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国家の品格・富国有徳論・日本文明の謎・エコロジー神話の功罪・祖国とは国語・危機の匡救・建設業の今昔 |
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【国家】一定の領土を有しそこに居住する人々で構成され一つの統治組織をもつ団体。基本条件として国民・領土・統治権の三要素を必要とする。 国家の衆 大名の家来のうちでその領地に土着しているもの。 【国家主義】国家を人間社会最高の組織体と考え国家権力が社会生活の全領域にわたって統制力を発揮することを認める立場。ナショナリズム。 【領土】領有している土地。国際法上国家の統治権の及ぶ区域。領海・領空を含める場合もある。 【領土権】国家が領土に対して有する一切の権能。 【国家社会】国家は人間の集団的生活の様々な形態のうちの、一つの部分社会を形成するものであるとする多元的国家論(民主主義的)の立場からとらえた国家。 |
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【国・邦】(天や海に対して)大地。国家。国土。地球上の各政府の統治権下にある土地。 国食す 国を治める。 国に殉ずる 国を救うために命をすてて国を守る。 国に杖突く 古く中国で70歳になれば国中どこでも杖を突くことを許されたところから、70歳になること。 国に二君なし 一国に統治者としての君主が二人あってはならない。 国に盗人家に鼠 内部の賊はどこにもいる。 |
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国の主 一国の支配者。天子。天皇。元首。領国の統治者。国守。大名。 国の長 一国を支配する長官。国守。 国の親 天皇。太上天皇の異称。皇后。天皇の生母。 国の風 「国風」の訓読み。 国の守 律令制の官職。国司の長官。江戸時代大身の大名のこと。国持。国主大名。 国の書生 国司のもとにある属官。 国の介 国司の次官。別駕(べつが)。 国の爪牙 国を守る勇猛な武臣。 国の館 国司の政庁。国司が政治を執る役所。 国の乳房 国恩をたとえていうことば。 国の司 =国の守 |
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国の博士 大化改新のとき設けられた政治顧問、沙門旻法師、高向史玄理の二人をいい、律令制度や官制度を確立した。律令制度で諸国に設置された国学の教師。外国使節の応接にもあたった。 国の柱 国家を支える柱ともなるべき重要な人物。国家の柱石。 国の果 国の果てるところ。国のきわみ。 国の花 その国を代表する花。国花。わが国では桜。その国が誇りとすべきもの。国の名誉。国華。 国の母 天皇の母親。皇太后。国母(こくぼ・こくも)。皇后。きさき。国母。 国の府 国府(こくふ)。国衙(こくが)。 国の穂 =国のまほら 国のまほら (「まほら」の「ま」は「真」で、美称、「ほ」は「秀」で、もっともすばらしいこと、ものの意、「ら」は接尾語)国のなかで、もっともすばらしいところ。*万葉‐八〇〇「聞し食(を)す久爾能麻保良(クニノマホラ)ぞ」 |
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国の宰 大化改新以前、大和朝廷から派遣されて地方の統治にあたった者。 国の造 大化改新以前、国郡統治のための世襲の地方官。大和朝廷に帰属した地方豪族の首長を任命した。くにつこ。大化改新以後、諸国におかれた官職。多く旧国造から選ばれ、その国内の祭祀、神事を担当したもの。 国破れて山河あり (中国の杜甫の「春望詩」から)戦乱のために、国は滅びてもとの姿はなくなってしまったが、山や川だけは昔のままの姿をのこしている。 国を売る 自分の利益のために、自国の利益や安全を犠牲にして、敵国の利益になる行為をする。罪を犯した者が、その露見するのをおそれて他国に逃げる。 国を譲る 国を統治する者が、その位を後継者に譲る。天皇が位を譲る。 |
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【社会】人々がより集まって共同生活をする形態。特に明治8年福地源一郎(桜痴)が英語のsocietyの訳語としてこの語を用いてから、近代の社会学では自然的であれ人為的であれ人間が構成する集団生活の総称。家族、村落、ギルド、教会、階級、国家、政党、会社などはその主要な形態。家庭や学校をとりまく世の中。世間。ある特定の仲間。 社会の木鐸 世の中を教導し正す人。 【社会悪】社会に内在する矛盾から生じる害悪。 【社会医学】生活環境と健康との関係を追求する医学の一分野。 【社会意識】社会の全構成員によって共通的に支持されている思考、感情、意志など。 【社会運動】社会の変革・改良や社会問題の解決のために、集団的・継続的に行われる運動。労働運動、学生運動、農民運動、婦人運動。 |
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【社会衛生学】国民の健康状態の改善・向上を図る方策を探究する学問。 【社会化】人間の相互作用・影響の過程。人間が既成の社会に同化してゆくこと。 【社会科】地理、歴史、倫理、社会、政治、経済などの領域にまたがる学校教育の教科名。 【社会開発】生産第一主義の経済開発を改めて国民の生活環境の向上をはかる総合策。1961年国連の世界社会情勢報告で用いられ、日本では昭和38年8月人口問題審議会の答申で最初に用いられた。 【社会改良主義】資本主義社会の不合理・弊害を漸進的に改良し体制維持しようとする立場・思想。 【社会科学】人間社会の諸現象を支配する法則を解明する経験科学の総称。社会学、経済学、政治学、法学、教育学など。 |
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【社会学】(sociologieフランス訳語。オーギュスト=コントの造語を外山正一が訳した)人間の共同生活を研究する社会科学の一つ。19世紀前半、コントやスペンサーらによって初めて確立された。 【社会革命】政治体制・経済体制だけでなく社会体制の根本的変革をめざす革命。 【社会革命党】ロシア政党。社会民主労働党と共に20世紀初頭のロシアの社会運動を指導。テロ行為を闘争手段とする。二月革命時に多数派となり党首ケレンスキーが臨時政府を組織したが十月革命時には左右に分裂して勢力を失った。 【社会学級】成人の一般的教養のために学校施設を利用しての社会教育講座。 【社会過程】社会の仕組みが変化・発展していく動態的な過程。 【社会教育】家庭教育・学校教育を除いた社会という場において行われる教育。 【社会教育法】社会教育に関する国・地方公共団体の任務を明らかにする法律。昭和24年制定。 |
