冥土の飛脚

男と女
好きな女にかける 好きな男にかける
飲み屋通い

一度の命 思いの丈
後は野となれ山となれ ・・・
 


 
 
飲む 打つ 買う
男の甲斐性 
などと思ったことがありました
 
 
年寄り 上司 先輩
下の者に 飲み方を教える 
安い酒 (バー・飲み屋さん) 高い酒 (高級クラブ・料亭)
末席でお勉強
 
 
年寄り 上司 先輩
下の者に 博打を教える 
競馬 共通の遊び 営業の話題
   上司の一人が馬主 授業料を払いました
麻雀 一応極める 負けませんでした
 
 
年寄り 上司 先輩
下の者に 女性との遊び方を教える
上手な付き合い方
要注意 据え膳 
 
 
遊び方
品よく ひと時の別世界 
男の口説き方 女の口説き方  話が弾む
 
 
若者・餓鬼 社会人 お役人 警察官 政治家 ・・・
最近の女性関連の犯罪 
遊び方を教える人 いないのでしょう
 
 
覗く  触る  ストーカー  セクハラ
何が楽しいの 自分の欲望 相手の感情無視
発達障害
 
 
遊びを教える人 高齢化 
価値観の変化 身銭は家庭 遊び・仕事に使わない
遊び処も 即物化
遊び心消滅  押し倒し お金が全て
バブル 弾けて30年
飲む打つ買う  過去の文化
遊び方 知らない世代
 
 
遊びにも仁義
お互い 立場は違っても
楽しいひと時つくる
据え膳
大昔 銀座  店がはねるとよく女性を自分の車で送った (飲酒運転・時効)
車の中で  
   「どこかで休んでいかない」 
   「食事していかない」 
   「しばらく温泉に行っていないの」 
到着 
   「お茶でも飲んでいかない」
鈍感で何となく聞き流していた 
「それで何もしなかったの」 後で親しい売り上げのお姉さんに大笑いされた 
    飲酒運転の言い訳
ジン (ビーフィーター) とウイスキー (ジョニーウォーカー) ボトルキープ
私はもっぱら ジントニックを飲む (接待相手に 気遣いさせないよう飲む)
店のお姉さん 二杯目以降 ジン少なめかトニックだけにしてくれた
お帰り  お客にはお車手配 私は自分の車 一斉検問もパス
社会人になって
ご接待 最初に教わる
「安い酒」は効果がない 年に一二度でいいから「高い酒」を飲ませなさい
大昔
交際費と称して 飲み屋の女性にいれ込んだ人 何人も見ました
時に その飲み屋さんに 連れて行ってもらったことも
多くの人 いつの間にか 会社から消えました
 
 


2020/8
 
 
 
