敵の敵は味方

中国とロシア 仲良し会談 共同軍事演習 
 
東アジアの安定 アメリカは中国の敵 
ウクライナの安定 アメリカはロシアの敵 
大変判りやすい格言 今も生きています
 


敵の敵は味方
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 

 


 
2014/5  
 
 
敵の敵は味方 1 

 

これが古今東西の外交鉄則だ  
古今東西、外交の鉄則は「敵の敵は味方なり」ということに決まっている。石器、縄文時代からの鉄則で、余り当たり前過ぎて誰も口には出さない。もちろん、近代の外交プロたちは、そんな無粋なことは顔にも出さない。だが、国益が真っ向からぶつかり合う国際外交の舞台では、それが当たり前の世界なのだ。顔に微笑みを浮かべ、テーブルの下では激しく蹴り合う。  
「敵の敵は誰か」を見定め、わが陣営に味方として引き寄せる。だが、戦後日本の外交は、アメリカ一辺倒だったせいか、霞ヶ関外交のプロたちも、この認識が甘い。特に中国に対しては、戦後の贖罪外交と日中友好の美言に惑わされて、この鉄則を忘れてきた。その日本外交を覚醒させたのは昨年の尖閣列島事件であった。  
台頭する軍事大国の横暴・傲慢の中国の実態を知って、日本国民は厳しい国際外交の現実を思い知った。日米同盟も、もはや余り期待できない。衰退国家として生きてゆくためには、小国が生み出した外交の知恵を生かすべきである。「敵の敵は味方」の鉄則を。  
ならば日本の「主敵」はどこか。中国である。今後の外交戦略は、中国を主敵と思い定めて「敵の敵」と友好・連携強化を図るべきである。もちろん内閣も、外交当局も表だって公言する必要はない。秘するが花。心に秘して実行するだけだ。さし当たり「敵の敵」として想定される国の現地・外交スタッフの増員強化、連携・交流さらには援助の増額なども検討されなければならない。
中国が目指す朝貢帝国に対抗  
中国にとっての敵はどこか。米国に決まっている。覇権国家・中国が目指す国家像は、漢帝国以来連綿と続く朝貢・冊封帝国の建設である。現中国も既に東南アジア諸国を朝貢国家群として狙い定め、経済交流・援助を通じて中華朝貢帝国の圏内に封じ込めようとしている。日本は、これに対抗することを外交の重要戦略に据えるべきであろう。  
東南アジアには、中国の援助が欲しいあまり朝貢国家に甘んずる国が増えている。この中で僅かに南シナ海の権益でぶつかり、中国の朝貢国家にならない国はベトナム、iインドネシアである。ビルマ、タイ、ラオス、カンボジア、スリランカ、パキスタンは明らかに朝貢国家として生き延びる方途を探っている。その中間線にいるのはフィリッピン、マレーシア、シンガポールであろう。  
インドは後に触れるが、中国の主敵としての存在感がある。  
昨年11月、オバマ米大統領が東南アジアを歴訪した国としてベトナム、インドネシア、インドを訪問したのは「敵の敵は味方」の外交戦略をこれ見よがしに公然と展開したと言えよう。オバマ外交は、日本の対中国戦略と軌を一にしているので、日米連係プレーは可能である。つまり、日本も同じひそみに倣い、東南アジア外交の最重要国としてベトナム、インドネシア、インドとの連携強化を図るべきである。次は中間線上のフィリッピン、マレーシア、シンガポールを引き寄せるための友好強化が必要である。国別重要性のランク付け(ただし非公開)は必要であろう。
中国の主敵・ロシアを重視せよ  
中国にとって永遠の主敵はロシアである。同じことはロシアにも言える。地図を広げれば歴然とする。この長い国境線は、歴史的、地政学的に見ても、紛争の地雷原である。特にバイカル湖以東のシベリア地帯は、人口圧力による中国人の不法越境、定住化で、いつ爆発してもおかしくない環境にある。現在の中露関係は一見、友好を強調しているように見えるが、それは外見上のことである。両国には絶えず隙間風が吹いている。これを巧妙に捉えて、両国の軋轢・対立の拡大を助長すべきである。  
確かにロシアと日本との間には、千島4島返還を巡る北方領土問題がある。これはノドに刺さったトゲである。だが、トゲには違いないが、このトゲは日本の外交戦略にとって致命的なものはない。また、致命的にさせてはならない。  
しかも、ロシア人は本質的に中国嫌いである。むしろ親日的でさえある。これを利用しない手はない。確かに、メドベージェフ大統領の北方領土訪問などは日本人の神経を逆撫でした。だが、それは彼の本意ではない。今、プーチン・メドベージェフ2頭政治が推進しているのはロシアの近代化、特に先進技術の導入である。欧米諸国からの導入もさることながら、今ノドから手がでるほど欲しいのは日本の先進技術である。日本の対露外交が経済・技術交流を通じて双方の友好ムードを盛り上げれば主敵・中国への牽制に十分なりうる。  
その点、現在のモスクワ大使館の能力強化は焦眉の急の重要課題である。ロシア通・佐藤優元外務省主任分析官に言わせると、モスクワ大使館の情報収集能力は劣化する一方であるという。「メドベージェフ大統領は北方領土へ行かない」と誤った情報を本省に寄せ、菅内閣に 赤っ恥を掻かせた駐ロシア大使・河野雅治を更迭したのは当然としても、モスクワ大使館全員を総入れ替えするくらいの強化増員が必要である。そして全員に「敵の敵は味方」を肝に銘じさせるべきである。
インドは日本の永遠の味方だ  
ロシアと同様に地政学的に中国の主敵はインドである。しかも、日本とインドにはロシアのようなノドに刺さったトゲはない。  
戦後、ネール首相に率いられた独立インドは、日本といち早く講和条約を結び、賠償も求めなかった。また、親善の印として象を送ってくれるなど戦後荒廃した日本人をどれほど元気づけたか分からない。  
そのインドは、中国との長い国境線を抱え、何度か戦火を交えている。国境線には今なお両国の軍隊がにらみ合っており、一触即発の状態である。オバマ訪印に対抗して中国は温家宝首相を訪印させ、経済交流をエサに友好を強調したようだが、真の和解には至っていない。中国が覇権国家である限り、真の和解には永久に至らないであろう。  
この中印関係は、日本にとって「敵の敵は味方」の外交戦略には打ってつけの国である。  
現在の日印関係は経済面が中心だが、これをさらに戦略的友好国と位置づけて科学・軍事面での協力関係にまで拡大発展させるべきである。東、南シナ海、インド洋での海上自衛隊とインド海軍との合同軍事演習も実施すべきである。  
特にインド洋では、中国海軍は朝貢国家群のタイ、スリランカ、バングラ、ビルマの洋上群島に援助をエサに艦隊寄港地を設営し、「インド洋の真珠の首飾り」と称してインドを牽制している。これに対抗するため日米が主導してインド、ベトナム、インドネシア、さらにはマレーシア、シンガポールの合同艦隊による洋上演習を適時実施することを提案したい。また日本の優れた電子兵器の技術供与や輸出も視野に入れる必要がある。そのため武器三原則はいち早く撤廃すべきである。非核三原則、集団的自衛権、引いては戦後憲法も同様の扱いとすべきである。  
これらは大義(対中国戦略)の前の些事でしかない。
北朝鮮も味方になりうる  
中国の敵に北朝鮮を取り上げたら、読者は意外に思うかも知れない。だが、地図を広げて頂きたい。日本海に突き出た朝鮮半島は、日本に取って短刀の刃のようだが、ある意味で日本の大陸計略の橋頭堡でもある。古代歴史をひもとけば、朝鮮半島は絶えず中華帝国の朝貢国家群に強制的に編入され、圧政に苦しんできた。そのたびに日本に援助を求めてきた。その歴史は日清戦争、日露戦争まで続いたのである。戦後の朝鮮戦争も、ある意味で日清、日露戦争の再現と言ってもよい。ただ、日本軍の代わりを勤めたのが米軍主力の国連軍だったことだ。  
したがって、歴史的、地政学的位置づけをすれば、北朝鮮(韓国も含む)が中国と仲が良いわけがない。現在、窮乏する北朝鮮の金正日総書記は、中国との友好を強調しているが、それは援助をせしめるための一時的便法と見るべきである。  
金正日の真の狙いは「金王朝」の永続化のためにアメリカの軍事的保障、それにに日本の経済援助(戦後補償を含む)である。そのことが北朝鮮が中国の属国化を防ぐ唯一の道であると彼らは考えているはずだ。  
金正日総書記が小泉首相を平壌に招き寄せたのも、彼の本気度であったろう。その気持ちは、今も変わらないと見るべきである。  
拉致家族の帰還問題をめぐり折角の小泉首相の平壌外交は挫折したが、機会を見て菅内閣はこれを再現させなければなならない。  
恐らく北朝鮮は、間もなくオバマ政権との接近を図るだろう。それがチャンスである。そのため日本の北朝鮮外交は大きく舵を切る必要がある。まさに「大義、親を滅す」の覚悟が要る。つまり拉致問題はある意味で、辛いけれど大義(対中国戦略)のため暫く我慢してもらう。政治家には、その覚悟と胆力と説得力が求められている。 
 
敵の敵は味方か 2

 

味方を(+)、敵を(−)と考えると、  
味方の味方は(+)X(+)→(+)だから味方  
味方の敵は(+)X(−)→(−)だから敵  
敵の味方は(−)X(+)→(−)だから敵  
敵の敵は(−)X(−)→(+)だから味方  
となって、とても簡単な論理式で表すことが出来るな。でも世の中、1+1=2になることばかりある訳じゃない。理屈通りにゃ行かないことが多い。  
日本、韓国、北朝鮮がこのいい例だ。  
日本が負けた後、以前のように強い国にならないようにと、アメリカは南朝鮮の韓国に反日の李承晩政権を作った。  
李承晩政権は日本海に勝手な線を引いて、ここから北は韓国が資源を保護してる領域だから、勝手に入って来てはいけないと宣言した。  
こんな事は国際法上意味がないのだが、本気になって巡視艇で日本の漁船を捕まえて韓国の港に連行し、船も船員も帰さない。何年間もだ。  
そうして、日本が植民地にしていた弁償だと大金を吹っかける。  
とにかく日本は戦争に負けてるんだから、どうしようもない。アメリカだって自分の損得に関すりゃ、おおいばりで出しゃばってくるが、そうでなけりゃ、すっぽりっぱなしだ。  
所が、北朝鮮は韓国と戦争して一時休戦状態。38度線をはさんで睨み合っている。  
つまり敵の敵は味方と言う考えで、日本の敵の韓国の敵の北朝鮮は味方だという考えに囚われてしまった者が大勢居たんだなあ。そんな単純な考えで北朝鮮びいきになってしまったんだ。  
前に言った大江健三郎を始め、大勢の進歩的文化人と言われる連中が、これに引っ掛かって仕舞ったんだ。  
寺尾五郎という作家もその一人で、盛んに北朝鮮礼賛をやった。  
むこうじゃ、いい塩梅にお先棒担いでくれてる奴だから、いいとこを見せてやろうと、北朝鮮に呼んで、いかにも「素晴らしく見える、ショーウインドーのような施設」を見学させた。  
その時に列車の中で騒ぎがあったらしい。彼の本を読んで北朝鮮は地上の楽園だと信じ、日本から帰国した朝鮮人青年達に襲われたんだ。  
「オメーの本読んで信用して来たら、このザマで、ここは楽園どころか地獄だ。帰りたくたって帰しちゃクレねえ。どーしてくれる」  
幸い、警官が来て助けられたんで良かったけど、危なく、殴り殺されるとこだったらしい。  
え? その朝鮮人の青年達はどうなったかって? 捕まって強制収容所行きだったそうだ。恐らくもう生きちゃ居ないだろう。  
例の日本の最高の美女といわれた「吉永小百合」が初主演した映画「キューポラのある町」なんかもそうで、吉永小百合演じる主人公「ジュン」の親友の朝鮮人少女が、家族と一緒に地上の理想郷「北朝鮮」に大勢の仲間と帰っていくシーンなんかもあった。  
それから、何回も手紙が来るが、向こうじゃ、学校は勿論のこと、病院は一切無料、本当の所は機械もないし薬もないらしい。一般庶民向けのはな。  
日本にいたときは仕事が嫌いで、嫌々やってたお父さんが、北に帰ってからは見違えたように真面目になった。朝早くから夜遅くまで「金日成首領様」の為に働けるのが、嬉しくてならないんだそうだ。  
こないだ、この映画についての批評をインターネットで読んでいたら、傑作な話があった。  
あの映画は「在日朝鮮人を騙して地獄の北朝鮮に拉致するホラー映画」だなんて書いてあったよ。  
吉永小百合の初主演映画がホラー映画だったなんて、今の今迄知らなかった。 
 
