判官贔屓

日本人の習性
金足農業を応援しました

試合後のメディアも判官贔屓
準優勝・金足農業関連の報道 7-8割か
大阪桐蔭 優勝したのに ちょっとかわいそう
 


 
 
第100回の夏の甲子園、例年以上の盛り上がりの中、閉幕した。観客動員が101万人と史上最多を記録した。大会の深まりとともに、超エリート私学の大阪桐蔭と、地方の公立農業校、金足農業の活躍が際立ち、両者が決勝で対戦したことで、最高潮を迎えた。 
 
 
●判官贔屓 1
第一義には人々が源義経に対して抱く、客観的な視点を欠いた同情や哀惜の心情のことであり、さらには「弱い立場に置かれている者に対しては、あえて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」心理現象を指す。「判官」の読みは通常「はんがん」だが、『義経』の伝説や歌舞伎などでは伝統的に「ほうがん」と読む。
源義経は治承・寿永の乱後半の平家追討において活躍したが、三種の神器のうち天叢雲剣を取り戻せなかったことや、兄である源頼朝の許可を得ることなく後白河法皇より左衛門少尉、検非違使に任じられ、頼朝の家来である御家人を使役・処罰するなどの独断専行を行ったことが頼朝の反感を買った。さらに義経の上官として平家追討を指揮した源範頼や、頼朝が義経のもとに奉行として派遣した梶原景時が、平家追討後の義経の傲慢な振る舞いについて訴えたことで頼朝の心証は一層悪くなった。頼朝の怒りを知った義経は起請文を献じて弁明したが、「これまで勝手にふるまいながら、いまさらあわてて弁明しても、もうとり上げることはできない」、「こちらが不快に思っていると聞いてはじめて、こうした釈明をするのではとても許せない」と、かえって怒りを増幅させてしまった。
頼朝は、壇ノ浦の戦いで捕虜とした平宗盛らを連れて京都から鎌倉へ向かった義経の鎌倉入りを拒み、さらに義経が京都へ戻る際に「関東に恨みを成す輩は義経に属するように」と発言したとして、義経に与えていた平家の旧領を没収した。続いて頼朝は「仮病を使って源行家追討の命に従わなかった」として義経を追討の対象とした。義経は頼朝追討の宣旨を得てこれに対抗しようとしたものの従う武士は少なく、義経は藤原秀衡を頼って奥州へ逃亡したが、秀衡の没後、頼朝の圧力に屈した秀衡の子泰衡によって自害に追いやられた。このような義経の末路は、人々の間に「あんなすばらしい方が、このようになってしまって、なんて人生は不条理なものなのだろう」という共感を呼び起こし、同情や哀惜を誘った。
判官とは、源義経が左衛門府の三等官(掾、判官)である左衛門少尉であったことに、あるいは検非違使の少尉であったことに由来する呼び名である。判官贔屓という語は室町時代末期から江戸時代初期にかけて成立した、あるいは室町時代中期にはすでに成立していたと考えられており、初めて登場する資料のひとつとして、江戸時代の俳人松江重頼編集の俳句集『毛吹草』(1638年(寛永15年)成立)に収録されている
「世や花に判官びいき春の風」という俳句が挙げられる。
判官贔屓と源頼朝・梶原景時
歴史学者の上横手雅敬は、「義経がいじめられた」ことこそ判官贔屓成立の根源であり、具体的には、義経の専横ぶりを訴えた梶原景時や、義経追討の命を下した源頼朝という悪玉を「不可欠の前提」としているのだと述べている。
上横手は、『吾妻鏡』が鎌倉幕府によって編纂された史書であるにもかかわらず、頼朝や梶原の厳しさや冷酷さ、悪辣さを最も強烈に描き、一方で義経に対し同情的な記述すら置いていると指摘した上で、『吾妻鏡』が北条氏の立場を正当化する史書である以上、北条氏によって破滅へと追い込まれた梶原が悪辣な人物として描かれるのは当然のことであるが、それに対応する形で判官贔屓が成立し、義経を人気者・善玉とすると同時に北条氏陣営に引き込む結果となっていることは注目に値することであり、判官贔屓が「北条氏によって、直接であれ、間接であれ、操作されているのだとすれば、その歴史的意識もまた洗い直されなければならないだろう」と述べている。これについて歴史学者の奥富敬之は、「よくない政治をとる源氏将軍にかわって、世のため人のため、政務をとるようにした」のが北条氏であるという解釈を『吾妻鏡』はとっているが、創設者であり鎌倉武士の尊敬を集めていた頼朝についてはさすがに直接的に批判することが躊躇されたため、「梶原景時を讒者とし、その景時を重用して義経を死に追いやったとして、読者が頼朝を批判することになるように」という「きわめて高度なテクニック」を用いたのだと指摘している。奥富によると、『吾妻鏡』は頼朝を批判するために意図的に判官贔屓を作り出した。