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【社会型】社会集団の基礎類型。スペンサーの軍事型社会・産業型社会、テンニエスのゲマインシャフト・ゲゼルシャフト、デュルケームの環節的社会型・有機的社会型、マッキーバーのコミュニティ・アソシエーションなど。 【社会経済構成体】歴史的に一定の生産関係とそれを基盤として成り立つ上部構造によって特徴づけられる社会発展のそれぞれの段階の総称。 【社会形態学】土地の広狭、人口の多少・密度・分布、交通手段の発達など社会の外部的な形態を研究対象とする学問。 【社会契約説】社会や国家は人民の契約によって成立したとする考え方。封建制を否定し個人の権利を主張する近代的なブルジョアジーの政治思想として成立発展。契約説。民約論。 |
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【社会契約論】 =民約論 【社会劇】社会的関心の強い思想性のある劇。イプセン「人形の家」「幽霊」、ハウプトマン「織工」など。 【社会権】国民が生存するために国家に対して一定の公共的な配慮を求めることができる権利。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、教育を受ける権利、勤労の権利、勤労者の団結権など。 【社会現象】人間の社会生活・社会関係に基づいて発生する現象。 【社会工学】社会問題を解決するために用いられる社会的技術の体系。公害、国土開発、都市計画等の総合的判断を必要とする社会問題について、予測、計画、組織、管理など研究・対策を立てる学問。 【社会構造】社会の諸機能を有機的に分担する機関や組織の配置の体制。 【社会事業】 =社会福祉事業 【社会実在論】社会は個人とは別で個人に優越する実在であるとみなす考え方。 【社会資本】国民経済発展の基盤となる公共施設。道路・港湾・空港・ダム・堤防や通信・郵便・用水など。 |
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【社会主義】(socialism英訳語)生産手段を社会全体の共有とし個の私有を認めない社会制度。資本主義を否定し生産手段の社会的共有により階級対立のない社会を実現しようとする思想・運動。狭義には、19世紀にマルクス、エンゲルスによって主張された科学的社会主義をさす。マルクス主義で共産主義社会の前段階をいう。能力に応じて働き、働きに応じて分配を受ける社会。 【社会主義インターナショナル】1951年結成、民主社会主義諸政党の国際的組織。コミスコ(国際社会主義者会議委員会)を母体にした。本部ロンドン。わが国社会党、民社党が参加している。 【社会主義革命】プロレタリア革命をいう。 【社会主義経済】社会主義社会の経済的基礎としての生産手段は全人民の共有となり、階級対立は解消し生産力の増進が社会全体の物質的・文化的欲望を最大限に満たすような経済体制。具体的には社会主義国の経済をさす。 【社会主義社会】マルクス主義で資本主義社会から共産主義社会へ移行する前段階をいう。 【社会主義神髄】評論。幸徳秋水著。明治36年刊。筆者が社会主義者としての立場から社会主義とマルクス、エンゲルスの思想の大要を解説・紹介した書。 【社会主義リアリズム】旧ソ連で採用された文学・芸術創作方法の基本的理念。ソビエト社会の現実をその歴史的具体性において追究し勤労者の思想的な改造に役立てようとする立場。 【社会小説】社会問題を主題とした社会・政治批評の意図を含んだ小説。実際の作品としては明治20年ごろからあらわれたが、特に同30年前後に内田魯庵、高山樗牛らによって提唱され、以後の社会主義文学の土壌をつくった。代表的作品は内田魯庵「社会百面相」、小栗風葉「政駑」、矢野竜渓「新社会」。 |
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【社会人】社会で職業につき活動している人。学生に対していう。 【社会進化】社会有機体説に基づき社会の動きを見たときそれが一定の方向に向かっていく事実をさす語。 【社会心理学】個人や集団の意識現象・行動を他の個人・社会集団の意識現象・行動との関連で研究する。集団心理学、宣伝・流行の研究、マス‐メディアの心理的影響の研究など多くの領域を含む。 【社会人類学】人間社会の比較研究を行い、それを機能的・総合的に把握しようとするもの。未開民族の社会構造や制度を研究する方法などがとられる。 【社会性】その社会一般に広く通ずる性質。 【社会性昆虫】同種個体が集団をなし分業・協力して生活している昆虫。ミツバチ、アリ、シロアリなど。 【社会政策】資本主義社会で労働者の生活状態の改善・労使関係の合理化などを目的に国家がとる改良的な諸政策の総称。もとは体制防衛的消極的性格のものだが積極的な社会福祉政策の方向に進みつつある。 【社会生態学】人間と地域社会の共生関係を前提として人間集団とその環境との関係を研究する社会学の一分野。 |
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【社会制度】慣習・法により固定化された、個々の意思から独立して集団の態度・行動を規制する行動様式。 【社会組織】共通目的を達成するため一定の規律のもとに結合されている人々の相互依存的な共同様式。 【社会体制】ある国民や政党のある特定の目標や事態に対応するあり方。戦時体制、挙党体制、自由主義体制、ファシズム体制、資本主義体制、社会主義体制など。 【社会探訪】いろいろな社会を訪ね歩くこと。 【社会秩序】.一つの社会構造で、自然的であれ強制的であれ一定の統制ある状態が成立していること。 【社会通念】社会一般に広く行きわたっている考え方。 【社会的】社会性があるさま。 【社会的距離】個々の人間と人間、集団と集団との間にみられる親近性または共感の程度。 【社会的行為】他の個人もしくは集団になんらかの影響を及ぼすような意識的もしくは無意識的な行為。 |
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【社会的事実】個人に対して外から拘束を加えるような力をもついっさいの行為様式。法、道徳、宗教、犯罪、流行など。 【社会的促進】集団の中で作業することによって達成効果が増大する現象。 【社会的存在】弁証法的唯物論で人々が相互に結ぶ物質的な社会関係の総体をいう。社会的意識がこれによって規定されるというのが弁証法的唯物論の基本的立場である。 【社会的不適応児】社会の生活秩序や人間関係に適応していけない子ども。 【社会党】社会主義、または社会民主主義による政党。日本社会党の略称。 【社会統計】社会現象に関する統計。人口統計、経済統計、政治統計、文化統計など。 【社会淘汰】社会的諸条件に影響されて適応性のあるものが栄え適応性のないものが衰えていく現象。 |