●飲む打つ買う 
大酒を飲み、ばくちを打ち、女を買う。男が道楽の限りをつくすことをいう。
大酒を飲み、博打ばくちを打ち、女郎を買う。男の悪行の代表的なもの。「飲む打つ買うの三拍子」
男の三大道楽といわれるもので、大酒を飲む、ばくちを打つ、女遊びをすることをいう。「うちの人ったら、お酒やら、麻雀やらで、ここのところ毎日午前様よ」「飲む打つ買うは男の甲斐性っていうけど。ねえ……」「冗談じゃない。この上買う≠ネんてされたら、即刻、離婚よ」  
●昭和の男のたしなみ「飲む・打つ・買う」が平成に流行らない理由 
「飲む・打つ・買う」の言葉の意味ですが、「飲む」はお酒を中心とした飲食業、「打つ」は公営ギャンブルとそれに隣接したパチンコ等のギャンブル的娯楽、そして「買う」は性風俗産業とします。しかし、いずれも昭和の頃のような隆盛はもはやないようです。
「打つ」つまり公営ギャンブルやこれに準じたパチンコ等の娯楽はおおむね市場規模が縮小しているといわれます。JRAとそれ以外の公営ギャンブル(競艇、オートレース、競輪、地方競馬)の合計が割と近いようですが、JRAはピーク時から40%以上規模が縮小しているそうです。経済産業省の資料をみても、競輪とオートレースの市場規模はこの10年で縮小しています。パチンコについてもピーク時の3分の2くらいには減少しているようで、検索すると倒産のニュースばかりがヒットします。
「飲む」については一般社団法人日本フードサービス協会の資料で居酒屋、バー、料亭等の規模を見る限り、やはりピーク時から20%くらい下がっているようです。
「買う」についてはその性格上、市場規模推移のデータがなかなか見当たらないのですが、これが拡大していると裏付けるデータもまた見当たらない感じです。
いずれも戦後から昭和年間を通じ「男の娯楽」として大きな産業でしたが、今では若い世代の歓心を買うものとはいえません。競馬もパチンコもユーザーの減少と高齢化が指摘されています。
でも、なぜそうなってしまったのか考えてみると「コスパ」や「将来の不安」、「将来に向けた備え」という意識はそれなりに影響を及ぼしているものと思います。
「コスパ」が著しく低下した昭和型娯楽産業
トークショーで出ていた指摘として、「景気の低迷」「インターネット(特にブロードバンド)の普及に伴う娯楽の多様化」と「上司が部下と連れ立っていき酒をおごるような関係性の消失」があげられていたのですが、これについては私も同意です。
特に、「娯楽の多様化」については「趣味の低コスト化」と言い換えることもできると思います。ネットの普及により、時間をつぶしたり娯楽を消費する費用は大きく下がりました。
平日は毎日居酒屋で3000円飲んでいると、月6万円は飲み代にかかります(平日が月20日とする)。ギャンブルに月8日(週末土日が4回とする)通い毎日1万円落とせば月8万円、毎日2万円使えば月16万円です。風俗産業にいくら落とすかは難しいところですが、月に一度、たった数時間のために数万円は消えていくことになるでしょう。結構大きな金額です。
そう考えると「SNSやネットウォッチだけなら基本的に無料(通信費のみ)」ですし「スマホゲームのガチャに月3万円」もこれに比べれば実は大きな費用ではありません。
昭和型娯楽産業ともいえる「飲む・打つ・買う」は、マネープラン目線で言い換えると「高コストな娯楽」であったわけです(本人たちは安い娯楽と思っていたかもしれないが)。
一時期ネットでキャバクラが流行らないというニュースがネタになりましたが、話が合うとも限らない女性を隣に座らせてお酒を飲み、自分のペースでカラオケも歌えない数時間は、若者にとってはコスパすら存在していない消費ともいえます。
そしてその割高感が明らかになると自ずとその利用が減少していくことになる、といえるのかもしれません。
「家庭」と「女性が働く」は男性的娯楽産業を衰退させる一因にもなっている
もうひとつ私が感じたのは、女性が共働きをする、つまり家計の担い手として男性に近い「稼ぐ力」を身につけるようになった時代の変化と、イクメンに代表される男性も家事育児を担う時代の変化が「男性的娯楽産業」にはダメージを与えたのであろうということです。
まず、「夫が全部の稼ぎを握っている」という専業主婦世帯の時代には、「生活費を妻に渡す」ということで夫は好きに自由な予算を設定し遊興消費を行うことが可能でした。
主たる稼ぎ手は家庭内で強い発言権を持てるので、文句を言われても「うるさい!黙ってついてこい!」のような言説が成り立ちます。
しかし、今や共働き世帯が専業主婦世帯の2倍存在する時代です。夫婦がそれぞれ「給与」をもらう時代には男性はむしろ女性に家計を支配されがちです(日常生活費をもっぱら支払うほうが家計の主導権を握りやすい)。かくて自由な予算は男性の懐から消えていきます。
