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「てにをは」
 

 

  
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以下同文 
自分の世界が創れます
 
文書にすることなど簡単なことです
 
印刷雑誌 1968 / 2 「原版作製工程の合理化」 (p2-7) 
怖いもの知らず 神様をさておいて書いてしまいました 
 
 

 
2002/ 
 
 
「てにをは」

 

【弖爾乎波・手爾遠波】(てにをは 平安時代、漢文訓読に使用されたヲコト点のうち、博士家で用いた点図で、漢字の四隅の点を、左下から右まわりに読むと「てにをは」となるところから付属語を代表させたもの) 
1 漢文を訓読するとき、補読しなければならないような語。国語の助詞、助動詞、接尾辞、用言の活用語尾など。 
2 助詞・助動詞等の用法。文の表現法。言葉づかい。 
3 話の前後の関係。話のつじつま。 
【てにをは友鏡】 江戸後期の語学書、東条義門著。文政六年刊。係結びと活用の法則を示す図表。「てにをは紐鏡」を本居春庭の「詞八衢(ことばのやちまた)」と合体、補正したもの。別名、「ともかがみ」「詞遣友鏡(ことばづかいともかがみ)」。 
【てにをは紐鏡】 江戸中期の語学書、本居宣長著。明和八年成立。係りの助詞と結びの用言との呼応の関係を三種に分けて図表に示したもの。宣長の主著の一つ。
  
山本夏彦 二言三言

 

 
日常茶飯事  
「落第」 新時代の堕落は、旧時代の堕落に負うところが多い。  
「レーンコート」 それに、目下流行しているものだけは、断じて買いたくない。  
「アパート山月房」 建築家は建築家で、職人は職人でいいのではないか。  
「タレント」 天は自らあなどるものを、あなどりはしまいか。  
「終のすみか」 あらかじめ売ることを考えて、新築する料簡は、千三ツ屋のそれに似ている。  
「義乳時代」 犬猫でさえ人類よりましである。第一彼らは銭を持たない、従って売淫しない、戦争しない。  
「神妙」 作の真髄を会得する感覚を養うなら、幼少からじかに一流品に接するに如くはない。  
「おむすび」 空腹と空腹感は、本来別物だそうだ。  
「インテリ」 凡百というのは誇張で、百なんぞありはしない。五十もあれば多いほうで、人民の、人民による、人民のための政治−  
「長持」 煙草盆も文机も、すべて滅びる理由があって滅びたのである。 
その本を手にすると洗練され、研ぎ澄まされ、嫌味の無い美しさに驚く。しかし、残念ながら平成18年3月号(615平成18年2月28日発売)をもって、休刊中である。ただ、本人が一流のコラムニストにも関わらず、工作社から出版した山本夏彦氏の本は、この本だけである。文庫本「恋に似たもの著者:山本夏彦発行:中央公論解説:小林信彦」には『「室内」という雑誌を何十年もつづけているもう一人の氏が凄いと思っている。そう思わない人は、雑誌作りというものがどれほどむずかしいかを知らないのである。』とある。さらに、本書の「あとがき」に『「室内」はデザインと工作の分野では、すでに一流のジャーナリズムである。』と書くが、それは昭和37年の時の話しである。40年以上も前にその世界で一流であり最後まで一流であった。この本は探しても、本当に見つからない。この世に何冊あるのだろうか。実際にこの単行本を手にとると、昭和37年発行とあって、本当に趣きある造りでありやはり味わい深い。  
目次の前に推輓文があり、そのメンバーも吉田洋一氏、飯沢匡氏、福田恆存氏であり、その福田氏が「反時代的といふのは、私にとつても山本氏にとつても、一つの仮面に過ぎない。だが、山本氏の場合、この仮面の下にあるものは、大げさな言葉だが、「虚無の深淵」ではないか。」と述べておられる。この時、山本氏もそれほど有名ではなく次の単行本を出版するのに、5年を必要としているのである。流石「一流、一流を識る。」のであろう。そして、最後に次の言葉で声援を送っている。「この出版を機会に、ひよつとすると「天才」かもしれぬ山本氏が、それを縦横に発揮して、凡愚の虚を突き、世間を無明から救済する時の到らん事を祈って止まない。」・・・・・。  
内容は誠に痛烈であり、本書「あんぽんたん」には『単純明快なスローガンがあれば、人はこれだけ興奮する。目をきらきらさせ、口角あわをとばす。だが、いくら威勢がよくても、蟻はやっぱり蟻である。』と書き驚かす。ここで投げ出す人がいる。それでも書く。また、本書「この国」で夏彦氏6年坊主から一両年たったころ『私は、彼らを国語の破壊者とみた。そして、年長者の多くが、巻頭論文の愛読者であるのをみて、驚くと共に、二十年後は彼らの天下で、国語はすべて巻頭論文の如くなろう、私はそれに抵抗する最後の一人になるかもしれぬと覚悟した。』と綴る。そして、その覚悟は残念ながら覚悟以上のものとなり、今はこのざまの日本語である。  
そして、本書「自ろう車」では『電気のつく時代は、つかない時代を憐れむようだ。電気は行燈の十倍明るいという。それなら現代人は古人より十倍幸せか。』と夏彦氏永遠のテーマが顔を出す。内容ずっしりなのである。 
 
茶の間の正義 
「テレビは革命の敵である」 青少年のくせに、何らかの反逆と革新の気概がなく、テレビにうつつをぬかすなら、フヌケである。  
「新薬の副作用ナンバーワン」 新薬の出現によって、百年このかた人は死ななくなった。ほんとは死ぬべき人が、生きてこの世を歩いている。  
「ニッポン写真狂時代」 肉眼と心眼があるかぎり、レンズの目は邪魔だと私は心得る。  
「わが社わがビルを放り出す」 経験すれば人は利口になるというのは、迷信ではないのか。人は経験によって何かを増したろうか。  
「テレビ料理を叱る」 けれどもこの世に、もし平和というものがあるならば、季節のものだけしかない食膳の上にあるのではないかと、このごろしきりに思うのである。  
「税金感覚」 マジメ人間というものは、自分のことは棚にあげ、正論を吐くものである。  
「核家族礼讃を排す」 禁じられた遊びを遊んだことのない子は、動物としての感覚を欠く。  
「ポッカレモン」 人は分って自分に不都合なことなら、断じて分ろうとしないものだ。  
「株式会社亡国論」 八百屋が若い衆を社員、おかみさんを専務と、本気で呼んだらおかしかろう。  
「はたして代議士は犬畜生か」 実社会は互いに矛盾し、複雑を極めている。それは他人を見るより自分を見れば分る。自己の内奥をのぞいてみれば、良心的だの純潔だのと言える道理がない。 
とにかく鋭く、面白い。「人か犬か犬の振りみてわが振りなおせ」が絶品で『人は隣人の悲運を喜ぶ。愁傷のふりをして、いそいそとかけつけ、家の中を見回して、昨日に変る零落ぶりをひそかに喜ぶ。こんな喜びを犬は喜ばない。』と書き放つ。これだけで、身につまされるが、この調子がリズム良く延々と続く。  
強烈なファンになる人が付くと同時に、『猫またぎ』となる人も出るだろうと十分予想できる出来である。しかし、「ご贔屓その一私ごときものにも贔屓がある」で『どんな作者も、ほんとは百人の読者しか持たないのではないかと私は疑っている。オレにはなん万の読者がついているぞと威張る作者もあるが、それは誤解か、版元に対するデモにすぎない』と覚めた目で自分をも突き放す。  
また、「繁栄天国というけれど」では山本氏の現代に対す警鐘深く『買うものが、追いかけて、追いぬいて、際限がない。ひと通り揃えて安心するわけにいかないのが、この極楽の特色である。人はとこしなえに飢え、餓え、ついに満足することがない。心はいつも貧乏だ』と畳み掛け、最後に『昼をあざむく不夜城とは、古人のつたない文学的表現だった。それをまにうけて、現実化したのが運のつきである。何用あって、昼をあざむくか。』とも言う。きついといえばきつい。  
「世代の違いと言うなかれ」などもわかりやすく面白い。  
本書の帯に『愛想笑い、嘘っぱちの涙、おざなりの驚きを重ねながら、偉大な遺産を喰い潰している日本の社会を批判する』とあるが、昭和42年の発行本にして〔偉大な遺産を喰い潰している日本の社会〕とあるのである。いつの時代も遺産を喰い潰しているという捉え方があるのか、本当に偉大な遺産を喰い潰しているのか。  
正に偉大な遺産を喰い潰しているのであれば、随分喰い潰したものであろう。 
 
変痴気論  
「パターン」 人はついに自ら見て、自ら考える存在ではないのか、ないのであると、自問自答して、私は信じまいと欲して、信じざるを得なくて、あきらめかけているのである。  
「投書の言葉」 大小を問わずジャーナリズムは企業である。早い話が商売である。  
「修身」 何ごとによらず、この目下大流行のものならうろんである。  
「変身」 俗に自分のことは他人の目で見よというが、いくら他人になっても、他人もまた人である。  
「レパートリー」 居ながら見られるのは便利だが、病人じゃあるまいし、映画や芝居くらい見物に出かけてはどうか。  
「もとの五尺」 自動車にもとづいた未来の都市計画案は、私には荒涼たる無人の廃墟に見えます。  
「暮らしの手帖」 俗にユニークというが、それをして、成功した雑誌は、世界ひろしといえども「暮らしの手帖」だけである。  
「歳月」 その末端にあるカーをクーラーをテレビを享楽して、てっぺんの原爆だけ許すまじと歌っても、そうは問屋がおろさぬと言ったことがある。  
「乗車拒否」 いくら世の中が変わっても、遊びは自分の金でするものである。  
「風俗」 我々は世間が許す涙しか流さない。世間が許す笑いしか笑わない。 
相変わらずキレ鋭く本書「コカコーラ」には『今の一流が何をしているか、知れたものでないと、これは別世界の一流から察して、私は怒ってなんぞいないのである。』と怒っている。  
だが、これはまだ昭和40年代である。今のコラムではない。高度成長の時である。まだ赤字国債も発行していなく社会が明るい未来を疑わなかった時の話である。  
石油ショックが昭和48年。赤字国債を発行し出したのが、昭和50年度である。今に比べればモラムも規律も高かったと考えられる時代である。その時にさえ此れである。地震が来なくても倒れる恐れのあるマンションを平気で建てる病原菌はいつの時にも我の中にあるのだなぁ。  
さらに本書「乗車拒否」では『今の客は一見紳士淑女の如くだが、じつはドロボーで、その証拠に夜ごと泡をとばして雲助と争っている。新聞もテレビもそのドロボーに加勢して、片っぽばかり咎めている。なに、われもひとも雲助だと、私は笑うが如く嘆くが如くながめている。』と、人をドロボーだと言い切っている。雲助だとまで言う。痛快を越えて、誤解を誘っている。  
あまりと言えばあまりであるが、この毒舌が山本節也である。  
他に「レパートリー」に『電気がつかなかったのは、自分の家だけではなかった。どこの家にもつかなかった。何のこともありはしない。日本の夜は、暗かったのである。そのかわり、月は明るかったのである。』と明確に断定されると、なるほどなと納得している自分があるが、皆が皆納得するものでもないのだろう。分りたいものを分っただけで、それを嫌悪する自由もあり、山本氏は十分理解し確信犯である。  
また、「おだぶつ」には『木々には木々の命のサイクルがある。人には人のそれがある。  
子供がはたちになったということは、その用意ができたということである。すなわち、前の葉っぱは落ちるべきである。人間五十年とはよく言った。』とあり一番根っこのところで人を問うている。しかし、誰もどうにも出来ない。織田信長の時代ではない。しかし、同じ日本人ではある。欲張り過ぎなのか。数えたらそろそろおだぶつか。鰐にでもなるしかないのか。 
 
毒言独語  
「お年玉に百円出せ」 人前で立派なことを言う人なら、たいていうそつきである。  
「年賀状は虚礼だそうだ」 印刷された言葉なら、まずたいていは眉つばだと、一度は疑ってかかるがいい。  
「問答無用のこともある」 この世は問答無用の些事から成っている。  
「みんな世の中が悪いのか」 非が常に他人にあって、みじんも自分になければ、経験が経験にならない。  
「著作権延長に反対する」 歌は自らうたわれることを欲するのに、うたえば二重三重に金をとって、なお不足で五十年にのばすとは図々しい。  
「おれお前あたしあなた」 その使いわけが面倒だというなら、かのフランスを見よ、国語を大切にすること、わが国の比ではないと、事ごとに感服するふりなんぞしないがいい。  
「命ばかりはお助け下さい」 あれほど惜しんだ命、また魂とはついに何か。  
「プウーと鳴る椅子」 ビニールレザーはビニールのくせに、革にみせかけた新建材である。その心根がいやしい。  
「まずはめでたい結婚式」 大げさに言えば、このまずはめでたいの、まずはのなかに、千万無量の思いがこもっているのだ。  
「春秋に義戦なし」 「春秋に義戦なし」と古人は言ったが、この世の中にニュースはないと、ながめて私は楽しまないのである。 
本書「問答無用のこともある」には『近ごろ、親子夫婦のくせに、何事も話しあうと自慢する家庭がふえた。怪しい家庭である。箸のあげおろしまで、一々問答するのかしらん。』と怪しいことを述べている。  
もの凄く古い本かというと本書「ぷいとやめる社員がいる」では『キャンディーズの持ち歌でこれで彼女たち三人は世に出た。』とあるので、その時代である。  
そして、かの有名な「何用あって月世界へ」のコラムがあり、『「何用あって月世界へ」これは題である。「月はながめるものである」これは副題である。そしたら、もうなんにも言うことがないのに気がついた。」』後の植田康夫氏が選者を務めた本「何用あって月世界へ山本夏彦名言集」のタイトルとなったもので、ファン必読のコラムであろう。  
そのうえ「平和なときの平和論」もあり『平和なときの平和論―と聞いただけで、読者は私が何を言いたいのかお分りだと思う。』と絶妙で珠玉のコラムが散りばめられている。  
また「税金ドロボウにもいわせてくれ」では、自衛隊のことを『完全武装した一大集団を、故なく凌辱するとどうなるか、私たちはそれしきの想像力も持たない存在である。』と漠然とした不安を駆り立てることを、さりげなく書く。贅沢な本ではある。 
 
編集兼発行人  
「ご用聞き」 東京見物をすましてから逐電するのは、小僧の知恵ではなかろう。山奥の親どもの指図だろう。  
「袖の下」 その席にすわらなかった、あるいはすわれなかったばかりに吐く正論を、私は謹聴しない。  
「テレビの正義」 金を貰ったくせに、貰わぬ昔のままでいたい、またいられると思うのは心得違いである。  
「赤線復活」 つまりこの世はうそでかためたところで、それはそれでいいのである。  
「チップ出す人」 一利は一害をともなうといっているのである。  
「人生は短く本は多い」 本は河の流れのように、流れて一刻もとどまらない。さかのぼることはできない。  
「背骨まがり」 本もののつむじ曲りは、自分がつむじ曲りであることを常に残念に思い、かつ恥ずかしく思うものである。  
「解題」 おめず臆せず自分の見たところを言うものは、ばかでなければ勇気あるものである。  
「毎号及び時々寄贈」 書評は多く八百長だから、まにうけるとびっくりすることがある。  
「編集兼発行人」 明治末年以来、ずいぶん利の全盛時代が続いたから今度は義が争われる番かもしれない。 
本書の「はしがき」に『著者のためには買わずとも読め、書肆のためには読まずとも買えと、むかし斉藤緑雨は言ったが、このことは今も昔も変わらないように思われる。』と書いているが、確かにそう思う。  
流石に、この単行本は新品では当然買えないが、今は文庫本で改版が発行されているので、買って読んで貰いたいものである。後悔はしない出来であるのは間違いない。  
中身は「赤線復活」によると『婦人は身辺清潔な人が好きだという。清潔ばかりの男なんて、つまらないにきまっているが、つまると当人が言いはるのだから抵抗できない。』と人が言いそうで中々言わない、または言えないことをさりげなく書く。  
更に「我ら前なる老年」では『私は彼らの残忍かつ酷薄な心事に注目して驚いている。けれども彼らをここまで育てたのは、ほかならぬ我らである。してみれば我らの前なる老年は、それにふさわしいものに違いない。』とどの世代をも情け容赦なく断罪する。そして辛辣な自己批判でもある。一体我が社会は箍が緩んだだけなのだろうか。箍さえも失ってしまったものだろうか。  
その上に「門松立てるべし」では『門松も国旗も、だれも立てない今、立てよと言うには勇気がいる。これしきのことに勇気がいるとは笑止だが、いるのである。』と時代を映しながら世相を憂う。この時代でこうである。今を今更なのだろう。 
 
やぶから棒  
「三度に一度は分らない」 青少年の美的センスが堕落するということは、当代のセンスそのものが堕落するということである。  
「言論はやっぱり不自由」 むかしは軍と官が言うことを禁じたが、今は誰が禁じるのでもない、あたりをうかがってみずから禁じるのである。  
「野球の言葉を排す」 むかし映画は大作でもないものを大作と言ったから、すこし大作のときは困って超大作、もうすこし大作のときは超弩級と言って言葉の信用をおとした。  
「保険会社だいっきらい」 社員は制裁をうけるどころかエリート中のエリートである。  
「頻ニ無辜ヲ殺傷シ(「終戦ノ詔書」より)」 原爆許すまじという。何という空虚な題目だろう。  
「麻と運命をともにする」 自分の職業の「分」を守って、他の仕事に手を出さないのは、昔はいいことだったが、今はそうでなくなった。  
「とてものことに五寸釘打て」 事故を未然に防ぐ親切から作ったと、この悪意は親切を装うほどの悪意である。  
「このふくらみをなでてくれ」 女たちは男たちの上品が、口さきだけなのを知っている。  
「眺めてあっと声をのむ」 何の目的も学問もないものが、海外に遊んでも得るところはない。大仕掛けな「はとバス」に乗ったようなもので、故に私は海外に旅しない。  
「かわいそうな美空ひばり」 美空ひばりは最後の日本人のような気がする。なぜならひばりは親孝行である。 
本書「あとがき」の最後に『はじめ私はこの集を「月ゆき花」と題したかった。桜かざして今日もくらしたというような優にやさしいコラムを、三度に一度は書きたかったのにこのていらくである。  
人か鬼かといわれるようなものしか書かないで、何が月ゆき花だと私は私を一蹴してやむなく「やぶから棒」と題したのである。』と書いているが、このコラムシリーズを巧く言い表しているのではなかろうか。  
本書「16人のうわさも七十五日」には『予算というものは倹約して余らしても誰もほめてくれないものである。余ったら来期はこれだけでいいんだなと減らされる。故に予算はぶんどるもので、ぶんどったら使いはたさなければならないもので、一年十二ヶ月着々と使って期末に過不足なくゼロになればいいが、神ならぬ身にそんなこと出来はしない。』と書くが別のところ(本コラムではない)では「倹約して余らしたらほめろ」と述べていられる。  
それはぶんどって、使いはたして、国と地方の借金合計775兆円。見事であり、凄いのである。  
どうするつもりのだろう。本書の昭和50年代なら、まだまだ間に合ったものを。  
→→時は流れて→→約8年前で775兆円が、平成25年にはとうとう千兆円を超えてしまった。毎年30兆弱もの借金体質をどうしようというというのか。呑気とは次元が違う無責任体制は変わらない。本当に「オーイどこ行くの」である。  
「62一栄一落これ春秋」には『「一栄一落これ春秋」というのは私の好きな言葉で、デパートを例にこの欄に書いたおぼえがある。「おごるもの久しからず」「満つれば欠くる」も、おごるほど栄えたことのない私には嬉しい言葉である。』とあるが、デパートを例に書いたものは「25おごるもの久しからず」であると思われ、そのコラムも痛快である。  
だが、その立場の人たちは何を想い読むものであろうか。 
 
美しければすべてよし  
「老人の日がまた来る」 生れるのが自然なら死ぬのもまた自然なのに、こんなに死ににくくなった時代はない。  
「サラ金と銀行は一味である」 一流だろうが二流だろうがサラ金は、サラ金で、銀行がこれに貸すならその一味であることを白状するようなものである。  
「現代の屋台自動販売機」 小なりといえども自動販売機は工業デザインの粋で、それが人の味覚を左右するとはたぶん発明者の考えなかったことだろうが、大げさにいえばまあ文化の危機である。  
「恋に似たもの」 男と女の交際ままならない時代に、遊郭を一大社交場にしたのはすぐれた知恵であり文化である。  
「野球の言葉ふたたび」 字句はひかえ目のほうがショックはそれらしく伝わる。  
「尋常な言葉で言え」 三十年も同じことをしていれば、すこしはうまくなるだろう。  
「読まない情報が減るんだとさ」 新聞は区々たる己が利益のために、一国の言語を売ったのである。  
「国語審議会を訴えよう」 さもないとこれからも、これまでのように国語いじりを続けてやめないから。  
「西洋人でなくてよかった」 男の子なら端午の節句、女の子なら雛の節句にまとめて祝うのはいい習慣である。  
「ひたすら所得の発生を待つ」 鹿を追う猟師山を見ずといって、税史は税だけを追って他を見ない。 
「文庫本あとがき」に『すでに人が言ったことに異存がなければ私は黙っている。賛成できないときだけ発言する。それでいてわざと異をたてるのは卑しむべきことだと、自ら禁じている。』と書いておられるが、それでこの膨大なコラムである。山本氏が偉いのか、時代が歪んでいるのか。前のわけであることを願うものである。  
関川夏央氏が「年を経た鰐の話」のことを「解説」に書いていて『それは翻訳と銘打たれているけれども、ほとんど本人の創作と思えるほど残酷で哀しい、つまりいかにも山本夏彦らしいおとなのための童話である。』とあり、鋭い読みであるが、流石に山本氏の創作ではないようだ。 
 
不意のことば  
「今も昔もマッチ・ポンプ」 煙があがる、火がないはずがないと記者は必ず言う。然り煙があがる、たとい自分がつけた火でも。  
「乗客全員日本人の場合」 論より証拠というのは昔のことで、今は証拠より論の時代だとは何度も言った。論じれば証拠なんかどうにでもなる。  
「保険は常に払い渋る」 社員がかけつけるのは見舞のためではない。払わぬ理由をさがすためである。  
「分らないのはこんなわけ」 いくらいいと言われてもキチガイじゃあるまいし、新聞に求められて原稿料をもらってその紙上に新聞の悪口を書けるものではない。  
「金は魔ものである」 ひとの懐を勘定して羨むのはいやしむべきことだが、人は本来いやしい存在である。  
「利をもって誘うがいい」 革命しないで出来る。それはモラルをもってしないことに尽きる。利を以てさそいさえすれば出来る。  
「限りある身の力ためさん」 社会主義国にせよ資本主義国にせよ修身のない国はないのに、ひとりわが国にはない。  
「それなら署名捺印せよ」 新聞が八つざきと言えば同じく言い、冤罪だと言えば同じく言うのは別人ではない。全く同一の人物で最低の者どもだが、この世は最低の者どもの天下である。  
「ひと月ぶんを一時間で」 情報の時代というのは情報があり余って、並のひとなら途方にくれる時代ではなかろうか。  
「映画「東京裁判」を見る」 わが情報はいくらあっても肝心なことは書かない。それをかいつまんで言うのがジャーナリストの務めなのに、言ったためしがない。 
山本氏の警句には、銀行、新聞のことや、言葉についてのものが多いのだが本書「21千万人と雖も我往かん」は新聞、言葉に触れ『いま新聞に愛用されている言葉なら、みんな胡乱だと私は思っている。したがって用いない。唾棄しているものもある。「話しあい」「民の声は神の声」「正直者はバカをみる」「千万人といえども我往かん」などである。「話しあい」と聞いただけで私はぞっとすると言うと「なにッ」と新聞の読者は気色ばむ。』とあり、本当に「話しあい」という言葉はダメであったらしく、色々なところで折々に書いている。  
また、出版社を経営していることもあり、本について述べているものも多いが、本書「58人は本には金を惜しむ」では『グルメだのグルマンだのといって、このごろは美食のためなら千金を惜しまぬ人がふえた。ところがその同じ人物が本なら一万円なんてとんでもない、千円でさえ惜しむ。スーパーの目玉商品じゃあるまいし、本に九八〇円なんて定価をつけるのはこのせいである。』と辛辣であるが、人の芯となるところで考えさせられる話しである。  
更に戦前という時代にもかなりのこだわりがあり、その戦争についてもよく出てくる話題である。  
本書「73恐怖心のなせるわざか」にケンカは『見ると弱いほうがさきに手を出す。まっ青になってふるえている。強いほうは弱いほうが手を出すのを見守っている。ふるえるくらいなら逃げればいいというのは人情を知らないもので、弱いほうは恐怖にかられほとんど倒れんばかりの姿勢でつかみかかる。』とあるが、これは勿論人のことばかりではない。個人も法人も国家も同じである。『これまでもあったことである。これからもあるだろう。』と後味に漠然とした不安を増長させる〆としている。  
「69イヤ怒るまいことか婦長さん」もコラムとして絶品であるが、これは全部を読まないとわからないおもしろさである。ただ面白いのではない。苦く笑えます。 
 
世はいかさま  
「本もののなぜ偽のなぜ」 凡百のなぜを承知した上でのなぜが真のなぜなのである。  
「一年を二つに分けて」 一日の苦労は一日で足りるのである。一日が充実していればそれだけでいいのである。  
「風の便りで知るのみ」 前にも言ったと思うが、何より自分の国を陰に陽に悪くいう教科書ならよくないにきまっている。  
「白髪は知恵の印ではない」 才能は天賦だというと絶望するものがあるから、才能は根気だとか努力だとかいって慰めるのである。  
「万年筆は「縁」である」 悪いのはいくら直してもよくならないと、はじめから分っていることをただ確かめただけだった。  
「生兵法はケガのもと」 私たちが預金をそのままにしておくのは、稼業にはげんだほうがもし成功すればなまじな利殖よりはるか有利だからである。それにまっ当だからである。  
「「お盆」この50年」 父母が生きているかぎり子と孫は歓迎されるが死んだらされない。  
「隣組の正義婦人の正義」 今年の魚が毒なら昨年の魚も毒だろう来年の魚も毒に違いない、魚食うべしいくらでもと私が書いたら婦人たちはとびかかろうとしたが、そのうちそっぽを向くようになった。  
「タバコの害について」 ことに正義は自分にあって相手にないと思うと居丈高になる。  
「東都割烹づくし」 私には思いもよらない情熱だと思っていたが、人は皆思いがけない些事に執着する。 
今の何でもあり、便利になったことが良いことなのか、全てが好いのかは山本氏の大きなテーマであり、何回も何回も出てくる話しである。それこそ、「同じことを言う」である。  
本書「30ついに一条の線と化す」でも『美衣美食して助平のかぎりを尽すのは亡国の兆である。ローマはそれで亡びた。』と述べ、続いて『一億総おしゃれ総グルメ総助平になって更になりたいものの如くである。有史以来ないことで、これを倒すものがあらわれる見込みがない。  
それなら亡びるなら全員まるごとではないかと案じられるのである。』と書いていて、ましてや別のところでは「沈む船から鼠は逃げ出すが、そのまま沈むものが人である」とも書いている。  
怖い話しである。大丈夫?。  
私たちは戦前は暗く貧しく哀しい時代だと思い勝ちだが、『戦前と戦後の著しい違いは言葉の数(ボキャブラリー)が減ったことで、悪口雑言もほめ言葉も極端に減って、自動車を操るものは自分が人をひきそうになっても「バカヤロー」、自分がひかれそうになっても「バカヤロー」の一言しか発しない。』と山本氏が「39せじでもいいから言え」で述べているが、実に私達は何が進歩したのだろうか。  
さりげない言葉であるが、「97ウソはどこまで許されるか」で『うそと偽善はどこまで必要か、どこまで許されるか、私たちは他に問うことに急なあまり自ら問うことを忘れたようだ。』と自ら問うように問う。「天は自ら助くる者を助く」か。  
他に「90夜はねむるものである」も面白いが、抜き出して面白みが伝わる面白さではない。是非、一読あれ。 
 
