「身の丈」にあった生き方

英語民間試験
お勧め 「身の丈」にあったお受験

無理・背伸び・分不相応 破綻が待ってます
麦御飯も美味しいものです
身の丈にあった生き方 も生き方です  

ですが お受験のチャンス
受験生全員に 平等の環境・土俵を整えるのが 文科省のお仕事では
 


 
 

 

身の丈・身の丈に合う・身の丈に合った
頭の先から足までの長さ。身長。背丈。 「 −六尺を超す大男」
身長を意味する語であり、それより転じて「自分にふさわしく十分な程度」も意味する語。類語に「身の程」や「分」などがある。
せいの高さ。身長。背丈。また、自分の身長。「―二メートル余の大男」「―ほどに積もった雪」。(多く「身の丈に合った」の形で)無理をせず、力相応に対処すること。分相応。「―に合った経営」「―に合わせた生活を送る」「―を超える過大な投資」「―外交」。
衣服などが背丈、体の大きさにぴったり合っているさまなどを意味する語。転じて「分相応」という意味で用いられることも多い。
「身の丈にあった」の「身の丈」は「身長」のことだが、例えば「身の丈にあった生活」といっても、プロバスケットボールの選手の生活という意味ではない。「背伸びをするな」という言葉にも言い表されているように、この場合の「身の丈」は人間の能力や器量、経済力などの比喩である。しかも「身の丈に合った生活をしなさい」は、身の丈の小さい人、つまり能力や器量がなく、経済力も乏しい人に、貧しく虐げられた生活で我慢せよということを言いたいのである。そう言われると、身分制度を甘受する封建的な処世訓のようにも聞こえるが、それほどのことでもなくて、金も稼いでないのに見栄を張って、方々から金を借りて派手な生活をしているろくでなしを戒める、といった程度の用いられ方をする軽い言葉である。 
 
 
 
 

 

●報道諸話
英語民間試験(大学入学共通テストに導入予定)
2020年度の受験生から対象となる大学入学共通テストでは「読む・聞く・話す・書く」という英語の4技能を測る。グローバル化を意識した取り組みだが、特に「話す」のテストを一斉に実施することは困難なため、文部科学省は民間試験の活用を決めた。初年度は英検やGTEC、TOEICなど8種類が利用され、原則として高校3年の4〜12月に受けた最大2回の成績が、出願先の大学に提供される。大きな転換に配慮し、23年度までは入試センターが「読む・聞く」の2技能を測る試験を続ける予定だ。
見送り英語民間試験の問題点
大学入試センター試験に代わって2020年度から始まる大学入学共通テストの英語について、政府は「英検」「GTEC」といった民間の資格・検定試験の20年度の活用を見送る方針を固めました。受験開始が半年後に迫る中での大転換です。英語民間試験の活用は文部科学省が進めてきた高大接続改革(入試改革)の目玉でした 。
1 公平性に不安
民間試験の活用は「読む・聞く・書く・話す」の英語4技能を測るのが目的です。そのための新たなテストは作らず、既存の民間試験を使うことにしたわけですが、共通テストの一部である以上、受験生が住む地域や家庭の経済力による有利不利の差は、極力なくす必要があります。しかし、民間試験の会場は県庁所在地など都市部が多く、離島やへき地の生徒には旅費などの負担が生じます。所得が多い家庭の生徒ほど、練習のための受験を重ねられて有利だという見方もあり、「公平性が保たれないのではないか」という不安を招くことになりました。
2 確実に受験できる保障がない
活用が予定されていたのは6つの団体や企業が運営する7種類の試験です。英語はセンター試験で最も受験者が多い科目で、今春は53万人が受験しました。試験団体はこれだけの数の受験生が確実に受けられるよう、十分な試験会場を用意し、日程とともに余裕を持って公表する責任があります。ところが、この準備が難航しました。今になっても具体的な日程や会場は未定という試験が多く、受験生が希望する日時・場所で受験できる保障はないといわざるをえない状況でした。
3 試験の質にも疑問
実施面だけでなく、試験そのものにも課題が指摘されています。テストの専門家らは各回の試験の難易度が均等かどうかや、問題の漏洩防止などのセキュリティー、試験機器のトラブル対策などに疑問を投げかけています。目的も内容も違う各試験の成績を、CEFR(セファール)という対照表を使ってランクづけして比べる仕組みにも「無理がある」との批判が当初からありました。資格・検定試験としては定評があっても、受験生の人生を左右する入試として十分な質を備えているかが問われています。 
 
 
 10/24
BSフジ番組(24日放送)での萩生田光一文部科学相の発言
(司会) 民間の資格試験を使うということは、お金や場所、地理的な条件で恵まれている人が受ける回数が増えるのか。公平性はどうか。
(萩生田氏) それを言ったら「あいつ予備校通っていてずるいよな」というのと同じだと思う。裕福な家庭の子が回数受けてウオーミングアップができるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえば。できるだけ近くに会場をつくれるように業者や団体の皆さんにはお願いをしている。だけど、人生のうち自分の志で1回や2回は古里から出て試験を受ける。そういう緊張感も大事かなと思うんで、その辺、できるだけ負担がないような、いろいろ知恵を出していきたいと思う。 
 
 
 
 
 
 

 

 10/25
受験生の反発買った萩生田文科相「民間試験」発言 10/25
 「自分の身の丈に合わせて...」 
大学入学共通テストに導入される予定の英語民間試験について、萩生田光一文科相がBSテレビの番組で行った発言が、ツイッター上などで波紋を広げている。萩生田氏は一方で、負担軽減に努めたいと説明したが、地方の受験生などへの配慮が十分ではないという声も多いようだ。
「故郷から出てね、試験を受ける、そういう緊張感も大事」
「そういう議論もね、正直あります」。2019年10月24日夜放送のBSフジ「プライムニュース」で、萩生田氏は、キャスターの反町理さんの指摘にこう反応した。
英検やTOEFLなど民間試験を使うことについて、反町さんが「お金や場所、地理的な条件などで恵まれている人が受ける回数が増えるのか、それによる不公平、公平性ってどうなんだ」との声があるとして、その部分についての見解をただしたときだ。
萩生田氏は、議論を認めながらも、お金の懸念について、こう説明した。
「それ言ったら、『あいつ予備校通っていてズルいよな』と言うのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭の子が回数受けて、ウォーミングアップができるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえば」
民間試験は、年2回まで受けられる見込みになっている。また、地方の受験生については、次のように述べた。
「人生のうち、自分の志で1回や2回は、故郷から出てね、試験を受ける、そういう緊張感も大事かなと思う」
ただ、萩生田氏は、「できるだけ近くに会場を作れるように今、業者や団体の皆さんにはお願いしています」「できるだけ負担がないように、色々知恵出していきたい」とも述べた。
「実施団体に受験料軽減もお願いしている」
萩生田氏の発言については、負担軽減策に期待する声もあった。しかし、民間試験導入について敏感な受験生らも多いようで、放送直後に疑問や批判を書き込んだいくつかのツイートは、「いいね」が5000件以上も付く反響を呼んでいる。
ツイッター上ではその後も、「予備校と民間試験が一緒にされてんのは違う」「地方民は受験する身の丈もないということですか」「飛行機代とホテル代でいくらかかると」「経済状況による教育格差を助長する」といった意見が相次いで寄せられている。
民間試験には、野党から早期導入に反対する声が上がっている。立憲民主、国民民主、共産、社民4党は10月24日、公平な受験環境を整えるべきだとして、導入を延期する法案を衆議院に提出した。
TOEFLは、1回の受験で235ドル(約2万5000円)がかかる。英検は、最も受ける人が多いとみられるS-CBTの試験で、5800円(3級)〜9800円(準1級)だ。
文科省の大学入試室は25日、J-CASTニュースの取材に対し、お金の面の懸念についてはこう説明した。
「経済的に困難な家庭につきましては、試験の実施団体に受験料の軽減をお願いしています。TOEFLは、すでにこうした家庭に対し、受験料の15%を減額することを発表しており、他の団体も検討していると聞いています。子供たちに教育の機会を等しく得られるようにするのが国の立場です」
地方の受験生については、こう言う。
「特に基準を作っていませんが、ニーズのある場所に受験会場を設置するよう、実施団体に要請しているところです。英検は、設置候補をサイト上で公表しており、例えば、北海道のS-CBT会場は、札幌市のほか稚内市、北見市など9エリアで予定しています。離島の高校生については、交通・宿泊費に充てる補助金を予算要求しているところです」 
 
 
 10/26

 

英語民間試験巡り 萩生田文科相「身の丈」発言で大臣失格 10/26
ポンコツ英語民間試験を巡って、萩生田光一文科相から飛び出した「身の丈」発言が大ひんしゅくを買っている。
野党4党は24日、英語民間試験の導入延期法案を衆議院に提出した。
同日夜のBSフジの番組で、同試験で問題となっている経済格差や地域格差について萩生田氏は「『あいつ予備校通っててずるいよな』って言うのと同じ」「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」と開き直ったのだ。
25日夜、国会前で行われた民間試験中止を求める集会でマイクを握った慶大1年の男子学生は「萩生田文科相の言う“身の丈”とは、親の経済力、生まれた場所ということ。入試の入り口から格差が生まれてしまう」と顔を真っ赤にして訴えた。
身の丈に関係なく、同じスタートラインに立てるのが入試だ。貧乏で予備校に行けなくてもコツコツ頑張って、いざ入試会場に入れば、カネ持ち連中と同じ土俵で勝負できる。そんな最低限の機会平等を現職の文科相が公然と打ち消したのである。
萩生田発言は、ひとしく教育を受ける権利を定めた憲法26条や教育基本法4条に真っ向から反する。安倍首相が憲法や教育基本法を少しでも知っていれば、違憲・違法文科相を即更迭してしかるべきだ。すでに、首相の任命責任は発生している。  
大学入試改革を民間に丸投げする文科省の狙い 10/26
教育再生実行会議が描いた改革の青写真
現役の筑波大学附属駒場高校の2年生に、センター試験に代わって2021年1月に最初の試験が実施される「大学入学共通テスト」の問題点についてインタビューしたAERA.dotの記事が反響を呼んでいる。
「大学入学共通テスト。ひとことで言えばこれは入試ではありません。入試を入試じゃなくする制度です」(筑駒生、大学入学共通テスト中止を訴える 「ぼくたちに入試を受けさせてください」AERA.dot 2019/10/25)
いま大学入試改革で何が行われようとしているのか、どんな状況にあるのかを極めて正確に把握し、その欠陥・矛盾・欺瞞を的確に突いている。
彼自身は何も困っていないはずだ。彼はその他大勢の同世代の高校生のために声を上げている。SNSには「これぞノブレス・オブリージュ」「こういうひとに官僚になってもらいたい」「文部科学大臣と交換したい」という声があふれた。
問題がこれだけ山積みなのに、なぜ文部科学省はこのまま突き進もうとするのか。なぜこんな無茶なスキームを構築してしまったのだろうか。
11月1日発売予定の拙著『大学入試改革後の中学受験』でも詳しく解説しているが、そもそも今回の大学入試改革は、政権を奪取したばかりの自民党政権下で組織された教育再生実行会議が2013年10月31日にまとめた「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について(第四次提言)」を青写真としている。
以下がその概要だ。
センター試験について(番号は便宜上、筆者が付したもの)
(1)センター試験を廃し、代わりに「達成度テスト(基礎レベル)(仮称)」と「達成度テスト(発展レベル)(仮称)」の2段階のテストを実施する
(2)これらは年間複数回実施する
(3)これらは1点刻みではなく段階別の結果を出すようにする
(4)外部検定試験の活用も検討する
(5)コンピュータを使用した試験実施も視野に入れる
個別の大学入学者選抜について
面接、論文、高等学校の推薦書、生徒が能動的・主体的に取り組んだ多様な活動、大学入学後の学修計画案を評価するなど、多様な方法による入学者選抜を実施し、これらの丁寧な選抜による入学者割合の大幅な増加を図る。推薦・AO入試に関しては「達成度テスト(基礎レベル)(仮称)」の利用を示唆。
青写真を忠実に実現した結果の混乱
この教育再生実行会議の青写真を忠実に実現した結果、現在の混乱を招いてしまっているのだ。個別の大学入学者選抜については、2020年度には大きな動きはないので、特にセンター試験の制度改革について具体的に見ていこう。
(1)のセンター試験を基礎と発展の2段階に分けることについては、その発展レベルこそが、現在「大学入学共通テスト」と呼ばれているテストである。基礎レベルについては「高校生のための学びの基礎診断」と呼ばれている。
大きな混乱を招いている英語民間試験は、大学入学共通テストの一環として導入されるものであり、2024年度からは大学入学共通テストの「英語」という受験科目はなくなり、民間試験に完全移行する方針になっている。
経済的な負担、地域による受験機会の不平等、複数の試験を同一指標において使用することの限界などの問題が指摘されているにもかかわらず、文部科学省が英語民間試験の導入にこだわる理由の少なくとも1つは、これを導入することで、センター試験の制度改革として掲げられた上記(2)〜(5)のすべてをクリアできるからだ。
(2)の複数回実施は、英語民間試験を2回まで受けられるという形で実現する。(3)の1点刻みではなく段階別の結果を出すというのは「英検2級」というような形で実現する。(4)の外部検定試験の活用はまさにそのものが実現する。(5)コンピューターを使用した試験は、英検のスピーキングのテストなどで一部実現する。
さらに、センター試験に代わる2つのテストのうちの基礎レベルにあたる「高校生のための学びの基礎診断」については、ほとんど報道もされぬまま、実は民間業者の各種検定やテストをそのまま活用する方針が決まっており、英語・数学・国語の3教科について、すでに文部科学省が認定を出している。当初はこの基礎レベルのテストについても大学入試センターがシステムを構築するかのようにいわれていたのだが、いつのまにか民間丸投げに方針を転換したのだ。
英語だけじゃない!さらなる民間試験丸投げへ
たとえば、「英検」「数検」「文章検」などの検定試験や、学研系の「基礎力測定診断」、ベネッセ系の「ベネッセ総合学力テスト」、リクルート系の「スタディサプリ 学びの活用力診断」などが認定を受けている。外部検定を活用し、複数回実施され、段階別の結果が得られ、場合によってはコンピューターも使用する。
こうすることで、教育再生実行会議の「第四次提言」で掲げられた、センター試験を廃止したあとのテスト体系の条件を、形ばかりではあるが、すべてクリアしたことになるのだ。これが政権の面目を保つための、役人魂というものなのだろうか。
大学入学共通テストの記述式問題や英語民間試験導入をめぐる大炎上の陰で、実は「高校生のための学びの基礎診断」を最初から民間検定試験に丸投げするスキームが、ほとんど報道されることもなく、よってほとんど批判されることもなく、するすると進んでいるのである。
現在文部科学省が作成する「高校生のための学びの基礎診断」のパンフレットには、これを大学入試に活用する可能性はまったく触れられていないが、平成28年3月31日の高大接続システム改革会議の「最終報告」には、2024年度以降これを推薦入試やAO入試などの一部大学入試にも使用する可能性が記載されている。
そしてそもそも大学入試改革の最終的な目的は、一発勝負のペーパーテストを減らし、推薦入試やAO入試のような形式の入試を増やすことである。つまり、これらの民間試験が、将来の大学入試の大部分において、大きな役割を担うことになっているのだ。そうすれば政権が喧伝した「明治以来の大改革」が完遂したことになる。
大学入試への「高校生のための学びの基礎診断」の活用について、パンフレットで触れなかったのは、方針が変わったのではなく、当面の批判を避けるためではないかとかんぐりたくもなる。
いまは「大学入学共通テスト」に批判が集中しているが、いずれ「高校生のための学びの基礎診断」へ話題が移るだろう。ギリギリのタイミングまで詳細を明かさずに、詳細が明かされて批判が出たときには「もう時間がない。いまさら後戻りはできない」と言って改悪をごり押しする手口を、2度も食らってはいけない。いまから「高校生のための学びの基礎診断」の運用方法についても厳しい目を向ける必要がある。  
 10/27 

