十三支の「猫」

12年ぶり 帰ってくる ネズミ
十二支 「子」  なぜ 「子」から始まるのだろう
賀状を書きながら ふと思う

お釈迦様が
「元日の朝に私の元に一番早く来たものから順に、十二番目までの動物を一年交代でその年の守り神にする」
というおふれを出しました。
猫が鼠にこのおふれの日にちを確認したところ、ねずみは1日遅れた日を教えてしまいました。
元日、牛はまだ暗いうちに、足が遅いからといって早く出発しました。
その様子に気づいた鼠は、牛の背中に乗って一緒にお釈迦様のところに向かいました。
牛が到着するよりも先にねずみは牛の背中から飛び降り、一番乗りとなりました。
その後、牛、虎、兎、竜、蛇、馬、羊、猿、鳥、犬、猪という順でお釈迦様のところに到着しました。
猫は次の日にお釈迦様のところに来ましたが、時すでに遅しで、十二支には入れませんでした。
 


十二支 / 十二支1十二支2十二支3十二支4十二支の動物5十二支と方位6・・・
干支 / 干支六十干支陰陽天中殺空亡空亡の不思議・・・・
十二支に猫がいない / 猫がいない理由1理由2理由3理由4理由5・・・
干支諸話 / 2019年の干支「己亥」十三支おくれてきた猫十三支演義したたかな猫十三支2020年の干支「子年」・・・
 
 
 

 

●十二支

 

●十二支 1
1 暦法で、子(し)・丑(ちゆう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・未(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゆつ)・亥(がい)の総称。古代中国に始まり、陰陽道と結びついて民間に広まった。一種の十二進法で、十干(じつかん)と合わせると六〇の組み合わせができ、生まれ年に配したりする。 → 干支(えと) ・十干
2 十二支(じゅうにし)とは、子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・未(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゅつ)・亥(がい)という全12種の項目群である。主に、暦、時刻、方位・方角などを指し示す呼び方として用いられる。十二支は古代中国を発祥とする暦法などの区分である。十二支と共に「十干」(じっかん)という区分もあり、十二支と十干を組み合わせて「干支」(十干十二支)が構成される。干支は「かんし」とも「えと」とも読む。今日の日本では、生まれ年と関連づけられた辰年(たつどし)・酉年(とりどし)のような数え方を干支(えと)と呼ぶことが多いが、これは正確にいえば干支ではなく十二支である。十二支は「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の12項目で構成されている。「子=ネズミ」という風に動物になぞらえられる場合も多いが、十二支の根源は特に動物との直接の関係はなかったらしい。
   子(し / ね)→ ネズミ
   丑(ちゆう / うし) → ウシ
   寅(いん / とら) → トラ
   卯(ぼう / う)→ ウサギ
   辰(しん / たつ) → 龍
   巳(し / み) → ヘビ
   午(ご / うま) → ウマ
   未(び / ひつじ) → ヒツジ
   申(しん / さる) → サル
   酉(ゆう / とり) → ニワトリ
   戌(じゅつ / いぬ) → イヌ
   亥(がい / い) → イノシシ
十二支の順序は固定されており、「子」から始まり「亥」に至る。そして、最後の「亥」まで数え終えたら最初の「子」に回帰するという周期的性質がある。方位は水平方向360度を、時刻は1日24時間を、12等分して十二支の名で呼ぶ。十二支を用いた時刻の数え方は「時辰」と呼ばれる。1日24時間を2時間ずつ分割し、おおよそ23時を起点として「子の刻」として数えはじめる。「刻」は2時間単位であるが、4分割されて30分単位で把握される。いわゆる「草木も眠る丑三つ時」は、「丑の刻の3つ時」を意味し、深夜2時過ぎに該当する。「刻」の中間時点が「正刻」と呼ばれ、子の刻の中間に0時0分が来る。午の刻の正刻が「正午」である。方位を示す場合には真北を「子」と位置づけて時計回りに(東→南→西と)十二支を振っていく形で示される。北東の方角は「子丑寅卯」の「丑寅」の中間であり「うしとら」という。地球の北極と南極を結ぶ、赤道と垂直に交わる南北の線を、「子午線」といい、赤道と平行に東西に走る線を「卯酉線」という。 "
3 暦・時刻・方位に用いられる12区分。
4 暦法の干支(エト。カンシとも)の十二の支をいう。子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥で、これを動物の鼠・牛・虎・兎・竜・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪に当てている。中国で十二宮に獣を当てたのに基づくとの説がある。仏教でもその世界観である須弥山説のなかに南閻浮提(地球)の島に一二獣がいるとして十二支の獣と同じ獣を説くが(『大集経・二三』)、じつは西アジアの占星術として発達した黄道十二宮が、インドから仏教などを通じて中国に入った結果の所産では、との一説がある。朝鮮には統一新羅時代に流入したという。仏教の十二神将とも関係づけられている。
5 十二支(じゅうにし)は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の総称である(それぞれ音訓2通りの読み方がある:下表参照)。十干を天干というのに対して、十二支を地支(ちし)ともいう。
6 中国に起源を有する、暦・時刻・方位を表わす十二の漢字の文字列。各々について覚えやすいように動物が配されている。十干と組み合わせ干支という。
   文字 音 訓 動物 方位 (八卦)
   子 シ ね 鼠 北(坎:カン)
   丑 チュウ うし 牛 北東(艮:ゴン うしとら)
   寅 イン とら 虎
   卯 ボウ う 兎 東(震:シン)
   辰 シン たつ 龍 東南(巽:ソン たつみ)
   巳 シ み 蛇
   午 ゴ うま 馬 南(離:リ)
   未 ミ ひつじ 羊 南西(坤:コン ひつじさる)
   申 シン さる 猿
   酉 ユウ とり 鶏 西(兌:ダ)
   戌 ジュツ いぬ 犬 北西(乾:ケン・カン いぬい)
   亥 ガイ い 猪(豚)  

 

●十二支 2
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の総称である(それぞれ音訓2通りの読み方がある)。十干を天干というのに対して、十二支を地支(ちし)ともいう。
十二支は戦国時代(中国)に作られた陰陽五行説よりもはるかに古い起源をもつので、陰陽五行説による説明は後付けであり、占いの道具としての設定にすぎない。また十二支を生命消長の循環過程とする説もあるが、これは干支を幹枝と解釈したため生じた植物の連想と、同音漢字を利用した一般的な語源俗解手法による後漢時代の解釈であって、ともに学問的な意味はない。
十二支の一覧
名称
子 し ね “孳”で、陽気が色々に発現しようとする動き
丑 ちゅう うし “紐”で、生命エネルギーの様々な結合
寅 いん とら “演”で、形をとっての発生
卯 ぼう う “貿”、同音“冒”に通じ、開発の意
辰 しん たつ “震”、同音“申”に同じ、生の活動
巳 し み “已”に通じ、陽盛の極、漸く陰に移ろうとする所
午 ご うま “忤(さからう)”に通じ、上昇する陰と下退する陽との抵触
未 び ひつじ “昧”で、陰気の支配
申 しん さる “呻”で、果実の成熟。陰気の支配
酉 ゆう とり 酒熟して気の漏れる象。陰気の熟する所
戌 じゅつ いぬ 同音“恤”であり、“滅”である。統一退蔵
亥 がい い “核”で、生命の完全な収蔵含蓄
対応法
 十二支/十二生肖/十二時辰/十二辰/方位/月/五行/陰陽/年を割った余り
   動物/時刻・名称  /天区    / / / / /西暦・西暦−2000
1 子 鼠 23時–1時・夜半 玄枵・宝瓶宮 北 11月 水 陽 4・8
2 丑 牛 1時–3時・鶏鳴 星紀・磨羯宮 北東微北 12月 土 陰 5・9
3 寅 虎 3時–5時・平旦 析木・人馬宮 北東微南 1月 木 陽 6・10
4 卯 兎 5時–7時・日出 大火・天蝎宮 東 2月 木 陰 7・11
5 辰 龍 7時–9時・食時 寿星・天秤宮 南東微北 3月 土 陽 8・0
6 巳 蛇 9時–11時・隅中 鶉尾・処女宮 南東微南 4月 火 陰 9・1
7 午 馬 11時–13時・日中 鶉火・獅子宮 南 5月 火 陽 10・2
8 未 羊 13時–15時・日昳 鶉首・巨蟹宮 南西微南 6月 土 陰 11・3
9 申 猿(猴) 15時–17時・哺時 実沈・双児宮 南西微北 7月 金 陽 0・4
10 酉 鶏 17時–19時・日入 大梁・金牛宮 西 8月 金 陰 1・5
11 戌 犬(狗) 19時–21時・黄昏 降婁・白羊宮 北西微南 9月 土 陽 2・6
12 亥 豚(猪) 21時–23時・人定 娵訾・双魚宮 北西微北 10月 水 陰 3・7
注意:月は旧暦。
天区は十二次や十二宮と領域を同じくするが、逆方向に配されている。
生肖は、実物では亥に当てられる動物が中国ではブタ、日本ではイノシシと異なっている。また漢字では申に中国が「猴」、日本が「猿」を当てていて、戌に中国が「狗」、日本が「犬」を当てて異なっているが、意味はほぼ同じである。本来は、「猿」は類人猿を、「犬」は大型犬を表す漢字である。
時刻の異称は『春秋左氏伝』杜預注による。
概説
十二支は古く殷の甲骨文では十干と組み合わされて日付を記録するのに利用されている。戦国以降、日だけでなく、年・月・時刻・方位の記述にも利用されるようになる。
戦国時代の中国天文学において天球の分割方法の一つであった十二辰は、天球を天の赤道帯に沿って東から西に十二等分したもので、この名称には十二支が当てられた。また、木星が約12年で天球を西から東に一周することから、十二次という別の天球分割法における木星の位置が年の記述に利用されていたが、十二辰の方向と順序に対しては逆方向であるため、紀元前4世紀ごろ、十二辰の方向に合わせるべく木星とは一直径を境に逆回りに天球を巡る太歳という架空の星を考え、太歳の十二辰における位置で年を示す紀年法が使われるようになった。これが後漢以後に始まり現在まで使われている干支による紀年法の起源である。
また、12という数が1年の月数と同じであることから、月を表すのにも用いられるようになった。これを月建といい、建子の月は冬至を含む月、すなわち夏暦の11月、周暦の正月である周正に置かれた。
さらに、時刻(十二時辰)や方位の表示にも用いられるようになった。正午(昼の12時)、正子(夜の12時)、子午線(南北を結ぶ線: 経線)、卯酉線(東西を結ぶ線: 局所的に緯線と一致するが厳密には両者は別のもの)の称はこれに由来する。
十二支の各文字の原意は不明である。一説に草木の成長における各相を象徴したものとされるがこれは漢代の字音による解釈説である(『漢書』律暦志)。また各十二支は十二の動物でもある。元々十二支は順序を表す記号であって動物とは本来は関係なく、後から割り振られたものという立場からはこの動物を十二生肖と呼ぶ。が、日本では十二支という言葉自体で十二の動物を指すことが多い。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢の王充『論衡』)や、バビロニア天文学の十二宮が後から伝播してきて十二支と結びついたという説がある。もともと動物を表していたという説では、バビロニアの十二宮が十二支そのものの起源だという説の他、諸説がある。
日本における十二支
干支(十干と十二支)
十二支は古来、「甲子」「丙午」のように、十干と組み合わせて用いられてきた。字音から言えば、十干は「幹」、十二支は「枝」である。十干十二支を合わせたものを干支(「かんし」または「えと」)といい、干支(十干十二支)が一巡し起算点となった年の干支にふたたび戻ることを還暦という。
「えと」という呼称は本来、十干を「ひのえ」「ひのと」のように、兄(え)と弟(と)の組み合わせとして訓読したことに由来するが、今日では、「干支」(えと)と言えば十二支のことを指すことが多い。この逆転現象は、干支のうち、五行思想とともに忘れ去られつつある十干に対して、動物イメージを付与されることによって具体的で身近なイメージを獲得した十二支のみが、現代の文化の中にかろうじて生き残っていることによると思われる。
現代の十二支
今日の日本では、十二支は、人々の生活との関わりが、近世までと比べて、ずっと希薄になっている。十二支が十干のように忘れ去られずにいるのは、ただ、年賀状の図案にその年の十二支の動物が多く使われることと、人々がその生まれ年の干支によって、「○○年(どし)の生まれ」のような言い方をする習慣が残っていることの二つの理由があるためであると考えられる。
また、十二支に因んで、年齢差などの表現方法として、12年(=144箇月)をひと回りと呼ぶこともある。
古方位
東西南北の四方位が子・卯・午・酉に配当されるのに加えて、北東・南東・南西・北西はそれぞれ「うしとら」「たつみ」「ひつじさる」「いぬい」と呼ばれ、該当する八卦から、「艮」「巽」「坤」「乾」の字を当てる(→方位)。
北東を「鬼門」、南西を「裏鬼門」として忌むのは、日本独自の風習だが、(ウシのような)角をはやし、トラの皮のふんどしをしめた「鬼(オニ)」という妖怪のイメージは、この「うしとら」から来ていると思われる。
日本の城郭建築では、曲輪(郭)の四隅に隅櫓を築いて防御の拠点としたが、「巽櫓(辰巳櫓)」等のように、方角の名称を以て櫓に命名することが行われていた。現存建築としては高松城艮櫓(香川県高松市)、江戸城巽櫓(東京都千代田区)、明石城巽櫓・坤櫓、高崎城乾櫓等が存在している。
「辰巳芸者(巽芸者、たつみげいしゃ)」とは、深川仲町(辰巳の里)の芸者を指す。この地が江戸城の南東に位置したことから。日本橋葭町の人気芸者、菊弥が移り住んで店を構えたことに始まる。幕府公認の遊里ではないために、巽芸者は男名前を名乗り、男が着る羽織を身につけたため、羽織芸者、また、単に羽織とも呼ばれたが、鉄火で伝法、気風(きっぷ)がよくて粋であることで知られた。
船舶航行時に使われた「おもかじ」「とりかじ」という言葉は、「卯面梶」「酉梶」から来ているとする説もある。
十二生肖(動物)
十二生肖(じゅうにせいしょう)または十二属相(じゅうにぞくしょう)は十二支に鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊(山羊)・猿・鶏・犬・猪(豚)の十二の動物を当てたものである。なおここで、「酉」は漢字の読みとしては「とり」だが、意味は「にわとり」である。
十二支の相互関係
十干の相互関係が干合だけであるのに対し、十二支の相互関係は複雑であり、十二支に中の3つが関係する相互関係、2つが関係する相互関係がある。本来は年、月、日、刻や方位などの間に生ずる十二支の関係について生じるものであり、単に生まれ年の十二支同士による対人関係をさすものではない。
三支の相互関係
3支の相互関係には、方合と会局(三合会局)の2つがある。
   方合
東西南北の四方(つまり春夏秋冬の四季でもある)に対応する三支が全て揃うこと。
   四方 四季 十二支
東 春 寅卯辰
南 夏 巳午未
西 秋 申酉戌
北 冬 亥子丑
方合の三支が揃うと、全てが季節の五行に変化する。
   会局(三合会局)
十二支を円形に配置したとき、正三角形を構成する三支が全て揃うこと。仲春である卯を含む局は木局、仲夏である午を含む局は火局、仲秋の酉を含む局は金局、仲冬の子を含む局は水局と呼ばれる。局の五行は、各季節の中心である、卯、午、酉、子の五行と同じである。
四季 / 局の五行 / 十二支
春 木 亥卯未
夏 火 寅午戌
秋 金 巳酉丑
冬 水 申子辰
会局となる三支のうち2つが揃うことを会と呼ぶことがある。また三支が揃わなくても、各季節の中心の十二支と会となる十二支の2つが揃うことを半会と呼ぶ。会局が成立すると三支全ての五行が局の五行に変化するとされる。いずれも安定した吉の関係とされる。
二支の相互関係
二支の相互関係には、刑、沖(衝)、破、害、合(支合、六合)がある。刑は中でも特殊で、輪刑、朋刑、互刑、自刑がある。名前の通り傷付けあう関係である。沖(衝)は、真反対の方位に対応する十二支同志の関係で衝突の意味がある。破は軽い衝突の意味があり、俗に四悪十惑と呼ばれる陽支から数えて10番目、陰支から数えて4番目の十二支をいう。害は合と関係していて、合となる十二支の冲が害である。停滞を意味する。合は対応する黄道十二宮で支配星が同じとなる十二支同志の関係である。ただし午と未の合は異なっており、それぞれ支配星は太陽と月である。
   
1.輪刑 寅が巳を、巳が申を、申が寅を刑する。持勢之刑ともよばれる。
2.朋刑 丑が戌を、戌が未を、未が丑を刑する。無恩之刑ともよばれる。また同朋刑ともよばれる。
3.互刑 子が卯を、卯が子を刑する。無礼之刑ともよばれる。
4.自刑 辰が辰を、午が午を、酉が酉を、亥が亥を刑する。
   沖(衝)、破、害、合(支合、六合)
十二支 / 沖(衝) / 破 / 害 / 合
子 午 酉 未 丑
丑 未 辰 午 子
寅 申 亥 巳 亥
卯 酉 午 辰 戌
辰 戌 丑 卯 酉
巳 亥 申 寅 申
午 子 卯 丑 未
未 丑 戌 子 午
申 寅 巳 亥 巳
酉 卯 子 戌 辰
戌 辰 未 酉 卯
亥 巳 寅 申 寅  

 

●十二支 3
十干と組み合わせて六十干支として使うことも多いです。 (時刻は定時法の場合)
名称 / よみ / ヨミ / 方角 / 時刻
子 / ね シ 北 23-01時
丑 / うし チュウ 01-03時
寅 / とら イン 03-05時
卯 / う ボウ 東 05-07時
辰 / たつ シン 07-09時
巳 / み シ 09-11時
午 / うま ゴ 南 11-13時
未 / ひつじ ビ 13-15時
申 / さる シン 15-17時
酉 / とり ユウ 西 17-19時
戌 / いぬ ジュツ 19-21時
亥 / ゐ ガイ 21-23時
方角に用いる場合
北を子とし、東回りに名づけていきます。
・子(北)と午(南)を結ぶ線を子午線と呼びます。
・卯(東)と酉(西)を結ぶ線を卯酉ぼうゆう線と呼びます。 ・北
東は丑と寅の間なので艮うしとらの方角、南東は辰と巳の間なので巽たつみの方角、南西は未と申の間なので坤ひつじさるの方角、北西は戌と亥の間なので乾いぬいの方角と呼んだりします。
天体の位置を表わす場合
天体の位置を表わす場合は十二辰と呼ばれます。
・十二辰は十二次と同じ領域を表わしますが、十二次とは逆に東から西へ並びます。
十二次 / 十二辰
星紀 丑
玄枵 子
娵訾 亥
降婁 戌
大梁 酉
実沈 申
鶉首 未
鶉火 午
鶉尾 巳
寿星 辰
大火 卯
析木 寅
黄道十二宮の訳語として使われることもあります。
名称 / 初度 / 黄経 (°)
丑宮 / 冬至 270〜300
子宮 / 大寒 300〜330
亥宮 / 雨水 330〜 0
戌宮 / 春分 0〜 30
酉宮 / 穀雨 30〜 60
申宮 / 小満 60〜 90
未宮 / 夏至 90〜120
午宮 / 大暑 120〜150
巳宮 / 処暑 150〜180
辰宮 / 秋分 180〜210
卯宮 / 霜降 210〜240
寅宮 / 小雪 240〜270
年に用いる場合
歳星=木星の位置で年を表わす歳星紀年法が十二辰を用いる方法へと変化したものです。
後漢のころには木星の位置によらず単純に干支を並べるようになりました。これが現在にも続いています。
・年賀状には申年とか巳年とか書きますね。
・歴史の授業で習った壬申の乱や戊辰戦争などがいつ起こったのかも、干支を数えれば60年の範囲でわかります。
辛酉の年には革命が起こるとする辛酉革命思想が神武天皇即位紀元の設定につながっているそうです*1。
月に用いる場合
三正論にもあるように、月にも干支が用いられます (月建干支)。
・暦月に対して用いる場合と節月に対して用いる場合があります。
1年は12か月ですので、干支は5年で一巡します。
・暦月にはうるう月がありますが、随節用之 (せつにしたがひてこれをもちゆ) とあって干支は記載されないか、本月と同じ干支が書かれています。
・パターンが限定的ですので、年の干支とくに十干がわかれば、月の干支もわかります。
年の十干
月 / 甲・己 / 乙・庚 / 丙・辛 / 丁・壬 / 戊・癸
正月 / 丙寅 戊寅 庚寅 壬寅 甲寅
二月 / 丁卯 己卯 辛卯 癸卯 乙卯
三月 / 戊辰 庚辰 壬辰 甲辰 丙辰
四月 / 己巳 辛巳 癸巳 乙巳 丁巳
五月 / 庚午 壬午 甲午 丙午 戊午
六月 / 辛未 癸未 乙未 丁未 己未
七月 / 壬申 甲申 丙申 戊申 庚申
八月 / 癸酉 乙酉 丁酉 己酉 辛酉
九月 / 甲戌 丙戌 戊戌 庚戌 壬戌
十月 / 乙亥 丁亥 己亥 辛亥 癸亥
十一月 / 丙子 戊子 庚子 壬子 甲子
十二月 / 丁丑 己丑 辛丑 癸丑 乙丑
節月に対して用いる場合は十二直という暦注とも関連します。
・十二直とは、干支の下に記載されている、たつ(建)、のぞく(除)、みつ(満)、たいら(平)、さだん(定)、とる(執)、やぶる(破)、あやふ(危)、なる(成)、おさん(納/収)、ひらく(開)、とづ(閉)からなる暦注です。
・十二支と十二直は数が同じなので、そのままでは必ず同じ配当になります。そこで二十四節気のうち節だけは前日と同じ十二直を繰り返して1日ずらします。
・これにより、たつ(建)の日には節月の十二支と日の十二支が常にそろいます。寅の日を建とする節月が建寅月であるといってもよいでしょう。
日に用いる場合
殷の時代の甲骨文でも日付に干支が使われています。
明治改暦でも、年や日付を連続的に数えるのに便利なので掲載するよう達が出されています。
時刻に用いる場合
1日を12分割し、十二支をあてはめる方法を十二辰刻といいます。
不定時法でも十二支を使いますので、どちらによる時刻か注意する必要があります。 

