えた。
岸田氏は「例えば学生時代、私は同じ大学の入試に3回失敗した。野球をやったが、さまざまな失敗。国会議員になってもさまざまな失敗を繰り返した」と振り返った上で、「そのなかでチームに参加する、協力してくれる人の心がわかるようになった」と強調した。
安倍晋三首相を外相や政調会長として支えてきた岸田氏。「安倍総理は数々の輝かしいレガシーを残した。この輝かしい成果を土台として、次の時代を考えていかなければいけない」として、「デジタル田園都市構想」の実現などを掲げた。 
●岸田氏「出産費用、ゼロにする」 9/9 
自民党の岸田文雄政調会長が少子化対策に関し「出産の費用について、無償化を目指して、しっかり負担をゼロにするべく国として支援をすることを考える」と新たに主張した。茨城県で地元県議らとの意見交換会を開いた後、記者会見で語った。
岸田氏は「少子化対策は色んな切り口から考えなければならない。保育の受け入れ態勢や、住宅をはじめとした育児の環境も大事なことだが、出産についても費用が大きな負担となっている。かなり広い範囲にわたって関心のある方々が多い」と述べた。
会場に使ったレストランは、自民党が野党時代に全国で小規模な座談会を繰り返す「車座集会」の初回に使った場所。岸田氏は8日の演説でこの座談会を取り上げ、「政治における『聞く力』のエネルギーの大きさを痛感した。今、再び政治の聞く力をしっかりと再確認をしなければいけない」と語っていた。
この日、地元特産のレンコンを土産に渡されると「先が見通せる、縁起がいい」と顔をほころばせた。 
●信じて最後まで戦う 岸田文雄自民党政調会長―自民総裁選 9/10 
「党員一人ひとりに訴えていく。支援の輪が広がり、議員の判断にも影響する。そう信じて最後まで向き合う」。自民党総裁選告示から一夜明けた9日、茨城県美浦村のレストランで、党県連の支部長らを前に力強く語った。
2018年の前回総裁選では安倍晋三首相との正面対決に勝機が見えず出馬を見送った。自ら率いる岸田派内では今回も居並ぶ対抗馬を前に「3位になったら終わり」との慎重論も出されたが、「ここで出ない方が終わる」との主戦論が勝り、初挑戦を決断した。
首相の前回総裁選勝利に貢献したとして「ポスト安倍」の意中の人と目され、党内では政権禅譲の可能性も取り沙汰されてきた。だが、突然の辞任表明で情勢が急変。期待した首相から支援の言質は得られず、党内各派の支持も一斉に他候補に流れるという「誤算」もあり、厳しい戦いを強いられる。
課題は「発信力不足」の克服。所見発表演説では大学受験に3度失敗したエピソードをあえて紹介し、親しみやすさを演出。選挙戦には妻の裕子夫人や秘書を務める長男も駆り出す家族総出の様子を隠さない。選対本部長に就任した遠藤利明元五輪相は「これまでは上品過ぎたが、戦いが始まって一皮むけた」と変身ぶりを評価する。
かつて所属した加藤派の加藤紘一元幹事長は00年、野党の森政権倒閣の動きに賛意を示しながら直前に翻意し、派内の混乱を招いた。「結局戦わず一歩手前で撤退した。最後まで戦い続ける姿勢は大事にしたい」。「加藤の乱」の苦い経験も今回の戦いの糧にする考えだ。  
●岸田氏「首相を目指して歩む」 次期総裁選へ再挑戦の意欲示す 9/14 
自民党総裁選で敗れた岸田文雄政調会長は14日、次期総裁選に再挑戦する意欲を示した。陣営会合で結果を報告した後「今日の戦いが終わった今、新たなスタートだと思っている。総理・総裁を目指して次の歩みを進めていきたい」と述べた。
記者団に対しても、次期総裁選に向けて「政策を磨き、力を蓄えて努力を続ける」と強調した。党則により、菅義偉新総裁の任期は安倍晋三首相(前総裁)が残した約1年間となるため、来年9月に再び総裁選が実施される。  
 

 

●岸田氏、名門の重圧 揺れた末の総裁選不出馬  2018/7 
自民党の岸田文雄政調会長が24日、党総裁選に出馬せず安倍晋三首相を支持する意向を示した。本音は首相からの「禅譲」路線とみられるが、かつて自民党内で総裁選で戦うことなく派閥を超えた禅譲が実現した例はない。決断が揺れた背景には、岸田派の源流である名門派閥「宏池会」がたどった歴史へのトラウマがある。今後の試金石は総裁選後の人事だ。
岸田氏は23日に首相と会い、互いの政治姿勢について意見交換した。記者会見で岸田氏は「首相と私は政治理念、政策についても異なる部分はある」としつつ、首相とは「私自身がめざす政治について話し、首相も丁寧に耳を傾けてくれた」と述べた。24日午後に電話で不出馬の意向を伝え、総裁選で首相を支持する考えも示したという。
一時は出馬にかたむいた岸田氏。だが、ギリギリまで判断は揺らいだ。周囲には「今回は出馬してもしなくても沈むことは覚悟しなくてはならない」と語り、こう付け加えた。「同じ厳しい状況になるなら、次につながるのはどちらかを考えなければならない」
そして最終的に「次」につながる道と判断したのが不出馬だ。
岸田氏ら派閥幹部の脳裏にあるのは、派閥の先輩にあたる加藤紘一氏による「加藤の乱」だ。加藤氏らは2000年11月に森内閣打倒を目指し、野党の内閣不信任案に同調する動きをみせたが党内の巻き返しに遭って失敗。その後、当時の加藤派は不遇をかこった。
「俺が出馬したとして、みんなは干されても本当にいいのか」。岸田氏は派内の会合で、出馬を促す若手議員を諭した。岸田氏が首相の対抗馬として出馬すれば「安倍1強」のもとで派閥ごと冷遇される恐れがある。
世論調査では石破茂元幹事長の後じんを拝している。岸田氏周辺では、石破氏の得票を下回れば「派内から世代交代を求める声が上がりかねない」と警戒する声も出ていた。
勝負に背を向けてまで期待した禅譲路線。その成否を占う最初の試金石は、首相が3選を果たしたとしてその後に実施する閣僚・党役員人事だ。
岸田氏が今回、首相を支持する代わりに何らかのポストを確約されたかは定かではない。現在、首相を除く19人の閣僚のうち岸田派は最大の4人。首相を支持したにもかかわらず人事で優遇されなければ派内での求心力は弱まる。
派閥の歴史は「不戦勝」が簡単ではないことも示している。宏池会を立ち上げた池田勇人元首相は前尾繁三郎氏に派閥を引き継いだが、前尾氏は1970年の総裁選で出馬をとりやめ当時の佐藤栄作首相の4選を支持した。だが、佐藤氏は内閣改造を見送った。前尾氏は派閥内の求心力を急速に失い、総理の座が回ってくることはなかった。
首相が3選を果たせば任期は2021年9月まで続く。すでに党内では河野太郎外相や小泉進次郎筆頭副幹事長ら次の世代の有力政治家が控え、3年後には取って代わられる可能性もある。
岸田氏は記者会見で、将来の総裁選に出る考えを問われ「気の早い話。一つ一つ目の前の政治課題に取り組むことが大事だ。その積み重ねが未来につながる」と語った。 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 

政権と距離をおく
正論 政治家を目指す
 
 
 
 
 
 

 

●自民・石破氏、総裁選出馬会見 9/2  
納得と共感が得られる党でありたい
なんのために立候補するか
石破:急なご案内にもかかわりませず、ご参集いただきまして誠にありがとうございます。自由民主党衆議院議員の石破茂であります。このたび行われます自由民主党総裁選挙、同士の皆さま方のご推挙いただいて立候補するという決意をいたしました。どうぞよろしくお願いを申し上げます。
なんのために立候補するかということであります。それは自由民主党、いかにあるべきか、そして日本国はいかにあるべきか、そういうことを国民の皆さま方の前に候補者それぞれが思うところを申し述べ、そしてご理解をいただき、その下に新総裁が選出をされ、国会において首班指名を受けたのちは、それぞれが申し述べた政策に対して国民の皆さま方が寄せられるいろんな思い、それを最大限に生かしていきながら政権運営はなされるべきだと、このように考えております。
複数の立候補者がございます。それぞれが思うところを申し述べ、直接の有権者ではないにせよ、党員の皆さま、国民の皆さま方にご判断をいただく。そういう機会をお示しすることは、持っていただくことは、われわれが国民に対して果たすべき責務であると、このように考えております。
自由民主党総裁でありますので、自由民主党、いかにあるべきかということであります。それは、わが党は国民政党であります。広く国民の皆さま方とご納得と共感を得て、強い信頼の下に自由民主党は政策を遂行していく政党でなければいけない、このように考えております。
原点を忘れてはならない
私ども、行き届かないところがあって3年3カ月、野にありました。谷垣総裁の下で、大島幹事長の下で私も政務調査会長を2年務めました。新しい綱領というものを定めました。自由民主党はいかにあるべきか。国会議員のみならず地方の代表の方にもおいでいただいて、かんかんがくがく、新しい綱領を定めました。わが党は勇気を持って真実を語る政党であらねばならない。そしてあらゆる組織と協議し、決断する政党でなければならない。そして国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる、そういう政党であらねばならない。そのことを近い、安倍総裁の下で私は幹事長を務めておりましたが、多くの国民の皆さま方のご信任を得て政権に復帰をし、今日に至っております。その原点を忘れてはならない。勇気を持って真実を語る。そして、あらゆる組織と協議して決断をする。政府を謙虚に機能させる。国会を公正に運営する。そういう政党であらねばならないと思っております。
国民政党です。そして民主主義政党であります。民主主義が機能するためには参加する資格を持った人が1人でも多く参加をしていただかねばなりません。そしてそこに正しい情報が伝えられなければなりません。少数意見も尊重されなければなりません。その3つを実現できないときに民主主義は形骸化をするということだと私は信じております。
その意味で今回の総裁選挙が、党員の皆さま方に投票する資格が与えられない、極めて残念なことであります。党費を払っていただき、選挙のときには先頭に立っていただき、そういう方々に、あなたにも総裁が選べますよ、知事さんや市長さんは市民や県民が選ぶものですが、総理大臣は国民が選ぶことはできません。しかし自由民主党の党員になっていただければ総裁選挙に1票ありますよ、そういうことで党員拡大運動、総力結集のスローガンの下にやってきた。投票いただけない、残念なことであります。
それは地方に支持基盤を持つ者にとって不利だと、そういうご指摘もあります。しかし、自分に不利だからやめておこう、私はそういうような判断をいたしません。党員の皆さま方に、広く国民の皆さま方にきちんと思いを申し述べて、そのことが強い政権につながる、このように確信をするものであります。そのような思いの下に、民主主義が正しく実現される、そういう自由民主党でありたいと思っております。
納得と共感がキーワード
そして国民政党です。わが党は国民のものであります。国会議員だけのものではありません。国民が、党員が、そうだね、そのとおりだね、そう言っていただける納得と共感、それが得られる自由民主党でありたい、そのように思っておるものであります。そういう自由民主党をつくっていくために野党時代の思いを決して忘れることなく、私は最大限の努力をいたしてまいります。
政策について申し上げます。これも納得と共感、これがキーワードでありますが、具体的に何をやるのかということであります。お手元に政策の紙をお配りさせていただきました。喫緊の課題はこのコロナ禍にどう対応するかであります。100年に一度といわれます。100年前のように戦争があったり大不況があったり、そしてコロナで今苦しんでいるわけですが、当時はスペイン風邪というものがはやりました。数え方にもよりますが、世界の1億人の人が死んだと、日本でも40万人以上の人が死んだといわれております。
今回のコロナを拡大してはなりません。戦争なぞがあってはなりません。大恐慌なぞというのがあってはなりません。100年前と同じことを繰り返してはならない。100年に一度という言葉を使うからには、常にそのことを意識していかねばならんのであります。いかにして感染を抑えるか。検査の拡大、PCR拡大、保健所の数が、20年、30年の間に半分になってしまいました。われわれ、反省していかねばならんところであります。保健所の機能をいかにして発揮させるかということは、OBの活用も含めて考えていかねばならないし、IT化、電子化も遅れております。やっていかなければなりません。そして民間の方々に検査をお願いする、その体制というものも拡大をしていかねばなりません。
特別措置法は本当にこれで十分か
人口当たりのPCRの数が少ない、厳然たる事実であります。そのことには理由があるはずです。できない理由をいくら言っても仕方がない。いかにして検査を徹底し、どこで何が起こっているかということが分からないと対策の打ちようがない。検査の拡大ということが第一であります。
そしてもう1つは、Go To トラベルキャンペーンとも関係することでありますが、感染拡大の防止は本当に大切なことであります。あらゆる努力をしていかなければなりません。しかし、この経済活動が制限を受ける中にあって、暮らしが苦しくなった、暮らしていけない、そういう方々が大勢いらっしゃいます。中には自ら人生に幕を閉じられる方々もあります。あるいは、朝、喫茶店にも行けない、昼、歌いにも行けない、うつ病になっている方も大勢いらっしゃいます。経済か感染拡大防止かという二者択一ではありません。両方やっていかねばならないことでありますが、いかにして交流機会を拡大するかということと、いかにして感染機会を減少するかということの両立を図っていかねばならないのであります。
マスク、うがい、手洗い、消毒の徹底もございますでしょう。ソーシャルディスタンスの確保もありますでしょう。日本はそういうものをさらに徹底していき、感染機会の拡大というものを減少させていかねばならない。それと交流機会の拡大、この両立を目指してまいります。
そして特別措置法は本当にこれで十分であったかということであります。そんなに言うほど簡単なことでないことはよく承知をしておりますが、感染が収束してから特措法を改正する、そういう考え方もあるでしょう。しかし私は感染を収束させるために、特措法で改めるべき点があれば改めるという考え方も当然あってしかるべきものだと考えております。
政治は行政府だけでやるものではありません。そのときに立法府の知恵を借りるということは行政府の在り方として当然あるべきことであります。司令塔機能というものをつくっていかなければなりません。そして経済的な支援と、経済的な活動の強制的な、言葉は選ばなければいけませんが、制限ということを併せて考えていかなければならないと思っております。それが感染の抑制に、縮小に寄与するということであることをきちんと確認した上で、経済的な支援、そしてまた、強制的な対応ということをやっていかねばならない。
都道府県にもっと権限を委譲すべき
私は都道府県にもっと権限を委譲すべきだというふうに考えております。どこで何が起こっているかということは都道府県が一番よく知っている。あるいは市町村かもしれない。しかし、そこにおいて一律の対応が取られることが正しいと思っていない。いかにして都道府県の権能を強化していくかということも併せて特措法の在り方を見直すということ、必要であれば改正も行うべきものである、このように考えておるところであります。
このコロナ禍、日本が目指していかねばならない社会、しかしいろいろな障害があってそれが実現できなかったこと、それを実現する契機としていかねばならないものであります。地域分散型の内需主導の経済。これだけサプライチェーンが分断された中にあって、それを日本の中に戻していかねばならない。そのために政策を打っていく、必要なことであります。しばらくグローバル経済というものは停滞をせざるを得ないでしょう。21世紀というのは日本の人口が半分になる。世界の人口が倍になる。一言で言ってしまえばそういう時代なのであります。
アベノミクスには評価すべき点がたくさんあります。株は上がった、企業の業績も好調である。いいことです。しかし個人の所得が伸び悩んでいるということ、そのことも明らかな事実であります。生活保護の受給者の方々の数、昭和25年と同じ水準になっている。そのことも厳然たる事実であります。いかにして消費性向の高い、低所得の方々の可処分所得を上げていくか。GDPの大半を個人消費が占めるわが国経済において、いかにして消費性向の高い方々の所得を上げていくかということを考えていかなければなりません。
医療、年金、介護の在り方をどう見直すのか
消費税について申し上げれば、単にそれを下げればいいということを私は申し上げているのではありません。景気の変動に影響されにくい、安定財源として医療、介護、年金、子育て、そういうような社会保障に使われる消費税の必要性は、私は高く認めるものであります。
しかしながら、消費税が導入されたときに私は当選1回でした。竹下内閣でした。経済はまだ活況を呈していた。人口もこのように急減はするような状況ではなかった。日本の状況は違います。そこにおいて、消費税の果たすべき役割、それをもう一度検証する。低所得の方々に逆進性の影響が及ばないようなやり方はないものか、そして法人課税の在り方、これをどのように考えるのか。医療、年金、介護の在り方をどのように見直すのか。
そのときに必要になるのは、クオリティー・オブ・ライフ。1人1人の人生がいかにして実現されるかということであります。医療、どのように見直すか。国民皆保険制度は絶対に守っていかねばならないものであります。しかし導入されたときに、それは結核と労働災害、これが主な対象であった。今は、がんであり、成人病であり、認知症といわれる、そういう悲しい病気であります。対象とする疾病が変わってきた。それぞれにどう対応するかということも考えていかねばなりません。1人1人の幸せがどう実現されるかということ、そして、どの地域においても高度な医療が提供されるというのはどういうことなのか。そこにおいてAIをどう活用するべきなのか。どの地域においてもAIを使って高い医療が受けられる、そういうものを実現することも必要なことであります。
潜在力のある産業を伸ばしていかねばなりません。農林水産業であります。サービス業であります。女性のお持ちの能力を最大限に活用するということであります。中小企業の持っている力を最大限に活用するということであります。おかしなことではありませんか。交通ネットワークが発達をし、新幹線が走り、高速道路が張り巡らされ、航空路が充実をし、情報ネットワークが発達をする。すればするほど一極集中が進む。これはどういうことですか。国の在り方そのものを変えていかねばならない。
わが国をサステナブルな国に
わが国は江戸時代、天下太平ということを目指してまいりました。これではいかんということで明治維新以降、富国強兵、殖産興業、それを実現するために東京一極集中というのは大きな効果を発揮いたしました。従って半世紀足らずで日本は世界の大国の1つになったということであります。第2次大戦の敗北で徹底的にそれは打ちのめされた。戦後わが国が目指したものは、もう一度経済を成長させねばならん。共産主義革命を起こしてはならんということでありました。さらに東京一極集中は加速をした。政治、経済、文化、メディア、あらゆるものが東京に集中してまいりました。1968年、昭和43年、西ドイツを抜いて世界第2位の経済大国になった。わずか二十数年でそれを成し遂げた。東京一極集中、それは非常に効果的なものであったが、継続、持続できるものであったか。それはそうではない。
そして今日は防災の日でありますが、首都直下型地震、あるいは火山の爆発、高齢化、東京には大きな負荷が掛かっている。この東京の負荷を軽減するということ、そして地方に雇用と所得を実現するということ、この2つを、国の在り方を、設計図を見直すという観点から変えていかねばなりません。東京一極集中は天から降ったものでも地から湧いたものでもありません。パリ一極集中とかローマ一極集中とか、そういうのを聞いたことがない。人為的につくったものであるなら、人為的に変革をしていかねばならない。東京の負荷を減らし、地方に雇用と所得、わが国をサステナブルな国にする。次の時代にも、わが国がやっていける国にする。それは今やっていかねばならないことなのであります。人口の急減も理由があるからです。そのことを1つずつ、私は解決をしてまいります。
わが国でできることを米軍に依拠していないか
最後に外交安全保障について一言申し上げておきます。日米関係はわが国の基軸であります。価値観を共有する合衆国との信頼関係の強化。それは安倍政権の下で、平和安全法制の実現等、成果を得てまいりました。日本とアメリカの在り方、在日米軍というのはどのようなものであるか。なぜ三沢にF16がいるのか。なんで横須賀に原子力空母がいるのか。なぜ嘉手納にF22が飛来をするのか。なぜ佐世保に強襲揚陸艦がいるのか。そのことをきちんとわれわれは認識をしなければなりません。そして自衛隊と米軍の在り方、その役割分担、米軍が何をやっているのかということをきちんと認識をしなければ、経済的な負担の分担の議論にはなりません。そしてわが国でできること、自衛隊でできること、それを米軍に依拠していないかということであります。
そして法律、装備、これは十分であるかということです。イージス・アショアにしてもそうです。イージス・アショア的な機能、それは必要です、今後とも。そして相手国の領域に、仮に自衛権の行使として武力を用いるとするならば、それはどのような手段によるべきか、そのときに日米同盟はどう機能するのかということをきちんと検証していかなければ、それは論理の飛躍になりかねません。そういうことをきちんと見直してまいります。
中国は、香港に対してあのような対応をいたしました。そのことはよくわれわれは深刻に認識をしていかなければなりません。一国二制度の否定であります。現状の変革というものを力でやるということには、われわれは断固たる意思を表明していかねばなりません。しかし同時に、中国がそのような現状の変更を力で行うことなく、安定的に成長していくために、われわれは何ができるか。中国に間違った考えを与えないために、安全保障体制はきちんと見直すということであります。
中国の問題は、中間層が形成される前に人口が減る、高齢化が進む、そういう問題がございます。それにどう対応するか。日本は共に何ができるかということを考えていかねばなりません。朝鮮半島については考え方を異にするものがあります。そこはきちんと主張していかねばなりませんが、なぜ相手がそのような主張をするのか、そのことの理解をわれわれは十分にしているだろうか。領土にしても歴史にしても、われわれはきちんとした正しい認識を国家・国民として持っているだろうかということを、わが国にできることとして検証していかねばならない問題であります。
東京・平壌連絡事務所を開設する
前回の総裁選挙で申し上げました。東京・平壌連絡事務所を開設する。それは政府として公式に責任を持った立場で拉致問題をどのように解決するかということで対応していかねばならないからであります。そして拉致問題の解決、安倍政権で実現できなかった大きな課題の1つであります。そのことに政府として主体的に取り組んでまいります。
外交安全保障、アジアはわが国にとって必要欠くべからざるパートナーであります。われわれアジアのことをどれほど知っているのか。歴史をどれほど知り、そして現状をどれほど知り、文化をどれほど知っているか。それを知らないでアジアとの連帯はあり得ません。将来的にはこのアジアに集団安全保障の仕組みをつくりたいと、私はかねてからそのように思っております。そのためにアジアに対する理解、共感、納得、そのこともやってまいりたいと思っております。
やらねばならないことは多々あります。わが自由民主党は次の時代のために何をすべきかということを明確にすべきです。そして国民の皆さま方を信じて語っていく。国民を信じない政治が国民から信頼されるはずはありません。誠実に、謙虚に、真っ正面から、逃げることなく諸課題を訴え、国民の納得と共感の下に政策を実行する。それが、わが自由民主党が日本国に対して、世界に対して、次の時代に対して課せられた責任であると、私はかように信じております。
国民を信じて誠実に率直に語れば、国民は必ず応えてくれます。それを放棄してはなりません。逃げてはなりません。国民を信じて、共感と納得の政治を目指し、限られた時間ではあるけれど、総力を挙げて自由民主党はこの時代に積極果敢に取り組む。どうぞ皆さま方のご理解、ご支持、ご支援、心からお願いして、石破茂の話、終わります。ありがとうございました。
司会:石破会長、ありがとうございました。それではご質問を受け付けたいと思いますが、ちょっと事前にお知らせをさせていただきたいと思います。石破会長、このあとの日程がありますので、5時5分にいったん、すみません、出させていただきたいと思います。その上で、質問、まだ終わらないと思いますので、17時45分から18時30分、また別途時間を取っておりますので、質問し切れなかった方はその機会に質問をお願いできればと思います。それではまず幹事社の方はどなた。幹事社。手あげて。幹事社、じゃあマイク渡してください。幹事社、どうぞ。
安倍政権から継承したい点・変えたい点は
TBS:幹事社のTBS、・・・です。よろしくお願いします。石破会長に2点お伺いします。1点目なんですけれども、安倍総理が、7年8カ月と長期政権が続いてきました。その点について、継承したい点と変えていきたい点あれば、まず1点目、伺えますでしょうか。
石破:継承しなければならないのは政治の安定ということであります。安定した政治が行われたということは非常に意義のあることだったと思います。次の政権もできるだけ国民の信任の下に安定した政権でありたい、このように思っております。変えるべき点は、経済的に株も上がった、企業の利益も上がった。しかし国民の所得は豊かになっただろうか。地方は豊かになっただろうか。中小企業は豊かになっただろうか。GDPというものを考えたときに、低所得の方々の所得を上げていくということ、それはまだ十分に実現できていると思っておりません。
地方創生大臣を2年務めましたが、地方に雇用と所得、これがまだ実現道半ばであります。経済的に、この2つ問題にはまだまだ道半ばの部分があります。安倍政権が種をまいたこの部分、これは発展的に、早急に継承し、変えていかねばならない。実現を目指したいと思っております。
トランプ大統領との関係、あるいはプーチン大統領との関係、総理のご努力によっていろんな外交関係が強化をされました。これを政府と政府、国と国、国民と国民、そういう関係に広げていきたいと思っております。経済的な負担のみならず、本音で話し合うことができる。日米同盟もそうです。北方領土もそうです。拉致問題もそうです。問題解決の隘路になっている点は何かということが国民によく理解されていない。そのことを、きちんと対面をしていきながら、日米同盟、日露関係、あるいは拉致問題、そういうものの解決に取り組んでまいりたいと思っております。
安全保障については先ほど申し上げたとおりであります。法制、装備、そういうものを根本から見直していくということは必要なことであります。そのことが、いったい何が問題なのかということについて、きちんとした検証の下に必要な改革を、法整備、装備面、そして同盟の運用面、そういう点においてやっていきたいというふうに考えている次第でございます。
キャッチコピーに込めた思いは
TBS:すいません、もう1点。今回、総裁選のキャッチコピーが納得と共感ということですが、このコピーに込められた思いについて伺えますでしょうか。
石破:民主主義というのは51対49で、51が正しい、だからこれが結論だというものだとは思っておりません。法律案にしても予算案にしても、成立をすれば、それは全ての国民に等しく適応されるものであります。私どもが若いころに先輩の皆さん方から教わった、反対しておられる方に賛成してもらうのは無理かもしれない。でも納得はしてもらう努力は最大限にせよということを教わってまいりました。そうなんだね。納得していただく努力を決して惜しんではなりません。国民が、そうだね、よく分かったよと言ってもらえる納得であります。
そして共感というのは、一緒にやろう、そういう思いだと私は思っております。政府がやるんだろう、そういうことではありません。共にやろう。そういう共感が私たち政治には必要であり、安全保障環境が厳しい、経済が厳しい、人口は減少し、高齢化は進み、財政は厳しい、そういうときにこそ納得と共感、それが政治には絶対に必要だと、その思いを込めてキャッチフレーズといたしました。
司会:それでは立って手をあげている一番奥の方。はい、どうぞ。
モリカケ、桜の再調査は?
田中:フリーランスの田中と申します。お伺いいたします。納得と共感が石破会長の最大のキャッチフレーズであるならば、石破会長が総理になった場合、モリカケ、桜の再調査はいかがいたしますか。
石破:それは、政権の中にいなかったので事実関係がどうであるかということを完全に承知をしているわけではありません。仮に政権の中に入ったとするならば、事実関係はどうなのか、明らかになった事実で検証しなければいけないことがあるとすれば、それは検証していかねばならないでしょう。政治がなんかごまかしてるんじゃないの? うそを言ってるんじゃないの? そういう思いがある限り納得にも共感にもなりません。政権に入ったのちに、何がどういう問題であるのかということの解明を、まず第一にいたし、必要ならば当然やるということです。
田中:犯罪性があった場合。
司会:すみません。1人1問でお願いします。まだ手をあげている方いらっしゃるので。それでは前の黒いジャケットの形、どうぞ。
東京五輪・大阪万博を前面に押し出すのはなぜか
ニコニコ動画:ありがとうございます。ニコニコ動画の七尾です。どうぞよろしくお願いします。いただきました「令和新時代の日本創生戦略‐石破ビジョン‐」であります。その下に、日本の底力で2021東京オリ・パラと、2025大阪万博の成功を、とございます。今コロナ禍で、来年のオリンピックの開催が危ぶまれている中で、あえてこれを前面に押しだしたこの思いというか、お考えについてお聞きします。
石破:それは、国民の多くがこれの開催を願い、成功を願っているということであります。オリ・パラもそう。そして1970年大阪万博は、日本の在り方を根本から変えたと思っております。第4次産業革命後の日本、その姿を示すのが大阪万博の使命だというふうに思っております。この2つを実現するためにできることはなんだと。それは感染の縮小でしょう。そしてワクチンの開発でしょう。その早急な頒布でしょう。そういうことを今から諦めてはいかんということだと思います。そのために全力を傾注するということは当然のことであると考えております。
司会:じゃあ、あと1問。じゃあそこのアロハシャツっぽいシャツの方というか。
原発政策と憲法改正に対する考えを聞きたい
東京新聞:東京新聞の山口です。短く、原発政策と憲法改正に対する姿勢、この2点についてどういうことをお考えになっているのかお聞かせ願えますか。
石破:私は、憲法改正は自民党で討議決定した24年の憲法改正草案、それが今でも自民党の唯一の案だというふうに考えております。野党のときに作ったものです。しかし臨時国会は衆参の議員の一定の要求があれば、内閣は20日以内に召集の手続きを取らねばならない、そういうことに決めております。何が必要なのかということをもう一度議論した上で、野党の皆さまの理解も得られ、国民の理解も得られ、国にとって必要なものは何かということをきちんと国会の委員会を通じて明らかにしていかねばならない、国民投票法の早急な成立は言うまでもございません。
原発について申し上げれば、そのエネルギーのどれほどをベースロード電源として位置付けるかということが、もう一度きちんと議論されるべきであります。私は、原発は限りなく減らしていくべきだというふうに考えております。その財源をどこから出すかというときに、原発を、最大限の安全と安心を確保した上で稼働しながら、そこにおいて財源を生み出していくという考え方も、それは可能でしょう。小水力電源をはじめとする再生可能エネルギーも、まだまだ余地はたくさんあると思います。原発のウエートを可能な限り抑えていくために、どのような手法があるか、どのような財源を用意するかということを国民に提示をし、ご理解を求めてまいりたいと考えております。
司会:はい、ありがとうございました。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

●石破茂、世論調査トップでも小泉進次郎に“見放される”危機… 8/31 
8月28日に安倍晋三首相が辞任の意向を表明したことで、自民党の次期総裁をめぐる動きが本格化している。
自民党は9月1日に開かれる総務会で総裁選挙の方法を決定する見通しだが、二階俊博幹事長は、国会議員に加えて党員・党友も参加する通常の方式ではなく、国会議員と都道府県連の代表による両院議員総会での実施を示唆している。そして、9月14日にも総裁選を実施、17日に臨時国会を召集し、首相指名選挙を行うという日程が濃厚だ。
ポスト安倍候補として名前が取り沙汰されているのは、菅義偉官房長官、岸田文雄政務調査会長、石破茂元幹事長の3人だ。当初は出馬の意向がないと伝えられていた菅官房長官が8月30日に立候補の意思を示したことが報じられ、二階派は菅官房長官を支持する方針で固まったという。
また、麻生太郎財務大臣兼副総理が率いる党内第2派閥の麻生派も、菅官房長官を支持する方針のようだ。それに伴い、麻生派に所属する河野太郎防衛大臣は出馬を見送ったと伝えられている。かねてから首相の座への意欲を隠さず、ポスト安倍の有力候補と言われていた河野防衛相だが、今回は自重したようだ。
「あとは安倍首相の出身で最大派閥である細田派の動き次第ですが、これで現時点では“菅総裁”が最有力候補と言えそうです。新総裁の任期は安倍首相から引き継ぐため2021年9月までなので、1年後にまた総裁選がある。麻生派は河野氏に出馬を断念させるにあたって、『次の次を狙え』と説得した可能性もあります」(政治記者)
一時は安倍首相からの“禅譲説”も流れた岸田政調会長は出馬を明言しており、8月31日には首相官邸を訪問し、安倍首相に直接「お力添えをお願いした」という。かねてから発信力の弱さが指摘されている岸田政調会長は初の著書『岸田ビジョン』(講談社)の発売時を9月11日に前倒しするなど態勢を整えるが、菅総裁の誕生が現実味を増す中、旗色が悪くなりつつある。
過去にも総裁選を経験している石破元幹事長は、出馬を表明する見通しだと伝えられている。8月31日に公開されたロイターのインタビューでは、選挙の簡素化とも言える両院議員総会は「党員に対する侮辱」と痛烈に批判している。地方人気が高いとされる石破元幹事長は、かねてから党員投票を省く両院議員総会には猛反対の立場だ。
また、石破元幹事長には、もうひとつの逆風も吹いているという。8月30日、小泉進次郎環境大臣が「河野さんが出れば、河野さんを応援します」と語ったことだ。
さらに、小泉環境相は党員投票も含めた総裁選の実施を求めているが、「石破さんに有利だから、私が全党員投票を求めているというのはまったくの誤解です」とも語っている。
「結果的に河野氏の出馬はなさそうなので、現実に小泉氏が誰を支持するのかが注目されます。小泉氏といえば、前回2018年の総裁選では石破氏を支持したものの、その意向を表明したのは投票10分前でした。しかし、今回はいち早く河野氏の支持を打ち出したことになり、意地悪な見方をすれば、石破茂は影響力の強い小泉氏に“見放された”とも言えそうです」(同)
共同通信社が8月29、30日に実施した世論調査では、次期首相に「誰がふさわしいか」という質問に対して、石破元幹事長が34.3%でトップとなり、菅官房長官の14.3%、岸田政調会長の7.5%に大きな差をつけている。
「自民党は両院議員総会を強行するようなので、石破氏には最悪“出ない”という選択肢もありましたが、出馬に向けて動いていると伝えられています。自民党総裁選は国会議員の推薦人20人を集めないと出馬することができず、いわば出ることに意味がある場とも言えます。たとえ“負け戦”でも出馬するケースがあるのは、そのためです。そうした意味では、石破氏が出馬を選ぶとすれば、今後に向けて求心力と存在感を保つための選択なのではないでしょうか。
いずれにしろ、今回の総裁選は“中継ぎ”の意味合いが強く、その次の総裁選では権力の座をめぐる争いがさらに激化しそうです。各派閥で河野氏や岸田氏を担ぐ動きがあったり、小泉氏のような若手が本格的なリーダー候補に育ってきたりすれば、石破氏は“次の次の首相”の目もなくなる可能性があります」(同)
石破元幹事長の出馬は、吉と出るか凶と出るか。神のみぞ知るというところだろう。 
●石破氏の政策集要旨  9/5 
自民党総裁選に出馬する石破茂元幹事長が4日の記者会見で発表した政策集の要旨は次の通り。
【タイトル】「令和新時代の日本創生戦略―石破ビジョン―」
【新型コロナ対策】内閣官房に専任の職員で構成する司令塔組織を創設する。法的強制力と経済的支援を伴った休業要請を規定する特別措置法の改正。PCR検査を抜本的に拡充する。
【ポストアベノミクス】デフレに後戻りしないマクロ経済政策は継続する。低所得者や子育て世代への財政支援など消費活性化の政策、都市と地方の格差解消の政策を総動員する。
【地方創生】地域分散と内需主導型経済への転換を図る。東京一極集中是正担当閣僚(仮称)を設置し地域分散を妨げる要因の検証と対策を講じる。21世紀中ごろまでに約300万人の地方移住を実現する。
【社会保障】持続可能で安心できる社会保障制度を構築するため「幸せ実現国民会議」(仮称)を創設する。
【防災】専任の職員で構成する防災省を創設する。自然災害や感染症に備え危機管理国民会議を設置する。
【憲法改正】党憲法改正草案に基づき他党と丁寧な議論を重ね、国民の理解を得ながら真正面から向き合う。 
●石破氏、孤立無援の戦い 布石一転、手詰まり 9/6 
自民党総裁選への挑戦が4度目となる石破茂元幹事長だが、かつてない孤立無援の戦いを余儀なくされている。歯に衣(きぬ)着せぬ物言いと「寝業」のできない性格が災いし、国会議員の確実な支持は、自身が率いる石破派(19人)のほか数人のみ。頼みとする世論人気も、地方出身、たたき上げをアピールする菅義偉官房長官の陰にかすみつつある。陣営は、「本番」と位置付ける来秋の総裁選につなぐ集票を、と必死だ。
5日午前、石破氏はTNCテレビ西日本(福岡市)の報道番組に生出演し、午後には東京にとんぼ返りした。寸暇を惜しんで九州入りしたのは、各地方県連が行う予備選での集票に照準を定めているからだ。
「勝ち馬に乗りたい心理はある」と菅氏優勢の現状を分析。その上で、菅氏が「継承する」とした第2次安倍政権の姿勢を「泣いている人の気持ちを十分にくんできたか」と批判した。この日も、石破節に陰りはなかった。

総裁選で涙をのむたびに、もろい党内基盤の強化が課題と言われてきた石破氏。安倍晋三首相の突然の辞任表明前は、来秋の総裁選で岸田文雄政調会長との頂上決戦を制するシナリオを描き、岸田氏と距離がある二階俊博幹事長、菅氏の信用を徐々に得ていく作戦だった。6月に二階氏に石破派パーティーの講師を依頼して秋波を送り、8月には二階、菅両氏と近い森山裕国対委員長と会食するなど布石は打っていた。
そこへ、想定外の総裁選が降って湧いた。
石破氏は派閥メンバーと出馬の是非を断続的に協議した。「党員投票はしないもようだ」「二階氏が菅氏擁立で動いている」…。自身にマイナスの情報が次々ともたらされ、一部幹部からは「惨敗したら二度と立候補できなくなる」と不戦論を進言された。かたや、主戦派は2015年の総裁選で立候補を見送り、好感度に陰りが出たことへの反省から「出馬をやめたら『逃げた』と言われる」とけしかけた。
前回総裁選で支援を得た参院竹下派の支持を取り付けられないか探る側近もいたが、時既に遅し。竹下派を含む主要派閥は菅氏支援に走りだしていた。開けぬ展望に、石破派内の結束はぐらついた。
8月31日。石破氏は出馬の決意を固める。連判状が派内に回った。背水の覚悟を示すため血判状を作ろう、との声も上がった。「今後、党内でどんな冷や飯を食わされようが、もう戦うしかない」。派の閣僚経験者はつぶやいた。

