表の顔 裏の顔

小池都知事も 人間です
神様ではありません

表の顔 裏の顔
二つの顔を 持っています

裏の顔 黒さ加減 人の評価の分かれ道
 


四十八文字いろはの口説き 女の性(さが)は三つ顔をもつ  
ひとつ幼い ねんねのお面  
ふたつ香し(かぐわし) 女人(にょにん)のお面  
聞いてください この思いの丈を  
三つ噛みつく 鬼夜叉の面   
四十八文字いろはの口説き 聞いてたしなめ世の男ども
色に染めてね 貴方の好きな  
路地ばたに咲く 真っ白な花  
肌に感じる 似た者同士  
似合いの二人 顔すり合わす 
惚れた弱みで みな目をつむる  
下手なあいづち 指からませる  
問わず語りか 私独り言  
   力のかぎり 強く抱きしめて  
   律儀に守る 心の扉  
   拭いきれない 心の乱れ  
   流転もさだめ 初めての恋  
   女になるわ 振り返らない
私貴方を すべて独り占め  
勝気な女 内気を隠す 
選り取り見取り 貴方の好み 
立てば芍薬 歩む百合の花 
蓮華の花で 二人の世界 
そばにおいてね 何時いつまでも  
   つきまといたい 煩わしいか 
   ねんねじゃないわ 感じる移ろい  
   ない物ねだり あきらめました  
   埒もないこと 皆放り出す  
   無理な願いが 女にさせる
浮かれ一時 何も見えぬ 
今に生きるわ 貴方放さない  
野辺を埋める 真っ赤な花  
女の性は 炎に燃える  
悔しいけれど  追いかける  
やっと出会えた 大好きな人  
負けたくないが 優しさに負ける 
   今朝は一人か どこへ行ったの  
   振り返らない 面影ひとつ  
   声が聞こえぬ ささやき言葉  
   笑顔も消える 別れの時か  
   手の冷たさが 鬼夜叉にする
愛の終わりは きっと来るもの  
避けたいけれど 潮時が来る 
季節も終わり 木枯らしが吹く  
夢も覚める 温もりはない 
目と目をそらす 心すれ違い  
身から出たさび 紅葉を散らす 
静かになんか 私死ねないわ  
   遠慮いらない 行ってください 
   一人に慣てる また人探し 
   もうお別れね 消えてください  
   背中を向けて 涙のみ込む 
   過ぎた思い出 思い出を消す  
運命ね
ひとつ言葉で真心伝え 似合の二人思いを語れ 
見つめて強く手を握り締め 死ぬる思いを温めて(ぬくめて)示せ 
何時か芝居花見に舟遊び 無理は言いわけ茶屋飯食わせ 
七宝届けよ櫛とかんざし 八重の願いがさし叶うもの 
苦労お披露目親類縁者 嫁ぐ白無垢角隠し見よ 
百年の恋気を引き締めて 千にひとつも浮気をするな 
万にひとつも願えば叶う 億土はいずこ二人で歩め 
蝶(兆)よ花よといついつまでも
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 5/2-
●小池都知事の「張りぼて会見」を暴露! 5/2 
「ロックダウン」「オーバーシュート」「ソーシャルディスタンス」と、コロナ禍でますます存在感を増す小池百合子都知事。シャレた横文字を多用する“女帝”の裏にはコワ〜イ素顔が!
4月23日の会見では「ステイホーム週間」と名付け、GW期間中の外泊自粛を呼びかけた小池知事。
社会部記者が明かす。「アベノマスク、30万円給付、自宅でくつろぐ動画の不評3点セットで支持率を急落させている安倍総理とは対照的に、コロナの脅威に憤然と立ち向かう勇ましい姿勢が支持を集めている。ネット上では知事の発言を受け、マスク姿の小池知事が半径2メートル内に群衆を近寄らせない『密です』ゲームまで登場した」
この反響に、本人もまんざらではなさそうだが、ジャーナリストの横田一氏はこう語る。
「小池知事は3月末の3連休まで『東京五輪は予定どおり開催』と楽観的に語っていた。ところが、安倍総理が国会で五輪延期を言及したのと同調するように『重大局面』とコロッと豹変、厳しいコロナウイルスの状況を語り始めました。3連休中に外出自粛要請を出さなかったことが感染拡大につながったにもかかわらず、まるで自分がコロナの火消し役になったようなパフォーマンスをしている」
実は横田氏は、17年秋に小池知事が「希望の党」を結成した際、「排除」発言を引き出した人物だ。
前出・社会部記者が説明する。「あの発言で小池新党は失速しただけに、本人も『言葉が過ぎた』と後悔している様子だった。しかし、あの記者(横田氏)には『それは質問じゃなくて、アナタの主張じゃないの!』と厳しく切り返し、事実上、会見から排除してきました」
もちろん、横田氏も負けてはいない。
「昨年12月末から会見に通っていますが、今のところ21回連続で無視されています。以前は司会者がランダムに記者を指して質疑を行っていたのですが、最近は知事みずからが質問者を指名するようになった。実は手元にマスコミの席次表があって、それをチラチラ見ながら、気に入らない記者は絶対に指さないようにしているのです。口先では耳障りのいいことを連発しても、中身はスカスカ。そのギャップを隠すために記者を選別しているとしか思えませんね」
この“自分ファースト”の姿勢で東京を守れるか、不安は募る。 
 5/25
●堀江貴文氏 小池都知事のロードマップにかみつく「選挙対策か!」 5/25 
政府は25日に北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川の5都道県の緊急事態宣言を解除する。東京都の小池百合子都知事は都独自の休業要請緩和のロードマップを22日に示していたが、その内容に非難ごうごう。再選を目指す都知事選(6月18日告示、7月5日投開票)へ向けたロードマップとやゆされ、出馬に意欲を見せる実業家の堀江貴文氏も「選挙対策か!」とかみついている。 4月7日から出されていた緊急事態宣言がようやく全面解除となる。解除を前にした24日、都内の繁華街は夏めいた陽気も後押しし、コロナ禍前に戻ったかのような人出とにぎわいになった。 ただ、緊急事態宣言が解除されたからといって、すべてが元に戻るワケではない。小池氏は休業要請を緩和するステップを現状の0から3までに設定。解除後の26日からステップ1をスタートさせる方針を示しているが、これが猛烈な批判を浴びているのだ。 特に失望している業種が飲食店だ。ステップ1では、これまで午後8時までだった営業時間が2時間延長となるだけ。ステップ2でも変わらず、ステップ3でようやく午前0時までとなる。接待を伴うクラブやバーはステップ3でも対象外とされている。 ステップは2週間ごとに見直されるため、その日程通りなら都内の飲食店が午前0時まで営業できるのは早くても1か月後の6月下旬になってくる。 先に緊急事態宣言が解除された大阪では23日から飲食店の営業時間の制限がなくなっているのと比べれば、都の対応は警戒し過ぎではないかと反感が出ており、既に都の要請を無視して営業している店も続出している。 東京・新橋の焼き鳥店などでは、いまだ都からの感染拡大防止協力金が遅々として支払われていないことも追い打ちをかけ、メディアに不満を爆発させた。「#新橋一揆」なる言葉がSNS上で生まれ、一斉に再開・時間延長しようとする動きもあった。 緊急事態宣言が解除されれば、「もう都のロードマップに従っていられない」と一気に都内で反発が拡大する可能性がある。というのも堀江氏が「小池の妄言にだまされるな!」と蜂起の音頭を取り始めたからだ。 本紙既報どおり、堀江氏は都知事選への出馬に意欲を見せており、都政改革の提言本「東京改造計画」を30日に出版する。出馬表明はしていないが、先週からユーチューブ上で連日、小池氏を痛烈に批判し始めた。 24日には「東京都のロードマップは小池百合子の選挙対策か?」のタイトルで動画を公開し、非科学的だとしてロードマップをこき下ろした上で、飲食店はもう都の要請に従う必要はないと説いている。 小池氏が慎重姿勢になる理由は第2波の到来だ。都知事選前や最中に感染者が増え、再び緊急事態宣言が出るような状況になれば、都の封じ込め作戦は失敗。自身の再選にも黄信号がともりかねない。 「小池氏はロードマップの各ステップについて、前倒しも可能としています。感染状況を見て、ステップ移行を早め、コロナ対策が万全に進んでいるとアピールすることもできる。選挙で再選するためのロードマップともいえるでしょう」(永田町関係者) そんな小池氏の思惑が見え見えのために堀江氏の怒りは膨れ上がる一方。堀江氏の呼びかけで飲食店や都民が蜂起すれば、「新橋一揆」どころか「都民一揆」の大きなうねりも起きかねない。小池氏VSホリエモンによる都知事選のゴングはもう鳴っている。 
 5/28
●小池百合子都知事の元カレは舛添要一前都知事だった! 5/28 
このコロナ禍において、安倍晋三首相よりもメディアへの露出度が高く、今最も日本で知られている女性政治家はおそらく、小池百合子都知事でしょう。
小池百合子都知事の元カレは舛添要一前都知事だった! 5/28緊急事態宣言が出されてから解かれた後も、小池都知事の一挙手一投足に都民にとどまらず国民の注目が集まっています。
7月に迫る都知事選も向かうところ敵なしの状態で、立候補の可能性「99%」を示したホリエモンこと堀江貴文氏に対する所感を聞かれて、「とくにございませんけれど、まあ賑やかなこと、という感じ」と答える余裕ぶりです。
いまや、都知事の枠を超えて、現在67歳の年齢も感じさせないパワフルさで、日本初の女性総理さえうかがう勢い――そんな小池都知事が、思わぬ“角度”から「文春砲」を受けました。
『小池百合子 カイロ大主席卒業の噓と舛添要一との熱愛』
5月28日発売の『週刊文春』が報じた記事は、小池都知事の「学歴詐称疑惑」と「男遍歴」を暴くものでした。
この記事は、発行元の文藝春秋からノンフィクション作家の石井妙子氏が上梓した『女帝小池百合子』――小池都知事の関係者100以上に取材を敢行した労作を下地にしています。その石井氏が『文藝春秋』で小池都知事の半生を描いた記事を二度掲載後、エジプトの首都・カイロで50年ほど前に小池都知事と同居していた女性からの手紙を受け取ったそうです。
<私は小池百合子さんとカイロで、同居していたものです。カイロ大学を卒業、しかも首席で、という肩書を掲げて小池さんは今日の栄光を勝ち得ましたが、彼女は実際にカイロ大学を卒業していません>
小池都知事の「学歴詐称疑惑」については、以前から選挙のたびに指摘されてきました。
「カンニングをしようにも、その字(アラビア語)さえも読めない」と自著で語っていた小池都知事は、それでも「日本人として二人目、女性として初めて、首席でカイロ大を卒業」と、今に至るまでプロフィールに記載しています。
しかし、カイロ大を卒業するのは、日本語を話せない外国人が東京大学を首席で卒業するようなもの…そんなことが果たして可能なのでしょうか? 『週刊文春』は、「卒業証書偽造の可能性」まで指摘しています。
実際、今年3月にも都議会で複数の自民党議員が取り上げた際、小池都知事はこう答えています。
「(コロナ感染症対策で)将来に向かって何をするか、何をしなければならないかというところに、急にワープしまして、50年前の話ですが」 つまり、「そんな大昔の話、どうでもいいでしょ?」というスタンスを取っているわけです。 とはいえ、カイロ大学卒業…しかも首席で…と今でも経歴でそう謳っている以上、過去の詐称話として済ませられるものではないでしょう。
また、『週刊文春』はカイロ時代に付き合っていた男性の話なども記事にしていますが、何より驚いたのは、かつて日本新党として出馬する前に「結婚したい人がいる」として、知人に打ち明けていた人物が、前知事で国際政治学者の舛添要一氏(71)だったことです。
都知事になる前の舛添氏は、メディアでも引っ張りだこの売れっ子学者でしたが、その当時、まさか小池都知事と付き合っていたとは…。しかも…。
「でも最終的には舛添さんが振ったようなものです」(小池都知事の知人)
舛添氏は40代前半、大蔵省(現・財務省)の官僚だった片山さつき参議院議員との離婚が成立していて、小池都知事は40歳が目前に迫っていた頃でした。
『週刊文春』は舛添氏に、小池都知事との関係について直撃取材しています。
――小池さんと昔、付き合っていた?
「付き合っていたというのかな。飯は食いに行きました。私は仏大使館のパーティなどに呼ばれることがあったけど、そこに連れて行ったりね…」
――彼女は「結婚したい」と言っていた?
「そんなこと言うかなあ」
――舛添さんが振った?
「まぁ次第に、それぞれ別の道へ分かれて行ってね」
――彼女(小池都知事)が(前知事の)舛添さんをことさら攻撃したのは、結婚を断られた恨みもある?
「彼女は痴情を気にする人ではないですよ。すべては権力。細川(護熙)さんに移って、小泉(純一郎)に移って。いまは二階(俊博)さんに。その一点だと思う」
すべては権力――。
前都知事としてか、元カレとしての立場からか分かりませんが、舛添氏が分析した小池都知事の人物像は的確かもしれません。
しかし、小池都知事自身は『週刊文春』の取材に対してノーコメントを貫いています。
結果として、舛添氏は表舞台から姿を消して、小池都知事は現役どころか、未来の総理への道さえ開かれています。
そのうえで、『女帝小池百合子』の著者である石井氏はこう指摘します。
「彼女はこれまで、メディアに繰り返し登場し、学歴に限らず華麗な物語を作り、自分の過去を塗り替えてきました。過去に対して平気で嘘をつく人は、未来に対して嘘をつくことも抵抗がない」
だから、小池都知事は約束を破るのだと…。
果たして、東京の未来を、この国の未来を、彼女に託してもいいのでしょうか。  
 6/4
●小池都知事、7月知事選は“無敵” 人気とりのバラマキで東京都の財政は… 6/4
大阪、京都、兵庫の3府県で緊急事態宣言が解かれた5月21日、首都圏と北海道では周知の通り、解除が見送られた。埼玉県と千葉県は、直近1週間の新規感染者数が人口10万人当たり、1日平均で0・5人程度以下、という基準を満たしていたが、1都3県は経済および生活圏として「一体」と判断され、2県は巻き添えを食った格好だった。
もっとも、1都3県の知事は、「一体」であるのを承知していた。21日に国が解除判断をするのに先立って、19日、4知事がテレビ会議を開いた際も、小池都知事は「1都3県は通勤通学によって生活圏、経済圏が重なっている」と強調。そのうえで「解除に向けて足並みそろえながら進めたい」と訴えると、ほかの3人も同調し、緊急事態宣言が解除された際は、それにともなう外出自粛や休業要請の解除は、1都3県が「一体となって」行う方針が確認されていた。
さて、緊急事態宣言は25日、晴れて全面解除となったが、「そろえる」と確認されたばかりの「足並み」はどうだろうか。
そもそも小池知事は、くだんのテレビ会議が行われる以前の15日、宣言解除後に緩和を段階的に進めるための、都独自の「ロードマップ」について語り、22日には正式に発表した。都政担当記者にその骨子を説明してもらうと、
「新規感染者数、うち接触経路を追えない割合、陽性者増加比、重症患者数、入院患者数、PCR検査の陽性率、窓口での相談件数の七つの指標を用いて、新規感染者数が1週間平均で1日当たり20人未満、などの基準を満たしたかどうかを2週間単位で評価。数字がよければ次のステップに進むけれども、基準を超えたら“東京アラート”を発動し、レインボーブリッジを赤色に点灯させる、というものです」
6月1日をもって「2」に進んだステップの、その具体的な中身についてだが、「ステップ3まであり、ステップ1では博物館や美術館、図書館、観客席を除く体育館などへの休業要請を緩和。飲食店の営業は22時まで認め、お酒も22時まで出せます。イベントは50人までですね。ステップ2では観客席を含む運動施設のほか、学習塾や劇場、映画館、集会場、生活必需品以外を売る店などが対象になり、100人までのイベントも可能です。ステップ3でネットカフェやパチンコ店、ゲームセンター、遊園地などが認められ、飲食店も午前0時まで営業可能になります。ただ、接待を伴う飲食店やライブハウス、カラオケボックス、スポーツジムなどは、それでも営業できません」
一方で、たとえば神奈川県の黒岩祐治知事は、接待を伴う飲食店やライブハウスなど、「3密」になりやすいとされる業種も含め、一斉に自粛要請を解除。端から「足並み」はそろっていないのである。前都知事の舛添要一氏は、「不思議なのは“首都圏は一体だ”と言いながら、ロードマップを一緒に進めないこと。他県はパチンコ屋も雀荘も開けるのに、東京だけ開けなければ、じゃあ千葉や埼玉に行こう、という話になってしまう」 と首を傾げるが、実は、初っ端から小池知事のフライングで、足並みは少しもそろっていなかった。
「4月7日に緊急事態宣言が出されると、小池知事は休業要請に応じる店や施設に1店舗50万円、複数店舗の場合、最大100万円支払うとアナウンス。大盤振る舞いで自身の人気につなげましたが、都が当時、9千億円超の内部留保を抱えていたからできたこと。首都圏の3県は追随できませんでした。5月5日には宣言の延長に合わせ、同額の追加支給を発表しましたが、やはり3県は無理。神奈川の場合、1店舗20万円、追加支給は10万円で、最初から足並みどころではないのです」(先の記者)
さらに問題は、人気とりが目的のバラマキでなにが生じたか、であり、「東京都の財政がアウトになる可能性がある」 と、舛添氏は指摘する。
「都は石原都政の終盤ごろから、私も相当がんばりましたが、貯金をしていました。財政調整基金と言って9345億円ほどあったのに、大盤振る舞いの末、もう500億円ほどしか残っていません。東京都の場合、景気がいいと多額の法人事業税と法人住民税が入りますが、来年はこの法人2税の激減が目に見えています。だから減収分の補填が必要なのに、そのために貯めていた財政調整基金は残っていない。自身の選挙のために撒いた面もあると思いますが、結果、財政が破綻する恐れすらあります。それでも自分が再選できればいいのでしょうか」
緊急事態宣言の解除とともに、追加の協力金は支払われない旨が告げられたが、単に、無い袖は振れなかったにすぎない。
もっとも、大盤振る舞いの有無にかかわらず、7月5日投票の都知事選で小池知事は無敵である。自民党は候補者擁立を見送り、野党の統一候補擁立も難航しているうえ、「ロードマップに従えば、自粛期間は投票日前に完全には明けません。つまり選挙まで毎日、記者会見を開いてテレビに出続け、一所懸命やっているように見せられる。東京都は小池さんが出るCMにも相当お金を使ったはずですが、現職だから、“これは選挙運動ではなくコロナ対策だ”と言える。そういう戦略なのだと思います」と、舛添氏。国際政治学者の三浦瑠麗さんは、
「選挙に関しては、小池さんは余裕綽綽です」と言いつつ、こう見る。
「私が小池さんを一番信用できないと感じるのは、目立ち続け選ばれ続け、政治的な嵐を呼び起こし続けること自体に、意義を見出している点です。もはや都知事選は楽勝なのだから、そこまでポピュリズムに舵を切らなくてもいいのに、政治的に自分に有利な状況を作り出し、支持を集め続けること自体が、自己目的化しているように見えます」
そのために段階的な解除の道を選んでいるのだとしたら、命を守るという建前でその実、自分を守るという、都民ひいては国民への甚大な背信行為であろう。
都知事選への出馬が噂されるホリエモンこと堀江貴文氏は、事実上の不戦勝が囁かれる小池知事に向かって、YouTube上でこう宣戦布告している。
「飲食店の営業時間を2時間ごとに緩和するとか、この業種は休業要請を続けるとか、スポーツジムとかライブハウスとか再開できねえだろう。そんなこと言ってたら彼ら、ステップ3にすら入ってない業種はどうなる? 6週間かかるんだぞ、そこまで最短で行っても。(中略)こうやって外に出歩けない環境をずっと作って、対立候補者が街頭演説したりできないようにするための、お前の選挙対策にしか見えないぞ。わかってんのか、小池!」
事実、ごく小規模な集会しか認められていないなか、対立候補がそれを破って街頭演説でもしようものなら、激しい同調圧力によって非難されることだろう。 
 6/5
●「女帝小池百合子」 メッキだらけの中身のない政治 6/5 
東京都の新型コロナウィルス感染者は減ることもなく、「東京アラート」という訳の分からない言葉のもとで、都庁は夜、赤く輝いている。緑をイメージカラーにしている都知事は、それを見て何を思うのか?私が思うに、当分の間、東京には感染者がこんな感じで増え続けるだろう。嘘つきウィルスに感染した都知事が、格好つけながら新型コロナウィルス対策をやっている姿が、本当に虚しく見えてくる。石井妙子氏が書いた「女帝小池百合子」を読んだ後、私は心の疲労感にさいなまれた。
多くの識者も発信しているように、この本、一気に読んでしまう面白さのノンフィクションである。よく取材されたものを丁寧にまとめてある。そして、追いかけている主体があまりにも中身のないものなので、書いている石井さん本人も、作品として仕上げるのに本当に難しかったのではないかと思う。そう、主人公、小池百合子という人物に面白味はない。自分の地位にしか興味がなく、使えそうな人物に擦り寄り、気がつけば、その地位にいる。そして、格好だけはつけるタイプ。考えれば、一般社会の組織に少なからずいるタイプの人間である。(私はそんな人間が大嫌いだ!)
そんな人が、今、東京で偉そうにコロナウィルス 対策で必死こいているように演じている。そして、ここに書かれているようにカタカナ言葉を駆使して「やってる感」「私は頭がいい感」をしっかりと作りながら、7月の選挙に向かって宣伝なさっている。この本を読んだ後でそれを観ていると、感じるのは虚しさだけである。
この本は、最初の彼女の生い立ち、子供の頃からのコンプレックス、それに伴う見え張りから始まり、彼女の今の地位を築き上げるきっかけとなる「カイロ大学首席卒業」という肩書きの嘘っぽさの話で、一気に読むものを惹きつけていく。それは、普通にアラビア語など理解できなかった娘が、カイロ大学を卒業したと言い張るようになり、皆がそれにコロッと騙されて行ったという三文小説のような話だからであろう。
そして、それを盾に、ニュースキャスターになり、政治家になり、大臣になり、気がついたら都知事などしている女に対しての考察が、日本社会、日本の政治の縮図にもみえるから面白いのである。「なんでこんな女が偉そうに、この未曾有の世界的危機に世界的大都市東京で上に立っているのか?それは安倍晋三氏が能力もないのに首相でいるのと同じようなことである。そして、今回のコロナの話では、首相の演説の下手さが、小池百合子をまた盛り上げて、いい気にならせてしまっている。
そういう運命の女といえば、そうなのかもしれないが、この本を読む限り、私の知る限りも、彼女の政治的主張というものはよくわからないし、見えない。とにかく、「エジプトの難しい大学を卒業している」とか「ニュースキャスターだった」とか「政権をひっくり返したときの先頭にいた」とか「女性初の防衛大臣」とか「女性初の都知事」とか、そんな肩書きしか残っていないのだ。
彼女が絡んだ「辺野古問題」も「アスベスト問題」も「豊洲移転問題」もいまだに、多くの問題を残したままになっている。そして、彼女は、当事者に恨まれる以外ほぼ何もやっていない。でも、まだ国民や都民は騙されたままなようであり、自民党はまたこの人を都知事選で推薦しようとしている。もはや本当に政治はそういうものだと言われて納得できるレベルではない!!
カイロ大卒業問題は、ここに書かれていることでほぼ「嘘」だとわかる。カイロ大学も卒業したことを認めると言っているらしいが、何か根回しがあってのことだろう。とにかく、明確な証拠が出てこないままに今に至ってもうやむやなのだから…。そして、石井さんが雑誌にこの内容を書いたときにも、小池知事は、名誉毀損で訴えるということはしていない。何故なのか?
今回のこの本は、雑誌に載せたとき以上に、一人歩きを始めている。昨日、都議会で小池都知事は、この本のことを問われて「読んでいない」という回答をしている。選挙の前にいろんなことを荒立てたくもないのだろうと思う。そういう、空気を読む力、自分を絶対に世の中の上に居させようとする変な欲望は、天下一品と言ってもいいだろう。
だが、4年前に都知事選であげた、彼女の公約は一つも守られていない。そして、豊洲についても放ったらかし、オリンピックも延期。オリンピックに関しては、パフォーマンスとしてあげた、打ち水や朝顔、変な傘など、センスのなさも目立っていた。もう、こんなおばさんに何の魅力を持てというのだろうか?
だが、おばさんは、コロナが問題の中心になったとばかりに、再度、「めだとう作戦」を開始した。CMにも自分出演ということを強く主張したみたいだし、小池百合子という物体を最大限に活性化させようと、この二ヶ月必死である。そんなときにこの本の登場。
多分、都知事選に関しては今も世論は小池優勢と見ていると思うが、コロナ感染が止まったわけでもなく、おばさんから、熱い言葉をいただいた関係者もいないというのが現実であろう。ただ、首長のメッキだけで主張する女でしかないのだ。
よく安倍晋三氏に対し「情がない」という言葉が飛び交う。この言葉は明確に小池百合子にも通じる。何で、日本人はこんな無機質な物体みたいなものをトップに据えてしまうのか?平成以後の日本の不思議である。
赤く燃える都庁の中で、小池は今、何をして時間を過ごしているのだろうか?「選挙戦で何を着ようか?」「どんな、知ったかぶりの嘘をつこうか?」「みんなが繰り返すキャッチはないかな?」いろいろお考えのことであろう。
これを読んでくれているような方は、理解できているでしょうが、とにかく、東京都を愛する人たちに問いたい!こんな、自分しか愛せない人に首長を任せといていいのですか?選挙に行って、変えましょうと! 
 6/7
●ミスかき消す発信力 「貯金」取り崩す小池都知事 新型コロナ政策の真実 6/7 
4月初旬、東京都内の新型コロナウイルスの感染者は1日あたり3桁に迫ろうとしていた。感染拡大の影が忍び寄る中、東京都庁7階の知事室に近い小会議室に数台のカメラやプロンプター(原稿映写機)などの機材が運び込まれた。
新型コロナ関連の情報発信を強化するため、小池百合子知事(67)の肝いりで始めるインターネット番組の準備だった。観葉植物やモニターを備えたスタジオはわずか2日で完成し4月3日から放送が始まった。
「こちらは新宿、東京都庁。都知事の小池です」。番組は、緑を基調とした防災服姿の小池氏のあいさつで始まる。元テレビキャスターとして番組作りにこだわりが強く、職員が用意した原稿を「これは役所言葉よ」と修正することもあるという。5月末までは、ほぼ毎日、今月に入ってからは週2回の配信を続けた。
都のコロナ対策の広報費は小池氏自身が出演するテレビCMや新聞広告、ネット広告なども含めて9月末までに約15億円 ・・・  
 6/10
●『女帝小池百合子』は真の東京アラート… 6/10
脱力してしまう記事があった。
「東京アラート」を都が発動した日、お台場では夜になって前日より人が増えていた。その理由として、「赤いライトアップ見物か」(産経新聞6月4日) 本末転倒ではないか。
お台場と芝浦を結ぶレインボーブリッジが赤くライトアップされ「見物客の姿もあった」という。いかにも見栄えを重視する小池百合子都知事の「対策」っぽい。
しかし都民にとって本当の意味での東京アラートはこの本だ。
石井妙子『女帝小池百合子』である。帯は「救世主か? “怪物”か? 彼女の真の姿。」
《小池氏には、1992年に日本新党から政界に打って出て以来、幾度となく疑惑の目を向けられる「学歴詐称」疑惑がある。これについて、ノンフィクション作家の石井妙子氏が、小池氏とカイロで共に暮らし、小池氏のカイロ大学生活を誰よりもよく知る元同居人女性の早川玲子さん(仮名)から詳細な証言と当時の手帳や写真などの資料提供を得て取材をし、「小池さんはカイロ大学を卒業していない」との詳細な証言を得た。》(「週刊文春」6月4日号「 『カイロ大学卒業は嘘』小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑 元同居人が詳細証言 」)
読みすすめていくと、著者が一貫して使っている表現に気づく。それは「物語」だ。カギカッコ付きの。
小池氏はこれまで私的な「物語」をマスコミを通じて売りにしてきた。その「物語」があればこそ現在の地位も築けたようにみえる。石井氏の入念な取材により学歴詐称疑惑はあくまで象徴の一つにすぎないことがわかる。
《ウソにウソを重ねて物語を作っていると思いました。》
石井氏は直近のインタビューでこう語っている(日刊ゲンダイ6月5日付)。
本書によると、小池氏は小学5年生の時には校内の弁論大会で優勝、題は「ウソも方便」だったという。
豊洲移転問題で知事は「盛土」について騒いでいたが、何のことはない、いちばん盛っていたのは小池百合子だったのである。
なぜそうなってしまったのか。
《彼女は10代の頃まで非常に苦労が多かった。家が経済的に安定していないとか、親が多額の借金をつくって借金取りが取り立てにくるという状況で生きてきたわけです。生まれつき顔にアザがあったこともあり、物心ついた時から「普通の人生は送れない」と言われることもあった。幼い頃から気を張っていなければならない環境で生き、心が休まることもなかったのかもしれません。》(日刊ゲンダイ・同)
だから上り詰めて自分を強く見せないといけなかった、と。
しかしその特異な環境で養われた「強さ」は、ウソを平気でついたり、人として何かが欠落しているおぞましさがある。本書のあちこちで見かける。
テレビカメラの前ではアスベスト(石綿)被害者に「崖から飛び降りますよ」と決意を口にし、笑みを浮かべて対応した小池環境相(当時)だったが、後日国会で「その言葉は使っておりません」と平気で言う。被害者は傍聴席から「嘘つき!」と叫んだ。
地元・芦屋の女性たちが阪神淡路大震災の陳情に行くと小池氏は指にマニキュアを塗りながら一度も顔を上げずに応じ、
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」。
築地中央卸売市場の豊洲移転に反対した、仲卸業の女性は小池氏の演説に感動し「ジャンヌ・ダルクになってくださいね」と訴えた。しかし小池氏はテレビカメラも報道陣もいない場所になると「ジャンヌ・ダルクはね、火あぶりになるからイヤ」と笑顔で言った。女性たちは何を言われたのかわからなかった。
ちなみに「崖から飛び降りる」「ジャンヌ・ダルクになる」は小池氏の選挙演説でのお得意のフレーズである。
上昇志向が強いのは別にいい。しかしそれが酷すぎて弱者に対して異常に冷たいことがよくわかる。
政界入りして細川護熙、小沢一郎、小泉純一郎などその時々の権力者に巧みに近づき取り入ったことは「政界渡り鳥」という異名でよく知られていたが、本書では用済みと判断すればコロッと変節し、次のステップに進む過程も細かく書かれている。必読の部分だ。
政界パートを読んで私はあらためて思い出したことがある。
2年前、シリアで武装勢力に拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが解放された際、またしても自己責任論が噴出した。
そもそも「自己責任」という言葉が流行語大賞のトップテン入りしたのは2004年だった。イラクで拘束された日本人3人に対して投げかけられた。
あのときは政治家も率先して「自己責任」を声高に問うていた。あそこから時代が変わったんじゃないか? と思った私は当時の新聞を調べたことがある。一体、政治家で誰が最初に「自己責任」という言葉を言い出したのか?