 

●十二支 4
子:ね(ねずみ)丑:うし 寅:とら 卯:う(うさぎ) 辰:たつ 巳:み(へび) 午:うま 未:ひつじ 申:さる 酉:とり 戌:いぬ 亥:い(いのしし) と、漢字で書いてみると、動物を意味する漢字とは違う字になります。これは、遥か昔に中国で生まれた十二支の由来に関係しています。
昔の中国では、「年」を数えるとき、ある星の動きをもとにしていました。それは木星です。木星は12年で公転(太陽を1周)するので、人々は毎年の木星の位置を示すために天を12に分けました。12に分けられた天にはそれぞれ子から亥までの字(中国で数を表す数詞)をあてはめました。それが十二支の起源なのです。
その十二支を民衆に浸透させるために、字が読めない人でも覚えやすく馴染みやすい、動物に替えて文献を書いた人がいます。古代中国の偉い人、王充(おういつ)という人です。この人によって十二支は民衆に広まっていくのです。つまり、動物の意味は後から便宜上あてはめられただけなのです。
こうして中国で生まれた十二支は、海を渡って日本にも伝わります。その頃には、十二支は年だけでなく、月や時間にもあてはめられ、広く使われました。時代劇などで丑三つ時、という言葉を耳にしたことはありませんか。あれです。夜中の3時頃を十二支で表すとそうなります。今でも時間表記に十二支の面影は残っています。午前、午後というのは午の刻(うまのこく)の午から来ています。午の刻は11時から13時をさしています。その前半だから午前、後半は午後というようになったのです。
   子 鼠 23時 〜 1時 北 11月 水 陽
   丑 牛 1時 〜 3時 北東微北 12月 土 陰
   寅 虎 3時 〜 5時 北東微南 1月 木 陽
   卯 兎 5時 〜 7時 東 2月 木 陰
   辰 龍 7時 〜 9時 南東微北 3月 土 陽
   巳 蛇 9時 〜 11時 南東微南 4月 火 陰
   午 馬 11時 〜 13時 南 5月 火 陽
   未 羊 13時 〜 15時 南西微南 6月 土 陰
   申 猿 15時 〜 17時 南西微北 7月 金 陽
   酉 鶏 17時 〜 19時 西 8月 金 陰
   戌 犬 19時 〜 21時 北西微南 9月 金 陽
   亥 豚(猪) 21時 〜 23時 北西微北 10月 水 陰  

 

●干支(十二支)の各動物 5
十二支は、全ての季節に従い春から冬にかけて植物が、変化する様子を表しています。そこに音や韻により動物が割り当てられましたが、そこにも意味があるようです。単純に漢字を動物に当てはめたとされているものから、動物の特徴やその背景が後付けされたように思います。つまり、動物の順番に優劣があったのではなく、元々決まっていたところに当てはめたとされています。
子年
干支は、子(ね)年・十二支は、(滋)し
植物の例えとして、万物の滋る芽生えがあることとされてきました。そこに生き物の「ねずみ」が割り当てられたのは、繁殖能力が高い生き物として割り当てられたという説もあります。子孫繁栄や拡大していくなどの意味を持っています。日本では、子年のとしに、開業や新事業を行うなどして、事業の拡大のゲン担ぎとしてもあやかっているのです。
丑年
干支は、丑(うし)年・十二支は、紐(ちゅう)
植物の例えとして、ひもで、せっかく芽生えたものを、ひもで縛れていてまだ十分に芽生えていないこととされていますが、ウシが人類との関係が深く、人間にとって有益の高い動物だったことから割り当てられたという説があります。ウシは粘り強さを誠実の象徴という意味を持っています。辛抱の年とも言われ、この年を過ぎれば道は開けるとしても知られてきました。
寅年
干支は、寅(とら)年・十二支は、演(えん)
植物の例えとして、万物が演然として、初めて地上に生ずることとされていますが、地上という弱肉強食の中で勇ましく生きる動物が割り当てられたとされています。とらは、決断力の象徴という意味を持っています。置物をしても集めているかたがいるとされる寅は、縁起物としても親しまれています。やはり強さの象徴であり、大胆に展開できる年としてもあやかられています。
卯年
干支は、卯(うさぎ)年・十二支は、茂(も)
植物の例えとして、万物がしげることとされていますが、うさぎは跳ねる動物であることから、農作物が跳ね上がる程の豊作という意味として、うさぎが割り当てられたとされています。穏やかで家内安全を象徴という意味を持っています。新しいことを始める年にも最適だとされるのが、ウサギ年ですね。何をやっても跳ね上がるという意味があり、仕事を始め賭け事なども親しまれたりする特徴があります。
辰年
干支は、辰(たつ)年・十二支は、伸(しん)
植物の例えとして、万物がのびることとされていますが、龍は、十二支の中でも幻の生き物です。神話でも、龍が天に向かってのぼる姿を連想されて、辰が割り当てられたとされています。権力の象徴という意味を持っています。また、神様の化身や守り神としての象徴されている龍は、中国においては、門に龍をあしらわれているものが多くあります。さらに、日本では一家に辰年生まれの人が3代いると、家系が途絶えないともいう迷信もあります。
巳年
干支は、巳(へび)年・十二支は、巳(し)
植物の例えとして、万物がすでに盛りを極めて、これから結ぶ時期に移るということとされていますが、へびは良くも悪くも広がるという意味があります。このことから、へびが割り当てられたとされています。脱皮をすることから、死と再生の象徴という意味を持っています。さらに、へび柄のお財布などは、金運アップすると言われて、へび柄を好んでいる人もいますよね。これも、万物が盛りを極めるということに関連ついているのかもしれません。
午年
干支は、午(うま)・十二支は、仵(ご)
植物の例えとして、陽気と相さからい交わることとされていますが、天を行くのは龍、地を行くのは馬とされていたことから、動物の馬が割り当てられとされています。人間の生活に欠かせない生き物の象徴という意味を持っています。馬は、昔から人間や荷物をのせてきた重要な生き物でした。さらに、愛馬としても大事に育てられてきて、人間と同様に歴史を刻む生き物としても、身近な動物であるとされています。
未年
干支は、未(ひつじ)年・十二支は、味(び)
植物の例えとして、万物ができあがって滋味の生ずることとされていますが、「心足りれば身貧に非ず」という歌があるように未の物語から割り当てられたとされています。ひつじは、群れで行動をするので、家族安泰の象徴という意味を持っています。日本にはなじみの薄い、ひつじですが、その性格は温厚で、平和を好む生きものでもあります。ひつじ年のとしは、穏やかな1年になるという迷信もあります。
申年
干支は、申(さる)年・十二支は、身(しん)
植物の例えとして、万物の体ができあがることとされています。猿は、神様の使いとしてもしられており、出来上がった万物の例えにふさわしいのが申として割り当てられという説もあります。山の神の使いの象徴という意味を持っています。さる年のとしは、「去る」にちなんで、厄が去るなどにかけて、願掛けをする年としても広く伝えわっています。日本人がさる年のとしに、富士山の登頂を目指すのも、色々な願掛けをしているという説があるようです。
酉年
干支は、酉(とり)年・十二支は、老(ろう)
植物の例えとして、万物が十分にできあがり、老いることとされています。十二支はいずれも天との繋がりをもっているとされています。天に飛ぶ鳥がふさわしいとして、にわとりが割り当てられとされています。とりこむにちなんで、商売繁盛の象徴という意味があります。さらに、親切で世話好きという意味も含まれているそうです。にわとりは、人に時を知らせる生き物としても、特別な生き物となっているのです。
戌年
干支は、戌(いぬ)年・十二支は、脱(だつ)
植物の例えとして、万物が脱落することとされています。神社などの守り神としても狛犬がいるように、いぬは人間を守る生き物としてしられています。犬という当て字から割り充てられたとされています。忠誠心と安全と安心の象徴という意味があります。人類との付き合いも長く、忠誠心と勤勉家で賢い動物ということもあり、いぬ年の年は、何か新しい分野において発見があるという説もあるようです。もちろん、迷信ではありますが、これも信じている人が多いのです。
亥年
干支は、亥(いのしし)年・十二支は、核(かく)
植物の例えとして、万物が次の種になることとされています。中国の書籍にあるものでは豚という字に似ていますが、日本では、いのししが割り当てられたとされています。万病を防ぎ、無病の象徴という意味を持っています。猪突猛進ということばがあるように、まっすぐな年になるという説もあります。また、いのししの肉は万病を防ぐ効果が期待できるとあって、人間に欠かせない生き物となっているようです。
干支(十二支)の順番の由来・理由
紀元前13〜4世紀の頃、中国まで遡り、暦法で番号を表すのに用いられていたのが10種類の漢字となります。
それを「十干(じっかん)」と呼びます。十干の漢字は、「申(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)です。
十干(じっかん)と季節に従い、植物が変化していく様子を12段階に分け、それぞれに「滋(し)・紐(ちゅう)・演(えん)・茂(も)・伸(しん)・巳(し)・仵(ご)・味(び)・身(しん)・老(ろう)・脱(だつ)・核(かく)の文字をあてて十二支と組み合わせたのが「十干十二支」、略して「干支」です。
元々は、「日」を指していたのですが、いつの間にか「年」に適用されることになったのです。
十干と十二支を組み合わせた干支は、60通りもあります。このことから、還暦という言葉が伝わってきたとも言われています。
十二支は、お月さまの満ち欠けをみて決めたものだとされています。十干は、五行の5からきているものだとされています。中国では天の数が5、地の数が6とされています。
つまり、5の倍数が10になり、6の倍数が12になります。ですから、十干のことを天干(てんかん)といい、十二支のことを地支(ちし)ともいうのです。
中国では、昔から十干十二支を天体の運行と関係させていたという説もあります。他にも、方位を表すものや時刻としても、用いられてきました。北に子、南に午、東に卯、西に酉を充てて、東西南北との関係を示したものもあります。
このように複雑でイマイチ分かりにくいという印象を持つのが一般人の捉え方です。そこで、分かり易く音や韻によって、私たちの馴染みのある動物にあてたのが干支となったのです。北を12にして、時計回りに1〜24まで刻まれると、丑のエリアがちょうど「丑三つ」とか、「子の刻」など時間としても使われていたので、さらに複雑ではありますよね。
干支の順番の由来の別説
干支には、もう一説あります。その物語は、神様が動物の中から12匹をその年のリーダーにすると言いだし、レースをすることになりました。ねずみは、うしの頭にのり、ゴール目前で飛び降りて、1位を獲得したという説が残っています。
だから、年のはじめにねずみから始まるのだとか。こうして12年という周期に動物が割り当てられたという説も残っています。ねずみの天敵である猫がいないのは、ねずみがレースの日を伝えなかったからだそうです。  

 

●十二支と方位 6
中国や日本には、すべてのものが「木・火・土・金・水」から成り、それぞれが「陽」=兄(え)と、「陰」=弟(と)に分かれるという考え方があり、これを「陰陽五行説」といいます。五行に兄弟(えと・干支)を掛け合わせると5×2=10の組み合わせができます。これを十干(じっかん)といいます。
十干は、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)の10個の記号です。
それぞれ、甲(きのえ=木の兄)、乙(きのと=木の弟)、丙(ひのえ=火の兄)......など五行と組み合わされた呼び名になっていますね。
この十干は十二支と組み合わせて、60年で一巡します。60歳を「還暦」といって祝うのもこのためです。
十二支は、おなじみの「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の12個の記号です。初めは月の記号として使われていましたが、やがて年や日、時間、方位にも割り当てられるようになり、正午・午前・午後といった言葉も生まれました。
十二支と動物 〜なぜねずみが1番なの?
「子、丑、寅......」の十二支には動物が当てはめられていますが、もともと十二支は動物とは無関係のものでした。しかし、十二支を覚えやすくするために、その字に動物が当てはめられ、親しまれるようになったのです。その成立ちには様々な話がありますが、昔から語り継がれてきた民話をご紹介します。
十二支のおはなし
昔々、ある暮れのこと。神様が動物たちに「元日の朝、私のところへ出掛けてきなさい。最初に到着したものから12番目のものまでを、1年交代でその年の大将にする」と御触れを出しました。動物たちは、我こそが1番になるぞとはりきっておりました。
ところがネコは話を聞き漏らし、ネズミにたずねました。するとネズミはわざと1日遅れの日付を教えてやり、ネコはそれを真に受けて帰っていきました。
元日となり、足の遅いウシが誰よりも早く出発すると、牛小屋の天井でこれを見ていたネズミが、こっそりウシの背中に飛び乗りました。そんなこととは知らないウシが神様の家に行ってみると、夜明け前でまだ誰も来ておらず門も閉まったまま。我こそが1番だとウシは喜び、門が開くのを待っていました。
やがて日が昇って門が開いたとたん、ウシの背中からネズミが飛び降り、ネズミが1番になってしまいました。残念ながらウシは2番となり、それからトラ、ウサギ、タツ、ヘビ、ウマ、ヒツジ、サル、トリ、イヌ、イノシシの順で到着しました。1日遅れで出掛けたネコは番外となり、それ以来ネズミを恨んで追いまわすようになりました。  

 

 

 

 

 

 
 
 
 

 

●干支
    九星気学   四柱推命  陰陽  

 

●十二支・干支・十干
十二支とは・由来
十二支(じゅうにし)は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種からなり、十干(じっかん)と組み合わせて、60種からなる「干支(えと)」として暦や時刻、方角を表すときに用いられてきました。日本では一般的に、ねずみ、うし、とら……と12の動物を当てはめたものが知られており、年賀状のデザインや、生まれ年を表現するときなどに用います。
十二支はなぜ動物に?
十二支に動物を当てはめるのはなぜなのでしょうか。「覚えやすいように身近な動物を当てはめた」など諸説あるものの、順番はある逸話に由来するといわれています。「神様は昔、1月1日に神様の元へどれだけ早く集まれるか動物たちにレースをさせました。レースに基づいて、十二支の種類と順番が決定された」という話が知られています。レースの内容は物語によって多少異なりますが、大まかには次のような趣旨です。
• 一番乗りしようとしたウシの背中からネズミが素早く降りて一位を奪った
• イヌとサルがケンカしながら順位を争った
• ネコはネズミに騙されてレースの日程を間違えた
3つ目の物語は、「十二支にネコがいない理由」ともされています。
十二支の読み方と覚え方
十二支の各字の読み方と順番、当てはめる動物は次のとおりです。
1. 子=ね=ネズミ
2. 丑=うし=ウシ
3. 寅=とら=トラ
4. 卯=う=ウサギ
5. 辰=たつ=リュウ(ドラゴン)
6. 巳=み=ヘビ
7. 午=うま=ウマ
8. 未=ひつじ=ヒツジ
9. 申=さる=サル
10.酉=とり=トリ
11.戌=いぬ=イヌ
12.亥=い=イノシシ
順番の覚え方は、「ね、うし、とら…いぬ、い」と漢字の読みを繰り返すとよいでしょう。ただし十二支の漢字は現在の各動物を表す漢字とほとんど異なりますし、読み方も亥が「イ」と読んでイノシシのことを指している、など少しずつ異なるので注意が必要です。
十二支の意味
十二支はもともと、紀元前の中国で暦などを表すために使われ始めたといわれています。十二支に動物を当てはめた結果、それぞれの字には、幸せを願うさまざまな意味がこめられています。各字=動物について、見ていきましょう。
十二支の動物の意味

子(ね)は、十二支の一番目の動物でネズミのことを指します。ネズミは繁殖力が高く、つがいがそろえばあっという間に何十匹、何百匹にも繁殖します。よって、子宝の象徴となることも多い動物で、ネズミ=子孫繁栄の意味がこめられています。

丑(うし=牛)は昔から、食用というよりも生活のパートナーでした。重い荷物を運んだり畑を耕したりと生活の中に欠かせない動物だったのです。ウシは力強さの象徴であり、粘り強さ、誠実さを表すとされています。

寅(とら)とはトラのこと。トラは勇猛果敢な動物です。また決断力や才覚といった意味も込められています。

卯(う)はウサギ。ウサギはおとなしく、穏やかなイメージがあります。このことから安全の象徴としての意味を持っています。さらにその跳躍力から飛躍、向上という意味も持ち合わせています。

辰(たつ)は龍・ドラゴンのことを指します。十二支の中では唯一空想上の生き物ですが、東洋では龍は生活に密接なモチーフでした。中国では古代から龍は権力の象徴とされており、日本もその影響を受けています。ここから辰は権力の意味合いを持っています。

巳(み)はヘビのこと。ヘビは脱皮を繰り返して成長するため、世界で「永遠」や「生命」、また「再生」の象徴にもなっています。

午(うま)はウマ=馬を表します。ウマもウシと同様に生活に欠かせない大切なパートナーでした。ウマは健康や豊作を象徴する十二支の一つです。

未と書いてヒツジ。ヒツジは動物の中でも群れで生活することを好む生き物です。よって十二支の中でも家族安泰の象徴とされています。

申はサルを指します。サルは知能が高く、神の使いであると信じられてきました。よって、サルは賢者を象徴する動物となっています。

酉はトリ、特にニワトリのことを指します。トリは「取り込む」ことにつながります。酉の字をあてた「酉の市」という商売繁盛のためのお祭りが各地であるように、商売繁盛の象徴として扱われます。

戌(いぬ)はイヌのこと。イヌもウシやウマと並んで、古くから生活をともにしてきました。イヌは特に主人に忠実に従うことから、忠義の象徴という意味が込められています。

亥(い)とはイノシシのこと。イノシシの肉は昔から万病に効くと考えられており無病息災を象徴します。また、猪突猛進という言葉があるとおり、一途で情熱的なイメージもあわせもっています。なお、日本では亥=イノシシですが、中国ではイノシシではなくブタを指します。
十二支と方位・時間
現代では年を表す十二支ですが、もともとは方位や時間を示すために使われていました。昔の日本では十二時辰という十二支を使った時間表記を用いていました。基準になる時刻を正刻として、その時間の前後一時間を十二支の名前を付けて呼んでいたのです。たとえば、12時のことを「正午」といいますが、これは「午の刻」の「正刻」のこと。また11時から13時までが午の刻として扱われます。さらに、北を「子の方角」、南を「午の方角」として、360度を12個に分けて方角を表していました。たとえば、「丑の方角」は真北にあたる子の方角から30度進んで北北東のことを指します。
十二支と干支の違い
十二支(じゅうにし)は、紀元前中国から暦や方角を表すのに用いられてきた12の漢字で、各字に12の動物を当てはめています。2019年は「いのしし年」。近年は、これを干支(えと)ととらえることが増えましたが、十二支と干支は本来異なります。十二支は十干(じっかん)とあわせて60の干支を構成するためです。
十干とは
十二支と干支の違いを知るためにはまず、十干について理解する必要があります。十干は中国の五行思想から発生した考え方で、木、火、土、金、水の5つをそれぞれ兄(え)と弟(と)の2つにわけて計10の要素を作り漢字を当てています。それぞれの組み合わせは次のとおりです。
木の兄=甲/木の弟=乙
火の兄=丙/火の弟=丁
土の兄=戊/土の弟=己
金の兄=庚/金の弟=辛
水の兄=壬/水の弟=癸
十二支と干支の違い
十二支は12、十干は10にわかれています。十二支と十干を組み合わせたのが干支です。たとえば、1年目を十干で「甲」、十二支で「子」の年とするなら、干支は「甲子(きのえね)」。2年目は十干で「乙」、十二支で「丑」、干支は「乙丑(きのとうし)」、のように進みます。十干と十二支の組み合わせは10と12の最終公倍数である60パターン存在するため、干支は60で一周します。なお、60歳のことを還暦(かんれき)と呼びますが、これは60年で干支が1周してまた自分の生まれた干支に戻ったことを意味します。
2019年の十二支は
では、2019年の十二支は何でしょうか。年賀状の絵柄などで見かけますが、2019年の十二支は「亥(い=いのしし)」です。十二支の12番目、最後の年でもあります。干支では己亥(つちのとい)の年に相当し、60番中36番目に当たる年です。ちなみに、翌2020年は子(ね=ねずみ)の年です。
十二支は生活や文化に根ざすもの
十二支(じゅうにし)は、ふるくから暦や方角などを表すために使われてきた12の漢字です。「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」と、身近な動物を当てはめて、年を表すのが一般的。年賀状でもおなじみです。近年は、干支(えと)といえば十二支を指すことが増えましたが、本来は別物。十二支と、五行思想に基づく十干(じっかん)とを組み合わせた60種が干支です。2019年は、十二支だと「亥=いのしし」、干支だと「己亥(つちのとい)」の年です。なお、中国では、亥=ブタ。ほかにも、チベットやタイではウサギの代わりにネコが入っていたり、モンゴルではトラではなくヒョウが入っていたりと、国や地域によって十二支の動物は異なります。そうはいっても、十二支はアジア圏で広く使われている考え方で、各国の文化や生活習慣に関係しています。それぞれの字・動物にこめられた願いや意味を調べても、楽しいかもしれません。  

 

