縄張り

 

動物の縄張り縄張り解体サルも人間も縄張り争い現代の縄張り親しき仲にも縄張りお城 の縄張り中国の縄張り争い暴力団
 
縄張りとは、博徒や暴力団などの勢力範囲。ある者の勢力範囲や専門領域。動物の個体・集団が、生活の場を確保するため、他の個体や集団の侵入を許さない占有領域。テリトリー。  
【語源・由来】 縄張りは文字通り、縄を張り巡らせることが原義。縄を張って、土地などの境界線を定めたり、他の場所と区別する特別区域であることを示したことから、境界線や領域の意味を持つようになった。戦国時代以降には、城のくるわや堀・石垣などの配置を定めるため、縄を張ることを意味する建築用語としても「縄張り」が用いられるようになった。さらに近世以降には、ある者の勢力範囲を「縄張り」というようにったことから、ある者の専門領域や、動物が生活するために他を侵入させない領域も「縄張り」というようになった。  
 
縄を張りめぐらして境界を定めること。特に建物などを建てるとき敷地に縄を張って建物の位置を定めること。縄打ち。/ 城の曲輪(くるわ)・堀・石垣などの配置。また配置を定めること。経始(けいし)。「総曲輪の−」/ 博徒(ばくと)の親分・暴力団などの勢力範囲。 「暴力団の−争い」/ ある者の勢力範囲。領分。 「人の−を荒らす」/ 動物の個体・集団などが捕食・生殖などのため他の個体や集団の侵入を許さない占有区域。テリトリー。  
 
縄張り (動物生理学・生態学)

 

