文明 文化の衝突

トランプ大統領
イスラム圏7カ国(イラン、イラク、シリア、スーダン、リビア、イエメン、ソマリア)からの
人々の入国を90日間禁じ
難民の受け入れを120日間一時的に停止する

アメリカ発展の原動力
多様な文化 受入れ容認がそのひとつでは
 


文明の衝突
 

 

入国禁止令、世論調査で賛成が上回る 質問や調査方法で結果に違い
ハフィントンポストUS版と世論調査会社「YouGov」が実施した最新の世論調査によると、ドナルド・トランプ大統領、イスラム主流国7カ国(イラン、イラク、リビア、ソマリア、スーダン、シリア、イエメン)の人々の入国を90日間禁じ、難民の受け入れを120日間一時的に停止する入国禁止令に関して回答者の意見は分かれており、おおむね共和・民主の支持者で違いが際立っている。
トランプ氏の大統領令に賛成しているのは48%、反対は44%だった。賛否の程度はほぼ同じで、「強く賛成」が33%、「強く反対」が34%だった。
大統領令の実施に関する見方も分かれており、41%の人が「どちらかといえば良かった」または「とても良かった」と答え、38%の人が「あまり良くなかった」または「全く良くなかった」と答えた。
約1/3に当たる34%が、禁止令は「そのままのやり方で良い」と答え、19%は「基本的には良い考えだがやり過ぎ」、そして36%は「基本的に悪い考え」だと答えている。
トランプ政権はこの大統領令は「イスラム教徒を標的にしていない」と主張しているが、52%の過半数の52 %が「禁止令はイスラム教徒を標的にすることを意図している」と答え、29%の人は「そうは思わない」と答えている。
入国禁止令に対する反応は党派で分かれた
○トランプ大統領は最近、イスラム圏7カ国(イラン、イラク、シリア、スーダン、リビア、イエメン、ソマリア)からの人々の入国を90日間禁じ、難民の受け入れを120日間一時的に停止する大統領令に署名しました。あなたは、この禁止令に賛成ですか、それとも反対ですか?
○大統領令への賛成・反対にかかわらず、大統領令の実施にあたり、政府はこれまでよくやっていると思いますか?
今回は最新の世論調査の結果だが、1930年代にホロコーストを逃れたユダヤ人の子供たちから、1970年代後半のベトナムの「ボート・ピープル」まで、これまでの世論調査を見ると、アメリカは難民受け入れに反対してきたことがわかる。
トランプ氏は2015年の声明で「何が起きているのかこの国の代表者たちが把握できるまで、イスラム教徒たちのアメリカへの入国を完全に停止」することを求めたが、世論調査では反対の声が多かった。しかし、トランプ氏が共和党の大統領候補に決まると、特に共和党内でこの方針を支持する人が増えた。それ以来、当初の提案に反対していた共和党のポール・ライアン下院議長やインディアナ州のマイク・ペンス知事(現副大統領)といった共和党首脳も難民受け入れ反対の声に押されるようになり、共和党内はトランプ氏の主張に足並みを揃えるようになった。
トランプ氏に投票した有権者とクリントン氏に投票した有権者は、対照的な見方
大統領令に賛成したのは、大統領選の民主党候補だったヒラリー・クリントン氏に投票した人が12%、大統領選に投票しなかった人が44%だったのに比べ、トランプ氏に投票した人は95%に達している。
「トランプ氏は、やると言ったことをちゃんとやっているんです」と、ウェストバージニア州の中でも共和党色の強い地域に住み、トランプ氏に投票したトニー・コリンズさん(72)は、ハフィントンポストUS版のデイブ・ジェイミーソン記者に語った。「これで安心できます」
「政府が禁止令を実行したことは良かったか」という質問に対し、クリントン氏に投票した16%は、「強くそう思う」「ややそう思う」と考えている一方、同じように考えるトランプ氏に投票した人は75%に達した。しかし、禁止令そのものに賛成しているトランプ氏に投票した人の中でも、実際に禁止令が実行されたことに対する評価は分かれている。トランプ氏に投票した81%は禁止令に賛成しているが、「政府が禁止令を実行したことは良かったか」という質問に「強くそう思う」と答えた人は31%にとどまっている。
トランプ氏に投票した82%は、大統領令は「このままで良い」と答え、クリントン氏に投票した76%は、大統領令を「基本的に悪い考え」と見ている。投票しなかった人の意見は分かれ、「そのままで良い」とするのが25%、「良い考えだがやり過ぎ」とするのが24%、そして「基本的に悪い考え」とするのが30%だった。
ほとんどのアメリカ人は、難民について個人的に知らない
全回答者のうち、「大統領令で入国禁止とされた7カ国から来た移民を知っているか」という質問に対し「知っている」と答えたのは24%で、「難民としてアメリカに来た人を知っているか」という質問に「知っている」と答えた人は30%だった。4%の人は「家族の中に今回の大統領令で影響を受けた国からの移民はいるか、あるいは家族の中に難民がいるか」という質問に、「いる」と答えた人はわずか4%だった。
クリントン氏に投票した、あるいはトランプ氏に投票した有権者の双方とも、大統領令で影響を受けた移民や難民を直接知っている人の割合は同じくらいだった。 7カ国のいずれかからの移民を知っていると答えたクリントン氏に投票したうちの28%、トランプ氏に投票したうちの27%、また難民を直接知っていると答えた人は、クリントン氏に投票した人、トランプ氏に投票した人のいずれも35%だった。
一般的にアメリカ国民は7カ国からの移民や難民になじみが薄いといえるが、入国禁止令に対する意見に与える影響はほとんどない。7カ国のいずれかからの難民または移民を知らない人のうち、入国禁止令に反対しているのが42%なのに比べ、そのような人たちを知っていて、禁止令に反対している人は全回答者のおよそ半数だ。
なぜ禁止令に関する世論調査は難しいのか
政策に対する国民の支持を測定しようとする調査の結果は、大幅に異なってくる場合がある。とりわけ今回の入国禁止令に関しては、質問の仕方や、調査方法の違いで結果が大きく影響されることが分かっている。
たとえば、2015年後半にトランプ氏が最初に一時的に「イスラム教徒のアメリカ入国を完全に停止」する提案をしたとき、世論調査では、国民全体の25%から45%は賛成し、共和党内では42%から69%が賛成だった。
質問内容が異なってくると、大きな違いが生まれてくる。イスラム教徒の入国禁止に関して賛成が最も少なかった調査の質問を見ると、「完全な停止」について、入国禁止が一時的であることを明示せずに、トランプ氏の発言を使用している。
一方、賛成が最も多かった調査の質問を見ると、トランプ氏の名前を削除し、同時に入国禁止案は「何が起きているのかこの国の代表者たちが把握できるまで」続けられると書かれている。
オンライン、あるいは自動化された電話による調査では、調査員の面接調査よりも禁止令に対して賛成が高くなっている。一部の回答者は調査員と話す場合、禁止令を支持することを認めない傾向がさらに高まっている。
トランプ氏の大統領令に関する同様の世論調査でも、このような違いが生じる可能性がある。必ずしも質問の「正しい」表現があるわけではないが、選択項目の多くは、たとえば、トランプ氏の名前を使うのかどうか、または「大統領令」や「入国禁止令」などの用語を使うかどうかなどによって回答が違ってくる可能性がある。
1月30日と31日に行われたオンラインのロイター/イプソスの調査によると、質問に応じて全回答者の48%から41%は大統領令に賛成していることが分かった。その調査では大統領令をこう説明していた。「トランプ大統領が1月27日に署名した大統領令では、少なくとも120日間、難民の受け入れを停止し、また少なくとも90日間、イスラム圏7カ国からの人々の入国を禁止する」
主に自動化された電話によって世論調査を行う、民主党系調査機関「パブリック・ポリシー・ポーリング」の調査では、全回答者の47%が「特定の国からの難民や市民がアメリカに入国することを禁ずるドナルド・トランプ氏の大統領令」に賛成し、49%が反対した。世論調査員が調査するギャラップでは、賛成が低くなった。42%が「イスラム教徒が多数を占める7カ国からのほとんどの人々を対象にアメリカへの入国を一時的に禁止する」大統領令に賛成し、反対は55%だった。
どのような表現を選択するかによって、世論調査で政策がどのように認識されるか、明らかに違いが出る。これは大統領令が出される前の世論調査会社「ラスムッセン・レポート」の調査にも当てはまる。ラスムッセン・レポートの調査では投票者の57%が禁止令に賛成していた。ホワイトハウスのショーン・スパイサー報道官は2月1日の記者会見でこの数字に言及し、「全体としてアメリカ国民は、大統領が取っている行動を全面的に支持している」証拠だとした。
しかし、主に自動化された電話で行われたラスムッセンの世論調査は、大統領令が実施される前だっただけでなく、「連邦政府がアメリカにやってくる潜在的なテロリストを審査し、明らかにする能力を向上させるまで実施されることになる」入国禁止令に関して意見を尋ねていた。ちょっとした言葉遣いの違いだが、大統領令への支持を強化する内容であることは間違いない。 

 

移民を規制する大統領令と移民が支える米IT企業 
移民と難民を規制する米トランプ大統領令は、移民に支えられた米IT企業にも大きな影響を与えています。
ドナルド・トランプ米大統領が1月27日に署名した移民と難民の規制に関する大統領令をめぐって、大きな波紋が広がっています。この大統領令は、テロの懸念のある7カ国(イラク、シリア、イラン、リビア、ソマリア、スーダン、イエメン)からの一般人の入国90日停止、難民の受け入れ120日停止、入国審査やビザ発給システムの厳格化などを含むものです。
「一般人」を入国させるかどうかの判断は当局に任されており、既に米国の永住権(グリーンカード)を持っていてたまたま海外に出ていた人まで空港で足止めされるケースもあります。
そうした中、2月3日に米ワシントン州の連邦地裁は、この大統領令執行の一時的な差し止めを命令しました。この命令は全米で即日効力を発揮し、有効なビザがあれば上記7カ国の人々は入国が許可されることになります。しかし、ホワイトハウスは直ちにこの命令の執行停止を求める方針で、現場の混乱は続きそうです。
さて今回の大統領令を受けて、それまであまりはっきりとトランプ大統領に反対してこなかったIT企業が次々と「懸念を表明」しました。こうした動きは人道的な配慮はもちろん、IT企業にとって死活問題だからです。競争が激しいIT業界では、“best and brightest”な人材を世界中から集めることが勝ち続けるために必須です。優秀な人材であれば、移民であろうと難民であろうと関係ありません。
米国のいろんなIT企業の公式ブログを見ると、署名にはムハマドさん(イスラム系)とかチェタンさん(インド系)とか、エキゾチックな名前がたくさんあります。恐らくそうした中には移民あるいは難民の方もおられるでしょう。
実際、自社の従業員76人がこの大統領令の影響で入国できないでいたMicrosoftは2月2日の段階で、入国審査で混乱をきたしていた当局に、(Microsoftの従業員のように)身元が保証されているビザ保有者は入国させてほしい、と例外措置を要請していました。
Microsoftのサティア・ナデラCEOもインドで生まれ育ち、米国の大学に入るために渡米してきた移民です(その後、米国籍を取得したそうです)。
米新興企業のCEOにもWASP(White Anglo-Saxon Protestant)ではないような名字が目立ちます。例えば、UberのカラニックCEO(チェコ)や、PeriscopeのベイクパーCEO(イラン)。二人とも生まれは米国ですが、両親は移民です。
米国はそもそも移民の国なので、多くの人は数代さかのぼると移民にルーツがあります。自分自身が祖国から米国に夢を抱いてやってきて、チャンスをつかんだ人々は特に、移民を受け入れる米国に誇りを持っているようです。
生まれが米国以外の著名なIT企業のCEOはまだまだ多くいます。
Googleのスンダー・ピチャイCEOはインドで生まれ育ち、スタンフォード大学に入学するために渡米しました。
Googleの共同創業者であるサーゲイ・ブリン氏は、ソ連時代のロシアから両親とともに亡命してきた難民でした。ブリン氏はサンフランシスコ国際空港での大統領令反対デモに参加しています。
WhatsAppのジャン・コウムCEOはウクライナ生まれです。16歳のときに母親と祖母と一緒にマウンテンビューに移りました。
NVIDIAのジェンスン・ファンCEOは台湾生まれ。先に米国で暮らしていたおじさん夫婦を頼って子どものころに渡米し、苦学の末スタンフォード大学を卒業しました。
TeslaとSpaceXの創業者、イーロン・マスクCEOは南アフリカ生まれ。17歳のときにカナダに渡り(母親がカナダ人)、米国の大学に入って24歳でカリフォルニアに移りました。
IT業界ではほぼただ一人、大統領選中からトランプさん支持を表明していたPayPalの共同増業者で投資家のピーター・ティール氏はドイツ生まれ。でも米国に入ったのは幼いころだったので、本人には米国での記憶しかなさそうです。
ちなみに、トランプ大統領自身も移民と無関係ではありません。本人は米国生まれですが、母親はスコットランドからの移民です(米CNNより)。父方は祖父のフレッド・トランプ氏が1885年にドイツから米国に渡ってきました(英DailyMailより)。祖父の本当の名前は「フリードリッヒ・ドランプ」でしたが、米国風に変えたそうです。 

 

入国制限措置に対するGoogleやAppleなどIT各社による共同文書の草案 
トランプ大統領が署名した移民および特定の国からの入国制限に関する大統領令には賛否の声が巻き起こっているのですが、IT業界の各社からは明確に反対する声があがっています。そんな中、Googleの親会社であるAlphabetやAppleをはじめとする名だたるIT各社は、共同で書簡を提出する動きを見せており、そのドラフト(草案)の内容が明らかにされています。
ITビジネス関連メディアのRecodeによると、AlphabetやApple、Facebook、Microsoft、Uber、Stripeを中心とする企業が共同でトランプ大統領に宛てた書簡を作成しているとのこと。書簡の全訳は以下のとおりで、移民や特定の国からの入国制限措置に反対するものとなっています。

トランプ大統領
国家としての誕生以来、アメリカは機会の国で在り続けてきました。新しい人を歓迎し、合衆国内で家族を作り、仕事のキャリア、ビジネスを築き上げるチャンスを与えてきました。アメリカは移民によって強くなった国家です。起業家として、そしてビジネスリーダーとして、企業を成長させ、仕事を作り出す能力は、さまざまな背景を持つ移民の貢献によるものです。
私たちは、トランプ大統領が掲げる、出入国管理制度を近年の安全保障に沿うものにすべきであるとの目標を共有しています。しかし、大統領が署名した大統領令により、アメリカ国内で勤勉に働き、国家の成功に貢献している多くのビザ取得者が影響を受けています。グローバル経済においては、常に世界中から最高で最も聡明な人材を惹きつけ続けることが決定的に重要です。私たちはトランプ政権が過去数日間に行った、国土安全保障省が大統領令を施行する方法の変更を歓迎しています。また私たちは、私たちの従業員がまっとうな予測のもとで不当な遅延を被ることなく移動できることを保証するための新しい機会をトランプ政権が見いだすことを手助けする準備ができています。
私たちの国の助け合いの心は、アメリカを優れたものにしてきた一部であり、私たちは、トランプ政権がアメリカ難民認定プログラムのもとで、無差別な入国制限を行うことなしに厳格なスクリーニング(入国審査)を行うためのアプローチを見いだすことを手助けすることにコミットしています。安全保障と入国審査の手順は常に継続的な評価と改良が行われることが可能であり、またそうあるべきですが、無差別に行われる入国制限は正しいアプローチではありません。
同様に私たちは、「人々を幸せで誇り高くする」というDACA(児童期入国移民送還延期措置)の保護によりアメリカ国内にいる75万人のDreamers(夢見る子どもたち)の将来を明確なものにするという、トランプ政権が掲げる目標を達成する方法を見いだすことに手をさしのべる準備ができています。これらの保護の更新を防ぐことで解除すれば、同措置は終了を迎えることになり、これらのDreamersが国外退去におびえることなく仕事をして生活するという可能性を廃絶することになるでしょう。
ビジネス界は、アメリカ経済を強くしてアメリカ全土で雇用の機会を広げるというトランプ政権のコミットメントを共有しています。私たちは何千人というアメリカ人と海外からの最も才能にあふれた人の両方を雇用し、ともに働くことで企業を成長させ、全体として雇用を生みだしています。アメリカの複雑で相互に関連した移民政策やビジネス、労働許可ビザ、難民、DACAなどの変更について大統領が熟慮される時には、アメリカのビジネスを機能させ、アメリカの価値観を反映する移民政策を実現させるためのリソースとして私たちを活用いただくよう望みます。

トランプ大統領が打ち出した入国規制施策は、多くの才能ある移民を登用しているといわれるIT業界に大きな影響を与えています。また、国内外にも大きな波紋を投げかけており、ヨーロッパの各国首脳などから反対の意見が挙がっているほか、1月28日に行われたオーストラリアのターンブル首相との電話会談の際には、難民引き受けに関する両国の合意をめぐってトランプ大統領は激しい言葉をターンブル首相に投げつけ、険悪な雰囲気に陥ったとのこと。さらに会談中にトランプ大統領が電話を唐突に切ったとも報じられています。 

 


 
2017/2
 
 
『文明の衝突』 

 

