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マスコミ自壊伝  メディアの伝える 「桜を見る会」 
 
 

 

●「次の総理」世論調査 コロナ対策不評の安倍首相転落で石破氏トップ奪還 4/15 
「次の総理」調査で石破氏が安倍首相を抜きトップ奪還
FNNは3月21・22日の両日、全国の有権者を対象に電話世論調査(固定電話+携帯電話・RDD方式)を実施し1052人から回答を得た。安倍内閣の支持率は、前月の調査より2・3ポイント低下し39.0%となったのに対し、支持しない人は44.3%で支持を上回った。そしてこの調査では、「次の総理大臣にもっともふさわしいと思う政治家は誰か」について11人の政治家の名前をあげて聞いたが、結果は次の通りだ。
石破茂     20.2%
安倍晋三    15.4%
小泉進次郎   9.3%
河野太郎     3.6%
岸田文雄     2.7%
枝野幸男     2.2%
菅義偉      1.3%
野田聖子     0.6%
茂木敏充     0.3%
西村康稔     0.3%
加藤勝信     0.2%
この中にはいない 34.5%

前回3月の調査では、安倍晋三首相がトップだったが、今回は石破茂元幹事長がトップを奪回した。石破氏に続いては、安倍首相が2位につけ、小泉進次郎環境相、河野太郎防衛相、岸田文雄自民党政調会長と続いている。
石破氏と安倍首相…実は一定の層を奪い合い?
そしてこの結果を、2019年12月から今年3月にかけての過去3回の同調査結果と比較する。
       去年12月 今年2月   3月    今回
石破茂     18.5%  21.2%  18.5%  20.2%
安倍晋三   18.2%  15.0%  18.8%  15.4%
小泉進次郎  14.5%   8.6%  9.8%   9.3%
河野太郎    5.3%   4.4%  4.1%   3.6%
岸田文雄    2.7%   2.4%  2.9%   2.7%
枝野幸男    4.7%    6.0%  4.9%   2.2%
菅義偉      3.0%   2.4%  1.0%    1.3%
野田聖子    0.9%    1.2%  0.7%    0.6%
茂木敏充    0.6%   0.4%  0.5%   0.3%
西村康稔     ―    ―    ―      0.3%
加藤勝信    0.2%   0.4%  0.5%   0.2%

このように、前回は安倍首相がわずかに石破氏を上回っていたが、今回は石破氏が5ポイント近くの差を付け、1位に返り咲いている。今回の調査では、新型コロナウイルスをめぐる政府の対応を評価しない人が増えた影響で安倍内閣の支持率が低下したが、それにつれて次の総理に安倍首相の名を挙げる人が減り、逆に石破氏の数字が上昇した形だ。ここで調査ごとに石破氏と安倍首相の数字の合計を見て欲しい。安倍首相と石破氏それぞれに浮き沈みはあれども、合計はいずれも35〜37%台でほとんど変わらないのだ。石破氏がこの1ヵ月の間に世論に大きくアピールする機会は特になかったとみられるが、そう考えると安倍首相と石破氏は、その時々の政府の対応により安倍首相支持から離れたり戻ったりする一定の人を取り合っているようにも映る。一方、3位以下に目を移すと顕著な変化はそれほどない。唯一、立憲民主党の枝野代表の数字が落ち込んでいるのが目につくが、これについては後述する。なお、今回の調査には、新型コロナウイルス特措法の担当大臣となり、かつて自民党総裁選に立候補したこともある西村康稔経済再生相が新たに選択肢に加えられているが、数字は0.3%に留まった。
自民党支持層では安倍首相が引き続きリードも石破氏との差は最小に
続いて、次期首相を事実上決める自民党総裁選では、あくまで自民党員と自民党所属国会議員の意思が反映されることを踏まえ、自民党支持層に限っての今回の調査結果を、最近の推移も含め見てみる。
       去年12月 今年2月   3月     今回
安倍晋三    34.4%  33.9%  39.3%  30.7%
石破茂     20.6%  16.9%  19.7%  18.7%
小泉進次郎  10.9%  11.0%   8.3%   9.2%
岸田文雄     4.6%   5.0%   3.2%   4.4%
河野太郎     6.5%   6.2%   5.8%   3.7%
菅義偉      5.7%   3.8%   1.7%   2.7%
茂木敏充     1.1%   0.7%   1.1%   0.5% 
野田聖子     0.5%   0.5%   0.5%   0.5%
西村康稔     ―    ―     ―    0.3%
加藤勝信     0.0%  1.2%    0.2%    0.0%

このように、自民党支持層で見ると、安倍首相が30.7%と大きくリードしたままだが、石破氏とのポイント差はここ4回の中では最小となった。また岸田氏は、数字こそ低いものの、順位上は初めて4位に浮上した。ポスト安倍をめぐる水面下の暗闘がすでに始まっている中で、その最有力候補の1人である岸田氏の数字がこのコロナ対応の中でどう推移していくかは、今後の政局のカギを握りそうだ。
無党派層では、前回調査での“石破一強”から変化が
一方で、衆議院の解散総選挙があった場合に勝敗のカギを握るのは、無党派層の動向だ。そこで「支持政党なし」と答えた人に限っての数字を、今回とこれまでとの比較で見てみたい。
       去年12月 今年2月   3月    今回
石破茂     18.2%  22.3%  16.1%  18.5%
小泉進次郎  19.3%   8.4%  12.8%   9.4%
安倍晋三     7.5%   4.3%   9.5%    5.0%
河野太郎     4.8%   4.1%    3.3%    3.9%
枝野幸男     2.9%   4.2%     3.6%    2.1%
岸田文雄     1.1%   1.4%    1.7%    1.6%
菅義偉      0.8%   2.3%    0.8%    0.6%
野田聖子     1.1%    1.6%    0.7%    0.4%
茂木敏充     0.2%    0.2%     0.2%    0.4%
西村康稔    ―    ―    ―      0.4%
加藤勝信     0.2%    0.0%     0.2%    0.0%

このように、石破氏が2位の小泉氏にほぼダブルスコアを付ける形となったが、全体的に見て数字を伸ばしている人は多くない。そして「この中にはいない」と答えた人が44.8%にのぼった。新型コロナウイルスの感染拡大で、次の総理大臣を考えるような状況ではないと言えばそれまでだが、小泉進次郎氏の人気下落後、無党派層の心をつかむような政治家がなかなかいないという現実も改めて示している。
立憲民主党が“野党支持率第一党”から転落…枝野氏の数字も低下
最後に今回の調査での政党支持率と前回調査との増減について見てみたい。
自民党       36.2% (+3.6)
日本維新の会     5.2% (+1.4)
立憲民主党      3.7% (-4.0)
公明党        3.1% (+0.0)
共産党        2.6% (-0.7)
れいわ新選組     1.9% (+1.1)
国民民主党      1.1% (+0.5)
N国党         0.9% (+0.7)
社民党        0.4% (-0.1)
その他の政党     1.0% (+0.2)
支持政党なし    43.1% (-2.9)

自民党に続く支持率2位の政党が、ここ最近は一貫して立憲民主党だったのに、今回その立憲は急落し、日本維新の会が2位に躍り出たのだ。世の中が新型コロナウイルスのニュース一色になる中で、日本維新の会では大阪府の吉村知事や、大阪市長である松井代表が一定の存在感を示し、政府に一貫して強い対策を取るよう求めている。また、維新の元代表でもある橋下徹氏が、新型コロナウイルスについて積極的に発信していることも世論に影響している可能性がある。一方の立憲民主党は、国会などで政府の新型コロナウイルス対応を厳しくチェックしているが、国民の目に見える形で取り上げられる機会は決して多くない。また、党内では政府の対応は甘くて遅く、よりスピーディーで実効性のある対応をとるべきだという主張が基本の一方で、緊急事態宣言下で国民の権利を制限する措置には慎重な意見もあり、党のスタンスをわかりにくくしている面もある。さらに、経済対策についても今回は、提案型で議論をリードするようなアピールには乏しかった。その結果が政党支持率の下落と、枝野氏の「次の総理」に関する順位低下につながった可能性がある。新型コロナウイルスによる非常事態という特殊な環境下での一時的埋没という見方もあるかもしれないが、感染拡大防止策や経済対策は、立憲民主党の懸案である政策発信力、政権担当能力にも深く関わる問題だ。それだけにより積極的な政策発信を意識しないと、無党派層を維新などの他の野党に奪われるという、2019年の参院選と同じ構図が次期総選挙で起きる可能性は否めない。 

 
 

 

●内閣支持率 4/14 
内閣支持39%、不支持38%
NHKは、今月10日から3日間、全国の18歳以上の男女を対象にコンピューターで無作為に発生させた固定電話と携帯電話の番号に電話をかける「RDD」という方法で世論調査を行いました。調査の対象となったのは、2085人で60%にあたる1253人から回答を得ました。それによりますと、安倍内閣を「支持する」と答えた人は、先月の調査より4ポイント下がって39%だったのに対し、「支持しない」と答えた人は、3ポイント下がって38%でした。「わからない・無回答」の人は先月より6ポイント増えて23%でした。内閣を支持する理由では、「他の内閣より良さそうだから」が53%、「支持する政党の内閣だから」が16%などとなりました。逆に、支持しない理由では、「人柄が信頼できないから」が35%、「政策に期待が持てないから」が28%などとなっています。
そのほかの質問
新型コロナ 感染の不安
新型コロナウイルスに自分や家族が感染する不安をどの程度感じるか聞いたところ、「大いに不安を感じる」が49%、「ある程度不安を感じる」が40%、「あまり不安は感じない」が7%、「まったく不安は感じない」が2%でした。「大いに」と「ある程度」を合わせ「不安を感じる」と答えた人は89%で、先月よりも、15ポイント増えました。
新型コロナ 政府の対応の評価
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための、政府のこれまでの対応について、「大いに評価する」が8%、「ある程度評価する」が38%、「あまり評価しない」が36%、「まったく評価しない」が14%でした。
緊急事態宣言のタイミングの評価
政府は、法律に基づいて、東京都や大阪府などを対象に、来月6日までの期間で緊急事態宣言を出しました。宣言が出されたタイミングについて尋ねたところ、「適切なタイミングだ」が17%、「遅すぎた」が75%、「宣言を出すべきではなかった」が2%でした。
緊急経済対策の評価
政府が決定した事業規模が108兆円の緊急経済対策をどの程度評価するか聞いたところ、「大いに評価する」が8%、「ある程度評価する」が41%、「あまり評価しない」が30%、「まったく評価しない」が14%でした。
世帯への現金給付の評価
緊急経済対策のうち、世帯主の月収が一定の水準まで落ち込んだ世帯などに限って、1世帯あたり現金30万円を給付することについて、「大いに評価する」が8%、「ある程度評価する」が35%、「あまり評価しない」が34%、「まったく評価しない」が16%でした。
自粛による損失補償の賛否
新型コロナウイルスの感染防止のために、イベントや活動を自粛した事業者の損失を、国が補償することへの賛否を尋ねたところ、「賛成」が76%、「反対」が11%でした。
布製マスク配布の評価
全国すべての世帯を対象に、1つの住所につき布製のマスクを2枚ずつ配布する政府の対策をどの程度評価するか聞いたところ、「大いに評価する」が5%、「ある程度評価する」が18%、「あまり評価しない」が29%、「まったく評価しない」が42%でした。
人との接触7割〜8割減は可能か
政府が、緊急事態宣言の対象地域の住民に呼びかけている人との接触を7割から8割減らすことについて、できると思うか聞いたところ、「できると思う」が41%、「できないと思う」が48%でした。
政党支持率(%)
自民党        33.3
立憲民主党      4.0
国民民主党      0.5
公明党        3.3
日本維新の会     1.6
共産党        2.9
社民党        0.6
れいわ新選組     0.5
NHKから国民を守る党  0.2
その他の政治団体   0.7
支持なし       45.3
わからない、無回答  7.3  
 
 

 

●世論調査 4/14 
Q.あなたは、安倍内閣を、支持しますか、支持しませんか。 
支持する 42%
支持しない 47%
その他 2%
答えない 8%
Q.新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府が、東京都や大阪府などに、特別措置法に基づく1か月間の緊急事態宣言を出したことを、評価しますか、評価しませんか。
評価する 83%
評価しない 14%
答えない 3%
Q.政府が緊急事態宣言を出したタイミングは、適切だったと思いますか、遅すぎたと思いますか、それとも、早すぎたと思いますか。
適切だった 15%
遅すぎた 81%
早すぎた 1%
答えない 3%
Q.政府の緊急事態宣言は、欧米諸国のように住民の外出を禁止する強制力はなく、外出の自粛を強く要請することが柱です。あなたは、自粛の要請で十分だと思いますか、不十分だと思いますか。
十分だ 33%
不十分だ 59%
答えない 7%
Q.東京都は、新型コロナウイルスの対策として、パチンコ店や映画館、スポーツクラブなど幅広い業種に対して休業を要請し、協力した中小規模の事業者には、協力金を支払うことを決めました。この対策を、評価しますか、評価しませんか。
評価する 82%
評価しない 12%
答えない 5%
Q.政府は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた経済対策として、収入が減少し、一定の基準以下となった世帯に、現金30万円を給付する方針です。この現金給付の対策は、適切だと思いますか、不十分だと思いますか、それとも、行き過ぎだと思いますか。
適切だ 26%
不十分だ 58%
行き過ぎだ 5%
答えない 11%
Q.政府が、すべての世帯に布製のマスクを2枚ずつ配布すると決めたことを、評価しますか、評価しませんか。
評価する 25%
評価しない 73%
答えない 2%
Q.あなたは、自分が新型コロナウイルスに感染するのではないかという不安を感じていますか、いませんか。次の4つの中から、1つ選んで下さい。
大いに感じている 42%
多少は感じている 45%
あまり感じていない 10%
全く感じていない 3%
答えない 0%
Q.新型コロナウイルスに関連し、あなたが心配していることを、次の6つの中から、いくつでも選んで下さい。
収入が減少する 47%
食料品や生活用品が品薄になる 46%
運動不足やストレスを解消できない 50%
子供の学力が低下する 60%
病院で通常の診療が受けられない 75%
親が感染する 72%
その他 2%
とくにない 3%
答えない 0%  
 
 

 

●緊急事態宣言「遅すぎる」8割超、内閣支持率39% 産経・FNN合同世論調査  4/13 
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)は11、12両日に合同世論調査を実施した。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、安倍晋三首相が7都府県を対象に緊急事態宣言を発令したことを「評価する」との回答は65・3%で、「評価しない」の29・0%を上回った。ただ、発令時期については「遅すぎる」が82・9%と、「適切だ」の12・4%を大きく上回り、政府に迅速な対応を求める声が目立った。
また、緊急事態宣言を受けて89・5%が外出を「控える」と答え、「控えない」は7・7%だった。緊急時に限定して政府の措置に強制力を担保するため憲法を改正して「緊急事態条項」を新設することに関しては65・8%が賛成と回答した。
安倍内閣の支持率は、前回調査(3月21、22両日実施)と比べ2・3ポイント減の39・0%。不支持率は3・2ポイント増の44・3%で、2カ月ぶりに不支持率が上回った。新型コロナをめぐる一連の政府対応に関しては「評価する」が22・7ポイント減の28・7%と急落。逆に「評価しない」は25・1ポイント増えて64・0%となった。
政府が実施する事業規模108兆円の緊急経済対策については、51・6%が「評価する」と回答。新型コロナの影響で、収入が大幅に減った世帯に30万円の現金給付を行う方針には39・0%が賛同したが、50・9%が「支給額が下がってもすべての国民に給付すべきだ」と答えた。
政府が品薄対策として再利用可能な布製マスクを全世帯に2枚ずつ郵送・配布する方針については「評価しない」が74・8%で、「評価する」は21・1%だった。
新型コロナへの不安を「大いに感じる」が70・2%、「ある程度感じる」が25・3%と、合わせて95・5%に達した。 
 
 

 

●安倍内閣支持横ばい39% 桜「説明果たしていない」78%―時事世論調査 3/13
時事通信が6〜9日に実施した3月の世論調査で、安倍内閣の支持率は前月比0.7ポイント増の39.3%、不支持率は1.0ポイント減の38.8%となった。新型コロナウイルス感染症をめぐる政府対応に批判が出ていたが、支持率・不支持率は共にほぼ横ばいだった。
首相主催「桜を見る会」の一連の疑惑に対する安倍晋三首相の説明責任については、「果たしている」が7.2%にとどまり、「果たしていない」は78.2%に上った。今後も国会でこの問題を取り上げる必要があるかどうかについては、「必要がある」22.6%、「必要はない」59.8%だった。
内閣を支持する理由(複数回答)は、「他に適当な人がいない」が22.3%、「リーダーシップがある」8.1%、「首相を信頼する」7.0%などの順。支持しない理由(同)は、「首相を信頼できない」22.1%、「期待が持てない」20.5%、「政策が駄目」12.7%などとなった。
政党支持率は、自民党が前月比0.3ポイント減の24.0%、立憲民主党は同2.1ポイント減の3.5%。以下、公明党3.5%、共産党1.6%、日本維新の会1.3%、れいわ新選組0.7%、社民党0.5%、国民民主党0.4%、NHKから国民を守る党0.1%で、「支持政党なし」は62.4%だった。
調査は、新型コロナウイルスの影響で調査を中止した北海道を除く全国の18歳以上の男女1913人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は63.5%。
 
 

 

●定年延長「適切ではない」5割超 時事世論調査 3/13
時事通信の3月の世論調査で、政府が黒川弘務東京高検検事長の定年延長を法解釈を変更して決めたことについて聞いたところ、「適切だ」は14.2%で、「適切ではない」が55.6%と半数を超えた。
政府が当初、法解釈の変更を公表していなかったことに関しては、「適切だ」が6.7%で、「適切ではない」が71.2%と大きく上回った。
黒川氏は首相官邸サイドの信頼が厚く、定年延長は検事総長への昇格含みとの見方がある中、法解釈変更をめぐる政府の説明への疑念が根強いことが浮き彫りとなった形だ。
調査は6〜9日、新型コロナウイルスの影響で調査を中止した北海道を除く全国の18歳以上の男女1913人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は63.5%。  
 
 

 

