国家・文化

【文明】文教が盛んで人知が明らかになり精神的・物質的に生活が快適である。人間の内面的な精神活動によって形成された科学、宗教、芸術などの精神文化に対して、人間の外面的な生活条件や秩序についての物質文化をさす。技術、法制、経済の類。「文明人」「文明の利器」 
【文明開化】明治初年西洋文明を積極的に輸入し急速に近代化・欧化した現象。 
【文明批評】文明諸現象を広範な見地から総合的とり上げ未来展望を含めて文明の本質を解明・評論。 
【文明病】物質文明が極度に発達した結果生ずる病症。ノイローゼ。性病の俗称。 
【文化】(
culture)学問・芸術・道徳・宗教など人間の精神の働きにより、生活を高め新しい価値を生み出してゆくもの。 
文化映画/文化勲章/文化圏/文化交流/文化功労者/文化国家/文化祭/文化財/文化財保護法/文化史/文化施設/文化使節/文化人/文化人類学/文化水準/文化生活/文化大革命/文化庁/文化地理学/文化の日/文化摩擦/文化遺産/伝統文化/文化の高い
(低い)/文化的事業/文化的生活
【文化的】物質的な要素から離れた精神的な行為を強調していう。近代的合理主義。 
【文化遺産】前時代の文化財で現在に伝わるもの。向上・発展のために過去から伝承されている文化。 
【文化価値】文化財としての価値。文化の面から人間社会をより豊かなものとする価値。 
【文化主義】(大正後期)生活の目的を文化向上に置き、文化価値の実現をめざしていこうとする立場。 
【文化国家】文化を指導理念とした国家。警察国家・法治国家などに対してドイツで成立した国家理念。 
【文化人】文化的教養を身につけた人。学問、芸術など知的な職業人。 
【文化生活】家庭生活で新しい文化的生活用品の利用によって営まれる科学的・合理的な生活様式。
【文化住宅】大正・昭和にかけて流行した洋風。関西地方にある木造二階建て棟割アパートをいう俗称。 
【基層文化】民族文化の基層を成す伝承的な性質の強い生活文化。庶民的な文化。 
【文化大革命】1966-69中華人民共和国で中国共産党中央委総会の「プロレタリア文化大革命についての決定」に基づいて進められた政治闘争。毛沢東ら左派が劉少奇に代表される右派を倒した。文革。 
【精神文化】物質と精神を区別、精神的働きで生まれる文化(哲学・宗教・道徳・思想・文学・芸術・法律)の呼称。 
【野蛮】文化が開けていないこと。無教養・無作法で荒っぽいこと。粗暴。 
【国民】その国に属し国家を構成する人民。その国の国籍を持つ人。/国民の祝日/国民栄誉賞/国民科/国民皆兵/国民学校/国民歌謡/国民議会/国民休暇村/国民協会/国民軍/国民健康保険/国民車/国民宿舎/国民審査/国民葬/国民的英雄/国民年金
【国民教育】国家が教育に規制を加え一定の能力をもつ国民を育てることを期して行なわれる教育。 
【国民国家】同一民族または国民という意識によって形成された中央集権国家。 
【国民主義】民族に基礎をおく国家形成を最上と考え民族の解放、自立をめざす立場。ナショナリズム。 
【国民性】一国民または一民族の全体が共通して持っている性質・感情・特性。 
【国民精神】国民に共通してある固有の気質・精神。国家に自己を犠牲にして尽くす国民の精神・気概。 
【国民精神総動員運動】日華事変後近衛内閣で始められた国家総動員体制確立への国民運動。昭和12年挙国一致、尽忠報国、堅忍持久のスローガンを掲げて国民精神総動員中央連盟が結成されたが、次第に物的協力運動にかわり大政翼賛会に引き継がれた。
【大政翼賛会】昭和15年近衛内閣が新体制運動推進の名目で設立した戦時下国民統制の組織。全国に支部が作られその長は地方長官が兼任。総選挙に推薦候補者を指定し、産業報国会、大日本婦人会、部落会、町内会、隣組などを指揮下に入れた。 
【大政】天皇が行う政治。 
【大政奉還】政権を朝廷に返上すること。慶応3年江戸幕府15代将軍徳川慶喜が政権の返上。これによって鎌倉幕府以来約700年続いた武家政治が終了。 
【国民政党】広く国民全体の立場に立つことを党是とする政党。 
【国民大会】国家的問題に国民的運動を起こす目的で多数の有志者が時を期し一か所に集まる会合。 
【国民徴用令】昭和13年国家総動員法、国民を重要産業に従事させ軍需工場に強制的に動員徴用。 
【国民的】規模が国民全体にかかわるさま。
【国民道徳】ある国民に特有な道徳。国民として特に守らなければならない道徳。 
【国民兵役】旧兵役。常備兵役、補充兵役と常備兵・補充兵で兵役終了者が服する第一国民兵役にない、17〜45歳までの者が服する第二国民兵役とがあった。 
【国民服】
昭和15年制定、戦中男子に用いられた国民常用服装。軍服に似て色はカーキ色(国防色)。 
【国民経済】一国内で営まれる経済活動の総体。 
【国民所得】一国民経済内で一定期間に新たに生産される価格の合計。 
【国民投票】議員・公務員の選挙を除き、政務に関する重要な事柄について国民一般が行なう投票。直接民主制の一つ。わが国の憲法では、憲法改正の場合に行なうとしている。人民投票。
【施行期限】公布された法律が現実に効力を発生するまでの期限。多くの法律は付則に施行日を定めている、この規定のない場合公布の日から起算して満20日を経て施行される。 
【福祉】みちたりた生活環境。現代では社会の成員の物的・経済的、または文化的欲求の充足。 
【教育】知識を与え個人の能力を伸ばすためのいとなみ。一定期間、計画的、組識的に行なう学校教育。 
【遺産】死者の残した財産。所有権、債権などの権利のほか債務も含む。 
【戦国】各地に割拠して互いに戦う国々。戦争で乱れた世の中。乱世。 
【戦国時代】中国、東周の後期。一般に晋が三分された紀元前403年から秦が天下を統一する紀元前221年までの動乱期をいう。周室の権威が失墜し、諸侯はそれぞれ王を称したが有力諸侯が戦国の七雄として割拠、互いに覇を争った。陝西に拠った秦が他の六国を平定して天下を統一。学芸思想から、農・工・商の各面にいたるまで未曾有の発展を示した時期で、秦漢統一帝国を出現させる母胎となった。 
応仁の乱以後の約一世紀の間、有力大名が全国的に割拠したため国の政治的統一を失った時代をいう。いわゆる下剋上の時代で守護代が守護を倒し、家臣が主家にそむいて大名となる者が多かった。戦国大名は積極的に領国経営を行い、農民・商人はその収奪に対し独自の結合形態をもって対抗し、また京都の荒廃によって知識人が諸国に下向し、中央文化の地方普及が進んだ時代でもある。  
【民】君主・帝王に統治されるすべての人々。臣民。貴族、武士階級を除いた庶民。現代では広く国家社会を構成する人。国民。 
民は之(これ)に由(よ)らしむべし之を知らしむべからず 人民というのは命令によって従わせればよいので、原理・方針を説明する必要はない。 
【ブルジョア】近代資本主義社会で資本家階級に属する人、金持。
 