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【社会道徳】社会秩序の維持に関する道徳。 【社会鍋】救世軍が歳末に行う生活困窮者のための街頭募金運動。 【社会部】新聞社などに設けられ社会のさまざまな出来事や事件を取り扱う部。 【社会ファシズム】社会民主主義に対してコミンテルンが与えた名称。社会民主主義は社会主義を標榜しながら、資本主義と妥協して植民地政策の承認、労働運動の分裂などを行い、経済恐慌に際してはファシズムへの道を推し進める役割を果たしたという批判による称。 【社会福祉】国民の生活の安定、医療、教育、職業などの保障を含む幅広い社会的方策。 【社会福祉事業】社会福祉に関する各種の事業。 【社会福祉施設】社会福祉事業のための施設。生活保護法による保護施設、児童福祉法による児童施設、老人福祉法による老人ホーム、その他保育所、老人福祉センター、点字図書館など。 【社会福祉事務所】社会福祉事業法に基づいて都道府県・市町村に設置され、生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法などに定める援護、育成、更生の措置に関する事務をつかさどる機関。 |
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【社会福祉法人】社会福祉事業を目的として設立される法人。公益法人の一種であるが収益事業を行うことができる。 【社会分化】社会の発展に伴い分業の発達によって社会構造が段階的に複雑に分かれること。 【社会変革】社会の仕組みを改良主義的な方法、革命的な方法により計画的に変えること。 【社会法】労働法、経済法、社会保険法、社会福祉事業法など。 【社会奉仕】社会の利益や幸福をはかるために個人的利害を考えない行い。 【社会保険】社会構成員の疾病、障害、老齢、失業などによる所得上の困難を救済するための保険。労働者災害補償保険、国民健康保険、雇用保険などの類。 【社会保険庁】厚生省の外局、昭和37年設置。政府管掌の健康保険、日雇労働者健康保険、船員保険、厚生年金保険、国民年金の事業を運営。 |
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【社会保障】国民の生存権を守ることを目的とする保障。主として社会保険制度で、病気・傷害・失業・老齢・出産・死亡などによって生ずる生活上の諸問題を保障。 【社会本能】孤立して生活することを嫌い集団や社会をつくろうとする人間の本能。群れ。 【社会民主主義】暴力革命方式を避け議会を通じて平和的に社会主義を実現しようとする立場。第一次世界大戦以前は一般に社会主義の総称、第二インターナショナル崩壊後、共産主義者によって改良主義的・日和見的性格の社会主義として攻撃された。 【社会面】新聞の社会部が扱う社会のさまざまな雑事・事件記事を載せた紙面。 【社会問題】社会の矛盾・欠陥から生ずるいろいろな問題。労働問題、農村問題、住宅問題、公害問題等。 【社会立法】社会政策的立場・方針に基づいて行われる立法。 【社会倫理】人間の社会生活上の行動を規制する道徳的規範。 |
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【行政】国家の統治作用のうちで立法・司法を除いたものの総称。国家の機関や公共団体などが法律・政令その他の法規にしたがってする政務。 【行政委員会】国家や地方公共団体のために、おもに公正を期する事柄の意思を決定する権限をもつ合議制の行政機関。国家行政組織法、地方自治法で定められている。国家では、国家公安委員会、公正取引委員会、中央労働委員会など、地方公共団体では、教育委員会、選挙管理委員会、地方労働委員会など。 【行政解剖】行政上の目的で犯罪に関係のない変死体の死亡原因を明らかする解剖。 【行政官庁】国家の行政事務を行なう機関総称。内閣およびその下に属して国家意思を決定、表示する権限を持つ。 【行政監督】上級行政官庁が下級行政官庁の行政事務の執行の適否を監督すること。 【行政機関】行政事務を行なう国家機関。立法機関、司法機関に対するもの。その権限の差異によって行政官庁、補助機関、諮問機関、執行機関、監査機関などに区別される。 【行政規則】行政機関が行政上の目的のためにその権限内で発する規則。法律の性質をもたない告示、訓令、事務規程など。 |
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【行政協定】行政府によって締結された国家間の協定。条約と違い国会承認の必要がない、安全保障条約に基づく日米行政協定などがこれにあたる。 【行政区】市長の権限に属する事務を分掌させるために指定都市に設けられる区。特別区と異なり区議会はない。 【行政区画】行政機関の権限の及ぶ範囲として定められた区画。 【行政警察】犯罪の予防、公共の安全と秩序の維持を目的とする警察業務。行政に付随して生ずる障害や危険の除去のために行なわれる警察業務。 【行政契約】公法上の法律関係を発生させる目的でする国家と私人との合意。任官、帰化等の契約。 |
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【行政権】国が統治権に基づいて一般行政を行なう権能。立法権・司法権とならぶ三権の一つ。 【行政行為】行政機関の行なう公法上の行為。行政機関の行為のうち、事実行為、私法上の行為、立法行為を除いたもの。許可、認可、免許、特許、禁止などの行政処分に相当、広義には行政機関の行なうすべての行為をいう。 【行政財産】行政上の特定の用途・目的に供される国有財産。国有私産の性質をもつ普通財産と異なり、貨付、交換、売払などの処分は原則として禁止されている。 【行政作用】行政機関が行政の目的を実現するために行なう行為の総称。 【行政事件】行政庁の行なう違法な処分の取消し、変更、あるいは公法上の法律関係に関する訴訟事件。 【行政事件訴訟法】行政事件に関する訴訟について定めた法律。昭和37年制定。 【行政執行法】明治33年制定、行政上の強制執行に関する一般法。第二次世界大戦後行政代執行法に代わった。 【行政指導】行政機関が行政目的を達するために、個人、法人、団体に協力を求める行為。勧奨、勧告、要請、助言、指導、注意、警告、指示、斡旋等を内容とするが強制力を持たない。 |
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【行政事務】行政権の発動として行なう国の事務。 【行政職】一般職の公務員のうち一般職の職員の給与に関する法律に規定され、税務職、公安職、海事職、教育職、研究職、医療職、指定職を除く、すべての職務。 【行政書士】官公署に提出する書類・権利・義務・事実証明に関する書類の作成を業とする者。 【行政処分】行政機関が法規に基づいて一方的に国民に種々の権利を与えたり義務を負わせたりすること。 【行政整理】行政機構を縮小し経費を節減する目的で行なわれる公務員の人員整理。 【行政組織】国家や地方公共団体などの行政機関の全組織。 【行政代執行法】代執行についての一般法。代執行をすることができる場合の手続き、費用の徴収について定める。昭和23年施行。 |
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【行政大臣】総理府の長としての内閣総理大臣および行政機関の長として主任の行政事務を分担する各省大臣。 【行政庁】国または公共団体の行政上の意思を決定し、これを外部に表示する権限をもつ機関。 【行政手続】行政処分を行なう際ふまなければならない手続き。行政機関による審判。司法手続きに対していう。 【行政罰】行政法上の義務に違反した者に対し制裁として科せられる罰。 【行政犯】行政上の目的のための取締法規に違反する行為。 【行政不服審査法】行政官庁の処分に対する不服申立ての道を国民にひろく認め、その手続きを規定した法律。昭和37年公布。 【行政法】行政機関の組織ならびに行政権の作用に関する法の総称。国・地方公共団体と人民との関係を定める法規の総称。 【行政命令】行政官庁が制定する一般的な定めのうち法規を内容としない命令。 |
