ゆく年くる年
ゆく年くる年
大昔なら
レコード大賞
紅白歌合戦
「ゆく年くる年」を見ながら 新年を迎えました
歌は世につれ世は歌につれ
楽しい歌がなくなりました
不幸な手紙の確認
住所録の整理
何人かの友が逝く
友の顔を思い出す
賀状を書く
顔を思い出す
顔が思い出せない人も
今どうしているんだろう
年末のお掃除
お勝手掃除
窓ガラス掃除
照明ランプまわり掃除
年越し蕎麦 三十日(みそか)蕎麦
蕎麦 長野の蕎麦屋を思い出す
歌は世につれ世は歌につれ
歌は歌謡曲 演歌 艶歌 恨歌
「歌」がなくなりました
昭和62年 命くれない 瀬川瑛子
昭和63年 パラダイス銀河 光GENJI 夢おんな 桂銀淑
平成2年 恋唄綴り 堀内孝雄
平成3年 北の大地 北島三郎 流恋草 香西かおり
平成4年 白い海峡 大月みやこ こころ酒 藤あや子
平成5年 無言坂 香西かおり 心凍らせて 高山巌 「歌」らしい歌の最後か
●レコード大賞受賞 作曲家ランキング
1位 筒美京平 54曲
2位 弦哲也 36曲
3位 三木たかし 33曲
4位 小室哲哉 24曲
5位 服部良一 23曲
6位 都倉俊一 22曲 / 水森英夫 22曲
8位 吉田正 21曲
9位 つんく♂ 21曲
10位 船村徹 18曲 / 猪俣公章 18曲
●レコード大賞受賞 作詞家ランキング
1位 阿久悠 77曲
2位 秋元康 43曲
3位 松本隆 33曲
4位 荒木とよひさ 27曲
5位 なかにし礼 25曲
6位 吉岡治 24曲 / 7位 つんく♂ 22曲
8位 たかたかし 20曲
9位 石本美由紀 19曲
10位 小室哲哉 17曲 / 佐伯孝夫 17曲
ゆく年くる年
除夜の鐘
●歌は世につれ世は歌につれ
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1 歌は時勢の影響を受けて変化し、世のさまも歌の流行によって影響される。※白く塗りたる墓(1970)〈高橋和巳〉五「それはいわば機械的な中立であって、〈略〉歌は世につれ、世は歌につれというにすぎません」
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2 歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響される。
ここでいう「歌」とは時代ごとの流行歌や歌謡曲として世間に広まったもの、「つれ」は「…とともに」という意味です。多くの人々からよく歌われる流行歌は、その時代の世の中のありさまを映し出す鏡のようである、といった意味がこの言葉に込められています。逆に、歌が世のありさまを大きく変えるほどの影響力を持つことは実際にはほとんどないことから、「世は歌につれ」の部分の意味を強く持つことはあまりありません。
これまでに日本において「歌が世につれた」、つまり流行歌が世相を表していたものとして次のような事例が挙げられます。
まず、戦時中における流行歌としては、勇ましい調子の曲や戦争を賛美する歌が多く作られ、人気を得ました。これは当時の政府や軍が国民の愛国心や戦意をあおり、戦争に好意的にさせることを目的としたためでした。ちなみにNHK連続テレビ小説『エール』の主人公のモデルとなった作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)も数多くの軍歌を作曲したことで知られています。
また幕末の出来事として知られる「ええじゃないか」の歌もその一つです。これは明治維新のころ、派手な服装をした民衆が「ええじゃないか」などと歌いながら集団で踊り歩いたという民衆運動ですが、歴史上の大きな転換点にあたって民衆が熱狂状態となり大騒動を起こしたことは、まさに当時の異様な世の中の雰囲気が民衆を駆り立てた結果だったと言われています。
比較的近年では、1980年代に若者の間で不良文化が流行し、学生服や髪形などのファッションに影響を与え、映像作品も不良ものが人気となっていたなか、歌謡界にもツッパリ姿のロックバンドがデビューしたり、不良行動を表現した作品が登場するなど、それらは一部の若者からはカリスマ的存在として大きな支持を得ました。
これらはやや極端な例ではありますが、まさに世相が流行歌に影響を与えていた好例と言えます。なお、「歌は世につれ世は歌につれ」のはっきりとした語源は不明ですが、昭和の歌謡番組の司会者の決まり文句であったことから、世間に広く知られるようになったようです。
●「歌」を含む故事・ことわざ・慣用句
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歌は世につれ世は歌につれ
歌は世相の変化に伴って変わっていき、世相も歌の流行に影響されるということ。
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歌物語の歌忘れ
いちばん大事なことがぬけていることのたとえ。「歌物語」は和歌にまつわる話。歌物語を話しながら、歌の文句を忘れてしまったという意から。