あるいはテリトリーとは、動物個体あるいはグループが、直接に防衛するかあるいは信号を通じて他個体を排斥し、排他的に占有する地域のことである[1]。縄張りを作ることを、縄張り行動という。日本語のこの言葉自体は日本人が古来土地の所有権を示すために縄を張った事に由来するものである。脊椎動物や節足動物には様々な縄張りを持つものがある。変わったところでは、海岸の岩の上に付着する巻き貝類(餌の藻類を栽培するカサガイ類)でも、縄張り行動をするものが知られている。縄張り行動は、動物行動学のみならず、個体群の構造に関わる問題なので、個体群生態学の問題でもある。  
縄張り行動  
ティンバーゲンが研究した、トゲウオの一種であるイトヨの繁殖行動では、典型的な縄張り行動が見られる。繁殖期の雄は、水底の水草を使って巣を作り、その周囲を縄張りとする。他の雄が近づくと、これに対して突進して攻撃して排除しようとする。雌が近づくと、その前で独特のダンスをして雌を巣に誘い込もうとする。雌が巣に入って産卵すると、雄はその後に飛び込んで放精し、その後は卵を守る。このように、動物がある決まった場所に居着いて、その周囲に一定の防衛圏を設定したものが縄張りである。縄張り防衛は、噛みつくなど、はっきりとした攻撃の形を取るものもあるが、はじめから攻撃せず、一定の威嚇や示威行動を伴う場合が多い。春にウグイスがさえずるとき、数羽が交互に鳴き合うのを聞くが、あれは縄張り宣言の意味があり、遠くから宣言を聞かせることで、直接対決を避ける意味合いがある。また、顔を合わせてからも、魚であればまずひれを広げて誇示する行動を取るなど、儀式化した行動により直接の攻撃ではなく優劣を競うものがある。これらの場合にも、それらの行動は縄張りの防衛の効果を持っているから、防衛行動と見なす。また、個体の行動範囲が決まっていても、特に防衛行動を取らず、同種の他個体ともその範囲が重なっているような場合、行動圏などと呼んで、縄張りとは見なさない。  
縄張りの主体  
縄張りを持つのは、個々の個体であることも多いが、そうでない例も多々ある。たとえば雌雄のペア、あるいはその子との生活が一定期間維持される場合、そのような家族的集団が縄張りを持つ例も多い。上記のような小鳥の場合、まず雄が縄張りを作り、そこに雌が参加して繁殖期間中の縄張りを守る。より大きな繁殖集団や群れを単位として縄張りをもつ例もある。  
分布様式との関連  
個体群を構成する各個体が縄張りを持てば、個体間はほぼ一定の距離を置くことになるので、個体の分布は一様分布の形を取る。ただし、個体間で一定距離を保つ事と、それぞれの個体が一定地域を専有する事は同じではない。個体間で一定距離を保てば一様分布であるから、それは縄張りをもっている可能性を示唆するものだが、実際に縄張りをもつかどうかについては、各個体が特定の地域を専有するかどうか、その地域を防衛する行動を取るかどうかを知る必要がある。  
縄張りの型  
縄張り行動は資源防衛行動と見なせ、その防衛する資源の種類によって食物資源を防衛する摂食のための縄張りと、繁殖資源を防衛する繁殖のための縄張りがある。  
摂食のための縄張り / 有名なのはアユの縄張りであろう。アユは春に川をさかのぼり、中流に達すると、岩の上の珪藻類を削り取って食べる生活にはいる。このとき、川の中程に一定の縄張りを作り、縄張りに侵入する他のアユがあると、体当たりで追い出そうとする。これを利用して、生きたアユに針を仕掛けて放流し、縄張りに侵入させて、体当たりしてくる縄張り持ちのアユを引っかけるのが友釣りである。同様の縄張りは、海産のスズメダイの一種、巻き貝などにも見られる。  
繁殖のための縄張り / 繁殖行動をするための場所、繁殖のための巣などを防衛する場合である。先のイトヨは繁殖行動の場が同時に繁殖のための巣を含んでいる例である。また、極楽鳥の仲間は、目立つ木の枝一つを防衛するが、これは雌を呼ぶ踊りを踊る場になる。繁殖行動をする場だけを守る例である。このようなものでは、繁殖期にのみ縄張りを作るものが多い。  
テナガザルは、ジャングルに家族単位で大きな縄張りを作るが、これは摂食の場を含んで、広く生活の場そのものを防衛する例である。  
室内実験での縄張り  
メダカを水槽に入れると、水底付近に落ち着く。そこへ、もう1匹のメダカを入れると、両者はつつき合いののち、勝った方が底に位置を占め、負けた方はそこから離れた場所に落ち着く。互いに近寄ると、つつき合いになるので、それぞれ一定の範囲から出なくなる。つまり縄張りが成立したことになる。次々とメダカを入れてゆくと、強い方からそれぞれに縄張りを持ち、弱いものほど小さな縄張りを、より水面近くに持つ傾向がある。これは縄張り行動を見る実験として有名なものだが、メダカは本来群れて泳ぎ、縄張りを作ることはない。この実験は、むしろ、普通は住んでいない特別な条件下で起きた、その種の行動としては特殊な行動とみるべきであろう。同様の例は、海水魚を水槽に入れた場合、潮だまりに取り残された場合などにも見られる。  
縄張りと順位  
縄張りを作る場合、当然ながら場所によって条件の善し悪しがある。すると、ここで場所の取り合いが生まれることになる。その結果、もっともよい場所をもっとも強い個体が取り、弱いものほど条件の悪い場所を取らざるを得なくなる。つまり、個体間の順位によって取り場所が決まってくる。先のメダカの例では、普通は強いものから底の方に大きい縄張りを作り、弱いものは水面近くに小さな縄張りを作る。これは、特に繁殖期に集まって縄張りを取り合うような場合に起こりがちである。トノサマガエルでは、中央に強い雄が、周辺ほど弱い雄がいる形になる。メスは真っ直ぐに集団の中央に入ってゆくという。  
縄張りの意味  
縄張りを持つ動物では、一定面積内に生息する数が限られてしまう。これは、個体数維持の面では不利であるが、縄張りを持つ個体については、生活が保障される。繁殖のための縄張りでは、子供はしばらくは縄張り内にとどまれるが、成長すると、自ら縄張りを作れる場所へ出て行かねばならない。このことは、その種の分布を広げる役に立つのかもしれない。  
縄張り行動の裏側  
アユの場合、縄張りは餌の確保のために役立つと考えられる。実際に、縄張りを持つアユは、縄張りにあぶれたアユよりも大柄である場合が多い。ところが、鮎の遡上数が多い場合には、縄張りが形成されず、多数が群れを作って泳ぎ回る。理論的に考えれば、競争者が多いなら、縄張りの必要性は高まるはずである。これは、縄張りを張ると、侵入する個体が多いために、そのための防衛行動に時間を取られ、餌が取れなくなるためらしい。ところが、その場合にもアユの成長は悪くならない。これは、縄張りの面積が、餌の量から計算すれば本来必要とする面積の数倍に達するためである。縄張りがなくなったからと言って、群れを作ってみんなで平等に喰えば餌不足が生じるわけではないらしい。では、なぜこのような不合理な縄張り面積が生じたのかについては、明確な答えは出ていない。最近の社会生物学、あるいは行動生態学的研究は、動物の行動をその種の特徴とは見なさず、個々の個体にとって有利な行動が進化するものと見なす。その結果、縄張り行動をする動物でも、すべてがそうするわけではなく、様々な裏側(代替戦略)があることがわかってきた。たとえば、トノサマガエルの一種で、繁殖の時に縄張りを作るものがある。広くて浅い池に集まり、雄個体のそれぞれが鳴き声を上げるが、このとき互いの距離はほぼ一定になる。これは、近づきすぎるとけんかを始めるからで、けんかの結果、強い個体ほど集団の中央を占める。雌は鳴き声を頼りに集団の中央を目指すので、強い雄が雌と優先的に交接できる。ところが、実はこの仕組みにのらない雄が一定数存在するという。たとえば、ある個体は、鳴き声を上げずに強い雄の近くに陣取る。鳴き声を上げないので攻撃を受けず、雌が近づくと急にそれと交接しようとするという戦術である。また、あちこち移動しながら、少し鳴いては攻撃を受ける前に逃げるという戦術をとる個体もいるという。  
人間の場合  
人間社会においては、いわゆるやくざのグループが自己の支配する領域に対する言葉として縄張りを使う。それ以外にも、地域間、組織間、分野間でグループ相互の間でそれぞれの関係する領域がぶつかりあう場合に、自己の領域の存在を主張したがることを縄張り根性あるいは縄張り意識という。そういった縄張り意識が強い場合、さまざまな問題を引き起こしている。人間の、特に不動産の所有、狩猟・漁労権などは本質的に縄張りである。 
 
組織にはびこる「縄張り」解体の必勝法

 

