性善説・性悪説

性善説1性善説2性善説3性悪説1性悪説2性悪説3悪の起源荀子韓非子分(ぶん)弱い紐帯グノーシス主義内部セキュリティ対策教育行政刑法思想偽善社会
諸説 / 反面教師性悪説の国に生きる知恵同文同種は虚妄諸子百家性善説性善説民主主義の人間性論魔性の正体性善説と性悪説性善説と性悪説人間性悪説性善説性善説は信じるな性善説と性悪説原罪と自由天道は是か非か・・・
 

雑学の世界・補考   

性善説1

人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説、特に儒教主流派の中心概念。人の本性に関する考察は古今東西行われてきたが、「性善説」ということばは儒家のひとり孟子に由来する。以下、中国における「性善説」について解説する。
性説
「性」とは、人の本性やものの本質のこと。字書的にいえば、「性」という字は生まれながらの心という意味である。甲骨文及び金石文には登場しないことから、比較的新しくできた字であることが分かっている。孔子も「性相近し、習相遠し」(「論語」陽貨)と述べて「性」に言及しているが、それが積極的に論じられるようになるのは孟子の時代以降である。「性」についての概念は論者によって大きく異なり、そのことでかえって議論が紛糾したと言ってよい。先天的な本性とする説、後天的に獲得される諸能力とする説、道徳的ものを含む含まない等、多岐に渡る。「性」に関する議論を「性論」という。また「性」についての説を「性説」という。
中国における「性論」の特徴の一つとして挙げられるものに、それが善悪をめぐってなされたということがある。中国では「人とは何か」といった抽象的なテーマは取り上げられず、より具体的に政治意識との関連で語られた。政治と道徳とをどう結びつけるのか、もっと言えば政治権力をもった支配者の行動を如何に道徳的に規定するかということに関心が集中したのである。
なお、今日「性善説」という言葉は「人は本質として善であるため、放っておいても悪を行わないとする楽天主義」という意味で用いられることが少なくないが、本来は正しくない。以下に解説するように、孟子も朱子も、人の「性」は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、「聖人の教え」や「礼」などによることが必要であると説いている。
孟子
孟子が生きた時代は人の本性についての関心が高まり、「性無記説」(性には善も悪もないとする告子の学説)や「性が善である人もいるが、悪である人もいる」とする説、「人の中で善悪が入り交じっているのだ」とする諸説が流布していた。これらに対し孟子は「性善説」を唱えた。これは孔子の忠信説を発展させたものとされる。
四端の心/孟子の「性善説」とは、あらゆる人に善の兆しが先天的に備わっているとする説である。善の兆しとは、以下に挙げる四端の心を指す。なお「端」とは、兆し、はしり、あるいは萌芽を意味する。
1.惻隠…他者の苦境を見過ごせない「忍びざる心」(憐れみの心)
2.羞悪…不正を羞恥する心
3.辞譲…謙譲の心
4.是非…善悪を分別する心
修養することによってこれらを拡充し、「仁・義・礼・智」という4つの徳を顕現させ、聖人・君子へと至ることができるとする。端的に言えば、善の兆しとは善となるための可能性である。
人には善の兆しが先天的に具備していると孟子が断定し得たのは、人の運命や事の成否、天下の治乱などをあるべくしてあらしめる理法としての性格を有する天にこそ、人の道徳性が由来すると考えたためである。しかしこの考えは実際と照らし合わせた時、大きな矛盾を突きつける。現実においては、社会に悪が横行している状態を説明できないからである。こうした疑問に対し、孟子は以下のように説明する。悪は人の外に存在するものであるが、天が人に与えたもの、すなわち「性」には「耳目の官」(官とは働き・機能を意味する)と「心の官」が有り、外からの影響を「耳目の官」が受けることにより、「心の官」に宿る善の兆しが曇らされるのだ、と。すなわち善は人に内在する天の理法であり、悪は外在する環境にあると説いた。
「性善説」の必要性
これを簡単に理想主義的なオプティミズムとして片づけることはできない。孟子は何も戦国時代において頻発する戦争や収奪に眼を向けずにただ楽天的だったのではない。覇道がはびこる現実を踏まえつつも、孟子は王道思想を掲げたのであるが、「性善説」はいかなる君主であっても徳治に基づく王道政治を行うことが可能であることを言明するために、道徳的要請から提示された主張であった。諸国遊説において、孟子が君主に王道政治を説いても、そのような政治は聖人しか行えないのではないかという冷ややかな対応に出くわすことが多かった。孟子としては、王道政治実現の可能性の根拠を提示する必要があったのである。よりいえば「性は善であるべき」という説が、王道思想のための必要性から「性は善である」という風に変化させられたと言える。
荀子「性悪説」との比較
詳しくは性悪説参照のこと。
孟子より数十年遅く活躍した荀子は、孟子の「性善説」を批判した。この根本には「性」に関する孟子とは異なった定義がある。荀子は「性」を自然そのままの本質と考える。これは荀子が「天」を理法的な存在、あるいは宗教的なものとして捉えず、nature的な自然として理解するからである。荀子が「性」という時、欲望も含んだものとして捉えられている。そして自然そのままの本性を「悪」とした。というのも、人の「性」とその作用である「情」を放任すると、争いなどがおこり社会的混乱を招くからだという。したがって外在する「礼」によって人を矯正・感化する必要があるのだと説いた。しかし孟子「性善説」が悪の起源について矛盾を抱えていたのと同様、荀子の「性悪説」もまた善なる「礼」が何に由来するのかという点において矛盾を内包する学説であった。
ただ孟子・荀子ともに人を道徳的に陶冶しようとする姿勢は共通のものであって、それは思想的に道徳論にとどまるものであった。
朱子の説
「性善説」は、その後もずっと命脈を保って中国の倫理道徳言説において中心的な位置を占め続けた。それに特に貢献したのが朱子であり、彼は孟子の説を承けて「性善説」を完成させたといえる。孟子の説は悪を人の外に求めることで、「性善説」と現実とのギャップに一応の説明を付けているが、悪の起源を十分に説明できたとは言えない。朱子はこの点につき、孟子を継承しつつ改良を加え、「性善説」の整合性を高めていった。すなわち性即理というテーゼである。
朱子は「性」を「本然〈ほんねん〉の性」(天命の性ともいう)と「気質の性」と分類することで、孟子の説を訂正しようとした。前者は「極本究源の性」ともいわれて「理」そのものとされ、この「性」は万人が生まれつきもっているものではあるが、それが「気」(万物を構成する要素)によって曇らされ善を発揮できないでいる「性」が後者のそれである。この二つの「性」概念を使って、悪の起源や人に聖人・君子・凡人・悪人といった多様性が生まれることを朱子は説明しようとした。すなわち人が悪に染まるのは、「本然の性」が「気」に覆われており、人によってその度合いが異なるから善人・悪人の差異が生じるのだとした。朱子学の特徴の一つとして、「静坐」や「読書」による修養・教化があるが、これらは「気質の性」を「本然の性」という本来あるべき「性」へとかえすことを目的としたものである。これを「復初」(初めに復〈カエ〉す)という。換言すると、「気」により淀んだ「性」を純化(=修養・教化)することで聖人に至ろうとするものである。
語弊を恐れず、より簡単な例を提示すると、聖人の「性」とは非常に深いにも拘らず湖底まで見通すことができる、澄みきった湖のようなものである。一方それ以外の者の「性」は程度の差はあれ、土砂などによって淀んでいて透明度の低い湖のごときものである。時には大雨といった外的要因によって、一層淀みが増すこともある。これを浄化作用によって、透明度を高めようとすることが「読書」・「静坐」という修養・教化にあたる。
そして朱子が念頭に置く「性」とは、具体的には仁・義・礼・智・信という「五常」と呼ばれる徳であった。この点、孟子とは異なっている。朱子は「本然の性」には先天的に既に「五常」が具わっていると考え、それの動的なものが惻隠・羞悪・辞譲・是非という善的な「情」だとした。たとえば井戸に落ちそうになっている幼子を見かけた時、人は誰しも利害に関係なく、思わず救おうとする(はずだ)。孟子はそれを惻隠の情と呼び、善(仁)の萌芽が人に内在する証左だとしたが、仁そのものが人にあるとはしなかった。しかし朱子はそのような惻隠の情とは、仁という徳(あるいは天理)が発現したもの(作用)だとした。同じ語彙を使用しながら、「性」にそなわっているものが孟子と朱子とでは逆転している点に留意しなければならない。
「性」は「理」である、よって善である、と朱子は定義する。また「性」を純化して聖人に至るべしともする。この考えからいえば、朱子における善と悪とは絶対的な対立関係にあるのではない。善なる「本然の性」の状態を、静かな不偏不倚なものとして朱子はイメージする。逆に悪とは、そうした中庸たる「性」から逸脱し過度に流れた状態(過剰もしくは不足ともに)をこそ言うのである。
性善説2

 

四書の一つである「孟子」すなわち孟子と弟子の問答集の第三巻「公孫丑章句」すなわち公孫丑との対話の中に出てくる。孟先生がいわれた。
「人間はだれでも、他人の悲しみを見すごすことのできない同情心をもっている。昔のりっぱな王様は、他人の悲しみに同情する心をもつばかりでなく、他人の悲しみに同情する政治をもたれた。他人の悲しみに同情する心で、他人の悲しみに同情する政治を実行することができたならば、天下を治めるのは、まるで手のひらの上でころがすように、自在にできるであろう。人間はだれでも、他人の悲しみに同情する心をもっているというわけは、今かりに、子供が井戸に落ちかけているのを見かけたら、人はだれでも驚きあわて、いたたまれない感情になる。子供の父母に懇意になろうという底意があるわけではない。地方団体や仲間で、人命救助の名誉と評判を得たいからではない。これを見すごしたら、無情な人間だという悪名をたてられはしないかと思うからでもない。このことから考えてみると、いたたまれない感情をもたぬ者は、人間ではない。羞恥の感情をもたぬ者も、人間ではない。謙遜の感情をもたぬ者も、人間ではない。善いことを善いとし、悪いことを悪いとする是非の感情をもたぬ者も、人間ではない。このいたたまれない感情は、仁の端緒である。羞恥の感情は、義の端緒である。謙遜の感情は、礼の端緒である。是非の感情は、智の端緒である。人がこういう四つの端緒をそなえていることは、人間が四肢をそなえているようなものである。この四つの端緒をもちながら、自分で仁義礼智を実行できぬというのは、自殺者である。自分の君主が仁義礼智が実行できないという人は、自分の君主の殺害者である。すべて、この四つの端緒を自分の内にそなえた者は、だれでもこれを拡大し充実することができる。火がはじめて燃えだし、泉源から水がはじめて流れ出すように、これを拡充すれば、じゅうぶんに世界を支配することができるし、もしこれを拡充することができなければ、父母にさえじゅうぶんにつかえることはできないのである」
性善説3 性善 / 告子章句上より

 

本文
告子曰、「性猶湍水也。決諸東方、則東流、決諸西方、則西流。人性之無分於善不善也、猶水之無分於東西也。」
孟子曰、「水信無分於東西、無分於上下乎。人性之善也、猶水之就下也。人無有不善、水無有不下。今夫水、搏而躍之、可使過顙、激而行之、可使在山。是豈水之性哉。其勢則然也。人之可使為不善、其性亦猶是也。」
告子曰はく、「性は猶ほ湍水のごときなり。諸を東方に決すれば、則ち東流し、諸を西方に決すれば、則ち西流す。人の性の善不善を分かつ無きは、猶ほ水の東西を分かつ無きがごときなり。」と。
孟子曰はく、「水は信に東西を分かつ無きも、上下を分かつ無からんや。人の性の善なるは、猶ほ水の下きに就くがごときなり。人善ならざること有る無く、水下らざること有る無し。今夫れ水は、搏ちて之を躍らせば、顙を過ごさしむべく、激して之を行れば、山に在らしむべし。是れ豈に水の性ならんや。其の勢則ち然らしむるなり。人の不善を為さしむべきは、其の性も亦猶ほ是くのごとければなり。」と。
日本語訳
告子が言った、「人の本来の性質は、渦巻く流れのようなものだ。東の堰を切り落とせば東に流れ、西の堰を切り落とせば西に流れる。人の本来の性質が善と不善に分けられないのは、堰を切り落とす前に、水が西に流れるか東に流れるかに分けられないのと同じようなものだ。」
孟子はこう答えた、「水は、確かに堰を切り落とす前から西に流れるか東に流れるか分けられないが、どうして上下に分けられないだろうか。人の本来の性質が善であるのは、水が下に流れるのと同じようなものだ。人が善でないことは無く、水か下に流れないことは無い。そもそも水は、もしこれを打って跳ね上げれば額より高く跳ばすことも可能であり、せき止めてから流せば山頂に届かせることも可能である。しかし、どうしてこれが水の本来の性質であろうか。水の勢いこそがそうしているのである。人が不善な行為をし得るのは、人の本来の性質も、水のそれと同じく、外部の影響を受けるからである。」
解説
告子曰、「性猶湍水也。決諸東方、則東流、決諸西方、則西流。
こくしいはく、「せいはなほたんすいのごときなり。これをとうほうにけっすれば、すなはちとうりゅうし、これをせいほうにけっすれば、すなはちせいりゅうす。
告子は、孟子と同時代の人で、名は不害。詳細は不明で孟子の中でしばしば論争の相手として出てくる。
「性」とは"本来の性質、生まれながらの性質、本性"。
「湍水」は"渦巻く流れ"。
「猶(なほ〜ノごとシ)」は再読文字で、"ちょうど〜のようだ"。
「諸(これ)」は三人称代名詞として目的語となる言葉。
「決」は"せきを切って落とす"。
人性之無分於善不善也、猶水之無分於東西也。」
ひとのせいのぜんふぜんをわかつなきは、なほみずのとうざいをわかつなきがごときなり。」と。
告子は人の本来の性質は、善か悪かに分けられないと言って、性善説・性悪説を共に否定しているわけである。
孟子曰、「水信無分於東西、無分於上下乎。人性之善也、猶水之就下也。人無有不善、水無有不下。
もうしいはく、「みずはまことにとうざいをわかつなきも、じょうげをわかつなからんや。ひとのせいのぜんなるは、なほみずのひくきにつぐがごときなり。ひとぜんならざることあるなく、みずくだらざることあるなし。
「信(まこと-ニ)」は"たしかに"と真実であることを強調する。
「乎」は単純な疑問・反語の意味で、ここでは反語である。尚、訳においては、くどいと思われるので反語の返しを書いていないが、テストなどでは、これを書かないと、反語を疑問と解していると取られる可能性もあり、危険である。
「就」は"近づく"。
「無有不」は二重否定、"〜でないものはない"。
ここで、孟子は告子が水を喩えに用いてきたことを逆手にとって反論している。さすがに、稷下の学士は弁舌がうまい。
■今夫水、搏而躍之、可使過顙、激而行之、可使在山。
いまそれみずは、うちてこれをおどらせば、ひたひをすごさしむべく、げきしてこれをやれば、やまにあらしむべし。
「今」は仮定(もし)の意味がある。
「夫(そ-レ)」は"そもそも"と訳していれば普通は問題ない。
「搏」は"打つ・たたく"。
「躍(おど-ル)」は"跳ね上がる・飛び上がる"である。ここでは文意から使役的に読んでいる。
「顙」は"おでこ"。
「激」は"水をせき止めて、勢いよく流れるようにする"。
「行」は"流れる"、文意から使役的に取っている。
是豈水之性哉。其勢則然也。人之可使為不善、其性亦猶是也。」
これあにみずのせいならんや。そのいきほひすなはちしからしむるなり。ひとのふぜんをなさしむべきは、そのせいもまたなほかくのごとければなり。
「豈〜哉」は反語を表す構文。
「則」はここでは強調を表す。訳では"こそ"を入れるのがよいと見られる。
「然」は"そうであること"。水の勢いが"そうである"ようにさせた、のだ。
「亦」は"〜もまた・Xと同様に〜も"。
総括
告子の、人の性(本来の性質)は生まれながらに決まっているものではない、という主張に対し、孟子は、人の性は善であると、主張している。これがいわゆる性善説であり、孟子の主張の中でも特に有名なものの一つである。対するに、人の性が悪であるという性悪説(参考人の性は悪なり)を主張したのが、ほぼ同時代人の荀子である。荀子は人の本来の性質は悪であるから礼などによって人を正していかねばならない、としている。孟子の場合は、人が悪に走るのは、周囲の影響を受けるからである、としている。
いずれにしても、人を何らかの方法で正していくようにしなければならないという点では、一致しており、実質的な問題ではない。  
 
性悪説1

 

紀元前3世紀ごろの中国の思想家荀子が孟子の性善説に反対して唱えた人間の本性に対する主張。「人の性は悪なり、その善なるものは偽(ぎ)なり」(「荀子」性悪篇より)から来ている。
「善」と「悪」
ここで荀子が人間の本性として捉える「悪」とは、人間が美しいものを見ようとしたり空腹感を覚えたり安楽を望もうとしたりするという自然な欲望のことであって、現代日本語のいう「悪」とは異なる。荀子は、人間の本性はこのように欲望的存在にすぎないが、後天的努力(すなわち学問を修めること)により公共善を知り、礼儀を正すことができると説いた。
要するに、「人の性は悪」は結論(論旨)ではなく前提(論拠)である。荀子が重視したことは「後天的努力」であり、「孔子ですら生まれたときから聖人だったわけではなく、学問によって聖人になることが出来た」とする考え方である。また、法家は、学問で矯正するよりも、法による統治で悪を未然に排除することに重きを置いた。
なお、人間の本性が欲望的存在に過ぎないという醒めた人間観は法家の思想の根本となり、後に荀子の弟子である韓非、李斯などの法家の思想の底流をなす事になった。
「悪」の誤用
性悪説の「悪」は上述のように現代日本語の「悪」とは異なる。人間は努力すれば孔子のような聖人になれるという主張が性悪説の根幹にはある。つまり荀子における「善」「悪」は相対的な概念であって、絶対的な「悪」なるものは想定されていない。したがって、頻繁にみられる「人間の本性が悪だから、人間は悪事を為すのが当然である」というような解釈は誤用といえる。なお、キリスト教における原罪が性悪説の一種と紹介されることもあるが、これも性悪説への誤解に基づくものである(「善悪」という語の用法が性悪説と原罪説ではそもそも異なる)。
戦国末に生きた荀子には、社会の荒廃、礼儀の衰退が強く目に映り、このような説を唱えるようになったのも無理はないかもしれない。しかし、そのあとに続く文を読むならば、彼の説く性悪説は孟子の性善説と対立する考え方ではなく、実は人間の悪の面を強調し、人間が悪に走りやすい傾向を指定した説に過ぎないことが分かる。たとえば、性悪説によれば、聖人君子の存在は説明出来ないはずであるが、これは精進努力した結果、悪を克服した人間像のことである、などと説明しているからである。荀子の言いたかったことは、人間の性悪そのものではなく、その性悪も努力次第では克服できるとして、努力の持続の重要さを主張しようとする点にあった。
性悪説2

 

儒家の荀子の唱えたもので、「荀子」第十七巻第二十三性悪篇に以下のように書かれている。
人間の本性すなわち生まれつきの性質は悪であって、その善というのは偽すなわち後天的な作為の矯正によるものである。さて考えてみるに、人間の本性には生まれつき利益を追求する傾向がある。この傾向のままに行動すると、他人と争い奪いあうようになって、お互いに譲りあうことがなくなるのである。また、人には生まれつき嫉んだり憎んだりする傾向がある。この傾向のままに行動すると、傷害ざたを起こすようになって、お互いにまことを尽くして信頼しあうことがなくなるのである。また、人には生まれつき耳や目が、美しい声や美しい色彩を聞いたり見たりしたがる傾向がある。この傾向のままに行動すると、節度を越して放縦になり、礼儀の形式や道理をないがしろにするようになるのである。
以上のことからすると、人の生まれつきの性質や心情のおもむくままに行動すると、きっと争い奪いあうことになり、礼儀の形式や道理を無視するようになり、ついには世の中が混乱に陥るようになるのである。だから、必ず先生の教える規範の感化や礼儀に導かれて、はじめてお互いに譲りあうようになり、礼儀の形式や道理にかなうようになり、世の中が平和に治まるのである。
以上のことからすると、人の生まれつきの性質は悪いものであることは明瞭である。したがって人の善い性質というのは、後天的な矯正によるものなのである。
性悪説3 人の性は悪なり / 性悪篇第二十六より

 

本文
人之性悪。其善者偽也。今、人之性、生而有好利焉。順是、故争奪生而辞譲亡焉。生而有疾悪焉。順是、故残賊生而忠信亡焉。生而有耳目之欲、有好声色焉。順是、故淫乱生而礼義・文理亡焉。然則従人之性、順人之情、必出於争奪、合於犯分乱理、而帰於暴。故必将有師法之化、礼義之道、然後出於辞譲、合於文理、而帰於治。用此観之、然則人之性悪明矣。其善者偽也。
人の性は悪なり。其の善なる者は偽なり。今、人の性、生まれながらにして利を好むこと有り。是に順ふ、故に争奪生じて辞譲亡ぶ。生まれながらにして疾悪有り。是に順ふ、故に残賊生じて忠信亡ぶ。生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好むこと有り。是に順ふ、故に淫乱生じて礼義・文理亡ぶ。然らば則ち人の性に従ひ、人の情に順はば、必ず争奪に出で、犯分乱理に合して、暴に帰す。故に必ず将に師法の化、礼義の道有りて、然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰せんとす。此を用て之を観ば、然らば則ち人の性の悪なるは明らかなり。其の善なる者は偽なり。
日本語訳
人の本来の性質は悪である。それが善である者は、人為の結果、そうなったのである。さて、人の本来の性質は、生まれながらにして利を好むものである。このままにすると、争奪が生じて、遠慮するということがなくなる。人の本来の性質には、生まれながらにして憎悪の心があるものである。このままにすると、他人に危害を加えるような行為をし、まごごろや誠実さが失われる。人の本来の性質には、生まれながらにして美しいものを見たい、聞きたいという欲望、音楽や女色を好む傾向がある。このままにすると、人の道を外れた行為が横行し、礼や義や条理が消滅する。これらのことが正しいとするならば、人の本来の性質に従い感情の趣くままに行動すると、必ず争奪が生じ、条理が犯されて乱れ、秩序が崩壊することになる。だから必ず正しい導き手、礼と義による感化があって、その後に初めて遠慮の心が生まれ、条理に合致し、世の中が治まる。以上のことから考えると、人の本来の性質が悪であるのは明らかである。それが善である者は、人為の結果、そうなったのである。
解説
人之性悪。其善者偽也。
ひとのせいはあくなり。そのぜんなるものはぎなり。
「性」とは"本来の性質・本性"。
ここでいう「偽」とは、"いつわり"ではなく、「人為」のことである。
■今、人之性、生而有好利焉。順是、故争奪生而辞譲亡焉。
いま、ひとのせい、うまれながらにしてりをこのむことあり。これにしたがふ、ゆゑにそうだつしょうじてじじょうほろぶ。
「順」は"そのままにする"の意。
「争奪」は"争いや奪い合い"。
「辞譲」は"遠慮する"。
生而有疾悪焉。順是、故残賊生而忠信亡焉。
うまれながらにしてしつおあり。これにしたがふ、ゆゑにざんぞくしょうじてちゅうしんほろぶ。
「疾悪(しつお)」は"憎悪する"の意。
「残賊」は"他人を傷つけたり、危害を加えたりする"。
「忠信」は"まごころ(忠)と誠実さ(信)"。
生而有耳目之欲、有好声色焉。順是、故淫乱生而礼義・文理亡焉。
うまれながらにしてじもくのよくあり、せいしょくをこのむことあり。これにしたがふ、ゆゑにいんらんしょうじてれいぎ・ぶんりほろぶ。
「耳目之欲」は"美しいものを見たい、聞きたいという欲望"。
「声色」は"音楽と女色"。
「淫乱」は"人としての道に外れた行為"。道徳が堕落することについてもいう。
「礼義」は礼と義、「礼儀」とは字が違い、意味も違う。
「文理」は"条理・礼儀・物事の筋道"。
然則従人之性、順人之情、必出於争奪、合於犯分乱理、而帰於暴。
しからばすなはちひとのせいにしたがひ、ひとのじょうにしたがはば、かならずそうだつにいで、はんぶんらんりにがっして、ぼうにきす。
「然則(しかラバすなはチ)」は 1.前節から後節においてある事態の出現を推定する。"そうであるからには""そうであるならば"。2.逆接"しかしながら""そうではあるが"。の二つの意がある。この場合は前者。
「犯分乱理」は互文と言われるもので、「犯乱分理(分理を犯乱す)」が元の形である。
「分理」は文理に同じ。
故必将有師法之化、礼義之道、然後出於辞譲、合於文理、而帰於治。
ゆゑにかならずまさにしほうのけ、れいぎのみちびきありて、しかるのちにじじょうにいで、ぶんりにがっし、ちにきせんとす。
「将(まさニ〜セントす)」は、この場合は近い未来に事態が出現することを強調する意。だから、意味は「必ず」とほぼ同じである。
「師法の化」は"正しい導き手(師)と法(規範)による感化"。
「道」は(みちびキ)と読む。
用此観之、然則人之性悪明矣。其善者偽也。
これをもってこれをみば、しからばすなはちひとのせいのあくなるはあきらかなり。そのぜんなるものはぎなり。
「此」は上記の事柄。
「之」は指す内容が曖昧だが、"人の性が何であるか"であろう。  
 
悪の起源

 


悪(あく)とは、文化や宗教によって定義が異なるものの、概ね人道に外れた行いや、それに関連する有害なものを指す概念である。平安末期から現れた「悪党」に見られるように、「悪」という言葉は剽悍さや力強さを表す言葉としても使われ、否定的な意味しかないわけではない。例えば、源義朝の長男・義平はその勇猛さから「悪源太」と称されている。
善と悪/悪は善と対比される概念である。元々は「悪源太義平」にみられる「突出した」の意をもつ。突出して平均から外れた人間は、広範囲かつ支配的な統治、あるいは徴兵した軍隊における連携的な行動の妨げになり、これゆえ古代中国における「悪」概念は、「命令・規則・誠治に従わないもの」に対する価値評価となった。一方「善」概念は、「皇帝の命令・政治的規則に従うもの」に対する価値評価である。
なお現在の日本での悪概念は、西欧の価値観に近いものとはなっているが、依然として相違を含んでいる。
人間が善悪を意識、判断する場面は様々だが、家庭での躾から、教育、スポーツ、法律など、秩序を必要とするあらゆる場面で見出せる。生活に即したものとして宗教で、娯楽や伝承として物語の上で取り上げられることも多い。その際は、善をすすめ悪を除外すること(勧善懲悪)、善と悪との対決などがしばしば注目される。
善と悪は解釈や判断によって入れ替わる場合もあるため、人間は善であり、かつ悪であるという両立した存在であると見なせる。規則(ルール)や規範という形で存在するものは、このような混乱を避けるためによく用いられる手段である。
宗教と悪/宗教上の悪や、それに基づいて禁止されている事柄(タブー)は、その始祖や開祖に関するものや、それが発達した文化圏における生活規範をモチーフにしたものなどがある。例えば、キリスト教では七つの大罪が有名であるし、イスラム教、ユダヤ教では戒律の存在によってそれぞれにおける悪の存在を遠ざけているともいえる。
悪の起源1
ソクラテスを初めとするギリシャの哲学者たちは、事を単純化して、悪の起源は、人間の無知にあると考えた。
ゾロアスター教により代表されるペルシアの二元論では、「善」と「悪」は、永遠に対峙する2つのものであって、しばしば、「善」は霊の世界、「悪」は物質の世界と結びつけられている。この二元論はグノーシス主義を介して、広くギリシャ・ローマ世界に影響を与えた。
肉体そのものを悪と考え、禁欲主義を主張したストア派の哲学、この世を悪として隠遁生活を唱導したキリスト教の修道院主義などにその感化をみる。
キリスト教の立場からは、人間社会における「悪の起源」は、「創世記」3章に記されているような、アダムとイヴの創造主である神に対する不服従の結果として、人間生活に闖入してきた原理であると説く。犯罪あるいは不道徳を含めて、それは神に対する罪とされる。このように悪は神との関係において定義され、その起源は、聖と義である神との交流を見失い、疎遠・断絶という関係が始まったという関係の変化に存するとする。ラインホルド・ニーバーは、人間の不安が悪を生み出すと説明している。パウル・ティリッヒは、人間の有限性に罪の起源があるとの説を支持した。近代に入ってからは、「悪の起源」を、文明の発達と結びつける説が現れた。すなわち、文明の初期には、素朴で悪とは無関係な生活をしていた人類は、文明の発展に伴って、経済機構の複雑化などの影響を受け、そこに悪が始まったとする。この説によると、貨幣経済は貪欲を生み出したのである。ある学者は、チャールズ・ダーウィンによる生物進化論の立場から、未進化のままで人のうちに残っている動物的な性質に「悪の起源」を求める。彼らによれば、人はなお進化の途上にあって、未だ克服できない課題として「悪」の問題を抱えているのである。これは、ウォルター・ローゼンブッシュ(WalterRosenbusch、プロテスタント神学者)によって道徳的に適用され、唱導された。生長の家では、この世のことは実相ではないと言う理由から、「悪」は人の幻想に過ぎず「悪」そのものがないものとしている。
悪の起源2
もう一つ、ここで明らかにしておきたいのは、「自分の欲する善を行わず、望まない悪を行う」人間が、なぜ神によって造られたのか、です。悪の起源についての人間の問いは昔からあり、神は人間を創造する時、悪を行わず神に従って善を行うような意志をもつ人間を造るべきではなかったかという問いです。その問いに対する答えは長い歴史があります。結論だけを申しますと、例えば20世紀に出現したスターリンやヒトラーの全体主義の国家がしたように、いかなる反論も許さない。政治・信教・結社の自由がない人形のような人間と社会を、神は欲しなかった、ということがいえると思います。まさに人間に与えた自由意志によって、神は人間に尊厳を与えたのではないでしょうか。人間に選択の自由意志を与えることによって、初めて個性、その人自身の人格などが与えられたのではないかと思います。神が一律にスターリンやヒットラーのように、神の命令に一斉に従い、一斉になびくような、選択の自由意志のない人間を造ったとすれば、これこそ大変な社会−人形の社会になったと思います。選択の自由意志を持つ人間として造られたことは、そこに良心の自由、自由意志があり、それによって人間の尊厳、私自身の性格・特性・人格など・・が与えられていると見ることが出来ます。
 
荀子(じゅんし・BC313-238?)

