机の角 五劫の擦り切れ

机の手前の角 気が付けば 丸く削れている

前のモニターを見ながら
いつもマウスをもって 手首を置くところ

五劫の擦り切れ

 


 
 
2004年 リフォーム PC 専用に机を買った
以来 18年  五劫の擦り切れか
手首も 結構ヤスリ代わりなるようだ
机の手前の角 丸く削れた
 
 
 
日常の作業
いつの間にか 一つのスタイルが 決まる
なんとなく 証明されました
スタイルが決まると
作業の効率 完成か
 
 
 
●天女の舞い降りた岩
有名な「寿限無」という落語に出てくる男の子に付けられた長い名前があります。 
「寿限無 寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末 食う寝るところに住むところ やぶら小路のぶら小路 パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」 
「寿限無」とは寿(とし)が限り無いこと。「五劫の擦り切れ」も長い年月のことで、昔ある大きな岩の上に3年に1度天女が舞い降りたとき、羽衣の袖や裾が岩に触れます。たとえ固い岩でも、裾が触れたときほんのわづかだけ磨り減るだろうということで、何万回、何億回、それ以上限りなく触れられているうちに、大きな岩も磨り減ってなくなってしまうかもしれない、その長い年月を「一劫」と数えて、それが5回繰り返された期間が「五劫」というわけです。大げさではありますが、子供の長寿を願っての名前なのでしょう。(天女の降りた岩は四十里四方の大きなものともいいます。仏教の「磨石劫」という考えによるもの) 
君が代は天の羽衣まれに来て撫づとも尽きぬ巌ならなむ  拾遺集 
特別な岩や石には、天女のほか、いろいろな神さまが舞い降りてきたという伝説が各地にあります。岩の上が神々の現れる場所にふさわしいものだったのでしょう。 
神々がその上に乗った岩は、磐船(いわふね)です。馬に乗って現れた神々も多いのですが、石の上に馬の蹄(ひづめ)の跡を残し、「馬蹄石(ばていせき)」と呼ばれます。神が鳥の姿に身を変えて降りた石の上には、鳥の足跡の窪みがはっきりと残っていたりします。神々が現れ、そこで神祭が行われたような場所が「磐座(いわくら)」です。 
源義経や弁慶が腰を掛けた石というのも全国各地にあります。西日本では菅原道真が腰を掛けた石というのが多いかもしれません。こうした伝説も、石の上に神々が現れた古い話を思い出し、そういった石そのものを貴んできた日本人の心が、伝説の人物に神に近い姿を感じ取って思い描いたものなのでしょう。 

暦(こよみ)  
●寿限無
早口言葉あるいは言葉遊びとして知られる古典的な噺であり、落語の前座噺である。上方落語では古くは別題を「長名」という。
生まれた子供がいつまでも元気で長生きできるようにと考えて、とにかく「長い」ものが良いととんでもない名前を付けた、という笑い話。縁起のいい言葉を幾つか紹介され、どれにするか迷った末に全部付けてしまった、という筋の場合もある。
生まれた子供にめでたい名前を付けようとして、お寺の和尚さん(人物が異なる場合もある)の所へ相談に行った父親は、和尚さんから色々と教えてもらったおめでたい言葉を、全て並べて子供の名前にしてしまう。子供はすくすく育って腕白小僧になる。近所の子供とけんかをし、殴られてこぶを作った子供が父親のところに言いつけに来る。やり取りの中で長い名前が繰り返されるうちに、こぶが引っ込んでしまった、というのがサゲ。
元々は「『子供が川に落ちた』という言葉を人々がやり取りするうちに、その長い名前が災いして助けが間に合わず溺れ死ぬ」という皮肉を含んだ話だったが、子供が死ぬという描写が時代に合わず改作が登場した。このような時代背景を反映した内容の変更は落語でも珍しいことではない。他にも「子供は大変な寝坊助であり、入学式の日に家族が名前を呼んでいるうちに、夏休みを迎えてしまう」という展開もある。
基本的には前座噺であり、噺の内容に興趣があるというよりも、暗記技術の練習、会話の間の取り方、人物の演じ分けなど、落語家の基礎訓練のためのものという色彩が濃い。しかし早口言葉の面白さがあり、前座噺のなかではよく知られたもののひとつである。プロの落語家にも、最初歩の練習として師匠からみっちりとこの噺を教え込まれたという者は多い。このようなよく知られた前座噺を面白く聞かせるには、高度な技術が要求され、3代目桂春團治のように大看板が得意としたこともある。

以下はこの噺の主人公である赤ん坊に付けられる「名前」の一例である。日本で最も長い名前、としてしばしば語られる。

寿限無じゅげむ、寿限無じゅげむ、五劫ごこうの擦すり切きれ、海砂利かいじゃり水魚すいぎょの、水行末すいぎょうまつ・雲来末うんらいまつ・風来末ふうらいまつ、喰う寝る処ところに住む処ところ、藪やぶら柑子こうじの藪柑子ぶらこうじ、パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命ちょうきゅうめいの長助ちょうすけ

寿限無 / 「幸福(寿)」が限り無いの意。簡単に言うと寿(命が無)限という事。
五劫の擦り切れ / 本来は「五劫の摺り切れず」が正しい。言い回しのために「ず」が省略されてしまうことがあるらしい。天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して岩が無くなってしまうまでが一劫とされ、その期間はおよそ40億年。それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと。別の落語では、天女が三千年に一回、須弥山に下りてきて羽衣で一振りして、須弥山がなくなるまでが一劫である。
海砂利水魚 / 海の砂利や水中の魚のように数限りないたとえ。
水行末雲来末風来末 / 水・雲・風の来し方行く末には果てがないことのたとえ。
食う寝る処に住む処 / 衣食住の食・住より。これらに困らずに生きて行ける事を祈ったもの。
藪ら柑子の藪柑子(やぶこうじ) / やぶらこうじのぶらこうじ、とも。藪柑子(やぶこうじ)は生命力豊かな縁起物の木の名称。「(や)ぶらこうじ」は藪柑子がぶらぶらなり下がる様か、単に語呂の関係でつけられたとされる。
パイポ、シューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナ / 唐土(もろこし)のパイポ王国の歴代の王様の名前でいずれも長生きしたという架空の話から。グーリンダイはシューリンガンのお妃様で、あとの2名が子供(娘)達という説も。
長久命 / 文字通り長く久しい命。また、「天地長久」という読んでも書いてもめでたい言葉が経文に登場するので、そこからとったとする説も。
長助 / 長く助けるの意味合いを持つ。 
 
 
 
 


2022/3