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歌人は居ながらにして名所を知る
歌人は古歌や歌枕の研究によって、実際にその場所に行ったことはなくても、名所について詳しいということ。
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凱歌を揚げる
試合や戦争などの戦いに勝利して喜ぶ。 「凱歌」は、勝利を祝う歌。 「挙げる」は「上げる」「挙げる」とも書く。
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凱歌を上げる
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凱歌を挙げる
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凱歌を奏する
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夏歌うものは冬泣く
働ける時に働いておかないと、あとで暮らしに困るというたとえ。夏に歌など歌って遊び暮らしている者は、冬になって蓄えがなく飢えや寒さに泣く羽目になるという意から。
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貧の盗みに恋の歌
人間は必要に迫られれば、なんでもするというたとえ。貧乏すれば盗みも働くし、恋をすれば歌を詠むという意から。
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引かれ者の小唄
どうにもならない状況に陥った者が、負け惜しみを言ったり、開き直って平気なふりをすることのたとえ。「引かれ者」とは罪人のことで、江戸時代は罪人が捕まえられると馬に乗せられて刑場まで引かれたことから。引かれ者が内心ではびくびくしながらも、強がって平気なふりをして、小唄を歌うの意味から、絶望的な状況にあっても無理して平静を装うことをいう。「引かれ者の鼻歌」ともいう。
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「歌」四字熟語
歌舞優楽 かぶゆうらく / 悲歌悵飲 ひかちょういん / 麦秀之歌 ばくしゅうのうた / 独絃哀歌 どくげんあいか / 朝歌夜絃 ちょうかやげん / 曾参歌声 そうしんのかせい / 高吟放歌 こうぎんほうか / 慷慨悲歌 こうがいひか / 撃壌之歌 げきじょうのうた / 琴歌酒賦 きんかしゅふ / 緩歌縵舞 かんかまんぶ / 緩歌慢舞 かんかまんぶ / 独弦哀歌 どくげんあいか / 歌舞音曲 かぶおんきょく / 歌功頌徳 かこうしょうとく / 放歌高吟 ほうかこうぎん / 仏足石歌 ぶっそくせきか / 悲歌慷慨 ひかこうがい / 歌舞歓楽 かぶかんらく / 狂歌乱舞 きょうからんぶ / 高歌放吟 こうかほうぎん / 詩歌管弦 しいかかんげん / 四面楚歌 しめんそか
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一鶏鳴けば万鶏歌う
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1 一人の意見につられて多くの者が軽々しく同調しその意見が世の中に広まる事のたとえ。一羽の鶏が鳴くとそれにつられて他の鶏がみな鳴き出す事から。
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2 一羽の鶏が鳴くと、それにつられて他の鶏も一斉に鳴くということから、「付和雷同」と同じ意味を表すことわざです。
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3 たくさんの人が、カンタンに影響されてしまう事を指します。なんでしょうね。現代で言うと、ツイッターの「炎上」さわぎなんかもこのコトワザにあたるでしょうか?このことわざ自体は、あまり良い意味では使われません。すごいリーダーシップと影響力がある人、・・のたとえではなくって、むしろ「軽々しく迎合してしまう大衆はオロカナコトダ…」というイメージですね。鶏さんは確かに一羽鳴き始めると、周りもつられて鳴きます。何かの拍子で「夜中」につられ鳴きすることだってあります。不思議ですが、たまたま車のライトなどで目が覚めた鶏さんに、周りがつられたのかもしれません。ちなみに「雄鶏は序列の高い鶏から順に鳴く」ことが英科学雑誌「ネイチャー」系誌発表の論文(基礎生物学研究所・新村毅ら)により明らかにされています。基本的に序列の低いものが先導することは無く、じっと本能の欲求に耐え自分の出番を待つのだそうです。してみると、上のコトワザ「一鶏鳴けば万鶏鳴く」は政治で言うポピュリズム、いや盲目的に従う武闘派ヤクザワールドを表現している・・・!?