なお、景時の「讒言」は頼朝によって義経のもとへ奉行として派遣されていた以上当然の行動であり、また義経が頼朝の命令を守らず自分勝手に振る舞うことを快く思わず警戒した武士は景時に限らず、頼朝は体制の倫理を代表して義経の非法性を決定したのであって、頼朝が狭量であったがゆえに義経を疎んじたと断じるのは適切ではないとする見解もある。
文芸作品における判官贔屓
義経を描いた文芸作品は、「氾濫」と評されるほど数多く生み出されている。義経を「血肉の通った英雄」にしたと評される『平家物語』や『源平盛衰記』を経て、「最初の義経一代記」といわれる軍記物語『義経記』が成立したのは室町時代のことであった。『義経記』は「歴史への願いからその伝記を物語ろうとする」動機から、「歴史(事実)のないところに新しい歴史(虚構)を成立させ、確かな歴史のあるところでは、歴史を避けて物語にこれを転じてゆく形で、伝説を形成する」手法によって作り上げられた作品であり、義経に「至れり尽くせりの英雄として国民的な偶像化」を施し、歴史的な英雄から国民的な英雄へと転換させ、もって判官贔屓を主題化した。『義経記』は「判官もの」と呼ばれる御伽草子、謡曲、狂言、舞曲、歌舞伎・浄瑠璃などの作品群の大本となったが、「判官もの」においては、「『義経記』に大成された新しい統一理念像のようなものが、思い思いの個別英雄像に分解して」いき、その過程で理想の英雄、讃仰の対象たる義経像が作り出され、英雄崇拝としての判官贔屓が具体化した。義経にまつわる「物語が組み立てた説話」は「事実あった歴史」と区別されることなく人々に受け入れられ、両者が一体化したものが義経の伝記として認識され、物語化され伝説化された伝記の存在によってはじめて「義経の伝記がほんとうに義経らしくなる」という「一見して矛盾した事情」を生んだ。歴史学者の高橋富雄は、判官贔屓とは義経に対する贔屓一般を指すのではなく、『義経記』を成立させたような精神態度に象徴される特殊な形態の贔屓であるとしている。
判官贔屓の基底にある「源平の争乱で華々しく活躍した後、悲劇的な死を迎える」という義経像については、日本人が伝統的に好む貴種流離譚との共通性が指摘されている。これについて高橋富雄は、人々が義経の物語を作る中で武将物語だけでは満足できなくなり、「もう一つの英雄類型たる王朝貴公子の役を割りあて」たのだとしている。国文学者・民俗学者の池田弥三郎も、義経の生涯が貴種流離譚に当てはまるというよりは、義経の伝記が貴種流離譚の類型に「歩み寄り、歩調を合せている」と指摘し、「義経の物語が、義経に同情をよせざるを得ないような内容を持ち、それが広く流布していった事実の原因は、実は義経の実人生に由来するのではなく、それよりも、その実歴以前にすでに用意せられていた。従って、『判官びいき』という諺が生まれ、流布する余地は、実は、判官義経の実人生が始まる前から用意されていたのである」と総括している。
判官贔屓と義経生存伝説
義経の死については、その直後からこれを否定する噂が人々の間に流れ、そこから義経が蝦夷地(北海道)、さらには中国大陸へと逃れチンギス・カンとなったとする伝説が生まれた。このような伝説は今日では、義経を死なせたくないという後世の人々の判官贔屓が生み出したものであり、「鎖国になってからの江戸人の夢物語」、「英雄の末路の悲惨なのに同情した結果、誰かが、いつか、どこかでつくり出した想像にすぎない」などと否定されている。