組織内の「縄張り」を放置すれば、新しいアイデアは抑制され、業務の重複や分断が起こり、組織を内側から腐らせる。リーダーは、縄張り解体のために迅速かつ断固たる措置をとらねばならない。  
縄張りは人間の根深い欲求――自分の仕事にとって不名誉になる情報を抑え込みたい、自分の運命を自分で決定したい、組織にとって重要な存在とみなされたいといった欲求――に基づくもので、あらゆるタイプの組織で生まれてくる。また、個人、チーム、部署、部門、子会社など、企業のあらゆるレベルで出現する。そして、深刻な害を与えるのである。  
縄張りは、ひとつには創造性を抑えつける。縄張りを支配している人々は自分の立場を維持するために新しいアイデアを撥ねつけるからだ。それに加えて、縄張りは会社が定めたものとは相容れないプロセス(たとえば、別個の財務報告手順)を設けることによって混乱を引き起こす。  
縄張りの支配者が、自分をよく見せようとして自分の担当分野で起きていることについて慎重に選び抜いた情報しか表に出さない場合には、混乱はさらにひどくなる。最後に、縄張りは組織の中の本当に資源を必要としているところから大切な資源を奪い取る。しかも、放っておいたら会社全体を崩壊させることさえある。  
リーダーは縄張りを解体するために迅速かつ断固たる措置をとる必要がある。自分のテリトリーを潰そうとする動きにはほとんどの縄張りの支配者が抵抗するだろうが、幹部やマネジャーが決意と規律をもって臨めば、縄張りは首尾よく解体できる。  
あなたの会社にはびこっている縄張りをもっとも効果的に打ち砕くにはどうすればよいのだろう。マイクロソフトの元COOで、『The Fiefdom Synd-rome(縄張り症候群)』(Currency/Doubleday, 2004)の著者、ボブ・ハーボルドによれば、あなたはきわどいバランスをとる必要がある。つまり、組織全体に規律を取り戻し、その一方で縄張り内の住人の間に、問題を解決し顧客を満足させるための独創的なアイデアを生み出す能力と意欲を呼び覚まさなければならないのだ。  
縄張りを潰す方程式の規律については、ハーボルドはプロセス・行動・人材に関する特定の慣行を奨励している。これらの慣行は、あなたの会社で起きていることを会社全体に見えるようにし、諸手順の管理を一カ所に集中させ、職場の人間関係に刺激を与えることを目的としている。全体的な目標は、会社全体にまたがるプロセスや組織構造に規律を取り戻すことだ。  
以下に、ハーボルドが最も重要とみなしている規律を挙げてみよう。  
プロセスに関する規律  
全社的なプロセスをすっきりさせ、会社に関するデータに社内の誰もがアクセスできるようにする。会社の財務実績や社員のパフォーマンスなどに関するデータに社内の誰もが簡単にアクセスでき、すんなり理解できるよう、報告システムを簡素化しよう。たとえば、パフォーマンス評価フォームでは規格化された測定尺度を用いる。また、報告書の数を、必要な情報を伝えるために欠かせない最小限の数に抑えよう。「マイクロソフトには12の図表しかなかったが、それで会社の財務実績に関するあらゆる疑問の98%に答えていた」とハーボルドは言う。  
行動に関する規律  
これは一言でいえば、分散化を避ける、ということだ。情報技術、人的資源、調達、広報など、全社共通のサービスを提供する部署が組織内で重複しないようにしよう。ハーボルドが指摘するように、どの事業部門もできるだけ独立して活動できるよう、えてして自前の部署をつくろうとする。そのような分散化はコストを増大させ、いくつもの重複を生み出すことになる。それをはっきり把握するために、たとえば調達が組織全体に分散していたらどうなるかを検討してみよう。ハーボルドは、業績が好調で財務的に安定しているある企業で起きたことを紹介している。大手のベンダーがその企業の本社に、おたくの会社は「倒産」しそうになっているにちがいないという手紙を送った。そのベンダーへの支払いが6カ月間も滞っていたからだ。なぜこのような混乱が起きたのか。その会社では、どのグループでも好きなときに好きなベンダーに連絡するだけで必要な資源を調達することができた。しかも、継続的に調達と支払いを処理する中央のシステムを設けてはいなかったのである。  
人材に関する規律  
配置転換は、積極的に行おう。そもそも縄張りができないようにするために、また形をとり始めた縄張りを解体するために、チームや部署、または部門の人材を入れ替えよう。ハーボルドが述べているように、社員が組織内の一カ所に何年もとどまっていると、会社はその社員の異動を渋るようになる。他の部署に移ったほうがよりよい貢献ができると思われる場合でさえ、なかなか異動させようとしないのだ。縄張りは長年そこにいるメンバーの専門知識や年功をベースにして生まれてくる。その結果はというと、チャンスは失われ、アプローチは時代遅れになる。縄張りの住人のスキルや覇気が低下するからだ。こうした展開を避けるために、優秀な社員にはさまざまな職務を転々とさせて、多様な経験を積ませるべきだとハーボルドは述べている。  
社員の創造性を呼び覚ますためには  
縄張りを解体するためには、組織全体に規律を取り戻すだけでなく、社員の創造的思考も呼び覚まさなければならない。「上司を満足させる方法を見つけることや社内での自分の立場を守ることにではなく、顧客を満足させるための優れたアイデアの考案に時間を使ってほしいと、あなたは社員に望んでいるはずだ」とハーボルドは言う。  
特定のグループの担当分野を定期的に入れ替えて、馴染みのない製品分野やサービス分野を担当させることは、創造的思考を刺激する一つの方法だ。「一つのビジネス分野での深い経験がはなはだ過大評価されている」と、ハーボルドは主張する。「優秀な人間はたいてい3、4カ月もあれば自分の責務を把握して、斬新で優れたアイデアを生み出すようになる。『ここに来たばかりのころと同じことをずっとやっていたのではいけないのだ』というメッセージを伝えることが重要だ」。  
創造的思考を伸ばすもう一つの方法は、優れたアイデアが実行までにくぐり抜けなくてはならない「何層もの英知」を取り除くことだ。「社員の上司、その上司の上司、そのまた上の上司等々が、どのアイデアも自分の承認を得なければならないと言い張る場合、彼らはそのアイデアをいじり回して、すっかり変えてしまう」と、ハーボルドは言う。これではそのアイデアを考え出した人物の創造性は叩き潰される。  
優れたアイデアに「何層もの英知」をくぐり抜けさせるのではなく、「上司は手助けするためにそこにいるのだということを社員に理解させよう」と、ハーボルドは助言する。たとえば、次のように語りかけてみよう。「私はここにいるから、君のアイデアに私が何か付け加えることができると判断した場合には会いにきなさい。君のアイデアに関して決断を下すのは私ではなく、君なのだ。アイデアを実行した結果を私に持ってきてくれ。そうすれば、それがどの程度うまくいったかを一緒に検討することができる」.ハーボルドはさらにこう述べている。「自分のまわりをうろついている人間がいないということがわかっていたら、社員はよりすばらしく、完璧な仕事をするものだ」。  
もちろん、自分のアイデアを実行した社員が必ずしもよい結果を生み出すとはかぎらない。しかし、社員が上司のところに結果を持っていったら、両者はどこに問題があったのかを論じ合うことができる。上司はたとえば、「この経験から君は何を学んだかね」と尋ねてもいいだろう。マネジャーがこのアプローチを用いる場合、社員の学習曲線はそうでない場合よりはるかに急上昇すると、ハーボルドは言う。  
組織の営みでは、人はともすると縄張りをつくってそこを支配しようとする。だが、組織の規律と個々人の創造性のバランスをとりながら、生まれたての縄張りや確立された縄張りを組織的に解体することで、リーダーは縄張りが引き起こす惨事を未然に防ぐことができる。 
 
