お役人 忖度文化誕生の起源

馬鹿な政治家を 顎で使うお役人

立場逆転 内閣人事局

傲慢な政権 お役人の楽しみを取り上げる
政治家の顔色を窺う 「忖度」文化の誕生
お役人 操り人形になる
 


 
 
 
サビた剣
A氏 お役人
森友学園疑惑
「当時の交渉記録は破棄した」 文書管理の下手な方
総理をお守り ご褒美 国税庁長官就任
B氏 弁護士
偶然です
学校法人加計学園監事 (2013-2016/7)
2016年7月 最高裁判所判事就任
C氏 民間人
公共放送 「公」にシフト
政権のPR パンとサーカスに注力
NHK 経営委員と会長・人事
 
●内閣人事局
内閣官房に置かれる内部部局の一つ。2014年(平成26年)5月30日に設置された。
内閣人事局は、内閣法に基づき、内閣官房に置かれる内部部局の一つである(内閣法21条1項)。2013年(平成25年)の第185回国会(臨時会)に内閣が提出し、翌2014年(平成26年)の第186回国会(通常会)で可決・成立した「国家公務員法等の一部を改正する法律」(平成26年4月18日法律第22号)による内閣法改正で、同年5月30日に設置された。
国家公務員の人事は、最終的には、すべて内閣の権限と責任の元で行われる(日本国憲法73条4号)。しかし、すべての国家公務員の具体的な人事を内閣が行うのは現実的でなく、内閣総理大臣が国務大臣の中から「各省の長」(行政機関の長)である各省大臣を命じ(国家行政組織法5条1項)、各省大臣が各行政機関の職員たる国家公務員の任命権を行使するには、各行政機関の組織と人員を駆使して個々人の適性と能力を評価し、末端に至る人事を実施することになる(国家公務員法55条1項)。そのため、内閣総理大臣や国務大臣などの政治家が実際に差配できる人事は、同じく政治家を登用することが多い副大臣や大臣政務官、内閣官房副長官や内閣総理大臣補佐官などに限られ、各省の事務次官を頂点とする一般職国家公務員(いわゆる事務方)の人事については、事務方の自律性と無党派性(非政治性)にも配慮して、政治家が介入することは控えられてきた。もっとも、各省の人事を全て事務方に牛耳られては、政治家は官僚の傀儡となりかねず、縦割り行政の弊害も大きくなってしまう。そこで、各省の幹部人事については、内閣総理大臣を中心とする内閣が一括して行い、政治主導の行政運営を実現することが構想された。2008年(平成20年)に制定された国家公務員制度改革基本法では、「政府は…内閣官房に内閣人事局を置くものとし、このために必要な法制上の措置について…この法律の施行後一年以内を目途として講ずるものとする。」と定めていた(11条)。同法では「この法律の施行後一年以内を目途」としていたものの、その後の紆余曲折を経て、施行後6年となる2014年(平成26年)に内閣人事局は設置された。
内閣人事局は、「国家公務員の人事管理に関する戦略的中枢機能を担う組織」と位置付けられ、(1)幹部職員人事の一元管理、(2)全政府的観点に立った国家公務員の人事行政を推進するための事務、(3)行政機関の機構・定員管理や級別定数等に関する事務などを担当する。
組織
局長 1人(内閣総理大臣が内閣官房副長官の中から指名する者をもつて充てる。)
人事政策統括官 3人(うち1人は、関係のある他の職を占める者をもつて充てられるものとする。)
内閣審議官
内閣参事官  
 
●内閣人事局 / 沿革
福田政権
内閣人事庁の創設を提言
安倍政権にて、内閣総理大臣の下に設置(2007年7月12日)された「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」は、国家公務員の人事制度の課題について検討を重ねてきた。政権が福田内閣に変わり、2008年2月、同懇談会は、国家公務員人事の一元管理を謳い「内閣人事庁」の創設を提言する報告書を策定し、内閣総理大臣福田康夫に提出した。この報告書にて、内閣人事庁は、国家公務員の人事管理について、国民に対し説明責任を負う機関として位置づけられた。内閣人事庁の業務として、総合職の採用や配属のみならず幹部候補育成や管理職以上人事の調整、指定職の適格性審査などが盛り込まれ、総務省人事・恩給局と人事院の関連機能の内閣人事庁への統合が明記された。また、内閣人事庁の長として国務大臣を置くことも盛り込まれた。
国家公務員制度改革基本法案を閣議決定
同懇談会座長の岡村正から報告書を受け取り、福田康夫は「志の高い人材が国家公務員のなり手となるような制度にする」と表明したうえで「具体化に向け、よく検討したい」と述べた。これを受け、内閣人事庁の設立の具体案が検討されることになった。しかし、内閣官房長官の町村信孝が「閣僚の人事権が弱まる」と述べるなど、懐疑的な見方も指摘された。行政改革担当大臣と公務員制度改革担当大臣を兼任する渡辺喜美は「首相と私との間では改革の基本線で合意している」と述べ、福田も「渡辺氏の考えと私の考えは一致する」との発言を行い、最終的に内閣人事庁の新設を盛り込んだ国家公務員制度改革基本法案の提出で合意した。2008年4月3日に与党からの諒承も得たうえで、同年4月4日、福田康夫内閣は内閣人事庁新設を含む国家公務員制度改革基本法案を閣議決定した。
国家公務員制度改革基本法案の成立
国家公務員制度改革基本法案は、第169回国会に政府提出法案として提出された。参議院の議席が野党優位であることに加え、与党の中にも国家公務員制度改革基本法への異論が根強いとされ、当初は第169回国会での成立が疑問視されていた。しかし、福田が成立への強い意向を示したうえ、与党と民主党との間で法案の修正協議が合意に達したことから、2008年6月6日に与野党の賛成多数で成立した。この修正により、新たに創設される機関の名称は「内閣人事庁」ではなく、内閣官房の内部組織である「内閣人事局」とされた。法律は2008年6月13日に公布・施行された。
麻生政権
内閣人事局の設置の見送り
国家公務員制度改革基本法では、法律施行後一年以内に内閣人事局設置に関する法整備を行うよう定めており、2009年度中の発足を予定していた。福田改造内閣総辞職に伴い後任の内閣総理大臣となった麻生太郎も、自由民主党行政改革推進本部の本部長である中馬弘毅との間で、2009年度中の設置で合意していた。しかし、2008年11月、麻生内閣は2009年度中の内閣人事局の設置を断念し先送りすることを決定した。2008年11月28日、行政改革担当大臣・公務員制度改革担当大臣の甘利明は緊急記者会見にて「(内閣人事局設置を)強引に21年度予算に間に合わせるのは必ずしも適切ではない」と発言し、正式に見送りを表明した。
議論の混乱
麻生内閣成立後のこれらの公務員制度改革に対し、政府や与党からも批判する者が現れた。国家公務員制度改革推進本部顧問会議の顧問である屋山太郎は、「首相はこの公務員制度改革を甘利明行革相に丸投げした」と指摘したうえで「麻生氏は問題の本質を理解せず、甘利氏は逃げている。これでは日本は救われない」などと批判する論文を公表した。2009年1月15日の国家公務員制度改革推進本部顧問会議の会合の席上、甘利が「改革を前進させた自負がある。どこが逃げているのか」と屋山を問い詰め、屋山が麻生内閣の問題点を列挙し「行革担当相が黙っているのは納得がいかない。逃げている」と反論するなどの混乱が生じている。
改革工程表の決定
2009年2月3日、麻生太郎が本部長を務める国家公務員制度改革推進本部は、新しい公務員人事制度についての改革工程表を決定した。この改革工程表では、新たに創設される機関に人事院の機能だけでなく総務省行政管理局を一括して移管することになり、その組織のの名称は「内閣人事局」から「内閣人事・行政管理局」に変更され、さらに仮称であることが明記された。また、内閣人事・行政管理局の長は内閣官房副長官兼任案も議論されたが、この規定は削除された。その後、内閣人事・行政管理局の長は大臣政務官級とする組織案がまとめられた。この工程表について、人事院総裁の谷公士は「政府案は公務員制度改革基本法の範囲を超えている。(公務員は全体の奉仕者とする)日本国憲法第15条に由来する重要な機能が果たせなくなり、労働基本権制約の代償機能も損なわれると強く懸念する」と指摘し、人事院の意見が取り入れられなかったことに対し遺憾の意を表明した。
与党からの反発
工程表によると、総務省行政管理局が内閣人事・行政管理局に移管されるため、公務員人事だけでなく個人情報保護や情報公開制度も所管するとされていた。しかし、この案を与党に提示したところ、内閣人事・行政管理局の肥大化が問題視され、自由民主党行政改革推進本部から異論が相次いだ。自由民主党行政改革推進本部では、総務省行政管理局の全局移管の撤回と、新組織の長を内閣官房副長官級にすることを要求している。また、新組織の名称も「内閣人事局」に戻すよう要求した。しかし、新組織の長を内閣官房副長官級にするとの案に対しては、内閣官房副長官の漆間巌が「公平な立場で政権と関係なく(公務員人事を)見るとなると、政治家でいいのか」と指摘するなど、政府側からも反論がなされた。
民主党政権
2009年8月の第45回衆議院議員総選挙によって政権交代が起こり、民主党を中心とした民社国連立政権(翌2010年5月以降は民国連立政権)が誕生した。政権交代によって、従来の自由民主党政権が推進していた内閣人事局構想は一時的に頓挫した。
第2次安倍政権
法案提出と野党の抵抗