すると、事件勃発を伝える2004年4月9日にさっそくある政治家のコメントが載っていた。
「危険地域、自己責任も 小池環境相」(読売新聞夕刊)
《小池環境相は「(三人は)無謀ではないか。一般的に危ないと言われている所にあえて行くのは自分自身の責任の部分が多い」と指摘した。》
この11日後の4月20日に朝日新聞は「自己責任とは」という特集記事を書いているが、ここでも時系列の表で一番最初に載っているのが小池氏の発言だった。
新聞で確認する限り、政治家として最初に被害者の「自己責任」に火をつけたのは小池氏だった可能性が高いのだ。
そこであらためて考えた。今回『女帝小池百合子』を読んで、もう一つ私が指摘しておきたいのはその巧妙な判断である。
「自己責任論」をいち早く言い出すことで、当時のトップである小泉首相も言いやすいようお膳立てをしたようにも見える。
またしてもトップに寵愛されることをわかっていたはずだ。今から16年前の自己責任論読み比べでさえ小池氏の権力者への媚態がうかがいしれる。
では、上ばかり気にしていた小池氏には「仲間」はいたのか。小池氏はよく「さらば、しがらみ政治」と言うが、あれだけ人を利用して裏切りを重ねればむしろ「しがらみ」をつくりたくても無理だろう。そういえば一瞬だが政権交代のムードすら漂った「希望の党」設立時でさえ側近は新人同様の若狭勝であり民進党を離党したばかりの細野豪志だった。しがらみがないのではなく仲間がいないのだ。そんな生き方をしてきたから。
本書を読むと、小池百合子はオヤジに可愛がられつつ、しかし「女性」には厳しい。
のしあがってきた経緯もマスコミや記者のおじさんたちに可愛がられたからだ。彼らはノーチェックで小池氏の「物語」を流布してしまう。一緒になって「物語」をつくった共犯者でもある。だからこそ何度もささやかれた学歴詐称疑惑も踏み込まない。
石井氏が2年前に「文藝春秋」で小池氏の記事(2018年7月号「小池百合子『虚飾の履歴書』」)を発表した際、二つに分かれた新聞記者の反応でより多かったのは「そんなことは自分たちも前から知っている」というものだった。
これはかつて立花隆が田中角栄の金脈問題を文藝春秋で発表した際の記者の反応と同じではないか。そうして怪物を育てていたのだ。狭いムラ社会の弊害にも思える。
もっと言えばオヤジ社会の罪が大きい。そして小池百合子もまたオヤジであった。
『女帝小池百合子』は真の東京アラートである。都民に警戒を呼びかけるために発動された。
何がゾッとするって、本書を閉じたあとにテレビをつけたら“怪物”が笑顔で喋っていたことだ。 
●小池都知事が隠したい“金銭スキャンダル”  闇金業者から「違法献金」も 6/10
7月5日投開票の都知事選は“再選確実”と目される小池百合子都知事。これまでクリーンなイメージを売りにしてきたが、過去には闇金業者から違法献金を受け取るなどの醜聞が明るみに出ている。
小池氏は知事就任後、カネにまつわる二つのスキャンダルを週刊新潮に報じられてきた。
一つ目は、小池氏の金庫番を務めていた元秘書・水田昌宏氏にまつわる話だ。水田氏は16年8月に千代田区にある所有物件などを担保に、みずほ銀行から3億3000万円の融資を受けたのだが、この物件の資産価値は実際には2000万円ほどしかなかった。融資を受けたのが小池氏の知事当選の翌日であり、みずほ銀行は東京都の指定金融機関であることを考えると、実にきな臭い話なのだ。
事情通はこう分析する。
「この融資には当初、小池氏と水田氏が共同所有していた練馬区の物件も共同担保となっていましたが、融資同日付で解除されるという不可解な経緯がある。小池氏の承諾なしには行えない取引であることは間違いない」
不可解な融資の背景には、小池氏の“威光”もあったのか。記事掲載後、水田氏は小社を提訴したが、全面敗訴し、控訴すらしなかった。
二つ目の疑惑は、“闇金業者”からの不正献金である。もともと石破茂元幹事長の後援者だったこの業者から、2012年の自民党総裁選では石破氏を支援するよう、小池氏は要請された。その見返りか、業者は12年と13年に小池氏主催の政治資金パーティーのチケットを200万円ずつ購入。しかし小池氏は自らの政治団体の収支報告書に一切記載しなかったのである。
「報告書の不記載と、パーティー券購入の上限オーバーで、政治資金規正法に抵触します」(弁護士)
しかも、この業者は暴力団との交際も噂されるいわくつきの人物だが、小池氏はこの件について一切口をつぐんだままなのである。
知事選でスポットライトが当たる「小池百合子」都知事。6月11日発売の週刊新潮で、その遍歴をふまえ、彼女の本性を検証する。  
●小池百合子都知事の同居男性 都の業務委託企業トップと不動産取引  6/10
7月5日に迫る東京都知事選に向け、その動向が注目される小池百合子都知事。「週刊文春」が小池氏の関連団体の支払いや東京都の予算を調べたところ、PR会社「ベクトル」(東京都港区)とその子会社に対し、巨額の支出をしていた。また、ベクトル社の代表取締役社長・長谷川創氏と、小池氏の元秘書で前回知事選直前まで資金管理団体の会計責任者を務めていたM氏との間に複数の不動産取引があることが分かった。
PR業界関係者が語る。
「ベクトルは1993年に創設され、今や東証1部上場、日本最大級の戦略型PR会社です。2017年、衆院選前の希望の党の結党会見で流された印象的な動画もベクトルの100%子会社のアンティルやシグナルが制作しました。“コツーン、コツーン”とハイヒールの音が響く中を、小池氏を彷彿とさせる緑のスーツの女性が歩いてくるもので、当時話題になりました」
小池氏が「希望の党」を結党し、代表として衆院選に挑んだ2017年には、都民ファーストの会と希望の党から巨額の政治資金がベクトルグループに支出されている。前述の動画などの制作費の他、世論調査費や政見放送制作代などの名目で、2017年だけで合計3億円近くになる。また、東京都はベクトルに、デジタルメディア関連など、過去2年で2件、合計約5700万円の業務を委託している。
一方で、小池氏の元秘書のM氏が所有する東京都内の2つの不動産を、2016年11月にベクトル社長の長谷川氏が購入。うち1件は1年半後、長谷川氏がM氏の妻に再度売却している。M氏は、小池氏が環境大臣に就任した際、大臣政務秘書官を務め、小池氏の政治団体の会計責任者を一時務めるなど「金庫番」と言われる人物。M氏が所有する不動産の複数の登記簿を確認すると、M氏の自宅は、小池氏宅となっており、同居していることになっている。
M氏に取材を申し入れたが、期限までに回答はなかった。
長谷川氏に取材を申し入れると、弁護士を通じ、概ね次のように書面で回答した。
「(不動産はM氏から)相場より多少低い金額を提示されて投資用に購入した。当社と小池氏の団体は以前から取引があり、M氏との関係によるものではない。都からの仕事とM氏は関係ない」
6月11日(木)発売の「週刊文春」では、拉致被害者家族会の元幹部による小池氏の言動への批判や、「二度飛行機事故を回避した」という小池氏の強運エピソードの真相、またM氏の正体や、謎が多い不動産取引の詳細などを6ページにわたって報じている。 
 6/11
●小池都知事を信じるべきなのか 舛添要一氏・猪瀬直樹氏はこう見る 6/11
ここ数日の発言からは、小池知事の風を読む卓越した力がうかがい知れる。緊急事態宣言が解除される前は、日々「気が抜けない状況」「気を引き締めていきたい」と連発していた同じ知事が、感染者数が再び22人にまで増えた5月29日にも、「感染状況の把握が難しい状況には至っていない」「重症患者、入院患者がともに減少傾向で、医療提供体制も十分確保できている」と、自ら真っ先に気を緩めたのだから。
東京都は新型コロナウイルスに感染しての入院患者数に、自宅やホテルでの療養者ばかりか退院者まで加え、病床使用率を高く見せかけてきた旨を、本誌(週刊新潮)は指摘してきた。だが、同じ29日、「ウィズコロナ宣言」をした彼女が訴えるのは、もはや状況の逼迫度ではないのだろう。
とはいえ、同じ首都圏でも神奈川や埼玉、千葉の自粛緩和基準よりかなり厳しいロードマップをいち早く作成した小池知事だったはずだが、都政関係者は、「週平均で1日あたりの新規感染者が20人未満、感染経路不明者が半分未満、感染者増加率が前週にくらべ1未満、という基準を超えたら、東京アラートを出すという話でした。しかし三つの指標の複数が基準を超えても、アラートはなかなか出さず、当初はそれぞれに最低2週間かけると言っていたロードマップのステップを、1週間で1から2に移行。世のなかの自粛疲れの空気をたくみに読んだのだと思います」と、変幻自在な変わり身を讃える。事実、感染症に詳しい浜松医療センター院長補佐の矢野邦夫医師は、「緊急事態宣言を解除すれば、感染者数がある程度増えるのは想定内のはず。過剰に反応する必要はない」と述べ、国際医療福祉大大学院の松本哲哉教授も、「東京アラートは、そう簡単には鳴らせないと思います。せっかく解除された段階で鳴ったら、都民の精神的ダメージや商業的な打撃が大きすぎます」
風見鶏にして渡り鳥も兼ねる小池女史、専門家たちのこうしたムードを、読み違えるわけがない。そんな彼女は、数値目標など簡単に無視できるらしく、日本感染症学会の専門医で、東京歯科大学市川総合病院の寺嶋毅教授は危惧する。
「アラート発令の基準を超えたのに発令しない理由を、小池知事は“総合的に判断した”と言いました。しかし、基準を明確化しないと、危ないのか、危なくないのか、よくわからなくなる恐れがあります」
34人の新規感染者が出た6月2日、初めてアラートを出してはみたが、先の都政関係者は看破する。
「締めつけも自粛の解除も、定量的ではなく定性的に行うということ。数値目標はあっても決めるのは彼女の腹ひとつ。小池知事は築地市場の豊洲への移転問題が紛糾した際、豊洲の土壌汚染について、数値的には安全でも“安心ではない”と、都民の不安を煽って支持率を上げた。そのときと同じことをしているのです」
さすがは過去の経験に学ぶ能力も高い。彼女の不安の煽り方に対し、京都大学ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授は、「小池知事のロードマップは、縮尺も方角もぐちゃぐちゃな地図を渡され、知事の“こちらが出口です”という案内通りに歩けば、遠回りさせられた挙句、行き止まりに連れていかれるような政策です」と酷評するが、実は、都知事選圧勝という出口にたどり着くように、道は描かれていたはずなのだ。しかも交通が滞りそうな気配を察すると、即座に「ウィズコロナ」を宣言するという微妙なさじ加減が、小池知事流である。もっとも、前都知事の舛添要一氏は、「東京都はロードマップのステップを2週間に1度しか動かさない、という判断基準が自分のなかにあれば、説明したうえで、それを守るはず。しかし、神奈川や千葉より厳しいと叩かれると、すぐに前倒しで移行してしまう。まったく節操がありません。“ウィズコロナ”というネーミングもひどい。横文字だと注目され、マスコミが飛びつくのを意識しているのでしょう。つまり、彼女の知名度を上げる目的のものですね」と、手厳しい。
都のロードマップを「行き止まりに連れていかれる」と、宮沢准教授は評したが、あながち間違いでもない。新型コロナの流行前、東京都には9345億円の財政調整基金、すなわち内部留保があったが、都に尋ねると現在の残高は、「未定の補正予算案を踏まえると、493億円」休業協力金の大盤振る舞いで蒸発したのだ。元東京都知事で、大阪府と大阪市の特別顧問を務める作家の猪瀬直樹氏が言う。
「財政的にピンチでは、第2波、第3波がきても対応できません。店舗などに再度、休業要請することになっても、この状態では補償ができない。本来、財務局が引き締めるのに、“使っちゃえ”と言うトップに逆らえなかったのでしょうか。財政調整基金は都民みんなの貯金なので、都庁内でどのように意思決定され、費用対効果はきちんと考えたのか、説明すべきです。先を考えない小池さんが行き当たりばったりで決めたなら、役人の士気が下がっている可能性があります」
事実、行き止まりだが、その前に知事選を越えられればよいわけか。23区で4月の生活保護申請が前年比4割増えてもわれ関せずで、「現場を見ていないから、本当に困った人に手を差し伸べることができていないのだと思う」(舛添氏)
風は読めても、海中は覗けない所以である。国際政治学者の三浦瑠麗さんは、「いまなにが民意に刺さるかを基準にする小池さんは、スローガンを言えば、実現したも同然だと考えるのでしょう。しかし、都民の経済活動を最大限抑制し、時間的猶予を与えた以上、知事が責任を負うべきは、医療体制の拡充を通じて経済活動をする環境を作ること。政治家なら、新たなデータや知見を踏まえ、悲観的なものから楽観的なものまで、感染症と経済をバランスさせる複数のシナリオを作るべきです。ところが、小池さんはスローガンばかりで、実質的な見積もりを作った形跡が見られないのです」と意見するが、それは風を読む作業とは異なる。小池知事に求めるのは、少々酷かもしれない。  
●水田昌宏の経歴! 小池百合子の「金庫番」&「同居男」M氏の真相? 6/11
いよいよ7月5日に迫ってきた次回の東京都知事選。立花孝志・小野泰輔など、色々な候補者は出てきているものの、小池百合子・東京都知事の出馬・再選が確実視されています。しかし、選挙が近づくにつれて、小池百合子に関する醜聞も多くなってきました。その中でも、しばしば名前が挙がるのがM氏の存在です。このM氏の本名は、水田昌宏。この記事では、小池百合子の「金庫番」&「同居男」と言われるM氏=水田昌宏と何者なのか、について取り上げます。
ベクトルトップとM氏の不透明な不動産取引
「小池百合子都知事の同居男性 都の業務委託企業トップと不動産取引」— 文春
文春オンラインでは、東京都から多額の業務委託を受けている「ベクトル」社のトップと、M氏との不透明な不動産取引について報じられています。
PR(広告)会社である「ベクトル」には、小池百合子が代表を務めていた都民ファーストの会や希望の党から、2017年だけで3億円近くの政治資金が支払われています。
また、小池百合子が都知事になって以降、東京都は、「ベクトル」社に対して、過去2年間で、約6千万円の業務を委託しています。
こうした「ベクトル」社との不透明な不動産取引が指摘されているM氏、すなわち、水田昌宏。
M氏=水田昌宏の経歴
小池百合子の遠縁の親戚?
水田昌宏は、1970年半ばに、兵庫県加古川市で誕生。現在は40代ですね。実家は、数百年続いた呉服店と言います。地元の高校を経て、早稲田大学に進学。この時、水田昌宏の母が、「小池百合子の遠縁の親戚」と主張して、ロシア留学への力添えを小池百合子に依頼。小池李百合子が認識していなかったほど遠縁関係は薄かったようですが、秘書に丸投げして対応。さらに、2002年、ロジアにいるはずの水田昌宏が、なぜか中国の公安に拘束された際にも、小池百合子が二階俊博にも相談して、釈放に繋げた、といいます。帰国後、水田昌宏は「北朝鮮の情報を持っている」として小池百合子に接近。小池百合子の口添えもあったのか、1年間、公安調査庁でも勤務しています。
小池百合子の「金庫番」?
水田昌宏は、小泉純一郎首相の下で、小池百合子が環境大臣を務めた時(2003年9月〜)には、大臣政務秘書官を務めました。その後、小池百合子の公設秘書も務めています。小池百合子が代表の「自由民主党東京都第十選挙区支部」や資金管理団体「フォーラム・ユユーリカ」の会計責任者も一時期務めていました。このため、水田昌宏は、小池百合子の「金庫番」と言われているわけです。
小池百合子の「同居男」?
小池百合子は、自身の選挙区だった練馬区江古田近辺に、エコな自宅、通称「エコだハウス」を所有しています。
「小池百合子さんの自宅「エコだハウス」 大豪邸ではないけど、さすがにセンスいいね。」
小池百合子の信頼を得た水田昌宏は、2010年、「エコだハウス」の土地2分の1、建物5分の1の共有者になります。さらに、水田昌宏は、自身の妻や子どもと一緒に、「エコだハウス」で小池百合子と同居を始めるのです。「エコだハウス」には、今でも「KOIKE」、「MIZUTA」という表札がかかっているといいます。小池百合子との同居は数年前に解消し、現在は、水田昌宏は近くに別のマンションを買っています。しかし、登記簿ではいまだに水田昌宏の自宅は「エコだハウス」のままとなっているそうです。このため、水田昌宏は、小池百合子の「同居男」と言われているわけです。
意見
小池百合子の「金庫番」&「同居男」である水田昌宏。本当にナゾが多く、まだまだ真相解明には至っていません。最近(2020/5)に出版されて話題の『女帝小池百合子』。東京都知事選に向けて、絶対に読むべき渾身のノンフィクションです。その書評のM氏に対するコメントも、印象的です。水田昌宏が、小池百合子を巡るキーパーソンであることは、間違いありません。
「個人的に印象に残ったのは、本書の後半に出てくる「謎の秘書」であるM氏の記述である。彼は、私がインターンをしていたときに事務所にいた(本書で人柄や雰囲気が描かれている通りのような感じの人だった)。本書で書かれている通り、M氏がどういう人なのかは事務所内でも謎だった。政治家事務所は情報の管理上、事務所に関わる人の経歴は、事務所内ではだいたい共有されていることが多い。しかしM氏については秘書の人たちもほとんど知らなかった。私とよく話してくれた秘書の方も「小池さんの親戚らしいけど、Mさんのことはよくわからないんだよね…」と言っていたのを覚えている。本書でも、著者は彼が何者なのかかなり丹念に調べているが、突き止められていない。個人的には、このあたりにいろいろ小池氏にまつわる何かカギがあるような気がしている。」  
●『女帝小池百合子』に学ぶ 6/11 
5月末に出版され、ベストセラーになっているノンフィクション『女帝小池百合子』。彼女の快進撃が、虚言で塗り固められたハリボテの上に成り立っていたことを突き付ける。私たちは本書から何を学び取ることができるだろう。
長大な弔辞のよう
読了とともに、長く重いため息が出た。小池百合子という政治家に死を宣告し弔おうとする、長大な弔辞を聞かされた気分だった。
いま、『女帝小池百合子』(石井妙子/文藝春秋)というノンフィクションが大きな話題となっている。著者は『おそめ』で大宅壮一ノンフィクション賞などの候補となり、『原節子の真実』で新潮ドキュメント賞を受賞するなど、綿密な調査と筆力に定評のある、人気女性ノンフィクション作家。『文藝春秋』で話題となった記事をまとめたものだが、このコロナ禍で私たちはテレビ画面で小池を連日見続け、再び多少なりとも親近感を持つがゆえに、ここに書かれた「小池百合子」という人物の裏側に、少なからず裏切られ、なんだか傷つき、消耗するのである。
カバーそでには、このように書かれている。
“女性初の都知事であり、女性初の総理候補とされる小池百合子。「芦屋令嬢」、破天荒な父の存在、謎多きカイロ時代。キャスターから政治の道へ、男性社会にありながら常に「風」を巻き起こし、権力の頂点を目指す彼女。誰にも知られたくなかったその数奇な半生を、つきまとう疑惑を、百人を超える関係者の証言と三年半にわたる綿密な取材のもと描き切った。
あなたは一体、何者なのですか——”
次々に導き出される残酷なファクト
すでに先行報道で、この本をきっかけとした小池百合子のカイロ大首席卒業疑惑が再燃しているのをご存じの読者も多いだろう。読みながら、途中で何度も鬱々うつうつとした気分に襲われて心が折れそうになった。この著者は、なんという本を書いてしまうのだ。証言者たちの言葉から、私たちが能天気に眺めていたニュースのあの場面の裏側から、残酷な“ファクト”が次々と導き出されては並べられる。舛添要一と小池百合子が付き合っていたとか、その復讐がどうとか、脳が想像を拒否している。しかも著者の執筆の動機が、小池の学歴詐称疑惑などから湧き出た人格的な疑問=「人間的な在りよう」にあるから、事実への執着はあっても小池への愛がない。これが読んでいてつらい。
莫大な労力と時間が注ぎ込まれたファクトだらけの世界へ、才気溢れる著者の筆でグイグイと連れていかれる。それは確かだ。「暴露本」と断じた不公平な新聞書評もあったようだ。だがそういう感想を持つ人がいたとしても少しは理解できてしまうほど、どんなに小さくてもいいから光の見える出口が著者によって用意されていたらと願うのは、ナイーブだろうか。
小池百合子の生い立ちや学生時代のさまざまな無体の描かれ方も、人間として未熟な時期であることを傍わきに置いて容赦がなく、人間性を根本から疑うような内容になっている。その小池が社会に出たあとの様子は、計算高い銀座の新人ホステスがナンバーワンに駆け上がるサバイバル譚だと思って読めば、むしろ腑に落ちるかもしれない。
全体的に、登場人物の誰にも救いがないあまりのストイックさ(?)に、軟弱な私はもうノンフィクションを読まないかもしれない、と消化しきれない疲労感の中で本を閉じた。昭和後期から平成にかけて彼女の周りに群がったマスコミや政財界の登場人物全て、あまりにも小狡く愚かに描かれてしまった男にも女にも失望してしまうのは、そのころ思春期だった私にとって彼らは憧れの政治家や経営者や「論客」や「キャスター」だったからだろう。厳しくも一切手を緩めることのない、渾身のノンフィクションによって、読者は「小池百合子とは、常人の理解を超える化け物だったのだ」と当惑と失望のただ中に置いてきぼりにされ、ひどく傷つき、消耗する。
これが戦後女性解放の答えなのか
膨大な資料と綿密な聞き取りから、小池百合子という女性の67年の半生が全否定される。これまでの日本で、無邪気な百合子フィーバーとして共有されてきた気分に一切の共感を示すことなく、「小池百合子の裏切り」と「小池百合子を信じた者たちの愚かさ」を遠慮なく指摘するこの本。著者は終章でこう書く。
“私はこれまで女性の評伝を書くことを作家として、もっぱらとし、男性優位の日本社会の中で近代を生きた女性たちの煩悶を、無念を、希望を綴ってきた。(中略)。それなのに、気持ちは重く塞ぐばかりだ。彼女の快進撃を女性の解放として、女性が輝く権利を手にしたとして、これまでの女性たちの苦難の道の末に咲かせた花であるとして、受け取り、喜ぶことが、できない。(中略)。戦後女性の解放の、これが答えなのかと考えさせられ、答えが出せないでいる。”(p.425〜p.426)
後進の女性たちは何を学び取るか
私はコラムニストとして、女をテーマに、女たちに勇気と希望を持ってもらいたくて書いてきたつもりだったが、この著者と共に、なんだかすっかり心が折れてしまった。いろいろな女性有名人がマスコミであれこれ取り沙汰されるのを、「男性であったならこういう扱いはされなかっただろうに」と同情しながら、だけど基本的に応援する視線を失わぬよう努めてコラムにした。
ベッキーも安室奈美恵も渡辺直美も小池百合子も滝川クリステルも誰も彼も、私自身はその女性に積極的な興味などホントはたいして持っていなくたって、世間の女たちが話題にしたり熱狂したりするのならそこには何かしら時代の偶像としての意味があるのだと考えて、その魅力を探して掬すくい取った。片目をつぶって、もう片目で見る。それが人間を愛しながら、人間臭さを描くことだと思っていたから。
だが、2020年になってやっと日本初の女性総理候補とされる小池百合子が、内なる狂気を飼っているとしか思えない「政治ゴロ」の父親に振り回され、だが結局は父親と同じようにデコボコで無茶苦茶でなりふり構わぬ醜態を晒しながらなんにもない砂漠に道を拓ひらいた数十年の歴史のウソが詳細に克明に暴かれ、「快進撃」は虚言で塗り固められたハリボテだったと知って、後進の女たちが学び取ることはなんだろう。
それは、著者が当惑し嘆いている通りに「日本ではまともな女は活躍なんてできない」、そして「女だてらに活躍なんかするもんじゃない」という悲しい結論だ。
他のどんな女性だったら、都政のトップに立てたのか
まず、“普通の”女は男性優位社会では生き残れない。そして生き残っても、人生の隅々まで世間に監視される。目立っちゃいけない、変わったことはしちゃいけない、人前になんか立つものじゃない、そんなのペイしない。無遠慮に眺め回され、ああだこうだ無責任に下品にからかわれ揶揄やゆされ消費され、ワキの甘さがあれば全部調べ上げられてボロクソに人格否定されるだけ、ってことだ。
この本を読んだ若い世代の女性たちは、間違っても女として生きる将来なんかに希望を持たないだろう。「引き受ける」人生を送る勇気を持たないだろう。
戦後初めて国政のトップに指をかけるところまでたどり着けた女は、小池百合子だった。本書が指摘する通り「名誉男性」だ。ミニスカにハイヒールで女らしさを隠しもしない美人だ。アンチが言うには嫌味ったらしい横文字と論理一貫しないくせに鮮やかな弁舌が武器だ。噂うわさされる通り、いろいろな「権力と寝た女」なのだろう。叩いても埃が出ないなんてわけもない、グレーなうさんくささを否定できない政治家だ。御年67、周りに男しかいない昭和から平成の政界を、反転して男だったならもしかしたら数々の武勇伝として英雄伝説を飾ったかもしれない手法を駆使して巧みに泳いできたのだ。
では、他のどんな公正無私な女性だったら、2016年の日本で都政のトップに立てただろう? 他のどんな「みんなで仲良しこよし」「人目を引かず万人に適度に侮られる容姿と能力」「人脈にも運にも謙虚で恵まれない」女性なら、諸手を挙げて都政のトップに歓迎されたのだろう?
築地市場の豊洲移転問題で、小池百合子の言葉にだまされたという女将さんは、本書でこう呟いて涙を浮かべる。
「女の人が嘘をつくなんて。私、思わなかった……」
“女の人”が嘘をついたのではない。“政治家”が嘘をついたのだ。そして女は神聖でも公平でもなんでもないことを、私たち女は知っているはずだ。 
 6/12
●出馬会見で「不快感」露わの瞬間 「揶揄するご質問かと思いますけれど...」 6/12
東京都の小池百合子知事(67)が2020年6月12日、東京都知事選(6月18日告示、7月5日投開票)の再選を目指して立候補することを表明した。
小池氏は標語として「東京大改革2.0」を掲げたが、その前提には「1.0」の検証が不可欠だ。小池氏は16年の都知事選で、「7つの0(ゼロ)」を掲げた。そのひとつが「満員電車」だったが、その進捗について質問した記者に対して「まぁあの、揶揄(やゆ)するご質問かと思いますけれど...」などと不快感を示す一幕があった。
「7つの0」達成度聞かれても2つにしか言及せず
記者会見は約50分にわたって行われた。小池氏は今回は「出馬表明」の会見だとして、政策については改めて会見を開くと説明したものの、出馬表明と政策は不可分で、政策に関する質問も多く出た。
小池氏は16年の都知事選の選挙公報で「7つの0を目指します」とうたっており、ゼロにする対象として「待機児童」「介護離職」「残業」「都道電柱」「満員電車」「多摩格差」「ペット殺処分」を挙げていた。今回の会見の冒頭発言では、この7つのうち「待機児童」について「4年前の当時、8466名待機児童がいらっしゃったが、今は約2000人台。四半世紀ぶりの減少になっている」などとアピールした。
記者から改めて「4年前に様々な公約、『7つの0』などを掲げて(当選した)。4年を振り返って自己採点をするとすれば何点か。思ったように進められなかった政策はあるか」と問われると、待機児童の減少について繰り返した上で、介護離職について「かなり進んできたところもある」と発言。残りの5つについては言及せず、「何点かというのは、むしろ都民の皆様方に採点いただくものだと考えている」とするにとどめた。
会見の終盤でも、公約の達成度を問う質問が出た。記者の質問は、「現職なので4年間を振り返ることは非常に大事だと思うが、4年前にスギ花粉ゼロとか2階建ての山手線とか(言及していた)。コロナで若干満員電車は減ったが、実際知事になって(都政を)やってみて、『やっぱりこれ、無理だな』と思ったのか、あるいは次の4年間でスギ花粉や2階建てとか、そういうのも、まだまだ進めていくお考えなのか」というもの。小池氏は「満員電車ゼロ」をめぐって、電車を2階建てにするアイデアを披露していた。「花粉症ゼロ」は、16年の都知事選公約の「7つの0」ではなく、17年の衆院選で自らが代表として率いた希望の党が公約として掲げた「12のゼロ」のうちのひとつだ。
「引き続き、色々なところと連携しながら進めていく」
質問を聞いた小池氏が、苦笑いしながら発した一言が「まぁあの、揶揄するご質問かと思いますけれど...」。なお、「揶揄」とは「からかうこと。からかい」(広辞苑)の意だ。その上で、花粉症については「スギ花粉については100年の計だとは思うが、今花粉の少ない木に、段々と入れ替えている。これも着実に進めている。4年というターム(期間)で考えるか否か、だと思うが、テーマとしてきわめて重要なもの」などと説明。満員電車については、新型コロナウイルス対策でテレワークが普及したことを指摘しながら、「これから法令的なテレワークの位置づけをどうしていくのか。このあたりは、これからの大きな、これはむしろ国としてのテーマでもあるのではないか」とも主張した。その上で、「引き続き、色々なところと連携しながら進めていく」とした。
都知事選には、元日弁連会長の宇都宮健児氏(73)、元熊本県副知事の小野泰輔氏(46)、 NHKから国民を守る党の立花孝志党首(52)らが出馬を表明している。
小池氏は政党の推薦などは受けない方針だが、自民党・二階俊博幹事長は支援の姿勢を強調、公明党も事実上の支援に回るとの見方が強い。宇都宮氏は立憲民主党、共産党、社民党から支援を受ける。小野氏は日本維新の会の推薦を受けている。れいわ新選組の山本太郎代表(45)も出馬を検討しており、山本氏の動向が野党票の行方を左右しそうだ。 
 6/13
●小池都知事はカイロ大学を卒業していたか? 6/13
小池百合子・東京都知事の半生を描いたノンフィクション『女帝小池百合子』が話題になり、なかなか書店で手に入らない。伝手をたどってなんとか入手した本書を読み、さまざまな「物語」に彩られた人物像に驚愕した。
読者の最大の関心は「カイロ大学を首席で卒業した」とされる経歴の真偽だろう。そのことにふれる前に、著者の石井妙子氏とこの問題のかかわりについて言及したい。
石井氏は1969年生まれのノンフィクション作家。白百合女子大学卒業、同大学院修士課程修了。伝説的な「銀座マダム」の生涯を描いた『おそめ』は、大宅壮一ノンフィクション賞などの最終候補となり、一躍注目された。『原節子の真実』で新潮ドキュメント賞を受賞。女性をテーマに手堅い取材で定評がある人だ。
カイロ時代の知人から手紙
前回の都知事選(2016年)後に、月刊誌の依頼で小池都知事について取材を始めた。著書やインタビュー、対談の記事を読むうちに、話の辻褄が合わないことに気がついた。
カイロ時代を知る研究者、ビジネスマン、マスコミ関係者らの口は重かったが、取材を重ね、「小池百合子研究 父の業を背負いて」、「男たちが見た小池百合子という女」、「女たちが見た小池百合子『失敗の本質』」を発表した。
すると、カイロ時代に小池氏と同居していたという女性、早川玲子さん(仮名)から、「文藝春秋」編集部気付で石井氏に手紙が届いた。
