達成感 「本望」 考

古い言葉か 「本望」

「やったー」
目的 目標
追い求める 遣り遂げる
達成感

価値観 自分の世界 
 


古書に見る「本望」考吉川英治芥川竜之介泉鏡花中里介山岡本綺堂豊島与志雄夏目漱石三遊亭円朝坂口安吾岡本かの子三好十郎海野十三太宰治菊池寛戸坂潤国枝史郎長谷川時雨小酒井不木夢野久作織田作之助林不忘平田晋策直木三十五伊藤左千夫倉田百三斎藤茂吉浅野和三郎黒岩涙香河口慧海楠山正雄邦枝完二江戸川乱歩オルコットルイーザメイ森田草平加藤文太郎ダビットヤーコプユリウス佐藤垢石本庄陸男牧逸馬矢田津世子小栗虫太郎横光利一三上於菟吉宮崎湖処子村井弦斎近松門左衛門シェリーメアリーウォルストンクラフト牧野富太郎正岡容南方熊楠徳冨蘆花小林多喜二宮本百合子柳田国男久生十蘭幸田露伴尾崎紅葉森鴎外萩原朔太郎室生犀星島崎藤村作者不詳
 
会社のトップになる
興味なし 無理な話
業界のトップ企業になる
業界の一分野で達成
業界トップの製品商品を創る
自社の土俵づくり 制す
アイデアを形にする
形にしてくれた 工場 技術者 職人さんあったればこそ
夢を追い続ける
追い続け過ぎました
楽しい家庭家族
家内 娘 猫
人の輪 人の絆
商売を離れ 地元地域の人付き合い
苦しまずにポックリ逝く
焼き加減はウェルダン 跡形を残さない

 
2017/4
 
 
 
 
古書に見る  「本望」 考               本望
 
吉川英治
「私本太平記」
「直義の疑いが、馬鹿げていたら、本望ですが」
・・・しかし悔いはしない。卯木もそれが本望といっていたのだから。
・・・たとえ幕府の犬よとよばれ、ふた股者と罵しられても、それで、世を平和に返し、民の塗炭が救えるものなら、この老骨の往生に、本望この上もありません
・・・「……わしは果てる。本望と思って死ぬ。あとをたのむ」
・・・眠っているまが人間の本望を充たしている最良の時でもあるかのように。
・・・「そこまでのお腹をうかがえばわれら死んでも本望です」
・・・「本望を遂げまいた」と、円心は言った。この円心も、いぜんは宮方であったが、例の建武恩賞のさい、余りにもひどい冷遇に怒って、いらい国元の播州にひき籠っていた者であった。
・・・しょせん幕府と共に末路をいさぎよくなさるほかないお立場でもあり、それがそのお人の弓矢の大道であるならさぞ御本望であったろう。
・・・「ぜひもない! その時はその時よ。大義のため、義貞もここに果つるなら、それも本望。何を恐れようや」
・・・「本望です。して、お手勢は」
「鳴門秘帖」
「しかし、お目にかかればもう本望でござる。世阿弥殿、一言ひとことお告げいたしたいことがある」
・・・目ざして上る時よりも、いっそうなまっしぐらで、剣山をのがれ出なければならない。死んではならない! 弦之丞様を死なしてはならない! そして父の世阿弥とその人を、義理あるお千絵に渡してやることを自分の本望としなければならない、それを、無上として歓ぶのが人間だよ、愛だよ!
・・・わたしはあなたとこの国に死んでこそ幸福です。本望です。なんであなたを残して帰る江戸表にうれしい微笑ほほえみが待っていましょう。
・・・いや、それでは、お千絵殿をはじめ、他の者も、第一この鴻山にしても、自身の本望はとげたにしても寝ざめのよくない心地がする。
・・・多少、江戸表にも、心のひかれることがない身ではござらぬが、果てしのない凡情の延長へ辿ってゆくより、むしろこのまま帰府を断念して、元の虚無僧、一管の竹笛に余生を任して旅に終るほうが、自由で本望に思われます。
・・・それさえかなえて下されば、わ、わたしは、自分があなたと暮らす身になったのと同じように、うれしいと思います! ……本望です! ……江戸の女の負け惜しみではございませぬ、心の底から、蔭にいても、おふたりのお幸せを祈っています
「三国志」
茶は、故郷に待っている母の土産なので、頒つことはできませんが、剣は、あなたのような義胆の豪傑に持っていただけば、むしろ剣そのものも本望でしょうから」と、再び、張飛の手へ授けて云った。
・・・それは、いつもの寄手が弱いからだ。きょうは、われわれの義軍が先に立って進路を斬りひらく、武夫たる者は、戦場で死ぬのは、本望ではないか。死ねや、死ねや」と、督戦に声をからした。
・・・君は戦国の奸雄だ。と、予言されて、むしろ本望なりとかつてみずから祝した驕慢児も、今は、絶体絶命とはなった。
・・・「大丈夫たるもの、戦場で死ぬのは本望だ。物陰にかくれて流れ矢になどあたったらよい物笑い。なんぞ、この期ごに、生きるを望まん」と、叫んだ。
・・・生を国土にうけ、生を国恩に報ぜんとは、臣が日頃から抱いていた志です。今日、選ばれて、殿階の下に召され、大命を拝受するとは、本望これに越したことはありません。
・・・「日頃、大恩をこうむりながら、むなしく中軍におるは本望ではありません。かかる折こそ、将軍の高恩にこたえ、二つには顔良を打った関羽と称する者の実否をたしかめてみたいと思います。どうか私も、先陣に出していただきたい」と、嘆願した。
・・・本望である。将軍がそう感じてくれれば、それで本望というもの。別れたあとの心地も潔よい。……おお、張遼、あれを」と、彼はうしろを顧みて、かねて用意させてきた路用の金銀を、餞別として、関羽に贈った。が関羽は、容易にうけとらなかった。
・・・周倉は本望をとげて、山また山の道を、身を粉にして先に立ち、車を推しすすめて行った。
・・・「生きては袁氏の臣、死しては袁氏の鬼たらんこそ、自分の本望である。阿諛軽薄の辛毘ごときと同視されるさえけがらわしい。すみやかに斬れッ」
・・・「きのうは、心にもない無心をした。あの名馬は、ご辺に返そう。城中の厩に置かれるよりは、君の如き雄材に、常に愛用されていたほうが、馬もきっと本望だろうから」
・・・もしあなたが志をひるがえして、わが劉皇叔に仕官されるなら、父母は地下において、どんなにご本望に思われるか知れますまい。しかも、そのことはまた、忠の根本とも合致するでしょう。
・・・「国祖孫堅将軍以来、重恩をこうむって、いま三代の君に仕え奉るこの老骨。国の為とあれば、たとい肝脳地に塗るとも、恨みはない。いや本望至極でござる」
・・・大丈夫たる者が、国を出てきたからには屍を馬の革につつんで本国に帰るこそ本望なのだ。これしきの負傷に、無用な気づかいはしてくれるな」と、云い放ち、遂に帳外へ躍り出してしまった。
・・・張飛も趙雲も、おのおの一かどの働きをして実にうらやましく思います。せめて関羽にも、長沙を攻略せよとの恩命があらば、どんなに武人として本望か知れませんが
「わが君が、一日も早く、九州のことごとくを統すべ治めて、呉の帝業を万代にし給い、そのとき安車蒲輪をもって、それがしをお迎え下されたら、魯粛の本望も初めて成れりというものでしょう」
・・・何ぞわれら武門、いささかの功に安んじて、今、田宅を求めましょうか。天下の事ことごとく定まる後、初めて郷土に一炉を持ち、百姓とともに耕すこそ身の楽しみ、また本望でなければなりません
・・・「ありがとうございまする」と両手にふたりの襟がみをつかんで、関羽の霊前まで引きずって行き、首を斬ってそこに供えた。本望をとげた彼のよろこびに引き代えて、張苞は、ひとりしおれていた。
・・・「もちろんです。朱褒の首を引っさげて身のあかしを立て、しかる後に、正当なご処分をうけるものなら死んでも本望です」
「宮本武蔵」
「御修行者、お断りまでもないことを仰せられる。杖じょうを習まなび出してからもう十年。それでもなお、年下のあなたに負けるような伜であったら、武道に思いを断つがよい。その武道に望みを断っては、生きるかいもないといいやる。さすれば、打たれて死んだとて当人も本望である。この母も、恨みにはぞんじませぬ」
「雲霧閻魔帳」
「お心がございましたら、一文でも二文でも、地蔵堂の建立に御寄進ねがいます。私の死ぬまでに、それがどこかの紫雲英の原に、小な一宇の愛の御堂となれば、私は、その原の白骨となって御守護いたします。はい、一人でも二人でも、世の親御様たちに、私の心が届けば、それで本望なのでございます」
「べんがら炬燵」
意外だったのは、ここへ着いて、おとといからの泥装束を脱いでいる混雑のなかへ、五十四万石の大身である越中守が、自身、無造作にやってきて、「この度は、さだめし、本望なことであろうの」と、ねぎらわれたことだった。  
 
芥川竜之介
「古千屋」
「これで塙団右衛門も定めし本望ほんもうでございましょう。」
・・・古千屋はこの話を耳にすると、「本望、本望」と声をあげ、しばらく微笑を浮かべていた。それからいかにも疲れはてたように深い眠りに沈んで行った。井伊の陣屋の男女たちはやっと安堵の思いをした。実際古千屋の男のように太い声に罵り立てるのは気味の悪いものだったのに違いなかった。
「或日の大石内蔵助」
「引き上げの朝、彼奴に遇あった時には、唾を吐きかけても飽き足らぬと思いました。何しろのめのめと我々の前へ面をさらした上に、御本望を遂げられ、大慶の至りなどと云うのですからな。」
「秋山図」
しかしわざわざ尋ねて来ながら、刺しも通ぜずに帰るのは、もちろん本望ではありません。そこで取次ぎに出て来た小厮に、ともかくも黄一峯の秋山図を拝見したいという、遠来の意を伝えた後のち、思白先生が書いてくれた紹介状を渡しました。
「白」
勿論お嬢さんや坊ちゃんはあしたにもわたしの姿を見ると、きっとまた野良犬と思うでしょう。ことによれば坊ちゃんのバットに打ち殺されてしまうかも知れません。しかしそれでも本望です。お月様! お月様! わたしは御主人の顔を見るほかに、何も願うことはありません。
「玄鶴山房」
門を出る時には大抵彼のことを忘れていた。尤も彼の故朋輩だけは例外だったのに違いなかった。「あの爺さんも本望だったろう。若い妾も持っていれば、小金もためていたんだから。」彼等は誰も同じようにこんなことばかり話し合っていた。
「開化の良人」
私がもう一度、『じゃ君は彼等のように、明治の世の中を神代の昔に返そうと云う子供じみた夢のために、二つとない命を捨てても惜しくないと思うのか。』と、笑いながら反問しましたが、彼はやはり真面目な調子で、『たとい子供じみた夢にしても、信ずる所に殉ずるのだから、僕はそれで本望だ。』と、思い切ったように答えました。
「偸盗」
自分が、どのくらい自分の不義を憎んでいるか、どのくらい兄に同情しているか、それだけは、察していてもらいたい。その上でならば、どんな死にざまをするにしても、兄の手にかかれば、本望だ。いや、むしろ、このごろの苦しみよりは、一思いに死んだほうが、どのくらいしあわせだかわからない。
・・・それを、おぬしは、何かにつけて、わしを畜生じゃなどと言う。このおやじがおぬしは、それほど憎いのか。憎ければ、いっそ殺すがよい。今ここで、殺すがよい。おぬしに殺されれば、わしも本望じゃ。
「竜」
これには恵印も当惑して、嚇すやら、賺すやら、いろいろ手を尽して桜井へ帰って貰おうと致しましたが、叔母は、『わしもこの年じゃで、竜王の御姿をたった一目拝みさえすれば、もう往生しても本望じゃ。』と、剛情にも腰を据えて、甥の申す事などには耳を借そうとも致しません。
「俊寛」
いや、怒られれば本望じゃ。が、少将はおれの顔を見ると、悲しそうに首を振りながら、あなたには何もおわかりにならない、あなたは仕合せな方ですと云うた。
・・・おれが少将に怒られたのは、跡にも先にもあの時だけじゃ。少将はおれが慰めてやると、急に恐しい顔をしながら、嘘をおつきなさい。わたしはあなたに慰められるよりも、笑われる方が本望ですと云うた。
「路上」
「いえ、そこまで行ってくれれば本望なんですが――どうせ我々の書く物なんぞが、売れる筈はありゃしません。何しろ人道主義と自然主義と以外に、芸術はないように思っている世間なんですから。」
「或敵打の話」
宿を定めると、翌日からすぐに例のごとく、敵の所在を窺い始めた。するとそろそろ秋が立つ頃になって、やはり松平家の侍に不伝流の指南をしている、恩地小左衛門と云う侍の屋敷に、兵衛らしい侍のかくまわれている事が明かになった。二人は今度こそ本望が達せられると思った。
・・・名医の薬を飲むようになってもやはり甚太夫の病は癒らなかった。喜三郎は看病の傍、ひたすら諸々の仏神に甚太夫の快方を祈願した。病人も夜長の枕元に薬を煮にる煙を嗅かぎながら、多年の本望を遂げるまでは、どうかして生きていたいと念じていた。
「疑惑」
「いえ、ただ、御聞きになってさえ下されば、それでもう私には本望すぎるくらいでございます。」
「報恩記」
「まりや」様! この一策を御教え下すったのは、あなたの御恵みに違いありません。ただわたしの体を捨てる、吐血の病に衰え果てた、骨と皮ばかりの体を捨てる、それだけの覚悟をしさえすれば、わたしの本望は遂げられるのです。わたしはその夜嬉しさの余り、いつまでも独り笑いながら、同じ言葉を繰返していました。
「邪宗門」
予を殺害した暁には、その方どもはことごとく検非違使の目にかかり次第、極刑に行わるべき奴ばらじゃ。元よりそれも少納言殿の御内のものなら、己が忠義に捨つる命じゃによって、定めて本望に相違はあるまい。が、さもないものがこの中にあって、わずかばかりの金銀が欲しさに、予が身を白刃に向けるとすれば、そやつは二つとない大事な命を、その褒美と換えようず阿呆ものじゃ。  
 
