自己責任

イラクに行こう 
石油が待っている 
山が待っている 
自己満足が待っている 
 
最後の楽園ではない 
パンドラの箱開け放たれた場所 
行くなら当然言わずもがな
 


  
借金・投資 
自分の目論見に賭ける 
ハイリスク・ハイリターン 
ローリスク・ノーリターン 
選択も経営
  
勝負事 
自分の読みに賭ける 
神様に付き合うも 
自分の能力だけを信じるも 
勝負の仕方
  
ジャーナリスト 
自分の使命感に賭ける 
覗き見る垣間見る 
知らしめる 
期待背に一山当てる
   
人助け 
自分の生きかたに賭ける 
飢餓貧困不幸 
下も見ればきりがない 
生きがいは個人のもの自己満足
   
賭け事 
運不運勝ち負け成功失敗 
蒔いた種は自分で刈る 
収穫のリスクは当然のこと 
自己責任
   
親の顔 
今回は真っ先に親兄弟の顔が見れて安心しました 
子供は親の鏡 
鏡が本当なら 
子供も推して知るべし 
お尻ペンペンもの
  
本望か 
殺された老いたジャーナリストの妻 
精一杯気丈に振舞う
何時かきっと二人で 
時を忘れて過ごすことを誓っていたはず
 
イラクにおける日本人ジャーナリスト殺害事件について 2004/5 
イラクで日本人ジャーナリストが殺された。バグダッド近郊の幹線道路で、米軍の検問を受けた直後に、彼らを日本人と確認した犯人たちが狙い撃ちしたものである。
これに対する日本国内の反応は、明らかに先の人質事件とは違う。その理由は、被害者が殺害されたこと、さらにその被害者が「信念を持って覚悟してやっている」(「報道ステーション」に4月末に出演した橋田さんの発言)と言っていたこと、そして遺族も本人の意志を理解して気丈に振る舞っていること、などいろいろあろう。名の通った戦場ジャーナリストであったことから、先の人質事件でバッシングしていた一部メディアも、その類の報道はしていないようだ。もっとも日テレは、橋田さんの82歳になる母親に登場願って、親の口から無念の言葉を吐かせているあたり、「この親不孝者め」という視点での報道かと勘ぐりたくなるところもある。
まぁ、何にせよ、死人が「税金の無駄遣い」をさせることもないわけだから、人質事件の時のようなバッシングのネタもないわけだ。しかしよく考えてみれば、死人に対してよりも、生きている人のために税金を使うのは当たり前ではないか。それに、税金の使い方を批判するということは、すなわち政治のあり方全体を批判するということである。だから、先の人質事件や今回の狙撃事件のようなことが起こるに至った日本政府の外交そのものを批判する、という視点こそが重要であるはずだ。
何度でも繰り返し書くが、このイラク戦争そのものがアメリカによる不当な侵略戦争なのであり、それに追随する日本も侵略国なのである。だから、イラク国内に日本人に対してテロ行為を働く者を出現させてしまった日本政府=小泉内閣の政治責任をとことん追求すべきなのである。
今年はアメリカの大統領選挙の年である。すでに私は、ブッシュを「アメリカ史上最悪の大統領」と評価している。彼が登場したことでテロ・アフガン・イラクと続いているわけだから、当然の評価である。(就任直後の水産高校実習船事件もあった。)それをまた再選させるようなことがあれば、アメリカ国民全体が「イカれている」という判断を下しても差し支えあるまい。
小泉純一郎も、ブッシュ就任直後に首相となり、ほぼ同時代を国のトップとしてやってきた。その時代を我々がどう評価するかが問題なのである。今のところ彼の加点要素は、北朝鮮による拉致被害者を帰国させたことぐらいしかあるまい。 
イラク日本人人質事件 
1)イラク邦人人質事件の教えること
私は、「科学者の創造的思考」(1.6.)の重要性を指摘し、人間社会を考えるときに「文明の進歩を支える基本原則」、「人間社会のパラドックス」、および「ある国家の社会成熟度」などが基本的な思考の枠組みとして重要であることを示しました(1.7.)。さらに、アメリカを理解するためには「ヒトの社会システムの進化」という思考の枠組みが必要であることを示しました(6.)。さらに、宗教(ここではキリスト教ですが)の進化が、社会システムの進化と切り離せないことも示しました(6.7.〜6.9.)。
7.8.〜7.11.では、日本のメディアや出版物にあらわれる現実の出来事を例にとって考えているわけですが、文章による説明よりもはるかに明瞭に日本の現状が見えてくること、それだけでなく単なる説明では抜け落ちていることも分ってくることを説明しています。
さて、04年4月におこった「イラク邦人人質事件」ですが、まさに上述の思考の枠組みを基礎にしないとすっきりした理解が得られない格好のできごとだったのです。マスメディアの反応は5月の連休ですでに次の話題に移っているので、全体をまとめた議論をするには良いタイミングだとおもいます。この考察は人質になった3人の日本人、とりわけ高遠菜穂子さんに捧げたいと思います。この事件は、市民対国家の関係の問題を直接われわれ国民に問いかけることになりました。この問題こそアメリカ民主主義の中心的な課題であり、それを考えるときの重要なキーワードは「下から上」と「上から下」です。
2)事件の経過
まず、事件がどのような経過をたどったかをまとめておきましょう。
(1)「イラク日本人人質事件」の始まり
被害にあった今井紀明(18)、高遠菜穂子(34)、郡山総一朗(32)の3人の日本人は現地時間の4月6日夜10時半ごろタクシーでヨルダン・アンマンを出発しバグダッドを目指す。翌日の4月7日11時ごろ、ファルージャの手前でバグダッド街道から迂回路に入ったところで拘束される。カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」が、目隠しをされて土間に座らされ、銃や刃物を突き付けられている3人の映像とともに、「自衛隊が3日以内に撤退しなければ人質は焼き殺す」という犯行グループの声明を放送、その速報が日本のテレビで4月8日夜に流れる。
(2)家族の対応
自衛隊の撤退という解放条件をのむことを政府にはげしく要求。9日の小泉首相の撤退拒否声明をうけ要望はエスカレート(日経4/19/04)。11日に「24時間以内の解放声明」があったが12日にその期限が過ぎても解放されず、家族のいらだちは増幅される。
一方、福田官房長官の記者会見における「自己責任」の発言がある。こうした状況の中で13日から家族に非難の電話が殺到するなどバッシングがエスカレート。「かかった費用は本人負担」などの意見が新聞の読者室に寄せられる(毎日新聞4/27/04)。人質家族は13日夜に行なった北海道東京事務所での記者会見でバッシングの矢面に立たされ、翌14日の日本外国特派員協会における記者会見では「大変な御迷惑をかけ、深く謝罪します」という、謝罪に終始した(毎日新聞4/15/04)。外国人記者たちは、家族の態度の急変にバッシングの強さに一様に驚きをかくさなかった。15日の解放の報道に対する家族の発言は「世界中に謝って」だった(毎日新聞4/17/04)。
(3)4月15日に解放されてからの3人の対応
解放直後、バグダッドの近郊のモスクでカタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」のインタビューに答え、今後もボランティアや写真家としての活動を継続する意向を明らかにする。高遠さんはボランティア活動を続けるかという質問に対し「続けます」と述べ、さらに「ショックなこともあるけど、言いたいこともたくさんあるけど、嫌なこともされたけど、イラク人のことを嫌いになれないんです」と答えている。郡山さんも、「撮るのが仕事」と話し、イラクでの撮影活動への意欲を失っていないことを強調した。一方、この報道を知った高遠さんの家族は、「解放されたばかりで混乱しているようなので、きちんと現状を伝えたうえで日本に帰したい」と話し(毎日新聞4/17/04)、現地に出迎えに飛んでいる。日本におけるバッシングにショックを受けた3人は18日に帰国したが、笑顔はなく終始無言を通し、お詫びと反省のコメントを家族が代読するだけで記者会見もしなかった(毎日新聞、日経4/19/04)。4月30日、郡山さんと今井さんは解放後初めて東京都内の弁護士会館と日本外国特派員協会で記者会見し、拘束されていた状況を説明し、自己責任論による批判に対し反論している。郡山さんは「ジャーナリストは危険だからこそ現場に立って伝えることがある」、今井さんは「自分の責任は、今回のことを日本の人たちに伝えることだ」と語っている(毎日新聞、日経5/1/04)。この日、郡山さんは質問にも答えているが、それ以後テレビにも出演して自分の信念にゆるぎのないことを表明している。そのような言動に対し、高遠さんが「お前は間違っている。反省しないといけない」と郡山さんに直接電話で抗議してくる、と郡山さんが述懐している。
(4)政府の対応
9日、逢沢一郎副外相をヨルダンに派遣し、アンマンに現地緊急対策本部を立ち上げている。本人によれば、「官邸、外務省等と緊密に連携しつつ、関係方面への協力要請、情報収集・分析、定例記者会見を通じた情報発信等に務め」15日に解放された人質3人とともにドバイ経由で18日に帰国した。
13日以降、バッシングの世論に呼応するかたちで、とくに解放後のインタビューで「今後もボランティアや写真家としての活動を継続する意向」が報道されると、小泉首相をはじめ福田官房長官、麻生総務大臣、中川経産大臣などの閣僚、逢沢外務副大臣、竹内外務事務次官、冬柴公明党幹事長、青木参院幹事長などが自己責任を問う声を噴出させた。主な意見は「政府関係者は夜寝る時間もおしんで働いてやっと救出されたのに、それをどう考えるのか」「法人保護には限界がある。自己責任の原則を自覚していただきたい」「政府が出している退避勧告を無視してイラク入りした結果責任を、金銭面で求める必要がある」「3人は国をあげて救出された。このことをよく理解して発言、行動すべきだ」「大変なお金がかかっており、それは税金から出ている。国民の前にその額を明らかにし、性急できるものは請求すべきだ」「渡航禁止を考えないといけない。憲法に定めた往来の自由の制限となるが、期限を厳格に設けるとか罰則を設けないなど工夫できる。議員立法でやってもいいい」。一方、自衛隊の派遣については、安倍晉三自民党幹事長が「危険を回避する訓練を積んだ自衛隊が我々の代表として仕事に励んでいる。こうしたことは一般の人には、二度と起こしてもらいたくない」と強調し、石破茂防衛庁長官は「今は自衛隊しかできない。これが日本国の意志だ。民間の方々にではできない」と自衛隊派遣の意義を唱えている(日経4/17/04)。
外務省は与党からの救出経費自己負担の声にこたえるかたちで、その対象を「バグダッドからドバイ間のエコノミー航空券の料金、ドバイの病院で行なった健康診断の実費、ドバイからの帰国費用」としている(毎日新聞4/19/04)。
きわめつけは、柏村武昭参院議員の4月26日の参院決算委員会での発言だ。「国の方針に逆らってイラクに行ったのは反日的だ。反日的分子のために数十億円もの血税を用いるおとに強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」「それぞれの意志で危険泣くに出かけて行って武装勢力に捕まった。これ自体が明らかに反国家的」「事件によって国会開催中に官邸の機能が妨害、寸断されたわけで、言ってみれば公務執行妨害的なところもある」(毎日新聞4/27/04)。この人はアナウンサーあがりだが、無所属で立候補して当選後自民党にくらがえ、現在参院国対副委員長を勤めている。衆院国対委員長の中川もマスコミあがりだが、ともに広島選挙区から出ていることも共通している。
(5)アメリカ政府の対応
米当局者は法人人質事件の解決に向けて「日本政府と緊密な連携を保つ」と言明。推測としては、FBIやCIAも加わってCPA(連合国暫定当局)と連携して誘拐犯に関する情報収集ということであろう。一方、チェコ通信に対し、アーミテージ国務副長官は「人質の出身国の要請があれば米軍部隊が救出に当たる用意がある」としている(日経4/17/04)。しかし、具体的に有効な支援ができる状況ではなかった。