良心的  
「赤い羽根四十年」 オリジナルなひとはかくの如きでは争わない。争うべきところはほかにある。たった一日のことだから出したくないのだろうが、たった一日のことだから出すのである。  
「国鉄は黒字だという」 反対した幹部はいまその不明を恥じているかというと、やめさせられはしたものの関連会社に天下って平気の平左である。  
「暮しの手帖の出番か」 日経新聞のような一流新聞が家庭婦人にまでマネーゲームをすすめるとは狂ったかと書いたら、なにあれはもともと株屋の新聞だよといわれた。  
「再びいう元凶は「銀行」」 銀行が高利貸と区別されるのはモラルであるという点だけである。  
「予報は昔にさかのぼって」 今年は人が死ぬなという予感がする年がある。  
「レイアウトをかえてはどうか」 それを試みないのはそれに当たる内容がないことを、ほかでもない書き手が知っているせいである。  
「人の生きるはなんのため」 その川口がかんではきだすように、二度と人間に生れたくないと言ったのである。よくよくのことだろう。*川口・・・・川口松太郎氏  
「戦前という時代」 真の餓死者が出なかったのは、背後に売るべき米を蔵している農家が控えていたからである。  
「夏痩せやきかぬ気眉にありありと」 第三者が見て読むに耐えるならそれは客観的なものでその恋はさめた恋で、あるいは恋でないかもしれない。  
「特派員国をあやまる」 恐ろしいことだと新聞はよく言うが、こういうとき言わないでいつ言うのだ。 
本タイトルの「良心的」というコラムは本書には入っていない。  
それを「あとがき」に書き、更に『私はこの言葉を憎んでいるからである。良心なら知らないではないが、良心的とは何だろう。もし私が字引の編者ならこれを良心に似て全く違うもの、良心のふりをするもの、良心だとまず自分をあざむき、次いで他をあざむき共に喜びあうものなどと翻訳』と書き、強烈な嫌悪で否定している。  
今でこそ郵政公社さえ民営化などといって普通に通るが、国鉄民営化の前後は労働組合運動が盛んであったがその時のことを、「29イヤなものだなあ」に人間観察人山本氏は『そもそも組合が争ったのは正義ではなかったか。損得をいうなら損でも正義をとってはじめて正義である。してみればあれは正義なんかではなかったのだと笑いたいのではない。人間というものはイヤなものだなあとながめて私はつくづく思うのみである。』と観る。それは哂える笑いではないのは確かである。  
「34何ゆえの猫なで声」では童話を改竄する愚を痛烈に批判して厳しく、激しい。『勝手な改竄をするな。猫なで声で育てれば子供はま人間になるとでもいうのか。現代の親子の惨状を最もよく知りながら親どもはなお猫なで声を出す。ことに女たちは出す。』と時代に流されない箴言を吐く。そして現状は当然ながら女たちだけで済む話しではない。  
ただ、当然ながらすべてがこの調子ではなく「69団地に緑を大樹を」に団地を『あれだけの建物群である。鬱蒼たる大木、亭々たる大樹がなければならない。それを忘れたのは公団の職員が多く地方出身者だからである。その生まれ故郷は緑したたる田園で、笈を負うて彼らは大都会で学んだから樹々があるのは当たりまえで、かえって忘れたのである。』と云い建設業者の中枢をアスファルトジャングルで育った都会出身者でかためよと提言する。田舎者が効率だ、利益だ、儲けだとばかり言っているとこのありさまである。  
「ほんとに自然倒壊しても知らないよ。」と田舎者の私が呟く。 
 
世間知らずの高枕  
「女のヌードは男次第」 つい戦前まで人前で脚を出し尻を出すくらいなら死ぬと言っていた女たちが、今は胸を出し脚を開く。  
「いい気味だと言いたいが」 その金はもとはと言えば私たちの零細な預金の結晶である。  
「文庫本を再び単行本に」 本も雑誌も誰も頼まないのに作っているのである。返されても仕方がないのである。  
「犯罪都市トーキョー」 何より日本人は金持だ。しかもまったく無防備だ。これを襲わないでだれを襲うのかと一朝彼らが目ざめたらことである。  
「世界中自動車だらけ」 世はいかさまで資本主義はそのいかさまの極である。  
「衆をたのんで言う」 男女を問わず人は衆をたのめば何でもする、何でも言う。一人では何もできない。  
「貧乏人ぶるひと多し」 今の栄耀栄華は「一炊の夢」だと知っているせいかもしれない。  
「ゴキブリ人口激減する」 ある種の動物が全地球を覆うほどふえたためしはない。ふえればそのふえたことによって滅びる。  
「秋の夜ながくなる」 テレビを見ないで育つとああいう表情になるなら、今後はテレビを見ないことがステータスになって、あの表情が回復するなら、女子のためにも男子のためにも大げさに言えば邦家のためにもめでたいが、ダメだろう。  
「旧刊「零の発見」」 自分のよく知ることを全く知らない人に知らせることを、難なく出来ると思う人は絶対に出来ない人である。 
時代なのか、勢いなのか分らないが、本が輝いて見える程、面白い。  
「諸君!」では「無想庵物語」を書き終え「流れる-後に最後のひとに改題」も終わろうとする頃で、山本氏の75歳前後である。凄い話しではある。  
内容は反覆に耐えうる「同じことを言う」であるが、その洗練の度は増している。  
「3ゴキブリ人口激減する」では『ある種の動物が全地球を覆うほどふえたためしはない。  
ふえればそのふえたことによって滅びる。そのあるまじきことが今おこっている。人類はチブスコレラ天然痘その他伝染病のすべてを根絶した。わずかにガンが残っているが、近くこれも退治すれば人類がふえるのを妨げるものは何もなくなる。あればそれも退治するだろうから、人類は全地球を覆うだろう。覆ったことによって滅びるだろう。太古の恐竜にその例がある。  
これを天の配剤または自然という。』と人が漠然と不安に思っていることをはっきりと言い切る。  
当たり前だと言えばそうなのだが、それならそれには解答はあるものであろうか。  
しかし、本書も平成の初めに書かれたものである。古いと云えば古い。携帯電話が出始めた頃である。  
それを「30時間はもうない」に『すでにして忙しい。これ以上忙しくしてどうしよというのだ。  
昔は謀を帷幄のうちにめぐらし勝を千里の外に決すといった。私たちに街頭から車内から発しなければならぬどんな指令があるというのか。戦国の武将だな、まるで。』と今でも十分通じる皮肉である。  
山本氏の本に「オーイどこ行くの発行所:新潮社」があるが、その題名のコラムは本書「31おーいどこ行くの」にある。寂寥とした無常感が漂い、これは私の一番のお気に入りである。  
人は何を好むのかで大体分るものであるが、それはそれである。  
全部を読まないと良さが伝わらないのが残念だが、その最後のところを紹介したい。  
『いま時は春である。日はあしたである。その朝遅く橋を渡ったら、初老のその男はなに思いけむ、橋の上の男女にむかって、―おーい、どこ行くの。と呼びかけた。道行く人はびくりとしたが、ふりむくものはなかった。そのまま足ばやに去った。思えば私たちに何の答える言葉があろう。』 
 
オーイどこ行くの  
「詫びるどころか恩にきせる」 サギをカラスと言いくるめるのが健康な国家であり個人である。すなわち健康というものはイヤなものなのである。  
「世にも不思議な物語」 銀行がサラ金に貸すのを大蔵省はとめなかった。  
「おい妖怪ヘンカだとさ」 世間には笑われておぼえることが山ほどあるのである。  
「坪一億になって」 大蔵省は知ってあがるにまかせたのだから悪質というよりほかない。  
「いかにいますちちはは」 いまの私たちの老後の諸問題は昔はみな孝が始末していたものである。  
「オナペットとは驚いた」 この言葉を聞くと前の言葉はうそだと分る。それなら今の言葉もいずれはうそになる可能性がある。  
「せめて裏おもてあるべし」 狼に育てられた子供に似て言葉はあとから教えても身につかない。  
「はじめにレイアウトありき」 目に文字がないものどもが文字をヴィジュアルに扱えばこうなる。模様になる。図になる。  
「家のなかに他人がいた」 私の頭のなかの他人は次第に増長して当人を圧する勢いだと戯れに私は言うが、家のなかにも他人がいたほうがいいのではないか。  
「教育の普及は浮薄の普及」 短くする発想がないのはけげんである。長いばかりが能ではないぞ。 
山本氏の持論である『孝は自然の情ではない。』はやはり本当であったようで今はもう「孝」という言葉さえ死語になりつつある。  
「7いかにいますちちはは」に『私たちは親が死んでも泣かなくなった。まして兄弟が死んでも涙一滴こぼさなくなった。私たちは禽獣に、また鬼に近いものになったから、かえらぬ昔の唱歌を聞くとふと涙ぐむのである。』と書くが、禽獣か、鬼に近いものが、かえらぬ昔の唱歌を聞いて涙ぐむ涙に何意味あろうか。かえらぬ昔は涙ぐんでも生憎かえらぬ。  
耐震偽装事件では底なしの無責任体質を曝け出したが、此れで全て出尽くしたと云う保証は何もない。設計の段階でさえそれなら・・・なんて言い出したら限がないが、平成4年に山本氏は「22ゼネコンはやっぱり土建屋」に『ゼネコンはビルを建てても緑を植えない。ビルの回りには一木一草ない。亭々たる大樹を植えよ、アヴェニューをつくれと何度も私は書いたが誰も耳をかさない。それでいて近ごろ「緑」がないと大騒ぎである。言いたくない言葉だが、ゼネコンには思想がない、哲学がない。やっぱり「組」である。』とあり、その前から何度も言っている繰り返しなのであるが、結局これですか。  
「39貧乏なくなる」には『天ぷらや鰻は年に一、二度食べるから馳走なのだ。あんなもの毎日のように食べたらうまくも何ともない。貧乏というものは実は必要なものなのである。上に大金持がいてまん中に小金持がいて下に貧乏人がいて、橋の下には乞食がいて始めて治まる御代なのである。』と書く。  
確かにそれで治まる御代であろうが、今の貧乏は実は電気仕掛けの貧乏であり、「52「何用あって月世界へ」補遣」の『明治の昔の貧困と今日のそれは質的に相違したもので、電気じかけの貧乏こそ真の貧乏だと仔細あって私は信じている。』の通りであるなら、かなり救いのない話しである。  
勝ったものだけが、正義でもなかろうに。 
 
その時がきた  
「「金」でなければメダルじゃない」 とらぬ狸の皮算用と承知の上で皮算用をして、見物も期待したふりをしてよくもまあ倦きも倦かれもしないものだ。  
「不景気だから値上げする」 浮世のことはあんまり目くじら立てなければ面白くないこともないが、高速道路の値上げだけは面白くない。  
「元凶は大蔵省」 不良銀行をつぶしたらそれが波及して優良までつぶれる、つぶれたら大衆の預金はふいになる、それを守るために銀行を助けるのだと、大蔵省はこのごに及んでもなお預金者に恩を着せるのである。  
「自腹を切るつもりなら言え」 政治家が国を誤るのは俗受けをねらってパフォーマンスをやる時に多い。  
「薮入りをさかのぼる」 それならいまのポルノ全盛時代も次なる破局の前兆だと言うがいい。  
「閨房中のことば危うし」 横文字や片カナ語がいけないのはこれが全盛をきわめると、他がことごとく死にたえるからである。  
「分らないことだらけ」 三は農民の所得補足率で、よしんばその税を納めてもそれ以上の補償金をもらっていると農民以外は知っている。  
「国語を支える校正者」 およそ自分が信じていない規則に従って直して終わる一生とはいかなる一生であるか。  
「はやりものはすたりもの」 「はやりものはすたりもの」という。流行っているものはすぐすたる。  
「読めない書けない話せない」 見ない相手にかいつまんで話して聞かせ、共に興ずるには多少の訓練がいる。 
「あとがき」に『連載は八00回を越えたから十六年をすぎた勘定で、担当者も変った。変れば編集も装丁も変ることかくの如しである。相談はうけたから別段不服はない。』そうである。ただその上に、文庫本化もなくなり、残念である。  
相変わらず新聞を観る目は情け容赦なく切れが鋭いが、「あとがき」で自分のコラムを『それでも痛烈だの辛口だのではない。痛烈というのは大新聞みたいに、自分のことは棚にあげて他を難じることである。自分がその席に座っていれば必ずやもらうだろうワイロを、座っていなかったばっかりにもらわなかったからといって、あしざまに論難するのを痛烈という。』であり、その上で『私はいつもその席にいればもらう人として発言しているつもりである。』があり、それが人を惹きつけ共感を呼ぶのであろう。  
同じく「おぼえているのは悪い人」にも『前の大戦の時も新聞はわが国をあらぬところへつれ去ったが、次回もつれ去るだろうと言っても蛙のつらに水である。新聞の命はインキの匂いのするまでの二時間である。あとは書き手も読み手も忘れる。読み手が忘れることをあてにして新聞は書いているのである。』とあり、私達も「茹で蛙」にならないように気を付けないと。  
「何よりも正義を愛す」の書き出し『自分の国の悪口を、自分の国の子供の教科書に書く国民があるだろうか。あるのである。わが国の教科書には日本及び日本人の「非」が山ほど書いてある。  
一以て貫いている。古くは日清日露の戦役まで侵略戦争だと書いてある。』から「三面記事として書くから分らぬ」の最後『硬軟両様いま我々はあらゆるブラックボックスのなかにいるのである。それにかかわらず平気の平左なのは食べられるからである。貧乏がなくなったからである。食べられる限り国民は怒らない。まして革命はおこさないのである。』と平気の平左であるありようを見詰める眼は冷たい。 
 
死ぬの大好き  
「「ラジオコラム」始まる」 自分には大事な宝物かもしれないが他人の目にはただのお多福である。  
「へそも出すしヘアも出す」 古人が隠蔽したのはするだけのわけがあったのである。  
「米長邦雄Xs.羽生善治」 歳は勝手にとったのだ、シラガは知恵のしるしではない、老人のバカほどバカなものはないと私は金言のありたけを並べるが、その誘惑にたえかねるのだろう、老人は教えたがる。  
「縁起でもないサクラチル」 コクがあるのにキレがあるなんて怪しい日本語を一ビール会社がひろめるのは恐れを知らない仕業である。  
「知恵いでて大偽あり」 新しい本は古い本を読むのを邪魔するために出る、読むべき本があるとすればそれは古典で、十冊か二十冊である。  
「善美をつくしたカストリ雑誌」 再販問題で本も雑誌も売れなくなる、文化の危機だと騒いでいるが、こんなものなくなって何の危機か。  
「諸職それぞれ「恥」あり」 カメラマンはスキャンダルの主を追って三日三晩寝ずの番をして首尾よく盗みどりに成功すると自慢である。こんなことが男子一生の仕事かと、ためしに言ってみてもけげんな顔をするだけである。  
「みんな身から出たサビ」 毎日出勤途中見るビルたちは、全く無計画無秩序に建てたもので、見るにたえないが、あれも自分の内奥を具体化したものだと笑うよりほかないのである。  
「大正デモクラシー一面」 一喜一憂して日常生活していること今日と同じだった。  
「バーゲン美人徘徊す」 戦前は金さえあればどんなお洒落でもできると貧乏人は思ったが、それがとんだまちがいだということが、うそかまことか一億総中流になって分った。 
本タイトルの「死ぬの大好き」について山本氏は「あとがき」に『本当に私は死ぬの大好きなのである。人間というものはいやなものだなあというのが私のコラムの変わらぬ主題で、それは他人を見て思ったのではない、自分の内心を見て子供のときから思ったので、そして「死神にも見放され」、とうとう今日まで生きたのである。生きすぎである。』と書いている。  
また近ごろ死にかけて救急車で病院へ運ばれたいきさつを「諸君!」に掲載した「不思議に命ながらえて」を、いくら何でも千回までは続くまいと収録している。  
だが、有難いことに「夏彦の写真コラム」は1151編のコラムを残してくれた。「死神」は見放し、念が通じたかのように、本当に最後までコラムを書き続けたのである。  
しかし、徳岡孝夫氏は文庫本「『完本文語文』発行所:文藝春秋」の「解説」に『たとえば翁が自著に『死ぬの大好き』とタイトルを付けたことがある。私は反対した。「世間には、この人にもしものことがあればと、必死の思いで愛する者を抱くように暮らしている人が大勢います。この表題は、そういう人々に失礼です。」と言った。翁は黙っていた。』と書いている。徳岡氏は真摯なのである。ただ、山本氏は「生きている人と死んだ人の区別がない」人である。それはまさしく自分こそである。  
「夏彦の写真コラム」のことを「みんな身から出たサビ」では『この長さではまっすぐ筋を追うだけがせい一杯である。そのなかで一転し再転し時には三転するから遊ぶ余裕がない。ああだった、こうだった、そうだろうと畳みかけるとつい語気が荒くなる。怒っているのじゃないかと思う読者があるから、打ちあけると実はあれで笑っているのである。』と打ちあけていますから、私たちも笑えばいいのである。  
ただ、その笑うも色々とあり、次の笑いも当事者となったら泣き笑いとなる笑いである。『私は利殖の才のないものである。だからマネーゲームには目もくれなかった。金を遊ばせておくのはバカだといわれた。その侮辱とその誘惑に耐えたものは、欲ばって手をだした者を笑う資格がある。いつまで笑えるか分らないが、いま私は晴れて笑うのである。アハハハ。』と本書「晴れていま私は笑う」と笑う。これ重いですよ、御注意を。  
 
寄せては返す波の音  
「とかくこの世はダメとムダ」 「とかくこの世はダメとムダ」と私は見ているものだからこんなこと位で怒りはしない。浮世のことは笑うよりほかないと笑うだけである。  
「あんまり恩知らず」 あらゆる不祥事にかかわらず銀行は平気である。預金の利息をただ同然にしたからそのぶんまるごと利益になった。  
「世の行末をつくづくと」 祖国というのは「言葉」だとシオランは言っている。私は理解を得る手がかりがなくてほとんど途方にくれている。  
「痴漢人口は減らず」 真の馬鹿はいかなる弁舌をもってしても説得することはできない。孔子さまもただ上知と下愚は移らずと仰有った。  
「資本主義には正義がない」 人は金ほど好きなものはないというが、正義はもっと好きだ。  
「さきだつ不孝をお許し下さい」 禽獣の親は仔が一人前になるまでは実によく面倒をみるが、一人前になるとあかの他人である、それが自然で孝は自然ではない、教育なのである。  
「二十年分のテレビを見る」 天が下に新しきものなしと洋の東西を問わず賢人は言っている。  
「なぜつぶれたか山一證券」 金銭というものは清く正しいものではない。邪悪な暗いものだから株屋はあっていい。ただそれには相応の差別があるべきだ。  
「田村隆一受賞す」 ベレエ帽をかぶってアンカットのフランス語の詩集を携えて、マイカーに婦女子を誘いいれて次々と殺した大久保清じゃあるまいし、もしそれをかぶれば詩人にみえるなら詩人はベレエ帽をかぶらない。  
「仔細あっての機械音痴」 先方からおしかけてくるものにロクなものはない。  
山本氏が何回も何十回も言っていることだが、「君には忠、親には孝」の孝について本書「さきだつ不孝をお許し下さい」に『いくら善美をつくした老人ホームでも幼な子のいないホームはホームではない。老若男女がいてはじめて浮世である。赤子がいるから老人は死ねるのである。あれは老人の生れ変りである。選手は交替するのである。』と書いている。人が漠然とした不安に襲われるのは、このことをぼんやりと感じているからで、けれども今はこの宿題に解答が見つからないことも、不安を増長させる。  
「資本主義には正義がない」のコラムは題名を見ただけでその中身が見当がつくがまさしくその通りで、それでも納得する。『わが国でも高度成長以来暖衣飽食するのは大衆になった。冬暖く夏涼しく着る物も食う物も捨て、居ながらにしてポルノを楽しめるようになった。古人が夢みたまたは夢にも見なかった極楽中の住民になった。これが極楽かと不服ならテレビは百害あって一利がないと、とりあげてみよ。しがみついて放さないからやはり極楽なのである。』と少しずつ変え、「同じことを言う」であるが、これは寓話ではない。現在進行形で果てしない道のりの今を観察しているのである。  
「人はいつまで無実か」において、『英雄色を好むというが、英雄でなくとも好む。露見しないうちはきれいな口をきくから人生教師になるなかれと再三言うのだ。教師になったら白昼うそをつかなければならない。同僚や上役には非の打ちどころのない小学生の先生が、女生徒にわいせつ行為を働いたという。これだって露見しないかぎり死ぬまで申しぶんない先生なのだ。』と辛辣なのだが、法に触れなければ何でもありの今も世知辛い。 
 
一寸先はヤミがいい  
「オリンピックまた来る」 この狂喜は劣等感の所産だとまる見えだったからである。  
「カタカナ語を減らそう」 我々はある国に生れたのではない、ある国語のなかに生れたのだ、祖国とは国語だ、国語以外の何ものでもないというシオランの言葉を私は固く信じるものである。  
「人みなケチである」 タダは客と芸人とドラマを限りなく堕落させる。  
「匿名というもの」 漱石崇拝に抗して退屈が予想される長編を読むことがいかに苦痛かを書くのは勇気のいることである。敵は幾万である。  
「わが社は老人語の宝庫」 私は全くの死語は用いない、半死半生ではあるが、いま使えば息ふき返す言葉なら勇んで用いる。抵抗である。言葉は五百年千年の歴史あるものは過去を背負っている。  
「公明党に気をつけよ」 かいつまんで言え、かいつまんで。  
「どの人殺しか分らない」 ひとはその日まで枕を高くして寝ている存在であることロスやニューヨークの市民に異ならない。  
「とめてとまらぬ「ボキャ貧」」 私は文語文に返れといっているのではない。そんなことはできはしない。ただ文語にあって口語にないものは何々ぞと数えたのである。漢字と漢語は自然に減る。ただ半死半生の言葉、今なら蘇生させることができる言葉をなぜ蘇生させないかと言っているのである。  
「反論よおこれおこれ」 マイコンのたぐいは操作すれども理解はせずで、子供ばかりでなく、大人も野蛮人に返ったのである。  
「遅まきながら「東京県人会」」 それでも末流は末流だと認めないガンコ者がいるのに私は微笑を禁じ得なかったのである。 
夏彦の写真コラムとしては11冊目。本書も現在文庫本はない。そして、本当に残念ながらこれでお終いである。もうない。ただ、この本には山本夏彦さんの年譜がある。見返しに夏彦さんの絶筆原稿の写真がある。  
切なくなる程の情熱である。八十七歳です。夏彦さんの貴重な七葉の写真がある。山本夏彦さんの力がある。  
追悼解説文が二文ある。新潮社に情熱がある。絶筆のコラムがある。沢山あるが、これからは夏彦さんのコラムはない。この喪失感は辛い。  
有吉玉青氏の追悼文「夏彦さん、焦る」では『今、あらためてこの最晩年に書かれたコラムを読み、寄せては返す波の音を聞く。終わりのページに近づくにつれて悲しくなる。毎週楽しみにしていたコラムはもう増えない。』と悼む。  
藤原正彦氏の追悼文「いじわるにも程がある」にも『何度目かにお会いした時、夏彦さんは「あなたは大正四年生まれの私より古い」と言って大笑いした。すぐ後のコラムで私を「時代遅れの日本男児」と評した。皮肉とも賞讃ともとれるが、私は「そのまま行け」という激励ととっている。もう一度あの温顔でからかって欲しかった。そして豆粒大でもよいからいつまでも私の目の先にいて欲しかった。』と嘆く。  
前の単行本のタイトルのことを本書「寄せては返す波の音」に書いている。『若い新しい読者が私の古い友にすすめられてわが旧著を四、五冊熱中して読んで言うには「なんだこの人、同じことばかり言ってる」。それを聞いて友は「寄せては返す波の音だと思え」と言った。友だち甲斐に私をかばってくれたのである。すかさず私はそれを今度の本の題にしたいと請うてもらったのである。波を子守の歌と聞く読者に読んでもらえればありがたい。』  
 