アメリカ合衆国の政治学者サミュエル・P・ハンティントンが1996年に著した国際政治学の著作。原題は『The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order』(文明化の衝突と世界秩序の再創造)。冷戦が終わった現代世界においては、文明化と文明化との衝突が対立の主要な軸であると述べた。特に文明と文明が接する断層線(フォルト・ライン)での紛争が激化しやすいと指摘した。記事の多くはイスラム圏、ロシアについてであり、他の地域に関してはおまけ程度の扱いである。
ハンティントンは1927年にニューヨーク市で生まれ、18歳でイェール大学を卒業後、米陸軍で勤務し、シカゴ大学で修士号を、ハーバード大学で博士号を取得し、同大学で23歳の若さで教鞭をとった。ハーバード大学のジョン・オリン戦略研究所の所長でもあった。1977年から78年には米国の国際安全保障会議で安全保障を担当した経歴を持つ。その研究は主に政治、軍事に関連するものが多く、政軍関係に関する『軍人と国家』、政治変動に関する『変革期社会の政治秩序』などがある。
本書はハンティントンの論文『文明の衝突?』(クエスチョンマーク入りで本書とは異なる)から派生したものである。この論文はアメリカン・エンタープライズ公共政策研究所でのハンティントンの講義をもとに雑誌『フォーリン・アフェアーズ』の1993年夏号にて発表され、激しい論争をもたらした。もともとはジョン・オリン戦略研究所の「変容する安全保障環境と米国の国益」プログラムにおける活動の成果でもある。1992年にかつての教え子フランシス・フクヤマによって発表された『歴史の終わり』に呼応する形で発表され、また2001年のアメリカ同時多発テロ事件やそれに引き続くアフガニスタン紛争やイラク戦争を予見した研究として注目を浴びた。イスラム圏にも波紋を呼び、イランのモハンマド・ハータミーの文明の対話やトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアンがスペインのホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロとともに提案した文明の同盟構想に影響を与えた。
ただしエマニュエル・トッドは宗教や表面上の文化のみで文明を分けるべきでないと、ハンティントンの諸文明の考察に反論している。  
内容
本書はそれまでの「西側」、「東側」、「国民国家」などの国際政治の視座ではなく、文明に着目して冷戦後の世界秩序を分析する国際政治学的な研究である。その内容は、文明の概念と特徴を定義した第一部「さまざまな文明からなる世界」、非西欧文明の発展を論じている第二部「文明間のバランスのシフト」、文明における文化的秩序の発生について論じた第三部「文明の秩序の出現」、文明間の紛争や戦争について論じた第四部「文明の衝突」、そして西欧文明の復興や新時代の世界秩序について論じた第五部「文明の未来」から成り立っている。
諸文明の世界観
ハンティントンはまず文化が国際政治においても重大な役割を果たしていることを指摘した。特に冷戦後において文化の多極化が進み、政治的な影響すら及ぼした。なぜなら文化とは人間が社会の中で自らのアイデンティティを定義する決定的な基盤であり、そのため利益だけでなく自らのアイデンティティのために政治を利用することがあるためである。伝統的な国民国家は健在であるが、しかし行動は従来のように権力や利益だけでなく文化によっても方向付けられうるものである。そこで現在の諸国家を七つまたは八つの主要文明によって区分することがハンティントンにより提案された。
ここで議論されている文明という概念については、文化的、歴史的な着眼から考察されている。そもそも文明とは何かという議論について、文明は複数は存在しないという見解がある。つまり文明とは未開状態の対置概念であり、そして西欧社会は唯一の文明であった。この文明の見解は社会の発展という観点からのみ定義されるものであるが、文明と文化の関連からも考察できる。文明は包括的な概念であり、広範な文化のまとまりであると考えられる。文明の輪郭は言語、歴史、宗教、生活習慣、社会制度、さらに主観的な自己認識から見出される。人間は重複し、また時には矛盾するアイデンティティを持っているために、それぞれの文明圏に明確な境界を定義することはできないが、文明は人間のアイデンティティとして最大限のものとして成立している。だからこそ文明は拡散しても消滅することはなく、ある一定のまとまりを持って存在している。
ただしエマニュエル・トッドは家族構造と人口統計に基づいて世界を認識している。このため、サミュエル・P・ハンティントンの『文明の衝突』を全くの妄想と見なしている。
ただし世界政治における行為者として文明を位置づけているわけではない。文明は文化的なまとまりであって、政治的なまとまりではない。あくまで文明はさまざまな行為主体の政治行動を方向付けるものである。近代世界以後の日本を除く全ての主要文明が二カ国以上の国家主体を含んでいる。文明の総数については歴史研究において学説が分裂している。16個、21個、8個、9個などと文明の数え方にはいくつかの基準がある。しかしハンティントンの分析は、歴史的には最低限でも主要文明は12個存在し、そのうち7つは現存せず、新たに2個または3個の文明が加わったと考えれば、現在の主要文明は7個または8個であるとした。
○ 中華文明 - 紀元前15世紀頃に発生し、儒教に基づいた文明圏であり儒教文明とも呼ぶ。その中核を中国として、台湾、朝鮮、韓国、ベトナム、シンガポールから成る。経済成長と軍備の拡大、および国外在住の華人社会の影響力を含め、その勢力を拡大しつつある。
○ ヒンドゥー文明 - 紀元前20世紀以降にインド亜大陸において発生したヒンドゥー教を基盤とする文明圏である。
○ ユダヤ文明 - 紀元前13世紀から紀元前10世紀頃モーセの出エジプトから始まり、このころイスラエルを建築し発生した。ユダヤ教を基盤とする。
○ イスラム文明 - 7世紀から現れたイスラム教を基礎とする文明圏であり、その戦略的位置や人口増加の傾向、石油資源で影響力を拡大している。(トルコは文化や歴史的に西に近い。)
○ 日本文明 - 2世紀から5世紀において中華文明から派生して成立した文明圏であり、日本一国のみで成立する孤立文明。ただしエマニュエル・トッドは日本はドイツと似た文明を持っていると反論している。
○ 東方正教会文明 - 16世紀にビザンティン文明を母体として発生し、正教に立脚した文明圏である。
○ 西欧文明 - 8世紀に発生し、西方教会に依拠した文明圏である。19世紀から20世紀は世界の中心だったが、今後、中華、イスラム圏に対して守勢に立たされるため団結する必要がある。
○ ラテンアメリカ文明 - 西欧文明と土着の文化が融合した文明、主にカトリックに根ざしている文明圏である。
○ アフリカ文明 - アフリカ世界における多様な文化状況に配慮すれば、文明の存在は疑わしいものであるため、主要文明に分類できないかもしれない。
○ エチオピアやハイチとイスラエルはどの主要文明にも属さない孤立国である。モンゴル、チベット、タイ、ミャンマーなどは仏教文化として括られているが積極的な行為主体とは考えていない。
変容する文明
近代において圧倒的な影響力を与えた西欧文明は現在では二面性があり、それは圧倒的な優位を誇る先進的な文明という側面と、相対的に衰弱しつつある衰退途上の文明という側面である。このような西欧文明の衰退には極めて長期的な衰退であること、また不規則な進行で衰退すること、権力資源が量的に低下し続けていることといった特徴がある。特に領土、経済生産、軍事力全ての面での衰退が始まっていることは顕著であり、21世紀においても西欧文明は最強の文明であり続けることが可能であったとしても、その国力の基盤は着実に縮小していくことになるとハンチントンは予測した。
このような衰退の兆候は近年の諸事件に見出すことができる。その一つに地域主義の発生がある。文明開化の歴史には例外なく文化を背景とした価値観、生活習慣、社会制度の変更が行われているが、近年の地域主義の進展によって、世界各地で文化摩擦と文化復興が見られる。また20世紀前半における宗教衰退の予測は誤っていたことが証明された。「神の復讐」と呼ばれるこの宗教復興運動はあらゆる文明圏で発生しており、宗教に対する新しい態度が現代社会にもたらされた。この運動はかつての近代化がもたらした社会変革に対する反動、西欧の衰退に伴う西欧化への反発、冷戦の終結によるイデオロギーの影響力低下などの諸要因によって発生したと考えられる。
地域主義と宗教の再生は世界的に認められる現象であるが、これが顕著なのがアジアである。中華文明、日本文明、イスラム文明において経済成長が目立って進んだ結果、西欧文明の文化に対する挑戦的な態度が見られるようになった。20世紀において東アジアでは日本がまず高度経済成長を遂げ、これは日本の特殊性によるものだと解釈する研究もなされた。しかしその後に日本だけでなく香港、台湾、韓国、シンガポール、中国、マレーシア、タイ、インドネシアでも経済成長しつつある。そしてそれまでの西欧文明が与えたオリエンタリズムに反発し、儒教や漢字などのアジアの文化の普遍性が主張されるようになっていった。
同様にイスラム文明も台頭しつつあり、近代化を進めながらも西欧文化を拒否して独自のイスラム文明を再構築しようとしている。近年のイスラム復興運動とはこのような社会状況を背景とする文化的、政治的運動であり、イスラムの原理主義はその要素に過ぎない。
文明の内部構造
世界政治において文化やアイデンティティが重大な影響を果たすようになれば、文明の境界線にしたがって世界政治の枠組みは再構築されることになる。かつてのアメリカとソヴィエトによって形成されたイデオロギーの勢力圏に代って、それぞれの文明の勢力圏が新たな断層線、フォルト・ラインを生み出し、そこで冷戦中にはなかった紛争が頻発するようになっている。1990年代以降に世界的なアイデンティティの危機が出現しており、人々は血縁、宗教、民族、言語、価値観、社会制度などが極めて重要なものと見なすようになり、文化の共通性によって協調や対立が促される。
このような文化に根ざした政治的対立や協調を理解する上で冷戦期において冷戦期とは異なる用語が導入されなければならない。アメリカとソヴィエトの超大国に対し、諸国の関係は同盟国、衛星国、依存国、中立国、非同盟国のどれかであった。しかし冷戦後は文明に対してその文明を構成する国家である構成国、その文明において文化中心的な役割を果たす中核国、文化を共有しない孤立国、二つ以上の文化的な集団によって分裂している分裂国、引き裂かれた国家として国家主体を位置づける枠組みが必要である。
冷戦後の世界政治において主要文明の中核国は重要な役割を果たすようになっている。中核国は他国を文明の構成員に誘致し、また拒否する重要な行為主体である。ある文明の参加各国は中核国を中心に同心円に位置しており、全ての国は文化を共有する文明圏に参加し、協力しようとするが、文化的に異なるものには対抗しようとする。これは安全保障や経済とは明らかに異なる行動原理であり、区別しなければならない。中核国が持つ勢力圏は文明圏と一致し、その影響力は文化水準や文化の影響力などによって左右される。
フォルト・ライン戦争
文明が相互に対立しあう状況は深刻化しつつあり、微視的にはイスラム文明、ヒンドゥー文明、アフリカ文明、西欧文明、東方正教文明がその当事者に挙げられるが、巨視的には西欧文明と非西欧文明の対立として理解できる。なぜなら政治的独立を勝ち取った非西欧文明は西欧文明の支配を抜け出そうとしており、西欧文明との均衡を求めようとする。このような関係が敵対的なものになるにはいくつかの側面があるが、イスラム文明や中華文明は挑戦する存在として西欧文明と緊張関係にあり、場合によっては敵対関係になりうる主要文明である。ラテンアメリカ文明やアフリカ文明は西欧文明に対して劣勢であり、また西欧文明に依存的な態勢であるために対立することは考えにくい。一方でユダヤ文明、ロシア文明、インド文明、日本文明は特に西欧文明は中間的な主要文明であり、状況によっては協力的にもなり、対立的にもなると考えられる。つまり最も衝突の危険が高い主要文明はイスラム文明と中華文明である。
文明の衝突とは二つの視点から見ることができる。一つは地域において文明のフォルト・ラインにおいて紛争が勃発する形態である。これは国境地帯や国内の異民族集団によって発生する。このような文明の衝突は民族浄化などの事件を引き起こす事件であり、バルカン半島における民族問題はその典型的な事例である。もう一つは世界において主要文明の中核国と他の文明の列強との間で紛争が勃発する形態であり、これらの争点は古典的な国際政治学の問題として研究されている。それは世界的な政治的影響力、相対的な軍事力、繁栄や経済力、人間、価値観や文化、領土などがそれである。
フォルト・ライン紛争とは文明圏の間で生じる紛争であり、フォルト・ライン戦争はこれが暴力化したものを指す。戦争は必ず終結するものと考えられているが、フォルト・ライン戦争は必ずしも将来終結するとは限らない。なぜならフォルト・ライン戦争とは文明間の異質性に根ざしたフォルト・ラインによるものであり、地理的な近接性、異なる社会制度や宗教、歴史的記憶によって半永久的に引き起こされうるものである。したがってフォルト・ライン戦争が終結するには二つの政治的展開が考えられる。一つは戦争当事者が暴力の有効性を否定して穏健派が意思決定の主導権を握り、相手との和平に合意しなくてはならない。また戦闘停止の利害を共有し、また第三者の調停などの条件として考えられる。
新しい世界秩序
冷戦期において脅威とされていた共産主義勢力の次に出現した新たな世界秩序において、最も深刻な脅威は主要文明の相互作用によって引き起こされる文明の衝突であることが分かる。世界の主要文明の中核国によって世界戦争が勃発する危険性は否定できない。なぜならフォルト・ライン戦争は最初の戦争当事者が一構成国であっても、その利害は必然的に文明全体に関わることになるためである。大規模な文明の衝突という最悪の事態を回避するためには中核国は他の文明によるフォルト・ライン戦争に軍事介入することには注意を払わなければならない。ハンティントンはこの不干渉のルールと、文明の中核国が交渉を行い、自己が属する文明のフォルト・ライン戦争が拡大することを予防する共同調停のルールを平和の条件としている。そしてより長期的な観点から現在の不平等な文明の政治的地位は平等なものへと平和的に是正し、西欧文明と非西欧文明の衝突を予防する努力が必要であるだろう。ただしこれらの原則や政策は現状から考えて実施することは大きな困難である。しかし世界平和を求めるためにはそれまでとは異なる文明に依拠した政治秩序が必要であると結論する。 
 
 
ハンチントンの『文明の衝突』と日本文明の役割 

 

はじめに 
国際政治学者サミュエル・P・ハンチントンは、文明学の知見を以て、20世紀末から21世紀初頭の世界を俯瞰した。本稿は、ハンチントンの理論と主張を批判的に考察し、21世紀の世界で日本文明が果たすべき役割について書くものである。  
 
1.ハンチントンの国際政治学 
冷戦終結後の世界の俯瞰図
私は、素人だが比較文明論・日本文明史に関心があり、20歳代から今日まで、シュペングラー、トインビー、ヤスパース、バグビー、山本新、村山節、伊東俊太郎、中西輝政等の著作に学んできた。
文明学と国際関係論は、深い関係がある。アーノルド・トインビーは文明学者であるとともに、大英帝国の政府機関に勤める国際情勢アナリストだった。現代世界の分析をするには、歴史の研究が必要であり、諸文明の研究は、外交政策の立案に欠かせない。サミュエル・P・ハンチントンは、国際政治学者の中で、今日そのことを最も深く理解している学者である。その点で、彼はトインビー以来の系統を引く文明学者である。
ハンチントンは、平成8年(1996)、『文明の衝突』と題する書物を出版した。原題に忠実に訳せば「文明の衝突と世界秩序の再生」。ハンチントン自身の主題は、世界秩序の再生にあった。「文明の衝突」は販売効果からつけられた名前だった。同書は25の言語に翻訳され、日本でも平成10年(1998)に翻訳刊行され、ベストセラーとなった。ハンチントンは、本書とそれに続く著書で、冷戦終結後の世界について、地球社会の俯瞰図(the big picture)を描いた。
ハンチントンは、文化を「人々の間に共有された生活様式の総体」とし、そして文明を「文化の最も大きなまとまり」と定義する。そして、国家ではなく文明を単位として世界をとらえるところに、その所論の特徴がある。これは彼が、トインビーなどの文明学者に多くを負っていることを示している。
ハンチントンによると、21世紀初頭の世界は、二つの点でかつての冷戦時代と異なる。冷戦時代とは、第二次世界大戦後の世界を二分した、ソ連を盟主とする教条主義(社会主義)とアメリカを盟主とする自由主義(資本主義)の対立構造である。ハンチントンは大戦終結の昭和20年(1945)8月からソ連崩壊の平成3年(1991)12月までの時期がこの時代であるとしている。ただし、私は、平成元年(1989)12月、地中海のマルタ島沖で、ブッシュ父とゴルバチョフが米ソ首脳会談を行い、冷戦終結の共同宣言を発表した時点とすべきと考える。
冷戦時代と冷戦後の世界の違いは、何か。ハンチントンの見方では、第一に、冷戦期には、世界が自由主義、共産主義、第三世界と三分されていたが、今日の世界は、文化的なアイデンティティの違いにより、7または8の文明によって区分されることである。
彼は、現存する主要文明として、キリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする西洋文明(西欧・北米)、東方正教文明(ロシア・東欧)、イスラーム文明、ヒンズー文明、儒教を要素とするシナ文明、日本文明、カトリックと土着文化を基礎とするラテン・アメリカ文明。これに今後の可能性のあるものとして、アフリカ文明(サハラ南部)を加え、7または8と数える。
違いの第二は、冷戦時代には、米ソという超大国が二つあったが、今日の世界は一つの超大国(アメリカ)と複数の地域大国からなる一極・多極体制を呈するようになったことにある。平成3年(1991)12月、ソ連の崩壊によって、アメリカは唯一の超大国となった。歴史上初めて、一国が世界を支配する一極体制が実現したかに見える。しかし、実際には、これは一極・多極体制というべきものであるとハンチントンは主張する。そして、今後、世界は多極化が進み、真の多極・多文明の体制に移行すると予想する。また特にイスラーム文明・シナ文明と、西洋文明との対立が強まる。西洋文明対イスラーム=シナ文明連合の対立の時代が来ると警告した。
なお、ハンチントンによれば、世界の権力構造は、超大国、地域大国、第2の地域大国、その他の国々という四つの階層からなる。東アジアでは、地域大国は中国である。わが国は、ナンバー2にして潜在的な地域大国であり、第2層と第3層の両者に属するとハンチントンは見ている。
冷戦の終結から9・11までの世界
冷戦の終結によって、アメリカの大統領は、戦略学者ズビグニュー・ブレジンスキーの表現を借りると、グローバル・リーダー(地球の指導者)となった。グローバル・リーダーの初代はジョージ・ブッシュ(父)、2代目はビル・クリントン、3代目がジョージ・W(ダフヤ)・ブッシュ(子)である。
共和党のブッシュ大統領(父)は、ソ連崩壊の数ヶ月前、平成3年(1991)1月に湾岸戦争を開始した。アメリカの主導で、国連の決議のもと、主要国すべての賛成を得たものだった。前年8月、イラクがクェートに侵攻したのに対し、反撃したものである。対イラク戦争は、開戦後、アメリカ側の圧倒的な優勢のうちに終結した。アメリカは、湾岸地域に軍隊を駐留させ、中東の石油への管理を強めた。
続く民主党のクリントンは、軍事行動には消極的だった。代わって、グローバリゼイションを標榜した。グローバリゼイションとは、近代化を新しい技術で世界規模で進めるものであり、アメリカは、ドルの経済力とITの情報力で他国を圧倒した。アメリカの標準が世界の標準として、普及された。すなわちグローバリゼイションは、アメリカ的な価値観、アメリカ的な制度を他国に押し付けるもの、アメリカナイゼイションでもあった。そして、アメリカの国益を追求する手段として推進された。
クリントン時代、アメリカは、レーガン政権以来の財政赤字を解消し、さらに黒字に転換するほどの経済的繁栄を謳歌した。その反面、世界では地域間の経済格差が広がり、貧困にあえぐ国々、人々は一層の貧困に追いやられた。そのため、世界各地で反米的な運動が起こった。とりわけイスラーム教諸国では、その運動は宗教的な思想を根底とした過激なものとなった。
平成5年(1993)、世界貿易センター(WTC)のビル爆破事件が起こった。犯人は、イスラーム教過激派だった。ムスリムのテロ組織アルカーイダは、中東・アフリカ等で、テロ活動を展開した。
ハンチントンが『文明の衝突』を刊行したのは、こういう時代の平成6年(1998)のことだった。 
 