「小池さんがカイロ・アメリカン大学に、正規の学生として在学していたかは不明と言えます。カイロ大学は1976年の進級試験に合格できず、従って卒業はしていません。小池さんは『カイロ大学を卒業。しかも首席』という肩書を掲げて今日の栄光を勝ち得た訳ですが、私は彼女の自分語りを、あたかも真実のように報道している日本という国のメディアの浅薄さを感じずにいられませんでした」
石井氏はカイロに飛び、当時の手帳、メモ、資料をすべて譲り受け、現地で調査。「文藝春秋」2018年7月号に「小池百合子『虚飾の履歴書』」を発表したが、反響は少なかった。1週間後に都知事会見でこの件が質問され、小池氏は「卒業証書もあり、カイロ大学も認めています」と答え、都議会で「法的な対応を準備している」と述べたが、今日に至るまで、石井氏は訴えられていない。
こうした経緯を踏まえた上で本書は刊行された。100人を超える関係者の証言をもとに、以下の構成になっている。「序章 平成の華」「第1章 『芦屋令嬢』」「第2章 カイロ大学への留学」「第3章 虚飾の階段」「第4章 政界のチアリーダー」「第5章 大臣の椅子」「第6章 復讐」「第7章 イカロスの翼」「終章 小池百合子という深淵」。
テレビキャスター、国会議員、都知事といかにしてステップを駆け上がって行ったかがわかる。
中でも「卒業問題」にかかわるカイロ時代の生活ぶりが詳細に書かれている。小池父娘が当時、頼りにした浪速冷凍機工業(ナミレイ)元会長の朝堂院大覚(松浦良右)氏の証言が興味深い。
「勉強に励んでいるようにはまったく見えなかった。親父の商売手伝ったり、空手の雑誌作ったり、そんなことしとったんだから。ワシはカイロ大は聴講生だと思っておったよ。勇二郎はワシにさかんに百合子を売り込んできよって、百合子もワシに近づこうとする。おそろしい親子だと思うた」
アラビア語の難解な文語で講義
ところで、カイロ大学とはどういう大学なのか。BOOKウォッチで以前紹介した浅川芳裕氏(同大学中退のジャーナリスト)の『カイロ大学』によると、形の上では、カイロ大学はエジプトの国立総合大学だが、中東など幅広いアラブ・イスラム諸国から多数の留学生がやってくる。いわばこの文明圏の「エリート養成所」だという。
サダム・フセイン元イラク大統領(1961年、法学部中退)、アラファトPLO議長(55年、工学部卒)、ガリ国連事務総長(46年、法学部卒)、石油ショックの時に世界を揺るがしたサウジアラビアのヤマニ元石油相(51年、法学部卒)、アルカイダ指導者のアイマン・ザワヒリらを輩出している。
石井氏によると、カイロ大学で学生を苦しめるのは大学で使われる言語だそうだ。エジプトでは口語(アーンミヤ)と文語(フスハー)が明確に分かれており、大学の教科書は文語で書かれ、講義も文語でなされる。大変難解で、アラビア語を母国語とする人でも苦しむという。
「アラビア語の口語すら話せなかった小池が、文語をマスターして同大学を四年間で卒業する。そんなことは『奇跡』だと嫌味を込めて語る人は少なくない」
この問題は石井氏だけでなく、国際ジャーナリストの山田敏弘氏やカイロ・アメリカン大学大学院の卒業生である作家の黒木亮氏も調査し、それぞれ雑誌に発表していることも紹介している。
カイロ大学は従来から「小池都知事は卒業している」としており、先日も同様の声明を発表したばかりだが、石井氏はその理由にもふれている。
学歴なんか政治家の実力に関係ない。卒業でも中退でもどうでもいい、という人も多いだろう。しかし、石井氏はこう書いている。
「出てもいない大学を出たと語り、物語を作り上げ、それを利用してしまう。彼女の人間としての在りようを問題視している。彼女は学歴と中東での経歴を最大限に利用し、政治的源泉として今の地位を手にした。しかし、それが虚偽であったなら、公職選挙法を持ちだすまでもなく、その罪は問われるべきであろう」
小池氏が世に出るきっかけを作った記事を書いたり、政界へ紹介したりしたとされるメディア関係者の中には、評者が知る人もいる。本書を読み、先輩たちの不明を恥じ入るばかりだ。 
 6/15
●都知事選公約に「はんこレス」 カイロ大卒業証書を公開―小池氏 6/15
東京都の小池百合子知事は15日、再選を目指す都知事選(18日告示、7月5日投開票)での公約を発表した。「都民ファースト」の視点で行財政改革に取り組むとして、行政のデジタル化に力を入れると強調。ペーパーレス、はんこレス、キャッシュレス、タッチレスの「四つのレス」を推進する考えを明らかにした。
一方、週刊誌などで報じられた学歴疑惑に関して、カイロ大学の卒業証書とする書類を報道陣に公開した。小池氏は「政策論争よりも卒業証書の話ばかりが出てくるのは(選挙戦に)ふさわしくない」と述べた。
公約ではまず、コロナ対策で米疾病対策センター(CDC)の東京版創設を提唱した。「既にある施設の機能を集約しながら平時と有事の体制を整える」と説明。検査や医療体制を強化するとともに、ワクチンと治療薬の開発を支援すると強調した。
その上で、「稼ぐ東京」へ次世代通信規格「5G」の基盤整備、「人が輝く東京」に向けて待機児童対策などを掲げた。  
●「新たな感染者47人」でも東京アラートを発令しない本当の理由 6/15
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(6月15日放送)にジャーナリストの須田慎一郎が出演。東京都で14日、新たに47人の新型コロナウイルス感染者が確認されたニュースについて解説した。
東京都、夜の街を中心に新たに47人感染
都内で14日、新たに47人が新型コロナウイルスに感染していることが確認された。うち18人は新宿区の同一のホストクラブで働く従業員などが集団検査を受けた結果判明した。1日の感染確認が40人以上となるのは5月5日以来となる。
飯田)その他5人は、集団感染が起きている小金井市の武蔵野中央病院関連だということです。47人ということで、まだまだ警戒が必要だなと思うところですが。
47名という感染者数なのに東京アラートが発令されないのはなぜか
須田)ただその一方でニュースとして取り上げられたのは、にも関わらず、東京アラートが発令されなかったということです。東京アラートの発令基準というものがあって、これは1週間の平均ではあるけれども、「新規感染者20人以上」という基準があるではないですか。そうすると、明らかに東京アラートに抵触する状況です。しかし、まったく東京サイドは無反応で、東京アラートの「と」の字もないという状況です。しかも、いままで自主的に規制されて来た業種については、19日をもって全面解除になるわけです。
飯田)それは既に発表されていますよね。
都知事はすでに選挙態勢に入っている〜都知事選のための東京アラートだったのか
須田)いちばん厳しい規制であった、キャバクラやホストクラブです。ところがよく考えてみると、方針が決定された日から19日までの間は、1週間近く開いているのです。その間に激増したらどうなるのだと。つまり、もうあらかじめ「東京アラートは鳴らさないし解除する」という方針が事前に決まっていたのではないか。そうすると、それ以前にして来た措置というのは、どういう意味があったのかということ。東京アラートはほとんど無意味だったのではないか、ということにもなりかねないのです。規制すらも意味がなかったのではないかとなりかねない。たまたま東京都知事選挙が18日告示です。先日、小池知事は出馬表明もしました。もう選挙態勢に入っているから、そちらの方にこだわっていられない。選挙モードに入ったのだから、ということも考えると、どうも東京アラート等々含めて、これまでのことは、都知事選を強く意識してのことだったのではないかと思います。
飯田)コロナの話は当然人命に関わる話でもあるから、選挙とは別にきちんとやって欲しいなと、都民なら思いますよね。
東京都知事候補としての活動に集中するために「東京アラートは終わり」
須田)それがずっと続いて行くと、東京都知事候補者としての活動と、都知事としての現職の仕事を分けてやらないといけない。優先度合いからすればどちらかというと、東京都知事としての現職の役割があるわけではないですか。そうすると選挙活動ができなくなるのではないかということもあったから、そちらに集中するために「これは終わり」というようなことでしょうか。
飯田)「ここまで抑え込んだ」という実績の部分でアピールもできると。ただこうやって感染者数がもし、この先どんどん伸びて行くということになると、そうも言っていられないですよね。
須田)そのときにどうするのですかと。東京都知事としての仕事はどうするのかが問われかねないと思います。
飯田)東京都知事選挙は6月18日(木)告示、7月5日(日)投開票です。山口節生さん、込山洋さん、立花孝志さん、七海ひろこさん、宇都宮健児さん、小野泰輔さん、桜井誠さん、竹本秀之さん。それから久田真理子さん、平塚正幸さん、小池百合子さん、市川浩司さん、石井均さん、古田真さん、長澤育弘さんという方々が立候補を表明されています。 
●小池知事の卒業証書 エジプト政府紙、過去に不正卒業を示唆か 6/15
カイロ大学を主席で卒業したとのプロフィールに詐称疑惑が浮上していた小池百合子東京都知事は15日の会見で、カイロ大の卒業証書と卒業証明書を公開したが、これがいっそう疑惑を深めているようだ――。
小池氏の学歴詐称疑惑を告発した書籍『女帝小池百合子』(文藝春秋/石井妙子著)が5月29日に発売され、約2週間で15万部を突破。ノンフィクションとしては異例のベストセラーとなり、世間の注目度が無視できないほど高まったと判断したのか、小池氏は自ら卒業証書を公開するという手段に出た。テレビ局関係者はいう。
「新聞やテレビなど大手メディアでこの問題を追及する気配は皆無。小池氏の定例会見などでも都庁記者クラブ所属のメディアからは、この問題に関する質問は出ず、12日の都知事選出馬会見でも1回だけフリーの記者から質問が出ただけでした。しかも小池知事は『卒業云々については、すでに何度もカイロ大学は認めているということを申し上げて参りました』などと言った後、その記者が質問を続けようとしているにもかかわらず、一方的に質問を打ち切っていました。小池知事の再選確実が濃厚のなか、記者クラブメディアはどこも都から情報をもらえなくなるのを恐れて、一様にこの件には触れない姿勢です」
大手メディアに追及を期待するのは難しいようだが、小池氏が15日に提示した卒業証書の内容について、ある疑問が広がっているという。
「卒業証書では卒業年月が『1976年10月』と記されていますが、小池氏は過去の著書で“72年10月に1年生としてカイロ大学に入学”“1年目に落第して進級できなかった”と記しており、小池氏が卒業した文学部社会学科は4年制のため、もし通常のプロセスで卒業したのであれば入学4年目に当たる76年に卒業したというのは辻褄が合いません。
ちなみに『女帝』では71年に関西学院大学に入学するも同年に中退し、72年にカイロ大学に2年次から編入したという当時の小池氏の同居人の証言も掲載されていますが、エジプトの国立大学の制度上、正規のルートでは小池氏が2年次から編入することはできないと、すでに多くの識者から指摘されています。このように今回の卒業証書の提示だけでは、何も疑問が解明されていません」
エジプト政府を通じて卒業の声明が出された意味
エジプトの大学では入学・卒業をめぐり不正が横行しているという指摘は、これまでも数多くなされている。たとえばカイロ・アメリカン大学大学院中東研究科を卒業した作家の黒木亮氏は、5月30日付「現代ビジネス」記事『カイロ大学の深い闇…小池百合子が卒業証書を「出せない」理由』で次のように記している。
<ベテランのエジプト人ジャーナリストは「エジプトの有力政治家が『この人物を卒業生にしろ』と命じれば、学長は職員に命じて卒業証明書や卒業証書を作らせる。職員は入学記録や初年度の成績などを参考に成績表も偽造し、大学内の記録も含めて形式的に完璧にする。したがって書類だけを見れば瑕疵がない、これはエジプトでは当たり前のことで、事務的に処理される」と述べる>
<エジプトの国立大学による不正な卒業証書の発行は現在も続いており、2015年にはカイロ大学のガーベル・ガード・ナッサール学長がエジプトの民放に出演し、7、8年前(すなわち2007、8年)から大学教授、職員、政治家などが関与して、不正に卒業証書が発行されており、ナッサール学長自身、卒業証書発行業者がカイロ大学の職員の手引きにより、大学内の講堂を使用し、資格取得のための講習をしているのを番組の2週間前に偶然目撃したと話している>
霞ヶ関の官僚は語る。
「エジプトは2017年までの累計で日本から総額1兆円以上の経済援助を受けており、2018年の1年間だけで300億円以上の援助を受けています。そして小池氏は日本では自他共に認める“エジプト通”の政治家として知られ、エジプト政界と太いパイプを持っている。さらに閣僚経験者で政権与党の自民党から支持を得ているとなれば、エジプト政府が小池氏をどのように扱うのかは、容易に想像できます。 今回の疑惑浮上を受け、わざわざエジプト大使館、つまりエジプト政府を通じてカイロ大学から小池氏の卒業を証明するという声明が出されたこと自体が、事の異常さを物語っています。日本をはじめとする先進国の政府や大学が、一個人の卒業をめぐってそのような行動を取ることはあり得ません。この問題が極めて政治的な意味合いを帯びたものであるということが、強く印象付けられます」
“主席卒業”にも深まる謎
小池氏とエジプト政府の関係については、カイロ大学OBのジャーナリスト、浅川芳裕氏が6月12日付JBpress記事『カイロ大「小池氏は卒業生」声明の正しい読み解き方』で次のように指摘してる。
<政府系新聞アハラーム紙の記事(2016年8月3日付)です。「ハーテム情報大臣の支援を受け、彼女は社会学科を卒業。彼は小池を自分の子供のようにみなしていた」(抜粋)とあり、ハーテム・小池後ろ盾説をエジプト政府(系新聞)が公認した内容です。>
これについて前出と別の全国紙記者はいう。
「小池氏が“正規のルート”でカイロ大学を卒業したのではなく、何か不正な手段によって卒業したと、エジプト政府がお墨付きを与えているようにも受け取れます。
“主席卒業”というプロフィールについても、小池氏は2018年の会見で都議の質問に答えるかたちで『当時の担当教授の言葉を鵜呑みにした。そのことでうれしくなって、最初の本にはそう書いた覚えがある』『先生に“非常にいい成績だった”とアラビア語で言われ、うれしかったことは覚えている』と明かしており、根拠が薄い。もちろん今回公開された卒業証明書にも“主席卒業”とは書いておらず、謎は深まるばかりです」
改めて小池氏には、説明責任が問われている。 
●小池知事、カイロ大学の卒業証書原本を公表 6/15
東京都知事選(6月18日告示、7月5日投開票)に出馬する意向を表明している小池百合子都知事(67)が6月15日、都知事選の政策を発表する記者会見を開いた。この会見の終了後、小池知事は議論の的となっている「卒業証書」の原本を選挙スタッフを通じて公開した。
小池氏は、「これまでも何度も私は公表してきたということをお答えしております。このことについて、政策論争よりも卒業証書の話ばっかり先に出てくるのは、これはふさわしくないと考えております。何度も公表させていただいているものでございますので、今日はご自由にご覧頂きたいと存じます」と述べた。
小池氏をめぐっては、これまでも最終学歴として発表しているエジプト国立カイロ大学を卒業していないのではないかという疑義を伝える週刊誌の記事などが報じられてきた。
石井妙子氏の近著『女帝小池百合子』でも学歴疑惑について、かつてのルームメイトの証言とともに言及され話題になった。
カイロ大学「卒業証書は正式な手続きで発行」と声明を出したが… 小池氏のカイロ大学卒業の経歴をめぐっては、カイロ大学が6月8日に学長名で「小池百合子氏が、1976年10月にカイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する」「卒業証書はカイロ大学の正式な手続きにより発行された」という声明を出した。駐日エジプト大使館は翌9日、非公式の翻訳文でカイロ大学の声明を発表した。
今回の卒業証書の原本公表は、都知事選の前に学歴をめぐる疑惑を払拭しておきたいという狙いがあると見られる。
一方、エジプトの国立大学が政府、特に軍や治安当局の管理下に置かれていることを踏まえて、大学側は「卒業」自体を認めているが、小池氏が正規の手続きで卒業したかは疑いがあるという声もある。ただ現時点で、卒業に際して実際に不正があったとする証拠はなく、カイロ大学の声明を否定できる物証や当局者の証言などはない。 
●小池百合子 繰り返される学歴問題に「結論」が出ないわけ 6/15 
再選を目指し立候補を表明した東京都知事の小池百合子氏が、これまで最終学歴として公表してきたエジプトの名門・国立カイロ大学を、実際には卒業していないのではないかという複数の記事が週刊文春などに掲載され、石井妙子氏による評伝「女帝小池百合子」も出版され、話題となった。
そこに駐日エジプト大使館が6月9日、「小池氏がカイロ大を卒業したことを証明する」という、カイロ大学長名の声明を公表した。何が起きているのか。
カイロ大学当局が小池氏の卒業を認めるのは、これが初めてではない。
というのも、これまでも選挙が近づくたびに何度も同じ話が持ち上がり、新聞社や通信社、NHKなどカイロに特派員を置く報道各社の多くは、小池氏の卒業をカイロ大に確認したり、それを証明する書類を入手したりしているからだ。
特派員としてカイロに勤務した経験がある私も、小池氏の卒業を証明する書類を目にしたことがある。
こうした背景もあり、新聞やテレビの報道番組がこの話を取り上げる事はほとんどなかった。大学側が卒業を認める以上、それを覆すのは難しいからだ。
それなのに「疑惑」はたびたび持ち上がってきた。なぜ、すっきりと解決しないのか。
繰り返し浮上する「疑惑」
2005年夏、私は新聞社の特派員としてカイロに勤務していた。この年の8月8日、当時の小泉純一郎首相が郵政民営化法案への賛否を巡り衆議院を解散。「郵政選挙」が始まった。もともと兵庫県が地盤だった小池氏は、民営化反対派への「刺客」として東京10区に鞍替え立候補した。
この時、勤務先の東京本社から「小池氏がカイロ大学を卒業していないという噂がある。カイロで裏を取れないか(確認できないか)」という問い合わせの電話があった。
報道機関は、候補者が公表する経歴の裏をできる限り取る。候補者が虚偽の経歴を公表すれば公職選挙法違反となる可能性があるし、そもそも読者(有権者)に事実でない情報を提供するわけにはいかないからだ。
どうやって大学の関係者を探して確認しようかと考えつつ、隣室にいる上司のカイロ支局長のところに行き、「こんな電話がありました」と告げた。
すると上司は、しばらく机の引き出しをごそごそと探った。「実はね、以前の選挙の時にも本社から同じような問い合わせがあって、調べたんだよ」
自分で調べようと思っていたので、すでに記録があると知り、拍子抜けした。「選挙のたびに同じ話が来るね」。そう言って、紙袋に入れて保管していた小池氏の卒業記録を取り出し、見せてくれた。
15年前のことなので、残念ながらどんな体裁の書類だったのかは、はっきりと覚えていない。ただ、アラビア語で「ユリコ・コイケ」という名前や「卒業を証明する」といったような文言があったと思う。
上司はエジプト留学経験者で、アラビア語が堪能だ。カイロ大にも顔が広く、親しい教授もいた。支局のエジプト人スタッフにも、出入りする地元ジャーナリストにも、カイロ大出身者がいた。おそらく、こうした人脈から手を回して入手したのだろう。
選挙の候補者による学歴詐称は通常、候補者が卒業したと主張した大学が、メディアの問い合わせに「そのような記録はない」と回答することで発覚する。
小池氏の場合、卒業を証明する記録は存在した。候補者の経歴確認の作業としては、普通はそれで十分だ。
「では、この書類は僕が本社に送っておくよ」と、上司はファックスで送信し、本社側と電話でやりとりした。
小池氏が第一次安倍政権の防衛相として入閣した2007年7月、今度は東京本社の別の記者から私に、メールで問い合わせが来た。
「小池氏がカイロ大を卒業していないという噂が...」
「2005年に書類を本社に送っているので、そちらにファイルが残っているはずですよ」と返信した。話はそれで終わった。
エジプト大使館が大学の声明をアップ
東京都知事選の告示が近づく中、小池氏の学歴問題はまたもやクローズアップされた。週刊誌の記事だけでなく、「疑惑」を記した本も出版された。
駐日エジプト大使館は6月9日、Facebook上で、「小池氏の卒業を証明する」という内容の、カイロ大学の公式声明を公表した。
大学側の声明原文(英文)に駐日大使館が添えた「非公式翻訳文」の全文は、以下の通りだ。
「カイロ大学は、1952年生まれのコイケユリコ氏が、1976年10月にカイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する。卒業証書はカイロ大学の正式な手続きにより発行された。
遺憾なことに、日本のジャーナリストが幾度もカイロ大学の証書の信憑性に疑義を呈している。 これはカイロ大学及びカイロ大学卒業生への名誉毀損であり、看過することができない。
本声明は、一連の言動に対する警告であり、我々はかかる言動を精査し、エジプトの法令に則り、適切な対応策を講じることを検討している。
モハメドオスマンエルコシト教授・カイロ大学学長」
訳文の上部には、エジプトの象徴・鷲とアラビア語で「エジプト・アラブ共和国」と書かれた国章がある。「非公式翻訳文」ではあるが、政府発行の文書であることがわかる。エジプト政府も小池氏のカイロ大卒業を暗黙のうちに認めている、ということだ。
声明原文には右上にアラビア語で「カイロ大学学長室 発行番号376 発行日2020/6/8」とスタンプされており、こちらも学長室が正式に発行した文書である事が分かる。
それでは、これで問題は幕引きになるのかといえば、そうとは言えないかもしれない。理由はいくつかある。
声明にある「正式な手続きで卒業」の意味
カイロ大学声明の内容のまとめると、要点は以下の通りだ。
小池氏の卒業を証明する。卒業証書発行は正式な手続きで行われた。日本の報道陣は繰り返し、証書の信憑性を疑ってきた。それは大学と小池氏への名誉毀損である。これは警告だ。従わなければエジプトの法令に沿い対応策を練る。小池氏の卒業を証明するだけでなく、その手続きの正当性や「警告」にまで、わざわざ触れている。
2005年に卒業記録を見た時、私は当時の上司に「それ、本物なのですか?」と尋ねた。
上司はこう言った。「書類の出所は間違いない。だが、どういう経緯でこれが発行されたのかまでは、分からない」
私たちが当時、そんな会話をした理由は、必ずしも「小池氏が不正な手段で卒業した」あるいは「書類は偽造」と考えていたということを意味しない。
しかし、公文書や公共機関の下す決定の意味が、日本とは異なる部分がある、と、それまでのエジプトでの取材経験から感じていたことが、その背景にある。
教育分野で相次ぐ汚職の噂
世界の汚職問題を専門とする国際NGOトランスペアレンシー・インターナショナル(TI)が発表する腐敗認識指数で、エジプトは180ヵ国中106位。例年、低位に沈んでいる。
TIは、その理由の一つとして、エジプト軍が政治権限から民生分野の製造業まで幅広い権限を独占している背景がある、と指摘している。
エジプトでは、「自由将校団」によるクーデターで政権を握ったナセル大統領以来、空軍出身のムバラク大統領が退陣した2011年の「アラブの春」後の一時期を除いて、国の主役はエジプト軍であり、軍人が大統領となる構図が続く。
カイロ大学は1908年開学の中東アフリカで最大規模の総合国立大学だ。
学生数は23万人にのぼる。エジプトでは最も権威のある大学で、アラブ圏などから多くの留学生を集め、文化戦略面からも国家の威信をかけた存在といっていい。
しかし、エジプトの各国立大学は政府、特に軍と治安当局の管理下にあり、日本や欧米と同じような意味での「大学の自治」は存在しない。
カイロ大学のゲートは治安部隊員や委託の警備員らが管理し、自由に出入りすることはできない。報道関係者が教授にインタビュー取材する際は、入り口で警備員にその旨を伝え、確認を取った上でないと入ることはできない。
大学の動きは全て、当局の監視下にある、ということだ。日本の国立大ならば、「自治の侵害ではないか」と大きな論争になるだろう。
そしてエジプトでは、軍や政府など有力者とのコネがあれば、不可能も可能になると広く信じられている。
謎の「0点」事件
2015年、エジプト南部ミニヤで、それまでほとんどの試験でトップクラスの成績を収めてきた高校生マリヤム・マラクさんが、大学入学に必要な全国統一試験を受験した。英BBCなどによると、しかし、なぜか7科目全てで「0点」というスコアが返ってきた。
受験生にとっては死活問題だ。諦めきれないマリヤムさんは弁護士と相談し、事態を公表した。
弁護士は「有力者の関係者とマリヤムさんのスコアをすり替えられたかもしれない」と語り、マリヤムさんが汚職による不正の犠牲となった可能性を指摘した。
大小の腐敗の存在を肌で知るエジプトの世論は沸騰した。Facebookには支援のグループが立ち上がった。
「0点」の答案の筆跡は別人の疑いが強まったため、マリヤムさん側は検察当局に告発して筆跡鑑定を求めた。しかし、検察は「筆跡は本人の物」とした。教育当局も「0点」という結論を変えなかった。
地元報道によると、マリヤムさんは翌年、圧力を避けるため数百キロ離れた別の県に出向いて再受験。94%という本来取れるはずだった高得点をあげた。
そして、「0点」事件の真相は分かっていない。
英字紙デイリー・ニュース・エジプトは2013年、複数の国立大学で教授が「面倒見」を頼まれた学生の得点を操作したり、自分の著書を教科書として高値で買わせたりしている、といった学生の証言を紹介する記事を掲載した。
この記事では同時に、エジプト北部の名門・国立アレクサンドリア大の学生の7割が、教授や助手が汚職で利益を得ていると信じている、という論文を紹介している。
教職員の給与は高いとは言えず、多くは生活のため「副業」をしている。20年近く前の話だが、私もカイロ留学時代、留学先での正規の授業のほか、ある大学のアラビア語科教授に私費を払い、教授の自宅で「個人授業」を受けていた。
公立の小中学校でも、教員が有料で子どもたちの「家庭教師」をする。私も「家庭教師をさせなければ、子どもの評価を下げる」と教員に脅された複数の保護者を知っている。それが、当たり前の社会なのだ。
また、エジプトは、もともと記録の管理などが日本のように厳密に行われているとは言いがたい社会でもある。
カイロ大で博士号を取得した元同志社大教授の中田考氏は、Twitterで自らの卒業証明書を公開している。写真はホッチキスで留めただけ。間違いを修正液で消したりしている。
中田氏はさらに、学位記をもらいに行っても、窓口で「ボクラ(明日こい)」と言われ続け、30年近くたった今も手に入らないままだ、とツイートしている。
私もカイロ大ではないがエジプトにアラビア語留学をした時の最終成績を、いまだに知らない。
「これ以上疑うことを許さない」という警告
カイロ大を日本人留学生が4年で卒業することは、容易ではない。知人に、カイロ大法学部の卒業に四苦八苦する日本人留学生がいた。私は知り合った頃は、在籍8年目だった。
前述の通りのエジプトの社会風土のなかで、1970年代にカイロ大学で、当時珍しかった日本人留学生の小池氏を巡り、「何か」が起きたかもしれないと推測することは、不可能ではない。
文春の記事は、小池氏の父親が、エジプト政府の有力者とコネがあった、と伝えている。一連の記事や石井妙子氏の著書「女帝小池百合子」では、「何か」をうかがわせる周辺のさまざまな証言を集めている。
だが大学側が卒業を認める以上、第三者がそれを疑い、「卒業していない」と指摘するのであれば、その卒業認定が不正に行われた、あるいは大学と本人がグルになって嘘をついたことを証明する必要があるだろう。
しかし、実際に不正があった、あるいはそれに関わったというエジプト当局や大学側の具体的な証言や、書類などの証拠を提示できている記事は、記憶にない。現状では、大学側の出した声明文を覆せる状況とは言えない。
カイロ大の声明は、こうした各種の状況を踏まえたうえで、メディアに対し「我々には今も昔も不正はない。これ以上は疑うことを許さない」と警告している。
エジプトに報道の自由は乏しい。カイロ特派員時代に私の同僚だったエジプト人記者バヘル・ムハンマド氏は2013年、当時私がいた新聞社を離れてエジプト政府に批判的なカタールの放送局アルジャジーラに転職した。間もなく彼は、2人の同僚とともに「虚偽の報道」といった容疑で投獄された。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルや各国のメディアは、これを言論弾圧と批判した。彼は3年の収監後に保釈され、カタールで事実上の亡命生活を送っている。彼もカイロ大OBだ。意図的な「虚偽の報道」を企てるような人物ではないことは、何年も一緒に仕事をした私が断言する。
こうした状況下で小池氏の件を今後、日本の報道関係者が現地で深掘り取材をしようとしても、陰に陽に関係者に圧力がかかり困難を伴う可能性も否定できない。
なぜ大使館が大学の声明を出したのか
カイロ大学の声明をなぜ、エジプト大使館が公表したのか。
エジプトにとって、小池氏はエジプト社会を肌身で知る貴重な政治家だ。そしてエジプトは、日本の援助を頼りにしている。
ツタンカーメンの秘宝などを収蔵してギザのピラミッド周辺に近く完成する「大エジプト博物館」や、カイロ市内で進む地下鉄建設プロジェクト。さらに北部アレクサンドリア近郊に日本の全面協力で開学した「エジプト日本科学技術大学」など、日本の政府開発援助(ODA)によるプロジェクトは数多い。
2011−15年まで駐日大使を務めたヒシャム・エルゼメイティー氏の妻は、政府で国際協力を取り仕切るファイザ・アブルナガ国際協力相(当時)だった。
エジプトをよく知る小池氏の名誉を守り政治力を維持してもらうことは、エジプトの国益にもつながる。声明の公表に、そうした狙いがあったのではないかという推測は成り立つ。
政界に米国留学経験者は多い。例えば、米国の大学を卒業していない可能性を取り沙汰される人物がいたとしよう。その人物が選挙に立候補を表明する直前に、駐日米国大使館が「この人物の卒業を証明する」という大学の声明を公表するだろうか。
エジプト大使館に6月10日、声明を公表した理由と経緯の取材を申し入れたが、15日までに回答はなかった。
問われるべきは政治家としての小池氏の姿勢
カイロ大が声明を出したことで、小池氏は「これまで色々言われていたことがクリアになる、一つの証になる」と語った。ただし卒業証明書等の公表は行っていない。
小池氏の学歴を巡る過去の報道をデータベースで調べると、カイロ大の卒業そのものを疑う記事は、朝日・毎日・読売・産経・時事・共同・NHK各社の過去記事からは見当たらなかった。いずれも当時の私たちのように大学側に確認を取ったりして、「詐称というのは無理」と判断したのだろう。
一方で2018年6月、「カイロ大を首席で卒業した」と過去の著書で記していたことなどを月刊文藝春秋の記事が疑問を呈したことに、小池氏が「卒業は事実」としたうえで、「先生から『非常にいい成績だった』と言われ、うれしくてそれ(首席)を(自著に)書いたと思う」と釈明し、首席だったかどうかは明言しなかったという記事を、朝日新聞や産経新聞など各紙が報じている。