 

萩生田光一文科相は「身の丈知らずの萩生田発言」を改められるか 10/27
10月24日(木)、2020年度から始まる大学入学共通テストの英語の民間試験について、萩生田光一文部科学大臣が「身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」などと発言し、反発を受けています。
確かに、萩生田文科相の発言は、「受験制度を決めるのは受験生ではなく、受験生は与えられた枠組みの中で全力を尽くすべきである」という観点からすれば、一考の余地があると言えるでしょう。
その一方で、既に本欄も指摘する通り、大学入試制度は受験者の人生のある部分を左右する要素であるため、新テストでは設定した目標の妥当性、正当性、適切性、そして受験者に対する公平性が最大限確保されないことは明らかです。
また、新テストの英語の試験が持つ構造的な課題についても、識者によって問題点が指摘されています。
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」という憲法第26条の規定を参照するまでもなく、教育行政の主務大臣であるとともに、新テストの実施に責任を負う文部科学省を主管する萩生田氏の発言としては受験者の機会の均等への配慮を欠くことは否めません。
そのため、萩生田氏の発言は、一面において教育に対する政府の役割について萩生田氏が無知であるか無関心であることを示し、他面において世帯所得が子どもの子ども学力に影響を与えることを示唆する最新の研究調査の結果を適切に理解していない可能性を推察させます。
このように考えれば、萩生田氏に対する批判は、文部科学大臣としての自らの分限を弁えず、しかも子どもの教育を取り巻く環境にも注意を払わない「身の丈知らずの萩生田発言」への適切な対応と言えるでしょう。
そして、萩生田大臣には、「過則勿憚改」という言葉の通り、速やかに前言の撤回と謝罪とにより、文科相としての自覚と責任を明示することが求められるのです。 
 10/28

 

萩生田文科相、英語民間試験の「身の丈」発言を謝罪 10/28
萩生田光一文部科学相は28日、来年度からの大学入学共通テストに導入される英語の民間検定試験をめぐり、「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」などとテレビ番組で語ったことについて、「受験生に不安を与えかねない説明不足な発言であった」として謝罪した。
記者団の取材に応じた萩生田氏は、発言の真意について「どのような環境下の受験生も、自分の力を最大限発揮できるよう、自分の都合に合わせて(2回まで受けられる民間試験を)全力で頑張ってもらいたいとの思い」だったと説明。そのうえで「説明不足な発言であり、改めておわびしたい」と述べた。
萩生田氏は24日のテレビ番組で、キャスターからの「(経済的に恵まれた受験生らが民間試験を)受ける回数が増えるのか」との質問に対し、「裕福な子が回数を受けて、ウオーミングアップができるみたいなことはあるかもしれないが、そこは自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」と発言。これがインターネットなどで、経済的に恵まれない受験生らに対する発言と捉えられたこともあり、反発が広がっていた。 
 10/29 

 

萩生田大臣「身の丈発言」〜野党は全体を見て議論するべき 10/29
萩生田大臣、身の丈発言で釈明
萩生田文部科学大臣は24日のBSフジの番組のなかで、2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される英語の民間試験について、「裕福な家庭の子どもが回数を受けてウォーミングアップできるというようなことがあるかもしれないが、自分の身の丈に合わせて2回をきちんと選んで頑張ってもらえれば」などと発言した。この発言に対して、経済格差による教育の格差を容認しているなどと批判の声があがり、28日に釈明している。
萩生田大臣)どのような環境下にいる受験生においても、自分の力を最大限発揮できるよう自分の都合に合わせて、適切な機会を捉えて2回の試験を全力で頑張ってもらいたいとの思いで発言をしたものです。国民の皆様、特に受験生の皆さんに不安や不快な思いを与えかねない説明不足の発言であったと考えておりまして、改めてこの場を借りてお詫び申し上げたいと思います。
飯田) 野党は「身の丈ウィーク」などと言っています。大学入試センター試験を廃止して、その後に共通テストという形で行うということです。1月にセンター試験をやっていましたけれど、そうではなく高校3年生の広い期間で、自分に合うタイミングを見つけてもらうというような趣旨だそうです。
議論するならば内容についてするべき〜一部分を捉えて追及するようなものではない
有本) この制度自体がわかりにくいところや、この番組で指摘されていたように、裕福な子は何回も受けられるのではないかという部分は、制度自体に問題点があるのではないか、それによって、受験生の親御さんは不安に感じているのではないかという問題が1つあるわけです。萩生田大臣は現任の大臣ですから、これを是正して行くために努力しなければいけないことは間違いありません。ただ、このBSフジの番組を観ていましたけれど、この部分だけを捉えて、それを失言だとして「身の丈ウィーク」と1週間以上かけて追及するようなものではないと思います。
飯田) 2時間の番組でした。
有本) いままでの試験のなかで、特にリスニングは当日の環境に左右される部分が大きいので、そこをどうするかというなかで出て来た案なのです。確かに少しわかりにくいし、果たしてこれで実力が図れるのか、という疑問が出ることは間違いありません。ですから、そこを議論するのであればわかりますが、この言葉だけで、経済格差による教育格差の容認だと言うのは無理があるでしょう。
河野防衛大臣の「雨男」発言
有本) ここに来て28日夜、河野太郎防衛大臣がご自身のパーティーのなかで、自分は雨男であるというような発言があった。自分が防衛大臣になってから既に台風が3つというところで、会場がどっと沸いたのですが、この種の切り取りとミスリードです。つまりその部分だけを切り取って、「この人たちは非常に傲慢な人間たちで、庶民のことを考えておらず、大臣としての資質はいかがなものか」と言う。でもここを批判して、私たちに一体何が生まれるのですかね、ということです。河野大臣について言うなら、防衛大臣になってすぐに大きな災害があったことも事実だし、自衛隊が関係する、例えばご即位に関する行事でも、自衛隊が大きな役割を果たした部分があるわけです。そういう大きな事柄がある一方で、通常の防衛体制というものを取っているのです。その点においては、新大臣は相当努力されていると私は評価しています。ご自身のSNSを使った発信も、災害のときには随分とやられています。あの発信を見ていると、本当に不眠不休なのだなということもわかります。そういうところを全体として見ることが本来の野党の役割であって、もしこの言葉1つでまた追及という話になると、本当に不毛な国会になりますね。
飯田) 全体の仕事を見て欲しいですね。
有本) そういうことです。それと萩生田さんの分野で言うなら、日本の教育にはもっといろいろな問題がありますから、与野党共にそこを追及していただきたい。 
萩生田文科相「身の丈」発言撤回 英語民間試験「予定通り実施」 10/29
萩生田光一文部科学相=写真=は二十九日の閣議後記者会見で、大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験を巡り「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」とテレビ番組で発言したことについて「撤回し、謝罪する」と述べた。
発言があったのは二十四日のBSフジの番組。萩生田文科相は二十八日に報道陣の取材に応じ「国民、特に受験生に不安を与えかねない説明不足の発言だった。おわびしたい」と述べたが、野党から「発言自体を撤回すべきだ」との批判が上がっていた。
二十九日の会見で萩生田文科相は「受験生を見下したり切り捨てたりすることを念頭に発言したわけではない」と強調。その上で、二〇二〇年四月を予定している民間試験の導入時期について「さまざまな課題があるのは承知の上で取り組んできた。さらに足らざる点を補いながら、予定通り実施したい」と話した。
民間試験は六団体七種類から最大二回まで受験する。受験料が二万円を超える試験があったり会場が都市部に限られる試験が多かったりして、経済格差や地域格差の問題が指摘されており、全国高等学校長協会は導入延期を求めている。
萩生田文科相は、民間試験導入で格差が拡大すると認識しているからこそ「身の丈」発言をしたのではないかと問われ、「制度としては平等性が担保されると思うが、そこにたどり着くまでの受験勉強の在り方は、(受験生の間で)イコールするのは難しいとの問題意識の中での発言だ」と説明した。 
萩生田大臣「身の丈発言」英語の民間試験に抗議や不安の声 10/29
萩生田文部科学大臣の「身の丈発言」で改めて注目される英語の民間試験。新たに導入される大学入学共通テストをめぐっては、来年度に受験を迎える高校生を中心に反対する声が上がっています。インターネットのSNS上では、4日前から共通テストの中止を求める署名活動も始まり、29日正午時点で、すでに7000人が賛同しています。
ツイッターの声
ツイッターでは、萩生田文部科学大臣の「身の丈発言」に対して、「地方の受験生のことを考えれば到底、看過できない」、「身の丈に合った受験方法?馬鹿にするのもいい加減にして」、さらに、「萩生田さんは謙虚に、この訴えを受け入れてください」などと抗議する声が相次いでいます。
署名に賛同した高校2年の男子生徒は「萩生田大臣の発言は制度が変更されることで不安を抱える受験生の気持ちを踏みにじるものです。国は当事者のことなんて何も考えていないことがよくわかりました」と話していました。
専門家「発言は教育の機会均等に反する」
教育政策に詳しい名古屋大学大学院の中嶋哲彦教授は「教育の憲法とされる教育基本法は経済的地位にかかわらず教育を受ける権利、つまり受験の機会を守ることを保障している。ただでさえ、英語の民間試験については、公平・公正な受験が可能か疑問視する声があがっている中で、今回の萩生田大臣の発言は、本来、国が施策によって、教育の機会均等を確保するという大前提に反していると言わざるをえない」と指摘しています。
萩生田大臣の発言について都内で高校生を対象に無料の学習塾を開いているNPOで話を聞きました。
現在、ここで勉強している生徒は15人ほどです。ひとり親の家庭などで、経済的に厳しく、民間英語の受験料など負担が増える新たな入試に不安を持つ生徒も少なくないといいます。
塾を運営するNPO「まちの塾フリービー」の木村裕子代表は「子どもたちは、大学進学などに費用がかかることを身に染みて実感しています。それなのに、大臣の『身の丈』という発言はお金がなければ教育の機会が与えられないと受け止められ、子どもたちは深く傷つく発言だと思います。子どもたちが平等に試験を受けられるように制度を整えてほしいです」と話していました。
そもそも「英語の民間試験」とは…
そもそも、「英語の民間試験」はどのようないきさつから導入が決まったのでしょうか。
入試制度改革 「話す力」と「書く力」も
毎年およそ50万人が受験する大学入試センター試験は、再来年1月から「大学入学共通テスト」という新たな試験に変わります。これは1990年に共通1次試験からセンター試験に切り替わって以来の大きな入試制度改革となります。
共通テストで大きく変わるのが英語の試験です。今のセンター試験の英語はマークシート方式とリスニングの2種類で、読む力と聞く力を測定しています。
これに対して、新たな共通テストは、日本人が苦手とする英語のコミュニケーション力を向上させるため、話す力と書く力についても、測定することを目指すことになりました。
そこで、文部科学省が活用を決めたのが、すでにこれらの力を問う英語の検定試験を行っていた民間事業者です。国は公募によって、2018年3月に、以下の7つの事業者を選びました。
○ ケンブリッジ大学英語検定機構が実施する「ケンブリッジ英語検定」、
○ Educatinal Testing Service実施する「TOEFL iBT(トーフル・アイビーティー)」、
○ ブリティッシュ・カウンシルと IELTS Australiaが実施する「IELTS(アイエルツ)」、
○ ベネッセコーポレーションが実施する「GTEC(ジーテック)」、
○ 日本英語検定協会が実施する「英検」、「TEAP(ティープ)」、そして、「TEAP CBT」、
○ 国際ビジネスコミュニケーション協会が実施する「TOEIC(トーイック)」です。
国はこの民間試験と並行する形で今の英語のセンター試験を、初めての共通テストとなる2020年度から4年間は従来どおり実施すると公表しています。
その仕組みは
この英語の民間試験は、第1回となる再来年1月に共通テストを受ける人たちの場合は、来月共通IDを取得し、来年4月から12月の間に希望する民間試験を選んで2回受けます。もし3回受けても2回分のスコアしか採用はされません。スコアは大学入試センターを通じて受験する大学に提供され、各大学の判断で出願資格や合否判定に使われる仕組みです。
戸惑う大学・短大 活用は6割ほど
こうした民間試験について全国の国立大学で作る「国立大学協会」は、2年前、活用する方針を明らかにしましたが、各大学からは戸惑いの声が上がりました。
その理由の1つが、難易度の異なる民間試験のスコアをどうして1つの物差しで測れるのか、でした。
これについて、国はセファールと呼ばれる国際的な基準により可能だとしましたが、厳格さが求められる合否判定に活用することは難しいなどとして北海道大学や東北大学など、見送る大学が出始めます。
さらに、東京大学などは受験資格には活用はするものの、合否判定には使わないことを決めました。
その結果、初年度に民間試験を利用する大学と短大は629校、全体の6割ほどにとどまりました。
事業者も混乱 中止求める高校 受験生
試験を行う事業者でも混乱が続いています。
事業者側も、公正公平な試験を実施するため、受験料や採点の体制、さらに試験会場などについて国からさまざまな注文が出されました。
これにより、事業者内部で調整が難航し、高校や受験生に対して、試験の日程や場所などの基本的なスケジュールがことし夏になっても示されないままでした。
さらに、7つの民間事業者のうちTOEICの事業者が7月になって、撤退することを明らかにし、混乱に拍車をかけます。
その結果、公立高校の校長でつくる団体は、試験の実施方法などの情報提供が不十分だとして、文部科学省に、初年度は民間試験を延期するよう異例の申し入れをしました。
さらに、受験生からも、試験会場が少ない地方は不利だという声や検定料が高すぎるという声が相次ぎます。
中にはSNSで試験に反対する署名を集める受験生も現れ、すでに賛同者が7000人分に上るなど反響を呼んでいます。
このように、混乱が続く民間試験ですが、9月に就任した萩生田大臣は「受験者が安心して活用することができるよう、万全の体制を整える必要がある」と述べて、不安払拭(ふっしょく)に努めつつも、試験は予定どおり実施する考えを重ねて強調していました。 
 10/30

