「バカまじめ」 返上

素晴らしいイメージづくり 「バカまじめ」

独占事業の強み
ハガキ 儲からないので値上げします
 


佐川急便
 
 
 
 
 
 
 
「バカまじめ」では 儲かりません
 
一見正論ですが 
歴史的には独占事業グループの一部
本来 グループ内で支えあえものでしょう
支えきれなくなっての値上げが順序のハズ
値上げして黒字化 日本郵便上場では虫が良さすぎませんか
 
来年6月、はがき62円=23年ぶり本格値上げ―日本郵便 2016/12
日本郵便は22日、はがきと定形外郵便物、ゆうメールの料金を2017年6月1日から引き上げると発表した。郵便事業の黒字維持が狙い。消費税導入・増税時を除く本格的な郵便料金の値上げは1994年1月以来、約23年ぶりとなる。赤字幅が大きい通常はがき(現行52円)は10円値上げし、62円とする。年賀はがきは12月15日から翌年1月7日の間に「年賀」と明記して差し出した場合に限り、52円のまま据え置く。封書のうち定形郵便物は82〜92円を維持する。定形外郵便物は規格を定め、それに収まらない大きさのものは重量に応じて80〜150円値上げする。規格内のものは一部を値下げするが、平均で1通当たり100円程度の値上げとなる。ゆうメールも規格を超える場合に85〜100円値上げする。
日本郵便は今回の値上げに伴い、通常はがきの差し出し数が年間約2億枚減る一方、年300億円程度の増益効果があると予測。17年度の営業赤字転落が確実視されていた郵便事業が黒字を確保できるようになるとみている。同社は「22年間、営業努力で(実質的に)価格を据え置いてきたが、流通量減少や人件費上昇で赤字が拡大した。値上げを理解してほしい」と説明している。 
 
日本郵政 2015/10
日本郵政(持ち株会社)とその子会社ゆうちょ銀行、かんぽ生命の3社が2015年11月4日に上場することが決まりました。誰にもなじみの深い郵便事業の親子3社同時上場には大きな注目が集まっています。日本郵政と、グループの3つの事業セグメントである日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の業績をまとめたのが以下の表です。
連結売上(経常収益)が約14兆円、総資産約296兆円、従業員約22万人の巨大企業グループですが、以下の点でも規模の大きい会社です。
○全国2万4464局の郵便局(セブン―イレブンの店舗数は全国1万8092店=いずれも8月末)
○ゆうちょ銀行の総資産は約208兆円(三菱東京UFJ銀行の総資産は約195兆円=いずれも単独ベース3月末)
○かんぽ生命の総資産は約85兆円(日本生命の総資産は約62兆円=いずれも単独ベース3月末)
ニュース記事や一般的な投資家はグループ連結で規模の大きさを見ます。しかし、どんな企業にも儲かっている事業、これから儲かる事業、もう儲からない事業があります。では、日本郵政の場合、3事業のどれがグループ全体の利益源で、どれが足を引っ張っているのでしょうか。こういう疑問は、連結業績を見ても分かりません。そこで、セグメント情報を見ることにします。
「セグメント情報」とは、企業の売上高などの業績を、業種や地域別に集計し直した情報のことです。以下では、セグメントに分解された指標を見て、日本郵政の本当の姿を解き明かすことにします。
社名の「日本郵政」から、手紙・はがき、ゆうパックなどの郵便事業が本業のように思えますが、そうではないのです。
郵便事業(日本郵便)は利益面でグループ全体にほとんど貢献していません。確かにグループ全体の9割近い約20万人が従事していますが、売上高(経常収益)の構成比はグループ全体の2割程度(3兆円弱)にとどまっています。さらに、経常利益率はおおよそ1〜2%の水準に低迷しています
一方、ゆうちょ銀行は、グループ総資産の約8割、200兆円以上の巨額な総資産を持ち、さらに約1兆1158億円のグループ利益の5割以上、約5694億円を稼ぎ出しています。資産、利益の面で見ると、日本郵政は銀行業とも言えるのです。
かんぽ生命も優秀です。グループ売上(経常収益)の約7割、約10兆円(主に保険料収入)の売上高があり、グループ利益の4割以上にあたる約4931億円を稼ぎ出しているのです。
このように、セグメント情報に着目すると、日本郵政グループの利益は、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の金融2社が9割以上を稼ぎ、郵便事業(日本郵便)はあまり貢献していないことが分かります。日本郵政の子会社のうち、日本郵便だけが上場しない理由のひとつは、収益性の低さにもあるのでしょう。 
 