この事件にまつわる国内外の反応の中で最も注目すべきものは、パウエル米国務長官のJNNの単独インタビューでの発言である(MBS4/16/04)。3人に対して政官民あげてバッシングを繰り返す我が国とは対照的に、パウエルは、「イラクの人々のために、危険を冒して現地入りをする市民がいることを、日本は誇りに思うべきだ」、日本国内の一部で3人に対して「軽率だ」「自己責任をわきまえろ」などの批判が出ていることに対して、「すべての人が危険地域に入るリスクを理解しなければならない。そのリスクを誰も引き受けなくなれば、世界は前に進まなくなってしまう。彼らが危険を冒して人質になっても、それを責めて良いわけではない。私たちは『あなたは危険を冒した、あなたのでいだ』とは言えない。私たちに彼らを安全に取り戻すため、全力を尽くし、あらゆることをする義務がある」と述べている(毎日新聞4/17/04)。
(6)アメリカ市民の反応
イラク日本人人質事件で、解放された人質が日本国内で冷淡に扱われたり、非難の声を浴びせていることについて、米国では驚きが広がっている。善意を尊び、職務の使命感を重視する米国人の目には、日本での現象は「お上」(政府)が個人の信条を虐げていると見え、不可解、奇異に映っている。22日から23日にかけて、米主要紙には「OKAMI」や「JIKOSEKININ」という日本語が並んだ。ロサンゼルス・タイムスは「敵意の渦中への帰還」という見出しで人質への対応問題を特集。小泉純一郎首相が政府の退避勧告を無視しイラク入りした人質を、自己責任論を振りかざし非難したと伝えた。同紙は、対照的な例として、カナダ人の人道援助活動家の人質が地元モントリオールで温かい歓迎を受けた例を紹介、日本の例は「西側諸国とはまったく違った現象だ」と評した。ニューヨーク・タイムズ紙は、日本では「政府に背き個人の目的を追求することが許されない」と断言。また有名企業が尊重される日本では、人質となったのが「フリー」のジャーナリストだったことで疎外されていると伝えた(毎日新聞4/26/04)。
さらに、「救出経費自己負担」という政府・外務省の決定に憤慨した米国人ライル・ジェンキンスさんは、高遠さんの分として2000$を在米の日本大使館に送っているが、大使館は仲介を拒否し、直接高遠さんに送るよう本人に返送している。これをきっかけに、ライル・ジェンキンスさんは3人に対する経済支援の活動を展開している。
(7)日本のジャーナリズムの反応
まず、フリー・ジャーナリストの玉木明が書いていることを紹介する。産経新聞は「貫きたい自己責任の原則」(14日朝刊)と題した主張を掲載、政府高官の自己責任論を「当を得たもの」と評価。さらに「産経抄」(17日朝刊)は、解放された人質が「これからもイラクで活動したい」などと語ったことを受けて、次のような言葉を浴びせている。「自分勝手もいい加減にしてもらいたい。これ以上わがままを通すなら『何があってもお国に助けを求めない』の一札を入れよ」。過激な自己責任論を展開してきた読売新聞にも、「一人の振る舞いが、回り回って一億人の命運を左右することさえ起こしかねない」(16日朝刊)という一節がある。毎日新聞をはじめ朝日新聞、東京新聞などには、それを批判した記事が見られなかったわけではないが、声高の臆面もない自己責任論に遅れをとり、その勢いに押し切られる結果になった(毎日新聞4/27/04)。
私の知るかぎり、今回の人質事件に関するテレビ番組でパウェルのコメント(TBS4/16/04)に関連することを最初に取り上げたのは、TBSのNEWS23。4月19日から数日にわたり筑紫哲哉が「多事争論」で正論を力説している。
服部孝章立教大学教授によると(毎日新聞4/20/04)、日本テレビ系列の「真相報道バンキシャ!」(4/18/04)では「救出に多額税金を使った」「人質になった人たちを英雄視してはいけない」などの発言が少なくなかった、という。テレビ朝日のサンデープロジェクト(4/25/04)では田原総一郎の司会で安田純平さん、バッシング派の森本敏拓殖大学教授、バッシング批判派の青山繁晴独立総研社長が議論している。テレビ朝日のスーパーモーニング(5/3/04)には郡山さんがコメンテーターの批判に答えている。日本テレビ系よみうりテレビのウェークアップ(4/24/04)の論調は3人に批判的で、大野元裕やペア・ギャルポがコメントを加えている。TBSのサンデーモーニングも3人にひとこと苦情を言いたいような雰囲気で、岸井成格や大宅映子にもいつもの切れはなかった。3人への批判で記憶に残っているのは、「政府が出している退避勧告を無視してイラク入りした」、「情報収集が甘い」、「理想と現実を区別せよ」、「外国語ぐらい勉強していくのがプロだ」、「日本にもストリートチルドレンはいる」、「売名行為だ」、などである。
(8)イスラム聖職者協会の反応
3人の日本人人質の解放に向け犯行グループの説得に当たり、解放時に仲介の役をはたした。同協会幹部のムサンナ・ハリス・ダリ師は日本政府の対応に不満を表明し、4月18日、日本経済新聞の取材に対し「川口外相が人質解放後の発言でイスラム聖職者協会の名前を出して具体的に謝意を表わさなかったことを批判」し、犯行グループの人質解放予告より解放が遅れた理由について「小泉首相が犯行グループをテロリストと呼んだため」とし、犯行グループについて、「ファルージャの一般市民で、民族主義的な目的で反米抵抗活動を実施している」と説明した(日経4/17/04)。アブドル・サラーム・アルコバイシ師も、3人に続いて4月17日に解放された安田純平さんと渡辺修孝さん(日経4/19/04)をバグダッドの日本大使館に引き渡す際、「昨日の川口順子外相の談話を見るとまるで解放を喜んでいないようだ、聖職者協会への感謝の気持ちが伝わってこない」、と上村司臨時代理大使に対して不満を表わす文書を読み上げている(毎日新聞4/18/04)。また、「日本の首相と外相の態度は非常によくない、日本政府の謝意が伝わってこない」、「日本の憲法は部隊派遣を禁じているはずなのにイラクに自衛隊がいるのはなぜなのか」と問いかけ、自衛隊駐留に批判的な立場を表明している(日経4/18/04)。
(9)新聞紙上にみる事件の総括
私が講読しているのは毎日新聞と日本経済新聞の2紙だけだが、いろいろな人が寄稿している。時系列でみると、毎日新聞(4/22/04)社説、日経(4/25/04)の「中外時評」欄の塩谷喜雄、毎日新聞(4/26/04)の「主張 提言 討論の広場」欄の逢沢一郎副外相、渡辺哲也経済産業研究所総務副ディレクター、加藤尚武鳥取環境大学長(倫理学)、毎日新聞(4/28/04)の「記者の目」欄の藤生竹志社会部記者、日経(5/10/04)のオピニオンのインタビュー「領空侵犯」欄の中原伸之(前日銀審議委員)、毎日新聞(5/11/04)の「記者の目」欄の小倉孝保カイロ支局記者、同じく毎日新聞(5/11/04)の「開かれた新聞委員会から」欄の吉永春子(テレビ・プロデューサー)、玉木明(フリージャーナリスト)、田島泰彦上智大学教授、柳田邦男(作家)の各氏である。
結論的に言うと、私は逢沢の意見には反対、他の人の意見は納得できますが必ずしも論議が十分につくされたとは思えません。私の意見に一番近いのが中原伸之の意見ですが、私が注目する部分を引用してみましょう。
グローバル化が進む中で。元米国防次官補のジョセフ・ナイ氏が指摘した米国の『ソフトパワー(情報力)』は今や分散し、国境も消滅しつつある。テロも、非政府組織(NGO)も、多国籍企業も、その中で動いている。そういう時代に個人はどう行動するのか、政府及び『ハードパワー』はどう機能するのかを考える上で、彼らの行動は一石を投じたと思います。
自己責任は彼らも認めているでしょう。ただ日本での議論は『共同体』に迷惑をかけたことへの非難で、欧米流の徹底した個人主義に基づくものではない。集団主義の日本で果たして、社会契約節による政府と国民の関係がなじむのかは疑問です。
われわれの住む世界は時々刻々変化しており、われわれの生活も毎日おこる内外の事件によって左右されます。政府と官僚、政治家、マスメディアはそれらに瞬時の判断を下さなければならない、それだけにそれぞれが今もっている知的レベルがもろにチェックされることになります。「政治の世界では明日のことはわからない」と言われるゆえんです。いわば、踏み絵を毎日ふまされているのです。しかし、彼らの職業には一つのことを長期にわたって深く考えることが許されない欠点があります。大学で、「医者は自然科学の素人だ」と言われることと似ています。このようなときに、正しい方向を示すことが、アカデミアや当ISISのようなシンクタンクの専門家に求められる最も重要な仕事です。だからテレビに出演するコメンテーターの責任は重いのです。
今回の事件は、日本の民主主義思想の脆弱さを露呈することになりました。この結果をなげくのではなく、「失敗が新しい発見に導く」という科学の原理にしたがって「科学者の創造的思考」により今回の事件を深くかんがえなければなりません。すべての仕事の成果の大きさは、それをする「動機」できまります。単に「社会のため」では不十分なのです。いま、私がやろうとしていることの動機は、「バッシングを受けて自分の居場所を見失いアイデンティティの喪失におちいっている高遠菜穂子さんの悩みに答えを提供し、ふたたび自信をとりもどしてイラクでの活動を再開するエネルギーにしてもらう」、ことです。この動機は、パウエル米国国務長官や3人のために米国で募金活動を始めたライル・ジェンキンスさんとも共有していると思います。
ここでは問題点をいろいろな問いにまとめ、それに答える形で次の順番に議論しましょう。
3)「二人」の事件と「三人」の事件の違い
安田純平さんと渡辺修孝さんの「二人」は大いばりで帰国しましたが、今井紀明さん、高遠菜穂子さん、郡山総一朗さんの「三人」は終始無言で記者会見もしませんでした。二つの事件はどこがどう違うのでしょうか。
「二人」の事件では、政府にたいする自衛隊撤退の要求がなく、したがって官邸と外務省への家族による自衛隊撤退要求の激しい要求もありませんでした。ただし「三人」の場合、今井さんのように「二人」とおなじジャーナリストとあとの二人とでは家族に心情的に大きな差がありました。ジャーナリストの場合は、天職意識はあるとはいえ生活を支える職業として自分の個人的な利益をえる目的もあるのであって、家族も拘束される覚悟は常に持たされているわけです。
しかし、あとの二人のイラク入りの目的はそれとは違い、今井さんの場合は劣化ウラン弾による被害の実地調査であり、高遠さんの場合はイラクのストリートチルドレンの面倒をみることです。さらにこの二人の間でも違いがあります。今井さんは調査結果を帰国してから自分の活動に生かすことが目的ですが、高遠さんの場合は全くの無私の奉仕であり、解放後に述べているように「イラク人がすきだから」という純粋な「愛」の行為です。小泉首相の口癖である「人道支援」という座標軸では最高にランクされます。これに比べれば自衛隊のやること、あるいはやれることは比較できないほど低くランクされるでしょう。
今井さんと高遠さんの家族にはこの思いがあったでしょう。また、そのような仕事で行っている以上、イラク人から非道な仕打ちを受けるはずはないと思うのは当然です。ジャーナリストの家族が持っている「子供が人質にされる覚悟」はもっていなかったでしょう。しかし、戦争には「不条理」がつきものでした。結果として、二人の家族は仰天して政府にうったえましたが、無理もないことです。そのことを責められる理由はありません。政府や官僚が、自分も市民の一人として、二人の家族の心情を理解していれば「自己責任」発言にはならなかったでしょう。
「下から上」のアメリカは「ヒトの社会システムの進化」を遂げた唯一の国です。建国の精神、国の倫理のかなめには「汝の隣人を愛せよ」というイエスの愛の教えがあります。独特のアメリカ宗教は、ヨーロッパの全体主義キリスト教から訣別して生まれたのです。そこでは、政治家も官僚も基本的に常に一市民の立場に立っています。
注意すべきことは、この一市民の立場に国境は無いことです。だから、高遠さんの無償の行為は国境を超えて市民からだけでなく政治家からも賞賛されるのです。また、一市民として、今井さんや高遠さんの家族の心情を理解し思いやる能力を持っているのです。だから、ヨーロッパでカウボーイと揶揄されているブッシュ大統領が小泉の立場にいても、「自己責任」という言葉を口にすることはしなかったと思います。政治家や官僚でも、「人間社会のパラドックス」を理解していれば、つかまったのは今井さんや高遠さんの責任ではないことがわかるでしょう。つかまったのは、日本政府が自衛隊をイラクに送ったことに武装勢力が反対しているからです。政治家や官僚に求められることは、自衛隊を撤退させることはできない、と政府の立場を表明するのは仕方がないにしても、「上から下」の発想から訣別することが事件を繰り返さないために一番肝要なことだ、ということを肝に銘ずることです。
