日本のかじ取り 2017年

安倍長期政権
八方ふさがり アベノミクス

トランプ新大統領 経済強化の再構築
中国 貧富の拡大 国民の不満解消に躍起
ロシア 景気低迷
保守主義に傾くヨーロッパ
 


「アベノミクスは失敗だった」と声高に言いづらい空気
 
 
 
 
アベノミクス 成果なし
株で儲けたのは海外投資家
外交 成果なし
不運 トランプ新大統領の出現
 
社会の地殻構造の変化 読み違い 
労働人口の減少期 少子高齢化 
労働力質の低下 ゆとり教育育ちの餓鬼も20-30才の大人 
役人の文化 バラマキの亡霊
借金 祟りは国家破綻

期間は短くても ミニ世界恐慌は避けられません
良い機会 外交はお休みして
日本ファーストに取り組みましょう
 
 
 
 
 
トランプ新大統領 強いアメリカを取り戻す
アメリカだけが強くなればよい
 
 
 
 
 
中国 貧富の拡大 国民の目を外に向けさせたい 
地雷 国民の不満
南シナ海 台湾 アメリカと対峙
 
 
 
 
 
ロシア 
景気低迷脱出できるなら なんでもあり
 
 
 
 
 
ヨーロッパ
保守主義に傾く
 
 
難民拡散
行き先 不明

 
2017/1
 
●「アベノミクスは失敗だった」と声高に言いづらい空気の原因 2016/12
明らかに失敗しているのにアベノミクス批判が噴出しない不思議
「アベノミクスは失敗だった」と、はっきりと言えないのはなぜだろう?
異次元の金融緩和を行った上で財政出動(公共投資)を行い、民間投資の喚起を目指して成長戦略も推進する。そのことでデフレを脱却し、経済成長を促す。これが2013年にブームとなったアベノミクスの「三本の矢」だったのだが、足もとの状況を見る限り、とても成功したとは思えない。
目玉政策だった金融緩和については次第に「黒田バズーカ」が不発になり、経済成長の実感が持てない上に、2%のインフレ目標も達成できるどころか、デフレに逆戻りする雰囲気が出始めている。
どう考えてもアベノミクスは失敗なのだが、メディアでは色々議論がなされつつも、「失敗」と断言しているケースは稀だし、国民の世論もそこまでの空気にはなっていない。これは不思議なことではないか。
なぜかというと、アベノミクスはラッキーなのだ。今回はアベノミクスをめぐる「3つの好運」について述べてみよう。
1つめのラッキーは中国の経済回復だ。そもそもアベノミクスは、2013年に日経平均株価の大幅上昇によってブームとなった。しかし、その因果関係を考えると、三本の矢で日経平均が上昇したというよりも、中国景気のおこぼれがやってきたという方が正しい。
中国人が一斉にスマホを買うようになったので、日本の電子部品株やスマホケースを削る工作機械株が上昇したり、中国人観光客が銀座で爆買いするようになったので百貨店株が上昇したりした。都心の湾岸エリアの不動産価格が高騰したのも、中国人の富裕層がタワーマンションに投資をしたからだ。
ところが2015年夏にチャイナショックが起きて、中国の経済成長が減速しそうになったとたん、日本経済も失速した。この頃から「アベノミクスに限界が来た」と言われるようになったが、何のことはない、中国景気が失速しただけのことだ。実際、その後の1年は、黒田バズーカを何発撃っても日本経済は冴えなかったではないか。
ところが今年の夏あたりから、中国経済が持ち直し始めた。国際的なダンピングで余剰の鉄鋼を売りさばき、意味のある公共投資に力を入れた結果、どうやら目先の中国経済は最悪期を脱したようだ。
それで中国の景気が戻ってきた結果、以前のように様々なコモディティ(資源)の価格が上昇してきた。また中国の実需が世界相場を押し上げ始めたのだ。これが1つめのラッキーだ。現時点では、多くの日本企業が再び中国景気の恩恵を受けられるようになり始めた。
中国とトランプの追い風で責任がうやむやになった「ラッキー」