 

「身の丈」発言 制度の欠陥認め見直せ 10/30
撤回ですまされる話ではない。「身の丈に合わせて頑張って」という萩生田光一文部科学相の発言は、英語民間試験では公平性が担保できないことを自ら示している。制度を見直すべきではないか。
大臣はもちろんご存じだとは思うが、そもそもの話から書く。教育の機会均等は憲法一四条の法の下の平等と、憲法二六条によって保障されている。
これを具現化し一九四七年にできた教育基本法は「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」とうたう。憲法一四条にはない「経済的地位」が追加された。貧富で子どもの未来が左右されてはならないという決意の表れだろう。二〇〇六年の改正後もこの部分は変わらない。
大学入学共通テストで導入される英語民間試験は機会均等の原則を損なう恐れがある。六団体七種類の試験は都市部での開催が中心で、受験料が二万円を超える試験もある。地方の受験生は交通費や、場合によっては宿泊費もかかる。共通テストで成績が使われるのは三年生で受ける二回だが、試験に慣れるためには同種の試験を繰り返し受けた方が有利だ。
萩生田文科相は自らの発言を撤回した二十九日の会見でも「制度としては平等性が担保される」と話す。しかし全国高等学校長協会が延期を求めるなどの異例の事態を見れば、教育現場がそう感じていないことは明らかだ。
すでに経済格差や地域格差が以前より高い壁となっている現実がある。〇八年のリーマン・ショック以降、首都圏の大学に通う地方出身者の割合は減少している。地方の受験生が挑戦しやすいよう制度を改革する大学もある。多様性が生み出す活発な議論が、イノベーションなどの新たな価値を生み出す効果を重視しているからだろう。
共通テストの民間試験も四年制大学の三割が使わず、出願資格とした大学でも別の手段で英語力を証明する余地を残したところもある。格差拡大への懸念が解消していないことの表れだ。
本来は格差を縮める努力をするのが政治家の役割だ。十一月には民間試験の利用に必要なID(個人の識別番号)の申し込みが始まる。混乱や懸念が拡大する中で新制度を強行してもよいのか。生まれた場所や家庭の経済状況だけではなく、この大臣のもとでの受験が不運だったと、受験生を嘆かせたくはない。  
「身の丈入試」大学入学共通テストとはそもそも何? 10/30
萩生田光一文科相の「身の丈入試」発言で、ようやく世間の注目を集めた、大学入試改革。教育現場を大混乱させている、2020年度開始の大学入学共通テストは、そもそもどんな内容が予定されているのか、変更点を中心にまとめた。
目的=大きく変化する時代の中で新たな価値を創造していく力を育てるために「学力の3要素」=<1>知識・技能、<2>思考力・判断力・表現力、<3>主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度を育成評価することが重要。そのために高校、大学、大学入試を一体改革する必要がある。
2020年度(21年1月)から現行の大学入試センター試験に代え「大学入学共通テスト」を導入。
「一般入試」「推薦入試」「AO入試」を、「一般選抜」「学校推薦型選抜」「総合型選抜」とし、いずれも「学力の3要素」をみる。
国語、数学=一部に記述式問題を導入。採点は約61億円で落札したベネッセグループの学力評価研究機構が担当する。「50万人分を短時間に公正に採点できるのか」「思考力などを問うという目的にほど遠い問題になり形骸化するのではないか」などの指摘がある。
英語=従来の「読む」「聞く」の2技能に加え、民間検定試験で「話す」「聞く」も評価する。来年4〜12月に6団体7種類から選択し、最大2回分を大学入試センターに登録。受験生が取得する共通IDで成績が大学に提供される。現在も日程、会場など未定が多く、教育現場で受験計画を立てられないなど大混乱している。また高校2年までに受けていても、高校3年時に受け直さなければならない。異なる試験は、語学能力を測る指標CEFR(セファール)で比較し6段階に分けるという。その成績の使用の可否、活用方法などは、各大学の判断。なお対策本を自ら販売する実施団体もある。参加予定だった大手の1つTOEICは今夏に「責任ある対応が困難」として撤退した。 
萩生田文科相、英語民間試験をめぐる「身の丈」発言を釈明し謝罪 10/30
萩生田光一文部科学相は30日の衆院文科委員会の冒頭、英語民間試験をめぐって自身が行った「身の丈に合わせてがんばって」との発言について、「国民のみなさま、特に受験生の皆様におわびを申し上げる」と謝罪した。
萩生田氏は「身の丈」発言について、「どのような環境下の受験生も自分の力を最大限発揮できるよう、自分の都合に合わせて適切な機会をとらえて、2回の試験を全力で頑張ってもらいたい思いで発言した」と釈明。「しかし、結果として、国民、特に受験生に不安や誤解を与えることになってしまったと考え、発言を撤回した」と語った。
そのうえで、英語試験の会場が都市部に偏っているため、「離島に居住する高校生らが、離島外で受験する際の費用の補助経費を概算要求するなど、今後とも受験生や高校関係者の不安の解消に向けて全力で取り組む」と述べた。 
英語入試、不公平さ露呈 「身の丈発言」文科相撤回 10/30
大学入学共通テストで導入される英語民間検定試験を巡り、萩生田光一文部科学相が「身の丈に合わせて頑張って」と発言したことが波紋を広げている。経済的に余裕がない家庭の子どもや、離島や山間部の受験生が不利になることを容認したとも受け取れるためだ。親の所得や育った環境で受験の公平性がゆがめられていいのか。新制度の旗振り役を担う閣僚の不用意な発言に、九州でも高校生や親から怒りと不安の声が相次ぐ。
「都会の子と同じスタートラインに立てないのを大臣が認めるのだとしたら納得がいかない」。鹿児島県の離島に住む県立高1年男子(16)は憤った。
6人きょうだいの末っ子。学生は自分だけだが、まだ親に生活費を頼るきょうだいもおり、家計が楽でないことを知っている。地域に塾はほとんどなく、模擬試験を受ける機会も少ない。新制度で大学受験することになるが、ただでさえ不利な島の受験生がさらに不利にならないか心配だ。
新制度は「英検」など7種類の民間試験の成績を大学が合否判定に活用する。受験料が2万5千円超と高額だったり、会場が都市部に偏っていたりする試験があり、以前から「不公平」と批判されてきた。
萩生田氏の発言は、24日放送のBSフジの番組で飛び出した。入試の際に登録できる成績は高校3年以降の4〜12月に受ける2回までだが、経済的に恵まれた受験生が何度も練習で受ける可能性を認めた上で「身の丈に合わせて2回をきちんと選んで」と述べた。
「今でも経済的理由で模擬試験をためらう子がいる。文科相は現場を分かっているのか」。宮崎県の公立高の40代教諭はあきれ顔でこう話す。熊本県南阿蘇村の女性(52)は、高校2年の娘が受験会場の多い英検に絞って試験対策を進めていることを明かし「田舎の受験生にとって、やる気がそがれる制度だ」と疑問を投げる。
萩生田氏は28日、「受験生に不安を与えた」などと陳謝し、29日の記者会見で発言を撤回した。ただ、民間試験導入については「さまざまな課題があるのは承知の上で取り組んできた。さらに足らざる点を補いながら、予定通り実施したい」と述べた。
もう再考することはないのか。福岡教育大の中島亨教授(英語音声教育)は「このままだと恵まれた受験生ほど試験対策ができ、教育の機会均等を崩す。導入は時期尚早。最終的には撤回すべきだ」。福岡県久留米市の高校2年女子(17)は「一生を左右する試験だから、どんな環境でも平等でないといけないと思う」と訴える。 
BSフジ番組(24日放送)での萩生田光一文部科学相の発言
(司会)民間の資格試験を使うということは、お金や場所、地理的な条件で恵まれている人が受ける回数が増えるのか。公平性はどうか。
(萩生田氏)それを言ったら「あいつ予備校通っていてずるいよな」というのと同じだと思う。裕福な家庭の子が回数受けてウオーミングアップができるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえば。できるだけ近くに会場をつくれるように業者や団体の皆さんにはお願いをしている。だけど、人生のうち自分の志で1回や2回は古里から出て試験を受ける。そういう緊張感も大事かなと思うんで、その辺、できるだけ負担がないような、いろいろ知恵を出していきたいと思う。 
英語民間試験の導入でついに現実となった優生学的教育制度 10/30
萩生田光一文部科学相の暴言が話題になっている。来年度から始まる「大学入試共通テスト」で導入される英語の民間試験が、居住地や経済力に恵まれていない受験生を著しく不利にする問題について、「身の丈に合わせて頑張ってもらえば」とホザいたのだ。
24日に放送されたBSフジの番組。かりそめにも文科相の肩書を持つ者が、何という言い草か。とうとうここまで来てしまったかと、天を仰いだ。直ちに連想したのは、1990年代末の取材だ。私は拙著「機会不平等」に書く目的で、それまで教育課程審議会の会長だった作家の三浦朱門氏(故人)に会っていた。2002年度から小中学校の授業時間と内容が3割がた減る、平均学力の低下が懸念されますがと尋ねると、彼は、
「平均学力が下がらないようではどうにもならん。できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいい」
教育とは裕福で、教育熱心な家庭の子のためのみにある、と言い放たれたようなものだった。零細な鉄屑屋の倅で、落第スレスレの“ビリメン”都立高校生だった経験のある私は(居座ったが)、目の前の相手をぶちのめしたい衝動を必死で堪えつつ、こんな言葉も引き出した。
「欧米の(平均)点数は低いが、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければ。それが“ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどくいっただけの話だ」
三浦氏は文化庁長官だった80年代にも、スポーツ雑誌で〈女性を強姦する体力がないのは、男として恥ずべきこと〉だと、それこそ男として恥ずかしい異常な理屈を開陳し、国会で取り上げられた前科がある。教育関係の審議会をそんな人物に託した政府自体の異常性も問われるべきだった。
あれから20年。私が警鐘を乱打し続けてきた優生学的教育制度の不安は、完全な現実となった。“グローバル人材”の育成と愛国心の涵養を両輪とする教育改革の狙いは自明だ。彼らにとって下々の人生など、ただ己に奉仕させる道具以上でも以下でもないのである。
萩生田氏は謝罪したそうだが、その程度で済ませては絶対いけない。こんな手合いを放置していたら、権力に近くない家庭の子どもは、みんなあの連中の奴隷か私兵にされてしまう。  
「身の丈」発言 格差容認の見識を疑う 10/30
2020年度からの大学入学共通テストで導入される英語の民間検定試験について、萩生田光一文部科学相が「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」と発言した。
制度の旗振り役が受験生の経済格差や地域格差を容認したと受け取れる発言だ。後に謝罪し、撤回したとはいえ、教育行政トップとしての見識を疑わざるを得ない。
今の高校2年生が主に受けることになる民間試験には、英検やGTECなど7種類があり、英語の「読む・聞く・書く・話す」の4技能を測る。大学側に提供されるのは高校3年の4〜12月に受けた2回までの試験成績だが、練習では何度でも受けられる。
中には受験料が2万円を超す試験や、都市部の10カ所でしか受けられないものもある。受験生の家庭の経済状況や住む地域で、不公平が生じると指摘されている。
萩生田氏は24日のBSフジの番組で、受験生の境遇によっては不公平が出るのではないかと問われ、「それを言ったら『あいつ予備校に通ってずるい』というのと同じだと思う」と反論。「裕福な家庭の子が回数を受けてウオーミングアップできるようなことはあるかもしれない」とし、「身の丈に合わせて(本番の)2回をきちんと選んで勝負して」と述べた。
「教育の機会均等」を定める教育基本法は、社会的身分や経済的地位によって教育上差別されてはならないと規定している。
特に受験生の進路を左右する入試では、機会の平等が最も重視されなければならない。
萩生田氏の発言は、教育行政の責任を放棄し、制度が抱える課題を受験生に押しつけているようにとれる。文科相として今すべきことは、子どもたちの力ではどうしようもない格差が教育の格差につながらないよう、対策を指示することではないか。
民間試験を巡って、萩生田氏は文科相就任会見で「受験生が実験台になるような制度であってはならない」と強調したが、1日の定例会見では「初年度は精度向上期間だ」と発言。全国高等学校長協会や受験生らの懸念や抗議の声に真剣に向き合わず、大学入試改革の目玉に挙げる民間試験の実施を急ぐ姿勢が目立つ。
「身の丈」発言の謝罪と撤回も、実施の障壁になる批判を早期の幕引きで最小化する狙いがあったのだろうが、試験への不信感はより高まった。受験生の不安を拭えないままでの強行は許されない。 
 10/31 

