公文書の消える国

税金の使われた行政事案
その経緯・結果を記録  これを「公文書」と言います

「桜を見る会」名簿 内閣府は治外法権
「公文書」の取扱い 勝手し放題 すぐに廃棄 PCデータはゴミ箱

総理お守りします 紙はシュレッダー データは復元不可処理
 


公文書 / 公文書1公文書2公文書管理法管理対象となる文書公文書は誰のものか日本は公文書後進国公文書とは何か・・・
内閣府治外法権・・・
「驕り」考 / 驕りがある人の特徴意味と特徴と謙虚さの取り戻し驕りと自負心慢心して驕る人健全な自尊心誇りと驕りメディアの驕り自民「驕り」の復活税金で接待する総理の驕り・・・
 
 
 

 

国民の確定申告 領収書は5年間保管義務がある
申告が終わったら領収書廃棄 
言いわけ 「お役人を真似ました」 (保管義務を忘れたふり) 
税務署員の顔が見てみたい
●公文書 

 

●公文書1
1 国や地方公共団体の機関または公務員が、その職務上作成する文書。
2 国または地方公共団体の機関、あるいは公務員がその職務上作成した文書。公文書でないものを私文書というが、そのいずれであるかにより、訴訟上で証拠とする場合の成立の真正の推定や、偽造の場合の刑の軽重などの点で違いが生ずる。
3 公の機関または公務員がその職務上作成した文書。
4 日本の公務所(役所)または公務員が、その名義(肩書)をもって職務権限に基づき作成する文書。文書の名義が公務所または公務員である点でこれら以外を名義とする私文書とは区別される。また、公務所または公務員の名義で作成された文書であっても、その職務権限内において作成されることを要するから、たとえば公務員の肩書による挨拶(あいさつ)状や辞職願などの私的な文書は公文書に含まれない。刑法上、文書偽造罪は公文書と私文書とに区別され、公文書に対する社会の信用力が大きく、したがってその偽造は大きな被害をもたらすため、公文書偽造は私文書偽造より重く処罰されている(刑法第2編第17章)。なお、「公用文書」という概念があるが、これは公務所の用に供する文書、すなわち公務所が使用・保管する文書であり、公文書、私文書のいずれでもよい(同法258条参照)。
5 国や地方公共団体の機関または公務員が職務上作成した文書。公書。公文。
6 …研究はまず(1)文書の書式・作成方法に関する研究があり、古く律令時代にさかのぼる。すなわち大宝令をほぼ踏襲したと考えられる養老令の公式令(くしきりよう)では、公文書として詔書・勅旨以下21種類の文書を掲げ、これらの公文書の書式と文書作成に関する諸規定、およびその施行について述べており、日本の古文書研究の源流をここに求めることができる。平安時代になって朝廷の儀式典礼が盛大に行われるようになると、それに関する正確な知識が要求され、有職故実の学が発達し、有職書が編纂される。……文書館として十分機能しはじめたのは1840年代以降で、国立古文書学校(1821設立)による文書館員の養成が寄与している。イギリスでは、1838年の公文書法の公布によって、ロンドンに公文書館Public Record Officeが設立され、文書長官Master of Rollsの下に統合的に保管されることになった。第1次大戦中には、戦時文書・記録の保存問題を契機として、文書館学、保管文書についての原則が確立した。…  

 

●公文書2  
みなさんは公文書と聞いてどのようなイメージを持たれますか?ビジネスマンの方は「行政機関の文書だから、企業に勤めている自分にはあまり関係がない。」と思われるかもしれません。しかし、公文書の書き方はビジネスでよく使われる社外文書や社内文書を作成する上でもとても参考になります。また、公文書の保存管理方法などのルールは細かく定められており、社内の文書管理体制にも参考になるでしょう。今回は公文書とはどのような文書か、作成や管理の方法などご紹介したいと思います。
公文書とはいったい何か?
まず公文書とはどんな文書を意味するのでしょうか?公文書とは、日本の国や地方公共団体など行政機関の職員が職務権限に基づいて作成する文書です。
私文書との違いは、私文書は作成名義が個人なのに対し、公文書は行政機関やその職員の名義で作成されることです。また、私文書は個人が発行するのに対し、公文書は国や地方公共団体、行政機関、独立行政法人など公的機関が作成する文書のため高い社会的信用性があります。
ちなみに、公文書は職務権限に基づいて作成される文書であることから、行政機関職員が私的な都合により作成した挨拶状や退職願などは公文書に含まれません。
なお、先ほども説明しましたとおり公文書は行政機関が作成する文書のため社会的信用度が高いため、万が一偽造、使用した場合は刑法上厳罰が下されます(刑法第2編第17章)。
どんな文書が公文書とされるのか?
公文書の分類は下記の3つに別れています。
行政文書
行政文書とは、行政機関の職員が職務上で作成、取得、保有した文書のことで、これは紙に限らず写真や図画、電磁的記録なども含みます。ただし、行政機関の発行した文書でも官報や新聞、雑誌、書籍類など不特定多数に向けて発行しているものは除きます。
法人文書
法人文書とは、独立行政法人の職員が職務上で作成、取得、保有した文書のことで、行政文書と同様に写真や図画、電磁的記録なども含みます。
特定歴史公文書等
特定歴史公文書等とは、行政機関や独立行政法人、法人や個人などより歴史的資料として重要な意味を持つ文書として国立公文書館等に移管、寄贈された文書を意味します。
公文書を作る時の基本とは?
公文書は私文書と違い、公的な信用性を持った文書となりますので、できるだけ簡潔で分かりやすく作成する必要があります。行政機関職員の方が公文書を作成する際の3つのポイントを確認してみましょう。
簡潔に
公文書ではできるだけ簡潔な文章がふさわしく、基本的に敬語表現は使用しません。また、ビジネスシーンで使われる社外文書のような丁寧な文体や「です・ます」は使わず、「〜である」という言い方が基本となります。
明確に
公文書では記述に対するルールも定められています。例えば「主語に対応する述語」です。主語に対応する述語がないと内容が不明確になり伝わりません。これはビジネス文書でも伝えやすい文書作成に共通する内容なので、公務員でない方も文書作成時にチェックしてみましょう。さらに、漢字とひらがなの使用方法も定められています。詳細なルールは文化庁が発行した「公用文の書き方資料集」という資料に記載されており、常用漢字や送り仮名の使い方も指定されています。
具体的に
公文書は、誤解を招かないよう明確に文章を書く必要があります。例えば範囲を説明するときに「〜から」と始点を書いた場合は、必ず終了点である「〜まで」という文言も付け加える必要があります。
公文書の保存期間と基準は?
公文書を管理するにあたり、その保存期間が決まっています。つまり公文書は保存期間内に処分、廃棄はできません。また、職員の個人判断により廃棄をすることなく、保存期間とその基準を定め管理されています。
具体的な例を上げると、行政文書の最低保存期間は、その行政文書の内容により分類されており、総務省が発行する「別表 行政文書の最低保存期間基準より確認できます。
行政文書の管理ルールとして、分類、名称、保存期間、保存期間の満了日、保存期間満了後の移管または廃棄、保存場所など必要な情報を管理簿に記載しています。また、この管理内容についてはインターネット等により公表され閲覧できるようなっています。
また、保存期間満了後は国立公文書館等に移管し保存するか、もしくは廃棄するかも規定により定められています。
まとめ
いかがでしたか?行政機関職員の方だけに限らず、企業に勤めているビジネスマンの方にも日常業務で参考になるポイントを見つけることができたと思います。公文書の書き方や保存管理方法を参考にして、これからの業務がさらにスムーズに進むようしっかりとポイントをおさえておきましょう。 

 

●公文書管理法とはどのような法律なのか 2010/3 
1. はじめに
2009年6月24日、わが国初の国の機関(独立行政法人含む)における公文書管理の基本法である公文書管理法(正確には「公文書等の管理に関する法律」)が成立、同年7月1日に公布された。施行は2011年4月と予定されている。これは日本の文書管理及びアーカイブズの歴史において、実に画期的な出来事といわねばならない。この法律により国の公文書管理が大きく改善されるならば、次は地方自治体(この法律により努力義務が課せられている)、さらには民間企業へと広がっていき、日本の文書管理・アーカイブズ全体のレベル向上が期待されるのである。文書管理というと単なるファイリングシステム、文書整理と誤解する人がいるかも知れないが、実は文書管理は情報活用のインフラそのものであり、特に公文書管理・アーカイブズは説明責任など民主主義の根幹を支える基盤と位置付けられている。例えばアメリカ国立公文書館(United States National Archives and Records Administration: NARA)の“Mission Statement” には「国立公文書館は政府の記録を守り、保存することにより、アメリカの民主主義に奉仕するものであること、またアメリカ国民の権利及び政府の措置についての重要な文書への継続的なアクセスを保証する、そして民主主義を支え、市民教育を推進し、国家の経験の歴史的な理解を促進するものであること」が述べられている(同Webサイトより)。今回、わが国においても、公文書管理法によってこのような文書管理・アーカイブズの理念的なものが明確にされたことは、いくら評価しても評価し過ぎることはない(詳しくは3章の「公文書管理法制定の意義」参照)。
そこで、なぜ公文書管理法の制定がそれほど画期的なのか、またわれわれ国民にとって公文書管理法はどのような意味を持っているのか、といったことを中心に解説を試みたい。
2. 公文書管理法制定までの経緯
公文書管理法誕生の最大の功労者は実は元首相の福田康夫氏である。福田氏がいなければこの法律は生まれなかったといっても過言ではないだろう。そこでこの法律誕生までの経過を簡単に振り返ってみよう。福田氏は小泉内閣の官房長官時代の2003年4月、まず「歴史資料として重要な公文書等の適切な保存・利用等のための研究会」を設置、引き続き同年12月には自らが主宰して「公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会」を開催している。福田氏がこのようなテーマに関心を持つに至った背景には、日本の公文書館制度が米国のそれと比較して、あまりにも貧弱だということを実感する自らの体験があったとされる。その後、2007年には社会保険庁の「消えた年金」問題、厚労省のC型肝炎関連資料の放置、海上自衛隊補給艦「とわだ」の航泊日誌の誤廃棄など、公文書管理に関わる不祥事が続発し、社会の注目を浴びることとなった。このうち、特に厚労省のC型肝炎関連資料の放置については、これによってどのような問題が発生したのかを少し説明しておく必要があろう。これは血液製剤フィブリノゲンの投与でC型肝炎に感染した可能性のある患者418名のリストを厚労省が公開せず放置したというもので、もし早めに患者へ事実を告知していれば、適切な治療が可能となり命をなくさずに済んだ人がいたかも知れないというものである(患者リストは厚労省の命令により製薬会社から提出されていたもの)。
そのような時期に福田氏は、首相に就任するや、2008年1月、第169国会開会日の施政方針演説において、「年金記録等のずさんな文書管理は言語道断です。行政文書の管理のあり方を基本から見直し、法制化を検討するとともに、国立公文書館制度の拡充を含め、公文書の保存に向けた体制を整備します」と述べたのである。そして同年2月には初代公文書管理担当大臣に上川陽子氏を任命、引き続き3月には「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」(座長:尾崎護元大蔵事務次官)を設置した。その後、残念ながら同氏は首相を辞任されたが、11月にはこの有識者会議の最終報告書「時を貫く記録としての公文書管理の在り方〜今、国家事業として取り組む〜」1)が後任の麻生首相に提出された。この報告書を基に作られた公文書管理法案が2009年3月に閣議決定後、国会に提出され、6月には修正が施された後、衆参両院において全会一致で成立するという運びとなったのである。
   表1 公文書管理法制定までの経緯
2003年4月 内閣府「歴史資料として重要な公文書等の適切な保存・利用等のための研究会」発足
2003年12月 内閣府「公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会」発足
2007年    「消えた年金」問題、C型肝炎関連資料の放置、海上自衛隊補給艦「とわだ」の航泊日誌誤廃棄等の不祥事が発覚
2008年1月 福田首相、施政方針演説にて文書管理改善を表明
2008年2月 上川陽子氏、初代公文書管理担当大臣に就任
2008年3月 内閣府「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」発足
2008年11月 同会議最終報告書「時を貫く記録としての公文書管理の在り方〜今、国家事業として取り組む〜」提出
2009年3月 公文書管理法案、国会へ提出
2009年6月 公文書管理法、成立
2009年7月 公文書管理法、公布
3. 公文書管理法制定の意義
3.1 包括的・統一的な文書管理の基本法
公文書管理法制定の意義としてまず挙げられるのは、わが国初の包括的・統一的な文書管理の基本法が誕生したということである。「包括的」「統一的」とは何を意味するのか、この辺から話を始めることとしよう。
3.1.1 包括的な基本法の意味
「包括的」とは、一言でいうと「国の行政事務全体をカバーする」という意味であるが、少し詳しく説明しておきたい。これまでわが国では、国の機関全体をカバーする文書管理の基本法というものは存在しなかった。行政機関における事務処理は文書主義が基本原則であるべきことを考えると、これは不思議なことだ。その後、2001年に情報公開法(正確には「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」)が施行され、行政機関は、保有する行政文書を原則公開することにより説明責任を果たすことが義務付けられた。そしてその中に初めて法律の条文として文書管理の基本的事項に関する規定が設けられたのである。これは情報公開法と文書管理は車の両輪であるという考え方に基づき、「行政機関の長は、この法律の適正かつ円滑な運用に資するため、行政文書を適正に管理するものとする」(情報公開法22条1項)とされたのである。しかしながら、これはあくまで情報公開制度の運営を支援する観点から、文書管理に関する規定を設けたに過ぎず、国の行政事務全体をカバーする包括的な文書管理ルールではなかったのである。しかも文書管理の具体的なやり方、手順についてはすべて政令任せで(同22条2項、3項)、法律の規定にはなっておらず、その点からも不十分なものであった。それが今回、初めて国の行政事務全体をカバーする包括的な文書管理の基本法として公文書管理法が制定されたわけで、その意義はまことに大きなものがある。
このように、これまで日本では情報公開のインフラとなるべき基本的な文書管理の法律を制定することなく、情報公開法を施行したためにいくつかの問題を生じていた。例えば、情報公開請求をしても文書がないという、いわゆる「文書不存在」のケースが毎年、少なからず発生していたのである。これを海外の例と比較すると、例えばアメリカの場合、情報自由法(Freedom of Information Act)は1966年の制定だが、それより前の1950年に連邦記録法(FederalRecords Act)が制定されている。またイギリスでは、情報自由法(Freedom of Information Act)の制定は2000年とやや遅れたが、公記録法(Public RecordsA c t)が制定されたのはそれより遥か前の1958年である。このように先進国では情報公開法よりも先に文書管理の基本法が制定されているのが通常であり、その点、日本は大きく遅れていたことになる。今回、公文書管理法が制定されたことで、ようやく海外の先進国並みに情報公開法制のインフラともいうべき公文書管理の基本法制が整備され、情報公開法と公文書管理法が対で揃うことになったのである。
このように公文書管理法が文書管理の一般法となるため、情報公開法は特別法という位置づけになる。従って情報公開法の中で行政機関の文書管理義務を規定していた同法の第22条は削除されることとなった。
3.1.2「 包括的」のもう一つの意味:アーカイブズとの一元化
「包括的」には、もう一つ重要な意味がある。つまり初めて、この法律により現用文書から非現用文書(歴史公文書)までのライフサイクル管理が一元的に行われることになり、歴史的に重要な資料を正しく保存し、公文書館制度を拡充するための道筋が整った点である。
「現用文書」とは作成部門の業務において使用中の文書であり、「非現用文書」とは作成部門の業務における使用が終わった文書をいう。従来の概念では「非現用文書」と歴史的に重要な文書とはほぼ同意語として使われており、廃棄にならない「非現用文書」が歴史的な文書として公文書館等のアーカイブズ部門へ移管されるということになっていた。ところが「公文書管理法」では、「歴史公文書」という新しい概念を登場させ、その文書が現用段階にあるか非現用段階にあるかを問わず、後世に残すべき歴史資料として重要な公文書を「歴史公文書」と定義し、その「歴史公文書」のうち、国立公文書館等へ移管されたものを「特定歴史公文書」と称しているのである。
情報公開法が対象とするのはあくまで現用文書に限られ、非現用のアーカイブズは対象ではないことから、これまで現用から非現用という文書管理の全体的なライフサイクルを一元的に管理するという考え方はなかったに等しい。そのため従来は、各府省から国立公文書館への歴史公文書の移管がスムーズに行われないという問題があったのである注1)。これは文書管理の統括官庁が、現用は総務省、非現用は内閣府(実際は国立公文書館)と別々になっていたことにも関連があり、いわば縦割り行政の弊害の一つと考えることもできる。それが今回の新しい公文書管理法では、内閣府が現用・非現用を通じた全体的な公文書管理の司令塔機能を持ち、一元管理するようになったのは大きな進歩である。同時に歴史公文書の各府省から国立公文書館への移管義務が明確にされたことにより、アーカイブズ拡充のための条件が整ったことの意義は大きい。「歴史とは現在と過去との対話である」とは、かのE・H・カーの言葉2)だが、そもそも歴史を語る文書・記録が残っていなければ、過去との対話は成り立たないはずだからである。その点、今回の法律には歴史公文書の移管をスムーズに行うための対策が種々盛り込まれ、各府省側から見ても利用し易い形になった点が特長の一つに挙げられる。それらの対策としては、例えば中間書庫制度の導入、移管後の特定歴史公文書の利用制限の拡大などが挙げられる。
   
○国立公文書館の役割
皇居を望む北の丸の一角に位置する独立行政法人国立公文書館の本館は1971年に設置された(つくば分館は1998年設置)。これまでの国立公文書館は、国の機関などから移管を受けた公文書を、ただ単に歴史資料として保存管理し、一般に公開するための施設に過ぎなかった。今回の公文書管理法により、従来の役割を大きく拡充し、各行政機関の現用文書の保存・利用に関する助言もできるようになった他、行政機関の依頼を受けて現用文書の保存を行うことができるようになった(改正国立公文書館法第11条)。また内閣総理大臣の委任を受けて、行政機関に対する実地調査を行うことができる(第9条4項)他、民間や自治体の保有する文書を受け入れる機能も付与された(第2条7項4号)。いずれにしても国立公文書館は、歴史学者や行政機関の職員のみが利用する施設ではなく、広く一般国民が利用できる、いわば知識の殿堂であることを強調しておきたい。そのような意味から、最近、国立公文書館は「パブリック・アーカイブズ宣言」を唱え、「国民一人ひとりにひらかれた、もっと魅力のある“情報の広場” になります」と宣言している注2)。例えば国立公文書館は、公文書を通じて日本のあゆみを見ることができる常設展の他、毎年、春と秋に特別展を開催している。特別展では、昨年秋の「天皇陛下御在位20年記念公文書展」、今年春の「旗本御家人U−幕臣たちの実像−」など一般の人々にとっても興味深い内容の展示会が無料で開催されている。
   