泉鏡花
「印度更紗」
此が、哥太寛と云ふ、此家の主人たち夫婦の秘蔵娘で、今年十八に成る、哥鬱賢と云うてね、島第一の美しい人のものに成つたの。和蘭陀の公子は本望でせう……実は其が望みだつたらしいから
「二世の契」
「大事ない/\、袷ぢやけれどの、濡た上衣よりは増でござろわいの、主も分ある、麗やかな娘のぢやで、お前様に殆ど可わ、其主もまたの、お前様のやうな、少い綺麗な人と寝たら本望ぢやろ、はゝはゝはゝ。」
「菎蒻本」
こうして可愛がって下さいますなら、私ゃ死んでも本望です――とこれで見るくらいまた、白露のその美しさと云ってはない。が、いかな事にも、心を鬼に、爪を鷲に、狼の牙を噛鳴らしても、森で丑の時参詣りなればまだしも、あらたかな拝殿で、巫女の美女を虐殺しにするようで、笑靨に指も触れないで、冷汗を流しました。
「錦染滝白糸」
御修業中の欣さんに心配を掛けてはならないと何にも言わずにいたんです。窶れた顔を見て下さい。お友、可哀想に、ふびんな、とたった一言。貴女がおっしゃって下さいまし。お位牌を抱けば本望です。(もとへ直す)手も清めないで、失礼な、堪忍して下さいまし。心が乱れて不可ません。
「山吹」
ただ一度ありましたわね――お覚えはありますまい。酔っていらしって、手をお添えになりました。この手に――もう一度、今生の思出に、もう一度。本望です。(草に手をつく)貴方、おなごり惜しゅう存じます。
「雪柳」
「や、あなたは庭下駄を穿いていますね。」 吃驚して私が云った。「いっそ脱ぎましょうか。」「跣足になる……」「ええ。」「覚悟はいいんですか。」「本望ですわ。」「一本松へ着いてから。」「ええ一本松へついてから。」「一緒に草葉の蛍を見ましょう。」「是非どうぞ。」「そこまでは脱がせません、玉散る刃を抜く時に。」
「唄立山心中一曲」
若奥様は折敷いたままで、「不可ません――お道さん。」「いいえ、本望でございます。」「私が肯ません。」と若奥様が頭を掉ります。
「怨霊借用」
一晩、極楽天上の夢を見たでござりますで。一つ部屋で、お傍にでも居ましたら、もう、それだけで、生命も惜しゅうはござりますまい。まして、人間のしいなでも、そこは血気の若い奴でござります。死ぬのは本望でござりましたろうが、もし、それや、これやで、釜ヶ淵へ押っぱまったでござりますよ。
「天守物語」
(急つつ)お情余る、お言葉ながら、活きようとて、討手の奴儕、決して活かしておきません。早くお手に掛け下さいまし。貴女に生命を取らるれば、もうこの上のない本望、彼等に討たるるのは口惜しい。(夫人の膝に手を掛く)さ、生命を、生命を――こう云う中にも取詰めて参ります。
・・・「やあ、何のために貴女が、美しい姫の、この世にながらえておわすを土産に、冥土へ行くのでございます。」「いいえ、私も本望でございます、貴方のお手にかかるのが。」「真実のお声か、姫君。」「ええ何の。そうおっしゃる、お顔が見たい、ただ一目。千歳百歳にただ一度、たった一度の恋だのに。」
「悪獣篇」
もう私は、こんな身体、見るのも厭でなりません。ぶつぶつ切って刻んでも棄たいように思うんですもの、ちっとも残り惜いことはないのですが、慾には、この上の願いには、これが、何か、義理とか意気とか申すので死ぬんなら、本望でございますのに、活ながら畜生道とはどうした因果なんでございましょうねえ。
「瓜の涙」
真赤な蛇が居ようも知れぬ。 が、渠の身に取っては、食に尽きて倒るるより、自然でに死ぬなら、蛇に巻かれたのが本望であったかも知れぬ。
「海神別荘」
「馬に騎のった女は、殺されても恋が叶い、思いが届いて、さぞ本望であろうがね。」「袖に氷を結びけり。涙などと、歎き悲しんだようにござります。」「それは、その引廻しを見る、見物の心ではないのか。私には分らん。(頭を掉る。)博士、まだ他に例があるのですか。」
「貝の穴に河童の居る事」
うってがえしに、あの、ご覧じ、石段下を一杯に倒れた血みどろの大魚を、雲の中から、ずどどどど!だしぬけに、あの三人の座敷へ投込んで頂きたいでしゅ。気絶しようが、のめろうが、鼻かけ、歯ッかけ、大きな賽の目の出次第が、本望でしゅ。
「紅玉」
「遣ってみよう、俺を入れろ。」「やあ、兄さん、入るかい。」「俺が入る、待て、(画を取って大樹の幹によせかく)さあ、可か。」「目を塞ふさいでいるんだぜ。」「可し、この世間を、酔って踊りゃ本望だ。」「青山、葉山、羽黒の権現さん」
「式部小路」
「へ、何、そりゃ、そんな事はわけなしでさ。熟っと大人しくしている時が堪らねえんで。火でも水でも、ドンと来た時はおもしれえんで。へ、何、わけなしでさ。殊にお嬢さん許の灰になりゃ、私わっしあ本望だったんです。」と、思わず拳を握ったのである。お夏は黙って瞻まもった。
「ピストルの使い方」
「怪我ぐらいはするだろうよ。知己でもない君のような別嬪と、こんな処で対向いで話をするようなまわり合せじゃあ。……」「まあ、とんだ御迷惑ね。」「いや覚悟をしている。本望だよ。」「嬉しい事、そんなにおっしゃって下さるんですもの、私かって、お宿までもついて送って行くわ。途中で怪我なんかさせませんわ。生命に掛けても。」
「小春の狐」
「旦那さん、早く、あなた、ここへ、ここへ。」「や、先刻見た、かっぱだね。かっぱ占地茸……」「一つですから、一本占地茸とも言いますの。」 まず、枯松葉を笊に敷いて、根をソッと抜いて据えたのである。続いて、霜こしの黄茸を見つけた――その時の歓喜を思え。――真打だ。本望だ。
「夜行巡査」
「なあ、お香、さぞおれがことを無慈悲なやつと怨んでいよう。吾(おりゃ)おまえに怨まれるのが本望だ。いくらでも怨んでくれ。どうせ、おれもこう因業じゃ、いい死に様もしやアしまいが、何、そりゃもとより覚悟の前だ」
「卵塔場の天女」
贅沢な事を云って、親を怨むな、世間を呪うな!…とは言うが、きみの身の上は気の毒だと思う。けれども考えて見るが可い、…きみは北海道の川端か、身投げをしようとするのに、小児を負ったり抱いたりしたろう。親子もろともならある意味で本望だ。母さんはそうじゃあない、もう助からない覚悟をして、うまれたばかり、一度か二度か、乳を頬辺たに当てたばかりの嬰児を、見ず知らずの他人の手に渡すんだぜ。
「草迷宮」
爺殿と二人きりで、雨のさみしさ、行燈の薄寒さに、心細う、果敢いにつけまして、小児衆を欲しがるお方の、お心を察しますで、のう、子産石も一つ一つ、信心して進じます。長い月日の事でござりますから、里の人達は私等が事を、人に子だねを進ぜるで、二人が実を持たぬのじゃ、と云いますがの、今ではそれさえ本望で、せめてもの心ゆかしでござりますよ。
「春昼」
否、結構ですとも。恋で死ぬ、本望です。この太平の世に生れて、戦場で討死をする機会がなけりゃ、おなじ畳の上で死ぬものを、憧れじにが洒落ています。華族の金満家へ生れて出て、恋煩いで死ぬ、このくらいありがたい事はありますまい。恋は叶う方が可さそうなもんですが、そうすると愛別離苦です。
・・・後に、何も彼も打明けて私に言いなさった時の話では、しかしまたその間違いが縁になって、今度出会った時は、何んとなく両方で挨拶でもするようになりはせまいか。そうすれば、どんなにか嬉しかろう、本望じゃ、と思われたそうな。迷いと申すはおそろしい、情ないものでござる。世間大概の馬鹿も、これほどなことはないでございます。
「歌行灯」
また、あの巌に追上げられて、霜風の間々あいあいに、(こいし、こいし。)と泣くのでござんす。手足は凍って貝になっても、(こいし)と泣くのが本望な。巌の裂目を沖へ通って、海の果まで響いて欲しい。もう船も去ね、潮も来い。そのままで石になってしまいたいと思うほど、お客様、私は、
「南地心中」
お聞きやす、多一さん、美津さんは、一所に連れずと、一人活いておきたかった。貴方と二人、人は交ぜず、死ぬのが私は本望なが、まだこの上、貴方にも美津さんにも、済まん事や思うたによってな。
「活人形」
四辺を見廻しつ、泰助に眼を注て、「あれは誰方。泰助は近く寄りて、「探偵吏です。「ええ、と病人は力を得たる風情にて、「そうして御姓名は。「僕は倉瀬泰助。と名乗るを聞きて病人は嬉しげに倉瀬の手を握り、「貴下が、貴下があの名高い……倉瀬様さん。ああ嬉しや、私は本望が協なった。貴下に逢えば死しんでも可い。と握りたる手に力を籠めぬ。  
 