2012年の第46回衆議院議員総選挙により政権復帰した自民党・第2次安倍内閣は、翌2013年秋の臨時会に内閣人事局を新設する法案を提出することを指示し、2013年6月の国家公務員制度改革推進本部の会合で、内閣総理大臣の安倍晋三は2014年の設置を明言した。11月5日、国家公務員制度改革関連法案が閣議決定され、内閣人事局の人事対象を審議官級以上の幹部職600人とし、局長には内閣官房副長官を任命することが決定した。11月22日に法案が衆議院に審議入りするが、民主党・日本維新の会・みんなの党が「行政機関が増え機能不全になる」と批判し、事務次官廃止を柱とする幹部国家公務員法案を共同提出して政府案に対抗した。自民党は野党との修正協議を行うが合意出来ず、28日には臨時会での法案成立を断念し継続審議とし2014年の法案成立に方針を転換した。
法案成立と内閣人事局設置
12月3日、自民党・公明党・民主党は国家公務員制度改革関連法案の修正に合意。合意文書を交わし、2014年の通常国会での法案成立について確認した。これを受けて、2014年1月24日に規制改革担当大臣の稲田朋美は内閣人事局を5月までに設置する方針を示した。3月、法案が可決されたことを受け、5月30日に内閣人事局が発足した。当初、初代局長には官僚の杉田和博が内定していたが、直前に撤回され衆議院議員の加藤勝信が任命された。元内閣参事官の高橋洋一によると、直前になっての人事変更は政治主導を推し進めるために官房長官の菅義偉が主導したとされる。  
 2014
内閣人事局の誕生で、キャリア官僚たちが大慌て 霞が関「7月人事」 2014/6
「行政のタテ割りは完全に払拭される」。安倍総理が高らかに宣言して発足した内閣人事局。一見、清新なイメージだが、その水面下では霞が関と官邸が人事をめぐって壮絶な抗争を繰り広げていた—。
財務省の前例なき人事
安倍政権と霞が関の間で「夏の幹部人事」をめぐる攻防が激烈を極めている。
発端は先月末に発足した内閣人事局だ。
「これまで官僚主導で行われてきた幹部の人事権を内閣人事局に一元化し、官邸主導で審議官級以上、約600名の人事を決定することになった。要は政権の意に沿わない官僚を、要職からパージできるフリーハンドを官邸が握ったわけだ。安倍官邸の方針に従った政策をする人物しか幹部に登用しないということを、霞が関に叩き込むためのものだ」(自民党ベテラン秘書)
内閣人事局の初代局長ポストをめぐっても、一波乱があった。当初内定していた警察庁出身の杉田和博官房副長官('66年入庁)の人事が直前に撤回され、同じく官房副長官で政務担当の加藤勝信氏(旧大蔵省出身、当選4回)が抜擢されたのだ。
「杉田氏は周囲に『俺がなる』と吹聴していましたから、内定は間違いありません。それをひっくり返したのは、菅義偉官房長官です。官僚トップの杉田氏が霞が関の人事改革を担うのは、印象が悪い。そこで、安倍総理の了承を得た上で、加藤氏の起用を決め、その結果、緒戦から『政治主導』を鮮烈に印象づけることに成功しました」(官邸関係者)
安倍官邸が霞が関の聖域に手を突っ込んでくることを、官僚たちが手をこまねいて見ているはずがない。財務省はすでに鉄壁の防御を張り巡らせている。
現在、事務次官を務める木下康司氏('79年入省、以下同)が、6月末で就任1年を迎える。通常、財務事務次官の任期は1年で、2年を務めたのは、「10年に一人の大物次官」と呼ばれ、現在はIIJ社長の勝栄二郎氏('75年)ぐらいのもの。慣例どおり、木下氏は退官する見通しだ。その後継人事に、財務省は「異例中の異例」となるプランを持ってあたるという。
「木下氏の後任には現在、主計局長の香川俊介氏('79年)が有力視されています。香川氏は勝次官時代に政界工作を主導し、消費増税の与野党合意の筋道をつけた功労者です。昨年秋に食道がんの手術を受けましたが、再発は見られませんし、酒を飲まなくなって体調管理も万全。官邸からもその実力は認められているため、今夏の次官就任は既定路線です。問題はその次の次官なのです」(全国紙経済部デスク)
財務省は、「次の次」の事務次官に木下氏、香川氏と並んで、「'79年入省の三羽ガラス」と評価される実力者、田中一穂主税局長を当てようとしているのだ。
田中氏は第一次安倍政権で首相秘書官を務め、安倍総理が政権を投げ出したあとの不遇な時代にも政策面での助言を続けた「総理の身内的な存在」だという。
財務省の次官人事は、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の事務総長を務める武藤敏郎氏('66年)や勝氏といった元財務省首脳と、前任の事務次官の意見などを元に決められてきた。
今回、安倍官邸に恭順の意を示すために彼らが出した結論が、田中氏をいったん主計局長か国税庁長官にして、木下→香川→田中という同期3人で次官職をたらい回しにする、前例のない人事構想というわけだ。 
稲田朋美大臣の「内閣人事局」看板 美人書家が一刀両断 2014/6/1
30日発足した「内閣人事局」。所管する稲田朋美大臣が自ら書いた「看板」に注目が集まっている。あまりにもヘタ過ぎるとネットでもバカにされているのだ。
稲田大臣にとっては自慢の力作のようで、自身のフェイスブックで、〈吉川壽一先生の指導のもと「内閣人事局」の看板の字を気合込めて書きました〉と報告している。
吉川壽一先生とは、稲田の地元・福井県の書家で、NHK大河ドラマ「武蔵」(03年)の題字、人気漫画「バカボンド」などのタイトルを書いている大家だ。あの字は、大家のお墨付きらしい。
そこで、本当にヒドイ字なのか、腕前をプロに鑑定してもらった。文字から稲田大臣の性格も分かるという、美人書家として有名な夕凪氏が言う。
「バランスに癖があり、一般ウケはしないでしょうね。見た人に不安を感じさせるかもしれません。1文字ごとに分析すると、『内』が尻つぼみになり、『閣』の門構えの右側が内向きになっています。このような字は、下狭型ともいい、不安定な状況を表している。気になるのは、『事』が非等間隔であることです。無計画、よく言えば直感で動く人に多い。人の意見を聞かないので、一緒にいる官僚方は大変かも知れません」
「扇千景さんの揮毫(きごう)した『国土交通省』の看板も、尻つぼみな字でした。その後、政局は混乱していきました。尻つぼみな字には危うさを感じます」(夕凪氏)
扇が初代国交大臣に就任した後、道路公団民営化問題などが噴出している。「内閣人事局」の先行きが不安である。 
 2016
内閣人事局という「静かな革命」 2016/5
安倍政権の強さの原因として牧原出氏も御厨貴氏も一致して指摘するのは、菅官房長官が内閣人事局を通じて霞ヶ関の幹部600人の人事を握り、実質的な政治任用にしたことだ。
官僚の人事は各官庁が決めて人事院が承認するのが当然と考えられていたが、これはおかしい。国家公務員法では「任命権は、内閣、各大臣に属するものとする」と定めている。もちろん何万人もいる職員を閣僚が任命できないので、人事を官僚に委任することはできるが、本来は政治任用なのだ。
戦前の政党政治の時代には、幹部人事は政治任用で、政権交代のたびに各官庁の幹部が大幅に入れ替わった。これは政治主導になる反面、縁故採用が横行して腐敗の原因ともなった。戦後改革でGHQは日本の官僚制度を民主化するため、職階制を導入した。これは幹部を政治任用にして公務員を職能ごとに採用し、その成績によって昇進させるものだった。
しかし当時の大蔵省給与局を中心とする官僚機構は、これに徹底的に抵抗した。彼らは高等官/判任官という身分制度を守るために15段階の「給与等級」を定め、その6級に編入する試験に「上級職試験」という通称をつけ、戦前の高等文官と同じ昇進制度を守った。このとき政治任用も廃止され、官僚は100%内部昇進になった。
だから内閣人事局はほとんど注目されないが、GHQでさえできなかった「霞ヶ関の革命」である。特に局長に加藤勝信と萩生田光一という総裁特別補佐官が就任したため、人事は官邸の意向を直接反映する。かつては「霞ヶ関の人事部長」は官房副長官(事務)が行なう慣例になっていたが、それを官邸(菅官房長官)が動かすようになったのだ。
この結果、党の力は弱まり、官邸の特命チームがトップダウンで各官庁を動かすようになった。官僚も民主党政権の政務三役は無視したが、自分の人事を握る官邸の意向には逆らえない。チャンドラーは「組織は戦略に従う」といったが、日本では戦略が組織に従うので、人事権を握ったものが最大の権力を握るのだ。 
日本の官僚は「内閣人事局」で骨抜きにされた 2016/11/22
これまで日本の経済成長から福祉まで様々な行政サービスを支えてきたのは、日本の優秀な頭脳を揃えた、勤勉で実直な官僚テクノクラートだちだった。それは戦後から今日までかわらず、世界でも珍しい日本独自の構造であったと言えるでしょう。官僚テクノクラートとは財務省から経済産業省、法務省、厚生労働省、文部科学省、農林水産省、外務省、国土交通省、警察庁など私たち国民のために全力を尽くして指針を策定し、行政の実務を行っている国家公務員たちの幹部のことです。
たいていは東京大学法学部などを卒業し、難関の国家公務員試験を突破した頭脳明晰な若者たちが、日本国民のために尽くすといった高い志を持って入局します。それぞれの省庁に配属され、各分野のスペシャリストとして専門知識を習得し、実地経験を積んでいきます。「自分たちは日本という船を率いる船頭だ」という自覚が、高くはない給料にもかかわらず残業をいとわず職務に没頭する動機になっています。