論語「知らしむべからず」の勘違い  
先日、パーティー会場で経営者と思われる方同士がこんな会話をしているのを立ち聞きした。 「確か、先週、御社では経営計画発表会をやられたんですよね? どうでしたか? 社員のモチベーションは上がりましたか? 」「いやぁ。それがなかなかうまくいかなくてね。我が社の危機的な状況を財務諸表から何からすべてオープンにしたんだけれど。社員からの反応が薄くて。危機感どころか、ちんぷんかんぷんだったみたいだね」「やっぱりね。うちもそうだったんですよ。オープンブックマネジメントなんて言葉に踊らされて、財務諸表をすべてオープンにしたら、モチベーションがあがるどころか、不満が出てしまいましてね。こんな機械や設備を買うくらいなら、給料をもっとあげてくれ、なんて。まだ、うちには早かったんですかねぇ」「うちも同じですよ。やはり論語にもある通り『民はこれを由らしむべし。知らしむべからず』ですな。社員に余計なことを知らせると、ろくなことがない。黙って言うことに従わせておくのがいちばんですよ」「確かにそうですね。うちも考え直さなくちゃいけません」これは笑い話ではない。事実だ。  
このお二方は論語の有名な一節を完全に間違って理解していらっしゃるようだ。  
論語の中でもベスト5には入るであろうほどに有名な一節。  
「民は之(これ)を由(よ)らしむべし。之を知らしむべからず」  
上記のお二方はこれを以下のように間違って解釈している。「民に対して施政者は、服従させるべきであり、余計なことを知らせてはいけない」と。これは大いなる勘違いだ。  
しかし、このように自分にとって都合のいい解釈をしている経営者は意外にも多い。この間違いについて、私が主催する小倉広「人間塾」のテキストである『いかに生くべきか〜東洋倫理概論〜』の中で、安岡先生は大変わかりやすく、以下のようにまとめて下さっている。  
 