笑わぬでもなし  
「二葉亭四迷の思い出」 本を読むことは死んだ人と話をすることで、私は本によって大ぜいではないが、何人かの故人を知った。  
「言葉のとりっこ」 だから、彼の好きな言葉は、我の嫌いな言葉であり、我の嫌いな言葉は、彼の好きな言葉なのである。  
「犬と私と」 俗に猫に小判というが、三歳の童子は猫に似て、小判をありがたく思わない。小判より声をかけてくれる人、かまってくれる人のほうを喜ぶ。そして人の知能は多く三歳を越えないと、知能を調べる学者は言っている。  
「「よろしく」考」 誤解を恐れないでいえば、犬と子供と女はよく似た存在である。それならどうして男も似た存在でないことがあろう。  
「パーティ」 こげ臭い菓子をつくる家の菓子は、いつもこげ臭い。  
「何よりも流行を愛す」 我々は大ぜいが言うことを、共に言う存在である。この世の中は、自分で考える力のあるひと握りの人と、自分では考える力がなくて、すべて他人に考えてもらう大ぜいの人から成っている。  
「私の河原乞食論」 人気さえあれば天から降ってくる芸人の十万円と、堅気の月給十万円は、同じ十万円ではあっても、全く別ものである。  
「有名というもの」 所詮この世は生きている人の世の中である。  
「有名というもの」 有名な作家の、有名な作品を読むのも似たようなものだ。そんなに面白い作品なら、作者が生きていようといまいと関係なく面白いはずである。作品は作者から独立すると、作者は思いたいから思う。作品は不朽で、死後も遺ると思いたいから思う。ごく稀に死んでからも売れる作品があるからそう思うのは無理もないが、作者は死ぬと同時に読者を失う。  
「有名というもの」 読者も共に老いただろう。六十七十を越え、亡くなった人もあるだろう。健康でも、もう本は買わないだろう。読まないだろう。作者は長生きすると、読者がこの世からいなくなるのを見ることがある。  
雑誌「諸君!」はよく出てくるが、皆が皆知っているとは思えないので少し説明を加えると「文藝春秋のオピニオン雑誌」で、意識して明らかに普通言う「右寄り」である。巻頭の「紳士と淑女」と巻末の山本夏彦氏の「笑わぬでもなし」が定期コラムとして有名で、『「諸君!」1985年1月号発行:文藝春秋』のコラム「紳士と淑女」の中で山本氏を『だが、彼はすでに巻末に居る。しかも「諸君!」は巻末から読むのが面白いと、かねてから評判である。なんとかして潮を転じ、巻頭から読ませたい。しかし彼はこのたび菊池寛賞を得て、その筆の冴えは満天下の子女の知るところとなった』と書いているのを読むと、両者の関係と「紳士と淑女」の旨みがよくわかる。  
また、『「諸君!」1993年2月号発行:文藝春秋』の「紳士と淑女」では『「諸君!」巻末に「笑わぬでもなし」を書き続ける山本夏彦を、褒める人は多い。なるほど賞賛に値する筆だか、生きている人と死んだ人の区別がつかないくらいだから、一種変痴気な人である。』と評している。残念ながら「諸君!」は平成21年6月号を最後に休刊となっている。  
そこに永い間書いたもので、一つ一つのコラムもかなり長い。  
本書「世話話」では『のちに私は人を嫌悪するあまり、犬の振り見てわが振り直せ、と言うにいたった。私は犬を哺乳類のなかの上位に置くものではないが、それでも人よりはましだと思っている。』と言う。偏屈の上に頑固。しかしその嫌悪はどこから来て、どこへ向かったのか・・・・・。幸いに今は読める本は多い。 
 
かいつまんで言う  
「生きがいと差別と」 わが家にピアノがあって、隣家になくて、はじめて豊かなのである。  
「現代の姥捨」 仕事らしい仕事がなくて、給料が世間並なら割がいいと、もし若者が思うなら間違いである。終日仕事がないことが、どんなにつらいことか知らないのである。人生、同業組合の職員になるなかれと、このとき私はながめて思ったのである。  
「拷問のある国ない国」 お察しの通り、私はこの世に拷問のない時代があったかと問うているのである。そしてそれはこれまでもなかったし、今もないし、これからもないと答えているのである。  
「広告われを欺かず」 記事はまじめくさって、たわけたことを書く。広告は割引いて読むからいいが、記事は額面通り読むからいけないのである。  
「キャンペーンならみんな眉つば」 戦前は陸海空の強制によって、書かざるを得なかったというが、今はだれの強制によるのだろう。  
「出かせぎ人はいつも善玉」 男は十年二十年働いて、保険金のご厄介にならないのに、半年や一年しか働かない娘たちが、むやみにほしがるのは怪しい情熱である。  
「すべてこの世は領収書」 だから私はそば屋でそばを食べて、そのつど受取をもらう屈辱に、私たちは値いすると思うのである。  
「今の老人昔の老人」 老人が老人らしく見えないのは、たいてい衣装のためで、内部より外部のせいだとわかったのはめでたいが、さりとて男が今さら和服を着るわけにはいかない。  
「映画「大地震」を見る」 運を天にまかせたといえば聞こえがいいが、実は私たちは他の哺乳類と共に理解しないのである。  
「ピルはそんなに安全か」 原則として、大ぜいが異口同音にいうことなら、信じなくていいことだと私は思っている。 
本書「生きがいと差別と」は『生きがいとは何かと、やぶから棒に聞かれたことがある。まじめな若者のなかには、こうした質問をしてひとを困らすものがある。生きがい論が盛んだから、それに左右されて問いたのだとすれば、その真剣な顔にもかかわらず出来心だろうし、思いつめて聞いたのだとすれば、何を思いつめたのか気味が悪い。』と、曰く言い難い面白さがあり、気味が悪い。  
また、本書「これを新陳代謝という」では『ワンマンで老齢の社長は、自分でなければ社長はつとまらないと思っているが、あの老人にできるほどのことなら、だれにもできると若者は思っている。はたして老人が死ねば、それはできるのである。』とニベもない。  
偉くない人には痛快だが、偉い人には毒舌だ。しかし、世間では思っていても言わないことも多い。だが、こうして断定してくれると喝采を叫ぶが、所詮次は自分である。そして、これが「新陳代謝」かと納得せざるを得ない。読めばわかり、そこには心地よいリズムがあり、洗練された文体がある。  
更に「戦争あるべし自然なら」では『「話しあい」という言葉が流行して、もうずいぶんになる。  
私はこの言葉を、ほとんど憎んでいる。どうせ流行するほどの言葉だから、薄っぺらなものにきまっているが、それにしても軽薄すぎる。』とかなり乱暴ともいえる話しになり、その上『かくて問答は無用である』とも続く。  
だが、アメリカの9.11のテロを現実に見てしまった我々は「話しあい」の限界も認めざるを得ないのであろう。 
 
二流の愉しみ  
「旅」 用もないのに人は遠くへ行かない。パリの住民でエッフェル塔へのぼったことのないひとはいくらでもいる。  
「家計簿」 私自身がすすめられてもしないだろうことを、すすめても仕方がない。  
「かぎ」 町で「合鍵三分でつくります」という看板を見る。あれを見ると「四分目には泥棒にはいります」と言いたくなると笑った建築家がいた。  
「物くれる人」 物くれる人はよい人だと古人は言っている。  
「一文なし」 そのころのことを知るものがいないのをいいことに、私は若いとき貧乏した、苦労したと妻子や他人に自慢したらおかしい。誰がおかしがるのでもない。私がおかしがる。  
「もといた家」 縁台は個人のものであり、横丁のものであった。これを町内という。今は地域社会という。コミュニティの訳語だろうが、地域社会なんていっているかぎりよい町内はできないだろう。  
「相性」 以前は私たちの胸の中には、堪忍袋という袋があって、それには緒がついていて、めったに切れなかったが、このごろはすぐ切れるようになったという。  
「ラジオきらい」 寄せては返す波の音は自然の繰返しだから、慣れれば何でもなくなる。  
「私の文章作法」 自分の国の言語を、文章を、こんなに軽んじる国民は珍しい。世界中どこにもない。  
「私の文章作法」 本というものは、自分で買うものである。いくら良書でも、読めと与えられたら、薬くさくなる。
本人が「はしがき」に『どこからお読み下さるのもご勝手だが、「当人論」はご覧頂きたいと作者は願っている。』と述べる通り「当人論」が面白い。  
山本氏としてはかなり長いコラムであるが、一気に読ませる力があり、珍しく素直な展開である。一つ一つを丁寧に分りやすく、機微に長けた話しを混ぜ込み「当人」と「「他人」を対比させる。  
そして最後に『わが国の当人ぶりは、他国の当人ぶりにくらべると著しく遜色がある。白を黒だと言いはること少ないのは良心的なのではない。弱いのである。中国が言うべきことを、さき回りしてわが国が言うのは、知らないで媚びるのである。かくの如く自分が言いはること少なく、他人の言いはることに迎合する国は、怪しいかな他国に尊敬されないのである。』とある。ここだけでも他全てを読みたいと思わせるパワーがある。並みの書き手でないのは承知だが、感心することしきりである。  
山本氏持論の世相批判が、本書「家計簿」にもあり『せっかく買った耐久消費財にとりまかれて、ほとんど足のふみ場もなくなって、なお絶えず何ものかをほしがって、いらだち騒ぐのは新しい不幸である。』と納得せざるを得ない現代である。  
また本書「株屋のまねを法人がする」は今にこそ読んで貰いたいコラムであり『だから、株は損するものなのである。ことに素人は損をする。あれは店に手数料を儲けさせるために存在するだけのかもだと、株屋たちは言っている』とあり、この警句を本当の意味で、苦い思いで読まないで済むことを願いたい。  
「想像力不足」とは分りやすく言うと阿呆ですからね。  
 
ダメの人  
「日本文壇史」 昨今の本はたいていこのリズムに欠くから、読むに難渋する。  
「赤い鳥」 まねっ子の方が売れて、元祖のほうが売れないとは神も仏もないが、神と仏は住々ないものである。  
「身長と体重」 ひとりで旅してひとりで暮らしたら、鴎外漱石の時代とたいした違いはないのではないか。  
「版元」 およそ出版の歴史は模倣の歴史である。模倣といえば聞こえがいいが、ドロボーの歴史である。  
「手形の時代」 給金は現金正貨で支払われるから、堅気の会社員とその妻子は、今でも手形を知らない。  
「スト権ストを回顧する」 治まる御代という言葉があるが、治まる御代というのは、だれも憲法のことなど口にしない御代のことである。  
「郵便屋さんご苦労さん」 わが国の郵便は以前は世界でも一流だったが、今は一流でなくなってしまった。  
「メモとる人」 近所の人が遊びに来て、世間話をしているのに、メモをとったら怪しまれる。  
「買いものぎらい」 男はその精神の内部によって目立つことは許されても、衣装のような外部によって目立つことは許されないと、むかしものの本で読んでもっともだと思って以来、私は風俗には従うことにしている。  
「寿司」 手巻きと称して手で巻いて棒状のままを、ぬっと鼻先につきつける。なぜ切らないかと問うと、包丁の金けがうつるからだと小癪なことを言う。ついこの間まで包丁をいれていたではないか。そのころは金けはうつらなかったのか。  
9冊のシリーズは「ダメの人」「恋に似たもの」「冷暖房ナシ」「『戦前』という時代」「生きている人と死んだ人」「『豆朝日新聞』始末」「愚図の大いそがし」「世は〆切」「『社交界』たいがい」であり、途中で「無想庵物語」「最後のひと」「私の岩波物語」「『室内』40年」が発行されているが、一連のシリーズとは別の造りとしている。  
本人が「あとがき」に『人はダメ派とまくり派のふた派に分れる。まくり派というのは、ひたすら女の尻をまくって、きっとそのなかに何かあると信じて、生涯まくり続けてやまないもののことで、ダメ派というのは「いくらまくってもダメ也」とそれらを観ずるもののことである。』として山本氏は少年のころからダメ派の自覚があったらしい。私にもあったが、それは負け惜しみのダメ派で、憂鬱を含んだダメ派とは違うのがわかる。  
また「買いものぎらい」には『世間には買いものが好きな人と、嫌いな人がいて、私は嫌いなほうで、ひとたび何か買わなければならないと思ったら、それを苦にして、たいてい半年、一年、二年を経て、結局買わないでしまうほうである。』と書くが、私も嫌いなほうだが、それは別の理由であるのが哀しい。  
本書の中でのお気に入りは「恵存」で『私は弱年のころから今に至るまで、自信というものを持ったことがない。自信は暗愚に立脚していると思っている。それらしいものが生じると、私は我にもあらず常に自ら打ちくだいてきた。』と書き、更に『この年になってまだ自分を天才の片われだと思うのは馬鹿かきちがいである。』とも云う。ただ、こうして抜き出すとこのコラムの面白みが全く伝わらないので、本コラムをご覧あれ。 
 
つかぬことを言う  
「原爆許すまじ」 知るものは言わず、言うものは知らずと言います。  
「個人・法人」 私がここで言いたいのは、わが税制は税をとりたいばかりに、何百年何千年来のモラルを破壊したということです。たとえば、借りたものを返さないかぎり利益は生じない、倹約は徳だというがごときモラルをこわしました。  
「パリ・コレクション」 いまそれが美しいのなら五十年前百年前も美しかったはずです。当時それを発見しないで、いまごろ発見したのを私は黒人の代わりに不快に思っているのです。  
「友のごときもの」 スナックのマスターやそこで知り合った麻雀友だちは、やはり友ではありません。  
「三日三月三年」 家庭教師をして何か得るところがあったかと問うと、希に「家庭教師なんかするものじゃない、ということが分った」と答えるものがあります。  
「発想の転換」 人は獅子や虎を猛獣と呼んで恐れますが、なに彼らは腹がいっぱいなら何もとって食いはしません。  
「発想の転換」 けれども短所はすべて長所で、世界のバランスはこれまでそれによってとれていたふしがあるのです。  
「発想の転換」 欲ばれば出来るが欲ばらないと出来ないことをソ連人は気がつくのが遅いと、それを見ていた中国人は気がついたのです。  
「情報というもの」 私は近く新聞はつぶれると見ています。  
「ねずみ講」 自分は純真で無垢ですべて相手が悪いなんて、こんな好都合なことはありませんが、そんなことはこの世にないことです。 
山本氏が「あとがき」に『実を言うと私は、つかぬことを言っているつもりはない。当たりまえのことを言っているつもりなのに、そう思わぬ人が多いので遠慮してこんな題をつけたのである。  
ただ私は校正刷を前にして、あまり同じことを言っているのに我ながら驚いている。古く熱心な読者にはご海容を請うばかりである。』と云っておられるが、此れは反覆に値するコラムなのである。落語を「これは聞いた。同じだ。他のものがないのか。」というものはいない。それを云うなら聴かなければいいのである。落語には歴史があり、蓄積がある。名人がいて、達者がいる。  
それを山本夏彦氏は一人で書き、独りで磨く。「つかぬこと」であるのか、ないのか。どちらでもいいのであり、面白く愉しければそれはそれでいいのである。  
とにかく面白い。この辺が角がとれて、とれても鋭く、鋭いが受け入れ易く、受け入れ易いがキレ鋭く、いい味なのである。サイトの題名を頂いた所以である。  
本書「人間やっぱり五十年」では、やっぱり『「年寄りのバカほどバカなものはない」ということわざがあると教えると、たいていの人は喜んで大笑いします。かねがねそう思っていたからでしょう。ただし喜ぶのは若い人です。あるいは若くはないけれど若いと思っている人です。』と言って、若くない私を暗澹とさせる。  
そして、「ロバは旅に出たところで・・・・・・」で『「ロバは旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない」と言う。何の学問も知識もないものが、海外に遊んでも得るところはないというほどのことで、むろん私のことだよと言う。』と言う。  
旅に出ても年をとってもダメなものはダメなのか。最後には「勝手におし」。ハイ。 
 
