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●ゆとり教育
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日本において、1980年度(狭義では2002年度以降)から2010年代初期まで実施されていたゆとりある学校を目指した教育のことである。
ゆとり教育(文部科学省が指定した正式な名称でない)は、「詰め込み教育」と言われる知識量偏重型の教育方針を是正し、思考力を鍛える学習に重きを置いた経験重視型の教育方針をもって、学習時間と内容を減らしてゆとりある学校を目指し、1980年度、1992年度、2002年度から施行された学習指導要領に沿った教育のことである。ゆとり教育の範囲については諸説あり、明確ではないが、以下のような見方がある。
ゆとり教育は、1980年度から施行された学習指導要領による教育方針であるが、1992年度から施行された新学力観に基づく教育や、2002年度から施行された「生きる力」を重視する教育をゆとり教育であると定義する人もいる。
1970年代までに学習量が過剰に増大した学校教育は「詰め込み教育」と呼ばれ、知識の暗記を重視したため「なぜそうなるのか」といった疑問や創造力の欠如が問題視され、このような学習方法はテストが終われば忘れてしまう学力(剥落学力)であると批判された。このため思考力を鍛える学習に重きを置いた経験重視型、過程重視型の教育方針が求められた。
また、加熱した「受験競争」により学校教育においても学力偏差値が重視されるようになったが、1992年に公立中学校で偏差値による進路指導が禁止され、1993年には中学校校内にて実施する一斉業者テストが禁止された。また過剰に競争をさせたり、過剰に自由を奪う学校のあり方は子供のストレスや非行などの学校をとりまく諸問題の要因だとして「子供を学校に縛り付けている」「子供にも自由が必要」などの批判を受けた。
2002年度施行の学習指導要領では「生きる力」への転換重視「総合的な学習の時間」をはじめとして各教科で「調べ学習」など思考力を付けることを目指した学習内容が多く盛り込まれた。教科書では実験、観察、調査、研究、発表、討論などが多く盛り込まれ、受け身の学習から能動的な学習、発信型の学習への転換が図られた。
●ゆとり教育の経緯
1970年代に日本教職員組合(日教組)が「ゆとりある学校」を提起をし、世論の詰め込み教育への批判が高まったこともあり1980年代初頭に授業時間の削減などが行われた。
国営企業の民営化を推し進めた中曽根内閣では、文部省と日教組の関係者間ばかりで行われる教育政策に疑問を呈し、第2次中曽根内閣の主導に民間有識者によって構成される臨時教育審議会(臨教審)を発足させた。臨教審では「公教育の民営化、自由化」という意味合いの中で経済界や保守派の有識者の多数が賛成に回り、後のゆとり教育への流れを確立させた。臨教審は「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「国際化、情報化など変化への対応」などの、ゆとり教育の基本となる4つの答申をまとめ、その方針は1993年度施行の学習指導要領に反映された。
さらに、校内暴力、非行、いじめ、不登校、落ちこぼれ、自殺など、学校教育や青少年にかかわる数々の社会問題を背景に、橋本内閣下の1996年(平成8年)7月19日の第15期中央教育審議会の第1次答申が発表された。答申は子どもたちの生活の現状として、ゆとりの無さ、社会性の不足と倫理観の問題、自立の遅れ、健康・体力の問題と同時に、国際性や社会参加・社会貢献の意識が高い積極面を指摘する。その上で答申はこれからの社会に求められる教育の在り方の基本的な方向として、全人的な「生きる力」の育成が必要であると結論付けた。「生きる力」は教育課程審議会に引き継がれ、そこで「総合的な学習の時間」をはじめとして各教科で「調べ学習」など思考力を付けることを目指した学習内容が多く盛り込まれた。1998年、小渕内閣下で新学力観として「生きる力」を重視し、完全学校週5日制実施とともに学習内容や授業時間を削減する、「ゆとり教育」をスローガンとする学習指導要領が成立した。