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歌より囃子
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1 歌よりも囃子の巧拙のほうが大事である。転じて、話をする人よりも相づちを打つ人の存在のほうが大切であるというたとえ。
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2 話をする人よりも、その話を聞いて、相づちをしている人の ほうが、大切であり、必要な存在であるというたとえ。人が話したり、本を書いたり、インターネットでホームページを公開したりすることは、 すべて、その人の話や、その内容を聞いてくれたり読んでくれる人がいるので、その存在 意味があるということを言っているのではないかと思います。この句のもともとの意味は、 日本で昔からある、能や歌舞伎で演じられている歌(かたり、せりふ)と、それに合わせて 舞台の雰囲気を出す、はやしという効果音や伴奏は、どちらもなくてはならないですが、 はやしの演奏がなかったら、それらの演技の楽しさは、失われてしまうので、 舞台の雰囲気を出している、はやしの大切さを言っているようです。
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褻(け)にも晴れにも歌一首
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1 普段の時も晴れの席でも、同じ歌一首しか詠めないということ。無能無芸を嘲笑う言葉。「褻」は、普段。類句は、馬鹿の一つ覚え(ばかのひとつおぼえ)。
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2 普段の時も晴れの席でも、同じ歌一首しか詠めないということ。無能無芸を嘲笑う言葉。「褻」は、普段。
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3 狂言「舟ふな(ふねふな)」の中に、「褻(け)にも晴(はれ)にも歌一首」という台詞があります。「晴」は非日常の場を、「褻」はそれ以外の日常を指し、どのような場面にあっても同じ歌しか詠めないということを揶揄する言葉であります。古来、我が国では、「褻」と「晴」の日を明確に区別し、その行き来の中で暮らしてきました。正月や盆のような年中行事あるいは結婚式のような公の儀式においては、普段とは異なる衣服を身に着け、酒や赤飯などの特別な食事をし、常とは異なる時間や空間の中で過ごすことで、労働と休息を繰り返す日常の生活に変化を与えていたのです。ところが、明治以降、生活習慣が変化し「褻」と「晴」との区別は曖昧になってきました。しかし本来、褻と晴はどちらか一方のみで在り得るものではありません。陰と陽しかり、静と動しかり、対照的な要素が共に在ることによってそれぞれの美点があざやかに立ち上がり、互いに影響を及ぼし合うことで物事は深みを増すものです。能楽においても、詩情豊かな能と和楽の心の狂言が共に演じられ、対比されることで、その世界がより豊かなものになっています。晴れの舞台という言葉があるように、芸能は古くから非日常の時間を生きるものとして、人々の生活の中に在り続けてきました。その「晴」の舞台は、日々の厳しい修業、地道な研鑽の先に初めて実現するものです。能の大成者である世阿弥は、その著『花鏡』の中で、「初心忘るべからず」という言葉を残しています。一般には思い立った当時の志を常に心に留めよとの意味で知られていますが、世阿弥は、若い頃の「初心」だけでなく、「時々の初心」と「老後の初心」についても忘れてはならないと説いています。すなわち、人生の節目節目において、また老境に至ってもなお、己の未熟さを顧みよとの戒めなのです。
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撃壌の歌
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1 古代中国の伝説の聖天子である尭帝が国を治めている時代に、世の中が平和であることを喜び、人々が歌った歌のこと。「撃壌」は足で地面を踏み、音を鳴らして拍子をとること。
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2 天下泰平で、人々が平和で安楽な暮らしを楽しんでいることのたとえ。「壌」は、地面のことで、「撃壌」は、地面を足で踏みならして拍子をとること。中国古代、帝尭ぎょうが国情を視察したとき、ある老人が腹鼓を打ち、足を踏みならしながら喜び楽しんで歌っている平和な情景を見たという。
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3 「十八史略」などにみえる故事から、中国伝説時代の五帝の一人、尭の時、老人が太平を謳歌 (おうか) して、大地を足で踏み鳴らして歌ったという歌。その詞は「十八史略」に「日出而作、日入而息、鑿井而飲、耕田而食、帝力何有於我哉(日出 (いで) て作 (な) し、日入りて息 (いこ) う、井を鑿 (うが) ちて飲み、田を耕して食 (くら) う、帝力 (ていりき) 何ぞ我においてあらんや)」とある。
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五噫(ごい)を歌う
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1 「噫」は嘆く声。中国、後漢の梁鴻(りょうこう)が、世を嘆いて詩「五噫の歌」をよんだという「後漢書‐梁鴻伝」の故事から出た語。多く「五噫をうたう」の形で世にいれられないのを嘆くこと。また、その嘆きの歌。