 

「身の丈」発言 受験生本位で制度見直せ 10/31
大学入試の新共通テストで、英語の民間検定試験利用をめぐり混乱が続いている。萩生田光一文部科学相の「身の丈」発言が批判され、撤回に追い込まれた。
言葉尻を捉え受験生不在で批判する泥仕合は避けたいが、民間試験頼みの制度自体に問題がある。不安払拭のため、令和2年度からの実施は見送り、制度を見直すべきだ。
新共通テストは大学入試センター試験に代わり、3年1月に最初の試験が行われる。
このうち英語は、マークシート方式の試験と併せ英検など民間6団体7種の試験が利用される。受験する年度の4月から12月に受けた民間試験2回までの成績が大学側に提供される仕組みだ。
一方で一回5千〜2万円程度する民間検定料の経済的負担のほか、地方と都市部で会場数が違う地域格差の問題など、高校側から多くの不安が示されている。
こうした不安に対し、萩生田氏はBSフジの番組で「裕福な家庭の子が回数を受けてウオーミングアップできるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないが、自分の身の丈に合わせて勝負して頑張ってもらえれば」「できるだけ負担がないように知恵を出したい」などと話した。
発言を撤回したのは妥当だが、それでは足りない。指摘される問題点を見直してもらいたい。
民間試験利用に必要な受験生の共通IDの発行申し込みが、11月1日から始まる。だが、文科省のまとめで、英語の民間試験の成績を合否判定に利用するとした大学・短大は国公私立合わせ6割にとどまっている。
民間試験の利用は、マークシート方式では「聞く・話す・読む・書く」の4技能をみるのに限界があるためだ。いくら勉強しても英会話力が身につかない日本の英語教育を変える狙いがある。だが、民間試験を導入するだけで英語が身につくと考えるのは早計だ。
英語力を問うなら各大学の個別試験で工夫し、入学後の教育を充実させればいい。入試は大学が責任を持ち行うべきことで、民間への丸投げは責任放棄に等しい。
経済的状況にかかわらず挑戦できる社会を目指す安倍晋三政権なら、「身の丈」と言わず、大いに競い合える透明性ある制度をつくり、大学入学後に人材を鍛える教育を促してもらいたい。  
 11/ 1

 

入試英語、抜本見直し=4技能測定、課題山積=民間試験見送りで・文科省 11/1
文部科学省は1日、来年4月からの実施を予定していた英語の民間資格・検定試験の導入見送りを発表した。2024年度を目標に、大学入試英語の新たな制度構築に向け抜本的な見直しを迫られる。改めて民間試験を活用するか、20年度からの大学入学共通テストの枠内で行うかなどは未定で、文科省は1年間かけて作業を進める。
「子どもたちに英語4技能を身に付けさせることは、これからのグローバル社会に必ず必要だ」。萩生田光一文科相は見送りを発表した1日の閣議後の記者会見で、英語の「読む・聞く・話す・書く」の能力を測ることの重要性は不変との立場を強調した。
4技能の測定に適した民間試験の活用は、文科相の諮問機関「中央教育審議会」が14年12月に答申。文科省は17年7月に民間試験の活用を盛り込んだ共通テストの実施方針を策定し、大学入試センターが実施団体を認定するなど準備を進めてきた。
しかし、民間試験ごとに試験会場や受験料、難易度などが違うことに加え、離島やへき地に住む受験生は交通費や宿泊費など経済的な負担が大きい点など、不平等の可能性は当初から指摘されていた。文科省は、経済的な支援措置を講じるなどしたが、萩生田文科相の「身の丈」発言などをきっかけに、こうした問題点が急浮上。現行制度での実施による混乱は不可避との判断に傾いた。 
英語民間試験「制度に欠陥」=識者から延期評価の声も 11/1
2020年度の大学入学共通テストで活用される英語の民間資格・検定試験の導入延期が決まった。受験に必要な「共通ID」の申込開始日の決定に教育現場の混乱は不可避だが、識者からは「制度には構造的な欠陥があった。ここで踏みとどまって良かった」と延期を評価する声が上がった。
「導入されれば、さらなる混乱となった。採点方法も不透明で、出題ミスの責任も民間に丸投げするのは問題だった」。立教大の鳥飼玖美子名誉教授(英語教育)は「国立大の受験に必要な試験にもかかわらず、制度は構造的な欠陥を抱えていた」と厳しく批判した。
民間試験が導入されても、受験生は問題集を使った安易な対策に追われるだけだと強調。英語でのコミュニケーション能力を磨くという本来の目的にはつながらないとの見方を示した。
教育評論家の尾木直樹さんも「国の制度設計が非常に脆弱(ぜいじゃく)で、なぜ民間試験の導入が必要なのか、政府のビジョンや目的が全く伝わっていなかった」と話した。
ITや人工知能(AI)が発展する中、単純な知識ではなく創造性が重視されると指摘。「国際社会での対話力を磨くことを重視し、文部科学省には広い視野で学力を捉えた教育をしてほしい」と訴えた。  
英語民間試験の導入延期=24年度に新制度実施 11/1
 「ご迷惑掛けた」萩生田文科相謝罪
2020年度に始まる大学入学共通テストで活用される英語の民間資格・検定試験について、萩生田光一文部科学相は1日、導入延期を発表した。文科相は「これ以上、決断の時期を遅らせることは混乱を一層大きくしかねない」と述べ、抜本的な見直しを行った上で、24年度に新制度を実施する考えを示した。
英語民間試験をめぐっては、受験生らから地域間、経済的格差が生じるとの不安の声が上がっていた。大学入試制度の実施時期が、直前に変更される異例の事態で、導入に向け準備を進めていた教育現場では混乱が予想される。萩生田文科相は「(関係者の)皆さまにご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ない気持ちだ」と謝罪した。
萩生田文科相は同日の記者会見で、「経済的な状況や居住している地域にかかわらず、等しく安心して試験を受けられるような配慮など、自信を持ってお勧めできるシステムにはなっていない」と制度の不備を認めた。  
閣僚辞任... 政府対応は「素早い火消し」か「長期政権の緩み」か 11/1
閣僚の辞任ドミノ警戒――1週間で2閣僚が辞任する異常事態をうけ、こんな見出しが新聞に躍る中、今度は「身の丈」発言の炎上余波で批判が高まっていた、大学入試での英語民間試験の活用について、直前に迫っていた導入の見送りが発表された。
2閣僚の辞任と今回の延期、いずれも問題の発覚・炎上からあまり時間をあけないタイミングでのスピード決着を目指す対応となった。国会での野党からの攻撃を封じる「素早い機動力」の賜物なのか、「長期政権の緩み」(日経新聞)の影響による「粘り腰に欠ける安易な対応」なのか。
「身の丈」発言への批判
「身の丈」発言の主、萩生田光一・文科相は2019年11月1日、大学入学共通テストで英語民間試験を活用する問題で、予定されていた20年度からの実施(19年11月1日から、受験に必要な共通IDの申し込み開始)を見送り、抜本的見直しをしたうえで24年度からの導入を目指すことを発表した。当初は予定通り実施する姿勢を示していた。
萩生田文科相がBSフジ番組で「身の丈」発言を行ったのは19年10月24日(木曜)夜。週が明けて月曜28日には記者団の前で発言を謝罪、30日には衆院文科委員会で謝罪した。この間、英語民間試験への批判も高まっていった。17年春に実施方針案が公表されてから2年以上が経ち、これまでにも一部で批判は出ていたが、「身の丈」発言を受けて一気にヒートアップしていた。
そして11月1日の実施見送り発表となった。当日の朝刊(東京最終版)では、読売新聞が1面トップで「政府は(10月)31日、(略)見送る方針を固めた」と特ダネで報じた(毎日は「延期へ調整」)。このスピード判断には、「受験生の混乱を避けるため」だけでなく、萩生田文科相への批判がこれ以上高まらないように、との思惑が含まれている可能性は十分にある。
同じ日の朝日新聞1面は河井克行法相が10月31日に辞任した記事。辞任は、妻の選挙事務所での公選法違反の疑いが週刊文春(31日発売)に報じられたことを受けたものだ。その1週間前の25日には、秘書が有権者に香典を配った問題で菅原一秀・経産相(当時)が辞任していた。
こうしたスピード決着を図ろうとする動きは、国会での野党からの追及を避ける思惑があるとみられる。
新聞に「ドミノ」の文字躍る
とはいえ、わずか1週間のうちに2閣僚が相次ぎ辞任するのは異例の事態だ。11月1日の新聞各紙の見出しには
   「『辞任ドミノ』警戒」(日経)
   「辞任ドミノ警戒」(毎日)
   「揺らぐ政権基盤 閣僚辞任ドミノ再び」(産経)
と、「ドミノ」の文字が躍った。
そこに加えて、2年がかりで進めてきて手続きが始まる直前だった政策(英語民間試験導入)をあっさり見直し・延期とした。
11月1日朝刊の段階で、「長期政権の緩み深刻」(日経)、「側近重用 緩み露呈」(毎日)、「『政権の危機』を自覚せよ」(産経<社説にあたる>「主張」)と、厳しい指摘が並んでいた。今回の英語民間試験の導入延期には様々な側面があるものの、安倍晋三首相の側近として知られる萩生田文科相を「野党の攻撃から守る」意味合いに注目が集まれば、「長期政権の緩み」批判が高まる可能性もある。「スピード決着」の狙い通り「決着」できるかは未知数だ。 
大学入試、延期された英語民間検定試験をめぐる動き 11/1
2020年度に始まる大学入学共通テストの英語に導入予定だった民間検定試験は、とりあえず延期された。そもそも、いつ、どのような経緯でこのような混乱にいたったのか。これまでの動きを振り返ってみた。
2013年10月 内閣の諮問機関「教育再生実行会議」が財界の意見なども踏まえて「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について」を提言
14年12月 提言を受けた中央教育審議会が、20年度からの新学力評価テストの実施、英語に民間検定試験の活用などを答申
17年7月 文科省がセンター試験に代えて「大学入学共通テスト」の実施、英語民間試験利用、国語と数学の一部に記述式問題導入などを発表
○17年11月 大学入試センターがプレテストを開始
18年3月 東大が民間試験を合否判定に使わないことを表明。大学入試センターが7団体8種類の民間試験を認定
19年7月2日 TOEICが「責任ある対応が困難」とし撤退を発表
○8月16日 柴山文科相(当時)がSNSで「サイレントマジョリティーは賛成です」と投稿
○27日 文科省が各大学の活用判断などの情報をまとめていく「大学入試英語ポータルサイト」を公開
○9月10日 全国高等学校長協会が、導入延期を求める要望を文科相に提出
○17日 6団体とセンターが協定書を締結。1カ月以上遅れ
○18日 英検が予約申し込み受付を開始
○19日 日本私立中学高等学校連合会が確実な実施を求める要望を文科相に提出
○10月1日 萩生田文科相が「初年度は精度向上期間」と発言
○21日 校長会が文科省、センター、6団体を招いてシンポジウムを開催もベネッセのみ欠席。文科省が、民間試験を何らかの形で利用予定の4年生大学が約7割の539校と発表
○24日 萩生田氏がテレビ番組で「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と発言し、謝罪撤回
○11月1日 延期決定。受験生の「共通ID」受付も停止 
 11/ 2 