●六十干支
六十干支(ろくじっかんし)は古く中国から伝わり、十干(じっかん:こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き)と十二支(じゅうにし:ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い)を組み合わせて、数字のかわりに長い年数、日数を表すために使われてきた。十干十二支ともいう。
十干は、陰陽五行説とつながって、甲=木の兄(きのえ)、乙=木の弟(きのと)、丙=火の兄(ひのえ)、丁=火の弟(ひのと)、戊=土の兄(つちのえ)、己=土の弟(つちのと)、庚=金の兄(かのえ)、辛=金の弟(かのと)、壬=水の兄(みずのえ)、癸=水の弟(みずのと)と呼ばれた。
十二支は、中国で古くから暦の月の呼び方や、時刻、方角にも使われた。もともとは12か月の順番を示すただの符号であったが、のちに動物に結びつけられた。
表の「ひらがな」は日本式の読み方、「カタカナ」は音読みで、左から右、上から下へ順に並べてある。習慣で「弟」と十二支名の読みの間には「の」を入れて呼ぶ。
六十干支一覧
1-10
きのえね きのとのうし ひのえとら ひのとのう つちのえたつ つちのとのみ かのえうま かのとのひつじ みずのえさる みずのとのとり
甲子 乙丑 丙寅 丁卯 戊辰 己巳 庚午 辛未 壬申 癸酉
カッ(コウ)シ イッチュウ ヘイイン テイボウ ボシン キシ コウゴ シンビ ジンシン キユウ
11-20
きのえいぬ きのとのい ひのえね ひのとのうし つちのえとら つちのとのう かのえたつ かのとのみ みずのえうま みずのとのひつじ
甲戌 乙亥 丙子 丁丑 戊寅 己卯 庚辰 辛巳 壬午 癸未
コウジュツ イツガイ ヘイシ テイチュウ ボイン キボウ コウシン シンシ ジンゴ キビ
21-30
きのえさる きのとのとり ひのえいぬ ひのとのい つちのえね つちのとのうし かのえとら かのとのう みずのえたつ みずのとのみ
甲申 乙酉 丙戌 丁亥 戊子 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳
コウシン イツユウ ヘイジュツ テイガイ ボシ キチュウ コウイン シンボウ ジンシン キシ
31-40
きのえうま きのとのひつじ ひのえさる ひのとのとり つちのえいぬ つちのとのい かのえね かのとのうし みずのえとら みずのとのう
甲午 乙未 丙申 丁酉 戊戌 己亥 庚子 辛丑 壬寅 癸卯
コウゴ イツビ ヘイシン テイユウ ボジュツ キガイ コウシ シンチュウ ジンイン キボウ
41-50
きのえたつ きのとのみ ひのえうま ひのとのひつじ つちのえさる つちのとのとり かのえいぬ かのとのい みずのえね みずのとのうし
甲辰 乙巳 丙午 丁未 戊申 己酉 庚戌 辛亥 壬子 癸丑
コウシン イツシ ヘイゴ テイビ ボシン キユウ コウジュツ シンガイ ジンシ キチュウ
51-60
きのえとら きのとのう ひのえたつ ひのとのみ つちのえうま つちのとのひつじ かのえさる かのとのとり みずのえいぬ みずのとのい
甲寅 乙卯 丙辰 丁巳 戊午 己未 庚申 辛酉 壬戌 癸亥
コウイン イツボウ ヘイシン テイシ ボゴ キビ コウシン シンユウ ジンジュツ キガイ
十干十二支すべての組み合わせがあるわけではなく、十干の「甲、丙、戊、庚、壬」と、十二支の「子、寅、辰、午、申、戌」、十干の「乙、丁、己、辛、癸」と、十二支の「丑、卯、巳、未、酉、亥」が組み合わされるため、六十干支となる。表の最後、癸亥の次は最初の甲子に戻って繰り返す。このように60年で干支が一回りするため、60歳になることを還暦を迎えるという。  
・・・
1919年 大正8年 未年[ひつじ] 己未 つちのとひつじ
1920年 大正9年 申年[さる] 庚申 かのえさる
1921年 大正10年 酉年[とり] 辛酉 かのととり
1922年 大正11年 戌年[いぬ] 壬戌 みずのえいぬ
1923年 大正12年 亥年[いのしし] 癸亥 みずのとい
1924年 大正13年 子年[ねずみ] 甲子 きのえね
1925年 大正14年 丑年[うし] 乙丑 きのとうし
1926年 大正15年 寅年[とら] 丙寅 ひのえとら

1926年 昭和元年 寅年[とら] 丙寅 ひのえとら
1927年 昭和2年 卯年[うさぎ] 丁卯 ひのとう
1928年 昭和3年 辰年[たつ] 戊辰 つちのえたつ
1929年 昭和4年 巳年[へび] 己巳 つちのとみ
1930年 昭和5年 午年[うま] 庚午 かねのえうま
1931年 昭和6年 未年[ひつじ] 辛未 かねのとひつじ
1932年 昭和7年 申年[さる] 壬申 みずのえさる
1933年 昭和8年 酉年[とり] 癸酉 みずのととり
1934年 昭和9年 戌年[いぬ] 甲戌 きのえいぬ
1935年 昭和10年 亥年[いのしし] 乙亥 きのとい
1936年 昭和11年 子年[ねずみ] 丙子 ひのえね
1937年 昭和12年 丑年[うし] 丁丑 ひのとうし
1938年 昭和13年 寅年[とら] 戊寅 つちのえとら
1939年 昭和14年 卯年[うさぎ] 己卯 つちのとう
1940年 昭和15年 辰年[たつ] 庚辰 かねのえたつ
1941年 昭和16年 巳年[へび] 辛巳 かねのとみ
1942年 昭和17年 午年[うま] 壬午 みずのえうま
1943年 昭和18年 未年[ひつじ] 癸未 みずのとひつじ
1944年 昭和19年 申年[さる] 甲申 きのえさる
1945年 昭和20年 酉年[とり] 乙酉 きのととり
1946年 昭和21年 戌年[いぬ] 丙戌 ひのえいぬ
1947年 昭和22年 亥年[いのしし] 丁亥 ひのとい
1948年 昭和23年 子年[ねずみ] 戊子 つちのえね
1949年 昭和24年 丑年[うし] 己丑 つちのとうし
1950年 昭和25年 寅年[とら] 庚寅 かねのえとら
1951年 昭和26年 卯年[うさぎ] 辛卯 かねのとう
1952年 昭和27年 辰年[たつ] 壬辰 みずのえたつ
1953年 昭和28年 巳年[へび] 癸巳 みずのとみ
1954年 昭和29年 午年[うま] 甲午 きのえうま
1955年 昭和30年 未年[ひつじ] 乙未 きのとひつじ 1956
年 昭和31年 申年[さる] 丙申 ひのえさる
1957年 昭和32年 酉年[とり] 丁酉 ひのととり
1958年 昭和33年 戌年[いぬ] 戊戌 つちのえいぬ
1959年 昭和34年 亥年[いのしし] 己亥 つちのとい
●1960年 昭和35年 子年[ねずみ] 庚子 かねのえね
1961年 昭和36年 丑年[うし] 辛丑 かねのとうし
1962年 昭和37年 寅年[とら] 壬寅 みずのえとら
1963年 昭和38年 卯年[うさぎ] 癸卯 みずのとう
1964年 昭和39年 辰年[たつ] 甲辰 きのえたつ
1965年 昭和40年 巳年[へび] 乙巳 きのとみ
1966年 昭和41年 午年[うま] 丙午 ひのえうま
1967年 昭和42年 未年[ひつじ] 丁未 ひのとひつじ
1968年 昭和43年 申年[さる] 戊申 つちのえさる
1969年 昭和44年 酉年[とり] 己酉 つちのととり
1970年 昭和45年 戌年[いぬ] 庚戌 かのえいぬ
1971年 昭和46年 亥年[いのしし] 辛亥 かのとい
1972年 昭和47年 子年[ねずみ] 壬子 みずのえね
1973年 昭和48年 丑年[うし] 癸丑 みずのとうし
1974年 昭和49年 寅年[とら] 甲寅 きのえとら
1975年 昭和50年 卯年[うさぎ] 乙卯 きのとう
1976年 昭和51年 辰年[たつ] 丙辰 ひのえたつ
1977年 昭和52年 巳年[へび] 丁巳 ひのとみ
1978年 昭和53年 午年[うま] 戊午 つちのえうま
1979年 昭和54年 未年[ひつじ] 己未 つちのとひつじ
1980年 昭和55年 申年[さる] 庚申 かのえさる
1981年 昭和56年 酉年[とり] 辛酉 かのととり
1982年 昭和57年 戌年[いぬ] 壬戌 みずのえいぬ
1983年 昭和58年 亥年[いのしし] 癸亥 みずのとい
1984年 昭和59年 子年[ねずみ] 甲子 きのえね
1985年 昭和60年 丑年[うし] 乙丑 きのとうし
1986年 昭和61年 寅年[とら] 丙寅 ひのえとら
1987年 昭和62年 卯年[うさぎ] 丁卯 ひのとう
1988年 昭和63年 辰年[たつ] 戊辰 つちのえたつ
1989年 昭和64年 巳年[へび] 己巳 つちのとみ

1989年 平成元年 巳年[へび] 己巳 つちのとみ
1990年 平成2年 午年[うま] 庚午 かのえうま
1991年 平成3年 未年[ひつじ] 辛未 かのとひつじ
1992年 平成4年 申年[さる] 壬申 みずのえさる
1993年 平成5年 酉年[とり] 癸酉 みずのととり
1994年 平成6年 戌年[いぬ] 甲戌 きのえいぬ
1995年 平成7年 亥年[いのしし] 乙亥 きのとい
1996年 平成8年 子年[ねずみ] 丙子 ひのえね
1997年 平成9年 丑年[うし] 丁丑 ひのとうし
1998年 平成10年 寅年[とら] 戊寅 つちのえとら
1999年 平成11年 卯年[うさぎ] 己卯 つちのとう
2000年 平成12年 辰年[たつ] 庚辰 かのえたつ
2001年 平成13年 巳年[へび] 辛巳 かのとみ
2002年 平成14年 午年[うま] 壬午 みずのえうま
2003年 平成15年 未年[ひつじ] 癸未 みずのとひつじ
2004年 平成16年 申年[さる] 甲申 きのえさる
2005年 平成17年 酉年[とり] 乙酉 きのととり
2006年 平成18年 戌年[いぬ] 丙戌 ひのえいぬ
2007年 平成19年 亥年[いのしし] 丁亥 ひのとい
2008年 平成20年 子年[ねずみ] 戊子 つちのえね
2009年 平成21年 丑年[うし] 己丑 つちのとうし
2010年 平成22年 寅年[とら] 庚寅 かのえとら
2011年 平成23年 卯年[うさぎ] 辛卯 かのとう
2012年 平成24年 辰年[たつ] 壬辰 みずのえたつ
2013年 平成25年 巳年[へび] 癸巳 みずのとみ
2014年 平成26年 午年[うま] 甲午 きのえうま
2015年 平成27年 未年[ひつじ] 乙未 きのとひつじ
2016年 平成28年 申年[さる] 丙申 ひのえさる
2017年 平成29年 酉年[とり] 丁酉 ひのととり
2018年 平成30年 戌年[いぬ] 戊戌 つちのえいぬ
2019年 平成31年 亥年[いのしし] 己亥 つちのとい

2019年 令和元年 亥年[いのしし] 己亥 つちのとい
2020年 令和2年 子年[ねずみ] 庚子 かのえね
2021年 令和3年 丑年[うし] 辛丑 かのとうし
2022年 令和4年 寅年[とら] 壬寅 みずのえとら
2023年 令和5年 卯年[うさぎ] 癸卯 みずのとう 
・・・

 

●陰陽
陰陽とは、地球を含めた宇宙の万物は、「陰」と「陽」に分けることができ、これらは互いに相反する性質をもち、それぞれが影響を及ぼし合っているという思想です。 
例えば、「天」と「地」、「太陽」と「月」、「男」と「女」のように一対で存在し、相互に影響し合っている関係です。 
陰陽五行説(いんようごぎょうせつ) 
陰陽五行説は、陰陽説と五行説が発展していく過程で1つに結びついたもので、紀元前四世紀頃に、当時の思想家がまとめ中国初の体系的な哲学(推命学、易学、漢方、針灸)の根本原理ともなっています。 
干合(かんごう)  
干合とは、十干(じゅっかん:甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸)の陽干と陰干が合わさって五行の星を生じることで、例えば、甲(きのえ)と己(つちのと)が干合して「土」が生まれます。 
○甲(陽干) - 己(陰干) → 土 
○乙(陰干) - 庚(陽干) → 木 
○丙(陽干) - 辛(陰干) → 火 
○丁(陰干) - 壬(陽干) → 金 
○戊(陽干) - 癸(陰干) → 水 
干支(かんし) 
十干(じゅっかん)と十二支(じゅうにし)を合わせたものを干支(かんし)といいます。 
この二つの組み合わせが、すべての気運を表しています。 
十干は天から流れる五行の気運を示し、十二支は地で四季が繰り返す五行の気運を表しています。 
空亡(くうぼう) 
空亡は、12年に一度訪れる運勢休息の2年間のことで、天中殺とも呼ばれています。 
空亡は、日柱の干支を組み合わせた場合に、10個の干(天の気運)に対して12個の支(地の気運)が存在することから、2つの支(地の気運)には干(天の気運)が存在しない、つまり、その人にとって、天の気が弱まり加護が得られにくくなるという状態を表しています。 
空亡の時には、結婚や転職、新築や引っ越しなど、何か新しいことを始めるのは避けて、ゆっくり休息しましょう。 
その時期の過ごし方によって、その後の人生に幸運をもたらすことになるともいわれています。 
空亡には「戌亥」「申酉」「午未」「辰巳」「寅卯」「子丑」の6種類があります。 
五行(ごぎょう) 
五行とは、地球を含めた宇宙の万物は、「木」「火」「土」「金」「水」の5つの要素、五行から成り立っているという思想です。 
これら5つの要素は、互いに影響しあっていると考えられており、盛衰関係によって宇宙が循環し発展していくその過程で、人間もその影響を受けているという自然哲学の思想です。「木は燃えて火を生み、火は燃え尽きて土を生み、土は凝って金を生み、金は冷えて水を生み、水は木を育てる」という互いに助け合う関係と、それとは反対に、「木は土の養分を吸収し、土は水を吸い取り、水は火を消し、火は金を溶かし、金は木を切り倒す」という互いを打ち消し合う関係の、大きく2つに分類されます。 
このように、互いに助け合う関係を相生(そうしょう)といい、打ち消し合う関係は相剋(そうこく)といいます。 
三合(さんごう) 
三局とは、十二支の陽支どうし、または、陰支どうしが三ずつ合わさって強力な五行の星を生じることで、例えば、亥(陰支)と卯(陰支)と未(陰支)が三局して「木」が生まれます。 
○亥(陰支) - 卯(陰支) - 未(陰支) → 木 
○寅(陽支) - 午(陽支) - 戌(陽支) → 火 
○巳(陰支) - 酉(陰支) - 丑(陰支) → 金 
○申(陽支) - 子(陽支) - 辰(陽支) → 水 
支合(しごう) 
支合とは、十二支(かんし:子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥)の陽支と陰支が合わさって五行の星を生じることで、例えば、子(ね)と丑(うし)が支合して「土」が生まれます。 
○子(陽支) - 丑(陰支) → 土 
○寅(陽支) - 亥(陰支) → 金 
○卯(陰支) - 戌(陽支) → 水 
○辰(陽支) - 酉(陰支) → 木 
○巳(陰支) - 申(陰支) → 火 
四柱(しちゅう) 
「四柱」とは、年柱、月柱、日柱、時柱の総称で、生年月日と時刻から割り出されており、人生を四分割したそれぞれの時代を表しています。 
○年柱/社交面や外面の運気。人生では初年期(0〜19歳)の運気をみる。 
○月柱/仕事や家庭における運気。人生では初年期(20〜39歳)の運気をみる。 
○日柱/自分自身や恋愛、セックスの運気。人生では晩年期(40歳〜)の運気をみる。 
○時柱/自己の成功・不成功、子供との縁、友人、目下の人、恋人の運気。人生では生涯の運気をみる。 
四柱推命(しちゅうすいめい) 
四柱推命とは、「占いの帝王」と呼ばれているほど的中率の高い運勢鑑定法です。 
四柱推命は、生年・月・日・時を四本の柱とし、 そこから導き出されるさまざまな星の組み合わせによって運勢を鑑定します。 
陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)と干支術(かんしじゅつ)の2つをベースとし、 古くは中国の皇帝が国の政治の方向性を判断する際にも使用していたとされています。 
四柱推命は大変奥が深く難解で、一生かかっても到達するのが難しい学問だともいわれています。 
十二運星(じゅうにうんせい) 
四柱推命占いの中で、性格の傾向や宿命について占うのに適しているのが十二運星です。 
十二運星は運勢エネルギーをあらわすもので、長生・沐浴・冠帯・建禄・帝旺・衰・病・死・墓・絶・胎・養の12種類があり、人間の一生に例えて名前がつけられています。 
ただし、「病」だから病気するとか、「死」だから死ぬ、とかいう意味ではなく、あくまで運勢の強弱や性格の傾向について表しています。 
今も人気のある「動物占い」の動物キャラは、実は四柱推命の十二星運の12種類の言葉を動物に置き換えて簡単に表現したものです。 
○長生(ちょうせい)/人が生まれた時の状態を意味します。基本的に優しく、何事に対しても遠慮がちです。また神経を使いすぎる傾向にあります。 
○沐浴(もくよく)/産湯に浸かった状態意味します。気ぐらいが高く、頭を下げるのが嫌いです。独立心が強いところもあります。 
○冠帯(かんたい)/成人になった状態を意味します。思いやりがありますが、気が強いです。困っても弱みをみせません。 
○建禄(けんろく)/独り立ちした状態を意味します。考え方が細かいです。好きなことは損得抜きに好きになります。 
○帝旺(ていおう)/人生の頂点に達した状態を意味します。プライドが高くワンマンです。しかし人に迷惑をかけることを嫌います。 
○衰(すい)/人生の頂点から衰え始めた状態を意味します。保守的で堅実です。自分を控えめに見積もる傾向があります。 
○病(びょう)/衰えて病気になった状態を意味します。大胆で独立心が強いです。また、直感力にもすぐれています。 
○死(し)/死の時の状態を意味します。表向きは明るいですが、孤独な面も併せ持ちます。真面目で努力家です。 
○墓(ぼ)/死んで墓に入った状態を意味します。気ままな性格です。細かいことに気がつきます。 
○絶(ぜつ)/肉体が土にかえった状態を意味します。人が良く、すぐ人を信用してしまいます。情にもろいです。 
○胎(たい)/新たな生命が宿った状態を意味します。新しいもの好きです。頼まれれば断りませんが実行力に欠けます。 
○養(よう)/胎内で成長している状態を意味します。のんびり型であっさりしています。積極性はあまりありません。 
十二支(じゅうにし) 
十二支は地で四季が繰り返す五行の気運を表しています。おなじみの子(ね) 丑(うし) 寅(とら) 卯(う) 辰(たつ) 巳(み) 午(うま) 未(ひつじ) 申(さる) 酉(とり) 戌(いぬ) 亥(い) の12種類です。 
○子(ね)/全ての物は核の中から顔を出しているという状態を表す。 
○丑(うし)/全ての物は開放されて成長していくという状態を表す。 
○寅(とら)/全ての物が伸び始めるというような状態を表す。 
○卯(う)/全ての物が覆い隠すというような状態を表す。 
○辰(たつ)/全ての物が振るって伸びるような状態を表す。 
○巳(み)/全ての物が成長してしまった状態を表す。 
○午(うま)/全ての物が陰陽と交わろうとしている状態を表す。 
○未(ひつじ)/全ての物が成長している状態を表す。 
○申(さる)/全ての物が成熟したような状態を表す。 
○酉(とり)/全ての物が熟成しているような状態を表す。 
○戌(いぬ)/全ての物が元の土の中に還っていくような状態を表す。 
○亥(い) /全ての物が基本の種となるような状態を表す。 
十干(じゅっかん) 
十干は天から流れる五行の気運を示しています。甲(きのえ) 乙(きのと) 丙(ひのえ) 丁(ひのと) 戊(つちのえ) 己(つちのと) 庚(かのえ) 辛(かのと) 壬(みずのえ) 癸(みずのと)の10種類です。この10種類の10干は、それぞれ陰陽「木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)」に割り当てられるようになっています。 
陰陽の割り当ては以下の通りです。 
○木の陽(木の兄)→甲 
○木の陰(木の弟)→乙 
○火の陽(火の兄)→丙 
○火の陰(火の弟)→丁 
○土の陽(土の兄)→戊 
○土の陰(土の弟)→己 
○金の陽(金の兄)→庚 
○金の陰(金の弟)→辛 
○水の陽(水の兄)→壬 
○水の陰(水の弟)→癸 
この兄と弟に関して、兄は「え」と呼ばれ陽を意味しており、弟は「と」と呼ばれ陰を意味しています。 
ゆえに、十干(じゅっかん)の意味は次のとおりとなります。 
○甲(きのえ)/「大木」を意味する。強くて激しくて独立心が旺盛。 
○乙(きのと)/「草花」を意味する。弱くて柔らかくて円満な感じ。 
○丙(ひのえ)/「太陽」を意味する。激しくて華やかで派手な感じ。 
○丁(ひのと)/「灯火」を意味する。陽気で穏和でおとなしい感じ。 
○戊(つちのえ)/「堤防」を意味する。派手で世話好きな感じです。 
○己(つちのと)/「田園」を意味する。規則正しくて穏和でおとなしい感じ。 
○庚(かのえ)/「鉱石」を意味する。質実剛健、強くて自信がある。 
○辛(かのと)/「宝石」を意味する。辛抱強くて現実を見ている感じ。 
○壬(みずのえ)/「大河」を意味する。勇気、才能がある。 
○癸(みずのと)/「雨露」を意味する。正直で、おとなしい感じ。 
神殺(しんさつ) 
神殺とは変通星や特殊星で、四柱の干支だけでは解釈が難しかった時代に、神殺などを加味して判断してきたものなので、あくまで補助的に見ます。 
大運(だいうん) 
大運とは人生における運気の大きな流れを表しており、周期は10年ごとといわれています。実際の鑑定では、命式よりも大運の流れを重視します。 
大運は、十干と十二支で振っていき、十干が5年間、そして十二支が5年間で合わせて10年の運で一運と呼びます。たいていの場合、大運の出口と入口で運勢が変わる場合が多いです。 
天中殺(てんちゅうさつ) 
天中殺(てんちゅうさつ)とは、12年に一度訪れる運勢休息の2年間で、空亡(くうぼう)とも呼ばれています。 
天中殺は、日柱の干支を組み合わせた場合に、10個の干(天の気運)に対して12個の支(地の気運)が存在することから、2つの支(地の気運)には干(天の気運)が存在しない、つまり、その人にとって、天の気が弱まり加護が得られにくくなるという状態を表しています。 
天中殺の時には、結婚や転職、新築や引っ越しなど、何か新しいことを始めるのは避けて、ゆっくり休息しましょう。 
その時期の過ごし方によって、その後の人生に幸運をもたらすことになるともいわれています。 
通変星(つうへんせい) 
通変星とは、簡単に言うと表面に現れる性格や行動パターンを表す星で、「宿命星」ともいわれています。 
通変星(または宿命星)は、その人の性格、能力、適性、運命などを判断するうえで最も重要な星で、出生日の十干から、ほかの四柱天干を合わせ見たときに出る星を「十干通変星(じゅっかんつうへんせい)」、日干から四柱蔵干を合わせ見たときに出る星を「蔵干通変星(ぞうかんつうへんせい)」といいます。 
変通星には、比肩(ひけん)、劫財(ごうざい)、食神(しょくじん)、傷官(しょうかん)、偏財(へんざい)、正財(せいざい)、偏官(へんかん)、正官(せいかん)、倒食(とうしょく)、印綬(いんじゅ)の10種類があります。 
○比肩(ひけん)/自立心旺盛 強情で頑固 几帳面 我慢強い 孤独 勝ち負け意識 
○食神(しょくじん)/のんびり屋 純粋 楽天的 優しい 優柔不断 色情問題 美食 
○偏財(へんざい)/保身 投資 資産運用 陽気 金銭 商売 交際上手 事業意欲 
○正財(せいざい)/打算的 安全確実 消極的 保守的 保身 用意周到 
○印綬(いんじゅ)/善良 慈悲 伝統 体裁 堅物 学問教育 欲深い 名誉 
○傷官(しょうかん)/鋭敏 シャープ 美人 芸術的 霊能者 孤独 型破り 嫉妬心 白黒 
○劫財(ごうざい)/独立独行 強情頑固 損得勘定 反抗的 意地汚い 破財破壊 
○偏官(へんかん)/正義感 自惚れ 単純志向 好奇心 冒険心 奇人変人 
○正官(せいかん)/プライド 名誉欲 几帳面 集団性 律儀 気品 
○偏印(へんいん)/常識的 堅物 陰気 要領が悪い 学問 秘密主義 
命式(めいしき) 
命式(四柱推命式)は、占う人の生年月日と時刻を一定の法則にもとづいて表にしたもので、その人自身の骨格と運の流れを表す見取り図のようなものです。 
命式では、天を表す10種類の天干(十干)と、地を表す12種類の地支(十二支)で作られています。 
その天干と地支を合わせて「干支」といいます。 
この命式の解析方法や読み解く知識に流派の違いや個人の実力の差が顕著に現れるといわれています。 
<命式の構成> 
○十干(じゅっかん) 
十干は、「天干(てんかん)」とも呼ばれます。五行(木・火・土・金・水)と「陰」「陽」を組み合わせたもので、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)の10種類があります。 
○十二支(じゅうにし) 
十二支は、「地支(ちし)」とも呼ばれます。「天干」の下に「地支」として表記されるのが普通で、一般的には「干支(えと)」として知られている「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」の12種類がそれです。  
○蔵干(ぞうかん) 
蔵干とは「地支に含まれるとされている十干」のことです。使用しない流派もあります。 
○十干通変星(じゅっかんつうへんせい) 
出生日の十干(つまり日干)から、ほかの四柱天干を合わせ見たときに表出される星のことです。「比肩(ひけん)・劫財(ごうざい)・食神(しょくじん)・傷官(しょうかん)・偏財(へんざい)・正財(せいざい)・偏官(へんかん)・正官(せいかん)・偏印(へんいん)・印綬(いんじゅ)」の10種類があります。 
○蔵干通変星(ぞうかんつうへんせい) 
日干から、四柱蔵干を合わせ見たときに表出される星のことです。十干変通星と同じく10種類があります。  
○十二運星(じゅうにうんせい) 
日干から、四柱地支を合わせ見たときに表出される星のことです。 
「長生(ちょうせい)・沐浴(もくよく)・冠帯(かんたい)・建禄(けんろく)・帝旺(ていおう)・衰(すい)・病(びょう)・死(し)・墓(ぼ)・絶(ぜつ)・胎(たい)・養(よう)」の12種類があります。 
「病」だから病気になるとか「死」だから死ぬという意味ではありません。

