あ い うえ お かき く さ た な は ま や わ |
久延毘古 |
くえびこ |
久久紀若室葛根神 |
くくきわかむろつなねのかみ ●羽山戸神と大気津比売の御子。久久年神の弟神にあたり、速須佐之男命の曾孫で、大年神には孫にあたる。ハヤマト神とオオゲツヒメ神と婚姻によって生まれた八神の一柱。 若を冠している神名は、若々しく成育する意味を表す。久久紀若室とは生長した木のことで、住宅を作ることを意味する。葛根は綱良すなわち材木を結び固めるための葛をさしたものと考えられる。 |
久久年神 |
くくとしのかみ ●羽山戸神と大気津比売の御子。久久紀若室葛根神の兄神にあたり、速須佐之男命の曾孫で、大年神には孫にあたる。ハヤマト神とオオゲツヒメ神と婚姻によって生まれた神々八神の一柱。ククは草木の立ち長びる状態を表し、茎のことで、トシは稲のことである。ククトシ神は稲穂の成育を司る神であると、本居宣長 ・古事記伝に説いている。 |
久久能智神 |
くくのち |
菊理媛神 |
くくりひめのかみ <白山比盗_/白山媛命 *白山神社(石川県・福井県・岐阜県の県境)/全国2700社の白山神社 ●日本書紀一度だけ出てくる神。伊邪那岐神と伊邪那美神が泉平坂(よもつひらさき)で仲違いをした時、伊邪那岐神に何かを申し上げてほめられている。この時、伊邪那美神はあの世に 、伊邪那岐神はこの世にいた。一般に菊理媛は、あの世の言葉を聞くことができる霊媒の神様とされている。 |
櫛磐間戸神 |
くしいわまど |
櫛名田姫神 |
くしなだひめのかみ <櫛名田比売(くしなだひめ)/奇稲田姫(くしいなだひめ)/稲田姫/櫛田姫 *今宮神社(京都)/氷川神社(関東)/八坂神社(関西)/各地の櫛稲田神社,、素戔嗚神をお祭りする神社 農耕神、夫婦円満の神、祇園社の妃神 ●素戔嗚神(すさのおのかみ)の妃神で、素戔嗚神といっしょに祭られている。櫛名田姫が祭神の場合、櫛田神社、櫛稲田神社などになってい る。 ・櫛田神社(富山県大門町)須佐之男命・櫛名田比売 ・久志伊奈太伎比羊神社(石川県七尾市)奇稲田姫・大鷦鷯命 ・櫛田宮(佐賀県神埼町)素戔嗚命・櫛田姫命・日本武命 ・櫛田神社(福岡県福岡市)大幡主大神・天照大神・素戔嗚大神 ●祇園山笠で有名な「祇園」の通り、素戔嗚神を祭っているが素戔嗚神は右殿(須賀宮)の神で、正殿(櫛田宮)には大幡主神(おおはたぬしのかみ)が祭られている。左殿(大神宮)は天照大神。 社伝/天平宝字元年(757)、伊勢国松坂の櫛田神社を産土神として勧請して宮を建てた。その時、松坂の櫛田神社の祭神・大幡主神は元々天照大神に仕える一族の神であったため、天照大神と離れられないということで天照大神も勧請された。天慶4年、藤原純友の乱を鎮めるため、この地の者が京都の八坂神社に祈願し、素戔嗚神を勧請し奉斎 した。この問題の大幡主神が別名・大若子命といい、天御中主神19世の孫で北陸地方で怪物退治をした英雄神であるとされている(櫛田神社が北部九州の他は北陸に3つあるのも符合している)。大幡主神が伊勢にいた理由は、豊受大神を伊勢に迎えた縁起に絡んでいる。雄略天皇の22年天照大神が倭姫命の夢枕に立ち、安心して食事を取れるように丹波国の真奈井原から止由気大神を呼んで来て欲しいと言った。倭姫命が大幡主命を天皇の許へ派遣し、その旨を伝たところ、山田原の地に社殿を営み、豊受大神宮が祭られた。 ●日本社寺大観/櫛田神社は肥前の櫛田宮と同様に奇稲田姫を祀るもので、社伝の大若子云々については、伊勢の櫛田に付会してできたものではないかという。 ●古事記「櫛名田比売」日本書紀「奇稲田姫」と記される。 