サルも人間も縄張り争いに必死だ

 

僕は長い間分からなかったことがある。それは企業等の組織で成功を収めた人が、政治の世界に飛び込むことだ。なぜなら多数のライバルとの熾烈な競争に打ち勝ち、企業に利益を落とし、スズメの涙のほどの給料で必死に稼いできたカネは、莫大選挙資金で消えることになるだろうし、築き上げてきた地位・名誉も、新聞、雑誌、ネットなどの媒体にボロクソに叩かれて失うことを知りながら、あえてそうしたフィールドに乗り込むからだ。  
都会の駅周辺には、必ずと言っていいほど、ファストフードや牛丼屋のチェーン店が立ち並んでいる。僕は仕事帰りのある日、牛丼屋に立ち寄り、中国人とおぼしき店員に迎えられながら、メニューを選び、黙々と牛丼を食べていた。突然、店内の中央から怒鳴り声が響き渡り、そちらの方に目を向けると、何やら中年の男性が店員に文句を言っているのが分かった。  
「おい、おまえ!牛丼を持ってくる順番が違うだろーが!オレは隣の奴よりも早く来て、注文も済ませているのに、なんでオレの方が後なんだよ!外に車を止めてあるから、遅れてレッカーで運ばれたらどーすんだよ!弁償しろよ!オレはここの常連だぞ!」と言っていた。怒鳴られた女性店員は、泣きながら謝っていたけど、中年男性は怒りを抑えることが出来ず、顔を真っ赤にして、怒鳴り散らしていた。それを見かねた店長が、何度も頭を下げた後、料金を弁償し、男に渡していた。男は直ぐに怒りをどこかへ引っ込めて「ここは、常連を大切にする良い店だな。これからも使うからな」と満足そうだった。  
きっと彼が怒った理由は、順番を間違えられたことが直接的な原因でもなければ、時間のロスが原因でもないだろう。それは牛丼屋という自分のテリトリーで、大切に扱われなかったことが理由ではないだろうか。だからこそ、料金の払い戻しという特別扱いをされたことで、満足げに帰っていったのだ。  
チンパンジー社会は、僕達人類とは異なり、厳しい階層社会を形成している。アルファオス(ボス猿)が、全ての食物とメス猿を独占し、アルファオスは他のオス猿が許可なしにメス猿と性交することを厳しく罰する。そして他のオス猿は、社会的順位を認識していることを証明するために、頻繁に屈従的な「あいさつ」をする。それは一連の速くて短い、あえぐような「オフォ・オフォ」という音声であり、「パント・グラント」と呼ばれる行動である。またメス猿は、優位のオスに腰をさしだす。オスは性器を検査したり、そのにおいをかいだりする。このような行為は「プレゼンティング」と呼ばれ、服従の姿勢を証明するものだ。  
このように、チンパンジーは厳しい階層社会で生活している。では長期的に秩序が保たれているかと言えば、そういうわけでもなく、頻繁にクーデターや権力闘争が起こりえる。でもこうした闘争は突然生じるわけではなく、きちんと前触れが存在するのだ。それは、他のサル達がアルファオスに対し、一連の「あいさつ」をしなくなるということだ。これは現状の社会的順位に不満があることを意味するもので、階層の変化を望んでいることを表している。きっと牛丼屋の中年男は、店員から「あいさつ」が足りなかったことに腹を立て、必要以上に暴れていたのではないだろうか。彼にとって、牛丼屋での自分の地位は、アルファオスであり、まさしく自分のテリトリーを意味するのだから。  
企業で働く人達にとって、職場は戦場であり、チンパンジー組織さながらの階層社会を形成している。だけど、人間社会の政治ゲームは、チンパンジー社会とは比べ物にならないほど複雑だ。男性社員は、直属の上司を追い落とすために、階層構造をジャンプして、海外で働くさらに上位の上司に対し、直属の上司がいかに無能かということをメールで逐一報告をしているかもしれないし、女性社員は、色仕掛けで上司を取り込み、気に食わない社員を一掃しているかもしれない。人類はサル以上に権力が魅力的で、様々なモノをもたらしてくれるということを知っている。そしてその組織が大きければ、大きいほど権力も大きくなり、自分の支配下におけるモノも増加することを認識しているに違いない。  
政治家になるということは、その国の行く末を支配できる権力を手に出来るように見える。そして巨大な権力を握ることが多くのことをもたらしてくれることは歴史が教えてくれている。中世以前の人口密度の高い都市文明においては、もっとも上の階級に属する男性は、ほどんど常に、何百人という女性からなるハーレムを持ち、何百人という子供を持ってきた。つまり、男性にとっては、権力を握ることは自分の遺伝子を大量に残せるチャンスが増加するわけであるし、女性にとっては、優れた遺伝子を獲得出来るチャンスであるわけだ。もちろん、日本では一夫一妻制度を採用しているので、あからさまなハーレムを作ることは無理だ。だけど、政治家の女性問題が頻繁に取り立たされていることを考えれば、権力が異性を惹きつける要素であることは簡単に分かる。  
こうしたことを考えると、政治家になるということは、莫大な権力を握ることを意味し、僕達の遺伝子に予めプログラムされていることなのかもしれない。だから国をよりよくするということよりも、自分の遺伝子を、出来るだけ価値が高い状態で後世に残すことを目的にしているかもしれないのだ。そうでなければ、多くの国民が理解に苦しむ政策や利権を重視した法案などが可決されるわけがない。企業での組織内争いも、政治家の階層ゲームも、所詮動物園のサル達の政治ゲームと何ら変わりはないのだ。 
 