 

英語民間試験、首相官邸が見送り主導=「身の丈」で危機感強まる 11/2
大学入学共通テストでの英語民間試験の活用見送りは、首相官邸主導で決まった。萩生田光一文部科学相の「身の丈」発言を機に制度の不備が露呈して批判が噴出。2閣僚の辞任ドミノに続く問題の長期化で政権の体力がすり減るのを避けるため、見送りに向けた環境整備が水面下で進められた。
「最終判断は文科相として私が行った」。萩生田氏は1日の記者会見で、見送りの決断に官邸の意向が働いているかを問われ、あくまで自ら決めたと強調した。
英語民間試験をめぐっては、経済状況により受験機会に差が出たり、地域によって試験会場が都市部に限られたりするなど、受験生の間で不公平が生じることが指摘されていた。問題視した主要野党は、10月24日に導入を延期する法案を衆院に提出していた。
くしくも同じ日に、萩生田氏がBS番組で「身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と発言。英語民間試験が一気に世間の耳目を集め、批判の声が広がった。勢いづいた野党は追及を強め、萩生田氏は発言の撤回と謝罪に追い込まれた。
その頃、官邸は菅原一秀前経済産業相の辞任に続き、河井克行前法相の妻案里氏の選挙陣営による公職選挙法違反疑惑への対応にも追われていた。
そこに萩生田氏の失言が重なり、政権がぐらつきかねないと危機感を強めた首相周辺は民間試験の見送り論を提唱。首相に近い自民党幹部も「延期しなければ受験生がかわいそうだ」と方針転換を主張した。官邸は環境整備を急ぎ、文科省に最終判断を委ねた。
官邸から促されても、文科省は民間試験を予定通り2020年度に導入するスタンスをぎりぎりまで崩さなかった。資金を投じて準備を進めてきた実施団体から提訴が相次ぐ展開を懸念したからだ。11月1日までに実施団体から示された格差是正策に最後の望みを託したが内容は不十分で、結局は官邸に従わざるを得なかった。
萩生田氏は1日の記者会見で「私の発言が直接影響したということではない」と否定したが、この間の経緯をたどれば萩生田氏に責任の一端があるのは明らかだ。
野党は受験生や関係者の混乱を招いたとして、引き続き萩生田氏を追及する構え。立憲民主党幹部は、萩生田氏が安倍晋三首相の最側近であることから、「辞任に追い込んだら大きい。政権が揺らぐ」と意気込んだ。 
英語民間試験活用延期の責任と文科省の怠惰 11/2
2020年度(2021年春)に始まる大学入学共通テストの英語に導入予定だった民間検定試験が延期された。5年間延期して制度設計をやり直すそうだ。
もし、受験会場とかの問題だったら1年延期すれば十分なので、民間試験でなく統一で同種の試験を使うことにするとか、断念するとか言う方向になる可能性も垣間見える。
英語民間試験はいまの大学入試センター試験を引き継ぐ共通テストの英語で導入される予定だったが、「読む・聞く・書く・話す」の「4技能」を英検やGTECなど6団体7種類の試験を活用しようとしていた。
発端は、2013年10月に、「教育再生実行会議」が「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について」を提言し、2014年12月に中央教育審議会が、2020年度からの新学力評価テストの実施と民間検定試験の活用などを答申し、2017年に文科省がセンター試験に代えて大学入学共通テストの実施、国語と数学の一部に記述式問題導入などとおもに、英語民間試験利用などを発表していた。
2020年4〜12月の間に現在の高校2年生の生徒が最大で2回受け、大学入試センターから成績を大学側に提供する予定だった。
そして、センターは1日から受験に必要な共通IDの発行申し込みの受け付けを始める予定だったので、延期するとすればラストチャンスだった。
民間試験を巡っては、複数の試験を比べるのは無理があるとか、試験会場が少ない地方の受験生らに不利だとかいう懸念が出て、東北大学を除く旧帝大が不採用を決めるとか、全国高等学校長協会が9月に文科省に延期を要請して話題になっていた。
萩生田文科相は「経済的状況や居住地にかかわらず、等しく安心して受けられると自信をもっておすすめできるシステムになっていないと判断した」「試験会場の確保を民間任せにした点もよくなかった」「文科省と民間試験団体との連携が十分でなく、準備の遅れにつながった。これ以上判断を遅らせることはできない」そうで、民間の活用そのものの見直しにも含みを持たせたという。
もしかすると、文科省は新しい英語試験の組織をつくって天下り先にと思っているのかもしれない。
準備期間は十分にあり、すでに高校生たちも導入を前提に勉強してきただけに、文科省の大失策である。というより、準備期間が長すぎてタイミングを失したのかもしれない。
複数の試験の評価は難しいが、ヨーロッパではCEFRという「外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠(Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment)」が確立しており、比較ができないということはない。
旧帝大が使用しないとしたことは、そもそも、旧帝大だけは独自で試験を行えるスタッフが育っているということと、英語教育については、 4技能を優先する世間の風潮に対して象牙の塔的な一流の英文学者たちが、現行の受験英語至上主義にこだわっているという背景もある。
高度な読解力が必要というのも分からなくもないが、それは、旧帝大などですら英語の日常会話が満足にできない学生を育てているほうがよほど馬鹿げていると思う。
地方の生徒に不公平だとか、受験料が高額というが、それなら、現在、個々の大学で無駄に入学試験を行っていることのほうが、受験料だけでなくわざわざ東京などに受験のために来させているわけで、そっちの方を改善して欲しい。
たとえば、広島県の高校生が1日がかりとか1泊して広島に行かねばならないから不公平だといいながら、東京に大学ごとに何回も行ったり来たりせざるを得ない現状に比べれば軽微なことだ。
私立についていえば、入試は受験料を稼ぐことが主眼になってしまっている。私は基本的には、試験は私立も含めてセンター試験に一本化し、内容を豊富にして、その試験の結果をどのように使用して合否を決めるかだけ各大学が考えればいいことだと思う。
科目ごとの比重はもちろんだが、問題ごとに配点を大学ごとにしたっていい。そんなことは採点プログラムをコンピューターに組み込めば簡単だ。
また、個々の大学が独自の追加試験を行う場合も、地元の共通会場ですべての大学の試験を受験できるようにすれば良い。たとえば、国立大学の試験をひとつの会場で、それぞれが希望する大学の問題をもらって書くことなど難しいことではない。とくに問題を端末から受け取って答案用紙は共通とかにしてもいいのだ。また、3日くらい連続にして、3つの試験を受けられるようにするなどでもできる。
いずれにせよ、今回のドタバタは、あちこちに配慮ばかりしてダイナミックな教育改革には後ろ向きな文科行政の問題点を浮き彫りにしたと思う。もう、事務次官などの要職に大量の非プロパーを出向で集めて組織改革をして、前川喜平的なムラ擁護の体質から脱却してほしいものだ(プロパーをいったん中枢から外すと言っても霞ヶ関のなかで処遇は可能であって彼らを排除しようという意味ではない)。 
 11/ 3 

 