朝日新聞によると、小池氏の1982年発行の自著「振り袖、ピラミッドを登る」の著者プロフィールには、76年にカイロ大を「首席で卒業」と記載されていたという。
小池氏が1983年に出したアラビア語(現代エジプト口語)の解説書「3日でおぼえるアラビア語」の著者紹介欄でも、「カイロ大学文学部社会学科を日本人2人目、女性としては初めて、しかも首席で卒業」となっていた。
政界進出前のずっと前のことで公職選挙法上の問題はないとはいえ、かつて著書で自らの経歴を「首席卒業」と飾ろうとしたこと自体は、否定できないようだ。
私は1998年に再版された「3日でおぼえるアラビア語」を持っていた。98年版では「カイロ大卒。アラビア語通訳などを経て現在、衆院議員」で「首席」の表現はなかった。なお、日本語で書かれたエジプト口語に関する本は少ないので、それなりに役に立ったことは記しておく。さすがに3日で覚えることができなかったが...。
今回の件でも、カイロ大学がせっかく卒業を証明する声明を出したわけだから、小池氏もあわせて証書を公表すれば沈静化できるはずだ。
小池氏は12日に都庁で開いた立候補会見で、出席した記者の1人から、改めて卒業証書の公表を求められた。しかし以下のように語り、応じなかった。
「卒業云々については、カイロ大学は認めていると申し上げてきた。原本をかつて公表しているので、今日それを載せているメディアがございました」
「そういったことで、私はすでに原本も示し、カイロ大学も正式にお認めいただいているものと考えております。それによって、すでに公表もしていると言うことでございますので、そのような必要な条件、要件を検討しながら進めていきたいと思っております」
6月12日発売の週刊ポストが、1993年の小池氏の連載で掲載した証書を再掲載するかたちで、小池氏の卒業証書の写真を掲載した。
近年は立候補会見時に卒業証明書や学位記を報道陣に公開する候補者が多い。「個人情報」として報道機関からの卒業確認に回答しない大学が増えていることもあり、一度に書類を示した方が、候補者本人にとっても無用な「疑惑」を招かず、一つ一つの取材に応じる手間が省けるメリットがあるからだ。
小池氏はなぜ、会見の場に集まる報道各社を通じて有権者に示そうとせず、特定のメディアに掲載させたのか。さらに小池氏は、この質問をした記者からの再質問を受けなかった。
小池氏はニュースキャスター出身で、メディアの特性を良く知っているはずだ。自らメディア戦略を立てたうえで、こう振る舞っていると考えても、不自然ではない。
さらに、小池氏が4年前の立候補時に示した、待機児童・介護離職・残業・都道電柱・満員電車・多摩格差・ペット殺処分の7つで「ゼロを目指す」という公約は、どこまで達成できたのか。
また、小池氏は2017年の衆議院選挙で、希望の党失速の原因となった「排除します」発言を引き出した特定の記者を「排除」しているのか、彼からの質問に答えることはほとんどない。
こうした小池氏の政治家としての姿勢を様々な角度から論評する自由は、日本では保障されている。そして、寄せられた疑問にきちんと説明することは、公職にある者の責任でもある。
「政治家・小池百合子」を論じる材料の一つとして、これからもこの件への小池氏の対応は取り沙汰され続けるかもしれない、と私は感じている。  
●小池百合子氏の「カイロ大学卒業証書」を現物公開する 6/15 
「無風」と見られていた東京都知事選(7月5日投開票)に降って湧いたのが再選確実とされる小池百合子・都知事(67)の「学歴詐称騒動」だ。渦中の証拠資料を公開する──。
突風はカイロから吹いてきた。小池氏の出馬表明をひかえた6月8日、エジプトのカイロ大学が「小池百合子氏が1976年10月にカイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する。卒業証書はカイロ大学の正式な手続きにより発行された」と声明を発表し、東京のエジプト大使館がフェイスブックで公表したのだ。
何が起きているのか。発端は5月29日に刊行されたノンフィクション作家・石井妙子氏による『女帝小池百合子』(文藝春秋刊)。都知事になるまでの小池氏の半生を追った内容である。
その著書の中で石井氏は、カイロ留学時代の小池氏と「同居していた」という日本人女性の証言をもとに、「カイロ大学卒業」という小池氏の経歴に詐称の疑いがあると指摘し、卒業証書にも疑問を呈した。
それに対してカイロ大学が、「カイロ大学及びカイロ大学卒業生への名誉毀損であり、看過することができない」と声明を出したのである。
つまりは卒業証書が“本物なのか”という真贋論争なのだが、肝心の現物は作者の石井氏も見ていないし、都議会で野党に提出を求められても小池氏は提出を拒んでいる。理由は「これまで何度も公表してきた」から。
その画像を本誌は持っている。小池氏は若手議員時代に本誌に「ミニスカートの国会報告」を連載しており、その誌面で公開したものだ。
〈元気印の私が目障りでしかたがない人たちが、『小池百合子の学歴詐称疑惑を調査しろ』と、カイロにまでさぐりを入れているとか。残念ながら私のカイロ大学卒業証書はホンモノ。このページで証明します〉(1993年4月9日号)
と卒業証書を掲載していた。
石井氏は著書の中で本誌の連載記事をしばしば引用しているが、この卒業証書についてはこう書いている。
〈卒業証書らしきものを載せて、「これが証拠の卒業証書」とキャプションを付け紹介している。しかし、名刺の半分の大きさで、何が書かれているのかまったく読めず、「証明」にはなっていない〉(『女帝』より)
そこで本誌は「名刺の半分」ではなく、大きく拡大して公開する。
小池事務所にも、「『週刊ポスト』で公表したものが小池が持っている卒業証書と同一です」と改めて確認が取れた。
〈学士を与えることを決定〉 卒業証書にはアラビア語でこう書かれてある。
〈大学理事会は1976年12月29日、1976年卒業生のための文学部の試験結果を精査し、1952年に日本で生まれたコイケユウジロウ氏の娘であるコイケユリコさんに「良」の成績で文学部社会学科の学士を与えることを決定した〉
翻訳したのは、アラブ圏で最高峰のアズハル大学を卒業し、現在は通訳・翻訳家であるカイロ在住のモハメッド・ショクバ氏である。こう語った。
「エジプトの大学では父親の名前を入れるのが特徴で、卒業証書としては見たところ何も疑問点はない」
卒業証書と一緒に小池氏から提供されていた卒業証明書には、〈文学部は1952年7月15日に日本で生まれたミスターコイケユリコに1976年10月に文学部社会学科の学位を成績「良」で与えている〉と書かれている。
なぜか小池氏に「ミスター」と男性の敬称がつけられているが、ショクバ氏によると「証明書がそうした雛形のもとに書かれているからで、エジプトの大学の文書では女性なのに男性形で書かれるのはよくあること」という。
これで真贋論争に決着がつくか。  
 6/16
●アップデートされない小池都知事のセンス… 「東京荒都(アラート)」 6/16
平成からの日本歌謡曲のことを「J−POP」というが、その時代的な移り変わりを分析しているコラムを読んだことがある。
昭和的な歌謡曲とは違う音楽アーティスト色が特徴で、初期の代表的なものはCHAGE&ASKA、プリンセスプリンセス、米米CLUB、渡辺美里らが挙げられていた。その後にZARD、WANDSなどビーイング系と呼ばれる流れから小室哲哉が大きく台頭し、奥田民生、小林武史らのミュージシャンがプロデューサーを名乗るシステムが浸透し始める。その流れは平成10年くらいまでの時期だ。
そして前記した平成10年あたりまでの「J−POP」に見られる特徴として、歌詞に含まれる「カタカナ英語」の存在がある。サビの部分などで、ことさらに歌詞を強調するときに「カタカナ英語」を多用したという。
その後、クラブカルチャーや女性R&Bというソウル系のアイコンを取り入れ、ニューヨーク育ちの宇多田ヒカルや、ゴスペル出身のMISIAなど、洋楽直結の本格志向に進化していく。
だがその洋楽直結の進化で起きたのは、日本人が歌うのに、ことさらな「カタカナ英語」での強調は「ダサい」というセンスの進化である。
私見であるが、黒船とGHQのダブルパンチのおかげなのか、英語が母国語でない国で、これほどまでに英語が好きな国は日本だけだ。
良い悪いかは別として、中国では車メーカーのエンブレムについて、アルファベットでの表記を法律で禁止している。だからメルセデスベンツは「奔馳」で、BMW は「宝馬」、ポルシェは「保時捷」となる。
逆に日本メーカーで漢字表記などはひとつもないので、日本が、英語やローマ字表記に対してどれほど心酔しているかは言うまでもない。
そしてここで話は小池百合子・東京都知事にたどり着く。
「クラスター」「オーバーシュート」「ロックダウン」ときて、極めつけは「東京アラート」である。
この禍の中での都知事の仕事は大変なので大きな敬意を払っているが、不謹慎ながらそのセンスに笑い転げてしまった。
邪推すると、都知事は漢字とカナタナのことさらな組み合わせが、今の時代ではとても「ダサい」ということを知らないのだろう。おそらく都知事が女性キャスターとして全盛を極めた、バブル期のセンスのままでアップデートされていないのである。
しかし良く考えると「女子アナ」「東京アラート」、どこかその語呂が似ていると思ってしまったのは、私の荒んだ心のせいかもしれない。
いっそのこと、英語を読み方のまま漢字にしてしまう、昭和暴走族センスに先祖がえりして、「東京アラート」を「東京荒都」としてみてはどうだろうか。 
●小池百合子都知事の疑惑を大手マスコミが「冷笑スルー」し続けた理由 6/16
真相はいったい…?
7月5日投開票の東京都知事選で、続々と候補者が名乗りを上げる中、再選が確実視されている小池百合子都知事の「学歴詐称疑惑」の議論が、尾を引いている。
その詳細に言及している、ノンフィクション作家の石井妙子氏による評伝『女帝小池百合子』(文藝春秋)が火付け役となったが、小池氏の「カイロ大学主席卒業」という学歴への疑義については、古くから政界やメディア関係者の間では一種「公然の秘密」となってきた。
小池氏にとって、「カイロ大学社会学部」を首席で卒業したという事実が、日本に帰国してからニュースキャスター、国会議員として地歩を固める大きな原動力となったことは疑いない。日本でいう東京大学にあたる、エジプト最高の学府であるカイロ大学を、アラビア語を駆使し優秀な成績で修めたと自称すれば、インターネットもない1970〜80年代当時では検証は難しく、まれにみる「才女」と映ったことだろう。
当然ながら、政治家が学歴詐称をした場合、公職選挙法に抵触し失職する上、刑事責任を問われることになる。これは小池氏にとっては、絶対に認めることができない疑惑なのだ。
小池氏は12日、都知事選再出馬の会見を開いた。ここでも、フリーランス記者の「卒業証書の原本を提示してもらえるか」という質問に対し、「原本(の写真)を(6月12日発売の週刊ポストに)示し」ており「(声明で)カイロ大学からも認めてもらっている」とこれまで同様の回答を繰り返した。
ようやく卒業証書の現物を公開したのは、15日の政策発表記者会見の終了後のことだった。
一方、カイロ大学は改めて6月9日にfacebookを通じて〈1952年生まれのコイケユリコ氏が、1976年10月にカイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する。卒業証書はカイロ大学の正式な手続きにより発行された〉と表明している。エジプト政府とも密接なカイロ大学が公式にこう述べる以上、これ以上の追及は困難と言える。  
2年前にも話題になっていたのに…
冒頭でも触れたように、小池氏の学歴詐称疑惑はこれまで長年にわたって燻り続けてきた。それならば、さっさと卒業証書の現物を公開すればよかったところ、小池氏はそれを頑なに拒否してきた。筆者が調べた限りでも、学歴については都議会で5回質問されているにもかかわらず、「卒業証書は何度も公にしている」と返答し、提出を拒んでいる。
小池氏が示した卒業証書が信頼に足るものか否かについては、すでに多くのメディアで議論されている。今回筆者が指摘したいのは、都庁クラブが以前記者会見で小池氏に学歴詐称について質問し、「少なくとも首席ではなかった」と公の場で事実上認めていたにもかかわらず、新聞各紙がベタ記事並みにしか扱わなかった事実についてだ。
問題の会見は2018年6月15日16時から始まった。この会見の20分3秒から、幹事社の朝日新聞による学歴詐称疑惑についての質問が出る。
以下、議事録から抜粋する。
記者 / 幹事社から最後にお伺いしたいんですけれども、最近、ちょっと一部報道が出ておりまして、先週から今週にかけて、雑誌の方で、知事のご経歴の中で、カイロ大学を首席で卒業されたという経緯について、疑義を呈する報道が出ているわけなんですけれども、改めてこの件について、前にもお話出たことあると思うんですけれども、事実関係と知事のご見解を改めてお伺いできますでしょうか。
知事 / カイロ大学は卒業証書もあり、また、大学側も卒業については認めております。そしてまた、首席云々の話でございますけれども、昔の話なので、何て言われたかというのは一つひとつは覚えておりませんけれども、「良い成績だったよ」と言われたことは事実でございますので、喜んでその旨をその当時書き込んだものだと思っております。なお、公職選挙法上は、カイロ大学卒業ということで、そのことのみを記載させていただいているということであります。本件については、これまでも何度もご説明しているとおりでありますし、大学の方にもお問い合わせいただいてると聞いております。
記者 / 今のご説明ですと、首席という部分については、「良い成績」と言われたというお話はあったんですけれども、首席というところははっきりしない点があるのかどうかと、あと、これまで知事としては、では、経歴等で首席というのはあまり謳われてこられなかったと。
知事 / 全部調べてないですけれども、最初に書いた本には、そのように書いた記憶はございます。というか、そういうふうに書かれております。
記者 / では、首席卒業されたということは、はっきりと断定はできない、難しいというところがあるということでしょうか。
知事 / 非常に生徒数も多いところでございますが、ただ、先生から、「非常に良い成績だったよ」とアラビア語で言われたのは覚えておりますので、嬉しくそれを書いたということだと思います。
記者 / わかりました。ありがとうございます。
ここで小池氏が述べたことを素直に受け取れば、教授から「非常に良い成績だった」と言われたことをもって、小池氏は「首席卒業」を名乗っていることになる。エジプト留学について触れている小池氏の1982年の著書『振り袖、ピラミッドを登る』の記述に関する回答も、「全部調べてないですけれども、最初に書いた本には、そのように書いた記憶はございます。というか、そういうふうに書かれております」とまるで他人事のようだ。
記者たちの「どうでもいい」という意識
しかし当時、この質問をした記者も述べているとおり、月刊誌「文藝春秋」に石井氏が学歴疑惑について報じた記事が掲載され話題となっていたにもかかわらず、この小池氏の発言の新聞各紙の取り上げ方は、良くて質問した当の朝日新聞の小さい囲み記事、他はベタ記事だった。都庁キャップを経験した全国紙ベテラン記者は、こう振り返る。
「正直、学歴詐称の話はクラブ内でも『さすがに聞かないとまずいだろ』という雰囲気だったので質問が出たが、本音を言うと『20年以上国会議員をやってきた人の昔の話なんて、どうでもいい』という雰囲気があったことは確か。汚職などのカネ絡みの話で疑惑が出たのなら、追及して大きく記事化せざるをえないが、首席かどうかは正直重要でないと判断した社ばかりだった」
この会見が行われた2018年6月は、小池都政第1期のちょうど中間に当たる。17年10月の総選挙にあたって国政政党「希望の党」を設立した際、フリーランスの横田一記者の質問に小池氏が「排除いたします」と口を滑らせ、惨敗した記憶もまだ新しかった時期である。神経質になっている小池氏に不利な記事を書き、刺激したくないという心理が、都庁クラブの記者たちに働いたとしても不思議ではない。
小池氏は、自分に好意的な記者ばかりを会見で指すことで知られ、現に横田記者は「排除」発言以降の会見では一度も質問できていない(「排除」発言を引き出した質問自体も、半年ぶりに指名されてのものだったと横田氏自身が明かしている)。小池氏に批判的な横田氏の態度を、都庁クラブの大手マスコミ記者たちが冷笑していたことも『女帝』には記されている。
コロナでも「懐柔」されていた
小池氏と都庁クラブとの目に余る癒着関係は、新型コロナウイルスの感染拡大の際の報道でも見られたという。ある都政関係者はこう話す。
「東京都の感染者数が連日『都の関係者によると』というマクラで報じられたのを覚えているでしょうか。要は、小池氏の周辺がリークをエサにすることで、都庁クラブに批判的な記事を書かれないように懐柔していたようです。
記者クラブメディアは基本的に『他社より先に書く』こと、それができなければ他社を追いかけて出遅れないようにする『横並び』にしか興味がありませんから、クラブに詰めている記者は、鋭い質問も深い調査報道もしない。日本のメディアの力学と弱さを熟知している小池氏らしい手法と言えます。都庁クラブにしても、当時から再選が確実視されていた小池氏に逆らって、2期目の4年間、邪険に扱われるのは避けたかったのでしょう」
石井氏も著書の中で指摘するように、エジプトの首都カイロにも支局を構える大手マスコミ各社が、本件について本腰を入れて取材してこなかったことは、国民の知る権利を軽んじる怠慢と言うほかない。
都庁クラブ加盟メディアは、今回も学歴疑惑についての受け答えはほとんど記事化せず、これまでと同じ「冷笑スルー」を決め込んできた。「カイロ大学の声明が出たから、この話はもはや無理筋」(全国紙記者)として、掘り下げも追及もしようとしない怠惰な姿勢が、「所詮記者クラブは何も批判しない」と読者の信頼を失っていることにそろそろ気づくべきだろう。
記者会見の場ですら批判的な質問ひとつできず、小池氏にいいように操られているようでは、権力監視のために会見に参加する「特権」を与えられている記者クラブの存在意義が問われることになる。
政治家はウソをついてはいけないというのは世界共通のルールだ。政治家には、有権者に対して自らの清廉潔白を示す挙証責任がある。そしてその責任を果たさせることが、翻ってメディアが負う責任でもあるはずだ。
 6/17
●卒業証書を公開しても疑惑を払拭できない小池都知事  6/17 
小池百合子東京都知事が15日、カイロ大学の卒業証書と卒業証明書の現物を記者会見で公開した。その際、「(卒業証書類などを)何度も公開してきた」と述べたが、これはいつもの詭弁である。小池氏は28年前に国会議員になったが、関係者が検証できる形で公開したのはこれが初めてだ。
12日の都知事選への出馬表明の会見では、「卒業云々についてはですね、すでに何度も私自身が、カイロ大学が認めているということを申し上げて参りました。今日も一部のメディアで、原本そのもの、かつて公表しておりますので、それを載せて掲載しているところがございました。あのう、すでに公表もしているということでございますので、必要な条件、要件等々を検討しながら進めていきたいと思っております」と答え、公開に後ろ向きだった。小池氏は、都議会でも再三にわたって公開を拒否してきたが、ここに来て急遽公開したのは、このままでは乗り切れないと思ったのだろう。
長期にわたって公開を拒んできたのは、正規のルートで卒業していないので、自分が持っている卒業証書類が本物かどうか、自信が持てなかったからだと筆者は推測している。正規のルートで堂々と卒業したという自信があるなら、すでに50回でも100回でも公開してきたはずだ。筆者が記事などで「卒業証書のほうは、要件をいくつか欠いており、さらに疑わしい。裏面も見る必要がある」などと指摘してきたので、”お友達”のカイロ大学日本語学科長に相談しながら、これなら何とか乗り切れると思って公開に踏み切ったのではないか。  
異なるロゴ
では、今回公開した卒業証書類はどんなものだったのか?
最初に指摘したいのは、小池氏が今回公開した卒業証書が本物であるなら、自著『振り袖、ピラミッドを登る』(1982年)の扉に使われた卒業証書は偽物ということになる。両者のロゴが明らかに違っているからだ(文春オンライン「小池百合子都知事のカイロ大学「卒業証書」画像を徹底検証する)」。
石井妙子氏は『女帝小池百合子』の中で、小池氏は、タレント時代に手に入れた卒業証書は作りが杜撰だったため、本の扉では、アラブの民族衣装姿の自分の写真とコラージュして隠し、その後、今回公開した卒業証書を手に入れたのではないかと推測している。
今回公開された卒業証書は、1978年11月に作成されたと書かれているが、エジプト外務省の認証もなく、収入印紙も貼られていないため、本当にその頃作成されたものか確認のしようがなく、石井氏の推測を否定できない。
エジプトの国立大学の卒業証書が海外で有効なものとして通用するためには、エジプト外務省の認証が必要である。下の画像は、(小池氏が卒業したと称している)1976年のカイロ大学文学部の卒業証書の下部である。左の四角の中の黒っぽい文字は「48213番の最終署名が真正なものであることを証する」というエジプト外務省のスタンプで、担当職員のサインと日付がある。外務省の認証の日付、貼られている印紙の種類や額などから、この卒業証書が当時作成されたことが確認できる。しかし、小池氏の卒業証書にはこれらがない。
また小池氏の卒業証書のアミード(学部長か学生部長)のサインが、この年度の卒業証書のアミードのサインと異なっている点も、小池氏の卒業証書が本当に1978年11月に作成されたものかどうか疑問を抱かせる(学長のサインは同じだが、これはスタンプだと思われる)。
さらに卒業年が1976年となっているが、『振り袖、ピラミッドを登る』の中で、「1年目に落第した」と明記しており、それなら卒業は早くても1977年以降でなくてはならないのは、すでに指摘したとおりだ。
『振り袖、ピラミッドを登る』の偽造私文書行使の公訴時効は過ぎているが、どういうことなのか、上記の点を含め、是非小池氏に説明を聞いてみたい。
卒業証明書のほうは、左下のスタンプの鷲のマークと上部にある「カイロ大学」という文字は読めるが、スタンプの下部にある部署名が判読不能である。またそれにくっ付くようにして逆さに押されているスタンプは「クッリーヤ(学部)」の文字は読めるが、何学部かは判読不能である。この点は、2人のエジプト人に見せたが、やはり「読めない」との回答だった。小池氏に関わる敬称・動詞・形容詞・人称代名詞がすべて男性形で書かれているのは従来から指摘している通りだ。学部長のサインもこの年度の文学部の卒業証明書にあるサインと異なっている。これらについても、小池氏は説明する必要があるだろう。
さらに卒業したことをより積極的に証明できるはずの成績表をいまだに公開していないのも不思議である。
小池氏は、清水の舞台から飛び降りる気持ちで卒業証書類を公開したようだが、それらの真贋や有効性にはなお数多くの疑問が残る。
学業実体の有無という別の問題
従来から、小池氏の学歴詐称疑惑には2つの問題があることを指摘してきた。1つは偽造私文書行使の疑いで、これは前記の通り時効とは言え、『振り袖、ピラミッドを登る』の扉に使用した卒業証書は特にその疑いが強い。
2つの目の問題は、公職選挙法の虚偽事項公表罪の疑いだ。いくらカイロ大学が卒業を認め、卒業証書類を持っていたとしても、学業の実体がなければ、学歴とは認められない。エジプトではカネやコネでいくらでも学位や卒業証書類を手に入れられる。小池氏は父親をつうじて、ハーテム副首相とのコネも持っていた。
この点に関しては『女帝小池百合子』に、小池氏はカイロ大学を卒業していないという、カイロ時代の同居人女性の証言が59ページにわたって詳述されている。論旨は一貫しており、物的証拠もある。小池氏はこれに対し、反論も釈明もしていない。
また、(1)あったはずの卒論をなかったと言う嘘、(2)「首席で卒業した」「トップの成績と言われた」、「1年目で落第したが4年で卒業した」、「1971年(存在しない)カイロ・アメリカ大学・東洋学科入学(翌年終了)」、「何度も卒業証書を公開した」(都議会答弁)、「卒業証書類を、複数のアラブの専門家が判読し、本物と認めた」(同)等々、卒業や証書に関する多くの嘘、(3)「とてもよい面会」を「とても美味しい面会」と言い間違える「お使い」レベルのアラビア語、などを考慮すれば、学業実体があったと信じるのは困難である。
小池氏はこれらの疑問点に関して、ダンマリを決め込んでいる。都知事選に出馬するなら、物的証拠にもとづき、自らの口で説明すべきだろう。ダンマリを決め込んでいる限り、疑惑が晴れることはない。今回、卒業証書類を公開したが、小池氏がやっていることは「卒業証書も卒業証明書もある。カイロ大学も卒業を認めている」というこれまでの態度と何も変わっていない。頑なに説明を回避しようする姿勢は異様である。
エジプトの軍事政権に政治生命を握られた小池氏
カイロ大学は、6月8日に突如、小池氏の卒業を認める声明を出した。これをどう解釈すべきかは「偽造私文書行使で刑事告発までされた小池都知事」に書いた通りだ。
カイロ大学の声明には2つの嘘が含まれており、端的に言うと、脆弱な自国経済を支えるODA獲得を至上命題とするエジプト政府の意向に沿うためのものだ。文面やタイミングから考えて、これは小池氏のアリバイ工作であると筆者は考えている。
前都知事の舛添要一氏は、一連のツイッターで次のように指摘している。
「(カイロ大は卒業証書や卒業に至る経過、成績表は公開しておらず)先進国の大学なら、全ての記録を保管し公表できる。声明など出すこと自体が政治的で胡散臭い。日本からの援助を期待する外国政府まで使う。立候補前の政治工作だろう」
「私はパリ大学とジュネーブ大学に籍を置いたが、大学が声明まで出してそれを追認することはない。出すなら声明ではなく当時のデータだ。データ抜きなら政治的都合で何とでも言える。エジプトという専制国家ならではの腐敗の極みだ。証拠も出さずに○○が卒業生だと声明を出す先進国の大学は絶対にない」
「かつて小池都知事から私が聞いたのはカイロ大学『首席卒業は、学生が一人しかいなかったから』という話だ。私は、外国人学生専用のコースかと思った(私が留学したフランスでは外国人専用の博士号コースがあった)が、『学生一人』すら嘘だったようだ」(筆者注・当時のカイロ大学文学部社会学科には約150人が在籍していた)
また池田信夫氏(経済学者、アゴラ研究所代表取締役所長)はJBpressの「小池百合子氏とカイロ大学の深い闇」で、この問題を取り上げ、見解を述べている。
「一卒業生について大学が声明を出すのは異常であり、先進国では考えられない」「むしろこれで明らかになったのは、小池氏の学歴を証明する証拠はカイロ大学に存在しないということだ。卒業生名簿に小池氏の名前があれば、こんな声明を出す必要はなく、そのコピーを出せばいい。卒業証書を発行した記録を出してもいい」「エジプト大使館が都議会の日程を把握しているはずがないので、これは小池氏が自民党の(小池氏に卒業証書類の提出を求める)決議案を封じるためにエジプト大使館に頼んだものと思われるが、政府の声明はそう簡単に出せるものではない。大使館がそれに応じたのはなぜだろうか。(中略)その理由は、逆にカイロ大学が『あの卒業証書は大学の発行したものではない』と認めたらどうなるかを考えればわかる。その瞬間に小池氏の選挙違反が決まり、当選無効になる。小池氏の学歴を証明するものはカイロ大学の声明以外に何もないので、彼女の運命はエジプト政府に握られているのだ」
またカイロ大学文学部で学んだ経験があり、『カイロ大学“闘争と平和”の混沌』という著書もあるジャーナリストの浅川芳裕氏はJBpressの「カイロ大『小池氏は卒業生』声明の正しい読み解き方」で、次のように指摘している。
「(小池氏が)カイロ大学を掌握する権力者に頼み込み、入学した行為が尋常ではないのは確かです。カイロ大学の声明でわざわざ『正規の手続き』と強調している点、また大学の公式サイトではなく、大使館という外交ルートを通じて声明を発表している点も尋常ではありません」「(エジプトの政府系新聞アハラーム紙の)記事を深読みすれば、都知事にまで出世した小池氏に対し、彼女を育てたハーテム氏、つまりはエジプト軍閥国家への恩を忘れるなよ(さもなければ真相をばらすぞ)、という脅迫じみたメッセージと解釈することも可能です」「学歴詐称の疑惑の先にある、真の問題は、今回の声明への見返りが何かということです。小池氏はこれまでハーテム人脈の権力構造により、特別待遇を受けてきた。その恩に加え、小池氏は、学歴詐称疑惑の渦中で迎える都知事選の直前、エジプトの軍閥から助け舟を出された格好です。(中略)これは、日本の国益にとって、より本質的な問題といえます」
元週刊朝日編集長の山口一臣氏も、ツイートで懸念を表明している。
「エジプトに限らず、アメリカやヨーロッパ各国はもちろん、中国や北朝鮮、ロシアといった国を含めて外国政府が言うことを疑いなく信じることは危険です。中国は尖閣諸島は中国古来の領土と言ってますが、信じますか? ロシアは、北朝鮮は、韓国は……。日本だって国益のためにウソくらいつきますよ」「最大の問題は(小池氏が)外国政府の強い支配下にあるということでしょう。カイロ大学に声明を出してもらったことで、以後、彼女の生殺与奪権は軍閥独裁のエジプト政府が握りました。目先の批判をかわすために、国を売ったのと同然です」
なぜ小池氏の学歴詐称疑惑が問題なのか?
小池氏の学歴詐称問題に関し、なぜ学歴ばかりを追及するのか、他にもっと大事なことがあるではないかという声も聞く。それはもっともで、筆者自身も、政治家の能力と学歴はあまり関係がないと思っている。しかし、学歴詐称は犯罪であり、看過ごしてよい問題ではない。日本に限らず、それが原因で辞任した政治家や政府高官も少なくない。ところが日本のメディアは、アラビア語ができ、エジプト事情に詳しい人材が少なく、元々政治権力に立ち向かう姿勢にも乏しい。そのため、本件が重大な問題であるにもかかわらず、きちんとした報道がなされていない。一方、欧米では、嘘は厳しく断罪され、小池氏のようなケースをメディアが見過ごすことはあり得ない。
筆者は、アラビア語を学び、エジプトの大学(カイロ・アメリカン大学というカイロ大学とはまったく別の米系の私立大学)を卒業した者の責務として、疑惑解明に取り組むことにした。英国に住んでいるので、エジプトまでのフライトは5時間ほどという地の利もある。
小池氏が都知事に相応しいかどうかは、4年間の都政の実績の評価、公約の達成度合い、人間性など、色々な面を検討して判断されるべきであるのは当然だ。しかし、それらは筆者でなくてもできることなので、他の人々にしっかりやってもらいたいと思っている。筆者の本業は小説執筆で、こうしたことに割ける時間は限られている。そのため学歴詐称疑惑に絞って調査・執筆をしている。
ただ、2年間にわたる本件の調査を通じて見えてきた小池氏の人間像は、石井妙子氏が『女帝小池百合子』にあますところなく書いたとおり、政治家としての適性を著しく欠いているように思われる。
 
