ジャータカ物語

星占いダンマパーラ王子園林を破壊ナンディという牛金塊鹿王死者を悼む仲違い歩行瞑想警告老夫婦死者への供え物王妃とバラモン白髪名馬吐き出した毒不吉な友人和合他者を潤した修行者愚か者善い評判で悟った資産家キンパッカの果実豚のご馳走水浴場共同墓地を忌み嫌ったバラモン象使いキンスカの喩え束縛から逃れた犬・・・
小石を投げる男ヴァッチャナカ仙人と長者食べ過ぎたオウムカラスムーラ/パリヤーヤ/スッタ水牛と猿蛇を慈しむ悪戯好きソーマダッタ兄弟ブタ古井戸ダサンナカ国製の刀剣ウドゥンバラ樹とオウム香り盗人蚊を退治毒蛇に咬まれた修行者チュッラカ長者偉大な猿王ケチケチ大富豪幸運油鉢ダダーン無常を観る者糞まみれのイノシシ賢い隊商主シンドゥ産の仔馬豚に真珠ジャッカルに仕えたライオン虎の威を借るビーマセーナ天の法・・・
ライオンと虎が去った森苦い新芽を食べた王子説教嫌いの猿賢い鹿と愚かな鹿天女に会った王子ローサカ/ティッサ長老真珠賢いカラスマンダートゥ王口が達者なカターハカ善王ウズラクサナーリ一四の裁決貪欲の使者呪文アッサカ王吉凶象のお腹に入った狐吉祥クンタニ鳥スジャーターティッティラ鳥忍耐を説く行者縫い針大騎士道徳考察地獄の鉄釜ガンダーラ王とヴィディーハ王マイハカ鳥・・・
スマンガラ水盗人チュッラボーディアキッティ行者マンゴーの呪文使者に語らぬ行者雄鶏蓮根ビラーリコーシャセーリヴァ商人黒牛アオサギソーマダッタダッバ草花ナーラダと父ハンサ鳥王荒馬白象カッカールの花輪肉屋黒猿郭公苦いマンゴー供養金色の山ネールケーサヴァ仙人とカッパ行者・・・
ジャータカ物語2ジャータカ物語3お釈迦さんの話・・・
 

雑学の世界・補考

■ジャータカ物語

ジャータカとは、釈尊が前世に菩薩として修行していたとき、生きとし生けるものを教え導いたエピソードを集めた物語です。歴史的には『イソップ物語』や『アラビアン・ナイト』にも影響を与え、日本にも「本生話」「本生譚」としてその一部が伝えられました。
仏教の教えを親しみやすく説いたジャータカは、テーラワーダ仏教諸国で広く語り継がれています。ここではスマナサーラ長老によるジャータカの説法をご紹介します。  
■ジャータカ 1
仏教でいう前世の物語のこと。本生譚(ほんしょうたん)ともいう。釈迦がインドに生まれる前、ヒトや動物として生を受けていた前世の物語である。十二部経の1つ。パーリ語版は、パーリ語経典経蔵小部に収録され、漢訳『本生経』(ほんしょうきょう)は、大蔵経の本縁部に各種の話が収録されている。
仏教経典には、さまざまな前世の因縁物語が説かれ、主には釈迦仏の前世による因縁を明かし、現世や来世を説いている。これをジャータカというが、広義には釈迦のみならず、釈迦の弟子や菩薩などの前世の因縁も含めてジャータカ、あるいは本生譚と呼ぶ場合もある。
しかし、本来ジャータカとは特別な形式と内容をそなえた古い文学の種類を称して呼んだものである。また漢訳仏典ではこれらの経典を『本生経』と総称し、パーリ語仏典には22篇に分けて計547もの物語がジャータカとして収録されている。この形式には、現世物語・前世物語・その結果(あるいは来世物語)という三世で構成されている。散文と韻文とで構成され、紀元前3世紀ごろの古代インドで伝承されていた説話などが元になっており、そこに仏教的な内容が付加されて成立したものと考えられている。
しかるに仏教がインドから各地へ伝播されると、世界各地の文学に影響を与え、『イソップ物語』や『アラビアンナイト』にも、この形式が取り入れられたといわれる。また『今昔物語集』の「月の兎」なども、このジャータカを基本としている。
法隆寺蔵の玉虫厨子には、ジャータカ物語として施身聞偈図の雪山王子や、捨身飼虎図の薩埵王子が描かれていることで知られる。
主な本生譚
以下に挙げるのは、釈迦の前世物語として有名な例である。
   尸毘王(しびおう)
釈迦の前世である慈悲深い尸毘王は、ある時バラモン僧のために両眼を布施した。そのバラモン僧は帝釈天で、両眼を元に戻したという説話。なおこれは南伝の説話で、北伝では、鷹に追われた鳩を救うために、王が鳩と同じ分量の自分の肉を切り取って鷹に与えた。鷹は帝釈天、鳩は毘首羯摩天で、王の慈悲心を量った。
   雪山童子(せっせんどうじ)
施身聞偈(せしんもんげ)で知られる。『涅槃経』に説く。釈迦の前世である童子が無仏の世にヒマラヤで菩薩の修行をしていると、羅刹が諸行無常・是生滅法といったので、その残りの半句を聞くために腹をすかせた羅刹のために、生滅滅已・寂滅為楽の半句を聞き、木石などに書き残して投身した。投身した刹那に羅刹は帝釈天に姿を戻し、童子の身を受け止めて、未来に仏と成った時に我らを救い給えといった、という説話。
   薩埵王子(さったおうじ)
捨身飼虎(しゃしんしこ)で知られる。『金光明経』などに説く。釈迦の前世である王子は、飢えた虎とその7匹の子のためにその身を投げて虎の命を救った。 
■ジャータカ 2
パーリ語で書かれた古代インドの仏教説話集。『本生話(ほんしょうわ)』と訳される。仏陀(ぶっだ)がサーキヤ人の王子としてこの世に生まれる以前、菩薩(ぼさつ)として幾多の生を重ねる間、天人、国王、大臣、長者、庶民、盗賊、あるいは象、猿、孔雀(くじゃく)、兎(うさぎ)、魚などの動物として生を受け、種々の善行功徳を行ったという物語547話を集めたもの。『ジャータカ』はパーリ語の仏典、すなわち三蔵のなかの小部経典に含まれ、各話は現世物語と過去世物語と、この両話を結び付ける結合部の3部からなり、過去世の物語が各本生話の中心をなし、散文に短い詩句を交えている。これらの物語は、紀元前3世紀ごろから民間に語り伝えられていた伝説や説話を集め、これに仏教的色彩を加えたもので、1人の作者によってつくられたものではなく、成立は1世紀ごろと推測される。『本生話』のなかには二大叙事詩や他のサンスクリットの説話集『パンチャタントラ』『カターサリットサーガラ』などと共通の話も多く、また『千夜一夜物語』や『イソップ物語』などと同工異曲のものもあり、世界文学としても重要な地位を占め、伝説、説話、寓話(ぐうわ)、童話、逸話、道徳的格言を含み、文学的価値も高い。しかも、同時にその教訓、機知、諧謔(かいぎゃく)、皮肉に富んだ物語のなかには、古代インドの社会生活や文化状態を伝える多くの資料を包含している。パーリ語『ジャータカ』の全訳は現存の漢訳仏典中にはないが、多くの物語は『生経(しょうきょう)』『仏本行集経(ぶつほんぎょうじっきょう)』『菩薩本生鬘論(ぼさつほんしょうまんろん)』などの漢訳仏典のなかに含まれ、これらによって日本にも伝えられている。『猿の生き肝(いきぎも)』(くらげ骨なし)や『月の兎』の説話は、いずれもその源流を『ジャータカ』に探ることができ、『今昔物語集』のなかにもジャータカ起源の話は多く、日本の説話や文学に与えた影響は大きい。
本生話(ほんじょうわ)、本生経、前生譚(ぜんしょうたん)とも。古代インドの説話、また聖典の一種となった説話集で、釈迦(しゃか)の前生の生涯、その中での善行・功徳(くどく)を述べた物語が内容。輪廻(りんね)の思想に基づくもので、前3―前2世紀に成立したと思われる。前生の釈迦は菩薩と呼ばれ、神・人間・ウシ・サル・シカなどで表現され、各話に必ず主役、脇役、傍観者のいずれかで登場する。現存パーリ語本では547話がある。説話文学、絵画・彫刻として各地に残され、仏教を民衆に伝えるのに有効でバールフット欄楯(らんじゅん)、ボロブドゥールなどの浮彫など遺例が多い。中国では《冥報記》、日本では《日本霊異記》《今昔物語集》などに翻案されており、玉虫厨子(ずし)の台座絵〈捨身飼虎図〉は著名。
仏教説話集。 jātakaとは「生れたものに関する」の意で「本生話」「本生譚」とも訳す。インドに古くからある業報輪廻思想を仏陀にあてはめたもの。現世で悟る以前、仏陀が六道で菩薩としてさまざまな姿、形をとって善行を行う様を述べる。 (1) 現在世の物語、(2) 過去世の物語、(3) 過去と現在のつながりを説く3部門から成る。成立年代は明確ではないが、前2世紀にはこれを題材にした彫刻が出現している。説話数は 547 (パーリ語聖典) 。早くから各国語に翻訳されて西方諸国に広まり、『千一夜物語』『イソップ物語』『グリム童話』などに影響を与え、また日本の『今昔物語集』にも類話がみられる。
釈迦 (しやか) が前世に経験したといわれるさまざまな生活の物語を集録した古代インド仏教の説話文学。本生譚 (ほんしようたん) ともいう。輪廻 (りんね) 思想を根底にもつ教訓的物語。
広くインドの民話に題材を求めた、釈迦の過去世物語。説話文学としても価値が高い。ジャータカとは、サンスクリットで〈生まれたことに関する〉というほどの意味であるが、仏教聖典で用いられるときは特に今の生を引き起こした過去世の善行物語を意味する。ジャータカが生まれた前4〜前3世紀のインドでは、輪廻転生(りんねてんしよう)、善悪応報の思想が支配的であり、人は生と死を繰り返すが、その際生まれかわる境涯を決定するのは、その人の前世の行為のよしあしであると考えられていた。
…初期の仏教文学はプラークリット語の古形たるパーリ語を用い、根本仏典の三蔵(ティピタカ)の中には文学的価値の高いものがある。仏陀前生の物語として集録された説話集〈ジャータカ〉は、サンスクリット文学における《パンチャタントラ》とともに東西説話文学上重要である。仏教文学はパーリ語仏典のほかにサンスクリット語による文学的価値の高い経典も多く、またアシュバゴーシャやアーリヤシューラ(聖勇、6世紀)などすぐれた仏教詩人が出ている。…
…しかし《千夜一夜物語》や《デカメロン》などにみられる、いわゆる枠(わく)物語の中に多数の説話を包含する形式は、インドを起源とするといわれる。仏教の説話文学として有名な〈ジャータカ(本生譚)〉や〈アバダーナ(譬喩譚)〉は、当時の民間説話を仏教化したもので、同じ内容をもつ説話はバラモン教系統の説話集にも多く見いだされる。 サンスクリットの説話集《パンチャタントラ》は、東西説話文学交流の上から最も重要な作品で、原本は散逸して作者、年代ともに不明であるが、多数の支本を生じ、多くの異本が伝わっている。…
…占星術の第2の部門〈ホーラー〉は、この言葉そのものがギリシア語hōraからの借用語であることが示すように、ヘレニズム世界において天文学の発達とともに急速に発展したホロスコープ占星術である。初めてインドに伝えられたのは2世紀の半ばにギリシア語からサンスクリットに翻訳された《ヤバナ・ジャータカ》によってである。現在伝わっているのは3世紀に韻文化されたもので、かなりインド化されてはいるが、黄道十二宮をはじめとする基本要素はすべてヘレニズムの占星術と同じであり、借用語も多い。…
…これは律蔵の〈大品〉や経蔵の《大般涅槃経》などに古いものがみられる。次に、ジャータカ(本生話)は、釈迦が釈迦族の王子としてこの世に生をうける以前、天人、国王、大臣、長者、盗賊、あるいは兎、猿、象、孔雀などの姿で菩薩のすぐれた自己犠牲の行為を行ったことを物語る教訓説話で、その中には多くの民間説話、寓話、伝説がおさめられている。これは、経蔵中の〈クッダカ・ニカーヤ〉におさめられているが、他のインド文学の作品や《イソップ物語》《千夜一夜物語》にも共通する説話を保有する点で、世界文学史上においても重要な文献である。… 
■竹林精舎
[ちくりんしょうじゃ] 仏教で建てられた最初の寺院である。迦蘭陀竹林ともいう。中インドのマガダ国の首都である王舎城(ラージャガハ)(現在のビハール州ラージギル)にあった。迦蘭陀(カランダ)長者が所有していた竹園で、当初は尼犍子(ジャイナ教)に与えていたが、長者が仏に帰依したことでこれを仏教の僧園として奉じ、頻婆娑羅(ビンビサーラ)王が伽藍を建立したといわれる。天竺五精舎(天竺五山とも)の一つ。
■祇園精舎
[ぎおんしょうじゃ、正式名:祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)] インドのコーサラ国首都シュラーヴァスティー(舎衛城)、現ウッタル・プラデーシュ州シュラーヴァスティー県にあった寺院である。釈迦が説法を行った場所であり、天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の1つである。祇園精舎は、釈迦の大口支援者であったスダッタ(アナータピンディカ)によって、釈迦に寄贈された。そのためアナータピンディカ園とも呼ばれた。現在では、一帯は歴史公園に指定されている。公園内には釈迦が説法を行った場所とされる香堂(ガンダクティ、釈迦が寝食を行っていたとされる場所)やストゥーパなどが残されている。また園内には、仏教において二番目に尊いとされる菩提樹、「阿難菩提樹」がある。北インドの仏教徒にとって、祇園精舎は聖地の1つとして重要な位置を占めているが、その中でもガンダクティが最も重要とされる。
■比丘
[びく] 仏教において出家し、具足戒を守る男性の修行者である。女性の出家修行者は比丘尼(びくに)。比丘の生活は涅槃に達することを目的としており、質素な生活を送ることで、自身の修行の助けとなるよう設計されている。インドでは紀元前六世紀ごろから、出家し、各地を遊行しながら托鉢する修行者がおり、釈迦もその一人であった。釈迦の弟子が増え仏教教団(サンガ)が成立してからは、その主要な構成員として、信徒に教えを説き、教団を維持する働きをもつ。
■比丘尼
[びくに] 仏教における女性の出家修行者。男性の比丘に対する。仏教の尼僧。パーリ語のビックニーの音写。サンスクリット語ではビクシュニーという。語尾のニーは女性形を示す。かつてインド(のみならず、世界のどこにも)に女性の出家者は存在しなかったが、釈迦の養母が切願して出家したのが比丘尼の最初といわれ、以後しだいに増加した。出家して戒(具足(ぐそく)戒とよばれる)を受け、それを保ち続け、男性の出家修行者の比丘とともに、仏教教団のもっとも重要な成員とされる。男女の差別を設けない仏教の平等主義の特徴を示す。ただし、比丘尼の教団は比丘の教団とは独立して運営された。現在、東南アジア一帯の仏教(テーラバーダ=長老部(ちょうろうぶ)仏教)では、戒の授受が中絶したために、比丘尼(の教団)は消滅したが、大乗仏教を奉ずる中国、台湾、韓国、日本では、比丘尼が活躍しており、とくに韓国では比丘と同数を占める。日本における比丘尼は、記録のうえでは、善信尼(ぜんしんに)と称した司馬達等(しばたっと)の娘がその初めとされる。奈良・平安時代にも尼の存在は認められるが、鎌倉時代になると尼門跡寺ができるなど一定の地位が築かれた。これらに対して、熊野比丘尼に代表されるような諸国を遊行する比丘尼が現れる。男性のヒジリに対応するもので、むしろ尼形の巫女で祈祷や託宣を業とした。近世の歌(うた)比丘尼や、遊女にまで転落した売(うり)比丘尼はそうした流れをくむといわれている。
■バラモン
[婆羅門] インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称。ブラフミンともいう。古代インドで成立した四つの社会階層(バルナ)の一つで、司祭階層。サンスクリット語ではブラーフマナというが、漢訳仏典における音写、婆羅門の日本語発音が一般化した。バラモンは紀元前800年ころまでには階層として形成されていたと考えられ、彼らが執り行う供犠(きょうぎ)(ヤジュニャ)などの祭式を中心とする宗教はバラモン教とよばれる。バラモンには、『リグ・ベーダ』『サーマ・ベーダ』『ヤジュル・ベーダ』『アタルバ・ベーダ』をそれぞれに伝える四つの学派があり、とくに前三者は分担して、祭式を執行した。紀元前6世紀になると、祭式万能のバラモン教に対する批判が強まり、仏教やジャイナ教のような新しい宗教が誕生して、優勢となっていった。とくにマウリヤ朝のアショカ王による仏教保護は有名である。これに対して、バラモンは旧来のバラモン教にシバ神やビシュヌ神などの神々を信奉する民俗信仰を大幅に取り入れ、その基盤を拡大しようとした。こうして、バラモン教を基礎にしながら、各地にさまざまな偏差をもつ信仰が徐々に形成されていった(19世紀、植民地支配時代に、イギリス人はこれらをひとくくりにしてヒンドゥー教と名づけた)。紀元後7、8世紀、中世社会が形成され始めると、多くのバラモンは村落共同体の一員として、村落の共同体祭祀(さいし)や村人の家庭祭祀を行うようになり、同時に、各地にバラモンの諸カーストが形成されていった。こうして、バラモンは中世を通して地域社会の精神的指導者として大きな影響力を保持し続けたのである。しかし、19世紀末から20世紀になると、マハラシュトラ地方やタミル地方では強い反バラモン運動が起こり、バラモンの力は衰えていった。 
 
兎の話

 

この物語は、釈尊が祇園精舎におられたとき、お説きになったものです。
ある在家信者が七日に渡って釈尊と比丘たちに食事の布施をして、最後の日に、出家生活の必需品全てを揃えてお布施しました。釈尊と比丘たちに布施をできたことで、彼が限りなく喜びを感じていました。彼をさらに喜ばせてあげようと思った釈尊が、兎の話を説きました。
その昔、菩薩(釈尊の前世のことです)は兎として生まれ変わりました。その兎は、猿、キツネ、カワウソという三匹の友達と森の中に住んでいました。兎は菩薩の転生でしたので、普通の動物と違って智慧がありました。
彼らは、昼は各々えさを探しに別に行動していましたが、夜は一緒に集まりました。その時兎は、悪いこと、ずるいことをしてはいけないと戒の話を、また、自分だけ良ければいいという生き方ではなくて、他人のことも心配するべきですよと布施の話を、また、生きているものとして道徳的でモラルを守るべきですよと修行の話などを、よくしていました。
ある満月の日、兎は修行しようと思いました。三匹の友人も誘いました。皆、大変喜んで修行することに決めました。修行してもお腹が空くので、まずえさを探しておこうと思ったのです。
兎は、「今日は修行中だから、えさをひとりで食べるのではなく、誰かに一部をあげてから食べなさい」と、注意しました。
そこで、カワウソが川で人が魚を釣ったものを見つけました。キツネは畑仕事の人々が食べ残した肉とチーズのようなものを見つけました。猿は木からマンゴーを取って来ました。兎は草を食べればよいので、食べ物を貯蔵する必要はありませんでした。
その代わりに、大きな悩みが出てきました。食べる前に布施をしなくてはならないと自分で決めたのに、草を乞うてくる人はまずいないでしょう。三匹の友達の食べ物は人間も食べるので、簡単に施しをできるでしょう。何か自分が偽善行為をやっているような気もしました。
「偽善になってはたまらない。誰かが食を乞うて来たら、この身体をあげます。兎の肉を食べたがる人は、いくらでもいるでしょう」と、覚悟を決めました。
兎は、修行のために命まで賭けました。天国(帝釈天)にいる天の王・サッカはこれに驚きました。
皆が正直かどうか試してやろうと、乞食に変身して、一匹ずつ訪ねました。カワウソもキツネも猿も、喜んで自分のえさの一部ではなく、全部施しました。
サッカは「後で来ますから」と言って、えさを返して兎のところに行きました。
(そして)「何か食べ物をください」と、兎に頼みました。
兎は、「それは良かった。誰にでも真似できないほどすばらしい施しをしますので、薪を拾って火をおこして下さい」と言いました。
サッカは自分の神通力ですぐ、ごうごうと燃え立つ火を作りました。
兎は身体についている虫を落とすために身体を振って、火の中に飛び込みました。
身体が丸焼きになると思っていたのに、この火は熱いどころか異常に涼しかったのです。
兎は乞食に尋ねます。「善人よ、あなたの火は威勢がよいのですが、私の毛一本も燃やせるほどの熱はありません。あまりにも涼しいのです」
サッカ天は答えて曰く、「賢者よ、私は乞食ではありません。あなたの修行にかかる気持ちはどれほど正直かと試すために、天から降りたのです」。
サッカは、「善行為を行うことは、どれほど大事かと後世の人々に知らせてあげます」と思って、山を絞り、液体を出して(溶岩では?)、月に兎の形を描き遺しました。
この話を聞いて、お布施した在家信者が大変喜びを感じて、また真理を理解しました。
 
星占いの話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、お説きになったものです。
ある村の由緒正しい家の嫁を、サーヴァッティの都の同じく良家から迎える話がまとまり、お祝いの日取りも決定して、あとは嫁入りの日を待つばかりとなっていました。ところが、その当日になってある宗教家に占いを頼んだところで騙されてしまった家人が、相手の家に無断で、急に予定を変更してしまい、折角のめでたい話が破談になってしまいました。
講堂に集まった比丘たちもこの話題を採り上げていたところ、お釈迦さまがいらっしゃって、「星占いによって昔も、人が幸福になるのを妨害されたことがある」と、星占いの話を説きました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、都会に住んでいた家族が、田舎に住んでいた家族から嫁を迎えることになり、お祝いの日取りも決定して、あとは嫁入りの日を待つばかりとなっていました。
当日になってその家の家人は、一家で親しくしていた遊行者(修行者)に星占いを頼みました。
「先生、今日私達の家でお祝いごとがあるのですが、空の星はめでたい配列になっているんでしょうか?将来はどうなるでしょうか?是非占っていただけませんかと聞きました。普通のやり方は、まず占ってから日にちを決めることです。この家人たちは占い師を頼む前に日にちと段取りを先に決めてありました。これに、遊行者のプライドが傷ついたようです。
その遊行者は心の中で『事前にこの私に相談もしないで勝手に日取りを決めてしまい、今頃になって聞きに来おって!』と思うと腹が立ってきて、この失礼なやつらの邪魔をしてやろう…と、「今日の星の配列は、とても不吉な状態です。今日の祝宴は見合わせたほうがよろしい。もしも強行すれば、大破綻を来すでしょう。」と顔を苦くして占ってあげました。
その一家の人々は彼の言うことを信用して、その日は出掛けませんでした。一方、村の人々は、大変苦労して結婚式の宴の準備をして待っていたのに、誰も現れませんでした。
田舎に住んでいた家族は彼らが来ないことを知って、「あの人たちは日取りを決めて約束を交わしておきながら急に来ないとは・・・我々のことを馬鹿にしているのではないか!」と言って、折角苦労して宴の準備をしましたし、またやり直すくらいの財産はないし、仕方なくほかの家に娘を嫁がせてしまいました。
翌日になると都会に住んでいた家族がやって来て、「娘さんをお嫁にください」と頼みました。
すっかり気を悪くしていた田舎の家族は、「あなたたち都会の人は礼儀知らずで非常識なのではないですか?あなた方がしっかり日時まで決めておきながら急に約束を破って来ないものだから、娘にとっては我慢できない程の恥でした。娘の気持ちを考えて、私たちは娘をほかの家に嫁にやってしまった!」と言いました。
町の人にしても、嫁をもらおうと行ったところで断られると、大変な恥です。
それで互いに言い訳を言いながら、結局喧嘩になってしまいました。
「私たちは、星占いの結果が不吉だったので大事をとって来なかったのです。それは、娘さんの幸せを考えてやったことです。なんとか娘さんをお渡しください!」
「あんたたちが約束を破ったのがいけないのだろう。ほかの家に嫁にやった娘を今さら連れ戻せるわけがない!」
このように彼らが言い争っているそのときに、都会に住んでいるある賢い人が、たまたま用事があってこの田舎の村へやって来ていました。
そこで彼は、自分に関係ないこの喧嘩の仲裁をする羽目になりました。「遊行者の星占いを信じて来なかった」という都会の人々の言い分を聞いてこの賢い人は判決を出しました。
「星の配列にどんな『めでたさが』があるのか。結婚して幸福を得ることが、すなわち『星回りが良くてめでたい』ことなのではないか」と言って、次のような詩句を唱えました。
• 星の配列で運命を占う愚か者を、幸福が見捨てていく
• 実生活の努力こそが、幸福でめでたいことである
• 星のならびには何の意味もありません
都会の人々は、お嫁さんももらわず、大恥をかけられて悔しい思いを抱きながら、田舎の村を立ち去って行きました。
お釈迦さまは、「比丘たちよ、この遊行者が人々のお祝いごとの邪魔をしたのは、何もいまだけに限ったことではない。過去生においても邪魔をしていたのである」とおっしゃいました。
この過去生物語で、仲裁に入る賢い人は菩薩(お釈迦さまの前生)でした。  
 
ダンマパーラ王子の話

 