「身の丈」発言を聞いて「教育格差」の研究者が考えたこと 11/3
萩生田光一文部科学大臣の「身の丈」発言に注目が集まっています。
発言があったのは生放送のBSテレビ討論番組。2020年度実施の大学入学共通テストの概要が紹介され、新しく導入される民間英語試験によって受験生の間に「格差」が生じるリスクが取り上げられました。
シンプルに言えば、費用の異なる民間英語試験を2回まで受けることが可能という制度設計や、試験会場が満遍なく準備されていない状況が「不公平」を生むという指摘です。経済的に恵まれていない家庭では試験の受けられる回数も減るだろうし、試験会場から遠方の地域に住む受験生は試験を受けづらいというわけです(交通費の負担も大きくなります)。大臣はこう反論しました。
「そういう議論もね、正直あります。ありますけれど、じゃあそれ言ったら、『あいつ予備校通っててずるいよな』というのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭の子が回数受けて、ウォーミングアップができるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の、あの、私は身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで、勝負してがんばってもらえば」1
試験会場が少ない地方の受験者に不利であるという点については、会場追加を試験団体に依頼していると言及した上で、「だけど、人生のうち、自分の志(こころざし)で、1回や2回は故郷(ふるさと)から出てね、試験を受ける、そういう緊張感も大事かなと思うんで」と述べました。
これらの発言に対してインターネットでは強い反発が渦巻き、野党も注目2
○大手メディアは批判的な論調で報道しました。発言から4日後、大臣は説明不足であったと陳謝3。
○翌朝、大臣は発言の撤回を明言し、再び謝罪しました4。
○そして「身の丈」発言から8日後の11月1日、民間英語試験の導入延期を会見にて表明するに至りました5。
○今後は1年かけて民間試験の活用有無も含めて制度を再検討し、2024年度からの実施を目指すということです。
「逆境を乗り越えていけ!」という発想
大臣の発言はどのような考え方に基づいているのでしょうか。
発言撤回翌日の衆議院文部科学委員会6
では、 「私は教育格差の拡大を容認している議員ではなくて、どちらかといえば、経済的に困窮されている子供たちの支援を今までもしてきたつもりでおりますので、そういう思いでのエールを送ったつもりだった」
そして、「いろいろ厳しい環境、いろいろ、それぞれ人によって異なるものがあるけれど、それに負けるな、という思いで発した言葉でございます」と答弁しています。
これらの弁明も踏まえて、あえて好意的に「身の丈」発言の意図を汲みとるとしたら、こう解釈できないでしょうか。
現状でも予備校などによって教育機会の格差がある。これくらいの制度変更は「身の丈」にあった準備・努力をして、よい結果を出せばいい。それくらいのことはできるはずだ。若者よ、逆境を乗り越えていけ! ――そんなところでしょうか。
もしこのような「大丈夫、自分にあったやり方で努力すれば、逆境だって克服できる」という意図が咄嗟の発言の背景にあったとすれば、実のところ少なくない人が大臣の考え方に同意しているのではないでしょうか。「教育機会の格差は周知の事実だが、義務教育があるし、本人のやる気次第。私だって努力してきた」、と。
「生まれによる格差」は、乗り越えられるか
しかし、日本の教育における不公平さ、いわゆる「教育格差」の実態は、このような激励によって容易に克服できる程度のものなのでしょうか7。詳しくは、拙著『教育格差』(ちくま新書)に様々な視点によるデータをまとめたのでお読みいただきたいのですが、端的に述べますと、戦後日本社会はいつの時代も、「出身家庭」と「出身地域」という、本人が選んだわけではない「生まれ」によって最終学歴が異なる教育格差社会です。
日本全体を対象とした大規模社会調査のデータを分析すると、出身家庭の経済状態などに恵まれなかった人、地方や郡部の出身者が低い学歴にとどまる傾向が、どの世代・性別でも確認できるのです(付け加えておけば、日本の教育格差は、経済協力開発機構(OECD)のデータと報告書に基づいて国際比較すると、OECD諸国の中では平均的――日本は国際的に凡庸な「教育格差社会」なのです8)。このような実態と向き合っていれば、「身の丈」という言葉も咄嗟に出てこなかったのではないでしょうか。
「実態」と「個人の実感」の乖離
では、なぜ、大臣(と無言の賛同をする人たち)は、教育格差の実態を把握できていない、あるいは教育格差が激励によって乗り越えられる程度のものであると過小評価しているのでしょうか。「身の丈」発言の根底にあるのは、データが示す「社会全体の実態」と「個人の見聞に基づく実感」の乖離であると私は考えています。
それはこういうことです。
データは、出身家庭と出身地域という「生まれ」による教育格差が戦後すべての世代・性別に存在していることを明確に示しています。しかし一方で、経済的に恵まれない家庭や地方の出身であっても、大学に進学し卒業して、親と比べて社会的地位の上昇を果たした…そんな知り合いを思い浮かべるのは、それほど難しくはないでしょう。もしかしたら、これを読んでいるみなさん自身が、このケースに当てはまるかもしれません。
実際のデータで考えてみましょう。ここでは「家庭の経済状態」と大きく重なる「父親の学歴」を基準にします。具体的に考えるために、対象を、2015年時点の20代(1986〜95年生まれ)男性に絞ります。
この年齢層の男性で「父親が大卒」の場合、その80%が大卒になりました9。一方、「父親が大卒でない」場合は、本人が大卒となる割合は35%にとどまります。父親の学歴という粗い分類だけで明らかな格差が確認できるのです。 大きな格差ではありますが、裏を返せば、「父親が大卒でない」場合でも本人が大卒になったという人が35%はいることになります。格差は確実にあるけれども、しかし社会的上昇を果たした実例を見つけられないことはない――萩生田大臣の発言の背景には、こうした状況があると言えるのではないでしょうか。
これほど大きな格差ではないですが「出身地域」でも格差は確認できます。大都市圏や大都市部出身だと大卒となる傾向があるのです。
たとえば、先ほどと同じ年齢層の男性だと、大都市出身だと63%、郡部出身だと39%が大卒になりました。もちろん、地方出身でも大卒になる人たちはいますが、それは同じ地域出身の中では少数派ですし、地方の中で相対的に有利な出身家庭の人が大卒になる傾向があります。
もう一つ例を出しましょう。出身家庭の有利・不利を示す「社会経済的地位(SES)」10 という指標があり、このSES指標が高いと高学力であることが知られています。 しかしやはり、少子化とはいえ日本は人口規模が大きいので、相対的貧困層の出身であっても高学力の子を実際に見つけることは、そんなに難しくありません。具体的には、近年の子供の人口規模は1学年120万人前後なので、出身家庭のSESが下位16%の層であっても、そのうちの1.2万人ぐらいは高学力(偏差値60以上)です。
同じく家庭のSESが下位16%で高学力ではない約18万人を無視し、何らかの理由で高学力となった1.2万人だけに視線を注げば、「日本は教育格差を乗り越えられる社会だ」と思い込むことができます。
「生まれ」によって「ふつう」が違う
わたしたちは小学校の時点で「生まれ」によって緩やかに学校間・地域間で隔離されているので、何を「ふつう」とするかの基準が異なります11。ですので、データが示す「社会全体の実態」と「個人の見聞に基づく実感」に乖離が存在するのは自然だともいえます。 社会全体の中で自分がどのような「生まれ」なのかを自覚していないと、「生まれ」によって人生の難易度が大きく違うことを想像することすら難しく、教育格差は乗り越えられる程度のものだ、と考えてしまう。さらにはそうした信念を補強する材料として「実例探し」をしてしまうことになります。
データが示すのは全体の「傾向」です。あるデータが特定の傾向を実証していたとしても「例外なくすべてがそうだ」という意味ではありません。「傾向」と一致しない例を意図的に探し出すのはそう難しくないので、その「実例」をもって、「日本の教育格差はたいしたことがない。頑張れば成功できる」ともっともらしい主張ができてしまうのです。
確かに血の通った実例に説得力はありますが、それでよいのなら、どんなに教育格差がひどい国であっても、全体の「傾向」と一致しない「底辺からの成功」の実例を見つけることができます。自分から探そうとしなくても、アメリカン・ドリームのような成功譚は物語として魅力的なのでメディアを通して実例を知ることになるはずです。
日本では少子化が進んでいますが、それでも1学年あたり100万人近くいれば、困難を克服し突出した「成功者」は出てくるはずです。そのような特殊な事例にスポットライトを当て、「やっぱり本人の志が大切だ」とするのであれば、政府や文部科学省など公共機関は何もしなくてもよいことになります。
いや、むしろ教育予算を大幅に削減し教育制度の弱体化を通じて積極的に混沌を作り出し、それでも這い上がってきた者を表彰すればよいのかもしれません。そんな「ディストピア(暗黒郷)ごっこ」をしている間に、他の社会は教育に投資を続けます。
国際競争力が低下することになったら苦しむことになるのは次世代――自分の選択ではなくこの社会に生まれてきた子供たちです。
大学入試改革と「教育格差」
実は、2020年度実施の大学入試改革は、すでに存在する教育格差を拡大すると考えられます。私が限られた紙面で以下お伝えできるのは、とても単純な「傾向」です。
そもそも志・能力・努力は、出身家庭によって大きく異なります。両親が大卒であると、大学進学を具体的に想定し、学力は高く、長時間学習努力をする傾向にあります。たとえば、中学1年生時点で明確に大学進学を期待する生徒は両親大卒だと60%、親のうち1人が大卒だと41%、両親が2人とも非大卒だと23%です。
この「意欲」格差の背景には、学校外の習い事などを含む、出身家庭による教育経験の蓄積量の差があると考えられます。学力も、小学校入学時点で親の学歴による格差があります。また、親の学歴によって子育て戦略に差があり、小学校4年生から「学校外学習時間」の格差は拡大します。
これらの格差はすべて学校間・地域間でも確認できます。前述した「生まれ」の状況を示す指標であるSESが高い地域であることを背景に、大学進学を目指すこと、学力が高いこと、学習努力をすることが「規範」となっている学校があります。一方、小学校であっても、恵まれない地域では、大学進学を目指す児童の割合が低く、学力も低く、学校外学習の時間まで短いことが「ふつう」である学校があるのです。
大学進学意欲を持つ、一定以上の学力に達する、努力することが「当たり前」になるという受験競争で実質的なスタートラインに立つための条件を誰もが持っているわけではないのです。意欲も学力も学習時間も目には見えません。
子供たちは視界に入る同級生を基準にして自分が「ふつう」なのかを判断しているはずです。しかし、小学校や中学校といった狭い範囲で「ふつう」なことは、大学入試のような全国区の競争の中での「ふつう」を必ずしも意味しません。
出身家庭のSESや出身地域によっては、目に見えない障壁が数多くあり、結果として大学進学に至らないと考えられるわけですが、今回実施が予定されていた入試改革はそんな障壁をさらに増やすことになります。
センター試験に比べれば明らかに試験制度は複雑です。どの民間英語試験をいつ受けるのか、どの大学・学部がどの程度重視するのか、国語・数学の記述式問題で高得点を取るための手法の練習など、選択肢が増えるといえば聞こえはいいですが、ゲームのルールが複雑になると、親、親戚、予備校や家庭教師、進学校といった様々な「支援者」から、上手く立ち回るための援助を受けることができる生徒ばかりが有利になるでしょう12。もともと大学進学意欲を持ちづらい家庭環境・地域の生徒は、そこまでして大学に行かなくてもよい、と「自発的」に受験そのものを諦めたり、背伸びして有名大学を狙う必要はない、と選抜度の低い大学を「志願」したりするようになるかもしれません。
試験制度を単純化し、基準を明確にして筆記試験による選抜にすれば、高SES層の有利さは減ると考えられます。もちろん、高SES層は未就学段階から様々な教育的刺激を受けて育っているので、この層が有利なことに変わりはありません。筆記試験による苛烈な受験競争が話題になった1980年代あたりに大学受験を経験した世代であっても、出身家庭のSESと最終学歴には明快な関連が確認できます。
「生まれ」が最終学歴に変換される経路は数多くあるので、後はどの程度の家庭・地域の有利さ・不利さを社会として許容できるのか・できないのか、という価値判断の問題になります。
では、今回の入試制度改革は、制度を複雑化することで目に見えない障壁を増やし、低SES層と地方出身者を自発的に諦めさせるという代償を払うほど価値のある便益を、一部、あるいは全体にもたらすのでしょうか。
当面は延期になった民間英語試験、それに、国語・数学の一部に記述式問題を予定通り導入したところで、学生が英語を話すことができるようになる、採点可能な範囲の記述式問題の対策をすることでモノを考えることができる、そのような結果を支持する研究はどこにあるのでしょうか13。
日本の伝統芸「改革のやりっ放し」
私が最も気になるのは、制度を変更する前に、きちんとした「データ取得計画」が作られていないことです。これは「改革を実行する」こと自体が目的であって、そもそも効果を検証するつもりがないことを意味します。こうした点を自覚的に変えない限り、今回の入試改革もまた、戦後日本の教育行政で繰り返されてきた「改革のやりっ放し」になります14。おそらく今回の改革についても、制度変更の後、早くて数年後に研究者が工夫して、低SES層と地方出身者に不利な「改革」だったという実証知見を提出することになると思います。その頃には、制度変更によって不利益を受けた生徒たちは成人となり、変更がなければ受けていたかもしれない教育機会を喪失したまま、人生100年時代を生きていくことになります。
「身の丈」に合わせてしまったせいで、低SES家庭の生徒・地方出身者が、自身の可能性を追求できないことは、社会としても非効率です。ただでさえ少子高齢化で子供の数が減っているわけで、恵まれた家庭出身・都市部出身者の中「だけ」から各分野を将来牽引する人たちが出てくることを期待するのは、とても効率が悪いわけです。
低SES家庭・地方在住の子供たちが直面する有形無形の経済的・文化的障壁を可能な限り取り除き、一人でも多くの子供たちが挑戦する教育的価値のある選抜試験に向かって切磋琢磨することこそが、この社会を強化します。
今回の制度変更は、この方向の真逆に向かっていく「改革」です。民間英語試験の延期だけではなく、記述式問題を含め2020年度の大学入試改革を延期し、もう一度、ゼロから、一人でも多くの子供たちの潜在可能性を最大限に開花させるためには、どのような選抜制度があり得るのか専門家を交えて議論すべきではないでしょうか。
そして、今後ありとあらゆる制度について、それを変更する「前」から専門家と行政が協力してデータ取得計画を練り、すべての「改革」の効果がデータによって検証され、一人でも多くの子供たちに機会を提供できるよう教育政策が改善され続ける体制が構築されることを願っています。
本稿で紹介した知見は『教育格差』(ちくま新書)に基づいています。