4)イラクでの人質事件は何故起こったか
03年4月1日にブッシュがイラク戦争終結を宣言してから1年以上たつたというのに、04年4月上旬に23カ国以上、約70人が集中的に誘拐された今回の人質事件は何故おきたのでしょうか。紙上に報道されている原因はつぎの通りです。すなわち、04年3月31日、武装勢力が民間会社の車を銃撃し、乗っていた元特殊部隊隊員ら米国人4人を殺害、これに興奮した群衆が車に火を放ち、黒こげの遺体を橋につり下げたり、町中を引きずり回すという事件が起こった。この「イラク民衆の反米感情を象徴する事件」の米国における報道が報復の世論を生み、米軍はこの世論に乗ずる形で惨殺事件の犯人掃討を掲げ、4月5日から海兵隊がファルージャを全面包囲して猛烈な無差別攻撃を開始、3週間以上にわたる激しい戦闘で600人以上といわれる多数の民間人が虐殺されたのです。
ファルージャの市民は、この惨劇を世界に訴えて中止させる手段として一連の外国人人質事件を起こしたわけです(毎日新聞4/20/04)。これはベトナムにおけるソンミ村事件を連想させるもので、ファルージャは抵抗の象徴となり、現地から衛星放送を通じて送られる映像はイラク人だけでなく中東全域で、米国がかかげるイラク解放への疑問と反米感情を増幅させていったのです。実際、米軍のファルージャ包囲作戦はイラク国内でライバル関係にあったシーア派とスンニ派に反米で手を結ばせ、武力衝突をイラク全土に拡大させる結果をまねきました。ファルージャの住民からは国連に対し米軍との仲裁に入るよう要請があり、アナン事務総長は4月28日、「このような攻撃を続ければ続けるほど、民間人が傷つくとみなされ。抵抗闘争の度合いは増す」と警告して米国の自制をうながしています。結局、米海兵隊は29日、全軍を撤退させました(毎日新聞4/30/04)。この結果、米軍は1500人とされる反米勢力の中核掃討には結果的に失敗し、逆に、米軍の一ヶ月にわたる猛攻に堪えたファルージャが「反米の砦」として一段と存在感を強めることになりました(日経4/30/04)。
しかし、この説明だけでは不十分です。戦争終結宣言から1年以上も経過し、6月には主権を移譲しようというのに、「米民間人4人が襲われて焼かれ、鉄橋につるされる」という異常ともいえる残虐な事件は何故おきたのでしょうか。「イラク民衆の反米感情」とは何なのでしょうか。このことが一向にメディアで取り上げられないのは実に不可解なことです。このことは、内戦状態にあるイラクではやはり我々が正確な判断を下すのに必要な情報が不足していることを如実に示しています。したがって、4月上旬のファルージャ付近の状況は極度に流動的で、4月6日のアンマンという場所では人質になった日本人が正確な情報を把握できていなかったとしても決して責められることではありません。
じつは、ファルージャで「イラク民衆の反米感情」を激しく燃え上がらせた事件があったのです。米軍はファルージャで学校を接収して使っていました。ファルージャのイラク市民は、1年近くの長期にわたる学校の閉鎖に我慢できず、学校を再開するために返還してくれるよう要求したのですが拒否されたのです。そこで市民が集まってデモをしたのですが、米軍がこれに発砲して一般の市民に死者が出て、その中には子供さえ含まれていたのでした。これでは反米感情が燃え上がるのは仕方がありません。
5)対テロ戦争で米国政府は何ができるか
イスラム聖職者が指摘したように、小泉首相が犯人をテロリストと呼んだことが彼らを立腹させたことは事実でしょう。被害を受けた方からみれば「卑劣な行為をしたテロリスト」でしょうが、やる側からみれば「殉教者」です。第二次大戦でナチに占領されたヨーロッパ各国で、ドイツ占領軍に対する抵抗運動が暗殺や破壊行為として現れました。これに対するドイツ軍の報復は、一般市民の無差別な逮捕と銃殺でした。抵抗運動の情報を集めるために拷問もおこなわれました。
9・11同時多発テロを受けた米国は、アフガニスタンに進攻してタリバン政権を崩壊させイラクに進攻してサダム・フセイン政権を崩壊させました。しかし、肝心の9・11同時多発テロを起こしたアルカイダはスペインで列車爆破テロを敢行するなど世界で活動を続けているし、首謀者であるオサマビン・ラディンも盛んに反米のメッセージを公開しています。イラク戦争を冷静に分析できる現在では、テロの情報は正確に伝わらず確実に防止できないし、大量破壊兵器に関する情報の取り扱いが示すようにしばしば誇張され、情報を入手するために拘束中のイラク人を米兵や英兵が日常的に虐待しているのです。これらの事実は、単独行動主義をとって大金をつぎこんで敢行したイラク戦争によって米国が何らの成果もあげていないことを明らかに示しています。
なるほど独裁政権を倒すことはアフガニスタンの場合とおなじく簡単に済みました。その理由は、国対国、すなわち軍隊対軍隊の戦いだったからです。しかし、テロを軍隊(ハードパワー)で制圧することには失敗しました。良く知られていることですが、市民の支持を受けているテロ行為を一国の政府が軍隊(ハードパワー)を使って制圧することはできない。このことは、アイルランドをはじめ近代の歴史にあらわれる多くの例によって証明されています。ブッシュはイラク戦争終結を宣言することはできましたが、いまやイラクは反米の内戦状態にあり、ベトナム戦争と酷似しています。すくなくともアメリカの単独行動主義によるイラク戦争は、最終的には敗北という結果に終わるでしょう。
6)日本の政府は人質救出で何をしたか
危険地帯における日本人の行動について、政府の方針は一貫しています。すなわち、「政府が退避勧告を出している地域には立ち入らない」ことです。理由は何でしょうか。それは「人の生命は何よりも大切だ」からです。したがって、米海兵隊のファルージャ包囲作戦が開始されると、現地の大使館員などの政府関係者はもちろん、大金を投入してサマワに派遣した自衛隊も、それぞれの安全なネグラの中にじっと身をひそめているのです。これでは現地の情報は何も入ってきません。
だから、こと人命のリスクがある問題ではアメリカにオンブにダッコで頼るしかありません。小泉が「自衛隊はそのためにこそ日頃から激しい訓練をしているのだ」と力説したところで、サマワにおける自衛隊の安全はオランダ軍によって守られている、という皮肉さです。アメリカ政府は自衛隊を派遣してくれた日本政府には義理があり、「FBIやCIAも加わってCPA(連合国暫定当局)と連携して誘拐犯に関する情報収集する」、「人質の出身国の要請があれば米軍部隊が救出に当たる用意がある」(日経4/17/04)としていますが、上でのべてきたように、アメリカ人自身がひどい目にあっている状況ではそんな余力がないことは明白です。
日本政府にできることは、ここでもお金を使うことだけですが、それでできることは何もありません。逢沢が書いていることをみてみましょう(毎日新聞4/26/04)。
こうした政府を挙げての昼夜を問わぬ取り組みと、協力していただいた各国・機関、多くの関係者による努力の結果、3人とともに帰国できたことは、大変うれしく思っている。しかし、今後、同じような事件が発生した場合に同様の成果を得られる保証はない。この機会に、同様の事件の再発を防止するため、政府の役割と国民一人一人の自由と責任について、じっくり考えてみる必要がある。(中略)
(日本政府は、これまで28回スポット情報を出し、イラクへの渡航の自粛とイラクからの退避を徹底して勧告し続けてきた)しかし、残念ながら、今回の事件が発生した。私はイラクのストリートチルドレンを支援したり、イラクの厳しい現状を世界に知らせる、という熱い思い自体は尊いものだと思う。しかし、もし自己があったとき必要となるエネルギーやコスト、そしてもっとも大切な国民一人一人の命に思いを致す時、自らの思いを行動に移す時期、手段等については慎重に検討していただく必要があると考える。
今回、御家族はもとより、国民の皆様は大変心を痛められたことと思う。また、日本政府・国民の要請に応えて、情報収集・人質探索に尽力していただいたイラク国内、アラブ諸国そして友好国の協力を忘れてはならない。更には、治安状況が悪いバグダッド市中を、自らの身の危険を顧みず、事件の解決に向けて奔走した日本政府の職員がいたこと、東京をはじめとして各地で多くの関係者が尽力したことも記憶に留めていただきたい。
事件の再発防止には、危険な地域への渡航を禁止する法律を制定すべきだ、との議論もある。度重なる勧告にもかかわらず渡航者が後を断たない現実を前に、危険情報をより実効的に担保できないか、という問題意識からだと理解している。しかし、「海外渡航の自由」は憲法第2条で保証された権利であり、慎重に検討する必要がある。こうした憲法に掲げられた大切な自由を守るためにも、禁止や規制ではなく、あくまで国民の皆様が「自らの安全については自らが責任をもつ」という認識の下で行動していただくことが非常に重要だと考える。
日本人はずっと「上から下」の国に生きてきたし、現にそうなのですから、この逢沢の考えは至極もっともだと思う人が多いのではないでしょうか。慣れる、とはおそろしいことで、うっかりするとおかしなことでも見過ごしてしまいます。私が逢沢の考えに反論してみましょう。
7)「みなに迷惑をおかけた」という発想の誤り
逢沢の発言はそれを代表しています。この考えは、「文明の進歩を支える基本原則」を認識していない「上から下」の全体国家の発想です。多様な市民がおり、それぞれが生き甲斐を求めて天職に生きることが人間の生き甲斐であり幸福です。人類とは、そのためには自分の命をかける動物に進化したのです。このような市民の存在が文明を進歩させる原動力となりました。しかし、「人間社会のパラドックス」のために、生き甲斐をもとめる市民の自由は、しばしば国家によって奪われたり制限されたりしてきました。したがって、市民の自由がどの程度確保されているか、によって「国家の社会成熟度」が決まることになるのです。この点で、アメリカは、「ヒトの社会システムの進化」を遂げた唯一の「下から上」の国なのです。
そこでは、市民の税金で雇われているすべての公務員は、いかなる状況においても一市民の立場を失わず、Public Servantに徹することが自然にできるのです。「生き甲斐を求める自由」を生存権と言ってもいいですが、この権利は国家を超えて市民どうしが認めあうもので、すべてのことに優先されるべきものです。とくに、天職にかける動機が自己の名誉や経済的利益を求めるためではなく、自己犠牲や奉仕をともなう他者への愛である場合は、その人の崇高な目的が実現されるよう社会は無条件に協力しなければなりません。
もうひとつ、政治家や官僚にかぎらず、日本人一般にいえることがあります。人質の安否を心配して救出を祈り、あるいは救出のためにいろいろな努力した、そこまでは正しいことですが、救出されると、「みなに迷惑をかけた」と言いだすことです。
立場の如何をとわず、またいかなる時点においても、「迷惑をかけた」と責めることは卑しいことであり、醜いことです。「如何に努力したか」、ということも口にしてはダメです。イエスが教えている倫理は、「右手のした善行を左手に教えてはならない」、です。「自らの身の危険を顧みず、事件の解決に向けて奔走した日本政府の職員」の行為はまさに政府をこえた、個人の崇高な天職義務の観念からでたものです。これは一市民としての感覚です。もしその職員が武装勢力につかまって人質になり自衛隊の撤退を要求されたら、逢沢は「自己責任を自覚しない無謀な行為」として責任を追求するでしょうか。彼の動機を崇高なものとして認めるなら、人質になった5人の日本人の自己責任を追求する根拠は全くありません。このことに関連して、毎日新聞(5/11/04)の「記者の目」欄に小倉孝保カイロ支局記者が書いていることを引用しておきましょう。
事件解決後、日本では人質に自己責任を求める意見が出て、「日本の特異性」として多くの外国メディアが取り上げた。この問題を考えるとき、昨年11月に殺害された故奥克彦大使が私に語った言葉が浮かぶ。「イラクでの日本の評価は、われわれの先輩が残してくれた財産だ。危険だからといって我々が何もしなくていいのか」。大使こそ非政府組織(NGO)の重要性を知り、官と民が協力してイラクに貢献する姿を思い描いていたと思う。