「民は之を由らしむべし。之を知らしむべからず」でなければならぬ。これを近来ことに甚だしく曲解して、民衆は服従させておけ。智慧をつけてはならぬという民衆侮辱の専制思想を現すものとされているが、もとよりそんな意味ではない。この字は安井衝論語集説にも明らかにしているように政教を指し、また上の「べし」は命令、下の「べからず」は不可能的推量と断定を一にした意味の助詞で、禁止の助動詞ではない。官たる者は常に一人一階級の私利を謀るべきものではなく、蒼生(心理的生理的に相影響する人間集団)全体の幸福を謀るべきものであるから、往々にしてその経綸(天下を治めること)は眼前の利益を逐う(おう)民衆と相容れぬことが多い。すべて深い心境にあるものは、その消息を一般に知らし難いことは理の当然で、やむを得ない。だから、ただ誠を以て民を信頼せしめよという意味である。  
 
これを我々、企業人にあてはめ現代語に訳すると以下のようになるだろう。  
リーダーがすべきは、目の前の一人や一つの集団の利益「部分最適」を追うことではなく、社員全員の幸福、つまりは「全体最適」を追うことである。しかし、それは、自分一人や、自分の部署の利益だけを追う一般社員の意見と相容れないことが多い。そのため理屈で社員を説得することは当然ながら難しい。だからこそ。日頃からリーダーは誠実に一所懸命全力を尽くして社業に邁進し、一般社員から信頼されるリーダーとなることが重要だ。「あの人の言うことならば大丈夫。あの人が言うならついていこう」。このように信頼されるリーダーにならなければ、理屈で社員を説得しようとしても無理なことなのである。  
リーダーシップは上司と部下の信頼関係の大きさにより決まる、という信頼蓄積理論とまったく同じ理論であるように思うのだ。  
安岡正篤先生は同著において、以下のような文章でもそれを明示している。  
 
教(きょう)とは単にその人にその知らぬことを告げ知らせることや、言語文字で人を戒めることに止まるものではない。それはむしろ教の枝葉的意義であって、根本的には善を以て人に先立つ(荀子)ことであり、下の法り(のっとり)效う(ならう)ところとなることでなければならぬ。教は效(こう)であると釈名にも説いている。(中略)  
果たして為政者たるものが立派に士であり、善を以て人に先立てば、民はこれに由っておのずから正しからざるを得ない。そこで格別法令治具によらずとも、民衆はひとりでに上に法り效うて、いつの間にか清健な統一的活動、すなわち淳風美俗ができあがる。これを教化というのである。  
 