この後、この「ゆとり教育」学習指導要領はマスコミや世論に批判に晒され大規模な「学力低下」論争へと発展するが、当時小泉内閣の遠山敦子文部科学大臣と小野元之文部事務次官とがその危機感を共有し、遠山文科大臣は2001年1月に緊急アピール「学びのすすめ」を発表し、初めて「確かな学力」という表現を用い、「学習指導要領は最低基準である」と明言した。小中学校では2002年度(平成14年度)、高等学校では2003年度(平成15年度)からこの学習指導要領が施行されたが、学習内容削減により教科書が薄くなった一方、実験、観察、調査、研究、発表、討論などの内容が増えた。受け身の学習から能動的な学習、発信型の学習への転換が図られた。
ゆとり教育は、詰め込み教育に反対していた教育者、経済界などの有識者などから支持されていたが、OECD生徒の学習到達度調査 (PISA) などの国際学力テストで順位を落としたことなどから学力低下が指摘され、各方面から批判が起こった。当時、中山成彬文部科学大臣は、学力低下を認めるものの「生きる力」の「理念や目標には間違いがない」とし、また「その狙いが十分に達成されていないのではないか」と発言した。小泉内閣の下、小坂憲次文部科学大臣は中央教育審議会に学習指導要領の見直しを要請し、安倍政権が引き継いだ。この時点でマスコミは「脱ゆとり」という言葉を用いて報道していたが、小坂文部科学大臣も、安倍内閣下の伊吹文部科学大臣に至っても「ゆとり教育」の理念や方向性には賛同していた。安倍内閣で新設した教育再生会議(内閣府設置会議)において、初めてゆとり教育の授業時間が問題視される。教育再生会議の報告書(第1次:2007年(平成19年)1月24日 第2次:2007年(平成19年)6月1日)において、「授業時間の10%増(必要に応じて土曜日授業の復活)」などが盛り込まれ、安倍内閣骨太の方針2007には授業時間数の1割増が明記された。そうして2008年には、今までの内容を縮小させていた流れとは逆に、内容を増加させた学習指導要領案が告示され、2011年-2013年に完全に施行された。マスコミは、この改定された教育のことを「脱ゆとり教育」と称している。
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●ゆとり教育の関連事項
●ゆとりカリキュラム
1980年からの学習指導要領の改訂で教育内容の精選と標準授業時数削減が施行された。この改訂について文部科学省の出版する学制百二十年史によると、各教科の指導内容を大幅に精選し思い切って授業時間を減らしたことが大きな特色とある。具体的には授業時数は小学校210時間。中学校数は385時間を合計で削減されている。また、この改訂は「ゆとりと充実」で有名とし、完全学校週5日制については「生きる力」を強調しているのに対して1980年からの学習指導要領の改訂では明確に「ゆとり」を重視する目的を表明している。
●学校週5日制
1992年9月に公立学校において、第二土曜日が休日となったのから始まり、1995年度から第四土曜日、そして2002年度からは全ての土曜日が休み(完全学校週5日制)となった。このことは、学校教育法施行規則(第六十一条)に決められており、2014年現在改定されていないため、公立学校において、原則として土曜日は休みである。なお、私立学校では各学校の方針に任せられているため、土曜日の扱いについては学校によって異なり、完全週5日制を実施している学校もあれば、1991年度以前のように週6日制を続けている学校もある。また、文部科学省は、完全学校週5日制について、生きる力を育むために必要であるとしている。学校週5日制導入の経緯に関しては、ゆとり教育とまったく関係がないとする説がある。日本は1980年代後半、OECD、ILOなどの国際機関や欧米諸国から「労働者の労働時間を短縮するべき」と強く圧力をかけられていた。政府は1992年5月1日から国家公務員の週5日労働を実施。また並行して地方公務員も週5日労働へ向かったが、文部省は公立学校については、例外的に同年9月から実施される学校週五日制の第二土曜日を除き、閉庁の対象としないと通知した。藤田英典は、学校で週5日制が導入された背景には1980年代の労働時間短縮をめぐる政治的動向があったと指摘し、「学校週5日制論が出てきたのは、教育上の理由ではなかった」と述べている]。このように文部省が後付けでゆとり教育の一環とすることで学校週5日制の正当化を試みた可能性が指摘されている。