義経が北海道へ逃れたとする伝説のきっかけとなったのは1670年(寛文10年)成立の林春斎『続本朝通鑑』であるが、同書の成立時期は蝦夷地に対する日本人の関心が高まった時期にあたる。また、中国大陸へ逃れた義経がチンギス・カンになったとする伝説は、明治時代に内田弥八訳述『義経再興記』(1885年(明治18年)成立)をきっかけとして成立したものであるが、同書の成立時期は日本が中国大陸への進出を企図していた時期にあたる。
語義の拡大
上横手雅敬によると、日本人は判官贔屓という言葉の成立前から、伝統的に同様の感情を抱いてきた。池田弥三郎はそうした感情を、「弱い者いじめの反対、つまり、弱きを助け強きをくじくという言動に対しては、無批判にかっさいを送ろうとする心理」と定義し、「弱者の位置に立たされたものに対しては、正当の理解や冷静な批判をかいた、かなり軽率な同情という形をとる」と説明している。池田によると、「判官贔屓」という言葉は江戸時代初期にはすでに、源義経に対する同情を超えて、「一般に、弱い立場に置かれている者に対しては、敢えて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」心理現象を指すようになっていた。なお、奥富敬之は第一義の判官贔屓についても、人々は贔屓の感情を次第に肥大化させ、歴史的事実に基づいた客観的なものの見方を欠くようになり、ついには短絡的に義経を正義、頼朝を冷酷・悪ととらえるに至ったと指摘している。
池田によると、弱者に対し理非を問わずに同情しようとする心理が一般に「判官贔屓」という言葉で表現されるようになったのは、義経の伝記が人々の間に、一般的な知識として広く知れ渡っており、かつその伝記の内容が人々の義経に対する同情を呼び起こすものであったからである。その際に義経の伝記が史実に基づく必要は必ずしもなく、むしろ「民衆の心をその方向に引き出すように再編成され、しかもその民衆の同情にピタリとはまるように再編成されたもの」であることが重要であった。 
●判官贔屓 2
不遇な身の上の人や弱い者に同情して肩を持ったり、応援すること。
判官とは平安時代に置かれた検非違使の尉のことだが、判官贔屓の「判官」は「九郎判官」と呼ばれた源義経をさす。平家討伐に功績のあった義経は人々から賞賛されたが、兄の頼朝に憎まれた。奥州平泉に逃げた義経は、藤原秀衡に助けられたが、秀衡の死後、秀衡の子である泰衡に襲われ、自ら命を絶った。あえない最期を遂げた義経に人々が同情し、贔屓したことから、「判官贔屓」という言葉が生まれた。「判官贔屓」は、「ほうがんびいき」とも「はんがんびいき」とも読む。「依怙贔屓」と混同して、気に入った方に肩入れするという意味で使うのは誤り。
判官贔屓の類語
贔屓 ・ 判官贔屓 ・ 内輪贔屓 ・ 身内贔屓 ・ 身贔屓 ・ 依怙贔屓 ・ 特別待遇 ・ 特別扱い ・ 引き立て ・ 愛顧 ・ 逆差別
「判官贔屓」の対義語
「勝ち馬に乗る」強い者の側に付くこと。
「巨人大鵬卵焼き」強いものが好きなたとえ。
「権威主義」権威に対する自己卑下や盲目的服従、また、権威をもって他を圧迫する態度や行動。
「茶坊主」権力者におもねる者。
「阿諛追従(あゆついしょう)」強者におもねりへつらう。おべっかをつかう。 
 
 
●贔屓 1
中国における伝説上の生物。石碑の台になっているのは亀趺(きふ)と言う。
中国の伝説によると、贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、その姿は亀に似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった。日本の諺「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味の諺だが、その由来は、柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。