“バカまじめ”な郵便局員
お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志(50)が、日本郵便『ゆうパック』のイメージキャラクターに起用され、新CMで“バカまじめ”な郵便局員を熱演している。
同CMで松本が演じるのは、異常なまでに真面目な郵便局員。「冗談が通じない」「シャツをズボンイン」「バーでも翌日の配達のために牛乳しか飲まない」同局員が、真剣な表情で黙々と荷物を配達する様子をコミカルに描いている。
同CMに起用された松本は、「こういう時いつも思うというか、今でも思ってるんですけど、ドッキリなんじゃないかなーって」と照れをみせ、「どうしてもカメラを探してしまうところがありますね。30年以上芸能生活をやってて、できるだけそういうところは出さないようにしてきてたんですが、とうとう僕のまじめさが、世間にバレちゃったのかなっていう気がしますよね(笑)」とユーモアたっぷりにコメント。
また、撮影を振り返り「意外と走らすなーと(笑)。それもこのまじめさで乗り越えましたけど、もっと走れたなー(笑)」とキャラを交えて回顧。さらに、自身の真面目な一面について「夜寝る前なんか一日の反省をして、ふとんの中でしばらく寝れなかったりとか、そういうことはありますよね。あそこはもう少しボケれたんじゃないか、もう少し突っ込みやすいボケはなかったんだろうかと日々考えてますからね。今日のことも持ち帰ろうかなと思っています(笑)」と明かしている。
松本は、40段ある急な階段を一気に駆け上がったほか、50メートル以上走るシーンなどハードな撮影を敢行。「よう走らすな〜」と笑顔でボヤきつつも、自身の演技を監督と何度も話し合うなど、真剣そのものだったという。  
 
 
他人の目を意識させる
「バカまじめ」CMを見たとき 昔の佐川急便CMを思い出しました
初期の佐川のマナーの悪さ 不評でした
クロネコとの比較もあり 不評対策CMだったのでしょう
丁寧・愛想のよい配達風景 社員に世間の目を向けさせるCMでした
佐川のマナーは一変しました
 
もしかして「バカまじめ」も 社員教育の一環
見られていることを意識すると 
普通の人間なら 結構よかれと努力します 
 

 
2016/12
 
 
 