 

●天中殺
干支において天が味方しない時。空亡(くうぼう)または亡空(ぼうくう)ともいう。
空亡は四柱推命では占い上の意味付けはしていない。が、日本で生まれた高尾系の算命においては空亡のことを天中殺と呼んで悪い意味があるとしている。ただし、本人の運勢周期を測る上で急所になる要素なので、「大殺界」だから凶運であると短絡に決め付けず、よく四柱八字を精査する必要がある。なお、高尾義政の下で学んだ 神煕玲は「天冲殺」を使用している。
空亡
十干と十二支を組み合わせである六十干支において、十干と十二支では十二支の方が2つ余分になっている。例えば甲子から始まる10の干支では、戌と亥の2つの十二支は組み合うべき干を持たない。そこで戌亥は甲子旬には空亡しているという。同じように六十干支で甲戌の日から癸未の日に生まれた人にとっては、申・酉の年月日時が空亡になる。以下、同様の組み合わせにより、全部で6種類の空亡がある。
1.甲子旬(甲子から癸酉までの10干支)→戌・亥が空亡
2.甲戌旬(甲戌から癸未までの10干支)→申・酉が空亡
3.甲申旬(甲申から癸巳までの10干支)→午・未が空亡
4.甲午旬(甲午から癸卯までの10干支)→辰・巳が空亡
5.甲辰旬(甲辰から癸丑までの10干支)→寅・卯が空亡
6.甲寅旬(甲寅から癸亥までの10干支)→子・丑が空亡
天中殺解釈と空亡解釈の違い
天中殺も空亡も、その地支、その時間帯の出し方は同じであるが、その解釈、応用が異なる。
四柱推命における「空亡」は「あってなきが如し」と解釈する。これに対して算命学は「限定されない気で、無限の気と解釈し、物事は意に反して動く気」と解釈する。
天中殺の概説
生日から見て(生年月日時に)天中殺のない人
生年はその父祖・目上との関係・出身階級を象徴する。天中殺の作用は「あってなきが如し」なので、こうした不安定要素もなくその能力を最大に発揮できる。生月はその人の基本的な性能・兄弟同年代との関係・各天干の強弱を象徴する。古来月支原命といい何月生まれかは用神を決める上の基本である。当然日支は生日から天中殺にはならない。生時はその晩年の姿であり子女の象徴。
天中殺は本人の原局にない地支であり、多くは本人の有する地支を破壊する結果になる。特に機能している用神を冲衝するので突然の環境の変化を誘引する。六星占術でいう「大殺界」である。
概して天中殺がない人は四柱の各機能が全開するので性格が明朗で理解しやすい。しかし天中殺の時に運勢が変化しやすいので時に極端な状況に陥る。また偏った五行が命式の均衡を崩しているなら逆に天中殺がほしいという事情もあり、その有無が即ち運勢上有利不利になるとはいえない。
生日から見て天中殺のある人
○1.生年が天中殺の場合。 生年は本人の出身階級・目上・父祖を象徴する。地支が空亡すると天干もその作用がなくなるので、「いるにはいるが、当てになってならない」状況が多い。
例示すると年干が偏財で、年支が空亡の地支だと「父がいるがその恩をどこか受けにくい」結果になる。六星占術で「霊合星人が出世しにくい・通常の過程で発達しにくい」というのは「目上が当てになってならない」ことを指摘している。 ※六星占術では霊合星人に当たる。
○2.生月が天中殺の場合 生月は本人の性質性情を決定する最重要要素である。生日と何月に生まれたかとの関係は自分自身の強弱を表す。また他の年干支・日支が何月の生まれかでやはり強弱が決まる。本人の仲間を象徴している。
生月の空亡はこれが当てにならないとなるので、同世代の人・兄弟と疎遠になりやすい。ただ生月は季節を表すので空亡の作用はないとする立場もある。実地で確認する必要がある。
○3.生時が天中殺の場合 生時は晩年の状態・子女との関係を象徴する。また朝に生まれたか夜に生まれたかを示すので、生月同様気温の高低・季節を表す。生月に難点があっても生時が補う場合もある。
空亡になると子女と疎遠になる・当てになってならない状況が起こりやすい。
生年から見て生日が天中殺になる人
生日からみて生年が空亡になると、いわゆる互換空亡として父祖目上と本人とに断絶が生じやすい。しかし実際の判断が必要である。
六星占術との関係
六星占術は生日から見て生年に天中殺(空亡)のある人を霊合星人としている。
天中殺の解消
天中殺に当たる地支が生年月日時にあるときは以下の流年・大運で解消する。即ち「当てになってならない」人が「当てになる」時が来る。
地支が沖撃される。(例 - 空亡の支が酉であれば卯の年、卯の大運)
地支が方合専気を迎える。(例 - 酉が空亡なら申・戌の地支が大運流年で共に揃うなど)
地支が全会する。(例 - 酉が空亡なら丑・巳の地史が大運流年で共に揃う)
このときは地支の空亡が解消され、更に地支の上にある天干の空亡もかなり解消する。
天中殺の解消における注意
天中殺に当たる地支が生年月日時にあり、その地支を冲動する後天運が回るとき、天中殺が解消されるのは、四柱推命理論であって、算命学理論では、その天中殺の気を増幅すると考える。これは、天中殺は積極的現象において、その天中殺の気が増幅されると考えるので、冲動が回るとき、天中殺の気は積極的になる。よって、天中殺は解消されない。このことは、四柱推命の理論による行動は危険ということになる。 

 

●空亡
1 十干と十二支を組み合わせたときに出来る余りの二支のこと。空亡の種類には、戌亥・申酉・午未・辰巳・寅卯・子丑の六種類がある。空亡の年月がまわってくると、凶作用が及ぶといわれているが、中国の四柱推命ではあまり重要視しない。この空亡のことを、算命学では天中殺、六星占術では大殺界と言う。
2 …移転,開店,新規事業の開始など,すべてのことに終日凶とされ,結婚式も仏滅は避けて行われるし,この日に病気にかかると長患いになるという。六曜は,室町時代初期に中国から伝わった暦注で,当時は仏滅は空亡(くうぼう)と呼ばれ,時刻の占いに用いられていた。1688年(元禄1)の小泉松卓の《頭書長暦》という暦注解説書には,虚亡(こもう)(悪日)とあり,1747年(延享4)編の《万暦両面鑑》には物滅とあり,空亡→虚亡→物滅→仏滅と変化したらしく,仏教とは無関係である。…
3 中国で誕生した陰陽五行説を基にして占う占法、四柱推命(しちょうすいめい)における用語。12年間のうち2年訪れる時期である。元々空亡とは天は味方しないが悪い事も起きない、幸運不運ゼロの無の時期を意味していた。解釈によっては、大きな幸運が起きてもすぐに凶事が起きて打ち消される、またはその逆の事が起きるとされる。要するに、どんな事が起きてもプラスマイナスゼロになる。運に揺れ幅が無い、とても不可思議な時期として認知されている。何をやっても「空」しく「亡」びるから空亡と名付けられた。このように特別凶事が起きる時期ではないのだが、日本で生まれた算命学では天中殺と呼んで凶事が起こるとしたため、空亡=運気が落ちる悪い時期という印象が普及した。六星占術では大殺界に内包され、この時期に事を起こすと凶事に見舞われる事から更に悪い印象が根付いた。
4 空亡とは、大昔流行った言葉で別名、天中殺とも言います。それは、十干の 甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸、と十二支の 子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥、を組み合わせていくと、戌と亥が残ります。このような組み合わせを空亡と言います。干支は陽の干と陽の支、陰の干と陰の支の60の組み合わせがあるのですが、空亡には生まれた日の干支により、六つの空亡のうち一つが該当します。•戌亥•申酉•午未•辰巳•寅卯•子丑 生まれ日から導かれた、この六つが空亡となります。さて、空亡の意味ですが、天の気と地の気が不調和のバランスを崩した状態です。「空しく亡ぶ」と書くように物事が滞り、うまく運べず空回りが多く、衰運を表します。空亡は誰にでも訪れる衰運の時で、該当する二年間は何事も慎重に守りに徹する時です。流派により違い、豐占塾では10年ごとに見る大運には採用しません。生まれた日が陽干なら、陽の支の年、生まれた日が陰干なら、陰の支の年を真空亡と言い、生日陽干で陰の支の年、生日陰干で陽の支年を半空亡と言います。真空亡はより空亡の意味合いが強く現れますので要注意の年です。また、一年のうちでも二か月間は空亡の月が現れます。これは毎年同じ月が空亡月となります。毎年、この時期は調子が悪いとか、うまく行かないといったことが思い当たる方もいらっしゃるのではないでしょうか?空亡月が巡っているのかもしれませんね。それから、空亡は年柱、月柱、日柱にも該当すれば意味合いがあります。各柱の意味を空亡するとしてみます。特に、実占の観点から年柱を空亡する方は故郷を離れる方が多いです。また、相性では、お互いの空亡が同じ場合は縁が深く、永続性があります。夫婦相性では、結びつきが強く良い相性となりますが、不倫関係となりますと腐れ縁となり、なかなか切れないものとなる暗示があります。実占において、空亡は大切な項目です。命式に出るものも良く的中しますし、毎年の行運においても、この時に色々なことが起こったり、また不如意な事態に遭うといったことが往々にしてよくあります。あなたの空亡はどれでしょうか。台風が来る前には備えをするように、運勢の波をあらかじめ知ることにより備えができますね。
空亡と大殺界
空亡
四柱推命は60干支を使った東洋占術の一つですが、60干支は十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)と十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)の組み合わせて構成されています。この世は時間と空間で成り立っており、十二支は12単位の時間を意味し、十干は10単位の物質世界を意味し、時間と空間の関係を表したものが60干支です。60干支は十二支と十干を一つづつ組み合わせたもの(甲子や丙午など)ですが、組み合わせて行くと十干は2つ足りず、その足りない部分を四柱推命では「空亡」と呼び、算命学では「天冲殺」、0学では「0地帯」、六星占術では「大殺界」と呼んでいます。0地帯と大殺界は3年間ありますが、これは西暦で偶数年生まれは空亡の前年を、奇数年生まれは空亡の後年を含めているためで、前者は空亡の前触れ、後者は空亡の後遺症と考えるとわかりやすいです。「空亡」とは時間と空間のバランスが狂うことを意味し、この世に存在する全てのものがその影響を受けますが、時間と空間とは何か(この世とは何か)を考えさせてくれる重要なものでもあります。
六十干支一覧   ( )内は六星占術の各名称
   子丑空亡 寅卯空亡 辰巳空亡 午未空亡 申酉空亡 戌亥空亡
   (水星人) (木星人) (天王星人) (火星人) (金星人) (土星人)
1   甲寅 甲辰 甲午 甲申 甲戌 甲子
2   乙卯 乙巳 乙未 乙酉 乙亥 乙丑
3   丙辰 丙午 丙申 丙戌 丙子 丙寅
4   丁巳 丁未 丁酉 丁亥 丁丑 丁卯
5   戊午 戊申 戊戌 戊子 戊寅 戊辰
6   己未 己酉 己亥 己丑 己卯 己巳
7   庚申 庚戌 庚子 庚寅 庚辰 庚午
8   辛酉 辛亥 辛丑 辛卯 辛巳 辛未
9   壬戌 壬子 壬寅 壬辰 壬午 壬申
10  癸亥 癸丑 癸卯 癸巳 癸未 癸酉
11  −子 空亡 −寅 空亡 −辰 空亡 −午 空亡 −申 空亡 −戌 空亡
12  −丑 空亡 −卯 空亡 −巳 空亡 −未 空亡 −酉 空亡 −亥 空亡
足りない部分はそれぞれ違い、この違いが各星人の特徴を生み出していて、同じ○星人でも10種類あるので十人十色です。
60干支は年・月・日・時間にも当てはめられており、詳細なカレンダーには60干支が記入されています(参考:こよみのページ)。 その年、その月、その日、その時間にはそれぞれ特徴があり、誕生日のそれぞれの60干支を表したものが四柱推命や算命学ですが、その人に最も影響を与えるのは生まれた日(何日生まれか)であり、○星人とは、生まれた日の干支のことです。例えば土星人の甲子の人なら、生まれた日のカレンダーの日付は甲子になっています。
数秘術でも生まれた日は重要であり、運勢占いでは生まれた日の数字を使って年や日の運勢を計算します。
また、この干支は外界との関係を意味しているので、各星人の性格とは外界に対するスタンスのようなものと考えられ、数秘術の各数字の性格とは意味が違います。
大殺界
その人の空亡の年(大殺界)とは、足りない部分の干支の年のことで、寅年の場合は、木星人は寅が足りないので、寅年には木星人が大殺界になります。寅の年とは世の中が寅の特徴を持つので、寅が足りない木星人は寅年の世の中に上手く対応できませんが、それだけではなく、空亡とは時間と空間がアンバランスになることなので、木星人の人そのものがアンバランスになってしまい、別次元にいるような状態です。
別次元で新しいことを始めても、それは別次元限定のことなので、正常な状態に戻ったとき上手く行きません。そのため大殺界の年には新しいことを始めてはいけないと言われるわけです。でも、時間と空間とは物質世界のことなので、物質世界に直接関係ないものなら上手くいきます。頭の中に知識を詰め込むだけなら物質世界とは関係ないので、大殺界の年には勉強し、大殺界が終わったら実行に移すと上手く行くと言われています。
このことから、60干支を使った占いとは物質世界限定の占いだということがわかります。その人の肉体面に影響があるので空亡の年には体調を崩す傾向があり、その影響で精神面も不調になるようです。
結婚もよくないと言われているのは、結婚とは自分という存在のあり方を変える行為だからで、何をしても調子が狂い上手く行きません。例えば、そのまんま東は大殺界に結婚しており、結婚中は運気が低下していましたが、離婚したら運気が元に戻り知事になりました。こういう例はたくさんあります。
別次元なので良いことがあることもあり、一発屋と呼ばれる人の多くは大殺界に大活躍していて、通常の状態に戻ったとき元の状態に戻っています。なので期間限定なら新しいことを始めても大丈夫ですが、結婚のように今後の人生を決めることは避けた方がいいわけです。何か事情があって人生が変わった場合は一時的なものと考え、後でまた変えた方がいいでしょう。
四柱推命の空亡の役割
天中殺、大殺界、算命学や六星占術などではそのように呼ばれています。天中殺は、私が中学生の頃、和泉宗章という人の本で大ブームを起こして有名になりました。
さてその天中殺や、大殺界は四柱推命では空亡と表現しています。(厳密には異なるかもしれませんが)
その空亡について私がプロとして占いに使っている内容と、それら世間で言われている内容が大きく違うと感じているので少し書いておきたいと思います。
実は、私は中学生の頃「天中殺」の本で、その存在を知りました。天中殺では何をやってもうまくいかない、これは避けようがない、あきらめるしかない、…などと和泉宗章氏は説明していました。天中殺というのは怖いものなのだなぁと強く印象に残りました。
ところがその天中殺(空亡)について、縁あって占い師になり鑑定をしていた私は、違和感を感じました。算命学や六星占星術では、天中殺、大殺界と呼び、確かに良くない時期と表現しています。四柱推命でも、空亡といって、良くない時期という鑑定師が大半です。
私は、算命学や六星占術を自身の鑑定に使いません。ですので私が違和感を覚えたのは、四柱推命の空亡のことなのです。
鑑定していても、空亡だから必ずダメだ、うまくいかない、ということに実際はなっていない事が多いのです。
ですが、空亡の知名度は強く、「空亡は何をやってもダメなんでしょ?」や「空亡だから…×」などと強く否定的に考える人たちが多いということは事実です。だけどこれ、違うと思います。
確かにそういう考え方の鑑定師が多いのは実際でしょうが、そもそも空亡は確かに空しく亡いことを意味する文字で表現されていますが、そんなことはないと私は考えています。
十干に十二支を配すると、10個と12個で確かに2個十二支が余ります。余った戌亥に最初に空亡と命名されました。なるほど、2個余るのでいけません。しかし、戌亥にも次の十干の甲乙が配当されますので、10個を一つのサイクルと考えると2個余りますが、循環する60のサイクルだと考えれば、次の十干からお相手は配されます。十干十二支は循環していて次の十干から余った十二支の相手が登場します。ですので、空しく寂しい十二支は相手を変えて楽しく過ごすことになるのです。
10個を一つのサイクルと考えないで、次のサイクルに続いていくのだと考えると、十干十二支が60個で一回りすることから考えて、寂しく孤立してしまう十二支は結局無いことになります。
干支は60を一つのサイクルと考えられています。ですので、空亡自体、60のサイクルで考えれば存在しないことになります。
このことは、私が空亡を怖がる必要がないと考える根拠の一つとなっています。
さて、それなら空亡は四柱推命でどのような位置づけにあるのでしょうか。私の理解では、空亡というのは、運気のスイッチのようなものです。確かに空亡というのは無視しては語れないと思うのですが、必ず良くないことが起きると考えるのではなく、運気の乱れが生じると考えています。この乱れは良くないことだけではなく、乱れることによって、存外に良いことも起きうるのだと考えます。
早い話が、空亡だからと闇雲に怖がるのではなく、空亡は運気のダイナミックに動くときで、それまで過ごしてきた自分に対して成績表がもらえる時期、と考えれば良いと思います。
それまでに一生懸命努力してきた人にとっては、空亡は陽の目を見るチャンスになるかもしれません。努力をしてこなかったり、人に害を与えてきた人などは、運気にその仕返しをされる可能性の時なのだと思っています。ですから、今空亡だからといって何かを手当てするということは既に手遅れなのです。空亡の時期をチャンスにするために前もって日々の努力を積み重ねておかなくてはならないのです。
運気の星が巡ってきたからといってそのときに手当てして間に合うことなどごく少ないのです。これは私の運勢論の根底に流れる考え方です。
イチローがマリナーズに移籍した年は、確か空亡でした。それまでのイチローの努力が大リーグに認められたのです。
空亡というのは、闇雲に怖がるのではなく、空亡だからといって行動しないことに運気のリスクは存在するのだと心得ておいてもらいたいと、日々鑑定をしていて私は考えるのです。 

 