3.1.3「 統一的」の意味
また「統一的」には次のような意味がある。これまで各行政機関の文書管理規則は、情報公開法の規定に基づき、それぞれの行政機関の長が独自に作成することとなっていたが、必ずしも国として統一のとれたものではなかった。公文書管理法においても文書管理規則を行政機関の長が作成する方式は変わらないが、今後はその作成にあたって公文書管理法の具体的な規定に基づくとともに、あらかじめ内閣総理大臣の同意を得なければならなくなったのが大きく変わった点である(第10条)。従って必然的に各行政機関の文書管理規則が統一されることになるわけだ。また行政機関以外の国会及び裁判所の文書管理についても、この法律の趣旨を踏まえて検討されるべきものとしている(附則第13条2項)。
3.2 公文書は民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源
公文書管理法には、従来欠けていた文書管理の理念的な部分が盛り込まれ、その目的規定で公文書を「健全な民主主義を支える国民共有の知的資源」と位置付け、「国民が主体的に利用し得るもの」とした。この文言は国会での修正決議に基づき取り入れられたものだが、もともと先の「有識者会議」最終報告書の基本認識において「民主主義の根幹は、国民が正確な情報に自由にアクセスし、それに基づき正確な判断を行い、主権を行使することにある。国の活動や歴史的事実の正確な記録である『公文書』は、この根幹を支える基本的なインフラであり、過去・歴史から教訓を学ぶとともに、未来に生きる国民に対する説明責任を果たすために必要不可欠な国民の貴重な共有財産である」とされていたのである。そして公文書管理法は「国及び独立行政法人等の有する諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする」と明記した。
今回、この法律により、初めて文書管理と説明責任の関係が明確にされたわけで、このことの意義は極めて大きい。今まで情報公開法において「情報公開法が説明責任を果たすためのもの」とは明記されていても、文書管理が説明責任を果たすためのものとは、どこにも謳われていなかった。しかし、これでようやく「情報公開法と文書管理は車の両輪」という概念が実質的に取り込まれたといえる。文書管理の目的が組織の説明責任を果たすためのものであるということは、記録管理の国際標準I S O15489注3)においても基調となっているコンセプトであり、今やグローバル・スタンダードとなっている。また目的規定中の「現在及び将来の国民に説明する責務」という表現があるが、これには大きな意味がある。いうまでもなく「現在の国民に対する説明責任」は情報公開を意味しているが、「将来の国民に対する説明責任」とは国立公文書館等のアーカイブズ機関における公開を意味しており、現用段階における行政文書と歴史公文書を一元的に管理することの重要性を示したものといえる。
4. 公文書管理法のポイント
公文書管理法は、これまで述べたように公文書管理の基本的事項(行政文書・法人文書の適切な管理及び歴史的公文書等の適切な保存及び利用)を初めて法律の規定で定めた点に意義がある。以下、そのポイントをもう少し詳しく見ることにしよう。
4.1 公文書の作成義務
わが国における行政機関の重要な意思決定は文書に基づいて行われることが通例となってきた。いわゆる事務処理原則としての文書主義である。しかしながら、基本原則であるはずのこの文書主義原則も一部の省庁の文書管理規程で規定されるにとどまり、法律の規定は見当たらなかったのである。情報公開法における文書作成義務も政令事項に過ぎなかったのが注4)、今回、初めて法律の規定で義務付けられたことになる。
すなわち「当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係わる事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない」(第4条)とし、「法令の制定又は改廃及びその経緯」等5つの類型を掲げている。
4.2 公文書の整理
職員が行政文書を作成又は取得した時は、その文書について分類し、名称を付し、保存期間及び保存期間の満了する日を設定しなければならないとした(第5条第1項)。
また相互に密接な関係を有する行政文書(保存期間が同じもの)の集合物である「行政文書ファイル」にまとめ(同条第2項)、その「行政文書ファイル」につき分類し、名称を付し、保存期間及び保存期間の満了する日を設定しなければならない(同条第3項)。さらに「行政文書ファイル及び単独で管理している行政文書」(以後、「行政文書ファイル等」)については、保存期間の満了前のできる限り早い時期に、保存期間が満了した時の措置として、歴史公文書等に該当するものは国立公文書館等への移管の措置を、それ以外のものについては廃棄の措置を取ることを定めなければならない(同条第5項)。特に第5項の国立公文書館等への移管又は廃棄を保存期間が満了した時点で考えるのではなく、できる限り早い時期にどちらかの措置を決める仕組み、すなわち「レコードスケジュール」の概念を導入したところが、従来なかった新しい考え方で、注目される。
4.3 公文書の保存
行政文書ファイル等について、その保存期間が満了するまでの間、その内容、時の経過、利用の状況等に応じ、適切な保存及び利用を確保するために必要な場所において、適切な保存媒体により、識別を容易にするための措置を講じたうえで保存しなければならない(第6条第1項)とし、さらにはその集中管理の推進に努めなければならないとしている(同条第2項)。「内容」とは、その行政文書ファイル等に個人情報などの機密情報が含まれている場合、施錠できるキャビネット等で保管する、また電子情報であれば厳重なアクセス制限を施したサーバー等に保存することを意味する。「時の経過、利用の状況」とは、もともと文書には時の経過とともに利用頻度が低下するという特性があるが、これに合わせて利用頻度が高い間は事務所の書棚等で保存し、利用頻度が下がると地下の書庫等に移動することをいう。「適切な保存媒体」とは、特に電子情報に関し、情報技術の進展に伴ってソフトのバージョンアップへの対応や必要な媒体変換等を適切に行い、長期的に安全確実な保存を行うことである。「識別を容易にするための措置」とは、検索を容易にするためのファイルの分類・整理(例えばファイルの背表紙にタイトル、作成年度を明記、または色分けをするなど)及び適切なメタデータの付与等を意味する。特に電子情報の場合はファイルの属性、コンテクスト等を表す適切なメタデータの作成・付与が欠かせない。「集中管理の推進」とは、作成・取得から一定期間が経過した行政文書ファイル等を集中管理することで文書の散逸防止、移管業務の円滑化を促進する趣旨だが、各府省共通の中間書庫制度を設け、横断的に集中管理する仕組みが想定されている注5)。
4.4 公文書の移管又は廃棄
保存期間が満了した公文書は、第5条第5項の規定による定めに基づき、国立公文書館等へ移管するか、または廃棄することが義務付けられた(第8条第1項)。従来は、改正前の国立公文書館法15条2項において、内閣総理大臣(国立公文書館)と移管元の行政機関とが協議し、そこに合意が成立した場合のみ移管が行われることになっていた。つまり移管するかどうかの決定権は、国立公文書館にはなく各府省側にあったのである。今回、この方式が変更され、レコードスケジュールにより事前に移管措置を取ることが決定された歴史公文書は、保存期間が満了すると自動的に国立公文書館等へ移管されることになったのである(第8条第1項)。これにより従来、あまり進んでいなかった歴史公文書の移管が大きく促進され、本格的なアーカイブズ確立への道が開けたことの意義は大きい。それに関連して特に慎重な対応が求められる廃棄について、行政機関はあらかじめ内閣総理大臣と協議し、その同意を得なければ廃棄できないこととなったのである(同条第2項)。この項目は衆議院における修正協議で盛り込まれたものである。
4.5 公文書管理に関するコンプライアンス確保の仕組み
この法律の特長の一つは、公文書管理におけるコンプライアンス確保のためのさまざまな仕組みを設けていることである。具体的には、行政機関の長は行政文書の管理の状況について、毎年度、内閣総理大臣に報告しなければならず(第9条1項)、内閣総理大臣は、必要と認める場合には、行政機関の長に対し、行政文書の管理について報告や資料の提出を求めたり、職員に実地調査をさせることができる(同条3項)。同様に歴史公文書の移管についても必要と認める場合には、内閣総理大臣は、国立公文書館に報告や資料の提出を求めさせたり、実地調査をさせることができる(第9条4項)。また内閣総理大臣は、公文書管理につき特に必要がある場合には改善勧告を行い、その結果につき報告を求めることができるとしている(第31条)。
4.6 特定歴史公文書等の保存、利用
この法律では国立公文書館等へ移管された特定歴史公文書等は、永久保存が義務付けられている(第15条1項)。ただ保存文書が劣化により判読不能となり、保存する意味がなくなったような場合、例外的に廃棄することはできるが、誤廃棄あるいは恣意的な廃棄を防ぐために、国立公文書館等の長のみの判断では廃棄できず、内閣総理大臣の同意を得なければならない(第25条)。また特定歴史公文書等について、その内容、保存状態、時の経過、利用の状況等に応じ、適切な保存及び利用を確保するために必要な場所において、適切な記録媒体により、識別を容易にするための措置を講じた上で保存し(第15条2項)、その分類、名称、移管又は寄贈若しくは寄託をした者の名称又は氏名、移管又は寄贈若しくは寄託を受けた時期及び保存場所等の必要な事項を記載した目録を作成し、公表しなければならない(第15条4項)。国立公文書館等の長は、特定歴史公文書等の保存、利用が適切に行われるように、内閣総理大臣の同意を得て、利用等規則を設けなければならない(第27条1項、3項)。そして特定歴史公文書等の保存及び利用の状況につき、毎年度、内閣総理大臣に報告しなければならない(第26条1項)。
特定歴史公文書の利用について、国立公文書館等の長は、利用請求があった場合、利用制限事由に該当しない限り、利用させなければならないとし、利用請求権を明確にした点は、この法律の特色の一つとなっている(第16条1項)。そして利用制限事由に該当するかどうかの判断については、利用請求のあった特定歴史公文書等の作成又は取得からの時間的経過を考慮すると同時に、移管元の機関からの意見を参酌しなければならないとしている(同条2項)。また利用請求に対する処分等に不服がある場合は、異議申立てをすることができるようになっている(第21条)。
4.7 公文書管理委員会
この法律において特筆すべきは、公文書管理の機能強化のため、内閣府に外部の有識者で構成する第三者機関である公文書管理委員会を設けたことである。委員会の委員は、公文書管理に関して優れた識見を有する者のうちから、内閣総理大臣が任命することとなっているが(第28条)、委員会は数多くの政令事項、及びいくつかの重要事項についての諮問を受ける他、必要に応じて関係行政機関の長又は国立公文書館等の長に対して、資料の提出、意見の開陳、説明その他必要な協力を求めることができるとしている(第29条、第30条)。お役所任せの現在の仕組みに第三者的なチェック機能を導入することとなる公文書管理委員会には大きな役割が期待される。
4.8 地方公共団体の公文書管理
地方公共団体は、この法律の趣旨に則り、保有文書の適正な管理に関する施策を策定し、実施するよう努めなければならないとの規定が盛り込まれた(第34条)。従って各自治体は、これまでの文書管理規程を条例化するよう求められることになる。この法律そのものを自治体に適用しないのは、地方自治の原則を尊重したためで、これは情報公開法制定時に取られた方式と同じである。
5. 公文書管理法の今後の課題
以上述べたように、公文書管理法は現行の文書管理ルールに比べ、多くの改革、前進が見られるが、「有識者会議」の最終報告書に盛り込まれた内容と比較するといくつかの課題も存在する。例えば国立公文書館を独立行政法人から「特別な法人」に改組して権限と体制を拡充するという案は見送られた。それだけに、同報告書で公文書管理の「司令塔」の役割を果たすとされた公文書管理担当機関(内閣府公文書管理課)の体制と役割権限が真に「司令塔」にふさわしいものになるかどうかが注目される。さらに重要なのはレコードマネジャー・アーキビストという文書管理の専門職体制注6)の拡充である。この点も同報告書で取り上げられていたのだが、法律の条文には登場しない。しかしながら法律施行後の運用面で、うまくいくかどうかの鍵を握っているのがこの専門職体制であり、今後の大きな課題になるものと考えられる。なぜなら、いくら良いルールができても、それを実行に移す体制がなければ絵に描いた餅になりかねないからである。このことはARMA(Association of Records Managers and Administrators)東京支部が招いた元アメリカ国立公文書館(NARA)ディレクターのマイケル・ミラー博士も講演の中で強調していた点である注7)。各行政機関と公文書管理担当機関及び国立公文書館の専門職が連携し合い協力し合って、初めて文書のライフサイクル管理が円滑、確実に進むのである。いずれにしても、法律施行のための具体的な実施手順等を明確にする政令及びガイドラインが近く決定されることになるが、その内容がどうなるかが当面の最大の課題といえよう。
本文の注
注1) 内閣府「文書管理に係る現状調査結果」(2008年3月31日時点)によるとすべての行政機関の平均移管率は0.7%であった。米国等の移管率は通常、3〜%といわれている。
注2) 詳しくはhttp://www.archives.go.jp/about/idea.html 参照
注3) ISO15489は2001年9月に制定されたRecords Management(記録管理)の国際標準で、パート1「総論」とパート2「テクニカル・レポート」からなり、そのうち、パート1は2005年7月J I S化され、「J I SX0902-1 記録管理−第1部:総説」として日本規格協会から発行されている。
注4) 情報公開法施行令第16条1項2号
注5) 公文書管理法附則第4条において国立公文書館法を改正し、国立公文書館が行政機関から委託を受けて中間書庫の役割を果たすことができる旨の規定が追加された(改正国立公文書館法第11条1項2号、3項2号)。
注6) 現用段階の専門職がレコードマネジャーであり、非現用段階の専門職がアーキビストである。海外ではこのような文書管理専門職の職能が確立している。
注7) マイケル・ミラー博士の講演録「公文書管理:運用面での課題と方策」はARMA東京支部「Records & Information Management Journal」第12号(2010年1月)参照。
参考文献
1) 公文書管理の在り方等に関する有識者会議. 「“ 時を貫く記録としての公文書管理の在り方」〜今、国家事業として取り組む〜” . 首相官邸. http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/koubun/hokoku.pdf、 (accessed 2010-03-08).
2) E・H・カー. 歴史とは何か. 清水幾太郎訳. 岩波書店、 1962.
参考資料
a) 宇賀克也. 逐条解説 公文書等の管理に関する法律. 第一法規、 2009.
b) 岡本信一、植草泰彦他. 逐条解説 公文書管理法. ぎょうせい、 2009.
c) 岡本信一、植草泰彦. Q&A 公文書管理法. ぎょうせい、 2009.
d) 松岡資明. 日本の公文書―開かれたアーカイブズが社会システムを支える. ポット出版、 2010.
e) 小谷允志. 今、なぜ記録管理なのか=記録管理のパラダイムシフト. 日外アソシエーツ、 2008.
f) 特集:公文書管理法制定に向けて―有識者会議最終報告を契機に. ジュリスト. 2009、 no.1373.
g) 特集:公文書等の管理に関する法律. アーカイブズ. 2009、 vol.37.
h) 特集:公文書管理法の意義と課題. ジュリスト. 2010、 no.1393.  

 

●公文書管理法で管理対象となる文書 
公文書管理法で管理の対象となる文書は、「行政文書」、「法人文書」、そして「特定歴史公文書等」となっています(これら3つを総称して「公文書等」と定義しています)。それぞれの定義は以下のとおりです。
行政文書
1.行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書(図画及び電磁的記録を含む。)であって、
2.当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、
3.当該行政機関が保有しているもの
ただし、次のものは除外 •官報、白書、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数の者に販売することを目的として発行されるもの
•特定歴史公文書等 
•研究所(博物館)その他の施設において、歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として特別の管理がされているもの
法人文書
1.独立行政法人等の役員又は職員が職務上作成し、又は取得した文書(図画及び電磁的記録を含む。)であって、
2.当該独立行政法人等の役員又は職員が組織的に用いるものとして、
3.当該独立行政法人等が保有しているもの
ただし、次のものは除外 •官報、白書、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数の者に販売することを目的として発行されるもの
•特定歴史公文書等 
•研究所(博物館)その他の施設において、歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として特別の管理がされているもの
特定歴史公文書等
1.行政機関や独立行政法人等から歴史資料として重要な公文書その他の文書に該当するものとして国立公文書館等に移管されたもの
2.立法府、司法府から国立公文書館等に移管されたもの
3.法人等(1.を除く)又は個人から国立公文書館等に寄贈・寄託されたもの  

 

●公文書は誰のものか〜問われる1400万件の管理〜 2014/10 
問われる公文書管理 歴史資料をどう残すか
医療や福祉など、国民の健康に密接に関わる政策を担う厚生労働省。省内の130万件の公文書管理を監督する、情報公開文書室の長良健二室長です。3年前に公文書管理法が施行されたことを受け、今も省内の公文書の総点検を行っています。
厚生労働省 情報公開文書室 長良健二室長 「文書がどこに保存されてるかというのが、一目でわかるようになってます。」
文書管理に統一のルールを作り、歴史資料として重要な公文書については、すべて国立公文書館に移管することを定めた公文書管理法。公文書の作成者が省内での保存期間が過ぎた文書を移管するのか、それとも廃棄するのか、あらかじめ設定しておくことが義務づけられました。移管させなければならないと国が指定しているのは、法律の制定、条約の締結閣議の決定などの公文書。こうした枠組みに入らない文書の価値をどう評価するのか、判断が難しいケースもあるといいます。平成24年度に長良さんたちが移管したのは、年金積み立てに関する報告書や食品衛生に関する会議の議事録など324件。まだおよそ3万件の公文書の価値を判断できていません。
厚生労働省 情報公開文書室 長良健二室長 「やっぱり文書量全体が多いので、それなりの分量があって。なかなか組織として判断に迷うような書類も、特に昔の文書ではあるようです。」
歴史的価値のある公文書の保存を巡って始まった試行錯誤。近現代史が専門の東京大学の加藤陽子教授は、日本はこれまで欧米諸国に比べ、公文書の管理に関する意識が低かったと指摘します。沖縄返還の費用の負担を巡る、日本とアメリカの密約。その外交文書は日本には保存されていません。近年も防衛省で3万4、000件の秘密文書が、防衛省だけの判断で廃棄されていたことが分かりました。
東京大学 加藤陽子教授 「国民の信託を受けて、国がさまざまな活動をやっている。その活動の記録がそもそも残されていなかったら、国民は生きた証しがなくなるわけです。今までそれが出来なかったということで、国家的な損失は大きかったんじゃないか。」
公文書管理法では、重要な公文書が誤って廃棄されないための仕組みも設けられました。各省庁が廃棄とした判断が正しいかどうか、内閣府の職員が審査。それによって移管に変更することを可能とする仕組みです。各省庁が廃棄とした公文書は、どのように審査されているのか。
内閣府の公文書管理課です。年間230万件以上に上る多種多様な公文書を、4人で確認しています。膨大な量を審査するため、文書の中身まで確認することはほとんどできないといいます。判断の根拠としているのは省庁が作成した目録です。ここには秘密文書扱いされていたかどうかなど、文書の詳細は記されていません。
内閣府 公文書管理課 小熊利彰さん「(秘密文書だったか)特にわかりません。それは歴史公文書かどうかというところに関して、特にそれを見て判断してないので全く載っておりません。」
平成24年度、歴史的資料として重要だとして国立公文書館に移管された公文書は1万件。廃棄された文書は231万件に上りました。各省庁が廃棄とした文書が、保存に変更されたケースはほとんどありませんでした。
どう残す歴史公文書 自治体の模索
一方、国に先駆けて独自に公文書の保存を進めてきた自治体もあります。神奈川県は、県民の要望を受けて20年以上前から公文書の保存に取り組んできました。県庁での保存期間が過ぎた公文書は、すべて県立公文書館がいったん引き取る仕組みを設けています。その数は年間20万件。その中からどの文書を歴史資料として公文書館で保存するか、13人の担当者がすべての文書に直接目を通して判断しています。この日、保存することに決めたものの1つが、保健福祉局の文書でした。神奈川県は、国の3倍以上の割合で公文書を保存しています。
神奈川県立公文書館 薄井達雄副主幹 「子育て支援という、現代的な非常に重要な課題についての新たな県の事業。 保存するということでいいんじゃないでしょうか。」
問われる公文書管理 歴史資料をどう残すか
国の公文書管理について、有識者会議のメンバーとして提言を行ってきた学習院大学の保坂裕興教授です。国が重要な公文書の保存を徹底していくためには、さらなる体制の整備が必要だと考えています。
学習院大学 保坂裕興教授 「基本的な材料の公文書が失われてしまうことになって、過去に起こったことが検証できなくなるということが起こってしまう。体制を増強していくということに取り組んでいかなければいけない段階だと思います。」
問われる公文書管理 歴史資料をどう残すか
ゲスト牧原出さん(東京大学教授)
── 1、400万件の中から重要なものを選ぶのは大変な作業では?
確かに、公文書管理法が出来て、各省を通じて統一的なルールが出来たっていうことは、非常に大きな前進だと思います。ただ、先ほどの神奈川の県立公文書館のように、一件一件を公文書館の職員が見るという話じゃないと。となると、やはり歴史的に重要な公文書をきちんと拾い上げることができるのか、これはまだまだ課題は大きいと思います。
── 何をもって重要とする?
これまで、やはり公文書として残ってきたものは、例えば閣議決定の最終文書であるとか、法律として最終的に残ってきたものだとか、あるいは途中の段階でも、法律の条文の案であるとか、そういうものが多いですね。それに対して歴史的な検証に必要なのは、どうしてそういう案が出来たかっていう、そのプロセスを示す文書です。ですから、ある種のメモみたいなものであるとか、打ち合わせのときの決定された資料であるとか、そういったものも大事なんですけれども、これが残っていかないと、なかなかやはり歴史的に検証するのは難しいと思います。 (経緯が大事?)そうなんですよね。どうしてそうなったかということを示すためには、先ほどあったように、これまでのカテゴリーに入らないような文書というものも、きちっと残していくという、やはりそういう仕組みを作っていただきたいと思います。
── 公文書管理が徹底されていない背景には何がある?
やはり日本の場合には、沈黙は金であるとか、しゃべらないとか、残さないっていう組織文化があって、やはりそういう文書を残しにくいというのがあったと思います。それからやはり、行政官というのは、自分が行ってきたことは全体の部分であって、それは部分であるから、それはあまり重要でないんだということで、やっぱり残そうとしないっていう、そういう傾向があったということもあります。それから、これまでも過去の政策決定が重要な省庁で、やはり公文書を保存していたということもあるんですね。ただ、それはあくまでも行政の執務のためであって、国民のためという意識がなかった。それによってやはり資料が残りにくかったというのがあると思います。 (本来は一つ一つの決定が歴史を作っていて、その文書というのは行政官のものではなく市民のもの?)そうですね。やはり、それは民主主義の伝統というものであって、それをこれから作っていくということは課題なんだと思います。
── 誤って重要なものが廃棄されないかという懸念もあるが?
そうですね。確かに公文書管理法が先に制定されていたということで、その枠組みの中で、特定秘密を扱うのは大きいと思いますけれども、その特定秘密がきちんと保存されるかどうかということは、これからしっかりと監視していかなければいけないと思います。 (そのためには第三者的なまなざしが大事?)やはり第三者機関をしっかり作ってですね、それを監視していくということですね。さらには、マスメディア、国民がやはり監視していくということも、欠かせないと思います。
公文書は市民のもの フランスの理念
200年以上前から、公文書の保存と公開に力を入れてきたフランスです。先月(9月)、歴史教育の一環として公文書館の見学会が行われていました。週末に行われたこの見学会には、1万2、000人近くの市民が訪れました。
見学に訪れた人 「公文書は我が国の記憶そのものですね。文書には国を築き上げた人々の歴史が詰まっています。とても感銘を受けます。」
見学に訪れた人 「文書が捨てられたら過去の出来事が失われてしまう。文書を大切に残していくことは、すばらしいことです。」
フランスは公文書の管理に日本の3倍、年間およそ60億円を費やしています。去年(2013年)は、300億円以上かけて国内3か所目となる公文書館を建設しました。こうしたフランスの公文書管理は、市民がそのコストを引き受けることで構築されてきました。主権は国ではなく国民にあるとした、18世紀末の人権宣言。以来、歴史的価値を持つ公文書は国だけのものでなく市民のものだという意識が形成されてきたのです。
国立古文書学院 ブノワ・デルマス名誉教授 「人権宣言によって、民主主義の基礎が築かれました。市民が国家の文書にアクセス出来るようになり、民主主義的な権利を手に入れたのです。」
重要な公文書を適切に保存していくためにフランスが重視しているのは、文書管理の専門職・アーキビストの育成です。アーキビストになるためには、法律や国家制度の歴史など、数年間、専門教育を受ける必要があります。
国立古文書学院 校長 「みなさんは将来、国の根幹を担っていくのです。」
あらゆる分野の公文書の価値を的確に評価できるようになるためです。
フランス 公文書管理局 エルヴェ・ルモワンヌ局長 「アーキビストはハイレベルな情報の科学者、情報の歴史家なのです。将来どんな文書が必要になるかを判断するという、圧倒的な重い責任が彼らの肩にかかってくるのです。」
養成されたアーキビストのうち800人が、政府の公文書管理局から省庁などに派遣されます。各省庁に所属しているアーキビストとチームを組み、第三者の視点で文書管理の徹底を図ります。各省庁で誤った廃棄が行われていないか、厳格に判断するのです。
アーキビストのマリーエロディ・ブノワさんです。ブノワさんは、厚生労働省の職員に文書管理について指導しています。どのような公文書が歴史的に意味を持つのか、アーキビストには前例にとらわれない柔軟な発想で判断を下すことが求められます。この日ブノワさんが注目したのは、職員がいったん廃棄とした公務員試験に関する文書でした。
アーキビスト マリーエロディ・ブノワさん「この文書は公務員の学力レベルの研究に役立つ貴重な資料になるでしょう。」
合格者の点数が記されたこの文書は、国家公務員の学力の変化を測る統計資料として大きな価値を持つと判断したのです。
指導を受けた職員 「アーキビストの指導がなければ、重要な文書を廃棄してしまうところでした。」
アーキビスト マリーエロディ・ブノワさん「現場で職員にしっかり説明して指導することによって、重要な文書が廃棄される可能性はほとんどなくなります。」
さらに別のアーキビストが、ブノワさんの判断を異なる視点でチェックします。フランスで歴史的な価値を持つとして各省庁から公文書館に移管されるのは、公文書全体の20%にも上ります。
フランス 公文書管理局 エルヴェ・ルモワンヌ局長 「国民が情報を知りたいと思えば、入手出来るようにする。これは我々の民主主義が機能する上で非常に大切なことです。そのためには公文書管理をめぐるコントロール体制を築き、必要な予算やコストを負担することも重要となるのです。」
公文書管理 何が問われているのか
── 公文書を巡る日本とフランスの意識の違い
まずフランスは、日本と同じで単一主権国家であって、連邦制の国家じゃない。アメリカやカナダやオーストラリアは連邦制ですけど、日本やフランスは違います。その場合には、やはり中央政府に非常に大きな大量の公文書がやはり集まるんですね。これを処理するためにはそのための仕組みが必要で、それが今、フランスであったように、専門家=アーキビストが各省庁に入って、そこで文書をチェックする、何を残すか決めていくという仕組みなんです。ただフランスでも、やはり第2次世界大戦でドイツに占領されたりとか、いろいろなう余曲折がある中でこの仕組みを作っていって、それが今機能しているという意味では、長い時間をかけて、この仕組みを作っています。 日本も、やはりこのフランスから長い時間をかけて、そういう仕組みを作るということを学ぶべきなのが1つと、それからやはり長い時間、例えば200年かけて、公文書の仕組みを作るということの背後にあるのが、やはり民主主義の伝統なんですよね。これも日本はフランスから学ぶべきところが多いと思います。 (はっきりと民主主義を機能させるためには、公文書がきちっと保存・管理されなければいけないという意識が徹底している?)そうですね。 国民があれだけ関心を持っているわけですからね、それは日本の国民もそういうところを学んで、ぜひ公文書管理に関心を持っていってほしいと思いますね。
── アーキビストのような専門家が省庁にいることが当たり前になるべき?
やはりきちんとした移管をするためには、その早い段階から、文書の選別が必要です。そこには、やはり専門家が入らざるをえないんですよね。ただ、どういう専門家が必要かとなったときに、まだ日本は体制がぜい弱です。 専門家の数が少ない。それだけじゃなくて、やはり彼ら、彼女たちは、各省と交渉するための交渉力がなきゃいけないし、そのために専門家として尊敬される人たちじゃなきゃいけない。その人たちをこれから時間をかけて育成していくということが、大事だと思います。
── 日本にとり、公文書の管理が適切に行われる意味とは?
やはり低成長時代になって、政策決定が難しいような問題がすごく増えていると思うんですよね。もう年金とか、財政だけじゃなくて、環境問題、それから災害とか、安全保障。こうした領域に日本がぶつかるというのは、これはもう日本は世界のフロントランナーであるわけで、その日本がどうして決めたかということは、世界にとっても意味があるし、そしてなんといっても次世代に対する責任、説明責任ではないかなと思います。
── 次世代の人たちが検証できるようにしなければいけない?
そのためにいろいろ検証したうえで、新しい問題に次世代の人が取り組んでいく。それを残す責務が、私たちにはあるんじゃないかと思います。 

