たかとり‐やき |
【高取焼】 |
古唐津風 |
陶器 |
福岡県鷹取山々麓 |
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慶長5年(1600)黒田長政が福岡へ国替えになってから、帰化鮮人の八山(日本名高取八蔵)に命じ鷹取山の西麓の直方市永満寺宅間窯床に
開
窯、後に遠州七窯の一つとなった。大別して古高取時代、遠州高取時代、小石原高取時代、福岡皿山時代、明治以降の五つの時代に分けられる。古高取は初代八山の作った古格のある高取焼で斑唐津によく似た失透性の白釉の掛かったものが多い。遠州高取時代は勘気を解かれた八山が小堀遠州の指導で瀟洒な作風に転じてからのもので、古高取のような素朴重厚な趣きはないが洗練された趣きがあり、また光沢の強い黒飴色の釉薬もこの時代に始まる。小石原時代になると鼓窯の茶入など作行が概して軽妙で薄作り。その後福岡城外に皿山が設けられ東皿山は藩御用の品、西皿山は民用品を作った。福岡の皿山と小石原は高取焼の伝統を守って続いている。 |
こいしはらやき |
【小石原焼】 |
【高取焼】 |
陶器 |
福岡県朝倉郡小石原村 |
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高取焼が創窯後の寛文7年(1667)に小石原村に窯を移転したのが始まり。小石原高取と呼ぶ。隆盛を極めたが宝永5年(1708)に早良郡原村に藩窯が移された。 |
あがのやき |
【上野焼】 |
古唐津・古高取
風
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陶器 |
福岡県田川郡赤池町 |
豊前国上野 |
慶長5年、細川三斎に従って渡来した朝鮮の尊楷(日本名、上野喜蔵)が創始。遠州七窯の一つ。慶長7年、細川忠興が小倉へ移封になったとき招かれて小倉へ移り、城下の菜園場村に窯を築き、後に上野に移した。作風は素朴重厚で釉薬は主として土灰釉・藁灰釉・鉄釉。
形
の特徴は茶碗でも鉢でも向付・皿でも、高台が比較的高く、俗にバチ高台と呼ぶ外の開いた高台のもの。特徴の銅呈色による緑色の釉の掛かったものは全て皿山本窯のもので、窯印の「左巴に甫」「右巴に高」は幕末天保頃で、古い上野焼には印がない。慶長10年(1605)〜 |
かまちやき |
【蒲池焼】 |
柳川焼 |
陶器 |
福岡県柳川 |
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慶長年間、家長彦三郎に始まるという。柳川焼。 |
ふたがわやき |
【二川焼】 |
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陶器 |
福岡県三池郡二川 |
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江戸時代末期、福岡県三池郡二川に陶土を発見、肥前弓野の職人を雇って焼いた。 |
やなぎわらやき |
【柳原焼】 |
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福岡県久留米市柳原町 |
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福岡県久留米市柳原町の旧久留米城三ノ丸にあった有馬藩の御庭焼。天保3年(1832)9代藩主頼徳の創始。藩主の贈答品を焼いた。 |
いまりやき |
【伊万里焼】 |
有田焼、大川内焼、平戸焼、波佐見焼 |
磁器 |
佐賀県有田町一帯 |
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佐賀県有田町とその付近一帯に産する磁器の総称。有田焼、大川内焼、平戸焼、波佐見焼など。製品を伊万里港から出荷したところからの名。元禄以前の作は「古伊万里」という。 |
こいまり |
【古伊万里】 |
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陶器 |
佐賀県有田町一帯 |
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伊万里焼きの陶器のうち元禄以前の作りの
総
称。柿右衛門が色絵磁器を始めると間もなく、その秘法は漏れて有田一円の窯々でも色絵磁器を作るようになった。有田焼は主として伊万里の港から各地に送られ、また肥前一帯の窯元たちは伊万里の商人の支配下にあり、これから俗に伊万里焼と呼ばれた。肥前の色絵磁器は、柿右衛門・古伊万里・色鍋島の三つに大別できる。古伊万里の最盛期は元禄から享保にかけ庶民文化を背景に生まれ、町人らしい華やかさ、情熱、混濁といったものと成金趣味的な低俗さがあった。 |
