石原都知事 死に花を咲かせてください

死に花を咲かせてください  応援します一票入れます 
 
素人集団民主党では日本が沈没します 
役人はこの三年間 我が世の春を楽しんできました 
ちょっとだけ緊張感が戻るだけでも大成功 
 
良くも悪くも 行政のあるべき姿を口にできる政治家です
 


知事の辞職記者会見「日本よ」石原慎太郎10年後の東京情報氾濫のもたらすもの核開発の是非日本の近未来の危機宗教の無力いかに備えるか人間の弱劣化国家的無駄遣いの省略方法日米中の三角関係のゆくえ失われようとしている子供たちのために地方分権と民営化の落とし穴祭司たる天皇いかにして心意気を取り戻すかアメリカは勝てまい内政への干渉を排せ新しい危機構造の到来歴史に関することのメリハリ起き上がる獅子国家存亡の分岐点沖ノ鳥島の戦略的意味花粉症に関する国家の怠慢西欧人のずるさ日本人の感性東京は自らの手で国土を守る価値をいかにして伝達するかベトナムの可能性水俣病判決国政の怠慢新しい国家戦略を陛下お願いいたします国立公園なる国家の感性噴火口の下であるとんでもない提案尖閣諸島に関する私的メモ自由台湾の存在意義二枚の写真言葉への妄執の愚かさメディアの狂気官僚の国家支配の終焉国よ動いてくれ米はエクソシストたり得るか昔遣唐使で今不法入国者政治の複合性あきれたメディア事情核外交というきわどいゲーム再選を終えてイラク戦争をどう捉えるか海図に載らない灯台取り戻すべきものアジア製旅客機を少女の涙ゲーム感覚の要九月の歌若い世代からの大きな動きを時代錯誤な金融政策
 

 

 
民主党も自民党も政局に明け暮れしてきました 
役人は素人政治家を顎で使ってきました 休養十分です
 
斉藤道三になれるかもしれません 
 配 役 
織田信長  橋下 徹   中央で最後まで主張を通せるか 
明智光秀  渡辺喜美  いざという時の覚悟があるか 
豊臣秀吉  石原伸晃  期待のよいしょ 
石田光成  猪瀬直樹  高齢ですが後見人に推挙 
徳川家康           試練に耐え研鑽を積む政治家が見当たりません
 
大阪冬の陣になるかも (2012/11/16 解散状況から) 
        選挙後は議員定数削減にかこつけて外堀を埋められ 
        早晩 大阪夏の陣になるでしょう 
 配 役 
豊臣秀頼  橋下 徹    
真田幸村  石原慎太郎 
        「露と落ち露と消えにし我身かな 難波の事も夢のまた夢」秀吉 
一旗組    新興少数新党 
徳川御三家 自民党・民主党・公明党の大政翼賛会 大勢は決しました
 
新保守
 
野党連携
 
財政再建 
会計システムの見直し
 
憲法改正
 
外交
 
東アジアの安定 
尖閣諸島
 
安全保障 
米軍基地
 
教育   
馬鹿な子供を育てた「ゆとり教育」に反対
 
育児所 保育所  
現実的な働く女性のサポート
 
都政経験での延長 
役人国家のシステム改革

 
2012/10-11 
 
 
知事の辞職について / 記者会見 2012/10/25

急にお呼びかけしましたけども、大勢ご参集賜りまして、ありがとうございました。  
私、諸般の事情に鑑みてですね、今日をもって、東京の都知事を辞職することにいたしました。この後、中村議長宛ての辞表を提出してきますけども、議会が開かれて辞任が認証されるのは一週間ということでしょうかな、自治法によると。  
じゃ、何でですね、知事辞めて何をするのかということでしょうけども、私、14年間、足かけ、正確には13年と8カ月、4期にわたって都知事を務めてまいりましたが、東京という、この、いつも言ってることですけれども、日本の心臓部、頭脳部に当たるこの大都会、大首都の行政を担当してくる間に、これ、何といっても、口幅ったい言い方ですけども、ほかの県と違って、それぞれの県もそれぞれの意味合いがあって国にとって欠かせないものですが、強いて言えば日本の心臓部であり頭脳部であるこの東京の問題は、すぐに、ひいては日本全体の問題になってくると思いますし、そのつもりで私も25年間国会議員やりましたし、何度か閣僚もしましたが、それを踏まえて、東京を預かる限り、東京のためだけではなくて、日本のためになることをやってこようと思いましたが。国との関わりの行政に関しては、ほとんど国の妨害にあって、非常に苦しい思いをしてきました。恐らくですね、私、これからもう一回、国会に復帰しようと思ってますし、新党をつくって仲間と一緒に復帰してやろうと思ってますが、これからやろうとしてることは、全て東京の都知事として過去14年間やってきたことの延長です。  
で、いつも言ってることですけども、私、共産主義は嫌いですが、現在の中国共産党のあの政府を樹立した、彼は国父とされているようですけど、毛沢東が書いた方法論に、矛盾論、実践論という非常に薄っぺらい、しかし非常に印象的な、私、学生の頃それを読みましたが、テキストがありましてね。その中で、特に矛盾論、つまり矛盾というのは目の前にある厄介な問題ってことですが、その矛盾を解決するためには、目先の問題の背後にあるもっと大きな矛盾、それを解決しなかったら本当の解決にならないと毛沢東は言ってます。正にそのとおりだと思いますね。で、私達が、でき得れば国政自身の発意で解決してもらいたい矛盾というのを、しかも大きな矛盾というのを幾つか抱えています。  
その最たるものは、占領軍が一方的に与えた、あの醜い日本語で綴られた憲法だと思います。これは、いろんな悪い影響を日本に与えてきたし、吉本隆明の言葉じゃないけども、一種の共同幻想というものを培った。これは、絶対平和という日本人独特のパシフィズム(平和主義)ですね。  
それから、さらに、あの憲法の非常にいびつな、権利と義務というもののインバランス(アンバランス)というものが、日本人に非常に我欲を培ってきて、国民全体が非常にセルフィッシュ(利己的)になってきたし、それに政治が迎合せざるを得なくなったという今日の状況をつくった。これは私は、私達が解決しなくちゃいけない主要矛盾の最たるものの1つだと思います。  
それから更に、具体的に行政ということになりますと、日本の財政というのがピンチではありますけども、しかし日本はまだまだ余力はあるんだ。あるけども、それを引き出せない、使えない、しかもそれを中央官僚が把握していながら隠している。私が申し上げたいことは、東京という首都の行政を預かって、国家との摩擦の中で感じてきたことは、この国を実質的に牛耳っている中央官僚の独善、彼らは自分たちの特性というものをコンティニュイティ、コンシステンシー、継続性と一貫性と言いますけども、この変化の激しい時代に継続性、一貫性というものにこだわっていたら何ができますか。中央官僚の一番の欠点は発想力がないことです。ないから、自分のある役職について、自分の責任に任された問題については絶対に自分で判断して解決しようとしない。  
この間、通産省とあつれきを起こして辞めた古賀(茂明)君ですか、彼、尖閣の問題でも外務省を批判して言ってましたが、これは外務省だけじゃなしに、全部、日本の国の役人の通弊ですと彼自身が告白してた。自分の手に預けられた問題を自分の手で解決しようとしない。全部棚上げにして、後送りする。そういう通弊っていうものを私たちは変えなくちゃいけないし、これは、地方がそのおかげでどれだけ割を食ってきたか。  
例えば、この中の皆さん、都庁詰めの方も多いから、私が年中言ってきたことですけども、メディアは何でこれを批判しないんですか。日本の国家の会計制度ってのは、こんな馬鹿げたものはありませんよ。単式簿記なんていう、大福帳にも及ばないこんな会計制度でやってる国は先進国には1つもない。日本の周辺にも、強いて挙げると北朝鮮とパプアニューギニアとフィリピンと、マレーシアもそうでしたかな、マレーシアは少し変えつつあるけども、何で発生主義、複式簿記にしないんですか。何で法律をつくって、地方自治体には外部監査を入れろと言いながら、ほとんど入れてる自治体はないけど、東京は入れてます。やっぱり外部監査の専門家である公認会計士に都の財政を洗ってもらうと、私達にとても目に届かない問題がいっぱいあるのが分かってくるんだ。じゃ、国は何でやらないんですか。複式簿記にして発生主義にして外部監査入れたらいいじゃないですか。会計検査院がある限り、会計検査院というのは、内部監査と同じ役人が役人を調べるやつで、そんな機構でこの単式簿記でつくられている財政の虚構というのは暴かれるわけはないんだ。  
経済界もこれに疎くて、私は歴代の経団連の会長に言ってきた。初めは豊田章一郎、それから、キヤノンの何て言いましたかな、それから今の、たぬきみたいなおっさん、あれにも言ったけど、はあ、と言いながら、大体知らないんだ、国が単式簿記でやってるってことを。だからこの国は、皆さんね、バランスシートがないんですよ、バランスシートが。この国は財務諸表がないんですよ。財務諸表がない、健全なバランスシートがない国で、一体どんな健全な財政運営ができますか。これはね、東京で変えたんだ。  
私が就任してすぐに、私の同年代の中地(宏)さんという当時の公認会計士協会の会長に相談して、彼は沖縄出身なもんですから、敗戦直後、日本で勉強できないんで、アメリカに行ってアメリカで学位取って、ライセンス取って帰って来た。たまたま日本でその後仕事を続けて、私が就任したときに日本の公認会計士協会の会長でした。彼と諮って、随分お金をかけて苦労しながら、最初、機能するバランスシートをつくって、それをベースに今日の地方自治体の公式な組織のための新しい会計制度をつくりました。  
これね、やっぱり、企業の会計とちょっと違いまして、非常に難しい点があるんだ。例えば、鉄道っていうのは国の法律だと40年たったら償却されて、資産価値がなくなるけども、この東京に日本で初めてつくられた、浅草から渋谷に通じてるあの地下鉄ってのは戦前につくられた。この地下鉄は、じゃあ、資産価値がないかといったら十分あります。商店街もできたし、改良されたし、あるいは場合によってはシェルターにもなるし、そういうものをアセット(資産)として換算すると非常に難しいんですが、本当に苦労して中地さんは新しい会計制度をつくってくれました。  
ですから、東京はそれやり出して非常に合理化されたし、そのおかげで財政再建できましたよ。私が来たときに、東京の貯金ってのは200億しかなかったけど、それをやり出してから、3、4年間で、一時は1兆1000億ぐらいまで行った。今、だんだん、景気の都合でそれ使ったりして、でもオリンピックできるための4000億の貯蓄がありますし。何で国はやらないんですか。亀井静香君は政調会長で豪腕を振るって、大蔵省、随分揺すぶったらしいけども、その経験で、役人なんか脅かしたら泥を吐くというけど、それはそんな度胸のある政治家、滅多にいるもんじゃないんだ。だったら会計制度、変えたらいいじゃないですか。世間並み、世界並みに。何故、それやらないんですか。何故メディアの皆さん、国民を代表しているんだったら、このおかしな、中世期的な会計制度ってものを変えようとしないんですか。だから民主党も、政権取ったら、財務諸表もない、バランスシートもない国だから、何かとにかく節約して金、絞り出そうと思うと事業仕分けなんてことやるけど、あんなスタンドプレーで物が出てくるわけはない。ということなんですよ。  
それから、まだまだ申し上げることがたくさんある。例えば文部省。これが主導した、あのゆとり教育ってのはどうなりましたか。あれで、とにかく馬鹿みたいな子供達で、たちまち学力が落ちた。気の利いている公立の学校は、1年目から、2年目からこんなの無視して、土曜日の授業を始めた。私立は全く、この言うこと聞きませんでしたな。こういう自分たちの犯した過ちを文部省が公式に取り消しましたか。ゆとり教育の馬鹿なリーダーシップを。これも一つです。  
それから厚生省。これも私達、本当に苦労したけども、今、子供が減って人口も減って、年寄りが増えて、子供の育成、養育って、みんな苦労して頭、悩ましてる。それを都会で保育所つくろうと思ったら、国の規格だったらとてもできない。とてもできない。例えば、預かっている子供1人当たり1.5坪の遊び場つくれったって、そんなもの、新しい保育所建てようと思ったら、20人、30人の子供を扱うときに、20人掛ける1.5坪、30人掛ける1.5坪の土地を買ったら、べらぼうな値段ですよ。こんなもの、何で変えないんですか。  
だから私は、引退してしまったけども、前の東JRの松田(昌士)君と相談して、民営化になってから、国鉄ってのはいろんな資産、持ってます。持て余してるビルもあるから、それ開放して中に保育所つくらしてくれと。子供の遊び場は屋上にフェンス張って、そこで子供、遊ばせようと。これはもうやり出したら猛反対食った。しかし、最初、平成13年に42カ所で始めまして、1267人の子供たちを預かるようになった。それから11年たった今、東京では652カ所、2万2036人のお子さんを預かっている。認証保育所、国はこれ認めないんだ。認可保育所のように補助を出さない。少し出すようになったかも知らんけど、とにかく正式には認めない。こういう馬鹿げた、都会なら都会というものの土地の値段というものの特異性を踏まえた保育行政というのを国がやらなかったら、一体だれがやるんですか。私は、国が認めている認可保育所と認証保育所は全く同質のものだと思いますよ。それは、大都市は大都市で悩みがあるんだ。それを踏まえてこちら、やってるんだから。そういうことを一切、役人は現場を見ないで認めない。こういう行政がずっと続いているんだ。  
それから、私が代議士の頃から取り組んできた、あの横田の基地の問題。皆さん行ったことないでしょう。メディアで行った人いたら、手、挙げてください、この中で。横田、のぞいたことある人、いるかい。ああ、1人いた。そんなもんだよ。行ってみろよ、皆。日本で一番長いランウエイ(滑走路)持った、飛行機の飛んだことない飛行場が、アメリカ軍に占領されっ放しのがあるんだ。これを私達は、何で活用できないんですか。日本の航空事情、多分、皆さんもご存じない。知っていても知らん顔してるのかもしらないが、あと5年たったら満杯になるんですよ。世界からの空からのアクセスってのは、これはやっぱり経済を支える大きな、大きな一つのゆえんになる。それを保持しようと思って、さんざんやってきたけども、外務省は怖がって動かない。かつていた谷内(正太郎)君みたいなしっかりした次官でもなお、最後になると、あれは私の親友だった若泉敬の弟子だったから親しくもあったんだけど、彼でもなお声潜めて、「石原さん、国防総省だけは刺激しないでください」。  
外務省にとってのタブーって、いろいろあるんでしょうな。アメリカ様もそうだろうし、このごろじゃシナ様もそうなった。だから、今度の尖閣の問題でも、何であそこに零細の漁民を救うために…。彼らが乗っている漁船ってのはこのホールの幅ぐらいしかないんです。台湾やシナの船ってのはこのホールの5分の4ぐらいあるんだ。何十人も人が乗っているんだ。それを零細の小さな漁船だと、あそこに時化(しけ)が来て、非常に海流の激しい所で、海の険しい所ですけど、そこで嵐が来て、風待ちといって私もヨットマンだから年中やってきたけども、船を、ヒーブツーといって、風に向かって微速前進させながら、後ろからシーアンカー流す。そういうことをして数日過ごしても、油がなくなっちゃって今度は帰れないんだ。だからあそこに、日本の零細な漁船のために嵐を逃すための船だまりをつくってやってくれ、船のプールだけつくってやってくれと。なぜやらないんですか。あそこ通行するのは日本やシナや朝鮮や、韓国や、その漁船だけじゃないんだ。台湾の漁船だけじゃないんだ。多くの船が通るし、世界全体の船が通行する、あの非常に危険な水域で、あの魚釣島の頂上に大きな灯台つくったら、皆よくわかりますよ。そういうことをやってくれと言っても、外務省はそれすら反対して、野田はせめて灯台だけはつくりたいと言ったけど、つぶされた。こういう外務省。  
それから、横田の問題についても、私は、何といったっけな、京都から来ている前原?あれが外務大臣しているときに、毎年やっているシンポジウムを、横田の問題、日米でやっていて、今度は日本でやった、今回は。そのときに、ジアラっていう前の日本部長と、前のですよ。それから前のです、直前の日本の米軍の総司令官をパネリストに呼んで、2人とも是非それを開放して共同使用したらいい、そういう事例はたくさん世界中にあるんだから、やろうじゃないかということで、協力しましょうとやってきたら、パネリストが大物だと思ったせいか知らんけど、外務省の北米局長が前日にこの2人を呼んで、「お前ら余計なことをしゃべるな。横田の問題はもはや日本のナショナルイシュー(国家の問題)じゃないんだ。くだらんことをしゃべるなよ」って釘刺した。彼らはびっくりして、シンポジウム終わった後、私の所へ来て「一体これはどういうことですか」。こういうね、役所。  
しかも今までは、これは国交省もそれから防衛省も非常に協賛してくれてまして、いつも協力的だったんだけど、外務省も仕方なしに人を送ってきたんだけど、今度は来なかった。「何で人、来なかった」と言ったら、「そんな所へ行かせる必要がない」。私は文句言いに行きましたよ。そしたら前原が、「一地方の行事に国の政府がいちいち関与する必要はない」。「お前、馬鹿か。いきさつも知らずに偉そうなこと言って、貴様、一体どこの大臣だ。どの国の北米局長なんだ」と言ったら、しゃあしゃあとして「私は日本の大臣、日本の局長でございます」と言ったけど、私はそうも思えないね。管轄外だといっても、この問題っていうのは、外務省の高官が日本の航空事情がもうあと数年で逼迫しているっていうことを知らないで済むわけがないでしょう。これも一つの事例。  
それからね、うーん、いっぱいあるね、本当、言いたいことが。  
それから、例えば、日本のおそらく政治家の中で、南鳥島に行ったことあるのは私一人だと思う。別にその功を誇るわけじゃないんですよ。私は、ある可能性があると思って行ったんだ。そしたら、もっとプラスアルファ、とんでもないことが分かった。あの南鳥島ってのは、太平洋トラフに乗っかってて、もともとはタヒチの近くにあった島なんですね。これが10億年かかって、ずっと動いてきて、日本の東南端の、端っこの水域があって、ぽつんとあるものですから、あれは周りに専管水域がある。自衛隊も今までは駐屯してますけど、島が小さ過ぎてなかなか物を運べない。今度、港をつくらなくちゃいけないと思うし、ジェット機も発着できるランウエイを、私と亀井が羽田でやったみたいに桟橋方式で延伸するとジェット機も着くようになるんでしょうが、とんでもないことがあそこでわかったんだ。  
それは、あそこの海にはレアアースがいっぱいあるんですよ。これを開発しようと思っても、わずかな開発費で、調査だけで1年間20億ぐらいで済むんですけども、通産省、やらせない。通産省のその係の課長だか部長が他のプロジェクトやってるものだから、それを許さない。こういう馬鹿な事態がある。  
あそこでレアアースがとれるようになったら、日本は何もシナにぺこぺこする必要なくて、日本の企業が助かるんです。開発する技術だってあるんです。それをやろうと思っても国は本気になって乗ってこないし、政治家がそれを号令するということもない。  
とにかく東京が思いついて東京の発想でやろうと思ったことに、とにかく国は一々、妨害じゃないんですな、知らん顔して、とにかく無視してきた。やれば都民だけじゃない、国民全体のためになることなんだ。排気ガス規制だってそうでしょう。私はトラック業界が本当に死ぬ思いでやってくれて、感謝してるんだけど、そしたら、それに応えて石油業界が、トラックもそこまでやるんだったらということで、日本では今までつくってなかったサルファーフリー(ガソリン、軽油に含まれる硫黄分を10ppm以下まで低減すること)の軽油をつくって提供してくれるようになりましたよ。国民、市民というのは、そこまで国を思って自分達の子弟のことを思って協力するんだけど、国は全然無視してる。結局、東京と同じくやってくれたの、大阪だけだ。あとはわけの分からないNOxの規制、ザル法をつくって、これはあなた方、自分で勉強したらいいけど、あんなものは通用しませんよ、排気ガス規制。そういう経験を、苦い経験をなめてきたから、私はもうこれは限界に来たなと思って、いい年でありますけど、この中央集権、明治以来続いている官僚制度というものをやっぱりここら辺でもう1回シャッフルしなかったら国民が報いられない。  
ということで、有志の仲間と話し合って、とにかく新党もつくり、大阪にもその機運がありますが、そういう仲間と力合わせて、とにかく、この日本の中央官僚が仕切っている、この国家全体を支配する、それは廃藩置県で殿様はなくなったけど、代わりに47都県に仕切ってそこに官僚出身の県知事を送り込んだだけじゃないですか。結局、中央の支配というのがより徹底してきたんだ、今までの徳川時代の藩制度以上に。  
ということでありまして、とにかく私も命のあるうちに最後のご奉公をしようと思って、この日本を支配している非常に硬直した中央官僚の支配制度というものを変えなきゃだめですね、この国は。またそれに便乗してるメディアもある。何を考えてるか知らないけど。  
ということで、今回、知事を辞退することに決めました。これは、東京の都議会は、共産党は別ですけど、党派を超えて非常に協力してくれましたよ。組合も。人も減らしました。10万人いる職員の中で、2万5000人減らしたんですよ。給料だって8割ぐらい減らしたんだ、8割近く。何でやらないんですか。やったらいいじゃないですか。そんなに、会計制度をもう1回洗い直して、外部監査入れたらいいじゃないですか。国の会計制度がいかに隙間だらけで、どんな無駄があるかということを、専門家の外部監査、公認会計士入れて、とにかくやらせたらいいじゃないですか。何でやらさないんですか。会計制度がしっかりしたら財務諸表も出てきますよ。ちゃんとしたバランスシートも出てきますよ。財務諸表って、皆さんね、誰かがこの会社の株、買いたいな、買おうかなと思うときに、この会社の実情を知るために必要な、絶対必要な資料なんだ、財務諸表。ないんだから、政府には。バランスシートもないんですよ。こんな基本的な間違いが続いている国というのは、私は先進国で日本だけだと思うし、ほかにあったら教えてもらいたい。  
ということで、これは本当に性根据えて中央の役人と戦っていかないと、この国はずるずるずるずる、アリ地獄に入ったみたいに沈んで、そのうちに窒息して死にますな。  
ということでありまして。引退の決心というか、辞任の決心をいたしました。決してこれで政治をやめるわけじゃありません。もうちょっと違った形で、大きな形で、お国に最後のご奉公をしようと思ってます。  
以上であります。質問があったら、どうぞ。 
【質疑応答】  
[記者] 都知事を辞任する、そして新党を結成するという、このタイミングはどうして今なんでしょうか。  
[知事] 私はやっぱり、やり残したことがあったんです。それは、オリンピックは、これはちょっと皆さん勘違いしてらっしゃる。これは、オリンピックの主催者はJOCであって、体育協会であって、ロンドンだってリヴィングストンからボリス・ジョンソンに代わりましたし、これは首長の出る幕がほとんどないんだ。ですけど今のJOCがあまりにひ弱だから、何でもかんでも乳母日傘(おんばひがさ)でやってる。 大事なことは、何ですかね、タイミングということでしょうけども、尖閣の問題を、これは私しかできないものだと思って、私、自負してやってました。これもとっても大事なことで、あそこが崩れていけば一点突破、全面崩壊になるからね。だけど、国が何か人気取りか何か知らんけど、札びらで持ち主の頬を叩いてああいう形で決着したんでね。あとは政権、どうせ変わるでしょう。当然。その次の自民党が主体になるでしょう政権に私は期待するしかないし、あそこで皆さん、拠金されてきたものは、その政府がきちっと、零細な漁民のために船だまりをつくる、あるいは国をまたいだ航行者のために、生命、安全、保全するために、とにかく灯台をつくる、そういうことのために活用してもらうように、まさに私が国会議員になってそれを監督し、督促していきたいと思ってます。はい。  
[記者] 辞任の時期と新党結成の時期、具体的に決まっていますでしょうか。  
[知事] 辞任の時期は今日ですよ。ですけどこれは、自治法では1週間後ですか、議会が開かれてそこで承認していただく。新党結成は、今日でも昨日でも明日でもやりますよ。もう準備もできてますから。  
[記者] 次の衆議院選挙にはどの程度、候補者を擁立しようというお考えなんでしょうか。それから、自民党が軸ということは、自民党と連立を組もうというお考えなんでしょうか。  
[知事] いえいえ、そんなことは考えてません。大体、自民党は第一党にはなっても、過半、取れないでしょうからね。取れっこないと思いますよ。 ですけど、自民党もね、私は本当に自民党に苦い思いをして愛想尽かしてやめた人間ですから、自民党に戻るつもりないし、今の自民党もそんなに評価できませんな。私は、安倍晋三君とは彼が総裁に出る前に、ある人の紹介で、昔から知ってますけど、長い時間話しまして、飯も食って、あのとき尖閣についてだめ出したことと大分トーンが違ってきたね。  
[記者] 候補者の数はどの程度。  
[知事] これは、1つの、仲間であります平沼さん達がやってるたちあがれ日本が、私も参与して塾を開いて、3、40人の国会議員の候補者を育成してきました。それは非常にレベルの高い人で、試験もしましたし、論文も提出させて、それでコミュニケーションをちゃんとやった。識別をした。ですからこの人達は、当選するかしないか分かりませんが、しかしやっぱり有力な候補になり得ると思います。 ただやっぱり選挙制度が良くないよ。やっぱり中間選挙に戻さないと、政治家はもうスケールがちっちゃくなっちゃってね。とにかくこの間、ある時期に橋下君が言ったな、8月か9月に皮肉たっぷりに、衆議院議員、今頃みんな盆踊りやってるよと言ったけど、そのていたらくになっちゃった。これはやっぱり小沢一郎と河野洋平が馬鹿だからこういう選挙制度やったんだ。完全に間違えましたな。 どうぞ。  
[記者] 知事が常々おっしゃっている官僚政治の打破ですね。私もそのとおりだと思いますが、これはある大臣経験者から聞いたんですが、官僚が好きに使える特別会計、あれをつつこうとしたところ、もう翌日には、その時の大蔵省はその政治家の口座の内容、それから愛人問題までもうつかんでて脅された。もうこの国を救う、この国を立て直す、あそこに切り込むには、特別会計を切り込むしかないんですけども、知事が、石原慎太郎氏がそれをやろうとすると、またそういう目に遭いませんでしょうか。ぼろぼろになるお覚悟はおありでしょうか。  
[知事] ありますね。やったらいいじゃないですか。で、やっぱり、私は名前を挙げて言いませんが、ある野球のチームのオーナーでもある有名な彼が一代でつくった会社の社長が、政府の審議会に行って非常に大蔵省にとって耳の痛いことを言うと、すぐ翌日ぐらいに自分の子会社に査察が入るそうですよ。それはやっぱり汚いよね、そういうやり方ってのは。万機公論じゃないんだよ、この国はもう。まさに役人に背く人間はそうやって誅殺される。これは本当にいじましいというか、困った話ですな。  
[記者] 役人の言いなりになっている記者クラブはどう思いますか。  
[知事] これも情けないね。あんまり勉強してないし。物を知らないし。  
[記者] 今回、任期を2年半残して辞めるということで、都民の方260万票、前回とって当選されております。どのようにご説明されますか。  
[知事] これはしようがない。もうちょっと大事な、もうちょっと大きな、都民のためにもっと役に立つ仕事をしようとしているんですから、必ず都民は理解してくださると思います。  
[記者] 中には、自分たちの東京都を放り出して国のほうに行ってしまうんじゃないかっておっしゃる方もいるかと思いますが。  
[知事] いや、放り出すわけじゃない。東京のために国政でいいことをやらなくちゃいかんと思う。さっき言ったようなこと皆さんは知ってるじゃない、東京新聞だったら。皆妨害にあってきたじゃないですか。何で例えば、認証保育所を日本中でやらないんですか。土地が広いところがあったらいいよ。しかし、人口がないんだ、そんなところはな。都市で国の規格のとおりに認可保育所つくろうといったって、できませんよ、そんなものは。採算が合わないから。そういう質問が出てくるのは心外なんだ、僕はな。  
[記者] 後継の候補者の関係なんですけど、知事定例会見で考えている、いい人がいればというお話をされてましたけれども、具体名を今後挙げられたりという状況はあるでしょうか。  
[知事] ありますね。私は猪瀬さんで十分だと思う。あれだけ優秀な副知事は私、見たことないね。役人出身じゃないからね。彼はやっぱり、物書きにしては私なんかよりもはるかに数字が分かって、数字の虚構が分かって、僕は本当に非常に重宝してますよ。私が思いついたことを彼はすぐキャッチしてそれを分析して、数字の裏打ちもして、僕の代わりに行動してくれる。私は彼を迎えてから非常に楽をしましたな。やっぱりああいう人がどんどん登場していくべきじゃないかと私は思いますけども。  
[記者] もう1点すいません。この前の土曜日に放映されたTOKYOMXの「東京の窓から」の番組の中で、最後に、万が一総理大臣になったら、形を変えた徴兵制のようなもの、最低でも、最低の場合、海外青少協力隊というようなお話しがあったと思うんですけれども、ああいうものというのは、やっぱり新党を結成する際には柱の政策として掲げていくんですか。  
[知事] さあ、これは私個人の意見ですからね。ただやっぱり、今の若者を、鍛え直すというと激しい言葉になるかもしれないけど、もうちょっとしゃんとしてもらうためにも、人間の連帯感というものを把握し直すために、私は2年間なら2年間、自衛隊でもいいし消防でもいいし、警察でもいいし、あるいは海外協力隊でもいいから、ある連帯責任を負って無償の行為をするという、そういう経験をしてもらったほうがいいと思う。 ただ、それ言うと「そんなこと言うと人気が落ちて選挙に差し支える」という人がいるけど、高校卒業の人間に投票権なんかないんだから、彼らはそんな体験したら、おそらく成人になって投票権持ったときに、「自分は人生でとってもいい経験した」と思ってくれると思いますよ、私は。ま、やるかやらないかは、これはやっぱり仲間の相談、それからやっぱり政府の結局あれでしょう、私が総理になることは全くありませんから。 僕はね、自分の文学の活動も含めて、何ていうのか、トンネルを掘るその削岩機の、一番銛(もり)の銛先みたいなことをしてきた。だからトンネルが開いて向こうとつながって風が吹き込んできたときも、それでいいんです。あと開会式のときには、開通式のテープカットは出る必要がないんだ。それは私の宿命だと思ってますから。  
[記者] 憲法の問題についてお伺いします。知事は今まで、日本国憲法について、これは無効であり、破棄すべきだという、ずっとおっしゃっていましたが、それは次の総選挙では公約とされるお考えでしょうか。  
[知事] それは言葉が短絡的で激しいから誤解を受けやすいんですけど、今の憲法の合法性というのはどこにあるんですか。だったら、既にそれを知っているから、読売のナベツネさんもそうだよ、中曽根さんもそうだし、私たちの仲間のたちあがれ日本も、それぞれの憲法の草案持ってますよ。そういうものを持ち寄って、3つなり4つ合わせてブラッシュアップして新しい憲法をつくって用意して、即それに変えたらいいじゃないですか。 法学者に聞いたって、占領軍が占領統治するためにつくった基本法が、独立を果たした後も通用する事例というのは世界にないし、それを拘束する法的なバリアってどこにもありません。 吉田茂の間違いは、あの人は経済国家、経済界を指示したんでしょうが、しかしやっぱり独立した後、サンフランシスコ条約であの憲法を廃棄してすぐに自分たちで新しい憲法をつくるべきだったんだ。それをしなかったのは吉田茂の最大の瑕瑾(かきん)だと思いますな。  
[記者] 憲法改正でなく、廃棄ということですか。  
[知事] 廃棄じゃない。全部変えたらいいんですよ、あなた。あなた全文読んだことある?あんなの英文翻訳じゃ70点もとれない拙劣な日本語だよ。助詞の間違い方が3つも4つもあるよ。  
[記者] 日本国憲法が今も無効だとすると、今まで戦後69年、憲法に基づいてつくられた法律ですとか制度の整合性が問題になると思うんですが、これはどうお考えですか。  
[知事] それは考え直したらいいんじゃないですか。それが不当なものだったら変えたらいいじゃないですか。物を変えるということをヘジテート(ためらう)したら、ただの役人になっちゃいますよ、あなた。変化の時代なんだから。 もういいよ、これもう。同じ質問ばっかりで。  
[記者] 国会議員になろうというふうにお考えということ、国会に戻られるという発言があったかと思うんですが、具体的に言うとどの選挙区からお立ちになるかというのを決めておられるんですか。  
[知事] 比例でしょうね。私は橋下さんが出るべきと思うけど、大阪の橋下さんは、それは、あえて知事から市長になった。非常に日本に滅多にないいろんな問題がある限り、彼の辣腕だったら1期やったら解決すると思いますよ。その後、彼が立候補したらいい。その間、私はワンポイント先発ピッチャーでいきますよ。  
[記者] あと年齢なんですが、80歳。  
[知事] そうです。まさしく80歳なんだよ。何で俺がこんなことやらなくちゃいけないんだよ。若い奴しっかりしろよ、本当に。  
[記者] 健康面の不安はないということで。  
[知事] ないね。さんざんチェックしましたがね、医者のお墨つきも出たんで。  
[記者] 気力の衰え等もないですか。ご自身の、都知事になられたころに比べると。  
[知事] 気力の衰え、気力ばかりは盛んになってるけどね。体力は落ちてきてますよ。また朝日か。もう質問同じだろう、お前。  
[記者] 新党に関することなんですが、まず政党の名前というのはもう知事の中でお決めなんでしょうか。  
[知事] いや、幾つか候補がありましてね。今日、この引退声明をした後、仲間達とまたその問題について話そうと思ってます。はい。  
[記者] 今日でも明日でも、時期はいつでもというようなお話をされていらっしゃいましたが、知事の中では、何日にという結党時期は頭にございますか。  
[知事] 何が。  
[記者] 何日に結党するかという結党時期。  
[知事] 今晩、結党するんだ。  
[記者] あと1点、すいません。初めに参加される国会議員とメンバー、人数、どういう形になるんですか。  
[知事] 分かりません、これは。予想外の人たちも随分いるみたいですから。  
[記者] すると、基本的には国政政党。  
[知事] それは違いますね。  
[記者] 違う。  
[知事] それだけじゃとても飽き足りないから、やっぱり若い人を出さなきゃ駄目だということを言ってきたし、一緒にやってきた平沼君にしたって、園田君にしたって、もう自分はこれは最後の選挙だとみんな思ってやってますからね。  
[記者] 国政政党をつくるということと違うということですか。  
[知事] 何だ、言っている意味、よく分からない。  
[記者] 国会議員5人以上でスタートするという理解でいいんでしょうか。  
[知事] いや、もっと数字になんじゃないの。4時になったら終わるぞ。…おっ、シナびいき。  
[記者] 何をおっしゃいますか。知事は、おそらく比例で立たれれば、国会議員には当選すると思いますけども、なかなか、じゃあ、過半数、石原新党で取るかというと、国会議員、石原新党で衆議院の過半数というのはなかなか難しい。  
[知事] そりゃ難しいでしょう。そんな。  
[記者] そうすると、日暮れて道遠しでして、先ほど、せっかくおっしゃっているような政策も実現できない。そうすると、どこかと組まなきゃならないんですよね、ほかの政党と。それは自民党、公明党、今の自公が中心になるのか、あるいは。  
[知事] そんなことは君、やっぱり政局というのはどんどん動いていくんでね、どの政党がどれだけの数を獲得するのか分からないんだから、愚問だよそれは。先のことは分かんない。ケセラセラ。  
[記者] 共産、社民と組むこともあり得る。  
[知事] あり得ないね、それは生理的に。小沢と組むこともないだろうね。  
[記者] 先ほどのお話の中で、いろいろな動きが、新党の動きがある大阪のほうのお話しになっている文脈で、こういう仲間と力を合わせていくという部分もおっしゃったように聞こえたんですけれども、維新の会とはどのような連携を今考えていらっしゃいますか。  
[知事] まず連携、連帯でしょうね。そのことで政策のすり合わせも随分してきましたから、橋下さんとは。そりゃ、連合になるかは分かりませんよ、そりゃやっぱり。あるステージが来たらそうなるかもしれない。  
[記者] 2点お伺いしたいんですが、まず、辞表をご用意されていたと思うんですが、いつ、どのようなシチュエーションでお書きになったのかというのをお伺いしたいのと、あともう1点、ちょうど知事の目の前に東京オリンピックのポスターもありますが、東京オリンピックの招致に関してはどうお考えなのかというのを教えてください。  
[知事] さっき言ったじゃん、オリンピックについては。  
[記者] あ、オリンピック、そうですね。  
[知事] 辞表?辞表なんかは1年前から書いてるよ。そうでもないか。ま、1週間ぐらい前だな。はい。新宿新聞?  
[記者] はい。  
[知事] 頑張れよ、お前。ましな質問しろ、ましな。  
[記者] 大阪維新の会との連携、協力ということをおっしゃっていますけれども、例えば大阪維新の会では、橋下さんが原発問題では、30年にゼロにするというふうな方針のようですが。  
[知事] 30年代ね。30年代でしょ。  
[記者] 2030年代…。  
[知事] あなた、同率とか同額とか間違うけどさ、大事なんだ、そこのところは。質問するときは、正確な数字を踏まえて物言いなさいよ。  
[記者] はい。2030年代に原発をゼロにするということをうたっておるようですね。それで、石原慎太郎都知事の場合はそうではないということで、枢要な政策において、重要な政策においてその点では一致しないと思うんですが、それでも何か連携していくことが。  
[知事] あのね、原発が何のためにあるかっていったら、要するに社会全体にエネルギーを供給するためのツールでしょ。で、その需要にあずかる者は、普通の市民でもあり、家庭で電気も使いますけども。やっぱり大きな意味を持つのは日本の経済というものの支えですよ。 で、何年前ですか、電気料金が急に上がったときに、あの瞬間に日本のアルミニウムの企業っていうのは全滅したんですよ。こういうことをやっぱり私たち、思い直さなくちゃいけないと思う。電気料金が上がったら、今は鉄工所なんかも、夜間の料金が安いから昼間休んで夜だけ操業してるんだ。そういう会社がたくさん出てきた。ということは、やっぱり、そりゃ誰でも経済が大事でしょう。だから、経済というものを、どうやってこれから再生化していくかということのためにも、10年なら10年の緻密な計画を練って、シミュレーションやって、そのためにどれだけの電力が要って、これだけのものが要るんだっていったら、何%は原発に依存すべきか、すべきじゃないかということも論じたらいい。それもなしにいきなり30年全廃とか、それから何%って、3つぐらいケースがあったのかな、わけの分かんない。ああいう、ゼロにするか15%か25%、ああいう乱暴な提案というのは、提案にもならないですよ、本当に。国民が混乱するだけでね。だから、そういうシミュレーションをちゃんとやりなさいと、さんざん民主党に言ってきた、自民党にも言ってきたけど、やらないね。  
[記者] 大阪維新の会も、その点では、何か訂正を申し込むとか、何かそういうこともお考えになるんでしょうか。  
[知事] いやいや、だからその問題については、やっぱり政権っていうものがどういう形でできるかわかりませんけど、新しい国会の構成の中で、それこそ政局絡みでだな、話し合ったらよろしいんで、今の自民党にも民主党にも、いろんな政党の中にかなりいろんな異論を抱えている人がいるんだから、それが政党というものじゃないですか。それ、一々ね、100%、すなわち何ていうのかな、みんな合一して、それじゃなかったらスクラム組めないっていうのは、それは政党の体を成してないと同じだと思いますよ、私は。  
[記者] 重要な問題としまして、消費税の問題もあるでしょうけれども、原発の問題もその1つ、そういう主要点で一致させないと、やはり連携、協力というのは難しいんじゃないかと。  
[知事] だから、これからそれ、議論したらいいじゃないか、すり合わせのために。橋下君とその話してますよ。ただやっぱり、トップの2人だけが話してもしようがないんで、それはやっぱり各政党の各グループの稟議にかけたらよろしいんでね。だからこちらも乗り込んで行って異論を唱えますよ。向こうも入ってきて異論唱えたらいい。それで初めての本当の連帯ができていくんじゃないの。人間の関係って、そういうもんじゃないですか。  
[記者] 新党では代表を務めるんでしょうか。役職はどう考えてますでしょうか。あと、主要政策も教えていただきたいんですが。  
[知事] いや、だから、それはね、さっき申し上げたこと、その一部でありますよ。あとプラスアルファあるでしょ、それは。  
[記者] あと、新党での役職、代表になるんでしょうか。  
[知事] 代表ですな、私は。はい。はい、どうもありがとう。 
 