2.『文明の衝突』の予測 
ハンチントンは『文明の衝突』で世界の将来を予測
ハンチントンは、『文明の衝突』の中心的テーマは、文化と文化的アイデンティティ、もっと広い意味では文明のアイデンティティが、冷戦後の世界における人々の結束や分裂、対立のパターンを形成しつつあるということだという。その仮説の結果として起こりうることを本書に詳述している。
ハンチントンによると、冷戦終結後、歴史上初めて世界政治は、多極化し、かつ多文明化している。近代化は西洋化とイコールではなく、また何か意味のある単一的な普遍的文明を生み出すことでもなく、非西洋社会を西洋化することでもなくなってきている。ある社会が発展し近代化が進行すると、自らの成功に自分の価値観や文化を結びつけ、もともと持っている文化にアイデンティティをより強く感じるようになる。そして自分の文化的属性は捨てずに近代化したいと考える。
冷戦終結後の世界では、文明間の勢力バランスが変化している。西洋は、相対的に影響力を失ってきている。アジアの諸文明は経済、軍事、政治的な力を拡張しつつある。イスラーム文明では人口が爆発的に増えたため、イスラーム教諸国と近隣諸国を不安的にしている。非西洋文明では、全体的にそれぞれの文化の価値観が再認識されつつある。
そして、文明に根ざした世界秩序というものが生まれようとしている。そこでは、共通の文化を持つ社会が互いに協力し合う。ある文明から別の文明へ移行させようとする努力は成功しない。国々は、その文明の中核となる国あるいは指導的存在を中心にグループ化するようになる。
ところが現在、西洋は、われこそは普遍なりという自負のためにほかの文明との対立を深めていき、とくにイスラーム圏と中国に対して、対立は深刻である。地域レベルでは、異なる文明と文明がぶつかる断層線(フォルトライン)上で生起する「断層線戦争」が、おもにイスラーム圏と非イスラーム圏の間でそれぞれの「同胞諸国の結集」をもたらす。それがエスカレートする脅威も生み、こうした戦争を止めようと文明の中核国家を奔走させることになる。
このような世界で、西洋文明が生き残るかどうかは、アメリカが自らの西欧的アイデンティティを再確認し、西欧の人々も西洋文明は独自のものであり、普遍的なものではないことを認め、両者が結束して、自分たちの文明を再興し、非西洋社会の挑戦から守ることができるかどうかにかかっている、とハンチントンは論じている。
ハンチントンは、『文明の衝突』で、イスラーム文明と非イスラーム文明の断層線で紛争が起こることを予想した。これによって、彼は9・11を予想したと言われている。9・11とは、平成13年(2001)9月11日、アメリカを襲った同時多発テロ事件の略称である。私は、拙稿「9・11〜欺かれた世界、日本の活路」に事件に関する考察を書いている。事件については、この別稿をご参照願いたい。
ハンチントンは具体的に9・11アメリカ同時多発テロ事件を予想したわけではないが、西洋文明とイスラーム文明の間で紛争が起こったとき、彼の予想が的中したと一般に理解されたのである。
9・11及びアフガン戦争及びイラク戦争で、文明間に対立が
現在の一極・多極体制において、ハンチントンは、西洋文明とイスラーム文明・シナ文明との対立が強まると予想した。そして、中国の台頭により、西洋文明対イスラーム=シナ文明連合の対立の時代が来ることを警告した。この予測は、仮に9・11の事件が起こらなくとも、長期的な傾向としては妥当であり、対立は顕在化していっただろう。
私は、9・11は、結果として、この長期的傾向の進行を加速することになったと思う。西洋文明とイスラーム文明の対立は、9・11として発現したというよりは、むしろ9・11をきっかけとして、アメリカ対イスラーム教過激派の対決からアフガン戦争及びイラク戦争という国際紛争にエスカレートする形で現実化した。
アメリカはイラク戦争を実質的に単独で開戦し、多くのイスラーム教諸国で反発を買った。イランは、アメリカとイスラエルへの対決姿勢を鮮明にした。親米的なサウディアラビアやクェートでさえ、中国に石油を売る契約をし、アメリカべったりの姿勢を変えようとしている。ムスリムの民衆は、中東のどこの国でもアメリカを激しく非難している。西洋文明とイスラーム文明の対立は、深刻化している。その焦点にイスラエル=パレスチナ紛争があるので、容易に改善できない状況となっている。
イラク戦争の戦後処理に失敗して泥沼に陥ったアメリカは、東アジアで行動を起こす余裕がなくなっている。イラク、イランとともにブッシュ大統領が「悪の枢軸」と名指した北朝鮮に対しても、攻略するどころか暴発を防ぐので精一杯だ。北朝鮮を抑えるには、中国の力を借りねばならない。当面、東アジアは地域大国・中国に委ね、中東での諸問題を処理した後に、東アジアで巻き返しを図るしかないという判断だろう。こうした状況は、台頭する中国には有利に働いている。
シナ文明の中核国家・中国は、建国以来の目標である台湾統一を目指して着々と力を蓄えている。そのため、台湾海峡と西太平洋で、米中の緊張は強まりつつある。中国の経済的・軍事的強大化によって、西洋文明とシナ文明の対立は現実のものとなった。中国は、シナ文明圏に属する朝鮮半島に強い影響力を及ぼしている。
さらに中国は、アフガン戦争及びイラク戦争でアメリカがイスラーム教諸国の反発を受けている隙を突いて、中東諸国に積極的に働きかけを行なっている。また大陸国家・中国が海軍力を増強し、海洋へ進出しつつある。ミャンマーには、サウディアラビアの資金でインド洋に出る軍港を作った。こうした動きには、ハンチントンが予想した西洋文明とイスラーム=シナ文明連合の対立へと進む萌芽がある。さらに世界各地で石油・資源を求める中国は、アメリカと激しい争奪戦を繰り広げ、米中冷戦といわれる状況を生んでいる。中国は、宇宙空間にも触手を伸ばしている。宇宙空間から地球を支配しようとするアメリカへの対抗である。こうした動向が強まれば、今後、米中対決という事態に至りかねない。
西洋文明とイスラーム=シナ文明連合の対立に、もう一つ加わりそうなのが、東方正教文明である。東方正教文明の中核国家・ロシアは、旧ソ連の主要部を引き継いだ地域大国である。ロシアもまた反米的な姿勢を強めている。ロシアは、イラク戦争によってイラクの石油利権を失った。これへの反発がある。また旧ソ連の諸国でアメリカが民主化を進めようと工作していることにも、苛立っている。その結果、ロシアは中国と提携するに至った。
中国・ロシアは、連携してアメリカに挑戦し、多極化を進めようとしている。ロシアは中国に武器や石油を売る。中国はイランに武器を売り、軍事技術を提供している。中国・ロシア・イラン等による反米連合が生れつつある。中国・ロシア・中央アジア4国に加えて、イラン・インド・パキスタン等を準加盟国とする上海協力機構は、今後の展開が注目される。ロシアは世界第2の産油国である。中国だけでなく、欧州諸国もその石油を求めている。ロシアは、自国産の石油をルーブルで売る政策を開始した。ドルの基軸通貨体制を崩そうとするものだろう。軍事力ではアメリカにかなわないロシアだが、ドルの力をそぐことでアメリカの支配を弱めようと狙っているのだろう。
ブッシュ子政権の政策が闘争を拡大した
さらに付け加えるべきは、イラク戦争以後、アメリカとヨーロッパの間にも溝ができたことである。これは、西洋文明の内部に、摩擦や対立が生まれていることを意味する。ハンチントンは、『文明の衝突』で、アメリカの取るべき方策として、アメリカの西欧的アイデンティティを自覚して西欧との連携を強めること、非西洋文明に西洋文明を押し付けないこと(自由・デモクラシー・人権等)、非西洋文明の分断を図ることを提案した。しかし、ブッシュ子政権が取った政策は、ハンチントンの提案とは、大きく異なっていた。
アメリカ政府は、9・11をきっかけに、一極体制の確立・強化を狙った。圧倒的な軍事力を掌中にするブッシュ子政権とネオコンたちは、「テロとの戦い」によって、一気に中東・ユーラシアの石油・資源を押さえ、アラブ諸国の民主化を進めることができると、自己の力を過信したのだろう。
ドイツ・フランス等、欧州諸国の多くは、イラク戦争に反対した。勝利したアメリカは、他国の石油利権を解消し、利権を独占した。こういう利己的なやり方が、欧州諸国の反感を招いた。アメリカは、ハンチントンの提案とは逆に、西欧との連携を損ない、非西洋文明を分断するどころか反米で協調させる結果を生んでいる。多極化を阻止するはずが、かえって多極化を促進してしまった。9・11及びアフガン戦争及びイラク戦争は、文明の対決を仕掛けて、これに勝利するつもりだったのだろうが、結果は正反対になっている。
冷戦の終結後、人類史上初めて、唯一の超大国が世界を支配する一極体制が実現した。真に地球規模の大帝国(グローバル・エンパイアー)が出現した。そのように見えた。しかし、そのアメリカ帝国の一極体制は、間もなく没落の道を下り出した。後世の歴史家は、そのきっかけが、9・11の策謀であり、それを皮切りとするアフガン戦争及びイラク戦争だったと記すことになるかもしれない。 
 
3.セム系一神教文明群の中の対立 
セム系一神教文明群と非セム系多神教文明群
ここまで、私はハンチントンの理論を援用してきたが、私は氏の学説を高く評価するとともに、その文明論に一部修正を加えるべきだと考えている。
ハンチントンは、現代世界には、7または8つの文明が存在すると説く。すなわち、キリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする西洋文明(西欧・北米)、東方正教文明(ロシア・東欧)、イスラーム文明、ヒンズー文明、儒教を要素とするシナ文明、日本文明、カトリックと土着文化を基礎とするラテン・アメリカ文明。これに今後可能性のあるものとして、アフリカ文明(サハラ南部)を加え、7または8と数える。
ちなみに私は、諸文明を主要文明と周辺文明に分け、現代の主要文明は西洋文明、東方正教文明、イスラーム文明、インド文明、シナ文明、日本文明、ラテン・アメリカ文明、アフリカ文明の8つと考える。そして、これら以外に多くの周辺文明が存在すると考える。例えば、アジアにはチベット文明、モンゴル文明、朝鮮文明、南伝仏教文明等がある。
また、私がハンチントンの説に修正を加えたいと思うのは、世界の諸文明は、単に併存しているのではなく、大きく二つのグループに分けることができるという点である。この二つのグループとは、セム系一神教文明群、非セム系多神教文明群の二つである。
セム系一神教文明群は、ハンチントンのいう西洋文明、東方正教文明、イスラーム文明、ラテン・アメリカ文明の四つが主要文明である。ラテン・アメリカ文明は、アニミズム、シャーマニズムを基底にしているが、カトリック文化を上層に持つので、この文明群に分ける。なお、西洋文明、東方正教文明を合わせて、ユダヤ=キリスト教諸文明とも呼ぶ。ユダヤ文明をその中の周辺文明の一つとする。
セム系一神教文明群の担い手は、超越神によって創造された人間の子孫であり、世界的大洪水で生存したノアの長子セムの系統と信じられている。宗教的には、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教である。これらの文明における超越神は、唯一男性神とされる観念的な存在であり、神との契約が宗教の核心にある。地理学的・環境学的には、砂漠に現れた宗教という特徴を持つ。砂漠的な自然が人間心理に影響したものと考えられる。
これに対し、非セム系多神教文明群は、日本文明、シナ文明、インド文明、アフリカ文明の四つが主要文明である。これらのうち、日本文明、シナ文明、インド文明は、歴史的に東洋文明と呼ばれて、西洋文明と対比されてきた。多神教文明群では自然が神または原理であり、人間は自然からその一部として生まれた生命体である。文明の担い手は、自然が人間化したものとしての人間である。宗教的には、日本の神道、シナの道教・儒教、インド教、仏教の一部、アニミズム、シャーマニズムである。地理学的・環境学的には、森林に現れた宗教という特徴を持つ。森林的な自然が人間心理に影響したものと考えられる。
ラテン・アメリカ文明とアフリカ文明(サハラ南部)は、ともにアニミズム、シャーマニズムを基底にしているが、前者はカトリック文化を上層に持つので、セム系一神教文明群に分類することとし、アフリカ文明は非セム系多神教文明群に分類する。
私は、このようにハンチントンの文明併存論に対し、文明群立論を提唱するものである。上記のように、世界の諸文明を、セム系一神教文明群と非セム系多神教文明群の二つに分ける場合、地理的な区分線は、北米・南米・欧州・北アフリカと南アフリカの間、中東諸国とインドの間、ロシア・中央アジア諸国と中国の間、日本・東南アジアとアメリカ・オーストラリアの間に引くことができよう。
なお、イスラエルとアラブ諸国は、アジアに位置するが、セム系一神教を信奉する点で、インド以東の多神教の世界とは、顕著な違いがある。アジアは、セム系一神教文明群の故郷であるとともに、非セム系多神教文明群が発展した地域でもあり、セム系一神教文明群と非セム系多神教文明群が併存している。
ラテン・アメリカ文明とアフリカ文明は、ともにアニミズム、シャーマニズムを基底にしているが、前者はカトリック文化を上層に持つので、セム系一神教文明群に分類し、アフリカ文明は非セム系多神教文明群に分類する。
私は、このようにハンチントンの文明併存論に対し、文明群立論を提唱するものである。上記のように、世界の諸文明を、セム系一神教文明群と非セム系多神教文明群の二つに分ける場合、地理的な区分線は、北米・南米・欧州・北アフリカと南アフリカの間、中東諸国とインドの間、ロシア・中央アジア諸国と中国の間、日本・東南アジアとアメリカ・オーストラリアの間に引くことができよう。
なお、イスラエルとアラブ諸国は、アジアに位置するが、セム系一神教を信奉する点で、インド以東の多神教の世界とは、顕著な違いがある。アジアは、セム系一神教文明群の故郷であるとともに、非セム系多神教文明群が発展した地域でもあり、セム系一神教文明群と非セム系多神教文明群が併存している。
ユダヤ文明はユダヤ=キリスト教系文明群の周辺文明
ハンチントンは、西洋人でありまたユダヤ系知識人である。上記のように諸文明をグループ化することによって、彼の理論では見えないもの、見えにくいものが、浮かび上がってくると思う。また私は、ハンチントンが西洋文明に対し、「キリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする」と表現していることにも、不足を感じる。ここにユダヤ教という要素を明記すべきである。つまり、西洋文明はユダヤ=キリスト教を基礎とする、という形容こそふさわしい。そして、ユダヤ=キリスト教のユーラシア西方での表れが西洋文明、東方での表れが東方正教文明ととらえることができる。
私は、イスラエル建国後のユダヤ社会をユダヤ文明とし、ユダヤ=キリスト教系諸文明の周辺文明の一つと位置づける。ユダヤ文化は、古代シリア文明にさかのぼる。ユダヤ民族は、ユダヤ=キリスト教という文化要素を、ギリシア=ローマ文明経由でヨーロッパ文明に提供した。しかし、亡国離散した後のユダヤ諸社会を、まとめて一個の文明と見ることはできない。ロシア、東欧、西欧、北米に離散したユダヤ人は、19世紀後半からパレスチナに移住し続けた。建国後のイスラエルは、ユダヤ教を宗教的な文化要素としつつ、ロシア、東欧、西欧、北米の諸文化、諸思想が混在する社会となっている。その点でも、ユダヤ文明は、ユダヤ=キリスト教系諸文明の周辺文明と見ることが出来る。
次に、ハンチントンは西洋文明とイスラーム文明を別のものとするが、私の意見では、ヨーロッパ文明が北米にも広がった西洋文明とイスラーム文明は、同じ文明群に入る。「文明の衝突」における西洋文明とイスラーム文明の対立は、同じセム系一神教文明群の中での対立なのである。セムの子孫同士の戦いであり、異母兄弟の骨肉の争いである。
そして、現代世界は、イスラエル=パレスチナ紛争を焦点として、ユダヤ教・キリスト教・イスラームのセム系一神教の内部争いによって、修羅場のような状態になっている。
イスラエルの建国後、アラブ諸国はイスラエルと数次にわたって戦争を行い、またアメリカと湾岸戦争、アフガン戦争及びイラク戦争で戦っている。また旧ソ連とはアフガン戦争で戦い、今日は旧ソ連圏のムスリムが中央アジア各地で、ロシアと戦っている。ハンチントンは、これらの戦いを、西洋文明とイスラーム文明との衝突ととらえているが、私は第2次大戦後という現代において、イスラエルやロシアを含めたユダヤ=キリスト教系諸文明とイスラーム文明の対立・抗争ととらえた方がよいと思う。
ユダヤ=キリスト教系諸文明とイスラーム文明との関係という視点で見ると、中東には、第1次大戦後、西洋文明の覇権国家イギリスによって文明間の対立がもたらされた。続いて、第2次大戦後、西洋文明の覇権国家アメリカと東方正教文明の対抗国家ソ連によって、その対立は冷戦構造の中に組み込まれた。その結果、争いが憎悪を生み、報復が報復を招いて、抜き差しならない状態となっている。ハンチントンは、西洋文明と「儒教―イスラームコネクション」、つまりシナ文明=イスラーム文明連合の衝突の可能性を強調するが、その対立の核心には、冷戦以前からのイスラエルとアラブ諸国の対立がある。
ハンチントンの見方では、冷戦期を含めたイスラエル、ユダヤ文明の中東及び世界全体への影響の重要性が浮かび上がらない。ハンチントンは、アメリカを中心として西洋文明が存続・発展していくための政策を提言するが、その立論はユダヤ=キリスト教系西洋文明、とりわけアメリカ=イスラエル連合を益するものとなっていると思う。 
 