*1 「BSフジLIVE プライムニュース」ハイライトムービー(10月24日)から文字起こし(後数日でリンク切れ)
*2 「萩生田大臣の「身の丈」発言追及へ 立憲 枝野代表」
*3 「萩生田文部科学相 「身の丈」発言で陳謝 「説明不足な発言」」
*4 「“身の丈” 発言撤回し改めて陳謝 萩生田文科相」
*5 「萩生田文科相 英語試験 抜本的に見直し 5年後実施に向け検討」
*6 衆議院文部科学委員会2019年10月30日。動画で確認
*7 「生まれた環境」による学力差を縮小できない〈教育格差社会〉日本(2019年7月24日)
*8 拙著でデータを示しているのは出身階層による格差の国際比較です。地域格差について同等のOECDデータは見当たりませんが、各国の研究を概観する限り、一定以上の人口と地理的な規模があれば地域格差が見られると思われます。
*9 ここでの大卒は、最終学歴が4年制大学あるいは大学院を意味します。
*10 社会経済的地位(Socioeconomic status=SES)とは経済・文化・社会的な有利さ・不利さを統合した概念で、一般的には、世帯収入や親の学歴・職業などで構成されています。前述の現代ビジネスの記事でも解説しています。
*11 前述の現代ビジネスの記事で解説しています。
*12 高SES層の親が制度に対応して有利になろうとする実態を示す研究については、拙著と巻末の引用文献をご参照ください。
*13 入試改革はかなり多岐にわたりますので、各論点については中村高康先生(東京大学)の論稿をご一読ください。シリーズ「学力」新時代3「大学入試をめぐる改革論議迷走の背景:部分的延期を提案する」(pp.148-155)中村高康
*14 議論の詳細は拙著7章「わたしたちはどのような社会を生きたいのか」をご参照ください。 
 11/ 4 

 

「身の丈」発言を機に「学生の貧困」に視線を 11/4
「自分の身の丈に合わせて頑張って」という萩生田光一・文部科学相の発言が、教育界に波紋を広げている。露呈したのは、「等しく教育する」という憲法や法律の理念に対する粗雑な扱いと、貧困格差に対する鈍感さだった。
貧困層を追い込む「自己責任論」の広がり
「身の丈」という言葉は大学でも使われる。ある私立大学学長はこう嘆く。
「うちの大学に限らず貧困層の学生の自己肯定感が低い。どうせ身の丈以上のことは期待されていないと思っている。どうすれば才能を伸ばしてやれるか、教員は困っている。その身の丈意識を入試前から高校生に刷り込んだのが今度の発言です」
貧困層を「身の丈」に追い込むのが、近年広がりを見せる「自己責任論」である。「努力しなかった本人が悪い」という論理。当人も「貧乏な自分」という現実を前に、なかなか自己肯定感を持ち得ないのだ。
日本の子供や学生の6人に1人(16%)は貧困家庭で育っている。一人親の世帯に限ると55%が貧困家庭だ。
特に深刻なのは母子家庭である。母親の8割は働いているが、多くは低収入である。離婚した父親が養育費を払わないケースも多い。
教育の公的支出の比率はOECD35か国中の最下位
その影響はとりわけ子供の教育分野で大きく現れる。
日本の教育の公的支出がGDPに占める比率は2.9%で、OECD(経済開発協力機構)加盟35か国中の35位と最下位だ(上のグラフ)。その分、私的な支出の比率が高く、親が低収入の場合、塾や習い事、部活動、進学や受験にたちまち影響が出る。
これが教育格差の源になる。子供は学校に居場所がなくなり、結果的に子供の可能性や選択肢を奪ってしまう。一番の問題は、親の貧困が子供世代にも連鎖して、抜け出せなくなることだ。
2013年には「子どもの貧困対策法」が成立した。「子どもの将来が、生まれ育った環境によって左右されないようにする」という主旨で、教育・生活への支援や親の就労支援などを盛り込んでいる。
しかし、改善にはまだ遠く、大学生が塾に通えない子供に勉強を教える無料学習塾や、ボランティアの人々が食事を提供する「子ども食堂」など、地域の活動が支えている。
こうした現状を知れば、交通費や宿泊費、受験料などを複数回、余分に負担しなければならない英語民間試験が、地方や貧困層にとって重い負担になることは容易に想像がつく。
親の苦労を知って出費を頼みづらい子供はどうすればよいのだろうか。
教育行政の基本方針に反する「身の丈」発言
今回、野党や教育現場は、貧富の格差と地域格差を理由に、早くから英語民間試験の再検討を求めていたが、文科相はTV番組で、まるで反対論を蹴散らすかのように語った。おそらく一度決めたことを貫く強さを見せようと、頭がいっぱいだったのではないか。
身の丈発言は、文科相に就任約1か月後の出来事とはいえ、戦後一貫してきた教育行政の基本方針にも反している。
憲法は「すべての国民はその能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する」(第26条)、教育基本法も「すべて国民は、等しく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位、門地によって差別されない」(第4条)と定めている。
すなわち憲法や法律は、個人の経済的地位に関わらず、等しく教育を受けられるよう最大限努める義務を政府に課している。2020年4月から実施される大学無償化(授業料減免と給付型奨学金の充実)も、その方針に沿ったものだ。
高等教育はイノベーションや経済成長に不可欠
文科省が平等な教育を強調してきた背景には、産業のイノベーションや経済成長のためには、所得の高低を問わず、すべての階層に高等教育を施すことが必要だという別の考え方もある。
下のグラフは、1875年(明治8年)から2017年までの高等教育機関(大学など)の学生数の推移を示している。
明治維新のあと、学生は数千人ほどで推移していたが、日清・日露戦争によって産業が発達すると、専門教育を受けた人材が必要になり、学校・学生数は増加に転じた。
更に第一次、第二次世界大戦を経る中で産業側の人材需要が高まり、学校・学生数は急速に増えた。日本の高等教育の歩みは、国力増強という目的のもと、よくも悪くも時々の戦争とともに発展した歴史だった。
旧い社会秩序を根底から覆したことが活力を生んだ
戦前、大学で学ぶのは地主、経営者、公務員ら富裕層の子弟が主だったが、戦後は、それまで高等教育に縁がなかった家庭の子供たちが大挙して進学した。この人々が産業・経済社会に入って既成秩序を覆したことが、この国に新鮮な活力を生みだし、高度成長を実現する原動力になった。
例えば、ホンダ創業者の本田宗一郎(1906年生まれ)は、静岡県の鍛冶屋に生まれた尋常高等小学校卒という学歴で、戦前にエンジンのピストンリングの生産を始めた。しかし、学問的な壁に突き当たり、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)の聴講生になり、3年間金属工学をしっかり学んだ。これが事業発展の基礎を作った。
戦後、宗一郎は「事業が大きく花開いたのは高等教育のおかげだ」として、研究者や学生らに匿名で奨学金を与え続けた。
非正規は自己責任ではなく、政府や経済界に責任がある制度
戦後復興から高度成長期への体験が示すように、社会各層の人々が高等教育を受け、社会に多様性(ダイバーシティ)をもたらすことによって、経済社会はイノベーションが可能になる。
逆に、貧富の格差が固定化した社会は沈滞に向かう。
非正規社員が全労働者の37%を占める現実などはその一例である。彼らが正社員と異なり、勤務先の企業で能力開発の教育を満足に受けられないことが、どれほど潜在的な可能性を閉ざしているか分からない。
派遣などの非正規の仕組みは、1990年代以降、「低コストの労働力がほしい」という経済界の要望を受けて政府が法律を作ってきた。非正規は働く人の自己責任ではなく、政府や経済界に責任がある制度である。
大学受験という人生の重大局面に挑もうとする若者に、身の丈に応じてやればよいのだ、と他人事のように語る政治家はやはり罪深い。
先の私大学長は「しかし、発言のおかげで、多くの国民が憲法や教育基本法の条文を改めて読み、貧困や格差に目を向ける契機になった。これはせめてもの救いだ」と語った。 
 11/ 5 

 