現代の「縄張り」 / パーソナルスペース

 

他人があまり近づくと、不快な気持ちになるのは・・・  
──先生のご著書によると、人はそれぞれ「パーソナル・スペース」というものを持っているそうですね。  
> ええ、そうです。直訳すると「個人空間」ということになりますが、人の身体を直接に取り巻く、目で見ることのできない空間領域です。例えば、他人があんまり近くに来ると、何か不快な気持ちになったり、心が落ち着かないということがありませんか。  
──確かに、他人にあまり近寄られるといい気持ちではありません。  
> それは、自分自身の占有空間の中に他人が侵入しているからなんです。だから「パーソナル・スペース」というのは一種の縄張り意識とも言えます。別の言葉で「ポータブル・テリトリー」とも呼んでいます。一般に、自分のパーソナル・スペースが保証されている時は快適であり、その空間に他人が侵入すると不快になると考えられます。  
──パーソナル・スペースの範囲はどれくらいですか。  
> 人により、相手により、あるいは場合によってさまざまですが、例えばこうして室内で対話をする場合、だいたい通常は、腕を伸ばしたくらいの距離がその範囲だと考えられます。  
──相手に届かない、相手からも届かない距離、安全圏ということですか。  
> そうですね。触れる距離というのは、緊張感が強くなるんです。ついでに申し上げると、距離だけでなく、こういうふうに対話をする時のお互いの座る位置についても、パーソナル・スペースが関連してきます。例えば、今、もし真正面に向かい合って座ったら、とても話しにくいですね。  
──確かに。談判みたいになってしまいますね。  
> すぐ横に座っても、何か気持ち悪い・・・(笑)。でも逆に恋人同士だったら、隣にぴったりくっついて座りたいと思うでしょう。  
──時と場合によって、パーソナル・スペースは変化するわけですね。それは人類共通の感覚ですか。  
> ええ。皆持っています。ただ、文化や環境によって、パーソナル・スペースの大きさに差があります。ホールという文化人類学者は「大昔、草原地帯を駆け回っていた頃の人間は、ものすごく広い空間を自分のために利用していた。しかし現代人は狭い空間に慣れるように自分を飼い慣らし家畜化した」と言っています。  
男子トイレでの実験で生理的影響も証明  
──確かに、現代は多くの人間が都市に住み、家、乗り物、道路、オフィスといった狭い空間の連続の中で生活していますから、大昔の人たちのパーソナル・スペースとは比べようもないですが、あまり狭いスペースの中ばかりに身を置いていると、人間はどこか変になりませんか。  
> 確かに、そういう状況の中ではストレスがかなり高くなりますね。そして実は、パーソナル・スペースを侵されますと、心理的不快感だけではなくて、生理的にも変化が起こるということが実験で証明されていまして、例えば満員電車内等ではアドレナリン、すなわち興奮剤の分泌が多くなるんです。  
──なるほど。満員電車とか人込みの中に長時間いると、イライラしたり、ちょっとしたことでムカッと来たりするのは、パーソナル・スペースを侵されたことが原因なんですね。  
> また、特に男性には分かりやすいと思うんですが、トイレで隣に誰かがいるとおしっこがなかなか出てこないということがありますね。  
──別にのぞかれているわけでもないのに、なんか落ち着かないですね。  
> 3つの便器が並んでいる男子トイレで、ジッパーを開けてから排尿までの時間、および排尿の所要時間を実験した例があるんですが、一人だけでいる場合と、二人の人が両端の便器を利用した場合にはほとんど差がないんです。ところが、隣合せで便器を利用した場合、被験者の排尿開始までの時間は長くなり、排尿そのものにかかる時間は短くなるという結果が出ています。これは、排尿する人のパーソナル・スペースに他人が侵入しているからだと解釈されています。他人がそばにいるという意識が、排尿行為に影響してくるというわけです。  
──心理的な不快感が生理的にも影響を及ぼしているというわけですね。ストレスから病気になるというのをよく聞きますが、パーソナル・スペースの欠如によって病気になる例もあるんですか。  
> もちろんあります。分かりやすい例では、囚人がそうなんです。彼らは強制的に狭い空間に押し込められていますね。そうすると、調子が悪い、頭が痛いと訴える人が多いようです。高血圧、心臓疾患、心身症といった病気になる人もいます。  
権威を持つほどパーソナル・スペースは大きくなる  
──ところで、友達同士、恋人同士、親子、兄弟姉妹といった親密な人間関係では、お互いの距離がかなり接近しても、不快感を覚えることはあまりありませんが、逆に、パーソナル・スペースが大きくなる人間関係とは、どういう場合ですか。  
> 代表的なものでは例えば、軍隊とか会社のような縦の人間関係の中に見られ、基本的には、役職が上に行くほど、下のものに対して自分の空間を大きくとるようになります。部下もまた、目上の人には距離をおいて話しかけるようになりますね。時代劇などで、顔も見えないくらい遠くにいる殿様に家来が謁見しているシーンをご覧になったことがおありかと思いますが、あれも縦社会におけるパーソナル・スペースの典型です。ですから逆に言えば、空間を大きくとっている人はそれだけ権威があると考えられるのです。オフィスで大きな机や個室を持ったりするのも、パーソナル・スペースを大きくすることで、権威の大きさをアピールしたいという心理的な欲求の現れですね。  
──パーソナル・スペースの大きさが、権威の象徴にもなるというわけですね。  
> そうなんです。ですから、有名な話ですが、ケネディが大統領選挙で当選したという報告が届いた途端、それまで彼の周りを取り巻いていた支持者たちがさーっと10mくらい遠ざかったといいます。  
──大統領としての権威を持った瞬間に、パーソナル・スペースが拡大したんですね。  
> これは基本的には動物のテリトリー行動と同じで、やはり強い動物は大きなテリトリーを持っています。ただ動物の場合は、そこで生殖活動とか餌や獲物の捕獲をするという、いわば種の保存と結びついているんですが、人間の場合は必ずしもそうではなくて、もっとメンタルな快適さを確保するためのものなんですね。  
狭い空間でも意識を広げれば快適になれる  
──先生のお話で、パーソナル・スペースというものの存在や概念については分かりましたが、でも、人間がそういう空間を持つということ自体には、一体何の意味があるのか、何のためのパーソナル・スペースなのか、心理学の領域からはちょっと外れてしまうかもしれませんが、疑問です。  
> 難しいテーマですね。ただ、まず考えられることは、「自分」というのは、身体だけじゃなくて、身体も含めたもっと大きな広がりなんですね。例えば、自分が着ている洋服は自分自身ではないですが、他人に触られると不快です。あるいは、自分の持ち物に他人が勝手に触ったりすると、嫌な感じがする。車で走っている時近くに寄ってこられたり、駐車中に誰かに車を触られただけでも不快でしょう?自分の家の玄関に知らない人がいてドアを触ったりしていたら、すごーく嫌な気持ちですよ。つまり、これらはある意味で「自分」なんです。  
──分かります。勝手に触られると嫌な気持ちになります。別に、傷をつけられたりしたわけではないのに・・・。そう考えると、パーソナル・スペースというものをベースにして、人間の行動の一つの基準とか規則みたいなものができあがっているということでしょうか。  
> そうですね。人間同士お互いに居心地よく生活するための基本的な暗黙のルールのようなものが存在しているんですね。だから、それが分からない人は、無神経だとか、粗野だとかいうので嫌がられるわけですよ。  
──そう言えば、「無神経な人」というのは、ほとんど縄張り荒らしだ(笑)。  
> 自分の領域に許可なく入ってくるものは自分の存在を脅かすものという心理が働くのかもしれませんね。  
──都市に住むわれわれにとっては、大きなパーソナル・スペースを持つことは困難ですが、そういう中で、できるだけストレスを高めないように生活していくには、どうしたらいいんでしょう。  
> これも難しい問題ですが、ちょっと考えてみますと、元来、日本人というのは小さい空間をうまく生かすことが得意な民族ではないかと思うんです。盆栽とか、幕の内弁当等がいい例です。狭い長屋住まいでも、みんな仲良くうまくやっていた。空間が狭くても、意識の広がりによって、快適に生きていくことができるのではないでしょうか。  
──昔から日本人は、物理的な空間ではなく、意識の広がりでパーソナル・スペースを確保していたわけですね。今こそ、先人のそういう知恵を生かすべき時なのかもしれません。 
 