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2 「噫」は、「ああ」と嘆く声。中国、後漢時代の人梁鴻が世を嘆いて、各句の最後に「噫」の字を用いた五行の詩「五噫之歌」を作ったという故事から、世間で認められずに嘆くこと、立身出世が望めないことを嘆くの意。
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3 後漢の人・梁鴻(リョウコウ)が五つの「噫」の字のある歌を作って世を嘆いたことから。各句の最後に「噫」の字を用いた五行の詩「五噫之歌」を作ったという故事から、世間で認められずに嘆くこと、立身出世が望めないことなどを嘆くの意で使われている。
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四面楚歌
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1 敵の中に孤立して、助けのないこと。周囲が敵、反対者ばかりで味方のないことのたとえ。
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2 まわりすべてが、敵や反対者で、孤立した状態のこと。味方や賛同者がひとりもなく、周囲から非難を浴びるさま。「中国秦末漢初、楚(そ)の項羽(こうう)は、四面を漢の劉邦(りゅうほう)の軍に取り囲まれ、楚の歌が聞こえたので、祖国が漢に下ったのだと思い、驚き嘆いて敗走してしまった。」『史記』の故事から。
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3 四面楚歌は、中国前漢時代の史書『史記(項羽本紀)』の故事による。その故事とは、楚国の項羽が垓下(がいか)というところに追い詰められ、漢軍に周囲を取り囲まれた。項羽は夜更けに四面を囲む漢軍が楚の国の歌をうたうのを聞き、楚の兵たちが漢に降伏したと思い絶望したというものである。そこから、敵や反対者に囲まれて孤立した状態を「四面楚歌」と言うようになった。
●「世」を含む故事・ことわざ・慣用句
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明日知らぬ世(あすしらぬよ)
今日は無事に過ごせたとしても、明日のことはわからない。永久不変のものなど無いという、この世の無常をいうことば。
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あの世の千日、この世の一日(あのよのせんにち、このよのいちにち)
あの世の極楽で千日暮らすより、この世で一日でも楽しむほうがよいということ。
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石の物言う世の中(いしのものいうよのなか)
秘密や隠し事が漏れやすいことのたとえ。言葉を発するはずのない石が物を言うほど世の中では秘密が漏れやすいという意から。
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一世を風靡する(いっせいをふうびする)
その時代の人々を、一つの傾向に従わせること。また、その時代に大きな影響を与えること。
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いらぬお世話の蒲焼(いらぬおせわのかばやき)
余計なおせっかいだということ。「世話を焼く」と「蒲焼」をかけて言ったしゃれ。
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有為転変は世の習い(ういてんぺんはよのならい)
この世の一切の事物は因縁によって生じ、常に変化し続けていくはかないものであるということ。
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浮世の風(うきよのかぜ)
思うようにならない世間の風潮。
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浮世は衣装七分(うきよはいしょうしちぶ)
とかく世間では外見を重んじ、うわべで内容を判断しがちだということ。七分は十分の七のことで、衣装で七分がた評価が下される意から。
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浮世は回り持ち(うきよはまわりもち)
幸不幸、貧富、栄枯盛衰などは絶えず人から人へと回っていき、一ヶ所にとどまらないということ。
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浮世は夢(うきよはゆめ)
この世はまるで夢のようにはかなく短いものであるということ。
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浮世渡らば豆腐で渡れ(うきよわたらばとうふでわたれ)
世渡りは、内面にやさしさと柔軟性をもち、物事のけじめはきっちりとつけよというたとえ。豆腐は外見が四角くきちんとした形だが、内は柔らかいことから。
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歌は世につれ世は歌につれ(うたはよにつれよはうたにつれ)
歌は世相の変化に伴って変わっていき、世相も歌の流行に影響されるということ。
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移れば変わる世の習い(うつればかわるよのならい)
時代が移り変われば世の中も変わっていくのが当然だということ。「移り変わるは浮き世の習い」ともいう。
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縁と浮き世は末を待て(えんとうきよはすえをまて)
良縁と好機は、自然に訪れるまで気長に待つのがよいということ。