実際に日本の高度成長時代には大蔵省の官僚指導のもと、財界が一致団結して経済を向上させる護送船団方式で、世界第二位の経済大国に押し上げました。また厚生省の官僚指導のもと、国民皆保険制度を充実させ、誰もが医者にかかれるよう福祉を充実させてきました。これらは何より優秀な官僚たちが高い志を持ち、政権に左右されず、純粋な奉仕精神で良かれと思われる政策を策定、実施してきたからだと思います。法案を審議して法律として成立させるのは国会議員の仕事ですが、具体的な政策、法案を練り上げるのは、専門知識を持った官僚の仕事であることが多いのです。
この官僚組織がしっかりしていれば、仮に組織のトップである大臣の座に、不勉強な政治家、タレント議員、二世議員など「これから勉強させていただきます」といった人物が座ったとしても、事務次官以下はなんら影響を受けることなく、黙々と高度な業務を遂行していきます。政権が変わっても大丈夫です。かつて社会党の村山富市総理大臣が生まれたときにも、政権交代で民主党政権が続いたときにも、官僚は動じることなく、国民のために働き続けました。
官僚たちにとって、日本を実際に動かしているのは自分たち官僚テクノクラートであり、政治家センセイはお飾りにすぎない、という自負があったからでしょう。これは良くも悪くも日本の独自の国のあり方であり、三権分立の理屈から行くと、試験に合格しただけで公務員になった官僚よりも、国民に選挙で選ばれた政治家のほうが上になって統治すべきということになります。それが政治主導という名目になったのでしょう。
しかしながら実態は、政治家は当選するために「地盤、看板、カバン」の3つの要素が必要であると言われ(地盤とは親が選挙区で元議員だとか地元の有力者であること、看板とは自民党公認などのこと、カバンとは選挙資金のこと)、必ずしも頭脳明晰である必要はないのです。とてもじゃないが優秀な頭脳で入省し、専門の行政現場で切磋琢磨してきた官僚テクノクラートとは、行政能力では太刀打ち出来ないのです。
官僚がなぜ高い志と、純粋な奉仕精神を持っているかというと、大学を卒業してそのまま国家公務員として中立公正に仕事を始めるからだと思います。財務省などになると、同期入省の職員メンバーが、入省してみたら東京大学時代の同窓生だった、ということも珍しくなく、良くも悪くも大学時代の延長のような面もあり、それが彼らの純粋な職業倫理と志を維持するのに一役買っている気もします。大学生のように生真面目に、国民への奉仕を考え続けることが可能だったのです。
もちろん厳しい出世競争も、入省すると同時に始まります。横一列で入省した同期の中から、誰が最も優秀なトップで、自分は何番目かということも、暗黙の了解でわかると言います。昇級試験などもあり、一生を続けて受験勉強の連続のような側面もあるかもしれません。上に行くほどポストの数は減っていき、参事官などの役職に絞られ、最終的には官僚のトップである事務次官一人になれれば出世競争の勝利です。事務次官になるのは実力、実績がトップの職員一人であり、二番目の職員は、自分は事務次官になれないと、あきらめて天下り先へ転職したり出向したりします。ポストの数が減るたびに天下り先や出向先が必要になります。
僕が強調しておきたいのが、官僚たちの出世レースや人事の決定が、実力主義と実績主義で極めてフェアに行われてきたということです。政権から行政の方針について、担当の大臣を経由して事務次官が大雑把な指示を受け、それを実行に移して行くというのは正しいことですが、あくまでその時の大臣から指示を受けるだけで、日々の業務についてまで政権に振り回されることはありませんでした。
大きな変革があったのは、安倍政権で平成26年4月11日に「国家公務員法等の一部を改正する法律案」が成立した時で、霞が関には大きな動揺が走りました。平成26年5月30日、「内閣人事局」という恐ろしい組織が設置されたからです。これは各省庁の事務次官以下幹部職員、計600人の人事権を、首相官邸に集中させ、首相の独断で官僚の上層部の人事を左右できるというもので、戦後依頼の大激変です。
それまで国民のことだけを考えて、真面目にコツコツと公正中立な仕事をし、実績を積み上げていけば出世できる、と考えていた官僚テクノクラートたちの倫理観さえ覆してしまいます。いくら実力や実績を積み上げても、安倍首相に嫌われたら出世できない。常に安倍首相の顔色を伺わなければならない。国民目線ではやって行けず、官邸の意向に従うべくビクビクしながら、安倍首相の喜ぶ仕事をしなければ出世できないと考えるようになります。実際に上司である事務次官や参事官は、官邸に指名された人物がなっているのだから、その指示に従わなければならない。こうして国民目線から官邸目線に、役所の倫理が変わりました。
安倍政権はこのようにして、国中の省庁を一手にコントロールする仕組みを作りました。今までの自民党内閣がしてきたように、優秀な官僚を呼び寄せ、頭脳としてレクチャーを受けて勉強する、ということもできなくなります。もはや官僚そのものが、今までのように独立した現場からの意見として、優秀な頭脳で政治家にアドバイスをする立場ではありません。彼らは安倍首相の選んだ安倍首相のイエスマンに成り下がってしまったわけです。まさに誰一人注意してくれる人のいない「裸の王様」の総理大臣が生まれてしまいました。
坂井万利代さんが「古舘伊知郎さんの降板の本当の理由」という記事の中で書いてくれた、官邸の導入した役人の「成績表のようなもの」というのは、たぶんこの内閣人事局の活動のことだと思われます。マスコミからあらゆる官庁の細部まで、自分の権限のもとに掌握することに成功した安倍首相は、さぞかし気分良く仕事をしていることでしょう。でもお坊ちゃま大学卒で二世議員である安倍首相が、裸の王様となって好き勝手に日本を動かしていくことは、非常に危険な兆候だと思います。
貴重なブレーンをすべて骨抜きにし、イエスマンに替えてしまった権力。誰も止めることのできない権力。最高裁判所はもちろん内閣法制局長官までイエスマンを配置し、司法にさえ縛られない権力。もし仮にこの権力が暴走しはじめたら日本はファシズムを許し、独裁国家になることは間違いないと思われます。気がついたときは手遅れ、ということもあります。
トランプを大統領に選んでしまったのがアメリカ国民なら、安倍晋三を総理に選んだのは日本国民です。私たちは、もう少し賢くあるべきだったと思います。 
 2017/1-6
官邸一強の背景にあるもの 2/28
はじめに
安倍晋三氏の在任期間は、第一次安倍内閣を加えると1,800日を超え、戦後の首相の在任日数第4位となった。
そうした中で、「官邸の一強、あとは多弱」との評価も定着した。
このような状況はどうやって形作られたのだろうか。他の政党との力関係か、それとも安倍氏自身の能力に拠るものか。
三位一体改革の影響
私なりの結論を先にいうと、様々な理由はあるものの、2004年の小泉政権下の三位一体改革こそが今日の強さの根源であろう。
この三位一体改革の内容を簡単に復習してみよう。「国庫補助負担金の廃止・縮減」「税財源の移譲」「地方交付税の一体的な見直し」がそれである。そしてこの中では、補助金改革が、安倍政権はもちろん、今日の政官界のパワーバランス形成に大きな影響を与えたと考えている。
補助金改革の影響
そもそも、政官界における力の源泉はどこにあるか。こう答えてしまうと身も蓋もないが、「金(を配分する力)、そして人事権」ということになろう。もちろん、能力や高潔な人格も重要だが、それも金と人事の裏打ちがあってのことだろう。
さて、この補助金改革以前は、中央省庁の官僚が強大な権力を持っていた。地方自治体に対して、ないしは省庁直轄で補助金を配分する権限を持っていたからだ。「箇所付け」という言葉をお聞きになったことがあるだろう。かつて官僚たちは、全国津々浦々のどこのどんな施設・事業に対して、どの程度の金額を配分するかという権限を一手に握っていた。したがって、各県知事はもちろん、自治体職員は中央省庁詣でをし、国会議員もまた、その決定に何がしかの関与をし、自らの存在を誇示しようと官僚たちになびいた。
改革の中で、補助金の一部は、「税源移譲」と言う言葉に表されるように税源ごと自治体に移譲され、実質上廃止された。残ったものも、交付金という「大きな財布」のような形に姿を変え、実際の細かな配分は自治体レベルに委ねられることとなった。
国会議員にとっても
こうなると、国会議員にとって官僚詣では意味をなさなくなったし、一定の敬意を払う必要もなくなった。
そうして官僚の持っていた強力な権限を剥奪したつもりだったかもしれないが、個々の国会議員も、気が付いてみるとその存在意義を低下させることになった。元々、こういう箇所付けには、いわゆる何々族と呼ばれる、ほぼ省庁単位の関係議員の集団が関与していたが、箇所付に伴う恩恵がなくなった以上、族議員のような集団を形成し続けるだけの求心力も低下した。
そうなると議員の興味は人事、すなわち、大臣他の閣僚人事に移ることになる。少しさかのぼるが、1999年の国会審議活性化法により、国会における政府委員制度及び政務次官が廃止され、副大臣と大臣政務官が新たに設置された。厚生労働省のような大きな省では副大臣、政務官は2人ずついる。すると大臣を含めての従来の2人が5人となり、ポストにあずかる機会は倍増以上となった。実はこの大臣他の人事も、かつては派閥や何々族のボスの意向が大きかったのだ。当選回数等も考慮した「派閥順送り」という言葉を覚えておられる方もあろう。 