また、共働きで女性も働くということは、男性も家事や育児を相応のシェアをしなければいけないということでもあります。イクメンというのはそういう時代の趨勢であり、これは不可避でしょう。
男性が「帰宅時間は連絡なしが当然」「終電で帰りたければ帰ればいい」とやっていた時代には男性的娯楽産業に、その日のノリや流れで適当にカネを落として時間を費やしてもいいわけですが、「今週は○曜日はオレがワンオペ担当」とか「帰宅したら夫は必ず皿洗い」というような時代には気まぐれの出費があまり成り立たなくなってきます。
男性と女性が同格となって働き、また家事育児に携わる時代に「飲む・打つ・買う」が衰退(特に「買う」は、性を産業化している問題もあるので衰退は避けようがない)していくことは当然の成り行きなのでしょう。
「未来の不安」「将来への計画」があるほど、人は刹那的消費から遠ざかっていく
そして最後にもうひとつ、マネープラン的に考えると大きな時代の変化があるように思います。それは、「宵越しの銭は持たない」という感覚に違和感を感じる人が増え、「飲む・打つ・買う」からは自然に遠ざかっていくことになった、というものです。
「飲む・打つ・買う」は江戸っ子的感覚と親和性が高く、財布にたくさんあればたくさん使ってしまえばいい、という形で遊興消費が行われがちです。今月の遊興費は3万4000円以内、と決めて遊ぶ人はあまりいないはずです。
しかし、少しでもお金の計画を立てた場合、それは「宵越しの銭は持たない」ではなく、「今のお金をちょっと先のために残しておく」ということを意味します。
引っ越し資金、結婚資金、車の購入資金、住宅購入資金、子どもの学費など、全額をローンにすると苦労するので、できるだけ「貯金をして購入予算とする」ことが重要です。
郵便貯金の始まりと貯蓄奨励の国策は明治初期にさかのぼりますから、ここで述べてきた「昭和と平成」の消費ギャップとは無関係ですが、ここ10年ほど顕著になった国民の老後不安の高まりなどは「宵越しの銭は持たない」から「将来に向けて備える」方向にシフトさせ、また「飲む・打つ・買う」に代表される刹那的消費行動から人を遠ざけることになってしまったのかもしれません。
まあ、「打つ」については経済合理的にはまったく効率的ではありません(胴元が取る寺銭がもっとも儲かり、利用者全体の平均利回りはかならずマイナスになる。自分を過信することでしか、その儲けの可能性を正当化できない)。これもまた消費者が賢くなれば衰微するのも当然ということになります。
「昭和」のおもかげは「平成10年」をピークに消えていった
ところで、「昭和」とここまで繰り返してきましたが、実際には男性的娯楽産業のピークは1998年(平成10年)くらいのようです。JRAの売り上げのピークは1997年で、他の産業の推移もこの前後から下降傾向になるようです。先に紹介したバーや居酒屋の売り上げ規模も1992年がピークですが1998年あたりから一気に失速します。
これは共働き夫婦と専業主婦世帯の逆転ともほぼ一致します。平成に入って共働きと専業主婦世帯はほぼ同率になりましたが、1997年以降、明らかに共働きの夫婦のほうが多くなりました。
また、バブルの崩壊を社会が認めた時期とも一致するようです(就職氷河期はおおむね1994年ないし1995年から始まる)。考えてみると、パソコンとインターネットが家庭においても実用的になったのは、Windows98前後ですから、娯楽の多様化、低価格化という流れにもまた符合します。
昭和的産業は平成に入って10年ほど最後の「華」を咲かせ、ゆっくりと衰退していったといえそうです。もちろん、昭和の残滓は今でも残っています。廃業されて今は風情だけを残すかつての遊郭の建物、歴史のある居酒屋に今もたたずむ名物親父、公営ギャンブル場内外の雑然とした雰囲気などは、まちあるきの楽しみの一部として今では男女ともに楽しめるものとなっています。しかし、時代の変化とともにいずれは消えていくことになるでしょう。
私もまちあるき大好き人間なので、こういう「昭和レトロ」の雰囲気を楽しみ、歴史に思い巡らせることは楽しみのひとつです。平成が終わろうとしている今、あなたも昭和の残像をたどってみてはどうでしょうか。
そして、無計画なお金の感覚(と男女差別的価値観)についてはそこから学んではいけない、ということは、心の中で感じてみてほしいと思います。あなたがまともな人生を歩んでいきたいのであれば、平成の時代に「宵越しの銭は持たない」というわけにはいかないのです。 
●キャバクラで、映画で、旅行で 
…おじさんたちの「正直しんどい」状況克服法
昭和の男たちの息抜きといえば「飲む・打つ・買う」と言われたもの。しかしときは平成を経て令和に。ストレスとの向き合い方も、アップデートされている……はずではないだろうか。おじさんたちは、どのように「しんどい」気持ちに向き合っているのだろう。
誰にも訪れる“正直しんどい”幾多の修羅場を乗り越えてきたアラフォー