この物語は、釈尊が竹林精舎におられたとき、お説きになったものです。
ある日、講堂に集まった比丘達のあいだで話題が持ち上がりました。 「デーヴァダッタは釈尊を殺そうと企んでいる。ナーラーギリという凶暴な象を放って、托鉢の行列に飛び込ませようとした。」と。
そこへお釈迦様がいらっしゃって、 「それは今だけのことではない、以前にも彼は私を殺そうと企てた。しかし私を怒らせたり怖がらせたりすることは出来なかった」と、ダンマパーラ王子の話を説きました。
その昔バーラーナシーでマハーパターパという王が国を統治していたとき、菩薩(釈尊の前世のことです)は王の第一の妃であるチャンダー王妃の胎に宿り生まれて来ました。
ダンマパーラという名がつけられ、生まれて七ヶ月になって部屋で母と遊んでいるときに父王がその部屋にやって来ました。ところが妃は母親としての愛情が強く、遊ばせている子供の方に気を取られており、王を見ても立ち上がって挨拶をしませんでした。
王は機嫌を損ねて、 「妃は今ですら傲慢になって、わたしのことをないがしろにしている。このうえ子供が大きくなったら、わたしを人間とすら認めなくなるだろう。いまのうちに子供を殺してしまおう」 と考えながら自分の部屋に戻りました。
王は玉座につくと、泥棒の首を切る処刑人に、処刑の支度を整えて来るように命じました。処刑のための衣装をつけ、道具を持ってやって来た処刑人に、王は 「妃の寝室に行ってダンマパーラを連れてまいれ」 と言いました。
王妃は王が腹を立てて帰ったのに気が付いて、王子を胸に抱いて泣きながら座っていました。処刑人は王妃の背をドンと突いて王子を奪い去り、王のもとへ連れ戻って指示を仰ぎました。
王は、 「板を持って来させて、そこに王子を寝かせよ」と命じ、彼がそのとおりにしていると、王妃が嘆きながら王子を追ってやって来ました。
ふたたび処刑人が、 「王様、どのようにいたしましょうか?」 とたずねると、王は 「ダンマパーラの手を切れ!」 と命令したので、王妃は、 「大王さま、この子はまだ七ヶ月の嬰児で何も知りませんし何の罪もありません。罪があるのは私のほうですから、私の手をお切らせください」 と懇願しました。
しかし王は、 「ただちに手を切れ!」 と言ったので、処刑人はすぐさま鋭い斧を取って、王子の幼い筍のような両手を切りました。
王子は両手を切られながらも、泣くこともわめくこともせず、忍耐と慈悲を心に満たして耐えました。一方チャンダー王妃は、切り落とされた手の端をつかんで腰布にくるみ、血に染まりながら泣いていました。
ふたたび処刑人が、 「王様、どのようにいたしましょうか?」 とたずねて、王が、 「両足も切ってしまえ!」 と言ったのを聞いて、やはり王妃は自分の足を切るように懇願しましたが甲斐もなく、王子は両足も切られてしまいました。
チャンダー王妃は、切り落とされた足の端をつかんで腰布にくるみ、血に染まりながら泣いて「両手足を切断された子供は、母親が大事に面倒をみて育てなくてはなりません。私がお金を作って私の子供を育てますので、どうぞその子をお渡しください」 と頼みましたが、処刑人と王は意に介さずに続けました。
「王様、まだお指し図がございますか?私の仕事はこれで終わりでしょうか?」
「いや、まだおわってはおらん」
「それでは何をいたしましょうか?」
「こいつの首を切れ!」
そこでチャンダー王妃は、 「王様に無礼をはたらいた罪は私だけにありますから、王子をお赦しください。王様、私の首をお切らせください」 と言って、自分の首を差し出しました。
そのとき王子は心の中で自分自身に言い聞かせるように
「今はあなたの心をよく抑制するべきときです。今あなたは、我が子の首を切れと命じる父王と、処刑人と、泣き悲しんでいる母と、王子自身との、この四者に対して平等で冷静な心を持つのです」と堅く決心して、怒ったり恨んだりする気配すら見せませんでした。
ついに処刑人は王子の首を切りました。
「王様、ご命令を果たしましたでしょうか?」
「いやまだ終わりではない」
「それでは何をいたしましょうか?」
「刀の『技』をやって見せろ!」
処刑人は王子の体を空中に投げ、それを刀の先端で受けて空中でバラバラに切り裂く、刀の『技』をやって見せて肉片を床に撒き散らしました。チャンダー王妃は、菩薩である王子の肉を腰布にくるみ、床に泣き伏して、嘆き悲しみました。
「この王に、『我が子を虐待するなかれ、それは理性ある人間の道ではない』というくらいの忠告をできる友人も、大臣も、有識者も、ひとりもこの国にいないのですか」
チャンダー王妃は、両手で王子の心臓を持ちながら泣き崩れました。
「大地を支配する運命を持った我が愛しい子、ダンマパーラの両手両足に、貴重な栴檀の油を塗って、今まで大事に育ててきました。今、ダンマパーラ王子に両手も両足もない。身体もない。これから私は、どこへ再び油を塗って、子育てをするのでしょうか。王よ、我が命もこれで果てます」
余りの悲しみの激しさに、彼女の心臓は燃える竹林の竹のように破裂して、そこで命尽きてしまいました。
正気に戻った王は、自分の犯した罪の残酷さの余りに、椅子に座っていることもできなくなりました。そして椅子から転げ落ちて床に倒れてしまいました。
すると、倒れたところで床板が二つに割れてしまい、そこから王は地面に落ちました。この、二十四万ヨージャナの厚さの大地でさえ、王の罪の重さに堪えることが出来ずに裂けて穴が開いてしまいました。さらに無間地獄から炎が現れて、赤い毛織物が包み込むようにして王を捕らえ、無間地獄に投げ込みました。
大臣たちは、チャンダー王妃と、菩薩である王子の遺骸を火葬にしました。
お釈迦様はこの話を説かれて、過去を現在にあてはめられました。
「そのときの王はデーヴァダッタであり、チャンダー王妃はマハーパジャーパティ・ゴータミー(お釈迦様の育ての母)であり、ダンマパーラ王子は実にわたくしであった」と。 
 
園林を破壊した話

 

お釈迦さまがコーサラ国の人々の間を托鉢してまわられていたとき、ある村の大きな家の主人に招待されて、その家の庭園を訪れておられました。
主人は、お釈迦さまを先頭とする僧団に御布施をしてから申し上げました。
「どうぞ皆様、ご自由にこの庭園を散歩なさって下さい」
比丘たちは立ち上がり、庭園の管理者に案内されて歩いていると、空き地があるのを見つけて管理者にたずねました。
「この庭園は、ほかのところではいたるところ木々が生い茂って深い木陰になっているのに、ここのところだけは何の樹木も潅木も無いですが、いったいどういうわけですか?」
「はい、皆様。この庭園に植林するときに、一人の村の若者が水やりを任されていたのですが、この場所の苗木を根こそぎ引き抜いてしまい、根の大小に応じて水の量を加減しようとしました。それで苗木は傷んでしぼんでしまい、枯れてしまったのです。そんなわけで、ここのところだけが空き地になってるのです。」
比丘たちはお釈迦さまのもとに近づき、このことを申し上げました。
お釈迦さまは 「その若者が園林を破壊してしまったのは、今だけに限ったことではない」 と、過去の物語をお説きになりました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、人々のあいだでは、これから行われるお祭りの話でもちきりでした。祭りの触れ太鼓の音が鳴り響くと、人々はすっかり祭りのことに夢中になっていました。
そのころ国王の庭園には多くの猿たちが住んでいました。庭園の管理者は、 「この猿どもをうまくてなづけて水やりをさせれば、私は祭りに出掛けることができる」と考えました。 そこでボス猿のところへ出向いて、
「この庭園はお前たちにとっても大切なもので、ここにある花や果実や若芽を食べてお前たちは生きている。わたしはしばらくの間出掛けてきたいので、留守中この庭園にある苗木に水をやってくれないか?」 と訊ねました。
ボス猿は快くひきうけたので、彼は水をやるためのバケツと水さしを猿たちに与えて、いそいそと祭りに出掛けて行きました。さっそく猿たちはバケツと水さしを使って苗木の水やりをはじめました。そこで目付役のボス猿は猿たちに声をかけました。
「さあみんな、水というものは大事に節約して使わなくてはならない。お前たちは苗木に水をやるときに、一本一本根を引き抜いてよく観察し、根が長くて地中深くまでのびている苗には多めの水を、まだ根が短くて浅いところまでしかのびていない苗には少なめの水をやりなさい。そうすればあとで、われわれにもこの貴重な水が残ることになるだろう」 と、自分の知識の深さを見せました。
猿たちは「なるほど」と同意して、ボスに言われたとおりにしました。
ちょうどそのときに、あるひとりの賢い人が王宮の庭園に来て、猿たちのしていることを見かけて言いました。「やあ、猿たちよ。どうしてお前たちはいちいち苗木を引き抜いて、根を見てから水をやっているのか?」
猿たちは答えました。「私たちのボスが、こうするようにと私たちに言いきかせたのです」 と言いました。
賢い人は、このことばを聞いて、 「ああ、全く嘆かわしいことだ。智慧のない愚かな者たちは気の利いたことをしているつもりで無益なことばかりしているのだ」と考えて、次のような詩句を唱えました
有益なことにうとい者は、役に立とうとしながらも全く幸福をもたらさない
その愚か者が逆に益あるものを滅ぼすばかり
あたかも園林に住む猿のように
このようにして、その賢い人は、詩句によってボス猿を諭して、自分の仲間たちとともに庭園を立ち去りました。
お釈迦さまは、 「その村の若者が園林を破壊してしまったのは、何も今だけに限ったことではない。過去においても園林を破壊してしまったことがある」とおっしゃいました。
この過去生物語で、ボス猿は園林を破壊してしまった村の若者、ボス猿を諭した賢い人は菩薩(お釈迦さまの前世)でした。 
 
ナンディ・ヴィサーラという牛の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたときお説きになったものです。
そのころ、サンガの和を乱す比丘 たちが、善良な比丘たちを嘲笑い、蔑み、いろいろな悪口を言っては困らせていました。善良な比丘たちがお釈迦さまにこのことを報告したところ、お釈迦さまは彼らを呼び出して叱責され、
「むごい言葉というものは、動物たちですら嫌うのである。過去においても、ある動物が、自分に対してむごい言葉を言い放つ者に、千金もの損をさせたのである」 とおっしゃって、過去の物語をお話しになりました。
その昔、菩薩(お釈迦さまの前世)は牛として生まれ変わり、ガンダーラ王国のあるひとりのバラモンに養われ、ナンディ・ヴィサーラ(以下ナンディと省略)という名前をつけられて息子のように大切に育てられました。
大きくたくましく成長した牛は、大変世話になったこのバラモンに、役に立つことを何かしなくてはいけないと思いました。自分の体力を使って収入でも入るようにしてあげれば、バラモンの貧しい人生が豊かになるだろうと思いました。
ある日、彼に言いました。
「お父さん。牛持ちの商業組合長のところへ出掛けて『私の牛は連結された百台の車を動かせます』と言って千金の賭けをしてください。私は若くて力持ちだから、百台の車を牽いてあげて、お父さんに大金が入るようにしてあげます」
(バラモンは)息子のつもりで育てたナンディの力自慢を、あまりにも可愛くて無視することができませんでした。
バラモンは商業組合長のところへ行って、自分の牛の自慢話を始めました。商業組合長も負けずに、自分の牛たちの力強さを強調しました。すると、バラモンは咄嗟に(言いました。)
「うちの子は百台の車を繋げてもいけますよ。千金でも賭けられます」
プライドが傷ついた商業組合長は、 「そんな馬鹿な。じゃあ、千金を賭けます。できるなら、牽かせてみろ」 と挑戦しました。貧しいバラモンにとってはとんだ迷惑でしたが、後には引けません。
百台の車に砂利や石をいっぱいに積んで綱で連結して、用意ができました。いつもお父さんにきれいに身支度させてもらっているナンディも、誇らしげに出番を待っていました。
ナンディを先頭の車の先端に、ただ一頭だけ繋ぎました。そしてバラモンが車の先端に坐り、突き棒を振り上げて、 「行け、根性なしめ! 牽け、根性なしめ!」 と叫びました。
(仕事をしたがらない普通の牛を働かすために、牛に対してひどい言葉で叱るのは普通です。バラモンもうっかりして、我が子同然のナンディに乱暴な言葉を浴びせてしまいました。ナンディにとっては、あまりにもショックでした。)
ところが菩薩である牛は、 「この人は、根性なしではない私を『根性なし』という言葉で、乱暴に呼びつける」 と思うと、四本の足が柱のように硬直してしまって、動かせずに立ち止まってしまいました。この瞬間にバラモンの負けが決まり、彼は千金を取られてしまいました。
賭けに負けて家に帰ったバラモンがショックのあまりに寝込んでいるので、ナンディは彼に近づき、
「お父さん、私があなたに言われた躾を、ひとつでも破ったことがありますか? あなたに気に入らないことを、ひとつでもやったことがありますか?」
「いいや、そんなことはなかったよ」
「では、どうして私を『根性なし』という侮辱する言葉で呼びつけるのですか。生まれて初めて侮辱された私は、ショックで硬直してしまいました。(賭けに負けたのは)あなたの蔑みの言葉のせいです。試しに今度は、二千金の賭けをしてください。彼もすぐ乗ってくるでしょう。ただし、言葉に気を付けてよ」
バラモンは牛の話を聞いて出掛けて行き、今度は倍額の二千金で賭けをすることにしました。
そして今度は車の先端を、しっかりと牛の頸に固定しました。そこでバラモンは車の先端に坐って、ナンディの背中をやさしくさすりながら、「賢いナンディくん、がんばれ、負けるな!」と、励ましました。
菩薩である牛は、一列に連結されている百台の車を全く一気に引いて、最後尾の車を先頭の車があったところまで持ってきて止めました。牛持ちの商業組合長は賭けに負けて、バラモンに二千金を手渡しました。そのうえ他の人々も、菩薩である牛の力強さに感嘆して、沢山の財貨を贈りました。
お釈迦さまは、「比丘たちよ、むごい言葉というものは、だれにとっても気持ちのよいものではない」と、サンガの和を乱す比丘たちをお叱りになって、言葉使いに関する新しい戒律を設定されました。
そして、次のような詩句を唱えられました。
快い言葉こそ語りなさい
不快な言葉は決して語ってはならない
実に、快い言葉を語る人のために
牛さえも重荷を運び、財貨をもたらす
しかも、それによって(快い言葉)
人々は、幸福な者となる  
 
金塊の話

 

この物語は、釈尊がサーヴァッティにおられたとき、ある一人の比丘について、お説きになったものです。
サーヴァッティに住んでいた良家の一人息子が、お釈迦さまの説法を聞いて、仏・法・僧の三宝に帰依して出家しました。そのとき彼の指導者たちは、膨大な数の戒律を複雑な分類で厳密に説明して聞かせました。
そこで彼は、 「この戒というものは実に数が多い。自分はそんなに多くの戒を課せられても到底実行は出来ないだろう。戒も満足に守れない者が出家しても何にもならないのだから、それよりも一家の家長として布施などの善行をなしたり、妻子を養ったりすることのほうが良いことだろう」 と考えました。
そこで指導者に、 「師匠よ、私にはそんなに多くの戒律は守り切れません。守れないのに出家してもなんの益もないと思いますから、私は俗人に還って生活をしますので、僧衣と鉢をお返しいたします」 と申し出ました。
指導者たちは、 「もしそういうことならば、お釈迦さまにきちんとお話してから行きなさい」 と言って、彼を引き連れて講堂に居られたお釈迦さまのもとに行きました。
お釈迦さまは、 「比丘たちよ、あなたたちは何故この比丘を無理に連れて来たのか」 と尋ねられたので、指導者たちは事情をお話しました。お釈迦さまは、
「比丘たちよ、あなたたちは何故この比丘に多くの戒律を説明したのですか?、この比丘は持っている能力の範囲でしか戒を守ることは出来ません。あなたたちは今後は決してそのような指導方法はとらず、この比丘のことは私に任せておきなさい」
と言われて、その比丘に向かって、
「あなたは多くの戒を守る必要はありません。しかし、ただ三つだけの戒ならば守ることが出来るでしょう」
「世尊よそれならば出来ます」
「よろしい、それではあなたは今後、身・口・意(身体の行為・言葉・考えること)の三つを守りなさい、つまり身・口・意による悪業を慎みなさい。俗人には還らずに修行に戻りなさい。この三つの戒だけを守りなさい」
と命じられました。そこで比丘は安心して、
「承知いたしました。世尊よ、私はこの三つの戒を守ります」 と申し上げ、お釈迦さまを礼拝してから指導者たちと一緒に去って行きました。
その後この比丘は三つの戒を守りながら、心の中で、 「指導者たちは私に色々な戒律を説明してくれたが、彼等自身はブッダでないために、私に理解させることが出来なかった。お釈迦さまは、まことに正しく覚られたブッダであらせられるから、あれほど膨大な戒を三つのことに含ませて、私に授けて下さったのだ。お釈迦さまはまことに私の擁護者である」 と思って智慧を増していき、数日を経たある日に遂に阿羅漢の悟りを得ました。
講堂に集まった比丘たちはその知らせを聞いて、
「友よ、『私は膨大な数の戒は守れません』と言って還俗しようとした比丘に対し、お釈迦さまは一切の戒を三つの戒に含めてお授けになり、その比丘は阿羅漢の悟りを得ることが出来た。お釈迦さまは何と非凡な師であらせられることか」と話しながら、ブッダの諸々の徳を賛嘆しながら坐っていました。
ちょうどその時お釈迦さまが講堂に来られて 「比丘たちよ、非常に重い荷物でも、幾つかに分ければ軽くなる」 と、金塊の話を説かれました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩はある村の農夫でありました。
彼はある日、以前は村であって、今は廃墟になっている野原で耕作をしていました。その場所には昔お金持ちが住んでいて、地中に大きな金塊を埋めておいたまま、この世を去っていました。菩薩である農夫が耕作をしていると、鋤がこの金塊に堀当たって動かなくなりました。
「おそらく樹の根が拡がっているのだろう」 と思って土を取り除けてみると金塊が見つかったので、そっとまた土を被せておいて、その日は一日中他の場所を耕していました。
日が沈んだあと、軛や鋤などを片付けて 「金塊を持って帰ろう」 と思ってそれを持ち上げてみましたが、容易には持ち上げることが出来ませんでした。
そこでその場に坐りこんで、心の中で、 「これだけは生活費として使おう。これだけは使わずに貯蓄しておこう。これだけは商売の資金にしよう。これだけを布施などの善行為に使おう」 と考えて、金塊を四つの部分に分けました。
このように分割することによって金塊は軽くなったので、持ち上げて家に運び、四通りに分けて置きました。その後、彼は布施などの善行為をおこないながら、正しく、また大変悦ばしく生涯を全うしました。
この物語をなさって、お釈迦さまは次の偈で説法なさいました。
心の喜びをもって幸せを感じる人が
解脱を得るために善行為を行う
彼が徐々に全ての煩悩を断って
涅槃に到達する
と、阿羅漢の悟りに達することを理想とするべきと法話をされて 「その時金塊を得た農夫は私であった」 と話を結ばれました。 
 
鹿王の話

 

この物語は、釈尊が祇園精舎におられたとき、クマーラ・カッサパ長老の母についてお説きになったものです。
彼女はラージャガハの大富豪の娘でしたが、過去生で多くの善行を積んだ結果として、欲に溺れた俗世間の生き方に未練がなく、真理を求める気持ちでいました。そこで、何度も両親に出家させて欲しいと頼みましたが、許してもらえず、他家に嫁ぐことにしました。
ちょうどそのころ、この都で大きな祭りが行なわれ、全市民は、豪華な衣装に身を包んで、祝日を祝っていました。
夫は、彼女を誘って出かけようとしましたが、彼女が全く身なりに構わないので、不満に思って、 「どうしてもっと着飾らないのか」 と、たずねました。
彼女は、 「三十二種類の汚物でできている身体を飾りたてて、その穢らわしさをごまかしても、意味がないでしょう。汚物と汚物が遊び戯れていることには興味がありません。私にとっては、私の身体だけでなく、あなたの身体も汚物の塊にしか感じられません」 と言いました。
夫はこの言葉を聞いて、妻が夫婦生活に全く興味がないことに気が付き、 「俗世間の生き方をそれほどまでに厭う君は、出家するべきではなかったのか。」 と言いました。
彼女は、 「ずっと出家したいと思い続けてきましたが、両親に反対され願いが叶いませんでした。あなたさえよろしければ、すぐにでも出家したい気持ちです」と答えました。
夫は、このままでは両者が不幸になってしまうと思い、彼女に出家を許し、盛大な供養の席を設け、皆の祝福の中で、比丘尼の住所に送り届けました。
念願の出家を果たした彼女でしたが、彼女が入った比丘尼の住所は、デーヴァダッタの系統に属するものでした。また、結婚生活は幾日にも満たないものでしたので、このとき彼女はまだ、夫の子を胎内に宿していることを知る由もありませんでした。
ところが、日に日に彼女の身体に変化が見られるようになり、比丘尼たちは驚いて、 「あなたは妊娠しているのでは?」 と尋ねました。
彼女は、 「私は厳密に戒律を守っておりますので、自分でもどういうことなのかよく分かりません」 と答えました。
そこで比丘尼たちは、この事件をデーヴァダッタに報告しました。デーヴァダッタは、このことが外部に漏れると自分たちが非難を受け、大損害を被ると考え、 「この女を直ちに追放せよ」 と命じました。
彼女は、 「仏教はデーヴァダッタのものではありません。全ての権限はお釈迦さまにあるのですから、私を祇園精舎に住んでおられるお釈迦さまの元へ連れて行ってください」 と、比丘尼たちに懇願しました。
比丘尼たちは王舎城を発ち、彼女を祇園精舎まで連れて行き、お釈迦さまに事情を説明しました。お釈迦さまは、事を隠すことなく厳密に調べることになさいました。戒律についての第一人者であるウパーリ尊者に、審査会を設立するように命じました。
そこで、一般市民を代表してコーサラ王、在家信者の男性代表者にアナータピンディカ(給孤独)長者、女性代表にヴィサーカー大信女、出家代表としてウパーリ尊者と、比丘尼の代表者で審議会を行ないました。
その結果、彼女が在家信者であるときに妊娠したことと、戒律は犯していなかったことが判明しました。彼女は潔白の身となり、月が満ちると、無事に子供を産みました。子育ては修行の障害になるので、王様はその子を養子として引き取り、クマーラ・カッサパ(カッサパ王子)と名づけて王子の資格で養育しました。
大変利発なその子は、お釈迦さまの元で出家し、間もなく悟りをひらいて大阿羅漢になりました。その母親の比丘尼も、やがて悟りをひらくことができました。
ある日、講堂に集まった比丘たちは、「友よ、もしもクマーラ・カッサパ尊者の母が、智慧のないデーヴァダッタの言うがままにされていたら、二人は破滅に陥るところだったが、彼女が智慧と慈悲を備えたお釈迦さまに頼ったお陰で、二人は悟りをひらくことができた」 と話していました。
そこへお釈迦さまが入ってこられ、何を話していたかを問われたので、比丘たちが一切をお答えしました。そこでお釈迦さまは、 「比丘たちよ、私が彼ら二人を救ったのは今だけのことではない」 と言われて、ニグローダという名で呼ばれた鹿の王の話を説かれました。
その昔、バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していた時に、菩薩は鹿の胎に宿って生まれました。彼の身体は大きくて黄金色に輝き、大変美しい姿をしていました。五百頭の群を率いて森に住み、ニグローダ鹿王と呼ばれていました。近くにもやはり五百頭を率いる、サーカ鹿王が住んでおり、彼もまた黄金色の鹿でした。
その頃バーラーナシーの王様は鹿狩りに熱心で、人民に職業を休ませて多くの人々を召集してまで、日々狩に出掛けていました。人々は、
「こう頻繁に仕事を休ませられては生活に支障をきたす。王様が狩に出なくても、鹿肉を召し上がることが出来るようにできないものか」
と考えました。そこで彼等は、あらかじめ御苑の中に鹿の主食である草を植え、飲み水なども準備しておいて、ニグローダやサーカの群を、大きな物音や武器で威嚇して、王様の御苑の中に追い込み、入り口を閉じました。そして、
「王様。毎日狩のためだけに多くを費やしていては、私達の職業が廃れてしまいます。私達は森から鹿を連れて参りましたので、今からはその肉を召し上がって下さい」とお願いしました。
王様は彼等の願いを聞いて、御苑の中の鹿を見渡すと、二匹の黄金色の鹿がいるのに気が付き、その二匹の鹿王には、身の安全を保証してやることにしました。それ以来、王様や料理人がやって来て、弓矢で鹿を射ては持ち帰る日々が続きましたが、鹿達は弓矢を見る度に死の恐怖に脅かされて、安心して暮らすことが出来ませんでした。
鹿達はこのことを菩薩であるニグローダ鹿王に相談すると、彼はサーカ鹿王を呼んで、
「友よ、我々鹿が殺されるのはもはや逃れられないが、せめて弓矢で射られる恐怖を避けるために、犠牲になる鹿の順番を決め、一日は私の群から、次の一日は貴方の群からというように、覚悟を決めた鹿が断頭台に行くようにすれば、傷を負う鹿が最小限にとどまるだろう」
と提案しました。サーカ鹿王は、 「ごもっともです」 と賛成して、その後は順番の来た鹿が断頭台に首をかけて横たわるようになりました。
ある日、サーカ鹿王の群れの中の妊娠した雌鹿に順番が廻って来て、彼女はサーカ鹿王に
「私のお腹には子供がおりますので、その子を産んでから当番を受けますから、それまで猶予を頂けないでしょうか」
と懇願しましたが、サーカ鹿王は冷たく拒否しました。自分の群れの主に同情して貰えなかった雌鹿は、菩薩であるニグローダ鹿王のところに行き、このことを訴えました。ニグローダ鹿王は、
「よろしい行きなさい、わたしがお前の順番を引き受けて上げよう」
と言って、自分が身代わりになって断頭台に行きました。料理人がそれを見て王様に報告したので、王様は車に乗って断頭台に行き、
「鹿王よ、私は貴方の身の安全を保証してあげたのに、何故断頭台に横たわっているのですか?」
と聞きました。鹿王は事情を説明し、
「ある者が受けるべき死の苦しみを、私の意向で他の者に被らせるわけにはいきません。私が作った規則を私自身が破ってしまったら、鹿の群の規律は完全に乱れてしまいます。そこで私自身が彼女の死を引き受けることにしたのです。あなたも王様ですから、お分かりでしょう」
と答えました。
王様は、自分と同じ指導者の立場にあるニグローダ鹿王の立派な態度に感銘を抱き、
「黄金色の鹿王よ、私は今まで人間の中でも、それほどの忍辱・慈悲・憐れみの徳を備えた者を見たことがありません。貴方のお陰で私の心は清まりました。お立ちなさい、貴方にも彼女にも安全の保証をあげましょう」
と言うと、
「大王様、私たち二人だけは安全を保証されて、群れの統治ができるのでしょうか?」
王は、
「では皆の命を保証します。森に帰してあげます」
と約束しました。鹿王が、
「でも、鹿だけが殺されないで森に住むと、他の動物に申し訳ないと思います」
と言うと、王は、
「自分のことより皆のことを思う君の性格が、誠に素晴らしい。今日から、私の国の全ての生き物の命を、大事に守ってあげましょう。今日から、殺生をやめます」
と、約束しました。
無事子供を産んだ雌鹿は、自分の子供がサーカ鹿王と戯れているのを見て、皆の命を助けてくれたニグローダ鹿王に自分の子供を躾て欲しく、次の詩を唱えました。
ニグローダにだけ仕えて
サーカの近くに住むな
サーカの許で生きるより
ニグローダの許で死になさい
その後、鹿どもが人々の穀類を食べても、人人は安全を保証された鹿を乱暴に追い払うことが出来なくなりました。人々は宮廷に集まってこのことを訴えると、王様は、
「私は信仰心の故にニグローダ鹿王と約束したのであるから、たとえ私が領土を失っても、この約束は破らない」
と答えました。これを知ったニグローダは鹿達を集め、
「これからは人々の穀類を食べて迷惑をかけてはいけない」
と諭し、そして人々には、鹿が入ると困る場所に葉を結びつけて目印にするように言いました。それ以来、どの田にも目印として葉を結びつる風習ができ、そこに立ち入る鹿はいなくなりました。これは鹿達が、ニグローダ鹿王から教誡を受けたからでした。
このように鹿達を教誡しながら寿命を全うし、彼はこの世を去りました。王様もまた、生涯善行為を行なって、やがてこの世を去りました。
お釈迦さまは物語を終えると四聖諦の説法をされて、
「その時のサーカ鹿王はデーヴァダッタ、雌鹿は長老尼で、子鹿はクマーラカッサパ長老、王様はアーナンダで、ニグローダ鹿王こそは私であった」
と過去と現在を結びつけられました。 
 