 
 
 
 
 
●昔話
●小池百合子 独身なのになぜ…“同居”する5人の正体  2016/7 
小池百合子(64)の自宅は、東京・練馬区内にある。最寄り駅から徒歩5分。商店街を抜けた閑静な住宅街に建つ洋風の一軒家だ。
だが、『KOIKE』という表札の下には、なぜか別姓の表札も掲げられていた。小池は独身のはず。まさか、同居人が――?
「一緒に住んでいるのは、いとこで秘書をしているMさん一家ですよ。Mさん夫妻は3歳と1歳のお子さんがいる4人家族で、小池家の1階で暮らしているんです。そして中2階には、すでに14年ほど住み込みで勤めている家政婦さんも住んでいて、小池さん本人を含めて“家族6人”で共同生活しているんです」(小池の知人)
玄関には、警察官立寄所のステッカーも貼られており、小雨のなか、民間の警備員が1人、カッパを着て立っていた。ほどなく、自転車に乗った警官2人も巡回に現れた。
ツイッターで小池氏に“殺害予告”した犯人が逮捕されたことを受け、この日から24時間態勢で警備員が常駐しているのだという。
「小池さんは、Mさん夫婦の子供たちを自分の孫みたいに可愛がってます。いつもMさん家族と家政婦さんと同じ食卓を囲んで食事をするんです。ヨークシャテリアを飼っていて、総理大臣になりたい野望から『そうちゃん』と名付けて、かわいがっています」(前出の知人)
近所の70代主婦がこう話す。
「4月ごろだったかしら、近所のスーパーで小池さんとバッタリ会いました。秘書らしい女性と一緒でしたが、買い物カゴを持っていたのは小池さん。笑顔で挨拶してくれました」(近所の70代主婦)
ただ、ご近所からは、こんな声も。
「小池さんは、事務所のある池袋ばっかりにいて、このへんにはほとんど来ないからね。今回の選挙でも挨拶には来てないよ。あの豪邸も、地元と関係ない業者が建てたと言うし、もっと地元に貢献してほしいね」(60代男性)
このままいくと、地元に貢献どころか、小池本人が“知事公邸”に引っ越すことになりそうだが――。 
●「小池百合子」金銭スキャンダル 2016/9 
「エコだハウス」に同居する金庫番の存在
改革の旗手を気取り、矢継ぎ早に政策を発表している東京都の小池百合子知事(64)だが、風向きが一気に変わりかねないスキャンダルが発覚した。彼女の金庫番を務めてきた側近が、濡れ手で粟の賃貸マンション経営など、特権的錬金術に手を染めているというのだ。

小池百合子知事は政界を遊泳する中で幾度となく眩いスポットライトを浴びてきた。例えば、小沢一郎氏と共に自由党を結成した時。あるいは、「刺客」として比例近畿ブロックから東京へと国替えして臨んだ「郵政選挙」の時。注目されるごとにメディアが紹介する彼女の来歴は、日本テレビのアシスタントキャスターを経てテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」のメインキャスターに抜擢され、細川護熙氏に請われて日本新党から政界デビュー……といったように成功物語の色を帯びているのが常だった。また、その物語は、細川氏から小沢氏、そして小泉純一郎氏、と時の権力者に寄り添い、用無しとなれば切り捨てる冷酷な女の一代記といった一面も持ち合わせているわけだが、首尾一貫しているのは、強烈な上昇志向だ。
「彼女は最近『都民ファースト』を連呼していますが、彼女の人生は『ミー(自分)ファースト』ですよ」(小池氏の事務所関係者)
そんな声もあるが、いずれにせよ、上へ、上へと強く思い続け、ついにもぎとった東京都知事の座。都政改革本部の設置、築地市場の豊洲への移転延期、知事給与を半額に削減する条例案提出の発表、と矢継ぎ早に政策を打ち出す姿は、離陸後一気に上昇して安定飛行を目指そうとしているかのようだ。しかし、そんな彼女の眼前に、飛行を妨げかねない真っ黒な雲が迫っている。ただしその雲は、今になって急に彼女の周辺に発生したものではない。
彼女が政界デビューを果たしてしばらくした頃から、常に彼女の近辺にあった「負の側面」、それはある人物の存在である。
水田昌宏氏――。
現在の年齢は40代前半。2005年、小池氏が第3次小泉内閣で環境大臣兼内閣府特命担当大臣(沖縄・北方)を務めていた際に大臣政務秘書官となり、07年には一時期、彼女の公設第二秘書だった人物だ。また、彼女は政治資金管理団体「フォーラム・ユーリカ」及び「自由民主党東京都第十選挙区支部」の代表者だったが、それぞれの収支報告書の確認できる最新のもの、14年分までの会計責任者の欄にあるのも、水田氏の名前だ。さらに、今回の東京都知事選の選挙運動費用収支報告書の出納責任者の欄には、水田氏の妻の名前があった。
水田氏と小池氏の接点
それだけではない。
小池氏が練馬区内に自宅を新築したのは10年。太陽光パネルを設置した「エコだハウス」と彼女自身が命名した家だが、水田氏は、その土地の2分の1、建物の5分の1の共有者になり、家族と共に小池氏と同居しているのである。
もう1つ、重要なのは水田氏が小池氏の親戚であると吹聴している点だ。実家は兵庫県加古川市にあり、呉服店を営んでいた。その呉服店が破産宣告を受けたのは00年5月。水田氏と小池氏が直に接点を持つのはそれからほどなくした頃だ。
「突然、水田さんの母親から小池事務所に手紙が届いたのです。そこには、“私と小池先生とは遠縁にあたります。息子が縁もゆかりもないロシアに留学することになり、不安です。どうかお力添えいただけないでしょうか”というようなことが書いてありました」
そう話すのは、小池氏の後援会関係者である。
「小池は“誰それ?”という反応だったのですが、親族と言うのならば、とテレビ局などのモスクワ駐在員に連絡を取り、“親族の水田昌宏という者がそちらに留学しますので、よろしくお願いします”と口添えしてあげたのです。でも、それが運のつき……だったのだろうと思います」
その後、水田氏は小池氏の「負の側面」として関係者の間で問題視されるようになる。それを指しての「運のつき」という表現であることは言うまでもない。
「マンション経営をやりたい」
北朝鮮からの脱北者を支援していたNGOの事務局長が中国の公安当局に拘束される事件が起こったのは02年10月。このニュースに触れた先の後援会関係者は驚愕したという。事件を報じる各紙は、事務局長と共に水田氏が拘束されたことも伝えていたのだ。
「モスクワに行ったはずなのになぜ中国で拘束されるのかと不思議に思ったのですが、しばらくして釈放されました」(同)
水田氏はそれからもしばらく中国の大学での留学生活を続けた後、帰国。
「頻繁に小池事務所に出入りするようになった水田さんはよくこう言っていました。“小池さんに命を助けてもらった”“一生かけてご恩返しします”と。あと、なぜか“防衛庁に入りたい”と言っていた」(同)
水田氏が実際に入ったのは防衛庁ではなく公安調査庁だったが、翌年、早々に辞職。小池氏と水田氏、どちらが望んだのかは定かではないが、大臣政務秘書官に就くのである。
「その後、小池氏は07年に防衛相に就任。08年には自民党総裁選に出馬して敗れますが、あれは彼女にとって大事な時期だった。閣僚を歴任し、総裁選にも出て、将来に欲が出てきた。つまり、総理総裁への道を本気で目指し始めた」
そう話すのは、別の後援会関係者である。
「権力獲得への意欲を隠さないようになった彼女でしたが、金に対しては非常に淡泊。領収書なしで政治家がフリーで使える文書通信交通滞在費ですら事務所任せにするくらいです。そんな中、彼女の政治資金については水田さんが一手に引き受けるようになっていった」
06年から09年頃にかけて、複数の事務所関係者や後援会関係者が、水田氏が次のように口にするのを聞いている。
「(群馬県の)高崎でマンション経営をやりたい」
それを耳にした関係者の1人は、
「ずいぶん辣腕だな、と感心する一方、妙に不穏なものも感じました。いくら今後、金が必要になるとはいえ、秘書がマンション経営にまで手を出すとは、ある意味では、悪魔に魂を売ったようなものだな、と」
そろそろ本題に入ろう。
複雑な案件なので丁寧に追っていくが、話は大きく2つに分けられる。
1つはまさに水田氏による高崎でのマンション経営について。先に断っておくと、そこには水田氏自身だけではなく、政治家・小池百合子とも深い関わりがある。そのマンションの建設が始まろうとするその時期に、施工業者が、小池氏の資金管理団体「フォーラム・ユーリカ」に100万円を寄付しているのだ。
もう1つは、都知事選の結果が出た翌日、この高崎のマンションを含む小池氏、水田氏が関係する3つの物件を共同担保として、みずほ銀行が3億3000万円もの根抵当権を設定している件だ。こちらにも小池氏自身の関与がある。この3つの物件には彼女の自宅「エコだハウス」も含まれており、先に触れたようにここは小池氏と水田氏の共有となっている。銀行が根抵当権を設定する際、水田氏だけではなく、共有者である小池氏の「承諾」が必ず必要であるため、彼女は「知らなかった」では済まされないのだ――。 
施工業者が資金管理団体に寄付…一般人では手を出せない物件
東京都の小池百合子知事(64)の金庫番を務めてきた水田昌宏氏は、知事の親戚を自称し、練馬区内の通称「エコだハウス」に同居する人物だ。そんな氏が行っていた特権的錬金術。氏が経営する高崎のマンション、そして「エコだハウス」を含む複数の物件をめぐる話である。