死のリスクを冒すインセンティブに官と民の区別があるはずがないのです。それだけではありません。奥克彦大使は、政府の言うことに従っていれば何もできない無力感、空しい気持ちにさいなまれていたに違いないのです。逢沢自身も、いくら自分たちの努力、費やした膨大な経費を強調したところで、実際にやってきたことを考えれば空しい気持ちになるのは仕方のないことです。三人と一緒に飛行機で帰国したとしても、彼が居ても居なくても事件は解決していたのですから、何かを達成した充実感は得られなかったでしょう。政府がいくら予算をつぎこんでもできないこと、イラクの人たちが「人道支援」として心の底から感謝すること、それを人質になっていた人たちは達成したのです。とりわけ高遠さんは素晴しいことをしました。その充実感をもってほしいのです。
最後に言っておきますが、日本の国民は人質救出に十分の予算がさけるよう、十分の税金を払っています。官邸の経費に一日あたり1億円の支出を可能にしていることを忘れないでいただきた。日本人は皆が努力して普段から一生懸命働いており、人質救出にかけた費用を人質本人に請求せねばならないような貧しい国にはしておりません。
8)日本政府の出すスポット情報の価値
日本政府のスポット情報に如何ほどの価値があるというのですか。今回、ファルージャ周辺で何が起ころうとしているか、23カ国以上、約70人が集中的に誘拐される事態が起ころうとしている、という情報は米軍でも掴んでいないでしょう。相手の情報を十分に持たない政府の対応はアメリカならずともいつも決まっています。それは常に過剰警告であり、これに従っていたら仕事にならない。結果的には誰も従わない。
従う人は別の動機を持っているひと、つまり「真偽はともかく、政府のいうことには従う。従わないといけない」という意見の持ち主だけでしょう。たとえば、「従うことが自分の利益になる」「従わなかったことが知れたら不利益をこうむる」、「政府を無視したことが知れたらひどい目にあう」のが理由です。具体的には、殺害されたときの経済的な保証の問題を政府がどう処理するかがからんでいるかもしれません。NHKや政府よりのメディア、大企業などが該当するのではないでしょうか。ジャーナリストでもリスクを冒して残れるのはフリーのジャーナリストだけです。
「三人が政府のスポット情報を無視した」ことを最も激しく非難したのは公明党の冬柴鉄三幹事長です。このことは、公明党の選挙母体である創価学会の特色である全体主義宗教の香りと決して無関係ではないでしょう。全体主義の香りは、国の選挙において確実に得票数を当てにできる事実に結びついており、自民党がこのことを利用していることの「つけ」は、いずれ支払うことになるでしょう。
9)「海外渡航の自由」は何故憲法で保証されないといけないのか
冬柴をはじめ今回バッシングにまわった政府の人たち、上の文を書いた逢沢も含め、何故「海外渡航の自由」が憲法で保証されなければならない基本的人権であるのかを正しく理解していないでしょう。「上から下」の国では、倫理、道徳、正義よりも法律が言動の根拠にされていまうからです。
移動の自由は、「国家の社会成熟度」を計る象徴的な尺度の一つです。「ヒトの社会システムの進化」を遂げたアメリカは、そもそも本国の圧制を逃れたひとが市民の力で建設した国であり、建国して以来その流れは絶えることなく今日まで続いています。
我が国では国内の移動さえ許可が必要であった時代がありましたし、鎖国の時代は250年も続きました。海外に出ていくことを考えない人にとっては「鎖国令」は問題にならないでしょう。しかし、アメリカの民主主義を学びたい、という吉田松蔭の動機は「天職意識」に根ざしたものであり、松蔭の生き甲斐である以上、いかなる理屈によってもこれを否定することはできません。松蔭が長州藩から亡命の罪に問われて士籍を削られたのは「知」をもとめて国内を旅したからであり、幽閉されて生涯行動の自由を奪われたのはペリーの乗艦パウハタンによる密航をくわだてたからです。しかし、萩に行ったことのある人なら、明治維新を導いた中心人物の多くの生家が松下村塾の近くに集中しており、師であった松蔭がいかに偉大であったかを印象付けられるでしょう。
そもそもペリーの開国の交渉の当初の目的は、難破したアメリカ捕鯨船の船員の保護と漂流していた日本人の引き渡しですが、政府の計画は、中国貿易のための大平洋横断航路の開設と石炭の補給基地の確保でした。 1.7.で「文明の進歩を支えるものは、さまざまの異なる才能をもつ個人がさまざまの形で相互作用をすることである」という「文明の進歩を支える基本原則」を上で説明しましたが、まさにこのことが行なわれていたのです。それを支えるのは未踏の地域への好奇心であり、それは人類固有のものです。宇宙への好奇心もその延長にすぎず、そのためには生命のリスクさえ乗り越える強さと激しさを人間は持っています。したがって、冒険したい人が遭難することを「自己責任」で追求して非難し、「人命の尊厳」を言いたてるのは、日本の社会の活力が低下していることを示しています。近年、冬山登山の遭難に対する社会の「無謀」の非難は度がすぎています。
「さまざまの異なる才能をもつ個体」を獲得するために、集団のサイズは大きくなる方向に変化していくのであって、国の違いを超えてグローバル化は進むのが当然であり、ヨーロッパ各国のEUによる統合も自然なことなのです。日本が開国してから150年、いまや日本の食糧自給率は40%にすぎず、外国との貿易無くしては人が生存できない国になっているのです。
10)政府の退避勧告を無視して人質になった人たちが成し遂げたこと
いまさら説明する必要もないと思いますが、「上から下」の国の政治家や官僚にはっきりと理解してもらうよう整理しておきたいと思います。
まず高遠菜穂子さんの場合ですが、(1)で説明したようにイラクのストリートチルドレンの面倒をみることです。これは全くの無私の奉仕であり、彼女の純粋な「愛」の行為です。これには、「人道支援」という座標軸では収まりきれない最高のランキングが与えられます。彼女がマザー・テレサの施設で働いていた事実は、彼女の動機が決して浮ついたものではなかったことを示しています。テロで始まった21世紀の世界をテロの恐怖から救いだせる力を持っているのは、まさにこの崇高な「隣人愛」なのです。イラク人ばかりでなく、世界中の人たちが彼女の行為を賞賛しています。それにくらべれば、「日本にもストリートチルドレンはいる」という偏狭なナショナリズムはなんと卑しい批判でしょうか。また、「外国語の勉強が足りない」と批判した東大教授は、愛の奉仕にはまったく無知であり、流暢な言葉など必要ではないことを御存じない。
次は今井紀明さんの場合です。劣化ウラン弾による放射能被害は、ユ−ゴスラビア紛争、湾岸戦争で使用した側の退役米・英軍兵士やその家族にすら放射能被害が出ているのに、イラク戦争においてもなお使用されているのです。各国は、この非道さを糾弾して米・英の政府にその使用を中止させなければいけないのに、その気配すら無いのが現状です。その被害を訴える本にイラクの被害を写真に撮るため今井さんはイラク入りをしたのです。これは売名行為を動機にしてできることではありません。若い18歳の今井さんの悪を憎む純粋な気持ちから出ていることは明らかで、私は日本の若者にこのような人がいることに感動しています。何もオリンピックで優勝することだけが賞賛されることではない。ある意味では、このような無名の若者こそ次の日本を築いていくと確信します。
最後は、郡山総一朗さんや、安田純平さんと渡辺修孝さんのフリー・ジャーナリストの場合です。アメリカが企てる戦争の場合は常にそうですが、アメリカに攻撃される側の情報はほとんど我々に伝えられません。今回も完全包囲のもとに無差別攻撃を受けたファルージャの市民には、虐殺の状況を世界に訴える手段を持っていませんでした。したがって、一般の市民は人質作戦に出て世界に訴えようとしたのです。つまり、人質作戦は広報手段であって、人質の殺害が目的ではなかったのです。これはアルカイダの動機とは全く違うし、我々も彼らの行為を理解することができます。フランス人が一人殺害されましたが、原因は彼が武器を携帯していたからです。私はベトナム戦争の最中の1964年から2年間アメリカに留学しましたが、日本にいる我々の方が得ている情報の量も質も勝っていたことに大変驚いた記憶があります。
そのような情報を提供してくれるのがリスクをものともしないフリー・ジャーナリストです。ファルージャの一般の人たちは、米軍に完全包囲され無差別攻撃をうけている町の惨状を世界につたえる手段として一連の人質事件をおこしました。しかし皮肉なことに、正に「イラクの真実の姿を世界に伝える」ことを仕事にしているプロ集団であるフリー・ジャーナリストたちを犯人たちは拘束してしまったのです。
11)中東におけるブッシュ政権の信用の失墜
アメリカのハードパワーは、アフガニスタンとイラクにおいて2度の戦争をしましたが、第一の目的である9・11の同時多発テロの主犯であるオサマ・ビンラディンを排除することに失敗しました。彼の存在感は、ほかならぬアメリカの中東政策によってますます増大しており、反米感情は中東全体にひろがっています。しかも、ヨーロッパをはじめ世界の各国は、その反米感情に対してますます共感を強めています。その原因は、アメリカが容認しているイスラエル政府のパレスチナ人に対する対応と、アメリカ政府のイラク人に対する対応が酷似しており、強硬策で同質化していることが相乗効果をあげているからです。
イスラエルは国連で合意されている境界線を無視してヨルダン川西岸に大規模な入植をおこない、しかも新たな大規模入植地を恒久化する目的でそれを取り囲む形で分離壁の建設を敢行しています。それは、今は消え去ったことを世界中が祝福しているベルリンの壁の再建を連想させます。パレスチナ人が敢行する自爆テロは、ナチス占領下のヨーロッパ各国でおこった地下抵抗運動と何ら違いはありません。イスラエルが、それに対して戦車や攻撃ヘリといった近代兵器を用いた報復を繰り返していることも同じです。これはハードパワー対市民の戦いです。イスラエル軍は04年3月22日にイスラム原理主義組織「ハマス」の指導者、ヤシン師を暗殺、3週間後の4月17日には「ハマス」のガザ地区指導者、ランティシ氏を暗殺しました。この同じ時期にアメリカはファルージャ包囲作戦を敢行していたのです。
イスラエルのシャロン首相は、昨年6月に米国主導で合意した中東和平交渉の「ロードマップ」がテロ行為の停止という入り口段階で頓挫したのをうけ、事実上、和平交渉からの訣別を宣言しています。彼は、ヨルダン川西岸の大規模入植地の建設と一方的な境界設定や分離壁への国際世論の非難をかわすことを狙ってガザ地区の入植地の「撤退計画」を発表しました。ガザ地区はパレスチナ人が密集しているところにユダヤ人入植知が17カ所もあるのです。シャロン首相は、この「撤退計画」に対してアメリカのブッシュ大統領の合意をとりつけて実行しようとしました(毎日新聞4/16/04)。しかし、この案でさえもイスラエル与党は投票で否決しています(日経5/4/04)。
米・イスラエル同質化の流れを毎日新聞はつぎのように伝えています(4/19/04)。
ブッシュ大統領はシャロン首相支持を最近まします鮮明にしている。パレスチナ側のテロを厳しく非難しても、イスラエルの暗殺作戦は非難していない。「テロ」との戦争の論理が両首脳を一体化させている側面があり、今後もこの傾向は続くだろう。
ホワイトハウスは17日、ランティシ氏暗殺について声明を出し、「イスラエルにはテロリストの攻撃から自らを守る権利があり、ハマスはテロ組織だ」と指摘した。イスラエルに対し「行動の結果について注意深く考慮する」よう要請しているが、批判のニュアンスはない。3月のヤシン師暗殺の時は、国務省報道官が「深く困惑している」と発言したが、17日の声明にはこの「困惑」さえなかった。
ブッシュ政権は9・11同時多発テロを受けて「テロとの戦争」を打ち出した当初、中東の流血とは性質が違うとの姿勢をとっていた。だが、シャロン首相は「同じだ」と主張した。善悪二元論の大統領は結局、首相に同調し、ハマスなどを壊滅する方針を明確にした。この延長線上に「暗殺非難せず」の路線がある。ブッシュ大統領は12日、ムバラク・エジプト大統領との会談後の会見で、イスラエル・パレスチナ問題の将来は「イラクの将来と密接につながっている」と明言した。これは確かに、誰の目にも明らかだろう。