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【君主】世襲により国家や領地を統治する最高位の人。天子。皇帝。帝王。 【君主国】君主制を政体とする国家。 【君主制】皇帝・国王・天皇など世襲の単独の首長を元首とする統治体制。 【君主専制】君主が絶対の権限を持ち人民の意見や法律上の制約を受けないで独断で政治を行なうこと。 【君主論】政治思想書。マキアベリ著。1513年成立1532年刊。小国分立、外国の干渉によるイタリアの政治的混乱を収拾するためライオンの力と狐のずるさを持つ君主の独裁的統治の必要を説いた。政治を宗教、倫理から切り離して考察し近代政治学の樹立に寄与した。 【国旗】国家を代表し国威を表彰する旗。 【主権】国家の最高の意思および国の政治を最終的に決定する権力。国民・領土を支配する権利。 【主権国】他国の干渉を受けることなく主権を完全に行使し得る独立国。 【主権在民】国の主権が君主でなく国民にあること。国民主権。 【主権者】国家の現実の支配権を持つ者。旧憲法の下では天皇、新憲法の下では国民。 |
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【天皇】一国を統治する天子。国王、皇帝などに相当する呼称。みかど。旧憲法では国家の元首とされ統治権を総攬し神聖不可侵とされた。新憲法では日本国および日本国民統合の象徴とされ国事に関する行為だけを行い、その地位は主権者である国民の総意に基づくとされる。 【天皇記】わが国最古の史書の一つ。推古二八年(620)に聖徳太子が蘇我馬子とともに撰したもの、大化元年蘇我氏滅亡の際焼失。 【天皇旗】天皇の標章として行幸の時などに用いられる旗。虹色の錦に金色の菊花を描いてある。旧海軍旗章の一つ。 【天皇機関説】主権は国家にあって天皇にはなく天皇は国家を代表する最高の機関にすぎないとした学説。美濃部達吉などによって主張され昭和10年軍部・右翼から国体に反する学説と非難を受けて国体明徴問題を引き起こした。 【天皇賞】サラブレッド五歳馬以上によって争われる、競馬の重賞レース。大正12年「帝室御賞典競走」で創設、昭和23年に改称。毎年二回春秋に行われる。 【天皇制】天皇が君主となっている統治体制。特に大日本帝国憲法下の政治体制をいう、現憲法下における国の象徴としての天皇の制度を天皇制と呼ぶこともある。 【天皇誕生日】国民の祝日、天皇の誕生を祝う趣旨で定められ、もと天長節といった。 【天皇陛下】当代の天皇の尊称。 |
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【帝国】皇帝の称号のある元首の統治する国家。大日本帝国の略。 【帝国議会】立憲帝国の議会。明治憲法で設けられた議会。明治23年開設。貴族院と衆議院から成る。昭和22年新憲法によって衆参両院の国会に改組。 【帝国芸術院】帝国美術院を母胎として昭和12年に新設された合議機関。同22年日本芸術院と改称。 【帝国劇場】東京都千代田区丸の内にある劇場。明治44年創立。日本最初の純洋式劇場。帝劇。 【帝国憲法】皇帝の称号をもつ元首の治める国家の憲法。大日本帝国憲法の略称。 【帝国主義】imperialism 訳語 一つの民族または国家が政治的経済的に他民族または国家を支配して強大な国家をつくる運動。19世紀末から20世紀のはじめにかけて独占的な段階に達した資本主義をいう、レーニンの用語。 【帝国大学】明治19年帝国大学令による官立学校。東京・京都・東北・九州・北海道・京城・台北・大阪・名古屋にあった。現在は京城・台北を除き学校教育法による国立大学となった。帝大。 |
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【帝国図書館】国立国会図書館支部上野図書館の前身。明治5年創設の書籍館を母体とする東京図書館を明治30年に改称して発足。昭和22年国立図書館と改称、同24年国立国会図書館に合併。 【帝国博物館】明治22年東京に設立された宮内省所管の博物館。同33年6月東京帝室博物館と改称。さらに、昭和25年東京国立博物館と改称し文化財保護委員会(文化庁)の付属機関となる。 【帝国美術院】美術の発達のため文部大臣に美術に関する重要事項の建議を行うとともに定期に展覧会を開催した機関。大正8年創設。昭和12年帝国芸術院となる。 【帝国美術院展覧会】帝国美術院が主催した美術の展覧会。大正8年に廃止された文部省美術展覧会(文展)の後をうけて毎年開催された。昭和12年帝国美術院の廃止とともに再び文部省美術展覧会となり、同21年に日本美術展覧会(日展)となった。帝展。 【帝国文学】雑誌。明治28年1月創刊。大正9年1月まで通巻296号を刊行。東京帝国大学文科の教員、学生、卒業生らの組織した帝国文学会の機関誌。評論、外国文学の紹介などに貢献。 |
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【藩】(かきね、かこいの意)ある地方を鎮撫して、朝廷の護衛となるもの。藩屏。諸侯の領地。大名の封土、特に、江戸時代、大名の支配する領地および支配機構の総称。 【版籍】領地と戸籍。土地と人民。 【版籍奉還】藩主が、その土地(版)と人民(籍)とを朝廷に返還すること。歴史的には、明治2年全国の藩主がその土地と人民を朝廷に返し、改めて知藩事に任命されたことをさす。廃藩置県の前提で、維新政府の中央集権化の一過程。 【藩知事】明治2年の版籍奉還の結果、新政府が各藩に置いた地方長官。同4年廃止。 【知藩事】明治2年6月17日諸侯の版籍奉還を許して、各藩に置いた地方長官。諸侯が任命され、諸行政に当たった。職務は後の県令とほぼ同じ。藩名をつける時は、・・藩知事と呼ぶのが通例であった。同年7月8日藩知事と改称。 【永世禄】明治2年版籍奉還後、華族、士族に与えられた無期限の家禄と賞典禄。旧藩主および藩士には従来の家禄の1/10が支給されたが明治9年の秩禄処分により、代償に金禄公債を与えて廃止された。 |
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![]() ■国家の品格 |