●総合的な学習の時間
1998年の学習指導要領の改定時に新たに設置された科目で、2002年度以降から開始された。総合的な学習の時間は教員や児童・生徒の力量・意欲が高い場合は成功しやすく、そういった要素に左右されるという欠点を持つとされるが、基本的に総合的な学習時間の何を成功・失敗の評価基準とするのかという問題も存在する。実際、総合的な学習の時間を有意義に使う学校もある一方で、単に不足している授業時間の補完など評価基準のはっきりした伝統的科目の学力向上に使うなどというケースも少なくなかった。また、基礎学力が低い生徒は「総合的な学習の時間」の目的とされる、「主体的に考える力」なども低くなる傾向があるという指摘もあった。その後、2008年の学習指導要領が改定され、新しい学習指導要領で、この総合的な学習の時間の授業時間が削減された。
●絶対評価
1998年の学習指導要領の改定とともに採用された評価方法である絶対評価については、2014年現在も継続している。
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●ゆとり教育の結果
ゆとり教育(ここでは1998年(平成10年)度から1999年(平成11年)度にかけて告示された指導要領を指す)は学力低下を引き起こすと懸念されていたが、成果については(文部科学省内においてすら)確定的な評価はない。学力の上昇を示すもの、低下を示すという両方の例が見られる。
●OECD生徒の学習到達度調査 (PISA)
2004年12月に発表された「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA) 2003では、読解力は8位から14位へ、数学リテラシーは1位から6位へ(統計的には1位グループ)、科学的リテラシーは2位のまま(同1位グループ)という結果となった。2007年12月に発表された「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA) 2006では、読解力は14位から15位へ(統計的には9〜16位グループ)、数学的リテラシーは6位から10位へ(同4〜9位)、科学的リテラシーは2位から6位へ(同2〜5位)へと全分野で順位を下げる結果となっている。ただし順位については日本より上位の国の多くがかつての調査で参加していなかったことから順位だけで学力を見ることは適切ではない。2003年と2006年で共通に実施された(同一)問題48題について、平均正答率は03年が56.1%、06年が53.4%であり、約2.7%低下していた。正答率の比較では、06年は03年より、上回った問題が8問、下回った問題が40問だった。そのうち5ポイント以上、上回った問題が1問、下回った問題が10問であった。2010年12月に発表された「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA) 2009では、読解力は15位から8位へ(統計的には5〜9位グループ)、数学的リテラシーは10位から9位へ(同8〜12)、科学的リテラシーは6位から5位へ(同4〜6位)へと全分野で順位を上げる結果となっており統計的に、読解力に関して有意に上昇していることが示された。また、同一問題について正答率をPISA2006とPISA2009を比較すると、読解力では58.4%から61.7%、数学的リテラシーでは51.9%から54.4%、科学的リテラシーでは59.5%から61.8%であった。
●国際数学・理科教育動向調査 (TIMSS)