それではまず、高崎のマンションについて詳述していこう(※図参照)。件のマンションはJR高崎駅から徒歩5分という好立地。土地の広さは約102坪だ。話の発端は、12年12月、香川県高松市に本社がある穴吹興産が、この約102坪の土地を含む約476坪の、ほぼ長方形の土地に〈条件付所有権移転仮登記(条件 売買代金完済)〉を設定したこと。元の所有者は鉄工所の社長で、すでに他界している。ちなみにこの仮登記の意味は、
「文字通り、条件が満たされた時に所有権が移る、という約束のもとに行われる“仮”の登記。まずいくらかの頭金を支払い、残金を支払い終えれば所有権が移るという理解で良い。平たく言えば、“ツバをつけておく”という意味がある」(司法書士)
元々は西日本を中心にマンションなどを供給してきたが、近年は関東にも積極的に進出し、東証1部に上場している穴吹興産。同社が“ツバをつけた”この土地はその後、奇妙な展開を辿る。まず、翌13年3月21日、約102坪の部分のみが分筆される。分筆とは、ある1つの土地を登記上で複数にわけることを意味する用語である。そして4月9日に約102坪の部分が水田氏に、残る約374坪の部分が穴吹興産に所有権移転される。
「お礼」を寄付で?
水田氏のマンションの着工は10月1日だが、先に触れた通り、マンションの施工を担当した「造家建設」という前橋市内の会社の大滝博史社長が、小池氏の資金管理団体「フォーラム・ユーリカ」に100万円を寄付したのは10月末(※(1)参照)。水田氏から施工業者に選ばれた「お礼」を、寄付という形で支払ったようにも見えるのだ。水田氏の8階建ての賃貸マンションが完成したのは14年3月。その南側に穴吹興産の15階建ての分譲マンションが完成したのは、15年2月だ。
登記簿を確認すると、水田氏が土地を取得したのと同日、群馬銀行が4億1500万円の抵当権をつけているが、これは、
「水田氏が群馬銀行から金を借りてこのマンションを建てた、ということ。土地の価格は坪50万で計算すると5000万円。あのマンションは延べ床面積が約450坪で、建坪100万円で計算すると、4億5000万円。ざっと見積もって計5億円かかったことになるので、数千万円の自己資金を出したか、あるいは全て込みで4億1500万円、つまりフルローンで建てた可能性もある」 と、近隣の不動産業者は説明する。さらに、このマンションの経営でどれくらいの儲けが出るのかについてシミュレーションしてもらうと――、
「あのマンションには36平方メートルほどの部屋が28あり、1階には店舗が1つ入っている。部屋の家賃は7万8000円、店舗の家賃が40万円と設定すると、家賃収入は満室で月258万4000円、年間3100万円。固定資産税や賃貸管理経費など諸経費を15%とすると、満室で月219万6400円となります」
無論、常に満室であり続けることはないが、「あの物件は駅近なので空室率を5%で計算すると、月208万3350円。フルローンで借りていた場合は月々の返済額が30年ローンなら153万3920円、35年ローンなら137万4740円。つまり前者の場合は月の家賃収入は54万9430円、後者の場合は70万8610円です」(同)
フルローンだと仮定すると、自己資金を一切使わずに立派な自分名義のマンションが建ち、さらに毎月数十万円の“日銭”が入ってくる。その上、施工業者から100万円の寄付まで受けているのだから、これはまさに「濡れ手で粟」以外の何物でもない。また、数千万円の自己資金を投入していたとしても、疑義は残る。そもそも、水田氏は10年に小池氏の練馬の自宅の共有者になっているが、その際、抵当権はついていない。つまり、数千万円をキャッシュで払った可能性があるのだが、その上に高崎のマンションに自己資金を投入できるとは、一体、いかなる錬金術を駆使しているのか、という話なのだ。
仲介がなければ入手できない土地
さらに、この土地を巡る一連の経緯には不可解な点が多々ある。1つは、元々はほぼ長方形の“きれいな”形だった土地を、なぜわざわざ分筆してしまったのか、という点だが、これについては先の近隣の不動産業者も首を傾げる。
「確かに、なぜあのような形にしてしまったのか違和感がありました。しかも、そこに後に賃貸マンションが建つことにより、穴吹の分譲マンションの日当たりは悪くなってしまった」
この点については、土地の元の所有者である鉄工所社長の息子も、
「売った側の認識としては、約476坪の土地全てを穴吹興産に売却したものだと思っていました。敷地いっぱいに分譲マンションが建つのだと思っていましたし、所有権ももちろん穴吹に移っているものだと……。まさか登記がこんなことになっているとはね」 と、怪訝な顔をするのだ。
「土地を売った後、先に白いマンションが建ったので変だなとは思っていたのです。で、穴吹の方に尋ねると、“実は別の人に売ったんです”と言う。誰に売ったのか、と聞くと“まあ、それはちょっと……”と口を濁していました。今回、改めて経理の先生に問い合わせましたが、契約書に父と穴吹興産以外の第三者の名前はないし覚書もないと言っています」
鉄工所社長の弟の話。
「兄貴はあの土地を売る数年前から土地を処分する腹積もりになっていたようだ。で、実際に売るという段になった時、ある伝手を頼って、不動産屋を通さずに穴吹興産に売却の話をつけたと聞いている。穴吹にはずいぶん安く買い叩かれたんじゃないかな」
最大の疑問は、水田氏がこの土地をどうやって見つけてきたのか、という点である。そもそもこれは、穴吹興産の仲介がなければ絶対に入手できない土地である。となると、穴吹興産が水田氏に対して「儲けのチャンス」を与えた、便宜を図ったと疑われても仕方ないのではなかろうか。あるいは、水田氏が一般人とは違う「特権的な立場」を利用してこの土地の斡旋を受けた、との見方もできよう。
「確かにこの土地は、穴吹興産が手続きをしてきた一部ですから、買い手を広く求めるような種類の土地ではない。穴吹興産と買い手との間に何らかのコネクションがあったとしか思えません」(不動産鑑定士)
食い違う説明
2つのマンションの建築中の写真を確認すると、先に完成に近づきつつある水田氏のマンションの側面に、穴吹興産の広告が掲載されていることが分かる。これなど、穴吹と水田氏が「深い関係」にあったことの何よりの証拠だろう。
穴吹興産関東支店長は次のように語る。
「便宜を図って土地を切り売りした、といったことは一切ありません。個別の取引についてはお答えできませんが、問題のないような『第三者のためにする契約』を進めさせていただいております」
話の中に出てくる「第三者のためにする契約」とは何かというと、
「所有権がAからB、BからCに移っているものを、AからCという部分だけ記載することを中間省略登記と言って原則禁止されているのですが、代替となる方法が2つあり、そのうちの1つが『第三者のためにする契約』です。具体的には、AさんとBさんが土地の売買契約を結び、BさんとCさんも土地の売買契約を結ぶという方法です」(土地取引に詳しい弁護士)
一方の水田氏は代理人の弁護士を通じて、「前所有者と穴吹興産との間の売買契約につき、通知人(水田氏)が穴吹興産から『買主たる地位の権利譲渡』を受け、前所有者から移転登記を受ける形となっております」 と、回答してきたのだが、先の弁護士は首を傾げる。
「『買主たる地位の権利譲渡』も中間省略登記の代替となる方法の1つですが、『第三者のためにする契約』とはやり方が全く異なります。穴吹と水田氏、そして前所有者が食い違う説明をしている時点で、何か奇妙ですよね」
いずれにせよ、到底一般人が手を出せるような不動産取引ではなく、水田氏が「特権的な立場」にあるからこそ入手できた土地であることは間違いないのだ。 
「なぜクレバーな小池さんが…」“親戚”を吹聴する金庫番
東京都の小池百合子知事(64)の金庫番、水田昌宏氏が経営する高崎のマンションには、不可解な点が多々あった。一般人では手を出せない不動産取引でこの土地を入手した水田氏とは、どのような人物なのか。

では、水田氏はどういう生い立ちを経て今の立場を得るに至ったのか。本人は、自分は小池氏の親族だと吹聴しているが、それは果たして事実なのか。
すでに触れた通り、水田氏の実家は加古川市の呉服店。しかも300年以上も続く老舗であった。
「(水田)昌宏くんの実父は語学が得意な元商社マン。しかし、彼がまだ小さい時に亡くなってしまい、彼は実母の姉夫婦の養子になりました。それが水田呉服店です。お店は確か2階建てで、2階は着物の展示場になっていました。お店の裏には蔵もあったと思います」(近所の古老)
店を切り盛りしていたのは主に水田氏の養母。養父は地元商工会の副会頭も務めていたというが、「昌宏くんの養父も婿養子という形で水田家に入っている。この養父が小池百合子さんの親戚だと聞いています。そうだとすると昌宏くんと小池さんには血の繋がりはない、ということになりますが、養父の旧姓は分からないので、正確な関係は不明です」(同)
「なぜクレバーな小池さんが」
水田氏は地元の小、中学校、加古川東高校を経て早稲田大学商学部に進学した。
「大学を卒業してしばらくした頃、着物姿の昌宏くんが養母と一緒に“戻ってきました”と挨拶しに来たことがありましたね。でもその頃にはすでに水田呉服店は苦境に立たされており、昌宏くんがお店に入って数年で廃業となってしまった」(近所の商店主)
それからほどなくして水田氏がロシアに留学する際、小池事務所の世話になったことにはすでに触れた。その後、正式に秘書となり、金庫番としての地位を確立し、ついには小池氏と同居するに至るわけである。
「なぜクレバーな小池さんが水田さんのようなインチキな人間を信用しているのか、本当に不可解。独身で子どももいないという寂しさに付け込まれたとしか思えない」(小池氏の知人)
高崎でマンション経営をやりたい──。06年から09年頃、水田氏がそう口にするのを複数の関係者が聞いていることは前述したが、「そういえば、水田さんがそう口にするようになったのは、高崎出身の外資系保険会社外交員が小池の事務所に出入りするようになってからだった。となると、穴吹興産の話を水田さんに斡旋したのもその外交員だったのかもしれない」(同)
そこでその外資系保険会社外交員に聞くと、「私からは何も申し上げられません」
とした上で、代理人の弁護士を通じて取材に対する抗議の意思を示す通知書を送りつけてきた。ちなみに水田氏の代理人を務める弁護士からも、取材の過程で訴訟をほのめかす計4通の「警告書」などが届いた。 
2000万円の物件に3億円の根抵当…知事は“水田氏の私事”と回答
前述で触れたとおり、小池百合子東京都知事(64)の金庫番である水田昌宏氏が経営する高崎のマンションは、その特権的な立場があるからこそ入手可能な、不可解な点が多々あるものだった。本件を取材する週刊新潮編集部には、記事化前より、水田氏の代理人より訴訟をほのめかす「警告書」が計4通届いている。

この過剰とも思える反応こそが案件の重大性、アンタッチャブルさを示しているような気がしてならないが、次に、高崎のマンション、小池氏の練馬の自宅、そして水田氏が所有する外神田のビルの1室を共同担保として、都知事選の翌日にみずほ銀行が3億3000万円の根抵当権を設定したことについて詳述する(図参照)。ちなみにみずほは東京都の指定金融機関である。
まず気に留めておかなくてはならないのが、高崎のマンションには元々、群馬銀行が4億1500万円の抵当権を設定していたことだ。そこへさらにみずほが3億3000万円の根抵当権を設定したことで、一瞬、7億5000万円近い抵当枠になっているのである。また、群馬銀行の時には「抵当権」だったのが、みずほの時には「根抵当権」に変わっている。
「借金が返せなくなった時に、貸主がその資産を保全する権利が抵当権。複数の債権を継続的、断続的に担保するよう設定されるのが、根抵当権です。根抵当権は、事業主のように、何度も借入する必要が出そうなケースではよく使われます」(司法書士)
みずほがつけたこの根抵当権を巡っては、設定後、実に慌ただしい動きがあったことが登記簿を見ると分かる。まず、8月18日の受付で練馬の自宅に設定されていた根抵当権が解除されるのだが、その日付が設定日と同日、8月1日となっているのだ。また、9月1日の受付で高崎のマンションに設定されていた根抵当権も解除され(これも8月1日付)、現在、担保として残っているのは外神田のビルの1室のみ。たった2000万円ほどの資産価値しかないビルの1室を担保として、3億3000万円もの根抵当権が設定されているという状況になっているのである。
「設定と同日に解除」の不可解…小池知事の承諾が必要
異様な点が多々ある経緯の中でも、専門家が口を揃えておかしいと言うのは、練馬の自宅と高崎のマンションにつけられた根抵当権が「設定と同日に解除」となっていること。
「同日設定同日解除というのは見たことがない。何かよほどのことがあったんだろう、という感じがします」(現役銀行マン)
特に練馬の自宅は小池氏と水田氏の共同所有。みずほ銀行関係者によると、「共同所有の物件に根抵当権を設定するためには双方の承諾が必要。今回の場合であれば、原則、小池氏にも銀行に来ていただき、目の前で署名捺印していただかなければ手続きは前に進みません」
“崖から飛び降りる”つもりで臨んだ選挙期間中に、銀行でのんびり署名捺印している暇があったとはとても思えないのだが、一体、どういう理由でこの根抵当権は設定されたのか。
みずほ銀行広報室は、「個別の取引内容に関わることについては回答は差し控えさせていただきます」 と言うのみ。
水田氏は代理人の弁護士を通じてこう回答した。
「8月1日を設定日とする根抵当権については、設定日同日の解除を原因として既に抹消されており、さらに、みずほ銀行から通知人(水田氏)に対する3億3000万円の融資は一切実行されていません。通知人は群馬銀行からの借入につき、みずほ銀行への借り換えを企図して、上記根抵当権を設定したものの、結局、当該借り換え自体を取り止めることになったため、みずほ銀行への借り換えを前提とした上記根抵当権も不要となりました」
つまり、根抵当権設定の目的は群馬銀行からみずほ銀行へのローンの「借り換え」だった。が、借り換え自体がなくなったので、設定日同日の解除とした、というわけである。また、根抵当権が設定された8月1日より前、7月14日時点で水田氏は小池氏の政治資金管理団体「フォーラム・ユーリカ」の会計責任者を辞任し、8月時点では、「既に小池氏の秘書ではなかったことは間違いありません」(水田氏の代理人)
セオリーから逸脱した取引
この水田氏側の主張について、ある銀行OBは、「そもそも、借り換えなのに根抵当権を設定していることからして変です」 と、疑義を呈する。
「新築マンションなので度々修繕費がかかるということもないし、水田氏は単なる秘書で、他に大々的に事業を行っているわけではありませんからね。そして、群馬銀行の抵当権が4億1500万円だったのに、みずほの根抵当権が3億3000万円というのも解せない。3年で8500万円を返した計算になりますが、ペースが早過ぎます」
先の現役銀行マンも次のように語る。
「金融機関が融資をする際の原理原則は同時履行。必要書類を揃え、登記の手続きとローンの実行が同時に行われなければなりません。根抵当権を設定するところまでいって、借り換えの必要がなくなったからやっぱり止めます、ということ自体、非常に特異なケースで、同時履行のセオリーから逸脱した取引です」
そもそも借り換え話がなくなったのであれば、根抵当権は全て解除になっていなければおかしいのだが、今もそれは外神田のビルの1室を担保として厳然と残っている。この点、先のみずほ銀行の関係者は、「水田氏が今後、不動産取引をする際に借り入れが発生するかもしれないため、根抵当権自体は残すことにしたようです」 と説明する。しかし、先の銀行OBはこう語るのだ。
「それでは当初と融資目的が変わってしまっており、おかしい。しかも、担保の資産価値と根抵当権の極度額に大きな差が出てしまっており、異様です。そもそも一般人にはこんなことは絶対に起こり得ない」
「水田昌宏氏の私事」を主張
小池氏がまさにこれから「都議会のドン」など特権的立場にある人物のカネの問題に切り込もうというタイミングで発覚した、小池氏自身の金庫番の特権的錬金術。これ以上の皮肉はあるまいが、政治評論家の浅川博忠氏はこう話す。
「都の指定金融機関であるみずほ銀行による根抵当権設定が都知事選の開票日翌日であることを考えても、都知事のポストを巡り、利権を享受しようとする思惑が本当になかったのか、と都民に疑問を持たれても仕方がない。小池さん自身が情報公開の必要性を訴えているわけですから、自らの口で説明すべきです」
小池知事にも取材を申し込んだところ、一連の経緯は「水田昌宏氏の私事」であるとの回答が寄せられた。しかし、マンション経営、みずほ銀行が設定した根抵当権、いずれにも小池氏自身の関与があることはすでに詳述した通り。「水田氏の私事」で済まされる話でないことは、誰より小池氏自身が一番理解しているはずだろうに─―。 
●小池都知事がキャスターから政治家を志した理由 2017/3 
『挑戦――小池百合子伝』
2016年7月31日、東京都知事選の投開票がおこなわれ、小池百合子氏(以下敬称略)が初当選を果たした。291万2628票を獲得し、対立候補に大差をつけての圧勝。全国で7番目、東京都では初めてとなる女性知事が生まれた瞬間だった。
本書『挑戦――小池百合子伝』は、2008年10月に刊行された『小池百合子の華麗なる挑戦』を増補・改題したもので、あらたに都知事としての小池の描写が追加されている。とはいえ、本書の面白さはやはり2008年以前の小池の素顔に迫ったところにあるだろう。小池本人や小池と関わりのある人々への取材を通して、「小池百合子」という人間がどのように形成されていったのかを追った本書は、現職都知事を理解するための資料として、今なお重要な価値を持っている。
小池が都知事としてどのような活躍を見せてくれるかについて、現時点では評価がむずかしい。しかし、「都民ファースト」を掲げ、都政改革、待機児童対策、都庁の働き方改革、ペットの殺処分ゼロ、海外金融系企業の誘致、そして東京五輪の成功。これらの実現をめざす人物が、どのようなキャラクターの持ち主なのかを知ったうえで、あらためて政治に注目してみると、また別の見え方が生じてくるはずだ。本書を片手に、彼女が今後どのような東京を紡いでいくのか、じっくり見定めていってはいかがだろうか。
・両親に独立心や独創性の重要性を叩きこまれた小池百合子は、自らの武器として英語とアラビア語を選び、単身エジプトに渡った。
・小池はキャスターとして務めるかたわら、トルコ風呂改称運動や湾岸危機など、いくつもの交渉に積極的に関わってきた。
・日本をなんとかしなければならないという危機感を抱いた小池は、悩んだ末に日本新党に入党。すぐさま頭角を現していった。
・小池はベンチャーマインドを大切にしており、勝負どころを読みきる力に秀でた人物である。
小池百合子、その生い立ちについて
独立心と独創性を重んじた両親
1952年7月15日、兵庫県芦屋市に小池百合子は生まれた。家のまわりの芦屋や神戸には多くの外国人が居住しており、外国の雰囲気を肌で感じることができる環境だったため、百合子は知らず知らずのうちに海外への関心を深めていくこととなった。
また、両親も百合子の人格形成に大きな影響を与えた。母親の恵美子は独立心が強く、いつも「結婚は最終目標ではない」と百合子に言い聞かせていた。自分が若い頃に両親を亡くして苦労したため、手に職を持つことの重要性を誰よりもわかっていたからだった。百合子が中学に入ってからは毎月1万円を渡し、そのなかから授業料、衣服、文房具、交遊費をやりくりさせた。
くわえて、母親も父親の勇二郎も、オリジナルであることを非常に重んじていた。「人と同じことをしてはいけません。もしも、同じことをするのなら、誰よりも極めなさい。中途半端はダメ」「人とやるのは、恥だ。みんなと同じことをやって成功しても、それは当たり前のことで、そんなのはつまらん。みんなが気がつかないことをやるから、意味がある」。こうした両親の思想は、現在の百合子にも確実に受け継がれているといえる。
アラブに学ぶ
百合子がまず自分の強みとして選び、伸ばしていったのは英語だった。日本が国際的なつながりを強めていくなか、全世界で通用する英語の必要性が高まっていた。一時期は英語で身を立てることを固く決心するほど、百合子は英語の勉強にのめりこんだ。
しかし次第に、自分の英語力ではどうしても限界があると感じるようになった。そこで英語だけでなく、アラビア語も学ぼうと決めた。国連の公用語にアラビア語が加わるという事情にくわえ、アラブ諸国を知る人が日本にはあまりいないことも、アラビア語を選んだ大きな理由だった。「誰もしないことをしなさい」という母親の言葉が脳裏に浮かんだのだ。
アラビア語を最も効率よく勉強するためには、直接エジプトに飛び立ったほうがいいと判断した百合子は、通っていた関西学院大学を思いきって退学した。一見すると向こう見ずな行動ではあるが、危うい状況に立ったときのほうが、むしろプラス思考になる性格だった。
エジプトに着いた百合子は、さっそくカイロ大学に足を運んで文学部長と面会し、社会学科に入らせてほしいと直訴した。しかし、アラビア語ができないことを告げると、学部長は百合子を門前払いした。そこでアラビア語を習得するために、まずカイロ市内にあるアメリカ大学に入学した。朝から晩までアラビア語漬けになり、日本人相手の観光ガイドなどをしていくうちに、言語についても街についても詳しくなっていった。
1972年6月、百合子はカイロ大学を再び訪れ、入学許可を受けた。日本人留学生でカイロ大学を正式に卒業したのは、それまでひとりしかおらず、それも根気よく10年も勉強してのことだった。日本人にかぎらず、アラビア語に精通しているアラブ諸国の学生ですら、2年生にも進級できないのが全体の5分の1を占めていた。それでも百合子は、76年にカイロ大学を無事卒業した。日本人留学生としては、実に2人目のことだった。
政治家になるまで
通訳として働く
日本に帰った小池は、東京でアラビア語の通訳や講師をしながら生計を立てていた。この間、父親の会社が倒産したことで、取り立て屋の暴力団関係者が実家の芦屋に入り込むようになり、もはや生まれ育った芦屋の家に帰ることはできなくなった。こうした経験を経た百合子は、負け戦の辛さを理解し、“一度負けた人でも、立ち直るチャンスを作ること、希望の道を作ることがわたしの仕事だわ”と考えるようになった。
小池は通訳という仕事を通じて、さまざまな人脈をつくっていった。そのなかには日本の財界人や、エジプトの石油大臣、サダト大統領も含まれている。また、中東和平の鍵をにぎる重要人物であるカダフィ大佐のインタビューを担当することになったときは、3週間ほど粘りに粘って説得にあたった。その結果、世界初のカダフィ大佐への単独インタビューに成功するだけでなく、カダフィ大佐の両親との単独インタビューまで勝ち取った。その映像は世界にも配信され、業界内での小池の知名度を向上させた。
キャスターに抜擢
1979年4月、カダフィ大佐の単独インタビューが評価され、小池は政治評論家である竹村健一の「竹村健一の世相講談」にアシスタントとして抜擢された。竹村とともに仕事をしていくうちに、小池は“テレビは、感性に訴えるメディアなんだ”と体感し、竹村の外交手腕と新聞の読み方を貪欲に学んでいった。「カジュアルメディア」としてのテレビ番組の性質と小池の相性は抜群で、そのうち、小池は堂々と自分の意見を言うようになり、ついには竹村に反論すらするようになった。
それまで、いわゆるテレビの「女性アシスタント・キャスター」が、男性メインパーソナリティーに正面から反論することはまずなかった。しかも、強面で有名な竹村が相手となればなおさらである。しかし、竹村は小池の反論に対し、「なるほどなあ」とかえって納得する場面もあったという。
その後、いくつかの番組でキャスターを務めたあと、88年3月に「ワールド・ビジネスサテライト」がスタートした。小池はそのメインキャスターとして抜擢され、世間的にもグングンと知名度を上げていった。それでも小池は一貫して現場主義であり続け、率先して世界中を飛びまわった。
キャスターを超えて
小池はキャスターとして務めながら、その枠を超えた活動にも積極的に従事した。そのなかでも代表的なのが、トルコ風呂改称運動、そしてのちの湾岸戦争につながる湾岸危機での交渉である。
トルコ風呂改称運動とは、かつて東京大学の地震研究所に留学しにきたトルコ人青年が、「トルコから来た」と自己紹介しただけで笑いの対象になったという経験に端を発している。青年の主張を載せた記事を見た小池は、ぜひ彼に会って日本人として謝りたいと考え、友人を介してコンタクトを取り、都内の喫茶店で会って話をした。そして、「トルコ風呂」という名称を変えようと動き出した。そこには「大義と共感」がそろったキャンペーンなら、必ず成功させられるという思いがあった。
1983年の暮、小池は青年とともに、関係者の説得に回りはじめた。すると、トルコ風呂改称運動はすぐに社会現象に近いムーブメントへと変わっていった。“水面に石を投げる場所さえ間違わなければ、波紋は確実に広がる”と確信した瞬間だった。
また、湾岸危機において、日本人がイラク政府に事実上の人質として扱われたときのことだ。日本アラブ協会の事務局長を務めていた小池は使命感に駆られ、イラクのバグダッドへ飛んだ。「ワールド・ビジネスサテライト」の日本の放送時間に合わせて現地リポートをするかたわら、イラク政府の関係者、議会、軍部、赤新月社(イスラム圏において赤十字社にあたる団体)らと交渉を重ねた。現地のラジオ番組にアラビア語で出演すると、人質たちのために、日本語で励ましの言葉を送った。
湾岸戦争後も、空中にただよう汚染物質からクウェートの人々を守るために日本製のマスクを大量に送ったり、風評被害による観光客の激減に悩むエジプトのために、「あなたにもできる国際協力」と銘打った百人規模のツアーを企画し、新聞広告で呼びかけたりもした。さらに、「エジプトの砂漠を緑に」をキャッチフレーズに植林活動をおこない、1万4000本からなる友好の林をつくったこともあった。
小池は常にアイディアの人であり、実行の人であった。
政治家への転身
なぜ立候補したのか
“日本に残されている時間は、あまりない。このままでは、間に合わない”――小池は、政界に入る前から日本の行く末に危機感を抱いていた。当時の日本は、過剰な投機熱による資産価格の高騰で、いわゆるバブル景気に湧いていた。しかしそんな状態が長く続くわけがないと小池は見ており、事実、1991年にバブル経済は崩壊した。
ただ、小池はもともと政治家になるつもりはなかった。それまでも自民党などから出馬しないかと声をかけられていたが、そのたびに断りを入れていたほどだ。しかし、日本新党を結成した細川護熙(もりひろ)の問題意識に同調するところがあった小池は、悩みに悩んだ末、最終的に日本新党から立候補することを決断した。キャスターを辞めることについては周囲から反対されたが、小池の決意は固かった。
同年6月29日、細川は記者会見を開き、小池を公認すると発表した。小池は自分が通るかどうか、確信をもっていなかったが、自分が清水の舞台から飛び降りることで、とにかく風を起こしたかった。7月22日におこなわれた参院選では、日本新党から小池を含む4人が当選を果たした。
日本新党のブレーンとして
日本新党が結党された直後は職員の数も少なく、小池は徹夜の連続だった。また、小池は国会活動のかたわら、いくつものコラムや書評の執筆を自らおこなっていた。それでも、一度も締め切りに遅れず、細川のブレーンとして、日本新党を数々の選挙戦で勝利に導いていった。「ここは、勝負」「これは、やっても意味がない」という小池の嗅覚が働いたからこその結果だった。
小池はベンチャー企業のように、発案から、組織づくり、営業、広報にいたるまで、すべてゼロから立ち上げ、全体を考えながら国を動かすことに最大の興味、関心がある。「旧態依然の選挙戦にも改革が必要」と唱え、たすきや白手袋を着用せず、選挙カーで名前を連呼しないところにも、その性格の一端が見てとれる。
こうした小池のやり方に対し、伝統的な保守派の人たちからは「地べたを這うようなドブ板選挙じゃない。ホントは、こうじゃないんだ」と非難されることもしばしばであったが、多数の有権者たちの心をつかんだ小池は、平成5年の衆議院選挙で、日本社会党の土井たか子に次いで、第2位での当選を決めた。そして1993年8月9日、政権交代が行われ、細川が首相となると、小池は総務政務次官に異例の抜擢をされ、その後も細川首相のブレーンとして活躍していった。小池が政界に入ってから、ここまでわずか1年ほどのことであった。