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著者は小説家新田次郎と藤原ていという、優れた文科系両親に持つ(理数系の)数学者だが、その血筋は争えず軽妙でしかも情緒溢れるエッセーでも有名であり、本書も又わかりやすい筆致ながら、適切な表現でかつての日本が持っていた、しかし今失われてしまった、世界に冠たる資質そして思想を的確に私たちに指し示してくれる。 その経験を通じて、「論理」だけでは世界は破綻すると警告し、戦後欧米型の論理優先型社会への変貌が、日本をおかしくしてきたと指摘する。数学から敷衍して、(たとえば風が吹いたら桶屋が儲かる式の)「長い論理」は危ういのだと謂う。この典型が(国際人になるために)「小学生から英語を教える」という発想がそれである。 これが真実なら英米人はみんな国際人になるはずだと切って捨てる。 いま大きな問題になっている子供たちの精神的荒廃に、殺人は悪いことだと教えたり、学校にカウンセラーを置くよりも、強者が弱者をいじめたり、大勢で少数者を襲ったりすることは、「卑怯なことだからしてはいけない」そして「ダメなものは絶対ダメだ」と教えなさいと説く。「殺人」については、戦争で人を殺したり、凶悪人を死刑にしたり、警官が正当防衛でピストルを撃ったり、「殺人」の正当性はいくらでもあるのに、「殺人はいけない」という論理は通用しないのだという。 そうした規範こそ「武士道」だという。日本の武士道には「もののあわれ」という「弱者をいたわる思想」が、そして美しい情緒が内蔵されているからである。 美しい情緒は、日本という美しい国柄(風土)が生んだもので、ここではただ咲いた桜が美しいだけではなく、そのはかない命だから散り際まで美しいのである。 「自由と平等」とか、「民主主義は善」という発想を、偽善であり幻想でしかなく、むしろ平等よりも「惻隠の情(相手の気持ちを推し量る、思いやる)」を持つべきだと強調する。また強者が弱いものに勝つに決まっているのに、自由競争がいいわけはないではないかと指摘する。 実は弱者が強くなったのはヴェトナム戦争以降だが、1990年頃からアメリカで生まれ、世界中に蔓延している「悪疫」に「ポリティカル・コレクト」、実際は「弱者こそ正義」だという考え方があるという。弱者とは社会的=(黒人などの)マイノリティや身体的=身障者・婦女子・老人・子供などである。こうした考え方からは真の幸福は生まれることはないという。 「美しいところにしか天才は生まれない」として、もし万葉集ごろから、ノーベル文学賞があれば、日本では30を超える受賞者がいただろうとして、アイルランドやイングランドに多くの天才が生まれたという事例を挙げながら、日本は、いわゆる「普通の国」を目指すことなく、「異常な国」であり続けなさいと説く。 そして最後に戦後日本が失い続けてきた「国家の品格」を取り戻すために、幾つかの条件を挙げているが、それは読んでのお楽しみにしておきたい。 |
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![]() ■富国有徳論 |
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「日本文明と近代西洋」で、内向きの鎖国政策という低い評価に甘んじていた江戸時代を「鎖国はなかった」という視座から再評価し、「文明の海洋史観」を通じて、近代文明は東(南)アジアから始まったという(海から洗う)斬新な視点で、従来の陸地史観に大きな風穴を開けた著者の近著である。この「富国有徳」という言葉は、小渊総理の今年の施政演説で脚光を浴びるが、電話魔といわれる総理が、著者にわざわざ使用の了解を求めたことから独り歩きを始めたという経緯がある。 幕末の先覚者横井小楠は、当時すでに日本の指標として「富国・強兵・士道」の三位一体を論じたが、日本は士道すなわち有徳を忘れた「富国強兵」という国家スローガンによって「脱亜入欧」を目指し、敗戦というカタストロフィーの後、強兵を捨てて富国に邁進するが、奇跡的復興を経て五十年を経た今金融バブル崩壊という第二の敗戦に呻吟するのだと指摘する。 この「有徳」とは、明治に日本を訪れた英国人が富士山を形容した「富み且つ徳のある高峰(The rich and civil mountain)」からの造語だそうだが、すでに前著「文明の海洋史観」で提唱した庭園国家(The Garden Islands)プランの具体策として、従来近代文明の中心として、都市空間に立地した生活と市民という思想から脱却し、田園・森林という環境を身近に取り込んだ1反(300坪)の新住空間を(私有化するのでなく)「定期借地権」を利用して構築しよう提案する。「市民から士民へ」という新テーゼを提示である。 日本は、(日本を起点にして)東(南)アジアという多くの島々が散在する豊穣.の海の半月弧(The Sea of Fertile Crescent)における庭園国家(The Garden Islands)という位置付けである。かつて文化果てる地として、また「東洋の停滞」として、西洋の識者が歯牙にも掛けなかったこの多島海は、斬新な視座によって、かつて幾多の歴史生み且つ見守ったエーゲ海に比すべき地位と、21世紀における中心的位置付け を約束されているがごときである。 |
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![]() ■日本文明の謎を解く / 21世紀を考えるヒント |
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著者は土木工学の専門家で、旧建設省で長らくダム・河川行政にたずさわって、一昨年(2002年)退官している。在職中も積極的にマスコミや市民団体と対話や論争に従事した異色の論客である。本書はそうした公共事業としての仕事を通じて、人類文明への登山に当たって社会インフラという登攀ルートを(形而上ではなく自分の足で)とった文明論だという。 地理・気象から読み解くという特異な視点には、和辻哲郎の「風土」の系譜が見て取れる。たとえば、レバノンと日本の一夏三か月の気温分布を見ると、23〜27℃というレバノンに対して、日本は実に17〜32℃という大きな温度変化を示す。レバノンでの一夏の温度変化の4℃などは、日本においては昨日と今日との温度変化の幅に及ばないほどだ。この温度変化大きさから、日本人のせかせかした性格を読み取 ることが出来るという。 2〜3紹介すると、秀吉によって江戸に転封された徳川家康が、自然との戦いに取り組み、この広大な湿地と利根川・荒川という暴れ川を征服し、水路を整備し干拓を行って日本一の肥沃な平野へと作り直した功績を挙げ、いま環境の面からダムや堰に対するマスコミや市民団体にやんわりと苦言を呈している。 またモナリザの後ろに隠れる背景の川はどのように流れているかという謎に挑戦、そこには循環する川がありそのことがモナリザの絵の永遠性につながるのだという。こうした鋭い視線は本書の至るところで見いだせる。 「日本人の寿命」というところでは、大正10年から急に平均寿命が伸び始めたナゾにいどみ、それは水道水の塩素滅菌が始まったからだという事実に行き着く。そして水道インフラとしてはすでに20年経過しているのに、細菌学の知識がなかったため水道は寿命に影響しなかったのである。「事実は小説より奇なり」その塩素滅菌だが、ロシア革命にあたってのシベリア出兵の際、製造した毒ガス用液体塩素の再利用として採用されたものだということを知る。 特に行政での経験上、日本人の隠蔽体質は結果として不信と懐疑心を生むばかりであって、諌早湾や長良川の河川堰では、いくら説明してもマスコミは行政側にとってマイナスのイメージばかりを強調したのだが、著書が徹底したディスクロージャー(情報公開)によって、マスコミの対応は次第に公平な報道に変わっていくという、今後の有益な指針になる指摘もある。 |