4.日本文明の果たすべき役割 
セム系一神教同士の争いを調和に導くもの
私は、超大国アメリカの果たすべき役割は、ユダヤ=キリスト教系諸文明とイスラーム文明との対話を促し、中東に和平を実現することにあると思う。ケネディ大統領は、イスラエルが核開発をすることを認めなかったが、彼が暗殺されて後、アメリカはイスラエルの核保有を黙認するようになった。1960年代から、イスラエルはアメリカの政界・議会へのロビー活動を活発に行い、アメリカ指導層をイスラエル支持に固めていった。カーター大統領の時期には、アメリカはイスラエルとエジプトの和平に努力した。しかし、再び対立的な方向に戻り、今やアメリカの指導層は、イスラエル政府の外交政策を支持する親イスラエル派やシオニストが主流を占めている。キリスト教保守派の多くは、イスラエルを守るべき国とし、キリスト教とユダヤ教の結びつきは強化されている。
ブッシュ子政権は、アメリカ=イスラエル連合とイスラーム教諸国との「新しい十字軍戦争」を唱導した。これは、セム系一神教文明群の中でのユダヤ=キリスト教系諸文明とイスラーム文明の戦いである。このような争いの世界を、調和の世界に導くには、どうすればよいのか。私は、非セム系多神教文明群が、あい協力する必要があると思う。その牽引力となるのは、私の用語で言えば、日本文明・シナ文明・インド文明であり、中でも日本文明には中心原動力となる潜在力が存在すると私は考える。
なおシナ文明については、私は現在の共産中国を言うのではない。共産中国は、西洋文明が生み出し、東方正教文明が成長させた共産主義によって、シナ文明を大きく変貌させてきた。私は、今後、中国が民主化され、共産主義が支配する以前のシナ文明の伝統、道教・儒教をはじめとする自然教の伝統が蘇ることを期待しているのである。そのシナ文明の再生には、日本文明の伝播が触媒作用を果たすだろうと思う。
海洋的要素を持つ日本文明が世界に調和を促す
私は、先に現代世界の文明を二つの文明群に分けることを提唱した。そこにもう一つ、重要な視点を加えたい。日本文明は、非セム系多神教文明群に分類されるが、なおその中で独自の特徴があることである。その特徴は、セム系一神教文明群にも非セム系多神教文明群の他の文明にも見られないユニークなものである。
文明の中核には、宗教がある。日本文明の固有の宗教とは、何か。神道である。神道は、単なる多神教ではなく、根本に一神教的な側面を持ち、多神教と一神教を総合し得る可能性が内在している。すなわち、本質において「一」であるものが、現象において「多」であるという「一即多、多即一」の論理でとらえるべき世界観を示しているのである。
また、神道が他の主要な宗教と異なる点は、海洋的な要素を持っていることである。ユダヤ教・キリスト教・イスラームや道教・儒教・インド教・仏教は、どれも大陸で発生した。大陸的な宗教を中核にすることによって、セム系一神教文明も非セム系多神教文明の多くも、ともに大陸的性格を持っている。21世紀の世界で対立を強めている西洋文明、イスラーム文明、シナ文明、東方正教文明には、大陸的な性格が共通している。
これに比べ、神道は海洋的な要素を持ち、日本文明に海洋的な性格を加えている。これは、四方を世界最大の海・太平洋をはじめとする海洋に囲まれた日本の自然が人間心理に影響を与えているものと思う。この視点から見ると、世界の諸文明は大陸的文明群と海洋的文明群に分けられる。
私は、セム系一神教文明を中心とした争いの世界に、非セム系多神教文明群が融和をもたらすために、日本文明の役割は大きいと思う。日本文明のユニークな海洋的性格が、大陸的文明同士の摩擦を和らげ、大いなる調和を促す働きをすることを私は期待する。
ハンチントンは世界秩序再生のために日本文明に期待
ハンチントンも、彼流の見方で日本文明に期待を寄せている。世界秩序の再生において、日本文明には、貢献できるものがあるというのである。その点を見るためにまず彼の主著『文明の衝突』の要旨を述べ、その後、日本文明に関する所論を確認したい。
ハンチントンの見解は、彼の主著『文明の衝突』の表題のように、文明の衝突を予想したものと一般に理解されている。しかし、ハンチントンは、文明は衝突の元にもなりうるが、共通の文明や文化を持つ国々で構築される世界秩序体系の元にもなりうる、ということを主張している。
ハンチントンは、『文明の衝突』という本を出す時、自分では「世界秩序の再生」という表題を考えていた。再生がテーマだった。ところが、出版社の意向で、「文明の衝突と世界秩序の再生」という題となった。それがわが国では、表題の後半が削除され、「文明の衝突」という闘争がテーマであるかのような表題に訳された。そのためいっそう見逃されやすいが、ハンチントンは、ある文明内での秩序維持は、その文明に突出した勢力があれば、その勢力が担うことになると説く。また、文明を異にするグループ間の対立は、各文明を代表する主要国の間で交渉することで解決ができるとし、大きな衝突を回避する可能性を指摘している。
そして、ハンチントンは、日本文明に対して、世界秩序の再生に貢献することを期待している。この点は、主著より後の著作において明確に述べられている。
日本には一国一文明という特徴
ハンチントンの日本に関する基本的な見解は、『文明の衝突』日本語版に述べられている。
「文明の衝突というテーゼは、日本にとって重要な二つの意味がある。
第一に、それが日本は独自の文明をもつかどうかという疑問をかきたてたことである。オズワルド・シュペングラーを含む少数の文明史家が主張するところによれば、日本が独自の文明をもつようになったのは紀元5世紀ごろだったという。私がその立場をとるのは、日本の文明が基本的な側面で中国の文明と異なるからである。それに加えて、日本が明らかに前世紀に近代化をとげた一方で、日本の文明と文化は西欧のそれと異なったままである。日本は近代化されたが、西欧にならなかったのだ。
第二に、世界のすべての主要な文明には、2ヶ国ないしそれ以上の国々が含まれている。日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接なつながりをもたない」と。
ハンチントンが言うように、日本は独自の文明である。しかも世界の主要文明のひとつである。私の知るところ、この点を最初に明確に主張したのは、比較文明学者の伊東俊太郎氏である。人類の文明史を見るには、主要文明と周辺文明という区別が必要と私は考える。私は、日本文明は、古代においてはシナ文明の周辺文明であったが、7世紀から自立性を発揮し、早ければ9世紀〜10世紀、遅くとも13世紀には一個の独立した主要文明になったと考える。そして、江戸時代には熟成期を迎え、独創的な文化を開花させた。それだけ豊かな固有の文化があったからこそ、19世紀末、西洋近代文明の挑戦を受けた際、日本は見事な応戦をして近代化を成し遂げ、世界で指導的な国家の一つとなった。
15世紀から20世紀中半までの世界は、西洋文明が他の諸文明を侵略支配し、他の文明のほとんどーーイスラーム文明、インド文明、シナ文明、ラテン・アメリカ文明等――を西洋文明の周辺文明のようにしていた。この世界で、民族の独立、国家の形成、文明の自立を進め、文明間の構造を転換させる先頭を切ったのが、日本文明である。
日本文明は、西洋近代文明の技術・制度・思想を取り入れながらも、土着の固有文化を失うことなく、近代化を成功させた。日本の後発的近代化は、西洋化による周辺文明化ではなく、日本文明の自立的発展をもたらした。この成功が、他の文明に復興の目標と方法を示した。
15世紀以来、世界の主導国は、欧州のポルトガル、スペインに始まり、覇権国家はオランダ、イギリスからアメリカと交代した。この西漸の波は、西洋文明から非西洋文明へと進み、1970年代から21世紀にかけて、波頭は日本、中国、インドと進みつつあるように見える。
ハンチントンの説に話を戻すと、日本文明は彼が論じるとおり「日本国=日本文明」であり、一国一文明という独自の特徴を持っている。ハンチントンは、日本文明は他の文明から孤立しているとし、そのことによる長所と短所を指摘する。
「文化が提携をうながす世界にあって、日本は、現在アメリカとイギリス、フランスとドイツ、ロシアとギリシア、中国とシンガポールの間に存在するような、緊密な文化的パートナーシップを結べないのである。日本の他国との関係は文化的な紐帯ではなく、安全保障および経済的な利害によって形成されることになる。しかし、それと同時に、日本は自国の利益のみを顧慮して行動することもでき、他国と同じ文化を共有することから生ずる義務に縛られることがない。その意味で、日本は他の国々が持ちえない行動の自由をほしいままにできる」と。
9・11以前から、ハンチントンは、アメリカがアジア政策で明確な姿勢を示さないと、日本は中国と連携するようになると警告していた。9・11以後、ハンチントンは、日本の重要性をより強く感じるようになったようで、事件の翌年刊行した『引き裂かれる世界』(ダイヤモンド社)では、日米関係の強化を主張し、日本が文明の衝突を緩和する役割を担うことに期待を表明している。 
 
5.平和と環境を守る国・日本の活路 
ハンチントンは、日本は「積極的かつ建設的な役割を」と言う
ハンチントンは、文明は衝突の元にもなりうるが、共通の文明や文化を持つ国々で構築される世界秩序体系の元にもなりうる、と主張する。その文明内での秩序維持は、その文明に突出した勢力、すなわち中核国があれば、その勢力が担うことになると説く。また、文明を異にするグループ間の対立は、各文明を代表する主要国の間で交渉することで解決ができるとし、大きな衝突を回避する可能性を指摘している。そして、日本文明に対して、世界秩序の再生に貢献することを期待している。
具体的には、次のように論じている。
ハンチントンは、9・11の翌年出した『引き裂かれる世界』の中で、日本への期待を語っている。
序文で彼は次のように述べる。平成14年(2002)当時の日本は経済の改革をすることが第一だとし、そうすることで「日本は他国間の文明の衝突を緩和に導くキープレイヤーの一員になり、東アジアにおけるパワーバランスの安定を促進し、今まで持続させてきた国民共同体を全うするよう他国に対して後押しすることができるようになるのだと私は考えている」「長期的に言えば、世界が日本に求めるのは、グローバルで重要な問題に取り組んで、積極的かつ建設的な役割を果たすことである」
また、本文でより具体的に次のように書く。
「日本には自分の文明の中に他のメンバーがいないため、メンバーを守るために戦争に巻き込まれることがない。また、自分の文明のメンバー国と他の文明との対立の仲介をする必要もない。こうした要素は、私には、日本に建設的な役割を生み出すのではないかと思われる。
アラブの観点から見ると、日本は西欧ではなく、キリスト教でもなく、地域的に近い帝国主義者でもないため、西欧に対するような悪感情がない。イスラームと非イスラームの対立の中では、結果として日本は独立した調停者としての役割を果たせるユニークな位置にある。また、両方の側から受け入れられやすい平和維持軍を準備でき、対立解消のために、経済資源を使って少なくともささやかな奨励金を用意できる好位置にもある。
ひと言で言えば、世界は日本に文明の衝突を調停する大きな機会をもたらしているのだ」と。
アメリカには、東アジア政策に関して、いろいろな戦略・思想・政策がある。
1. 共産中国を積極的に封じ込めようとする考え方(チェイニー、ラムズフェルド等)
2. 中国に対抗するために日米同盟を強化しようという考え方(アーミテージ等)
3. 日中の勢力の均衡を図る考え方(ブレジンスキー、キッシンジャー等)
4. 労働問題・人権問題により中国を強く批判する考え方(ペロシ、シューマー等)
5. 中国からの経済的利益を優先する考え方(ポールソン、ウォール・ストリート等)である。
こうした中で、ハンチントンの意見は、中国との衝突を回避するために日米の連携を説くもので、2に位置し、その中で1のネオコンには反対し、3とは通じる現実主義的な姿勢だと思う。
アメリカ・中国との関係についても示唆
9・11以前から、ハンチントンは、アメリカがアジア政策で明確な姿勢を示さないと、日本は中国と連携するようになると懸念していた。『引き裂かれる世界』でもやはり、次のように言う。
「日本と中国の関係はどうなっていくのか。それはもっぱら、アメリカが東アジアにとどまることをどう約束するのか、米中関係がどうなるのか、による。もしアメリカが東アジアから引き揚げるそぶりを見せれば、日本は間違いなく中国に流れるだろう。また、時おり安定を欠くアメリカと中国の関係の中で、日本は板ばさみになり、両方の大国の間でバランスをとるのに苦労をするだろう。もし中国が東アジアで支配的な力を持ちそうに見えたら、日本は中国に追従を強要されたと感じるだろう」
9・11以後、ハンチントンは、日本の重要性をより強く感じたようで、本書では、日米関係の強化を主張し、日本が文明間の対立を協調へと向かわせる役割を担うことに期待を表明している。
ハンチントンは、軍事的側面と経済的側面の二つの面について見解を述べている。
軍事的な面については、「日本は軍事力のてこ入れが必要だと私は思っている」「私が提案したいのは、アメリカ軍と働くことができるように、アメリカの戦闘部隊が行っている作戦行動と同じレベルで行動できる技術と能力を持ちながら、徐々に軍事的能力を高めていくことだ。こうすることで、合同軍の兵站支援と平和維持活動に多大な貢献ができ、そして国際政治の舞台でもっと大きな役割を演じることができるようになる」と言う。
特に共産中国との関係では、「中国の軍事力増強は東アジアにおける安全保障の問題を引き起こす。アメリカが本土ミサイル防衛に一歩先んじるので、日本の重大権益を中国から守るため、日本とアメリカは共同で東アジア向けに戦域ミサイル防衛システムを開発すべきだ」
もう一方の経済的側面については、「軍事的連携を強化するのと同時に日本と同時に、日本とアメリカは東アジアについて共同の経済戦略を立て実践すべきである」と言う。そして日本が中国に従属せず、また対立するのでもない道として、「日本の実際上の、そしてもともとの同盟国のアメリカと組んで、より広い地域経済連合を形成することである。これはアジア太平洋経済協力会議(APEC)の上につくるもので、APECのメンバーのほとんどが加盟するものになるだろう。あるいは、東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラムの上につくり、アメリカ、ロシア、オーストラリア、そして中国の対抗勢力形成に賛成する他の国々の参加を得るものになるかもしれない」という選択肢を示唆している。
ポスト9・11の世界で、わが国はどうあるべきか
ポスト9・11の世界において、日本はどうあるべきか。
9・11以後、わが国は、アメリカにひたすら追従してきた。平成13年(2001)10月のアメリカのアフガニスタン侵攻後、11月2日には、驚くべき速さでテロ対策特別措置法を成立させた。以来わが国は、同法に基づいて自衛隊を中東に派遣し、インド洋での海上給油作業等を行なってきた。テロ特措法は、四つの国連安保理決議を引用している。それらの安保理決議は、すべて9・11はイスラームのテロリストによるという認識に立っている。わが国もまたその認識に基いて、テロ特措法を制定した。加害者は、オサマ・ビンラディンを首領とするアルカーイダであるという前提で、すべてが進んできた。
また、平成15年(2003)3月にイラク戦争が開始されると、小泉首相は、いち速くアメリカを支持した。これはなぜか。わが国は、現行憲法の制約により、自主的な国防力を整備できていない。自力では国を守れない。北朝鮮は、平成10年(1998)8月、わが国の方向にテポドンを撃ち、三陸沖に着弾した。万が一、北朝鮮がミサイルでわが国を攻撃してきたら、頼れるのはアメリカしかない。こういう状態では、わが国はアメリカの戦争を支持し、協力せざるをえない。それが小泉政権の判断だっただろう。
わが国は現行憲法を放置し、従米的な安全保障体制に甘んじ、そのうえ専守防衛・非核三原則等の自制的な防衛政策を取ってきた。そのことが、わが国の政策の選択肢を限ってしまっている。現状では、アメリカの政策に追従せざるをえない状態にある。
9・11及びアフガン戦争及びイラク戦争によって、世界は大きく変わった。文明間の対立が鮮明になっている。その世界を協調の方向に進めるには、相当時間と労力がかかるだろう。粘り強い取組みが必要である。仮に9・11の真相が、アメリカ政府高官らが関与したものであったとすれば、世界にもわが国も衝撃が走るだろう。
しかし、共同謀議は、一部の指導層の犯罪である。アメリカ国民全体の意思ではない。その点を見極めて、わが国はアメリカという国家との関係を、保持していかなければならない。今後、アメリカ国内で9・11の真相解明がどのように進むか、その展開を注視して、柔軟に対応する必要がある。真理と正義を追求することを急いで、現実を見失い、日本の安全保障と国家国民の利益を損なってはいけない。
ハンチントンが予想した西洋文明とシナ文明の対立は、アメリカと中国の冷戦という形で現実化した。そして、太平洋を隔てて、西洋文明とシナ文明の中間に位置するのが、日本文明である。日本文明は、自己の存立のためには、西洋文明とシナ文明の融和を図らざるを得ない環境にある。アメリカに盲従するのでなく、また中国に媚びへつらうのでもなく、堂々と主張する日本を目指さねばならない。
それとともに、わが国は、イスラエルとアラブ諸国の対立を和らげるように助力しなければならない。日本が中東の石油を安定的に確保するには、中東和平を目指さざるを得ない。セム系一神教文明群の内部抗争は、非セム系多神教文明群の仲介によってのみ、協調の方向に転じられる。非セム系多神教文明群の中でもユニークな特徴を持つ日本文明は、西洋文明とイスラーム文明の抗争を収束させ、調和をもたらすためにも重要な役割がある。
西洋文明とイスラーム=シナ=東方正教文明連合、アメリカ=イスラエル連合と中国・ロシア・アラブ諸国連合の対立が決定的な形に進まないように、わが国はアメリカと中国の間で、またイスラエルとアラブ諸国の間で、自らの興亡盛衰をかけて、共存共栄の道を開かねばならない。それは、単に自国のためだけでなく、世界の平和と発展のためにも必要とされることである。 
 