●空亡の不思議
1
占いの各種の要素の中で、最も興味深いものの一つに、空亡があります。一昔前に騒がれた天中殺も、この空亡のことですし、最近では大殺界とかいろいろ手を変え品を変えて、占いの世界を賑わせています。これらは皆、四柱推命(子平=しへい)の中で使われる、空亡(くうぼう)のことなのです。あなたは自分の空亡をご存じですか?知らない方は、ぜひ後で調べて下さい。その前に、少しこの章を読んで基礎知識を身につけて下さい。
空亡とはいったい何なのでしょう?何故問題になるのでしょうか。字を見ますと、「空しく亡ぶ」とあります。……その名のとおり、ある象意の働きを空しくします。数字でいえばゼロに当たります。これは良いことに関しても、悪いことに関してもそうです。決して悪いという意味ではありませんので、早合点しないようにして下さい。
空亡とは変化変動、反転の作用を持ちます。この、反転、変化、空しくするということが、人生で非常に不可思議な現象をもたらすのです。天中殺ブームの時にはこれを唱えた占い師が徹底的に恐れ、脅す方向に出たのでセンセーショナルを巻き起こしました。現在でもあちこちで尾を引いていて、世間に大きな誤解があります。空亡(=天中殺)とは反転の星なのですから、良いことが空しくなるのは困りますが、悪いことを空しくする場合もあるということを知っておいて下さい。それでは、どんな意味があるのでしょうか。
1、自分の命式(四柱推命などでその人の生年月日を元に割り出した、陰陽五行の配列のこと。年月日時と四柱ある)の中に、空亡のある人とない人では、その現れ方が少し違います。命式中に空亡を持つ人には、空亡は特に強く作用します。
○空亡は自分の命式の日柱から割り出します。年柱や月柱・時柱からは割り出しません。
2、空亡の時期には、何となく落ち着きがなくなり、職場、環境など替えたくなります。また、変化に敏感になるので、体調を壊しやすくなったり精神的にも不安定になりやすいものです。人によっても影響は異なりますが、自分から思い切った行動に出た場合は、いちおう安定していた状況を変えてしまうので、それなりにリスクを伴います。一方、それまで極端に運気の悪かった人が、突然職場を解雇されたりしたケースでは、これをきっかけに不思議に機運がめぐってくることがあります。
○この、<自分から動くか否か>が問題で、「今は運気が最低なので、空亡の時期に北東方位を使って運気をガラリと転換したい」と仰る方がしばしばありますが、これは考えものです。空亡というのは、ある意味で天の配置に属することなので、人間が自分の都合で計算して使用するものではありません。早まらないで下さい。
3、不思議なことに、空亡の相手とは非常に縁が出来やすく、自分でも妙に惹かれることが多いのです。
これは自分の命式中に空亡のある人ほど、その傾向が強くなります。世間の夫婦でも、何らかの形で空亡が作用している関係は非常に多いのです。空亡の関係にも何種類かあり、これは重要ですので、よく覚えてください。
片空亡(かたくうぼう)
普通、こう言う風に片空亡という言い方はせず、ただ空亡といえばこのことですが、このサイトでは、空亡関係を厳密に判断するため、この一方的な空亡の関係を、片空亡と呼ぶことにします。このタイプは、世間でもっとも多く見られる関係です。
例えば、あなたの空亡が「寅卯」だとすると、寅年、卯年、寅月(2月)、卯月(3月)は空亡の時期で、寅年、卯年生まれの人はあなたにとって空亡の相手です。
空亡の年月は現実的な事を起こすには相応しい時期ではなく、空亡の相手は、現実的な利害関係を結ぶには相応しい相手ではありません。空亡とは天と地の関係が、ある意味で変則的な配置になっているので、人間社会の現実的な利害と言う場面では、どうもスムーズに運ばない嫌いがあります。
しかし、現実的に直接の実りがなくとも、知識、精神的な支えという意味では、他の相手にはない大きな教えをもたらしてくれることが多いものです。その為に、世間では空亡の相手に取り囲まれて暮らしている人が非常に多く見受けられます。ただしそれはいわば形而上的なプラス面であって、形而下の場面ではどうも発展性が見られないことが多いものです。
学問や哲学などの、知識・精神面では良い相性ですが、一緒に組んで商売でも始めようか、という相手には相応しくありません。社内でも参謀役ならば良いでしょうが、お互いに手足となって働いたり、共同経営者にするには向きません。
相空亡(あいくうぼう)
自分の仲の良い人の空亡を調べてみましょう。この相空亡が非常に多い筈です。
相空亡とは、例えば自分の空亡が「寅卯空亡」であれば、その人も同じ「寅卯空亡」という、同じ空亡を持つ関係です。
こういう相手とは何となくウマがあう、話が弾む、一緒にいて違和感がない、という関係です。人間的には気が合い、とても良い相性です。しかし弱点としては、波長がよく似ている為、上昇する時には一緒に上昇するが、落ち込む時には一緒に落ち込みやすいという欠点があります。空亡期に体調を壊しやすいという点だけを見ても、同じ時期に一緒に風邪を引いて寝込んでしまう、という場面が見られるかもしれません。
いちおう吉の相性ですが、空亡だけではなく、他の要素も併せて見なければなりません。
互換空亡(ごかんくうぼう)
非常に、不思議で奇妙な星の巡り会わせです。
例えば、あなたの空亡が「寅卯」で、相手の空亡は「戌亥」だったとします。ところがあなたは戌年(または亥年)の生まれ、一方、相手は寅年(または卯年)の生まれというケースです。どちらも、自分にの空亡の年に相手が生まれている、お互いに相手が空亡の人だという関係です。
この互換空亡は、研究者によってかなり意見が分かれ、大吉とする人と大凶とする人に分かれます。筆者自身のこれまでの経緯を考えても、ここは非常なキーポイントです。
何をもって吉とするか、何を持って凶とするか、という、運命学の根幹とも言える問題ですので、ここでは結論づけるのは止めておきますが、少なくとも、一般人の幸福と考える要素=お金があって健康で愛情に恵まれて・・・という生活の、埒外の問題であることは確実です。しかし筆者は、一般庶民の考える幸福の基準だけで世の中が成り立っているとすると、運命学など、非常につまらないものであると思います。これは大きな課題ですので、あえてここで結論づけるのは控えておきましょう。
この互換空亡はめったにない相性で、おおむね空亡が一つでなく二つ、三つと重なってある場合が多いようです。命式中に空亡が重なり、更に知り合った時期も空亡であれば、そこには本当に運命を変えるような秘密が隠されていることでしょう。しかし前述のように、人生でこのようなドラマチックな出会いを持つ人は、安全無事に平和に一生を終えるという価値観だけでは、終わらない人なのではないでしょうか。

• 空亡は一つだけでは凶、三つ以上重なってあれば、凶意を反転して吉。
• 空亡の時期にはじっと我慢の子になって、天命を待つ。早まった行動は厳に慎む。
• 人間の相性とは、単なる好き嫌いや気が合うかどうかでは判断しない。運命的にプラスになる関係を吉とする。ここに書いてある命式による判断も、そのほんの一部です。
• 「この相手は自分にとって空亡の相手」と決め付けないこと。相手の命式も調べてみないと、空亡の種類は分かりません。空亡の相手であっても相空亡かもしれませんし、もしかしたら互換空亡かもしれません。たやすく吉と凶を決めないで下さい。

いかがですか。自分の空亡の時期、相手は分かりましたか。これであなたは人生に対する備えのうち、かなり重要なポイントを押さえたことになります。くれぐれも早まった行動に走らないようにしましょう。
2
空亡とはどうやって割り出す?もう一度見直してみて下さい。あなたの空亡は違うかもしれません。空亡の構造とその意味。空亡のしかたによってどんな違いがあるか?もう一度チェックしてみましょう。
沢山のアクセス、ブックマークを頂いている空亡の章ですが、この章を公開したのはサイト開設当初ですので、1999年のことです。その後、世間の知識もずいぶん広まり、食い足りないところも出てきた反面、空亡の出し方や意味が分からない方もあるようです。
空亡とは何か?その構造
東洋占術は、十干・十二支が基本となります。
読んで字のごとく、十干は10種類、十二支は12種類です。
12と10の組み合わせは60通りあります。これが六十干支となり、季節や時間の流れをあらわす暦となりました。
60才になると還暦を祝いますが、これは誕生した年の干支に暦が還ってくる=還暦という意味です。
この原稿を書いている今年、平成20年(2008年)は戊子(つちのえ・ね)の年。この前の戊子の年は、昭和23年(1948年)です。なので、2008年の時点では、戊子年生まれの人は、0歳か60歳か120歳なわけです。
この十干と十二支を並べてみます。
十干   甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 - -
十二支 子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥
10と12ですから、十二支のほうが二つ余ります。上の列では戌と亥に十干が配当されていません。この場合、戌と亥が空亡した十二支です。「甲子」「乙丑」「丙寅」…「癸酉」の日まれのグループは、戌と亥が空亡の十二支なわけです。
それでは次の行では、余ってしまった戌からスタートします。戌と亥をこのまま余らせておいては「干支」にならないので、仕方なく戌からスタートし、もう一度十干を当てはめてゆきます。
十干   甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 - -
十二支 戌 亥 子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉
戌からスタートしてもう一度、子、丑…と並べていったので、今度は申と酉が余ってしまいました。この「甲戌」「乙亥」…「癸未」のグループに生まれは、申と酉が空亡です。
これを全部、一覧表にしたのが、空亡一覧表のページです。(一番下の表)
• 戌亥空亡グループ
• 申酉空亡グループ
• 午未空亡グループ
• 辰巳空亡グループ
• 寅卯空亡グループ
• 子丑空亡グループ
と、六つのグループに分かれます。今はいちおう、生まれた日の干支で見ています。
こういう、文字の組み合わせによる空亡には、何の根も葉も意味もないということで、空亡じたいを否定する流派もあります。四柱推命を専門とする方は、何故か空亡を取らない方が多いので、空亡を重く見る流派の中から、算命学とか大殺界だのが出てきました。それはそれで別に構わないのですが、無理に言葉を変える必要はないので、ここでは「空亡」で通します。また、空亡には何の根拠もない、当たらない、と思われる方は、無視なされば良いでしょう。
筆者は自分の体感で非常に当たるので、空亡を重く見ます。空亡というものを知ってから当たる気がするのではなく、生まれた時から今日までの自分史を振り返ると、偶然の一致というには無理なほど的中してきました。空亡がどのくらい影響するかしないかは、人によって違います。影響しないタイプの方が、他人に関しても全く空亡は意味はないと無視されるのは、少し乱暴だと思います。空亡のいろんなタイプについて、その3でも述べてゆきます。
空亡の意味
「空亡」とは前章でも書いた通り、「空」「ゼロ」で「あってなきが如し」です。何があってなきが如しかと言うと、空亡している十二支が、ちゃんと働かないということです。
干支学では、十干を天、十二支を地と見ます。干支のことをそのまんま、「天干」「地支」とも呼びます。天と地が合わさってこそ天地自然の働きが出るので、天の守りを受けていない地支は、きちんとその働きが出ないということなのです。「天干」は精神であり、外からの働きかけです。一方、「地支」は肉体であり、自分自身の内部パワーです。空亡していると外からの働きかけが無くなりますが、自分がもともと持っているものが無になってしまうわけではありません。
その為、空亡の影響を受けますと、無闇に気がせいて苛ついたり、いろんなことが自分の思うようにいかない、という感覚に陥ります。その結果、自分から無謀なことをしてものごとを壊してしまったり、間違った判断をしてしまいがちです。現在の仕事や職場が嫌になってしまって、さしたる理由もなく、転職を決めてしまったりしがちですが、こういう決断をしても、よく転ぶ場合は非常に少ないでしょう。客観的に見ますと、別に不可抗力の悪いことが起こるわけではないので、自分の判断力や心持さえしっかりしていれば、無事に済む筈なのです。
従って、空亡の影響を受けやすいタイプの人は、何か思うようにいかないことがあった場合は、「自分は今は空亡期なのだから、気分に流されて早まった決断を下すのはよそう。もう少し我慢して頭を冷やしてみよう」と気を引き締めることで、空亡の悪影響から逃れられるのです。
どんな人にも、調子の良い時もあれば悪い時もあります。調子の良い時は何も特別なことをする必要もなく、放っておいて大丈夫ですが、不調な時こそ大切です。不調な時期の過ごし方で人生に差がついてしまいますので、空亡期の過ごし方を意識することは、とても大事なことです。調子の良い悪いではなく、地道に田畑を耕して種蒔きをする時期、実りを収穫する時期、と考えれば分かりやすいでしょうか。収穫するのはアッと言う間ですが、その前の期間は長い地道な努力の積み重ねですし、たまには休息も必要です。いつも収穫の時ばかりとはいきません。
空亡の時期
東洋学の暦は幾つか単位があります。干支による時間の単位の全てに、空亡がありますのでご紹介します。
   大運の空亡
大運とは10年ごとの運勢です。十二支にそれぞれ10年づつ当てはめるので、一巡するのに120年かかります。従って、大運の空亡は20年間です。一生のうちに大運空亡に遭わない人もありますが、子供時代とか働き盛りの時に大運空亡が巡ってくると、少々辛い事態です。
大運を出すのは少し面倒なので、ここではご紹介しません。四柱推命を学んでいる方はできる筈です。男性と女性で違います。更に、この120年を30年ごとに分類し、春夏秋冬の四季に配当できますので、一生の運勢の流れを見ることもできます。大運空亡は年の空亡と一緒になると、空亡の働きがより強くなる、或いは働きが無くなる、あるいは全く大運空亡を無視する派と意見が分かれます。いろんな人を見ていると、活動期に大運空亡に遭遇する人は、やはりいろんな試練が多いような気がしますので、なおさらのこと、空亡に関する認識をしっかり持ったほうが良いでしょう。
   年の空亡
自分の空亡が分かれば、あとは普通にその年の十二支で見ます。申酉空亡であれば、12年のうち申年と酉年の2年間が空亡です。
   月の空亡
自分の空亡が分かれば、毎年同じ月が空亡になるので、簡単に分かります。毎月の十二支は決まっているからです。
1月=丑、2月=寅、3月=卯、4月=辰、5月=巳、6月=午
7月=未、8月=申、9月=酉、10月=戌、11月=亥、12月=子となります。
例えば辰巳空亡の人は、毎年4月と5月が空亡です。毎年いつも同じ時期なので、わかりやすいでしょう。
   日の空亡
十二日の中の二日間です。当サイトの風水暦で確認できます。
   時の空亡
時間の十二支も、月の十二支と同じく決まっています。以下の表の通りです。例えば戌亥空亡の人は、毎日午後7時〜午後11時までが空亡になります。同じ生活時間帯に当たってしまいますので、過ごし方を考えた方が良いかもしれません。
午前   後11〜前1 前1〜3 前3〜5 前5〜7 前7〜9 前9〜11
      子 丑 寅 卯 辰 巳
午後   前11〜後1 後1〜3 後3〜5 後5〜7 後7〜9 後9〜11
      午 未 申 酉 戌 亥
※大運、年、月、日、時間の空亡のうち、最も気にしなければならないのは年の空亡と月の空亡です。影響を受けやすいタイプの人は、いつもこの季節に変わったことが多い、と体感しているかもしれません。特に注意しなければならないのは、転職です。空亡の年と月には慎重にしなければなりません。
3
空亡にもいろんなタイプがあります。空亡を強く心身で実感する人、緩やかな人、人それぞれです。空亡の影響のしかたといろんなタイプの人について述べます。
空亡が影響する人、しない人
あくまでも命式全体を見なければならないのですが、簡単な基準として、その人の命式の中に空亡の十二支があると、空亡の影響を受けやすい、という目安があります。例えば、子丑空亡の人の場合、自分の年月日時の四柱のどこかに子か丑があると、影響を受けやすいタイプだ、ということです。
生まれた日(日柱)から空亡を割り出しますので、表を見ていただけば分かる通り、日柱は空亡しません。年・月・時のどの柱が空亡するかによって、次のような違いがあります。
   生年が空亡している場合
年柱はその人の家系・目上・親など、自分よりも上の世代を意味します。年柱が空亡している人は、親がいてもその親が本当の意味では力になりづらいので、実家に長くいると自分の本領が発揮しづらい傾向があります。
   生月が空亡している場合
生月は当人と同世代の人を意味します。これは年齢のことではなく、親子孫という、世代とか順位のことなので、自分と同世代の兄弟、配偶者、友人などを意味し、それらが疎遠になりやすい意味があります。
   生時が空亡している場合
生時は子孫、部下を意味します。自分の次世代を意味するので、時柱が空亡していると、子女や部下があまり当てにならない、疎遠になりやすい傾向があります。
これらはあくまでも、各柱の空亡の意味を述べたものであり、総合判断ではないので早まらないで頂きたいのですが、順序からいうと、年柱から月柱、時柱の順に影響が弱い気がします。なぜかと言うと、人間界は親から子へ、形あるもの、ないものを、ひたすら与えるという無償の行為で成り立っています。親は子供を無償で育くむもので、何かの為に子供を当てにしようというのは、本来の親の姿ではありません。与える、貰う、という要素で考えると、親から必要なものを与えられないのは辛いですが、それなら早く自立してしまえば良いわけです。同世代とはもちつもたれつですし、下の世代へは自分が与える立場なので、時柱が空亡していても貰いが少なくて困る、ということは無い筈です。また、時間的な経緯でも、年柱=先天・初年運、月柱=中年運、時柱=晩年運となりますので、先天運や初年運は努力したくともしようがないままに過ぎてしまい、後から挽回するのは大変です。自分でものを考え自立することのできる中年期以降は、努力や考え方によって十分に幸福に過ごすことが出来るわけです。年柱が空亡している人は、有形無形いろんな面で自立できるように、親との係わりを考え直すとよいでしょう。これは、空亡を捕らえる上での根本姿勢でもあり、空亡期の過ごし方にもつながる問題です。
○生日が空亡の場合
最初に日柱から空亡を出すので、日柱が空亡になることはあり得ない、と述べましたが、いちおう日柱の空亡もあります。日柱の空亡だけは、年柱の干支から割り出します。
しかしこれは、生日から出した空亡よりもずっと比重が低いので、あまり気にする必要はありません。他にも日座空亡とか、その干支があるだけで空亡になるとかいろいろありますが、空亡の種類を増やすのが目的ではないので、割愛します。この章で本当に述べたいのは、以下の部分です。
解空はあるか?
解空といって、空亡の働きがなくなる場合があります。(この部分は、初心者はとばしていただいて結構です)というと、自分は○柱が空亡しているのでがっかりしていたが、ひょっとしたら解空していて空亡がなくなっているかも…と期待される方があるかもしれません。が…解空を出したのは、そういうふうに喜ばせたりがっかりさせたりする為ではありません。何度も述べているように、空亡が悪いわけではなく、空亡とはゼロです。もしかしたら悪いものが空亡によってゼロになっているかもしれません。
いちおう、空亡は各十二支の冲、支合、三合で解けるとされています。空亡している柱が干合していても、空亡の影響は少なくなります。命式の中に解空の要素があれば軽くなりますし、年運や月運でそれらが巡ってきた時にも解空しますが、要素が多いので、なかなか一筋縄では判断できません。ものごと全て、三すくみ、四すくみ、五すくみで微妙なバランスの上に立っているので、占いを「良いか、悪いか」「当たったか、当たらないか」というゼロか100かの二者択一で見ようとするのは危険なことです。空亡にしても、どの空亡かによって、かなり性質が違います。一番大切なのは、全ての森羅万象をどのように受け止め、どのように対処するかです。時柱が空亡していて力もないので、自分は子供を持っても良い子ができない、子供を持つよりも自分のことだけを考えたほうが良いのか、という方向に行ってしまうのは、余りに短絡的です。空亡に対する対処のしかたは、その人の覚悟とか人生観の現れることです。
空亡期の過ごし方
空亡とは一番最初に述べたように、天干地支の一致しないことです。命式においても運勢においても。地支が天干と結びついていないのですから、物質的な利益や現実的なことを重視しなければ良いのです。
これは人間関係に於いてもいえます。空亡の相手と共同経営の事業など、現実的物質的なことをすると、うまくいかない可能性が非常に高いですが、形而上のことに関わると、他の相手では得られない教えがあります。事実、空亡の相手には妙に惹かれることが多いと思います。無形のことに関しては、反転の教え…仏教で言う「空」(くう)の悟りをどこかで与えてくれる、それが空亡の相手です。こう考えると、付き合い方が分かってくると思います。もっと身近で直接的な利害が絡む場合、年柱=親、目上、月柱=兄弟、配偶者、時柱=子孫、部下などの立場に該当する相手から利益を得ようと思わず、与える意識になれば、それが解空です。
時間的な空亡の場合、現実的、物質的なことは空しく亡ぶのですから、社会奉仕や勉強、研究などに主眼を置けばよいのです。無形のものに価値を見出す生き方をすればよいのです。誰にも山や谷はありますので、物事がうまくいく時期があれば、うまくかない時期も必ずやってきます。冬篭り、休養の時期を迎えたと思えば、ジタバタすることもないでしょう。
ただ、空亡の意味で述べた通り、自分の内部のエネルギーが空回りしやすいので、いろんなことに批判的になってみたり、思うようにいかないと、常にも増して苛々しがちです。もしそう感じたら、自分は今、正常ではないのだ、天が味方していないのだと思って、ひとまず踏みとどまって下さい。ある意味で、それまでのツケを払う時期なのかもしれません。苛々して動いてもタイミングがズレがちになるので、思いとどまるのが一番です。
   空亡期の結婚
結婚は空亡などよりも、もっと根本的な問題です。空亡期に突然降ってわいたような縁でしたら、大きな転換点を迎えているのかもしれません。流れに身を任せるのも一つの生き方ですが、決して具体的現実的な利益は求めないことです。何かを当てにしたり、形あるものを求めて動くと、天が味方しないでしょう。
   空亡期の引っ越し
基本的に空亡期であるか否かよりも、方位の吉凶のほうが優先です。ただし、引越しの物件選びや建築は、決断の難しい大変な仕事です。空亡期は苛々して判断力が鈍り思わぬ間違いをしがちですので、くれぐれも慎重に。特に新築や改築は非常に大変なことです。「エイッ」とばかりに、とんでもない決定をしがちになりますので、避けられるならば避けるように、慎重策を取ったほうが良いということです。現状が嫌になって別の生活に飛び込みたい、急に引越ししたくなった…などは、計画性のない空亡期独特の苛々の可能性が高いので、迷ったら踏みとどまったほうが賢明です。
   空亡期の転職
自分から辞めたのではなく成り行きで失職した場合を除き、空亡期に転職を考えるのは、かなり要注意です。仕事というのは結婚と同じく、縁のものだと言われます。縁は自分から計算して求めても、なかなか希望どおりには運びません。現在の職場が嫌だからという理由での転職活動は、まず天が味方しないでしょう。たまたま良い話があったように見えても、普段の自分自身とは違うので、良い話のように見えているのかもしれません。転職は空亡期に最も警戒しなければならないことです。
空亡別の性格と運気
ある支が空亡しているといっても、何が空亡しているかによって、その性格に違いがあります。十二支にもそれぞれ性格がありますね。午は火の性質なので、熱しやすく冷めやすいが洞察力があるとか、子は水の性質なので、冷静で無口で秘密を隠し持つという風に。空亡している要素によって、その現れ方にも差があります。また、激烈に空亡の影響を受けるか、緩やかに影響するかの差もあります。この部分は十二支の性質と少し関連付けて書いてはいますが、冲、破、合、三合その他、多彩な要素によって判断する為、理由や関連付けはあまり短絡的に納得しないように注意して下さい。あくまでも一つの例です。
○子丑空亡の人
子は北方位で、位の高い十二支です。上司や親を意味する北の象意が空亡しているということは、親や上司と縁が薄く、恩恵を受けづらい暗示があります。親の財産を受け継ぐと、それがかえって足を引っ張る暗示もありますので、早く自立する心構えが大切です。変化変動の激しい運気でもあり、12年サイクルの中で、2度のアップダウンが訪れるでしょう。目上運がないということは、周囲に目上の数の多い初年期には運気がパッとせず、目上の数が少なくなる中年期以降に、本領発揮となるでしょう。
○寅卯空亡の人
卯は東が定位置です。東の象意が欠けているということは、社会とのコミュニケーションの窓口がうまくいかない暗示があります。発展性が今ひとつで、新規のことを始めるパワーが不足です。エネルギッシュに忙しく動き回るのですが、それが空回りしがちです。空亡の現れ方が少し変則的で、空亡が明けても何年間かは、空亡に匹敵する運勢の変転に出会いがちです。攻めに強いが守りに弱い面がありますので、腹を据えてかかることが大切。
○辰巳空亡の人
辰巳は信用とか如才なさ、社交性を意味します。この支が空亡しているということは、人に調子を合わせるのが苦手で、どこにいても一種の変わり種。長いものに巻かれるのが下手で、いわばはみ出し者になりがちです。戌亥空亡と共に空亡の影響を強く受けやすいタイプで、運気の波も、頂点からどん底へと、荒々しい変化が多くなります。かなり厳しいタイプの空亡なので、とにかく自分を消耗しないよう、空亡期には穏やかに息をひそめてやり過ごすような積りで。
○午未空亡の人
午は一番目立つ十二支です。とんがった頂点という要素が空亡している為か、ものごとをうまく締めくくり、まとめることが上手。結果として社会での評価も高くなります。しかし先天的に末代運と言うものを持っており、この人で家系や事業がストップしてしまい、それを締めくくる役割を担うという、皮肉な暗示があります。運気の波が緩やかなので、激しい空亡の波に揉まれることは少ないですが、目下運が欠けている為、思わぬことで子供や部下の責任を取らされたりします。自分の利益だけを考えないことが幸福につながる暗示があります。
○申酉空亡の人
酉という、憩いと休息の象意が空亡しているので、この人は疲れを知らないパワフルな活動力があります。特に頑張る積りでもないのに、常にエネルギッシュな活動力を発揮し続けます。しかも、一つのことに邁進するのでなく、幾つものことをうまく同時進行でこなす要領の良さもあります。ところが、いろんなものを精力的に生み出す反面、落ち込み方も激しくなります。空亡を抜けた何年か後に、二度目の空亡か?と思うほどの落ち込みかたをするのもこのタイプです。空亡明けても油断は禁物。
○戌亥空亡の人
独特の鋭い感性を持っている為、他の人と違う面があり、腹を割って話したり他の助けを求めたりしにくい人です。どこか孤独の影がつきまとい、独力で生きてゆく人ですが、それは現実面とは別の心の安らぎを求めているから。一生を通じて試練の多い人生で、辰巳空亡と並んで空亡の影響を激しく受けるタイプです。若い頃から、肉親や友人の助けを求めずに常に自分で道を切り開いてゆくので、それによる蓄積が中年期以降に大きく花開くでしょう。精神面にしか本当の幸福を見出せないのが特徴です。 