「贔屓」を古くは「贔屭」と書いた。「贔」は「貝」が三つで、これは財貨が多くあることを表したもの。「屭」はその「贔」を「尸」の下に置いたもので、財貨を多く抱えることを表したものである。「この財貨を多く抱える」が、「大きな荷物を背負う」を経て、「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」などの意味をもつようになった。また「ひき」の音は、中国語で力んだ時のさまを表す擬音語に由来する。
明代の李東陽(1447–1516)が著した『懐麓堂集』や、楊慎(1488–1559)が著した『升庵外集』にその名が見られる。  
●贔屓 2
自分の気に入った者に対して肩入れし、優遇することである。贔屓をしてくれる人のことを贔屓筋(ひいきすじ)などと呼んだ。語源は中国の伝説上の生物である贔屓。
江戸期から明治期にかけて町人文化が花開いた時期には、富裕な町人などが、気に入った相撲取りや歌舞伎役者などのパトロン(後援者)になり、物心共に支援する慣行が見られた。いわゆるタニマチ文化であり、形を変えながら現代も生き残っている。相撲のタニマチの場合は、力士や年寄個人に限らず相撲部屋に対するひいき・後援者も存在する。スケールは大きく違うが、いわゆるファンと呼ばれる人々も似たような心性を持っている場合がある。
肩入れしている理由が不透明で、公平でないと判断される場合は、依怙贔屓(えこひいき)などと呼ばれる。日常用語としてはこの意味で使われることも多い。
そのほか、「ごひいきに」という表現もある。  
●贔屓 3
贔屓とは、気に入った人を特に可愛がったり、引き立てること。
贔屓は、漢字音では「ひき」で、長音変化して「ひいき」となった。贔屓の「贔」は貝(財貨)を三つ合わせて重い荷を背負うことを意味しており、「屓」は鼻息を荒くすることを表す。この二語が合わさった「贔屓」は、鼻息を荒くして力んだり、力を込めるという意味で用いられ、転じて、特定の人を助けるために力を入れたり、目をかける意味となった。中国では、碑文の石の下で支える形に彫られた亀を「贔屓」ともいうが、土台となり力を入れて支える姿から「贔屓」というようになったもので、この亀が特定の人に対してする「贔屓」の語源ではない。
内輪贔屓・身内贔屓
身内やお気に入りを特別に厚遇すること。
関係が深い人に対して不当に甘く接すること。
身贔屓
自分に関係あるものを特にひいきする・こと(さま)。
自分に関係のある人を特別にひいきすること。
依怙贔屓
自分の気にいっている者や、関係のある者だけの肩をもつこと。
自分の気に入った人だけに味方し、不公平に遇するさま、などを意味する表現。
自分の気に入った者だけを特別に可愛がったり、肩を持つこと。
「依怙」と「贔屓」が合わさった四字熟語で、江戸時代初期から見られる。「依怙(えこ)」は「頼ること」「頼りにするもの」の意味であったが、中世頃から「頼りとする者を支援する」という意味でも使われ、一方だけを肩入れする意味に転じた。 
 
 
●盤珪禅師法語
   一切の迷いは皆、身の贔屓ゆえに迷いをでかしまする。
   身の贔屓と離るれば、一切の迷いは出で来はしませぬ。
(すべての迷いというものはみな、我が身可愛さ(エゴ)から生まれてきます。 我が身を可愛いいと思うことを止めれば、迷いは生じては来ません。)  盤珪永琢禅師(1622-1693)は分かり易い言葉で「不生の仏心」を説き続けられた禅師です。
私たちは「迷いの中にいる」と仏教は教えます。いかがですか?あなたは自分が「迷っている」と思われますか? 自分の人生が「迷いの人生だ」なんて、考えたことがありますか? 大切な人を亡くして悲しみに沈んでいるあなたも、信じていた人に裏切られて嘆くあなたも、これだけは間違いないという真実を掴みたいと悩むあなたも、あなたのその苦悩は、「身贔屓」ゆえに生じた「迷い」だと言われて、あなたはそのとおりだと思われますか?納得できますか? 「迷い」ってなんなのでしょう?
そして「身贔屓」ってなんだろ? 亡き人にあんなこともこんなこともしてあげたかったと願うことが、それが叶わぬことを悲しむことが、どうして「身贔屓」我が身可愛さなのか?裏切った人が悪いのに、どうして私のせいになるの? 自分のエゴを憎み本当の人生を探している私がどうして身贔屓? 「身贔屓」ってなに? 