●「政権の守護神」定年延長の“怪” 3/8
「新型コロナ」や「桜を見る会」で与野党攻防が激化する中、安倍晋三首相の政権運営の新たな“火種”として耳目を集めているのが、検察ナンバー2の「突然の定年延長」だ。政府は定年退官直前の黒川弘務東京高検検事長の定年延長での続投を、1月31日に閣議決定した。ただ、黒川氏が「首相官邸の覚えがめでたい“政権の守護神”」(閣僚経験者)とみられているだけに、永田町でも「首相が強引な人事で検察ににらみを利かせ、黒川検事総長実現も狙った」(自民長老)との憶測も広がり、野党からは「官邸の露骨な司法介入」(立憲民主幹部)との批判が噴出した。
昨年秋以来、首相の公選法・政治資金規正法違反問題が絡む「桜を見る会」疑惑をはじめ、IR(統合型リゾート)汚職事件や河井克行前法相と妻の案里参院議員の公選法違反疑惑などの連続的不祥事で、主要野党は「安倍政権はスキャンダルまみれ」と猛攻撃。そんな中での、今回の黒川氏定年延長だけに「疑惑捜査のカギを握る検察当局に忖度を迫るような官邸の横暴」(自民長老)と受け止められれば、「司法の政治からの独立が崩壊する」(立憲民主幹部)との批判は避けられない。しかも、検事長定年延長に平仄を合わせたように、「政権の絡む疑獄事件」への発展も噂されたIR汚職事件を捜査してきた東京地検が、昨年末に逮捕した秋元司元内閣府IR担当副大臣(衆院議員、自民を離党)を2月初旬に追起訴しただけで捜査を事実上終結させたことで、「官邸に忖度した対応」(共産党幹部)との疑念も増幅している。
「口頭で決裁」と法務省も支離滅裂
そうした中、野党側が厳しく追及しているのが、黒川氏の定年延長を閣議決定した際の手続きの法的正統性だ。そもそも、検察官の定年は(1)検事総長は65歳(2)その他は63歳──と検察庁法で定められており、2月8日が63歳の誕生日となる黒川氏は「自動的に退任」(司法関係者)とみられていた。ところが政府は、国家公務員の定年延長に関する規定を検察官にも援用できるとして、退任直前だった黒川氏の半年間(8月7日まで)の定年延長を閣議決定した。黒川氏は“赤レンガ派”と呼ばれる法務省エリートで、同省中枢ポストの官房長、事務次官を約7年間も続け、昨年1月に検事総長就任に直結する検察ナンバー2の東京高検検事長に就任した。その間、安倍政権下で起こった森友学園問題に絡む財務省の公文書改ざん事件で、関与した同省幹部らを不起訴処分とするなど、「政権寄りの判断を主導したのが黒川氏」(立憲民主幹部)とされてきた。それだけに与党内でも「怪しげな定年延長」(閣僚経験者)との声が出る一方、主要野党は「恣意的な違法人事」(共産党)と、首相や森雅子法相の責任を追及しているのだ。
検察官の定年については「国家公務員の定年延長規定は検察官には適用外」という、1981年の政府答弁が存在する。これを野党側から指摘された首相は「今般、解釈を変更した」と答弁した。このため、その数日前に「(81年の政府解釈を)現在まで引き継いでいる」と国会答弁した人事院給与局長が、首相答弁後に「つい、言い間違いをした」と、異例の答弁撤回を余儀なくされた。しかも、森法相が国会で「決裁した」と明言した解釈変更手続きを、法務省がその後「文書でなく口頭で行った」と説明するなど、政府の対応も支離滅裂。自民党からも「検察への信頼確保のためにも、しっかり説明してほしい」(岸田文雄政調会長)との注文が付き、野党側も法相辞任を求める事態となり、与党内からは「時期をみて黒川氏を辞職させるしかない」(閣僚経験者)との厳しい声も出始めている。
 
  

 

●内閣支持率 軒並み↓ 各種世論調査 不支持が上回る 2/26 
安倍内閣の支持率の下落傾向が各種世論調査で目立っている。安倍晋三首相主催の「桜を見る会」を巡る問題で国民が不信感を募らせていることに加え、国内で感染が拡大している新型コロナウイルスによる肺炎対策への不満も背景にあるとみられる。
共同通信が十五、十六両日に実施した世論調査では、内閣支持率は前回比8・3ポイント下落の41・0%で、不支持率は前回から9・4ポイント増の46・1%。二十二、二十三両日の産経新聞とフジテレビの世論調査でも、支持率が急落して不支持率と逆転。日本経済新聞とテレビ東京の二十一〜二十三日の調査では、数値は前回とほぼ横ばいだったものの、一年七カ月ぶりに不支持率が支持率を上回った。
桜を見る会を巡る政府の説明に納得していない人は、三つの調査全てで約八割に上った。新型コロナウイルスへの政府対応については、日経調査で「評価しない」が「評価する」を上回り、産経調査では、政府の情報提供が十分・的確ではないとする回答が68・6%だった。
自民党の世耕弘成参院幹事長は二十五日の記者会見で、内閣支持率の急落について「いろんなことが複合的に出てきている結果だ。真摯(しんし)に受け止めることが重要だ」と述べた。 
 

 

●支持率5割切りに安倍政権が焦りを深めるワケ 2019/11/25 
首相復帰後、「初の危機」に直面している
11月21日に「憲政史上最長」の在任期間に到達した安倍晋三首相。ところが、これと並行するように政権の大暴落が進んでいる。一連の「桜を見る会」問題が発覚以降、報道各社が行う内閣支持率が急落しているのだ。約7年におよぶ長期政権を支えてきた安定的な支持が崩れ始めた今、安倍氏は、2012年暮れに首相復帰後、初の危機に直面している。
内閣支持率は48.7%は「数値よりも内容が悪い」
共同通信社が23、24日の両日に行った世論調査によると、内閣支持率は48.7%。10月の前回調査と比べて5.4ポイント下がった。「桜を見る会」問題に火が付いて以来、各社が行っている世論調査は、おおむね同じ傾向が続く。内閣支持率は5〜7ポイント程度下落して5割前後になっている。「5割」という数値は必ずしも低いとはいえない。共同通信社の調査でも安倍内閣の支持が4割を割り込んだこともある。その時と比べれば十分高い。しかし、世論調査ウオッチャーたちによると、今の内閣支持率は「数値よりも内容が悪い」という。
これまでは2〜3カ月すると持ち直していたが…
かつて安倍内閣の支持が落ちたのは、特定秘密保護法や、集団的自衛権の行使を一部容認した安全保障関連法などを成立させた時だった。反対が根強い中で強引な国会運営をした影響もあったが、ある程度支持率が下がるのを覚悟して、信念に基づいて政策を押し通した結果だった。覚悟していたから、措置しやすい。だから2〜3カ月すると支持は持ち直していた。10月下旬、菅原一秀経済産業相と河井克行法相を巡る「政治とカネ」の問題が起きた時も、安倍氏はある程度支持が下落することを予測し、2人をあっさりと更迭。前後して、国民から批判が集まっていた大学入学共通テストへの英語民間検定試験の導入も見送る決断をした。その後の世論調査では、内閣支持率は下がらず、むしろ評判の悪い英語民間検定の導入を見送ったことで評価を高めたほどだ。こういった危機管理が長期政権を築いてきた知恵でもあった。しかし今回の支持低下は安倍氏にとって想定外だった。安倍氏も、安倍事務所も、首相官邸も「桜を見る会」についての危機感は乏しかった。この問題は10月13日、「赤旗」日曜版で問題点が指摘されている。しかし11月8日に参院予算委員会で共産党の田村智子氏が追及するまで十分な対策を練っていなかった。
不支持理由の圧倒的1位は「首相が信用できない」
共同通信のデータを元にもう少し深く分析してみたい。安倍内閣を「支持しない」と答えた人にその理由を聞いた設問がある。その中で圧倒的な1位は「首相が信用できない」で36.0%。前回は27.8%だから、8.2ポイントも上がったことになる。さらに「首相にふさわしいと思えない」も前回の11.4%から15.3%に上がっている。前回は「経済政策に期待が持てない」が1位だった。要するに安倍政権を評価しない人は、前月までは政策に対する批判が多かったのだが、今は安倍氏自身に拒否反応が主となっている。理由は「桜を見る会」への対応だ。この問題につい安倍氏の発言を「信頼できる」という回答は21.4%、「信頼できない」は69.2%。「桜を見る会」を巡って安倍氏に不信が高まったことが内閣支持の低下の主要因になっていたことが、はっきり分かる。
多くの人が「そんなはずはない」と思う説明ばかり
「桜を見る会」の問題はわかりやすい。税金を使って来客をもてなす会に安倍氏の後援者を大量に招いていたという話は、安倍氏が政権を私物化しているという印象を誰もが持つ。「桜を見る会」の前日、都内の高級ホテルで開かれた「前夜祭」について安倍氏は、総額を示す明細書はなかったと説明しているが、多くの人は「そんなはずはない」と思うはずだ。このことは、すでに「支持者を堂々と『税金』で接待する安倍氏の驕り」(11月13日)や「丁寧に説明するほど疑惑増す『安倍首相の逆説』」(11月18日)で解説している。この問題は安倍氏個人に向けられている。「森友学園」の疑惑では安倍氏の妻・昭恵氏の関与が疑われた。「加計学園」では、安倍氏の友人である加計学園の加計孝太郎理事長の存在が注目された。また、最近では安倍氏が任命した閣僚が相次いで辞任した。その都度、安倍氏も批判されたが、安倍氏は脇役だった。しかし「桜を見る会」は、文句なく安倍氏が主役。彼自身に批判の目が向けられている。だから問題は大きく、対応が難しいのだ。
「安倍政権には岩盤支持層が3割ある」は健在
安倍氏はどこまで追い詰められてしまうのだろうか。最近、野党からは疑惑がさらに深まる前に安倍氏が衆院解散してしまうのではないか、という観測が出ている。また永田町内では安倍氏が政権を投げ出し、辞任するのではないかとの見方さえある。しかし、そこに至る可能性は、現段階では低いとみたほうがいい。共同通信社のデータにもう一度戻ろう。「桜を見る会」に安倍氏の支援者が多数招待されたことを問題だと思うかどうか、という設問に対し「問題だと思う」は59.9%、「問題だと思わない」が35.0%だった。ここで注目するべきなのは「問題だと思わない」が35%もあることだ。今、テレビ、新聞がこぞって「桜を見る会」を取り上げて批判する中、「問題だと思わない」と答える人は、どんなことが起きても安倍氏を支持しようと考える岩盤支持層だ。これまで安倍政権が窮地になっても、内閣支持率が30%台で下げ止まることから「安倍政権には岩盤支持層が3割ある」と解説されてきた。世論調査を見る限り、まだこの「岩盤」は健在であることを示している。野党側はこの問題で一気に倒閣まで持ち込もうと息巻いてはいるが、「桜一辺倒」では難しいことも世論調査は雄弁に語っている。裏を返せば、安倍氏の国会などでの説明に明確な矛盾が生じ、「岩盤層」も崩れ始めた時、今度こそ安倍政権は終末を迎えることになるだろう。 
 
 

 

●世論
世間一般の意見のことで、公共の問題について、多くの人々が共有している意見、もしくは大多数の賛同が得られている意見(考え)のことを指す。一つの問題を巡って世論が割れ、対立し合うこともある。
日本では、戦前より、「輿論(ヨロン)」と比べるとはるかに頻度は低いものの、「世論(セイロン、セロン)も使用されていた(輿論の項参照)。使用頻度に関しては、戦前の代表的な国語辞典である『言海』などに収載されていないことが一つの目安になる。戦後の当用漢字表制定時に、「輿」が当用漢字表に含まれなかったため、新聞などでは「世論」の表記が使われるようになった。その後、それまでの「セロン」のほか、「世の中の論」という感覚での「ヨロン」という読み(湯桶読み)も一般化した。
世論は多くの人々が共有する意見であり、社会の統合化の促進、支配者の統治の正当化のために世論は重要であると考えられている。特に現代の議会制民主主義に基づいた社会においては選挙を通じて世論が政治的支配の正当性ないし正統性を左右することになる。すなわち世論は政治的リーダーに対する国民の意思表示としての機能があると言える。しかし世論がどのような内容となっているのか、またそもそも"世論"といえるような共通意見が世間一般にそもそも存在するのかどうか知ることは相当程度に困難なことであり、単なるマスメディアの意見ないし願望が「世論」として紹介ないし反映されることも多く、アナウンス効果による情報操作ないし世論操作が成されているに過ぎないと言われることもある。
理論
世論と対外政策形成過程の関係についてはカナダの国際政治学者ホルスティがいる。ホルスティは先進国における世論の形成者である国民を、国際問題に強い関心や知識・意見を持つ関心層、関心はあるが知識がないために政党やマスコミの意見を受け入れることで自らの意見を持つ中間層、知識がないため意見が持てない無関心層に分類し、政策形成の過程において関心層の影響力が大きいとした。一般的な国際関係理論ではこのように無知な大衆を軽視し、少数エリート集団が対外政策過程に影響しているように考える傾向が強い。現実主義的な世界観が国家を統一的な政治共同体として認識していることが関係しているため、内部的な意見対立を研究対象としない場合もある。
歴史
市民社会における世論の起源は、17世紀のイギリスに求められる。17世紀の半ば、清教徒革命から王政復古の時期にかけてロンドンなどで社交場としてのコーヒー・ハウスが何軒も開店した。コーヒー・ハウスは、封建的な身分の枠を超えて、自由な言論が交わされる場として、また噂や新聞を通じた情報収集の場として、世論形成に重要な役割を果たしたとされている。
フランスではカフェやサロンが、同様に自由な言論の場となった。当時のフランスは絶対王政下にあったが、こうしたカフェやサロンといった空間にまでは、なかなか王権の統制が及ばなかった。当時、王権神授説に立脚した絶対王政を批判したフランスの啓蒙思想家たちは、国家権力の源を神意以外のものに見出そうとしていた。そうした中、社会契約説に基づき、自由かつ平等な市民が主体となり構成する政府、国家という考えを提示するのである。そして、そうした政府、国家を支える論拠となるのが世論であった。
フランス革命の中で台頭したナポレオンは、ローマ教皇の戴冠ではなく国民投票を経て皇帝に就いた。戴冠式にローマ教皇が出席したものの、彼は自ら冠をかぶっている。これは、かつての王権神授説によらない形で政治指導者が決定されたことを象徴しているともいえる。
19世紀以降、各国とも国民国家の形成が最重要課題となった。すると、その過程で国民統合を推進するためにも、世論を無視して政治を行うことはもはや困難であった。こうして、政府、国家は世論を恐れるとともに、世論の懐柔を図るようになり、今日へと至っている。
民主主義国家の下では、政治家や企業、各種団体は常に世論の動向に注意を払う必要があり、世論はこれらと社会とを相互に結びつけるものであるとされている。これをノエル・ノイマンは「世論は社会的な皮膚である」と表した。

 

●輿論
世の中の多くの人の意見という意味である。「輿」(神輿(みこし)の「こし」。「与」の本字である「與」とは別字)は、「車軸の上に置いて、その上に人や物をのせる台」、転じて「人や物を載せてかついで運ぶ乗り物」、さらには「みんなの」といった意味が生じ、ここから「世間の人々の意見・考え」を指して「輿論」と呼ぶようになった(藤堂明保『学研漢和辞典』)。「輿」は、1946年公布の当用漢字表に含まれず、その時期にほぼ同義で使用されていた「世論」(せいろん、せろん)で代替されるようになり、さらには、「世論」が「よろん」と読まれることも増えるかたちで、現在にいたっている。「輿論の世論化」は第一次世界大戦から話題になった。西部邁の意見で、「世論」より「輿論」は民主主義に必要。
中国では漢語として「輿論」という用語が古くより存在した。一例を挙げれば、唐の李商隠は、その「汝南公の為に赦を賀するの表」の中で、「直言の科(とが)を取れば、則ち輿論を聴く者、算(かぞ)うるに足らず、宥過の則を設くれば、則ち郷議を除く者、未だ儔(ともがら)とすべからず」と述べている。また、その語義を明代の『類書纂要』は、「輿論とは、輿は衆なり、衆人の議論を謂うなり」と説明している。さらに、輿論と同様の意味で、『晋書』の「王沈伝」では、「輿人之論」という用語が使用されている。「輿人」とは、衆人、つまり多くの人々のことを言うので、「輿論」と同義語であることが分かる。

日本では、明治初期に、中国古典から語彙を借りるかたちで、英語圏のpublic opinionに対応させるかたちで「輿論」という語彙が使われることはあった(例:福沢『徳育如何』での「社会の公議輿論、すなわち一世の気風」など)。「輿論」と「世論」の異同については、1946年に当用漢字表が公布される以前に、「輿論」と「世論」の語彙同士に整然とした区別があったかといえば、そうはいえない。当時のことばの使われ方を知るうえで手がかりとなるヘボンの『和英英和語林集成』(1867)には、「輿論」=public opinionは収載されているが、「世論」の収載はないし、ブリンクリーの『和英大辞典』(1896)にも、中国語での用法とことわったうえで、輿論の記載として「Public opinion」を、「世論(せいろん)」の記載として、Public opinon; popular sentimentsを収載しているのみである。
さらに、山口造酒,入江祝衛の『註解新和英辞典』(1907)では、「輿論」の項の記載として「Public opinion, public voice, public cry」を収載するものの、「世論」の項目の収載はなく、また井上十吉の『新訳和英辞典』(1909)では、「輿論」の項として「Public opinion; the popular voice」を、「世論」の項として「Public opinion」を収載している。このように、明治から昭和初期に至る期間においても、両者が区別した意味で使用されていたと考える合理的根拠を英和辞典に求めることは無理といえる。一方、この期間の代表的な国語辞典である『言海』には、「輿論」の項目はあっても、「世論」の項目はなく、「世論」という語彙の使用頻度自体が少なかった様子がうかがわれる。当用漢字表制定時に「輿」が含まれることがなかった背景としては、「輿論」が「世論」で代替可能と判断されたという事情も挙げることができよう。
佐藤卓己によれば、日本で、「輿論」と「世論」は大正期までかなり明確に区別されて使用されており、「輿論」はヨロンと読み、意味はパブリックオピニオン、理性的な討議による合意、事実をめぐる公的関心のことで、「世論」はセロン、セイロンと読み、ポピュラーセンチメンツ、情緒的な共感、美醜をめぐる私的な心情を意味したという。取材をした記者は、それぞれ「世論」を言論になる前の空気、「輿論」の世論化はファシズムに繋がる可能性を含むので注意しなければならないだろう、と考察している。