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![]() ■エコロジー神話の功罪 / サルとして感じ人として歩め |
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「21世紀はエコロジーの時代」とか「エコノミーからエコロジーへ」「地球や環境にやさしく」などと、いまやなんでもエコロジーでなければならないような風潮がある。多くののエコロジストは、「自然保護」という錦の御旗を振りかざしている。この線に沿わないものはもう「悪」でしかないような勢いである。こうしたエコロジストやマスコミが唱えることが、すべて真っ当なものならば許せる。しかしエコロジストが取上げ、それにメーカーが造り、マスコミが推奨する「エコロジー商品」のすべてが、本当に額面通りに受け取っていいものなのだろうか? 我々も陥りやすい盲点を徹底的に追及し、その嘘をあからさまにしているのが本書である。ここには私たちの知らなかったエコロジーの姿がある。もちろんすべてが正しいとはいえないかもしれない。そこで浮かんだ疑問や、いままで思いこんできたことをもう一度考え直し、あらためて違った角度で再検証することで、「なにが真実か?」を知ればいい。 まず「リサイクル」の問題を取り上げる。地方自治体がリサイクルに取り組んできたことで、集まり過ぎた古紙は暴落を重ね、回収業の人たちを廃業に追い込んでいった。結局リサイクルとは決してエコロジーではなく、エコノミーであったのだという。たとえばコピー用紙や名刺まどで、リサイクルによる再生紙の方が高いという事実がある。このこと自体リサイクル運動の不合理さを示している。 次いで、太陽光・風力などの自然エネルギーを「実現不可能な神話」と切って捨てる。太陽光発電の装置を造るために石油を使った電力のお世話になり、実際にそれを差し引くと11年目からが正真正銘の太陽の力になるのだという。結果として石油をそのまま利用した方がはるかに経済的だと決めつける。 風力発電はキロワット当たりの単価が原発よりも高く、道楽以外には引き合わない。風が弱すぎては発電出来ず、逆に設計基準を超えるほど風が強過ぎると、今度は回転を止めないと機械が壊れる。しかも風は欲しい日中だけ吹いてはくれない。 その一方で「原発」も否定する。原発に関係する塾友は、ぜひこの本を読んで、正しい答えを示して欲しいものだ(推奨するのは天然ガスである)。また温暖化のあやふやな根拠を突いている。面白いのは、かつて世界文明が発祥したの時代は温暖な時代だった。そのころを「ヒプシサーマル(高温期)と呼び、特に寒冷なヨーロッパではクリマティック・オプティマム(気候最適期)だと呼んできた。だったらなぜ「温暖化が悪いことか」と反撃する。 論拠になるのは「熱力学理論(エントロピー)」であるが、幅広い視野で、我々の気づかなかったことを沢山教えてくれる。好奇心と知識慾の豊富な方には、決してそれを裏切らない内容を持っている。多くの事象から気にかかるものを見い出して、いろんな方面から検証するのも面白いだろう。 |
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![]() ■祖国とは国語 |
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大ベストセラー「国家の品格」の著者が、それに先立つ2000年から2003年かけて書かれたエッセイを文庫化されたものである。「国語教育絶対論」「いじわるにも程がある」「満州再訪記」の3篇から成っている。 「国語教育絶対論」は、明治大学教授で「声に出して読みたい日本語」の著者齋藤孝に「ああ、この人に文部科学大臣になってもらいたい」といわせた教育論である。まず、日本の現状を危機と見る。外交上も経済上もであるが、教育の乱れがその本質ではないかと説く。ゆとり教育路線が定着してから、学力は着実に低下し続けている。ゆとり教育が解決を目指した落ちこぼれ、いじめ、不登校、学級崩壊なども一向に減る兆しを見せない。次に述べる所論には全く同感としか言いようがない。漠然と感じていたことを顕在化させてくれた。 1.国語はすべての知的活動の基礎である。 情報伝達のため最重要なのは読む、書く、話す、聞くであるという。これができていないと思考がままならない。語彙を多くするため、漢字を多く知らねばならない。小学生の頃の、記憶力が最高で、退屈な暗記に対する批判力が育っていないこの時期を逃さず叩き込まなくてはならない。強制で一向に構わないという。このためには読書が最良の手段である。読書は教養の土台であり、教養は大局観の土台である。大局観は長期視野と国家戦略の基本である。これが失われていることを嘆く。 2.国語は論理的思考を育てる 日本の大学生がアメリカの大学生に比べて論理的思考に弱いことについて、国語による論理的思考の習得を説く。書くことや討論を通じて物事を主張させることの重要性を言う。筋道を立てて相手を説得させることが論理の始まりであるという。 3.国語は情緒を培う 人生のいろんな体験を通じて培われる情緒が人間を作る。直接体験だけではなく、読書を通じた経験が更に幅を広げる。日本には情緒に満ちた著作が古今を通じて多い。これらから学ぶことが必要である。特に年齢に応じた読書は重要である。 4.祖国とは国語である 本著の表題であるこの言葉は、フランスのシオランという人のものである。他民族の国では共通の言葉がアイデンティティーであり、祖国、祖国愛であるという。 5.これからの国語 最近有名になっている「小学校における教科間の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、後は十以下」。ルビつきでよい、文語の語調のよさも大切である。 今分からなくても、語調として覚えておけば、いつか分かるときがくるのである。 その他、英語第二公用語無用論、犯罪的な教科書、まずは我慢力などの教育論が続く。 |
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![]() ■危機の匡救 / 萩原朔太郎 |
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■為政者は其本質に通達すべし