古事記/須佐之男命(すさのおのみこと)が、高天原から出雲国の肥の河上の鳥髪(とりがみ)に天下ったとき、河上から箸が流れて下ってくるのを見て、訪ね上っていくと、童女(おとめ)を中に置いて泣いている老夫婦に出会った。そこで、須佐之男命が、名前と泣いている訳を尋ねると、老夫婦が答えるには、私は国つ神・大山津見神(おおやまつみのかみ)の子で、名前は「足名稚」(あしなづち)、妻の名前は「手名稚」(てなづち)、女(むすめ)の名は櫛名田比売と言い、私の女は本(もと)は八稚女(やをとめ)いたが、高志(こし)の「八俣遠呂智」(やまたのおろち)が、年ごとに来て食らい、今、その遠呂智がやって来る時期となったので泣いていると答える。 須佐之男命は、遠呂智の形状を問い、計略をこらして退治することを思い立ち、櫛名田比売命を妻にもらうと、たちまち櫛に姿を変えて髪に挿し、足名稚、手名稚に命じて濃い酒を醸造させ、また垣を廻らし、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの桟敷を作り、その桟敷ごとに酒桶を置き、桶ごとにその濃い酒を満たして遠呂智を待ち受けた。すると遠呂智が現れ、酒桶ごとに頭を垂れ入れ、酒を飲み酔って寝てしまった。須佐之男命は「十拳剣」(とつかのつるぎ)で遠呂智をずたずたに斬り殺し、尾から出てきた太刀を天照大御神のもとに献上した。八俣遠呂智を退治した須佐之男命は、櫛名田比売とともに新居の宮を造営すべき土地を出雲国に探し、須賀の地において新居の宮を造営した。その後、櫛名田比売は「八島士奴美神」(やしまじぬみのかみ)を生み、この6世孫に「大国主神」(おおくにぬしのかみ)が生まれたとある。 日本書紀/古事記と同様の内容を記すが、大己貴神(おほあなむちのかみ)は素戔鳴尊の子と記し、また神代上第八段の第一の一書では、八岐大蛇退治の神話を欠き、更に、同第二の一書では、素戔鳴尊は、安芸国(あきのくに)の可愛(え)の川上に下るなど、異伝も多く見られる。 櫛名田の神名については、「櫛髻説」(くしいなだきせつ)、「串蛇説」(くしなだせつ)、「奇稲田説」(くしいなだせつ)があるが、日本書紀の表現のとおり奇稲田説が主流で、「霊妙不思議な稲田の姫神」の意味とみられている。「稲田」には地名説もあるが、普通名詞とみるのが穏当で、稲田の守護神であると同時に、巫女的性格も指摘されている。 |
国忍富神 |
くにおしとみのかみ ●鳥鳴海神の御子神。古事記/大国主神の御子・トリナルミ神と日名照額田毘道男伊許知邇神の間に生まれた御子。本居宣長/オシはオホシ(大)の約で、トミは称名である。国土経営に尽力のあった意の神名 。 国土が威圧的に豊富になること。「富」は豊富。母方の田の豊作を承けている。 葦那陀迦神を妻として速甕之多気佐波夜遅奴美神を生む。 |
国之闇戸神 |
くにのくらとのかみ 道路の守護神 ●大山津見神と鹿屋野比売の二神より生まれた八神の一柱。オオヤマヅミ神・カヤノヒメ神の二神が山野によって持ち分けて生まれた神、天之闇戸神とともに道路の神として崇拝される。 闇戸は闇い所のことで、陽の射さない谷間を指す。戸は門で谷または谷の入り口を守る神ともいえる。 |
国之常立神 |
くにのとこたちのかみ *日枝神社(東京永田町) 日本書紀で最初に出てくる神 ●古事記では天之御中主神以下の別天神(ことあまつかみ)5神が現れたあと、この国之常立神が現れた ある。日本書紀では一番最初にこの神が現れている。吉田神道を開いた吉田兼倶は、神道の中心に据えた大元尊神を天御中主神が国常立神であるとした。 |
国之水分神 |