首相は周囲に「石破嫌い」を公言。後継を決めるこの総裁選でも、石破氏を勝たせない環境整備を最優先しているのは明らかだ。かつて首相在任中、石破氏から退陣を迫られたとされる麻生太郎氏も同じ姿勢。最大派閥・細田派の一人は「『石破だけは許さない』との声は多い」と証言する。なぜ、そうなのか−。
主な理由として指摘されるのが、閣僚や党幹部であっても遠慮なく批判する政治姿勢。第2次安倍政権では、森友、加計(かけ)学園や桜を見る会の問題などが報じられるたびに「説明すべきだ」と注文。党内から「また、後ろから鉄砲を撃っている」と白眼視された。
政界遊泳術も巧みでない。石破氏のために走り回った参院竹下派のベテランは前回総裁選後、一言も言葉を交わしていないと苦い表情。「次も出たいなら、会いに来るのが筋だろうに」
地方県連の予備選で首位を奪い、党内にあらためて「選挙の顔」となり得る存在感を誇示し、来年に勝負を懸けたい石破氏。テレビなどで露出を続けるが、「いばらの道」(派閥幹部)には変わりない。 
●石破茂氏は「地方票」でも大敗の恐れ…予想外の支持率に真っ青 9/6 
始まる前から“スガ圧勝”で勝敗が決しつつある自民党総裁選。5派閥に担がれた菅義偉官房長官は、国会議員票394票のうち264票を固めている。この先、波乱があるとすれば都道府県票だ。とくに、国民人気を自負する石破茂元幹事長は地方票に期待しているという。ところが、このままでは地方票まで“スガ圧勝”になりかねない状況だ。
今回の総裁選は、国会議員票394票と都道府県連代表票141票の合計535票で争われる。
全都道府県には、それぞれ3票ずつ割り当てられている。3票を誰に投じるか、秋田県を除く46都道府県が、党員らによる予備選を実施する予定だ。自民党本部も予備選の実施を促している。結果的に多くの自民党員が一票を行使できることになった。国会議員票で劣る石破氏が菅氏に迫るためには、この地方票で大きく上回るしかない。
「石破陣営は、地方票では最低でもトップ、できれば141票の半数を獲得したいと考えているはずです。地方票で1位になれば、たとえ総数で敗れても『党員の支持は自分にある』と訴えられますからね。来年秋の総裁選にもつながります。実際、2012年の総裁選では、地方票は<安倍87票・石破165票>とダブルスコアの差をつけ、安倍1強に挑んだ2018年の総裁選でも<安倍224票・石破181票>と大善戦しています」(自民党関係者)
ところが、世論調査の結果に石破陣営は真っ青になっているとみられる。
朝日新聞が2、3日に実施した調査によると、「ポスト安倍」にふさわしい人物は、1菅38%2石破25%3岸田5%だった。自民党支持層に限ると菅49%、石破23%、岸田6%。無党派層でも菅31%、石破22%、岸田4%だった。
これでは、石破陣営が頼みとする地方票でも大敗する恐れがある。しかも、地方票を獲得するための物量作戦では歯が立たない。
「毎回、総裁選では、国会議員の秘書が選対事務所に集まり、党員名簿を片手に片っ端から電話で支持をお願いするのがパターンです。陣営の各派閥に分担が割り当てられる。菅陣営には5派閥264人の国会議員がいます。秘書を動員すれば、あっと言う間に全国の党員に働きかけられるでしょう。対する石破陣営は、20人の推薦人を集めるのにも苦労する小規模所帯です。国会議員が不在の空白県もある。人海戦術では太刀打ちできません」(政界関係者)
菅陣営は、二度と石破氏が「党員の声を聴くべきだ」などとエラソーな口を利けないように地方票でも圧勝するつもりだという。しかし、地方票までスガ圧勝となったら、政権発足後、どこまで暴走するか分かったものではない。
法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)が言う。
「6月の調査では、<石破31%、菅3%>という支持率でした。なのに、菅長官が支持率を10倍以上もアップさせ、石破元幹事長を逆転したのは、安倍1強の8年間で、“勝ち馬に乗りたい”という国民意識が強まった結果かも知れませんね。過去、自民党には振り子の論理が働いていましたが、自民党員には、そういう意識もないのでしょう。もし地方票でも大敗したら、もう石破さんには自民党に居場所がない。離党して新天地を見つけた方がいいと思う」
勝たせ過ぎると、新たな独裁を生むことになる。 
●「国会議員のための自民党ではない」石破氏、派閥を疑問視 9/6 
自民党総裁選に立候補する石破茂・元幹事長は6日のNHKの番組で、党内の派閥のあり方をめぐり「派閥は政策集団であって、政策を研鑽(けんさん)する、それを国に生かす。そういう原点に立ち返るべきだ」との認識を示した。党内7派閥のうち5派閥が菅義偉官房長官への支持に回る状況のなか、「派閥政治」に疑問を呈した形だ。
石破氏は「自民党は国民のため、党員のための自民党である。国会議員のための自民党ではない」とも強調した。
岸田文雄政調会長も「派閥は人材育成などメリットもあるとは思う」としつつ、「派閥の弊害という点を国民から指摘されることについては、謙虚に受け止めなければならない」と語った。
石破氏は19人、岸田氏は47人の国会議員が属する派閥をそれぞれ率いている。  
●石破氏「議員が忠誠誓うのは…」派閥にもの申す 9/7 
「自分を議員にしてくれたのは派閥のリーダーではない。投票所に行って名前を書いてくれた人たちだ。そういう人たちにきちんと説明できないことは、やっちゃいけない」。自民党総裁選に立候補する石破茂・元幹事長は7日夜、BS―TBSの報道番組に出演し、党所属の国会議員たちが派閥の意向にとらわれずに総裁選の投票先を決めるべきだと訴えた。
石破氏は、自らが過去の総裁選で所属派閥の方針とは異なる投票行動をとったエピソードを紹介。各議員の投票先について「『いやいや、派閥のリーダーに言われましたんで』では、有権者に対する説明にならない」とした上で、「国会議員一人ひとりは誰に忠誠を誓うかといったら、自分に1票を入れてくれた人だ」と強調した。
また、石破氏は「憲法、自民党、安全保障、社会保障について、それぞれ国会議員は自分の考えを持っている。(総裁選の候補者の中で)誰が一番近いかを考えて選ばないなら、選挙の意味がない」とも語った。
総裁選は党内7派閥のうち5派閥が菅義偉官房長官の支持に回る構図となっている。  
●石破氏 9/8 
「グレート・リセットに挑む」石破氏が気勢 9/8
自民党総裁選に立候補を届け出た石破茂・元幹事長は8日午前、党本部で「出陣式」に臨み、「グレート・リセット。日本をつくり変える。新しい日本をつくる。そのために全身全霊を尽くしてこの戦いに挑む」と気勢を上げた。
石破氏は、渡辺美智雄・元副総理の生前の言葉として「おまえたちは何のために政治家になるんだ。金がほしいのか。ポストがほしいのか。『先生、先生』と呼ばれたいのか。名誉がほしいのか。そのような者は去れ。政治の使命はただ一つ、勇気と真心をもって真実を語る。それだけだ」とのフレーズを紹介。その上で「今回は『納得と共感』というスローガンを掲げた」と説明した。
党内派閥の多くが菅義偉官房長官への支持に流れるなか、石破氏は「あるべき姿を語り、感動を呼び起こす。自民党は国会議員だけの党ではない。党員の党、国民の党だ。勝利を目指し、全身全霊、戦い抜く」と訴えた。
石破氏「ひたすら愚直に生きてきた」 9/8
自民党総裁選に立候補した3人は8日午後、党主催の演説会に臨んだ。石破茂・元幹事長は「私は(国会議員として)34年間、ひたすら愚直に生きてきた。もっとお利口さんに立ち回ることもできたのかもしれない」と自らを振り返り、「納得と共感の政治をやりたい」と訴えた。
石破氏は「防災省」創設や「地方創生」、憲法改正などを掲げた上で、「この国の設計図を書き換えなければ、この国は次の時代に生き残れない。やらねばならないのはグレート・リセットだ」と強調した。
石破氏「森友加計・桜、どの世論も「納得した」人が非常に少ない」 9/8
「政治は結果責任だ。森友、加計、桜。どの世論調査を見ても『納得した』という人が非常に少ない。納得した人が増えなければ、責任を果たしたことにはならない」。自民党の石破茂・元幹事長は8日の総裁選の候補者の共同記者会見で、安倍政権の「疑惑」を並べ、厳しく指摘した。
石破氏は「要するに、えこひいきがあったらいかん。特定の人だけが利益を受ける、ということを政府がやっていいはずがない」と続けた。森友学園問題での公文書改ざんを踏まえ、「まじめに働く公務員がやってられなくなる」と強調。「政府の説明に(国民が)納得する。そのような日本をつくっていくことが自民党の使命だ」と訴えた。 
●石破氏「自民、国会議員のための党じゃない」田んぼ沿いで演説 9/9 
石破茂元幹事長が埼玉県川越市内の田園地帯を訪れ、田んぼ沿いのあぜ道で演説を行った。石破氏は、「今回はそろっての街頭演説はなし。一度もない。人数を少し絞った上での街頭演説もない」と3候補そろっての街頭演説がないことに疑問を呈し、「自民党は、国会議員のための党じゃない。国民、党員の党だ。国会議員が自分たちの都合で勝手にやって、総裁は自分たちで決めるぞ。そんな党であってはいけない」と批判した。
近くの保育園では、台風による浸水被害に触れ、保護者らに持論の「防災省」の必要性を訴えた。  
●地方票に石破氏「厳しい状況での支持、大切にする責任」 9/14 
自民党の石破茂元幹事長(63)が14日午前、総裁選開票を前に、東京・赤坂の議員宿舎で記者団の取材に応じた。「自民党は勇気を持って自由闊達(かったつ)に真実を述べる。野に下った時に誓った原点。そうあるかどうか、常に検証し、心がけたい」と語った。
地方票について問われると、「厳しい状況の中で支持をして下さるという声を、本当にこれから生かしていかねばならない。大切にしなければいけない。それが私の責任」と述べた。
自民党総裁選は14日午後2時から東京都内のホテルで開かれる自民党の両院議員総会で投開票される。結果が判明するのは午後3時半ごろ。総裁の交代は8年ぶり。石破氏のほか、菅義偉官房長官(71)、岸田文雄政調会長(63)が立候補している。 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 

 

 
 
 

 

●石破茂氏、「寄らば大樹という言葉は嫌いだ」 2016/9 
[ 自民党の石破茂・前地方創生担当相。安倍内閣に残らず、約9年ぶりに主要なポストから外れ、「ポスト安倍」の一番手として、次の総裁選出馬へ意欲を見せる。石破氏は今の「安倍一極政治」をどう考えているのか。また総理になった際の経済政策とは? 有馬晴海氏が迫る。
石破 茂/1957年2月4日生まれ。自民党衆議院議員(鳥取1区、現在10期)。慶応義塾大学卒業後、1979年三井銀行入行。1986年、鳥取県知事だった父の死後から約5年後、28歳で衆議院議員初当選(当時最年少)。1993年自民党を離党するなどして新進党結党に参加、その後自民党に復党。2002年防衛庁長官(第1次小泉内閣第1次改造内閣)として初入閣。以来、防衛大臣、農林水産大臣、党政調会長、幹事長、地方創生担当大臣を歴任。現在は党の政策集団(派閥)・水月会会長
有馬 晴海/政治評論家。1958年、長崎県佐世保市生まれ。立教大学経済学部卒。リクルート社勤務などを経て、国会議員秘書となる。1996年より評論家として独立、政界に豊富な人脈を持ち、長年にわたる永田町取材の経験に基づく、優れた分析力と歯切れのよさには定評。政策立案能力のある国会議員と意見交換しながら政治問題に取り組む一方、政治の勉強会「隗始(かいし)塾」を主宰、国民にわかりやすい政治を実践 ]
地方創生の完遂には意識改革が必要
有馬:石破さんはこの7月に「衆議院議員30周年」という大きな節目の年を迎えました。2002年、小泉内閣(第1次小泉第1次改造)で防衛庁長官(当時)として初入閣以来、ほとんどの期間、閣僚や党の重要ポストで重責を担ってこられました。やはり疲れはありますよね?
石破:自転車でも独楽でも、止まったら終わりですよね。「休まず動いていることが疲れない一番のこと」と思ってやってきましたし、これからもそうです。もちろん、体の面だけでいえば、疲労がないといえばうそになるかもしれませんね。
有馬:まずは、直近の2年間の地方創生担当相としての成果からお伺いします。ひとことで言えば、「成果も出たが、もう少し時間が欲しかった」というところでしょうか?
石破:「地方創生」ほど、完遂までに時間がかかる重要な政策課題はありません。日本は、経済が成熟し人口が急減していく中で、増える富を全国に分ける「正の分配」の時代は終わり、「負の分配」も必要な時代に入っています。いわば、「地方創生」とは、「地方こそ、日本経済の成長ののびしろ」ととらえる一方で、明治以来の日本の中央集権の政治のあり方や人々の意識を、未来に向けて変えていくという大きな政策課題です。やり遂げるには20年くらいかかると思います。2年で変わるくらいだったら、誰も苦労しません。「2年経ったが成果が出ていないじゃないか」という人は、物事の本質をわかっていない人だと思います。実際、この大きな変化に気づいた人・自治体・企業はすでに行動を起こし始めています。私も365日、目いっぱいやったという自負はあります。しかし、その変革の動きはまだ点であり、面にはなっていません。やり遂げるには、引き続き政権の強い意思が必要なのです。2年前、安倍首相から「地方創生が、日本経済にとって最も大事だ。これをやり遂げるのは石破さんをおいてほかにいない」と言っていただいて、大いに意気に感じ、担当相をお引き受けしました。
有馬:しかし、1年経って2015年秋から、政権のメインテーマが、事実上「地方創生」から「一億総活躍社会」に変わってしまいました。安倍首相は常にスローガンを掲げて引っ張っていくタイプですが、新しい看板として掲げた一億総活躍社会という目標に、果たして内実が伴っていたのかどうか。
石破:私は「一億総活躍社会」は「地方創生」の一部あるいは延長線上にあると思っています。だからこそ、地方創生担当相を続けさせていただいたのです。日本全国に意識改革を広め、変化を不可逆的なものにしたかったからです。しかし、一大臣が一所懸命にやっても限界があるのも事実です。その意味で、政権全体の強い意思として「地方創生」が継続し続けることを希望しています。
「3回目の総裁選」へ、決意して準備する
有馬:今回の内閣改造で、石破さんは、党の総務会(常設機関としては最高の意思決定機関、25人で構成)のメンバーではありますが、約9年ぶりに主要ポストからは身を退く形になりました。政策集団(派閥)の水月会での発言などでも、次期総裁選への出馬を否定していません。私も、次の首相として「岸破聖美」(岸田文雄外相、石破茂前地方創生担当相、野田聖子元総務会長、稲田朋美防衛相)4人の最右翼として名前をあげましたが、今回は充電をしつつ、「安倍政権後を担う決意」を固めたということですね。
石破:実は小泉内閣で防衛庁長官を務めた後も、約3年間(2004年秋〜2007年秋)ほど、役につかなかったことがあります。自分で言うのもおこがましいですが、その間は相当に勉強した記憶があります。最も力を入れたのは、自民党の国防政策を決める「防衛基本政策検討小委員会」の委員長として毎週行った講義でした。テーマは「集団的自衛権を行使可能とするために」です。そのためには「安全保障基本法を作る必要がある」という結論に至り、佐藤栄作内閣時代からの国会での関連議事録などをすべて取り寄せて、ことごとく読みこんだりしました。結果的に2007年から福田康夫内閣の時に防衛大臣を拝命し、その後麻生内閣での農林水産大臣、野党時代の政調会長、予算委員会筆頭理事、野党時代から与党になってしばらくの幹事長、そして地方創生担当相と、9年連続で役職を与えられてきましたが、その間あの「3年間の猛勉強」でつないでいたような気がします。逆に言えば、ポストに就いている時は、体系だった勉強をする時間がなかなかとれず、自分の中に恐怖感があったことも事実でした。ですから、ここまで休む間もなく務めてきて、今までのことについて整理したり、知らない分野について習得したりするための期間が必要だと思ったのです。
総理というのは、狙ってなれるようなものではありません。しかし、いつの日か安倍政権も交代する時が来ます。自民党として、その時への準備、あるいはそれ以降への準備をしておかなければいけません。10回連続当選、閣僚6年、党役員4年を務めたということは、それだけ責任が重いということでもあると思っています。総理を目指そうが目指すまいが、決めるのは党員です。そして総理でなくとも、「重鎮」と言われ影響力を発揮するというあり方もあるでしょう。しかし、この国の未来のために、自らが先頭に立ってやらなければならないという時が仮に来た時に、「準備不足」ということは許されない、との強い気持ちがあります。総理でなければ変えることができないことがこの国に多いということは、初めにも申し上げたとおりです。今後、総裁選に立候補することになれば、2008年(首相になった麻生氏を含め5人が立候補)、2012年(総裁→総選挙後首相になった安倍氏を含め5人が立候補)に続いて私にとっては3回目になります。
1回目は、勝てないことを覚悟しての立候補でした。2回目は民主党政権がひどすぎる中で、国民の中にも自民党への期待がもう一度醸成され、政策論争とともに「政権奪還」との勢いが重視されました。3回目があるなら、その時には政策集団「水月会」を中心にして政策体系を完成させ、批判にもきちんと答え、多くの有権者を納得させるだけの実行力を持てるように備えなければならない。このためにはどんなに短くても2年は必要ではないか、と思っています。
自民を積極支持する有権者は決して多くない
有馬:7月の参議院選挙では、自民党は56議席(改選数121議席)を獲得しました。公明党が14議席を獲得するなどしたため、安倍内閣が勝敗ラインに設定した「与党での改選過半数61」を大きく超え、参議院でも「いわゆる改憲勢力で3分の2超」が実現しました。しかし、自民党だけで見ると、石破さんが幹事長をしていた3年前の参議院選挙の議席数65と比べると見劣りします。自民党としては本当に大勝だったのでしょうか。
石破:今回、私が選挙演説に入った場所は東北地方や新潟、長野などでしたが、残念ながらほとんど勝つことができませんでした。マスコミも「与党圧勝」という報道が主体でしたが、実際は圧勝とは言い難いと思います。私個人の感想としては、敗北感が強かった。実は、2009年に自民党が敗れ野党になった時、野村克也さん(元東北楽天ゴールデンイーグルス名誉監督)を講師としてお招きしたことがあります。そのとき野村さんは「負けに不思議な負けなし。敗因を分析せず反省しなければ、いつまでも負け続ける」とおっしゃられました。あのとき反省したからこそ、今日の自民党があるわけですが、私自身は今も危機感を持っています。そもそも自民党が与党に復帰した時でも、私は積極的に支持している有権者はさほど多くなかった、と考えています。小選挙区制によって、与党の得票率は4割程度でも7割の議席を有することになります。そこに投票率をかければ、積極的な支持はもっと低くなる。そうした恐ろしさを忘れてはいけない。今回においても、候補者の選び方、選挙の手法、応援の方法など、常に反省しなければいけません。確かに安倍内閣の支持率は高い。しかし、自民党が与党に復帰した時のある種の「期待」や「ワクワク感」がいつまでも続くと甘えてはいけない。
有馬:それでも、国民は、「民進党を中心とした野党よりもまだマシ」と思っている、ということでしょうか。
石破:そうですね。今回の選挙では、民進党の岡田克也党首が、「消費税の再増税はしない。財源不足については赤字国債も検討する」といったのが致命的でした。これは6年前(野党時代の自民党の消費増税10%への引き上げに、与党だった民主党が乗った)とまったく逆で非常に興味深かったのですが、選挙を戦う身とすれば、「われわれは経済成長で財源を手当てします。しかし、民進党は次世代にツケを回そうとしています」と簡単に批判できてしまいました。しかし、「経済成長とは何ですか?その中身は?」と問い詰められたら、果たしてどれだけ実のある話を答えられたか。街頭演説では、そこまで求められなかったのです。
有馬:安倍内閣は「日本のGDP(国内総生産)600兆円」を目標に掲げていますが、率直に言って人口が減少する中で達成するのは容易ではないし、1人当たりGDPを増やすなどの考えが、まだ現実的だと思います。石破さんが安全保障の専門家だということは広く知れ渡っていますが、もし「石破内閣になったら、こういう経済政策をやる」というのはありますか?
「ローカル」と「住宅」で日本は復活する
石破:まず二つのことを申し上げたいと思います。一つはさきほどの地方創生とも絡みますが、従来型の公共事業や企業誘致ではない、新しい形で地方の生産性を向上させ、成長を促すことです。例えば、地方では、今まではおコメを作ればJAが代わりに売ってくれたし、旅館を営業していればJTBがお客さんを連れてきてくれました。そこには生産性を上げて、「もっと稼ぐぞ」というマインドは醸成されません。逆に言えば、地方はそれだけ、伸びしろが大きいということにほかなりません。経営共創基盤CEOの冨山和彦さんが著書『なぜローカル経済から日本は甦るのか』(PHP新書)の中でも述べられていた通り、日本経済の中でトヨタ自動車などのグローバル型大企業(G型)がGDPに占める割合はせいぜい3割程度。雇用は2割に過ぎません。ほかは、ローカル型の産業(L型)が大半を占めているのです。ですから、L型にも大企業の経験則を導入し、コスト管理、在庫調整、IT技術など多くの方法で、地方の農林水産業・観光業・サービス業などの生産性を高めていけば、日本経済の足腰が強くなります。L型ではすでに雇用がひっ迫しているので、もし今の仕事がなくなったとしても、相対的に別の仕事に移りやすく、失業も起きにくいのです。
同時に、この国の人口減少を止めなければいけません。人口減少の元凶は、地方衰退の原因にもなっている、東京への一極集中です。地方が従来型ではない新しい形での産業を興し、生産性を上げることで、地方に人が戻っていく。経済においても人口においても、地方において再生産するメカニズムを機能させるのです。このような取り組みでどれだけローカルの経済規模が拡大するのかは、未知数ですが、人生の選択肢、職業の多様性を広げられれば必ず国民の「幸せ感」が向上すると思います。
もう一つは住宅です。日本人が、いつまで経っても「幸せを感じることができない」と思うもう一つの原因として、住宅事情があります。例えば子供連れの若い夫婦が3人で狭い2DKに住むことは、幸せなのでしょうか。一方で、1970年代以降、郊外に大量に建てられた一戸建て住宅は、いま子供たちが巣立ち、老人夫婦だけになっているところが急増しています。こうした人たちがさきほどの若い子連れ夫婦に貸せれば、老人夫婦は賃貸収入を得ることができて不安が解消されますし、若い夫婦は都心から1時間のところで庭付き1戸建ての家に住むことが可能になるのです。こうした人々のニーズに対して、制度はいまだ昔のままであり、十分に応えられていません。中古住宅の流通改革も、リフォーム時の金融税制などもさらに進めていく必要があります。ご存じのとおり、約1700兆円といわれる個人金融資産の大半は高齢者層にあります。日本版REITやリバースモーゲージなども組み合わせて政策を推進していくことで1%の17兆円でもマーケットに出せれば、経済は活性化します。また、住環境を充実させることで、若い世代が「もう一人子供を作ろうか」と自然に考えるようになり、次世代につながります。
有馬:安倍首相は、「成長戦略は、この道しかない」とアベノミクスの正当性を強調するわけですが、今の自民党はちょっとでもおカネが余ると、すぐに無駄遣いをしてしまう子供のようです。本当に必要なものにどれだけ使っているのだろうか、と。
石破:そもそも経済政策とは何でしょうか。アベノミクスでは、大胆な金融緩和で円を下げ、株価を上げることに成功しました。しかし、とうとうマイナス金利まで導入しているのに、ほとんどの経営者は、こんなに金利が低くても、おカネを使おうとしません。機動的な財政出動にも、それによって人口が増えるのか、経済が成長するのかという視点が欠かせませんし、未来永劫続けられるものでもありません。「新しい消費を喚起するには」「生産性向上に寄与する公共事業とは」など、考えねばならないポイントは多くあります。
有馬:参議院選挙から「18歳選挙権」が開始されたことがきっかけとなって、改めて「政治とは?」「日本の今後の針路はどうすべきか」ということを考えた国民も少なくなかったと思います。一方で、今の安倍政権には、選挙に勝って国会で多数を得れば、「国民の白紙委任を得た」と勘違いして、議論も説明もほとんどしないままそそくさと決める。そうした、首をかしげざるを得ないような運営も垣間見えます。憲法や安全保障の問題は機会を改めてまた詳しく伺いますが、石破さんなら憲法改正の問題をどう国民に説明しますか?
国民が憲法判断することは決して難しいことではない
石破:日本国憲法には何が書いてあるか。ポイントは何か。現代には合わなくなっているところはどこか。それについて改正権者である国民は、何を判断しなければならないか。このような重要なことを、今の教育ではあまり教えられていないと思います。しかし、基本を知っていれば、憲法改正について一人ひとりの国民が判断することは決して難しいことではありません。では主権者の判断とは何でしょうか。それは「自分が総理だったらどう考え、決断するか」ということです。国民主権というのは、それだけ厳しいものなのだと、幼少のころから教育に組み込まなければならないと思います。安全保障についても、今回はこの分野だけのものではないので、また回を改めたいのですが、大事な話こそ基本を話せばわかってもらえるはずです。
例えば防衛大臣時代、夏休み学習に来た小学生たちに「自衛隊とはなんですか」と聞くと、「戦争をする人たち」という答えが多く返ってきました。そういう答えをしてきた子供たちには、例えばこういう話をしました。「みんなはスポーツで試合に勝つために、毎日練習するよね。ここにいるお兄さんやお姉さんは『試合』がないようにするために、毎日『練習』をしているんだよ」と。キョトンとしている子供もいますが、これが抑止力を考える第一歩になります。この国で安全保障を語る際は、常に「専守防衛」という言葉を使うことが基本とされてきました。では、「専守防衛」とは何でしょうか。これは、実は「日本の本土ぎりぎりで敵を迎え撃つ」ということになり、大変負担の大きい話です。「専守防衛」の考え方を貫くということは、万一の時、どうやって国民を安全に避難させるのかについて常に考えておかねばならないということになります。
一方、抑止力には、懲罰的抑止力と拒否的抑止力の二つがあります。どちらも相手に攻撃を思いとどまらせようというのは同じですが、前者は「攻撃をしてきたら、懲罰的な報復を行う」という脅しであるのに対し、後者は「攻撃しても意味がない、あるいはコストが高いのでやめたほうがいい」と慫慂(しょうよう)する考え方を指します。現実的な抑止は、この二つの組み合わせで成り立っているのですが、あえていえば本来の抑止力は「日本に手を掛けると、わが国も壊滅的な被害を受けることになるからやめよう」と思わせる前者の懲罰的な抑止のほうです。しかし、こうした議論を真正面からすると、「お前は戦争主義者か」と言われたりします。
今、「専守防衛」を貫くことでどれだけの抑止力を維持できているのか、という検証は、公にはなされていません。憲法9条についても、2項で「陸海空軍その他の戦力は保持しない」と書いてあるが、憲法は自衛を否定はしていない、だから自衛のための実力組織たる自衛隊は戦力ではない、という議論がまかりとおってきた。言葉のまやかしをみとめてきたので、誰も、憲法を真剣に考えなくなったのです。しかし、今や、世界はますます複雑化しています。集団的自衛権なしで安全保障は成り立たないのです。こうした本質的な議論を避けて、表面的な言葉で取り繕えた時代は、もう終わりました。
率直に語らねばならないことはいろいろあります。今回のリオ五輪でも、活躍した選手の中には、多様な民族的背景の方々がたくさんいました。大相撲でも外国人力士が活躍しています。日本政府の責任で日本語や文化やルールを教え、疎外感を覚えることのないようなシステムを作ったうえで、「外国生まれの日本人」を増やすような考え方があってもいいのではないでしょうか。人口減少問題では、全国で合計特殊出生率トップ(2.81)の鹿児島・徳之島の伊仙町のケースが参考になります。大久保明町長は医師でもあるのですが、町の財政を建て直すために全部の集落を回って、現状を説明したそうです。そうしたら、高齢者の方々が「敬老会の祝い金はいらない。バスの優待券もいらない。どうか若い世代のためにおカネを使ってくれ」と言ってくれて、財政を再建できたのです。シルバー民主主義といわれていますが、私は率直に国民に説明すれば、国民はわかってくれると思います。強い政府とは、こうしたことを率直に語るためにあるはずです。
「雉も鳴かずば」「寄らば大樹」でいいのか
有馬:現在の自民党では、事実上安倍首相の「一極支配」が続き、自由な議論がしにくい状況と言われています。本来の自民党の姿からは、ほど遠い姿といわざるを得ません。
石破:私は小選挙区を推進してきた側ですが、小選挙区が定着したことで、公認を含め党が人事をすべて握る形になってしまったことは否めません。一方、議員は皆努力しているのだから、それなりのポストが欲しい。そうすると、言いたいことも控えてしまう、ということになりかねません。私は小泉元首相に見いだしてもらい、幸運でした。私は「雉も鳴かずば撃たれまい」とか「寄らば大樹の陰」という言葉が大嫌いです。今、党内の主流に乗っていれば、それは心地がよいかもしれません。しかし、それは少なくとも自分のやることではないと思っています。ごまかさず、言わなければならないことは率直に申し上げるべきだと、自分に言い聞かせています。 
●石破氏、自らの直言ぶりに「出る杭は抜かれることも」 2018/7 
石破は正論を言うと評価を頂くが、そうであるだけに風当たりは強い。本当のことを言うと、出る杭は打たれるというが、出る杭が抜かれることもあり、本当に風当たりは強い。
だけど、誰もそれを言わないでどうする。みんなが大勢に従い、寄らば大樹、キジも鳴かずば撃たれまい、誰も本当のことを言わない世の中は決して良い世の中だと思わない。
どの演説よりも、(戦時下の帝国議会での反軍演説で除名された)斎藤隆夫の演説は燦然(さんぜん)と歴史に残っている。政治家はそうありたい。真実を語る勇気、弾圧、抵抗があってもそれを訴える勇気と分かってもらえる真心を持ちたい。
この秋の党総裁選、誠実な政治をつくりたいと思う。正直な政治、丁寧な政治、謙虚な政治をつくりたい。そして逃げずに国民に正面から向き合う政治をこの国につくりたいと思う。(鳥取県倉吉市、鳥取市での講演で) 
●石破氏と参院竹下派は総裁選で「派手に負ける」べき理由 2018/8 
自民党第3派閥・竹下派は幹部会を開き、9月の自民党総裁選に事実上の自主投票で臨むことを決めた。竹下亘総務会長は派内の支持候補の一本化を目指したが、調整がつかなかった。
禅譲を期待して不出馬の岸田文雄氏 「負け戦」覚悟の石破茂氏と参院竹下派
竹下派には衆参両院の55人の議員が所属しているが、34人の衆院には茂木敏充経済財政・再生相ら安倍晋三首相に近い議員が多く、安倍首相支持での一本化を望んだ。これに対して、21人の参院は、来年夏の参院選に向けて党内議論の活性化を名目に石破茂氏支持を主張していた。竹下会長は衆参の個々の事情を容認すると決めた。
一方、安倍首相の有力な対抗馬とみられていた岸田文雄政調会長は、総裁選不出馬を決定した。岸田政調会長は、「今の政治課題に、安倍総理を中心にしっかりと取り組みを進めることが適切だと判断した」と不出馬の理由を語った。
岸田派内は、若手を中心に出馬を促す主戦論と、ベテランを中心に今回は出馬せず、次回の総裁選挙で安倍首相からの禅譲を目指す慎重論で割れており、岸田政調会長は、総裁選への出馬を慎重に検討してきた。結局、総裁選に出馬しても勝機が全くみえないことから、勝てない戦を避けて、安倍首相からの禅譲に望みを託すことに決めた。
だが、安倍首相の出身派閥である細田派に続いて、麻生派、二階派が既に支持表明した後に遅れて支持表明をしても、安倍首相側は「今さら支持すると言われても、遅すぎる」と冷淡だ。禅譲どころか、総裁選後の人事で岸田派が冷遇される可能性もある。
安倍首相は、既に国会議員票の3分の2以上を固め、地方票も着実に伸ばしている。圧勝で自民党総裁に「3選」されることが確実となった。唯一の対抗馬である石破氏は手も足も出ない状況だ。
だが、本稿は「負け戦」であることを承知しながら、それでも総裁選を行い、党内議論を起こすことが大事だと、あえて安倍首相に対抗する立場をとる、石破氏と参院竹下派にエールを送りたい。
戦前の反骨の学者「河合栄治郎」は あえて「重罪」に処されることを望んだ
本稿は、石破氏と参院竹下派に、ある人物の話を紹介したい。第二次世界大戦前に、東京帝国大学経済学部教授だった河合栄治郎のことだ。河合は、日本でファシズム勢力が台頭した時代に、「反ファシズム」の論陣を張り、右派陣営から激しく攻撃された。
1938年に河合の著作が内務省から発禁処分となり、これらの著作等における言論が「安寧秩序を紊乱するもの」として、「出版法違反」で起訴された。また、1939年に東京帝国大学総長・平賀譲の裁定で、河合は休職を発令された。
しかし、河合は大学を追われ、発禁処分で裁判にかけられたにもかかわらず、意気軒高だったという。河合は、日本が戦争に敗北すると公言し、「日本は満州、朝鮮はもとより、台湾、琉球をも失うことになろう」と述べた。アメリカのような国と戦争を始めたら、海外領土をすべて失い、国家的破綻状態に追い込まれるだろう」と主張していた。
そして、河合は裁判について「私は無罪を信じるけれども、有罪ならば罰金刑ではなく、禁固を望む」「罪が重ければ重いほど、戦後自分が外国に対し発言する場合、自分の発言に重みがつくから」と言ったという。
河合は、敗戦の後に起こる社会的混乱の中で、必ず自分の出番が来ると予期していた。そして、その時により大きな発言力を得て、新時代のリーダーとなるために、あえて時代が変わる前に、最も重い罪を科されておくことを望んだというのだ。
残念ながら、1944年2月に河合は「バセドウ氏病性突発性心臓死」で亡くなった。もし、河合が生きていたならば、その闘争経歴、政治的行動力、闘争心、バイタリティ、理論闘争能力、政治的策謀能力から、社会民主主義グループ(当時の右派社会党、後の民社党)のリーダーとなっていたという。
そして、河合がリーダーならば、当時急速に台頭していた共産党、左派社会党のマルクス主義勢力を抑え、右派が主導権を握れたかもしれない。戦後初めて誕生した社会党政権は片山哲政権ではなく、「河合政権」だった可能性もあっただろう。戦後の日本政治に穏健な社会民主主義勢力が育ち、自民党と並ぶ二大政党となり、「政権交代可能な民主主義」(本連載第115回など)が確立されていたかもしれない。
河合が言ったように、戦時中に「重罪」に処せられた人物は、戦後に大出世している。その代表例は、吉田茂元首相だろう。親米英派の外交官だった吉田は、軍部に抵抗して逮捕された。そのおかげで、外務省同期の出世頭、広田弘毅元首相がA級戦犯になり絞首刑に処せられる一方で、吉田は戦犯とならず、政界に進出して首相となり、GHQのダクラス・マッカーサー元帥の信任を得て連合国の占領を終わらせ、日本の主権を回復させた。
このように、古い時代に迎合せず、冷遇されていた人物ほど、新しい時代が始まった時、時代の寵児となるものである。そのことを、勝ち目のない闘いに向かっていく石破氏や参院竹下派の人たちに伝えたいのである。
首相の名を冠した経済政策で 間違いや失敗は認められない
この連載は、第二次安倍政権が誕生した時から、一貫してアベノミクスを徹底的に批判してきた(第163回)。「アベノミクス」とは、実はつぎ込むカネの量が異次元だというだけで、旧態依然たるバラマキ政策に過ぎない。アベノミクスの円安・株高で恩恵を受けるのは、業績悪化に苦しむ斜陽産業ばかりで、新しい富を生む産業を育成できていない。
実際、政権発足から6年になろうとしているが、いまだに物価上昇率2%の公約は実現できず、経済は思うように復活していない。異次元緩和「黒田バズーカ」の効き目がなければ、さらに「バズーカ2」を断行し、それでも効き目がなく、「マイナス金利」に踏み込んだ。補正予算も次々と打ち出されている。カネが切れるとまたカネがいるの繰り返しになっている。結局、第二次安倍政権以前の時代のバラマキ政策と何も変わらないのである。
さらに問題なのは、「アベノミクス」という安倍首相の名前を付けた経済政策であるため、その間違いを認められなくなっていることではないだろうか。例えば、日銀は7月31日の金融政策決定会合で、「フォワードガイダンス」と呼ばれる将来の金融政策を事前に約束する手法を新たに導入し、「当分の間、現在のきわめて低い長短金利の水準を維持する」こととした。
しかし、今回の政策変更の真の目的は、“金融緩和の副作用”を和らげることだという。インフレ目標である物価上昇率2%の達成が早期に難しくなり、金融緩和の長期化が避けられないことから、金融機関の収益の低下や、国債市場での取引の低調といった副作用が生じているとの声が高まっており、これに日銀は対応せねばならなくなったのだ。
そして今回2%物価目標について物価上昇率見通しを引き下げたことで、少なくとも2020年までは2%目標を達成できそうにないことが明らかになった(野口悠紀雄『日銀が金利抑制をやめたら長期金利は暴騰しかねない』)。要するに、物価目標は事実上、放棄されたということであり、日銀は実質的に「敗北宣言」をしたようなものだ。
敗北を認めようとしない政府・日銀 五輪まで無理を重ね、その後に反動か
ところが、黒田東彦日銀総裁は「『長短金利操作付き量的・質的金融緩和』の持続性を強化する措置を決定した」と記者会見で述べた。新たな手を打ち出したかのように見せることで、「異次元の金融緩和」がより強化されるという印象を与えようとしている。
日銀が「敗北」を認めようとしないのは、「アベノミクス」という名前が付いているために、その「間違い」を認めることは、首相に恥をかかせることになるからだ。そして首相に恥をかかせないために、様々な詭弁が横行している。
例えば、単に人口減で労働力が減っているだけなのに、「人手不足は、経済成長しているからだ」と言ったり、派遣労働者が増えているだけなのに、雇用が拡大していると強弁したりすることだ。これでは、神格化された独裁者を守るために都合よく事実が曲げられる、どこかの全体主義国家の「個人崇拝」と変わらないではないか。
だが、「カネが切れたら、また金がいる」のバラマキ政策が、いつまでも続けられるわけがない。ましてや、その規模が異次元であれば、その被害も甚大なものとなろう。安倍政権は、何が何でも東京五輪までは、経済を維持しようとするだろう(第122回)だが、その後は、必ず反動が来るはずだ。
その時にはアベノミクスを支持していた政治家は、安倍首相とともにご退場いただくしかない。本来、宏池会(岸田派)は「税と社会保障の一体改革」の「三党合意」を推進し、財政再建を進める立場であるはずだ(第44回)。だが、派閥領袖の岸田氏自身が「今の政治課題に、安倍総理を中心にしっかりと取り組みを進める」と宣言してしまった以上、安倍首相と心中するしかない。
アベノミクスを変える機会を得ることができるのは、「反安倍」を掲げた政治家だけだ。石破氏や参院竹下派はいうまでもなく、心の中で安倍政権のあり方に疑問を持つ政治家は、総裁選後のポストという短期的な損得だけではなく、長期的に考えて堂々と「反安倍」となり、冷や飯を食っておく方がいいのではないか。
アベノミクス失敗の責任を負ってもらうために 安倍首相の「3選」に賛成する
筆者は、安倍首相の自民党総裁「3選」に賛成である。なぜなら、アベノミクスの責任を、最後まで安倍首相に取ってもらいたいからだ。もし、9月に新しい総裁が誕生した後にアベノミクスが破綻したら、その責任は新しい総裁にあるということになってしまうのではないか。
安倍首相の性格を考えれば簡単にわかることだ。「手柄は全て自分のもの、失敗は全て他人のせい」ということを、軽い口調で言い続けてきた人だ。次の総裁は、誰がなっても安倍首相よりは、もう少しマジメな人だろう。経済危機の責任から逃げることなく、受け止めようとするだろう。
だからこそ、安倍首相にあと3年総裁を続けてもらって、ぜひアベノミクスの失敗の責任を、逃げも隠れもできない状態で受け止めてもらいたいのだ。そして、国民の猛批判を浴びて退陣し、後世「最悪の経済政策を実行して亡国をもたらした、究極の大衆迎合宰相」と酷評されてもらいたい。
安倍首相、9月の総裁選で、ぜひ石破氏に「トリプルスコアの圧勝」を果たしてください。期待しています。  
●石破支持の議員はなぜ負け戦に身を投じたのか 2018/9 
安倍晋三・首相が3選を果たした自民党総裁選挙で齋藤健・農水相は「石破さんを応援するんだったら辞表を書いてからやれと言われた」と “ある安倍支持派議員”から恫喝を受けたことを暴露した。
今回の総裁選では大臣から市議会議員に至るまで、安倍陣営からの激しい締め付けがあったとされる。
そんな中、「ドン・キホーテ」になることを承知で強大な総理大臣に挑むことを表明していた国会議員は、石破派の20人を含めて約50人いた。
齋藤農水相、田村憲久・元厚労相ら石破派の20人は当然としても、他派閥や無派閥の議員には「現職総理に睨まれる」リスクを取る理由は見当たらない。にもかかわらず、竹下派の竹下亘・総務会長、尾辻秀久・元厚労相、谷垣グループの中谷元・元防衛相、無派閥の村上誠一郎・元規制改革相、渡海紀三朗・元文科相など大臣経験者、そして将来ある若手議員たちが石破氏支持を旗幟鮮明にした。
総裁選投票3日前の9月17日には、橋本龍太郎・元首相の次男、橋本岳代議士(当選4回)がブログにこう綴った。
〈 「自民党は今一度初心に立ち戻り、政治・行政に関する国民からの信頼回復を目指すべき」という意志の表現として、「ただ国民のみを畏れる」石破茂候補への投票を選択することといたしました 〉
彼らはなぜ、負け戦に身を投じたのか。本音を聞いた。当選1回の石破派参院議員・中西哲氏が語る。
「石破派は最初から勝ち馬に乗ることは考えていなかった。安倍内閣の支持は40%台で過半数を割っている。国民の批判も強い。とくに来年は統一地方選と参院選が控えている。
先日、私の地元の高知で石破演説会をしたとき、地元の建設業者が『中央の建設業界の幹部は官邸に呼ばれて“安倍を頼む”と直接頼まれているが、われわれには関係ないわ』と言っていました。地方に不満があるからこそ、総裁選で政策を戦わせることで自民党内には安倍総理と違う路線の勢力もあることを示し、党全体の支持を高めなければならないと考えたんです」
派閥の庇護がない無派閥議員はさらにリスクが高い。小泉進次郎氏ら当選同期の4人でつくる「四志の会」のメンバー、橘慶一郎・自民党副幹事長(当選4回)は無派閥ながら石破氏の推薦人に名を連ねた。
「石破さんを支持したのは友人で石破派の赤沢亮正・代議士に頼まれたから。もちろん、石破さんが掲げている地方創生に共感している。みんなから理由になってないといわれたが、それがすべてです」(橘氏)
総裁選後に人事で冷遇されかねない不安はなかったのか。
「もともと厚遇されていたわけではない。石破さんを推した人たちに、人事を期待している人なんていないでしょう。今回の総裁選は勝つために出たわけではなく、目指すのはある程度の地方票を獲得し、惨敗にならないことです」(橘氏)
政治ジャーナリスト・野上忠興氏は、“持たぬ者”になる強みをこう指摘する。
「安倍一強と言われる中で自民党内には総裁選で公然と反旗を翻した数十人の反安倍勢力が生まれた。安倍首相は恫喝も通用せず、ポストというエサでも釣られない彼らの存在を脅威に感じているはずです。反安倍勢力は来年の統一地方選や参院選で自民党が議席を大きく減らせば、安倍政権は次第に死に体化していくと読んでおり、その時が本当の勝負の時だと考えている。安倍首相はそれが気が気でないから党内粛清に乗り出さざるを得ない」
歴史的に状況が似ているのは幕末の安政の大獄だ。大老・井伊直弼が反対派を弾圧し、次々に粛清しても徳川幕府の崩壊は止まらなかった。
これから嫌でも政権末期に向かう安倍首相も、反対派を干し上げるだけで求心力低下を食い止めるのは難しい。国民の政権への失望を招く可能性もある。
これから繰り広げられる無情の粛清は、自民党の「幕末動乱」の始まりを告げている。 
●自民党総裁選 / 安倍首相と石破元幹事長が最後の訴え 2018/9 
20日投開票の自民党総裁選を前に、連続3選を目指す安倍晋三首相(党総裁)と石破茂元幹事長は19日夕、それぞれ東京都内で最後の街頭演説を行い、憲法改正や経済政策、政治姿勢などで火花を散らした。両氏の演説の要旨は以下の通り。
首相「憲法改正に取り組むときだ」
6年前、日本を取り戻す戦いはこの場から始まった。政権を奪還し、現場主義を徹底し、(東日本大震災からの)復興を進めた。今年もさまざまな災害があった。3年間で緊急対策を講じ、強靱(きょうじん)な町づくりを進める。
日本の経済を支えているのは中小企業だ。この4年間、中小企業や小規模事業者が個人保証なしでお金を借りられる、新しい仕組みを作った。この5年間で倒産件数は3割減らすことができた。
正規雇用の有効求人倍率は史上初めて1倍を超え、過去最高になった。真っ当な経済を取り戻すことができた。
外国人観光客も900万人の壁が3倍以上に増えた。農業生産所得はこの18年間で最も高い水準になった。農林水産物の輸出額も5年連続過去最高だ。こうした目標を掲げたとき、野党や一部のマスコミは批判ばっかりしていた。しかし、批判だけしていても何も生み出すことはできない。具体的な政策を前に進めていくことこそが求められている。
3年前の今日、平和安全法制が成立した。今、助け合うことのできる同盟は、最も強い日米同盟に変わった。その中で、北朝鮮は米朝首脳会談に応じてきた。日米の絆を強くしていく。
憲法改正に取り組むときを迎えている。9割の国民が自衛隊を評価している。これは現場で命をかけて信頼感を勝ち取ってきた自衛官たちの努力の成果だ。自衛隊の皆さんに誇りを持って任務を全うすることができる環境をつくっていくことは今を生きる私たち政治家の責任だ。
来年は皇位の継承、20カ国・地域(G20)首脳会合が開催される。日本は大きな歴史の転換点を迎える。今こそ、皆さんとともに新たな国づくりを進めていきたい、こう決意している。
石破氏「一人一人を豊かにする日本に」
私は32年間、政治をやってきた。国民に「そうだね」と思ってもらえる、「自分たちの言うことを分かってくれるね」と言ってもらえるような政治をやりたい。残念ながら「政治を信じているよ、政治家を信じているよ」という人は大勢いるとは思わない。
この国の未来は過去の延長線上には絶対ない。日本が恐ろしい勢いで人口が減っていくことを、もっと正面から語らなければならない。人口が減る中、経済を維持するために何をすべきかが問われている。
大胆な金融緩和によって、大企業が空前の利益を上げたが、一人一人の豊かさにつながっていない。一人一人を豊かにする日本を作っていきたい。働く人たちを豊かにしていくためには、一番伸び代のある中小企業と地方をいかにして伸ばすかだ。政府は地道な努力を応援する。
消費税が上がっても暮らしていけるような経済を作る。社会保障の国民会議を作る。政府は間違ったデータを絶対に出さない。議論はきちんと公開し、記録は必ず残す。社会保障のあるべき姿を国民の納得のもとで作っていく。
どこで何があっても亡くなる方や傷つく方が最小限になる態勢を作るために防災省は絶対に必要だ。
憲法に正面から向き合う。自衛隊は国内では軍隊ではないが国外では軍隊、ということをいつまでも言ってどうするのか。必要最小限度だから戦力ではないと言って誰が分かるのか。正面から語る。「長いものには巻かれろ。寄らば大樹の陰」と政治が言ってはならない。
誰に会って誰に会わないのか分からないようなことであってはならない。圧力が加えられるような、自分の言うことを聞く人間しか使わないような首相官邸であってはならない。 
●"首相候補"石破氏の存在感が薄すぎるワケ  2019/2 
自民党の石破茂元幹事長の存在感がかすむ一方だ。昨年9月の自民党総裁選で45%もの地方票を獲得し、「安倍1強」後の首相候補1番手の位置を確保したはずだった。ところが総裁選から約5カ月がたち、今や安倍氏の言動をひたすら批判する党内の抵抗勢力のような位置づけになってしまった。いったいどこで歯車が狂ってしまったのか――。
発言は完全に「野党化」している
2月10日、都内のホテルで行われた自民党大会の後、石破氏は記者団に囲まれ、とうとうと語り続けた。
「国民が求めているのは民主党に対する批判ではない。きょうの大会の話を聞いていても、嵐のような拍手が起こる場面がなかった。実感と乖離を起こしている」
「自衛隊の募集に協力しない自治体があるから憲法を変えるのだという、そういう論法だった。『憲法違反なので自衛隊の募集に協力しません』という自治体を、私は寡聞にして知らない」
どちらも安倍氏のあいさつに対する発言だ。1つ目は、安倍氏の「悪夢のような民主党政権」という表現を批判したもの。2つ目は「自衛隊の新規隊員募集に都道府県の6割以上が協力を拒否している」という部分にかみついたものだ。どちらも、理屈は通った批判なのだが、残念ながら「何でも反対の野党」が言っていることとなんら変わらないのも事実だ。
党大会の時だけではない。最近は安倍氏がどこかで発言する度にコメントを求められる。15日には、安倍氏の「自治体の6割以上が協力拒否」発言を受けて、自民党本部が党所属国会議員たちに、選挙区内の自治体に対し協力を要請するよう求める文書を配布したことについて「恐ろしい論理の飛躍だ」と厳しく論評した。
石破氏は予算委員会のメンバーだ。閣僚や官僚が答弁している時、テレビカメラの奥で仏頂面をしている石破氏の顔が映り込むことが少なくない。休憩時間に記者団を前に、野党の質問能力の拙さを嘆き「私ならこう攻めるのだが……」というようなことを語ることもあるという。
石破派が「反主流」と認定された夜
6日夜、首相公邸で自民党7派閥のうち石破派を除く6派閥の事務総長らが会食した。安倍氏の招きで、昨年秋の総裁選の慰労という名目だった。会合は箝口令が敷かれたというが、政治家がオフレコを守れるわけがない。同日夜のうちに「石破派外し」会合は永田町を飛び交った。
安倍氏も最初から外に漏れることは承知の上でのことだった。石破派が正式に「反主流派」と認定された瞬間だったといっていい。
昨年9月の総裁選は、敗れはしたが地方の党員票は健闘した石破氏。次につながる負け方をした。総裁選直後にアップした記事「惨敗した石破氏が意気軒昂になれる裏事情」を参照いただければ当時の石破氏の状況を理解いただけるだろう。
安倍氏の「レイムダック化」が進まない
しかし現実は、党内でますます孤立してしまっている。どこで、どう間違ったのか。
最大の誤算は3選後の安倍氏のレイムダック化が進まないことだ。
今の自民党の規定では、党総裁の連続4選は認められていない。長くて2年半後に党総裁、そして首相が替わるのなら、次第に安倍氏の求心力は弱まる。7月の参院選で自民党が敗れれば退陣論が出るだろうし、そうでなくても「ポスト安倍」選びは公然と進む。そうなれば安倍氏に明確に弓を引いてきた石破氏は最有力候補となるはずだった。
ところが、安倍氏は予想以上にしぶとい。今開会中の通常国会では、「統計不正」の問題などで野党から連日追及を受けているが、安倍内閣の支持は40%台で安定している。逆に統一地方選、参院選を前に野党の足並みの乱ればかり見えてくる。
そんな政治状況の中、最近では二階俊博幹事長周辺から党則を改正して安倍4選を可能にしてはどうか、というアドバルーンも上がり始めている。
早ければ今夏の参院選後、遅くとも2021年の総裁選では勝負の時が来ると踏んでいたのだが、その後も安倍氏が首相の座につき続ける可能性が出てきてしまうと、石破氏は攻め手を失ってしまう。戦略性もないまま政権批判を繰り返すしか手がない。
最側近だった古川氏は「事務総長」を辞任
派内の足並みの乱れも少なからずある。ことし1月、石破氏の最側近である古川禎久衆院議員が石破派事務総長を辞任した。「総裁選が終わり一区切りついた」というのが表向きの理由だ。
しかし、本当は石破氏と古川氏の間ですきま風が吹いてきたとの観測も広がる。総裁選で石破氏のために走り回ったのに、その後の内閣改造では自分よりもはるか後輩の山下貴司氏が法相に起用された。古川氏としてはおもしろいはずはない。安倍氏が山下氏を抜てきしたのは石破派内の結束を乱す狙いもあったと言われる。その狙い通りだったようだ。
「与党内野党」といえば聞こえはいいが、ポストには恵まれない。派内の結束を維持するのは簡単なことではない。安倍氏は人事のたびに石破派の揺さぶりを図ることだろう。
過激な発言を求め、群がるマスコミ
石破氏が「与党内野党」のキャラクターを強めているのは、マスコミ側の事情もある。「安倍1強」が続く今、新聞、テレビなどのメディアはバランスをとるために政権に批判的な意見を求める。当然野党は厳しいコメントを出すが「1強」の中では野党のコメントでは弱い。そこで、自民党内で批判的な意見を求める。
つい先日までは村上誠一郎元規制改革担当相がその役割を果たしてきた。しかし村上氏は党内にあって1匹オオカミで、人望もないためインパクトに欠ける。
その点、石破氏は小なりといえども派閥のリーダーで総裁選を安倍氏と争った。石破氏が村上氏並みに政権批判のメーターを上げれば当然、テレビカメラは石破氏に群がる。だから石破氏は毎日のようにテレビカメラの前で安倍政権を批判し、安倍氏側はどんどん石破氏を遠ざけることになる。
石破氏の安倍政権批判は、マスコミでは重宝がられるが、自民党内では「利敵行為」と映る。政権が早晩倒れる確証があればそれでもいいが、長期政権が見込まれる場合は正しい戦略とはいえない。
より激しい政権批判をして倒閣に走るか。それともいったん批判のボルテージを下げて中長期的な作戦に切り替えるのか。石破氏にとって、戦略見直しが求められる時なのかもしれない。 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