恋に似たもの  
「意見広告」 私はただ自分の金なら惜しんで、他人の金なら湯水のように使う私たちの料簡に深甚な興味をもつだけである。  
「建築事務所」 有能は何をしでかすか分らない。  
「名人」 完璧を目ざしていつも完璧だから、ひょっとしたらしくじりはしまいかと手に汗をにぎるのである。  
「動力物語」 哲学が読者を失ったのはにせの難解のせいである。  
「沈黙の春」 自分に不都合なことなら承知しないのが人の常であり、したがって国の常である。  
「稲木東千里」 二流の名人は時代と妥協するが、一流の名人は孤絶するという。  
「嘉村礒多」 「おれが親なのが恥ずかしいか。われもおれの子じゃないか」。  
「恋に似たもの」 改まらないものには改まらない十分なわけがある。  
「勲章」 物が盛んなときは衰えるときである。  
「もと美人たち」 若いうちはそれが分らなかったが、いま分るのである。 
本書には山本氏が向田邦子さんを褒めて有名な「名人」がある。そこには『こうしてみると文章の才というものは天賦のものらしい。向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である。  
この人のコラムはこの週刊誌の宝である。』とあり、ここまで褒められて向田さんも喜んだという。向田さんはこの時、週刊文春に書いていたのだから山本氏が発掘してきたわけではないが、それにしても褒めかたが凄い。  
そして、昨今問題になった保険会社の保険金支払拒否問題でも、「保険ぎらい」に『けれどもこの約款は、信じられないことだが契約する前に見せない。見せろと言っても見せない。  
うそだと思うならためしてみると分る。追いつめると見ても分らないでしょうと外交員は驚くことを言う。』とあり、その他もかなり身も蓋もない話しが一杯で、これでは保険会社からの圧力大きかっただろうなと思わせる出来であるが、現実に泥酔して風呂に入って亡くなった人を、「風呂は泥酔して入るものではありません」と言いつのり、保険金を支払わなかったのが保険会社である。保険の意味ないね。  
別に保険会社に道徳を教わる為に入った保険ではない。それがこの言いザマである。  
父ちゃんの酒飲みが心配で、外交員に、「万が一の事が」と五月蝿く言われ、「それでは心配ですね。」と心配しない心配を、心配して入った保険でこれである。  
『笑わぬでもなし』の連載もこの時に8年4ヶ月100回となり、本書「属目」に冗談に『実はとうの昔種切れになっていて、私は以前書いたものを焼直しをしてそれが心苦しくて一昨年十二月号に大団円と書いて休もうとした。大団円は大尾、おしまいのことをふざけて言ったのである。けれどそれが許されなくて今も書き続けているが、大げさに言うと死ぬ苦しみである。』と書いているが、インテリア雑誌「室内」の編集兼発行人であり、「夏彦の写真コラム」の連載もある。お疲れ様としか云いようがない。  
「『笑わぬでもなし』由来」に自分のコラムを『ただ言い方があんまりである。せきこんでいる。  
畳みかけている。あらゆる逃げ道をふさごうとしている。一方の逃げ道をあけておかなければいけないと知りながら、そこへ逃げこもうとすると、それまでふさぐ。ぐうの音も出ないようにしたがる。』と書くが、その容赦の無さが魅力でもあると思うのだが。 
夏彦・七平の十八番づくし―私は人生のアルバイト―  
山本七平さんとの対談集2冊の第1冊目。2冊目は「意地悪は死なず」。  
全体としては、案外淡々としていて、強烈な毒気は全くない。「欲ばりとやきもち」では山本夏彦氏の発言で『僕は個人の運命は個人にあって、国にはないと思っていますから、「高い政府」より「安い政府」のほうがいいと思いますけれど、賛成者はほとんどない。だから今後とも私たちはいよいよ税金をとられるでしょう。』と今とそして今後を見事に言い表している。  
同じく「欲ばりとやきもち」に、山本夏彦氏得意の世相診断話しである『自分のうちにピアノがあって、隣のうちにピアノがなければ、めでたく豊かになれるのに、隣のうちにすでにあって、そのまた隣のうちにもすでにあって、遅ればせながらようやく自分も買ったって、そんなもの豊かじゃない。』と語り、またそのピアノを『あのピアノには子供は迷惑してます。ようやく日本中に普及して売れなくなったのはめでたい限りで、あれは近く粗大ゴミになるでしょう。』と言い切るが、他をこの調子で話している訳ではなく、かなり押さえた流れに終始していて落ち着いて読めると言えばいえるのであろう。
おじゃま虫  
内容は相変わらずの夏彦節。藤塚の小写真集と言う割には写真の数はそれほど多くはない。活字が大きく当時にしては贅沢で上品な造りである。  
「まえがき」に『「プレジデント」は立身を願う読者のための大雑誌で、立身を願う読者と私は必ずしもよき友ではないから、かえって何かのたしになりはしまいかとこの連載を「おじゃま虫」と題した。』とあるが、忘れ易い立場の本である。  
本書「むかしの子いまの子」によると、嘘か誠か山本氏はタイムマシンに乗ってしばしば二千年前のギリシャ、ローマに飛ぶと『千年前の子も二千年前の子も同じ喚声をあげる。ギリシャ、ローマの子もわが国の子とそっくりである。ためしに軽くつついてみると、笑うものとにらむ者があって、その割合もまたそっくりである。』。  
『私はこの世を「生きている人の世の中だ」と思っている。死者はあっというまに忘れられる。』は本書「花かげに幾たびか酔いえんや」に出てくる言葉で、同じく最後に『私たちは鳥が区別できないように、鳥たちは私たち人間を区別できない。年々歳々花は同じだが、それを見る人は同じでないとシナの詩人は言ったが、それが自然なのである。』と書いているが、生きている人の世の中であるのは当然である。  
しかし、我々に残された本で必要な本は残るであろうし、山本氏の本は当然残らなければならぬ本であり、言い方を変えれば、我々が残していかねばならぬ本である。時代が生んだ本では無い。時代を超えて時代を選ばぬ本である。  
「利をもって誘うがいい」には『もし民が言うが如く、官はむだにみちみちているなら、それを最も知るのは官だから、利を以て誘えば上下心をあわせてむだを駆逐するだろう。』とあり、これが発想の転換であり、松下幸之助氏はこれをさらに推進すればわが国はついに「無税国家」になると言うと書くが、そこまででなくとも、いつまでも同じ発想では成り立たなくなっているのは確かである。
意地悪は死なず  
本書「テレビ人間と活字人間」中の夏彦氏の発言『自分のことを書かれたら必ず間違ってるのなら他人のことも間違っているはずですよね。それならほかのものを疑ってかかるのが当然なのに、ほかのものは信じる(笑)。これが活字の恐ろしいところなんでしょう。』とあるが、この発想が精鋭なんで、ありそうな言葉ではあるが意外と新鮮なのである。  
また「助平を論じてエロスに及ぶ」では、夏彦氏が『すなわち一人の婦人で全婦人を察することができない男が、百人千人の女に接したって何もわかるわけがない。ほんとのことを言うとね。ただ男は(女も)助平だから何かあるんじゃないかと迷うんですよ。』とあり、機微に長けた話しと混ぜ合わせて読む者は飽きることがない。  
「君見ずや管鮑貧時の交り」では、夏彦氏の『年取ってから一番避けなくちゃならないのは、学校の、人生の師表になりたがることと説教すること(笑)。年取ったからって自動的にひとの師表になれるなんて、とんでもない誤解ですよ。』と厳しいが、高齢者時代になって、互いに自戒しなければいけない言葉でもある。
冷暖房ナシ  
山本氏の本職は、インテリア雑誌を発行する出版社を経営することであり、その雑誌はこの時代でもうすでに一流である。本書のタイトルとなったコラム「冷暖房ナシ」に『私の雑誌はインテリアの専門雑誌で表紙をはじめカラーは豪勢である。何より上品である。執筆者はすべて一流である。新人が逸早く登場するのは、有名になると書いて貰えなくなるからその前に書いて貰うのである。』と書いている。  
復刻版が出るまで、幻の名本と言われていた「年を経た鰐の話」は当時櫻井書店から出版したもので、その櫻井書店櫻井均氏のことを書いた「苦しむ人」は苦いものであり櫻井氏は無名不遇の人を贔屓する癖があり、ある作家の本を出版し世間に出してやりたいと披露の宴を張ったが『客のふとした言葉尻をとらえて、ふた言みことやりあったかと思うと逆上して大声疾呼してその宴をめちゃめちゃにしたと私は当人から聞いたことがある。友のためよかれと身銭を切って一席設けて、自分でその宴をこわしたのだから慚愧にたえないとはいうも愚かである。あとは七転八倒の苦しみを苦しむだけである。狂人ではないかと笑ってはいけない。』と書いて、昭和35年きっぱり廃業したのも『至誠は天に通じるというが、いくら赤心を吐露しても通じないことがあるのを桜井は早く知っていたのだろう。』とし、全体に愛情深いが醒めた目があるのである。  
また「挨拶一」に洒落で『実をいうと私は月間「文藝春秋」にこれを連載したら読者も飛躍的にふえるだろう、そしたら単行本も売れるだろう。「諸君!」に書いて損したとしばらく思っていましたが、それがそうでないことが分かりました。』と書いている。  
「諸君!」の巻末を飾り、「諸君!」の評判を上げたのも山本夏彦氏の力は大きかったのである。
「戦前」という時代  
「戦前」という時代にこだわった編集で、特に「室内」に連載したものは期間がかなり長いものから選んだものである。ただ、全体に地味な作品が多く、どれだけの人が興味を持って読むものなのかは計りかねるところではある。  
本書「あとがき」に『何より買いだしだのヤミだのいう。売るものがなければ買えない。千葉埼玉茨城−東京の近在でも自分たちが食べてなお売るものを持っていたのである。つまり日本人の大半は食うに困っていなかったのである。「『戦前』という時代」はこれだけのことを言うために書いた』とあるが、この「『戦前』という時代」はコラムの題名であり、本全てが一つのコラムではない。色々と沢山のコラムがある。  
その「『戦前』という時代」には山本氏の根底に流れているものを分り易く言っているものがあり『鬼畜米兵などと言われても彼が鬼畜なら我も鬼畜だろうと思っていた。彼に正義があるなら我にもあろうと思っていた。原爆許すまじといっても出来てしまったものは出来ない昔には戻れないと思っていた。それは皮肉でも何でもない。』とあり、達観しているのか、絶望しているのか、ただの厭世感ではない。  
山本氏のお気に入りであり、その才能と作品を絶賛した向田邦子氏のことを書いている「向田邦子一周忌」に『一両年を経て私は「あ・うん」を再読して、ここに尽くせないほどのものを発見した。もう一度読んだらなお発見するだろう。その作者が不慮の事故にあうとは神も仏もないが、この世はしばしば神も仏もないところだから、向田邦子はそれなりに完成した作家として終ったのだと私はあきらめることにしたのである。』とあり、たしかにあきらめることしかできないが、事故に遭うことがなければ、どれほどのものを我々に書き残して呉れたものか、誠に残念である。  
その他分り易いところでは「宴会」に『四十五十になって会社では幹部なのに、自分の会社の製品がほめられているからコピーさせてくれという。「室内」に出ているから値打があるのだ。  
その部分だけコピーしたら値打ちはなくなる。』とあるが、これが創作でなかったとしたら凄い人もいるもんだ。その卑しさはどこからくるものだろうか、個人だけのものではないのであろう。
生きている人と死んだ人  
山本氏は昭和59年、「世相を諷刺しながら真の常識の復権に寄与」したとして、第32回菊池寛賞を受賞しており、その受賞挨拶を本書「あいさつ」に書いているが、それによると「室内」に書いて26年、「諸君!」に書いて12年、「週刊新潮」に書いて6年、「プレジデント」に書いて5年近くとあり、この夫々の永さは特筆ものだろう。  
そしてそれらは、まだまだ続いたのである。  
また、「あいさつ」には「春秋に義戦なし」のひとことを『これだけで分るひとには分ります。なぜ分るかというと分ろうと思って待ちかまえているからで、待ちかまえていない人には千万言費やしても分りません。故に費やしません。費やす人もありますがそれは別派です。』と書き、当然ながら、納得する人は納得し、納得しない人は納得しない。  
山本氏は昭和61年5月夫人をガンで亡くされている。「おわりに」に妻の晩年2年近くを『それはいつもどこかに死のかげがさしている尋常でない日々であった。何事もないのがありがたい日々であった。』と心痛深かっただろうなと思わせる、私生活を素直に振り返っている。そしてその後を「みれん」に『私はこれまで喜んで生きてきたわけではない。それは絶望というような大げさなものではない。むしろ静かなものである。』と静かに語る。山本夏彦氏の本を余り読まない人にも薦めたい本の一冊である。
無想庵物語  
『・もとより完全には遠いが、事典の多くがこれを試みれば索引は一変しはしないか。索引と同時に読物であることを心がけたから、勢い主観的になった。ご寛恕を請う。(筆者)』と一冊で二度おいしい造りになっている。  
文藝春秋の通常の『装幀:坂田政則カバーイラス:川田憲一または川田徹』ではなく別の造りとしていて、新鮮であり、上品な趣が漂う。  
夏彦氏の父の友人、武林無想庵氏の破天荒な生涯を哀惜の念をこめて描いた評伝であるが、山本夏彦の半生も詳しい。  
武林無想庵氏や、山本夏彦氏の父上露葉山本三郎氏や、著者の若い時など、モダンな写真が巻頭を飾っており、力の入り具合がわかる。  
本書「ダメの人」の中には『「ダメの人」というのは十七八になってから思いついた言葉であるが、早くすでに私はこの世はダメだと見ていた。「とかくこの世はダメとムダ」だと思っていたが、それを言うべき友もなく終日無言でむっとしていた。』と虚無感と無常観が漂い、妖しい。  
更に「スキャンダル」では『ちっぽけな物識りくらいつまらないものはない。一段うわ手の物識りにあえばひとたまりもないのに、一段上がいないのを幸い物識りだと思っているのをみると片腹いたい。』と手厳しいが、続けて『私は早く一流の物識りを知ったから、並の物識りなんか物ともしないが、並または並以下にそれと思い知らせるには少しは物識りでないと出来ないから、物識りでないのもまた威張れたものでないと知るのである。』とどっちにしても威張れたものではないのである。  
文春新書「男女の仲」の解説「山本夏彦さんの思い出」徳岡孝夫氏はその中で『「無想庵物語」の連載中など、烈々たる気迫と熱気がページから立ち昇り読む者の顔がほてった。』とまで絶賛している。
最後のひと  
山本氏のコラムは、特にテーマが決められていないものがほとんどであるが、本書と「無想庵物語」には確たるテーマがある。  
本書の場合は花柳界であり、幸田露伴の娘文であり、森鴎外の娘茉莉である。それはこの本を普通の山本夏彦氏の本とは違うものとしており、楽しめる人は楽しめるが、受け入れることが出来ない人もいる。  
それが、本書「おわりに」にある『私たちの父祖は東洋の古典を捨て、西洋の古典を得ればいいと思って、その双方を失って骨のない男になってもう六、七十年になる。』の結果だけではないとは思うが、同じく『俗に「断絶」といわれるものは明治にはじまっていま終わったところである。』ことによることは大であると考えられる。  
私たちは先人の智恵さえも受け継ぐ素地を失ってしまった。しかし生憎、価値観や規律を零から造り上げる地力は一世代や二世代では育たない。それはまさに蜃気楼に漂う電気仕掛けの漂流者か。  
唯一の分り易く普通の流れは「運転手曰くOLに処女なし」の『このごろはいなくなったが、十年以上前は個人タキシーの運転手で「OLに処女なし」と憤慨するものがよくいた。随所にラブホテルが建ったころで、女たちはそこへ車を乗りつけて恥じないと運転手は口をとがらせて賛意をうながすから、やきもちではないかとは言えないから堅気のOLは歩いているよと私は慰撫した。貴君は職掌がら専らホテルへ行く客を乗せる、行かない娘たちは第一車なんかには乗らない。人数は乗らないほうが多いにきまっている。講うご休心。』言われれば当り前であるが、含むところは多い。
「豆朝日新聞」始末  
本書「何よりも流行を愛す」に『彼女たちはついこの間まで友の浮気を聞くと、「まああきれた」と口々にとがめたものどもである。両者は全く同一の人物である。人は流行に左右され大ぜいがすることならどんなことでもする。』と言い、本書「そそのかされれば何でもする」に『男女を問わず人は流行とあれば何でもするのか。死にもするしその死を笑いもするのかと、私はふんどし一つでテレビの画面をしゃなりしゃなりと歩くモデルの顔を見まもるのである。』とあり、流行れば何でもし、そそのかされれば何でもする人を憂うが、此れが現実であり深い憂鬱に沈み込まされてしまう。  
「あとがき」には『朝鮮人慰安婦のことを思えば夜もねられぬというたぐいの記事が、ある時期毎日のように出た。ことに朝日新聞に出た。四十なん年枕を高くして寝ていたのに急に眠れなくなったのである。新聞はその声を集めてずいぶん嬉しそうである。良心と正義を売物にするのは最も恥ずべきことだと知らないのである。』とあり、やはり新聞を問う。それは本書のタイトルの『「豆朝日新聞」始末』もそれに由来しているのであり、同じく「あとがき」に「豆朝日新聞」は『ソ連が月世界に到着したと騒げば、「何用あって月世界へ―月はながめるものである」と書く。』のである。そしてそのコラムは本のタイトルにもってくる程のものだから期待を裏切らない。
何用あって月世界へ  
山本夏彦氏の著書「日常茶飯事」〜「『豆朝日新聞』始末」の名言箴言集。巻末の「なつひこはやわかりかるた」<絵と文浜野孝典>が絶品。  
この本が出版されるとき、週刊誌に発売予定の広告があり、山本夏彦氏の本は普通入手できるものをほとんど持っていたにもかかわらず、発売日を楽しみにし、書店に駆けつけたことを思い出す。  
選者の植田康夫氏は文庫本「生きている人と死んだ人」の解説を書いていてこれの評判が良かったのも選者に選ばれたひとつでなかろうか。本書は選びに選んだものだが、それでもかなりの分量があるのでほとんどの名言が入っていると思われるが、本「夏彦の影法師著者:山本伊吾発行所:新潮社」によると、山本氏が割愛されたものの中で『「明治の昔の貧困と今日のそれは質的に相違したもので、電気じかけの貧困こそ真の貧困だと仔細あって私は信じている」』を紹介していると書いているが、これさえも割愛せざるを得なかったのも凄い事である。  
そして、その出来上がりは同書に『<何用あって出来、面白し>と十分満足したようだ。』とあり、植田康夫氏のあとがきにあたる『「死んだ人」の生きている文章』の最後の言葉『本書は山本氏のコラムを愛する人たちにとっては、キリストを信じる者にとっての心のバイブルのような役割を果すにちがいない。』も大仰ではあるが頷ける。
愚図の大いそがし  
文藝春秋のコラムタイトル及び本書タイトルの「愚図の大いそがし」は本書「あとがき」によると『この題は気に入っている。編集部が一義に及ばず賛成してくれたのは、誰が見てもてきぱき片づける才ある人も、さらなる才のある人を望み見て、自分を愚図だと思う。そのさらある才ある人も、なおさらなる才ある人をうらやんで自分を愚図でと思っている、かくてこの世は愚図の大いそがしでない人はないことになってめでたいというめったにないタイトルで、私は気に入っているのである。』とあり、普通のことを普通に言っているようで面白いのである。  
本書の中の「たれんと内海好江」で内海好江さんを褒めていて、2度目に見た時彼女には『私のきらいな言葉ではあるけれど、その背後には教養がある。この人はただの漫才ではない。  
俗に女は器量だという。彼女はうちなるものが外にあふれ出ようとするのを、そんなもの漫才が出しちゃいけないからいつもおさえているが、見る人が見れば分かって、それで器量もよく見えるのである。』とまで書いている。本当にいい味であったのに、誠に残念であるが其れがこの世か。  
山本氏のコラムには、滅びゆくものを掘り出して其れで良いのかを問うものが多数あるが、本書「「孝」の行方」には『それにしても「山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思う母かとぞ思う」(行基)と歌った心は何だったのだろう。孝に限らず「心」とは何なのだろう。』と珍しく素直な書きようをしていて、これも胸を衝かれる。
私の岩波物語  
本書は帯にある「岩波書店を論じて完膚なし!」であるが、流石に本全てが岩波書店を扱っている訳ではなく、23章の最初の一章であり、他は同「実感的「言論と出版の百年」」となっており、更に巻末の「主要人物・社名等索引」が詳しく、そちらに興味あればより楽しめる。  
本や出版だけでなく、広告代理店の話題もあり本書「電通以前にさかのぼる」では昭和の初めには温室栽培が出始めたことに『人はつまらぬ努力をして一生を終わるものだと、ビアホールで冷凍の枝豆を口にしながら思ったことがある。だからよせと言うのではない。ひとたび出来てしまったものは出来ない昔にかえれない。これが鉄則である。そんなことは誰でも知っている。』と醒めた眼の社会諷刺がきつい。  
「原稿料・画料小史」には原稿料について詳細に書き興味深いが、最後のほうで山本氏も『迎合するとみせかけて、自分の言いぶんを通そうとするのが私にとっての言論だとすれば、レトリックの秘術をつくさなければならない。読者ははじめそれにだまされるが、次第に顔色をかえる。飴をしゃぶらせて熊の胆をのませようとするのだなと感づくのである。』と真理をつきつつ面白いことを書く。ただ、熊の胆はとても苦いが体にいいと云われるから、論理の反転の反転の反転なのか。  
向田邦子の話題はよく出てくるが本書にもあり、「『室内』の才能たち」に向田さんのことを『この対談は昭和五十六年一月号だから彼女が不慮の死をとげる八カ月前である。生きているうちにほめておいてよかった。それまでも私は二、三度ほめている。けれどもそれらはことのついでに触れただけである。この時は四ページまるごとほめたのである。しかもデューしたときすでに名人だとまで言っている。間にあってよかった。』と述べ素直な賛辞がすがすがしい。
世は〆切  
山本氏のコラムは中身も当然だが、やはりそのリズムや流れや文体といったものに惹かれる部分も多く「あとがき」の最後の『冷蔵庫のなかった昔は、魚屋は今朝仕入れた魚を売りつくして、夕方は店のたたきに音たてて水を流して、ごしごし洗って無事一日を終った。魚屋のあるじはあとは枕を高くして寝るばかりである。まことに一日の苦労は一日で足れりである、明日のことは思いわずらうなとは至言である。』なども、とりたててどうといったところもないようで、心穏やかとなる旨い纏めである。  
また、言葉に対する危機感が強く後に「完本文語文」という本も出版するのであるが本書「口語文」にも『私は文語にかえれといっているのではない。そんなこと出来はしない。私たちは勇んで古典を捨てたのである。別れたのである。ただ世界ひろしといえども誦すべき詩歌を持たぬ国民があろうかと、私は長大息するのである。』とあり、本当に深い嘆きを嘆いているが、もう取り返しはつきませんね。大の大人がもう問題外なんですから。  
『私の話は深入りすると分らなくなる恐れがあります』と書いている「談話室一万回」は秋山ちえ子さんの話しをしつつ自分のコラムを語っているが、それがあっちへ跳びこっちへ返り、対比に否定、反転に肯定と忙しい上に、敵は味方で味方は敵かの有様で『老人のいない家庭は家庭ではないと、むかし私は何度も書きました。これだけなら分ります。こう言えば老人は喜ぶ、若い者はイヤな顔をする、けれども今の老人は老人ではない、若者に迎合して口まねをする。こんな年寄りと同棲しても若者は得るところがない、追い出されるのはもっともだ、云々。』と訳の分らない面白さとなる。  
『怪しいことを言う、言いぶんを聞いてやろうと言う人は多くありません。』もあながち謙遜だけでもない気もする冴えである。その他本タイトルの「世は〆切」をはじめ、じっくりとそしてかなり愉しめる本である。
『室内』40年  
『室内』連載の山本夏彦さんが社員の若い女性と語るかたちをとった問答集。後の文春新書3部作の先駆けであり、色々な意味で重要な本であろう。  
装幀・装画の浜野孝典氏は山本氏の名言集「何用あって月世界へ」の巻末を「なつひこはやわかりかるた」で飾り、その絵の洒落た感覚と中身の濃さと軽さと笑いで山本氏を喜ばせた人で、本書でもその上品さが遺憾なく発揮されている。  
山本さんの本の愛読者はご存知であろうが、「室内」とは山本氏が創刊したインテリア雑誌であり、本書「和気に似たもの」に『わが「室内」の主宰者が私であることを、世間はなかなか認めなかった。『ダメの人』『変痴気論』の著者が美々しいインテリアの雑誌の主宰者であることは、すぐには結びつかなかったのである。ようやく結びついたと思ったら早や四十年である。』と紹介している。  
その雑誌「室内」に連載の「日常茶飯事」を、山本氏が本書「豆記事のいい雑誌は一流」では『読者は応接に暇がない。普通の頭じゃついて行けない。ついて行けるか、行けないかっていうのは人間の性質なんです。男だとか女だとか家具屋だとか大工だとか、ということとは関係ないんです。子供だって分る子は電光のように分るし、老人だって分からない人には絶対に分からない。』。  
ただ、当然ながら山本氏も最初から一流ではなかったわけで、戦前就職試験を受けた時のことを「美人ぞろい才媛ぞろい」の中で『一流が気にいる答案を書いて、その書いたことのいまいましさにたえかねて、最後の何行かで全部ひっくり返すならそれは失礼です。試験官も馬鹿ばかりじゃない、この若者の魂胆を見破って、編集にも営業にもそもそも何物にも向かないんじゃないかと落とします。』と語り、根底に潜む反権力の芽や、精神の自由加減を窺わせる。
昭和恋々あのころ、こんな暮らしがあった  
昭和時代を語る写真入りコラム。第一部は山本夏彦、第二部は久世光彦。第三部が二人の対談集。単行本と文庫本が違う出版社であり、同じ写真を使いながらこれ程味の出かたが違うというあまりない見本であろう。之は好みの問題だけではないはずである。  
本として第一部と第二部を文庫本の写真を使い、第三部を単行本のレイアウトを使うことが出来たら、この本は「昭和」を語る名本となるのではなかろうか。写真を勉強する人もそれぞれの本の写真を比べて見てください。大変参考になると思います。ただ、文庫本「出前持ち」あたりを見るとやり過ぎの意見もあろう。写真も違うし、創り過ぎでもあろうが、メリハリをどこで収めるのがいいのかは難しい。それは、一つだけ例を挙げれば「乳母車」は、単行本ではただのピントの出ていない懐かしの写真であるが、文庫本の写真はれっきとした『写真』である。  
「はじめに−昭和変々(へんぺん)」は久世氏らしい文章で、向田邦子さんとの話しは興味深い。しかし、真骨頂は次の『たぶん私たちは、昭和のあのころに、何か大きな忘れ物をしてきたような気がしてならない。もしかしたら、それは途方もなく大きな忘れ物だったのかもしれない。  
《文化》なのか、《教育》なのか、あるいは《精神》とか《魂》とかいうものなのか−それはよくはわからない。』と言い、『あのころを想うと心が和むが、いまに還ると胸が痛む。』と続ける。これは年を経た人の警句である。危機感が滲み溢れ、最後には我々の今を『恵まれ過ぎて、安逸を貪るのに慣れ、いつか馬鹿になっていく不思議な《平和》』と憂う。まさしく「オーイどこ行くの」であろう。  
第一部の山本氏の分では「アパート」が出色である。『ある日一階の住人が珍しく窓をあけ放っていたので、通りすがりに見ると、引越の荷が出来て車が来るのを待っているところだった。老夫婦だった。男は三つ揃の背広を着こなして人品いやしからぬ人だった。夫婦はこの四畳半に何年いたのだろう。寄る年波でとうとう郷里に帰ることにきめたのだろうか、立つ鳥はあとをにごさないという。塵ひとつとどめていなかった。』。絵が浮かび切ないのである。遠く過ぎ行く昭和に無常を覚えるのである。
「社交界」たいがい  
山本氏は職人大好きではあったが、虚業というか、インテリというか、実業でないものは認めなかった。ただ、本人を含めてであるが。そこでお金の話しになると本書「オカネガアリマス」ではこう語る。  
『人間万事清く正しく美しいばかりでないことを、教科書は暗示または明示しなければならない。証券会社は株屋だと言わなければならない。株屋なら悪事を働くに決まっている。その株屋にそそのかされて買ってソンしたのは欲ばってソンしただけでこれまた被害者なんかではない。』これまた「同じことを言う」であるが、これは昔の普通の人は普通に言っていた事でもあるんですがね。  
山本氏の永遠で最大のテーマである「現代」について本書「21世紀は来ないだろう」で『宗教と哲学は行きつくところに行きつきました。人知は出尽してそれで救われないから、機械にすがったのです。そしてもとへはもどれないのです。知恵あるものは知恵で滅びるとつとに古人は言っています。』と書く。これは厭世観ではなく、ただの悲観論でもない。  
そして本書「21世紀は来ないだろう(再び)」〔99年1月〕でも、『世界中がいっせいに無にすることに成功する日は近い。今こそ哲学と宗教の出る幕なのにそれは出る見込みはない。  
全くない。出てくるとすれば淫祠邪教である。そもそも哲学に、宗教に絶望して生じた機械信仰である。今さらもとへは戻れない。時間はもうない、21世紀は来ないというゆえんである。』と云う。  
しかし我々は21世紀を生きている。時間は経ったのである。しかしである。続いて『ほら来たじゃないかと一両年経って私を嗤ってはいけない。私は抽象的な意味で21世紀と言っているのである。ある種の動物が全地球を覆ってわがままの限りを尽くして許されるということはないのである。』我々は智恵ある動物であるが、あくまで動物である。智恵得たことが災いと招いたと云うのであろうか。  
地球に対して我儘は許されることでないことを何時知るのであろうか。我が温室地球号。
誰か「戦前」を知らないか―夏彦迷惑問答  
山本氏の「戦前」に対する拘りは尋常ではなく、『「戦前」という時代』という本も出版している。その辺のいきさつを本書「大正(ご遠慮)デモクラシー」では『戦後五十年という歳月は互いに理解を絶した歳月だと分りました。』と語り、更に『あなた方に「戦前」を話して理解が得られないのは、ひとえに言葉が滅びたからです。それは核家族が完了したからです。教育のせいです。』となり、やはり言葉の話しとなる。現実に言葉が通じないのである。それはもう戦前とか戦後のレベルを越え果てしない断絶である。  
そして、それは明治、江戸時代にも遡り、江戸時代はまっ暗だったのかの問いに『明治に生まれた人はそう思いたい。島崎さんはそれにつけこんで「夜明け前」と題した。ジャーナリストの才があるといわなければならない。維新政府は江戸時代がまっ暗だったと思わせなければならない。洋の東西を問わず新政権は旧政権を悪くいう。ただ、今回の戦前戦中まっ暗史観はこれとはちと違う。』と云い、それがこの本の、山本氏のテーマである。  
そうして、現代の日本は『死んでいく老人を隔離しようとしているくらいだから、すでに死んだ人とはてんで交際がない。ぼくはよく死んだ人と話をする。本来生きている人と死んだ人は区別すべきじゃない。なのに今は区別しすぎる。イナゴの大群のくせに(笑)』と結び、一匹のイナゴは行き場を失うのである。  
問答しても、本にしても結局は「同じことを言う」であるが、対話の形にすると、また別の面白みが加わり、楽しめる本である。当然のことであるが、帯の『大地震の前の晩だって人は枕を高くして寝ていた。』のであり、今晩の枕も低くはないのであるが大丈夫かな。
完本文語文  
少し懐かしく、沢山難しく、多いに愉しく、半分は教養が付いていかないが、上品であり別格の本であろう。この本は今読まなくとも、読めなくとも、所有するに値する本である。帯にある通り『祖国とは国語である』であり『日本人は文語文を捨てて何を失ったか』を問い、しかも面白い。例えば、本書「言い回しのほう」では『三十になっても雪之丞変化をヘンカというものがあったが、誰も直してくれない。このたぐいを冷笑してくれるのは昔は中学生だった。  
「オイあいつ雪之丞へんかだとさ」。人は笑われておぼえることがあるのである。親が子を笑うのである、中学生が中学生を笑うのである、その程度のことで傷つくのなら傷つくがいい。』と小気味いい。  
『原則として私は耳で聞いて分らない言葉は書かないと言ったら、お言葉ですがしばしば目で見ても分らない字句がありますと四十半ばの紳士に言われた。私ごときが使う字句が読めないのは読めないほうが悪いと以前は内心思っていたが、このごろは待てよと考えなおすようになった。』と本書「わが語彙」に書くが、現実として分らないのである。  
それが、山本氏が憂いているものであるが、もう返れない。それは「明治の語彙」にも『歳をとればとるほど上達すると思うのは思いたいのである。歳月は勝手に来て勝手に去る。老人になればそれだけえらくなれるなら日本中えらい人で満員になるはずである。』と突き放し、最後に『語彙の背後には千年の伝統がある。私は文語に返れと言っているのではない。今さら返れもしない。早くすでに核家族である。私たちは風流という言葉を口にしなくなって久しい。古人はその短をすて長をとれと言っている。』と衝く。  
回復の見込みを示さない今を「あとがき」に『藤村詩集はあんなに読まれたのに口語自由詩になって以来詩は全く読者を失った、読者を失うと詩は難解になる。純文学も読者を失うと同時に難解になった。だから文語に帰れというのではない。そんなことは出来はしない。出来ることは何々ぞと私はひとり問うているのである。』であり、続いて『口で語って耳で分るのが言葉である。文字は言葉の影法師だと古人は言った。もう一つリズムのない文は文ではない。朗誦できない詩は詩ではない。語彙の貧困を言うものはあっても、言い回しの滅びたのを惜しむものはない。「そんなにいやなら勝手にお仕」。』。
百年分を一時間で  
本書を「あとがき」で『今回のタイトルは「この百年を一時間で」というほどの意味です。』と紹介している。そしてどこまで狙っているのかがよく分らないのだが、内容は地味であるにも関らず面白く、笑いがあり、尚且つ物事を知る快感が味わえるのである。  
本書「就職難求人難」では『―山本さんは就職試験に失敗したことはなかったんでしたね。』と問われると『全部受かりました。受かる試験しか受けなかったからです。受からない試験を受けるのは馬鹿です。それだけのことです。』と明快である。  
続いて「就職難求人難」のべつのところでは『電話帳の目次をみんな破いて夜ごと日ごとためつすがめつして、人間の職業はこれに尽きているなんていうのは一大発見ですよ。それより自分にできる職業が一つもないっていうのは、さらに一大発見ですよ。』と自分を語りながら不思議な笑いを誘う。  
問答形式であり、問う人は多くは喋らないのだが「株式会社」の『―父から初任給で自分の会社の株を買えと、しつこく言われていたんです。で、山本さんに工作社の株はどこで売っているか聞いたら、「カブ(蕪)なら八百屋で売ってるよ」と笑われました。』とか『―学生時代駅前の文房具屋でアルバイトした時、おばあさんを社長、息子を専務と呼んでいて気味が悪かった覚えがあります。』など、さりげなく面白いことを言う。  
「タイトル」には『「おーいどこ行くの」ってのもいいだろう。橋の下の乞食にオーイと問われてもどこに行くのか自分でも分らないんだから返事ができない。』とあり、やはり自分でもお気に入りであった様子である。
最後の波の音  
本書のタイトルが「最後の波の音」で、新潮社の「夏彦の写真コラム」の本のタイトルにも「寄せては返す波の音」があり、その本「寄せては返す波の音」には、「寄せては返す波の音」というコラムはない。しかし、本書「最後の波の音」と新潮社の「一寸先はヤミがいい」には「寄せては返す波の音」というコラムがあり、よくわからない。  
次の話しも寄せては返す波と同じ繰り返しであるが、「出社したら潰れていた」に会社が潰れる時は『かりにも従業員千人二千人いる組織である。社内に不穏な空気がただよっていたはずなのに気がつかないのは不思議なようだが、そうではない。沈む船から鼠は逃げだすというが、人は鼠ほどの予感もないのかというと、ないのである。』と我々は蚤であり、イナゴであり、鼠以下か。だがそうでもあろう。  
山本氏は雑誌出版社を主宰していたこともあり、本に関しての話しも沢山あるが本書「本が出すぎる」でも『人間の知恵は諸子百家に、ギリシャローマに尽きている。けれども同じことでも同時代人が同時代を例にとって書いたのを読むのはまた格別である。だから本は出てもいい。  
読みたければ読むがいいが、この現状は狂気である。足の踏み場もない。』とあり、本当に少し大きな書店ではもう自分で本を探し出せないような状況は却って不便ともいえるのかもしれない。  
「諸君!」平成十三年十月号の「私はタイトル(だけ)作家」には『私は稀有の愚図である。この世に望みを断った私に、そもそも用なんかありはしないが、それでも用に似たものはある。忘れるといけないから手帳につけておく。つけておいたことを忘れて、同じ日の同じ時刻に別人と約束する。虫のしらせで気がついて詫びて一人を断っても、立腹されたことはない。どうせ「ダメの人」に会いにくるのである。用件なんかあるはずがない。』と達観したものの潔さが漂う。
男女の仲  
「誰か『戦前』を知らないか」「百年分を一時間で」に続く問答集。  
「カバー裏・男女の仲」に『「恋と化け物のうわさはよくきくが、実物を見たものはないと古人は言っている。恋に似たもの以外に恋があろうかと、これは僕が言っている」』と紹介しているが、本の内容は前2作に続くもので、「男女の仲」は最後のコラムであり他は「東京及び東京人」、「忠孝」、「職人」、「御伽噺」、「他人」など地味なものである。  
山本氏という「人」に興味がないと面白くないだろうが、本書「他人」の中に『山本だから僕は母親に外道だと言われたことがある。不良少年ならいい、いくらでもいる、お前がただの不良でないってことは分っている。でも外道というのは、人外の魔物だ。私は初めてそれを見た。  
―お母様に外道なんて言われてショックを受けなかったんですか。  
山本いや、うまいことを言うなあ、と思った。』とうまいことを言う。子供の時から並でないのである。  
本書「ラジオ・テレビ」の『僕は、テレビはもちろんラジオもほとんど聞いていない。見ても聞いてもいない者にこのテーマを扱う資格はないとお思いだろうが、必ずしもそうじゃない。見れども見えずという。あんまり熱中しているとかえって正体が見えないことがある。』も当然なのである。  
巻末に、徳岡孝夫氏が「山本夏彦さんの思い出」を書いている。徳岡氏は山本氏と縁深い人で節目節目で賛辞を送る。本書でも山本氏が編集兼発行人であった「室内」を『地に足のついた編集だった。記事を読んで、私はこれは只者の筆ではないと思った。世故にたけ人情の機敏に通じた、人間を裏表から完全に知り尽くした人の文だった。』と書き、続けて『山本夏彦さんの文章には中身に魅力があり、話の話し方もしっかりし、語り口にリズムがあり、ムダな字句がなく、大胆だか上品な皮肉で終わる。余韻がある。ああこの人は、家を建てて室内を整えるという大海のことを熟知してる、と私は感じた。』と適切で、過剰でなく、人を納得させ、旨みのある賞讃を送っている。  
そしてこの本が山本夏彦氏の実質的に最後の本である。残念である。しかし、永遠のものもない。リアルタイムに山本氏のコラムを読めた幸せを感謝したい。 
 