 

●なぜ公文書が “後進国”ニッポンの実像 2018/4 
財務省による決裁文書の改ざん、自衛隊の日報問題。国会では、民主主義の土台を揺るがしかねない重大な事態だとして、野党側からは安倍政権の退陣を求める意見まで出ています。いま国の中枢で何が起きているのか、なぜいま問題が相次ぐのか、取材を進めていくと、「公文書管理は後進国」と言われても仕方のない日本の姿が見えてきました。
1日、1万ファイル
271万という数字、何か分かりますか? 平成28年度の1年間に国の行政機関から生み出された公文書=行政文書のファイル数です。日々、1万を超えるファイルが作られている計算になります。ファイルの中には多くの行政文書が含まれていて、1日に作成される行政文書の数でいえば、この数倍にのぼるとされています。
「行政文書」とは、簡単に言うと行政機関で作成された公文書です。行政機関の職員が職務上作成し、組織で共有され、使用・保有している文書と定義されています。
情報公開の対象となり、内容に応じて一定の期間保存しなければなりません。
そうしたルールを定めているのが「公文書管理法」ですが、この法律が施行されたのは平成23年。まだ施行から10年もたっていない新しい法律です。
「不適切」で生まれた法律
10年ほど前、厚生労働省で、血液製剤によってC型肝炎に感染したとみられる患者のリストが省内の倉庫に放置されていたり、防衛省で、保存期間を終えていない航海日誌の一部が廃棄されたりするなど、政府の不適切な文書管理が相次いで明るみに出ました。
これを受けて、平成20年、当時の福田総理大臣が「公文書管理法」の制定を指示し、それまで役所ごとにバラバラだった行政文書の作成や管理の方法に初めて統一的なルールが設けられたのです。
公文書管理のルールは3段階
行政文書の管理ルールは大きく3段階に分かれています。
1最も基本的なルールは公文書管理法です。公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ、歴史資料として重要な文書は保存期間の終了後、すべて国立公文書館に移管することなどが定められています。
2公文書管理法に基づいて、国の行政機関が行政文書を作成・管理するための指針として「ガイドライン」が定められています。
ガイドラインには、行政の意思決定を検証するために必要な文書は経緯を含めて作成することなどが明示され、法律制定時に作られる文書は30年保存するなど、1年以上保存すべき主な文書の類型や保存期間の例が示されています。
3このガイドラインに沿って、各府省庁は、保存する文書の種類や期間などの文書管理規則を作り、行政文書の管理を行っています。
それなのに廃棄 理由は「内規」
森友学園への国有地売却をめぐる問題では、財務省が交渉記録を1年未満で廃棄していたことが問題視されました。しかし、財務省の内規では、交渉記録は1年以上保存する文書の区分に入っておらず、1年未満で廃棄できるとされていたため、こうした対応が可能となっていました。
また、防衛省の南スーダンとイラクの日報の問題でも同様の課題が指摘されています。
いずれの日報も、財務省と同様に、内規で1年未満で廃棄できることになっていたからです。国会などで「ない」と説明していたものが発見されたため問題となっていて、公文書管理法上は、仮に完全に廃棄されていたら問題とはならないのです。
一方、イラクの日報をめぐっては1年程前に発見されていながら、当時の防衛大臣にも報告していなかったことも発覚し、シビリアンコントロールが機能していないのではないかという別の問題もはらむ結果となっていて、徹底した原因究明が必要となっています。
ルールは改訂されたが…
森友問題、日報問題で見えてくる課題は、財務省、防衛省ともに内規で、1年未満で廃棄できる文書として、交渉記録も日報も分類できたことです。
公文書管理法では、行政文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ、適正な保存を求めています。
しかし、実際の運用は各府省庁に任せられているため、国会では大きな議論となりましたが、1年未満で廃棄していたことは法令上、問題のない行為になるのです。
政府は、こうした事態を踏まえて、去年12月、ガイドラインを改訂し、◇1年未満で廃棄してよい文書を例示したうえで、◇日常的な業務連絡でも重要な情報を含む場合は1年以上保存することなどを明記しました。
あわせて各府省庁の文書管理規則も見直され、◇財務省では、行政運営が適正かどうか検証に必要な文書は原則、1年以上保存することになったほか、◇防衛省では、PKOなど自衛隊の活動に関する日報を10年保存することになりました。
同じ内容が別の文書に!? 構造的問題
各府省庁は、4月1日からこの規則の運用を始めることにしていましたが、その矢先、財務省の決裁文書改ざんが、続いてイラクの日報問題が発覚しました。
安倍総理大臣は、それぞれの問題の徹底究明を行い課題を明確にした上で、公文書管理法の改正も含めて対応を検討する考えを示しています。同時に、改ざんへの対策として、コンピューター上で管理することで、いつ文書が更新されたかが検証できる電子決裁システムへの移行を加速することにしています。
ただ霞が関では、早々に「膨大な行政文書を正確に把握することは難しい」という声も漏れています。それは、なぜか?。これも森友学園をめぐる問題から見えてきます。
ことし2月、財務省近畿財務局は、国会に対して、森友学園との土地の賃貸借契約の法律上の問題点を検討した経過記録を提出しました。
経過記録の中には、森友学園が国に対して、土地の貸付料の減額要請などを行っていたという、当時、国会に示されていた決裁文書には記載されていない事実が書かれていたのです。野党側は、「1年未満で廃棄していたはずの交渉記録が残されていた」と追及を強めました。
これに対し財務省は、「交渉記録に関連する文書だが交渉記録とは考えていない」と答弁しました。非常に興味深い答弁です。
財務省は、交渉記録の内容は載っているが、別の文書に記載があるだけで、交渉記録ではないと主張しているのです。
つまり古い公文書をもとに新たな公文書が次々と作成されていくと、古い文書の内容が含まれていても全く別の公文書になっていく。表題も変わることが少なくないため、直接の担当者でなければ見つけるのも困難になってしまうのです。
一方、財務省は改ざんという大きなリスクを冒しながら、あちこちに改ざんの事実を示す証拠をみずから残していたことにもなるわけです。
新ルールで問題が起きない?「甘い」
新たな規則の運用が始まった4月2日、内閣府のある課長は「新たな規則で問題が起きなくなると考えるのは甘い」と指摘しました。
確かに新たなガイドラインで、1年未満で廃棄されていたような日常的な業務連絡も、行政運営の検証に必要とされる重要なものは1年以上保存するなど、行政文書がより多く残るように指針が示されています。
ただ、どの文書を1年以上保存するのか、またどの文書を1年未満で廃棄してよいのかの判断を、1人ひとりの職員や各府省庁に実質的に委ねる仕組みはかつてのままなのです。
「個人メモ」という隠れみの
さらに、この問題を取材しているとよく聞くことばがあります。「個人メモ」という言葉です。ある中央省庁の職員は、財務省の改ざん問題について、「なぜ経緯などが細かく記された決裁文書を残したのだろうか。自分だったら『個人メモ』にとどめておくのに」と述べていました。
行政文書は、はじめに起案者である職員が文書を作り、最終的に組織として決裁されますが、多くは文書を作り始める前に周到な根回しが行われます。
このため詳しい経緯や利害関係者の発言などが書かれた資料は根回しの時点での「個人メモ」でしか残っていないこともあるといいます。
決裁文書の改ざんなどを受け、霞が関では、経緯などを行政文書で残すことを危険と考え、情報公開請求の対象にならないように「個人メモ」で残すケースが増えることを懸念する声もあります。
そうなれば、政策決定の過程を知るための重要な資料が国民の目に触れずに消えてしまうのです。
「働き方改革」に逆行の事態が…
一方で、行政文書の管理に関するルールを厳格にすることで生じる官僚たちへの負担の増加で、結局は同じ過ちを繰り返すことになるのではないかと指摘する専門家もいます。
各府省庁では、職員たちが自分が送受信した電子メールの中から、意思決定過程の検証に必要なものを選び出す作業が新たに始まっています。これは運用が始まった新たな規則で、そのようなメールについては自らの手で共有のフォルダに移して保管することになっているからです。
ある官僚は「まめに行うのは大変なので、ある程度の数がたまった時点でまとめてやるしかない」と話していました。
また先の証人喚問で、佐川前国税庁長官は、去年の国会での自らの答弁を振り返り、「連日国会で質問をもらい、事務方は連日連夜答弁の資料を作っていた」と説明する場面もありました。
国権の最高機関、国会の議事録は、公文書中の公文書、歴史的な文書となります。ですからここで誤った答弁をすることは大問題となるのは当然です。官僚は前日までに出される国会議員からの質問を受けて、それに対する答弁を夜を徹して作成しています。質問が提出されるのが遅くなれば、官僚の作業もそれだけ後倒しになります。こうした業務に忙殺される官僚に対して、行政文書を適正に保存するため、さらに新たな業務が追加されているわけです。
働き方改革が叫ばれ、長時間労働の是正の必要性が強く指摘されていますが、霞が関では労働強化とも言える事態が進んでいるのです。行政文書の適正管理は当然ですが、業務のスクラップや効率化を進めず、定員も増やさないということであれば、同じ過ちが繰り返されるのではないかという懸念も浮上してきます。
「黒塗り」は変わらないか
さらに行政文書が保存され情報公開の対象となっているからといって、すべての内容が検証できるわけではありません。
ご覧になった方も少なくないと思いますが、情報公開請求で文書が公開されても、多くの部分が不開示情報として黒塗りになっていることがあるのです。
不開示とできる基準は、情報公開法で、◇特定の個人を識別出来る情報、◇公共の安全・秩序の維持に支障を及ぼす情報、それに◇審議中で意思決定の中立性を害するおそれがある情報などとされていて、これらの基準に沿って各府省庁が判断しています。
森友学園をめぐっては、そもそも学園側の求めに応じて土地の払い下げ価格が不開示とされ問題となりましたが、財務省が不開示にしていた情報が学園側の意思表示で一転、開示されるという奇妙なことまで起きました。
各府省庁での保存期間が終了し、歴史的な公文書として国立公文書館に移管された後は、開示するかどうかは公文書館が判断することになりますが、この場合も所管していた府省庁の意見が考慮され、不開示情報として黒塗りされることがあります。
つまり行政文書を開示するかどうかの判断に第三者が関わる余地が少なく、文書を作成した府省庁の意向が大きく働く仕組みになっているのです。
“先進国”ではヒラリーも「ルール違反」
こうした課題に各国はどう対応しているのか、公文書管理の先進国とされるアメリカの取り組みを調べてみました。
アメリカでは、例えば大統領などがホワイトハウスで残したメモは、個人的な走り書きでも、すべて公文書として保存される制度があります。
公文書管理の中心を担うのがNARA・国立公文書記録管理院です。NARAは、各省から独立した行政機関で、その長は大統領が直接任命します。
2014年には、「連邦記録法」が改正され、政府機関のすべての行政文書について、NARAが保存や管理の責任を負うことが明記されました。
NARAにはおよそ3000人の職員が所属しています。
大学で文書管理に関連する専門的な教育を受けた専門家が多数在籍し、各省がどのような文書を、どの程度の期間保存するか申請を受け付けて承認することになっているほか、各省の文書管理が適切に行われているか査察を行う権限も持っています。
また改正「連邦記録法」では、行政機関の職員は公務で電子メールを使用する場合は、原則公用アカウントを使うことが義務付けられ、違反した場合は懲戒処分の対象とされています。行政機関の高官に対しては、公用のアカウントでやりとりしたすべての電子メールが自動的にNARAが管理するサーバーに保存される仕組みも導入されつつあります。
おととしの大統領選挙で、民主党のヒラリー・クリントン候補が、国務長官時代に公務で私用のアカウントからメールを使用していたと批判されたのも、こうしたルールに反していたからです。
では、どうするべきなのか
現在、日本で公文書管理に携わる政府の担当者は、国立公文書館や内閣府の公文書管理課の職員などを合わせても150人程度です。
アメリカと同じような3000人規模の組織を作るのには、専門的な人材の育成も必要で膨大なコストがかかります。
まず今できる対策は何か、公文書管理委員会の委員を務める、歴史学者で学習院大学学長の井上寿一さんに話を聞きました。
井上さんは「公文書を扱う人たちがどこまで行政文書の重要性を認識しているのか心もとない。各省庁が重要な案件に追われて政策決定をしていく中で、文書を残す、きちんと管理するということをどうしても後回しにしている」と述べました。
そして井上さんは、現状でもできることとして、内閣府の公文書管理委員会の機能を強化し、各府省庁の文書管理の取り組みについて、定期的に検査を行うことなども1つの策ではないかという考えを示しました。
さらに井上さんは、法整備だけでなく、内部通報制度の活用も重要だと指摘しました。
公文書管理法施行の5年前となる平成18年、公益通報者保護法が施行され、各府省庁では、職員が、違法行為などを見つけた場合は外部の弁護士などに通報でき、通報によって不利益を被らない仕組みが整備されています。指摘は、この制度が有効に活用されれば、改ざんも防げた可能性があったのではないかというものです。
井上さんは、「かつて日本は戦争に負けた時に公文書を次々と燃やした。ところが東京裁判がはじまると、『なぜあの資料を燃やしてしまったんだ』、『あれが残っていればもっと自分を弁護できたのに』と後悔した人たちがいたという記録も残っている」
「政策決定に関わる官僚も、自分の意思決定に自信をもって、後世の歴史家や国民の評価に耐えうるような文章を残しておくよう、積極的な意思をもって管理にあたってほしい」と話していました。
官僚批判だけでは解決しない
取材で話を聞いた中央省庁の職員からは、文書を残すと政策判断のミスなどを後で指摘されるおそれがあり、「かえって損だ」という意識があるようにも感じました。
しかし、井上さんも指摘したように、文書を残しておけば、みずからの判断が正しかったという証明にもなるのです。
取材を通して、日本は公文書管理の歴史が浅いこともあり、「公文書管理では後進国」と言われても仕方がない実態が見えてきました。官僚に批判が集中していますが、公文書管理法を制定したものの、政治の側が運用を官僚任せにしてきたのもまた事実です。
公文書管理と情報公開の徹底は、健全な民主主義を育てる上で重要なことは与野党ともに論を待たないところです。引き続き、問題の再発防止に向けた対応を取材したいと思います。  

 

●公文書とは何か…「薬害エイズ事件」の文書が与えた大きな影響 2019/7 
「公文書」をめぐる30年
2016年の現上皇の退位発言を受けて天皇退位の議論が始まり、2017年6月に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立。天皇の代替わりが決まったこの時期、政府の公文書管理に対する不信感を招く問題が相次いだ。
2017年に入って間もなく、財務省が森友学園交渉記録を、陸上自衛隊が南スーダンPKO派遣日報を、いずれも1年未満保存文書のため短期間で廃棄済みだからないとして大問題に。
結局、のちに短期で随時廃棄できる1年未満という保存期間を悪用して、存在する公文書の隠ぺいを図っていたことが発覚して、さらに大きな問題になった。
加計学園問題では、獣医学部新設を推進したい内閣府が「総理のご意向」などと言ったと記録された文科省から流出した文書を「怪文書」とする菅官房長官の発言を受けて、公文書とは何かに関心が集まった。
そして、森友学園では決裁文書の改ざんという前代未聞問題も発生。何が公文書なのか、その公文書はどう管理されるべきなのかという、公文書管理法も制定された今になって、基本的なことが問われることになった。
1989年から続いた「平成」という時代を「公文書」から見ると、10年ごとに大きな変化があったと言える。
最初の10年間で、「公文書」とは何かという枠組みが整理され、次の10年は、1999年に制定された情報公開法によって外部から情報公開が求められるようになり、何を公文書として残すかが意識されるようになる。
それまでは行政内部の必要性で文書が残されていたが、公文書と個人メモ、個人文書をわけることが意識的に行われるようになる。
最後の10年は、2009年の公文書管理法制定によって、公文書が「国民共有の知的資源」と位置付けられる一方で、一定の法的義務が管理に発生するため、何を公文書として残すか、何を公文書とするかがこれまで以上に重い問題になった。同時に、政府の公文書管理が社会的関心の対象にもなった。
平成が終わった2019年は、情報公開法制定から20年、公文書管理法制定から10年の節目でもある。30年かけてたどり着いたのが、政府の公文書管理への不信感が募るさまざまな問題の発覚であった。
情報公開制度や公文書管理制度の動きをこの大半の期間、同時代的にその一端を見て、時にはその一部にいた筆者としては、何を変えられなかったのかを振り返る必要性を感じている。
そこでまず、今の「公文書」という考え方が、どのように形づくられたのか、最初の10年を振り返ってみたい。
公文書とは何か
今、何かと問題になっている「公文書」の定義を法で定めたのが、情報公開法だ。
それまでは、公文書とは何かについての政府共通認識はなかった。省庁がそれぞれ定めた文書管理規程や文書取扱規程で、一定の管理の対象として文書を定めており、範囲はまちまちだった。
各省庁内での必要性や慣行によって、管理の対象とする文書の範囲を定めれば足りていたのは、公文書を公開するとか、社会の共有財産として利用・管理・保存するなど、政府の外との関係で公文書の扱いを考える必要もなかったからだ。
ところが、情報公開法は政府内部にある文書を外に公開させていく仕組みなので、法制化すると今までと同じようにいかなくなる。
情報公開請求に応じてどの範囲の文書を探せば法的義務を満たしたことになるのかという線引きが必要になり、その文書を管理する仕組みにしておかないと混乱する。
そこで、情報公開請求の対象として「行政文書」を定義し、これを管理する仕組みとしたのである。
「行政文書」の定義を検討したのは、行政改革委員会行政情報公開部会(部会長は元最高裁判事で法制局長官だった角田礼次郎氏)だ。
1994年に行政改革委員会設置法が、情報公開法を含む制度の調査審議を行い2年以内に内閣総理大臣に意見具申をすると定めたため、情報公開法を専門的に検討するために設置された。
部会では、文書管理規程で文書の範囲がバラバラな状態のままでは適当ではないという認識のもとで、請求対象をどう定めるかが議論されていた。
当初は、バラバラな文書の範囲の接点を見出して文書の範囲を定めることも検討され、決裁等の一定の手続を経た文書を請求対象とするような考え方の整理もされた。
しかし、この方針を捨てて、情報公開法の趣旨・目的に照らして請求対象とする文書の範囲を定める考え方に整理されることになった。
薬害エイズ事件の「郡司ファイル」
このような方針変更は、1995年1月から3月の間に起こった。ちょうどこの期間に明らかになったのが、薬害エイズ事件の「郡司ファイル」だ。これが、行政文書の定義の議論に、少なからず影響を与えることになる。
薬害エイズ事件は、1982〜1985年にかけてHIVウィルスに汚染された非加熱の血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を使った血友病患者がHIVに感染し、エイズを発症し亡くなった患者も出た薬害事件だ。
日本の血友病患者の約4割が感染したとされ、HIVウィルス感染者への社会的偏見、感染告知が遅れたことで発病予防の治療も受けられず、二次感染、三次感染も起こり、大きな社会問題になった。
これが社会問題化として認知されるようになった契機は、裁判だ。
非加熱製剤の危険性を認識しながら製薬会社は販売し、厚生省が認可したことに対する損害賠償請求の裁判が、大阪と東京で提訴された。平成に入ったその年の1989年のことだ。責任の有無の争点の一つになっていたのが、いつ、厚生省が非加熱製剤の危険性を知ったのかだ。
訴訟は長期化し、東京地裁の和解勧告が不調に終わったところで行われたのが、厚生省内での情報探索だ。1996年1月に当時の菅直人厚生大臣が、省内に薬害エイズ調査班を設置して行われた。
そのとき見つかったのが、郡司ファイルだ。1983年に血液製剤の原料である血液を輸入していた米国でのエイズの流行を受けて、エイズ研究班が立ち上げられた当時の厚生省薬務局生物製剤課長だった郡司篤晃氏が作っていたファイルなので、この名がついている。
東京地裁と大阪地裁の裁判が結審し、和解案が提示されていた1996年2月、菅厚生大臣が省内に薬害エイズ原告団を招き入れる。そこで、原告団に「郡司ファイル」を見せ、厚生省内の倉庫で見つかり、1983年当時、厚生省内に非加熱制裁が危険という認識があったと謝罪した。
当時、郡司ファイルについてわかっていたのが、1郡司課長(当時)が作ったファイルであること、2厚生省の書庫という共有スペースに保存されていたこと、3ファイル内には政府の政策判断に係る経緯や内容が含まれているようであること、の3点だ。
先行して情報公開条例を制定していた自治体の多くが、決裁や供覧という一定の手続を経た文書のみを請求対象にしており、情報公開法も同様の請求対象文書の範囲にすると、郡司ファイルは外れるだろうと指摘されていた。
ファイルは、厚生省課長が職務上作成しているが、決裁や供覧といった内部の一定の手続を経ておらず、書庫に放置され、その存在が内部で必ずしも把握されていたわけではなかった。
そこで、この郡司ファイルが、情報公開法での情報公開請求の対象になるのかが、注目されるようになる。
公文書管理の基本はこうして生まれた
部会での検討の経緯を筆者の手元にある当時の部会資料をもとに見ていくと、1995年12月22日開催の第30回部会で配布されていた「これまでの検討結果の整理のためのメモ(案)」では、情報公開請求対象文書の範囲は、「決裁・供覧等の手続が終了したものを対象とする。(決裁・供覧等の概念が明確になるよう留意する)」とされていた。
1996年1月21日の第31回部会の会議でも、「決裁等の概念を明確にした上で、決裁等の手続が終了したものを対象とする」とした「情報公開法についての検討方針(案)」が資料として配布されていた。
その後、部会の下に設けた小委員会が同年1月26日から3月8日まで都合7回開催されている。1月26日付の検討資料では、「対象機関が文書の管理に関し定めるところにより管理しているものをいう」となっており、一定の管理がされている文書を請求対象とする案が検討されていた。
3月に入って2回開催された小委員会で、部会での議論とは異なる「行政文書」の定義案が示される。それが、「行政機関の職員が職務上作成又は取得した文書で、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、行政機関が保有しているもの」だ。情報公開法や公文書管理法で定義されている「行政文書」と同じである。
この小委員会が開催されていた1996年2月に、厚生省で「郡司ファイル」が発見されていたわけである。
小委員会での検討を経た1996年3月22日の第32回部会で検討された「情報公開法要綱案(第1次部会案)」で、この「行政文書」の定義が示された。
これについて角田部会長は、「小委員会で議論した上で、結論としては現在の文書管理規程なり、それに定められている文書の範囲というものに乗っていくというか、その接点を見出す方向というものを捨て、この法律の趣旨・目的に従って情報公開法の対象となるべき文書の範囲を定めるという考え方に変更した」と述べている。
さらに続けて、「なぜ、そのような定義をしたかというと、情報公開法の趣旨が、政府の諸活動の公開性とかaccountabilityというところにあるわけであるから、それに最もふさわしい範囲の文書を対象とすべきであるという考え方に立ったわけである。(略)しかし、従来のように決裁とか供覧とかの形式的な文書管理規程にのっとった概念を捨て、行政機関において組織的に用いられるものとして保有していると言えるものを捉えたということに、変わってきた点が見出せると思う」とも述べた。
一定の管理がされている文書を請求対象とするのではなく、情報公開法で請求対象の範囲を定めて、それに該当するものは行政文書として管理するという発想に立つことになった。この考え方が、今に至る公文書管理の基本になった。
郡司ファイルとは何だったのか
行政文書の定義に少なからず影響した「郡司ファイル」は、1996年当時は重大な文書とされ国が謝罪し和解する理由にもなったが、いったいこの文書が何であったについては、のちに検証され、郡司氏自身も書籍(『安全という幻想: エイズ騒動から学ぶ』)で表すことになった。
ジャーナリストの魚住昭氏が自身のウェブサイトで採録・公開している週刊現代「ジャーナリストの目」でも、郡司ファイルがどのようなものであったのかが触れられている。
それによると、「実は厚生省の新庁舎ができたとき、職員たちは「机の上に物を置くな。日常、使わない物は(新設の)倉庫に入れろ」と指示されていた。その倉庫から見つかったファイルの中身は雑多なメモや新聞記事だった。メモは、課内のスタッフが議論のために書いたのを直ちに捨てるのも気が引けるので、郡司篤晃課長がファイルしておいたものだった」とある。
魚住氏は、「つまり『郡司ファイル』は隠されていたのではなく、単なる『ごみファイル』だったのである」とまとめているが、これは、「行政文書」に関わる議論が濃縮されたような話だ。
郡司氏は部下からメモを示されていたので、部下のメモや参考資料としとして共有されたものは、職務上共用された文書に当たる。
また、ファイルは適切に管理されずに倉庫に放置されていたとしても、共用部分にファイルが保存されていれば、必要な場合に組織的に用いることができるものとして保管されていることになる。郡司氏の意図は関係なく、組織的に用いられる文書としての形式を満たしていることになる。
このような郡司ファイルの状態が、部会での行政文書の定義の議論で多分に意識されていたことを示すのが、行政情報公開部会の部会長代理だった塩野宏東京大学教授(当時)は、情報公開法要綱案発表後すぐの対談だ。
塩野教授は、「わざわざ『用いるもの』と書いてあるのは、その人が忘れていったかどうか主観的なものは問わない。役所という公用物の中にそういったものが置かれてある以上は。それは組織的に用いるものとして見ざるを得ないということ」だと述べている(奥平康弘・塩野宏「対談 情報公開法制定むけて」(『法律時報』1997年1月69巻1号)。
郡司ファイルは、まさに役所という公用物の中に置かれていたものだというわけだ。
1990年代当時、「行政文書」の定義は、自治体の大多数の情報公開条例の請求対象文書の狭さを打破するインパクトがあった。
この定義ができる過程をそれなりに同時代的に見てきた立場として言えるのは、当時の状況では個人メモとの線引きなど危うさはあるものの、反面、自治体情報公開条例並みの狭い範囲にならずに安堵したのは事実だ。
しかし、昨今の公文書管理をめぐる問題を見ていると、意図と目的を持って行政文書としないという運用が政府で見られ、行政文書の定義である「組織的に用いるもの」という考え方が批判の対象になっている。
確かに定義にも課題はあるが、情報公開法の制定や「組織的に用いる」という定義を設けたことであらわになったのは、郡司ファイルの逆説的な教訓化ではないだろうか。
郡司ファイルの特徴を逆さから見れば、余計な文書は残さない、文書をやたらと共用しないし共用スペースで保管しない、個人メモと行政文書の線引きをして分けて管理する、合法的に廃棄できるものは廃棄するといった教訓になる。
情報公開請求の対象文書の範囲を広げる役割を果たした郡司ファイルは、その反面、組織的に用いられる状態に文書を残すことのリスクを、政府内で印象付けたともいえるだろう。
結果的に、その後、情報公開法施行を前に文書の廃棄が始まり、何が行政文書に該当するのかという線引きが問題になるのである。 
 