「日本よ」石原慎太郎 / 2002/7-2007/1

10年後の東京  (2007年1月) 
東京都知事に就任してからよく東京の近未来像についてただされたが、そう簡単に答えられるものではない。絵に描いた餅(もち)ならいかようにも言えようが、現実性のない将来像など意味もない。しかし、時代の変化になすがままということでは行政の責任も問われよう。  
この1年間、オリンピック開催も念頭に入れながら多角的にシミュレーションを行い、ようやく昨年暮れに信憑(しんぴょう)性のある向こう10年間における東京の改修計画を作成した。  
そのための大切な要件の一つが、日本全体は人口の減少が進むだろうが、東京の人口は必ず増加する。ということは人口が表象するように、東京への集中集積はますます進むだろう。その集中集積を、日本の心臓部、頭脳部たる首都として十分に活用させるためのインフラの整備は当然のこととなる。  
私が就任してから政府との交渉でようやく建設の凍結を解除させた外郭環状線と、8割方出来上がってきている圏央道の2つの環状線が整備されれば、東京の機能を阻害している中央部での渋滞は劇的に緩和され、正月とお盆時の交通状況となり、中央部では現況平均時速18キロ未満の車の速度は25キロとなり、都市としての便宜性も向上する。例えば、公民合わせれば世界の都市で一番数の多い東京中の美術館、博物館の存在意義も発揚されるだろう。  
加えて10年後の東京の緑地の面積は、東京湾の皇居ほどの大きさの埋め立て地を全島緑化し森の島とするが、併せて公立校の校庭の芝生化や屋上緑化などを含めて1000ヘクタール増加させる。これはサッカー・グラウンドにすると1500面分となる。さらに並行して家族の記念としての植樹を市民に呼びかけ、街路樹の数を今の倍ともする。  
先日、日本サッカー協会の川淵三郎会長と一緒に、すでに行政も援助して出来上がった校庭が芝生化された小学校を訪れてみたが、校長先生の説明だと休み時間の子供たちの生態が健全に一変したという。傷んだ芝生のために子供たちはそれぞれ教室で、大型のペットボトルの底部分を活用した十数センチ四方の芝の苗床を作り、鋏(はさみ)で穂先をカットしては芝を育てている。何よりも直截(ちょくせつ)な自然との交流に違いない。  
政府はこの今になってようやく市街の景観を規制する法律を定めたが、思えば私が初めて閣僚として勤めた旧環境庁で景観への規制をいい出し、新幹線の沿線の緑の田畑や森林の中に忽然(こつぜん)と現れる、もろもろの商品のための野立ての看板の時限つきの撤去を提案したものだったが、経済効果優先の当時の通産省の猛反対でつぶされてしまった。  
あれから時を経てようやく、この国の政治も真の成熟を志すようになったのかと慨嘆させられるが、都はそれに加えて市街を彩るけばけばしいネオンの色やビルの屋上の巨大広告板を規制撤廃していきたいと思っている。かつてドゴール政権の下で文化担当相だったアンドレ・マルローは排出ガスでくすんだパリの街の洗い直しを行いネオンサインの色の規制も行ったが、パリは驚くほど明るく、しかしなおしっとりとした雰囲気を取り戻し蘇(よみがえ)った。しかしこの日本では下手をすると、またぞろ、憲法を盾に表現の自由とかで、新宿歌舞伎町のあのあざとい色彩の氾濫(はんらん)の是認を主張する手合いが現れるかもしれないが。  
東京の川もまたこの機会に蘇らせたいものだと思っている。東京に限らず日本の大方の川はコンクリートを使ったいわゆる3枚張りとなり、川としての機能も風情も失ってしまった。日本に長いアレックス・カーの著書「犬と鬼」によると、訳のわからぬ建設事業の推進で日本でのコンクリートの使用量はなんとアメリカ全体の2倍という。その巻き添えで東京の川も、先人たちがせっかく造った運河も実質死んでしまった。  
東京商工会議所初代会頭の渋沢栄一は水路の多かったかつての江戸の機能をそのまま生かし、東京を東洋のベネチアにしたいといっていたそうだが、今日の体たらくだ。江戸の象徴ともいえる隅田川はどこもここものっぺりしたコンクリートの護岸となりはて何の風情もない。どころか、小舟で川を行き来しても、ここという所で岸に上がるすべもない。川べりに建つビルのすべてはどれも川には背を向けて、裏口とて川側にはついていない。都市全体が川という大切な機能を封じてしまっている。  
無残な例は、かつての木場は東京湾に移ってしまい跡地は公園にされたが、公園を使う都民の便宜のためか、水路にかけられた橋は車で過ぎる都合のためかもしれないが、水面を行くためには低すぎて中には手こぎのボートでさえも頭をかがめてはいつくばらなくては下をくぐれないという愚かさだ。  
ロンドンの象徴のテムズ川沿岸の通路は市民や観光客たちにこよなく愛される絶好のリゾートとなっているのに、かつて世界に冠たる大都市としてあった江戸の歴史と文化を表象する隅田川の最たる利用者が、護岸の壁を頼りに住むホームレスだけというのはなんとも悲しい話だ。  
しかし時間をかけて見直してみれば、首都としての東京の近未来にかけての可能性は計り知れないということがよくわかってきた。それを掘り起こし直し、近い将来での可能性に導いていくことが今東京に在る者たちの、ひとり東京といわずこの国への責任と思われる。その気になればできることなら、その気になって始めなくてはなるまい。  

 

情報氾濫のもたらすもの  (2006年12月) 
先日東京の教育委員たちと懇談した折、委員の一人が最近久し振りにヨーロッパに長期滞在したが気づいて観察してみたらどの国においても中学生、高校生の年齢の子供たちで携帯電話を持っている子供を全く見掛けなかったと報告した。向こうの知人に質(ただ)したら、価格からしても、その料金からしても子供が与えられる小遣いではまかなえるものではなく、当たり前のことだといわれたそうな。この挿話は私にとってはきわめて印象的だった。  
日本の子供たちがなぜ携帯電話などという道具に偏執するのかはある視点からの分析が必要だろうが、さらに、携帯電話の普遍による便宜性が日本の社会に何をもたらしたかを考えるのも、今日の日本社会の歪(ゆが)み、歪(ひず)みを解明するに大事な手がかりと思われる。  
携帯電話とかパソコンといった現代文明の所産は通話による情報交換の便宜の末に、情報の氾濫(はんらん)をもたらしたといえる。その結果多くの人間たちは大脳生理学の公理になぞらえていえば、実がなりすぎて上部の大脳が肥大しすぎ肝心の幹である脳幹の発育が追いつかず、嵐が来たら上の重みに耐えきれず簡単に折れてしまうリンゴの木のように、過剰な情報を収(しま)いきれずに人間としての本質を失いつつあるような気がしてならない。  
子供たちの所持している携帯電話には規制の無いまま、売春や変質者の嗜好(しこう)に応えて容易に多額の金を手にする手引きまでが盛り込まれている。それらの情報は風俗の紊乱(びんらん)にとどまらず、若い世代の人間たちの人間としての本質を狂わせてしまいかねない。こうした状況は性愛に関していえば「体は手に入るけれど、心が手に入らない」といった根源的な喪失を生み出してしまう。今時の若い女の子たちが「腐女子」などと呼ばれるような兆候は、喪失以外の何ものでもありはしない。これは若い人間たちだけではなしに、総じて情報の氾濫に巻き込まれている人間たちを本質的に衰弱させてしまう。  
ある哲学者はそれを人間の本質的貧困化といったが、要するに、個人が行うべき情報の整理や分析評価を、それがあまりに過剰なためにその作業そのものをも他の情報に頼るという現象だ。その表象の最たるものは現代のメディアの報道の内容で、そのほとんどは報道の主体者たる記者自身の取材、判断、評価に依らず、あるあてがいぶちの情報に依るだけのことがほとんどだ。  
私は最近都のある行政に関して一方的な中傷に晒(さら)されたが、問題なのは確たる情報の精査や取材もせず、(私が直接取材を受けたのはただ一社のみ)ことの真意の曖昧(あいまい)なままに、ただセンセイショナルな報道を行ってしまうメディアの姿勢で、この件では2つの警告を行ったが、それで追いつく話ではない。現代メディアがいかに猖獗(しょうけつ)していようと、その実質はいかにも軽く薄く危ういものでしかない。  
首都大学東京准教授の宮台真司氏が面白い分析をしていたが、そもそも情報なるものは現実を希薄にしてしまう。第一に、情報は勘違いを難しくしてしまう。昔は勘違いだらけだったからこそ夢を追い試行錯誤があった。情報に依って、「どうせ現実は−」という容易な断念は人間の想像力を減退させてしまう、と。  
第二は、情報化は規範の輪郭を曖昧にしてしまう、と。昔は良いこと悪いことの境目がはっきりしていたが、今は昔は有り得なかった情報によって、例えば性愛に関していえば、スワッピングや乱交などという風俗が晒しだされ禁忌なるものが消滅してしまい、それを侵して超えるといった姿勢や行為の濃度が希薄となり人間の活力の低減に繋(つな)がっていく。  
第三には、現実を入れ替え可能にする、と。かけ替えない体験だと思っていたことが、「そんなものはよくあることだ」といなされ、素晴らしい女性だと思っていたのに「よくある女だよ」と水をかけられてしまう。  
つまり自分の感性や情念にのっとった決断や選択の、自らの人生における比重がごく軽いものにされてしまうことで、生きるということの中での、人間としての積極性が殺(そ)がれてしまう。これは人間全体にとっての損失以外の何ものでもありはしない。  
生きていく中での人生の不可知さ、未知なるものへの恐れや憧(あこが)れは、生きて自分にしか出来ないかも知れぬ試みを手掛けることでの満足、充実のよすがの筈(はず)だが、それがはなから疎外されていてはなべて「新人」の登場の余地などなくなってしまう。人生そのものが既視現象になってしまえば生きることそのものが無意味にさえ感じられてしまうだろうに。  
最近の芥川賞の候補作のほとんどが時流を読んでの一種のマーケッティングに依っているのも、その証しかも知れない。  
人間はさまざまな体験によって育(はぐく)まれ成長し、それぞれの個性、感性に依る試みを成就することで社会に対する己の人生の意味合いを感知し、さらなる生きがいを知り、新しい意欲を造成していくものだが、情報の氾濫が既知性で社会を覆えば社会そのものが衰退していくのは道理だろう。  
昔アレクサンダーやオグバーン、フロムといった社会心理学者たちが指摘した文化遅滞(カルチュラル・ラグ)なる公式、人間自身が開発し推進した新しい科学技術体系が逆に人間たちを大きく規制し、それに対する人間の適確な順応が有り得ぬ時、社会の崩壊さえが有り得るという警告に、真摯(しんし)に耳を傾けなくてはならぬ時代に至ったような気がしてならない。  

 

核開発の是非  (2006年11月) 
最近になればなるほど、昔司馬遼太郎氏がよく口にしていた言葉を思い出す。「日本人というのは不思議な人種やなあ。多くの連中にとってある種の観念の方が目の前の現実よりも現実的なんやから」と。  
国家民族の存亡に関わる「平和」についての日本人の考え方捉え方についてもしみじみそう思われる。平和を望まぬ者などどこにもいはしまいが、「平和」とはある国家なり社会の現実に在る姿であって、その安定した姿が確立されていなければ「平和」は平和として成り立たない。平和を願って成立させるためには、現実的なさまざまな配慮手立てなくしては有り得ない。  
田中美知太郎氏の至言に、「憲法で平和をいくら唱えてもそれで平和が確立する訳はない。ならば憲法に、台風は日本に来てはならないと記すだけで台風が防げようか」とあったが、平和にしろ何にしろ、多くの人間が願う理念の実現には現実的な手立ての積み重ねが要るし、それを脅かしかねぬものが在るとするならその排除、防御が現実の手立てとして必要となる筈だ。  
多くの同胞を誘拐拉致し、多量の麻薬を持ちこんで売りさばき、多量の偽ドル札を横行させている、まさに強盗に匹敵する隣国がさらに加えて核兵器を開発して、それをかざし日本を瞬時にして火の海にもして見せると我々を恫喝(どうかつ)している時、それを防ぐ日本なりの手立てとして日本の核開発について議論せざるを得まいという、与党の政策責任者の中川昭一氏の発言が、非核という理念をかざして非難されるという現象は司馬氏の慨嘆を借りるまでもなく滑稽、愚かとしかいいようない。ある種の理念の前では自由な現実的議論さえ封じられなくてはならぬというのだろうか。  
そうした非難の前提にはアメリカの核の抑止力への盲信が透けて見えもする。核戦略の技術は刻一刻変化進歩しているが、日本人の核に関するある理念を表象している、佐藤内閣時代にいい出された非核三原則なるものが踏まえた当時のアメリカの核戦略の抑止力のメカニズムそのものも、NORAD(ノース・アメリカ・エア・デイフェンス)とSAC(ストラッジ・エア・コマンド)の仕組みからして当時の日本には全く及ばぬものだった。沖縄返還の際に言い出された非核三原則なるものの空虚さについて、驚くことに日本の政治家としては初めて現地を視察した私にNORADの司令官が明言した通り、アメリカの核戦略に関する警備体制はその名の通り北米大陸のみを対象としたもので日本への攻撃の察知には全く役に立たないものでしかなかった。  
当時の参院議員予算委員会で「核は作らず、持たず、持ちこませず」という三原則は語呂合わせの阿呆陀羅経のようなもので、作らぬ、持たぬが故に持ちこまさせるべきはないかと質(ただ)した私に佐藤首相は、「これは国是だ」とつっぱねたが、佐藤氏の兄の安保を相務条約として改定した岸信介首相の所信はあくまで核二原則で、故にも日本への核の持ちこみ是としていた。  
ごく当たり前の話しで、従来現実日本に寄港するアメリカの重要艦船が搭載している核兵器を、寄港の前にどこで外して下ろすかなどという話は聞いたこともないし有り得る話しでもありはしない。  
しかし種々技術の進歩で核兵器の運搬手段も変化し、現に支那海に遊弋しているアメリカ原潜には迎撃困難な強力な巡航ミサイルが搭載されるようになりはしているが、当のアメリカの国力の減退、孤立化傾向の中でそれでもなおアメリカの日本防衛のための十全なパートナーシップが期待できるか出来ぬかは将来論のあるところに違いない。前にも記したが、アメリカは多量の人命の喪失に繋がる軍事的コミットメントにはますます躊躇するだろうし、その一方中国は毛沢東以来の伝統、半ば国是として、千万単位の人命の喪失には無頓着でしかない。  
そうした状況の中でさらに強盗国家の北朝鮮までが核兵器の開発を提言着手している現実に、日本が自力でどこまでどう対処すべきかを論じることそのものを非難するという神経は売国的とすらいえそうだ。  
私がかつてアメリカの核戦略基地を視察した頃、当時の沖縄返還を巡っての非核三原則とアメリカとの繊維交渉のもつれを踏まえて、毎日新聞が日本の核保有について世論調査った結果は、その是非の数値が35対36という際どいものだったのに驚かされた。そしてNORADとSACの体験事実を踏まえて「非核の神話は壊れたか」という論文を書いたことがある。その時点では、私は条件つきで日本の核保有は得策ではないとしていたが、日本に決して好意的とはいえぬ中国の得体の知れぬ核軍備拡張と悪意むき出しの北朝鮮の核開発という現況の中で、その気になれば簡単に成就可能な日本の核保有の是非について、まず議論をしてみるというのは日本の平和と安全の確保のために当然の姿勢と思われる。  
ちなみに中川氏の提言が、日本の核保有の可能性を熟知し一番恐れている中国外交上にどんな影響を与えたかを眺めるがいい。  
中川発言は当然のこととして中国の北朝鮮の核保有に関しての姿勢を大きく規制したし、今後も深い影響を与えるだろう。発言は平和という一つの重要な「現実」を形成していくために、現に強いインパクトをもたらしているということを、平和を願う者たちこそが知るべきなのだ。  

 

日本の近未来の危機  (2006年10月) 
時間的、空間的に狭小となった今日の世界では、近隣の外国の趨勢(すうせい)が自国に大きな影響を与える可能性は多大となった。その視点で考えればアメリカ国防総省が「彼らに脅威を与えている国などありはしないのに、極端な軍事力拡大を行いつつある中国の姿勢は不可解」といっているように、太平洋の覇権まで目指して軍事大国になりつつある中国の今後の在り方は日本の近未来を左右しかねぬ要因をはらんでいる。  
現在でも日本は靖国神社がらみで中国に引きずり回されていると思う人もいようがそれは政治、経済がらみのことで、ほとんどの国民は太平楽をきめこんでいて国際関係での危機感などありはしまい。  
米ソ対立の冷戦構造の頃にはソヴィエト機の北の領空侵犯の度に日米両空軍のスクランブルが繰り返されていたものだが、日本の国民にさしたる危機感などありはしなかった。それは相対的に眺めてアメリカの国力の圧倒的な優位への信頼感に依(よ)ったものだったが、これから日本に到来しようとしている事態はかつてとかなり違っている。それはなんといっても同盟国アメリカの国力の衰退と世界での孤立化という要因に依るもので、それへの冷静な認識無しに我が国の安全の確保はありえない。  
無為のまま放ったらかしされてきた日本では最長の滑走路を持つ横田基地の共同使用が、アメリカ側の軍備の合理化のためというトランスフォーメーションの巻き添えで遅滞させられてきた過程で悟らされたことは、アメリカはその国力の限界を悟り出し、日本にそのための金を使わせながら日本から逃げ出す準備にかかっているという実感だった。間もなく、戦争好きのアメリカが行う戦争はあくまで石油とイスラエルのためのものでしかなくなるだろう。その信憑(しんぴょう)性については専門家たちにまかせるにしても、アメリカの国力への妄信はタブーだと思われる。  
そして我々が中国、北朝鮮という隣国と構えている緊張は、拉致というテロの現実、度重なる領海領土の侵犯、あまつさえ既存の領土の領有権への無視、さらに彼等の領有への主張といった悪夢に近い現実ではないか。  
日本の近未来における厄介は恐らく北京オリンピック終了後の中国経済の破綻(はたん)をきっかけに訪れるだろう。是正出来ぬまま続いている中国の質の悪い高度成長は今現在世界規模の環境破壊とバブルを生んでいるが、バブルは当然弾け中国経済は挫折を迎えよう。  
日本も国内での格差が政治案件となりつつあるが中国の抱える格差はそんな程度のものではない。日本の外務省の把握している数値でも過去1年間に中国で起きた暴動の数はなんと3万7000回、抗議運動を加えれば7万を越すという。つまりあちこちで1日100件以上の暴動が起き、それが一方的に鎮圧されているという信じられぬ事態がかの国では進行している。  
先般オリンピック問題のために出向いたロンドンで旧知の優れたエコノミスト、ビル・エモット氏と歓談したが、彼も私と同意見で、日本の経済学者が中国経済の量の大きさに幻惑されたちすくんでいるのを笑っていた。よしんば中国のGDPが日本を上回ったところで、現在日本の30分の1という国民1人当たりの所得が、これから10年でその半分に追いつくということはまずありえまい。  
加えて中国経済の不安定な歪(ゆが)みは簡単には修復出来ずに、頻発する暴動の数が示すように無理な経済政策がバブルの消滅という破綻を招くのは自明なことだ。例えば中国で出回っている金融資本の70%は企業全体の60%を占める杜撰(ずさん)な経営の続く国営企業に向けられていて、それはそのまま不良債権化するだろう。  
といった経済パニックが到来した時、経済政策に無能な共産党政府が何をするかということを予測してかかることが必要に違いない。過去の事例を眺めても彼等の常套(じょうとう)手段として、国民の不安不満をそらすために独裁政権が軍事的冒険主義に走る可能性は十分にあり得よう。  
その具現化は彼等の近隣の台湾への侵犯、あるいはかねて領土権を主張している尖閣諸島の実効支配への軍事行動によるかも知れない。その時、かつて自らが沖縄の一部として返還した尖閣諸島の領有に関して日本がハーグの国際裁判所に提訴しようとした時証人としての協力を拒否してきたアメリカが果たしてどれほどの意欲で日本を守り、台湾を守ろうとするかは危うい話だ。  
戦争はいかなる美名の下で行われても所詮(しょせん)生命の消耗戦に他ならない。そしていかなる戦争においても最後は地上部隊の生命が最大の消耗に晒(さら)される。そしてアメリカの軍事力で最も劣悪なのは、第4軍としてある海兵隊は別にして、陸軍である。それは現実イラクで証明されている。そしてまたアメリカの世論は、虚弱故に犠牲を強いられる地上軍の数に敏感に反応する。  
そうした状況の中で、日本にとってその安全のために活用できるアメリカの軍事力は海軍だけだろう。強大な機動力を持つアメリカ海軍は現下の世界情勢の中でヨーロッパと強い関わりのある大西洋での重要な任務はあまり考えられない。石油ルートのシーレーンの確保は日本や台湾、他の東南アジア、オセアニア諸国にとっても致命的な要因だがそのために日本が彼等との協力の下にもっと多くの責任を果たすべきに違いない。  
日本はすでにオーストラリアの参加も待ってリムパックの演習を繰り返してきたが、アメリカの航空母艦に日本の艦載機を搭載するといった具体的な前進があってしかるべきとも思われる。  

 

宗教の無力  (2006年9月) 
以前イギリスの作家ラシュディの『悪魔の詩』なる作品がイスラム教への冒涜(ぼうとく)だとされイランの指導者ホメイニ師が彼の抹殺を命じ、作家は長らくその身を隠さざるを得なかった。そのとばっちりで、彼の作品を邦訳した日本人の大学助教授までが大学構内で殺されるという事件もあった。あの時私が感じたなんともいえぬ違和感を最近になって改めて思い出す。それは出来事への批判とか反発ではなしに、信仰者の信仰者故の尊大さの本質的な誤謬(ごびゅう)についてである。  
ラシュディが冒涜したとされたのはイスラム教の預言者であるマホメッドをだということだろうが、もしラシュディなる作家が面と向かってマホメッドに同じことをいったとしても、マホメッドはその信徒に彼を殺せとは決していわなかったに違いない。  
私自身は仏教に発した私なりの信仰を持っているが、ユダヤ教にせよそこから発したイスラム教、キリスト教にせよ、いわゆる一神教の唱える絶対性にはたじろがさせられることが多い。  
カントは人間の特性として、高い山を仰ぎ深い森を眺めた折にその荘厳さの内に我々が感じる、崇高なるもの永遠なるものへの予感に発した神の存在への予感について、つまり人間に限られた信仰への可能性について記しているが、「我が仏は尊し」なる感情をはるかに超えた信仰における排他性は、一体人間に何をもたらすというのだろうか。  
北アイルランドで長らく続いた激しいテロを伴った紛争は、いかに政治がらみとはいえあくまでキリスト教の中のカソリックとプロテスタントの対立が軸として在ったし、独裁者から折角解放されたイラクにおけるあくまで同じイスラムの内でのシーア派とスンニ派の血を流してまでの相剋(そうこく)は、同じ人間としての共感どころか理解にもはるかに遠い。  
アイルランドにおけるあの悲劇に対してカソリックの大権威とされるバチカンが積極的に何かしたということを一向に聞かないし、プロテスタントにおける何らかの権威がどう和解、調整に努めたかについても知らない。  
政治がからめばいかなる宗教の権威もことに力が及ばないというなら、宗教はその普遍化の過程で人間の救済について一体何を説くというのだろうか。所詮(しょせん)信仰は、政治を含めてもろもろの迫害の中でのその場しのぎの安らぎを与えることしか出来はしないのだろうか。  
とすればまさしく、ニーチェがいったように神は死んだとしかいいようない。  
相手を無差別に巻きこんで行われる自爆テロなる行為を、たとえその犯人たちが強い信仰の持ち主だとしても、いかなる神が祝福しその魂を救済するというのだろうか。  
私は最近、敬愛した、仏の化身ともいえる特攻隊の母として慕われた鳥浜トメさんから密(ひそ)かに聞かされたいくつかの挿話を元に、かつての特攻隊の本当の姿を記録し残すための映画を指揮して作ったが、あの痛ましい犠牲は、戦争というまぎれもない極限状況の中で若い青年たちが、俗にいわれる天皇陛下のためなどという狂信ではなしに、家族など自らの最愛の者たちを守るということのために苦しみもだえながらも敢えて死んでいったことを伝えたいと思ったからだ。それは極人間的な自己犠牲であって、かつての特攻隊と今日の無差別な自爆テロとは絶対に、全く違う。  
最近世界の天文学界は大騒ぎして太陽を巡る惑星の中から冥王星を外したそうな。人間によるそうした天体の資格づけが何を意味し何をもたらすかは知らないが、人間の存在の舞台であるこの地球という惑星で宗教がらみで行われていることを、いかなる信仰においてもその究極の対象である筈(はず)の、この宇宙の創造者である神はどんな気分で眺めているのだろうかと、ふと思う。  
仏教の創設者である釈迦(しゃか)はその教えの中で珍しくも哲学を説いている。法華経なる経典の根源はああしろこうしろといったお説教でなくて「哲学」、つまり「存在」と「時間」についての考察であって、そこには驚くことに今日の科学がようやく解明した宇宙空間の有限の無限性や、我々人間が分だの秒だので換算している時間について、現代の科学がようやく立証した何億光年という時間と空間認識がとうに語られている。私が大学生の頃(ころ)現代数学で学んだ群論などで知った有限の無限、無限の無限などという認識がもっとわかりやすく説かれてもいる。  
そしてそこからこそ輪廻(りんね)転生とか再生といった救済への信仰も有り得るのだと。  
そうした素晴らしい知的遺産がありながらなぜ、世の信仰の指導者たちはそれを踏まえての人間の安定に腐心しないのだろうか。  
漢詩の格言、『石火光中、蝸牛角上何をか争う』ではないが、宗教と信仰のもたらす排他性は実は人間の生命だけではなしに心までを蝕(むしば)み損なっているとしかいいようない。世界の宗教の指導者たちは己の無力をいかなる神に向かっても恥じるべきに違いない。  

 

いかに備えるか  (2006年8月) 
この所の北朝鮮からのミサイル発射に関しての騒ぎを眺めていて、関係諸国の論調にある決定的な認識が欠けているのに気づかされる。それは北朝鮮のミサイルがまがいもなく日本への害意にのっとって運用されるとするなら、わが国にはそれに対して備え、報復を行う国家としての権利がありまたその能力も十分にあるということだ。  
北朝鮮の高官たちは日本がもし拉致問題にからめて経済制裁を行うなら瞬時にして日本を火の海にしてみせるなどと揚言しているが、そうした軍事的能力が彼等にあるかどうかは疑問だが、仮にそれがあるとしてもなお、実際にそれを行うほど彼等も愚かでありはしまいし、もし彼等がそれを行ったとしたらアメリカは日米安保にのっとってその報復を行わざるを得まい。相手が中国となればアメリカに躊躇(ちゅうちょ)もあろうが、北朝鮮と同盟国である日本のいずれを取るかという選択にアメリカは躊躇しまいし、すればアメリカは踏み絵を踏み外すことにもなる。  
アメリカがことを起こせば北の独裁政権は瞬時に近く崩壊しようし、非難こそしても、それは実は中国にとっても望ましいことに違いない。南の韓国が歯がみしようと、今現在実質的に中国の属国である北朝鮮は、はっきりと中国の所領となってしまうだろう。  
そんな推測分析の前に、北のミサイルが実際に日本に射ちこまれた際、いやその可能性が如実なものとなった際の日本の選択について、実は誰もそれをことの重要な要因として考慮にいれていないということの軽率さ不思議さである。それは多分日本の「平和憲法」なるいびつな国家規範が日本人に与えてきた思考への制約が、実は関係諸国にも日本の選択に関してのある種のアプリオリを設定してしまっているからに違いない。それは核武装を含めての日本の強力な軍事国家化という選択の可能性についてである。  
以前、私も属している自由社会研に亡き盛田昭夫氏との関(かか)わりで度々来席していたキッシンジャーが、日本側の誰もいい出しもせぬのに日本の核武装の可能性について何度か付言していたのを今になって強く思い出させられる。アメリカの国力が衰退し、日本がアメリカ以外の国との関わりで追いつめられた時の選択として、と彼はいっていたが。  
先月のウォールストリート・ジャーナル紙は社説として、北朝鮮問題での中国の拒否権発動や、韓国の日本からの敵基地攻撃論への非難は「日本に軍事力増強の必要性を認識させるだけだ」と警告し、日本の「国家主義的感情が高まれば核保有の抑制は難しいこともありうる」と記している。  
日本という国は外圧に弱く、外圧によって往々思いがけぬ方向転換を行ってきたが、将来北朝鮮なり中国による日本領土への明確な侵犯、毀損(きそん)が行われたならばそれは彼等自身に向けての強い引き金になりかねぬ、ということを関係国は知るべきに違いない。そして日本にはそれを極めて短時間で実現するための技術を含めた潜在能力があるということを、すでに熟知しているアメリカや中国だけではなしに、遅ればせながら日本人自身も知っておくべきに違いない。「日本こそが、眠れる獅子(しし)なのだ」というのは岡崎久彦氏のかつての至言だが。  
アメリカの国力が衰退傾向にある現今、かつてのソヴィエトに次いでの中国との新しい緊張関係の舞台となった東アジアは、かつての冷戦の主戦場だったヨーロッパに比べてアメリカにとっての比重は軽いものに違いない。そうした戦略構造の中でアメリカが日本に対する責任を放棄した時、我々はそのまま野垂れ死にして中国の覇権に組み込まれるつもりは毛頭ない。  
私はかつて驚くことに日本の議員としては初めて、アメリカの戦略基地のNORADとSACを視察し当時の核戦略の技術体系からして、日本で喧伝(けんでん)されているアメリカの核の抑止力など実在しないと、NORADの司令官の見解を引用しながら論証し、拙速な論評で核保有論者とされたりしたことがある。加えて当時の繊維問題摩擦を背景に行われた世論調査の結果は、日本の核保有の是非についての非が36%是が35%という際どい数字だったものだ。  
しかし、核戦略の技術体系が進歩変質してきた今、アメリカと中国のレベルの格差はかつての米ソ間以上のものがあろうが、戦争による人命の損失についての価値観に関してはソヴィエトと中国ではこれまた著しい差がある。ポンピドーに問われて、アメリカとの核戦争で三千万程度の人命の損失は一向に気にしないといい切った、現に合わせれば七千万もの国民を餓死も含めて死に追いやった毛沢東を唯一の国父として仰ぐ共産党政権がそうした伝統と信念の下に進めば、東アジアを舞台にした緊張が高まっていくことは必至だろう。  
質の悪い高度成長を続ける中国の経済成長が質の良い低成長に変わる可能性は見られず、このままいくと遅くとも北京オリンピックの直後、中国バブルは破綻(はたん)し政府が膨大な量の不良債権を抱えることになるのは必至である。中国の全企業の内政府関係の公営企業の数はその60%、そして中国で出回っている金融資本総量の70%は公営企業に向けられているのだから。  
そうなった時、北京政府が国民の目をそらせ経済破綻を糊塗(こと)し、内部の分裂を食い止めるために軍事的な冒険主義に走る可能性は十分にありえる。それに間に合わせての準備の時間はあまりないということを我々は知るべきに違いない。  

 

人間の弱劣化  (2006年7月) 
日本の社会に最近頻発する忌まわしい出来事を眺めると、共通してあることを感じざるを得ない。それは60年前の敗戦以来この国を支配してきたいくつかの、国家存立のための基本条件が結果としてもたらしたものに他なるまい。  
それは戦後の世界の中で未曾有の長きにわたって続いてきた平和であり、国家の安全のための最大のよすがである防衛問題に関して日米関係に依存した根本的他力本願であり、それから演繹された個人主義に依る無責任、平和の安逸が育んだ物質主義だ。それらはむしろ難事においての方が在り得る本質的な人間関係を阻害し、家族という根源的な関わりまでを損ない、破壊しつつある。  
その証左の一つと思われるが、私は趣味としてペットを好ましいと思わぬタイプの人間だが、それにしても昨今のペット・ブームで犬と一緒に歩いている人たちを眺めると、犬を引いているというより犬に何か大切なものを預け、その犬に牽きずられている者のような気がしてならない。ふと、あれは痛ましい代行にも思われる。  
家族が破壊された社会に、一体どのような連帯が在り得るのだろうか。  
従来日本の社会に存在しなかったこうしたもろもろの本質的変化は、結果として多くの人間たちをかつての時代に比べ人間として虚弱で劣悪なものに変えてしまったとしかいいようない。  
もとより平和は好ましいしそれを望まぬ者などいはしまいが、しかし心掛けずして安易に手にしている平和は、安逸な平和としての毒を醸し出すこともあるということを銘記すべきだろう。キャロル・リードの名作の最後のシーンでの「第三の男」の捨て台詞ではないが。  
動物行動学のコンラッド・ローレンツが高等な動物の生存原理としその脳幹論で指摘しているように、若い頃辛い目に遭ったことのない、つまりこらえ性を欠いた動物は長じる前に淘汰されてしまうし、人間は不幸な生き方となる。個人に限らず、社会全体、民族全体も同じことかもしれない。  
今日日本の社会に氾濫の兆しを感じさせる、安易でしかも凶悪なもろもろの事件。マネーゲームでの勝者の居丈高に理をかざしての居直り。かと思えば、彼等の一方的な理屈の違法性とあえない没落。そして世間はその度に羨望での喝采と期待から、背信と失望の狭間でふりまわされる。  
自らの責任で解雇された男が、家庭を持ち子供さえいながら、その鬱積を他人の子供を高層マンションから投げ落とし殺すことで晴らすという事件の動機の、あまりの薄っぺらさに世間は瞠目しても、犯人の人間としての本質的な虚弱さは実は今では茶飯なことでしかない。  
己の人生がどうにもままならぬので、他人の手で殺されたく小学校に乱入して見境なく多くの生徒を殺した犯人を、司法も珍しくそれに応えて素早く死刑の執行はしたが、あの犯人も、そしてまた、自分一人では自殺出来ずに、インターネットで呼び合って間際に互いに名乗り合うこともなしにただ皆して密室で練炭を囲んで中毒死する若者たちも、実は皆同じ人間として劣化した弱い者でしかありはしない。  
あるいは、この世界最大の地震国でいつか当然到来するだろう大地震に備えての新しい高層ビルの耐震性を、ただ金のために偽ってはばからない専門家たちも、日銀総裁という金融の最高責任者にありながら、国会で問いつめられれば、「利殖のため」と自ら吐露せざるを得ない権威者も、ともに己の立場その責任をさして苦悩もせずつい忘れるかなおざりにした、人間としてごくごく杜撰な、つまり社会の中での己の立場を踏まえての人間同士の連帯に心の及ばぬ、専門家としても権威者としても、劣化した虚弱な人間に他なるまい。  
そして、そうした手合いに我々国民それぞれの運命が預けられているということの危うさ恐ろしさを知って、もう一度己の身の回りを見直さなくてはならぬところまでこの社会は来てしまったのだろう。  
これらの手合いは決して知的に劣った人間でありはしまい。故にも国は彼等にある資格や権威を与え、期待もしたのだ。そして彼等は自ら犯した過失について彼等なりのある理屈をかざして逃れようとするが、その以前にその立場に付随した責任感と、それを醸し出すべき、その立場に在る人間としての感情を喪失してしまっているとしかいいようない。  
その喪失の原因を問えば、それは長き平和が培った精神に代わる物質への傾倒のフェティシズム以外の何ものでもない。それはすなわち真の自我の喪失でしかない。  
今になって私は戦争中のある挿話を思い出す。戦争という厳しい試練の最中に、個人の欲求の抑止を説いたポスターがあった。曰くに、「贅沢は敵だ!」。そしてある時誰かがそれにいたずらして一字書きこんでいた、「贅沢は素敵だ!」と。  
贅沢と安逸が心地よからぬ人間など滅多にいはしまい。しかしなおそれを許さぬ人間同士の連帯の規約制約が在るのだということを、知ってはいてもなお、弱い自分の充足のためにその則から外れてしまう人間の氾濫をどう抑えるかに、この国の存亡がかかっていると思われる。  

 

国家的無駄遣いの省略方法  (2006年6月) 
日本の行政の構造改革の必要は自明のことだが、そのための必要条件への腐心も肝要なはずだ。その一つが、「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」の官僚支配体制の解体のための情報の開示だが、さらにそのための必要条件がいろいろある。その一つが会計制度の合理化による財政の透明化である。  
今日世界の先進国の中で国全体のバランスシートが無いのは日本くらいのものではなかろうか。この国の会計制度はあいも変わらず大福帳の域を出ぬ、金の出入りだけを記す現金主義の単式簿記で情報開示の観点からしても話にならない。東京都は私の最初の選挙の公約通り平成11年に貸借対照表を試作し、翌年には機能するバランスシートを公表、その後3年間の研究の末今年度から初めての本格的な複式簿記、発生主義会計をスタートさせた。これはある意味で、私が就任以来やってきた事の中で最も本質的な改革ともいえる。  
一般の企業人なら自明のことだが、単式簿記では複雑重層的な財政戦略が立てにくい。単式簿記では何にいくらかけるかという予算ばかりに目がいって、何のためにいくら使ってその結果はという決算的視野が欠けてしまう。加えて、その年度にすべてを使い切らねばならぬという馬鹿げた予算の単年度主義が拍車をかける。毎年2月3月になると、計上した予算をともかく使い果たすために、そこら中でやたら公共事業の工事が氾濫(はんらん)するという馬鹿げた現象が起こる所以(ゆえん)である。  
発生主義会計では現金の収支とは無関係に、債権、債務が発生した時点で費用や収益、あるいは未払い金や未収金として記帳されるし、複式簿記は現金、土地、建物といったすべての財産の出入りを記帳するから期末における財産の残高、財産の増減の原因までがわかる。つまり財政をダイナミックに把握出来る。  
従来国が行っている単式簿記、現金主義の会計制度ではさまざまな限界があるが、主なものでも4つ。  
第1はストック情報、現金以外の資産、負債の情報が欠如してはばからない。そのいい例が財務省の管財で、国はあちこち国有地を抱えているがこれが一向に活用されずにほったらかしにされているし、役人は頬(ほお)かぶりして、さながら自分の持ち物のようにそれを手放したがらない。  
第2はコスト情報の欠落。現行の方式だと国の行った事業サービスに要した真のコストがわからない。第3にはアカウンタビリティー(説明責任)が欠如。総合的な財務情報の説明があり得ない。その結果として第4に正確な費用対効果の分析による厳しい事業評価が出来ず、真のマネジメントがあり得ない。  
東京都が実行に踏み切った会計制度によれば、これまでいかにもわかりにくかったストック情報やコスト情報が明確化されるし、個別の事業の財務諸表が作成されることによって事業分析が強化され、無駄は省かれ財政はスリムになる。  
私が就任早々、都の財政再建のために樋口廣太郎氏を座長に牛尾治朗、宮内義彦、鳥海巌、高橋宏の各氏といったプロミネントな経営者を招き、加えて当時の公認会計士協会会長の中地宏氏による顧問会議をもうけたが、発足当時メンバーからさまざまな質問が出て横の私が聞いていても不可解な事案があった。役人にも説明出来ず答えは次回に持ち越されたが、次回の回答が行われた時メンバー全員がその瞬間、「なるほど、税金なんだ!」と全く同じ言葉を発したのがなんとも印象的だった。  
自ら汗することなく手にしている税金という膨大な金を左右するに、従来の会計制度はあまりにも隙間(すきま)だらけでその浪費に拍車をかけてしまう。今日国全体の稼ぎであるGDPのなんと1・5倍という借金をこしらえてしまいなおあまり悔いることのない国の財政担当者たちは、そろそろ財政再建のための構造改革のよすがとして、使っている道具ともいえる会計基準を根本的に見直す策を講じたらどんなものだろうか。刃こぼれし錆(さ)びて切れなくなった刀は研ぎなおすかしなくてはなるまいが、芯鉄まで錆びてしまった刀は取り替える以外にない。  
ひと頃問題となったが熱のさめてしまった観の否めない、公営企業ともいえる特殊法人の監査にしても、新しい監査基準を考え出し、それにそぐわぬ法人は有無をいわさず民営化してしまうくらいの手立てがなぜ講じられないのだろうか。特殊法人の中には手掛けている国家的プロジェクトにもかかわらず、その原価計算を示したことのないものがいくつもある。こんな杜撰(ずさん)がまかり通る先進国というのはあまり他に見たことがない。  
税金という金を手にしてばらまき与えるという作業に権威を感じるならば、その権威に関わる責任を果たすのが公僕の責務に他なるまい。自分が手にしている会計基準なるものがこの現代に未だにまかり通るという根拠があるなら、具体的にそれを示してもらいたいものだ。  
国民もまた、自分がそれぞれ属している企業が行っていることを、なんで国だけが行わず税金の無駄遣いを重ねつづけているのかを知り直し、少しは怒ってもしかるべきと思うが。  

 

