喜寿

無事に「喜寿」を迎える
久しぶり 家族で中華レストラン
料理を楽しむ

うれしくもあり ちょっと不安がよぎる
元気でいること
日に当たる 体を動かす
ボケないこと


日に当たる 体を動かす
今年の目標 「散歩」
ボケない
PCに向かって HPを更新しているうちは大丈夫
●長寿祝い 1
還暦(かんれき)…61歳(満60歳)    生まれた年の干支に還ることから、「還暦」と呼ばれるようになりました。赤いちゃんちゃんこの風習があり、赤が長寿祝いの色とされています。
古希【古稀】(こき)…70歳    中国の唐時代の詩人、杜甫の詩の一節である「人生七十古来稀なり」に由来しています。現代では還暦よりも本格的な長寿の祝いと考えられているようです。紫が長寿祝いの色とされています。
喜寿(きじゅ)…77歳    「喜」という字の草書体が七を3つ重ねた形になり、七十七と読めることに由来しています。紫が長寿祝いの色とされています。
傘寿(さんじゅ)…80歳    「傘」の略字が八と十を重ねた形になり、八十と読めることに由来しています。黄(金茶)が長寿祝いの色とされています。
米寿(べいじゅ)…88歳    「米」の字をくずすと八十八と読めることに由来しています。黄(金茶)が長寿祝いの色とされています。
卒寿(そつじゅ)…90歳    「卒」の略字である「卆」が九十と読めることに由来しています。白が長寿祝いの色とされています。
白寿(はくじゅ)…99歳    百から一を引くと「白」となることに由来しています。白が長寿祝いの色とされています。
紀寿(きじゅ)または百寿(ひゃくじゅ)…100歳    100年が一世紀ということから紀寿、また100歳であることから百寿と呼ばれています。白が長寿祝いの色とされています。
108歳の茶寿   111歳の皇寿   120歳の大還暦   250歳で天寿
長寿を祝う節目の年齢は、本来は数え年で祝いますが、現在では満年齢で祝うことが多くなってきています。ただし、還暦だけは数え年で61歳、満年齢60歳でお祝いします。
●長寿祝い 2
還暦(かんれき) 61歳(満60歳)   60年で十干十二支(じっかんじゅうにし)が一巡してもとの暦に還ることに由来。赤いちゃんちゃんこは赤子に戻りもう一度生まれ変わって出直すという意味。長寿祝いの色は赤・朱。
古希(こき) 70歳   中国の詩人、杜甫の詩の一節「人生七十古来稀なり」に由来。長寿祝いの色は紫。
喜寿(きじゅ) 77歳   喜の草書を楷書にすると「㐂」と書き、字を分解すると十七の上に七が付いたような文字となることに由来。長寿祝いの色は紫。
傘寿(さんじゅ) 80歳   「八十寿(やそじゅ)」とも言う。傘の字の略字「仐」を分解すると八十となることに由来。長寿祝いの色は金茶。
米寿(べいじゅ) 88歳   米の字を分解すると八十八となることに由来。長寿祝いの色は金茶。
卒寿(そつじゅ) 90歳   卒の字の略字「卆」が九十と読めることに由来。長寿祝いの色は白。
白寿(はくじゅ) 99歳   百の字から一を引くと「白」になることに由来。長寿祝いの色は白。
百寿(ももじゅ) 100歳   100歳であることから百寿。ひゃくじゅ。紀寿(きじゅ)とも。紀は一世紀を表すことから。長寿祝いの色は白。
茶寿(ちゃじゅ) 108歳   茶の字を分解すると八十八、十、十となり、すべて合わせると108になることに由来。
皇寿(こうじゅ) 111歳   皇の字を分解すると白(99歳)、一、十、一となり、すべて合わせると111になることに由来。
大還暦(だいかんれき) 120歳   2回目の還暦。  
●長寿祝い 3
お祝いは数え年よりも満年齢が主流になってきている。現在、一般的にお祝いする年齢を「満年齢」でお祝いする年として見ることが増えてきています。一方、昔からある「数え年」とはどのような年の数え方なのでしょうか。数え年については諸説ありますが、代表的な考え方としてお母さんのお腹に宿った時点で0歳、生まれた時点で1歳とする考え方です。また、お正月が来ると年を取るという考え方はあまり馴染みがなく感じるかもしれません。