くにのみくまりのかみ 水穂の神 ●水戸神である速秋津日子神・速秋津比売神の二神より生まれた水に縁のある八神の一柱。ハヤアキツヒコ、ハヤアキツヒメの二神は、河と海の分掌を行っていた。水戸(奏)は河口にあるところが多く、一方は河一方は海とに分かれ、また入れ子になっているので示したもの 。本居宣長・古事記伝/「河海に因りて」とあって河を男神、海を女神としている。この二神より生まれた神として、天之水分神とクニノミクマリ神がある。水分は水配りの意味で「万葉集」巻七上に、「神さぶる磐根こごしき三芳野水分山を見れば悲しも」とあるように、だいたい山の分水領をいい、ここを水分山ともいう。 アメノミクマリ神は神名を対にするために添えた接頭語とされるが、天与の水(雨)と地与の水(川)との関係からいわれた名とも考えられる。アメノミクマリ神とともに田の灌漑を司る神 だ。 |
熊野大神 |
くまののおおかみ *熊野大社(島根県・山形県南陽市)/熊野三山(和歌山県) ●出雲/熊野大社の神と和歌山県/熊野三山で信仰されている神が考えられる。後者は熊野権現として親しまれている。出雲/熊野大社の祭神は神祖熊野大神櫛御気野命(かむろぎくまぬのおおかみくしみけぬのみこと)は熊野大神 と同神とも言われる。熊野大神の出自は、古事記の天照大神と須佐之男神との誓約の時、天照大神から成った神・熊野久須毘命と推察される。次田真幸/「久須毘」は「奇し霊(ひ)」のことであろうと推定。熊野三山は、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社から成り、本宮大社は須佐之男神、速玉大社は伊邪那岐神、那智大社は伊邪那美神 が祭神である。 ●南陽市・熊野大社/御本殿に熊野夫須美大神様、二宮(若王子)に熊野速魂大神様、三宮に熊野家津御子大神様をおまつり している。御本殿のクマノフスミホオホカミ様は女性原理による生成する生命力を、二宮のクマノハヤタマノオホカミ様は男性原理による生命力の発動を神様としておまつりしたもので、この二方の神様から、食料の神クマノケツミコノオホカミ様がご誕生にな った。クマノフスミノオホカミ様はイザナミノミコトに、クマノハヤタマノオホカミ様はイザナキノミコトに、クマノケツミコノオホカミサマ様はスサノヲノミコトというふうに、それぞれ古事記・日本書紀の神話の神々にあてられてい る。本居宣長によって熊野の大神様たちのご業績もはっきりとした。 熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ=伊弉冉尊) 「夫須美」はムスヒの意味。「ムス」はあらゆる物を生み出す意味、ヒは霊を表す。あらゆる命を生み出す霊妙な力を持った大神様である。 熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ=伊弉諾尊) 「速」は勢いのある様。「玉」は魂の意味で、生き生きとした魂(生命)の神様である。 熊野家津御子大神(くまのけつみこのおおかみ=素盞鳴尊) 家」は食べ物の意味。熊野夫須美大神と熊野速玉大神のあいだに生れ、人間生活で最も大事な食料の神様である。 |
闇淤加美神 |