親しき仲にも縄張りあり

 

仕事中、上司や同僚がぐぐっとそばに寄ってきた時、思わず身を引いてしまった。そんな経験はありませんか。親しくない人に顔を近づけられると、落ち着かなくなったりのけぞってしまうでしょうし、電車の中では、ドアのそばの席から埋まっていく事が多いのではないでしょうか。このように、人は他人との間に物理的な距離をとって、快適な空間を保とうとしています。この空間のことをパーソナルスペースといいます。個人の縄張りとでもいえるもので、相手がその空間を侵して入り込むと、人は不快感を覚えるのです。相手との親密度によってこの距離は異なりますが、一般的に、関係により相手と自分との距離は以下のようだと言われています。  
親密な関係 45cm以内 家族・恋人などとの身体的接触が容易にできる距離  
個人的関係 45〜120cm 友人などと個人的な会話を交わす時の距離  
社交的関係 120〜360cm 職場の同僚と一緒に仕事をする時などの距離  
公式的関係 360cm以上 公的な人物と公式的な場で対面する時の距離  
職場で、同僚や上司と話す時の距離を当てはめてみると、納得がいくと思います。もちろん、親しくなれば、近くで話が出来るようになってきますし、場の要因にも左右されることがあります。例えば、満員電車の中では自分のスペースに知らない他人が常に入っていますが、本を読んだり眠ったりして我慢しています。また、一般的に男性より女性の方が、内向的な人より外交的な人の方が、パーソナルスペースは狭いといわれています。  
なんとなく一緒にいると圧迫感を感じて苦手な人、もしくは、どうも自分から距離を取りたがっている人がいれば、ひょっとしてパーソナルスペースが関係しているのかもしれません。ある会社で、新しく来た上司が特に欠点はないのだけれどもなんとなく部下に煙たがられているというので、よくよく話を聞いてみたら、どうやら部下のスペースに入り込んでいるようでした。報告や打ち合わせに使う椅子の距離を上司から数十センチ離すことで、ほどなく関係が改善した、という例もあります。  
人間関係には、いろいろなことが影響しているものですね。 
 
お城・縄張りのはなし

 

最近忙しさにかまけてお城めぐりをサボっている。だが夜中にふと思い立ってお城に行きたいと思ってしまう時がある。そんなときにせっせといそしむのがバーチャルお城訪問だ。  
やり方は簡単。グーグルマップの航空写真で空から城を眺めるのというもの。ポイントは地名を表示させないこと。文字があるとどうしてもそれに頼ってしまって臨場感が失われるからだ。日本地図全体が見えるような高度からお目当てのお城を探しにゆくことこそバーチャルお城訪問の醍醐味だ。  
 