蛇足ではあるが、現代語に訳すとこのようになるだろう。  
「教える」とは、ある人にその人が知らないことを知らせることや、文字でいましめることだけではない。それはむしろ「教える」のあまり重要ではない、ほんのわずかな一部である。最も大切なことは、「教える」とは、「人の見本になる」ということであり、人々がそれを見て「真似をしたくなる」ということでなければならない。「教える」とは「真似をさせる」ということであるのだ。リーダーが常に部下に「見本を示す」ことができていれば、特にルールや規則を作らなくても、社員はひとりでに上司の真似をして、素晴らしい組織文化ができあがる。これを教化というのだ。  
私たちリーダーは、部下を持つと、ついつい「理屈」で「説明」し、部下を従わせようとしてしまう。そして、それでもついてこない部下に対して「こいつらは使えない」「意識が低い」と部下のせいにしてあきらめてしまいがちである。何を隠そう。かつての私自身がそうだった。間違ったリーダーそのものであったのだ。  
そうではない。「教える」ということは、我々リーダーが「見本を示す」ということであり、「真似をさせる」ということだ。それをゆめゆめ勘違いしてはならない。  
パーティー会場で論語の間違った解釈をしていた二人の経営者の方々。私はそれを聞き、心の中で正しい解釈をしている自分を少し誇らしげに、自分を優位に思ったものだ。しかし、そこから一連の思考を通り、正しいリーダーのあり方にまで思いを巡らせて考えるうちに、私自身も彼らと何ら変わりない間違ったリーダーであることに気がついた。まったくもって頬が赤らむ思いがしたのだ。  
学べば学ぶほどに、自らの無知に気がついていく。知行合一。できていないことは知らないことと等しい。実践して初めて知っている、ということになる。  
私自身、まだまだ論語の本当の意味を「知らない」のだ、と自らを再定義した。そして「知る」ための努力を始めたいと強く思った。 
 
イノベーションについて  
グローバル経済化が加速する中で、総人口減少(すなわち市場縮小)・超高齢社会(すなわちリスクテイク能力縮小)が確実に進展する日本社会が今後とも持続的に活力を維持していくためには、グローバルレベルで通用する「知」と「ビジネス」のイノベーションを継続的に励起していくことが不可欠であり、その効果的な推進には、主要なプレイヤーたる大学(群)と企業(群)の自律分散協調型の連携が不可避である。  
 
日本経団連の「イノベーション立国に向けた今後の知財政策・制度のあり方」(2010年)においても次のように記されている。  
シュンペーターの著書「経済発展の理論」において、イノベーションは「新結合」であるとされ、担い手が企業家であること、技術革新のみに限定せず市場や組織等、広い範囲で新機軸が発生するものであること等が説かれていることを、われわれは改めて想起する必要がある。従来、わが国においては、科学技術政策の文脈でイノベーションが語られることが多かったが、市場創造・市場展開までを意識した一貫した取り組みは稀であり、成果も限定的であった。わが国がこれまで以上に意識すべきは、知の発見や技術の革新に止まらない、市場創造・市場展開までを意識したイノベーションである。企業はこうしたイノベーションによって国民生活の向上に主体的役割を果たせる存在である。よって今後は、従来の「知の創造」という入口を重視した政策・制度とともに、「市場創造・市場展開」という出口を明確に意識した、企業のイノベーションに関わる潜在力を高めるための政策・制度に溢れた国づくりが不可欠である。  
 
そして、「イノベーション・ハブ構想」を提案している。その実現には、「産業界のイニシアチブと政府の政策」が重要であり、「官民が協働する場」が必要であり、「府省横断的な全体構想の下での国を挙げての戦略的な展開が期待される」としている。さらに、日本知的財産協会が提案している「Green Technology Package Program」の考え方に賛同している。  
しかし、果たしてそうであろうか。確かに、国家的なインフラプロジェクト(宇宙・交通・防災・防衛等)は政・官主導型の産学官によるイノベーションを起こしうるが、マーケット主導のライフスタイルに関するイノベーションにマーケットリスクを取れない官が関与する必然性は薄い。産学官ではなく、産学である。さらに言えば、公助ではなく、共助・自助である。  
 