死者を悼む話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、サーヴァッティ在住のある資産家についてお説きになったものです。
その資産家は、兄弟が亡くなった悲しみのために、すっかりうちひしがれてしまい、入浴もせず、食事も喉を通らず、体に香油を塗ることもせずに、朝早くから墓場に行き悲嘆にくれて泣くばかりでした。お釈迦さまは早朝に世間を見渡されたとき、彼に預流果(聖者の最初の境地)を得る資質があることを見抜かれ、
「彼に昔の因縁を話して悲しみを鎮めてやり、預流果を得させてやることは、私以外の誰にも不可能である。私は彼を救ってあげよう」
とお考えになりました。
その翌日の午後托鉢からお戻りになってから、お伴の比丘をつれて資産家の家の門口に行かれました。
「お釈迦さまがおいでになりました!」
という声を聞いた資産家は急いで座席を用意させ、
「どうぞお入り下さい」
と申し上げると、お釈迦さまは中に入られ、座席にお座りになりました。資産家も出て来てお釈迦さまに礼拝し、一方に座りました。
そこでお釈迦さまは、
「ご主人、何か考えごとをなさっているのですか?」
と聞かれました。
「尊師よ、そのとおりでございます。私の兄弟が死んでからというもの、そのことばかりを考えてしまうのです」
「ご主人、すべての形あるものは変化していくものです。壊れなければならないものは、いつか必ず壊れます。それをくよくよと考えても仕方のないことです。昔の賢者たちは兄弟が死んでも、壊れなければならないものは壊れるものだと理解して、くよくよ考えたりはしませんでした」
と言って、お釈迦さまは彼の求めに応じて、過去の物語を説かれました。
その昔、バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩(釈尊の前世のことです)は八億の財を所有する資産家の家に生まれました。
彼が成人した頃に両親が亡くなったので、兄が家の財産を管理するようになり、彼はその兄に頼って生活をしていました。ところがその後、兄まで両親と同じような病気にかかり、死んでしまいました。
訃報を聞いた親族・友人・同僚・知己の人々は集まって来て、両腕を拡げて泣き叫び、取り乱さずに冷静でいられる者は一人としていませんでした。しかし菩薩である弟だけは、泣きも叫びもせずに落ち着いていました。
それを見た人々は、
「あれをごらんなさい。あの人は実の兄が死んだというのに顔の表情ひとつ変わりません。とても神経が図太くて、親の遺産を独り占めに出来るから、兄が死んだのをかえって喜んでいるのではないかと思えるほどです」
と彼の悪口を言いました。親戚たちも、
「おまえは兄さんが死んだのに涙も流さないのか?」
と非難しました。
菩薩である彼は人々の言葉を聞いて、
「あなた達は自分が愚かであるために、世の中には付きものである八つの事柄(利益・損失・名誉・誹謗・賞賛・非難・楽しみ・苦しみ)もよく理解できず、『愛する人が亡くなった』と泣きます。いずれは、あなたたちも私も死ぬでしょう。人が死ぬことがそんなにも悲しい、悪いことであるならば、あなた方もこれからその悲しい悪いことに必ず出会うでしょう。死んでしまった人のことを無駄に心配するより、自分の身に必ず降りかかってくる死に対して、泣いたりわめいたり悲しがったりした方がよいのではないでしょうか。他人の死を悲しむより『我々も死ぬのだ』と言って自分のことで泣くべきではないのですか。すべての形あるものは、はかなくてとどまることがありません。この法則によれば永遠に続くものなど、ただのひとつもありません。あなたたちは無知であるために泣きますが、なぜ私まで泣かなければならないのでしょうか」
と言って次の詩句を唱えました。
あなたたちは、すでに死んでしまった者のことばかりを悲しみ
これから死んでいく者のことは悲しまない
身体をもつすべてのものは、次々に命を失っていく
神も、人も、四つ足で歩く獣も、鳥の群もとぐろを巻く蛇も
その身体には力がなく
楽しみを追い求めながらも死んでいく
このように変化し定まらない人間の苦や楽に嘆き悲しんでも無益であるのに
何故あなたたちは心をかき乱されるのか
博打打ち・大酒のみ・悪人・愚者・
世渡りの上手い人・戦争に勝つ勇者・心を育てていない人は皆
「世間の法則」を知らないが故に愚者である
と賢者は説く
このようにして、菩薩である資産家の息子は、人々のために教えを説いて、彼らから悲しみを取り除いてやりました。
お釈迦さまはこの物語を説かれて真理を解き明かし、聞いていた資産家は預流果の悟りを得ました。お釈迦さまは、
「その時大勢の人々に法を説いて、悲しみを取り除いた賢者は私であった」
と話を結ばれました。 
 
仲違いの話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、僧団の双璧たる二人の仏弟子について、お説きになったものです。
あるとき二人の偉大な長老は、雨期の間集中して修行に励むために、お釈迦さまの許可を得て人気のない森の中へ入って行きました。すると他人が食べ残した残飯を貰って生活している一人の男が長老たちにはべりつき、二人の住所の近くに居ついてしまいました。男は、長老たちが仲良く暮らしているのを見て、
「こいつらはあまりに仲が良すぎる。こいつらが互いに仲違いするようにしむけて、喧嘩させたらいい気味だぞ」
と考えて、一方のサーリプッタ長老のもとへ行き、話しかけました。
「先生、あなたとモッガッラーナ長老のあいだには、なにか敵対心でもあるのですか?」
「きみ、なんでまたそんなことを聞くのですか?」
「先生、あの人は『サーリプッタなんて、生まれ・家柄・国柄にしろ、知識・学問・洞察力・神通力にしろ、どう頑張っても私にはかなうまい』と、あなたの悪口を言っていました」
これを聞いたサーリプッタ長老は、ニヤリと微笑んで、
「出ていってください」
と言いました。
この残飯貰いの男は、また別の日にモッガッラーナ長老のもとへ行き、まったく同じような話をしました。モッガッラーナ長老もニヤリと微笑んで、
「出ていってください」
と言いました。
その後でモッガッラーナ長老はサーリプッタ長老に会いに行き、尋ねました。
「あの残飯貰いの男は、あなたに何かへんなことを言いませんでしたか?」
「ええ、たしかに言いました。あの男は迷惑ですから追い払ったほうがいですね」
「そうしましょう」
ということで、長老たちは残飯貰いの男に、
「これからは、我々の近くに居ることをお断りします」
と言って、指を鳴らして、
「出ていけ」
と追い払いました。(指を鳴らして追い出す習慣は、日本で言えば塩をまいて追い出す様なものです。)
彼ら二人は、仲良く無事に雨期を過ごすと、お釈迦さまのもとへご挨拶をしに行きました。お釈迦さまは二人を迎え入れると、
「心地よく雨期を過ごせましたか?」
と尋ねられました。二人が例の出来事について申し上げると、
「サーリプッタよ、いまだけでなく過去においてもその者はお前達の仲を裂こうと企てたが、やはり失敗して逃げ去ったのです」
と過去の物語を説かれました。
その昔、バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩は木の精霊として森の中の出来事を見守っていました。その頃、ライオンと虎が森の洞窟の中に住んでいましたが、一匹のジャッカルが彼らにはべりつき、彼らの食い残しを食べて暮らしていました。
残飯を食いながらもだんだん肥え太ったジャッカルは、ある日、
「おれは色々な肉を食べたが、ライオンや虎の肉は今まで一度も食べたことがない。こいつらの仲を裂いて争うように仕向ければ、傷ついて死んだこいつらの肉を食えるだろう」
と考えました。
そこでジャッカルはライオンに「ライオンさん、あの虎は『ライオンなんて、身体の美しさ・大きさにしろ、生まれや力強さや勇気にしても、私の十六分の一にも及ばない』とあなたの悪口を言っていましたよ」
と言いました。しかしライオンは、
「おまえなんか出て行ってしまえ。彼がそんなことを言うはずがない」
と言って、ジャッカルの言葉を全く信じませんでした。仕方なくジャッカルは、今度は虎に同じような話をしました。不審に思った虎はライオンに会って、本当にそんなことを言ったのか?と、第一の詩句を唱えました。
見栄えの良さ・生まれ・体力・攻撃力で
君は私より優れていると告げるのか
これに応えて、ライオンは第二の詩句を唱えました。
見栄えの良さ・生まれ・体力・攻撃力で
君は私より優れていると告げるのか
そのように、ジャッカルに言われた作り話を二人で確かめ合いました。そしてライオンは、第三から第五の詩句を唱えました。
互いに信頼しないならば
友情関係は成り立たない
第三者の話を聞いて信じるならば
友情が破れ、敵意が生じる
分裂の気持ちを抱き
常に相手の短所のみ見る者は
真の友人にならない
母の胸に抱かれている子供のように
友人のことを大事に思うならば
その友情は他人には破ることができない
友情がいかに大事なものかとライオンに教えてもらった虎は、大変感激し、ジャッカルの言葉をライオンに確かめたことを謝りました。
虎とライオンに怒られたジャッカルは、残飯さえも得ず、身の危険を感じ逃げ出しました。その後もライオンと虎はその場所で、仲良く暮らし続けました。
お釈迦さまはこの説法をされて、
「その時のジャッカルは残飯貰いであり、ライオンはサーリプッタであり、虎はモッガッラーナであり、その出来事をまのあたりに見ていた森にすむ精霊は実に私であった」
と過去と現在を結びつけられました。 
 
歩行瞑想の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、サーヴァッティーに住む、ある在家信者について説かれたものです。
彼は預流果の悟りを得た尊い弟子でありましたが、ある仕事のことで、車の隊商の一隊とともに旅をしていました。ある日、森のとある場所で荷物をほどきキャンプを張って一夜を明かすことになったとき、彼は隊商からほど近い樹のそばで歩行瞑想をしていました。
そのとき、五百人の盗賊が、 「キャンプを襲おう」 と弓や棍棒を手に持って様子を窺っていましたが、歩行瞑想を続けている在家信者を見て、 「あれは、キャンプの番人に違いない。彼が眠るまでは手出しは出来ない」 と、あちこちに潜んでいました。
ところが在家信者は、夜の前半にも、中盤にも、後半にも、ずっと歩行瞑想を続けており、ついに夜明けになってしまい、盗賊たちは襲撃をかける機会を失って、武器を捨てて逃げて行きました。
無事に仕事を終えた彼は、サーヴァッティーに帰るとお釈迦さまのもとへ行きました。
「尊師よ、自己を守るということは他を守ることにもなるのでしょうか?」
「ええその通りですウパーサカ(在家信者)よ、自己を守ることが、他をも守ることになり、他を守ることが、自己をも守ることになるのです」
在家信者がまた、
「実に世尊のおっしゃる通りです。私はある隊商とともに旅をしておりましたとき、『自分自身を制御しよう』と思い、樹の下で歩行瞑想を行っていたのですが、そのことが結局は隊商全体を守ることにつながりました」
と言うと、師は、
「ウパーサカよ、以前にも賢者たちは、自分を守ろうとして他をも守ったのです」
とおっしゃって、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩はバラモンの家に生まれました。彼は成人に達したとき欲望に患いがあることを知って、遍歴行者として出家しました。そしてヒマラヤ地方に住んでいましたが、塩や酢が必要になり人里に降りて托鉢したところで、ある隊商に出会って一緒に旅をすることになりました。
ある日、森のとある場所で荷物をほどきキャンプを張って一夜を明かすことになったとき、かれは荷物から遠くない場所で禅定の楽を享受しながら、樹の下で歩行瞑想を行っていました。
すると五百人の盗賊が夕食を食べ終えてやって来て、 「あの荷物を全部盗んでしまおう」 と彼らを包囲しました。
ところが盗賊たちは修行者を見て、 「もしも彼が我々を見つけたら、キャンプしている人々を呼ぶだろう。彼が眠りについたら襲撃をかけよう」 と、そこにとどまっていました。」
しかし、修行者は一晩中歩行瞑想を続けたので、盗賊たちは機会を失い、それぞれ手に手に持っていた石や棍棒を捨てながら、隊商に向かって大声で、
「皆の者よ! もしも今日、このそぞろ歩きをする修行者が樹の下に居なかったら、すべての物が略奪されていたであろう。おまえたちは、この修行者を大いに敬わなければならんぞ!」
と、悔し紛れに叫んで立ち去って行きました。
隊商の人々は朝早く、盗賊たちが捨てていった石や棍棒などを見つけて驚き、恐ろしくなって、菩薩である修行者に近づき礼拝してたずねました。
「尊師よ、あなたは盗賊をご覧になったのですか?」
「ええ見ました」
「尊師よ、あなたはこれらの盗賊たちをご覧になって恐れたり怯えたりはなさらなかったのですか?」
菩薩である修行者は、
「友よ、財産を所有している者は盗賊を見ると恐れを抱きます。しかし、私には財産というものが一切ありません。私には恐れたり、怯えたりする必要はないのです。村に居ても、あるいは森に居ても私には恐れるものもおびえるものもありません」
と言って、彼らのために説法しながら、次の詩句を唱えました。
村に居るときにも憂いがなく
森に居るときにも私には恐れるものがない
慈しみの心と憐れみの心とをもって
まっすぐに梵天に至る道を昇っている
このように菩薩は、この詩句によって法を説き、心を歓喜させている人々に敬われ、命の続くかぎり、四つの崇高な境地である「四梵住」(慈・悲・喜・捨の四無量心)を修習して、梵天の世界に生まれました。
お釈迦さまはこの説法をされて「その時の隊商は仏弟子たちであり、修行者は実にわたくしであった」と過去と現在を結びつけられました。 
 
警告の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、ある警告を発する比丘尼についてお説きになったものです。
彼女はサーヴァッティに住む良家の娘でしたが、出家して受戒していました。しかし、出家してから修行の実践を怠り、食べることに貪欲で、他の比丘尼が行かないような地域にまで托鉢に出かけていたので、美味しい食べ物をお布施してもらうことが出来ていました。
彼女は食べ物の味覚に対する欲望に囚われ、
「もしもあの地域に他の比丘尼たちまで出掛けるようになってしまったら、わたしが受ける供養が減ってしまうでしょう。他の比丘尼たちがあそこに行かないようにしなくては…」
と考え、比丘尼たちに向かって、
「みなさん、あそこはとても危ない場所です。恐ろしい像や、強暴な犬や馬がうろうろしていますから大変危険です。どうか托鉢には行かないで下さい」と警告しました。比丘尼たちは彼女の警告を聞き入れ、一人としてその地域に近づくことはありませんでした。
ある日、彼女がその地域で托鉢をしていて、ある一軒の家に急いで入ろうとした時、一頭の獰猛な羊が襲い掛かってきて、彼女の腿の骨を折ってしまいました。人々は急いで駆け寄ってきて彼女の折れた腿の骨を接いで、床に乗せて比丘尼達のもとへ連れて行きました。比丘尼たちは、
「この人は他の者たちには口うるさく警告しておいて、自分ではその地域に托鉢に行って腿の骨を折られて帰って来たのだそうですよ」 と、嘲笑しました。
そしてこの出来事は僧団全体に広く知れわたってしまいました。
ある日、講堂で比丘達が、
「友よ、警告を発していた比丘尼は、自分では、危険な場所を歩き廻って、恐ろしい羊に腿を折られてしまったのです。」
と彼女の不徳を話し合っていると、そこにお釈迦さまがおいでになり、何を話しているのかをお尋ねになりました。比丘達が答えると、お釈迦さまは、
「比丘達よ、彼女は今だけではなく過去においても警告を発している。しかし自分では実行しないので、いつも苦しみを受けているのだ」 と言って、過去の物語をお説きになりました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は森に住む鳥として生まれました。成長してからは鳥の群れのリーダーとなり、数百という鳥を従えてヒマラヤ地方に入って行きました。
かれらがそこに住んでいたときに一羽の粗暴な牝鳥が、大きな道路まで出ていって餌を求めていました。そこで彼女は道路を走る車からこぼれ落ちた米、豆、果実などを拾って食べていましたが、「この場所に他の鳥が来て餌を横取りされたら困る」 と考えて鳥の群れに対して警告を発しました。
「大きな道路というのは非常に危険です。象や馬を始め、恐ろしい牛が牽く車などが行きかっていて、咄嗟に飛び立つこともできません。そこに行ってはいけません」 と。鳥の群れは彼女にアヌサーシカー(助言師)という名前をつけました。
ある日彼女は、いつものように餌を求めて道路を歩き廻っているとき、猛烈な速度で走る車の音を聞いて振り返ってみましたが、 「まだ大分遠い」 と油断していました。
しかしその車は風のような速度で急近づいてきたので、彼女には飛び立つ暇もありませんでした。それで車は彼女を轢いて行ってしまいました。鳥のリーダーは群れの仲間を召集したときに彼女がいないので、 「アヌサーシカーが見当たらない。彼女を捜しなさい」 と言いました。
鳥たちが捜しているうちに、彼女が道路で二つに切断されているのを見つけて、リーダーに報告しました。鳥のリーダーは、 「彼女は他の鳥たちをとどめておいて、自分ではそこを歩き廻り、二つに切断されてしまったのだ」 と言って、次の詩句を唱えました。
他の鳥には警告を与えながらも
自分では貪欲のために歩き廻っていた
彼女は車に轢かれ
羽を失い、死んでしまった
お釈迦さまは、この話をされて、 「そのときの警告を発した鳥は、この比丘尼であり、鳥のリーダーは実に私であった」 と過去と現在を結びつけられました。 
 
老夫婦の話

 

この物語は、釈尊がサーケータ城近郊のアンジャナ林におられたとき、一人のバラモンについてお説きになったものです。
お釈迦さまが僧団の比丘たちを伴って、サーケータへ入られたとき、サーケータの都に住む一人の年老いたバラモンが、都の外に出ようとしていて内門のところでお釈迦さまと出会いました。
バラモンは足下に跪いてお釈迦さまの足首をしっかりとつかみ、
「これ息子よ、子というものは両親が年老いたら面倒をみて養うものではないのかい! どうしてこんなに長い間、私たちのところへ来なかったんだ? 今日はやっとのことでお前をみつけることができた。家に来てお母さんにも会ってやっておくれ」
と言って、お釈迦さまを案内して家に連れて帰りました。お釈迦さまは家に着いて、比丘たちとともに用意された席に坐られると、バラモンの妻もやってきて、お釈迦さまの足下に跪き、
「こんなに長いあいだ、あなたはどこに行っていたのですか? 両親が年老いたら息子は世話をするものですよ」
と、むせび泣きました。また息子や娘たちを呼んで、
「さあ、ここに来てお兄さんに挨拶しなさい」
と言って、お釈迦さまに対して挨拶をさせました。バラモンの老夫婦は大変満足して多くの布施を喜捨しました。
お釈迦様は食事を終えられると二人のために「老経(ジャラー・スッタ)」(スッタニパータ四ー六)を説かれ、説法が終わったときには二人とも不還果の悟りに達しました。
お釈迦さまは席から立たれると、そのままアンジャナ林にお帰りになりました。比丘達は講堂に集まると、
「友よ、あのバラモンは、お釈迦さまの父君はスッドーダナ王、母君はマハーマーヤー妃であると知っていながら、妻とともに、お釈迦さまを『私達の息子』と呼び、お釈迦さまもそれに同意なさっていた。いったい、これはどういうわけなのだろう……」
と話を始めました。彼らの会話を聞かれたお釈迦さまは、
「比丘達よ、彼らはふたりとも、まさしく自分の息子に対して『息子よ』と呼びかけたのである」
と言って、過去のことを話されました。
「比丘達よ、かのバラモンは昔五百回の生涯のあいだ引き続いて私の父親であり、また五百回の生涯のあいだは叔父であり、また五百回の生涯のあいだは祖父であった。またバラモンの妻も昔五百回の生涯のあいだ引き続いて私の母親であり、また五百回の生涯のあいだは叔母であり、また五百回の生涯のあいだは祖母であった。
かくして私は千五百回の生涯にわたって、かのバラモンの手によって育てられ、千五百回の生涯にわたってバラモンの妻の手によって育てられたのだ」
と、三千回の生涯のことを語られ、次のような詩句を唱えられました。
その人に会えば気持ちが落ち着き
また心がなごむならば
以前に会ったことがなくても親近感を感じる
そのような人には、人は進んで親しむだろう
このように、お釈迦さまはこの説法を取り上げ、過去の生涯と現在を結びつけられました。「そのときのバラモンとバラモンの妻は、やはり現在のあのバラモンの老夫婦であり、息子はじつに私であった」と。  
 
死者への供え物の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、死者への供え物についてお説きになったものです。
その頃人々は、多くのヤギや羊を殺し、亡くなった親族への供え物として捧げていました。比丘達は人々がそういう行いをしているのを見て、お釈迦様に、
「このようなことをして利益があるのでしょうか?」
とたずねました。お釈迦さまは、
「比丘達よ、たとえ死者への供え物であったとしても、生き物を殺したならば、いかなる利益もない。過去においても賢者達が説法をし、ジャンブ洲(インド)の全住民に、このような行為をやめさせたことがある。しかし時が経つにつれ、再びこのような悪習が現れたのだ」
と言われて、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、三つのヴェーダの奥義を究めた一人のバラモンが、
「死者への供え物を捧げよう」
と、一匹の羊を捕らえさせ、弟子達に、
「おい、この羊を川で沐浴させ、首に花環をかけ、神への供え物の印をつけ、飾りたててから連れてきなさい」
と命じました。
彼らが言われたとおりにすると、その羊は自分の前世の行為を見て、
「自分は今日こそ、このような苦しみから逃れることが出来るのだ」
と喜びの心が生じ大声で笑いました。そしてさらに、
「このバラモンは、私を殺すことによって、私が受けてきたような苦しみを得ることなるだろう」
とバラモンに対する憐れみが生じ、大声で泣きました。
それを見ていたバラモンの弟子達は、
「羊よ。なぜ大声で、笑ったり泣いたりしたのか?」
とたずねました。すると羊は、
「その問いは、あなた達の師匠の前でなさって下さい」
と言ったので、彼らは羊を師匠の前に連れて行き、いきさつを報告しました。今度は師匠が、
「羊よ、お前は、なぜ笑ったり泣いたりしたのか?」
とたずねました。羊は前世を思い起こす智慧の力によってバラモンに語りました。
「バラモンよ、私は前世で、あなたと同じく聖典を読誦するバラモンでしたが、死者への供え物を捧げようとして一頭の羊を殺したために、四百九十九の生涯において首を切られました。そして今度が私にとって最後にあたる五百番目の生涯なのです。
この苦しみから逃れられると思うと、喜びが生じ笑ったのです。また、私を殺せば、あなたは以前の私のように今後五百の生涯において首を切られる苦しみを得ることになるだろうと思うと、あなたへの憐れみが生じ泣いたのです」 と。
「羊よ、恐れることはない、私はお前を殺したりはしない」
「バラモンよ、何をおっしゃるのですか?あなたが殺す殺さないにかかわらず、私は今日死から逃れられないようになっているのです」
「羊よ、恐れることはない、私はお前を保護して付き添っていることにしよう」
「バラモンよ、あなたの保護はささやかなものですが、私の犯した悪事は強大なのです」
こうした会話を交わした後、バラモンは羊を解放し、
「この羊を誰も殺してはならないぞ」
と言って、弟子達とともに羊についてまわり保護していました。
羊は、ある岩の頂き近くの茂みに首をもたげて葉を食べ始めましたが、丁度そのとき雷が落ちて、岩の一角が崩れて羊の伸ばした首に落ち、頭を断ち切りました。そこに大勢の人々が集まって来ましたが、その場所に樹の神として生まれていた菩薩は、人々の見ている前で空中に足を組んで坐り
「これらの生ける者たちは、このような悪事のもたらす結果を知るならば、おそらく生き物を殺すことはしなくなるであろう」
と、妙なる声で説法をして、次のような詩句を唱えました。
もし、生きとし生けるものが
「生をもつことは苦しみである」と知るならば
生き物が生き物を殺すことはなくなるであろう
生き物を殺す者は、必ず悲しむことになる
こうして菩薩である樹の神は、地獄に対する畏怖心を起こさせて説法をしました。
人々は地獄の恐ろしさにおびえ、生き物を殺すことをやめました。菩薩は説法をして大勢の人々に戒めを守らせ、業に従って生まれ変わって行きました。人々は菩薩の訓戒を守り、布施などの善行為を行って天界に生まれました。
お釈迦さまはこの物語を話されて、 「そのときの樹の神は実に私であった」 と、説かれました。  
 