敵の敵は味方 3

 

「帰無仮説」と「カイ二乗検定」  
統計を学びたいけれども、数式アレルギーが……。そんなビジネスパーソンは少なくありません。でも、大丈夫。日常よくあるシーンに統計分析の手法をあてはめてみることで、まずは統計的なモノの見方に触れるところから始めてください。モノの見方のバリエーションを増やすことは、モノゴトの本質を捉え、ビジネスのための発想や「ひらめき」をつかむ近道です。  
統計という手法は、全体を構成する個が数えきれないほど多いとき、「全体から一部分を取り出して、できるだけ正確に全体を推定したい」という思いから磨かれてきた技術といってよいでしょう。  
たとえば「標本抽出(サンプリング)」は、全体(母集団)を推定するための一部分(標本)を取り出すための手法です。ところが、取り出された部分から推定された全体は、本当の全体とまったく同じではないので、その差を「誤差」という数値で表現します。では、どの程度の「ズレ」であれば、一部分(標本)が全体(母集団)を代表しているといえるでしょうか。  
ここでは、「カイ二乗検定」という統計技法を通して、「ズレの大きさ」の問題について考えてみます。  
その前に、ちょっとおもしろい考え方を紹介します。その名は「帰無(きむ)仮説」。  
C女子大に通うAさんとBさんはとても仲がよいので有名です。彼女たちの友人は「あの2人は性格がよく似ているから」と口をそろえて言います。本当にそうでしょうか?これを統計的に検討してみましょう。手順はこうです。  
まず、「2人の仲がよいのは性格とは無関係」という仮説を立てます。そのうえでこれを否定することで、「性格がよく似ているから仲がいい」という元の主張を肯定します。  
元の主張が正しいと考える立場に立てば、この仮説はなきものにしたい逆説です。そこで無に帰したい仮説ということで、これを「帰無仮説」と呼びます。  
「え? 何を回りくどいこと言ってるんだ!」と叱られそうですが、もう少しがまんしてください。  
わかりにくいので、もう一度はじめから考えてみます。検定したい対象は、「2人の仲がよいのは性格が似ているから」という友人たちの考えです。  
前述したとおり、まず「仲のよさと性格の類似性は関係がない」という仮説(帰無仮説)を設定します。  
次に、女子大生100人に、「仲がよい人と自分の性格には類似性があると思いますか」「仲が悪い相手と自分の性格は似ていないことが多いですか」という設問を設定し、それぞれについてイエス・ノーで回答してもらいました。  
結果は図表1のとおりです。結果を見るとどうやら関係がありそうですね。 
カイ二乗検定で理論値と調査結果の差を比較  
では、検定してみます。まず、「関係がない」という仮説を立てます。もしも、仲のよさと性格の類似性はまったく関係がないということが正しければ、イエスとノーの回答はどちらにも偏らずほぼ同じ値になっていてもおかしくありません。  
理論的に期待される数値(理論度数)と調査結果との差を、「カイ二乗」の式と「確率分布表」を使って検定してみます。方法は簡単です。  
まず、「仲のよさと性格の類似性は関係がない」という前提(無帰仮説)を設定したとき、めったに起こらない事象、つまり、この前提が覆るような珍しいケースが発生する確率を計算で求めます。  
この「めったに起こらない・起こる」の境界値を「有意水準」と呼び、これを超えた場合は、前提とした仮説は間違っていたと解釈します。統計では「棄却」と呼びます。  
計算結果は40.83(図表2)。 
「敵の敵は味方」と考える  
では、40.83をどう評価すべきか。これはカイ二乗の確率分布表を見て判断します。この場合であれば、有意水準5%、自由度1の境界値は、カイ二乗の確率分布表から3.84と読み取れます(図表3)。  
境界値を大きく超えてしまいました。つまり、設定した前提にとっては、めったに起こらないことが起きる確率が非常に高いということです。要するに、「関係がない」という前提は否定されて、その対立仮説、すなわち、「関係がある」という説を採用すべき、ということになります。  
では、なぜ最初から「関係がある」ことを前提としないのでしょうか?  
もしも、「関係がある」と考えた場合、関係の強さの幅は無限であり、人それぞれの差は無限にあるズレの一つにすぎません。  
ところが、こうした個別に違うズレの発生を確率計算することは不可能です。そのため、その逆、つまり「関係がない」ことをあらかじめ正しい仮説として、これが否定される確率を求め、この値がある一定値より大きければ、「関係がある」と結論づけるわけです。  
あえて、「そんなはずはない」という仮説、つまり無に帰したいと思う仮説を不本意ながら設定し、これを却下することで、本当に証明したかったこと、すなわち、「仲のよさと性格の類似性は関係がある」ということを立証します。  
かなり屈折した考え方ともいえますが、「敵の敵は味方」という発想に似ていると感じた方も多いのではないかと思います。  
まずは自分の主張を全否定する最大のライバルを論破しておくという戦術ですね。統計もなかなかやるものです。 
 
敵の敵は味方 4

 

今MicrosoftとAppleは憎みあってしかるべきだ。本当に〈憎み〉あって。数十年続いた支配の後、Microsoftはライバルが死の瀬戸際から世界で最も価値ある会社へと変わるところを見てきた ― その時価総額はMicrosoft自身より2億ドル以上多い。そして、あの時Appleを助けたのはMicrosoftだった。思い出してほしい、1997年の資金注入を。  
Steve Ballmerが笑い飛ばしたiPhoneは、ついにはWindows Mobileを死に追いやる後押しとなり、今やMicrosoftの全事業を〈合わせた〉よりも大きい。そしてMicrosoftが軽くあしらったiPadは、Microsoft自身が長年にわたって確立しようとしたタブレットというカテゴリーを確立した。  
今、AppleのiOSエコシステムがMicrosoftの根幹を揺るがしている。iPhoneとiPadの躍進と、そのMacに及ぼすハロー効果によって、WindowsとOfficeは、かつてコンピューター界に与えていた重要性を失いつつある。輝きは色あせる一方だ。人々はもうそれを必要としていないことに気付き始めている。Appleの躍進は、長年われわれが知っているMicrosoftを徐々に消しつつある。  
にもかかわらず、Microsoftが公然とAppleを非難することは殆どなくなった。実際、議論でAppleに味方したり、弁護にまわることも多い。かつて恨み重なるライバルだったにも関わらず。しかも、今こそ最悪の流血の戦いの場となるはずなのに。代わりに両者は手を組んだ、  
なぜか。それはMicrosoftにApple以上に憎むべき敵がいるからだ。そしてAppleの敵も同じだ。Google。  
今に始まったことではないが、彼らの間には敵意が芽生え続けている。例えば、今日のニュースを見てほしい。先週の、GoogleがAppleのモバイルSafariブラウザーのプライバシー設定を迂回したというニュースを受け、今日(米国時間2/21)Microsoftは、同社のIEブラウザーに対してもGoogleが同じことをしていると発言した。一方Googleは、Microsoftの指摘はでたらめであると言い、Appleはおそらく傍らで微笑しているだろう。  
AppleとGoogleが手を取りあってMicrosoftに対抗していたのは、古い話ではない。当時のGoogle CEO、Eric SchmidtはAppleの取締役でもあり、両社は共同プロジェクトで密に作業をしていた。最初のiPhoneもその一つだ。やがてAndroidの登場によって関係は破壊された。おそらくGoogleは当時そう考えていなかっただろうが、これがMicrosoftとAppleがNortelの特許などで手を組むきっかけとなった。  
おそらくMicrosoftはiOSの躍進に全力で戦うべきだったのだろうが、それ以上に、BingをGoogleのライバルに育てるために法外な資金を投入することに関心があった。そして彼らは、主要なOEMパートナーとライセンス契約を結び、Androidを弱体化することを本気で喜んでいたようだ。  
一方Appleは、Microsoftをライバルとしてどう思うか尋ねられ、露骨にうんざりしていたようだ。  
これはすべて、Googleが何か正しいことをやっていることを意味するだけなのかもしれない。世界中の大手テクノロジー企業が彼らに銃口を向けている。前を行く者を蹴落とさなければ頂上に立つことはできない。しかし、なぜGoogleに対して主要なライバル全員が手を組むことになったか、その経緯については彼らも立ち止まって考えてみるべきだろう。MicrosoftとAppleは最大の事例だ。しかし、FacebookとTwitterも、検索の巨人がソーシャル界に参入したおかげで共通の土台を見つけつつある。  
これらすべてが、テクノロジー界に魅惑的状況を作ろうとしている。一方の側にGoogleがいる。もう一方の側には事実上他の全員がいて、新メンバーが日毎に増えている。そしてこの側には、あらゆる状況下で互いに憎しみ合うであろうライバルがひしめきあっている。しかし、ここでは同盟を組んでいる。敵の敵は味方だ。 
 
敵を味方にするテクニック 1

 

1 ルールを守れない相手を持ち上げて、行動を修正する  
とてもかんたんで、とてもすばらしいテクニックを教えよう。それは、相手を持ち上げること。批判したり叱ったりせず、盛大にほめ、称賛する。5分ほどおおいにほめちぎって気分を高揚させてから、直してほしい行動について、「それは、ありえないよね」とさりげなく告げる。人間性を批判するのではなく、あくまで行動だけを指摘しよう。  
2 意見を聞かない人に「バールの効果」を使う  
たとえばシェイラに1から100の中で好きな数字をひとつ、紙に書いてもらう。  
「今の数字を、わたしが当てたら、わたしの頼みも聞いて」  
こう提案すれば、シェイラはきっとOKする。数字を当てるなんて無理に決まってる、と思うからだ。  
ここでのポイントは、数字を当てることではなく、「数字を当てたら、やる」という賭けにOKさせること。OKの言葉を引き出すことで、ほんの少し、シェイラの頑固な気持ちをこじ開ける。(中略)  
シェイラも無意識ながら、あなたの意見が正しいかもしれない、という可能性を受け入れたことになる。すると、シェイラの心のなかで不協和音が生じる。その不協和音を消すために、知らず知らず考えを修正し、もっとオープンな気持ちに変わるのだ。  
3 先に相手の意見を受け入れる  
上司のリチャードは、あなたの意見に耳を貸さない。そこであなたは、こんなふうに言ってみよう。  
「この前のお話を考えてみたのですが、やはり、そちらのほうが正しいと思うようになりました。おっしゃっていたことに賛成です」  
わたしのアドバイスを受け入れたということは、ちゃんと判断力があるようだ――上司はそう考えて、あなたに対する評価を上げる。そうすると、あなたの言うことにも心を開く気になる。1日くらい経ってから、あなたの案をもう一度話してみよう。ただし、新しい情報を少し付け加えておくこと。そうすれば上司は、ただ考えを変えるのではなく、新しい情報にもとづいて新しい判断をしたことになる。  
「マーケテイング戦略について、新しいデータが見つかったので、お見せしたいんです。これを見る限リ、この戦略を使ったほうがいいようです」  
4 連想を修正する  
ちゃんと喋れるときもあるのに、「自分は言葉に詰まる人間だ」と思っていて、電話に対して苦手意識がある人がいるとする。電話が鳴ると、すぐに「わたしは言葉に詰まる」というイメージが戻ってきて、凍りついてしまう。  
そんな人には、「電話→言葉に詰まる」の連想をリセットして、新しい連想を作ってあげよう。「電話が鳴る→笑顔を作る」という練習をさせる。笑顔になるだけでいいから、50回でも、もっとでも、この練習につきあおう。次は、電話が鳴ったら笑顔で立ち上がり、明るく自信に満ちた顔で数歩ほど歩くという決まりにする。これを繰り返していけば、そのうち自信を持って電話に出て、笑顔で明るく「もしもし」と言えるようになる。  
5 「現実」を痛感しているタイミングを使う  
車を運転していて、ひどい自動車事故のそばを通り過ぎた。すると、それを境に、うしろの席の人たちの態度が急によくなった……という経験はないだろうか。なぜか、車のなかにおだやかで親切な空気が流れるのだ。  
あるいは、あなたが友達のお見舞いで病院に行ったとしよう。病院のロビーを出た瞬間、世界がちがって見えたことはないだろうか。ほっとした気持ちと、悲しみと、楽観的な気持ちがいっぺんにわきあがってくる。自分が健康に生きていることがありがたくなる。  
こういうシチュエーションで、人は「現実」を痛感する。そういう体験をした直後は、援助を頼むべストなタイミングだ。はかない現実ではなく、もっと残るものに触れたい気持ちになっているので、頼みに応じやすい。  
6 仕事をサボる人を指導役にする  
するべき仕事をサボった人は、いそいで――ときには無意識のうちに――自分を正当化する。でも、自分がサボっていたことを人にやらせる立場になると、ちゃんとやろうという動機ができる。「○○をサボっていた自分」と、「他人に『○○をサボるな』と言う自分」が一致しないので、その不協和音を直さなくてはならないからだ。  
「サボる自分」に合わせて、指導に失敗するか。  
それとも、「『サボるな』と言う自分」に合わせて、自分の態度を改めるか。  
指導者役をうまくやろうというモチべーションが高ければ、きっと態度も変わっていく。  
7 「リバース・サイコロジー(逆説的心理)」を使う  
他人を困らせる人がいたら、あえて、そのいやがらせの内容についてアドバイスを求めてみる。  
このテクニックを使う理由は、ふたつ。第一に、アドバイスをしてあげるというのは、あなたに「投資する」ことになる。人は投資をするとき、それが報われることを期待する。ここでいう「報われる」とは、「アドバイスが役に立つ」ということだ。それなのに、アドバイスをした本人がいやがらせをしていたら、あなたにとってストレスや混乱になって、アドバイスが守れないかもしれない。そうなったら、せっかくのアドバイスの価値はゼロになってしまう。  
第二に、人は自分が正しい立場でいたいものなので、自分が授けた知恵を正解にしたい。だから、アドバイスを守りやすくなるようカを尽くす。 
 