 

中国の戦国時代末の思想家・儒学者。諱は況、字は卿。紀元前四世紀末、趙に生まれる斉の襄王に仕え、その稷下の学の祭酒(学長職)に任ぜられる。後に、讒言のため斉を去り、楚の宰相春申君に用いられて、蘭陵の令となり、任を辞した後もその地に滞まった。後漢の荀ケ・荀攸はその末裔と言う。
性悪説
性悪編では、人間の性を悪と認め、後天的努力(すなわち学問を修めること)によって善へと向かうべきだとした。このような性悪説の立場から、孟子の性善説を荀子は批判した。
荀子は、「善」を「治」、「悪」を「乱」と規定し、また人間の「性」(本性)は「限度のない欲望」だという前提から、各人がそれぞれ無限の欲望を満たそうとすれば、奪い合い・殺し合いが生じて社会は「乱」(=「悪」)に陥る、と述べてその性悪説を論証する。そして、各人の欲望を外的な規範(=「礼」)で規制することによってのみ「治」(=「善」)が実現されるとして、礼を学ぶことの重要性を説いた。このような思想は、社会契約説の一種であるとも評価される。
天人の分
天論編では、「天」を自然現象であるとして、従来の天人相関思想(「天」が人間の行為に感応して禍福を降すという思想)を否定した。
「流星も日食も、珍しいだけの自然現象であり、為政者の行動とは無関係だし、吉兆や凶兆などではない。これらを訝るのはよろしいが、畏れるのはよくない」。
「天とは自然現象である。これを崇めて供物を捧げるよりは、研究してこれを利用するほうが良い」。
また祈祷等の超常的効果も否定している。
「雨乞いの儀式をしたら雨が降った。これは別に何ということもない。雨乞いをせずに雨が降るのと同じである」。
「為政者は、占いの儀式をして重要な決定をする。これは別に占いを信じているからではない。無知な民を信じさせるために占いを利用しているだけのことである」。しかしこれをもって荀子が天を否定したと考えるのは行き過ぎである。
後世への影響
荀子の弟子としては、韓非・李斯・浮丘伯の3人が知られる。このうち浮丘伯を通じて、荀子の思想は漢代の儒学に大きな影響を与えた。韓非や李斯は、外的規範である「礼」の思想をさらに進めて「法」による人間の制御を説き、韓非は法家思想の大成者となり、李斯は法家の実務の完成者となった。
ただし、「法家思想」そのものは孔子や韓非子の生まれる前から存在しており、荀子の思想から法家思想が誕生した、というのは誤りである。

韓非(かんぴ・BC280-233)

 

中国戦国時代の思想家。「韓非子」の著者。法家の代表的人物。韓非子とも呼ばれる。元来は単に韓子と呼ばれていたが、唐代の詩人韓愈を韓子と呼ぶようになると韓非子と呼ぶことが一般化した。
「韓非子」(かんぴし)
中国戦国時代の法家である韓非の著書。内容は春秋・戦国時代の思想・社会の集大成と分析とも言えるものである。
後世では、諸葛亮が幼帝劉禅の教材として韓非子を献上している。
生涯
韓非の生涯は司馬遷の「史記」「老子韓非子列伝第三」および「李斯伝」などによって伝えられているが、非常に簡略に記されているに過ぎない。「史記」によれば、出自は韓の公子であり、後に秦の宰相となった李斯とともに荀子に学んだとされ、これが通説となっている。なお、 「韓非子」において荀子への言及がきわめて少ないこと、一方の「荀子」においても韓非への言及が見られないことから、貝塚茂樹は韓非を荀子の弟子とする「史記」の記述の事実性を疑う見解を示しているが、いずれにしろ、その著作である 「韓非子」にも「戦国策」にも生涯に関する記述がほとんどないため、詳しいことはわからない。
韓非は、生まれつき重度の吃音であり、幼少時代は異母兄弟から「吃非」と呼ばれて見下され続けていたが、非常に文才に長け、書を認める事で、自分の考えを説明するようになった。この事が、後の 「韓非子」の作成に繋がったものと思われる。
荀子のもとを去った後、故郷の韓に帰り、韓王にしばしば建言するも容れられず鬱々として過ごさねばならなかったようだ。たびたびの建言は韓が非常な弱小国であったことに起因する。戦国時代末期になると春秋時代の群小の国は淘汰され、七国が生き残る状態となり「戦国七雄」と呼ばれたが、その中でも秦が最も強大であった。とくに紀元前260年の長平の戦い以降その傾向は決定的になっており、中国統一は時間の問題であった。韓非の生国韓はこの秦の隣国であり、強い影響下にあって、「さらに韓は秦に入朝して秦に貢物や労役を献上することは、郡県と全く変わらない(“且夫韓入貢職、与郡県無異也”)」といった状況であった。
故郷が秦にやがて併呑されそうな勢いでありながら、用いられない我が身を嘆き、自らの思想を形にして残そうとしたのが現在「韓非子」といわれる著作である。
韓非の生涯で転機となったのは、隣国秦への使者となったことであった。秦で、属国でありながら面従腹背常ならぬ韓を郡県化すべしという議論が李斯の上奏によって起こり、韓非はその弁明のために韓から派遣されたのである。以前に韓非の文章(おそらく「五蠹」編と「孤憤」編)を読んで敬服するところのあった秦王はこのとき、韓非を登用しようと考えたが、李斯は韓非の才能が自分の地位を脅かすことを恐れて王に讒言した。このため韓非は牢につながれ、獄中、李斯が毒薬を届けて自殺を促し、韓非はこれに従ったという。この背景には当時、既に最強国となっていた秦の動向を探るための各国密偵の暗躍、外国人の立身出世に対する秦国民の反感など、秦国内で外国人に対する警戒心、排斥心が高まり「逐客令」が発令されたため、韓非は「外国人の大物」としてスケープゴートにされたという経緯がある。以上が 「史記」の伝えるところである。他方、韓非が姚賈という秦の重臣への讒言をしたために誅殺されたという異聞もある。
韓非はすぐれた才能があり、後世に残る著作を記したが、そのために李斯のねたみを買い、自殺に追い込まれた。司馬遷は「史記」の韓非子伝を、「説難篇を著して、君主に説くのがいかに難しいかをいいながら、自分自身は秦王に説きに行って、その難しさから脱却できなかったのを悲しむ」と、結んでいる。
思想
韓非は百家争鳴と呼ばれる中国思想史の全盛期に生まれた政治家である。書中では分かり易い説話から教訓を引き、徹底的に権力の扱い方とその保持について説いている。韓非は性悪説を説く儒家の荀子に学んだといわれ、非違の行いを礼による徳化で矯正するとした荀子の考えに対し、法によって抑えるべきだと主張した。
韓非の思想は著作の「韓非子」によって知られる。金谷治によれば、韓非の著作として確実と考えられるのはまず「史記」に言及されている「五蠹」編と「孤憤」編で、さらに「説難」編・「顕学」編である。その中心思想は政治思想で、法実証主義の傾向が見られる。
荀子の影響
韓非が明らかに荀子に影響を受けていると思われるのが、功利的な人間観/「後王」思想/迷信の排撃、などであり、荀子の隠括も好んで使う。ただし韓非の思想への荀子の影響については諸家において見解がやや分かれる。
1.貝塚茂樹は韓非と荀子の間に思想的なつながりは認められなくはないが、商鞅や申不害らからの継承面の方が大きく、荀子の影響が中心的であるとは考えられていない。
2.金谷治も荀子の弟子という通説を否定はしないが、あまり重視せず、やはり先行する法術思想からの継承面を重視する。
3.それに対し、内山俊彦は荀子の性悪説や天人の分、「後王」思想を韓非が受け継いでおり、韓非思想で決定的役割をもっているといい、その思想上の繋がりは明らかだとしている。したがって内山は荀子の弟子であるという説を積極的に支持している。なお「後王」とは「先王」に対応する言葉で、ここでは内山俊彦の解釈に従って「後世の王」という意味であるとする。一般に儒教は周の政治を理想とするから、「先王」の道を重んじ自然と復古主義的な思想傾向になる。これに対し、荀子は「後王」すなわち後世の王も「先王」の政治を継承し尊重すべきであるが、時代の変化とともに政治の形態も変わるということを論じて、ただ「先王」の道を実践するのではなく、「後王」には後世にふさわしい政治行動があるという考え方である。
功利的な人間観
韓非の人間観は原理上は告子と共通の観点を取っているが、厳密には荀子の性悪説に近い。
人が少なかった頃は闘争はなかったという一種の自然状態仮説を提示し、外的環境と物的状況の変化が人間性に影響を与えるという議論を展開する。韓非によれば、物資が多くて人が少なければ人々は平和的で、逆に物資が少なくて人が多いと闘争的になる。韓非が生きた時代のような、人が増えた闘争的な社会では、平和的な環境にあった法や罰は意味が無く、時代に合わせて法も罰も変えなければいけない。ただ罰の軽重だけを見て、罰が少なければ慈愛であるといい、罰が厳しければ残酷だという人がいるが、罰は世間の動向に合わせるものであるから、この批判は当たらないという。
実証主義
儒家と墨家の思想が客観的に真実であるかどうか検証不可能であることを指摘して、政治の基準にはならないと批判している。法律とその適用を厳格にしさえすれば、客観的に政治は安定する。儒家の言葉はあやふやでその真理として掲げている「知」や「賢」といった道徳的に優れた行為や言葉は誰でも取りうるものではなく知りうるものでもないという。よってこのような道徳性を臣下に期待するのは的はずれで、君主は法を定め、それに基づいて賞罰を厳正におこなえば、臣下はひとりでに君主のために精一杯働くようになるという。
政治の基準は万人に明らかであるべきで、それは制定法という形で君主により定められるべきものである。また法の運用・適用に関する一切は君主が取り仕切り、これを臣下に任せてはならない。
歴史思想
韓非の歴史思想については、「五蠹」編に述べられているところに依拠して説明する。
古の時代は今とは異なって未開な状態であり、古の聖人の事跡も当時としては素晴らしかったが、今日から見ると大したことはない。したがってそれが今の世の中の政治にそのまま適用できると考えている者(具体的には儒者を指す)は本質を見誤っている。時代は必然的に変遷するのであり、それに合わせて政治も変わるのである。ここには過去から未来へと変化するという直線的な歴史観、さらに古より当今のほうが複雑な社会構成をしているという認識、進歩史的な歴史観を見ることができる。この思想は荀子の「後王」思想を継承しているもので、古の「先王」の時代と「後王」の時代は異なるものであるから、政治も異なるべきという考えを述べているものを踏襲していると見られる。
重農主義
韓非は「五蠹」編において、商工業者を非難している。
韓非によれば、農業を保護し商工業者や放浪者は身分的に抑圧すべきである。ところが韓非の時代においては、金で官職が買え、商工業者が金銭によって身分上昇が可能であり、収入も農業より多いので、農民が圧迫されているために国の乱れとなっているという。
「勢」の思想
韓非思想にとって、「法」「術」と並ぶ中心概念が「勢」である。「勢」の発想自体は慎子の思想の影響を受けている。ここでは「難勢」編に依拠して説明する。
「勢」とは単なる自然の移り変わり、つまり趨勢のことではなく、人為的に形成される権勢のことであるという。韓非は権勢が政治において重要性を持つと主張し、反対論者を批判する。反対論者は「賢者の 「勢」も桀紂のような暴君も「勢」を持っているという点で共通であるから、もし「勢」が政治において重要性を持つのならば、なぜ賢者の時にはよく治まり、桀紂の時にはよく治まらないのか」と言うが、賢者の「勢」は自然の意味で権勢ではなく、このような論理は問題にならないという。賢者の治政が優れているのはなるほど道理だが、もし賢愚の区別だけが政治的に意味があるなら、賢人などというのは千代の間に一人いるかいないかであるから、これを待っているだけでは政治がうまくいくとは思われないという。法によって定まった権勢に従えば、政治は賢人の治政ほどではないだろうが、暴君の乱政に備えることはできると説いている。
「勢」とは、このような人為的な権勢であり、それは法的に根拠付けられた君主の地位である。これは上下の秩序を生み出す淵源である。もし君主の権勢より臣下の権勢のほうがすぐれていれば、ほかの臣下は権勢ある臣下を第一に考えるようになり、君主を軽んじるようになって、政治の乱れが生じる。したがって韓非の理想とする法秩序において、君主は権勢を手放してはならない。
思想の背景
韓非の生まれた戦国末期は、戦国七雄と呼ばれる七ヶ国に中国は集約され、春秋五覇の時代を経て徐々に統一の機運と超大国出現の兆しが生まれ始めた時期であった。統一への動きとは無論、諸国の存亡を賭けた戦いの連続であり、国家同士の総力戦でもあった。そして過酷な生存競争は、人材登用の活発化にも繋がっていった。
それまで君主の血統に連なる公子や貴族などによって運営されていた国政も、階級が下の士大夫や素性の知れない遊説の徒などに、君主の権限が委譲されることも珍しいことでは無くなっていた。君主に権力を集中し、それをスムーズに適材に委ねる必要があったのである。
しかし、結果として、当時の王権は特定の士大夫や王族に壟断されることが多く、斉(山東省)や晋(山西省)などのように国そのものを奪われてしまう例も起こっていた。そこで韓非は分断され乱脈化した君主の権力を法によって一元化し、体系化することにより強国になるべきだと考えたのである。
これら韓非子の思想は、皮肉なことに韓非子の出身国である韓ではなく、敵対する秦の始皇帝によって高く評価された。これは秦の孝公の時代に商鞅が法家思想による君主独裁権の確立を済ませていた事が大きく作用している。

分(ぶん)

 

世界・社会における個々の人や物の正しい位置や取り分を指す漢語由来の言葉。
古代中国においては、万人万物が正しい秩序のもとで定められた正しい位置に定常していることが望ましいと考えられていた。「その正しい秩序とは何か?」「その中において人間はどのような分のもとにあるべきか?」について、諸子百家の間で様々な議論が行われてきたが、後に儒教が中国思想の主導的地位を占めるとともに名と組み合わされて、名分論が形成された。
荀況によれば、人間が虚弱の存在でありながら、獣たちに対して優位を占めるのは群れて集団生活を送ることが可能であるからであり、それを維持するための原理が分であるとした。人間は欲望を持っており、そのために互いの利害が衝突して争いの原因になるが、君子聖人である君主が礼儀を定め、人々に名を与えて人間の間における相違(君と臣、親と子、男と女、長と幼など)を確立し、その間に分を与えて関係を定めて全ての人々が相違と関係を維持するための規則である礼を守れば争いを起こすことが無くなって社会は安定しより強力になると考えられたのである。
更に分は人間以外の動植物や物品にも及んでおり、個々の人間が手中に収める事が許される範囲のことも分と呼び、その範囲の内側にある分を「取り分」などと称した。ただし、時代と場所によってその分による統制にも強弱があり、中国の宋代には科挙による身分的流動性の拡大と国家の統制の枠組を越えた経済発展、佃戸の自立の動き、更に契丹・女真・蒙古の侵入の危機の中で華と夷、尊と卑、君と臣の分をいかに守っていくかという議論の中から、社会においては「主僕の分(主佃の分)」の概念が強く主張され、儒教では宋学の発展が促された。一方、日本の江戸時代における士農工商は、今日では旧来の厳格な身分制度と位置づけられていた学説より、実際には柔軟性のある身分制度であったと考えられているものの、それでも世襲的・固定的な仕組が一定の範囲で機能して名と分が深く結びついていたと考えられている。
今日の日本や中国の社会においても、社会的な地位や立場によって守るべき振舞いや倫理観があると考えられ、「分限」・「分際」・「分相応」などと言った表現がなされる場合がある。

性悪説と弱い紐帯

 

どんな商品でも購入には多少のリスクを伴う。初めて購入する類の商品ならなおさらである。そのリスクを冒しても商品を購入するのは、必要に迫られているという事情のほか、基本的に生産者や販売者への信頼があるからであり、その意味で購買行動は性善説に立脚したものといえる。
食の安全の例を持ち出すまでもなく、ここ最近、性善説に立脚した購買行動を取りづらくなってきた。消費者は疑心暗鬼に陥り、購買行動に性悪説的前提が置かれることが少なくない。ただ、性悪説的前提の蔓延は購買行動にとどまらない。
内部統制に関する一連の動きをイメージすればわかる。例えば、J-SOX対応は会計処理をはじめとする業務全般に潜むリスクを洗い出し、その1つ1つにどう対処するかを取り決めておくことが基本である。ここでは必ずしも人間が性善説にしたがって行動するという前提はなく、性悪説を前提に検証した上で極力不正ができない仕組みにしておくことが求められる。大部分の人間が性善説に沿った行動をとるのに、一方で性悪説に立った様々な取り決めが存在する組織が評価されるというのは、資本市場が生み出した皮肉ともいえる。
ただ、作った規則をどう運用するかは時に難しい判断を迫られる。例えば、業務に使うことが前提となっている資産の「私用禁止」は、組織のマネジメント活動の産物としてよく耳にする。この規則に照らせば、業務上の連絡に勤務先のパソコンからメールを送ることは問題ないが、週末のプライベートの予定調整に同じやり方をすることは問題がある。しかし人間関係はそう単純ではない。業務に直接関係はないものの、たまに会えば多くの情報が得られるかつての同僚や、組織外のコミュニティとの交流の場の設定は、「私用」にあたるかどうか。これは規則をどう運用するかにかかっている。仮にクロと判断されるなら、他の手段をとらざるを得ない。ただし、かなり親しい仲にならない限り、勤務先の電話や端末以外の私的連絡先にコンタクトをとることには敷居がある。その結果、以前は「たまに会っていた人」との関係が切れてしまうことが懸念される。
たまにしか会わない人たちとの情報交換は、日常的に顔を合わせている相手よりも冗長性が低く、それゆえ情報収集や伝達が極めて効率的に行われる。すなわち、情報を得るという視点で見れば、同じ部署で日頃から共に仕事をしている「結びつきの強い人」よりも、どちらかといえば疎遠で、コミュニケーション機会が限られている「結びつきの弱い人」をどれだけ持っているかが重要なのである。これは社会学において「弱い紐帯(ちゅうたい)関係」と呼ばれ、マーク・グラノベターが1973年に発表して以来、多くの論文に引用されてきた。
情報活用の優劣が競争力を左右する今日、弱い紐帯を数多く持っていることは、個人にとっても組織にとってもマイナスに作用することはあるまい。組織の統制活動が注目を集める中、業務に関わる取り決めは質・量とも充実してきている。しかし、弱い紐帯を切るような運用は避けるべきであろう。
 
グノーシス主義

 

一般に、「グノーシス主義Gnosticism」と呼ばれている思想乃至信仰は、その原義からは、紀元一世紀より、三世紀乃至四世紀頃まで、ヘレニク世界・地中海世界において流布した、独特の世界観と神観・人間観を持つ「教え」です。
「グノーシス主義」と云う名称は、一つに、この教えを説き、信奉していた複数の様々な派の人々が、自分たちを「知識ある者=グノースティコイ(gnoostikoi)」と自称していたからですが、この名称が定着したのは、当時、擡頭しつつあった原始キリスト教会が、グノーシス主義運動を、キリスト教にとっての重大な「敵・障碍」であると見做し、「グノーシス主義異端」として、排斥しようとしたためです。(その理由には、キリスト教的グノーシス主義者たちが、自分たちこそ、「キリストの啓示」の真実の意味を知る、「真のキリスト教徒だ」とも称していたことがあります)。
従って、西欧の思想の伝統において、「グノーシス主義」と云う概念は、キリスト教と密接な関係にあり、長い期間において、初期キリスト教会が、グノーシス主義諸派に対して与えた「異端」と云う烙印を、そのままに受け入れていました。グノーシス主義は、その「思想原理・世界観・人間観」等からすれば、キリスト教の「異端」ではなく、「異教」と云うべきであり、事実、キリスト教とは全く無縁なタイプのものも存在します。また、グノーシス主義一般が、キリスト教の「異端」ではないことは、多くの研究者のあいだで、今日、同意を得ています。とはいえ、この文書では、紀元の数世紀、地中海世界領域にあって繁栄し、原始キリスト教会より、異端とされたグノーシス主義の考えについて、主に説明し論じます。
わたしたちは、このような意味のグノーシス主義を、取りあえず、「ヘレニク・グノーシス主義」と呼びます。それに対し、思想原理よりして、明らかに、キリスト教とは独立していることが明らかな、「グノーシス主義の原型的」形態については、これを(ヘレニク・グノーシス主義も含め)、「普遍グノーシス主義」とも呼びます。普遍グノーシス主義は、ヘレニク・グノーシス主義よりも広義な意味内包を持ち、また、地理的歴史的にも一般性を具備する思想・信仰の概念です。
と云うことで、以下においては、ヘレニク・グノーシス主義(とりわけキリスト教的グノーシス主義)を、取り上げます。
悪の宇宙
グノーシス主義では、一般に、此の世を善の世界とは考えずに、矛盾と悲惨、悪しきことごとが充満する「悪の宇宙」と考えます。ヘレニク・グノーシス主義の場合も同様であり、しかし特徴的なのは、このグノーシス主義は、ギリシアやローマの哲学の理論体系や、神話枠が前提されており、「古典ヘレニク世界的秩序宇宙」概念を反転させて、この宇宙が、暗黒の「悪の宇宙」であると主張したことです。
古典ヘレニク哲学の基本前提としては、「宇宙」は本来的に「善の秩序」の宇宙であり、宇宙の創造者乃至宰領者がいる場合、このような創造者・創造神も、善の神・善の創造者と考えられました。それは、「この世」に現実に、現象的に「悪」が満ち満ちているように思える場合にも、「宇宙の秩序構造」は存在し、それは「善」であり「善なる神・超越者」の設定だと考えたことです。
古典ギリシア哲学、そしてローマの哲学もまた、「混沌」や「無限」を否定的に捉え、そのようなものを嫌ったことが知られています。(ここで云う「無限」は近代的な数学概念としての無限ではなく、「限定されないもの」つまり、本質が「無規定なもの」の謂いで、それは「混沌」と同様に、「秩序」に反する事態・事象であったのです)。
原始キリスト教は、その思想原理や信仰原理が、古典ヘレニク思想とは異質ですが、しかし、宇宙創造者=神=ヤハウェを「善の神」と考え、神の創造になる、この「被造世界」もまた、「本来的に善」であり「光の世界」と考えたことで、古典ヘレニク思想・哲学と、神観・宇宙観において共通しているとも云えます。原始キリスト教の諸派も、宇宙を「秩序宇宙」と考えていたと云うことであり、また「秩序」は「善」であることより、この宇宙・世界は、「善の宇宙」であると見做していました。
しかし、グノーシス主義は、ヘレニク思想の「秩序宇宙」概念を反転させ否定する思想であり、それは、「この世=宇宙」に、秩序よりも寧ろ「混沌」や「暗黒」を見るのであり、この世の「無秩序性・反理性性・非本来性」を主張します。古典ヘレニク哲学も原始キリスト教も、或いはその他のヘレニズム時代の諸宗教(例えば、ミトラ教、ユダヤ教、ゾロアスター教等)も、宇宙の「善なる秩序性」を認めていたのですが、ヘレニク・グノーシス主義は、上述の通り、「宇宙の無秩序性」「混沌と悪の宇宙・暗黒の宇宙」の現前性を主張し、また、そのような世界把握を、信仰・思想の前提としていました。
(ゾロアスター教は、光と闇の二元論宇宙観を展開しますが、その世界観は、「この宇宙」を舞台にして、「光の秩序勢力」と「闇の混沌勢力」が争っていると云うもので、[最終的には、「光の秩序」が勝利することが前提とされています]、それに対しグノーシス主義の宇宙観は、「この宇宙」は、アルコーンたちの絶対的な支配下にある「悪の宇宙」であって、「光明の世界」は、「叡智=グノーシス」なしでは到達できない、遙かな彼方にあると云う展望で、光と闇の二元論と云う点で似ていても、根本的に異なる世界観なのです)。
悪の起源・創造神話
ヘレニク時代の多様な思想も宗教も、皆、「善と秩序の宇宙」を確信していたのに対し、ヘレニク・グノーシス主義が何故「悪と混沌の暗黒宇宙」を唱道したかと云えば、それは彼らの「現存在」における世界把握に起源があるとも云えるでしょう。とはいえ、彼ら自身は、「創造神話」と呼ばれる、「この世の悪と混沌の起源」についての合理性的な「説明理論」を持っていました。
ヘレニク・グノーシス主義の教師たちは、伝統的な「秩序宇宙・秩序の善なる神」を否定し、この世界は「悪の宇宙」であり、この世界を創造した者も「悪の神・不完全なる神」であると見做し、多くの派では、この悪の宇宙の創造者を、プラトーンの「ティマイオス」に描かれている、下級の世界造形者である「デーミウルゴス=造物主」と同一視しました。プラトーンのこの著作においては、当然、デーミウルゴスの上位に、高次の「真の神」が前提されているのですが、グノーシス主義の教えにおいても、「この闇の宇宙」の上位に「真にして隠された・知られざる光の超世界」があり、また、デーミウルゴスの遙か上位に、「真にして隠された、または忘却された、至高神」が存在すると主張します(この「隠された、知られざる真の至高神」は、認識や理解を超えた存在であり、名を付けることもできないとされますが、幾つかのグノーシス主義のシステムでは、この「知られざる至高神」を、「ビュトス(深淵)」とか「プロパテール(原父・先在の父)」と呼びます)。
ユダヤ神秘主義思想のカッバラーが説くように、或いは新プラトン主義の哲人プロティーノスの「一者ToHen」よりの存在者の下降・流出の説にあるのと同様に、グノーシス主義においても、「真の至高神=知られざる神」からの「存在の流出」と云うものを考えます。この「流出」は、最初、グノーシス主義者たちの立場より云っても、「秩序的」に行われていたのですが、「或る事件」を契機として、グノーシス主義の「真の秩序宇宙」(これを、プレーローマとか、オグドアス・アイオーン世界などと呼びます)に、無秩序と混沌・暗黒の萌芽が生じ、この萌芽より、「この悪の宇宙」を創造した、アルコーン(ギリシア語で「支配者」の意味)と呼ばれる、(或る意味で無知蒙昧で傲慢な)複数の超霊的存在が生み出されます。彼ら、または彼らの第一人者である「第一のアルコーン」(これが、上に述べた「デーミウルゴス」であり、デーミウルゴスはまた、ヤルダバオートの固有名を持ち、「旧約聖書」の至高神ヤハウェと同一視されます)が存在を始めます。
こうして、ヤルダバオート或いはアルコーンたちが、自己の「不完全な知識や能力」において、それと意識してか無意識でか、上位の光の高次世界(すなわち、プレーローマ超世界)等を模倣して、「この世界」を創造乃至造形しますが、それは、彼ら低次アイオーンであるアルコーンたちの不完全さ故に、不完全な世界となります。そして、このようにして生み出された「不完全な世界」が、実は、わたしたち人間が生きる「この世界=宇宙」であり、そこには、悪と闇が満ちている云うのが、グノーシス主義の主張です。
これが、グノーシス主義に共通する基本構造としての「悪の宇宙」の起源の説明神話=創造神話です。以上の説明より明らかなように、この世界を創造した者=デーミウルゴス・アルコーン自体が、そもそも不完全な存在で、「超宇宙的過失事件」を契機として、「偶然」に生み出された存在なのですから、彼ら、または彼(ヤルダバオート)が創造した、この世界=宇宙が「悪の宇宙(光なき暗黒の世界)」であるのは、当然の事態であると云うことになります。
人間
この世はグノーシス主義にとっては、以上に述べたように「悪の世界」です。では、そのなかに生まれ、悪しき世界のなかで、悪と共に生きる、わたしたち「人間」と云う存在者は、グノーシス主義では、どのようなものと把握されるのでしょうか。(実は、思想の発生機構からすると、この問いは転倒しており、「人間の存在条件・存在様態」が悪にあると云う自覚から、逆に、世界創造神話が構想され、「悪の宇宙の起源」神話が構成されたと云うべきなのです。しかしここでは、説明の順序として、ヘレニク・グノーシス主義における、「人間の把握」つまり「人間観」を説明しましょう)。
「人間」の起源は、グノーシス主義の諸派によって、様々な創造神話があり、起源論がありますが、基本的には、人間の「三元構成論」と云うグノーシス主義に特有の人間把握から説明するのがよいでしょう。これは、人間は、「霊(プネウマPneuma)」「心魂(プシュケーPsykhee)」「肉(サルクスSarks)」より構成されると云う理論で、グノーシス主義の教えでは、この裡、「心魂」と「肉」は、デーミウルゴスやアルコーンたちの創造になるもので、この不完全な宇宙と同じ性質を持っており、即ち、不完全で、悪であり、また永遠的でなく、可壊で、地上に腐敗し滅び消滅する定めにあるとされます。
では、「霊(プネウマ)」はどこから起源したのかと云う疑問が起こります。これは、グノーシス主義の諸派によって説が色々とありますが、基本的に共通するのは、「霊(光の霊)」は、プレーローマに起源があり、霊を創造したのは、デーミウルゴスや諸アルコーンではなく、それは、光明に満ちる「プレーローマ永遠界」と、この「悪の宇宙」の中間にある「境界世界」を介在として、プレーローマの「知られざる至高神」が創造したものである、或いは、プレーローマの真実の高次アイオーンたちと同質なものであり、これこそ、「人間の本来的本質」であり、不滅であり永遠世界に属し、「悪よりの解放」の原理を裡に含むものであるとされます。
反宇宙的二元論
こうして、人間の三元構成論は、実は、グノーシス主義における「全体世界論」における「三世界構造論」に対応します。以上までの説明で、グノーシス主義は、悪に満ちる「地上世界=この宇宙」と、悪より解放された、榮光の知られざる至高神の支配する「プレーローマ」または「オグドアス・アイオーン界」の二元構造になっていることが明らかになっています。このように、「悪の暗黒宇宙」と「真の本来的光明永遠世界」を対比させ、「この悪の宇宙」を否定する思想を、「グノーシス主義」の「反宇宙的二元論」と称し、これは、或る思想・信仰が、グノーシス主義であるかどうかの一つの判定「規準」です。そして、このような世界全体について云える「反宇宙的二元論」構造が、実は、人間の存在においても、構造として備わっていることが分かります。つまり、「悪の宇宙」に属する闇の「肉」と、「プレーローマ」に属する「光の霊」の二元対立構造がそれです。
ところで、上の説明で、何故「心魂(プシュケー)」を、「悪の宇宙」に属すると、述べなかったのか、疑問に感じられる方もおられるでしょう。それは、実は、人間の「心魂(しんこん・たましい)」と云うのは、非常に複雑と云うか、微妙な位置にあり、それはデーミウルゴスが創造したものですが、しかし、「霊的要素」「神的性質」も僅かに帯びており、グノーシス主義の派によって解釈が異なりますが、或る条件においては、「心魂」の救済が可能であり、「たましい」は、「霊」と共に、プレーローマの神的永遠世界へと帰還して行く可能性が認められているからです。「心魂」は、「境界的存在要素」であり、人間の三元構成論が、「霊・心魂・肉」であるならば、これは、「全体世界」の三階梯構造に丁度対応しているとも云えるのです。
先に少し述べましたが、グノーシス主義の「全体世界構造」は、「悪の暗黒宇宙=地上的世界=質料的・物質的世界」対「光と善の宇宙=天上的超越世界=形相的・霊的世界」の二元論が基本にあり、これを、グノーシス主義の「反宇宙的二元論」構造と呼びました。しかし、もう少し詳細にグノーシス主義諸派の世界論を眺めると、もう一つ、「地上世界=悪の宇宙」と「天上世界=霊の永遠界」の中間に、「境界的世界」と云うものが設定されているのが普通です。これは、「創造神話」において通常語られるのですが、プレーローマ永遠界における「或る事件」とは何なのか、と云う問題にも通じます。
そもそも、この世=悪の宇宙が創造される契機となったのは、最初に述べたように、「知られざる至高神」の永遠的「流出」の過程において生じた「或る超宇宙的事件」に起源があるとされます。この「事件」は、幾つかのヘレニク・グノーシス主義の派の神話では、至高アイオーン(プレーローマを構成する光明の高次霊・永遠原理)たちのなかの最低次のアイオーンである「ソピアー(智慧)Sophiaa」と呼ばれる女性アイオーンが、その未熟さ故に、知り難い、至高の「父(ビュトス=深淵,Bythos)」の本質を知ろうとして過失を犯し、大いなる苦しみや困難に陥り、彼女は、それ故に、プレーローマ世界より落下して、「中間世界」とも呼べる世界にあって霊の流浪を経験します。(この超宇宙的過失事件を引き起こしたのは、最下位女性アイオーンのソピアーではなく、男性アイオーンのロゴスであったと云う教説も存在します。「ナグ・ハマディ文書」中の「三部の教え」においては、そのように説明されています。勿論、これには或る理由が想定されるのですが)。
アイオーン・ソピアーのこの「過失」とその結果の苦悩から、「中間世界」にソピアーの分身とも云える様々な霊が生まれます(例えば、ヤルダバオート=デーミウルゴスの母とされる「アカモート」など)。他方、プレーローマの至高アイオーンたちは、ソピアーを救おうと試みるのですが、事態は進行し、「中間世界」にアルコーンと呼ばれる低次霊・低次アイオーンが誕生し、その頭でもあるデーミウルゴスが、驕り高ぶった挙げ句、自己を至上者と錯誤して、みずから「世界」を創造しようと試みます。しかし、デーミウルゴスは、完全な霊ではなく、至高のアイオーンでもないので、不完全な創造・造形しか行えず、その結果、「この世=暗黒の悪の宇宙」が創造され、人間もまた、この暗黒の宇宙の住民として創造されたのだと云うことは既に説明しました。
そこで、以上に述べた、グノーシス主義世界論における、「天上世界」「中間・境界世界」「地上世界」の三世界論と、既述の「人間の三元構成論」は、丁度パラレルな形にあるのだと云うことが出てきます。プレーローマ或いは天上世界に対応するのが「霊」であり、地上世界或いは悪の宇宙に対応するのが「肉」で、そして、「中間・境界世界」に対応するのが「心魂」であると云うことになります。「心魂」は、この三元世界論との対応性から見ても、明らかに、不安定な位置にあることが分かります。人間の「霊」は紛れもなく、天上世界=プレーローマに属するに対し、「心魂」は、この境界世界に属すると考えられるからです。
哲学的原理より見れば、「肉」は、「質料・物質」であり、「霊」は、「純粋形相・イデアー」であると云うことになりますが、「心魂」は、「質料的性質を備える形相的存在」と云うことになるでしょう。アイオーン・ソピアーが、中間世界で苦難に陥っているのと丁度対応して、人間の魂=心魂も、中間世界において、苦難に喘いでいるのだとも云えます。
ヴァレンティノス派では、人間は最初から三種類に分かれており、それぞれ生まれた時より「運命」が定まっているとされます。即ち、「質料的・物質的人間」と「霊的人間」、そして「心魂的人間」です。「質料的人間」には「救済」はなく、「霊的人間」は、最初から「救済」に与れることが予定されており、「心魂的人間」は、その行いや、「認識・覚醒」に応じて、救済されるか否かが、決定されるとします。これは一種の「運命論」になっています。
他のヘレニク・グノーシス主義諸派は、ヴァレンティノス派の教えほど明確ではありませんが、しかし、やはり、「宇宙的既定運命」と云う概念を持っていたと考えられます。「人間」は、肉と霊を持つことで、滅びる部分と、救済に与れる部分があると云うことになりますが、問題は、「個人の意識=我」の救済があるかないかでしょう。そして、「個人の意識=我」とは、要素的には、「心魂(たましい)」のことを意味すると考えるのが妥当でしょうから、「人間の救済」の問題とは、つまる処、人間の「心魂」或いは「霊魂」の救済の問題である、と云うことになります。そこで、次に問題となるのは、霊魂(たましい)の救済を、ヘレニク・グノーシス主義では、どう考えていたかと云うことです。
魂の救済
ヘレニク・グノーシス主義においても、人間の「運命」は、定まっていると云う教説がある一方、それは宙吊りになっているとも云えるのです。ユダヤ教での救済は、広範囲な「律法の遵守」と、神への帰依、信仰の深さによって決まるとされます。このことはイスラム教もそうでしょうし、キリスト教の場合、イエズスが「律法」を「成就した」と宣言しているので、律法の遵守とは云いませんが、「キリスト教的律法」と呼べるものが、早くも、紀元二世紀乃至三世紀には形成されており、カトリックでは、「聖座教会=カトリック教会」への従順と服従が、その救済の要件にもなっていると云えます。
しかし、いずれにせよ、ヤハウェの啓示宗教である、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教にあっては、「神への帰依・従順」つまり、言葉を換えて云えば、神への「信仰(ピスティスPistis)」が、救済の条件になっているとも云えます。それに対し、グノーシス主義における「救済の要件」は、プレーローマの「知り難い至高神(プロパテール=プロパトール,ビュトス)」への信仰(ピスティス)の度合いで決まるのではない、と云う点が異なります。グノーシス主義は、まさに「グノーシス」の主義と云うその名が語る通り、「グノーシス(Gnoosis)=叡智・認識・知識」を人(の魂)が熟知しているか、真の神と偽の神(デーミウルゴス)の対立になる、この全世界の「反宇宙的二元論」構造を覚知し認識しているかと云うことが、救済の与件となると云っても過言ではありません。
グノーシス主義のこの「救済観」は、仏教の救済或いは解脱に似ているとも云えます。少なくとも原始仏教においては、「正しい言動」を行い、「戒律(正しい言動とは何かを定めた規則とも云えます)」を遵守し、そして何よりも、自己が「無明」つまり「無知」であり、「世界の真理」を知っていないことを自覚し、世界の真理とは何かを覚知し認識し、無明より脱することで、「覚りの境位」「救いの状態」に入れると教えます。グノーシス主義の「救済論」は、或る意味で、この仏教の、「無明」よりの「真理の覚知」にも似ています。仏教とグノーシス主義の救済論が異なるのは、仏教は、「迷妄」を脱し、真実の現実の認識に到達することを目標としたのに対し、グノーシス主義の「覚知・認識」は、一見、荒唐無稽とも云える「創造神話」などを認識して受け入れ、宇宙と人間の運命についての「神話的構造」を自覚すると云う点でしょう。
ともあれ、仏教は、「無明(無知),avidyaa」により、世界のありようの真実に対し、迷妄=妄想を抱いている人間が、その妄想より解放されることで、覚りの境位・解脱の境地に入れ、救済が実現すると説くのに対し、グノーシス主義もまた、確かに、人間の「無知(アグノイア),agnoiaa」からの離脱と、グノーシス(叡智・知識)の獲得或いは覚知を目指すとは云え、グノーシス主義の説くグノーシスは、反宇宙的二元論構造の世界のありようについての「知識」であり、「認識を越えた、知り難い榮光の至高神」が真実の神であり、また、この至高神の宰領する永遠の圏域である「プレーローマ」こそが、自己の魂の本来的故郷である、と云う真実なのですから、そのような「知識」を覚知し認識することで、いかにして「救済」が成立するのかと云う疑問が生じます。
しかし、グノーシス主義は仏教ではない訳で、ユダヤ教やキリスト教が、自由意志を持つ「人格神」の「選択」により、人間の魂の救済が成ると説くのとはかなり異なりますが、グノーシス主義においては、先にヴァレンティノスの「予定説」教義を述べた際、既にその一端が明らかになっていたのですが、「人間の救済」は、その存在の裡に含む「霊(プネウマ)」によって可能となると云うのが、グノーシス主義の救済原理です。「霊」は、元々プレーローマ或いは「至高神」に繋がり、プレーローマ永遠世界を本来的故郷としているが故、人間の裡なる「光の霊」は、最初から救済されているのだとも云えます。
キリスト教の場合にも、人間の「霊魂」は永遠なもので、本来的に天上世界に属するものですが、それが、滅びの定めに陥るのは、人間の「原罪」において、「存在と命の源なる神」よりの「距離」が成立し、この「距離」つまり「神との隔たり」を解消しない限り、本来永遠なる霊魂も滅亡・死滅するのであると云う論理が前提されているからです。グノーシス主義の場合、「霊」は、キリスト教での霊魂の場合のように、滅び、消滅することはないと考えられます。では、何がグノーシス主義にあって救済されるものなのかと云えば、それは、「個人の本質」とも或る意味で云える、「心魂」の救済であろうと云うことになります。
キリスト教「旧約聖書・伝道の書(コヘレトの言葉)」は次のように語ります:「塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る」(十二章7節)。人間が、「肉」と「霊」より構成されている場合、「塵(質料)=肉」は、本来的に地上に朽ちる定めにあるのですから、「霊」が永遠の世界=神の許に帰って行ったとしても、人間個人は地上に滅び消え去る定めにあると云えます。だから、コヘレト(伝道者)は続けます:「なんと空しいことか、とコヘレトは言う」。
グノーシス主義の場合、人間は三元構造だったのですが、キリスト教では、人間は二元構造、或いは、四元構造になっています(「霊pneuma」と「肉sarks」、そして「身体sooma」と「魂psykhee」の四元です)。キリスト教では、霊・肉の二元、或いは、霊・肉・体・魂の四元が、救済にあっては、至高の神の許で、復元され、回復すると説きますが、グノーシス主義にあっては、救済において回復するのは霊であり、そして、人に「資格」がある場合、その「心魂」の永遠世界への帰還があると云うべきでしょう。「肉sarks」は、「心魂psykhee」の救済の有無に関係せず、地上に滅びる定めにあると云うべきです。
ここで、グノーシス神話におけるアイオーン・ソピアーの運命を考える必要があるでしょう。ソピアーは、至高アイオーンに連なる者であったのですが、いわば、アダムとヘーヴァが楽園を追放されたように、自己の行為の責任であるとしても、「中間世界」に落下します。神話は更に、ソピアーが地上世界にまで落下したとも語っていますが、ソピアーは、多数の分身のごときものに分かれ、その一部が地上に落下して、惨めな存在となるのですが、同時に、中間世界に、ソピアーの分身が存在しており、更に、至高アイオーン世界、つまりプレーローマにも、ソピアーの分身が、残存していることが示唆されています。このソピアーの「落下」と、その分身の運命は、実は、人間の地上への落下と、救済、プレーローマへの帰還の象徴神話になっています。何故なら、まさに、グノーシス神話は、ソピアーの救済とプレーローマへの帰還の物語を語るからです。
ソピアーを人間に置き換える時、人間の持つ「霊」は、まさにプレーローマに属するもので、他方、「肉」は地上に属するものでしょう。そして「心魂」は中間世界に属し、そこで、「無知」のまま、肉と共に滅びるか、「霊」の導きにより、「叡智=知識」を得て、永遠の光の世界へと救済されて行くかが決められると云うことになるでしょう。プレーローマより、その至高霊の部分である、「光の破片」「霊の破片」が、ソピアーの過失事件により、中間世界、地上世界にばらまかれた時、「光明の霊の破片」は、人間の肉の衣を纏ったのです(或いは、「肉の牢獄」に閉じこめられた、とも幾つかの派では表現します)。やがて、宇宙的運命において、ヤルダバオートの世界が完全にプレーローマより切り離される時、「光明の霊の破片」は、肉の衣を離れ、プレーローマへと上昇し、帰って行くでしょう。この時(或いは、それ以前にか)、肉の衣と霊の分離が起こる時、地上に残された肉の衣と共に、ソピアーの過失により生成されたと云える中間世界に属する「心魂」の運命が決まるとも云えるでしょう。それは、肉の衣と共に地上に残され、そこで滅び消えるか、または、霊と共に、プレーローマよりの救済者と共に、中間的世界より、至高世界=プレーローマに帰還するかのどちらかであると云うことになります。
叡智の開示者
人間の救済は、こうして「心魂」の救済の意味となります。或いは、霊に伴われた心魂の救済ともなるでしょう。しかし、グノーシス主義における霊魂の「救済の条件」は何かと云う問題に再び戻れば、それは本質的には、霊及び心魂の「浄化」と云うことになるでしょうし、プレーローマと本質を同じくするはずの「霊」に「浄化」が必要になるのは、霊が、ただに霊だけではなく、「霊+心魂+肉」の構造となっているためでしょう。肉から切り離されても、霊には、地上世界の暗黒の影響を払拭するための「浄化」が必要になるのであり、ましてや、「中間世界」に属する不安定な位置の心魂においては、「浄化」は必須とも云えるでしょう。
そして「心魂」の浄化は、その本来性の故郷、即ち、プレーローマの「知識(グノーシス)」の自覚と、霊との神的再結合によって可能となると、或る派では主張します。この場合、心魂を「花嫁」とし、霊を「花婿」として、霊と心魂の「聖婚」によって、心魂の浄化が行われると、神話的比喩で語られます(「心魂Psykhee」は、ギリシア語の女性名詞であり、他方「霊Pneuma」は、中性名詞です)。こうして、心魂は女性的人格要素であり、霊は中性的・男性的人格要素であり、両者の神秘なる「結合=聖婚」によって、丁度、プレーローマの高次アイオーンたちがそうであるように、人間の霊魂の「両性具有」化が実現され、それを通じて、心魂の浄化が起こり、これによって、霊と心魂は聖化され、プレーローマへと帰還する準備が完了するのだともされています。
かくして、「霊魂の浄化」には何が必要であるのか、と云うことがグノーシス主義の救済論の根本条件になるでしょう。そしてそれは、上述の通り、「秘密の知識=グノーシス」であると云うのが、まさにグノーシス主義の答えであり、また、これが、グノーシス主義が、「グノーシス(叡智・認識・知識,Γνωσις)」の名で呼ばれる所以でしょう。しかし、人間は、「秘密の知識=叡智」について、「無知(アグノイアAgnoia)」な状態にあるのであり、その理由は、光明の世界の真実が、「光の破片=霊」を存在の裡に秘める人間たちに知られのを怖れた、或いは嫉妬した、造物主=デーミウルゴスが、この知識を人間から隠蔽した為であるとも、或いは、人間の霊が地上に落下した時、その「本来的故郷」についての記憶や知識を、人間自身が忘却してしまった為であるともされます。
これらの「知識=グノーシス」は玄妙な叡智であり、それを正しく認識し覚知できる者は、優れた人間においても稀であり、それ故、至高世界プレーローマにあって、アイオーン・ソピアーの救済を計画している高次アイオーンたち、或いは榮光の「知られざる神=ビュトス」が、「真実の知識=叡智」の開示者を、「救済者Sooteer」として、人間の存在する地上に派遣し、それによって、グノーシスの教師たち・その信徒たちに、「叡智」を開示し、救済への道を示したと云うのが、グノーシス主義の「グノーシス=叡智」の覚知・自覚・認識による救済論の構造です。
「グノーシス(叡智)」とは究極的に何であるのか、一つは、反宇宙的二元論構造の世界のありようの真実や、またプレーローマ永遠界の存在や、人間の裡なる「光の霊」の存在、デーミウルゴスやアルコーンたちの「悪の策略」の暴露などが「知識」として含まれるのでしょう。しかし、果たして、それだけであるのかと云う疑問もあります。「知られざる神・認識を越えた榮光のプロパテール」についての「知識」が謎であるように、「真実開示者=救済者」の伝える「知識」そのものに、何かの「資格」を持つ者でなければ分からない「真実の智慧」が秘められている可能性が大いにあると云うべきでしょう。
救済を可能とする「グノーシス=知識・叡智」の開示者は、同時に「救済者」でもあり、それはヘレニク・グノーシス主義、特にキリスト教的グノーシス主義では、イエズス・キリストがそれであるとされます。しかし、ヘレニク・グノーシス主義の起源問題において、救済者は、最初、女性的原理或いは霊であったとする見解があります。ソピアーは、救済されるべき「人間の運命」の象徴原型でもあり、「救済される者」ですが、実は、ソピアー自身が、人類の救済者であるとも解釈できます(「救済する者」が、実は同時に「救済される者」であると云う逆説的事態が、グノーシス主義にあっては、救済論における原理として前提されています)。
また、救済者は、一般に、プレーローマより派遣される高次アイオーンの超霊と考えるべきでしょう。しかし、無論、マニ教では、まさにマニ自身が「真実開示者」で、また、彼に先行する覚者である仏陀、ゾロアスター、イエズスなどの「人間」が救済者であるとされています。しかし、マニにしても、「パラクレートス(取りなしの聖霊)」の啓示を受けて、「真実」を覚知し、真実の伝道を始めたのです。このことは、人間イエズスの場合にも同様で、イエズスは、ヨルダン川で、バプティスマのヨハネより洗礼を受けた時、天から訪れる、鳩の形の聖霊(ハギオス・パラクレートス)の言葉を聞き、自分が救済者であることを自覚したのです。
暗闇のなかの光
キリスト教「新約聖書・ヨハネ福音書」第一章5節に、「光は暗闇のなかで輝いている。暗闇は光を理解しなかった(kaitophoosenteeiskotiaaiphainei,kaiheeskotiaautooukatelaben.)」と云う言葉があります。「ヨハネ福音書」はグノーシス主義の影響の大なる福音書ですが、この短い言葉のなかに、グノーシス主義の反宇宙的二元論も、人間の救済も、本来的人間としての「光の霊の破片」も、すべてが語られていると云っても差し支えありません。我らの心の奥底の本来なる「光」を信じ、永遠なる「超宇宙的光明」と救いを求めて、叡智を探求して行く実存の実践の過程に、グノーシス主義の「真実の光,PhoosAleetheiaas」が輝くのでしょう。此の世と云う「暗闇」のなかに。
 