日米中の三角関係のゆくえ  (2006年5月) 
今年に入ってアメリカの対中国認識がかなり変わってきたように思われる。  
昨年までは中国との経済関係に気をとられ、目先の利益への思いこみがアメリカの国益を無視しての言動となって現れていた。ヤフーやグーグルといったIT企業が北京政府の言論統制を承知で中国に進出し顰蹙(ひんしゅく)を買ったり、私が面談した上院のベテラン、ルーガー外交委員長などもいかなる根拠でか中国は近い将来、向こう五年ほどの間に開かれた選挙を行うようになるだろうなどといい出して驚かされたが、日本無視中国偏重の観のあったゼーリックなどが中国にステークホールダー(責任共有)たれなどといい出し、先般の胡錦濤主席の訪米の折のアメリカ側の扱いや首脳会談後のそれぞれ擦れ違いの談話を見ても、資源問題でアメリカのいわば庭先である中南米に手を突っこみ始めたり、かつてのアメリカ兵虐殺引き回し事件後宿敵となったスーダンから多量の油を買いこみ、その対価を武器で払っている中国にアメリカがさすがに不快感と警戒心を抱き始めたのがうかがえる。  
加えてホワイトハウスでの両首脳の演説の最中に、中国政府の自由弾圧について「大統領、その男に人殺しをさせないで!」という野次が飛ぶ異例の出来事に象徴されるように、共産党政権による非人間的支配の実態が隠しようなく徐々に露呈してきている中国社会の不安定性への懸念が背景としてある。  
先日、外務省高官との会談の折、中国の国民大衆による暴動の頻度の数字について正され驚いた。私が過去数十回といったら、「とんでもない、我々が把握しているところでも過去一年に中国国内で起こった暴動の数は大小三万七千回を超えています」と。これはベラボウな数字で、ということは一日に優に百回を超す国民の政府への謀反があちこちで行われているということだ。それは即ち質の悪い経済高成長を強行してきた北京政府への反発だろうが、それを受けて北京政府が果たして質の良い低成長に切り替えることが出来るかどうか。貧富の驚くほどの格差を招きながら敢えて行われている経済成長はそう簡単に止まるものでありはしまい。  
そうした国内の本質的な不安定要素を抱える政府は、その鬱憤をそらすために一時期反日キャンペーンを計ったが、その失敗に気づきこれを抑制しだした。その証拠にある外交関係者が意識的に中国国内で試みている反日キャンペーンのインターネットへの書きこみは、行ってすぐに他から検索してみると、二十五分後には管理当局によって完全に消去されているそうな。IT時代の共産党政権による言論統制の実態はかつてオーウェルが書いた『1984年』をはるかに上回っている。  
そうした政治背景の下に無制限に近く行われている中国の軍事力拡張が、近い将来何をきっかけに、彼等をどのような冒険主義に駆り立てるかは世界全体の不安要因に他なるまい。それはわが国にとっても脅威であるといった民主党の前原前代表のごく当然なコメントを、同じ党の鳩山幹事長が、「相手の善意を信じれば脅威とはならない」などと能天気な反論をして驚かされたが、自国の民衆を弾圧してはばからない共産党政権の舵取りは、日本にとってはかつての米ソ対立の冷戦構造下よりも大きな危険を我々にもたらしていることは自明だろう。  
アメリカも遅まきながら同じ認識を持ち出したといえる。その最たる現れは近くハワイで行われる新兵器を束ねた大規模な軍事演習で、動員される空母は五隻、艦載機は五百機、潜水艦は四十隻。搭載される長距離巡航ミサイルは六百発という規模と聞く。これはあきらかに、昨年中国が何を目的としてか開発実験し一応の成功を示した、原潜から発射される長距離弾道ミサイルの顕在化が引き金となってのことだろう。  
しかしなお前にも記したように、核兵器の撃ち合いとなった時アメリカが生命の消耗戦に耐えられるかどうかは疑問ではある。私が昨年ワシントンとニューヨークで行ったその趣旨の発言に誇り高き(?)アメリカ人は反発しきりとも聞くが、それを受けてアメリカのある要人は在ワシントンの私の友人に託して、我々は責任をもって日本をも守るとは明言出来ないが、これから行う演習を含めて、我々は我々の国を中国からは絶対に守ることが出来るということを相手に銘記させるだろうといってきた。  
これは我々の多くが妄信している日米安保がらみで極めて含蓄あるメッセージではある。しかし今の日本としては、アメリカの正当な中国認識の下での軍事力整備の中で、かつてレーガン時代に宇宙軍拡競争によってソビエトが経済を疲弊させ、湾岸戦争という代理戦争によって通常兵器による戦闘でもアメリカにはかなわぬという認識を持たざるを得なくなり、そうした機運の中で台頭してきたペレストロイカに軍そのものが保身をかけて賛同し、共産党支配がついえたという歴史の事例の再現に期待するのが、せいぜいのところだろうか。  
ただ、その過去の歴史の事例と根本的に異なる点は、今日体質的に衰弱しつつあるアメリカ経済にとっての中国経済の占める比重が、かつてのソビエトとの対立時とは構造的に異なるということだが。  

 

失われようとしている子供たちのために  (2006年4月) 
生徒の死亡事故の責任を問われ服役していた戸塚宏氏がこの四月に刑期を終えて出所してくる。戸塚氏は服役中保釈を申請することなく、あくまで刑期を満了した上で悪びれることなく以前と全く同じ所信で、歪んでしまった子供たちの救済再生のためのヨットスクールを再開運営していくつもりでいるという。  
私は彼の支援の会の会長をしているが、事件への冷静な分析と反省も踏まえて彼が再開するヨットスクールで、多くの子供たちを救い蘇らせていくことを期待している。  
かつて戸塚ヨットスクールにおいて救済再生させられた子供たちの確率は瞠目すべきものだった。スクールに送りこまれてくる子供たちの急速な再生を見取ってきた地元の警察の認識は、署長が関わり深い有力者から頼みこまれて密かに入校の順番繰り上げの便宜を図った例が多々あったほどだった。事件発生当時の署長の痛恨の談話もそれを証していた。  
戸塚ヨットスクールの子供救済再生の原理は極めて端的なものだった。それは動物行動学の権威コンラッド・ローレンツの唱えた脳幹論にのっとったものだ。つまり子供たちのひ弱な脳幹を鍛えなおすことで子供のこらえ性を培う。演習のために特別にデザインされた、極めて乗りにくい小型のヨットに子供を一人で乗せて、こらえきれずに転覆した船を自力で元に戻し船にはい上がってはまた帆走させる作業の反復だ。それによって自力での努力の末の達成感を味わわせ、その満足が不思議なほど早く子供たちに自ら一人前としての充実感を与え彼等をタフな人間に変えてしまう。  
ローレンツは『幼い時期になんらかの肉体的苦痛を味わうことのなかった子供は成長しても不幸な人間になりやすい』といっているが、それは人間が他者との摩擦に晒される社会の中で生き抜いていくために不可欠な健全な脳幹の必要性を意味している。脳幹はその名のごとく脳の中で致命的に重要な部分であって、人は大脳の一部を失っても生き続けることは出来るが、脳幹が少しでも損なわれると生きることは出来ない。人間の喜怒哀楽の感情、寒さ暑さへの反応、発奮、意欲、我慢といった内的な反応を伴った行動はすべて脳幹から発信して示される。  
現代の特性として子供たちの脳幹そのものがひ弱なものになってしまっているのだ。原因は現代社会の豊穣さと平和がもたらした安逸であって、貧困と欠乏は人間に我慢を、強い不安は緊張をもたらすが、それが淘汰されてしまうと、人間は安逸の内に自堕落となりこらえ性を失い安易な衝動に容易に身をまかせてしまう。  
暑いといえば冷房、寒いといえば暖房、お腹が空いたと訴えれば容易に間食をあてがわれる子育てでは子供の脳幹は安易に放置されるまま動物としての耐性を備えることが出来はしない。それは同じような環境で育てられてきて耐性を欠いた当節の大人、若い親たちにしても同じことだ。  
私が勾留中の戸塚氏を激励に訪れた折、集まったかつてのヨットスクールの生徒とその親たちを眺めてその対照的な印象に驚かされたものだった。救済再生された少年たちのタフでしゃんとした態度に比べて彼等にただまとわりついているだけの母親、父親たちの様子はどちらが親でどちらが子供なのか見間違うほどのものだった。ああした親たちには子供以上の脳幹の衰弱欠陥があるのではないかと思わされたものだ。  
脳幹が健全に育たぬ子供にはその一方テレビやパソコンによって過剰に刺激的な情報を供給され、大脳だけが肥大化しいわば頭でっかちとなり、肝心の脳幹は細く、例えていえば実がなり過ぎた幹の細いリンゴの木のようなもので、いったん強い風が吹きつけると実の重さを支えきれず幹が折れ木そのものが倒れてしまう。防波堤の低い港に逃げ込んだ船にも似て外側の海が時化て波が高くなると、容易に波が壁を越えて打ち込み船は破損される。つまり厳しい世の中には通用しない人間にしかならぬということだ。  
現代日本の子供たちは大方そうした豊穣のもたらす毒に冒されているといえそうだ。いつかある外国の雑誌に渋谷近辺にたむろする若者たちの写真が載せられ、そのキャプションに『世界で一番豊かで、一番哀れな子供たち』とあった。  
今日子供たちに関する不祥な出来事がさまざまに多いが、彼等が被害者にせよ加害者にせよ、その責任は彼等にこらえ性をしつけずにきた我々大人のいたずらな物神性にあることに間違いない。私自身は以前からこの今にこそ新しいストイシズムが必要なはずだと唱えてはきたが、それが木霊として返ってきたこともなかった。この豊穣な時代に貧乏の魅力を説き、貧困への憧れを唱えることはただの安易なノスタルジーかも知れないが、ならば他に手を講じて、子供たちにせめて人生における我慢の効用についてくらいは心して伝えたいものだ。  
畏友戸塚宏の社会復帰は子供たちに関する今日の風潮の是正に必ずや強く確かな指針を啓示してくれるものと思っている。我々は我々の責任で、人間としての絶対必要条件である我慢について今こそ教え強いなくてはならぬ。失われつつある子供たちの数は戸塚氏を襲った事件の時よりもはるかに増えているのだ。  

 

地方分権、民営化の落とし穴  (2006年3月) 
七年前の小渕内閣当時「地方分権一括法」なるものが可決された。徳川幕府崩壊後太政官制度の元に行われた廃藩置県以来、外様内質ともに全く変わらずにきた日本の政治の骨組みを変える歴史的な取り組みというふれこみだったが、ただし「税財源の分与は中、長期の目的」という付記がついている。これは語るに落ちた話で、国会の審議での中期といえばまず早くて五年、長期となれば憲法改正の事例を見ても半世紀かかってもおぼつかないものが多々ある。  
しかし小泉内閣となって三位一体とか骨太の改革とか、訳のわかるようでわからぬ掛け声の元に何やらの試みが行われつつあるが、その間に実は仕事の方だけは出来るだけ地方に押しつけてしまおうということで、従来国が地方自治体を使役して機関委任事務として行ってきた多くの仕事を自治事務として、自治体の責任において行えということになった。  
それぞれかなりの専門性を要する仕事で、従来の専門性の御墨付きは国家が行ってきた。その一つが今回世間を騒がせているマンション等の耐震性に関する確認検査で、自治体にもその種の専門家はいないでもないが繁雑高度な仕事は国が資格認定した建築士、つまり民間にまかせよということ、そしてその確認検査機関の判断の是非を最終的に自治体が行うという仕組みなのだ。  
通例民間機関が行う審査の内容は書類にして優に五センチはある分厚いものだが、役所に提出される書類は大方一枚の紙に要約されている。勿論(もちろん)自治体によってはその種の専門家を抱えている所もあるが、基本的には国が資格を認めた民間の専門家を信じよということで来た訳だ。  
これは要するに人間性善説にのっとったしきたりということで、よもや国が認定資格づけした専門家に己の利益追求のために審査の書類で嘘をついたりする者などいるはずはないという前提に立っている。しかるに今回国家の権威によって「資格づけられた、性悪な専門家」が存在するということが明らかになった。  
かかる事態が露呈し多くの被害者が生じたという事態のそもそもの責任がどこにあるかということになれば、誰がどう考えても、専門性をかざして己の利益のために悪いことをした専門家を存続させてきた国家の管理責任に帰着することは自明だろう。  
大切なことはこうした過渡的状況の中で生じる国民の被害の救済の責任を最終的に誰がどう取るかということだが、現行の法体系にはそれが欠けている。今回の事態の中で政府は既存の「地域住宅交付金」制度にのっとって地方自治体にも被害者の損害への弁償に五五%という過半の肩入れをさせようとしているが、これは姑息(こそく)というか場渡りの手立てでしかなく、それに代えて建築基準法を改正してという案にしてもその場しのぎのものでしかない。本来はこうした性善説を覆す風潮を作り出した政治の基本的責任にのっとって特別措置法を作って対処すべきだろうが、時間がかかりすぎて現況に対処しきれない。なにしろ地震はいつ来るか分からず、居住者の人命が天秤(てんびん)にかかっているから関係自治体としても当面の措置として政府に協力せざるを得ない。  
しかし実は、ことはこうした建築物の耐震性の問題だけではなしに政府が地方に自治事務として押しつけた事務の中には事によっては現況では自治体の能力の及ばぬ、もっと直裁な危機に繋(つな)がりかねぬ案件がいくつもあるのに、その際の責任の所在が曖昧(あいまい)で明記されていない。  
例えば建築に関わる事例に限っても、大型ホテルやマンションの屋上に設置されている大型貯水槽から水を引いて供給する簡易水道事業や東京タワーのような超高層の特種建築物の点検、デパート、ホテル、病院等の換気、給水設備、エスカレーターの検査もすべて国家が認定資格づけした専門家に委ねられていて、ここでも果たして人間性善説が通用するのかどうかという懸念を改めて抱かざるを得ない。  
いつか国会で別の視点から社会党議員が問題にしたことがあったが、ホテルやマンションの屋上にある貯水槽がはたして地下から水道管で引く水と同じように清潔なのかどうか。杜撰(ずさん)な管理下である水槽には鳥や鼠が死んでいたり、ある事例では水槽への投身自殺者さえあったそうな。  
最悪のケース、テロリストがこれに眼をつけたり、その種の専門家がテロに利用されたりしたら水道の利用者の中から多くの犠牲者が発生する可能性もある。  
故にも政府は今回の耐震性偽装のケースで、ある日地震がきて居住者から現実に犠牲者が出てしまったという事態を想定してこうした法の不整備と専門家への管理の杜撰さについて深刻に反省し、地方に自治事務として分与した業務における責任の明確化を含めた特別措置法を一刻も早く作るべきなのだ。その程度の想像力と責任感が国の政治家やそれを支える官僚たちに枯渇してしまったとは未だ思えないし、思いたくもない。  
性善説を覆すさまざまな「不測の事態」が実は優に有り得る社会を、我々は知らぬ間に作ってしまったのだという本質的な反省と自戒を持たずしてこうした問題への確かな対処など有り得まい。  

 

祭司たる天皇  (2006年2月) 
最近になってにわかに天皇の皇位相続についての議論がかしましいが、この問題を論ずる前に国民にとってそも天皇なるものはいかなるものなのかを考えなおす必要があるような気がする。  
敗戦後から今日に至るまでの時代において、日本国民にとっての天皇の意味を示したものは主に憲法だろうが、その第一条に『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く』とある。  
この起草者が日本の歴史と文化をどれほど確かに踏まえてこの文を綴ったのかは定かではないが、象徴というわかるようでわからぬ言葉にこめられたもの、またこめなくてはならぬものについて、今の日本という開かれた市民社会の中でもう一度確かめなおす必要があるのではなかろうか。  
憲法に『国民統合の象徴』と唱われている限り、天皇制の存在は日本という国家社会にとってのいわばアプリオリ(先天的)なのだろうが、ならば天皇は何ゆえに国民統合のための何の象徴なのか、なぜに象徴足り得るのかを。  
憲法には思想と信教の自由が保証されているが、国民の中には共産党やその共鳴者のように天皇制そのものを否定してかかる者もいようがそれはさておいても、個々人の信条に強く関わる信教に関しての自由が保証されている限り、憲法の建て前からすれば天皇の存在は国民個々人の信仰の違いとは矛盾してはならない筈である。  
しかしながら私は天皇こそ、今日の世界に稀有となったプリースト・キング(聖職者王)だと思っている。人類の歴史の中に同じものを探せば、古代エジプトのファラオに例を見ようが、現今の世界には他に例がない。さらにいえば天皇は神道の最高の祭司に他ならない。ならば神道もまた宗教の一つではないかという反論があろうが、私には神道は宗教というよりも日本人の心情、感性を表象する日本独特の象徴的な術だと思われる。  
その根源は日本という変化の激しい特有の風土にまみえてきた古代人が、自然への畏怖と敬意と賛仰をこめて編み出した、万物に霊性を認めるアニミズム(精霊崇拝)の上に成り立ったシャーマニズム(予言など超自然的存在との交流による宗教現象)にあった。そうした汎神論はたとえば那智の滝を御神体として祭った那智大社別宮飛滝権現神社であるとか、三輪山そのものを祭った奈良の大神(おおみわ)神社の存在に如実に表れてい、その集大成が伊勢に他なるまい。  
私はかつて、熱心なカトリック教徒である曽野綾子さんが伊勢を訪れた折の感動を記した文章に強い印象を覚えた。彼女はその中で伊勢こそが日本人の感性、精神の原点だと悟ったと記していた。それは優れた芸術家の感性を証す、宗派などという人間が後天的にものした価値観や立場を超えた、人間たちの在る風土が育みもたらした人間にとって根源的なものへの真摯で敏感な認識に他なるまい。  
日本の風土が培った独特の汎神論はその後伝来した、これまた他の一神教と異なり多様な聖性を許容する仏教と容易に混交融和して今日の日本人独特の、決して宗教的なものにとどまらぬ、いわば融通無碍(むげ)な価値観とさらにそれに育まれた感性をもたらした。  
そしてそれについて、一神教がその大方を支配する今日の世界の狭量な価値観の対立と混乱を予測したのかアインシュタインやマルロオのような優れた感性の識者は、日本人の価値に関する感性こそが人類の救済に繋がるともいっている。そしてその感性の表象こそが神道なのだ。その限りにおいて神道は宗教の範疇を超えた日本人の価値観の表現の様式であり、民族としての自己表現の有効な一つの手立てに他ならない。  
そしてさらに、天皇は本質的に宗教というよりも、宗教的しきたりも含めて日本の文化の根源的な資質を保証する祭司に他ならない。過去の歴史の中で天皇はさまざまな形で政治に組みこまれ利用もされてきた。武士台頭以前の時代には公家支配の核とされ、近代にいたり軍閥跋扈の時代には大元帥として軍事の統帥者とされ、太平洋戦争時には人間ながら現人神(あらひとがみ)にさえされてしまった。  
それらの時代を通じて天皇に関わる事柄として日本人が一貫して継承してきたものは、神道が表象する日本という風土に培われた日本人の感性に他なるまい。そして天皇がその最大最高の祭司であり保証者であったはずである。  
私がこの現代に改めて天皇、皇室に期待することは、日本人の感性の祭司としてどうか奥まっていただきたいということだ。戦後からこのかた皇室の存在感の在り方は、宮内庁の意向か何かは知らぬが、私にはいささかその本質からずれているような気がしてならない。たとえば何か災害が発生したような折、天皇が防災服を着て被災地に赴かれるなどということよりも、宮城内の拝殿に白装束でこもられ国民のために祈られることの方が、はるかに国民の心に繋がることになりはしまいか。その限りで私にとって天皇が女性であろうとなかろうと関わりないことと思われる。  
その故にも、以前にも記したが天皇陛下には是非々々とも靖国神社にお参りしていただきたい。それは「靖国」が決して政治問題などではなしに、あくまで日本の文化神髄の事柄なのだということを内外に示す決定的なよすがとなるに違いない。  

 

いかにして心意気を取り戻すか  (2006年1月) 
昨年末ある総合雑誌が当節失われてしまった日本語についての特集アンケイトを行っていた。私が問われたなら「心意気」あるいは「こころざし」と答えたろう。  
去年この国に起こったさまざまな出来事を眺め直すと、景気は回復してきたかもしれぬが、あい反して我々はもっと大切なものを失いつつあるような気がしてならない。どうもこの国はタガがゆるんできたといおうか、国そのものがぬるぬるどろどろと溶けていこうとしているような気がする。  
社会がタイトな社会として存続していくために不可欠な信頼とか責任といった人と人との関わりが風化してしまって、よろずの社会機能の信頼性が摩滅しつつある。そうした社会現象の中でうかがえることは、かえって大方の日本人が持ちそなえていた「心意気」とか「こころざし」といった、自己抑制に発した献身とか自己犠牲という暗黙の責任履行と、それへの信頼の喪失である。  
代わりに普遍跋扈(ばっこ)しつつあるものは保身につながる「その場主義」で、それは問題の本質的な解決には決して繋がらず矛盾と傷を深くするばかりだ。その最たる事例が官僚の財政運用とそれを反映した予算編成だろう。目先の数字合わせのために本質を無視しての予算措置は目に余るものがある。この国の政治スキームを変えるための地方分権の三位一体の掛け声の下に、いきなりひ弱な文科省を的にして義務教育の国庫負担を撤廃するとか、果てはこのIT時代に、税収のいい首都東京からむしりとるために法人事業税の分割基準を本社業務がIT化されたために労務の負担が軽減されたという、文明工学を無視した理由にならぬ理由で一方的に再度引き下げるといったやり口は、もはや間違いというより噴飯でしかない。  
膨大な国債を抱えての国の財政運営も、小手先の改革は行っても肝心の毎年々々かさんでいく国民への借金の国債対応という国家の大計は、官僚の本音は「塩漬け」。その本意は借り換え借り換えを重ねて行き、その内インフレになれば結構ということだ。  
こうした国家的兆候は実は社会全体にこらえ性が無くなってきた証しともいえそうだ。動物行動学者のコンラッド・ローレンツは幼児期に忍耐を強いられたことのない子供は成長して不幸な人間になるといっているが、立派な国家だったはずの日本の内的な荒廃衰退は、平和ぼけのもたらした安穏追求主義の所産といえるだろう。  
いかに複雑化かつ合理化された社会でも、それを緊密に保持していくためには個々人の間の責任と信頼が不可欠なはずだ。それが希薄になっていけば保身という個人主義が表出してきて社会のタガが外れてしまう。自らを抑えて他者を思うという基本的なストイシズムの獲得再生を志さぬ限り、表面はいかに華美で大きくとも、そんな社会は必ず崩壊してしまう。  
幼稚な大人とは何が肝心かがわからず、肝心なことについて考えぬ者だ、というのは福田和也氏の名言だがこの日本は段々幼稚な国家になりつつある。自己中心、個人主義というのは行うに一番簡単だが、それで支え切れるものは所詮己一人でしかあるまい。  
年末あるテレビの特集で隣国韓国の企業サムスンがなんで急速に半導体分野で伸びてきたかの分析をしていたが、その決定的要因が、端的に、その分野でかつて世界をリードしていた東芝の挫折によって、先端技術を担当していた技術者の多くが数倍の報酬に魅かれて流出してしまったと知り暗然とさせられた。  
世界が時間的空間的に狭小なものになり、国際化という言葉自体が陳腐にもなりつつある現代で、東芝の経営者たちの見識の問題もあろうし、こうした事例に関していたずらに愛国心を持ち出すつもりも無いが、しかしなお無念といえば無念である。  
内の一人は外国からの勧誘に心動きはしたがある先輩に相談し、「もし君がそれを選んだなら友人を失うことだけは確かだ」といわれて思いとどまり大学での学究の道を選んだとあったが、それもいわば一人の国民、一人の選ばれた者としての「心意気」の問題に違いない。  
もっとも今日の日本の社会はそうした自己抑制、自己犠牲にどう報いてくれるものでもありはしない。自分一人が馬鹿を見るよりもという選択を促す風土が刻一刻造成されつつあるこの国の現状を克服するために、我々はいま何をこそしなくてはということ、そのために自らに何をこそ強いるべきかを、そろそろ本気で考えてかからぬとこの国は他からの収奪に無為のうちに晒(さら)されるまま、名は備えながらも真の国籍を持たぬ者に成り果ててしまうのではなかろうか。  
保身のための場当たり主義は当面のしのぎにはなっても、結局さらに大きなものを失うものでしかない。本当にことを凌(しの)ぎ、本当の再生のために必要なことは自己を抑制し、急場に耐えるというストイシズムの獲得に他なるまい。  
我々がかつて先祖の持ち合わせていた武士たちのような心意気を持ち直すことができるなら、この国は必ずや国家としての存在感を取り戻すことができるに違いない。 

 

アメリカは勝てまい  (2005年12月) 
先月ワシントンとニューヨークに滞在中にCSIS(戦略国際問題研究所)とFPA(外交政策協会)に請われて行ったスピーチでまたしても物議をかもしたようだ。問題の要点は、アメリカはもし中国と戦争をするようなことになったら絶対に勝てまいということだ。この発言は誇り高き?アメリカ人にとっては由々しきことだろうが、実ははるかそれ以上に日米安保を盲信している日本人にとって重大な、というより国家存在の安危に関わる問題なのだ。さる十月の本欄にも記したが、最近中国が行った大陸間弾道弾実験の成功は、中国とアメリカの将来の軍事対立において強大なオプションを中国に与えたことになる。  
アメリカとの対立の中で中国が保有するICBMをいきなり発射する愚を行う訳はなかろうが、東アジアと西太平洋における軍事的覇権を確立しようとしている中国にとって、その成就のために最も目障りな日米安保体制の破壊のためにある切っ掛けを捉えて彼等が行い得る最も有効な直接行動とは、アメリカのアジアにおける軍事的ヘゲモニーにとって不可欠な沖縄の戦略基地を核兵器によって一気にほふることに違いない。  
それを受けてアメリカが、日本の防衛とアメリカの覇権のために核使用をも含めて大掛かりな報復の挙に出るかどうかは極めて疑わしい。その瞬間、中国が開発したICBMの存在が巨きな戦略的抑止力として効いてくる。  
前にも記した通り毛沢東が対アメリカ戦争を想定してポンピドーに明言した、千万単位の人命の損失を決して恐れはしないという、市民社会を経験したことのない中国伝統の、人命に関する我々とは百八十度違う野蛮な価値観が発露してくる限り、アメリカの市民社会の世論は中国との全面戦争を許容する訳がない。現にイラクにおける二千人に達したアメリカ側の犠牲者によってアメリカでは厭戦機運が増幅されつつある。  
しかし戦争なるものの実質はしょせん生命の消耗以外の何ものでもありはしない。その主たる対象は地上軍となる。そしてアメリカの三軍においてもっとも劣悪な存在が陸軍であるという事実がそれを逆証してもいる。アメリカの最も優秀な地上戦力は陸軍とは別の第四軍たる海兵隊だが、その数は極めて限られている。  
最近NHKによる、正規の陸軍に代わってイラクに派遣されたアメリカのある州兵のルポを目にしたが、その老齢と未熟な実態には驚かされた。丁度日本の市民ボランティアによる消防団が大火事に派遣されたような体たらくで、結果はむべなるかなと思わされた。  
思いなおせばアメリカは太平洋戦争以後の主な戦争で勝利したことはない。朝鮮戦争は痛み分け、ベトナム戦争は実質敗戦でしかないし、人命の損失を恐れる限りイラクでの膠着(こうちゃく)の行く末にはなんの保証もありはしまい。朝鮮戦争できりなく押し寄せてくる中国軍の兵隊がほとんど丸腰のままだったという、迎え撃つ側にとっても悪夢に似た実態の暗示するものは、例え次の戦争が核を伴ったものだろうと彼我の実質はかつてと全く変わらないということだ。端的にいって中国はたとえ上海を丸ごと失っても動じることはないだろう。  
アメリカがどの段階でそれを知るにしても、人命尊重という市民社会の当然な世論希求の前にアメリカは手を引き、その結果日本は見捨てられ孤立していくだろう。それは決して皮肉とか悪意の予想ではなしに、現に日米安保条約の案文がそれを証している。現にそれを盾どって、かつて沖縄で小学生の女子が海兵隊員によって輪姦された事件と同時に尖閣列島が中国人たちによって領土侵犯された折でも、アメリカ大使はこの上紛争が拡大しようと日米安保の発動はないと明言していた。アメリカの政権が変わってその論は一応否定されたが、それは政権次第のことでしかないし、事態の深刻さによってさらにわかったことではない。  
今日いろいろの事例で憶測される中国の中央政府と中国軍部の軋轢は、かつて開戦前の日本陸軍の政府からの乖離に似た軍部の冒険主義を予測させる。それが何をきっかけに大きな引き金に繋がるかは未だ想像に難いが、しかしなお今日のアメリカの軍事における本質的なひ弱さはイラクの実態において証明された観がある。  
アメリカ自身それを知り対中国戦略を考えなおすべきである。それは彼等の軍事拡張を支えている中国経済の膨張も実は本質的な弱点を多く抱えており、その分析把握を踏まえて経済的に彼等を封じこめていく戦略展開を構えるべきに違いない。そのための手立てや力、資金力にせよ技術力にせよ日本もアメリカもともに優に保有しているのだから。  
アメリカと中国のアジアにおける軍事的ヘゲモニーが、いずれの時点で何をきっかけに激しい衝突を起こすかは未だに不確定だが、その前に日本としては盲信しているアメリカの軍事の本質的ひ弱さを十分心得、いざという時自ら一人ででも自らを守り抜くための種々準備に心がけるべきだろう。そしてそれに平行して経済的に相手を封じこめる戦略を日本から提案してでも共に備えるべきに違いない。  
繰り返していうが、アメリカは中国とまともに戦争をしたら決して勝てることはない。またそんな戦さを彼等が、日本のために展開する訳もありはしまい。  

 

内政への干渉を排せ  (2005年11月) 
最近、ある人に教えられ関岡英之氏の「拒否できない日本」なる著書を読んで、今日の日米関係の本質を改めて認識し愕然(がくぜん)とさせられた。国政を離れて久しいせいで、あの後ことがここまで進んでいることは知らずにいた。知っているのは政府当事者だけで、彼等もそれを良しとはしないのだろうからことは表面では巧みに隠されているが、実態はあの後はるかに深刻なものとなっている。  
あの後とは、私が議員時代自民党が金丸信なる悪しき実力者の君臨の下経世会に支配され、その後体よく自民党を割って飛び出し新党を作って転々し今は民主党のフィクサーとして在る小沢一郎がその配下として幹事長を務めていた頃、日本はアメリカから構造協議なるものを持ちかけられ内需の拡大という美名の下に貿易を抑制し国内で無駄な支出を重ねることで国力を衰弱させよという圧力に屈した後々のことだ。大体、「構造協議」などという二国間協議のもっともらしい名称は国民の目を憚(はばか)るために日本の役人たちが改竄(かいざん)したもので、相手側の原文はストラクチュラル・インペディメンツ・イニシャティブ(構造障壁積極構想)、その「積極性」を持つ者は当初からアメリカということだ。それを当時の政府は国民への体裁を考慮し敢えての改訳を行った。そもそもこうした経済会議はOECDとかWTOといった汎世界的な協議機関で論じられるべきなのだが、他の先進国たちも相手が日本なら放っておけということでアメリカの非を唱えはしなかった。  
その場でアメリカが持ち出した要求は二百数十項目にも及ぶ内容で、中には日本の実情を無視した荒唐無稽(むけい)なものも数多くあった。それに対して私たち有志の勉強会「黎明の会」は日本としての対案を百四十項目作って相手にぶつけさせようとしたが、その提案を申し込んだ自民党の最高議決機関の総務会を小沢幹事長は会期末に意図的に三度続けて開かずに封殺した。仕方なしに他に場所をもうけ、外国人記者クラブでもその案を発表したが、当時の日経連会長の鈴木永二さんにこんな良い案の発表が遅すぎると叱(しか)られたものだった。  
しかしその後金丸、小沢体制下の自民党政府はさらに、向こう八年間に四百兆の公共事業を行って内需を刺激せよというアメリカからの強い要請を丸呑みして、結果としてそれを上回るなんと四百三十兆の公共事業を行ってのけたのだった。その結果夜は鹿か熊しか通らぬ高速道路があちこちの田舎に出来上がった。  
その因習がそのまま今も続いているということを関岡氏の著書で初めて知らされた。それはこの日本に毎年アメリカから「年次改革要望書」なるものが送られてき、日本はそれを極めて忠実に履行してきているという事実だ。そしてそれに対して、かつて私たちが行ったように日本側から相手に対する要求が実行されているということは殆どない。  
間もなくこの十一月に定例の要望書は日本に突きつけられる。その内容は従来アメリカ大使館のホームページに日本語で記載されている。こうしたアメリカ側からの要求に対して、日本の政党なりの一部たりとも国会議員が反論したり、日本側からの要望を対抗案として行ったという話を聞いたこともない。これは国会の卑屈、政治家の無知怠慢としかいいようない。  
BSEの牛肉問題に限らず、アメリカからの強硬なもろもろの要求に対する日本からの反論は当然あるべきだろうが、その具体的事例を耳にしたことはほとんど無い。そうした状況の内に驚くほど多くの事例がアメリカ側の利益を満たすために一方的に講じられてきた。早い話、一時期の流行言葉だったビッグバンとかいう金融開放が、歴代財政にとても明るいとはいえぬ派閥の領袖なり代表としての大蔵大臣の口から唱えられ実現され、結果として日本の金融財政はアメリカの金融資本禿鷹(はげたか)ファンドにかき回され蹂躙(じゅうりん)されるにいたっている。  
私が議員でいた頃から、アメリカの財務省は日本の大蔵省を、国防総省は防衛庁を彼等の日本支局と口にして憚らなかったが、それを如実に裏づけるものが毎年一方的に送りつけられてくる「年次改革要望書」の履行に他ならない。  
日本側にも国際的に見て不合理なしきたりや規制もあろうが、その改正合理化を求めるのはアメリカ一国ではなしに既存の国際機関であるべきに違いない。しかるにあくまでバイラテラルに行われている改革要望なるものは、結局かつて行われた構造協議という虚名の下の重圧と本質的にどう変わりもしない。  
ちなみに「年次改革要望書」の優先分野は通信、金融、医療機関、医薬品、エネルギー、住宅、裁判制度にまで及び二〇〇一年以降は住宅が消されている。つまり国産の材木を見殺しにしてアメリカ産の木材の多量輸入のために日本の政府は建築基準法を変え、「定期借家権制度」の導入、「住宅性能制度」の導入など一連の規制改革を行ってきた。こうした改革の因果関係については、国会に限らず日本のメディアは不思議なほど沈黙し続けている。  
靖国に関する中国や韓国からの非難も日本国の芯部に関する内政干渉だが、アメリカのこうした執拗(しつよう)な一方的改革要望も内政干渉以外の何ものでもあるまい。せめて国会はこの事実について国益を踏まえての議論を持つべきに違いない。  

 

新しい危機構造の到来  (2005年10月) 
アメリカの統合参謀本部の発表によると、中国はごく最近保有している94式原子力潜水艦からのJL2長距離ミサイルの打ち上げに成功したそうな。およそ六千マイル離れた中国奥地ロプノール砂漠のターゲットにわずかの誤差で着弾したという。アメリカは海上における中国の対台湾軍事行動を宇宙衛星によって観察中この事実を捉え確認した。この情報が正確なものであるとするならこれは極めてゆゆしき事態で、今後世界の、特にアジアの政治情勢は中国に大きく振り回されることになりかねない。  
この情報を踏まえてか、エーデルマン国防総省次官は中国の過剰な軍事力拡大の意図がどこにあるのか常識的に捉え切れないとコメントしていたが、この事実が暗示するものは、まさしく東アジアにおける新しい危機構造の到来といえるだろう。ミサイルを発射する潜水艦の位置次第ではアメリカの心臓部も射程に入ろうが、現在彼等が潜水艦に搭載して保有する長距離ミサイルの数からしても、アメリカといきなり正面切っての核戦争は有り得まい。  
もっとも、晩年頭がいささか狂って自らの権力を守るため文化大革命などという暴挙を行った毛沢東がソヴィエトからICBMを買いこんでいるのを見て、訪中したフランスの元大統領ポンピドーが、「あなたはアメリカとの全面戦争を本気で考えているのか」と質したら毛が、「場合によったらやるかも知れない」と答え、ポンピドーが、「そんなことをしたら膨大な数の国民が死ぬことになるぞ」といったら、「この国は人間の数が多すぎるので、二、三千万の人間が死んでも一向にかまわない」という答えが返って唖然としたという挿話がポンピドーの日記に記されている。その種の狂気が今でも中国の軍部に受け継がれているということなのかどうか。  
いずれにせよ世界の歴史の中で自らの国民を一番数多く平気で殺してきたのは中国人で、毛沢東は文革で二千万余の人を殺し、チベット併合のためにも二百万のチベット人を殺してはばからなかった。かつては蒋介石も南京で足手まといの市民を万単位で殺戮し、今ではそれも、毛の文革の犠牲者もともに戦争中日本人がやったことに仕立てられてしまっている。  
いずれにせよ「狂人に刃物」の長距離ミサイルを彼等が実際に使うとすればまず、目の敵の日米安保体制を切り崩すために日本に在るアメリカの戦略基地をということだろうか。それにしてもその見返りに自らが何を被るかということを、どう計算ずくでのことなのだろうか。  
しかし何であろうとこの事実はアメリカの立場を極めて厄介なものにしてしまったといえよう。  
最近の中国のいくつかの出来事を繋いで憶測するに、あの国はかなり深刻なジレンマ、トリレンマに陥っているといえそうだ。その一つは先に行われた台湾侵攻を想定した中露による合同大演習の現場に国家主席の胡錦濤が異例にも立ち会わずにいたこと。彼が軍から呼ばれなかったという推測もあるが、とすれば政治の主体者である共産党政府と国軍の間に微妙な軋轢が生じつつあるということか。  
二つは中国という国家の本質的な脆弱性である。広大な国土の割に埋蔵されている天然資源は著しく乏しい。環境の悪化で水資源までが枯渇し、地図の上での大河である黄河はすでに干上がってほとんど水が流れていないという。さらに広大な国土ながら、人間の住むに値する、緑や水といった環境条件を備えた土地は日本の国土の全面積のおよそ倍ほどしかない。  
第三に歪んだ経済拡張のせいで極端な貧富の格差が生じ、その不満が覆いがたく蔓延し始めている。それは共産政権につきものの汚職の跋扈と相俟って、民衆の不満を増殖させ政権を突き上げるマグマとなって胎動している。  
独裁政権たる中国共産党政府が自らの保身のために、国内の不安定要因である国民の不満を外に向けてそらすために画策した反日キャンペーンは決して決定的な救済策とはなり得ず、そうした本質的不安定さの中で、軍もまた保身のために政治を無視して自らの肥大化を図るのは世界の歴史にみられる崩壊の原理に他ならない。  
この日本の近代史を眺めなおしてもいえることだが、政治のコントロールを離れた軍の危うさは、容易に緊張のための緊張を助長し戦のための戦を敢えて行うということになっていきかねない。  
そして一方、アメリカは相対的には超大国として在りはしても、イラクにおける現況を眺めてもその力の限界をさまざまに露呈しつつある。  
非情な原理として、本来戦争というものは人命の消耗合戦に他ならない。ベトナム戦争に懲りて以来、イラク一つ見てもアメリカは兵士の人命喪失にますます神経質にならざるを得ない。アメリカ軍の中で第四軍たる海兵隊を除けば陸軍が一番劣悪な所以もそこにある。故にもイラクにおける宗教的狂信による自爆テロとの戦いでアメリカが勝てる訳はない。そして中国には朝鮮戦争で丸腰の兵隊を駆り立てて押し寄せたような軍事的伝統がある。これは毛沢東の言葉を引用しなくとも、核戦争においても当てはまりそうだ。  
こうした本質的状況の中で、我々はごく身近な、というよりまさに我がこととして新しい危機の構造にまみえつつあるのだ。その認識の上に今後我々は危機に備えて何をするべきなのだろうか。  

 