さて、突然だが下のお城がどこだかわかるだろうか?そう江戸城、現在の皇居である。こんな高さであればはっきりと見えるのである。ここでハタと気づくのが、今回のテーマ縄張りである。もっと上空から見るとだだっ広い関東平野のなかごろ東京湾沿いにこの江戸城はあることがわかる。掲示写真倍率までくると東には隅田川が、北には神田川が、西には人口の堀が築かれて外郭をなしているのが見て取れる。う〜んなるほど天下を統べるロケーションとして大平野のまんなかに広大な敷地で川を利用しながら縄張りを形成しているのだ。山城といったような涙ぐましい努力など微塵もない。数百万石の天領を擁し十数万の軍勢を動かせる徳川家にしてみれば、天下の政治を仕切れる場所こそが必要だったのだ。がしかし幕末、黒船が来訪した際、船の砲台から攻撃されることを恐れた幕府は江戸湾に台場を築く。かなり小さいがポツンと見える。ここで黒船を食い止めようとしたんだね。幕末にもなれば幕府も無力で涙ぐましい努力を必死でしていたのだ。  
 
次に見るのは岡山城である。ちょうど旭川が屈曲する場所に本丸が築かれている。その"だまり"になったような一郭が防御の地としてふさわしいと判断したのであろう。戦国の終焉期、秀吉の天下統一後の城普請であったが、まだまだ籠城を意識した戦国気風が見て取れる。大大名となった宇喜多家が領土経営のために障害のない平地と戦国の防御というこの二つを満たすためにこの縄張りとしたというのは容易に想像できる。さらに特筆すべきは江戸期池田家の時代に造園された後楽園の存在である。現代でも景勝として名高く、当時も庭をつくるという名目で幕府の許しを得たとされるが、どうみても本丸北側を防御するための郭にしか見えない。まったく食えないとはこういうことを言うのだろうが、そのおかげで現在のわれわれは名勝「後楽園」を堪能できるのだ。  
 
次にデルタ地帯に築かれた典型的な平城として広島城の縄張りを見てみる。これぞ地形・河川を利用した縄張り!だと言っていい、もはや説明は不要。かなり上空からでもこのお城を早く発見できるほどはっきりしている。南側には瀬戸内海が開けて、且つ背後にすぐ中国山脈がせまっていることから川がもたらす堆積砂にて形成された平地、つまりデルタ地帯だということがわかる。中国地方で最も大きなこの平野に毛利家の威信をかけ島普請とまで呼ばれた難工事を断行してこの城を築き上げた苦労が偲ばれる。やはり平野に大城郭を築くのは大大名しか許されない。  
 
真打ちと呼ぶべき城を紹介する。言わずと知れた大阪城である。ここまでくると地形を利用したうんぬんなどはもはや無用。人工的に完璧なまでに建造された姿はまさに封建時代の不沈航空母艦さながらだ。秀吉時代はさらに長大な外堀を形成していたといわれるが、現在の姿で十分すぎるほどの防御能力があるように見える。正直ここまでくると縄張りの妙などという小細工はしらじらしく、これを造りえる膨大な財力と強大な権力にただただ圧倒されるばかりだ! 豊臣・徳川両時代を通じてここに計り知れないパワーが投じられたであろうことが容易に想像できる。  
 
最後に紹介するのがこのお城、五稜郭だ。まさにこれこそバーチャルお城訪問で見てほしい空から眺めてもっとも美しい城だ。西洋式の築城方式を取り入れたとされるのがこの五稜郭。フランスの流れを汲む稜堡式の設計がそのベースだという。繰り返すが空から見るのがもっとも美しい。何かの本にこの稜堡式の縄張りが大阪冬の陣で徳川方を苦しめた真田丸に酷似しているという内容を読んだ。なるほど確かに真田丸も三角形の突起が飛び出しており、散々敵方を苦しめたという史実がある。縄張りにもやはり機能美という言葉があてはまるのだろうか。 
 
中国の”縄張り争い”に多国籍企業が困惑

 