ところが、前述のような状況で派閥や族の求心力が低下すると、相対的に首相を中心とする官邸の意向が大きくなった。小泉政権以降では、派閥の意向等閣僚任命に係るこれまでのしきたりや不文律をほとんど考慮せず、人物本位となった。
官僚たちの来し方行末
一方、官僚の人事に関して言うと、指定職と呼ばれる審議官、局長級の人事権を掌握したことも大きいだろう。その象徴が2008年12月に設置された国家公務員再就職等監視委員会であり、2014年5月30日に設置された内閣人事局である。前者は指定職が退官したあとの再就職先を監視するもの、後者は本来の所掌は広範だがもっぱら職員人事の一元管理の名のもと、指定職の候補者について官邸の意向を汲み入れるものとなっている。
従来、官僚の人事は、官僚たち自身の手に委ねられており、国会議員はもちろん、官邸と言えど、簡単に口は挟まないし挟めないというのが不文律であった。官僚の人事に口を出すと、別の方法で抵抗されたり裏切られたりするとの噂さえあった。そしてその拠り所は霞が関の中でもきわめて独立性の高い人事院であった。
第二次以降の安倍政権は、この官僚たちの力の源泉の、その最後の砦とも言うべき、人事と、そしてその人事の総仕上げとも言うべき再就職に切り込んだのである。
その拠り所として、国家公務員制度改革基本法の第11条第2号において、内閣人事局が「総務省、人事院その他の国の行政機関が国家公務員の人事行政に関して担っている機能について、内閣官房が新たに担う機能を実効的に発揮する観点から必要な範囲で、内閣官房に移管するものとすること。」と明記されたのである。
官僚たちの立場から考えると、部下が上司に従うのは、上司の考えに一定の理屈があるのはもちろんだが、最終的には上司が人事権を持っているからであり、しかも従っていれば、その先の退官後の再就職についてまで世話をしてもらえるという、強固なシステムがあればこそである。
補足すると、これに先立つように特殊法人、認可法人改革も進行し、これはこれで官僚たちの進路に大きな影響を与えたが、その顛末と影響についてはまた別の機会としたい。
いずれにしても、指定職候補者は、ある程度の地位までくれば、同僚や上司よりも、官邸や国会議員の評価・評判を気にせずにはおられなくなる。また、それ以外の職員もある程度の年数が経てば再就職を考えなければいけないが、最早上司や同僚が考えてくれるわけではない。いやむしろ今般の文部科学省の事例を見れば、上司や同僚に考えてもらえば、違法行為とさえみなされるという事態にまで陥っている。
官僚たちの冬
私がここで危惧するのは、官僚の士気の低下である。実際に接してみると、個々の官僚は能力が高いだけなく、その能力でもって国家に貢献したいという高い志を持った人が多い。集合体として見ても、軍隊組織とも思えるほどの指揮命令系統・統率とともに役割・責任分担が明確にされている。それにしても、これまではそうした志を支えるための仕組みのようなものが備わっていたのである。逆に不心得で、利己的な人もいたかも知れない。そうした人を排除するための改革であることは理解できる。それでも一定の地位まで上り詰めた官僚たちは国民の方を向くこともなく、また上司や同僚を気遣うでなく、単に官邸やその住人たちの顔色を伺うことに腐心するだろう。退官後の人生も保証されない中で、一体こうした指揮命令系統・統率が保たれていくのだろうか。
広く社会に目を転ずれば、一流と言われる企業の多くが、一定の年齢を超えると関係企業へと異動していく。また、一部の識者は米国の役人には天下りなどないと力説するが、私の少ない経験の中でも、連邦政府を去ったあと、ほどなく関係企業で破格の待遇で迎えられたケースを見聞きした。
これから
いずれにしても、概観してみると、仮に安倍氏が退陣したとしても、官邸には以前とは比較にならないほどの大きな力が備わっていると言えるし、最早時計の針を戻すこともできないだろう。  
「全く問題ない」内閣官房長官 「介入と忖度」の演出 5/29
「木で鼻をくくる」という言葉がある。そっけなく冷淡で無愛想な対応についていうが、近年、この言葉が稀に見る精度で、ぴったりあてはまる人物がいる。菅義偉内閣官房長官である。在任1600日を超えて、歴代最長の在任記録を更新し続けている。昨日(5月28日)、安倍晋三首相が歴代第3位の長期政権となったが(1981日)、これは菅氏の力に負うところが少なくない。
「政府首脳」「政府高官」「政府筋」といったマスコミ業界用語があるが、「政府首脳」は内閣官房長官、「政府高官」ないし「政府筋」(官邸筋)は内閣官房副長官(政務)などを指すようである。戦後、これまで58人の政治家(安倍晋三もその1人〔第3次小泉改造内閣〕)が「政府首脳」としてその任にあった。内閣官房の事務を統轄する(内閣法13条)。内閣官房の主任の大臣は内閣総理大臣である(同24条)。これが内閣官房長官の力の源泉となる。「最大の権力者の最側近」。「これは総理のご意向だ」と内閣や与党に大見得を切り、「俺に刃向かうことは、総理に弓を引くことだ」という台詞を吐いた官房長官もいるという。
内閣官房の事務は行政のほとんどすべての領域に及びうるので、それを統括する官房長官の職務は極めて広範かつ多岐にわたる。とりわけ、1 内閣の諸案件について行政各部の調整役、2 国会各会派(特に与党)との調整役、3 日本国政府(内閣)の取り扱う重要事項や、様々な事態に対する政府としての公式見解などを発表する「政府報道官」(スポークスマン)としての役割が重要である。執務室は総理大臣官邸5階にあり、閣議では進行係を務める。歴代官房長官のなかで名長官として名高いのが中曽根内閣での後藤田正晴だろう。他方、最も怪しい動きをしたのが、小渕恵三内閣の青木幹雄官房長官である。2000年4月に小渕首相が脳梗塞で倒れ、入院した時、「昏睡状態」の小渕首相が青木長官を「総理大臣臨時代理」(内閣法9条)に指名して、内閣総辞職をはかったとされている。憲法70条の「総理大臣が欠けたとき」にあたるかきわめて微妙なケースだった。
さまざまな政治ドラマをもつ58人の歴代官房長官のなかで、おそらく史上最強にして最悪の長官が現在の菅義偉だろう。上記の1 について言えば、各省庁にかつてない規模の介入と忖度の構造を生み出している。2 については野党には傲慢に対応し、与党にも時に恫喝に近い対応をとってきた。そして最も問題があるのは3 である。
記者会見を通じてその菅の顔を見る機会が増えている。通常、官房長官と内閣記者会との記者会見は午前11時と午後4時の2回、閣議のある火曜日と金曜日の午前の会見は閣議終了後直ちに開催されるというが、北朝鮮のミサイル発射などでは日曜早朝から、いやでもこの顔を私たちはテレビで目撃することになる。その記者会見で頻繁に用いられる言葉が、「問題ない」「全くない」「全く問題ない」「全くあたらない」である。これが「木で鼻をくくる」ということなのだが、後述する加計学園問題における前川喜平・前文部科学事務次官の件では、持ち前の陰湿で粘着質な態度に、むき出しの憎悪と敵意も加味され、凄味と威圧感を増して、殺気すら感じられる。
「全く問題ない」と普通の大臣が言おうものなら、記者から「こういう場合もあるでしょう」などと突っ込みを入れられるのがおちである。しかし、この政権では、安倍首相の国会答弁や官房長官の記者会見における居直り、逆質問、人格攻撃、「情報隠し、争点ぼかし、論点ずらし」などの芸にならって、官僚までもが答弁や説明をいとも簡単に拒否するようになった(財務省佐川理財局長の答弁拒否は典型)。メディアの劣化もあるだろうが、この政権の独特の「ふるまい」と「空気」が定着してしまったことも大きい。だから、問題を問題として感じたときにしっかりと指摘しておかないと、いつの間にか「別にいっかぁ」という思考の惰性が広まってしまうことにもなりかねない。
私の体験を言えば、先週23日の夕方、共同通信の記者から電話が入った。何か急ぎのコメントかなと思っていると、自衛隊のトップ、河野克俊統幕長が、日本外国特派員協会の記者会見で、安倍首相が、自衛隊を9条に明記した新憲法を2020年に施行することを目指すと表明したことについて問われ、安倍首相の提案を「非常にありがたい」と述べたという。記者は「これは問題ですよね」と聞いてきたが、同業他社の記者のなかにはこの発言を問題と感じない人もいたようである。私は、ここはしっかり言っておこうと、問題の性質や背景を含めて記者に話した。それを短くまとめたコメントが下記である(『毎日新聞』5月24日付、『東京新聞』同日付など)。
○ 自衛官トップ 姿勢問われる / <水島朝穂早稲田大教授(憲法学)の話> 安倍晋三首相は、自衛隊の存在が違憲との主張があるから9条に「加憲」すべきだという論理を展開しているが、これは自民党改憲草案と異なり、自民党内でも合意されていない唐突な主張である。統合幕僚長は、この首相の論理に乗っかる形で心情を吐露したわけで、憲法改正を巡る特定の政治的主張に肩入れしたことになりかねない。憲法尊重擁護の義務がある公務員、しかも「(現行の)日本国憲法及び法令を順守し」と服務宣誓した自衛官のトップとしての姿勢を問われる。統幕長の今回の逸脱は、見過ごすわけにはいかない。