●あえて「負け戦」を選んだ歴史上の人物から学ぶ 
歴史上の人物を見ていくと、みんな成功者ばかりではありません。最高の社会的地位を捨て去って、敢えて負ける道を行く者に人の心は惹きつけられます。「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術は、歴史上の人物に関するエピソードを例に「逆風が吹くことがあっても、自分の信念をもって前向きにチャレンジしていこう」と語りかけています。
「こうすればこうなる」系のノウハウは全く身につかない。徹底的に話し合い、考え方を身に付ける、ある意味哲学的な学習会がある。講師の先生の話で、「負けるとわかって誰かに味方して、負けた人に、人は魅力を感じる」という話があり、これがすとんと腑に落ちた。
なるほど、歴史上の人物を見ていくと、成功者ばかりではない。最高の社会的地位を捨て去って、敢えて負ける道を行く者も多い。その中でも特に人気のあるのは、西郷隆盛だろう。土方歳三もそうである。若き日の高杉晋作も、その無茶に従った伊藤博文も、明治維新の志士はみんなそうである。
吉田松陰の有名な言葉、
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
の精神である。損するとか失敗するとかは、志の前には二の次なのである。講師の執行先生は、これらの精神に対し「不合理を愛する」と表現している。
やはり、人の心を惹きつけるのは、そういう人物である。後生の人々の心に残るのは、不合理を愛した人達である。逆に、うまく時流に乗ってとんとんといったと伝えられる人物は、意外と不人気である(しかしながら、そういった人達の作った制度に、救われている面も否めない)。
ともすれば「こうすればうまくいく」に飛びつきたくなる。私自身、そういう方法を使うことが実際に多いし、紹介もしている。しかしである。「スマート」はほめ言葉だが、人間というのは心の底で、泥臭い方が好きという面がある。
「負けるとわかっていても、やる」。その覚悟をもって事に当たれば、こわいことは何もない。新しい職場、新しい学級。逆風が吹くことがあっても、自分の信念をもって前向きにチャレンジしていきたい。 

 

●「負け戦」の経験 
デザイナーであればユーザーにとって価値のある何かを作りたいと思うはずです。しかし、仕事では思うようにいかないことがあるのも事実。「これは絶対にダメだ」と思うことでもやらなければいけない場合があると思います。
例えばこんな状況で何かを作らなければいけない場合があるとします。
企画側で作りたいものが明確に決まっている
デザイナーからみるとユーザーのためになっていない施策だというのが分かる
代わりの案を作ってみたが「こんなのは頼んでいない」と言われる
簡単な調査をして別提案を作り「ユーザーはこちらに反応している」と説明しても No と言われる
開発なら分かってもらえると思って提案するものの「これを作るために、予定より 3 ヶ月かかる」と言われる
誰に何を言っても通じない状況。
締め切りはもちろんあるので、仕方なく要件を飲んで作ることになるでしょう。妥協したくない。納得できないことに時間をかけたくない。それでも作らなければ「仕事ができない」と評価されてしまう。
何をやっても状況が変わらない『負け戦』を経験したことは誰でもあると思います。代わりの案を作って論理的に説明しても通じない … 出口がなくて途方に暮れてしまう経験をされた方はいるのではないでしょうか。
妥協をしたデザインに対して納得いかない方はいると思いますが、仕事では少なくないこと。妥協はポジティブな表現ではないですが、プロジェクトメンバーのニーズを考慮して最善を尽くしたという点では、ひとつの課題解決をしたと言えるかもしれません。
重要なのは『負け戦』の後の次の行動です。
黙っていては何も変わらない
『負け戦』はこれが最後ではありません。きっといつかまた経験することになります。再び『負け戦』が訪れたとき、あなたならどんな行動をとるでしょうか。
リリースを遅らせても実現のため交渉する
主導権を勝ち取るために別の企画を作る
頼まれたものを黙って作る
振り返りのときにチームで課題共有をする
次回に備えてワークフローの課題を改善する
会社を辞める
ダークパターンを作る仕事ばかりであれば、辞めてしまったほうが良いかもしれません。上記以外にも選択肢があると思いますが、なかでもやってはいけないのが「頼まれたものを黙って作る」ことです。
妥協することと黙認することはまったく違います。妥協はある種のトレードオフですが、黙認することは一方通行の関係ですし、受け入れているデザイナーの立場が弱くなります。受け身になって与えられた要件を満たした『良い感じのモノ』を作り続けるだけでは、『負け戦』を経験する回数が増える可能性があります。
なぜ違和感を感じているのか。何をすることが事業の成功に繋がるのか。ビジネスだけでなく、ブランディングやマーケティングなど「デザイン」というフレーズを使わなくてもデザイナーの立場から課題解決の提案はできます。重要なのは、あれこれ伝え方を変えながら交渉を諦めないことです。
事業会社で働くデザイナーであれば、ステークホルダーとの関係性を築くために中長期的な活動ができます。クライアントワークの場合は、自分たちに合うクライアントと仕事をすることが前提になりますが、本質的な目的に沿った提案を小さくても良いので続けると信頼へと繋がります。
誰も『負け戦』は経験したくないですが、逃れることはできません。「よし!うまくいってるぞ」と自信がついてきた頃に、突き落とされるような経験をしたことは何度もあります。
負けた、ダメだと落ち込んでばかりいられません。重要なのは負けた後に立ち上がって仕事を続けること。そのとき自分は何をするだろうとシュミレーションしてみると、足りないところ、もう少し考えを深めたほうが良いところが見えてくると思います。 

 

●負け戦に出陣した戦国武将・大谷吉継 
豊臣秀吉をして、「100万人の軍勢を指揮とらせてみたい男」といわしめた戦国武将に、大谷吉継がいる。もともとの出自は北政所(秀吉の妻)の縁故ともいわれているが、知勇兼備の名将であった。
100万人の軍勢を指揮とらせてみたい男
天正11(1583)年の賤ヶ岳合戦では、先陣として敵将・佐久間盛政の部隊に切り込み、有名な「七本槍」に劣らない功績を挙げた。また秀吉の関白就任後には、吉継は秀吉から奉行職の大抜擢を受けた。さらに島津氏への攻勢を強めた九州征伐では、石田三成とともに兵站奉行を務め、日本はじまって以来という12万人もの軍勢がうごめく軍事作戦が、まったく支障をきたすことなく見事に働いた。
その吉継だが、秀吉死後は徳川家康に心を寄せる。武将としての力量とともに、人間としての風格に武人として好ましく思っていたようである。実際に家康が、会津の上杉征伐に向かうさいには、所領である敦賀から東上軍に加わるべく、出陣。途中、石田三成の子と同道するために三成の居城・三和山城に立ち寄る。そこで三成から挙兵を打ち明けられるのである。
吉継が見た場合、三成の挙兵は暴挙としかいいようがなかった。時代の趨勢として、もはや利は家康にあることや、さらに三成自身の人望のなさを指摘し、思いとどまるよう忠告した。まさに親友なればこその諫言であろう。しかもそれは三」度にもおよんだという。
しかし結局のところ、三成との友情に殉じ、吉継は関ヶ原の合戦では西軍に荷担することとなった。それはなぜか。じつは吉継は、若い頃より業病を患っていた。それは当時死病として恐れられていたハンセン病であったといわれる。事実、吉継は病により顔が崩れたため、白布で顔を覆うほどであった。
友情に殉じた関ヶ原の合戦
その吉継と三成にはこんなエピソードがある。秀吉が起こした朝鮮の役。吉継は軍監として渡朝したが、戦後、その功が称えられ秀吉が大阪城で開催した茶の席に招かれた。その席で緊張のあまりか吉継は、鼻水を茶碗のなかに落としてしまう。
それを見た諸将は以降、飲む真似をするだけであったが、席に列していた三成は、何事もないように茶碗のなかの茶をすべて飲み干してしまった。その夜、吉継はひとり寝所で男泣きに泣いた、と伝えられている。業病と戦う自身への、へだたりのない三成の友情に感激したためである(三成ではなく、秀吉であったという説もある)。
三成の挙兵については、名将として名高い吉継にすれば、勝利のありかは一目瞭然であったに違いない。しかし戦いの勝敗を超えた行動の奥底には、三成に対する友情が熱く広がっていたのである。
事実、関ヶ原の合戦における吉継の戦いぶりは、他を圧倒した。そのときすでに吉継は、病の進行により馬に乗ることもできず家臣に担がせた輿で指揮をとり、ほとんど失明寸前であったにもかかわらず、自軍を一糸乱れぬ采配で率いていた。さらには不穏な動きを示していた小早川秀秋軍にも気を配り、数千という自軍からその手当てすら行なっていたという。
西軍優勢の戦いの最中、小早川軍が裏切ったときにはあわてることなく対応をし、10倍もあろうかという敵軍を押し返してもいる。しかし第2、第3の裏切りがでたことにおよんで、ついには吉継の軍勢は壊滅し、吉継自身も自害して果てた。その首は、決して敵軍に渡らぬよう関ヶ原の地中深くに埋められたという。
戦国の世では、自身の利、出世のためには、主君を、味方を裏切ることがままあった。しかしその一方で、吉継のような友情、義を貫いた武将もいたこともまた事実である。大谷吉継が、いまもなお人気が高い戦国武将のひとりであるのは、まさにそれは現代人の忘れてしまった心を揺さぶる生き方だからなのである。 

 

●負け戦 秀吉に刃向った武将・九戸政実 
戦国時代の舞台は、京都や大阪付近だけではありません。天下取りの野望までは抱かずとも、自分の力で領地を切り取ろうとする諸将の戦いは、東北地方でも熾烈をきわめていました。その中で、天下人となった豊臣秀吉に敢えて反抗した、九戸政実(くのへまさざね)という男がいました。豊臣軍6万に対し、たった5千の兵で戦いを挑んだ彼には、守るべきものがあったんです。それは、領民でもあり、九戸氏としてのプライドでもありました。関ヶ原の戦い以前、東北で鮮烈な光を放ち、燃え尽きた闘将の生涯をご紹介します。
平成の世で明るみに出た遺骨の声
平成7(1995)年、岩手県二戸(にのへ)市にあった九戸(くのへ)城の発掘調査で、首のない人骨が多数出土しました。これらには刀傷があり、中には女性のものまであったんです。
平成20(2008)年になってようやく、彼らがどうしてこのような状態になったのか判明しました。
彼らは、天正19(1591)年に豊臣方に開城した際の皆殺しの犠牲者だったのです。
九戸城主・九戸政実は、彼らがこうして殺されたことを知らなかったかもしれません。
というのも、彼は開城後に宮城県に送られ、そこで斬首されていたからです。
もしかすると、自分の命と引き換えに、彼らを守れたと安堵していたかもしれないんですよ。
そうだとしたら、何という悲しい事実でしょうか…。
自分の首を差し出して民衆を守ろうとした九戸政実、これだけでもヒーロー的要素のある人物だとお判りになるかと思いますが、なぜこんな悲劇的な結末に至ったのか、これから解説していきますね。
九戸氏と南部氏
青森県や岩手県には「○戸」という地名が多く存在しますよね。九戸氏はそのうちのひとつであり、主を同族で主流の南部氏と仰いでいました。南部氏は、元々は、平安時代末期の東北の戦乱を収めるためにやってきた源氏の末裔だったようです。つまり、九戸氏も源氏の末流に連なると考えられてもいます(諸説あり)。
九戸政実は、天文5(1536)年に九戸城主・九戸信仲(のぶなか)の嫡男として誕生しました。主と仰ぐ南部宗家当主・南部晴政(なんぶはるまさ)を助けて勢力拡大に大きな貢献を果たし、その武勇は南部氏にとってはなくてはならない存在でした。また、政実自身も南部宗家に尽くす心は揺るぎないものだったんです。
しかし、南部氏を宗家としていても、血族である他家は、自分たちと宗家は同列であると考えていましたし、そうした連合政権が当然となっていたようなんですね。それが壊れたからこそ、九戸政実が挙兵するにいたったわけなんです。その経緯については、これからご紹介していくうちに判明しますので、少しお待ちください。
南部家のお家騒動の始まり
南部宗家の当主晴政はなかなか男子に恵まれず、永禄8(1565)年に従兄弟にあたる信直を長女の婿に迎え、養嗣子とします。その一方、晴政の二女は政実の弟・実親の妻となり、政実は宗家との関係を強めました。
ところが、この5年後、晴政は54歳にして初の男子に恵まれました。晴継(はるつぐ)と名付けたこの息子を、晴政は溺愛します。
しかも、折悪しく信直の妻となった晴政の長女が病死。信直の存在は宙に浮いた感じになってしまいました。それをわかっていた信直もまた、養嗣子を辞退して城を出て行ったんです。
しかし、晴政はこうした信直の動きに不信感を抱きました。もしや自分に刃向うのでは…と思ったようですね。確かに、こうした関係って一度揺らぐとなかなか元に戻りにくいもの。加えて、信直に近しい家臣たちは彼を自分の館に迎え入れたりもしていたんですね。
こうして、徐々に家臣たちも分裂し、晴政VS信直の構図が否応なしにでき上がっていったんです。
もちろん、政実は晴政との結び付きにより、信直とは距離を置くようになっていました。
次期当主を巡る争い
不穏な情勢の中、天正10(1582)年に晴政が亡くなると、水面下の対立はついに表面化します。
そして、火に油を注ぐような出来事が発生しました。
晴政の跡を継ぐはずだった13歳の晴継が、父の葬儀後に暗殺されてしまったんです(病死説もあり)。
となれば、嫌疑はもちろん信直に向けられます。晴継がいなくなれば、当主の座は信直に回る可能性は高いですよね。政実はこの時、信直を主の息子の命を奪った仇とさえみなしていたかもしれません。
しかしとにかく後継者を決めなくては…と、家臣団が会議を開きました。候補に挙がったは、信直と政実の弟・実親の2人。実親は晴政の娘婿に当たりますから、当然、後継者と目されてしかるべきだったんですね。
もちろん政実は弟を推します。政治的にも感情的にも当たり前ですね。
しかし、信直派の参謀・北信愛(きたのぶちか)は、抜け目のない人物でした。彼の事前の根回しによって、南部一族の重鎮・八戸政栄(はちのへまさよし)を味方に引き入れていたんです。八戸の影響力はかなりのもので、これで、南部宗家の後継者は信直と決定してしまったのでした。
いつの時代も、裏工作って政治には必要なんでしょうかね。不本意ですが、それを認めざるを得ない出来事でした。
南部宗家からの離反と秀吉の「奥州仕置」
この当主交代劇は、政実にとって不満しか残りませんでした。
弟・実親が当主になれなかったことはもちろんですが、信直が晴継に手を下したのではないかと思っていたようで、彼の胸の内では、信直への不満と不信がどんどん大きくなっていったのでした。
そして、彼は自分の領地へ戻ると、天正14(1586)年には、何と「自分こそが南部当主である」と自称するようになったんです。
政実と信直の亀裂が決定的になったのは、天正18(1590)年に豊臣秀吉が行った奥州仕置き(おうしゅうしおき)の直後でした。
小田原の北条氏を滅ぼした秀吉は天下統一をほぼ成し遂げます。そして、小田原攻めに参加した東北諸将とそうでない者たちの領地について、検地を実施し、再分配を行ったんですよ。これが奥州仕置なんです。
この時、信直は兵を率いて秀吉の元に馳せ参じており、秀吉から正式に南部宗家の当主として認められていました。これはつまり、当主ひとりだけが大名として認められるため、南部宗家以外の同族は一介の家臣となることが義務付けられたのと同然となってしまったんですよ。
これは、今まで同列の立場から政権を運営してきた一族の者にとっては、すべてを今までとはガラリと変えられてしまった、不満の残る処置だったと言えます。不満を持つ一派の筆頭が政実だったというわけですね。
そして、政実は翌年の正月参賀をボイコットします。本来、家臣は主のところへ正月にうかがうのがならわし。それを破ったということは、明確な敵意があると示したのと同じことでした。
政実、挙兵す
正月参賀のボイコットから2ヶ月後の天正19(1591)年3月、ついに政実は反・南部信直を掲げ、5千人を率いて挙兵します。
武勇の将であった彼に率いられた九戸勢は、猛者揃いで非常に強く、次々と南部側の城へと攻め込んでいきました。その勢いは、もはや南部宗家の当主・信直でもどうにかできるものではなくなっていたんです。
政実を勢いづけた要因はもうひとつ。それが、秀吉の行った奥州仕置に対する一揆でした。秀吉のやり方への不満という点で、彼らは一致していたんですね。
信直はとてもすべてに対抗しきれないと悟ると、すぐに秀吉に援軍要請をします。その後、自らも秀吉に謁見し、東北の混沌とした状況を報告したんです。
これを聞いた秀吉は激怒。
天下人たる自分のやり方に、公然と反抗するとは何事か!と、討伐軍を編成して東北へと差し向けました。政実だけでなく、東北各地で続発する一揆勢もこの際鎮圧しようと、それはすさまじい数の軍勢となりました。総勢は6万とも言われています。
総大将は、秀吉の養子で世継ぎと目されていた豊臣秀次(とよとみひでつぐ)。そして、会津の名将・蒲生氏郷(がもううじさと)や秀吉側近の浅野長政(あさのながまさ)、徳川勢からは大河ドラマでおなじみの猛将・井伊直政(いいなおまさ)までもが派遣されるという、名前を見ただけで逃げ出したくなるような面々がずらりと顔を並べたんです。
こんな軍勢が、京都からやって来た(途中合流も含む)わけですから、いかに秀吉がこの鎮圧に力を入れていたかがわかりますよね。
思いもよらぬ講和の申し出に、政実は…
6万もの大軍勢は、政実勢が籠もる九戸城を包囲しました。
10倍以上の兵力を前にしても、政実とその兵たちは臆することなく戦ったといいます。
しかし、やはり多勢に無勢。川に囲まれた天然の要害・九戸城といえども、落城は時間の問題でした。
そこで、豊臣方・浅野長政が、九戸氏の菩提寺・長興寺(ちょうこうじ)の薩天和尚を使者として、政実に講和を持ちかけてきたんです。
その言い分は、「開城するならば、女子供や城兵の命は助ける」というものでした。
浅野長政は、秀吉の奥州仕置に際しての実行役を務めていました。検地も彼が行っていましたし、東北の人々がこのやり方に不満を持っているのもわかっていたんですよ。だからこそ、政実の気持ちも理解していたのではないかと思います。
それに加えて使者が薩天和尚とあっては、政実も無下にはできなかったことでしょう。
そして何より、政実は自分についてきてくれた人々の命を救うことを優先したんです。
これは豊臣方の謀略だという家臣もいましたが、政実はそれを退けると、講和を受け入れたのでした。
政実の最期と九戸城の悲劇
おそらく、自分の首は差し出さねばならないだろう。
そこまで考えた政実は、弟・実親に後のことを託し、白い死に装束に身を包んで出頭して行きました。
彼の身柄は三ノ迫(さんのはざま/宮城県栗原市)に陣を敷いていた総大将・豊臣秀次の元に送られると、斬首となったのです。56歳でした。
一方、政実が去り開城した九戸城では、惨劇が起きていました。
開城するなり豊臣軍がなだれ込み、すべての城兵や女性、老人、子供たちを二ノ丸に押し込めて皆殺しにしたんです。
やはり、講和の申し出は謀略でした。
しかし、いったい誰が皆殺しを命じたのかははっきりしていません。もしかすると、秀吉は最初から九戸勢を皆殺しにせよと討伐軍に命じていたのかもしれない…と勘ぐってしまいます。
人々が皆殺しにされた九戸城には火が放たれました。
夜空を赤く染め上げた炎は、三日三晩にわたって燃え続けたと言われています。
そして、殺された人々の骨は、約400年後、平成の世になってからこの世に再び現れ、当時の惨劇を私たちに伝えることとなったのでした。
遠く宮城の地で死を迎えた瞬間、政実は、九戸城に残った人々の運命がどうなったか知っていたのでしょうか。
いずれにせよ、悲劇的な結末にしかならなかったことは言うまでもありません。
九戸政実の乱以降、秀吉に対する大規模な反乱は影をひそめました。
言い換えるなら、政実こそ最後まで秀吉という巨大な権力に立ち向かい、理不尽なシステムに抵抗した最後の東北武士ということになるでしょう。これこそが、政実のプライドでした。
その後の九戸氏
斬首された政実の首は、生き残った家臣が密かに九戸に持ち帰って埋めたと言われており、政実の首塚が今も残されています。その側には九戸氏を祀る九戸神社があり、後に政実を祭神とした政実神社も境内に建立されました。
また、落城した九戸城は改修され、後に南部氏の居城となり「福岡城」と改称されます。しかし、人々は政実への思いを胸に、「九戸城」と呼び続けました。そして現在に至るのです。
ところで、実は、九戸氏の血は政実で絶えたわけではありませんでした。
政実の実弟・中野康真(なかのやすざね)は、複雑な経緯を経て何と南部信直の下で仕えるようになっており、政実の乱の際にも信直方だったんです。しかも、九戸城攻めの案内役を豊臣方から仰せつかったというのですから、何とも皮肉なことですよね。
そして、九戸氏の血を引く中野氏として、八戸氏・北氏と共に南部家老御三家として続いていったんです。
敵とみなした家の中で自分の血脈が保たれていくとは、政実は考えもしなかったのではないでしょうか。
兵どもが夢の跡
九戸政実の乱は、日本史における戦国時代・安土桃山時代において、規模としてはとても小さな、単なる辺境の乱にすぎません。しかし、強大な権力に真っ向からモノ申した存在として、当時としてはかなり鮮烈な印象を残したはずです。旧体制から新体制への移行を拒んだだけと言われるかもしれませんが、政実が守ろうとした九戸氏のプライドと、彼を慕う多くの地元の人々の存在があったことを、ぜひ今回の記事を通して知っていただけたらと思います。 

 