偉大なる政治家は常に偉大なる心理学者でなければならないといふことは、べーコンやスペンサア等の政治哲学に聞くまでもなく、常識的に解りきつた真理であらう。日本の例を見ても、北條、足利、徳川等の覇業が成功したのは、彼等の幕府創立者が、何れも偉大なる政治家であり、当時の大名等が意慾するところをよく知悉し、大名等の心理を巧に捉へたからであつた。 しかし現代の世の中は、大名によつて支持されてる封建時代の社会ではなく、大多数者の民衆によつて成立してる社会である。それ故現代の政治家は、何よりも民衆の心理を知り、民衆心理学に通じた人でなければならない。そこでたとへばヒツトラアの如き人物が現代に於ける大政治家であり、併せてまた大英雄を典型してゐる。ヒツトラアの成功は、彼が一兵卒から身を起して、敗残独独逸のあらゆる苦汁を経験し、全独逸民衆の渇望してるもの、不満してゐるもの、欲情してゐるもの、嘆息してゐるもの、及びイデーしてゐるものの本質を真に骨の髄から知り悉して居た故であつた。 北條、徳川等の政治家は、一方で大名の強権的指導者でありながら、一方ではまた、大名等の欲望や理念やを満足さすべく、孜々として勤勉してゐたところの公僕であつた。ヒツトラアもまたそれに同じく、自ら独逸国民の公僕であることを言明して居る。ところで人が民衆の公僕であり、併せて指導者である為には、民衆心理のあらゆる隅々に通達して居なければならないのである。 さて私が、此処に改めてこんなことを書き出したのは、現代日本の民衆を指導してゐる人々、即ち政府当局者の為すところや言ふところが、時に全く民衆の心意に叛き、あまりにも民衆心理に迂遠であることを見るからである。民衆の心理を知らない者が、強権を握つて要路に立ち、いたづらに独断的の指令をする時、民衆は期せずして反抗の態度を取り、ひそかに政府を怨言するやうになるであらう。もし「危機」といふべきものがあるとすれば、かうした民衆心理の爆発より外にはない。そしてこの危機を未然に解消するためには、何よりも先づ為政者が、民衆心理の本質を研究して、その方面に通達することが必要であると思ふ。 かつて私は、この同じことを「帰郷者」といふ書物の中で、「政治の心理学」といふ題で小論した。だがその私の文章は、諷刺的であるよりも暗示的であり、故意にユーモラスの調子で書いた。此処では少しく具体的に、近頃新しく感じた二三のことを、随筆的に書いて見たいと思ふのである。 ラヂオ等の放送を通じて、近頃「百年戦争」といふ言葉を、しばしば私たちは聞かされる。現代日本の非常時局は、二年や三年で解決するものではなく、子々孫々の代に亙る恆久百年の問題である。よろしく国民たるものは、百年戦争を覚悟せねばならないといふのである。かうした講演をする人は何れ民衆指導の地位に立つ要路の人々にちがひないが、政治家としての素質から見て、無能に近い人ではないかと思ふ。 ■前途に洋々たる希望を 百年戦争といへばあの羅馬法王庁の十字架が、欧州の空に高くそびえ、基督教の迷信と宗教裁判とが、その神がかり的の絶対強権によつて、一切の理性を禁圧し、異端を火刑にし悪夢のやうに人心をおびやかして居たところの、戦慄恐怖の暗黒時代を聯想する。その頃オルレアンの一少女は、奇蹟によつて仏蘭西を救済した。だが今日は、奇蹟の有り得る時代ではない。今日の百年戦争は、悪魔と狂信者との戦ではなく、全く物質的なる経済力の戦であり、物資と物資との持久戦に外ならない。 今日の世界に於て、戦争がもしさうした状態に入るとすれば、物資の豊富な「持てる国」が、常に有利の立場に立ち、「持たない国」が不利の位置に立つことは勿論である。そして戦争が長引けば長引くほど、この優勝劣敗の懸隔は甚だしくなる。 それ故に「持たない国」の為政者等は、常に戦争が短期に終ることを公言し、反対に「持てる国」の政治家等は、いつも民衆に向つて、戦争が長引くことを演説する。そこで現にヒツトラアは、今次の大戦の勃発以来、幾度も既に繰返して、戦争が必ず短期に終結することを独逸国民の前に演説し、現に只今でさへも、今秋迄には必ず英国を屈服させると公言して居る。 前欧州大戦の時、独逸は戦場に勝利を得ながら、経済戦に敗北して、ヴエルダンに死物狂ひの苦戦を続け、正に国内崩壊の危機に際して居た時、カイゼルは民衆に向つて演説し、戦争が既に終局に近づいてること、必ずこの半ケ年以内に、独逸の絶対勝利を以て平和が当来することを説き、以て食糧品の欠乏から、正に崩壊しようとする国民の意気を鼓舞し、最後の一瞬時まで、民衆に希望と勇気を持たせることに努めたのである。 今の日本の当局者が、民衆に向つて百年戦争を説教するのは、思ふに国民の一大決心と覚悟をうながし、非常時への緊張を一層強化させようとする為であらう。だがその効果は、おそらく政府人の意志に反して、反対のものになつてるかも知れないのである。日本にもしヒツトラアが居るならば、今日の政府人とは、おそらく正反対の演説をするであらう。即ち時局は既に見通しが付いてること、今日の非常時は、おそくも一、二年の内に解決して、新日本の光栄ある将来が、今日の苦難に百倍する報酬によつて、明日の諸君の頭上に輝くことを説くであらう。 たとへ嘘言にもせよ政略にもせよ、国民はかうした勇ましい演説を、当局者の口から聞くことを求めて居るのだ。それによつて彼等は、初めてよく今日の受難に耐へ忍び、前途に洋々たる希望と勇気をもち得るのだ。近衛首相が国民の前に顔を伏せて、支那事変の責任は我にありと言つてる時、一方でまた当局者が、百年戦争などといふ如き、神秘めいた不可解の謎々を説くやうでは、到底民衆の不安は救へないのだ。 今の日本の政治者中には、驚くべき大ロマンチストが居るやうに思はれる。彼等の説教はかうである。すべての日本人たるものは、常に国家百年のことを考へ、私を捨てて公に奉公せねばならない。今日の事態に於て、自己一身のことは勿論、家族や子孫等のことを考へるものは、時局を認識しない非国民であり、憎むべき個人主義者である。真の日本国民たるものは、汝の一切を犠牲にして、子孫百代の後の国家を考へ、二十一世紀に於ける大日本の発展を夢むべきである。「国民よ。夢を持て!」と。 たしかに、その言ふ如くであるならば、日本は万々歳にちがひない。だが大多数の民衆は ― どこの国の民衆でも ― 目前の生活や食物に執着してゐるところの、そして高邁永遠の観念よりも、卑俗な現実に生きてるところの俗物であり、孔子の所謂「女子と小人」のグループにすぎないのである。 ■「説教」でなく「演説」が肝要 政治家の政治家たる手腕は、要するにかうした女子小人の一大グループを、巧に甘やかしたり叱つたり、時にはまた方便のトリックにかけたりして、自由に操縦することに帰するだらう。民衆は決して君子でもなく聖人でもない。彼等に向つて士君子の道を説き、その現実的なる欲望を否定せよと教へる如きは、決して賢明なる政治家のすることではない。賢明なる政治家は、一方で民衆を叱咤しながら、一方ではまた、常に民衆を悦ばす術を知つてるのである。 それ故に政治の術は、小学校の教育や軍隊の教育とは、全く根本から質がちがつてゐるのである。小学校や軍隊では、修身教科書や教育勅語を朗読して、正課通りを真正直に教へれば好い。だが大多数の民衆は、教室内に居る生徒でもなく、兵営内に生活する軍人でもない。彼等は現実の世間に生活し、命の糧を稼ぐ為に、日夜にあくせくとして働きながら、世俗のあらゆるセチ辛い処世術と、狡智にたけた懸引の算盤玉を、精根蓋して経験してゐるところの人々である。彼等に向つて説教するものは、決して軍隊的の口調を用ゐたり、学校教師的のゼスチュアをしてはならない。即ち言へば、真の「政治家的口調」と「政治家的ゼスチュア」のみが、よく大多数の民衆を指導することができるのである。 といふ意味は、よく俗社会の事情に通じ、民衆心理の機微を知つて、国民大衆の意向するところ、欲情するところを知悉してゐる人のみが、初めて政治人としての資格を所有し得るといふ意味である。 ■説教と演説 徳川幕府の政治は、一種の説教政治であつた。