 
 

 

●内閣府 

 

●内閣府 
日本の行政機関の一つである。内閣の重要政策に関する内閣の事務を助けることを任務としており、同任務を遂行するにあたり内閣官房を助けるものとされている(内閣府設置法第3条第1項及び第3項)。
内閣府の長(主任の大臣)は内閣総理大臣とされるが、内閣総理大臣は自らを助けるものとして内閣府に特命担当大臣を置くことができる。なお、「沖縄及び北方対策担当」、「金融担当」並びに「消費者及び食品安全担当」の特命担当大臣は必置となっている。そして、内閣官房長官は内閣府の事務(国家公安委員会や内閣府特命担当大臣の所掌は除く)の総括整理を担当し(内閣府設置法第8条第1項)、内閣官房副長官は特定事項に係るものに参画する(同2項)。
内閣府の広報誌としては、「広報ぼうさい」(政策統括官(防災担当))、「学術の動向」(日本学術会議)などが部局ごとに存在する。
    お役人 忖度文化誕生の起源
所管業務
内閣府の任務は、内閣の重要政策に関する内閣の事務を助けるほか、「皇室、栄典及び公式制度に関する事務その他の国として行うべき事務の適切な遂行、男女共同参画社会の形成の促進、市民活動の促進、沖縄の振興及び開発、北方領土問題の解決の促進、災害からの国民の保護、事業者間の公正かつ自由な競争の促進、国の治安の確保、行政手続における特定の個人を識別するための番号等の適正な取扱いの確保、金融の適切な機能の確保、消費者が安心して安全で豊かな消費生活を営むことができる社会の実現に向けた施策の推進、政府の施策の実施を支援するための基盤の整備並びに経済その他の広範な分野に関係する施策に関する政府全体の見地からの関係行政機関の連携の確保を図るとともに、内閣総理大臣が政府全体の見地から管理することがふさわしい行政事務の円滑な遂行を図ること」である(内閣府設置法第3条第1項・第2項)。
「内閣補助事務」と呼ばれる一連の所掌事務(内閣府設置法第4条第1項及び第2項)の他、他省庁と横並びの分担管理事務(同条第3項)も所掌している。旧総理府本府、長期経済計画の策定や経済に関する基本政策の総合的な調整、内外の経済動向や国民所得等に関する調査・分析を行っていた経済企画庁、沖縄の経済振興や開発に関する事務を行った沖縄開発庁の業務を中心としているが、旧総務庁、旧科学技術庁、旧国土庁の業務も引き継いでいる。
遍歴
2001年(平成13年)1月6日、中央省庁再編に伴い、内閣(事実上内閣官房を含む)主導により行われる政府内の政策の企画立案・総合調整を補助するという目的で新設された。内閣に設置されていること、特命担当大臣と呼称される複数名の国務大臣が置かれていること等が他省庁との相違点である。
当初は「行政事務を分担管理する組織であり、内閣自体の組織ではないため、名称を「内閣府」とするのは適切ではない」と疑問視されていた。
国家行政組織法は適用されず、必要な事項はすべて内閣府設置法に規定されている。 重要な政策課題の多くが府省横断的な対応を要することから、内閣府設置以降、多くの業務が集中している。 認定こども園の制度を所管するようになるなど、存在感を増す一方で、その肥大化も指摘されるようになった。内閣府設置当初6名だった特命担当大臣も、2019年4月現在、9名を数えている。第3次安倍内閣では業務の見直しとして「内閣の重要政策に関する総合調整等に関する機能の強化のための国家行政組織法等の一部を改正する法律」が成立し、今後の各省庁への事務移管等が定められた。
組織
内閣府の内部組織は、一般に、法律の内閣府設置法、政令の内閣府本府組織令及び内閣府令の内閣府本府組織規則が階層的に規定している。
内閣府の組織の多くは東京都千代田区永田町一丁目6-1の内閣府庁舎及び中央合同庁舎第8号館に所在する。ただし、地方分権改革推進室、消費者委員会事務局、国際平和協力本部事務局等は千代田区霞が関三丁目1-1の中央合同庁舎第4号館に、大臣官房番号制度担当室等は千代田区霞が関二丁目1-2の中央合同庁舎第2号館に、地方創生推進事務局等は千代田区永田町一丁目11-39の永田町合同庁舎に所在し、その他にも大手町合同庁舎第3号館や経済産業省別館、民間ビル等に分かれて所在している。
   幹部
内閣総理大臣(内閣府設置法第6条)
内閣官房長官(同法第8条第1項)
内閣官房副長官(同条第2項) - 3人
内閣府特命担当大臣(同法第9条第1項)
内閣府副大臣(同法第13条第1項) - 3人(加えて、他省の副大臣を内閣府副大臣併任とすることができる。同条第2項)
内閣府大臣政務官(同法第14条第1項) - 3人
内閣府大臣補佐官(同条第2項) - 6人以内(必置ではない)
内閣府事務次官(同法第15条第1項)
内閣府審議官(同法第16条) - 2人
   内部部局等
内閣府大臣官房(内閣府本府組織令第1条、第10条)  / 総務課/人事課/会計課/企画調整課/政策評価広報課/公文書管理課/政府広報室
政策統括官(経済財政運営担当)
政策統括官(経済社会システム担当)
政策統括官(経済財政分析担当)
政策統括官(科学技術・イノベーション担当)
政策統括官(防災担当)
政策統括官(原子力防災担当)
政策統括官(沖縄政策担当)
政策統括官(共生社会政策担当)
独立公文書管理監(同令第1条)
賞勲局(同令第1条、第21条) / 総務課
男女共同参画局(同令第1条、第24条) / 総務課/調査課/推進課
沖縄振興局(同令第1条、第28条) / 総務課
   重要政策に関する会議
経済財政諮問会議(内閣府設置法第18条第1項)
総合科学技術・イノベーション会議(同項)
国家戦略特別区域諮問会議(国家戦略特別区域法)
中央防災会議(災害対策基本法)
男女共同参画会議(男女共同参画社会基本法)
   審議会等
宇宙政策委員会(内閣府設置法第37条第1項)
民間資金等活用事業推進委員会(民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律)
日本医療研究開発機構審議会(国立研究開発法人日本医療研究開発機構法)
食品安全委員会(食品安全基本法)
子ども・子育て会議(子ども・子育て支援法)
休眠預金等活用審議会(民間公益活動を促進するための休眠預金等に係る資金の活用に関する法律)
公文書管理委員会(公文書等の管理に関する法律)
障害者政策委員会(障害者基本法)
原子力委員会(原子力基本法、原子力委員会設置法)
地方制度調査会(地方制度調査会設置法)
選挙制度審議会(選挙制度審議会設置法)
衆議院議員選挙区画定審議会(衆議院議員選挙区画定審議会設置法)
国会等移転審議会(国会等の移転に関する法律)
公益認定等委員会(公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律)
再就職等監視委員会(国家公務員法)
退職手当審査会(国家公務員退職手当法)
消費者委員会(消費者庁及び消費者委員会設置法)
沖縄振興審議会(沖縄振興特別措置法)
規制改革推進会議(内閣府本府組織令第31条)
税制調査会(同条)
   施設等機関
経済社会総合研究所(内閣府本府組織令第34条)
迎賓館(同条)
   特別の機関
地方創生推進事務局(内閣府設置法第40条第1項)
知的財産戦略推進事務局(同項)
宇宙開発戦略推進事務局(同項)
北方対策本部(同項)
子ども・子育て本部(同項)
総合海洋政策推進事務局(同項)
金融危機対応会議(同項)
民間資金等活用事業推進会議(民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律)
子ども・若者育成支援推進本部(子ども・若者育成支援推進法)
少子化社会対策会議(少子化社会対策基本法)
高齢社会対策会議(高齢社会対策基本法)
中央交通安全対策会議(交通安全対策基本法)
犯罪被害者等施策推進会議(犯罪被害者等基本法)
子どもの貧困対策会議(子どもの貧困対策の推進に関する法律)
消費者政策会議(消費者基本法)
国際平和協力本部(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)
日本学術会議(日本学術会議法)
官民人材交流センター(国家公務員法)
原子力立地会議(原子力発電施設等立地地域の振興に関する特別措置法)
   地方支分部局
沖縄総合事務局(内閣府設置法第43条第1項、内閣府本府組織令第54条第3項) 総務部 / 財務部/農林水産部/経済産業部/開発建設部/運輸部
   外局等
宮内庁(宮内庁法)
公正取引委員会(独占禁止法)
国家公安委員会(警察法)
個人情報保護委員会(個人情報保護法)
金融庁(金融庁設置法)
消費者庁(消費者庁及び消費者委員会設置法)
宮内庁は、旧総理府の外局であったが、現在は内閣府の外局(内閣府設置法第49条)ではなく内閣府に置かれる独自の位置づけの機関とされている(内閣府設置法第48条)。官報では内閣府のみ「外局」の区分表記を「外局等」とし、宮内庁をその区分内の筆頭に記載する形をとっている。かつては防衛庁も内閣府の外局であったが、2007年1月9日に防衛省として昇格し、廃止された。また、当初、総務省の外局であった公正取引委員会は、2003年に内閣府の外局に変更された。
所管法人
内閣府が所管する独立行政法人は、2019年4月1日現在、国立公文書館、北方領土問題対策協会及び日本医療研究開発機構の3法人であり、その他に、外局である消費者庁が国民生活センターを所管している。国立公文書館は行政執行法人であり、役職員は国家公務員の身分を有する。
所管する特殊法人は、2019年4月1日現在、沖縄振興開発金融公庫及び沖縄科学技術大学院大学学園の2法人である。沖縄科学技術大学院大学の前身は独立行政法人の沖縄科学技術研究基盤整備機構であった。
所管する認可法人は、2019年4月現在、原子力損害賠償・廃炉等支援機構の1法人である。
2019年4月1日現在、内閣府が所管する特別民間法人は存在しないが、外局である国家公安委員会の特別の機関である警察庁が自動車安全運転センターを、外局である金融庁が日本公認会計士協会を、それぞれ所管している。
財政
2019年度(平成31年度)一般会計当初予算における内閣府所管予算は、3兆4823億4002万6千円である。組織別の内訳は、内閣本府が6357億5375万5千円、地方創生推進事務局が1045億7822万4千円、知的財産戦略推進事務局が1億7183万9千円、宇宙開発戦略推進事務局が271億2080万8千円 北方対策本部が16億8856万2千円、子ども・子育て本部が2兆2852億6693万円、総合海洋政策推進事務局が51億8154万7千円、国際平和協力本部が6億1307万8千円、日本学術会議が10億283万2千円、官民人材交流センターが2億8887万6千円、沖縄総合事務局が113億6261万4千円、宮内庁が123億2652万8千円、公正取引委員会が113億8974万7千円、警察庁が3420億8472万9千円、個人情報保護委員会が35億4672万1千円、カジノ管理委員会が25億6221万2千円、金融庁が255億8082万3千円、消費者庁が118億2020万1千円。内閣府本府が、対前年1710億7961万5千円(37%)増となっている。これは2019年度において、プレミアム付商品券事業助成費1722億6361万2千円が計上されたためである。
内閣府は、総務省及び財務省と交付税及び譲与税配付金特別会計を、文部科学省、経済産業省及び環境省とエネルギー対策特別会計を、厚生労働省と年金特別会計を共管している。また、国会、裁判所、会計検査院、内閣、内閣府、復興庁、総務省、法務省、外務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省及び防衛省所管の東日本大震災復興特別会計を共管する。
職員
一般職の在職者数は2018年7月1日現在、内閣府全体で1万4212人(うち、女性2090人)である。本府および外局別の人数は本府が2,345人(464人)、宮内庁960人(180人)、公正取引委員会799人(185人)、国家公安委員会(警察庁)8,179人(829人)、個人情報保護委員会100人(25人)、金融庁1,500人(292人)、消費者庁329人(115人)となっている。
行政機関職員定員令に定められた内閣府の定員は、特別職63人(2019年4月30日までは51人)を含めて1万4371人(2019年4月30日までは1万4378人、同年6月30日までは1万4399人、同年9月30日までは1万4400人)である。各外局の定員も同政令に定められており、宮内庁1,061人(2019年4月30日までは1,040人)、公正取引委員会840人(2019年6月30日までは841人)(事務総局職員)、国家公安委員会7,975人(警察庁職員)、個人情報保護委員会131人(事務局職員)、金融庁1,608人、消費者庁363人(2019年6月30日までは361人)となっている。警察庁の定員のうち、2,210人は警察官の定員とされている。
内閣府の一般職の職員は非現業の国家公務員なので、労働基本権のうち争議権と団体協約締結権は国家公務員法により認められていない。団結権は認められており、職員は労働組合として国家公務員法の規定する「職員団体」を結成し、若しくは結成せず、又はこれに加入し、若しくは加入しないことができる(国家公務員法第108条の2第3項)。ただし、警察庁の警察職員は団結権も否定されており、職員団体を結成し、又はこれに加入してはならない(同条第5項)。
2018年3月31日現在、人事院に登録された職員団体の数は、単一体団体1、支部等団体1となっている。組合員数は214人、組織率は3.7%。主な職員団体には、内閣府職員労働組合、沖縄総合事務局開発建設労働組合(開建労)、沖縄国家公務員労働組合、宮内庁職員組合、公正取引委員会職員組合および金融庁職員組合がある。内閣府職員労組と公取職組は旧総理府・総務庁関係機関の他労組と連合体である総理府労連を形成している。さらに、総理府労連は日本国家公務員労働組合連合会(全労連傘下)に加盟している。金融庁職員組合は国公関連労働組合連合会(連合傘下)に加盟している。宮内庁職組は中立系。
特殊な職員として、報道で披露される元号や官記などの揮毫を専門とする辞令専門官(官邸書家)が人事課に所属している。  
 
 
 

 

●治外法権 

 

●治外法権1 
1 外国人は滞在国の領土主権に服するが、例外的にそれから免れることが認められる特権をいう。外国の元首、外交官、国際司法裁判所判事、国連事務総長、外国の軍隊、軍艦、軍用航空機などに認められる。外交官の治外法権は、いわゆる外交特権の一部として国際慣習法上確立しており、ウィーン条約 (1961) にも詳細に規定された。それによると、民事および刑事の裁判権からの免除、警察権の免除、間接税など若干の例外を除く租税権の免除、社会保障制度上の義務の免除など広範な治外法権を認められる。外国の軍艦もこれに近い特権を認められている。また領事、国際機関の職員、外国の軍隊、外国の軍用航空機にも、条約に基づいて一定範囲の治外法権が与えられることが多い。かつて領事裁判制度のもとで、特定国の国民が滞在国の裁判管轄権に服さないとされ、これも治外法権の一種と説明された。ただし現在では外国の領事裁判権を認めている国は存在しない。
2 国際法上、特定の外国人(外国元首・外交官・外交使節など)が現に滞在する国の法律、特に裁判権に服さない権利。
3 国際法上、外国人が現に滞在する国家の権力作用(特に裁判権)に服さない資格。特定の外国人(元首、外交使節、外交官およびそれらの家族が代表的)について認められ、一般に裁判権、課税権、警察権に服さず、住居・信書の不可侵が保障される。外交使節の随員も限定された範囲で治外法権を有する。また当該国家の承認の下にその領内に入った軍隊・軍艦も原則としてその国家の裁判権・行政権には服さない。条約によって治外法権の認められる場合として租界、領事裁判、領事特権などがある。
4 いわゆる外交特権の一部。国際法上、国家は、原則として、その領域内にいるすべての人に対して管轄権を有する(領土主権)が、一定範囲の人に対しては管轄権を及ぼすことができない。現に滞在する国家の管轄権に服さなくてすむという、この例外的な権利が〈治外法権〉であり、最近の条約でいう〈免除〉にあたる。なお、治外法権という言葉は、不可侵権を含む広い意味にも用いられる。 外国の元首、政府高官、外交官、領事、軍艦、軍隊などは、国際慣習法により当然に治外法権を与えられるが、それぞれに認められる治外法権の範囲は同一ではない。
5 外国に存在する人や物が、その国の外にあるかのように扱われ、当該外国の管轄権、とりわけ裁判権に服しない権利。 〔外交特権は治外法権に基づいて認められるとされていたこともあるが、外国の領域主権が完全に排除されるわけではないので、今日では治外法権を根拠とする考え方はとられていない〕
6 国際法上、外国人は現に滞在する国家の管轄権に服するのを原則とするが、例外的に、滞在国の管轄権を免れる場合があり、その地位があたかも滞在国の外にあるかのようであるところから、これを治外法権という。治外法権が認められる場合はいくつかあるが、その内容は同一ではない。治外法権のなかでもっとも一般的で重要なのは、外交官に認められたものである。外交特権の一部であり、古くから国際慣習法として確立しているが、1961年の「外交関係に関するウィーン条約」によってその内容がいっそう明確にされた。外交官の治外法権は、裁判権および行政権からの免除である。外交官は、接受国において、刑事裁判権から免除され、一定の場合を除いて民事および行政裁判権から免除され、また、訴訟において証人として証言する義務から免除される。外交官は接受国の警察権に服さず、各種の租税を免除され、すべての人的、物的役務や各種の年金、保険などの社会保障上の義務を免除される。なお、国家元首や外務大臣なども外国を訪れたときは、同様の治外法権が認められる。領事が駐在国において自国の国民に対し本国法に従って裁判権を行使する、いわゆる領事裁判制度も治外法権の一種である。しかし現在では、外国の領事裁判権を認めている国はない。このほか、領事、外国の軍艦・軍隊・軍用航空機、国際組織の職員などにも、国際慣習法および条約によって、それぞれ一定範囲の治外法権が認められる。
7 国際法上、特定の外国人が所在国の法律、特にその国の裁判権に服さない権利。外国の元首・外交使節とその家族などに認められる。
8 …生命・財産の安全、治外法権(領事裁判権、免税)などの保障を在留外国人に特権的に認めることを定めた国際的条約。ヨーロッパ諸国とアジア・アフリカ諸国との間に広く成立した。……実際には領事以外の裁判官や外交官が裁判したり、関係国が裁判官を出しあって設けた混合裁判所で裁判することもあった。この場合、居住国の法律の適用や裁判権が排除されるため治外法権とも呼ばれた。イスラム国家では法と宗教が密着し、異教徒である外国人は法の適用をうける資格がないとされたため、初めキリスト教国がイスラム国家に住む自国民を、領事が本国法に従って裁判したものであった。…  

 