中里介山
「大菩薩峠」
不幸にして、お豊はあれから息を吹き返した、真三郎は永久に帰らない、死んだ真三郎は本望を遂げたが、生きたお豊は、その魂の置き場を失うた。これを以て見れば、大津の宿で机竜之助が、生命を粗末にする男女の者に、蔭ながら冷かな引導を渡して、「死にたいやつは勝手に死ね」と空嘯ぶいていたのが大きな道理になる。
・・・それからもう一つは、あのお松の爺父さんというのを切った奴、それを探してやりたいんで。こうなってみると、おたがいに意地でございますから、首尾よくあなた様が御本望をお遂げなさるまではお伴していたいのでございます
・・・「いつもながらそれは有難いお心、本望遂げた上で、また改めてお礼のできる折もありましょう」「いや、その時分には、私共はまたどこへ旅立ちしているかわかったものではございませんから、御本望をお遂げあそばしたとて、お礼なぞは決して望んではおりません。その代りに宇津木様、あなた様のお口から七兵衛という言葉を、一口もお出し下さらぬようにお願い申しておきたいんでございます」
・・・暗いところだからお互いに面付がわかるんじゃなし、わたしの方では、お前さんの小柄なのと、歩きつきのお上手なのに覚えがあるんだけれども、お前さんの方ではわたしがわかるまいと思って、その目印にこの紙を頭に附けたんだから、この紙をお前さんに取ってもらえば本望ほんもうというものだよ
・・・まあ、お角、一杯飲みな。俺があの野郎をあんな目に遭わせるから、俺は鬼か魔物みたようにお前の目に見えるか知れねえが、ずいぶんああしてやっていい筋があるんだ。あの野郎の生立おいたちから国を出るまでのことを残らず知ってるのが俺だ、俺にああされてあの野郎には文句が言えねえ筋があるんだ、俺にああされたから野郎は本望ぐれえに心得ていやがるだろう
・・・南条や五十嵐もかなり奇異なる武士であったけれど、この能登守も少しく変った役人と思わせられます。そのうち、この人に委細を打明けて、自分の本望を遂げる便宜を作ろうと兵馬は思いましたけれども、まだそれを打明ける機会は得ません。兵馬は能登守のことを思うと共に、それよりもまた因縁の奇妙なることは、曾つて自分がその病気を介抱してやったことのあるお君という女が、この邸に奉公していて
・・・二人が仕残した仕事といったところで、七兵衛は兵馬の消息を知りたいこと、それとお松とを取り出して安全の地に置きたいこと、その上で本望を遂げさせてやりたいこと、それら多少の善意を持った物好きがあるのだろうけれど、がんりきときては、何をいたずらをやり出すのだか知れたものではありません。
・・・和尚の言葉は、敵討そのものを嘲けるのではなくて、寧ろいつまでもこうして、本望を達することのできない自分の腑甲斐なさを嘲るために、こう言ったものだろうと思われるのです。
・・・すこしも早く本望を遂げた上は、兵馬に然るべき主取りをさせて、自分もその落着きを楽しみたい心が歴々と見えることもある。もしまた本望を遂げないで刀を捨てる時は、たとえ八百屋、小間物屋をはじめたからとて、お松はそれをいやという女でないことも思わせられてくる。
・・・危ねえと言ったって、こうなれば、疱瘡も麻疹も済んだようなものでございますから、生命にかかわるような真似は致しません。何しろ、まあ、これを御縁に江戸へ帰ったら落着きましょうよ、末長くあなた様の御家来になって忠義を尽して往生すれば、それが本望でございますよ、お江戸の土を踏んで、畳の上で往生ができればそれで思い残すことはありませんな。
・・・そのはずです、中にあった光は、高くあの六角燈籠の上へうつされているのですもの。その光をうつさんがためにこうして、トボトボと十町余りの山道を杖にすがってやって来たのですから、今はその亡骸を提げて再び山へ戻るのが、まさにその本望でなければなりません。
・・・「もし、あなた、罪のない人を殺してはいけません、わたしを殺して下さいまし、わたしが悪いのですから、わたしだけを殺して、ほかの人を助けて下さいまし、わたしはお前さんに殺されれば本望でございます」
・・・果して易々やすやすとその要求するだけの金が手に入ったならば、自分の今の苦痛はたちどころに解放される。解放されるのは自分だけではない、苦界に沈む女の身が一人救われる。そうして、金にあかして、愛もなければ恋もない女を買い取ろうとする色好みの老人の手から、本当に愛し合っている人の手に取り戻すことができる。自分の本望、女の喜び、それを想像すると、兵馬はたまらない嬉しさにうっとりとする。
・・・やはり恨めしそうに振返ったけれど、あえて反抗しようでもなければ、申しわけをしようでもありません。小突かれれば小突かれるように、むしろこうして虐待されたり、凌辱されたりすることを本望としているかの如く、極めて柔順なものです。
・・・「よろしい、その切支丹をひとつ描きましょう」と言いました。これが負けず嫌いのお角を喜ばせたこと一方でなく、相手をいいこめて、自分の主張が通ったものでもあるように意気込んで、「描いて下さる、まあ有難い、それで本望がかないました」
・・・浅吉さんは、あれほど、お内儀さんから虐待を受けながら、お内儀さんを思い切れないんですね。無茶苦茶に苛められて、生命を毮り取られることが、かえってあの人には本望なのか知らと思われることもありますのです。ですから、わたしには、うっかり口は出せません。
・・・自分は家中の者を二十八人も斬り捨てたために、浪人の身となって武者修行をして歩いている。自分としてはこうして武を磨くことが本望だが、国に残る父上や、兄上、また妹の身の上はどうだろう。近ごろ夢見が悪い、というようなことを言う。
・・・「ここは離れて静かなところですから、隠れているにはくっきょうと思います」「それはそれとしまして、貴殿の御病気を一日も早く治したいものでございます、そして昔のようにおたがいに竹刀を取って稽古をしてみたいものでござる」「いや、それはもう望みが絶えました、立って歩けるようになれば、それだけで本望だと思っておりますが、多分それも叶いますまい」
・・・あの竹生島へ渡りますには、大津から十八里、彦根から六里、この長浜からは三里と承りました、このいちばん近い長浜の地から出立させていただくことも、本望の一つなのでございます……そもそも私がこのたび、近江の国の土を踏みまして、琵琶の湖水を竹生島へ渡ろうと思い立ちました念願と申しまするは
・・・「奥様」といったのは故意か偶然か知らないけれども、昨今ではあるが、みんな自分の周囲の出入りの者、見知り越しの土地の人などが自分を呼ぶのに、この「奥様」という語を以てすることをお銀様が納得している。お銀様はむしろ令嬢として扱われるよりは、奥様と呼びかけられることを本望としているらしくも見える。
・・・常の時でさえお銀様は、その人のことを思い出すと涙を流して泣く。歴史上といわず、およそありとあらゆる人間のうちで、お銀様をしてこれほどに同情を打込ませる人は、二人とないと言ってもよいでしょう。その人は誰ぞ、それがすなわち大谷刑部少輔吉隆その人なのであります。その好きな人を、その人の最期の地で、夢に見たのだから本望です。本望以上の随喜でした。
・・・設備万端の費用もおかまいなしというようなわけで、与八の前へ棟梁を呼んで、自分から言いつけて工事をやらせるという徹底ぶりにまでなったのですから、与八の本望は申すまでもなく、大工さんたちも、「わたしたちもこれで願いがかないました、この仕事は人助けのためだから」と言って、奉仕につとめてくれたことですから、日ならず立派な公開浴場が出来上りました。
・・・そこで、我々はちょっと迷ったよ、宇津木のためには、早く会わせて本望を遂げさせてやりたいし、このお銀様の頼みも無下には捨てられない。ところで、お銀様が説くところを聞いていると、なかなか道理がある、ことにもう一つ、あの女には力がある、それは何の力かというに、金力だ、あれは甲州第一の富豪の娘で、莫大な金力の所有者だ、その金力と、弁力とをもって、われわれを圧迫して来たのだ、こいつには参ったよ
・・・どうぞこの下郎をお召連れ下さいまし、たとえ私は乞食非人に落ちぶれましょうとも、奥様に御本望を遂げさせずには置きませぬ。もしお聞入れがなくば、この場に於て切腹をいたしまして、魂魄となって奥様をお守り申して、御本望を遂げさせまするでございます
・・・知っての通り、家にはそう貯えというものがあるわけではなし、永の年月たずぬる間には路用も尽きて、どうなるか知れぬ運命、わたしとしては、行倒れに倒れ死んでも、夫への義理は立ちます、いや、たとえ本望は遂げずとも、死んで夫のあとを追えば、それも一つの本望であるが、お前は縁あってわたしの家に使われたとは言いながら、譜代の家来というわけではなし、まだ若い身空だから、いくらでもよそへ行って立身出世の道はある
・・・「それで結構です、頂戴して飽かずながめることに致しましょう――お手並もよいが、花の選みも悪くございません」「少しでもお気に召しましたら、わたし本望でございます」「部屋全体が、これですっかり落着きが出来ました――お雪さん、そこはそのままにして、あとで誰かに片づけさせましょう、早速ですが、一つあなたに頼みがあるのです」
・・・「今まで、お酒がおいしいの、気ばらしになったのとおっしゃったことのないあなたから、そうおっしゃられると、わたしは、もうこれより上の本望はございません。ねえ、先生、今晩は、ここで夜明けまででもかまいませんから、昔話を致しましょうよ」
・・・こうなると、神尾の頭はいよいよ重い。もう酒を呼び疲れている。さりとて、飯を食う気にもなれない。起き上る気にさえもならない。蒲団の腐るまで、こうして仰向けに寝ていることが本望だ。
・・・いつまた昂奮して、再び死を急ぐような気分にならないとも限らない。心中者には特にそういう気分は有りがちで、まあよかった、人間一人を取戻したと思ってホッと安心している、その隙をねらって飛び出して本望を遂げてしまうという例もずいぶんあることですから、その辺は健斎先生にもよく依頼してある。
・・・百姓共――慾から出た一揆なんてものは、慾でまた崩れる、そこへ行くと、坊主の一揆は百姓一揆より始末が悪い、一向宗の一揆なんてのは、未来は阿弥陀浄土に生れるのが本望なんだから、銭金や米穀なんぞは眼中に置かねえ、七生までも手向いをしやがる、慾に目のねえのも怖こわいが、慾のねえ奴にも手古摺るもんですなあ、親方
・・・兵馬の頭には、金沢もなく、三国もない、地図を案じて北陸の本筋を愛発越えをして近江路へ、近江路から京都へ、心はもう一走り、そこまで行けば今度こそは結着、そこで、双六の上りのように、三条橋を打留めに多年の収穫、本望が成就する――そこで何となしに気がわくわくして、これは福松と異なった意味で心が湧き立ってきました。
・・・あなた、もう考え直す余地はなくって、このお金で、芸妓家の株を買い、余ったお金で、このあたりへ土地を買い、そうして、いっそのこと、あなたもこの土地へ納まっておしまいなさいよ。思い直すことはいけませんの、あなたは、あなたの本望がお有りなさるでしょうけれども、その御本望が成功なさったからとて、どうなりますの。もう一ぺん、思い直して頂戴よ、ここでまた福松が、いたく昂奮して参りました。
・・・「ええ、皆さん、大よろこびで、あの分では夜明しも厭いますまい」「そうですか、それは本望です、そういう楽しみをしばしば与えてやりたいものだ、我々がいると、かえって興を殺こともあるかと、実はそれを兼ねて少々席を外してみたが、外へ出ると、またこのすばらしい光景だものだから、つい、うっかり遠走りをやり過ぎて、いま、戻り道に向ったところです」と駒井は、いつもの通り沈重に釈明を試みました。
・・・七兵衛としては、一日も早く兵馬に本望を遂げさせて、そのあと二人を一緒にしてやる、これが一生の願いで、これまで陰に陽にそのことに力を入れて来たのですが、ここで、そういう結構が、すっかり打ちこわされてしまっていることを知った以上は、お松に対して苦言を言わなければならず、駒井に対して直諫もしなければならないところなのですが、これがすっかり消滅して
・・・ドコの国、いずれの時代にも、その時代を厭う人間はあるものだ、称して厭世家という。そういうことは、いずれの時代にもあるが、いつも世間には通用しない。当人も無論、通用されないことを本望とする。世間の滔々たる潮流から見れば、一種例外の変人たるに過ぎない。一人や二人そういう変人が出たからとて、天下の大勢をどうすることもできるものではない。
「百姓弥之助の話」
それを見届けた上で弥之助は、豚舎と鶏舎を見廻った。豚は四頭飼っている、鶏は十羽いる、豚の発育は皆上等と云って宜よろしい、食物の食いっぷりが極めて良しい、豚というやつは食う事の為にだけ生きているとしか思われない、食う事の為に生きて、食われる事の為に死ぬ。彼に於ては生も死も本望かも知れない、最初に経営を任せたある坊さんが施設した豚飼養の計画は農家経済として間違った着眼ではない、収益率の極めて乏しい農家の副業として豚の飼養は相当有利なものである。
・・・だから出征の勇士は全く本望を以て死ぬ事が出来る――ただたまらないのは戦終って後その士卒を失った隊長、昨日迄の戦友と生別死別の同輩、それから残された遺族等のしのばんとしてしのぶあたわざる人情の発露である、戦争にはそれがつらい、ただそれだけがつらい、この悲痛をしのぶ心境に向っては無限の同情を寄せなければならぬ。  
 
岡本綺堂
「子供役者の死」
吉五郎の気に入って、「よく綺麗に白状した。で、おまえは十歳とおも年の違う六三郎と夫婦になりてえか。」と訊きましたら、お初は「そうなれば自分は本望です。弟だと思って面倒を見てやります。」と、正直に答えたそうです。
「修禅寺物語」
たとい半晌はんとき一晌でも、将軍家のおそばに召し出され、若狭の局という名をも給わるからは、これで出世の望みもかのうた。死んでもわたしは本望じゃ。(云いかけて弱るを、春彦夫婦は介抱す。夜叉王は仮面をみつめて物言わず。以前の修禅寺の僧、頭より袈裟けさをかぶりて逃げ来たる。)
・・・かえで「これ、姉さま。心を確かに……。のう、父様。姉さまが死にまするぞ。」(今まで一心に仮面をみつめたる夜叉王、はじめて見かえる。) 夜叉王「おお、姉は死ぬるか。姉もさだめて本望であろう。父もまた本望じゃ。」
「玉藻の前」
「お身と恋すれば他の妬を受くる……それは我らも覚悟の前じゃ。諸人に妬まるるほどで無うては恋の仕甲斐がないともいうものじゃ。妬まるるは兼輔の誉であろうよ。それがために禍いを受くるも本望……と我らはそれほどまでに思うている。恋には命も捨てぬものかは」
彼は早く悪魔の味方にならなかったことを今更に悔やんだ。悪魔と恋して、悪魔の味方になって、悪魔と倶にほろびるのがむしろ自分の本望であったものをと、彼は膝に折り敷いた枯草を掻きむしって遣る瀬もない悔恨の涙にむせんだ。
「半七捕物帳」
二人がおなじ場所で死ななかったのは、男の身分を憚かったからであろう。僧侶の身分で女と心中したと謳われては、自分の死後の恥ばかりでなく、ひいては師の坊にも迷惑をかけ、寺の名前にも疵が付く。破戒の若僧もさすがにそれらを懸念して、ふたりは死に場所を変えたのであろう。こう煎じつめてゆくと、二人が本望通りに死んでしまった以上、ほかに詮議の蔓は残らない筈である。
・・・「親分のお諭しはご尤もでございますが、あの伝蔵を自分の手で仕留めなければ、わたくしの気が済みません。母の胸も晴れません。首尾よく本望を遂げました上は、自分はどんなお仕置になっても厭いません」と、鶴吉は飽くまでも強情を張った。
「番町皿屋敷」
お菊「はい、よう合点がまゐりました。このうへはどのやうな御仕置を受けませうとも、思ひ残すことはござりませぬ。女が一生に一度の男。(播磨の顔を見る。)恋にいつはりの無かつたことを、確かにそれと見きはめましたら、死んでも本望でござりまする。」播磨「もし偽りの恋であつたら、播磨もそちを殺しはせぬ。いつはりならぬ恋を疑はれ、重代の宝を打割つてまで試されては、どうでも赦すことは相成らぬ。それ、覚悟して庭へ出い。」  
 