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大きなお世話(おおきなおせわ)
いらぬおせっかい。よけいな世話。 他人からの忠告や手助けを拒むときに使う言葉。
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お世辞にも(おせじにも)
本心では無いにしても。仮にも。 あとに打ち消しの語を伴う。
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親子は一世(おやこはいっせ)
親子の関係は現世だけのものであるということ。 「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と続けても言う。
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親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(おやこはいっせ、ふうふはにせ、しゅじゅうはさんせ)
親子の関係は現世だけのものであり、夫婦は前世と現世または現世と来世の二世に渡る。主従関係は、前世・現世・来世の三世にまたがるほど深いということ。
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隔世の感(かくせいのかん)
時代がすっかり移り変わってしまったという実感のこと。
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金は世界の回り物(かねはせかいのまわりもの)
金は人から人へと渡り回っていくものだから、今は貧しくてもそのうちよくなる時も来るということ。
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空世辞は馬鹿を嬉しがらせる(からせじはばかをうれしがらせる)
愚か者は、口先だけのお世辞に喜ぶということ。
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蓋世の気(がいせいのき)
意気がきわめて盛んなこと。「蓋」は覆い隠すという意。世の中を覆い尽くすほどの意気が旺盛だということから。
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口から出れば世間(くちからでればせけん)
いったん口出したことは、いつの間にか世間に広まるから、口は慎めということ。
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現世安穏、後生善処(げんぜあんのん、ごしょうぜんしょ)
法華経を信じる人は、この世では安穏に生活でき、あの世ではよい世界に生まれるということ。
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高慢は出世の行き止まり(こうまんはしゅっせのいきどまり)
自分の出世を自慢ばかりするようになると、その人は向上しないということ。また、人から嫌われてそれ以上の出世もできなくなるということ。
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心ほどの世を経る(こころほどのよをへる)
人はその人の心がけ次第で、それにふさわしい人生を送るようになるということ。
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済世の志(さいせいのこころざし)
世の中の弊害を取り除いて、人々を救おうとする志。「済世」は世の中の人々を救うこと。
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三人知れば世界中(さんにんしればせかいじゅう)
人が三人集まる所で話したことは、秘密にするのはむずかしく、世界中に知れ渡ってしまったのと同じことになるというたとえ。
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主従は三世(しゅじゅうはさんぜ)
主従の間柄は、前世・現世・来世の三世にもわたるほど深いということ。
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地獄極楽はこの世にあり(じごくごくらくはこのよにあり)
善悪の報いはあの世に行くまでもなく、この世ではっきりと現れるということ。
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捨て子は世に出る(すてごはよにでる)
捨て子は出世するということ。親に見捨てられるような人間は逆境にも負けず、たくましく育ち、かえって世に出るものであるということ。
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世界半分自惚れしっかり(せかいはんぶんうぬぼれしっかり)
世の中のことは半分しかわかっていないのに、自惚れだけはしっかりあるということ。
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世間がうるさい(せけんがうるさい)
世間の人々が問題として取り上げ、内輪のことでは済まなくなるさま。
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世間が狭い(せけんがせまい)
付き合いのある範囲が狭いことや、世間に対する知識が少ないこと。 または、面目が立たず、人との付き合いを避けること。肩身が狭い。
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世間が広い(せけんがひろい)
付き合いのある範囲が広いことや、世間に対する知識が深いこと。