よくご存じのように、身贔屓というのは、我が身が可愛い、私のことが第一、自分の思い通りにしたい自分さえ良ければいいという考え方をする心ですが、これはなかなかのくせものです。身贔屓を慎もうと努力したら、したで、今度は他の人の身贔屓が気になります。「わたしよりもっともっと自分勝手な人、自分の事しか考えない人はいっぱいいるのに」「私はこんなに自分をおさえて相手のことをかんがえているのに」私たちが見ているのは自分の身贔屓よりも人の身贔屓ではないでしょうか? 人の身贔屓しか見ようとしない、自分が見えない・・そんな私の心をこそ「身贔屓」というのですね。  
確かなものが見えない、それを「無明」とお釈迦さまはお教え下さいます。迷いの人生の原因は「無明」、つまり「真如」と呼ばれる「もののありのまま姿」、「実相」という「まことの姿」に暗いからだと仏教は教えます。 
わたしのありのままの姿は無数のおかげさまに生かされている姿です。ところが、私たちは無明の故にそのありのままそのままに目もくれず、私が私がと自分の力で生きている気になっています。それが「身贔屓」だと、それを迷いの人生だとお教え下さるんですね。  
ところが、教えていただいても、教えていただいても、私たちは身贔屓から離れることが出来ません。「そりゃ、私も身贔屓かもしれないけど、あの人のほうがもっと」と・・そんな世界から逃れることが出来ません。  
こんな私が身贔屓から離れることなどできるのだろうか? 私の仏教入門はそんな問いから始まりました。 
「生きるための一切の努力を忘れて眠りこけていた私なのに、目が覚めたら、生きていた」(東井義雄) 東井先生のお言葉をあげられて、米沢先生は次のようにお教え下さいます。「人間の”知恵”、自分のちっぽけなはからいを後生大事にして、一番肝心の、息が出ていることを有り難いとも思わない、そういう私を、そういう私というものを照らし出してくれるのが仏の”智慧”というものです。」 
●できる部下を贔屓して、何が悪いか
シンクロナイズドスイミング日本代表コーチを務めていた井村雅代さんは、指導していた子どもの親から「ほかの子ばかり贔屓している」とクレームがきたとき、次の言葉をのみ込んだそうです。
「うまい子どもが贔屓されるのはあたりまえ。悔しければ、贔屓されるくらいの子に育てなさい」
この話を聞いて、私は大いにうなずきました。職場も基本は同じで、優秀な部下が厚遇されるのは当然です。上司は全員を平等に処遇するのではなく、むしろ成果を出した部下がきちんと評価される環境づくりに心を砕くべきです。
できる人を厚遇するのは、給料だけに限りません。人材教育にかけるお金も、上位の人に集中させたほうがいい。下位の人を引き上げて全体の質を高めることを“底上げ”といいますが、実はこれはあまり効果が期待できません。たとえば新人にマナー研修で挨拶の仕方を教えても、先輩社員が「ドウモー」とやっていたら、それを真似てしまいます。教育は“屋根上げ”が基本。同じコストをかけるなら、まず上の人にお金を使い、そのお金をかけた人から、下に教育をさせるほうがいいのです。
では、ついてこれない部下は放置してもいいのか。たとえとして適切かわかりませんが、私は部下とお金のマネジメントはよく似ていると考えています。お金はそれを守り、上手に使い、貯めて、増やす人のところに集まるように、人も自分を守り、上手に使い、実績を積ませ、能力を増やしてくれる人(組織)のところに自然に集まります。ついてこられないからといって簡単にあきらめると、ほかの人も離れていきます。そこは十分なケアが必要です。
ただし、飼い殺しにならないように注意してください。部下の成績がふるわないのは、その仕事に適性がないからかもしれません。にもかかわらず「自分が面倒を見る」といって囲い込むのはよくない。一見部下思いに見えますが、脱落者を出すと自分の評価に傷がつくという上司側のエゴで言っているだけのケースも少なくない。飼い殺すより、活躍できる余地がある他の部署や会社に行ってもらったほうが本人のためです。
部下が不満を感じるのは、処遇の差より、機会の差でしょう。結果で差がつくのは仕方ないが、実力を発揮するチャンスは平等に与えてほしいというわけです。
たしかに2・6・2の、下の2の人には、最後通牒を送る前にチャンスを与えるべきです。また真ん中の人にも、上位に上がれるチャンスを与える仕組みは必要です。このとき意識してほしいのは透明感です。上司の気分しだいでチャンスの中身が変わったり、上に上がるための基準が変わると、不公平感につながってしまいます。
チームとして成果を出そうとすれば、適材適所で、それぞれの強みが活きるように仕事をふっていく必要があります。その結果として、優秀な部下ほど重要な案件を手がけることになるのは仕方がない。実績のなかなか上がらない部下にもチャンスを与えて成長を促しつつ、チームとして最高の成果が出せるように仕事をうまく割り当てていく。矛盾する二つの課題をバランスよくコントロールしていくのが上司の役目です。