いかにしばしば幕府が、人民に向つて倹約を説き、親孝行を説き、奢侈を戒め、お上への忠義と奉公を説教したか。そして此等の説教が、お上の「お触れ」として言はれる時、それは違背者への厳罰を意味してゐた。説教政治は、子供への教育と同じやうに、罰と教訓を使ひわけにするところの、一種の専制的威嚇政治に外ならない。故に人民が成長して、彼等自身の批判と見識を持つやうになつた時代は、もはやその手が利かなくなる。新しい時代の独裁政治は、「説教」の代りに「演説」をする。演説とは、公衆に向つて所信を叙べ、自己の抱懐する政策や国策やを、堂々と披瀝し、主張することである。即ち現に、ヒツトラアやムツソリーニがしてゐるやうに。 ― 今の日本の悲哀は、説教者ばかりが居て、演説者が居ないといふことである。 これは昨年出版した私の書物、「港にて」の中に納めた小文だが、最近になつても、まだこの日本の事態は変つて居ない。官辺筋の宣伝やラヂオの放送を聞く毎に、「もう説教は沢山だ」といふ感銘を抱くものは、決して私一人ではないであらう。今日僕等の民衆が聞きたいものは、実に「説教」でなくして「演説」である。即ち具体的にいへば、施政の方針を明らかにし、国策の本質を解説して、よく大衆の理性に納得のできるやうに、政府の意向を正しく披瀝してもらひたいのである。 最後に付言するが、元来私は気質的の文学者であり、政治の如き俗界の問題には、全く没交渉の生活をして来た詩人であつた。かつて以前、左翼思想の政治運動が流行して、多くの詩人や文学者やが、こぞつてそれにかぶれた時でさへも、私は全く没交渉の生活をし、その種の政治問題に対して、少しも関心をもたなかつた。さうした私のやうな風流人が、今日こんな文章を書くことの熱情に迫られてるのは、我ながら不思議の次第でもあり、そこにまた現代日本の、容易ならない重大問題があると思ふ。 |
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![]() ■時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう) / 建設業の今昔 |
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「土建国家から福祉国家へ」。「コンクリートから人へ」。そして「小沢問題」。建設業が、土木事業(=公共事業)が悪者にされている。本当にそうであろうか。「土木事業」と「土木事業を食い物にする仕組み・輩」とは区別すべきである。本質を冷静に見極めて欲しい。
そもそも「建設業」、昔流に言うなら「土木建設業」、略して「土建屋」。小生も実は土木工学科卒である。入学の頃は、田中角栄氏が全盛期の頃で日本列島改造論で盛り上がっており、工学部の中で最も入試の競争率が高かった花形学科であった。それが今や「土木工学科」を掲げている大学すら殆どなくなった。「建設工学科」「社会システム工学科」「社会基盤学科」「社会環境工学科」・・・。寂しい限りである。 もともと、有史以来、為政者は優れた土木技術者(為政空間管理土木)でもあった。それは国を治めるために不可欠であったからである。治山・治水、農業土木・軍事土木。現在の農業生産の基礎、国の形の骨格、防衛・防災の要、・・・、土木事業は「感謝の念」を持たれていた。 こうした性格が変質したきっかけの一つが1930年代の大恐慌期にとられた不況対策化である。アメリカではニューディール政策、そして日本では「時局匡救事業」。要するに、公債発行を資金源にしたケインズ的政策であり、公共事業誘導システムさらには地方の公共事業依存の原型ともなった。 高度成長期は成長を支援するインフラ(産業・都市・交通土木)が隆盛を極め、プロジェクトも大型化した。そして、低成長期になると、生活(関連施設)土木に重点がシフトした。基本的な大型社会インフラは概成し、景気対策効果(乗数効果)は逓減する。加えて、総人口が減少に転じ、新たな大型社会インフラの需要も減少する。こうして、社会資本=公共土木の必要性と意義が低下し、「コンクリートから人へ」がスローガンとして認知される事態が到来するに至っているわけである。 現在そして今後は、環境(再生)土木、維持管理土木へ。換言すれば、再び、エリア空間管理土木にシフトすることになろう。全国のあちこちで40、50年前に埋設された水道管が破裂したり、維持管理されずにいる危険な橋梁、湛水能力の落ちたダム等々、「荒廃するアメリカ」の二の舞にならないよう「土木」がやるべきことはある。そこにおいては、「建設」ではなく、自然と調和する「土木」(コンクリートではない!)である。 土木(建設業)はまさに時代を反映している。 資料によると、2010年度予算の建設投資額41兆600億円は40年前(1970年度)の建設投資学41兆6,839億円とほぼ同額に水準にまで縮小している。しかし、建設業の就業者数は当時の建設業の就業者数394万人から100万人も多い状況にあり、一人当たりの生産性の向上を勘案すると100万人規模の就業者の縮減が不可避となる。 明らかに、需要/市場規模に対して供給/建設業過多にある。つまり、需要主導型の市場構造化にあり、需要側のあらゆるニーズへの極め細やかな対応力が鍵となる。従来のように、単なる施工のみではそうした対応はできない。今風に言えば、「トータル・ソリューションサービス」対応である。 このためには、[企画・提案−組成−施工−管理・運営・メンテ]の全体のプロセスのそれぞれに於いて強みを有する専門性の異なる企業のコラボレーションが不可避となる。 経営・業務コンサル—建設コンサル—施工会社—管理・運営会社 明らかに、従来の一つの仕事を細切れにした業界内でのシェア型のJVとは異なる。もはや、従来の“建設業”の枠組みがそのまま残ることは考えられない。脱皮が必要である。生物は「さなぎ」から「成虫」に脱皮できるかどうかでその生死が決まる。脱皮に最大のエネルギーが費消されるという。人も企業も同じである。 「小沢問題」は従前の土木の世界の残滓を断ち切り、新たな土木の世界へと切り替わる(脱皮する)良いチャンスである。前向きに捉えたい。 アメリカのリーマンショックに端を発した金融危機はグローバルな信用収縮を引き起こし、そしてアメリカの過剰消費購買行動を収縮させ、輸出主導型の日本に実態経済の危機、さらにはデフレスパイラル危機をもたらしている。そこへ、「コンクリートから人へ」への政権ショック、さらにはドバイショック、そして今後も幾多のショックが予想されている。 こうした眼前のショックを乗り越え、脱皮を果たすには、何が必要か。土木そして建設業が時代にあったビジネスモデル(サービスモデル)に転換していくしかない。その過程に於いて、業容・業態改革が必然的になされるであろう。 「政」「官」に頼らず・踊らされず、「業法」に縛られず・寄りかからず、自らの生きる術は自らが決める覚悟で頑張って欲しい。そうした変革を支援したい。 |
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出典「マルチメディア統合辞典」マイクロソフト社
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出典不明 / 引用を含む文責はすべて当HPにあります。