王妃とバラモンの話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、欲情についてお説きになっものです。
サーヴァッティに住むある良家の息子が、お釈迦さまの説法を聞き、三宝に帰依して出家しました。彼は、仏道を実践し、修行に励み、瞑想の修習を怠ることはありませんでした。
ところがある日、サーヴァッティで托鉢をしているとき、一人の美しく着飾った女性を見て、瞑想の修習をつい忘れ、「美しい」とじっと眺めてしまいました※1。そのとき彼の心の中に動揺が湧きおこり、樹液を蓄えた樹を斧で切りつけたように、煩悩が湧き出してきました。
彼はそれ以来欲情の虜になり、身体の安らぎも心の安らぎも感じることはなくなりました。(人家に)迷ってきた野獣のように、仏道に興味がなくなり、髪の毛や爪も伸びたまま、まとった衣も汚れたままになってしまいました。
彼の立ち居振舞いの乱れを見た仲間の比丘達は「友よ、君の振る舞いは以前とまったく変わったようですが、どうしたのですか」とたずねました。
彼は「友らよ、私は修行に魅力を感じなくなりました。」と答えたので、比丘達は彼をお釈迦さまのもとへ連れて行きました。
お釈迦さまは
「比丘達よ、どうしてあなた方は無理にこの比丘を連れて来たのか」とたずねられました。
「尊師よ、この比丘は修行に興味を失いました。」
お釈迦さまはその比丘本人に
「比丘よ、それは本当か」とたずねました。
「本当です」
「だれがあなたをそうさせたのか」
「尊師よ、私は托鉢中に冥想の修習を忘れ、一人の女性を『美しい』とじっと眺めてしまいました。そのとき私に欲情がわきおこり、そのために私は修行に魅力を感じられなくなりました」
そこでお釈迦さまは彼に言われました。
「比丘よ、それは不思議ではありません。異性を、瞑想修習の見方を忘れて『美しい』と眺めるならば、煩悩が湧き起こるのです。
昔、五つの神通と八つの禅定を得て、禅定の力によって煩悩を退け※2、清浄な心を持ち、空を飛行することもできた菩薩でさえ、感官の自制を失って異性を眺めたために、禅定を失い、欲情にかられて大きな苦悩を味わうことになりました。
というのは、例えば須彌山を覆すほどの大風が吹けば、象ほどの小さな禿山はひとたまりもない。巨大なジャンブ樹を根こそぎにするような大風が吹けば、崖に生えた小さな潅木は耐えきれない。大海を干乾びさせるほどの大風には、小さな池など相手にはならない。それと同じ様に、最高の智慧をもち、心の清らかな菩薩たちさえも無智な状態にしてしまうほどの強い欲情には、あなたなど、ひとたまりもないのだから、そのことを恥じることはないのです。
心の清らかな者たちでも、欲情を起こすことがあり、最高の名声を得た者たちでも、恥をかくことはあるのです」と言って、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はカーシ国の、ある大富豪のバラモンの家に生まれました。
分別のある年頃になると、あらゆる学芸に熟達し、やがて俗世間を捨て去って出家生活に入り、瞑想を修習し、五つの神通と八つの禅定を得て、禅定の楽を享受しつつヒマラヤ地方で暮らしていました。
あるとき彼は塩や酢を求めてヒマラヤ山から降りバーラーナシーに行き、王家の遊園に一泊しました。翌日彼は身なりを整えて、樹皮で出来た褐色の衣を身に纏い、一方の肩にはカモシカの皮をかけ、髪を丸く束ねて、荷物を担ぐ棒を携え、バーラーナシーを托鉢して廻るうちに王宮の門に到着しました。
王様は彼の立ち居振る舞いを好ましく思い、彼を招いておいしい硬軟の食べ物をご馳走して満足させ、彼が礼を述べたときに、ここに住んでくれるように懇願しました。彼は承諾して、その後はいつも宮中で食事をとり、王家の人々に教えを説きながら、十六年間そこに住みました。
さて、ある日、王は国境で起こった反乱を鎮圧するために出陣することになりましたが、そのとき「ムドゥラッカナー(優相)」という名前の王妃に対し「心を尽くして仙人に仕えなさい」と言い残して、出征の途につきました。王が出立して以降、菩薩である仙人は、自分の気が向いた時刻に王宮に出掛けるようになりました。
そんなある日のこと、ムドゥラッカナー王妃は、菩薩である仙人のための食事を用意させておいてから「今日は尊者の帰りが遅いわね」と思いながら、よい香りの付いた水で沐浴をし、美しく着飾ってから広間へ小さな寝台を用意させ、仙人の来訪を待っていました。仙人もまた時間が遅くなったのに気が着いて、禅定から出ると、空中を飛行して王宮へ向かいました。
王妃は樹皮の衣の音を聞いて「尊者が来られたわ」と急いで起き上がりましたが、彼女があわてて急に起き上がったために絹の上衣が滑り落ちてしまいました。丁度そのとき仙人が窓から入って来ましたが、彼は王妃の美しい体を、瞑想の修習をつい忘れ、じっと眺めてしまいました。
すると彼の心の中に動揺がわきおこり、樹液を蓄えた樹を斧で切りつけたように、煩悩が湧き出してきました。たちまち彼の禅定の力は消滅し、翼を切り落とされた鳥のようになってしまいました。
彼は立ったままで食べ物を受け取りましたが、少しも口をつけられず、欲情にかられながら宮中から退き、遊園に帰りました。そして自分の草庵に入ると、寝台の下に食べ物を放置したまま、異性の体に心を縛り付けられ、煩悩の炎に焼かれながら飲まず食わずの状態で憔悴し、七日のあいだ寝込んでしまいました。
国境での反乱を鎮圧した国王は七日目に帰還し、都を右回りに廻って王宮に帰ってきました。
王は「尊者に会おう」と遊園に出掛け草庵を訪ねましたが、彼が横たわっているのを見て「きっとなにかの病気にかかられたのだろう」と思い、草庵を家来に掃除させてから、彼の足に頭をつけて
「尊者よ、御病気でしょうか」とたずねました。
「大王よ、私は別に病気ではありません。欲情のために心が魅せられてしまったのです」
「尊者よ、あなたの心は何に魅せられてしまったのですか」
「ムドゥラッカナーに対してです大王よ」
大王は「よろしい尊者よ、ムドゥラッカナーはあなたに差し上げましょう」と言って、美しく着飾らせた王妃を仙人に与えましたが、そのときひそかに王妃に「お前は自分の力で尊者を守るように努めなければならない」と指示を与えました。王妃は「わかりました王様、私はあの方をお守りします」と自分の使命を了解しました。
仙人は王妃を貰い受けると王宮から退出し、大門から出ようとしましたが、そのとき王妃が「尊者よ、私達の住む家を一軒、王に要求して下さい」と言ったので、仙人は王のところに舞い戻って行き、家を要求しました。
王は人々が便所として使っていた廃屋を与えたので、仙人は王妃を連れてそこへ行きましたが、彼女はそこに入ろうとはしません。
「何故入らないのですか」
「汚いからです」
「ではどうすればよいのですか」
「綺麗になるように手入れをして下さい」
ということで、王妃は「さあ鍬を持ってきなさい。籠も持ってきなさい」と、また仙人を王のところに行かせ、汚物とガラクタを捨てさせ、牛糞を運ばせて壁に塗りこめさせました。
それが済むとまたまた仙人を王のところに行かせ「さあ寝椅子を運びなさい。次は腰掛けを運びなさい。次は敷物。今度は壷を運びなさい。瓶を運びなさい」と何度も何度も命令をしながら、ひとつひとつを運ばせました。さらに王妃は彼に命じて、瓶を使って水を運ばせ、壷を満たして水浴の用意をさせ、寝床を敷かせました。
そして彼らが一緒に寝床に坐ろうとしたときに、王妃は仙人の鬚をつかんで
「あなたは自分が修行者であり、バラモンであることを忘れてしまったのですか!」
と言って、自分の方へ仙人の顔をぐっと引き寄せました。
そのとき彼は正気を取り戻しました。それまでのあいだ、彼は無智なものになっていたのでした。
正気を取り戻した彼はこう考えました。「この愛執は増大すれば、私を四悪趣(畜生・餓鬼・修羅・地獄)に堕とし、頭をあげることも出来なくさせる。いまこそ私はこの王妃を王に返し、ヒマラヤ山に入るべきである」と。
彼は彼女を連れて王のところへ行き「大王よ、私にはあなたの王妃はもう必要ありません。私には愛執が増大するだけのことでした」と言って、次の詩句を唱えました。
ムドゥラッカナーを得る前には
欲望はただ一つだけであった
つぶらな瞳の彼女を得てからは
欲望が欲望を生むことになった
そのとき菩薩である仙人は、かつての神通や禅定を取り戻し、天空に坐って説法をして王に訓戒を授け、ヒマラヤ山に向かって飛行して行き、二度と再び人里へは出て来ませんでした。
その後彼は、清浄な行を修め禅定を失うこともなく、遂に梵天界に生まれました。
お釈迦さまは、この話を終えると「四聖諦」を解き明かされ、それを聞いたかの悩める比丘は、預流果の悟りに達しました。
そしてお釈迦さまは、過去と現在を結び付けられて「そのときの王はアーナンダであり、王妃はウッパラヴァンナー、そして仙人は実に私であった」と説かれました。
  
白髪の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、大いなる世俗離脱(俗世間の欲を離れ、修行によって到達する離欲・解脱の境地)について語られたものです。
そのとき比丘たちは、十種の力を備えた方であるお釈迦さまの世俗離脱を賞賛しながら、講堂に坐っていました。すると尊師お釈迦さまがその講堂に来られ、ご自分の席にお坐りになって、比丘たちに話しかけ、「比丘たちよ、ここに集ってどんな話をしていたのですか」とお尋ねになりました。
「尊師よ、ほかの話ではございません、あなたさまの世俗離脱を賞賛しながら、ここに集っていたのです。」
「比丘たちよ、如来が世俗離脱したのは、何も今だけに限ったことではなく、過去においてもやはりそうであった。」
比丘たちはその内容を説き明かしてくださるよう尊師に懇願したので、お釈迦さまは前世に隠された経緯を語られました。
その昔ヴィデーハ王国のミティラーの都に、マカーデーヴァという王様がいましたが、彼は理法にかなった正義の王でした。
彼は八万四千年の間、王子としてふるまい、次の八万四千年は副王として国を治め、また次には大王として統治して、長い年月を過ごしてきましたが、ある日理髪師に向かって、「なぁ理髪師よ、もしも私の頭に白髪を見つけたら、そのときは私に知らせてくれ」と言いました。
理髪師もまたともに長い年月を過ごしたある日、王様の黒々とした髪の中に一本の白髪を見つけて、「王様、一本の白髪が見えます」と告げました。「ではお前、その白髪を引き抜いて、私の手の上に置いてくれ」と命じられたので、理髪師は黄金の毛抜きでそれを引き抜いて、王様の手の上に置きました。
そのとき王様にはまだ八万四千年の寿命が残っていました。そうではあったけれども、王様は白髪を見ただけで、死王が近づいて来て側に立っているような、また自分が燃えさかる草庵に入り込んだような心地がして恐怖に陥り、「愚かなマカーデーヴァよ、白髪が生えるまで、この煩悩を断とうとすることをしなかったとは」と考えました。彼がこのように、白髪が生えたことについて考え抜いているうちに、その体内には熱が生じ、体からは汗が流れ、衣服はべったりと体にまとわりついて脱がずにはいられない状態になってしまいました。
王様は、「今こそ私は、世俗的なことから離れて、出家するべきだ」と考えて、理髪師に十万金の収益を得られる良い村を与え、長男である王子を呼び寄せ、「なぁお前、私の頭には白髪が生えた。私は年老いた。それに、人間的な快楽はすっかり享受してしまった。今となっては天上の楽しみを求めようと思う。今は私が世俗から離脱する絶好の機会なのだ。お前はこの王位を引き継ぎなさい。私は出家してマカーデーヴァ・マンゴー樹林の遊園に住んで修行者の道を実践しようと思う」と言いました。彼がこのように出家の決意を固めていると、大臣たちがやって来て、「王様、あなたさまが出家なさる理由は何なのですか」と尋ねました。
王様は白髪を手に取って、大臣たちに向かい、次の詩句を唱えました。
寿命を蝕むこの白髪が
私の頭に生じた
天使が現れた(※)――出家の時が到来した
王様はこのように唱えると、その日のうちに王位を退き、出家して仙人となり、例のマカーデーヴァ・マンゴー樹林の遊園に住んで、八万四千年の間、崇高な境地である「四梵住」(慈・悲・喜・捨の四無量心)を修習して、退くことのない禅定に入りました。死後は梵天界に生まれてから、さらにそこから転生して、同じミティラーの都でニミという王様となり、衰退していた自分の一族を再興した後、同じマンゴー樹林の遊園に出家して住み、「四梵住」を修習して再び梵天界に達しました。
お釈迦さまは、「比丘たちよ、如来が世俗離脱したのは、何も今だけに限ったことではなく、過去においてもやはりそうであった」と以上のように説示されてから、四聖諦を説き明かされました。そこで、ある者は「預流果」の悟りに達し、またある者は「一来果」の悟りに達し、またある者は「不還果」の悟りに達しました。
こうしてお釈迦さまは、これらの説法を終えられると、連結をとって過去を現在にあてはめられました。
「そのときの理髪師はアーナンダであり、長男である王子はラーフラであり、そしてマカーデーヴァ王はじつに私であった」と。  
 
名馬の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、精進することをやめてしまった一人の比丘について語られたものです。
そのとき、お釈迦さまはその比丘に語りかけられ「比丘よ、過去において賢者たちは、絶望的状況にあっても精進を失わず、傷を負っても決して断念することはなかった」と言って過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はシンドゥ産の名馬の血統に生まれ、身にあらゆる装飾を施されて、王様の吉祥馬となっていました。かれは十万金の価値を持つ黄金の器で、さまざまな最高の美味を添えた三年越しの米飯を食べ、四種の香料が塗られた地面に立っていました。その住みかには紅色のウールの幕が巡らされ、上部には黄金の星飾りが散りばめられた天幕があり、香草の環や、花の環が束ねられ、香油の灯火がたえることなくともされていました。
ところで、そのころの国々の王たちで、バーラーナシーの国土を欲しがらない者はいませんでした。あるとき七人の王たちがバーラーナシーを包囲して、「われわれに王国を引き渡せ、さもなくば戦争だ」という書状を王様に送りつけました。王様は大臣たちを召集して事態を説明し、「我々は今どうするべきだろうか?」と相談しました。「王様、最初からご自身で戦いに出るには及びません。まずは騎馬隊を遣わして戦いをさせるのがよろしいでしょう。もしそれが成功しなければ、また私達が次の策を考えましょう」と大臣たちは答えました。
王様は騎馬隊の司令官を呼び寄せて、「そなたは七人の王と戦うことができるか」とたずねました。「王様、あのシンドゥ産の名馬を頂ければ、七人の王はもちろんのこと、ジャンブ洲(インド)全土の王と戦うことができます。」「よろしい、シンドゥ産の名馬であろうと、他のものであろうと、必要ならば何でも投入して戦ってくれ。」「かしこまりました王様。」と、騎士は王様に敬礼して宮殿から退出しました。そして、あのシンドゥ産の名馬を連れてきてきてもらい、充分に武装させてから自分もあらゆる武具を身につけて剣を持ち、馬の背に跨ると堂々した姿で都を出ました。
彼らは電光のように駆け回り、一番目の要塞を打ち破って一人目の王を生け捕りにすると、都に戻って味方の軍勢に引渡し、再び出ていって第二の要塞を打ち破り、次には第三の…という具合にして五人目までの王を捕らえました。ところが六番目の要塞を打ち破って六人目の王を捕らえたときに、馬は負傷してしまいました。血が流れ、きびしい痛みが彼を襲いました。それに気付いた騎士は、馬を王宮の門のところに横たえさせ、武装をゆるめて別の馬に武装をさせ始めました。
菩薩である名馬は脇腹を下にして横たわったまま、両眼を見開いて騎士を見つめ、「彼は他の馬を武装させているが、あの馬では七番目の要塞を打ち破って七番目の王を捕らえることはできないだろう。私がここまでなしとげた仕事は無に帰するし、比類のない騎士も失われ、王様も敵の手中に落ちるだろう。七番目の要塞を打ち破って七番目の王を捕らえることを可能にするのは、私をおいて他にはあるまい」と考え、横たわったままで騎士を呼び寄せて、「わが友である騎士よ、七番目の要塞を打ち破って七番目の王を捕らえることのできる馬は、私をおいては他にいません。私は自分のなしとげた仕事を無にしたくはありません。どうぞこの私を立たせて武装して下さい」と言って、次の詩句を唱えました。
たとえ矢に射抜かれて
脇を下にして横たわっていても
名馬は駄馬より優れている
御者よ、この私にこそ馬具をつけなさい
騎士は菩薩である馬を立たせ、傷口を縛って充分に武装をさせてその背に跨り、七番目の要塞を打ち破って七番目の王を捕えて王様の軍勢に引き渡しました。大臣たちが馬を王宮の門のところへ連れて来ると、王様は彼を見ようとして出て来られました。大士(偉大な人)である名馬は王様に言いました。「大王様、七人の王たちを殺してはなりません。誓いを立てさせて釈放して下さい。私と騎士とに与えられる栄誉は、この騎士だけに授けて下さい。七人の王を捕らえて引き渡した勇者をないがしろにしてはよくありません。またあなたは施しをおこない、道徳を守り、公正で平等に王国を治めて下さい」このように、菩薩である名馬が王様に訓戒を与えていると、大臣たちは彼の武装を解きはじめました。
彼は、武装がつぎつぎに解かれていくうちに、その場で息絶えました。王様は彼の葬儀を行わせ、騎士には多くの栄誉を与え、七人の王たちには今後ふたたび謀反を起こさないことを誓わせて、それぞれの国に送り返しました。そして、正義によって公正で平等に王国を治め、命が終わるときにはその業に従って生まれかわっていきました。
お釈迦さまは、「比丘よ、このように過去において賢者たちは、絶望的状況にあっても精進を失わず、傷を負っても決して断念することはありませんでした。ところがそなたは、このように生死を繰り返す迷いの境涯から世俗離脱する教えのもとに出家しておりながら、どうして精進することを断念するのか」とおっしゃって、四聖諦を説かれました。真理の説法が終わると、精進を失っていた比丘は阿羅漢の悟りを得ました。
師であるお釈迦様はこの説法を取り上げ、連結をとって過去を現在にあてはめられました。「そのときの王様はアーナンダであり、騎士はサーリプッタであり、シンドゥ産の名馬はじつに私であった」と。  
 
吐き出した毒の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、ダンマセーナーパティ(法将)サーリプッタ長老について語られたものです。
ある日、サーリプッタ長老が食事をとられるとき、人々は(尊者に差し上げるために)(※1)沢山の「ピッタカーダニヤ(米粉で作る菓子)」(※2)を持って、精舎へやって来ました。一団の比丘たちがこれを食べ終わってからも、まだ沢山残っていました。人々は、「それでは、村へ托鉢に出掛けておられる方々の分として、取っておいて下さい」と言いました。
ちょうど、サーリプッタ長老の年少の弟子が一人、村のへ出掛けているところでした。彼の分を取っておくことにしましたが、なかなか帰って来ません。「正午が来てしまう」(※3)と、比丘たちはその菓子を長老にすすめました。長老がそれを食べ終わったとき、年少の弟子が帰って来ました。
長老が、「私たちは、君のために取っておいたお菓子を食べてしまったよ」と言いました。
すると彼が、「尊師よ、美味しい食べ物は、だれにとっても嬉しいものですね」と腹いせに言ったので、大長老はそれに動揺しました。(※4)
そして長老は、「私は今後、菓子は食べまい」と決心しました。(※5)
それ以来、サーリプッタ長老は、決して菓子を食べませんでした。長老が好物の菓子を食べないということが、やがて僧団のあいだに知れわたりました。
比丘たちは、その話をしながら講堂に一緒に坐っていました。そのとき、お釈迦さまは、「比丘たちよ、そなたたちは、いまどのような話をして一緒に坐っているのか」と尋ねられました。比丘たちが、「このような話でございます」と答えると、お釈迦さまは、「比丘たちよ、サーリプッタは、一度捨てたものは命を落とすことになろうとも、二度と再び受け取らないのです」とおっしゃって、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、解毒に巧みな医者の家に生まれ、医療によって生計を立てていました。
そのとき、一人の田舎者が蛇に噛まれました。彼の親類の人たちは大急ぎで、菩薩である医者を呼んで来ました。医者は、「さて、薬をつけて毒を消しましょうか。それとも噛みついた蛇を呪文の力で呼び寄せて、噛んだところから毒を吸い出させることにしましょうか」(※6)と尋ねました。親類の人たちは、「蛇を呪文で呼んで、毒を吸い出させてください」と言いました。
医者は、蛇を呪文で呼び寄せると、「おまえが、この人を噛んだのか」と聞きました。蛇は、「そうだ、私だよ」と答えました。医者は、「おまえが噛んだところから、口で毒を吸い出しなさい」と要求しましたが、蛇は、「私は、一度吐き捨てた毒を、ふたたび吸い取ったことなど未だかつて一度もないよ。自分が吐き捨てた毒を吸い出すつもりなんかない」と拒否しました。
そこで、医者は薪を持って来させ、火をつけて言いました。「もし、おまえが自分の毒を吸い出さないなら、この火の中に放り込むぞ。」すると、蛇は、「たとえ火に入ることになっても、自分が一度吐き捨てた毒を吸い戻しはしないよ」と言って、つぎのような詩句を唱えました。
わが身を守るために毒を吐き出した
その毒をまた吸い戻すとは、
なんとおぞましい
そこまでして生きるより、
いっそ死んだほうがましだ
このように唱え、蛇は火の中に飛び込もうとしました。そこで、医者は蛇をおしとどめ、薬と呪文によって患者の毒を除いて治療し、蛇には戒めを授けて、「これからは、だれも害してはなりません」と言って、放してやりました。
お釈迦さまは、「比丘たちよ、サーリプッタは、一度捨てたものは、命を落とすことになろうとも、ふたたび受け取らないのです」とおっしゃって、この説法を取りあげ、連結をとって、過去を現在にあてはめられました。「そのときの蛇はサーリプッタであり、そして医者は実にわたくしであった」と。  
 
不吉な友人の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、アナータピンディカ(給孤独)長者の、ある友人について語られたものです。彼はアナータピンディカ長者と幼馴染みで、同じ師のもとで学芸を修得しましたが、その名を「カーラカンニ(不吉)」といいました。
のちに彼の暮らしむきは困窮して生計が成り立たなくなり、友情を頼って長者のもとにやって来ました。長者は彼を慰め、給料を支払って自分の資産を管理させました。彼は長者の補佐役となって、あらゆる仕事を切り盛りするようになりました。
彼が長者のもとにやって来てからは、人々は彼を「不吉 君」と呼ぶはめになりました。「不吉、いらっしゃい」「不吉、座りなさい」「不吉、入りなさい」というふうに、声をかけていました。長者の資産管理責任者になりましたから、一日中「不吉、不吉」という声が聞かれるようになりました。
ある日、長者の友人たちが長者のもとにやって来ました。家中「不吉、不吉」という言葉が響くのを聞いて、長者にこのように言いました。「大長者よ、彼をあなたの近くにおくのはおよしなさい。一日中『不吉、不吉』という声を聞いたら、あなたは幸福になるどころか、人に不幸を招く鬼さえも怯えて逃げるでしょう。あなたと同格の人間でもないのに、なぜ同格に扱っているのでしょうか。しかも、名前まで『不吉』です。」アナータピンディカは、「名前は単なる呼び声です。賢者は名前でその人の価値を判断したりはしないものです。音で、吉凶を判断する迷信はよくありません。私は、呼び名のせいで竹馬の友を見捨てることなど出来ません」と言って、彼らの忠告を聞き入れませんでした。
ある日、長者は自分の所有している村に行くことになりました。そのとき、「不吉」に家の留守番をまかせて出掛けました。
盗賊たちは、「長者は村に出掛けたようだ。彼の家に盗みに入ろう」と、いろいろな武器を携え、夜の闇に乗じてやって来て、家を取り囲みました。カーラカンニは、盗賊たちがやって来るのではないかと心配して、眠らずに坐っていました。彼は、盗賊たちがやって来たことを知って、人々を目覚めさせるために、「おまえは法螺貝を吹け。おまえは太鼓を打ち鳴らせ」と、まるで大勢の人々を召集するかのように、一人で大声をあげて家中を歩き回りました。盗賊たちは、「家に誰もいないというのは、我々の聞き違いで、ここには大長者がいるのだ」と、石や棍棒を捨てて逃げ去りました。
あくる日、人々はあちらこちらに捨てられている石や棍棒を見て震え上がり、「もしも今日、このように賢明な家の番人がいなかったなら、盗賊たちが思いのままに入って来て家中のものを盗んでしまっただろう。この賢い友人のおかげで、長者の家は無事だったのだ」と、彼を褒め称え、長者が村から帰って来たときに、すべての出来事を残らず話しました。そこで長者は彼らに言いました。「おまえたちは、このように私の家を守ってくれる友を、前には追い出そうとしたが、もしもそのとき、おまえたちの言葉に従って、私が彼を追い出していたなら、今日、私の家の財産は何も無くなっていたであろう。名前が判断の基準ではなく、有能な心が基準なのである」と。
そして、彼に今まで以上の給料を与えてから、「このような良い話は、説法の種になるだろう」と思って、お釈迦さまのもとに出掛けて行き、この出来事の一部始終を告げました。
お釈迦さまは、「長者よ、“不吉”という名前の友人が、自分の友の家の財産を守ってあげたのは、今だけのことではない。以前にもそうであった」と言って、長者に請われるままに過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、偉大な名声のある長者でした。そして、彼のカーラカンニという名の友人が、前に述べたのとまったく同じような行為をしました。菩薩である長者は、自分の所有している村から帰って来て、その出来事を聞き、「もしも私が、おまえたちの言葉に従って、このような友を追い出していたなら、私の財産は何一つ無くなっていただろう」と言って、次のような詩句を唱えました。
共に七歩歩けば知り合いになる
十二歩歩けば同僚である
一月、半月一緒に過ごせば、
親族にも等しく
それ以上一緒に過ごせば、
自分自身と同等になる
それなのに、長年共に過ごしたこの「不吉」を、
己のために捨てられるものでしょうか
お釈迦さまは、この説法を取り上げ、連結をとって過去を現在にあてはめられました。「そのときのカーラカンニはアーナンダであり、バーラーナシーの長者は実にわたくしであった」と。
  
和合の話

 

この物語は、釈尊がカピラヴァストゥの近郊にあるニグローダ樹林に滞在しておられたときに、親族の仲たがいについて語られたものです。
そのとき、お釈迦さまは親族の人々に向かい、「大王らよ、親族の間で互いに言い争うことは好ましいことではありません。畜生に生まれた者たちでさえ、前世において、結束していたときには敵を打ち破りましたが、口論を起こしたときには、大きな破滅に陥ったのです」とおっしゃって、王家の一族の人々から請われるままに、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、ウズラの胎内に宿って生まれ、何千羽ものウズラを従えるリーダーとして、森に住んでいました。そのとき、一人の猟師が彼らの住んでいるところへ行っては、ウズラの鳴きまねをして彼らを誘い出し、その上に網を投げて端から引き絞って、みな一まとめにして籠につめ込み、家に帰るとそれらを売り、その代価で生活を営んでいました。
ある日のこと、菩薩であるリーダーは、群れのウズラたちに言いました。「あの猟師は、われわれの親族を破滅に陥れている。しかし私はあの男がわれわれを捕らえられないようにする方策を一つ知っている。これからは、あの男が君たちの上に網を投げたら、すぐに各自それぞれの網の目に頭を入れて、網を持ち上げて運び、イバラの茂みに投げかければいい。そうすれば、下を通ってめいめいの場所から逃げ出せるだろう。」彼らはみな、「わかりました」と答えました。
次の日、猟師に網を投げられると、彼らはリーダーに言われた方法の通りに網を持ち上げ、イバラの茂みに投げかけて、自分たちは下の方を通って、そこから逃げ出しました。猟師は、茂みから網をはずしているうちに夜遅くなってしまい、仕方なく手ブラで帰りました。その翌日からも、ウズラたちはその方法を続けました。猟師は、日が暮れるまで網をはずすことばかりで、何も得られないまま帰宅しました。
そこで、かれの妻は腹を立てて、「あんたは毎日手ブラで戻って来るけれど、きっと他のところにも、養わねばならない者がいるのでしょう」と言いました。猟師は、「俺には、他に養わねばならないところなんかないよ。あのウズラどもが、結束して行動するんだ。おれが網を投げると、すぐそれを持ってイバラの茂みに投げかけて行ってしまう。だがあいつらが、ずっと和合して暮らすことはきっとないだろう。おまえは心配することはない。いつかきっとあいつらは争いを起こすだろう。そのとき、あいつらを全部捕まえて来て、おまえを喜ばせてやるよ」と言って、妻に対して次のような詩句を唱えました。
和合している鳥たちは、
掛けられた網を持って逃げ去る
和合を壊し、争うことになる日は
皆私の餌食になるのだ
数日後、一羽のウズラが餌場に降りようとして、うっかり他の者の頭を踏んでしまいました。相手は、「わたしの頭を踏んだのはだれだ」と腹を立てました。「ついうっかり踏んでしまっただけだ。怒りなさんなよ」と謝りました。
(でも、踏まれたほうの気持ちは治まりませんでしたので、さらに怒りの言葉を浴びせました。「謝ったら許してくれるのは自然な行為ではないか」と思った頭を踏んだほうの鳥は、その言葉にまた怒ってしまいました。それで二羽が「頭を踏んだおまえが悪い」「いいえ、素直に謝っても許してくれないおまえの方がもっと悪い」と口論を始めました。この喧嘩の火種は周りの鳥たちにも飛び火して、群れの鳥たちを二分した大きな争いに発展してしまいました。)
鳥たちが何度も言葉を交わしているうちに、「へえっ、おまえたちだけで網を持ち上げているというような口ぶりだな」という言葉が発せられるところまで口論が発展しました。
かれらが口論をしているとき、菩薩であるウズラは考えました。「言い争いをする者に安全はない。今に彼らは網を持ち上げなくなり、そのために大きな破滅に陥るだろう。猟師は捕獲の機会を得るだろう。私はこのような場所にいてはいけない」と。彼は、自分の仲間(の中で喧嘩に参加しないで落ち着いている鳥たち)を連れて、よそへ去って行きました。
猟師は、数日後にやって来て、ウズラの鳴きまねをし、かれらが集まって来たとき、上に網を投げました。すると、一羽のウズラが、「おまえが網を持ち上げるときには、頭の毛が落ちるそうだぞ。さあ持ち上げてみろ」と罵りました。他方は、「おまえが網を持ち上げるときには、両の翼の羽根が落ちるそうだぞ。さあ持ち上げてみろ」と言い返しました。こうして、彼らが、「おまえが持ち上げてみろ」と言い合っているうちに、猟師が網を持ち上げ、彼らをみな一まとめにして籠につめ込み、妻を喜ばせようと家に帰りました。
お釈迦さまは、「大王らよ、このように、親族間の言い争いは好ましいものではありません。仲たがいは破滅のもとです」と、この説法を取り上げ、連結をとって過去を現在にあてはめられました。
「そのときの愚かなウズラはデーヴァダッタであり、そして、賢明なウズラは実にわたくしであった」と。
【注】……文中の( )内の文は、「ジャータカ」原典にはありませんが、内容を解りやすくするために補ったものです。  
 