歴史に関する、ことのメリハリ  (2005年9月) 
八月が過ぎて靖国問題は旬が過ぎ沈静したかに見えるが、靖国が国際問題として蒸し返されるようになった切っ掛けのA級戦犯の合祀(ごうし)に関して、率直にいって私には納得しかねる点がある。というより私はA級戦犯の合祀には異議がある。  
合祀の是非が論じられる時必ず、彼等を裁いた極東軍事法廷なるものの正当性が云々されるが、我々はそれにかまけて最も大切な問題を糊塗してしまったのではなかろうか。それはあの国際裁判とは別に、この国にあの多くの犠牲をもたらした戦争遂行の責任を、一体誰と誰が問われるべきなのかということが、棚上げされてしまったとしかいいようない。  
私は毎年何度か靖国に参拝しているがその度、念頭から私なりに何人か、のあの戦争の明らかな責任者を外して合掌している。それはそうだろう、靖国が日本の興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者を祭り鎮魂するための場であるなら、彼等を無下に死に追いやった科を受けるべき人間が鎮魂の対象とされるのは面妖な話である。死者の丁寧な鎮魂を民族の美風とするにしても、罪を問われるべき者たちの鎮魂は家族たちの仕事であって公に行われるべきものでありはしまい。  
太平洋戦争に限っていえば、あの戦場における犠牲者の過半は餓死したという。そうした、兵站(へいたん)という戦争の原理を無視した戦を遂行した責任者の罪を一体誰が裁くべきなのか。それは国民自身に他なるまい。  
自ら育てた航空兵たちを自爆に駆り立てる特攻突撃を外道として反対し続けていた大西滝治郎中将は、最後には国体を守り抜くためには若者たちに死んでもらうしかないと決心し特攻を発令したが、その責任を取って敗戦後間もなく、自分が殺した数千の英霊への償いとして割腹自刃した。  
それも並の死に方ではなく、駆けつけた秘書官に、「俺は償いのために苦しみぬいて死ぬのだ」といって絶対に医者など呼ぶな、介錯などするなと命じ八時間もの間血の海の中でのたうち回って絶命したという。ならば英霊もそれを是として、ほほ笑み許すことだろう。同じように本土決戦を主唱していた阿南陸相も自刃して果てた。公家出身の近衛文麿にしてさえ毒を仰いだ。  
A級戦犯の象徴的存在、かつ開戦時の首相東条英機は、戦犯として収容にきたMPに隠れて拳銃で自殺を図ったが果たさずに法廷にさらされた。彼を運び出したアメリカ兵は、彼が手にしていた拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径なのを見て失笑したそうな。  
そうした対比の中で、ならばなぜ大西中将や阿南陸相は合祀されないのか、私にはわからない。  
当時中学生だった私はなぜか父に促され、父が仕入れてくれた傍聴券を手にして近くの見知りの大学生に同伴され、二度市谷に赴きあの裁判を傍聴したことがある。当時の私には裁判のやりとりの詳細は理解出来なかったが、二階に上がる階段の途中で、立っていたMPに履いていた下駄がカタカタ鳴ってうるさいと脱がされ、雨に濡れていた冷たい階段を裸足で歩かされた屈辱の記憶がある。  
故にもではないが、私はあの極東裁判は歴史的にも法的にも正当性を欠いていると思う。開廷の冒頭イギリス、オーストラリア国籍の弁護士将校が行った、この法廷がジュネーヴ協定に謳われた戦争における非人道的行為の責任者を裁くというなら、我々にはこの法廷を維持する資格は無いのではないかという陳述は、ウエッブ裁判長が慌てて通訳を差し止め後に報告の中から削除してしまった、という事実に鑑みても極めて妥当と思われる。あれが勝者による敗者への報復を含めた催し物だったことは自明だが、しかしなお、我々はあの戦争の責任者の存在について、あの裁判の正当性を非難することだけですむのだろうか。どの世界にも会社を潰してしまって責任を問われぬ経営者などいるものではない。  
私は後年、あの裁判で終身刑をいい渡され後に復帰し、国会議員となり法務大臣も務めた賀屋興宣氏に私淑したが、賀屋氏が皮肉に「まあ人間の性としても、あの裁判は仕方なかったでしょうな。あれでもし日本が勝っていたりしたら、そりゃあもっと酷い裁判をやったに違いありませんよ」といっていたものだった。  
がなお、あの裁判の非正当性にかまけて我々があの戦争の真の責任者について確かめることなしに過ぎてしまうなら、他国からいわれるまでもなく、我々はあの戦争という大きな体験を将来にかけてどう生かすことも出来はしまい。そしてそこにこそ、隣国たちは居丈高につけこんでくるのではないか。  
あの裁判の最中に、件の開廷冒頭の陳述への配慮も踏まえ、瞬時にして数十万の非戦闘員を殺戮(さつりく)した原爆への罪悪感の相殺のために突然でっち上げられ法廷に持ち出された南京大虐殺なるものも、互いにまだ一級の歴史資料が現存する今、靖国に祭られる者の資格云々とともに我々自身の手で検証されるべきに違いないと思うのだが。  
そうせぬ限りこの国は、結局何でもあり、無責任ナアナアの風潮に押し流され、周りからつけこまれるまま衰微の道をたどりかねない。  

 

起き上がる獅子  (2005年8月) 
目くるめく太陽の下で敗戦の詔勅を聞いた八月十五日がまたやって来る。  
信長が好んで謡い舞ったという「敦盛」の名文句に、「人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻のごときなり」とあるが、六十年前の敗戦から今日までの日々を思い直すとまさに夢幻のような気がしてくる。  
いや、さらにその以前の太平洋戦争が始まるまでに、子供ながら味わわされたあの緊張感。そしてついに開戦、思いもかけぬ連戦連勝。と思っている内あっという間に形勢は逆転し、中学一年生ながら勤労動員されていっていた農村でなぜか身震いしながら聞いた、広島に投下されたという敵の新型爆弾の絶大な効果。原爆の茸雲の噂はたちまち届いてきて、その形からして当時の写真屋が使っていたフラッシュの煙からの連想で、何やらマグネシュームを使ったとてつもない新兵器らしいということだった。  
そして降伏の瞬間から、本土決戦による「一億玉砕」は呆気(あっけ)なく「一億総懺悔(ざんげ)」と変わり、神と信じられていた天皇は人間に戻り、荒野に似た焦土の中からの復興が始まり奇跡に近い経済復興がなしとげられていった。この半世紀余、我々は中世においてなら二、三百年かかったろう変化を享受してきたといえそうだ。そしてそれを我々の誰が予測し得たことだろうか。しかしなお限られた識者は今日のこの日本について的確に予見してもいた。高度成長が端緒についた佐藤政権の頃、ノーマン・カズンが日本を「無脊柱の巨きな動物」と評していたのを私はなぜか強い印象で覚えている。  
長い歴史を通じて初めての敗戦といういわば処女体験に懲りて、この国は自我という背骨を失ったままできてしまった。新しい為政者アメリカへの盲信と依存は、時間的空間的に狭小となった今日の世界の中での自己主張を失わしめ、他の国々に比して多くの優れた可能性を持ちながら他国からの敬意を獲ち得ることがなく、むしろ侮りをさえ招いている。今日の日本に対する中国や北朝鮮の理不尽極まりない姿勢と、それに対するこの国の無為さ加減を世界は何と見ていることだろうか。  
私は先般、アメリカのある外交専門誌から三十五年後の日本という国家の変化についての予測を依頼され小論文をものしたが、先方の依頼の主旨は、この激しい変化の時代に、三十五年という中未来に、よも日本という国が今日のような体たらくで在りようはあるまいということのようだった。私もそう思うし、そう期待もしている。  
がなお、もう一方では極めて悪い予感もある。二、三年前のニューズ・ウィーク誌の表紙はなぜか拡大された星条旗だった。しかしよく見るとその最後の星は小さな日の丸だった。しかし今私としては、さらなる悪い連想で、同じ予測として、もう一つの星としての日の丸をあしらった中国の五星紅旗を思わぬ訳にいきはしない。  
共産党の独裁政権は、自己保存のための常套手段として行う軍事拡張による覇権主義を、日本との連帯でアメリカがどこまで本気で阻止し得るかは近未来における世界の大命題となるに違いない。そして、相対的な実力を失って行くアメリカもまた、自己保存のためには日本や台湾を容易に失い得るだろう。  
近い将来日本が晒(さら)されるだろう軍事的危機は、かつての冷戦構造下のヨーロッパの比でありはしない。現に我々はテロ国家北朝鮮によって百人を超える同胞を奪われ、その奪還のために全く何も出来ずにいる。正式な条約の下に返還された固有の領土沖縄を中国は自らのものと主張しつづけ、領海の資源開発に手をさしこんできているのに我々はその阻止に何も出来ずにいる。  
政府はこうした事態に対処するに、しきりに冷静な話し合いをと繰り返していうが、相手が行っていることは決して冷静なものといえはしまいに。  
近い将来我々は自己保存のための手立てを選ばぬ非常識な相手と、ある犠牲を伴った関わり合いを持たざるを得ないのかも知れない。その精度は疑わしくもあるが、北朝鮮は同胞の拉致に対して我々が経済における制裁を行えばこの国を火の海にしてみせると豪語して憚(はばか)らない。それに対してこの国は、やれるならやってみよ、その先お前たちがどうなるかを考えたことがあるのかとさえいい返すことが出来ずにいる。  
先に引いた外交専門誌からの依頼への私の答えだが、この国が三十五年先の中未来に強力な防衛国家として在るための前提に、我々は中国や北朝鮮という国際常識を欠いた国家たちとの関わりで、軍事的、あるいは経済的犠牲を甘受しなくてはならぬのかも知れない。そしてそれに耐え、それを跳ね返す力を我々は悠に備えているということを知り直すべきに違いない。  
岡崎久彦氏のかつての名言、「日本こそが眠れる獅子」であるということを我々は、我々自身の世界における相対的な位置として知り直す必要がある。この国はそろそろ、力ある獅子として起き上がる歴史の季節にさしかかっていると私は信じているが。  

 

国家存亡の分岐点  (2005年7月) 
昨年高齢で物故した家内の伯父の遺品の中から、中支戦線で戦死した家内の父石田中尉から妻宛の手紙が見つかった。結婚間もなく長男が誕生し、つづいて次の子供を懐妊中の妻を残し三十過ぎての出征、甲府の連隊に参加後、中支の激戦地名だたるウースン・クリークでの戦闘で心臓への貫通銃創での壮烈な戦死をとげた。  
それまでの一年余の間、愛妻と生まれたばかりの男の子、そしてまだ見ぬ次の子供への切々とした思いを綴った百数十通の愛の形見を、これも五十前でみまかった家内の母親は死に際を看取っていた兄に自分と一緒に焼いてくれるように託したが、伯父は何を思ってかそうせずに止め置いていてくれた。中の一通には、妊娠中の妻に一目会いたくて、当時彼女のいた広島から甲府までの汽車の乗り継ぎ時間をこまごま自分で調べての案内もあった。  
最後の手紙は、前々日小隊長が戦死し先任士官として自分が指揮を取ることになったが、明日も予想される激戦でおそらく自分も戦死するだろうと記した遺書だった。そして彼は私の家内となった娘の顔を見ることなくこの世を去った。  
石田中尉の墓は横須賀の一族の菩提寺にあるが、あの戦争という国家の出来事を背景に亡き父親を想おうとする時、家内たち兄妹は靖国神社に参っている。戦没者の遺族のほとんどは同じ思いに違いない。  
今年ようやく、特攻の母といわれた亡き鳥浜トメさんからの私自身の聞き語りを元にしたシナリオの特攻隊賛歌の映画化に入るが、二十前後で散っていった若い桜たちの合言葉は「靖国で会おう」、遺族には「靖国に来てくれ」だった。  
これは戦争という出来事を背景にしたセンチメントなどでは決してない。国家の存亡の前に、もっと端的に自らの家族を守るため、その存続と繁栄のためにこそ敢えて死んでいった者たちの、時代や立場を超えて垂直に貫かれていくべき信条の唯一の証しとして「靖国」は在るのだ。それをいかなる他人も、いかなる外国も否定出来るものでありはしない。「靖国」は国家民族という枠をかまえて自らの生き方を思う者たちにとって垂直の価値、それを必要とする者にとってはいわば本質的価値の表象であって、歴史への解釈云々といった次元の価値観で左右され得るものでありはしない。かつての時代、どの国もどの民族もみんな死に物狂いに、生き残るために戦ったのだ。敗者勝者のいい分それぞれあろうが、それが嫌な者、見解を異にする者はただ靖国に行かなければいいのだし、他人事としてただ黙っていればいい。  
家内が戦争未亡人の母親から受け継いで着ていた喪服のたもとには、彼女が戦後初めて靖国に参った時に乗った電車の切符が縫い込まれていたそうな。「靖国」は彼女の人生を支える芯(しん)の芯なるもの、心意気の象徴としてあったに違いない。それを一体誰が、何が無下に否定出来るというのだろうか。  
かつて大戦を予測したローズベルトがベネディクトに依頼して出来上がった日本人論「菊と刀」に描かれている、高貴な日本人像の神髄とは、自己犠牲を厭(いと)わぬストイシズムと勇気だった。それは今日台頭しつつある隣の中国の民族的特質、その成就のためには手段を選ばぬ拝金主義とは極めて対蹠(たいしょ)的なものだ。彼等は日本からの経済収奪のためには手を選ばず、彼等が勝手に作り上げた歴史観、戦に勝ちもせぬ自らを勝者として祭り上げ、正当性の無い国際裁判を合法とした理屈で我々を揺すぶり、ふんだくれるだけのものをふんだくろうとしている。  
この国の中にもそれに応え、経済利益を唯一の国益と称し相手のいい分に屈せよと唱える者がいるが、それは所詮(しょせん)姑息な手立てでしかありはせず、その結果我々は最も大切な、国家の芯の芯に在る、掛け替えなきものまでを売ろうとしているのだ。それは我々が永遠に受け継がなくてはならぬ国家としての、民族としての心意気に他ならない。そしてそれを敢えて失うことで我々が中国以外のすべての他者から勝ち得るものはただ軽蔑でしかあるまい。それにどう考えても、もし総理が靖国参拝を中止したとして、中国がそれを大いに感謝評価し、にわかに友好に転じる訳もない。さらに我々の心の内にまで手をつっこんでの露骨な干渉となるのは自明のことだ。  
常識のレンズをかざして眺めれば、現今の関わりの中で中国の方が日本を失えないのは自明である。よしんば我々が市場としての中国を失ったとしても、日本の技術を含めた経済力をもってすれば他の代案はインドやシベリア等々優に有り得よう。中国を切り捨てることでしばしの経済停滞があったとしても、この豊かさの氾濫(はんらん)の中でそれを甘受出来ぬというなら、我々は実はすべての価値を失うことにもなりかねまい。  
国家はその芯の芯にある価値を阻害された時、取り返しがつかずに腐れ果て、蘇(よみがえ)ることはありはしまい。それは歴史の工学が多くの事例で証しているところだ。  
そして「靖国」が今後の日本にとってどのような意味を持つかを大きく決めるだろう瞬間は、今年のこの事態の中で、小泉総理の靖国参拝にかかっているといっても過言ではあるまい。  
歴史の分岐点というのは過去にも多々あったが、いずれにせよ、その時点で国民がいかなる価値観にのっとってそれにいかに対処したかにかかっている。  
我々は今性根を据えなおし、いかなる掛け替えにおいても守るべきものを自らのために、そして国家民族の将来のために守る決心をすべきに違いない。 

 

沖ノ鳥島の戦略的意味  (2005年6月) 
文明と技術の進展によって我々はようやく、この地球の構造や未知の経済的可能性について知れるようになってきた。海洋も含めて、その地下資源の開発もその所産の一つだ。そして領土はその可能性の開発推進のための有力な起点となる。  
国連の海洋法条約はそれを踏まえて作成された。しかしそのはるか以前からあちこちの局所でさまざまな国家の営みは行われてきている。沖ノ鳥島が、後発した国連の決めた条約の領土として該当しようがしまいが、我々の先祖はすでに昭和十四年からあの絶海の環礁に資金を投じ手を加え、将来の可能性のための措置を講じてきた。  
戦争中は発進基地としての水路を開き、戦後もまたそれを踏まえ将来の可能性の確保のために、昭和六十二年から三百億円もの国費を投じて岩礁の補強に努め、浅い礁湖を利用し打ち込む波を凌ぐために高い足に支えられた三階建ての住居も構築してきた。さらにその保全のための工事総額は五百五十億円に及び、そのうち百十億円を東京都が負担してもきた。  
その歴史的事実は後から出来た、大ざっぱな国連条約でどう否定され得るものではない。国には国の歴史があり、それを後発の国連がどう否定出来るものでもありはしまい。問題は折角あれだけの施設を作りながらその維持と活用を怠ってきた政治の継続性の欠如と鈍感さにある。  
私の東京知事としての今回の沖ノ鳥島行きをニューズウィークのある記者は中国への挑発を意図した政治的パフォーマンスだなどと書き立てているが、日本をさまざまな不法の言動で挑発し続けているのは中国の方ではないか。こうした手合いには今日の政治情勢におけるこの島の戦略的意味合いが分かっていないようだ。  
先般アメリカ政府内の知己の一人であるボルトン国務次官がその席を退く直前に来日した際、私は彼に西北太平洋の地図を示して、この島がいかなる位置に在り、いかなる地政学的意味を持つかを説明し彼は初めての認識を持った。  
この島と環礁はアメリカの戦略基地であるグアムと、グアムを凌ぐ重要な基地沖縄を直線で結ぶ中間点に在る。原子力空母を含めてアメリカの艦船が何らかの目的で日本周辺に向かって西進する最短の航路の上に在る沖ノ鳥島周辺の海域は、アメリカに対抗し西太平洋の覇権を狙う中国にとっても戦略的に重要なものだ。中国の調査船がこの水域を日本に無断で調査しまくっていた所以は、深い海溝の在る海域の海底資源の調査などではなしに、いつかの将来、西太平洋の覇権を巡ってアメリカとの衝突も辞さない中国の、潜水艦を中心にした戦略展開のためのものに他ならない。  
中国はロシアからの購入も含めて年ごとに潜水艦の保有量を増やしつづけている。アメリカ当局の推定では十年後その数は百三十隻となり、数の上ではアメリカの二十五隻をはるかに凌駕する。その時点でのミサイルを搭載したアメリカの潜水艦はわずかに七隻でしかない。これは日本にとっても看過出来ぬ事態で、冷戦時代アメリカの太平洋艦隊と協力しソヴィエト原潜の追跡監視に効果を上げた日本側にとって、さらに厄介な新しい事態に他ならない。  
私のやったことがあたかも中国を刺激、挑発することでのナショナリズムの高揚のようにいう筋もあるが、それは現今の中国の西太平洋における軍事的野心の実態を知らぬ者の能天気ないい分でしかない。あの浅い礁湖は開発すれば簡単に、US1のような無類の国産飛行艇の離着陸の水路たり得るし係留基地ともなる。あの島の領土としての確保、そのための島周辺における漁業を中心にした経済活動による水域の実効支配は、日米安保を踏まえた自衛のための我々の責任に繋がるものだ。  
仮に、数で勝る中国の潜水艦隊がピラニアのようにアメリカの空母を取り囲み撃沈したとすれば、一挙に五千四、五百という乗務員の生命が失われアメリカの世論は大きく規制され、政府の姿勢もぐらつくだろう。  
そしてあの島周辺の海は、調査による推定では豊穣な漁場たり得る。沖縄や八丈島で行っている種の漁礁は極めて有効だし、すでに国交省が予算づけした、日本人学者による、世界のパテントも獲得した、南の深海の海水と表面の海水との温度差を利用し、アンモニアを混合した溶液の短時間での気化熱による発電装置を島にもうければ、二千メートルの深海の底から汲み上げられた海水に含まれる豊かなプランクトンとミネラルは魚を呼び寄せる巨きな吸引力となり得る。これはおそらく世界で初めての漁業のための深海開発となるに違いない。  
小笠原に属する最先端の日本領土について東京都に出来るのは漁礁の造成と漁業活動限りのことで、発電を含めた開発と維持はあくまで国家の責任である。先般の会談で日本の先端技術を駆使しての開発の可能性について報告した際、総理も強い関心を示してくれた。国民の支持と期待があれば、いやその前に中国への経済進出にうつつをぬかしながらも、彼等の軍事的野心について、他ならぬこの我が身のために懸念する冷静な認識があれば、この試みは容易に遂行されるに違いない。そしてそれは、夜間には獣しか通らないような田舎の高速道路を作って増やすよりもはるかに有効な、国家民族の安全のための投資となるはずである。  
これほど将来を見越しての、有効で穏やかな自己主張はあるまいに。ことあるごとにいってきたが、まさに「天は自ら助くる者をのみ助く」である。  

 

花粉症に関する国家の怠慢  (2005年5月) 
先々月の二十一日首都三環状高速道路の最外側線、圏央道のあきる野市のインター  
チェンジの完成式に出席した。  
ようやく春めいて風もなく穏やかな日和だったが、飛んでいくヘリコプターから眺めると現地の辺りに一面うっすらと霞のごときものがたなびいて見える。  
「あれは、もうそろそろ春霞かなあ」  
といった私に現地担当の局長が、  
「いやあ、霞というより、花粉ではないでしょうかね」  
「なるほど、あれが世にいう花粉症の元凶か」  
眺めなおすと辺りの山裾一面、やや褐色を帯びた、霧や霞とは違う色合いの気体の帯がたなびいている。  
「今日は風がないから、あれが都心にまで届くには時間がかかるでしょう」  
いわれながら、やがて花粉の原産地近くに舞い降りた。  
つまり我々は来る道すがら見た花粉の帯の下で行事を行った訳だが、帰宅して間もなく鼻や目という局部ではなしに体全体に何ともいえぬ違和感を覚えた。それがはっきり形をとって現れ出したのは翌日のことだが、かくして私もようやく流行に追いつき、生まれて初めて花粉症の被害者とあいなった。私だけではなしに同道していた屈強のSPまでが同じ症状となった。  
私の長男はかねがね花粉症に悩んでいたが、閣僚の時悩みに耐え兼ねて薬を飲んだら効き過ぎて、予算委員会の席で眠りだし注意を受けたそうだ。そう聞いてもあまり同情せずにいたが、自分でなってみるとどうにも苦しくなんとも厄介だ。思考力は低下し、やる気が落ちる。これは宿痾(しゅくあ)だった腰痛に似ていて、当人はいかにもつらいが傍目(はため)にはそうとは映らない。故にもあまり同情もかわない。私も自分がなるまで、なんだたかが花粉を吸ってのアレルギーだろうがと思っていたが、医者にも誰にもいつ治るのかめどが立たないため風邪より始末が悪い。  
昔は無かった現象だから、今日のモータリゼイションの招いた排気ガスとの混合感染くらいに思って、主にもっと深刻で危険な病、肺癌やアトピー、他のアレルギー症状退治のつもりでディーゼル・エンジンの排気ガス規制をやってきたが、そっちの方は効果も出たが、どうも今年は異常に多いという花粉の威力にはかなわないようだ。  
ちなみに花粉症の患者の総数は全国でおおよそ二千万人、六人に一人。首都圏では人口の二十六%、四人に一人の一千万人。東京に限っても五人に一人の二百二十五万人というべらぼうな数に上っている。この中に国会議員や国家官僚といった立法、行政権限のある偉い人たちは入っていないのだろうか。  
花粉症の最大の元凶である杉の木は、あきらかに予測を欠いた、というより予測を怠った国家の林業に関する失政の所産でしかない。生育の早い杉は戦後住宅の増設のために集中して植林された。その促進のために作られた「昔々その昔、椎の木林のすぐそばに、小さなお山があったとさー」という童謡を私も覚えているが、その後世界の流通が変わり国産よりも安い外材が優先され、国内の杉の森は放置され続けた。その結果森は荒れ、いたずらに樹齢の延びた杉は自己防衛のために過剰な花粉を放出するようになった。  
そんなことは花粉被害者の誰もが知っていることだが、これだけ膨大な数の国民が苦しみぬいているのに、政府はなぜこの問題に積極的に対応してこなかったのか理解に苦しむ。これはあくまで自分がこの難病にとりつかれてのことだが。  
よく、新しい公共事業の展開前に、これが実現するとどれほどの経済効果があるという分析予測が発表される。渋滞解消のためのバイパスやハイウェイ、橋の建設、あるいは空港の滑走路増設は、確かに通行時間の短縮のもたらす燃料等の経費の節減をもたらすし、環境問題の好転にも繋(つな)がるし、他の要因による経済効果を確実にもたらす。  
ならばなぜ今までこれほど広大な範囲で、膨大な健康被害をもたらしている花粉症に関しての、その防止による経済効果が計測されてこなかったのか。  
治療の受け手の医師会は、治療の売り上げなんぞよりも、その問題の放置が社会にもたらす深刻な影響に警告を発してもいる。  
荒れた森に手を加え健全化するのにどれほどの経費がかかるのかという予測すら聞いたことがない。林野庁のホームページを見ると、国土の保全、水源の涵養(かんよう)、温暖化の防止のためには一度に伐採とはいかず、徐々に他の品種の木と植え替えていくしかないとあるが、これも体裁のいい言い訳というか、役所はもうお手上げだという本音の域を出ずに、悩める者たちへの何の救済にも期待にも繋がらない。  
これがわが国独特のいわば風土病ともいうべきものであり、その原因は林野行政の失敗でしかない。とにかく六分の一の国民が、年間の四分の一の長期にわたって苦しみ、仕事の能率を欠き、とどのつまり膨大なマイナス経済効果を蒙(こうむ)っているのだ。これがどうして国会での重要議題とならないのか。なぜ、せめて将来数年にわたろうと花粉症淘汰(とうた)の計画が机上にすら存在しないのか。これがせいぜい数人の生死に関わるだけの、サーズなど新しい疫病となると国を挙げての大騒ぎとなるのに、自殺者まで出ている花粉症対策が国事たりえず、選挙の争点の一つともならないのは、国事担当者の政治家、官僚の鈍化と怠慢のせいというよりない。  
私は来る関東知事会と首都圏の八都県市の首長会議で、組織としてまとまって何をし、国に何を求めるかを患者代表として提案するつもりでいるが、しかしやはり決め手は小泉総理に患者の一人になってもらうことかも知れない。  

 

西欧人のずるさ  (2005年4月) 
最近の国際問題の中でEUがかねがね禁輸の体制をとっていた中国への武器の輸出の解禁を考え出したというニュースほど不愉快なものはない。EUといってもフランスに始まって限られたいくつかの国々だろうが、彼等が日頃説く人道主義だの平和の理念と一体どこでどう整合するのか、矛盾極まりない話だ。  
彼等が本気でそんな魂胆を抱いているとするなら、イラクに対するアメリカの姿勢への非難などおよそ当たらぬことにもなる。それは増強の一途をたどる軍事力を背景にしての中国の危険な覇権主義を無視しての、いたずらの経済営利に依るもの以外の何ものでもない。危うい矛盾を抱えたままの膨張を続ける中国経済のただ図体の大きさに目がくらんでの武器の売りこみは、結果として東アジアにさらなる政治的軍事的不安定をもたらし、下手をすると世界全体を巻きこむ混乱を誘致しかねない。  
共産党政権の独善性なるものが過去にいかに非人道的な暴挙を敢えて行ってきたかは、冷戦構造下ソヴィエトがハンガリー、チェコスロバキア、そしてアフガンにおいても何をしてきたかを見れば明らかなことだ。そしてすでに中国共産党政権は一方的な軍事力の誇示の下にチベットを併合し、さらに狂気に近い軍拡を行うことで軍に支えられながらその独裁を維持し日本やフィリッピン、ベトナムの海上領土の領有権を唱え続け、実効支配への試みを遂げつつある。  
ヨーロッパを主な舞台とした冷戦は終結したが、すでに核まで保有してしまったテロ国家の北朝鮮とそれを支持する中国の存在はこの東アジアにおいて、実は冷戦時代以上の緊張を我々にもたらしている。この段にいたって、その元凶である中国にEUはヨーロッパの意思として武器の禁輸を解除しようという。これは世界が時間的空間的に狭小になった今日の時点でもはや認識不足などということではすまされぬ、卑しさという以外にない。  
他人の危険、実はそれは優に我が身にも及ぶことなのに、それを無視して己の儲けのためなら他はどうなってもいいという魂胆は見え見えで、フランスなどという国は過去に中近東のある紛争の折、大統領が出向いていって平和を説いてみせたすぐその後、今度は首相が出かけていってフランス製の武器を売りこむなどという破廉恥をぬけぬけと行った国でもある。  
前にも記したが中国の産業経済は産業の工程の上流たる、新製品開発のための発想力もなく、ましてそのための新しい技術の開発能力もありはしない。あるのはただ中流の、労働組合も許されぬ非人間的条件下でのチープレイバーの多量生産体制だけでしかない。ちなみに下流の、自国製品の世界的販路での宣伝流通能力もありはしない。アメリカで実はもう本質的需要の無くなったIBMを、四、五番煎じで中国が買ったのもその証左に他ならない。  
つまり、従来ソヴィエトから兵器の供給を仰いでいた中国には、現在保有している武器の能力を上回る性能の兵器を自ら開発する能力はありはしない。EUはそれを見こんで新型の兵器の売りこみを計るつもりなのだろうが、それは自らが日頃しきりに唱えている理念への背信でしかあるまい。それを敢えて行おうという国があるとするなら、EU全体の威信にかけて、日本やアメリカが非難する前にEU自身の中で討論されるべきだろう。それが行われずにことが進められるなら、世界はEUそのものの存在に強い疑念を持たざるを得ない。  
まして中国は最近、台湾の独立を阻止するための軍事力の行使を認める「反国家分裂法」を作成し憚(はばか)らない。こうした政治的独善が軍事力を背景に展開されることの恐ろしさを、ヨーロッパはかつてヒットラーが同じ民族故にと強行したオーストリアの併合の歴史を踏まえて熟知しているはずではないか。  
共産党の独裁政権なるものは、自己保持のためには何をまで敢えて行うかということを、我々は共産中国の最近の歴史の中でまざまざ見せつけられてきた。晩年の毛沢東は己一人の権力維持のために、他愛ない若者たちをそそのかし文化大革命なる狂気を遂行し二千万人もの同胞を殺して顧みなかった。その前後訪中し毛と会談したフランス大統領のポンピドーが、「あなたは大陸間弾道弾なんぞを開発して、アメリカと戦争でもするつもりなのか。そんなことをしたら何千万という国民が死ぬことになるぞ」と質したら、「場合によったら戦争も辞さない。死者の数にはこだわらない。大体わが国の国民は多すぎるから」と嘯(うそぶ)かれ、呆然とさせられたという述懐がその日記に記されている。  
これでもしEUがヨーロッパからの対中国武器輸出を解禁し、間接的に日本という国を見限るというなら、日本は本気で独自の強力な兵器の開発を考えざるを得ないことにもなりそうだ。そしてその結果保有に至る最新鋭の兵器は当然、一番有効な安全保障の手段の一つとして輸出されるべきだろう。かつて三木武夫という徒(いたずら)に観念的で、それ故にか妙にもてはやされた総理大臣が、国家の安全を棄損しかねぬ愚挙としていかなる国へも武器の輸出を自ら禁止してしまったが、そうした迷妄もこれを機会に払拭されることになるだろう。  
天は自ら助くる者をのみ助く、というこの世の原理をヨーロッパが改めて教えてくれなくとも、我々は自らの運命を自分で切り開くくらいの覚悟は出来るはずである。 

 

日本人の感性  (2005年3月) 
羽田に新しいターミナルビルが出来上がり、名古屋にも新しい国際空港が誕生した。しかし中に並んだきらびやかな商店街を眺めて、改めて怪訝に思うのは国際的なブランド製品を扱う店は多くとも、日本製のすでに国際的名声を獲ち得ているブランドの店が見当たらない。  
既存の成田や関西空港もそうだが、なんでそこに国際的に高い評価を得ている、例えば三宅一生とか、川久保玲のコム・デ・ギャルソン、ヨウジヤマモトといったブランドが並べられることがないのだろうか。外国に出回っているそうしたブランドに外国人が大騒ぎしているというのに、それらの発信国の日本の国際空港のような国際的展示場でなぜ日本オリジナルのデザインにアッピールの機会が与えられないのか理解に苦しむ。  
ノルウェイのような国では、家具などの自国デザインの商品には数十%の減税がもうけられているのに、この国での国産の、それも国際的に高い評価を受けているデザインへの配慮が公には全くない。服飾に限らずすべての領域でのデザインというのは、その国家民族の感性の表示であって、それそのものがそれぞれの国家の文化水準の指標ともいえる。  
優れた芸術家には、見知らぬ国の芸術作品に見られる未知の感性の表示は新しい刺激として受け入れられ、さらに新しい造形に繋がり世界に伝播していく。かつてフランスの印象派の画家たちに、日本の浮世絵の西欧的遠近法を超えた風景画が大きな衝撃を与えたように、感覚には国境がないのだ。  
かくいう私にも同じ体験があって、昔フランスがプロデュースしての五ケ国合作のオムニバス映画「二十歳の恋」が制作された時、日本版の監督をした私が総元締めのトリュフォーに会った折、彼が昔見た日本の現代映画作品に影響を受けいわゆるヌーベル・ヴァーグのタッチを思いついたと告白し、よく聞いたらそれは私の原作脚本、中平康監督の、弟裕次郎と津川雅彦のデビュー作「狂った果実」だった。自惚れでなく、かねがねあの作品はあの時代を代表する傑作の一つと思っていたが、それを後のヌーベル・ヴァーグの巨匠トリュフォーが保証してくれたというのは欣快だった。  
もの真似から始めて西欧に追いつき追い越すことだけを悲願にやってきたこの国には、未だに感覚に対する評価というものが社会的に定着していない。日本の近代教育にも感性の養成などは全く組みこまれていない。故にもデザインという感性が収斂された所産についての評価がいかにも薄い。といって日本のデザインが相対的に劣っているなどということは決してない。早い話、航空機のデザイン一つを見ても、戦争前に世界記録を作った理研の実験機にせよ、第二次世界大戦の緒戦で無敵を誇った零戦にせよ、収斂されつくしたデザインの効果なくしてあの性能はあり得なかったろう。  
行政は優れた感覚を直接養成することなど出来はしないが、デザインというものの文明的効用を理解すれば、その養成の手助けは出来るはずである。要はその認識を為政者がいかに持つかということだ。  
それにしても日本の行政者の、デザインという文化の象徴への無理解と鈍感さには腹がたつ。例えば分野はいささか違うが、日本の天才が生んだトロンなどという技術体系の、アメリカという世界最大の消費地への進出を阻んだのは日本の通産省であり担当の大臣だった。幸いこの技術はトヨタのエンジン管理への意欲の元に復活し、携帯電話の普及とあいまって普遍発展したが、これを見殺しにしたのが他ならぬ日本の行政機関だったというのは、多分他の国では有り得ぬことに違いない。  
デザインもまた新しい発想の所産に他ならない。  
ともかく日本人というのは、己の感性に自信がない訳でもないが、その感性の依った所産について外国人に積極的に説明したり売りこんだりすることがなぜか少ない。早い話、今では健康食として世界に普遍した寿司にしても、その発見者はアメリカ人で日本人が宣伝しアメリカに上陸した訳では決してない。  
フランスのプロバンス地方の魅力について紹介し、日本でも評判になったイギリス人のピーター・メイルが後年日本に来て日本料理の味わいの深さに感動し、なかんずく松茸の土瓶蒸しを絶賛して、日本に来るのが遅すぎたと後悔したなどという挿話は、相手が牛の舌しかもたぬといわれるイギリス人だけにむべなるかなとも思うが、土瓶蒸しを好まぬ日本人は珍しかろうが、さりとて外国人にそれを積極的に薦めた日本人というのも聞いたことがない。  
フランスの名シェフのアラン・シャペルは日本に来て日本独特の料理牡蠣フライを食べて絶賛し、彼のレストランにはメニュウとして登録されている。料理もまた日本人の研ぎ澄まされた感性によるデザインといえるのに、それを積極的に外国人に薦める日本人は少ない。アンドレ・マルロオはかつて、日本人だけが瞬間の内に永遠を凝結されることが出来る唯一の民族だといっていたが、他人からいわれなくとも、我々はもう少し自らの感性の水準に自信を持つべきに違いない。  
ということで、今年から解体再編成して発足する「首都大学東京」では、産学共同作業の一つとして、かつてドイツに誕生し一世を風靡した「バウハウス」のようなデザインに関する複合的な組織を誕生させ、すでに発足して新しい才能を発掘している、日本よりもむしろ外国で評判になりつつあるコンテンポラリィ・アートの新しい牙城「ワンダー・サイト」などと連携しながら、幅の広い新しいデザインの開拓に努めるつもりでいるが、関心と共感あるさまざまな分野からの協力に期待している。  

 

東京は自らの手で国土を守る  (2005年2月) 
昨年十二月半ばごろ総務省から突然わずか四行の連絡文が都に届いた。中国の海洋調査船「科学一号」の東京都と沖縄県水域に挟まる経済水域での調査について都の意見を聞かせよ、ということだが、中国からの申し出をうけた外務省の意向を取り次いだものにしても、その判断の基準となるべき相手のこうした調査の実態については何の説明もない。  
中国船は過去にも沖縄の尖閣諸島周辺の日本の経済水域にもしきりに出没し勝手な調査を行ってきている。国連海洋法条約では246条に「排他的経済水域および大陸棚における海洋の科学的調査は、沿岸国の同意を得て実施する」とあり、かつ実施した調査結果の沿岸国への報告を義務づけている。しかし中国が今までその義務を履行したためしは全くない。どころか彼等は尖閣諸島はもともと中国の領土だなどと主張し出し、同じようにベトナムとフィリピンの西沙、南沙諸島の領有も主張し、それらのある島々には漁業用とか称して施設の構築を一方的に強行してきた。  
そして近年にいたって日本の領土たる沖ノ鳥島を、あんなものはただの岩礁に過ぎず日本の領土とは認めないといい放ち、周辺での調査も一方的に行っている。でいながら、政府がこうした姿勢の中国の申し出を何の条件もつけずただ右から左に関係自治体に取り次いで意見を求めるのは、自治体を素人扱いしかつ国の責任を半ば放棄し、事後の責任を自治体に押しつけかねぬ姿勢といわざるを得まい。故にも都はこの調査に反対との意思を総務省経由で外務省に伝えた。  
ともかくも昨年一年に限っても日本側への事前通報なしの中国調査船による違法調査活動は三十四件に上り、年ごとに増加している。広大な領土を持ちながら埋蔵資源の極めて少ない中国が海底資源の開発に意欲を持ち、併せて太平洋での軍事的ヘゲモニーに野心を抱いているのは自明のことで、繰り返される領海への侵犯はやがては日本経済を支えるシーレーンの危機にもかかわってくる。  
戦略を欠いたこの国の政治はこうした問題にすべて後手後手でしかない。関係する役所どころか、そうした役人におぶさるしかない政治家にも物事を複合的にとらえる能力が枯渇していて、いつもことが起こってからの右往左往でしかない。  
かつて青嵐会が引き金を引き、共鳴した有志によって尖閣諸島の魚釣島に造られた立派な灯台が、外務省の弱腰で、かつて来日したトウ小平がぬけぬけと「尖閣問題は後世の知恵のある世代に解決をまかせよう」などという棚上げ論に同調してしまった結果、時期尚早とかでいまだに海図に正式に登録されないという現状だ。この事態にいたってもそれが国会で一向に議論もされないという実情は歯がゆい情けないを通りこして、あきれるしかない。  
ここにきて政府内部には沖ノ鳥島に人を住まわせる算段をすべきだという意見もあるやに聞くが、それならその前になぜ、かつては居住者もいた尖閣諸島に自衛隊などを配備する措置を講じようとしないのか。  
今回の相手側からの水域指定も、そこに至るに通過しなくてはならぬ沖ノ鳥島の経済水域は外しており、彼等のかねての主張の通り沖ノ鳥島の領土としての主権を認めぬ姿勢は明白だ。ちなみに、日本政府は十八年前には巨費を投じてあの環礁の中の岩島を風波から守るべく補強工事を行い、数十人の工事要員の宿泊設備も造成している。  
だから東京都もそれを受けて国に先んじて来年度予算に調査費を計上し、東京都の漁業組合の協力のもとに本格的な経済活動としての漁業活動を開始することにした。そのための作業船も建造の予定だし、当面他県の大型漁船を借り上げて魚礁の設置等の作業を開始する。周囲の海底の条件や島周辺の海象の厳しさからして定置網の設置は不可能かも知れないが、八丈島や沖縄の海で成功している魚礁の設置は可能だし、それに加えて佐賀大学の上原教授による、すでに特許も下り開発のための国家予算もついている画期的な発明、深海の水をくみ上げ水面の海水との三十度近い温度差を利用してアンモニアと水の混合体を作動流体の作用で蒸発気化させそのエネルギーでタービンを回し発電する新技術を活用し、島での発電による生活の安定と、深層水が多く含むプランクトンやミネラルを魚礁を設けた浅水域に放流し魚を呼び寄せ豊饒な漁場を造成していくつもりだ。  
この漁業活動はまず経済的採算を無視してでも行うべきこととも思うが、ここまでなめられきっている中国に貢いでいる膨大なODAの無駄に比べればはるかに意味があるはずである。それでもし日本自身が開発した新しい技術によって今まで不毛に近かったあの水域が環境を全く損なうことなく素晴らしい漁場に生まれかわるなら、世界に範を示すことにもなる。  
国は国家の威信と国土の防衛維持のために東京のプロジェクトに挙げての協力をすべきだと思うが、もし国の腰がひけたままなら、私は街頭に立って都民国民のカンパを要請し国民挙げての運動を展開するつもりでいる。  
「天は自ら助くる者をのみ助く」というこの世の公理を、我々は自らの財産である領土の確保のためにこそ実践しなくてはなるまい。 