●徳川家康、三方ヶ原の大敗北  
関ヶ原のモデル
戦国乱世を終息させ、265年に及ぶ泰平の世を保ち得た徳川家康――この人物ほど、何事によらず“学ぶ”姿勢を貫き通した武将も、珍しかったに違いない。
家康は己れの生涯最大の負け戦にすら、多くのものを学んでいた。否、もしも、このもの学び好きな性格――敗北をそのままに終わらせず、勝ちに転換する学びの姿勢がなければ、おそらく彼は天下を取ることができなかったであろう。
“天下分け目”の関ヶ原の戦い――慶長5年(1600)9月15日、美濃国関ヶ原(現・岐阜県不破郡関ケ原町)において、戦国史上空前絶後の、一大決戦が行なわれた。東軍を率いた家康が、石田三成を主将とする西軍を一挙に屠(ほふ)り、その後の徳川幕藩体制を瞬時にして成立させたものとして、知られている。
決戦の前日、三成をはじめとする西軍主力は、美濃大垣城に本拠を構え、東軍との決戦に備えていた。この城は東山道(中山道)と美濃路を結ぶ交通の要衝にあり、東海道と東山道の二手から西上してくるであろう東軍を迎え撃つには、戦略上、格好の場所であったといわれている。
この時点では西軍の方が、明らかに東軍に比べて地の利を得ていた。当然、東軍側はこの地政学的なマイナスを、何とか逆転しなければならない。そこで家康は、大垣城の西軍主力をつり出す策戦に出た。
「大垣城を無視して、まず三成の居城である佐和山を落とし、大坂を衝(つ)く」
との東軍の偽情報を、西軍陣営に流したのである。
すると、驚嘆した三成は、大垣城を迂回してくる東軍を、地理的に優越した関ヶ原で、待ち構えて迎え撃つ作戦に転じてしまった。
確かに、地の利は三成にあったが、城攻めが苦手な家康にとっては、長期戦を覚悟しなければならない大垣城攻めに比べ、まだ関ヶ原は戦いようがあった。西軍の中にはすでに、不戦を家康に誓ったものも少なくなかったから、なおさらである。
実はこの関ヶ原への誘い、甲斐(現・山梨県)の名将・武田信玄がその死の直前、当の家康を相手に、三方ヶ原(みかたがはら)の合戦において、すでに実践していた戦法であった。
信玄が死ぬ4カ月前に、彼によって行なわれた一大決戦――この戦いは、のちに天下人となる家康が、生涯に一度の、完敗を喫した合戦でもあった。
元亀3年(1572)10月、上洛を決意した信玄は、周到な西上作戦を展開した。京までの途中、その行く手を阻むものは、織田信長とその同盟者・徳川家康の2人のみ。信玄は上洛軍3万を率い、家康方の遠江(現・静岡県西部)二俣城を攻略し、信長方の美濃岩村城を落として、計画通りに進撃した。
そして12月の中旬、信玄は家康の居城・浜松城を横目に西上し、徳川氏の本拠地・三河(現・愛知県東部)を衝く姿勢をみせた。
この決定は当然のごとく、浜松城にも知られるところとなる。
徳川家の重臣・石川数正、内藤信成などは口を揃(そろ)えて、
「このうえは、城門を閉ざして出撃せぬことが肝要です。敵が通過したあと、その後方を撹乱(かくらん)するにこしたことはありませぬ」
家康に自重を説いた。が、ひとり家康が納得しない。
「城下を通過する敵に、一矢も報いず見送ったとあっては、武門の名折れじゃ」
珍しく怒りを露(あらわ)にし、家康は血気の出撃命令を下してしまった。
家康の惨敗
おそらくこの時の家康の脳裏には、自分の先輩ともいうべき信長が、27歳のおりに成し遂げた快挙=桶狭間(おけはざま)の奇襲戦が、かすめたのではあるまいか。
31歳の家康は慎重に物見を放ちつつ、信玄の軍勢が“一望千里”といわれた三方ヶ原の台地が尽きるあたり、祝田(ほうだ)と呼ばれる狭所で、大挙して食事をとるとの知らせを聞きこむ。
しかし、実はこれこそが信玄の謀略であったことが、その直後に明らかとなる。甲州軍団は食事もとらず、臨戦態勢をとって待ち構えていた。
奇襲を企てた家康は、逆に罠にかけられ、かえって迎撃される羽目に陥る。
——家康の完敗であった。
三方ヶ原の信玄も、関ヶ原の家康も、一番おろそかにしてはならないのが“時間”との勝負であった。対峙(たいじ)の時間が長引けば、味方に動揺が起こり、団結に亀裂が生じないとも限らなかった。
「勝兵は先(ま)ず勝ちて而(しか)る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」
と言ったのは、信玄と家康が共に学んだ『孫子』の兵法だが、若き日の大敗北を教訓とした家康は、同じような状況にあった関ヶ原の合戦で、老練な信玄の戦法を見事に真似(まね)ることによって、ひいては天下を取ることができた。
三方ヶ原の合戦のおりの信玄は52歳。関ヶ原の合戦のおりの家康は、59歳であった。
家康が、いかに三方ヶ原の合戦を教訓としたか――この敗戦のあと、家康が命じて描かせたと伝えられる自画像“顰(しかみ)像”が、今日なお徳川美術館(愛知県名古屋市)に残っている。甲冑(かっちゅう)姿で床几(しょうぎ)に腰をかける家康の姿が、そこにあった。
家康の非凡さは、多くの成功者が自身の敗北をひた隠しにしようとしたのとは裏腹に、自らの敗北を、曲げた左足をかかえ込み、左手を顎にあてがい、意気消沈した姿に残して、その大敗北を肝に銘じたところにあったろう。近年、この“顰像”を尾張徳川家の初代・義直が、父・家康の苦難を忘れないように描かせた、との説が出たが、仮にそうであっても、家康の猛省は揺るがない。
だからこそ家康は、その失敗にとらわれることなく、自らを敗北に導いた信玄のその戦法をすすんで学び、活用することができたともいえる。
「同じ石に二度つまずくな」
とは、古代ローマの政治家であり、哲学者でもあるキケロの言葉だが、家康は、その苦い経験をバネにして自らを鍛えた。ピンチに学び、チャンスに活かしたのである。
過去(歴史)に学び得ない人に、未来を設計することはできない。
だが、逆に過去にとらわれすぎる人は、決して過去と同じ顔をしては現われない未来に、取り組む資格を持たないものだ。
その後、“大坂の陣”を経て、豊臣政権の基盤そのものを取り去った家康は、その少し前、慶長8年(1603)2月、征夷大将軍となり、2年後にはその地位を、あっさりと嗣子・秀忠に譲ることによって、天下に徳川幕府の世襲制を宣言していた。
元和2年(1616)4月17日、家康は75歳をもってこの世を去った。
その死後、彼は神となっている。「神君」と称され、「東照大権現」として日光東照宮に祀られたことは周知の通りだが、これも学びによるものであったことを知る人は少ない。
豊臣秀吉がこの世を去ったあと、「豊国大明神」として祀られた豊国神社を真似たのである。真似るから、まねて習う“学(まね)ぶ”が生まれた。家康の天下人としての工夫には、ことごとく前例があった。およそ、この天下人らしからぬ天下人は、死後においても、先輩である秀吉から学んでいたのである。
元来が小心者で、なにごとにつけても周章狼狽(ろうばい)し、それでいながら一面、短気で激越家の家康に、それでもなお天下を取らせたものがあったとすれば、猛省の心、懸命な“学び”の姿勢であったといえる。
この家康の姿勢にこそ、現代に生きるわれわれも学ぶべきではあるまいか。  

 

●負け戦につながる真の敵は、むしろ自軍に潜む怯懦(きょうだ)にある 
小説家、垣根涼介の『信長の原理』から抜粋した。その奇行から、“うつけ殿”として実母からも家中郎党からも毛嫌いされていた吉法師こと、幼少期の織田信長は、蟻の行動原理から、ある真理を導き出す。2:6:2の割合で、積極的に働く蟻と、それにつられて働く蟻、まったく働かない蟻の3種類に分けられると。
フィクションではあるものの、織田信長の人となりを知れば知るほど、その魅力にはまってゆく。
怯懦とは、おびえ、おじけること。臆病で気弱なことを言う。
戦況で命取りとなるのは、自軍の士気の低さだろう。有能で腕っ節も強いからといって、士気が低ければ、いないも同然。太平の世ならともかく、乱世では、士気の高低や精神力の強弱が生死を分ける。
屈強な組織をつくるには、個々の力が存分に発揮できるよう、適材適所に人を置く必要がある。そして、一人ひとりが自分の力を最大限、発揮するために努力する。
と、わかっていても、そううまくいかないのが現状だろう。信長も、その胸中を吐露してる。
― やはり、蟻の動きと変わらない……。
いくら軍勢全体の質が飛躍的に上がっても、戦端でその勢いを引っ張っていくのは、いつまで経っても全体の2割ほどでしかない。あとの8割は、その活躍に負けじと働いているに過ぎない。
では、どうすればいいのか。能力偏重の少数先鋭主義で戦ってきた信長の答えはこうだ。
― 戦場での働きは、その時々のやる気が伴っている者たちだけを集めてこそ、初めて全体として機能するのではないか……。
立派な身分や肩書があっても、つねにそれ相応の力が発揮できるとは限らない。体の具合や気組みは、日々変わる。
だからこそ、ふだんから心身を鍛える必要があるのだろう。丈夫な体は、心をも丈夫にし、気力を高める。
臆病な心や、弱い心が顔を出してきたら、体の状態を見てみるといい。やさしいものや便利なものばかりで体を甘やかせていると、体力とともに、精神力も気力も衰えていくから要注意。 

 

●負けてもただの負け組にはなるな! 厳しい時代の生き延び方 
関ヶ原の合戦は、よほど歴史が苦手な人でも、日本中の武将が東西に分かれて争った「天下分け目の合戦」だったということを知っているはずだ。だから、その合戦で負けた西軍の武将はひとり残らず処分され、歴史から消え去ったと思っている人が多いかもしれない。しかし、実は、一時的に憂き目を見たものの、後に復活してしぶとく江戸時代を生き抜いた武将もいた。同じ関ケ原の敗将でありながら、両者はどこが違ったのだろうか? 今回はその理由に迫るため『「その後」が凄かった! 関ヶ原敗将復活への道』(二木謙一)を紹介する。
負けを体験したことで強くなった戦国武将
この本では、関ヶ原敗将の復活劇を語る前に、どんな武将が戦国時代を生き抜けたのかという話をしている。実は、戦国時代には負けを知らない常勝の武将など誰もいなかった。軍神といわれた上杉謙信や武田信玄も、織田信長や豊臣秀吉も負け戦を経験し、敗戦から学んだことを次の戦いに活かしていた。中でも、戦国の世を最後まで生き延び、江戸幕府を開いた徳川家康は、負け戦の屈辱を絵師に描かせ、目に焼き付けていたほどだ。彼らの強さは、負けないことよりも命を落とさないことを重視し、負け戦の中から学んだことを活かせる「次の機会」を作り出すことに全力を注いだ点にある。
自滅するか復活するかは運だけでは決まらない!
関ヶ原の敗戦後、改易になったまま滅亡した大名家が90家もある。つまり、復活できた大名家はほんの一握りに過ぎない。しかも、ほとんどが1万石前後の小大名としての復活だった。そんな中、10万石を超える大名として復活できた敗将が2名いる。立花宗茂と丹羽長重だ。彼らは他の武将とどこが違ったのだろうか? この本の言葉を借りるなら「敗者としての体験を次に活かせたから」だ。
立花宗茂は、領地を奪われ困窮しても詫びを入れ続け、大坂の陣の前に豊臣方からどんなに誘いを受けてもなびかず、ぶれない姿勢を見続けた。一方、丹羽長重は、義兄弟である秀忠の口利きで復活したのだが、それに甘んじず、持ち前の築城技術を関東の守りに活かしたことが評価され、生き残ることとなる。
関ヶ原の合戦以前は、世の中の形勢がまだどちらに転ぶかわからない状況だったから、豊臣への恩義や個人的な情によって西軍に付いた武将も多かった。しかし、関ヶ原後は違う。徳川に流れが移っていることは誰が見てもわかったはずだ。時流を冷静に受け止め、いくら家康から煮え湯を飲まされても、自分は徳川の世で生きていくのだという姿勢を貫いたのがこの2名だった。裏切りが日常茶飯事だった戦国の世を生きた家康が復活を許したのは、「こいつは裏切らないだろう」と信じられたからかもしれない。
人情だけではない本当の人間関係を作れた者が生き延びる
10万石に届かずとも、一旦領地を失いながらも大名として復活できた武将には共通している点がある。窮地に立たされた時に手を差し伸べてくれる人がいたり、見捨てずに従ってくれる家臣がいたりした点だ。ただし、姿勢に一貫性がなかった人や、口利きをしてくれた相手に恩を返すことなくただ甘えてしまった人は、一度復活を果たしても逆戻りして浪人として一生を終えたり、再度領地を失ったりしている。結局、情に流されるだけで、しっかりとした人間関係を作れなかった人は、昔の恩義に振り回されて時流を読めなかった敗将たちと同じ道をたどってしまったのだ。
今の時代でも活かせる敗将の奥義
今の時代、リストラや会社の倒産などによっていつなんどき憂き目に遭わされるかわからない。大きい敗戦で初めて慌てても遅いのだ。そこから復活できるかどうかは、それまでに蓄えてきた知識や人間関係によるところが大きい。大敗を経験する以前の細かい負けをどうとらえてきたか、そしてどう次に活かしてきたかを考えてみよう。人情に流されてはいけないが、周りとの信頼関係は重要だ。救いの手を差し伸べてくれる人がいなければ復活はできないことに早く気が付いておきたい。 

 

●武将の名言 1 
上杉謙信(1530〜1578年)
上杉謙信は越後(新潟県)の戦国大名で、「越後の龍」「軍神」と称されました。武田信玄とのライバル関係は有名であり、信玄没後に衰退した武田家を攻め入ることはせず、私利私欲のための戦はしない、義に忠実な武将として知られます。謙信は越後で作られる布を「越後上布」というブランドにして、専売制を実施。その布を自ら足利将軍家に売り込むなど経営者としても優れていました。
「人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことは言ってはならない」
軽い気持ちで発した言葉が、他人の心を傷つけたり、思わぬ波紋を広げてしまうことがあります。それは、人の上に立つ立場の人なら、なおさらのこと。経営者、上司として軽率な発言を戒め、深き思慮をもって言葉を選ぶことの大切さを説いています。
伊達政宗(1567〜1636年)
伊達政宗は後に仙台藩の初代藩主となる戦国大名です。23歳で奥州を制圧し、乱世の時代には勇猛果敢な若き武将として活躍。その後は抜群の行動力で仙台藩を統治しました。幼少時に患った天然痘の影響で右目を失明したことから「独眼竜」という呼び方でも知られています。また、政宗の身につけるものは弦月の兜など特徴的でセンスの高いものばかりでした。このことからオシャレな男性を「伊達男」と呼ぶようになったという説が流布されていますが、真相は不明です。
「時を移さずに行うのが勇将の本望である。早く出立せよ」
競合他社より出遅れてしまうと、機会損失の影響は後々大きく響いてきます。いざ勝負と思ったときは、時を移さず行動すること。つまり、戦略立案から決断→実行をスピーディに行い、ライバルに先んじることが勝利のカギを握ると解釈できるでしょう。
「大事の義は、人に談合せず、一心に究めたるがよし」
重大な選択をする際、他人に相談して意見を求めたり、さまざまな情報を調べることは大切ですが、最終的な判断は自分でするべきだという言葉です。自ら決断したことは、腹をくくって進むことができますが、他人の意見に流されて失敗してしまえば、相談した相手を憎んだり、後悔が生じてしまいます。
織田信長(1534〜1582年)
織田信長は最も有名な戦国武将の1人です。奇抜なエピソードもありますが、その一方で目標設定を上手く活用した戦術家でもあり、非常に優れたカリスマリーダーでした。有名な戦に「桶狭間の戦い」があります。ここでは目先の利益である戦利品を奪うことはせずに、完全勝利という目的設定を徹底します。また、「戦いに参加した者全員が末代まで英雄として語り継がれる」という、目的に対するリターンを明確に告げることで部下たちのモチベーションを向上させました。
「絶対は絶対にない」
一見矛盾した言葉ではありますが、これには自分を勇気づける「絶対に不可能と思えることでも突破口はある」という意味と、自分を戒める「絶対に大丈夫と思った時点で隙が生まれる」という2つの意味を持ちます。前者は常に考えて行動せよというメッセージであり、後者は大丈夫と思った時点で成長が止まってしまうことを危惧せよという意味です。
「臆病者の目には、常に敵が大軍に見える」
日本三大奇襲の1つ、「桶狭間の戦い」で2万5000の兵を擁する今川義元をわずか2000の軍勢で強襲し、討ち取った信長らしい言葉です。自分を過小評価して弱気になるのではなく、しっかりと戦略を練ったら、リスクを取ってチャレンジしないと、いつまでたっても勝利は得られないということを訴えています。
豊臣秀吉(1537〜1598年)
低い身分から叩き上げで出世し、天下統一まで成し遂げた戦国武将であり、智将としての要素が人気の理由です。秀吉が信長へ行った、冬の寒い日に懐に草履を入れて温めたエピソードはあまりに有名ですが、他にも象徴的なものが数多く残っています。例えば、増え続ける薪代のコストを下げるよう信長から指示された秀吉は、流通過程から調査し、問題のあった仕入れルートを排除。代わりに城下の村にあった枯れ木を薪として利用しました。その上で、この無料同然の薪代を「苗木代」、すなわち植林のための費用として徴収し、城下に植林を行い、自前で薪を賄えるようにしました。まさに、そのまま現代のビジネスに通じるエピソードといえます。
「一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られるだろう」
草履取りから天下人にまでのし上がった秀吉らしい名言です。周囲の人は最初、秀吉が天下統一まで成し遂げるとは誰も思っていなかったようですが、下積みの仕事をコツコツ積み重ねて、一歩ずつ成長していきました。大きなことを成し遂げるためには、目の前の仕事を一つ一つ丁寧に行うことが大切だという名言です。
「戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである」
ポイントは、戦わずして逃げるのではなく、戦わずして勝つという点です。戦うべきときは徹底的に戦う秀吉ですが、その一方で不毛な戦いで味方の被害を出すことも嫌いました。「兵糧攻め」や「水攻め」で相手をギブアップさせる作戦も、被害を最小限に抑えながら勝ちを得るという点で理にかなった戦術です。
黒田官兵衛(1546〜1604年)
秀吉の天下統一を支えた軍師です。本能寺の変で信長を裏切った明智光秀を討つ秀吉の活躍をお膳立てしたのが官兵衛であり、上司を立てて信頼・評価を高め出世しました。
「その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い」
「自分の上司に読ませたい」と思った人もいるかもしれません。仕事を任せたのは上司であって、部下がその仕事を完遂できなかったことは、部下の責任もありますが、上司にも責任があります。いや、むしろ上司の責任のほうが重いというのが官兵衛の意見です。自分が上司になって部下を持ったときも忘れないようにしたい名言です。
「上司の弱点を指摘してはならない」
どんな人にも弱点はあります。しかしその弱点を部下から指摘されると、上司としては気分が良いものではありません。表面上は納得してくれても、信頼関係を築くことは難しいでしょう。上司の弱点に気づいたときは、そこを部下として補完することが大切です。そのことで上司から信頼され、良い評価を受けられるでしょうし、責任のある立場に取り立ててもらうこともできるでしょう。
真田信繁(真田幸村)(1567〜1615年)
NHK大河ドラマ『真田丸』でもお馴染み、織田信長と並んで人気の戦国武将です。天下分け目の戦いである関ヶ原の戦いの際に、亡き豊臣秀吉に恩義を感じていた信繁は、莫大な報酬で徳川家康率いる東軍から誘いを受けますが、これを断ります。義を大切にしたリーダーです。ちなみに「幸村」の名前が広く浸透していますが、正しくは「信繁」です。
「部下ほど難しい存在はない」
褒めて育てると甘やかすことにならないか、厳しく指導すると辞めてしまわないか――人材育成というのは今も昔も難しいもの。「笛吹けども踊らず」とならないよう、部下の能力を最大化して、チームとして結果を出すにはどうすれば良いのか?上司としての力量が問われるところです。
「いざとなれば損得を度外視できる、その性根。世の中にそれを持つ人間ほど怖い相手はない」
ビジネスは損得勘定をベースに動きます。しかし、人間関係において損得勘定のみを優先する人の周囲には同じような人ばかりが集まり、その人物と付き合っても損だとわかると潮が引くように皆去っていくものです。信繁が日本人の心を捉えて離さない理由の一つは、損得勘定よりも義を優先した彼の姿勢にあることは間違いありません。
徳川家康(1543〜1616年)
戦力の差がない関ヶ原の戦いにおいて、味方だけでなく敵軍をも上手く動かして戦局を有利に進め、江戸幕府を築いたのが徳川家康です。自身の失敗はもちろんのこと、味方の裏切りや秀吉の失敗、最終的には部下からも学ぶ家康の「学習能力」と「柔軟性」の高さが受け継がれ、江戸幕府は260年以上も繁栄を続けました。
「最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える」
江戸幕府という長期政権を築いた初代将軍・家康らしい名言です。自分だけ、自社だけが栄えれば良いのではなく、「Win‐Win」の関係を築くことや、その商品・サービスによって、どれだけ多くの人に幸せをもたらすことができるかが、結局は企業の繁栄につながるという考え方と同じです。
「いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある」
上司として「裸の王様」になることは避けたいもの。家康も同じことを思っていたようです。上司に進言することは、部下にはなかなかできません。それをあえて、勇気を持って実行してくれる部下は、それだけで大切にするべき存在です。上司になったとき、この言葉を忘れないようにしたいですね。
武田信玄(1521〜1573年)
「風林火山」の軍旗を使い、「甲斐の虎」として知られた戦国武将で、上杉謙信との五度にわたる川中島の戦いが有名です。現代でも「部下の力を引き出し、チームの力を高められる」として、戦国武将の中の「理想の上司1」に選ばれたこともあります。信玄は身分を問わず、部下の意見をよく聞き、部下が活躍すると高い評価を与え、モチベーションを高めることに常に配慮していました。功績を上げた部下にはボーナスとして金を与えることもあり、慕われるリーダーの見本としても名を残しています。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
戦いに勝つために必要なのは、堅固な城ではなく、人の力であるという、効果的な人材活用術で知られる信玄ならではの名言です。また、後半は、「人に情けをかければ相手の心に届き、味方になってくれるが、相手に恨みを持たれれば敵になる」という意味であり、信玄のように日頃、大勢の猛者を部下として率いている人は、参考にしたい言葉です。
長宗我部元親(1539〜1599年)
四国の戦国大名として、部下思いな一面だけでなく、山が多く米の収穫量が少ない四国を経済的に救ったリーダーとして知られます。元親は弱みである山の多さを逆に強みと捉え、木材を管理し、職人たちの力で商品化を進めて経済難を回避しました。地元産業の活性化に力を注ぐことで経済力をつけた政治家としてだけでなく、名経営者ともいえるでしょう。
「一芸に熟達せよ。多芸を欲張るものは巧みならず」
色んなことに手を出すと、すべて中途半端に終わってしまいがちです。それよりは1つのことを追求し、その道のプロになることを目指せと説いた名言です。つまり、ゼネラリストよりもスペシャリストを目指し、一芸に秀でてその道で認められることが大切だという意味です。 

 

●武将の名言 2 
後藤又兵衛
「次勝てばそれでよし」
池田輝政
「いまの世の中は静かではあるが、いつどのようなことが起こらぬとも限らない。そのときのために、いま以上に欲しいものは有能な武士である。無益の出費を省いて人を多く抱えることが世の楽しみなのだ。」
長宗我部元親
「一芸に熟達せよ 多芸を欲張るものは巧みならず」
大谷吉継
「金のみで人は動くにあらず」
真田信繁
「関東勢百万も候へ、男は一人もいなく候」
「部下ほど難しい存在はない」
山県昌景
「武士の心がけとしては、その場に臨んで始めるようでは駄目だ。」
北条氏康
「小事をおろそかにするな」
山中幸盛
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」
北条早雲
「少しでも暇があらば、物の本を見、文字のある物を懐に入れて、常に人目を忍んで見るようにせよ。」
小早川隆景
「我慢するより、その原因を解決せよ」
「長く思案し、遅く決断すること。 思案を重ねた決断であるなら、後戻りする必要はない。」
「すぐわかりましたという人間に、 わかったためしはない。」
本多忠勝
「思慮のある者も、思慮のない者も功名を立てる。思慮のある者は兵を指揮して大きな功名を立てる。だが、思慮のない者は槍一本の功名であって、大きなことはできぬ。」
蒲生氏郷
「春夏秋冬どれか一つにかたよらず、家風を正すことが主将の器と言うべきであろう。」
黒田長政
「刀や脇差などの目利きを心掛けるように、人の目利きも常に心掛け、普段から人を観察してよく学べば、人の見極めで外れることもなくなる。」
朝倉宗滴
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」
山内一豊
「命を捨てる覚悟で運を拾わねば、運などは拾えるものではない。」
島津義弘
「老武士のため、伊吹山の大山を越え難し。たとえ討たれるといえども、敵に向かって死すべしと思う」
細川忠興
「齢八十にして、親父の云うことようやく心得たり」
吉川元春
「律義を旨とし、智少なく勇のみある者は単騎の役にはよいが、大将の器ではない。数千の将たる者は、自分の小勇を事とせず、智計において、人より勝る士でなければだめである。智勇あわせ持たずに、どうして百千の軍兵を指揮できようか」
藤堂高虎
「主人に指図はならじ」
「己の立場を明確にできない者こそ、いざというときに一番頼りにならない。」
「我が軍のいたらぬところを教えてください。」
前田慶次
「七年の病なければ三年の藻草も用いず雲無心にしてくぎを出るもまたをかし  詩歌に心無ければ月下も苦にならず寝たき時は昼も寝起きたき時は夜も起きる  九品蓮台に至らんと思う欲心なければ 八幡地獄におつべき罪もなし  生きるだけ生きたらば死ぬでもあらうかと思ふ」
「たとえ万戸候たりとも、心にまかせぬ事あれば匹夫に同じ、出奔せん」
立花宗茂
「戦いは兵が多いか少ないかで決まるのでなく、一つにまとまっているかどうかである。人数が多いからといって勝利できるものではない。」
福島正則
「酒船一艘失ったとて大したことではないが、指図を受ける手立てのない時、汝の一存で秀家公に酒一樽を贈ったとは、よく計らってくれた。もし汝が、われを憚って秀家公の所望する酒を惜しんでいれば、われは吝嗇の汚名を残したであろう。」
毛利元就
「中国地方の全部とは愚かなことだ。天下を全部持つようにと祈ればよいものを。天下を取ろうとすれば、だんだん中国地方は取れる。中国地方だけを取ろうと思えば、どうして取れるだろうか。」
井伊直孝
「戦争はこちらが風邪をひいている時にもはじまる。これしきの寒さでくたばるような当主なら、もっと頑丈な者に当主をかわってもらったほうが徳川のためだ。」
「先駆けの心がけとは、槍なくば刀、刀なくば無刀無具足でも、とにかく誰よりも早く取りつこうとすることだ。」
「義に背けば勝っても勝ちではなく、義を貫けば負けても負けではない。」
水野勝成
「すべての士に、身分の貴い、賤しいはない。主君となり、従者となって、互いに頼み合ってこそ、世は立つ習いである。だから、大事の時は身を捨てて忠義をなすのだ。汝らは我をば親と思われよ。我は汝らを子と思わん。」
千利休
「小さな出会いを大切に育てていくことで、人生の中での大きな出会いになることもあります。」
「当たり前のことが、いつでもどこでもできるならば、私があなた方の弟子になりましょう。」
前田利家
「戦場に出でては、我が思うようにして、人の言うことを聞き入れぬが良し。」
「人間は不遇になった時、はじめて友情のなんたるかを知るものだ。」
「ともかく金を持てば、人も世の中もおそろしく思わぬものだ。逆に一文なしになれば、世の中もおそろしいものである。」
宇喜多直家
「一人で事に当たるな」
徳川家康
「大将たる者、味方の盆の窪ばかり見ていて、合戦で勝てるわけがない」
「最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。」
「愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。」
「滅びる原因は、自らの内にある」
「怒りは敵と思え」
「大事を成し遂げようとするには、本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。」
「及ばざるは 過ぎたるに 勝れり」
明智光秀
「仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という。これをみれば、土地百姓は可愛いことなり。」
島津義久
「肝要のところに気を配れ。どうでもよいところに気をつけるものではない。小板葺きにして立派になっても、百姓が疲れきっているようでは、使者は国主の政治が良くないことを見抜くだろう。 使者になるほどの者は、様々なことに気付く者だ。途中、当国の地を通って風俗、生活を見て、富み栄えているか、城門が粗末であろうと何の問題もない。むしろ、城門は立派なのに民衆が疲労している方が問題だ。」
「良いことの五つは真似しやすく、悪いことの一つはなかなかやめられない」
太原雪斎
「おのれの才がたかが知れたものと、観じきってしまえば、無限に外の知恵というものが入ってくるものだ。」
立花道雪
「戦は運、不運が絡むもの。お前の頑張りは私がよく知っている。手柄を立てようと焦って討ち死にするのは不忠である。お前達がいるからこそ私も安心して戦場に出られるのだ。」
竹中半兵衛
「分に過ぎたる価をもって馬を買うべからず」
「合戦談を聞く場合、たいていな者が大事なことは問わず、枝葉のことばかり聞きたがる。誰が手柄を立てたとか、誰を討ち取ったとか、そんなことばかりを聞きたがる。一人武者の手柄話を聞いたとて、何の役に立とう。部隊の駆け引き、戦の変化などを主眼にして聞いてこそ合戦談も役に立つのだ。」
「要害がいかように堅固であっても、人の心が一つでなければものの用をなさない。」
松永久秀
「世間の人は嘘を云いくるめて、嘘ばかりの世の中に暮らしている。故、たまたま真実ばかり申す者が現れると、それが嘘だと思ってしまう。」
「日ノ本一の正直者ゆえ、義理や人情という嘘はつきませぬ。裏切られるのは弱いから裏切られるのです。裏切られたくなければ、常に強くあればよろしい。」
加藤嘉明
「人におもねり機嫌を取る人間は、一時は抜群の勇気を奮うが、信用ならぬ。へつらって上の者に可愛がられ、高禄を得て、後ろ指をさされることぐらい、本人もよくわかっている。わかっていて自らを欺くのは、恥を顧みない者である。恥を顧みない者は主人を殺してでも、自分を利することをやる。偽りと欲とは品は変わっても、つきつめれば同じである。」
南光坊天海
「学んで思わざれば罔(くら)し。思うて学ばざれば殆(あやう)し」
石田三成
「大義を思うものは、たとえ首をはねられ瞬間までも命を大切にして、なにとぞ本意を達せんと思う。」
織田信長
「臆病者の目には、全て敵が大軍に見える」
「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。」
「組織に貢献してくれるのは「優秀な者」よりも「能力は並の上だが、忠実な者」の方だ。」
「いつの時代も変わり者が世の中を変える。異端者を受け入れる器量が武将には必要である」
「人城を頼らば、城人を捨てん」
「仕事は自分で探して、創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは、雑兵だ」
豊臣秀吉
「人はただ、さし出づるこそ、よかりけれ。戦のときも先駆けをして」
「戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。」
「主人は無理をいうなるものと知れ。」
「負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。」
鳥居元忠
「我、ここにて天下の勢を引き受け、百分の一にも対し難き人数をもって防ぎ戦い、目覚ましく討ち死にせん。」
上杉謙信
「上策は敵も察知す。われ下策をとり、死地に入って敵の後巻を断たん。」
「人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことは言ってはならない。」
「信玄の兵法に、のちの勝ちを大切にするのは、国を多くとりたいという気持ちからである。自分は国を取る考えはなく、のちの勝ちも考えない。さしあたっての一戦に勝つことを心掛けている。」
「武士の子は、十四、五歳の頃までは、わがままであっても勇気を育て、臆する気持ちを持たせぬようにせよ。勇気のある父を持つ子は臆する心を持たぬ。父は常々、この道を説き諭すことが大事である。」
「手にする道具は得意とする業物でよい。飛び道具を使っても、相手が死ねば死だ。鉄砲で撃っても、小太刀で斬っても、敵を討ったことには変わりはない。」
加藤清正
「上一人の気持ちは、下万人に通ずる。」
島左近
「ただ城下の繁栄に驕って、下々の憂苦を思わず、武具にのみ力を入れて城郭を構築しても、徳と礼儀がなければ甚だ危うい」
島津忠良
「善くも悪しくも善なりなせばなす 心よこころ恥よおそれよ」
武田信繁
「家中の郎従に対して、慈悲の心が肝要である。家来の者が病気で苦しんでいる時は、たとえ手間がかかっても、心をこめて指図を加えてやりなさい。臣下の身を、自分がノドの渇きのように思うことだ。」
「合戦が近くなったら、兵を荒っぽく扱え。兵はその怒りを戦いにつなげて、激しく戦うからである。」
「何事につけても,つねに堪忍の二字を忘れてはならぬ」
佐々成政
「信長公に属さない国々があるのは、徳が至らないからと思い召されて、良くないところは反省なさいませ。」
斎藤道三
「山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候」
武田信玄
「老人には経験という宝物がある」
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
「百人のうち九十九人に誉められるは、善き者にあらず。」
「渋柿を切って甘柿を継ぐのは小心者のすることだ。国持ち大名にあっては、渋柿は渋柿として役に立つものだ。」
「為せば成る 為さねば成らぬ成る業を 成らぬと捨つる人のはかなさ」
伊達政宗
「茶器を割ったのではない。 自分の器量の小ささを割ったのだ。」
「大事の義は、人に談合せず、一心に究めたるがよし。」
「時を移さずに行うのが勇将の本望である。早く出立せよ」
「若者は勇猛に頼り、壮年は相手の強弱を測って戦う」
黒田官兵衛
「おまえは時々、部下を夏の火鉢やひでりの雨傘にしている。改めよ。」
「最期の勝ちを得るにはどうしたらいいかを考えよ。」
「その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い。」
「上司の弱点を指摘するな」
毛利元就
「我は酒が飲めぬから、かように長生きなのだ。酒を飲まなければ、七十、八十まで健康でいられて、目出度いことだ。」
「言葉は心の使いである。言葉によって、その人が善か悪か、才能があるかないか、剛勇か臆病か、利口か愚かか、遅いか速いか、正直か正直でないか、そうしたことがすぐにわかるものだ。」
柳生宗厳
「一文は無文の師、他流に勝つべきにあらず。きのふの我に今日は勝つべし」
前田玄以
「牛を斬れ」 
 
 
 
 
 
 

 



2020/9
 

 

●武将の名言 3 
●北条早雲 1456-1519
少しでも暇があらば、物の本を見、文字のある物を懐に入れて、常に人目を忍んで見るようにせよ。
後北条氏の祖で、戦国大名の先駆けとも言われる北条早雲(伊勢 盛時)の名言です。早雲は大器晩成タイプの武将で人生五十年が当たり前だった時代に、五十七歳で一城の主となりました。六十四歳のときに小田原城を手に入れ、相模一国を掌握したのは八十五歳になってからでした。
内政に優れ減税政策などを行い、小田原北条家の基礎を作りました。八十七歳にして、ようやく、嫡男・氏綱に家督を譲ります。最終的に北条氏は、秀吉台頭まで関東一円を百年にわたって治めています。
早雲は晩年、家臣の心がけを『早雲寺殿廿一箇条』として記しました。その中で早雲は少しでも暇があらば、物の本を見、文字のある物を懐に入れて、常に人目を忍んで見るようにせよ。と、読書の必要性を説きました。また同時に手紙を書くことも促しています。
これは、優れた書物を読むことで己の教養を高めると共に文字を忘れないようにするためでした。
使い慣れた文字でも使わないでいると忘れてしまいますが、頭も鍛えることを怠らなかった早雲は、八十八歳まで現役を続けたといいます。
(早雲の年齢関して享年六十四歳説もありますが、どちらにしても当時としては長く現役を続けている武将です)
目標を立てて努力を怠らなければ実現できる。老いの壁を越えるお手本だと思います。
八十歳でエベレストの頂に立った三浦雄一郎さんの「八十歳は四度目の二十歳。限界まで頑張ってみたい」と登頂前に語った言葉。自らを奮い立たせ、自らの限界に挑戦できる、若々しい心に頭が下がります。 

 

 