他者を潤した修行者の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、務めに励むあるバラモンについて語られたものです。
彼はサーヴァッティーに住む良家の息子でしたが、教えに深く帰依して出家し、修行者が行うべき日常の作業においてよく気がついて励むものとなりました。
阿闍梨や和尚などのための務め、飲食物や斎戒室、火舎などの務めを、実によく果たしました。また十四の大行や、八十の分行についても完全に行じていましたし、精舎を掃除し、さらに僧房、回廊、精舎まで通じる道をも掃除しました。また人々に飲み物を与えたので、人々は、彼の務めに励む姿を喜んで、五百人分ほどの食べ物を時期を定めて供養しました。多くの供物と尊敬が生じたのです。彼一人のおかげで、多くの人々が楽に暮らせるようになりました。
ある日、比丘たちが説法場でこの件について話を始めました。「友よ、かの修行者は自分の務めに励んでいるので、多くの利益と尊敬とが生じました。彼一人のおかげで、多くの人々が楽に暮らせるようになりました」と。師がおいでになって、「比丘たちよ、ここに集まって何を話しているのか」とお尋ねになったので、「これこれのことです」と答えると、「比丘たちよ、この修行者が務めに励むのはいまだけではない。以前にもこの人一人のお陰で、果物を求めてやって来た五百人の仙人が、彼が得た果物で命ながらえたことがあった」と言って、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩は、西北地方の高貴なバラモンの家に生まれ、成長してから、仙人として出家し、五百人の仙人に伴われて山の麓に住んでいました。
その頃、ヒマラヤ地方はひどい干ばつにみまわれ、あちこちで飲み水が涸れてしまいました。動物たちは飲み水が得られなくて困り果て、渇きのために死にそうになっていました。
すると、その苦行者たちの中の一人が、動物たちの渇きを知って、一本の樹を切り倒して、桶を作りました。そして穴を掘って井戸を作り、その水を汲んで桶に満たし、彼らに飲み水を与えました。多くの動物たちが集まって来て水を飲んだので、苦行者は果物を採りに行く暇がなくなってしまいましたが、彼はそれでも食べずに水を与え続けました。
動物の群れは考えました。「彼は、わたしたちに水を与えるために、果物を採りに行く暇がない。空腹のために非常に疲れている。さあ、わたしたちは、計画を立てようじゃないか。」彼らはつぎのように計画を立てました。「これからは、水を飲むためにやって来る者は、自分の力に応じた果実を持って来なければいけない」と。
それ以来、動物たちは、それぞれ自分の力に応じて、甘い甘いマンゴー、野バラの実、パンの樹の実などを持ってやって来たので、一人のためにもたらされた果物が、牛車二台半ほどの荷になってしまいました。五百人の苦行者たちがこれを食べても、残りをたくさん貯蔵出来るほどでした。
菩薩である仙人はそれを知って、「一人の人が務めに励んだおかげで、このようにおおくの苦行者たちのために果物が集められ、日々の営みが出来ました。精進こそなすべきことです」と言ってから、次の詩句を唱えました。
人たるものは、精進するべきである
賢者は、倦怠することがない
見よ、精進するものの成果を
求めようとしなかったのに
マンゴーを御馳走になっている
このように、菩薩である偉大な人は、仙人の群れに訓戒を与えました。
お釈迦さまはこの説法をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの務めに励んだ苦行者は、今の修行者であり、彼ら五百人の指導者である仙人は実にわたくしであった」と。  
 
愚か者の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、ラールダーイ長老について語られたものです。
彼は法話を語るとき、その場に相応しい法を選ぶことが出来ませんでした。おめでたいときに、死者を供養する法要で使う経典で説法をしたり、人の葬式に参加したときに、人間にとって幸福とは何か…という経典に基づいて延々とおめでたい話ばかりしたりしました。
そこである日、説法場において比丘たちは、「友よ、ラールダーイは説法するときはあまりにも見当違いの説法をするのだ」と話し始めました。するとお釈迦さまがおいでになって、「比丘たちよ、ラールダーイが愚鈍で、話をするのに相応しいことも相応しくないことも判らないのは今だけではなく、以前にもそうであった。彼は実に常に愚か者である」と言われて、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、裕福なバラモンの家に生まれて成長し、タッカシラーで一切の技芸を身につけ、バーラーナシーで四方に名の広まった先生として五百人の若いバラモンに技芸を教えていました。そのとき、彼ら若者たちのうちに、一人愚かで智慧の劣った若者がいました。何も習得することが出来ず、下僕のように菩薩である先生の身のまわりの仕事をしていました。
さてある日、先生は夕食をすませてから、寝床に横たわりました。その若者が先生の手と足とを揉み、香油を塗って帰ろうとしたところ、先生は、「寝床の足に支えをして帰りなさい」と言いました。そして、先生が朝起きて、傍に座っている彼を見て、「一体何をしているのか」と尋ねました。「先生、寝床の支えが見つからなかったので、自分の腿で支えて坐っていたのです。」先生は驚きました。「ああ、私の弟子の中で、この人は最も知能が低いのだ。何とかして技能を会得するようにしなくてはならない。」
そのとき、彼はこのように考えました。「私はこの若者が薪とりや木の葉集めに行って帰って来たとき、『今日おまえは何を見て、何をしたか』と尋ねよう。すると『今日私はこのようなものを見て、このようなことをしました』と答えるだろう。そうしたら、彼に『お前が見たりしたことはどのようなものか』と尋ねると、彼は『このようなものです』と、譬えや原因をもって、語るだろう。このように次々に新しい譬えや原因を話させていれば、その方法で学ばせることが出来るだろう」と。「若者よ、今日から、薪とりや木の葉集めに行ったところで、おまえが見たこと、貰ったもの、飲んだもの、食べたものがあれば、帰って来てからそれを私に話して聞かせなさい。」彼は、「かしこまりました」と承諾しました。
ある日、彼は若者たちとともに薪とりに森のなかに行ったときに蛇を見たので、帰って来て、「先生、私は蛇を見ました」と言いました。「それでは、蛇とはどのようなものか。」「蛇は、鋤の柄のようなものです。」「よく出来た。お前の譬えは、よく出来ている。蛇というのは、たしかに鋤の柄のようなものである。」そこで菩薩は、「うまく譬えが言えたから、見こみがあるかもしれない」と考えました。若者は、別の日に森のなかで象を見たので、「先生、私は象を見ました」と言いました。「象とは、どういうものか。」「象は、鋤の柄のようなものです。」先生は、「象の鼻は、鋤の柄のようで、牙もまたそのとおりである。彼は、詳しく語れなくて鼻や牙に限定して言えなかったのだろう。」と、何も言わずにいました。
またある日、招待されて氷砂糖を食べたので、「先生、今日私は氷砂糖を食べました。」「氷砂糖とはどんなものか。」「氷砂糖は、鋤の柄のようなものであります。」先生は、「少しはそのように見えなくもない」と黙っていました。またある日招かれて、果糖と凝乳を牛乳と共に飲みました。彼は帰って来て、「先生、今日私は、凝乳と牛乳と果糖を飲みました」と言って、「それはどのようなものか」と問われると、「鋤の柄のようなものです」と答えました。
先生は、「この若者が、蛇は鋤の柄のようであると言ったときにはうまく言えたと思った。また象が鋤の柄のようであると言ったときにも、鼻か牙なら似ていると思った。氷砂糖が鋤の柄のようであると言ったときも、ほんの少しは似ていると思ったが、しかし、凝乳と牛乳とは、入れられた容器の形そのものになる。ひとつの譬えを、すべての場合にあてはめることは不可能である。この愚か者を指導することはとうてい出来ない」と思って、次の詩句を唱えました。
人たるものは、精進するべきである
言葉の適用範囲は限られている
愚か者はひとつの言葉を
全ての場合に当てはめようとする
彼には、凝乳も鋤の柄も区別がない
お釈迦さまはこの説法をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの愚か者はラールダーイであり、四方に名の通った先生は実にわたくしであった」と。
 
善い評判のお陰で悟った資産家の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、一人の耳の遠い姑について語られたものです。
サーヴァッティーのある資産家は、信心深く、心清らかで、三宝に帰依し、五戒を守って暮らしていました。
彼はある日、沢山のバターや薬品類、それに花、香、衣服などを携えて、「ジェータ林のお釈迦さまのもとに行って、説法を聞こう」と出掛けて行きました。彼がそこに出掛けて行ったとき、資産家の姑(妻の母親)が食べ物を持って娘に会いに家にやって来ました。彼女は、少し耳が遠い人でした。彼女は、娘とともに食事をしましたが、少し眠くなったので、眠気を吹き飛ばそうとして、娘にこう問いかけました。「どうだいお前、旦那とは仲睦まじく幸福に暮らしているかね。」娘は、「お母さん、何をおっしゃるのですか。あなたの婿殿のように戒と行を備えた、そんな人は出家者の中でも見つかりませんよ」と答えました。
ところが母は、娘の言葉をはっきりと聞きとれず、「出家者」ということばだけを捕らえて、「なんだって! おまえの主人は、どうして出家したんだい」と大声を出しました。
その声を聞いた家の使用人たちは、「私たちの家の御主人様が出家したそうですよ」と号泣して大騒ぎになりました。その声を聞いた通り掛りの人々は、「一体これはどういうことなのですか」と尋ねました。家の者は「この家の主人が出家したというのです」と答えてしまいました。
張本人である資産家はまた、お釈迦さまの説法を聞き終わると、僧院から出て来て町に入りました。すると、途中で一人の男が彼を見て、「旦那、あなたは、出家されたそうですね。あなたの家では、お子さんや奥さん、それに使用人たちが泣いておりますよ」と言いました。
そこで彼はこう思いました。「彼は、出家してもいない私を、出家したと言っている。私のもとにやって来た善い評判の邪魔をしてはいけない。今日こそ私は出家しなければならない」と、そこから戻って再びお釈迦さまのもとに行きました。
お釈迦さまが、「ウパーサカ(在家信者)よ、たった今私の説法を聞いて帰って行ったのに、今またやって来たのはどうしてなのか」とお尋ねになったので、一部始終を語って、「尊師よ、自分のところにやって来た善い評判を、妨げてはいけないのではありませんか。だから出家したいと思ってやって来たのです」と言いました。
そして彼は出家し、受戒して、あまねく修行を実践して、阿羅漢の悟りに達しました。
この出来事は、僧伽(サンガ)中に知れ渡りました。そこである日、比丘たちは説法場で議論を始めました。「友よ、これこれの資産家が、自分の耳にふと入った善い評判を、それを妨げるべきではないと言って、出家して、いまや阿羅漢の悟りに達した」と。そこへお釈迦さまがおいでになって、「比丘たちよ、ここに集まって、何を話しているのか」とお尋ねになったので、「これこれのことです」と答えると、「比丘たちよ、昔の賢人も、『自分の耳に入った善い評判は、それを失ってはいけない』と、出家したことがある」と言って、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩は、豪商の家に生まれて成長し、父親の死後あとを継いで豪商になりました。
彼は、ある日、王に仕えるために家から出掛けて行きました。するとかれの姑が、「娘に会おう」と彼の家にやって来ました。彼女は、少し耳が遠い人でした。
これ以後はすべて、前に述べた現在の出来事と同じことが起きました。
彼が王に仕えてから帰って来るのを見て、一人の男が「あなたは、出家なさったそうですね。あなたの家で、みんなが大声で泣いておりますよ」と言いました。菩薩は、「耳に入った善い評判は、それを妨げてはいけない」と、そこから戻って王のもとに行きました。
王が、「大豪商よ、いま帰ったばかりなのに、またやって来たのはどうしたのか」と言うので、「王さま、家の者たちが、出家してもいない私を、出家したと言っていているそうです。耳に入った善い評判は、それを妨げるべきではないでしょう。だから、私は出家いたします。どうか私が出家するのをお許しください」と、この出来事を明確にするために、つぎの詩句を唱えました。
王君 善い評判が
人に巡ってでも来たならば
智慧のある人は その名に背かない
悪評を恥じて
善という重荷を担うことにする
その善い評判が
王君よ 私に巡って来ました
これを重んじ私は出家する
世俗的喜びに浸る意欲はない
菩薩は、このように言ってから、王に出家を認めてもらって、ヒマラヤ地方に行き、仙人として出家し、神通と禅定とを得て、梵天の世界におもむきました。
お釈迦さまはこの説法を終えられると、過去を現在にあてはめられました。「そのときの王はアーナンダであり、バーラーナシーの豪商は実にわたくしであった」と。
 
キンパッカの果実の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、ある修行に身が入らなくなった比丘について語られたものです。
ある良家の息子が、純粋な帰依の気持ちから仏道に入りましたが、ある日、サーヴァッティーに托鉢に出掛けたとき、一人の美しく着飾った女性を眼の当たりにし、それが原因で修行に身が入らなくなってしまいました。そこで彼の阿闍梨と和尚は、お釈迦さまのもとに彼を連れて行きました。
お釈迦さまが、「比丘よ、あなたは修行に身が入らなくなったそうですが、それは本当ですか?」と尋ねられると、「本当です」と答えたので、お釈迦さまは、「比丘よ、五欲は、享楽しているそのときには気持ちのよいものですが、しかしそれらを享受した結果、地獄などの苦しい境遇に陥るもとになります。だから、それはキンパッカの果実を賞味するようなものです。キンパッカの果実は、色・香り・味ともに良いのですが、食べると内臓が破れて、命を失ってしまいます。以前に多くの人々がその害毒を知らずに、色・香り・味に惑わされ、この果実を食べて命を失ってしまったのです」と言われて、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、隊商主となり、五百輛の荷車を率いて東方の国から西方の国に行きました。そして森の入口に来たとき、人々に招集をかけて、「この森には毒の樹があります。だから、今まで一度も食べたことのない果実は、私に相談しないうちに食べてはいけません」と命じました。
人々は、森に入ると、森の端の所に一本のキンパッカの樹を見つけました。その枝は実がたわわになっているために、その重みで撓んでいました。その幹・枝・葉・果実は、形・色・味・香りがちょうどマンゴーの樹に似ていました。彼らのうちのある者は、色と香りと味に惑わされ、マンゴーだと思ってその果実を食べてしまいました。またある者は、「隊商主に相談してから食べよう」とそれを食べずに持っていました。
菩薩である隊商主は、その場所を通りかかると、果実を食べずに手に持っていた者には、それを捨てさせ、食べている者には、吐き出させて薬を与えました。彼らのうちの幾人かは助かりましたが、最初に食べてしまった者は生命を失いました。
菩薩である隊商主はその後、予定の場所に無事に行き着いて利益を得たのち、再び自分の故郷へ還り、布施などの善行為を行ない、その業に応じた所へ生まれ変わって行きました。
お釈迦さまは、この出来事を語られてから、悟りをひらいた人として、次のような詩句を唱えられました。
後から来る災厄を知らずして
諸欲を放縦にする者には
放縦の結果が熟すると
苦悩が訪れる
あたかもキンパッカの実を食べた者のように
「このように、諸欲は享楽しているときは楽しいものでも、それが実を結ぶときには苦しむものである」と、教えを関連づけてから、四聖諦を説き明かされました。修行に身が入らなくなった比丘はやがて預流果に達し、他の比丘たちも、ある者は預流果に、ある者は一来果に、ある者は不還果に達し、またある者は阿羅漢果に達しました。
お釈迦さまはこの説法をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの隊商の人々は、今の仏弟子たちであり、隊商主は実にわたくしであった」と。  
 
豚のご馳走の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、豊満な娘の誘感について語られたものです。
サーヴァッティのある家に十六歳の美しい娘がいました。その娘の母親が、娘の婿として相応しい、道徳的で人格的に優れた若者を希望していました。そこで、比丘ひとりを誘惑し還俗してもらい、彼に頼って暮らしていこうと考えました。
まずは三蔵教師や論蔵師、律蔵師に目をつけ、ご馳走を作って待ち構えていましたが、彼らはいつも大勢のグループで行動しているため、誘いかける機会さえも見つけられませんでした。丁度その頃、ある若者が三法に帰依して出家していましたが、比丘戒を受けた時期(二十歳)から、彼の修行に対する真剣さが薄れてきていました。彼が、髪や衣や身なりを整えて鉢もピカピカに磨き上げてやってきたのが、彼女の母親の目に止まりました。
母親は彼にご馳走して、家に毎日托鉢に来てくれるよう頼みました。彼が母娘と非常に親しくなったところで、「我が家には十分財産があるのに、守ってくれる息子も婿もいない」という母親の泣き言も聞かされるようになりました。
そして母親は娘に、「この比丘に気に入られるよう振舞いなさい」と言いました。彼女も自分の美しさと女らしさで、自分の魅力が彼の頭に焼き付くようにしました。
やがて彼は出家生活に対して悩み始め、修行もおろそかになりました。お釈迦さまが彼を呼んで訊いたところ、豊満な娘の誘惑によって修行が嫌になっていることを認めました。
お釈迦さまは、「比丘よ、かの娘はそなたに不利益をなす者です。前世においてもそなたは、かの娘の婚礼の日に生命を奪われ、大勢の人々のご馳走の品となったのです」と言って、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はある村で、一人の地主の家において牛の胎内に宿り、マハーローヒタ(大赤)と名づけられました。彼には、チュッラローヒタ(小赤)という名の弟がいました。この二頭の兄弟牛のおかげで、その家の運搬の仕事は増えていきました。
ところで、その家には一人の娘がいました。彼女は、都に住むある良家の主人から、自分の息子の嫁に欲しいと望まれていました。彼女の両親は、「娘の婚礼の際に、来客たちのご馳走の品にしましょう」と、ムニカという名の豚にミルク粥の食事を与えて飼っていました。
それを見て、弟牛のチュッラローヒタは、兄に尋ねました。「この家の運搬の仕事は増えているけれど、それは僕たち二人の兄弟のおかげで増えているんだ。だのにこの僕たちには草やわらをくれるだけで、豚はミルク粥の食事で飼っている。どういうわけであいつは、あんなご馳走を貰うんだろう。」
そこで兄は彼に、「なあ、チュッラローヒタよ。おまえはあいつの食べものを羨んではいけないよ。あの豚は、死ぬ前の食事をとっているんだ。娘の婚礼の際に来客たちのご馳走の品にしようと、この家の人たちはあの豚を飼っているんだよ。もう何日か経ったら、その人たちが来るだろう。そのときあの豚が足を掴まれて引きずられ、豚小屋から追い出されて殺され、来賓たちが食べる料理にされるのを、おまえは見るだろう」と言って、次のような詩句を唱えました。
死に際の食べものを食べている豚を
羨んではならない
選り好みをせず籾殻を食べよ
これは長寿のしるしである
それからまもなくして、かの家の人たちがやって来て、ムニカを捕らえ、いろいろなやり方で料理しました。
菩薩である兄牛は、弟牛に聞きました。「おまえ、ムニカを見たかい。」チュッラローヒタは答えて、「兄さん、ムニカの食べものの結末を、僕は見たよ。あいつの食べものより百倍も千倍も、ぼくたちの草とわらと籾殻だけの方が上等で、咎がなく、長寿のしるしだね。」
お釈迦さまは、「比丘よ、このようにそなたは、前世にあってもこの娘のために生命を奪われ、大勢の人々のご馳走の品となったのです」と、この説法を取りあげ、四聖諦を明らかにされました。四聖諦の説法が終わったとき、恋情に悩んでいた比丘は、預流果の境地に到達しました。
また、お釈迦さまは、過去を現在にあてはめられました。そのときのムニカという豚は恋情に悩んでいた比丘であり、地主の娘は比丘を誘惑した豊満な娘、チュッラローヒタはアーナンダ、そして、マハーローヒタは実にわたくしであった」と。
 
水浴場の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたときに、法将サーリプッタ長老の弟子で、かつて金細工職人をしていた一人の比丘について語られたものです。(※1)他人の、意向と随眠煩悩を分別する智慧は、仏陀たちにのみあるもので、他の者たちにはありません。サーリプッタ長老には、他人の意向と随眠煩悩を分別する智慧がなかったため、その弟子の性格や気質が解らず、不浄の観想法ばかりを指導しました。しかしそれは、この弟子にはふさわしくありませんでした。なぜかと言えば、彼は五百の生涯にわたって次々と金細工職人の家にだけ生を享けたので、彼には長いあいだ清浄な金を見ることだけが積み重なっていたため、不浄ということがふさわしくなかったのです。それで彼は、悟るどころか不浄という本質に集中することさえできないまま、四ヵ月が過ぎました。
サーリプッタ長老は、自分の弟子に阿羅漢果の悟りを授けることができないので、「きっとこの者は、お釈迦さまに教導して頂くほうがよいのであろう。如来のお側へ連れて行こう」と考え、朝早く彼を連れてお釈迦さまのもとへ行きました。お釈迦さまは、「サーリプッタよ、何故あなたはその比丘を連れてきたのですか」と尋ねられました。「尊師よ、私はこの者に観想法を授けましたが、四ヵ月たっても、悟りの兆しさえあらわしませんでした。そこで私は、『この者は、お釈迦さまに教導して頂くほうがよいのであろう』と考え、お釈迦さまのお側へ連れてまいりました。」「ところで、サーリプッタよ、あなたは、どのような観想法を弟子に授けたのですか。」「世尊よ、不浄の観想法でございます。」「サーリプッタよ、あなたには生きとし生ける者の性格や気質を知る能力がありません。あなたは行きなさい。そして夕刻に戻って来れば、あなたの弟子を連れて帰ることが出来るでしょう。」
こうしてお釈迦さまは長老を送り出してから、その比丘に快適な住居と法衣を与えさせ、托鉢に出掛けるときも彼を特別に連れて行きました。そして頂いた美味のご馳走を彼に食べさせました。大勢の僧団の比丘たちを従えてふたたび僧院へ戻られたお釈迦さまは、昼休みに入られました。夕刻になって、その比丘を連れて僧院を散策されているとき、マンゴー林に一つの蓮池を神通力で出現させ、その中に大きな美しい一叢(むら)の蓮を、さらにその中にひときわ目を引く大きな一本の蓮の花を出現させました。そして、「比丘よ、こちらに座ってこの花を鑑賞しなさい」と言ってから、居室に戻られました。
その比丘は、この花を繰り返し見つめていましたが、世尊はその花を萎れさせました。蓮の花は、彼が見ているうちに、萎れ、色褪せてしまい、その縁のほうから花弁が落ち、瞬く間にみな落ちてしまいました。それから、おしべが落ち、めしべだけが残りました。比丘は、それを見ながら考えました。「この蓮の花は、たった今美しく見栄えがしていたのに、その色は衰え、花弁とおしべが落ち、めしべだけになった。このような蓮にも老いが来るというのに、私の身体にどうして老いが来ないことがあろうか」と。そして、「形成されたものは、すべて無常である」とありのままに観るヴィパッサナーへと心が辿り着きました。
お釈迦さまは、彼の心がヴィパッサナーに辿り着いたことを察知され、居室に坐ったまま、この詩句を唱えられました。
秋の蓮を手折るように
自己への愛着を断ち切れ
仏陀の説かれた平安の道へ
涅槃へ進め
詩句が終わると、この比丘は、阿羅漢果の悟りに到達し、「ああ、私は輪廻から脱出した」と確信し、その喜びを次のような詩句によって発しました。
修行を終えた彼の心は満たされている
煩悩が尽き
最後の身体を持っている
戒は清浄になり
感官は落ち着いている
月触(陰、ラーフ)から抜けでた
月のように
無明の巨大な暗闇を消し去り
すべての汚れを余すことなく根絶した
数千の光線を放ち
天空に輝く太陽のごとく
己の心は輝いている
その比丘は世尊に礼拝しました。サーリプッタ長老も戻って来て釈尊に礼をし、自分の弟子を連れて帰りました。やがてこの出来事が、比丘たちのあいだに知れわたりました。比丘たちは講堂で、「十の力をもつ人」のすぐれた特質を次のように賞賛しながら坐っていました。「友らよ、サーリプッタ長老は他人の意向と随眠煩悩を分別する智慧がなかったので、自分の弟子の性格や気質を知らなかった。ところが、師はたった一目でそれを知り、彼を、特別な能力を具えた阿羅漢の境地に導かれた。ああ、仏陀たちは、まことに偉大な威力をもっておられるものだ。」
するとそこへお釈迦さまが来られ、用意された座に坐り、「比丘たちよ、今どのような話のために一緒に坐っているのですか」と尋ねられました。「世尊よ、他のことではございません。世尊が、サーリプッタ長老の弟子の性格や気質を知られたことについての話のためでございます」と比丘たちが答えると、お釈迦さまは、「比丘たちよ、これは希有なことではありません。この私は今、仏陀となって彼の意向を知っていますが、前世でも、私は彼の意向を知ったことがあるのです」と言って、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は王に実利と道理について教示する廷臣となっていました。
あるとき、王の吉祥馬(王位を正式に象徴する馬を吉祥馬と言います)の水浴場で、馬丁たちが、ある一頭の未調教の若馬を水浴させました。吉祥馬は、未調教の若馬が水浴した水浴場に降ろされかけても、嫌がって降りようとしませんでした。馬丁は行って、王に報告しました。「王さま、吉祥馬が水浴場に降りようといたしません。」
王は菩薩である廷臣に、「賢者よ、どういうわけで、馬が水浴場に降ろされかけても降りないのか、行って見てくるように」と言って遣わしました。廷臣は、「かしこまりました。王さま」と川岸へ行き、馬を調べて病気ではないことを知り、「いったいどういうわけで、吉祥馬はこの水浴場に降りないのだろうか」と推測していましたが、「先にここで他の馬が水浴させられたのに違いない。それできっと、こいつは嫌がって水浴場におりないのだ」と思いあたり、馬丁たちに尋ねました。「これ、おまえたちは、この水浴場でどの馬を先に水浴させたのか。」
馬丁たちは「ある一頭の未調教の若馬(次の吉祥馬に任命される候補の馬)です。旦那さま」と答えました。廷臣は、「この馬は、自尊心が高いから、嫌がって、ここで水浴しようとしないのだ。この水浴場を清めて再び使うより、他の水浴場で水浴させればよい」と言いました。さらに吉祥馬の意向を知って、「これ、馬丁よ、バター油や蜂蜜や糖蜜でこしらえたミルク粥も、繰り返し食べれば、飽きるものだ。吉祥馬は、何回もこの水浴場で水浴したので、飽きているのだ。他の水浴場へ、吉祥馬を降ろして水浴させ、水を飲ますがよい」と言って、つぎのような詩句を唱えました。
御者よ
それぞれ別の水浴場で
馬に〔水を〕飲ませよ
ミルク粥でも
食べすぎれば 人は飽きるのだ
彼らは、廷臣に言われた通り、吉祥馬を他の水浴場に降ろし、水を飲ませ、水浴させました。廷臣は、吉祥馬が水を飲み、水浴しているうちに、王のもとへ戻って行きました。王は、「のう、吉祥馬は水浴し、水を飲んだのか」と尋ねました。廷臣が「はい、王さま」と答えると、「先には、どういうわけで水浴しようとしなかったのか」と理由を問われ、「こういう事情であります」と、すべてのことを説明しました。
王は、「この者はそのような畜生の意向すら知っている。まことに賢者だ」と、廷臣に大きな栄誉を与え、やがて寿命が尽きると、業に従って生まれかわって行きました。廷臣も、業に従って生まれかわって行きました。
お釈迦さまは、「比丘たちよ、私がこの比丘の意向を知っているのは、いまだけのことではなく、前世でも知ったことがある」と、この説法を取りあげ、連結をとって、過去を現在にあてはめられました。「そのときの吉祥馬はこの比丘であり、王はアーナンダ、そして、廷臣の賢者は実にわたくしであった」と。  
 