一般的に知られている還暦や古希は、もともと中国がルーツとなっている歴史のある長寿祝いです。一方、喜寿は、室町時代の終わりごろから祝われるようになった日本発祥のお祝いで、そのルーツは漢字の「喜」の草書体に由来していると言われています。( 『喜』という文字を草書体にすると「七十七」のように見える。もともと『喜』という文字自体も縁起のいい文字。)  
●長寿祝い 4 喜寿
「喜寿」 名称の由来
「喜寿祝い」は、 数え年で77歳を迎える年 に行うお祝いを示します。「喜寿」の「喜」を「草書体」で書いた時、「七」「七」「七」と読めることから、77歳のお祝いは「喜寿祝い」となりました。また草書体で書かれた文字は、「七」「十」「七」と読めるとういう説もあります。いずれにしても「77」という数字であることには違いはありません。「還暦」は干支の循環表から発生したもの、「古希」は人生七十古來稀から発生したものということで、お祝いのルーツは「中国」だと言われていますが、「喜寿祝い」は日本が発祥の行事とされています。還暦・古希と長寿のお祝いをしたのだから、77歳もお祝いをしようと始まったのが「喜寿祝い」とされています。
「満年齢」 で喜寿祝いしてもいい
『数え年』は生まれた時に1歳として、お正月を迎える毎に1つずつ歳を取ると日本に昔から伝わる年齢の数え方であり、『満年齢』は生まれた時を0歳として、以後1年間を満了する毎に1つずつ歳を取るという数え方です。喜寿祝いは数え年で77歳を迎える年(=満年齢 76歳)にお祝いを行うとされていますが、現代においては誕生日を迎える日いわゆる『満年齢 77歳』でお祝いを行うことも多くなってきました。特に決まりはありませんが、お住まい頂いている地域や風習・一族の習わしなどによって『数え年』または『満年齢』でお祝いを行うこともございますので、予めご留意ください。
「喜寿祝い」に贈る色に「紫色」を選ぶ理由
古くは、聖徳太子の時代。貴族の冠位は「紫色」が最上位の地位を表す色でした。僧侶でも紫の衣を身につけることができるのは最高位の僧侶に限られていたほど。その後、こうした考え方は一般にも広がり、紫は気品や風格を備えた色として尊ばれるようになっていきました。 また紫色は、心と体のいやし効果がある色。先人達はそれを経験から知っていて、不安な気持ちの時には身近に紫色のものを置いていたといいます。喜寿のお祝いには、長寿への敬意といたわりの心が込められた紫色をキーワードにお祝いを。もちろん、紫色にこだわらなくても、その心を大切にしてお祝いをしましょう。
喜寿祝いは「長寿の祈り」
長寿祝いには「喜寿(77歳)」のほかに、「還暦(かんれき)(60歳)」、「緑寿(りょくじゅ)(66歳)」、「古希(こき)(70歳)」、「傘寿(さんじゅ)(80歳)」、「米寿(べいじゅ)(88歳)」、「卒寿(そつじゅ)(90歳)」、「白寿(はくじゅ)(99歳)」、「百寿(ひゃくじゅ・ももじゅ)(100歳)」などのお祝いがあります。数年ごとに行われる長寿祝いには「家族」、「親戚」、「親しい人達」などが一同に会し「みんながいつまでも健康で長生きが出来ますように」という祈りを込めたお祝いの意味も持ち合わせています。「次のお祝いでまた会おう!」という日本人ならではの気持ちのこもったお祝いにしたいものです。  
●長寿祝い 5 喜寿
喜寿
77歳のこと、またそれを祝う賀礼。喜の字の草書体が七十七と読めるところからいう。江戸時代の国学者、大国隆正の喜寿の詠草に「ななそぢに七つあまれる喜びは/あらたなる御世にあへるなりけり」とある。
・・・77歳の年寿を祝う儀礼で、〈喜の字の祝い〉ともいう。喜の字の草書体が七十七に通じることによる名。還暦、古稀(こき)に並ぶ長寿の祝いで、江戸時代以降広く普及した。
・・・77歳、またはその祝いのこと。一定年齢者の祝いを民間では一般に〈年祝〉というが、喜寿もしくは〈喜の字の祝い〉はその一つであり、さらに61歳の還暦、70歳の古稀、88歳の米寿などと同じく、長寿を祝う算賀、賀寿、〈賀の祝い〉の一種でもある。喜とは、七十七の書体が喜のくずし字に類似していることにちなむ。この慣習は中世以降、とくに近世に広まり、祝いにさいしては祝宴や贈答が行われる。