イラク駐留米軍は昨年11月の「アイアン・ハンマー」(鉄つい)と名づけた武装勢力掃討作戦のころから、懲罰的な家屋破壊などイスラエル軍と同じ手法が目立ち始めた。こうした米・イスラエル同質化の流れがアラブ世界の強い反発を招くことは、自明の理だ。
12)小泉首相の自衛隊派遣とは何だったか
私は、7.8.4)で、小泉首相が04年1月に国会の首相施政方針演説で述べた「自衛隊のイラク派遣」(日経1/20/04)を支持しました。しかし、わずか4カ月の間に状況は一変してしまいました。
アメリカのハードパワーの相手となる「テロ支援国家」はマボロシの存在と化し、30分以内に配置できる「大量破壊兵器」の恐怖は9・11同時多発テロを受けたアメリカのナショナル・トラウマによって作り出したことが明らかになったのです。ハードパワーによるブッシュのイラク占領政策は相手としてテロ集団を想定したものであり、捕虜に対する拷問やファルージャ包囲作戦による無差別攻撃と市民の虐殺を生みました。これが、アメリカという国家とイラクの市民の関係を極端に悪化させ、今やイラクは全土で内戦状態になっています。ブッシュを支持する国は減るいっぽうであり、アメリカ国内でも支持率は下がりつづけています。
それと同時に、自衛隊のイラク駐留を通じての日本という国家とイラク市民の関係も急変し、自衛隊のやっている復興支援についても市民の評価は「する」から「しない」に傾いています。いまや、小泉が施政方針演説でのべた「日頃から訓練を積み、厳しい環境において十分に活動し、危険を回避する能力を持っている自衛隊」「戦闘行為が行なわれていない地域で活動し、近くで戦闘行為が行なわれるに至った場合には活動の一時休止や避難等を行ない、防衛庁長官の指示を待つ」という文言は空しいものです。
結局、自衛隊のイラク派遣は、単独行動主義で突っ走り、その結果失敗して孤立してしまったアメリカという国家を、義理を重んじる日本という国家が精神的に支える役割以上でも以下でもなかったことが明らかになりました。官僚の考える自衛隊の人道支援は市民の目線で考える視点をもっておらず、日本政府のODAが現地の人々が希望することとはしばしば距離があったことを思い出させます。
13)対テロ戦争で無力な国家のハードパワー、力のある市民のソフトパワー
第二次大戦後、アメリカのもつハードパワーはヨーロッパや日本の自由主義諸国に対して安全保障の傘を提供してきました。平和と世界の秩序に対する脅威は、米国市民の税金と米国軍人の流す血によって除かれてきたのは客観的な事実です。しかし、生命の尊さは国籍によって違いがあるはずもなく、「戦争の放棄」を憲法で定めている事実の言い訳だけでは、われわれ日本人に「ただのり」のやましさを忘れさせるには十分ではありません。
だから、われわれ日本人には「国際紛争を解決するための武力以外の手段」を必死で追い求める義務があります。憲法を改正して戦力をもつ現実志向ではなく、非現実的であると揶揄されてもあえて理想を追求することが世界中から求められているのです。「金しか出さない」と罵られる事態の前では、これはむしろつらい選択です。「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と願う国民の誇りは傷つけられたままなのですから。どこの国の市民も「命を惜しむ」臆病な人間とののしられる理由はない。
国家のハードパワーは、他の主権国家に対しては効力を発揮してきたが、きちんとした主権を持たない国、たとえばパレスチナや戦争終結後のイラクに対しては無力なのではないか、このことを我々に明瞭に考えさせるきっかけになったのが、ほかならぬ今回のイラクにおける日本人人質事件でした。国家の持っているハードパワーは市民の持っているソフトパワーの前で完全に色褪せてしまったのです。世界の総国防費の大半を一国でつぎ込んでいるアメリカはハードパワーでは抜きんでています。そして、アメリカは他の国と協調することを拒否し、ネオコンの主導によって単独行動に走りました。超大国になったアメリカの成り行きとして、このこと自体は当然でしょう。
しかし、ハードパワーでテロが抑えられないことが明らかになり、当面の敵であるオサマビン・ラディンはピンピンして活動を続け、アメリカ人は世界中で四六時中テロに怯えなければならない。しかもハードパワーの象徴である米軍の兵士の命は、戦争終結宣言後も失われ続けています。それだけではなく、ファルージャ包囲作戦で行なわれた市民に対する無差別攻撃、あるいはアブグレイブ収容所で発生したイラク市民収容者に対する虐待事件は、ハードパワーの表面に「平和と世界の秩序に対する脅威を取り除く」美しい顔があっても、その裏面には「市民に対する残虐行為」のぞっとする醜い顔が必ずかくれていることを思い出させてくれました。「大義なき戦争」に参加している米国軍人は、「平和と世界の秩序の維持」の高邁な理想が参加の動機ではなく、「軍人に支給される学費補助」が目的だったのです。
多くのアメリカ人はこの結末を危惧していました。その中には、大人だけでなく中学生の少女も混じっていました。9・11同時多発テロの直後にテレビに出演したアメリカの女性哲学者は、「報復の連鎖」は抑えられないことを訴えましたが、その声は星条旗の波に打ち消され二度とくりかえされることはありませんでした。多くの人が理想主義ときめつけて無視しました。
イラクの現状は、国家のハードパワーがいったん出動してしまうと、途中から市民の対話による解決へと切り替えることは不可能であることを明らかにしました。しかし、高遠菜穂子の愛の行為は、片やあくまでハードパワーによる殺戮で目的を達成しようとる人々、片や自殺テロが最後の手段として正当化される人々、その両者の心を動かせるのは何か、を明らかにしたのではないでしょうか。アルカイダやハマスを敵視して殺すことだけを考えると、結果として米軍やアメリカ人の血を流しつづけるだけになりました。いまやパレスチナもイラクも内戦状態であり、ブッシュ政権がいくら否定しても第二のヴェトナムになっていることは事実です。市民のソフトパワーによる対話の力を生かして流す血を少する道を踏み出す必要があります。
サダム・フセインのイラクやキム・ジョンイルの北朝鮮のような独裁国家は「人間社会のパラドックス」(1.7.)の最悪の例ですが、いまや前時代的になりつつあります。これに対抗して、アメリカのハードパワーはこれまで平和と世界秩序の維持に貢献してきました。しかし、9・11同時多発テロを境に、アメリカ国家のハードパワーの限界があらわになる時代に入ったのではないでしょうか。世界はそこに「人間社会のパラドックス」の別の現われ方を見ているのではないでしょうか。このとき、国家の機能を補完し、「人間社会のパラドックス」を緩和するものとしてNGOなどの「市民レベルの行動」の重要性が表に出てくるように思います。このことは、8.「人間社会のパラドックス」をどう克服するかで正面から考えたいと思います。 
不可解な自己責任論―イラク人質事件をNGOの眼で検証する 2004/6 
今年4月8日、市民活動家の高遠菜穂子さん、今井規明さん、ジャーナリストの郡山総一郎さんら3人がイラク・ファルージャ近郊でイラク人武装グループに拘束され、一時生命が危ぶまれる事態に陥った。これに対し、多くの人が彼らを助けたい、殺されてなるものかと声をあげ、行動をとった。さらにはその後、ジャーナリストの安田純平さん、渡辺修孝さんも拘束され、拘束された日本人は5人となった。
幸いにして、武装グループおよびイラク人の多くが、彼らのイラク入りの目的を理解し、彼らは無事解放された。しかし、解放後の彼らに待っていたのは、「国の発した退避勧告を無視する者として自業自得」「自己責任を知らぬ無謀な行為」「救出に国が要した費用を支払わせるべき」などの言葉であり、その重さは、彼らを押しつぶさんばかりである。
この問題を看過することは、市民の良心に基づく自発的な活動を否定することになりかねないと思い、今回この問題を採り上げた。市民活動を実践する団体として、この問題に向き合い、意見を発信したい。
彼ら5人が危険を承知で、イラクの中でも特に危険な状況になっていたファルージャに近寄り、拘束されて以降、「自己責任」を問う論が出てきた。彼らのうち4人はもともとイラクで活動していた人たちである。彼らも、拘束という事態が自己の責任において発生したことは、よく理解していたはずである(彼らが活動できないほど危険な状況がどうして生まれたか、イラク戦争の目的や米軍の駐留政策などから考える必要があるが、ここではそこに入らずにおく)。
それでも声高に「自己責任論」が出てきたのは、彼らを拘束した武装グループから発せられた解放条件に「自衛隊撤退」があり、被害者家族や支援者たちがそれを国に強く要求したところからである。国の立場とすれば「人質をとられたから撤退する」と軽々に言えないのだろう。しかし、「自己責任論」が「国策と反する者」を封じる込めるため、個人の行動に規制をかける言葉として用いられているように感じた。人道支援では、国レベルでこそ、できることがある一方、行政では機動性が乏しく手の届かないことが多々ある。それは1995年の阪神淡路大震災によって明らかになったはずである。
拘束された人たちのイラク入りの目的や、これまでの活動が伝わると、多くの人が「危険をおかしてまで、イラクの人たちに尽くそうとする人たちを殺させてはいけない」と声をあげた。もし彼らがオイルマネーを目当てに一獲千金を求めた人たちなら、このような共感・共鳴は広がらなかっただろう。幾万もの人たちが、彼らの目的やこれまでの活動を知ったうえで、「同じ社会に生きる者の責任として、彼らを助けたい」と思った時、その思いを実現することは十分「国の責任」となり得たのではないだろうか。中には、この問題を「雪山遭難」と同質に論じるものまであったが、この例えは問題を見誤っていると言わざるを得ない。
そもそも「国」とは、個人がそれぞれの幸福の実現のため、権利の一部を国に預け、かつ義務を果たすことで成り立っている。国にはその付託に応える責任がある。今回耳にした「自己責任論」の中には、国の成り立ちそのものを見誤っているものもないだろうか。海外のメディアが奇異に感じているのもそこであり、「お上」といった発想まで見えてしまう。この考えの恐さは、個人または市民層の良心にもとづく自発的な動きを大きく制限しかねないことである。
ただし、楽観しているのは、一時高まった「自己責任論」に対して、反論が各所からあがっていることである。「自己責任論」を声高に叫んでいた者は、いずれその狭量を指弾される時がくるだろう。
今回拘束された5人のような人たちが、私たちと同じ社会に居たことを誇りに思いたい。 
イラク日本人人質事件  
誘拐事件発生
2004年4月8日午後4時、カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」が流した誘拐犯からのビデオ。自動小銃、ナイフ、対戦車ロケット砲を構えた男らが後ろにいて、薄暗い部屋で、三人がひざまずいた姿で監禁されている様子や、パスポート、身分証明書類、声明文の拡大映像を映し出した。
三人は1週間後に解放
2004年4月15日夜、拘束されていた日本人三人解放を伝えるアルジャジーラテレビ。3人はイラクイスラム聖職者協会の仲介で1週間ぶりに解放された。3人は比較的元気そうでバクダッドの日本大使館へ移送され、ドバイ経由で4月18日に日本(関西空港)に帰国。
イラクイスラム聖職者協会のムハンマド・ファイジ師は解放後、記者会見し、人質だった3人が「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」との署名がある武装グループの声明文を、解放された三人と協会がそれぞれ受け取っていたことを明らかにした。
声明は、人質事件が明らかになった後、日本人が自衛隊の撤退を求めるデモを行ったり、アラーの神を称賛してくれたりしたことを評価し、この日本人の態度に共感して決断したと主張。引き続き自衛隊やその他の外国軍の撤退に向けて日本政府に圧力をかけることなどを求めている。さらに「あなたたちは米国による最初のテロであるヒロシマ、ナガサキの被害者である。我々はそのような国の人々に対し、我々の国から撤退することを求める。さもなければ今後は容赦しない」としている。
日本政府の対応は一貫し評価できる。しかし、政府に三人を批判する資格はあるのだろうか?