 

 

 

 

 

 
 


 

●十二支に猫がいない

 

●日本の十二支に猫がいない理由 1
十二支とは
十二支は、中国は「殷」の時代に発祥したとされ、中国の王充(おういつ)という人が民衆に「十二支」を浸透させるべく、覚えやすく馴染み易い動物に替えて文献を書いたことから始まったそうです。もともと十二支は、十二年で天を一周する木星の軌道上の位置(天の位置)を示す「年」を数える数詞だったそうで、やがては時計や暦のように「月」や「時」を数える数詞などにも用いられてきます。
干支とは
『干支』とは、『十干十二支(じゅっかんじゅうにし)』という古くから年号、時間、方位等を表したものを用いた形とされています。まず「十干(じゅっかん)」とは、漢字では「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸」で、「こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き」と読みます。「十二支(じゅうにし)」とは、漢字で「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」で、「ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い」と読みます。この「十干」と「十二支」を組み合わせて年号として用いられており、この数え方を『十干十二支(じゅっかんじゅうにし)』といいます。
干支は主にアジア圏でみられ、一部では東ヨーロッパやロシアでも見られます。
十二支に猫がいない理由
ネズミに騙され十二支に入れず、鼠を捕る起源が説明される。
猫は、1日遅れで着いたときにお釈迦様から「今まで寝ていたのか。顔を洗って出直して来い」と言われ、それからよく顔を洗うようになった。そもそも猫は召集を知らされなかったという話もある。
干支に猫がいないのにはちゃんと理由があるのですが、実はこの理由は日本特有のもので、発祥の地である中国のものではありません。日本の中でも厳密には、福島地方の逸話が全国に広がり、猫がいない理由として一般化されているのです。
『猫のせいでお釈迦さまが亡くなったから』説 / お釈迦様は80歳の時に食べた茸料理に中毒したのが原因で体調を崩し亡くなられたと伝わっています。お釈迦さまは食中毒に効く薬があるので鼠に取りに行くように命じます。しかし、道中で猫が釈迦の使者である鼠を食べてしまったため、薬が飲めず亡くなってしまったという伝説です。
『猫が中国にいなかった』説 / 猫が干支に加われなかった理由、それは中国で干支が出来た時代に猫が居なかったからとする説があります。猫はもともとエジプトの動物で、古代エジプト(紀元前5000年以上前)では神(スフィンクス)として崇められていましたが、強大な帝国であったが故に、その神としてのシンボルである猫は他国から忌み嫌われる対象でした。そのためエジプトがローマ帝国に滅ぼされる(紀元前30年頃)までは他国で猫が飼育されることは少なかったと考えられています。
十二支の順番
前日から出発をしていた牛は他の動物より先に神様の所に現れたのですが、到着寸前にねずみが飛び出し一番に挨拶をした事で一番初めがねずみ、続いて牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鳥、犬、猪と到着した事で12のリーダーが決まりました。
牛は2番目になったからと言って怒るのではなく「2番目だったら満足だ」と思い、虎は神様の所での話を噂で聞いたので本当かどうかわからないけれど、本当だった時にはじをかくのは許せないと思い参加をして3番になります。
兎が龍より早いのは、神様に会いに行く時にみんなが休憩をしている間もぴょんぴょんと進んでいた事から4番目になった。龍(辰)と蛇の順番には一緒に神様の元に到着したのですが蛇は龍(辰)が空を飛べ、修行を積んだ尊敬に値する事を知っていた事から龍(辰)に順番を譲った。
昔から犬猿の仲と言われている猿と犬の間に鳥が入っているのは、猿と犬の喧嘩の仲裁をしたことから、猪は実は一番最初に到着をしていたのですが、まっすぐにしか走る事が出来ない事から神様の所通り過ぎてしまい一番最後になった。
13番目に到着したのはカエルであった説やイタチであった説もあり、カエルはそのまま帰ったのですが、イタチは何度も神様にお願いした事からみんなに内緒で毎月1日を「つ・いたち」と呼ぶ事で納得してもらったとも言われています。
猫は神様の伝言を聞く集まりに参加するのを忘れてしまい、ねずみに聞いた所1月2日だと教えてもらいその事から猫はねずみを見ると追いかけるようになったと言われています。その他にはカエルは蛇に呑まれてしまった、辰より酉が遅いのは酉には昔角があったのですが辰に貸してしまい、その後に何度も返してくれとお願いしたのですが返してくれませんでした。酉は貸す時に証人になってもらったムカデにも一緒にお願いしてほしい頼んだのですが、ムカデは知らないと言い張り酉は角を返してもらう事が出来ずムカデをつつくようになった等と言われています。
海外の十二支には猫がいる
チベット・タイ・ベトナム・ベラルーシの干支には猫が含まれている。
「兎」じゃなくて「猫」
なぜ「卯」が兎ではなく猫になったのかは諸説ありますが、「卯」の中国語の発音mão(マオ)がベトナム語のmèo(メオ、猫)に近いこと、ベトナムで兎は馴染みの動物ではなく、米を食べる鼠を追い払ってくれる猫がより身近な存在であったこと、などから猫に置き換えられたのでは、と言われています。
国による十二支の違い
ブルガリアでは「寅」が「猫」になっています。
ベトナムでは丑は水牛、卯は猫、未は山羊に変わる。
「牛」じゃなくて「水牛」 / 「丑」は中国や日本では「牛」ですが、ベトナムでは普通の牛より身近な「水牛」に置き換えられたようです。ベトナムの農村の風景に、水牛の姿は欠かせません。
「羊」じゃなくて「山羊」 / 「未」は中国や日本では「羊」ですが、ベトナムではなじみのない動物のため「山羊」になったようです。ベトナム原産の羊はおらず、現在ベトナムにいる羊は、フランス統治時代にインドやパキスタンから持ち込まれたものだそうです。
亥に当てられるのは本来、ブタであり、日本のイノシシが特殊である。漢字の「猪」は中国ではブタも含めた言葉であり、イノシシのみを指す場合は「野猪」や「山猪」と呼ぶ。日本では、古くはブタを「イ」と呼んでいたが、ブタを飼う習慣が廃れブタがいなくなると、イノシシを「イ」と呼ぶようになった。そのため、「亥」の獣もブタからイノシシとなった。たとえば、日本の『古事記』などに登場する上代の「猪飼/猪甘」(いかい)を、仏教普及以前の日本にも存在した豚飼いのこととする説もある。
タイでは未は山羊に変わる。
モンゴルでは寅の代わりに豹を用いることがある。
西アジアや東ヨーロッパの一部の地域にも若干の差異があることがあるものの十二支の風習がある。ただし、インドでは酉(とり、鶏)はガルダ (ガルーダ=インド神話の神鳥)に、アラビアでは辰(たつ、龍)はワニに、イランでは辰(たつ、龍)はクジラに、ブルガリアでは寅(とら、虎)が猫にそれぞれ置き換わる。ロシアの十二支はアジアのそれと全く同じである。
向かい干支
正反対だからこそ「相性が良い」 / 向かい干支は本来の自分とは正反対の性質を持つため、ラッキーアイテムとして身近に置くことで、本来なら出せないパワーが得られるといった言い伝えもあるようだ。私は最近、この情報を知ったので「もっと早く知っていれば、よりよい人生だったかも!」などと考えてしまった……。自分の向かい干支にあたる友人やパートナーは、お互いに足りないものを補いあえるため、相性が良いという説もあるという。申(サル)の向い干支は寅(トラ)。
向かい干支は自分の干支とは正反対の性質をもっているため、自分にはないパワーを与えてくれる「守り干支」と呼ばれています。江戸時代より、向かい干支を大切にすると幸福が訪れるといわれており、向かい干支は縁起の良いラッキーアイテムとされてきました。作家の泉鏡花が、向かい干支であるうさぎグッズのコレクターだったのは有名な話です。
作家の泉鏡花は酉(とり)年生まれだったため、向かい干支にあたる卯(うさぎ)のグッズを集めていたそう。子どもの頃に、母親から水晶の兎をもらったことがきっかけとなり、ステッキや玩具などを蒐集する熱心なうさぎコレクターに。なんと、自らの着物にもうさぎのマークを入れるほど、向かい干支を愛し、慈しんでいたという。
うさぎの縁結びは円(Yen)結び
うさぎは縁結びの神様「大国主命」の結婚を予言したことから、縁結びうさぎとして古くから親しまれてきました。素晴らしい出会いや恋愛祈願、さらには「¥・円」も結ぶので金運アップ!
ウサギは 飛び跳ねる事から運気を上げる、縁起が良い動物です。
豚は金運をあげる
沖縄では元旦に豚を食べる / 人類史上最も古い家畜とされる豚は、洋の東西でそれぞれ紀元前1000年以上前から飼育され、食用とされてきました。子沢山なこともめでたいとされ、ヨーロッパでもドイツやオーストリアなどではラッキーアイテムとして豚モチーフの小物などを送る習慣があります。沖縄では元旦に豚を食べるとその一年は幸せになると言い伝えられています。
白蛇は弁財天の使い
白蛇は七福神の弁財天の使いとしても有名です。元々はインドの神様でしたが、日本的変容を遂げた神様の一人です。弁財天はもとは水の神様。水神の使いは蛇とされ、そこから弁才天の縁日が巳の日となっていったといわれています。白蛇は霊力が優れているため、夢に見るといいことが起こるともいわれています。
お稲荷さんにいなり寿司
狐の神様で有名なのは、伏見稲荷神社。元は、稲荷神という五穀豊穣と商売繁盛の神がいる神社で、狐のことではないんです。ではなぜ稲荷神社に狐のイメージがあり神社の前に狐の像を建てたかというと、その当時の狐が、穀物を食い荒らすネズミを捕食する、色や尻尾の形が稲穂に似ている等の役割を果たし、稲荷神の眷属になりお稲荷さん=狐となったのです。
厳密には狐は稲荷神ではなく、稲荷神の言葉を伝えるための『神使(しんし)』なのです。狐の好物が鼠なのですが、それを油で揚げたものを奉納したことがはじまりです。鼠を捕獲するのが大変、稲荷神に鼠は失礼、動物の死骸を奉納できないなどの理由から、油揚げにご飯を詰め、「鼠に模した形の稲荷寿司」を奉納するようになったと言われています。
狛犬(こまいぬ)は、魔よけの意味を持つ
狛犬は神社の鳥居あたりに対に置かれているのを必ず見ますよね。狛犬は全て片方は口を開いていて、片方は口を閉じています。これにはちゃんと意味があって、口を開けている方:阿形(アギョウ)最初の言葉、口を閉じている方:吽形(ウンギョウ)終わりの言葉と、いって、「阿吽」は宇宙の全てを包含すると言われています。もちろん「阿吽の呼吸」もここから来た言葉です。魔除けに用いたところから「拒魔(こま)犬」と呼ばれるようになったとする説などがあります。 

 

●干支に猫がいない理由 2
動物と干支の関係
干支のなりたち
干支は、干と支の組み合わせで、干は十干(じっかん)、支は十二支(じゅうにし)のことです。現代の日本では、干支というと十二支を指して使われることが多いですが、二つの要素が組み合わされたものだったのですね。
十干(じっかん) / 十干とは、日(太陽の巡り)を数えるための数詞で、1ヶ月を上旬、中旬、下旬と十日ずつに分けて、その十日を単位にしたものです。十干は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸から成り立っています。
十二支(じゅうにし) / 十二支とは、十二年で天を一周する木星の軌道上の位置を示すための任意の数詞で、年、月、日を数えるのにも用いられるようになりました。十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥から成り立っています。
干支は、60をひとつの周期とする数詞で、この十干と十二支の組み合わせで、暦や時間、方位などを表すのに使用されます。
60歳を迎えた人を祝う還暦という習わしがあります。60年が経つと、暦(こよみ)が一周して生まれた年の干支にもう一度戻るので、もう一度生まれ変わって始まるという意味があると考えられたためです。
還暦のお祝いで、赤いちゃんちゃんこを着るのは、60歳になって、もう一度赤ちゃんから新しく始めるという理由からなのですね。
いつ干支ができた?
いつ干支ができたのかは、実際のところ、定かではありません。
ただ、紀元前17世紀頃から紀元前11世紀に中国の殷の時代の遺跡から発見された甲骨文に、十干と十二支を組み合わせて60を周期とする表があり、日にちを表すものとして使われていた様子が伺えます。
そして、紀元前217年に死んだとされる秦の官吏の墓から見つかった竹簡には、十二支に12種の動物が割り当てられているものが発見されたとのことです。
また、後漢の時代に王充という人によって書かれた論衡という文献に、干支の十二支に動物をあてはめたという記述があるともいうことです。
日本書紀には、西暦553年ごろに貿易をしていた百済から、中国歴(太陰太陽暦)が伝わっていたことがわかる記述があるそうです。
干支の十二支と動物が組み合わされた理由
十二支に対して動物が配置されるようになった理由としては、王朝が使う暦を様々な民衆にわからせて浸透させるために、周辺の未開地にいる民や字を読めない民にも覚えやすい動物名をあてはめたと考えられます。
正式な子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥という音に合わせて、似た読みをしたり、なじみが深かったりする動物を当てはめていったという理由なのです。
当てはめられた動物は、次のようになっています。
   子(シ)=鼠(ね)
   丑(チュウ)=牛(うし)
   寅(イン)=虎(とら)
   卯(ボウ)=兎(う)
   辰(シン)=竜(たつ)
   巳(シ)=蛇(み)
   午(ゴ)=馬(うま)
   未(ビ)=羊(ひつじ)
   申(シン)=猿(さる)
   酉(ユウ)=鶏(とり)
   戌(ジュツ)=犬(いぬ)
   亥(ガイ)=猪(い)
それぞれの動物の意味
子=鼠 / 子供がすぐ増えるので、子孫繁栄の意味があり、行動力と財をなす象徴とされます。
丑=牛 / 牛は労働力として、また肉ともなることから、とても大切な存在であるという意味があり、誠実さと粘り強さの象徴です。
寅=虎 / 毛皮が美しいことから、決断力があることと英知の象徴です。
卯=兎 / 大人しいことから家内安全、跳ぶことから跳躍の意味があり、温厚と従順を象徴します。
辰=竜 / 中国では竜は権力者の象徴であり、正義感と信用の高さの意味があります。
巳=蛇 / 蛇は執念深いが助けてくれた人への恩も忘れないという意味があり、探究心と情熱の象徴です。
午=馬 / 人の役に立つ馬は大切にされてきました。陽気さの象徴です。
未=羊 / 羊の群れから家族の安泰を示し、長く平和に過ごせるという意味があり、穏やかさの象徴です。
申=猿 / 猿は山の賢者とされて、神の使いとも信じられていた意味があり、器用さや臨機応変さの象徴です。
酉=鶏 / 商売において縁起が良い生き物とされ、親切と世話好きの象徴です。
戌=犬 / 人との関係が長くて親しみ深く、従順で社会性がある犬は、努力家で勤勉であることの象徴です。
亥=猪 / 猪の肉を食べると病気が治るとされ、無病息災の意味があり、勇気の象徴です。
猫が干支に入れない理由
理由1 ねずみに騙された説
お釈迦様が「元日の朝に私の元に一番早く来たものから順に、十二番目までの動物を一年交代でその年の守り神にする」というおふれを出しました。猫が鼠にこのおふれの日にちを確認したところ、ねずみは1日遅れた日を教えてしまいました。
元日、牛はまだ暗いうちに、足が遅いからといって早く出発しました。その様子に気づいた鼠は、牛の背中に乗って一緒にお釈迦様のところに向かいました。牛が到着するよりも先にねずみは牛の背中から飛び降り、一番乗りとなりました。
その後、牛、虎、兎、竜、蛇、馬、羊、猿、鳥、犬、猪という順でお釈迦様のところに到着しました。
猫は次の日にお釈迦様のところに来ましたが、時すでに遅しで、十二支には入れませんでした。猫が鼠を追いかけるようになった理由も、ここから来ているとされています。
理由2 ねずみを食べてしまった悪者説
そのほか、猫が十二支に入れてもらえなかった理由としては次のようなものがあります。
お釈迦様に頼まれた薬を取りに行った鼠を猫が食べてしまったために、十二支に入れなかったという説です。この薬がなかったためにお釈迦様が命を落としたといった話もあるくらいなので、猫はなぜか悪者になってしまっていますね。
これらの説は、猫が入っていない理由を、後付けで考え出されたものとされます。
理由3 干支が作られた頃に猫が知られていなかった説
干支や十二支が作られた頃には、まだ中国では猫があまり知られておらず、それほど飼われていなかったため、という説があります。
猫がペットとして人間に飼われるようになったのは、約4000年前の古代エジプトの時代であると言われています。他には、約8000年前の古代キプロスが起源であるという説もあります。
猫は中東から中国にも広まっていったと言われていますが、それは紀元前200年ごろだとされています。しかし、中国で家畜として飼われていた猫の骨が見つかり、これが5300年前のものであることが、放射性炭素年代測定の結果わかりました。
この猫が耕作物を食べる鼠などのげっ歯類を食べていたことがわかり、人の住む近くに暮らしていたと考えられます。
このことから、干支が出来た頃でも、猫は民衆とかかわりあっていた可能性があります。
なぜ猫が干支の十二支にいないのか、といったことは、中国ではすでに猫が身近な生き物であったとすると、何か別の理由があるのかも知れません。
海外の干支には猫もいる
ベトナム・チベット・タイの干支
ベトナム・チベット・タイでは、卯の干支には猫があてはめられています。これは、卯の発音「Mao」が猫「Meo」に似ていることと、兎よりも猫の方が身近な生き物であったためだと考えられます。猫好きの人は、ベトナムに行くと、猫年というものを経験できるということになりますね。
猫は、ベトナムでは農作物を食い荒らす鼠を退治してくれる、大切な生き物とされているそうです。また、ベトナムにおいては、猫年生まれの人は思慮深く平和主義、損得勘定が得意、社交的、周囲の環境に適応できる、といった占いがあります。
猫以外にも、亥にあてはめられるのは、日本では猪ですが、ベトナム・チベット・タイでは豚になっています。また、牛は水牛、未は山羊になっています。
ブルガリアの干支
ブルガリアでは、寅(日本では虎)が猫になっているとのことです。虎と猫は同じ猫科ですから、動物としては近いと言えますね。
中国で十二支ができた時に猫がいなかったのは、猫が身近な生き物ではなかったからと言われています。
干支に猫がいない理由のまとめ
日本の干支の十二支には猫がいませんが、中国から伝わった時に猫がいない状態で伝わったため、ということになります。
ただ、亥が豚ではなく猪となったこと、江戸時代には干支は民衆に広まっていましたが、猫はそれ以前の奈良時代から人々に飼われていて身近な動物であったことをふまえると、なぜ猫があてはめられなかったのかはわからないと言えます。
実際に、ベトナムなど他の国では猫年があるので、猫がいた日本で十二支の中に猫が入っていないのは、現代でも不思議に感じるところです。
現代ではペットとして猫に人気がありますので、干支の十二支に猫年がないのを残念に思う人も多いかも知れませんね。 