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世間知らずの高枕(せけんしらずのたかまくら)
厳しい現実も知らずに、のんびり平然と暮らしている人を皮肉っていう言葉。
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世間の口に戸は立てられぬ(せけんのくちにとはたてられぬ)
世間の噂は防ぎようがないということ。「立てる」は閉めるの意で、「閉てる」とも書く。「人の口に戸は立てられぬ」「開いた口に戸は立てられぬ」ともいう。
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世間は張り物(せけんははりもの)
世の中には体裁よく見せかけているものが多くあるということ。また、世の中は見栄を張って渡るのが普通であるということ。 「張り物」は、木や竹の骨に紙などを張って岩などに見せかける道具のこと。 「世は張り物」ともいう。
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世間は広いようで狭い(せけんはひろいようでせまい)
世間は広いようであるが、案外狭いということ。思いがけない所で知人にばったり会った時などにいう。「世の中は広いようで狭い」ともいう。
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世間を騒がせる(せけんをさわがせる)
事件や問題を起こし、広く人々の注目を集めて話題になること。
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世間を狭くする(せけんをせまくする)
問題を起こして人付き合いの範囲を狭くすること。
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世故に長ける(せこにたける)
世間の事情を知り尽くしていて、世渡りがうまい様子。「世故」は、世間の習慣やならわしのこと。
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世事に疎い(せじにうとい)
世間での一般的なしきたりや慣習などの知識が少ないこと。
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世上物騒我が身息災(せじょうぶっそうわがみそくさい)
世間にどんな事が起こっても、自分の身が安全ならかまわない。世の中に無関心で利己主義な人のことをいう。
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世話がない(せわがない)
手間がかからない様子。 または、呆れ果ててどうすることもできない様子。
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世話が焼ける(せわがやける)
手助けが必要で、手間がかかること。 「手が焼ける」ともいう。
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世話になる(せわになる)
援助を受けること。生活の面倒をみてもらうこと。
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世話を焼かす(せわをやかす)
人に手間をかけさせること。人を煩わせること。
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世話を焼かせる(せわをやかせる)
人に手間をかけさせること。人を煩わせること。
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世話を焼く(せわをやく)
他人の手助けをすること。面倒を見ること。
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総領の十五は貧乏の世盛り(そうりょうのじゅうごはびんぼうのよざかり)
長男が一人前になる一歩手前の十五歳の頃が、家計がもっとも苦しい時期だというたとえ。
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旅は道連れ、世は情け(たびはみちづれ、よはなさけ)
旅をする時は同行者がいれば心強く、同様に世の中を渡るにはお互い助け合っていくのが大切だということ。
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力山を抜き、気は世を蓋う(ちからやまをぬき、きはよをおおう)
勇壮な気性のたとえ。山を引き抜くほどの力と、世の中を蓋いつくすほどの意気があるという意から。「抜山蓋世」ともいう。
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追従も世渡り(ついしょうもよわたり)
人にこびへつらいお世辞をいうことも、世渡りの一つの手段であるということ。
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綱渡りより世渡り(つなわたりよりよわたり)
綱渡りは大変危険な芸だが、その綱渡りより世渡りのほうが、もっと大変で難しいということ。
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とかく浮世は色と酒(とかくうきよはいろとさけ)
なんといってもこの世の楽しみは、色恋と酒であるということ。
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年問わんより世を問え(としとわんよりよをとえ)
年をとっているか若いかを問題にするよりも、その人の人生経験の内容を問題にせよということ。
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長い浮き世に短い命(ながいうきよにみじかいいのち)