事件発生から解放にいたる日本政府の対応は、終始一貫した評価すべきものであった。脅迫に屈しての自衛隊撤退はない。人質の早期救出。今回仮に人質が犠牲になっていたとしても、国家としての対応はそれ以外に無かったものと思われる。
しかし、解放直後の三人が、状況もわからず疲労困憊と恐怖の残る状況での「今後もイラクで活動したい」発言に、政府首脳らがいっせいに不快感を示したのはいかがなものか。それは自国の人質が解放された直後の政府首脳の対応とはとても思えないものだった。確かに退避勧告の出ている国へ危険を承知で入った三人にも非はある。しかし、外務省の退避勧告には法的制約はなく、彼らのイラク入国は違法行為とはいえない。それより小泉首相が国会で「イラク戦争が終結したので、復興支援に自衛隊を派遣する」と言明し「サマーワは非戦闘地区である」と繰り返してきたことに本当の責任があるのではないか。イラク国民から見ればそれは米国盲従の卑屈な姿としか見えず、われわれから見てもイラクの実態とはかけ離れた詭弁としか思えない。現在のイラクを戦争状態であると認めてしまうと、自衛隊派遣が憲法違反となるので、政府は戦争状態であることを認めようとしない。その嘘を上塗りするように、イラクは危険と国民に思われないように、腰の引けた「退避勧告」だったのではないか。自衛隊派遣に全て反対ではないが、こうした欺瞞を繰り返す政府首脳に、三人のイラク入国や、解放直後発言を批判する資格は無い。それよりなにより、使命感を持ち、生死を乗り超えてきた自国の若者たちに対し、あまりにも度量の狭い政府首脳たちの発言である。「多くの政府職員が寝ないで努力してきたのに」と言うが、それは国家として公僕として当たり前の事なのだ、それを恩着せがましく言うような首脳に、国民は自分たちの命を安心して任せられるものではない。
自衛隊派遣に批判的だったから解放
今回解放された5人は、それぞれ立場は違っても共通していたのは、米国の大義なきイラク攻撃や自衛隊派遣に批判的な人たちだった。それが結果として解放につながったものと思われる。拘束されたのが派遣された自衛隊員や政府職員だったとしたら、早期解放はありえなかった。日本政府が事件解決のために、各方面に働きかけ努力したことは認めるが、早期解放にいたった根本的条件にも目を向け、政府が手柄を誇る状況にないことを知るべきである。
2邦人も3日ぶりにバクダッドで解放される(4月17日)
墜落した米軍ヘリを取材に向かい、武装グループに拉致された日本人のフリージャーナリストら2人が4月17日午前11時(日本時間同午後4時)ごろ、拘束から3日ぶりに解放された。2人はバグダッド市内にあるイラクイスラム聖職者協会事務所で保護され、日本大使館に移送され、二人は18日にもヨルダンのアンマンへ出国する見込み。健康状態は良好とのこと。15日の日本人3人解放もあり、これでイラクで拘束されていた日本人人質全員の無事が確認された。解放されたのはフリージャーナリストの安田純平さん(30才・埼玉県入間市在住)市民団体メンバーの渡辺修孝(のぶたか)さん(36才・栃木県足利市出身)の二人。
外務省によると、2人の解放は午前11時35分(同午後4時35分)ごろ、聖職者協会から上村司氏(駐イラク臨時代理大使)に電話で伝えられた。上村氏は打ち合わせのため、同市西部のウンムクラモスク内にある聖職者協会事務所に車で向かう途中だった。約10分後、事務所で2人の無事を確認したという。その後2人は午後0時56分(同5時56分)、日本大使館に入った。聖職者協会のアル・クベイシ師は、16日午後4時ごろ、武装グループから2人を解放するとの連絡を受けたことを明らかにした。その際、グループは「拘束したのは身元を確認するためで、人質にする意図はなかった。2人が民間人で、米軍の協力者ではないと分かったため解放する」と話したという。2人はモスク近くで車から降ろされ、歩いて事務所に向かったいう。
拘束中の様子について、安田さんはロイターテレビに「丁寧に扱われ、食事も毎日与えられた」と語った。渡辺さんは「目隠しをさせられ、毎日、居場所を移動させられた」と述べた。AFP通信によると、安田さんらは「武装グループは、我々2人が米軍のイラク占領と自衛隊派遣に反対していることを知り、解放を決めた」と同師に語った。
渡辺さんがNHKに語ったところによると、武装グループは「米英はイラクの敵なので今後も戦う。日本人はイラクになるべく来ないで欲しい。なぜなら、我々は我々の友人たちを傷つけたくないからだ。自衛隊はイラクから出ていって欲しい」とのメッセージを口頭で2人に託したという。
2人や関係者によると、2人は14日午前11時(同午後4時)ごろ、取材のためにファルージャに向かったが、首都の西約20キロのアブグレイブ地区で拉致された。2人に同行していたイラク人の運転手と通訳はその場に取り残された。通訳が事件について、日本の関係者にメールを流し、2人の拘束が判明した。
関係者によると、武装グループの男は、白いアラブ風の長衣に縁なし帽をかぶっており、イスラム教スンニ派で教義を厳格に守る「ワッハーブ派」の特徴的な姿だったという。安田さんは3月にイラク入りし、米軍と武装勢力との衝突現場などで、取材を続けていて、昨年1月に信濃毎日新聞を退社し、フリーでの取材活動を進めていた。
渡辺さんは自衛隊の海外派遣に反対する元隊員らでつくる「米兵・自衛官人権ホットライン」に参加。2月末から半年間の予定で「在イラク自衛隊監視員」としてイラクに来ていた模様。
事件発生からの動き
邦人3人がイラクで誘拐され、犯人グループが「3日以内に自衛隊を撤退させなければ殺す」と日本政府を脅迫
2004年4月8日午後4時(日本時間午後9時)、カタールのアラビア語衛星テレビ「アルジャジーラ」は、イラクで日本人3人が誘拐されたことを伝えた。犯人グループはイスラム過激派と見られ、放映から3日以内に自衛隊がイラクから撤退するよう要求。撤退しない場合には3人を殺害する、としている。アルジャジーラは日本の外務省に通報した。
日本政府は日本人がイラク国内で戦闘や事件に巻き込まれる事態を警戒し、イラク全土に退避勧告を出していた。しかし、7日夜(日本時間8日)に南部サマワで活動している陸上自衛隊の宿営地近くに迫撃砲と見られる砲弾3発が撃たれ、日本が標的となる事件が相次いだことになる。
犯人グループの声明文(2004年4月8日)
同局にビデオテープを送りつけた「Saraya al-Mujahidin・サラヤ・アル・ムジャヒディン(聖戦士旅団)」と名乗る犯人グループはイスラム過激派と見られ、映像に映し出された声明文には「われわれイラクのムスリム(イスラム教徒)の息子たちは(日本に)友情と愛情を抱いてきた。だが、友情は裏切られた。日本は、無信心者である米国の軍が我々の尊厳を冒し、我々の国土を冒涜し、我々の血を流させ、我々の名誉を傷つけ、子供たちを殺害することに手を貸している。我々は必要に迫られた。三人のお前たちの子供ら(人質)は我々の手にある。二つの選択肢を与える。お前たちの軍を撤退させるか、我々が彼ら(人質)を生きたまま炎で焼き尽くすかだ。お前たちに三日間の猶予を与える」と書かれている。。アルジャジーラ側の説明では、テープは8日に届いたという。「サラヤ・ムジャヒディン」という組織は過去にテロなどに関与した記録はなく、実態は不明。
犯人グループから、3人を24時間以内に開放するというファックスが届く(2004年4月10日)
4月10日夜、アルジャジーラはサラヤ・アル・ムシャヒディンを名乗るグループから届いたファックスを報道した。それによると、彼らが拘束した三人の日本人を、イスラム教スンニ派の宗教指導者の意見を受け入れ、24時間以内に開放するとしている。声明で「イラクのイスラム宗教者委員会の求めにこたえて、3人の日本人を24時間以内に解放する」と表明。そのうえで「日本の総理大臣は傲慢だ、しかし、我々の情報源によると、三人はイラクのために働いていたことが分かった。三人の家族の痛みを思い三人を解放する。親愛なる日本の民衆に対して、日本政府に圧力をかけ、米国の占領に協力して違法な駐留を続ける自衛隊をイラクから撤退させるように求める」としている。さらに「日本政府はブッシュ(米大統領)やブレア(英首相)の犯罪的な振る舞いに従ったまま考えを改めず、自衛隊を撤退しようとしない」とし、「米国は広島や長崎に原子爆弾を落とし、多くの人を殺害したように、(イラク中部の)ファルージャでも多くのイラク国民を殺し、破壊の限りを尽くした」と米国を批判した。一方「三人を愛する人たちや家族のなく姿を見て判断した」とも述べている。ただ、具体的な解放場所などについては触れていなかったが、「我々は外国の友好的な市民を殺すつもりはないと全世界に知らせたい」と書かれている。3人を人質にとったことを伝えた前回の犯行声明は、ホテルに届けられたが、今回はファクスだった。また、日付や犯行グループの名称の表記が異なっている。こうしたことから、日本外務省幹部は「慎重に確認している。身柄が確保されるまでは安心できない」と述べた。また、11日、日本外務省にはイラク当局高官から「三人は昼ごろまでに解放されるだろう」という情報が寄せられている。しかし、結果としてこの約束は守られず、15日の人質解放まで世界の注目を集めることになった。
三人はタクシーでバグダッドに向かう途中襲われた模様
映像には音声は入っていないが、映っていたパスポートなどから、3人は、フリーフォトカメラマン郡山総一郎さん(32)東京都杉並区在住、フリーライター今井紀明さん(18)札幌市西区在住、民間ボランティア高遠菜穂子さん(34)北海道千歳市出身とみられている。誘拐された三人はアンマンからバグダッドに向かっていた途中で誘拐されたものと見られている。
3人のうち、今井さんと高遠さんは元々顔見知りで5日、アンマンで落ち合い、別のアンマンのホテルに滞在していた郡山さんとも仲良くなり、一緒にバグダッド入りすることとしたらしい。ホテル側の話では、陸路でバグダッド入りするため、6日夜、。郡山さんらの依頼でホテル側が手配したヨルダンにある長距離旅客会社のオレンジ色の米国車で、イラクに向かう途中拉致された模様。3人を乗せたこの車のイラク人運転手の行方は分かっていない。
日本政府は自衛隊の撤退を拒否
福田官房長官は8日夜、首相官邸で緊急に記者会見し、犯人グループが要求している自衛隊の撤退には応じない考えを表明。小泉首相から救出に全力を挙げるよう指示があったことを明らかにした。「仮に報道通り無辜(むこ)の民間人が人質にとられているのが事実なら、許し難く強い憤りを覚える。ただちに解放を求める」と強調。自衛隊の撤退については「そもそも我が国の自衛隊は、イラクの人々のために人道・復興支援を行っている。撤退の理由はないと考えている」と述べた。首相から「まず事実を確認し、人質になった人を無事救出することに全力を挙げるように」との指示があったと説明した。
政府は8日夜、外務省に対策本部、首相官邸に対策室をそれぞれ設置、逢沢外務副大臣をヨルダンに派遣し、現地で指揮を執る。また、警察庁は国際テロ対策チーム「国際テロ緊急展開チーム」派遣を決めた。小泉首相は午後6時40分すぎから東京都内のホテルで報道各社の論説委員らとの懇談会に出席していたが、9時ごろ都内の仮公邸に戻り、秘書官から報告を受けた。
また、自民、公明両党は幹部が午後9時半から自民党本部に集まって対応を協議。自民党の安倍幹事長、公明党の神崎代表らによる対策本部を立ち上げた後、それぞれ幹事長談話を出し、自衛隊を撤退させないという方針に同調する考えを表明した。
問われた日本の威信と危機管理、真のターゲットは米国の行き過ぎた攻撃
民間人、それもイラクのために人道支援をしようとしているボランティアや、ジャーナリストを誘拐するという卑劣な犯人グループの要求は、どのような理屈をつけようと断じて容認できるものではない。しかし、こうした犯罪を犯さざるを得なくなった追い詰められた心情にも思いを馳せる必要がある。今回の事態は自衛隊を派遣したときから、予見されていたことである。日本という国が問われているのは、国としての威信であり、テロリストの傍若無人で卑劣なテロに対する姿勢である。そして、自衛隊派遣を主張する小泉政権を選択してきた国民世論である。だからこそ毅然とした態度で臨むべきだが、同時に持たなければならないのは、同じ地球に住む違う文化を持った人々に対する理解しようとする心と、惻隠の情ではないだろうか。彼らは今回民間人を人質にしたが、彼らのメッセージなどから類推すると、真のターゲットは米国であり、6月の政権委譲を前に混乱している状況を打破するために行っているファルージャなどへの行き過ぎた攻撃に対するものである。そして、その米国をけん制するために、米国のイラク攻撃を真っ先に支持した小泉首相に揺さぶりをかけるねらいがあったことと推測できる。
この事件は1977年のバングラディッシュ・ダッカ国際空港で起きた日航機ハイジャック事件を想起させる。その時、ハイジャック犯は乗員乗客の生命と引き換えに、服役・拘留中の過激派「東アジア反日武装戦線」メンバーらの釈放などを要求した。当時の首相福田赳夫総理は、「人命は地球より重い」などと言い、ハイジャック犯に屈服し要求を受け入れてしまった。その結果、多数のテロリストを世に放つことになり、超法規で出獄したメンバーたちが新たなテロを引き起こし、日本は国際社会の猛烈な批判を浴びることになった。奇しくも元福田首相子息の福田康夫氏が小泉内閣の要として官房長官を務めている。今回の事件はダッカ事件と性質は違うが、無辜の民間人を人質にしたテロ事件に変わりはない。
安易な妥協は、日本人全体を一層危険にさらす
国が毅然たる態度でテロリストに対峙することが、今後の日本人に対する世界の評価が決まる。しかし、一方でブッシュの大義のないイラク攻撃に追随した日本、米国の言うがままの従属国と見られない配慮も必要である。人質になった3人の日本人は不運でありお気の毒であり、ご家族の心中を推察すると言葉もないが、イラク全土に邦人退避勧告が出されていることを承知で、敢えてイラク入りするからには、こうした事件に巻き込まれることを覚悟していたはずである。