敵を味方にするテクニック 2

 

”譲歩”したと見せかけて、”承諾”させる  
初めに誰もが拒否するような負担の大きな要請をし、一度断らせる。その後に、それよりも負担の小さい要請をすると、それが受け入れられやすくなるというもの。後で出した要請が本当の目的で、最初の要請はこの効果を狙ったダミー。なぜ、このようなことが起こるかと言うと、提示した要請を説得者側が一旦譲歩することにより、被説得者側も譲歩せざるを得ない気分にさせるという「譲歩の返報性」が働くため。相手が一歩譲ってくれたんだから、こっちも一歩譲らないと悪いかなぁ・・・と思ってしまう。 
簡単に説明すると、初めに小さいお願い事を受け入れてもらうことで、次に大きなお願い事を受け入れてもらいやすくする方法です。しかし、これとは反対の説得の方法もあるんです。それが、ドア・イン・ザ・フェイス・テクニックというものです。  
どういうものかというと、まず初めに誰もが拒否するような負担の大きな要請をし、一度断らせます。その後に、それよりも負担の小さい要請をすると、それが受け入れられやすくなるというものです。後で出した要請が本当の目的で、最初の要請はこの効果を狙ったダミーです。なぜ、このようなことが起こるかと言うと、提示した要請を説得者側が一旦譲歩することにより、被説得者側も譲歩せざるを得ない気分にさせるという「譲歩の返報性」が働くためだと言われています。相手が一歩譲ってくれたんだから、こっちも一歩譲らないと悪いかなぁ・・・と思ってしまうんですね。  
これは、日常生活のなかでも、かなり使える方法ではないかと思います。例えば、最初に1万円のお小遣いをくれるようにお願いをして、断られたら、じゃぁ1000円でもいいから・・・、て感じでやってみてはいかがでしょう。まぁ、いつも上手く行くとは言えませんが・・・。  
新聞の勧誘を例にフットインザドアテクニックとドアインザフェイステクニックを組み合わせてみました。良かったら、ご覧ください。 ( shut the door in the face = 鼻先でドアを閉める→門前払いをする、というイディオムが由来です。門前払いをされるようなハードルの高いお願いを最初にしておいて、その後のお願いのハードルを下げるテクニックです。) 
小さな承諾を得て、大きな”承諾”を誘導する  
販売活動で よく使われる技術。販売員は、商品を購入する気持ちのない主婦に、最初は「あいさつ だけでも・・・」と玄関に入れてもらえるように頼む。あいさつを受け入れれば(小さな承諾)、 次の機会に商品購入の同意(大きな承諾)が得られやすくなる。  
これは、中国共産党がアメリカ兵捕虜への対処に使った方法でもある。捕虜はしばしばアメリカが完全でない理由を書くことに同意させられた。自分が話したアメリカの問題点を紙に書きサインをすると、その紙を捕虜仲間との討論で読み上げるよう求められた。繰り返すうちに、次第に自己イメージが操作されてしまい、中国にもっと協力的になってしまった。 
訪問販売員の初歩的な技術の1つに、心理学で”フット・イン・ザ・ドア・テクニック”と よんでいる”承諾”を誘導する技術があります。この技術の本質は、容易な行為を行うことに 同意(実行)したならば、その後大変な行為も行う可能性があるというものです。販売活動で よく使われる技術ですが、販売員は、商品を購入する気持ちのない主婦に、最初は「あいさつ だけでも・・・」と玄関に入れてもらえるように頼みます。あいさつを受け入れれば(小さな承諾)、次の機会に商品購入の同意(大きな承諾)が得られやすくなります。訪問販売員はそういった販売のテクニックを身につけています。上手く丸め込まれないように、十分ご用心を。 
相手が認めやすい提案をして、それに承諾したら次々とオプションを要求していく  
人間は自分が決めたことには責任をとらなければいけないと考える傾向が強い。それが最初に提示された条件に予想外の変更が加えられたとしてもそう考える。広告会社が中規模企業を狙ってタレントを提案する場合は、1,000万程度の安いタレントの起用に合意させた後に、等身大のPOPやプレミアム、ノベルティ、交通広告、雑誌広告などを行う流れに持っていくことで高いタレントを起用したのと同程度の金額に持ち込むことができる。 
教育水準の高い者には、ネガティブな部分も提示する  
両面提示とは、反対論などネガティブな部分も提示する方法で、一面提示とは、自分に都合がいいようにポジティブな部分だけを提示する方法。この2つの提示方法を研究したボブランドらによると、問題に対するもともとの態度が説得方向と同じ者には一面提示が、反対のものには両面提示のほうがそれぞれ効果的であり、また教育水準の高い者には両面提示が、低いものには一面提示が効果的であるとしている。 
効果的な説得メッセージの内容構成や提示方法とはいったいどんなものなのでしょうか。効果的な説得の手法の1つとして、両面提示と一面(片面)提示というものがあります。両面提示とは、反対論などネガティブな部分も提示する方法で、例えばテレビショッピングにおいてデジカメの説明をするときに、「値段はちょっと高いけど、画質が良くてコンパクト。そのうえ手ぶれに強い」と説明することです。一面提示とは、自分に都合がいいようにポジティブな部分だけを提示する方法で、「画質が良くてコンパクト。さらに手ぶれに強い」と説明することです。この2つの提示方法を研究したボブランドらによると、問題に対するもともとの態度が説得方向と同じ者には一面提示が、反対のものには両面提示のほうがそれぞれ効果的であり、また教育水準の高い者には両面提示が、低いものには一面提示が効果的であるとしています。その理由としては、両面提示は反対論をも含んでいるので、説得が押しつけがましくなくなるからです。教育水準の高い人は「そんな上手い話があるもんか」と、まず疑ってかかります。そこに否定的な面も一緒に提示すると、「なるほどぉ。ただおいしいだけってわけではないのか」ってなるわけです。  
この両面提示を行ううえで重要なことは、ネガティブな情報を先に提示したあと、ポジティブな情報を提示することです。最後にネガティブな情報を持ってくると、ネガティブな印象だけが残ってしまうからです。これは一般的に終末効果によって説明されます。 
相手のしぐさを真似て好意をそれとなく伝える  
相手がコップを持って水を飲んだら、自分も水を飲み、顔をかいたら顔をかき、髪を触ったら髪を触る。ポイントはあくまでも”さりげなく”すること。これを意識することで「私はあなたに好意がありますよ」という無意識のメッセージを送ることができる。これを相手が無意識に受け取ることでいい関係を築くことができる。 
ミラーリング / 人間誰しも他人に好かれたいと思うことはありますよね。人に嫌われて生きていくよりも、好かれて生きていくほうがいいですよね。人間関係のなかで好かれたいと思う場面や、そこまでいかなくてもいい関係を作りたいと思う場面はよくあります。恋愛関係、始まったばかりの人間関係、改善したい人間関係などさまざまでしょう。では、そのときに使える(かもしれない)心理学的テクニックを紹介したいと思います。  
さて、それはいったいどんな方法なのでしょうか。いたって簡単です。会話をしている相手のしぐさを鏡のようにまねてみてください。相手がコップを持って水を飲んだら、自分も水を飲み、顔をかいたら顔をかき、髪を触ったら髪を触りましょう。ここでのポイントはあくまでも”さりげなく”です。あからさまなマネだと「なんだオマエ?」なんてことになってしまいますからね。このように相手のしぐさを鏡のように返すことをミラーリング(ちゃんとした心理学用語ではありません)といい、これを意識することで「私はあなたに好意がありますよ」という無意識のメッセージを送ることができます。これを相手が無意識に受け取ることでいい関係を築くことができます。  
さらにこのミラーリングを使うことで相手が自分に好意を持っているかも分かると思います。相手のマネをするのではなく、自分がリードして水を飲んだり、顔を触ったりしてみましょう。そこで相手が自分と同じ動きをしたら・・・、ってことです。  
特に食事の場というのは心理的な距離が縮まる場でもありますので、上手く活用してみてください。 
明示的説得と暗示的説得を使い分ける  
心理学 実験の結果によると、他人に相談することの多い人、自分の判断に自信のない人、情緒的に判断する人、疑い深くない人、知的レベルの低い人には、明示的説得が効果的であることが分かっている。明示的説得とは、理由を述べた後に結論を述べ、相手のとるべき態度や行動を指示する説得方法。  
逆に、他人に相談したりしない人、自分の判断に自信のある人、論理的に判断する人、疑い深い人、知的レベルの高い人には、暗示的説得が効果的であることが分かっている。暗示的説得とは、理由を述べた後にあえて結論を述べず、相手のとるべき態度や行動を相手自身に判断させる説得方法。 
疑い深い人や理屈っぽい人を説得する / 疑い深い人や理屈っぽい人を説得するのは、通常の人を説得する場合に比べて困難です。疑い深い人は、何を聞いても「何かウラがあるに違いない」と疑ってかかるし、理屈っぽい人は、他人の意見を聞かず、何事も自分で考えて論理的に判断しようとします。このようなタイプの人を、無理に説得しようとすると、相手は「説得されてたまるか」と抵抗し、考えや態度を硬化させてしまいます。彼らをうまく説得するには、ちょっとしたポイントがあります。  
明示的説得と暗示的説得 / 説得するときに、理由を述べた後に結論を述べ、相手のとるべき態度や行動を指示する説得方法を「明示的説得」といいます。それに対して、理由を述べた後にあえて結論を述べず、相手のとるべき態度や行動を相手自身に判断させる説得方法を「暗示的説得」といいます。明示的説得は、結論を示すので論旨がはっきりしますが、主張を押し付けられているように感じます。暗示的説得は、押付けがましさは感じませんが、論旨があいまいになります。これまでに行なわれてきた心理学実験の結果によると、他人に相談することの多い人、自分の判断に自信のない人、情緒的に判断する人、疑い深くない人、知的レベルの低い人には、明示的説得が効果的であることが分かっています。逆に、他人に相談したりしない人、自分の判断に自信のある人、論理的に判断する人、疑い深い人、知的レベルの高い人には、暗示的説得が効果的です。 
疑い深い人や理屈っぽい人を説得するには、結論はあえて言わないほうが良い  
結論を導き出すのに必要な情報だけを伝え、自分で結論を出させる。そうすると、相手は「自分で判断して決めた」と思い込み、自分で出した結論によって自己説得し、考えや態度を変化させる。 
自分で出した結論には逆らえない / 疑い深い人や理屈っぽい人を説得するには、結論はあえて言わないほうがよいでしょう。結論を導き出すのに必要な情報だけを伝え、自分で結論を出させるわけです。そうすると、相手は「自分で判断して決めた」と思い込み、自分で出した結論によって自己説得し、考えや態度を変化させるのです。人は自分が一度行った考え方や行動に固執して、一貫しようとする傾向があります(一貫性の原理)。そのため、他人から明示的に説得されて意見を変えた場合よりも、自分で出した結論によって意見を変えた場合のほうが、説得効果が高くなります。自分で導き出した結論を否定するのは困難なことです。  
セールスの現場 / セールスの現場では、決定権を持つキーマンがこのタイプの場合に、特に気を使う必要があります。あなたの提案がどんなに素晴らしいものでも、結論を押し付けてしまっては彼らの心は動きません。彼らがその結論にたどり着けるように、私たちは誘導しなければなりません。「自分で考えて決めたのだ」と思わせることが肝心なのです。 
相手の関心が低い場合は、最初に強力なデータを示してアンチクライマックス効果を引き出す  
これまでの心理学実験の結果によると、データの提示順序によって説得効果が異なることが明らかになっている。相手の関心が低い場合は、最初に強力なデータを示して相手の興味を引きつけることが効果的。一方、相手の関心が高いときは、関連データを示して証拠を固めながら、最後に強力なデータを示すほうが説得力があることが分かっている。 
どの順番で見せる? / あなたの手元には、3種類のデータがある。どのデータも顧客を説得するためのものである。3つのデータのうち1つは説得効果が大きいデータで、残りの2つは説得効果が小さいデータである。ここであなたに質問。あなたは、どのような順番で顧客に資料を提示しますか?  
効果小 → 効果小 → 効果大  
効果大 → 効果小 → 効果小  
効果小 → 効果大 → 効果小  
私たちは、顧客に対してどのようなデータを示すかについて、強い関心を持っている。しかし、どのような順番でデータを提示するかについては関心が低いようである。もし、同じデータでも提示する順番によって説得力が増減するとしたら、信じられるだろうか?  
強いデータは先か後か / これまでの心理学実験の結果によると、データの提示順序によって説得効果が異なることが明らかになっている。複数のデータを示すとき、最初に示したデータが最も強く影響することを初頭効果(アンチクライマックス効果)という。逆に、最後に示したデータが最も強く影響することを親近効果(クライマックス効果)という。初頭効果が現れるか親近効果が現れるかは、説得する相手によって異なる。諸研究の結果をまとめると、相手の関心が低い場合は初頭効果が現れ、相手の関心が高い場合は親近効果が現れると判断できる。つまり、相手の関心が低い場合は、最初に強力なデータを示し、相手の興味を引きつけることが重要だということ。一方、相手の関心が高いときは、関連データを示して証拠を固めながら、最後に強力なデータを示すほうが説得力があるということである。ちなみに、効果小 → 効果大 → 効果小という順序でデータを示すのは、最も説得効果が小さい。  
セールスの現場 / セールスの現場では、顧客が関心を持っているか持っていないかを把握し、状況に応じてデータの提示順序を変えるのが望ましい。パワーポイントのプレゼンならば、スライドの表示順序を変更すればいい。印刷資料の場合は、初頭効果を狙う資料と、親近効果を狙う資料の二種類を用意しておけばよいだろう。 
イメージを操作したければ、、好ましいイメージを持つものと関連付けるだけで良い  
モーターショーに行くと自動車の横には必ず美女が立っている。当然のことながら、自動車と美女にはなんの関連もない。だが、研究によると、自動車だけが写っている広告を見た男性よりも、魅力的な女性モデルと自動車が写っている広告を見た男性のほうが、その自動車を高く評価することが分かっている。自分、商品、提案内容の印象を良くしたければ、好ましいイメージを持つものと自分を結び付けるようにすればよい。 
気象予報士の人気は天気次第 / 気象予報士は、天気が悪いと視聴者から恨まれ、天気が良いと視聴者から感謝される。ある気象予報士は「雨が止まなければお前を撃ち殺す」と脅迫されたという。別に天気が悪いのは気象予報士のせいではないし、天気が良いのも気象予報士のおかげではない。もちろん、そんなことは誰でも分かっている。にもかかわらず、私たちは無意識に「天気」と「気象予報士」を結びつけて考えてしまう。あなたも朝の天気予報を見て、「今日は雨かよ」と気象予報士を憎たらしく思ったことがあるのではないだろうか。  
無意識の結びつき / 私たちは、あるものと別のものを、無意識のうちに結びつけてしまう傾向がある。これを「連合の原理」という。例えば、私たちは良いニュースを知らせる人を好きになり、悪いニュースを知らせる人を嫌いになる。これは「ニュースの内容」と「ニュースを知らせる人」が結びついてしまうからだ。ニュースの内容が、その話し手にも伝染するのである。  
車の横には美女がいる / モーターショーに行くと自動車の横には必ず美女が立っている。当然のことながら、自動車と美女にはなんの関連もない。美女がいなくても自動車は動くし、自動車の説明をするのは美女でなくてもかまわないはずだ。しかし、ある研究によると、自動車だけが写っている広告を見た男性よりも、魅力的な女性モデルと自動車が写っている広告を見た男性のほうが、その自動車を高く評価することが分かっている。しかも、本人たちは、美女の存在が自分の判断に影響を及ぼしたことを自覚していなかった。 
 