豊島与志雄
「乾杯」
「私はただ、職工達を存分に働かしてやりたいと思っています。みな、立直った気持で、働きたがっております。鋼板は彼等の手に渡してやって下さい。同額の給与を貰っても、遊んでいるより働く方が本望だと、そういう彼等の意気を、私は涙の出るほど嬉しく思います。それで、お願いに出ました。」
「文学精神は言う」
神に身を任せると共に、悪魔にも身を任せる。つまり、社会生活上の貴族主義者が衣食住に於いて貪欲放縦であるが如く、この貴族主義者は思惟に於いて貪欲放縦なのである。彼は遂に己を破滅させるかも知れない。然し彼は言うであろう、自由のうちに破滅するのは本望だと。自由がこのように利用されることは太陽的である。自由とは自律の自由に外ならないと理解されるのであるが、ここではもはや、生長発展も破綻破滅も共に自律的なものとなる。
「落雷のあと」
その鮨に母はひっかかりました。何が食べたいといって、お鮨にこしたものはなく、お鮨さえ充分食べたらもう本望だと、淋しそうに言いました。妹はそれを笑って、ショートケーキが一番食べたいと言いました。カステーラよりもっとふわふわして、はるかに甘く、とろりとしたクリームがかかっていて、苺や林檎や桃があしらってある、あれが一番よいと述べ立てました。
「碑文」
「私には全く分りません。」「それで君はいいのか。」「私はただ召使で、旦那様のお側に、善悪ともに、おつきしているだけでございます。」「それだけで本望なのか。」「親父もそういい遺しました。仕方がございません。」「なに、仕方がない。」「仕方がございません。」
「強い賢い王様の話」
「お前の強情なのにはわしも呆れた。これが世界で一番高い山だ。もう世界中でこれより高いところはない。ここまでくればお前も本望だろう。これからまた下へおりて行くがいい。はじめからの約束だから、わしはもう知らない。これでお別れだ」
「子を奪う」
「私は安心しております。お祖母様もお……母様も、ほんとに御親切ですから。」「僕もどんなに苦しんだか知れない。然し僕の意志ではどうにもならなかったので……。」「いいえ、こうして頂けば、私は本望でございますもの。」「随分苦しんだでしょう。」「いえ、まだ何にも分かりませんから。」
「一つの愛情」
私は先生をこの世で一番おえらい方と、ずっと思い続けてまいりました。けれど、先生からお手紙など頂ける身になろうとは、夢にも思ったことがございましょうか。私はもうこのまま死んでも、充分本望でございました。この世に生れて来た甲斐のあった自分を、しみじみ感じました。
「女と帽子」
もうこうなったら、本望でしょう。あとは、ただ試してみるだけのことです。時間を気にしなくてもいいですよ、きっと波江さんは来ます。少しくらい後れるかも知れませんが、まあゆっくり落着いておいでなさい。精根つきたって様子をしていますね。
「ジャン・クリストフ」
フランス翰林院は、一つのイギリス上院であった。旧制に成っている幾多の制度は、その古い精神を新しい社会に飽くまで課そうとしていた。革命的な諸分子は、すぐに排斥されるか同化されるかした。そうされるのがまた彼らの本望でもあった。政府は政治上では社会主義的態度を装おっていたが、芸術上では、官学派の導くままになっていた。
「反抗」
周平は、頭の上から落ちかかってくる叱責の言葉を、一語々々味っていった。その苛辣な味に心を刺されることが、今は却って快かった。どうせ踏み蹂ってしまわなければならない恋だった。それを彼女の怒りによって踏み蹂られることは、寧ろ本望だった。彼はじっと眼をつぶって、絶望の底に甘い落着きを得てる自分の心を見戍っていた。
・・・瞬きと一緒にくるりと動く眼が、周平の顔を眺め、次に村田の顔を眺めた。「云えないから秘密なのさ。」と村田は云った。「じゃあ私、いつまでも此処から出て行かない。」「そいつは有難い。君に一晩中取持って貰えば本望だね。此処から出ようたってもう出さないぜ。」「私もあなた方二人に介抱して貰えば本望だわ。出そうたって出るものですか。」「そうくるだろうと思っていたよ。」  
 
夏目漱石
「野分」
「これから皆んな賞るつもりです」「ハハハハそう云う人がせめて百人もいてくれると、わたしも本望だが――随分頓珍漢な事がありますよ。この間なんか妙な男が尋ねて来てね。……」「何ですか」「なあに商人ですがね。どこから聞いて来たか、わたしに、あなたは雑誌をやっておいでだそうだが文章を御書きなさるだろうと云うのです」
「明暗」
「そんな事はどうでも、私の問にはっきりお答えになったらいいじゃありませんか」「だから僕は天然自然だと云うのです。天然自然の結果、奥さんが僕を厭がられるようになるというだけなのです」「つまりそれがあなたの目的でしょう」「目的じゃありません。しかし本望ほんもうかも知れません」「目的と本望とどこが違うんです」
・・・僕は僕に悪い目的はちっともない事をあなたに承認していただきたいのです。僕自身は始めから無目的だという事を知っておいていただきたいのです。しかし天には目的があるかも知れません。そうしてその目的が僕を動かしているかも知れません。それに動かされる事がまた僕の本望かも知れません
「坑夫」
呼息を急いて登りながらも心細かった。ここまで来る以上は、都へ帰るのは大変だと思うと、何の酔興で来たんだか浅間しくなる。と云って都におりたくないから出奔したんだから、おいそれと帰りにくい所へ這入って、親親類の目に懸らないように、朽果てしまうのはむしろ本望である。自分は高い坂へ来ると、呼息を継ながら、ちょっと留っては四方の山を見廻した。するとその山がどれもこれも、黒ずんで、凄いほど木を被ぶっている上に、雲がかかって見る間まに、遠くなってしまう。
「それから」
いや僕は貴方に何所迄も復讐して貰ひたいのです。それが本望なのです。今日斯やつて、貴方を呼んで、わざ/\自分の胸を打ち明けるのも、実は貴方から復讐されてゐる一部分としか思やしません。僕は是で社会的に罪を犯したも同じ事です。然し僕はさう生れて来きた人間なのだから、罪を犯す方が、僕には自然なのです。
・・・彼等は赫々たる炎火の裡に、二人を包んで焼殺さうとしてゐる。代助は無言の儘、三千代と抱き合つて、此焔の風に早く己れを焼尽すのを、此上もない本望とした。彼は兄には何の答もしなかつた。重い頭を支へて石の様に動かなかつた。  
 
三遊亭円朝
「怪談牡丹灯籠」
此の時孝助が図らず胸に浮んだのは、予て良石和尚も云われたが、退に利あらず進むに利あり、仮令火の中水の中でも突切って往かなければ本望を遂げる事は出来ない、憶して後へ下る時は討たれると云うのは此の時なり、仮令一発二発の鉄砲丸に当っても何程の事あるべき、踏込んで敵を討たずに置くべきやと、ふいに切込み、卑怯だと云いながら喧嘩龜藏の腕を切り落しました。
「塩原多助一代記」
あなたを世にお出し申したいばっかりで心得違いをいたしました、あなたのお手に掛って死ぬのは本望でございます、永らく御奉公をいたして、御恩を戴いた御主人の妹を連れ出して逃げるような心得違いを致しました右内ゆえ、天罰主罰報い来たって、只今此の所で旦那様のお手にかゝって死ぬのは当前あたりまえでございますが、江戸表に残った女房おかめと、まだ年のいかない娘が此の事を聞きましたら嘸ぞ歎きましょうが
・・・エーおい番頭さん、私っちア道連の小平という胡麻の灰で、実は少し訳があって此の書付が手に入いったから、八十両まんまと騙り取ろうと思った処が、山出しの多助の野郎に見顕わされ、化の皮が顕われてしまったから、此の儘じゃア帰けえれねえ、さア此の大きな家台骨から突き出されゝば本望だ、さア突出して貰おう
「霧陰伊香保湯煙」
年の往かねえで親の敵を討とうと云う其の孝心を考え、今まで此方の作った悪事と不孝を思い合せれば、同じ人間に生れても迷えば此様なにも悪の出来るものかと、我ながら実に先非を悔いて改心致しました、もう何うせ遁れる道もありませんから、斯う云う親孝行な兄さんの手に掛って死にゃア本望で、昔なら腹ア切る処でござえやすが、此の家を血で汚けがしちゃア客商売の事ゆえ永井の家に気の毒だから、向山へ引摺ってって思う存分に斬ってしまって下せえ  
 
坂口安吾
「選挙殺人事件」
「それはですね。要するに、これはワタクシの道楽です。ちょッとした小金もできた。それがそもそも道楽の元です。金あっての道楽でしょう。御近所の方々もそれを心配して下さるのですが、ワタクシはハッキリ申上げています。道楽ですから、かまいません。かまって下さるな。ワタクシに本望をとげさせて下さい、と」「本望と申しますと?」「道楽です。道楽の本望」「失礼ですが、ふだんからワタクシと仰有おっしゃる習慣ですか」彼はギョッとしたらしく、みるみる顔をあからめて、
「明治開化 安吾捕物」
お父様も情けないことを仰有おっしゃいますね。私は千頭津右衛門の妻ではございませんか。主人が死んで一周忌もすまぬのに、三十五日、四十九日の法要もつとめずに、どうしてこの家がうごかれましょうか。女ばかりの私たちが戦乱が怖しいのは申すまでもございませんが、一周忌もすまぬうちにここを空き家にするぐらいなら、ここで泥棒に締め殺された方が本望でございます。東太や私や家屋敷が助かるよりも、ここを守って死に果てることを、亡き津右衛門も満足してくれるだろうと思います。もう二度とそのようなことを仰有って下さいますな
「保久呂天皇」
穴の中の久作はこの親の一喝にふと目をあいて考えこんだ。すばらしい言葉だ。部落の者が自然にこの言葉を発するに至っては本望だ。神のタタリ。天のタタリ。天皇のタタリ。タダモノがたたるはずはないのである。
「犯人」
「サヨはオレの顔を見ると、お前の来るのを待っていたと云った。そしてこの前見せてくれたハートのクインのお守りをオレに貸して抱かせてくれと云った。それを手渡してやるとサヨは自分の肌につけてポロポロ泣いて、お前に殺してもらうために刃物を用意しておいたと白木のサヤの短刀をとりだして見せた。どうして死にたくなったのかと訊いたら、お前に会ったからだと云った。そしてお前に殺してもらえれば本望だと云ってポロポロ泣いた」「なぜ本望だか、お前に分るか」  
 
岡本かの子
「取返し物語」
身を捨てても、人を救うとは仏のお誓い。その誓いの通りなさんした、源兵衛さんは、凡夫でいながら聖も同然。見れば開山聖人さまの御影像も泣いていやしゃります。源兵衛さんは本望であろうわいなあ。わたしゃもう、歎きも、哀しみもいたしますまい。(首にものいう如く)期するところは極楽浄土。一つ台で花嫁花婿。のう、こちの人、〽忘れまいぞえあのことを。
「高原の太陽」
「割合いに刺戟的な方だと思うわ」「ばあやのお喋りがはいらないんで、今日はあなたがよくお話しになる、僕の本望だな。あれはね、僕、今でもそう思ってますが――つまり、すぐ恋愛になるような、あり来りの男女の交際は嫌だと思ってましたから、それがああいう言葉で出たんですが……」  
 
三好十郎
「猿の図」
願わくば、われわれの志をあわれみ、挺身従軍の許可が与えられますよう、御高配下さるよう、この機会に切に切にお願申します。それも、出来ますならば、唯単に文化人として従軍するのではなく、銃を担い剣を取って一兵として従軍したいのが私どもの本望であります。かくて、私どもは私どもの志のクニツミタマに添い奉り、撃ちてし止まん日の鬼と化さんことを、ここに誓います! 以上、御願いのため、連署血判をもって――
「殺意(ストリップショウ)」
僕自身でおしらせしたいと思って、今日は来ました。差し出た、よけいな事だったら、おわびをする。あれの戦死については、今さらかくべつの感慨はない、かねて覚悟していた事で、むしろ本望だったろう。ただ、戦場に立って兵士として一弾もはなたぬうちに、たおれた事は本人も無念だったろうと思う 。僕らとしても、それだけが、残念だ  
 
海野十三
「流線間諜」
「敵ながら惜しい勇士じゃったが……これも已やむを得ん。わが軍の怪力線の煙と消えたので彼もすこしは本望じゃろう」 そういって牧山大佐の声が受話器を通じて感慨無量といった顔をしている帆村の耳に響いた。
「空襲葬送曲」
「ああ、お父さん、そんなこと、いけないわ」「なあに、わしのことは、心配いらぬよ。こんな身体でお役に立てば死んでも本望ほんもうだ。ただ三吉を連れて行くのは、可哀想でもあるけれど、あれは案外平気で、行って呉れるだろうと思う」
「浮かぶ飛行島」
それは外ならぬ怪しい中国人のペンキ工の姿であった。「おおあなたが」杉田はそう叫ぶと、傷の痛みも忘れて、その胸にしっかり抱きついた。「おお杉田。お前はよくやって来たな」まぎれもない川上機関大尉の声だった。「す、杉田は、う、う、嬉しいです。も、もう死んでも、ほ、本望だっ」あとは涙に曇って聞きとれない。「な、泣くな杉田――。お前が来てくれて、俺も嬉しいぞ」  
 