 

●情報操作
与える情報(証言、記事、写真、映像)を制限したり、虚偽または虚偽にならない範囲で改変することによって、その情報を受け取った者が受ける印象や判断結果に影響を与えようとする行為。俗にイメージ操作ないし印象操作とも言われる。広い意味では、ブランディングやコマーシャル、比較広告などの商業活動も含んでいる。
第二次世界大戦ごろからラジオや映画などにより、効果的に行われるようになったが、行為自体は古くから行われている。かつてナチス党政権下のドイツが独裁者あるいは政党などの指揮の下、情報宣伝組織に行なわせたものが広く知られている。日中戦争時には大日本帝国と中国国民党や共産党などが情報戦の一環として行った。またニューヨーク・タイムズをはじめ、グラフ雑誌のライフなどの欧米の民間メディアも日中戦争を題材に盛んに情報の操作・加工に挑戦し、読者に大きな影響を与えた。それは、現在でも広く行われており、アメリカ(イラク戦争における侵攻理由が典型的)、中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国が行っているものが広く知られている。独裁国家や戦時中における検閲は、例外なく情報操作を意図している。
日本やアメリカなど自由主義諸国では、政府のみならず、外国の影響エージェント、独自の目的を有する政治・宗教団体、非政府組織(NGO)、企業あるいは一個人ですら情報操作を行える環境にあり、情報操作は双方向性を帯びている。特にインターネットの普及で双方向性が増大している。
文化間の基準や常識の違いに対する不見識から意図せずに、また情報が流布される時間が遅れたり、情報そのものが不正確であったため結果的に起きる場合がある。
情報操作を意図している対象によって手法は異なり、またある対象によって有効であるものが別の対象に有効であるというわけでもない。情報操作を行う人数と対象となる人数の大小によって、手法を変更する必要がある。数人で1人を対象とすれば、情報操作を行うのは容易であるし様々な手法が使える(マインド・コントロール、洗脳)が、逆に1人で集団を相手に行う際には、手法も限られ、より困難になることが多い。大衆・群衆を誘導する手法は古来詭弁術として発展したが、マス・コミュニケーションの成立により情報操作の技法は視覚や音響など、弁論以外の技術を包含するようになった。
情報操作の対象
個人
個人を対象とした情報操作は、最も基礎的な情報操作であるが、逆に最も手法を一般化しにくい対象である。重要な影響力の高い人物に友好的な関係を作り、信頼関係を基に情報操作を行うのが基本である。報酬や賄賂のような金銭関係や組織内での上下関係、雇用関係など利用できる手法は様々である。脅迫や恐喝、暴力のような非合法な手法も有効である。実際の効果以上に過大評価されていることが多いが、性的関係を持つことも有効である。信頼関係を構築すれば、対象に与える影響力は絶大である。虐待の被害者が、加害者の下に止まり続ける理由の1つに加害者による情報操作をあげることができる。個人の生死まで左右できる反面、別の個人による情報操作も同じ理由から効果的である。個人がグループ内で受ける情報操作は、バンドワゴン効果(衆人に訴える論証)などから個人に対する情報操作に対して、比較優位に機能することが多い。逆にそれ以上の大きな集団内で受ける情報操作は、メッセージが希薄になるため、比較劣位に機能する。しかし、対象にかける時間に多くの時間を割く必要があるため、全ての個人に対して行うことは不可能である。
グループ
2人以上の特定の共通点を持つグループを対象とした情報操作は、個人を対象とした情報操作と共通する点が多いが、いくつか異なる点もある。信頼関係の必要性や手法の大部分が個人に対するそれと同じであるが、グループ内の意見を左右するオピニオン・リーダーを包摂すればグループの意見を容易に変えることができるため、必要とされる時間は大幅に減少する。スピーチやポスター、手紙などで比較的容易に情報操作を行うことができる反面、グループが肥大化すると、相対的に影響力が減少する。
集団
複数のグループを含む集団は、情報操作の集大成と言えるが、個人やグループの手法が当てはまらない場合も多くある。例えば、性的関係で集団を情報操作するのは、不可能ではないものの大きな困難が伴う。一定の信頼関係は必要であるものの、過度の信頼性は意図しない方向への暴走を引き起こす可能性がある。情報操作の際には集団内からの検証に耐える必要があり、容易に見抜かれるものであれば、再び信頼を得ることは困難である。しかし、1人当たりに必要とする時間は、集団では0に近づく。30分のスピーチで情報操作を行う場合には、個人であれば、1時間かかっても2人しか対象に出来ない。グループであれば、集合させる会場に左右される。しかし、集団であれば、容易に数百万人を対象にすることができる。テレビやラジオなどのマスメディアを活用すれば、その人数は爆発的に増加する。多くのマスメディアもまた一企業であるため、会社の利害及び経営方針、社風、株主や規制当局の意向等により情報操作が行われる可能性がある。これらマスメディアの編集方針による情報操作は偏向報道とされる。顕著なものは
〇やらせ報道
〇誘導的な質問をした後の回答のみを報道
〇長いインタビューの一部を切り貼りして、発言者の意図と異なる趣旨の内容に編集して報道(言質による報道)
〇根拠が薄弱なまま「○○の恐れがある」と不安のみを煽る報道
〇事実と異なる報道を行った後、その取り消しを行わない
〇アンケート対象の意図的な絞り込み、自由記述型にすべき回答欄を故意に多肢選択型にして結果を操作する
〇マスメディアやその支援者に都合の悪い事実を報道しない
〇情報源を「関係筋」として詳細を公開しない
等の手法が挙げられるがこれだけではない。これらの情報操作は言論統制が行われていない国々においても発生する可能性がある。
記者クラブ
日本では記者クラブを通じた情報操作が行われているとの主張がある。日本における省庁・地方公共団体・警察の記者会見は記者クラブ加盟マスメディアの出席しか認められていないことが多く、加盟社は記者室の独占使用などの便宜供与を受けていることが多い。このため発表側に批判的な報道を控えるようになり、情報操作に惑わされやすくなるというものである。記者が独自の情報の確認を怠っている場合に発生しやすい(発表報道)。例えば新聞記者であれば締め切りの時間は周知の事実であるため、詳細な検討ができないように時間を調節して発表することも行われている。また、情報提供者が個人的に特定のジャーナリストに密かに情報を流すリーク(漏洩)という手法もある。リークは不確かな内部告発、ライバル攻撃などの特別の意図をもって行われることが多い。
対処
情報操作に対しては、様々な対抗手段がある。
情報源との意識的遮断 / テレビ、新聞等即時性の高い媒体の閲覧を一時的に停止し、書籍のみに目を向けるようにする。停止中は、物事の観察力が向上するが、時事問題に疎くなるという短所がある。
専門的情報源の閲覧 / 専門的な問題に関しては、その分野の専門家の著作等を読んだ方が良い。ただし、その専門家自身が既に情報操作の影響を受けている可能性もある。
危険性
危険性は大きく分けて情報操作の直接的な影響によるものと間接的な影響によるものに分けられる。
直接の影響 / 情報操作により誤った結論が導かれ、それに基づいて対象者が行動するというのは、情報操作の一番顕著な影響であり、危険性である。特定集団の利益になるため、情報操作が行われる場合は、より多数の集団の損失を伴うことが多く、情報の検証が欠かせない。しかし情報操作により、常に操作側の意図している通りに対象者が行動するわけではない。対象者の信頼が低い場合、情報操作を常に疑われるため、意図する方向と逆に行動する場合がある。操作側にも情報操作の危険性が存在する。情報操作に成功したと認識された場合、実際には失敗していても情報操作を続けようとする可能性が高い。現実と内容の乖離が続くと、情報操作側が、操作しているはずの情報を事実だと認識し、行動するようになる場合がある。最終的には、客観的な事実を陰謀や党派的な主張、あるいは差別など主観的な論理から批判するようになる。
間接の影響 / 情報操作の成功、失敗に関わらず、後の検証で情報操作が発覚した場合には、一般的に操作側に対する信頼性が低下する。失った信頼性を取り戻すのは容易でなく、再度の発覚後は回復に必要な時間は大幅に増加する。このため、常に情報操作を行うのではなく、必要な時だけ行い、それ以外は避けて真実を報道し続けることが最も効果的な情報操作である。情報操作の対象外である集団から、情報操作を認識することは比較的容易であり、多くの場合は双方に対する信頼性の低下という形で表れる。

 

●言論統制
政治権力が報道・出版・その他の言論に対して行う規制である。規制の対象や方法は様々である。マスメディアが対象となることが多いが、集会、デモ行進、個人の会話まで規制されることもある。
言論統制は主に対内的に流布する利敵情報、例えば国家政策への批判、治安・風紀を乱す主義思想、国家的に重大な機密、暴動・国内的混乱の扇動など、が出版・報道・流布されないように調査や検閲を行い、必要に応じてこれらの情報を操作・管理・防止することである。テレビ、新聞、ラジオ、映画、学校教育などが情報統制、世論操作に使われ、インターネットの普及以降はインターネットを通じてもおこなわれているとされる。
現在でも中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、イスラム諸国、一部のアフリカ諸国などや軍事政権下では日常的に言論統制が行われており、国営放送など政府系の報道機関を通じて虚偽の情報を流すこと(情報操作)によって自国内の結束が維持されている。民主主義国家とされる国でも、国家による言論統制が行われている、ないしは行われることがある。国家が言論統制に直接関与しなくても、与党の有力政治家が個人的に多くのメディア企業の経営権を掌握し、あるいはメディア経営者と結びつき、言論への影響力を及ぼしている場合がある。ドイツではヒトラーを礼讃したり、ナチスの意匠や出版物を流布すると民衆扇動罪(ドイツ刑法第130条)で違法とされている。これは「戦う民主主義」(民主主義を否定することを認めない民主主義)と呼ばれている。韓国では国家保安法により共産主義の宣伝や共産主義運動を支持する言論は禁止されている。
日本
江戸時代の日本では出版には届け出が必要であり、これを犯したものは罰せられた。例えば1855年に仮名垣魯文の『安政見聞誌』を出した版元と共著者の一筆庵英寿は手鎖となった(ただし、魯文は無署名であったため筆禍を免れた)。明治以降の日本では出版法、新聞紙法などにより検閲が行われた。共産主義・無政府主義の宣伝・煽動、皇室批判、日本の植民地(朝鮮・台湾など)独立運動の煽動、人工妊娠中絶の方法の紹介などは禁止された。要塞地帯や軍港などの地理記述、写真なども発行禁止の対象となった。戦時体制下の日本では、出版法、新聞紙法、国家総動員法などをよりどころにした言論統制が情報局や特別高等警察を中心に行われた(安寧秩序紊乱に関わる発禁命令権者は内務大臣)。
映画関連は観覧に供されるものが検閲の対象となり、1917年(大正6年)の「活動写眞興行取締規則」(警視庁令第12号)、1922年(大正11年)7月の警視庁令15号、1925年(大正14年)3月の内務省令10号を経て、内容以外にも、上映尺数の上限や上映期間が定められた。戦時体制下の1939年(昭和14年)には、より拘束力の強い「映画法」が制定され、国(軍)の意向に沿った作品づくり、製作本数、映画関係者全ての「技能審査」などが義務付けられ、脚本など、製作段階からの検閲も可能となった。
戦後は日本国憲法に言論の自由を保障すると明記されたが、プレスコードなどGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による言論統制・弾圧は占領解除まで行われた。
現在、日本では憲法上、言論の自由が保障されているが、報道機関の自主規制という形で「菊タブー」や「鶴タブー」など言論の禁忌(報道できないこと)が少なからずあり、また教科書検定や有害図書指定、わいせつ物頒布罪など事実上の検閲に近いという議論を抱える問題も存在している。
公安警察や公安調査庁は、憲法違反・違法な情報収集活動を行っているとして、その廃止を求める政党や個人もある。
最近では人権擁護法案が言論統制につながる可能性があるとして議論を呼んでいる。また、児童ポルノ法の改正案に盛り込まれていた、実写を伴わない創作物の規制、及び児童ポルノの単純所有の処罰についても、「人権の侵害や表現の自由の萎縮につながりかねず」、「捜査当局の恣意的な捜査を招く危険がある」として日本共産党等は「慎重であるべき」としていた。その後、2014年6月の法改正で児童ポルノ法に単純所持の禁止が盛り込まれたが、創作物の規制につながる付則については法案から削除された。
また、特定秘密保護法などが言論統制になるという声もあるが、これに関しては「国益を損ねる情報は守るべき」などと、推進している声もあれば、「国民の知る権利が損なわれる」などと、賛否両論である。  
 
 

 

●マスメディア 1 / 教育と洗脳の違い
情報の二面性について
事実+意見
大前提として、我々が普段触れている情報は2つの要素で作られています。それが、事実と意見です。まずは、この前提を踏まえたうえで情報に接したり、情報を受け取ったりする必要があります。ここで言う意見とは、必ずしもそれっぽくない形で発信される場合もありますが、読んで字の如く”事実ではないもの”。例えば、誰かの信念だったり、価値観だったり、見解だったり、あるいは解釈だったり・・・。どんな言葉を用いても構いませんが、発信者の主観が混じった”事実とは異なる情報”のことです。言い換えれば、”客観的な情報”と”主観的な情報”という分け方でもいいでしょう。いずれにせよ、情報とはこの2つの要素から作られていることを抑えておいて下さい。
情報は2つの道を用意する
で、このような特徴を持った情報は、我々に対して2つの道を用意してくれます。例えば、あなたが家でゴロゴロとテレビを観ながら、何らかの新情報を得たとしましょう。そのとき、目の前にドドーンっと2つの道が拓けるわけです。1つ目は”教育の道”。つまり、その情報を得ることによって一歩賢くなる道が拓けます。そして、2つ目が”洗脳への道”です。そうじゃなくて、仮に同じ情報を得たとしても、Aさんにとってはそれが教育的な意味を持ち、Bさんにとってはそれが洗脳的な意味を持つということ。とにかく、僕らの前には2つの道が同時に拓かれ、常にこの岐路に立たされているわけです。
洗脳への道・・・
教育と洗脳への道。どちらを歩くかは自由ですが、残念ながら多くの人は後者の道を歩いているように見えます。別に僕らは洗脳されたくて、その道を歩くわけではないけれど、無自覚に歩いてしまっていることが非常に多いのは事実・・・。それは何故なのか?以下で、その原因を解明していきましょう。
「教育」と「洗脳」の違いとは何なのか?
教育と洗脳について
過去記事で教育論についても言及していますが、「それって洗脳じゃないの?」という人が、いつの時代も現れるんですよね、じゃあ、教育と洗脳では何が違うのかというと、僕はこんな風に定義しています。
教育…相手の可能性を拡げること
洗脳…相手の可能性を奪うこと
本来、この2つは根本的に”真逆のベクトル”を持ったものだと理解しておいて下さい。で、先述した通り、同じ『A』という情報に触れたとしても、ある人にとっては教育になり、ある人にとっては洗脳になる。それは学校なんかでも、よく見受けられる光景です。学校は、一応教育機関と呼ばれているので、本来生徒の可能性を極限まで拡げてくれる場所なんでしょうが・・・。現実は、そんなに可能性に満ちた人々で街が満たされているとは到底思えない。しかし、その中でもほんの一握りではありますが、可能性を拡げまくって才能を開花させている人もいるわけで。
一体、この差は何なのか?
全く異なる情報に触れていたわけでもないんですよ、我々は。実際、僕は今起業して好き勝手にメシを食っていますが、昔からの知り合いで僕のような働き方をしている人はいません。み〜んな、サラリーマンかお役人さんです。もちろん社会的な地位は全然高いんでしょうが、どこかくたびれているような感じがするんですよね。いずれにせよ、小中高とだいたい同じ情報を受け取っているにも関わらず、全く違う人生を歩んでいる・・・。同じ先生に習い、同じ教科書を使い、同じテストを受けてきたのに、何故こんなにも異なるのだろう・・・。これは、どっちが良い悪いではなく、少なくとも何故こんなにも違いが出るのかが不思議でしょうがないわけです。つまり、違いを生み出す“違い”があるとすれば、それは何なのか?皆さんも、ちょっと考えてみて欲しいんです。
「教育」と「洗脳」の分かれ道
教育か、洗脳か
僕なりの見解は、情報を受け取る側の”態度の問題”なんじゃないかと思ってます。例えば、与えられた情報を自分なりに吟味、咀嚼するという態度があれば教育的価値を持つようになり、一方で無批判に「そうなんだ!間違いない!」って受け入れていくだけだと、どうしても洗脳へと近づいていってしまう・・・。要は、受け手に依存してしまう面が凄く大きいわけです。では、一体受け手のどこに問題があるのでしょうか?結論から言うと、これは受け手の『知性』に依存するんですよね。全く同じ情報を得ても、教育と洗脳の道に分かれてしまう・・・。その原因は受け手の知性が強靭であるか、あるいは脆弱であるかに懸かっているのです。
知性について
ちなみに、ここで言う知性とは誤解を招きやすい言葉なので補足しますが、よくモノを知っているとか、偏差値が高いとか、10ヶ国語操れるとか、はたまた有名な大学をご卒業になられているとか・・・。それらは、全く関係ない話なので。冒頭でもお伝えした通り、これは完全に”態度”の問題です。つまり、いかに世の中の真実、もっと言えば真理というものを探求していけるのかってな話なわけで。そこを追求していく姿勢こそが、本物の知性だと思うんですよね。ぶっちゃけ、真理なんてものは誰にも分かりません。真理を探求するのが知性だとすれば、自分が何を探し求めているのかなんて、それを探求している人にだって分からないんです。そのため、世の中の真実を真摯に探求していく態度を持っているのか否かという部分が、”知性的な態度”なのか、それとも”非知性的な態度”なのかを分けていると理解して貰えたらなぁと思います。
最後に
『知識学』とは、知性って何だろう、どういう発展をしていくのだろう、というようなことをひたすらに考えていく学問のことです。次回以降、知識学というものを多少踏まえつつ、この知性というものの正体を明らかにしていきたいな、と。そして、知性が今回のテーマである”教育と洗脳”にどんな風に関わっていくのかという部分を探っていきたいと思ってます。 