性悪説による「内部セキュリティ対策」

 

これまでの「性善説」を前提としたセキュリティシステムでは、もはや社内の機密・顧客情報を守ることはできない。では、「性悪説」によるセキュリティシステムは、どのような考えを基に構築すればよいのだろうか?
機密情報の漏えいは企業の信用を失墜させる
インターネットが普及し、コンピュータやネットワーク技術の革新が進んだ現在、多くの企業が、ネットワークやコンピュータを利用して業務を行うことは一般的な光景だ。それに伴い、企業が扱う重要な顧客データや製品戦略などの機密情報は社内のデータベースやサーバなどに保存・管理され、日常的な業務連絡がメールなどを介して行われるようになった。社内だけでなく取引先などとの連絡も、メールやWebといったシステムを介して行われることが多い。
企業活動がネットワークやシステムへの依存を深める中、それらが突然ダウンしたら、多くの業務が停止してしまうことになる。このため、ネットワーク環境を整え、機密データなどのリソースを安全に保護しながら運用を続けることが、業務を行ううえでの必須条件となるはずである。
ところが最近、企業内部で起こる機密データへの不正アクセスや情報漏えいなどの被害が急増している。また、ウイルスやワームの拡散など、ネットワークそのものに被害を与える原因も企業ネットワーク内から発生するケースが増えている。
企業は、このような被害を受けると、ネットワークやシステムが止まるといった一時的な業務停止状態に陥るだけでなく、取引先、さらには社会に対する信用の失墜という大きな代償を払うことになってしまう。一度失墜した信用やイメージを回復するのは、非常に時間とコストがかかる大変な作業だ。これを防ぐためにも、企業は早急に、内部の安全対策を講じなくてはならない。
ネットワーク環境の変化が情報の持ち出しを容易にした
しかし、なぜ最近になって、企業内部での情報漏えいや不正アクセス、ワームの被害などが数多く報告されるようになったのだろう。これには大きく分けて2つの要因が考えられる。
1つは、技術革新などによる私たちを取り巻く環境の変化だ。近ごろでは、ネットワークの高速化や記憶媒体の大容量化、モバイルコンピュータの普及などによって、私たちの生活は多くの恩恵を受けている。しかし一方で、これら技術革新が攻撃者に対しより多くの不正アクセスの機会を与えてしまった。
ネットワークの高速化によって攻撃者は、ネットワーク経由で高速に目的のデータを取得することが可能になった。また、物理的にデータを記憶媒体に移動して持ち去ろうとした場合も、以前であれば、最大容量1.44MBのフロッピーディスクにデータを写すためにまずファイルを細かく分割し、その後複数のフロッピーディスクに順番にデータをコピーする必要があった。この作業自体がそもそも目立つ行為であり、リスクが高い。
しかし今や、CD-ROMやDVD-R、USBメモリなどの記憶媒体を利用すれば、短時間で多くの情報を取得することが可能だ。さらに、モバイルコンピュータを利用すれば、社員が必要情報をそのまま取得して持ち出すことも簡単だ。このような技術革新が、以前よりも簡単に不正アクセスや情報漏えいが起こりやすい環境を作り出したのは間違いないだろう。
人間はミスや過ちを犯す可能性がある
企業内部で不正アクセスや情報漏えいなどの被害が増大したもう1つの理由、それは内部セキュリティの軽視である。
これまで企業のIT管理者は、インターネットと企業ネットワークの境である境界セキュリティに重点を置き、さまざまな対策を講じてきた。しかし、残念なことに、企業内部に強固なセキュリティを導入している企業は多くない。それは、社員もしくは社内のネットワークへ物理的にアクセスできる人は、攻撃や情報漏えいなどを行わないであろうという「性善説」に基づいているからではないか。この性善説に基づく甘えが、内部セキュリティを軽視する原因になってしまった可能性があるのだ。
最近見られる情報漏えい事件の多くは、十分な内部セキュリティが施されていない環境で起きている。企業ネットワークを安全に保護するためには、性善説に基づきすべての人間の行動を信頼するのではなく、人間はミスや過ちを犯す可能性があるという「性悪説」の認識を持つことが、内部セキュリティを考える第一歩なのかもしれない。
そして、「企業内部は何もしないと危険」という認識を持つことによって、インターネットと社内ネットワークの境に導入する境界セキュリティ以上に、さまざまな要素を考慮した総合的なセキュリティ対策が必要になってくることが見えてくる。
内部セキュリティの脅威の発生源
内部の脅威の発生源は「人」である。したがって、社員が内部セキュリティの脅威となることがないように情報管理などに関する行動規範を定める必要がある。また、社員がその内容を理解できるよう、書類などに明確に記述し、全員に通達する。さらに、業務の一部を外部委託している場合は、外部委託先にも内部セキュリティに関する行動規範を含めた契約が必要だ。この書類には、行動規範に反した際の罰則などの項目も加えておく。
最近では、こういった書類を社員に配布し、その内容を理解したことを示すための署名をすることを義務付けている企業も数多くある。これにより、社員および外部委託先は、社内システムを利用するうえで契約上にある行動規範に違反しないよう、より注意深く行動するようになるだろう。
しかし、これだけでは結局、すべての行動は個々人の判断に委ねられることになり、人の行動を信用するという性善説での対策の域を出ていない。性悪説に基づいた場合、すべての行動責任を個々人に委ねるのではなく、社員に対する教育を徹底したうえで、システムで管理できる部分は最大限に強化することが非常に重要なのである。
内部からの脅威には何があるかを把握しておく
企業内部をシステム的に安全に管理するためにはまず、どのような被害があるのかを理解しなくてはならない。では、内部からの脅威にはどういったものがあるかを見ていこう。
物理的な場所への不正侵入アクセス
企業内には、社員だけでなくパートナー会社やビル管理会社など、さまざまな人が出入りする。これまでに発覚している数々の情報漏えい事件では、社員や外部委託会社による関与が疑われているケースも少なくない。
社内には、電子データのみならず、紙ベースの契約書や資料など、さまざまな重要情報が散在している。これら情報が氾濫している場所へは、本来入る権利がある人のみが入室できるよう、厳しく管理を行うことが必要である。
不適切なアクセス権限設定による情報漏えい
これまで発覚している多くの情報漏えい事件では、顧客情報が保存されているデータベースへのアクセス権限の設定に問題があったことがわかっている。顧客情報などの重要なデータについては、アクセスできるユーザーの数を制限するだけでなく、業務内容によってアクセスできる情報も制限することが必要である。
ネットワーク経由での不正アクセス
企業内にあるハブなどのポートにケーブルを差し込んでPCを接続することで、無差別に社内ネットワークにアクセスできてしまう環境では、社員以外の人がさまざまな情報リソースに触れることができてしまう可能性がある。このようなアクセスが行われないよう、ネットワークレベルで管理を行うことが重要である。
企業内にあるコンピュータからの不正アクセス
企業内で接続されているコンピュータをユーザーが席を外した際に利用することで、社内の情報リソースを不正に取得されてしまう可能性がある。ユーザーによってアクセスできる情報が異なるなら、コンピュータの持ち主以外がアクセスできないよう、対策を講じなければならない。
モバイルコンピュータなどの物理的盗難
モバイルコンピュータを社内に放置して退社し、次の日出社したらなくなっていた、または外出した際に携帯したモバイルコンピュータが紛失するといった被害が数多く報告されている。さらに、ワームに感染したノートPCを社内に持ち込んだことにより、企業ネットワーク全体に感染が拡大してしまったなどの被害も増大している。モバイルコンピュータの利用には、盗難や紛失に注意するだけでなく、コンピュータの状態自体を厳しく管理することが大切である。
アプリケーション利用による情報流出などの被害
社内のユーザーがインターネットなどにあるフリーウェアをインストールした際に、トロイの木馬型プログラムやスパイウェアが入ってしまう可能性がある。また、不必要なアプリケーションを利用することにより、それらの脆弱性を狙ったワームに感染する可能性も高くなる。こういった被害を防ぐための対策が必要だ。
このように、内部の脅威にはさまざまなものがあり、これらの脅威から企業内部を守るためには、単一のシステムではなく総合的な内部セキュリティソリューションを導入することが重要となる。
 
教育行政/性悪説と嫌わずに

 

国家が、どの様な原理で動いているかを問えば、性善説が基本だと思っています。司法は推定無罪ですし、法律も何をして良いのかでは無く、何をしてはいけないか、しか書いてありません(それは、法律に書いて無い事をしたとしても罪に成らないと云う事です)。
それなのに、日本が性悪説で覆われている様に感じられるとしたら、それは役人が性悪説に立っているからだと思います。
私は、組織とは単純な物では無く、清濁併せ呑む様な処が必要なのだと思っています。支那に古来、儒教(孔子孟子)の影に法家(韓非子)がある様に。言い換えるなら、孔子孟子が個人に理想論を説く精神論だとすれば、韓非子は現実主義の組織論とも言えるかも知れません。
しかし、日本では何故か、韓非子は重視されて来ませんでした。法律を明文化すると、話し合い重視の日本的慣行が、やり難く成ってしまうからかも知れません。その代わりに“道理”と言う物が重視されていたのではないのでしょうか。私が考える“道理”とは、現実に逆らうのは損、と云う日本的合理主義です。
日本では、建前で書かれた法律を、世間を気にした役人が、根拠も無く捻じ曲げているとも言えるのでしょうが、そうしないと組織が上手く動かない事を知っているからなのでしょう。そこに談合などの話し合いの余地を残し、お零れに預かる人を増やすのも庶民の智恵なのだと思います。
初めから理想を求めた戦後の日本の教育は、国民の間に戦前の“道理”が共有されていた時には、幾ら日教組が騒ごうが教育が問題とされた事は少なかった様に思えるのです。それは校長と教師の間にも談合が成立していたからだと思うのです。日教組の教育が代を重ね、親も教師も日教組の教育で育った世代に成ってから、“道理”が忘れ去られ、教育が荒廃したとしか思えないのです。
そして、既に日本に“道理”が無く成ってしまったのですから、法律で対処するしか仕様が無いと思うのです。
多くの教師が、報告書の作成や、事務管理、一部で問題と成っている給食費の徴収に時間を取られてしまう事は問題だと思っています。子供との時間が重要である事は言うまでもありません。しかし、24時間全ての子供と一緒にいる事は親でも出来ませんし限界が有ると思うのです。記者も、教師に出来る事の限界を知るべきなのでしょう。その意味でも、私は教育を語る時に、親の姿が見えないのが気に成って仕方が無いのです。この記事も学校教育にばかり目が行っていて、そこに親が、どの様に関わるかが書かれていません。
教師の問題にしても、「過度の管理」とは何を指すかは分かりませんが、放任する事は出来無いのですから、管理は必要な筈です。何を持って「過度」とするのかが、記者の印象に任されているのは如何なのでしょうか。
それに「学校内部を外部の監視機関にさらせばい」と簡単な事の様に書きますが、学校内での校長や、教頭が教師を管理する事さえ嫌って来たのが日教組を始めとした教師達だったのではないのでしょうか。
教師は子供達の為に時間を使え、と云うのは尤もなのですが、その時間を組合活動に使い、国会前で座り込みをしているのを、新聞記者が知らない筈は無いでしょう。
「私が取材で会ってきた多くの教員は真摯(しんし)で誠実だった」多分、そうなのでしょう。しかし、教師に「本当にそれでもいいのですか」と訊かねば成らないのも現実なのではないのですか。今までも改革は叫ばれ試みられて来たとは思うのですが、教師達の面従腹背の性で骨抜きにされ、実効が伴いませんでした。記者も改革が必要だとは考えていると思います。しかも、教員免許更新制や、学校の外部評価を直接反対してはいません。
おそらく、教員免許更新制に反対する事が出来無いのは、虐めに加担する様な教師を排除する方法を考え付かなかったのではないのでしょうか。外部評価にしても、監視は駄目と書きながらも、自分で外部の監視機関の導入を持ち出すくらいですから、やり方次第とでも考えているのでしょうか。
私は、日教組を初めとして、教師達の本音は現状維持なのだと考えています。教師を馘首にする、それしか本気にさせる方法は無いと思っています。定年間際の教師には効果が無いのが残念なのですけれども。
ふと、思ったのですが、性“悪”説の悪の文字が気に入らない、だから反対などと云う事は無いですよね。記者が、安倍総理の目指す改革に、どうして反対なのかが今ひとつ分からない物で、そんな事を考えてしまいました。
反対の為の反対と云う可能性もあるのですけれど。
「性悪説」教育行政でいいのか(記事全文)
いじめ自殺、高校の単位不足問題、教育基本法改正−−。安倍内閣が9月末に発足し、教育の諸問題がこれまでになく注目されている。安倍晋三首相肝いりの「教育再生会議」はこれらの問題に切り込むのだろうが、その前に考えてほしいことがある。複雑な問題を二つに割り切るのはいささか単純すぎるが、まず国は教育現場を「性善説」で見るのか、「性悪説」で見るのか。その点を明確にしてほしいと考える。
これまでの文部科学省の各種調査は、すべて性善説を基本にしていた。「いじめの件数は減り続けている」「いじめ自殺はない」とするいじめ調査でも、当初「履修不足は一部の学校」と構えていた単位不足問題でもだ。学校現場や教育委員会の報告をすべて信用し、学校や教委に「虚偽」や「作為的」報告はないとしてきた。
しかし、いじめの実態と調査報告に大きな隔たりがあることは、もはや明白だ。単位不足でも多くの高校長がだんまりを決め込んでいた。
こうした実態を反映してか、安倍首相が所信表明で掲げた教員免許更新制度や学校の外部評価制度などは性悪説に立っているように見える。今の教員や学校は厳重に管理・チェックしなければ、公教育が崩壊するという発想だ。福岡県筑前町立三輪中2年の男子生徒がいじめを苦にして自殺した問題では、教員がいじめの発端をつくったとされる。これもそうした議論に拍車をかけた。
もちろん、きちんとしたチェック、管理体制が必要な時もあるだろう。しかし、過度の管理が子どもを育てる学校現場になじむのか。教員はそれほど管理されなければいけない対象なのか。私が取材で会ってきた多くの教員は真摯(しんし)で誠実だった。さらに言えば、厳しい管理は何重ものチェック体制が必要になる。チェック体制の強化は、多くの教員から子どもと向き合う時間を奪うことにつながるのではないか。
リクルートから東京都杉並区立和田中学校長に就いた「民間人校長」の藤原和博さんは厚さ数センチの書類を見せてくれた。1週間で区教委などから学校に来た約100枚の文書の束。年間では小学校に400本、中学校には200本の調査や通達が来るといわれていると言う。藤原校長は、安易な「教員多忙論」には否定的だ。しかし、「文書の量が増えて、教頭や主任らリーダーシップを執ることのできる人たちが機能低下を起こしている」と指摘する。
いじめ自殺を未然に防ぐには、教員が児童・生徒たちと多くの時間を共有することが大切だ。もし教員免許更新制度を導入したとしても、子どもたちとの時間の共有がなければいじめ自殺を防止することはできない。
しかしながら、ここまでの国の動きは、二つの立場がない交ぜになり、どっちつかずになっているように思える。いじめ調査の信頼性が揺らげば、「現場の皆さんにきちんとやってもらわないといけない」と現場の良識だけを問うた。逆に単位不足問題ではチェック体制の不備を指摘し、国の介入につながりかねない教育委員会制度の見直しが論議される。
仮に徹底管理で行くならば、学校内部を外部の監視機関にさらせばいい。外部評価制度をはじめ、いじめの実態調査など各種調査も外部機関に一任することも提案したい。そうすれば、作為や虚偽が入り込む余地はなく、各種調査や外部評価に対応する教員の負担は減る可能性がある。第三者に評価されるうっとうしさは残るが、子どもと向き合う時間は増えるかもしれない。
ただし、現場の校長たちは現在の教育改革に否定的だ。東京大基礎学力研究開発センターが7-8月、全国の公立小中学校の1/3にあたる1万800校の校長を対象に行った調査(有効回答数4782校)では、「教育改革が速すぎて現場がついていけない」という質問に、計84.9%が「強くそう思う」(29.5%)、「そう思う」(55.4%)と答えた。
現場で諸問題が解決できれば、改革は必要ない。だからこそ、教員の皆さんに言いたい。文科省の調査が終わった今も、なぜ単位不足の高校が出てくるのか。なぜ目の前のいじめに有効な手が打てないのか。今の改革の方向性では、教育現場が監視の目にさらされる。それは、子どもたちにも監視の目が向けられることにつながるだろう。本当にそれでもいいのですか。監視、管理された学校で、子どもたちが伸び伸びと育つだろうか。私は、改革の方向性を大いに危惧(きぐ)している。
 
決定論に基づく刑法思想

 