適材適所で仕事を与えるときには、「WHAT」と「WHY」の説明が大切です。何をやってもらいたいのか。それはなぜ必要か。部下にそれらを伝えて、自分で「やってみよう」と決断させると、納得して仕事をするはずです。
いろいろ工夫をしても、不公平だと文句を言う部下が出てくるかもしれません。やるべきことをやっているならば、そうした声を気にする必要はありません。上司が意識の低い部下と一緒に地を這っていたら、チームは機能しない。上司は高い意識を持ってマネジメントにあたるべきです。
極論すれば、贔屓して部下に嫌われてもいいのです。重要なのは、贔屓の裏側に正しさがあるかどうかです。能力や結果でなく好き嫌いで部下を選り好みしたり、自分の手柄のために部下の扱いに差をつけるのは、正しいといえません。部下のため、あるいはチームのために贔屓していると胸を張って言えるかどうか。そこにブレがなければ、いずれ部下もわかってくれるのではないでしょうか。 
 
 
●完膚なきまでに叩きのめす
敵のことをこてんぱんに打ち負かすこと。
類語 / 完膚なきまでに打ち砕く ・ 完膚なきまでに叩きのめす ・ 徹底的に打ち砕く ・ 徹底的に叩きのめす ・ 二度と立ち上がれないまでに打ち砕く ・ 二度と立ち上がれないまでに叩きのめす
「完膚」とは、傷のない完全な皮膚のこと。無傷なところが無いほど徹底的にやり込められるさまをいう。唐の王朝に反乱を起こした蒋鎮が同僚の劉廼を自分の味方にしようとしたが、口がきけないふりを装って返答しなかった劉廼に、蒋鎮は全身に灸をすえて皮膚を焼いてやけどを負わせたという故事に基づく。 
●安倍官邸を完膚なきまで叩きのめした! 2018/4
「林芳正文科相の通う店は、表向きヨガスタジオなのだが、じつはセクシーなサービスを行っているらしい」(週刊誌記者)。分析力に定評がある「リテラ」が林文科相のセックス・スキャンダルに絡み安倍官邸を痛烈に批判した。完膚なきまで叩きのめした。痛快である。
しかも、林文科相はこの店に公用車で乗り付けたという話も出ており、これが事実ならば、国民の税金を“風俗”通いに使っていたことになる。信じがたい話だ。
そして、ここで思い返されるのは、無論、前川喜平・前文部科学事務次官の“出会い系バー”通いの際に飛び出した、個人攻撃の数々だ。
そもそも、前川氏が通っていたとされる出会い系バーでは、林文科相が通ったとされる店とは違い、セクシーなサービスなどは受けることなどできない。さらに、読売新聞をはじめ、「週刊文春」「週刊新潮」などの数々の週刊誌が取材したものの、前川氏が買春をしたといった情報は得られず、むしろ「前川さんに救われた」という証言が出てきてしまう始末だった。
だが、安倍官邸はここぞとばかりに前川氏の人格攻撃を開始。たとえば、菅義偉官房長官はこう言い切っていた。「常識的に言って教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りして小遣いを渡すようなことは、到底考えられない」 「前川氏は当初は責任者として自ら辞める意向をまったく示さず、地位にレンメン(編集部注・おそらく「恋々」の間違い)としがみついていた。その後、天下り問題に対する世論の極めて厳しい批判に晒されて、最終的に辞任した人物」
言わずもがな、加計学園の獣医学部新設をめぐって「総理のご意向」文書の存在を実名告発しようとしていた前川氏に対し、それを潰そうと、違法事実もない出会い系バー通いを読売新聞にリークして記事を書かせたのは安倍官邸だ。
そして、すでに一般人となっていた前川氏を「教育行政の最高の責任者として到底考えられない」と激しく糾弾したのだ。
それは安倍首相も同様だ。昨年6月5日の決算行政監視委員会では、現・希望の党の今井雅人議員が出会い系バー通い報道後の官邸の対応に疑義を呈した際、菅官房長官はまたも「青少年の健全育成だとか、あるいは教職員の監督に携わる教職員の事務方の最高責任者ですよ。その責任者の人が売春、援助交際の温床となりかねないと指摘されている店に頻繁に通って、そして女性を外に引き出してお小遣いまで渡して、本人まで言っていらっしゃるんですから、ですから、私は、違和感を感じるということを申し上げたんです」と抗弁。
再び“地位に恋々としがみついていた”という話を繰り返したのだが、このとき、今井議員が「前川事務次官は、自分はそうじゃないとおっしゃっています」と反論すると、安倍首相はこんなヤジを飛ばしたのだ。
「嘘だよ!」
恥も外聞もないとはこのことだが、このヤジが象徴的なように、いかに安倍首相をはじめとする安倍官邸が、出会い系バー通いによって前川氏を貶め、加計疑惑を“前川疑惑”にすり替えようと必死だったかがよくわかるだろう。何度も繰り返すが、違法性もない出会い系バー通いで、一般人となっていた前川氏はここまで攻撃されたのだ。