河野は、「憲法という非常に高度な政治問題なので、統幕長という立場から言うのは適当でない」と述べながらも、「一自衛官として申し上げるなら、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されることになれば、非常にありがたいと思う」と踏み込んだ。自衛隊法61条1項は隊員の政治的行為を禁止し、そこでいう「政治的目的」として、「特定の内閣を支持し、又はこれに反対すること」(自衛隊法施行令86条4号)や、「政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し、又はこれに反対すること」(同5号)を挙げている。河野統幕長にはこのような目的はなかったというが、政治的行為には、「官職、職権その他公私の影響力を利用すること」も含まれる(同87条1号)。一般の公務員の場合は、休日に政党ビラを郵便受けに配っただけで、国家公務員法違反に問われた例もあるのに、最高幹部は日頃政治家との密接な関係をつくって、実質的には政治的行為をしているに等しい。
菅官房長官は、この件について、直ちに、「全く問題ない」「個人の見解という形で述べた」と言い切った。しかし、河野が「一自衛官」と言っても「一個人」とは言っていないことをねじ曲げている。仮に「一個人」ならば職務中に公式の記者会見の場で言うべきではない。実際は「一自衛官」と言っているので明らかに「公務員」としての発言である。公式の記者会見の場で、権力を制限される国家機関の長(公権力)が言論の自由(個人の人権)を無邪気に用いることはできない。かつての自民党政権の官房長官ならば、「立場をわきまえ、発言には慎重さが求められる」くらいのことは言っていただろう。この政権では、すべてが「全く問題ない」でスルーされていく。
ちなみに、この河野統幕長は歴代自衛隊トップのなかでも際立った政治性をもつ人物として私は注目してきた(直言「気分はすでに「普通の軍隊」」参照)。防大21期だが、古庄幸一(13期)や齋藤隆(同14期)らに続く「海の人脈」である(「政治的軍人」の筋悪の例として田母神俊雄がいる)。安倍首相と菅官房長官のおぼえめでたく、河野統幕長は「ありがたい」発言の直後に、異例の定年1年再延長が認められた(『毎日新聞』5月26日付)。すでに昨年11月に定年になるところだったが、部内の昇進見込みに反してこの5月27日まで6カ月延長になったのは、官邸(特に安倍首相)の意向とされている(『軍事研究』2016年12月号「市ヶ谷レーダーサイト」参照)。安倍改憲提案を「ありがたい」と歓迎した「ご褒美」とまでは言わないが、定年の1年半延長は自衛隊高級幹部の昇進計画に大きく影響を及ぼし、就任予定のポストに届かずに退官する高級幹部が続くことになろう。安倍首相の「お友だち」はどこの組織でも「異例の人事」や「スピード感あふれる出世」をして、当該組織の出世コースに混乱や停滞を生じさせ、高級幹部の間の士気を下げている。
なお、安倍政権は2015年に安全保障関連法に先行して、防衛省設置法12条を改正した。内局(背広組)の運用企画局長ポストを廃止して、防衛省庁舎A棟12階(内局)の権限が14階(統幕長)に委譲され、「統合運用機能の強化」(部隊運用業務の統合幕僚監部への一元化)がはかられている。このような経緯のなかで、自衛隊のトップが特定の内閣、特定の首相と過度な関わり合いをもつことは、権力の私物化傾向を一層促進することになる。これも菅官房長官にかかれば、「全く問題ない」ということになるのだろうか。
「全く問題ない」官房長官の面目躍如は、共謀罪をめぐる国際的批判をめぐってである。国連人権高等弁務官事務所(ジュネーヴ)の「プライバシー権に関する特別報告者」ジョセフ・ケナタッチ(マルタ大学教授)が、日本政府と安倍首相に対して、共謀罪(テロ等準備罪)法案に対する懸念を書簡で伝えたところ、菅官房長官は信じられない言葉と態度でこれを一蹴した。書簡は5月18日付で、「計画」「準備行為」の定義が抽象的で、恣意的に適用されかねないこと、対象犯罪が幅広く、テロや組織犯罪と無関係なものが含まれていること、令状主義の強化など、プライバシー保護の適切な仕組みがないことなどを指摘する、きわめてまっとうな疑問の提示だった。
ところが、18日当日のうちに、菅官房長官は怒気を込めた表情(いつもの顔)で記者会見し、テロ等準備罪は国民の意見を十分に踏まえて行っている、海外で断片的に得た情報のみで懸念を示すのはバランスを欠き不適切などと、とんでもない「抗議」を行った。ケナタッチは日本のプライバシー権の問題について30年あまり研究を続けてきた学者であり、海外からの批判だからといって軽視することはできないし、「断片的に得た情報のみで」というのは、根拠のない無礼な決めつけである。ケナタッチは直ちに反論。「日本政府は怒りの言葉だけで、プライバシーなどに関する懸念に一つも対処していない」と批判したのは当然だろう。
これに対しても、菅官房長官は、「一方的な報道機関を通じて、懸念に答えていないと発表したのは不適切」と「再反論」を試みている(『東京新聞』5月24日付)。国連の関係者から指摘を受ければ、もっと法案の内容で説明したり、反論したりすればすむのに、相手に対して、「何も知らないくせに」というトーンで、言葉をぶつけるのはあまりにも大人気ない。報道機関に伝えるのは当然のことで、一種の「公開書簡」である。菅官房長官の国際的な対応は、歴代官房長官の誰に聞いても、「ありえない」と驚くことだろう。なお、ケナタッチ氏は「日本政府からの回答を含めて全てを国連に報告する」と述べた。
検討すべき問題は山積みであるにもかかわらず、「全く問題ない」という言葉で押し通す菅官房長官の姿勢は、世界にむけて、日本の政権の独善的で危険な傾向を広く発信する結果になったのではないか。
安倍政権のかたくなで独善的な姿勢は、2014年11月16日の沖縄県知事選挙で当選した翁長雄志知事が上京して官邸で面会を求めても会おうとせず、信じられないような「沖縄いじめ」の露骨な対応をとったことにも見られる。菅官房長官がようやく沖縄を訪問し、知事と面会する機会をつくったときも、「とんでもない場所」に知事を呼びつけて、「植民地総督」のようだと顰蹙をかったこともまた記憶に新しい。
2015年6月4日、衆議院の憲法審査会に参考人として呼ばれた3人の憲法研究者全員が「安保関連法案は違憲」と陳述したとき、菅長官はその日夕方の記者会見で、「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と発言した。6月10日の衆院特別委員会で辻元清美議員は、「違憲じゃないと発言している憲法学者の名前を、いっぱい挙げてください」と迫った。菅長官は3人の名前を挙げたが、最後は、「私は数じゃないと思いますよ」と逃げた。圧倒的多数の憲法研究者が「7.1閣議決定」と安保法案を憲法違反としていたから、「違憲でない」という見解をもつ人を探すのは困難だった。菅長官が「全く違憲でない」という形にしぼったことも墓穴を掘ることになった。
2015年10月21日、「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があったときは、…臨時国会が召集されなければならない」(憲法53条)に基づき、野党が臨時国会の召集を求めたときも、臨時国会を開かないことについて、菅官房長官は「全く問題ない」とはねつけた(直言「臨時国会のない秋――安倍内閣の憲法53条違反」)。憲法でここまで明確に定めているのだから、従来の政権ならば、何か他に理由を示しただろう。「問題はある」のに「問題がない」というだけではなく、「全く問題ない」と言い切る。これはかなり危ない思考領域に足を踏み入れていると言えよう。
「全く問題ない」といって許されるのも、人事権を使った官僚統制が完成水準に近づいているからではないか。国家公務員人事は内閣の権限と責任で行われるが(日本国憲法73条4号)、事務次官以下の一般職国家公務員(事務方)の人事については、これまでは役所の自律性が一応尊重され、政治は表向きの介入を控える慣行が続いてきた。2014年5月に内閣人事局ができて、審議官級以上の人事を官邸が握ることになった。その発足時の所管大臣は稲田朋美で、彼女が「揮毫」した霞ヶ関・合同庁舎8号館5階の看板は有名である。稲田らしく、「人」という字が右に圧倒的に偏っている。内閣人事局の発足で、官邸は人事を通じて官僚機構を「安倍色(カラー)」に染め上げてきた。それは「モリ」と「カケ」の問題に実にわかりやすい形であらわれた。
森友学園「安倍晋三記念小学校」建設をめぐる財務省、国土交通省、大阪府(←文部科学省)の迷走は周知の通りだが、官邸側の情報隠しと論点ずらしはすさまじかった。しかし、今月になって一気に浮上した加計学園の獣医学部設置問題では、まったく違った展開になった。森友では小学校の設置認可は大阪府だったので見えにくかったが、こちらは大学なので文部科学省が一元的に所管するため、介入と忖度、圧力の方向と内容が実に明確で、「可視化」されてきた。また、内閣府が所管する国家戦略特区が絡んでいるので、内閣府や内閣官房からの圧力もよく見えるようになってきた。「総理のご意向」「官邸の最高レベル」という言葉が「レク文書」中に使われていることからも、圧力の本体が浮き上がってきた。そこに、文部科学省の前川喜平・前事務次官の登場である。大学の設置認可の所管官庁のトップの証言は決定的な意味をもつ。だからこそ、菅官房長官の対応はすさまじい怒気を含み、特に5月25日の会見では、前川前次官に対するむき出しの人格攻撃を繰り返した。これは官房長官の記者会見の枠を超えるものだった。公安警察やさまざまな情報機関を駆使して、身内から政敵までの性的指向・嗜好まですべて調べつくし、その情報を使って調略する。内調・公安情報を『読売新聞』に流し、実話週刊誌並みの記事に仕立てて、それを使って記者会見で叩く。前川の発言内容ではなく、まさにそうした枝葉の話で問題をすり替えようとしている。だが、最近まで政府の一員で、文部科学省の事務方トップだった人物を貶める発言を繰り返す菅官房長官をみていると、明らかに焦りの色がうかがえる。もはや「全く問題ない」ではすまなくなったために、相手は「問題だらけ」と言い張るしかなくなったようである。さしもの菅も、官房長官としての在任期間こそ最長となったが、その中身の点では「最悪の官房長官」としての足跡を残して、安倍首相とともに退場してもらうしかないだろう。