 

●マスメディア 2 / 世論はどうやって形成されるのか?
世論形成の真実とは?
世論は作られない
結論からお伝えします。世論とは、何かによって形成されるものではない。もちろん、マスコミが勝手に作り出すものではないし、誰かの意図がそこにあるわけでもない。あるいは、人々の不満が大きくなって出来あがるものでもない。そもそも世論とは、その場その場で生まれてくるような”動的”なものではありません。常にそこにあるものなんですよね。ここまで読んでみて、「コイツ何言ってんだ?」「え、頭おかしくね?」と思われた方もいるでしょうが・・・。以下で詳しく綴っていくので、もう少々我慢してお付き合い下さいませ。
世論は変わらない
先述した通り、世論とは、常に、すでに、そこにあるものです。極端な話、根本的に変わることがありません。だけど、表面上は変わっているように見える。これは、一体どういうことなのか?端的にお伝えすると、今の日本の世論形成の土台には”4つのイデオロギー”が存在しており、それ以外はあり得ないって話です。
【イデオロギー】 政治や社会のあるべき姿についての理念の体系をイデオロギーと呼ぶ。
例えるなら、カルピスみたいなもので、まず土台となる4つのイデオロギーがあり、我々はその原液を極限まで薄めた水溶液の中で生きています。これらのイデオロギーは、すでに薄まりすぎて、全く刺激がないので、我々は周りにあることすら気付きません。まさに希釈のイメージと一緒です。原液をどんどんと薄めて社会全体を満たしていく。そして僕らがこの世に生まれ落ちたその瞬間から、この水溶液に浸っている大人達に育てられ、当然のごとく染まっていく。つまり日本人として生まれた以上、我々が望む望まないに関わらず、この4つの枠組みから逃れることは不可能なのです。
世論の土台となる『4つのイデオロギー』
4つのイデオロギー
1 平和主義→平和が一番大事
2 民主主義→民主が一番大事
3 進歩主義→進歩が一番大事
4 人間主義→人間が一番大事
この4つのイデオロギーが、全ての世論の”土台”になります。土台と言うくらいですから、絶対に人々が疑問を差し挟まないようになっています。つまり、この土台から逸脱した世論は形成できないし、ここに疑問を差し挟む人間は社会では”野蛮人”だとみなされるわけです。その意味で、世論は常にこの要素を持っていると言えます。
主義の二面性
で、この4つのイデオロギーを見ていくと、ある重大な問題点に気付くはずです。読者さんの中には、すでに気付かれた方もいるかもしれませんが・・・。それは『○○が一番大事』という積極的な主義を抱えてしまうと、必ず二面性、つまり表と裏が見え隠れするのです。この話は少し説明が必要なので、以下で詳しく見ていきましょう。
平和主義
表→平和が大切 / 裏→平和を乱すものは排除してよい
例えば、『平和が一番大事』という思想の裏には、”平和を乱すものは排除しても構わない”という主張が隠れています。「平和のため!」という大義名分さえあれば、他国に爆弾を落としてもいいし、一般人がどれだけ死んでも構わない。平和主義の枠組みの中だからこそ、残忍な暴力行為が許されてるわけです。つまり平和主義の中には、平和を乱すものは絶対悪であり、徹底的に排除すべきという思想が含まれているのです。
民主主義
表→国民主権です / 裏→格差は悪である
民主主義とは、国民主権のこと。要するに、「国民が一番偉いですよ!」「国民を大事にしましょう!」という思想です。この裏にも、一例として”格差は絶対に悪である”という概念が隠れています。そもそも民主主義とは、言ってしまえば数の論理であり、そこには『平等の論理』が内在されています。例えば、国民が100人いるとすれば、100人が全て同等でなければ民主主義は成り立ちません。そうじゃないと、”51対49”に意見が割れたとき、”51”のほうが正しいとは言い切れないですからね。みんなが同じウェイトを持っている前提があるからこそ、多数派の意見が尊重されるわけです。つまり、民主主義とは「人間は生まれながらにして平等である」という概念を根本に据えています。だからこそ、格差は悪になるんです。格差を肯定してしまったら、民主主義が成り立たなくなってしまう。そこには必ず『平等の論理』が内包されており、仮にテレビの評論家などが”格差肯定論”を声高に主張したところで大した影響力を持たないのもそのためです。
進歩主義
表→進歩万歳 / 裏→バカ、病人などは邪魔
社会が進歩していくのは素晴らしいことですが、裏を返せばそれを妨害する人間は全て邪魔な存在になります。少し乱暴な言い方をすれば、ハンディキャップを持つ人間は足手まといにされてしまうのです。例えば、歴史的な事実として、ナチス・ドイツはユダヤ人を大量虐殺したばかりではなく、その裏に隠れて精神病患者をどんどんと殺していきましたよね。それは何故かというと、アーリア人の進歩の足かせになるからです。人間の価値をテストの点数で比べたり、偏差値で測ったり、あるいは出身校で判断したり、このような風潮も進歩主義の成れの果てだと言えるでしょう。
人間主義
表→隣人を愛そう / 裏→その他の生物はモノである
人間主義とは、人間はすべからく価値を持っており、大切にすべきであるというような発想です。キリスト教的な『汝の隣人を愛せよ』ではないですが、何よりも人間が一番大事ということ。でも、これも裏を返せば、人間以外の他の動物はどうなっても構わないという話になってきます。例えば、今の日本の法律だと、別に野良猫を殺したところで殺人罪には問われないんですよね。法律上、動物をモノとして扱っているので、どんなに残忍な行為であろうと”器物損壊罪”として裁かれるわけです。ここで挙げたのはあくまで一例に過ぎません。当然これが答えという訳ではないし、他にも色々な見方があると思います。なので、あなた自身でもそれを考えてみて下さい。あらゆる主義には裏と表があることを踏まえつつ、その両面を見るような癖をつけるのって意外と大切なことなんで。一種の”思考訓練”として取り組んでみると良いかもしれません。
イデオロギーのもたらす弊害と、その問題点
先述した通り、日本の世論形成の土台には4つのイデオロギーが存在しており、我々はそれを極限まで薄めた水溶液にどっぷりと浸って生きています。で、ここで考えたいのは、『このような水溶液に水没した世の中では、一体どのようなことが起こるのか?』ということ。以下で、それを明らかにしていきたいと思います。
倒錯した真実
色んな問題が起こるんですけど、今回ぼくが最も提言したいのが”真実に関して重大な倒錯が起こっている”という点。本来、ある事柄が真実だと提示されたら、「本当にそれが真実なのか?」ってことを検証していく作業が必要になります。それが真理なのか、そうではないのか。正しいのか、正しくないのか。あるいは理に適っているのか否かは、それが検証されて初めて真実なのかどうかが見えてくる。そんなの当たり前の話じゃないですか。それなのに、世論を形成する4つのイデオロギーが決して疑われることなく、まるで空気のように我々の世界を満たしているため、真実の倒錯が起こってしまうのです。言い換えるならば、『真実』と定められたものがまず存在し、それがリトマス試験紙の代わりになっているような状態です。世の中において、4つのイデオロギーがリトマス試験紙の役割を果たし、それに合うかどうかが検証されているに過ぎません。そもそも、平和主義が正しいのか。民主主義が正しいのか。進歩主義が正しいのか。あるいは、人権を守ることが本当に正しいのか。そういった議論は一切されず、それはもう正しいって前提で話が進んでいきます。そして、それに合致するものは真実の可能性があり、反対に合致しないものは自動的に棄却される。これが世論形成の真実であり、最も大きな問題点だと思ってます。
マスコミの役割とは?
マスコミは、平和主義・民主主義・進歩主義・人間主義、この4つのイデオロギーをひたすら垂れ流しているだけです。根本的に、そこから外れた報道なんて出来ません。そして僕は、これが非常に恐ろしいことだと思うんです。なぜなら、この4つのイデオロギーに反するような意見は人々から感情的に拒否され、真理と真実の探求が不可能なものになってしまうからです。
例えば、一昔前であれば「日本も核武装したほうが良いんじゃね?」という話題を出すだけで、世論としては半ば自動的に拒否されてしまう。それは何故か?平和主義に反するからです。他にも、死刑問題であれば、そこを深く議論しようとするだけで煙たがれる。それは何故か?平和主義や人間主義に関わってくるので、世論としては感情的に否定されるからです。つまり世論とは、その時々で作られたり動いたりするものではなく、ずーっと同じものなんです。
繰り返しになりますが、誰もが気づかないレベルまで薄められた水溶液に沈んでいる世の中では、真実の探求なんて不可能です。固定された世論によって、議論の土俵が破壊されてしまいます。この点が、個人的には一番恐ろしいなぁと思うんですよね。
世論の罪と罰
マスコミの世界では、知識人と呼ばれる人達がたくさん出てきます。例えば、学者だったり、研究者だったり、専門家だったり、あるいは文化人枠で出てくるお抱えタレントだったり・・・。いずれにせよ、○○大学で✕✕を研究しているような人、いわゆる学者や研究者というのは世間からは”知識人”と呼ばれるわけです。で、自称評論家やコメンテーターとして、テレビや新聞など公の場で色んな意見を垂れ流すわけですが、その意見も、決してこの4つのイデオロギーの枠組みから出ないんです。本当に真理を探求している知識人であれば、時にはそこから外れた意見があっても不思議はありませんよね。本来であれば、私は真摯な研究の結果、あの4つに関わらない見解を持ってます!という人が現れてもいいはずなのに、一切出てこない。つまり学者や研究者と呼ばれるような人たちでも、この4つのイデオロギーに迎合する形でしか真理の探求ができないわけです。そして、ひとたびその枠組みから飛び出そうとすると、業界から干されてしまう・・・。当然、国からの研究費も出なくなります。仮に、真理探求のために必要な研究だったとしても、恐らくプロジェクトごと廃止になってしまうでしょう。つまり、「この4つの枠内にいる限りは、あなたは自由ですよ!」というのが、今我々の生きている自由主義社会の実態なのです。
最後に
イデオロギーとは、世論のさらに根本にあるものです。そして、それは極限まで希釈されているため、我々はその存在に全く気づくことなく生きています。その結果、世論は表面上見え方が変わっているように見えるだけで、本質的には何も変わっていません。そのような世の中においては、真理と真実の探求というものが限りなく制限されてしまうのです。本来、真実それ自体が検証されなければいけないはずなのに、真実それ自体が世の中を検証するような逆転現象が起きているんですよね。こうして我々一般人のみならず、知識人と呼ばれるような人であっても、この4つのイデオロギーから抜けられなくなり、大衆性がどんどんと強化されていくわけです。この現象を”知識人の大衆化”、あるいは”大衆の知識人化”と呼んだりします。で、結果的にみんなの意見がますます似たような方向に流されていく。そんな画一的な社会イヤじゃないですか。そうならないためにも、ぜひ物事を見たり、聞いたり、読んだりするときは、今日お伝えした4つのイデオロギーについて吟味してみてください。
まずは思考訓練として、平和主義を疑う、民主主義を疑う、進歩主義を疑う、人間主義を疑う。この4つを徹底的に疑ってみる。そして、その思考パターンに慣れてきたら、他の領域にも踏み込んで考えてみると良いかもしれません。前回の記事でも触れましたが、あなたの知性を磨くことによってのみ、全ての情報を洗脳から教育へと変えることが出来るわけで。ぜひ、その方向性で頑張ってみてください。  

 

●マスメディア 3 / テレビによる恐るべき”洗脳手法”の実態
捏造された真実を撒き散らす”マスメディアの功罪”
どんな人でも多かれ少なかれ、テレビを観たり、新聞を読んだり、雑誌を眺めたり、日々さまざまな情報に触れています。その発信源であるマスコミは、大衆に飽きさせない、気づかせない。そのために、ありとあらゆる手法を用いて人々の興味を惹きつけようとするわけです。ざっくりといえば、以下のような感じで。
[1] 「みんなが見ている」という暗黙の状態を作り出す
マスメディアから垂れ流される情報は、画一的とまでは言わないまでも、似通ったものになりがちです。そして、皆に同じような情報を与えることで、「○○は☆☆である!」「✕✕の意見に同調しなければいけない!」という空気をマスコミが意図的に作り出しているのです。例えば、各局一斉に同じような報道をしだすというのも1つの手。そうやって足並みを揃えることで、「あ、みんな●●に関心があるんだ!」「世の中ってこういうもんなんだ!」と皆が同じような価値観を持つようになり、そこに多様性が見られなくなっていく。これは、大変危険な兆候だと感じています。
[2] 斬新さ、わかりやすさ、楽しさ、刺激などを加える
例えるなら、これは食品添加物のようなもの。料理と一緒で、テレビ番組も同じ味付けばかりだと飽きちゃいますからね。そこで旨味調味料をパッパッと振りかけることで、”そこまで楽しくはないけど、何となく見てしまう!”という低俗な番組を大量に作り出しているわけです。クダらない番組ばかり観ていると、人は物事を深く考えなくなり、日常のちょっとしたことにも疑問が湧かなくなったり、自分の意見を持たなくなったりします。つまり、バカになっていくのです。少し乱暴にいえば、マスコミは音声や映像、文字情報などを巧みに使い、ある種の独占をしている状態だと言えるでしょう。
[1]+[2]=偽りの真実
「テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実。」 これは、TBS入社式での会長挨拶の一部を抜粋したものです。他にも、彼はこんな発言をしていました。テレビ、新聞、雑誌等など・・・。これらのメディアを一部の権力者たちが独占し、大多数の人間がそれを消費する(受け入れる)ことによって、偽りの真実が作られていく。そして人々は「本当の真実とは何なのか?」ということを考える暇もなく、どんどんと真理を探求する意識を失っていくのです。特にお人好しで、自分の頭で考えようとしない日本人は、マスコミにかなり誘導されている側面は否定できないでしょう。大して面白くもないのに、表面的な目新しさがあるから人々はついつい観てしまう。その繰り返しで、この業界は何十年も続いてきたわけです。そもそも、民間のテレビ局というのは、ある種の刺激的な事件を報道し、それを多くの視聴者に見てもらい、そこで得られた視聴率を元にスポンサーから収益を得ています。要するに、マスコミは事件を”食い物”にしているに過ぎないのです。もちろん、全ての番組がそうだとは言いませんが、マスメディアにはそういった側面があるということも頭の片隅に入れておくべきだと思います。
テレビによる恐るべき”洗脳手法”を暴く!
リテラシーの単純化
では、どうやってマスコミは人々を洗脳していくのでしょうか。その代表的なものとして、”ヴィデオシーの複雑化+リテラシーの単純化”が挙げられます。ヴィデオシーとは映像や音響のこと、リテラシーとは文字や読み書きのことです。まず、テレビでは刺激に満ち溢れたハデな映像や音をわーっと流し、我々の脳をフリーズさせます。人間の脳というのは、複雑で断片的で多様な映像や音を絶え間なく注がれると、情報量が多すぎて処理できなくなり、何となくぼーっとテレビを観るようになってしまうのです。いわゆる、思考停止状態ですね。そこで、頃合いを見計らって、極度に単純化され、全てがキャッチコピー化された文字情報を視聴者に”ポンポン”と一言二言だけ与え、それを固定化する。イメージとしては、15分くらいの映像をずーーっと流したあとに、〇〇は✕✕です!と言われると、それは不思議とそうなっちゃうんですよね。吟味できないほど大量の情報が入ってきて、脳がキャパオーバーになってしまい、考える余地すら与えられません。そして、これを繰り返すことで、与えられた情報をそのまま受け入れてくれる善良な国民、いわゆる思考停止状態の人々をたくさん作っていくわけです。これは非常に恐ろしいことです。そんな理由もあって、僕はテレビをあまり観なくなったんですよね。
権威主義・大衆性の悪用
今まで述べきたことに、権威主義、大衆性、2つのスパイスを加えることによって、人々の支配・操作はより盤石なものになります。まず権威主義とは、「親が言っていることは間違いない!」「先生の言っていることは正しいんだ!」という単純な発想のこと。つまり、「メディアが言っていることは正しい!」「専門家が言っていることは正しい!」と思い込んでしまうことです。我々が大衆性を帯びれば帯びるほど、メディアは意図する必要もなく、ただ情報を垂れ流しさえすれば、勝手に人々が信じてくれるので非常にありがたいわけです。
洗脳されたくないなら大衆心理から脱却しよう!
大衆とは?
「大衆とは、無個性で周囲の人間と同じだと感じ、しかもそれを苦痛に感じない、むしろ満足感を覚える全ての人々。− オルテガ −(スペインの哲学者)」
”大衆論”について書かれた本はたくさんあります。そのなかでも、オルテガの『大衆の反逆』はわりとおすすめなので、ぜひ機会があれば読んでみてください。オルテガの言っていることを要約すると、「みんなと同じが最高!」「自分の主義主張なんて何もない!」「みんなと同調したい!」という人達のことを大衆と呼んでいるわけです。あるいは、フランスの心理学者ル・ボンは、以下のような言葉を残しています。
「大衆は弱い権力には常に反抗しようとするが、強い権力には卑屈に屈服する。大衆は言説の論理に感動するのではなく、ある言葉が作り出す響きやイメージに感銘する。− ル・ボン −(フランスの心理学者)」
気づいた方もいるかもしれませんが、これは先ほど言及した、極度に単純化され、全てがキャッチコピー化された文字情報を与え固定する!という特徴にバッチリと当てはまっています。彼に言わせれば、大衆とはキャッチコピーみたいな分かりやすい言葉にしか反応しませんよ、と。しかも、弱い勢力にはすぐに反抗しようとするけれど、強い勢力には卑屈に屈服する、という風に解釈しています。つまり、脆弱な知性しか持たない大衆というのは、どんな情報に触れたところで、それが『教育的価値』を持つことはほぼないと言えるのです。
大衆でいる限り洗脳の域を出ることはない
前回の記事でも書きましたが、仮に同じ『A』という情報に触れたとしても、ある人にとってはそれが教育になり、ある人にとってはそれが洗脳になります。そして、大衆というのは出来合いの真実だけを受け入れ、それを吟味することをしようとはしません。なので、大衆から抜け出せた人はあらゆる情報に教育的な価値を持たせることができるし、反対に大衆でいる限りはどんな情報を得てもやはり洗脳の域から出ることは難しいと言わざるを得ません。結局のところ、大衆は自ら可能性を閉ざしているに過ぎないのです。では、一体どうしたら洗脳から教育への道は拓かれるのか?それは、単純に我々が大衆を脱する以外に道はないと思っています。つまり、この枠組みを飛び出すことができれば、あらゆる情報が教育的な価値を持ち、可能性を拓くものとして受け止められるようになるのです。では、そのためにはどうすればいいのか?以下で、その具体的な方法について書いていきます。
「洗脳」から「教育」へ
ここまでの話を統合すると、「洗脳」を「教育」に変えるためには、何よりもまず我々が脱大衆しなければいけない。「自我」と「知性」を磨く必要がある。という2つの結論を導けます。我々の知性、自我を磨くことによってのみ、全ての情報を洗脳から教育へと変えることができるのです。で、最初のステップとして、前回の記事で紹介した”4つのイデオロギー”というものを吟味するところから始めてみるのが一番手っ取り早いです。
【4つのイデオロギー】
1 平和主義→平和が一番大事
2 民主主義→民主が一番大事
3 進歩主義→進歩が一番大事
4 人間主義→人間が一番大事
まずは思考訓練として、平和主義を疑う、民主主義を疑う、進歩主義を疑う、人間主義を疑う。ってな感じで、この4つのイデオロギーを徹底的に疑ってみる。とりあえず、そこから始めることを足掛かりとしておすすめしています。そして、その思考パターンに慣れてきたら、他の領域にも手を伸ばしていけばいいと思うんです。で、それを考える際に、”知性の4つの軸”というものを意識してみてください。そうすることで、より正しく思考できると言ったら多少傲慢な言い方になってしまいますが、大きく本筋から外れることはないんじゃないかと考えています。
知性を磨くうえで考慮すべき「4つの軸」
虚無主義
僕らが知性を磨く際に、基準として考慮すべき4つの軸があります。その1つ目が『虚無主義(ニヒリズム)』。虚無とは、この世には何もなく、そこに存在する全てのものに価値や意味を認めないことを言います。
狂信主義
虚無主義の真逆に位置するのが、『狂信主義』です。狂信とは、正常な判断力を失うほど、強烈に何かを信じ込むこと。「神様は絶対にいる!」「自分が絶対正しい」など、狂ったように何かを盲信している状態です。
衝動主義
衝動とは、大した目的もなく、場当たり的に行動することです。日常的に使われる『衝動買い』というのも、よく考えず思いつきでわーっと欲しいものを買ってしまうことを言いますよね。それと一緒で、「え、もしかしてこれスゲー発見じゃね??」とか思ってしまうようなことを衝動主義といいます。
合理主義
衝動主義の反対語にあたるのが『合理主義』です。いわゆる、ロジックで考える、理屈で判断する、筋道を立てて一歩一歩進んでいく。感情を一切排除し、物事を理性的に割り切って考えることで、常に効率性を求めるのが合理主義者の特徴になります。
4つのバランス重視する
ここで重要なのは、どれも行き過ぎたらダメってこと。物事を考える際に、虚無的になり過ぎてもダメだし、じゃあ妄信的になったら良いのかといえばそれも違う。こちらの記事にも書きましたが、行き過ぎた狂信主義に陥ってしまうと、正義と正義のぶつかり合いになり、結果的に争いが起こってしまいます。じゃあ、衝動的になれば良いかというと、それでは真理から遠ざかる。その場の感情だけで動いていたら、当然ですが普遍的な真理に到達することは難しいでしょう。だったら、ロジックで考えればいいのかというと、もちろんそれも大事ではあるけれど、必ずどこかで限界がやってきます。
「【中庸】 1,かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。2,アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。」
要するに、お互いが打ち消し合うような領域です。絶対的に何かを信じているわけではないけれど、ニヒリズムにも陥ってない。ロジックを疎かにしないけれど、それを信じ切るわけでもない。衝動的になり過ぎるわけではないけれど、直感や閃きも軽視しない。いわゆる、”どっちつかず”な領域にとどまる必要があるのです。何か物事を考える際は、ぜひ中庸の立場で真理を探求するというイメージを忘れないで下さい。
脱大衆するために
脱大衆するために、我々はさまざまなことを知る必要があります。例えば、メディアを知り、現実を知り、社会を知り、人間を知り、そして自分自身を知る。何かモノを考えるとき、自分がどの領域にとどまっているのかをきちんと把握しなければいけません。自分が狂信に陥っていないか、正論だけを合理的に並べ立てて相手を説き伏せようとしていないか。あるいは、全てがイヤになって虚無主義に陥っていないか、感情に任せて場当たり的な行動をしていないか。まずは、それらを逐一把握することが大切です。そして、『自己―他者―世界』の全てを正しく認識できるような、真に知性的な『自己』になることこそが大衆を脱する唯一の方法なのです。マスメディアに洗脳されないためにも、今日お伝えしたようなことを意識しながら日々を生きていって貰えたらなぁと思います。
最後に
脱洗脳のスタートは、自分が大衆であることを自覚しながら生きていくことです。時には虚無主義に陥ろうが、たまにロジック一辺倒に偏ろうが、あるいは他人に自分の正しさを押し付けてしまおうが・・・。それを自覚することで、我々はまた一歩成長していくことができるのです。どうか、中庸な立場にとどまることが重要なんだってことを忘れないで欲しいなぁと思います。  
 