・・・数え年77歳の年祝いをいう。喜の字の祝いともいうように、喜の字の草書体が七十七と書かれるからである。喜寿の祝いは平安時代以前にはなく室町時代の末期ごろから行われるようになった。還暦、古稀(こき)などの年祝いと同じく祝宴が催される。神奈川県秦野(はだの)地方では77歳の7月7日に火吹き竹をつくって火事厄(よ)けのまじないとする風があった。火災のときこの火吹き竹で火を吹き返すという。信州(長野県)諏訪(すわ)地方では羽織、着物、杖(つえ)などを贈って祝う。祝われる家では紅白の餅(もち)に喜の字を記して配るという。
・・・通過儀礼の一つ。数え年61の還暦、70の古稀、77の喜寿、88の米寿、99の白寿などの〈長寿の祝い〉を総称して賀寿、賀の祝い、あるいは算賀というが、庶民の間ではこれを年祝と呼ぶことが多い。つまり以上の〈長寿の祝い〉が年祝の典型である。…
年祝 [としいわい]
一定の年齢になったことを祝う儀礼。賀の祝い、賀寿とも。奈良時代には40歳から始めて10歳ごとに祝いをする風があったが、今日では一般に61歳(還暦)、70歳(古希)、77歳(喜寿)、80歳(傘寿)、88歳(米寿)、90歳(卒寿)、99歳(白寿)などを祝う。年祝の年齢は地方によっても異なり、厄年とされる年を祝うところもある。
・・・一定年齢に達した者を家族や親類、友人などが祝うこと。通過儀礼の一つ。数え年61の還暦、70の古稀、77の喜寿、88の米寿、99の白寿などの〈長寿の祝い〉を総称して賀寿、賀の祝い、あるいは算賀というが、庶民の間ではこれを年祝と呼ぶことが多い。つまり以上の〈長寿の祝い〉が年祝の典型である。しかし年祝の年齢はこれのみに限らず、しかもいわゆる厄年とも密接かつ微妙な関係にある。それというのも、奄美や沖縄などの南西諸島のように13、25、37、49、61、73、85といった十二支が巡った年齢をもって年祝を行うところがあるのに対し、本土ではこのうちの13、25、37、61の各年齢を厄年としている地方があるからである。
・・・そこで、生まれ直すという意味をこめて赤色の衣料品などを本人へ贈り、還暦の祝いをする慣習がある。還暦、古稀、喜寿、米寿、白寿などの年祝を総称して算賀、賀寿、あるいは〈賀の祝い〉というが、古稀以下が中世から祝われたのに対し、還暦の祝いは近世以降の慣習である。なお、かつて60歳か61歳で隠居をする例が多かった一因は、還暦観念に基づくものであろう。…
.・・・また七草、七所祝い、お七夜、初七日、七五三、七つ祝い、七庚申、七墓詣など民俗儀礼ではたいせつな数とされている。 一般に厄年や年祝は精神的肉体的に人生の節目の年齢であり、新旧の世代の移行がなされるため、とくに厄年は影の暗い側面が強く表出しているが、逆に祭礼で厄年の人が神役につく例も多い。厄年は女子は3、7、9のつく数、男子は2、5のつく数とされるが、女子の場合13歳、19歳、33歳、男子の場合は25歳、42歳というのが代表的なものである。…
.・・・厄年になるとそれを避けるために厄払いや厄よけなどの祈願や呪法を行う。年のはじめに親類や近隣の者を招いて年祝をするとか、神社や寺院に参って厄祓いの祈願をするのがふつうであるが、自分の年の数だけの銭を紙に包み、道の辻や橋などの境に持っていって捨てたのち、あとを振りかえらずに帰ってくる呪法が広く行われている。厄年は実子や友人にも影響をあたえると考えられた。… 

●長寿祝い 6 喜寿 
喜寿の由来
喜寿(きじゅ)は数え年の77歳で迎える長寿のお祝いです。「喜」の草書体が「七十七」に見えることから77歳という長寿の喜びを祝う風習が生まれたのが由来とされています。室町時代の終わり頃、平安後期の争乱から室町幕府の時代になって社会が安定してきたことで平均寿命が延び、中国から伝えられた「還暦」「古希」といった長寿を祝う風習が定着したことが背景にあります。当時は、77歳も厄年のひとつとされており、77歳に喜の字をあてることで難を逃れる「喜の字の祝い(きのじのいわい)」とも呼ばれます。また、喜寿は初めて日本で考案された長寿祝いです。100歳の「百寿」まで続く長寿のお祝いは、すべて文字の語呂合わせから生まれています。他の長寿祝いと同様、喜寿のお祝いも、江戸時代に入ってから庶民にも広まり、江戸末期から明治にかけて活躍した国学者大国隆正が喜寿に際して詠んだ歌も残されています。「ななぞちに七つあまれる喜びは/あらたなる御世にあへるなりけり」 明治4年に78歳で亡くなった大国隆正が、生きて明治維新後の新生日本を目の当たりにすることができた喜びを詠んだものですが、当時70歳の「古希」を過ぎてさらに喜寿まで生きるのは大変な喜びとされていたことが伝わってきます。