結びに〜日本精神を復興して世界に貢献を  
わが国及び日本文明が上記のような役割を果すには、まず独立主権国家としての自主性・主体性を取り戻すことが不可欠である。憲法を改正し、自主国防を整備し、その力の裏づけを持ってはじめて国際社会で発言力・影響力を発揮することができる。
盲目的な従米は、一蓮托生の道である。アメリカが没落すれば、日本も一緒に没落する。それを抜け出るには、憲法を改正して、自主国防を整備すること。そして、親米だが自主性・主体性のある政策を行なうこと。長期的には、アメリカとの関係を従属から対等の関係に転じていけるよう、徐々に進めていく。
これには時間がかかる。その期間は、アメリカの追従から自主へと徐々に転換していくしかない。急激な転換は無理を生じる。日米関係を対等な関係に成熟させ、着実に進んでいかなければならない。同時に媚中の姿勢をやめる。自主性・主体性を軽んじ、反米親中の政策を取れば、中国に呑み込まれかねない。アメリカと共に、中国の民主化を促し、脱ファッショ化・脱共産主義化に助力する。そして、中国にシナ文明の良き伝統が復活するように、日本文明から文化を発進していく。
わが国は、国家間関係(international relationship)においてだけではなく、文明間関係(inter-civilizational relationship)においても、地球全体のキーポイントとなる立場にある。そこで求められるのは、日本文明の特長を良く発揮することである。現代世界人類の二大課題は、世界平和の実現と地球環境の保全である。そのためには、核戦争を防ぎ、また環境と調和した文明を創造しなければならない。これらの課題を実現するうえで、日本には重要な役割があると私は、確信している。人と人、人と自然が調和する日本精神には、人類の文明を転換し、この地球で人類が生存・発展していくための鍵があると思う。
私たち日本人は、この21世紀において、日本精神を取り戻し、世界的にユニークな日本文明の特長を活性化し、新しい世界秩序の構築と、新しい人類文明の創造に寄与したいものである。私は、そこに日本の活路があると思う。 
 
 
「文明の衝突」を超える視点 

 

〈文明の衝突〉とは何か 
1993年にハーバード大学の政治学者ハンチントン(Samuel P. Huntington 1927-2008)が「文明の衝突?」⑴という論文を発表して以来、〈文明の衝突〉という世界のとらえ方が注目を集めた。その後、彼はこの論文を拡張した形で1996年に『文明の衝突』⑵という一冊の本を出版して、さらに話題の的となった。ハンチントンのこの視点については、発表直後から様々な批判がなされていたが、それでも〈文明の衝突〉という言説は、とりわけジャーナリズムの世界で一人歩きをする形で注目され続けていた。そして、2001年9月11日に発生した「9・11」以来、ハンチントンは〈文明の衝突〉の予言者であったとみなされると共に、〈文明の衝突〉こそが21世紀を刻印する自明の事実のように言われることとなった。
あの日、イスラーム過激派が乗っ取った旅客機が、とりわけニューヨークの貿易センタービルに乗客もろとも相次いで衝突したことは、まさに「イスラーム文明」と「西欧文明」という二つの文明の「衝突」の象徴として、ほとんど世界中で受け取られた。その際に重要な役割を果たしたのは、この事件の発生場面が、偶然とはいえ最先端の技術によりライヴ映像として世界中に中継されたことである。その結果、「西欧文明」側では社会の中に大きなショックが生じ、ジョージ・W・ブッシュ第43代米国大統領は「対イスラーム十字軍」を口走るに到った。そればかりではなかった。シニカルで冷静なはずのフランスのジャーナリズム界の、とりわけシニカルな『ル・モンド』紙上にも、「ハンチントンの主張は、マンハッタンの恐るべき惨事によって立証されたようだ。…われわれは大戦争の始まりを生きているのである」という署名入り論説が登場することになったと、クレポンは伝えている⑶。他方、「イスラーム文明」の側でも、これを〈文明の衝突〉としてとらえ、それの勝利への第一歩だとみなして歓喜する民衆が居たことは、同じくマスメディアで伝えられた。以来、この地球上には、〈文明の衝突〉という言説が跋扈しており、ともすればあらゆる紛争をそれに還元して事足れりとする傾向さえあるように見える。
しかし、現在、世界の諸地域で展開されている諸紛争──残念ながらわれわれは諸紛争が存在するという事実は認めざるをえない──のうちに、ハンチントンの主張するように〈文明の衝突〉の現われとして解釈すべきものがあるのだろうか。このような疑問を呈する権利がわれわれには、とりわけ東アジアに生きるわれわれには、存在するはずである。
以下の考察は、〈文明の衝突〉が現実に存在していることを前提にしてなされるものではなく、人口に膾炙している〈文明の衝突〉という思想現象を前提にしつつ、そこから生み出されている「幻想」を考察の対象として、それを超える視点を確保しようとするものである。  
 
1.〈文明の衝突〉と言われるものは実在するのか 
(1) 「文明」とは衝突できるものか?
ハンチントンの〈文明の衝突〉に対してわれわれがまず疑問に感じることは、「文明」とは衝突できるものであるのか、ということである。そこで、まず「衝突」が成立するための条件を考えてみよう。
第一に、世界に複数の「文明」と言われるものが現存していなければならない。「文明」civilization という概念が初めて成立したのは、18世紀フランスにおいてのことである。当初は「未開」や「野蛮」に対する概念として、「文明」は単数形で表記されて、いわばそれは西ヨーロッパにしか存在しないものとされていたという事実は、今ではよく知られている。その後、19世紀初頭にいたり複数形でも用いられるようになった⑷。こうして、欧米人の思考のなかに複数の文明が存在するとされるようになって今日に到っている。この意味で、確かに複数の文明が存在していると言えよう。
第二に、〈文明の衝突〉という思想が、「文明」をある種の擬人化によって「衝突の主体」となりうるかのように扱っているという表現上の曖昧さをもっていることを前提的に指摘した上で、そうではあっても、その衝突の当事者となって「衝突」と言われるような事態が現象するためには、一つの文明が他のそれと明確に区別されていることが不可欠であることも指摘しなければならない。
ハンチントンが挙げている諸文明とは、中華文明、イスラーム文明、西欧文明、東方正教会文明、ヒンドゥー文明、ラテン・アメリカ文明、日本文明の七つであるが、それにアフリカ文明を付加することもある。
では、これらの文明は、互いに明確に区別されているものであるのだろうか。われわれがその当事者である「日本文明」を例にとって考えてみよう。これは、どの点で隣接する中華文明と明確に区別されるだろうか。もし「日本文化」と「中国文化」という表現で比較するならば、当然のことながら互いに区別をつける形で双方を取り出すことは可能である。しかしその場合でも、両方の文化に共通なものがあることを排除しないし、それが自ずと「衝突」することも想
定しがたい。
また、日本は一つの文明圏を形成しているとされているのに対して、朝鮮、台湾、ヴェトナム、それにシンガポールは中華文明の圏内とされている。おそらくハンチントンは、現状での経済力を判断の基礎に置きながら、歴史的にみて中国による明確な冊封体制下にあったか否かで、朝鮮ならびにヴェトナムと日本とを区別して、日本は独自の文明圏をなしているととらえたのであろう。しかし中国からの文化的な影響関係からみると、実際には日本と他の二国との間にそれほど大きな差異は見出せないであろう。そもそもわれわれ日本人が、自分の属している文明があるとして、それを、ハンチントンの言う意味での「文明」として、「日本文明」であると主張するだろうか。歴史的にさかのぼっても、冷静な考察に立ってそれを主張した日本人が居たとは、寡聞にして知らない⑸。
同様なことは、西欧文明と東方正教会文明との間にも見出されるはずである。そればかりかイスラーム文明についても、「一枚岩的なものとしてのイスラームは《ウンマ》〔イスラーム共同体〕というフィクションにおいてのみ存在するが、政治的現実としては存在していない。…単数形の《イスラーム》は、観念の産物である。…《イスラームの諸世界》〔という複数形〕について語ることのほうが適切である」⑹という、ドイツの国際政治学者ゼンクハースの指摘がある。
さらに、逆の形の疑問も生じる。西欧文明のなかに、どうして大陸を異にし、歴史的にも大きな違いのある「新世界」すなわちアメリカ合衆国が含まれるのだろうか。事態を冷静にとらえるヨーロッパ大陸側の人間には奇異に映っているに違いない。
つまり、ハンチントンの文明設定は恣意的であいまいであることになる。それは、そもそも「文明」というものが、ハンチントンの利用したい概念枠組みに適合するほどには明確に区別されうるものではないことを示しているであろう。
以上の検討から、「文明」が衝突すると主張することには無理があることになる。
おおまかにとらえれば、たしかに単なる「文化」よりも大きな影響力をもつ「○○文明圏」と名づけうるような一定の伝統的広がりが存在するとは言えよう。しかし、それはその中核にいっさい変化することのない独自性をもつものではない。つまり、文明本質主義は成立しないのである。隣接する文明圏との間に相互交流とそれにともなう相互影響が存在してきている。比喩的に表現すれば、諸文明圏は空にかかる虹の色のように、グラデーション的な相違をもって展開しているのであり、他の文明圏といわば互いに重なり合いながら存在しているのである。ハンチントンは、そのような状態のなかから自分の「理論」構成に都合のよい部分を取り出して強調することで、それぞれの文明の完結性と独立性を主張しているのである。
この恣意性は、実はハンチントンも自らは気づかない形で自認しているのである。なぜなら、彼にとって「文明」が問題になるのは、それが侵略する力をもっているという点、(より平和的に表現すれば)それが作用する力をもっているという点であるが、文明について彼が想定しているこのような事態は、他方において彼が「文明」について想定している、「衝突」の主体となるほどに自己完結性を有する「文明」というものとは矛盾することになるからである。
そもそも地球上の文化の相違を、先ずは自己中心主義的に「文明」と「野蛮」とに二項分割すること(どの社会でも生じがちなことではあるのだが)が誤りなのであり、それはその後にも続く誤解の原因にもなっているであろう。改めて「文明」という語の原語であるフランス語の‘civilisation’という語を考察してみれば、これは‘civiliser’「…を文明化する」という動詞から成立した名詞であり⑺、状態を意味しているというよりも、「文明化する」(野蛮から脱け出させる)という作用とその結果という意味をもっている。さらにこの語の成立の経緯を想像してみよう。すなわち、18世紀フランスで、つまりアジアやアフリカを盛んに植民地化していた時代の植民地宗主国においてこの語が成立したのであり、大いに乱暴な事態が含意・表象されていることになる。つまり「文明」(E. civilization)という概念は、そもそもが「他者を(自己の文明の影響下に入れるという意味で)文明化する」という意味を含んでいることになる。この点にこそ、ハンチントンの〈文明の衝突〉という思考が生れてくる一因があるのだろうし、この思想がまずは西欧において支持された遠因でもあるのだろう。たしかに「西欧文明」にはこういう傾向がある(あった)かもしれないが、すべての文明がそうであるとは限らないのである。
(2) 〈文明の衝突〉とは、「文明」の「衝突」ではない
われわれ日本人はcivilization を「文明」と翻訳して受け取っている。また、civilization とは語源的含意をかなり異にするculture も、「文化」と翻訳して受け取った。この日本的状況(あるいは東アジア的状況)を「文」という語の意味に注目しながらとらえ直せば、次にように言えるだろう。本来「文」は「武」と対立する概念であり、後者は暴力的な衝突につながる意味をもつが、前者「文」はそれと正反対の意味をもつものである。それゆえに、東アジアでは「文明」は「文明」であるかぎりにおいて「衝突」するようなものであるとは、みなされてきていないのである。それは、福沢諭吉の『文明論之概略』も、また大隈重信の『東西文明の調和』も示しているところである⑻。
しかしながら現今の世界には、これこそ〈文明の衝突〉の具体例だと言われるような紛争が存在していることも確かである。しかし、それらは本当に〈文明の衝突〉なのであろうか。先ずは、〈文明の衝突〉とよく似ている「宗教戦争」と言われるものに一瞥を向けてみよう。1960年代末以降にイギリス全土を巻き込む形で展開された「北アイルランド紛争」というものがある。この紛争の表面上に見える形は、カトリック教徒とプロテスタントが争っているというものであり、「宗教戦争」の一つだと言われやすかった。しかし実際には、次のような歴史的な政治状況が原因であったのだ。17世紀の初めにこの地域を植民地化したスコットランドとイングランドは、そこに植民者を送り込んで植民地化を進めながら、この地域の原住民であるアイルランド人を二級国民として扱った。ところが、この植民者たちはスコットランドとイングランドの出身であったので、当然のことながらプロテスタント・キリスト教徒であり、他方、イギリス領とされた北アイルランドの元々の住民は、アイルランド島の住民全体がそうであるように⑼、カトリック・キリスト教徒の信徒である。このような住民構造の中で、原住民たるアイルランド人は様々な差別を受けることになり、その状態は20世紀まで続いてきた。これに対しては原住民側から、時には暴力を行使しさえする抵抗運動が行われるようになり、これに対抗して、同じく暴力行使をも伴う植民者側の応酬が行われたものが、「北アイルランド紛争」である。これは、カトリックとプロテスタントという異なった宗派が宗派の異なっていることを理由にして衝突した「宗教戦争」ではなく、教育や職業、社会的諸権利において差別された弱者が支配側に対して行った抵抗運動であり、その場合の弱者と強者とが宗派において異なっていたというわけである。しかし実際の紛争の激化の過程では、互いに自分のグループ内の結束を固めるために、「絶対的相違」であり「アイデンティティ」の根拠でもある「宗派の異なり」という側面を内外に向けて強調することが、双方において行われたことも事実である。
〈文明の衝突〉についても、これと同様の構造が見てとれる。たとえばハンチントンによってそれの典型とされている第一次イラク戦争(湾岸戦争)は⑽、現地の政治情勢をみればクゥエートとイラクの領土争いであり、国際政治的にみればクゥエートとイラクとの国境地帯にある石油資源の争奪戦であった。しかし戦争の遂行過程でイラクのフセイン大統領は、この戦争をイスラーム世界に対するイスラエルおよびその支持者であるキリスト教諸国による攻撃であるという構図を描いてみせながら、アラブ世界に団結と支援を呼びかけた。だがこれは、本来フセイン大統領の思想的立場とは異なる政治行動であった。即ち彼はバース党(アラブ社会主義復興党)による一党支配体制のもとでの大統領であったのだが、バース党は元来イスラームという宗教が政治に関与するのを否定しつつ政治を運営することを旨とする世俗主義的傾向が強い政党だからである。つまり、フセイン大統領のこの呼びかけは、戦況を自分の側に有利に展開しようとする便宜的な政策であったと言えよう。
同様な政治操作は、戦争を仕掛けた米国側にもあった。G. H. W. ブッシュ第41代大統領は、自国だけが戦争遂行の主体になることを避けるために、34カ国からなる「連合軍」Allied forces を組織した。このAllied forces は、日本では「多国籍軍」と、おそらく意図的に誤訳されてマスメディア上で使用されたが⑾、この英語が国際舞台で一般的に想起させるものは第二次世界大戦における「連合軍」のことである。つまり、この語は一般にファシズムに対抗して自由と民主主義を守る正義の戦争というイメージを強く喚起する力をもっている。それを利用してブッシュ大統領は、自由と民主主義は西欧側にしか現存しないのだが、この「連合軍」に参加する国々は、それぞれの国でそれの実現を約束しているのだと、さらに、45年前の連合軍と同じように輝かしい勝利を収めることが約束されているのだと、主たる戦争参加国である米国と英国の国民にアピールしようとしたのである。こうして、ブッシュ大統領は自分の始めた戦争への国内外の批判をかわすと共に、さらに自分の側の団結を固めようとしたのである。
ここに見てとれる構造は、〈文明の衝突〉としての戦争が存在したのではなく、まずは物質的な利害対立に起因する戦争があり、それを双方が有利に展開するために「文明」という材料を戦争に動員したということである。上掲のゼンクハースは以下のように述べている。「文化的紛争が起きるのは、他の権力資源が不足するため、言語、宗教、歴史が意図的に動員され、対立の道具として用いられるときである。このようなケースで、文化の源泉へ回帰することは、それ自体のためではなく、権力のために生じているのであり、原典の解釈は、テキストの正確な解釈を目的とするのではなく、権力のためになされるのである」⑿。
つまり、たとえ異なる文明間に生じる紛争があるとしても、その原因は、ハンチントンが主張するように、文明の相違にあるわけではない。紛争を自分の側に有利に展開するために、自分の陣営に対して、この紛争はわれわれのアイデンティティの存亡に関わる闘いなのだ(下の注40の個所に示したハンチントン自身の発言を参照されたい)と強調することで、内部を固めたり外部の支援を得やすくするための手段として、そのアイデンティティの基盤としてみなされやすい〈文明〉を動員しているということなのである。 
 