めざめたおんなと哀れなおとこ  
山本夏彦は小学校4年のとき「人の一生」と題する綴方を書いた。  
「おいおい泣いているうちに三つの坂を越す。生意気なことを言っているうちに少年時代はすぎてしまう。その頃になってあわてだすのが人間の常である。あわててはたらいている者を笑う者も、自分たちがした事はとうに忘れている。かれこれしているうちに二十台はすぎてしまう。少し金でも出来るとしゃれてみたくなる。その間をノラクラ遊んでくらす者もある。そんな事をしているうちに子供が出来る。子供が出来ると、少しは真面目にはたらくようになる。こうして三十を過ぎ四十五十も過ぎてしまう。又、その子供が同じことをする。こうして人の一生は終ってしまうのである。」(「文藝春秋」平成13年6月号)  
10歳のときにこの綴方を書いたという山本夏彦は男女の性を次のように書く。  
「情報過多の時代である。女はめざめて助平になった。男を哀れと思うようになった。不本意であろうが体だけ女である女は、子を生むようにできている。男は一度果てたら回復するのに手間がかかる。女は五回でも十回でもしぼるだけしぼってなお余りある。男は女をめざめさせ、女に敵う男はないと知ったのである。こんどは男が逃げ回って結婚したがらなくなる番である。」(「文藝春秋」平成11年11月号)  
「(略)女のSexは海よりも深く、山よりも高い。男は短きは一撃か二撃で達するから女に性欲はないのではないかと怪しむ男さえいた。ところがめざめた女は十回でも二十回でも達して飽くことを知らない。あくる朝はついぞ経験したことのない快い目ざめを目ざめる由である。ためしに聞いてみるがよい。来世は男に生れてきたくはないか、美男に生れて慕いよる女たちを片はじから犯してみたくはないかと聞いてみるがよい。めざめた女は来世も女にと答えるにきまっている。男は哀れだという。女はようやく知ったのである。男の性は弱いと知ったのである。だから男はこれまで女を圧してきたのである。」(「文藝春秋」平成11年4月号) 
 
「完本・文語文」祖国とは国語である  
山本夏彦にいわせると、明治の日本人は文語を捨てたんだそうな。平安時代から千年かけて洗練された日本語を手放し、西洋語の翻訳を「日本語」としてあらたに発明したのが、いまの国語となっている。  
文明開化は東洋を捨てて西洋を学ぼうとして、皮相だけを学んで根本に及ばなかったから私たちはその両方を失ったのである。  
そして、文語を捨てたことにより、詩は朗誦にたえなくなり、読者を失ったという。じっさいの終焉は御維新ではなく、新聞の社説が文語から口語に変わった大正十年まで続いたんだと(詩が全部口語自由詩になったのもこのころ)。  
わたしの場合、さいしょから無い世界で呼吸してきたからピンとこない。だが、少し引いてみるならば、千年の言語を捨ててから百年経ったのが、いま、なんだろうね。生きてきた数十年だけで日本語が終わったとか語るのは、わたしにとって、百年早いのかも。  
いろいろな「〜は終わった」がある。「モー娘。」は終わった。「マスメディア」は終わった。「大きな物語」は終わった。終焉メソッド、カッコいいよね。思いどおりにならなかったからといって、拗ねてみせるのはガキのしぐさ。  
だから先手をうって終了宣言する。「あの○○はもう、あの頃の○○じゃない」といえば、自分の失望感を隠しながら批判することができる。その失望は過剰な期待が現実に即していなかった結果なのだと指摘されずにすむ。  
夏彦翁は「終わった」などと言わない。「捨てた」んだと。変わってしまった日本語を、いつくしむように語る。国語が失われ、あらたな「国語」になりかわる過渡期を、あきらめと愛惜の混じったあたたかい目で眺める。中江兆民、二葉亭四迷、樋口一葉、萩原朔太郎、佐藤春夫、中島敦たちの名文を引いて、死んだ子の歳を数える。  
だが、夏彦翁は「文語に帰れ」といっているのではない。そんなことはできやしないことは百も承知で、ただ、いましばらく文語に残る「美」を探したいのだと。「昔はよかった」メソッドは、翻って「今はダメだ」の反語として使われる場合が多いex.[日本語壊滅]。これも、現実のうつろいに取り残されたり、期待と違った場合に多用される呪文だ。翁はいましめつつもチクリチクリとこれをやる。  
失われたことばとはいえ、そのリズムは現在へも脈打っている。「山月記」は教科書から外せないし、「乳と卵」はネタのみならず話体や拍子も一葉の衣鉢を継いでいる(と思いたい)。「戦艦大和ノ最期」なんてこの文体でしか表現できないだろうなーと思ってたら、文語を擬したものなんだそうな。どのメールの末尾も「けり」なんて書かないけれど、「けりをつける」ことはできる。  
毒舌がいりまじった鋭利な指摘に、胸をグッと押される。たとえば、いまは本が多すぎるんだと。そして、新しい本は古い本を読むのを邪魔するために出ているようなものなんだと。二千年も前に人間の知恵は出尽くしていて、デカルトも孔子もあらたに付け加えるのものがなかったんだという。「なべての書は読まれたり、肉はかなし」をここでも聞かされる。  
それでもフォロー(?)は忘れない。新刊が必要なのは、同時代の人から実例を出して説かれるために必要なんだと。昔の知恵を再発見する役割があるんだと。ちょっと安心もする。そういや、シオランを知ったのは翁のおかげ。  
私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。(シオラン)  
ただしツッコミも入る。ひたすら文語を懐かしみ、口語の欠点をあげつらうのは彼の義務みたいなもんだ。けれども、口語の末尾が「だ」「である」しかないと言うのは如何。言文一致なら、「や」「かな」「べし」、あと体言どめもアリだろう。文語のようなルールのないのが口語なのだから――なんて茶々いれると、こう返されるだろうね。  
文は削りに削って危うく分からなくなる寸前でとどまるをよしとする。それを転瞬のうちに理解する読み手の快いくばくなるを知らない。  
ああたしかに。簡にして素の文語は遠くなってしまった。さいしょから持っていないわたしには、惜しむことすらできやしない。その残像を書写するだけ。  
日本語は終わったのではなく、変わったんだということがわかる一冊。 
  
より良き日本語レポート・論文の文体とことば遣いのために

 