●島津忠良 1492-1568
善くも悪しくも善なりなせばなす 心よこころ恥よおそれよ
島津忠良が孫の義久に大将としての心得を書いた手紙に送りました。手紙の冒頭に書かれている歌です。
良いことも悪いことも良いことだと思えばそうなる。似た言葉で「ものは考えよう」ということわざもあります。
しかし、人の性格や心の状態は、すぐにどうにかなる代物ではありません。社会人として仕事をしている限り、さまざまな人間関係、目標に対するプレッシャーなど悩むことやストレスを感じることから無縁でいるわけにはいきません。
仕事で上手くいかないことや、自分の思いとおりにいかないときに、プラス思考になろうといわれても、簡単なことではありません。非常に苦しい困難な状況であれば、なおさら前向きには考えられないものです。
自分が良い状態のときは自然にプラス思考になっています。悪い状態のときに感情では「苦しい」「つらい」と感じているのに、無理矢理「もっと頑張らなければいけない」「もっと強くならなければならない」と考えようとしてもこころがなかなかついてきません。プラス思考ができる様になるまでには、少しだけ時間が必要です。
マイナス思考の背景には自分は
○○をしたい ○○であるべき ○○は受け入れない ○○は許さない
このような感情があり、自分の欠点や失敗にとらわれて、否定的な気持ちになりますが、無理に自分の感情に負荷をかける必要はありません。マイナス思考を歓迎して受け入れ、否定的な気持ちを頭と心を整理しながら、マイナス思考を認めます。
そして「マイナス思考になってもいい」と自分を許すことでマイナス思考を少しずつ排除していきます。マイナス思考を認めることで、いつの間にかマイナス思考がプラス思考に変わりはじめます。
プラス思考に考えられるようになるころには「いい勉強になりました」とマイナス思考が学びに変わっています。 
●山本勘助 1493(1500?)-1561
武田二十四将の一人で、武田の五名臣の一人。武田信玄の伝説的軍師として有名です。架空の人物だといわれていましたが、武田信玄書状に「山本菅介」の名があることから、山本勘助と思われる人物は実在しているようです。
勘助の功績の第一として、信州戸石城の攻略が挙げられます。戸石城を攻めた武田勢は、城の救援に駈けつけた村上義清の大軍に背後を突かれ、勢いづいた城兵と挟み撃ちにされます。このとき勘助は信玄に献策し、みずから五十騎の兵を従えて村上軍を挑発にかかりました。わずかな手勢から罵声を浴びた村上勢は罠にはまり、勘助の一隊を追いはじめます。そこへ武田軍本隊が村上勢を追撃にかかり、劣勢を挽回して勝利に導いたそうです。敗れかかった軍を立て直した戦法は「破軍建返し」とよばれ、武田家の家臣が勘助の軍略を認めるようになりました。
ビジネスでは不利な立場に立たされることが往々にしてあります 。交渉などで相手が自分より強いと思うと、意志の弱い人は合意を求め腰が引けてしまいます。誰でも交渉するときには行き詰まりは避けて合意に達したいと思っています。そのため手ごわく強そうな相手には譲歩しやすくなってしまいます。
交渉前の準備として相手に対する情報をできる限り集めます。情報がないと相手の手ごわさを過大評価する原因になります。相手がどの程度融通が利いて、どの程度好意的か、感触をつかむことも必要です。その人の行動や思考が読めないと、読めないが故に、人間関係において主導権をとることができません。自分が守勢に立たされるような議論や状況を前もって予想します。そして事態が思わしくない方向に進んでいるときは、どうやって時間かせぎをするかを前もって考えておくことが大切です。交渉が決裂することもありますので、自分が交渉を打ち切ったら相手はどうなるかを、事前に調べておきます。
以前にも交渉したことのある相手の場合、本当に手ごわいとわかっているときは、できるだけメールや電話などで交渉を進め、相手と面と向かって戦うことを避けます。
相手の立場が有利な場合、交渉で対立して先に進めなくなることを防ぐために、複数の案を用意することも一つの方法です。
勝ち負けの交渉になってしまいますと最後に交渉が決裂することがありますので、お互いが妥協できる対策案を用意しておくと、相手と良い関係を築けるような交渉ができるかもしれません。利益も大事ですが両者にメリットがある状態で合意して、相手との良い関係を築くことが求められています。 
●斎藤道三 1494-1556
山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候
日本三大梟雄、戦国の三梟雄の一人。僧侶から油商人を経てついに一国一城の主へとのし上がった斎藤道三の名言です。
信長に娘の濃姫を嫁がせた道三は、「うつけ」と評判の信長と会見を申し出ます。美濃と尾張の国境にある聖徳寺で二人は会見することになりました。
信長より先に聖徳寺へ到着した道三は、七、八百の正装した武士を聖徳寺の御堂の縁に並び座らせて信長を驚かせようとします。
対する信長はひょうたんをぶら下げ見るからにうつけものの格好をしていましたが、御供衆を引き連れ、さらに三間間中柄の朱槍五百本、弓・鉄砲五百丁を持たせて、総勢千七・八百人を引き連れた見事な行列で聖徳寺に向かいました。職業軍人で構成されている兵士たちを見た道三は、信長の軍事力を認めなければならなかったようです。
聖徳寺に着いた信長は正装に着替えたあと、縁側の柱に寄りかかり道三を待ちました。道三の家臣は信長を座敷で待たせたかったようでしたが、信長は座敷に入ろうとはしませんでした。しばらくして、道三が現れても信長は動きません。
道三の家臣が「こちらが山城守殿でございます」というと、「そうであるか」と言って敷居内に入り、道三に挨拶をして座敷に座りました。道三を目の前にしても信長は堂々としていたようです。会見では湯漬けをともに食べ盃を交わすなどして、信長と道三の初顔合わせは無事に終わりました。
「一流は一流を知る」と言われますが、道三は信長に何かを感じ取ったのでしょう。帰り道に道三の家臣が「信長は評判通りのうつけでしたな」というと、山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候「わしの息子らは、そのうつけの下につくことになるだろう」と、この会見で道三は信長の才能と器量を見抜きました。道三が長男の義龍と戦って長良川で討死する前日に「美濃国は織田上総介に譲渡致す」との遺言状を信長に送っています。
一流の人は他の人と違う何か突出したものを持っていて魅力的です。一流の人を羨むのでなく、一流の人に触れる機会を増やすことで視野が開けることがあります。
一流の人に学ぶ機会があった場合に、その人の考え方、人生観、習慣を参考にして、自分に吸収していければ、一流の人に近づくことになります。仕事の成果がそれなりに上がっているときは、今のやり方は変えたくないという気持ちがあるかもしれませんが、必要なのは素直に学ぶ気持ちです。一流の人が大事にしている基礎を、そのまま真似して習得することをおすすめします。
基礎が身についていないままだと、せっかく学んでいても応用がうまくできずに、結果が出るまでに時間がかかり、遠回りになってしまいます。基礎をしっかり行っていると応用がより高いレベルで使いこなせるようになります。自分の個性を発揮することはそれからでも遅くはありません。 
●太原雪斎 1496-1555
おのれの才がたかが知れたものと、観じきってしまえば、無限に外の知恵というものが入ってくるものだ。
若いころは、まだ経験や勉強不足ということが自分でわかっているので、勢いだけで仕事に向かうことができます。しかし、ある程度年齢をかさねてくると自然な流れでうまくいくこともありますが、自分一人でできることに限界を感じることもあります。
自分の力を過信できるほどの自信も必要ですが、どんなに能力がある人でも一人では仕事に限界があります。職場での地位が上がれば上がるほど、自分の味方を増やさなければなりません。他人のアイデアや知識に頼れるところは頼り自分が得意なことは率先して働く人ほど仕事でのチャンスにも恵まれます。
いろいろな人の知恵や協力を得られることにより、自分に何が足りないかを気づかされることがあります。成長するためには大きな収穫です。自分に必要な知識・情報はなにか、それを会得し活用することが今後の飛躍のために欠かせないことです。
そうした知恵を手に入れるには、実際に知恵をもらいたい人のもとにいって教えてもらうことが最も効果的です。知恵をもらえるだけじゃなくその人と一緒にいることでその人の雰囲気や姿勢、考え方なども吸収することができるからです。
才能を発揮するためには自分の力で行動しなければなりませんが、才能を磨いていくためにはいろいろな人の知恵が必要です。人の知恵に学ぶ所は学び、どれだけ知恵を吸収できるかによって仕事がより楽しくなるように変わっていきます。 
●毛利元就 1497-1571
中国地方の全部とは愚かなことだ。天下を全部持つようにと祈ればよいものを。天下を取ろうとすれば、だんだん中国地方は取れる。中国地方だけを取ろうと思えば、どうして取れるだろうか。
なんとなく毎日が日々の忙しさで過ぎてしまう。気が付くと、何も前へ進んでいない、何も変わらない自分がいる。こんな経験がよくあります。
漫然とやっていたのでは、何も変わりません。目的をしっかりと持ち、まずは目標を立てることが必要ですが、いきなり立派な目標を立てても上手くいきません。目標を立てるときに、長期的な目標を立ててしまうと、自分の環境が変わることがあり、時代とともに自分が大きく変化してしまうので、意味がありません。
まずは一か月先の目標を立てることです。次に「どのように目標を立てるか」ですが、まず、自分の受け持っている仕事に、どういう目標があるかを知ることです。その目標を達成するにはどうすればよいかを考えることによって、自分の目標が見えてきます。
仕事の目標を達成するためには、自分は何をすべきかを考えます。これが「自分の目標」になります。今までと同じ仕事のやり方で目標を達成できるのであれば、そのまま、ミスなくこなすことも大事ですが、日々、追われるように仕事に取り組んでいる方は、忙しさは変わりません。体調を壊す原因にもなります。そのため自分の目標が決まったら、仕事に対して、効率を追求することや、改善が必要となります。
自分を取り巻く環境が日々変わるため、そのときどきに合わせて、目標を修正してもいいと思います。大切なのは、どんなに小さな目標でも達成する経験をして、自分に自信をつけることです。
言葉は心の使いである。言葉によって、その人が善か悪か、才能があるかないか、剛勇か臆病か、利口か愚かか、遅いか速いか、正直か正直でないか、そうしたことがすぐにわかるものだ。
言葉には思いを伝える力があります。相手にたいして心ある言葉、やさしい思いやりのある言葉は人を幸せにします。
会話をしていて気分よく話せない場合、不愉快な思いをさせようとして使った言葉でなくても、配慮が足りないと結果として失礼になってしまうことがあるかもしれません。何気ない一言が相手の気持ちを左右することがあります。
言葉は使い方ひとつです。つねにポジティブな言葉が、人を元気づけるとは限りません。ネガティブな言葉でも、誰かを喜ばせ、誰かを救い、誰かを励まします。日常の心の持ち方が言葉に表れます。相手の気持ちを尊重して、その場の雰囲気に十分配慮しながら自分の気持ちを伝えることで、良い人間関係を築くことができます。
会話の技術がいろいろ紹介されていますが、技術は手段です。どんなに流暢に話しをして相手を納得させても、言葉に心をこめていないとただ聞き流されてしまいます。同じ言葉の使い方でも人を癒やし、人の心を和ませ、幸せにする言葉を使いたいものです。
普段から自分の気持ちを素直に伝えていないと、相手に分かってもらえないことや、時間がかかってしまうことがあります。そんな場合、「うまく言葉にできないけど」と前置きして素直な気持ちを表現してもいいかもしれません。
心に考え思っていることは,自然に言葉に表れます。そして心を開いてくれる人に、人は心を開きます。自分の感情も、相手の感情も否定せずに受け止めることが重要です。
国に法度を立てることは、すなわちわが心の邪正賢愚を表す道である。無道の法を置けば亡国の発端となる。その国に入ってその政治を聞けば、国主の心を知ることができる
会社の内情は実際に働いてみないとわかりません。多忙なのに割に合わない仕事の可能性があります。
給与、勤務時間、休日など労働条件が労働法に違反している。リストラやボーナスカットを突然実施する。年棒制のため残業時間が60時間以上あっても残業代がでない。有給休暇を取得しにくい。文句や不満を言わせないような社内の雰囲気がある。事業そのものがなんらかの法令に違反している。多忙すぎる会社で残業が多くプライベートの時間が取れない。職場での人間関係の悩みや、仕事内容が合わない。 ・・・ どこの会社で働いても、何かしら不平不満があって、こんなつもりではなかったと思うこともあります。
業界平均より高い賃金だと働く意欲もでてきますが、勤めた最初の賃金から大幅上昇する可能性が極めて低い場合は、離職率が高く仕事環境があまり良くありません。もし自分に合わない職場に入社してしまった場合は、我慢して長く勤めるより、スキルアップが期待できる職場に転職することも選択肢の一つです。
大企業でも社員の給与が定年まで上がり続けることはなくなり、雇用の保障もしない会社が増えています。使い捨てが許されるような社会状況になっていますので、離職率が高い会社には注意が必要です。長く勤めていても使い捨てにされる可能性があります。それで心身が崩れてしまっては何にもなりません。
会社というのはそもそも営利企業なので、社員の人生を背負うことより、会社の維持発展が優先事項です。そのため会社のために働くよりも、自分のために働くことを優先してもいいと思います。自分の市場価値を上げることが、自分の身を守ることになるからです。
自分に合わない会社に忠誠心をもって働くよりも、自分の望む働き方をじっくり考えることが幸せにつながります。
我は酒が飲めぬから、かように長生きなのだ。酒を飲まなければ、七十、八十まで健康でいられて、目出度いことだ。
元就の祖父、豊元は三十三歳、父、弘元は三十九歳、兄、興元は二十四歳、いずれも酒が原因で亡くなっています。元就は酒の場には出ても自らは下戸だといって口をつけなかったそうです。元就は孫の輝元に飲酒を控えるようにと、たしなめた書状を送っています。輝元も元就の教えに従っていたようです。そのお陰で元就と輝元は七十代まで長寿を全うしました。
仕事が終わった後のお酒はとくにおいしいです。くつろげてストレスが解消できます。お酒は、自分の適量をわきまえて上手に飲めば心身にもよい影響をもたらしますし、逆に適量をこえて飲みすぎると心身に様々な悪影響を及ぼします。
つきあいで毎日お酒を飲むビジネスマンにとっては、お酒の摂取量は気になるところです。健康を維持するお酒の摂取量は、日本酒では2合、グラスワイン2杯、ビールは中瓶1本程度とよくいわれています。
残念ながらお酒が飲める人には、この量は少なすぎます。毎回の飲み会、接待で、適正量をこえてお酒を飲んでいるのではないでしょうか。多くの人は自分が飲める適切な量を分かっていますが、その場の雰囲気で飲み過ぎてしまうと、翌日にお酒を飲んだ疲れが残り仕事の効率が下がります。
仕事に集中することは良いことですが、無理をしていると、思いがけない病気になってしまいます。
新入社員の時代から飲み続けていた人は三十から五十代になると、多かれ少なかれ、何らかの体調不良を抱えています。健康診断の数値が若い頃より変化しているかもしれません。体調不良と感じる具体的な症状としては、疲れやすい、体力が落ちた、疲れがとれないなど、仕事のストレスなど、職場環境の影響を強く受けています。
お酒で疲れは流せません。夜遅く仕事から帰ってきて、朝そのまま起きないまま、亡くなられた方もいます。強いお酒を控えて、ゆっくり楽しく飲むことを心がけたいものです。 

 

●松永久秀 1508-1577
日ノ本一の正直者ゆえ、義理や人情という嘘はつきませぬ。裏切られるのは弱いから裏切られるのです。裏切られたくなければ、常に強くあればよろしい。
この名言は久秀が信長を裏切り降参した後、信長に言った言葉です。
疑いを持ったら二度と許さないと恐れられた信長が、久秀に関しては裏切りを許しています。久秀のことを信長が紹介するときに「人では一つとして成せないことを三つも成した男」といっています。
一つ目は旧主家、三好氏への暗殺に関わる謀略。二つ目は将軍暗殺。三つ目は奈良、東大寺大仏の焼討。(この出火は久秀ではないといわれています。)
「出世のためなら何でもやる」その所業から斎藤道三・宇喜多直家と並んで日本の戦国時代の三大梟雄とも評されています。平蜘蛛茶釜の所持者として有名で茶人としての交流は広く、とても味のある人物でした。情報収集に優れ、状況を冷徹に判断する能力があり、悪評を恐れずに目標を貫徹する遂行能力もある、優秀な人物だったことは確かです。
久秀は信長に屈服していましたが、再び信長を裏切りました。平蜘蛛茶釜を差し出せば助命すると言われていましたが、平蜘蛛を天守で叩き割り爆死しました。(一説には切腹したともいわれています。)
久秀のように権力や世間の常識などを気にせず、好き放題に自分の信念を貫く人は不思議な魅力があります。自分の欲しいものを得るために、力を身につけ、その力でまた自信を持つからオーラが強くなり、人を惹きつけていくようです。絶対に守ることは守り、他のことは妥協することで、人間的なゆとりや、ふくらみを部下に感じさせています。正義であれ、悪であれ、断固とした意志を持つ人は、人の心を惹きつけます。
世間の人は嘘を云いくるめて、嘘ばかりの世の中に暮らしている。故、たまたま真実ばかり申す者が現れると、それが嘘だと思ってしまう。
世間にはいろいろな嘘があります。自分を良く見せたい虚栄心からでる嘘。見え透いた嘘。相手に嫌な思いをさせたくない、相手にはっきり言えない。自分の保身のための嘘。自分の利益だけを相手から引き出そうとする、その場しのぎの嘘。人を傷つけないように成長を促すための嘘。プライバシーや個人の権利を守るための嘘。
現実ではみんなが本音を隠して暮らしていると感じることもあるかもしれません。
会社の目標達成に役立つときなどは、仕事でも本音を隠して建前をだしてしまう。というのが実情ではないでしょうか。
しかし、それが間違いだとはいえません。人間関係をスムーズにするためには建前は必要です。
自分が正しいと信じていて、実はそれが正しくても、それが都合の悪い人や嫌な人には歓迎されません。
本当の多数派の本音は表に出ないものです。真実を言ってしまったことで叩かれる場合もあります。
「建前じゃなく本音の言葉が聞きたい」といわれたときに、自分の覚悟ができている場合は、気にしなくてもいいのですが、まだ時期早々だと思うときには、薄氷を踏むように少しずつ安全を確認しながら、どういう発言をするかよく考えて行動する必要があります。
ただし、どんなに巧みな言葉を使っていても相手に信用されるとは限りません。周囲に合わせてながら、さりげなく本音を伝えることをおすすめします。 

 

●立花道雪 1513-1585
戦は運、不運が絡むもの。お前の頑張りは私がよく知っている。手柄を立てようと焦って討ち死にするのは不忠である。お前達がいるからこそ私も安心して戦場に出られるのだ。
九州の大名である大友宗麟に仕え、衰退する大友家を支えきった猛将です。大友氏の支流である戸次親家の子で戸次家の家督を継いで鑑連と称し、のちに出家して道雪と名乗りました。筑前國立花城城督となり、大友義鎮より立花姓を許され立花道雪と改名しましたが、生存中に立花姓を用いることはなかったようで、戸次鑑連、戸次道雪の名がよく史実にでてきます。「鬼道雪」と呼ばれ、ほとんどの合戦に勝利を挙げた名将で、七十代になっても各地で転戦を繰り返します。主家の存続の為に戦い続けた道雪でしたが病には勝てず、龍造寺との戦の最中、陣中で没することになります。
道雪には男子に恵まれなかったため、盟友の高橋紹運の嫡男・統虎を養子にもらいます。その子が将来「剛勇鎮西一」と称され、秀吉や家康から絶大なる信頼を得た勇将・立花宗茂です。
尊敬される理想の上司として、部下を成長させることが得意な上司、仕事ができて実績を上げる上司、リーダーシップがあり組織を引っ張っていく上司など、いろいろなタイプの上司がいます。良い上司のもとで仕事ができれば、成長もでき仕事も楽しくなります。
反対に部下のあつかいかたが横柄だったり、雑だったり、命令口調ばかりだと、部下は会社にいて居心地が良いと感じません。ましてや嫌いな上司のもとでは、何をいわれても部下のやる気はでてきません。上司であるからといって、そのひとが特別なわけでも、ましてや偉いわけでもありません。あくまで人として「対等」です。自分の部下を心から大切にする気持ちが必要です。部下を心から大切にする上司は部下からも慕われます。道雪はとても部下を大切にしていた上司でした。
部下を思いやる道雪のエピソードがあります。
客を招いての酒の席で部下が粗相をした際、「今、私の部下が失礼をしたがこの者は戦場では何人分もの働きをする。特に槍の扱いなどは当家一であろう」と客に話し部下に恥をかかせませんでした。
思いやる気持ちは、部下のことを把握していなければ伝わりません。上司は仕事上リーダーシップや管理能力を発揮することを求められますが、一番大切なことは、部下の調子や変化を確認することです。部下との挨拶のときに、挨拶だけではなく部下が好む話題で話しかけて、コミュニケーションをとる必要があります。日頃から上司と部下の会話は偶然に任せるのではなく意図的に考えて行うべきです。
人は感情で動きます。上司に部下を心から大切にする気持ちがあれば、部下も上司に恥をかかせることはできないと思うようになり、部下もやる気をだすものです。 
●山県昌景 1515-1575
武士の心がけとしては、その場に臨んで始めるようでは駄目だ。
何気なくルーティンワーク化した毎日をこなしてもいいのですが、小さな良い習慣を一つ決めて行動してみませんか?
小さな良い習慣なので、その日の結果をみても、たいしたことはないかもしれません。
しかし、時間をかけて積み上げられてきた小さな良い習慣は、時間が経って大きく結果に表れることがあります。
新入社員として、同期みんなと同じスタートラインから仕事を始めているのに、同期が急に成長したと感じたことはありませんでしたか?
その人はルーティンワーク化した毎日を何気なく過ごしていたように見えたとしても、コツコツと長い間準備をしています。
そのコツコツと準備をしている間の努力を周囲は知りません。
だから突然、同期が急に成長する姿を見て驚くことになります。
同期が急に成長する姿を見て、自分も何かしないといけないと焦るかもしれませんが、まずは小さな習慣から始めることです。
行動すれば何かが変わります。行動すれば何かが始まります。今日の何が実を結ぶのか? 今日にどんな重みがあるのか? 今日という日が何を招くのか? 今日が人生を変える一歩になるのか? 悪い習慣の誘惑に負けてしまうか? 悪い習慣をやめられるのか? 良いことも、悪いことも後々にしかわかりません。小さな良い習慣が完全に自分のものとなるには時間がかかります。初めから大きな変化を起こす必要はないです。小さなことからコツコツと始めましょう。
仕事に取り組む心がけ
仕事中に何も意識せずに過ごしていると時間だけが流れていきます。大抵の人はそこまでの信念は持っていないかもしれませんが、仕事は心がけひとつで変わります。毎日の忙しさでうっかり忘れてしまいがちになる、仕事を行なう上で大切な心がけるべきポイントをまとめてみました。
仕事を行なう上で大切な心がけるべきポイント
元気な挨拶と笑顔(マナー、常識) 身だしなみ 遅刻・欠勤をしない。報告・連絡・相談のホウレンソウ 読み書き(正確性・記録性) 今日やるべき仕事に優先順位をつける ものごとの真意を考える 仕事は敏速に行う 先を考えながら行動する 担当する仕事に楽しみを見出す 期待を上回るために何ができるかを考える 相手への気配り、おもいやり、相手の立場になって物事を考える 情報収集を怠らない。人を裏切らない。プライベートの時間は絶対にとる 睡眠時間は減らさない 食生活に気をつける 感謝を忘れないこと
これらのポイントは仕事でなくても普段から常に意識しておくと良いことばかりです。 

 

●武田信玄 1521-1573
百人のうち九十九人に誉められるは、善き者にあらず。
戦国時代の名将軍。武田信玄の名言です。
同じような内容で孔子の「真の善人とは、十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物」という名言もあります。百人いれば性格や考え方、好き嫌いの好みがある中で、そのほとんどの人が褒めるということは、誰にでも気を遣い遠慮して他人に同調しながら生きている人ではないでしょうか。組織全体の調和をとりながら、物事を進めることが得意だと思います。人との和を大切にすることができるので、みんなが仲良くしてくれます。
しかし、他人に同調ばかりしていると最後には自分の生き方を苦しくしてしまうのではないでしょうか。
反対に好き嫌いが分かれる自己主張の強い方は、本気で目的を達成するために、時には嫌われてしまうことも覚悟で発言して行動します。親身になって応援してくれる人がいますが、もちろん敵対する人も同じくらいいます。わがままと言われることもあるかもしれませんが、積極的でしっかり自己主張ができる人は、自分に対して強い自信があるように見受けられビジネスで成功しやすいと言われています。
どちらのタイプの人にも長所がありますので、うまく使い分けて仕事の成果を上げていければ良いのですが、仕事で責任が増えていくほど、他人から批判される覚悟がいるようです。
渋柿を切って甘柿を継ぐのは小心者のすることだ。国持ち大名にあっては、渋柿は渋柿として役に立つものだ。
渋柿は干せば干し柿として甘くなる。自国の弱みや、嫌な部下も使い方によっては良くも悪くもなるという、人はその性質に沿って使うことが大事であるという趣旨です。
人の使い方は本当に難しいものです。仕事ができる上司、できない上司、使いやすい部下、使いにくい部下、など様々な人たちと仕事をしていくうえで関わります。信玄はどんな部下でも一人一人、役立つように使える人が、良い上司だと説いています。
良い上司は、口で説明するだけではなく、その人に合った方法で指示を出します。指示を出したら結果を見て、指示の出し方を変えるかトレーニングをします。トレーニングは、導入ー提示ー運用ー評価の順で、できるようになるまで仕事を教えていきます。しかし、管理職になる人が必ずしも人格者ではありません。このような上司とは頻繁にめぐり合うわけではないので一般的には使いづらい人を排除しようとする上司はよくいます。
仕事の能率の悪い部下、仕事ができても上司の指示に従わない部下などが同じチームで働いている場合、人を使うことが苦手な上司はすぐに「部下を替えてくれ」と言います。どんなに優秀な部下が来ても、使い切れません。自分の使いやすい部下を集めれば、楽にはなると思いますが、組織としての力が徐々に弱くなってきます。こういう上司は絶えず使いやすい部下を求めていると思うのです。部下が反論をしたり、素直に従わないから潰そうとするのではないかと私は考えています。
では部下の心得えとして、助言をもらったりサポートを受けながら、仕事をはかどるようにするには部下である以上、上司の役に立つ人材にはなるべきだと思います。例えば、自分の考えと上司の考えをすり合わせて仕事をしていくことは大切です。それを強く意識していくだけでも、役に立つようになっていきます。
ビジネスマンは、いろいろな人に「教えてもらう」ことによって成長します。丸ごと真似できるだけの「素直さ」が、「教えてもらう」ことには必要です。素直さは好感を得ることにもつながります。部下に限りませんが、ビジネスの場では相手から好かれる人になるべきです。
上司から愛されるようになれば、少々意見が食い違っても、その考えが受け入れられるかもしれません。ビジネスマンは上司を始め周囲の人を抱き込んで自分の仕事を実現していかないといけないので、人から愛されることは組織人であるビジネスマンの強い武器になります。
老人には経験という宝物がある。
若いころはかなり武名を高めた武将に信玄が「私の話し相手になってもらえませんか」とお願いすると、年老いた武将は「私は年をとって隠居した身です。もはや何もはなすことはありません」と断りましたが、信玄は「いや、そうではない。老人には皺と皺の隙間に経験という大切な宝物が潜んでいる。どうかその宝物を、私のような後に続く世代に役立てていただきたい」とさらにお願いしたところ、隠居した武将は喜んで話をしてくれました。信玄は武将の話を全部書き留めたといいます。
経験者のお話には時代が変われば無意味になる教えもあるかもしれませんが、学ぶことがたくさんあります。中には自分で経験しないと意味がないという方もおられるかもしれませんが経験談には、いろいろな良いことがあります。 例えば
物事の本質が理解しやすくなる。
根本的で大切なことがわかる。
実践主義の具体的な話がきける。
昔と変わらず今も習慣として残っているものを教えてくれる。
など、自分が経験して覚える時間を大幅に短縮できます。経験者にはそれまでにつくり上げてきた人生の歴史があり、その中で様々問題を起こしても、乗り越えてきています。長年の経験で身に着けた知恵を持っていますので、次の時代に引き継がれないことはもったいないことです。そういった意味では経験談は無駄ではありません。
一般的に昔の自慢話や成功談を聞くことが多いかもしれませんが、成功談よりも失敗談がきければこれから先、起こりうるビジネス上の失敗を少しは防げます。
その反対に経験がない場合の良さもあります。経験がないと、何がいいか、何が悪いか、失敗するかどうかもわからない為、経験を積んだ人とは違う視点で物事を捉えることができます。何もわからないからこそ、試行錯誤のなかで自分なりの新しいアイデアなどが生み出されることもあります。
ただし自分の力だけでは物事が完了するのに大変な労力と時間が必要なため、これまで培ってきた経験や知識をぜひ聞いて、自分なりに上手くいくまで工夫してみるなど自分の能力育成に積極的な姿勢で取り組むことが必要になります。
信玄はわざわざ隠居した武将に会いにいっています。経験談を聞けるような人が身近にいれば、それはとてもいい出会いだと思います。
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり
信玄は、人の力がないと城があっても役に立たない。信頼できる「人」の集まりは 強固な「城」に匹敵すると考えていたそうです。
人は、情をかけると味方になる一方、権力で抑えつけれたり不信感を与えると必ず反発にあい、害意を抱くようになります。
適材適所で個人の才能を十分に発揮できる集団を作ることが大切で、「その人材こそが城であり石垣であり堀である」と教訓を残しています。
人物をよく見極め、組織を機能させるための役割づくりが大事です。会社の戦略や個人の役割がシンプルで、明確にすると人は動きやすくなります。
役割があると自分の存在価値が高まります。役割意識が個々のモチベーションをも高めて、仕事の効率効果も上がりやすくなります。
信玄はさらに、「信頼してこそ、人は尽くしてくれるもの」 という言葉も残しています。信玄は口だけでなく、時に頭を下げて自分から先に「人」を信じようと心がけたそうです。
仕事へのモチベーションは、人を信頼して対話することで高まります。家臣の士気も上がったに違いありません。企業にとっての財産は、工場や機械ではなく、それを扱う人です。
為せば成る 為さねば成らぬ成る業を 成らぬと捨つる人のはかなさ
努力すれば必ず実現できる。 努力すればできることであっても、最初から無理だと諦めてしまうところに、人の弱さがある。という意味です。
普通の人は大変な仕事を抱え込み、思うように進まないと現実逃避したくなります。さらに上司から”できるまでやれ”といわれると気が重くなり、無理だとあきらめてしまいます。誰かが、やってくれると考えてしまいますが、仕事の成果を得ることができません。
そんな時は、成果をあげようと、仕事に立ち向かう行動が一番の解決策になります。行動しただけでは、うまくいくとは限りませんが、行動しなければ何も進展しません。その努力が結果として報われるがどうかは、残念ながら誰にも分かりません。結果がでないこともあります。
努力する方向性が間違っていれば、いくら頑張っても報われません。方向性が間違っていなければ、目に見えた成果が出てきます。目に見えた成果がでててこないときには、努力の方向性を疑った方がいいかもしれません。努力する過程で結果にかかわらず得るものが、あるかもしれませんが、適当に方法を選んでしまって、無駄な労力に時間をかけることはもったいないです。
努力する過程が報われるようであれば、継続して続けることができます。自分が今、報われない環境にあったり、苦境やどうしようもない停滞に陥っていたりして、どんなに努力していても、結果として報われないときの対策としては、環境を変えるしかありません。環境を変えることにより今までの努力が実を結び状況が改善することもあります。
日々積み重ねていく努力が、無駄に終わることもありますが、たまたま学習していたことが、役立つこともありますので、努力する価値はあります。
武将が陥りやすい三大失観。一、分別あるものを悪人と見ること 一、遠慮あるものを臆病と見ること 一、軽躁なるものを勇剛と見ること
リーダーが陥りやすい失敗を取り上げた名言です。
分別あるものを悪人とみること
リーダーの周囲はゴマすりをする人ばかりが集まりがちで、その褒め言葉をたくさん聞く環境にあります。自分に意見を言ってくれる人が極端に少なくなり、その代わりにリーダーの意見に簡単に同意する人が増えてきます。
こうなると、自分に情報が入ってこなくなり、正しい判断ができなくなります。リーダーの周りには必要な時に異論を唱えてくれる本当に正直な人間が必要で、耳に痛い忠言をしてくれる人を受け入れなさいと信玄は説いています。
耳が痛い忠言を受け入れるかどうかはリーダーの気持ち次第ですが、正直な意見を言ってくれる人は大切にしたいものです。正直な意見を言う人を嫌うようでは、リーダーに苦言を呈する人がいなくなります。リーダーの資質は、忠言を受け入れるだけの人間的な大きさできまります。
遠慮あるものを臆病とみること
最近は自己主張していなければ損をする時代と言われています。自己主張をしない人が目立たない、認められにくい世の中です。
失われつつある謹みや謙虚さですが、なかにはいぶし銀のような深みがある人もいます。謙虚な人は、人の見ていないところでさまざまな努力を重ね続けています。そしてその努力を他人に見せびらかすことはあまりしません。謙虚な人は、つねに努力して自分を高めようとする意欲があります。
一方で自分から前に出てこないので、謙虚な人は会議などで自分の意見を通そうなどという気はなく相手に協力します。そのため仕事の技術やアイデアの質は高めですが、リーダーの理解を得られることは難しくなります。
知識や能力がある人ほど、物事が良く見えるので無責任な安請け合いはしません。リーダーは謙虚な人が慎重になっている行動の背景や理由をしっかり見極めることが大切です。遠慮や謙遜をする人を自信がないのだとか臆病なのではないかと思ってしまうと、リーダーにとって大きな損失です。
軽躁なるものを勇豪とみること
目立ちたがりで自己主張が強い。話し上手でユーモアがあり人を惹きつける。自惚れが強く、よく自慢話をする。自己顕示性が強い性格の人をリーダーシップや実行力があると勘違いしてしまうことです。口先だけで相手に期待を持たせ普段は頼もしく思える人でも、いざという時に役に立たない人もいます。
リーダーも一人の人間ですから、すべての能力を備えているわけではありません。しかしリーダーが犯したミスは大きな影響を与えます。その仕事に相応しい人たちを見つけ出して、その人たちに任せることが重要です。 
●柴田勝家 1522-1583
城の水、わずかにこればかりなり。兵士の渇死は疑いない。いまだ力の疲れを知らないうちに必死の戦いをしようではないか。
勝家は信長の重臣。先駆けに強い武勇絶倫の猛将です。信長の朝倉氏攻めの際、水の調達が不便な長光寺城に籠城した柴田軍は、朝倉氏と同盟を結んだ六角義賢によって水を絶たれてしまいます。
この窮地を逆手に取り勝家は、兵士の前で水瓶を割ってみせ、敵に攻めかかるしかない状況をつくりだします。そして城外へ打って出て六角氏を攻め込み打ち破りました。このことから「瓶割り柴田」と呼ばれるようになったそうです。「瓶割り柴田」のエピソードは後世の創作だといわれていますが勝家の秀でた武勇を感じさせるエピソードです。
覚悟と言う言葉には、「諦める」のほかに、「結果に対して、心構えをすること」という意味があります。
覚悟を決めることは日常生活ではあまりありませんが、実行しても失敗するかもしれないという不安によって前に進むことができなくなってしまったときには、覚悟が必要になることがあります。
覚悟を決めるには結果に対して心構えをすることが大事です。難しい場合は、開き直ってみることから始めてみるといいかもしれません。ただし、なにも準備しないで、一か八かの賭けに出ることはおすすめしません。できるかぎりの準備をしたうえで、全力を尽くす気持ちが必要です。
全力を尽くす覚悟を決めてしまえば、その覚悟が不安を解き放してくれるきっかけになり、結果としてプレッシャーをはねのけることになって、今までの見えていた景色は確実に変わります。その結果、失敗や窮地に陥ることがあるかもしれませんが、自分がやると決めたことなので、結果を受け入れやすくなります。
困難なことにたいして、いざという時に準備ができていないと覚悟が決められないかもしれません。これから起こる問題などを予測して、その時がきたら、どのように捉え、向き合うかを事前に考えると覚悟を決める準備がしやすくなります。 
●千利休 1522-1591
茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて飲むばかりなる本を知るべし。
まず炭火はお湯の沸く程度にしなさい。お湯は飲みやすいように熱からず、ぬるからず、夏は涼しげに、冬はいかにも暖かく、花は野の花のごとく生け、刻限は早め、早めにして、雨降らずとも雨具の用意をし、お客の心を心とするのです。
小さな出会いを大切に育てていくことで、人生の中での大きな出会いになることもあります。
幸せになりたいのなら、幸せとの出会いに気づけないのも、幸せとの出会いを幸せに感じられないのも、もったいないでしょう
稽古とは、一よりならい十を知り、十よりかえる、もとのその一
当たり前のことが、いつでもどこでもできるならば、私があなた方の弟子になりましょう。
「こゝろざし深き人にはいくたびも あはれみ深く奥ぞ教ふる」
夏は涼しいように、冬は暖かなように。
その道に入らむと思ふ心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ
頭を下げて守れるものもあれば、頭を下げる故に守れないものもある。
茶聖として最後まで自身の美学をつらぬき通した利休。彼の思想は現代でも受け継がれています。利休の美学を読み解くことによって、自身の生活を見直すきっかけにしてみるのもいいかもしれません。 
●滝川一益 1525-1586
大名たる我はあの鶴の身持ちと変わらぬ。我らが昼夜の心遣いを察せよ。汝ら家臣は鶴を羨まず、雀の楽しみを楽しめ
あるとき、一益の近くで鶴が舞い降りました。鶴が餌を食べるときは、見張り役がいて常に周囲を警戒しています。鶴の近くにいた雀は見張り役もたてず、人を怖がることもなく無邪気に餌を探しています。
その様子を見ていた一益は「大名である自分は多くの領地をわがものとしていても、家臣はもちろん領民も自分に注目しているから、いつも周囲に気を配り昼夜問わず城や家臣、領土の心配をしていなければならない。家臣たちは大名に比べて雀のように周囲を気にすることなく自由な振る舞いを楽しむことができる」
鶴は鶴の雀は雀の良さがあって、自分の置かれた立場で楽しみを味わうことが大事だと説いています。
人それぞれの定義や価値観は違うため、楽しい人生や幸せな人生は明確には存在しません。人にはそれぞれ楽しくなる理由が違います。
自分の気持ちが満足して楽しくなる選択を積み重ねることで長い人生の質が大きく変わってきます。楽しいこと、好きなことは長続きしますが、そうでないことは続きません。
あらゆることにおいて好きなことを選ぶことができれば、自然とやる気が出て一日が楽しくなりますが、情報、仕事、コミュニケーション、人付き合いなど消化しなければいけないことに追われて、自分のやりたいことや好きなことができない日もあります。
そのような場合、やりたいことを何とかしようとするよりも、やらなければならないことに楽しみをみつけて、一日一日を楽しむ気持ちも大切です。
そして長い人生を楽しくするためには「自分にとっての楽しい人生がどのようなものか」ということを明確にしなければなりません。
そのためには、自分自身の声に耳を傾ける時間をつくる必要があります。
自分のことを見つめ直すときに過去の選択を後悔していると、人生が楽しくないという漠然とした思いを抱くことがあります。違う選択肢を選んでいた場合、全く違う人生になっていたかもしれないと考えることもあるかもしれませんが、考え始めたらキリがありません。
どの選択肢を選んでも自分自身の行動によって良くも悪くもなります。
仕方なく選択しなければならなかった場合でも、楽しむことができればどの選択肢でも正解になります。
どうしても前向きな気持ちが出てこないときは、これからの自分を作るために今の選択を変えることです。
同じ習慣と行動からは同じ結果しか生まれてきません。新しい結果を求めるには、新しい行動を起こす必要があります。 
●柳生宗厳 1527-1606
柳生宗厳は戦国時代の新陰流の剣法を継いだ兵法家です。
父は柳生家厳で大和の国は添上郡柳生郷の豪族でした。宗厳は新介という幼名で、新左衛門と呼ばれていました。
宗厳は香取新十郎に新当流の剣術を学び、宝蔵院胤栄には槍術をそれぞれに学びます。
多武峰(とうのみね・現在の奈良にある、とある山やその付近にある寺の事)にいた僧侶らとの戦に、宗厳は父と共に松永久秀の勢に加わり、名を上げました。その年には、上泉信綱という新陰流の兵法家と会ったことにより、信綱やその弟子とも試合をしますが、負けてしまいます。
宗厳は信綱の門下となり、1565年になると新陰流の免許皆伝となりました。さらに次の年には、奥義というものを授けられました。その後には、「無刀取り(自らは刀を持たずにして相手に勝つという戦法)」を編み出し、大名たちが教えを受けたと言います。筒井 順慶に仕えていましたが、後に織田信長に仕えました。
柳生村に帰る途中の道で、馬から落ちてしまい大けがをしてしまうという、惨事もありました。更に1571年には、宗厳の嫡男である厳勝が辰市合戦において、鉄砲の弾に当たってしまった事で重症を負い、剣が扱えない状態になってしまいました。
1573年以降になると、病気になったという理由で職を辞し、柳生村にて隠居生活を送りました。石舟斎と名乗り出家したのが1593年です。
松永久秀が信長に対して謀反を企てた折には、その影響を受けないために筒井 順慶にも属しませんでした。反対に、順慶と争っていた十市遠長の側に付くなど、独立の立場を取っていたと『多聞院日記』には記されています。
翌年に京都に徳川家康によって呼ばれ、五男である宗矩と共に無刀取りを披露しました。それを見た家康から、宗厳は剣術を教えるために勤めるように言われますが、既に高齢だったために断りました。その代わりに、宗厳の息子である宗矩が五百石で雇われたのでした。
家康に新陰流を教え、それからというもの、柳生家は徳川家に兵法を教えるという役割を担っていくのです。そして、剣において大きく有名な家系となりました。
1600に起きた関ヶ原の戦いでは、宗厳は家康に命じられて畿内の動向を調査し、家康に報告しました。
1606年には、柳生村の地において、八十年の人生に幕を下ろしたのです。宗矩はというと、段々と出世していき、将軍師範役兼大目付にまでなり、一万二千五百石を頂戴したのでした。
柳生宗厳の名言です。
うつすとも水は思はず、うつるとも月は思はず、さる沢の池。」吉川英治「われ以外みなわが師」
誰が見ていようと 見ていまいと、映る月も 映す水も、何ら変わりなく 何らの意志も動いておらず、しかも、その あるがままな自然こそ、即、われわれの日常でなければいけない
一文は無文の師、他流に勝つべきにあらず。きのふの我に今日は勝つべし
自分の心と向き合い、昨日の自分に勝てるように日々向上する大切さを説いています。 
●宇喜多直家 1529-1582
一人で事に当たるな
斉藤道三、松永久秀、と並び戦国の三梟雄と称される宇喜多直家の名言です。
直家が生まれた宇喜多家は、備前を治める浦上家の家臣でした。浦上家の重臣であった祖父が殺され、直家は放浪生活という不遇の少年時代を過ごしています。
成人する頃に再び浦上家の家臣となり、暗殺、毒殺、乗っ取りなどあらゆる手段を尽くして、浦上氏の勢力拡大に中心的な役割を果たしました。とても用心深い性格のため、担当者を二人配置するなど万全の態勢を常に準備していたようです。
生き残るため、なりふり構わない策謀によって勢力を拡大した直家は毛利元就と手を結び、主君の浦上宗景を追放すると、備前・美作二国と備中の一部を手にする戦国大名に成り上がりました。
その後、中国地方の毛利輝元の傘下に入り勢力を伸ばしていきますが、織田信長が中国方面に進出してきたため、毛利と手を切って信長に臣従します。このとき秀吉が仲介役として奔走したようです。織田家についた直家は秀吉を裏切ることなく、最前線で毛利家と戦い合戦を繰り返します。
そのおかげもあってか直家が亡くなったときに、直家の長男・秀家は秀吉から寵愛されています。秀家の名を与えて自分の養子にして、自らの養女にした前田利家の娘・豪姫と結婚させて、一門衆の待遇を与えられています。備前岡山五十七万四千石の大名になり、五大老の一人に任命されました。
ビジネスでも腹黒い人はいます。腹黒い人の特徴は、相手の反応を見ながら行動しているため、自分の知略によって人を動かせると考えています。
仕事に本音は必要ないと考えていることもあり、他人との衝突は少なく人気者、したたかで世渡り上手な人です。
計算高く、仕事でも平均以上に卒なくこなせる器用な人が多く、経験を積めば積むほど用心深く行動することがあります。
人を信じない、そして利用するものはとことん利用し、価値がなくなれば処分する。などありますが、直家ほど腹黒く自分の生き方に信念を持っている人はなかなかいません。
しかし直家には人間として深みがあり、ひとクセもふたクセもあって特殊な魅力があります。たくさんの政敵や身内を手に掛けても譜代の家臣には一切手を掛けていません。家臣を大切にしていた信頼関係が下敷きにあることも魅力的に見せる大切な要素です。 
●本多重次 1529-1596
本多重次は、1530年に現在岡崎市宮地町に生まれました。幼名を八蔵と言います。重次は幼き七歳の時から松平清康に仕えました。以降広忠・家康と三代にわたって仕え続けます。
三河平定後の1565年に、天野康景、高力清長とともに最初の「三河三奉行」に任ぜられ民政に携わりました。
重次は勇猛果敢、剛毅、正直な気質で家康に対しても真っ向から謀言していました。
三方ヶ原の戦いは、三万の武田軍によって徳川軍は総崩れとなり、重次は身に数ヶ所の傷を受け身動きできない瀕死の状態でした。
主君・家康が死にもの狂いで退却するのを見ると、重次は力を振り絞って敵を振り払い、騎馬一頭を奪って家康の後を追い、家康が逃げ切るまで守り抜きました。
また、長篠の戦いでも多くの敵首を挙げます。重次のずば抜けた戦いぶりを見て、「鬼作左」、「鬼殿」と呼ばれるようになりました。
そして長篠の戦いの陣中から妻に向けて手紙を送りますが、この手紙が日本一短い手紙でした。
一筆啓上 火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ
お仙とは重次の長男、仙千代(越前丸岡藩の初代藩主である本多成重の幼名です)
手紙の故事を記念した碑が越前丸岡城にあります。
重次は簡潔明瞭な手紙でもわかるように、仕事も非常に能率的でした。
その能力は戦いだけではなく民政においても発揮。新領駿河国の兵糧の備蓄、政務などに尽力します。
1586年に徳川家康が豊臣秀吉の要請に応じて上洛した際、秀吉の母である大政所が人質として岡崎に下向したときに、井伊直政とともに大政所を守護しましたが、大政所の居館の側に薪を積み、京都に変事が起れば、ただちに火をつける態勢をととのえ、家康に何かあったときのために備えました。
小田原征伐の後、秀吉が駿府城で今宵一夜宿陣のため加藤遠江守を通じて三度呼ばれても、重次は応じませんでした。さらに、岡崎城見参御免の事件などのため、豊臣秀吉の逆鱗に触れたと言われています。
豊臣秀吉から徳川家康に対して、重次殺害の命が下されましたが、徳川家康は重次を隠して病死したと報告し、上総国古井戸に閑居処分としました。徳川家康は豊臣秀吉に遠慮して、重次に与えた知行は僅か三千石でしたが、重次は家康に対して一言も不平を言いませんでした。
度々秀吉の怒りを買っていた重次は下房国相馬郡井野で亡くなりました。享年六十八歳。 