小池はその後、新進党、自由党、保守党、保守クラブと渡り歩いていき、自由民主党では環境大臣、内閣府特命担当大臣、防衛大臣と歴任していくことになる。本書では、小池がこのように政党や立場を変えていった背景、そして狙いが詳しく描写されている。もちろん、あくまで小池側からの見え方だと留意する必要はあるものの、当時の政局を理解するうえで、本書は価値ある内容だと言えるのではないだろうか。小池都政を応援する人はもちろんのこと、その手腕に懐疑的な人にとっても、ぜひ読んでいただきたい一冊である。 
●小池百合子 2017/10 
小池百合子(こいけゆりこ)は日本で活動する政治家。1952年7月15日生まれ。兵庫県芦屋市出身。最終学歴はカイロ大学社会学科。
小池百合子は、1992年に政界に転身して以来、現在まで参議院議員1期、衆議院議員を8期連続当選、2007年7月には女性初の防衛大臣を務めた政治家である。
政治家になる前は、アラビア語通訳を務め、経済情報番組『ワールド・ビジネスサテライト』(テレビ東京系)などでキャスターとして活躍していた。
2016年6月29日、舛添要一前知事の辞職に伴う東京都知事選に立候補することを表明。「あたためてきたビジョンが多々ある。首都東京で実現したい」と初の女性都知事を目指す意欲を示している。
プロフィール
生年月日 1952年7月15日(67歳)
出身地 兵庫県芦屋市
最終学歴 カイロ大学社会学科
小池百合子の生い立ち(子供時代)
小池百合子は兵庫県芦屋市出身の政治家。
生年月日は1952年7月15日なため、現在年齢は67歳である。
血液型はA型。幼少期時代にガールスカウトをやっており、以来「備えよ、常に」[出典3]という言葉が好きだという。
小池百合子の父親と母親
父親はエジプト政府と人脈がある石油の貿易商だったため、小池百合子は社長令嬢として不自由ひとつなく育った。対する母親は、幼い小池のために洋服を作ってくれるようなお母さん。また、「戦時中に厳しい女学生時代を過ごしたけれど、今は違うのだから、どんどんやりたいことをやらなければ嘘よ」と母は小池のことを常々励まし、彼女の背中を押していた。
高校生の時に留学を決意
そんな母親の影響もあって「自分がやりたいこと」を考え始めた小池百合子は、テレビでアポロ11号の月面着陸の映像を目にする。その際に、雑音が混じっていながらも正確に英語を日本語に翻訳する”同時通訳”者の仕事ぶりに感銘を受け、ちょうど海外に行きたいと考えていた彼女は、「やっている人が少ない、けれど必要性が増すであろうアラビア語」を学ぶことに決めた。当時の小池百合子は高校生。高校は「甲南女子高校」に通っていた。当時から夢は「外交官」と、政治界を目指していたようだ。[出典1]
「恐ろしい高校生だった」
小池百合子は甲南女子高校生時代を振り返り、「日本における女性の居場所、女性の今後伸びる方向、その中で自分はどういう位置にいて、10代で何をして、20代でどういうスキルを得て…」と自身を商品に例え、将来の商品開発を考える「自己マーケティング」をしていたと語っている。小池自身、自分のような高校生は「恐ろしい」と話しているが、同時点で外国語という「スキルを身につけよう」と考えたのも、「日本の組織の中では女性は下働きで終わり、意思決定にはなかなか行けない」と悟ったからであった。
アラビア語を学ぶためカイロ大学へ
高校卒業後は「関西学院大学」に入学するも、中退。その後エジプトの「カイロ大学」社会学科に留学し、同大学を主席で卒業している。以降、アラビア語通訳や株式番組キャスターを務め、経済情報番組『ワールド・ビジネスサテライト』(テレビ東京系)では初代キャスターとして活躍した。
父親の倒産も経験
なお、小池百合子の父親・勇二郎氏は1969年に兵庫2区から衆院選に出馬している。しかし結果は落選。これを機に父・勇二郎氏の会社の経済が苦しくなり、会社は倒産してしまった。父親が出馬したのが1969年なので、小池百合子が17歳ぐらいの頃の出来事である。だがその後、友人の援助も借りて両親は、エジプト・カイロに日本食レストラン「なにわ」を出店。小池百合子の父親と母親が経営し、たちまち現地での人気レストランに成長した。
小池百合子の政治活動
経歴
1992年、政界に転身し、参院選に日本新党から立候補。初当選する。1993年の衆院選で当選すると新進党に移り、その後、自由党・保守党を経て、2002年に自民党へ。現在まで参議院議員1期、衆議院議員を8期連続当選している。2003年9月、環境大臣就任に加え、2004年には内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任。元内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)であり、2007年7月には女性初の防衛大臣を務める。
「クールビズ」の仕掛け人
夏期に行われる環境対策などを目的とした衣服の軽装化キャンペーンである「クールビズ」。近年は浸透してきた同キャンペーンであるが、「クールビズ」を提唱した第一人者は小池であるという。「ネクタイを外すことで国民の共感を得ながら、「夏場に余分なエネルギーを使わないようにしよう」「地球温暖化を防ごう」という大義に結びつける狙いがありました」と小池は語っている。
都知事選に立候補
2016年6月29日、小池は都内で記者会見を開き、舛添要一前知事の辞職に伴う東京都知事選に立候補することを表明した。小池は、「崖から飛び降りる覚悟で、6月29日に東京都知事選への出馬を表明しました。会見後に“崖から”でいいのかという指摘がありましたが、東京スカイツリーや清水の舞台から飛び降りてでも構いません。私の政治信条である「政治家をやっていると、追い風も向かい風もある。バタッと風が止まるときもある。そのときは、崖から飛び降りてでも自分から風を起こせ!」に従ったのです。」と出馬の決断に至った経緯を明かしている。また、「あたためてきたビジョンが多々ある。首都東京で実現したい」「東京はアベノミクスの牽引(けんいん)役になるべきだ」などと述べ、初の女性都知事を目指す意欲を示した。会見では「あくまでも自民党議員としてやる」ことを強調した。 
 
 
 


2020/6

 
 
●小池百合子 
日本の政治家。東京都知事(第20代)。アラビア語通訳者、ニュースキャスターを経て、1992年に政界へ転身した。テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』キャスター(初代)、参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)、総務政務次官(細川内閣)、経済企画総括政務次官(小渕第2次改造内閣・第1次森内閣)、環境大臣(第5代・第6代・第7代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、防衛大臣(第2代)、自由民主党広報本部長、自由民主党総務会長(第49代)、自由民主党国際人材議員連盟会長、都民ファーストの会代表、希望の党代表(初代)などを歴任した。
 