趣旨  
高等教育の目標は単なる知識の集積ではなく、物事を批判的に解釈し、自らの見解を形成することにある。したがって何らかの事実関係や自らの考えを言語化し、筋道立てて書かせることはその根本である。これはまた教養教育、そして中等教育から高等教育への移行を支援する初年次教育の大きな柱でもある。さらにこれは同時に、生活能力育成という観点からのキャリア教育にとっても不可欠である。この点について川嶋太津夫は次のように述べている。  
今、求められているキャリア教育は、就職のためでもなく、すぐに仕事ができるための就業(即戦力)のための教育でもなく、まさに「社会的・職業的に自立するために必要な基盤となる能力や態度を育成し、一人一人の発達を促す」ようなキャリア教育である(中央教育審議会キャリア教育・職業教育特別部会第二次審議経過報告)。つまり、社会人として、職業人として生涯自律して就業することを可能とするような基礎的、基盤的な能力を育成する教育であり、いわば「持続可能な就業力Sustainable Employability」の育成である。(川嶋、p. 17)  
川嶋はさらに次のように指摘している。  
我が国では、新しい教育課題に直面すると(初年次教育やキャリア教育など)、新しい科目を開講したり、新しい組織を開設したり、また、新たな人材を外部から招へいしたりするなど、「付加」的に対応しようとする傾向が強い。しかし、本来は、きちんと教育課程に「埋め込むEmbedded」形で、取り組むことが望ましい。(川嶋、p. 17)  
これらのことを考えるならば、書くことの指導は単なる〈教養科目〉や新入学者を対象とした追加的技術指導にとどまるものであってはならない。これは大学教育全体が、さまざまな場面において正面から取り組むべき課題である。  
その一方で近年よく耳にするのは、大学生の文章力の低下を嘆く声である。しかし日本では一般に、中等教育の場は受験対策として瞬間最大風速的得点能力の形成に忙殺され、文章指導にまで手が回りかねる状況にある。大学入学後も学生がレポートや論文(以下〈レポート〉と略)の書き方について具体的な指導を受ける機会は一般に少ない。その結果が〈難関大学〉の学生といえども〈高偏差値・低学力〉という皮肉な現象である。清水義範の小説『国語入試問題必勝法』(講談社、1987、pp. 31−58)に描かれる主人公の姿はもはやパロディーではない⑴。その背景にはコンピュータや携帯電話、メールの普及によって読書習慣が衰え、模範となる文章に触れる機会が減少したことがあるものと思われる。またこれにともなって、話しことばと書きことばの境界が曖昧化したことも一因として挙げられよう。したがって学生にしてみれば、〈今まで教えられもしなかったのに、文章がひどいと急に言われても困る〉というのが正直なところであろう。そこで教員にとって必要なのは、学生の文章力の低下を嘆き、非難するばかりではなく、向上に向けて実効性のある指導を行うことである。  
筆者はこれらの事情を勘案して、早稲田大学商学部のドイツ語V(「ドイツ語読解法A・B)」と総合教育科目演習(「〈異文化〉について考える」)でレポートを課している⑵。それに際しては、自ら作成した資料を用い、引用のしかた、意見や主張には根拠づけを行うこと、話しことば的文体は不可であるといった事前指導を行ってきた。しかし提出されたレポートを読む限り、これは残念ながらあまり成功していない。とりわけ気になるのは、レポート作成の要である日本語の文体とことば遣いについてである。僅かに40編ほどのレポートを読む中で、本稿に引用したに数倍するおかしな日本語に次々と遭遇した。その理由は、書くという経験が少ない学生にとって、一般的、抽象的な注意のみでは、実際にどのような文体やことば遣いが不適切であるかが理解しにくいからであると考えられる。〈話しことばは不可〉と言われても、彼らには話しことばと書きことばの区別は必ずしも容易ではないようである。その結果、さすがに〈ぶっちゃけ言うと〉が不適切であろうという程度の判断はできても、〈どんどん減少する〉、〈〜みたいに〜〉、〈でも〜〉といったことば遣いが随所に出現することとなる。また〈表現は簡潔に〉と言われても、自分の書いたものがはたしてどうなのか判然としないものと思われる。  
こうした問題に対して考えられるのは、学生が自ら書いたレポートの文章のどこがどのように不適切であるかについて個別に具体的指摘を行い、問題の所在に気付かせることである。しかしこのような添削指導の第一の問題点は、作業に多大な時間と労力を要することである。A4×3枚程度のレポートでも、場合によっては2時間以上を要することも少なくない。また多くの学生に共通する問題点が、ある学生の今回のレポートについては見られなかったとしても、別の機会に誤りを犯すことも考えられる。前者については教員の職務として精励するとしても、後者については、個別に添削を行って返却するのみでは不十分である。これに対する一つの方策として考えられるのが、実例を教材として提示することによって、学生間で個々の添削内容の共有化を図ることである。これによって事前指導はより4 4実感を伴って理解されるであろう。このことはまた、学生の自律的勉学を促し、提出されるレポートが内容的に向上することによって、添削作業に要する時間と労力の節減も可能となる。  
このような理由から、筆者は実際の添削事例に基づくA4×4枚の資料を作成して授業で使用している。今回掲載するのは、これをもとに、授業時の解説や説教、自らの体験、さらに近年街頭で見かけることの多い〈ヘンな日本語〉なども加えて学生の独習用に試作した〈日本語レポートの文体とことば遣いのための手引き〉である。これらは筆者なりの〈書くことを授業に埋め込む〉ささやかな試みである。  
日本語教員でもなく、日本語学を専門とするわけでもない筆者があえて今回の挙に出たのは、深刻な事態に対して、及ばずながら今すぐ何らかの具体的行動が必要であると感じたからである。したがって本手引きはあくまでも応急処置の試みにすぎない。単なるレポートの書き方といった問題を超えて、初等、中等教育も含めて、日本人に対する根本的な日本語教育の場が必要である。  
応急処置とはいえ、それにはそれにふさわしい内容が不可欠である。誤りの指摘をはじめ、改善の提案など忌憚のない意見をぜひ賜りたい。  
手直しにあたっては、なるべく原文を尊重したつもりである。しかし文体やことば遣いが適切か否かの判断は、読み手の語感や好みに負うところも少なくない。今回の作業はおおよそ2010年後半の筆者の語感に基づいている。  
本資料の作成にあたって、何人かの同僚、知人、学生から貴重な指摘や助言、協力をいただいた。この場を借りて、深く感謝の意を表したい。  
註  
(1) 主人公の受験生は国語が不得意である。そこで家庭教師に指導を依頼する。この家庭教師は、本文を読まずとも選択肢の内容から正解を判断するといった受験技法を伝授する。その結果受験生の得点能力は向上し、志望する大学に合格する。彼は感謝の念を伝えるべく、家庭教師に礼状を書く。しかしその文章は日本語の体をなしていない。  
(2) 演習はともかく、外国語科目、それも〈読解法〉で日本語によるレポートを課すことは奇異に映るかとも思われる。しかしことばの使用は受信と発信がより合わされた相互的・総合的営為である。こうした観点から考えるならば、ドイツ語の読解法指導も、ただ読めるようにして終了というものではなく、読んだ内容に対して各自が何らかの見解を言語化して発信するところまで授業で扱う必要がある。この授業の理論的背景と基本的考え方、具体的内容などについては下記を参照されたい。  
原口厚.(2002).読解能力の育成に資する教材の選択と配列について ─特定領域集中型読解法によるドイツ語読解教育─.早稲田商学同攻会.文化論集.第20号.1 - 61.  
引用文献  
川嶋太津夫.(2010).今求められるキャリア教育の背景とその在り方.大学教育学会.2010年度 課題研究集会 要旨集.16 - 17. 
0. はじめに 
提出されたレポートを読むと、〈コピペ〉は論外としても、引用の作法や全体の構成などさまざまな点で問題が目につく。その中で特に気になるのは、レポート作成の要である日本語の文体とことば遣いについてである。諸君の多くにとって生まれた時から慣れ親しみ、運用能力が最も高く、将来にわたって使い続ける〈第一言語〉は日本語であろう。これがまともに書けないということは、大学での勉学のみならず今後の人生にとって由々しき問題である。しかし一方で気がつくのは、多くの不適切な事例も、比較的少数の原因から生じていることである。したがって各自がこれらの問題点を自覚し、注意して書くことによって、事態はかなりの程度改善が可能である。あきらめず努力を続けてほしい。努力し続けさえすれば必ずうまくゆくというほど人生は甘くはない。しかしあきらめた瞬間に一切は〈ゲームセット〉であることもまた確かである。  
この手引きは以上のような観点から、レポートにおける〈文体とことば遣い〉に焦点を合わせて作成したものである。提出されたレポートから不適切な事例を集め、これを原因別に分類し、書き直しの提案と解説を付した。添削を受けた当人以外の諸君にも注意すべき点を広く共有してもらいたい。しかしこれはあくまでも〈応急処置〉にすぎない。根本的治療のためには、4. 1. でも述べるように、授業以外のところで多くの書物を読むことによって、ことばの蓄積を図ることが不可欠である。本来大学生の勉学は、その多くを教室外で行うものである。これもその一例である。  
レポート作成にあたっての他の問題については、数多く出版されている参考書籍などを参照してほしい。巻末の〈参考文献〉にも何冊か挙げておいた。 
0. 1. レポートと論文  
〈レポート(report =報告)〉とは「『調査や研究の結果わかった事実と、それに基づく自分の意見をまとめた報告書』」(学習技術研究会、p. 107)である。したがってそこでは「『事実』とそれに基づいた自分の『意見』だけを書き、また『事実』と『意見』ははっきりと区別して書くことが大切」(学習技術研究会、p. 107)である。一方〈論文〉とはおおよそレポートを量と質の両面にわたって拡大、深化したものと考えればよい。したがって以下に述べることは、基本的にレポートと論文の双方に該当する。しかし学部に学ぶ諸君が書くのは主にレポートであることと、記述の煩雑を避けるために、本手引きでは副題を除いて〈レポート〉に統一した。
0. 2. 事例  
事例は主に下記の1)〜2)から採録した。しかし問題の根本は、大学におけるレポートの書き方以前に、まず日常生活での日本語の使い方であるという点も考慮し、少数ではあるが3)からも採録した。煩雑を避けるために、1)、2)については出所の記載は省略した。  
1) 早稲田大学商学部2010年度春学期「ドイツ語V・ドイツ語読解法A」での課題レポート(「日本は現在の人口の維持ないしは増大を図るべきか、その必要はないか」)  
2) 同2010年度「総合教育科目演習・〈異文化〉について考える」での課題レポート(「コンビニなどの24時間営業は是か否か」)  
3)街頭で見かけた〈ヘンな日本語〉
0. 3. 本手引きの使い方  
1) ★ は不適切例であることを示す。  
2) ☆ は原文の手直し案であることを示す。  
3) ___は不適切な個所を示す。  
4) 〜 は語句の省略を示す。  
5) 〔…〕は文の省略を示す。  
6) / はいくつかの可能な表現を列挙する場合の区切りを示す。  
7) ( ) は付加的に使用が可能と思われる場合を示す。  
8) 太字は特に伝えたい箇所を示す。  
まず★の例を読み、自分ならどのように書くかをよく考えた上で、☆を見てもらいたい。一つのことについて、さまざまに表現できる場合がある。いろいろな可能性について考えてみてほしい。  
___以外の個所にも手直しを加えた場合がある。★と☆を注意深く読み比べること。  
手直しにあたっては、なるべく原文を尊重したつもりである。しかし文体やことば遣いが適切か否かの判断は、読み手の語感や好みに負うところも少なくない。したがって筆者の書き直し案が必ずしも〈正解〉というわけではない。あくまでも一つの可能性であり、提案である。今回の作業はおおよそ2010年後半の筆者の語感に基づいている。誤りの箇所、改善の提案等があればぜひ知らせてほしい。 
1. 心構えと視座 
1. 1. 話しことばと書きことば  
近年はメールの普及などにより、話しことばと書きことばの境界が曖昧化している。しかしレポートは書きことばを用いて書かなければならない。そこでまず最初に、話しことばと書きことばの相違点と、書きことばを書くに際しての留意点について述べておきたい。  
1)話しことば  
対話は一般的に、話し手と聞き手が対面して展開される。そこで話しことばの使用に際しては、狭義のことば以外にも、両者が共有している情報やその場の状況、あるいは相手の表情、身振り、手振りなどといった言語外の情報もまた多く利用されている。ことばの〈不備〉はこれらによってかなりの程度埋め合わせが可能であることから、省略が多く、話の途中で話題がほかに横すべりするなどして文がねじれたり、完結しないことも多い。このように話しことばは文法的にルーズであるのが一般的である。それでも話は通じ、こうした〈問題点〉もまたあまり気にならない。外国語で話す場合に、単語の羅列やブロークンなことば遣い、身振り手振りなどでもかなりの程度意思の疎通が可能であることを想起されたい。ただしその弱点は、抽象的な問題について深く厳密な話をすることが一般に困難なことである。  
2)書きことば  
話しことばと比較して、書きことばの場合は、言語外の情報の利用についての制限が大きい。そこで発信や内容理解に際しては、ことば自体に依存する度合いがはるかに高い。特にレポートでは、事の性質上、抽象的な問題についての正確かつ厳密な論述が求められる。したがって、語彙や表現の選択、文法的適合性あるいは文や段落の構成などについて細部にまで及ぶ深い配慮が必要となる。やや誇張して言えば、レポートを書くということは、ことばのみを素材として、自らの考えるところについての言語宇宙を構築することである。  
話しことばが時間の経過とともに消えてゆくのに対して、書かれたものは残ることによって、何度も読み直しや検証が可能である。これは書きことばの長所である一方、おかしなことば遣いもまた後々まで残り、恥をさらし続けることとなる。場合によっては、これが何らかの証拠とされ、自ら不利な状況を招くことも覚悟しなければならない。  
また友達との気楽な会話などとは異なり、レポートのことばはとりあえず通じればよいというものではない。語彙や表現の選択、語順、読点( 、)の打ち方一つにも書き手の意識が反映され、伝達される内容と含意は変わる。まさに〈文は人なり〉である。これらのことを考えるならば、レポートにおいては、ことばをより4 4丁寧かつ慎重に取り扱う態度が必要である。 
1. 2. 料簡違い  
★  ずいぶん以前から騒がれているこの問題だが、何も改めて考えなくても結論は見えているような気がする。しかしせっかくレポートを書くので、本レポートでは1章で〜を、2章で〜を述べ、2つを総合して改めて結論を出したい。  
☆  以前から議論されているこの問題をめぐって、本レポートでは1章で〜について、2章で〜について述べ、2つを総合して改めて結論を出したい。  
下線部についてもし本当にそう思っているのなら、大学に来る必要はない。仮に思っていたとしても、これは書くべきことではない。小学生の作文ではないので、自分の気持を何でも正直に書けばよいというものではない。高校までの初等・中等教育は子どもを対象としている。これに対して、大学生がどんなに幼稚化しようとも、大学という高等教育機関は本質的に大人を対象とする。学生にはその自覚が求められる。何を書き、何は書いてはならないかの判断もこれに属する。大学は、〈自明〉とされていることをあえて疑って事挙げし、多様な角度から検討を加えることによって真理を追究するところにその本義がある。この点が現状肯定を前提とし、適応を目標とする専門学校などとは決定的に異なるところである。  
書くということは、すでに知っていること、分っていることをそのまま記述することであると一般に思われている。しかし実際に書いてみると、うまく書けないことはしばしば経験するとおりである。これは〈知っている〉・〈分っている〉ことが、実際には〈知っているつもり〉・〈分っているつもり〉であるに過ぎないからである。  
筆者も論文を頭の中で構想し、あるいはその内容を誰かに口頭で説明するのは容易で、その時は楽に書ける気がする。しかし実際に書き始めると、この甘い予想は裏切られ、毎回難渋することとなる。これは上で述べたように、〈話しことば〉においては、全体を構成する各部分の関係に不整合や矛盾、齟齬などがあっても、それと認識されることもあまりなく、全体が大雑把なままでも済んでしまうからである。これに対して、書くに際しては、語と語、文と文、段落と段落、そして様々な事実関係や意見、根拠といった各部分が整合しているのか否か、あるいはある前提から当該の結論を引き出すことが妥当かどうかといったことなどが明確に意識にのぼる。書くことが一般に難しいのは、話しことばでは見過ごされてきたこれらの問題点について、一つ一つ考えをめぐらせて克服してゆかなければならないからである。  
要は、話す場合とは異なって、書くに際しては細部にわたる厳密な〈詰め〉が求められる。したがって書くことは、さまざまな思考やことばを整序するための〈濾過機〉として機能する。即ち書きおおせることによってはじめて、我々は対象を明確に知り、理解することができるのである。書くことに内在するこうした機能を考えるならば、〈何も改めて考えなくても結論は見えているような気がするので書く必要はない〉とは言えないはずである。書くことによってはじめて問題が見えてくるのであり、結論にたどりつけるのである。 
1. 3. 〈過剰に丁寧〉なもの云い  
★  今回、ドイツ語のレポートで日本の人口問題、少子化問題について書く機会を頂いた。  
☆  今回のレポートの課題は、日本の人口問題、少子化問題についてである。  
下線部は、〈(好意によって)書く機会を与えてもらった〉場合に用いる表現である。レポートは、書かせてもらうのではなく、課されるものである。この表現はまずこの点で不適切である。  
★ 〜のデータを内閣府統計局から引用させて頂きました。  
☆ 下記は〜についての内閣府統計局のデータである。  
最近のことば遣いで気になることの一つは、〈〜させていただく〉をはじめとした〈過剰に丁寧〉な表現の氾濫である。しかしレポートでは〈〜させていただく〉は絶対に不可である。引用の許可など求める必要はない。必要だと思うのなら、堂々と引用すればよい。レポートで最も重要なのは、事実関係や自らの考え、意見などができる限り直截に読み手に伝わるように記述することである。これこそが読み手に対する何よりの〈サービス〉であり、相手におもねるような(バカ)丁寧さは不要である。ことばの〈バカ丁寧化〉や今日の敬語使用をめぐる問題については、参考文献の野口恵子を参照してほしい。  
野口は〈相手に対するサービス〉ということについて〈お礼の文章〉を例として次のように述べている。レポートの文体やことば遣いからは少し外れるが、他者に対する心遣いという点で根本的な問題が提起されている。  
自分のアドバイスや回答が相手の役に立ったかどうか、書いたほうは不安に思っているものだ。安心を与えるためにも、お礼の文章は、抽象的な敬意表現を並べるだけですまさないで、中身に言及する。どこがどう参考になったか、具体的に述べる。そうすることが、紋切り型のお礼の言葉をはるかに上回る謝辞になる。(野口、p. 40、太字筆者)  
90年代以降、日本では見た目重視の風潮が強い(米澤、p. 139)。ことばの〈バカ丁寧化〉も、上辺だけしか問題にしようとしない心性の一つの表れとしてその文脈に置いて考えると興味深いものがある。もとより誠意は取り繕うべきものではない。中身に言及するためには、受け取ったアドバイスや回答を時間と労力をかけて熟読し、意味するところをよく考えなければならない。口先だけではなく、体を使ってこれを行うことこそが敬意と感謝の表現である。  
更に脱線するが、旧海軍の連合艦隊で参謀を務めた千早正隆は、戦争も末期になるにしたがって、作戦命令などに「勇ましい美文調の語句」(千早、p. 200)が多くなったことを指摘している。  
戦争の中盤以降になって戦局が不利になると、その傾向(美文化)は一層増幅した。その結果として、命令として必須の要件である「簡潔にして明確」が、押しやられるという弊をもたらしたことは、否み難かった。また、往々にして作戦目的、攻撃目標が明示されていないことも少なくなかった。(千早、pp. 200−201、括弧内筆者)  
これも一種のことばの〈バカ丁寧化〉である。これは作戦命令という〈サービス〉本来の使命からの逸脱であり、作文の自己目的化である。上の野口の意見と併せて、真のサービスとは何かについてよく考えてほしい。  
作戦命令の美文化の背後にあるのは、誰よりも自己を抑制し、虚飾を排した冷徹な洞察と計算、そして実際的行動が求められる軍人の自己陶酔と作文官僚化である。そこで何よりも問題であるのは、美文によってお粗末な作戦計画の実体が糊塗されてしまうことである。これは理よりも美と情緒を至上とする日本の社会と文化に内在する宿痾であり、官僚の作文や政治家の言説など今日の日本にも連続する大きな問題である。具体的には稿を改めて考えを述べたい。 
1. 4. 〈私は〜〉は避ける  
★ だから私は、出生率を2.1以上に保つべきだと考える。  
☆ したがって/以上の観点から、出生率は2.1以上に保つべきである/保たれるべきである/保つ必要がある。  
レポートは小学生の〈感想文〉などとは異なる。レポートで何よりも重要なのは、個人的感情を排し、できる限り事実関係や思考に即して、これを筋道立てて記述することである。石原千秋はこの点について的確に指摘している。  
高校までは生活指導があるし、作文教育も高校生の人間教育の一環としてあった。高校の読書感想文は自分の好みをかなり直接的に書いてもいい。だから、高校生の「文体」はアイデンティティー形成と不可分のものとしてある。思春期にはそういうことも必要なのだから、それはそれでいい。/だが、大学でレポートや卒業論文に使う「文体」は、高校までの読書感想文の「文体」ではない。もちろん、自分の好みから出発してもいいが、大学ではそれをいかに論理的に、あるいは実証的に述べるかが勝負なのだ。つまり、はっきり言えば、大学は学生の人生を引き受ける場ではないということだ。〔…〕/冷たいようだが、大学のレポートでは人間としての君たちを知ろうとは思ってはいない。知りたいのは君たちの思考である。だから、感想文では大学のレポートにはなり得ないのだ。〔…〕/つまり、大学のレポートでは「私は〜と思う」という形式の文ではなく、「〜は〜である」という形式の文が求められる。もちろん、これも厳密には「私は『〜は〜である』と思う」という文の構造になっているのだが、いま傍線を施した(下線に変更筆者)「私は〜と思う」の部分は、大学のレポートでは隠されていて、書かれないのがふつうである。それが「研究」の文体なのである。この文体で書くためには研究としての根拠が示されなければならない。どういうものがまともな根拠であるかは研究ジャンルによって異なる。その手続きを学ぶのが大学である。(石原、pp. 67−68、太字と括弧内筆者)  
〈私は〜について〜だと思う〉という表現は、いわば対象を自分と同じ地平に置き、それが自らの目に映る姿について述べているようなものである。これは〈感想〉である。本来〈報告〉を意味するレポートに求められるのは、自らの視座をいわば上空の偵察機に置き、対象のみならず、これを見ている自らの位相も考慮しつつ状況を観察し、さまざまな兆候や根拠に基づいて〈〜は〜である(と思う/判断する)〉という形で述べることである。  
★ 私はそのことが心配でならない。  
☆ そのことが(強く)心配される/危惧される/懸念される/(深く)憂慮される。  
★ そこで私が提案したいキーワードは『田舎』である。  
☆ そこでキーワードとなるのが「田舎」である。  
★ そこで政府は外国人看護師や介護士などの受け入れを検討している。〔…〕しかし私は根本的な解決になっておらず、その場しのぎの方策にすぎないと考える。  
☆a そこで政府は外国人看護師や介護士などの受け入れを検討している。  
〔…〕しかしこれは問題の根本的な解決になっておらず、その場しのぎの方策にすぎない。  
〈その場しのぎの方策にすぎない〉とは〈(私は)その場しのぎの方策にすぎない(と考える/判断する)〉ということである。この点について小笠原喜康は、「『考えたこと』を書くのが論文なのであるから、『〜と考える』を入れるのは余分である」(小笠原、p. 207、太字筆者)と述べている。  
しかし何らかの理由から〈私は〉が必要となる場合には、〈筆者は〉を使用する。  
☆b したがって/以上の観点から、筆者は出生率を2.1以上に保つべきだ/保つ必要があるという立場をとる。 
2. 主な原因と対策 
2. 1. 一文が長すぎる  
★ 以上のことを考えると24時間営業は決して原因とは言えず、テレビ・ラジオ・パソコン・携帯電話などの普及や、グローバル化による海外とのかかわり、フレックスタイム制度を取り入れた企業の増加など様々な要因によって、睡眠時間が減り、人々のライフスタイルが変わった結果であり、24時間営業が深夜型ライフスタイルを助長しているとは言えないのではないか。  
☆ 以上のことを考えると、24時間営業は決して深夜型ライフスタイルの原因ではない。テレビ・ラジオ・パソコン・携帯電話などの普及や、グローバル化による海外とのかかわり、フレックスタイム制度を取り入れた企業の増加などがその要因である。要は人々の睡眠時間が減り、暮らしかたが変わったのである。したがって24時間営業が深夜型生活を助長しているとはいえない。  
一文が五行とは長すぎる。かつて筆者もこのような文章を書いていた。大学院の指導教授に「源氏物語のようだ」と評されたことを懐かしくかつ恥ずかしく思い出す。それぞれが主張を有する部分をいくつも抱え込むことによって文は長くなる。例えて言えば、巨大な〈多民族国家〉のようなものである。これらを全体として調和させ、統治するのは一般に困難である。これに失敗すると、各部分の〈分離独立運動〉が発生し、次に述べる〈文のねじれ〉という大問題を生むことになる。これに対しては、〈一文には一つの主張〉を原則としてそれぞれを独立させ、その組み合わせを考える。一文は二行までをめどとする。 
2. 2. 文のねじれに注意  
★ 1)カレーソースが変更します (某カレー店の店頭掲示 2010年10月18日採録)  
☆ 1)a(当店は)カレーソースを変更します  
この例の問題点は、主語と述語の不整合による〈文のねじれ〉である。〈変更する〉は、本来〈〜は/が〜を変更する〉という形で使用される。したがって〈変更する〉を用いるのであれば、☆1)aのようにしなければならない。こうした場合、日本語では主語は一般に明示されないので、〈当店は〉は省く。  
なお〈カレーソース〉は店独自の表現として、適否は問題としない。〈カレーソースが〉を生かしたいのであれば、述語を〈変わる〉。  
☆ 1)b カレーソースが変わります  
 〈変更する〉が漢語であることと、英語の〈S+V+O〉構文のような〈〜が〜を〜する〉という文型のせいか、☆1)aの表現は硬く、公告文のようである。これに対して、☆1)bは響きが柔らかく、表現としても自然である。店頭のお知らせとしては、むしろこちらの方がふさわしいであろう。  
掲示では〈カレーソースが変更します〉と大書された下に、小さな文字で「平成22年4月1日より販売しておりましたカニクリームコロッケカレーのカレーソースが10月4日からポークソースに変更になりますのでお知らせします」と延々と書かれている。お知らせ=広告という見地からは、情報上重要な〈10月4日から〉をこの文に加えた方が訴求力が強まる。  
☆ 1)c 10月4日からカレーソースが変わります  
筆者が店の担当者であれば、10月4日には〈10月4日から〉を〈今日から〉にし、10月5日以降は〈変わります〉を〈変わりました〉に書き改める。  
☆ 1)d カレーソースが変わりました  
こうしたことばの分りやすさと伝達効果の関係などについては、参考文献の藤沢晃治を参照されたい。  
★ 2)ここにも大きな問題をはらんでいる。  
☆ 2)a これは/このことは大きな問題をはらんでいる。  
☆ 2)b ここにも大きな問題がひそんでいる。  
★2)についても問題は同じである。〈はらんでいる〉は〈〜は/が〜をはらんでいる〉という形で用いられる。したがって☆2)aのように、〈ここにも〉を〈これは〉ないしは〈このことは〉などに変えて整合を図らなければならない。〈ここにも〉を生かしたいのであれば、☆2)bのように、述語を〈ひそんでいる〉などに変える必要がある。  
★ 3)消費者の減少は日本経済の活力を失うことになる。  
☆ 3)a 消費者の減少は日本経済の活力を失わせる/喪失させることになる。  
★3)の場合、〈消費者の減少は〉で始めるのであれば、〈失わせる/喪失させる〉で終わらなければならない。〈失うことになる〉を生かしたいのであれば、全体を次のように変える必要があろう。  
☆ 3)b 消費者の減少によって、日本経済は活力を失う/喪失することになる。  
それぞれのことばには特定の助詞などとセットになった決まった言い回しや呼応関係がある。これを明確に意識しないまま、ことばを適当に組み合わせて用いると、それぞれが互いに影響する中でねじれが生まれる。文のねじれは、2. 10. で述べる〈ことばの誤用〉と共に、書くことにおいて最も罪が重い。文のねじれは認識の不備であり、文の骨格をなす論理関係のゆがみである。この点については、主語・述語関係を中心として十分に推敲されたい。 
2. 3. 〈舌たらず〉に注意  
★  阪神淡路大震災の時には多数に帰宅難民がコンビニに詰め寄り、食料や懐中電灯などを提供し貢献したという事例もある。  
☆a 阪神淡路大震災の時には、多数の帰宅難民がコンビニに詰めかけた。これに対して、コンビニは食料や懐中電灯などを提供し、貢献したという事例もある。  
☆b 阪神淡路大震災の時には、多数の帰宅難民がコンビニに詰めかけ、これに対して食料や懐中電灯などを提供し、貢献したという事例もある。  
☆c 阪神淡路大震災の時には、詰めかけた多数の帰宅難民に対して、コンビニは食料や懐中電灯などを提供し、貢献したという事例もある。  
原文の最大の問題点は〈〜を提供し、貢献した〉のが帰宅難民であるように読めることである。その一因もまた、一文に〈帰宅難民が詰めかけた〉と〈コンビニが〜を提供し、貢献した〉という二つの主張を詰め込んだことである。この文は長すぎるわけではない。むしろ逆に、〈提供し、貢献した〉のがコンビニであるという点について舌たらずであることによって、事実とは逆の解釈を誘発している。  
そこでまず、それぞれ〈誰が何をしたのか〉の明確化を図る。その一つの方法は、☆aのように二文に分けることである。しかしこの場合、〈コンビニ〉という同語が反復することとなる。これを回避するために考えられるのが☆bである。しかしこの場合〈提供し、貢献した〉のがコンビニであることが明確を欠く。この点に配慮したのが☆cであるが、今度はどこに詰めかけたのかが今一つはっきりしない。しかし両者を比較すると、文中に隠れている〈コンビニ〉についての推測の容易さと安定性、そして日本語としての自然さという点で、☆ c のほうがよいであろう。  
なお〈多数に詰め寄り〉の〈に〉と〈詰め寄り〉の使い方は日本語としておかしい。これは2. 10. で扱う〈ことばの誤用〉である。  
〈詰め寄る〉は、新明解国語辞典によれば、「㊀相手を斬(キ)るために、そば近くまで行く。㊁相手からの誠意ある返答を求めて、半ば脅迫的な態度をとる」を意味する。このように詰め寄る対象は人間であって、コンビニのようなモノではない。〈コンビニ〉によって〈コンビニ側〉、〈コンビニ従業員〉が含意されているとも解釈されるが、その後のコンビニ側の好意的対応などを考えると、〈詰めかけ〉ないしは〈押し寄せ〉などが妥当であろう。そこで手直し案のように〈多数の帰宅難民が〜詰めかけ〉とするか、〈帰宅難民が〜多数詰めかけ〉とする。 
2. 4. 〈が〉の使用は控える  
★  少子化の問題であるが、日本の合計特殊出生率は第一次ベビーブーム時には4.3を超えていたが、第二次ベビーブーム時には2.1にまで下がっている。  
☆  少子化の問題にとって重要なのが「合計特殊出生率」である。日本ではこれが第一次ベビーブーム時に4.3を超えていたのに対して、第二次ベビーブーム時には2.1にまで下がっている。  
〈が〉を「⃞二(接助)㊀前置きや補足的な説明を、あとの叙述に結びつけることを表わす」(新明解国語辞典)ために使用する場合がしばしば見られる。原文では最初の〈が〉がこれに該当する。しかしこうした〈が〉の使用は文を徒(いたずら)に長くし、文のねじれを誘発する一因となる。したがってこのような用法での使用は控え、短く簡潔な文で全体を構成するよう心がける。  
一方〈が〉には、原文の二番目の場合のように、〈逆接〉としての用法もある。しかし逆接の〈が〉は、強さという点で、一般に〈しかし〉、〈これに対して〉などには及ばない。そこで〈が〉は、このような特性を生かして、原則として弱い逆接に限定して使用する。ただし、この場合も二つの主張を一文に収めることになるので、文が長くなることがある。その点に十分注意する。 
2. 5. 〈の〉に注意  
★ 将来の日本人の人口の減少  
☆ 将来の日本の人口減少  
〈人口の減少〉から〈の〉を省いた〈人口減少〉は、内容的には同じでありながら、引き締まった表現となる。また〈日本人の人口減少〉は2. 14. で扱う〈ことばの重複〉である。〈日本人の〉は〈日本の〉とする。  
2. 4. で扱った〈が〉とも似て、〈の〉は便利なのでつい繰り返し使用しがちである。しかし何度も繰り返すと、単調かつ冗長になる。そこで〈の〉の連続使用は二回までとし、そのほかの表現で簡潔化と文体上の変化を図る。どのような表現にするかは前後の文との調和なども考慮する。  
★  介護などの公的サービスの水準の維持も難しくなる。  
☆a 介護など公的サービスの水準維持も難しくなる。  
☆b 介護などの公的サービスの水準維持も難しくなる。  
☆c 介護などの公的サービスの水準を維持することも難しくなる。  
★  諸般の事情で、学生の評価が難しい。(本例は筆者が作成)  
〈学生の評価〉には二つの解釈が可能である。まず第一に〈学生が(授業、教員などを)評価する〉ことが考えられる。一方これとは逆に、〈(教員などが)学生を評価する〉とも解釈される。そこで前後関係も含めて検討し、紛らわしい場合は〈の〉は避け、どちらの意味であるかが明確な表現にする。  
☆a 諸般の事情で、学生が評価すること/学生による評価が難しい。  
☆b 諸般の事情で、学生を評価すること/学生に対する評価が難しい。 
2. 6. 回りくどい表現は簡潔に  
★  以上より、人口減少は日本全体にとって深刻な問題となってきているのが現状なのである。  
☆ 以上のことから、人口減少の問題は日本全体にとって深刻化している。  
「『〜となって』『きて』『いる』のが『現状』『なので』『ある』」といった表現は回りくどく、分りにくいうえに文のねじれの誘因ともなる。短く簡潔な表現を心がける。 
2. 7. 〈です・ます〉・〈だ〉体は不可  
★  この数字はあくまで去年のものですが、08年秋以降の景気低迷で結婚や出産を見送る女性が増えたことが影響しています。  
☆  この数字はあくまでも昨年のものである。08年秋以降の景気低迷で結婚や出産を見送る女性が増えたことが影響している。  
★ 〜、廃棄物がより多くなるのは明らかだ。  
☆ 〜、廃棄物がより多くなるのは明らかである。  
レポートは〈である〉体で書く。〈だ〉体も不可である。このことについて、小笠原は次のように述べている。「〜だ」という文末表現は、「である」体ではないという理由の他に、感情性を帯びた強調表現だからである。論文は、自分の論理を展開すべきであって、感情を表現すべきものではない。(小笠原、p. 207、太字筆者)  
また提出されたレポートでよく目にする文末表現として〈のである〉が挙げられる。しかしこれには強調の意味合いが若干あることから、頻用は避ける。そこで通常は〈である〉を使用し、〈のである〉は「『ここで決めよう』というときのために取っておく」(石原、p. 35)こととする。 
2. 8. 〈体言止め〉は不可  
★ 総人口は現在の〜から2055年には〜へと減少の見込み。  
☆ 総人口は現在の〜から2055年には〜へと減少の見込みである。  
体言止めは新聞の見出しなどの文体である。これは余計な〈余情〉や〈余韻〉を生むことから、明確な論述が求められるレポートには使用しない。 
2. 9. 〈推量的文末表現〉は必要最小限に  
★  また、日本がこれから観光立国をめざすにせよ、〜にせよ、引き継いでいく人が必要であることは、間違いないはずだ。日本の発展を考えれば、出生率を高く保つことが必要ではないだろうか。  
☆  また日本がこれから観光立国をめざすにせよ、〜にせよ、後継者が必要であることは間違いない。日本の発展を考えれば、出生率を高く保つことが必要である。  
上にも述べたように、レポートは事実関係や自分の考えについての報告である。したがって〈〜であろう〉、〈〜と思われる〉、〈〜なのではないか〉といった推量的なもの云いは必要最小限とする。このことは自分の言に責任をもつことからも必要である。 
2. 10. ことばの誤用に注意  
★ 更に、人口の高齢化は退職者を多く産出し、〜  
   産出:㊀その会社・工場などで生産すること。〔…〕 ㊁その土地で取れて売り出されること。(新明解国語辞典)  
☆ さらに、人口の高齢化は退職者を多く生み出し、〜  
★  〜、具体的には税収で引かれる額が大きすぎると、社会人の労働意欲に悪影響を及ぼす可能性があります。  
  税収:税金による国家などの収入。(新明解国語辞典)  
☆  〜、具体的には税金として徴集される額が過大であると、人々の勤労意欲に悪影響を及ぼす可能性がある。  
★ 人口減少を食いとどめるためには、〜  
☆ 人口減少を食い止(と)めるためには、 〜  
これはことばの使用の根本にかかわる重大な誤りである。〈4. 4. 日本語の読み書きにも辞書を利用せよ〉を参照すること。 
2. 11. 〈話しことば〉は不可  
★ どんどん縮小、            ☆ ますます/更に/いっそう縮小、  
★ 面倒を見なければいけなくなる。  ☆ 面倒を見なければならなくなる。  
★ もったいなさすぎる。         ☆ あまりにも惜しい/残念である。  
★ そんな多額の費用を〜        ☆ それほど多額の費用を〜  
★ 〜社会に適応させたほうがいいと〜  
☆ 〜社会に適応させたほうがよいと〜  
★ 〜解決していくべきなのである。  
☆ 〜解決してゆくべきなのである。  
★ なので国が〜保育園を造り運営するべきだ。  
☆ そこで/したがって国が〜保育園を作り、運営するべきである。  
★ もうやっているのかもしれないが、  
☆ すでに行っている/行われている/実施されている可能性があるが、  
★ 外国人労働者をもっと受け入れるのも手だろう。  
☆ 外国人労働者を更に/現在以上に受け入れるのも一つの方法であろう。  
★ もしかしたら仕事をもらえないかもしれない。  
☆ 場合によっては仕事が得られない/就業できない可能性がある。  
★ 私はずばり必要ないと回答する。  
☆ それは明らかに不要である。  
ここに引用したのは全体の一部にすぎない。話しことばの混入は恥ずかしいことである。いわば衣服は正装であるのに対して、足元はサンダル履きといった姿に例えられる。これは〈幼稚〉、〈稚拙〉といった印象を読み手に与え、〈文のねじれ〉、〈ことばの誤用〉と共に、一言で全体のできばえと信用を大きく損なうことになる。十分な注意が必要である。しかし書きことばと話しことばの境界は原理的には必ずしも明確ではない。そこで各人の語感によって評価が分かれる場合も少なくない。これについては、模範となる良い書きことばを多く読み、語感を磨く日頃の心がけが必要である。 
2. 12. 修飾語と被修飾語は近づける  
★  その人たちがうまく結婚できるようなシステムを作ることが今すぐにでも出来る出生率低下に対する対策なのではないかと考えます。  
☆  その人たちがうまく結婚できるようなシステムを作ることが、出生率低下に対して今すぐにでもできる対策である。  
〈今すぐにでもできる〉のは〈出生率低下〉ではなく、〈対策〉である。このことが明確に伝わる語順とする。  
★ 必ずお席を離れる時は、12番受付に声をお掛けください (某病院待合室の貼紙 2010年8月18日採録)  
☆a 席を離れる時は、12番受付に必ず声をおかけください  
☆b 席を離れる時は、必ず12番受付に声をおかけください  
まず〈必ずお席を離れる時は〉は意味をなさない。ここで求められているのは、〈離席を必ず知らせよ〉ということである。したがって〈必ず〉と〈声をお掛けください〉が結合するような語順に配慮する必要がある。  
語順の問題からは逸脱するが、筆者の語感では〈お席〉の〈お〉は過剰に丁寧である。述語が〈お掛けください〉となっており、これで十分に丁寧な表現になっている。しかしこの文の丁寧さに関して、「問題は〈お〉の有無ではない。〈必ず〉は押しつけがましく、このことばが丁寧さとは反対の方向に作用している」と日本語教育の専門家から指摘を受けた。同感である。  
☆c 席を離れる時は、12番受付に声をおかけください  
このこともまた1. 3. で触れた丁寧さやサービスの本質にかかわる問題である。丁寧さは敬語だけによって表現されるものではない。  
しかし病院の現場では、診察の順番などをめぐって、離席と絡んだ揉め事が少なくないであろう。不注意な患者の存在や、診療を円滑に進めるという実務上の要請などを勘案すれば、筆者は〈必ず〉は必要であるという立場をとる。難しいところである。 
2. 13. 同語の反復は避ける  
★ 1) なぜなら、冷蔵冷凍保存が必要な商品を保存する冷蔵冷凍機器は、最も電力を消費するからである。  
☆ 1) なぜなら、(商品の)冷蔵冷凍保存用機器は、最も電力を消費するからである。  
〈冷蔵冷凍保存〉と〈保存する冷蔵冷凍機器〉が相前後して出現するのはくどく冗長である。こうした場合は削除ないしは集約、言い換えが必要である。  
★ 2) これから先、高齢者の生活を保障するためにこれまでより多くのお金が必要になってくる。このお金を誰がどう負担するかが問題である。  
☆ 2) これから先、高齢者の生活を保障するために、より多くの資金/財源/財政支出が必要になってくる。これを誰がどう負担するかが問題である。  
この場合は二文にわたるため、☆1)のように一つに集約することは困難である。そこでそれぞれ異なる語に言い換える必要がある。 
2. 14. ことばの重複に注意  
★ 今の現状         ☆ 現状  
★ 日本の人間の人口   ☆ 日本の人口  
★ 結婚の晩婚化      ☆ 晩婚化  
〈現状〉は今のことであり、〈人口〉には馬や鶏の数は含まれず、〈晩婚化〉は結婚についてだけの事象である。つい見落としがちなので注意を要する。 
2. 15. 漢字の濫用は避ける  
★ 〜の為に         ☆ 〜のために  
★ 〜無しに          ☆ 〜なしに  
★ 〜に因れば        ☆ 〜によれば  
★ 極々最近になって     ☆ ごく最近になって  
★ 日本に於いて       ☆ 日本において  
これは〈誤り〉ともいえない問題である。話しことばと書きことばの区別の問題とも似て、何を漢字で、あるいはひらがなで表記すべきかに明確な一線を引くことは原理的に不可能である。これは習慣と好みの問題である。ただし、近年はこのような場合、ひらがなで表記することが多い。比較的漢字を多用する筆者も、これらについてはひらがなを使用する。  
レポートのような〈堅い〉、〈まじめ〉といった印象が強い文章を書く場合、漢字の〈権威性〉に頼りがちになることがある。また近年は難しい漢字でもコンピュータが簡単に変換してくれるので、こうした点からも漢字を濫用しがちである。しかし何を漢字で、何をひらがなで表記するかはコンピュータ任せにすることなく、書き手自らがこれを統御することが必要である。少なくとも当該のレポートの中での混用は避ける。 
2. 16. 人名に敬称は不要  
★ 先に紹介した森永氏は、☆ 先に引用した森永は、  
★ ○○先生の論文では、 ☆ ○○の論文では、(本例は筆者作成)  
人名には〈氏〉や〈先生〉、〈教授〉などの敬称は不要である。 
3. 複合的原因による事例の手直し 
3. 1. 文のねじれ + 同語の反復  
★  人口維持が不要であるという理由の1つに、日本だけが人口減少するわけではないということである。  
☆a 人口維持が不要である理由の1つに/1つとして、日本の人口のみが減少するわけではないことが挙げられる。  
☆b 人口維持が不要である理由の1つは、日本の人口のみが減少するわけではないことである。  
〈〜という理由の1つに〉とくれば、〈〜が挙げられる〉で締めくくらなければならない。文末を〈〜ことである〉としたいのであれば、〈〜である理由の1つは〉を対応させることによって文のねじれを解消する。原文が冗長である原因の一つに〈という〉の反復がある。どちらも削除する。  
☆aと☆bを合わせた次のような表現も可能である。☆c 人口維持が不要である理由の1つに/1つとして挙げられるのは、日本の人口のみが減少するわけではないことである。 
3. 2. 文のねじれ+〈私は〜〉+〈です・ます〉体  
★ また私は人口と雇用は密接な関係があると考えます。  
☆a また筆者は、人口と雇用には密接な関係があると考える。  
☆b また人口と雇用には密接な関係がある。  
この場合、〈雇用は〉を〈雇用には〉とすることによって文のねじれは簡単に解消する。その際に〈私は〉は、少なくとも〈筆者は〉とする。さらにそこから〈筆者は〉と〈と考える〉を削除し、☆bのようにすることが望ましい。  
〈人口と雇用は〉を生かすのであれば、〈関係する〉で終わる。  
☆c また人口と雇用は密接に関係する。 
3. 3. 一文が長すぎる+ 文のねじれ+ 舌たらず+ 回りくどい表現  
★  高齢者の割合が増えれば医療費や年金、介護といった問題が深刻化し、負担は下の世代にのしかかることになる。そのことから、雇用不安や将来の期待所得の低下により、さらに結婚・出産に踏み切れるだけの経済的な基盤を得られないでいる人が増えて、負のスパイラルに落ちてゆくという危険な問題も孕んでいる。  
☆  高齢者の割合が増えれば、医療費や年金、介護といった問題が深刻化し、負担は次世代にのしかかることになる。その一方で、雇用不安や将来所得の低下による結婚・出産の減少も予想される。このことも相まって、事態は負のスパイラルに陥る危険もはらんでいる。  
見出しに列挙した問題点も影響して、二番目の文は何が言いたいのかはっきりしない。一つの解釈として次のように読める:〈次世代にのしかかる負担は雇用不安や将来所得の低下を生む。このことは、結婚・出産の減少を招き、事態は負のスパイラルに陥るという危険もはらんでいる〉。しかし、雇用不安や将来所得の低下は上の世代からの負担によるものであろうか。その原因は別であると思われる。しかし一方で経済的見通しの暗さが結婚や出産の減少を引き起こすことは十分に予想され、高齢者を支える負担との相乗作用の中で事態は悪化の道をたどると筆者は考える。いずれにせよ文意が明確に伝わるように、問題の全体的図式を整理し、文の骨格を整え、表現の簡潔化を図る。 
3. 4. 〈 が〉の濫用+ 一文が長すぎる+ 話しことば+〈です・ます〉体の混在  
★  これがどのくらい深刻な事態なのかはいまいちピンとこないのが非常に残念ではあるが将来的に大変なのだと言うことは少なくとも分かる。特に2055年には私はもう70歳を過ぎており支えられる側になっているのでこの予想データが外れるといいと思いますが現状を見ている限りにおいてそんなに誤差ない数字ではないのでないかと思う。  
☆  これがどれほど深刻な事態なのか、残念ながらいまひとつ実感がわかない。しかし少なくとも将来大きな問題となることは理解できる。2055年には筆者も70歳を過ぎ、支えられる側になっている。そこで予測が外れることを祈る。しかし現状を見る限り、数字にさほどの誤差はないと思われる。  
この一節は形式の上からは、二つの文から構成されている。しかし第一の文には二つの主張が、第二の文には三つの主張が含まれている。その結果第二の文が長くなりすぎ、読点( 、)もないため、全体が冗長で読みにくい。そこでまずこれらの主張の独立を図る。〈いい〉、〈そんなに〉、〈いまいちピンとこない〉は話しことばである。特に〈いまいちピンとこない〉はレポートには全く場違いな俗語的話しことばである。さらに〈です・ます〉体が混在している。それぞれに手直しを施す。 
3. 5. 〈 が〉の濫用+ 同語の反復+ 一文が長すぎる+ 回りくどい表現+ことばの誤用+ カタカナ語の濫用+〈の〉の濫用+ 漢字の濫用  
★  市場の区分では、少子高齢化により衰退するところもあれば発展するところもあると考えられる為、その影響を一概に悪とすることは出来ないが、就労者の老齢化が新技術のイノベーションの妨げになる可能性を鑑みれば、楽観視は出来ないと考えるのが妥当だ。  
☆  各市場は、少子高齢化によって衰退する場合もあれば、逆もありうる。したがってその影響を一概に悪とすることはできない。しかし就労者の老齢化が技術革新の妨げとなる可能性を考慮するならば、楽観もまたできない。  
原文では、〈が〉によって二つの文がつなぎ合わされている。そして各文にはそれぞれ二つの主張が含まれている。その結果、三行を超す長文の中で〈理由〉、〈留保〉、〈条件〉、〈判断〉がからみあっている。これに〈楽観視は出来ないと考えるのが妥当だ〉という回りくどい表現も加わり、一読して全体を見通すことが困難である。この場合もまた、まずそれぞれの主張を独立させることが手直しの出発点となる。そのうえで〈ところも〉の反復を解消し、〈楽観視は出来ないと考えるのが妥当だ〉の簡潔化を図る。〈出来ない〉はひらがなで表記する。  
原文の〈〜を鑑みて〉は、正しくは〈〜に鑑みて〉である。さらにこの表現は、本来「過去の実例や現在の一般的事情をよく考え合わせて、自分の判断を決める」(新明解国語辞典)場合に使用する。したがって〈可能性〉ということばによって示唆されているように、将来の事態に言及するこの文に〈〜に鑑みて〉はそぐわない。  
〈新技術のイノベーション〉の〈の〉は主語と目的語のどちらを表しているのであろうか。一つには〈新技術によるイノベーション(innovation=革新、更新)〉のことであると読める。他方でこれは〈新技術をイノベート〉することとも考えられる。その場合、〈旧技術を革新する〉ではなく、〈新しい技術を革新する〉というのは不可解である。そこでこの曖昧な〈新技術のイノベーション〉の内容を意味的に明確化し、文体を引き締めるために〈技術革新〉という短い一語に置き換えた。  
近年日本では〈イノベーション〉のようなカタカナ語が氾濫している。カタカナ語には、従来の日本語をさらに差異化し、これとは異なる意味合いを表現できるという利点がある。しかしカタカナ語の使用は、往々にして明確な意味内容の表現よりも、〈カッコよさ〉や〈雰囲気〉に傾きがちである。これは上に述べた〈作戦命令などにおける勇ましい美文調の語句の増加〉とも通底する現象であり、足元をすくわれる危険がある。その使用には慎重さが求められる。カタカナ語濫用の問題点については、加藤周一を参照されたい。 
4. 良い日本語を書くために 
4. 1. 言語習得の王道は模倣である  
諸君は生まれて以来、身の回りに空気のように存在する日本語を模倣することによってこれを習得してきている。したがって書く技を身につけるのに何よりも良いのは、書籍や新聞、とりわけ文体やことば遣いの点でレポートと共通点が多い論文や論説、評論などを読むことである。これによって良き書きことばを体に取り込み、〈元手〉を蓄積しないことには何も始まらない。職人は親方や兄弟子の技を盗んで身につける。力士は兄弟子や関取の胸を借りて強くなる。書くことについても同じである。  
ことばの受信と蓄積のためには、ブログやネットのサイトなどを読んでもよいように思うかもしれない。しかし書籍や新聞とこれらでは、お手本としての信頼性において大きな隔たりがある。新聞・書籍では編集者などが原稿に目を通し、必要な加筆や書き直しなどを行っている。これに対してブログなどの場合、一般に他者の目を経ておらず、いわば書きっぱなしである。また話しことば的な文体も少なくない。  
筆者はドイツ語で文章を書くとき、ことばの使用が模倣のうえに成り立っていることを痛感する。頭の中に入っている語彙や文法、ことば遣いはすべて教科書やどこかで読んだり聞いたりしたものなどのコピーである。これらの乏しい素材を、類語辞典などを利用してふくらませ、同語の反復回避に気を使いつつ、まずなんとかつなぎあわせる。そのうえで、要所要所にはそこにふさわしそうなうろ覚えの表現を懸命に思い出し、辞書で確認しつつ散りばめるなど、毎回苦心惨憺しながら全体を構成している。まさにコピーの断片をもとにしたコラージュ(貼り合わせ)である。もとより貼り合せ方に個人の独自性が出る。しかし模倣なしにこれは成り立たない。日本語の場合は語彙や表現、文法に少しは余裕があるので、一般にこうしたプロセスはあまり意識されない。しかし基本的に同じことである。 
4. 2. 〈要約〉は〈読む〉から〈書く〉への転換訓練である  
筆者は昔、交通経済関係の新聞記事を毎月何編か150〜200字程度に要約する仕事を担当していたことがある。最初はなかなか短くまとまらず、一編仕上げるのにかなり時間と労力を要した。原稿に目を通した上司からしばしば手直しも受けた。  
今思い出してみると、この要約作業は、インプットをアウトプットに転換するよい訓練となった。まず記事を読みながら内容の骨子を拾い出さなければならない。これを指定された長さに収めるためには、枝葉を切り落とし、簡潔に書かなければならない。レポートを書くにあたっても、まず調べた内容や主張を整理し、核心を手短かにまとめて書く必要がある。要約作業はそのためのよい練習である。 
4. 3. 目標の二倍書き、圧縮せよ  
当時勤め先の先輩から助言されたのは、〈まず目標の二倍書き、これを圧縮せよ〉ということであった。下書きはどうしても散漫になる。それなら長く書けば、すべてを網羅し、意を尽くせるかといえば、そういうものではない。長いうえに散漫なだけである。必要なのは〈濃縮〉である。4. 2. と4. 3. をまとめると次のようになる。  
1) 最初に、調べてわかったこと、自分の意見、根拠、結論などレポートの核心を簡潔に書く。  
2) これに前提や条件、データ、実例などを付け加えて形を整え、目標枚数の二倍とはいわずとも、長めにひととおり書きあげる。  
3)そのうえで、余計なところを削り、全体を圧縮して内容の密度を高める。 
4. 4. 日本語の読み書きにも辞書を使用せよ  
2. 10. で扱った〈ことばの誤用〉は、〈プロ〉が書く新聞・雑誌などでも近年散見される。週刊ポスト2010年11月19日号の「ほんとうにやりたい仕事」という記事に「プラモデル製造者」(p. 17)が挙げられている。これは「多くの客から注文を受け、人よりもよりリアルなプラモデルを作り上げる仕事」(p. 17)だそうである。  
しかし〈製造〉とは、「原材料や粗製品を、加工したり組み立てたりして、製品を(大量に)作ること」(新明解国語辞典)である。すなわちこれは、〈自動車や家電製品の製造〉といった場合に用いられることばである。したがって「プラモデル製造者」は〈プラモデルメーカー〉である。  
これに対して、プラモデル製造者によって生産されたプラモデルを組み立てて、一種の工芸作品に仕立てることを表すのにふさわしいことばとしては〈制作〉が挙げられる。新明解国語辞典は〈制作〉を「絵画・彫刻などの芸術作品を個人が、映画・演劇・放送番組などを何人かが協力して作り上げること」としている。したがって記事にあるような仕事に従事する人は〈プラモデル制作者〉註)とすべきである。  
辞書が必要なのは外国語学習の場合だけではない。5. で述べるように、〈母語〉と〈外国語〉は連続しており、その差は相対的でしかない。外国語の読み書きに辞書が必要であるように、日本語の読み書きにも国語辞典をはじめとする辞書が不可欠である。とりわけ〈〜に鑑みて〉のように、ふだん耳慣れない/使い慣れない、あるいは〈製造〉と〈制作〉、〈製作〉のような紛らわしいことばなどを使用する場合はまさに外国語と同じである。少しでも気になるときは必ず辞書で調べる心がけが必要である。  
筆者はこれまで〈授業で学生に資料を配布した〉という表記を何の疑問も抱かずに使用してきた。しかし本稿作成に関連する文書のやりとりの中で、正しくは〈配付〉である旨の指摘をある人から受けた。落とし穴はわが身の周りにも潜んでいることをあらためて実感した。もって銘ずべしである。両者の相違については各自調べられたい。  
註  
表記については〈制作者〉と〈製作者〉の間で揺れがみられる。しかし新明解国語辞典は〈製作〉を「〔道具・機械など型にはまった物を〕(大量に)作ること」としていることを考慮し、ここでは〈制作者〉とする。 
4. 5. 提出前に読み直しせよ  
レポートを読んでいると、一度も読み直すことなく、書いてそのまま提出したのではないかという印象を受けるものが散見される。そうでなければ、単純な誤記やごく初歩的な文のねじれなどがこれほどあるとは思えない。こうしたレポートからは、その出来・不出来以前に、ぞんざいなやっつけ仕事的な印象を受け、不快感を感じる。読み直しもせずに提出するのは不届き千万である。書き終わったら必ず読み直し、気付いたところを直す。そのうえで少なくとも一晩程度は時間をおいてもう一度読み直す。これだけでもかなり良くなるはずである。そのうえで友人などに読んでもらえれば理想的である。  
和菓子の良質の餡は長い時間をかけて練り上げる。これによって滑らかに仕上がる。文章も同じである。メールにすぐ返答が求められる気ぜわしい現代であればこそ、大学のレポートくらいよく練ってほしい。モノとしてのレポートは消えても、練った経験と技は自分に残る。今は諸君は自分自身を育てる時期である。卒業して仕事につけば、自分のことにかまけていられる時間はなくなる。適切な文章を手早く書かなければならない機会も増える。急がば回れである。優れた文学作品を書くには天分が必要である。努力でどうにかなる世界ではない。しかしレポートのような実用文は、ある程度の努力と経験によってなんとかなるものである。  
大学のレポートでおかしな日本語を書いても成績評価が下がるか、再履修となるだけで済む。しかし社会人の場合、これは同僚や顧客、取引先などからの信用にかかわる大きな問題であり、自らの評価を失墜させることになる。十分に注意してほしい。 
5. おわりに 
言語学や言語教育の場で、近年は〈母語・外国語〉に代わって、〈第一言語・第二言語〉といった表現が用いられることが多い。これは一つには、二言語、三言語使用といった環境に育ち、どれが母語とも特定できない場合などに配慮してのことである。しかしここで同時に重要なのは、〈母語〉に絶対的かつ特権的な地位を与えるのではなく、〈後から学んだ外国語との違いは相対的なものである〉とする考え方である。これにならえば、われわれの多くにとって日本語は、自分ができるいくつかの言語の中で〈運用能力が一番高い言語〉ということである。その理由は、〈血〉や〈国籍〉の問題ではなく、単に日本語の習得に最も多くの時間と労力を費やしたからにほかならない。このことは、〈母語〉である日本語といえども、上達するためには学習が必要であることを物語っている。  
とりわけ日常会話とは一線を画す書きことばに習熟するためには、外国語の場合と同様の意識的な勉学が不可欠である。そして第一言語の運用能力向上に向けての意識的な努力とその成果は、〈外国語〉の勉学や運用能力にも大きくプラスに作用する。なぜならば、第一言語と第二、第三言語などはことばをいかに使用するかという点で根本においてつながっており、その相違は相対的でしかないからである。  
最近日本のいくつかの有名企業で社内の言語を英語にする動きがみられる。社内や外国に対してはそれでよいのかもしれない。しかし一般の日本の顧客や取引先などに対する広報や連絡、サービスなどに使用されるのは今後も日本語である。これらの企業は、かつて英語の通訳や翻訳者を雇ったように、今度は日本語の専門家を特別に雇うつもりなのであろうか。  
学校ランキングや偏差値に象徴される相対的な順位は日本国内で、それも特定の約束事の下でのみ通用するものである。これに対して、グローバル化を背景として、諸君のこれからの長い人生で求められるのは、絶対的な学力であり、実力である。上に述べたように、日本人だから自動的に日本語ができるというものではない。そしてさらに、〈ヘンな日本語〉の氾濫に見られるように、多くの日本人の日本語運用能力は急速に低下している。これらのことを考え併せるならば、日本語という一つの言語が適切に話せる/書けることは、〈外国語〉ができることと並ぶ立派な特技であり、実力である。今後その価値がさらに高まることは確かである。  
実名は掲げられていないとはいえ、自分の書いたものが〈不適切〉として公表されるのは決してうれしいことではない。しかし、具体的・実戦的な文章作成指導という事柄の性質上、実例が不可欠である。趣旨を諒解されたい。  
第一次世界大戦の記録映像で、敵の敷設した鉄条網の前に何人かの兵が身を挺してうずくまり、友軍将兵がこれを〈踏み台〉として次々に躍進突撃してゆく場面を見た記憶がある。学生諸君もまた、〈戦友〉の痛みを無駄にすることなく、適切な日本語の習得に向けて、精進を続けることを期待する。 
参考文献  
以下に挙げるのは、レポートの作成に際して、参照ないしは利用を薦める書籍・辞書などの一例である。  
1)石原千秋.(2006).大学生の論文執筆法.ちくま新書.前半部では主に大学での勉学とレポート執筆にあたっての心構えや具体的方法などが説かれている。後半部では、著者が論文にとって「たった一つの方法」(p. 129)であるとする「線を引くこと」(p. 130)、すなわち見解や意見の差異化の実際が、近年の良書からの文章を使って例示されている。後半部は良き〈大学生用現代国語の教科書〉ともいうべき趣である。  
2) 小笠原喜康.(2002).大学生のためのレポート・論文術.講談社現代新書.レポートを書くにあたって必要なことが、文体やことば遣いも含めて、網羅されている。特に文献・資料の探し方、コンピュータの利用などに詳しい。頁のレイアウト例などもあり、見やすく分かりやすい。  
3) 加藤周一.夕陽妄語 悲しいカタカナ語.2006年4月19日.朝日新聞・夕刊.2版、p. 10. 著者は、カタカナ語が「現実には自国民相互のコミュニケーションの障害、そしてもちろん感性の質の低下」を招いていることを指摘している。  
4) 野口恵子.(2009).バカ丁寧化する日本語 敬語コミュニケーションの行方.光文社新書. 本書の出発点は、ことばの〈バカ丁寧化〉に象徴される現代日本人の敬語使用の問題点である。しかし著者が一貫して問題とするのは〈敬意とは何か〉、〈コミュニケーションとは何か〉である。敬語の使い方以前の本質的な問題が指摘されている。  
5) 藤沢晃治.(1999).『分かりやすい表現』の技術.講談社ブルーバックス.藤沢晃治.(2002).『分かりやすい説明』の技術.講談社ブルーバックス.藤沢晃治.(2004).『分かりやすい文章』の技術.講談社ブルーバックス. いずれにおいても、世の中に溢れている〈分かりにくい表現・説明・文章〉などを素材に、人間の認知の仕組みに合った表現や説明、文章作成の方法が具体的に提示されている。  
6) 松川正毅.(2010).ディッセルタシオンの技法(1)─フランス流文章構成.書斎の窓.No. 595. 2010. 6. 有斐閣.2 - 7.松川正毅.(2010).ディッセルタシオンの技法(2・完)─フランス流文章構成.書斎の窓.No. 596. 2010. 7・8. 有斐閣.2 - 7. 著者がフランスで受けた文章構成法の紹介である。しかし次の点などをはじめとして、日本語によるレポート作成の参考としても有用である。1 「文章を作るということは、構成することを意味している」(No. 595、p. 3) 2 「『とても』や『非常に』『極めて』のたぐいの強調表現をでき得る限り避ける」(No. 595、p. 6) 3 「接続詞もでき得るかぎり、使わないで論を進めていく」(No. 595、p. 6) また文章作成は単なる技法の問題ではなく、教養や見識などと不可分であるとの指摘ももっともである。  
7) 山内志朗.(2001).ぎりぎり合格への論文マニュアル.(平凡社新書). 論文の基本的作法、特に各種記号の使い分け、引用のしかたや文献表の作り方などについて詳しく述べられている。皮肉とウィットにも富んでおり、読みものとしてもおもしろい。  
8) 国語辞典 辞書類では、少なくとも国語辞典だけは手許に置いて使用する。  
9) 用字用語辞典 漢字の選択や送りがななど表記について調べる際に便利である。  
10) 類語辞典 言い換え、表現の多様化などのために重宝する。一例として、筆者は下記を使用している。 柴田武・山田進編.(2002).類語大辞典.講談社.  
11) 中村明(2010).日本語 語感の辞典.岩波書店. 似たようなことばの微妙なニュアンスの違いについて詳しく説明されている。いくつかの候補から最適な語・表現を選ぶ際に有用である。
引用文献  
1) 石原千秋.(2006).大学生の論文執筆法.ちくま新書.  
2) 小笠原喜康.(2002).大学生のためのレポート・論文術.講談社現代新書.  
3) 学習技術研究会/編著.(2002).大学生からのスタディ・スキルズ 知へのステップ.くろしお出版.  
4) 新明解国語辞典 第四版.(1992).三省堂.  
5) 千早正隆.(1982).日本海軍の戦略発想.プレジデント社.  
6) 野口恵子.(2009).バカ丁寧化する日本語 敬語コミュニケーションの行方.光文社新書.  
7) 米澤泉.(2008).コスメの時代 「私遊び」の現代文化論.勁草書房. 
 