 

価値をいかにして伝達するか  (2005年1月) 
年末テレビで恒例の『忠臣蔵』を観、定例の涙を流した。演じられているどれも心にせまる挿話は『隣の殿様』にしろ、大石内蔵助と遙泉院の最後のやり取り、箱根での大石が名乗る偽者の垣見左内と本物との出会いにせよ、多分皆赤穂浪士の吉良屋敷討ち入りの後に出来た作り話に違いないが、そのどれもに当時の人々のあの出来事ヘの共感があふれている。  
それは『生類憐れみの令』などという俄(にわ)か仕立ての倫理観で国民を規制しようとした幕府の思惑などを超えて、人間の最も根源的な価値観を確認して伝えるという庶民の強い情念の発露ともいえるだろう。彼らが幕府の権威を超えて認めた価値とは、献身の貴さ、自己犠牲の美しさ、誓いを通じての人間相互の信頼、それに裏打ちされた重い責任の履行などなど。忠臣蔵の感動はそれらのものの尽きせぬ味わいに違いない。  
そしてそれらは、国家社会の人間相互の関わりに依る存続のために不可欠な、垂直な、というより時代や世相を超えて在るべき鉛直な価値に違いない。しかし現今の日本社会の諸相を眺めるとその喪失が色濃く感じられる。と思う者には、いまなおそれらの価値への信奉が保たれているのだろうが、ならばこれはただの慨嘆ですむ事柄ではなさそうだ。  
頻発する子殺し、親殺し、幼児殺し、集団自殺、未曾有な異常犯罪。それらの出来事の根底に在るものが一体何なのかを我々は正確に把握する必要がある。それは文明の過度な成熟がもたらした人間への疎外、いい換えれば人間の本質的な衰弱の所産に違いない。  
今日ほど人間が肥大化した時代はなかったような気がする。その意味は人間が願望本意になってきたということ、つまりただ自己本位ということだ。故にもそれらの行為はいたずらに衝動的であって、その願望を制御するもろもろの正当な意識の働きが欠落してしまっている。  
東京都が青少年健全育成条例の改正にあたって青少年の実態を調査しなおしてみた結果、例えば義務教育課程に在る少年少女の基本的な価値観の歪(ゆが)みや欠落には改めて呆然とさせられた。倒産閉店にまでいたる被害を生んでいる繁華街での若者たちの万引行為について、常習の少女たちは平然と、繁華な街でこそ在り得る刺激のためだといい切るし、最低限の教育も受けず本質的な知識を欠いたまま行われる性戯の氾濫は、先進国で日本のみ唯一のエイズの増加を許してしまっている。  
彼らの意識では、性行為は異性に対する恋愛感情を必要条件とする行為とは全くたりえない。友情どころかただ近親のきっかけを掴(つか)むためだけの行為としてだけ在り得てしまう。故にもある少女にとっては、自分の物欲を満たすという彼女の最高、最重要な目的達成のための安易で有益な手立てとしてしか在り得ず、そのために行う売春には彼女なりの歴然とした正当性があって対世間、対家庭、対自身へのひるみや後ろめたさなど全くない。  
加えて文明進展の所産として堕胎に関する、医療技術の進歩は従来の手段に代わる極めて安全で簡単な手法を提供するようになり、妊娠わずか二週間後での確認の後母体にほとんど危険をもたらさぬ胎児のバキュームによる除去という手段で、体は元の白紙となってしまう。妊娠の恐怖が根絶された社会で安易な性の氾濫は加速度的に広がっていき、その皮肉な結果として若い世代での男の子供たちの不能に繋がる萎縮(いしゅく)が蔓延している。  
こうした現象は一種の文明的倒錯に違いないが、それに便乗しかつての左翼崩れのような手合いが、ジェンダー・フリーとか称して若い世代での男女の積極的な同質化を「進歩」と唱導したりしている始末だ。  
人間の欲望や衝動にはいろいろあり、すべてものごとは度合いの問題だと心得ているつもりだが、昨今の日本の社会の露骨な出来事は何かのタガが外れてしまったことによる、個々人の極端な肥大化現象に起因するものと思う。それは丁度、テレビや雑誌の報道でよく目にする、体に悪いとは思いながらどうにも止められずにジャンクフードに手を出し続け、醜悪を通り越し、危険なまでに太って自分一人での歩行が困難になってしまった人間たちに酷似している。  
こうした状況の中で、次代を担う子供たちに人間にとっての根源的な価値についていかに伝達するかを、真剣に考えなくてはならぬ所まで私たちは来てしまったと思う。  
しかしそのための当然の場として在ったものが今ではすべて崩壊しかかっているのだ。義務教育の場として在った学校は、ゆとり教育などという本質的な錯誤を犯した文科省の痴呆的指導の下で弛緩(しかん)してしまい、義務教育の課程にありながら放漫に堕した生徒やその親たちは、心ある教師の厳しさに反発しそれを弾劾しさえする。  
一方しつけや教育の学校に優る場であるべき家庭は、当節の若い親たちが親である前に個人として自己中心化してしまい親としての責任を放棄して、しつけという基本的価値の伝達を到底行い得ない。代わりにある親たちは容易に自らの幼い子供を殺してはばからない。  
ならば義務教育の最終課程の中学、あるいは高校の頃に、せめて半年間くらい、彼らに消防や警察、あるいは介護といった責任を伴う奉仕で他人とまみえる経験を制度として強いることくらいは講じなくてはなるまいと思うが。  

 

ベトナムの可能性  (2004年12月) 
久しぶりに訪れたベトナムで歴史はうねりながら進んでいくという強い実感を味わわされた。初めてのベトナム行きは今からもう四十年も前、ベトナム戦争も末期にさしかかっていたころのことで、クリスマス休戦という歴史にあまり例を見ない、戦争にあるまじきなれ合いの出来事の取材をある新聞社から頼まれ、前線には絶対にいかないという約束で出向いた。しかし現地に行ってみれば物書きの好奇心はやみがたく、約束は無視して休戦後の前線まで出かけて行った。  
揚げ句に風邪をひき、アミーバー赤痢にかかり、知らぬ間に戦場につきものの肝炎にまで感染してしまい潜伏を知らずに戻った日本で発病し、生まれて初めての大病で半年謹慎させられた。その間ベトナムで得た、アメリカはこの戦に遠からず敗れて兵を退き、ベトナムは必ず共産化されるだろう、という確信をさらに演繹(えんえき)しての祖国日本への危機感の揚げ句、出かける前には思いもよらなかった政治参加への決心をするにいたった。つまり、もし私があの時ベトナムに出かけなければ、私は決して政治家になってはいなかったろう。  
私の予感は的中したが、その後ベトナムは中国のトウ小平が一国二体制をいい出す前に、ドイモイなる一種の自由化による合理化路線を進みだした。  
二度目のベトナム行きは一種のセンチメンタル・ジャーニーで、香港から家内と豪華客船に乗り、かつて空恐ろしい思いをさせられたダナンから、結果は観光どころか命懸けで往復した古都のフエを訪れ、さらにメコン河をサイゴンまで遡(さかのぼ)っての旅だった。  
その折の英語を話す案内人は、戦争中私が多く出会ったサイゴンの極めて水準高くシニックなインテリたちの一人で、共産党に入党すれば自分はこの教養を買われてもっといい職につけるだろうが、共産主義は絶対に嫌だからといっていたものだった。  
そして今回、東京都が提唱し創設された「アジア主要都市会議」の後、幾つかの案件について請われてハノイを訪れた。  
そこで得た印象は、先の二度の訪問の折に強く感じられたシニスムにも通じるベトナム人の知的水準の高さが、今は極めてポジティブに生かされているということだった。  
もともと東南アジアにおいて、ベトナム人の知的水準と勤勉さは相対的に極めて高くそれを明かす事例にはこと欠かない。大体この国は滅多に戦争に負けたことがない。アメリカにもトウ小平時代の対中国戦争にも負けることがなかったし、かつて三国志時代、知将諸葛孔明が一番手を焼いた相手も彼らだった。  
ハノイ郊外に設けられた広大な経済特区での日本企業の成功は、彼らの秀でた民族的能力を明かしていると思う。極めて印象的だったのはキヤノンのカラー・プリンターの製造工場で、重要部分のモジュールを組み立てる工程のある部署で、ベトナムの特産の竹を巧みに組み立てたパーツの運搬台が活用されていて、それに乗せた仕切りのある大きな皿状の容器を、これも竹を利用した仕組みを足で回転させ必要な部品を拾い上げ組み込んでいく。聞けばこれはすべて現場で働く若い女性の従業員の工夫によるものだそうで、他所でならば金属で作られる装置だが、彼らの工夫だとコストも十分の一ですんだという。  
それを聞いて私が思い出したのは、かつてNECの熊本工場が新しい半導体の製造を始めた折、なぜか他の工場に比べて欠陥品が多い。全社員が悩んで点検を密にし、工夫をこらしてもどうしてもよい結果が出ない。  
しかしある日、遅番で来た中卒の女子従業員が正門前を走る鹿児島本線の軌道を長い貨物列車が通過するのに出くわし、踏切で止まって待つ間、足下を揺るがす震動に驚いて工場内では人間には感じられなくとも、精密な機械にはこの震動が悪い影響を与えるのではないかとふと思い、高卒の上司の班長に打ち明け、驚いた班長はさっそくそれを工場長に取り次いだら工場長が飛び上がって驚き、即座に決断して工場の周囲に深い堀を造りそれに水を張って始業しなおしたら、欠陥品が完全に止まったという見事な挿話だった。  
ちなみに現場で技術を教えている日本人幹部に聞くと、東南アジアのあちこちで技術指導してきたが、この国の若者たちが一番のみ込みが早く教えがいがあると。現地の大使もいっていたが、この国では、市中でろくな履物を履かずに物を売っているような貧しい家の子供でもよく本を手にして読んでいるという。これは民族としての優れたDNAの証しであって、日本もただのばらまきではなしに相手を選んでの経済、技術の協力を心掛けるべきに違いない。  
隣のタイなどは中国の粗悪な経済成長に気をとられ日本をないがしろにし出しているが、相手の資質を見込んでの集中的協力がいかに画期的な飛躍をもたらし得るかというモデル・ビルディングを、ベトナムに本腰を入れていってみせることで今後の日本の新しい指針への示唆が有り得よう。  
さらに彼らの意欲と器用さと工夫の妙を見込んで、最近後継者にこと欠きだした、優れた技術を持つ日本の中小企業を有利な条件下に丸ごとかの地に移し、大企業にはない特殊技術者をベトナムで育てる算段も有効と思われる。  
アメリカの宇宙船や、新しい試作ミサイルの先端部分は日本の限られた職人のヘラ絞りの技術なくして出来はしない。世界の覇者のつもりでいるアメリカの最先端の宇宙船の頭部を、かつての敵国のベトナムが作ってみせるといった光景は歴史的にも味のあるものに違いない。  

 

水俣病判決  (2004年11月) 
さる十月十五日に行われた、関西在住原告団の水俣病被害訴訟への勝訴判決を大きな感慨を抱きながら聞いた。司法は事件確認後四十八年にしてようやく、正当な文明批判としてあの悲惨な出来事に関する国と県の責任を認めたのだった。  
実はそのはるか以前、環境庁長官時代に私は、水俣病に関わる国の責任を初めて閣議で唱えたが完全に封殺無視された。ちなみに閣議をリードする官房長官は厚生大臣の経験もある園田直氏だった。  
日本の高度成長は繊維産業という手近な手立てでの追い上げから始まったが、良質の繊維製成のためには媒体とするアセトアルデヒドという物質の大量生産が不可欠であり、「チッソ」水俣工場は当時その生産の決定的シェアを保有していた。そしてその工場から排出された多量の有機水銀が前代未聞の悲劇を招来したのだ。  
人間の歴史における必然悪ともいえる戦争がもたらす惨禍を、敢えて肯定出来る者など、異常な感性に依るとしかいえまいが、それが経済の発展と生活の向上という結果に繋がるならば、そのための努力や集中を誰も無下に否定できるものでもあるまい。それはある時代、ある状況下においては往々至上の価値ともなり得る。そしてそれを阻害しかねぬ事態の到来を、それがある限られた犠牲の上に在るものとしても、往々誰もが忌避してかかろうし、時には無視もしかねない。  
科学の発展は文明の進展を促進するが、同時に未知の危険を容易に招来もする。水俣病の原因となった多量の有機水銀の、あの美しく豊饒な海に棲息する生物を媒体とした循環が何をもたらすかは今になれば自明のこととも思われるが、当時にあっては未曾有の事態であり、それ故に原因に関しても揣摩(しま)憶測がさまざまに乱れ飛んだ。  
政府も事態を無視は出来ずに通産省を督励して専門家たちによる原因究明の調査委員会を始動させた。しかしその原因調査の根底には、伸び盛りの繊維産業にとって不可欠なアセトアルデヒドの決定的供給源である企業を守るという暗黙の意思が在ったことは否めない。当初、水俣病と呼ばれるに至った空恐ろしい現象は、水俣という地域の偏った食事に由来するある種の栄養障害に依るものとしきりにいわれていた。そしてその調査委員会も恐らくそれを立証すべく運営されていったようだ。  
しかし調べれば調べるほど当初の目論見は外れて、有機水銀の汚染障害の信憑性が顕在化してきた。その段階で繊維産業の停滞を恐れた通産省からの圧力がかかり、それを不満とする委員の辞任が相次いで委員会は分裂解散し、それまでの調査討論をまとめていた報告書は姿を消してしまった。それについてかつてNHKが『失われた報告書』という特集番組を作ったこともある。  
これは到底許されることではないが、高度成長、国家繁栄という美名の下に、行政の力ずくで実際に行われたと思われる。初めて現地を視察した当時の園田厚生大臣が当時の「チッソ」の江頭豊社長にことの隠蔽(いんぺい)のためのどのような条件を提示したかを、社長の甥にあたる亡き江藤淳から引退後の佐藤総理の家で詳しく聞いたものだ。  
この水俣の悲劇の陰にすでにさまざま隠されたものがあることは予感していたので、嫌がる役所を督励して視察に赴く前に実は私は知己の週刊誌の腕利きのライター二人を雇い先乗りさせ情報の収集をしておいた。その時すでに、今回の原告たちよりもすでに早い段階で、同じ大阪地域のハモ問屋の主人が水俣から仕入れているハモをその度味見していた習慣のままに、汚染されている魚を頻繁に口にしたため現地の人々と同じ病にかかって体の自由を失っている事例を知らされたし、水俣市の向かいにある島々でも痛ましい病が発生しているが、漁業で生活している島では水俣病を口にするのはタブーとなっており、島の住民の検診をする医者は島の実力者からあらかじめ、「医者どん、この島には水俣病の者はおらんとよ、わかろうな」といい渡されていると聞かされていた。そしてその医者とも夜秘かに会って話を聞いた。  
それが側聞されてかどうか、現地の知事から環境庁に大臣に余計な視察をさせるなという抗議もあったそうな。驚くことに事件が発生してから、知事は一度も現地を視察してはいなかったとも。  
帰京して通産省から出向している参事官の人事にかまけて、在るはずの隠された報告書を提出しないのならこの人事は認めないと通告したが、三カ月間人事を遅らせて待ったが、徹底して探してはみたがどうにも見つからぬということだった。後になってある人から、「それは甘い。役人は一旦作って手にした資料は絶対に焼いたり捨てたりはしないものだ」といわれて反省させられた。彼のいう通り学者の良心が見極めた水俣病の真因を記した件の報告書はきっと未だにどこかに隠されたままでいるに違いない。  
しかし今回の最高裁の判決は恐らくそうした決定的な証拠は手にせずとも、この文明の現況においての文明工学的見地から、あの悲劇の、少なくとも悲劇のいたずらな拡大の責任者は行政であったことを正当な文明批判として裁断したといえる。  
あの判決を聞きながら私はまた改めてあの離島の医者が声を潜めてつぶやいた言葉を思い出していた。  
「恐ろしかことですなあ、文明ちゅうものは。これはなんかの、罰ちゅうもんでっしょうか」と。  
しかし水俣の悲劇は、今後も形を変え恐らく世界の随所で反復され続けるに違いない。 

 

国政の怠慢  (2004年10月) 
さる九月十七日、石油連盟は政府の予定を一年九カ月前倒ししてサルファーフリー(硫黄分無し)ともいわれる含有硫黄分一〇PPMの軽油の来年三月からの発売を決定してくれた。同連盟会長がわざわざ来庁されて正式の報告を受けた。首都圏のディーゼルエンジンの排ガス対策や不正軽油撲滅対策を評価し、業界もこれに応えて国民の健康のために努力する決心をしたとのことだった。  
その折、会長も一目見て分かりやすいように、同じサイズの二つの小瓶に入れた軽油の煤(すす)を持参してくれた。片方はつい最近まで先進国の中で日本だけが使用していた硫黄分五〇〇PPMの軽油から排出される煤、それに比べて同じリッターの一〇PPM軽油の出す煤は眺めても見えるか見えぬかくらいの微量でしかない。  
以前、ディーゼル排ガス規制に着手し始めた頃私はテレビ出演や講演の折々、渡文明会長と同じように五〇〇PPMの軽油を使って走る車の出す有害粉塵(ふんじん)をペットボトルに入れて持ち歩き、東京ではこれが一日なんと十二万本散布されているのだと説明して回ったが、目で見る情報の効果は覿面(てきめん)だった。  
一番強い反応を示したのは当時東京で開かれていた世界肺癌学会総会に出席していた外国の専門医たちだったが、それが引き金となって首都圏のトラック業界、ついでバス業界も呼応してくれ、東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏一都三県での広域行政としての規制取り締まりが実現していった。結果は東京に限って見ても、一日十二万本出ていた有害粉塵は五万本にまで減り、個別調査の結果として都内の洗濯物の汚染や車の汚染度もはるかに軽減され、複合感染として蔓延(まんえん)していた花粉症も激減した。これはひとえに中小企業の多い運送業界や石油販売業界の骨身を削っての協力のたまものだ。  
私は今でも実施前の状況視察に赴いたトラック会館の相談受付センターで、私の姿を認めた零細企業の経営者が、思わず、「石原さん、こんなことをやられたら俺たちちっぽけな会社は潰れちまうよ」と大声で訴えてきたのを忘れられずにいる。しかし、彼もまたあの決定に我が身の血を流しながら応えてくれたに違いない。  
ディーゼル規制のキャンペーンの折々に私は、死んだ開高健がよく引用していた詩人ゲオルグの『たとえ明日地球が滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える』という言葉を披瀝(ひれき)して理解と協力を仰いだものだった。  
人間が進めてきた文明が醸し出した環境破壊は、地球の温暖化、皮膚癌やアトピーの蔓延、氷河の溶解による氷河ダムの決壊、南太平洋の砂州でできた国家の消滅等々、もはや歴然とした形で現出している。文明が破壊しようとしているものを防ぐ手立ては同じ文明によるしかないが、しかしその前に不可欠なものはまず、それを超えようとする志に他ならない。そしてその強い意思は、現況への正確な認識にこそ支えられなくてはならない。今回の石油連盟のあくまで自発によるサルファーフリーの前倒し精製はそうした志の発露に他ならない。  
それに比べて環境と健康という国家的課題に関しての国政の対応の鈍さは、許せぬなどというより空恐ろしいほどのものだ。  
昨年、ディーゼル規制を実施して間もなく行われた総選挙で私は親友の西村真悟氏の応援に出かけたが、その折、大阪の大衛星都市堺市の市中で街頭演説していて、国道の交差点に信号の度に止まるトラックやバスの吐き出す排ガスが首都圏に比べて従来通りの汚染度のせいで、演説しながら喉や鼻、目が痛くなるのに改めて気づいた。同じ季節、東京の選挙ではもはや有り得ぬことだったのに。  
これはいかにも不公平な話で首都圏で実績を上げた試みをなぜ国が未だに実施しないのか理解に苦しむ。現在のトラック業界の実態は、全国で運送事業をしている大手の会社は東京に持っていくと規制にひっかかり罰金をとられるような古い車は大阪その他の地域に回し、首都圏へは新型の装置を施した車を回すという算段だ。  
馬鹿を見ているのは国が動かぬために未だにひどい空気を吸わされている他の大都市圏の国民と、首都圏がせいぜいの行動範囲の首都圏内の零細運送会社で、彼等は骨身を殺(そ)いでの支出によって規制に応えてくれたが、全国範囲で仕事している大手はほとんど痛痒(つうよう)を感じていない。そして他の大都市圏の住民は、首都圏に比べて汚れた危険な空気を吸わされつづけているという、極めて理不尽な結果となっている。  
国に依頼しても動かぬので都独自で実験してみた結果、排ガスの有害粉塵に晒(さら)された母体から生まれたマウスの子供は他に比べて運動能力に劣り、回転する輪車からすぐに転落してしまい、他の能力にも格差が見られる。ということは同じ哺乳類の人間にもそれがあてはまる可能性が大ということで、空気の綺麗な田舎と首都圏以外の土地で育った子供には将来健康上のさまざまな格差が露呈してくるかもしれない。  
石油連盟の前倒し協力もそうした事態を勘案してのことだろうが、ここまで来ているのになんで国は全国一律の規制に踏み切らないのか。これは怠慢というよりも現実感覚の欠如、すなわち行政者として失格であり、ゲオルグの言葉が暗示した人間としての志の喪失としかいいようない。  
この国はいろいろな意味で、いかにも危うく頼りない国になりつつある。 

 

新しい国家戦略を  (2004年9月) 
かねがね内外の識者から、日本には国家としての戦略が全くないといわれてきた。私もそう思う。国際交渉という、互いに国益を踏まえての一種のゲームの中で、手の内に有力なカードを保持しながら日本だけがそのカードの切り方が一向にわかっていない。そのカードをいかに束ねて、いかなる切り方をするかは政治家の責任なのにその度胸も見識もあまり見られず、相手につけこまれ国家としての失点を重ねてきたのが実情だ。  
最近のWTOなどの会議で有力な参加国の間では、各省の代表ばかり数多く並んで確かな意見を出し得ない日本は外して事前にことを決めてから本会議に臨む傾向が強くなっている体たらくだ。  
その前に、日本側自身が自分がいかなるカードを手の内にしているかもよくわからずにいる。わかっていても日本側の各役所の思惑の対立でそれを敢えて黙殺してかかりもする。例えば日本の航空機に関する伝統的技術を維持しさらに高め自前の航空機を製造しようとしても、それを極端に嫌うアメリカの意向を気にする省庁のために手をつけられずにいる。今後の世界を支配するIT部門でも、日本には相手を凌ぐ有力な技術体系がありながら、アメリカのいうスタンダードに敢えて準じようともする。  
例えば日本の坂村健氏の天才が生んだトロンを、かつて橋本通産大臣は相手のカーラ・ヒルズに脅されるままに屈して潰してしまったし、中曽根首相時代にも三菱重工が発表した刮目(かつもく)すべき性能を備えた次期支援戦闘機の計画をひっこめてしまった。トロンはその後トヨタ自動車がエンジンの完璧な管理に活用することで復活し、携帯電話の開発普及と相俟(ま)ってさらに普及はしたが、PCに関してはアメリカから締め出されたままでいる。  
技術とはカテゴリーの異なる他のカードについてもほとんどが持ち腐れの域を出ない。その一つが、日本がドルを支えるためにけなげにも買い続けている公私合わせれば二百兆円を超すアメリカの国債だ。かつて橋本首相が少しこれを売りたいと発言しただけでアメリカ株が暴落して以来これに触れるのはタブー視されてきたが、売る以外にも用途はいろいろあるはずだ。  
例えばこれを担保にして世界中から金を集め巨大な基金を作り利益率の高いプロジェクトの開発に用立てる。極めて有効な案の一つとしてシベリアの資源開発があろう。  
そしてこれは、最近軍事力を背景にした強引な拡張主義が目にあまる、特に日本に対しての非礼では我慢の許容範囲を超えている中国への反撃と、その野心の封じこめにも絶大な効果があろう。数字のごまかしからさまざまな背信行為を含めての中国経済の不自然な膨脹は、中国社会に巨きな歪みをもたらしつつあるが、将来予測されるあの国の危機の要因の一つとして資源の不足が在る。領土の広大さに比して中国には有力な資源は乏しく、故にも日本領土の尖閣諸島付近の海底資源は彼等にとって大きな魅力だった。沖縄返還直前からの領土権の主張はその表れだし、最初にこれに着目したアメリカのメジャーを巻きこんでの今回の試掘調査も当時からの連脈の上にある。  
沖縄を返還したアメリカも狡く、日本が尖閣の領土権に関してハーグの国際裁判所に提訴しようとしたら、自国の利益を踏まえて、一旦返還してしまった領土の正確な帰属については責任は持てないと逃げてしまった。以来能天気な日本政府は、老獪なトウ小平の「尖閣の問題は後代の頭のいい連中にまかせよう」という言葉を有り難がって自ら尖閣問題を棚上げにしたままできたが、その隙に彼等は着々とことを進め、今日の体たらくである。  
そんな事実をも踏まえて、中国とは比較にならぬほど豊饒な地下資源に恵まれているシベリアを含めた東部ロシアの開発を、アメリカも巻きこんで行ったらいい。ロシアはすでに実質的にアメリカとの戦いに敗れた存在であり、アメリカに対する軍事的危険はありはしない。そして現況のロシア経済状況では東部開発のための資金などはありはしない。そのロシアは従来国境紛争を踏まえて中国と対立しつづけてきた国家なのだ。  
ここで日本、アメリカ、ロシアが連携してシベリアの開発を推し進めることは、資源弱小国家でしかない中国にとっては大きな脅威にも繋がるプロジェクトとなり得る。そしてそれは、中国に対して経済と軍事の両面ではダブルスタンダードをとっていたクリントン時代にしてなお日米安保の新しいガイドラインの突然の作成に繋がったように、アメリカ政府の一方の認識として、軍事的には危険な要因を孕(はら)む中国の存在へのさまざまな牽制に繋がり、新しいガイドラインにも「アジアの安定と平和の疎外要因」として謳(うた)われていた中国の攻撃的姿勢への抑制ともなり得よう。  
そしてさらにこのプロジェクトを進展させていく段階で、未開発ながら多くの可能性を有するインドを積極的に組みこむことで、中国に対する軍事同盟などよりも有効な、多角的多元的な包囲網が形成されるに違いない。  
これは、眠っている膨大な資源の発掘活用というあくまで平和な目的に依る、中国の我が身のほどを知らぬはた迷惑な軍事的脅威を相殺もするという一挙両得な戦略に他ならない。そしてそれを主唱し遂行するカードとしての資力も技術も我々は優に保有している。後はそれを国家繁栄のための戦略として捉え遂行する政治家の見識だけである。  

 

陛下、お願いいたします  (2004年8月) 
敗戦から五十九年目の八月十五日が間もなくやってくる。そしてさらに年が明ければ、六十年という大きな区切りともなる。少年ながら、固唾を呑んで迎えた太平洋戦争。奇跡のような当初の連戦勝利。そしてミッドウェー、ガダルカナルでの敗退、サイパン、硫黄島の陥落、連日の大空襲、特攻隊そして原爆の投下、敗戦。  
降伏調印の翌日のマッカーサーによる、事実を歪曲した日本の無条件降伏という一方的な宣言。怯えきった政府の無抗議無抵抗。以後に行われた、戦時中に勝る為政者による言論統制と、その下で勝者からあてがわれたいびつな憲法。  
そして、強いられた依存のもとでの経済復興という美名の下で、武士たることを捨てての商人国家の形成。その成功が、いびつに歪んで巨大な経済大国を誕生させたとしても、我々日本人はその代償に何を失わしめられたかということを、他ならぬ我が身のために真摯に考えなおさなくてはならぬぎりぎりの所まで来てしまったのではなかろうか。  
かつて高度成長のとば口にあった昭和四十年代にすでに、ノーマン・カズンはこの国を背骨を欠いた巨人と評していたが、隣国の手によって自らの歴史を改竄非難されるままに従い、国土をさえ侵蝕侵犯されても痛痒を感じることもなく、多くの同胞を誘拐殺戮されてもその事実を認めたがらず、それらを防ぐ手立てを講じることもなく、他の国際関係においても剥奪に近い形で身銭の支出を強いられつづけ、他国の命運を左右し得るさまざまな力を実は備えながらそれを国益のための駆け引きに使うことも出来ぬ未曾有の大国こそが、我々の祖国日本に他ならない。  
私は今年も来る十五日に靖国神社に参拝するが、同じ日に詣でる度、年々自分が英霊に伝えるべき言葉を失っていくのに暗澹とさせられる。  
この国の今の態様をもたらしたものの一つに、戦後多くの日本人たちが盲執し絶対化した「平和」なる観念があろうが、我々をとりまくもろもろの現実、いや我が身にすでに起こっている出来事を直視すれば、我々は、それを守るために講ずべき具体的な手立てがあり、それはそう決めれば他国に比べて極めて可能、有効であるということを知り直すべきに違いない。  
一方、こうした自己喪失の中で我々の内なる荒廃は驚くほどに進んでおり、最近日本の社会に氾濫する、幼い世代の手による禍々しい犯罪とそれへの社会的無為には、自らのことながら茫然とさせられる。  
これを見て誰の責任何の責任と問う前に、そのさらに根源にある「喪失」について考えるべきに違いない。それは端的に、いかなる時代、国家をふくめていかなる立場いかなる民族をも超えて、同じ人間の形作る連帯の中で我々がいわばジャイロコンパスの指針として垂直に継承していくべき価値観、その以前にそれを支える垂直な情念の喪失である。  
それはこの風土が培ってきた伝統文化への愛着、それらのアイデンティティーヘの正確な認識、それに発する友情と連帯感、そしてそこからこそかもしだされる自己抑制、自己犠牲をふまえた責任感といった、国家社会という巨きな群れを支え存続させるために不可欠な、本能に近い情念に他ならない。  
それを取り戻すためのきっかけとして最大なるものは、近代国家として日本が初めて体験した敗戦の日に他なるまいに。その日にこそ我々は平和のため同胞に強いられた犠牲の大きさ、貴さについて強く確かに悟りなおすことが出来るはずである。そしてあの大きな戦の大義、白人による世界の植民地支配の打破が、かつてトルコ独立建国の父ケマルパシャがいい、エジプトのナセル、インドネシアのスカルノ、そしてマレーシアのマハティールといった優れた指導者たちも等しく認識しているように、日本が挺したそれらの犠牲の上にのみ有り得たということを自覚すべきに違いない。  
その確認こそが日本の真の再生に繋がっていくはずである。そしてその内なる大きな作業のために、敗戦六十周年の来年にこそ、八月十五日に天皇陛下に靖国神社に参拝していただきたいと熱願する。  
昭和天皇は戦後においても過去八回参拝を遂げておられる。その後ことさら靖国神社参拝の是非にからめて、隣国たちからの日本の近代史批判等情勢の変化もありはしたが、今日の日本国民の内的な危機感とその克服への熱望という、外からは見えにくい大きな意識の流れを踏まえれば、日本の元首である天皇が、あくまで一人の日本人としてまず私的な参拝を行われることで、日本人の意識に新しく大きな火が点されるに違いない。  
ちなみに、同じ人間であられる天皇が私的行為として行う参拝は、もろもろの学説は別にして、判例では民事責任の対象となりえないということは確立している。後は天皇御自身、今日の国家社会の態様を眺めて、自らの行為の国家にとっての歴史的効用を考えられての御判断に依るだけである。  
天皇自らが日本人にとって垂直の情念にのっとった垂直の価値観の体現を、参拝という行為で示された瞬間、我々の内にしみじみと、しかし大きく蘇るものがあるはずである。それを眺めれば、歪んだメディアも外国の論評もすべて淘汰され沈黙するに違いない。  

 

国立公園なる国家の感性  (2004年7月) 
大方の先進国には国立公園なるものがあるが、それがその国、その国民にとって本質どのような意味合いを持つか、それ故にそれぞれの国立公園の実情がいかに在るかということによって、それぞれの国家国民の自然に対する価値観の高低、濃淡が推し量られようというものだ。  
私はかつて閣僚として環境行政を担当したことがあるが、当時は水俣病とか四日市喘息(ぜんそく)とか固定発生源による環境破壊への対処が焦眉の時代で、所管している国立公園の実態にまで強い関心はおよび得なかった。それでも在任中に小笠原諸島が新規に国立公園として指定され、環境庁所蔵の有名画家の手に成る国立公園の風景画コレクションに、あの宝石にも似た南島の風景が加えられた。  
しかし当時からすでに国立公園周辺の住民から多くの苦情が持ちこまれていた。曰くに、一旦国立公園に指定されてしまうと、その地域の土地の利用は著しく制限されてしまい、生活のための通行が不便となり指定地域に繁茂している食用の植物や果実の採集は禁止され、むしろ植生の毀損にも繋がってろくな結果になっていないと。国立公園と称するからには国による何らかの規制も援助もあってしかるべきだが、その規制なるものも、公園の自然の美観の保持のために徹底して行われているなどということは一向にない。  
例えば貴重な自然財産として指定されている地域の海で熱心に行われている趣味としての釣りで、常時行われているコマセという撒き餌の悪習は違反のはずだが全く取締の対象となっておらず磯は刻一刻汚染されていく。  
社会の成熟とともに近年年配者の観光客が急増しているが、国立公園を含めて有力な観光地に、それに見合う行政による条件の整備はほとんど見られずお寒い限りでしかない。日本の国土はあちこち素晴らしい美景に溢れているが、その一方国土が狭小なためにいかなる場所にも生活の営みが在る。その中での国立公園の指定維持には他国では見られぬさまざまな配慮が必要とされようが、日本人の美的感覚にのっとってそれが行われているという事例を見たことがない。  
議員時代には私の選挙区の一部でもあった小笠原の南島の、無類の特性と美しさは筆舌に尽くしがたいものだった。何かで眠らされたままあそこに運びこまれて取り残され、一人で目を覚まし辺りを見回せばどこか地球以外の惑星にでも連れてこられたかと疑うだろうほどのものだったが、三年前久しぶりに訪れその荒廃に息をのんだ。  
裸足では歩けぬほど鋭利な刃物に似た形の、他にはクレタ島にしか見られぬともいう特異な石が敷き詰められた斜面は観光客の靴に踏みにじられ石の形は失われ、石の合間に咲くハッカに似た高い香りの可憐(かれん)な青い花たちは、来島者たちが知らずに持ちこんで落とした、本来島にはなかった本土の雑草の種が芽生えて覆い無残な荒れ地と化し、かつて死滅し今は化石になりつつある古代の巻き貝の殻も禁忌を破って持ち出され半減してしまった。  
唖然(あぜん)とした私は早速村と合議し、植生の復活のために南島の一年の閉鎖と後の観光客の数を制限する条例を即製して島の保全に乗り出したが、よろず動きの鈍い国は条例締結の日に管轄の役人を送りこんできて、沽券をかまえて立ち会ってみせたものだ。  
さらに加えて今回、小笠原の自然と奥多摩の森林保全のために都は新規にレンジャー制度をもうけ、公募した六人のレンジャーによるパトロール体制を発足させるが、国は何やらそれを真似て二人ほどの役人を島に張りつけるのだそうな。それもあの小さな島を南北に二分し、上陸不可能に近い北側半分は国が責任を持ち、荒れた南の半分は都の責任にするとかで、国の役人の沽券か何かは知らぬが、上っ面だけ勿体つけてかかる国のやり口は情けないというより噴飯としかいいようない。それなら最初からすべて国の責任でやったらいいことではないか。要するにこの滑稽なやり口が国の、わざわざ国立と指定した貴重な自然という国家財産への基本的認識を露呈させているということだ。  
ちなみに日本の象徴、体の部分でいえば顔の真ん中、眉間(みけん)にも当たる国立公園富士山のスバルラインを登り切り森林が尽きる辺りの五合目に、そこからの展望にも周辺の景観にも全く不似合いな俗悪な土産物屋と食堂がある。内の一つはその地方の議員の経営だそうで、それだけがいつの間にか増設を重ね辺りの雰囲気をぶち壊しにしていた。ある時、国の国立公園行政の批判の事例として私が指摘し、それがきっかけで不法部分の取り壊しとなったそうだが、そうした措置は国の管理体制さえしっかりしていたらもっとすみやかに行われているはずだ。  
私は先週、今後に備えアメリカのレッド・ウッドとグランド・キャニオンの国立公園保護のレンジャー養成学校とその行動実態を視察してきたが、国立公園保護の関係要員の数は全国で二万人、実際にパトロールし消防、違反の摘発、観光客の安全指導に当たるレンジャーの数は千五百人と聞かされ、驚きかつ共感させられた。  
ということで都は来年から発足する新しい大学の中に短期大制のレンジャーの養成部門をもうけ、そこで育ったレンジャーの下に有志のボランティアを配したチーム運営を行い、請われれば全国各地に派遣するつもりでもいる。  
国はくだらぬ沽券にかまけずに、そこから育っていく、この国の自然に誇りと愛着を持つ人材に、かけがえのない国立公園の保全を任せたらいい。 

 

噴火口の下で  (2004年6月) 
先日三年ぶりに三宅島へ視察に赴いた。それまでに二度ヘリコプターで上空から視察はしていたが、地上に降り立ってみると改めてさまざまな変化が確認された。その一つは想像以上の自然の荒廃、そしてもう一つは破壊されたインフラの人間の手による復興と災害予防のための新しい施設の完成のコントラストだ。  
東京都はすでに四百三十億の金をかけそれらの仕事をなし終えてはきたが、その一方、四年に及ぶ有毒ガスの蔓延と、ガスを含んだ酸性雨によって島の半分の立ち木は枯渇しきっていて、腕くらいの太さの木も私の力でも簡単に折れてしまう。  
山頂に近い外輪山裾の立ち木はすべて死に絶えて、荒涼たる風景は、皮肉にも日本に希有なる観光資源にもなりかねない。視察の前に偶然テレビで、足尾銅山の鉱毒でほとんど死滅した山肌の半世紀かけての蘇生への試みの記録を目にしたが、都はすでにその専門家たちを招聘して三宅の自然の復興の相談をしているけれど、その試みは足尾の山に比べてなお困難に思われる。それは何よりも、足尾は人災、三宅島は自然の災害の違いといえそうだ。  
三宅の島は、我々人類がある種の文明を築いて生息している地球という惑星の、天体としての熟成過程を表象している。つまり地上のわずか下側には未だに何千度という巨大なマグマが息づき、折を見、隙を見て噴出してくる。三宅島の火山の頂上を真下に見下ろす空中写真を見ると、この島が島というより巨きな海底火山がそのまま隆起し地上に現出した、火山そのものの先端であることがよくわかる。  
日本の国土はアラスカから南進し日本で分岐しフィリピンとマリアナに至る世界最大の火山脈の上にあり、世界にある八百の活火山のうち、その八十五がこの日本にある。だから、ボーリングの技術が進み価格が安くなった当節、首都東京中、いや日本中のどこを掘っても簡単に温泉が湧いて出る。万葉集には火を吐く山として歌われていた富士山は、つい三百年前の宝永年間にはまた大爆発し宝永山をつくった、昨今も鳴動している活火山に他ならない。  
ちなみに日本の東、ミッドウェーから約千マイル真西の海底には神武という海底火山があり、それに発して綏靖、安寧…と歴代の天皇の名前を付してアリューシャンまで北上する海底の大火山脈もある。  
こうした地勢的な条件の国土に我々は住み着いてきたのであって、その自然が育みもたらした情念、感性の内に独自の文明を造り文化を育んできた。それは、ある日突然、庭先に現出した小さな火山を昭和新山と名付け子供のように愛している、私から見れば信じられない寛容さ安易さで、とんでもない爆発物と共生しようとする地主たちの情念ともなる。  
四年前の爆発の寸前に取材で三宅島に出かけた私に、島の知己の古老が、「もうそろそろ山は爆発するな。今度はどっちに流れるかなぁ」と、さほどの緊張もなくいっていたのを今回の災害の後、改めて思い出したものだが、彼の人生のタイムスパンの中での、二十年弱の周期で過去確実に四度五度起こってきた火山爆発と、やがては消滅する地球という星の寿命との関わりを一体どう捉えたらいいのかとふと思う。  
「住めば都」と嘯(うそぶ)いて人間はその時代時代の文明の手を借りながらいたる所に果敢に住み着いてきたが、今行政を預かる立場で日本典型の災害への後始末に臨んでみると、人間はもともと何か大きな勘違いをしてきたのではないかとふと思わされる。  
かつて同じ伊豆の大島が大爆発し最大の集落のすぐ背中の斜面でマグマが噴き出した折、その一日前に、南の波浮の港の沖合で漁をしていた漁師が、頭の上を島に多い野鳥の目白が大きな真っ黒な群れをなして隣の利島目指して飛んでいったのを目にしたという挿話を、時折私は思い出す。  
人間が捉えて趣味で飼う野鳥が、人間が備えぬ、あるいはもはや失ってしまった、人間の文明なるものを超えた能力で感じ取るものは一体何なのだろうか。我々はもはやそれを自らの生存、いや存在のために必要としないのだろうか。  
宇宙学者のホーキングは以前日本での講演の中で、地球のように過剰に進んだ文明を備えた惑星はその結果極めて不安定となり、宇宙全体の時間からすれば一瞬に近い寿命を終えて消滅するといっていたが、三宅の島で五合目の砂漠に立って立ち枯れた荒涼たる風景を眺めながら私は自分でもよくは分からぬ、何かはるかに巨きなものの足音に耳を立てようとしていたものだった。人知をいかにこらしても防ぎきれぬもの、贖(あがな)いきれぬものがあるのだということを、大方の人間たちは忘れかけているのではあるまいか。文明をかざした人間の自惚(うぬぼ)れとでもいおうか。  
大災害の復興も金を積めばできもしよう。信仰での狂信は生命価値までを倒錯させ巨大な敵を倒せもしよう。ある種の観念は大切な現実を糊塗し、大きく歪めもしよう。動物の中で唯一この宇宙における「存在」という主題について考えることの出来る人間の自負が、この先結局自分の首を絞めることにならなければいいのだが。  