くらおかみのかみ *貴船神社(京都)/全国の意加美(おかみ)神社 水の神、龍神様 ●闇淤加美神の名は古事記・日本書紀とも同じで、伊邪那岐神が迦具土神を斬り殺した所に出てくる。剣を握った指の間から血が流れ出た時に生まれたとされる。一方の高淤加美神(たかおかみのかみ)は日本書紀で迦具土神を斬って3つの神になったとし、その内の一人が高淤加美神になったとしている。 基本的に水の神・龍神様とみなされ、闇淤加美神は谷間の深い所に、高淤加美神はその山の上にいるという。淤加美神の神裔として、娘に日河比売、その子に深淵之水夜礼花神がいて、この神の孫が大国主神になることが古事記に ある。貴船神社以外では、奈良県の丹生川上神社に淤加美神とともに罔象女神が祭られている。ほかに同県の室生龍穴神社も古くから雨乞いの神社として崇敬されている。その他全国の意加美神社で雨乞い・止雨・灌漑の神として祭られている。 |
闇御津羽神 |
くらみつは ●イザナミ神の死後、イザナギ神のみより生まれた神々の一柱。古事記/イザナギ神が火の神・迦具土神の首を十拳剣を似て斬った、その剣の束に集まった血が手の指の股から洩れ出て生まれた二神の一柱で、他を闇淤加美神という。 渓谷の水を司る神。闇は谷あいの意味だが、御津羽は弥都波能売神と同義語で水のことで、この神は谷の水の神ということになる。 |
闇山津見神 |
くらやまつみのかみ ●谷を守る神。イザナミ神が火の神・迦具土神を産みそれがもとで死に、怒ったイザナギ神が天之尾羽張(別名・伊都之尾羽張)と呼ばれる剣で、火の神の首を切 ったとき、死体の陰から生まれた神である。陰部より化生したクラヤマツミ神の闇は谷の意味で、陰部から連想した神であろう。火の神の死骸より化生の八神は、すべて山に住む神を表している。日本書紀/五柱の山の神となっているが、八神は羽山神と戸山神のように同義の神が重複しているため だ。また山の神が並べられたのは、剣の鍛造は山の中で行われたことか。 |
気比神 |
けひのかみ <ミケツ神/イザサワケ *気比神宮(福井県敦賀市) ●気比神宮は日本海の敦賀湾に向かって立てられ、いかにも海の神を祀る神社。敦賀湾は古来、日本海の良港として知られ、京都に運ばれる物資などは多くがここに集積された。そうした重要な港湾を守る神でもあるケヒ神は、古くから航海の守り神、漁業の神として信仰されてきた。 ミケツ神とも呼ばれ食物神であり、農業を守護する神でもあった。イザサワケとも呼ばれ、神功皇后の息子の応神天皇が敦賀を訪れたとき、祀られていたケヒ大神と名前を交換した。それで応神天皇は元のイザサワケという名前からホンダワケに、ケヒ大神はホンダワケからイザサワケ大神になったという。 ●土着神であったケヒ神の信仰の歴史の中で画期的な出来事が、神功皇后が三韓遠征の後、息子のホンダワケ命をはじめ群臣を従えて気比神宮に参拝したことである。ケヒ神が航海の神としての神威を発揮して遠征軍の海路をを守護したことに対するお礼の参拝 か。これを期に、その後の遣唐使の航海の無事を懇願するようになった。このようにケヒ神は朝廷からも厚く崇敬され、日本の神々の中でも重要な位置を占めた。 ケヒ神にはもう一つ風神という顔がある。古くからヤマト(奈良県)の竜田神社や広瀬神社の風神と並び、北陸・敦賀地方(福井県)の有力な風神として知られてきた。風神は海に生きる航海民にとっても重要な神であるが、同時に農耕民にとっては、作物を冷害から守るために大事に祀られなければならない神だった。 風神は古くから太陽、月、雷などの自然現象の神霊とともに、農民の間で強く意識された神霊だった。古事記に「御食津神は気比神なり」とある。ミケツ神とは穀物霊で、ウカノミタマ神やウケモチ神と同じ性格を持った食物神のこと。風神はすなわち農業の神であり、作物を実らせて食物を保証する神でもあった。信濃国(長野県)の諏訪神はじめ、風神を祀る神社は各地にある 。 ●気比の大神 (ケヒ) 食物の神霊の大神。「気」は食物。「比」は「霊・ひ」。神巧前紀に「角鹿の笥飯(けひ)の大神」とある。「笥飯」は敦賀の旧名でその文字の意識において、「笥」は食器「飯」は食物という文字が選ばれているわけで、海産物朝貢地敦賀の性格をよく表している。 |