鳥取県知事や総務相を務めた片山善博は、「今の霞が関は「物言えば唇寒し」の状況である。14年の内閣人事局発足以降、この風潮が強まっている。役人にとって人事は一番大事。北朝鮮の「最高尊厳」、中国の「核心」。そして今回の「官邸の最高レベル」。似てきてしまったのかなと思います」と皮肉っている。
ここで思い出すのは、マックス・ヴェーバー『職業としての政治』の一節である。実に「安倍一強の国」日本がこれに似ているのである。部下という人間「装置」を機能させるためには、内的プレミアムと外的プレミアムが必要となる。「内的プレミアムとは、…憎悪と復讐欲、とりわけ怨恨と似而非倫理的な独善欲の満足、つまり敵を誹謗し異端者扱いしたいという彼らの欲求を満足させることである。一方、外的なプレミアムとは冒険・勝利・戦利品・権力・俸禄である。指導者が成功するかどうかは、ひとえにこの彼の装置が機能するかどうかにかかっている」(98頁)。安倍・菅コンビの「部下」たちも、内的・外的プレミアムの「毒」を見抜き始めている。何よりも、国民がこれに気づき始めたら、この政権は終わりである。メディアもここで腰砕けになってならない。 
内閣人事局・官邸主導人事に弊害 官僚側に忖度や不満 2017/6
安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題をきっかけに、各省庁の幹部人事を内閣人事局が管理する「官邸主導」の弊害が指摘されている。官邸が強い人事権を握ることで政策や改革が進みやすくなった半面、締め付けられた官僚が過度に政権を「そんたく」したり、不満を抱いたりして政官の関係がきしむ恐れもある。
先月30日に発足3年を迎えた内閣人事局の下で、安倍政権に近い官僚の登用が進んだ。第1次安倍内閣で首相秘書官を務めた財務官僚は、同期で3人目となる異例の人事で財務事務次官に就任。官邸が推進した法人減税や消費税の軽減税率導入決定など「政治案件」に貢献した。
同局の設置はもともと、省庁が「省益」を優先して政策が頓挫したり、族議員の利益誘導を招いたりする弊害をなくし、政治主導を進める狙いがあった。ただ柔軟な抜てき人事などの半面、官邸の意向に反した幹部が冷遇されるケースもある。
関係者によると、2015年夏の総務省人事で、高市早苗総務相がある幹部の昇格を提案したが、菅義偉官房長官が「それだけは許さない」と拒否。高市氏は麻生太郎副総理から「内閣人事局はそういう所だ。閣僚に人事権はなくなったんだ」と諭され、断念に追い込まれた。この幹部は菅氏が主導したふるさと納税創設を巡る規制緩和に反対していた。
そして最近相次ぐ問題はこうした人事が官僚の萎縮やそんたく、面従腹背を呼ぶ可能性を浮き彫りにした。加計学園を巡る「総理の意向」文書では、文部科学省の前川喜平前次官が「本物」と証言。当時官邸側に押し切られたと政権への不満を公言した。
首相は1日のラジオ収録で「霞が関にしろ永田町にしろ『総理の意向ではないか』という言葉は飛び交う。大切なのはしっかり議論することだ」と強調。菅氏も2日、「次官が首相に自分の意見を言う機会はいくらでもある」と反論した。だが文科相経験者は「次官が言うと、官邸と省全体の対決になってしまう」と人事を握る官邸に逆らえない省庁の立場をおもんぱかる。
また前川氏が出会い系バーに出入りしたとの報道では、前川氏は在職中に杉田和博官房副長官から注意を受けていただけに「官邸の圧力か」と疑心暗鬼の官僚も少なくない。ある省庁幹部は「長期政権の弊害だ。何とも言えない腐敗臭がする」と漏らした。
逆に、学校法人「森友学園」問題で矢面に立たされる財務官僚には、霞が関から「あれだけ首相を守れば、昇進は確実」とのささやきも。東大の牧原出教授(行政学)は「政権が人事権で官僚を威圧すれば、行政をゆがめる。官邸や政権がしっかり自制すべきだ」と指摘する。
内閣人事局 / 国家公務員の幹部人事を一元管理する政府組織。2014年に成立した国家公務員制度改革関連法に基づき、同年5月に内閣官房に設置された。審議官級以上の約600人が対象で、官房長官が適格性を審査した上で、幹部候補名簿を作成。閣僚は幹部の任免に当たって首相や官房長官と協議する。局長は官房副長官だが、実際の運用では官房長官が強い権限を持つ。 
 2017/7
稲田防衛大臣の悪筆で見くびった? ヒラメ官僚激増の原因とは… 7/1
官僚たちの“ヒラメ”ぶりがひどすぎる。
森友学園との交渉記録を「廃棄した」と開き直る財務省の局長はもとより、加計(かけ)学園スキャンダルでも、獣医学部の認可は「総理のご意向」と文科省に伝えたとされる内閣府の審議官が「そんな発言はしていない」とすっとぼける始末だ。
全国紙の政治部記者がこうため息をつく。
「明らかに政権の側に立ち、安倍首相をスキャンダルから守ろうとしている。でも憲法15条にあるように、公務員は『全体の奉仕者』なんです。なのに、常に上を見ているヒラメのように政権の顔色をうかがってばかりいる官僚が増えている。前川前文科事務次官がせっかく、『総理のご意向』と記した文書を本物と証言し、安倍政権下における行政のゆがみを正そうとしているのに、霞が関ではこれを援護する動きもさっぱりない。ゴマスリ官僚ばかりでは、公正な行政など期待できません」
どうしてこんなことになったのか? 某省の中堅キャリア官僚がこうつぶやく。
「稲田防衛相ですよ。彼女のヘタクソな筆字に完全にしてやられました」
朋チンがヒラメ官僚激増の原因? このキャリアによれば、官僚のヒラメ化が目立つようになったのは2014年からだという。
「この年の春に、国家公務員法が改正され、『内閣人事局』が設置されたんです。これにより、それまで官僚主導で決めていた各省庁の審議官級以上、約600名の人事を首相官邸が一元的に決定するようになった。こうなると、官僚はもう首相に逆らえません。嫌われると、出世できなくなってしまいますから。そのため、公平中立な行政をすることよりも、官邸の顔色をうかがう官僚が増殖したんです」
実はこのとき、法改正を主導したのが、当時、国家公務員制度担当大臣の朋チンだった。キャリア官僚が続ける。
「本来なら、『内閣人事局』ができたとき、霞が関はもっと警戒すべきでしたが、油断してしまったんです」
油断とは?
「ひとつは官邸主導とはいえ、多忙な首相が600以上の幹部ポストについて、適材適所を判別するなんてできっこない。こだわりのある一部のポストは首相が直接任命することになっても、人事の大枠は各省庁の提出した任用リストに沿って行なわれることになるはずと、霞が関側がタカをくくってしまったこと。そしてもうひとつ、私たち官僚を油断させたのが、稲田さんのあのヘタな文字でした」
政府には新組織が発足する際、その看板を時の大臣が書くという習わしがある。そのため、内閣人事局の看板書きは当時、所管大臣だった朋チンが担当することになったのだ。
「人気マンガ『バガボンド』の題字も手がけた書家、吉川壽一(じゅいち)氏の指導を受けて書いた看板なのですが、稲田大臣は本人も認める悪筆。はっきり言って小学生よりヘタ。そのあまりのトホホぶりに、『こんな貧相な看板をぶら下げる組織に、大した仕事なんてできるはずがない』と、官僚たちがすっかり見くびってしまったんです」
あのヘタな文字は官界の抵抗を封じる朋チンの深謀だったのかもしれない。  
忖度する人が栄転? 2017/11
森友学園をめぐる土地取引の記録文書を廃棄したと答弁した佐川宣寿氏が、今月5日付で国税庁長官となった。民進党は、この人事異動について“なぜ昇進させたのか”と、国家公務員の幹部人事を首相官邸が決めていることを批判している。
幹部人事を一元的に行う「内閣人事局」とはどのような組織なのか。日本テレビ政治部・柳沢高志記者が解説する。
――「内閣人事局」とはどのような組織なのか。
内閣人事局は、第2次安倍政権が2014年に新たに設置した組織。首相官邸直轄で、約600人の国家公務員の幹部人事を決めている。つまり人事を官僚主導から政治主導に変えたということになる。
例えば、国交省はもともと建設省や運輸省などが統合してできた役所だが、トップの事務次官は、旧建設省の事務官、技官、そして旧運輸省から1年ずつ順番に選ばれるという“慣行”が長く続いていた。
――つまり、官僚が自らの判断で身内の人事を決めていたと。
そうなる。しかし、これでは官僚が国の利益よりも自分の省庁の利益を優先することが多くなるとして、安倍政権はこれを変えた。
他にも安倍政権は、農水省の事務次官に次の次官と目されていた人物ではなく、あえて別の改革派と言われる官僚を次官に据えて、60年ぶりとなる農協改革を推し進めた。また、日本の海を守る海上保安庁の長官にキャリア官僚ではなく、現場をよく知る生え抜きの職員を起用するなど、前例のなかった人事を進めている。
――そうすると、前向きの改革のように聞こえるが、どうして野党は批判しているのか?