佐川急便 
●サービス−お客さまへの姿勢[1]
創業者・佐川清の飛脚業にかける思い
佐川急便の創業者・佐川清が飛脚業をスタートしたのは1957年。お客さまのことを考え、お客さまのためにできることを精一杯実践するという「飛脚の精神」を胸に、仕事に励みました。そのスピリットは半世紀を経たいまでも、佐川急便にしっかりと受け継がれています。
佐川清と飛脚の精神
1957年、佐川急便の創業者である佐川清は、35歳で「飛脚になろう」と決心しました。その佐川清を生涯支え続けたのが「飛脚の精神」です。ある時、佐川清は問屋から大きな商品を1軒の小売商店に届けました。荷物を届けて立ち去ろうとしていた彼が、ふと後ろを振り返ると、その店のおかみさんが必死に重い商品を持ち上げようとしていました。彼はすぐに「気が利きませんでした」とあやまりながら、その荷物を店の奥まで運びました。おかみさんは、たいへん喜んで何度も彼にお礼を言いました。その後、佐川清は配達先でかならず「どこに置きますか」と尋ね、言われた場所まで荷物を運ぶことにしました。飛脚とは、「単に荷物を運ぶだけではない。お客さまのために自分がいま、何ができるかを考え、できることを常に精一杯実践する」こと。そんな佐川清の「飛脚の精神」が佐川急便の礎となっているのです。
佐川清のお客さま観
佐川清が飛脚業を始めた当初、荷物を託してくれるお客さまは一人もいませんでした。気落ちしている彼に百貨店に勤める知人が、「今日の冷やかし客は、明日のお得意様だ」と話してくれました。
「百貨店には毎日たくさんのお客さまが来店されるが、実際に買い物される方はその一部。多くのお客さまは『気に入った品物がない、予算と合わない』などという理由で、何も買わずにお帰りになる。でもそれはお客さまが買いたいと思える商品をご予算に合わせて準備できなかった百貨店に問題があるのだ。だからお買物をされずに帰られるお客さまには『申し訳ありません』という気持ちを込めて、心の底から『またどうぞお越し下さい』と頭を下げる…」。
佐川清はこの話に大きく心を動かされました。早速、今までに営業に回ったお店の名前を書きだし、「顧客リスト」を作りました。そして、いままで以上にお客さまのことを考え、仕事に励むようになったのです。
佐川清の責任感
佐川清がどれほど責任感を持って、飛脚業を営んでいたかを示すエピソードがあります。ある夜、京都の西陣にある呉服店から「どうにかして明日の午前中までに、花嫁衣装を松江市内の結婚式場まで届けてほしい」という注文がきました。京都の呉服店の仕立てが遅れ、花嫁衣装ができあがったのが結婚式前夜だったのです。佐川清は「わかりました」と快く引き受け、深夜、島根県松江市を目指して車を走らせました。途中ほとんど休憩もとらず運転し続け、無事結婚式に間に合うよう花嫁衣装を届けました。そのとき佐川清が受け取った運賃は、着物1着の小口荷物1個分だけでした。「特別料金を払いたい」という申し出に、佐川清は「ご注文のお荷物を、お届けさせていただいただけです」と言って余分な料金をいっさい受け取りませんでした。このような、常にお客さまのために責任を持って仕事をするという佐川清の精神は、今も佐川急便に受け継がれています。 
●サービス−お客さまへの姿勢[2]
お客さまに支持された「迅速・確実・丁寧」のモットー