 

●十二支に猫がいないのは日本だけ? 3
十二支に猫がいない理由(昔話)
昔話によれば・・・
昔昔のこと。ある年の暮れに神様が動物たちにお触れを出したそうです。
そのお触れの内容といいうのが・・・
「元旦に挨拶に来い。」というもので・・・
「一番早く来た者から十二番目の者までは、順にそれぞれ一年の間動物の大将にしてやろう」と。
動物たちはわれが一番とばかりに気張って、元旦が来るのを待っていました。
しかし、猫ばかりはいつ神様のところへ行くのか忘れてしまいました。
そこで、ネズミに尋ねたところ、ネズミは1日遅れの日を教え、猫はそれを真に受けて、喜んで帰っていったそうです。
さていよいよ元旦。
牛は歩くのが遅いので、一足早く出かけようと夜のうちから支度をし、暗いうちに出発しました。
牛小屋の天井でこれを見ていたネズミは、ぽんと牛の背中に飛び乗り、神様の御殿へと向かいました。
神様の御殿に近付いてみると・・・まだ誰も来ていません。
我こそ一番と牛が喜んで待つうちに・・・門が開きました。
すると、とたんに牛の背中からネズミが飛び降り、ちょろちょろっと走って一番になってしまいました!
それで牛は二番、それから虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順で着いた。
猫は一日遅れで行ったものだから、番外で仲間に入れなかった。
それでネズミを恨んで、今でもねずみを追い回すのだとか・・・・・・
番外編
この類の民話は、日本全国にあるそうで、ほかにもこんな話があるそうです。
・ 遅れてきた猫が神様に「顔を洗って出直して来い」と怒られて、以来猫が顔を洗うようになった。
・ 猫がお釈迦様の薬を取りに行ったねずみを食べてしまったために、十二支に入れてもらえなかった。
世界で語られる十二支
また、同様の民話は、中国、朝鮮半島、モンゴル、中央アジア、ロシア周辺にも伝わっているそうです。
そして、殆どのものが「猫とねずみが敵対することになった十二支の話」か 「ねずみが牛にくっついていって一番になる十二支の話」なんだそうです。
猫年のある国
上記したように、十二支は日本や中国だけでなく、漢字の文化圏を中心にアジアやロシアの数か国に伝わっています。
その中で、な、なんと猫年を採用している国がありました!
それは・・・ベトナムです。
ベトナムでは、うさぎの代わりに、猫が干支の動物として用いられているそうです。
私が聞いたことのあるのは・・・うさぎの代わりにネコを用いた理由として、猫とウサギの音が似ているということでした!
十二支の由来・猫が入っていない理由
十二支の由来
十二支は古代中国、殷の時代(BC1500〜1100年ごろ)に成立し、当初は動物と関係ありませんでした。
もともとは時間や月日をはかるカレンダーのような役割として開発されました。
現在の動物のイメージが定着したのは後漢(BC100年)頃。
覚えやすいように、十二支が持つ「時間、方位、季節」などの意味や、イメージに合う動物を当てはめたといわれています。
十二支に猫があぶれたのはたまたまだった
十二支のイメージに合う動物を後付けで当てはめていったので、猫がその中に入っていないのは、たまたまということになりますね。
つまり・・・「干支の順番を決めるという神さまのお触れが出た際、日時を聞き洩らした猫にネズミが嘘を教えたため」という昔話は後代の創作と言われているのです。
なあ~んだ!と思いますよね!?十二支のイメージに合う動物を後付けて当てはめていったということを確認できる材料があります。それは・・・干支の名前と動物の名前が合っていないということです。
  干支の名前と動物
   子(ね)   鼠
   丑(うし)  牛
   寅(とら)  虎
   卯(う)   兎
   辰(たつ)  龍
   巳(み)   ヘビ
   午(うま)  馬
   未(ひつじ) 未
   申(さる)  猿
   酉(とり)  鶏(鳥)
   戌(いぬ)  犬
   亥(い)   猪
干支の名前と動物の名前の漢字を比べてみると、ずいぶん違いますよね。少なくとも干支のイメージに動物の漢字が合っているようには見えなくないですか!?これこそが、干支のイメージに合う動物を、後付けで決めたということの現れではないでしょうか!?
天文学に使われていた十二支:干支が12の理由
上述のように、月日や時間を表すカレンダー的役割を担っていた十二支。もともとは木星の位置を表すために、天文学で使われていたようなのです。
木星は12年かけて空を一周します。木星の毎年の位置を示すために、十二支が割り当てられました。西洋占星術で、木星が牡羊座にあるとか、蠍座にあるとかいうのと、同じですね。この木星の位置を表す12個の漢字が、現代の十二支として伝わっているのです。なので、この十二支の意味は動物とは全く関係なかったのです。
十二支の本当の意味
十二支が動物をさしていないなら、何をさしているのでしょうか?
それは・・・十二支の漢字は季節ごとに移り変わる植物を表していたのです!
なので、元旦に神様に挨拶にきた動物順ではありませんし・・・十二支の動物にに優劣もありません。
十二支の順番はもともと決まっていたのです!
ではなぜ十二支に動物を当てはめたのでしょうか?
十二支に動物を当てはめた理由
それは・・・一般庶民への普及の目的だったと言われています。
というのも、十二支の漢字のままでは覚えにくかったため、中国後漢時代の学者で干支を開発した王逸(おういつ)という人が、十二支の漢字を差し替えたのだそうです。
子・丑・寅・・・・・亥という12支の漢字を、身近で馴染みのある動物に差し替えて説明し、普及させたと言われているのです。
現在では月日や時間を干支で言う習慣はほぼなくなっていますが、十二支が日本の文化に根付いているのは・・・十二支に動物が当てはめられているからかもしれません。
そういう意味では、王逸の果たした役割は大きかったのかもしれません。
さて、十二支に後付けで当てはめられた動物たちでありますが、それぞれの動物にはきちんとした意味が込められているので、ここで確認しておきましょう。
十二支の動物に込められた意味
子(ね) ネズミ →子孫繁栄(子供がすぐに増えるので)
丑(うし) ウシ →粘り強さ、誠実(肉は食料、力は耕作に使われ、人間にとっては欠かせない)
寅(とら) トラ →決断力、才知(空に輝く星だったから美しいという言い伝えから)
卯(う) ウサギ →温厚、従順(穏やかな様子が家内安全、跳躍する様子から飛躍を表す)
辰(たつ) タツ →正義感、信頼(伝説の生き物で、古来中国では権力の象徴とされる縁起よい生き物)
巳(み)  ヘビ →探求心、情熱(執念深い一方、恩を忘れず、恩返しを行う。脱皮の様子か死と再生のシンボル)
午(うま) ウマ →陽気、おしゃれ(牛同様古くから人間の生活に欠かせない)
未(ひつじ)ヒツジ→穏やか、人情に厚い(群れで生活するところから家族安泰を表す)
申(さる) サル →利口、好奇心(山の賢者で、山の神の使いと信じられている)
酉(とり) トリ →世話好き、親切(とりは「とりこむ」に通じ、商売繁盛に縁起がいい)
戌(いぬ) イヌ →勤勉、努力家(忠実な動物で忠誠、献身、安全の象徴)
亥(い)イノシシ →勇気、無病息災(猪の肉は万病を防ぐと言われ、無病息災のシンボル) 

 

●十二支に猫がいない理由 4
神様の元へ競争 (日本のおとぎ話) 説.
福島県発祥のおとぎ話。この説は、日本特有のもの。
昔々のお話。
神様が動物たちに言った。「1月1日の朝、ワシの所に来なさい。12番目までにやってきた動物を1年交代で、その年の王としよう」 ところが、猫は集まる日を忘れたので、友達の鼠に聞いた。鼠は嘘を教えた。
猫は鼠を信じて、出発する時間までゆっくり寝ることにした。
牛は足が遅いので、大晦日の夜に神様の元へ出発。
その動きを見ていた鼠は、こっそり牛の背中に乗った。神様が待つ門の前に着くと、牛よりも先に門をくぐった。夜明け前になると、他の動物たちが神様の元へ出発した。
兎は跳ね、虎は猛スピードでダッシュ💨
辰は空を飛び、いつも早起きの鶏は、油断して朝寝坊してしまう。
犬と猿は途中まで仲良く走っていたが、互いに負けまいと意地になり競争、とうとう喧嘩してしまう。鶏が仲裁しながら、神様の元に辿り着く。動物たちは、どんどん神様の元へ辿り着き、順位が決まった。
十二支は、鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順番に決まった。
そして翌日、2日の朝一番に神様の元へ訪れた猫。
「もうとっくに終わっているぞ。寝ぼけているのか?顔を洗ってこい!」と神様に怒られ、十二支に入ることができなかった。
鼠に騙されたことに気付き、猫は怒った。それ以来、猫は鼠を見ると追いかけるようになった。
お釈迦さまの元へ競争説.
ブッタの遺言集である経典「大般涅槃経だいはつねはんぎょう」にまつわるお話。日本のおとぎ話 (神様の元へ競争説) と若干類似している。
お釈迦さまが死の床に伏せっているとき。世界中の弟子や動物たちまでが、お釈迦さまの元へ駆けつけようとした。そして、お釈迦さまは動物たちに、「私の元に辿り着いた順に十二支としよう」と言う。
多くの動物がお釈迦さまの元を目指す中、鼠は猫に嘘の涅槃 (お釈迦さまの死) の日を教える。
その結果、猫だけが遅れてお釈迦さまの元に到着してしまう。すでに、お釈迦さまは亡くなっていた (涅槃) ので、猫は十二支に入れなかった。
鼠に騙されたことに気付き、猫は怒った。それ以来、猫は鼠を見ると追いかけるようになった。
この様子は、釈迦涅槃図しゃかねはんずにも描かれている。猫は涅槃に遅れたため、釈迦涅槃図には猫の姿が描かれていないことが多い。
猫のせいでお釈迦さまが亡くなった説.
ブッタの遺言集である経典「大般涅槃経だいはつねはんぎょう」にまつわるお話。
お釈迦さまが80歳のとき。食べたきのこ料理に毒キノコが入っており、食中毒を起こし体調を崩してしまう。
そこでお釈迦さまは、食中毒に効く薬 (たぶん生姜) を鼠に取りに行くように命じる。
しかし、道中で猫と遭遇。好奇心旺盛な猫は、小さい鼠を追い回して食べてしまう。
お釈迦さまは、薬を飲めずに、そのまま亡くなってしまう。
猫が中国にいなかった説.
十二支ができたとき、中国に猫はいなかった。
・ 十二支の誕生:紀元前1400年頃
・ 中国に猫が生息:紀元前200年頃から
猫はもともとエジプトの動物。エジプトを征服した古代ローマは、インドや中国とも貿易を行うようになった。猫は害獣駆除役として商船に乗り込み、行く先々で猫が広がっていった。 
 

 

●干支の十二支に猫がいない理由 5
「干支」の十二支には猫がいないですね。今ではたくさんの人たちに愛されている猫なだけに、なぜ選ばれなかったのか不思議だと感じる方は多いかと思います。なぜ十二支に猫年がないのかは色々な説があるようです。今回はその中から3つの説をご紹介します。
猫がネズミに嘘をつかれた説
「十二支物語」という古くから日本に伝わる昔話があるのをご存知ですか?
神様に「元旦の朝にワシの元へ着いた者から順番に十二支する」と命じられた動物たちが繰り広げる大レースです。このお話には、うっかり日にちを忘れてしまった猫がネズミに確認したところ、「2日の朝だよ」と嘘をつかれた為に十二支になれなかった様子が描かれています。ネコとネズミの仲が悪い言われているのも、この説からきています。
猫のせいでお釈迦様が亡くなった説
先ほどの「十二支物語」に登場した神様はお釈迦様と言われているのですが、そのお釈迦様が食中毒になってしまったことがあるそうです。
その際、食中毒の解毒剤をネズミに取りに行くよう命じましたが、ねずみが取りに向かっている最中に猫がネズミを食べてしまいました。
そのせいでお釈迦様の病状は悪化して、亡くなってしまったそうです。
猫がネズミを食べなければお釈迦様は助かったのにという理由により、猫は干支に入れなかったというのが「干支」に猫がいないと言われている2つ目の説です。
元々中国には猫がいなかった説
個人的にこれが1番有力なのではないかという説です。猫はなんと紀元前5000年以上も前の古代エジプトから存在していました。そして、古代エジプトでは神として崇められるほど大変貴重な動物だったそうです。
エジプトはとても強力な国だったため、エジプトのシンボルである猫は、他の国々から嫌われていたそうです。そのためか、エジプトが崩壊する紀元前30年頃までは、猫がほかの国に流れる(持ち運ばれる)ことは少なかったとされています。
中国に猫が伝わったのは、紀元前3世紀頃と言われています。そして、干支が誕生したのは紀元前4世紀頃です。このことからも、中国に猫がいる時代より前に干支が作られた事がわかります。中国では、まだ猫が身近な存在ではなかったということなのでしょう。
もしも、干支が誕生する前に猫が中国に伝わっていたら、日本にも猫年があったかも?しれませんね!
ネコとネズミの関係性を表す物語
先ほど「十二支物語」で猫と鼠の仲が悪いという話をしましたが、ネコとネズミの関係性を表す物語は世界中に結構あるようです。
イソップ物語の「ネズミの相談」では、いつも猫にひどい目にあっていたネズミたちが、猫の首に鈴をつけようと相談をするお話でした。
ヨーロッパに伝わる民話の「長靴をはいた猫」では、猫が人食い鬼をネズミの姿に変えて食べてしまいました。
また、アメリカのコメディアニメの「トムとジェリー」も、ネコとネズミの仲の悪さを楽しく表現しています。
ネコといえば「ネズミを追いかけて食べてしまう」というイメージが強いため、このように色んな物語に登場しやすいのかもしれませんね。 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

●干支諸話

 

●2019年の干支「己亥」?意味・由来・十二支との違い
みなさんにとって2018年はどんな1年だったでしょうか。2018年のニュースを振り返ると、働き方改革関連法案の可決、大手も参画し急速に普及したキャッシュレス決済、トヨタも本腰を入れ始めたモビリティの活性化など、大変革への助走ともとれる出来事が多く見られました。一方で2018年を表す漢字「災」にも象徴されるように、大規模な自然災害も相次ぎました。生活再建や防災対策は引き続き大きな課題の一つです。そしてクリスマスを直撃した株価の下落。一時1万9,000円を割り込み不安を残す年末となりました。2019年はどんな1年になるでしょう。1年を占うヒントになるのが干支(えと)です。2019年の干支「己亥(つちのとい)」は、どのような傾向があるのでしょうか。
干支とは?十二支との違い
そもそも干支(えと)とは何でしょうか。年賀状などで使う「いぬ」や「いのしし」といった十二支(じゅうにし)と混同されがちですが、本来、干支と十二支は異なります。
干支とは
干支(えと)とは、十二支(じゅうにし)と十干(じっかん)という2つの暦の数え方を組み合わせた表記方法です。十二支と十干の組み合わせは60パターン存在しており、この組み合わせを干支と呼びます。60年かけて干支を一周すると「還暦」を迎えます。
十二支の法則
まず十二支では暦を12年間1セットで表記します。
1年目が子(ネ/ネズミ)、2年目が丑(ウシ)、3年目が寅(トラ)となり、卯(ウ/ウサギ)、辰(タツ/リュウ)、巳(ミ/ヘビ)、午(ウマ)、未(ヒツジ)、申(サル)、酉(トリ/ニワトリ)、戌(イヌ)、そして12年目の亥(イ/イノシシ)で1周して、13年目から子の年に戻ります。
十干の法則
十干では暦を10年間1セットで表記します。
1年目が甲(コウ・キノエ)、2年目が乙(オツ・キノト)、3年目が丙(ヘイ・ヒノエ)となり、丁(テイ・ヒノト)、戊(ボ・ツチノエ)、己(キ・ツチノト)、庚(コウ・カノエ)、辛(シン・カノト)、壬(ジン・ミズノエ)、そして癸(キ・ミズノト)で1周して、11年目から甲の年に戻ります。
近年の干支早見表
2018年は、十二支だと戌(いぬ)年。干支で表記すると「戊戌(つちのえいぬ)」の年でした。2019年は亥(いのしし)年ですが、干支では「己亥(つちのとい)」の年にあたります。
ちなみに近年の干支は次の表のようになっています。
西暦 / 十二支 / 干支
2009年 うし 己丑(つちのとうし)
2010年 とら 庚寅(かのえとら)
2011年 うさぎ 辛卯(かのとう)
2012年 たつ 壬辰(みずのえたつ)
2013年 へび 癸巳(みずのとみ)
2014年 うま 甲午(きのえうま)
2015年 ひつじ 乙未(きのとひつじ)
2016年 さる 丙申(ひのえさる)
2017年 とり 丁酉(ひのととり)
2018年 いぬ 戊戌(つちのえいぬ)
2019年 いのしし 己亥(つちのとい)
2020年 ねずみ 庚子(かのえね)
2021年 うし 辛丑(かのとうし)
2022年 とら 壬寅(みずのえとら)
2023年 うさぎ 癸卯(みずのとう)
2024年 たつ 甲辰(きのえたつ)
2025年 へび 乙未(きのとひつじ)
2026年 うま 丙午(ひのえうま)
2027年 ひつじ 丁未(ひのとひつじ)
2028年 さる 戊申(つちのえさる)
2029年 とり 己酉(つちのととり)
2019年の己亥は干支の組み合わせの36番目で、翌2020年の干支は庚子です。
干支の意味と由来
十二支(じゅうにし)と十干(じっかん)の組み合わせで年を表現する干支(えと)は、全部で60通りあり、60年で一周します。
十二支の由来
十二支の起源は古く、紀元前から十干と組み合わせて日付の記録に使われていたといいます。
十二支の分類に用いる文字の由来は不明。さらに十二支に12の動物をあてるようになった理由は、「覚えやすくするために身近な動物をあてはめた」など諸説あります。また動物の順番にも諸説あり、例えば「神様が動物にレースをさせて、上位12種を十二支に任命した」といった逸話が知られています。
十干の意味
十干は、古代中国の五行説に由来します。五行説ではすべてのものごとを、木、火、土、金、水の5種類に分類します。十干ではさらに、各要素を兄(え/陽)と弟(と/陰)2パターンに分類し、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の10字で表現します。
たとえば、十干にある「甲」と「乙」は両方とも木を表す十干ですが、甲は兄としての性質、乙は弟としての性質を持っています。
五行思想および十干があまり使われなくなったため、近年では干支といえば十二支を指すことが多くなったといわれています。年賀状の図案や、お年賀商品、また生まれ年を表現するのに使ったりと、生活に根付いているからでしょう。
干支に由来する名前
日常生活で干支に触れることは少なくなったものの、実は身の回りの文化や風習は干支に大きくな影響を受けています。たとえば「還暦」や「甲子園」がその一例。次から詳しく解説します。
還暦
60歳を「還暦」として祝う風習は干支に影響を受けたものの一つ。
「還」の字は一巡りすることを意味します。暦つまり干支が一巡りするから「還暦」。干支は60年で一周するので、60歳になると再び自分が生まれた年の干支を経験します。60年という節目に長寿を祈念し、還暦として祝うようになりました。
阪神甲子園球場
高校野球で盛り上がる「阪神甲子園球場(通称:甲子園)」も干支にちなんで名付けられました。
甲子園が完成したのは1924年。1924年は、十干の最初である「甲」と十二支の最初である「子」の年であり、干支の一番目の年「甲子(きのえね)」に当たります。その縁起の良さにあやかって甲子園と命名されました。
2019年「己亥」はどんな年に?
2019年の干支(えと)は「己亥(つちのとい)」。60で一周する干支のうち36番目にあたります。己亥年がどのような年になりそうか、己亥の意味とこれまでの傾向から見てみましょう。
「己」と「亥」の意味
己亥は、十干で「己(つちのと)」、十二支で「亥(い)」に相当します。
己は五行説でいう「土の弟」の年になります。また亥は十二支の最後で、いのししには無病息災を願うほか情熱といった意味合いも含まれています。
「亥年」の特徴
「亥」には無病息災を願う意味があるものの、実際には災害や事故などが発生しやすい年であるといわれています。
たとえば、阪神大震災が発生した1995年は亥年でしたし、近代の東京に大規模な被害をもたらした関東大震災も1923年、亥年の9月でした。震災だけではなく、1995年には世間を震撼させた地下鉄サリン事件も発生しています。
1959年「己亥」年の出来事
さらに、60年前、前回の己亥にあたる1959年には、吉事と災い双方で大きな出来事がありました。
1959年(昭和34年)の日本はは戦後復興も一段落し、高度経済成長の真っ只中。「岩戸景気」と呼ばれる時期でした。さらに、4月末で退位される今上天皇がご成婚された年でもあり、テレビ中継されたパレードに多くの人が見入りました。
一方で、亥年の特徴といわれるとおり大きな災害・事件も起きました。戦後有数の大きな被害をもたらした「伊勢湾台風」が日本列島を襲ったのは1959年でした。また世界的に見れば、キューバ革命やチベット蜂起などが発生した年です。国内外を問わず、歴史に残る出来事がありました。
一年をより良く過ごすために
干支(えと)は60を周期とする数詞の一つで、12ある十二支(じゅうにし)と10ある十干(じっかん)を組み合わせたものです。暦のほか、時間や方位にも用いられます。近年は、身近な動物を当てはめた十二支を干支ととらえることが多くなってきましたが、本来、干支と十二支は別物です。
2019年は、干支で36番目にあたる「己亥(つちのとい)」の年。十二支(じゅうにし)では無病息災を願う動物「亥(いのしし)」の年にあたるものの、災害や事件が多い年といわれています。2018年に引き続き、災害が気になる年となるかもしれません。
2020年の東京五輪を前に、働き方改革関連法の施行、消費増税などを控えた2019年。一つでも良い出来事が続くよう願うばかりです。 