 

 

●マインドコントロールのやり方 
沢山の選択肢を与えるが「同じ結論に誘導」する
この洗脳のやり方は、相手に「自分の意思で選択した」と錯覚させながら「誘導尋問」をするテクニックです。例えば「ジュース、塩、ジャム」から、あなたの意思で1つ選んでください。次に、あなたが選んだものと関係するものを「りんご、海水、カレー」から1つ選んでください。さらに、先ほど選んだものと関係するものを「電池、赤い、辛い」から1つ選でんください。最後に、先ほど選んだものと関係するものを「パソコン、地球、とうがらし」から1つ選んでください。・・・あなたが選んだのは「とうがらし」ですよね?これは単純な例なので、途中でメカニズムに気づいた人もいるでしょう。しかし、洗脳を巧みにかけてくる連中は、もっと複雑な内容で仕掛けてくるため、気づくのが困難です。ただ、この洗脳のやり方を知っておくことで、洗脳を仕掛けられていることに気づくトリガー(きっかけ)になります。
短いフレーズの情報を繰り返し刷り込み洗脳する
この洗脳のやり方は、政府やマスコミが大衆を誘導する際に、頻繁に使う王道手法です。断片的で刺激的な分かりやすい「ワンフレーズ」を繰り返し発信することで、相手に印象だけを刷り込み、思考停止させるテクニックです。例えば「既得権益、自由貿易、鎖国、バスに乗り遅れるな、グローバル、国の借金」などが典型的なワンフレーズの例です。本来、人間は「考えることが面倒な生き物」です。そのため、短くて分かりやすいフレーズを繰り返し聞かされることで「分かったこと」にしてしまい、考えることから逃げる習性があります。特に、日常的に自分で考える癖がなく、周囲に流されやすい人は、この洗脳テクニックは効果てきめんです。また、洗脳をかける側も「相手が首を縦に振るまで刷り込み続ける」というマインドで仕掛けてきます。さらに、ほとんどの人はこのテクニックで洗脳されるため、思考力のある人でも「同調圧力」に屈し、いずれ順応してしまいます。特に、政府、マスコミ、世間体などの「社会的権威からの同調圧力」は、いくら意思の強い人でも、マインドコントロールから逃げることは困難です。
密室に閉じ込めて情報を遮断する
この洗脳のやり方は、悪質な営業や勧誘で良く行われる手法です。密室に閉じ込めることで、外部からの情報を遮断し「画一的な情報」しか受けられない状態にします。ここでいう「画一的な情報」とは、洗脳を仕掛ける側にとって「都合の良い情報」を意味します。こうすることで、洗脳を解いてしまう「不都合な情報」をシャットアウトします。次は、相手の脳内に残っている「不都合な情報」の消去と書き換えをします。相手の脳内に残った「不都合な情報」を消去する手口は、相手の考え方を複数人で全面批判することです。否定を徹底的に繰り返すことで、相手に「自分の考え方は間違っている」と思い込ませます。相手の思考がブレてきたら、洗脳を仕掛ける側が刷り込みたい「都合の良い考え方」に誘導尋問し、相手がそれに従ったとき、初めて褒めて認めます。その結果、相手は人間の本能である「自己承認欲求」が満たされ、洗脳側の都合の良い考え方や発言を繰り返すようになります。洗脳が完了したとき、洗脳を仕掛ける側は歓喜し、涙を流して抱き合うなど、相手の自己承認欲求を満たす「最高の演出」でもてなし終わります。
「極限の恐怖を与える&開放する」を繰り返す
この洗脳のやり方は「密室を使ったマインドコントロールの発展型」であり、より強力な手法です。まず、洗脳を仕掛ける側は、暴力や暴言を使って極限の恐怖を与え「支配する側と支配される側」の上下関係を築きます。人間は、自分よりも「上」だと認識した者の発言を、素直に聞いてしまう習性があるためです。また、極限の恐怖を与えられることで、身体的にも精神的にも弱ってしまい「無力感や無価値感」を持ち始めます。つまり、支配する側の価値観をより受け入れやすい心理状態が完成します。こうして、相手が価値観を受け入れ始めたら、洗脳を仕掛ける側は、恐怖状態から急に一転して「安心」を与えます。人間が本能的に求めている「安全」を一時的に与えることで「従うことが善」だと学習させ、洗脳を定着させる手口です。その後も「恐怖→上下関係(優先順位の明確化)→無力感(無価値感)→価値観の刷り込み→安心→恐怖→」は、洗脳が完璧に定着するまで繰り返されます。分かりやすい例では「ドメスティックバイオレンスの夫や彼氏から離れられない女性」が、この洗脳メカニズムに該当すると言えます。また、先の大戦で中国共産党の捕虜となり「撫順戦犯管理所」に収容された日本軍の兵士(現在の中国帰還者連絡会)が、この洗脳を受けたという説があります。
自己否定感を埋めてあげる
前述したように、洗脳のやり方として「批判と恐怖」を与えることが王道的に使われます。これは、人間が自己否定に苛まれたときにマインドコントロールにかかりやすいためです。そのため、普段から「自己否定感の強い人」は、洗脳にかかりやすい人と言えます。もともと自信がない人、劣等感が強い人は「自分=非力」と考える癖があります。これは裏を返すと「私は無力なので他力で人生を変えるしかない」という思考が根底にあることを意味します。実際、自己否定感の強い人は「権威的な情報」に妄信しやすい傾向にあります。例えば、成功者が主催する自己啓発セミナーや、ネットワークビジネスにはまりやすいタイプがそうです。また、自己啓発セミナーやネットワークビジネスの環境では、参加者の自己肯定感を満たす「ポジティブな情報」もシャワーのように浴びることができます。結果、自分の心のスキマにあった自己否定感が癒され「居心地の良い環境」として依存してしまいます。私は、自己啓発セミナーやネットワークビジネスを否定する立場ではありません。ただ「本来の目的」を忘れ、その環境にいること自体が目的化してしまう人が、非常に多いことを危惧します。ここを冷静に見ないと、権威者の意のままに動かされる「マインドコントロール状態」に陥ってしまう危険性があります。
洗脳なんて恐くない!マインドコントロール3つの解き方
今まで紹介した洗脳やマインドコントロールのやり方を見ると「本質的な共通点」に気づきます。それは「相手の視野を狭める」という一点です。都合の良い情報を刷り込むには、相手の視野を狭め、選択肢を与えないことが絶対条件なのです。逆に言えば、洗脳を解く方法は「視野を広げること」なのです。この本質が分かれば、もう洗脳は恐くありません。今からマインドコントロールにかからない、または簡単に解除ができる「3つのテクニック」を公開します。
1 自分を客観視できる「一人三役の思考術」を行う
これは、洗脳を仕掛けてくる側が言う「反対のメッセージ」を、常に脳内でイメージするテクニックです。例えば「これをやったら絶対儲かるよ」と言われたら「これをやっても絶対儲からないよ」と、正反対の発言を脳内で唱えるのです。この「肯定と否定」の情報がセットになった時、人は初めて客観的かつ冷静な思考ができます。肯定と否定を俯瞰的に眺めている「もう一人の自分」の立ち位置になれます。洗脳の現場から離れた後でも、このテクニックは役立ちます。家に帰ったら「3つの椅子」を向かい合わせて置いてください。そこには、洗脳を仕掛けた者を演じるあなた、洗脳を仕掛けられたあなたを演じるあなた、それを客観的に眺めている神の視点を持ったあなたを設定します。まず「洗脳を仕掛けられたあなた」の椅子に座って本音を思いっきり吐き出してください。このとき、洗脳を仕掛けた者、客観的に眺めている神が同席しているイメージを持って行ってください。次は「洗脳を仕掛ける者」の椅子に座って語ってください。あなたを洗脳するためにはどうすれば良いかを考え、本気でマインドコントロールしてやる気持ちで演じてください。最後に「両者を客観的に見つめる神」の椅子に座り、両者がやりあっている様子を眺めてください。そして、洗脳を仕掛けられた自分に対して「助言」をしてあげてください。これを何度か繰り返すことで冷静さを取り戻し、広い視野をもって客観的な判断ができるようになります。
2 あらゆる人の話を聞く
狭くなった視野を広げるために最も簡単な方法は「あらゆる人の話を聞く」ということです。人によって主義主張は十人十色。多くの人の話を聞くことは、沢山の視点を持つことを意味します。洗脳やマインドコントロールに遭遇したら、自分一人で考え込まず、家族、友人、ネット掲示板、Q&Aサイト、NPO、相談所、あらゆる人々の意見を取り入れ視野を広げてください。
3 二元論(善悪)で物事を判断&裁くのをやめる
洗脳では必ず「都合の良い善と悪」の刷り込みが行われます。そのため、普段から「これは良いこと!これはダメなこと!」という二元論で生きている人ほど、洗脳を受けやすくなります。なぜなら、二元論で生きている人ほど、自分が「悪」に当てはまったときに罪悪感を持ち、強い自己否定感に陥るからです。つまり、洗脳を仕掛ける側の「虚構の善悪」であっても、自分が悪に当てはまることを極端に恐れ、相手の都合の良い「善」に従ってしまうという、視野の狭さに陥りやすいのです。普段から二元論のルールを強く信じて生きている人や、他人を善悪で裁くのが大好きな人は要注意。余計な二元論を手放し「どっちでも良い」という、ゼロポイントフィールド(空)を広げてください。
まとめ
今まで公開した「洗脳の本質と解き方」を知っておけば、あなたが他人にマインドコントロールされるリスクは極限まで下があります。ただし、これらの情報を知ったということは、あなた自身が他人をマインドコントールするスキルを手にしたということ。完全なる洗脳はできなくとも、少なからず影響を与えることが可能です。今回の知識を「洗脳の目的」に使うのではなく、自分の主義主張を相手にしっかり伝えるための「コミュニケーションスキル」として応用いただければ幸いです。 

 

●「洗脳」の極意  
心理学では身体的拘束をして物理的な力で価値観を変える行為を「洗脳」、暴力ではなく社会心理的な手法で人を誘導する行為を「マインドコントロール」(以下、便宜上“洗脳”と表現)と定義づけています。どんな手口があるのでしょうか。
カルト教団や悪徳商法など“洗脳”者は「(1)理想描写→(2)理論提供→(3)現状把握→(4)目標設定→(5)支援表明」という手順の「型」を持ち、これを駆使します。
(1)は、ターゲットとなる人物に接触し、その人の「夢・理想の世界」を一緒に描いてやり、われわれと行動すればそれが実現できると訴えること。ターゲットが「そんなことが可能か」と懐疑的な場合は、すかさず(2)です。こんな理論や法則がある、と裏付けを見せることで安心させ、「ならば、自分にもできるかもしれない」とモチベーションを上げさせる。しかし、ここで一度冷や水を浴びせます。これが(3)の現状把握です。「理想はココ、今のあなたはココです」と。「やっぱりムリか」と落ち込んだとき、“洗脳”者側が繰り出すのが(4)の目標設定です。「小さな階段を上っていけば理想に到達できる」とロードマップを敷いてやるのです。そして、だめ押しの(5)。「私が支援する」とその組織のボスが後ろ盾となることを表明するのです。元オウム真理教教祖の麻原彰晃死刑囚は、実は大変面倒見がよかったと多くの信者が証言しています。“洗脳”騒動の多くは、こうした手口を駆使する側が、ありもしない理想をあたかも存在するように語り相手を操ろうといった利己的な作為がある場合です。
ただ、先ほどの手順の「型」に罪はない。例えば、企業の上司に悪意がなく倫理観があれば、対部下操縦法として(1)〜(5)の手順は大いに役立つでしょう。部下に寄り添い、近未来の「人生モデル」を描いてリアリティある体験談を語ってやる。客観的に現状把握をしたうえで「小さな階段」を上がる部下に並走してやる。いわば合法的に部下を“洗脳”には、(1)〜(5)すべてが必要です。その際、上司自身もそれらを遂行する力や部下に適切な助言ができる視野と懐の広さ、さらにインテリジェンスも求められます。
日産を立て直したCEOのゴーンさんにはそうした本物のカリスマ性がありました。誤解を恐れずに言えば、10年間で信者数を数人から4万人にまで増やしたオウムの麻原死刑囚にもそれはあったのかもしれない。似非カリスマでしたが。
カリスマ的人物は、よくも悪くも人の自尊心をくすぐるのが上手です。その意味で最近、宗教が若者勧誘にフェイスブックなどSNSを利用しているのは注目に値します。SNSには相手の書き込みを称賛する「いいね!」ボタンがあります。勧誘側はいきなりメールをターゲットへ送らずに、まずは「いいね!」ボタンを押す。それを繰り返すと、ターゲットは喜び「“いいね!”をつけた人はどんな人かな?」と逆に勧誘側のページを見にくる。自然に交流が始まるのです。
こうした戦略も合法的に部下のやる気アップ術にアレンジできます。「いいね!」は相手への承認。これと同等の言葉を上司はこまめに送ればいい。さらに、自分の参謀的な人物にも同じく「いいね!」のサインを部下に送ってもらう。そうやって多くの承認メッセージを得た部下は、自分が「組織になくてはならない存在だ」と実感でき、その上司と会社に忠誠を尽くすかもしれません。 