 

あるとんでもない提案  (2004年5月) 
文明が進み人間や情報の行き来がより簡単になって、今日、世界では予期せぬ出来事、予期できぬ出来事が頻発しているが、しかしその根底に理由無き理由などありはしない。そのすべてに人間たちの歴史がさまざまに介在している。そして世界はいまだかつてない危機に繋がる不安定に晒されている。  
識者にいわせれば今日の世界の不安定要因の七〇%はパレスチナ問題にあるともいう。確かに戦後からこのかた、かの地ではすでに四度の戦争が行われ、さらに今なお血で血を洗うテロと弾圧がくり返されている。ユダヤ教、イスラム教という絶対神を仰いだ一神教同士の憎しみの激しさと戦いの凄まじさは、日本人のように鷹揚(おうよう)な汎神論的価値観の保有者には理解に遠い観があるが、しかし現実には悲劇に継ぐ悲劇が進行してい、それが増幅しさらに他の地においても新しい危険を醸し出している。  
パレスチナ問題はもともと、イギリスの第一次、第二次戦争後の外交野心にきざした無責任な二枚舌、いや三枚舌外交のもたらしたものだが、戦後世界でのユダヤ人の復権台頭に伴って、彼等がその致命的中枢を支配する、今日世界唯一の超大国になりおおせたアメリカの動向をも規定している。それは世界のアメリカ化への兆候への反発とあいまって世界中で、ハンチントンが懸念した文明の衝突の態様を示すにいたってしまった。  
パレスチナを巡るパレスチナ、ユダヤ両民族の過去の歴史を眺めれば、気の遠くなるような長い長い経緯を背景にしてもなお、周囲の大国に一方的に振り回されつづけた両民族は気の毒というよりない。そして彼等が共にそれぞれの強い信仰を踏まえた民族と文化の沽券(こけん)にこだわりつづける限り解決の道は遠く、その火種はとどまることなく世界中に蔓延(まんえん)しつづけるだろう。  
私はかつて、当時ごく親しかったエジプトの大使にパレスチナの人々に安住の地を与えるべく、一度はイスラエルに占領された、あのほとんど瓦礫(がれき)の連なりのシナイ半島の一部をパレスチナ人に提供したらどうだといったことがある。答えは、とんでもない、あなたは日本の政治家として日本の領土の一部をそうする決心が出来ますかということだった。  
そこでの、敢えてとんでもない提案だが、第二次世界大戦のどさくさにソヴィエトにかすめ取られたきりこの半世紀余未だに還ってこない北方領土の国後なり択捉の一島を、世界の安定のために割譲しパレスチナ人に入植させ新しい国家の建設をさせるというのは、はたして能天気な話だろうか。そのためにはロシアもまた同意する必要がある。北方四島だけではなくシベリアのような広大な国土をもてあましたままでいるロシアにとって、その領有にいかなる正当性も有り得ぬ島の一つを、持て余したきりで国家の沽券のためいたずらに抱えつづけることなく、世界の安定のために返還ではなしに、彼等にしても割譲ということになるのかも知れないが、新しいパレスチナ建設のために提供する決心をしたら世界の歴史は大きく変わっていくに違いない。  
国後や択捉はそれぞれ面積からいっても、沖縄本島を上回る十分な大きさを持ち、気温はパレスチナの地に比べれば寒くはあっても、豊かな緑や水に恵まれた豊穣(ほうじょう)の地である。ちなみに沖縄本島の総面積は一二〇〇平方キロメートル。国後は一五〇〇平方キロメートル。択捉は三二〇〇平方キロメートル。パレスチナ自治区の面積は六〇〇〇平方キロメートル。入植地ガザは三六〇平方キロメートルでしかない。  
アラブの諸民族の中でも極めて優秀とされるパレスチナ人ならば、短期間にして充実した新国家の建設は可能に違いない。日本もまた至近な友国として多角的な協力が可能だし、そうした協力は水爆を保有し日本向けのミサイルを配備し、尖閣諸島を侵犯してはばからぬ中国へのODAの提供なんぞよりもはるかに世界中の納得を得られるに違いない。  
そうした至近な隣国との交流は新しい混血混交をもたらしさらに、文明の衝突の代わりに、新しい文明文化の造成にも繋がっていくに違いない。これはこの現代にして初めて可能な、人類として未曾有の実験ともいえるだろう。戦後このかたパレスチナの独立のために辛苦してきたアラファト議長も、かつて囚われのユダヤ人たちを率いてエジプトを出た「出エジプト記」のモーゼのように決心して、国家民族のための新しい実験に乗り出したらどうかと想うのだが。過去にも民族の大移動が歴史を変えた事例もある。  
と、こんな夢想?を提言としてものすれば、かつてソヴィエトから被った非道を忘れ得ぬ人々から(私もまたその一人だが)非難の声が返るかも知れないが、今日の日露関係の態様からすれば私たちの目の黒い内にあれらの島々が全て戻ってくるとはとても思えない。あの豊穣な土地を人間の財産として人間たちのために今最も有効に役立てる術は、あの島のどれかに新しいパレスチナを、世界の意志として作り上げることではないかと思うが、これははたして戯(たわ)けた夢想に過ぎないだろうか。それを実現することは、強い信仰を持つパレスチナの人々にとっても決して屈辱ではあり得ないと思うのだが。  
余り世の役にたっているとは思えぬ国連あたりで、こんな提案を持ち出してみたらと思うのだが。 

 

尖閣諸島に関する私的メモ  (2004年4月) 
昭和四十六年、参議院議員だった私は佐藤総理に懇願し、ワシントンで行われた沖縄返還協定の締結に参加させてもらった。あの歴史的行事に自薦他薦同行を希望する者が多かったが、佐藤総理は一切の議員の随行を認めずにいたが私と竹下登の両人には特別の配慮で、どこか外国を経て、ワシントンで勝手に合流したという形で許すとしてくれた。  
すでにその当時から、尖閣諸島周辺に海底油田の可能性が高いということでアメリカのメジャー筋から密かに日米共同開発の申し出があったが、佐藤総理はそれを拒否し、メジャー側はならばと相手を変えて台湾に持ち掛けていた。それに刺激され台湾側はにわかに尖閣の領有を主張し出し、それにつられて北京までが同じ主張を始めた。  
これは奇妙な話で、当時はまだ中国に関する代表権は台湾にあったからアメリカは同じ戦勝国の領土を占拠統治し、その一部を爆撃演習の標的にしていたことになるが、それに対して台湾がどう抗議したということもありはしなかった。  
返還が行われた時点で佐藤総理が一番気にしていたのは、メジャーに操られ領土権を主張する分子が尖閣周辺に派遣していた台湾漁船の存在だったが、賀屋興宣(おきのり)氏の陰の努力が功を奏し、蒋介石総統の配慮で返還が行われた日の朝には台湾漁船の姿は消えていた。その謝礼の密使として台湾に赴いた賀屋氏に私も同道し蒋総統に会ったものだった。  
その後、北京の覇権主義が世界の視覚から遠いチベットの併合を百万を超す人々の殺戮(さつりく)の上に強引に成就すると、尖閣諸島の領土権の主張はますます強化され、日本政府の弱腰や、ハーグの国際裁判所への日本の提訴に関してのアメリカ側の非協力をよいことに、並行してフィリピンのスプラトリー諸島、ベトナムの西沙諸島に関しても一方的な領土権主張となって現れてきた。スプラトリーでは事前に持ちこんで海中に散布しておいた中国の古銭や土器の破片を、後発の調査団が発見したと見せかけ、それをもってかの島々が古来から中国人の支配下にあったというトリッキーな主張となって、相手の弱腰につけこみ一部に中国漁民のためと称して軍事用の施設まで強引にかまえてしまうありさまだ。おそらく今回尖閣諸島を侵犯した連中も、既存の施設を破壊しただけではなしに、後々のために海中に何らかの物品を歴史的物証としてばらまいたに違いない。  
彼等のこうした姿勢は田中角栄首相が屈辱的な国交正常化を敢えて行った頃から強化され始め、かつて私たち青嵐会はそれを見越して拠金し関西の大学の冒険部の学生たちを核にした有志を尖閣に送りこみ魚釣島に簡単な灯台をつくった。その後政治結社青年社が豊富な資金で立派な灯台を建設してくれ、私も運輸省の水路部にはかって正規の灯台として海図に記載するべく一部の補填工事まで頼んで灯台は完成したが、いざ海図に正式記載という段になったら外務省から「時期尚早」という横やりが入って、魚釣島の灯台は閃光を発しながら灯台として海図にはいまだに正式に記載されてはいない。これは近くを行く船舶にとって航行上むしろ危険なことともいえるのに。  
それにしても自国の領土に国民が拠金して造りあげた、灯台という万民の安全のための施設を、「時期尚早」として自ら認めさせまいとする役所の正体とはいったい何なのだろうか。要するに、北朝鮮に誘拐された多くの同胞の救出に無関心と同質の、背信的不作為に他ならない。そしてまた国会という場で、これまでこの灯台が一切不問に付されてきたという事実も奇怪という、ただ議員たちの無知怠慢というよりない。  
その後しばらくして沖縄でアメリカ海兵隊員による女子小学生のいまわしい輪姦事件がおきた時、それと重なって中国の跳ね上がりたちが魚釣島に上陸し大きな騒動となった折、ニューヨークタイムズの記者が当時のモンデール大使に、「尖閣諸島の紛争がさらにエスカレートした時、日米安保は発動するのか」と質したら、大使は言下にNOと答えた。私は驚きと怒りでそれを聞いたが、なぜか政府も国会もそれを問題としなかった。議員をやめて間もなくのことだったが、私は担当していたコラムでそれを非難し、アメリカが自ら正式に返還した領土を侵犯から守ろうとする日本をアメリカが助ける意志が無いならば、日米安保の意味は全く無く条約は消滅せざるを得まいと書いた。それを受けてアメリカ議会の野党共和党のスタッフたちの中に共感の声が上がり、結果として間もなくモンデールは更迭された。そして以後、一年半の間日本にアメリカ大使は不在となった。  
そうした過去の事例を踏まえて眺めれば今回の騒動の中で国務省の報道官が即座に、尖閣諸島は日本の統治下にあり、この領土保全のためには安保条約は発動すると言明したのは当然ながら、かつてとはいかにも対照的である。  
大切なことは、敗戦のどさくさに北方領土をかすめ取ったソヴィエトとの間に構えられた冷戦構造が終わった今日、日本は新しい侵犯者中国や北朝鮮を相手に、自国の領土領海を有効に守りぬき、ひいては国民の財産生命を守るべく、防衛体制の一新を計るべきなのだ。海上自衛隊はアメリカの第七艦隊の一分隊としてのソヴィエトの原潜追跡の任務は終え、主に日本海、支那海における領海と領土への侵犯に備え、場合によっては、敢えてそれを行う相手を撃滅する能力を備えた、例えば第三次中東戦争の折イスラエルが開発保有した艦対艦、艦対空ミサイルを搭載した高速舟艇による艦隊を持つべきに違いない。  
自らの国土を自ら守ろうとしない者のために、一体他の誰が手を添えようとするであろうか。くり返しいってきたことだが、天は自ら助くる者をのみ助くという歴史の原理を、本気で悟りなおすいい機会ではなかろうか。  

 

自由台湾の存在意義  (2004年3月) 
中国がらみの今後のアジアの趨勢(すうせい)を占うためにも我々はもう少し強い関心を、間近にせまった台湾の総統選挙に抱くべきに違いない。前々回の李登輝総統が再選された折の台湾で初めて、いや北京政府が台湾をあくまで中国の一部だと主張するのなら、中国有史以来初めての開かれた民主的選挙を北京がいかに恐れ嫌ってさまざまな妨害の挙に出たかはいまだ記憶に新しい。  
あの時北京は軍事力を背景に強引に遂行したチベットの併合の再現を示唆するように、その覇権主義をあからさまにしての脅迫として大規模な軍事演習を台湾周辺で行い、それにかまけて台湾の高雄市沖と日本の与那国島沖それぞれの領海内二カ所に誤射と称してミサイルを撃ち込む計画を立てていたが、それをアメリカの情報機関に察知され、もし彼等が敢えてそれを行うならアメリカは台湾海峡内に原子力空母を二隻出動させて張り付けると通告されて計画を撤回せざるを得なかった。  
中国に随分甘かったクリントン政権とはいえ、こうした姿勢の中国はアジアの近い将来にとって極めて危険不安定なる要因という認識を抱き、急遽、橋本総理をサンタモニカまで呼び出して日米安保の新しいガイドラインの作成となった。  
しかし、今回の台湾の、アジア全体にとっても極めて重要な総統選挙に際して、陳水扁総統の提唱している、台湾と日本向けに配備されている中国のミサイル包囲網への拒否を問う国民投票を、アメリカの首脳が刺激的で好ましくないと声明して牽制(けんせい)するのは道理の通らぬ話だ。クリントン政権以来、中国の対日本、対台湾の姿勢の本質は変わっていないのだ。  
大陸志向の台湾の野党はアメリカの声明を最大限に利用し、外省系の資本が大方を牛耳っている国内メディアを活用して、大陸のミサイル配備に対する国民投票による意思表示は台米関係をも悪化させるものだとしきりにキャンペーンしている。しかし、台湾の人々が自分達をターゲットにしているミサイル包囲網を好ましからざるものと判断することをアメリカが牽制するいわれは、結局クリントン政権と同じ経済利益をあてこんでのダブルスタンダードでしかありはしない。  
軍事力を背景にした共産党の独裁が決して長期にわたり得るものではないことを歴史は明かしている。その一つの事例は北京政府の法輪功に対するヒステリックな弾圧である。実はかつてNPO制度の発足当時、東京在住の法輪功のメンバーからNPOとしての登録の申しこみが都庁にあった際、在日の中国大使館から陰に陽に、自民党の大物議員まで動員しての牽制があったものだった。  
修養団体としての登録なら他から何をいってこようと登録認可はスムーズに行われたはずだったが、彼等の「法輪大法」なるものへの忠誠から、宗教と等質の理念団体ということになると他の問題派生の懸念もあって実現しなかったが、その後の状況下での判断では問題はないと思われる。しかし、当時の中国側の神経質ぶりにはいささか驚かされた。  
考えてみればその訳は自明なことで、いかなる数、いかなる種のものであろうと、共産主義以外の理念によって結束する組織や集団が共産党独裁下の社会に自発的に台頭することは、共産主義以外の価値観の容認、跋扈(ばっこ)につながり、彼等の独裁の崩壊ともなりかねまい。それは「独裁」という政治メカニズムヘの本質的な浸食であり、蟻の一穴からの全面崩壊にもつながるはずである。  
ということから思えば、一般国民にとって過酷な連なりでしかなかった中国の長い歴史が培った中国人の民族的DNAが、チャイノロジーの泰斗であった桑原寿二氏の優れた分析の通り徹底した政治不信であり、それ故の徹底した金銭営利主義である限り、共産党管理の下に行われている多くの企業の運営が維持している中国のチープレイバーの虚構は、もし欧米並みの労働組合が誕生すれば次第に崩壊していくに違いない。  
現在の中国における工業地帯と農村との著しい経済格差の限りでは、貧農階級にとって都会での工業労働への就労は夢であり得たとしても、それがある平均値に達した時点で、労働条件に関する自由や人権といった価値観が持ち込まれ普遍化していけば、非人間的政治体制は崩れさり淘汰(とうた)されていくだろう。またそのための情報の供給に周囲の先進国はつとめるべきに違いない。  
労働条件という働く人間の人生にとっての基本的要件についてその人間性非人間性についてよく知る台湾と、それをまだ知らされずにいる中国の関わりが、将来軍事的圧力で押し切られてしまい、選挙にせよ労働条件にせよ、国民の意思が自由に表明され得、それによって人生の在り方を自ら変えることのできる台湾の自由体制が大陸による吸収で消滅させられかねぬということは、自由台湾の悲劇にとどまらず、周辺のアジア国家群にとっても重要な影響を持ってくる。  
自由台湾の存在は、先の国家反逆罪制定のための法律改正反対の五十万人デモで、圧倒的に北京の意向に反抗した香港の存在以上に中国の将来にとって、ひいてはアジア全体の安定にとって大きな鍵に他ならない。我々は自らのためにも、台湾の総統選挙に強い関心を抱くべきに違いない。  

 

二枚の写真  (2004年2月) 
私の執務室のある都庁の廊下に、細長く巨(おお)きな二枚の写真が飾られてある。片方はレトロの白黒、片方は色刷りのパノラマ写真だが写っているのは共にこの東京のほぼ全景である。  
白黒の方は今から百数十年前の慶応元年にイギリスの写真家、フェリックス・ベアトによって愛宕山の山頂から撮られたものだ。手前に長岡藩牧野家中屋敷の白い塀が続き、左彼方には築地の本願寺、右手には芝の増上寺が望まれその向こうには浜御殿、今の浜離宮の森が茂り、さらに江戸前の海が輝いて見える。  
寺の伽藍をのぞけばさしたる高層の建築は見当たらず、ほとんどの主たる建物は二階建てで、屋根はみな濃い灰色の瓦でふかれ、壁は白、瀟洒(しようしや)としたモノクロームの町並みが連なっているパノラマの光景は息をのむほどしっとりと美しい。当時江戸に滞在していた外国人たちは、大名屋敷の甍(いらか)に埋め尽くされたこの景観を「長い道路と、白壁と、灰色の大海」、と形容していたそうな。  
明治に入って新しい西欧風のホテル建築を依頼され来日した建築家フランク・ロイド・ライトは初めて目にする江戸の景観に感嘆し、その日記の中にこれほど瀟洒な街並みを見たことがないと記している。  
そしてその感動のままに彼は当初の、おそらくコンクリート建てによる発想を変えて、この街にこそ似合った素材を日本中で捜し、ようやくあの質感の柔らかな大谷石を見つけて名作の旧帝国ホテルを作ったのだった。  
ライトに限らず他の外国人の目にも、かつての日本の首都江戸は他国の首都と比べて優る素晴らしい大都市として映り、高い評価を得ていた。日本近海で難破し、江戸にたどりついたスペイン東洋艦隊の提督フェルナンド・ロドリゴは、帰国後政府に提出した報告書の中で江戸について「わがスペインの首都マドリッドにも優る木製の大都市である。その町並みの整然たる様はマドリッドも及ばない」、と最大級の賛辞を呈している。  
彼らの江戸への相対的な高い評価がいかに尤(もつと)もなものかを、慶応年間に撮影されたあの江戸の写真は証している。  
プリンストン大学の社会学教授スーザン・ハンレーは彼女の著書「江戸の遺産」の中で、中世近世は世界的には長く暗い時代で、人間として満足するに足る生活が出来たのは貴族等限られた特権階級だけで、他の市民は抑圧を強いられ続けたが、江戸の市民は例外だった。自分がもし中世に生きたとしたなら、江戸の市民として生まれ暮らしたかったと述べてもいる。  
それに比べてこの現代、都庁の屋上のヘリポートから撮った三百六十度のパノラマ写真の醜さは逆に息をのむものがある。それは一言でいって巨大な反吐(へど)としかいいようない。緑を抹消し代わりにコンクリートででっち上げ、原色のネオンや看板の氾濫した東京の醜悪さは、これを、かつて世界最大の人口を備えながら、あの雅(みやび)な江戸を作った同じ民族の後裔(こうえい)がなし終えたものとは想像し難い。  
先月スイスでの会議の後、所用で久しぶりにパリに寄ったが、パリの街のたたずまいはやはり美しい、というより落ち着いていかにも懐かしい。それはかつての東京に似たモノクロームな印象の魅力ともいえる。ドゴール政権で文化相を務めたアンドレ・マルローは、パリの煤(すす)けた建物の洗いなおしを命じ、加えて街を彩るネオンサインの色を限ったものに規制してしまった。それがパリの印象をしっとりと懐かしいものに保つに役立っている。結果としてマルローのやったことは感覚的な都市計画ともいえるに違いない。比べて、東京に限らず日本の主要な都市のほとんどは明治以後、近代化という名の下の真似ごとの積み重ねの上に、戦災を被った都市にしてなお戦後の無計画のまま、無性格な態様、不気味な混乱を呈したままにいる。せめて色彩の統一くらい計ったらと思うが、それも「表現の自由」とかを盾にされ、かないようもない。  
東京は新宿の歌舞伎町のように下種な原色ばかりをぶちまけた地域は悪しき特例としても、思いがけない所で理不尽なほど不似合いな装飾が町並みの印象をぶち壊しにしていてはばからない。東京郊外の大学都市国立市は並木の大通りに建設されたマンションを、その高さが町の環境を破壊すると一部住民が訴訟し大騒ぎとなったが、その後同じ通りに開店された大型の中国料理のチェーン店の無神経極彩色な壁に誰かがクレイムをつけたという話は聞かないし、官邸下の赤坂見付から新橋にいたる代表的なオフィス街に、これまた悪趣味グロテスクな彩色を施したラーメン屋が店開きしてもこれを嘆いたり怒ったりする者の声を聞かない。  
日本の三大古都の一つである鎌倉が乱開発で変わり果てた湘南の地でなんとか古都らしいしっとりした味わいを保っているのは、かつて、早稲田の名誉教授だった建築家の武基雄氏を建築物に関するアドバイザーに据え、新規の建物に関して感覚的な規制を行ってきたおかげに違いない。私は環境庁に在職の折、せめて新幹線の沿線に見える野立の看板は、時限立法で淘汰させたらと提案したことがあるが通産省の猛反対でつぶされてしまった。  
日本もそろそろ、せめて感覚的な視点での国土計画、都市計画を志したらどうかとしみじみ思うのだが。  

 

言葉への妄執の愚かさ  (2004年1月) 
アルカーイダなる不逞(ふてい)な輩が日本へのテロ攻撃を予告恫喝(どうかつ)して、その信憑(しんぴょう)性は定かならぬまま一応の用心に首都東京におけるテロ行為を想定し図上訓練を行ってみたが、ことに関連する既存の法律がどれもこれも全く時代遅れの役にたたぬものであることが痛感された。ラッシュ時、二方面の地下鉄内でテロリストが水に溶いた天然痘のウイルスを散布したという想定による訓練だが、天然痘は今現在世界では絶滅させられているが、その病原菌はアメリカとロシアに保存されていて、それが盗みだされたという想定だ。  
ちなみに天然痘が絶滅して以来世界のどこででも種痘は行われていない。子供の頃種痘を受けた世代はすでに免疫力は失っていても再種痘によるショックは少ないが、初めて種痘をする若い世代は十万人に一人は副作用で脳炎を起こし死亡のケースもあり得るそうな。となれば天然痘が蔓延(まんえん)しだしても種痘は、はるか以前に作られたいわゆる感染症法なるものの拘束で一人ひとり承諾書をとって行わなくてはならぬという。伝染病の急激な蔓延時にそんな手間暇のかかる措置をとっていられる訳はない。  
何日の何時、どの方面で生物兵器の散布が行われたという情報も、パニックの招来を防ぐためにみだりに公表されるべきではないという解釈となるが、そんなことをすれば逆にますます感染者を激増させることになる。天然痘は感染した後七日間から十七日間という潜伏期間を持つが、その間感染の可能性の濃い市民を禁足、隔離することも法律の上から出来はしない。さかのぼるところは憲法であって、憲法に唱われている基本的人権や自由、プライバシーに抵触するということだが、憲法に順応墨守するためにいたずらに犠牲者を増やしていい訳はあるまい。  
十万人に一人の脳炎の犠牲者も含めて後々どんなクレイムが来るかはわからぬが、より多数の市民の安全のためにテロによる被害下、憲法を無視して超法規的にことを行うのは、行政を担当する者の責任に他なるまい。  
同じことがイラク派兵を巡る国会の討論を見てもいえる。派兵に関する疑義のほとんどはその論拠を一種のアプリオリとしての憲法に置いている。土台半世紀も前に軍事国家としての日本の復活を封じるために他人の手で作られた憲法が、彼等の思惑も大きく違ってしまったこの時代に、国家の命運を左右しかねぬ問題の討論に未だに強い拘束力を持つというのは不思議というか滑稽(こっけい)な現象でしかない。かつて田中美知太郎氏は「憲法に平和を唱え挙げて平和がもたらされるというなら、台風は日本に来てはならないと憲法に記すことだけで台風が防げるか」と記していたが、憲法をいたずらに盾にしての国会議論ほど眺めていて現実感覚を欠いておめでたいものはない。  
しかしそれにしても、どうして国会議員なる種族はああも既存の法律に固執するのだろうか。それを修正するのも新たに作るのも彼等の仕事に他なるまいに。国政には内閣、衆議院、参議院とそれぞれ三つの法制局があり、政治家たちはことあるごとにこれにお伺いを立てる。それは端的に、彼等の想像力の枯渇の証しとしかいうよりない。既存の法律の規制よりも、現実の問題の有利有効な解決こそが政治にとってのリアリティーに他ならないのに、その方法の模索の過程でなぜに一々既存の法律の拘束に甘んじなくてはならないのか。  
昔司馬遼太郎氏が、「多くの日本人にとっては、目の前の現実よりもある種の観念の方がより現実的なのだ」と慨嘆していたが、国政に巣くう法匪(ほうひ)としかいいようない専門家たちやその御宣託を崇める政治家にとっては、一応国家の基本法とされている憲法の文言よりも絶対に近い、時代や立場を超えて垂直に連なる人間としての価値の原理、公理があるということは念頭にはあり得ぬようだ。  
例えば、仮にイラクに駐留する日本軍の横で同じイラクの復興に手を貸そうとしている他国の友軍が攻撃されている際、出撃してそれを救(たす)けぬような軍隊があったら、国家として民族としてどんな謗(そし)りを受け恥を晒(さら)すことになるかは想像に難くあるまい。その行為を法律の規制を超え是とし評価し支え得るものは、立場も時代も超える人間としての垂直な倫理であり情念に他なるまい。そして厳しい現実の中でそれを敢えて保証するのは政治家の責任に他ならない。  
伊藤整氏はかつてその文明論の中で、『追及されるべき人間にとっての目的のための本来は手段でしかないものが倒錯して、手段が目的化してしまう危うい現象が往々にしてある』と指摘していたが、はるか以前の人間たちが作った法律の文言に、それが「法律」であるというだけでその規制に甘んじる政治家は、しょせん人間として薄弱で無責任なるものとしかいいようない。  
今衆議院で、煮えきらぬ政府に代わっての北朝鮮への経済制裁のための議員立法の動きがあるが、法制局が躊躇(ちゅうちょ)を示しているいい分の一つは、文書としてある訳ではなし、金正日が口頭で拉致を認めたといってもそれですなわち彼等が非人道的行為を成したとはいい難い、ということだそうな。開いた口がふさがらない。  
また東京都が引き金を引いて多額の脱税も摘発されている、環境や健康を阻害している不正軽油の摘発の法制化を要求したところ、腰を上げようとしない法制局のいい分は、「前例が無い」ということだそうな。これまた法匪の本質を露呈したものでしかない。  
このままだと日本人は法律の文言の故に世界に大恥をかき、法律の言葉に殺されかねない。  

 

メディアの狂気  (2003年12月) 
新聞テレビといった広域報道機関が第四権力といわれて久しいが、所詮人間の司る方法である限り政治や司法といった第一、第二、第三の権力が人間の恣意によって左右されるのはあり得ることとしても、それを監視監督し彼らに正統な中庸を保たしめるためにこそ在るべき報道機関が、それを運用する人間たちの一方的恣意によって偏った情報を提供するということになると空恐ろしいことになる。  
自由社会にあっては、人間が個々それなりの価値観を保有することは基本的人権として認められていることであり、いかなる権威権力もそれを否定することは出来ないはずだ。己の属する国家社会の歴史についての評価判断についても同じことであって、科学的に立証された事実以外にそれが絶対というような評価が成り立つことなどありえまい。たとえ人道主義という、人間の美徳を信じ踏まえた理念をかまえたとしても、歴史の重層性を一律に切り裁くことは出来はしない。  
二十世紀を支配してきた歴史原理ともいえる植民地主義を今になってヒューマニズムをかざし非人間的として謗るのは容易だが、当時にあっては食うか食われるか二者択一の国際関係の原理が世界を支配していたのであって、食われずに済んだ側の者が食う側として繁栄したという過酷な現実があったことを誰も否定し得ない。レーニンがいったように、「近代ヨーロッパの繁栄は、植民地における資源の収奪と奴隷に近い安価な労働力の使役の上にのみあり得た」というのは二十世紀の歴史の裏側の原理ともいえる。  
有色人種の中で唯一の近代国家を作り上げ繁栄した日本の近代史の原理も同じことだが、欧米の先進諸国との違いは、当時世界最強最大の軍事国家ロシアの南下による植民地化を防ぐために決起発奮した日本の民族的衝動に依る奇跡の勝利の上に成り立ったものであり、故にも八紘一宇という同じ有色人種への強い共感を元にしていた。が、日露戦争の勝利によって列強の一員となり得た日本のその後の進路も、他の列強に倣っての植民地拡大に向かうことになる。  
朝鮮半島の合併もそうした歴史のうねりの上で行われたものだが、当時極めて不安定だった半島の政治情勢の中で、隣の清国か帝政ロシアか、あるいは日本のいずれを選んでのことかという追い詰められた政治状況の中で彼らの自主的選択として行われたという歴史的事実に他ならない。  
その後日本が朝鮮半島で行った植民政策は、オランダがインドネシアで二百万を超す人々を殺戮し、アメリカがフィリピンで四十万もの独立運動者をバターン半島に閉じ込め餓死せしめ、イギリスが清国での阿片戦争を通じて行った膨大な数の殺戮侵犯に比べれば相対的に温和なものだったといえるに違いない。それについては金完燮氏の著書「親日派のための弁明」に詳述されているが、氏の動機は彼が学んだアメリカの大学での植民地に関する歴史の専門家の教授の示唆によるものだったそうな。  
ということもまた、自らの構える人道主義的歴史観にもとるものとして絶対に認めまいとする者がいることに私はことさら反発もしないが、それが広域を支配するメディアによって一方的な弾劾、それもそれに関する発言を意識的に改竄捏造し白を黒とするような形の報道批判となると、公器としての逸脱ではすまされぬ、個人への卑劣な中傷を超えた、言論に対する弾圧という犯罪行為と言わざるを得ない。  
さる十月二十八日東京の芸術劇場で行われた北朝鮮による拉致被害者支援の大会で私が行った講演の中での、「私は、かつての日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはないが」という前置きで始まる歴史に関する所信を、TBSは「サンデーモーニング」なる番組で、「100%正当化するつもり」で切り、その後に「だ」という音声に近い音を加えて、画面の下にわざわざテロップで、「正当化するつもりだ」と書き加えて報道し、座談会の出席者は全て私の発言を国際関係を損なう非常識なものとして批判していた。ちなみにTBSと友好関係にある毎日新聞、朝日新聞も共同通信社もその部分に関しては正確に「容認するつもりはないが」と報道しているのに。  
これによって都庁に非難の電話も数多くかかってき、こと知らされた在日の民団や朝鮮総連は抗議の声明と私の辞任を要求してきたものだった。しかし同時に、事実の改竄捏造に気づいた多くの視聴者からTBS局に抗議の電話が殺到しデモまでが行われたと聞く。TBSは慌てて、あくまで現場の聞き違えによる技術的ミスだったと釈明してきたが、まともな言語感覚を保有する人間なら後に続く文言を聞けば、駄目押しをしたテロップが矛盾したものと気づかぬ訳はない。そんな言語能力の者たちが天下の報道を担当しているとしたらこれまた危うい限りだ。  
今後刑事、民事による訴訟が進めば彼らの作為は当局の音声に関する科学的分析によって立証されるだろうが、こうした粗暴で卑劣な中傷が報道という公器によって為されてしまうという狂気の現象は社会危機に繋がるものといわざるを得ない。  
競争相手の他局の視聴率の金銭による改竄について毎日新聞は、「不正に関する感覚の麻痺」などと居丈高な批判をしていたが、ならば公器による個人へのリンチを行ってはばからない友好テレビ局の姿勢をいったい何と呼ぶべきなのか。  

 

官僚の国家支配の終焉  (2003年11月) 
担当大臣として藤井道路公団総裁との会談が、当初の一時間の予定をはるかに越えて五時間にも及んだという報道を聞いた時、私は会談の内容のおおよその想像がつくような気がした。その夜息子に電話してみたらおおまか想(おも)った通りだった。いってみれば間近にせまった総選挙ぐるみ自民を含む複数の政党が脅されたということだろう。  
息子から聞いた会談の生々しい内容はここでは明かせないが、藤井総裁の潔いとはいえぬ思いこみは官僚としての自負とおごりを踏まえた、結局は官僚の通弊たる保身ということだろう。名誉棄損の裁判も起こすということだが、平行してこの際、是非外部から会計監査を入れて公団の経営実態を衆目に晒(さら)すべきだ。  
東京都の場合、数多い外郭団体に外部監査を入れて初めて、世間ではまかり通らぬ経営実態が露呈してきた。恐ろしいのはそれが、納税者である都民への背信という後ろめたさが全く無しに行われてきたというところにある。  
都の財政再建のために始めの二年間、それぞれ知己の深く長い樋口廣太郎、牛尾治朗、宮内義彦、鳥海巌、高橋宏といった日本の代表的経営者と当時日本公認会計士協会の会長だった中地宏の六氏に財政再建の顧問を頼んだが、度重なる会合の中で、あるいかにも不審な問題について厳しい質問が出て調査の末、次回にその回答が役所側の責任者から行われた時、六人が同じ瞬間、「なるほど、税金だあっ!」と同じ言葉を発して慨嘆したのを目のあたりにし強い印象を受けた。つまり役人の扱っている金は、民間の経営者が扱っている血のしたたるようなせつない金とは違って血の通わぬ、というより彼らが血を通わせぬ「税金」という特殊な金ということだ。  
前にも記したが役人というのは、この日本では、罪を犯さぬ限りその地位を失うことがない、つまり一生失業保険をかける必要のない種族であるが故にも、三つの特性を備えている。  
一つには金利の感覚が欠如。二つには時間のコスト感覚の欠如。三つには、手掛けた仕事への確実な保証、保険という発想がほとんどない。今日あちこちで露呈してきている日本の特殊法人の経営の杜撰(ずさん)さは、共産圏でもとっくに淘汰(とうた)された国営企業と同質で、道路公団も放漫杜撰な経営の末に藤井総裁の代になって債務超過の危惧(きぐ)がようやく表沙汰(ざた)になった。  
これが民間なら、いかなる企業だろうと債務超過となった時点での経営責任者は、いかに不本意だろうと従来の経営の誤りの責任を集約してとって職を辞するのが常識であり、それしか株主たちへの経営の責任の表示はあり得ない。このゴタゴタが起きた時、親しい仲のJR東日本の松田昌士会長から興味深い話を聞かされた。国鉄時代から今日まで、鉄道を跨(また)いで通る高速道路の工事の際、鉄道当事者が鉄道を跨ぐ部分の工事に関しては特別に関与して、工法、期限、予算等について聴取するという。そしてその度、公団側の示す予算案はどう眺めても常識の四〇%に近い水増しになっているそうな。鉄道側もそれならついでにということで一緒に儲(もう)けさせてもらってきたということだろう。  
側聞すれば道路公団の工事のほとんどは随意契約で行われてきていた。つまり民間での競争入札による価格決定ではなしに、身内の特定の会社ともたれ合いで随意な予算を組んでつかみ金でまかなわれ、公費の見積もりに正当性を欠くのも当然のことに違いない。  
これは何も道路公団に限らず他の特殊法人も同じことで、例えば国家の威信をかけてロケットを打ち上げる宇宙航空研究開発機構も、従来新しいプロジェクトに関する原価計算を明示することはほとんどなかったという。素人にロケットなどという高級な技術による計画の何たるかがわかるはずはないということだろう。  
国家官僚の隠語に「鉛筆を嘗(な)める」というのがある。つまり予算獲得のためのいい加減な数字をでっち上げるということだが、彼等のそんな技術に政治家たちが媚(こ)びへつらって今までいかに膨大な税金や郵便貯金が浪費されてきたことか。  
あの小さな島の四国に内海を跨いで三本も橋を架けるというばかげたプロジェクトを、同じ特殊法人の本州四国連絡橋公団はやってのけ、ほとんど車の通らぬ三本の橋は典型的な不良債権として膨大な赤字をつくり続けている。それに注ぎこまれた郵便貯金はほとんど還っては来まい。  
そしてそのからくりに、いかに多くの与野党の政治家たちが群がり食いついて相伴にあずかってきたことか。その結果特殊法人という非合理非現代的な組織のからくりは、官僚が逆に政治家を使うという官僚の国家支配を造成強化してきたのだ。  
亡き司馬遼太郎氏が慨嘆していた、太政官制度以来本質的に代わっていないこの国の政治のスキームを温存維持するために、特殊法人なる官僚支配の隠れ簑(みの)がいかに効果的に働いてきたかを今回の道路公団総裁の更迭事件は逆証している、ということを国民もそろそろ知った方が身のためということだ。  
選挙が終わった時点で小泉内閣は改めて、道路公団のゴタゴタを、政治家の迎合を踏まえた官僚の国家支配の象徴的問題としてとらえ過去のすべての事例を洗い出し、国家の体質そのものの改善につとめるべきに違いない。このままでは救われないのは国民なのだ。息子大臣閣下も捨て身でやってもらいたい。  

 