昨日(2010年)のカンブリア宮殿(ゲスト:セーレンの川田社長)の編集後記で村上龍氏が下記のように述べていたが、これこそがイノベーションの原点ではなかろうか。  
川田さんが目指したのは「下請けからの脱却」だった。高度成長の時代まで、ほとんどの会社は国家もしくは大資本の下請けだったが、旺盛な需要のせいで利益は上がった。サバイバルなど考える必要がなかった。今だにその余韻が残り、国全体が下請け状態から脱し切れていない。自立は簡単ではないが、他に方法はないことを、川田さんは実証した。  
 
そもそも、イノベーションを惹起するのは誰か。それは個々の突破者あるいはベンチャーが従来の常識・枠組みを超え、リスクを取ってチャレンジしたためではなかろうか。決して、国の政策・制度によるものではない。  
いまやWEB社会である。知のイノベーションやビジネスイノベーションにおいて、もはや国境は関係ない。イノベーターの居場所、グローバル展開のしやすさが問題であり、大掛かりな組織が不可欠というわけではない。情報・知が流通し、それらが刺激しあうIT環境(プラットフォーム)があり、リスクテイクを支えるリスクマネーが供給される環境があれば、リスクを取るイノベイターが出現し、恊働しイノベーションを引き起こせる。  
突き詰めて考えてみると、技術的な問題もさることながら、結局はリスクマネーの供給がいかにできるか、これに尽きるのではなかろうか。先程のカンブリア宮殿に登場していた川田社長の言によると「投資とは夢」と言い、積極的に投資をしていたが、日本の一般的な企業は「夢」には投資しきれないであろう。投資とはまさにリスクを取りに行く行為ではなかろうか。例えば、次の記事に見られるような事案が日本国内であった時、果たしてリスクマネーが投じられたであろうか。  
 
エンジェル投資家が米国経済を救う:日経ビジネスオンライン(2010年)  
カナダのトロント大学ロットマン経営大学院マーティン繁栄研究所のリチャード・フロリダ所長は著書『The Great Reset: How New Ways of Living and Working Drive Post-Crash Prosperity(仮訳:抜本的立て直し―金融危機後の繁栄をもたらす新たな生き方・働き方)』の中で、「リスクが極めて高い、高レバレッジの投機的な分野に資金が流れるような、現在の金融システムを改革する必要がある。金融市場は投機の助長ではなく、イノベーションと実体経済の成長を促進するという、本来の理念と目的に立ち戻るべきだ」と述べている。  
金融の役割を原点に戻すための1つの手段は、エンジェル投資家による投資の促進だ。エンジェル投資家とは、主に起業家や元起業家から成り、ベンチャー投資会社の出資対象となるにはまだ創業から日が浅く、十分な事業実績がない新興企業に出資する個人投資家のことだ。主に年金基金などの機関投資家から集めた資金を運用するベンチャー投資会社とは異なり、エンジェル投資家は自己資金を個人のリスクで投資する。  
起業やイノベーションを支援する投資を誰よりも先に行うのがエンジェル投資家だ。エンジェル投資家の投資が成果を上げてきた頃にベンチャー投資会社が現れ、エンジェル投資家が育てた企業の事業強化にあたる。  
エンジェル投資家の投資対象は実在する企業であり、債権資産を証券化したCDO(債務担保証券)などではない(CDOのような複雑な金融商品は“悪魔の創造物”だという人もいる)。  
現在の著名企業も、その多くはエンジェル投資家の出資を受けて開業している。創業当初の米電子機器大手アップル(AAPL)は、米半導体最大手インテル(INTC)の幹部で株主の1人から9万1000ドル(約850万円)の出資を受けた。  
米インターネット通販最大手アマゾン・ドット・コム(AMZN)の創業者ジェフ・ベゾスCEO(最高経営責任者)はベンチャーキャピタル数社から出資を断られた後、十数人のエンジェル投資家から総額120万ドル(約1億1000万円)の出資を受けた。  
近年で最も有名な例は、米コンピューター大手サン・マイクロシステムズの共同創業者アンディ・ベクトルシャイム氏が米インターネット検索最大手グーグル(GOOG)に10万ドル(約930万円)出資したことだろう。その資金のおかげで、グーグル共同創業者のラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏は米スタンフォード大学の学生寮から出て、検索エンジンを本格的に売り込めるようになった。グーグルで富を築いた幹部の多くは、今度はエンジェル投資家として出資する側に回ろうとしている。  
米ミネソタ州ミネアポリスのベンチャー投資会社の幹部で、エンジェル投資家でもあるゲイリー・スメイビー氏は、「起業家は自己資金を投じてほかの起業家を支援し、同時に利益も上げようとしている」と語る。  
米ニューハンプシャー大学ベンチャー研究センター(CVR)によれば、昨年、25万9480人のエンジェル投資家が5万7225社のベンチャー企業に出資した総額は176億ドル(約1兆6000億円)だったという。出資先のベンチャー企業数は前年比で横ばい、出資額は前年比で8.3%減少した。しかし、米国が1930年代以来の不況にあえいでいたことを考えれば、心強い数字だ。  
 