説得と交渉の営業心理学 

 

二度目は断れない 
買う気はなかったのについ買ってしまった。そんな経験は誰にでもあるはず。人は一度何らかの要請を承諾すると、二度目の要請を断りにくくなる。その心のカラクリを解き明かそう。  
あまり親しくない友人に1万円借りたいとき、あなたならどうお願いするだろうか。「1万円貸してほしい」と単純に依頼する?それとも・・・。  
フット・イン・ザ・ドア・テクニック  
相手の承諾を得たいとき、単純に要請するよりも、まず小さな要請をし、その後に大きな要請(本来の要求)をするほうが承諾を得やすいことが分かっている。このように段階的に要請を行う承諾誘導の手法をフット・イン・ザ・ドア・テクニック(段階的要請法)という。人は一度何らかの要請を承諾すると、二度目の要請を断りにくくなる。そのため、はじめの小さな要請に応じると、その後の大きな要請にも応じやすくなるのだ。  
買うつもりはなかったのに  
たとえば、あなたがふらっと立ち寄った洋服屋に仕立てのいいスーツが飾ってあったとする。足を止めて眺めていると、店員が寄ってきて「ご試着してみませんか?」と言ってくる。「ちょっと見てただけですから」と断っても「きっとお似合いになりますよ」などと試着を促される。何度も断るのも悪い気がして、試着だけならタダだからと、試着をしてみる。着てみると確かにイイ感じ。「思ったとおりよくお似合いですよ」なんて言われると悪い気はしない。その結果、買うつもりはなかったのにいつのまにか買ってしまった・・・ということになる。  
一貫性のある行動をしたいという欲求  
人は最初の要請に対しての選択は自由である。承諾することも拒否することもできる。しかし、最初の要請を承諾してしまうと、次の要請に対しては自由ではなくなる。最初の承諾に拘束されるのだ。なぜ最初の承諾に拘束されるのだろうか。それは人が一貫性のある行動をしたいという欲求を持っているからだ。私たちの社会において、一貫していることは望ましく、一貫していないことは望ましくないと考えられている。行動に一貫性がない(言っていることとやっていることが違うなど)と「よく分からない人」「信用できない人」「表裏のある人」だと見られてしまう。それに対して、行動に一貫性があると「知的な人」「誠実な人」「信頼できる人」と判断される。フット・イン・ザ・ドア・テクニックは、この一貫性の原理を利用している。最初の小さな要請を承諾して、その後の大きな要請を断ることは、「一貫性のない行動」だ。一貫性を保つには、大きな要請も承諾しなければならない。そのために「逆らいがたい強制力」を感じるのだ。  
驚くべき実験の結果  
フット・イン・ザ・ドア・テクニックの効果を示す実験がある。これは、1966年にフリードマンとフレーザーによって行われたものである。実験では、まずボランティア(実験の協力者)がカリフォルニアの住民の家を訪問し、「安全運転」と書かれている小さなステッカーを車の窓に貼ってほしいと依頼した。その二週間後、別のボランティアが訪問し、「安全運転をしよう」と下手な字で書かれた(家の景観を害するような)看板を庭先に立ててほしいと依頼した。その結果、76%もの住民が看板を庭先に立てることを承諾した。ちなみに、はじめから大きい要請をした場合(看板を庭先に立ててほしいと単純に依頼した場合)には17%の住民からしか承諾を得られなかった。  
営業の現場では  
セールスの現場でも、この心理テクニックは応用されている。例えば、商品を1ヶ月無料で使ってもらい(小さな要請)、1ヶ月後に契約をお願いする(大きな要請)というのは、フット・イン・ザ・ドア・テクニックのよい例である。また、トップセールスたちは大きな契約を狙う場合、関連する小さな(顧客にとってコストの低い)注文を取り付けることから始めることで、成約率を高めている。最後にもう一度。あまり親しくない友人に1万円借りたいとき、あなたならどうお願いするだろうか。「1万円貸してほしい」と単純に依頼する?それとも・・・。 
拒否させて譲歩する 
買う気はなかったのについ買ってしまった。そんな経験は誰にでもあるはず。今回は、「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」とは、まったく逆の承諾誘導のテクニックを紹介しよう。  
あまり親しくない友人に1万円借りたいとき、あなたならどうお願いするだろうか。「1万円貸してほしい」と単純に依頼する?それとも・・・。  
前回の「二度目は断れない」をお読みになった方は、まずはじめに「3千円貸していただけませんか?」と小さな依頼をし、承諾を得たあとに「できれば1万円貸していただけると助かるのですが」と大きい依頼をするだろう。今回は、これとはまったく逆の承諾誘導のテクニックを紹介しよう。  
ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック  
相手の承諾を得たいとき、まずわざと大きな要請をして、相手に拒否させてから小さな要請(本来の要求)をすると、承諾を得やすいことが分かっている。このような承諾誘導の手法をドア・イン・ザ・フェイス・テクニック(譲歩的要請法)という。わざと大きな要請をして、相手に拒否させてから小さな要請(本来の要求)をすると、相手にはこちらが「譲歩」したように見える。すると「相手が譲歩したのだから、こちらも譲歩しなければ」という心理が働き、結果的に小さな要請を承諾するのだ。  
お返しをしなければならない社会的ルール  
私たちの社会には「返報性のルール」というものがある。「返報性のルール」とは「他人から何らか恩恵を受けたら、似たような形でお返しをしなければならない」という社会的なルールのこと。このルールは私たちの社会に深く浸透しており、逆らいがたい強制力を持っている。この場合は、譲歩も恩恵のひとつと考えられるため、譲歩された側は、譲歩してお返ししなければならないと考えるのだ。  
実験で明らかになった驚くべき効果  
心理学者のチャルディーニらは、次のような実験で、ドア・イン・ザ・フェイス・テクニックの効果を確かめている。まず、実験者はボランティアを装い「これから非行少年たちを動物園に連れて行くのだが、2時間ほど手伝ってくれないか?」と学生に依頼した。その結果、17%の学生がこの依頼を承諾した。次に、この依頼の前にもっと大きな依頼をしたらどうなるかを調査した。実験者は、まず「2年間にわたり毎週2時間、非行少年たちのカウンセラーをしてくれないか?」と学生に依頼した。もちろん全員がこのやっかいな依頼を拒否した。続けて実験者は、譲歩するかたちで「では、これから非行少年たちを動物園に連れて行くのだが、2時間ほど手伝ってくれないか?」と依頼した。結果、50%の学生が小さな依頼を承諾した。つまり、承諾率は3倍に跳ね上がったのだ。  
営業の現場では  
セールスの現場でも、この心理テクニックはよく使われている。例えば、顧客に見積もりを出すときに、すこし値引きを押さえ気味にしておく。そして、顧客から値引きの要請があったときに、「譲歩して」本来予定していた金額まで引き下げるのだ。この場合、最初の見積額が大きな要請で、二度目の見積額が小さな要請(本来の要請)というわけである。 
 