 

●上杉謙信 1530-1578
信玄の兵法に、のちの勝ちを大切にするのは、国を多くとりたいという気持ちからである。自分は国を取る考えはなく、のちの勝ちも考えない。さしあたっての一戦に勝つことを心掛けている。
甲斐の虎『武田信玄』とのライバルだった、越後の龍『上杉謙信』の名言です。上杉謙信は「義」に生きた武将として後世に知られています。武田信玄と川中島で度々争うことになりましたが、信玄の死去を聞いた謙信は涙を流し悲しんだといいます。上杉家の家臣達は信玄が亡くなった今が好機と出陣を謙信に進言しましたが、謙信は「若い勝頼が継いだばかりに襲うのは大人気ない行為だ」と言い兵を出しませんでした。
長篠の戦では武田家が織田家から敗れると、家臣達は再び今が攻め時と進言しましたが「落ち目を見て攻め取るのは不本意だ」と言い、やはり攻め立てようとしません。謙信は自らの利のために、領土を拡大しようとしませんでした。
人との関係を大事にし、人に対する愛や責任感が人一倍強い人です。損得勘定で物事を考えるのではなく、他人に何か言われても、自分自身はこうあるべきだという信念によって行動しています。義理人情を大切にして生きたい。心の中ではそれを求めている人も多いんではないでしょうか。
人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことは言ってはならない。
ビジネスの現場で上司の一言は本人が思っている以上に、とても影響があります。部下の多くは上司の態度や言葉遣いで、仕事の成果が違ってきます。上司の一言で転職を考えることもあります。部下は、上司が思っている以上に、上司の言動をよく見ています。他人に聞かれたくないことは言わないようにしたり、 他人に知られたくないことは行動・態度に表さないようにしたいです。
また、上司が自分の都合や立場が悪くなったときに使う一言(言い訳)など、部下はよく聞いていてしっかり記憶に残っています。当たり前のことを徹底的に行い、常に周囲の見本、お手本となる言動を行うよう意識しなければなりません。
意識している人と、していない人の差は、仕事の結果で違いがでてきます。他人との比較をするような表現や「君はもういい」「言われたことだけをやっていればいい」「後はこっちでやる」、など上司が部下の成長を奪うような一言は避けたほうがいいです。一方的に上司にたたみかけられたら、部下は自信をなくしてしまいます。何度言っても部下ができないのなら、おそらく伝え方に問題があります。相手を叱る前に、自分の教え方を変えてみるべきです。
心地よくモチベーションを持続させながら、互いが気持ちよく仕事をするために必要なことは相手を思いやる気持ちです。相手を思いやる気持ちがあれば、相手が深く傷つくような発言はしません。上司の思いやりが部下に伝わると、仕事をサポートしてくれるようになります。叱るも誉めるも、上司が部下に尊敬されていることが前提です。
手にする道具は得意とする業物でよい。飛び道具を使っても、相手が死ねば死だ。鉄砲で撃っても、小太刀で斬っても、敵を討ったことには変わりはない。
大事なことは、「目的は何か」ということです。目的を確認し、結果を出すためになら、頭を使って楽をする方法を考えていいと思います。依頼された作業にひたすら努力することよりも、最小限の労力で目的を達成するために頭を使う、いわゆる要領の良い人です。
要領がいい人は、仕事も早く終わらせることができて、しかも評価される仕事をしています。要領の良い人は仕事の目的が明確になっていますので、無駄な作業を省くことを考え、短い時間で成果を出します。やるべき仕事、優先すべき仕事を集中してやっています。物事の要点をつかんだ、上手な処理の仕方を心がけています。納期に追われ空回りする人は、ひとつひとつを完全な状態にしようとして、修正を繰り返します。修正に時間を浪費して気がつかないうちに目的から外れていきます。今、必要ではないことをたくさん行っているので完成形には間に合わなくなってしまいます。
部分的には良くても、価値のある仕事に繋がらないことも多く、努力が無駄になることもあります。改善策は、まずは振り返らずに、ひと通り仕事をすべて終わらせます。そして納期まで余っている時間に修正をかけて、より良いものに仕上げていきます。そうすることで最低でも納期を守ることはできます。
ひと通り仕事を進める中で、目の前に立ちふさがる問題があると、解決しなければならないと考えてしまいます。実際にはたとえ問題があったとしても、必ずしも解決しなければならないということではありません。人に解決策を聞く手もあります。納期が守れていれば、後で訂正する箇所があっても、仕事を依頼した人からの印象が違います。
どれだけ一生懸命努力して頑張っても納期を守れない仕事は作業なので、結果を出すことが大事です。要領は良いけれど、努力しない人に、要領が悪くても努力と根性で勝つことはあります。しかし要領が良くその上、努力する人にはなかなか勝てません。
武士の子は、十四、五歳の頃までは、わがままであっても勇気を育て、臆する気持ちを持たせぬようにせよ。勇気のある父を持つ子は臆する心を持たぬ。父は常々、この道を説き諭すことが大事である。
子は親の鏡である」と言う言葉もあるように、子供は親の背中を見て育ちます。子供は感受性が豊かなので父親の考え方や行いを真似します。子供に対して、注意をするとき「自分の事を棚に上げて」では何も心に響かず親の言うことを聞きません。そのため常に「子供には父親の堂々とした姿を見せなさい」と謙信が説いています。
仕事でも部下を育てることは難しいものです。子育てにも似ています。教育方法のアドバイスはたくさんありますが、一人ひとり性格や能力も違うので、こうすれば、こうなるという結果が見えないからです。上司は、できるだけ愛情をもって育てようと考えますが、それは必ずしも教えられている立場の人が望むものかどうかはわかりません。
「子は親の背中を見て育つ」のように、良くも悪くも上司の行動をそのまま真似されてしまいます。常に真剣に仕事に打ち込む上司の姿を見て育った部下は、上司のことを否定的には見ません。前向きに仕事に取り組む姿を見せることは、マニュアルでは学べない貴重な体験となります。将来の成長におおきく作用することは確かです。まず自分でやってみせて、やらせてみる人材教育ではとても大事なことだと思います。
上策は敵も察知す。われ下策をとり、死地に入って敵の後巻を断たん。
皆が考えるような、優れた作戦ばかりでは、相手に読まれてしまいます。リスクがあり危険な作戦、下策をあえて選び、敵の援軍を断つほうを選ぶ。という意味です。戦名人の謙信ならではの名言です。
ビジネスにしても、常に相手の思考を読み、その裏をかくことができれば、仕事はより成功しやすくなりますが、ライバルに仕事ができる人がいたら、同じように裏をかいてくるので、残念ながらうまくいきません。自分のほうが相手よりも実力がある場合は、上策をきちんとこなせば、ほぼ勝てます。しかしお互い実力があり、力が拮抗している場合などは、上策だけでは勝てません。
相手の心理を読み、下策で裏をかくことを心得ておいた方がよさそうです。仕事での商談など、自分の目の前にいる相手の本心が知りたいと思う場面は多々あります。相手の心理が読めれば何も苦労しませんが、確実に人の心を読む方法はないので、相手の気持ちを理解するためにも、相手の気持ちを察してあげられる能力を身につけたいです。そのためには色々な人の人間観察をすることが大切です。
相手の目や表情から、言葉に出していなくとも、表情で考えが分かる場合があります。他人の行動を観察することで、その人の話し方や、仕草、癖などが分かります。色々な人を観ることで、仕事のこなし方、しのぎかたなど、ある程度は把握することができます。
他人の行動を観察するときに意識することは、相手の立場に立って考えることです。「もし自分がこの人の立場だったら、どう思うだろうか」「もし自分だったら、こう考えるだろう」 というように、自分の心を相手の立場に置いて考えると、相手の心理が読めることがあります。どんなビジネスであれ、どうしても人の心理(感情)が影響します。色々な人間心理を学び、それを追求するだけでもビジネスになるのではないでしょうか。 
●吉川元春 1530-1586
律義を旨とし、智少なく勇のみある者は単騎の役にはよいが、大将の器ではない。数千の将たる者は、自分の小勇を事とせず、智計において、人より勝る士でなければだめである。智勇あわせ持たずに、どうして百千の軍兵を指揮できようか
元春は洞察力、的確な判断力、俊敏な行動力、自ら行動する率先力がある強いリーダーでした。リーダーの役割は自らが導いて継続的に結果を出し続け、目的を達成することが何より求められます。
リーダーは周囲にとって「たよりになる人」が理想です。能力不足では相手に正確な思いを届けることはできません。きちんと裏付けのある自信があれば、質問や意見に動ずることなく対処でき、誤りがあれば指摘することができます。リーダーが自分の意見、考えを準備していなければ相手を説得できません。
そしてリーダーは、人格と能力の両方で信頼されている必要があり、相手以上のそして、チームの意見を自分の意見として認知するだけの判断力と覚悟が必要となります。
理想の上司に恵まれることもあれば、ため息をつきたくなる上司もいます。ため息をつきたくなる上司は家庭や職場でいろいろな問題を抱えていることがあります。そのため会社でチームのために全力を出すことが難しい状況です。そのような上司がいるなかでも、理想の上司と言われるようなすばらしい上司も存在します。リーダーの素質は、いろいろあります。
組織の課題を自ら認識し、達成すべき目標が立てられる。
目標達成に熱意があり、困難な課題に率先して対応する突破力。
人の心をつかむことができる卓越したコミュニケーション能力。
交渉や調整で利益をだすことができる。
時代の流れを的確に読める先見の明がある。
上に立つにふさわしい言葉遣いや態度ができる。
自分がリーダーになったときに必要な素質でもあります。自分の持ち味や強みを自覚して、それに磨きをかけ伸ばしていくことで、良いリーダーに近づきます。 
●小早川隆景 1533-1597
すぐわかりましたという人間に、 わかったためしはない。
安芸の小規模な国人領主から中国地方ほぼ全域を支配し。『三本の矢』の逸話で有名な毛利元就の第三子、小早川隆景の名言です。
隆景は義理に厚く、思慮深い性格として知られています。「毛利両川」の一人、「攻めの元春」に対して「守りの隆景」として毛利氏の発展に尽くし毛利水軍の指揮官としても活躍しています。
今回の名言の内容はの意見を聞いてすぐに『ごもっともです』『その通りです』という人間が本当にわかったためしがない。本当に人の意見を聞く者は、自分で納得いかないことは、何度でもダメ押しをする。わからないことがあっても『こんなことを聞いては相手が気を悪くするのではないか』と考えるのは、本気でその意見を聞いていない証拠だ。俺の言ったことをすぐわかりましたなどと請合う部下は信用しない。
という部下に対する教えでした。
上司の意見を真剣に聞いていない部下は言われたことの意味がわからずに、仕事で失敗してしまいます。
わからないことがあっても『こんなことを聞いては相手が気を悪くするのではないか』と思うことは仕事してい上で、一度や二度はあると思いますが、隆景は厳しく諌めています。
自分の心に合うことは、皆、体の毒になると思え。自分の心に逆らうことは、皆、薬になると思え。
こちらも隆景の名言ですが、納得させられます。部下の心がまえとして、上司の意見に対しては、自分で考えて納得し、行動してほしいと小早川隆景は考えていたと思います。しかし、真剣に意見を聞いている部下でも失敗はあります。間違いをしていることに気づいていない場合です。
難しい仕事がたちはだかったとき、それに取り組んでいる途中は、それが成果につながるかわからないものです。間違いも気づきません。この場合は、部下と話し合う場を設ける時間が必要ではないでしょうか。
部下を評価するのではなく、失敗したことに焦点をあて、部下が受け止めやすいように伝える必要があります。部下がそれを受け止めはじめて、間違いをしていることに気づくことができるようになります。
上司は部下との話し合いの中で、質問と回答の間に漂う沈黙の時間に注意を払う必要があります。部下が考えている時間なので、せっかちに答えを求めず待つ時間が大切です。
若い時は自分にとって、嫌いなこと、難しいことに取り組むべきである。人生は長いのだから、山川を越えて自分を強くすること。 好きな事ばかり取り入れずに、むしろ、苦手なことに立ち向かっていくこと。
「我慢するより、その原因を解決せよ」
うまくいかないことがあったら、我慢して耐えることより、どうすれば解決できるかを考えることが大事という意味です。
人は誰でも問題が起きると、「どうしてそんなことになったのか」と、一度は考えます。しかし、そこで考えるのを止めてしまったら、現状から何も進化していきません。表面的な原因だけを見つけて解決しても、原因が放置されたままでは、また同じ問題が起きて、結局うまく行かなくても我慢することになります。
そこで、物事の原因を探すには、「なぜ」を繰り返し考えることが、問題解決につながります。カイゼンで有名なトヨタが行っている方法は、なぜを5回繰り返します。繰り返すことで、本当の原因まで行き着くことができます。重要なことは、原因がわかったときに、結果と連鎖する原因が明確でないと、解決案はすべて無意味になってしまいます。
問題の本質が明確になったら、その解決策を出していきます。解決するには一つの案に頼らず、複数の解決方法を考えます。改善策の中で、すぐに実現できる提案を実行していくと、問題が解決しやすくなります。
物事にはすべて理由があります。「なぜ」と考えることは問題解決以外でも、すごく役に立ちます。
上司から仕事を頼まれた時に考える「なぜ」この仕事をするのか考える。
自分に対して話をしてくれた時に「なぜ」その話を自分にしてくれたかを考える。
仕事がうまく行っている人を見て「なぜ」仕事が順調にこなしているかを考える。
人の感情の変化をみて、「なぜ」感情が変わることになった理由を考える。
部下を教育するときに「なぜ」を考えさせることによって成長させる。
など、仕事の中で、「なぜ」と考えると答えがすぐに見つかる場合もあったり、みつからない場合もありますが、「なぜ」を考えることで、いろいろな知識がついてきます。そのことが、仕事をこなすときに、仕事の意味を考えながら、取り組むようになりますので、結果、仕事で評価されたり、自分の身を守ることにもつながります。
また、他人との会話で話すことが、思い浮かばない時に、「なぜ」と質問することによって、円滑なコミュニケーションがとれることもあります。「なぜ」と考えることに慣れていなくても、日頃から常に意識することによって、鍛えられてきますので、自然に「なぜ」と考えることができるようになっていきます。仕事以外のプライベートでも、「なぜ」が使えます。いろいろな考え方で、物事の答えを見つけることも、楽しくなるのではないでしょうか。
長く思案し、遅く決断すること。 思案を重ねた決断であるなら、後戻りする必要はない。
隆景が豊臣秀吉、五大老として活躍している頃、秀吉の重臣に黒田官兵衛がいました。
官兵衛に「私は決断が早いと言われているが、後悔することが多い。 見てみると、あなたはそのような事は少ない。それはなぜでしょうか」と聞かれると隆景は
「あなたは才智鋭く、一を聞いて十を知る。だが、私は一を聞いても その一に引っかかるため、決断には時間がかかります。だが、それだけ思案に時間をかけた決断なので、後悔することはありません」と答えそうです。
決断することはビジネスマンにとって、最も重要であり、かつリスクが高い業務です。どんな事業でも、リスクの全てが事前に把握できるわけではありません。それでも早い決断を下し、動きながら方向を修正していくことを、今の時代は求められています。?大事なことは、なにを基準にして、決断や判断を下すかです。自分の中の「これは正しいことをしているんだ」っていう感覚大切にしなければいけないと思います何かを選択するということは、何かを切り捨てることになります。
自分にとって何が一番重要かを考えて、その一つに満足することを考えると決断がすごく楽になります。自分が何かを決めて実行する前に、その決断に何か間違いがないか、不具合がないか、自分で自分のあら探しをすることです。目指すべき方向性を決めることで、「こんなはずじゃなかった。」と後悔することは少なくなります。決断までの思案は長く、決断後の行動は速くが理想的です。 
●前田慶次 1533-1605
七年の病なければ三年の藻草も用いず雲無心にしてくぎを出るもまたをかし詩歌に心無ければ月下も苦にならず寝たき時は昼も寝起きたき時は夜も起きる九品蓮台に至らんと思う欲心なければ八幡地獄におつべき罪もなし生きるだけ生きたらば死ぬでもあらうかと思ふ
前田慶次郎は戦国時代を代表する「傾奇(かぶき)者」といわれています。戦国武将としては、大成していませんが、武勇に優れ、古今の典籍にも通じた人物でもあったようです。どんな相手であっても自分の我を貫き通し好きなように生きる、自由な心を持った慶次の名言です。
仕事を選ぶ基準として、自分の好きなことを仕事にすべきだといわれます。確かにそうですが会社に所属していると、どうやって食べるための仕事と、好きな仕事を切り分けて割り切ればよいのか分からなく悩むときがあります。もっと自分の好きなことを追求して悔いのない生活をしていきたいと気持ちが強く独立などを考えている方や、いろいろなしがらみがあって仕事を選ぶことはできないから、やりたくない仕事と感じていてもやらなくてはならない方など働く気持ちは人それぞれです。
自分が心地よく働くには、好きか嫌いか、得意か苦手か、楽しいか苦痛か、高収入か低賃金など、どんな環境で快適に仕事ができるかを考えることが必要です。あまり好きではない仕事も考え方・見方を変えれば、やりがいのあるものに変えていけるかもしれません。何をしたらいいのか分からず迷っている人や、自分の好きなことができない人などは、まず深く考えず働くことをおすすめします。
仕事をするなかで自分にも気づかなかった、やりがいがでてくることもあれば、最初嫌だと思っていた仕事が評価されることにより好きになることもあります。そして、仕事を続けて地位を築くことで、自分のやりたい仕事を選べるようになると仕事も楽しくなってきます。与えられた仕事であっても、自分のペースで自分のやりたいようにできるようになります。そのため、やりたいことよりも自分に向いている仕事を選ぶと良いかもしれません。
一人ひとり全く違った考えがあり価値観も違います。他人と自分を比べることは必要ありません。自分より幸せそうな人、恵まれているように見える人と自分を比べてしまうと劣等感を感じることになります。自分は自分、他人は他人です。幸せそうに自由に生きている人は、また自然に生きているようにも見受けられます。人それぞれ悩みはあるものなので、それはそれで、しっかりと受け止めて前向きに日々楽しく過ごしていきたいものです。
たとえ万戸候たりとも、心にまかせぬ事あれば匹夫に同じ、出奔せん」(思い通り生きられない人生ならば、大名もそこいらの貧しい男も、ちっとも変らぬではないか。ごめんこうむる。)
仕事に時間を奪われ、自分の気持ちを殺しながら働いていると後悔だけが残ります。
他人のための仕事に多くの時間を奪われ、自分のために生きられない。そんな不満や不自由感を積らせるばかりで、つまらない人生を送ることが、想像できるようでしたら、そんな場所に長居をする必要はありません。別の生き方を探して、自分の思いを生かせる場所を探すことが賢明です。
長時間労働や休みが取りづらいといった仕事優先の働き方で自分が大切にしているものが奪われていると感じていませんか。
リストラ、降格、ローンなど不安に駆られて、這ってでもなんとか出勤しようとしていませんか。
心は納得していますか、心が奪われていませんか。
企業理念など社員を管理する手段に洗脳という要素は、どこの企業にあるものです。
仕事が忙しければ忙しいほど、仕事に追われて時間的余裕を失い、余計なことは考えられなくなって、他のことに目が向かなくなります。
同じ環境にずっといると過度なストレスや疲労により社員の判断力が奪われ、自分のための時間が無くなることにたいして、考えなくなり1年や2年は、あっという間に経過しているのではないでしょうか。目先の現実ばかりを見ていたら、自分にとって本当に大切な時間を失ってしまうかもしれません。
働くことが当然というような風潮がありますが、積極的に暇をつくり、自分のことを考える時間をつくることで、麻痺していた感覚が戻ります。このときにストレスから逃げる方法を考え、精神的な苦痛が小さい仕事を選ぶという決断も大事です。
仕事、趣味、友達、夢、人生設計、ライフスタイルなど、人それぞれ大切にしているもののために使う時間の大切さに気づき、どのように過ごすかは自分次第です。
自分に対する時間の使い方はもちろんのこと、恋人や家族など身近にいる人達に対する時間の使い方を考え直してみませんか。 
●織田信長 1534-1582
仕事は自分で探して、創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは、雑兵だ
室町幕府を滅ぼし、天下統一を推し進めました日本を代表する歴史上の人物、織田信長の名言です。
企業をとりまく環境は、どんどん厳しくなっています。人件費削減など、社員は限られた人員や時間で成果を出すために、日常の仕事を見直すことが求められています。
仕事に関わっていこうとする姿勢を変えると作業効率や仕事の処理スピードがあがり、仕事が楽になっていきます。仕事が楽になってくると、自ら楽しくやりたい仕事に変わっていきます。仕事が楽しくなると、相手の期待を少し上回る形の仕事を行うので、そのためお客様や上司から誉められる事も多く、モチベーションもアップしていきます。
意識をほんの少し前に向けることで毎日の小さな変化の中から人生や仕事にとって、大切なことが見えてきます。そして日々考えて仕事をしていると色々と学ぶことがあります。学んだ知識をもとに、もっと効率的な仕事のやり方を求めるので、いつもチャレンジをしたくなってきます。イヤな仕事のストレスで押し潰されない為にも、自ら積極的に動くことが必要になってくると思います。
器用というのは他人の思惑の逆をする者だ
相手の期待や思惑を上回ることをすることで、徐々に評価が高まることがあります。相手が期待していることを、いい意味で相手の期待を上回ることができれば、実際以上の評価を得ることができます。相手の思惑や期待を超えることで、相手の心を動かすことができます。自分に対して相手がどんな先入観をもっているか、自己分析をすることで、自分の強み、弱みを確認します。自分のことを理解できていれば、相手の先入観を裏切ることができるようになります。
仕事で成果を上げることはもちろん大切ですが、その成果を相手の期待以上に裏切ることは、難しいことです。仕事の能力に対して過大な期待がある人ほど、期待に応えられない場合は、実際以上に評価が下がってしまうことがあります。
期待を裏切らないようにするには、仕事を引き受ける際に、提供できると思うレベルより低いものを提示することです。そうすれば、結果的に、相手の期待を上回る仕事ができます。
このように最初から成果を期待させるよりも、相手の予想以上の内容を提示して、常に期待を上回る対応を行うことが、良い場合もあります。新しい上司やメンバーと仕事をする場合には、最初にどのような仕事を提示するか考える必要があります。
信長は常に相手が考えていることとは違うことを考え、意表をつくような行為に出るのが器用だと言っています。常に相手の裏を掻く意識は大切な心構えです。お客様に思いがけないサービスなど満足を提供したいときに、信長の心構えが役立ちます。
お客様に期待させればそのサービスを提供して当たり前と思われますが、お客様が期待していなかった思いがけないサービスを提供すれば、喜んでいただいて満足度を向上させることができます。
他人の思惑の逆を考えることは、お客様にとって思いがけないサービスとなり、仕事の幅を広げることにもつながります。相手の身になって考えると、何か新しい発見があるかもしれません。こういったことを考えることができる人を器用と呼べるのではないのでしょうか。
たしなみの武辺は、生まれながらの武辺に勝れり。
人それぞれ違いはありますが、才能に溢れる人を見るときに、持って生まれた才能や資質には差があります。仮にその人に才能があっても、自分がしたいこと、なりたい姿がイメージできていなければ、努力が実りません。目標が明確であれば、それ以外の必要のない時間を判断できるようになります。その判断の基準になってくれるのが自分のなりたい姿です。自分に向いている才能に気づき、目標に向かって、努力を努力とも思わず、苦労を苦労とも思わずにひたすら我が道に邁進する人が天才と呼ばれます。
仮に才能がなかったとしても関係ありません。自分には才能がないからと諦めていても、目標に向かって努力をして身に付けた能力は、元から備わっていた才能より優れています。大切なのは日々の積み重ねの努力ができる、自分のすべきことをまず見つけることです。そうすれば自然と努力したことを自分で磨き上げ、結果をだすことにより与えられた場所で踏ん張ることができます。
才能を伸ばす環境にも恵まれている人もいますが、与えられた環境を十分に活用しなければ能力は伸びません。活躍している人たちは相当な努力を積んでいます。
一つのことを一所懸命やり続けることによって、反復と学習が積み重なり、能力が身につきます。身についたことを発揮することで、自分の価値観が変化し、更に続けることにより、自分の力以上の特別な才能が生まれることもあります。その人のその後の人生を大きく変えていくのが、たしなみの武辺です。
組織に貢献してくれるのは「優秀な者」よりも「能力は並の上だが、忠実な者」の方だ。
優秀な人たちの共通点は、業務を追究し成果を出すことが好きな人たちです。そのため優秀な人ほど、先を予測する能力も高く判断力・決断力もあります。将来自社がどうなるか、業界がどうなるかを冷静に分析することができるので、自分の働く意義が明確になっていなければ、働くことは苦痛になり会社への忠誠心が消えていきます。会社のビジョンに共感できない場合には、やりがいを感じる職場、より給料の高い会社に転職します。また自分で独立して会社を興す場合もあります。
優秀な人ほど自分の時間を大切にします。必要性がない会議や残業を嫌います。仕事を成果で評価することを好み、人間性やスキルを高めることに時間を使います。自分の時間を大切にしますので、時間がかかる仕事も前もって対策を立てます。
無駄な時間を使うと感じる職場では、モチベーションが下がり、優秀な人ほど会社を辞めてしまいます。企業は優秀な人材を求めますが、優秀な人材も働く条件が満たされる企業を選び、企業を渡り歩きます。戦国時代では藤堂高虎など幾度も主を変えていますが重宝されています。
企業の成長を考えると、どんな仕事であろうと、どんな役割であろうと、貢献できる人材を大切にしなければなりません。
優秀な人材はいつかいなくなります。一時的な売り上げ伸ばすことや、新しい事業の計画などの立ち上げなどは優秀な人材に頼るところは頼り、堅実に会社を育てることは、「能力は並の上だが、忠実な者」を任命しましょう。
人城を頼らば、城人を捨てん
技術の進歩によって私たちが扱う道具が日々進化しています。今は便利で高度な道具がいつでも手に入れることができる世の中ですが、それを作っているのは「人」です。人や物に頼りきってしまうと、自分で考えることを忘れてしまいます。道具に頼ると人は強くなり、また人は弱くなります。大事なことはそれを扱う「人材」だと信長は述べています。
道具には頼れても、人に頼ることが苦手な人もいます。いちばんよくないのは、なんでも自分でやってしまう人です。まったくの独力で高い成果を上げる人は、ほとんどいません。
自分に自信のない人は、よく人に頼ります。ただ調べもしないで人に聞くだけの場合は、不必要に人に頼り不快感を与えてしまうことがあります。人に頼ることができない人の特徴は、責任感が強く周りを巻き込まず自分だけでどうにかしようとする優しい人や、人に頼ることが無責任だと考え、人からできない人だと思われると気にしてしまう人などです。
どんな人でもできないことはあるもので、人の力を借りて問題を解決していくことも、自己解決能力を鍛えるには良いことです。
そして人に頼むときは、目的を共有して相手を頼る必要性を伝えます。相手の都合を配慮し、直前にお願いしないようにします。断られたときは、別の人を探すか、ほかの対策を考えましょう。
他人と関わることに慣れていけば、そのうち頼り、頼られることも、自然とできるようになっていきます。これは組織で働いている限り避けようのないことです。問題を解決するための必要なスキルになります。
臆病者の目には、全て敵が大軍に見える
その人の心持ち次第で物事の見え方が違ってみえます。新人のころは先輩方がとてつもなくすごい存在に見えて、「私にはできない」と委縮してしまうこともあるのではないでしょうか。
仕事に限らず新しいことはやってみないとわかりません。慣れない仕事だと初めのうちは、仕事の目的、背景、期限、関係者、進め方、予算など必要なことが、よくわかっていないかもしれません。仕事を理解しているかどうか確認しておかないと、やり直しやミスが増えて仕事が進みにくくなります。ただし失敗を恐れ過ぎて、真剣に考え過ぎることはよくありません。
競争に勝たなくてもいいので、まずは与えられた機会に合わせて自分の幅を広げながら仕事に取り組むことです。回り道だと思っていても、後で道が開けてくることがあります。今できるレベルより少し高めの仕事に取り組んで努力しているうちに、気がつけば階段を一つ昇って成長しています。
気軽に考えて仕事に挑戦です。経験を重ねていくうちに、職場で求められる能力が強化されて、景色もよく見えるようになります。
いつの時代も変わり者が世の中を変える。異端者を受け入れる器量が武将には必要である。
変化に対応できる人は、変化を求められたときにも、動じないだけの信念や核を持っています。変化を受け入れて自分の力に変えることができる人です。
経験を詰めば積むほど、自分の成功体験に縛られて、変化を恐れることになるかもしれませんが、大切なのは、「変化を楽しむ」と自分が変わることです。
変化を嫌う人は、できたら今の状態を変えたくないと思っています。そのため、変化への対応が求められると、理由を付けて拒絶します。自分が得する動機づけがないと、「今のままでいいか」と考えて、現状を変えようとしません。
いざ会社で変革が必要という場合にも、職場で利益を享受している人が抵抗勢力になって、変革の邪魔をすることもあります。
変革に反対にも賛同にも最後まで回らない人たちは、本人にとって影響が少ない変革には協力します。
しかし、損失が大きくなる変革に対しては、反発して現状維持を求めます。
人間の行動を変えるのは、思考や感情です。
人が変わるために必要なことは、この言葉に集約されています。
「心が変われば、態度が変わる」「態度が変われば、行動が変わる」「行動が変われば、習慣が変わる」「習慣が変われば、人格が変わる」「人格が変われば、運命が変わる」「運命が変われば、人生が変わる」
まず変革を行うには、実際にリーダーが率先して変化することを示してみせなければなりません。
「すべての変革はリーダーから始まる」と言われるように、リーダーが必死に変革を行うことです。
言葉が行動に勝ることはありません。
そして、リーダーの役割は非常に大きなものです。
チームの人たちの心を変えるために、変化にたいして、受け入れる心、受け入れる器ができるまで、変化に対する恐れを取り除く必要があります。
変化に対する恐れを取り除くことができれば、相手の態度が変わります。
相手の態度に変化がみられるようになってきたら、今までの業務で習慣になっていることを利用して、仕事へのモチベーションを保つことに専念します。
リーダーは、日々の行動でチームが「無力感」の中に陥らないように、変化がプラスにもなることを教えなければなりません。
チームの行動が変わるところまでが、最初の目標です。
頭で無理だと思うと、思考がマイナスの方向にしかいかなくなります。
楽しみながらプラスに考えて変化に適応していくことが、継続するコツです。
変化に適応できる人ばかりではありません。
しかし、相手が変化に対応できないからといって組織の変革を放置してはいけません。
意識、態度、行動の変革を放置すると、組織やチームの能力が落ちて、機能しなくなる恐れがあります。
本来はしっかりとチームを育てることが理想ですが、変革に時間がかけられない場合は、「人」を変えるのではなく、「環境」を変える方法もあります。
大きな変革をもたらした信長のように、変化を起こしてしまって「変わらなければいけない」という環境を作ってしまうことです。
良いか悪いか、好むか好まないかに関係なく、環境が変われば心が変わり、環境が人を作ります。
これから仕事がどう変わっていくのか、そのときどのような課題にぶつかるのか、それを乗り越えるためにはどうすればよいのか、最初は不安があるかもしれません。
それでも人は環境に順応することができます。しばらくすると、変革したことが当たり前になってきます。
ビジネスの現場では、状況に応じて変革が必要になる場面が少なくありません。
変革が迫られたときに頼れるのは自分だけです。人の批判が気になるかもしれませんが、変革には自分だけの信念を持って、推進していく意思の強さが欠かせないものとなります。
必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。
自分は、こんな人生でいいのだろうか? 自分はどのように生きるべきか? 今の自分のままでいいのだろうか? そもそも何のために生きているのか? 幸せだと思ったことが一度もない。 最後は死ぬのにどうして生きているのか?
自分が生きている意味や理由がわからないという方はたくさんいます。この答えがわからなくて苦しんでいる人もいます。どれだけ考えても答えが出ないからこそ苦しいのではないでしょうか。
人生の意味を見つけた人が、必ずしも良き人生を歩んでいるわけではありません。良き人生を送っている人が、人生の意味を見つけているとは限りません。絶望、失敗、困難、悲しみ、辛さなど、人生の深みにはまってしまったときに
「こんな人生に、意味なんかない」「生きている意味が、わからない」と思うかもしれませんが、生きる意味や目的がなくても「食べるため」「家族を養うため」「楽しい人生を送るため」 という理由でも立派な生きる目的です。
わざわざ誰かに必要とされている人にならなくても、重要なことは生きることであって、生きた結果ではありません。
死にものぐるいで、たくさんお金を稼いで、偉くなって名前を残すために、わざわざ苦しいこと、辛いことをしてイバラの道を選ぶ人もいます。
なぜ、そんなことをしているのでしょうか?
そこには意味も理由もなく、死にもの狂いでお金を稼ぐことが、その人の生きがいだからです。
自分の人生の決定権は、自分だけが持っています。お金がない、自信がない、時間がないなど、何かしらの理由というものがあって、なんとなく生きているという理由であってもいいです。
今、生きているという事実そのものに、生きている意味があります。生きる意味について考えることで苦労したり、あくせくしたりする必要はありません。
生きる意味は自分でつくるものです。そして生きる意味をつくるために探すべきものは、自分のやりたいことです。自分のやりたいことが見つかると、自分の生きる意味をつくることができます。
だからこそ、やりたいことをいろいろな理由で諦めることは、もったいないです。自分のやりたいことを必死にやるようにして生きていくと、 
●島津義弘 1535-1619
老武士のため、伊吹山の大山を越え難し。たとえ討たれるといえども、敵に向かって死すべしと思う
義弘は薩摩国の戦国大名で島津貴久の次男。兄に義久、弟に歳久・家久がいます。義弘は優秀な兄弟の中でも特に数々の武名を残した勇将で、島津氏勢力拡大に大きく貢献しました。
関ヶ原の戦いで義弘は石田三成の要請により西軍についていました。大軍を率いる小早川秀秋らが東軍に寝返り攻撃を始めたために、西軍は総崩れになります。
戦いの勝敗は徳川家康が率いる東軍の勝利に決するなか、逃げず留まった島津隊は退路を遮断され、戦場に孤立します。西軍が敗走する最中、義弘は十万を超える軍勢の中を中央突破して撤退することを決めました。
敵に背中を向けて死ぬよりも、同じ死ぬのであれば敵に一矢を報いたい。そんな思いが込められた名言です。
島津軍の兵力は一千余り。島津軍は先陣を甥の豊久、本陣を義弘という陣立で突撃を開始しました。
すぐに前衛いたのは勇猛で知られる福島正則の隊です。正則は死を覚悟して向かってくる島津軍との戦闘を避けます。正則隊を突破したあと、島津軍は家康の本陣の少し手前で進路を変えて伊勢街道を目指します。
本陣を横切られた家康は直属の配下の武将である井伊直政、松平忠吉、本多忠勝に島津軍の追撃を命令しました。
執拗に追撃される島津軍がとった戦法は捨て奸(すてがまり)。追撃部隊の足止めが目的で、一部の兵士が留まって銃を撃ち続け、銃が撃てなくなると槍で斬りかかります。
その隊が全滅するとまた新しい足止め隊を残し追撃軍を迎撃するという壮絶な戦法です。主力を逃がすために、足止め隊に残る兵士はほとんど討たれてしまいます。この戦法に、島津軍は兵士のみならず、甥の豊久や義弘の家老である長寿院盛淳らが義弘の身代わりとなり犠牲になりました。
追撃隊も島津軍の捨て身の攻撃で被害をうけます。家康の四男である松平忠吉は負傷し、徳川四天王の一人、井伊直政は銃撃で重傷を負い、このとき受けた傷がもとで後に病に倒れ、死に至ったと言われています。
直政や忠吉の負傷によって、まもなく家康から追撃中止の命が出され、義弘自身は撤退に成功しました。生きて薩摩に戻ったのは、わずか八十数名だったといわれています。この退却戦は「島津の退き口」と呼ばれ、義弘率いる島津軍の行動は、敵である東軍からも賞賛されたそうです。
絶体絶命の窮地が訪れてほしくはありませんが、判断を迫られる事態に陥ったときに、逃げることで目前の窮地を回避することができるのならば、逃げることも最善の手です。どうしても逃げ出せない場合は辛いですが、自分が捨て石になる覚悟を受け入れ、次につなげることを考えると、開き直ることができて楽な気持ちになることもあります。じたばたと小細工をするよりも現実を受け止めて解決策を探し、勇気ある決断をすることが未来を築く第一歩になります。 
●南光坊天海 1536?-1643
学んで思わざれば罔(くら)し 思うて学ばざれば殆(あやう)し
知識を詰め込むだけでは役に立たないといわれますが、学ぶことが最初に接する知識だったら最初は暗記が大切です。頭の中にどれだけ多く、知識の引き出しを作ることができるかどうかで、その後の応用力が変わります。
知識の引き出しは、ふとした場面で役に立ち使うことができます。知識がなく自分で考えようというのはそもそも不可能です。そのために知識や経験などをできるだけ吸収します。知識の蓄積をしたうえで、その中から役に立ちそうなものを探しだして利用することができたときに、自分で考えることができます。
天海は知識を学んでも考えなければ意味がなく、自己流の考えのみで知識がないと危険であるとも説いています。知識の使い方は、自分でいろいろ試してみて身につけていくしかないものかもしれません。
南光坊天海は安土桃山・江戸初期の天台宗の僧侶で、出目は不明とされています。徳川家康の懐刀といわれ金地院崇伝と共に黒衣の宰相と呼ばれます。天海が五十五歳のときに家康と出会います。天海は家康の参謀として朝廷との交渉等の役割を担い、家康が天下取りに成功したのは、天海という知恵袋のおかげといわました。
徳川家康が七十五歳で没した家康よりもさらに三十三年も長生きし、百八歳で大往生したといわれています。この長寿によって家康・秀忠・家光の徳川三代に仕えました。家康亡き後の二代目秀忠、三代目家光は天海が病に伏した際には将軍自ら見舞って名残を惜しんだといいます。 
●豊臣秀吉 1537-1598
戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。
農民から立身出世し、主君織田信長の後を引き継ぎ一代で天下人まで上り詰めた日本一の出世男です。智将として名高く、計略をもって仲間の損害を最小限に抑える戦いを好んでいます。
「戦わずして勝ちを得る」という考え方は事業にもあてはまります。この原則をビジネスに適用した企業こそが過酷な競争のなかで勝ち抜いています。お金が掛からないように短期決戦で勝負をかけたり、少ないリスクで大きなリターンを得る投資など、現在の競争社会の中で生き抜くためには、いかに戦わないようにするかが重要です。
主人は無理をいうなるものと知れ。
秀吉の主人は仕事はできるが、威圧的、実力主義、仕事ができない部下は嫌い、任務に失敗すると命に関る、規律に厳しく、とにかく怖い。という織田信長でしたから、無理・難題を押しつけられた秀吉は、さぞかし大変だったと思います。
厳しいけど部下思いの上司は、少なくとも自分のレベルまで成長させるために、本人の実力以上のことを要求します。今どき手取り足取り何でもかんでも教える親切な職場は多くはありませんので、与えられた仕事で分からなければ調べたり聞くことは仕事をする上で必要になります。 上の立場に立つ人からは無理を言われることは、期待されているということなので、無理な難題はある程度覚悟しなければならないようです。
ただし無能な上司も、無理難題を押し付けて、部下に仕事をまるごと任せる場合もあります。そんな上司の見分け方は?
上司が部下に好かれようと顔色をうかがっているような人。有能で使える部下のことをあまり良く思わない人。言うべきことをはっきりと言えない人。実務能力が部下と変わらない人。無理を言うだけで責任を取らない人。
など、他にもたくさん思いつくと思います。上司の尊敬と信頼が感じられない場合は、反面教師として、いろんなことを学ぶしかありません。理想の上司がいなくても、無理・難題に立ち向かうことは、自分の能力が上がり成長ができるのですから、良いこともあります。
できる上司と働いている人は、秀吉のように乗り越えなければならない壁がたくさんあります。できる上司は、今までに幾つもの無理・難題を乗り越えてきた人です。それなりの能力があり、つねに結果を出しています。そんな上司から無理・難題を頼まれたら、その時の返答によって、できる部下か、できない部下か判断される材料になるため、「そんなことできるわけない」と思っていても、「無理です」「できません」とは言えません。
自分の評価に関わるので挑戦するべきです。そして挑戦を続けて信頼を勝ち取るしかありません。秀吉は信長の無理な難題を、「自分が飛躍するチャンス」と考え取り組み、出世していきました。難しい仕事は成長するチャンスです。挑戦していく姿勢が、最も大切なことだと思います。
人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない。
相手の助言を聞くことは自分の世界を広げるために必要なことです。質問することがいけないことではありません。最終的には自分のやりたいように決断していくことです。「もしかしたらもっといい意見が出るかもしれない」と誰かに相談しても、自分の現状を全て把握できる人はいません。答えてくれるアドバイスも周りの空気を読んだ無難な意見が多いものです。他人の助言が自分にとって正解とは限りません。
助言を聞くときは、自分で決断する意思があるときは役立ちますが、決断をためらうようなときには、参考にするべきではありません。自分の現在の状況や問題点は自分自身が一番良く理解しています。自分の決断した意見を、知識や情報が惑わすこともありますが、自分のやりたいことが最優先です。
自分で考えて行動すると失敗や成功もあります。それを通じて自分を知り、新しい「知恵」を身につけることができるようになります。本当の技術や知恵は自らの経験から生まれるものです。たとえ誤った答えだとしても、自分で考え行動することで直感力を鍛え、効率が悪くても地道に経験して学ぶこと。その学びが独自のマニュアルをつくりだせるようになり、とても大きな価値に変わります。
負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。
働いていると、いら立つことや腹立たしく感じる出来事がいっぱい起こります。どんなに自分の感情がマイナスになるようなことが起こっても、自分の考え方とそれに伴う行動で、感情をコントロールすることは可能です。簡単なことではありませんが、感情に振り回されることなく、自分自身をコントロールする能力を身に付けることで、どんな状況でも自分らしく成果につなげることができます。
気持ちが変われば行動が変わります。「自分ならできる」という意識や考えを繰り返し、自分で自分に言い聞かせることで、普段使われないはずの本来の実力を発揮するきっかけになります。言葉を繰り返して、自分に言い聞かすことも効果的です。
他人を意識することより、まず自分の意志で動くことが大事です。でなければ自分に打ち勝つことができません。心の状態がそのまま仕事に影響を及ぼします。誰にだって弱い部分はありますが、そんな時こそ落ち込まず、しっかりと自分をコントロールして受け止めましょう。
自分で感情をコントロールできるようになると、目標を達成するモチベーションを維持することができるようになり、心身ともに良い状態で思考も広がり、行動力も増してきます。ビジネスは長丁場です。毎日、自分の中でこうなりたいという前向きな目標を立てて楽しみながら取り組めることが非常に重要なのです。
大切なことは、自分が仕事や目標を通じてどんな人になるかです。
人はただ、さし出づるこそ、よかりけれ。戦のときも先駆けをして
会社の中で自分の存在を認めてもらうためには、目立たなければなりません。多少批判があっても社内で目立つ人は、上司からすぐにどんな人だったか覚えてもらえます。目をかけてもらえるので、何かあった時に、飛躍のきっかけをもらうことができるのです。
もちろん目立つことが嫌いな人は多いと思います。ただ恥ずかしいからという理由だったら、目立つことを避けるべきではありません。一生懸命、努力していても、その頑張りを見てくれる人がなければ、評価につながらないからです。
成長するための決意や心理を、しっかりと外に向かって発信していく必要があるでしょう。チャンスを与えてもらえた仕事をしっかりこなしていれば、経験やスキルが身について、直属の上司は相応の評価を下してくれます。
秀吉は人より一歩前に出て行動していたことで、他の武将よりも多くのチャンスを手にしました。目立つことで信長の目に止まり、秀吉の出世の道が一気に開けました。秀吉が何事にもプラス思考で仕事に取り組んでいたことも飛躍の材料になっています。
ビジネスの世界において、駆け出しの人間がチャンスをもらおうと思ったなら、秀吉のようにまず目立たなければなりません。経験が少ない人が目立ったところにいると、出る杭は打たれることがありますが、それは自分の才能・手腕が、他の人よりぬきんでているからです。飛躍するチャンスと考え状況を変えていきましょう。 
●鍋島直茂 1538-1618
我が気に入らぬことが、我ためになるものなり
鍋島直茂は肥前国を根拠地として九州に割拠し、「肥前の熊」と呼ばれた竜造寺隆信の重臣です。
知略と統率力で、強大な豊後国の大友氏、薩摩国の島津氏らと並ぶ勢力までに主家を導きました。大友氏が竜造寺氏討伐の兵を挙げ、大軍をもって領内に攻め込んだ時には、六万ともいわれる大友軍に対し、竜造寺軍は五千あまり。
この時、直茂は寡勢をもって敵本陣に夜襲をかけ大勝しました。当主・龍造寺隆信とは義兄弟にあたり、二人は仲が良く、協力して九州に勢力を拡大しましたが、隆信が酒色に溺れると、直茂は次第に疎まれて遠ざけられました。そのため隆信は家臣から人望を失ってしまいました。そんな主君を見ていた直茂が鍋島家の家訓として残した名言です。
自分の欠点を指摘されるのは聞き苦しいが、気を鎮めて聞けば自分のためになる。と忠告しています。自分に対しての悪声は、たいていの場合、自分の過誤や欠点が指摘されます。謙虚にその言葉をそのまま受け止めるべきか、どうしたらいいのか判断に迷うときもあると思いますが、素直に聞いて謙虚に己を反省した上で、いい勉強をさせてもらったと思えば、成長できる気がします。
耳に痛いことを言う先輩や上司、また家族の情け容赦のない指摘が 辛くなったとき、この言葉を思い出していただければ、気に入らない人物・物事こそが自分を成長させるきっかけになり、プラス思考で考えられる力になります。
「上下によらず、時節がくれば家は崩れるものである。その時、崩すまいとすれば、汚く崩れる。だから潔く崩すが良い。そうすればあるいは残る事もあろう。」
売上高が減少傾向にあるのなら、先を見据えた計画作成が必要になります。だらだらと続けて少しずつ追い込まれていくと、何も手が打てなくなってしまいます。意識を変えるためにも延命策ではなく、抜本的な改革に着手することで売上高の減少を止めることにつながります。
情がからみできない場合もありますが、延命策では、社員が危機感を持ちません。今まで甘えた体質があり、社員の意識レベルが低下している場合は、何とか今のままで乗り切りたい、今以上に仕事をしたくないという雰囲気が社内にでてきます。
この意識レベルの低下が改革をより難しくさせます。この状態になってしまうと何度議論をしても良いアイデアがでてきません。最初から抜本的な改革を行っていれば良いのですが、なるべく痛みを伴わない程度に収めたいと思うと、改革できないまま売上高が下降していきます。気付いた時には手遅れということがないように、早めの抜本的な改革を考えることが必要になります。
延命策でほんの少し、息を吹きかえしてもまた同様のことが起こるのであれば、衰退していく状態を回復することが難くなります。こういった負の連鎖にはまらないように、再構築を考えるなら、潔く崩した方が再起しやすくなります。
大きな改革を意図的に行っている企業が、業績を伸ばし、生き残っているような気がします。 
●長宗我部元親 1539-1599
一芸に熟達せよ 多芸を欲張るものは巧みならず
槍、刀、弓、馬など武士の心得るべき技が多いが、いくつもの技を身につけようとしても中途半端になってしまう。一つの技に秀でる者のほうが役に立つといった意味です。
幼少の頃は色白でおとなしく、軟弱な性格から「姫若子」と皮肉られていたこともありますが、後に土佐一国を統一する大名に成長し、土佐の出来人と呼ばれた長宗我部元親の名言です。
徹底して一つの物事を追求しながら継続していると、必ずその道のプロになります。広く浅い知識・経験を身につけるより、この仕事では誰にも負けないという得意分野を持っことが、現代社会でも成功しやすいです。
全てのものに共通した 原理やコツのようなものが 身について、物事を極める方法を 一通り体験して知っているから、他のことをしても応用が利いて、他の 何かを極める事もできるようになります。
何か一つの事を極める事ができる能力は他の分野や世界に行った時にも必ず役立ちます。
野球のイチロー選手もそうですが、一流と言われる人はまず時間を一つのことに集中し、労力を一つのことに集中する物事への取り組み方が恐ろしいほど徹底しています。一つの物事を始めたら極めるために徹底することと、継続することが大切だと教えられます。
どんなことでもいいので、自分を出すことのできる「一芸」を見つけ、「徹底と継続」を忘れないことが、仕事に新しい幸運を呼ぶきっかけになります。 
●前田玄以 1539-1602
牛を斬れ」 
玄以は尾張小松原寺の住職でしたが信長の嫡子である信忠に仕えます。思慮深く私欲の無い性格で、信長・信忠父子からは信任が厚かったようです。本能寺の変のときは、幼い三法師(信忠の嫡男)を連れて、京の町から清洲城まで守り抜いて、三法師の守役になりました。
秀吉が天下を統一した後は京都所司代として働き、豊臣政権下で五奉行の一人になります。朝廷との交渉役も担うなど秀吉からもあつく信任され、とくに京都の庶政や寺社関係で手腕を発揮すると、丹波で五万石を与えられ、亀山城主となりました。関ヶ原の役には西軍に属しますが、主戦派ではなく東軍にも内通していたため、亀山五万石は嫡子茂勝に安堵されています。
玄以の京都所司代、在任中のエピソードがあります。
ある時、行く手に牛舎が転倒していました。それを見た玄以は怒り、「牛を斬れ」と供の者に告げます。当時の定法であれば、牛の所有者を罰するのが当然ですが、それを指摘しても玄以は「牛を斬れ」の一点張りだったそうです。玄以の命令通り、その場で牛は殺され、京の人々はみな「今度の所司代は何をするかわからない人だ」と口々に噂し、恐れていたようです。
しかし、玄以は京都所司代の在任中に一人の人間も処刑しませんでした。秀吉はそのやり方に感心したそうです。
人によって何を基準に考えるのかはそれぞれ違ってきます。まわりの環境、まわりの人の意見に左右されないで、何をするにしても自分の基準、判断基準をしっかりと持つことです。自分の基準をどこに基準を置くのかによって、結果や目的が大きく異なってきます。どの考えが良い、悪いというものではなく、基準となるものをどこに置くのかです。
他人の目や評価を気にせず、自分の好き嫌いを基準にして、自分の望むことを見つけ、自分がやりたいことをする。自分の基準が正しいとか、間違っているとかは、考えなくても行動の結果を振り返れば自然に答えがでてきます。そのときに自分の基準を変えていけば良いことで、他人の基準の期待に応えるために、考えて行動するだけではもったいないです。
他人の基準に合わせても、他人は責任をとってくれません。自分の人生の責任を取ってくれるのは自分だけです。自分が望む人生を生きるために、自分の基準で行動することも悪くはないはずです。 