英語試験延期は安倍政権”お友達内閣”の内ゲバだった! 11/5
2020年度から始まる大学入試共通テストで予定していた英語民間試験が、11月1日、見送られることに決まった。
引き金となったのは、所管する萩生田光一文科相の「身の丈」発言だが、当の本人はどこ吹く風だという。
「”文春砲”により菅原一秀経産相、河井克行法相が立て続けに辞任し、これ以上政権にダメージは与えられないと、野党の反発を丸呑みした格好です。しかし萩生田氏は失言によるバッシングを逆手にとり、見送りに舵を切った節があるのです」(文科省担当記者)
この騒動、どうやらその内実は、安倍内閣の「お友達」による内ゲバのようなのだ。
今の高校2年生以降の大学受験は、これまでの「センター試験」が「大学入試共通テスト」に代わり、英語に関しては、TOEFLや英検など6団体・7種類から選ぶ計画だった。これが何ともお粗末な制度設計だと、前出の記者は指摘する。
「文科省は試験について命令する権限がなく、運営方法は各民間団体に丸投げ。参加を予定していたTOEICは呆れて、7月に離脱を表明しています。蓋を開けると、受験料は約5800円から約2万5,000円と幅広い上、受験会場が一部の都道府県にしかない試験もある。民間だから利益を出すためには仕方ないことですが、不公平感が広がっていました」
受験生の経済状況や地域によって差が出てしまうことなり、その点を10月24日夜、BSフジのニュース番組で問われた萩生田氏は「自分の身の丈に合わせて勝負してもらえれば」と言い放ったのだった。
教育の格差を文科行政トップが認めたとして、野党やメディアが猛反発。 萩生田氏は 28日、謝罪に追い込まれた。
そもそも新テストは、下村博文・自民党選挙対策委員長の肝いりで、文科相時代の2013年1月、「教育再生実行会議」をスタートさせて道筋をつけたものだ。民間活用は氏の強い働きかけがあってこそだ。
「この9月に大臣になった萩生田氏は、当初からこの制度を『下村先生がつくったものでしょ』と中止にしたがっていました。とはいえ、懸命に準備を進めてきた官僚や業者のことを考え、頭を悩ませていた。皮肉にも、失言によって、いかに制度が”無理筋”か世に明るみになってしまった。萩生田氏にしてみれば渡りに船だったはずです」(同前)
実はこの2人、第1次安倍政権崩壊後も失意の底にある安倍氏を連日訪ねた盟友で、加計学園問題でも名前がそろって登場している。安倍氏もそれに応え、両氏を重要ポストで処遇したきたのだが、その近さゆえに”近親憎悪”となるのも、また世の常である。
「萩生田氏は親分肌で、下村氏に比べて人望があり、菅義偉官房長官も『オレの後継は萩生田だ。喧嘩が出来る』と評価しています。同じく『お友達』の世耕弘成・党参院幹事長は、今回の決断を『受験生の立場に立った思いやりにあふれた決断』と下村氏を当てこするかのような発言をして参戦。いずれの言動も、安倍氏の出身派閥・清和会の跡目争いが念頭にあると見るべきでしょう」(官邸担当記者)
だが最も翻弄されているのは、高校生たちだ。こんな政局ごっこをされては、日本の英語教育が世界に伍していくことは出来そうにない。 
英語民間試験が延期の今こそ訴えたい、最重視すべき「英語力」とは 11/5
英語の民間試験の実施が延期に「身の丈発言」が原因であるのは自明の理
萩生田光一文部科学大臣は、大学入学共通テストに導入される英語の民間試験について、来年度からの実施を延期すると明らかにした。試験の仕組みを抜本的に見直し、5年後の2024年度からの実施に向けて検討するという考えを示した。
萩生田文科相は、英語の民間試験導入の制度全体に不備があると認め、延期して課題を検証し、全ての受験生が平等に受験できる環境をつくるために改善すべき点を明らかにするとしている。しかし、これまで「英語の民間試験導入は予定通り2020年度から実施する」と繰り返し発言してきた文科相が急に方針を変えたのは、自身のいわゆる「身の丈発言」が批判を浴びたためであるのは言うまでもない。
萩生田文科相の失言は想定内 「失言→謝罪→政策の撤回」に驚きはない
「身の丈発言」とは、10月24日のBSフジの番組で、英語民間試験における「不公平感」を問われた萩生田文科相が、「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ」「裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできるみたいなことがもしかしたらあるのかもしれない」「自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば」などと答えたものだ。これが、「教育の不平等を容認するのか」と猛批判されて、萩生田文科相は謝罪と発言の撤回に追い込まれていた。
この連載では、安倍晋三政権の内閣改造・党役員人事を評価した際、萩生田文科相の言動は厳しい批判を浴びることになるだろうと指摘していたので、今回の失言から謝罪、政策そのものの撤回という流れには、まったく驚きはない。
むしろ、心配なのは、萩生田文科相に批判が集中することで、彼の人格・政治家としての資質に問題が矮小化されて、「大学共通テストへの英語の民間試験導入」が含む、より大きな問題が置き去りにされてしまうことだ。
問題の本質は文部科学大臣ポストの人選 保守派か元スポーツ選手ばかり
何よりも問題なのは、文部科学大臣という閣僚ポストに、これまで誰が起用されてきたかということだ。12年12月の第2次安倍政権発足以降、文科相には、「保守派」か「元スポーツ選手」が起用されてきた。安倍政権にとって、教育とは「道徳」か「根性論」「精神論」という認識なのだろう。そもそも、大臣にならなくても、自民党の文教族にはそういう系統の方々がズラリとならんでいる。
また、安倍政権が選ぶ教育行政に関わる「有識者」にも、自らの経験論を延々と語る方が少なくない。だから、柔道をやってきた方が有識者になれば「柔道」が学校で必修になるし、たまたまヒップホップをやってきた方が有識者になると「ヒップホップ・ダンス」が必修になる。日本の教育行政では、「道徳」「根性論」「精神論」に「経験論」が横行し、そこには、どのような教育が子どもの成長に効果があるのか、科学的で合理的な検証を行おうとする姿勢が薄い。
要するに、教育行政を科学的・合理的な観点から検証できる政治家がいないことが、そもそもの問題ではないだろうか。もう一歩踏み込んでいえば、この際「文科省分離論」を考えてもいいのかもしれない。「保守派」「元スポーツ選手」に科学・学問が理解できているとは思えないからだ。
毎年のように日本人がノーベル賞を受賞することに沸く一方で、日本の科学研究力の低下が懸念されている。あえて言えば、それは科学・学問の価値を理解できない政治家・官僚などによる「予算分捕り」など「権力闘争」の結果ではないか。
日本の科学行政を正常化させるには、文科省から再び「科学技術庁」を分離して首相官邸に置く。大臣には民間から学者などの専門家を起用する。予算を巡る政争に巻き込まれないようにするために、大臣を中心に専門的に科学技術予算を立案し、官邸主導で「聖域化」して予算を確保する。これくらいの大胆な改革を断行しないと、今後は、科学研究において中国などの後塵を拝することになるのは間違いない。
今回の問題について、萩生田文科相の資質問題を出発点にするならば、「文科相に必要な資質とは何か」「文科省解体も含めた教育・科学行政のあり方」を抜本的に考える契機とすべきである。
総合的な学力を問う入試に対応できるのは 文系では旧帝大、東京六大学と関関同立くらい
次に、「大学入学共通テストに導入される英語の民間試験」の問題点を考えてみたい。まず、この連載では20年度に導入される「大学共通テスト」そのものを批判したことがある(第146回)。大事なことなので、それを端的にまとめるところから議論を始めたい。
「大学共通テスト」では、国立大で国語を基本に80字以内の短文形式と、より字数が多い形式の計2種類の記述式問題を課すことになっている。記述式問題を導入する「新テスト」は、思考力や表現力などを測るのが狙いである。
具体的には、現在「国語」「数学」「英語」といった教科ごとの出題から、新たに「合教科」「科目型」「総合型」という問題の出題に変更する。例えば、理科の問題に文章読解や英文読解が入ったり、社会の問題で数式を使って解かないといけなかったり、あらゆる強化の知識を総動員させて思考する、総合的な学力が問われる問題である。これは、既に公立中高一貫校の入試で実施されている「適性検査型」に近い問題であると考えられる。
筆者は、日本の学生に思考力、表現力を身に付けさせるために、「記述式」など総合力を問う試験を実施する方向性自体は間違っていないと思う。ただし、センター試験の後継として「大学共通テスト」でそれを行うのは、問題が大きいと考える。
総合力を問う試験に対応するためには、現在の穴埋め問題に対応するためさまざまな知識を記憶し、正確な計算ができるようにドリルを繰り返すよりも、より膨大な量の勉強が必要になる。
それは、公立中高一貫校の「適性検査型入試」に対応した塾のカリキュラムを確認すると分かる。小学生に対して、「国語」「算数」「理科」「社会」だけではなく、「政治」「経済」「歴史」「科学」「生物」「地理」など、専門性の高い分野の膨大な知識を叩き込み、どんな総合的な問題がきても対応できるように指導している。一方で、記述式の問題で一発勝負の受験となると、出題されるものは膨大な勉強の100分の1にもならない。ほとんどの勉強は無駄になるという理不尽さがある。
さらに問題なのは、この試験が「センター試験の後継試験」であることだ。つまり全ての学生に「一律に」同じ試験を課すことである。大学教員としての経験と実感から、歯に衣着せずに言わせてもらえば、記述式問題を含む総合的な学力を問う入試を実施したとき、まともに対応できるのは、文系で言えば国立は旧帝大7大学、私立は東京六大学と関関同立プラスアルファくらいだ。他の大学では、多くの答案は空白か、ほとんど採点不能な回答ばかりということになり、入試の1次試験として成立しなくなるだろう。
はっきり言えば、全ての学生に一律に思考力、表現力を身に付けさせることなど無理なのだ。それにもかかわらず、無理やり「センター試験」の後継として一発勝負の記述式を含む総合試験を課すことになると、おそらく対応できない学生側をどうするかという問題が噴出する。そして、記述式だが誰でも答えることが可能な出題をするようにと、圧力がかかるようになる。
最終的には、いつもの日本のように「悪平等主義」がまん延し、思考力、表現力を育てるという趣旨は吹き飛ぶだろう。それこそ、かつて「ゆとり教育」で「円周率は3」にしたような、小学生でも答えられるような記述式問題が作成されてしまうことになるのではないか。
常々思うのは、どうして日本という国は、「一律に全てが横並びで行う」ことが好きなのだろう。それが、さまざまな制度の運用を非常に息苦しくしていることに、そろそろ気付いてはどうかということだ。
大学が求める人材に最も必要な資質とは英語4技能の中の「読む力」
「大学入学共通テストに導入される英語の民間試験」の問題に戻りたい。既にさまざまな議論が行われているが、その焦点は「教育の平等性」だ。だが、筆者が指摘したいのは「大学は英会話を学ぶ場所ではない」ということであり「大学入試は国民が英語を話せるようになるために行われるのではない」ということだ。
グローバル社会に対応するために、「読む」「聞く」「書く」「話す」の英語の4技能を身に付けた国民を育成することが必要ということに異存はない。ただ、それは大学入試でやることではなく、大学教育でやることでもない。
大学入試は、突き詰めれば「大学が必要とする人材を獲得する手段」だ。その人材とは、「専門的な学問を身に付けて、社会に貢献できる資質のある人」である。
専門的な学問を身に付けるために基本的に必要な資質とは、端的にいえば「専門書」や「学術論文」を読めることだ。特に、多くの学問分野の標準語は英語であることから、「英語の専門書・論文」を読みこなすことが重要になる。だから、歴史的に振り返れば、日本に近代的な大学が創設されて、入試制度が作られたとき、英語の試験では「読む力」が重要視されたのだ。
このそもそもの歴史を考えずに、「日本人は話す力が弱いから」という理由で、安易に「読む」ことよりも「話す」ことを重視する方向に切り替えるのは、日本の大学における学問のレベルを引き下げる愚挙である。
繰り返すが英語の4技能を身に付けること自体は重要だと思う。だが、それは大学の外で個人的にやってくれということだ。政府が奨励して、語学学校に通う費用を補助してもいい。しかし、それは大学が必要とする人材にも、大学の目的自体にも、実は関係がないのだ。
従来通り、それぞれの大学が必要とする英語力のレベル・内容を設定して、独自の入試問題をつくればいい。東京大学や京都大学など、世界トップレベルを目指す大学は、非常に難解な記述式の読み書き中心の英語試験を課せばいい。現在でも2次試験はそうなっている。一方、中堅の大学は、その大学が必要とするレベルの試験を設定して実施すればいいのである。
海外の大学教員が一様に指摘するのが「日本からの留学生の学力低下」
筆者は、母校である英ウォーリック大学の恩師など海外の大学教員と話す機会があるが、彼らが一様に指摘するのが、「日本からの留学生の学力低下」である。かつて、筆者が留学した2000年代前半は、大学で最もハードワークし、好成績を収めるのは日本からの留学生というのが「お決まり事」だったように思う(第70回)。
企業・官庁から派遣された人物がハードワーカーで優秀な成績だったのは言うまでもない。それ以外でも、京都大学の合格を辞退して英国に来た学部生が、学年トップクラスの成績を収めていたし、早稲田大学や慶應義塾大学、同志社大学などから1年間の交換留学でやって来た学生も、授業に必死に食らい付いていた。ある学生は、交換留学のときの指導教官に推薦状をもらい、日本の大学を卒業後、米国の大学院に進み、現在は国際機関で働いている。
だが、現在はそうではないらしい。頑張っているのは中国からの留学生で、日本からの留学生は授業や課題についていけないケースが増えているという。理由は「話す力」が弱いからではない。それは、自分たちの時代でも、苦労はした。だが、2〜3ヵ月もすれば次第に克服できるものだった。日本からの留学生がついていけないのは、むしろ「読む力」がないからなのだ。
本連載の著者、上久保誠人氏の単著本が発売されました。『逆説の地政学:「常識」と「非常識」が逆転した国際政治を英国が真ん中の世界地図で読み解く』(晃洋書房)
自分たちの時代は、いわゆる「受験英語」のおかげで、ある程度「読む力」を持っていた。筆者の経験では、「読む力」があれば、ハードワークによって会話は3ヵ月もすればキャッチアップできる。一方、「読む力」がないままで留学すれば、多少「話す力」があってもほぼ無意味になる。各授業で与えられるリーディングリストの本・論文を読めなければ、大学の授業についていけないからだ。
筆者は、短期留学に行く学生がいると、「いっぱい本を読んできなさい」と、よくアドバイスする。学生は「いろんな人とコミュニケーションしなさい」と言われると思っているので戸惑いの表情を浮かべる。そこで補足説明をするのだが「英語で読めるようになると、君が扱える情報量は100倍に広がる。それは、社会に出たときに、すごい武器になるし、他の人と差をつけることができるスキルになる」と伝えると、学生は納得する。今の学生は「スキル」という言葉が好きだからだ。
要するに、英語の4技能重視は、事実上の「読む力」軽視であり、日本の若者の「専門的に使える英語力」が低くなり、国際社会での日本の競争力を低下させるという逆説的な結果を引き起こしている可能性がある。
今回の問題が、英語教育というものを「国民の多くが英語を話せるようになること」と「ビジネス・学問・政治経済の国際交渉で使える専門的な英語を必要な人が身に付けること」を明確に分けて、何をすればいいのかを本質的に議論をするきっかけとなることを願ってやまない。 
 11/ 6

 

英語民間試験延期 文科省 課題繰り返し指摘も公開せず 11/6
来年4月からの実施が、急きょ延期された英語の民間試験。その理由となった「地域格差」などの課題は、文部科学省が去年12月から非公開で行っていた会議でも、繰り返し指摘されていたことがわかりました。文部科学省は、その議論の詳細を明らかにしておらず、専門家は、「検証のためにも公開すべきだ」と指摘しています。
英語の民間試験は、来年4月から実施される予定でしたが、受験生などからの反対や、萩生田大臣の「身の丈に合わせて」という発言に批判が集まり、文部科学省は今月1日に、急きょ延期を決めました。
今後は、民間試験の制度上の問題点を国がこれまでどのように議論してきたのかが、焦点の1つとなっています。
文部科学省は去年12月から、こうした問題を話し合うため、非公開の有識者会議を複数回、開いていました。
このなかでは、出席した複数の専門家から、受験料が高額すぎるので、下げるべきだという意見や、地域格差がないように配慮すべきという意見が繰り返し出されていたことが関係者への取材で分かりました。
文部科学省は「詳しい内容は非公開で、議事録も作成していないので、詳細なコメントはできない」としています。
入試制度に詳しい、東北大学大学院教育学研究科の柴山直教授は「議事録が公開されなければ、国は結論ありきで進めていたと疑われてもしかたない。委員からの懸念をどうしてくみあげなかったのか疑問が残り、同じことが起きる可能性がある。問題点を、丁寧に検証するプロセスが求められている」と指摘しています。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 



2019/11