この世が長く続いているのに比べて、人の命ははかなく短いということ。「長い月日に短い命」ともいう。
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憎まれっ子、世に憚る(にくまれっこ、よにはばかる)
人から憎まれるような者にかぎって、世の中では幅をきかせているということ。「憚る」とは幅をきかすという意。「憎まれ子世に出る」「憎まれ子国にはびこる」ともいう。
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錦着ての奉公より襤褸着ての我が世(にしききてのほうこうよりつづれきてのわがよ)
高価な着物を着られても、奉公人として人に頭を下げるより、たとえぼろ着でも自由な暮らしをしたいということ。
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二世の契り(にせのちぎり)
現世だけでなく来世まで夫婦として連れ添おうという約束。 「二世」は、現世と来世のこと。
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二世の契りを結ぶ(にせのちぎりをむすぶ)
夫婦として末永く(来世まで)連れ添うことを約束する。 「二世」は、現世と来世のこと。 「二世の契りを結ぶ」「夫婦の契りを結ぶ」ともいう。
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二世を契る(にせをちぎる)
夫婦として末永く(来世まで)連れ添うことを約束する。 「二世」は、現世と来世のこと。 「二世の契りを結ぶ」「夫婦の契りを結ぶ」ともいう。
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人間万事金の世の中(にんげんばんじかねのよのなか)
世の中は金の力がものをいい、金がすべてのものを支配しているということ。
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人と煙草の良し悪しは煙になって後の世に出る(ひととたばこのよしあしはけむりになってのちのよにでる)
たばこの良し悪しが、吸って煙にした後でなくては分からないように、人間の真価も、死んで煙になった後でなくては分からない、との意味である。
人の良し悪しはともかく、たばこの良し悪しが見かけだけでは分からないことは確かである。手にとって火を点け、煙を出して匂いを嗅ぎ、吸ってみてその刺激を味わう。その時、いい香りだ、心地よい刺激だ、と思われたなら、良いたばこなのである。匂いや味には好みがあるから、たばこの銘柄にも人さまざまに好みが出る。
たばこの味と香りに大きく影響するのが、原料となる「葉たばこ」の種類とその配合(=ブレンド)具合である。シガレットの場合、黄色種、バーレー種、オリエント種、在来種などの原料葉たばこを、いろいろな割合で配合して、銘柄独自の味と香りのベースをつくる。
葉たばこは、それ自体でも特有の香りをもつが、燃焼させると、葉たばこに含まれる芳香性物質が蒸散し、嗅覚や味覚をよりいっそう刺激する。これが「アロマ」と呼ばれるものである。また、製造過程でたばこに加えられる香料が放つ香りは「フレーバー」と呼ばれる。
たばこの煙を吸うと、舌や喉や鼻が刺激される。味覚と嗅覚が一体となった絶妙な感覚で、これがいわゆる“風味”である。一般に香りを嗅ぐ時は、香りを発する物質に鼻を近づけて息を吸い込む。この時、鼻腔の前方から吸い込まれた香りの微粒子が鼻の粘膜を刺激して感じられるのが“匂い”である。これとは違って、一旦口に入れた物質の香りが口から鼻へと遡り、鼻腔(びこう)の後方から漂うのが風味である。愛煙家は、着火したたばこの先端から出る紫煙(=副流煙)の匂いと、口に含んだ白煙(=主流煙)の風味との、複合した香りを楽しんでいるのである。
煙の匂いと味を楽しむ───火を使うことを覚えた人類にして、はじめて可能となった遊びである。
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人の情けは世にある時(ひとのなさけはよにあるとき)
世間の人が好意を示してくれるのは、こちらの羽振りがよく栄えている間だけで、落ち目になると誰も見向きもしないということ。
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広い世間を狭くする(ひろいせけんをせまくする)
恥ずかしい行いなどのために、肩身を狭くしてしまうということ。
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夫婦は二世(ふうふはにせ)
夫婦の関係は現世だけでなく、来世まで続く深い関係であるということ。
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曲がらねば世が渡られぬ(まがらねばよがわたられぬ)
道理や正義だけでは世の中はうまく渡っていけない。時には自分の意を曲げて相手に合わせることも必要だということ。
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夢の世(ゆめのよ)
夢のようにもろくあっけない世の中。
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欲の世の中(よくのよのなか)
世の中は全て欲得で動いているということ。
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世に入れられる(よにいれられる)
広く世間に認められること。
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世に聞こえる(よにきこえる)
広く世間に知れ渡ること。