太宰治
「パンドラの匣」
咳せきの出ないように息をつめるようにして静かに寝ていて、僕は不思議なくらい平気だった。こんな夜を、僕はずっと前から待っていたのだというような気さえした。本望、という言葉さえ思い浮んだ。明日もまた、黙って畑の仕事を続けよう。仕方がないのである。他ほかに生きがいの無い人間なのである。ぶんを知らなければいけない。ああ、本当に僕なんか一日も早く死んでしまったほうがいいのだ。
・・・どうにも他に仕様が無かった。さんざ思い迷った揚句の果に、お百姓として死んで行こうと覚悟をきめた筈ではないか。自分の手で耕した畑に、お百姓の姿で倒れて死ぬのは本望だ。えい、何でもかまわぬ早く死にたい。目まいと、悪寒おかんと、ねっとりした冷い汗とで苦しいのを通り越してもう気が遠くなりそうで、豆畑の茂みの中に仰向に寝ころんだ時、お母さんが呼びに来た。
「花火」
チベットへ行くのは僕の年来の理想であって、中学時代に学業よりも主として身体の鍛錬に努めて来たのも実はこのチベット行のためにそなえていたのだ、人間は自分の最高と信じた路に雄飛しなければ、生きていても屍しかばね同然である、お母さん、人間はいつか必ず死ぬものです、自分の好きな路に進んで、努力してそうして中途でたおれたとて、僕は本望です、と大きい男がからだを震わせ、熱い涙を流して言い張る有様には、さすがに少年の純粋な一すじの情熱も感じられて、可憐でさえあった。母は当惑するばかりである。  
 
菊池寛
「藤十郎の恋」
お梶 (つつましやかに、態度をみださず)「偽りにもせよ、藤十郎様の恋の相手に、一度でもなれば、女子に生まれた本望でござりますわい。」弥五七「よくぞ仰せられた。ははは。」千寿 (やや取りなすように)「ほんに、日頃から貞女の噂高いそなたでなければ、さしずめ疑いがかかるところでござりますのう。楽屋へ御用でござりまするか。さあお通りなさりませ。」
「仇討禁止令」
復讐の志を立ててからは、一命は亡きものと心得ております。曽我の五郎十郎も、復讐と同時に命を捨てました。兄弟としては、必ず本望であったでござりましょう。たとい朝廷から御禁令があっても、私はやります。きっとやります。命が惜しいのは敵を討つまでで、敵を討ってしまえば、命などはちっとも惜しくはございません
「賤ヶ岳合戦」
始め、小谷の城主浅井長政に嫁し、二男三女を挙げたが、後、織田対朝倉浅井の争いとなり、姉川に一敗した長政が、小谷城の露と消えた時、諭されて、兄信長の手に引取られた事がある。清洲会議頃まで岐阜に在って、三女と共に寂しく暮して居たが、信孝勝家と結ばんが為、美人の誉高い伯母お市の方を、勝家に再嫁せしめたのである。勝家の許に来って一年経たず、再び落城の憂目を見る事になった。勝家、その三女と共に秀吉の許に行く様に勧めるが、今更生長える望がどうしてあろう、一緒に相果てん事こそ本望であると涙を流して聞き容れない。宵からの酒宴が深更に及んだが、折柄、時鳥の鳴くのをお市の方聞いて、「さらぬだに打寝る程も夏の夜の夢路をさそふ郭公ほととぎすかな」と詠ずれば、勝家もまた、「夏の夜の夢路はかなき跡の名を雲井にあげよ山郭公」  
 
戸坂潤
「科学論」
なお今度の書物の思想内容は、すでに之まで出版した私の諸著述や論文の中に、分散して見出されるものが大部分なので、読者が次の拙著も参考にして呉れるならば、本望である。――『イデオロギーの論理学』『イデオロギー概論』『現代哲学講話』『技術の哲学』『日本イデオロギー論』。
「社会時評」
男の場合で云えば、官立の高等学校や専門学校へ卒業生が沢山入学するのが良い中学校で、そういう中学校に余計入学させることの出来るのが、良い小学校となっているが、そういう良い小学校を造り出すために、わが学習書の存在理由があるわけで、人類の教育の一手引き受け人である小学校校長が、この学習書のために身を誤ったということは、或いは本望であるかも知れぬ。こういう「職責」のためならば、小学校の先生は学習書事件ばかりではなく、まだまだ色々の「不正」をやっているので  
 
国枝史郎
「剣侠」
父の葬式を出してしまうと、すぐに敵討のお許しを乞うた。「よく仕かまつれ」と闊達豪放の主君、榊原式部少輔様は早速に許し、浪人中も特別を以て、庄右衛門従来の知行高を、主水に取らせるという有難き御諚、首尾よく本望遂げた上は、家督相続知行安堵という添言葉さえ賜った。
・・・「その林蔵をお賭になる。……では拙者は何者を?」いささか不安そうに多四郎は云って、これも要介を意味ありそうに見詰めた。「高萩村の猪之松を、お賭下さらば本望でござる」「彼は拙者の剣道の弟子……」「で、彼をお賭け下され」「賭けて勝負をして?」「拙者が勝てば赤尾の林蔵を、関東一の貸元になすべく、高萩村の猪之松を、林蔵に臣事いたさせ下され」
・・・「やあ汝は鴫澤主水! この陣十郎を見忘れはしまい! ……本来は汝に討たれる身! 逃げ隠れいたすこの身なれど、今はあべこべに汝を探して、返り討ちいたさんと心掛け居るわ! ……見付けて本望逃げるな主水!」と叫ぶ声が聞こえてきた。「ナニ陣十郎? 陣十郎とな?」 かかる場合にも鴫澤主水、親の敵の陣十郎とあっては、おろそかにならずそれどころか、討たでは置けない不倶戴天の敵!
・・・「悪人には相違ないさ。が、悪人の心の底に、一点強い善心がある。――とそんなように思われるのさ」「そうかなア、そうかもしれぬ。いやそうお前に思われるなら、俺は実に本望なのだ。……俺は一つだけ可いいことをしたよ。……いずれゆっくり話すつもりだが」「話したらよかろう、どんなことだ?」
・・・「主水様、この世の名残りに、お目にかかれて本望でござんす……二人一緒に旅はしましたが、とうとう最後まで赤の他人……今はやっぱり陣十郎殿の女房……良人に討たれて死にまする」「討て主水! いざ立派に!」「よい覚悟! 討つぞ陣十郎!」
「神秘昆虫館」
「かえってお蔭で昆虫館へ参られ、私には本望でございましたよ。その上美しい声の主の、あなたにお目にかかれましたのでな」「おや」と云うと桔梗様は、花壇の方へ眼をやった。四季咲き薔薇の花の蔭から、誰か覗いていたからである。二人の話を盗み聞くように。
・・・一式様とご一緒に死ぬ! それこそ妾の本望だ。ちっとも妾は悲しくない。それにしても一式小一郎様は、どうして妾の居場所を、突き止めて助けに来られたのだろう? ……誘拐されたと感付いたので、小指を噛み切り、血をしたたらせ、そのことを懐紙へ認めて、櫛や簪に巻き付けて、幾個いくつか往来へ落としたが、ひょっとかするとその一つを、一式様がお拾いになり、それからそれと手蔓を手繰たぐり、ここをお突き止めなされたのかも
「八ヶ嶽の魔神」
一息にグーと飲んだ。日本の緑茶とは趣きの異った、強い香りの甘渋い味の、なかなか結構な飲み物であった。「珍味珍味」と葉之助は、お世辞でなくて本当に褒ほめた。「産まれて初めての南蛮紅茶舌の正月を致してござる」「お気に叶かなって本望でござる。いかがかな、もう一杯?」「いや、もはや充分でござる」
「天草四郎の妖術」
「老後の思い出天下を相手に斯ういう芝居が打てたかと思うと、全く悪い気持はしないの」「お互、小西の残党なのだが、憎い徳川を向うに廻わし是だけ苦しめたら本望じゃ」「江戸で家光め地団太踏んでいようぞ」「長生きするとよいものじゃ。いろいろのことが見られるからの」
「名人地獄」
どんな具合に巡り会い、どんな塩梅に立ち合って、兄の敵を討ったかについては、彼は恩師たる千葉周作へ、次のように話したということである。……とうとう本望をとげました。先生のお蔭でございます。一生忘れはいたしません。兄もどんなにか草葉の蔭で、喜んでいることでございましょう。おそらく修羅の妄執も、これで晴れたことでございましょう。……  
 
長谷川時雨
「樋口一葉」
彼女と久佐賀との面会は話が合ったのであろう。月を越してから久佐賀は手紙をもって、亀井戸の臥龍梅へ彼女を誘った。手紙には、「君が精神の凡ならざるに感ぜり、爾来じらいしたしく交わらせ給わば余が本望なるべし」などと書いたのちに、君がふたゝび来たらせ給ふをまちかねて、として、「とふ人やあるとこゝろにたのしみて そゞろうれしき秋の夕暮」と歌も手も拙ないが
「市川九女八」
佐藤紅緑氏の「侠艶録」の力枝という女役者は、舞台で気の狂った紀久八がモデルであった。小栗風葉だったかのに、「鬘下地」というのがある。「紀久八は舞台で気狂いになったが――あたしは舞台で死ねれば本望だ。なあに、小芝居だって見世物小屋だって、お客さまはみんな眼玉をもってらっしゃる。どんな人が見てくださってるかわかりゃしない。  
 
小酒井不木
「印象」
若し私が望みどおりの怖ろしい形をした子を生みましたならば、それで私の良人に対する復讐は、りっぱに遂げられたといってよいではないでしょうか。そのめずらしい不具の子がだんだん生長して行くのを見ることは良人にとって永遠の恐怖だろうと思います。けれど、若しこの子が死んでしまっては何にもなりません。ですから、どうしても無事に生まなければならないのです。どうか先生、私の本望を遂げさせて下さいませ。私はくやしくてなりません。お願いです。ね、先生、どうぞ……
「メデューサの首」
「よろしい。手術はしてあげましょう。しかし、あなたはたいへん衰弱しておいでになりますから、はたして手術に堪えることができるか、それが心配です」「手術してもらって死ぬのなら本望です」と、彼女は言下に答えました。「手術してもらわねば、しまいにはメデューサの首にこの身体を奪られてしまうのですから、一日も早く、わたしのいわば恋敵ともいうべき怪物を取り除いてしまいたいのです
「肉腫」
患者は暫らく眼をつぶって考えて居たが、やがて細君の方を見て言った。「お豊、お前も覚悟しとるだろう。たとい手術中に死んでも、この畜生が切り離されたところをお前が見てくれりゃ、俺は本望だ。なあ、お前からも先生によく御願いしてくれ」 細君は啜泣きを始めた。彼女は手拭で涙を拭き拭き、ただ私に向って御辞儀するだけであった。
「卑怯な毒殺」
まあ君、そんなに急ぎたまうな。僕はいつでもその毒薬をのむよ。僕は喜んで君の手に殺されよう。君に殺されりゃ、本望なのだ。僕は僕の行為――君を毒殺しようとしたことを、どれだけ後悔しているか知れない。それがため僕はどれほど苦しんだか知れない。君は殺そうとしたものが、殺されようとしたものの何十倍も何百倍も苦しまねばならぬということを知って居るかね?  
 