「敵の敵は味方」の出典

 

スター・トレック / イントゥ・ダークネスの台詞に立ち返ってみたばあい、カーク船長の発言に対して副官のスポックはこう返しています。  
An Arabic proverb attributed to a prince who was betrayed and decapitated by his own subjects.  
その(アラビアのことわざの由来となった)王子は自らの臣民に裏切られて、斬首されました。したがって、スポックの語る「王子」とは、アラビアのいずれかの故事に由来すると思われます。残念ながら、古代アラビアに関する膨大な史料は火災や戦乱などで失われており、現時点で正確な出典を知ることは難しいと言わざるを得ません。 
 
敵の敵は味方。韓国とマスコミが徹底して嫌う自民党

 

日本の右傾化にブレーキなし (2012/08/30 中央日報)  
日本国会が29日、李明博(イ・ミョンバク)大統領非難決議案を最後に事実上オールストップになった。野党が提出した野田佳彦首相への問責決議案が参院で可決されたからだ。「外交と内政にすべて失敗し、国益を損ない続けた野田政権には、国家を運営する能力と責任感がない」と野党は主張した。韓国の立場では、慰安婦問題を無視し、独島(ドクト、日本名・竹島)領有権を主張する野田首相の恥じ知らずな外交がこの上なく憎らしい。しかし「野田首相の柔弱な外交が李大統領の独島訪問のような‘大型惨事’を招いた」というのが日本野党の見解だ。  
民主党が数的に劣勢な参院の構造上、問責案の可決は予想されたことだった。問責決議には拘束力がなく、首相が直ちに退く義務もない。野田首相はもう少し粘ろうとするだろうが、野党は今後の国会日程をボイコットする態勢だ。野田首相の抵抗は一時的なものになるしかない。野田首相が政治生命をかけた消費税増税に協力を得る代わりに、「近いうちに議会を解散して総選挙を実施する」と約束したからだ。この流れに逆らうのは難しそうだ。  
最終的な解散時期を決めるのは野田首相の権利だが、日本政界はすでに「10月解散−11月総選挙」という仮想の時刻表に基づいて動いている。480席の衆院議席と政権の去就がかかった日本政治の最大の勝負が迫っているわけだ。戦争の構図はすでにできている。野田首相の民主党と3年ぶりの政権奪還を狙う自民党、そして場外の強者、橋下徹大阪市長の三つ巴戦だ。状況は決して民主党有利でない。世論調査では自民党がリードしている。また現在の民主党の実力では、場外の橋下市長に勝つのも厳しい。  
問題は民主党の敗北が韓国の悪夢にもつながる可能性があるという点だ。28日に「自民党が執権すれば過去の歴史に関する日本の談話をすべて修正する」という‘総合セット型’妄言を吐いた安倍晋三元首相は自民党の有力な総裁候補だ。  
安倍氏が9月末の総裁選で現在の穏健派総裁を制圧すれば、安倍首相が現実になる可能性が高い。安倍氏は、戦争ができない、軍隊を持てない現在の憲法と戦後レジームを否定しようとする。首相在任当時に憲法改正のための国民投票法を作った安倍氏は今、実際に憲法改正で課題を完成しようとしている。従軍慰安婦と教科書、独島など各論問題で衝突した「李明博−野田戦争」とは次元が違う、東アジアの新しい秩序がかかった戦いが繰り広げられる。  
もしかすると野田首相と戦った時期を懐かしむ状況がくるかもしれない。それがブレーキのない日本右傾化のもどかしい現実だ。
「野田は相手にしない」とか「経済は盤石」とか言っていたが、一度問責が通り民主政権の凋落が顕著になり、安倍氏が出てくる気配濃厚となればこの騒ぎである。で、日本のマスコミは一斉に自民批判を始めた。新聞は皆横一列で問責を非難。TVにいたっては早速捏造報道である。  
今後安倍氏の動きが活発化すれば、マスコミ&韓国は総理時代に作り上げたイメージを使い、ガンガン安倍批判をするであろう。「お坊ちゃん」「下痢」「途中で放り投げ」「メンタル弱し」である。私も安倍氏が総理時代には「学ばぬ政治批評家」だったゆえ、まんま上記のイメージを持っていたのである。知れば知るほど嫌いになる国が韓国とすれば、知れば知るほど凄みを増すのが安倍氏&麻生氏であった。
安倍晋三の実績  
就任わずか3カ月で、教育改革と防衛省昇格を成し遂げ、就任早々から各国との外交を精力的にこなし、経団連の圧力に負けずにWCエグゼンプションの対象者を目標だった年収1000万円以上の近くで踏みとどめ、それでいて企業側に非正社員の社会保険と厚生年金の適用を認めさせ、児童福祉と子育て手当てとフリーター自立支援を予算に設けつつ、国債を減らして財源建て直しをスピードアップ、北朝鮮制裁をガンガン強化して朝鮮総連をガサ入れ、パチンコ屋を税務調査の波状攻撃で締め上げて総連を逆ギレさせ、貸金規正法を改正してグレーゾーン完全廃止で悪徳サラ金業者を締め、「負けたら即引退スペシャル」の重圧下でも重要な選挙に連勝し、「女系天皇容認」を白紙に戻し、「日本海」を「平和の海」に改名しようと提案した盧武鉉大統領のアホな要求を見事に拒否し、人権擁護法案を凍結し日本国民の言論と表現の自由を守って、国民の大多数が疑問に感じていた「ゆとり教育」の見直しを明記し、中国への武器輸出禁止解除反対をEUに働きかけて、在日や凶悪犯罪を取り締まる共謀罪成立に全力をあげた政治家。これが、在任1年での功績。しかし、報道されなかった。
私がここで安倍氏の期待感を書いた所で、アンチの方は文句を言うであろう。私はアンチの方に親派になってもらおうと思い安倍晋三の実績を書いているのではない。真のアンチとは恐らく分かり合えないし、そーゆー時間も無い。  
安倍氏が総理時代にやったことを知らない、以前の私のような「実に低いレベルで安倍氏・自民党を非難する」人へ書いているのである。  
実は、私は谷垣氏も評価している。というのも、09年であれだけ大敗した自民党を分裂させることもなく、参議院選挙で勝利し、殆んどの地方選で勝利し、今回解散寸前まで民主を追い込んだのは力量のある人でなければできないことだと考えている。だが、残念ながら谷垣氏では衆院選に勝つのは難しいと思う。マスコミ報道が酷すぎるし、この段で静かな闘志は有権者に伝わりにくい。  
今回の問責も、前回の問責も実に真っ当な理由があるのだが、マスコミは当然ながら報道しない。「自民も民主もダメ」「国民不在」「党利党略」である。尚且つこの「真っ当な理由」というのはテクニカル&政治玄人の技なので、マスコミが作り上げた「分かりやすいストーリー」しかしらない人間には難しすぎる。世にはびこる「谷垣ダメ」論もマスコミの偏向報道が生んだものだと私は思っている。  
そして本日も、マスコミはわかり易いストーリーと雇われコメンテーター、電波司会による悪質な言葉の数々で、自民を、ついでに民主に批判を続けている。ここで語られるのは政治批判、既成政党の否定である。そして、待ってましたとばかりに第三極「維新の会」である。ワイドショー・ニュース番組なんてだいたいこんな感じだ。
だいたい「国会空転」とマスコミは常套句のように言うが、この3年間で1度でも国会がまとも機能したことがあっただろうか?  
鳩山→普天間でグダグダ  
菅→大震災&市民の党献金問題でグダグタ  
野田→全部グダグダ。今だに予算案が完全に執行できない。ちなみに自民はだいたい3月までには予算を確定させていた。  
「国会空転」の原因は無論代表の能力欠如によるものだが、コイツらは集団で国会運営をさまたげてきたのだ。その一例が「法的根拠のない組織の乱立」だ。これらの本部・会議の決定には法的拘束力がない。だから政府・民主党内で容易に結論がひっくり返される。それがそのまま国会運営に影響を与え、進めるべきことが進まなかったのだ。  
・国家戦略室(H21.9 総理大臣決定)  
・新成長戦略実現会議(H22.9 閣議決定)  
・国家戦略会議(H23.10 閣議決定)  
・行政刷新会議(H21.9 閣議決定)  
・行政改革実行本部(H24.1 閣議決定)  
・行政改革に関する懇談会(H24.5 内閣府特命担当大臣(行政刷新)決定)  
・震災・原発事故対応で設置された各種本部・会議  
・福島原子力発電所事故対策統合本部(東電内に設置)(H23.3 設置根拠なし)  
・政府・東京電力統合対策室(H23.5 原子力災害対策本部の下に設置)  
・原発事故経済被害対応チーム(H23.5 総理大臣決裁)  
・原子力発電所事故による経済被害対応本部(H23.4 総理大臣決裁)  
・原子力被災者生活支援チーム(H23.3 原子力災害対策本部長決定)  
・被災者生活支援チーム(H23.3 緊急災害対策本部長決定)  
・被災者生活支援各府省連絡会議(H23.3 設置根拠なし)  
・電力需給に関する検討会合(H23.3 総理大臣決裁)  
・電力改革及び東京電力に関する閣僚会合(H23.11 設置根拠なし)  
・除染及び特定廃棄物処理に関する関係閣僚会合(H23.11 設置根拠なし)  
・エネルギー・環境会議(H23.6 新成長戦略実現会議決定)  
・共済年金職域部分と退職給付に関する有識者会議(H24.4 設置根拠なし)
こーゆー事実を一切報道せず「党利党略のため国会は空転です。重要法案は審議されていません」とのたまうのである。さらにマスコミは「国会は休みなのに給料でてんでしょ」と愚民そのものの発言をするが、コイツらが言う「国会は休み」の時にACTAが委員会で強行・独裁採決され、人権委員会設置法案が閣議決定されようとしているのである。  
こんなデタラメな政府・民主の実情を一切報道せず、いよいよ民主政権が末期状態になってから「国民の声」だの「党利党略だの」「(景気条項の件は絶対言わず)将来のために消費増税も国民は我慢して受け入れた」だのと正義ヅラをするなと言いたい。マスコミがキチンと報道しておれば、菅政権の時代に余裕で解散できたのだ。  
全てにおいて足を引っ張り、日本をボロボロにしてきたのはマスコミである。そしてよーやく民主の批判を言うようになれば「ジミンモー」である。とにかく、民主を非難しようが、第三極を持ち上げようが、結局言いたいのは「自民批判」なのである。完全に確信犯である。
そこで、冒頭の記事である。  
「民主党の敗北が韓国の悪夢にもつながる可能性がある」  
「安倍氏が9月末の総裁選で現在の穏健派総裁を制圧すれば(中略)野田首相と戦った時期を懐かしむ状況がくるかもしれない。」  
これが韓国の考えである。  
「民主党の勝利がマスコミの繁栄につながるはずだった」  
「安倍氏が9月末の総裁選で現在の穏健派総裁を制圧すれば、マスコミは抑えつけられる。だから何が何でも自民はダメなのだ」  
これがマスコミの考えであろう。  
要は、韓国・マスコミにとっての敵は自民なのだ。韓国もマスコミも真っ当な日本国民にとっては害悪でしかない。  
古来より「敵の敵は味方」と言う。(「友達の友達は皆友達だと言うが、実際俺の友達の友達は、俺の友達ではない」などの理屈もあるが、今回はシンプルに考えていただきたい)  
韓国・マスコミにとっての敵が自民なのであれば、真っ当な日本国民にとっての味方は自民ということになるのではなかろうか。  
政治はイデオロギーの側面が強い。お互い自分が正しいと思っているから、議論となれば譲らない。100ゼロの世界である。だから政治と宗教の話は職場ですんなと言われる。だが、その政治に直結する選挙は限られた選択肢の中で、誰かをを選ばなければならない作業である。自分の意見を100%叶えてくれる人はこの世にはいないのだ。限られた選択肢の中で100ゼロ思考では意味が無い。  
今一度、各政党・政治家の功罪を考えてほしい。そして、功・罪を比較し功が多い政党・政治家を支持してほしい。100%自分の意見を汲んでくれる政党・政治家は絶対にいない。どこか「1つでも賛同できない部分がある政治家はダメ」では何も変わらない。まして、何の結果も仕事もしていない候補者に過分の期待を寄せたり、マスコミの言うがまま政治家・政党を批判し、その考えの元に投票するなぞ愚の骨頂である。  
マスコミを見よ。  
あれだけ自民を叩き、民主を政権にすえたくせに、今では鼻で笑いながら民主を小馬鹿にし「私たちは国民の代弁者」ヅラである。自分たちが作った世論で民主政権が誕生した。そして、その民主は日本を本当にダメにしたのだ。だが、マスコミは何の責任も感じていない。この3年でマスコミは悪化しただけである。そんな輩が作り出す風潮に再び乗っかってはならない。 
  
裏切り外交もなんのその。敵の敵は味方?