 

●洗脳と支配 
『洗脳』というとなにか秘密組織や宗教、国家ぐるみの陰謀などで行われているイメージがあるかも知れませんが、実際はとても日常的なもので、洗脳を仕掛ける人、洗脳されている人というのはゴロゴロいます。というか、全人類がなんらかの洗脳を受けていると考えていい。それくらい洗脳は日常的なものです。まず、自分は洗脳されているかも、洗脳を仕掛けられているのかも?という前提で自己検証しなければいけません。人は自由意志で生きているようでいて、実際には自由意志などはほとんどありません。
人は簡単に洗脳される
人間というのはわりと洗脳されやすく、コントロールしやすい生き物です。なので、人を支配して自分の駒として使いたい人はすぐ洗脳を仕掛けて来ます。そういう人はやすやすとブラックな組織を作り、洗脳された人はハタから見ると「なんで辞めないの?」という状況でこき使われ、搾取されます。配偶者や恋人、子供などに洗脳を仕掛ける人もいます。メチャクチャいます。洗脳されるということは他人に人生を奪われるということですから、それがどんなに正しいと思えても、出来れば避けたほうがいい。人間は洗脳されている状態でも一定の幸せを感じるようにできるっぽいので、それはそれで幸せなのかも知れませんが、僕はこう考えています。「自分で考えるのをやめるな、自分の人生を生きろ」と。洗脳を避けてください。洗脳されているなら解きましょう、洗脳されそうなら逃げてください。
他人を洗脳する方法
洗脳は方法論が確立しています。本を読めば詳しく書いてあるし、経験から独自に身につけた人もいます。短く書くと『第三者との接触を禁止し、「あなたの為だから」と言いながら怒鳴ったり殴ったりして恐怖を与え、平気でウソをつき、単純で短い命令を繰り返し、そのあとで優しくしたり褒美を与えたりする人』は間違いなく『洗脳者』です。洗脳を仕掛けてくる人からは全力で逃げて解けるまで数ヶ月会わないでください。逆に、友達にはたくさん会って相談してください。多様な価値観に接するのが洗脳解除に有効です。洗脳者との接触を避け続ければ洗脳は解けます(場合によってはカウンセリングを受けましょう)。人は少なからず、誰でもある程度洗脳されています。自分の中に「こうでなければいけない」という事があったとしても、それは本当に正しく自分の考えなのか常に検証してください。もしかしたら、自分の中の正義も他者から与えられた洗脳の一部かもしれません。詳しく書いたのが以下。実際の経験にも基づいています。絶対に悪用すんなよ。
1.人格否定による思考力の剥奪
まず、洗脳対象に自分には価値がなく、自分で考える意味も無いのだと思わせます。最初から考えることを放棄している人もいますが、普通は自分で考えるので、おかしい事に気づくと逃げてしまいます。だから、なんらかの方法(例えば恐怖やわざと難しいことをやらせる、変な名前を付けるなど)で『価値のないダメな人間だ』と思わせます。精神的優位に立つと洗脳がしやすくなります。だから先生や上司は洗脳を仕掛けやすいんですね。最初から権威があり尊敬されている人が洗脳を仕掛けると効きます。だから逆に言えば、そういう立場の人はウッカリ洗脳をしないように注意しなくてはいけません。人格否定の方法は何でもいいし、理不尽でも問題ありません。勢いと、特に複数の人間で否定するとどんなに自信がある人にも効きます。名前と尊厳と思考力を奪い、「自分はダメな人間だ」と思わせる。自分を否定する人や集団からは逃げてください。人格否定は洗脳の常套手段です。
2.ウソで人を操る
洗脳者は平気でウソをつきます。洗脳されやすい人は「大人はウソをつかない」とか「この人は人を騙さない」なんて簡単に人を信じますが、平気でウソをつく人が世の中にはたくさんいます。嘘は周りを詰めていけば必ず綻びがありますから、誰かが言ったことで引っかかりが気になったら多角的に検証してください。ウソつきだと分かったのなら、あとはもう全ての会話を疑ってかかるべきです。ウソつきはなんの罪悪感も呵責もなく、平気で、息を吐くようにウソをつきます。
3.第三者との接触を断つ
束縛が強い恋人や配偶者は大抵これをやります。異性の友達はもちろん、同性の友達との接触も断ちにきます。携帯のアドレス帳を消したり、他人と会うことを非難したり。第三者の悪口(ウソでもなんでもいい)を吹き込み、関係に亀裂を入れるなんてのも常套手段です。これを組織運営における洗脳の手段として使う人もいます。他の組織の悪口を吹き込んだり、接触を禁じたり、ガッチリ囲い込む。組織間の交流も禁止、または制限します。第三者と会話させるとおかしい事がバレて洗脳が解けてしまうからです。第三者との交流を禁止する相手は洗脳を仕掛けてきています。逃げてください。
4.恐怖を与える
一番簡単なのは怒鳴ること。怒鳴られると普通の人は心が萎縮します。思考能力も奪われるので、メチャクチャ洗脳しやすくなります。ここで人格否定や第三者との接触も禁止します。洗脳がガッチリキマると暴力を奮っても警察に行ったり逃げたりすることもなくなるのでやりたい放題出来てしまいます。怒鳴り声や暴力は、普通の人間のコミュニケーションには必要ありません。怒鳴る人、冷静に会話できない人は他人を支配しようとしている人です。積極的に距離を取り、接触を絶ってください。会話する時は5m以上離れましょう。電話はスピーカーにして録音しながら3mくらいの距離を取る。物理的な距離が離れると怒鳴る人の体力を削れるし、滑稽に見えます。コミュニケーションはメールやメッセンジャーなど、証拠が残る文字情報だけにしてください。それなら後で検証できますし、恐怖感も和らぎます。怒鳴り声や強い口調など、恐怖で人を支配しようとする人からは逃げてください。洗脳を仕掛けてきています。
5.簡単な命令を聞かせる
例えば、「そこに座れ」とか「この文章を声に出して読め」とか、簡単なことを繰り返しやらせます。すると、その人の言うことを聞くことに抵抗が無くなっていき、次第に「普通は聞かないような命令」まで聞くようになってしまいます。このテクニックは無意識に使っている人がとてもたくさんいます。人の頼みを全部断れとは言いませんが、動く前に、それは本当に自分がやるべきなのか?やっていいのか?あとで後悔しないのかを考えてからにしましょう。人は意外と簡単に言うことを聞いてしまう生き物なんです。洗脳者だと気づいたら、意識をしてその人の言うことを聞かないようにしましょう。
6.ご褒美を与える
洗脳者は人格否定や他者との接触を禁止したり恐怖を与えた後、急に謝ったりお金やモノ、言葉などで褒美を与えます(その褒美自体は洗脳者にとって大した価値を持っていない)。DVをする人がよくやるパターンです。常套句は「あなたの為だから」です。「みんなの為だから」というもの定番です。自分は心を鬼にして、あなたの為を思って『損な役回り』をしているのだと、時には涙を使って訴えます。相手が泣き始めたら要注意です。その涙は、あなたの心を縛るために絞り出しています。こういう人は、驚くべきことに『良い人』と評価されたりします。でも、よく考えてください。本当に良い人は怒鳴りません。恐怖で相手を動かそうとはしません。そういうことをする時点で良い人ではない。他人が『あなたの為』に一方的に損なことをするわけがないと思ってください。必ずそれ以上の『自分の為』が入っています。これは、親子も友達も配偶者も同じです。純粋な『あなたの為』なんかありません。その言葉を平気で言える時点で嘘つきです。
7.選択肢を狭める、無くす
洗脳者は、たくさんあるはずの選択肢を狭めたり、この道しかないと言って他の選択肢を奪ったりします。自分の目的を達成する方向に誘導します。たくみに誘導したり、理屈をこねたり、時には恫喝など強引な方法で選択肢を狭め、『自分で選んだかのように』都合がいい決定をさせます。なにかを決めなければいけない時、その決定が果たして本当に広い選択肢から自分が考えて選んだものかよく考えてください。選ばされているならそれは洗脳の手法です。
8.分かりやすいフレーズを繰り返す
僕の文章みたいにくどくど書くと、思考力を奪われている人には届きにくい。だって、もう物を考えられないのだから。だから洗脳者は、まともな人が聞けばバカみたいな短いフレーズを繰り返します。「勉強しろ」「金を使うな」「金を稼いでこい」「自分だけを愛せ」「お前はおかしい」「自分は神の子だ」みたいな。オームの修行テープで「修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ」ってを聞いたら大抵の人は笑っちゃいますが、同じ様な事は僕らの周りで日常茶飯事に起きています。短いフレーズは人間の脳に入ってきやすいし、気付けないんですね。そういうバグが人類にあります。
9.安心を与える
洗脳が済んだら、あとは定着させるだけなので『安心』を与えて、そこを居心地がいい場所と認識させます。そうなったらもう、家畜と同じです。個人としての尊厳を放棄したも同然。ただし、洗脳は時間とともに解けてしまうので定期的に恐怖や束縛を行ってきます。そのサイクルが進むと洗脳された人は『捨てられたくない』と思うようになるので、洗脳者の言いなりになります。はい、これで言いなり人間の完成です。なにをしても言うことを聞くので洗脳者は安泰となります。めでたしめでたし。
洗脳者はサイコパスか悪人かのどっちか
他人を洗脳して人生を奪う人には3種類いて、サイコパス、悪人、善人と勘違いした悪人のどれかです。サイコパスは自分自身も洗脳していて、その手法は生来ものだったり生まれたあとで経験から得たものだったりします。なんの悪気もなく洗脳を仕掛けてくる怖いタイプです。このタイプとは会話にならないので話すだけ無駄です。逃げてください。悪人は、自分が洗脳で他人の人生を支配し、搾取していると理解しています。洗脳の手法は本を読んだり、実践していくなかで身につけたものです。自分がやってることが悪いことと理解していので割と話が通じます。洗脳がバレると開き直って仲間に引き込もうとします。逃げてください。善人と勘違いした悪人は「自分は人の上に立つべき人間で、これだけ与えているのだから恩恵があってもよい」と考えて他人を支配します。このタイプも、自分は悪いことをしていると理解していないので会話になりません。むしろ良いことをしてるつもりだからたちが悪い。関係を断つしかありません。逃げましょう。他人を支配するのは、現代においては絶対的に悪です。精神的や物理的に他人を拘束し自由を奪う行為は人権侵害です。こういう人権侵害的な洗脳を新入社員向け企業研修とかでやる企業があります。『感動研修』なんて言って、新入社員が泣きながら大声を出したり素手でトイレ掃除したりするシーンをニュースなどで見ますよね。ああいうのは全部洗脳の手法です。『速攻で逃げてください』。上に書いたような洗脳の手法を実行するのは、普通の人には良心の呵責や罪悪感があるので無理です。あれらを平気でやれる時点で相当な悪人かサイコパスなので全力で逃げてください。
洗脳と教育は違う
洗脳を教育や指導、躾と勘違いしている人もいます。指導や教育は大事ですが、頭を押さえつけて言うことを聞かせるのは教育ではありません。本当に教育なら本人の自主性も尊重するはずです(そういう観点からすると日本の公的教育機関の多くは洗脳機関かもしれません)。これは洗脳だ、と思ったら距離を取ってください。もしくは面従腹背。技術や知識だけ盗んで、心までは奪われないように注意しましょう。
洗脳する人の特徴
洗脳を仕掛けてくる人には特徴があります。最初はやさしい、面倒見が良い / マメ / 親分肌、年齢が上 / 社交的。一方で、疑り深い / 急に怒り出す / 本来コントロール出来ない、してはいけないものまでコントロールしようとする / 自分が絶対正義だと信じて疑わない、多様性を認めない / 断定的な言い方をする、曖昧な言い方をしない / 人に指図されるのが嫌い / 理詰めが得意 / ウソをつく(バレると、あなたの為のウソとか言う) / 簡単に言えば、モラハラ、パワハラ、サイコパス(ウソつきで共感力が低い)の傾向が見られたら要注意です。こういう人って、ハタから見ると魅力的に見えたりするんですよね。だから洗脳に引っかかる人が後をたたないわけですが。多分、こういう人は太古の社会では支配者側にいた人だと思います。逆に支配される側になりやすい人もいます。性格が穏やかで人を疑わない(つまり良い人) / 子分肌 / 真面目 / 自己肯定感が低い / 難しいことを考えるのが苦手 / 言われたことをやるのが好き、こういうタイプの人は洗脳されやすいので注意してください。人類には、支配と被支配のDNAがあります。支配のDNAを持っている人は非支配のDNAを嗅ぎ分けて近づいてきます。ご注意ください。
対処方法
一番難しいのは、洗脳されている本人に、それは洗脳だと気付かせることです。多くの人は自分が洗脳されていることに気付けません。だからまずは、「全人類は洗脳されている」という前提に立って自分に洗脳の影響が無いのかどうかをじっくり考えましょう。いいですか?全人類は洗脳されている、というのが大前提です。
1.第三者と積極的に会う
洗脳者の価値観はかなり偏っているので、第三者に「こういう人なんだけど」と説明すると、普通は「そんなのおかしい」という話になります。必ず複数、例えば10人くらいに話を聞いてみてください。第三者との接触は洗脳にとって最大の弱点です。だから第三者との接触を断ちに来ます。対策としては、その弱点を攻めるのが近道です。ただし、洗脳者に近い人と会話すると同じ価値観だったりするので、出来るだけ関係がない人と話しましょう。多くの人に「それは普通だね」と言われたら、その人は洗脳者ではないのかも知れません。それでも気になるなら引き続き色んな意見を聞いてください。
2.客観的な視点で見る
自分と洗脳者の関係を第三者の視点で見てみましょう。人間はそういう事を出来る脳を持っています。例えば自分の尊敬する有名人とか恩師とか、(まともな人なら)親とか。神様でもいいでしょう。そういう視点を作り、自分と洗脳者のやりとりが、第三者的な倫理観や道徳観、法律から見て正しさを持っているのか?組織なら、その組織が目指す本当の理念と合致しているのか?恋人や家族なら、その関係は他人から見ていびつなものになっていないか?だれかが一方的に損をしていないか?よく考えてください。洗脳であるならどこかに綻びがあります。紙に書いて整理するのも有効です。
3.逆転させて考える
洗脳者と自分の立場を逆転させてみてください。洗脳者は「あれをやるな、これもやるな、これをやれ」と言いますが、普通、洗脳者自身は好き勝手にやります。例えば「人に会うな」と命令しておいて自分は誰とでも会うとか、「無駄遣いするな」と言いながら自分は浪費をします。洗脳者は自分の都合に合わせて他人に言うことを聞かせますが、一方で自分は好き勝手に振る舞います。倫理や正義に基づいて行動しているわけではないから、矛盾が生じます。そして、矛盾の後ろには隠された真意があります。真意はウソで巧妙に隠されています。真意を探りましょう。
4.距離を取り、時間で癒やす
もしかして洗脳かも?と思ったら洗脳者から距離を取って接触を減らし、時間が経つのを待ってください。距離を取られていると気づいた洗脳者は、必ずコミュニケーションを取りに来ます。電話やメッセンジャー、メール、直接など。その頻度が多く執着が強い場合は、やはり洗脳者である可能性が高い。必ず第三者に相談してください。ストーカー化する場合もあるので危険を感じたら警察や弁護士に相談しましょう。コミュニケーションを断って1ヶ月くらい経つと「あれはおかしかったのでは」と気づき始め、3ヶ月も経つとすっかり解けている可能性が高いです。良い人は洗脳が解けてさっぱりすると許しちゃって、ウッカリ元の関係に戻ってしまう場合があります。でも、洗脳を仕掛けてくる人とはもう二度と会わないでください。そして、その経験を周りに教えてあげると被害者を減らせます(まぁ、別の狩場でカモを探すだけだけど)。
まとめ
洗脳の手口をよく知り、洗脳を仕掛けてくる人からは逃げましょう。洗脳されると人生を奪われます。自分の人生は自分で考えて生きてください。他人に依存するな、自分の足で立て。人は簡単に他人を洗脳し、支配することが出来てしまいます。他人を洗脳しないように注意しましょう。自制しないと洗脳や支配というのは簡単にできてしまうんです。それくらい簡単で、日常的なものなんですよ、支配と洗脳ってのは。他人事だと思わないことです。ちなみに、この文章を読んで感心してしまったあなたは洗脳に掛かりやすいので特に注意してください。洗脳者はどこにでもいて、あなたの心を支配しようと狙っています。 

 