夢野久作
「近世快人伝」
「その志は忝ないが、日本の前途はまだ暗澹たるものがある。万一吾々が失敗したならば貴公達が、吾々の後跟を継いでこの皇国廓清の任に当らねばならぬ。また万一吾々が成功して天下を執る段になっても、吾々が今の薩長土肥のような醜い政権利権の奴隷になるかならぬかという事は、ほかならぬ貴公達に監視してもらわねばならぬ。間違うても今死ぬ事はなりませぬぞ」 今度は少年連がシクシク泣出した。皆、武部先生のために死にたいのが本望であったらしいが結局、小供たちは黙って引込んでおれというので折角の謀議から逐退りぞけられて終まった。・・・  
「斬られたさに」
「ハッ。返す返すの御親切……関所の手形は仇討の免状と共々に確しかと所持致しておりまする。讐仇の生国、苗字は申上げかねまするが、御免状とお手形だけならば只今にもお眼に……」「ああイヤイヤ。御所持ならば懸念はない。御政道の折合わぬこの節に仇討とは御殊勝な御心掛け、ただただ感服いたす。息災に御本望を遂げられい。イヤ。さらば……さらば……」
・・・その切先に身を投げかけるようにして来た相手は、そのまま懐剣を取落して仰けぞった。両手の指をシッカリと組み合わせたまま、あおのけに倒おれると、膝頭をジリジリと引き縮めた。涙の浮かんだ眼で平馬を見上げながらニッコリと笑った。「……本望……本望で……御座います。平馬様……」
・・・平馬の眼に涙が一パイ溜まった。その涙の中で月の下の白い天守閣がユラユラと傾いて崩れて行った。そうしてその代りに妖艶な若侍の姿が、スッキリと立ち現われるのを見た。……本望で御座います……と云い云い、わななき震えて、白くなって行く唇を見た。
「暗黒公使」
「新聞記者を連れて行けば、こっちの公明正大さが大抵わかる筈と思ったんですが……何もかも案外ずくめでおしまいになっちまいましたよ。はっはっはっ」「おかげ様で本望を遂げまして……」と志村のぶ子が相槌を打った。「……いやア……貴女方の剛気なのにも驚きましたよ」と志免警視はどこまでも明るい声で調子に乗った。一事件が済んだ後で私の前に来ると志免はいつもこうであった。  
 
織田作之助
「夫婦善哉」
蝶子は「私のこと悪う言やはんのは無理おまへん」としんみりした。が、肚の中では、私の力で柳吉を一人前にしてみせまっさかい、心配しなはんなとひそかに柳吉の父親に向って呟く気持を持った。自身にも言い聴かせて「私は何も前の奥さんの後釜に坐るつもりやあらへん、維康を一人前の男に出世させたら本望ほんもうや」そう思うことは涙をそそる快感だった。その気持の張りと柳吉が帰って来た喜びとで、その夜興奮して眠れず、眼をピカピカ光らせて低い天井てんじょうを睨にらんでいた。
「神経」
女優と同じテーブルに坐ることも遠慮していたということである。そのくせ、女優たちが出て行くまで、腰を上げようとしなかった。それほどのレヴュ好きの彼女が、死後四日間も楽屋裏の溝の中にはいっていたとは何かの因縁であろう。溝のハメ板の中に屍体があるとは知らず、女優たちは毎日その上を通っていたのである。娘としては本望であったかも知れない。
・・・そんなみだらな話を聴いていると、ふと私は殺された娘のことが想い出された。楽屋裏の溝の中で死んでいたのは、レヴュ好きの彼女には本望であったかも知れないなどとは、いい加減な臆測だ。犯されたままの恥しい姿で横たわっているのは、殺されるよりも辛いことであったに違いない……  
 
林不忘
「若き日の成吉思汗」
泣いて取りすがる合爾合姫を振り解いて、札木合は決然と露台から奥へ駈け去る。参謀ら続いて走り入る。長い間。侍女一 (良人の後を見送ったのち、首垂れて考え込んでいる合爾合姫に近づき)「奥方様、あれほどまでにおっしゃる殿様のお胸の中、女子として、奥方さまもさぞ本望でございましょう。もはやわたくしども一同、奥方様のお供をして、戦死の覚悟ができましてございます。」
「丹下左膳」
白刃と白刃との中間に狂い立った弥生、血を吐くような声で絶叫した。「栄三郎様ッ、斬って! 斬って! あなたのお手にかかれば本望ですッ……さ、早く」 栄三郎がひるむ隙に、松の垂れ枝へ手をかけた左膳、抜き身の乾雲丸をさげたまま、かまきりのような身体が塀を足場にしたかと思うと、トンと地に音して外に降り立った。
・・・「ましてや、流れも清き徳川の源、権現様の御廟をおつくろい申しあげるのですから、たとい、一藩はそのまま食うや食わずに枯れはてても、君の馬前に討死すると同じ武士もののふの本望――」「いや、見上げたお志じゃ。よくわかり申した」 来る使いも、来る使いも、この同じ文句を並べるので、主水正、聞きあきている。
・・・お蓮様は、さびしそうな笑顔を、その声の来たうす暗いほうへ向けて、「何を言うんです。剣で殺されるのなら、伊賀の暴れン坊も本望だろうけれど、お前達の中に誰一人、あの源様に歯のたつ者はないものだから、しょうことなしに、おとし穴の水責め……さぞ源さまはおくやしかろうと、わたしはそれを言っているだけさ」
・・・「石川左近将監殿御壺一個、百潮の銘あり 駿州千本松原にて」と、サラサラとしたため終わった。そして、片手に壺を握るやいなや、「百潮というからには、海へ帰りゃあ本望だろう」 ドブーン――! うちよせる波へ、その壺を投げこんでおいて、あとをも見ずにスタスタ歩きだした。  
 
平田晋策
「昭和遊撃隊」
「スミス少佐。爆弾はまだ残っていたね。」「はい、五百キロ爆弾が、一つだけ残っています。」「よし、それで最後の合戦をしよう。武田博士の潜水艦を一隻でも沈めてやれば、僕は本望ほんもうだ。」 博士は、にやりと気味悪く笑った。さあ、さっきの仇かたきうちだ。
水兵たちの口惜しがる声を聞きながら、青木大佐は、壁に向ってペンキの刷毛を動かした。悲しい最後の言葉を書きつけるのだ。「陛下の艦を失って申しわけなし。紅玉島を攻撃したことが、無念の中の本望なり。部下は一人として死を恐れず、軍紀厳正なり。臣青木大佐、死しても護国の鬼とならん」
・・・「神さま、どうかこのY代を傷つけて下さいませ。いいえ、それよりも生命をおめし下さいませ。昔、弟橘媛が日本武尊のために、おん身を犠牲にあそばしたように、Y代は、昭和遊撃隊の身がわりになって、死にとうございます。この小さい生命が消えても、遊撃隊の勝利が残ったら、それで、それで、本望です。」
・・・オーガン大佐は、北浦艦長につめよった。「僕はいやだ。捕虜の勇士を殺すことは出来ん。」 北浦少佐は、涙の眼で、ことわった。「じゃ、君。君、僕を射ってくれないか。」 オーガン大佐は、清君によびかけた。「君は少年勇士だな。そうだ。勇ましい日本の少年の手にかかって死んだら、僕は本望だよ。」
・・・東には怪物フーラー博士。南からは新手あらてのB国大艦隊。――昭和遊撃隊は、いよいよ苦しい。しかし、この秘密島を根拠地にして、最後の一分まで奮戦することは、帝国海軍の軍人として、本望ではないか。木下大佐は、またも南の海へ出て、恐しい、そして、華々しい冒険戦をやろうとするのだ。  
 
直木三十五
「南国太平記」
ところで、わしは、久しく竹刀さえ持たぬし、気は、若い者に負けんつもりでも、足、手が申すことを聞くまいと思われる。ただ武士の一念として、二人、三人を対手に――これでも負けを取ろうとは思わぬが、又、勝てるという自信も無い。勝てる、とは、卑怯ないい草じゃ。わしは、生きて戻る所存は無い。牧さえ刺殺せば、全身膾になろうとも、わしは本望じゃ
綱手の声は、顫えていた。「八郎太は、斬死」 七瀬は、ここまでいうと、声がつまってしまった。四人は、暫く黙っていた。「八郎太は、斬死致しましてござりますか。本望でござんしょう」 七瀬は、こう云うと、微笑した。「頑固一徹の性で――何う諫めましても、聞き入れませず――」
・・・「手前――」と、いって、調所も、指で眼頭を押えた。そして、少し紅味がかった眼を上げて、微かに笑いながら 「勇士は馬前の討死を本望と致しますからには、手前は、密貿易にて死ぬのを、本願と致します。この齢をして、三年、五年生き延びんがために、なまじ、悪あがきは致したくござりませぬ」
・・・小太郎は、綱手のことをおもうと、父の斬死よりも、可哀そうな気がしてきた。(父は、本望であったかも知れん。然し、綱手は?)  月丸の手に抱かれて、月丸の手にかかって、死んだのは、その男と契った女として、幸であるかも知れぬが、その齢の若さ、死ななかったなら、何んな幸福が、その将来につづいたか?  
 
伊藤左千夫
「野菊の墓」
民や、そんな気の弱いことを思ってはいけない。決してそんなことはないから、しっかりしなくてはいけないと、あなたのお母さんが云いましたら、民子はしばらくたって、矢切のお母さん、私は死ぬが本望であります、死ねばそれでよいのです……といいましてからなお口の内で何か言った様で、何でも、政夫さん、あなたの事を言ったに違いないですが、よく聞きとれませんでした。それきり口はきかないで、その夜の明方に息を引取りました……。
・・・一語一句皆涙で、僕も一時泣きふしてしまった。民子は死ぬのが本望だと云ったか、そういったか……家の母があんなに身を責めて泣かれるのも、その筈であった。僕は、「お祖母さん、よく判りました。私は民さんの心持はよく知っています。去年の春、民さんが嫁にゆかれたと聞いた時でさえ、私は民さんを毛ほども疑わなかったですもの。  
 
倉田百三
「出家とその弟子」
親鸞「私が親鸞です。(弟子をさして)この人たちはいつも私のそばにいる同行です。」「あなたが親鸞様でございましたか。(涙ぐみ親鸞をじっと見る)」「私はうれしゅうございます。一生に一度はお目にかかりたいと祈っていました。」「逢坂の関を越えてここは京と聞いたとき私は涙がこぼれました。」「ほんになかなかの思いではございませんでしたね。」「長い間の願いがかない、このような本望なことはございません。」「私はさっき本堂で断わられるのではないかと気が気でありませんでした。」 親鸞「(感動する)よくこそたずねて来てくださいました。私もうれしく思います。どちらからお越しなされました。」
・・・私は卑しくても、このようなきたない罪を犯しながらそのまま助けてくれと願うほどあつかましくはなっていないのです。それがせめてもの良心です。私の誇りです。私はむしろ、かくかくの難行苦行をすれば助けてやると言ってほしいのです。どんな苦しい目でもいいと思います。それがかなわぬならば、私は罰を受けます。そのほうが本望です。  
 
斎藤茂吉
「ドナウ源流行」
そこに Johann Grund という人の絵があった。これは美術史家の筆端にのぼるものでないから、かかる辺土に年を経るのであろうが、僕はその人の画いた女の図を見て静かな快楽を覚えた。この画家は豊麗な、可憐な女を画いた。そうすれば、これで本望なので、そういう覚悟に物哀れなところもあり、倨傲なところもあったのではあるまいか。そんな気がして幾つかの可憐な女人図を僕は見ていた。
・・・自分は此処まで来て、ブレーゲがブリガッハに合し、そうしてドナウの源流を形づくるところを見て、僕の本望は遂げた。このさき、本流と看做すべきブリガッハに沿うて何処までも行くなら、川はだんだん細って行き、森深く縫って行って、谿川になり、それからは泉となり、苔の水となるだろう。  
 
浅野和三郎
「霊界通信 小桜姫物語」
「姫さま、俺は今日のようにうれしい事ことはござりませぬ。」と数間の爺やは砂上に手をついてうれし涙に咽びながら「夙から姫さまに逢せてもらいたいと神様に御祈願をこめていたのでござりますが、霊界の掟としてなかなかお許しが降ず、とうとう今日までかかって了いましたのじゃ。しかしお目にかかって見ればいつに変らぬお若さ……俺はこれで本望でござりまする……。」
・・・神々のお受持と申しましても、これは私がこちらで実地に見たり、聞いたりしたところを、何の理窟もなしに、ありのまま申上げるのでございますから、何卒そのおつもりできいて戴だきます。こんなものでも幾らか皆さまの手がかりになれば何により本望でございます。  
 
黒岩涙香
「幽霊塔」
「イイエ、貴女が何と仰有っても嘘を吐いたり人を欺いたりする事は私には出来ません。正直過ぎて夫が為に失敗するなら失敗が本望です」と健気けなげにも言い切るは怪美人だ、扨は虎井夫人から余り正直すぎるとか何故人を欺さぬとか叱られて、夫に反対して居ると見える、何と感心な言葉ではないか、正直過ぎて失敗するなら失敗が本望だとは全く聖人の心掛けだ、余は一段も二段も怪美人を見上げたよ、次には虎井夫人の声で「場合が場合ですもの少し位は嘘を吐かねば、其の様な馬鹿正直な事ばっかり言って何うします」怪美人「イエ何の様な場合でも同じ事です、若し私の馬鹿正直が悪ければ是で貴女と分れましょう、貴女は貴女で御自分の思う様にし、私は独りで自分の思う通りにします、初めから貴女と私とは目的が別ですもの」  
 
河口慧海
「チベット旅行記」
「それじゃあ死んだらどうする。成就されんじゃないか。」「死ねばそれまでの事、日本に居ったところが死なないという保証は出来ない。向うへ行ったところが必ず死ぬときまったものでもない。運に任して出来得る限り良い方法を尽して事の成就を謀るまでである。それで死ねば軍人が戦場に出て死んだと同じ事で、仏法修行の為に死ぬほどめでたい事はない。それが私の本望であるから惜しむに足らぬ」というような事で長く議論をして居りましたが、同氏はどう留めても肯かぬと見られたか若干の餞別を残して夜深に帰って行かれた。
・・・我が戒法を守るということのために殺されるというのは実にめでたい事である。これまでは幾度か過ちに落ちて幾度か懺悔してとにかく今日まで進んで来た。しかるにその進んで来た功を空しくしてここで殺されるのが恐ろしさにあの魔窟に陥るということは我が本望でない。ただ我が本師釈迦牟尼仏がこれを嘉納かのうましまして私をして快く最期を遂げしめ給わるようにという観念を起して法華経を一生懸命に読んで居ったです。
・・・私がいうにはそれは結構な事だ、お前と一緒にならずにお前たちの親の兄弟に殺されるというのは実に結構な事である。もはや雪峰チーセも巡りこの世の本望は遂げたから死は決して厭うところでない。むしろ結構な事である。で私は極楽浄土のかなたからお前たちが安楽に暮せるように護ってやる。是非今夜一つ殺して貰おうとこういって向うへ追掛け〔かえって反撃し〕てやりました。  
 