●治外法権2 
外交官や領事裁判権が認められた国家の国民について、本国の法制が及び、在留国の法制が(立法管轄権を含めて)一切及ばないことをいう。在留国の法制が及ぶことを前提に、一定の免除が与えられることを指していうこともある。
かつて治外法権は、外交上の慣例として、派遣国の認証があり、接受国による信任状の受理(接受)があった場合において、派遣された外交官に対して相互に認められる特権として確立されてきた。もっとも、現在では、外交官であっても接受国の法制が及び、刑事裁判権などの一定の管轄権を免除されるに過ぎないとされている。このような免除を受ける特権は、ウイーン条約においては、外国の公使館および外交特権を所持している外交官に認められる。また正式訪問中の国家元首や首相、外務大臣、国内に停泊中の公用船(軍艦含む)、公用機(軍用機含む)の内部に適用されると解される(民間船舶・航空機については旗国主義を参照)。これらの特権を指して治外法権と呼ぶこともあるが、本来の治外法権とは異なる。
何らかの戦争や強制外交が生じ、その結果、戦勝国などに治外法権の租借地を期限付きで認めた場合などには、片務的な特権としての治外法権の問題が生じる。この際に問題となるのは不平等条約にもとづく領事裁判権である。多くの場合は接受国の認証なく、単に戦勝国の国民・あるいは兵士であるという地位において治外法権を享受することが可能となるため、外交交渉においてこれらを撤廃することは重要な外交課題となる。
歴史
帝国主義時代における治外法権の問題は、租界や租借地を勝手に開発・造成し道路や電力などのインフラ投資を行い、それを根拠に住人に課税を行う、交通整理などと称して警察権を確立してしまう、通信や交通・水利の維持を名目に租界以外に勝手に投資をおこない権益化してしまう、本国から軍隊を呼び寄せ駐屯させてしまうなど、あるいは本国人の犯罪行為(あへん貿易や苦力貿易など)の黙認、本国人やその財産への犯罪行為を理由とした内政干渉などが挙げられる。
治外法権の慣例はオスマン帝国で用いられ、メフメト2世がコンスタンティノープルに商館を置いたジェノヴァやヴェネツィアに対して与えたものが知られる。またスレイマン1世は対神聖ローマ帝国の観点からフランスに近づきカピチュレーションを与えた。西欧のアジア政策に治外法権が登場するのはこのカピチュレーションを足がかりとした事に由来する。これには身体の保証以外にも交易のさいにしばしば発生した海難事故や訴訟に関する処理、人頭税や関税あるいはオスマン皇帝によりしばしば出された臨時税などへの免税特権が含まれた。地中海交易全盛期にはオスマン帝国にとって一種の特約店契約の性格にすぎなかったが、近代帝国主義の時代には中東植民化政策の足がかりとなった。
日本では、安政5年6月19日(グレゴリオ暦1858年7月29日)にアメリカ合衆国の間で結ばれた日米修好通商条約をかわきりとし7月にイギリス・オランダ・ロシアと、9月にフランスと相次ぎ締結した条約(安政五ヶ国条約)に治外法権の問題が含まれていた。条約は正しくは領事裁判権についての取決めであり、日本の場合いかなる条約においても日本に在住する外国人に治外法権を認めたことはなく、認めたのは日本人に対する外国人の犯罪に対する裁判をそれぞれの国の在住領事に委ねるということだけであった。しかしこれが治外法権であるかのように誤解され、外国人がすべて課税を免除され、日本の一切の行政権に服従しないようになったのは外国人の横暴とこれを黙認して既成事実化した日本人役人の怯懦のためであった。
この不平等条約は、1894年(明治27年)7月16日に結ばれた日英通商航海条約により初めて撤廃され、ついで日本が日清戦争において清に勝利した後で、1899年(明治32年)7月17日に日米通商航海条約(1940年(昭和15年)1月26日失効)が発効されたことにより失効した。
在日米軍
在日米軍については、政府解釈によれば、所謂治外法権のステータス(地位)になく、「むしろ治外法権的な地位がないからこそ」法(日米地位協定)により、そのステータスを付与したものとされる。
在日米軍基地および公務中の構成員・軍属は、協定により日本の裁判権の管轄外とされている(刑事特別法)。在日米軍の構成員及び軍属が基地内部で起こした犯罪、および「公務中に基地の外で起こした犯罪」に対しては日本の法律が適用されず、アメリカ合衆国の連邦法が適用される。
客観的にはそうでなくても、アメリカ軍が「公務中である」と主張した場合、日本は受け容れざるを得ない。あるいは犯罪を起こしても、米軍施設敷地内に逃げ込めば、施設内では憲兵隊及び軍犯罪捜査局が第一管轄権を持ち、日本の警察が関与することは出来なくなり、不当に軽い処分、いわゆる“アドミラルズ・マスト”で済まされる可能性があり、条約上では日本国政府からの請求権は明示されていない(合意文書など個別取決めによる)。
このため、沖縄県や神奈川県横須賀市、長崎県佐世保市などでは、在日米軍兵士の起こした犯罪に対する『裁判権の管轄問題』が、しばしば問題となる(参照:沖縄米兵少女暴行事件)。
基地の外において米兵が犯罪行為を起こした場合、米軍の憲兵と日本の警察・検察庁の捜査権限は競合しており、先に身柄を確保した側に優先的な捜査権限がある。しかし過去の運用では、事実上日本は裁判権を放棄しており、1953年からの5年間では約13、000件の在日米軍関連事件の97%について、微罪逮捕が多数含まれるとはいえ裁判権を放棄し、実際に刑事裁判が行われたのは約400件となっていた。2001年からの7年間では83%について裁判権を放棄している。
また法務省は、全国の地方検察庁に「実質的に重要と認められる事件のみ裁判権を行使する」よう通達を出していたとされる(同省刑事局編『合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権関係実務資料』。参照:在日米軍裁判権放棄密約事件)。同『資料』によれば、密約「行政協定第一七条を改正する一九五三年九月二十九日の議定書第三項・第五項に関連した、合同委員会裁判権分科委員会刑事部会日本側部会長の声明」に基づき、米軍犯罪の大部分について一次裁判権を放棄せよと、1953年(昭和28年)に法務省が通達していたことになっている。
この結果、アメリカ兵による殺人や強姦などの凶悪犯罪までが、日本の検察や司法の手を逃れる事例が生じ(2002年2月には在日オーストラリア人女性が強姦被害に遭った。容疑者は事件が発覚する前に名誉除隊で帰国し、処罰もされず現在も逃走中)、これがしばしば米軍基地反対運動などの原因となってきた。1995年10月の日米合同委員会合意により、殺人又は強姦という凶悪な犯罪であるケースでは、身柄を日本の警察・検察側に引き渡し、日本の司法により裁判をおこなうことになった。
公務中の事故の捜査については、米軍に優先的な裁判権・捜査権限があるため、米軍機の墜落事故や公務車両の事故などについて、警察や海上保安庁や検察庁が事故現場の保全・管理や立ち入り制限、証拠の押収、損害補償裁判(民事)など、日本の司直の手を離れることなどが、基地周辺住民の感情を逆なでする要因となっている(横浜米軍機墜落事件、沖国大米軍ヘリ墜落事件、沖縄自動車道における演習中の交通事故、キャンプ・ハンセン空軍ヘリ墜落事故)。また、AFNは日本国内にある無線局でありながら、運用にあたって適用されるのは、電波法ではなく、国際電気通信連合憲章やアメリカの連邦通信規則であり、規制も総務省総合通信基盤局ではなく、国際電気通信連合や連邦通信委員会からのみ受ける。
また、日本国民が在日米軍施設内で事件を起こした(と看做された)場合は、日本国刑法ではなくアメリカの統一軍事裁判法で処断され、軍法会議に掛けられかねないことになる。  
 
 
 

 

●「驕り」考 

 

●「驕り」がある人の特徴 2018/3 
「驕り」と聞いて、あなたはどんな性格の人を思い浮かべますか? 「驕っているから嫌い」「驕ったやり方に我慢できない」。こんなふうに言われるのを、何度かは聞いたことがあるのではないでしょうか。
驕りの意味とは
驕りには「相手を見下す」「思い上がる」という意味があります。
驕りという言葉に使われている「驕」という漢字には、「いばる」「ほしいまま」という意味があります。有名な文節としては、『平家物語』の冒頭にある一節「おごれる人も久しからず」から「驕る平家は久しからず」という言葉があります。意味は「思いあがって高ぶる人はその身を長く保つことができない」というたとえです。
字自体にあまりいい意味がないので、もちろん「驕る人」にもいいイメージはないと思います。
驕っている人に共通する特徴
特徴1 プライドの高さゆえ見下されたくないと思う
自分が常に一番だと思っているため、プライドが高いのが驕っている人の大きな特徴です。自分が正しく、間違っていないという認識が強いことから、言い合いになると相手よりも優位に立とうとします。普通に仕事をしていても、相手より下に見られたくないと思っているので、基本的に自分の言っていることを周囲に「すごい!」と認めてもらいたがります。
特徴2 何かをしてもらって当然だと思い、感謝の気持ちが欠けている
驕っている人は、基本的に「自分が一番」だと思い込んでいるので、誰かが何かをしてくれたとき、「やってくれてありがとう」という思いを抱くことはありません。自分のために何かをやってくれたことに対して「自分のために何かをしてくれるのは当たり前だから感謝の気持ちがわかない」「自分を助けてもらって当然」と考えます。このような驕っている人のもう一つの特徴は、自分よりも上司に対してはあまりせず、本人が「この人よりもレベルが下だ」と思う人にだけして、上である人には媚びるところにあります。言い換えれば、世渡り上手とも言えますが、巻き込まれるほうはたまったものではありません。
特徴3 他人よりも知識がないと思われたくないため、知っているフリをする
自分よりも優れている人を見ると、嫉妬にかられるのも驕っている人です。自分が最も「すごい」と思われなくてはすまないのです。だからこそ「わからない」「知らない」とは絶対に言いたくありません。lこれはプライベートに限った話ではなく、仕事上でもそうです。プライベートで知ったかぶりをしても、友人が「またか」と思うだけで特に問題はないでしょうが、仕事上ではそうはいっていられません。知らないことに対して「わかりません」「教えてください」と言いにくいタイプの彼らは、全く知らない情報でも「ああ、はい、わかります」と知ったかぶりをします。それが原因で、ミスを誘発してしまうことも少なくありません。
まとめ
上記のように、「驕っている」人というのはあまりいいイメージは抱かれないようです。周囲にこのような人がいたら、扱いに困るでしょう。心当たりがある人はもしかしたら、あなた自身がこのように思われているのかもしれません。
いいイメージを持たれない「驕っている人」にならないように、自分自身でも気を付けるようにしてくださいね。  

 

●「驕り」の意味・驕りのある人の特徴・謙虚さを取り戻す方法 
「驕り」とは
「驕り」の意味は「いい気になり自惚れること」
「驕り」の意味は自分の才能や地位などを誇りに思い、高慢な態度を取ることです。読み方は<おごり>となります。
漢字は「傲り」「驕り」「奢り」があります。「傲り」「驕り」は同じようなニュアンスですが、「奢り」は少し違う意味があります。「奢り」は贅沢をすることや人にごちそうをすることを指します。「今日のご飯は私が奢るよ!」という時はこの意味で使われます。
「驕り」の類語は「傲慢」「慢心」「過信」など
「驕り」の類語は「傲慢」「慢心」「過信」などがあります。それぞれ微妙に意味が違うので、下記で詳しく説明します。
「傲慢(ごうまん)」・・・驕り高ぶって人を見下す態度のこと。「慢心(まんしん)」・・・自慢していい気になる心のこと。「過信(かしん)」 ・・・価値・能力などを力量などを実際以上に信じすぎること。
「驕り」と「自信」の違い
「驕り」と類似した言葉に「自信」があります。これらの意味は似ているようで違いがあります。
自信の意味は「自分の才能・価値を信ずること、自分自身を信じる心」です。自信というのは、文字通り自分を信じることであって、自信があることはとっても良いことです。そのため自信はポジティブな意味で使います。
一方で驕りの意味は「得意になって高ぶること、いい気になること」です。つまり驕りは自信過剰を意味しネガティブな意味で使います。したがって、適度な自信はその人にとってプラスですが、過度な自信は驕りとなりその人にもまた周りの人にもマイナスな影響を与えます。
「驕り」の語源
「驕り」の語源は平家物語冒頭の「驕る平家は久しからず」ということわざになります。自分の地位や財力などを誇りに思って思い上がった振る舞いをする者は、遠からず衰え滅ぶという意があります。
またそもそも「驕り」という言葉は「盛る(もる)」から派生した言葉だという説もあります。薬や毒を飲ませることを「薬を盛る」「毒を盛る」と言います。この「盛る」に丁寧語の「お」が付き「お盛る(おもる)」という言葉が出来、そこから転じて「おごる」になったそうです。
「驕り」の英語は「arrogance」「pride」
「驕り」の英語表現は「arrogance」や「pride」などがあります。
「arrogance」は名詞で「傲慢さ・横柄さ」などの意味があります。形容詞は「arrogant」となります。
また「pride」は日本語と英語でニュアンスが異なります。日本語での「プライド」は「お高くとまっている」とマイナスなイメージがありますが、英語「pride」はポジティブなニュアンスを持ちます。
驕り高ぶる人間の特徴 / 性格
プライドが高い
驕り高ぶる人間は高いプライドを持っています。自分常に1番であり、自分に対しての自信で満ち溢れています。自分が大好きで自分中心で生きているような人です。
しかし上記で説明した通り、英語での「pride」はポジティブな意味で使います。ですので、自分にプライドを持つことは大切なことですが、驕り高ぶる人の場合プライドを持ちすぎてマイナスな印象を与えるのです。
人へ感謝や謝罪が出来ない
驕り高ぶる人は人へ感謝や謝罪の言葉をかけることをしません。これはプライドの高さが故でしょう。プライドが高いので人に感謝することも謝ることもできないのです。
感謝しないのは、自分中心で世界が動いていると思っているからです。「周りがやって当たり前」「私は感謝されるべき存在であってするべきではない」など独自の世界観があります。また謝れないのは、自分の非を認められないからです。むしろ他責にしようとする人もいます。
承認欲求が強い
承認欲求が強い人は驕りのある人でしょう。何でも認めてほしい、私のことを見てほしいという思いがあります。
自分の地位や能力などを他人に認められないと気がすまないのです。そのため認めてくれる人には優しく、なかなか認めない人には冷たく接します。
また承認欲求が強いと、人の手柄さえをも自分のものにしようとします。「頑張った私すごいでしょ?」という態度できますが、周りには他の人の手柄であることバレているので「何と高慢な人なんだ!」と思います。
演技力が高い
驕り高ぶる人は実は高い演技力の持ち主でもあります。自分のことを過大評価しているため、実際以上の振る舞いができるからです。本当の地位や能力とは関係なく、どんな「自分」も自由自在に演じることができるのです。
「こういうことができる・言える私ってすごいでしょ」と演技をしてまるでそれが本当のことかと相手に思わせるのです。実際、演技に魅了される人は「この子はすごいな」「この子は本当に素晴らしい!」と称賛します。
キレやすい性格
驕り高ぶる人は短気な人が多いでしょう。自分のことを悪く言われたり、自分が思っているように物事が進まないとすぐに不機嫌になります。例えば相手が親切心を持ってしてくれているアドバイスでも「この人は私の存在を否定している」と考えかなり攻撃的な言動をとります。また、驕りのある人は自分中心で物事を考えているので、周りに自分のペースを崩されたりするとイライラが止まらなくなります。
中には乱暴な言葉遣い、人や物にあたるなどの行為が目立つ人もいます。度が行き過ぎていると、心の病である可能性があるのでその際は医者に診てもらうべきです。
感情的な性格
驕り高ぶる人は感情で生きている人間です。良い言い方をすると「素直」ですが、素直すぎるあまり感情を常にそのまま表します。
驕り高ぶる人がプラスの感情を持っているときは、人から褒められたり、物事が自分の思い通りに進んでいる時です。反対に怒りなどのマイナスな感情を持っている時は、周りの人から嫌なことを言われたり、物事が上手くいかない時です。
この二面性のある感情がコロコロと変わるので周りの人はとても疲れます。
自分に対してはプラス、他人に対してはマイナス思考
驕りのある人の面白い特徴が思考です。自分のことになるととても前向きな考え方をしますが、これが他人のことになるととてもマイナスな方向で物事を考えます。
例えば、自分がミスをした時は「人間は間違いを犯す動物だから仕方ない。次気をつけよう!」とプラス思考です。同僚が同じミスをした場合は「こんなことも出来ないのであれば人間失格だ!」否定的な思考をします。
二重人格かと疑ってしまうような人もいるほど、驕り高ぶる人は思考にも二面性があります。
結局、人には興味がない
驕りのある人は人に興味を示さない、持たないことがあります。興味があるのは自分自身のことのみです。例えば、
・話しかけているにも関わらず人の話を聞かない
・声をかけられても無視する
・会話が続かない
・周りが見えていないように行動する
・以前にした話の内容を全く覚えてない
・過去の思い出などの記憶がない
などが挙げられます。プライベートや職場などで上記のような人がいると、人間性を疑ってしまいますよね。
本当は小心者かも!?
驕り高ぶる人の本当の姿が小心者である可能性もあります。本当の姿は大したことないのに、過大評価で演技をしているうちに元の姿に戻ることが難しくなり、そのまま演技で自分を偽るのです。
驕り高ぶっている人と仲を深めていくと、実はとても気が弱い人だったということもあります。私も以前このような人に会ったことがあります。最初は本当に嫌いでしたが、何度が遊んで行くうちに臆病な人だということが判明しました。人は見かけによらないってこういうことなんですね。
自分の芯がしっかりしてる!?
「驕り高ぶる人」と言うとやはりマイナスなイメージが強いかと思います。あえてプラスに表現するとしたら自分の芯がしっかりとしている性格、といった感じでしょうか。
自分を信じる力は人一倍あり、それが原動力となっています。周りの意見に振り回されることもないので真っ直ぐに生きているイメージです。周りに危害を与えないのであれば驕りがあることも悪くはなさそうですね。
驕り高ぶる人間の特徴 / 態度 
人を見下す
驕り高ぶる人は人を見下すような態度を取ります。自分が一番というプライドがあるので、上から人々を見ているような感じです。山で例えると驕りのある人は頂上にいて、それ以外の人は全て麓にいます。
人を睨みつけたり、人をバカにするような発言が目立ちます。そして自分はすごいという武勇伝を永遠と話すのです。例え周囲のレベルが低くとも、見下されているなということは人はすぐに感じるので冷戦が勃発しないことを願いますが。。。
受け身の姿勢を見せる
驕りのある人は常に受け身でいます。自分がピラミッドの頂上にいるので、「周りが動いて当たり前」「やってくれて当たり前」と思っているからです。
また、他人のために自らが動くということもありません。見て見ぬ振りをしたり、「私が動くことで何の得がある?」と問い詰めることもあります。例えば道に迷っている人を見掛けても声をかけることはないでしょう。なぜなら、声をかけて助けてあげたとしても自分が得することはないと予測しているからです。「お金をあげるから道を教えて」と事前に言われている場合は別でしょうが。
人に厳しく自分にやさしい
よく「人に優しく、己に厳しく」と言いますよね。しかし驕り高ぶる人は、その逆で「人に厳しく自分に優しく」をモットーにしています。
そのため、人にはすぐに不平不満を言うものの、自分のこととなったら耳を塞いだりします。自分と他人に対する態度が180度違うので、都合の良い人間だと思われます。
私の友達にもこのような嫌な奴がいます。人には「痩せたいんだったら絶対運動だよ!」と言うくせに、自分のこととなると「私は体が弱いから運動はやらないの」とか言います。大人なくせに、本当にポンコツだなっと毎回感じます。
気分のムラが激しい
気分にムラがあり、それが激しいことも驕りのある人の特徴です。喜怒哀楽全てにおいて感情が高くなったり低くなったりします。
過大評価した能力や地位を他人から褒められるなど自分に都合の良い時はハイテンションになり、逆にプライドを傷つけられるようなことがあるとすごく不機嫌になります。気分に応じて態度ががらりと変わるので、日によって全く違うリアクションを取ります。人間は誰でも気分のムラがあるでしょうが、それが激しすぎるとちょっと面倒くさい人だと思ってしまうのは私だけでしょうか?
自分が唯一無二の存在だと思っている
驕り高ぶっている人は自分が唯一無二の存在だと思っているため、そのような態度を取ります。特別扱いをされるべき存在という認識でいるため、王子様やお姫様のような扱いを求めます。
しかし実際はそうではありません。世の中にはもっと優れている人がたくさんいます。本当の世界を知らないまま、わがままな振る舞いを続ける姿は「イタイ人」にも映るでしょう。
努力はしない
驕りのある人は、過去の栄光にすがるだけなので特に努力はしません。過去の栄光がまるで今も生き続けているかのように錯覚をするためです。例えば10年前にモテていた事実がある場合、10年後の今も努力することなくモテると思い込んでいます。
また、驕り高ぶる人は自分に非があるとは思っていないので努力する必要もないと思っています。磨くスキルも改善すべき行動も一切ないと認識しているため努力とは無縁の生活を送ります。
変わろうとしない
前述の通り、驕り高ぶる人は自分には非がないと信じ込んでいます。例え周りの人が改善すべき点を伝えたとしても本人の中では「必要なし」と判断するため変わろうという態度は見せません。
人は人に期待をしているからこそ注意やアドバイスをしますよね。そんな期待を裏切るかのように、まるで他人事のように聞こうとしなかったり、反省の色を見せなかったりします。親切心で忠告しているのに、このような態度を取られるといい気持ちにはなりませんよね。
時折見せる、自信がないような態度
傲慢な態度を取っている人も、気が抜けると別人のような態度を取る人もいます。これは上記で紹介したような、実際は小心者である人が取る態度です。小心者が本当の姿であれば、1人でいる時や信頼してる人の前では傲慢な態度を取ることはないはずです。
例えば、いつもは声が大きい人でも気が抜けた時にはささやくような声で話したりします。いつもは胸を張って堂々と歩いている人でも、本当の姿に戻るとすごく猫背だったりします。
調子が良いと気立ての良い態度で人と接することも
自分の調子が良いと、周りに対する態度がすごく良いこともあります。基本的に人から自分の存在を認められるような事があると調子が良くなります。実際に人から褒められたり、仕事が上手くいって収入が増えたりすると気立てが良くなります。
不機嫌な時はイライラするような自分の失敗も、調子が良い時は笑い話に変えます。また普段は人に興味を示さないのに、気分が良いとやたら質問をしたり相手のことを褒めたりします。周りの人はこのような態度に「何か企んでるのか?」「気分によって態度が違うの面倒くさい」と思います。
敵わない相手には媚びていい顔をする
普段は自分が一番な態度ですが、どんなに頑張っても敵わない人にはそのような態度は取りません。媚びていい顔をして気に入られようとします。
上記で説明した通り、驕りのある人は自分に甘いです。「自分は一番であることには変わりないが、あの人の権力には逆らえないので媚を売ろう」のように考えます。会社の上層部の人や、お金持ちの人には得意の演技で「子分」を演じるのです。
驕り高ぶる人間の特徴 / 言動
何でも1番じゃないと気がすまない、グイグイ行く
驕り高ぶる人は自分のこととなると何でも積極的に動きます。地位や能力を得られるためなら、あの手この手を使って手に入れます。
例えば、昇給のために莫大なお金と時間をかけて必ず手に入れます。欲しい商品があると先行予約をしたり発売日にお店に並んで必ずゲットするでしょう。
恋人でもそうです。普段は人に興味がないのですが、恋人にしたい人が現れるとグイグイと攻めます。
常に自分中心で考える
驕り高ぶっている人は客観的な視点を持たず、常に自分中心で動きます。「人がどう思うか」でなく「自分がどうしたいか」と本能のままに行動するのです。
自分の利益のためなら相手を傷つけることもあります。そしてそれについて何の抵抗もないのです。例えば初売りなどで必ず手に入れたい商品があれば、周囲の人を押し倒してまでゲットします。「この人にぶつかるから気をつけよう」など全体的に物事を見ることはできないのです。
出だしは好調だが・・・
自分のためなら積極的に動くのが驕りのある人です。もっと良い立場や能力が手に入れられることがわかると珍しく前向きに変わろうと努力をします。しかしそんな努力も長くは続かないことが多いでしょう。
例えば昇格のために英語の勉強が必要と発覚した時は一生懸命勉強をします。しかし、飽きてくると「別に今の役職で生きていけてるからもう英語はいいや」と投げ出してしまいます。最初はいい感じに進んでいることも、向上心が続かないためにだんだんと飽きてしまいます。
人へ指図することが多い
「人に厳しく、自分に優しく」をモットーにしている驕りのある人は、人への指示が多いです。指示を出せる立場でなくとも指図をするので周りはとても嫌な気分になります。
自分は絶対にやらないことを相手に押し付けたりします。例えば「使ったお皿はすぐに洗って!」と指図するくせに、自分は一度も食器を洗ったことなどないのです。このような人が上司や姑だったら本当に生きづらいですね。
物知り博士
驕りのある人は何でも把握しておきたいという欲があるので「物知り博士」のふりをします。知りもしないようなことを、知っているかのような言動を取るのです。
例えば仕事で難しい専門用語が使われていても、意味を理解しているかのように会議を進めていきます。友達が結婚したことを知らなくても、まるでずっと前から知っていたかのように振る舞うのです。
知ったかぶりは結構人にバレるので気をつけたいですね。
見猿、聞か猿、言う猿(!?)
日光東照宮の三猿「見猿、聞か猿、言わ猿」はご存知ですか?都合の悪いことや余計なことは「見ない、聞かない、言わない」ことの意で使いますが、驕り高ぶる人は「見ない、聞かない」が「言います」。
自分に都合の悪いことには目を伏せたり、話を聞かないのが驕りのある人の特徴です。ですが、驕りのある人は自分に都合の悪いことにはとことん口を出します。自分が損するようなことや気分を害するようなことについては不平不満をもらします。そういった意味で「見猿、聞か猿、言う猿」なのです。
オーバーなリアクションをとる
驕りのある人は言動がオーバーです。そのリアクションの取り方は芸人級と言ってもいいでしょう。
特に声量やジェスチャーなどがとても大きくなります。例えば大げさに笑ったり泣いたりしますし、目立つように持ち物を見せびらかしたりします。
反応をするのは大切なことですが、あまりにもオーバーなリアクションは「嘘っぽい」と悪い印象を与えかねません。
言葉が乱暴、マイナス発言
驕りのある人は基本的に人に対する言葉に棘があります。人に厳しい目を持っているので、それが言葉としてあらわれるのです。言葉遣いが悪かったり、話し声が怒っているかのように聞こえます。
また、仕事やプライベートでのストレスが溜まっているとマイナスな発言も増えます。普段は自信満々な言動を取るのに、心が弱っていると「自分は最低な人間だ」などと自分の存在を否定します。
泣く
すぐに泣きべそをかくような人も驕りのある人であることが多いです。泣くこと自体は問題ないのですが、「そんなことで泣く!?」と驚くような内容でも泣くこともあります。特に人からの注意やアドバイスなどに対しては敏感になります。
例えば、「くしゃみする時は口を押さえてね」と優しく言われてもすぐに泣きます。プライドが高く、悔しいのでしょう。でも冷静に考えると泣くようなことではないですよね。
マナーが悪い
驕り高ぶる人は傲慢な態度や言動が目立つため、周りから見ると「マナーが悪い」と思われることもあるでしょう。例えば、
・電車内で大声で電話をする、化粧をする
・エスカレーターを塞ぐ
・優先席を必要な人に譲らない
・歩きタバコやスマホをする
・仕事中なのに携帯でSNSを見ている
・共有スペースを占領する
・会社の物を平気で持ち帰る
などの行為です。これらの行為を見かけると不快に感じる人は多いかと思います。ですが本人は反省はせず、堂々と振る舞う人が多いです。
驕りのある人との上手な付き合い方
面倒を避けるため適当におだてておく
驕りのある人と今後もずっと付き合っていく必要がある場合は、適当に機嫌を取ると良いでしょう。ストレスに感じるかもしれませんが、波風を立てたくない場合はこの方法が一番かもしれません。
相手の発言には逐一突っ込んであげたり、小さなことでも褒めてあげましょう。「いつでもあなたの味方ですよ」の姿勢を見せると、相手もあなたの味方になってくれるでしょう。
相手の機嫌が悪い時は、機嫌が直るように慰めたり、周りが悪いことをアピールしてあげましょう。自分のプライドが傷つくことだけは許せないので、こういう時も「私はあなたが正しいと思いますよ」の姿勢を見せましょう!
無視する
そもそも、上手く付き合う必要がない人であれば無視することが一番です。根拠もない相手の地位や能力に騙されるなんてバカバカしいですからね。また、ムラがありまくる相手の機嫌に真正面から付き合うと、こちらがストレスを感じるだけです。何があっても無視をして、冷静を装いましょう。
ですが、明らかに無視していることが伝わると相手の攻撃性が高まりかねません。そのあたりは上手に調整していってくださいね。
真に受けず適当に相手をしてあげる
無視するわけにもいかない相手であれば、相槌だけでも打っておくと良いでしょう。おだてるのには体力を使うので嫌だという人にもおすすめです。
あたかも話を聞いているかのような演技をします。「そうなんですか」「すごいですね」「大変でしたね」など、相手に同情するような言葉が無難でしょう。棒読みだけは避けてくださいね!
見栄を張る必要はないと教えてあげる
驕り高ぶっている人の中には無理をしている人もいるかもしれません。そのような人には、ありのままの姿でいい旨を伝えてあげましょう。
後戻りができない環境になってしまった場合、無理やり傲慢な態度を取る人もいます。心の声とは正反対の言動を取る自分に嫌気がさしているかもしれません。そういう人には優しく見栄を張る必要はないと伝えてあげましょう。きっと心が救われるはずです。
あえてぶつかってみる
立ち向かう覚悟があれば、あえて真正面からぶつかってみるのも良いかもしれません。改善して欲しいことや、周りの正直な思いなどを伝えて相手の反応を見ましょう。
もちろんぶつかることで、今後の関係性が悪くなってしまう可能性はあります。そのリスクもしっかりと理解した上で話してみてください。体力を消耗すると思うので前日はしっかりと栄養と睡眠を取ってくださいね。
自分のことだけを考える
自分の人生の主人公は自分自身です!そのため、相手のことを考えるのではなく、自分のことだけに集中をしましょう!
仕事やプライベートなど考えるべきことはたくさんあるはずです。自分の人生をより豊かにすることにフォーカスすると、相手のことは気にならなくなるはずです。
考えることがそこまでない人は、何か集中できるような趣味などを始めましょう。料理、ゲーム、スポーツなど自分が好きなことでかつ意識を向ける必要があることが良いでしょう!趣味がないという人は下記の記事をぜひ見てみてください!
驕りを捨て、謙虚さを取り戻す方法
周りにも驕りのある人っていますが、もしかしたら自分もそう思われているかも!?自分を振り返り、少しでも驕りがあると感じたら、謙虚さを取り戻す努力をしましょう!
「ありがとう」と「ごめんなさい」を相手に伝える
どんなに些細なことでも良いです。感謝すべきことと謝るべきことはしっかりと相手にその気持ちを伝えましょう。
「こんなくだらないこと」だと思わず、相手に伝えることが大切です。直接目を見て口頭で伝えられる事が理想ですが、それが難しく感じる場合はLINEでも電話でも問題ありません!きっと相手の態度も変わってくるはずです。
感情的にならない
物事が上手くいなかったり、周りから嫌なことを言われるとついつい感情が先走ってしまいますよね。しかしその感情を一瞬ぐっと抑えることで感情を上手くコントロールできるようになります。感情を上手くコントロールできるようになると、驕りを捨てられるでしょう。
どのようにコントロールしているかは人によってそれぞれかと思いますが、まずあなたに実践していただきたいのが「3秒ルール」です。感情が高まるようなことがあっても、心の中で3秒数えながらその感情をぐっとこらえます。すると不思議なことに感情が落ち着くのです。声に出して数を数えても良いかもしれません!
プライドを捨てる
プライドを捨てることも大切です。全てのプライドを捨てる必要はありませんが、人からの注意はまずしっかり聞く、自分の非は認めることが大切です。
人はあなたに期待をしているから注意をします。好きだから話しかけます。それなのにその親切心を跳ね除けるような態度は失礼ですよね。感情的にならずまずは人の話をしっかり聞き、自分が悪いのであれば素直に謝罪をしましょう。
過去の栄光にすがらず、今を生きる
よく過去の栄光にすがって時が止まっていることがあると思います。ですが時間はどんどん進んでいて状況は変わっています。ですので過去を見るのではなく、「今」やこれからの「未来」に焦点を当てて物事を考えていきましょう。
楽しい将来を想像するといいです。5年後はどういう姿でいたいのか、将来はどのような環境で暮らしたいのか、ワクワクするようなことを考えましょう。将来のことが少しでも明確になると、毎日のモチベーションにも繋がり生き生きとした生活を送れます。
人の話しを聞き、助言を真摯に受け止める
人の話しを無視することが相手にとってはとても失礼にあたります。まずはしっかりと人の話しを聞きましょう!聞くことから全ては始まります。
人の話を聞きたくないからといって適当に聞く態度はそのような態度はすぐ相手にバレてしまいますし、後から困るのはあなた自身です。そのため人の話はしっかりと集中してききましょう。
そして人からのアドバイスは一旦受け止める努力をしましょう。もっとこうすべき、あのやり方はだめなど様々なアドバイスをもらうはずです。感情的にならず言葉一つ一つを聞いて本当に相手が伝えたいことに耳を傾けましょう。そして「アドバイスありがとうございます。とても助かります!」と感謝の気持ちを添えましょう。
自分と向き合う
自分の驕りはどこからきているのか、なぜ傲慢な態度を取るのか、自分としっかり向き合うことも大切です。物事には必ずきっかけがあります。あなた自身のきっかけが何だったのかを知ると、今後の意識が変わるかもしれません。
自分と向き合うことが面倒くさいと思ったり、嫌だと思って避けたりするのが人間です。しかし避けてばかりだとあなたの人生は変わることはありません。忙しさを理由に避けず、しっかりと自分に向き合える環境を整えてみましょう。
人に頼る
自分のどのような部分が周りに悪い印象を与えているのか、どこをどうやって改善すべきなのかがわからない場合は、一人で悩まずぜひ周りの人に相談をしてみましょう。
人に話しを聞くことで、客観的な視点で考えることができますし、悩む時間を短縮することができます。家族や友達など、近くにいる人にサポートを求めると良いでしょう。しかしそのような人が近くに居ない、信頼できないという人は占い師やカウンセラーなどに話しを聞いてもらうと良いですよ!  