義務教育の中途段階における算数・理科の基礎学力知識を調査するために1995年から4年ごとにIEA(国際教育到達度評価学会)が実施している国際数学・理科教育動向調査 (TIMSS) の2003年度調査 (TIMSS2003) において、日本の数値がそれまでの調査に比べ低下したことがゆとり教育を見直すきっかけとなった。TIMSS2003では、中学2年生の数学は前回のTIMSS1999年よりも9点、前々回のTIMSS1995よりも11点、いずれも有意に低くなっており(順位は5位のまま)、数学が楽しいと思う者の割合も減少していた。TIMSS2007では前回のTIMSS2003の結果よりも平均得点が全て上回った。ただし誤差を考慮すると前回と同程度であるとしている。8800人の児童が参加し2011年に行われたTIMSS2011では、小学校4年生の成績は95年以降で過去最高を記録した。この結果について文部科学省では、「2008年度に学習指導要領を改定し、学習内容や授業時数を増やしたこと、2007年度からの全国学力調査の取り組みが成果を上げてきた」ことが原因であり「脱ゆとり教育」路線に変更したことの成果であると評価していると報道されている。
●小・中学校教育課程実施状況調査
一方で、平成15年度 小・中学校教育課程実施状況調査(2003年に文部科学省に属する国立教育政策研究所が実施)では多くの学年、教科で、前回調査と同一の問題については正答率が有意に上昇した設問が、正答率が有意に下降した問題よりも多かった。特に、小学生と中学3年生の学力向上が顕著で、理科では前回より正答率が上昇し、アンケートで「勉強が好き」「どちらかというと好きだ」と答えた子の割合は増加傾向にある。
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●社会的な見解
●支持
中曽根康弘元首相は、ゆとりの方向性へ向かった臨時教育審議会(臨教審)を「私が作った」とし、1984年当時「受験地獄、詰め込み教育、偏差値重視、学歴偏重など、いろいろな弊害が出ていた。さらに青少年の犯罪も多発していた。そこで「ゆとりを持った教育にしないと、心豊かな人間を育めない」となった」「こういう教育方法を目指した真意はよく分かる」と発言し、ゆとり教育について理解を示した。元文部省官僚である寺脇研は、2000年前後当時の文部省の考えを代弁するスポークスマンとしてメディアに出て、支持を表明するとともにゆとり教育について説明を行っていた。同じく文部省事務次官であった小野元之もメディアに出て支持の立場でゆとり教育について説明を行っていた。教育課程審議会会長として、学習内容の大幅削減を求めたゆとり教育の学習指導要領の答申の最高責任者であった作家の三浦朱門は2000年7月、ジャーナリストの斎藤貴男に、ゆとり教育について、新自由主義的な発想から、多数の凡人の中に必ずいるはずの数少ないエリートを見つけて伸ばすための「選民教育」であるという主旨を述べた。知識偏重の詰め込み教育を批判していた教師や保護者などの他にも、経済同友会、日本経団連、経済産業研究所、社会経済生産性本部などの経済界や、青少年問題審議会、日本労働組合総連合会が提言を発するとともに賛成した。また学者、弁護士をはじめとする識者などの民間人が参加した「21世紀日本の構想」懇談会(小渕恵三内閣総理大臣の私的諮問機関)でも、ゆとり教育を支持していた。ゆとり教育について、2013年に西部邁(評論家)は、ゆとり教育を主導した寺脇研は、多くの個性のある子供たちの中で勉強の嫌いな子に無理して偏差値教育をしてもしょうがないと主張しており、その意見に賛同していたと述べた。教育評論家の尾木直樹は、2002年の学習指導要領での教育により学力が上がったとPISAのパリ事務局が発表をしており、想像力や学問へのモチベーションも上がったとして注目をされていると述べている。
●批判
実施以前から学力低下の危惧があるとして和田秀樹、日能研などに批判されたが、多くが利害関係者であったため営業活動の一環であったとして解釈するべきという声もある。また、塾に行ける者と行けない者、参考書を買える者と買えない者、習熟度別授業で学力上位のクラスと下位のクラスなどでの格差を広げるのではという危惧もされていた。国際学力テストでにおいて順位が下がったことなどにより、学力低下を招いたという批判もある。個性尊重が重視されたため、その考えを教えた世代にさまざまな人格的影響を与えたという批判もある。
●擁護
第3期の教育改革(2002年度実施された学習指導要領改定)は始まったばかりで、ゆとり教育の評価は時期尚早だという意見もある。
●批判に対する反論