いま、官僚人事を一手に握る菅官房長官は「官僚人事は政権が進める改革に賛成か反対かで決めている」と明言している。これに対し、あるキャリア官僚は「人事権を握られたことで、官僚が官邸の意向ばかりを気にするようになった」と話している。
野党側は、こうした人事制度が官邸の意向を役所が過剰に忖度(そんたく)することにつながり、今回の“森友問題”や“加計問題”の原因の1つになったと指摘している。
政府高官は「国民から選ばれた政治家が官僚の人事を握るのは当然だ」としている。しかし、行政のゆがみを生むような過剰な忖度を防ぐためには、人事が客観的に見て適切に行われたと納得できる説明が必要なことは言うまでもない。 
何サマなのか? 怪しい国会答弁の内閣人事局長が我が物顔 7/14
支持率下落は止まりそうにない。安倍首相は内閣改造で局面打開をもくろんでいるそうだが、菅官房長官の留任が既定路線では、この先も上がり目ゼロだ。森友学園問題や加計学園問題で、この政権の縁故主義や隠蔽体質が国民に知れ渡り、嫌悪感が広がった。それが支持率急落に表れている。疑惑の目を向けられているのは安倍本人であり、政権中枢なのである。
「官邸が犯罪の巣窟になっていることがバレてしまったわけで、疑惑の中心人物がトップに居座っているかぎり、国民の疑念が晴れることはない。小手先の内閣改造で乗り切るなんて無理ですよ。安倍首相は『説明責任を果たしていく』と言っていましたが、だったら首相夫妻、官房長官、官房副長官、首相補佐官、加計学園の理事長など疑惑に関係する当事者たちの証人喚問が不可欠です。普通の国会審議では、政治家も役人もウソばかり言う。10日に行われた閉会中審査では、首相を筆頭にキーパーソンが出席しないし、たとえ出席しても、菅官房長官は前川前次官をおとしめるのに必死だし、萩生田副長官はシラを切り通していました。この調子では、国民の疑問は何ひとつ解明されない。真相解明には、証人喚問できっちり白黒つけるしかありません」(政治評論家・本澤二郎氏)
10日の閉会中審査では、文科省が公開した「10/7萩生田副長官ご発言概要」という文書について前川前次官が「私が事務次官在職中に担当課からの説明を受けた際に受け取り、目にした文書に間違いない」とあらためて証言。これは昨年10月に萩生田が文科省の常盤豊高等教育局長に話した内容を専門教育課の課長補佐が聞き取ってまとめた文書だ。さらに10月21日付の文書には「官邸は絶対やると言っている」「総理は『平成30年4月開学』とおしりを切っていた」などとの発言が記載されている。
萩生田は「このような項目について、つまびらかに発言した記憶はない」「間違った文書なんだと納得している」などとトボけていたが、偽証罪に問われる証人喚問でも同じことを言えるのか。
公平公正より情実優先が横行
萩生田は安倍の側近中の側近で、加計学園とも縁が深い。落選中は加計系列の千葉科学大の客員教授に就任し、報酬も受け取っていた。現在も無給の「名誉客員教授」の肩書を持っている。13年5月には、自身のブログに安倍、加計理事長と親しげに談笑するスリーショットをアップしていた。
通常国会の集中審議で、安倍と加計が「腹心の友」だと知っていたか聞かれた萩生田は、「最近、盛んに報道されているから承知している」と、まるで最近知ったかのように答えていた。千葉科学大学で客員教授をしていたのも「安倍首相とはまったく関係のないルート」としらばっくれたが、誰が信じるというのか。
「客観的に見れば、ウソやゴマカシに終始している印象ですが、おそらく萩生田氏には、ウソを言っているという罪悪感もないのでしょう。自分を見いだして目をかけてくれた親分を守って忠誠心を見せる、落選中にお世話になった加計理事長への恩義を示す。彼にとってはその方が、国民への説明よりも大事なのだと思う。公正公平より情実優先。それはこの政権の体質とも言えます」(政治学者の五十嵐仁氏)
問題は、こういう怪しい国会答弁を続ける人物が、官僚の幹部人事を握る内閣人事局の局長を務めていることだ。生殺与奪を握られた官僚は“本当のこと”が言えなくなる。萩生田が関与を否定している以上、それを覆す証言はできない。閉会中審査で文科省の常盤局長が「記憶にない」と繰り返す姿は、見ていて気の毒なほどだった。
国民の声で追い込まなければ大変なことになる
萩生田の発言が記された文書や、内閣府が「総理のご意向」を根拠に文科省に獣医学部新設を迫ったことを示す文書は、内部告発を経て公になったものだ。当初は「怪文書」扱いで、存在しないとされていた。世論の高まりで隠しきれなくなり、公表せざるを得なくなったのだが、すると、なぜか松野文科相は「内容が不正確」と謝り、関係した官僚は処分されてしまった。
一方で、森友学園問題で「文書は廃棄した」「自動的に消えるシステムで復元できない」とフザケた答弁を繰り返し、官邸の関与を隠し通した財務省の佐川理財局長は5日付で国税庁長官に昇進したわけだ。
憲法学者で慶大名誉教授の小林節氏は、13日付の日刊ゲンダイのコラムでこう書いていた。 
<首相と親しい者が、法律に反してまで不当に利益を得る。それに協力した役人が出世して、それに逆らった役人は処分を受ける。まるで、時代劇で将軍と御用人と代官と御用商人の関係を見せられているようである>
まったくその通りで、納税者より権力者の方を向いて忖度する国賊が出世し、正直者がパージされるのでは、どこぞの独裁国家を笑えない。
「国税庁長官人事を決めたのも、萩生田副長官が局長を務める内閣人事局です。財務省にしてみたら理財局長から国税庁長官というのは通常のルートかもしれませんが、森友問題であんな答弁をした人が出世すれば、論功行賞に見えてしまう。普通の感覚ならば、『李下に冠を正さず』で、こんな人事は認めないでしょう。天下に向かって、イエスマンを優遇し、歯向かえばパージすると宣言したようなものです。内閣人事局が、行政を私物化する装置になってしまっている。官邸や、そのお仲間のために、政治も行政も歪められているのです」(五十嵐仁氏=前出)
ワルが幅を効かせる独裁国家でいいのか
メディアの締めつけにも熱心なのが萩生田だ。14年の衆院解散直前、自民党筆頭副幹事長の萩生田の名前で、在京テレビキー局に、「公平中立」と「公正」な放送を心がけろという要請文書が出された。公正というと聞こえはいいが、要は、選挙があるから政権批判を控えろという圧力だ。当時の萩生田は総裁特別補佐も務めていた。自他ともに認める安倍側近からの要請にメディアは黙り込んだ。
こういうことを平気でやるのが、この国の中枢なのである。異論を認めず、批判は封じ込め、告発者には人格攻撃まで仕掛けて潰しにかかる。停波をチラつかせてメディアを脅し、報道も自分たちに都合のいいようにコントロールしようとする。
「こんな恐怖支配を許していたら、その矛先はいずれ国民に向かってきます。自分を批判する者は“敵”とみなすのが安倍首相の性質だからです。都議選の街頭演説で有権者から批判の声が上がると、『こんな人たち』と敵視していたのが証拠です。内閣改造で目先を変えても、安倍首相が続くかぎり、この政権の本質は変わらない。国家中枢が骨の髄まで腐っているのです。萩生田氏は首相の威光をカサにきて威張り散らし、人事を握られた官僚は官邸の意向を忖度する。フダツキが我が物顔で闊歩し続ける。命がけで告発した正直者は報われず、ワルが幅を利かせる独裁国家でいいのでしょうか。この国で進行しているのは、モラルハザードという言葉では言い尽くせないほど深刻な亡国政治です。国民の声で安倍首相を追い込まなければ、正義は失われ、この国は完全に民主主義国家ではなくなってしまいます」(本澤二郎氏=前出)
加計学園の獣医学部新設をめぐる問題では、安倍が出席して予算委の閉会中審査を実施する方針が、13日に決まった。自民党はかたくなに拒み続けていたが、ここへきて一転。世論に抗しきれなくなったのだ。「こんな人たち」が一斉に声を上げれば、この破廉恥政権は行き詰まる。今こそ、国家中枢に巣食う悪人どもを一掃しなければ、この国に未来はない。 
 2017/8
安倍政権の切り札、内閣人事局長は杉田和博官房副長官! 8/4
安倍総理大臣は政権で最重要の要職と言われている「内閣人事局」に杉田和博官房副長官を起用しました。
内閣人事局は2014年に官僚の人事権を政治家が抑えるために作った組織で、この内閣人事局が出来てからは官僚が内閣に従う構図が続いています。
事務副長官が内閣人事局長になるのは初で、官僚とのパイプを持っている杉田氏を任命することで官僚側の反発を押さえ込む狙いがありそうです。
杉田氏は警察での活動経験が長く、警視庁第一方面本部長や神奈川県警察本部長、警察庁警備局長、内閣官房内閣情報調査室長などを担当。 
内閣人事局がぶっ壊した霞が関の秩序 8/8
14年に発足した内閣人事局は霞が関の鉄筋コンクリート並みの秩序をぶっ壊してきた。官僚らに何が自身を利するのか卑しく問いながら。「森友疑惑」で木で鼻をくくったような答弁を続けた財務官僚の栄達などは一つの証明である。
「内閣人事局」が設立されたのは、2014年5月のこと。この組織を政治部デスクに解説してもらうと、
「これまでは各省庁が人事をまとめてきましたが、そのうち審議官クラス以上の約600人について、政治主導で人事を決めるために作られたものです」
ときに批判にさらされる非効率的な縦割り体質や多年の弊風を打ち破る意味で、あるいは社長が会社の人事権を握ることに異論を挟む者がいないのと同じように、官邸首脳が行政機関の人事を差配するのは当然のことだろう。したがってその方向性は間違っていないわけだが、
「政権が長く続きすぎたことで、その澱みが出てきているのではないでしょうか。局長は政治家の官房副長官が務めることになっていますが、実質的には菅さん(義偉官房長官)が決定権を持っており、その意向が強く働きすぎているようにも感じます」(同)
文科省OBの寺脇研氏は、
「人事局ができたことで、それぞれの官僚の心の中に、常に官邸からチェックをうけているのではないかという気持がめばえるようになったと思います」
と指摘する。このことに加えて、選挙を連戦連勝に導き、「軍師・菅」の名を高からしめることで霞が関を牽制・睥睨する手法を前にしては、人事こそ人生最大の関心事であるキャリア官僚はひとたまりもない。まさに「建設よりも破壊」によって力を見せつけてきた、その具体例を見て行こう。
論功行賞
最初に取り上げるのは、「我ら富士山、他は並びの山」と最強官庁を自負する財務省である。まず、学校法人「森友学園」への国有地売却問題を巡る国会答弁で、「記録は廃棄した」「電子データは自動的に消去される」などと、木で鼻をくくったように対応した佐川宣寿氏について。今夏、理財局長から国税庁長官へ栄達を果たしたが、財務省担当記者によると、
「理財局長からは4代続いての昇格ですが、佐川の場合、直前に関税局長を務めています。これは局長ポストの中で末席なんです。銀行局長や証券局長という役職があった大蔵省時代でさえ、省内では最も低く見られる立場で、以前なら関税局長で終わりでしょう。13年にこのポストから国税庁長官になった例はあるにせよ、あくまでもイレギュラー人事。さすがに佐川も理財局長で退官だと見ていたのですが……。あの国会答弁を官邸が諒とした、その論功行賞以外の何物でもありません」