イタリアの医師チェザーレ・ロンブローゾは、刑法学のテキストに掲載されるほど犯罪心理学に大きな影響をもたらした歴史的人物ですが、ロンブローゾの構想した犯罪人類学というのは単純にまとめれば、犯罪者は、生まれながらに犯罪者としての解剖学的特徴を持つ(サルに先祖返りした身体的特徴を持つ人間が、原始的本能を制御できずに犯罪を犯す)という生得的犯罪説を肯定するものでした。
彼が、人間の先祖返りとしての生得的犯罪説を着想した瞬間というのは、以下に引用するように宗教家が不意打ちで天啓を受けたかのような直感的な体験であり、客観的データから帰納された科学的仮説ではありませんでした。
これは、たんなる思いつきでなく、霊感がひらめいたのである。その頭蓋骨を見て、燃える大空の下の広大な平原のように、突然すべてが明るく照らし出され、犯罪者の本性の問題が分かったように思えた。原始人や下等動物のもつ残忍な本能が先祖返りをした犯罪者に再現される。
解剖学的に表せば、犯罪者や未開人、そしてサルに見られるつぎのような特徴、すなわち大きな顎、高い頬骨、突起した目の上のアーチ、手のひらを横断する一本の線(猿線)、極端に大きい眼窩、取っ手状の耳などである。痛みには無感覚で、極端に鋭い視線をもち、いれずみをし、過度のなまけぐせがあり、飲めや歌えの騒ぎを好み、自分のためなら悪事でも無責任に切望する。
犯罪者は我々の中の進化的な先祖返りである。先祖の過去を秘めた胚種は我々の遺伝質の中に眠っている。不幸な人にその過去が再び生き返ってくる。これらの人々は正常なサルや未開人がするのと同じような行動を生得的に行う。しかし、その行動は、我々文明社会では犯罪として映る。幸いなことに生得的犯罪者を同定することはできる。
それは彼らにはサルに似た解剖学上の特徴が生じるからである。彼らの先祖返りは肉体的・精神的の両面に見られるが、ロンブローゾが烙印(スティグマータ)と呼んだ肉体的標識ははっきりしている。犯罪的行動は正常な人にも起こり得るが、解剖学上の特徴から生得的犯罪者を知ることはできる。事実、解剖学上の特徴は宿命的であり、生得的犯罪者はその遺伝的特性から逃れられない。いつまでも絶え間なく影響を及ぼし、また法規集にあるいかなる法律よりも権威をもって社会を統治する無言の法律によって我々は支配されている。犯罪は……自然現象であるように思える
ロンブローゾの場合、悪質な見解であるというか本人の性格・行動・企図と合理的な因果関係のない自然的事実(解剖学的特徴)を犯罪気質(野蛮な進化の前段階にあるサルのような行動パターン)と強引に結び付けている点で、科学理論としては全く無意味なものとなっています。ヘッケルの反復説と法規範の遵守のレベルを結び付けていたロンブローゾは、進化の不完全な段階にある生得的犯罪者を、動物・未開人・劣等人種・子供のアナロジー(類似)として解釈することに非常に強いこだわりを見せました。
ただ、科学理論としては荒唐無稽であっても、人相が良いとか悪いとかいうような疑似科学的な人相鑑定が影響力を振るう場面は現代にも残っており、外見的特徴と性格行動パターンを結びつける認知スキーマのようなものが人間には備わっているとする見解もあります。とはいえ、ロンブローゾの犯罪学や刑法理論が、現代の人権思想や科学的思考法から大きく逸脱していることは確かであり、生得的犯罪者の矯正不可能性を強調したという意味では弊害の多い主張だと言えます。
犯罪者の素因を生物学的に規定しようとするロンブローゾの危険な研究は、結果として大きな誤謬と差別を生んだものの、ロンブローゾの研究方法自体は客観的な人体測定学に依拠することを目指したものでした。つまり、対象の測りかたそのものには正しい部分もあったのですが、測定したデータの用い方や解釈、グループ分けに全く合理的な妥当性がなかったということです。ロンブローゾは刑法学の分野において、生得的な犯罪者と偶発的な犯罪者を分類することを提唱し、量刑の決定に当たって裁判官は客観的な事実を重視してはならないと主張しました。
ロンブローゾの生物学的(精神病理学的)な犯罪人類学は、反証可能性を未然に抑止するために、遺伝要因によって必然的に犯罪を犯す者と環境要因によって偶発的に犯罪を犯す者という二つの犯罪者類型を準備して、前者には厳しい刑罰を与え、後者は元々正常な人間が偶然の要因で犯罪に及んだだけなので特別な刑罰は必要ないとさえ主張しました。
ロンブローゾは、罪を憎んで人を憎まずの精神を真っ向から否定し、生物学的な烙印によって運命付けられている生得的犯罪者(悪の生物学的属性を持つ人間)を処罰すべきであって、偶発的犯罪者(善の生物学的属性を持つ人間)が犯した犯罪行為の客観的事実そのものは処罰の必要がないという、常識的な倫理観からはとうてい容認できない主張を展開します。強引に言ってしまえば、優秀・善良・健康な白人のエリート層(富裕階層・知識階層・権力者)は、例え犯罪を犯したとしても、それは遺伝的なものではなく偶発的なものなので処罰や収監の必要はないという身勝手な論理であり、社会福祉や所得の再分配の全てを廃止するような極端な保守主義に、有利に働く政治言説として機能する恐れもありました。
何故なら、ロンブローゾやその弟子たちは、貧困・無知・不道徳・邪悪・非常識・法と権威への挑戦といった犯罪者に見られやすい特徴について、環境要因の影響を否定して遺伝要因でその全てを説明しようとしたからです。社会政策や教育支援で彼らの環境を改善したとしても、彼らは必然的に犯罪を犯すように生まれついているのだから無意味であるというのがロンブローゾ学派の一貫した主張でした。解剖学的特徴(容貌・形態)を政治的配慮で変えられない以上、手厚い社会福祉や矯正教育を行うのは無駄であり、生得的犯罪者の凶悪犯罪に対しては死刑という人為的淘汰を行うほか手段がないというのですから、現在の常識的な人間理解や人道的な刑法犯への配慮からは遠く隔たったものであることが分かります。
ロンブローゾの究極的な目的は、刑法学から自由意志(法的な責任能力)と道徳的責任(人道的責任)という曖昧で不明瞭な責任概念を廃絶することであり、犯罪の客観的重大さではなく犯罪者の生物学的な人格を処罰・矯正する法体系を再構築することでした。ロンブローゾの刑法思想は極めて危険な生物学的決定論と優生学を内包していましたが、ロンブローゾ自身は道徳責任や自由意志といった主観的要素が介在しない科学的な刑罰体系を構想していました。
しかし皮肉なことに、“不運な人たち”を非難する冷徹なロンブローゾの実証学派は最終的な結果として、古典学派よりも寛容で人道的な刑罰体系の構築に寄与します。それが、定期刑に変わる早期釈放に道を開いた不定期刑の導入であり、国民の祝典などに出される恩赦制度の導入であり、生得的犯罪者と偶発的犯罪者をスクリーニングするための保護観察制度・行動矯正プログラムでした。
ロンブローゾ以前は、懲役10年なら10年決まった期間はきっちりと服役しなければなりませんでしたが、実証学派の登場によって偶発的犯罪者を間違って収監してしまう危険性を排除するために「収監中の行動」を丁寧に観察することで模範囚であれば偶発的犯罪者としていち早く釈放し社会復帰することが望ましいということになったのでした。保護観察制度なども、生得的犯罪者である子供ならばまたすぐに再犯をするはずだが、偶発的犯罪者であれば十分に更生の余地があるので暫くは様子を見ておかなければならないという配慮に基づくものでした。その結果、間違った生物学的決定論の動機に基づいてはいるが、結果として犯罪者に温情的で寛容な刑罰制度が生まれたというわけです。
ロンブローゾにとって刑罰制度とは、犯罪の客観的事実を罰して、道徳的な反省を迫るものではまったくなく、社会にとって危険な犯罪者を隔離するものでしかありませんでした。よって、一定期間の収監や観察を通して社会的な有害性や危険性がないと確信できれば、早期に釈放することにロンブローゾは強く賛成していたわけです。
ロンブローゾの高弟であるフェリーが、刑罰は犯罪についての天の裁きであるべきではなく、むしろ犯罪者がもたらす危険性に対応した社会の防護であるべきであると述べているように、実証学派にとっての刑法の立法趣旨は、教育法的な措置にあるのではなく(前述のように、結果として教育刑的な制度発達にも寄与しましたが)、合理的な社会防衛という目的のみにあったのです。
ロンブローゾの解剖学的特徴からの決定論は実証研究によって否定されますが、ロンブローゾ以降に根強い差別・偏見の温床となったのは知能指数からの決定論でした。知能指数を初めて心理学に提起したのはフランスのアルフレッド・ビネーですが、知的障害者の福祉のための特殊教育を構想したビネーの思いは、時代が進むにつれてIQ恒常説に基づく優生学的な発想に侵食されていってしまいます。
ビネーはIQ(知能指数)を生涯変わらない不変の人間のものさしとは全く考えておらず、教育的な配慮や適切な知能訓練を施すことである程度まで十分に矯正できると主張していましたが、ビネーの後に出てきたH.H.ゴダードやL.M.ターマンによって、IQ(知能指数)は、生得的・普遍的な人間知性のものさしとして流用されることになりました。ナチスドイツのアーリア人至上主義も、そういった生物学的決定論と知能指数決定論の延長戦上において、史上最悪の人類の災禍として顕現してきたものです。
スティーブン・J・グールドの大著人間の測りまちがいでは、観察対象の測りかたそのものは正しいのに、計測されたデータが何を意味するのかについて間違ってしまう科学の誤謬の歴史が次々と繰り出されてきます。進化生物学者であるグールドが、ある意味で自虐的に、自然科学の中立性・客観性が剥奪され政治的・社会的・思想的に無意識的に流用された事例を取り上げているわけですが、その事例の中心にある信念は、間違った解釈に基づいた進化論的な決定論(生物学的決定主義)です。
生物種が“進化の系統樹の頂点”を目指して自然淘汰を繰り返しているというモデルや、人間の個人や集団には遺伝的に規定される階層的秩序(最低から最高までのランク付け)がありそのランクによって社会的地位や役割が決まるというイデオロギーは、私達の偏見や差別を無意識的に助長しているのかもしれません。科学者でなくとも、生物学的な決定論の誤謬や差別に嵌まり込んだような物事の見方をしてしまうことは多くあり、その最も典型的な例が、社会生活や市場経済での競争を、自然界における自然淘汰のアナロジー(類似)に置き換えてしまう過ちです。
人間社会の競争場面において弱肉強食の論理や優勝劣敗の価値観を持ち込んでも、前進的な進歩や成長的な発展が見られるわけではありません。生物学の進化はそもそも進歩と同義ではないし、相互扶助(社会保障・基本的人権)を捨象した自然法則を人間社会のルールの模範としても、社会構成員(個々人)が得る平均的な利益は小さくなる一方ではないかと思います。
日本の科学史家・科学哲学者として知られる村上陽一郎も、百科事典の科学の項目において、科学研究は、今日では、政治、経済、軍事、教育、産業など社会の各セクターの援助なしには成立しえないし、逆にそうしたセクターも、つねに科学研究支援の見返りを期待しているとし、科学は中立で価値とは無縁の客観的な知識体系ではなく、それ自体非常に強い志向性をもち、非常に強い価値観と連動するものと述べていますが、私達市井の個人に出来るのは、科学と政治・経済・軍事、科学と道徳言説、科学と社会的偏見の人類にとって不幸で愚劣な結託を出来るだけ柔軟な視点を持って監視することなのかもしれません。それは、必然的に、私達の内面に沈潜する目に見えない差別感情やルサンチマンとの苛烈な戦いを意味することでもあるのです。  
 
偽善社会

 

日本で(人を見たら泥棒と思え)という戒めが何時ごろ発生したのかしらないが、(渡る世間に鬼はなし)として人の善意を信じて生きてゆけと励ます言葉もある。終戦直後日本の荒廃した社会にアメリカには善意に満ちた人があるという話を満載したリーダーズ・ダイジェストという雑誌が出回っていたが、これは占領軍の政策に則って、アメリカはよい国であると日本人を洗脳するためのものであったと思える。
アメリカはキリスト教の中でも新教に基準をおいて立国されているので、善とか悪の判断は、教会の牧師さんの解釈で決められるといってよいと思う。勿論アメリカでは9人の最高裁判所判事が国の憲法に基づいて多数決の判定を下す制度になっているが、構成している判事はほとんどがキリスト教者であるから、キリスト教牧師が口にする説教にもとるような判断が起こるはずがないと考えるのが自然であろう。
キリスト教の根本教義では異教徒は人間扱いをしないということだから、博愛だの平和を望むなどのきれいごとを言っても、キリスト教徒の間に通用するだけで、他宗の人には武力で対決するのが原則である。いわゆる十字軍の意識で行動するということである。したがって、プロテスタント以外の宗教信者が創った国におせっかいを焼くにも独善的態度から抜け出すわけにはゆかない。
イギリスから清教徒がアメリカに移住してきて、先住民族のインディアンを虫けらのように殺戮していんちきな条約を作ってインディアンをだますことを繰り返して土地を占領し自分のものにした歴史は学校では教えないというごまかしを続けて来た体質が綿綿として引き継がれているアメリカであるから、社会は嘘で固められたものにならざるを得ないわけであろう。
このことは裁判所で被告が無罪を主張するのが当たり前であるということによく表れている。しかし、神に誓って真実を述べると宣誓してから供述をさせられるので、後から嘘がばれたら偽証罪に問われるという規則が必要なのがアメリカ社会というものである。
犯罪の疑いで警察により取り調べを受けるとき拷問にかけて泥を吐かせるやり方では強制自白に追い込まれる可能性が大きいことがアメリカでも問題となり、人権を尊重するという建前から、取調べの際に弁護人をはべらすことが出来る権利があると告知する必要があるという法律ができてはいるし、黙秘権なるものも認められているのであるから、冤罪になることは少ないはずであるが、証人が間違って証言をすることがあるから、陪審員が有罪の判決を下すこともあり得るので、近年ではDNAによる物的証拠が重んじられるようになった。そのDNA鑑定により何年も有罪判決を受けて服役していた人が無罪になることがあり、ニュース種になることが後を絶たない。アメリカではまだ死刑をする州が何十もあるが、死刑判決に自信がもてないから死刑を取りやめる州も出ている。
いずれにしろ世の中には職業や貧富に関係なく悪いことをする人に満ちている。中国では西暦の紀元前から孔子、孟子などの思想家がいて孟子は(性善説)を唱えたが、その後間もなく荀子が(性悪説)を唱えるなど、人間性についてうがった観察をしている。人間は生きるためにはなんでもする本能が働いて、集団生活の秩序を保つための規則や法律を守る気持ちは無視する傾向が強いということである。良心の呵責があって悪事は働かないという人は少なくなっているのが現在の社会のようだ。むしろ悪事がばれて罪に問われないように巧妙に計画をして表面を飾るとか、嘘をつくのが慣わしになってしまったということであろう。
日本には人の心の拠りどころとなる宗教として、古来からの神道に加えて、インドに発生して中国を経由して紀元600年ころ日本に渡来して国教として天皇家の後援をうけた仏教が一般民衆にも普及したわけであるが、本来の仏教思想は中国で道教や儒教の影響で変化をしたものを、鑑真和上、伝教大師最澄、弘法大師空海などが日本に導入して広めた。しかしながら、時が経つにつれて日本式仏教は大変貌を遂げてしまっている。今では、檀家の組織が希薄になり、仏教が日本人の宗教として信仰され、その訓えなどを日常生活に活かすという慣習は見られなくなったように思われる。お寺は葬式産業の一環を担ってやっと生存しているという格好である。
日本では仏教の各宗派の他に新興宗教が多数できて、それぞれ信徒を獲得しているようだが、キリスト教徒は人口の1%にしか達していないといわれている。儒教を踏襲している韓国でキリスト教徒が30%くらいにも達している理由についての論考はあるようだが、嘘をつくのが平気である国民の習性と関係があるのではないかと愚考している。日本人はクリスマスを商業活動に利用しているだけで宗教とは関係のない「お祭り騒ぎ」をしているものである。年賀状にメリー・クリスマスなどの文言を相手構わず送りつける人は、無智で無神経であること表明しているとみられてもいたしかたがないであろうが、偽善社会の一員として行動しているということには違いない。 
 
諸説1 / 性善説と性悪説を反面教師に

 

性善説は人の本性は善であるとし、性悪説は悪と説きます。同じものについてまったく逆の説明をするわけですから、どちらかが誤り、あるいは両方が誤りと考えるのが道理です。
どちらも紀元前の中国の思想ですが、その時代には他方で、人の本性は善でも悪でもない、善の人も悪の人もいる、あるいは善と悪が入り混じっているという考えもあったそうです。私にはこれら中間派の考えの方がより適切だと思われますが、にもかかわらず、今日まで生き残っているのは何故か極端な、性善説と性悪説です。
性善説も性悪説も一面だけを強調し、そして複雑なものを単純化して理解しようとする点で共通します。それらはしばしば誤った説を作り上げる原因となります。世の中には〇〇説とか〇〇思想とかが山ほどあり、それぞれが「近親間」で対立を続けていますが、その対立の多くは一面だけの強調や、粗雑な単純化による誤りのためでしょう。
性善説も性悪説も単純化のおかげで非常にわかりやすく、しかもインパクトがあります。そのために両者とも広く受け入れられたのだと思われます。その理由のひとつとして、白か黒かで判断することを好み、白から黒の連続した灰色の中に最適な点を見つける面倒さを避けたがる我々の性向が挙げられるでしょう。中間派の説はより現実に近いものであるにもかかわらず、灰色のためにインパクトに乏しく、あまり知られていません。
善と悪という単純な二項対立にも問題があります。これに関しては1999年の蓮実重彦元東大総長の入学式式辞における発言が参考になります。あくまで一般論としてですが。
『そうした混乱のほとんどは、ごく単純な二項対立をとりあえず想定し、それが対立概念として成立するか否かの検証を放棄し、その一方に優位を認めずにはおかない性急な姿勢がもたらすものです。そうした姿勢は(中略)、現実の分析を回避する知性の怠慢を証言するのみであります』
〇〇説を作り出すのも、それを対立する××説を出して批判するのも学者の仕事です。極端な議論には怪しいものが多く、無用の混乱を招いているのですが、反面、それらは多くの学者センセイ方のメシのタネになっているわけで、簡単に辞められない事情があります。出版やマスコミもそのお相伴にあずかっていますが。
こうしてみると性善説と性悪説から様々な問題が見えてきます。学校ではその内容を簡単に習うだけですが、性善説と性悪説は人が真面目に考え抜いた上で間違いを犯す典型例であるとして教えてはいかがでしょうか。
またもう少し一般化して、〇〇主義や〇〇思想というものは誤りに陥りやすい性質を本来的に備えていることを教えてはどうでしょう。教育によって、主義や思想に熱くなって冷静さを失う人間が減れば、世の中の平和に少しは役立つかもしれません。 
 
諸説2 / 『性悪説』の国に生きる知恵

 

ブラジル人のしたたかさ
ブラジルに移り住んだ日本人なら、誰しも感じることのひとつは、この国の人びとのしたたかな国民性に接するときの戸惑いや違和感であろう。
ブラジル人はもともとラテン的な陽気さ、開放的なおおらかさ、現世享楽的な生活観をもった民族とされる。ユーモアや機知や風刺に富んだ小噺(ピアーダ)の巧みなことにかけての天分は、抜群といってもいい。友人にすれば、これほど楽しく社交上手で人間味豊かな民族はないだろう。だがいったんビジネスや金銭のからんだトラブルになると、これが同一の人間かと思うほど手の平を返したように峻酷になる。激しい自己主張、国家や社会への帰属意識の薄さ、金銭への異常な執着、自分の財布が痛むときは“ごめんなさい”とはまずいわないことは、例えば車の事故の際、明らかに自分に非があってもなかなかそれを認めず、逆に開き直ったり、あれこれ言を左右にして弁償に応じようとしないことは、すでに多くのひとが経験したことと思う。
交通違反は大概金で事が済み、フィスカルがやってくれば裏金を巻きあげられ、官職につくと一族郎党を要職につけて稼ぎ、公務員が仕事もせずに幾つかの職をかねて給料をとり、架空の人物や死んだひとまでが年金をせしめ、会計士・弁護士・検事・判事までがグルになって多額の社会保障費を横領し、政治に癒着した利権で大金が動き、その盗みの構造はこの国の体質に沁みついているのではないか、と思われるほどである。
先日ある会合で聞いた話だが、州の流通税を十八%と決めたのは、その半分が徴収できればよく、残りの半分は脱税を見越した上でのことというのだから、事実とすれば、脱税は半ば公然の秘密ということになろう。こうしたブラジル人の人となりや処世術には、日本人はなかなか馴染めない。分かっていても真似ができない。それはやはり日本人が、民族として長い間培ってきた日本的とされる価値観ー正直・誠実・勤勉・共同体への帰属意識・お上にたいする信頼・遵法精神・善意・同胞意識・生真面目さなどのせいであろう。
大袈裟にいえば、日本人はこの国でたえず日本的価値観と、ブラジル的価値観との衝突や葛藤に悩まされて生きているのである。日本人からみれば、こうしたブラジル式のやりかたは盗みであり悪である。だがブラジルでは、こうした悪があまり悪として意識されず、ごく日常的な出来事として罷り通っている。
よくブラジル人の特性として、ずる賢さ(マリシア)や要領の良さ(サビィード)がいわれるが、それがカリカチュアとして描かれているのが、ポルトガル人を爼上にのせたピアーダである。そこでは、ポルトガル人がまさにマリシアやサビィードの正反対、つまりバカ正直とか、愚鈍とかの嘲弄の対象として採りあげられているのである。
かって吉田茂が田中角栄のことを、「あの男はいつも刑務所の塀の上を歩いていながら、落ちるところは外側だ」と評したそうだが、ブラジル人の場合は外側に落ちるだけではない。かりに内側に落ちたとしても、お家芸を使って悠々と正門から出てくるであろう。
中国は「同文同種」ではない
私は一年ほど前まで、丸四年あまり仕事で中国に暮らしてきたが、当初の私には、おそらく年輩の日本人なら誰しも抱いている中国へのイメージ、つまり中国は古代から日本の教師であり、同文同種の偉大な文化を産んだ先達であり、信義と礼節を重んじる東洋の君子国である、といった先入観から、中国文化への漠然とした畏敬や憧憬の念があった。ところが、実際にビジネスとか日常の生活で接した中国人の立ち居振舞は、そうした私の期待を打ち崩すに充分過ぎるほどであった。
実利主義から拝金主義、国家や社会への帰属意識の欠如、徹底した個人主義、公よりは私の優先、責任の巧みな他人への転嫁、弁説は実に爽やかだがさっぱり実行が伴わぬこと、自分の非をなかなか認めぬこと、権威主義、脱税、コネと金があればなんでも解決すること、贋ものの横行、面従腹背、日常的な贈収賄、そして、党・官・財を結ぶ桁外れの汚職、腐敗、疑獄...と続く想像を絶した人びとの対応や厳しい現実に、しばらくの間は、ストレスとショックに苛まれる日が続いた。われわれが教育や書物から培われた、中国や中国文化への印象と実際との乖離は、あまりにも著しかったのである。われわれの観念的な中国古典文化への理解や畏敬が、現代中国の実像とはかけ離れたところで、ひとり歩きしていたのかもしれない。
だが、思うに日本人の倫理観の形成にもっとも重要な影響を及ぼしたのは、いうまでもなく孔子の興した儒教であろう。儒教は、中国でも古く漢代から士人(官僚)教育の中心に据えられ、近くは清朝まで国家の倫理として採用されてきた。その教典である『論語』は中国の古典のなかでは、もっとも日本人に親しまれてきたし、孔子の教義を忠実に継承した孟子とともに、いわゆる「孔孟の道」は、江戸期には幕府の官学として武士道を完成させ、明治維新以降は教育勅語、小学校の修身、中学での漢文といった教育の原理として、敗戦まで連綿と続いてきたのである。
孔孟の教えは、仁・忠孝・信義・礼節であり、これは人倫の基盤をなすという人間への深い信頼や善意に立った、いわば理想主義あるいは建て前主義といえる。一方では『唐詩選』などを代表とする、中国の詩文の華が盛んに鼓吹された。漢文などで最初に習うのは、論語のほかには李白、杜甫、白楽天など唐代詩人の絶唱であったことは、覚えておられる方も多いだろう。さらに中国文学の泰斗、吉川幸次郎氏から、「...人間への広い関心、乃至は愛というものは、中国の文学が古来その使命として来た」とか、杜甫の詩にふれて「常に世の中のすべての人びととともに悲しみをわかちあおう、あるいは喜びをわかちあおうという感情が、中国の文学には、いつもその根底に濃厚に流れている」(『中国の古典と日本人』)などと格調高く述べられれば、誰しも中国の文化、そしてそれをつくった中国人への熱い想いを抱くのは当然ともいえよう。
それはともかく、日々中国人への対応に苦しんでいた私は、そのうちあることに気がついた。まてよ、この生身の中国人たちは、あまりによくブラジル人に似ているではないか、その思考や行動の原理は、日本人よりはブラジル人の方に近いのではないか、同文同種などというのは、日本人の勝手な思いこみではないか。そう思うと、私は憑きが落ちたように気が楽になった。ブラジル人に対しては、ある程度免疫ができている、中国人もブラジル人と思えばよいのだ、そう腹をくくって中国人に接するようになると、あまり腹も立たず、むしろ親しみを感じるようになったのは妙であった。
『性善説』の日本と『性悪説』の中国・ブラジル
では中国人とブラジル人との共通項はなにか、日本人はなぜこんなに中国人やブラジル人と違うのか、あれこれ考えあぐんでいるうち、『性悪説』と『性善説』がこの疑問を解く鍵になるように思えてきた。中国人もブラジル人も、その思考・行動の原理は、『性悪説』であり、一方の日本人は『性善説』を採っているのではないか、という仮説である。
日本人が外国で暮らし、異民族・異文化に接し、いろいろカルチュア・ショックを覚えるのは、いわばこの『性善説』と『性悪説』との衝突、摩擦に起因しているように思う。少なくともこの仮説を応用すれば一応の説明がつく。
だがもともと『性善説』も『性悪説』も、中国が発祥の地である。孔孟の教えが『性善説』に根差していることはいうまでもない。だが特に「人の性の善なることは、なお水の低きにつくがごときなり」として、性善が生まれつきのものであると説く孟子に対して、荀子は「今人の性は生まれながらに利を好むことあり。その善なるものは偽なり」として真向から異を唱える。“偽”というのは人為という意味である。
荀子の説を平たくいえば、人間の本性は生まれつき悪だから、目が美色を好み、口が美味を好み、心が利を好み、肉体が安楽を好むのは、人間の自然な性情であり、これを放置すれば、争奪、妬み、殺生、淫乱、無法が起きる、とするのであるが、「人の学ぶは、その性善なればなり」という、あまりにも人間の本性にたいして楽天的な孟子に比べると、荀子の『性悪説』の方が、よほど人間の本音や人間性の本質を鋭くついているのではなかろうか。
孔子も孟子も、その理想とする「王道」を政治に実践するため諸国を歩き、当時戦国・春秋時代の諸侯を説いて自らを仕官に推挙するのだが、いずれも容れるところとならず、挫折してその晩年は失意に陥っていたという。「王道」の政治論が採り入れられなかったのは、おそらく、政治というすぐれて人間臭くおどろおどろしいゲームの現実の前に、その『性善説』的理想が敗れたからであろう。荀子の『性悪説』の方が、よほど煮ても焼いても食えぬ人間の本性を見抜いた現実主義だといえる。
もっとも荀子は、だからといって、人間の性が悪であることを是認しているわけではない。かれはむしろひとの性が悪だからこそ、ひとを礼節・信義に導く教育や学習が大切であることを説いている。いわば儒教の徳とするところを、荀子は孟子とは逆説的な方法で主張しているのであって、帰結するところは同一だといえる。
だが日本では、この『性善説』に基づく孔孟の教えが道徳の基盤となり、『性悪説』はほとんど忌避されてきた。おそらくその理由は、農耕民族の共同体、単一民族・言語・宗教の日本では、なによりも共同体を維持するため、内部の和、信頼関係、扶けあい、思いやり、などを必要とする倫理として、『性善説』による孔孟の教えの方が、風土的に根づき易かったからだと思われる。土居健郎氏の「日本人の精神と社会を理解する概念」として有名な“甘え”についても、この日本的な共同体とそれを支える『性善説』が、“甘え”を生みだす土壌となっているような気がしてならない。
儒教が国の規範とされた中国でも、庶民の間では、むしろ道教の方が民間習俗に深い影響を与えていたとされる。儒教の説く「王道」が、歴代王朝で実現されたためしがなく、現実には「霸道」に終始したこと、またヨーロッパでは、マキュアベリの『君主論』が政治における権謀術数を説いたのも、『性悪説』に基づく「霸道」であろうし、十九世紀、イギリスがヨーロッパの勢力均衡を目指して、強力な軍事力を背景にパワー・ポリティックス政策を採ったのも、帰するところはやはり「霸道」であり、「霸道」が『性悪説』に基づくとすれば、今日でも国際政治がパワー・ポリティッックスに支配されている、という本質にはなんら変化はないといえよう。
こうしてみてくると、どうも『性善説』が生きているのは日本だけで、中国を含む西欧の社会では『性悪説』の方が、それぞれの文化の基底に流れているのではなかろうか。
『性悪説』の勧め
話をブラジルに戻そう。過日ニッケイ新聞の創刊号に企業経営者の岡野氏から、昨今の日系企業が次々と倒産、閉鎖の憂目をみているのは、この国に通用しにくい日本人の思想、価値観、思考・行動様式に原因があるのではないか、勤勉、正直、忍耐といった日本人の特性を考え直さなければ、われわれの子孫は時代の波に乗れずに取り残されるのではないか、というタイムリーで深刻な疑問が提示されていた。
おそらく岡野氏はその企業経営を通じ、ブラジル人のしたたかな処世術や金銭感覚には、日本的美徳では立ち打ちできないのではないか、ということを実感されたのであろう。これは私流に解釈すれば、日本人の『性善説』とブラジル人の『性悪説』の衝突である。そしてその場合、どちらが勝者となるかはいうまでもないだろう。勤勉、正直、忍耐といった徳目は、なにも日本人の専売ではなく、プロテスタントの教義にも一致することで普遍性をもっていることは、人文研の宮尾氏からも指摘されていることだが、岡野氏の挙げた徳目がブラジルでは日本に比べ、かなり希薄であることも事実である。
ここでは岡野氏の説の裾野を少しひろげ、日本的といわれる特性を、農耕民族共同体に基づく日本文化の価値観として考えてみよう。日本文化の価値観が日本人の『性善説』に基づくものであれば、それが社会一般に通用するのは、残念ながら日本しかない。ブラジルを含め世界の大半の国々は、おそらく『性悪説』をその文化の基底としているせいか、“甘え”という日本的な概念が、日本以外の国ではほとんどみられないことは、この辺の事情を物語っている。世界の常識は日本の非常識といわれるように、日本は世界からみれば、きわめて特殊で異質な国だといえる。単一民族の共同体は、長い鎖国によって、さらに洗練された独自の文化や、内部志向的な精神風土の形成には役だったが、国際的な価値観からはますます乖離し、異質化していった。『性善説』が温存されるわけである。
いわばそうした温室育ちの甘い精神的にひ弱な日本人が、ブラジルの海千山千といった、『性悪説』の筋金で鍛えあげたしたたかものと勝負して勝てるわけがない。だが生きることが戦いである以上、そう負けてもおられない。どうすればいいか、が外国の異文化のなかで暮らすわれわれには切実な課題となる。
抽象的ないいかたになるが、孫子のいうように「敵を知り己れを知らば、百戦殆ふからず」、まずこの国の文化が『性悪説』になりたっている、ということを充分に認識することが第一歩であろう。『性悪説』の国や人びとと戦っていくには、こちらも『性悪説』で対抗する以外にはない。まさに“眼には眼を”である。
だがここではっきり断っておきたいのは、『性悪説』で対抗するということは、なにも盗んだり欺いたりの悪いことをしよう、ということではない。ここでいいたいのは、『性悪説』の厳しい人間観を身につけようということである。人間は本来悪いことをする動物である、容易に人を信ずるなかれ、言葉には裏があると思え、人を測る物差しは言葉ではなく行動である、軽々しく謝罪するな、(ブラジルや中国流でいえば、謝罪することは自分のふところが痛むことであり、謝れば許してくれる、という“甘え”が通用する文化ではない)つねに相手の本音を見極めること。こういった『性悪説』の赤裸々な人間像の真実を直視することは、『性善説』という一国平和主義の住心地のよい仲よしクラブに育った日本人には、なかなか馴染みにくいだろうが、それだけ相手は苛烈な風土のなかで、絶えず戦乱や競争や緊張を強いられる関係のなかで生きてきたのである。負け犬になりたくなければ、こちらも『性悪説』で武装するしかない。
今日国際化の必要が叫ばれているにもかかわらず、日本がなかなか国際化ができないでいるのは、日本人の『性善説』が大きな足かせになっていると思われるが、この際日本人ももっと『性悪説』に学ぶ姿勢が大切なのではなかろうか。
『性善説』は、だからといって無論放棄する必要はない。『性善説』はひとつの立派な生きかたであるし、日本のようにそれが通用する社会ではそれを活用するばよいのである。だからブラジルに暮らす知恵としては、『性悪説』をよく認識することで、これはその国の価値観や文化を知る上で大切なことである。だがそれは決して、正直、勤勉、誠実といった日本的とされる美徳を捨てることを意味しない。要は相手によってこれを使い分けるということで、ポンペイアの西村氏の始めた農工高校が、プロテスタンティズムあるいは力行会の精神で人造りを行なうことは、『性善説』の孔孟はもちろん、『性悪説』の荀子も大いに奨励したことで、『性悪説』の風土に種を蒔く高邁な事業といえるだろう。
ただ『性善説』と『性悪説』を時と場合によって使いわけるということは、かなり気骨の折れることである。しかしこれは日本人にはある意味では宿命といってもいいことかもしれない。明治の開化期、近代化のために日本人は“和魂洋才”という苦しまぎれの知恵を生みだしたし、また“和洋折衷”という二重の生活様式を強いられたが、いまではそれが定着しているし、こうした棲みわけは日本人の適応能力を示すものといえるだろう。それでも意識や価値観の上で二重構造をもつということは、精神にはかなりの負担とストレスとなることは避けられまい。『性悪説』には『性悪説』で対抗するといっても、筋金入りの相手に比べ、付け焼き刃といった弱みは隠せないないだろう。正直にいってどれほどの効果があるのかはわからないけれども、少なくとも『性善説』で対抗して玉砕するよりはいいであろう。
本来『性善説』を採る日本人が、相手の『性悪説』を逆手にとって本家の『性悪説』と戦うということは、勝てないまでも負けないようにするという、いわば持久または戦略防禦の姿勢にたつことである。「負けない」ということは戦略の基本であることは、岡崎久彦氏が『戦略的思考とは何か』のなかで、孫子の言葉を引いて例証している。このことは、ブラジルに暮らすわれわれにとっても、きわめて示唆的であろう。勝てないまでも負けないように生きるということは、最初から負けると決めこんで諦めてしまう生きかたとは、根本的に異なっている。いわば複眼的思考―二刀流を使うということである。
要はブラジルは日本とはかなり価値観の違う異質の文化、『性悪説』の国であることを骨身に染みて認識し、それを生活に活かしていけば、『性善説』に基づく甘い幻想ともいうべき思考・行動によって、ことごとく挫折と失意の負け犬になるよりは、よほど意識にも生活にも風通しがよくなるのではないか、というのが最近の率直な感想である。 
 