共同墓地を忌み嫌ったバラモンの話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、ウパサールハカという名の、墓場を忌み嫌うバラモンについて語られたものです。
彼は大金持ちで資産家でしたが、外道の教えを信奉していたので、近くの精舎に住んでおられるお釈迦さまのもとに参じることはありませんでした。彼には、賢くて智慧をそなえた息子がおりました。年老いた彼は息子に言いました。
「ねえ、息子や、身分の賎しいものが火葬になった墓場で私を火葬にしないでおくれ。どこか清浄な墓場に私を葬っておくれ」息子は「父上、私はあなたをどこに葬ったらよいか知りません。私を連れていって、ここに葬ってほしいという場所を言って下さい」と言いました。バラモンは、「よろしい、息子よ」と言って、息子をつれて町から出て、鷲峰山の頂上に登り、「息子よ、ここは、賎しい身分のものは火葬にされたことの無い場所だよ。だからここで私を火葬にしておくれ」と言って、息子と一緒に山から降り始めました。
お釈迦さまは、その日の朝早く、悟りを得られる資質のある親族をながめられたとき、この親子に預流果に向かう資質があることを見いだされました。そこで、山の麓に行き、親子が山の頂上から降りて来るのを待っておられました。
やがて彼らは降りて来て、お釈迦さまに出会いました。お釈迦さまは挨拶して、「バラモンたちよ、どこへ行ってきたのですか?」とお尋ねになりました。若者はこのいきさつをお話ししました。お釈迦さまは、「それでは来なさい。まず、お父さんが言った場所に行きましょう」と、親子をつれて山の頂上にのぼり、「どの場所ですか?」とお尋ねになりました。若者は、「尊師よ、父はこの三つの小高い山の中間を指さしました」と答えました。お釈迦さまは、「若者よ、おまえのお父さんが墓場を忌み嫌ったのは今だけのことではありません。以前にも、墓場嫌いでした。この場所で火葬にしてくださいと、おまえに言ったのは今だけではなく、以前にもまたこの場所で自分を火葬にするようにと頼んだのです」と言って、彼に請われるまま過去のことを話されました。
その昔、このラージャガハで、父はやはりウパサールハカ・バラモンであり、またこの息子も、やはり彼の息子でありました。そのとき菩薩は、マガダ国のバラモンの家に生まれて、学芸を完全に身につけ、仙人として出家し、神通と禅定とを修得して、禅定の楽を享受しながら、ヒマラヤ地方に長らく住み、塩と酢を求めるため鷲峰山の草庵で暮らしていました。
そのときも、かのウパサールハカ・バラモンが、今世の物語と同じように息子に告げると、息子は、「私にあなたの好みの場所を言ってください」と言いました。バラモンはこの場所を告げ、息子といっしょに山を降りる途中で菩薩である仙人に会い、彼に近づいていきました。
仙人は、やはり同じように尋ね、若者の言葉を聞いて、「さあ、いらっしゃい。おまえのお父さんが告げた場所が、不浄であるか、清浄であるかを見てみよう」と言って、彼らとともに山の頂上にのぼり、「この三つの小高い丘の中間が、清浄であります」と若者が言うと、「若者よ、この場所で火葬になった人々の数にはかぎりがない。おまえのお父さんはこのラージャガハのバラモンの家に生まれて、ウパサールハカという名前をつけられ、この山のなかで、一万四千回も火葬になっているのだよ。火葬が行われたことのない場所とか、墓場ではない場所、骸骨でおおわれたことのない場所など、見つけることができないのだよ」このように、過去を知る智慧によって断言してから、次の二つの詩句を唱えました。
この地で荼毘にふされた人々のうち
ウパサールハカ姓の者が
一万四千人もいる
「不死」は
この世にありえないものである
聖者は真理(法)に至り
平和主義に徹し
自己の節制を具えている
この世でこれこそが
「不死」である
このように、仙人は、親子に法を聞かせてから、四つの崇高な境地である「四梵住」(慈・悲・喜・捨)を修習して、梵天の世界に生まれました。
お釈迦さまはこの説法をされた後、「四聖諦」を明らかにされ、真理の説示が終わったとき、親子は、預流果の悟りに達しました。そしてお釈迦さまは、連結をとって過去を現在にあてはめられました。「そのときの親子はいまの親子であり、仙人は実にわたくしであった」と。
  
象使いの話

 

この物語は、釈尊が竹林精舎に滞在しておられたとき、デーヴァダッタについて語られたものです。
講堂において、比丘たちが話を始めました。「友よ、デーヴァダッタは師に背き、如来の敵となり、大破滅に陥った。」するとそこへお釈迦さまがおいでになって、お尋ねになりました。「比丘たちよ、おまえたちはここに集まって何を話しているのですか。」「これこれの話でございます」と答えるとお釈迦さまは、「比丘たちよ、デーヴァダッタが師に背いて、如来の敵となり、大破滅に陥ったのはいまだけのことではありません。以前にも同じように陥ったのです」とおっしゃって、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は象の調教師の家に生まれ、成人して、象使いの技法の奥義にまで達しました。
そこへ、カーシ村出身の一人の青年がやって来て、菩薩のもとで象使いの技法を学びました。そもそも菩薩というものは、なにか技術を教える場合、教え借しむことをせず、自分の知っていることは、あますところなく教えるものです。それゆえにその青年は菩薩の知識と技術をあますところなく習いおえて、菩薩に言いました。「先生、わたくしは王様にお仕えしたいと存じます。」菩薩は、「よろしい」と言って王のもとに行き、そのことをお話しました。「大王よ、わたくしの弟子が、お仕えしたいと願っております。」「よろしい、ここへ寄越しなさい。」「では彼の給料をお決めください。」「おまえの弟子に、おまえと同じ額をやるわけにはいかない。おまえに百やるとすれば五十やるし、おまえに二百やるとすれば、百やろう。」
菩薩は家に帰ると、このことの次第を弟子に話しました。弟子は、「先生、私はあなたとまったく同じ技術を習得しております。もしあなたと同じ給料が頂ければ、お仕えしますが、もしそうでなければお仕えしません」と言いました。菩薩はそのことの次第を王に話しました。王は、「もしその弟子におまえと同じことをやらせて、おまえと同じ技術を示すことができるならば、おまえと同じ給料をやろう」と言いました。菩薩はそのことを弟子に話しました。弟子が、「よろしゅうございます。お見せ致しましょう」と答えたので、そのむねを王に話すと、王は言いました。「では明日技術を見せよ。」「かしこまりました。お見せ致しましょう。ふれ太鼓を鳴らして都中にお知らせください」と応じました。
王は、「明日、先生と弟子の二人が象使いの技術を見せるそうだ。見たい者は、明日宮廷に集まりなさい」と太鼓を叩いてふれさせました。
菩薩は、「わたしの弟子は技法の巧妙さに通じていない」と考えて、一頭の象を捕らえ、一晩のうちに命令の逆に動く調教をしました。菩薩がその象に「進め」と言えば戻り、「戻れ」と言えば進み、「立て」と言えば横になり、「横になれ」と言えば立ち、「取れ」と言えば置き、「置け」と言えば取るように仕込んでおき、翌日その象に乗って宮廷に赴きました。弟子もまた魅力的な象に乗って来ました。大勢の人々が集まりました。そして両人ともに同じ芸をやって見せました。さらに菩薩は自分の象に命令の逆をさせました。象は、「進め」と言われて戻り、「戻れ」と言われて前に進み、「立て」と言われて横になり、「横になれ」と言われて立ち、「取れ」と言われて置き、「置け」と言われて取りました。
大勢の人々は、「ああ、けしからん弟子だ。自分の師匠と競い合うなんて。自分の分際をわきまえず、『先生と同格だ』と勘違いしている」と言って、土塊や棒などで殴りつけて、その場で殺してしまいました。
菩薩は象からおりて、王に近づき、「大王よ、技術というものは、自分の幸福のために習うものでございます。しかし、ある人にとっては、習いおぼえた技術は出来そこないの履物のように、破滅をもたらします」と言って、つぎの二つの詩句を唱えました。
苦しまず楽に歩こうと
人が買った履物
熱で底が熔け 焼きついて
その人の足まで噛み付くように
素性が賎しく 育ちも悪い者は
あなたの学問と技術を学び取り
その学識によって身を滅ぼす
素性が賎しい者は
出来そこないの履物に譬えられる
王は満足して、菩薩に大きな名誉を与えました。
お釈迦さまはこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの弟子はデーヴァダッタであり、先生は実にわたくしであった」と。  
 
キンスカの喩えの話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、「キンスカの喩え」という経典について語られたものです。
四人の比丘が如来のもとにおもむき、自分に適した「集中瞑想の対象」を与えて下さいとお願いしました。お釈迦さまは、彼らに瞑想の対象を教示されました。彼らは瞑想の対象を得て、各自の夜と昼を過ごす場所へそれぞれ出掛けて行きました。彼らのうちのある者は(瞑想の対象として)六種の触処を得て、悟りをひらきました。ある者は(瞑想の対象として)五蘊、ある者は物質を構成する「地・水・火・風」の四元素、またある者は十八界を得て、悟りをひらきました。彼らは各自が与えられた瞑想対象のすぐれた点をお釈迦さまにお話ししました。
そしてひとりの比丘は自分が疑問に思った点を、お釈迦さまに質問しました。「悟りは同一の筈ですが、これらのさまざまな瞑想対象からどのようにして皆が悟りをひらいたのでしょうか」と。
お釈迦さまは、「比丘よ、おまえはキンスカの樹を見たある兄弟たちと、なんら変わるところがありません」と言われました。そして、「世尊よ、そのわけをお話しください」という比丘の求めに応じられたお釈迦さまは、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときのことです。王には四人の王子がありました。
ある日彼らは御者を呼んで、「我々はキンスカを見たいと思っている。我々にキンスカの樹を見せてくれ」と言いました。御者は、「かしこまりました。ご覧に入れましょう」と言って、四人に一度に見せることはせず、最初に最も年長の王子を車に乗せ、森に連れていき、「これがキンスカでございます」と言って、大株が芽吹く頃にキンスカを見せました。他の王子には若葉の出た頃に、他の王子には花の開いた頃に、もう一人の王子には実を結んだころに見せました。
後日、四人の兄弟は一所に集まって、「キンスカとはどういう樹か」という話を始めました。年長の王子は、「焼け焦げた柱のようだ」と言い、第二の王子は、「ニグローダ樹(花は咲かず、たくさんの葉に覆われている美しい大樹)のようだ」と言い、第三の王子は、「ちょうど肉片(キンスカの樹は、花が咲くとき真っ赤な花のみで葉は一枚もなく、藤の花がぶらさがっている様子と似ている)のようだ」と言い、第四の王子は、「シリーサ樹(たくさんの大きな鞘がぶら下がっていて、わずかに破れて種が見えている。しかし、葉は一枚もない)のようだ」と言いました。
彼らは、おたがいの話が合致しないことに満足出来ず、父王のもとにおもむいて、「王様、キンスカというのはどのような樹でございましょうか」と尋ねました。王に「おまえたちはどのように話したのか」と問われて、王子たちは自分たちがした説明の仕方を話しました。
王は、「たしかにおまえたち四人ともキンスカを見たのだ。だがしかし、御者がおまえたちにキンスカを見せているときに、『この時期のキンスカはどのようであるのか』『この頃にはどうであるか』というように、区別して尋ねることをしなかった。そのために、おまえたちに疑問がおこったのだ」と言って、第一の詩句を唱えました。
皆がキンスカを見たとしても
なぜ疑いを起こさぬのか
あらゆる場合について
なぜ導師に尋ねぬのか
お釈迦さまはこの理由を示して、「比丘たちよ、四人の兄弟が区別して尋ねなかったために、キンスカについて疑問が生じたように、おまえたちもまた、この法について疑いを起こすのである」とおっしゃって、現等覚者として、
第二の詩句を唱えられました。
完全な智慧についても
未だ理解せざるところにおいては
疑問が生じる
キンスカについて疑問を抱いた
兄弟のように
お釈迦さまはこの説法をされた後、過去と現在を結び付け「そのときのバーラーナシーの王は実にわたくしであった」と話されました。  
 
束縛から逃れた犬の話

 

この物語は、釈尊が、ジェータ林におられたとき、アンバラコッタの集会所で食物を与えられていた犬について語られたものです。
水汲み人夫たち(集会所の手入れや整備をする人々のこと)が、その犬を生まれたばかりの子犬の頃に連れて来て、そこで育てたそうです。その後その犬はそこで与えられた食物を食べて、体が大きくなりました。(皆がここに集まってご馳走を食べますが、それを分けてもらっていましたので、家で飼われている他の犬よりも栄養価の高いものが食べられ、体格も良く、健康的で可愛くて、皆に好かれていました。)
そんなある日、一人の村人がその場所にやってきて、犬を見ました。(お金持ちのその人は、犬を一目見たとたん可愛くて仕方がなくなり、自分のものにしたくてたまらなくなったのかもしれません。)そして水汲み人夫たちに、上衣(ウッタリサータカ…服の上から肩に掛ける大変高価なものです)とお金を与えて、その犬を革紐で縛って連れて行きました。
その犬は連れて行かれる途中で吠えませんでした。与えられたものを食べて、一所懸命についてきました。(皆に育てられたので、この犬には特定の飼い主があったわけではありませんから、いわば「公共忠犬?」とでも呼ぶべき性格になっていたでしょう。)そこでその男は、「この犬は、もう私のことを好きになっているのだ」と思って、革紐を解きました。その犬は放されるやいなや、まっしぐらに元に居た集会所に帰りました。(平等に皆の忠犬になることを仕事にしているこの犬にとって、ひとりの人に囚われることは、たまったものでなかったのでしょう。)
比丘たちは、逃げ帰ってきたその犬を見て、事情を知り、夕刻に講堂に集まってその話を始めました。「友よ、あの休息所で飼われていた犬は束縛から逃れることが上手で、解き放されるやいなや、集会所に帰って来ました」と。そこへお釈迦さまがおいでになってお尋ねになりました。「比丘たちよ、ここに坐って何を話しているのですか。」「これこれのことでございます。」そこでお釈迦さまは、「比丘たちよ、この犬が束縛から逃れることが上手であったのは今だけではありません。以前にも上手でした」とおっしゃって過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、カーシ国のある大金待ちの家に生まれ、成年に達して、家庭を持ちました。
そのとき、バーラーナシーのある人(食べ物を恵んでもらって生活する人のようです)が犬を飼っており、その犬はもらったご飯を食べて、体が大きくなりました。そのとき一人の村人がバーラーナシーにやってきて、その犬を見ました。(「この可愛い犬は、乞食に飼われるよりは私が飼った方が幸せだろう」と思ったのかもしれません。)そしてその飼い主に上衣とお金を与え、犬を捕らえて革紐で縛り、紐の先をもって出かけました。
途中、森の入口にある小屋に入りました。彼はそこに犬を繋いで、板の上に横になって寝てしまいました。そのとき菩薩は、ある用事があって森の中に入り、小屋まで来たところ、紐で縛られたその犬が繋がれているのを見て、第一の詩句を唱えました。
革紐を噛まないこの犬は
実に愚かである
束縛から逃れ
落ち着ける家に帰るべきである
それを聞いて菩薩の意図を理解した犬は、第二の詩句を唱えました。
私は既に決心しており
それは胸の中に秘めている
そして機会を見計らっている
人々が寝付くまで
彼はこのように言って、皆が眠りについたとき、革紐をかじって、喜んで逃げ、自分の主人の家に帰りました。
お釈迦さまはこの話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの犬は現在の犬であり、通りかかったカーシ国の賢人は実にわたくしであった」と。  
 
小石を投げる男の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、白鳥を打ち落とした比丘について語られたものです。
彼はサーヴァッティーに住む良家の息子で、小石を投げるのが上手でしたが、ある日法を聞いてから、仏教に帰依するようになり、ついには出家し具足戒を受けました。しかし彼は学問を好まず、行ないもまじめではありませんでした。
ある日、彼はある若い比丘をつれて、アチラヴァティー河に行き、沐浴をしてから河の土手に立っていました。そのとき、二羽の白鳥が空を飛んでいたので、彼は若い比丘に話しかけました。「あの後から飛んでいる鳥の目を小石で打って足もとに落としてみよう。」「どうして打ち落とすことなど出来ますか。そんなことは、まさかできないでしょう。」「まあ見ていてごらん。鳥の一方の目から、もう一方の目に打ち貫いて落としてみよう。」「あなたは、馬鹿げたことを言っていますね。」「それでは、見ていなさい。」彼はこのように言ってから、三角の石をひとつ手にもち、指にはさんで、その白鳥の後方から投げました。
それがピューという音をたてたので、白鳥は、「何か危険が迫っているにちがいない」と感じて、振り返ってその音を聞こうとしました。間髪をいれずに、彼は丸い小石を手にもって、振り返って見ている鳥の片目を巧みに打ち貫きました。そして小石はもう一方の目から抜けていきました。白鳥は大きな鳴き声で叫びながら、足もとに落ちました。それから比丘たちがやって来て、「あなたは、何ということをしたのですか」と言って非難し、お釈迦さまのもとに彼を連れて行き、「世尊よ、この比丘はこれこれのことをしました」とその出来事を報告しました。
お釈迦さまは、この比丘を叱責され、「比丘たちよ、彼がこのような技に巧みなのは今だけではない。以前にも巧みであった」と言って、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はその国の大臣でありました。そのとき、王の司祭は大変なお喋りで、饒舌家でした。彼が話し始めると、他の人々はとても口を挟むことなど出来ない状態でした。王は考えました。「だれか彼の長話を切り上げさせてくれる人はいないものだろうか。」王はそれ以来、そのような人を密かに探し求めながら歩き廻りました。
その当時、バーラーナシーに、小石を投げるのが上手な一人の下半身不自由な者がいました。町の子供たちは彼を車に乗せて引っぱり、城門の下の鬱蒼とした大きなニグローダ樹のところへ連れて行き、彼を取り巻き、少しばかりのお金を与えて、「象の形を作って。馬の形を作って」などと言いました。彼は小石を続けざまに投げて、ニグローダ樹の葉で色々な形を現しました。すべての葉は破れ、穴だらけになりました。
そのとき王が御苑に行く途中、その場所に通りかかったので、子供たちは恐ろしくなって、みんな逃げてしまいました。そしてそこには、足の不自由な男だけがとり残されました。王はニグローダ樹の根もとに行って、車に乗ったまま、葉が破れたために影がまだらになっているのを見て、見上げるとすべての葉が破れているのに気づき、「これは誰の仕業か」と問いました。「足の不自由な男です、王様」と従者が答えると、王は、「この男に頼めば、バラモンの長話を封じることが出来るかもしれない」と考えて、「その足の不自由な男はどこにいるのか」と尋ねました。従者たちは彼が樹の間に坐っているのを探し出し、「ここです、王様」と答えました。
王は彼を呼び、人払いをして尋ねました。「わたしの配下に一人のお喋りなバラモンがいるのだが、おまえはそのバラモンを沈黙させることが出来るだろうか。」「ほんの一升分のヤギの糞(固くて小さくて、指三本で掴める小石くらいの大きさです)があれば出来ると思います、王様。」
王は足の不自由な男を王宮に連れて来て、穴を開けた幕のかげに坐らせ、その穴に相対してバラモンの座席を設けました。そして一升分の乾いたヤギの糞を彼の近くに置き、王のご機嫌伺いにやって来たバラモンを座席に坐らせ、話をさせました。バラモンは他の人々に口を差し挟ませず、王とともに話を始めました。そこで足の不自由な男が、幕の穴を通して続けざまにヤギの糞を投げると、糞はまるで蝿が飛ぶようにバラモンの口に入りました。バラモンは、器に油が入るように糞を呑み込んだので、すべての糞は無くなってしまい、それは彼の胃の中で、半升ほどの量になりました。
王は、糞がすっかり無くなったのを知って言いました。「先生、あなたは非常によく喋られたので一升ほどのヤギの糞を飲み込んでも気づかずにおられました。もうこれ以上消化することは出来ないでしょう。帰って薬草と水を飲んで糞を排出し、健康を取り戻してください。」バラモンはそれ以来、すっかり口を閉ざしてしまい、話しかけられても沈黙を守りました。
王は、「彼のおかげで、わたしの耳が楽になった」と足の不自由な男に、十万金の収入を得られる村を四方に一箇所ずつ与えました。菩薩は王に近付いて、「王様、賢人はこの世間における技術を備えていなければならないのです。足の不自由な男は小石を投げることだけで、この成功を得られたのです」と言って、次の詩句を唱えました。
技を持っていることこそ
賞賛に値する
不自由な者でも これほどの技がある
巧みに投げるだけのことで
四方の村を得たことを見よ
お釈迦さまはこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの足の不自由な男はこの比丘であり、王はアーナンダであり、賢い大臣は実にわたくしであった」と。
  
ヴァッチャナカ仙人と長者の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、マッラ人ロージャについて語られたものです。
彼はアーナンダ長老の在家の友人でありましたが、ある日、自分のところに来てもらうために、長老に信書を送りました。長老はお釈迦さまの許しを得て出掛けました。彼は長老を種々最上の飲食物でもてなし、かたすみに坐って長老と親しくうちとけ、長老を世俗の享楽と五種の欲によって誘い、つぎのように言いました。
「尊師アーナンダ様、わたくしの家にはたくさんの人的財産と物質的財産とがございます。これを二等分して、半分をあなたに差し上げましょう。さあ、二人で在家の生活をいたしましょう。」長老は彼に欲望にある危難を話して、席を立って精舎に帰りました。
そこでお釈迦さまは長老にお尋ねになりました。「アーナンダよ、ロージャに会いましたか。」「はい、尊師よ。」「ロージャに何を話したのですか。」「尊師よ、ロージャは在家の生活をしようと私を誘いました。そこで私はロージャに、在家の生活と五種の欲望にある危難を話しました。」
お釈迦さまは、「アーナンダよ、マッラ人ロージャが、出家者を在家の生活に誘ったのはいまだけではありません。以前にもやはり誘惑しました」と言って、アーナンダの求めに応じて、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、ある市場が立つ村で、バラモン階級の家に生まれ、成年に達すると仙人の生活に入り、ヒマラヤ地方に長期間住んでいました。
あるとき、バーラーナシーに行って塩と酸味のものを得るために、まず王の御苑に泊り、翌日バーラーナシーに入りました。そのときバーラーナシーの長者が菩薩の善行を喜んで、自分の家へ案内して食事を供養し、御苑に住むように約束してもらい、その場所で菩薩のお世話をしました。そして二人は、お互いに親愛の情を持つようになりました。
そこである日バーラーナシーの長者は菩薩にたいする愛情と信頼からこのように考えました。「出家者の生活というものは苦しみである。私の友人のヴァッチャナカ仙人を還俗させ、全財産を二分してその半分を彼に与え、二人一緒に仲良く暮らそう」と。
彼はある日、食事がおわったとき、菩薩と気持ちよく打ち解けて話し、「尊師ヴァッチャナカ、出家者の生活というものは大変苦労の多いものでございます。在家の生活は楽でございます。さあ、二人で一緒に、諸々の欲望を享楽して暮らしましょう」と言って、第一の詩句を唱えました。
財産にあふれ 豊穣である
家は ヴァッチャナカよ 実に楽しい
そこでは よく食し よく飲み
苦労も知らずに暮らせるのだ
注釈:出家者と違い、在家は財産も食物も豊かである。贅沢な寝具なども用い、快適に眠れる。在家生活はとても楽しいものです。
これを聞いて、菩薩は、「大長者よ、あなたは無智であるために欲望に溺れて、在家生活の長所と、出家生活の短所をお話しになった。今度は私があなたに、在家の生活には長所がないと諭します。今お聞きなさい」と言って、第二の詩句を唱えました。
苦労せずして 在家は成り立たず
嘘偽りを言わずして 在家は成り立たず
他を悩ませずして 在家は成り立たず
回避できない欠陥に満ちて 在家生活を営む
注釈:毎日農耕などの仕事をして苦労しないと在家生活は成り立たない。バカ正直で嘘を言わないでいると、財産を手にすることも守ることもできない。雇用した人々に圧力を掛けたり、不正を見つけたら処罰したりしないと、在家の経営は成り立たない。在家としての成功は、そうした悪いことの上に成り立っている欠陥だらけのものです。
このように、偉大な人は在家の生活の過失を説いて御苑の方へ去っていきました。
お釈迦さまはこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときのバーラーナシーの長者は、マッラ人ロージャであり、ヴァッチャナカ仙人は、実にわたくしであった」と。
  