裏を返せば、安倍政権に刃向うとどうなるかわからない、その匕首(あいくち)を霞が関に突きつけたということになる。
姑息な人事
もう1つ、予想外の声が省内であがったのは、事務次官、主計局長に次ぐ官房長人事だ。官房長経験者は過去11代続けて次官になっている。ベテラン記者に聞くと、
「一橋大経済学部卒の矢野康治。とても優秀だって聞きますけれど、彼は菅さんの秘書官をやっていたんですよ。『消費税10%再々延期なし』が悲願の財務省としては長官との距離感が大事ということで矢野を推薦したのは間違いない」
もっとも、
「大蔵省(財務省)で予算編成を担当する部署である主計局の中でも、総務課の企画担当主計官(主計企画官)という役職は全体の予算フレームを決めるところで、各年次の出世頭が就くポスト。ゼロ・シーリングの発案者・山口光秀、竹下登に消費税導入を提案した吉野良彦、国民福祉税構想を提唱した斎藤次郎ら歴代の大物次官はみな企画担当主計官を経ています。その仕事をしていない矢野がこの地位に来たというのは時代が変わったのかな」
と漏らす。元財務官僚で民進党の玉木雄一郎代議士は、
「3代続けて同期入省が次官になったあたりからおかしくなってきたんだと思います」
と言うし、先のベテラン記者も同様に人事の歪みだと論難するのは、15年に田中一穂氏が同期で3人目の次官に就任したことだ。
「田中と同期の昭和54年組だと、13年に次官になった木下康司と翌年にその後を襲った香川俊介が、早くから将来の次官候補と目されてきました。花の41年組に続いて優秀だと言われていたので、同じ期から次官が2人出ても不思議はなかったけれど、田中は目立たない存在で、特筆すべきキャリアと言えば、第1次安倍政権で首相秘書官をやったことぐらいです」(同)
ちなみに、41年組には長野厖士(あつし)、中島義雄、武藤敏郎の各氏ら人材は綺羅星の如くだったが、長野・中島の両氏はともに醜聞のぬかるみにはまり、武藤氏だけが次官の座に就いている。田中氏に話を戻そう。
「同じ期から3代連続で次官が出るというのは、財務省の歴史をひもといても皆無。内閣人事局ができた時、“600人もの人事を管理できるわけがない。きっと安倍さんは自分の秘書官を経験した人間を省庁のトップに据えるだろう”と霞が関で言われていましたが、実際その通りになったわけです。田中は主税局長から主計局長を経て次官になっていますが、そのような流れは聞いたことがありません」(同)
わざわざ次官コースの主計局長をやらせてその資格を与えた、姑息な人事だと言い切って、その政治的な臭いに鼻をつまむのだ。
進次郎の振付師
一方で、重要な人材を摘んでしまったのが、農水省の次官人事である。
「農水省の次官というのは水産庁長官か林野庁長官から昇格するのが定石でした。でも去年、それが崩れて経営局長から奥原正明が就きました。彼と同期の前任者は、定年でもないのに任期僅か10カ月で辞職を余儀なくされたんです」(前出・デスク)
先の玉木代議士が続けて、
「今回の人事に関しては農水省が特におかしいと私は思っています。見る人が見ればわかりますが、(次官待機組の)水産庁長官、林野庁長官、そして消費・安全局長が全員退職に追い込まれているのです」
このサプライズを演出したのも、他ならぬ菅官房長官だという。
「『菅―奥原ライン』は攻めの農業という、定義のよくわからないことをとにかく推し進めていて、意味のない農協潰しなんかをやっている。今までも全員が守りの農業をやってきたわけではないのに、それこそ印象操作に近いのです」(同)
そもそも奥原次官とは、
「農水省にあって農協解体が悲願という変わり種で、稲田朋美が自民党の政調会長だった頃、2人でせっせと農林族を回っている姿がありました。彼のそうした行動を菅さんは高く評価していて、“奥原っていいでしょ?”と周辺によく言っていたほどです」(前出・デスク)
他方、農水族に重きをなすある代議士は、
「農業を成長産業にするという考え方は良いことですが、規制緩和をして一般企業を農業に参画させることで市場の論理に晒された農業がどうなるか考えていない。奥原と官房長官は一体で、そこに農林部会長の小泉進次郎もうまく取り込まれた恰好ですね。“農業改革が自分の使命”なんて進次郎は盛んに言っていますが、奥原に吹き込まれたんでしょう。演説で主張している内容が奥原の訴えと同じだったことが何度もありましたからね」
とし、こう続ける。
「例えば、進次郎は“農協の肥料は高く、韓国や中国の2〜3倍する。余剰分を農協が懐に入れているのではないか。このままでは日本の農業の国際競争力が落ちてしまう”といった考えをお持ちのようだが、そうではない。日本の土壌に合う肥料を長い時間をかけて開発してきたという事情を知らず、単に値段だけを見て中途半端な発言をしているんです」 
一段と拍車がかかるNHKの偏向放送 2017/12/11
安倍政権は人事権を濫用してNHKを私物化している。
NHKの最高意思決定機関は経営委員会だが、経営委員会の委員の任命権は内閣総理大臣にある。放送法第31条は経営委員会の委員について次のように定めている。
「(委員の任命)
第三一条 委員は、公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者のうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する。」
そして、実際のNHKの業務運営は、NHKの会長、副会長、および理事に委ねられるが、会長、副会長、理事については、放送法第52条が次のように定めている。
「第五二条 会長は、経営委員会が任命する。
2 前項の任命に当たつては、経営委員会は、委員九人以上の多数による議決によらなければならない。
3 副会長及び理事は、経営委員会の同意を得て、会長が任命する。」
つまり、内閣総理大臣がNHK経営委員会の人事権を握り、その経営委員会がNHK会長を選出する。そして、NHK会長は経営委員会の同意を得てNHK副会長と理事を任命するのだ。
これを見ると、内閣総理大臣はNHKを支配し得る人事権を有しているということになる。ただし、経営委員の任命を定めた第31条には、
「公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者のうちから、」
の記述があり、内閣総理大臣が、この記述に沿って適正に経営委員を任命するなら大きな問題は生じないが、内閣総理大臣が、この記述を無視して、偏向した人事を行えば、NHK全体が偏向してしまうのである。
また、NHKの財政運営については、第70条が次のように定めている。
「(収支予算、事業計画及び資金計画)
第七〇条 協会は、毎事業年度の収支予算、事業計画及び資金計画を作成し、総務大臣に提出しなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。
2 総務大臣が前項の収支予算、事業計画及び資金計画を受理したときは、これを検討して意見を付し、内閣を経て国会に提出し、その承認を受けなければならない。」
NHKは予算を総務大臣に提出し、総務大臣が国会に提出して承認を受ける。国会において、与党が衆参両院の過半数を占有していれば、NHKは与党の承認さえ得れば、予算を承認してもらえる。
そして、NHKの収入の太宗を占めるのが放送受信料である。放送受信料を支えているのが放送受信契約である。これについては、第64条が次のように定めている。
「(受信契約及び受信料)
第六四条 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。」
この条文は、家にテレビを設置したら、放送受信契約を結ぶことを義務付けるものである。しかし、NHKの番組編集は著しく偏向しており、NHKと受信契約を締結したくない主権者が多数存在する。NHKの偏向を是正せずに、受信契約を強制することは、基本的人権の侵害である。
受信契約拒絶の自由を求めて訴訟が提起されたが、政治権力の忖度機関に成り下がっている裁判所が、放送法64条の規定を合憲と判断した。
政治権力がNHKも裁判所も支配してしまっている。NHKは「みなさま」のことを一切考える必要がない。NHKは、ただひたすら「あべさま」のご機嫌だけを窺う機関に成り下がっている。
12月10日放送の「日曜討論」では、安倍政権の経済政策をテーマに討論番組が編成されたが、一段と偏向が強まっている。
この討論番組を評価する基準は、出演者の選定である。そもそも司会者が偏向を絵に描いた存在の島田敏男氏である。この時点で、放送内容が大きく歪む。この日は4名の出演者だったが、政府代表プラス太鼓持ち発言者は定石である。残りの2名の出演者に、対論を述べる代表的な論者が出演して、初めて「討論」の意味が生じる。
しかし、偏向NHKはこの2名の人選において、露骨な偏向を実行している。残りの2名も、政府施策賛同者、財政規律優先論者を揃えており、これでは、公平な議論にならない。
安倍政権の施策に問題があることはもちろんだが、財政規律を主張する論者だけを登場させるのは、財務省への配慮なのである。こんな偏向番組を制作するNHKとの受信契約強制を合憲とする裁判所は、もはや裁判所としての機能を失っている。
政治権力=行政権力がすべてを支配し、憲法も無視した政治を実行しているのが現実であり、この現状を打破するには、ただひとつ、この行政権力を打倒するしかない。
この点を明確にしておく必要がある。  
 
諸刃(もろは)の剣(つるぎ)
《両辺に刃のついた剣は、相手を切ろうとして振り上げると、自分をも傷つける恐れのあることから》一方では非常に役に立つが、他方では大きな害を与える危険もあるもののたとえ。両刃の剣。 / 相手にも打撃を与えるが、こちらもそれと同じくらいの打撃を受けるおそれがあることのたとえ。また、大きな効果や良い結果をもたらす可能性をもつ反面、多大な危険性をも併せもつことのたとえ。両刃の剣。 / 一方では非常に役立つが、他方では大きな損害をもたらす危険もあるというたとえ。また、相手に打撃を与えるが、自分もそれと同等の打撃を受けるおそれがあるというたとえ。
由来 / 両面鋭くして斬ることができる剣を使う時、当然敵を斬ることはできるが両面が鋭いことが仇となり、何かの引き金で自分の体を切ってしまう危険があることである。つまりは、成功すれば得も大きいが失敗すればとんでもない損をするという意味である。早い話ハイリスクハイリターンの類義語である。何かの行動方法やらの説明の際にこの単語があった場合は「失敗したときは非常事態が発生するからビギナーは絶対にやらないでね!上級者向けだよ!」という意味も兼ね備えている。 
操り人形(あやつりにんぎょう)
操り芝居に用いる人形、糸操りと手遣いとがある。他人の言うとおりに、どうにでも動く人。傀儡 (かいらい) 。 / 操り芝居に用いる人形。手遣い人形と糸操り人形とがある。また、その芝居。あやつり。  / 操り人形芝居の略で、手で操作する人形を意味するが、狭義には文楽人形を指す。〈あや〉は糸のことで、本来は糸操り(マリオネット)の意味と思われる。 / 自ら意志を持たず他者から操られるだけの者。 
 
 

 
2017/10