『学力低下は錯覚である』(森北出版株式会社)を著した神永正博は、自身のブログで、「根拠がはっきりしないことで、若者をディスカレッジしない方がよいのでは」と補足している。早稲田大学教授の永江朗は自身の執筆したコラム記事の中で、PISAの順位の低下は「参加国が増えたため」とも、冷静に分析すれば考えられると述べ、「PISAの結果が少し落ちていたぐらいで大騒ぎする理由がわからない」と教育社会学の専門家が疑問を呈しているということを紹介している。同じくジャーナリストの池上彰も、テレビ番組の教育特集の中で順位の低下は参加国が増えたためであり、学力低下と結論付けるのは早計だと発言した。元東京大学総長の有馬朗人はゆとり教育によりむしろ理科の力が上がった、と述べている。広島大学教授の森敏昭は国際教育到達度評価学会 (IEA) の調査結果を検討した上で「我が国の児童・生徒の学力は、今なお高い水準を保っている。(中略)「我が国の小・中学校段階の児童・生徒の学力は、全体としておおむね良好である」という文部科学省のいささか楽観的すぎるコメントも、あながち的はずれではない。」と述べている。 |
●受験産業の反応
改定された学習指導要領の内容が明らかになると、学習塾や進学予備校などの受験産業や、私立学校(特に中高一貫校)は広告やマスメディアを利用して活発な営業活動を行った。マスコミ媒体などに頻繁に登場した西村和雄京都大学教授などの言説を論拠に、「ゆとり教育」に対する危機感を訴えることによって、親の不安を煽り、活発に児童・生徒の勧誘活動を行った。折込チラシ、CMや電車内のドア周辺や吊り広告などの広告活動や、自らがスポンサーとなっているテレビ番組内などで、「小学校では円周率をおよそ3として教えている(正確にはゆとり教育のため小数点による計算が遅れたため幾何学において概算に3を使うようになったため)(日能研)」、「ゆとり教育で学力低下を引き起こす」「あなたの子供の将来が危ない」など、あるいは、学習時間の多寡を基準に、日本よりも学習時間が長いイタリアなどが、PISAでは日本のはるか下位に位置しているのにも拘わらず「世界の子は勉強している(栄光ゼミナール)」といい、教科の好き嫌いを基準に、算数の好きな子の割合がイランが1位、日本は24位で日本の教育がダメだといい(栄光ゼミナール)、統計値を恣意的につまみ食いした正確性・客観性に欠ける情報で感情論に基づいて危機感を煽ったり、この種の営業活動を行った事例もある。学習塾などがこういった営業活動を行った理由として、子供が減るために学習塾間で「パイの奪い合い」が発生していたことがある]。
一部の公立校では、塾の教師やスタイルを取り入れて学校教育を変えようという試みもしている。一例としては杉並区立和田中学校(校長の藤原和博、後任の代田昭久、共にリクルート出身)にて2008年(平成20年)1月に行われた「夜スペシャル」(通称「夜スペ」)があり、これは成績上位者のみを対象に、名門進学塾サピックスの講師を派遣して有料(1万円〜2万円)で授業を行う(学校が運営しているわけではなく、保護者の有志団体による運営形式)。
さらには、都立高校などが「総合的な学習の時間」のカリキュラム作成にもたついている間に、日能研をはじめとする一部の塾は
「自ら学び考える力を育てる授業。『総合学習』そのものだ」
と「総合的な学習の時間」を商品として提供を始めている。私立学校や中高一貫校の入学試験が、PISAに似たものになってきているからである。
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●国外の類似例
●デンマーク
ゆとり教育をすすめていたデンマークでも、OECD生徒の学習到達度調査 (PISA) の結果が下がり、学力低下が議論になった。教育改革として、義務教育の1年早期化などが議論されている。学校の現場では学力向上を目指した教育改革に反発があるものの、生徒の親は学力低下への不安が強いようである。
●フィンランド