 

●驕りと自負心  
この世の中でなにが怖いかですが、驕りだと思います。個人にとっても、企業にとっても、政治の世界もそうかもしれません。驕りがやっかいなのは、人は自らの驕りをなかなか気が付かないことです。自分自身にもきっと驕りが潜んでいるに違いありません。きっと人にいわれるまでは気が付きません。
日本の経済に変調がおこったことも驕りが原因だったと思います。ちょっとどの本だったかは思い出せないのですが、実は1980年代に水面下で第三次世界大戦が起こっていたと書かれていたことを鮮明に憶えています。
戦勝国は第二次大戦で敗戦したドイツと日本で、敗戦国は皮肉なことに第二次大戦の戦勝国であったアメリカとソ連だというのです。当時のアメリカの状況は、失業者が教会に食事を求めて並ぶ姿が報道の映像にしばしば映っていたし、その経済的な損失は第二次大戦を上回り、ソ連にいたっては国家崩壊にまでいたったのです。
しかしその勝利で、日本には驕りの心が生まれ隙ができたのだと思います。
日本は、世界の社会や経済が、情報通信革命が発端となり、大きく変化したにもかかわらず、勝利の方程式をそのまま継承してしまったために、長い停滞期を迎えてしまいます。まさに成功は失敗の母をやってしまい、いまだに完全にはそこから抜け出せていません。
しかし一方のアメリカは謙虚に日本の経営を学んだだけでなく、情報通信革命を国家戦略として取り込んだことで、経済の立て直しに成功しました。そのアメリカも金融の世界の異変によって厳しい状況となっています。
まるで、平家物語にある「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」そのものだと感じます。「盛者必衰の理」は、どんなに勢い盛んなものでも、必ず衰える、それが道理だということであり、「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」のように、権勢におごり昂ぶっている人も、それははかない春の夢のように長続きしないのです。
岩崎夏海さんが、ブログでこんなことを書いていらっしゃいます。自炊に賛成とも反対とも言っていないのに、「自炊は反対とブログで参戦した」と書いたことで、それで日本語は難しいと反論されているのです。
ご自身が自炊には賛成でも反対でもないとおっしゃっているので、「反対の立場」と断定したことは間違いだったのかもしれません。
しかし、文章にはコンテクスト(文脈)というものがあります。自炊代行業者を提訴した作家の先生たちの正当性を強調されている考え方そのものに、異を唱えたのです。岩崎さんの「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」は電子書籍で読んだので、岩崎さんご自身は電子出版に柔軟なかただということも存じ上げています。
さらに、気になったことはまだありました。この考え方です。
「 僕は、本を買った後の使い方まで指示されるなら、その作家の本はあまり買いたくありません。(佐藤さん) 佐藤さんのようなことを言う人が本を買う必要はありません。本はむしろ「買った後の使い方まで指示してほしい」という人が買うべきであり、また読むべきものです。だから、佐藤さんはもう本を読まない方がいいと思います。(岩崎さん) 」
なぜ読み方まで指示されなければならないのか、なぜ読まないほうがいいのかが理解できません。言葉は多義的です。だから読む人たちの想像力を刺激し、作家の期待以上の解釈が生まれることもあります。いい作品ほどそうだと思います。
もちろん作家の知人もいるので、作品は身を削る思いで書かれ、大変なことだというのはよくわかります。それを言い出したら、ビジネスのなかでも、夜を徹し、身を粉にして働いている人たちはいらっしゃいます。そういった努力の結晶である製品やサービス、またソフトの使い方は、「指示して欲しい」のではなく、「ガイドラインを示して欲しい」だけのことであり、そこから先の楽しみ方はユーザーの自由です。むしろ今日は、ユーザーによっては、作り手の意図を超えて利用していることもあります。
まさか、小説や漫画の作家と、そういった作り手では違うということではないでしょうね。
さらに次の点も気になります。佐藤さんの「お年寄りの場合、電子書籍のほうが文字を拡大して表示できるので便利ですし、若者にしても、何冊も紙の本を持ち歩くのは重いので、データを端末に入れておいたほうが、どこでも読書ができて便利ということもあるでしょう」というご意見に、便利になって良いところもあれば、当然のようにそれによって損なわれることもあり、無批判に便利だからいいというのは良くないとされていることです。
しかし、佐藤さんがあげられているのは「便利」かどうかよりも、売り手が「配慮」の気持ちを持っているかどうかです。佐藤さんが「便利」という言葉を使ったとしても、それは「配慮」だと解釈すればより創造的な視点が生まれてきます。
もちろん、岩崎さんが便利さだけがいいわけでないとされているのは賛成です。わざわざ不便な旅にでるのは時間をかけることで、より深く楽しめるからです。しかし、その点でも、書籍をつねに持ち運べることは、「便利」なだけでなく、その作品に何度も触れ、味わえることなのです。不便な旅と同じ事です。またお年寄りに関しても、極端にいえば、目の不自由な人のために点字の本を出すことが。「便利」かどうかですまされるものではなく、それも「配慮」の問題です。
今日はどのように読むか、またどう読むかを指示することは作家には現実的にはできません。だからこそ、その作品をどう解釈すると、新しい意味が見出せたり、こう読むとさらに面白い視点が発見でき、さらにその作品の価値をさらに楽しめるかを示唆する存在としてのキュレーターの重要度が増してきているのです。
製品やサービスなどについても同じです。ソーシャルネットワークは、ユーザーのそれぞれの人たちが、その製品やサービスがどのような価値があるのかを伝え、また分かち合うキュレーターそのものになる世界を広げました。
岩崎さん流に言うなら、小説や漫画という作品にしても、製品やサービス、またソフトなどの作品にしても、今やユーザーが価値を決める時代であり、そんな時代に異議を唱えるのなら、本を出版してはならないとなってしまいます。もちろんそれでも出版するのは自由なのですが。
自炊業者を提訴した作家の人たち、またその影にいると考えられる出版社には驕りを感じたわけですが、驕りと自負心は違います。作家に自負心があるように、きっとだれにも自負心はあるはずです。自負心は、困難をも克服するエネルギーとなってきます。しかし驕りと自負心の境界線はきわめて微妙で、そのどちらになるかのバランスをとる緊張感が、また人を支えているのだと思います。
いい作品をつくり、それを売るという自負心があれば、現代の読者の「読む環境」をさらに広げる電子出版にもっと積極的になっていたでしょうし、それが遅れているから自炊も生まれたことを考えるべきです。
驕りと自負心は似ていますが、全く違うベクトルを生み出します。日本の社会も、驕りを捨て、しかしこの困難もきっと克服できるはずだという自負心はもっと持ったほうがいいと感じる昨今です。  

 