諸説3 / “同文同種”は虚妄か / 最近中国人気質

 

飼い犬に手を噛まれる
五年ほど前のことになる。当時、私は中国の青島で、食品包装機を作る合弁公司の日本側代表として勤務していた。
某月、ある事件が突発する。技術部副部長の中国人王が退職の際、ひそかに機械の図面、カタログ、部品リストなどを持出していたことが発覚した。中国人の幹部たちは、例によってああでもないこうでもない、と埒もないことを言い合っているうち、王は他に辞めた数人の同僚と謀って別会社を作り、当社とまったく同一の製品を生産しはじめた。かれらは当社を中傷するばかりか、強引にユーザーを横取りしたり、従業員の引き抜きまでする悪辣な手段に出たため、さすがに悠長な幹部たちも蒼くなり、対抗上私の提案で‘技術占有権の侵害’を名目に、提訴することに同意してくれた。
だが当時の中国では、知的所有権を保護する法整備はほとんどできておらず、弁護士は、この種の係争ははじめてなので裁判所も重視している、といいながら弱音を吐くばかりだし、試みに裁判所の所長や判事を昼食に招待したら平然と応じてくる。これでは被告の方でも饗応すれば、かれらは同様に応じてくるのではないか、と案じていたら、案の定その通りの情報が入ってくる始末であった。
いかにも間の抜けた話であるが、前途に不安を感じた私は、「この裁判に敗れれば、今後先進国からの技術移転が困難になる」という趣旨の請願書を法務担当の副市長に提出し、自信のない弁護士を督促しながら公判に備えていた。請願書が効いたのか、副市長は、裁判が公正に行われるよう裁判所側に指示してくれた。
約半年ののち、裁判は、“図面を非合法的手段により取得し、同一の包装機を生産し、原告の権利を侵害した”として、生産の停止と賠償金の支払いを求める当方の主張を全面的に認める判決を下してくれた。われわれは愁眉を開き、まもなく王の会社は廃業となって、一件落着と安心した私はその年任務を終えて帰国したが、そののち五年を経てふたたび公司に返り咲いてみると、なんと同業の包装機を作るライバル会社が青島だけで八社もある。いずれも当社の製品よりも安値で販売しているため、勢い当方もこの安売り競争に巻きこまれ、大幅な利益減になっていることを知って唖然とした。しかもこれらライバル会社の経営者や技術者のほとんどは、元当社のセールスマンや技師たちであった。なんのことはない、当社はその間せっせとライバルとなる連中を手塩にかけて養成していたのである。
さっそく事情を糾してみると、王は裁判所の命令で盗みだした設計の原図は返還したけれど、その前にぬかりなくコピーをとっていたので、それが方々へ流用されている、コピーでは初判のときのように、“非合法的手段で取得”されたことは立証できないため訴えることもできない、―しかたがない、諦めるほかなし、ということだった。飼い犬に手を噛まれるというのは、まさにこのことだろう。しかもやられっぱなしでなき寝入りときている。なんとも釈然としない話であったが、よくよく中国の実情を考えてみれば、ここでいかに“モラルの欠如”とか“愛社精神の不足”とかの、日本人好みの価値観を持出しても、この国では馬耳東風で通用しないことがわかる。なにせ国を挙げて拝金主義が地を覆っている国、アメリカが目くじら立てて知的所有権の侵害と喚いてみせても、海賊版のCDやビデオがおどろくべき安値で堂々と店売されている国である。
金になることならなんでもする、そのためならモラルはおろか、法でさえも侵してかえりみない―これが改革・開放路線のもたらした今の中国の現実であろう。
回転寿司屋の商法
青島のように日本人のあまり多くない街でも、日本風の回転寿司屋が三軒もある。先鞭をつけたのは日本人のN氏で、日本から設備一式を持ちこみ、中山路という目抜きの通り近くでオープンしたところ、これが当たって結構の入りであった。一体に中国人は生ものを食べないが、ここ数年の日本食の普及はめざましく、中華料理が世界最高の味覚だと信じている誇り高い中国人も、刺身などを日本の醤油とわさびで舌鼓を打つようになった。回転寿司屋の客も、大半が中国人の若いカップルか家族連れで占められている。
ところがこの店の目と鼻の先に、軒先に赤いちょうちんを吊るした中国人の経営する回転寿司屋ができてからは、客足はいつともなくそちらの方になびいて、N氏の店は閑古鳥が鳴くようになった。くだんの中国人の店は、寿司のほかに、ラーメン・やきそば・ギョウザなど中国の若者向きのメニューがあって、それが人気を呼んでいるらしい。
N氏は、寿司屋でラーメンなどを出すのは邪道である、寿司屋は本来寿司の味で勝負すべきだ、という日本の流儀をかたくなに押し通したところ、とうとう店は左前となり売りに出す始末となった。それを居抜きの30万元(約450万円)で買い取ったは、なんと近くの赤ちょうちん、ライバル店の中国人である。この主はまだ三十代そこそこの男だが、すでにこの店の他に和風レストランやスナックを経営し、押しも押されもせぬ(社長)におさまっている。客の嗜好に合わせ臨機応変に献立を変える中国人の商才と、一徹な日本人の職人気質の特徴がよく出ているエピソードといってよいだろう。生まれつきといっていい中国人の商才の前には日本人はとても歯が立たないのである。
一体に中国人は金銭にかけてはシビアで、日本人からみるとドケチとしか映らないほど執着が強い。日本人のように、会社が引けてから部下を飲み食いに連れていったり、仲間同士が赤ちょうちんの店で会社や上司の悪口をいってガス抜きをする習慣はなく、接待は公司の金で落としてしまうから、つましくやれば相当の金が残る。中国人が意外と小銭を持っているのはそのせいで、日本人のように見栄で身銭を切ることはまずない。
五年あまり勤めていた本社の事務所の運転手が突然辞表を出した。辞めたあとの仕事はどうするのかと案じていると、そんな心配はまったくないということが後日分かった。かれは30万元の大金をはたいてタクシーの新車を買い、ふたりの運転手を雇い入れ、昼夜ニ交替で稼がせてその上前をハネている。経費を差し引いても実入りは4千元を超える。4千元といえば、平均の月収が800元ほどの青島では大変な高給である。それに細君が働き、自分もどこかの会社の運転手の口でも見つけようものなら、一石三鳥の稼ぎになる。
もともと渋チンの男だったから、こうした日に備え、かれは夫婦ともどもせっせと金を貯めていたのだろう。
こうした才覚については、やはり天性の商才というのだろうか、日本人はとても中国人の足許にも及ばない。冠婚葬祭の付き合いや、贈答・饗応の習慣は、日本人の間では人間関係の潤滑油の機能を果たしているのだろうが、中国人からみれば、まったくの浪費としてしか映るまい。ケチといわれ、守銭奴と嘲けられようと、かれらは自分や家族のために惜しみなく蓄財に励むのである。そうしてこうしたシビアな金銭観の背景には、お上はなにもしてくれない、頼りになるのは結局自分と金銭しかない、という厳しい中国の社会風土があるにちがいない。
人脈は血より濃し
中国はまだまだ人治の国で地縁・血縁の社会だから、仕事をする場合、人脈やコネの利用は不可欠である。役所などはまさに仕事の邪魔をするためにあり、まともに表から手続きをしようものなら、たちまち官僚主義の壁にぶつかり一向に埒があかないが、人脈を辿って裏口から入れば苦もなく問題は解決する。その過程で贈物・接待・金銭が絡むことは申すまでもない。日本人はこの種の仕事が不得手だから、どうしても中国人のベテランに頼らざるをえなくなる。友人の銭君はこの典型といった男で、ぬえとでもいうのかなんとも得体のしれない人物であった。まだ四十代の働き盛り、骨と皮だけのように痩せこけていながら色事の達人で、日本語も達者だったから、公私ともにお付き合いしているが、この男はものを頼まれてノーといったことがない。税務署・税関・市政府・裁判所とあらゆるところに人脈とコネの網の目を張りめぐらしている。
五年前の帰国当時、私の個人名義で無税で輸入した公司の車がそのままになっていたので、車を持って帰国するか、多額の罰金を払えと税関にいわれたとき、間に入ってもらって一銭も払わずに済んだことがあった。今回も西安行きのチケットが手に入らず、困って銭君に相談したところ、翌日さっそく手配してくれた。二年前までは、日本人客相手にスナックを経営し、美人とかれが称する女子大生をホステスにして、二階に妖しげな和室を設けて荒稼ぎをし、二年間に60万元を儲けたと自慢する。会う度に名刺の肩書きが変わっていて、糧油公司の部長になったり、アラスカのすけとうだらの輸入会社の役員におさまったり、機械油売りこみのブローカーに変わったりで、定職らしきものがない。君は名の通り銭儲けがうまいとからかったところ、今の中国で銭儲けができないヤツは、よほどのめくらか馬鹿モンです、といわれてこちらが閉口した。
事務所の仕事で、輸出用の健康ドリンク剤のサンプル集めを依頼すると、旬日を出ずしてスッポンの濃縮液などを揃えてきて、保健飲料などを一括して輸出する公司の総経理は私の朋友(ポンユウ)です、任せてください、と胸を張る。その当人はひとりっ子政策の中国で、得意の寝技を使って当局と話をつけ、もうひとりの子を産むことに成功した。
目から鼻へ抜けるというのはこういう男をいうのだろうが、かれと話していると一種ふしぎな雰囲気が漂ってきて、やはり日本人とは異質のものを感じてしまう。今の中国では、“猫に犬の鳴きまねさせることと政府批判以外はなにひとつできないことはない”と口癖にいう銭君のことばが、なるほどと思われてくることばかりだが、便利屋とも一寸違うし、気を許すとひどい目に会うような気もして、複雑な心境のままかれとは不即不離の関係を保っている。
女権は花盛り
かってのドイツ統治時代、海岸に面してしゃれた別荘の立ち並んでいた一帯は、今でも保養区として森と公園がよく整備され、青島でも屈指の風光明媚なところである。春先から秋のなかばにかけて結婚のシーズンになると、休日にはこの公園の緑の芝や海辺の白砂は、新郎新婦の格好の記念写真を撮る場所になる。プロのカメラマンと契約して、芝に座って睦んだりする一連のシーンをビデオにおさめるのである。
ある日、観光名所となっている旧ドイツ総督別邸前で、そうしたシーンにお目にかかった。カメラマンの指示で、カップルは路上で頬をすり寄せ、熱い抱擁を交わすポーズをとっている。遊山客や野次馬が、物珍しげに黒山のようにたかっている。日本人の新婚カップルなら、恥ずかしくて逃げ出したくなるところだろうが、そうした衆目看視のなかで、ふたりは一向に照れる風もなく、澄ました表情で抱き合ったまま動かない。こういうのを臆面もなくとか恥じらいもなくとか、日本人なら表現するところだろうが、中国人にはもともと他人の目を気にしたり遠慮したりする意識はないから、実に堂々たるものである。
ある夜、五つ星のホテルのロビーで、粋な身なりの若い美人の娘が携帯電話を使っているうち、大声で喚きはじめた。電話の相手先と口論になったのだろう。ロビー・バーに座っている客は、あまりの剣幕に身を乗り出してみているのだが、その女性は人目などまったく気にする様子もなく、興奮した険しい表情のまま携帯を耳にして歩き廻りながら、あたりはばからぬ大声で喚き散らしている。はしたない、とわれわれなら思う行状も、その娘にとってはごく普通のことなのかもしれぬ。顔・姿・肌の色は同じでも、やはり日本人とはどこか一味違っている。
共産党が支配するようになってからの中国は、完全に男女同権だが、実際には女権の方がはるかに強い。西安から洛陽までの列車のなかで、中年の婦人が大声で車掌に食ってかかり、相手を黙らしてしまった光景をみかけたが、夫婦喧嘩ではかならず女房族の方が勝って、亭主族はお手上げとなる。腹いせに手をふり上げて怪我でもさせようものなら、亭主はたちまち警察のご用となるが、その反対なら不問に付されるのだそうだ。だから中国の亭主族は、みな恐妻家だと自嘲する。よく中国人の幹部から、世界でもっとも幸せなことは、中華料理を食べ、日本の女性を妻に迎え、アメリカの家に住むことだ、と随分いい古されたジョークを聞かされたが、女房の話になると、みな苦笑して首をふることをみると、かれらも相当に自分の女房の強さには音をあげているのだろう。だが日本の女性も強くなってきていることはまだ知らずにいる。
洛陽では、通訳の李さんと昼の食事にとあるレストランに入ったところ、生憎の満員でやっと四人掛けのテーブルに若い女性がひとりでいるのをみつけ、相席を申し込むと、その女性がにわかに眉をつりあげ、なにやらまくしたてはじめた。口ぶりと態度で相席を断わっていることが分かる。そのうちトイレからでも帰ってきた連れの若い男が、かの女に唱和して大声を張り上げる。李さんも負けじと声を荒げて反論すると、くだんの娘はまるで悪鬼の形相となり、歯をむきだして噛みつかんばかりに喚き散らす。びっくりした周囲の客がこちらをみているが、ふたりは周囲の目など見向きもせず、頑として相席を認めない。あきらめて他の席を探す羽目になったが、娘の方の激しい剣幕には正直怖れをなすほどだった。李さんの説明によると、テーブルを先に取ったのは自分の方だ、食事が運ばれてきたらふたり分でテーブルは一杯になる、だから相席は断わる、とその娘はいったそうだ。―自分勝手で困りますよ。だれも相手の身になって考える思いやりがありません―日本に三年ほど住んでいた四十代のひとのいい李さんが、ため息交じりにこぼしていた。
中国はひとりっ子政策のため、どこの夫婦も男の子を産みたがる。現に男の出生率の方がはるかに高い。医者は胎児の性別を親に告げることを禁じられている。女の子と分かれば、堕される怖れがあるからだ。あと二十年もすれば、間違いなく女ひでりの時代となり、女は容易に玉の輿に乗り、男は深刻な結婚難におちいって、女権はますます強くなっていくことだろう。
マアマアフウフウ / 馬馬虎虎
今回の赴任早々、外国人居留証を取るために指定の病院にいって、必要な検査を受けたときのことである。血圧を測る段になって、無愛想な中年の女医の前でセーターの袖をまくろうとすると、そのままでいい、とその女医は事もなけに分厚い毛のセーターの上から血圧を測って、70〜110異常なしという。私の血圧は通常90〜140であるのに、冬物のセーターから測れば低いにきまっている。これには呆気にとられたが、こんないい加減・中途半端なことをするのを、中国語では馬馬虎虎という。
よく観察すると、わが公司も馬馬虎虎の巣である。中国側代表の副総経理は共産党員だけあって、弁説はまことにさわやかで立派なことをいうが、実行の段階になるとピタリと止まる。公司は競争に打ち勝つために改革が必要だ、と半年前から朝礼でいい続けていたそうだが、私の赴任前まではなにひとつ手をつけていなかった。同じことを半年間も大真面目な顔つきで唱える滑稽さにすこしも気がついてない。
工場を掃除させても、目立つところだけを丸く掃くだけで、ゴミ・紙くずの類は片隅に寄せておく。会議がはじまると、あわてて汚い雑巾で机や椅子を拭いてまわるが、乾くと以前よりも汚れている。その会議だって、定刻より二十分過ぎないと全員が揃わない。ある部長などは月例の資料にミスが多く、三回注意したあげくにようやく完成するのだが、ケロリとして悪びれた様子はまったくない。
私の赴任前、本社から技術顧問のH氏が一年あまり勤務して、いかにもエンジニアらしい細心と完全主義で仕事に取組んでいたが、万事がチャランポランのおおまかな馬馬虎虎にすっかり傷つき、とうとう胃を悪くして帰国してしまった。
青島に赴任してからしばらくの間、かりの宿としていたホテルでは、洗面台のランプが切れているので修理を依頼すると、明日直すといわれた。明日になっても直っていないので催促すると、また明日直すという返事が返ってくる。ようやくランプが点くようになったのは、その明日が四回続いたのちのことだった。銭君などは、日本に送る栗の蜜漬けのサンプルを持参するまではよかったが、賞味期限が切れているのでそれを指摘すると、ハァいけませんか?とキョトンとした顔つきだった。
国中がこうした馬馬虎虎の大合唱で蔽われているのだろうが、それでも治まるところにすっぽり治まって、とにかく驚異的な経済成長を遂げてきたのだから、不思議といえばこれほど不思議な話もない。日本と違ってなにしろ器の大きい国だから、万事が鷹揚で明日は明日の風が吹く馬馬虎虎の流儀の方が、中国人には阿吽(あうん)の呼吸にぴったりで居心地がいいにちがいない。そんな中国人からみれば、几帳面にやらないと気が済まない代わりに、すぐ息切れがしてしまう神経質な日本人は、なんとせっかちで気の短い民族なのだろう、と腹のなかでは笑っているのかもしれない。
東は東西は西
一衣帯水とか同文同種とかいって、もともと日本人には中国にたいする格別の思い入れ、親近感、憧憬がある。論語や唐詩選などの影響から、偉大な文化の先達だという畏怖もある。それに戦時中の侵略行為への贖罪感が重なれば、日本人の中国人への感情はほとんど片想いに近いものになろう。
ところが中国にビジネスでやってきて、一筋縄ではいかない生身の中国人と鼻すり合わせる生活をするようになると、およそ中国人ほど日本人に似て非なるものはない、とつくづく思い知らされ、ストレスに苛まされるようになる。日中の合弁企業で、中国人幹部との間に意見が対立したりトラブルが生じて、日本側代表が帰国してしまうケースがままあるが、これは夫々の商習慣や価値観の衝突であり、いわばカルチャー・ショックでもあろう。私流に解釈すれば、日本人の性善説と性悪説との葛藤である。両説とも発祥の地は中国で、孔孟の教えの性善説が日本に定着し、筍子の性悪説の方は儒教が長年国教であったにもかかわらず、民衆レベルでは中国に根付いてしまった。
中国人の価値観や行動様式をみると、いかにも筍子の説くように本来人間の性は悪であり、それを矯めるために道徳や宗教があり、それでも人間は悪いことをするから罰を伴なう法ができたのだとしか思えない。その法の強制力をもってしても悪を根絶するどころか、上は政府・党の幹部下は警官や小役人に至るまで、悪の華が絢爛と咲き誇っているのが現在の中国である。
伝統的に中国は、個人主義や実利主義の強い国柄で、それが毛沢東によって一時冬眠を強いられたが、ケ小平によって一挙に復活した。共産党治世三十年は、四千年の歴史のなかではうたかたの白昼夢といってよく、中国人本来の“私あって公のない”民族性はそう簡単に変わるものではあるまい。日本人には、中国人は同文同種だから価値観や行動様式も同じではないか、という短絡な思考におちいる傾向があるが、これはひとつには、相手も同じ価値観を共有している、と思いこむ日本人独特の「甘え」にも原因があろう。そしてこの「甘え」こそ、性善説の母胎となった日本農耕民族共同体が生みだしたものである。(ちなみに日本は性善説が通用する世界でも稀な国である)
中国人の価値観や行動様式は、白人のそれと少しも変わらない。アメリカでは、白人化した日系人のことをバナナというそうだが、中国人もバナナとみて差し支えない。同文同種といった錯覚や虚妄にいつまでも囚われていては、この性悪説で筋金の入ったしたたかな民族とのお付き合いはできない。日本人と中国人がいかに異なっているかをまず知るとういうことが、両民族の相互理解のベースとなることを素直に認めるべきであろう。 
 
諸説4 / 古代中国の思想 / 諸子百家

 

戦国時代、各国が富国強兵を目指して内政や外交にすぐれた人物を求めた結果、諸子百家と呼ばれるさまざまな思想や技術を持った人々が現れ、いろいろな流派を作って後世に大きな影響を与えた。ここではそれらの思想の中で最も有名な儒教を中心に、諸子百家を簡単に説明しようと思う。
1、儒教孔子とその生涯
さて、中国の思想の中で日本人が最も良く知っているものと言えば、春秋時代の思想家・孔子の教えである儒教であるだろう。これは「子曰く…」で始まる文体の『論語』によってわれわれにも広く知られている。
孔子は周王朝の始祖である周の文公の子・周公旦(しゅうこうたん)が定めた周王朝の礼に基づく封建制度を理想とし、「仁」を道徳の根本と据えた徳治主義を唱えた。
彼は魯の国に卑賎の者として生まれ、若い頃に懸命に勉強してやがて高級役人として登用される夢を描くようになる。彼は17歳のときに魯国一の実力者・季孫氏が人材抜擢をするというので行ってみたが、そこでは相手にされなかった。そこで彼は周公旦と鄭の名宰相・子産(しさん)を遠く師と仰ぎ、自己の研鑚(けんさん)に励んだ。やがて孔子の学識は魯で評判となり、彼を慕って人が集まるようになったので、彼は私塾を開くようになった。その後彼はその私塾を高弟に任せると、周の王朝へ遊学し、そこで昔から夢見ていた周公旦の遺した文化を学び、自国である魯を建国当時の周のような国にしようと考えた。しかし、魯はそのころ季孫(きそん)氏・孟孫(もうそん)氏・叔孫(しゅくそん)氏といういわゆる三桓に牛耳られており、孔子は隣国・斉で自分の考えを実現させようとした。そして孔子は斉の景公と面会することができた。景公が孔子に「政治の要諦とは何か」と問うと、孔子は「君、臣、父、子、それぞれが本分を尽くす事です」と答えた。景公は孔子の簡潔で的を得た答えにすっかり感服し、彼を高い地位で仕えさせようとしたが、宰相の晏嬰は「礼ばかり重んじる儒者を登用するべきではありません」と言い、孔子はここでも用いられなかった。孔子はその後、再び私塾で弟子を教えていたが、自分の理想実現の場、すなわち政治を任される場がないことに焦りを覚えていた。
そして孔子52歳の時、彼にようやくチャンスが訪れた。魯の定公に招かれ、彼は名声を見込まれて長官に抜擢され、さらに宰相に任じられたのである。彼は国内の反乱勢力を鎮圧するなどして魯国をよく治めたが、しかし魯の繁栄を喜ばない斉の奸計によって職を辞すことになる。そして彼は弟子をひきつれて、自分に政治を任せてくれる場を求めて旅に出ることを決意した。旅には大きな困難が伴い、ある時は軍勢に取り囲まれてしまい、食料が尽きてしまうということもあった。弟子達はやつれきっていたが、孔子だけは悠然と琴をひいていた。孔子の弟子である子路は思わず問うた。「先生のような君子でも、こんなに窮することがあるのですか?」
孔子は答えた。「君子だって窮することがあるのは当然のことだ。だが、小人(君子でない者)が窮すると、取り乱してなにをするかわからなくなるものだ。」孔子やその弟子達は、彼らが歩む道こそ誠の人間が歩む道であると信じて疑わなかったのである。しかし、彼らは色々な国を周ったが、どこの国にも相手にされなかった。これは、乱世であった当時は情より法を優先せざるを得なかったが、孔子がそれと全く反対のことを説いていたためである。
孔子は69歳の頃故郷である魯に帰り、弟子と共に『詩経』『書経』『春秋』などを再編集した。そして、74歳になってその生涯を終えた。
彼の死んだ場所には廟が立てられ、たくさんの人が孔子をしのんでそこを訪れるようになった。彼の思想はのちに編集された『論語』によって今でも人々に影響を及ぼし続けている。
2、孟子・性善説
孟子は孔子の「仁」に加えて「義」を力説し、仁愛と正しい上下関係こそが社会の秩序維持に必要である、と主張した。のちに彼の著書である「孟子」は四書の一つに数えられる儒教の経典となった。
孟子は仁義礼智といったものは先天的に人に備わっており、学ばなければできないというものではない、と主張した。また人間の心は本来純真で偽りのないものであり、しかし人の心はえてして物欲を求めるものであるから、寡欲(欲を少なくすること)であることが必要であるとした。これが性善説である。孟子が生きた戦国時代は道義が非常に退廃していて、そうした時代にあって「義」、すなわち人倫の必要性を強く説いたのである。
3、荀子・性悪説
荀子は孟子の性善説を批判し、否定する立場をとった。人の本性は悪であり、善は人為や作為の結果である、という。人間の本性は生まれつき自然なものであるが、この本性は利益を好むので礼儀によって感化しなければならない、と説いた。また荀子は、人間は善を欲するものだが、それは本性が悪であるからだと行っている。彼は儒家が唱えてきた「礼」を人間の外部にあるものとしてとらえ、彼の門下の韓非は法家として荀子の考え方を受け継いだ。
4、老荘思想
老子や荘子によって主張された「無為自然(むいしぜん)」という考え方は一般に老荘思想と呼ばれている。彼らは自然に反する道徳や仁や知識を否定し、農村の自然のままの生活を理想とした。また政治も無為のままで治めればうまくことが運ぶだろう、と説いていた。彼らは孔子のように諸国を巡って自分の考えを政治に反映させようとはせず、隠者として自適の生活を送っていた。
5、法家思想
法家思想の始まりは、斉の桓公の宰相であった管仲であるとされている。彼は富国強兵策を講じ、行政区画制度を整えて国の生産力を向上させた。
次いで戦国時代、秦の宰相となった公孫鞅(こうそんおう)は管仲にならって富国強兵を推進し、また五人組制度にあるような徹底した厳罰主義をしいた。
そして、法家思想を完成させたのは韓非(かんび)だと言われている。彼は荀子の性悪説に基づいて、全ての人は利己的打算によって動くので、そのような人々を治めるのには法が必要である、と説いた。そして法を円滑に施行するために君主の絶対制を主張した。始皇帝は彼の考えを称賛し、秦の天下統一ののち彼は法によって中華を治めたのである。
6、縦横家蘇秦と張儀
蘇秦と張儀は若い頃、鬼谷子(きこくし)という先生のもとで謀略や外交を学び、のちに縦横家(しょうおうか)としてその名を天下に轟かせた。
蘇秦は秦に対抗すべく合従策を秦以外の六国に説き連合して秦にあたろうとしたが秦も張儀の連衡策を採用し、六国の縦の連携を妨害した。合従と連衡とは火花を散らし、また虚々実々のうちに攻防を繰り広げたのである。張儀は秦の恵文王の絶対的な信任を得て楚を切り崩し、秦の覇業に多いに貢献した。
縦横家は自分の謀略をフルに用いて戦国の世をかき混ぜ、まとめあげていった人々であり、こうした時代にしか現れない一種の芸術家と言えるかもしれない。
7、兵家
春秋時代に活躍した孫武によって書かれた『孫子』は、われわれが手にできる中国の兵書のうちで最も古く、優れた兵書であるとされている。こうした戦乱の世の中で彼は武力による勝利万能主義を否定し、平和的手段による戦争の回避を望んだ。これが彼の考え方の優れた点でもある。
また『墨子(ぼくし)』を著わした墨?(ぼくてき)は兼愛非攻の精神を唱え、完璧な防衛から生まれる和平の実現を目指した。これらは特筆されるべき考え方であろう。
とにかく、春秋・戦国時代は個人の采配だけで国家が動く戦乱の時代であり、兵家達も諸子百家のご多分にもれず仕えるべき君主を求めて列国を遊説した。富国強兵の時代としては当然の流れであった。 
 
諸説5 / 性善説

 

中学校辺りで皆さん習ったとは思うけど中国の孟子の思想で「性善説」という物がある。人間の本来の性質は善であって、生きていく内に悪に染まると。その反対の性悪説は人間は放っとけば悪に走るのだから教育などによって良くして行かなくてはいけないと。で、最近のCRPGの人間観がこの「性善説」に基づいているような気がしてならないことがよくある。簡単にいうと、根っからの悪人ってほとんどいないんだよね。
で、何で人が悪に走るかというのにはいくつかのパターンがある。良くあるパターン何かに取り憑かれている場合。悪いのは取り憑いている悪霊なり悪魔で、取り付かれている人は全然悪くないんだよーってな感じ。なもんだから、彼自身も被害者でどんなに悪いことをしても許さなければいけない。そして、同情の涙を流さなければいけない。この場合、取り憑かれているときの記憶がない場合がほとんどだしね。
その2は、内に何かを秘めて敢えて悪役を演じているというパターン。私なら目的が善なら何もやっても許されるのかと激しくツッコミを入れてしまうが、一般的に「なーんだそうだったのかあはは」でめでたしめでたしになってしまうのが実に爽やかだ。でも一度このパターンに馴らされてしまうと、どんな悪人に対しても何か裏があるかと勘ぐってしまうので「私、信じてる」的に実にぬるい展開になってしまう。そして、最後に「ああ、本当に悪い人なんていないんだな」と孟子的な人間の真実を確認しておしまい。でもまぁ、ファンタジーの世界には人間以外であればその性質が頭っから「邪悪」と定義されているキャラクターもありうるんだけど、現実には純粋な邪悪、誰のメリットも考えない邪悪ってのはほとんどいないんだから。
その3は何か不幸な過去があって歪んでしまった場合。RPGの世界ではとにかくこういうタイプの悪人が登場して、不幸な過去が明らかになって、同情の涙を流して、許してあげるという展開がお決まりのように登場する。不幸な過去を持ったら歪まなければいけないし、歪んだ性格を持った人は不幸な過去がなければいけないという公式ができあがっていると言ってもいいだろう。でもこれだって不幸な過去を内に秘め、清く正しく生きている人だってたくさんいるだろうし、どっちかと言うと日本人の価値観って奴は「涙の数だけ強くなる」なんで、この手のキャラクターはほとんどの場合は極端に心を改めるようだ。
その4は価値観が違って悪人に見えているという場合。志は善なんだけど、その方法が違うために主人公と対立する連中だ。彼らを悪と罵る理由は彼らが「大の虫を生かすには小の虫を殺す」的な考え方をしていたり、「悪人どもは容赦しな」かったり、性悪説的な思想に立って「人間こそは悪!」と決めつけたりするから。あとは、悲しいかなゲームの主人公にはなれなかったってことも重要だね。世界を救うとか言うテーマに真摯に向き合った場合「大の虫を生かすには〜」的発想でもって目の前で苦しんでいる人を見捨てる心の強さも必要だと思うんだがね。で、こういう奴らは大抵途中で死んでしまう。途中で死んじゃうってことはつまり思想的に敗北したとか、因果応報だと言う形で歴史には記されてしまうんだけど、結局は主人公より腕っ節が弱かったってだけだったりすることもあるんだけどね。
最後は、その人が人間ではなかったというパターン。いつの間にかモンスターに取って代わられていたって事もあるけど、悪行を為す奴が人間の筈はないという、究極の性善説。とんでもない悪人とか、今まで優しかった人が急に人が変わったように残酷になったとかいう場合はこのケースを疑った方がいい。あとは、悪魔に魂を売ってその引き替えとして力を手に入れるって言う事もしょっちゅうだ。で、剣を向けられると人間の皮を脱ぎ捨てて名状しがたい化け物になる。人間を殺すことには躊躇していた勇者様も姿が人間でなければノープロブレム、外見が人間じゃなければ人権はねぇ!とばかり嬉々として切り刻む。いやぁ、ファンタジー世界には色々な生き物が居るわけだけど外見が人間じゃない方々は複雑な思いで見ていることだろうなぁ。
で、こういう感じのRPGは「ストーリー性がある」とか言われて高い評価を受けることが良くある。「本当の悪人はいない」何ていう孟子の思想を残してね。歴史的に見れば人間は自力で数多くの悪行を行ってきたし、今でもそれは続いている。そんな中にあって癒しの効果でもあるのかも知れないけど、人間の心の中に自然と持っている悪の種を臭いものに蓋式に覆い隠すようなストーリーでいいのかな。それでいて「悪」を別な価値観を持った悪霊とか魔物に責任転嫁して安心するようなストーリーで。
それと被害者の視点が決定的に欠落しているって言う事も忘れてはならない。どんな大義名分があろうとも、誰かに操られていようとも、罪がそれで消える訳じゃないし、被害者の抱く恨みや痛みもずっと残り続けるのだ。さっきも書いたとおり、誰のメリットも考えない、純粋に「邪悪」と片付けられる行為はほとんどないように思う。人間という物は基本的にあらゆる行為に大義名分を作るもので、こんな事がまかり通るなら何でも許さなければいけないでしょう。しかしながら目的が善だとしても、色々な「事情」と言うものがあったとしても被害者が出たのならその行為に対しては然るべき態度を取ることが必要なのではないでしょうか。
オー、まるっきりRPGの解説じゃない感じだなぁ。逆に言うと昔は「なんだか良く分からないけど邪悪なんだ」みたいなキャラクターが結構多かったんだよね。それはRPG以前の、キリスト教的な善悪二元論の時代から繋がる価値観で、神と悪魔の間の境目が曖昧で、神も過ちを犯す、悪魔にも情けはあるみたいな価値観の日本人からすれば上記のような性善説的発想ってのは必然であるともいえるのかな。単に「勇者が人を殺すのは教育に悪い」とかいうPTAのイチャモンが原因かもしれないけど。 
 