OECD生徒の学習到達度調査(PISA:数学・科学・読解力の3教科のみ)においてトップの成績を上げ、全ての項目で日本を上回ったフィンランドは週休二日制であり、授業時間も日本よりかなり少なく、また、「総合的な学習」に相当する時間も日本より多く、「ゆとり教育」に近い内容である。具体的な中身として一つは、中学校の教育に特筆されるのは1/3にわたる(成績の低い)生徒が特別学級に振り分けられるか、補習授業を受けていることがある。低学力の生徒に対する個別の教育により底辺の学力を上げるだけでなく、優秀な生徒にはそれ相応の特別な教育が行われている。つまり、生徒の能力の違いを前提にして全体の学力を上げている。生徒の個別の能力差に沿った教育が行われているため、無理に能力の低いものを能力の高い授業に適応させる必要がないために「遅れる」ことはあっても「落ちこぼれる」ということはない。特定の基準を満たさない生徒にそぐわない授業内容を押しつける必要がないから「ゆとり」があるわけである。また、高校入学は中学の成績に基づいて振り分けが行われており、よい高校やよい課程に入学するには中学でよい成績を収めなければならない。他には、授業の組み立て方や教科書の選定など、教育内容の大部分を現場の裁量に任せられているという特徴もある。また、フィンランドは授業時間は少ないものの、日本にはない様々な教育の工夫が試みられている。多くの学校で学費が無料であるため、低所得の世帯でも安心して教育を受けさせることができる。このようなシステムがフィンランドにはあるため、フィンランドで講師を務めたこともある中嶋博早大名誉教授は、落ちこぼれをつくらず楽しんで学ぶ教育がフィンランドの教育であると述べており、フィンランドに留学経験のある者は、中高一貫の学校が多いため、(中学)受験を気にせずじっくりと学習に取り組むことができ、学習への理解が不足している、いわゆる「落ちこぼれ」の生徒は義務教育中であっても、じっくり教育を受けるシステムが確立されていると述べている。
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●十五の春 |
●十五の春
中学校を卒業し、高等学校に入学する時期。
昭和30年代後半、高校全入運動とともに広まった言葉。「十五の春は泣かせない」は当時京都府知事だった蜷川虎三がとなえたスローガン。
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●悲しすぎる「15の春」
息子の高校受験で苦い思い出がある。進路相談で第1志望は無理だと言われた。自己責任で落ちてもいいから受けるだけは、と申し出たが、内申点なども持ち出して強く反対された。どうやら不合格だと学校の指導実績に影響するらしい。釈然とせぬまま志望校を変えた。
●広島県府中町の中学3年の男子生徒(15)が自殺した。1年時の万引を理由に学校側が、志望する私立高校への推薦を出せないと伝えていた。ところが、万引はしておらず、誤った資料が修正されないままサーバーに保存されていた。身に覚えのない非行で志望校への進路が閉ざされたショックは想像に余りある。
●かつて京都府の蜷川虎三知事が高校入試について「15の春は泣かせない」と言った。革新府政には批判があったが、このスローガンは広く知れ渡った。大人への入り口で迷い、悩む。つまずいても、人生はやり直しができる。あきらめるな、夢を持て−と励ますのが教育者ではないのか。
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●旅立ちの島唄〜十五の春〜
『旅立ちの島唄〜十五の春〜』は、2013年5月18日に全国公開された日本映画。吉田康弘監督のオリジナル脚本で、南大東島を舞台に家族愛を描いたもの。2013年04月にノベライズされ、日販アイ・ピー・エスより単行本が刊行されている。 島内に実存する少女民謡グループ「ボロジノ娘」を題材に、沖縄を舞台とする実話をもとにしたボロジノ娘たちのエピソードから制作された。
●あらすじ
沖縄本島から360km離れた沖縄県南大東島は高校がなく、中学生たちは進学のためには島を出て家族と離れて暮らさなければならない。少女民謡グループ「ボロジノ娘」は、毎年卒業シーズンに別れをテーマにした民謡「アバヨーイ」を父母に向けて歌い、島を旅立って行く。 中学3年になった「ボロジノ娘」のリーダー・仲里優奈(三吉彩花)も、あと1年で生まれ育った島から旅立たなくてはならない。島を離れての新しい暮らしに対する不安、ずっと二人暮らしだった父(小林薫)を島に残していく罪悪感、切ない初恋など、さまざま思いを抱き、優奈は最後に島唄を歌いきって旅立とうと前進して行く。