北陸地方では歴史的な大雪にみまわれた「三八豪雪」における奮闘、また大阪では万国博覧会の開催を控えて活気づくなかでの「迅速・確実・丁寧」のモットーの実践、そして仙台での「荷物一つでも喜んで」というサービス重視の営業と、各エリアで佐川急便の存在感をアピールするサービスを展開することで、お客さまから大きな支持を得ました。
北陸地方における三八豪雪時の働きぶり
佐川急便の最初の地方拠点は北陸でした。1960年代前半、当時金沢店で保有しているトラックは6、7台で、富山県高岡出張所に至ってはトラック1台と自転車2台を保有しているだけでした。このころ、1962年末から1963年1月にかけて北陸地方を中心とした地域が、「三八豪雪」と呼ばれる大雪にみまわれました。積雪量は金沢市で181cm、高岡市で225cmと地域全体が雪に覆われ、道路も鉄道も寸断されてしまうような状況でした。各地に自衛隊が派遣され、除雪作業が進められるなか、当社契約のトラックが荷物を積んで、現地に向かいました。金沢店では冷蔵庫のように冷え切った店舗で、いつ着くかわからない荷物の到着を、社員が交代で待ちました。そして荷物が届くたび、豪雪のなかお客さまの元に配達してまわったのです。この三八豪雪時の働きぶりによって佐川急便は、金沢を初めとする北陸地方での信頼を一挙に高めました。
「迅速・確実・丁寧」のモットーを実践。
1968年1月、大阪市東成区深江に佐川急便大阪店が開設されました。当時の大阪は万国博覧会の開催を控え、建設ラッシュが始まり、当社の営業開拓の主戦場も大阪でした。その大阪店では、配送の順番はそれぞれのお客さまの荷物の必要度、緊急度に応じて決められていました。午前8時前後にはお客さまの元に届けられる荷物もあり、開店前なら事前にお聞きしたカギのかかっていないシャッターをドライバーが開いて荷物を店内に搬入し、開店後に受領印をいただきに行くケースも少なくありませんでした。それほど当社のドライバーはお客さまから信頼されていたのです。セールスドライバーたちは、集配の合間に「遠距離でも佐川急便でしたら、翌朝にはかならず配達させていただきます」と新規取引を勧誘してまわりました。この「迅速・確実・丁寧」という当社のモットーは、どのお客さまにも好評で、またたく間に仕事が増えていきました。
「荷物一つでも喜んで」とアピール。
1977年11月、東北佐川急便では新ターミナルを建設し、その時点で、仙台店を核に9店舗を開設していました。仙台では、佐川急便は当初無名に近い存在でした。しかし、意気盛んなドライバーが階段を駆け上がり、元気よく「おはようございます。佐川急便です」と言いながら、ビルの上階にあるお客さまの手元まで荷物を届けると、誰もが「えっ、わざわざここまで持ってきてくれたの?!」と驚き、素直に喜んでくださいました。そのお客さまの笑顔がドライバーにとって、何よりの報酬でした。地元の運送業者は大口貨物にしか関心を示さず、配送に時間がかかるうえ、荷物もビルの入り口に降ろすだけでした。当社のセールスドライバーは「ここからの発送荷物がありましたら、翌日到着でお届けしますので、お電話ください。一つでも喜んで集荷に参ります」と営業したので、たちまち佐川急便の評判はあがり、集荷個数も増えていきました。 
 