もし、私が人質の立場であったら、恐怖に慄いていても、日本政府に犯人グループと安易な妥協はして欲しくない。日本人を誘拐すれば日本政府が安易に取引に応じると思われれば、同様の誘拐事件が世界各地で多発する可能性がある。危険を承知でイラク入りした自分のために、日本人全体を危機に陥れてはならないと、きっと思うに違いない。
解放された3人の発言に風当たりが強いのは当然
私は災害現地調査などで混乱した被災地に入ることが多いが、そこで見る世界中の災害救援ボランティアには共通した認識がある。
1、相手に迷惑をかけないことに尽きる。それは不足しているであろう水食料を自前で持っていくことはもちろん、トイレなどの生活物資も持参するのがマナーである。そして、自分が危険な場所に入って怪我をしたり、問題を起こすことを極端に恐れる。それは、結果として現地に迷惑をかけることになるからである。
2、行政機関に問い合わせ、現地の状況を判断して時期を選択することもマナー。ボランティアやジャーナリストである前に、人間としてのマナーは最低限法律を遵守しなければならないのは言うまでも無い。
犯行再発を懸念し、危機レベルを引き上げ、内外の日本人に警戒を呼びかけるべきである
この時期の日本に対する攻撃は、スペイン・マドリード地下鉄同時爆破テロ事件のように、選挙結果を左右させ、新内閣に派兵中止を決意させた成果を犯人グループは再び目論んでいる。日本政府は毅然とした姿勢を貫くだろうが、テロリストたちの攻撃はさらに広範囲にわたって執拗に繰り返される懸念がある。日本政府は国内と海外における日本人のテロに対する危機レベルを引き上げ、厳重な警戒を呼びかけることが急務である。そして、国会は直ちに与野党一致でテロリスト非難決議を行うべきである。 
後藤健二 
(1967 - 2015) 日本の仙台市出身のフリーランスジャーナリスト。『ダイヤモンドより平和がほしい』で第53回産経児童出版文化賞受賞。主に中東を中心に紛争地域の取材を続ける中、イスラーム過激派のISIL(イスラミック・ステート、イスラム国)にシリアで拘束され、2015年1月30日に殺害された。
生涯​
1967年(昭和42年)9月22日、宮城県仙台市で末っ子として生まれた。8歳上の兄と、姉がいる。父親は日立製作所勤務で転勤が多く、2歳の時に名古屋、5歳の頃に東京に引っ越した。この頃母親は離婚して家を出て、父親は多忙であったため中学時代からは兄や姉に面倒を見てもらっていた。世田谷区立砧小学校、砧中学校から法政大学第二高等学校に進み、アメリカンフットボール部に所属したが、腰痛のため退部。
法政大学社会学部応用経済学科(現・社会政策科学科)に進学、在学中にアメリカのコロンビア大学に語学留学。その留学費用のかなりの部分を母親が負担し、後藤の誕生日には母親が高価なビデオカメラをプレゼントしたり、母子関係は決して疎遠ではなかった。21歳だった後藤健二はコロンビア大学留学中に母親の誕生日を祝って母親に手紙を送った。その愛の手紙が写真週刊誌「フライデー」等に掲載された。在学中に湾岸戦争(1990年8月2日 - 1991年2月28日)が勃発、イスラエルに渡航して現地の大学生に話を聞いた。この経験がジャーナリズムの世界に興味を抱くきっかけになったのではないかと兄は見ている。
1991年(平成3年)の大学卒業後に就職した日立物流を入社3か月で退職したのち、東京放送系のテレビ番組制作会社を経て、1996年(平成8年)に映像通信会社インデペンデント・プレスを設立した。当初は仕事は少なく、兄が経営する塾のアルバイトもしていた。ジャーナリストとしては国内を主に活動し、余裕のある時には1年〜3年間ずつ講師の仕事もこなした。何年間かの下積みの後、海外での取材も成功し始め、アフリカや中東などの紛争地帯の取材に携わる。後藤家は無宗教であったが、後藤自身はいつしかキリスト教を信仰するようになり取材の際には小さな聖書を持ち歩いていた。1997年に日本基督教団田園調布教会で受洗する。 
2006年(平成18年)、紛争地域の子供を取材した『ダイヤモンドより平和がほしい』で、第53回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞。2011年(平成23年)3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生すると出生地でもある宮城県に入り、被災地の石巻市や気仙沼市において日本ユニセフ協会の記録員を務めた。中東での取材中、アル=ヌスラ戦線に拘束されたものの、1日で解放された。2014年10月に妻が夫婦の2人目の子供となる女子を出産。妻は、経済協力開発機構(OECD)のエコノミストで政策アナリストの城後倫子。前妻との間にも一女をもうけている。
2012年頃、母親の誕生日を祝って後藤が食事会を開いた際の親子二人の写真が公開されている。
2014年10月下旬 - 11月上旬にイスラーム過激派組織のISIL(イスラミック・ステート、イスラム国)に拘束され、2015年1月30日に殺害された。満47歳没。
シリアにおける拘束・殺害までの経緯​
民間人救出​
後に後藤とともに殺害される湯川遥菜は、民間軍事会社を経営していた。殺害される前に幾度もシリア周辺に入国していたという。その目的は武器や医薬品を販売するビジネスだった。だが、2014年4〜5月ごろにシリア国内で武装組織に拘束された。当時、取材でシリアに入国していた後藤はその話を受け、湯川の救出に向かった。後藤が交渉した結果、拘束されていた湯川は解放されたという。救出作戦自体は米軍でも困難なもので、以前にはビンラディン殺害で成果を挙げた米海軍の特殊部隊Navy SEALsですら情報不足で失敗した例もあるという。この際は後藤の尽力により無事救出できたが、後藤は救出した湯川に対して口を酸っぱくして注意したという。
ISILによる拘束​
2014年10月22日に「海外出張に行く。29日午前中に帰国する」と友人に告げ、日本を出国した。渡航計画を知った日本政府は後藤の身を案じ渡航中止を打診したが、後藤の意志は強かった。10月24日にトルコ南部のキリスからシリアに入国し、クリスチャントゥデイのコラムのメールを送信し、10月26日に掲載された。10月25日にISILの支配地域への潜入の目的を語ったビデオメッセージをシリア人ガイドに託し、シリア北部のアレッポ県から別のシリア人ガイドと共にISILの支配地域へと入った。シリアではガイドが何人か代わっており、最後のガイドがISILに通じていて騙されたのではないかという見方がある。帰国予定の10月29日になっても戻らず、行方不明となった。
2014年11月1日頃に「シリアに同行したガイドに裏切られ、武装グループに拘束された」とトルコの知人に電話連絡があった。この数日後にISILの関係者を名乗る人物から数十億円の身代金を要求するメールが家族に届いた。2015年1月20日になり、ISILが日本国民と日本政府に向けたビデオに別に人質となっていた湯川遥菜と共に登場し、ジハーディ・ジョンとして知られるISILメンバーの男性が「72時間以内に2億ドルの身代金の支払いがないと両人質を殺害する」と述べた。日本政府は現地対策本部をトルコにではなくヨルダンに設置することをわずか3分の緊急会合で決めた。トルコに対策本部を設置しなかった理由についてTV番組の報道ステーションでは、トルコに対策本部を置くと身代金要求に応じるか否かの交渉の流れになるため、身代金要求には一切応じないことを決めこんでいた日本政府の選択肢はヨルダンへの設置しかなかった。1月23日、母親が記者会見を行い「健二はイスラム国の敵ではない」と訴えたが、夫曰く精神的に混乱状態だったため、原子力エネルギーに関する意見など、配布された声明文とは直接関係のない発言をする面も見られた。数百人の外国特派員・日本のマスコミ陣を前に、78歳の母親の会見が混乱したことについて参院議員の有田芳生も同じ意見だった。会見の中で広島と長崎への原爆投下に言及した理由について、米国やヨルダンなど有志連合による空爆にあえいでいる「イスラム国」に対して、日本は唯一の被爆国として同じ被害国であり、「日本は『イスラム国』の敵ではない。空爆する有志連合と日本を同一視しないでほしい」との趣旨のメッセージを込めたと母親は社会新報2015年2月18日号(田中稔記者執筆)で説明している。
1月24日午後11時に殺害された湯川の写真を掲げる動画がインターネット上に流れ、後藤とされる声(英語)で湯川を殺害したという声明が出された。
同声明の中には2005年にヨルダンの首都アンマンで発生した爆弾テロ事件(2005年アンマン自爆テロ)の実行犯として収監中のサジダ・リシャウィの釈放を要求するものが含まれていた。
最期​
2月1日日本時間午前5時3分にISILによって後藤が殺害されたとみられる動画がインターネット上に公開された。後藤が殺害されたとみられる動画投稿が行われた後、警察による動画の検証が行われた結果「信憑性が高い」とされ、政府は動画投稿から1時間40分後の日本時間午前6時40分頃にこの件についての会見を行った。母親は2月1日午前に会見を開き、「今はただ、悲しみ、悲しみで言葉が見つかりません」「憎悪の連鎖になってはなりません」「戦争と貧困から子どもたちの命を救いたいとの健二の遺志を引き継いで下さい」と泣きながら訴えた。
後藤健二が生前につぶやいたツイッターへのリツイートが極めて多く話題となった。ツイートの全文は次の通り。
「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。−そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」
評価​
2015年2月12日、国連安全保障理事会の決議の採択後、国連大使のサマンサ・パワーは、「生涯を紛争について書くことに費やした」と称賛した。オバマ大統領も「後藤さんは勇敢にも、自らの報道を通じてシリアの人々の窮状を世界に伝えようとしていた」と述べた。世界食糧計画のアーサリン・カズン事務局長は声明の中で、「ケンジは飢餓との闘いにおける盟友だった」と称えた。また同年11月、優れたフリーランスのカメラマンに贈られるローリー・ペック賞の授賞式において、「ここに来られなかった人がいます。親愛なる友人、後藤健二」「紛争に巻き込まれた普通の人々を報じ続けた勇敢なジャーナリストだった」とその功績が讃えられた。
親交のあった英誌『エコノミスト』ヘンリー・トリックス支局長は「彼は『戦争孤児』に対し、慈しみの感情を抱いていた。それはあたかも、彼らの苦しみが自分の苦しみであるかのようだった」と語った。
日本政府の動き​
2014年8月16日夕方、湯川がシリアで拘束されたのを受け、在ヨルダン日本国大使館内で執務する馬越駐シリア臨時代理大使を本部長とする現地対策本部が設置された。
2015年1月20日にISILにより動画が公開されて以降、日本政府は、事件の概要の公表及び、多方面へ協力を要請している。安倍首相は1月20日午後、訪問先のイスラエルでISILの批判を行ったが、その際に首相がイスラエルの国旗の前に立ち演説する形で放送が行われた点について、松富重夫駐イスラエル大使のミスであるとの指摘がなされ、同大使は翌年異動となった。また安倍首相は、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領とラマッラーの大統領府で会談し協力を要請した後、当初予定を変更して戻ったエルサレムで、エジプトのアブドルファッターフ・アッ=シーシー大統領、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領、ヨルダン国王アブドゥッラー2世と相次いで電話会談して協力を要請するとともに、総理大臣官邸地下にある内閣危機管理センターに官邸対策室を、ヨルダンの首都アンマンにある在ヨルダン日本国大使館に現地対策本部を、外務省本省に緊急対策本部を、警視庁に公安対策本部をそれぞれ設置し、またテロの発生を警戒して政府機関、空港などの警備強化を行った。その後帰国の予定を1時間15分早め、20日夜にベン・グリオン国際空港から日本国政府専用機で東京国際空港に向かったが、それに先立ち、夕方に内閣総理大臣臨時代理を務める麻生太郎副総理が中心となり、菅義偉内閣官房長官などが出席する関係閣僚会議が開催された。同日、中谷元防衛大臣がロンドンの夕食会でイギリスのマイケル・ファロン(英語版)国防大臣に対し支援を求めた。ヨーロッパ歴訪中の岸田文雄外務大臣は訪問先のロンドンでアメリカのジョン・ケリー米国務長官、フランスのローラン・ファビウス外務・国際開発大臣と電話会談して協力を要請した。その後ベルギーで、ドイツのフランク=ヴァルター・シュタインマイアー外相にも電話会談で協力を要請した。安倍総理大臣に同行してイスラエルを訪れていた中山泰秀外務副大臣が現地対策本部長に就任し、20日夕方に着任した。
1月21日に安倍首相が帰国し、関係閣僚会議を開催。拘束されている邦人が後藤と湯川であることを確認。現地対策本部本部長の中山外務副大臣がヨルダン国王のアブドゥッラー2世と会談し、協力を要請したのち、中山外務副大臣から安倍首相に、電話で会談内容の報告がなされた。ヨルダンに警察庁警備局国際テロリズム対策課国際テロリズム緊急展開班(TRT-2)が追加派遣された。岸田外務大臣が、イタリアのパオロ・ジェンティローニ外相と電話会談し協力を要請した後、ロンドンでフィリップ・ハモンド外務・英連邦大臣と、ブリュッセルの北大西洋条約機構本部でイェンス・ストルテンベルグ事務総長と、それぞれ会談し支援を要請した。
1月22日、安倍首相はオーストラリアのトニー・アボット首相、イギリスのキャメロン首相と電話会談し、双方から出来る限りの支援を取り付けた。中谷防衛大臣もヘーゲルアメリカ合衆国国防長官と電話会談し、協力要請を行ったほか、日米防衛協力のための指針見直しや普天間基地移設問題での協力を確認した。また同日、岡村善文国連次席大使がニューヨークで開催された国連総会の非公式会合で演説し、国際社会の協力を求めた。