このエンジェルに対する日本の流れを示す一つのニュースがTechCrunchで流れている。  
まずはひと安心。日本証券業協会はエンジェル投資規制の可能性があった会則改定を延期した  
日本証券業協会の会則の改定によって、個人投資家から出資を受けた未上場企業が上場できなくなるかもという記事を以前に書いたが、起業家も個人のエンジェル投資家もひとまずは安心してほしい。  
7月2日に日本証券業協会は、大多数の反対意見によってこの規則の改正を延期したと発表している。Twitter上でなどでも数多くの議論を巻き起こしたこの件、ウワサによれば日本証券業協会のパブリックコメントで過去最大と異例の数の応募があったようで、例外規定を設けて対応しようとしていたようだが、今回の改定案については延期というかたちで見送った。  
ただ、今回の件は一般の個人投資家を対象にした詐欺行為を取り締まるためのものとして提案された改定案で、エンジェル投資家の規制を対象としたものではなかったことは付記しておこう。  
以下が日本証券業協会の発表資料からの引用。  
ここでいう個人投資家とは、発行会社やベンチャービジネスと全く関係のない一般の個人の方であり、経営者の知人・友人の方や会社の内容を十分承知した上で投資をされるエンジェル投資家と呼ばれる方を含めることは当初から予定しておらず、こうした考え方に ついて、規則改正に関する Q&A やパブリック・コメントへの回答といった形により明らかにする予定でありました。本協会といたしましては、今回提示した規則改正案に対し非常に多くの意見が寄せられ たということを踏まえ、改正規則の施行日を7月20日と予定しておりましたがこれを延期することとし、本案の取扱いも含め、適切な未公開株詐欺の未然防止に向けた対応につい てあらためて議論することといたしました。  
 
そもそも、イノベーションは尖った世界で起きるものであり、尖り部分を研磨し丸くするような従来の日本型の発想では難しい。産官学あるいは産学連携はなんのためか。もともと尖ったものをさらにより尖らせイノベーションを実現しうるように産学(官)で押し上げるなら大いに意味がある。  
こうした視点で、2010年に開催された「知的財産戦略本部会合」において配布された「知的財産推進計画2010(案)」を読むとなかなか興味深い。重点戦略の3本柱の一つに挙げられている「コンテンツ強化」であるが、これこそ尖った個人の世界が幅を利かす世界であり、よってたかっていじる世界では無さそうに思えるがいかがであろうか。さらに細かい工程表が書かれているが、この工程表の真のプレヤーはだれか。  
イノベーションは自立心の強い個の世界である。そうした強い意志を持つ個を輩出し、そうした個の足を引っ張らない仕組みをどうやって日本の中に社会システムとして組み込むか。これが日本の今後を左右することになる。そうした仕組みを創っていきたい。

  
出典「マルチメディア統合辞典」マイクロソフト社
 / 引用を最小限にするための割愛等による文責はすべて当HPにあります。  
出典不明 / 引用を含む文責はすべて当HPにあります。