2.なぜ〈文明の衝突〉が一定の支持をうるのか? 
上述のように、事実としての〈文明の衝突〉が現実に存在しているわけではないのにもかかわらず、ではなぜ〈文明の衝突〉という言説が今日の世界で一定の支持をえているのだろうか?それは、地球上のどの地域でも、民衆レベルに、自分たちが何か〈異なるもの〉によって犯されているのではないか、自分たちの生活している領域が侵されているのではないか、という不安感が卓越しているからだと言えよう。そして、その原因としては以下のようなものが挙げられるであろう。
(1) 科学・技術の「進歩」と現実の生との齟齬
人間はたしかに数学のような精緻な世界を構築することが可能な存在であるが、自分自身の生き方をそのように精緻なものとして実践することは不可能である。また、数学の応用版ともみなしうる「科学・技術」一般は、たしかに数学ほどに精緻に構築されたものではなく、それゆえに一般の人間にとっても利用可能な側面をもつのではあるが、それでも、人間が科学・技術の「進歩」に即応して生き方を変えることは、常に誰にでも可能であるというわけではない。
このような齟齬は、科学・技術が卓越的に機能する社会に生きる人々に不安感を醸成させる。生活が便利になることは歓迎できるが、その便利さを自分の制御の下におくことができないもどかしさが不安に転じている、と言うこともできよう。その主たる原因は、科学・技術が発展すればするほど、一般人にとっては、それが機能するメカニズムやシステムがブラックボックス化して理解不能になるからである。
さらに、科学・技術の発展は労働現場での機械化を促進し、労働に携わる人々は機械に使われているという感覚に襲われやすい。そればかりか、機械の機能についていけないことは、自らの労働者としての地位を失うことを意味するという理解が成立する。既にほとんど死語となるほどに普遍化した「オートメイション化」は、実際に大量の労働者を不要な存在とした。つまり、その領域での失業者を増やしたのである。
以上のような状況は、19世紀初頭にイギリスに発生したラッダイト運動に類似した心理状態を、現在、世界中で生み出しているとみなすことができよう。
(2) 〈競争〉の激化
「科学・技術」が世界中を覆うようになったことで、物的資源のみならず、本来はそれを利用して生きるはずの人間が、それも世界中の人間が同じ一つの規準でくくられた上で、「人的資源」とみなされるようになった。この結果、現在では様々な分野における人間同士の競争が、歴史上かつてなかったほどに熾烈に展開されている。
具体的に説明するならば、以下のような競争の側面が存在している。先ずは、人が人と競争するという場面である。
1) 競争する相手の数が無限大になりつつある。これの見やすい例はスポーツ界である。「科学・技術」の進歩によって、今やスポーツ選手の能力の比較が地球規模で可能になり、より有力な選手はいっそう有利な条件で契約できるが、少しでも劣った選手は契約から排除されるという状況が生じている。同様な競争があらゆる分野で生じつつある。その結果、ある時点で競争の頂点に立った人でさえも、次の契約時には地位を失う可能性を想像できるので、安心してはいられないのである。
2) 次に、「人的資源」間に見出されるわずかな差異さえも「科学・技術」を利用して数値化されることで、「違い」が歴然と示され、その結果、「劣った」数値の帰せられる人物が労働市場から排除されることが合理化されやすいという傾向が生じている。つまり、「合理的に敗者と判定される」という場面が生じやすくなっており、「敗者」と判定された人々には社会の中で逃げ場がないという事態が生じているのである。
3) さらに、上の⑴で述べた状況から生じる、人が機械と競争させられるという側面がある。先ずそれは、同じ労働について人間が機械との間で、能率性をめぐって競争させられるということである。そればかりではなく、機械を使用している労働者が、機械の反応の速さに応じて自らの作業を速くしなければならないという意味での競争もある。これは、上述の「機械に使われている」という状態の一種ともみなせるのであるが、当人はそのように意識することなく、より効率的に成果を出そうという前向きの姿勢をもって働いているのに、気づいてみると大きなストレスを得ているという状況である。
4) すぐ上で述べたこととも密接に関わるが、現代では人が時間(機会)と厳しい競争をさせられることが多い。その典型例は、労働現場で作業の合理化を進める際にストップウォッチによって労働者の作業を測定する光景に見出すことができる。これは、生命体としての時間(意識)とは別の物理的時間によって人間の日々の生活が制御されていることになる。これも人間に大きな不安を生み出す要因である。
(3) 加速度的に増強される情報の洪水
通信技術の発達によって、われわれは好むと好まざるとにかかわらず、世界中の多様な情報にさらされている。しかし、人間にとって意味をもつ情報量、あるいは処理可能な情報量は限られているはずである。それを超えると、情報としての意味はなくなり、たんなる雑音(ノイズ)となる。だが、ノイズによってもわれわれの感知能力は消耗させられるから、その結果、感知能力がほとんど麻痺して、逆に自分にとって必要な情報にさえも適切な応答ができなくなるという状況が生じてくる。
最近ではIT 技術の進歩により、音声情報や画像情報もふんだんにわれわれに提供されるようになっている。しかし、文字情報に比べると、音声情報、さらに音声を伴った画像情報は、それをコンピュータに記憶するに際して必要とする記憶容量の増大⒀に比例するような形で、より強くわれわれに作用するのであり、それに比例する形でわれわれは自分の感知能力を消耗させられているのである。
さらに現代では、これらの大量な情報がコンピュータの同一の画面上に現われることによる問題も生じているということを指摘する必要がある。つまり、自分の前にある画面上に、多様な情報が次々と出現する。その情報は、一冊の書物のように一見して判明な順序をもって並んでいるわけでもなく、ましてや、新聞紙上のように一般的な重要性の順序に従って配列されているわけでもない。信憑性の不明な多くの情報源(発信源)に由来する多様な情報が、同じサイズの画面に現われるだけである。
つまり、われわれが接する多様で大量な情報が自分にとってどれだけの価値があるのかということは、自分自身が判断しなければならないのである。これは大きな自由を手に入れていることではあるが、しかし、この事態はわれわれにとって常によいことであるわけではない。われわれは自分の判断力に自信をもてないことが少なからずあるからである。かつては、そういう場合のために「評論家」という存在が居た。彼らは、紙面上に登場し、その情報の価値を判断して読者に知らせてくれる特権的な読者であった。しかし、インターネットが卓越する現在の情報世界では、誰でもが発信者になりうるので、個々の情報の判定者の役割を果たしてくれる存在を適確に見つけることはむつかしい。その情報の信憑性を自身で判断しなければならなくなっているのである。これも大きな不安要因となる。われわれは、「ネットサーフィン」をすることによって、遊んでいるどころか、適切なナヴィゲーションの存在しないままに情報の「大海原」を漂流することになりかねない状況にあるのだ。
さらにわれわれには、情報の洪水にさらされているうちに、本当は真相を知っているわけではないことを、あたかも知っているかのように錯覚する傾向が生じる。〈量〉の多さが〈質〉を決定するという、古典的なプロパガンダ技術によって生じさせられる深刻な誤解や錯覚である。
(4) 「生きる世界」の拡大
現代では、輸送技術と通信技術の驚異的な発達によって、誰でもが「自分の生きる世界」の拡大を実感せざるをえなくなっている⒁。
具体的に言えば、上述の労働市場の拡大に伴う自己の地位の不安定化の原因になっている事態であり、また、日々使用する食料や物資が遥か遠くの国から運ばれてきたものであるという事態である。つまり自分の生を支える世界がやみくもに拡大しているという実感である。
同じ理由によって、逆に自分が生まれ育った場所でさえも、将来にわたって自分の慣れ親しんだものとして存在し続けるという展望をもちにくくなっている、という事態も生じている。
この両方の事態の結果としてわれわれは、あたかも一人の幼い子どもがいきなり広い舞台に連れ出されたような感覚をもつようになっている。つまり、自分の立ち位置が分からない不安と恐れである。
そもそも人間は誰でも、自分なりの原点を確保し、それを基にして世界についての自分なりの座標を描くことで、安心して生活しているものである。しかし現代ではその座標が描きにくくなっている。広大な世界のなかで自分の居場所を確保できないだけではなく、自分の故郷(Heimat)に居てさえも故郷に居るような気がしない、つまり居心地の悪さ、不気味さ(unheimlich)を感じさせられることが多くなっているのである。つまり、われわれはいわば故郷を失った者として、根こぎされた者(déasiné)として生きることを余儀なくされつつあると言うことができよう⒂。
この心理状態は、アイデンティティの喪失感という、より深刻な問題を惹起する可能性が強い⒃。そして、この喪失感を埋めるために、「宗教復興」とか「スピリチュアリティ・ブーム」と称されるような現象が人々の間で生じているとみなせるだろう。
(5) 恐れと敵意と自己防衛意識
これまで述べてきたようなわれわれの生きている世界の状況によって、われわれはこれまでの人類が経験したことがないほどに頻繁に多種多様な〈なじみのないもの〉、〈異なるもの〉(E.: strange; F.: étrange; D.: fremd)と遭遇せざるをえない。それは、人や物だけではなく、技術や情報、状況でもある。しかし人間は〈なじみのないもの〉に対しては、生命体としての自己保存本能から自ずと警戒感と恐れを抱き、場合によっては敵意さえも抱くことになる。それは、子どもに顕著であるが、大人であっても精神的に余裕のない状態にある場合には、あるいは自身を取り巻く状況を客観的にながめることができない人は、容易にそのような状態に陥る。これは人々に強い不安感を醸成し、ひいては社会全体を不安定にしかねない危険性をはらんでいる。
なぜならば、その不安感はそれを解消(解決)するためのはけ口を身近かに存在する〈なじみのないもの・異なるもの〉に求めると共に、そうすることで逆に自己の存在を絶対的に肯定しようとするショーヴィニズムを容易に育むからである。
この具体例を20世紀前半のヨーロッパに見出すことができる。当時、急速な資本主義社会化とそれを基礎で支える役割を果たした近代の科学・技術の荒波にもまれたヨーロッパの人々は、自分たちの不安感と苦境の原因を身近に存在する〈異なるもの〉としてのユダヤ人になすりつけて、彼らを社会から排除するばかりか抹殺しようとさえしたのである。これは、E. フロムが有名な著作『自由からの逃走』において活写している通りである⒄。
そして現代欧米では、その市民が抱く不安感と直面する苦境の原因がどこに求められようとしているのだろうか。自己の社会内に暮らしているイスラーム教徒(ムスリーム)に対して、そのような悪意と疑いの眼差しが向けられているのではないだろうか⒅──自分たちの社会の必要性によって招き入れたムスリームなのであるにもかかわらず。また、東アジアの日本と韓国と中国では、相互に相手をそのように見立てようとしているのではないだろうか──広く視野を取れば、お互いに文化的には極めて近いことが容易に見出せるにも関わらず。
いずれにしても、プリミティヴな防御反応に過ぎないのであるが、あなどることのできない危険性をはらむ心理状況である。 
 
3.〈人間の生〉の三層構造 
〈人間の生〉を「人間の総合的生活活動」としてとられるならば、そこに以下のような三層構造を見出すことができると思われる。すなわち、下から「生存の基礎活動」、「具体的生活」、「抽象的活動」の三層である。そのうち、最下層の「生存の基礎活動」とは摂食活動、睡眠活動、生殖活動等であり、「具体的生活」とは最下層の上に展開されている、いわゆる社会的な活動であり、最上層の「抽象的活動」とは中間層の「具体的生活」を基礎としつつ、同時にそれを機能させている理論化の営みおよび生きる世界の定位である。具体的には、算術とか読み書き等のシステム、さらには東西南北とか上下のような住まう空間の方位付け等である。
最下層の「生存の基礎活動」においては地球上の人類は明らかに共通性を有しているのであり、その最たる証拠は、民族や文化伝統を異にする男女であっても生殖活動を営めば子孫を残すことが可能であることである⒆。また、最上層の「抽象的活動」においても人類は明らかに共通性を有している。2プラス3はいかなる民族においても5であるし、用いる言語は異なっても言語としての共通性を有するので、互いに文法を学べば意思疎通が成立するのである。
以上で明らかなように、三層のうちの最下層と最上層において人類は明らかに共通性を有しているのに対して、中間層では極めて多様であり、互いに相違している点も顕著である。例えば、服装や食糧の生産の仕方、生活規範等が多様である。この多様性の主たる原因は、いうまでもなく地球上の自然条件が多様であるからであり、さらにそれぞれの地域の人間がその地域の自然条件に規定された社会条件に従って生活しなければならなかったからである。それゆえに、この層における多様性は、従来の技術ではもとより、現行の科学技術をもってしても完全には解消不可能であるばかりか、解消すべきではないものでもある。
三層構造からなる「人間の総合的生活活動」がこのように、その最上層と最下層において人類に共通の内容をもちながら、中間層において相違しているという事実は、〈文明の衝突〉を超える視点を確保する上で重要な示唆を与えるであろう。なぜならば地球上の人間は、人間としては共通であっても、地域ごとの相違に起因するところの多いそれぞれの伝統に従って生きねばならないからである。これについては、自身がユダヤ人としてナチスの時代の迫害によってアメリカに亡命を余儀なくされたアーレントの以下のような主張に耳を傾けたい。「男性と女性が、相互に絶対的に相違するものであることによってのみ人間としては同一でありうるように、すべての国の国民は現にあるがままのものであり続け、かつあくまでもそれを維持することによってのみ、この人類の世界史に参加することが可能となる。一つの世界帝国という専制のもとに生活し、ある種の美化されたエスペラント語で話したり考えたりする世界市民とは、両性人間に劣らぬ怪物であろう。…人類の統一とその団結は、一つの宗教、一つの哲学、あるいは一つの統治形態に万人が同意することにあるわけではなく、眼前にある多様なものが、多様性の覆い隠すと同時にあらわに示してもいるある一致を指し示しているのだ、という信念のなかに存在しうるのである」⒇。  
 