諸説6 / 性善説と性悪説

 

この言葉は高校時代の倫理社会の時間に初めて耳にしました。単純に善だ悪だと決められる程、人間は単純なものなのだろうかと、可成り懐疑的にこの言葉を受け取っていた覚えがあります。
ところが、教育を考える場合、人間に対して性善説の立場を取るか、性悪説の立場を取るかは大問題です。何か問題を起こした子どもを前にして、その問題をどう理解するか、それに対して大人がどう対処すべきか、結論が全く正反対になるからです。
予め明らかにしておきますが、私は性善説の立場を取ります。ですから、この後の話の展開の中で、性悪説に対する部分は可成り辛辣な表現になるでしょうし、対して性善説に関する部分は良い事しか書かないだろうと思います。そのzもりで読んで下さい。
性悪説の立場でいうならば、子どもは邪悪さの権化です。子どもが本来持つ性質は我が儘で、怠け者で、自己中心的で、欲張りで、嘘つきで、狡賢く、隙を見せればつけ上がり、甘い大人に対しては幾らでも増長するどうしようもない生き物です。
このように邪悪な生き物を立派な人間に成長させる為には、大人の厳しい指導によって子どもが本性として持つ悪い性質を抑制する力を身に付けなければなりません。そして、立派な大人になるために必要な正しい行いを一つ一つ大人から学び、身に付けていかなければならないのです。
対して性善説の立場で言えば、子どもは本来良い性質だけを、正しい性質だけを持って生まれて来るものです。
もっとも、成長のある時期に於いて、大人にとって好ましからざる行動パターンを子どもが見せる事があります。しかしそれがある発育段階の特徴として現れたものであるならば、その時期が過ぎれば自然に元に戻ります。
性善説の立場からすると、問題となる悪い性質は全て後天的に誰かから学んだものです。人間は生まれながらに悪い人間として生まれるのではなく、後から学んで悪い人間になるのです。
ここで一つ例を挙げましょう。
A子さんは友達と歩いています。その友達は、道ばたで綺麗な花を見つけてそれを摘み取りました。A子さんはその友達に「見せて。」と頼み、その友達は素直にA子さんに花を渡します。
ところが、A子さんはその花を自分のものにしてしまって、友達に返そうとはしません。むきになって花を取り返そうとする友達の頬を、突然A子さんは平手打ちにし、そして泣き出した友達を尻目に走っていってしまいました。
これを見ていた性悪説を信じる大人はこう考えます。
「まあ、なんて我が儘な子どもだろう。きっと随分甘やかされて育ったに違いない。何かが欲しいとなったら自分のものでも他人のものでも我慢が出来なくなるんだ。人のものを取ってはいけないという当たり前過ぎる事さえ、この子の親は躾けていないのだろうか。可哀想に。もっときちんと躾が出来る親に育てられたなら、あの子もあんな風には育たなかっただろうに。」
対して性善説を信じる大人はこう考えるでしょう。
「多分、この子はこんな経験をしたのではないだろうか。もっと小さい頃のこの子が何かで遊んでいる。それは、危ないものか、大切なものか、ひっくり返すと辺りをすっかり汚してしまうものか、いずれにせよ、子どもには持たせたくない何かだ。親はそれを取り上げようとするが子どもはどうしてもそれを手放そうとはしない。そこで、親は戦法を変えて、後で返すから一寸見せてごらん、と言ってみる。取り上げられるのは嫌だが、後で返してくれるならと子どもはそれを手渡す。親はそのまま取り上げてしまう。驚いた子どもは泣きながらそれを取り返そうとするが、親はそれを返そうとしないし、だました事を謝ろうともしない。余りにしつこく食い下がる子どもにとうとう腹を立てたこの親は、子どもを叩くと、二度とこれに手を出してはいけないと叱りつけて行ってしまう。そんな経験を何度かしているのではないだろうか。つまり、この子は親から学んだ行動パターンに従って行動しただけなのだろう。」
性悪説の教育観が何時生まれたのかは知りませんが、このような考え方は先ず欧米で生まれました。アリス・ミラーが「魂の殺人」の中で紹介しているJ・ズルツァー「子どもの教育と指導の試み」が1748年の出版ですから、この頃に生まれた考え方かもしれません。(原型となるものは、既に旧約聖書の中に記されているらしいのですが。)そして、このような考え方は今現在でも生き残っています。
一方でルソーの『エミール』が出版されたのは1762年ですから、もしかすると、性善説の教育観と性悪説の教育観はほぼ同時期に生み出されたのかもしれません。ですが、性悪説が世間一般に広がったのに対して、性善説は余り一般化しなかったように思います。性善説の教育観が一般に広がったのは、アリス・ミラーが幼児期の虐待体験とその後の性格形成の因果関係を解き明かした後だと思いますし、何より子どもの権利条約が世に生み出された後ではないでしょうか。
性善説の教育観と性悪説の教育観と、どちらが正しいかの論争はまだまだ続くでしょう。ですが、私は性善説の正しさを確信しています。性悪説の観点からでは説明のつかない子どもの心の闇を、性善説の観点からなら明確に読み解く事が出来る。そういうケースが非常に多いのです。 
 
諸説7 / 民主主義の基礎たる人間性論

 

1 性善説
性善説とは、人間の本性が先天的に「善」であることを主張し、悪なる行為は物欲がこの善性を覆うから生ずるとする説である。この考え方を主張する思想家としてあげることが出来るのは東洋では孟子(B.C372〜B.C289頃)西洋ではJ.Jルソー(1712〜1778)をあげることが出来るだろう。
ルソーによると、人間は本来「善」であるが(*1)それが多人数の社会や組織にはいると、競争心や功名心が生じたりまた、他人より優越したいという欲望や支配欲・権力欲が生じて、ここから不調和・闘争・嫉妬が生まれると考えている。従って、「文明からゆがめられた社会」から、いかにして「自然な社会」を再構築するかがルソーの中心的課題であったと言うことが出来る。
それでは、この性善説がどのような政治理論に転化されやすいのであろうか?すでに見たように性善説を取る場合、人間は本質的には善であるけれど、外的環境によって悪にされていると考えるため、そこでの関心は、いかに外的環境を変革するかと言うことに力点がおかれる事になる。そのため、ともすると人間存在の実存性を無視してまでも外的環境を変革しようとする傾向に陥り、全体主義的イデオロギーに転化されやすい要素を持っていると言える。(*2)
一例に、ルソーの系譜に属するマルクス主義について考えてみることにする。すでに知られていることだが、マルクスは生産力と生産関係をもって、人間を規定する事象と考えている。マルクスは著作「経済学批判」の序文で次のように述べている。
「人間は、その生活の社会的生産において人間の意識から独立した必然的な一定の生産関係に入っていく。この生産関係は、人間の物質的生産力の一定の発展段階に順応している。この生産関係の全体が社会の経済機構を造っており、この現実的基礎の上に、法的政治的上層建築が成立し、一定の社会的意識形態はそれに順応している。物質的生産の生産方法が、一般に社会的・政治的・精神的生活過程を基礎づける。人間の意識が人間の存在を決定するのではなく、反対に人間の社会的存在が人間の意識を決定するのである。」(*3)
ここで述べられているように、マルクスにとっては、経済的生産関係が基礎的下部構造であり、すべての制度やイデオロギーは、それを反映する上部構造にすぎないと考えられている。つまり人間は、経済現象や活動によって規定されていて、諸悪の原因はブルジョアジーによるプロレタリア支配であるとし、この体制を改革・革命してプロレタリアートが実権を握るならば、やがて階級対立のない自由と平等の理想社会が来るとしている。
マルクスの様に「人間は経済現象によって規定される」という見方は、現在の共産主義国家が行っているような経済関係の国家による変革をうながすことになり、それを実行するためには、統制・秩序・計画化を強要する事になる。しかし、これらのことは人間にはとうてい実現不可能な事であると断定せざるを得ない。なぜならば、このようにするならば、人間が持つ本質的な限界を超えてまでも計画を絶対化し強行しようとする事となり、まさしくそれは、全体主義的傾向へと進まざるを得なくなる。そのうち、このような人間性に対する過度の信頼は、人間の完全性へと結びつきやすくなり、ひいては人間の神格化へと進んでいくこととなってしまう。共産国家である旧ソ連のスターリン独裁や中共の毛沢東独裁(*4)北朝鮮の金日成・正日の独裁等は、このことの裏付けと言うことが出来るだろう。又、政治学者であるウォルターリップマンは、「フルシチョフ会見記」の中で次のような指摘をしている。
「だが、彼(フルシチョフ)は、新しい歴史が始まったのだ、共産主義的人間は新しい種類の人間なのだ、という基本的信念を抱いている。それと共に、彼は技術と応用化学とが、すべての人間的問題を解決しうるのだという限りない信頼を抱いているのだ。」(*5)
このリップマンの指摘は、今まで論じてきた共産主義者の持つ人間性に対する過度の信頼を表していると言うことが出来る。そしてこれらのことより性善説は全体主義的なイデオロギーに転化されやすいということが言い得ると思われる。
日本においては明治以来、日本近代化ににおいて自由民権と言って欧米より紹介されたのは、主にルソーの思想であった。なかでも中江兆民は「東洋のルソー」と呼ばれるほどに親しまれるに至っている。そして、それは大正デモクラシーにも影響を与え、日本人の持つ民主主義観にもすくなからぬ影響を与え続ける事になる。このような点からルソーの流れを引くマルクス主義が民主主義の名の下に異常なほどに日本の社会、とりわけ大学において猛威を振るったことは記憶に新しい。(*6)よど号事件の犯人の一人がルソーの熱烈な愛読者であった事を考えるとき、ルソー流の民主主義に対して警戒を要すると言わざるを得ない。(*7)
2 性悪説
前項では性善説が全体主義へと転化されやすいと言うことを見てきた。今度は正反対の性悪説について述べてみたい。
性悪説とは、利己的心情を人間性の根元的な物と考え、従って人間の本性は悪であるとする説である。この考え方を持つ思想家は、東洋では荀子(B.C298〜B.C235頃)(*8)であり、西洋ではT.ホップス(1588〜1679)が有名である。
ホップスによれば、人間を世俗化・唯物化してとらえており(*9)彼にとって人間とは「名声・富・及び権力を求めてあくことなく、恒久的に互いに競争する者であり、その本性は競争と猜疑心と名誉心である。」そしてそこでは欺瞞が唯一の徳となる、としている。
この様な性悪的人間は「万人の万人に対する戦い」の修羅場を展開していくことになりやすい。これでは、とうてい平和な社会秩序が維持できないため、ホッブスは主権にすべての権利をまかせて、各人の自己平和を維持しようとしたのである。(*10)
これらのことからわかることは、そこでの平和は力による平和であって個人の自由は容易に侵されやすいという体質を持つことになる。そしてこの性悪的人間観からは、民主主義理論は導き出されずに、君主絶対的全体主義理論へと流れていくことは自明の理であると言わざるを得ない。これらのことから性悪説においてもそこから導かれる政治理論は、民主主義とは全く違う物であるといえる。
3 原罪説
前の二つの項目で述べてきたように性善説も性悪説も、いずれも民主主義とは結びつかない事を述べてきた。ところで、人間性についてもう一度先のことを考察してみるときに、すでにみた性善説も性悪説も、一面の真理が含まれているということが出来るのではないか。なぜなら人間には一面自ら犠牲になり他人のために尽くそうとする善なる心があると同時に、他方、他人を引きずり落としてまでも自己の欲望を達成しようとする心が二律背反的に混在しているからである。
キリスト教の有名な聖人の一人であるパウロは、書簡「ローマ人への手紙」の中で、「私は内なる人としては、神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、私の心の法則に対して戦いを挑み、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、私をとりこにしているのを見る。私はなんというみじめな人間なのだろう。」(*11)と告白し慨嘆しているが、これは先のことを端的に言い表した内容であるといえる。そして、この様に二律背反した人間の状態を、最も合理的に説明してくれるのが原罪説である。
原罪説とは、全知全能で絶対的善である神が人間を創造したのだから本来の人間性は「善」であるが、人間始祖のアダムとエバの堕落行為により人間は原罪という「悪」を持つようになり、二律背反の矛盾した存在になってしまい、そして、その救済はキリストによって成されると考える説である。(*12)
この説はキリスト教の背景があって初めて成り立つ考え方であり、この原罪説に民主主義の発生要因があると言うことが出来ると考える。
では、なぜ原罪説が民主主義と結びつくのかと言うならば、何よりも原罪説は人間存在の不条理と限界を人間に悟らさせてくれる。言い換えれば人間存在の不完全性の指摘であると言うことが出来る。
性善説が第一項で述べてきたように、人間の完全性という自己神格化に至るのに対して、原罪説はその点きわめて厭世主義であり、その認識は謙遜を生み出して行くことになる。
現代の著名な政治学者のA・ロリンゼイは著作「民主主義の本質」の中で、民主主義の源流を十七世紀のピューリタニズムの会衆に求めており、そこでの非政治社会の民主主義にこそ、民主主義の本質があると指摘した。そして、ぺトネー会議でのクロムウェルの次の発言の中に民主主義の神髄があると考えることが出来るとしている。
「たとえ、陸軍中将と兵卒の違いはあっても、他の人達からと同様に、あの兵士からも学び聞こうという心構えでした。神は、討議に出席していた人々のうち、誰に話しかけていたかわからないと思ったからであります。」(*13)
このことは、人間は不完全な存在であるが故に真理を独占するものではないと考え、対話や討論を通じて真理を見極めようと努力して行くことに他ならない。
このようなことから謙遜や寛容が生まれ、相手の意見を謙虚に聞く会議の精神が培われていく。そして、真の対話は原罪説というキリスト教の背景をもってはじめて可能であると言えると考える。
以上のことから原罪説が、民主主義の基本的精神を形作る事になると言える。
日本を代表するキリスト者の内村鑑三は、日本の近代化において日本の西洋文明の摂取が外面的・皮相的である事を警告し、西洋文明の根本なるキリスト教の摂取を主張している。(*14)しかし、日本の民主主義はその様な精神的土壌を作ることは無かった。その原因は、民主主義というものが上から一方的に与えられた点が強い為であると言うことが出来る。そして、そのことが今日の日本の民主主義を、得体の知れない物としてしまい価値観の多様化と混乱を引き起こしていると言うことが出来る。
補注
(*1)ルソーは、キリスト教の言う原罪を明確に否定している。(「ルソー」岩波新書桑原武夫編)。
(*2)ルソーの思想は、フランス革命に強い影響を与えている。
(*3)「マルクス・エンゲルス全集第7巻」所収山本美編著改造社。
(*4)毛沢東思想はマルクス主義というよりも儒教の影響を強く受けているが、このことも孟子に見られる性 善説がマルクス主義と癒着しやすい土壌を与えていると言うことが出来る。
(*5)「フルシチョフ会見記」ウォルターリップマン著黒田和雄訳原書房。
(*6)日本人に罪意識が無いと言うことは、来日した多くの宣教師達によって指摘されているが、この故に原 罪を否定するルソーの思想が日本人に親しまれるようになったのではないだろうか。
(*7)ルソーの思想が、全体主義イデオロギーに転化しやすいという主張は人間性論の立場から見た場合であって、これをもってルソーを全体主義思想家とは規定し得ない。
(*8)孟子の性善説を攻撃した荀子の言葉は次の通りである。「孟子は人間の本姓は善だと言うがこれは誤っている。およそ古来どこでも善というのは道理にかなった和平的なことであり、悪というのは道理にもとった乱暴である。今仮に人間の本性を道理にかなった和平的だとするなら、どうしてさらに聖徒の王者が必要になるだろうか。どうして礼儀が必要であろうか。孟子の仮定は間違っている。人間の本性は悪である。だからこそ昔聖人はそれを放任できないと考え、それを矯正するために君主の権力を高くして君臨させ礼儀を明確に示して感化し世界中の人々の行為がすべて立派で善に合致するようにさせたのである。それが聖王の政治であり礼儀の感化というものである。」(「孟子」岩波新書金谷治著)。
(*9)「リバイアサン」トマス・ホップス著戸鞠雅彦訳思索社。
(*10)ホップス前掲書。
(*11)「聖書」日本聖書協会。
(*12)「広辞苑」。
(*13)「民主主義の本質」A・Dリンゼイ著永岡薫訳未来社。
(*14)内村は、そのことを次のように語っている。「日本国の大困難、その最大困難とは何でありますか、私は明白に申し上げます。それは、日本人がキリスト教を採用せずして、キリスト教的文明を採用したことであります。これが我が国今日の凡ての困難の根本であります。(中略)キリスト教文明とは読んで字のごとく、キリスト教によって起こった文明であります。しかるに、日本人はキリスト教的文明を採用して、その根本たり、原因たり、その精神たり、生命たるキリスト教そのものを採用しないのであります。」(「近代日本思想大系内村鑑三集」所収−日本国の大困難−内田芳明編集筑摩書房)。
 
諸説8 / 魔性の正体

 

私は「人間は善か悪か」を問いながら「人間を深く見つめる」ことより「社会問題」に多くのページを割いてしまったようである。ここまで読まれた方々も「あれ?、人間性善説・性悪説の話はどこへ行ってしまったの?」と思われているのではないだろうか。そして「これは社会批判であって、これでは看板に偽りありだ」とお怒りになっておられるのではないかと思う。それをこれから説明していきたい。
人間の本性は善か悪かでない。人間の本性は「利」欲である。ゆえに人間性善説、人間性悪説のどちらでもなく「人間性利説」という第三の説を主張する。
「人間性利説」とは人間には本能的に損得や有利不利を選別する「利的志向性」がある。その「利的志向性」を人間の本性とし、その本性は「人間性利説」である。
人間の意志や判断はすべて[人間性利説]つまり「利的志向」に根ざしている。そして「利的志向性」に基づく意思決定の結果が人間の行為である。人間が善か悪かは、その人間の行為によって決まる。したがって人間の本性が善か悪かではなく、人間の行為が善か悪かである。
私はこの評論を書いて終盤にさしかかった先日、書店で思わぬ本と出くわした。その本の題名は悪について(著者:中島義道2005年3月25日発行岩波新書)であった。思わず飛びついて購読した。むさぼるように読んだ。本の帯に書いてあるとおり「裏側からのカント倫理学案内」である。
元来、私は観念の世界の迷路に入り込んでしまうことを避けていた。ましてや「カント」という名前を聞いただけで拒絶反応をもっていた。それは私が若い頃の体験のトラウマかも知れない。私は人並みに多少哲学に興味をもち、西田幾太郎氏の善の研究やカントの純粋理性批判を読んだことがある。しかし、それらの哲学書は、私の頭の悪さも手伝って、読んでいる途中からで頭がくらくらしてきたので、積本にしてしまい、そのうちにいつの間にやら本棚から消えてしまった。
今回、中島義道氏が私のような者にでも分かるようにカントの倫理学の案内書を発行されたので、多少なりとも「カントの倫理学」の入門書を読むことができた。
その悪についてを要約すると概ね次のとおりである。(間違っておれば中島氏に申し訳ないと思うが、私の読解能力不足としてお許し願いたい)
カントは「人間のいかなる善行も、その行為を突き動かしているファクターは、人間の根底に潜む我執すなわち「自己愛」であって、自己愛以外の何ものでもない。そしてその自己愛は「あらゆるものより自己自身が好きである自己偏愛」と「自己自身に満足しているうぬぼれ」かのいずれかである。だからいかなる善行も偽善であり、いかなる善人も悪である」という。
さらにカントは人間の根本悪について次のように言っている。「人間の根本悪は「人間心情の悪性」から湧き出す。その「人間心情の悪性」はどこにあるのか。それはわれわれ人間が、「自己愛に基づく動機」を「道徳法則に対する尊敬に基づく動機より優先する」ような格律を自由に選択する「性癖」をもつことのうちにあるのだ」。
私なりに平たく解釈すると、人間は「道徳より自己愛を優先する“性癖”がある」とカントは言っているのである。
私は人間性利説を主張し、人間には本能的に万人が「利的志向性」をもっていると述べた。甚だ我田引水で荒唐無稽ではあるが、カントの「道徳より自己愛を優先する性癖」と私の「利的志向性」は相通ずるものがあるように思うのである。
ところで、私は肝腎の何が「善」で、何が「悪」について、ここまで一度も考察しなかった。そこで何が善で何が悪かを述べていきたい。
私は人間の倫理ないし道徳を述べるつもりはない。倫理ないし道徳は個人の人間を対象にしているからである。また社会を対象とした倫理や道徳に関する論評は殆ど無いに等しい。なかには企業倫理や新聞倫理や各職種・各業界の倫理綱領なるものが散見されるが、それらは内輪の申し合わせ程度のもので外的に保証されたものではない。
社会についての倫理・道徳を取り沙汰することは、結局のところ権力者を対象にすることであり、、支配権をもった権力者に対して倫理・道徳を説くことになる。すなわち支配権力者に対して"あるべき論"を説くことは、「政治はこうあるべき」ということになり、それは倫理・道徳の域を超えた政治そのものの問題をとりあげることになる。
「社会と人間」について考えるならば、政治のあり方について考えることでもあり、むしろ政治の問題は避けて通ることはできないが、政治の善悪は民主主義のルールによって国民が判断する。
しかし、社会全般を見渡せば国民一人一人の意思とは異なる問題や国民感情とはそぐわない問題が多々ある。それらを包括して社会の根本的な問題、つまり「社会悪」について述べてみようと思う。
私のように「社会が悪いのだ」と言うと、世間では「社会が悪いというが、その社会は人間の集合体で人間が社会を構成している。もし社会が悪いというのなら、それをつくっている人間が悪いからではないか」と必ず反論がくる。確かに一見理屈はある。
この議論は「鶏が先か、卵が先か」の議論と似たところがある。「鶏が先か、卵が先か」は、そもそも設問自体が間違っており、設問になっていないのである。まさに観念論の世界に引きずり込んで、問題の本質をうやむやにして、「為にする」論争である。「この鶏と、この卵は、どちらが先か」という設問ならば即座に答えることができる。実際を見れば分かる。
「人間が悪いのか、社会が悪いのか」についても、先程の「鶏」論争と同じことである。だから観念の世界から脱出し、目の前にある現実の世界に目を転じて、実際の社会を見つめていくことだ。私はそうして社会の善悪を論じていきたいと思う。
具体的に「戦争」をとりあげて述べいくことにする。殺人は人間にとって最悪の非人間的行為である。その最大の殺人が戦争である。今ここに一人の人間がいると仮定しよう。
彼は国家の命令に背くことができず、戦場に送り出された。そして目前の敵を銃で撃ち殺した。殺人をしたのである。これこそ「悪なる行為」である。
人間は歴史上、戦争という名でどれだけ多くの人間を殺し殺されてきたか。兵士だけでなく兵士以上に多くの一般市民が犠牲になった。個々の人間にとって戦争とはいえ、人を殺すことは非人間的行為であることは誰でも十分に認識している。それでも国家組織に管理され、個人の力でどうすることもできず、戦場に赴き殺人をしてしまう。かつ戦争は「やるか、やられるか」だから仕方ないのだ。
では個々の人間を殺人者として断罪できるだろうか。その兵士を見ると、ごく普通の人で、まさか何十人何百人何千人の人殺しが出来る殺人鬼ではないのだ。虫一匹殺すこともできない人で、ましてや人一人殺すなんてことは到底できない普通の人間なのである。
しかも悪人ではない人間が悪をやったのだ。いや悪をやらされたのだ。つまり社会が彼に悪をやらせたのである。私が主張する人間の本性である人間性利説は、つまり生存本能に根ざす「利的志向性」は戦争という現実を通して、より一層顕在化し先鋭化するのである。また、戦争はいつも「正義」を振りかざして行われる。双方ともに「こちらが正しくて、相手が悪い」という。そしてお互いが殺し合う。はてさて「正義」とは誰が一体決めるのだろうか。戦争の大義名分は国家の権力者が決める。国民は国家組織に管理されているので、国家が決めた正義に服従するしかない。先の彼は国家の正義に服従して人を殺したのである。
チャールズ・チャップリンの映画「殺人狂時代」で
一人殺せば悪人だが、百万人殺せば英雄だ
という名セリフがある。戦争批判の名言である。いずれにしても、物言わぬ羊の群れの国民は、いつの時代においても国家の権力に服従し、支配権力者に従属して引きずり回されているのである。戦争とはこんなにも非人間的理不尽な国家による殺人犯罪なのである。
誰しも戦争とはいえ、殺人は絶対にしたくない思っているが、巨大な組織の中に組み込まれ、中間組織に管理されて生きている我々は、そこから逃れることは、まずできず、それしか生きる道はない。また、生きていくためには、この社会と折り合いをつけなければならない。
そこでは、間違いなく「人間性利説の利的志向性」が働く。むしろこういう社会だからこそ、ますます人間の本性である「利的志向性」がより一層強くなる。悲しいかな生きていくためには已むにやまれぬことだろう。人間の生存本能に根ざした「利的志向性」の悲しい性ではある。カントのいう「自己愛」を「利的志向性」に置き換えると「人間は道徳より「利的志向性」を優先させる性癖がある」と言えるのだろう。
現代の資本主義経済体制の社会は「利益追求」をすべてに優先させる社会であって、いわば人間の「利的志向性」を培養する装置になっている。また、この資本主義経済体制の管理社会は人間の人格を濾過する装置である。つまり資本の論理に順応または適合するものだけを透過し、それ以外のものは吸着廃棄してしまう装置になっている。いわば人格を形成している栄養素(個性)が資本の論理によって濾過され、ミネラルのない真水の無人格化人間だけが透過する装置が現代の資本主義社会である。
現在、地球を支配しているのは資本主義経済社会思想であり、資本主義経済体制の中で人間と人間が関係づけられた文明社会である。それは大量生産・大量消費・大量廃棄の文明社会である。その正否・善悪・是非を問うことなく、支配権力者は現状の文明社会に拘泥し、国民はそれに従っている。
資本主義経済の文明社会は大量生産・大量消費・大量廃棄で成り立っており、これを停めると資本主義経済は立ち行かなくなる。そのうえ「拡大」を続けないと資本の論理は成り立たない宿命を背負わされている。経済指標(例えばGDP)や企業経営指標の前年対比○○%増という自縛から逃れられない実状が拡大を意味している。
譬えて言うと、サメやマグロである。サメやマグロのような魚は泳ぐことで呼吸しているので、ひとときも泳ぎを停めることができない。停まれば呼吸が出来ずに死んでしまう。だから泳ぎ続けねばならない。
「大量生産・大量消費・大量廃棄」の社会は、もう一つ重大なことを失念している。それは大量の自然環境破壊である。「大量生産・大量消費・大量廃棄」は必ず大量の自然の破壊を伴う。地球環境を破壊せずに資本主義文明は成り立たないのである。いわば資本主義経済社会は「大量生産・大量消費」と「大量廃棄・大量破壊」の陽と陰で成り立っている。つまり表裏一体・陰陽一如なのである。
ブッシュは京都議定書に反対する理由を「経済効率が悪くなる」と言った。イラクという国に対して「核の大量破壊兵器をもっている」という嘘を口実にして戦争を仕掛け、イラクの石油資源を奪ったブッシュらしい反対理由である。マネー主義の権化のブッシュのような権力者が世界を支配している限り、地球環境の破壊はとどまることはないと私は断言する。
さて、私は現代社会を憂い、何故このように問題山積の社会になったのか、また、それが人間の行為によるものだから、では「人間は果たして善か悪か」を問い始めた。
もし人間の行為が悪ならば、人間に悪なる行為をさせるように人間を操る魔性の正体は何かを探ろうとした。それが本論の最大のテーマであった。そして「魔性の正体」を解明するために私論を展開してきたが、もうすでにお分かりかと思う。
とくに私は戦争と地球環境破壊に焦点を絞り、その元凶を探求した。その魔性の正体は「資本主義文明社会」に潜んでいる「見えざる悪魔」だったのである。その悪魔が影で人間を支配し、操り、人間を魅惑し、人間を不幸にしている。その「見えざる悪魔」とは資本主義が生み育てた申し子である「マネーだ!」と断言する。 
 
諸説9 / 性善説と性悪説

 

古代中国の春秋戦国の頃、数多くの思想家が輩出されました。代表的な思想家として、老子、墨子、孔子、孟子、荀子、韓非子・・・などが挙げられます。さらにこの中でも、「性善説に基づく思想家」と、「性悪説に基づく思想家」とに大別できます。まずは性善説と性悪説についておさらいしておきましょう。
性善説 / 人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説。主に孟子が唱えたとされる。
性悪説 / 人間の本性は基本的に悪であるとする倫理学・道徳学説。主に荀子が唱えたとされる。
性善説を”天国思想”、一方、性悪説を”地獄思想”と言い換えることができるかもしれません。大きくは・・・
「性善説」 老子、墨子、孔子、孟子
「性悪説」 荀子、韓非子
のように大別できます。まず老子が説いた「道(タオ)」の思想についてです。これは先日のブログでもご紹介させて頂きましたが、「道」を一言で言い表すならば、「あるがまま」であります。
次に、孔子が説いた儒教についてです。日本においては、漢王朝の末裔(のちの公家)が渡来してきた1〜2世紀頃から除々に浸透していき、江戸時代に一気に花開いたものと推測されます。さて、その儒教の教義の中には、よく知られている「仁義礼智信」という教えがあります。
・仁:人を思いやること
・義:利欲に囚われず、すべきことをすること
・礼:仁を具体的な行動として、表したもの
・智:学問に励む
・信:真実を告げること、約束を守ること、誠実であること
さらに孔子は、君主の統治形態として「徳治主義」を唱え、覇道を批判し、王道の重要性を唱えました。これらの教えは間違いはなく、正しい思想であると思います。
しかし、儒教独特の上下序列と勤勉を重んじる思想によって、以下のような弊害も発生してしまったことも事実です。
・君主が神(天(創造主)の思想は説かない)
・目上が神(年功序列。家族や長たる者のみを愛する)
・労働が神(ユートピア思想は説かない)
・男尊女卑(人類平等は説かない)
現在の日本の状況を観るまでもなく、皆が上司の顔色だけを伺い、他は一切関係ないという”せこい者勝ち”の価値観が蔓延し、全体として極めて味気ない、不寛容な社会が出来上がってしまったということです。
なお、私が儒教の教えの中で、最も問題であると考えているのが、「無神論」であるという点です。無神論であるということは、目に見えない世界の一切を否定することになりますので、行き着く先は、自分の頭で考える力(独創性)さえも奪ってしまうという危険な思想です。すなわち、上司の命令がないと、何もできないような”近視眼的な奴隷的人間”が数多く作られてしまうのです。
また、勤勉が行き過ぎると、労働のみが心のよりどころとなってしまい、心の余裕が失われてしまいます。(”忙しい”の”忙”とは、”心が亡くなる”と書きます。)よって、最終的にはギスギスした人間関係が出来上がってしまうことになります。
さらに、上下序列を重んじるということは、そこに階級間の闘争と差別が生じるということです。必然的に「より立場が上の方が偉い」とみなされるようになります。すると、皆が自分の立場を上げようと、潰し合いの阿鼻叫喚社会が発生することになります。そして、自分より立場が下とみなされた者に対しては、徹底的な差別とイジメが行われます。その最終形態が戦争です。イジメが積み重なった延長線上に戦争があります。
本来、宇宙には「偉い」という価値観はありません。誰が偉いでも偉くないでもないのです。「この宇宙に生きとし生けるもの、命に貴賎なし」が正しいあり方です。
人々の中に、「自分よりあの人の方が偉い」、あるいは「自分も他人から注目されるために偉くなりたい」という価値観が芽生えてから、争いが起こるようになったのではないでしょうか?皆がこの誤った価値観の存在に気が付けば、お互いもっと楽に生きられるはずだと思いませんか?
儒教を唱えた孔子、孟子は「性善説」に立っていたため、まだ良い方だったかもしれません。もっとも手に負えないのが荀子です。この荀子は、「性悪説」に基づいて儒教を説いているのです。
さらにこの荀子に影響を受けた思想家に、韓非子がおります。こちらもまた手に負えません。性悪説に基づいて、法治主義を唱えたのです。確かに人間の本性が悪なのであれば、ガチガチの律法主義に徹するしかなかったかもしれません。
しかし、人間の本性を善とみなす性善説に基づいた社会が構築されれば、ここまで徹底的な法治国家にしなくてもよかったはずなのです。人間には本来、「仏性」あるいは「神性」という、神の御心が備わっています。人間とは、本来『旧約聖書』で説かれているような「罪の子」ではなく、「神の子」であるというのが正しいあり方です。よって、「性善説」が正論なのです。
「人は罪の子でないぞ。喜びの子ぞ。神の子ぞ。神の子なればこそ、悔い改めねばならんぞ」(『日月神示』黒鉄の巻・第十一帖)
現在の社会状況を鑑みますと、圧倒的な「性悪説社会」が構築されてしまっていると思います。(性悪説社会に一石を投じる意味もあって、当ブログをスタートさせました。)
性悪説に基づいて人を判断すると、疑心暗鬼の虜(とりこ)となり、被害妄想の罠にはまってしまいます。さらに「やられたらやり返せ!」と皆が考えるようになり、無限地獄に陥ってしまうのです。まずは、一人ひとりが性悪説に基づいた考え方を改めなければなりません。
「親の心判ったら、手伝ひせねばならん。言われん先にするものぢゃと申してあらうが。いつ迄も小便かけてゐてはならんぞ。」(黒鉄の巻・第十一帖)
以上観てきたような、性悪説や儒教に基づいた思想の代替案として、墨子が説いた「墨家思想」を提唱したいと思います。以下に基本思想となる「墨家十論」をご紹介しましょう。
「兼愛(けんあい)」
兼(ひろ)く愛する、の意。全ての人を公平に隔たり無く愛せよという教え。儒家の愛は家族や長たる者のみを強調する「偏愛」であるとし排撃した。(注釈)「兼愛」とは、いわゆるイエス・キリストの説いた「博愛」と同義であると考えられます。さらに、儒教の教えを「排撃」するのではなく、「愛による包み込み」を提唱したいと思います。(悪人や戦争を憎み、恐れる心が、逆に悪の増大化を引き起こしています。)
「非攻(ひこう)」
当時の戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵攻を否定する教え。ただし防衛のための戦争は否定しない。(注釈)私はここに、「完全非暴力主義」を加えたいと思います。
「尚賢(しょうけん)」
貴賎を問わず賢者を登用すること。(注釈)「人類平等、命に貴賎なし」です。
「尚同(しょうどう)」
賢者の考えに天子から庶民までの社会全体が従い、価値基準を一つにして社会の秩序を守り社会を繁栄させること。(注釈)賢者の考えに天子から庶民までが従えば、争いがないユートピアが完成するのです。
「節用(せつよう)」
無駄をなくし、物事に費やす金銭を節約せよという教え。(注釈)その通り!さらに「粗食のススメ」も提唱したいと思います。
「節葬(せっそう)」
葬礼を簡素にし、祭礼にかかる浪費を防ぐこと。儒家のような祭礼重視の考えとは対立する。(注釈)本当にそう思います。現在の無意味な冠婚葬祭の豪華さといったら何?
「非命(ひめい)」
人々を無気力にする宿命論を否定する。人は努力して働けば自分や社会の運命を変えられると説く。(注釈)素晴らしい!切磋琢磨でお互い磨き合いましょう!
「非楽(ひがく)」
人々を悦楽にふけらせ、労働から遠ざける舞楽は否定すべきであること。楽を重視する儒家とは対立する。(注釈)現代日本のバラエティ番組を中心とした社会とは、儒教の教えに基づいていたのかもしれませんね。
「天志(てんし)」
天を絶対者として設定し、天の意思は人々が正義をなすことだとし、天意にそむく憎み合いや争いを抑制する。(注釈)「天網恢恢疎にして漏らさず」です。
「明鬼(めいき)」
善悪に応じて人々に賞罰を与える鬼神の存在を主張し、争いなど悪い行いを抑制する。鬼神について語ろうとしなかった儒家とは対立する。(注釈)いわゆる「因果応報(カルマ)」と同義であると考えられます。
なんと素晴らしい教えでしょうか!ぜひ皆さんも本日から「墨家十論+完全非暴力」を実践して頂きたく思います。学校現場においても、これから道徳教育が始まるようですが、今までのような儒教に毛が生えた程度の道徳観ではなく、墨家十論のような、未来を見据えた教えを採り入れて欲しいと強く思います。
”タテの関係”を重視する父系社会を構築してきた儒教に対し、これから始まるであろう”ヨコの関係”を重視した母系社会の時代においては、墨家思想は最適な指針であると考えます。
それでは、今まで性悪説に基づいた儒教を推進してきた人々は悪人だったのでしょうか?否!悪はお役であります。私たちは性悪説を排斥するのではなく、広い愛の心で包み込む意識が求められてくるのです。 
 