喜寿のお祝いでは、紫色が基調色として用いられます。この色は、満70歳の長寿のお祝いである古希と同じ色で、古くから高貴な色として尊ばれてきたものです。紫色は、聖徳太子が定めた「冠位十二階(かんいじゅうにかい)」の最高位にあたる色で、平安時代以前は身分の高い人だけが身につけることが許される色として、厳しい禁忌が設けられていました。こうした歴史から、日本では現在でも公式行事や叙勲など、紫色を特別な色として扱う習慣が残っています。また、古代から潜在能力に作用する宗教色として尊ばれてきた紫色は、人の精神に作用し深い瞑想に導く色として尊重され、体の不調の際に紫色のものを身近に置くなどのしきたりもありました。喜寿や古希の紫色には長寿への敬意と、健康の祈りが込められているのです。
喜寿の風習
喜寿の祝いは、暦の意味合いや儀礼として中国から伝わった「還暦」や「古希」にくらべると、日本で自然に発生した長寿祝いということもあり、日本の民間伝承と結びついた風習も多くあります。そのひとつが室町時代の頃から使われた「火吹き竹」にまつわる風習です。竈(かまど)や囲炉裏の火をおこすのに便利な火吹き竹は、毎朝欠かさず火をおこすために欠かせない道具でした。火をおこす火吹き竹には、火の神につながるまじないの力があると信じられ、百日咳や耳垂れの病気祈願の際、年の数の火吹き竹を神仏に奉納する習慣が各地にありました。かつては、喜寿の祝いに自然災害や火災除けのおまじないとして火吹き竹を配る風習も行われていました。神奈川県の秦野(はだの)地方では、77歳の7月7日に火吹き竹を作り、火災除けのまじないとしたそうです。また、栃木県では喜寿を「しちぼこ祝い」と呼び、火吹き竹を作って半紙に水引をかけて配るところもあるそうです。他にも、信州の諏訪地方では、喜寿のお祝いに「羽織」「着物」「杖(つえ)」などを贈る習わしがあり、祝いを受ける家では紅白の餅に「喜」の字を記したものを配る風習があるそうです。このように、喜寿のお祝いは、喜びを表す文字を由来としていることから、長寿のお祝いとともに、家族の安全や健康も祈願するお祝いとして民間伝承を取り込みながら伝えられてきました。お祝いの時期は、古くは新年を迎えたお正月や誕生月に行われることも多かったようですが、特に決まりはありません。現在では、ゴールデンウィークやお盆など家族が集まりやすい時期の他、敬老の日に合わせてお祝いすることも多くなっています。厳密な作法や決まりごとはありませんから、祝われる方の意向に沿った食事会や贈り物をして楽しく過ごすといいでしょう。 

●長寿祝い 7 喜寿 
喜寿祝いは77歳の長寿祝いです。もともとご長寿を祝うという習慣は中国から伝来したものです。特に盛大に祝われる還暦は、中国の暦の数え方を由来としています。十干と十二支を組み合わせた十干十二支で暦が一巡し、60年で「本卦還り」することから、ここを大きな節目としていました。次第にそれが長寿祝いとなり、10年ごとのお祝いが誕生。日本に伝わって室町時代に定着、江戸時代には爆発的に庶民にも広まったと言われています。
それでは喜寿祝いの77歳という年齢はどこからきたのでしょう。ゾロ目の年は他にもありますしすぐに80歳の傘寿がくるのに、なんだか中途半端な感じもしますよね。「喜寿祝いの由来」としてよく知られているのは、「喜の字の草書体が七をみっつ重ねたように見えることから」、というものですが、それってあまり由来の説明になっていないような気もします。順序が、逆ですよね…。残念ながら、喜寿の正確な由来、発祥地や年代は明らかではありません。しかし、還暦や古希は中国発祥、喜寿は日本発祥で、江戸時代には既にあったというのは確かなようです。
なぜ77歳にフォーカスするのかについては、日本語の中にヒントがあるように思います。日本には七を使った言葉がたくさんあるのです。例えば、「七福神」「七転び八起き」「一死七生」「色の白いは七難隠す」「親の七光り」「男は敷居を跨げば七人の敵あり」など。共通するのは、七が「多いこと、繰り返すこと」を表現している点です。もともと日本人が七に持っている多いというイメージがあったことと、草書体の喜の字が結びついて77歳をご長寿の節目として祝う習慣が作られたのではないでしょうか。  



2020/2