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世に出る(よにでる)
世間に名が知られること。世間に認められること。
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世に問う(よにとう)
世間に問題を提起し、その評価を尋ねること。
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世の中には月夜ばかりはない(よのなかにはつきよばかりはない)
いつも明るい月夜ばかりではなく、闇夜もあるから気をつけろということ。脅し文句として使われる言葉。
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世の中は相持ち(よのなかはあいもち)
お互いに助けあうさま。
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世の中は九分が十分(よのなかはくぶがじゅうぶ)
世の中はすべてが自分の思い通りにいくとはかぎらないから、望んだことの九分が叶ったら満足すべきだということ。
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世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん)
世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。
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世の中は三日見ぬ間の桜かな(よのなかはみっかみぬまのさくらかな)
世間の移り変わりが激しいことを、桜の花があっという間に散ってしまうことに掛けて言った言葉。 もとは江戸時代の俳人大島蓼太の句「世の中は三日見ぬ間に桜かな(三日外出しなかったら桜の花が咲きそろっている)」から。 単に「三日見ぬ間の桜」ともいう。
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世の習い(よのならい)
世間のならわし。世間では普通のこと。
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世は相持ち(よはあいもち)
世の中はお互いに助け合っていくことで成り立つということ。「世の中は相持ち」ともいう。
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世は張り物(よははりもの)
世の中には体裁よく見せかけているものが多くあるということ。また、世の中は見栄を張って渡るのが普通であるということ。 「張り物」は、木や竹の骨に紙などを張って岩などに見せかける道具のこと。 「世間は張り物」ともいう。
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世も末(よもすえ)
この世も終わりである。救いがたい世である。 現状を嘆いて言う言葉。
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世渡りの殺生は釈迦も許す(よわたりのせっしょうはしゃかもゆるす)
生活のためならば、多少の不道徳や無慈悲な行いはやむを得ないということ。
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世を去る(よをさる)
この世から去る。死ぬ。
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世を忍ぶ(よをしのぶ)
人目を避けて隠れること。世間に隠れて暮らすこと。
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世を捨てる(よをすてる)
出家すること。俗世間から離れて静かに暮らすこと。
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世を背く(よをそむく)
出家する。また、死ぬ。
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世を遁れる(よをのがれる)
俗世間を逃れて隠れ住むこと。また、出家すること。
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世を憚る(よをはばかる)
世間に気がねすること。世間との交わりを避けること。
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世を渡る(よをわたる)
生計を立てて、社会の中で暮らしていくこと。
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乱世の英雄(らんせのえいゆう)
世の中の乱れに乗じて活躍する英雄のこと。中国、後漢の時代、許劭が曹操を評して言ったという故事から。
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我が世の春(わがよのはる)
物事が全て望み通りになる絶頂期。
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渡る世間に鬼はない(わたるせけんにおにはない)
世の中は薄情な人ばかりではなく、困った時には助けてくれる情け深い人もいるというたとえ。
2021 紅白歌合戦
ジジババの歌は消えました
意味不明 字余り 詩ではありません
若者相手の歌ばかりになりました
うとうとしてしまい 気が付けば 12時過ぎ
新年になっていました
家族の挨拶
おめでとうございます
お節
煮物
お酒 盃
楽しむ
初詣
猿の藤太 神社
七福神巡り
今年も中止
閻魔堂 ご縁(五円)だけ結ぶ
2021/12