食べ過ぎたオウムの話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、あまりにたくさん食べ過ぎて、消化不良を起こし、そのために死んだ比丘について語られたものです。
彼がこのようにして死んだとき、講堂において比丘たちが彼の不徳について話し始めました。「友よ、ある比丘は自分のお腹に収まる分量を知らず、あまりに多く食べ過ぎて、消化できずに死んだのです。」そこへお釈迦さまがおいでになってお尋ねになりました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はヒマラヤ地方のオウムの胎内に宿りました
彼は、ヒマラヤの山腹から海までに住む幾千のオウムの王となりました。彼には一人の息子がありました。その息子が力強くなったときには、菩薩の目は既に弱っていました。オウムは高速で飛ぶものです。それゆえにオウムが歳をとると、まず最初に目が弱くなると言い伝えられています。菩薩の息子は、父母を巣のなかに置いて、餌を運んできて養いました。
ある日のこと、彼が自分の縄張りに行って、山の頂上に立ち、遠くの海を眺めていると、一つの島を見つけました。そこには黄金色の甘い果実のなるマンゴーの林がありました。彼は翌日餌を採りに出かけるとき、(自分の縄張りを越えて)飛んで行ってそのマンゴー林に降り、マンゴー汁を飲んでからマンゴーの実を採って帰り、父母に与えました。菩薩は食べながら味を見分けました。
「おまえ、これは某島にあるマンゴーの実ではないか」と尋ねました。「そうです、お父さん」との答えに、「おまえ、あの島へ行くオウムは生命をながく保つことができません。二度とあの島へは行ってはいけないよ」と父は言いました。しかし息子は父の言葉に従わないで、行ってしまいました。
そんなある日、たくさんのマンゴー汁を飲んでから、父母のためにマンゴーの実を持って、海の上を越えて帰る途中、あまりに飽食したために、また長距離の運搬だったので身体が疲れ、眠気に襲われました。居眠りしながら飛んでいたので、せっかく持って来たマンゴーの実をくちばしから落してしまいました。彼は徐々に帰路をはずれて高度を落としてしまい、水面上にいたって遂に水の中に落ちました。そのとき彼を一匹の魚が捕らえて食べてしまいました。
菩薩は、彼が帰巣時間になっても戻って来ないので、「海に落ちて死んでしまったのだ」と悟りました。そして彼の父母は食物が得られないので、飢え死にしてしまいました。
お釈迦さまは以上のような過去のことを話されてから、悟りをひらいた人として、つぎの詩句を唱えられました。
飲食に関して
節度を守っているあいだは
その鳥は生き長らえ
父母も養っていた
しかし
余分に食物を摂ることに陥った彼は
徐々に高度を落とし
海に沈んだ
まさにそれは
適量知らずの定めである
ゆえに
適量を知ることは善い
食物を貪らないことは善い
適量を知らない者は沈み
適量を知るものは沈まない
お釈迦さまは、これらの話を語られて真理を説き明かされ、過去を現在にあてはめられました。(真理の説法が終わったとき多くの人々が、預流果の悟りに達した者、一来果の悟りに達した者、不還果の悟りに達した者、阿羅漢果の悟りに達した者となりました。)
「そのときのオウムの息子は食べ物の適量を知らない比丘であり、オウムの王は実にわたくしであった」と。  
 
カラスの話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、お釈迦さまの真似をした者について語られたものです。
長老たちがデーヴァダッタの仲間を奪還して帰ってきたとき、お釈迦さまはお尋ねになりました。「サーリプッタよ、あなたたちを見てデーヴァダッタは何をしたか?」「お釈迦さまの真似(※注)をして説法していました。」そこでお釈迦さまは、「サーリプッタよ、デーヴァダッタが私の真似をして破滅に至ったのは、何も今に限ったことではありません。前生においても、破滅に至ったことがあります」とおっしゃって、長老たちの求めに応じて過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、ヒマラヤ地方の水鳥の胎から生まれ、ある湖のほとりに住んでいました。名はヴィーラカと言いました。
当時、カーシ国に飢饉がありました。人々は食べ残しをカラスの餌として与えることも、神霊などに食物の供え物をすることも出来ませんでした。ほとんどのカラスは飢饉の国から逃れて森の中へ入り込みました。
そのころ、バーラーナシーに住む、サヴィッタカという一羽のカラスが、雌のカラスとともに、ヴィーラカの住んでいるところにやってきて、その湖の片隅に住みかを作りました。彼がある日その湖で餌を探していると、ヴィーラカが湖に降りてきて魚を食べ、再び出てきて身体を乾かしていました。それを見てサヴィッタカは、「あのカラスに頼って、私はたくさんの魚を得ることが出来るにちがいない。あのカラスに仕えよう」と考えて、彼に近づきました(彼は、水鳥のことを自分と同じカラスだと勘違いをしたようです)。ヴィーラカに、「なんの用ですか?」と問われて、「あなたにお仕えしたいのですが」と答えると「よろしい」と彼が承諾してくれたので、そのときから彼に仕えました。
ヴィーラカもそれ以来、自分に必要なだけを食べ終わると、魚をすくいあげてサヴィッタカに与えました。彼も、自分に必要なだけを食べると、残りを雌のカラスに与えました。そのうちに、サヴィッタカは高慢になって、「このカラスも黒いが、私も黒い。眼だって、くちばしだって、足だって、あいつのと私のとに何も違いはないのだ。これからは、あいつに魚をとってもらう必要はない。私が自分でとろう」と考え、ヴィーラカに近づいて、「これからは、私が自分で湖におりて魚をとりますよ」と言いました。「いや、あなたは水に降りて魚を取るように生まれついてはいませんよ。身を滅してはいけません」とヴィーラカに止められましたが、サヴィッタカはその言葉を聞き入れないで湖に降り、水中に入りました。しかし、浮かび上がろうとしても、水草をかき分けて出てくることが出来ず、水草のあいだにからまって、くちばしの先が見えるだけでした。彼はとうとう息が出来なくなり、水の中で事切れてしまいました。
一方、彼の妻は、彼が帰ってこないので、事情を知りたいと、ヴィーラカのところへやってきて、「サヴィッタカが見えませんが、いったいどこにいるのでしょう?」と尋ねて、第一の詩句を唱えました。
ヴィーラカよ
あなたは見かけたのですか
美しい言葉を語る
孔雀に似た頸を持つ
私の主人サヴィッタカを
それを聞いて、ヴィーラカは、「ええ、私は、ご主人のなれの果てを知っていますよ」と言って、第二の詩句を唱えました。
水中も陸上も自由に生きる
いつも生魚を食べる水鳥の
真似をしたサヴィッタカは
水草にからまり死に果てぬ
それを聞いて、雌のカラスは嘆き悲しんで、バーラーナシーへ帰って行きました。
お釈迦さまはこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときのサヴィッタカはデーヴァダッタであり、ヴィーラカは実にわたくしであった」と。  
 
ムーラ・パリヤーヤ・スッタの話

 

この物語は、釈尊がUkkaṭṭha(ウッカッタ)の近くのSubhaga(スバガ)林に滞在しておられたとき、「Mūlapariyāya sutta(ムーラ・パリヤーヤ・スッタ)」(※1)について語られたものです。
そのころ、三ヴェーダに精通した五百人のバラモンたちが、出家して仏道に入り、三蔵を学んで、慢心と驕慢に酔って、「正しく悟りをひらいた人も三蔵を知っているだけである。我々も三蔵を知っている。それならばブッダと我々とに、いったい何の区別があろうか」と言って、お釈迦さまの機嫌をうかがうこともせず、自分たちはブッダと同じだという顔をして、日を送っていました。
そんなある日のこと、彼らがやって来てお釈迦さまの近くに坐ったとき、お釈迦さまは、「ムーラ・パリヤーヤ・スッタ」を「八つの人格」(※2)に基づいて説き明かされました。しかし彼らは何一つ理解できませんでした。そのとき彼らはつぎのように考えました。「我々は、我々に比べうる智慧者はいないと自慢していた。しかし今、我々は何も理解できなかった。ブッダに比べうる智慧者はいない。ああ、ブッダの徳はなんと偉大であることか」と。それ以後の彼らは慢心がなくなり、牙を抜かれた蛇のように、従順になりました。師は好きなだけウッカッタに滞在し、Vesālī(ヴェーサーリー)に赴き、Gotamaka cetiya(ゴータマカ廟)で「ゴータマカ・スッタンタ」という経を説かれると、一千世界が震動しました。それを聞いて、これらの比丘たちは阿羅漢の悟りに到達しました。
「ムーラ・パリヤーヤ・スッタ」を説きおえてから、お釈迦さまがウッカッタに滞在しておられるあいだに、比丘たちが説法場において話を始めました。「友よ、ああブッダの威力のなんと偉大なことか。あのバラモン出身の比丘たちは、あのように慢心と驕慢に酔っていたが、世尊が“ムーラ・パリヤーヤ”をお説きになると、慢心をなくしてしまった」と。そこへお釈迦さまがおいでになってお尋ねになりました。「比丘たちよ、ここに集って何の話をしているのか。」「これこれの話でございます。」そこでお釈迦さまは、「比丘たちよ、今だけではなく、以前にも私はこれらの慢心のため頭を高くして歩いていた連中を、改心させたことがある」と言って過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はあるバラモンの家に生まれました。 成年に達して、三ヴェーダに精通し、世界的に有名な先生となって五百人の青年にヴェーダを教えました。これら五百人の青年たちは、学業を成し遂げ、学問に専心して、「先生が知っておられるだけ、我々も知っている。何の区別もない」と考えて、驕慢になり、学校(先生のもと)に行くこともなく、種々の義務を果しませんでした。
ある日、先生がBadarī(ナツメの木)(※3)の根もとに坐っていたとき、彼らは先生を愚弄しようと思い、木を爪でコツコツと叩いて、「この木には価値がない」と言いました。菩薩は自分が愚弄されていることを知って、「弟子たちよ、おまえたちに一つの質問をしてみよう」と言いました。彼らはたいへんに喜んで、「言ってください、お答えいたしましょう」と言いました。先生は質問を出してから、第一の詩句を唱えました。
あらゆる生類をも
自分自身をも 時は食べつくす
時を食べつくした者は
生類を焼くものを焼き尽した
その質問を聞いて、青年たちの中には一人もこれを理解できる者はありませんでした。そこで菩薩は彼らに言いました。「おまえたちは『この問題は三ヴェーダの中にあるものである』と考えてはなりません。おまえたちは、私が知っていることを全部知っていると考えて、私をナツメの木と同じものと見なしました。私がおまえたちの知らないことを、たくさん知っていることに気付かないからです。行きなさい、七日間の時間をあげましょう。この期間中にこの問題を考えなさい。」彼らは菩薩を礼拝して、各自の住居に帰り、七日間考えましたが、問題の終わりも、極限をも見いだせませんでした。彼らは七日目に先生のもとにやって来て敬礼して坐り、「諸君、問題が分りましたか」と尋ねられて、「分りません」と答えました。再度菩薩は彼らを叱責して、第二の詩句を唱えました。
沢山の髪の毛で飾られている
人間の頭だけは数多くあり
うつむいて首につながっている
耳を持っている者は誰もいないのか
と言って、これらの青年たちを、「おまえたち愚か者には耳の穴(※4)だけがあって、智慧がない」と叱責し、問題を解きました。彼らはそれを聞いて、「ああ、先生は偉大だ!」と言って、謝罪し、慢心をなくして、菩薩に仕えました。
お釈迦さまはこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの五百人の青年たちは、現在の比丘たちであり、先生は実にわたくしであった」と。  
 
水牛と猿の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、不躾な猿について語られたものです。
サーヴァッティーのある家で、一匹の猿が飼育されていましたが、その猿は象の小舎へ行って徳高い象の背中に坐って大小便をたれ、遊び戯れていました。象は善い性格と、忍耐力という徳をそなえていたために、何もしませんでした。そんなある日のこと、この象のかわりに別の悪い象の仔が立っていました。猿は、「これは例の象だ」と考えて、悪い象の背によじ登りました。そのとき、象は猿を鼻で捕らえ、地上に叩きつけて足で踏み潰してしまいました。
この出来事はサンガに知れわたりました。ある日、修行僧たちが説法場で話を始めました。「友よ、不躾な猿が、徳高い象の背であると考えて、悪い象の背に乗りました。そのとき象は猿を殺してしまいました。」そこへお釈迦さまがおいでになってお尋ねになりました。「比丘たちよ、いま一緒に坐って何を話しているのですか。」「これこれの話でございます。」そこでお釈迦さまは、「比丘たちよ、この不躾な猿がこのような振る舞いをしたのは今だけではありません。昔もこのように振る舞っていました」と言って過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、ヒマラヤ地方の水牛の子として生まれました。
成年に達し、力をそなえ、山の麓・洞窟・山嶽・こえ難い密林のなかを彷徨って、とある快適な木の根を見つけ、餌を食べてから、昼間その木の根のところに立っていました。そこへ、一匹の不躾な猿が木から降りて来て、水牛の背に乗り、大小便をして、角をつかんで、ぶらさがり、しっぽをつかんで揺すり動かして遊びました。しかし菩薩は忍耐・慈愛・憐愍の情をそなえていたので、猿の狼藉ぶりを意に介しませんでした。猿は再三再四同じように振る舞いました。
するとある日、この木に住んでいた神が、木の幹に立って、彼に、「水牛の王よ、なぜあなたはこの悪い猿の侮辱に耐えているのですか。猿にやめさせなさい」と言って、その意味を説明しつつ、最初の二つの詩句を唱えました。
望みに応える人を擁護するが如く
軽薄で信頼を欺き屈辱を与える者を
堪え忍んで擁護することが
汝に何の意味があるのか
角で突き刺して殺したまえ
足で踏みつけて殺したまえ
悪しき者を処する者がなければ
愚か者の行為は
さらに増すであろう
それを聞いて、菩薩は、「木の神よ、もし私が、猿の生まれ・種姓・力等を蔑視し、その罪過を耐え忍ばないならば、どのようにして私の願望を成就させることができるのでしょうか。この猿は他の水牛も私と同じと思いこんで、同じように狼藉を働くでしょう。そこでこの猿が、常に怒りっぽい他の水牛たちにこんなことを仕掛ければ、猿はどのみち殺される羽目になるでしょう。その時私は、猿の屈辱からも殺生罪からも免れるでありましょう」と言って、第三の詩句を唱えました。
この者は
私だと思いこんで
他の水牛にも悪戯するでしょう
そのとき彼らは彼を殺すでしょう
私も自由になるでしょう
数日後に菩薩は別のところへ去りました。別の怒りっぽい水牛がその場所にやって来て立っていました。悪猿は、「これは例の水牛だ」と勘違いして彼の背に乗り、そこで狼藉を働きました。そこで水牛は猿を振り落して地上に叩きつけ、角で心臓を突きさして、足で踏みつけて粉々にしてしまいました。
師はこの法話をされて、真理を説き明かし、過去を現在にあてはめられました。「そのときの悪水牛はこの悪象であり、そのときの悪猿はいまの悪猿であり、徳高い水牛の王は実にわたくしであった」と。  
 
蛇を慈しむ話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、ある比丘について語られたものです。
比丘が浴室の焚き口で薪を割っていると、腐った木の間から一匹の蛇が出てきて足の指を噛みました。彼はその場で死んでしまいました。彼がこのようにして死んだことは、サンガの中に知れわたりました。講堂では比丘たちがその話に花を咲かせていました。
「みなさん、これこれの比丘が、浴室の焚き口で薪を割っていて蛇に噛まれ、その場で死んだそうです。」そこへお釈迦さまがおいでになって、お尋ねになりました。
「比丘たちよ。何の話があって集まっているのですか。」
「実はこういう話がありまして…。」
「比丘たちよ、もしその比丘が四つの蛇王族に親切にしていたら、蛇は彼を噛みはしなかったろうに。ブッダが現われる前、昔の苦行僧たちは、四つの蛇王族に親切にして、それら蛇王族のために生じる恐ろしさを免れたのです」と言って過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はカーシ国のバラモンの家に生まれ、成長して、諸欲を捨てて出家生活に入り、神通と禅定を修得して、ヒマラヤ地方のガンガー河が曲がる箇所に庵を作り、禅定の楽しみに耽りながら、仙人たちにとり囲まれて住んでいました。
その当時、そのガンガー河の岸には、さまざまな気味の悪い蛇がいて、仙人たちに危害を加え、ときには仙人たちが命を失ったりしていました。仙人たちは、このことを菩薩に告げました。菩薩は仙人たちを全部呼び集め、「もしおまえたちが四つの蛇王族を慈しむならば、蛇はおまえたちを噛まないだろう。だから、いまから四つの蛇王族をつぎのように慈しむべきである」と言って、つぎの詩句を唱えました。
ヴィルーパッカ蛇族に我が慈しみを
エーラーパタ蛇族に我が慈しみを
チャッビャープッタ蛇族に我が慈しみを
カンハーゴータマカ蛇族に我が慈しみを
このように四つの蛇王族を挙げて、「もしおまえたちが、彼らを慈しむことができるなら、蛇はおまえたちを噛みもせず、困らせることもないだろう」と言って、第二の詩句を唱えました。
無足のものに我が慈しみを
二足のものに我が慈しみを
四足のものに我が慈しみを
多足のものに我が慈しみを
このように、肉体の形状で分別して慈しみを実践する方法を示してから、今度は個人の祈願に基づいて慈しみの冥想を示し、つぎの詩句を唱えました。
無足のものは私を悩まさないように
二足のものは私を悩まさないように
四足のものは私を悩まさないように
多足のものは私を悩まさないように
続いて(対象を)特定しない形で、遍く慈しみを実践する方法を示して、つぎの詩句を唱えました。
一切衆生 一切有情 一切存在
余すところなく幸福でありますように
いかなる災いも来ないように
このように、「すべての有情を、差別無く慈しむように」と教示し、さらに三宝の徳を憶念させるために、
仏陀(の徳)は無限である
法(の徳)は無限である
僧(の徳)は無限である
と示しました。三宝の徳は計り知れない、無限である。しかし、有情の持つ徳は有限である。これを示すために、
爬虫類(の力)は有限である
蛇、サソリ、ムカデ、クモ、トカゲ、ネズミ(の力)も
と言いました。このように、菩薩は、「これらの生きものには、こころに怒り等の煩悩があるので、力は有限である」ということを示し、「三宝の無限の力によって、有限な力を持つ生きものたちから、日夜我が身が守られる」と言い、「三宝の徳を憶念せよ」と説きました。そして、さらに行うべきことを示すために、つぎの詩句を唱えました。
私の護衛は定めた
護囲を定めた
もろもろのものは退散せよ
私は世尊に敬礼します
正覚者七人に礼拝します
このように菩薩は、「礼拝をして、七人のブッダを憶念せよ」と仙人たちにこの言葉を与えました。それ以来、仙人たちは菩薩の教えを守って、すべての有情を慈しむことにつとめ、ブッダの徳を憶念しました。このようにして、彼らがブッダの徳を憶念しているかぎり、爬虫類は退散しました。菩薩も四つの崇高な境地である「慈・悲・喜・捨」を修習して、梵天の世界に生まれました。
お釈迦さまはこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの仙人たちは現在の仏弟子たちであり、仙人たちの師は実にわたくしであった」と。  
 
悪戯好きの話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、Lakuṇṭakabhaddika(ラクンタカバッディカ)長老について語られたものです。
この長老は美声の持主で、説法がうまく、特別な能力を具えた大阿羅漢の境地に達し、仏教界では有名な人でした。しかし、八十大弟子のなかで一番背が低く、まるで沙弥のように小さく、戯れられるために生まれてきたかのようでした。
ある日、彼が如来を礼拝してから、ジェータ林(祇園精舎)の境内のところへ行くと、地方に住む三十人ほどの比丘が、「十力者(お釈迦さま)を礼拝しよう」とジェータ林に入ってきて、僧院の境内のところで長老を見かけ、「あいつは沙弥だな」と思い込んで、長老の衣の裾をとったり、手を掴んだり、頭を捉まえたり、鼻を摘んだり、両耳を引っ張って揺り動かしたりして、ちょっかいを出してからかいました。
それから、鉢と法衣を整えてお釈迦さまに近づいて礼拝し、腰を降ろしました。お釈迦さまとの穏やかな会話が終わったとき、彼らは尋ねました。
「尊師よ、釈尊のお弟子の一人に、ラクンタカバッディカとかいう方がいらして、巧みに法話をされるということでございますが、今、どこにおいでになりますか。」
「比丘たちよ、おまえたちは会いたいと言うのですか。」
「はい、さようでございます。」
「比丘たちよ、おまえたちが境内のところで出会って、法衣の裾などをとり、からかって遊んできたのがその人です。」
「尊師よ、そのように誓願に誓願を重ねて、八十大弟子の資格を持つお弟子が、どうして、威厳に欠けて生まれついたのでございますか。」
お釈迦さまは、「自ら犯した罪のためです」とおっしゃり、彼らの求めに応じて、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は神々の王サッカでありました。
当時、ブラフマダッタ王に、老い衰えた者は、象であれ、馬であれ、牛であれ、見せることは出来ませんでした。王は悪戯好きであったので、そのような者を見ると、あとを追わせ、古ぼけた車を見ると、打ち壊させました。年老いた女たちを見ると、呼びつけてその腹を打たせ、倒させたり、また立たしたりしておびえさせました。年老いた男たちを見ると、曲芸師のように地面を回転するなどの芸をさせました。老人が見当らないときには、「これこれの家には老人がいるそうだ」と聞くと、呼びつけて楽しみました。人々は恥じて、自分の父母を国外に送り出しました。母への孝養、父への孝養は跡を絶ってしまいました。王の家来たちも悪戯好きでした。
死者たちは次々に四つの苦界(四悪趣)を満たし、天界の人々は減少しました。サッカは、新しく天界に生まれてくる者を見かけないので、「いったい、どういうわけなのだろう」と考えたすえに、王の悪戯に気がついて、「ひとつ彼をしごいてやろう」と思いました。
あるお祭の日、ブラフマダッタ王は飾りたてた象に乗って、飾りたてられた町を右から巡回していました。そのときサッカは老人の姿に身を変えて、古ぼけた車に乳清(醗酵乳)の入った壺を二つのせ、二頭の年老いた牡牛をつなぎ、ぼろの着物をまとって、車を御しながら、王に向って近づいて行きました。
王は古ぼけた車を見て言いました。「あの車をどけろ。」「王様、どこにあるのでございますか?わたしたちには見えません。」神々の王サッカは自らの神通力によって、王だけにしか姿を見せなかったのです。サッカは王のすぐそばに近づくと、王の上方に車を駆って、王の頭上で一つの壺を打ちこわし、引き返して二つめの壺を打ち割りました。すると王の頭から、ここかしこに乳清が流れ落ちました。王はそのために、困惑し、羞恥し、嫌な思いをしました。
王がこのように困りはてたのを知って、サッカは車を消して、サッカの姿をあらわし、金剛杵を手にして空中に立って言いました。
「悪者よ、悪王よ、おまえだけが歳をとらないなどということがありえようか? 老いがおまえの身体には襲いかからないとでもいうのか? 悪戯好きとなっておまえは年寄りを苦しめている。おまえ一人のために、このように年寄りたちは苦しめられて、死んでいった者は次々に苦界を満たしている。人々は父母を養うことも許されないでいる。もしおまえがこういうことをやめないのならば、わしは金剛杵でおまえの頭を打ち砕くぞ。これから決してこのようなことをしてはならない。」
こう言っておどかして、父母の徳を述べ、年長者を敬う行為の功徳を説き教えて、サッカは自分の住居に帰っていきました。王はそれ以来、そのような行為をする気を起こしませんでした。
お釈迦さまはこの過去の物語をされて、悟りをひらいた人として、次の詩句を唱えられました。
身体の大小に関わらず
白鳥・鴨・孔雀・象・鹿
また他の生きものたち
みな獅子を怖れる
同じく 人間においても
たとえ青少年でも
賢者こそが偉大である
愚者は体格が大きくても
偉大にはならない
お釈迦さまはこの法話をされて、真理を説き明かされ、過去を現在にあてはめられました。真理の説明が終わったとき、比丘たちのある者は預流果の境地に達し、ある者は一来果の境地に達し、ある者は不還果の境地に達し、ある者は阿羅漢果の境地に達しました。
「そのときの王は、ラクンタカバッディカであった。彼はその悪戯好きな性質のために、他人の悪戯の的になって生まれてきたのである。そして、サッカは実にわたくしであった」と。
  
ソーマダッタの話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、長老ラールダーイ(『とんちんかん』という意味で付けられたあだ名と思われます)について語られたものです。
彼は、ほんの二・三人の人々の前でさえ、一言も話すことが出来ませんでした。大変なあがり症で、「こう話そう」と思っても、別のことを話してしまうという始末でした。ある日、比丘たちは説法場でそういう彼のことを話題にして坐っていました。そこへお釈迦さまがおいでになってお尋ねになりました。「比丘たちよ、なんの話があってあなたたちはここに坐っているのですか?」「これこれこういうわけでございます。」そこでお釈迦さまは、「比丘たちよ、ラールダーイがたいへんなあがり症なのは、今に限ったことではない。前生においてもそうだったのだ」と言って過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はカーシ国のあるバラモンの家に生まれ、成長してから、タッカシラーで技芸を学び終え、再び家に帰ってみると、父母が貧しくなっているのを知りました。「衰退した家を再興しよう」と両親に願い出て、彼はバーラーナシーに行き、王に仕えました。彼は王に大変気に入られました。
一方、彼の父は二頭の牛を使って耕作を行ない、生計をたてていましたが、そのうちの一頭が死んでしまいました。彼は菩薩である息子ソーマダッタのところへ行って、「息子よ、牛が一頭死んでしまって、耕作がうまく行かない。王様に牛を一頭お願いしておくれ」と言いました。「お父さん、私は先刻王様にお会いしたばかりです。だのに今また牛をお願いしに行くのは相応しくありません。ご自分でお願いしてください。」「息子よ、おまえは私が大変なあがり症であることを知らないのだ。私は二・三人の前でさえも話をすることができない。もし私が王様のところへ牛をお願いにでかけたら、残ったこの牛さえ差しあげてきてしまうだろう。」「お父さん、それならそれで結構です。とにかく私が王様にお願いすることはできません。しかし、私はあなたに稽古をつけてあげましょう。」「そうか。それはよい。私に稽古をつけておくれ。」息子は父をつれて、ビーラナ草の茂っている墓地に行き、あちこちに草を縛って束にしたものを置き、「これは王様。これは皇太子。これは将軍」と名前をつけて、順々に父に示し、「お父さん、あなたは王様のところへ行って、『王様万歳』と言ってから、つぎのような詩を唱えて、牛をお願いしてください」と言って、詩句を教えました。
大王よ 私に二頭の牛があり
それで田を耕しておりました
王よ その一頭が死にました
第二の牛をお与えください 王よ
バラモンは一年かかって詩を暗記して、息子に言いました。「ソーマダッタよ、私は詩をよく憶えた。今ではそれを誰の前でも唱えられる。私を王のところへつれて行っておくれ。」「いいでしょう、お父さん」と言って、彼はしかるべき贈物を持たせて、父を王のところへつれて行きました。バラモンは、「王様万歳」と言って贈物を差しあげました。王は、「ソーマダッタよ、このバラモンはおまえの何なのか?」と尋ねました。「私の父でございます。大王様。」「なんのために参ったのだ?」この瞬間、バラモンは牛を願うための詩を唱えました。
大王よ 私に二頭の牛があり
それで田を耕しておりました
王よ その一頭が死にました
第二の牛をお受け取りください 王よ
王はバラモンが間違えて唱えたことに気がつき、微笑んで、「ソーマダッタよ、おまえの家にはたくさんの牛がいるようだね」と言いました。ソーマダッタは、「きっと、あなたさまから頂戴したものでございましょう」と言いました。王はそういう菩薩が気に入り、バラモンに十六頭の牛と、その装身具と、住むべき村とを彼への引出物として与え、非常な栄誉をもってバラモンを送り出しました。バラモンは真白な駿馬のひく馬車に乗り、大勢の従者をつれて村に向かいました。菩薩は父とともに馬車に乗って行く道すがら、「お父さん、私はまるまる一年というもの、あなたの訓練におつきあいしました。でも大切なときに、あなたは牛を王様に差し出しましたね」と言って、第一の詩を唱えました。
ビーラナ草の茂みでまる一年
怠らず 訓練して
なのに人の前で 言い間違えた
智慧の浅い人に 決めごとは守れない 
すると彼の言葉を聞いて、バラモンは第二の詩を唱えました。
ソーマダッタよ
物を乞う人が 至る運命は二つです
財を得るか 或いは何も得られないか
物を乞うとは そういうことです
お釈迦さまは、「比丘たちよ、ラールダーイはいまに限ってたいへんあがり症だったのではない。前生においてもたいへんなあがり症であった」とこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときのソーマダッタの父はラールダーイであり、ソーマダッタは実にわたくしであった」と。  
 