 

ベトナムで市民によって呼びかけられていた日曜日の反支那デモがベトナム政府によって強制排除された。  
ロイターによれば14日の暴動でベトナム人5人、支那人16人が死亡したということだが、ある意味暴動を容認していたベトナム政府が一転して強制排除したのは何故だろうか。支那への経済の依存度が高いことで支那が圧力をかけたのか、あるいはせっかく日本をはじめ外資がベトナムに投資し始めた現在、『ベトナムはやはり支那同様に危険な国だ』という印象を世界に持たれないように配慮したのか。  
もともとベトナム社会主義共和国はベトナム戦争以降、社会主義あるいは共産主義で支那やロシアを手本にしてベトナム共産党一党独裁政権でベトナム共産党とその衛星政党以外の政党の結成は一切禁止されている。  
民主化などは遠い話なのがベトナムの実態だ。つまり日本はベトナムには一定の距離を置いていた。  
それにも関わらず、あのアホ菅が2010/10/31に戦略的パートナーシップに署名したことによって原発営業が始まった。  
現在の日本では原発輸出を始めとする経済的な結びつきばかりが強調され、民主化の遅れや弾圧などはメディアもほとんど紹介しない。(日本は商人国家なので)  
過去に何度か支那とベトナムは武力衝突したが、例えば第三次インドシナ戦争(1978年-1989年)はベトナムがカンボジアに侵攻したことがきっかけで支那がベトナムに侵攻したのだ。  
要するにベトナムも『なかなか』のモノなのだ。  
そのため、今回の支那とベトナムの紛争について欧米特に欧州メディアはほとんど触れずベトナムに肩入れする国はほとんどない。無論、欧州各国は支那との経済的結びつきが重要という理由もあり支那の傍若無人な行動を表立って非難もしない。  
そういう状態でベトナムを感情的に応援する空気が日本であまり強くなると、支那の一党独裁はダメでベトナムのは容認するというのではダブルスタンダードもいいところで日本はまたまた世界の笑いものになるし、支那がそこを突いてくるだろう。  
対ベトナム政策は『敵の敵は味方』程度の姿勢で行くべきだ。  
それにしても、昨年10月にリー・クーチアン(李克強)がベトナムを訪問した際に共同海洋開発について協議するグループを創設することを約束し『微笑み外交』を繰り広げたにも関わらず、それから数ヶ月、係争海域で大型の石油掘削装置を設置し不意打ちをかけたことを見るに尖閣周辺での白樺ガス田の一方的な開発開始となんら変わりがないことがわかる。  
騙された奴が悪い・・・これが支那の言い分だろう。 
  
敵の敵は味方のサウジとイスラエル

 

湾岸の盟主であるサウジアラビアにとって、敵対するイランが核兵器を持つことは、極めて不愉快なだけではなく、危険なことであろう。もちろん、イランが核兵器を持ったとしても、それをサウジアラビアに対して使うとは思えない。  
しかし、サウジアラビアにしてみれば、メンツを失うことになるし、イランとの各種の交渉でも、不利な立場に立たせられることになろう。つまり、サウジアラビアに限らず核兵器を持たない国は、持つ国との交渉で腰が引けてしまうということだ。  
そうしたなかで、最近しきりに語られているのは、サウジアラビアと同様にイスラエルが強い立場を失う不安に、さいなまれているということだ。イスラエルが核兵器を持っているだろうという推測は、ほぼ確実であろう。  
そのイスラエルの核兵器保有による、中東地域での優位が、イランの核兵器開発が進めば、一気に崩れてしまうからだ。サウジアラビアと同様にイスラエルもまた、真剣にイランの核兵器開発に対する対応を、検討していることは間違いあるまい。  
サウジアラビアの敵であるイラン、イスラエルの敵であるイラン、そのイランと二つの国の関係が、本来仇敵であるはずのサウジアラビアとイスラエルとの関係を、改善させたという話が出てきている。  
サウジアラビアの政府高官、多分バンダル情報長官であろうが、イスラエル側と秘密交渉を重ね、イランの核施設に対する攻撃を、イスラエルにやってもらいたいということだ。  
その際、サウジアラビアはイスラエル側に対し、イランに対する空爆の場合は、イスラエル機がサウジアラビア領空を、通過することを認めたというのだ。そして、それ以外の便宜も図るということのようだ。  
もしこのことが事実であるのならば、サウジアラビアがイスラエル機への 燃料の補給や、兵器の一部貸与も行われるのではないかと思われる。サウジアラビアもイスラエルも、基本的にはアメリカ製の兵器を揃えており、イスラエル軍がサウジアラビアの兵器を使うことには何の問題も無く、事前の訓練も必要としないだろう。  
一説によれば、サウジアラビアはイスラエル側が必要とする、無人機、ヘリコプター、空中給油機などを提供する、意思があるということだ。もちろん、これら全てについてサウジアラビアは否定している。  
サウジアラビアとイスラエルとの間には、未だに外交関係が無いことも事実だ。しかし、サウジアアビア政府がここにきて、イスラエルとの協力作業をしていないと否定したことや、イスラエルと連絡を取らないことを決めたという情報は、逆にイスラエルとの連絡があったことを、示しているのではないのか。 
  
中国の敵は味方という日本と友好国とのおかしな関係

 

2012/11/22 村井友秀氏の分析と主張  
国際関係において敵とは国益を害する国であり、味方とは国益に資する国、または敵の敵である。国家は、国民、領土、主権から成り立っており、これらの3要素を害する国が深刻な敵である。  
抵抗で生まれる対日友好  
現代のアジアでモンゴルやベトナムやインドは日本に友好的な態度を取ることが多い。日本人が特別に好かれているわけではない。ただ、これらの国は中国に侵略された歴史を忘れていない。中国は敵であり、敵の敵は味方なのである。日本がこれらの国で厚遇されるのは、日本が中国に対抗できる国であると見られているからである。したがって、日中関係が親密になれば、これらの国の日本への信頼感は低下するであろう。  
20世紀初期のトルコやポーランドでは日本の人気は高かった。当時、両国の敵はロシアであり、日本は日露戦争の勝者だったからである。ただし、「国家には永遠の友も永遠の敵も存在しない。存在するの永遠の国益だけである」(パーマストン英首相)ということも国際関係の原則である。  
それでは日本の国益を侵害している国はどの国であろうか。  
脅威は能力と意志の掛け算である。  
日本の国民、領土、主権を侵害する最大の軍事的能力を持っているのは米国であろう。次いで、ロシア、中国、北朝鮮が挙げられる。これらの国は数千発から数十発の核兵器を保有し、日本を攻撃できる射程を持つ数百発〜数十発の弾道ミサイルも保有している。韓国も西日本を攻撃できる射程800キロの弾道ミサイルを、数年内に開発することを決定した。次に、日本の国益を侵害する意志を見ると、米国は日本の同盟国であり、日本を攻撃する意志はゼロであろう。したがって、能力と意志を掛けると米国の脅威はゼロである。ロシアは日本の領土を奪い、武力で不法状態を維持しようとしている。ロシアの意志と能力を掛けると脅威は存在する。  
能力×意志=最大の脅威中国  
中国は日本が実効統治している尖閣諸島を武力で奪い、現状を変更しようとしている。日本の領土を積極的に侵害しようとしているのである。中国の能力と意志を掛けると脅威は明確に存在する。  
北朝鮮は日本人を拉致し、かけ替えのない国益である国民の生命を侵害している。北朝鮮の能力と意志を掛ければ脅威は存在する。韓国は日本の領土である竹島を不法占拠し、武力を使って現状を維持しようとしている。  
韓国も能力と意志の掛け算はプラスである。  
以上、能力と意志を掛け算すると中国の脅威が最大になる。  
他方、米露韓の3カ国は民主主義国である。一般的に民主主義国は戦争をやりにくい構造になっている。戦争は奇襲で始まる場合が多い。しかし、民主主義国は政策決定過程の透明性が高く、敵を奇襲することが難しい。また、民主主義国は暴力による威嚇ではなく国民を説得することによって、政権を維持している。  
対外関係でも同様の行動を取る傾向があり、話し合いを優先し、戦争を選択する可能性は低いといわれている。だが、中国と北朝鮮は独裁国家であり、戦争に対する民主主義のブレーキが効かない国家である。文民統制も戦争に走る軍を政治が抑えるシステムである。米露韓の3カ国では文民統制が機能している。それに対して、北朝鮮は軍が最優先される「先軍政治」の国であり、中国も「鉄砲から生まれた」共産党と軍が一体化した兵営国家であり、文民統制は存在しない。  
以上の条件を勘案すると、現在の日本にとって最大の脅威は中国による領土の侵略である。  
国連憲章に則った日本の行動  
中国の侵略に日本はどのように対応すべきか。尖閣諸島を日本から奪おうとする中国の行為は、日本の死活的に重要な国益を侵害するだけではなく、国連憲章を否定する行為でもある。  
国連憲章第1章は「すべての加盟国は武力による威嚇または武力の行使を慎まなければならない」とうたう。したがって、武力による威嚇と武力行使で日本から尖閣諸島を奪おうとする中国に抵抗する日本の行動は、国連憲章に則った正義の行動である。尖閣諸島をめぐる日中の動きは、両国の国益の衝突という次元にとどまらない。国際社会の正義の問題なのである。  
現在、日本では、中国による世論戦、心理戦や経済的圧力の効果もあって、中国に妥協すべきだとの意見も強まっている。しかし、その中国の指導者、毛沢東が「敵と妥協し、領土や主権を少し犠牲にすれば、敵の攻撃を止めることができるとする考えは幻想に過ぎない」(持久戦論)と述べていることを肝に銘ずべきだろう。  
尖閣諸島を守る日本の行動は、力で要求を押し通そうとする強者に対する正義の戦いという面がある。日本が屈服すれば、強者に抵抗する日本に期待していたアジアの弱者は失望し、日本のアジアに対する影響力(ソフトパワー)は消滅する。  
日本が強者に対する抵抗を放棄すれば、アジアで弱者が安心して平和に暮らす環境もなくなるであろう。 
 
敵と味方の見分け方

 