2番めのラッキーはトランプ氏だ。大統領選挙前までは1ドル=100円台の円高傾向にあったが、直近の為替は1ドル=117円とアベノミクス全盛時の円安に逆戻りした。
このメカニズムの説明には色々あるのだが、定説で言えばトランプ氏が大統領就任後にアメリカ国内に対して大きな財政出動をすることを表明していることが、為替変動の引き金となった。「アメリカ政府がたくさんお金を使うぞ」というのでアメリカにグローバルな資金が集まり、ドルが買われて円安になった。
そして1ドル=90円台の円高に突入することを覚悟していたトヨタ自動車や日産自動車、ファナックや日本電産といった製造業は、逆に為替レートが振れたことで息を吹き返した。
つまり、三本の矢とまったく関係ないところで、中国とトランプ氏という2つの要因により、景気回復への期待が高まり、株価が上がるというラッキーが起きたわけだ。
言い換えると、アベノミクスは失敗しても、足もとのエコノミクスはいい感じになってきたということだ。しかしなぜ、このような状況で誰も声高に「アベノミクスは失敗した」と言えなくなったのか。そこに3番めのラッキーが関係してくる。それは、朝日新聞が安倍政権の経済政策に対して名付けた「アベノミクス」という呼称が、世間に定着してしまったことが理由だろう。
これがもし「異次元緩和政策」のような呼称だったとすれば、「結局経済を持ち直させたのは、異次元緩和ではなく中国とトランプだったよね」というように批判しやすいのだが、「アベ」という呼称がついてしまったがゆえに、政策を批判することと権力者を批判することが、同じになってしまったのだ。
経済政策の呼称に首相の名前が入ってしまったという不幸
本質的には、安倍総理が打ち出した異次元緩和政策には限界が見えてきた。外的要因で我が国の経済は持ち直してきたからこそ、ここで新たな政策を打ち出そうというような議論が、本来ならなされるべき局面にある。
しかし、固有名詞がアベノミクスになってしまったがゆえに、安倍政権が続く限りは、アベノミクスを見直そうとは誰も言えなくなってしまったのだ。そして、もしこのまま2017年の経済が2016年よりも良くなったとしたら、アベノミクスの失敗の検証や政策の見直しなど、政治家は誰も口に出せなくなってしまう。自民党の総裁選挙が近づくので、アベノミクス批判は「イコール安倍批判」と取られかねなくなってしまうという理由も大きい。
実は、黒田日銀総裁のマイナス金利政策がうまくいかないのは、経済学的に説明ができるそうだ。経済学では、貯蓄と投資はマクロでは一致するという考え方がある。その観点では「カネ余りでもマネーが投資に向かない」などという現象は本来起きにくい。ただ、貯蓄と投資が均衡するためには利子率が自然利子率(景気を緩和するでもなく引き締めるでもない中立的な利子率)と同じになる必要がある。
そして数年前からヨーロッパで問題になってきたのが、どうやらその自然利子率がマイナスになったらしいということだった。
簡単に言うと、以前は金利を下げれば投資が活発になったところが、現在では企業の借入金利が(公定歩合がではなく)マイナスにならないと投資が活発にならないということだ。そのためには、預金の金利もさらにマイナスである必要がある。不思議な話だが、「貯金をすると金利がとられる、借金をすると利子がもらえる」という状態になることが、世の中で投資が活発になる条件になってしまったのだが、現在のレベルのマイナス金利ではそうはならない。つまり日銀のマイナス金利は自然利子よりもまだ高すぎて、効果が出ないということらしい。
しかし、銀行にお金を預けたら金利が取られるという政策が今の日本で実現できるとは思えない。だから黒田バズーカは不発になるし、アベノミクスはうまくいかない。この手詰まりについてきちんとした議論をすべき時期に来ているのだが、国民にとってアンラッキーなことに、「アベノミクスは失敗した」と声高に言えない状況が続いているのだ。 
 