こひぜん |
【古肥前】 |
古唐津 |
陶器 |
佐賀県 |
肥前国 |
肥前国(佐賀県)の唐津焼の古い陶器。古唐津。 |
さんぽうやき |
【三保焼】 |
【伊万里焼】 |
磁器 |
佐賀県 |
肥前有田 |
伊万里焼の一種。天保年間、肥前有田の豪商久富与次兵衛三保が陶工に命じて作らせ、海外に販売した花瓶・杯・茶碗などの磁器。「三保」の二字が入れてある。 |
なべしまやき |
【鍋島焼】 |
大川内焼 |
磁器 |
佐賀県 |
肥前国松浦郡大川内 |
江戸時代、佐賀藩主鍋島家が肥前国松浦郡大川内の藩窯で製した磁器。大川内焼。鍋島藩は二代勝茂の寛永5年藩窯を有田の岩谷川内に築いた。最良の原料を用い整形・焼成にも念を入れ、品位と格調の正しさに努め、わが国の
焼物
では最も端正で精巧な磁器を作った。作品に染付・青磁・色絵磁器などがあり、色絵磁器が特に優れ色鍋島と呼んだ。 |
おおかわちやき |
【大川内焼】 |
【伊万里焼】、鍋島焼 |
磁器 |
佐賀県 |
肥前国松浦郡大川内 |
鍋島焼。 |
ひぜんやき |
【肥前焼】 |
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陶器 |
佐賀県 |
肥前国 |
肥前国から産出する陶器の総称。唐津焼・有田焼(伊万里焼)などがある。 |
からつやき |
【唐津焼】 |
彫唐津、絵唐津、朝鮮唐津、三島唐揮 |
陶磁器
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佐賀県唐津市 |
肥前(佐賀県、長崎県)
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室町時代に始まり文禄・慶長の役後に渡来した朝鮮陶工が多くの窯を築き盛んになった。絵唐津、斑唐津、朝鮮唐津などがある。唐津物。唐津に近い岸嶽山麓の窯を中心に肥前一帯の百余の窯で作られたものを唐津焼と呼ぶ。元和2年(1616)李参平が白磁を創始し、正保の初め柿衛門が赤絵を始めると、その影響で肥前の窯々は陶器から磁器に転じ、唐津風の陶器を焼いていた窯々は概ね廃窯した。唐津の古窯址からの陶片は、甕・壷・摺鉢などの日用雑器が多く、素地は概してざらっとした砂目の堅い重い土で、またやや鉄分を含み、焼き上がると暗い鼠色になるものが多い。釉薬は土灰釉といって長石に雑木の灰を混ぜたものが最も多い。唐津は朝鮮人が興した窯だけに李朝によく似た素朴重厚な作行のものが多い。初期は無地が多く、慶長元和頃には鉄絵文様のある絵唐津が可成り作られた。釉薬・文様から、無地唐津・斑唐津・絵唐津・彫唐津・朝鮮唐津・青唐津・黄唐津・黒唐津のほか、瀬戸唐津・献上唐津・三島唐津・刷毛目唐津などに分けられる。窯は朝鮮系の割竹式と呼ばれますもので、窯の1/3程が地下に沈み天井は地上に築いた細長い傾斜したもので、焼室が幾つかに分かれた新しい様式の窯。またこの頃、蹴轆轤が移入された。慶長から元和(1596-1624)〜 |
せとがらつ |
【瀬戸唐津】 |
【唐津焼】 |
陶器 |
佐賀県唐津市 |
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白土質の上に白色の釉を厚くかけてつくった唐津焼。白色釉が瀬戸陶器に近いのでこの名が生じた。 |
ちょうせんからつ |
【朝鮮唐津】 |
【唐津焼】 |
陶器 |
佐賀県唐津市 |
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唐津焼の一種で桃山時代から江戸初期にかけて焼かれた陶器。鉄質の黒釉と藁灰の白濁釉を器面に段変わりにかけたもの。伊万里の藤ノ川内窯で主に産出した。水指、徳利、向付が多い。 |
ありたやき |
【有田焼】 |
【伊万里焼】 |
磁器 |
佐賀県有田地方 |
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文禄・慶長の役(1592-98)の際に朝鮮半島からつれてこられた陶工・李参平が1616年(元和2)に泉山で良質の白磁鉱を発見したことにはじまる。染付、赤絵の日用食器が多い。伊万里焼。 |
きしだけがま |
岸嶽窯 |
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佐賀県東松浦郡北波多村 |
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唐津焼の古窯。〜文禄年間 |
ひゃくけんがま |
百間窯 |
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佐賀県有田付近 |
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日本磁器初期のもの |