●来歴 
生い立ち
兵庫県芦屋市生まれ。父親の小池勇二郎は戦時中、仲小路彰、小島威彦らが創設した思想団体「スメラ学塾」のメンバーとして活動し、石油関連の貿易商として戦後に財を成した。芦屋市立岩園小学校、甲南女子中学校を経て、1968年に甲南女子高等学校に進学。在学中は、テニス部、ソフトボール部、ESS部に所属した。
高校2年の1969年12月、父親の勇二郎が第32回衆議院議員総選挙に、石原慎太郎による将来的な新党結成を見据えた「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて旧兵庫2区から無所属で立候補したが落選。
1971年3月、甲南女子高校卒業。同年4月、関西学院大学社会学部に入学。ほどなくして父親の会社の都合で家族が東京都の六本木に引っ越す。「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」旨を伝える新聞記事がきっかけでアラビア語通訳を目指し、同年9月に大学を中退して父親の貿易先でもあったエジプトへ留学。
カイロ市のカイロ・アメリカン大学(英語: American University in Cairo)でアラビア語を修めたという。エジプト滞在中にカイロ近郊にあるギザの大ピラミッドを登り、その天辺で茶道の形式に則りお茶を点てたことがある。両親は「朝堂院大覚」こと松浦良右の資金援助でカイロ市で日本食レストランを経営するが、父親の会社は小池の留学中に倒産した。
1972年6月、カイロ大学に入学。1976年10月、同大学文学部社会学科を卒業。複数の小池の著書によれば「カイロ大学を首席で卒業」と記されている。来日するエジプトのサダト大統領夫人のジハン・サダトをエスコートするために、同年10月11日、一時帰国。11月にまたエジプトに戻り、12月に正式に帰国した。
小池のカイロ大学(首席)卒業疑惑問題はたびたび取り上げられている。
通訳、ニュースキャスター時代
帰国後はアラビア語の通訳として活動。PLO議長アラファトやリビアのカダフィの会見では、コーディネーター兼インタビュアーを務めた。1984年、ヌスレット・サンジャクリの抗議により「トルコ風呂」の名称が「ソープランド」に改められた際、小池はこの運動を支援しており、本人も後日新聞報道でそれを認めている。小池によれば、トルコ留学生の熱心な訴えを聞き、国家の尊厳を守るという「大義」に加えて、個人的な共感の結果であったという。自ら厚生省に乗り込み、渡部恒三に「日本中でトルコの名前が出ているが、これはやめてくれ」と直談判、渡部の指導により『トルコ風呂』という名称は使用されなくなった。
1979年から1985年まで、日本テレビのトーク番組『竹村健一の世相講談』でアシスタントキャスターを務めた。『海外ウィークリー』の幸田シャーミンや野中ともよ、『BIG NEWS SHOW いま世界は』の安藤優子より1年早いデビューで、元々フリーから出発した女性キャスターとしては草分け的存在であった。その後、1988年よりテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』初代メインキャスターを務めた。
1990年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞した。
日本新党公認で参議院議員に初当選
1992年7月の第16回参議院議員通常選挙を前に、複数の政党から立候補の誘いを受ける。細川護煕は同年5月発売の『文藝春秋』に「『自由社会連合』結党宣言」と題する論文を寄稿し、新党旗揚げをを発表した。ニュース番組に次々と出演するが、その中のひとつに小池がメインキャスターを務める『ワールドビジネスサテライト』があった。番組出演後、元『朝日ジャーナル』編集長の伊藤正孝が間に入り、細川に小池を新党に誘うよう話を進めたと言われている。細川が参議院議員候補として小池に白羽の矢を立てると、「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」との理由で、5月22日に結成された日本新党に、野田佳彦、前原誠司らとともに入党した。
当時の参議院比例区は拘束名簿式であったが、小池は党代表の細川に次ぐ2位に記載され、日本新党が比例区で4議席を獲得したため初当選した。
翌1993年、第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で鞍替え立候補し、旧兵庫2区(定数5)において日本社会党元委員長の土井たか子に次ぐ得票数2位で当選した。自由民主党は選挙前の党分裂により減少した議席数を回復できなかったのに対して、日本新党は躍進し、非自民非共産の連立による細川内閣が成立した。小池は総務政務次官に就任するが、連立政権は1年足らずで崩壊する。
1994年、日本新党を含む旧連立派各党を糾合した野党第一党となる新進党の結党に参加する。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い兵庫6区(伊丹市、宝塚市、川西市)から出馬し、自民党の阪上善秀に競り勝ち再選。新進党では、初代幹事長でありのちに新進党党首に就任した小沢一郎の側近となり、1997年の新進党解党後は小沢率いる自由党に参加。
自由党・保守党時代
1999年、自民党と自由党の連立(自自連立)に伴う小渕第2次改造内閣の発足に際して経済企画政務次官となり、第1次森内閣まで務める。
2000年の自由党分裂に際して小沢と決別して連立与党に残留、保守党結党に参加した。
同年6月の第42回衆議院議員総選挙では保守党公認に加えてコスタリカ方式を条件とする連立与党の推薦を受け当選(3選目)し、今回比例単独に回った自民党の阪上に次回選挙の選挙区出馬枠を譲ることとした。
自由民主党に入党
2002年12月、民主党を離党した熊谷弘らの合流に伴う保守新党結成を前に、党首の野田毅および月原茂皓と共に、保守党を離党。保守クラブ(自民党へ合流するため、一時的に結成した形式上の政治団体)を経て自由民主党に入党。党内派閥に関しては、野田と月原が近未来政治研究会に入会したのに対し、小池は清和政策研究会(当時は森派)に入会した。
2003年9月、第1次小泉第2次改造内閣で環境大臣として初入閣。同年10月の第43回衆議院議員総選挙では、保守党時代のコスタリカ方式の約束により自民党から比例単独で立候補。比例近畿ブロックの自民党候補名簿で重複組のひとつ上の3位に記載され、比例近畿で自民党が9議席獲得したため4選。第2次小泉改造内閣より内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任。環境大臣は第3次小泉改造内閣まで務め、2005年夏の軽装化キャンペーン「クール・ビズ」の旗振り役を務める。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、東京10区に刺客として国替えする意向を表明。選挙の結果、民主党の鮫島宗明や小林を大差で破り、5選。
2006年に発足した第1次安倍内閣では、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)に任命される。その後、2007年7月3日、防衛大臣久間章生の辞任後の後任の防衛大臣に起用された。女性初の防衛大臣である。在任中、テロ対策特別措置法の延長問題に関して、民主党が求めている自衛隊派遣に関する国会の事前承認について「国会がチェック機能を果たす観点から1年ごとの(法改正による)延長という仕切りがある。今の制度でも十分役割を果たしている」と否定的な見方を示した。
2007年8月、米下院慰安婦決議可決を受けての日米関係の動揺を防ぐため、第167回国会を欠席して米国を訪問し、国防長官ロバート・ゲーツや副大統領ディック・チェイニーと会談する。野党がテロ対策特別措置法の延長に反対している状況を説明した上で、「これからも引き続き、役割を果たしていきたい」と、インド洋での自衛隊の給油活動を継続する方針を伝えた。国務長官コンドリーザ・ライスとの会談では「私は『日本のライス』と呼ばれているようですが、日本でライスは米(こめ)になります。よって、マダム・スシと呼んでみてはいかがでしょうか」などと英語でジョークを飛ばした。なお、訪米のための国会欠席について8月9日に行われた自民党国防部会などの合同会議で、山崎拓から「いささか当を得ない行動ではないか。今、党はテロ対策特別措置法を抱えている」と批判されている。
イージス艦機密情報漏洩事件について、「防衛省内で誰も責任を取っていない。私は責任を取りたい」として、内閣改造で自身の再任を固辞、離任した。
2008年9月、福田康夫の辞任に伴って実施された自由民主党総裁選挙に立候補した。自民党結党以来、女性の自民党総裁選出馬は史上初であった(推薦人代表は衛藤征士郎。選挙責任者は杉浦正健)。結果は、麻生太郎、与謝野馨に次ぐ3位。党員票は麻生に次ぐ2位であったが、地方票は0票であった。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では自民党への逆風を受けて小選挙区では民主党新人の江端貴子に敗れ、比例東京ブロックで復活当選した。9月3日、「派閥単位でなく、党全体で結束すべき」として町村派を退会し、無派閥となった。麻生退陣に伴う2009年自由民主党総裁選挙で推薦人に名を連ねた谷垣禎一が当選、谷垣総裁の下で党広報本部長を務める。2010年6月9日の自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)設立総会で、相談役に就任した。
2010年9月の党役員人事で、自由民主党総務会長に就任した。党三役に女性が就任するのは結党以来初めてであった。2011年9月退任。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、東京10区で前回敗れた江端を大差で破り7選。選挙後、自由民主党広報本部長に就任する。2014年の第47回衆議院議員総選挙で8選。
東京都知事に就任、自民党離党
2016年東京都知事選挙に立候補する意思を表明。当初は自民党東京都連に推薦を依頼したが、「東京の改革のために覚悟を持って臨みたい」として無所属での出馬を宣言して推薦を取り下げ、自民党に進退伺を提出する。自民党は小池を応援した者の処分などを通達したが、選挙戦では前任の舛添要一や東京都議会の自民党会派の体質などを批判する。投票の結果、2位以下の候補を大きく引き離す291万2628票を獲得して当選し、女性初の東京都知事に就任した。
2016年9月20日、小池を支援する政治団体として『都民ファーストの会』が発足。2017年1月23日には小池系の議員による地域政党となる。6月1日、都民ファーストの会の代表に就任し、同日自民党に離党届を提出した(離党届は7月3日に受理)。2017年東京都議会議員選挙においては小池が主催する政治塾『希望の塾』の塾生などを擁立し、選挙の結果、都議会で小池系の勢力が過半数を占めた。都議選後、すぐに党の代表を辞任したため、選挙だけが目的の食い逃げと批判された。
都知事就任後は、築地市場移転問題等の対応にあった。2017年10月には、舛添要一前東京都知事の下で選任された3名の東京都副知事を任期途中で解任し、猪熊純子ら2名を新たに副知事として選任した。2019年には民間出身副知事として宮坂学を起用。
希望の党
2017年9月25日、自らが代表となる新党「希望の党」の結成を発表し、同日に総務大臣あてに「希望の党」の設立を届け出て受理された。第48回衆議院議員総選挙では民進党との合流を決断。民進党議員の公認を希望の党で受け入れる形となったが、『全員を受け入れるつもりはない』と延べ、合流組の一部を『排除いたします』と笑顔で言い切ったことが民進党の一部議員の反発を招き、立憲民主党の結党へと繋がる。野党が2分された結果、自民党に大敗し、野党第一党の座も立憲民主党に奪われた。この結果に党内の求心力は低下し、11月14日に代表を辞任した。11月20日、後任代表の玉木雄一郎の要請で特別顧問に就任した。その後、野党再編の有り方を巡り希望の党が分裂。分党措置により保守系議員らが新たに結成した希望の党から特別顧問就任を打診されたものの固辞し、国政からは距離を置くことを表明した。  
●政策 
内政
経済
財政政策は「財政に家計の常識を入れる」ことを基本にしており、赤字国債による景気対策に否定的である。財政出動は変動相場制の下では効果が無いとの立場を取る。日本国憲法に財政規律条項を加えることを提案している。
選択的夫婦別姓制度
党議拘束を外す場合、選択的夫婦別姓については選択制であることから賛成するとしている。一方、2014年の調査では、「どちらとも言えない」としている。
女性宮家
2012年の毎日新聞の調査では、女性宮家創設に賛成と述べている]。
表現規制
国会議員時代は「マンガやアニメ、映画、ゲームにおける描写を規制する青少年健全育成基本法案」の請願を国会に提出した。2016年東京都知事選挙でも、小池の選挙対策事務所は「表現の自由は、しっかりと守るべき」とした上で「目をそむけたくなるものも中にはあり、そこをどのように線引きするか議論が必要」とした。なお、東京都では青少年健全育成条例により毎月1〜3冊程度のマンガや雑誌等が不健全図書に指定されているが、小池が都知事に就任した2016年以降、特にボーイズラブ作品の不健全指定が増えている。不健全指定された作品は都内で青少年向けに販売できなくなるほか、Amazon における販売が停止される。
無電柱化
自民党無電柱化小委員会の委員長として日本全国の無電柱化を推進し、「無電柱化推進法」の成立を目指している。
7つのゼロ
2016年7月の都知事選挙の選挙公報で「7つの0(ゼロ)を目指します」として、待機児童、介護離職、残業、都道電柱、満員電車、多摩格差、ペット殺処分の7項目を挙げた。このうち「ペット殺処分ゼロ」 は2018年度に実現し、2階建車両を使用するとしていた「満員電車ゼロ」は、新型コロナウイルス感染症の拡大により企業の在宅勤務や時差通勤への取り組みが進展し、通勤時間帯の満員電車はほぼ解消したが、その他の5項目は依然、道半ばと指摘された。
築地市場の移転延期
築地市場の移転先となる豊洲市場の全施設は2016年5月に完成し、11月10日の完全移転・開業を予定していたが、8月31日に「土壌汚染対策に不安が残る」として開場の延期を宣言した。その後、2017年6月20日に「一度豊洲に移転し、5年後再び築地に戻す」としたが、12月20日には「2018年11月10日に移転し、築地市場は解体する」と改めた。延期決定から築地市場解体決定までに1年4ヶ月弱を要し、その間に小池が度々姿勢を転換させたため、市場関係者以外にも大きな混乱を招いた。2018年7月31日、土壌汚染対策の追加工事が完了し、「将来リスクを踏まえた安全性が確保された」として、小池百合子により豊洲市場の安全宣言が出された。同年9月13日に開場記念式典が行われ、10月11日に取引を開始した。 この移転延期により、巨額の損害が生じたことが指摘された。
子どもを受動喫煙から守る条例
自らの意思で受動喫煙を避けることが困難であり、保護の必要性が高い子どもを守ることを目的とした条例を制定した。2018年4月1日施行。条例は保護者に対し、18歳未満の子どもがいる室内や車内で喫煙をしないことや、分煙が不十分な施設に立ち入らせないことなどを求めるものであり、努力義務のため罰則規定はない。この条例に対し、自民党は「条例が家庭内にまで踏み込むのは『法は家庭に入らず』の原則から納得できない。継続審議すべきだ」として反対していたが、2017年10月5日に自民党を除く賛成多数で可決、成立した。
受動喫煙防止条例
従業員を雇う飲食店に原則屋内禁煙を義務づけるなどした罰則付きの受動喫煙防止条例を制定した。2020年4月1日までに段階的に施行される。一時は「国との整合をとる」という理由で条例案の提出を見送っていたが、政府が客席面積100平方メートル以下の飲食店で喫煙を認めるなど例外が多い内容の健康増進法改正案を閣議決定したことを受け、国の方針より厳しい条例の制定を目指したものである。政府案で規制されるのは国内の飲食店の45%にとどまるが、当条例では都内の飲食店の84%が規制対象となる。当条例については、飲食組合やたばこ販売店などから強い反対があり、杉並区長の田中良も「都が一律に規制するのはファッショ的だ」と批判していた。都議会においては、自民党が規制対象外とする飲食店を増やす修正案を提出するなどして反対しており、高橋信博都議からは「実効性がない荒唐無稽な基準だ」という批判もあったが、2018年6月27日に自民党を除く賛成多数で可決、成立した。小池都知事は条例の成立について「以前は反対される飲食店も、より多かった。この1年間いろいろと訴えをし、途中で条例の設計の見直しも要したが、ご理解いただいて、今回の成立につながった」と述べた。
新型コロナウイルス対策
2020年3月12日、新型コロナウイルス感染症の拡大によりWHOのテドロス事務局長が「パンデミックと言える」と発言したことについて、「都として準備を重ねてきたことであり、中止という選択はない」と述べ、予定通り同年夏の東京五輪開催を目指す考えを示した。3月22日にIOCが東京五輪の延期を検討すると発表した翌23日、新型コロナ関連で最初の記者会見を開き、3つの密を避けることなどを要請した。4月23日の臨時記者会見では「4月25日からの12日間を、『いのちを守るステイホーム週間』とします」「『STAY HOME』。おうちにいましょう」と強く要請した。週刊新潮は、2020年5月21日号(5月13日配信)で、東京都が入院患者数をごまかし、より深刻に装っていたと報道した。東京都の感染症対策課によると、5月11日現在、3300床が確保されているという。同誌は小池について「3月下旬の3連休前、五輪を気にして手を打たず、感染拡大させた張本人が、命を削る自粛を強いながらも、その前提となる数字を示さないのは、都民ひいては国民への背信行為。徹底的な検証が不可避であろう」と指摘した。2020年5月12日、新型コロナウイルスの感染歴を調べる「抗体検査」を6月から月3千件のペースで実施すると発表し、「継続的に抗体検査を実施して地域ごとの抗体保有率を調査し、感染拡大防止対策に役立てていきたい」と述べた。2020年5月19日、新型コロナウイルスの緊急事態宣言延長に伴う休業要請の追加協力金930億円などを含む5832億円の2020年度補正予算案を発表し、小池は「感染の拡大を防止するという大きな目標には、(経済的な)セーフティーネットが必要だ。対策を切れ目なく講じていくことで効果が出る」と述べた。新型コロナ対策費の総額は、4月に想定した8000億円から約1兆円に拡大した。これに対し、自民党の都議は「小池百合子都知事は、新型コロナウイルス対策の1兆円で再選を買ったも同然だ」と指摘した。2020年5月22日、緊急事態宣言が解除された場合、休業要請を段階的に緩和する「ロードマップ」を発表した。この政策について、元衆院議員でタレントの東国原英夫は、小池のロードマップでは完全解除まで2カ月と推察し、経済がもたないのではないかと指摘した。
外交、安全保障
核武装
2003年11月、毎日新聞の衆議院議員アンケートで、日本の核武装について「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答した。
対リビア外交
日本リビア友好協会の会長を務めており、日本とリビアとの関係の強化、発展を目指している。なお、この日本リビア友好協会は、リビアからの要求に基づき、政府に代わり「日本リビア間の経済、産業、科学技術、文化等の協力促進に関する合意書」を締結した団体である。国際連合によるリビア制裁の間も、日本とリビアとの関係強化を図るためさかんに活動しており、同国の革命指導者であるムアンマル・アル=カッザーフィーの二男のサイフルイスラーム・ムハンマド・アル・カッザーフィーや、三男のアル=サアディー・カッザーフィーに対し、日本訪問を要請したのもこの団体である。リビアを訪問した経験もあり、複数回にわたって同国の革命指導者ムアンマル・アル=カッザーフィーと直接会談している。さらに、カッザーフィーに招かれ執務室の中に入ったこともあるという。カッザーフィーは民主主義国家の樹立を目指し、明治維新を参考にしている、などと主張している。2009年11月19日にはカッザーフィーに対して「Wii」をプレゼントしたこともあるとツイートした。2011年8月には、日本の政治家として初めてリビア国民評議会のトップであるムスタファ・モハメド・アブドルジャリル議長らと会談した。  
●人物 
政党遍歴
日本新党、新進党、自由党、保守党、自由民主党と5つの政党に所属し、「政界渡り鳥」と呼ばれることがある。ただし、日本新党、新進党は党そのものが解党しており、自発的な離党は自由党および保守党を離党した時である。また、自由党からの離党は自自公連立政権からの離脱の是非を巡り党が分裂したことに伴うものであり、海部俊樹、扇千景、野田毅、二階俊博など小池を含めて26名の議員が共に離党している。これは自由党に残留した側の人数を上回る。
小池は『文藝春秋』(2008年1月号)への寄稿で、「政界再編の荒波の中で生きてきた結果、自慢にはならないが、新党の立ち上げはお手のものだ。党名、綱領、政策、キャッチフレーズに、党名ロゴ作りまで、三日もあればまとめる芸当さえ身に付けたが、もうたくさんである」と回想している。立ち上げから参加した日本新党のシンボルカラーは自身のものと同じ緑である。なお新進党結党時には公式の英語党名として「New Progressive Party」(直訳すると新進歩党)提案したが、異論があり「New Frontier Party」(直訳すると新開拓領域党)となった。2016年7月に東京都知事選挙への立候補を表明した際には、「このところいろいろと私のこれまでの経歴などをご紹介いただく放送などを見ていて、『政党がコロコロ替わる』というようなご指摘もいただいている。しかし、改めて申し上げると、それは政党の離合集散の結果であって、政党名が変わっただけであって、私の主張、思想、そして信念は一度も変えたことがない。改めて思うと、政党というのはあくまで機能体であって、仲間内の運命共同体ではないと思う」と自ら説明している。
防衛事務次官更迭問題
2007年に防衛大臣に就任した小池は、内閣総理大臣補佐官時代からの懸案であった防衛省の「情報保全」システムの確立を理由に、防衛事務次官守屋武昌を退任させ、警察庁出身の官房長西川徹矢を防衛事務次官に起用する人事案を作成した。しかしこの人事情報が防衛省中枢からマスコミに漏洩され、更に守屋が小池の頭越しに内閣総理大臣安倍晋三や内閣官房長官塩崎恭久に対して直接、人事案の撤回を直訴。塩崎が小池に対し、人事案の再考を求める事態に発展した。小池は人事案の撤回を迫られ、安倍・塩崎らは守屋留任でも西川でもない「第三の(人事)案」を小池に要求して事態の収拾を図り、守屋同様防衛省プロパー(他省庁からの出向ではない、生え抜きの防衛官僚)である人事教育局長増田好平を後任の事務次官に起用する「第三の案」で決着させ、マスコミは「痛み分け」「けんか両成敗」などと評した。なお守屋は事務次官を退任後、国会での証人喚問の後に逮捕、起訴された。小池は「オンナの直感で『これはよろしくない』と思った」と述べた。
「臥薪嘗胆ヘア」と断髪式
小池は高校時代以来髪を伸ばしたことがなく、一貫してショートカットであった。自民党が政権を失った後、政権に復帰するまで髪を切らないと宣言した。小池は「つらいこと(=伸びた髪)を自分に課そうと思った」と語り、自ら「臥薪嘗胆ヘア」と名付けた。
2012年12月16日に行われた衆議院議員総選挙において自民党が政権に復帰し、小池自身も2期ぶりに小選挙区からの当選を果たした。この結果を受け、同年12月19日、後援会関係者らが参加して「断髪式」が行われた。1年2ヶ月の間切らなかった髪は肩下まで伸びていたが、自民党の河村建夫選対局長や三原じゅん子参院議員ら50人以上が大相撲の断髪式にならって髪にハサミを入れ、元のショートカットに戻った。会場は最初両国国技館での開催を希望したが、都内のホテルで行われた。
その他
エジプトに留学していた21歳の頃、日本人留学生の一般人男性と結婚し、離婚している。
小池によれば、顔の頬の部分に痣があり、キャスター時代は化粧で隠すことに苦労したという。都知事選時に石原慎太郎が小池を「厚化粧の女」と発言した際は、「ちょっとぐさっときたかな」と思ったという。小池によれば、猪瀬直樹の後継都知事選挙では、事前に石原から出馬の打診があったという。
1997年末には盲腸の手術を、翌1998年5月には子宮筋腫の手術を受けた。子宮全摘出で3週間入院した。
2006年3月29日、肺炎により40度近い熱を出し脱水症状で入院したが、翌4月14日に退院して公務に復帰した。 
2016年に第29回小学館DIMEトレンド大賞では、創刊30年記念として創設された「DIME創刊30周年記念 トップリーダー賞」を受賞。また、「VOGUE JAPAN Women of the Year 2016」 、第45回ベストドレッサー賞(政治部門)を受賞。
2017年4月にアメリカ合衆国の雑誌『タイム』が選ぶ2017年の世界で最も影響力のある100人に選出されている。 
●政治資金関連 
朝日新聞は2007年11月26日、政治資金収支報告書において2003年から4年連続で繰越金が0円であった団体の一つに小池が代表を務める政党支部を挙げた。小池の事務所は、「実際にかかった費用を積み上げ、法にのっとって適切に処理した結果だ」としている。
産経新聞は2016年7月4日、小池が代表を務める自民党東京都第10選挙区支部が、支援者が所有するビルの一室を相場価格の半額ほどで賃借しながら、差額を寄付として政治資金収支報告書へ記載する義務を怠っていたと報じた。神戸学院大学教授の上脇博之は「政治資金規正法に抵触する可能性がある」と主張した。小池の事務所は、「提示された金額を見て借りることにしたので、寄付という認識は全くない」と説明し、産経新聞の報道内容への反論をおこなった。
1992年7月に小池が参議院議員に初当選すると、それまで政治家になることに反対していたオリックス社長の宮内義彦は小池に後援会の設立を促した。後援会は小池の下の名前もかけて「フォーラム・ユーリカ」と名付けられ、宮内が会長に就任した。このとき資金管理団体も設立されるが、同名の「フォーラム・ユーリカ」とされた。「フォーラム・ユーリカ」は、都知事選後の2016年12月に資金管理団体の指定を取り消され、2017年6月に解散した。小池は都議選を控えた同年6月1日、都民ファーストの会代表に就任。選挙大勝後の8月、政治団体「百乃会(ひゃくのかい)」を設立した。代表と会計責任者には元衆議院議員の杉浦正健が就いた。再選に向け、2019年1月4日に新たな資金管理団体「百成会」を設立した。 
●発言 
小沢一郎
新進党、自由党に在籍していた約6年間に小沢一郎を支持していた理由について、「小沢さんが九三年に刊行された『日本改造計画』に大変な感銘を受けたからだ」と説明しながらも、「ところが、小沢さんが掲げた改革を断行し、護送船団の社会構造を廃して自己責任の社会を実現しようとしたのは小沢さんならぬ、小泉純一郎元総理、その人であった」と評している。小沢の政治手法については、「極論すれば、小沢氏の政治行動の基準は、わずか二枚のカードに集約される、と。それは『政局カード』と『理念カード』である。具体的にいえば、『政局カード』とは持論である政権交代という錦の御旗を立てることであり、『理念カード』とは安全保障を中心にした政策構想である。小沢氏というと政治的駆け引きに長けているように見えるが、決してそんなことはない。むしろやり方はシンプルだ。自民党を離党し、細川政権の樹立から今日まで、手の内のカードはこの二枚を駆使することに尽きる。ある時は『政局カード』を振りかざし、それが手詰まりになると見るや、今度は『理念カード』を切る。この繰り返しである」と評している。
また、小池が自由党を離党して保守党に参加し、小沢と決別した理由については、「ここで連立政権を離れて野党になれば、小沢氏の『理念カード』によって、政策の先鋭化路線に再び拍車がかかることは想像できる。一方で、経済企画庁の政務次官の仕事を中途半端に投げ出すことには躊躇した」「少々心細くもあったが、実は『政局』と『理念』の二枚のカードに振り回されることにも、ほとほと疲れていた。」「かつて小沢さんは、自由党時代に取り組んだはずの国旗・国歌法案について、自民党との連立政権から離脱するなり、180度転換し、『反対』に回った。国旗・国歌法案は国家のあり方を問う重要な法案だ。政治の駆け引きで譲っていい話ではない。同じく外国人地方参政権の法案についても自由党は反対であったはずが、公明党の取り込みという目的のために、『賛成』へと転じたことがある。国家の根幹を揺るがすような重要な政策まで政局運営の“手段”にしてしまうことに私は賛成できない。これが私が小沢代表と政治行動を分かとうと決意する決定打となった」と説明している。
2012年には、作家の大下英治によるインタビューで、「自由党の時に広報戦略を担当していた時の面白い資料が出てきたんです。『小沢一郎が永田町で嫌われるわけ』というテレビCMの、私が作った絵コンテ。『先見性がある、リーダーシップがある、決断力がある、正論を言う、実行する、先送りしない、本音を言う、役人に使われない。政策を重視する……』と続くんですが、当時は小沢さんの半面しか知らなかったから、今から考えるといくつか全く違うところもある」「政策はあるけれども、それ以上に政局が第一なんじゃないかと。今回の新党(引用者注:国民の生活が第一)でつくづく感じましたね」「小沢さんは政局を目的化しすぎ。政権を取った時、言っていた政策と行動があまりにも違う」「小沢さんは細川内閣で2大政党制による政権交代可能な政治制度を作ると言って小選挙区制を導入した。小選挙区制度では新党を作るのは不利だと一番分かっているのが小沢さんなのに、民主党を離党して4回目の新党を作った」と述べた。
週刊朝日による2012年のインタビューでは、「小沢さんを取り巻く人が抱く感情の変遷には、3段階ある。第1段階は、小沢さんを恐れ多く思う。私も『日本を変えるのは、そんじょそこらの人にはできないが、小沢さんならできる』と思っていた。第2段階は『すごい』と『えっ?』の間を行ったり来たりする。第3段階は『enough(もう十分)』と言って去っていく。新党についていったのは第1、第2段階の人。参加しなかったのは第3段階の人でしょう」と述べている]。
辺野古移設案に関する非公式約束
普天間飛行場の辺野古への移設案に関して、2007年に小池が防衛大臣在任中に、いわば空約束を沖縄県知事に非公式に与えていた事が記されたアメリカの「秘」(confidential)扱いの公電を、ウィキリークスが暴露したと報じられる。
末尾に「SCHIEFFER」と記された公電は、在沖縄総領事ケビン・メアが2007年11月2日に小池と昼食を共にした際の内容を伝えている(これに先立つ8月に小池は防衛相を辞任している)。2006年に日米で合意した移設案に関して、沖縄県知事仲井真弘多は滑走路を少しでも沖合へと修正するよう求めていた。ウィキリークスによると、小池は、環境影響評価後を条件に、政府が滑走路を50メートル沖合に移すことを同意するとの「非公式な『約束』」を知事に与えていたことをメアに認めたとされる。メアは小池に、滑走路を移動する科学的根拠が環境影響評価により与えられなかった場合にどうするのか、を尋ねた。これに対し、2009年までには別の政権になっており、我々が知事に現時点までに何を約束したかが問題になることはない、と小池は答えたという。ウィキリークスによると、公電は、日本の内閣がこのような非公式な示唆を沖縄県知事に続ける事への懸念、また小池によりそのような非公式な約束が為されたとの噂をアメリカ側が事前に聞いていた事を記しているとされる。
小池は約束を与えた事を否定し、「その場に総領事が来たという記憶もないし、必然性もない」と主張している。
沖縄メディア
2013年3月に「沖縄の先生(=自民党議員)方が何と戦っているかというと、沖縄のメディアなんですよ。今日はこちらに地元メディアもいると思うが、しかしながら、あれと戦って今回のご当選をされてきたということは、むしろ沖縄のメディアの言っていることが本当に県民をすべて代表しているとは、私ははっきり言って思いません。これからも堂々と地元と国会議員としての役割を果たして頂けるように後押しをさせていただきたい」と党国防部会で述べた。
水俣病問題
水俣病に関して、被害者に保障すべしという最高裁の判断を無視し、「水俣病問題に係る懇談会」を設置。学識者による認定の基準値を批判、最高裁から異例の談話を発表された。
「女性は子供を産む機械」発言への批判
女性を「子供を産む機械」に例えた厚生労働大臣柳澤伯夫の発言に対し、2007年2月4日に出演したテレビ番組で「柳澤さんだけじゃなくて、イスラムの国よりも、日本における男性の、女性に対する見方は遅れてるんじゃないか」と批判した。
外国人参政権
2010年1月22日の衆議院予算委員会において外国人参政権について質問し、赤松広隆農林水産大臣の「外国人参政権は民団への公約」という発言について質し、さらに亀井静香金融担当大臣から「私の所属しております国民新党は付与することについては反対でありますし、私としても反対であります」との答弁を引き出した。なお、小池本人は保守党在籍当時の2000年11月に、同じ衆議院の特別委員会で法案提案者の一人として「税金を払っている在日の方々がそれに対して意見を、また参政権という形で、選挙という形で意見を述べるのは、これは当然ではないかというような意見もある」「在日の皆さま方のことを考えると同時に、日本そのものを考えるという大変大きなモメンタムである」と発言している(一方で提案説明の中で「やはり国民の声の中では幾つかの問題提起もされている」「地方の政治と国政とは実は非常に密接に関係してくる」「(南北朝鮮の民団と総連という関係が敵対して)一本化されていないということに一抹の不安を覚える」「国籍を取りやすくするということも、この法案とはまた別にその選択肢も十分ある」と導入に慎重とも受け止められる意見もしている。ただし、「国籍取得をより簡便にするということをまず考えなければならない」として、国政選挙権の行使も可能となる帰化に積極的であった)。
2016年東京都知事選挙では、外国人地方参政権への反対を表明した。
その他
2007年7月26日、青森県弘前市で行なわれた第21回参議院議員通常選挙の比例区に立候補した候補者の応援演説において、1995年の阪神・淡路大震災における救援活動について「アメリカが支援に神戸港に入ろうとしても、港湾組合が厳しくてなかなか着岸できなかった」と発言。これに対して港湾労組協議会は「拒否した事実はない」と否定している。小池側は「非核証明がない限り入港できないという、非核神戸方式を念頭に置いた発言」としている。
2016年東京都知事選挙に立候補する直前の2016年7月8日に日本外国特派員協会で実施された記者会見で、ジャーナリストの江川紹子は、小池が過去に在日特権を許さない市民の会の関連団体に招かれて講演をおこなったことがあると述べた。小池は、「いろんな講演会に招かれることはしばしばございます。しかし私は在特会という、最近よく出ておりますけど、それについてはよく存じておりません。また、私を招いてくれた会は、こことどういう関係にあるか知り得なかったということでございます。よって、その認識はないということです」と返答した。
2016年11月7日掲載の日経DUALのインタビューで、親学について、「一度だけ誘われて講演を聴きに行ったことはありますが、ちょっと私の考えとは方向性が違うと考えて、以降は何も関わっていません。それだけなんです。育休の延長プランのキャッチフレーズになった『3年間抱っこし放題』にも違和感を抱いていました」と関わりを否定している。
2016年の都知事選の際に笹川堯が応援している
2017年8月10日の都知事定例記者会見で、知事が公表した豊洲と築地の双方に市場機能を残す方針について財源や運営費など検討した記録が都に残ってないことの所見を尋ねられ、「情報というか、文書が不存在であると、それは"AI"だからです。私があちこち、それぞれ外部の顧問から、それからこれまでの市場のあり方戦略本部、専門家会議、いろいろと考え方を聞いてまいりました。いくら金目がかかるかということについては、関係局長が集まった会議で、既にA案、B案、C案、D案と各種の数字が出てきております。よって、試算については既に公表されているものがあります。最後の決めはどうかというと、人工知能です。人工知能というのは、つまり政策決定者である私が決めたということでございます。」と述べた。その発言が意味不明であるとして、ネットユーザーが困惑を示したと産経新聞が報じた。
2019年10月17日、2020年東京五輪のマラソンと競歩について国際オリンピック委員会(IOC)が暑さ対策として、会場を東京から札幌に移す計画を発表したことについて、「青天のへきれき」と述べ、「涼しいところでというのなら、総理らが『北方領土でやったらどうか』くらいなことを呼び掛けてみるのはありかと思う」等と発言。
2020年3月30日、新型コロナウイルスによる肺炎で死去したタレントの志村けんについて、「悲しみとコロナウイルスの危険性について、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、その最後の功績も大変大きいものがあると思っています」と発言したことに対し、「功績」という表現に多くの批判が集まった。 
●カイロ大学卒業を巡る報道 
経歴詐称疑惑
カイロ大学卒業を巡る経歴詐称疑惑は、2016年の東京都知事選挙の際に広く報道された。同年6月30日放映のテレビ番組『情報プレゼンター とくダネ!』が学歴詐称疑惑を扱った際、資料として卒業証書と卒業証明書を担当者に送り、都知事選の選挙公報に「カイロ大学卒業」と記載した、当選後も東京都庁のウェブサイトの自身のプロフィール欄に「1976年10月 カイロ大学文学部社会学科卒業」と明記した。
2020年東京都知事選挙に立候補を表明後、週刊文春2020年6月4日号に「カイロ大学卒業は嘘」小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑 元同居人が詳細証言」と記事が掲載。卒業証書についても卒業関係書類のロゴやスタンプが異なる点などが指摘されている。また朝日新聞デジタルは2020年6月9日付で「小池都知事は『カイロ大学を卒業』 大使館が声明文公開」との記事を示した。 都知事選を控えた2020年6月3日、都議会で上田令子議員に卒業証書を見せるよう求められ、更に入学から卒業までの経緯をフスハー(カイロ大では必修科目)で答えるよう求められた際、「これまでも何度も公開をしてきたつもりである」「喋っても理解出来る人はいないだろう」として拒否する態度を取ったことから、「学歴詐称ではないか」との声が上がった。2020年6月9日、駐日エジプト大使館は、カイロ大学が発表した小池が1976年10月に卒業したことを証明する旨の声明文を、フェイスブックで公開した。 ジャーナリストの山田敏弘がカイロ大学教授のアーデル・アミン・サーレに取材して在籍記録を調べたところ小池が1976年にカイロ大学文学部社会学科をグッドの成績で卒業した記録が残っており、サーレは「カイロ大学は今でも4人に1人は留年するが、彼女は4年間で卒業している。これはすごいこと。10月に卒業したことになっているが、普通は7月卒業なので、2か月遅れたのは卒業前にも補習を受ける必要があったからだろう。相当に大変だったのではないか」と話していたという。 一方、小説家でカイロ・アメリカン大(英語版)(カイロ大とは別の米系の大学)大学院修士の黒木亮は小池のアラビア語は、「とてもよい面会」を「美味しい面会」と言い間違えたり、クウェートの女性大臣とフスハーで話そうとしてしどろもどろになったり、カダフィ大佐訪問時はほとんど会話にならないといった、「お使い」レベルのアラビア語で、到底大学教育に耐えられるものではないとし、また小池は『振り袖、ピラミッドを登る』(1982年)の58ページに、1年目に落第し、次の学年に進級できなかったと記述していることから、卒業には最低で5年かかり、早くても1977年となるため1976年10月卒業と記載されている「小池の卒業証書は信用出来ない」と述べている。また黒木はエジプトはカイロ大学を含むエジプトの国立大学では小池氏が卒業したと称しているサダト大統領の時代(1970〜81年)から不正な卒業証書の発行が行われており、小池の卒業証書はムハンマド・アブドゥル・カーデル・ハーテムのコネを利用したものだと主張している。
カイロ大学側の反論
一方、週刊文春2020年6月4日号の記事に対してPRESIDENT Onlineでは「カイロ大学卒業は本当」小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑 カイロ大学が詳細証言」と反論記事を掲載。記事では大学に照会し、カイロ大文学部日本語学科の教授から「確かに小池氏は1976年に卒業している。72年、1年生の時にアラビア語を落としているが、4年生の時に同科目をパスしている。これは大学に残されている記録であり、私たちは何度も日本のメディアに、同じ回答をしている」との証言があるとしてる。
また卒業関係書類のスタンプやロゴの疑惑についてもカイロ大学の幹部を務めた経験のある男性の話によると「昔、小池氏が国会議員になる時や閣僚になった時など日本のメディアから問い合わせがあった。念のため大学の記録を調べたが、間違いなく小池氏は76年10月に卒業していた。」と証言した上で「学部や時代によってスタンプやスタイル、サインが違うということだ。盗難対策などで数年ごとにそれらを変えていることを知らない人間が勝手に間違えていることを言っているのだろう」と指摘している。他のカイロ大学関係者も「卒業関係書類は昔は男性形の1つのフォーマットを使い、手書きやタイプライター。ピンで留め、大学職員が何人かで手作業でスタンプを押していた。今はさすがに男女の違いはあるが、多くの学生に書類を作成するのは大変な作業で、多少異なる点があるのも当たり前」と解説。
自民党衆院議員時代の小池はカイロ大学学長の招きで学生らを前にスピーチし、学長が「卒業生」として紹介していたこともある。
2020年6月8日、週刊文春2020年6月4日号の記事に対してカイロ大学のモハンマド・エルホシュト学長名は小池都知事は「1976年にカイロ大文学部社会学科を卒業したことを証明する」「卒業証書はカイロ大の正式な手続きにより発行された」「日本のジャーナリストが証書の信ぴょう性に疑義を示したことは「大学と卒業生への名誉毀損(きそん)で看過できない」と声明を出した。そのうえで「エジプトの法令にのっとり、適切な対応策を講じることを検討している」と警告している。  
●役職 
特定非営利活動法人中央アジア・コーカサス研究所(理事長)
公益財団法人日本国際フォーラム(評議員、政策委員)。
日本ウエイトリフティング協会会長
東京都銃剣道連盟(会長)  
●所属団体、議員連盟 
日本会議国会議員懇談会(2015年時点に副会長)
自民党国際人材議員連盟(会長)
自由民主党資源・エネルギー戦略調査会(顧問)
自由民主党無電柱化小委員会(委員長)
自由民主党税制調査会(副会長)
自由民主党環境・温暖化対策調査会(顧問)
自由民主党安全保障調査会(顧問)
自由民主党観光立国調査会(顧問)
自民党どうぶつ愛護議員連盟(会長)
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(顧問)
国際連帯税創設を求める議員連盟(副会長)
日韓議員連盟
日華議員懇談会
衆議院日仏友好議員連盟(副会長)
シリア難民支援議員連盟(会長)
無電柱化推進議員連盟(会長代理)  
●年譜 
1971年(昭和46年) - 甲南女子高等学校卒業。関西学院大学社会学部に入学(中退)
1976年(昭和51年) - カイロ大学文学部社会学科卒業
1979年(昭和54年) - 日本テレビ『竹村健一の世相講談』キャスターに就任(-1985/3)
1985年(昭和60年) - テレビ東京『マネー情報』キャスターに就任
1988年 (昭和63年) - テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』初代キャスターに就任
1992年(平成4年)7月 - 参議院議員に初当選(日本新党公認・比例区)
1993年(平成5年) 7月 - 衆議院議員に初当選(日本新党公認・旧兵庫2区)
   8月12日 - 総務政務次官に就任( - 1994年4月28日)
1994年(平成6年) 12月10日 - 日本新党解党、新進党結成に参加
1996年(平成8年)10月 - 衆議院議員に再選(新進党公認・兵庫6区)
1997年(平成9年)12月 - 新進党解党
1998年(平成10年)1月 - 自由党結成に参加
1999年(平成11年)10月5日 - 経済企画総括政務次官に就任
2000年(平成12年) 4月 - 自由党離党、保守党結党に参加
   4月5日 - 経済企画総括政務次官に再任( - 7月4日)
2000年(平成12年)6月 - 衆議院議員3選(保守党公認・兵庫6区)
2002年(平成14年)12月 - 保守党解党、自由民主党に入党
2003年(平成15年) 9月22日 - 環境大臣に就任
   11月 - 衆議院議員4選(自由民主党公認・比例近畿ブロック)
2003年(平成15年)11月19日 - 環境大臣に再任
2004年(平成16年)9月27日 - 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任
2005年(平成17年) 9月 - 衆議院議員5選(自由民主党公認・東京10区)
   9月21日 - 環境大臣・内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)に再任
2006年(平成18年)9月26日 - 内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)に就任
2007年(平成19年) 7月4日 - 防衛大臣に就任( - 8月28日)
2008年(平成20年)9月 - 自由民主党総裁選挙に立候補
                麻生太郎、与謝野馨に次ぐ得票数3位で落選
2009年(平成21年) 8月 - 衆議院議員6選(自由民主党公認・比例東京ブロック)
   10月 - 自由民主党広報本部長に就任
2010年(平成22年)9月 - 自由民主党総務会長に就任( - 2011年9月)
2012年(平成24年)12月 - 衆議院議員7選(自由民主党公認・東京10区)
                自由民主党広報本部長に就任
2013年(平成25年) 4月 - ルノー社外取締役に就任
   6月 - 日本ウエイトリフティング協会の新会長に選任(女性初)( - 2016年9月)
2014年(平成26年)12月 - 衆議院議員8選(自由民主党公認・東京10区)
2016年(平成28年) 7月 - 東京都知事選挙に大臣経験がある初の女性国会議員として
                立候補し当選 (立候補に伴い衆議院議員を自動失職)
   8月 - 東京都知事に就任(女性初)
2017年(平成29年) 4月 - 地域政党「都民ファーストの会」の特別顧問に就任
   6月 - 都民ファーストの会代表に就任
   7月 - 都民ファーストの会代表を辞任、特別顧問に就任
   9月 - 国政政党「希望の党」を設立し、代表に就任
   11月 - 希望の党代表を辞任、特別顧問に就任