「崩壊概論」 エミール・シオラン 

 

ぼくはいつしか未来の予定を語るのが嫌いになっている。いつしか「未来を語る者こそ貧しい」とおもうようになっていた。ニーチェもそういうことを標榜しているが、ニーチェの影響ではない。エミール・シオランの影響なのである。  
シオランのものは片っ端から読む。ただし、短文、アフォリズム、警句、長詩、独白に近いものが次々に新たな標題によって刊行されるので、これを片っ端から読んでいると、どの本に何が書いてあったかなどということはおぼえていられない。  
シオラン自身が自分のことを「反哲学者」というくらいだから、そもそも脈絡においてシオランに接することが不可能なのだ。  
だから、シオランを一冊だけ推薦するというのもなかなか困難になる。そこで、ここでは最初にフランス語によって書かれた『崩壊感覚』をとりあげることにした。  
「最初にフランス語で」という意味は、シオランは1911年生まれのルーマニア生まれで、母校のブカレスト大学の文学部で哲学教授となり、26歳のときにフランス学院給費生としてパリに留学したものの、1947年まではフランス語で文章を書いていなかった。  
シオランにとって幼年期をすごしたルーマニアのトランシルヴァニア地方は、言語が複雑に折り畳まれている場所であった。そのころトランシルヴァニアはオーストリー・ハンガリー二重帝国の足下にあって、ルーマニア人はハンガリア人を憎んでいた。が、憎むということは興味をもつということでもあって、シオランもハンガリー語に異常な関心を示している。  
しかし、シオランはフランス語を学ぶ。ルーマニア語でもハンガリー語学でも生々しすぎたのである。フランス語はシオランの言葉を借りるなら「完全なまでに非人間性に富んでいる」。そして、そのフランス語で最初に綴ったのが、『崩壊感覚』だったのである。  
内容を説明するかわりに、それぞれの短文エッセイの標題をあげるのがいいようにおもわれる。ほんとうはフランス語で掲げるとおもしろいが、それは原文を見てもらうことにする。少しかいつまんでおいた。  
  狂信の系譜  
  反予言者  
  神の中に消える  
  時間の関節がはずれる  
  すばらしい無用性  
  堕落の注解  
  形容詞の制覇  
  曖昧なものの崇拝  
  安心した悪魔  
  背教者  
  間投詞的思考  
  生殖の拒否  
  黄昏の思想家  
  ぼろぼろになった男  
  未来の亡霊  
  無意識の教義  
  挫折の表情  
  落伍者の肖像  
  真昼の呪詛  
  天国と衛生法  
  縄  
  亜流の幸福  
  流行おくれの宇宙  
  傾いた十字架  
  いつまで同じことを?  
これがシオランなのである。  
いかがなものだろう。すぐに使いたくなりそうなフレーズが目白押ししていることに驚くにちがいない。が、これだけではまだ想像力がはたらかないという貧しい読者のために、二、三の文章を引用しておく。  
「人間はいまや新たな時代、自己憐憫の時代の入口にたっている」  
「存在が精神によって蝕まれつくされたあとの空虚、そこを占めるのが意識である」  
「かくて独創性とは、ようするに形容詞の酷使と、暗喩の無理な喚起的用法に帰するわけである」  
「人間が夜明けの言葉で自分のことを考える時代は、もう終わった」  
「真の知とは、結局、夜の暗黒の中で目覚めているということに尽きている」  
「私は何もしない。よくわかっている。しかし、時が過ぎ去るのを見ているのだ ・・・ その時を埋めようとするのがよいだろう」  
「ある人においてはすべてが、まさにそのすべてが生理により支えられている。つまり、彼らの体が思想であり、彼らの思想が体なのだ」  
「自然に応じて物を見るために、人は外に向かって生きるように創られた。もし自らの中を見ようとするのであれば、目を閉じ、物事を始めることをやめ、流れから抜け出さなければならない。内的生活と言われるものは、われわれの生命にとって必須な活動を減速することによってのみ可能になった遅れてあらわれた現象であり、臓器の健全な機能の犠牲の上にしか精神が顔を出すこともそれが開花することもなかったのだ」  
「― あなたは朝から晩まで何をしていますか? ― 私に耐えています」  
「口には出せないような欠陥のない興味深い精神には私は一度たりとも出会ったことはなかった」 
 
シオランによる黙示録 

 