楠山正雄
「牛若と弁慶」
弁慶はおどろいて、「じゃあ、源氏の若君ですね。」といいました。「うん、佐馬頭義朝の末子だ。お前はだれだ。」「どうりでただの人ではないと思いました。わたしは武蔵坊弁慶というものです。あなたのようなりっぱな御主人を持てば、わたしも本望です。」といいました。  
 
邦枝完二
「歌麿懺悔」
「それアそういやそんなもんだが、あんな女と会いなすったところで、何ひとつ、足になりゃアしやせんぜ」「足しになろうがなるめえがいいやな。おいらはただ、お前の敵を討ってやりさえすりゃ、それだけで本望ほんもうなんだ」「あっしの敵を討ちなさる。――冗、冗談いっちゃいけません。昔の師匠ならいざ知らず、いくら達者でも、いまどきあの女を、師匠がこなすなんてことが。――」  
 
江戸川乱歩
「押絵と旅する男」
でもね、私は悲しいとは思いませんで、そうして本望を達した、兄の仕合せが、涙の出る程嬉しかったものですよ。私はその絵をどんなに高くてもよいから、必ず私に譲ってくれと、覗き屋に固い約束をして、(妙なことに、小姓の吉三の代りに洋服姿の兄が坐っているのを、覗き屋は少しも気がつかない様子でした)家へ飛んで帰って、一伍一什を母に告げました所、父も母も、何を云うのだ。お前は気でも違ったのじゃないかと  
 
オルコットルイーザ・メイ
「若草物語」
「あなたのおとうさんです。おとうさんは、忍耐なさいます。どんなときも、人をうたがうことなく不平なく、いつも希望をもっておはたらきになります。おとうさんは、あたしを助けなぐさめ、娘たちの御手本になるように、教えて下すったのです。だから、あたしは娘たちのお手本になろうとしてじぶんをよくすることに努めました。」「ああ、おかあさん。もしあたしが、おかあさんの半分もいい子になれたら本望ですわ。」「いいえ、もっともっといい人になって下さい。今日味ったよりも、もっと大きな悲しみや後悔をしないように、全力をつくして、かんしゃくをおさえなさい。」  
 
森田草平
「四十八人目」
「さ、その刀で一思いに殺してくだされませ。それほどわたしの身を思うてくださるあなたのお手に懸って死ぬのは、わたしも本望でござんすわいな」「ま、待て、待てと言ったら、少し待ってくれ!」と、小平太はすっかり周章ててしまった。「そういちがいに言われても、わしにはお前を手に懸けることはできそうもないわい」「え、何と言わしゃんす? そんならわたしゆえに未練が出るから殺しに来たとおっしゃったは、ありゃお前本気ではござりませぬかえ」  
 
加藤文太郎
「単独行」
この最高点から雄山神社を越して薬師岳が見えるし、大汝の上には黒部谷下流の白馬側の山が見える。冨山のパーティのうち頂上へは二人しか登らなかった。他の二人は追分の小屋にいるときからすでに消耗していた人である。頂上へ登ったリーダーらしい方の人は、これで春夏秋冬と立山の頂上へ登ることができて本望であると言って喜んでいた。一ノ越で一行から蜜柑を御馳走になる。  
 
ダビットヤーコプ・ユリウス
「世界漫遊」
大尉になり次第罷るはずである。それを一段落として、身分相応に結婚して、ボヘミアにある広い田畑を受け取ることになっている。結婚の相手の令嬢も、疾っくに内定してある。令嬢フィニイはキルヒネツグ領のキルヒネツゲル伯爵夫人になるのが本望である。この社会では結婚前は勿論、結婚してからも、さ程厳重に束縛せられないと云うことを、令嬢は好く知っているのである。  
 
佐藤垢石
「老狸伝」
武士がその傍らへ走り寄ると、狸は苦しげな声で自分は年古くこの城のなかに棲んでいる。恰かも、城の将兵から飼われているのも同じようであった。ところが、昨夜の戦いで城方が甚だまずい。この分では、落城に及ぶかも知れぬと知ったとき、傍観するのに忍びなかった。そこで、多数の将兵に化けて出で、力の限り闘って、このように深い手傷を負ったけれど、北条武田方を敗走せしめたのは本望であった。これで、多年の御恩返しもでき、無事に極楽へ行けましょう。こう、苦しいなかから物語り終わると、息を引き取ったという。  
 
本庄陸男
「石狩川」
その一つ一つ――どれもこれも、未だこの世に、人間のあることをさえ知らなかった。そういう汚れない処女地に、彼らの手がはじめて触れるのである。自然の土は、彼らの思いのままになるか、または逆らうか、それは手をつけてみなければ判わからない。ただこれだけは云えるのだ、――誰に妨げられることもなく彼らは、彼らの意のままに、すべての膂力と意力を傾けてたたかうことが出来る、征服するか、それともこちらが斃れるか、ぎりぎりで挑むことが出来るであろう。そこまで徹するのが、これが、さむらいの本望であった。  
 
牧逸馬
「双面獣」
「私はあなたに告白し度かったのです。長老に昇進する前日、土曜日に、余っ程告白しようと思って、牧師館の前まで行ったのですが、とうとう其の勇気が無くて引っ返して来ました。早く告白して、牧師さんの手で警察へ渡されれば本望だったのです」  
 
矢田津世子
「罠を跳び越える女」
「疑うの? 安心していいのよ。でも、私が出ちゃったら却って外部での運動が自由でやりいいわ。こうなるのが本望だったわね、あのゴリラの奴ったら、私を罠へかけるつもりで、その実、奴自身が罠に引っかかってるのよ。醜態だわ。……でもね、これからが危険期でしょ。だからあんたの出来る限りのカモフラージュはね。」  
 
小栗虫太郎
「人外魔境」
「本望だろう。ケティは、遠い遠いむかしの、血の揺籃のなかへ帰った。ケルミッシュは、現実をのがれて夢想の理想郷へいった。二人はいいが……せっかく此処まで漕ぎつけて失敗じる俺は哀れだ」 となおも手をついて起き上ろうと試みたとき、ふと掌のしたに紙のような手触りを感じた。みると、ケルミッシュが書いた走り書きのようなものだった  
 
横光利一
「上海」
山口はしばらく甲谷を見ていてから急に高く笑い出した。「そうだ。死人になったら、俺の家の鼠にやってくれ。定めし鼠どもも本望だろう。」「そりゃ、本望だろう。鼠にだって、この頃は洒落たのはいるからね。」 山口は、ともかくもこの場の悲痛な話を冗談にしてしまう甲谷の友情を感じたのであろう。  
 
三上於菟吉
「雪之丞変化」
「怖ろしゅうござんすとも――あなただって、今こそ、あたしをそんな目で見ているけれど、もし、一度何してから、途中で逃げ出そうとでもして御覧なさい。そのときには、思い当りますよ。ほ、ほ、ほ、ほ」「いや、拙者、そなたに殺されるなら殺されても本望じゃ」「まあ、それはそれとして、じゃあ、明日の晩、あたしが、必ず、あの人を、柳ばしの方角まで引き出します――その途中、どこか淋しいところへ張っていて、盗んで下さい。連れていく場所も見立てて置きますから――」  
 
宮崎湖処子
「空家」
彼は瓜、茄子、南瓜、大角豆、満ちたる大いなる籃と五升入りの徳利とを両手に提て訪い来たれり、「姐子今日は兄貴が一七日、大方法事を営まるることと、今朝寺に案内し、帰るさに三奈木の青物店に立ち寄り、初物品々買うて来ぬ、兄貴は大角豆が好きなりしゆえ、余分に求めしわが寸志、仏前に捧ささげられたし、もしこの籠一個にて今日の法事の済みもせば、われにもこの上なき本望なり」と、絶望の余にかかる恵みの音ずれあり、ことさら夫が好きの物と聞くからに、感謝の語のすべることも無理にはあらず、「夫に勝る卿の親実、しみじみ嬉しく忘れはせじ」と  
 
村井弦斎
「食道楽」
「大原君だって下宿屋生活ではなおさらこの食餌箋通りなものを作る事が出来まいから僕も家へ帰ったらお登和にタピオカの料理でも拵えさせて進あげようか」とこの一語に大原ムクムクと起き上り「ウムお登和さん、是非願いたい」と俄かに嬉し顔。側にいたる小山が「大原君悦こび給え、中川君がお登和さんの事を承知されたよ。君の本望は達したよ」と聞いて大原立上って雀躍りし「ありがたい、モー病気全快だ」
・・・千金の薬も愉快といえる感じに優るものなし。今までは起きも得ざりし病人の大原が本望成就と聞きて床の上に端座なし「小山君僕は深く君の恩を感謝する。中川君はお登和嬢を僕の処へくれると承諾されたのだね。実にありがたい。中川君、一たび承諾された以上は後に再び変更する事はあるまいね」中川「大丈夫だ」と笑いながら言う。  
 
近松門左衛門
「冥途の飛脚」
「なぜに命が惜しいぞ二人死ぬれば本望、今とても易いこと分別据ゑて」「下んせなう」「ヤレ命生きゃうと思うて此の大事が成るものか、生きらるるだけ添はるるだけ高は死ぬると覚悟しや、」「アアさうじゃ生きらるるだけ此の世で沿はう、・・・」「木綿附鳥に別れ行く栄耀栄華も人の金、果ては砂場を打ちすぎて、後は野となれ山となれ、」 二人は大和路を目指して逃げ延びてゆく。  
 
シェリーメアリー・ウォルストンクラフト
「フランケンシュタイン」
――あなたがたに泣けというのだ――無量の涙を流して。もしも、こうして仮借のない運命がその本望を遂げるならば、そして、墓穴に入って平和になる前に、あなたがたの悲痛な苦しみのあとで、破壊の手が休むならば、この男は、望み以上に幸福なのだ! このように私の予言的な魂は語った。  
 
牧野富太郎
「植物一日一題」
それは春から夏を過ぎて秋となり、その間長い月日の間何んの滞りもなく生長を続けてついに成長の期に達し、待たれた本望を遂げて千秋楽とはなったのである。そしてなお樹上にはその実が沢山に残っているから、そこでもここでも同じく華燭の盛典が挙げられめでたいことこの上もなく、許嫁の御夫婦万歳である。そのうちに右の実がいよいよ軟く黄熟し烈臭を帯びて地に落ち、葉もまた鮮やかな黄金色を呈して  
 
正岡容
「小説 円朝」
でもそんな寂しさ、間もなく本望を遂げて落語家になられたというこのあまりにも大きな喜びの前に、ひとたまりもなくどこかへ消しとんでいってしまった。身体中にはち切れそうないまの喜びは「魂ぬけて」いそいそというのが本音だったろう、全く誇張でなしに小圓太は圓生の住居中をフワフワフワフワ他愛なく飛んで歩いていた。  
 
南方熊楠
「神社合祀に関する意見」
この社も件の出立王子と今一大字の稲荷社と共に、劣等の八坂神社に合祀して三社の頭字を集めて八立稲神社と称せしめたるも、西の王子の氏子承知せず、他大字と絶交し一同社費を納めず、監獄へ入れると脅すも、入れるなら本望なり、大字民七十余戸ことごとく入獄されよと答え、祭日には多年恩を蒙りし神社を潰すような神職は畜生にも劣れりとて、坊主を招致し経を読ませ祭典を済ます。神か仏かさっぱり分からず。よって懲らしめのため神社跡地の樹林を伐り尽さしめんと命ぜしも、この神林を伐ればたちまち小山崩れて人家を潰す上、その下の官道を破るゆえ、事行なわれず。ついに降参して郡衙より復社を黙許せり。  
 
徳冨蘆花
「小説 不如帰」
「いろいろ御親切に――ありがとうございます。姪あれも一度はお目にかかってお礼を申さなければならぬと、そう言い言いいたしておりましたのですが――お目にかかりまして本望でございましょう」 加藤子爵夫人はわずかに口を開きぬ。答うべき辞を知らざるように、老婦人はただ太息つきて頭を下げつ。ややありて声を低くし 「で――はどちらにおいでなさいますので?」  
 
小林多喜二
「党生活者」
一日を廿八時間に働くということが、私には始めよくは分らなかったが、然し一日に十二三回も連絡を取らなければならないようになった時、私はその意味を諒解した。――個人的な生活が同時に階級的生活であるような生活、私はそれに少しでも近附けたら本望である。  
 
宮本百合子
「ひしがれた女性と語る」
若し、貴女が真個に良人を愛し、その愛の為に自己を貫き度いと云うのなら、どこまで遣れるか、遣れる処まで突き進んで見たらよいではありませんか、たといその為に行倒れになったとしても本望でしょうと云う、言葉は燃え、壮さかんです。けれども、それが、全く生命を以て生きるのは、義人の魂の裡丈だと云うことを、私共は忘れてはなりません。
「獄中への手紙」
いろいろの点からよめる本とよんでいられない本とがあってね。そのことも面白い文化の諸相です。ところで六月二十六日朝のお手紙の前の分というのは月が変ってもいまだに出現いたしません。どこへ行ったのでしょうね、又そちらのところではなかったのかしら。私はそれで本望だけれど、郵便やさんは字だけよむのでね、不便ね。  
 