 

●島左近 1540-1600
ただ城下の繁栄に驕って、下々の憂苦を思わず、武具にのみ力を入れて城郭を構築しても、徳と礼儀がなければ甚だ危うい
部署や部下を管理して、人の上に立つ存在である管理職ですが、会社によっては現場の仕事から離れ、完全に管理専門といった仕事になっていきます。立場が変われば景色も変わります。
管理職になると、現場で働いていたときよりも、全体を把握したり、会社の将来を考えたりなど、少し高い場所から眺めるため、見える景色が違います。そのため発想も行動も変化していきます。管理職という仕事では、今までより入る情報が多くなって責任も増えますが裁量の余地がたくさんあり、やりがいと達成感も一般社員の時と比べて飛躍的に増えます。
管理する立場では任せられている部門の生産性や業績などを把握しなければなりません。そのため各種の報告を集めて分析しますが、現場を意識せずに報告書だけで判断する状態になってしまうと、部下の仕事ぶりが見えにくい状況が生まれてしまいます。
現場で働くことと、必要事項の報告書のみで状況を把握することでは大きな違いがあります。昔は現場で業績を上げていた人でも、長い間これらの仕事をしていると現場の感覚が錆びついて、現状を把握しにくくなり本当の問題点に気付くことが難しくなります。報告書だけで判断することは効率的ではありません。現場の状況を理解しないまま思いつきを次々と指示する上司や、部下の仕事を理解してない上司による曖昧な指示で生産性を大きく下げることもあります。
指示を出す人に不信感を持っていたら指示に従おうとは思いません。しかし自分のことを本当に大事に思ってくれていると信頼できる人の指示には従います。信頼してもらうためには、部下の話をよく聞いて相談できると思ってもらうことです。そのことで部下の体調や悩みがよくわかります。上司と部下のコミュニケーションがよくなると、職場の風通しもよくなってコミュニケーションも活発になります。日頃から部下を理解していれば、不測の事態があっても事前に対処できます。本当に部下のことを思うが大切です。 
●徳川家康 1543-1616
滅びる原因は、自らの内にある
天正元年(一五七三年)最大の難敵、武田信玄が上洛を目前にして信州駒場で病死しました。天下とりを狙う武将の誰もが喜んでいたころ、家康は、難敵の死を少しも喜ぶことなく部下に言った言葉が
「信玄という大宿敵のお陰で、我々は緊張し、軍備を整え、良い政治を行なわんと勤めた。今後の気のゆるみこそ、最も気を付けなくてはいけない。よいか、平氏を滅ぼすものは平氏なり。鎌倉を滅ぼすのは鎌倉なり。恐ろしいのは敵に滅ぼされるのではなく滅びる原因は内にあるということだ。油断、贅沢、不和、裏切り、全て味方の中から起こる。これからはこれらに注意していかなくてはならない。強敵の死を少しも喜ぶことではない。」
一年前に家康は信玄に三方ヶ原で大敗北を喫していましたから、喜びはあったと思います。しかし、油断することが一番危険だと考え、部下に忠告しました。
不調な時はどう改善していけばいいかを考えたりと、その繰り返しにより大きく成長する要素がありますが、ある程度成功が続いて、会社が伸びているときには、あまり謙虚になれないものです。好調な業績の時ほど油断する部分が出てくるものです。小さなミスや問題点に鈍感になって、大きなミスが起こりやすくなります。なすべきことを油断することなく実行していくこと。油断大敵という言葉があるように仕事では常に敏感になっていなければなりません。
最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。
多くの人を喜ばすことが大きく栄えるとは今の時代にも言えることです。このことはビジネスの原点でもあります。ビジネスがうまくいくかどうかの境目は、それに関わるすべての人に喜びがあるかどうかだと思います。自分の周りにいる人や社会に喜んでもらえることをすることによって、自分自身にも喜びが返ってきます。
近江商人の心得に、 三方よし というものがあります。 「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」商いは自らの利益のみならず、買い手である顧客はもちろん、世の中にとっても良いものであるべきだ。という意味です。今も昔も変わらず、ものごとの基本は人間関係です。まずは、誰が幸せになれば、結果として自社も幸せになれるのかを、考えて見るべきでしょう。
自分の周りを考えても同じだと思います。自分が人に喜びを与えられたら、その人が自分に喜びを与えてくれるかもしれません。人に頼まれた事を喜んでやっていると、人が喜ぶことが何かが見えてきます。それを繰り返していくと、よりよい人間関係が築けると思います。そんな意識を持つことで、変わる何かがきっとあるはずです。
重荷が人をつくるのじゃぞ。 身軽足軽では人は出来ぬ」(『徳川家康』山岡荘八より)
家康が天下統一を成し遂げることができたのは、人並み以上の忍耐力で危機を乗り越えようと した、意志の力 があったからです。自分では背負いきれないような苦労を家康は、乗り越 えてきました。
重荷とは、常に自分の能力を限界のまで引き出し、課題を乗り越えなければならないことです。自分自身だけで、責任が背負えるか背負えないか、判断ができないものです。重荷となる課題がでてきたら、数ある選択肢の中からよく考え、何かを選び実行しなければなりません。重要な場面で決断しなければならないことが多く、意志決定に悩み苦しみます。
家康は出来るか出来ないか 分からない重荷を背負い、自分自身に負荷をかけることで、鍛えられると説いています。 どのみち逃げることもできない重荷を背負うことになったら、苦労を避けて楽な道を選ぶより、自分を 鍛えながら、幸せに結びつくこと、成長させられる道を選びたいものです。 大きな苦労ほど自分を鍛えてくれて、大きな喜びに繋がります。
   この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。
   危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となる。
   迷わず行けよ。行けばわかる。
アントニオ猪木さんの道という名言ですが、私が困難を切り抜けようとするときに、勇気をいただける名言です。道を切り開くのは行動であり、自分自身であると私は思います。
及ばざるは 過ぎたるに 勝れり
やり足りないことは、やり過ぎることよりも、すぐれている。という意味や、今の自分に満足した瞬間に、進歩が止まってしまう。まだまだ及ばない事として、満足してはいけない。という自戒の意味もあります。
人それぞれ、充実感・満足感の感じ方は違いますが、今の自分の仕事内容に満足しているという人は、少ないかもしれません。
満足しない理由をいくつか挙げると
仕事が安定しはじめると刺激を求めたり、仕事が忙しいとゆっくりできる時間や安定を求めることがある。
仕事に慣れ始めるとやりがいを感じにくくなる。
他の人と比べて働いている時間が長い場合や、休日が少ないと自由な時間が欲しくなる。
生活に必要な給料をもらうだけのために働いている。
現状に満足するか現状を十分だと思うことで、なにもしなくなってしまう。
どの職種においても同様の事が言えるのではないでしょうか。
現状の自分でいいと思っている場合、「変わりたい」とは強く思いません。ただ、現状に満足している時でも、自分を変えるために何かをしたいと思うことがあるかもしれません。その時、その気持ちを捨てるのはあまりにももったいないことです。新しい一歩が踏み出せるチャンスです。
以前の自分と今の自分を比べて自分がどれだけ成長できるかを、意識することにより、周りの人との差が気にならなくなったり、現状の自分に満足することがなくなります。大きすぎる目標を作って、そのことだけで満足するより、昨日の自分と比較して今日の自分はどうだったかを振り返って、成長をしていると感じたときは、自分自身への御褒美をやり過ぎないように少しだけあげたいものです。
大事を成し遂げようとするには、本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。
目的に向かい、チームで事を成し遂げるには、「どうやったらできるのか」を考え、大きな視野で見ることも必要です。限られた視野からは損失と見えても、目的が達成できて全体としてプラスなら、それは得策です。
リーダーが目標を達成するためには協力者が必要ですが、周りの人が自分の意見を主張ばかりしてしまうと目標が成し遂げられなくなってしまいます。反対意見を潰すという方法をとると、より強い反抗にあうことになってしまいます。
そうした時に、出来るだけ事を荒立てずにうまく回避できるようにするには、事前にコミュニケーションを取り、事前に情報を集めて、相手の戸惑いや不安を聞いて妥協点を探すことが大事です。
相手の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場からも物事を扱うことができると、周りの人が応援してくれます。相手に対する気配りと配慮で、「自分の意見に協力をしてください」という感じで巻き込むと賛成者が多くなって、目標が達成しやすくなり、仮に多数決になっても、有利に進めることができます。
ただ、事を荒立てないために、自分が引いてばかり、相手を立ててばかりでは、あいまいな態度や会話をする傾向があります。「事を荒立てずに流しておこう」というところと、「ここはきちんと言おう」というところの両方を持つことが大切です。
大将たる者、味方の盆の窪ばかり見ていて、合戦で勝てるわけがない
盆の窪(ぼんのくぼ)とは後頭部の真ん中にあるくぼみのことをいいます。大将が兵達の後ろに腰掛けて、自分は決して手を汚さず、口先だけで命令ばかりしているようでは戦に勝てないという意味です。
仕事でも人を使うときに口で命令するだけで自ら実践することはしない上司の行動を見ていると、自分の保身しか考えていないように見えます。どんなに仕事のことを考えている振りをしていても、行動が伴わなければ人の心をとらえることはできません。
口先だけで指示するのではなく、最前線で具体的な行動が伴ってこそ、信頼を得ることができます。上司の仕事は部下の仕事を調整することも含まれます。
上司が仕事を頼むときに、「これくらいで終わらせることができる」という楽観的な見積もりをしてしまうと、頼んだ仕事の進捗が悪くなります。
部下の仕事量を管理する立場にいる上司が、頼んだ仕事はやるのが当たり前だと思っていると、部下は理由もなく「できません」と断ることがむずかしいため、仕事を早く終わらせることが目標になってしまい、仕事の中身が伴わなくても妥協してしまいます。
相手が仕事をしていないのではなく、相手に処理して欲しいと思っている仕事量と、相手が処理可能な仕事量が一致していないことが原因です。仕事量を管理する意識があれば、人件費のコントロール、仕事内容に対する配慮や、時間配分など、状況別の対処が求められます。仮に能力が足りない部下を持ったとしても、上司が何もしなくていいわけではありません。
やって見せ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ
太平洋戦争当時の日本海軍の中では最高の指揮官だった山本 五十六の名言です。リーダーとして大事なことは自分が先に手本を見せることです。
愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。
仕事では早く要点が知りたいため、最後まで人の話を聞けない人がいます。
話の腰を折ってアドバイスしてしまう。
すぐに否定して結論をいってしまう。
知識をひけらかして話題を変えてしまう。
など、ついつい相手の言葉をさえぎり言葉を返してしまうことがあります。
最後まで話を聞いてもらえなかった人は、「まだいいたいことが残っていたのに」と心の中に不満を抱え込みます。こうなると相手の本音を聞き出すことが難しくなってしまいます。
人の話をなかなか聴けない原因は「早く要点が知りたい」「人に自分の話を聴いてもらいたい」という欲求が抑えられないからです。
聞き手に回るときは、相手が発言できる環境をつくるために、相手を尊重して自分の欲求を抑えなければなりません。
自分の考えが論理的に正しくても、「相手の何がいいたいのか」を探り、相手のことを理解しようという認識を持つことが大切です。
本気で相手の話を理解しようと集中することで、相手との信頼関係に良い影響を与えることもできます。すべての話を聞いてから質問しても遅くはありません。
話を聞かず内容を理解しない、そして話題を変えようとする人に、真剣に話すことはしません。真剣に話を聞いてくれる人には、最後まで話したいと思い、その人への信頼も高まります。
聴くに値する意見が多く集まることは自分の身を守ることにもつながります。
大将の戒め」・・・大将というものは 敬われているようで その実家来に 絶えず落ち度を探られているものだ 恐れられているようで侮られ 親しまれているようで疎んじられ 大将というものは 絶えず勉強せねばならぬし 礼儀もわきまえねばならぬ よい家来を持とうと思うなら わが食を減らしても 家来にひもじい思いをさせてはならぬ 自分一人では何もできぬ これが三十年間つくづく 思い知らされた家康が経験ぞ 家来というものは 禄でつないではならず 機嫌をとってはならず 遠ざけてはならず 近づけてはならず 怒らせてはならず 油断させてはならぬものだ 「では どうすればよいので」 家来はな 惚れさせねばならぬものよ・・・
これは経営者だけでなく、上司にもあてはまる言葉です。とくに仕事が順調で地位や権力があるときほど、権力を持ったときの驕りには注意しなければなりません。
権力の強さを忘れることができる大将の戒め、人の上に立つ人は知っていて損はありません。
仕事中に不平、不満、文句、注文ばかりいっている人もいます。
日頃から周囲の人に細かい心づかいをしていないと、仕事で苦しい状況になったときに、誰も助けてくれません。仕事は命令だけではうまくいかないものです。
上の立場の人が一生懸命働こうとする姿勢、態度、言葉、覚悟を伝えなければなりません。他の人が気の毒に思うほど、一生懸命働こうとする心が伝わることで、なんとか力になって助けてあげたいと思ってくれることがあります。
その助け合いから信頼や絆が生まれ、そのうち周囲の人たちが自然についてきてくれるようになります。
怒りは敵と思え
怒りの感情を抑えることができなければ、怒りに支配されて自分自身が暴走してしまいます。怒りの感情を爆発させても、事態が改善することはありません。人間関係にまでヒビが入って後悔や空しさだけが残ります。
今まで怒ることで目的達成ができてしまっていた人は、怒ればなんとかなると思っていないでしょうか?
怒ることで自分の気持ちが伝わるかといえば伝わりません。相手は納得していませんので、反発されるか、頭に何も入らないかのどちらかになってしまいます。
そうなると当然、負のスパイラルに突入しますので、怒りの感情を使わない選択をおすすめします。
怒りの感情に気づいたら、自分の感情を認め、物事の見方や考え方を少しだけ変えてみませんか?
アドラーの心理学で怒りは、怒るには目的がある。怒りという感情は目的達成のために作り出されるという考えを説いています。
自分がなぜ怒りを感じたか考えることが重要なポイントです。
他人が自分の思い通りに動いてもらいたい
心配のあまり怒っている
自分のストレスを解放したい
自分の主張を通したい
落胆を怒りのかたちで表明している
自分に不利な状況を変えたい
不安をかくしている
悲しい気持ちをわかってほしいなど、怒り以外にある本当の気持ちに気づくことが大切です。怒るという行為を選択した原因を見つけることで、冷静に対処する方法がとれるようになります。
怒りをコントロールする名言です。
もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思う通りに動いてくれなくても、怒ってはいけません。 (嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え)
ただし、怒らないことがただひとつの正解ではありません。
「怒るべきこと」と「怒らないほうがよいこと」の線引きが必要です。
自分の身に降りかかる災難や被害から身を守るための怒りは必要です。自分の主義主張があるときは、怒りを真剣に伝えなければなりません。 
●古田織部 1543-1615
本名は古田重然。通称は左介といいます。戦国武将として大名にまでなりましたが、戦功よりも茶人として有名な武将です。織田信長が美濃を平定したあとに信長の家臣となりました。信長の口利きで摂津・茨城城主、中川清秀(仙石秀久)の妹と結婚します。
信長の死後は羽柴秀吉に仕え、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦い、四国攻めなど、主要な戦いに参加しています。秀吉が関白になると、従五位下・織部正に任命されて、三万五千石の所領を与えられました。名前の織部は官位に叙任されたことに由来しています。
秀吉が関白になる頃の筆頭茶頭は千利休でした。利休は豊臣政権に深く関わり政治的影響力をもっていましたが、秀吉と間柄が悪くなり、最終的に秀吉は利休に対し切腹を命じます。利休亡きあと、織部が豊臣家の筆頭茶人に任命されました。利休と織部は茶人としての力量はもちろん、多くの武将から慕われていて影響力もありました。
わび茶を作り上げた利休は、粗末で質素、つつましい茶室の佇まい、茶道具の一つまでこだわり、精神性を追求したもので、それまでもてはやされていた必要でないものを全て削ぎ落としています。利休が愛用したり作らせたりした品々は「利休好み」と呼ばれ人気を集めます。自然な姿に美しさを求める心。卓越した利休の美意識が新しい茶の湯を示し、身分や主従ではなく、今在ることに感謝する気持ちが大切だと考えていました。
織部は利休のもとで、「人と違うことをせよ」と学び、利休の茶道を継承しつつ、織部は独自の解釈をもって織部流という自由な気風の流派を確立します。 利休が作り上げる自然の美ではなく、自ら作り上げる美をもとめ、茶器製作、建築、造園など茶器の収集と作成に執念を燃やし、「織部好み」と呼ばれる流行を生み出します。故意に形をゆがませた遊び心。一度完成した茶碗をわざと壊して継ぎ合わせ、傷にさえ美しさを見いだす破調の美。不均衡さが美しいと感じる作品が様々に伝えられています。織部が用いた茶碗は、ひょうきんなものという意味でヒョウゲモノと称され新しい価値観を求める時代の中で評判となります。
利休の生み出す「静」に対して、織部は正反対の「動」を貫いた茶人でもあり、利休の弟子の中でも異彩を放つ人物でもありました。一杯の茶を差し上げる。それだけのことですが、それを含んだ全てのことに没頭しています。
利休が切腹に追い込まれたとき、利休には多くの門弟や交友関係にあった武将がいましたが、秀吉の勘気に触れることを恐れ、京を追放される利休を見送りにいったのは、織部と細川忠興の二人だけでした。織部は細川忠興とともに利休の死の間際に手作りの茶杓をもらいます。織部は自分が命名した「泪」(なみだ)細川忠興は茶杓「命」(ゆがみ)です。織部は「泪」を位牌に見立て黒塗りの筒を作り、そこに四角い窓を開け拝み続けたと伝えられています。
秀吉亡きあと織部は、関が原の合戦で徳川家康について所領を安堵されます。家康に仕えた織部は二代将軍徳川秀忠の茶道指南役となりますが、権力に屈しない茶人としての行動を繰り返していました。大坂夏の陣の際に豊臣氏と内通していたという謀反の疑いをかけられて切腹を命じられると、一切の言い訳をせずその生涯を閉じます。織部と利休の美に対する追求心と圧倒的な感覚、権力者に媚を売ろうとせずに自身の美を貫き通す頑固な一途さは二人に共通していました。
影響力を恐れられ、疑いをかけられても一言も釈明をせずに切腹した織部と利休は、自分の信念を曲げませんでした。
人は信念に基づいて動いています。信念を一言で表現すると思い込みです。人生の方向を決めてしまうくらい影響の大きなものです。やればできるという信念を持っている人は、できたことをたくさん覚えています。反対にできないという思い込みがあると、自分で無理だと言ってしまいます。
それぞれ立場があり、関心を持っている内容も違うので、人によって信念は違いますが、信念を変えることで、人生を変えることもできます。信念が強固なものになっていけば、自分の信念に沿った行動をとる必要がでてきます。ビジネスの世界に置き換えても、信念の強さが勝負を決めます。強い信念は、さまざまな悪条件を抱えていても、願望を実現する力に変えていきます。 
●山内一豊 1545-1605
命を捨てる覚悟で運を拾わねば、運などは拾えるものではない。
武勇よりも妻千代の内助の功で有名な武将です。信長、秀吉、家康の三代に仕えます。目立つ活躍は少ないですが、秀吉の戦には常に名を連ねていました。秀吉の死後は反三成の豊臣家臣とともに家康につきます。
関が原の戦いではさしたる手柄はなかったものの豊臣家の家臣団に東軍につくよう積極的に取りまとめた功績を認められ、土佐国二十四万石を与えられました。土佐藩初代藩主です。一豊は人生の要所で見事な身の振り方をしました。主君が変わっても運をつかみ出世しています。
運をつかむための心構え / 問題にぶつかったときに運をつかめる機会があります。解決できるはずがないと決めてしまうと、運をつかむ機会に気づくことができません。身の回りにある問題は運をつかむチャンスです。目の前に運があっても、つかみ取る勇気がなければ、運も逃げてしまいます。チャンスを活かすために、問題は必ず解決できるという気概、行動する勇気が必要です。
目標を明確にする / 目標は紙に書き出せとよくいわれます。目標を紙に書く理由は、望んでいる願望を自己認識しやすく、取るべき行動を取りやすくするためです。自分にとって何が大事で、どんな行動を取ればいいのかを明確にすることです。目標を掲げることで、その目標に繋がりそうな仕事、人脈、モノ、サービスといったものに敏感になります。目標が明確になっていない場合は何も意識していないため、運をつかむ機会があったとしても、気づかずに終わってしまいます。つまり「運を逃してしまう」ということです。運を逃さないために目標を明確にすることは大事なことです。
成功しているところを想像する / 「楽観主義者はあらゆる災難の中にチャンスを見るが、非楽観主義者はあらゆるチャンスに災難を見る」という名言もありますが、成功している方はよく自分は楽観主義だといっています。しかし成功している方が少ないように楽観主義の方は少数派です。楽観主義になれなくて悲観してしまうことは悪いことではありません。仕事での失敗や苦労など悲観主義とはいわなくても、後ろ向きに考えてしまうこともあります。悲観的に考えていても努力すれば幸運に恵まれることがありますので、やせ我慢でもいいので頭の中で成功しているイメージをもち続けることが運を引き寄せる心構えになります。
積極的に挑戦する / やらない後悔より、挑戦して後悔する姿勢で挑みたいものです。大きな決断を必要とされる場合に、論理的な分析を重ねれば重ねるほど、やらない理由や失敗する理由が先行するため行動がとりにくくなります。判断が先延ばしになってしまうと、未知のチャンスを逃してしまいます。
いつも楽しそうにしている / 笑顔は福を呼ぶといいます。いつも楽しそうな人は周囲からの好感度が高く、仕事運も呼びこみます。明るい雰囲気に自然と人が集まって、自然と良いことも集まります。面白くなくて不満げな人は、顔にも出ますが仕事にも現れます。仕事はできても、いつも無愛想でとっつきにくいと、近寄りがたい印象を周りに与えます。よく笑う人は一緒にいて楽しいですし、人も引き寄せますが同時に運も引き寄せているかもしれません。
相手を思いやる気持ちを忘れない / 「ありがとう」という言葉を感謝の言葉を伝えることで、周りからのイメージがあの人は良い人だという方向になり、困っている時に助けてもらえます。感謝するという行為はすぐに実行できます。普段から周りに対して感謝の気持を伝える習慣をつけておくと、それだけで状況は驚くほど変わります。自分の意識を変えるのに非常に効果的な方法です。
助けを必要としている人を助ける / 苦しいとき助けてもらった人はずっと覚えているものです。助けてもらった人に対しては、恩に報いたいという気持ちが芽生えることもあります。日ごろから積極的に人の仕事を手伝ったり、相談に乗ったりすることの労を惜しまないひとは、いざというとき周囲の人が力を貸してくれやすくなります。自分以外の助けが運のよさのひとつでもあります。
運任せにしてしまうと、運の後を追いかけることになります。
運が良くいい流れで物事が進んでいるときは、その状態が持続するように工夫をします。自分にとって良くない流れのときは、物事の改善や修正を考えます。運の流れを作っていくのは自分自身だという気持ちを持つことです。 
●山中幸盛 1545-1578
願わくば我に七難八苦を与えたまえ
尼子十勇士の一人。山中鹿肋幸盛。三度に渡って尼子家を再興しようとした忠臣で、衰亡御家再興のため、毛利氏と戦い数々の武勲をうち立てています。尼子家再興のために幸盛が「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったといわれます。幸盛は優れた武勇の持ち主で、一騎打ちで多くの武将を討ち取り、「山陰の麒麟児」の異名を取ります。
尼子氏は毛利元就の長年にわたる攻撃により難攻不落と言われた月山富田城も陥落して滅びました。幸盛は浪人となり、何人かの仲間と諸国を流浪しながら、尼子家の再興のため数々の苦難を重ねます。
織田信長を頼り、豊臣秀吉に従って一時は出雲の大半を手に入れ奪回する勢いを見せましたが、最後は支援を得ていた織田信長に見捨てられるかたちで壊滅。幸盛は毛利家によりまたしても捕縛、吉川元春により護送中に謀殺されました。尼子家再興のために尽くす不器用な生き方が魅力的な武将でした。
自分の願いをかなえるためには、自分を鍛える苦難が必要なのかもしれません。お金持ちになりたい、知識を身につけたい、幸せな結婚をしたい、何事かを成し遂げようとするとき、一番大切なことは努力を継続することです。努力を続けることができれば、誰でも自分が望んだ未来を手に入れることができるとはいえ、それがわかっていても、「努力を続けることはつらい」と思って、なかなかできない人も多いのではないでしょうか。
成功している人は、人と同じことをしているだけでは、その他大勢から抜け出せないことを知っています。自己の成長のためには、それなりに苦しい努力の継続が必要です。ほんの少しの努力で成し遂げられることばかりしていると、大きく成長することはありません。目標達成のために必要な苦労だと思い、苦労から逃げずに、むしろ苦労を求める姿勢が、成功や自己の成長につながるのではないでしょうか。 
●水原親憲 1546-1616
子供の石合戦ごときのような戦で、感状を賜ることになるとは
親憲は川中島の戦い以来の上杉家臣。親憲が大坂冬の陣、鴫野の戦いで鉄砲隊を率いて活躍。その功績により徳川秀忠から感状を賜ったときに言い放った名言です。
「こんな花見同然の戦で感状を貰えるとは大笑いだ」といった話もあります。
武門の家柄である上杉家を誇る気持ちは失いませんでした。『上杉将士書上』によると、「水原常陸介親憲は風流者で、乱舞、連歌をよくし、茶の湯の数寄者でもあり、人の噂にのぼることの多い男であった」と記しています。
そして、いつも勝戦のときは寡黙をまもり、苦戦に陥ったときには、「天下に敵と存ずる者なし、嵐の中の塵芥の如きもの」と大音声で味方の士気を鼓舞してまわったので、謙信から剛の者と讃えられています。傾奇御免で有名な前田利益も認めている個性派の武将でした。
同じぐらいの実績を上げていても、一方は評価され、もう一方はあまり評価されないことがあります。過大評価や、過小評価はいつか分かります。仕事で評価をされたときは、自己評価を基準にして物事を考えましょう。
過大評価された場合は危機意識をもちましょう。スポーツ選手でも過大評価されて、移籍金など高騰することがありますが、実力以上の期待値をもたれているので、さらに努力が必要になります。外見、服装、雰囲気に華がある目立つ人は過大評価されやすい傾向があります。
過小評価された場合は、長い目で考えることです。仕事をきちんとしている人は最終的に評価されます。そして、その実力が評価以上のものであれば、相手に与える印象は良くなります。たとえ評価が思ったよりも低かったとしても、納得できるよう努力あるのみです。それでも評価されない場合は自己アピール度を高めるなど試してみましょう。
自分が行った仕事に評価をしない人もいます。そんな人に「いつか分かってくれる」と尽くすのは時間の無駄です。無理して仕事をしても、その人にとっては、できてあたりまえのような感覚です。評価はされません。仕事の成果は、しっかりもっていかれて使い捨てにされてしまいます。
現場を知らないことや、仕事の大変さが読めない人に多いです。「昔はもっと大変だった」など、よく使う言葉です。仕事では自分を過小評価するな!相手を過大評価するな!です。 
●成田長親 1546-1613
武ある者が武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。これが人の世か。ならばわしはいやじゃ。わしだけはいやじゃ。強き者が強きを呼んで果てしなく強さを増していく一方で、弱き者は際限なく虐げられ、踏みつけにされ、一片の誇りを持つことさえも許されない。小才のきく者だけが、くるくると回る頭でうまく立ち回り、人がましい顔で幅をきかす。ならば無能で、人が好く、愚直なだけが取り柄の者は、踏み台となったまま死ねというのか。それが世の習いと申すなら、このわしは許さん。
豊臣秀吉が関東一円を配下に治めようとする小田原征伐が始まると、成田氏は北条氏に属していたため、豊臣秀吉の小田原征伐の時には北条方につきました。忍城の城主成田氏長は北条氏からの求めに応じて小田原城に籠城します。忍城に残った城代の成田泰季が開戦前に病没してしまったために、城代を引き継いだのが泰季の嫡男、成田長親でした。
長親が守る忍城に石田三成を総大将として大谷吉継、長束正家、真田昌幸、信繁などの有名な諸将が名を連ね二万三千もの大軍が攻め寄せます。長親は家臣や武装した農民も含め、約三千の手勢で忍城に立てこもりました。かつては上杉謙信の攻撃にも耐えることができた非常に攻めづらい城です。
三成は長親が守る忍城を落城させるため、忍城を水で囲む水攻めを行いました。総延長二十八キロといわれる堤防を築いて利根川と荒川の水を引き入れますが、堤防が決壊するなどして水攻めは失敗します。北条方の本城である小田原城が降伏するまで持ちこたえた唯一の城でした。のちに開城しますが忍城の城主、成田氏長は秀吉と敵対したにも関わらず領地を与えられています。
仕事でも嫌なものは嫌です。それは自分の素直な感情ですから、嫌なものは嫌でいいと肯定してもいいかもしれません。
嫌なことや、理不尽なことに我慢をすることがありますが心の底では納得がいかない自分がいます。
信念を持っている人は自分の考えを大切にしていいと思います。 
●本多忠勝 1548-1610
思慮のある者も、思慮のない者も功名を立てる。思慮のある者は兵を指揮して大きな功名を立てる。だが、思慮のない者は槍一本の功名であって、大きなことはできぬ。
徳川家家臣。徳川四天王の一人。本多忠勝の名言です。
本多平八郎忠勝は、その武勇から『家康に過ぎたるもの二つあり。唐の頭に本多平八』と謳われています。
戦場で一度も傷を負わなかったことでも有名です。忠勝は勇猛なだけではなく知略も備えた名将で、関ヶ原の戦いではその知略をもって西軍武将の切り崩しを行っています。そんな智勇兼備の将・忠勝は戦略を練り、戦術を熟考して、部下に適切な指示ができる人間でなければ、大きな仕事はできないと言っています。
自らの武勇だけに頼らず、知恵を絞って人を上手に動かせたからこそ、“天下無双の大将”と称えられたのでしょう。
会社はチームによる仕事や作業が中心となります。一人の力だけでは大きな仕事を達成するのは難しいと思います。
計画性のあるチームプレーができてこそ、大きな仕事を成し遂げることができます。そして仕事ができる人はチームワークをうまく活用していて、仕事の割り振りが上手です。
良いチームプレーを指揮できる人は、ビジネスでも良い仕事ができると思いますし、活躍の場を与えることで部下一人一人の“やる気”を高め、組織全体の仕事力を上げて成果につながると思います。本田忠勝の名言は会社の集団組織にも当てはまることです。
わが本多の家人は、志からではなく、見た目の形から、武士の正道に入るべし。
普段の生活の中で、身だしなみがいつもだらしなく、相手に不快感を与えている場合は、仕事のやる気があったとしても、外見が相手に与える影響は、話す言葉や取る行動以上に大きいことがあります。
戦国武将は出陣の際には、お家の格式と自分のこだわりなど、鎧や兜に表現し、美しく仕立て、自分を表現しています。忠勝は見た目に変化を起こすことによって、心持ちも変わってくる。そのため身なりで本多の家人だとわかるようにする事を家臣に求めていました。
他人が自分を見てどう思うか、判断する基準は、見た目、身だしなみで八割は印象が決まってしまいます。人を外見だけで判断してはいけないといわれますが、初対面ではやはり見た目から勝手に印象を抱いてしまうものです。相手に伝える「内容」も重要ですが、意外にも「印象」がその結果を左右する場合があります。そのために社風にそった身だしなみで、働いている会社や、職種、得意先にとって好感の持たれる身だしなみを考える必要があります。身だしなみが相手に好印象を与え、得意先や周囲の人から興味をもたれ、結果的に良好な人間関係が築けるからです。
服装や表情、動作、話し方など、人に見られる事を意識することが、言葉よりも雄弁に、自分の「中身」を語ります。そのため身だしなみがとても大切なのです。ボールペン、財布、名刺入れなど小物にも、お金はかかりますが、質の良い物を使うことで、人様の前で自信を持って行動できます。質の良い物を身につけていれば、心持ちも変わってきます。相手に与える印象など視覚的に訴える方法も取り入れてみてはいかがでしょうか。
槍は自分の力に合うものが一番
戦国時代を通して名槍として語り継がれた天下三名槍と呼ばれる槍があります。
「蜻蛉切」(とんぼきり)穂先に止まった蜻蛉(とんぼ)が真っ二つになったという逸話からこの名が付き、「天下三名槍」の一つに数えられています。忠勝の愛槍で、刃長43.8cm柄の長さは6mほどであったといわれています。
「日本号」(にほんごう)は「黒田節」の母里友信の逸話の元となった、大身槍(刃長一尺以上の長身の槍)です。
「御手杵」(おてぎね)大身槍である御手杵は室町時代駿河の鍛冶師・嶋田義助の作といわれています。下総の大名・結城晴朝から、その養嗣子・結城秀康に伝わりました。並はずれた重量で、普通の人にとっては運ぶことも大変だったと言われています。
蜻蛉切の所有者である忠勝は織田信長にその並はずれた武勇を「花実兼備の勇士」と讃えられ、豊臣秀吉には「東に本多忠勝、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」と、数ある戦国武将の中でも最強を争える武将と評価されています。晩年には、体力の衰えが出てきたと見え、この名言を残し、槍の柄を短く詰めたそうです。
ビジネスでも自分のことをよく理解している人は、自分の才能を最大限に活用できます。ただ、自分の才能がよくわからない人も多いのではないでしょうか。自分が何をするべきか、何をしたいかを見つけられた人は行動することができます。ビジネス本やセミナーなど、学ぶことでいろいろな選択肢を学べますが、答えは自分の中に求めるしかありません。自分はいったい何が好きで、何が得意なのか。
自分の強み、これを知ることが、ビジネスの基盤となります。自分の個性、特色、特性、適正を認識することが大事です。 