●解説
島のドキュメンタリー番組を見た吉田監督は、離島には“別れ”という通過儀礼があり、家族の絆の純粋性、親と子が互いを思いやる。これを題材に、離島で生きている人々の苦しみや喜びや葛藤を描くことによって「親子の情愛を表現した映画になる」と直感、映画製作を決意した。 親子の関係を率直にまっすぐ見つめ直した作品であることから、父親役の小林薫はこの映画について「父と娘、現代版小津安二郎を観ている気持ちになった。」とコメントしている。
主演の三吉彩花については、彼女が15歳の春になる瞬間の今しかできない芝居を映したいとの思いから、撮影時期も実際に彼女が中学を卒業したばかりの2012年ゴールデンウィークに行われた。三線の演奏や独特な節回しの島唄も吹き替えなしで臨んでいる。
●音楽
主題歌「春にゴンドラ」は、南大東島のエピソードをもとにBEGINが書き下ろした。歌詞の要所要所には「製糖工場」「クレーン車」「紙テープ」といった島を連想させる言葉が盛り込まれている。また曲のタイトルは、南大東島では高波により船が接岸できないため、船に乗り降りするためにはクレーン車に吊るされたゴンドラに乗らなければならないことにちなんでいる。
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●「十九の春」
私があなたに惚れたのは
ちょうど十九の春でした
いまさら離縁と言うならば
もとの十九にしておくれ
もとの十九にするならば
庭の枯れ木を見てごらん
枯れ木に花が咲いたなら
十九にするのもやすけれど
見捨て心があるならば
早くお知らせ下さいね
年も若くあるうちに
思い残すな明日の花
一銭二銭の葉書さえ
千里万里と旅をする
同じコザ市に住みながら
会えぬ我が身のせつなさよ
主さん主さんと呼んだとて
主さんにゃ立派な方がある
いくら主さんと呼んだとて
一生忘れぬ片思い
奥山住まいのウグイスは
梅の小枝で昼寝して
春が来るような夢を見て
ホケキョホケキョと鳴いていた
● 沖縄の恋の唄として有名な「十九の春」ですが、歌詞は沖縄の方言やうちなーぐちではなく 標準語の歌詞が使用され、女性から男性への片思いの気持ちを歌った内容となっています。
標準語の歌詞であるから県外の方にもわかりやすく、この事が全国的にヒットした要因の1つではないでしょうか。
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● 十五の春を泣かすな〜メディアは真相の報道をせよ
広島県府中町はかつて「安芸郡」に属し、周囲の安芸町、海田町、P野川町などと同じ郡だった。他の町は「平成の大合併」で広島市と合併したので、いまは大広島市の中に浮かぶ人口約5万人の孤島である。町立中学は「府中中学」(1947創立)と「緑ヶ丘中学」(1980創立)の2校がある。JR山陽線下りの広島駅行に乗ると向洋駅と天神駅の間で、線路の直ぐ北側、低い丘の上に「緑ヶ丘中学」の校舎が見えてくる。かつては田園地帯だったが、70年代に丘の中腹に団地が造成され、マツダの工場や本社があり、都市化が進んだ。法人税収が多いため合併しない。広島市の中の孤島「府中町」はこうして誕生した。
「十五の春を泣かせない」。高校全入問題に取り組んだ京都府知事蜷川虎三(1897-1981)の名文句だ。だが府中町では取り返しのつかない悲劇が起こった。3/8の初報以来、各紙の記事を読んできた。「産経」は、初日は記事がなかったが、以後はポイントをついた客観的事実を報じてきたように思う。特に3/14の「総括報道」では「4つのミスの複合による人災」と簡潔に要約している。
この要約によると、以下の四大ミスがある。
第一、2013/10/6(日)に発生したコンビニでの万引き事件(2名)で、対応した日直教師が、翌日生徒指導部教諭に生徒の名字のみを口頭で伝えた。生徒指導の教諭がパソコン入力する際に、名字が同じ無実の生徒の名前を錯誤入力した。同年10/8の生徒指導委員会で氏名の誤りが指摘されたが、元データが修正されなかった。(この当時の校長は現校長である。校長がこの事件について対応教員から報告を受けなかったとは考えがたい。)