●洗脳とは 
洗脳とは何か
洗脳とは、暴力的な行為や言葉によって相手の精神的な部分を崩壊させると同時に、自分の思う通りの行動、思考を持たせることを言います。相手のことを完全に支配する、というのが目的です。そしてその手段として暴力を用いる、というのが最大の特徴になります。暴言や尋問といった言葉も含まれるということです。そのため、洗脳というのは本人の意思に関係なく強制的に新しい自己というものを植え付けることを指すのです。洗脳と似ているマインドコントロールですが、洗脳とは異なります。マインドコントロールするために暴力を用いることはまずありません。
洗脳の方法や本の紹介
洗脳の方法は難しいことではありません。何度も同じことを繰り返したり、厳しく意見をしながらも褒めたり、優しくしたりといったメリハリを持って接すること、そしてそれを長期的に続けることが基本です。しかし、その基本にさらに色々なテクニックを駆使することで、より相手を洗脳しやすくすることができます。この洗脳に関するテクニック、基本といったものを紹介している書籍もいくつかあります。『洗脳言論』『洗脳 地獄の12年からの生還』『カリスマビジネスマンは使っている 洗脳力』などタイトルに洗脳というキーワードを入れた書籍は多く出版されています。それらの書籍からテクニックを身につけてみるのも良いでしょう。
洗脳と宗教や芸能人の関係
芸能人というのは人気商売ということもあり、運気を気にしている方は想像以上に多いようです。人気があればそれだけ蹴落とそうとする人も多いので、思いがけないところで足を引っ張られてしまうこともあるでしょう。そのようなことにより、宗教に身を投じる方も多くいます。さらに、宗教側も芸能人を広告塔として利用したいと考えることが多く、芸能人が宗教に入りたいといえばもちろん喜んで受け入れるのです。年末になって芸能人、スポーツ選手による護摩焚きが行われることがありますが、それもまた宣伝効果としてのメリットは絶大です。目当ての芸能人と同じ宗教組織に入りたいと考えるファンもいるからでしょう。このような運気などを気にするタイプというのは、精神的な部分において依存しやすいという特徴があります。気がついた時には洗脳を受けていたり、多額のお金を貢いでいる、ということも珍しくありません。
洗脳を恋愛や彼氏に使う方法
相手を洗脳させることができれば、自分の思っている通りに彼氏が行動をとってくれるかもしれません。たとえば、なかなか結婚をしてくれない彼氏に対して洗脳をする、というものです。彼氏を洗脳するには、まずは自分本位の考え方を相手に押し付けないことです。子供が欲しい、という願望があってもそれを口にするのではなく、あなたのためなら子供を産んでも良い、好きな人のためなら子供を産みたい、という気持ちを伝えます。そうすることで、自分中心ではなく彼氏中心に物事を考えている、ということをアピールできます。料理においても同じです。好きな人のために料理を作ってあげたい、という考え方を相手に伝えることを続けると、自然と彼氏は、自分のためにこんなにがんばってくれている、ということを心から感謝し、次第に今度は自分もこの人のために何かをしてあげたいという思考になります。相手のために、ということをアピールすることが重要なのです。
洗脳を解く方法
洗脳というのは、一度ハマってしまうとなかなか抜け出せないものです。そのため、洗脳を解くのは難しいと思われがちですが、洗脳が解ける時というのは思いのほかあっさりとしています。結局、洗脳というのは思い込みや常識を自分の中で過剰に作り上げすぎてしまっている状態です。そのため、まずはそれがなんなのか、ということをじっくり考えることが重要です。結婚、仕事、お金といったものに対して、自分の考え方から離れて、一度遠いところから見つめ直してみましょう。多くの人の話を聞いたり、普段はあまり接しない人と接することで、驚くほど簡単に洗脳が解けるということもあります。自分の中で膨らませてきた思考、常識を壊すことで洗脳が解けると覚えておきましょう。 

 

●職場で「洗脳」されていない?  
私たちは働くなかで、簡単に何かに洗脳されてしまう。同じ場所に毎日通い、同じ言葉を何度も繰り返し耳にする。その言葉は、私たちの頭に染みついてしまうのだ。そして、まったくの間違いかもしれない考え方(例えば、あなたの働き方に関する上司の意見は“非常に”大切だ、など)を内在化させてしまっていることに、気付きもしない。働く人たちには、知らずにこうした状態に陥っている人がとても多い。あなたは洗脳されていないだろうか?確認するための10項目を、以下に紹介する。
1. 肩書や給料はあなたの価値を決める基準だと思う
2. 年次業績評価は人生の一大事だと思う
3. 「高業績チーム」「戦略的インペラティブ」「従業員エンゲージメント」などのビジネス用語を使い、それらを(効果的なものと)考えている
4. 備品など、仕事を進めるために何かが必要になった場合、「上司に怒られませんように」と思ってしまう
5. 仕事について、現時点までに達成しているはずだった目標が達成できていない。だが、これから一生懸命やれば挽回できると思う
6. 上司が自分のことをどう考えているか気になる。満足してくれていればいいのだが、と思う
7. 上司の決定に疑問を持ったことがない。彼らは上司であり、正しい答えを知っているはずだから
8. 同僚に自分の考えを話すとき、会社の方針や規則を引用している
9. 雇い主が自分や自分のキャリアに気を配ってくれていると思う。それが、雇用主のすることだから
10. 勤務先の企業の行動やその動機に疑問を投げかける人がいた場合、勤め先を擁護する。正しい決定でないことをするとは思わないから
私たちは、権威には敬意を示すべきだと教えられて育っている。そして、そのように教え込まれすぎている。大人になってもなお、「なぜ私はそう考えるのか」「なぜこう考えるようになったのか」などの重要な問題をはじめ、私たちは自分の考え方について、あえて問いただしてみようとはしない。自分自身の考えについて少し距離を置いて見直してみると、私たちが自分自身の考えだと思っていることのうち、多くはすでに洗脳されている誰かから聞かされたことだったと気づくはずだ。私たちは学校で(悲しいことに、場合によっては自分の家でも)洗脳される。さらに、職場でも洗脳される。本当に具合が悪いときでも、休むことに不安感や罪悪感を持ったりするのもそのためだ。私たちは自分自身の考えを持っても、自分自身の道を進んでも、変わらずに大人でいられるし、給料ももらうことができる。多くの人は失業したり、仕事に関連した決定の愚かさや不道徳さを感じたりしたときに、自分自身の洗脳された状態を知り、ぼうぜん自失する。気持ちと考えが一致しない状況になってようやく、人生は一度しかない、「仕事なのだから」と言い訳したくないと思い始めるのだ。私たちは毎日、職場での自分の行動や自分のキャリアに関する決断を迫られる。決断しないこと自体も、一つの決断だ。自ら何らかの決断を下さなくてはならない。あなたのボスは、あなた自身なのだ。誰から給料をもらっているかは、問題ではない。
洗脳型上司からサバイバルした方法
洗脳型上司の話です。実体験として自分のブログで「逃げろ、そして生き延びろ」というエントリーにもしたのですが、仕事をしていくうえで精神的にも肉体的にも拘束され、正常な判断ができなくなるほど追い詰められたことがありました。逃げ出した直後は自分を責めたりもしましたが、確かに自分の未熟さもあったものの、どう考えてもあれはおかしい! と思えるようになり、冷静な視点で、なにが良くなかったのかを分析できるようになりました。当時のことを振り返ってみると、上司もわたしも双方に問題点があり、それをどうクリアするかは正常なチームワークを考える上で重要な経験だったのではと思うので、今回はそのことについて書きたいと思います。
矛盾する行動を強いることが正常な判断力を失わせる
当時を振り返って、正常な判断を奪われるのに一番強烈だったのは、何しろ自分で決断できないように「すべての選択を否定する」ことでした。ここで有効なのがダブルバインドで、「二重拘束」という名の通り、まったく異なる行動を同時に強いて、相手を縛ることです。「自分で決断出来ないやつはダメだ」と説く一方で、「なぜ勝手に判断するんだ」と恫喝(どうかつ)する。こちらは「えっ!この程度のこと(メールをいつ返信するかどうか、というレベル)も相談しなきゃいけないの!」と思うのですが、確かにわたしが勝手な判断をして困るのは上司です。では細かくエスカレーションして、ある程度の共通認識が持てるまでは面倒かもしれないけれどもこまめに確認をとろう、と思って都度報告していたところ、「この程度のことをいちいち報告するな!」とはねつけられます。ここでまた「えっ!」と驚くのですが、「そうか、相談の粒度がおかしかったのかな」「このくらいなら判断できないといけないのかな」「このくらいならいいのかな」と恐る恐る進めてみた直後に、今度は「報・連・相もできないのか!」と罵られる。そのときに最悪だったのは、「ここからはOK、NG」のラインが、相手の機嫌によって、激しく上下してしまうことでした。目隠しされたまま荒野に放り出されたような状態で怯えているところに不意打ちで怒られ続けるのは精神的に本当にしんどくて、「こういうケースはOKで、こういうケースはNG」という指標が相手の機嫌次第で変わってしまうと何をどうしたらいいか分からなくなってしまい、結局は相手のいうことを聞いているほうが楽なんだ、と思考停止に陥ってしまうんですね。
行動も制限して価値観を狭める
さらに、思考を停止させたあと、行動にも制限をかけます。他者とかかわる時間を極端に制限されると、本当に思考が閉じてしまって、自分の置かれている状況を客観視することができなくなるんですね。具体的に言うと毎日朝から夜の2時とかまで働いて、会社以外の人と話すのはタクシーの運転手さんくらいになると、睡眠不足で思考能力も低下しているし、もうワケがわかんなくなってくるんですよ。自分がいる状況の異常性に気づけなくなるんです。さらに体力ゲージは仕事に全部振り切ってしまっているから転職活動をする余裕もなく、無限ループに入っていくという寸法です。
どうやって正気に戻ったか
そんな状態なのに、なぜすぐに逃げ出せなかったんだろうと当時の心境を考えると、自分が選んだ道は間違っていないと信じたかったのかもしれないし、なにも考えずに済む状態から踏み出すのが怖かったのかもしれません。ただ、なんとなく「この状態はおかしいのでは?」「わたしはいま正常な判断ができていないのでは?」と感じ始めたあるとき、移動中の電車の中で、今の状況を書き出してみようと思いついたことがありました。小さなノートに、順序やグループなど関係なく、思いつくまま、心に引っかかっていることを書きました。現状の何が苦しいか、上司に対してどう思っているか。怒りや反省、後悔、それから、今自分は何から逃げたくて、何を怖いと思っているのか。当時のわたしは、収入源を失うことよりも「自分が選んだ道が間違っている」と認めてしまうことを何より恐れていました。でもそれはとてもとてもミクロな視点で、ほかにもうっすら感じていた不安点を書き出したら、そんなこと吹き飛ぶぐらい、「今、この状況、ヤバイ!」と思えました。ノートに文字として書き出すことで、「他人ごと」として俯瞰できる、というのは当たり前のことなんですが、そのときはそれすら気付ける状態ではなかったんですね。自分の中にうっすらあったモヤのような不安を、形あるものとして外に出して自覚し、この状況はヤバイ、と実感して素地ができてからは、周りの言葉や意見がスッと入ってくるようになりました。もちろん意見の取捨選択は必要でしたし、それは言い過ぎだろうという意見も多数ありましたが、「これはおかしい」という確信が積み上がり、「やっぱりここから逃げなきゃ!」とはっきり思えるようになりました。
当時のわたしのように「めんどくさい上司の言うことをただ聞いていれば楽だし安定するからそれでいい」と思いながらも、「今この状況ってヤバイよな」と感じている人がいるのであれば、1度、周りの状況を観察してみてください。もちろん、その場で踏ん張ることで得られる何かがあるかもしれないし、そのまま頑張れる人もいるかもしれません。でも、「あ、もう限界!」と思ったら逃げる選択肢があることを忘れないでほしいと思います。そして、常軌を逸した上司に「NO!」ということで、再び自分のような被害者が出るのを防げるかもしれない。それは正しい指導方法を見つけられなかった上司側の人にとっても、大切なきっかけになると思うのです。今日はそんな感じです。 

 