心身の疲労甚だしく、生存本能が休息を要求していることを察するが、しかし明朝も変わらず無慈悲にアラームが鳴り出勤を促す。自分のために働いているのか働くために働いているのかわからなくなり、ふいに浮かんできた「いっそ今日、自分がどこかへいなくなってしまったら面白いかもしれない…」という暗い妄想が愉快に感じられてかすかな慰めとなるくらい、追い詰められきっている“正直しんどい”時は、きっと多くの人が経験してきている。
アラフォーくらいまで人生経験を積むと、むしろこれらのしんどい時を幾多も乗り越えてきたからこその今があるわけで、その自負がちょっと面倒くさい方向で発現すると「若者に人生訓を説教したがるおじさん」となったりするわけである。
終わった“正直しんどい”経験は自信につながるが、迎えている最中の“正直しんどい”は、「これを乗り越えれば幸せに近づけるんだ…」と確信できていたとしても、正直しんどい。仕事や人間関係でストレスや悩みが尽きるということはおそらくなく、じゃあそれが嫌だからと世捨て人になって山にこもれば、世俗と縁が切れた解放感こそあれ、今度は毎年訪れる冬の厳しさに“正直しんどい”を思うようになるであろう。どう生きようとも人生は“正直しんどい”の連続であり、これとどう向き合い、あがいて生きるかに人間の美しさがあるのではあるまいか。週末、駅の片隅で吐しゃ物にまみれて酔いつぶれている人も、見方を変えればひょっとしたら美しいのではあるまいか。
話が大げさになってしまったが、現在アラフォーより上のおじさんと呼ばれる人たちはこの“正直しんどい”とどう向き合い、どう乗り越えてきたのか、いくつかの事例を紹介したい。
何ごともマイルドになってきたこの時代 「飲む・打つ・買う」は今
昭和の大人の男性の嗜(たしな)みといえば「飲む・打つ・買う」であった。これを令和でおおっぴらに唱えたとしたら結構ひんしゅくを買いそうである。この3つが令和の今も男性の息抜きの選択肢のひとつとしてあるには違いないが、「飲む」はまだしも、「打つ」には「不健康」の眼差しが、「買う」には「倫理観欠如の疑いアリ」の眼差しが向けられる。よかれあしかれ何事もマイルドになってきているのが令和である。
今から20年近く前の話になるので平成のことだが、筆者が会社勤めをしていた時、直属の上司が新婚であるにもかかわらず大のキャバクラ好きであった。仕事は忙しく終電を逃すことも珍しくなかったが、その日の業務にようやく目処がつきそうな深夜1時半、オフィスで「ああ、今日もやっと帰れる…」と思っていると、横の上司が静かに「今日もがんばったな」と口を開く。
「はい、がんばりました」
「お疲れ。今日も息抜きに軽く行っとくか」
ぺーぺーの筆者に拒否権などあるはずなく、退社して乗り込んだタクシーは一路六本木へ。この展開は日常化していたが、それでも上司が選ぶのは会話のみの健全なキャバクラで、性風俗に足を向けたことは一度としてなかった。昭和でも令和でもなく、「なんとなく平成的であった」と思い起こされる、個人的な体験談である。
上司は己の“正直しんどい”を、「これが終わったらキャバクラに行ける!」と思うことでいなし、馬の鼻先のニンジンのごときやり口でセルフコントロールしていたのであろう。
とはいえ令和の現在も夜の街、とりわけ女性が接客してくれる店に行くことでストレスを発散し、“正直しんどい”を浄化しようとする人らもいるようで、時代が変わっても男性の本質はあまり変わらないのかなと思わされる。
結婚を夢見る独身のAさん(41歳男性)は「月に2、3回、そういう店に行く」とのことである。同僚や友人と連れ立っていくこともあれば単身赴くこともある。
「女性と接すると楽しいし、癒される。仕事ばかりしていると穢(けが)れが溜まってくるので、しかるべき場所でお祓いをしてもらわないといけない」(Aさん)
お察しの通り、Aさんは複数名で店に行く時、仲間と「お祓いだ!お祓いだ!」と騒いで気勢を上げているという。楽しそうで何よりである。
「お祓いをしてもらわなくちゃ」とは見上げた言い分であるが、男性なら頷かれる向きもあろう。多くの男性は女性とコミュニケーションを取ることで種(しゅ)としての渇きが満たされるのである。これは何も性欲に限った話ではなく、会話だけでも十分達せられる種類の渇きである。
「そのうち結婚は絶対したいから、それまでのつなぎとして」とはAさん談だが、してみるとAさんにとっての夜の街は“正直しんどい”(Aさんが言うところの“穢れ”)が蓄積してきたタイミングで対処療法的に利用されており、“正直しんどい”と向き合う根本的な原動力となっているのは結婚願望であると推測される。「いつか結婚して、今よりハッピーになってやる」という野望が、Aさんを日々奮い立たせているわけである。
充実するプライベートの時間 「わが家こそ至高」のライフスタイル