 

●蒲生氏郷 1556-1595
春夏秋冬どれか一つにかたよらず、家風を正すことが主将の器と言うべきであろう。
職場の規則、ルール、風紀を守ることも管理職の大切な役割です。
職場の風紀で気になることとは
遅刻や早退 髪型や服装 急な休み。 私語が多い。 指示を聞かない できない、やりたくない、といって仕事をしない 常に不満を口にする セクハラ 社内不倫
これらのものにどう対処するのか?
と悩みを抱える方もいることと思います。
会社の為にあなた自身が悪者になって「それはダメ」「これはダメ」「あれはダメ」とガミガミ言っても残念ながらその想いは伝わりません。
そうは言っても管理職の振る舞いは気をつけなければいけません
従業員にルール違反があったときに、いずれ本人が気づくのではと思って、注意や指導をしなければ、他の従業員も少しだったらルール違反が許されると思うようになります。
そうすると、ルールがルールとして機能しなくなり、少しずつ規律が緩んできます。
真面目に働いている従業員はこの状況を目にして、「なぜきちんと注意しないのか」と不満がたまり、仕事へのモチベーション、生産性の低下につながります。
職場の規律が乱れると、事なかれ主義は通じません。
一部の従業員の行動により職場の規律が乱され、それが大きな問題に発展するという事例は数多くあります。
考えられる影響は ・・・ ルールを軽んじる 上司の目につかない所でハラスメントが行われる 従業員が勝手な行動をとって、上司のコントロールががきかなくなる 優秀な従業員のモチベーションが下がり退職してしまう 上司の信頼、信用が失われる 生産性や効率がよくない従業員ばかりが居残る 取引先やお客様の評判が下がる ・・・ など他にもいろいろあります。
規律の乱れは特定の従業員の問題と思われることが多いですが、あわせて企業や管理職の対応にも問題がある場合がほとんどです。
職場の規律や社会の常識的なことについては、あえて言わなくともわかるだろうと考える上司や会社では、問題解決は困難でしょう。
ルール違反があったとしても管理職が注意や指導しない、または注意や指導の仕方を知らないことが多いようです。
こうした管理職の中には、ルール違反が起きたときに、職場の従業員同士の働きかけで改善されることを望んでいる人がいます。
しかし、同僚に対して注意することは非常に勇気のいることなので、人間関係で波風を立てたくないと思います。
職場の規律は従業員に頼らず、管理職が職責を利用して、きっちりと従業員に守らせるべきです。
当然のことながら規律を守らせるために、職場のルールとは何なのか、どのような基準なのかを周知し、従業員に内容を理解させておく必要があります。
企業には従業員の労働条件や守るべき服務規程などを具体的に定め、労働基準監督署に届け出ている就業規則があります。
就業規則には、服務として守るべき事項、またそれらを混乱させた場合の懲戒、といった制裁処分を定める明確な記載がありますから、それらをきちんと周知させておくことが重要です。
しかしながら就業規則によって、また別の問題が発生してくることがあります。
労働者の権利が法的に守られることに気づいた一部の社員が自らの主張だけを押し通すことがあるからです。
このような社員は職場の規則やルールをある程度認識しており、明らかなルール違反は見られない場合が多く、自己中心的な考えで行動して、職場をかき乱すため、対応に頭を抱えるケースがあります。
会社との労働問題のトラブルに発展する可能性もありますので、対応が難しいでしょう。
部下を持っている上司はいろいろなことに対応できるよう、事前策を用いて問題発生を未然に防ぎましょう。
優しいだけでは職場の風紀は守れません。厳しいしつけだけでは人を育てることができません。
状況によって、「優しさ」と「厳しさ」の両面が必要になります。
厳しいことも言えずに、その場をなんとかしのぐ「甘い」上司にはなってはいけません。 
●片倉景綱 1557-1615
伊達政宗の父・輝宗の徒小姓として仕えたのち政宗の近侍となり軍師役を長い間務めた戦国武将です。軍師として評価が高いですが,戦場での武勲も多く政宗が敵の兵隊に囲まれてしまった時、戦国武将の景綱は「自分こそが政宗なり」と相手方を誘い寄せ、政宗の危機を救ったと言われています。
天下を目前にした豊臣秀吉が、北条氏を攻めるにあたって、今後、秀吉の傘下に収まるかどうか真意を問いただす目的で政宗に参戦を呼びかけました。参陣して秀吉の配下になるか、座して秀吉を待ち一戦するか悩んだ政宗は重臣達を集め評議を重ねます。伊達成実は上方勢と戦うことを主張します。しかし、小田原参陣を主張する景綱の進言により政宗は小田原参陣を決意します。切腹が免れない状況でしたが、政宗は秀吉に白装束で拝謁するパフォーマンスで伊達家の危機を見事に乗り切ることができました。
豊臣秀吉から,田村五万石大名に取り立てようと言われたが,自分は伊達家の家臣であると強く断り、徳川家康が邸を江戸に与えようとしたときも固辞するなど、自分の地位をよくわきまえた人物でした。そのため政宗からの信頼が厚く景綱は白石城一万三千石を拝領しています。景綱の通称「小十郎」は世代を越えて片倉家当主が継承している名前です。生涯、伊達家に仕えて繁栄に導きました。享年五十九歳。
大将には人間的な魅力が求められ、参謀には、冷静な分析力、判断力、的確な助言ができて知恵をだせる人が求められます。大将なり参謀なり人には、それぞれ持って生まれた「器」があるといわれますが、自分の「器」の大きさが変わることもあります。
仕事で今よりも高い地位についたときに、目標ができて感情の変化があったときなど、自分の置かれている環境、立場が人を育てることがあります。企業の社長になる人はそれなりの風格があります。組織を引っ張っていく気概と自信や責任を負う覚悟がつくことで、その人の器が大きくなっているようです。
大将、参謀、猛将など活躍したいと思う職務上の地位は人それぞれちがいます。活躍したいと思っている職務に合わせて、自分の器を磨く必要があります。そのためには、自分の価値観を大事にして、自分に関わる全てのことを一度は受け入れる心構えが必要かもしれません。
天性の資質で、努力して身につくというものではない能力もありますが、優れた知識や技術が修得できる環境があるのでしたら良い機会です。自分にとってプラスになる環境に身を置くことが、成長するための一番の近道です。 

 

●直江兼続 1560-1620
直江兼続は戦国時代の軍師として有名な真田昌幸、黒田官兵衛、島左近、本田正信などと比較され、家康をも脅かした知将です。文人としても一流の教養を身につけていました。そんな直江兼続の漢詩です。
春雁我に似たり 我雁に似たり洛陽城裏花に背いて帰る
雁は春を待たずに北に飛び去って行くが、私も雁に似て花の咲く華やかな都に背を向けて私のあるべき故郷に帰っていく。
政治的にも文化的にも中心の京の都を離れて忠義のために北陸の上杉家に帰って行く心境を詠んだものです。
大企業や金融機関のビルが立ち並んだ、華やかな都会で働きたい人はたくさんいます。都会の仕事は、密度が濃く、とても刺激になり、やりがいのある仕事が多いと感じます。何をするにも便利で情報や流行に囲まれた環境や、都会で働いたら華やかな生活ができるのではないかというイメージが「都会」を選択する理由のようです。
都会には仕事の多さとスピードがあり仕事が集中しています。人との出会いも多いため、そういう環境で仕事をしていくことが、自分の糧になり将来のキャリアアップにつながります。
ただ都会がいいからという理由で選ぶと、満員電車に揺られるたびに華やかなイメージとは違うなど、業界に失望することもあり、数多くの厳しい現実が待ち受けています。地方から出てきている方は何かを犠牲にしてやってきた人もいるかもしれません。都会で勝負したい気持ちがあり、後から後悔したくない、ということであれば厳しい競争社会の都会で働くことは、なくてはならない経験です。
しかし、そんな都会に背を向け、あえて地方から低コストを武器に事業を興す会社もあります。地方から競争を仕掛けていて、仕事の質も高い会社もあります。都会でなければできない、ということは意外に多くないかもしれません。あえて都会で働くことを考えるより住みやすいと感じる地方の良い会社で働くことも選択の一つです。
その土地ならではのメリットを感じることで、生活を快適なものに変えられることがあります。もしそれぞれの良い点悪い点を理解できていれば、自分に合った生き方、暮らし方を見つける良い機会になるかもしれません。 
●福島正則 1561-1624
正則が江戸にいた時、いつも大阪から酒を取り寄せていました。ある日、家臣と酒を積んだ船が暴風雨に遭い、八丈島に一時避難しました。そんな時、一人の島の男が声をかけます。
「この紋所は、福島殿の船とお見受けするが、無理を承知でお願いしたい。その酒を一杯飲ませてもらえないか」
その男は関ヶ原で敗れ、この島に配流された宇喜多秀家だとわかりました。秀家は関ヶ原の戦いで福島正則と激闘をした相手です。秀吉政権下では五大老のひとりでした。そんな秀家に頼みこまれ、結局部下は一樽の酒を進呈してしまいます。
秀家は幾度も礼を言い、受け取りの証拠に一首したためて正則にことづけてもらうよう頼みました。
その後、正則がこの話を聞き、その家臣を呼んで言った言葉です。
酒船一艘失ったとて大したことではないが、指図を受ける手立てのない時、汝の一存で秀家公に酒一樽を贈ったとは、よく計らってくれた。
もし汝が、われを憚って秀家公の所望する酒を惜しんでいれば、われは吝嗇の汚名を残したであろう。
与えられた仕事を間違いなく遂行するためには、まず上司の指示・命令をしっかりと聞いて、自分で判断できないことや不安なことに対して上司に指示を仰がなければなりません。また指示通りに 仕事を進めることができなくなった場合も、すぐに状況を報告し、次の指示を仰ぐ必要があります。
しかし、上司や担当者の方が不在のときなど、指示を仰ぐ手立てのない状況があります。周囲の状況を把握しながら相手の気持ちを考えて、自分自身がやるべきことを考えなければならないときもあります。ビジネスにおいて指示を仰げない場合に、とっさの判断で対処できる人ほど高く評価されます。
自分の都合で勝手に進めていい仕事など一つもありませんが、上司の提案に対して、指示を仰がなくても、ある程度は自分で判断してほしいと思っている上司は少なくありません。
そこで、「上司の指示を仰ぐ」と考えるよりは、自分で考えて行動することを前提に「上司の許可を得る」という心構えがあると、上司の印象を大きく左右します。
大悪日だから出陣するのだ。われの本意は、二度とここに帰らないことにある。
出陣の日が占いで大悪日と出たため、家臣たちは反対しましたが、正則はそれに答えこう述べたといいます。
悪日の出陣に際して正則の主君であった秀吉も明智光秀を打つ山崎合戦に際し、その日は二度と帰らぬ悪日だといわれましたが、「二度とここに帰らないことは上々の吉日だ」といって出陣。秀吉は光秀に勝利して天下取りのチャンスをつかみました。
正則は秀吉の行動から、悪日だから何もしないことより、悪日でも考え方を変えて行動を起こす柔軟性が必要なことを知っていました。
目的が達成できない理由を聞いてもマイナスへ解釈するか、プラスへ解釈するかで、その人の成長に大きく差がつきます。
仕事でも固執した考えで行動すると、物事がうまく進まないことがあります。そのため状況に合わせて仕事内容を変える柔軟性や、臨機応変に対応を変えられる器用さを求められることがあります。
しかし、どのようなときも柔軟性をもって臨機応変に仕事をすればいいかというと、そうではありません。
仕事で求められることは結果です。結果に近づかなければ柔軟性、臨機応変は意味がありません。結果を出すことついては信念をもって、頑固にこだわっていい部分です。
結果にこだわらない柔軟性は「何も考えないで適当にやってみる」「上手くいかないときは諦める」など自分にとって都合の良い、その場しのぎの対応になってしまいます。
仕事での柔軟性は、結果を出すために、いくつかの手段を選ぶことです。
仕事での臨機応変は結果を出すために対応や考え方を変えることです。
どちらも苦手な人には、仕事にたいして求められるものと必要なものを事前に準備する用意周到な人を目指してもいいかもしれません。勤勉でしっかり準備する人は想定内なら最高の仕事ができます。臨機応変な人の対応を見て自分のものにしていけば、そうそう失敗しません。 
●雑賀孫一 1561?-1623?
雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける
雑賀衆は紀伊半島の南西部を支配していた勢力で戦国最強の鉄砲傭兵集団 「雑賀衆」と呼ばれる傭兵集団です。雑賀孫一は雑賀衆の棟梁や有力者が代々継承する通し名のようなもので、複数の武将が雑賀孫一を名乗っています。
雑賀衆は大名家とも寺社勢力とも異なる集団で雑賀衆は鉄砲が伝わる以前から、他国の要請を受けて軍を派遣する傭兵的な役割を受けています。鉄製品を造る高い技術を持つ雑賀では、鉄砲の生産が可能で、また黒色火薬の原料となる硝石なども交易によって入手できるため、雑賀衆は大量の鉄砲の数を保有していました。
戦国大名の中でも一番鉄砲を使いこなしていた雑賀衆は、戦いにおいて桁外れの強さを発揮します。雑賀衆の戦法は独特で、組撃ちと呼ばれる間断ない射撃法で敵を圧倒しました。その最強の戦力を目当てに各地の大名家から頻繁に合戦の助力を依頼されるようになります。
織田信長と一向宗の総本山である本願寺との対立では、顕如の求めに応じて本願寺方の主力として戦い、十年に及ぶ石山合戦で信長を散々に苦しめました。
戦国時代に限らず自分の強みを持つことは現代でも重宝されます。
自分だけの強みが見つからないと悩む方もいますが、できることを探してみましょう。独特の人間的な魅力や、並外れた能力など無理をして他人と違う特別な才能を探す必要はありません。
仕事は経験を積むことで効率良く仕事ができるようになりますので、自分の強みは直接仕事と関係ないものでも構いません。コミュニケーション能力や行動力、持続力、知識など、自分にできそうな能力で十分です。
しかし自分で自分の強みを知ることは意外に難しいものです。今までの自分を振り返って自分のできることを探してみましょう。自分の強みや魅力を誰かに教えて貰えれば発見しやすいですが、周囲の人に自分のことを聞くことに抵抗がある人もいます。
自分が好きなこと、集中できること、ストレスがかからないことに、自分の強みは眠っています。心にゆとりを持ち自分に素直になれば、自分の能力や才能・得意な分野と不得意な分野を理解しやすくなります。自分の強みを知ることができれば、あとは自分の強みを仕事にどう使うかです。
成功したことがある人には、なにがしかの強みとなる武器や特徴があります。現在活躍されている人たちも、大なり小なり自分の強みを自覚して、今のビジネスに活かしています。
強みは行動を変えるきっかけになります。どんな人にも強みはありますので、ぜひ探してみてください。 
●加藤清正 1562-1611
上一人の気持ちは、下万人に通ずる。
豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。知勇合わせ持つ名将として知られ、朝鮮出兵においても先鋒を務めた。加藤清正の名言です。
朝鮮出兵の際、仲間が清正の陣地を訪れると、占領した地域にもう敵はいないのに清正の軍団が完璧な臨戦態勢であることに驚きましたなぜ装備を外し身軽にならないのかと、仲間の武将が問うと清正は「大将が油断すると、部下も気が緩む。部下の統率は、大将の心掛け次第」と答えたそうです。
心が冷たい上司では働きにくいですが、やさしすぎる上司では、組織がたるんでしまいます。みんながやりたくないと思う仕事は、上司自らが進んでやるべきであり、間違っても部下から先にやらせてはいけません。上司の発言・行動・品性をみて部下は倫理を学びます。
上司が倫理を踏み外せば、「魚は頭から腐る」のことわざ通りとなってしまいます。馴れ合いや甘えが仕事場で、でてくることもあります。社員が少ない時だと気がついた人が注意したり、上司が文句を言ったりしてくれますが、社員が増えると今まで頻繁に苦言を呈していた人もそのうちに、ばかばかしくなって相手にしてくれなくなってしまいます。日々の生活で油断は禁物です。 
●水野勝成 1564-1651
すべての士に、身分の貴い、賤しいはない。主君となり、従者となって、互いに頼み合ってこそ、世は立つ習いである。だから、大事の時は身を捨てて忠義をなすのだ。汝らは我をば親と思われよ。我は汝らを子と思わん。
福山藩初代藩主。「鬼日向」の異名を持つ猛将。徳川家康の家臣、水野忠重の長男。
若い頃から武勇に優れていて織田信長にも戦巧者として評価されています。戦いのたびに一番槍など抜群の功績を挙げますが、軍令違反を犯すこともありました。
父の忠重はそのことを快く思っておらず、さらに父の家臣を斬ったことから勘当されます。勝成の武勇は広く知られていたので佐々成政、黒田長政、小西行長、加藤清正、立花宗茂など、さまざまな武将のもとに仕官して、幾多の合戦に参加しては活躍しますが、勘当されてから十五年間も全国を放浪しています。
その間に真相は定かではありませんが、人を斬り逃亡して虚無僧になったことや姫谷焼の器職人など、いろいろなことを経験したようです。波乱にみちた生活をおくっていましたが、関ヶ原の前年に家康に呼び戻されます。家康のとりなしで父の忠重と十五年ぶりに和解しますが、忠重が味方の裏切りで暗殺されます。
家督を継いで関ヶ原の戦いに参加すると数多くの戦功を上げました。関ヶ原の戦いの活躍が評価され大阪の陣では先鋒軍の大将に任命されますが、家康の命に反して自らが先陣をきり、大坂城に一番乗りを果たします。五十代でも軍令違反を犯し最前線で戦うような猛将でした。島原の乱では七十五歳の老齢ながら、現地に赴いています。
大和郡山六万石の領主を経て福山十万石を与えられ初代藩主となると、上水道の整備や新田開発、治水工事など数多くの善政によって理想的な藩政を行い、庶民から「名君」と慕われています。諸国を流浪したことや貧しい虚無僧の経験により庶民の気持ちがわかる領主でした。
人の心や態度の変化について興味がない人が管理職になると、相手に伝えても納得されずに思うように行動してもらえないことがあります。指示だけで効率よく行動してくれる人は、指示された人が優秀だった場合だけです。部下あっての上司です。相手のことを理解するために、普段から気にかけてあげることや思いやりの気持ちが大事です。 
●池田輝政 1565-1613
いまの世の中は静かではあるが、いつどのようなことが起こらぬとも限らない。そのときのために、いま以上に欲しいものは有能な武士である。無益の出費を省いて人を多く抱えることが世の楽しみなのだ。
人を雇うには資金が必要です。新規雇用もままならない、あるいはリストラ敢行という企業もあります。雇用を創出して、人を大切にすることは企業が模索することです。当然ですが、私たちの費用は会社の「コスト」です。企業では雇用を維持するための資金以上のリターンを期待します。そのために、仕事が増えたら人を採用しますが、仕事が増えないうちは新規雇用を渋ります。現状維持に甘んじて人を雇わないという選択肢をとってしまうと、企業も衰退してしまいます。
人は会社の最も大切な資産です。企業にふさわしい人間を雇い給料を払い続けられるように会社をかじ取りしていくのが経営者です。新しい仕事を創造する能力が求められます。ビジネスマンもこのことを意識できると、経営感覚がついてきます。「自分が社長になった気持ちで仕事を考えること」が一番です。
どんなに頭が良くても、お金を稼ぐことを考えることができなければ、ビジネスマンとしての価値をあげることができません。
経営分析、計数管理、マネジメントなど、やらなければいけないこと仕事で報酬を得ることも大事ですが、経営者にとって大切なことは利益を上げることです。
利益を大きくするには、売上-経費=利益というシンプルな考えです。利益を上げるために、事業で何を提供するかではなくて、どのようにして提供するかを考えることが重要な視点です。 
●伊達政宗 1567-1636
若者は勇猛に頼り、壮年は相手の強弱を測って戦う
奥州制覇はもちろん、天下取りの野心もその素質も持っていた戦国の風雲児。伊達政宗の名言です。
ある合戦において、敵軍の中で活躍する二人の敵将を見た伊達政宗が、片方は二十歳位、もう片方は三十過ぎだろうと年齢を予測しました。家臣に命じてその2人を捕らえ、年齢を確認したところ大浪新四朗 二十一歳と遠藤武蔵 三十五歳で、政宗の予測が的中していました。家臣が、なぜ年齢を言い当てることが出来たのか理由を聞くと政宗は二人の戦い方を見て、こう答えたそうです。
「一人は相手を選ばず勇猛に戦っていたが、それは若いからだ。もう一人は相手の強弱を見はからって進退の度合いを決めていた。思慮ある壮年だからできることだ。」プロ野球の投手に例えると、若い勢いのあるピッチャーが力のある直球で、打者をねじ伏せて投球している。一方、ベテラン投手は力で抑えることができませんが、打者に打たれない制球力で試合をつくります。
若手が即座に経験を積んで技術を身に付けるのは難しく、ベテランが若い肉体を取り戻すのも不可能です。どちらのタイプもチームには必要です。自分の年齢を意識して働き方を考えていきたいです。
大事の義は、人に談合せず、一心に究めたるがよし
生死をかけた難題に立ち向かい、見事に渡りきった正宗の名言です。重要な事は、人に相談せずに自分で考え抜いて決断した方がよい。政宗の信念でした。
重要な決断が必要なとき、情報が足りないと、一か八かという賭けのような決断になってしまいます。もっと確率の高いやり方はないか、もっといい方法があるに違いないと、次から次へと情報を集めますが、いろいろありすぎてわからなくなってしまいます。選択肢が増えるかもしれませんが、難題ほど良い情報は集まりにくいものです。いろいろな情報に振り回されず、現時点でよりよい方法を選ばなくてはなりません。選択肢の中で、本当の問題が何かを、一人で必死に考え抜くことが大事だと、政宗は説いています。
問題の理解に時間をかけることは良いことですが、迷いに迷って決められずに、決断を先延ばしにすると、現状維持が続いて状況が不利になっていきます。ここぞというときの「決断力」を身につけるには、すべて責任を自分ひとりが背負う覚悟をもつことです。他人の意見を聞いて、流されないように、意見は参考程度にとどめておき、最後に決断するのは「自分」です。自分の決断であれば、仮に失敗しても、後悔がありません。これが、政宗の信念だったようです。
時を移さずに行うのが勇将の本望である。早く出立せよ
物事を後回しにせず、思いついた瞬間に行動するのが一番です。条件が完全に整って、 いい時期が来たら物事を始めようと思っていても、最初の一歩が難しく、後回しになってしまします。その最初の一歩さえ踏み出せば、後は自然と動くことがわかっていても、実際には、なかなか始められません。自分にとって重要なことは面倒に感じます。
考えることよりも行動する。 行動しながら考え、修正をして行くことが、ゴールに辿り着く、一番の近道です。「 すぐ行動に移せる人 」は進んでいる限りいつかゴールに辿り着けます。
「 行動を先送りしてしまう人 」は、最初の一歩を踏み出すまで時間がかかるため、自分でモチベーションを上げるコントロールするしかありません。今すぐ行動に移す。と、努力や精神力で自分を変えようとしても、 元々やりたくないと思っていることなので、最初の一歩が進まず、難しいと思います。モチベーションを上げるためには
物事に対する期限を決めて動くこと。
一番やりやすいと思うことをひとつ選んで少しだけ始めること。
などいわれていますが、モチベーションを上げるには弱いです。
とにかく他のこと(仕事、用事)は早く済ませて、後で自分が本当にしたい事(趣味、娯楽)などをすること。
モチベーションを上げるには、この方法をおすすめします。やりたくない、嫌だと思っていることか ら片付けて、そしてその後に、好きな事だけの時間を作ります。自分へのご褒美をセットにすることで、前向きに取り組めるようになります。やりはじめないと、やる気はでてこないので、嫌なことを後回しにすると、なかなか手を付けないものです。やるべきことあって、何から手をつけるか迷ったら、まずは一番重要で一番難しいことが、最優先です。ご褒美の時間を考えると「他のことを時間内に終わらせる」という目標もできますので、まずは時間を決めてもいいと思います。
後から行動するほうが楽だったり、簡単だったり、近道だったりするときもあるかもしれませんが、行動が早ければ、早く結果が分かり、時間を前倒しできます。この習慣を重ね、すぐに行動に移すことができるようになれば、気持ちがどんどん前向きになり自分に自信がついてきます。
茶器を割ったのではない。 自分の器量の小ささを割ったのだ。
どんなに素晴らしい技術や知識を持っていても、それだけで器量があるとはいえません。技術、知識、などの才能があり、性格、人柄、人望、心の大きさがあることよって「あの人は器が大きいよ」とか「人の上に立つ器量がある」など、表現されることがあります。魅力、胆力、実力、奥が深い人間力があって器量があると認められます。歴代の将軍にも一目おかれた存在であった政宗は常に器量を磨いていたようです。
あるとき、政宗は名器と呼ばれる茶碗を自ら割りました。配下の家来たちが理由を尋ねると、「この茶器の価値は千金と聞き驚いた。だが、茶碗を割ったのは、それが高価だったからではない。千金ということを聞き、驚いた己の器量の小ささに腹が立ったからだ。茶碗とともに己の情けない心を砕いたのだ」と答えたといいます。
器量を養うのは、器の大きな人を見て学ぶことだと思います。器量人とまでは評されていなくても、考えていることが大きく、特別な気配、雰囲気、リーダーの資質を持っている人から、器量の磨き方を参考にしたいところです。世の中には思い通りにならないことが山ほどありますが、器の大きな人は、他人を受け入れ、厳しい状況でも、どっしりと構えて周りに安心感を与えることができます。
一番根本的な、「仁」「徳」「礼節」の心を持ち、信念を貫き通すことをしたら、自然と器量が大きくなります。器量が問われる場面では、「常識にとらわれないこと」で決断できる人ほど、器が大きく見えます。自分の器量を人に見せる意識を持つと、情けないことはできなくなっていくものです。 
●立花宗茂 1567-1643
戦いは兵が多いか少ないかで決まるのでなく、一つにまとまっているかどうかである。人数が多いからといって勝利できるものではない。
関ヶ原で西軍につき、旧領に返り咲いた唯一人の武将 立花宗茂の名言です。
「東に本田忠勝、西に立花宗茂あり」と謳われた猛将でした。戦いの極意として、数よりもチームワークを重要視していました。
チームワークが取れている状態というのは、部下が目的、目標、そのための方法を理解していることです。それらを共有することによって一丸となることができます。
組織の力は、総合的なチームワークの力である、ということです。連携プレーができなければ、強いチームにはならないのです。