牛頭天王 |
ごずてんのう |
別天つ神 |
ことあまつかみ |
事代主神 | ことしろぬしのかみ <八重事代主命/積羽八重(つみはやえ)/事代主神/恵比寿大神/一言主神/八重言代主神/八重事代主神(やえことしろぬし) *美保神社(島根県松江市)/今宮戎(いまみやえびす)神社(大阪市浪速区)/長田神社(神戸市長田区)/一言主神社/久伊豆神社/三嶋大社/大湊神社/その他恵比寿神が祀られる神社 *鴨都味波八重事代主命神社(奈良県)/美保神社(出雲)/三嶋大社(静岡県)/各地の恵比須神社・三島神社 海の神、託宣神、商業神 ●大国主神と神屋楯比売神(かむやたてひめ)の間の子供。神屋楯比売神の出自は不詳、旧事本紀に「坐辺都宮・高降姫神」と書かれ、兄の味鋤高彦根神(賀茂大神)の母が「坐胸形奥津宮神多紀理比賣命」と書かれているので、同じ宗像の辺都宮の神・田寸津姫の異名か。「高降」は「たぎつ」と読む可能性もある、ただし田寸津姫については別の神との婚姻の記録もある。 事代主神は賀茂一族信仰の中心をなす神で、また葛城王朝を支えた重要人物として日本書紀に書かれている。また「えびす様」としての信仰もある。 事代主神の最初の本拠地は葛城(奈良県御所市)の下鴨神社(鴨都味波八重事代主命神社)。事代主神は最初、葛城川の岸辺に季節毎に祭られる田の神で、やがて、同じ葛城に いた叔父に当たる一言主神の神格の一部を引き継いだのか、託宣の神としての性格も持った。 ●淀川の事代主神 事代主神は後に奈良盆地北部の交通の要所・岡田から「ワニと化して」木津川・淀川を通って、大阪三島の溝咋姫の所に通ったと伝えられる。この場所は溝咋神社(茨木市)・三島鴨神社(高槻市)が並ぶように建っている。三島鴨神社は大山祇神の降臨の地で、大山祇神はここから瀬戸内海の大三島に移った。三島鴨神社は日本最古の三島神社と伝えられ、ここは事代主神の滞在地でもあり、事代主神もいっしょに祭られてい る。 淀川が大阪湾に注ぐそばに今宮戎神社が建ち、祭神は事代主神である。淀川河口付近を中心に対象な位置に西宮神社・石津神社という「えびす様」の二大拠点がある。西宮神社のえびす様は蛭子神 だが、石津神社は事代主神で、ここに五色の石をもって降臨したとも伝えられる。 ●出雲の事代主神 後に事代主神は出雲に移動した。神話を逆のぼると国譲り神話に父・大国主神の代理として武甕槌神と交渉し、国譲りに同意して美保関に引き籠る神話が出てくる。この美保関の美保神社にも事代主神は義母の美保姫とともに祭られている。 出雲に事代主神が揖屋の溝杭姫の所に通って「ワニに足を噛まれた」という神話が残っている。この話は淀川の事代主がワニに化して溝咋姫の所に通ったという話が変形したものと思われる。揖屋に溝咋姫(溝咋玉櫛媛/活玉依姫/勢夜陀多良比売)ゆかりの神社はない。 ●伊豆の事代主神 美保で国を譲った責任を取って引き籠った事代主神は伊豆で再生し三島明神となった。伊豆は「出ず」で再生の地で、残された場所は「伊豆・喪」で「いづも」なのだと言う。三島明神はここで八人の妃神と二十七人の御子を得て、富士山の神と共同で七日七夜の間に、十個の島を生成し、新たな国作りをした。その初め三宅島にいたが、後に白浜海岸 から広瀬と移り、現在の三嶋大社の場所に鎮した。事代主神の最終鎮座地は三嶋大社である。 伊豆で最初の鎮座地である三宅島の富賀神社、第二鎮座地の白浜神社の祭神は伊古奈姫。そして広瀬神社の祭神は溝咋姫。いづれも事代主神の重要な妃神である。