既婚で、愛妻家というほどでもないが「浮気はしたくない」と貞操を保っているBさん(37歳男性)は趣味が映画鑑賞であり、“正直しんどい”を乗り越える際も映画が利用される。
「仕事のストレスはほどほどで、どうしても嫌ということはあまりない。“正直しんどい”と思うのは仕事がものすごく忙しい期間が続いた時。映画を観る時間がなくてストレスが溜まるが、これを乗り越えたら休日に目星を付けた作品を一気に見てやろうと思うのが心の支えになっている。
「ビデオ・オン・デマンドのアプリでは、気になっている作品をマイリストに入れておくとあとで見やすい。仕事の合間のわずかな時間を利用してマイリストに入れる候補探しをやっていて、好きな監督や俳優の作品や、単純に面白そうだと思える作品が見つかるとものすごく嬉しい。“正直しんどい”のあとにご褒美が待っていると思えばがんばれる」(Bさん)
自宅で平穏に魂の浄化を試みている様子である。
そういえば筆者も、“正直しんどい”瞬間があるかわからないのぼせた日々を過ごしているが、魂の浄化に用いているのは任天堂の『スプラトゥーン』、すなわちネットゲームである。
対戦ゲームで実力が評価されるシステムなので一向に上達しない自分に“正直しんどい”を覚えはするが、これもBさんと同様、自宅で平穏に取られる癒しである。ネット環境が普及したことによって自宅での余暇の過ごし方の選択肢が昭和に比べて大幅に広がったため、「わが家での充実こそ至高」として過ごす人は増えているのであろう。
体を動かし心身充実 健康的な自己コントロール法
既婚のCさん(39歳男性)は大変なアウトドア派で、隙があればどこかに出かけ、へとへとになるまで遊んで帰ってくる。体を休める機会などなく動き回っているので体力は大丈夫なのかと訝しいが、本人によればそのスタイルでないと駄目らしい。
「遊びでは確かに体は疲れるが心は健康になる。心が元気で気力が充実していれば体も自然と元気になる」(Cさん)
そういうものなのだろうか。インドア派の筆者としてはこの上なく疑わしく、Cさんが宇宙人か何か別の生き物に思えるのだが、おそらくCさんからすると筆者のようなインドア派が宇宙人に見えるのであろう。
Cさんはこれまで「“正直しんどい”になる前に手を打つ」という処世術を実践してきたらしかった。極力ストレスを溜め込まず、溜め込みそうになったらオンとオフを切り替えて思い切り遊んで発散するか、またはストレスを与えてくる環境の見直しを図る。“正直しんどい”を回避するためには転職も辞さない構えで、実際にこれまで2度の転職を経験している。
職場を変える度に環境は改善し、「今の職場はすごくいい」そうだが、しかしそれでも“正直しんどい”に陥りそうな瞬間は度々やってくるらしい。業務の忙しさやポジションなりのプレッシャーがCさんを追い込む。そんな時Cさんはどうするか。
「『あ、これはキツい』と感じたら次の休みにどこか旅行に行く。海外がベスト。妻も旅行が好きで、アクティブな性格なので、誘って『よし、じゃあ行こう』と一緒に。
旅行に行くと気持ちがリセットされ、悩んだり苦しんでいた自分を客観視できる余裕が生まれる。客観視できると抱えていた問題が大したことないように感じられ、“正直しんどい”が遠ざかる。
忙しくて“正直しんどい”になってしまった時は旅行の計画を立てて、それを楽しみにして乗り切るか、先に旅行に行ってしまって『この間遊んだからもう少しがんばろう』で乗り切る」(Cさん)
前者はご褒美方式、後者は燃料充填方式といえるであろうか。オンとオフの切り替えが上手な人はストレスが少なそうで羨ましい、と思わされるが、Cさんは「職場が自宅から近いと切り替えが難しくなる」と毎日片道1時間以上かかる職場をわざわざ選んで通勤している。こうした努力があってこその切り替え上手であるからして、Cさんが勝ち取ったスキルといえよう。
Cさんはオンオフの切り替えが上手、というよりかは、もっと根本的なところで、自分の状態に敏感なアンテナを張っている性格だと思われる。そして少しでも異変を察知するとそれに対応しようとする行動力がある。こうしたCさんの性格のベースのひとつの発露が“オンオフの切り替え”なのであろう。
“正直しんどい”に対する3人の向き合い方を紹介した。プライベートな時間を娯楽に充てて心のバランスを取る人が多い結果となったが、このほかに仕事で成果を上げることを目標におのれを奮い立たせる人もいるであろう。タイプとしては結婚を夢見るAさんのような“野心家型”といえるかもしれない。
娯楽に関しては「『飲む・打つ・買う』が代表的な息抜き」とはいえないほど多様化してきているのが現況のようである。これに加えて「プライベートの時間まで奪おうとしてくる企業は悪」といった通念も浸透してきており、時代は個々人が働きやすい方向へと向かっていっている印象である。今後はさらに“正直しんどい”を克服しやすい時代になっていくかもしれない。