対して、今回、「週刊文春」によって暴かれる事実は、“現職の教育行政トップである文科大臣が、国会開会中にセクシーなサービスが受けられる店に公用車で通っていた”という疑惑だ。
菅官房長官の言葉を借りれば、「常識的に言って到底考えられない」行為であり、即刻辞任しかないが、はたしてどういった処分をおこなうのか。しっかり見せていただこうではないか。 
 
 
●長い物には巻かれろ
目上の者や勢力の強い相手とは争わないで、それに従った方が得策だという意。
強い権力を持つ者や、強大な勢力を持つ者には、敵対せず傘下に入って従っておいたほうがよい、といった処世術を表す言い回し。  
●長いものに巻かれる人
「長いものに巻かれる」の意味
長いものには巻かれろという諺を聞いたことはありませんか。この諺には、自分よりも目上の人間の言うことや強い権力を持った相手には従った方が良いという意味があります。マイナスなイメージを持って、長いものに巻かれるという言葉を使っている人を見かけますが、学校や会社に限らず生きていく上で必要なことだと言えるでしょう。
おそらく、多くの人が長いものに巻かれるという言葉自体を使わなくても、日常生活の中でこの言葉が意味するような言動をとって生活しているのではないでしょうか。
例えば、社会人になり会社に入社することになれば必ず上司がいて、指示に従って仕事に取り組むことになります。そんな時に、長いものに巻かれるの精神で仕事に取り組もう。と自分に言い聞かせたり、友人にアドバイスするように使うことができます。
「長いものに巻かれる」の由来について
多くの言葉や諺には由来があります。言葉の語源や由来を調べていくと、物事から派生して言葉になっていることがあります。長いものには巻かれろという諺の由来が気になりませんか。目上の人や権力を持った相手には従った方が良いという意味で使われていますが、一説では中国のある伝説が由来になっているというものがあります。
確かにこの中国の伝説では、自分よりも大きな象の鼻という長いものに巻かれたまま、抵抗をせずにいることで得をしている話になっています。しかし、中国の伝説に関する情報源は少なく推測の域を出ません。
「猟師は大きな像に捕まり、長い鼻に巻きつかれてしまいました。 しかし、抵抗せずに巻かれたまま大人しく象に運ばれていきます。 そこに一匹の獅子が現れました。 猟師は持っていた弓矢で獅子を射貫きました。 獅子に襲われずに済んだ像は猟師を鼻に巻いたまま 自分たちの墓地まで連れて行ってくれました。 そこには貴重な象牙がたくさんあったので猟師は大儲けしました。」
○ 歴史と辞典
明治43年出版の「諺語大辞典」の「長い物には巻かれよ」の項目内に「長きには巻かれよ、太きには呑まれよとも言う」と書かれています。元々は繋がった1つの諺だった可能性もあります。中国の伝説が由来になっている可能性もありますが、「長きには巻かれよ、太きには呑まれよ」という1つの諺だった場合、自分よりも長く大きなものの存在を想像することができます。
昔は今よりも争いが生まれ、国同士で領土の奪い合いなどが起きていました。その時代背景を考えると、小国は大国には敵わないのだから、歯向かうよりも従った方が生き延びられるという現実的な日常から生まれた言葉だった可能性もあります。
今、私たちが自然に使っている言葉は長いものに巻かれるに限らず、長い歴史があり時代に合わせた変化をしていくことが分かります。語源や由来を調べて、言葉が持っていた本来の意味や使い方に対する知識を深めてみるのはいかがでしょうか。
長いものに巻かれる人の特徴
言葉の意味や使い方は時代に合わせて変わっていくものですが、長いものに巻かれるという言葉は本来、人によって態度をコロコロ変える人、自分よりも下の立場の人に対して偉そうにするという意味ではありません。では、長いものに巻かれる人とは、どういう人のことを言うのでしょうか。
○ タイプ
長いものに巻かれる人というのは、目上の人に対して従順で、周りの意見に合わせるような協調性を持っています。集団行動をすることが得意な人です。協調性というものは、職場での人間関係を良好に築いていくことができる要素の1つと言えます。同じような意味で、空気が読める人という言い方もできます。長いものに巻かれる人は、相手の意見を尊重し人間関係を円滑にしたいという気持ちが強い人だと言えるでしょう。
○ 目立つことはあまりしない
人間関係を円滑にしたいという思いから、協調性を重視することは集団行動においてとても大切なことです。そして、長いものに巻かれる人は、自分が目立つようなことはあまりしない傾向があります。チームワークを重視する仕事で活かすことができる特徴なのではないでしょうか。
長いものに巻かれるのが嫌いな人とは?