●慢心して驕りがある人の特徴 
「驕り」の意味
「驕り」は「おごり」と読みます。いい気になったり思い上がったりしている様子を指します。調子に乗ってわがままに振舞うことです。
同じ「おごり」という読み方で意味が似ているものに「傲り」があります。「傲り」は慢心という意味です。また、同じ読み方ですが意味はまったく異なる「奢り」もあります。
「奢り」は贅沢をすることや自分のお金で他人にごちそうすることを言います。
「驕り」の類語
類語には「うぬぼれ」「高慢」「思い上がり」などがあります。「うぬぼれ」は自分が優れていると思い込んで得意になること、「高慢」は自分が人よりも優れていると思い込んで人を見下した態度を取ること、「思い上がり」は自分の優れた能力に得意げになることを言います。それぞれの言葉には自分の能力が優れていると思い込んで得意げになるという共通点があります。本当に優れている人は自分の能力を自慢したりはしませんが、やたら自分が優秀であることを自慢してくる人はよくいます。
「驕り」の使い方
「驕り」の使い方はさまざまですが得意になって調子に乗る様子はどの使い方でも同じです。「彼は仕事で成果を出してから急に驕り出した」は仕事で成果を出した途端、彼が得意げになった様子を表しています。今までは謙虚だったのに急に同僚を見下し始めたり偉ぶったりし始めたのでしょう。他にも「彼女は驕りがあるからもう成長できない」という使い方ができます。驕りがある人は自分にうぬぼれて正確な判断能力を見失います。何でもできると思い込むので努力をしなくなってしまうのです。努力をしないと人は成長できないので、驕りがある彼女はもう成長することはできないということです。
「驕り」がある人の特徴
驕りがある人には特徴があります。驕りがあることはあまり良くないので当てはまる特徴があれば改善した方が良いでしょう。特徴を見ていきます。
プライドが高く他者に見下されたくない
驕りがある人はプライドが高いです。そのため他者に見下されることをひどく嫌います。自分の持っているブランドバッグよりも高価なバッグを自慢されるようなことがあれば、はらわたが煮えくり返ります。自慢した相手は軽い気持ちだったかもしれませんが、驕りがある人は見下されたように感じてすぐに相手が持っていたバッグよりもさらに高価なものを買いに行くでしょう。プライドを持つことは大事ですが高すぎると対抗意識を燃やしたりして面倒くさいことになります。
感謝の気持ちが欠けている
感謝の気持ちが欠けています。プライドが高いため自分はこれくらいしてもらって当然なのだと考えているのです。例えば友人が好意で野菜を送ってくれた時に普通の人はありがたいと感謝をします。しかし驕りがある人は友人だから野菜を送ってもらうのは当たり前だと考えて感謝をしません。むしろ野菜が小さいだとか欲しかった野菜が入っていないだとか文句を言います。好意で送っても感謝をされずに不満ばかり言われては気持ちのいいものではありません。驕りがある人にはプレゼントをしたくなくなります。
他人を見下す癖がある
驕りがある人は他人を見下す癖があります。無意識に自分の方が立場が上だと考えてしまうのです。テストの成績だけで人間性まで判断できるわけではありませんが驕りがある人はすべてにおいて自分の方が優れているのだと勘違いします。テストで自分よりも成績が悪かった人は人間性も裕福度も自分の方が上だと考えるのです。勘違いも甚だしいですが他人を見下すことが癖になっているので指摘をしても聞かないでしょう。見下されるのは不快ですが指摘をしても聞く耳を持たないので仕方ありません。
他人のあら探しが得意
他人のあら探しが得意です。自分の方が優れていると感じたいので他人の欠点や過失が大好物なのです。あら探しをしては自分の方がすごい、あの人はダメだと他人のことを批判します。欠点や過失をあら探しをされるのは誰でも嫌ですが驕りがある人は自分が優越感に浸りたいので他人の気持ちを考えません。他人に配慮できない人からは人が離れていきます。驕りがある人は周りに誰もいなくなるまで自分の愚かさに気がつかないでしょう。
視野が狭い
驕りがある人は視野が狭い特徴があります。自分の知っていることからしか物事を判断しないので未経験のことには批判的な態度を取ります。数学の問題を解いている時、答えは一つですが解き方がいろいろある場合驕りがある人は自分の選んだ解き方以外を否定します。自分が一番正しいと考えているので答えが正しくてもこの解き方は要領が悪い、あの解き方は時間がかかるなどと批判をするのです。視野が狭いと大切なことを見逃してしまいます。視野を広く持って色々なことを吸収していきたいものです。
今まで失敗という失敗をしたことがない
今まで失敗という失敗をしたことがないと驕りがある人になる可能性が高いです。ある程度の能力は持ち合わせているので要領よくこなして失敗を避けてきたのです。失敗を経験しないと自分は優秀なのだとどんどん付け上がってしまいます。本当の実力以上に力があると勘違いしてしまい失敗した時に心が折れてしまうかもしれません。失敗を避けていては成長することもできないので、一度プライドを捨てて自分の正しい能力を知ることが大切です。失敗を経験したことのある人の方が失敗をバネにするので後々能力が伸びるでしょう。
自分自身を客観視できない
驕りがあるので自分自身を客観視することができません。思い込みが強いと現実とのギャップを知った時に立ち直れなくなります。自分の行動に驕りがあることにも気づいていない裸の王様状態です。例えば共働きの夫婦で奥さんよりも自分の方が稼いでいれば自分の方が立場が上だと勘違いします。共働きですが奥さんだけが家事や育児をすることを当たり前だと思っているのです。いくら稼いでいても家事や育児を仕事と両立している奥さんの方がよほど立派です。そのことに気づかず、奥さんがミスをしたら「俺より稼いでないのになぜミスをするの?」と責め立てるのです。
自分のことばかり喋る
自己中心的なので自分のことばかり喋ります。驕りがある人は他人のことなどどうでも良いのです。しかし他人に自分よりも優れた経歴があると知ると目の色を変えて詳しく聞き出すでしょう。あら探しをして自分のポジションを守ろうとします。あら探しをして人より上の立場に立とうとしても見苦しいだけですが本人は気が付いていません。自分が正しくて自分が人より優れていると思い込んでいるのです。思い込みを覆すのは中々難しいので驕りのある人が自分のことばかり話している時は聞き流しましょう。
他人を正当に評価しない
他人を正当に評価しない特徴があります。自分中心で他人のことを見下しているので人の良いところを評価することができないのです。良いところに目を向けず欠点ばかり探すので驕りがある人を上司に持つと大変です。優秀な人よりも自分に媚びを売る人を評価するからです。不公平な評価を繰り返していては周囲からも不満が沸き起こります。驕りがある人のさらに上の上司が知れば間違いなく大きな問題になるでしょう。その前に正当な判断をするよう改善しないと自分の立場が危うくなります。
自分の行いは過大評価する
自分の行いは過大評価します。他人のことはマイナスに評価しますが自分のことはプラスに評価するのです。自分はできると思い込んでいるので正当な判断ができません。周りにしてもらって当たり前と考えているので自分から行動を起こすことはほとんどありませんが、たまに思いつきで同僚に飴をあげてはそのことを自分は優しいと自慢するのです。自分が飴よりも高価なお菓子をもらっても何も感じないのに自分がしてあげたことには過大評価をするので厄介です。いつまでも「この間飴をあげた」と言われ続けるでしょう。
短気
驕りがある人は短気です。特に人の失敗を許すことができません。驕りのある人が人と待ち合わせをした時に、相手が1分遅れてきただけでも怒り出します。自分は偉いと勘違いしているのでその自分を待たせたことに腹を立てているのです。短気ですぐに怒るので周りの人は扱いに困っていますが、会社の上司など距離を置くことができない立場だと身動きが取れません。驕りのある人を上司に持つと部下はストレスが溜まりノイローゼ気味になってしまいます。周りのフォローが必須です。
驕りやすいとどうなるの?
驕りがある人はマイナスな特徴ばかりですが驕りやすいのは本人にも悪影響です。自分のことは過大評価して他人のことは正当に判断できないことが問題になります。
自分は優秀だと思い込んでいるので努力を怠るなど成長も見込めませんが、自己評価は高いのでうまくいかない原因がわからないのです。現実とのギャップに苦しむことになるでしょう。驕りやすいとどうなるのか見ていきます。
慢心により努力しない
自分は優秀だとおごり高ぶっているので努力をしません。本当に優秀な人は驕らずに努力し続けてさらに上を目指しますが驕りがある人は慢心してしまうのです。元々ある程度の能力はありますが努力をしないと成長はできません。そのことに気づかず自慢ばかりしているので気づいた時には大勢の努力をしてきた人たちに抜かされています。プライドが高いので頑張る姿を見せるのが嫌なことも努力をしない理由の一つでしょう。生まれつき優秀で努力の必要がないと思い込んでいるのです。大勢の人に能力が抜かされていることに気づいた時は怒り狂うでしょう。
周囲を評価できないためリーダーシップがなくなる
周囲を評価できないためリーダーシップがなくなります。リーダーはそれぞれの能力を評価して適材適所に人員を配置します。しかし驕りがあるリーダーは他人のことを正しく判断できないので人員の配置がうまくできません。チームワークが乱れても自分は関係ないと白を切るのでチームに不満が溜まります。リーダーシップは取らないのに自分の自慢話ばかりするので人がついてこないのです。最終的には誰も言うことを聞かず驕りがある人は孤立してしまうでしょう。周囲を評価できないと自分のことも評価されなくなります。
自分の欠点に気付かずミスが改善できない
他人のあら探しばかりしていて自分の欠点には気付かないのでミスを改善することができません。失敗をした経験があまりないので自分は何でもできると思っているのです。誰にでも欠点はありますが自分だけは完璧だと考えていて欠点の存在に気付きません。その結果ミスをしても他人のせいにしてしまいます。ミスが改善できないと今以上に能力を伸ばすことができません。自分の欠点を見つけてコツコツとミスを改善していく人とは差が広がっていきます。
周囲と自己評価がかけ離れ不平不満を感じやすい
自分は何でもできると思っているため自己評価が高いですが、周囲の人は何でもできるとは思っていないので自分と周囲との評価のギャップに不平不満を感じやすいでしょう。評価がかけ離れていても理由がわからないので自分の良さを伝えようとして自慢話ばかり繰り返します。いつまでも現実を見ることができないと周囲の人も呆れてしまいます。ギャップに不満があるのなら何がいけないのか周囲の人に聞いてしっかりと現実を受け入れましょう。驕りがある人よりも優秀な人はいくらでもいるのです。
仕事・恋愛が上手くいきづらくその理由がわからない
驕りのある行動をしていれば仕事も恋愛もうまくいきませんが驕りのある人にはその理由がわかりません。仕事では部下がついてこないことや自己評価と給料の額が比例していないことに不満を持つでしょう。恋愛ではすぐに相手に振られたり浮気をされたりして悩みますがその理由がわからないのです。驕りがある人はパートナーに何でもしてもらって当たり前だと考えています。自分の方が立場が上だと考えて威圧的な態度を取るので耐えきれずにパートナーは別れを切り出したり優しい人と浮気をしたりしますが、パートナーが耐えきれなかったことに驕りがある人が気づくことはないでしょう。
驕りやすさ診断
驕りやすさは診断することができます。これからご紹介する項目に当てはまる数が多いほど驕りやすいだということです。自分で気づくことはめったにないのでこの機会に診断をしてみましょう。当てはまる数が多い人は現実逃避をせずに自分の態度を振り返ることが必要です。せっかく診断をしてもこの診断すら信じないで不平不満を言っていては変わることはできません。周囲の人が離れていく前に現実を受け入れてできることから改善していきましょう。
話し方が「偉そうだ」と言われたことがある
話し方が「偉そうだ」と言われたことがある人は驕りやすいでしょう。職業が学校の先生や教授の場合は偉そうな話し方になることもあるので別ですが、関係のない職業についていて偉そうだと言われたのであれば要注意です。話し方が偉そうだということは相手を見下しているということです。自分の方が立場が上だと判断しているので偉そうな話し方になるのでしょう。他人を見下すのは驕りがある人の特徴でもあるので当てはまる人は話し方から気を使う必要があります。見下した態度を取られると人は不快感を覚えます。
自分は周囲から正しく評価されていないと感じる
自分が思っているよりも周囲からの評価が低いことに納得がいかない人は驕りやすいです。普通の人は周囲からの評価で自分の立ち位置を知り、もしも周囲からの評価が低ければ何か問題があるのだと認識します。しかし驕りがある人は周囲からの評価の低さに納得がいきません。自分ではなく周囲を疑う時点で驕りがある人と言えるでしょう。自己評価が高すぎるので周囲との評価が合致するわけないのです。自分のためにも周囲の人にどう思われているのかを知りましょう。改善しないといつまでもギャップが埋まりません。
過去の栄光を話す機会が多い
過去の栄光を話す機会が多い人も驕りやすいと言えます。自慢話を繰り返す人は自分に自信がありプライドが高いです。過去の栄光を話すということは今は自慢できることがないということなので、努力を怠った結果として周囲の人に抜かされてしまったことを表しています。現在は自慢できることがなく過去の栄光にすがるしかないというのは悲しいことです。他人にも興味を持ち話題を広げるようにしないと自慢話ばかりでは聞き飽きてしまいます。自慢話をしている自覚がない人は周囲の人に聞いてみましょう。自分で考えているよりも自慢話に辟易している人は多いかもしれません。
感謝・謝罪の言葉はあまり言わない
感謝や謝罪の言葉をあまり言わない人はプライドが高いです。驕りのある人に特徴の一つなので当てはまる人は気を付けた方が良いでしょう。驕りのある人は何でもしてもらって当たり前だと思っているので感謝の気持ちが湧きません。また、本当は自分が悪くても他人のせいにするので謝罪する機会がないのです。感謝と謝罪を自然とできる人の方が人間として魅力的で、驕りがある人より能力も優秀なことが多いです。してもらって当たり前ではないことに気づきましょう。
他人の失敗が許せない
自分には甘いのに他人の失敗は許すことができません。自分は何でもできると思っているのでできないことがある他人が理解できないのです。実際は驕りがある人だって失敗しますが自分には甘いので他人の失敗ばかりが目につきます。「そんなこともできないのか」「なんで何回も失敗するのだ」というセリフが口癖の人は間違いなく驕りがあります。人の失敗を指摘してばかりで自分に甘くしているといつかしっぺ返しがきます。失敗ばかりではなく、人の良いところも見るようにしないとこれから先孤立することは目に見えています。
自分の失敗は「しょうがない」と割り切ることができる
他人の失敗は許せませんが自分の失敗は「しょうがない」と割り切ることができます。いつもは完璧だからたまにはミスしても良いのだと考えているのです。基本的に自分のことが大好きなので自分にだけは甘く、人から失敗を指摘されると「めったにないことなのに目くじらを立てるな」と逆切れします。他人にも優しいのならまだ許せますが他人の失敗は認めず自分の失敗は許してしまう人からはどんどん人が離れていきます。せめて人の失敗にも寛大になりましょう。
プライドが高く批判的な事を言われると感情的になる
驕りがある人はプライドが高いので批判的なことを言われると感情的になります。優秀な自分が見下している人に批判されることが理解できず怒鳴り散らしてしまいます。いい大人が少し批判されたくらいで感情的になるのはみっともないです。批判した人は驕りがある人の態度にうんざりしたのでしょう。それまでずっと我慢して自慢話に耐えてきたのです。驕りがある人は批判に感情的になる前に周囲の人にどれだけ迷惑をかけているのか気づいた方が良いです。完璧な自分が批判されるのはプライドが傷つくことですが現実を知るチャンスです。自己評価と周囲からの評価にギャップがある人は批判を真摯に受け止めましょう。
驕りやすい性格の改善方法
驕りやすさ診断で当てはまる数が多かった人は性格の改善が必要です。自分では気づけなかった欠点がたくさんあることを理解しましょう。
理解したら改善に向けて具体的に行動するべきです。いつまでも驕りがあるとあなたの周りからは人がいなくなります。今まで我慢して自慢話を聞いてくれた人たちに謝罪をして、変わった自分を見てもらいましょう。
驕りやすい性格の改善方法をご紹介します。できそうなものからチャレンジしていくことが大切です。
相手を思いやった行動をする
今まで自分のことしか考えておらず他人を気にしたことはないはずです。まずは他人のことを考えて相手を思いやった行動をしましょう。他人を見下す前に、その人の良いところを考える習慣をつけると相手の欠点よりも長所に気が付けるようになります。見下すのをやめて褒めるようにするだけでもあなたへの評価はかなり変化するでしょう。あなた自身も人の良いところに目が行くようになれば自然と相手を思いやった行動ができるようになります。思いやりが生まれれば感謝と謝罪の言葉も生まれるでしょう。
自分の現状の能力を冷静に分析する
自己評価が高い特徴があるので自分の現状の能力を冷静に分析しましょう。どうしても自分の評価を高くしてしまう人は周囲の人に協力を仰いだ方が正確な評価を下すことができます。自分が周囲から認められていないと感じているのなら、自己評価は現状よりもかなり高いということです。現状を分析することで理想の自分に近づくことができます。初めは現実を受け入れるのがつらいかもしれませんが今まで怠ってきた努力をしっかりして前向きにいきましょう。あなたが冷静に行動すれば周囲の人も応援してくれます。
小さな事柄でも感謝・謝罪を言う
小さな事柄にも感謝と謝罪を言うようにしましょう。相手を思いやった行動ができるようになれば自然と感謝と謝罪の言葉も生まれます。してもらって当たり前ということは何一つありません。例えば毎日ご飯を用意してくれる奥さんにありがとうと伝えたことはありますか?ご飯は出てきて当たり前ではないのです。ご飯に少しでも不満があれば見下すような言動をしてきたのではないでしょうか。きちんと今までのことを謝罪してこれからは感謝の気持ちを持ちましょう。
高い目標を持つ
慢心していて目標を立てることもしばらくなかったのではないでしょうか。驕りがある人は高い目標を立ててみましょう。そしてその目標に向かって努力するのです。目標の達成に向かって行動する中で努力すること、挫折、他人の協力に感謝できる気持ちを経験することができます。プライドが高いのですぐに達成できそうな目標を立てないように注意しましょう。今までおろそかにしてきた色々なことを経験することで自分自身を磨いていけます。諦めずに目標達成を目指しましょう。
失敗は常に自分の責任と肝に銘じる
失敗を他人のせいにばかりしてきましたがこれからは常に自分の責任であると肝に銘じて下さい。他人のせいで失敗することも確かにありますが元をたどれば成功へ軌道修正できなかった自分のせいです。高いプライドは捨てて失敗と向き合いましょう。失敗が自分のせいだと思えるようになれば他人に威圧的な態度を取ることがなくなります。自分は完璧ではないことにも気づくので自己評価を現状にすり合わせることができます。失敗を克服するために行動するようにもなり努力を覚えるでしょう。
自分にはまだまだ伸びしろがあることを忘れない
あなたは完璧ではありません。ある程度は優秀かもしれませんがまだまだ伸びしろがあることを忘れないようにしましょう。伸びしろがあることに気づけばもっと自分を高めたいと思えるはずです。あなたより優秀な人も毎日努力を続けているのです。成長できることを楽しみながら努力をしましょう。慢心せずにコツコツと努力を積み重ねていけば周囲の人のあなたを見る目も変わります。高い目標を持ち時には周囲の人と協力して目標達成に挑みましょう 。
驕りがある人との付き合い方
驕りがある人が近くにいるとどうしても付き合いが生まれます。距離を置くことのできる立場であれば問題ないですが上司と部下のような関係では中々難しいでしょう。
ただ自慢話を我慢して聞き続けるのは苦痛です。驕りがある人からストレスを受ける必要はないので付き合い方を学びましょう。
付き合い方がわかれば驕りがある人と関わっても最小限のストレスで済ませることができます。驕りがある人との付き合い方を見ていきます。
真に受けない
まずは真に受けないことが大切です。自慢話にいちいち相槌を打ったり見下された態度に傷つくことはありません。相手のことは正しい自己評価ができない可哀想な人だと思って接すれば良いのです。相手の態度を真に受けていると自分は見下されるくらい価値の低い人間なのかと不安になります。怒りを覚えることもあるでしょう。驕りのある人に感情を振り回されるのは時間の無駄です。相手は自分のことしか考えていないですし決して価値の低い人間ではありません。自信を持って、自慢話は聞き流すようにしましょう。
あまりその人との会話に時間を割かない
驕りがある人との会話には時間を割かないようにした方が良いです。永遠と過去の栄光について語られるので時間を無駄にします。ずっと相手の自慢話ばかりで話題を振ってくれることもないので話していてもつまらないです。自慢話が始まりそうになったら「仕事があるので」と言って話を切り上げてしまいましょう。プライドが高いのでしつこくしてくることはないはずです。優しく話を切り上げれば相手が不快に感じることもありません。我慢をする必要はないので自分の時間を大切にして下さい。
気にせず自分の仕事を全うする
自分の仕事を全うすることに集中しましょう。驕りがある人を気にしていてはいつまでも仕事が終わりません。仕事に精を出せば自慢話を聞かずに済みますし、きちんと上司は評価をしてくれます。驕りのある人が上司で正当な評価をしてくれなくても他の上司はきちんと見ていてくれるので大丈夫です。もしも真面目に仕事に取り組んだことで何かあら探しをされるようなことがあればすぐに周囲の人に相談をしましょう。普段から真面目に仕事をしていればわかってくれるはずです。
驕りを失くせばさらに成長できる!
元々能力はある人なので驕りを失くせば成長できます。慢心して努力を怠り他人を見下しているから成長が止まっているだけなのです。
驕りがある人は他人を思いやり、感謝と謝罪の気持ちを伝えることから始めましょう。少しずつ努力できるようになれば人は変われます。高い目標を持ち前向きに進みましょう。 

 

●「健全な自尊心」を持つことが大切な理由 
『自分の価値に気づくヒント』(ジェリー・ミンチントン著、弓場隆訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者は、『うまくいっている人の考え方』『心の持ち方』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)などのベストセラーを生み出してきた著述家。最新刊である本書においては、「自尊心を持つ」ことの重要性を強調しています。
「 あなたがどれくらい成功するかは、自尊心の度合いに左右される。ここでいう自尊心とは、おごりや高ぶりのことではなく自分の価値を認める気持ちのことだ。自尊心の乏しい人は、無意識に成功を避ける傾向がある。たとえば、1. 高い地位を与えられても、「自分はつまらない人間だ」と思い込んでいるかぎり、自滅してその地位から転落しやすい。2. 汗水たらしてお金を稼いでも、「自分は裕福になるに値しない」と思い込んでいるかぎり、すぐにお金を使い果たすおそれがある。3. 素晴らしい恋人を見つけても、「自分にはふさわしくない相手だ」と思い込んでいるかぎり、なんらかの方法で相手を遠ざけてしまいかねない。健全な自尊心を持とう。「自分は成功するに値する人間だ」という信念を持とう。そうすれば、自分の成功を素直に受け入れて充実した人生を送れるようになる。(「はじめに」より) 」
きょうは第1章「新しい自分を創造する」に注目してみたいと思います。
自分を受け入れる
ほとんどの人は、あるがままの自分のことがそれほど好きではないと著者は指摘します。自分に長所があることはわかっていても、それ以上に短所があることを痛感しているから。そのため私たちは、自分がまだ完璧ではないという理由で、完璧な人間になるまで自分を受け入れようとしないというのです。しかし、ここで意識すべきは、次の重要な考え方だといいます。
「 1. 完璧である必要はない。あるがままの自分を受け入れればいいのだ。変えたい部分は誰にでもあるものだが、それも自分の一部なのだから受け入れる必要がある。2. 自分をあまり厳しく批判してはいけない。ときには好ましくない行動をすることもあるが、だからと言ってダメな人間というわけではない。それはむしろ正常な人間である証しなのだ。(18pより) 」
そして、ここにも重要な事実があるのだとか。それは、自分の好ましくない部分を受け入れて、初めて変化が起こせるようになるということ。だからこそ、「自分を受け入れるために変わる必要はない」と心に刻んでおくべき。変わるためには、まず自分を受け入れることが大切だということです。(18ページより)
自分の価値を信じる
子どものころは誰もが繊細で敏感。そして人は誰しもその多感な時期に、自分について多くの信念を持つようになるもの。そこには、幸せな人生を送るのに役立つ有益な信念もあれば、不幸な人生の原因になる有害な信念もあるわけです。
なお後者には、「自分は人間として価値がない」という信念も含まれるのだといいます。しかも、そのような信念を持っている人が存在するということを意外に感じるかもしれないけれど、それは決して少数派ではないと著者はいうのです。それどころか、ほとんどの人がそういう有害な信念を持っているのだとも。なぜなら成長の過程で周囲の大人から、「おまえは欠点だらけだから価値がない」という意味のことを何度もいわれているから。
しかし、それは完全に間違っていると著者は主張します。周囲の人がどれほど過小評価しようとも、自分自身が大きな価値のある人間であることは間違いないから。だから、誰かが自分の価値をおとしめる発言をしたとしても、それは真実ではないといいます。他のすべての人と同じように、最高の人生を送る価値のある人間だということです。(20ページより)
自分を認める
「自分はこの世の中のひとつの歯車にすぎない」とか、「自分がいなくても、世の中は同じように動き続ける」などと考えたくなることは少なからずあるもの。また自分がとるに足らない存在だと思い込んでいる人は、自分の仕事についても同じように思ってしまいやすいのだそうです。
そしてたいていの場合、私たちが重要だと思っている仕事は、高学歴を必要としたり、人命を救助したり、特別な才能を発揮したりする仕事でもあります。つまりマスコミに取り上げられないとか、栄えある賞を受賞していないという理由で、私たちは自分のしていることがとるに足らないと思いがちだということです。
しかし、たとえ世間の注目を浴びなかったとしても、決して無意味な存在ではないはず。程度の差こそあれ、各人の活動は、多くの人の生活に対してなんらかの貢献をしているものだから。
それは、池の水に石を投げたときに起きる現象と似ていると著者は表現しています。石が水面に当たると、その影響はさざなみを発生させて広がっていくもの、それと同じだという考え方です。
自分自身の日々の活動は、多くの人の生活に貢献しているもの。同じように多くの人の活動もまた、私たちの生活に貢献しているはず。つまり、人はみな、貴重な社会貢献をして支え合っている存在だということ。(22ページより)
変化を受け入れる
ほとんどの人は、望みどおりの人生を送るために努力をします。友人と知人を選び、配偶者を決め、衣食住の工夫をし、それ以外の部分についても細心の注意を払って快適な生活を送ろうとするわけです。
そしてその後、うまくいけば長期にわたって物事は順調に進むでしょう。ところが、どれだけ念入りに計画をし、どんなに努力をしたとしても、人生を変えるようなことは起こるもの。それまで夢見心地の状態だったにもかかわらず、突然、厳しい現実が降りかかったりするわけです。
つまり私たちの生活は、一瞬にして変わることがあるのです。問題が発生する可能性はいくらでもあるので、それは決して避けられないこと。たとえば身近な人の死、失業、自己、離婚、倒産などなど。そしてそれらの出来事は、大なり小なり、私たちの生活に影響を与えることになります。
人生は絶えず動いているもの。もちろん好ましい方向に動くこともあるけれども、そうでないこともあるわけです。そんな事実を受け入れることは、運命論でも悲観論でもなく、人生の現実を素直に認めることだと著者はいいます。そういう意識を持って生きていけば、不測の事態に備えることができるわけです。
そして著者は、「変化をいやがることは重力をいやがるようなものだ」とも記しています。どんなに忌避しようとも、人はみなその影響を受けるもの。人生の転機が訪れたときの選択肢は、変化を受け入れるか、もしくは抵抗するかのどちらか。しかし、変化を受け入れたほうが、うまくいくことが多いといいます。
つまりは、好奇心を持って生きていくこともできるし、警戒しながら生きていくこともできるということ。そして大切なことは、人生は悪い方向に変化することもあるけれど、心の持ち方次第で好転させることもできる事実なのだそうです。(30ページより)
夢をかなえる努力をする
人はみな、将来のために素晴らしい夢を見るものです。仕事で実績を上げ、地位を確立し、財産を築き、豪邸を建て、魅力的な異性と愛し合い、高級車を乗り回し、美しい観光地を訪れるなど、ワクワクしながら夢を見て毎日を過ごすわけです。
しかし、そのような楽しい想像にふけったあとは、退屈な現実にいやいや意識を戻すことになります。そしてそこには、さっきまで見ていた夢のような喜びはないもの。そこで白昼夢が現実になることを望み、幸福と財産と恋愛への近道を探し続けたりもします。たとえば宝くじに当選するか、莫大な遺産を相続するか、なんらかの幸運に恵まれて不自由のない生活を送れるようになることを願うわけです。
とはいえ大多数の人にとって、それはやはり想像上の出来事にすぎないもの。でも、そうである必要はないと著者はいうのです。なぜなら人はみな、この世界のなかで欲しいと思うものはほとんどなんでも手に入れることができるから。唯一の課題は、ある程度の努力をする必要があるということ。つまり、重要なのはこの点です。
ところがそれこそ、多くの夢が立ち消えになるゆえん。理由は明白で、夢を見るだけの人は、欲しいものを手に入れる努力をしたがらないから。
望んでいるだけではなにも起こらないし、夢を見ているだけなら、それは単なるお願いごとでしかないわけです。夢をかなえる努力を惜しむのであれば、夢はいつまでたっても現実にならないということ。欲しいものは、努力によって手に入れるべきだという考え方です。(34pより)

一項目一見開きでコンパクトにまとめられているため、空いた時間を利用するなどして楽に読むことができるはず。その結果、失いかけていた自尊心を取り戻すことができるかもしれません。 

 

●誇りと驕り 
「人からよく思われたい」「優れた立場になりたい」「尊敬されたい」等々、そうした思いは誰にでもあるものです。そのために、何かを目指して習い事を始めたり、物事を極めるといった行動は素晴らしいことです。
目標に向かって努力している姿そのものが輝いていますし、そこで何かを習得・達成できたとき、それは自分にとっての揺るぎない実力・自信となって、「誇れるもの」の一つとなり、周りから尊敬され、魅力的な人となるでしょう。
しかし、よく思われたいという下心が先行し、形ばかりを追い求めて、方向違いの苦労を重ねている人も散見します。「誇り」「プライド」を持てとはいってみても、形式や見た目に拘〈こだわ〉ったり、自己主張が先行し過ぎてしまったりすると、偉そうな雰囲気、驕〈おご〉り、傲慢な態度となって、相手に不快感を与えてしまいます。尊敬されるどころではありません。
誇りやプライドは、自らがつくり上げ、大切にしている「思い」とも言えるでしょう。「思い」ですから目には見えません。それを人に見せようと無理をしたとき、相手には高慢な人と映ってしまうものです。
他人の目に左右されることなく、自らが汚さぬように持ち続け、大切に育てていくものが誇りでありプライドです。甘い誘いや誘惑に出くわした時こそ、プライドを持って自らを律していきたいものです。そうしているうちに目には見えないところで評価され、尊敬を受けることになるでしょう。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があります。これは高慢にならず謙虚でありなさいと自然が教えている譬えですが、自分の中の高慢心に気づいたとき、すぐに改めることは大切なことですが、必要以上に謙遜したり、自分を卑下して見せることは賢明な方法とはいえません。口先、小手先だけの態度、詭弁となって周りに不快感を与えることになってしまいます。謙虚さにも「品格」が必要ですね。
本来の謙虚さとは、人からよく思われたい、優れた立場におかれたい、尊敬されたいといった要求心を捨て去り、ひたむきな努力をしていくことではないでしょうか。単純に、自分の立場を下げて相対的に相手を上にするのではなく、自分の立場を変えずに相手を敬愛し尊重し、相手を高めていく、そして何事にも感謝する心が謙譲の美徳だといえるでしょう。
人は誰しも他人の目が気になってしまいがちですが、誇りをもって、驕りを捨て、謙虚に、気品を保って生きていきたいものです。  