4.交流の必要性 
人間は、たとえ見知らぬ他者であっても、お互いが人間であることを認識すれば、敵意は、ただちに解消しないまでも減少する。そのためには、上述した〈異なるもの〉への警戒感と敵意を醸成しないような条件を整えた上で交流する必要がある。つまり、単なる偶然的な遭遇ではなくて、よく準備された交流が必要となるのである。以下でこの点を考察してみたい。
(1) 情報の交流
断片的な情報しか伝わらない状況下では、〈異なるもの〉への恐れから人間は妄想を膨らませがちである。それは見知らぬ社会に生きる人間に対しても同様である。いな、そういう人間に対してこそ、より大きな妄想を抱くとも言えよう。その具体例をヨーロッパ中世において広まっていた「東方の驚異」伝説に見ることができる。インドには一糸まとわずに動物のように自分の毛だけで覆われていて魚と水だけを食料としているというイクティファグス(魚喰い人)や巨大なキュノケファルス(犬頭人)が居ると描かれたり(21)、「荒野のインドの一部には、有角人、一つ眼人、また前後に眼をもつ人種がいます。彼らはサニットゥリ、セノファリ、ティグロロペスと呼ばれています」(22)と叙述された。
そして、このような妄想は現代に生きるわれわれにもけっして無縁ではない。今から65年前まで、日本人は「鬼畜米英」と教えられていた。アメリカ人とイギリス人は、人間の皮をかぶった鬼畜であるという意味である。それは、日本政府が戦争遂行のために国民を効果的に動員する宣伝手段として用いた表現であったが、当時の多くの日本人は、遥か離れた異国に住むアメリカ人とイギリス人が自分たちと同じように感じたり考えたりする人間であると想像できるだけの情報を自らの手では獲得することが不可能であったので、このような宣伝でも信じたのである。単に信じただけではない。敗戦の際には、自分たち日本人はこの鬼畜によって耐えがたいほどのひどい目にあわされると思い込み、そのような目にあうよりは死を選んだ方がましだと考えて、自ら命を絶った人たちも、とくに直接の戦場となった地域には少なくなかったのである。まことに悲劇的な事態である。
しかしこのような思い込みと行動は、情報伝達の手段が当時と比較すれば格段に発達した21世紀にはもはや存在しないとは断定しがたい。たとえ情報量が豊富であったとしても、その内容に偏りがあるならば、情報の受け手である民衆はその量の豊かさに比例して強い偏見を抱くことになる。相手に対してマイナス評価を下す〈思い込み〉としての偏見がいったん成立してしまうと、民衆自身は自らそれが偏見であるかどうかを判断するだけの手立てをもたないから、それを解くのは容易ではない。それゆえにこそ、民衆の間に誤った〈思い込み〉が成立しないように、十分な情報の交流が必要なのである。
(2) 人と人との出会い
正しい情報を得るだけでは人間の交流は深化しない。実際に人間同士が出会うことで、相手が自分たちの知っていた情報の通りであることを確認する必要がある。さらに「百聞は一見に如かず」の諺のとおりに、情報によって理解していた以上の認識と相互理解が成立するのである。それは単に実物を見たとか実物に会ったという物理的な意味だけのことではない。人間とはその文字が表しているように、「世の中自身であると共に世の中における人である」という和辻哲郎の指摘のとおりの本質を有して生きているものだからである(23)。この点を福沢諭吉も前掲箇所の直前で次のように述べている。「元来人類は相交わるを以てその性となす。独歩孤立するときはその才智発生する由なし。家族相集るもいまだ人間の交際を尽すに足らず。世間相交り人民相触れ、その交際いよいよ広くその法いよいよ整うに従て、人情いよいよ和し智識いよいよ開くべし」(24)と述べて、上掲の「文明とは英語にて…」と論じ進めているのである。
(3) 寝食を共にする付き合い
国の要人同士の相互訪問は、鮮明な映像と音声を介して会議をすることも可能なほどに情報伝達の技術が発達した今日においても、減少するどころか、かえって頻繁に行われている。「○○サミット」というような、各国の要人が一堂に会して、さらには同じ衣服さえもまとって数日間にわたり寝食を共にしながら会議をするという形式は、むしろここ数十年の慣習である。
これは何を意味しているだろうか。ここにわれわれは、上で述べた三層構造を有する「人間の総合的生活活動」の作用を見出すことができる。すなわち、「寝食を共にする」ということは、三層構造のうちもっとも共通性が顕著である、摂食活動と睡眠活動とを共にすることであり、その結果、各国の要人の間に共通理解が成立しやすくなるのであろう。現代ではもっぱら「情報伝達」という意味で使用されている「コミュニケーション」Communication という語の原語にあたるラテン語の動詞communicare は、「共に分ける、参加する」という意味を持っている。まさに「寝食を共にする」という事態が意味されているのである。つまり相互理解という意味でのもっとも深い「コミュニケーション」の成立(25)は、「寝食を共にする」ことで成立するのである(26)。
このような交流の仕方は、一国の要人同士にだけ必要であることでもなく、また彼らの間でだけ効果を発揮するものでもない。異なった国や地域の若者同士の交流においても、あるいはあらゆる階層の人々の交流においても効果を発揮する。実際に国際交流を推進しようと努めている現場では、このような合宿形式の若者の交流も盛んに行われている。それぞれの国で将来その国の担い手になる若者同士に、深い相互理解を成立させておくことは、偏見の成立を防止するという意味だけでなく、共通の事業を構想しその実現のために協力し合うという積極的な営みの成立にも、大いに効果を発揮するのである(27)。
(4) 交流によって生じる豊かさ
異なった国の人間同士が交流することの目的は、意見の一致を見出すことだけではない。意見の相違や生き方の異なりを認め合った上で、そこに諸々の相違が総体としてもたらす調和Harmonia を見出すことも重要である。上の引用においてアーレントが述べているとおりである。
交流の意義はそればかりではない。交流は、自分たちだけでは気づくことも築くこともできなかった文化の新たな世界を展開させることもあり、自分たちの伝統文化についてさえも今までにない豊かな実りをもたらすことがあるのだ。それの典型的な例を音楽に見出すことができる。西洋発祥のクラッシック音楽の世界では、日本人をはじめとする東アジアの人たちが数多く活躍している。また、西洋音楽の楽器をアフリカから奴隷として連行されてきたアメリカの黒人たちが使いこなし、高い技量をもってジャズというジャンルを打ち立てた。そればかりかこのジャズは、アメリカにとどまることなくヨーロッパや日本においても愛され、ヨーロッパ流のジャズも日本流のジャズも出現しているのである(28)。
このような例でもっとも歴史的に重要で広範な展開をしたのは、「喫茶」という文化であろう。周知のようにこれは中国発祥のものであるが、今では日本を含む東アジア地域のみならず、ユーラシア大陸の上を西方に伝播した上で大西洋をまたいで北米大陸にまで伝わったほどに、様々な民族に取り入れられている。そして、この喫茶の習慣が、ボストン茶会事件を介して、ハンチントンの愛するアメリカ合衆国の独立を成立させたととらえてみれば、その意味の大きさも分かるであろう。
「喫茶」という文化がこれだけ広範に伝わった理由は、茶そのものを摂取した際の人体に対して及ぼされる生理上の好影響もあろうが、客人に対して供されるという典型的な「喫茶」の形式によって、供された客人の側が「喫茶」について好印象を得るという事実も有力な理由であろう。つまり、上で述べた「寝食を共にする」ということの典型的な形式の一つなのである。一つの急須の中に抽出した茶を、各人の器に注ぎ、それを一緒に喫することは、まさに「コミュニケーション」の成立に他ならないからである。  
 
5.〈閉じる〉と〈開く〉 
ところで、地球上の異なる社会に属する人々、広く言えば異なる文明に生きる人々が互いに交流して理解を深め、さらに協働する必要性があるとしても、それはあくまでも双方の納得の上に実施されねばならない。自分の側の一方的な都合で相手に交流を迫ることは、交流の本義から外れることであるのは、言うまでもないであろう。
(1) 居場所としての〈閉じた世界〉
上述のように、地球上に存在するとされるいくつかの文明圏は、それが文明圏であるかぎり、まとまりをもっているという意味でゆるやかに〈閉じた世界〉を形成しているはずである──もちろん既述のように、その周縁部では他の文明圏との相互交流と相互浸透が生じているのではあるが。
このことは文明圏に妥当するのみならず国家に対しても妥当する。とりわけ「帝国」から離脱する形で「民族国家」Nationstate として形成された近代の国家は、〈閉じた世界〉であることを強く意識して国家体制を構築した。自国の文化・言語体系・教育体制を整備して国民を国民たらしめるために必要な政策である。
これは、それぞれの国の民衆からも支持されてきた。なぜなら、国民たる個々の人間が、人として生きるためには自分たちの〈居場所〉を必要とするからである。人間が人間になるためには、動物たちのように単に生理的に生存していれば十分であるという訳ではない。落着いて教育を受け文化を習得するためにも人間は自分の〈居場所〉を必要とし、さらに社会のなかで自立した人間としてその生をまっとうするためにも自分の〈居場所〉を確保する必要がある。象徴的に表現すれば、自分と全体とが相互に焦点を結ぶために、われわれはまずは〈閉じた世界〉を必要とするのである(29)。
今から二千数百年前に老子が以下のように記したのは、このことを説いたのに違いない。「小国寡民、什伯の器有りて用いらざらしめ、民をして死を重んじて遠くうつらざらしむ。舟輿有りといえども、これに乗る所なく、甲兵有りといえども、これを陳ぬる所なし。人をして復た縄を結びてこれを用い、其の食をうましとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しましむ。隣国、相い望み、鶏犬の声、相い聞こえて、民、老死に至るまで、相い往来せず」(30)。
(2) 〈閉じた世界〉を〈開く〉
自らの居場所を確保することで、国家や文明圏は一定の安定した状態へと到達する。それが国家や文明圏が繁栄するということである。
その次の段階に現われることは、自己の国家や文明圏を一つのまとまりをもっているという意味で〈閉じた世界〉として意識しながら、他のそれらと比較したり交流することである。これが〈開く〉段階である。そして〈開く〉ことによって、自らの世界の長所と短所に気づくことが可能となると共に、認識された短所を改善する方策を他の国家や文明圏の中に見出すことも可能となる。
この〈開く〉に際しては、知識や情報あるいは物資を他の国家や文明圏から摂取するだけではなく、必要に応じて〈他者〉をも招聘することがある。明治維新直後のさまざまな「お雇い外国人(教師)」がその典型的な例であるが、有利な条件で労働に従事してくれる外国人労働者を受け容れることもある。
このようなプロセスを経て、一つの国家や文明圏は、結果的に多様性Diversityに富んだ社会を形成できることなる。しかし、多様性に富むことは、社会が流動的になり不安定になることでもあるから、過剰流動性を防止する必要が生じる。そこで、こうして獲得した多様性を包摂して安定した状態を成立させるためには、再び(以前の場合とまったく同じ状態ではないが)〈閉じる〉必要が生れてくる。
(3) 哲学者カントの鎖国に対する肯定的評価
われわれは文明開化の明治時代以来、江戸幕府が実施した鎖国政策を否定的に評価するべきであると教えられるのが通例ではなかっただろうか。そればかりではない。第二次世界大戦における敗戦への反省から執筆された著書『鎖国』において、和辻哲郎も鎖国政策を厳しく批判し、それによって日本が250年間にわたって、世界における近世の動きから遮断されていたと述べている(31)。
しかし、上の⑵で述べたような視点に立てば、〈閉じる〉ことは必ずしも悪いこととは言えないばかりか、政治情勢によっては必要な措置であることも分かる。実際、18世紀ドイツの哲学者カント(Immanuel Kant 1724-1804)は、既に注29で紹介した晩年の著作『永遠平和のために』(1795年)において、中国と日本の鎖国政策を肯定的に評価して次のように記している。「それゆえ〔ヨーロッパ大陸の文明化された(gesitteten 32)諸国家、とくに商業活動の盛んな諸国家の非友好的な態度と不正をみると〕中国と日本が、これらの来訪者を試した後で、次の措置をとったのは賢明であった。すなわち前者は、来航は許したが入国は許さず、また後者は来航すらもヨーロッパ民族のうちの一民族にすぎないオランダ人だけに許可し、しかもその際にかれらを囚人のように扱い、自国民との交際から閉め出したのである」(33)。
このカントの評価の背後には、当時、ヨーロッパ大陸の西半分ではたえまなく大小の戦乱がつづき、とりわけ彼の祖国であるドイツは、300以上の領邦に分かれたまま、周囲のデンマーク、イギリス、フランス等の軍事的侵攻も含む干渉にたえずさらされて、なかなか民族国家という近代国家の形を整えることができていなかった事情が存在しているだろう。
つまり、国家の歴史は、そして文明圏の歴史もそれが存続してきた限りは、〈閉じる〉と〈開く〉の相互作用かつ交互作用で成り立ってきたと言えよう──もちろん、国家の場合と文明圏の場合では、その〈閉じる〉と〈開く〉の意思決定の機関の有無、および〈閉じる〉と〈開く〉の程度には相違が存在するのであるが(34)。
(4) グローバリゼーション主張者の二重の矛盾
20世紀末から21世紀初頭の現代において、徹底的に〈開く〉ことを提唱する流れを「グローバリゼーションの提唱」ととらえることができよう。そして、周知のようにこの主張の主たる源はアメリカ合衆国である。
ところが──この現在のアメリカ合衆国からは想像しがたいことではあるが──合衆国は長いこと自らを〈閉じた〉国としてきたのであった。第5代大統領モンロー(James Monroe)による1823年のいわゆる「モンロー・ドクトリン」以来、19世紀の終りまでは明確に「孤立主義」を外交政策としてとってきた。そしてその傾向は、第一次世界大戦への参戦をめぐる論争を経て、第二次世界大戦にまで続いていたのである。さらにその間の移民政策においても、〈閉じる〉と〈開く〉を繰り返してきたのである。
これは、「モンロー・ドクトリン」が発表されるわずか五十年前に独立宣言を発したばかり若い国であるアメリカが、自らの建国の理念に基づいて懸命に国づくりをしようとしている段階で、ヨーロッパ側からの干渉を排除するために取られた政策決定である。その意味で理解可能なものと言えよう。実際、米国はこうすることで繁栄への道を整えることができたのであった。
ところが、そのアメリカがグローバリゼーションの主導的提唱者として、今では他国に対してほとんど強制的〈開き〉を要求しているのである。これは歴史的にみると矛盾をはらんだ自己中心的な外交的態度だとみなせるであろう(35)。
グローバリゼーション主張者における矛盾はこれだけにとどまらない。他者に対してはほとんど強制的に〈開く〉ことを要求しながら、自らのその主張を客観的吟味の場に提示することを許すことはほとんどなく、その意味では自らの主張を〈閉じた〉ものとしているのである。
現今のアメリカに見られる、自分が主張する原則に対する批判を認めないというこの〈閉じた〉姿勢は、実はアメリカの伝統であったという指摘もある。アメリカ政治外交史の専門家である西崎文子はそれを、「『自由の領域』の拡大が神の摂理であるという信念と、アメリカが選ばれた国家としてこの摂理を実現していくのだという二つの柱からなる『明白な運命』Manifest Destiny」に見出せると指摘している(36)。 
 