1月23日、閣僚懇談会ののち、事件発生後初の国家安全保障会議が開催された。中谷防衛大臣が、ヘーゲル国防長官と電話会談及び、防衛省でのキャロライン・ケネディ駐日アメリカ合衆国大使との会談を行った。ISILの設定した期限を迎えるにあたり、中山外務副大臣がヨルダンでの宿泊先ホテル前で行った記者会見で、「職員は2人の思いをくんで、夜通し努力を続けている。」「無事な解放を祈りながら精いっぱい最後までやっていきたい。」とし、解放に向けて部族長やイマームと連絡をとるなどしていることを明らかにした。日本政府による対応は、(1)シリア周辺国であるトルコ、ヨルダンなどとの協力、(2)米英による情報提供及び(3)地元有力者による仲介の三面からなるものであるとされる。
1月24日午後5時35分、安倍首相がヨルダン国王のアブドゥッラー2世と、事件発生後2度目の電話会談を行い、これに岸田外相及び菅官房長官も参加して、協議を行った。中山外務副大臣が、報道陣の前には現れないまま、頻繁に車で大使館を出入りしたため、何らかの情勢の変化があったのではないかとの観測が流れた。
1月25日未明、人質1名が殺害された蓋然性が高まったことを受け、0時11分から菅内閣官房長官が緊急記者会見を開き「湯川遥菜氏と見られる邦人1名が殺害された写真を持つ後藤健二氏の写真が、インターネット上で配信されました。」と事態を説明した上で、「言語道断の許し難い暴挙であり、強く非難する。」と述べた。午前1時15分から関係閣僚会議が開催され、午前2時5分に安倍首相から「このようなテロ行為は言語道断の許しがたい暴挙であり、強い憤りを覚えます。断固として非難します。」との声明が出された。また24日には報道陣の前に姿を見せなかった中山外務副大臣が、外出先から在ヨルダン日本大使館の現地対策本部に戻って対応にあたり、午前9時ころに再び車で外出先に向かった。同日9時、NHK「日曜討論」に出演した安倍首相は、「(画像の)信憑性は高いと言わざるを得ない。」とし、湯川が殺害されたとの見方を示した上で、ISILがヨルダンで拘置されている死刑囚の釈放を人質解放の条件としていることに関し、「ヨルダンと緊密に連携して対応する」との考えを明らかにした。
1月25日、警視庁及び千葉県警察が、人質による強要行為等の処罰に関する法律違反(加重人質強要)の容疑で、現地の部族長らから情報を集めるなどの捜査を開始した。また警察庁が科学警察研究所で静止動画の分析を開始するとともに、各都道府県警察本部に対し、モスクや大使館、イスラム教徒が経営する店舗への嫌がらせ等を警戒するように指示を出した。午後3時20分、安倍首相が、訪印中のオバマ大統領と電話会談を行い、感謝の意を伝えるとともに、今後の協力を確認した。また菅官房長官と岸田外相が、ケネディ駐日アメリカ合衆国大使と電話会談した。
2013年1月に発生したアルジェリア人質事件などを想定して2014年7月に閣議決定した邦人救出を目的とした自衛隊に関する法整備について、1月29日の衆議院予算委員会で首相の安倍は法案の成立に意欲を示した。ただし、ISILのケースは「その領域において権力が維持されている範囲」とはいえないため、対象外となる(ISILが活動するイラクやシリアなどの領域国が同意すれば、自衛隊の救出活動は「警察的な活動」として認められる可能性がある)。なお朝日新聞によれば、政府の想定問答集の中で国家に準ずる組織かどうかについて「政府として判断していない」とされ、あいまいな扱いだと報道されているが、自民党は1月26日に「(イスラム国という呼び方は)あたかも日本が独立国家として承認している印象も与えかねない」として「ISIL(アイシル)」あるいは、「“いわゆる”イスラム国」との表現を使うことをすでに決めている。また、想定問答集では「『国家に準ずる組織』は存在しないとの考え方を基本とし」と明記されている。
2月1日、菅内閣官房長官は後藤殺害後の会見で、ISIL側と身代金の交渉は「全くしなかった」ことを明らかにした。安倍首相は「非道・卑劣極まりないテロ行為に強い怒りを覚える」「日本がテロに屈することは決してない。食糧支援、医療支援といった人道支援をさらに拡充していく。」などと述べた上で世界の指導者の協力への感謝を表明し、「ヨルダンのアブドラ国王には惜しみない支援をいただいた」と言及した。2月4日、菅はイスラム国がヨルダン軍パイロットを焼殺したことについて「一般の常識では考えられない許し難いテロ集団」と非難した。
人質事件に関連する政権与党の動き​
安倍首相は1月25日のNHKの番組にて、「この(事件の)ように海外で邦人が危害に遭ったとき、自衛隊が救出できるための法整備をしっかりする」と発言。後に「今度の(安全保障)法制には邦人救出なども入っているが、(人質)事案と直接かかわることではない」と訂正した。
岸田外相は2月17日午前の記者会見で、中東・アフリカのテロ対策支援のため約1550万ドル(約18億3000万円)を拠出すると発表した。政府は1月に約750万ドルの支援を打ち出していたが、ISILによる日本人人質事件を受けて約800万ドルを追加した。
日本政府以外の動き​
2014年、湯川が拘束される直前まで行動を共にしていたシリアの反政府勢力「イスラム戦線」が、対立関係にあるISILに対し、湯川の解放にあたり、捕虜の交換を持ちかけていた。
1月25日、シリアの反政府勢力が、湯川殺害後もISILとの間で後藤解放交渉を継続していること及び、日本へ情報提供を行ってきたこと、また湯川の遺体回収に向けた交渉を行う用意があることを明らかにした。
1月26日、ヨルダン国王のアブドゥッラー2世は空軍のパイロットが人質になっていることに触れ「自国民の救出が最優先」だと述べたが、パイロットはすでに殺害されていたことが判明した。
事件関係者以外の者による主なコメント​
日本ユニセフ協会大使のアグネス・チャンは、後藤は自分の友人であるとし「気持ちが整理できるまで、しばらくブログを休みます」と述べた。日本ユニセフ協会広報室の中井裕真室長は「理不尽な状況におかれた人々を最優先に取材するジャーナリスト。無事に帰ってきてほしい」と語った。
古谷経衡は、後藤は拘束前「何が起こっても、自分の責任」というメッセージを残しており、湯川にいたっては渡航の動機自体が不純とみられるものの、「(シリアに渡航した)動機が不純だから、国家は彼らを助ける必要がない」という自己責任論がまかり通るのなら、それはもう「鎖国という祖法を破って、海外に渡航する領民については、何をやっても幕府は捨て置く」という、江戸時代の日本の、中世の世界観と瓜二つだと批判した。
イスラム指導者のアンジェム・チャウダリー(英語版)は、問題を引き起こした発端について「どこへの支援か気をつけなかった。日本の政府の責任だと思います。そして、その政府に権力を与えた国民もです。しかし、もっと大きな責任があるのは、最初にめちゃくちゃにしたアメリカとその仲間です」と語った。
後藤の友人であるフリージャーナリストの安田純平はNHKのニュースで、1月24日にアップロードされた静止動画の中で、後藤が安倍首相批判などの発言を行っていることに関し、ISIL側の意思で言わされているように感じた。」などと述べた。NHKの報道に関し、同志社大学教授の内藤正典は「余りに馬鹿なことを公共放送で言うな。後藤氏らしき人が「言わされているように感じる」当たり前だろうが。」などと批判した。
安田純平は2015年にISILと対立していると見られている武装勢力にシリアで拘束され2018年に解放された後の2019年2月6日、自身のツイッターで、「先日日本国内で会った某元IS人質は、一緒に写した写真をネットに出さないように言っているので出さない。元人質たちが生存証明を取られていたことは既報だし自力で調べればよい。」と、元IS人質と日本国内で会ったことを発表し、詳細な情報ついては自力で調べるべきと一蹴した。
1月22日、イスラム法学者の中田考とジャーナリストの常岡浩介が記者会見を行い、中田は「ISIL側とコンタクトを取れることは確認している。救出に向けて尽力したい」「日本政府から(仲介などの)要請は直接にはない」などと述べた。また常岡は、2014年10月に北大生がISILに参加しようとした事件で自身が公安部の家宅捜索を受けパソコンなどを押収されたため、湯川の救出が難しくなったと主張した。これに関して、元駐レバノン大使の天木直人は「外務官僚のプライドだ。」などと政府の姿勢を厳しく批判した。一方、湾岸危機で人質解放交渉にあたった元駐シリア大使の国枝昌樹は、交渉の一元化を維持しないと、交渉が成立しなくなり事態が悪化するおそれがあると指摘した。
「生活の党と山本太郎となかまたち」党首の小沢一郎は「政府の対応と言っても、あたふたしているだけ」と政府の対応を批判した。また、山本太郎は「2億ドルの支援を中止し、人質を救出してください」とのツイートをし、ISIL関係者がリツイートでこれを拡散した。
「カトリック正義と平和協議会」の事務局長は「日本が武器輸出で、戦争に加担することになってしまえば、こういう人質事件が次々と起こる」として政府の安全保障政策の転換を批判し、「平和をつくり出す宗教者ネット」員は「日本政府は『テロ組織と交渉しない』という米国に気を使い、正式な交渉をしていない」と安倍政権の事件への対応に懸念を示した。
日本共産党の池内沙織衆院議員がISILが日本人の殺害映像をネットで配信した後にツイッターで「安倍政権の存続こそ言語道断」と批判の矛先を安倍政権に向けたことに対して、2015年1月26日同党の志位和夫委員長は池内に対し「政府が全力を挙げて取り組んでいる最中だ。今あのような形で発信することは不適切だ」と釘を刺した。
報道ステーションの報道内容について批判があることについて、高橋洋一は「世界の常識からみれば、報道ステーションの特集は全くずれていて、大きな違和感があった」「ISILがテロ集団というより、国家として機能しているという印象を視聴者に与えたのではないか」と批判した。
日本共産党の小池晃は、参院予算委員会で「『非軍事の人道支援』という表現はない。」と首相の安倍を批判した(安倍のカイロでの演説では支援の内容を「to help build their human capacities, infrastructure, and so on.」と記載しており、「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援」と言及されている)。また小池は、「イスラエルの首相と肩を並べ『テロと戦う』と述べた」とも批判した。
事件後池上彰は後藤とはNHKの『週刊こどもニュース』での出演がきっかけで知り合っている。「何が『危険』で何が『そこそこ危険なのか』を判断出来るジャーナリストであった」と述べている。戦争や紛争で真っ先に被害者になるのは女性と子供、その様子を伝えたい思いがあった。誰かが現地に行って取材しなければ、その戦争は忘れられ戦いになり悲惨な状況が長引く事を語っている。悲報を知りショックで言葉が出ない上に、悲しい、怒り、無力感が募る事を述べていた。 
シリアから解放の安田さん、帰国 3年4カ月ぶりに解放 2018/10 
シリア北部で武装組織に3年間拘束されていた日本のフリージャーナリスト、安田純平さんが25日午後6時20分ごろ、成田空港に帰国した。
安田さんは、トルコ・イスタンブールから帰国した。帰国に先立ち24日には、トルコ国境の入管施設で撮影された動画が公開された。その中で安田さんは、自分の名前と40カ月シリアに拘束されていたことなどを英語で語っていた。
安田さんは2015年6月、内戦を取材するためトルコからシリアに渡った後、行方が分からなくなっていた。国際テロ組織アルカイダの関連組織「タハリール・アル・シャーム機構(HTS)」(旧「ヌスラ戦線」)に拘束されたとの情報もあった。
安田さんの姿が収められた20秒あまりの動画は、トルコ南部アンタキヤの入管施設で撮影された。動画で安田さんは、「私はシリアに40カ月間拘束されていました。今はトルコにいます。今は安全な状況にいます。本当にありがとうございます」と英語で語った。
日本の大使館職員がアンタキヤに派遣され、安田さんの身元を確認した。
安田さん解放を求めて活動していた妻の深結さんは、安田さん解放が伝えられると、日本の生放送テレビ番組に出演した。
深結さんは安田さん無事の報を聞くと涙を流し、「それぞれの方が安田の事を祈り動いてくださって、その思いが伝わったのだと思います。本当にありがとうございました」と述べた。
日本の複数テレビ局は7月、安田さんとみられる男性の映像を放送した。撮影は昨年10月とされ、男性は英語で「私の家族全員の無事を願っている。会いたい」と話していた。
日本の英字紙ジャパン・タイムズは24日、HTSが身代金として1000万ドル(約11億円)を要求していたと報じた。ただ日本政府は、身代金の支払いを否定している。菅義偉官房長官は記者会見で「身代金を払ったという事実はありません」と述べた。
カタール政府はこれまでも、シリアの反体制派武装組織に拘束された被害者の救出を支援している。その1人、米ジャーナリストのピーター・セオ・カーティスさんは旧ヌスラ戦線に拘束されていたが、2014年に解放された。
カタールは身代金の支払いを否定しているが、カタール人26人の解放と引き換えに数億ドルの身代金を反体制派に渡したと非難されている。拘束されていたカタール人の中には、イラク国内で親イラン民兵組織に誘拐された王族も含まれていた。
日本はシリアで過去にあった法人誘拐への対応で批判を受けてきた。2015年の日本時間2月1日、ジャーナリストの後藤健二さんが過激派組織「イスラム国(IS)」に首を切られ殺害されたとみられる動画が公開されると、悲しみと怒りの声が殺到した。
後藤さんとみられる男性の殺害映像が公開される1週間前には、別の日本人男性、湯川遥菜さんを殺害したとISが発表していた。 

 
2004/