人が生きるためには自分の敵と味方の区別をまず知ることです。結果として自分の人生を不幸にするものは敵となるでしょうし、幸福な生き方を手助けしてくれるものは味方ということになります。ですがこの場合、こちらのご機嫌を取って人をいい気持にさせるだけの相手はほんとの味方とは言えません。そのことはよく承知しているのですが、そういう自分の肩を担ぐものについ親しみを覚えるのもまた人間の共通する弱みと言えます。逆に、長い目で見れば自分のためを思ってくれて厳しく指導してくれる人がいても、私たちはついそういう人のことをうるさい人だ、と疎うとんじてしまったりするものです。  
また一方で、人に騙だまされたり陥おとしいれられたり、上手い話に乗せられて不幸な目に遭うことも屡々しばしばです。結局、私たちには自分のためを思ってくれる人とそうではなくて自分の利益になるからという理由だけで私たちを利用しているだけの人との区別は容易にはつかないものです。また、善意から自分にいろいろ教えたり指導してくれたりする人がいますが、その通り実行したからといって必ずしも両者の思惑どおりに幸福になるとは限りません。幸福に生きるというのは至難のわざです。  
ここで「敵」「味方」がもっとも確実に見分けられる方法を考えてみましょう。人間は考えて行動を起こします。行動の方向性はその人の感情、知識、理解能力、好み等によって変わります。人とつき合うのもこれは同じです。私たちのことを心配してくれる人、私たちを利用する人に対する私たち自身の態度も「こころ」の働きによるものです。そうなると一時的な感情に引きずり込まれやすい「こころ」で生きている人ならば人間関係によって不幸に陥ちこむ危険性が高くなります。  
要するに「こころ」が正しく働くならば、私たちは人間関係でも不幸にならないということです。  
「こころ」が自然に正しく働くならば幸いですが、実際にはそうではありません。「こころ」という働きは瞬時に変化する。環境やそのときにおかれた状況によって、すぐに変わってしまいます。  
今の瞬間のこころの状態が次の瞬間はどのように変化するかは本人にも分かりません。「こころ]の変化は自分ではどうすることも出来ません。きょう歓びに満たされていても、明日はそれが悲しみや怒りに変わることは始終あることです。  
「こころ」はいろいろな経験の影響を受けて、それによって方向性を変えていくという性質も持っています。一度方向性が定まるとずっとその枠から抜け出ようとはしません。例えば、煙草、酒、ギャンブル、遊興等に魅みせられると、それがもたらす不幸な結果を承知していながら、断ち切るのは簡単ではありません。人間関係でトラブルを起こす人は、それをよく繰り返します。人とのトラブルで会社を辞めた人は、次の会社でも同様な失敗を繰り返す恐れがあります。これらは、先に述べた「こころ」の方向性に原因があるので、「運命だ」「業」だとばかりは一概には言えないむのです。反対に「こころ」が「良い方向」を持てば人生は幸福に向がって歩みはじめます。  
このように「こころ」は弱い性質を持っている「働き」ですので、放っておけばどんどん堕落してしまいます。「こころ」はその場その場ですぐ味わえる快楽をいつも求めていて、先のことには神経を配りません。これこそが人生における「悩み」「苦しみ」の原因なのです。これを仏教では「煩悩」と言っています。「こころ」を育てずに放っておくと危険なのはそのためです。  
「こころ」のこのような性質を知っている人は、外部の世界に「敵・味方」を見いだすことはありません。何が「敵」で何が「味方」かを確実に把握することはこころでは不可能なことです。ですから自分の周囲の人々がどんな人であろうと、幸福を掴めるかどうかは、自分自身の「こころ」次第です。もしも周囲の人間がだらしなくて、自分の「敵」的存在であっても、いわば反面教師のようにそれを客観的に見て自分の性格を正すこともできます。逆に周りの人々が良い人であれば、その影響を励みにして自分の人生の糧にすることもできます。  
外部の世界を「敵・味方」に区別することは無意味なことです。そのことは生きることを複雑に難しくするだけです。自分の本当の「敵・味方」は、自分の「こころ」なのです。無知、貪欲、怒り、嫉妬、敵意、高慢、弱気、怠惰、後悔等によって「こころ」の方向性を決めると、その「こころ」が自分にとっての最強の「敵」となります。「自分自身のこころ」という敵からは逃げきることが出来ませんから、そういう「敵」を内包した人は周囲の世界も生きにくい、住みにくいものにしてしまうのです。  
物ごとをありのままに、客観的に見ることが出来る知恵、慈しみ、思いやり、助け合い、精進、努力、明るさ、謙虚等で「こころ」の方向性を定めたら、その「こころ」自体が自分の最強の「味方」となります。その「味方」は決して自分を裏切ることはありません。そのような「味方」を内包した人の世界は、周囲も自分の幸福をもたらす「味方」に変わっていきます。ですから、世界を「敵・味方」などに区別するという愚かなことは止めて、内在する本当の「敵・味方」にはやく気づくことが大切なのです。 
 
お金持ちは人を敵か味方かに分けない

 

「人間には、敵か、家族か、使用人の3種類しかいない」と豪語したのはかの有名な田中真紀子氏だ。ある意味でこの発言は当たっているが、多くのお金持ちにとっては少し違う。田中氏もお金持ちかもしれないが、父親から譲ってもらった資産なので自分で資産を築いたわけではない。自分で資産を築いたお金持ちは、人を敵か味方に分けないという人が多いのだ。  
敵か味方に分けないということは対立がないという意味ではない  
自分で資産を築いたお金持ちが「いい人」だといっているわけではない。お金持ちの人が敵と味方に分けないのは、相手を本当に敵にしてしまうと利用価値がなくなってしまうからだ。  
人間には性格というものがあり、どうしても合う、合わないという関係が生じてしまう。ソリが合わない人とは対立することも多くトラブルの原因になりがちだ。  
お金持ちの人は貪欲なので、敵になりそうな人からもどうやって自分の利益を引き出そうかと真剣に考える。結果として、感情のままに敵対するということがなくなるのである。  
敵か味方に分けないという意味は、対立が完全になくなるという意味ではない。  
イベント関係の事業をしているAさんは、ソリが合わなさそうな人を、大きなダメージにならない範囲で、敵として「活用」している。プロジェクトを仕切り、大きな収入のあるAさんには常にやっかみや反発などが寄せられる。これらをすべて力で封じ込めてしまうと、どこかで爆発するリスクがある。Aさんは、関係者の中でも、比較的Aさんに反発心を持つCさんとあえて対立し、多少は譲歩するところを周囲に見せることで、いわばガス抜きをしているのだ。  
AさんにとってCさんはソリが合わない人ではあるのだが、それよりも自分の立場や収入を守るためのツールとしてCさんをとらえている。Cさんを「敵」として嫌って遠ざけてしまえばCさんを活用することはできなかっただろう。その意味でAさんは「敵」「味方」と安易な分類はしていないのだ。  
味方に見える人ほど危ない  
Aさんがむしろ警戒しているのは、一見「味方」に見える人である。事業などで成功すると、その人の周りにはなぜか人が集まってくる。中には信者のような人が出てきて、こちらが望んでもいないのに取り巻きになろうとするのだ。  
Aさんの周囲にもそういう人が何人かいる。彼らは当初は、心からAさんを慕って近づいてきているのだが、そのうちAさんに対して過剰な思い入れを示すようになる。一種のストーカーだ。  
このような人は、自分が想像していたようにAさんが接してくれないと分かるとキレてしまう可能性がある。一旦キレてしまうと、あることないことを周囲に吹き込むなど大きなトラブルに発展しがちだ。  
Aさんはそれほど大きなトラブルになったことはないが、近いことを経験したことで、このあたりの嗅覚が敏感になった。近づいてくる人の中で将来トラブルを起こしそうな人が分かるようになってきたのだ。Aさんはそうなりそうな人物については最初からうまく距離を置き、関係をコントロールするようにしている。  
このようなスキルは、芸能人など、ファンが常に周辺にいる人にとっては重要なものである。芸能人にとっては、ファンとストーカーは紙一重であり、そういう意味では「味方」などそうそういないということになる。  
結局のところ、お金持ちにとっては「家族か使用人(利用する人)の2種類しかいない」といったところだろうか? 
 
敵の敵は味方?

 

内閣官房参与の飯島勲氏が北朝鮮を訪問し、北朝鮮メディアに大々的に報道され、安倍政権も手柄を立てたつもりなのかも知れないが、何だかなぁ...  
先日、中国が北朝鮮に対する経済制裁に踏み切っている。いままで北朝鮮に対する制裁に及び腰だった中国が、制裁に踏み切ったことは、もちろん、中国の北朝鮮が核保有国になることに対する不快感の表明でもあるのだろうが、同時にこれはいままで北朝鮮と天秤に掛けていた韓国に対して、中国がはっきり韓国を選択したことのサインであるような気がする。  
中国と北朝鮮の関係は、朝鮮戦争を通じた「血の同盟」という強いシンボリックな結びつきではあったものの、経済的には中国に対してあまり利益のある関係ではなかった。一方、かつての敵対国家であった韓国の中国におけるプレゼンスは急速に高まり、中国は中韓関係から大きな経済的利益をあげている。そして政治的にも韓国は、米との軍事同盟関係を維持しつつも、中国傾斜を強めているのはご承知の通り。  
今回の中国による対北朝鮮経済制裁は、中国にとって重要なパートナーとなった韓国に対する、北朝鮮の恫喝への牽制の意味合いが強いのではないだろうか?  
それは、韓国企業を開城工業団地から追い出した北朝鮮が、開城工業団地労働者の引き受けを中国側に持ちかけた際、中国側が拒否したことからもそれは伺える(*)。いまや中国は非常に韓国政府に気を遣っている。明らかに中国は北朝鮮よりも韓国を選択したのだ。  
そしてブッシュ政権の末期、米国から大きな譲歩(ブッシュ政権による、テロ国家指定解除)を引き出した北朝鮮だったが、その後オバマ政権に至り、米朝関係は膠着している。  
こんな中、米議会調査局リポートで、米国の国益を損なうかたちで近隣諸国との関係を台無しにしかねないとの懸念が指摘された安倍内閣。  
結局、このような動向を読んだ上で、北朝鮮は、敵の敵は味方、とばかり安倍内閣に飛びついたのではないだろうかと憶測できる。  
こんな中、日朝の関係改善に向けた動きがでてきたことは果たして良いことなのかどうか?  
日本は既に対北朝鮮カードを切りまくって、もはや北朝鮮に切るカードは一枚もない。経済制裁もやり尽くして、既に日朝間の経済関係はほぼゼロに近く、北朝鮮が何かやってきたときに、制裁を「強化」したとしても、実効性はゼロ。また、北朝鮮に飴をちらつかせるにしても、朝鮮総連が瓦解同然なので、仮に制裁を緩和するにせよ北朝鮮側にとってどれほどおいしいか疑問。  
つまり日本に北朝鮮から質に取っている手持ちのカードが1枚もない状態であり、今後カードを切ろうとすれば日本側が、北朝鮮側に巨額の経済援助でもしない限りあり得ない。  
結局日朝関係のイニシアチブを日本側はもはや取れない状況のなかで、北朝鮮から譲歩を引き出すには、むしろ米中韓と連携して事態を打開する方がより効果的に思えるのだが、安倍政権は、その連携の足並みを乱すことばかりやっている。  
日本が、北朝鮮に韓中対抗材料を与えてどうするの、と思うのだが...  
まぁ、拉致問題がそう簡単に解決するとはとても思えないが、仮に北朝鮮政府から「経済援助をしてくれたら横田めぐみさんを帰国させる」などという提案が出てきたら日本はどうするのだろうか?  
拉致被害者家族会の、被害者帰国実現運動を支援する人中の大きな部分として、本気で被害者の帰国を望んでいると言うよりも、拉致被害問題は絶対解決しそうにないからこそ、北朝鮮に向けて鬱憤晴らしをする口実として、帰国運動「支援」を行っている人々がかなりいるのではないかと疑われれる。  
そうだとすれば、上記のような提案を北朝鮮政府が提案してきたら、即座に帰国運動は瓦解するだろう。  
(*) (2013/5/9 朝日新聞デジタル)「北朝鮮、中国に雇用要請 開城工業団地撤収で」この記事によると、北朝鮮の地方政府高官が4月中旬に同省丹東市を訪問し、開城工団から引き揚げてくる熟練労働者の新たな受け入れ先が必要なため、中国に派遣する北朝鮮労働者の増員を要請たとある。それに対し中国側は、受け入れに難色を示したと書かれている。 
 
敵の敵は味方

 