柳田国男
「山の人生」
ところが後世になるにつれて、勝利は次第に人間の方に帰し蛇の婿は刺された針の鉄気に制せられ、苦しんで死んだことになっている例が多い。糸筋を手繰って窃そかに洞穴の口に近づいて立聴すると。親子らしい大蛇がひそひそと話をしている。だから留めるのに人間などに思いを掛けるから命を失うことになったのだと一方がいうと、それでも種だけは残してきたから本望だと死なんとする者が答える。いや人間は賢いものだ、もし蓬と菖蒲の二種の草を煎じてそれで行水を使ったらどうすると、大切な秘密を洩らしてしまったことにもなっている。  
 
久生十蘭
「顎十郎捕物帳」
あわてて投込場から死体を盗んだのがまたいけない。こうヤキが廻ったからには、しょせん悪あがきをしてもそれは無駄。千仞の功を一簣に欠いたが、明石の浜の漁師の子が、五十万両の万和の養子の座にすわるとありゃアまずまず本望。……逃ふけるならお前らだけで逃てくれ。おれは、この座敷を動かねえんだ……と、座敷のまんなかにごろりと大の字に寝っころがった。  
 
幸田露伴
「五重塔」
源太はいよ/\気を静め、語気なだらかに説き出すは、まあ遠慮もなく外見もつくらず我の方から打明けやうが、何と十兵衞斯しては呉れぬか、折角汝も望をかけ天晴名誉の仕事をして持つたる腕の光をあらはし、慾徳では無い職人の本望を見事に遂げて、末代に十兵衞といふ男が意匠ぶり細工ぶり此視て知れと残さうつもりであらうが、察しも付かう我とても其は同じこと、さらに有るべき普請では無し、取り外ぐつては一生にまた出逢ふことは覚束ないなれば、源太は源太で我おれが意匠ぶり細工ぶりを是非遺したいは  
 
尾崎紅葉
「金色夜叉」
「唯一目私は貫一さんに逢ひまして、その前でもつて、私の如何にも悪かつた事を思ふ存分謝りたいので御座います。唯あの人の目の前で謝りさへ為たら、それで私は本望なのでございます。素より容してもらはうとは思ひません。貫一さんが又容してくれやうとも、ええ、どうせ私は思ひは致しません。容されなくても私はかまひません。私はもう覚悟を致し……」
「私はもうそんな事はかまひませんのです。私の体はどんなになりませうとも、疾から棄ててをるので御座いますから、唯もう一度貫一さんにお目に掛つて、この気の済むほど謝りさへ致したら、その場でもつて私は死にましても本望なのですから、富山の事などは……不如いつそさうして死んで了ひたいので御座います」
・・・ですから、唯その胸の中だけを貴方に汲んで戴けば、私それで本望なので御座います。これ程に執心致してをる者を、徹頭徹尾貴方がお嫌ひ遊ばすと云ふのは、能く能くの因果で、究竟貴方と私とは性が合はんので御座いませうから、それはもう致方も有りませんが、そんなに為されてまでもやつぱりかうして慕つてゐるとは、如何にも不敏な者だと、設ひその当人はお気に召しませんでも、その心情はお察し遊ばしても宜いでは御座いませんか。決してそれをお察し遊ばす事の出来ない貴方ではないと云ふ事は、私今朝の事実で十分確めてをります。
・・・「貫、貫一さん、早く、早くこの刀を取つて下さい。さうして私を殺して下さい――貴方の手に掛けて殺して下さい。私は貴方の手に掛つて死ぬのは本望です。さあ、早く殺して、私は早く死にたい。貴方の手に掛つて死にたいのですから、後生だから一思ひに殺して下さい!」
・・・「宮、待つてゐろ、俺も死ぬぞ! 貴様の死んでくれたのが余り嬉いから、さあ、貫一の命も貴様に遣る! 来世で二人が夫婦に成る、これが結納だと思つて、幾久しく受けてくれ。貴様も定めて本望だらう、俺も不足は少しも無いぞ」
・・・もしや後悔してお在でなんぢやなからうかと思ふと、私だつて好い気持はしないもんだから、つい向者はあんなに言過ぎて、私は誠に済みませんでした。それはもう貴方の言ふ通り悪縁には差無いんだけれど、後生だからそんな可厭な事は考へずにゐて下さい。私はこれで本望だと思つてゐる  
 
森鴎外
「北条霞亭」
「越後田巻彦兵衛一旦常安寺にて僧となり候へども、僧は本望にも無之、やはり還俗修業仕たきよしにて、時々書物もち参り候。此節は三条通の借屋に居申候。此方は遠方にも有之、京都に而佐野か北小路などへ頼遣べき様申候へども、何分私へ随身仕たきよし申候。尤梅谷生など上り候て藪之内又々居住仕候はゞ、夫に同居願ひたきと申候。飯費等の義は用意もいたし候よし、これも未だ得とは引受不申候。常安寺などにてはいかやうに被思居候や。
「伊沢蘭軒」
「舌代。蒙御免書中を以伺上仕候。向寒之砌に御座候得共、益御機嫌宜敷御住居被為在、大慶至極奉存候。扨旦那様御病中不奉御伺うち、御養生不相叶御死去被遊候との御事承り驚入候。野子ども朝暮之歎き難尽罷在候。別而尊君様御方々御愁傷之程如何計歟御察し奉申上候。随而甚恐入候得共御麁末なる造花御霊前様へ御備被下置候はゞ、親子共本望之至に御座候。只御悔之印迄に奉献之度如此に御座候以上。霜月甘二日。市川白猿。市川三升。伊沢様御新造さま。」  
 
萩原朔太郎  
「青猫」
附録の論文「自由詩のリズムに就て」は、この書物の跋と見るべきである。私の詩の讀者は勿論、一般に「自由詩を作る人」、「自由詩を讀む人」、「自由詩を批評する人」、「自由詩を論議する人」特に就中「自由詩が解らないと言ふ人」たちに讀んでもらふ目的で書いた。自由詩人としての我々の立場が、之れによつて幾分でも一般の理解を得ば本望である。  
 
室生犀星
「津の国人」
「よくは覚えぬが母が父のもとに見えたときにお持ちになったものらしい、母がよく埃をはらい御みがきをかけておられたことを覚えている。」「母上様におことわりを申さなければなりませぬ。」「そなたが肌身はだみ離さず持っていてくれることは、母上にもきっと御本望でござろう。」「あまりに不束かにて恐れ入るばかりでございます。」筒井は父母の位牌の前に行き  
 
島崎藤村
「旧主人」
「さ、も一つ召上りませんか」「沢山」「そう、そんなら私頂きましょう」「え、召上るんですか。――然し、もう御廃しなさいよ」「何故、私が酔ってはいけませんの」「貴方のは無理な御酒なんだから」「それじゃ未だ私の心を真実に御存じないのですわ。私はこうして酔って死ねば、それが何よりの本望ですもの」
「破戒」
私が阿兄に、何か言つて置くことはねえか、と尋ねたら、苦しい中にも気象んとしたもので、「俺も牧夫だから、牛の為に倒れるのは本望だ。今となつては他に何にも言ふことはねえ。唯気にかゝるのは丑松のこと。俺が今日迄の苦労は、皆な彼奴の為を思ふから。日頃俺は彼奴に堅く言聞かせて置いたことがある。何卒どうか丑松が帰つて来たら、忘れるな、と一言左様さう言つてお呉れ。」
・・・といふは、もし根津の寺なぞへ持込んで、普通の農家の葬式で通ればよし、さも無かつた日には、断然謝絶られるやうな浅猿しい目に逢ふから。習慣の哀しさには、穢多は普通の墓地に葬る権利が無いとしてある。父は克く其を承知して居た。父は生前も子の為に斯ういふ山奥に辛抱して居た。死後もまた子の為に斯の牧場に眠るのを本望としたのである。
「夜明け前」
しからば自分の家来を老母に付けて置こう、早く案内せとその浪士に言われて見ると、百姓も断わりかねた。案内した先は三町ほど隔たった来迎寺の境内だ。浪士はあちこちと場所を選んだ。扇を開いて、携えて来た首級をその上にのせた。敬い拝して言うことには、こんなところで御武運つたなくなりたまわんとは夢にも知らなかった、御本望の達する日も見ずじまいにさぞ御残念に思おぼし召されよう、軍の習い、是非ないことと思し召されよと、生きている人にでも言うようにそれを言って、暗い土の上にぬかずいた。短刀を引き抜いて、土中に深くその首級を納めた。  
 
作者不詳
「平家物語」
大納言を辞し申て、籠居とぞきこえし。新大納言成親卿のたまひけるは、「徳大寺・花山院に超られたらむはいかがせむ。平家の次男に超らるるこそやすからね。是も万ツおもふさまなるがいたす所なり。いかにもして平家をほろぼし、本望をとげむ」とのたまひけるこそおそろしけれ。父の卿は中納言までこそいたられしか、其末子にて位正二位、官大納言にあがり、大国あまた給は(ッ)て、子息所従朝恩にほこれり。何の不足にかかる心つかれけむ。
「太平記」
是を見て雑賀次郎も蒐入り打死す。已楠と武蔵守と、あはひ僅に半町計を隔たれば、すはや楠が多年の本望爰に遂ぬと見たる処に、上山六郎左衛門、師直の前に馳塞り、大音声を挙て申けるは、「八幡殿より以来、源家累代の執権として、武功天下に顕れたる高武蔵守師直是に有。」と名乗て、討死しける其間に、師直遥に隔て、楠本意を遂ざりけり。
「東照宮御実紀」
光秀を誅戮せん事はもとより望む所なり。去ながら主從共に此地に來るは始なり。しらぬ野山にさまよひ。山賊一揆のためこゝかしこにて討れん事の口おしさに。都にて腹切べしとは定たれと仰らる。其時竹丸怒れる眼に淚をうかめ。我等悔しくもこたび殿の御案內に參りて主君㝡期の供もせず。賊黨一人も切て捨ず。此まゝに腹切て死せば冥土黃泉の下までも恨猶深かるべし。あはれ殿御歸國ありて光秀御誅伐あらん時。御先手に參り討死せんは尤以て本望たるべし。たゝし御歸路の事を危く思召るべきか。此邊の國士ども織田殿へ參謁せし時は。皆某がとり申たる事なれば。某が申事よもそむくものは候まじ。
・・・落城の後赤座內膳永成。伊藤丹後守長次。岩佐右近正壽をはじめ。秀ョの小性十餘人ばかり京の妙心寺に迯入て。海山和尙をもて。撿使をたまはらば腹切むと申上しかば。大閤以來譜代の者どもが。秀ョの先途を見屆し上にて。腹切むといふは本望なり。今度罪する所の者は。大野修理などの首謀のものか。あるは先年關原の役に一旦その命を扶けしものか。又はこたび籠城せしは重科なればゆるすべららず。その外はなべて御ゆるしあれば。心まかせに何方へなりとも立退べしとあれば。みな仁恩をかしこみ。己がじゝあかれ行しとなり。
「大和記 本能寺の変」
對信長公ニ明智光秀逆心ノ刻。光秀筒井へ使ヲ被指越ハ。信長公ニ怨甚依有之。本能寺へ押寄セ御腹メサセ。其ヨリ二條ノ屋形へ取詰。信忠公ニモ御自害被雖候。然ハ御手前ト某事。數年ノ親ミ此時ニ候條味方ニ與シ玉フニ於テハ可爲本望候。於左候ニハ大和紀伊和泉三箇國可進ノ由被申越候。順慶モ家臣ヲ集メ評議區々ノ處ニ。何モ家老ドモ申ハ。兎角明智ノ味方ヲ被成可然ノ旨。申候トモ。松倉右近申ハ。先出馬可有之旨。御返答被成。八幡山マテ御出被成彼地能要害ノ處ニ候條。暫御在陣候得テ。樣子御見合可有。
「明智軍記 織田殿に明智が招かれた事 」
「そなたを招こうと思ったのは、私は今度右兵衛大夫竜興を亡し、尾濃両国を平定し、尾張から美濃に移って、岐阜に在城している。明智というのは元来私の舅斎藤山城守義竜の臣として、濃州の郡司であった家である。時に光秀の叔父宗宿入道は、主君義竜の為に忠義を全うし死んでいった者であれば、この信長としても常に其恩に報なければならないと神明に誓って思っていた処に、今、怨敵竜興を追い出して、会稽の恥辱を雪めて本望を達した。汝もきっと累年の憤りを散らそうではないか。私は、山城守と意を同じくしているので、光秀も旧里に帰って、再度家を起して、世上に名を知らしめてはどうか。」
「菅直人記者会見」 2011/4/22 質疑応答
この大震災と原子力事故のことは、先ほども申し上げましたように、私がそのときに総理という立場にあるというのは、ある意味で私にとっては宿命だと、このように受け止めております。その意味で、この事態に対して何としても復旧・復興、そして2つの危機を乗り越えていく道筋をつくり出していきたい。そうした道筋が見えてくれば、政治家としてはまさに本望だと、このように考えております。