●狙われる有権者たち、デジタル洗脳の恐怖 
2016年、世界は米大統領選挙と、英国の「EU離脱を問う国民投票」の結果に驚愕した。人々が民主的に下したはずの政治決定が、社会や経済に大きく影響し、混乱を生じ続けている。今年に入り英国では、あるデジタル分析会社のスキャンダルをきっかけに、民主主義の根幹である選挙や国民投票において、膨大な量の個人情報を基にした、いわゆる「ビッグ・データ」を使用したデジタル操作が行われたのではないか、との論争が巻き起こっている。
フェイスブック利用者8700万人分の個人情報が、不正にこの会社に流用されたと言う情報は日本でも報じられたが、その事実がどう自分に影響するのか、ピンとこない人が大半ではないだろうか。確かに、好きなアーティストやレストランのページに「いいね!」をつけることの一体何が問題なのか、すぐには想像しづらい。だがこうした情報は、マーケティングの手法として、広告企業などが喉から手が出るほど欲しいものだ。人々の傾向を解析し、ある商品を売り込むために、データを利用する。実際、このこと自体に違法性はなく、従来も使われてきた手法だ。
しかし、もしもこの膨大な個人情報が、民主主義の根幹を成し、国政に影響する選挙や国民投票の行方を左右させるために、明確な意思を持った何者かに利用されていたとしたら、どうだろうか。
筆者はEU離脱を問う国民投票で英国各地を取材して回った際、特に離脱支持者の口から出てくる支持の理由が、奇妙なほど同じ言葉で語られたことに違和感を覚えた。どんな地域でも、どんな層の人に聞いても、同じようなフレーズが繰り返し、あたかも真実のごとく語られていた。当時は、テレビや新聞などから政治家が同じ主張を繰り返したことの反映だろうと思ったが、違和感はどうしても拭い切れなかった。
もしも、人々が当時、SNSを通じて毎日少しづつ、離脱派に都合の良い情報だけを、その人が最も感情的に反応するであろう傾向を把握した上で、カスタマイズされた広告を流し続けられていたとしたらーー。これはある種、民主プロセスにおける「デジタル洗脳」とも言えるのではないか。
民主主義とデジタルの最前線で、今何が起きているのか。私たちは、何に着目すべきなのか。そして「アラブの春」で民主化運動を牽引したと賞賛されたSNSは、今や民主主義を破壊しつつあるのか。こんな疑問をもとに、この問題に取り組む専門家たちに話を聞き始めた。
今月、日本でも出版される「操られる民主主義:デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか」を執筆した、ジャーナリストで、シンクタンク「デモス」代表のジェイミー・バートレット氏に聞く。
Q:なぜ今、新著「操られる民主主義」を書こうと思ったのですか?
ジェイミー・バートレット氏(以下バートレット氏):変化の速さやテクノロジーの進化、AIの台頭などを考えた時、この問題を早急に解決する必要があると感じました。今後20年以内にこの緊張関係を緩和する策を講じなければ、民主主義が絶滅しかねないと思います。この数年(問題となった)ロシアの選挙介入、荒らし、仮想通貨など。私はこれらが全て、同じ事象の一部であることに気づきました。つまり、現在とは全く異なる時代に構築された、古いスタイルの民主主義と、新しいデジタル技術とが、相容れないということです。
Q:どんな問題が起きているのでしょうか?
バートレット氏:最も分かりやすい例は選挙です。選挙には、自由と公正さを保つための制度があり、選挙戦に使用される広告にも、正直かつ真実であるようにと規制がかけられます。しかし、これらの規制はテレビの時代や、誰でも見られる広告板に即したものでした。ところが突如として、世界の誰にでも、個人をターゲットにし、その人以外の目には触れない広告が打てるようになりました。選挙そのものの正当性が問われることになったのです。「誰か」とは、悪意のある外国の勢力かもしれませんし、人々に嘘やデタラメを流す、国内の選挙キャンペーン担当者かもしれません。これは、より大きな問題を象徴しています。すなわち、私たちが民主主義を運営し続けるために構築したシステムそのものが既に時代遅れであり、機能不全であると言うことです。政治、特に選挙はもはや考えを交わし、大きな公開討論を行うことではなく、今やデータサイエンスの時代なのです。幾千にも及ぶデータポイントを基盤とする、個々の有権者のプロファイルが構築されています。貴方や友人が大切にしていることを把握し、その点について、感情的なメッセージを送るのです。「考えを議論する」政治とは全く異なり、誰が最も有効なデータを持っているか、最も有効に標的を射止めることができるのか。そして、誰が最も説得力のあるメッセージを提供し、候補者につなぐことができるのか。こうしたことに尽きるのです。今このことが危機だと感じるのなら、20年後にどうなっているか、想像してください。私たちはさらに多くの、センサーやインターネットを使用したデバイスに囲まれて暮らしているでしょう。スマート冷蔵庫やテレビ、ヘルス・トラッカーなどが発する、私たちの行動や思考に関するデータが、広告業者、そして、政治家によって、私たちを標的にするために利用されるのです。つまり将来的に、私たちの食事の傾向、健康状態や、テレビをつける時間など。こうした情報が、貴方を特定の候補者に投票するよう利用されます。貴方の論理的思考に訴えるのではなく、故意に神経を逆なでするのです。これは、私の考える選挙の「あるべき姿」ではありません。
Q:従来の広告と「ターゲット広告」の違いを教えてください。
バートレット氏:通常の広告は、テレビや広告板、新聞などに掲載する場合、内容について厳しい規制が存在します。正確であり、誤解を招いてはいけない、真実を示し、他者を中傷してはならない、などです。これがインターネット上、個人に向けたターゲット広告の場合は、ほぼ何でも伝えることができます。しかも、他者には見えないため、信ぴょう性をチェックすることができません。嘘やでまかせなどを流された貴方がそれを信じてしまっても、誰もその広告を確認できない。ここが、根本的な違いです。この流れは悪化するでしょう。次世代の広告は、AIを使い自動化されるからです。貴方が何を大切にしているか。購買に有効な傾向を、すでに機械が把握し、制作したものです。貴方の内にある最悪の偏見や個人的偏向に、機械が働きかける。感情的で、誤解を生じるものや、非常に差別的で、人種問題を誘発しかねないコンテンツは、最も有効なのです。機械にとって問題はありませんから、こうした広告をたれ流し続けるでしょう。私たちの政治の行き着く先は、人間の手が加えられない、全く規制当局が目にすることのできない、非常に扇動的かつ自動化された広告が流されることかもしれません。これが私たちの選挙の未来であれば、すでに「政治」と呼べるものではないでしょう。政治とは、異なる意見を交わし、その違いを乗り越えるため誠実に議論を行うことです。人種差別的な広告を、誰も見えないところで自動的に流すことではありません。
Q:この「自動広告制作マシン」の一つが、フェイスブックだと言うお話を以前伺いました。
バートレット氏:フェイスブックは同じ広告を自動的に、わずかに変えたバージョンをいくつも流しています。多少、人の手も加えられ、ちょっと色を変えるなど、どの広告が最も効果的かを試します。それをまた、より多くの人たちに流すのです。
Q:2016年、こうしたデジタル戦略により、米英で民主主義が大きく揺らいだと言われています。
バートレット氏:おそらく、インターネットが私たちの選挙と、選挙制度そのものを破壊するツールだと、多くの人が初めて気づいた年だったでしょう。突如として、複雑な技術を用いて有権者を狙ったケンブリッジ・アナリティカのような、データ分析企業が登場しました。実際、近年多くの選挙戦で、こうした技術が用いられてきました。(ロシアは)インターネットを使い、米国の選挙介入にも成功したのです。これは特筆すべき事象でしょう。様々な問題が明るみになり、ハイテク企業に対する疑問の目が徐々に向けられ始めていましたが、(2016年に)これは大問題だ、と認識されるようになりました。
Q:今回の著書の原題は「市民対テクノロジー」(The People vs Tech)ですが、その「戦い」とはどんなものですか? また、副題は「インターネットが民主主義を殺す」ですが、本当にそうなのでしょうか。
バートレット氏:言葉を介さない静かな戦争が、デジタル技術と民主政体との間に起きていると思います。インターネットを制し、究極的に社会を動かしているのは、一体誰なのか。(シリコンバレーの)デジタル企業や民間企業なのか、それとも、民主的に選ばれた政府なのか。民主的に選ばれた政府は、この戦いに勝たねばなりません。しかし、政府の動きは非常に遅く、政治家の顔ぶれも数年で変わります。民主主義が苦戦している相手は、資金もあり、動きの早いテクノロジー企業です。ただ、この一年で反撃は始まっているとも感じます。意図せずに、インターネットは民主主義を殺していると思います。ネットは民主主義にとって非常に良い側面もあります。表現の自由や、新しい思想、情報へのアクセスなど、これも民主主義には大切なことで、疑問の余地はないでしょう。問題は私たちが「ネットは情報を提供する、市民のためのプラットフォームだ」と、その恩恵にのみ目を奪われていることです。民主主義はそれ以上に、健全に機能している政府や、法が保たれ、政府が決めた事が実行されていると、人々が自信を持てるものでなくてはなりません。強く健全なメディアや、人々が、きちんと情報を得た上で、互いを罵ることなく議論ができること。政治家から得たものは、規制に基づき信頼できると思えること。これらは全て、民主主義を形作るものですが、インターネットがそれを破壊しています。これが見えないのは、ゆっくり(としたプロセス)であり、つまらないことだからです。私たちは表現の自由に目隠しをされ、結果として、人々が信頼できる民主主義がゆっくりと壊されている、より大きな事態が見えていません。
Q:「アラブの春」が始まった2010年ごろ、インターネットは政治資金を持たない民衆にも民主革命を起こすことのできる「素晴らしいツール」だともてはやされました。
バートレット氏:その通りです。2010-11年頃は皆が、インターネットは人々に声を与え一つにする、民主化のツールだと楽観視していました。それはとても単純な見識だったのです。プラットフォームを作るだけで人々が動くーー表面的には素晴らしいことですが、全く誤った認識です。いずれ政府や軍、ハッカーなどが、自分たちの権力を強化する、あるいは他者を陥れ、介入・干渉するツールとして利用することは、明白でした。不運にも、シリコンバレーの人々は、テクノロジーの力を盲信するあまり、こうした可能性に、全く無頓着だったのです。歴史を多少なりとも学べば、こんなことは火を見るより明らかでした。強大な国やグループ、既得権益がこうしたテクノロジーを乗っ取ることは、既に繰り返されてきました。2011年から2016年にかけ、こうしたテクノロジーに対して世論は「自由をもたらす、素晴らしいもの」から、「民主主義を脅かすもの」に変わりました。
Q:大胆な言い方をすると、こうしたテクノロジーは「デジタル洗脳」を可能にした、ということなのでしょうか。
バートレット氏:1990年代の大いなる仮説では、人々がより多くの情報、そして、他者と繋がる機会を得れば、民衆はより賢くなり、また政治家自身も、民衆との繋がりや、新しい知識を得ることで、より洞察力が深まると思われていました。これは、短絡思考の最たるものだったでしょう。人々に、ブログやチャート、意見やニュース記事など、しばしば全く矛盾した情報を流し続け、情報過多にすることは、感情的な反応を呼び起こすだけです。思考をきちんと処理し慎重に考察する時間や、意見の異なる人と、きちんとコミュニケーションをとる時間すらありません。全て「相手が間違っている」と一蹴する、あるいは「自分と相手のテリトリー」を区分けし、他者と戦い続けるのです。これはある意味「洗脳」であるかもしれませんが、意図されたものではなく「デジタル雪崩」の産物であると言えるでしょう。人々は、これだけ多くの情報に対処しきれないのです。だからこそ、昨今の政治は不運にも知識を欠き、より感情的で二極化されています。約束された世界とは、真逆の事態に陥っています。
Q:現状の民主主義は「アップグレード」が必要な時期だと言うことなのでしょうか。
バートレット氏:消費者としての私たちの生活は、「インスタグラム化」しているのに、市民としての民主主義は、未だに写真屋に金を払い、ゆっくりと写真を現像しているようなものです。市民がますますポピュリズムに傾倒している理由の一つは「問題がすぐ解決され、欲しいものは即座に手に入り、妥協の必要など一切ない」といったことが約束されるからです。現在の私たちの生活に合致しているのです。ポピュリストや独裁主義者らは文化的に、世界の現状に即しています。民主主義国家や主流政党は、これまでと全く異なる時代に、どうやって民主主義自体を再生し、機能させるかを考えるべきでしょう。民主主義以外の全てのことが、変化しているからです。私たちを囲むテクノロジーから完全に立ち遅れている政府形態が存続し続けるために、残された時間はほとんどないでしょう。簡単な解決法もあります。まず、選挙法を時代に即したものに改定すること。デジタル広告は、テレビ広告と同様の規制をかけ、同時にデジタル以外の広告同様に、資金投入の上限を設定するのです。こんな単純なことでさえ、まだ実行されてはいません。
Q:デジタル技術の有効性は、実証が非常に難しいとも言われています。 
バートレット氏: 無論、有効性を実証するのは困難です。しかし、広告業者は数十億ドル規模の資金を投じています。フェイスブックやグーグルなどの収益のほとんどは、ターゲット広告による収入です。つまり、これが有効であることを知り、信じてもいるということの証です。 同じ広告を数百万人に流すテレビ広告よりも、一人ひとりに数百万の異なる広告を流すことの方が、一般的に有効になっていきます。人々が不安を感じている時など、最適なタイミングで働きかければ、当然より良い結果が出るでしょう。もちろん、常に万人の思考を変えるということではありませんが、政治家は、格好のターゲット・有権者を、最適な状態とタイミングで捉えるチャンスを得られるようになる、ということです。 数千人、あるいは数万人の有権者を取り込むことができれば、僅差の選挙の場合、それは大きな意味を持ちます。政治家による市民との対話の形も変わり、全く新しい形の政治になるでしょう。長期的には、とても不健全だと考えます。政治家が人々の声に耳を傾け語りかけるのではなく、データを使って、人々の弱点を見極め、そこをつくという方式です。 
Q:こうした広告企業と、統治する側、つまり政権が手を携えてしまった場合、どんなことが起こりますか? 
バートレット氏:企業がデータ収集するだけでも問題ですが、政府が企業と共同で行ってしまっては、一体誰が止められるというのでしょう。政府はより洗練された個々人のデータを取得することになります。 政府の批判を許さない政権が、こうした詳細なデータを基に先手を打って、政権へのトラブルを起こす人物をはじき出したとしたら、どうなると思いますか。当局や警察が、常に全ての人を追跡、行動を把握し、何も悪いことをしていないのに、アルゴリズムが「彼らはトラブルを起こす」と判定したと言う理由で、事前に逮捕してしまったとしたら』、「政治家による市民との対話の形も変わり、全く新しい形の政治になるでしょう。長期的には、とても不健全だと考えます。政治家が人々の声に耳を傾け語りかけるのではなく、データを使って、人々の弱点を見極め、そこをつくという方式です」、本当に恐ろしい時代がそこまでやって来ているようだ。
Q:広告業界は、この事態をどう捉えていると感じますか。 
バートレット氏:まず、大手プラットフォーム(SNSなど)の資金源は広告収入です。それはSNSではなく、広告企業だと捉えた方が良いでしょう。そう捉えると、彼らの使命は最初から「あなたが自分を知っているよりも、より深くあなたを理解すること」だと言うことがわかります。 何があなたの気分を害し、怒らせたりするのかを知ることで、頭の片隅にあるスイッチを入れ、特定の商品を選ばせる。これが彼らの運営の、最優先の原則です。彼らは主に「あなた」を知ることに興味があります。こうしたプラットフォームでスキャンダルが起きて、相当数の人たちが倫理性を問いボイコットをすれば、企業は対処もするでしょう。しかし、彼らの至上命題は「あなたをどう動かすか」ということですから、大規模なデータ収集作業は、今のビジネスモデルでは止めることはできませんし、止まりません。だからこそ、規制が必要なのです。 
Q:ビジネスモデルは変えられるものでしょうか。 
バートレット氏:難しい問題です。皆が広告をクリックするのをやめたり、広告ブロッカーを使い始めれば、ビジネスモデルを変えざるを得なくなるでしょう。プラットフォームに月額2ドル支払うなど、何らかの購読形態に移行したり、グーグルを利用するならば、1セント以下のほんのわずかな金額を支払う、などということです。長期的な未来には実現するかもしれず、それは社会にとって、より良いことかもしれません。 1990年代、こうしたプラットフォームの資金をどう獲得するかという点について、熟慮の末、情報が無料で全ての人に提供されることが、最も民主的であると判断されたのです。不運なことは、この判断が広告に頼ることにつながってしまったことです。不思議なことに、誰もこんな事態を招くとは想像もしていなかった。私は、オンライン上で人々が、より多く金を払って(情報を得る)モデルに逆戻りするのではないかと予測します。 あるいは現在、多くのスタートアップ企業が「フェイスブックやグーグルは、毎年巨額を稼いでいる。ユーザーが少額、支払いを受けるようなサービス形態に移行したらどうか」と言う動きを見せてもいます。すでに、ユーザーが使用するごとに、お金が支払われるサーチエンジンも存在します。一定数の人たちがこれを利用し始めれば、現在のビジネスモデルを破壊することが可能でしょう。 
Q:今後、例えば5年間で何も対策を講じなければ、どんな事が起こると思いますか? 
バートレット氏:政治は急速に変化し、人々が5年前に不可能だと思って来たことが、既に実現し始めています。誰も、現在の政治状況を予測してはいませんでした。公開討論が、こんな悲惨な状態になり、選挙戦に関する人々の怒りや、(外国からの)介入も起きています。次の5年間には、更なる問題が巻き起こるでしょう。 労働市場に顕著な崩壊が起きていますし、それによる憤りや怒りの高まりに、私たちは備えきれていません。より多くのデータが作られ、政治家がそれを利用し、個人を狙った広告戦略を展開するでしょうし、外国勢力からの介入は、改善するどころか悪化するでしょう。 突然民主主義が崩壊し、無政府状態になるということではなく、独裁者が現れ「全てのことが崩壊しつつあるようだ。全てを保つために、強いリーダー、強い政府が必要だ」と発信し、「この状態を打開するために、デジタル技術が必要だ」と主張する土壌を作るでしょう。新しい権威主義の波が起こります。 私が恐ろしいと思うのは、5年後、もしかすると人々自身がそれを望み、その主張に票を投じるかもしれない、と言う事です。安定と利便性を、崩壊と困難よりも望むかもしれません。民主主義は人々の積極的な意思によって、消滅するかもしれません。これは1930年代、民主主義が破壊的な、わかりやすい状況で壊れたこととは違います。混乱ではなく安定を約束する強固な権威主義者たちを、人々が民主的に選ぶプロセスで起こるのです』、「独裁者が現れ「全てのことが崩壊しつつあるようだ。全てを保つために、強いリーダー、強い政府が必要だ」と発信し、「この状態を打開するために、デジタル技術が必要だ」と主張する土壌を作るでしょう。新しい権威主義の波が起こります。 私が恐ろしいと思うのは、5年後、もしかすると人々自身がそれを望み、その主張に票を投じるかもしれない・・・民主主義は人々の積極的な意思によって、消滅するかもしれません」、恐ろしい未来シナリオだ。
Q:難しいのは、規制と表現の自由のバランスかとも思います。 
バートレット氏:唯一の正しい答えはありません。今大きな議論となっているのは、(SNSなどの)プラットフォームを、法的な責任を持つ、新聞社のような出版業者とみなすのか、現状のまま、ユーザーが責任を有し、プラットフォーム自体はコンテンツに法的な責任を持たず、中立な存在とし続けるのかというものです。 90年代にまだ比較的存在が小さかった頃に機能していたとしても、現在はこれで公正なのでしょうか。今は、プラットフォームをそのままにしておいても大丈夫だと思いますが、当局から「コンテンツを削除せよ」と、法的な令状と共に命じられた場合、それを即座に、効率的かつ透明性を持って行わせる法律が必要です。法的に、公的な場で発言される内容について、当局がなんらかのコントロールをしなければなりません。 このことは、問題も引き起こします。英国では表現の自由が固く信じられています。英国内での法について、私は安心していますが、その他の国の状況には不安を感じます。他国が決めることですが、難しい問題であることに変わりはありません。 
Q:日本では、政府の要望に応え得る広告企業も存在しますし、また、国民投票において、英国での選挙法のような、広告に関する資金投入の上限が存在しません。 
バートレット氏:非常に危険なことだと思います。普通は、政府に市民の情報を常に収集させない、つまり、政府の力から市民を守る法律が存在します。できるとしても制限が存在するはずですし、令状など、裁判所からの法的な書類が必要です。 このことは、専制政治から人々を守るため、民主主義国家においての基本であるはずです。しかし、民間企業は令状や、市民を守る法的根拠など必要としません。こうした企業が個人情報を収集した挙げ句、それを政府に渡してしまっているとすれば、政府自体が市民に対する保護もなく、情報収集できることになります。 私は、人々がどれほど無防備に自分たちの情報をさらけ出して、またその情報が、どれほど政府にとって重要なのかに気づいてもいないと感じます。政府は常に、市民の情報を欲しています。初めは「人々を犯罪行為から守りたい」などという良い理由で始まり、徐々に、スピード違反をさせないとか、ゴミの分別を徹底するためだとか、政府が市民のことを知らなければならない理由が、どんどん増えていくのです。 やがて、政府がより中央集権的、革新的、独裁主義的になった場合、旧東ドイツのシュタージ(秘密警察)が大喜びしたであろう個人情報の山を手にすることになります。私たちは、そのことに気づきもせず、いつの間にか情報を提供してしまっているのです。 
Q:情報を安易に提供しないために、日本の市民にもできることはどんなことですか? 
バートレット氏:まずお伝えしますが、それはとても困難です。私たちが常にデータを提供しているサービスは、非常に便利だということがまず一つ。私たちが好み、利用を楽しむからこそ、これらのサービスは成功しているのです。ある商品の利便性に慣れ、日々生活が楽になってしまえば、それらの利用をやめるのは、困難です。 しかし、結果として市民は、部分的にこの状況に加担していることを認識すべきです。私たち自身が、私たちに関するより精巧な型を作る「データ・マシーン」に情報を提供しているということなのです。何にクリックし、シェアし、どのサービスを利用するのか、どのデータを教えてしまうか。これらは、私たち自身が答えなければならない、道義的な質問です。市民自身が、自分のプライバシーについて責任を持つ。何の疑問もなく個人情報をさらけ出すことの意味を考え、利用規約を読む。 また、ある特定のサービスにのみ情報を独占させないために、いくつか異なるサーチエンジンを利用することです。利便性には欠けるかもしれませんが、これが私たちの民主主義を健全に保つための代償かもしれません』、「市民自身が、自分のプライバシーについて責任を持つ。何の疑問もなく個人情報をさらけ出すことの意味を考え、利用規約を読む。 また、ある特定のサービスにのみ情報を独占させないために、いくつか異なるサーチエンジンを利用することです」、正論ではあるが、面倒そうだ。
Q:プラットフォームを故意に混乱させることも、有効だとおっしゃっていましたね。 
バートレット氏:そうです。私たちについて作られた精巧な「型」は、私たちが最も大切にする思いや不安、希望などをシェアした結果作られたものです。ですから、時にシステムを混乱させてみることです。本当は好きじゃないものに「いいね!」をつける。信じていないことを投稿してみる。自分の年齢を偽ってみる、と言った具合に、「型」を困らせるのです。 
Q:日本では個人データの流出がここまでの弊害をもたらすとはまだ広く知られていませんし、直接政治的な影響も受けていないため、危機感が高いとは言えません。 
バートレット氏:世界情勢がどんなに変わり、いかに危険な状況にあるかは明白でしょう。どんな民主主義国家であっても、自分たちには関係ないと思う人たちは、自分たちを騙しているに過ぎません。まさかこんなことが米英や欧州各国で起こるとは思われていませんでしたし、皆、自分に火の粉が降りかかるまで「自分たちは大丈夫だ」と思っているのです。 自分たちの膨大な情報を通じ、ほんの一握りの企業、そして、究極的には政府に、力と支配を譲り渡してしまっているのかもしれません。物事は次第に、気づかないうちに悪化するでしょう。だからこそ、危険の存在や変化の度合いを知ることは重要です。民主主義とは、当たり前に存在するものではないのです。人間がどう共存するかという「短期的な実験」なのですから。 簡単に、消え去ってしまうかもしれないものだからこそ、慎重に守られねばなりません。この5〜10年、それ以前に比べ、世界は民主的ではなくなってきています。これが、私たちが現在たどっている道筋なのです。これに気づき、何かをしなければ、20年後には民主国家がいくつ生き残っているでしょうか。恐ろしいことに、そうなってしまったが最後、もう元へは戻れないのです。 
Q:日本はこれから、改憲に向けた国民投票が予想されています。現存の国民投票法で、ターゲット広告などに対応できるとは言えません。 
バートレット氏:日本で国民投票が実施されれば、米英やその他の国で有効だったテクニックが恐らく使用され、問題にもなるでしょう。こうしたテクニックは、データ・アナリストのチームによって、世界的に提供され、共有されています。有効だと証明されれば、政治家はこれを利用するでしょう。 同じような技術が日本の国民投票で使われ、これまでと同様の現象や論争が起きたとしても、不思議はありません。その時になって、ようやく対岸の火事ではないことに気づくかもしれませんね。 業者から「クリック率を25%あげましょう」「広告ターゲットをより効果的に行います」「この国民投票で勝つために55歳以上のターゲットをお望みですか。データをもらえれば、有効なメッセージで彼らを狙う方法を教えましょう」と働きかけられながら、その技術を使わない政党は、時代遅れです。 
Q:現状、人々は無防備ですね。 
バートレット氏:今はそうですが、段々とやらなければならないことがわかってきています。まず、いくつか痛い思いをして、それから規制の必要性がわかるのかもしれません』、「民主主義とは、当たり前に存在するものではないのです。人間がどう共存するかという「短期的な実験」なのですから。 簡単に、消え去ってしまうかもしれないものだからこそ、慎重に守られねばなりません」、確かにその通りだろう。「国民投票」にもきちんとした規制が必要なようだ。 
 
 

 



2020/4