諸説10 / 性善説と性悪説

 

みなさんは、「性善説」と「性悪説」のどちらを信じますか?最初に確認しておきますが、多くの場合「性善説」と「性悪説」は少し間違って理解されています。分かりやすく解説しているサイトがあったので引用します。
【間違った理解】
性善説=(人の本性は善であり)人を信じるべきだという考え方
性悪説=(人の本性は悪であり)人は疑ってかかるべきだという考え方
【正しい理解】
性善説=人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ。
性悪説=人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ。
つまり、どちらの見解でも結局「人は善行も悪行も行う」のであって、人を信じるかどうかとは関係のない話です。こう理解すると、例えば子供の教育というのは「性悪説」を信じているように思います。
○○○してはいけない
○○○すると罰がくだります。
代表的なのが「嘘をついてはいけない」という教育。
親なら誰もが子供に「嘘をついてはいけない」と教えるでしょう。
童話の中には数えきれないほど「嘘」を否定する話があります。オオカミ少年の話、ピノキオ、「日本昔話」にたくさん出てくる嘘つき爺さんと正直爺さんの話。数えきれないほどあります。
つまり人間は生まれつき「嘘つき」であり、どうしたら嘘をつかない正しい人間に育てることができるかを、昔から人は考え続けているということです。これは性悪説の代表的なものでしょう。
しかし、結局大人になっても嘘つきな人はたくさんいます。
子供の頃はまだ「嘘をついたら、閻魔大王に舌を抜かれる」と信じる純真な心を持っていますが、大人になると人は平気で嘘をつきます。挙句の果ては「正直者は馬鹿をみる」とさえ平気でいいます。このことは、人間はもともと善な心を持っているが、成長する過程で悪を身につけるという性善説にあたるでしょう。
「性善説」と「性悪説」は、どちらが正しいといえるものではないのかもしれません。しかし私はやはり、性善説を信じたいですね。人間の本質は「善」だと信じます。そして大事だと思うのは「性悪説」を前提とした教育ではなく、「性善説」に立った子供の教育ではないでしょうか。
「嘘をついてはいけない」と教えるのではなく、どうしたら「正直」な心を持ち続けることができるのかを。 
 
諸説11 / 人間性悪説・人間性善説

 

自由経済というものは、良く言えば、世界中を資本が自由に動き回り、自由に自分の個性を伸ばすことができるもの、と言うことができ、悪く言えば、欲望を極限にまで解放し、そして、自由奔放に際限なくどこまでも拡大すること、と言うことができます。
自由経済を、額面通りに捉え、自分の欲望を、誰にも恥じることなく正々堂々と追求してくれるのであれば、それはそれで素晴らしいことなのですが、全くの自由であると聞けば、必ずと言って良いほど、ズルをする者が出て来るのです。
ズルと言うよりは、インチキと言った方が、良いかもしれません。
だからこそ、自由経済には、インチキをチェックし、罰を与える審判が、必ず居るのです。
それは、不正は絶対にしないという、個々人の自覚の醸成を待っていたのでは、自由経済など、いつまで経っても実現できず、未だに統制経済のお世話にならざるを得ないからです。
キャッシュカードやクレジットカードの暗証番号などを、ATM機や店舗のカウンターにて、わざわざ盗み見る人は居ない、例え、意図せずに見えたとしても、犯罪をしようと思い付く人は居ない、思い付いたとしても、実際に行動に移す人は居ない、そういう人間性善説に立てば、莫大な費用と注意や工夫を要する仕掛けは必要ではなくなり、ある日突然、買ってもいない物の請求を、されるなんてこともないのです。
政治家は、偉大な賢人であり、官僚は、身を捨てて天下国家を憂える選良、国民は、清廉潔白な良民であり、いづれも、インチキなどしない、という人間性善説に拠って立てば、狂牛病騒ぎの影響で売れ残った国産牛を、買い取るBSE対策事業という国の善意が、偽装国産牛を買い取らされる仇で返されることもないし、また、北海道西友元町店が、外国産肉を国産と偽って販売したことへのお詫びに、レシートの提示を求めず、自己申告のみで返金に応じる姿勢を見せた場合も、買ってもいないのに店に押し寄せる、虚偽申告者の群を、招くことにはならなかったのです。
現実の人間は、人間性善説ではないことや、人間性善説を信じて行動すれば、そこには、裏切りが待っていること、を証明しています。
暗証番号などを取り扱う上での、安全なシステム構築は当たり前、店舗での買い物は、暗証番号などを、誰の目にも触れさせなくする工夫を要する、店員に対しては、カードを自分の目が届かない所へ、持ち運ばないように監視をする、すなわち、人間を一切信じない疑り深さを、必要とするのです。
BSE対策事業において、本当に国産牛かどうかを判断するには、全箱をチェックすれば、話はそれで終わりなのですが、そうなれば、「チェックをするのが手間」とか、「人件費を賄う税金の無駄遣いだ」と言い出す人が居て、「何故国民を信用しないのか」との声を上げる人も出て来るのです。
笊(ざる)などと表現された、杜撰(ずさん)なチェックの、BSE対策事業を行った農林水産省は、何故ちゃんとチェックをしなかったのかを、一斉に非難されました。
しかし、「何故人間を信用したのか」とか、「人間を信用した、農林水産省が悪い」などの、事の真相を的確に表す言葉を、口に出す人は居なかったのです。
この世の中は、「人間を信用する」とか、「人間を信用しない」などの、露骨な表現は使わないものです。
チェックをしなかった、とは、要するに、人間を信じたことなのですが、「何故人間を信用したのか」とは、誰も非難しないし、間違っても口には出さないのです。
北海道西友元町店で国産肉を買ったかどうかは、レシートを提示させれば、何の問題も無かったのですが、そうなれば、「レシートを失くした」とか、「何故疑うのか」となってしまい、客を信用しないことを責められるのです。
もし、自分が北海道西友元町店の近くを通り掛ったとしたら、「当然群がるんじゃないの、タダでお金が貰えるんだもの」と、平然と答える人も居る始末。
「人間は、信用して貰えなければ、腹が立ち、信用して貰えても腹が立つ」、どうやら、人間の心の自立を期待しても、無理なようです。
この世の憂鬱やストレスのほとんどは、自分を取り囲んでいる、自立していない人間達から発せられていることに、気付かされるのです。
人間性悪説とは、人間の本性は利己的な心を本来的なものとする、悪であるとし、人は生まれながらにして罪を背負った悪人であり、どんなに良い人間のように見えても、必ずと言って良いほど、悪いところがある、と考える説です。
それとは逆に、人間性善説は、人間の本性は先天的に善である、とする説です。
複雑極まりなく交錯する、人間関係、因果関係、利害関係、それよりも複雑な、個々人の心理や行動、そして、それらが織り成す人間模様を、解きほぐして本質を浮き彫りにし、単純化させ論点を整理すれば、法律学では、人間性善説と人間性悪説の、どちらの立場に立って人間を捉えるているのかを、論議することが可能となり、経済学では、人間は、一体どのような生きものなのかを議論でき、文学では、その時代の人間観が、どのように表されているかを評価することが出来るように、人間性善説、人間性悪説の、どちらかの立場に立てば、ものの見方や考え方を、おおよそ固定することが出来るのです。
中国戦国時代の、荀子と孟子がそれぞれを説き、云々、と説明できないこともありませんが、興味のある方以外は、「そのことを知識として覚えたところで何になる、人間への処し方が変わるとでも言うのか」との疑念を懐き、結局、「自分は何も変わらない」との答えを導くだけですので、ここでは、昔の人がそう唱えた、とだけ言っておくことにします。
さて、覚えても仕方が無いとしても、自分の身の回りにいる実際の人間には、人間性悪説が当てはまるのか、それとも人間性善説なのか、ということが気になります。
今までの人生経験に照らし合わせると、根元的に悪であると見受けられる人や、心底から善人だと思える人も、確かに両方居て、人間性悪説、人間性善説のどちらも正しい、結局は、人間全体として捉えられるものではなくて、各個個別の問題ではないか、と思えたりするのですが、先人達が、個別問題にはせずに、総体として人間を捉えているからには、そこには何かがあるのでしょう。
果たして、真実はどちらにあるのだろうか、と思索し直したりもするのですが、絶対そうであるとは、誰も言い難く、人間性悪説、人間性善説、どちらの説も、先人達が生きていく上で、そのように考えた方が気が楽、とか、それぞれの地域での、生活環境の影響を考慮して生きていく時に、自然発生的に芽生えてきたもの、といった程度のものではないかと思うのです。
強引に、しかも、思い切り良く、または、勘違いや見誤り、錯誤によって、人間性悪説や人間性善説の、どちらかに偏ってみても、別に良いと言えば良いのですが、しかし、その場合は、人間を二者択一の単純な問題に矮小化し過ぎて、間違ったものの見方や考え方を誘引し、そこから派生する、しっぺ返しで痛い目に遭う結果を、招くことになりはしないかと、思ったりもするのですが、荀子さん、孟子さん、如何ですか。
自立している人間なら、「何かあったら、自分が至らなかった責任だ」と思えるのでしょうが、それこそ何かあったら、すぐに誰かの責任にしないと気が済まない人達に対して、インチキをしているかどうかを、チェックしてみたところで、どの道文句を言うのですから、この際は、彼らを徹底的に監視する、すなわち人間性悪説に則(のっと)ってみては、如何でしょうか。
自立思考を身に付けた人にとっては、世の中が人間性悪説だろうが、人間性善説だろうが、出た結果に対して、責任を持つのですから、要するに、人間性悪説、人間性善説の、どちらでも良い、ということになります。
自立した人間は、約束を守り、責任転嫁をせず、自己責任を取るのだから、例えば、数年来の懸案、銀行の不良債権問題にしても、その元凶である、「借りたお金を返さない」という、卑劣極まりない行為を、誰もしないのです。
そもそも日本が、自立した人間ばかりで成り立っている国ならば、銀行の不良債権問題は疎(おろ)か、様々な経済対策などは、必要が無いのではないでしょうか。
ズルをする人が居ない、インチキをする人が居ない、自己責任を取らない人が居ない、約束を破る人が居ない、借金を踏み倒す人が居ない、となれば、現在の経済のマイナス要因はほとんど無くなる、と申しますか、それより、好景気だろうが、不景気だろうが、どちらでも良いのではないかと思うのです。
不況だから不幸せ、とよく聞きますが、一体何を根拠に言っているのだろうと、そう思うことがあります。
不況の経済後進国に住んでいる人々全員が、不幸ではない訳で、そこには日本と同様、幸せな人も居れば、不幸せな人も居て、経済がどのような状態であれ、幸せな人は幸せ、不幸せな人は不幸せ、不況だから不幸せだなんて、誰が決めたのだろうと思いますね。
バブル景気の絶頂期でさえ、不幸せな人は不幸せであって、例え、税金を湯水の如く投入して、バブルを再来させたところで、同じことなのです。
もし、世界中が自立している人々で埋め尽くされているのなら、別に国なんて枠組みに囚われなくても良い訳で、住みたいところで住む、そして幸せを追求する、住んでいる国名を尋ねれば、たまたま○○だった、というだけの話です。
夢物語を語れば、そうなるのですが、ふと見渡せば、現実は、ご存知のとおり、自立していない人間ばかりが、辺(あた)りを埋め尽くしているのです。
「それならば、仕方がない、自分だけでも自立するか」
「自立していない人間から派生する、思わしくない結果についても、受けとめようじゃないか」
「自分だけは、自己責任思考、自立思考を貫こう」
「その代わりと言っちゃー何ですが、自分だけは、自立していない人間には味わえない、幸せとやらを追求させて貰います」
「ついでに、国という枠組みを、取っ払ってしまいます」
さて、ここからが本題のようなもの。
当たり前のことじゃないか、と思われるかもしれませんが、人間性善説を、人間は本質的に、自分の幸せを追求し、幸せを追求しない行動は取らない存在であると、文字通り、「善」いように解釈してみます。
人間を、自立した存在として捉え、接し、対処し、尊重し、敬うのです。
如何なる職業であれ、それは自分が幸せになるために選択した結果であり、自分の取る行動のすべてが、幸せに繋(つな)がるもの、と解釈するのです。
さて、そうなれば、どういうことが起こるのでしょうか。
「たまたま受かったから、今の会社で働いている」とか、「何となく暇で、やる事がないから働いている」とか、「結婚までの腰掛けのつもりで、働いている」と言っている人は、口ではそうは言っているけれど、実は、自分の幸せのために、今を選択しているのであって、当然、その決断の結果については、責任を持つことが出来る、自立した敬愛すべき存在なのです。
「お金のために、仕方無く働いている」なんて言い訳めいた言葉は、口で言っているだけであって、実は、遣り甲斐のある仕事に就き、現に生き甲斐を感じている人に、違いないのです。
「あいつのような出来の悪い人間とは、一緒に働きたくない」と言っている場合も、実は、会社とは、ある程度出来の悪い人間までも、包み込んでしまう器量のある存在であることを、十分理解し、納得した上で、その会社で働くことを選んでいるのです。
それらをすべて分かった上で、敢えて、酒場で愚痴っているだけなのです。
そして、出来の悪い人間や、給料泥棒のような人間を、次々と自分の会社から追い出しても、次から次へと、同じように湧き出てくることを、十分理解しているのです。
出来の良い人間ばかりを集めた中学校に、落ちこぼれが出現します。
更に、出来の良い人間ばかりを集めた高校に、また、落ちこぼれが出現します。
更に更に、出来の良い人間ばかりを集めた大学に、またまた、落ちこぼれが出現します。
更に更に更に、出来の良い人間ばかりを集めた会社に、またまたまた、落ちこぼれが出現します。
競争させれば、落ちこぼれが生まれる、社会なんてこんなもの、組織なんてそんなものなのです。
出来の悪い人間と、一緒に働きたくないのなら、彼らを会社から追い出すよりは、自らが会社を出て、働きたい人間と組む方が、現実的選択で、早期に実現可能なことは、分かり切っているのです。
会社には、数年間隔で行われる人事異動というものがあり、その循環の中で、自分の遣りたい仕事を、与えられることは、奇跡に近いものがあります。
そんなことは、百も承知の上で、今の会社を選んでおり、「仕事が面白くない」なんて言葉を、仮に言ったとしても、本当は、我が居場所を得た、飽くなき幸福への追求者に、外ありません。
サラリーマンの苦労は、個性を出さない苦労、好きなことを遣っている人間は、個性を如何に表現するかの苦労、なんてことは、十分知った上で、「あいつらは良いよな、好きなことが出来て、おまけに高い金を貰っているのだから」と、ただ愚痴っているだけなのです。
そんなことは、すべて分かった上で、自分の個性を殺し、今現在の幸せを追求しているのです。
個人のスキルアップの時代と言われれば、言われるまま、与えられた仕事に関するスキルを取得し、職場だけに通用するスキルアップを、せっせと図ります。
そのようなことをしても、時代を生き抜くサバイバルには、何の役にも立たないこと、会社の肩書きを捨てた一個人にとっては、何の意味もないこと位、分かっています。
今取得しているスキルなんて、会社という小さな世界でこそ、自慢できるものであって、裸になった一個人、何の肩書きもない自分にとっては、「スキルなんて言えたものじゃない」こと位、分かっているのです。
ただ、今の会社が、自分を今後も雇ってくれるのなら、スキルを取得しようとする姿勢は、評価されるかもしれませんが、所詮、その程度のものであること位、承知の上なのです。
それらをすべて分かった上で、与えられた中で、有利に仕事を進められるスキルを見つけ出し、獲得することに邁進しているのです。
では逆に、人間性悪説とは、本来的に、自らの幸せを追求せず、幸せを追求する行動は取らない存在である、と文字通り、「悪」く解釈してみます。
人間を、自立していない存在と捉え、手取り足取り、上から下の世話、上げ膳据え膳、揺りかごから墓場まで、適当な言葉が見当たらず、どのように表現すれば良いか分かりませんが、とにかく手が掛かるということです。
そうなれば、国の政策も大変、本来個人の才覚で見つけ出すべき、生き甲斐までも与えなければなりません。
「生活のため」や、「お金のため」に行動しているのですから、不景気になれば、当然文句が出てきます。
退職すれば、何も遣ることが無いのは、「政府の政策が悪いからだ」と言い出すのです。
「我々に、明るい未来を示せ、進むべき道を示せ、もっとお金を、もっと仕事を、遣り甲斐を、生き甲斐をよこせ」、と言い出すのです。
人間が生まれてから、死ぬまで手が掛かる、それは国にとっては、かなりの負担を強(し)いられる、キツイ仕事に違いありません。
例えば、「人生とは学ぶことなり」との思想を与え、生涯学習が出来るような環境を、税金を投入して、作ってあげなければならない、といった具合です。
人間性善説ならば、放って置いても、自らの生き甲斐を、勝手に見つけ出すのですが。
我が生き甲斐は、学習することである、と分かった場合、次には、取り組むべきことを、自力で探し出し、そして、遣ることが分かれば、自らの自立思考によって実行するのみ、具体的には、本屋に行き、読みたい本を探したり、読書仲間が欲しいのであれば、ネットワークを立ち上げたり、既存のものを利用したりして、仲間を探し出し、読書場所が無ければ、探せば良いだけで、確保するのは容易(たやす)いこと、著名な講師先生の話が聞きたいのであれば、聞きに行けば良いだけ、何らかの理由で行けない場合は、人のネットワークやインターネットなどを駆使して、取り寄せるだけです。
血税に頼って、読書をしたり、仲間が集まる、建物を造って貰う必要はなく、また、著名な講師先生を招いた講座を、開いて貰う必要も無いのです。
高速道路が必要だと、言うのであれば、造ってあげる必要があります。
そうでなければ、不況の地域経済、地域の活性化、新規産業の育成、観光産業の不振、少子高齢化、過疎化、若者の流出、環境破壊、交通渋滞、交通事故、自然災害、都市圏へのアクセス、公共交通の利便性の向上など、すべてのマイナス要因は、「高速道路を造らないから起こっている、だから自分は不幸せなんだ」と言われてしまうのです。
人間性善説であれば、国の政策や地域の枠組みには囚われない、自立した思考をしますので、国がどのような政策を取ろうが、それとは関係が無く、もし高速道路が必要であるならば、それがある場所へ行けば良いだけのこと、必要でなければ、無い所へ行けば良いだけなのです。
「自分にとっての幸せとは、何処なのか」という視点で、住むところを選ぶのです。
場所という概念から解き放たれた思考など、とんでもない話、先祖代々の土地を簡単に捨てられるか、と言う人には、人間性善説を適用し、地域が発展すればするほど、後々莫大な負担をすること、そして、最後は自己が責任を取ること、などを知らしめ、それでも良ければ、何なりとお遣り下さい、と言うしかありません。
造らせたものの負担を、自らするのは、極当たり前過ぎますが。
しかし、人間性悪説ならば、高速道路は欲しい、だけど、通行料金や税金は上げるな、となるのでしょう。
地域の発展は自分の幸せである、との、人間性悪説特有の、幸せを求めない行動を、飽く迄取るのであれば、地域が発展しない限りは、自分の幸せはないことになります。
そう言う人には、別に大金を叩(はた)いて、造ってあげても良いのですが、仮に、高速道路が出来たり、地域が発展したところで、結局、自分の幸せとは関係が無いことに気付く筈で、もしかすると、気付かずに、自分が幸せでないのは、まだまだ地域の発展が足らないからだと思うかもしれず、そうなれば、更なる発展を目指し、地方や国へ陳情攻勢をかけ、何でも良いから箱物を造ってくれ、と言い出すのです。
「何でも良いから」とは、少し言い過ぎたかもしれません、巷間伝わる、「どのような田舎にも、都会と同じ程度の利便性をよこせ」に訂正しておきます。
幸せを追求する者同士の関係である、人間性善説に立てば、言っていることを尊重し、言われる通りに遣ってあげるだけです。
国は要求のまま、高速道路を造り、地域住民は、造った結果に対しては、地域の人間だけではなく、国民全体で責任を取ることを知った上で、自己も勿論責任を取る、要するに、大人と大人の関係、イコールパートナーの関係、お互いに尊重し合う関係、刺激し合い、成長し合う関係なのです。
人間性善説で行くと、人がどのような考え方をし、行動をしようとも、尊敬し、尊重することになります。
それが、自分にとって、理不尽であり、不合理であり、理解不可能であったとしても、関係がありません。
「夢を持たないのは信じられない」
「夢など無い、人生は巨大な暇つぶしである」
どのように言って頂いても、して頂いても、結構、反論や議論をする必要はありません。
尊重し、尊敬するのです。
こうなれば、軌道修正は、そうしたければの話ですが、自らがする外ありません。
『価値辞典』が作り出す文章も、「人間を、どのように捉えるか」によって、内容が随分と変わって来ます。
人間性善説を取れば、「何故幸せを追求しないのか」についての件(くだり)は必要ではなくなり、幸せを追求する途上において、遭遇するであろう困難に対し、「こうした方が良いのでは」とのアドバイスになり、また、お互いの関係も、共に刺激し合い、成長するパートナーになるのです。
現実は、人間性悪説、人間性善説の、どちらとも言えず、個別の問題だと思うのですが、人間性善説、人間性悪説のどちらとも、決め付けずに文章を書けば、拠って立つポジションが動き回るため、焦点の定まらない混乱したものになるのです。
しかし、対象を絞らない以上、大多数の読み手に、より多く共感して頂く書き方は、この手法しかないと思うのです。
ロックンロールとは、石が転がるように展開される様から、名付けらているそうですが、文章においても、まず最初に、言葉が転がるように、出来るだけ多くの矛盾点を論(あげつら)い、展開させて、混乱を呼び起こし、矛盾点を列挙し、既存の価値を突き崩し、問題点を浮き彫りにし、そして、収束させて、価値の再構築を促し、結論付ける。
このような描き方の手法が、あるかどうか分かりませんが、試しに、ロックンワード(転がる言葉)と名付けて、検索エンジンで探してみれば、一致するページは無く、お遊びでも思い付かないような、可笑しな言葉のようです。
世の中の書き物の中には、矛盾点を論うだけで、既存の価値を突き崩すまでには至らず、従って、混乱を引き起こすだけのみにて、そして、疑問を残したまま、何の結論にも触れずに、終わっているものがほとんどです。
それもまた、果たして自分は人間性悪説なのか、人間性善説なのか分からず、世の中の人間が人間性悪説なのか、人間性善説なのかも、分からないことから来ているのです。
散々混乱させた挙げ句、「国民が、将来夢を見られる展望や道筋、制度を、示して欲しいと皆が願っている」とか、「国民も為政者も、共に夢を描き、実現させたいものである」などの言葉の投げ出し方をして、誰に、何を、どのようにして欲しい、と言うのでしょう。
最低、筆者本人の結論めいたものでも、欲しいところですが、結論を見い出していないか、悪く言えば、混乱させるだけが目的、良く言えば、問題提起をすることが目的、と言えるのです。
もちろん、人間性悪説や人間性善説を認識せずに書いている場合や、疑問形で問題提起をし、考えさせるという手法を、選択している場合もあるでしょう。
また、拠り所とするものが無いため、視点がズレて、答えが幾通りも錯綜している場合もあるのでしょう。
試しに、不特定多数に向けて、あなたが主張したいことを、何でも良いから書いてみてください。
人間をどのように捉えるか、人間性悪説とするか、人間性善説とするかで、内容が変化する筈です。
中国戦国時代の、荀子と孟子が、人間性悪説と人間性善説の、どちらかの立場に立ったのは、その方が、自分の考え方を主張し易かったからに、違いありません。
自立している人に対して、「何故自立しないのか」なんて問い掛けめいたものは必要ないし、自立していない人に対しても、自立した者同士の、テクニックやスキルを、提示する必要はないのです。 
 
諸説12 / 性善説は断じて信じるな

 

こと日本人と言うのは、この性善説に立って物事を考えがちである。
幼い頃から「相手の為になる様な事を考えなさい」「思いやりを持ちなさい」と学校の先生や親から言われ続けて来たと思う。
これは確かにその通りだが、成長の過程でその本質についてどうしても歪められてはいないだろうか?
例えばこんな状況を思い浮かべて欲しい。
「あんなにあいつの為にしてやったのに、あいつは感謝するどころか無視しやがった」
この「してやったのに」または「してあげたのに」と言うセリフを、あなたは一度くらい使った事があるのでは無いだろうか?
これは性善説側の立場からそう言った思考になる訳だが、ハッキリ言ってこれが本当にお互いにとって有益なものだろうか?
相手に対して無理やり善意を押しつけて、その結果、人間関係が上手く行くとはとても私は思えない。
何故なら人と言う生き物は、十人十色と言ってそれぞれに価値観が違うし、何処にありがたみを感じるかも違うからだ。
そこに見返りを求めると言う事は、返って人間関係を壊しかねない原因にもなる。
ここで性悪説に立って、尚且つある程度の緊張感を保つ思考についてお伝えしようと思う。
性悪説側の思考であれば、相手に何かしても”見返りを求めると言う様な考えにはならない”と言うのはお分かり頂けると思うが、これこそが本来大事にすべき相手の為を考えると言う部分の本質であり、相手を思いやる行動とは言えないだろうか?
そして相手に対していらぬプレッシャーを与えなくて済む事にもなる。
ではここで発想を変えて説明しようと思う。
例えば友人同士のお金の貸し借り等を思い浮かべて欲しい。
あなたが親友に対して1万円を貸したとする。
そして相手は約束の期日を過ぎても一向にお金を返してくれないばかりか、更にお金を借りようとあなたに要求して来た。
当然ここであなたはNOと相手の要求を突っぱねる訳だが、性悪説に立っているとそもそも相手はこう言ったふざけた要求すらしようとは思わない。
友人だからこそ相手を敬う気持ちやあなたの立場に立って考えるはずだ。
これはどういう事かと言うと、意識の根底に性悪説があれば作り上げた信頼も行動によっては一瞬で崩れてしまうと考えるからだ。
そして性悪説側の思考に立っているからこそ”相手を軽視する様なふざけた言動は出来ない”とより一層注意するはずである。
こう言った緊張感が”結果として人間関係を円滑にする”と言う事になる。
要するに相手に対して甘え続ける事は性善説の思考であり、”性悪説の場合は甘えに危険を感じる思考”と言う風に解釈出来る。
性悪説とは、紀元前3世紀ごろの中国の思想家荀子が説いた「人間は様々な意味で弱い存在」と言う部分から由来しているものだが、人間の本質は弱いものであるからこそ”僕等は最高のパートナー”とか”最高のチーム””最高の友人”などとあぐらをかかず、絶えず相手の為を考え続ける事が大事なのではないか?と私は思う。
見せかけの信頼関係を確認し合うよりも、”常に相手に対して与え続ける”と言う思考が、非常に大事と言う事だ。
後はよく、”真面目な会社員が何億円横領”と言った様なニュースを目にする機会があると思うが、そこでインタビューを受けている人は一様に「あの勤務態度が真面目な人が、まさかそんな事をするとは思いませんでした。」と性善説側の思考で言っている事が多々あるが、これこそ私にとっては何故そう思う?と言いたくなる。
”人は弱いものであるからこそ、常に会社側が雇用者に対して監視出来る様な人材の配置とシステム形成する努力が必要だ”と私は思うからだ。
人に対してまずは疑って掛る位が緊張を保つ事にもなるし、結果的にお互いの為でもあると言える。
そしてお互いの信頼関係が失墜しない為にも、性悪説の側の思考が必要であると解釈出来る。
そして何かを与える場合は、それを継続的にして行く事が最も大事であると私は思う。
何故なら性悪説の立場に立って考えれば、一度や二度与える努力をした所で、”相手に対して喜んで貰えるとは限らない”と言う思考になって来るからだ。
「相手はいつ喜んでくれるか分からない」「これ位ではまだ満足しないのではないか?」と常に疑いを持つ事で結果的にあなたの信頼度も上がって来るだろう。
今回は性善説と性悪説を例に挙げてあくまでも”してやった”と言った様な思考は捨てて相手の事だけをまずは考える重要性をお伝えした。
なので少しでも共感した部分があれば、今後のあなたの人間関係向上の為に、役立てて見て欲しい。
最終的にあなたの人間力アップに繋がれば私としてもうれしく思うので。 
 
諸説13 / 性善説・性悪説

 