[ガブリエル・リーチェアヌとの対談]  
ガブリエル・リーチェアヌ(Gabriel Liiceanu) / あなたはいくつかの「賞賛訓練」(Exercices d'admiration 邦訳『オマージュの試み』)を書かれましたが、運命の問題はあなたをいつも魅了してきました。完成か挫折かという個人の運命、そして栄光とデカダンスという民族の運命の両方がです。しかしあなたはいつも他人の運命について語ってこられました。もう80歳になろうというところで、あなた自身の運命については、どのようなまなざしを向けられますか。  
E.M.シオラン(E.M.Cioran) / 私は自分が望んだ運命を持ったと言いたいですね。自由であるということ、独立しているということが私の脳裏から離れませんでした。それで私はそれを獲得したわけです。でも、もう今となっては私の運命は終わったと考えています。一年前、おそらくもっと前から、私はもう書くまいと決めました。  
L / それは初めてのことではありませんね。この10年か20年の間、あなたはそのような決心をずっと取り続けてきたように思います。  
C / 今回は真面目ですよ。  
L / あなたの本が出る度に、今回が最後の本だと言ってこられましたが、その度にまた次の本が続いて出されました。  
C / それはそうだった。でも今度のは本当です。もう書かないというこの決心には、言ってみれば、ほとんど生理学的な理由があるんですよ。私には何かが変わってしまったという感じがあります。  
L / どういう意味でしょうか?  
C / 何かが衰えた、そう……私の中で壊れたんです。一般的に言って、作家というものは死ぬまで書き続けます。特にフランスではね。そんなのは何の意味もありませんよ。本の数を増やして何になるんです? 私の考えでは、全ての作家たちは書き過ぎですね。  
L / それはあなたの場合にもあてはまりますか?  
C / ええ、その通り。でも大作家たちはまったく書き過ぎました。シェイクスピアもやり過ぎですね。私について言うと……ただ単に、宇宙に唾するのはもう十分ということです。私はもうしたくない。  
L / しかし、あなたは無用性と死のテーマについての、15冊以上の本をお持ちですね。  
C / それはオブセッションの問題ですよ。私の作品は――この言葉には吐き気がする――医学的、治療的な理由から生まれました。私が同じオブセッションの他は書かれていない同じような本を書いたのは、それが私をいわば自由にする、ということを確認するためです。まさしく私は必要があって書いたのです。文学とか哲学その他は私にとってはきっかけに過ぎない。書くことのセラピーのような効能、本質的なのはそれです。  
L / すると今ではあなたは治られたわけですね?  
C / いえ、治っていません、治ったのではなく、ただ単に疲れただけで。  
L / ですが、無用性や無意味を弁護した作品が、どうやって助けてくれるのですか。  
C / 表現する手段を持たなかった他の人たちが感じていることを述べるからです。読者を自分が感じていたことについて突然意識させることによって、助けるのです。要するに、自己を取り戻すというように、助けるのです。  
L / しかし絶望に集中することは、それをより深めてしまうのではないのですか。  
C / 既に表明してしまったこと全ては、より受け入れやすいものになります。表現、それは薬ですよ。司祭に告白しに行くことに何の意味があると思いますか? それはわれわれを自由にするんです。表明されてしまうことで、その強さは減らされることになります。それこそが治療的であるという理由であり、書くことによって治療する意義です。もし私が書いていなかったならば、私はもっと憂鬱の状態にあったろうし、その場合疑いなく憂鬱は私を狂気にし、私がやることを全て失敗に導いていったことでしょうね。既に表明したという事実が特別な効果を現すのだ、と言わなければなりません。私が書かなかったならば、まず間違いなく病気になってしまったでしょうね。そんな風に私は5冊くらいの本をルーマニア語で、そして……8冊か9冊の本をフランス語で書いたわけです。  
L / では、今は?  
C / 今は…もう終わりましたよ! もう沢山だ! 私は書くのをやめた、というのは私の中に何か減退を感じたからです。激しさの低下です。大事なことは、気持ちの高ぶり、感動の強さです。ところで消えてしまったものというのはそれなんですよ。私は私の中に、一種の疲れを、表現に対する嫌悪を見出し始めました。私はもう言葉を信じてはいない。パリの文学的スペクタクルにはもっとね! 皆が朝から夜まで間断なく書いています……私はといえば、長い間否定しつづけました。でもこの攻撃的否定、これを私はもう今や必要だと感じないんですよ。実際、これは衰弱の現象ですね。  
L / その疲れはあなたを世界と和解させたのでしょうか?  
C / いいえ、それは単に私を衰弱させただけです。私はこれまでの人生の間、自分は自分がが知っているどの人よりも明晰な人間である、という途轍もないうぬぼれを抱いてきました。これは誇大妄想狂の明白な形態ですね。でも本当のところ、私はいつも人々は幻影の中で生きていると思っていたんですよ――私を除いてね。彼らは何も理解していない、と私は確信していました。それは軽蔑ということではなくて、ただ単に確認です。皆が騙されているし、人々は素朴である。しかし私は騙されないという幸運を――あるいは不幸と言ってもいいですが――我がものとしました。そしてそれは実際、何にも参加しないということ、他人の目的の喜劇にまったく関わらないで振る舞うということなんです。  
L / 今となって、あなたのそのような振る舞いは、正しかったと思われますか?  
C / もちろんですよ!  
L / あなたは生涯で、リヴァロル賞、サント-ブーヴ賞、コンバ賞、ニミエ賞といった文学賞を授与されてきました。最初のリヴァロル賞を除いて、あなたは全て辞退されました。なぜでしょう?  
C / パリの文学的スペクタクルにはうんざりなんですよ。作家は皆一つの文学賞を手に入れるためにどんなことでもやってのけます。それはまさしく産業とも言うべきものです。私は選択の余地がないことを素早く理解しました。全てを受け入れるか、全てを拒否するかなのです。最初、私は受け入れました……  
L / リヴァロル賞、『崩壊概論』に対してですね。  
C / そうです。それは最初の本だったし、選定委員会のなかにはフランスでもっとも偉大な作家たちがいました*1。彼らは年を取っていたけど、私はまったくの無名だった。その賞を拒否するのは当時何の意味もなく、それはただの厚かましい行為にすぎなかった。1949年のことでした。しかしこのことの後、つまりフランスの文学生活についてよりよく知った後に、賞というものはとても不愉快なものだということ、そして私にとってほとんど危険なことだと気付いたわけです。  
L / あなたがニミエ賞を拒否されたとき、あなたは弟さんに向けてこう書かれています。「『生誕の災厄』のような本を書いた後に、文学賞を受けることなんてできないよ」。しかし、それにもかかわらず、この辞退の連続は反対に一つの宣伝の形態ではないでしょうか? あなたの辞退は噂になり、好奇心を呼び覚ましました。  
C / いや、私は最初から賞は拒否すると決心していました。  
L / あなたがインタヴューに応ずることが殆どなかったのも、徹底してフランスのテレビに出ることを拒否したのも同じ理由からでしょうか? あなたはパリの舞台からもっとも引っ込んだ著者であると考えられていました。  
C / パリに生きていて、文学賞のスペクタクルを見物する人は、決定せざるをえないのです。他人と同じように振る舞うか、それともそうしないかというね。  
L / あなたの作品が外的な性質を帯びているとは感じられないのですか?全ての作品は公衆に読まれます。公衆とは宣伝を意味します……  
C / ええ、でもそれを引き受けるのは編集者だけで、私ではない。私はそこに混ざりたいとは思わない。私が自分の商品を持って街に売りに行くことなんてこれっぽっちもありえませんよ! その上私は少しばかり運命論者でしてね。どの作家もその運命を持っています。賞を拒否すること、それはフランスの文学的風習に対する抵抗の一つの形態でもあるんですよ。 
L / フランスでは、あなたがラシナリというトランシルヴァニアの村に生まれたことは知られていますが、しかし大部分の人々は、この場所があなたにとっていかに重要であるかということを無視しています。あなたは何度もラシナリから出ることを楽園からの追放になぞられましたね。  
C / 私の幼年時代はまったくの楽園そのものだった。  
L / いくつかの場所が、ルーマニアにいるあなたの弟さんや友人たちへの手紙の中で回帰するように現れます。隣の家の果樹園、お父上が勤める教会、コアスタ・ボアーチ――村に張り出た丘、永遠に遊び回っていた、半ば伝説的な土地です。コンスタンティン・ノイカに当てたあなたの手紙の中に、有名なフレーズがありますね――「コアスタ・ボアーチを去って何かいいことがあっただろうか?」  
C / 風景は重要な問題です。山で生きた時、その他のものは言いようがない陳腐なものに思える。そこでは何か原始的なポエジーが行き渡っています。コアスタ・ボアーチが私にとって本質的な役割を担ったということ、これは認めなければなりません。私はそこに行って、村を支配していました……  
L / あなたの他の幼年時代過ごした場所も特別な意味を帯びているのですか?  
C / ええ、特に墓地がそうです。墓堀人に友人がいましてね。彼はとてもいい人間で、彼は私のもっとも楽しみにしていることが、髑髏を手に入れることだと知っていました。彼が誰かを埋めていると、私はすぐに駆けつけて、彼が私に一つくれるかどうか見守っていました。  
L / どうして髑髏に惹きつけられたのですか?  
C / 私の楽しみ、それは…それでサッカーをすることでした。私は髑髏に目がなかった。私は墓堀人が髑髏を掘り出すのを見るのがとても好きでした。  
L / それは病的な嗜好なのでしょうか、あるいは無邪気な遊びなのでしょうか。  
C / その両方だと思います。結局のところ、私はサッカーをするのが好きだった。髑髏が空にくるくると回っているのを私の目が追っているときのことを憶えています。私はそれをつかまえようと突進しました……。それは何より素朴なスポーツだった。私は髑髏でサッカーをするのが許されないことを知っていたし、それが普通ではないことを十分に意識していた。それに、私は誰にもこのことを話しませんでした。それは病的な感情に属するものではなかった。しかし、死の世界との一種の親近感のようなものがありました。墓地はとても近かったし、埋葬にも慣れていましたから……。  
L / しかし今あなたが語られた親近感は、死の問題から切り離されなければならないのではないでしょうか。そのような親近感は、死から距離をとるものであっても、思考の中心的なテーマになることはなかった。そのような経験は、死という現象に対して明朗な視線を与えるか、あるいは無視させるようになるのではないかと思います。ところが、反対に、死はあなたにとってオブセッションとなりましたね。  
C / 私の死についてのオブセッションを、7歳か8歳頃のこの経験に遡らせることができるとは思いません。死が私の人生の中で役割を果たすようになるのはもっと後のことです。実際死は、16か17歳の時に私にまとわりつくようになりました。それが絶頂に達するのは『絶望のきわみで』を書いた頃です。したがってこの現象は後々のものだけれども、でも墓地での交際が私に影響を与えたというのはありうることです。私が多少とも居合わせた埋葬、涙、嘆きに私は無関心ではいられなかった。しかし、正確にいつと言うことはできませんが、この感覚は、はっきりとした問題へと変わったのです。 
L / では楽園から去り、いかにしてあなたが追放された後の生への一歩を踏み出されたのかに移りましょう。  
C / 私の人生のなかでもっとも悲しい日は、父が私をシビウの寄宿先に送った日です。その日を忘れることは決してありません。私の人生のなかで全てが壊れてしまい、死を宣告されているのだという感じを持った日です。忘れることはありませんよ!  
L / 哲学の読書を14歳から15歳のときに始められましたね。あなたの読書ノートを見せていただきました。リヒテンベルク、ショーペンハウアー、ニーチェ……  
C / その後にキルケゴール。私がある日キルケゴールを読んでいた日のことを思い出します。庭師が現れて――人々は彼は狂人だと言っていました――私に訊くんです。「どうしてずっと本を読んでいるの?」。「楽しいからさ。本には……」「そこにはなにも答えは見つからないよ。ないね、ないね、本からは。本のなかには見つけられないよ」そして私は彼を見つめて言いました。「あなたは考える人、認識する人、理解した人ですね」。  
L / なるほど。しかしあなたがそのことを初めから理解していたならば、どうしてあなたは今世紀でもっともすさまじい読書家の一人になったのでしょう?  
C / 私は膨大に読みました、それは本当です。私は一生の間膨大に、一種の脱走のように読んできました。私は哲学のなかに、他者のヴィジョンのなかに入りたかった。それは本への一種の逃走、自分自身から逃れることです。  
L / でもどうしてあなたは自分自身を忘れる他の方法を探さなかったのですか?例えばアルコールとか……  
C / いやいや、私は酔っぱらってばかりいましたよ!  
L / 酔っぱらう? あなたが? いつのことです?  
C / 若い頃、とても頻繁にです。私は酔っぱらいになることばかり考えていました。非意識の状態と、酔っぱらいの馬鹿げた誇りが気に入っていたのです。休暇のとき帰るラシナリでは、私は古典的な酔っぱらいを盛大に賞賛していました。彼らは毎日酔っていた。とくにそのうちの一人は、一日中バイオリンを持ちながらぶらぶらし、口笛を吹き、歌っていました。彼は村中で唯一面白い人間だ、唯一理解している人間だと私は考えたものです。みんな何か仕事に従事するというのに、彼だけは遊んでいました。彼はアメリカの叔父を持っていて、2年の間にすべてを使い果たし、無一文になりました。彼がそのあとすぐに死んだのは幸運だったと言えるでしょうね。  
L / あなたがそのような人々、堕落し失敗した人々を賞賛すると、それはただの若者の奇矯愛好(teribilism)、上品ぶった人々をあきれさせるだけのものだ、と非難されますね。  
C / まあそうです。それは見つけるのがもっとも容易な説明ですね。本当のところを言うと、奇妙なことでしょうけども、私のなかの何かと照応しているもの、それはあまりにも普通で平凡な両親を持ったことでずっと感じていた不幸です。言うなればね。私の不眠の時期を思い出します。母とともに家に独りでいたある日のこと、危機のあまり、私はベットに身を投げてこう言いました。「もうだめだ! もうだめだ!」。すると司祭の妻であった母が私に返しました。「もし知っていたならば、堕胎していたのに」。このことは突然私に巨大な喜びをもたらしました。私は自分に言ったものです。なら俺はただの偶然の産物なのだ、これ以上何が必要だというのか?  
註 *1 委員会のなかには、アンドレ・ジード、フランソワ・モーリヤック、ジャン・ポーランなどがいた。 
L / しかし、実際あなたは何に苦しんでいたのですか?  
C / 不眠による極度の神経の緊張です。不眠を知る前、私はほとんど普通の人間でした。眠りの喪失は私にとって啓示でした。その時私は、生は睡眠のおかげによってのみ耐えられるものだと気づいたのです。毎朝、新しい冒険、あるいは同じ冒険が始まります。しかしそれは中断を伴ってのものです。反対に不眠は無意識を排除し、こんなことに耐えるには人間はあまりにも弱すぎるということを、1日24時間ずっと鮮明に意識しなければならなくなります。不眠は一種の英雄的行為であり、毎日が始めるから負けることが分かっている闘争です。というのも、生きることは忘却によってしか可能とならないから。次の朝には新しい人生が始まるという幻想を持つためには、毎日人は忘れなければならない。逆に不眠は人に不断の意識という経験を強います。その時、全世界との、眠ることができる全人類との闘争に入るのです。もはや自分が他人と同じ人間であると考えることはできない。他の人間は無意識になることができるのですからね。こうした後の最初の反応として持つもの、それは馬鹿げた誇りです。自分は他人と同じような人間ではない、自分は他の者が意識を持っていないときに、終わりのない夜を徹した経験があるという。この誇り、この破滅の誇りこそが唯一勇気を与えてくれるのです――俺は他人とは違う運命を持っていると。自分による自分への「お世辞」、この常軌を逸した感情は、もはや自分は人類に属していないというものです。自分で自分を美化すると同時に自分を罰する。おそらくこの極度の不眠の時期に、自分は明晰であるという誇りが生まれたのでしょう。これは一生ついてまわりました。私が言いたいのは、人々は知的で、独創的で、天才的でありうるでしょうが、明晰であることはできないということです。対して私は、明晰性をわがものとし、それを独占しているとみなしていました。今では私はもはや同じように考えてはいません。結局のところ、不幸な人間はすべて明晰なのです。しかし当時、不眠が私の明晰性は特別な明晰性だという確信をかき立てていました。確かなのは、不眠の時期は私の残りの人生にとって決定的な影響をもたらした、ということです。それは恐るべき経験でした。私は20歳で、毎晩、夜が明けるまでシビウを一人で歩き回っていました……  
L / すると、あなたの哲学は青年期のもののままであり、あなたの観点はその時代に決定的になった、ということでしょうか。  
C / いいえ。生に関する私のヴィジョン、それは仏教のなかに見出すことができます。私の考えでは、仏教はもっとも深い宗教です。私はあまりにも一貫していないので、なんらかの一つの宗教を追い求めるということができないのですが、私の世界に対する眼ざしは、仏教と非常に近いものです。たとえ別な風に言い表されていてもね。あの2年か3年続いた、恐ろしい不眠の時代に、私は否定に取りつかれ、先ほど話した誇りが私のなかに生まれました。明晰性へのうぬぼれ、ものごとの無常性の確信、他の人間の人生を支配している幻想に対する意識、これらすべては、不眠という根本的経験に由来します。私が哲学へと、言うなれば突き進んだとき、私にとってもっとも関心を惹いたのは、意識の問題でした。意識とは宿命である、宿命としての意識(Bewusstsein als Verhängnis)という観念が私のオブセッションとなりました。私の哲学への関心はこの問いとともに始まり、この問いとともに終わりました。根本的にいえば、人間は覚醒する存在です。そして不眠はこの哲学的本能を罰するのです。  
L / 覚醒させ続けるという罰ですか。  
C / そうです。私にとって、意識のドラマを経験していない者は素朴な人間です。たとえその人が天才だとしてもね。ある意味で、意識の過剰、つまり忘却なしの生は、私に対して病的な側面がありました。私が不眠に苦しんでいたとき、私は全人類を絶対的に軽蔑していました。すべての者が私には動物に見えました。  
L / なぜなら彼らは一時、意識を持たないでいることが許されていたからでしょうか…  
C / その通りです。それは妬みでもありましたし、軽蔑でもありました。覚醒していること、間断なく意識を持つことは、人間を限界にまで導くものです。  
L / そうですね。しかし他方で、意識はあなたにとって呪いでもありました。意識のドラマはあなたの著作のなかで頻出する主題です。動物は人間よりも幸福であり、植物は動物よりも幸福であり、鉱物が最高の幸福を享受していると、あなたは何度も繰り返されて来ましたね。  
C / 私は意識一般について話しているのではなく、意識の過剰について話しているのです。この過剰だけが、誇りと敗北という矛盾した感情を引き起こし、この過剰だけが、意識を同時に呪いと予感として感じさせます。そして不眠とは、過剰としての意識を人に啓示させるものです。普通、われわれは意識を、定期的で継続的な中断を挟んで経験しています。この場合、意識は重荷ではない。不眠がもはや始まりというものは存在しないと気づかせたとき、人はつねにそれまでとは異なった生を生き始めます。不眠が人を中断のない意識という現象の前に立たせることではじめて、人間とは意識を持つことができる唯一の存在であると理解し、そして同時に、人間はそのありのままではこの現象を耐えるにはあまりにも弱い存在であると理解するのです。  
L / シオランさん、あなたについて少し過酷なことをお訊きするのを許していただきたいと思います。意地の悪い読者がいるとして、次のようにあなたに言うとしましょう。「もし、あなたが定式化して論じるということにおいて卓越していないというのなら、あなたの思想の根本というのは要するに少々の陳腐な言葉に尽きてしまうのではないか。人間は悪だ、死は災厄だ、生きることは無意味だ、自殺は別だが、等々と」。  
C / それらすべては、理論上では陳腐でしょうが、経験するときはそうではない。死は災厄だということは、経験としては決して陳腐ではありません。もっとも深い宗教の一つである仏教も、生の無の認識という「陳腐」に尽きます。  
L / 実際に、次のようにあなたを批判することもできるでしょう。あなたは世界と同じくらい古いテーマを再び取り上げ、「コヘレトの言葉」以来言われてきたことすべてを、並外れた才能でもって繰り返しただけだと。あなたの新しいところはなんであると思われますか。  
C / それはまったく経験の強度の問題ですね。生に関する見解の素材に新しいところなどない。死より陳腐な現象が他に存在するでしょうか。しかし同時に、死は究極的な問題であり、すべての宗教の関心の中心であったのは偶然ではありません。「独創的な哲学」などというものは、学問から出発して作り上げるほかない。学問の世界では新しいことが可能です。そのような哲学は、もちろん独創的でしょうが、しかしそれは同時になんの関心も示すことはない。ハイデガーのことを考えてください。彼が死について、そして他のすべてのことについて書いたものは、日常の言葉に移されると、なんの独創性も持たないものになります。彼の値打ちは、彼が他の者とは違った風に定式化したということに由来します。新しいもの、それは結局のところ響き、トーン、調子など、各人の経験の強度から発してくるものです。私が受け取った手紙、特に若い人たちからの手紙は、私の定式化の仕方と経験から、人々がなんらかの認識を持つことができるということを示しています。それがたとえどれほど愚か者であってもね。独自の表現を越えて思想が単純化されると、いかなる思想も陳腐になります。 
 
『生誕の災厄』評 

 

「無理をしてまで作品などを作る必要はない。ひとりの酔漢、あるいは瀕死の男の耳元で囁かれるべき、なんらかの言葉を発することだけが肝要なのだ。」  
尊敬を覚える書き手は多いが、畏怖の念を抱く書き手は少ない。ルーマニア生まれの作家であり、憂鬱と不眠の友であるシオランにわたしが抱くイメージは次のような感じだ。  
――もう4日も眠れていない物憂げな顔をした男が公園のベンチに腰かけている。毎日同じ時間に、彼の眼の前を、痩せっぽちで、いかにも知恵の足りなさそうな犬が年寄りを引き連れて通り過ぎる。犬は知恵が足りないものだから、自分の首に括りつけられている紐に気付かない。年寄りが足を休めるたびに、あっちに行こうとすれば紐に引っ張られ、こっちに行こうとすると紐に引っ張られる。空に浮かばぬ凧が地面に激突する時のように。やっと自分の卑小な境遇に感づいたのか、犬は何かに向かってぎゃあぎゃあ吠え出した。すると年寄りが犬の頭に向かってさっと手を上げる。何度も見た光景だ。その瞬間、犬はビクッとしながら体を後方に屈める。男は犬が叩かれるところを一度も見たことがない。おそらく叩かれたこともないだろう。しかし、あれは習慣的に植え付けられた恐怖だ。突然、年寄りが彼の目の前でバタンと倒れ、無になる。生きているときも彼にとってそれは無だったから、何も変わりはしない。しかし、犬は年寄りがいなくなったことに喜び極まって、のた打ち回りだす。ヤツが生まれてきて、初めて知恵を用いた…そう思える瞬間だ。こいつは手のつけられない悪になる。彼はそう思いきり、年寄りに代わって、犬を叩き殺す。だらしなく舌を垂らしながら惨めに横たわる犬を見て、彼は涙を流す。彼は自分の分身を殺したのだ。――  
シオランはもっと底知れない不眠の日々を通過してきたのだから、彼に対してはいささか感傷的過ぎるイメージかもしれない。しかしそれほど的外れだとは思っていない。  
本書『生誕の災厄』はアフォリズム集であり、どの言葉も強烈な自己嫌悪に裏打ちされている。この人ほど「自己実現」という言葉から遠い人を私は知らない。いくつか言葉を引用してみよう。  
「朝から晩まで、いったい何をなさっているんです?」  
「自分を我慢しているわけですな」  
「自分と馴れ合うのも度が過ぎている。私は腹を立て、自己嫌悪を開始する。だがやがて、事態がいっそう悪くなったのに気づくのである。おのれを憎むとは、自己との絆をさらに強化することでしかない。」  
「ああ、俺もそう思ってたんだよ!」と握手を求めたくなるが、ページを捲って別の言葉に触れた途端、ピシャリと手を払われた気がして、すぐに思い直す。  
「哲学でも宗教でも、人間の心に媚びるものだけが繁盛する。進歩の名を名乗るものであれ、地獄の名を借りたものであれ同じことだ。劫罰を受けようがどうだろうが、人間は何ごとにつけても事の核心にいたいという絶対的な欲求を持っている。人間が人間であるのは、いや、人間になったのは、ただこの一点によるとさえいってよい。だからいつの日か、人間がこの種の欲求を身に覚えなくなったとしたら、人間は自分よりもっと傲慢な、もっと狂気じみた動物に道をゆずって消え去らねばなるまい。」  
「自己認識は一切の認識のなかでもっとも苦いものだが、また、人びとが何にも増して、修練するのを嫌うものである。朝から晩まで、さまざまな妄想の現行犯としてわが身を逮捕し、一つ一つの行為の根因にまで容赦なく遡り、自分で作った法廷で敗訴を重ねてみたとて、どうなるものでもあるまい。」  
大方、自己分析や反省などというものは、見せたくない自分を他人の眼差しから隠ぺいしようとする作業にしかならないのだ。このように書いてみせることでさえ、読者に対する書き手の言い訳がましいポーズになるだろう。だがそう思い直してもシオランは容赦してくれない。謙虚になろうとすることは、結局、保身に繋がると見抜いている。彼は、冷静さを売り物にして他人にへつらうぐらいなら、敢えて痛いところを衝いて敵意を買ってみせるような、生に倦みきった怪物のような激情に共感を抱くような男なのだ。  
次の言葉なども苦々しい思いをさせられる。  
「自分についての面白くない判断を耳にしたとき、いきなり腹を立てずに、自分が他人について並べたてた、ありとあらゆる悪口を思うべきだし、他人のほうで自分を悪しざまにいったとしても、それはお互いさまなのだと考えるべきだろう。毒舌家ほど傷つきやすく、悪口に敏感で、みずからの欠点を認めたがらない者はないというのは、まことに皮肉な話である。誰かがその悪口好きの男について、ちょっとした留保をつけたと告げてやるだけで充分だ。たちまち彼は自制心を失い、猛りたち、思うさま怒りの発作に身をゆだねるにちがいないのだ。」  
「反省と努力によらなければ、中立状態に立つことができないとは不幸なことだ。ひとりの白痴がらくらくと手に入れてしまうものを、常人は夜となく昼となく悪戦苦闘したすえ、ようやく獲得するにすぎない。しかもそれがまぐれ当たりときている。」  
徹底的な自己凝視をしている男に近づくことは難しい。読み手は足音を立てず、息を殺さねばならない。しかし狂おしい情熱をもって。あたかも、物陰に身を潜めている、飢えた雪国の狩人が、獲物に存在を悟られまいと雪を食べて口臭を消すように。そうすると思い知らされる。孤独は常に倫理的である、と。生まれてからずっと独りで生きてきた人間には孤独が何かも分からないはずだ。彼にとって他人との関係性は問題にならないのだから。  
次の一文などにも何かしら身に沁みる覚えのある人はいるだろう。  
「ある人間が自身の一番低いところまで落ちて、つねづね抱いている妄想を回復するだけの欲も力も持てないとき、そういうときにしか、私は他者と完全に理解しあうことができない。」  
たとえば黄昏時に迷子になってしまった少年の心持ちを想像してみよう。彼の目に現ずる世界は、それまで慣れ親しんでいた、いささか退屈な性質から一変して、突然自分に対して素っ気無い態度を取り出した恋人のように思えることだろう。そういう時は慌ててしまい、自分がどんなミスを犯したのかを考え(あるいはそんな自分を責めて)、恋人に哀願するようにして、その変化をすぐさま修正しようとする。この修正への道が断たれた時、われわれは打ちのめされるわけだ。残された道はカミュのように逆上するか、仏陀のように自分を手放していくか。  
「どうしても寝床を離れることができず、ベッドに釘づけになったままで、記憶の変幻に身をゆだねてみる。カルパチア山脈のあたりを、幼年の私がさまよい歩くのが見えてくる。ある日、私は一匹の犬に行き会った。飼主が、おそらく厄介ばらいのつもりなのだろう、一本の木の根もとに犬をつないでおいたのだ。犬は骨が透けて見えるほど痩せ衰え、生命のほむらはすっかり消えかけていて、私をじっと瞶(みつ)めるだけの力しかなかった。身じろぎもできないのだ。それでいて犬は、四つ足で立っていたのだった。……」  
前後のページを行ったり来たりしている内に、わたしは自分が世間知らずの無邪気な人間で、なにか破廉恥なことを考えながら生きているかのように感じてしまう。「生まれてきたことは受難以外の何物でもなく、自殺者以外の人間はすべて売春に勤しんでいる」というシオランのニヒリズムはどこからやってきたのだろうか? この男は本当に自分と同じ世界で生きてきたのだろうか? そう考えてしまう。スカイダイビングをしている際、枯れた薔薇のつぼみのようにパラシュートが開かなくなって、地面に叩き付けられるのをしばらく待っている瞬間。あるいは、50年後の年老いた自分が、黄泉に流れる暗い河のような青筋が手に浮かび上がっているのを眺める瞬間。このような瞬間ばかりを絶えず目撃していたらどうなってしまうのだろう。  
彼を痛めつけた不眠症がどのようなものであったかを暗示する一文がある。  
「眠られぬ一夜を明かしたあとでは、通行人は自動人形にしか見えない。誰ひとりとして、呼吸し、歩行しているようには映らない。全員がぜんまいで動いているかのようだ。一片の自発性も見あたらぬ、機械仕掛のほほえみと、亡霊の身振りだ。――おまえ自身が亡霊なのに、どうして他人たちが生命あるものと見えようか?」  
わたし自身が不眠に苛まれてた時に書いた文章を拾って比較してみよう。  
――わたしは付回されている。ヤツの正体はとっくの昔から分かっていた。わたしがどこに往けども、ヤツは異常な執拗さをもって必ずその存在を誇示してくる。普段はあからさまに自己主張しているが、わたしが眠るとさすがにその影を潜めるらしい。しかし、目を覚ませば、素知らぬ顔でまだわたしに付きまとう。そうだ、わたしは「自分自身」に付回されていた。ヤツを意識するといつも不安になるが、それは何のためだろうか。「ひょっとしてヤツはアレを知っているのでは…?」アレは暗示である。アレが一体何なのかはよく分からない。ヤツがわたしに付きまとう理由がよく分からないのと同じように。ああ、そうか! ヤツとアレは同じなのだ。それならば納得がいく。つまり、「わたし」は死だ!――  
シオランの言葉はわたしの文章ほど粗野ではない。わたしは彼に比べて健康的すぎるようだ。生の衰弱は神経の過敏な活動をもたらし、そこでは、月の光にのみ反応する花のような美しい言葉が息づき始めることがあるらしい。  
「しかし、一体、どうしたのかね、君は。どうしたというのかね。――何でもない。どこも、なんともないんだ。ただわたしは、自分の運命の外へ一跳びしてしまって、いまではもう、どっちを向いて歩いてゆけばいいのか、何にむかって駆け寄ればいいのか、まるで分らなくなっているだけのことだ。」  
読後、冥福を祈らずにはいられない。眠れなかった男のために。