たいしゅうよう |
【対州窯】 |
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陶器 |
長崎県 |
対馬 |
対馬で製造した朝鮮風の陶器。 |
はさみやき |
【波佐見焼】 |
【伊万里焼】 |
磁器 |
長崎県波佐見町 |
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有田焼
としてかなりの
量
が
出荷
されている。16
世紀末
の
唐津
系
の
陶器
の
生産
に
始
まるが
後
に
陶
石
の
発見
により
磁器
が
中心
となった。 |
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西海陶器 |
かめやまやき |
【亀山焼】 |
伊万里焼風 |
磁器 |
長崎県
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長崎市伊良林町大窪山 |
文化元年大神甚五兵衛が長崎市後方にある垣根山で創始した染付白磁。三代目に廃絶。亀山磁器。文化元年(1804)〜廃絶 |
うつつがわやき |
【現川焼】 |
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陶器 |
長崎県現川名 |
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元禄5年(1692)田中五兵衛が子の甚内と創業したが寛保(1741-1744)頃廃窯。その作品は非常に上作薄手で一見京焼風である。刷毛目を効果的に利用し絵付には白土、鉄、たんばん、呉須などをつかっている。現在、佐世保市の横石臥牛窯で復興されている。元禄5年(1692)〜寛保(1741-4)頃 |
ひらどやき |
【平戸焼】 |
【伊万里焼】 |
磁器 |
長崎県佐世保市三川内 |
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素地の純白と精巧な製作によって賞美される。平戸島の藩主松浦侯が朝鮮から陶工・巨関を連帰り焼かせたのが
始
まり。藩窯。慶長の役〜 |
きわらやき |
【木原焼】 |
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陶器 |
長崎県佐世保市木原町 |
備前国 |
慶長8年(1603)〜大正年代 |
つしまやき |
【対馬焼】 |
増田焼、志賀焼 |
陶器 |
長崎県対馬 |
対馬 |
江戸時代対馬(長崎県)で産出した陶器。増田焼、志賀焼などの類。 |
しがやき |
【志賀焼】 |
立亀焼、阿須焼 |
陶器 |
長崎県対馬厳原町志賀 |
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享保11年頃初めて作られたという。同町立亀で作られた立亀焼、阿須の阿須焼も同種。 |
ながよやき |
【長与焼】 |
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陶器 |
長崎県長与町 |
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元禄頃が盛期。三彩の製品が著名。寛文7年(1667)〜文政3年(1820) |
おんたやき |
【小鹿田焼】 |
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陶器 |
大分県日田市 |
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しょうだいやき |
【小代焼】 |
松風焼、五徳焼 |
陶器 |
熊本県玉名市 |
熊本県玉名市の小代山山麓 |
文禄の役後、加藤清正が連れ帰った朝鮮の陶工に始まる。元和7年(1621)〜 |
あまくさやき |
【天草焼】 |
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陶器 |
熊本県南西部の天草諸島 |
天草島 |
天草石を原料とし主に茶器、菓子器、花瓶などを製する。水の平(たいら)焼。 |
こうだやき |
【高田焼】 |
平山焼、上野焼風、八代焼 |
磁器 |
熊本県八代市高田 |
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寛永年間上野(あがの)喜蔵が開窯。初期の作はなまり色の釉をかけた豪放なもの。八代焼。熊本県奈良木村、寛永9年(1632)〜 |
やつしろやき |
【八代焼】 |
高田焼、平山焼 |
磁器 |
熊本県八代市高田 |