 

●「ベテラン記者の警告、メディアの驕り」 
いま読むべき書は廣淵升彦氏の『メディアの驕り』(新潮新書)だと言ってよい。
わが国では加計学園問題で、「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」をはじめ、放送法によって公正中立を求められている「NHK」など、いわゆる「主流」の報道機関がメディア史に汚点として残るであろう偏向報道に狂奔中だ。民放各局の報道番組の大半、ワイドショーの殆ども例外ではない。
そんな中、廣淵氏が警告する。「変に使命感に駆られ、存在もしない物事を興奮気味に伝える報道が、どれほど危険なものか」と。
氏はテレビ朝日のニューヨーク、ロンドン支局長を経て、報道制作部長などを歴任した。氏のメディア論は、「ベニスの商人=悪人」論は間違いだという指摘に見られるように、豊かな素養に裏づけられている。
どの国でも、メディアは強い力を持つ政治家を倒すのが好きである。優しく国民に耳を傾ける政治家を持ち上げるのも好きである。政治家を、その主張が国益に資するか否かより、好悪の情でメディアが判断すれば、国全体がポピュリズムに陥り、政治家は支持率のためにもっと国民の声に耳を傾ける。だが、そのことと国益は必ずしも一致しない。
廣淵氏が指摘するフィリピンのアキノ革命がその一例だ。フェルディナンド・マルコス政権下で、ベニグノ・アキノ元上院議員が暗殺され、20年近く続いていたマルコス政権の崩壊が始まった。約3年後、アキノ夫人のコラソン氏が大統領に就任した。廣淵氏はコラソン氏の「外交音痴」を、彼女が訪日したときに記者会見で語った「ベータマックス」という一語から嗅ぎとっている。詳細は前掲書に譲るが、氏の感覚の鋭さを示すエピソードだ。
廣淵氏はまた、フィリピンの国運を現在に至るまで揺るがし続けている、コラソン氏の外交政策の過ちについても指摘している。
マルコス政権後に誕生したコラソン大統領をアメリカは非常に大切にしたが、彼女はフィリピン国内の極左勢力が盛り上げた反米感情と、「民衆の望むことを実行するのが民主主義だ」、「米軍基地はいらない」と喧伝するメディアの圧力に負けて、致命的な間違いを犯した。
○大衆に迎合
フィリピンは、第二次大戦後、自国防衛のための軍事力を殆ど整備してこなかった。国内にはスービック、クラークという、米軍の2大基地があり、同国は米軍によって守られていた。その2つの基地を、コラソン氏は1年以内に閉鎖し、米軍に退去するよう求めたのだ。
本来なら、大統領として、米軍のプレゼンスを保ち続ける場合と米軍が退去した場合の、メリットとデメリットを忍耐強く大衆に説いて聞かせ、米軍の駐留を継続させるべき場面だった。しかし彼女は絶対に迎合してはならない局面で、大衆に迎合した。
米軍がスッと引いたとき、間髪を容れずに中国の侵入が始まった。以来、中国の侵略は続き、フィリピンの海や島々は中国海軍の基地となり果てている。
コラソン・アキノ氏の長男が2010年から昨年まで大統領だったベニグノ・アキノ3世で、彼は母親の不明なる外交政策ゆえに奪われている南シナ海のフィリピン領土を守るべく、仲裁裁判所に訴えた。
しかし、ロドリゴ・ドゥテルテ現大統領は中国との戦いをほぼ諦めている。フィリピンは中国の力にますます搦めとられていくだろう。米軍の存在を国家戦略上必須のものと認識できなかったフィリピンが、領土や海を中国から取り戻すことは至難の業だ。コラソン氏の判断の誤りが中国の侵略とフィリピンの国運の衰退につながっている。
廣淵氏はアメリカ3大ネットワークのひとつ、CBSとエド・マローも事例として取り上げている。
日本の「新聞出身のキャスターたちの『私見を言いたい欲望』」がテレビニュースの質を著しく低下させたと指摘する廣淵氏は、その対極としてのマローに言及する。
ドイツがポーランドに侵攻した1939年、マローはロンドンから日々戦況を報じていた。眼前で起きている現実を私見を交えず冷静に報道し続けたマローはメディアの英雄となる。第二次大戦後に帰国した彼はCBSの顔となり、1950年代に入ると上院議員、ジョセフ・マッカーシーと対峙する。マッカーシーは、国務省は250人の共産党員に蝕まれていると断じて、糾弾し、疑わしい者を追放し続けた。「赤狩り」旋風が全米に巻き起こったのだ。
マッカーシーに挑むマローの手法は、徹底して主観を排除した事実報道だった。マローの番組で反論する機会を与えられたマッカーシーは「汚い言葉」を連発し、「煽動家の本性」をあらわにした。結果、彼は支持を失い、政治生命を失った。
○真実を知る
こうした経緯を記し、マローが「アメリカの言論の自由を守った」と、廣淵氏は書いた。たしかにマローはジャーナリズムの学校では、目指すべき理想の人物として教えられている。だがこの話には続きがある。
マッカーシーが共産主義を告発する前にも、すでにルーズベルトやトルーマン両大統領の時代に、ソ連の工作員や諜報員が米政府中枢部深くに潜入していたのである。こうしたことは、ソ連崩壊後にクレムリンから大量の情報が流出し、或いはアメリカ政府が戦後50年を機に公開を始めたVENONA文書(米国内でのソ連諜報員の通信文の解読文書)などによって明らかにされてきた。
大部の資料は、マッカーシーが警告した共産主義者のアメリカ政府中枢への浸透が事実だったことを示している。悪名高い「赤狩り」の張本人、マッカーシーは実は正しく、マローが間違っていたということだ。
真実を知るとはなんと難しいことか。事実発掘を使命とするジャーナリズムのなんと奥深いことか。半世紀がすぎて公開された資料でどんでん返しが起きてしまう。ジャーナリズムという仕事に対して粛然とした思いを抱き畏れを感ずるのは私だけではあるまい。言論人として、報道する者として、どれ程注意深くあらねばならないかということだ。
廣淵氏は偏向報道に傾く日本の現状の中で、「知力」を磨き、理想や理念、美しい言葉に酔うのをやめることを提言する。「実現不可能な理想を口にする人々、行政能力がないのに理念だけで国家や組織を動かせると信じている」リベラル勢力に報道が席巻されてはならないということだろう。リベラル勢力の最たる現場であるメディアの、その驕りを抉り出した著作の出版を、私はとても嬉しく思う。報道の偏りが顕著ないま、ぜひ読んでほしい。 

 

●民進系「右往左往」と政府・自民「驕り」の復活 2017/11 
自民圧勝だった衆院選を受けた11月1日の特別国会召集を前に、民進党系野党の右往左往と、それにつけこむ政府・自民党の驕り(おごり)が復活し、それぞれが永田町政治の醜態を露呈している。
党分裂の後始末で揺れる民進党は選挙後の一連の両院議員総会での「党存続」決定と前原誠司氏の代表辞任を受けて、10月31日午後受付の代表選に唯一人立候補した大塚耕平参院議員(元厚生労働副大臣)を、その後の両院議員総会で新代表に決定した。複数立候補も予想されたが「代表選をやればさらに亀裂が走る」(長老)との"民進党的理由"で大塚氏に1本化した結果だ。
「民進系勝ち組」の立憲民主党は枝野幸男代表を先頭に野党第1党としての党組織の整備などに忙殺され、第2党の希望の党も小池百合子代表(都知事)に代わる国政リーダーの共同代表選出の先送りを余儀なくされるなど、党内混乱が収まらない。そうした野党の窮状をあざ笑うように、政府・自民党が国会での野党の質問時間削減に動いたことで、召集前から与野党対立が先鋭化し、一定の会期が設定されても「内政・外交などでの真っ当な国会論戦は望めそうもない」(自民幹部)という政党政治の危機になりつつある。
「ババ抜き」の果ての大塚新代表就任
党存続により、党籍を持つ衆参議員の合計数なら依然、「野党第1党」の民進党だが、新代表選びは「誰もババを引きたくない」という沈鬱な空気の中、テレビ出演などで一定の知名度もある大塚氏の無投票当選となった。当初、有力視された岡田克也元代表は「無所属での当選」などの理由で固辞し、名前が挙がった小川敏夫参院議員会長や蓮舫前代表も「損な役回り」に尻込みして、大塚氏にお鉢が回ったというのが実態だ。
大塚氏は日本銀行出身の参院当選3回で58歳の幹部議員。厚労副大臣などを務めた経済政策通の論客で、予算委員会などでの政府側との丁々発止のやり取りで党内でも評価が高い人物ではある。ただ、折り目正しい理論派だけに、野党再結集の「結節点」となるような権謀術数を期待する向きは少ない。
31日午後3時過ぎから開かれた両院議員総会で新代表に決まった大塚氏は、「力不足は重々承知の上で誠心誠意代表を務めたい」と低姿勢で就任挨拶を始め、今回衆院選で民進系の立憲民主、希望両党の比例選での得票合計が自民党を200万票余も上回ったことを指摘して、「次期総選挙では立憲民主と希望と民進で政権交代を成し遂げたい」と党再生と野党再結集への意欲を語った。
さらに、「今日は間違えてはいけないので原稿を読んだ」と苦笑しながら「われわれが明るくなくては国民も政権を託そうなどとは思わない。明るい民進党にしたいのでよろしく」と締めくくり、会場の拍手に深く頭を下げた。大塚新代表は党員・サポーターも含めた本格代表選での選出ではないため、任期は来年9月までで、次期代表選は安倍晋三首相が「3選」を狙う自民党総裁選との同時進行となる。
党内には「そもそも、それまで民進党が存続しているのか」(有力議員)との声もあり、大塚新代表は就任あいさつとは裏腹に「政党清算手続きが最大の仕事」(同)となる事態も想定され、新リーダーとしては暴風雨に突っ込むような厳しい船出となる。
「会派の落差」で野党が「衆参ねじれ」の構図に
特別国会召集までに固まった各党、各勢力による衆院への会派届けをみると、自民党284、立憲民主党・市民クラブ55、希望の党・無所属クラブ51、公明党29、無所属の会13、共産党12、日本維新の会11などとなった。「ダブル不倫疑惑」で無所属当選となった山尾志桜里元民進党政調会長は立憲民主に入党しないままでの会派入り、希望の党は民進党代表を辞任したばかりの前原氏を無所属のまま会派に加えている。
一方、選挙のなかった参院は自民党・こころ125、民進党・緑風会47、公明党25、共産党14、日本維新の会11、希望の会(自由・社民)6、希望の党3などと前国会から大きな変化はない。衆院とは対照的に民進党が圧倒的な野党第1党の立場を維持し、会派のない立憲民主の福山哲郎幹事長は無所属扱いだ。
このため当面の国会運営は、衆院は「自公vs立憲民主・希望」、参院は「自公vs民進・共産」と衆参の構図が大きくねじれることになる。法案審議などは当然、衆参にまたがるため、政府提出の重要法案をめぐる与野党折衝も極めて複雑化し、特に野党陣営が混乱する可能性は否定できない。
そうした中で突然、政府・自民党が仕掛けたのが、野党の質問時間を制限する作戦だ。通常国会から首相らの頭痛の種となってきた「森友・加計学園疑惑」はまったく解明が進んでいない。首相は「真摯に丁寧に説明する」と繰り返してきたが、今回の質問時間見直しの動きは、「国会審議で野党追及の時間短縮を狙ったものであることはミエミエ」(共産党幹部)だ。
首相らは自民圧勝という結果にも「謙虚」を合言葉に笑顔も封印してきただけに「早くも地金が出た」(同)と批判されても仕方がない。野党側は「とんでもない暴論で妥協の余地もない」(枝野立憲民主党代表)などと猛反発している。
質問時間の落としどころは「4対6」だが…
与野党の国会でのそれぞれの質問時間は、国会運営上の慣例として議席数に比例させずに野党側に多く配分されてきた。論戦の主舞台となる予算委での質問時間配分をみると、2009年の政権交代前はおおむね与野党は「3対7」だったが、民主党政権下で強力野党だった自民党の要求で「2対8」となり、第2次安倍政権以降も基本的にそれが踏襲されてきた。
しかし、自民圧勝で多くが勝ち上がった当選3回組の一部議員が「われわれは『魔の2回生』と呼ばれ、大勢なので質問の機会も少なく、週刊誌などで『働かない議員』などと批判されてきた」として党執行部に議席数に見合った質問時間の確保を直訴した。これに首相も理解を示したことから自民党側が時間配分の「7対3」への逆転を提案したというのが経緯だ。
自民党も「あれは言い値で、落としどころは『4対6』あたり」(国対幹部)が本音とみられるが、野党側は「もともと野党時代の自民党が要求したもので、手の平返しも度が過ぎる」(共産党)と折り合う気配もない。
ただ、野党側も民進分裂の後遺症などで国会戦略はまだ定まっていない弱みもある。特に希望の党は代表質問などで自民追及の先頭に立つはずの共同代表が不在で特別国会後の選出を想定している。このため、自民が当初提案した特別国会の会期8日間を1カ月程度に拡大した場合は、会期中の共同代表選実施という異常事態ともなりかねない。それでは野党が要求する首相の所信表明演説と各党代表質問、さらには衆参両院での予算委審議や疑惑解明のための集中審議や証人喚問に対応するための野党態勢づくりがすべて後手に回り、「与党を利する結果」(立憲民主幹部)にもなりかねない。
いわゆる「加計疑惑」に絡んで政府・自民党が先送りしてきたとされる、文科省大学設置審議会での加計学園・獣医学部新設認可に関する最終決定や、森友学園問題での会計検査院の検査結果公表は、いずれも11月中に予定されている。だからこそ政府・自民党は「本格的な野党の追及」を年明けに先送りしたい思惑もあって、質問時間配分や国会会期設定で野党を揺さぶっているのだ。
特別国会が召集される1日は午前中の閣議で現内閣が総辞職し、昼前後の衆参本会議で議席指定や正副議長選挙などいわゆる院の構成を決めた上で首相指名選挙を実施、それを受けて首相が前内閣閣僚全員を再任して第4次安倍内閣を発足させる段取りだ。その後、首相は5日のトランプ米大統領初訪日による日米首脳会談を手始めに、14日まで連続するアジアの国際会議での首脳外交に専念することになる。
「化けの皮」がはがれれば「国民の信任」は崩壊
すべては、選挙での自民圧勝による「安倍1強継続」を背景とした安倍政権の優位性がもたらしたもので、敗北した野党陣営のみっともない離合集散劇がそれを後押ししている構図だ。3分裂した民進系各党はいずれも次期総選挙での政権交代を叫ぶ一方で、「仲間内での多数派工作に血道をあげている」(自民幹部)のでは安倍1強に対抗する術もないのは当然でもある。
しかし、それをいいことに「悪だくみも繰り出して野党を揺さぶれば、政権側も国民からのしっぺ返しを受ける」(首相経験者)ことは歴史が証明している。直近の世論調査をみると、選挙後にいったん支持が不支持を上回った内閣支持率が、再び逆転する数字も出始めている。首相らの「謙虚一点張り」の"化けの皮"が早くもはがれるようでは、漁夫の利で勝ち取った「国民の政権への信任」は時を置かずに崩壊しかねない。
狭量さが表に出過ぎた立憲民主党の驕り 2017/12
立憲民主党の幹事長は衆議院から出された方がいい。
個人的な怨念で立憲民主党に道を誤らせようとしているように思えてならない。
希望の党の人がこの方に何か意地悪をしたとか、この方の足を引っ張るようなことをした、などということは一度も聞いたことがないのだが、希望の党とは政策も理念も相容れないから三党の統一会派構想など検討する余地もない、と民進党の提案にけんもほろろの応対だったようだ。
まあ、参議院の民進党がこの方の参議院民進党会派入り要望を冷たく突き放したことがある、ということから、今度は自分の方も冷たく対応する、ということなのだろうが、如何にも子どもっぽい。
勿論枝野代表と十分打ち合わせた上での応対だとは思うが、人情の機微を心得ておられないようで、私から見れば実に拙劣な応対だということになる。
如何にも民進党を見下したような応対になっており、民進党ひいては希望の党と決定的な対立を招いてしまうような行動だ。
ちょっと狭量さが表に出過ぎている。驕り過ぎではないだろうか。
清濁併せ吞む、という言葉をご存知ではないのかしら。
自民党の二階幹事長のように振舞え、とは言わないが、どうも狭量に過ぎる。公党からの正式の申し入れに対しては、結論はともかく、礼を尽くして対応するのが日本の文化だと思うのだが・・。 

 

●支持者を堂々と「税金」で接待する安倍氏の驕り  2019/11/13 
「安倍氏の安倍氏による安倍氏のための会」
首相主催の「桜を見る会」が大炎上している。
毎年4月に開かれるこの会は、安倍政権の長期化によって少しずつ膨張してきた。プレジデントオンライン編集部では、今年5月にその問題点を指摘していたが、ここにきて「税金で地元有権者を接待している」という点に目が向くようになった。自民党の対応は鈍く、長期政権の致命傷となる可能性が出てきた。
プレジデントオンライン編集部は、以前から「桜を見る会」の問題に注目してきた。今年5月17日には「予算の3倍に膨張『桜を見る会』の政治利用」という記事を公開している。ここでは、安倍政権のもとで「桜を見る会」の参加者数や費用が右肩上がりに増えている点を指摘した。さらに今年の「桜を見る会」では作家の百田尚樹氏ら保守系の論客、つまり安倍晋三首相の「お友だち」が大挙して参加していたことから、「安倍氏の安倍氏による安倍氏のための会」ではないかと問題提起した。
バス17台連ねて850人が安倍氏の地元から上京
この問題が再燃したのは11月8日。参院予算委員会で共産党の田村智子氏が独自調査をもとにこの問題を取り上げた。
田村氏は、安倍内閣で閣僚だった稲田朋美氏、官房副長官だった世耕弘成氏、自民党総裁特別補佐だった萩生田光一氏らの後援会活動報告などに、後援会のメンバーが多数「桜を見る会」に参加したことが分かる記載や写真が掲載されていることを指摘していった。
さらに矛先は安倍氏に向けられ、地元の山口県議が14年の「桜を見る会」に際しブログで「今回は私の後援会女性部の7人の会員の方と同行しました。(中略)貸し切りバスで新宿御苑に向かい、到着するとすぐに安倍首相夫妻との写真撮影会」などと書いている話を暴露(現在は閲覧できなくなっている)。山口県防府市のライオンズクラブの会報を基に、安倍氏の地元から850人が貸し切りバス17台を連ねて参加したのではないかとただした。
自腹のカネが有権者に渡っただけでも辞任している
安倍氏は、懇親会などで後援者らと写真を撮っている事実は認めながら、招待客の選定基準といった内容については、セキュリティーなどの理由で「答えは差し控える」と述べるにとどめた。
田村氏の質問は、自民党議員らの情報を丹念に調べた労作ではある。ただし、「桜を見る会」に政権与党の後援者が相当数参加していることは周知の事実だ。安倍氏の「お友達」や後援者が多数含まれていることも多くの人が知っていた。それなのになぜ、秋も深まった今、「桜を見る会」の問題が盛り上がっているのか。
大きな理由は10月末の2つのスキャンダルだろう。
菅原一秀経済産業相は10月25日、秘書が有権者に香典を渡し、選挙区の有権者にメロンやカニを贈っていた疑いなどを指摘されて辞任。31日には河井克行法相が、参院選に出馬した妻の運動員に法定を超える報酬を渡していた疑いを報じられて辞任した。2人が批判を受けたのは「政治とカネ」の認識の甘さだ。いずれも自腹のカネが有権者や運動員に渡ったことの責任を取った。
「桜を見る会」はどうか。出席者によると樽酒、オードブル、軽食などが提供された。みやげもあった。メルカリをはじめとするフリマアプリには、みやげとして提供された酒升などが出品されている。
地元後援会の人間を堂々と「税金」を使って接待
もちろん選挙区から上京してくる後援者らは、交通費、宿泊費など応分の負担はしているだろう。それは後援会のツアーで東京1泊旅行をするのと同じだ。しかし、同じ1泊旅行でも浅草やスカイツリーを見学して帰る旅行に、「桜を見る会」が加われば価値は変わってくる。
菅原氏や河井氏は有権者に「自腹」で金品を配った。一方、安倍政権の幹部たちは「桜を見る会」において、地元後援会の人間を堂々と税金を使って接待している。
「政治家が自分のお金でやったら明らかに公職選挙法違反。(今回の件では)税金を利用している。モラルハザードを安倍政権が起こしている」という田村氏の指摘は多くの国民が共感しているのではないか。
「桜を見る会」の問題は、菅原、河井の両氏が辞任したスキャンダルよりも悪質ではないか。そういう疑念が広がりつつある。
二階氏は「何か問題あるか」と開き直ったが…
これに対して、政府・自民党側の動きは鈍い。二階俊博幹事長は12日の記者会見で、「桜を見る会」に自民党議員の後援者らが招待されていることについて「議員は選挙区の皆さんに、できるだけのことを配慮するのは当然のことだ」と発言。さらに党役員に「桜を見る会」に参加できる枠が割り当てられているとの指摘に対しては「あったって別にいいんじゃないですか。何か問題になることはありますか」と開き直るように、質問した記者にかみついた。
恐らく自民党議員の多くは二階氏と同じ考えなのだろう。長い間、政府と党による持ちつ持たれつの関係が染み付いてしまっているため、批判されていることに鈍感になっているのだろう。
安倍政権側は、菅原、河井の両氏が辞任した時に内閣や自民党の支持率が落ちなかったことで自信を深めている。しかし閣僚辞任ドミノではびくともしなかった政権の屋台骨が「桜を見る会」で揺らぐ可能性もあるのだ。
菅義偉官房長官は12日夕の記者会見で「桜を見る会」の開催要領を見直す考えを示した。しかし朝日新聞は翌13日の朝刊1面トップで「首相事務所 ツアー案内」という記事を掲載。安倍氏の事務所が「桜を見る会」を目玉とするツアー日程をプロデュースしている実態を浮き彫りにした。当面、国民の怒りは静まりそうにない。
対応の鈍さは、長期政権の致命傷となりえる
最後に「ブーメラン」の可能性について触れておきたい。ここ数年、政権与党側に問題が起きると、数日後に旧民主党などの野党勢力側にも同様の問題が浮上し、痛み分けとなるパターンが続く。「桜を見る会」についても、民主党政権時のことが「ブーメラン」となって返ってくるかもしれない。
民主党政権下では3度、「桜」の季節を迎えている。最初の2010年、鳩山政権下で一度行われたが、安倍政権で肥大化した現在の規模と比べると、内容は抑制的だったようだ。当時の民主党幹部らの後援会の参加が、今後取り沙汰されるだろうが、今の自民党幹部と比べると規模は格段に小さい。その後の2年は、東日本大震災後の対応などを優先して行わなかった。
この件に関しては野党側の傷は浅く、「ブーメラン」となることはなさそうだ。だからこそ、自民党の対応の鈍さは長期政権の致命傷となるかもしれない。
「桜を見る会」の開催中止を発表 (追記)
菅義偉官房長官は13日午後の記者会見で来年の「桜を見る会」の開催中止を発表した。
大学入学共通テストへの英語民間検定試験の導入問題で批判を受けた際に2020年度の導入の見送りを決断したように、この政権は旗色が悪いとみると方針を転換することで傷を最小限に食い止めようという手を打つことが多い。
今回の中止もそうなのだが、当日午前まで「(初めて開いた)昭和27年(1952年)以来の慣行の中で行われている」と説明していただけに、朝令暮改の批判は免れない。「中止」で逆風を止めるのは難しそうだ。 
 

 

 
  
 
 
 

 



2019/12