第二、共有サーバの「生徒指導資料」の元データ未修正というミス。これについて3/10「毎日」は、元データは修正され学校共有サーバに保存されたが、訂正前資料も同じサーバの別フォルダに共存されていた、と報じている。(3/10「毎日」)
事実とすれば同じサーバ内に新旧二つのフォルダが共存し、後者に誤記ファイルがあった。(つまり旧フォルダが削除されていなかった。)2015年11月になって「進路指導」が始まった。このため「1・2年時」の触法行為が問題になると考えたD教諭(3/11「朝日」の表記)が、11月12日、サーバ中の旧「生徒指導資料」を印刷し、学年主任S(2009~在任。1組担任、陸上部顧問)に渡した。これは「誤って」の行為だと、どの新聞も書いていない。
第三、2015/11/20の「校長推薦基準」の変更である。従来は「3年時の触法行為」のみが問題だったのに「1年時まで遡っての触法行為」を問題とした。(日付は3/13「朝日」による。「産経」は期日を明記せず。)学校の「調査報告書」によれば11月12日、旧「生徒指導資料」を読んだ、2組担任の女性教諭Sは、後に自殺した少年の非行記録を初めて知り「たいへん驚いた」という。
進路指導は通常1学期から始めるが、この年の指導が11月まで遅れたのは、「進路指導担当の教諭が退職した際に、今年度の担当教師と引き継ぎがなされず、推薦基準に達しているかを判定するソフトの使い方を誰も知らなかったから」(3/13「毎日」)という。
「最終的に去年11月に学年主任が校長に進言し、変更が承認されました。」(TBS)という。この学年主任は陸上部の顧問でもあり、「誤記録」を含む旧「生徒指導資料」を1年時まで拡大すれば、陸上部の少年A(自殺した少年)が推薦枠から排除されることは承知していたはず。「新指導資料」には同じ陸上部で実際に1年の時に万引きした少年Bの名前が含まれ、少年Aの名前はなかった。なぜ学年主任が誤記録に基づいて、校長に進言したのかが不明だ。
学年主任は推薦枠からはずれる19人の生徒を選りだし、6人の担任に調査を命じた。
机 第四のミスは、この女性担任が頭から少年Aが「万引きをした」と思い込んでおり、「あ、はい」という返答を「万引きを認めた」と誤認し、推薦ができないと指導したことにある。新推薦基準の決定は11/20に行われたので、担任Sによる少年Aへの正式な聞き取りは3回(ca.11/26、12/4、12/7=自殺前日)しかなかった。いずれも廊下での立ち話だった。
「産経」の主張と私の意見は異なる。これは単なる「複合ミス」ではない。
この4つのミスはいずれもそれ自体が複数の単純ミスの集合から成り立っており、確率計算をすれば「偶然の累積」とはちょっと考えにくい。何らかの「作為」が感じられる。
過ちの最大のものは、「法治主義の精神」がちっとも尊重されていないところにあると思う。憲法第39条に規定する「遡及処罰の禁止」はどこへ行ったのか?なぜ15年11月になって「1年時の万引き」が非推薦の規準に含められたのか?これは校長の責任である。
また同31条はペナルティを科すにあたり、「法定手続きの保証」を定めている。冤罪を防ぐための措置だ。1年時の担任に聞けばすぐわかることなのに、これを遵守せず、本人から十分に真相を聞き出すこともなく、「万引き犯」と決めつけたのは担任の責任である。公務員が憲法の精神を忘れたら、その国は終りだ。校長の無定見と担任の思い込みがなければ、事件は起こらなかった。
少年Aが自殺した翌日12/9になって直ぐに「冤罪」が判明。さらに校長はすぐに「新推薦基準」を元に戻し、真犯人の少年Bに12/22推薦状を出している。あまりにもできすぎた話で作為性が見え見えだ。全体の構図は「少子高齢化」が進むなか、定員枠の充足を求めて私学が推薦に頼る「逆AO入試」が支配的になりつつあることが基本だと思う。小保方の「早稲田AO入試」と同じことだ。日本は病んでいるとしか思えない。同じことがまた繰り返されるだろう。
「十五の春を泣かせないよう」に、メディアはしっかりと真相を報道してほしい。
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