国よ動いてくれ!  (2003年10月) 
湘南の海で遊んで東京に戻ってくると、第三京浜の都築インターを過ぎた辺りから東京の匂いがしてくる。新鮮な海の空気とは対照的に胸が詰まるような、えもいえぬ匂いだ。そして夏場は、都心を囲む環状線の上にそそり立つ分厚い雲が見える。熱しきった地面に立ちこめた排気ガスのつくる雲だ。昔は見なかった大都会の真ん中に立ち上がる雲の塊は、大気の汚染に喘いで歪んだ大都会の象徴だ。  
美濃部都政によって主要環状道路の建設が中断されたまま、その一方、首都圏への集中集積が進み東京の交通事情は悪化の一途をたどり、慢性的な交通渋滞によって大気の汚染は拍車をかけられてきた。同じ状況が首都圏を構成する隣の神奈川、千葉、埼玉県の主要部にも見られる。  
そうした地域に住む住民の健康には著しい変化が見られ、東京で生まれた乳幼児の多くがアレルギーを抱え、女性の成人にはアトピーが蔓延している。  
その主なる原因はディーゼル車の排気に含まれる粉塵であって、東京に限ってみてもその量は一日に五〇〇ccのペットボトル十二万本という想像を絶する量なのだ。その結果、東京は隣の千葉県に次いで粉塵による肺癌の発生率は日本で二位という惨状を呈している。都内の喘息患者の数も平成元年に比べて二倍に増えてしまった。  
以前東京で行われた国際肺癌学会のあいさつで私は壇上に件の粉塵を詰めたボトルを持ちこみ、その数量を数え東京の大気汚染の実態を披瀝したら場内騒然となったものだったが、その後日本の学会がこれについて警告したという話は聞いていない。  
来春にはまた首都圏に蔓延するだろう、過去には在り得なかった花粉症が、都会における排気ガスの粉塵との複合感染作用によるという原理はすでに東京都による科学調査で明らかになっているが、さらに恐ろしいのは、動物実験によって妊娠中に粉塵に曝露された動物の胎児は出生後、他に比べて花粉症になりやすく、加えて練習能力に著しく欠ける。それは恐らくそのまま人間にも適応し、都会で育った子供と田舎で育った子供の能力較差ともなるに違いない。  
故にも東京は周囲の首都圏を構成する神奈川、千葉、埼玉の三県と合議し広域行政としてこの一日からディーゼル車の規制に踏み切った。  
周知期間に情報が徹底し、結果は今現在極めて良好で違反車の数は思いがけないほどすくない。これはわが身をそいで協力してくれているトラックやバスの業界のおかげで、感謝とともに改めて日本人の良識を信じられる気がしている。  
ちなみに初日の成績として、東京の築地の大市場に全国から深夜に集まった大型トラック百三十台中、違反車は三台だったし東京、千葉での取締台数六百六台中、違反車は七台、確認中が五十八台ということだった。  
比べて、現場感覚を欠いた歴代の政府は事実の隠蔽のためとしかいいようない嘘をつき通してきている。ディーゼル車の出す粉塵の原因は燃料として使われる軽油に含まれた硫黄分。日本では五〇〇PPM、欧米のそれはその十分の一の五〇PPMだが、さらに先進している国ではわずか一五PPMにまで低下させられている。  
しかるに政府のいい分は、業界保護のつもりでか、欧米並みのレベルを実現するには十年間に一千億円の設備投資が必要でそのためには軽油の値段を値上げせざるを得ないということだった。  
しかし政府がそんな寝言をいっている間に石油業界は自己努力して、あっという間に欧米並みの低硫黄の軽油の製造販売を開始してくれている。これまた政府の官僚と違って、大気汚染の現況を冷静に認識した民間の日本人の良識と意欲の発露に他ならない。  
その一方政府は自動車のNOx・PM法の適用を手立てを講じて延期してしまった。また、歴代の環境省大臣が役人の作文を棒読みして繰り返す、「排気ガス中の粉塵のグラム/キロワット・アワーの数値を日本は二〇〇五年には世界で最も厳しい〇.〇二七にする」という大見えもあまり内容に富むものではなくて、その翌々年にはアメリカが〇.〇一三というさらに半減した数値を実現してしまうのに。  
さらに加えていえば、大気汚染の要因の一つだった、ひどいものは自由化につけこんで外国から輸入した原油に硫酸を混ぜて脱色し、軽油と称して売られていた密造の軽油ならざる不正な軽油は、大気汚染だけではなく正規の軽油の価格との格差を踏まえての膨大な金額の脱税にも繋がっていた。  
東京が指摘し取り締まりへの始動を要請し続けても国は一向に動こうとはしなかった。  
仕方なしに都は女性の職員までを動員し、三メートルのフェンスを張り巡らした中に猛犬のドーベルマンを放し飼いにしているような施設には警察の護衛を要請し摘発を行ってきたが、その多大な成果を報告しても国からは何の反応もありはしない。  
画期的な自前の広域行政として出発した今回のディーゼル車への規制は、政府の良識を上回る国民自身の発意に支えられて進みつつあるが、せっかくここまで来たのだ、これを見て国もまた同じ危機感を持ち直して立ち上がってほしい。これはもはや決して国家の沽券にかかわる問題ではなしに、これからあるべき国民の真の利益に繋がる行政の新しいパターン造成という問題に他ならない。  

 

米はエクソシストたり得るか  (2003年9月) 
泥沼化しつつある最近のイラク情勢を眺めると、ふと思いだす、かつて見た映画のあるシーンがある。  
映画は当時大反響をまき起こしたハリウッド製の『エクソシスト(悪魔払い師)』。何百年ぶりかでニューヨークに再生した異教の悪魔が少女にとりつき、その悪魔を退治するために神父たちが悪戦苦闘し、最後は自分の体に憑依させた悪魔を葬るために神父が自分の体の中にいる悪魔と刺し違え、自殺して果てるという筋だった。  
私はちょうど新しいヨットの進水回航のためにアメリカにいて、造船所のある町で封切られた映画をクルーたちと一緒に見にいったが、開演前に並んでいる観客たちに、この映画に賛成、反対の二派のキリスト教信者たちがそれぞれに神父に率いられて主張のビラを配っていた。私にとってはそれもまた異教の土地で見る異教徒ならではの光景として面白かった。  
さて、いまだに治まらぬイラクでの混乱を眺めて私が思いだしたのは、映画の冒頭に、どこか中近東の古い遺跡を発掘していた老考古学者が、作業員たちが土中で掘当て取り出してしまった異教の悪魔の像を前に、「またこうしたお前と出会ってしまったのか。これからまた恐ろしくも厄介な出来事が続いていくに違いない」と慨嘆するシーンだった。  
そして映画の中では突然幼い少女にとり憑いた悪魔が次々に不可解、不可抗な出来事を引き起こし、訳を知らぬ市民や、訳を知る神父たちが恐ろしい羽目に突き落とされる。最後に悪魔と刺し違えわが身を殺す神父の献身は劇的だが、その後続編が作られたのを見れば、話の筋とはいえどうも悪魔退治はなまなかなことでかなうものではなさそうだ。  
今イラクで起こっていることを眺めるとハンチントンのいった「文明の衝突」という歴史の公理を改めて思いだす。国民を独裁者から解放してやったと自負するアメリカに対して多くのイラク国民の、独裁者への忌避を上回る憎悪と軽侮の根底には宗教を背景にした価値観の衝突、それも一神教の持つ排他性の相克が感じられる。そしてそのさらなる背景に、これも同じ一神教のユダヤ教対イスラムの対立の象徴としての厄介なパレスチナ問題が在る。  
いずれにせよ今アメリカが相手にしているのは、千夜一夜物語に象徴される世界最古の文明文化の元に暮らしてきた民族であり、その歴史の長さはアメリカとは桁が違う。ということを、アメリカ側はどれほど意識してかかっているのだろうか。その軽差はいかに現代技術を駆使しての巨大な軍事力だろうととても埋めきれぬ、人間の深い部分、歴史の芯の芯にあるものの問題に違いない。いい換えればそれこそが、歴史というものの重みということだろう。  
イラクはアメリカの数百倍も長く深い歴史を持った確固たる文明国であり、豊穣な地下資源によってアフリカなどの開発が遅れている諸国とは違って近代インフラを備えた準先進国であることを忘れてはならない。  
今アメリカがかまえている、一見絶対的にも見える優位など人間の歴史全体の流れの中ではわずか一局面のものでしかないかもしれない。アラビアンナイト物語は不滅だが、今日世界を風靡しているかにも見えるハリウッド映画の歴史的価値なんぞ知れたものでしかない。  
しかしその一方この日本はかつてアメリカに過剰な自信を培わせるような、歴史を踏まえての文化民族の自主性の価値や意味を疑わしめるような史実を自ら示してしまった。  
思いがけなくも手を焼いた挙げくに、未曾有の多量殺戮兵器原爆の投下によってようやく第二次世界大戦を終結せしめた敵国日本の占領統治を、アメリカは当初の予測を上回った容易さで行い、日本人という固有な特性を持つ民族の脱色骨抜に成功した。その所以はいろいろあろうが、一つには、かつて入江隆則氏が指摘していた、一種の汎神論としての神道と仏教に培われた日本人の融通無碍なる価値観のせいと思われる。自己批判としての「我が仏は尊し」という言葉にこめられた信仰における排他性を否む、一神教の世界においては許され得ぬ寛容さといおうか柔軟性が、一億玉砕を一夜にして一億総懺悔に転じさせ、敗戦という処女体験の後の異民族による統治を丸呑みにしてしまったといえそうだ。  
それを、今日のイラクにおける文明の衝突ともいえる混乱と比べ是とするか非とするかは、当時の絶対的為政者から拝受した「平和憲法」なる奇体で非現実的な国家の規範を、半世紀を経た今ようやく丸ごと吐きだすことで、独自の文化文明にのっとった真の自立を獲得するか否かにかかっているに違いない。  
イラクに起こっていることを眺めながら私が改めて悟らされたことは、いかに巨大な力とはいえ文明の本質までを破壊しきれるものではないということだ。そうした独善は結局思いもかけぬ高価な犠牲を自らにも強いることになりかねまい。絶対的軍事力を背景にした独善が、時として滑稽さにも繋がりかねぬということに、絶対的強者であるが故にもアメリカは悟るべきに違いない。  
グローバリズムという画一化は、文化という人間にとって最も根源的なものを冒しきれるものでは決してない。  

 

昔遣唐使、今不法入国者  (2003年8月) 
過日、不法入国不法滞在の外国人が猖獗する東京の池袋に多角的大手入れを行った際、現地を視察してみてさまざま感じるところがあった。この町には現在莫大な数の外国人が住みつき、その多くは不法入国、不法滞在者、そしてその過半が中国系だが、この町の特徴はその近くに彼らの安価な居住地域がある点だ。  
そのため、そこで生活する者たちのための必需品を備えて売る店が驚くほど多い。ついでに不法入国してきた彼ら中国系の同胞、その限りで正規に就業できぬ連中、つまり犯罪要員のために家に押し入って窃盗するために鍵をこじ開けるピッキングの道具をセットで売っていたりもする。  
中国人相手の本屋には驚くほど多種な本、新聞、雑誌、ビデオが並べられており、ある新聞などは発行部十万をこすという。それらのメディアにはさまざまな就職斡旋の広告が掲載されていて、中でも驚かされるのは探偵社の人員募集である。たとえ正式に入国していたとしても、彼ら外国人がこの日本でいったい何を探偵するのか。  
聞くところそのほとんどが犯罪パートナーとしての仕事であって、最近では同じ不法入国不法滞在している中国人の子弟を誘拐し、身の代金を奪おうとする事件まで起こっている。犯人たちと同じように不法滞在している相手だから日本の警察には通報しまいと高をくくっていたら、被害者の親の方は子供かわいさに警察に訴え出て一網打尽となった。  
日本語学校に通うと称してやってきた若者たちを犯罪の片棒に利用するのは茶飯のことで、商店でのかっぱらいの見張りは邦貨で五万円、高級自動車の盗み出しの見張りは十万円とかで彼らにしてみれば大層な実入りとなる。  
手口も荒っぽく、貴金属店や現金収入のある店の金庫を狙った押し入りはブルドーザーのような工事機材を盗んできてそれでいきなり店の壁を崩し、警報器が鳴り渡るのなど無視して、警備会社のスタッフが駆けつけても青龍刀などの凶器で威嚇して追い払い、警察が駆けつけてきた時にはもう姿を消している。  
略奪した品物は日本での故買にかけたりはせず香港や上海の特別ルートで簡単にさばかれてしまう。  
こうした実情について日本の政府が相手に抗議したこともないし、事情を知って向こうの政府が恐縮したという話を聞いたこともない。  
こうした実態を見て改めて思うことは、国際関係の中で認識されるもろもろの隔差こそが人間の交流の有無をいわさずに促進し、文明が刺激され文化もまた変化し向上もするという歴史の原理だ。  
今この日本と中国との間にある隔差の最たるものは経済、いい換えれば生活水準の違いであって、彼らの歴史が培った、いかなる政治をも信用しない中国人の極めて現実的なDNAはわが身の経済的状況の向上こそをほとんど絶対の目的とするが故にも、その隔差を踏まえて大挙日本に押し寄せてき、その願望をかなえるためには堂々と盗みもする。  
さらに大きな国家的規模の技術隔差に関しては、彼らの国家もまた、知的所有権など全く無視して堂々と盗みつづけている。チープレイバー(賃金の安い労働者)に憧れて進出していく日本をふくめた外国企業はいい鴨にされ、金に換算しきれぬ根幹的技術までを簡単に盗みとられているのが現況だ。  
かつて日本はシナ大陸との文化隔差に刺激され、それを摂取し自らを向上させるために多くのエリートを遣唐使遣隋使として送り、国家が調達して持たせた日本特産の砂金で門外不出のお経を写しとったりして、彼の地文化を甲斐々々しく吸収したものだった。司馬遼太郎氏のいうところでは、他国の進んだ文化を学び取るのに正当に金銭を払ってしたのは世界で日本人だけだそうな。  
それに比べると、彼我の立場を逆さに変えた今日の日本とシナとのかかわりは大層異なるとしかいいようない。しかしそれが経済隔差、生活の格差という切ない現実のもたらすものならば、今後の両国の親善のためにそれをどう改良すべきかを我々も本気で国家的に考えるべき時ではなかろうか。  
時間的空間的にこの世界が狭小になってきている今、すべての隔差についての情報は瞬く間に伝わり、人間のきりない欲望はそうしたギャップを埋めるために、法律をも含めてすべての障壁を乗り越えようとする。  
私たちはそろそろ大幅、本格的な移民政策を考えるべき時に来ていると思う。考えてみれば実は日本人のルーツはこの小さな日本列島の四方八方のあちこち、シナ、朝鮮、モンゴル、遠くは東アジア、さらには大洋州のメラネシアにまで及んでいる。日本人なる人種は決して単一の血筋で出来上がっているものではなくて、実は今日のアメリカ以上の合衆国なのである。日本という国土におけるオリジナルな民族とは、今は希少化してしまった北海道のアイヌの人々と、本質的に同じ沖縄の人々でしかない。  
他民族同士の混血は大脳生理学が証しているように、特殊な酵素の働きによって優秀な人材を派生しやすい。それこそが、歴史が証す「日本人」の優れた特性でもある。  
単に、現今のチープレイバー需要のためだけではなしに、国家民族の大計として人口問題、年齢層の不均衡の是正などのためにも、そしてこの社会を治安の面で刻一刻とむしばみつつあるあまりに多くの不法入国不法滞在外国人問題の解決のためにも、我々は歴史的にも通用しない妙な民族意識の迷妄を断って、国家社会の新しい繁栄のために積極的な移民政策の実行に踏み切るべき時にきていると思われる。  

 

政治の複合性  (2003年7月) 
社会現象も人間の病気とまったく同じで、いかなる事態も単一の原因で表出するということなどありはしない。すべての物事は複合的な要因で出来上がっているのであって、ことの正確な分析にせよ適格な解決にせよ、一つの視点だけで眺めて可能な訳がない。疫病への対処に臨床と疫学の見地が合わせて必要なのと同じことである。  
われわれ人間が形作っている社会の出来事はすべて複合的なものであって、それがさらに重なり合って重層を成している。そうした構造は時を経て出来事が過去のものとなればなるほど、時間のフィルターにすかされて明瞭になってくる。「歴史」という事実の滞積が、現在に生きる者たちにとって持つ偉大な効用はそこにある。  
ヤスパースは歴史とは重層的なものだといったが、政治が扱っているいかなる現実も同じで、今日の現実も明日になれば昨日という過去に属してしまうのだから、現実の政治は実は重層を成す歴史そのものを扱っているといえるかもしれない。ならば政治に携わる者たちにとって、歴史ほど強い暗示、啓示に満ちた教科書は他にあり得まいに。  
俗に、政治の世界では裏の裏は決して表などではなく、さらにその裏も在り、裏の裏のさらに裏、またはその裏なるものになれば当初の表とは本質的に乖離してしまうこともざらにあるといわれている。つまり、政治が直截に扱わなくてはならぬすべての物事の、実は厄介な重層性をいっているのだ。  
そしてその複合的、重層的な現実に対処するべき政治の効用を著しく疎外しているのが、この国の官僚制度にほかならない。太政官制度の創設以来、本質的に不変できたこの国の中央集権官僚統制の政治形態は、今では官僚の独善的なうぬぼれのままに、彼らがいう、くるくる変わる閣僚や政府の頼りなさに比べてはるかに優位な継続性、安定性の故に、身分としても不安定な政治家たちをしのいで、日本という国家社会での存在感を自ら押し出し、本来ならば彼らを駆使すべき政治家たちを逆に使役することで、この国の政治を一元的で幅の狭い融通のきかぬものに仕立ててしまっている。  
そしてそれは各省の利益の優先どころか、同じ省の中でさらに分化された局の利益にかまけた行政までを導き出し、国民に多大な損失を一方的にかぶせる体たらくとなっている。  
前に述べたようにいかなるものごとも複合的、さらに重層的な構造をかかえているのだから、行政の主体者たる役所がそれにかかわるに、一省の利益を踏まえるだけで対処できる訳がない。いかなる行政マターも、眺めただけでも幾つかの省にかかわっていて、それを一つの省が他に優先して扱いきれるものでは決してない。おおよそいかなる物事も幾つかの省にかかわっているのであって、それらの省をまたぎ束ねてことをまとめるのが政治家の責任であるはずなのに、多くの政治家が各省の利益の代弁者たる族議員に堕すことでそれを行わずにいる。  
つまり何らかの省の利益に精通することが、役人たちからの評価に耐えられる政治家としての資格になるという倒錯こそが、日本の政治のダイナミズムの枯渇の要因に他ならない。  
森総理時代に次の選挙に備えて大都会の環境悪化の象徴ともいえる花粉症対策について建言したことがあるが、しばらくして総理から関係する運輸、通産、環境の各省のいい分がばらばらでまとまりがつかないと慨嘆された。しかしそう嘆く当人は何だろうとこの国の最高権力者の総理大臣なのだからこれは不可解な話で、ならば一体他の誰が、省益の相反する問題を国民の利益主体に束ねて解決することができるというのか。  
小泉総理は構造改革で省益の対立する問題は自分が裁断するといい切っているが、それは極めて妥当、当然の姿勢であり、いい切った限り判断を先送りしたりせずに果敢に行うことで初めて、族議員の跋扈する自民党を本質的に解体再生させることができるに違いない。  
先般羽田の沖合再展開に関しての関係四都県と国交省の公式会議が初めて持たれたおり、その席で私は加えて羽田の拡大工事は当然国際化に繋がり、羽田からはみだす国内線の処置に横田基地の共同使用が必然となる、この問題を決して切り離して考えるべきではないと念を押し、ひいては横田基地の共同使用の問題はあくまで航空行政を専門分野とする国交省のイニシャテイブで扱われるべきであって、決して外務省マターではないのだ。故にも、今後ことあるごとに次官会議や局長会議の折節に国交省が先頭きって発言し、国交省が外務省を使って事を進めるつもりでやってほしいと要請した。出席していた国交省の幹部たちはおおいにうなずき、後日他の用件で会った中の一人は、ああいわれて眼から鱗が落ちた思いでしたともいっていた。  
しかしそれはいささか大げさ、というより彼らの錯誤を露呈させた言葉で、世間では当たり前のことが官僚の世界では一向に行われていないという証左でしかない。彼らが自らそうした複合的な努力をしないなら、政治家こそがそれを督励しなくてはならぬのに、多くの議員は逆にそうした排他的一元的な官僚たちの走狗に堕して顧みるところがない。政治案件を複合的にとらえようとしない政治家たちの怠慢は、結果として官僚の備えた専門性をむしろ逆に阻害し行政の効率を低下させてしまっている。  
物事の複合性を理解できずにいる人間のことをこそ、幼稚というのだ。  

 

あきれたメディア事情  (2003年6月) 
新聞やテレビといった報道機関が第四権力といわれ出したのは大分以前のことからだが、それにつれて日本のメディアが、権力としての責任においての自戒の上に洗練され質的にも向上してきたという実感はほとんどない。  
特に政治という社会工学的にもっとも影響力の大きな分野においての、それを運営遂行している政治家に関する報道の、その使命に比べての低劣さには唖然とさせられることが多い。そうした報道の当事者たる記者たちの関心は、国民の知る権利の代行として取材の中で発露されるべきなのだろうが、彼らの知的水準が低劣だと報道の内容そのもののレベルもそれなりのものにしかなり得ない。  
しかし取材を受ける当の政治家の側にいかなる引け目があるのか、彼らを相手にする政治家の多くが、大層我慢強くまともに相手をしているのには驚かされる。そしてそれがまた彼らの低劣な取材ぶりを増幅している。  
特定の政治家を立ち話でつかまえて行う取材を「ブラ下ガリ」というが、向こうの勝手でつかまえて行うには大方の質問がひどすぎる。特に目につくのが官邸でのそれで、かつて森総理時代、小渕総理の後継者としての決定が密室的だったということで最初からメディアは意識して小意地の悪い扱いようだったが、ことあるごとに、ごくごく若い記者たちが群がり総理をとり囲んでテープレコーダーを突きつけ、「一体いつ辞めるのか」と繰り返していた。あれはもはや取材ではなしに国民に代わっての(?)うさ晴らしじみたものだった。  
そんな手合いがどこへいくにもぞろぞろつきまとっていて、ある年の正月、昔からある「自由社会研」の新年会に遅れて出向いたら、会場の料亭の玄関口に記者たちがたむろしていた。中の廊下で総理とすれ違い二言三言立ち話して別れたが、会が終わって出てきたらまだいる記者たちが群がってきて、総理と会ったが、どんな話をしたのかと執拗に尋ねる。面倒だから、「話は密談」とつき離したら、「どんな内容の密談ですか」、と真顔で聞き直してきたのにはあきれた。いつかも、同じ森総理を羽田空港に近い開かずの踏切に連れだし、都市再生の手立ての象徴としてこうした致命的な渋滞の解消に国家も関心を持つべきだと建言し総理も同意しその場で予算措置もできたが、引き揚げる途中彼に同行してきた女の記者が近づいてきて、「あの、あそこで総理と一体何を決めたんですか」とまともに尋ねたのには驚いた。「君はどこの社の誰だ。目的も知らずにここまでただついてきたのか」といったらバツ悪そうにそそくさと姿を消してしまったが。彼らにとっての取材努力なるものがいかなる形であるのか、馬鹿々々しくて想像する気にもならない。  
記者クラブ主催の記者会見といういかにも日本的な特権的閉鎖的な習慣が、彼らの自惚れと怠慢を育ててしまったのだろうが、彼らの上にいる者たちははたしてその実態を承知しているのだろうか。巣立ちもできぬ雛鳥ではあるまいし、記者と名乗ってただ口を開けていれば相手は恐縮し問われたことに必ず答えて餌をくれる、いやくれるべきだと思いこんでいるとするなら、もはや滑稽としかいいようない。  
昔、中川一郎が急死し、仲間で密葬の準備をしている最中に自殺と知って全員ショックを受けた折、それを聞きおよんでメディアが私邸に殺到してきた。代表して私に会見をというので拒否したら、先輩の長谷川四郎さんがここは皆のこれからのためにも堪えて付き合ってやれ、というので大雨の中傘をさして門の前まで出かけたら、一番前に立った当時著名なTという女性のキャスターがマイクをつきつけ、いきなり、「大変ですねえ、何かひとこと」。私は怒って、「これはそこらの芸能人の結婚式とは違うんだ。わざわざ人を呼び出してそんな質問があるか、帰れっ」と怒鳴りつけた。それを見て後ろに潜んでいた男の記者たちからまあまともな質問が出たので答えはしたが、昨今なんで大方の男の記者たちはぶら下がりの取材に、いつも小奇麗な女の記者を正面にたててくるのだろうか。  
かつて小選挙区制度に猛反対して党の総務会から出てきたら玄関ホールで記者たちにつかまった。あの時も先頭切った若い女のキャスターがこちらの喉元にマイクを突きつけ、「あなたは守旧派ですねっ!」、と弾劾調で叫ぶ。むかついたから、「お前さんどこの誰かは知らないが、人にものを尋ねるときは社名と名前を名乗ってするのが礼儀だろうに。家で親の育て方が悪いのか、会社の教育が駄目なのかは知らないが」といってやったら仏頂面でいちおう名乗ったので、もう一度質問を繰り返させ、「君ね、相手を良く見てからものを尋ねろよ、この俺がシキュー派だって。俺は男だよ、シキューなんてないよ、正確に報道しといてよね」、いささか品が悪かったが茶化してやったら周りは大笑いだったが、件の記者は怒り心頭の様子だった。それくらいしないとこちらの気持ちも治まらないことが多々ある。  
かと思えばかつての私の「第三国人」発言問題などは記者の功名心というよりも売名衝動で、一般紙の休刊日を狙って他の娯楽紙に、私の発言に無いことまで書き添えてことを煽り立てた結果だった。大災害が首都を襲った際の治安問題については言及はしたが、かつて関東大震災の折の朝鮮人への殺害事件については記者当人が書き添えたもので、「朝日」などそれに踊らされたメディアや特定組織もあったが、記者当人のインターネットでの反石原キャンペーンには冷静な市民から激しい非難が集中したようで、しまいに身の危険まで感じたのか当人から私あてに、奥さんの身にまで危険が及びそうだとか、私はあなたが好きになりかけていたのにとかの詫び状まで届いての醜態だった。  
こちらもあの意識的に偏向した報道に正式抗議を準備し手続きをとっていたが、当の記者の個人的詫び状までが揃っては相手社も一方的な非を認め正式に謝罪せぬわけにいかなかった。  
こんな程度のメディアが、国の命運を左右しかねぬ政治の中枢の出来事を、「報道」と称していじくり回している実態を国民は一体どう承知したらいいのだろうか。これも所詮昨今の教育しつけの荒廃がもたらしたものなのか。  

 

核外交というきわどいゲーム  (2003年5月) 
かつて議員だった頃外務省のある高官と議論した際、私が外交の神髄とは徹底したゲーム感覚だといったら相手がそれは大層危険な認識で、それに徹すると外交という機能の中から大切な心の問題が疎外されてしまうと咎めた。  
しかし、外交という国益を踏まえた交渉にとって大切な心の問題とは、そも一体何のことなのか。  
人間が行うことである限り何事も心遣い無しにあり得まいが、何よりも必要な心遣いとは国家の利益をいかに主張し守るかということだろう。  
件の外交官のいう心の問題とは要するに善意とか友情といった美しい範疇の心遣いのことらしいが、彼らが外交交渉の当初から相手にもそれを期待してかかる限り、むしろそれこそが危ういことに他なるまいに。  
国家間に確保されるべき友情とか善意というのは、一つの交渉が妥結した後にこそかもし出されるものであって、ことの初めからそれを期待してかかるというなら大甘というよりない。  
日本にとって極めて厄介な、というよりすでにその悪意がさまざまな形で露呈している北朝鮮という国との日本の過去のかかわり方を眺めれば、何よりもそれが証し出されている。  
そして、われわれが過去に外交としては極めて稚拙なやり口で付き合ってきた北朝鮮が、外交において実はいかなる原理、方法をかまえる国であるかは、今回の核保有を巡る彼らのアメリカとの交渉の過程を眺めれば如実にわかる。  
私は数あるゲームの中でポーカーというカードゲームが好きだ。互いの思惑を読み合い、その上で芝居もしてみせ、手持ちの札によってはブラフ(脅し)をかけたり弱気を装ったり、逆にそんな相手に騙されたふりもしたり、相手の心理を探ったりすかしたりするしたたかなゲームだが、何よりも外交の神髄に繋がるところがある。  
北朝鮮の核保有をめぐってアメリカがテーブルにつくまでの経緯と、その後の第一回のアメリカ、中国、北朝鮮三国の会談の内容を眺めていると、それぞれしたたかなポーカー打ちのゲームを眺めるようで興味が尽きない。もちろん北の核は日本にとって国の安危にかかわる深刻な問題だが、この交渉をゲーム感覚で眺めなおすと、ポーカーの打ち手の優劣が見え見えで結果は知れているような気がする。  
第一に、北に対してアメリカが手にしているチップ(賭金)は膨大でアメリカは相手のコール(要求)に応えて逆にいくらでも賭金を上げることができるが、北には手持ちのチップにそんな余裕はとてもない。アメリカは十分にそれを見透かしていてわざわざこんなゲームに応じなくとも北朝鮮は間もなく経済は破綻しつくし、あのグロテスクな政権は野垂れ死にすると見越している。  
ただ日本や中国が北との付き合いの中でのそれぞれ「心」の問題にかまけてい、中でも一方的な被害国である日本なぞは当然行うべき経済制裁すら行えずにいる。  
一方、中国の北朝鮮への思惑はその領土の実質支配であって、アメリカはそれを見通して、基本的には北朝鮮の問題を中国に丸投げしてもいいという魂胆でいる。そこが対イラクとは根本的に異なるアメリカのスタンスだ。  
ただその場合、韓国がその民族意識からしてそれを許容できるかどうか。一方韓国の隠された本音は、ドイツのような力量ある国ですら半世紀間低能率な社会主義に飼い慣らされてきた東ドイツを合併したことで被った経済的被害を眺めれば、これから何かのはずみで南北の合併が成立したりした時に自らを襲う経済的打撃を思えば、これは民族意識をも超えた深刻な問題に違いない。  
日本もやがてこの核の、ポーカーゲームに参加を余儀なくされるのだろうが、今はまだ観客の椅子にいる限りこの外交ゲームを冷静に眺める手立てとして、右のことがらは心得ておくべきだろう。  
それにこのゲームの主催者たるアメリカは相手のブラフや恫喝の手の内をとうに把握している。  
が、北朝鮮の核保有の戦略的、戦術的可能性がはたしてどれほどのものなのか、つまり彼らが保有している、あるいは保有しようとしている核兵器やその運搬手段たるミサイル等の性能の詳細正確な情報を、怯えきってアメリカのスカートの陰に潜りこもうとしているパートナーの日本にそっくり伝えることはまずありえない。日本がいたずらに怯えれば怯えるほど、アメリカにとっては都合のいいゲームの相棒たり得るのだから。  
ということも、外交という非情な共同ゲームの原理の一つに他ならない。  
互いに国益をからめて行う外交という勝負の中での唯一絶対の原則はただ一つ、信じられる者は自分自身しかないということだ。  
それを率直端的にいって憚らなかったのはチャーチルだった。彼は第二次世界大戦の最中に、英国にとっての仮想敵国があるとすればどことどこかと問われてたとえ今ともに戦っている同盟国であろうとも、英国以外の国はすべて仮想敵国だといってはばからなかった。  
プロと自惚れる日本の外交官が口にしたがる外交における「心」の問題とは、彼らの甘い妄想とは逆に、すべてが不信や猜疑とはいわぬが、あくまでまず国益へのあるべき固執がもたらす他者への怜悧な非情さに他なるまい。  
ということを、例えとしては卑近に過ぎるかもしれないが、ポーカーというゲームになぞらえて今回の北朝鮮の核保有問題のかけひきを眺めなおしてみると、そのえげつないまでのやり口を見るにつけ、しみじみ直截に覚えることができる。  
過去の日本の外交に、その場に積まれたポットの数はたとえ少なかろうとも、勝負の相手が思わずうなって膝を叩くような勝負の例があっただろうか。  

 

再選を終えて  (2003年4月) 
今回の都知事選で改めてしみじみ思いだした、亡き司馬遼太郎氏の言葉が二つある。  
何度か講演旅行を一緒にした折々に聞いたものだが、一つは、「この国はかつて徳川幕府が崩壊した後暫定的に誕生した太政官制度以来、本質的に全く変わっていない」という慨嘆。もう一つは、「多くの日本人にとってある種の観念、理念は、実在の現実よりも、現実的なものだ」という、日本ならではの思考における、奇妙で危険な倒錯について。  
共産党は今回の都知事選の政策における対立軸は、折から進行中のイラク戦争への賛否だとし、もう一人の候補も私を、「軍国おじさん」と規定していた。(この問題への私の所見はすでに前回のこの欄に述べてある)  
そうしたいたずらな論は本末転倒といおうかすり替えといおうか、多くの問題をかかえている首都の行政の舵取りとはほとんどかかわりがない。故にも必然今回の選挙戦の内容は低調で幼稚なものにならざるを得なかった。  
第一、共産党も社民党も民主党も、イラクという危険な存在に地下茎で繋がっている、同じ独裁テロ国家北朝鮮が日本に対して犯してきたテロ行為、多くの同胞の拉致殺戮と、合わせての膨大な量の覚醒剤の密輸入頒布といった事実は、あくまで存在していないといいはってきたではないか。  
せっかくの都知事選で据えられるべき政策の対立軸は、司馬氏が言及していた、いまだに本質太政官制度と変わらぬ中央官僚の一方的統制によって運営されているこの国の政治形態を、地方自治体の代表ともいえる東京都が今後国とどうかかわり、対立もしながら、どう変えていくかということに違いない。  
個々の重要な問題の中でそれをいかに捉えるかという議論が熱くあったなら、小渕内閣時代に出来上がった、地方への税財源の分与は中長期の問題と棚上げしたままの「地方分権一括法」なる、しかしあくまで歴史的必然蓋然の所産たる法律に、いかに魂をいれるかという論議も白熱化し、都民国民の関心も刺激され国も耳をそばだてざるを得なかったろうに。  
しかし選挙の実態は、その意味では不毛のものでしかなかった。それはひとえに、対立候補を擁立した政党たちの歴史的無知と怠慢としかいいようない。なかんずく、国政での野党第一党民主党の国会と都議会レベルでの乖離分裂は、この政党の限界を露呈させてしまったとしかいいようない。  
大都市の停滞は国家の停滞を如実に表象しているが、それは日本が依然として中央官僚統制国家である限りおおかた国の責任といわざるを得ない。もはや都民の生命に深刻なかかわりを呈してきた大気汚染や、今では都民の最大関心事となっている、不法入国不法在留外国人による、異形な犯罪の増加による治安の深刻な乱れなどは、他の先進国に比して大甘な自動車燃料への規制、入国管理の杜撰さ、あるいは刑務所、拘置所の絶対的な不足などといった国家の怠慢な不作為に決定的に起因している。  
あるいは福祉の分野においても国は、介護保険の中で庇護される者に選択の幅を与える新制度といった歴史的必然の変化を受容しながら、さらになぜ、地方の特性に基づいた福祉政策のヴァリアント(多様性)を積極的に許容しようとしないのだろうか。  
働く若い母親の数のもっとも多い地方は東京であり、そうした女性の出産、育児の便宜のために彼女たちの通勤の道程にある駅の前にもうけた保育所を、国はいまだに国の規格から外れたものとして正式に認可せずにいる。  
国の規格に沿っての保育所は、大都市における用地の取得の困難さなどからしても設立のコストパーフォーマンスがとてもおぼつかなく、東京には適合しがたい。好評を博して増設の相次いでいる駅前の大都市型保育所は、まさしく東京の特性を生かした試みだが、国はかたくなにこれを正式に認可しようとはしない。  
国の官僚が国家という規模で行政を考えるのは当たり前のことだが、その行政が国家全体におよぶ画一的な規範で発想されたのでは、地方は地方としての特性を無視され踏みつぶされるということになりかねない。それは地方分権の時代を無視した驕慢な、まさに太政官制度的発想でしかない。  
あるいはまた、地方で行われる国の直轄事業、たとえば国道の補修等でも地方はそのおよそ三分の一の経費負担を強いられるが、東京を走る国道のどこをまず直すかという選択は一方的に国が決める仕組みで、地方自治体が国より精通している地元の交通事情にかんがみて場所を指定することが不可能というような事例も、もはや驕慢な不公正としかいいようない。  
こうした、「依らしむべし、知らしむべからず」という尊大な国家の姿勢こそが、実はこの国そのものの能率を低下させ、国民に過大な負担を強い、ひいては国力を喪失させつづけているのだ。  
司馬氏が慨嘆していた、こうした百余年不変の中央集権国家としての体質が、普通の市民と本質的に異なる価値観と発想を抱いてはばからぬ官僚という特殊な種族、ちなみに彼らには普通の市民が身にしみて心得ている金利という観念が全くないし、時間の無駄というコスト感覚も欠落、手がけた事業の結果への保険、保証という発想も全くない。そして一生、失業保険をかける必要もない。  
国家の行政が質的に不変のままこうした人間たちに維持されていく限り、そしてそれを、逆に彼らに使役されている国の政治家たちがその抜本的な改修に本気にならぬ限り、地方によって合成されている国家の不幸はきりなく続くことになる。  

 

イラク戦争をどう捉えるか  (2003年3月) 
誰しも、どこにも戦争を好む者はいはしまい。しかし予告の上に準備を重ねて用意された戦争には、突発して起こる事件を契機に勃発する戦争よりもその目的なり意味合いは周知され、それへの冷静な判断を導きやすいものと思われるが、アメリカのイラク進攻に関する今日の是非論議はおよそ逆の現象を呈している。それは多分、尊大なるアメリカのする戦争故に、ということだろうが、今日の世界的論議の態様はもはや本来の目的なり意味合いからはるか離れて短絡的に反米、親米といった情緒的次元での判断になってしまっているとしかいいようない。  
これは世界にとって危険な兆候で、巨大なるアメリカへの反発は心情的にはあり得ようが、問題の本質から乖離して後々、ほぞを噛む結果を招来しかねまい。ことの本題はあくまで多量殺戮兵器の拡散使用の阻止である。  
すでにそれをクルド族の制圧のために行使した前歴のある、先の湾岸戦争の当事者でもあるイラクへの制裁と規制がすでに重ねて行われてきたにもかかわらず、国連の安保理決議をふくめて十七もの決議の履行を一向に果たしていないイラクという国の存在の、世界に及ぼす危険性の除去こそが本来の目的なのではないか。  
しかしアメリカの大仰な戦争準備がさまざま視覚的に報道されるにつれ、本来の目的から外れてアメリカが行おうとしている「戦争」そのものだけが批判と指弾の対象になってしまい、その是非を論じるとき、ただ「戦争」の是非のみを問う一種魔女狩り的な雰囲気になってしまった。  
先般もあるラジオ番組で対イラクの進攻の是非を問われ、その本来の目的の意味合いや、戦いが行われた後の被圧迫民族の解放、イラクに限らず腐敗しきったアラブ産油諸国の政治の民主化や、原油価格の凋落による世界経済再生へのプラスなどを挙げて説明しても、ただ、石原は「戦争」に賛成だというくくりかたでの聴取者の意見聴取という、いわば吊し上げのキャンペーンに仕立てられていた。  
アメリカが準備を進めている戦争を回避するためにはイラクが自分自身で武装解除しなくてはならぬが、それが有り得ぬなら世界全体が結束して行動する以外にありはしまい。ならば現況下、査察がなお続けられその結果イラクの世界への背信が証し出されたときには、今は反対しているフランスやドイツが果たしてアメリカに協力して世界の癌として証しだされたイラクの制圧に乗り出すことがあるのかどうか。  
もしアメリカが今日の国際世論に折れて早期のイラク進攻を思いとどまるとするなら、(私は出費がかさんでもその方がアメリカにとっても好ましいと思うが)それを強く求めたフランス、ドイツ、ロシアといった国々はやがてイラクの不実が立証されたとき、今度は望んでイラク制裁に協力するということを、今この時点で査察続行のための条件として世界に明示すべきだろうに。それは国連の抵抗と権威維持のためにもなろうが。  
過去十二年間での査察継続によるイラクの封じこめの失敗は、十七の国際社会からの要望への不履行という事実ですでに証明されているのではないか。  
反戦運動という、人間の本能的観念的な戦争への忌避行動の持つ危うさについて毎日新聞紙上では高畑昭男氏が、ナチス・ドイツとの戦争を恐れた国民の民意を背にヒトラーとの交渉に屈して一時期戦争を回避し歓呼して故国に迎えられたイギリスのチェンバレン外交の歴史的誤りや、一九八〇年代の欧米での反核運動が結果としてソヴィエトの核配備を促進させた誤り。そしてそれに屈しなかった欧米の指導者の決断が、中距離核全廃のいわゆるゼロオプションを導き出した事例を引いて冷静な警告を発しているが、何が何でも一途の「反戦」という観念に堕した運動の持つ危うさを我々は悟り直してことに臨むべきに違いない。そして対象となっているイラクという国はあくまで非人間的な独裁国であり、自らの存続のためには手段を選ばぬ相手であるということを再確認すべきだろう。  
さらにまた日本は他国とも違って、隣にイラク同様前近代的な異形な独裁国北朝鮮を持ち、すでに百人を超す同胞を拉致殺害され、膨大量の麻薬や覚醒剤を一方的に国中に散布されているという被害を甘受させられつづけているという事実を併せて考えなくてはならない。そしてその北朝鮮は唯一、イラクにスカッド・ミサイルの重要パーツを補給しつづけてきた、まさに同じ枢軸のうちにある国家である。  
そして今日、北朝鮮は核兵器保有に繋がる核の開発を揚言してはばからない。そうした多量殺戮兵器が万一この日本に向けて使用されるとき、我々は従来の一方的なアメリカ信仰に依る人任せの結果、それを自分自身で効果的に阻むいかなる手段も持ち得ぬままでいる。  
北朝鮮との紛争が爆発したとき、アメリカが責任をもって日本の防衛に乗り出すなどという保証は、安保条約のどこにも明記されてはいないのだということも、そろそろ日本人は知っておいた方がいい。もし北がかねて揚言しているように日本を火の海にしようと乗り出したときの生殺与奪の権はアメリカだけが持ってい、外部からの侵攻での日本の滅亡に同情的な国は実は周りに一つもありはしまいということも。  
我々は敗戦後このかた安易な人任せによってこの国家をこんな体たらくに仕立ててきたのだ。イラクへのアメリカの進攻をどう捉えるかという問題には、実は我々自身の安危が地下水脈として繋がっているという事実をようやく知るべき時ではあるまいか。  
天は自ら助ける者をしか助けはしまい。  

 