「日本の常識世界の非常識」といわれる。この言葉は日本特有の思考、すなわち日本人の脳天気さ、絶対的な安全(あるいは平和)意識は、決して世界では通用しないのだということを言い表して妙である。
「人を見たら泥棒と思え」という言葉がある。これはお人好しすぎる日本人に対する、一種の警告語だが、なんでも世界中で「振り込め詐欺」の被害が後を絶たないような無防備で人を信用するような国は皆無だそうで、それだけでも日本の脳天気度は空前絶後といっても、決して言い過ぎではない。
「日本も危険になった」といいながらも、自販機が路上に並ぶ国など、日本以外にはあり得ないし、あれだけ外国人犯罪者のショベルカーによるATM被害が続発しても、新しい対策法がお目見えしたという話は聞こえてこない。
昨今話題になっているように、外交官や海上自衛隊員が、チャイナドレスの深いスリットの奥に潜む「ハニー・トラップ」に易々と絡め取られるのも、この国のお人好し度を示している。
このことを言い換えると、「性善説」の日本に対して、すべての他国は「性悪説」だと言うことになる。ではなぜこうした違いが生まれたか?
外敵に隔離され、豊かな森に恵まれた環境で生まれた縄文文化は、まず定住であり、採集と漁撈という生活文化の中で、土器に代表される「森に発した匠の技」という手の文化、すなわち「工」という技能を特化させていった。「工」=物づくりにはよりよいものを造り、それを大切にするという文化に通じる。これが日本人の「性善説文化」と直接結びついているのだ。
一方草原から発した狩猟→遊牧の民は、次第に近隣の採集→農耕の民を隷属させていくが、征服された農民の信じる多くの神々もまた、遊牧民の信じる唯一の神に征服されていった。
種族の拡大は物資の需要を拡大し、遊牧の民は足の文化を発揮して「商」=通商という技能を特化させ発達させていった。
当初物々交換からスタートした通商には、(良くも悪くも)買い手と売り手の損得勘定が衝突するところから成り立つ。そこから必然的に「性悪説」が生まれることになった。
旧約聖書を読み解くと、神によって土塊(つちくれ)からつくられた、始原のヒトであるアダムとイヴの時から、すでに神の言いつけに背き、罪としてエデンを追われ、額に汗する労働を科せられるという「原罪」からスタートしていることがわかる。
その後もノアの箱船や、バベルの塔など、神とヒトの契約は破られ続ける、すなわちヒトは、生まれながら罪を犯すという、「性悪説」がその根底にあるのだ。
ユダヤ・キリスト・イスラム教という、それぞれ根っこの同じ一神教の国は勿論、世界の殆どの国は、遊牧の民によって支配されてきた。その過程で身につけてきた「保身の術」こそ、「性悪説」に根ざした「まず疑ってかかる」「人を見たら敵と思う」という思想である。またそうしなかったら生き残れなかったのである。
グローバルな時代、日本的美学がすんなり通用するはずがないと知るべきだが、悲しいことに、また誇るべき事に日本人は、「日本の常識こそ、本物であり、それを非常識と考える世界の人たちの発想こそ非常識だ」と思いこんでいるのだ。
それ自体本当は正しいことなのだが、残念ながらそれが世界では通用しないことが問題なのである。なにしろ「性悪説」の「商」にさえ、「性善説」に発した倫理観である「商人道」を持ち込むほどの日本人のことだ。小泉内閣の行政改革路線の過程で、行き過ぎた金融界の動向も、遠からず落ち着いてくるだろう。
グローバリゼーションは避けて通れない命題であり、日本人以外の人たちの考え方を学ぶ必要は不可欠である。だからといって、なにも日本人そのものが「性悪説」に染まる必要はないのだが、相手のことを十分知っていることこそが不可欠なのだ。
いずれにしろ日本の未来も、「性善説」に発した「工」を中心に進まなければその道は絶対に開けないことを肝に銘ずるべきである。世界の人たちが、どんなことがあっても日本の製品を求める、そんな「工」の極致を極め、磨き続けていることが肝要だと知るべきである。
間違っても、平気で偽物・まがい物を造って毫(いささか)も恥じない国の意見など、聞くべきではないし、同じ歴史認識を持つことなど、絶対にあり得ないと知るべきである。 
 
諸説14 / 原罪によってもたらされた自由

 

「罪」 創世記第3章8〜15節
その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」
彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。私は裸ですから。」
神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
主なる神は女に向かって言われた。
「なんということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前は、あらゆる家畜、あらゆる獣の中で呪われるものとなった。お前は生涯這いまわり、塵を食らう。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意をおく。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」
人間の本性とは
少し前、「人の本性は生まれつき善なるもので、ゆったりとおおらかなものだ」とする、孟子の思想と、「人の本性は生まれつき悪なるもので、いつも欲求不満である」とする、荀子の思想が度々論じられたことがありました。いわゆる、「性善説と性悪説」です。
生まれつきの本性、それはつまり、極論すれば生まれたばかりの赤ちゃんを「善」と見るか、「悪」と見るかと言うことですが、誰しも、生まれたばかりの赤ちゃんを見て悪の権化であるかのように見る人はいないと思います。
「性善説」の立場を取れば、「人間は元もと善なる者として生まれながら、環境的に悪を学習する」ことになり、「性悪説」の立場を取れば、「人間は元もと悪なる者として生まれながら、環境的に善を学習する」ことになります。果たして、どちらが正しいのでしょうか。中国の仏教思想の中では孟子の「性善説」と荀子の「性悪説」は真っ向から対立し、どちらが正しいかの結論は出ていません。理想的には孟子の「性善説」の立場を信じたいと願いながら、現実には荀子の「性悪説」で世の中を見なければこの世の解釈を誤るという視点を無視できないでいるのです。
では、私たちが私たちの住まうこの日本を眺める時に、私たちはどのような日本人観を持って現実を見るのでしょう。
日本人の姿
最近の新聞を開くと忌まわしい事件ばかりが目に付きます。福岡の家族4人が殺されて海の底に沈められていた事件。夫の暴力から逃れるために身を隠している妻の居所を突きとめようと、妻の友人、知人を殺害し、「大きなことをしでかせば、妻に会えると思った」と語った夫による事件。これ以外にも、電力会社による原子力発電所の事故隠しや詐欺や脱税、車道で寝そべっていたことを注意されて暴行死させた20代後半の、大人と呼ばれるべき者達の暴挙。民間から登用された校長をつるし上げて自殺に追い込み、その事後処理に当たっていた教育委員会次長までをも自殺に追い込んでしまう体質。または、我が子の泣き声に我慢できず虐待を加える親達。数え上げればキリがありません。
こうして見てみると「キレる」という言葉は、もはや子ども達の専売特許ではないようです。キレることを止められない大人達、我が身さえよければ他人のことなどお構いなしといった大人達の姿が、そこにはあるのです。
こうした現実を目の当たりにして、私たちは「人の本性は生まれつき善なるもので、ゆったりとおおらかである」と、どうして言えるでしょう。
確かにマスコミが取り上げる事柄は、ニュース性があるもの。つまりは「かつての理解とは異なる新しい出来事」ばかりがクローズアップさせれる傾向があるので、信じ難いような人目を引く記事ばかりが目に耳に飛び込んできがちです。ですから、本来、大多数の日常は新聞やニュースで報じられるような異常な現実ばかりではないのですが、それにしても最近報じられる事件は、これが本当に現実だろうかと思わずにはいられない事柄ばかりです。
果たして、人間の本性は本当に孟子が言うように「生まれつき善なるもの」なのでしょうか。
聖書の人間観
神様はその質問に聖書の中で、明確に答えてくださっています。聖書が解き明かす人間観。今回は、それを皆さんとご一緒に学んでみたいと思うのです。
まず、創世記第3章8〜15節を見る前に、創世記第1章27節を開いてください。そこには、こう記されています。
「神はご自分にかたどって人を創造された」
お解りでしょうか?そこには、神様が「人間をどのように見るか」ではなく、「どのように創られたか」ということが記されてあるのです。どのように見るかと言うときには、既にあるものをどう理解するかということにななりますから、神様が理解する以前に人が存在していることになりますが、聖書によれば人は神によって創造されたものですから、神より前に存在することなどできません。
聖書の人間観を知ろうとするとき、第1番目に、私たちは神様によって創造されたということを忘れてはなりません。
そして第2番目に忘れてならないことは、神様がご自分にかたどって人間を創造されたということです。この「かたどって」という言葉は、原書に見る限り英語のimage(イメージ)に相当する表現が用いられていて、form(フォーム)という言葉で表されてはいません。つまり、この「かたどって」という言葉は、目に見える形を物理的にかたどったという意味ではなく、その性質を似せてかたどり、人間を創造されたということを表しています。それは神様が持っておられると同じように、私たちに「人格」をお与えになったということを示しているのです。そしてそれは、人間以外の動物には与えられなかったものです。
罪によって
創世記第3章8〜15節は、蛇にそそのかされて人類が初めて罪を犯した記述です。人類が初めて犯した罪、つまり「原罪」によって私たちは死ぬものとなり、労苦するものとなり、産みの苦しみを味わうものとなり、エデンの東に追放されました。何故なのでしょう。神様は、私たち人間を神様に似せてお創りになったはずです。物理的にではなく、性質的に。
神様の性質、それは一点の汚れも罪も存在しない性質です。その性質に似せて創られた人間が、どうして罪を犯してしまったのでしょう。
神様の創られた人間は、純粋な心しか持っていませんでした。ですから、自ら罪を犯すことのできる者ではありませんでした。そしてその純粋ゆえに当然、疑うことも知りませんでした。そのような知識を与えられてはいなかったのです。正に私たちが今日目にする赤ん坊の姿そのものです。
しかし、エデンの園に蛇が侵入し、エバをそそのかします。エバは蛇の促しによって食べてはならないと命じられていた「知識の木」からその果実を取って食べてしまいました。そして、エバは知識によって自らが罪を犯したことに気が付くのです。
「罪」は、ヘブライ語でハマルティアと言いますが、もともとは「的はずれ」を意味する言葉です。エバは神様の指示、神様の信頼に応えられず「的はずれ」なことをしてしまった、そのことに気付いたのです。その直後、エバはアダムにも知識の実を与えて食べるように促しています。エバがどのような気持ちでアダムにそれを与えたかについての記述はありませんが、一人で罪を犯したことが心細かったのか、あるいは神様と同じに知識を手に入れることができることを積極的に勧めたのか、あるいは自分だけが神様に責められまいとして、もしくは罪を犯していないアダムだけが神様の恩寵を受け続けるだろうことに妬みを抱いたのか、いずれにせよエバの心には更に的はずれな思いがめぐったのだろうと思われます。
予想外の事態?
ところで、エバとアダムが知識の実を食べてしまうこのような事態、もっと言えばエデンの園に蛇が侵入する事態は神様にとって予想外の出来事だったのでしょうか。神様は「ああ、しまった。エデンの園に蛇が侵入してることに気が付かなかった・・・」とか、「いやー、まさかアダムとエバが蛇にそそのかされるとは思いもよらなかった・・・」との思いを隠しながらアダムとエバを戒められたのでしょうか。だとしたら、神様はまずご自分の失策をアダムとエバに謝罪しなければならないことになります。「この園に蛇の侵入を許してしまい申し訳なかった」あるいは「こんなことになるなら、蛇についてお前たちに知識を与えておくべきであった」と。また、もしも神様の失策によってこのような事態が引き起こされたのだとすれば、神様はご自身の力でそうした事実などなかったことにすることだってお出来になったはずです。しかし、神様はそうはなさいませんでした。それは、何故なのでしょう。
それは、エバやアダムの失敗でもなければ、神様の失策でもありません。
私たちが「エバやアダムが蛇のそそのかしさえ受けなければ」とか、「神様が蛇の侵入をお許しにならなければ人間が罪に汚れることはなかったのに」と、恨みを抱くことでも呪うべきことでもないのです。すべては神様の深い深い計画によっているのです。
その深いご計画が、どのようなものであるかについては、15節以下にご自身によって述べられています。
キリスト誕生と十字架の予言
「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意をおく。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」
この箇所は、聖書に記された最初のイエス様に関する預言です。この箇所で蛇は「罪」を象徴する存在として登場しているのです。
余談ですが、蛇の名誉のために言っておくと、蛇が悪魔なのではありません。あくまで蛇は罪を象徴するために用いられているに過ぎないことを覚えておいてください。私たちが蛇を見てエデンの園での原罪を思い出し、忘れてはならないと肝に銘じるのは良いことですが、蛇を悪魔の権化だと忌み嫌ったり闇雲に殺したりすることは良いことではありません。蛇だって神様に創造された生物の一種なのです。
話を元に戻します。「お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意をおく。」と語られていますが、ここに記されている「お前」とは=「罪」と罪の結果もたらされる「死」を意味し、「女の子孫」は=イエス・キリストを意味します。ここで神様は「女の子孫」という言葉を用いることによってイエス様が人間の女から生まれることをも預言しておられます。神様はこのように語られることを通して「死とイエスの間にわたしは敵意をおく」つまり、「死に敵対する者として、後の時代にイエスを送る」と仰ったのです。
次に、「彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」とは、「イエスは罪と死を砕き、罪と死はイエスを砕く」と、「イエスが十字架上で人として死ぬことによって人類すべての罪をあがない、そのことによって人類が死に勝利し永遠の命に与(あずか)る者となる」ことを予言されました。そして予言の通り、イエス様が十字架上で罪と死に砕かれてくださったのです。
罪の結果もたらされた「死」
ここで、今一度、思い起こしてください。神はご自身の性質に似せて私たちをお創りになられました。しかし、私たちには蛇を通して純粋な性質の中に罪の性質が加えられました。そして罪の性質によって「死」がもたらされたのです。では、イエス様はどうでしょうか。イエス様は人としてこの世にお生まれになりましたが、その性質は神そのものです。一点の汚れも罪もない方です。罪がないということは、死がないことを意味します。しかし、イエス様は十字架上で人として死なれました。それは、ご自身の内に人類の汚れを、罪を入れることなしにはあり得ないことだったのです。そのあり得ないことを成し遂げて下さった、それはすべての人がその罪によって永遠の死に渡されることがないようにするためです。人類のすべての罪を身代わりとなって引き受けること、それはイエス様にしかできない業でした。罪を犯した者が「ついでに人類皆の罪も肩代わりしましょう」とは言えないのです。罪も汚れも、一点の曇りもない方だからこそ、肩代わりができたのです。そしてそれは、この世において過去にも未来にもイエス様以外に存在し得なかったのです。どんな聖人であっても、イエス様の身代わりとなることはできません。だからこそ、神様はひとり子イエス様をこの世に使わされました。
原罪の意味と目的
こうして考えてみると、性善説と性悪説、聖書はどちらの立場を取ると考えるべきなのでしょう。実は、どちらも正しく、どちらも間違っていると言わざるを得ません。
私たちは生まれながらに神の性質に似せて創られたものです。その意味では性善説が正しいと言えます。しかし、アダムとエバの行いによって、私たちは生まれながらに罪を犯す性質を持って生まれるものとされたのです。強いて言うなら、性罪説と名付けられるのではないでしょうか。
しかし、これまでにもお話ししてきたように、罪を犯す性質が加えられたのは、アダムとエバの失敗でもなければ、神様の失策でもありません。それらはすべて、イエス・キリストの罪のあがないへとつながっていく数千年、数万年、数億年にも及ぶ長い長い計画の始まりだったのです。
私たちは生まれながらに神の性質に似せて創られました。しかし、それは似せて創られたのであって、全く同じに創られたわけではありません。そして、罪を犯す性質を与えられることによって、悔い改めることのできるものとされたのです。
悔い改めるとは、誰かの言いなりになるということではありません。自分で自分の行いを省みて、自分自身の決断として改めるという極めて主体的な事柄です。つまり、悔い改めるか否かを選択する自由が私たち一人ひとりに与えられているということでもあるのです。そして、「自由が与えられている」というのは「野放しにされている」ということではありません。「自らを由とする」ということは「自分勝手で我がままである」ということではなく、誰かによって「自己決定」、「自己管理」を認められているという前提がなければなりません。つまり、私のことについて責任を負うことが認められている状態、それが誰かの前に自由であるということです。神様は私たち一人ひとりにその自由を認めてくださいました。私たちは神様の前に自由なのですが、同時にそれは神様によって与えていただいた魂と命について、私自身に「自己責任」が生じているということでもあるわけです。
神様は、ご自身の力によって人間をロボットのように言いなりにすることのできるお方です。にもかかわらず、私たちに悔い改めの自由を与えられたのは、私たちが自らの意思によって神様に立ち返ることを望まれたからに他なりません。
自由意思に基づいて、神様と向き合う時、私たちは初めて神様との人格的な交流ができるようになります。そして、神様は人との間にそのような関係を望んでおられるのです。
ヨハネによる福音書第3章16節
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 
 
伯夷列伝 「天道は是か非か」

 

天道は、是か非か。『伯夷列伝』
或曰「天道無親。常与善人。」若伯夷・叔斉、可謂善人者、非邪。積仁牛s如此而餓死。且七十子之徒、仲尼独薦顏淵為好学。然回也屢空、糟糠不厭、而卒蚤夭。天之報施善人其何如哉。
盜蹠日殺不辜、肝人之肉、暴戻恣睢、聚党数千人、横行天下、竟以寿終。是遵何徳哉。此其尤大彰明較著者也。
若至近世、操行不軌、専犯忌諱、而終身逸楽富厚、累世不絶、或択地而蹈之、時然後出言、行不由径、非公正不発憤、而遇禍災者、不可勝数也。余甚惑焉。儻所謂天道是邪、非邪。
ある人は言った、「天の道は特定の人だけを親しくするようなことはしない。いつでも善人の味方である」と。伯夷・叔斉のような人は善人というべきものだろうか、そうでないのだろうか。(ふたりは)人徳にかなった行いを積み重ね、清廉潔白な行為を行って、しかも餓死した。それに(孔子の)七十人の弟子の内、仲尼はただ顔淵だけを学問好きな者として推薦した。しかし、回はしばしば経済的に困窮し、粗末な食事さえ満足に取れず、とうとう若死にした。天が善人に報いるとは、いったいどういうことなのか。

盜蹠は毎日罪のない人を殺して人の肉を刺身にして食べ、乱暴で勝手にふるまい、数千人で徒党を組んで、天下の中を暴れまわったが、結局天寿を全うした。これは何の徳によるものだろうか。これはもっとも(矛盾が)はっきりとしている物である。
近世になっても、品行が悪くて道に外れ、もっぱら法で禁止されていることを犯していても、生涯遊び楽しみ裕福な暮らしをし、子孫代々続いていく者、あるいは仕えるべき場所を選んで仕え、言うべきときに発言し、公明正大で、それだけに心を奮い立たせるも、災難に遭うような者は数え切れないほどである。(だから)私はひどく戸惑うのである。もしかすると、世間で言う天の道ははたして正しいのか正しくないのか。

学問のための書物は多くあるが、六芸に依拠して学ぶのが良い。『詩経・書経』には欠けた部分もあるが、虞舜(ぐしゅん)・夏禹(かう)のことを知ることができる。
堯(ぎょう)は天子の位を舜に禅譲した。舜から禹の譲位では中央と地方の高官の推挙で、禹をまず官位に就け、数十年の官職の功績が優れていたので、その後に政権を授けた。天下は重器、王者は大統であり、天下・天子の位を伝えていくのは難事だ。異説で言われるのは、
『堯は天下を許由(きょゆう)に譲ろうとしたが、許由は受けずに俗事を恥じて隠遁してしまった。夏の時代には卞隨(べんずい)・務光(むこう)といった無欲な人物がいた。』ということである。何を根拠にしてこの異説が唱えられているのか。
太史公(たいしこう)が言った。私は(現在の河南省にある)箕山(きざん)に登ったことがあるが、その頂上には許由の墓があるとされている。孔子は昔の仁者・聖人・賢人を賞賛し、呉の太伯(たいはく)・伯夷(はくい)についても詳しく語った。だが私が聞くところでは、許由・務光の義は至高のものであるはずなのに、『詩経・書経』や孔子の言葉では、彼らについての概略さえ述べられていないのはなぜか。
孔子は『伯夷・叔斉(はくい・しゅくせい)は、旧悪をいつまでも根に持たないので、人を怨むことも怨まれることも稀であった。仁徳を求めてその仁徳を身につけた人物であり、どうして恨みを抱くことなどがあろうか』と語った。だが私は伯夷の心に悲しみを見る、逸詩を見れば孔子の説とは異なっているように感じるからだ。
伝承で言っている。伯夷・叔斉は、孤竹国(こちくこく,現在の河北省)の君主の二人の子(兄弟)である。父は叔斉を後継ぎにしようとしていたが、父が死去すると叔斉は伯夷に王位を譲った。伯夷は『(お前が王位を継ぐのは)父の命令なのだ』と言って、国から逃げて行ってしまった。叔斉も王になることに同意せず、逃げ出してしまった。孤竹国の人々は、伯夷と叔斉の間にいた兄弟を王にした。
それから、伯夷と叔斉は、西伯昌(せいはくしょう,周の文王)が老人を大切に処遇している(孝の道を実践している)と聞き、彼を慕って帰属しようとした。だが到着すると既に西伯昌は死去していた。その子である武王が父(西伯昌)の位牌を掲げて文王と諡号し、東に進軍して殷の紂王を討伐しようとしていた。伯夷・叔斉は武王の轡を引いて諫言した。
『あなた様は父上が亡くなられてまだ埋葬も済んでいないのに、戦争をしようとしています。これが孝と言えますか。臣下の身で君主(宗家である殷の紂王)を弑逆しようとしています。これが仁と言えますか。』と。
武王の左右の家臣が二人を斬ろうとした。だが、軍師の太公望呂尚(たいこうぼう・りょしょう)が、『彼らは義人であるぞ』と言って二人を連れ去ってしまった。武王が殷を滅ぼしたので、天下の人々は周を殷に代わる宗室(中国を統治する王室)として認めた。だが、伯夷・叔斉はこの反逆の天下奪取を恥じて、周の俸禄(ほうろく)の穀物を食べなかった。首陽山(しゅようざん)に隠れて、山のわらび(山菜)を採って食べたが、飢え死にしかけている時に歌を作った。
あの西山(首陽山)に登ってそのわらびを採った。暴力を用いて暴力に取って代わり、その非を知ることがない武王。神農・舜・禹の素晴らしい治世、あっという間に今では没落してしまった。私たちはいったいどこに帰属すれば良いのか。どうしようもない、天命が衰えてしまったのだ。
そして、遂に首陽山で餓死してしまった。この歌を省みると、伯夷・叔斉は怨みを抱いていたのか、抱いていなかったのか。

司馬遷が遭遇した李陵事件後の運命の激変に我が身を重ねて、この物語に彼の無念の思いが込められているのではないか、とおもわれる。此の無念の思いが「史記」列伝にある。己の生き様を首尾一貫させる節義の人物を語ることによって司馬遷は自分の運命を変えた武帝に逆襲したのであろう。
伯夷・叔斉は、孤竹国の君主の子息であった。君主孤竹君は末弟の叔斉に位を譲りたいと考えていた。父、君主が亡くなると叔斉は長兄の伯夷に位を譲ったが、伯夷はそれでは父の命に背くことになると国を出奔してしまった。長幼の序あり、兄を差し置いては王位につけないと伯夷の後を追って叔斉も国を出て行った。王位を巡る骨肉の争いは多いいが兄弟が王位に執着しない潔さと己の信念を曲げない伯夷・叔斉を司馬遷は讃える
伯夷・叔斉は名君の誉れ高い諸侯、周の、後の文王・西伯昌(せいはくしょう)の処に身を寄せたが、西伯昌は既に亡くその子の武王が王位にあった。そのころ周は殷の支配下に属する一諸侯にすぎなかった、時の殷の紂王は妲己(だっき)という淫女を寵愛し、炮烙の刑に見られる暴虐を尽くし、また臣下の娘が思うようにならぬからと、娘だけではなく臣下も殺し、その肉を塩漬けにしてしまい、その残虐ぶりを諫さめた臣下は乾肉にされてしまった。紂王の尽きぬ淫楽と暴虐を見かねた叔父の比干(ひかん)が命をかけてこれを諫めると、諫言をきくどころか「聖人の心臓には七つの穴があるそうな」と比干を殺しその心臓を切り開いた。
諸侯、人民の心は完全に紂王から離れ、周の武王は兵を挙げ紂王を討ち、殷は滅びた。武王が軍を発進するとき、「これまで殷に仕えた臣下の身分で君主を討つのは公の道に背くものではないか」と武王の手綱を押さえて諫めたのが伯夷・叔斉兄弟であった。
周の天下となったが伯夷・叔斉は周を認めず周の粟を食むことも潔しとせず首陽山に隠棲してしまった。が、とうとう、
彼の西山に登り その蕨を採る
暴を以て暴に易うも その非を知らず
神農・虞・夏は忽焉として没す 
我は安にか適帰らん
嗚呼(ああ) し(行人偏に且)せん
命の衰えたるかな
の、辞世の歌を詠んで、兄弟は餓死してしまう。
「天道に親(えこひいき)なく常に善人に組す」これは人間が勝手に空しく天に期待しているのではないか。ならば善人は常に栄えるはずである。なのに伯夷・叔斉は餓死してしまう、なぜか?孔子が弟子の中で最も賞賛した顔淵(がんえん)は極貧に苦しみ米の糠さえ食べられず年若く死んでしまったのはなぜか?これで天道が善人に組すといえるのか?盗賊の親分大悪党の盜跖(とうせき)は毎日のように罪のない人間を殺しその肉を膾(なます)にし乾肉にして食べるほどの悪事を尽くしたのに天寿を全うできたのはなぜか?そして無軌道な残酷なことを平気でやる悪人に限って一生を享楽しその子孫までが安楽に暮らしている例はすくなくない。それに反して恭謙に身を持し正しい道を歩きながら災禍に落ちた例は数え切れない。ここにいたって司馬遷は叫ぶのである。
「天道は是か非か」「余は甚だ惑えり。もしくは所謂天道は是か非か」
司馬遷は、ここで孔子の言葉を引用しつつ、人はめいめい己れの志のままに生きるのであって、歳寒くして、然るのちに松柏の凋に後るるを知る、といわれるように、世の中が悪くなればなるほど、清節の士ははっきりするのである。清節の士であるかどうかは、富貴を重んずるか軽んずるかというような比較や軽重の問題ではない。(単に高志善行のみによっては現われない、時の運。という解釈?。)君子は死んで後その名の称せられざるを疾むとは、そのような意味であって、いわゆる名声を残すことを目的とするのではない。問題は、天道の是非に在るのではなく、各々が何に志したか、に在る。賈子の言うように、類は友を呼ぶというが、財を求める人、権力を求める人、名を求める人、世間は様々である。しかしながら、物事や人物の志業を判断してこれを「序列」する(第一段に、孔子が古人を詳らかに序列した、とあります)ことが出来るのは、聖人である。「聖人作(おこ)りて万物覩(あら)はる」、すなわち、学問によって正道を明らかにした人によって歴史は審判される。万物の秩序本質、あるいは真価、が明瞭になるのである。伯夷叔齊や顔回は、誰が何も言わなくても賢人であり篤学であるが、(孔子が褒めても褒めなくても、その本質に変りがないが、)しかし、孔子が絶賛したことによって広く世に知られ、益々名が顕われることになった。従って、「閭巷の人、行ひを砥ぎ名を立てんと欲する者は、青雲の士に附くに非ずは、悪(いづ)くんぞ能く後世に施かんや。」と全文を結ぶのであります。

寛永5年(1628年)6月10日、水戸徳川家当主・徳川頼房の三男として水戸城下柵町(茨城県水戸市宮町)の家臣・三木之次(仁兵衛)屋敷で生まれる
光圀の母は谷重則(佐野信吉家臣、のち鳥居忠政家臣)の娘である久子。『桃源遺事』によれば、頼房は三木夫妻に対して久子の堕胎を命じたが、三木夫妻は主命に背いて密かに出産させたという。久子が光圀を懐妊した際に、父の頼房はまだ正室を持ってはいなかった。
後年の光圀自身が回想した『義公遺事』によれば、久子は奥付きの老女の娘で、正式な側室ではなかった。母につき従って奥に出入りするうちに頼房の寵を得て、光圀の同母兄である頼重を懐妊したが、久子の母はこのことに憤慨してなだめられず、正式な側室であったお勝(円理院、佐々木氏)も機嫌を損ねたため、頼房は堕胎を命じた。同じく奥付老女として仕えていた三木之次の妻・武佐が頼房の准母である英勝院と相談し、密かに江戸の三木邸で頼重を出産したという。光圀にも同様に堕胎の命令が出され、光圀は水戸の三木邸で生まれた。
寛永9年(1632年)に水戸城に入城した。翌寛永10年(1633年)11月に光圀は世子に決定し、翌月には江戸小石川邸に入り世子教育を受ける
光圀18歳の時、司馬遷の『史記』伯夷伝を読んで感銘を受け、これにより行いを改める
承応元年(1652年)、侍女・玉井弥智との間に男子(頼常)が生まれるが、母の弥智は誕生前に家臣・伊藤友玄に預けられて出産し、生まれた子は翌年に高松に送られて兄・頼重の高松城内で育てられた。光圀に対面したのは13歳の時であったが、このとき光圀は親しみの様子を見せなかったという。承応3年(1654年)、前関白・近衛信尋の娘・尋子(泰姫)と結婚する。
明暦3年(1657年)、駒込邸に史局を設置し、紀伝体の歴史書である『大日本史』の編纂作業に着手する。
万治元年(1658年)閏12月23日、妻・泰姫が21歳で死去。以後正室を娶らなかった。
寛文元年(1661年)7月、父・頼房が水戸城で死去。葬儀は儒教の礼式で行い、領内久慈郡に新しく作られた儒式の墓地・瑞竜山に葬った。
8月19日、幕府の上使を受け水戸藩28万石の第2代藩主となる。
『桃源遺事』では、この前日、兄・頼重と弟たちに「兄の長男・松千代(綱方)を養子に欲しい。これが叶えられなければ、自分は家督相続を断り、遁世するつもりである」と言ったという。兄弟は光圀を説得したが、光圀の意志は固く、今度は弟たちが頼重を説得し、頼重もやむなく松千代を養子に出すことを承諾した、とされている。しかし実際には、綱方が光圀の養子となったのは、寛文3年(1663年)12月である。翌寛文4年(1664年)2月、光圀の実子・頼常が頼重の養子となる。
さらに寛文5年には頼重の次男・采女(綱條)が水戸家に移り、綱方死後の寛文11年(1671年)に光圀の養子となった。また、弟・頼元に那珂郡2万石(額田藩)を、頼隆に久慈郡2万石(保内藩)を分与する。

大日本史 序 / 水戸光圀公は、我が人生を知り、歴史に目覚めた。
「先人十八歳、伯夷傳を読み、蹶然其の高義を慕ふ有り。巻を撫し、歎じて曰く、載籍有らずんば虞夏の文得て見るべからず、史筆に由らずんば何を以てか後の人をして観感するところ有らしめんやと。是においてか、慨焉として修史の志を立つ。」
義公が 遣迎院 (ケンコウイン) 應空という人に宛てた手紙が残っております。この人は、『禮儀類典』の編纂に関係して、大嘗祭などの儀式などに用いる服装や道具類、あるいはその庭上の儀式の様子等の絵を、京都の公家に書いてもらうのですが、その執筆の世話係と申しましょうか、水戸とそのような有職の公家達との間をとりもつ仕事をした人物であります。遣迎院は今は鷹の峰に在りますが、この当時は京都の町中に在ったそうです。その應空宛ての手紙の一節に
「下官(義公自身のことであります)十八歳の時分より少々書物を読聞申候、其時分より存寄候は、本朝に六部の國史有之候へ共、皆々編集の體にて史記の體に書申候書無之候故、・・・・・第一上古より近来迄の事を記録仕候て後世の重宝にも可罷成哉と存、云々」
伯夷伝を読んで、「御家督のこと御了簡」ということは、少なくとも伯夷伝を読む前から、兄を超えて家督を継いだことに対する疑問ないしは不安が在ったことを意味します。その問題に対する一種の″こだわり″があればこそ、伯夷伝に衝撃を受けることが出来た、と見なければなりますまい。義公のカブいた行為が青年期の煩悶の為せる一般的な姿であったとしても、その煩悶の中身の一つにこの問題が在ったか。
義公が水戸家の世子(跡取り)に決まったのは六歳の時であり、兄の頼重公は未だ正式には頼房公の子とは認められておりませんでした。頼重公が頼房公の子供として認知されて小石川の屋敷に迎え入れられたのは、義公十歳の折であります。高松十二萬石の藩主として讃岐に赴くのは、義公十五歳の時であります。従って、この、母を同じくしながら永く相知ることのなかった兄弟は、その生涯のわずかに足掛け五年間ではありますが、共に過ごすことになったのであります。しかも、この兄と弟は年齢にして六歳の開きがあります。義公にとっては、降って湧いたような兄の出現ではあっても、血のつながりもあり、願ってもない出来事であったでしょう。大柄で活発な義公にとって、体力的にも精神的にも、目標として挑戦し、先輩として指導を受けるに不足の無い兄の出現でした。頼重公は、柔術、馬術も得意であり、学問も出来、性格も行儀作法も優れた少年に育っていたようです。両者にまつわる逸話は幾つか伝えられておりますが、兄弟仲良く、特に義公はこの年長の兄に、全力で甘えていたように思えます。 
 

 

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