人に対してひどい仕打ちをする人がいます。共通の敵を作って得た友情には注意が必要です。特定の人物を笑いものにしている人が人気者になったりします。考えの浅いひとは、人をこきおろして偉そうにしてる人をすごい人だと思ってしまったりします。日頃からうっとおしく思ってる人を悪く言う人を善人だと思いがちだし、そこに共感を覚え、仲間意識を覚えたりします。  
しかし、所詮そんな歪んだ感情から発生する共感や仲間意識や友情なんて浅いものです。他人を悪くいう事でしか、分かり合えない友情なんてむなしいだけだし、他人をだしに人望を得ようとしてる人間に良い人間がいるはずもありません。  
相手があなたを、あなたのいないところで笑いものにしてるなんて少しも考えません。自分だけは特別なのだ、自分はこきおろす側の仲間だ、と勘違いしてしまうのです。こういったことで人望を得ようとしている人は必ずあなたのことをほかで悪く言ってる場合が多いです。  
これは他人がどうのこうのというより、あなた自身の「自分は特別なんだ」「自分は他人をけなせる側の人間なんだ」という、うぬぼれが問題なのかもしれません。そういったうぬぼれが人を見る目を曇らせる最大の原因なのかもしれません。  
そもそも、自分が特別な人間だから自分の友達も特別なんて、心の底で思っているうちは、人を見る目は養えません。そういう気持ちが人を見誤れさせ、簡単に裏切るような人を信頼してしまうという結果になるのです。  
相手の行動を見る  
また日頃、相手があなたをどう扱っているのかも、しっかり見る必要があります。他人に対する愛や尊敬のないひとは、日頃のあなたとのつきあいの中にも、そういう部分が見え隠れするものです。  
毎回待ち合わせの時間に遅れる、約束をよく破る、あなたの話をちゃんと聞かない、あなたに対して気配りをしない。横柄な態度で接する。  
あなたに対するほんとうの気持ちは、言葉ではなく態度に現れることが多いです、言葉を聞くのではなく相手の行動をしっかり見てみてください。  
仕事などには遅刻しないのに、待ち合わせには毎回遅れるのはなんでなのでしょう?  
仕事が入るかもしれないのに、あなたと会う約束をして「仕事なんだから仕方ないだろ!」と約束を破るというようなことをよくするのはなんでなのでしょう?  
あなたの話を無視して、自分の話しかしないのはなぜでしょう?  
あなたの前で携帯をいじったり、嫌煙家のあなたの前で、なんの配慮もなくたばこを吸ったり、あなたの車に乗って、平気でゴミを捨てたり、ダッシュボードに足を乗せたりするのはなぜでしょう?  
それは相手があなたを大切に思ってないからとしか言いようがありません。  
「友達なんだから、遅刻したって許せよ、約束が守れなかったからって怒るなよ、仕事じゃないんだからそれくらいいいだろ?」なんて言う人とはつきあうべきではありません。  
そういう人はあなたも自分にあわせて時間や都合を配慮していることは考えないのです。友達なんだから自分の都合にあわせて当然、でも逆はだめと思っているのです。  
こういう相手とはいくら気があっても、つきあっていくことはできません。あなたとの関係を真剣に考えていたり、相手の気持ちに立って考える事の出来る人、他人に対して愛に基づいて行動できる人であれば、守れない約束はしないし、予定が入るかもしれない日に約束はしないし、あなたをたいした理由もなく待たせたりしません。  
たとえ約束を破ることになったり、遅刻をしても、きちんとそれに対する埋め合わせをしようとするものです。  
言葉でいくら都合のいいことを言おうと、日頃こういう態度であなたに接してるようであれば、相手との関係を考え直した方がいいと思います。そして、こういう行動をする人はだいたい前に書いたように、人に対する愛のない人の場合が多いです。  
自分も人間に対する愛に基づく考えや行動を心がける  
そういう訳で、つらつらと他人のどこを見て相手を判断するのかという話を書いて来ましたが、これは逆を言えば、あなたがいい人間と思われるにはどうすればいいか、どういう考えに基づいて行動すればいいのかという判断にもなると思います。  
あなた自身も人間に対する愛に基づいた行動を日頃からとるべきなのだと思います。  
基本的に人を尊敬する。下手に他人をけなさない。安易に他人の悪口を言わない。立場の上にあぐらをかかない。他人を貶める事で自分を偉くみせようとしない。善意には善意で返す。他人の善意に感謝する心を持つ。たとえ親しくない相手であっても、無下に扱わない。  
なにも八方美人になれとは言いません。八方美人はそれはそれで問題があるとは思います。自分に悪意を向ける人ははね除けるべきだと思いますし、酷い扱いをする人間に対してはそれなりの対応をすべきだと思います。  
ただ、やはり基本は人間に対する愛を根底に行動すべきなのだと思います。いろいろ考え方や立場は違っても、相手はあなたと同じ人間です。その事に同情を抱き、愛情を抱き、行動していくべきだと思います。日頃からそういった行動を心がけでおけば、自然とあなたの周囲にも、他人に対する愛のある人間が集まってくると思います。  
そう、あなたの周囲に悪意のある人間、他人に対して冷淡な人間が集まるのはあなた自身にも問題があるのではないでしょうか?  
冷静に他人を見る目を養うことと、自分に対するうぬぼれをなくすこと、そしてあなた自身が人間愛に基づく行動や考えで日々を送ることが、良い人と人間関係を築けるようになるコツだと思います。 
 
「敵の敵は味方」お客様の心をつかむ体験談

 

「あなたの○○は間違っていた!」というコピー  
最近、当たっていると言われる広告を眺めていると、 目に付いたのが、「間違った○○(美容法・健康法など)のせいで、あなたの△△は効果が出てなかった」と訴える、 挑発的ともとれるような表現です。  
たとえばある洗顔石けんの広告でよく登場するのが、 「ゴシゴシ洗顔は美肌の大敵」という記述。  
洗顔の際、肌の汚れを落とすために、顔をゴシゴシこすっていると、肌が傷ついてしまいます。  
そのため、陽射しなどのダメージを肌の中まで受けやすくなり、老けた肌の原因になるということが、わかりやすく語られます。  
この広告で「ゴシゴシ洗顔」が果たしているのは、ある意味、“敵”としての役割。  
「敵の敵は味方」ということわざがありますが、“共通の敵”を設定すれば、自分たちは“味方”だと お客様に捉えてもらいやすくなります。これによって、親近感を抱いてもらおうという狙いでしょう。  
ダイエー創業時の大反響チラシ  
お客様の共感を得るために、あえて“敵”を設定するというのは、実は昔からあるマーケティング手法です。  
秀逸なのは、創業時のダイエーで当時の社長、中内功氏が書いたというチラシの文句。  
「見るは大丸、買うはダイエー百貨店は歌舞伎座。ゆっくり商品を見る場所。ダイエーはストリップ劇場。掛け値なしの裸の値段。同じ品なら必ず安い。」このキャッチフレーズが、大反響を巻き起こしました。  
中内氏は、当時に不安の種だったインフレを“敵”に見立て、一方、ダイエーは主婦の味方であると強調しました。このように単純化した「善悪二元論」の説明はわかりやすく、 人々の心をとらえやすいのかもしれません。  
主婦は、自分たちの“敵”に立ち向かう姿に共感。自分もダイエーの店で買い物をしたというのです。  
”過去の自分”という金縛り  
このように否定を伴った表現手法は、うまくいけばお客様の心に刺さる武器になりますが、注意も必要です。というのも、人は過去の自分の言動、価値観、行動などと、 一貫性を保つように振舞うことを好むからです。  
「○○が実は悪かった」「間違っていた○○」などと言われると、どうしても働いてしまうのが、自己防衛本能。「自分が失敗したのを認めたくない」「正しかったはず」という気持ちが生まれ、共感どころではなくなってしまうでしょう。  
中高年向けに健康食品や化粧品を販売する会社にとって特に困るのは、↑の傾向が特にお年寄りに強いこと。ステファニー・ブラウンらの研究によって歳をとるにつれて人は、一貫性へのこだわりが強くなっていく ことも明らかになっています。  
「一貫性の原理」を逆手にとると  
そんななかで共感を得やすいのが、お客様の立場から過去の自分の失敗を語ってもらう“体験談”なのかもしれません。失敗談には、体験談に感情移入して読みこんでもらいやすいでしょう。  
さらに、ある商品を使い続けて失敗していたお客様に対して、広告の商品が、救いとして差し伸べられる、という構図の場合、お客様はある事実を“知らなかった”だけなので、たとえ“間違い”に自分が当てはまってしまっていても、 過去の自分自身を否定せずにすみます。  
なので、悔しさの感情はへとスムーズに過去に使っていた商品に向かい、広告の商品には共感を抱いてもらいやすくなるのかもしれません。  
ちなみに、一貫性にこだわる方への対処法として、 先述の「影響力の武器 -実践編-」に書かれているのは、 「その時点では間違っていなかった」と伝えること。  
その選択をしたのは、そのとき相手が得られた情報からすれば正しかったと認めてあげることで、相手の「一貫性」が保たれるようにしてあげるというのです。  
お客様を認めてあげて、“共感の土壌”を作りながら、 商品の提供する、相手の知らなかったメリットを教えてあげる。  
肯定と否定の絶妙なバランスが、共感を生むのかもしれませんね。 
 
ことわざの「敵」

 

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」  
敵の実力を見極め、自分の力を客観的に把握して上で敵と戦えば、100戦したところで危機に陥るようなことはないということ。  
英語 / If you know the enemy and know yourself, you need not fear the result of a hundred battles. 出所 / 孫子の兵法  
「Keep your friends close. Keep your enemies closer」  
友を近くに置け、敵はもっと近くに置け。  
解説 / ゴッドファーザーに出てくるセリフとして有名。 出所 / 孫子の兵法  
「敵の敵は味方」  
自分の敵の敵は味方という意味だが、実際にどうなのかは僕も分からない。  
「仁者は敵なし(じんしゃはてきなし)」  
仁者とは情け深い人のことだ。だから情け深い人には敵となる者はないということ。  
「怒りは敵と思え」  
怒りという感情は、わが身を滅ぼす敵と思って、押さえなければならないという戒め。 出所 / 徳川家康の遺訓の一つ  
「昨日の敵は今日の味方」  
人の心は変わりやすく、当てにならないことのたとえで、昨日まで敵であった者が、今日は見方になることから。「昨日の敵は今日の友」「昨日の仇は今日の味方」ともいう。  
「If you can't lick them, join them」  
相手の態度、考え、やり方を変えることは難しい場合、自分の考えなどを変えたほうがいいということ。 訳 / 世の中を敵に回すには、世の中に就け  
「敵は本能寺にあり」  
本当の目的・目標が別のところにあるということ。 解説 / 備中の毛利勢を攻めると称して出陣した明智光秀が、途中で方向を変え、京都本能寺の織田信長を襲った故事による。  
「敵もさるもの引っ掻くもの」  
競い合ってる相手もさすがに優れている。 解説 / 「さる」に「猿」をいかけて「引っ掻くもの」と続けた言葉遊び。  
「敵に塩を送る」  
敵が苦しんでいる時、その弱みにつけこまず、かえってその苦境から救う。 解説 / 戦国時代、上杉謙信が、敵対する武田信玄が塩不足で困っている事を知り、塩を送ったという故事から。  
「江戸の敵を長崎で討つ」  
江戸と長崎は非常に離れているところから、昔の恨みを意外な所や全く別のことで仕返しすること。  
「男は閾を跨げば七人の敵あり」  
男が社会で活動するときには、必ず多くの敵や競争相手があるということのたとえ。  
「金が敵」  
金銭のために苦労したり、身を滅ぼしたりするということ。また、尋ねる敵になかなか巡り合えないように、金銭はなかなか手に入らないということ。  
「汝の敵を愛せよ」  
悪意を抱いて迫害するような者にこそ、慈愛の心を持たなければならないということ。 解説 / 『新約聖書』にある言葉。  
「大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず」  
強そうな敵や大勢の敵に恐れてはいけない。また、弱そうな敵や小勢の敵に侮って油断してはいけないということ。  
「微妙な味方とは早いところ話し合い、敵に変わるのを防ぐ」  
それまで仲の良かった人たちと、何か気まずいことになったとき、なるべく早く謝るか、話しかけるかしたほうが良いということ。謝る、話しかけないことで相手と自分の溝がどんどん深くなっていくことを防ぐために思いました。
「敵」というネガティブな言葉の入っていることわざというのは、そのことわざを作った人が戦い、ビジネスなどの修羅場においての教訓を表現しているのが多いと思います。戦い、ビジネスで極限の状態だったり、自分の失敗・成功を振り返って出てきた言葉だと思うのです。  
だから、僕は今後の人生においてできるだけ失敗の少なくして進みたいと思うため、「敵」が含まれていることわざに興味が惹かれるのだと思う。自分の人生において失敗を減らしたいと思うのだが、今までの自分を振り返ると失敗をして、そこから学んでいるケースがとても多い。  
また、失敗をして学んだ教訓のほうが、自分の脳、身体の中に染み込んでいるのだと思う。だから、「失敗は成功へのプロセス」「経験は最良の教師である。ただし授業料が高すぎる。」などの言葉もあるのだろうな。よって、失敗を恐れずに考えながらガツガツとチャレンジしていくのがいいのかなと僕は思うんだ。