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高田焼、平山焼とも呼び、細川藩の御用窯で寛永9年細川三斎が小倉から熊本へ移ったとき、上野喜蔵も肥後に移り八代市奈良木に築窯したのが起源で、最初に築窯したところを壷焼台と呼んだ。素地はざんぐりとした赤土で釉薬は土灰色のほか茶褐色・青黒色・飴色暗黒色・海鼠色などの釉薬を掛けたものがあり、器物の種類は茶碗が多った。作風は豪放で迫力あり。また八代焼の特徴とされる象嵌文様のある
焼物
は、三、四代によくなされた。 |
げんりゅうやき |
【元立焼】 |
【薩摩焼】 |
陶器 |
鹿児島県
|
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薩摩焼の一つ。寛文の頃、大隅国帖佐で小野元立坊が焼いた陶器。 |
こさつま |
【古薩摩】 |
【薩摩焼】 |
陶器 |
鹿児島県
|
薩摩 |
薩摩焼初期の陶器。江戸初期、朝鮮から帰化した陶工によって鹿児島の帖佐、加治木御里、苗代川、做野の窯で焼成された。 |
こぢょうさ |
【古帖佐】 |
【薩摩焼】 |
陶器 |
鹿児島県
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大隅国姶良郡帖佐郷 |
薩摩焼の初期の陶器。朝鮮の陶工金海らが大隅国姶良郡帖佐郷で作った。 |
ちょうさやき |
【帖佐焼】 |
宇都焼 |
陶器 |
鹿児島県姶良郡姶良町 |
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薩摩藩窯の根元。宇都焼。文禄・慶長の役〜7年間 |
ごはんやき |
【御判焼】 |
【薩摩焼】 |
陶器 |
鹿児島県
|
薩摩 |
薩摩焼初期の陶器。文禄の役後、領主島津義弘が朝鮮から連れ帰った陶工・金海に帖佐城内で焼かせた御庭焼で、秀作に義弘自ら「萬」の字の刻印を押したという。 |
さつまやき |
【薩摩焼】 |
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陶磁器 |
鹿児島県
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薩摩国 |
島津義弘が文禄の役後、朝鮮の陶工をつれ帰り鹿児島付近に窯を開かせたのにはじまる。竪野系、竜門司系、苗代川系に分けられる。薩摩・大隅両国で
作
られ渡来鮮人が興したもので特に有名なのは帖佐焼の金海・芳仲と、苗代川焼の朴平意。薩摩焼には
色々
の作風があり、古帖佐と呼ばれる金海が慶長年間に御庭焼で作った茶入・茶碗などが尊ばれている。渋い調子の柿釉・黒釉・藁灰釉を掛け分けした調子が面白く、器形・作行は瀬戸・美濃の影響がみられる。独特の渋い釉調とぶっきらぼうな作風に特徴があるが、堅野に移ってからは軽妙繊細になった。薩摩焼を二大別すると、黒物と呼ぶ赤土に黒い釉薬の掛かったものと、白物と呼ぶ白土に透明性の細かい貫入のある釉薬の掛かったもの。 |
なえしろがわやき |
【苗代川焼】 |
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陶器 |
鹿児島県串木野島平 |
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のしろがわやき、薩摩焼の起こり。慶長5年(1600)〜 |
いそやき |
【磯焼】 |
【薩摩焼】 |
陶器 |
鹿児島市吉野町 |
磯 |
薩摩焼の一つ。嘉永6年藩主島津斉彬が別邸のあった磯(鹿児島市吉野町)で製造したのに始まる。昭和2年頃まで続いた。安政(1855)〜 |
ひらさやき |
【平佐焼】 |
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鹿児島県川内市平佐郷 |
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天明6年(1786)2月〜明治中期 |
りゅうもんじやき |
【龍門司焼】 |
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陶磁器 |
鹿児島県姶良郡加治木町 |
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黒薩摩もの。嘉永8年(1631)〜 |
つぼやがま |
壷屋窯 |
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陶磁器 |
沖縄県那覇市 |
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陶磁器窯の集落地 |