人民元の自由化などめぐる争い  
中国で人民元や資本勘定の自由化をめぐる中国人民銀行(中央銀行)と国家外為管理局(SAFE)の縄張り争いが活発化しており、中国に拠点を構える多国籍企業はどちらの側につくか決断を迫られている。  
習近平国家主席と李克強首相が改革姿勢を強める中、重要な改革分野をめぐって当局同士が反目し合っていることは決して望ましくない。  
中国と深い貿易関係にある企業や海外のビジネス団体といった関係者らによると、自由化をめぐる試行プログラムをいくつも所管している2大当局間のあつれきを受け、中国で投資や貿易に携わる主要企業の意思決定に影響を与え始めているという。  
欧州系多国籍企業の財務担当者は「試行プログラムはSAFEのもの、人民銀行のもの、それぞれがいくつもあるが、両者は互いにいがみ合っている。もし一方と契約を交わせば、もう一方からはつまはじきにされるかもしれない。そのため、どれを選択するのか、誰に何を言うのか、非常に気をつけなければならない」と話す。  
その他4人の関係筋も人民銀行とSAFE間のいがみ合いに注意するよう忠告を受けたという。両社の仲の悪さは、中国や香港の金融界の一部では公然の秘密となっているもようだ。  
試行プログラムの事情に詳しい多国籍企業の財務幹部は「われわれが受けたアドバイスは、人民銀行とSAFEはお互いに競っているため、どの試行プログラムにも参加するべきということだった」と語る。  
いずれの関係者も中国でのビジネスに影響するとして、匿名を希望した。  
SAFEと人民銀行の双方にファックスでコメントを求めたが、回答はなかった。  
争いの原因  
中国人民銀行とSAFEのいがみ合いがどのようにして始まったのかは定かではない。アナリストの中には、単純に権力をめぐるいさかいが原因だという見方もあれば、政策課題をめぐる意見の相違が原因だという見方もある。  
中国にある海外ビジネス団体のある幹部は「人民銀行は(改革に対して)よりオープンなアプローチをとる一方、SAFEは自身をゲートキーパー(門番)とみなしている」との認識を示した。  
人民銀行は国内のマネーサプライを管理し、中国の銀行に対する権限を中国銀行業監督管理委員会(銀監会、CBRC)とともに握っている。  
一方、SAFEは中国の外貨準備を扱うほか、クロスボーダーの通貨の流れを管理している。  
機構的には人民銀行がSAFEを管理することになっているが、アナリストらによると、実際には反目し合うことも多いという。  
さまざまな試行プログラム  
ここ数年の急激な経済成長を受け、中国指導部は財政や金融、司法といった面における幅広い改革が将来の成長のためには必要だと指摘している。今年10月には、一段の経済改革に向けたロードマップを示すとみられている。  
中国は資本勘定や人民元相場に厳しい規制を敷いているものの、現時点で通貨や資本勘定に関連した10件超の試行プログラムが実行中、もしくは実行される予定となっており、対外直接投資やクロスボーダー融資の容認などさまざまな面における自由化が検討段階にある。  
試行プログラムに参加している多国籍企業には、英蘭系メジャー(国際石油資本)のロイヤル・ダッチ・シェル、韓国のサムスン電子<005930.KS>、英銀大手スタンダード・チャータード(スタンチャート)、米半導体大手インテルなどが含まれている。  
香港におけるオフショア人民元市場は試行プログラムの成功例だ。  
進まない改革  
シティ中国の財務・貿易ソリューション部門責任者、Pei Yigen氏は、中国人民銀行とSAFEの関係はそれほど大きな問題ではないと指摘。試行プログラムの範囲が異なり、企業は最も適したものを選べばいいと語る。  
同氏は「原資が限られていることを考慮すれば、現時点で1つの試行プログラムに集中するほうが企業にとって理にかなっている」と述べた。  
JPモルガン(香港)の中国担当チーフエコノミスト、朱海斌氏は、より重要なのは中国政府の改革姿勢だと指摘する。  
同氏は「私の懸念は、何度も改革と聞いているのに、依然として(中国政府の)具体的な行動を待っていることだ」と話す。  
懸念を抱くエコノミストらは、中国が資本勘定の開放を1993年から約束しているのに、一向に進んでいないことに言及している。  
試行プログラムの実施地域をめぐっても疑問の声が上がる。  
前出の財務幹部は「構える拠点の違いによって、扱いが異なるのはやや不満を感じる」と話す。  
独立系のエコノミスト、アンディー・シエ氏は「中国人は2000年もの間、官僚主義的なやり方に慣れ親しんでいる」と述べ、試行プロジェクト方式は時代遅れだと批判。「中国全体にわたって適用することで意味のあるものになる」と述べた。  
一方、同氏は、最も重要なのは、官僚機構における改革派間の争いではなく、改革派と既得権益層との争いだと指摘。そうした争いによって、中国の経済改革派は主要な利害関係者の気をそらしているだけでなく、いかなる改革も望まない層にも安心感を与えている、との認識を示す。  
同氏は「中国を変える唯一の方法はダムを開き、マネーの流出を認めることだ」と述べた。 
 
縄張り (暴力団)

 

「縄張り」とは、暴力団が正当な権利を持っているわけでもないのに、他の暴力団組織が活動することを拒否し、自己の権利として主張している勢力範囲のことです。  
暴対法第9条第1項第4号では、暴力団の縄張りの意義を、「正当な権限がないのにもかかわらず、自己の権益の対象範囲として設定していると認められる区域をいう。」と定義づけています。  
もともと博徒は、一家の支配する地域内を「シマ」とか「火場所」あるいは「費場所」等と称し、その一家の親分(総長)は自己のシマ内で賭場の支配権を総括し、「テラ銭」等の利益を収得していました。  
親分(総長)は、さらに身内の各貸元親分に賭場の支配権を分与し、随時「盆」を開かせてテラ銭等の収納にあたらせていました。  
これによって得た利益は、各組員にその階級に応じて分配したり、組織の維持費にあてられ、このシマはその一家の専有するものとして、他団体の侵害は絶対に許しませんでした。  
的屋(または香具師)は、博徒のシマに対比する縄張りを「庭場」と呼んでいました。すなわち、的屋は一定の地域を自己の庭場と称し、その地域で営業しようとする一般露店商に対し、かってに営業権を与え、その権利金として「ショバ代」「ゴミ銭」「ツタ銭」等の名目で、金員を収奪していました。  
こうした博徒のシマと的屋の庭場は、もともとその性格を異にしていたため、同一の地域内での両者の縄張りが併存していることもあったのですが、暴力団の資金源が多様化し、一家一業体制が崩れたことから、そうした縄張りの併存状態はなくなってきています。ただし、この縄張りの概念そのものはあくまでも維持されているわけです。  
こうした、暴力団の縄張り意識には、要するに、一定の土地とその区域内において、その集団が独占的、恣意的に支配する権利と、さらにその内外を明確に区分する境界の意識の3つが含まれているわけです。  
縄張りは、その暴力団にとっての独占的「家産」であり、かつ生活の源泉であって、その縄張り内からあがる収益によって組織を維持し、組員の生活を支える基本的な生活手段となっているわけです。  
縄張りが広がれば、その集団は経済的に恵まれるばかりでなく、親分の暴力団社会における権威が上がり、同時に子分の地位も上昇し、より安定したものになることから、暴力団は常に縄張りの拡大に努めることになります。  
反対に自己の縄張りに侵入し、これを奪取しようとする動きに対しては、「ヤクザの死守(しもり)」といって、集団の全組織を投入してこれを守ろうとするわけです。  
暴力団による対立抗争の原因は、現象的にみると、単純な口論やけんか等から始まっているケースでも、その奥には、彼らの生活の根源としての縄張り、その具体的形態として個々の資金源の問題が関係している場合がほとんどです。 

 


  
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