●インフラ整備
お客さま満足度を高めるシステムを開発、導入
1970年代後半から、佐川急便は積極的にシステム開発を手がけるようになりました。1977年に伝票のマイクロフィルム化でお客さまからの問い合わせに即時対応できる体制を整えたり、1980年に先進の電話応答システムを開発するなど、お客さまの利便性向上に努める一方で、1982年には全集配車に新しい無線システムを導入しました。
伝票のマイクロフィルム化
創業20周年を迎えた1977年、佐川急便は順調に拠点を増やし、取扱い荷物も増加の一途をたどっていました。セールスドライバーが「荷物が湧いてくる」と叫ぶほど、ホームはさばき切れない荷物でいっぱいで、お客さまからの荷物の問い合わせ電話も増える一方でした。毎日朝早くから、「うちの荷物、まだ届かないけれど、どうなっているの?」「いったい何時ごろ配達してくれるのか?」という切羽詰まった問い合わせで、管理室の電話は鳴りっぱなしという状態が続きました。そのため、お客さまからの問い合わせにいかに早く的確に対応できるか、という情報システムの向上が不可欠となりました。そこで1978年に実行されたのが、伝票のマイクロフィルム化です。伝票をマイクロフィルム化したことによって、ボタン操作ひとつで瞬時に必要な伝票が画面に出現し、お客さまの問い合わせに即時対応することができるようになりました。
電話応答システムを開発、実用化
1979年12月、佐川急便(東京)の新社屋が竣工し、それに伴ってますますシステム化、コンピュータ化が進められました。まずコンピュータメーカーと共同でコンピュータを活用した「電話応答システム」を開発し、1980年に実用化しました。このシステムは、事前にお客さまの必要な顧客情報をインプットしておけば、お客さまからの電話依頼や問い合わせに対し、インフォメーション室(電話集荷受付室)の担当者が、すぐに無線で担当ドライバーを呼び出し、正確な指示を与えることができるというもの。また、集配作業や運転で、常時無線連絡に対応できないドライバーは、作業や運転の合間にインフォメーション室に電話して、自分の担当地区であるお客さまの依頼を確認し、すぐに対応することも可能になりました。これと同時に、送り状のデータをコンピュータにインプットして、荷物の追跡を迅速かつ確実に行える「荷物の追跡調査システム」の実用化にも成功しました。
高品質通信のMCA無線システムを導入
「電話応答システム」によって、お客さまへの対応は格段に早くなりました。しかしドライバーへの連絡は、品質の悪い旧来の無線システムか、ドライバーからの電話連絡に頼るほかありませんでした。そこで採用されたのが、MCA無線システム(マルチ・チャンネル・アクセス・システム)です。1982年10月に佐川急便(東京)で全集配車に装着されたMCA無線システムは、従来の無線とは異なり、混信に強い高品質の音声を送ることができ、グループ通信機能、同報機能などもある使い勝手のいいものでした。佐川急便では、以後MCA無線システムを各地域で、順次採用していきました。また、このシステムは音声だけではなく、文書や地図などのデータ通信機能も備わっており、この特性を活かし、集配車に新たなデータ伝送システムを取り入れるための開発も行いました。  
●総合物流
総合物流企業として流通加工と配送を一体化
1980年代、従来の運送業から総合物流業へと生まれ変わる佐川急便。その皮切りとなったのが、1979年にスタートしたハンガー輸送と、それに伴う保管倉庫の建設でした。その後、荷物の「保管・梱包・発送の管理」を請け負う佐川物流サービス(現・佐川グローバルロジスティクス)が誕生し、ついに1985年、佐川物流サービスの「SRC(佐川流通センター)」が完成の時を迎えました。
「ハンガー輸送」により新たな境地へ
1980年代からは、佐川急便にとって、ビジネススタイルの変化に対応すべく従来の「運送業」から「総合物流業」へ移行する過渡期ともいえる時期でした。その象徴的なサービスとして、総合物流業への道を模索し始めた1979年に始められたのが、「ハンガー輸送」でした。それまで衣料品は梱包状態でメーカーや卸問屋から、問屋や販売店へ運ばれていました。しかしアパレルメーカーにとっては、商品を梱包せずハンガーに吊した状態で発送するほうが好ましかったのです。そこで佐川急便は、東京・大阪・名古屋・福岡の各社に「ハンガー輸送部」を開設しました。 特に大阪店では4万着、東京店では2万着の保管が可能な保管倉庫を建設。 輸送だけではなく、保管も行うという総合物流企業への第一歩を踏み出したのです。
注目を集めた新社屋の保管倉庫
1981年10月、東京都品川区勝島に佐川急便(東京)の城南店の新社屋が完成しました。新社屋は総敷地面積3,000坪に長さ80m・幅20mの両面ホームを備えたものでしたが、とりわけ注目を集めたのが2階と3階に併設された保管倉庫でした。保管だけでなく、梱包、発送の管理までも行うサービスを開始したのです。この「保管・梱包・発送の管理」は、佐川急便(東京)が新たに設立した佐川物流サービス(現・佐川グローバルロジスティクス)が担当しました。城南店は、流通加工と配送の一体化を目指すグループ初の重要な流通拠点となりました。そして佐川急便(東京)は、さらに翌年の12月、城南店の隣接地にファッション商品を専門に取り扱う、地上8階・延床面積1万4,200坪ほどの巨大な流通加工センター「佐川流通センター(SRC)」の建設工事を開始しました。
「SRC(佐川流通センター)」竣工
創業25周年を迎え、佐川急便の流通加工ビジネスへの取り組みは、ますます本格化していきました。まず佐川急便(中京)が総合物流拠点を完成させ、佐川物流サービスと連携して、流通加工センターの運営を開始。また、大阪・北陸・東北の各地でも佐川急便独自の物流サービス事業を展開し始めました。そのようななか、佐川物流サービスの「SRC(佐川流通センター)」が完成の時を迎えました。SRCは佐川急便の全国ネットワークを活用し、お客さまごとの商品を一括して集荷・物流加工・配送する総合物流拠点。アパレル業界では、商品アイテム数の増加、生産・販売サイクルの短縮化で、在庫管理・配送システムに大きな負担がかかっており、合理化・省力化の要望が急速に高まっていました。SRCは、そのようなお客さまの要望に応えられる最新の物流センターでした。  
 