 
●世界恐慌
 原因と対策 / フーヴァーモラトリアムとローズヴェルトのニューディール政策 
アメリカ合衆国の「永遠の繁栄」
第一次世界大戦中、ヨーロッパ各地で行われた戦争を援助していたアメリカ合衆国は、戦後イギリスに代わり、債務国から世界最大の債権国に変貌しました。戦時中より、アメリカ経済は著しい経済を遂げ、1920年代の工業生産力は、世界のどの地域をも圧倒し、「永遠の繁栄」という状況が続いていました。
暗黒の木曜日
著しい成長を遂げていたアメリカ経済ですが、1929年10月24日、ニューヨーク株式市場の株価が大暴落します。大恐慌の引き金となる「暗黒の木曜日」です。
この大暴落の原因は以下のようなものでした。
○購買力の低下 / 大戦直後から始まった農産物の価格が下落したため、農業に携わる人々の購買力が低下した。
○過剰な設備投資 / アメリカ国内の企業生産に関わる設備投資が次々と行われ、それに基づく生産過剰が起こっていた。
○貿易の縮小 / 戦後の復興を目指していたヨーロッパ諸国が次第に高関税政策をとるようになったことで、世界的に貿易が縮小した。
このような状況が重なって起こった恐慌は、アメリカ全土に広がり、その影響は全産業に及びます。その結果、さまざまな金融機関や企業が倒産し、その数は4500社にもなりました。また、これにより1933年までにアメリカ国内の失業者の数は1500万人にも達し、社会不安が広がりました。
世界恐慌へ
当時世界最大の債権国だったアメリカ合衆国の大不況は、瞬く間に全世界へと広がります。
第一次世界大戦の敗戦国、ドイツとオーストリアでは、アメリカ資本による復興を目指していたため、大不況によって資本が引き上げられると、資金不足により企業や銀行が次々に倒産しました。
1931年にイギリスが金本位制を停止すると、深刻なヨーロッパの状況を認識したアメリカは、フーヴァー=モラトリアムを行いました。これは、支援していたドイツ経済を立て直すため、一年間戦債や賠償の支払いを猶予するものでしたが、時すでに遅く、効果はありませんでした。
このモラトリアムを行った第31代アメリカ大統領フーヴァーは、自身の任期中に起こった大恐慌に対し、自由放任主義を貫いたため、結果的にアメリカの不況は放置されることになりました。
ニューディール政策
1932年にアメリカ大統領選挙が行われ、共和党のフーヴァーに代わり、民主党のフランクリン・ローズヴェルトが大統領になります。
彼は、恐慌を克服する手段として、ニューディール政策を実行しました。
ニューディール政策とは新規まき直しの意味で、伝統的な自由経済に代わり、政府が様々な方法で経済に介入・統制し、行き過ぎた資本主義を正そうというものでした。これは修正資本主義政策とも言われ、イギリスの著名な経済学者ケインズによって唱えられた学説に基づいて行われました。ニューディール政策では以下のようなことが行われました。
○農業調整法 / 農業調整法とは、恐慌の原因にもなった農業生産の調整を図るために、農地の作付面積を制限したり、過剰農作物を政府が買い取るというものでした。これにより、農業従事者の所得の安定化が図られ、購買量が回復しました。
○全国産業復興法 / この法律は、企業の生産を政府が規制することで、生産の調整を図るものでした。これにより、過当競争に陥っていた各企業の利潤を確保させ、一方で労働者の団体交渉権などを認め、賃金の適正化を果たし、国民の購買力を回復させました。
○テネシー川流域開発公社 / 上記2つの法案とは別に、政府が創設したテネシー川流域の開発機関です。公社の名前の通り、政府が管理するもので、ダムや水路の総合開発を試みました。この事業により多くの失業者が雇用を確保し、一方で発電施設の建設によって一部の企業が独占していた電力の価格を低下させ、物価を引き下げることを目的としました。
このようなニューディール政策は不況時のアメリカ経済を立て直す大きなきっかけになりました。しかし、全国産業復興法は1935年に違憲判決を受けたため、労働者の権利の拡大を認めたワグナー法が新たに制定され、その後熟練労働者を中心とした労働組合だった労働総同盟(AFL)から新たに産業別組織会議(CIO)が発足し、未熟練労働者を中心に組織化が起こり、この層はニューディール政策を支持する勢力になりました。
このような政府の積極的な経済介入によって、アメリカ合衆国は次第に経済を立てなおしていきました。