海図に載らない灯台  (2003年2月) 
制度疲労をきたし極度なライン化に陥った日本の官僚機構の致命的欠点は、ものごとを複合的に捉えることが出来なくなったことだ。世界そのものが時間的空間的に狭小になったこの現代では、いかなるものごともさまざまな要因がからみ合って複合化しているか、官僚にはそれがわからない。いや、わからないというより、ライン化に縛られてわかろうとしない。  
ヤスパースは、歴史とは複合的なものがさらにかさなり堆積して出来る重層構造を成しているといったが、歴史が過去のものごとの堆積だとするなら、私たちが今生きているこの現実も明日には過去となるのであって、社会工学的に最も規制力のある行政が扱っている「今」は、すなわち歴史そのものなのだ。故にも、ものごとの重層性を理解せずに薄っぺらな認識で行われる行政が、正統な歴史を造り出せる訳がない。そしてその官僚におぶさっているだけの現今の国政が、正統な歴史を形作れる訳がない。  
最近政府がその一部の土地を正式に借款したことで、それをシナ(中国)の政府が非難し、またぞろ焦点の当たりだした尖閣諸島の領有権の問題だが、これら島々が佐藤内閣時代に行われた外交交渉によって、条約締結のもと正式に返還された日本固有の領土の一部であることは疑いもない。しかしその後、周囲に海底油田の可能性が云々されだしたら、シナの政府は突然に諸島のみならず沖縄そのものまでがシナの領土であると主張しだした。  
驚いた日本政府はハーグの国際裁判所に提訴すべく、返還の当事者であるアメリカに証人としての協力を求めたが、狡猾なアメリカはシナへの将来の思惑もあって、いったん返還した領土の正式の権利者がいずれであるかについては責任を持てぬと逃げてしまった。しかしこれは面妖かつ矛盾した話で、現にアメリカがその世界戦略に不可欠な戦略基地を沖縄に置いている限り、その一部として返還された尖閣諸島がシナの国土であるとするなら、アメリカはシナの国土にその基地を置き、シナもまたそれを許容していることになる。  
このごたごたは返還以来続いていて、業を煮やしたかつての青嵐会議議員が挙金し、学生有志を派遣して魚釣島に手製の灯台を建設したものだが、さらにその後の昭和五十三年、右翼結社『日本青年社』が発奮し多額の資金を投入して立派な灯台を建設してくれた。その作業による過労のために隊員の幹部が死亡までしたが、そうした犠牲の上に出来上がった完璧な灯台は、なぜかいまだに正式に登録されず海図に記載されることがない。  
私は運輸大臣を退任した後灯台の完成を聞き、運輸省の水路部に紹介し専門家の調査を得、灯台としての不足部分を補填してもらいさらなる検査を受け正式な灯台としての資格を得た。しかしいざそれを海図に記載すべき段階で、なんと日本国外務省から「時期尚早故に保留すべき」との横やりが入り灯台は完全な灯台として作動していながら、海図の上に正式に記載されずにいる。  
外務省のいう「時期尚早故に保留すべき」といういいがかりは、尖閣の領土権を主張しているシナへの慮りに相違あるまい。これは奇怪、というよりも最早歴然とした国家への背信であって、自らがかつて省務として行った返還交渉とその成果への否定に他ならない。  
かつてあの尖閣諸島に跳ね上がりのシナ人が上陸し彼らの国旗を立てて騒ぎ、保安庁の船舶が出動して強制退去させた折、時あたかも沖縄では三人の海兵隊員が日本人の小学生の少女を暴行する事件が起こっていた。その渦中にワシントン・ポストの記者が当時のモンデール駐日大使に、尖閣の島で将来もっと激しい紛争が起こった際に日米安保は発動するのかと質したら、モンデールは言下にNOと答えた。私はこれは聞きすてならぬと思い本紙の「正論」欄でアメリカ大使のコメントを非難し、もしそれがアメリカ側の正式な認識だとするなら日米安保の存在は全く無意味であり、我々とすればすみやかにこの条約を解消し、自国の防衛体制を根本から出直して作り上げなくてはなるまいと記した。  
ワシントンでも野党の共和党系の専門スタッフが私の論に同調して大使の発言は批判され、モンデールは間もなく解任され、その後なぜか一年半に渡ってアメリカ大使の日本への赴任はなかった。  
一昨年と昨年、横田問題のために訪米し現政府の要人たちと会談した折にも私は、今日尖閣諸島の置かれたままの危うい状況について説明し、この島を我々が自国の領土としてまず自らの手で完璧に防衛するための、艦対艦、艦対空のミサイルを搭載した高速の小型艦による艦隊の新しい海軍を編成し積極的に対処することへの賛否を問うてみたが、それを危ぶむ者は一人としていはしなかった。さらにあの島々の防衛が紛争としてエスカレートした際の、安保にのっとったアメリカの協力を質したが、それを否定する者もいはしなかった。中で海を知る何人かの相手は、作動し明かりを点滅させている灯台が海図に正式に記載されていないのは、むしろ灯台が存在しない場合よりもある場合には危険なことではないかと正確に指摘もしてきた。  
今回の政府による尖閣諸島の魚釣島と北小島、南小島の賃借が何を目的としてかは知らぬが、この際同胞が自らの私財を費やし努力して作り上げた、航行の安全という国籍を超えて人命を守るための灯台という施設を、政府は外務省の卑小な思惑は無視し、あの孤独な固有の領土に対する国民の意思を代表して正式に登録すべきではないか。  
この国土に在る、国民の意思によって造形された万民のための財産を、外務省がもしこの期におよんでなおそれを認めまいとするなら、それは国家国民への背信、国益の喪失の黙認、すなわち売国以外の何ものでもあるまい。  

 

取り戻すべきもの  (2003年1月) 
昨年私たちは二つの出来事によって敗戦以来の得難い体験をすることが出来た。それは自らが属する国家、民族への覚醒である。それをもたらしたものは、一つは世界中が熱狂したサッカーのワールドカップの日本での開催。そしてさらに、北朝鮮という邪悪でグロテスクな隣国による百人にも及ぼうという同胞の拉致と殺戮の露呈である。  
野球などという冗漫でいろいろ道具も要る、それ故に限られた僅かな国でしか行われていない競技と違って、荒野や砂浜でただ球を蹴って飛ばすだけでもすむ、足の使用という人間のおざなりにされていた本能を覚醒させ興奮を与えるサッカーは、眺める側も目が離せず緊張と興奮を強いられる。  
あの国際試合の中で我々が味わわされたものは、日頃我々が意識無意識に抱えていた国家と民族に対するものの激しい噴出によるエクスタシーといえるだろう。そしてあの得もいえぬ高ぶりの快感を、誰もどう否定も出来はしまい。  
国家(ネーション)なる言葉の語源は古代イタリア語のナチオで、ナチオとは、かつてローマ帝国繁栄の中で広大なローマの領土のあちこちから選ばれてボローニャ大学に学んでいた地方出の学生たちが、仲間だけで集まる時には、共通のラテン語を外してそれぞれの故郷の言葉で語り合い、それによって初めて蘇生する自らの民族の伝統風習を確認しあったいわば県人会ともいえる組織の呼称だった。いかに強大なローマ帝国といえども、その強い統治の元ででも各々の民族の個性を淘汰均一化はできはしなかったに違いない。  
北朝鮮による拉致事件の露呈も、多くの同胞が彼等の手によって晒された無慈悲な運命の痛ましさへの、同情を超えた強い共感として私たちに、ワールドカップが与えたと等質のものを覚醒させてくれた。それは、ある物事が、他人ごとながらもはや決して他人ごとでは済まされぬという認識、というよりも共感である。その根底にあるものは、自らが属する国家と民族にあの人たちも属しているのだという、もはや図式としてではなしにそれを超えた、いうにいえぬ強い連帯感である。それを培っていたものはナチオの由縁が証すように、我々が長い間共有してきた文化が醸し出し与えてくれた共通の情念に他ならない。  
北朝鮮によって悲運に晒され、かろうじて取り戻された同胞のその後の様子を眺めて私が強く感じたことは、彼等が彼の地で受けた激しい洗脳の迷妄から速くも目覚め人間としての当然の判断を取り戻せたのは、これを遅まきながら扱いだした政府の誰のおかげなどではなく、あくまで彼等を温かく迎えた故郷の人々、なかんずく家族のおかげに他ならない。  
特に私は、帰国した五人の家族のスポークスマンのような地位にある蓮池さん夫婦の兄、蓮池透さんの存在に強い印象を受けている。帰国した彼等の残してきた子供たちがどうなるのかを芯に据えた彼等の今後の命運を決めるキーマンは、きわめて冷静妥当な言動で総理やそれを操ろうとしていた外務省を逆にリードしてきた安部晋三官房副長官や中山参与などではなしに蓮池透さん以外にありはしまい。  
帰国者の五人は年の暮れ近く、それまで襟にとめていた金日成バッジを外すようになった。それは彼等が拉致の末一方的に強いられてきた政治的価値観の放棄を意味しようが、彼等にとってそれがどのように重く危うい決心であることを私たちはとても斟酌しきれまい。それは五人の同胞にとってまさに人生を懸けた選択に違いない。五人は彼の地に残してきた子供や夫の安否を狂おしく案じながらも、彼等の人生を狂わせこんな無慈悲な選択を強いたものを、自由な人間の意思としてはっきり拒否したのだ。  
そしてそのためにあの蓮池兄弟の間にどのような会話がある時は激しく、ある時は涙ながらに持たれたのか想像に難くない。それは我々余人の立ち入ることの出来ぬ、それぞれの人生を懸けた、分身の子供たちの命をも賭けた、彼等に対する今までの母国の無為に近い態度からすれば、もどかしく危うく重く濃い疑念にも駆られながらの選択であったに違いない。  
そしてあの五人にその胸からあのおぞましいバッジを外さしめたものは、血の濃く繋がった肉親としての親兄弟たちの、自らの属する国家を信じなおそうという説得だったに違いない。肉親以外の誰が彼等を、国家の沽券に運命を託す決心に導くことが出来たろうか。そして、家族を代表した形で被害者たちの心境を代弁する兄蓮池透さんの言葉の裏に、今このぎりぎりの段になって、国家を信じなおし、過酷な悲運を強いられた被害者たちの運命に共に怒り悲しんでいる私たち同胞の声を信じていく以外にないではないかという、期待などという言葉では表しきれぬ、ひたすらな願いがこめられているのを感じぬ者はいまい。  
日本という国家、日本人という民族を代表する政府はその願いをかなえるべく十全の努力を果たさなくてはならぬ。何よりもまず、彼の地に残されている子供たちを完全完璧に取り戻す術を尽くさなくては。そしてそのために、我々国民の全てはいかなる声を揃え政府をして国家の名誉のためにも、その責任の履行を実現させるべきかを今年の最大の命題として据えてかからなくてはならぬ。それに応えられぬ政府ならば、一体国民にこれから先何を求められるというのだろうか。  

 

アジア製旅客機を  (2002年12月) 
多くの日本人には最早記憶に遠いことだろうが、かつて中曽根政権時代に三菱重工が画期的な次期支援戦闘機FSXの計画を発表したことがある。その性能の特出した点は空中戦での宙返りの半径が世界の最先端のF15、F16のおよそ半分で、そうした高運動性のために独特のカナード(脇鰭)を備えている。もしそうした戦闘機が実現すると、いかなる空中戦ででも簡単に相手の後方にライド・オン出来て、まさに無敵である。ということでアメリカはそんな飛行機の登場を好まず、日本政府に圧力をかけてこの計画を思いとどまらせた。私がアメリカでは悪名の高い『NOと言える日本』を書いた所以の一つでもあった。  
アメリカは自動車ではどうやらあきらめたが、軍用機に限らず日本がその持てる能力を発揮して世界の航空機産業に参入してくることを絶対に好まない。故に陰に陽に圧力をかけ、日本側にも航空機に関する戦略が国家的にも欠けてい、財政的な杜撰さもあって、あのクラスでは高い性能を示していた戦後初の国産旅客機YS11も二百機たらずで生産が中止されてしまった。  
以来、かつては零戦を始め川西大艇、PS1(ちなみに世界の優秀な兵器を紹介するジェーン軍事年鑑に載っていた国産兵器はこれだけだ)等さまざまな名機を造り出していた日本の航空機産業は今ではボーイングやカナダのボンバルディエやブラジルのエンブセエルといった外国の航空機製造会社のパーツメーカーに甘んじている。ちなみにボーイングのジャンボにせよ777にせよその主要部分は日本製で、高性能の軍用ジェット機も含めその頭脳部分の操縦席のダッシュボードはセラミック部分も計器の中身の液晶体もすべて日本製である。ボーイングが新機種を造った時、日本側の受け持った部分が精巧に出来上がり過ぎていてアメリカ側が造った部分と旨く繋がらなかったという挿話まであるのに、日本は未だに純日本製の飛行機を造り切れずにいる。日本はこの時代に、まさに時代的な技術を持ちながら、それを一向に発揮することが出来ない。  
私が東京から提唱して実現したアジアの大都市のネットワークは今年すでにデリーで二度目の会議を開いたが、その所以の一つは、可能性を持つ大都市が国をもリードし協力体制を作ってアジア産の中小型のジェット旅客機を造ろうという魂胆だ。アメリカはクリントン時代に、相手がシナならば国土の広さもあり用途も多かろうから中小型のジェット機を造らしてもいいといい出したことがある。当然アメリカが資本的、技術的に介入してその首を抑えてかかろうという魂胆だったろうが、新しいブッシュ政権の対中国観は前者とは違っているからその可能性は薄らいだが、その論でいけば、日本でも需要の高いYS11の代替機は、発展性の高い東アジア地域においてもシナと同じに違いない。  
何も東京からデリーまで飛ぶ飛行機というのではなく、それぞれの国内において百人を越す程度の客を頻繁に運ぶ旅客機の需要は東アジアの国々の経済の発展ぶりから見てきわめて高い。我が国においても同じことで、狭い国内を飛び回るのに大型の旅客機を使っているような国は日本だけで、エアバス以下の機材でもこと足りるし、その方が経済効率の良い国内路線が沢山ある。  
このプロジェクトに最初から賛同してきたのはインド、マレーシア、インドネシア、台湾といった顔触れで、それぞれが航空機の生産のためのかなりの可能性を保持している。特にインドはすでに純自国製の多目的ジェット戦闘機を生産しており、私が先月視察したバンガロール市にあるHAL社の施設はきわめて充実したものだった。  
これらの可能性を日本が中心になって束ねれば、YS11を後続する新しい中小型のジェット旅客機の製造は容易に違いない。それぞれの国が持ち合わせている技術能力を持ち合って地勢学的にも需要の高いサイズの旅客機を共同製作すれば、日本一国で行うよりも幅広い販路の開拓獲得ははるかに容易なはずだ。  
かつてECがエアバスを育てたようにアジアはアジアの特性に応じて、いわば自家製の旅客機を自ら造り自らに提供したらいい。エアバス300がボーイングの767と殆ど同形なのは、旅客機という範疇ならば新しい飛行機の開発はたかが知れているということでもある。  
経済産業省は最近ようやく航空機産業への乗り出しを考え出したようだが、すでに盲点ともいえた中小型旅客機の開発に他の外国が乗り出しそうだと聞いただけで臆してしまい、その一つ下の、せいぜいが三、四十人乗りのクラスを狙っているようだが、そうしたタイプの旅客機の販路は限られたものでしかない。  
競争を恐れずに乗り出してこそ新しい工夫や技術の開発もあり得るし新しい自信も獲得されように。そうした際に必要なことは、各省をまたいでの国の協力とそれを束ねる政治家の見識とリーダーシップに他ならない。  
アジアのマークをつけたアジアの連帯協力のシンボルとして新しいアジア製の旅客機が世界を飛び回ることでアジアの人々がより強い自負と自信を獲得することこそが、さらなるアジアの発展に繋がっていくに違いあるまい。  

 

少女の涙  (2002年11月) 
二十五年前に誘拐され、決して本意とはいえまい結婚の後に心を病み、精神病院に入れられついには自ら縊れて死んだとされる痛ましい犠牲者横田めぐみさんの娘キム・ヘギョンさんのインタビューの映像を眺めて、拉致被害者の家族や関係者、そして他の多くの国民からともに憤りをこめた意見が聞かれるが、私もあの放送を強い衝撃を受けながら見た。  
筋違いといわれるかも知れないがあの衝撃はある種の感動ともいえた。まだ十五歳のいたいけない少女が思わず滂沱と流すあの涙に私は心から感動させられた。世論の通りに、北朝鮮があのインタビューを許可したことには卑劣で狡猾な目論見があったろう。しかし、事前に彼女が何をいいつかりいい渡されていたにせよ、彼女は激しい涙を押さえることは出来なかった。  
あの涙はいかなる政治の企みをも覆す真実の結晶ともいえる。いかなる告白や説明よりも、政治に引き裂かれた十五歳の少女の血縁への思慕という純粋な人間的感情の涙は、彼女とその母親を襲った悲劇の意味を直截に伝えてくれた。  
肉親と引き裂かれたすえ瞼の母の悲劇を自らも背負い、さらに血の繋がった祖父祖母の予期せぬ存在を知らされたあげくの、わずか十五歳にしては収いきれぬ衝撃にたじろぎ身をふるわせながら自分と血で繋がる肉親への思慕に耐えきれずに少女は、あれまでが北の悪辣な政府の思惑の内にあったのか無かったのか、あの滝のように溢れる涙をこらえきれなかった。  
そしてもし北朝鮮があの涙を予期して政治の小道具に使う魂胆だったとしたら、それは全く逆の効果をしかもたらさなかった。  
あの涙はいかなる劇をも超えて眺める者たちに理屈を超えてつらく切なくしみじみと身にしみる涙だった。肉親の死を迎えて悲しむ隣人の人間の条理の苦しみや悲しみを私たちは平常理解もし分かち合うことも出来ようが、しかし横田めぐみさんの娘が味合わされた悲劇の衝撃は、この現代に生きる私たちの常識をはるかに超えたものだ。その思いの中で目にした彼女のあの滝つ瀬のようにほとばしった涙は、人間にとっての涙の本当の意味合いを教えなおしてくれたような気がする。  
あれはある女議員がちゃちな金銭の横領が発覚してその身分を失うことでの口惜しさで見せた涙や、多くの汚職について理の通らぬ弁明や強がりの末に、周りから責められやむなく離党した議員の擬態の涙なんぞの対極に在る本物の涙だった。  
我々から見れば、周囲の事情からしても自らの今在る立場を彼女がとても理解仕切れてはいないだろうだけにいっそう、涙しながら健気に語ってみせる少女は限りなく孤独で痛ましく映った。そして彼女にそんな運命を一方的に与えた者が誰なのかを知れば、その犯人を憎まぬ者がいるはずはない。  
私が幼い子供の頃にはまだこの世に人さらいなるものがあり、さらわれた子供はサーカスに売られて曲芸を仕込まれ体を柔らかくするために毎日々々酢を飲まされるのだなどというまことしやかな噂もあった。そのため当時の子供たちにとって夜暗くなってから人気のないところでの遊びは禁忌だったし、子供自身も自粛していたものだ。  
それに野口雨情作詞の、『赤い靴履いてた女の子、異人さんにつれられていっちゃった、今では、青い目になっちゃって異人さんのお国にいるんだろ』、などという寂しく空恐ろしい童謡まであった。まさしくその悲劇がこの現代、この国に起こっているのだ。  
政治が野蛮で一人勝手な目的をかざして突き進めば、往々多くの関わりない人々までを犠牲に供して顧みることがないが、我々の隣人である北朝鮮というグロテスクな独裁国家が国ぐるみで行ってきた拉致、殺人というあの犯罪、そしてそれを都合よく認めてみせた上での狡猾で厚顔な経済無心、さらに平行して企てている多量破壊兵器の開発製造による恫喝と脅迫を、悪夢ならぬ現実として認識するのに、あの政治的な囮として使われながらなお一人の人間としての感情を素直に晒して会見に応じ、あの滝のように伝わる涙を流していた少女ほど直截で象徴的な手がかりはあるまい。  
以前の会見の折に、横田めぐみさんのお母さんが誘拐されたまま生死も知れぬ娘のことを訴えるのに、ある意味で彼女はこの国を代表した犠牲者なのだということを理解して欲しいといっていたが、むべなるかなではないか。  
野蛮な政治の犠牲に供えられた死者を私たちは容易に忘れてしまうが、狂気に近い隣国の手で幼くしてその人生を奪われてしまった同胞が、ようやく残していってくれたいたいけない存在を、私たちは侵され失われかけた日本というこの国の象徴として取り戻して守り、はぐくまなくてはならないと思う。  
すでに発足した正常化交渉で、相手は今までになく焦りその経済的窮状をさらけ出している。我々は数多くの同胞の人生を奪わしめた最高責任者が、ただそれを認めてみせたことだけをもって何の贖罪とも思うまい。この時点でのいたずらな援助や協力が、あの野蛮でグロテスクな国をそのまま存続させるものでしかないということを今しかと承知してかかるべきなのだ。  

 

ゲーム感覚の要  (2002年10月) 
以前、まだ政治家になる前一緒に講演旅行をした司馬遼太郎氏が何かの折に、  
「おかしなものやなあ、大方の日本人にとってはある種の観念の方が現実よりも現実的なんやから」、と慨嘆していたのを後になればなるほど強く思い出すことがある。  
司馬氏が嘆いた所以は、現実との乖離を無視してある種の理念に駆られた衝動がその結果にもたらす危害、損失についてであったろう。物欲に駆られた結果の損失ならば余人にも当人にも納得もいこうが、ある種の理念、観念に駆られただけの惨めな結末が一番たちが悪いともいえる。いかなる崇高な理念といえども、それはあくまで目的ではあっても決して絶対の前提たり得ない。この世の中では誰かが強く願望を唱えただけでそれがそのまま適う訳もない。外交を含めての国家の運営も同じことだ。  
その努力を左右する回りの状況は大方、自ら以外の他者が造成するものでしかない。その他者の中に自らとまったく同じ者が在る訳はない。そしてその違いこそが互いの関係を規定するのであって、その違いを踏まえてこそこちら側からの正統な主張もあり得るはずだ。  
先の南アフリカでの環境サミットを眺めても、実質会議をボイコットして首脳が欠席したアメリカは論外だが、出席した各国も環境保護という理念は共通してはいても、その主張はあくまでそれぞれの国の利益をかまえてのものでしかなかった。間もなく人類は絶滅するかも知れぬという致命的な命題を構えながらも、個々の立場の乖離はそれを超えることが出来はしなかった。それがこの世界の現実でしかない。  
ということを、他者との厳しい関わりである外交や防衛の問題の中で、なぜ多くの日本人は心得ることが出来ないのだろうか。それを証しだてる情報をすら目をそらし受け入れることを拒んで、いかなる現実を捉えられるというのだろうか。  
当局が立証し、それを上回る状況証拠が累積していながら北朝鮮による日本人の拉致などあり得ないとかたくなにいい続けてきた社民党、共産党系列の著名な政治家たち。アメリカがイラクと並べて北朝鮮を悪の枢軸と呼ぶ所以が、ミサイルにサリンを搭載してクルド族の多くを虐殺してはばからぬイラクに、唯一スカッドミサイルの部品を輸出しつづけている北朝鮮という事実を知りながら、それを伝えようとせぬ外務省やメディアはいったい何のため、相手についての国民の正統な認識を阻害してはばからぬのか。多くの、おそらく非現実的な種々思いこみのせいだろうか。あんな相手ともあくまで平和裏、穏便に解決を計りたいとか、北の宣伝をまともに受け入れ、相手を下手に刺激すればミサイルを射ちこまれ日本中が火の海に化すかもしれないと本気で考えているのか。ちなみに今もし北朝鮮が日本に向けてミサイルの引き金を引いたら、その瞬間彼等は世界からの制裁を浴びて崩壊するだろう。  
しかしその一方、あの国ではすでに四百万人の国民が餓死させられ、(当然その中には拉致されたままの日本人も含まれていよう)他の国民のための配給も医療の供給もすでに止まったままといった情報もほとんど伝えられぬままでしかない。故にも、常識で考えればいよいよ来るところまできてしまって、放っておけばもうじきに倒れてしまうだろう国家を相手としているのだという冷静な認識が一向に持たれ得ない。  
それは可愛そうだ非人間的だという声が今にもありそうだが、拉致事件の無残な結末をもたらしたあの国の政治体制に、この日本がいかなる責任を持つものでもありはしない。  
もしあの国を人間的な状況に再生させたいと願うなら、一番効率のよい方法はここしばらく相手を突き放し、よりすみやかな自己崩壊を招かさせるのが至当に違いない。今後の交渉を担当する外務省に、何でもいいから仕事をまとめて得点してみせたいなどという魂胆があるとするなら、それは国益を代表する外交当事者として無責任としかいいようない。必ずしも国際関係のすべてをゲームと割り切れとはいわぬが、しかし戦後の日本人の多くが国と国との関わりがそれぞれ異なる利益と思惑をカードとして手の内にした、実はゲームによく似た際どい勝負だということを正しく意識せずにきたのではないか。  
そんな世界の常識からすればまさに滑稽、非現実的な日本の外交姿勢はせいぜい侮辱の対象となるか、さらに足元につけこまれ、水爆を開発しているシナに今なお膨大なODAを貢ぐといった結果にしかなりはしない。みだりに国債を発行し続けて子孫に膨大な負担を残すことには無神経な政治も、こと外国相手となると訳のわからぬ理念の強迫観念に駆られて、最初から手の内をさらけ出してかかり、人命までを含めて空恐ろしい犠牲を自らに強いてきた。  
例えば日本での遊興のためにハーレムを従えて何度も不法入国しついに逮捕された金正日の息子の金正男を、ただただ怖れて、外務省の役人までつき添わせそのまま送り返してしまう体たらくは、実は国交正常のためになら、拉致された同胞を無視してもいいのだという外務省高官の言動に帰結している。  
理念を観念なるが故に否定するものではないが、そのためにいたずらに払う損失の補償をいったい誰がしてくれるというのだろうか。今回の拉致犠牲者のむごたらしい運命を見せつけられるにつけ、北朝鮮との関わりの過去からの経過を眺めなおせば、我々はもう少し他国との交渉の中でのゲーム感覚を持ち直すべきではなかろうか。  
それは日本を見事に彼等の金融奴隷に仕立てたアメリカに対しても、シナに対しても同じことだ。  

 

九月の歌  (2002年9月) 
重い病の床にある者にしてもなお、長く熱かった夏が過ぎていった時はほっとする代わりに、等しくある空しさを感じるそうな。  
東京などは今年は並外れて、業苦なほど不快な暑さの続いた夏だったが、八月半ばに台風がやってきて海に出損ね、熱さ逃れにやってきた山中湖の山荘に閉じこめられたまま待つ内、一月ぶりとかの雨で周りの森や庭の芝生が蘇るのを眺め日本の気象の激しい仕組みを改めて感じさせられたが、嵐が過ぎるとその後はもう歴然と秋の気配となった。山から下りて願っていた海にも出かけたが、島から帰る海に吹きそめる風はもはや乾いた北東風だった。  
確かに日本の四季の巡りほど、過ぎていく時について如実に感じさせるものはない。この時と季節の変化に関する空しいほどの呆気なさは、日本人の体の内にどのように民族としての特異なDNAを培ってきたのだろうかと、瞬く間に夏に次いでやってくる秋を迎えながらふと考える。  
昔よく聞いた、ジョセフ・コットン、ジョーン・フォンティーン主演の名画「旅愁」のなつかしい主題歌「セプテンバー・ソング」というスタンダードナンバーの歌の文句がこの季節にことさら思い出させられるのは、むしろ作った側のアメリカ人よりも聞かされる日本人の側の方に、あの歌の感傷に応えるものが多いのかもしれない。  
「九月ともなれば、人はもう待つことに、あまり時をかけることが出来なくなる−」、と歌の文句にあるが、無理やりのアナロジーではなしに、私自身の人生にとって以上に、この日本という国にとってまだ待てる時間がどれほどあるのだろうかと、秋という時間のメルクマール(指標)のもたらす感傷にかまけてかつい考えさせられる。  
私はこの九月の誕生日で七十の大台に至るけれど、古希ともいわれるなまなかな時間帯ではないこれまでの人生の中で、それにしてもなんと目まぐるしくさまざまな出来事に出食わしてきたものだろうか。  
支那事変という、さして戦争という実感のない一方的な国家事業の中で育ってきて、もの心つきはじめた頃からアメリカという何やら大変な国を相手の戦争が始まりそうだという噂が段々に真実性を帯びて来、周りの大人たちが声高にあるいは声を潜めて戦争の予測について語るのを脇で耳にしながら、ある日ついにそれが到来した。そして子供心の懸念を裏切って大きな戦は一方的に進められていったと思ったのも束の間で一瀉千里の凋落、それを証すように子供の耳にもニヒルに響く軍歌の替え歌が巷に流行りだし、いよいよ本土決戦で全員が死ぬのだと聞かされ、死ぬというのはどんなことなのかと必死に想っていたが突然の終戦、敗戦だった。  
久し振りに出て見た東京は焦土と化していたが、数年の内に東京へ向かう横須賀線の窓から眺める景色に変化が見られ、気づいてみたら華やいだ消費社会の到来だった。そしてあっという間に日本は世界第二位の経済大国となり、またあっという間に経済の停滞と社会の衰弱が始まった。私個人の感慨では、私の人生という時間帯の中で私は中世なら多分二、三百年はかかったろう変化に晒されてきたといえる。  
さてそれで、私の人生もさることながらこの先この国にいかなる変化いかなる運命が待ち受けているのかと、新しい季節を迎えながら改めて思う。いやそれよりも、この激しく大きな変化の時代に地球という小さな惑星の上に住む人間なるものの運命はどうなるのだろうかと考えさせられる。海に出て遠い島々への行き帰りに目にさせられた海の汚れ、魚たちの姿の激減、海流の洗う島々の海に比べて強く匂い立つ東京湾の水の汚れの凄まじさ。船の航跡さえが最早白く泡立つことなく淡い緑褐色でしかない。  
十年ぶりに南アで開いた環境サミットを眺めれば集まった人々は集まる限りの危機感はそなえてはいても、その主張は千差万別のようで実はそれぞれのエゴティズム(自己主義)を踏まえてしかない。つい以前にあの天才的宇宙学者のホーキングが予告していたように、地球程度に文明が進んだ惑星はそれが限界で極めて不安定となり、宇宙全体の時間からすれば瞬間的な短時間で滅びるだろうという予告の信憑性は、はたしてただ秋という季節故の感傷だろうか。  
あの国際会議に一人首脳が不参加のアメリカという、昔チンギスハンが作った世界最大最強の帝国に似て、統治はしないが支配はする超大国の責任をやがては神が証そうとしても、その時彼等も含めて人間そのものが存在していないのならこれまた無意味で空しい話でしかあるまいに。  
宇宙全体の「存在」とそれを洗って流れる悠久の「時間」なるものについて初めて真剣に考え説いたのは釈迦という天才だった。釈尊の輪廻の哲学には、人間の存在の永遠性への期待とそれ故の謙虚と勇気が説かれていたが、文明に奢った当節の人間たちはそのあげくに実は、自らの存在を自らの手で絶とうとしているのかも知れない。  
しかし季節と時の変化にいかに敏感でそれ故そのはかなさを知る日本人にしても、自らの社会の、それ以上に人間の存在の基盤そのものの崩壊消滅をただはかなく見送ってすます訳にはいきはしまいに。  

 

若い世代からの大きな動きを  (2002年8月) 
最近家人からいわれて気づいたことだが、悪い癖が私に戻ってきた。一つは貧乏ゆすり。もう一つは相手と話している時に知らずにしている腕組みだ。話している相手に向かって知らずに腕組みしているのは、いかにも拒絶的で印象としても良くない。貧乏ゆすりはその名の通りいわずもがなである。思うに、どうもこの癖の再発は最近私自身がかなりいらいらしているせいに違いない。  
さらに思うに、これらの癖は私が議員を辞職する前のある期間頻発していたような気がするが、最近自分がいらいらしているわけは実によくわかる。東京の政治案件はそれぞれ国との関わりが深いが、国が絡んだ問題で国の反応、対応はどれもこれもいかにも遅過ぎる。東京と国との時計の秒針の歩みの速度は、国の方が半分以下のような気がする。他の地方自治体も同じ実感に晒されているに違いない。  
この厄介な時代に最高権力、というより最大の責任のある国家の官僚と、実は彼等が逆に牛耳っている国の政治家たちの基本的な姿勢は、奇妙なことに多くの政治家までが真似して慣用している役人言葉、「それはいかがなものか」「何々には馴染みません」とか「鋭意何々しているところであります」といった、いい換えれば、要するに「それは駄目です」、あるいは「実は何もしていません」、といった保身のために全て先送りしてその場をしのぐ姿勢に表象されている。  
役人の「それは現実性がございません」という政治家への返答の意味は、いくら信憑性はあっても着手するのが面倒だ、という同義語でしかない、というのは堺屋太一氏の名解説だが、中央集権にあぐらをかいてきた末に、自らの貧しい発想では手に負えなくなった日本の現実に尻込みする官僚と、逆にそれに操られているままの国の政治家たちの萎縮と停滞は、このままでいくと恐ろしい結末も招きかねない。  
なのに、肝心の政治家達の言動は、今度の国会の安易な汚職追及のトリビュアリズムに終始した体たらくを眺めても、日本の国会なるものの機能の限界を感じさせる。議員達が悲鳴をあげている選挙区の改正による五増五減などという問題が国民にとっては全くなんの実感も伴わぬ、まさに位相の異なるものでしかないという感慨をなんとか彼等に伝えたいものだ。  
この開かれた情報時代に、現存する衆参二つの議会が今なお絶対に必要であり、民間にはとても在り得ぬ官僚たちの決めたあの重複錯綜した無意味に近い手続きのルーティンが、民主主義の存続のために不可欠と思っている者は一人としていまいに。私達国民も、今回の、ある意味で典型的であった国会を顧みて、国会のあり方について、相対的な反省をすべき時にきているような気がする。議会は一つ、そしてもっと厳しい手法で選ばれるべき議員の数は今の半数以下でいい。  
昨今ポスト小泉に関してしきりに私の名前まで上がっているが、きわめて名誉であり迷惑でもある、というだけでまたいろいろ噂が姦しくもなろうが。ペレストロイカ当時のソビエト共産党と同質のていたらくの自民党を初め、もはや耐用年数が尽き存在理由を失った既存のそれぞれの政党にいる三十代四十代の若い議員たちがなんで決起し、現体制の全てを覆す挙に出ないのか不思議というより、あきれている。党派をまたいで彼等が連帯すれば悠に強力な新党も誕生しように。  
彼等には総じて、国家の存亡を踏まえての歴史観が基本的に欠如しているのだろうか。とすれば彼等にも国の政治家たる資格はあるまい。あるいは、悪しき選挙制度の改修や政治資金制度の改正の余波で、既存の政党に属さぬ限り政治資金の供給を断たれることへの恐怖のせいだとしたら、これたま政治家としての根本的資格の問題だろう。だとしたら彼等には、その年齢故にももはや発想の転換は不可能だろう、多くの先輩高齢議員を、高齢故に軽蔑し排斥するいわれもありはしまい。  
とにもかくにも過去のいかなる歴史を眺めても、国家社会の本質を変えるような動きが老齢の人間たちの手によって成されたことなどありはしない。形骸化した既存政党による政治の限界が露呈し、その無内容な政治運営によっていたずらに国家の利益が消耗され、国民の不安と不満が増幅されていく状況の中で、肉体も発想も若い世代が発奮しなくてほかの何が新しい歴史を造り出していくというのだろうか。  
日本の近代化の礎となった明治の時代には、当時としては奇想天外、規格外れの発想力を備え、その成就のために命がけでつっ走った人材が若い世代から輩出したではないか。  
それとも現代の若い世代の政治家達は、到来すべき歴史を予感し身震いするような感性をすっかり摩滅させてしまったのだろうか。思ってみれば私は最近、芥川賞の選考委員としても、身をのけぞらすような若く鋭い感性に触れることがほとんどないし、若い政治家達から危うくたじろぐほどの提言を聞かされたこともない。その代わりに、間もなく七十になろうというこの私への、若者達からの期待ではこちらが切なくなってしまう。  

 

時代錯誤な金融政策  (2002年7月) 
先夜あるニュース番組を見ていたらあるエコノミストが金融庁を批判していっていた。曰くに、新しく出来た金融庁なる役所は、それが創設された経緯からしても預金者と投資家たちのためのものかと思っていたが、どうもそうではない。なんだ結局、銀行のためのものかと思ったが、そうでもない。よく眺めると、金融庁なる役所は要するに金融庁のためのものでしかない、と。いい得て妙である。  
つまりこれは分割して形を変えただけで、あくまで従来の大蔵省の権限を保持するためのものでしかないということだ。それを裏書きするように、大蔵委員会生え抜きの小泉総理にとっての真のブレインがしょせん大蔵省、今の財務省の役人たちでしかないということは周知のことになってきた。  
しかしそれにしてもわざわざ新設された金融庁の姿勢があんなものでいいはずがない。政府は一昨年から従来地方自治体が監督していた、信用組合という末端の地域金融機関の監督権をも中央政府に取り上げ監督に乗り出した。その引き金は、東京の信用組合のかつての不祥事ではあったが。そして、彼等が末端地域の金融機関に押しつけた金融における基準は大方大手の銀行と同じものでしかない。例えば通達されている基準の一つは、企業の会計の数字の字面の上で債務超過している企業には一切融資は許されない。それが仇となって地域々々の零細企業に対する金融はたちまち硬直化してしまい、倒産が続いている。小零細企業の密集している東京の大田区ではすでに、従来八千社在った企業が五千にまで激減してしまった。  
信組といったローカルな金融機関と融資を受けている企業の関わりは、決して帳簿の字面の上だけのものではなく、狭い地域での企業主と貸し手側の人間関係を通じての互いの評価と信頼の上に成り立つ場合が多い。しかし当然貸し手側には預金を預かる者としての責任はあるから、いかに情実とはいえ無謀な融資は許されるものではない。がなおそれを、数字だけを構えて大手と同じ一律の基準でくくってしまうということは、地域に密着した群小の金融機関の特性を殺ぎ落とし、地域の零細企業のせっかくの可能性を抹殺しつくすことにもなりかねない。  
先日テレビで目にしたある信用組合支店の苦労についてのルポルタージュでは、優れた技術を持ち優れた業績を上げてきたある零細企業と、今までの身近な付き合いから彼等の可能性を理解している信組の支店長と店員たちが、金融庁が新規に構えた基準の中で、役所への報告をいかにレトリックして、企業を守るための融資を続けるかに苦労している様を極めて印象的に映し出していた。  
彼等が相手にしている二つの優秀な典型的零細企業は、そこで作っている部品はそれぞれの大手の親会社にとって不可欠のものだ。片やは親子二人、片やは親夫婦と息子三人が働いているが、最近欠陥品が増えてきたためにそれぞれ決心して七、八千万ほどの新しい機械の購入に踏み切った。  
資本金がせいぜいニ、三百万程度の有限会社だから、償却を計上すれば機械を購入した瞬間から会社は債務超過となってしまう。そして金融庁が信用組合に通達した金融の規範では債務超過の会社への融資は禁じられている。その制約の中で、日頃よく見知っていて評価もしている相手に、金融庁への報告をいかにレトリック、つまりごまかしてでも融資を続けてやるかという腐心の明け暮れの実態だった。  
この期に及んでもなお政府は、日本の従来の担保主義の金融システムを、担保能力以外の企業の可能性を評価して行う融資に変質させるべき複合的な努力を一向に講じてはいない。しかたなしに東京都は独自に、CLOからさらに直接金融に近いCBOの発行という手立てで小零細企業への融資援助を講じてきたが、先に日銀はCBOについての商品価値を正式に認定しもした。やがてはこれをナスダックのような市場に育てたいと思っているが、本来これは国が乗り出して行うべき仕事だろう。  
地方分権の時代というのに、地方においての地域性を生かしての金融の監督権までを全て中央集権として国の手に集めて、国家の基幹産業を底辺で支えている中小企業の息の根を止めてしまう金融政策を敢えてとる姿勢は官僚の時代錯誤としかいいようない。私が目にしたそのテレビ・ルポルタージュの最後に大蔵省出身の金融庁大臣は正面切って、金融庁の規範から外れるものはそれぞれの世界から消えてもらうしかないと、冷然といい切っていた。私はそれを驚きをこめて唖然、暗然たる思いで眺めていた。我々のいうことが聞けないなら、勝手に死ねということか。  
その一方、問題山積のみずほ銀行への金融庁の指導はなんとも生ぬるい。東京都自身の立ち入り検査で判明した実態を、金融庁はどこまで把握しているのかいないのか、いるとしたら何故にそれを隠そうとするのか。下手をすると「みずほ」の失態は、日本の金融全体の崩壊の引き金をも切りかねない。  
いまだにこの日本を牛耳っている国家の官僚たちは、金融における歴史の流れをいったいどう捉えているのだろうか。これを誅する者は政治家しかいはしまいに。