6.〈大きな物語〉 
(1) ハンチントンの「大きな物語」
上の論文で西崎は、アメリカにとって戦後の冷戦とは「明白な運命」の追及の過程であったのであり、冷戦の終焉が「正義の勝利」と同一視され、その結果、「冷戦の終焉が『明白な運命』の成就であると捉えたことは、歴史の担い手としてのアメリカのアイデンティティを大きく揺るがすことになってしまっ
た」と指摘している(37)。
われわれはこの西崎の指摘を、ハンチントンが冷戦の終焉をまって〈文明の衝突〉を説き始めたという事実と改めて結び合わせてみたい。なぜなら彼は、「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれる人々の中に自らと同じ名前の直系の先祖をもつ、いわば「アメリカ」を体現するような家系の出身であり、アメリカの『国家戦略』を生涯のキャリアとしてきた人物である(38)からである。
今われわれは、「自由の領域」の拡大が神の摂理であり、それを、アメリカが選ばれた国家として実現していくのだとする、アメリカの「明白な運命」という信念の内容は問わない。しかし、これほどの普遍性が負荷された課題が現実に成就されるということが、そもそもありうるだろうか。しかし、上掲の西崎論文によれば、冷戦の終焉によってそれが成就されたと米国内では捉えられたのである。さらに西崎は続けて、「リベラル・デモクラシーやマーケット・デモクラシーを新たなアメリカの普遍的理念として掲げ、『明白な運命』の歴史認識を存続させる試みも、国際社会が多様化する中で、説得力をもつに至っていない」(39)と指摘している。この把握に付言してわれわれは、ハンチントンも批判的な視線をもって認識しているとおりにアメリカ国内が多様化する中で(40)、これは国内的にも説得力をもつに至っていない、とも言えるであろう。
このような状況のもとでハンチントンの〈文明の衝突〉という思考は生み出された。アメリカの「運命」を担うことを付託されたと自認していたであろうハンチントンは、「明白な運命」の成就によって、勝利の美酒に酔う暇もなく、かえって不安に駆られたのではないだろうか。アメリカの“新たな明白な運命”を設定しないかぎり、The United States of America はアイデンティティの危機に瀕するに違いないという不安である。そこでハンチントンは〈文明〉に注目したのであろう。なぜならば彼にとって文明とは、「人を文化的に分類する最上位の範疇であり、人類を他の種から区別する特徴を除けば、人のもつ文化的アイデンティティの最も広いレベルを構成している。…文明は『われわれ』と呼べる最大の分類であり、そのなかでは文化的にくつろいでいられる点が、その文明の外にいる「彼ら」すべてと異なるところである」(41)とされるものだからである。
リオタールのひそみに倣って表現すれば、「明白な運命」というアメリカにとっての〈大きな物語〉grand récit (42)の消失の後に、アメリカ国民が、「主体の解放、富の発展」という〈大きな物語〉のもつべき任務(43)に貢献しそうもない多文化主義multicalturalism(とハンチントンには見えた)という〈小さな物語〉petit récit (44)に安住してしまうことがないように、再度アメリカ国民を動員して結集させるに足る新たな〈大きな物語〉が探し求められたのであろう。それがハンチントンによって〈文明の衝突〉として設定されたのであろう。上でみた彼の〈文明〉の定義に依拠するかぎり、この〈文明の衝突〉という〈大きな物語〉は、アメリカ国内にとどまらず国境を越えて同じ「西欧文明」に属する国々とそれらの国民に広範に訴える力を持ちうるからである:われわれの新たな課題は、〈文明の衝突〉に勝利して、西欧文明を護ることであると(45)。
しかし皮肉なことに、このようなハンチントンの訴えそのものが、現状にあるアメリカを分裂させるし、世界をも分裂させるのである。上の注40で指示した箇所でハンチントンも、彼なりの危機感と共に以下のように記している。「アメリカの内部からの挑戦はさらに直接的で危険である。…多文化主義という名目で、彼ら〔少数ながら影響力のある知識人や政治評論家〕は、アメリカの西欧文明との一体化を批判して、アメリカ人に共通の文化のあることを否定し、人種や民族をはじめとする国家より下位の文化的アイデンティティや集団の形成を奨励した」。
(2) 真に求めるべき〈大きな物語〉
自己の属する社会に共に生きている、見たところ文化的に〈異なるもの〉としての人々は、ほとんどの場合、彼らが勝手にこの社会に押し寄せてきたのではない。われわれの社会の必要性によってか、あるいはそれの政策の結果としてか、いずれにせよ、自分たちが招き寄せた人々である(46)。この事実を率直に自認しなければならない。そして、彼ら〈異なる人々〉も、自分たちと同じく一回限りの人生を懸命に生きているという事実を認識する必要がある。
アメリカ合衆国の短期間のうちの建国の成功とその繁栄の源は、WASP (White Anglo-Saxon Protestant)がそのほとんどを占める建国の父とその子孫たちの貢献だけではなかった。それ以外の属性をもった様々な地域の出身者たちの貢献も不可欠であった。その中には、不当にもアフリカ大陸から連行されてきた奴隷たちも、当然のこととして含まれねばならない。
そしてこの政策と現実とは、形を変えながらも今なおアメリカに存在していることも認識されねばならない。それぞれの分野でアメリカが必要とする優秀な人材が、有利な条件を提示されて世界中からスカウトされているのである(47)。
しかし、それぞれの分野は自らの分野にとって必要とみなす有能な人材を招くのであるから、それら外国の人材の人種的出自や文化的・文明的な属性が一元的基準によって判定されることはない。こうして多彩な人材が集まって、現在のアメリカの繁栄が維持されているのであるが、それは同時に多文化的アメリカ社会を形成することになっているのでもある。
このようなアメリカ合衆国自身に起因する現代アメリカ内部における諸文明の現存に、上で言及したような立場のハンチントンが(だからこそであるか)苛立ちを示しているのである。あまりにも自己中心的な姿勢ではないだろうか(48)。
ところで、かつて世界に冠たる大英帝国として地球上にたくさんの植民地をもっていたイギリスも、第二次世界大戦が終了して以来、多民族国家としての問題を抱えている。この点について、1960年代末からバーミンガム市において宗教寛容の実践に取り組んでいたヒック(John Hick 1922-)が述べていることを、以下に少々長く引用してみよう。「多くの人々は、アジア人や西インド諸島の人々のことを、勝手にここ(英国)に住みつくことにしたよそ者4 4 4であるかのように思っている。しかしこのように考えることは、インドや西インド諸島の歴史がそこにおいてグレート・ブリテン島の歴史と密接に織り合わされてきたところの、大英帝国の長い歴史を完全に無視することになる。英国に住むわれわれは、植民地時代以後の現時点において、わずか一世代前まで非常に強力な現実であったこの世界的な結びつきのことを忘れかけているのかもしれない。しかしその影響は、良きにつけ悪しきにつけ、今なお旧植民地の生活の中に続いているのである」(49)。
このように過去の経緯に注意を喚起した上で、ヒックはさらに続ける。「もしわれわれが過去ではなく、将来に関心をもつのであるならば、この国の人々のなかには200万人に近い黒人・褐色人の男女子どもがいるという事実、この数は今世紀〔20世紀〕末までに、もっぱら子どもの自然出生により300万人を
越えるであろうという事実、さらにその多数がわれわれと同じ法律上の権利・義務をもつ英国市民であるという事実、さらにまた、その約半数がこの国で生まれ、この国以外に故郷を持たない人々であるという事実から始めなければならない。彼らは、100年以上も前にアイルランドから渡ってきた先祖を持つ者や、あるいは900年前のノルマン征服のときに渡ってきた先祖を持つ者と同様に、現代英国の実質的な構成部分をなしているのである。それゆえ、本国への「強制送還」という極端な人種政策はまったく非現実的である。その政策は、本当は本国への強制送還ではなくて、有色という理由にもとづく有色市民の強制排除である。…悲しむべきことにサッチャー夫人は、1978年1月のテレビ会見で、この種の偏見を新たに尊重されるべき社会的位置にまで祭り上げてしまった。夫人はその中で、英国が「異文化をもつ人々によってむしろ泥沼にはめられることになるかもしれない」という恐れをはっきり述べたのである」(50)。
このヒックの言明のなかにわれわれは、イギリスの社会とその構成員に対して向けられた彼の〈開き〉の呼びかけを読み取ることができる。
われわれが真にもとめるべき〈大きな物語〉とは、つとに18世紀末にカントが『永久平和のために』で展開した思想世界、またこのカントの理想に刺激されつつ第二次世界大戦後の核兵器による威嚇において展開されていた冷戦に対して自らの哲学をもって果敢に立ち向かったヤスパースの『原子爆弾と人間の将来』や『歴史の起源と目標』で示されているような思考であろう(51)。本稿では、これらの具体的な検討に入ることを断念せざるをえないが、根本に据えておかれるべきことは〈他者・異なるもの〉に対する単なる寛容のみならず根源的な信頼を保持することからもたらされる〈開かれ〉と、それに基づく平和な世界のあくなき追求であろう。 

⑴ The Clash of Civilizations? In: Foreign Affairs, July, 1993.
⑵ The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order (London/Sydney 1996)
⑶ Dominique Dhombres, Le Monde (13. Sept. 2001, p. 19). クレポンの記述による:Crépon, Marc, L’Imposture du Choc des Civilisations (Pleins Feux 2002) p. 10.(白石嘉治(編訳)『文明の衝突という欺瞞』〔新評論 2004)〕15頁以下)。
⑷ Braudel, Fernand; Grammaire des Civilisations (Paris 1987), pp. 33-39(松本雅弘訳『文明の文法T』(みすず書房刊)31-37頁)。
⑸ 福沢諭吉は『文明論之概略』において「日本文明」ということばを用いているが、それには、ハンチントンの意味での他の文明圏と区別される「日本文明」圏という意味はない。「文明とは、人間交際の次第に改まりて良き方に赴く有様を形容したる語にて、野蛮無法の独立に反し、一国の体裁を成すという義なり」(『文明論之概略』〔岩波文庫版〕57頁)。神山四郎も「日本は一番早く一番うまく西洋化をこなしたが、日本文明というほどのものはつくっていない」としている(『比較文明と歴史哲学』〔刀水書房〕201頁)。
⑹ Senghaas, Dieter, Zivilisierung wider Willen (Frankfurt am Main 1998) S. 170(宮田光雄他訳『諸文明の内なる衝突』〔岩波書店〕163頁)。彼はここでシリア、ヨルダン、エジプト、リビア、マグレブ諸国、イランのそれぞれの国家体制の異質性とその多様性を引き合いに出している。
⑺ Braudel, Ibid. p. 33(『文明の文法I』31頁)。
⑻ 福沢も「文明とは英語にてシウヰリゼイションという」(前掲書57頁)として、‘civilization’という語については意識しているが、それを他者に向かって働きかけるという性向を有する概念であるとは考えず、注5で示したように「自らを文明開化する」という方向で理解しているので、文明間の争いを考察の対象には入れていない。また大隈も、その著書『東西文明の調和』において、その書名から想定されるかもしれないような文明間の争いを主題としているのではなく、むしろいかにして互いの長所を生かし合い、短所を補い合うかという視点で論じている。しかし、この点についての論展開は不十分なままに、大隈の死によってこの論考は終わっている。
⑼ 元来、アイルランド島の住民は、古代ローマ帝国の末期にキリスト教化されて以来のキリスト教信仰を保持してきたので、カトリック・キリスト教の信徒である。
⑽ The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order, p. 251f.(『文明の衝突』382頁)。
⑾ この理由は、日本をこのAllied forces 側に参加させるために、「連合軍」という、日本人に違和感を抱かせる可能性の強い語を避けたのだろうと推測される。それでも、周知のように、日本国内では参加をめぐって大論争が巻き起こった。
⑿ Senghaas, Ibid., S. 168(『諸文明の内なる衝突』160頁)。
⒀ Bolz, Norbert: Am Ende der Gutenberg Galaxis (München 21995), S. 129sq.(式名・足立訳『グーテンベルク銀河系の終焉』〔法政大学出版局刊〕237頁)の記述から推算すると、一分間のカラーのヴィデオ映像が必要とする記憶容量は、長編小説333冊分のそれに匹敵する。
⒁ かつては「世界の膨大な広がり」とは、「核の恐怖」というような、想像力を働かせることにおいてのみ実感できるものであった──これは、もちろん今もなお存在しているが。
⒂ だからこそわれわれは、より心地よい場面を求めて、好んで旅行をするのだろう。ここに現代の先進国における旅行産業の隆盛の原因の一つを見出せるかもしれない。
⒃ この点について論者は、かつて以下の論文で少し異なる視点から考察したことがある (略)。
⒄ Fromm, Erich: Escape from Freedom (New York 1941)(日高六郎訳『自由からの逃走』〔東京創元新社刊〕。とくにそのChap. VI: Psychology of Nazis。
⒅ ハンチントン自身がこう書いている。「西欧文化は西欧社会内部の集団からも挑戦を受けている。一つは別の文明から訪れた移民たちから突きつけられるもので、彼らは同化を拒み、出身地の社会の価値観、生活習慣や文化にいつまでも固執し、それを広めようとする。この現象が最もいちじるしいのはヨーロッパに暮らすムスリームであるが、彼らはまだ数の上では少ない少数民族(マイノリティ)である。ムスリームほど目立たないが、アメリカに住むヒスパニック系の住民にも同じ態度が見られ、しかも彼らは規模の大きい少数民族である。こちらの場合、同化がうまくいかないと、アメリカは内部闘争とそれに必然的にともなう分裂のあらゆる可能性を抱え込んで分裂国家となってしまうだろう」(The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order, pp. 304(『文明の衝突』467頁。ただし訳文は引用者が原典に沿って直した)。
⒆ 今、ここでは最下層の共通性の証左として、あえて争いの場におけるそれを、ヘシオドス『仕事と日々』(Hesiodos: „Erga kai Hemerai“) から挙げてみる:第235行「(平和の日々が続けば)妻たちは父親に似た子をば産む」(Hesiod, Works and Days (London 2006) p. 106).
⒇ Arendt, Hannah, Men in Dark Times (San Diego/ New York/ London 1968), pp. 89(阿部斉訳『暗い時代の人々』〔河出書房新社〕112頁)。なお引用訳文は引用者が直したもの。
(21) 逸名作家「アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙」(池上俊一訳)『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』〔講談社学術文庫〕37頁。
(22) 逸名作家「司祭ヨハネスの手紙⑵」(池上俊一訳)『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』118頁。なお、この『東方の驚異』を叙述する中世末期の写本には、このような記述をもとにして当時の西洋で表象された「サニットゥリ、セノファリ、ティグロロペス」らが想像図として描かれている。その一端は以下のファクシミリで見ることができる (略)
(23) 和辻哲郎『人間の学としての倫理学』〔岩波全書〕30頁。
(24) 福沢、前掲書57頁。
(25) ヤスパース(Karl Jaspers)は、このCommunication のドイツ語形であるKommunikation(交わり)を用いて自身の哲学における重要な概念を表現して、以下のように述べている。「それゆえ哲学は、たえず交わりを求めること、逡巡することなく交わりを敢行すること、たえず異なった装いを凝らして自分を押しつけようとする強情な私の自己主張を放棄すること、このような放棄によって幾度と知れず繰り返して、私が私に授けられるという希望をもって生きること、を要求するのであります」(Jaspers: inführung in die Philosophie (Darmstadt 1959), S. 125(草薙正夫訳『哲学入門』〔新潮文庫〕159頁)。
(26) 国際的な外交交渉の場において「寝食を共にする」ことは、参加国すべてに好都合な結果ばかりをもたらすものではないことは言うまでもない。親密な人間関係の成立によって、自国に不利な内容をも拒絶しがたい雰囲気が醸成されることもあるからである。つまり「寝食を共にする」会議での主導権争いも重要な要素となる。しかし、いずれにしても相手を理解し、相手の主張の真意を理解し合うことは、必須の前提である。
(27) 欧米の大学における学寮生活という中世以来の伝統も、この面での効果を一つの目的としているはずだ。
(28) 残念ながら、日本発祥の文化が外国人の手によって新たな世界へと展開されたものとして日本に帰還する例は、未だ少ない。その理由は、われわれ日本人が、日本文化は日本人にしか分からないという「日本特殊論」に陥り易いからではないだろうか。以下は実際に論者が見聞した例である。日本文学は数十年来、諸外国でも読まれており、外国人で日本文学を研究する人は少なくない。しかし日本人の日本文学の専門家は、日本国内の大学に勤務しながら日本文学を研究している外国の研究者たちのことを、「われわれは彼らを日本文学の専門家とは認めていない。アマチュアだと思っている」と言うのである。日本文学の可能性を限定してしまう言動ではないだろうか。
(29) カントは言っている:「国家としてまとまっている民族は、個々の人間と同じように判断されてよい」(Kant, Immanuel: Zum ewigen Frieden (Stuttgart 1954) S. 30(宇都宮芳明訳『永遠平和のために』〔岩波文庫〕38頁)。
(30) 老子『道徳経』第80章(読み下しは福永光司訳『老子』下〔朝日新聞社刊〕198頁に従い、仮名遣いを変えた)。
(31) 和辻はこの書物を以下のように結んでいる。「ただこの一つの欠点〔為政者の精神的怯懦〕のゆえに、ベーコンやデカルト以後の二百五十年の間、あるいはイギリスのピューリタンが新大陸へ渡って小さい植民地を経営し始めてからあの広い大陸を西へ西へと開拓して行ってついに太平洋に到達するまでの間、日本人は近世の動きから遮断されていたのである。このことの影響は国民の性格や文化のすみずみにまで及んでいる。それはよい面もあり、悪い面もあって単純に片付けることはできないのであるが、しかし悪い面は開国後の八十年をもってしては容易に超克することはできなかったし、よい面といえども長期の孤立にもとづく著しい特殊性のゆえに、新しい時代における創造的な活力を失い去ったかのように見える。現在のわれわれはその決算表をつきつけられているのである」(和辻哲郎『鎖国』下〔岩波文庫版〕307頁)。
(32) この語は、フランス語のciviliser の過去分詞の意味内容と同義である
(33) Kant: Ibid. S. 37f.(『永遠平和のために』49頁)。この引用文中の〔 〕で示した部分には、小論1.⑴の末尾近くで論及したような、当時のヨーロッパ諸国のアジア・アフリカ地域に対する「文明国」とは思えない野蛮な振舞いについての、カントの批判的姿勢を読みとることができる。
(34) 論者は、この〈閉じる〉と〈開く〉について、若干異なる視点から一文を草したことがある。八巻和彦「西欧における〈開かれた世界と開かれた書物〉」(石川文康編著『多元的世界観の共存とその条件』〔国際高等研究所報告書、2010年2月〕123-146頁)。
(35) 「孤立主義」の時代のアメリカの外交政策にすでに矛盾を見出だすことも可能である。それは1853年のペリー来航である。アメリカ海軍提督ペリーは大統領親書をもって日本に来航し、開港を要求したのであった。
(36) 西崎文子「『明白な運命』の終焉─さまよえるアメリカ外交」(雑誌『世界』〔岩波書店〕1998年4月号、186頁)。
(37) 西崎文子、前掲論文196頁。
(38) 中西輝政の記述(ハンチントン『文明の衝突と21世紀の日本』〔集英社新書〕所収の「解題」194頁以下)。
(39) 西崎文子、前掲論文196頁。
(40) Huntington, The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order, p. 305f.(ハンチントン『文明の衝突』468頁以下)。
(41) Ibid., p. 43(ハンチントン上掲書、55頁以下)。
(42) Lyotard, Jean-François: La Condition Postmoderne (Paris 1979), p. 7; p. 63; p. 98(小林康夫訳『ポスト・モダンの条件』〔水声社刊〕8頁;98頁;149頁)なお蛇足的に付言しておくと、リオタールの〈大きな物語〉は冷戦終焉以前に提出された概念である。
(43) Ibid., p. 7(『ポスト・モダンの条件』8頁)。
(44) 例えばIbid., p. 98(『ポスト・モダンの条件』149頁)。
(45) 現にハンチントンは次のように説いている。「〔アメリカ的〕政治的信条と西欧文明を拒否することは、われわれが知っていたアメリカ合衆国の終焉を意味する。それはまた、効率のよいことに西欧文明の終焉をも意味する」(Huntington, The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order, p. 305f.(『文明の衝突』470頁)。
(46) 上で引用した老子の一節に「民をして死を重んじて遠くうつらざらしむ」とあったとおり、歴史的にみれば、民衆が他の地域・国家・文明圏に生活の本拠を移すことは自らの命を危険にさらすことであり、彼らがすすんで希望するようなことではなかった。この事情を冷静に認識する必要がある。
(47) この点には、すでに出来上がった人材としてスカウトするので、育成のための経費がかかっていない分、招聘のためには有利な条件を提示することが可能となっているという側面もある。
(48) こういう自己中心性、ご都合主義は、一人ハンチントンにのみ見出されるものではない。他の多くの欧米人の思考の中に存在するし、われわれ日本人の思考にも存在するものである。
(49) Hick, John: God Has Many Names (London/ Bashingstoke 1980) p. 14(間瀬啓允訳『神は多くの名前をもつ』(岩波書店刊)31頁)。
(50) Hick, Ibid. p. 17ff.(『神は多くの名前をもつ』37-39頁)。
(51) 自身が核開発に関わったことへの深い反省から、第二次大戦後に物理学者でありつつ哲学者としても独自の思考をもって〈平和〉を呼びかけ続けたドイツのCarl Friedrich von Weizsäcker(1912-2007)の思想も同じ視点から注目されてよいだろう。