 

●十三支・おくれてきた猫
島村光氏は岡山県出身の備前焼の作家で、40年にわたりオブジェを中心とした作品を制作しています。
備前焼には、「備前焼細工」という江戸時代に藩主保護奨励のもと、獅子や布袋、動植物の置物や香炉の細工物が繁栄した歴史があります。島村氏は大学の絵画科を卒業後、オブジェや彫刻を制作する現代美術作家として活動をしたのち、備前焼の細工物を制作するようになりました。
釉薬を使わずに、焼き締めた土の表情だけで表現をする備前焼ですが、島村氏は高い技術をもち、伝統を踏まえつつ独自の現代的な造形を生み出しています。
今展では十二支をモチーフに、猫を加えた13種類の動物による「十三支・おくれてきたねこ」シリーズの新作を展示します。
折り畳んだ紙をジャバラに拡げて成形したようなバイオリンを弾くウサギや、ジャンパースカートがおしゃれな大きな瞳の猫など、まるで絵本の世界の登場人物のような物語性と、大人のユーモアとペーソスを感じさせる作品です。
島村光展 「十三支・おくれてきた猫」 に寄せて
備前焼の細工物作家・島村光(ひかる)の作品は、これまでの伝統的な備前焼とは違って、独特の作調と存在感を持っている。そして、どこかユーモアに溢れ、懐かしい詩情に包まれている。やきものは焼くことによって浄化されるというが、島村の作品はとても清潔で、少しも媚びたところがない。その魅力を一言でいうなら、作品から醸し出される品格であろう。
島村は五十過ぎまで、作品を発表することはなかった。すなわち、売るための作品を作らず、自分の作りたいものを作り続けてきた。それは、個展を開催するようになったいまも変わらない。島村は、ひたすらわが道を歩み続ける作家である。高い志(こころざし)と清貧の思想こそ、この作家の真骨頂なのであろう。
島村のトレードマークは、無精髯(ぶしょうひげ)と素足に草履。このスタイルは春夏秋冬変わらない。その理由を問うと、「いつも地に足をつけていたいから」という。島村の作品は、すべて細かい備前土を使った無釉の焼締陶である。多くが日常身辺にいる猫や雀、窯場の風景などがモチーフとなっている。島村は「焼き上がりを思い浮かべながらの土造りは、私にとってホッとするひととき。土の特性によって造るものが決まる」と語る。土に触れることによって、かたちが生まれる。そこが、やきものの面白さであり、島村の作品の新鮮さもそこにある。
島村は20代の頃、前衛美術家を目指すが、稀代の芸術家・工藤哲巳の作品を見て、「自分はこの人には近づけない」と悟り帰郷、幼い頃から身近にあった備前焼の細工物を作り始める。しかし、島村の創作の根底には、いまも若い時に培(つちか)った「人の真似はしない」というアバンギャルド精神が息づいているように思う。
「腹八分目」という言葉があるが、島村の作品を見ると、腹八分で表現を抑えて、簡略化しているところがある。それは恐らく、作りすぎると本質が伝わりにくいからであろう。それは、そのままこの作家の生き方にも通じる。余白が想像力を膨らませるのである。
今回のテーマ「十三支・おくれてきた猫」シリーズは、人間にとって最も身近な存在であるネコが、どうして干支に入っていないかという疑問から始まった。それが十三支を作る切っ掛けとなった。今展には、折り畳んだ紙をジャバラに拡げて成形したようなバイオリンを弾くウサギや、ジャンパースカートがおしゃれな大きな瞳のネコなど、まるで絵本の世界から抜け出たような十三支がニューバージョンで登場する。  

 

●十三支演義 〜偃月三国伝〜
[ じゅうざえんぎ〜えんげつさんごくでん〜 ] アイディアファクトリー(オトメイト)より2012年5月24日に発売されたPlayStation Portable専用恋愛アドベンチャーゲーム。中国の古典『三国志』をテーマにしている。2014年4月17日に続編『十三支演義 〜偃月三国伝2〜』が発売された。2015年8月27日にPlayStation Vitaで本作の1作目と2作目が同時収録された『十三支演義 〜偃月三国伝1・2〜』が発売された。
オトメイトとREDのコラボ作品。本作の企画を立ち上げたのはオトメイトの野原悟史。オトメイトから依頼を受けディレクターとしてキャラクター構造やシナリオを手掛けるREDの伊東愛。ストーリー原案は『サクラ大戦』シリーズの広井王子、主題歌・ゲームテーマは『ファイナルファンタジー』シリーズの植松伸夫が手掛ける。その他BGMはケビン・ペンキンが、キャラクターデザインは悌太が担当した。2012年よりドラマCD化&月刊誌「ARIA」にてコミカライズ版が連載、2013年にエンターブレインと一二三書房よりノベライズが出版され、さらに2014年にOVA化もされている。
内容
時は後漢末。
乱世の奸雄曹操により、隠れ里から連れ出された『猫族』(まおぞく)。人間の体に獣の耳を持つ彼らは、猫の姿の妖怪『金眼』(きんめ)の子孫と言われ人間たちから忌み嫌われていた。人間たちは猫が十二支から外れたという昔話から十三番目の干支、『十三支』(じゅうざ)と呼び彼らを蔑んだ。
猫族である関羽、劉備、張飛の三人は幼い頃から兄弟のように育ち、固い絆で結ばれていたが、平穏な日々は突然終わりを告げる。漢帝国より勅命を受けた討伐軍の曹操は、逃げた黄巾族を追って猫族の隠れ里に迷い込んだのだった。猫族の高い能力に目をつけた曹操の策略により、平和に暮らしていた猫族たちは人間たちの戦いに巻き込まれていく。
猫族の長・劉備は、人間たちの戦いに巻き込まれたことで、身に宿る金眼の呪いを増幅させてしまう。邪へと堕ちた劉備だったが、関羽をはじめとする猫族の絆の力により純粋であった子供の劉備を取り戻し、官渡の戦いは幕を閉じる。それから半年。曹操の計らいにより、人間と共に暮らしていた猫族。しかし、曹
操不在を機に人間たちの不信感が暴力となって猫族を襲う。再び村を追われる身となった関羽たちは安寧の地を目指す。
登場人物
関羽(かんう)
本作の主人公。名前変更可。人間と猫族の両親を持つ少女。関羽自身は両親の事を知らず、幼い頃から劉備、張飛と共に兄弟のように育った。まっすぐで礼儀正しい性格。類い稀なる武力を持っており、曹操はその力を利用しようと考えている。夏侯惇ルート後半では、夏侯惇に武人と認められる。実は公孫賛の娘。
劉備(りゅうび)
猫族の長。 村人達から崇められていて大事にされている。見た目はまだ子供だが十五歳。だが、十五歳という年齢にあわない口調で話す。世間のことはわかっていないが、素直で優しく、動物が大好きな子。関羽には過保護すぎるくらい大切にされている。だが、この姿は身体に封印された金眼の呪いによるもの。なので、本来の姿は子供の姿ではない。金眼の呪いの影響で邪悪な心を持ってしまう。そして、関羽や猫族以外の全てを滅ぼそうとする。
張飛(ちょうひ)
劉備、関羽と兄弟同然に育ってきた猫族の少年。猪突猛進タイプで、物事をあまり深く考えることができずに考えるより先に行動してしまう。そそっかしいところがあるが、人懐っこく明るい性格。関羽を「姉貴」と呼び慕っている。ドラマCDなどでは、唯一のツッコミ。
趙雲(ちょううん)
幽州の太守、公孫賛に使えている武将。世間の常識に捕らわれず、自分の意思を持っている。なので、猫族に対しても偏見を抱いていない。武人として優れていて、公孫賛の右腕となり支えている。性格はとてもおおらかだが、おおらかすぎて天然な一面もある。
曹操(そうそう)
大陸制覇の野望を抱く武将。権謀術策に長けている。自分の目的のためなら手段を選ばない冷酷さを持っていて、自分を慕う家臣にも心を開かない。黄巾賊を追う内に猫族の隠れ里を見つけ利用しようと試みる。関羽の武力に目をつけ、劉備を拐い関羽に曹操軍に入るに命令する。関羽のことは最初駒のように扱っていたが、彼女の武から身体に執着していく。実は関羽と同じく猫族と人間の間に生まれた子供。俗に言うヤンデレ。
夏侯惇(かこうとん)
曹操に使える武将。いつも従弟の夏侯淵と行動を共にしている。世間の常識に縛られているため、女は男に武で勝てないと思っている。猫族と女性が大嫌い。猫族のことを「十三支」と呼び蔑んでいる。関羽のことは特に嫌っている。剣の腕は確かで、日々の鍛練を怠らない。曹操からの信頼も厚い。夏侯惇ルートでは、関羽のことを宿敵、武人と認めた。関羽と接していくうちに、猫族に向けていた感情は薄れていった。そして夏侯淵が関羽を殺そうとしたときには、自らの手で夏侯淵を葬った。夏侯淵の最期には「お前もこいつ(関羽)と関わっていれば変わったかもしれない」と言った。夏侯淵のことは、自身の半身のように思っている。
張遼(ちょうりょう)
最強の武将 呂布に仕える、執事兼武将。とても物腰が柔らかくどんな時でも常に微笑を絶やさない。しかし、人を殺す事を何とも思っておらず呂布の命令であればどんな人間でも、微笑をたたえながら斬る事が出来る。  

 

●したたかな猫、「十三支」
こんばんは、むーでございます。ただいま演劇サークルの公演期間の真っただ中です。私の入っているサークルでは年に二回の長期休みの終わりに大きな公演があって、大学がお休みになると同時にサークルが本格化し、サークルの公演が終わってお休み期間に入ると同時に大学がはじまる、というサイクルで1年が動いています。そろそろ公演の本番が近づいてきていて、ということは学校の始業も近づいていて。逆もまた然り。梅が満開になって、外の空気がぬるいと感じるたびに、そんな終わりとはじまりが迫っていることを実感します。
今度の劇のタイトルは『十三支』。十二支の物語が題材になっています。小さい頃、本と触れ合う機会は沢山ありました。図書館にたくさんたくさん連れていってもらっていたから。けれど、実際に本を買ってもらえる回数は1年に数えるほどで。そんな風に「自分の本」と呼べるものが特別だったころ、「ほしい」とねだったわけではなく両親から買い与えてもらった本はさらに稀で。その中の1つが、『十二支のはじまり』でした。横長の四角の形をした絵本。動物たちが、十二枠を競い合って神様のお殿へ向かう。早く着いたものから、子、丑、寅、卯、辰、巳……と枠は埋まっていく。猫は十二支に入ることは出来なかった。ネズミに騙されて、レースに敗けてしまったから。私が憶えているのはこんなあらすじだけ。それ以外の仔細は全く思いだすことが出来ずにいます。なぜか。幼すぎたことだけが原因では決してありません。一回読んだきり、二回目は読めなかったのです。猫があまりにもかわいそうだったから。
以前のブログで、小さい頃子供向けのコンテンツのキャラクター――わんわんとかグーフィーとか、そうした「子供のためにつくられたはずのもの」が怖くてたまらなかったのはなんでだろう、と書きました。それはきっと、子供は大人よりもずっと、心がむき出しのままで生きているからなのではないか、と思います。だから、身近にある子供向けコンテンツにも恐怖を憶えて、十二支に入れなかった猫と自分を同一化して、その感情をオーバーに心に反映させる。そして、一度つらい思いを体感させられた絵本を開くことはできない。今も相当臆病者である自覚はありますが、小さい頃はもっといろんな脅威が身の回りに潜んでいて、その1つ1つに敏感になりながら日々を過ごしていた我が身がなんとなくよみがえる心地がします。そんな思い出のある十二支の物語。十数年の時を経て、今度はそれをお客様に提供する表現者の立場になりました。タイトルは『十三支』。十二、プラス、ワン。
この劇の中で、十二支に入れなかった猫は、早々にネズミへの復讐を企てていて。そっか、猫だってしたたかだ、そりゃそのくらいしてもおかしくなかろう、と幼き日のトラウマを抱えた私は目を丸くしたのでした。遂げられた復讐、けれどそれは起承転結の起にしか過ぎず。何が待ち構えているかは神のみぞ知るところ。ぜひぜひ劇場にて、いい年した大きな子供たちがいきいきと作り上げている「十二支のその後のおはなし」を見届けていただきたいです。
演劇サークルの、今回の公演メンバーは30人。人形劇の方の10倍います。そう思うとすごいな。人数が多いから、どでかいことが出来ます。全員がどんな風に考えて、どんな仕事をして、どんな風に劇に色を付けていっているのか。それを把握することは難しく、よく理解することはできないままに、それでも同じ脚本という名の設計図を見ながら、互いが互いの仕事を1つずつ積み上げることで、お客様に提供することの出来る舞台が生まれる。きっと映画やドラマにも同じことが言えるだろうと思いますが、1人1人の別ベクトルのアウトプットが重なり合い、1つのどでかい表現が出来るようになる。それが本当にぞくぞくするほど楽しくて。団体での表現活動のむずかしさは経験すればするほど思い知らされていくけれど、解釈や意見の食い違いで邪魔をし合って、人間たちの力が差し引きでどんどんすり減ってしまう、みたいな経験は今のところ全くなくて。十二支に入ることが出来なかった猫をかわいそうとしか思えなかった私は、同期の友人の描き出したなんともしたたかな猫像を浮かびあげる脚本と出会って、はちゃめちゃにわくわくしました。自分の領域が一気に広がったような感覚。そんな高揚感を胸に、公演までの日々を駆け抜けています。
宣伝になってしまいますが、3月23日、24日の土日、小田急線の参宮橋駅にてです。もしご興味がありましたらぜひぜひ。 

 

●2020年の干支 「子年」
東京で2回目のオリンピックが開催される2020年は、日本にとって大きな節目となります。また、この年は「子年」にあたり、再び新しい十二支のサイクルがスタートする年でもあります。しかし、そもそも十二支とは何なのか、十二支と干支はどう違うのか、シンボルとなっている動物にはどんな意味があるのかなど、意外と知らない人も多いのではないでしょうか。ここでは、十二支のルーツを紐解きながら、2020年の干支、子年の人の性格や子年に起こった出来事、子(ねずみ)に縁のある神社など、子年にまつわる雑学をご紹介します。会話に困ったときのきっかけ作りや年賀状のネタとして、ぜひお役立てください。
十二支とは?
十二支とは「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の総称です。現代の日本では「私は戌年生まれです」というように、もっぱら年を表すのに用いられていますが、かつては月や時刻、方角といったものまで十二支を使って表現していました。
よく怪談などで「草木も眠る丑三つ時(うしみつどき)」という決まり文句が出てきます。この「丑三つ時」は時刻を十二支で示した例で、午前2時から2時半までを意味します。また、午前11時から午後1時を表す「午の刻」の真ん中を「正午」、その前後を「午前」「午後」と呼ぶのも十二支を使っていた名残です。
十二支の由来
十二支の始まりは、紀元前1600年頃、中国最古の王朝である殷(いん)の時代とされています。ちょうどこの頃、最も尊い惑星のひとつとされていた木星が12年かけて天球(地球の外側に大きな球があり、そこにすべての星が配置されているという考え方)を1周することが発見されました。そこで、毎年の木星の動きを把握するため、人々は天体を12分割し、それぞれに漢字を割り当てることにしたのです。
元来「子」や「丑」などの字に「ねずみ」や「うし」といった意味はありませんでした。しかし、民衆にも十二支を広めたいという思いから、動物の名前を当てはめるようになったと言われています。日本に十二支が伝わったのは6世紀の半ばで、江戸時代に入ると民衆の間で年回りや時刻を動物で表現する習慣が浸透しました。
十二支と干支の違い
最近では十二支と干支を同じような意味で使うようになりましたが、厳密に言うとこの2つは別物です。干支とは「干」と「支」が組み合わされた言葉であり、正しくは「十干十二支(じっかんじゅうにし)」と言います。
十干十二支とは、古代中国の思想である陰陽五行説から発生した概念です。私たちが普段干支と呼んでいる「子〜亥」は、十二支にあたります。それに対して十干は、その名のとおり「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10種類の要素から成り立つものです。
十干最初の「甲」と十二支の最初の「子」を組み合わせた「甲子(きのえね)」から最後の「癸亥(みずのとい)」まで、その数は実に60種類にのぼります。ちなみに占術として有名な四柱推命は、陰陽五行に十干十二支を組み合わせて運勢を占うものです。
高校野球でおなじみの「甲子園」は、球場が完成した1924年が奇しくも十干十二支のそれぞれ最初の「甲」と「子」が60年ぶりに巡り合う年だったため、その縁起の良さにあやかって名付けられたといいます。
なお、2020年を十干十二支であらわすと「庚子(かのえね)」になります。
2020年の十二支「子年」に込められた意味
子年は新しい運気のサイクルの始まりです。植物に例えると成長に向かって種子が膨らみ始める時期であり、未来への大いなる可能性を感じさせます。また、ねずみは「ねずみ算」と言う言葉があるほど、子どもをどんどん産んで数を増やしていくことから「子孫繁栄」の象徴でもあります。
株式市場にも「子年は繁栄」という格言があり、株価が上昇する傾向にあると言われています。2020年の東京オリンピック・パラリンピックによる経済効果を考えると、その格言もあながち間違いではなさそうですね。
子年の人の性格と特徴
「ねずみ=寝ず身」とされ、真面目にコツコツと働く人が多いようです。倹約家で不要なものにお金を使わないため、若いうちから財を成すことができます。ただ度を越すとケチと噂されることもあるかもしれません。また、鋭い勘とひらめきを持ち「火事の前にはねずみがいなくなる」「ねずみは沈む船を去る」などのことわざがあるほどです。どんな状況でもその危機察知能力を活かせば、人生を難なく歩んでいけるでしょう。
また、ねずみはどこでも生きていけるだけに、人や場所をえり好みしません。環境への適応能力が高く、誰にでも合わせられるのが特徴です。コミュニケーション能力に長けているので、自然と周りに人を惹きつけるでしょう。その反面、恋愛となると不器用になり、なかなか気持ちを打ち明けられません。しかし、ひとたび恋が実れば相手のために一途に尽くします。
子年と相性の良い動物
しっかり者の辰年(たつどし)や申年(さるどし)、粘り強さと誠実さを併せ持った丑年(うしどし)との相性が良好です。反対に、単独でいることを好む午年(うまどし)とは性格が合わず衝突してしまいます。
子年に起こった出来事
1960年は日本でカラーテレビの本放送がスタートした年です。今では家電製品があふれかえっていますが、当時は白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器」がようやく普及してきた頃です。同じ年の2月23日に天皇家に徳仁親王が誕生したことも手伝って、カラーテレビが爆発的に売れました。
1972年には、田中角栄首相が訪中し、北京で周恩来首相とともに「日中共同声明」に署名をしたことによって、敗戦後27年間の長きにわたり断絶していた国交が回復しました。もしこの署名がなかったら、今のように中国人観光客が日本に訪れることはなかったでしょう。また同年は、それまでヨーロッパ列強国の植民地とされていたアフリカの17カ国が一斉に独立を果たしたので「アフリカの年」とも呼ばれています。
1984年は昭和を代表とする未解決事件「グリコ・森永事件」が起きた年です。江崎グリコ社長の誘拐事件に始まり、放火や毒入り菓子のばらまきに発展して、国民をパニックに陥れました。警察側は犯人を名乗る「かい人21面相」と何度も接触したのにも関わらず、度重なる失態により取り逃がしており、未だに多くの謎が起こる事件です。
1996年には、羽生善治が25歳の若さで、史上初の将棋タイトル七冠独占を達成。将棋ファンならずとも記憶に残る偉業を成し遂げました。さらに2008年には、日本人としては史上最多の4人(南部陽一郎博士、小林誠博士、益川敏英 博士、下村脩博士)がノーベル賞を受賞。いずれも子年のふさわしく、新たな時代の到来を感じさせる年となりました。
子(ねずみ)に縁のある神社
京都にある大豊神社は、狛犬ならぬ狛ねずみがいる神社として有名です。大国主命(おおくにぬしのみこと)が野火に囲まれて焼け死にそうになった際、ねずみが洞穴に導いて命を救ったという『古事記』の神話をもとに作られました。全国約8万社の神社のうち、狛ねずみがあるのはここだけで、子年のお正月にはたくさんの参拝客が訪れるそうです。
子(ねずみ)と大根の意外な関係
2008年の年賀状に、ねずみと大根のイラストが描かれていたことを覚えていますか。この2つには、実は意外な関係があるのです。ねずみが命を助けた大国主命は「だいこく」とも読めるため、日本ではインドの大黒天(大黒様)と同一視されるようになりました。ねずみは大黒天の使いとされ、さらに「大根」が大黒と音が似ていることから、大根が大国主命・大黒天のシンボルとなったのです。大阪にある大国主神社には、大黒様と大根が描かれた絵馬があります。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 


 

























 
 
 
 




 



2019/12