●顧客サポート
大ヒットシステム「飛伝」シリーズの誕生
1990年代に入り合併を推進していた佐川急便では、それまで各地域で行っていたシステム開発を統一して行うようになりました。そうしたなか荷主と佐川急便をオンラインで結ぶ画期的な出荷支援システム「飛伝98」を開発。「飛伝98」は、その後、「飛伝アシスト」、「飛伝BOY」へと発展し、ついには2001年、「e飛伝」として進化を遂げ、「e飛伝Web」サービスへと引き継がれました。
オンラインシステム「飛伝98」の開発
1990年代はじめ、佐川急便は、合併による組織改革の最中にありました。そうしたなか、取引先向けの画期的な出荷支援システム「飛伝98」の開発が進められていました。すでに1980年代なかば、当社では全社オンライン・ネットワークが完成し、「全国貨物追跡システム」が始動していました。しかし、各社ごとにソフト開発を行うことも多く、合併にあたって統一性に欠けていました。そこで、社内統一の出荷システムを開発することになったのです。その第1号が500件(社)以上の顧客管理を必要とするお客さま向けに開発した、荷主と当社グループをオンラインで結ぶCS(コミュニケーション・サポート)システム「飛伝98」でした。この1992年6月発売の「飛伝98」は、荷主側が送り状を記入する作業が不要で、出荷業務作業の手間と時間、コストを削減できるため、お客さまの評判も上々でした。
「飛伝アシスト」の販売開始
佐川急便は、1994年5月、NTTと共同開発した出荷システム「飛伝アシスト」の販売を開始しました。「飛伝アシスト」は、液晶タッチパネル操作の「テレアシスト5100」を端末とし、ICカードに発送先データを登録しておけば付属プリンタで荷札を自動発行し、送り状がオンラインで着店に伝送されるシステムです。また、液晶端末で荷物の配達状況がリアルタイムに確認できるだけでなく、運賃照会、配達済み受領印票のFAX請求、また送り状控えが出荷確認書として一覧表に印字できる機能も備えていました。この「飛伝アシスト」は出荷データが100件(社)規模のお客さま向けで、発売後の半年で年間目標台数に迫る売れ行きをみせるなど、大ヒットシステムとなりました。お客さまと当社の関係を緊密に結びつける出荷システムは、「飛伝BOY」としてさらに進化していきました。
「e飛伝」の無償配布を開始
2001年4月、送り状発行ソフトウェア「e飛伝」の無償配布を開始しました。「e飛伝」は、お客さまのパソコン機能を活用した「送り状発行」および「配送にともなう情報サービス利用」のためのソフトウェアで、既存のお客さまの利便性を図ること、新規のお客さまに新たに取引を開始していただくことを目的として開発されたものです。無償配布は、この「e飛伝」の持つさまざまな機能を、お客さまに幅広く活用していただくためにスタートしました。また、2006年10月には、インターネットを利用して手軽に、かつ簡単に送り状の発行が可能な「e飛伝Web」サービスが開始され、これによってソフトウェアのインストールや専用プリンターの費用負担がなくなるなど、さらに利便性が向上しました。 
●インターネット
業界に先駆けネット時代のサービスを展開
インターネットがビジネスの世界や一般家庭に急速に普及していくなか、佐川急便はネット時代に対応する新商品サービス「e's(イーズ)」を開発。2000年にはさらに、画期的なサービスとして注目を集めた「e-コレクト」を開始したのに加え、2005年には事前決済システム「e-プレメント」サービスを開始するなど、業界に先駆けてネット時代の革新的なサービスをかたちにしていきました。
ネット時代の新サービス「e's(イーズ)」誕生
1999年11月、新情報システムを駆使した佐川急便の画期的な新商品サービス「e's(イーズ)」が誕生しました。「e's(イーズ)」は、物流EDI (Electronic Data Interchange)によって、商品の入出庫・在庫管理からピッキング、発送、注文番号によるインターネット貨物追跡、インターネット集荷依頼サービス、さらには代金引換のカード決済まで行う総合的なサービスシステムです。また2000年2月には「e's(イーズ)」の一環として、携帯電話を利用して荷物の配達状況が確認できる「荷物追跡システム」と、配達完了荷物の受領印票をお客さま指定のFAXに送信する「配達受領印票要求サービス」を開始するとともに、同年3月には、配達完了を電子メールでお知らせする業界初の「配達完了メールサービス」も開始しました。
業界初のサービス「e-コレクト」
インターネットビジネスをサポートする総合物流サービス「e's(イーズ)」の一環として、2000年6月、新たに加わったサービスが「e-コレクト」です。「e-コレクト」はクレジットカードやデビットカード、電子マネー(QUICPayTM)(東京23区内)を使って、荷物を受け取ったその場で決済ができる、安心、信頼の決済システムです。取引先のお客さまにとってはすぐに商品代金が回収できるため、業界初の画期的なサービスとして、各方面から注目を集めました。また2001年10月には、「e-コレクト」のリボルビング払い・分割払いのサービスも開始しました。「e-コレクト」は多くのお客さまや販売店様に好評をいただき、その利用増に対応するため、決済携帯端末機も3,000台を追加しました。決済可能なカード会社も増え、2006年度における「e-コレクト」取り扱い個数は、約8,500万個にものぼっています。
事前決済システム「e-プレメント」
「e-コレクト」はその取扱個数を順調に伸ばし、2004年9月、「e-コレクト」サービスに追加して、ギフト発送など、商品の購入者と届け先が異なる場合にも対応できる事前決済システム「e-プレメント」サービスを開始しました。これら「e-コレクト」「e-プレメント」などの決済事業を行う佐川フィナンシャルを2005年に設立して、佐川急便は従来の物流事業とファイナンス事業の融合という新しい事業形態への第一歩を踏みだしました。2006年11月には、インターネットオークションの売り手に対する配送物の「受取人確認配達サービス」(現・受取人確認サポート)を開始。これは各セールスドライバーが常備する決済携帯端末機を利用して、宅配受け取り時の「なりすまし」を防止するためのシステムで、宅配便業界初の試みでした。