伝説では三島明神は奥様たちを置いて単身で三嶋大社に鎮座 されたと伝えられる。 ●葛城王朝の事代主神 葛城王朝は事代主血族の王朝ともいえる、伊邪那岐・伊邪那美の神の下で天照大神・素戔嗚尊の両系統に分かれた天神・地祇の系統がここで統合される。天神は神武天皇の祖先であり、地祇はその后の五十鈴姫の祖先である。事代主神は宮中の御巫(みかんなぎ)八神の一にもなってい る。 ●事代主神は、記紀神話で託宣神として活躍、一般には、豊漁、海上安全守護の神、またエビス信仰の福神として知られる。七福神のエビスが、大鯛を小脇に抱えた姿とされるのも、事代主神が釣り好き との神話からの連想による。事代主神は海から寄り来る神で、出雲の美保神社(島根県美保関町)の周辺地域の土着の神であった。はじめは地元の漁民や航海関係者から、豊漁をもたらす神、航海の安全を守護する神として信じられ、出雲の有力な神となった 。 出雲神話では、出雲国の支配者である大国主命の息子として国譲りの話に登場する。このとき、弟の建御名方神は最後まで抵抗し、敗れて信濃国に追われたが、事代主神はあっさりと国譲りを認めてしまう。このときの事代主神の役割は、託宣の神としてのものである。大国主命が息子に意見を求めることにしたことも、神意をうかがわせてその託宣を聞くという形を取ったもので、事代主神の託宣神としての役割が強調されている。この神話の中で重要な意味は、そうした託宣による返事が国譲りのあっさりとした承諾であるということだ 、国譲りは侵略でなく、正義の行いであることの証明か。大国主命の息子二人の行動は、事代主神が高天原の正当性を、建御名方神がその武力を象徴するという意味を持っている 。 神名は「事を知る」という意味で、もともと固有名詞でなく一種の役職名で、託宣を発する呪術の専門家(神懸かりする神主や巫女といった存在)に対する称号のようなもの。美保神社の祭神の事代主神も、託宣の神として信仰され、祭りの大きな特徴として一年神主(氏子が選ばれて神主をつとめる)が神懸かるという神事が行われる。 託宣神である事代主神は、神懸かりして神の意志を伝え巫女や神主が果たす機能の神格化といえる。託宣とは神の言葉を伝えることで、神の言葉は世の中の出来事を左右し、行為を 抑える霊力を持つ言霊である。そこから「事代」を「言(言霊)を司る」という意味にとらえ、日本古来の言霊信仰から生まれた神ともいえる。一説に言霊の神格化である一言主神と同一神ともいわれ、実際に同一神として祀る神社もある。 |
金刀比羅権現 |
ことひらごんげん |
木花咲耶姫神 |
このはなさくやひめのかみ <木花之佐久夜毘売//神阿多都比売(かむあたつひめ)/神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)、豊吾田津姫(とよあたつひめ) *梅宮大社(京都)/全国の浅間神社 富士山の神様 ●木花咲耶姫神は大山祇神の娘で、石長姫神(いわながひめのかみ)・木花知流姫神(このはなちるひめのかみ)・神大市姫神(かむおおいちひめのかみ)の姉妹。 邇邇芸命の妃で、海幸彦・山幸彦の母、そして神武天皇の曾祖母にあたる。 梅宮大社では、酒解子神、お酒の神様として祭られている。 |
木花知流姫神 |
このはなちるひめのかみ ●木花知流姫神は富士山の神として知られる木花咲耶姫神と対神であり、あるいは同じ神の別の面を表したものとも言われる。大山祇神の娘であり八島士奴美神(須佐之男神と櫛稲田姫の間の子)の妃神で、大国主神の祖父の祖母にあたる。 |
金神 |
こんじん |
あ い うえ お かき く さ た な は ま や わ |