長いものに巻かれる人というのは協調性があり、人間関係を良好に築ける人です。では、長いものに巻かれるのが嫌いということは、協調性がないのかと言うとそうではありません。
○ 苦手
長いものに巻かれるのが嫌いな人は、集団行動が苦手です。他人の意見に合わせることに疲れたり、ストレスを感じてしまうタイプです。自分の意見や行動が制限される場所よりも、自由な場所や対人関係を望んでいる人が多いでしょう。
○ 自分の意見・価値観を大切にしている
長いものに巻かれるのが嫌いな人は、自分の意見を持つことを大切にしている人です。それは個性を大切にしているということに繋がっていきます。周りの人たちに自分の意見や価値観を正確に伝えることで、より洗練された意見や、話し合いの場を設けることができる人だと言えるのではないでしょうか。個性を大切にしていなければ、他人を大切にすることもできません。
○ みんなとは違うことがしたい
長いものに巻かれるように周りに合わせて行動するだけよりも、目立つような意見や行動を好む人が多いです。例えば、会社に入社するだけが社会人ではありませんが、それでも多くの人が就職していきます。それに対して疑問を持ち、起業という道を選ぶ人は長いものに巻かれることを嫌った人と言えるのではないでしょうか。また、自由な意見や発想が求められるような場で活かすことができる特徴です。
「長いものに巻かれる」日本人と外国人
目上の人に従って行動をするというのは、円滑に仕事をする上で当たり前にしていることです。外国人もそれは同じでしょう。では、日本と外国の長いものに巻かれる人に違いはあるのでしょうか。
○ 日本人の場合
日本人は多くの場合、上司に言われたことに疑問を持ったり自分の意見と違ったとしても、それを言わずに上司の言うことに従うことが多いです。それは傍から見ると、自分の意見や考えを持っていない人間に見えてしまいます。与えられた仕事と、求められていることを忠実に果たそうとするのが日本人と言えるでしょう。
○ 外国人の場合
外国人も日本人と同じように上司の言うことにはもちろん従います。しかし、言われたことに対して疑問に思ったことは、素直に聞いて納得してから行動に移ります。そして、もっとこうした方が良いのではないか、という自分の意見があれば遠慮なく上司に伝えて意見を交換します。
長いものに巻かれることが多い日本人
日本人は子供の頃から周りに合わせて、協調性を育てるような教育を受けています。例えば、学校では何かを決める際に生徒の意見が分かれた場合は、多数決を使って意見を1つにして話を進ませることがあります。自分の意見よりも多数意見に従い行動する、ということを意識しないうちに子供の頃から求められています。
一方、海外では意見の対立は好ましいこととして受け入れられています。対立した意見同士で話し合いをした結果、より良い意見が出てくることに期待します。これは、日本人は議論ができないと言われる理由の1つでもあります。日本の教育は決して悪い教育というわけではありませんが、そうしたことも関係していて、日本人は長いものに巻かれる人が多いのではないでしょうか。
○ 空気を読むということ
日本の文化には空気を読む、というものがあります。これは協調性や思いやりと並んだ1つの文化です。日本で生まれ育った人であれば感覚的に理解していることでも、外国人が聞いたらどういうことか理解しづらい言葉、文化でしょう。空気を読むとは周りに合わせた発言、行動をするということです。目上の人に従い、周りの人と意見を合わせるということは、空気を読んだ行動をしているということになるのではないでしょうか。
○ 国民性が関係している
長いものに巻かれることが多い日本人ですが、それは国民性も関係しています。例えば、災害時に配給をもらう時や、物を購入する時に日本人は綺麗な列を作り順番を守ります。これはニュースになり世界の各メディアによって、日本人は災害時でも礼儀正しいと報じられました。
これは、輪を乱さない集団行動が得意な日本人だからできることだと言えます。他人を尊重しながら物事が円滑に進む方法をそれぞれが考えて行動する。これは日本人には長いものに巻かれることで、物事が円滑に進むことが分かっている人が多いということになるのではないでしょうか。
自分の意見を持つことと長いものに巻かれること
長いものに巻かれる人というのは決して、自分の意見がないわけではありません。周りに流され意見をコロコロ変えているだけの人を指して、長いものに巻かれるのは良くないと捉えていた人も多いのではないでしょうか。しかし、自分よりも目上の人や権力を持った人というのは、社会の中で自分にはない経験や知識を持っているということになります。
そういった目上の人に対して尊敬の念を抱きながら、吸収できることはないだろうかと従順に意見を聞くことは悪いことではないでしょう。他人を尊重することと同じように、自分の意見や自分らしさを大切にして生きていくことで、自分を成長させることに繋がるのではないでしょうか。 
 
 
 
勧進帳
毛越寺
 
 
 
 


2018/8