兄弟ブタの話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、死を恐れたある比丘について語られたものです。
彼は、サーヴァッティーに住む名家の子で、ブッダの教えに従って出家しましたが、非常に死を恐れていました。ほんのちょっとした木の枝のざわめきや、棒の倒れる音、鳥や獣の声、あるいはそのほかの似たような音を聞いては、死の恐怖に苛まれて、まるで腹部を傷付けたウサギのように、震えながら走ったということです。
比丘たちは、講堂で話を始めました。「友よ、ある比丘が死を恐れて、ほんのちょっとした音を聞いても、震えて逃げるそうだ。この世においては、生きとし生けるものにとって死は必然であって生命は無常である。そもそもこのことは、根本的に心すべきことではあるまいか」そこへお釈迦さまがおいでになってお尋ねになりました。「比丘たちよ、何の話をするために、今集まっているのか?」「これこれの次第でございます」と言われて、お釈迦さまはその比丘を呼んでこさせました。「おまえは死を恐れているそうだが本当か?」「さようでございます、尊師よ」その事実にもとづいてお釈迦さまは、「比丘たちよ、今ばかりではなく、過去においても彼は死の恐れに苛まれたことがあるのだ」と言って過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は牝ブタの胎に宿りました。牝ブタは月が満ちて、二匹の子を産みました。
ある日のこと、牝ブタは子ブタをつれて、とある穴のなかに寝そべっていました。そのとき、バーラーナシーの城門に近い村に住んでいる一人の老婆が、綿畑から綿を籠一杯つみ取って、杖を地面に突きながら帰ってきました。牝ブタはその音を聞いて死の恐怖に襲われ、子ブタをそこに棄てたまま逃げて行ってしまいました。老婆は子ブタを見つけて、息子であるかのような想いを抱き、子ブタをかごに入れて家へつれ帰り、兄をマハートゥンディラ、弟をチュッラトゥンディラと名づけて、自分の息子のようにして育てました。二匹のブタは、その後、すくすく成長して大きな身体になりました。老婆は、「こいつらを売って金にしないか?」と言われても、「私の可愛い息子なんだから」と言って決して手離そうとはしませんでした。
さて、ある祭礼のときのことです。博奕打ちたちが酒を飲んで、肉がなくなってしまったとき、「どこかから良い肉が手に入らないか?」と考えました。彼らは老婆の家にブタがいることを知り、代金をもってそこへ行って、「婆さん、お金を受けとって、ブタを一匹俺たちにくれよ」と言いました。老婆は、「おまえさん、我が子を食肉用として売り渡す母親がこの世に居るとおもいますか?ばかばかしい」と拒みました。博奕打ちたちは、「婆さんよ、息子と呼んでいても、所詮はブタだ。人間じゃないぜ。俺たちにゆずっておくれよ」と何度も頼みましたが、手に入れることができませんでした。そこで老婆に酒を飲ませ、酔った頃を見計らって、「婆さんや、ブタなんか飼って育てても、何の役にも立たんよ。金に替えて、何か好きなものを買いなよ」と言って老婆の手にお金を握らせました。
老婆は金を受けとって、「あんたたち、いくらなんでもマハートゥンディラだけは絶対にやらないよ。どうしてもというなら、チュッラトゥンディラの方を連れて行きな」と言いました。「そいつはどこにいるんだい?」「あの子は、そこの藪のなかにいるよ」「そいつに声をかけておくれよ」「今ちょっと餌がないんだよ」と老婆が言うと、博奕打ちたちは早速お金を出して、ご馳走の餌を買ってきました。老婆はそれを受けとり、戸口にあるブタの餌桶を充たして、その餌桶のそばに立ちました。三十人ばかりの博奕打ちたちも、縄を手にして同じように立っていました。老婆は、「ほうれ、チュッラトゥンディラや、おいで」とブタに声をかけました。それを聞いてマハートゥンディラは、「これまで私のお母さんは、チュッラトゥンディラに声をかけたことはなかった。いつもは先に私のほうを呼んだものである。今日はきっと私たちに恐ろしいことが起るだろう」と思いました。兄は弟に話しかけて、「弟よ、お母さんが呼んでいるぞ。すぐに行って見ておいで」と言いました。
弟は藪の中から出て行きましたが、餌の木桶のそばに博奕打ちたちが待ち構えているのを見て、「今日私は殺されてしまうんだ」と思い、死の恐怖におののいて逃げ出し、身震いしながら兄の前に戻ってきました。しかし、身を震わせてよろめき歩き、しっかりと立っていることができませんでした。マハートゥンディラは弟を見て、「弟よ、今日おまえは動揺して歩き廻りながら、入口の様子ばかりを窺っている。いったいどうしてそんなふうにしているんだ?」と尋ねました。弟は自分が見てきたことを話して、詩句を唱えました。
今日 ご馳走の餌で
餌桶は充たされ
母はそばで見守っている
されど 投げ縄を持った人が多数いる
食べる気持ちは消えうせた
死の恐怖に苛まれた比丘についてお釈迦さまが語られた物語です。あるお婆さんが森で子ブタ二匹を拾って、我が子のように愛情いっぱい注ぎ、育てました。ブタといえば食用の家畜動物ですが、このお婆さんには「うちの息子二人」という感じしかなかったので、決して手放そうとはしませんでした。ところがある日、博奕打ちたちが老婆に酒を飲ませ、酔わせたところで弟ブタのチュッラトゥンディラの方を売る承諾を得ました。ご馳走を餌桶に入れ、ブタを呼びました。投げ縄を持って待ちかまえていた人を見たブタは、恐怖感に覆われて、何も食べずに兄の元へ逃げたのです。自分が脅え震えている訳を兄に聞かれて、このように詩句で答えました。
今日 ご馳走の餌で
餌桶は充たされ
母はそばで見守っている
されど 投げ縄を持った人が多数いる
食べる気持ちは消えうせた
それを聞いて菩薩(兄ブタのマハートゥンディラ)は、「弟チュッラトゥンディラよ、お母さんがこれまでブタを養っておられたその目的が、まさに今日達せられるのだ。おまえは何を悩んでいるのか」と言って、朗々とした声でブッダのように真理を語り、二つの詩句を唱えました。
震えるのか、うろうろするのか
避難場所を求めるのか
逃げ場はない。君はどこへ逃げるのか?
チュッラトゥンディラよ
落ち着いてただ食を摂れ
肉のために飼われたのだから
全ての汗と垢を清澄な湖で洗い流せ
消えることがない新芳香で自己を飾れ
兄が「十のpāramitā」(十波羅蜜)を思い起こし、その中の「mettā pāramitā 慈悲波羅蜜」を念頭において最初の詩句を唱えたとき、その声は十二ヨージャナ離れたバーラーナシーの都まで響き渡りました。それを聞くやいなや、王や副王などを始めとして、バーラーナシーの住民すべてが出てきました。出てくることができない者も、家に居ながら耳を傾けました。王の家来は、藪をとり囲んで地面を平坦にならし、砂を撒きました。博奕打ちたちの酔いは醒め、縄を捨てて教えを聞こうと立っていました。老婆もまた、酔いが醒めてしまいました。
菩薩は大衆の中央に進み出て、チュッラトゥンディラのために教えを説き始めました。それを聞いてチュッラトゥンディラは、「私の兄はこのように語る。しかし蓮池に入って沐浴し、身体から汗と汚れをとり去り、新しい香油をつけることは、どんなときでも私たちの習慣ではあり得ない。いったい、兄は何故にこのように言ったのであろうか?」と問いながら、第四の詩句を唱えました。
清澄な湖とは何ですか?
汗と垢とは何ですか?
消えることがない
新芳香とは何ですか?
それを聞いて菩薩は、「それでは耳を傾けて聞きなさい」と言って、二つの詩句を唱えました。
清澄な湖とは法である
罪は汗と垢である
戒こそは新芳香であり
その香は尽きることなし
殺す者は歓喜して殺す
殺される者には歓喜はあらず
祝祭日の夜の円かな月の如く
人は歓喜して命を捨てる
このように菩薩は朗々とした声で、ブッダのように法を説きました。大衆は拍手を響かせ、上着を振り回し、称讃の声を大空に轟かせました。
バーラーナシーの王は、菩薩に王位の勲章を与え、老婆にも財産を与えました。王は、二匹のブタを香水で入浴させて衣服を着せ、首に花鬘を飾らせました。そして都へつれて帰り、我が子のようにして多くの従臣もつけました。菩薩は王に五戒を授け、またバーラーナシーの住民とカーシ国の住民すべてに戒を守らせました。菩薩は、彼らのために斎日には法を説き、裁判所に坐って裁判を行ないました。彼がその地位にあるあいだは、偽りの訴訟ごとをおこす者は、まったくありませんでした。
その後、間もなく王は亡くなりました。菩薩は、大葬の礼を行ないました。彼は、裁判所で裁判した事件の記録を整理して、一冊の書物にまとめ、「この本を調べて裁判を行なうように」と言って大勢の人々に教えを説き、怠らないようにと訓戒しました。そうして皆が泣き悲しむうちに、チュッラトゥンディラとともに、森へ帰って行きました。
その後、菩薩の教誡は、六万年のあいだ行なわれ続けました。
お釈迦さまはこの話をされて真理を明らかにされ、過去を現在にあてはめられました。(真理の説法が終わったとき、死を恐れていた比丘は、預流果の悟りに達しました)「そのときの王はアーナンダであった。チュッラトゥンディラは死を恐れた比丘であり、会衆はブッダの会衆であった。マハートゥンディラは実にわたくしであった」と。  
 
古井戸の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、サーヴァッティー在住の商人たちについて語られたものです。
商人たちはサーヴァッティーで商品を仕入れ、車に満載し、商売をするために出かけるとき、如来を招待しました。大布施を行ない、帰依して戒を保ち、お釈迦さまに礼拝し、「世尊よ、わたしたちは商売のために長い道中を参ります。商品を売って成功し、無事に帰って参りましたら、ふたたび世尊にご挨拶申し上げましょう」と言って、旅立ちました。商人たちは難路を行く途中で、古井戸を見つけて、「この井戸には水がない。しかし我々はのどが渇いている。この井戸を掘り下げてみよう」と言って、掘っている間に、相次いでたくさんの鉄や瑠璃等を手に入れました。商人たちはそれで満足して、その財宝を車に満載し、無事にサーヴァッティーに帰って来ました。商人たちは持って来た財宝を収蔵し終わって、「わたしたちは成功した。お釈迦様に食物を捧げよう」と思い、如来を招待し布施を行った後、礼拝して片隅に坐り、自分たちが財宝を得た様子をお釈迦さまにお話ししました。お釈迦さまは、「あなたたちウパーサカ(男性信者)は、その財宝で満足し、適量を知っていたので、財宝も楽な生き方も手に入れたのです。しかし昔、満足せず、適量をわきまえず、賢者の言葉にも従わないで生命を失った者がありました」と言われ、商人たちに乞われて、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はバーラーナシーで商人の家に生まれました。やがて成年に達して、隊商たちの長となりました。彼はバーラーナシーで商品を仕入れ、車に満載して、たくさんの商人をつれて、その同じ難路に差し掛かり、その同じ井戸を見ました。そこでそれらの商人たちは、「水を飲もう」と言って、井戸を掘っているうちに、相次いでたくさんの鉄等を手に入れました。彼らは財宝をたくさん手に入れたにもかかわらず、それに満足しませんでした。「ここには他に、これよりも素晴らしいものがあるであろう」と言って、いま一層深くその井戸を掘りました。そのとき菩薩は商人たちに言いました。「さあ、商人たちよ、貪欲というものは破滅の根源です。わたしたちはすでにたくさんの財宝を得ました。これだけで満足すべきです。掘り過ぎてはいけません。」商人たちは菩薩に制止されたにもかかわらず、なおも掘り続けました。しかしその井戸には竜が棲息していました。そのとき、その井戸の下に住んでいた竜王は、自分の宮殿がこわされ、土塊や塵芥が落ちて来たとき、怒って、菩薩を除くすべての商人を一人残らず鼻息で打ち殺してしまいました。彼は竜宮から出て来て、車を仕立てさせ、財宝全部を満載し、菩薩を乗り心地のよい車に乗せ、若い竜たちに車をひかせて、菩薩をバーラーナシーに案内して家に入らせた後、財宝を順序良く収蔵させて、自分たちの竜宮に帰って行きました。菩薩は財宝を売り、たとえば鋤で畑を掘る場合は余すことなく掘るように、インド全土に遍く布施をし、戒を受けて斎戒を行ない、やがて生命が終わったとき、天界に生まれました。
お釈迦さまはこの過去のことを話されてから、悟りをひらいた人として、つぎの詩句を唱えられました。
水を欲して 古井戸を掘る商人たちが
鉄・銅・すず・鉛を掘り当てた さらにたくさんの
金・銀・真珠・瑠璃も掘り当てた それでも満ち足らず
さらにさらに掘り続けた商人たちは
猛毒をもつ蛇王の
威厳の炎によって 忽ち死滅した
だから掘りなさい
掘り過ぎはやめなさい
掘り過ぎは罪である
掘る者は財を得る
掘り過ぎは破綻する
お釈迦さまはこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの竜王はサーリプッタであり、隊商の長は実にわたくしであった」と。  
 
ダサンナカ国製の刀剣の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、前妻への愛着が断ち切れない比丘について語られたものです。
お釈迦さまはその比丘に、「あなたは悩むことがあって修行に身が入らなくなっているそうだが、本当ですか」とお尋ねになりました。「本当でございます、尊師よ。」「何について悩んでいるのですか。」「もとの妻のことが忘れられません」と比丘が答えると、お釈迦さまは、「比丘よ、今あなたの修行の障害になっているこの女性は、過去にもあなたを精神的な病気に陥れ、あなたはあやうく死ぬところでした。その時、賢者らの助けによって、かろうじて命拾いをしたのです」と言って過去のことを話されました。
むかし、バーラーナシーでマッダヴァ大王が国を統治していたとき、菩薩は、バラモンの家庭に生れました。彼はセーナカクマーラ(クマーラ=少年の意)と名づけられました。成長した彼は、タッカシラーであらゆる学問を修得しました。その後バーラーナシーへ帰ってから、マッダヴァ王の相談役を務める大臣となりました。まるで月や太陽が親しまれるように、セーナカ賢者という愛称で、市民に好かれていました。
そのころ、王の司祭大臣の息子が、王に仕えるために参じました。そのとき彼は、いろいろな装飾品で着飾った非常に美しい第一王妃を見て、すっかり心を奪われてしまいました。彼は家へ帰ってから、食事もせずに寝込んでしまいましたが、友人たちに尋ねられて、彼はそのわけを話したのでした。
王は、「司祭の息子の姿が見えない。いったいどういうことか」と尋ねました。その訳を聞いた王は、彼を召喚しました。この若者の気持ちが痛いほどわかった王は、このように解決策を決めました。「わたしは、おまえに妃を七日の間与えよう。七日間おまえの家で彼女と一緒に過ごしてみなさい。それでお前も満足するだろう。しかし、八日目には必ず妃を後宮につれて来なさい」と言いました。彼は、「かしこまりました」と言って承知し、大変喜んで妃を家へつれて帰りました。
ところが、一緒に楽しんでいるうちに、彼らはお互いに恋に落ちてしまいました。この二人は、誰にも気づかれないように家の門から逃げ出して、他の王の領土へ行ってしまいました。誰にも彼らの行方はわかりませんでした。彼らの進んだ道は、まるで船の航路のようでありました。王は、町中に太鼓を打たせて布告を出し、さまざまの方法で探し求めましたが、妃のゆくえは、ようとして知れませんでした。
そこで王には、激しい悲しみがわき起こりました。胸は重くなり、血が逆流したようになりました。それからというものは、内臓からも血が出て吐血しました。そして徐々に病気が重くなりました。偉大な王医でさえ、治すことができませんでした。菩薩は、「この王さまは、身体の病気ではない。お妃を見つけられないので、精神的な病にかかっているのだ。心理療法を施して治さなくてはならない」と思いました。
そこでアーユラとプックサという、王の賢い大臣二人に治療方法について相談しました。
「王さまは、お妃が見つからないので、精神的な病にかかっているのです。身体の病気ではありません。私たちには、薬を与える以外に、人の病を治すたくさんの方法があります。手だてをつくして王さまを治して差し上げましょう。では、このような計画でいきましょう。王宮の庭で見世物を催させます。そこで、剣を飲む技を得意とする者に、剣を飲ませましょう。王さまには宮殿の窓際に坐っていただき、見世物をお目にかけましょう。剣を飲む技を見た王さまは、きっと側近の大臣にこのように尋ねると思います。『これは命がけでやっている技だね。これよりも難しい技などあるのかい。』そこで、友アーユラよ、君は答えなさい。『王さま、人に何かを〈差し上げます〉と言うことは、この技よりももっと難しいと思います』と答えてください。そこで王さまは興味を抱き、さらに質問することになると思います。友プックサよ、王さまは、君の意見も聞くでしょう。そのとき、あなたは王さまに、このようにお答えしなさい。『大王さま、〈差し上げます〉と口では言っていても、何も与えない人のほうが多いものです。〈与える〉という言葉だけでは、人の役に立ちません。言葉だけでは誰も生きられはしない。〈差し上げる〉と言われただけで、食べることも、飲むこともできません。口に出して言うだけでなく、その言葉の通りに実行し、約束の通りに品物を与えるということは、もっと難しいことです』と。それからあとでするべきことは、わたしが心得ています。」
それから彼らは、計画通りに見世物の用意を済ませました。彼ら三人の賢者は王のもとへ行き、「大王さま、王宮の庭で見世物を用意してございます。それをご覧になると、苦しみ、悲しみなんかは消え失せます」と申し上げました。王さまを案内し、窓を開き、見世物をご覧に入れました。
大勢の人々がそれぞれ自分の得意とする技芸を披露しました。いよいよ、この見せ物の真打ちがやって参りました。一メートル弱の鋭い刃をもつ宝剣を飲み始めました。王はそれを見て、「この男は、あんな鋭い剣を飲んだ。いったい、あれよりももっと難しいことなんかがあるのか」と、感嘆の声を上げました。そして尋ねてみようと、賢者アーユラに対して最初の詩句を唱えました。
ダサンナカ国で作られた
人の血を吸い尽くす
鋭い刃を持つ刀剣を
公衆の面前で男は飲みこむ
これより至難の技があるのか
もしあるとするならばそれを問う
問うた私に答えを申せ
それから彼らは、計画通りに見世物の用意を済ませました。彼ら三人の賢者は王のもとへ行き、「大王さま。王宮の庭で見世物を用意してございます。それをご覧になると、苦しみ、悲しみなんかは消え失せます」と申し上げました。王さまを案内し、窓を開き、見世物をご覧に入れました。
大勢の人々がそれぞれ自分の得意とする技芸を披露しました。いよいよ、この見せ物の真打ちがやって参りました。一メートル弱の鋭い刃をもつ宝剣を飲み始めました。王はそれを見て、「この男は、あんな鋭い剣を飲んだ。いったい、あれよりももっと難しいことなんかがあるのか」と、感嘆の声を上げました。尋ねてみよう。賢者アーユラに対して、最初の詩句を唱えました。
ダサンナカ国で作られた
人の血を吸い尽くす
鋭い刃を持つ刀剣を
公衆の面前で男は飲みこむ
これより至難の技があるのか
もしあるとするならばそれを問う
問うた私に答えを申せ
そこで賢者は答えて、第二の詩句を唱えました。
人の血を吸い尽くす刀剣も
報酬のためなら飲みこむであろう
しかし「私は与える」と発言するのは
それよりも至難の技である
他の行為は容易いもの
かく知り給え、マッダヴァ国王よ
王は、アーユラ賢者の言葉を聞き、考えました。「『わたしは与える』と発言することは、危険な剣を飲むことよりも難しいことなのだ。」王さまはハタと気づきました。「わたしは『司祭の息子に妃を与える』と言った。そうすると、わたしは、最も難しいことをしたことになる」と思い、心のなかの苦悩が、少し薄らいできました。それから、「『他人に与える』と発言することよりも、他にもっと難しいことがあるのだろうか」と考えて、プックサ賢者に語りかけて、第三の詩句を唱えました。
俗事聖事に博学な
アーユラは私の問に答えた
今プックサに我は問う
これより至難の技とは何か
もしあるとするならばそれを問う
問うた私に答えを申せ
そこで王に答えてプックサ賢者は、第四の詩句を唱えました。
宣言されても実行されない
言葉はむなしい発言である
「われは与う」と宣言し
それを実行する
これこそが更に難しい
至難の技である
かく知り給え、マッダヴァ国王よ
王はその言葉を聞いて、「わたしは、『司祭の息子に妃を与える』と言って、言葉通りに与えた。わたしは、まったくなしがたいことをしたのだ」と思いめぐらしたので、苦悩が一層薄らいできました。そこで王さまは、こう思いつきました。「セーナカ賢者よりもっと賢い者は誰もおらぬ。この質問を彼に尋ねてみよう。」そこでそれを質問して、第五の詩句を唱えました。
俗事聖事に博学な
プックサは私の問に答えた
いまセーナカに我は問う
これより至難の技とは何か
もしあるとするならばそれを問う
問うた私に答えを申せ
そこで王に答えてセーナカ賢者は、第六の詩句を唱えました。
人は多かれ少なかれ
財宝を施すことはできるだろう
しかし与えて悔まぬということは
それよりも至難の技である
他の行為は容易いもの
かく知り給え、マッダヴァ国王よ
王は、菩薩の言葉を聞いて、反省しました。「わたしは、自分の意志で、司祭の息子に妃を与えながら、自分の心を抑えることができずに、悩み疲れている。これはわたしにふさわしいことではない。もし妃がわたしに愛着があるのなら、この富を捨てて逃げ出したりはしなかったろう。わたしに愛情を示さずに逃げ去った女に、何の用もないではないか。」王がこのように考えたとき、まるで蓮の葉の上にある水滴がころげ落ちるように、すべての苦悩が消え去ってしまいました。ちょうどその瞬間に王の内臓は回復し、王は健康で安らかになって、菩薩を誉めたたえ、最後の詩句を唱えました。
アーユラは問に答えたり
賢者プックサもまた然り
されどセーナカの解答は
あらゆる問を圧倒する
王は、このように菩薩を賞讃して喜び、たくさんの財宝を彼に授けました。
お釈迦さまは、この話をされて真理を説き明かされ、過去を現在にあてはめられました。(真理の説法が終わったとき、悩んで修行に身が入らなくなっていた比丘は、預流果の境地に達しました)「そのときの王妃は比丘の前妻であった。王は悩んで修行に身が入らなくなった比丘であり、アーユラ賢者はモッガッラーナ、プックサ賢者はサーリプッタであり、セーナカ賢者は実にわたくしであった」と。
  
ウドゥンバラ樹とオウムの話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、ある比丘について語られたものです。
彼はお釈迦さまのもとで修行の指導を受けてから、コーサラ国の国境の村に近い森林に住んでいました。人々は彼のために、行き帰りが楽な所に昼夜住める房舎を用意し、うやうやしく仕えていました。ところが彼が雨安居に入った最初の月にその村が焼けてしまい、村人には蒔く種すらも残りませんでした。村人たちは、比丘においしい食べ物をお布施することができなくなりました。彼にとってはよい住居でしたが、食物が不味いことに悩んで修行は全く進みませんでした。それから三ヵ月過ぎて、彼はお釈迦さまのもとにご挨拶に行きました。お釈迦さまは、親しく言葉を交わされ、「食物には困ったろうが、房舎は快適であったろう?」とお尋ねになりました。彼は、その事情を報告しました。お釈迦さまは、彼のその房舎が快適であったことをお知りになり、「比丘よ、沙門というものは、房舎が快適であれば、食欲に陥るのではなく手に入った食べ物で満足し、修行を行うべきである。むかしの賢者は、動物として生を受けたときでさえも、自分の住所である枯木で木の粉を食べていても、欲望に囚われることなく、満足して恩(感謝)を忘れることなく、他の場所へ去りはしなかった。おまえはどうして『食物が乏しい、粗末である』と言って、適当な房舎を活用しなかったのであるか」とおっしゃり、彼に請われて、過去のことを話されました。
むかし、ヒマラヤ山中のガンガー河の岸辺に、ウドゥンバラの森があって、数千羽のオウムが住んでいました。そこに一羽のオウムの王がおり、自分の住んでいる木の果実がなくなると、残っているものは若芽でも、葉でも、樹皮でも、枯皮でも、何でも食べ、ガンガー河の水を飲み、徹底した少欲知足生活で、決して別の場所には去りませんでした。彼の少欲知足の徳によって、帝釈天(サッカ)の天宮は震動しました。帝釈天は原因を調べたところで彼を見出しました。そして、彼を試すために、自分の神通力によってその木を枯らしてしまいました。そのため木は幹だけが残り、穴だらけになり、風に吹きさらされて立っていました。そしてその穴から木の粉くずがでてきました。オウムの王は、その木の粉くずを食べ、ガンガー河の水を飲み、他の場所へは去らずに、風や太陽の熱を気にせず、ウドゥンバラの幹のてっぺんに坐っていました。帝釈天は、彼がとても少欲であることを知り、「彼に恩(感謝)について語らせ、謝礼を彼に与え、ウドゥンバラ樹に甘露の果実を実らせてこよう」と思いました。帝釈天は一羽の白鳥に姿を変え、自分の妻である阿修羅の娘、スジャーを先に立てて、そのウドゥンバラの森へ行き、近くに立つ一本の木の枝にとまりました。そして、オウムと会話を始めて、最初の詩句を唱えました。
果実に溢れる樹木には
鳥は群らがり果実を賞味する
果実が尽きたところで
鳥たちは他方へ飛び去る
彼はこのように言って、オウムを立ち去らせるために第二の詩句を唱えました。
オウムよ、飛び去れ
何故枯れ木の上で困窮するのか
そのわけを聞きましょう
春の如き麗しい鳥よ
何故枯れ木を捨て去らないのか
そこでオウムの王は、帝釈天に向かい、「白鳥よ、私がこの木を捨てて去らないのは、この樹に恩を感じているからです」と言って、二つの詩句を唱えました。
白鳥よ 真友の友情は命の如し
苦楽と禍福を共にし
友人を捨て去ることはしない
善人は常に善行為を想う
白鳥よ 私も親善を尽くす
樹は我が親族にして友なり
命を惜しみ この枯樹を見捨てることは
友情の道ではない
帝釈天は彼の言葉を聞いて満足し、賞讃して贈り物を与えようと思い、二つの詩句を唱えました。
汝は友情と慈しみと和合を
見事に語る
この法を重んじる汝は
賢者の賞讃に値する
オウムよ
私は汝に謝礼をする
汝が望むものは
何なのか
それを聞いてオウムの王は、贈り物を選びつつ、第七の詩句を唱えました。
白鳥よ もしも私が謝礼を受けるなら
再びその樹の生命を希望する
枝葉がのびて果実が実り
栄えて美しく立つように
そこで帝釈天は彼に謝礼を与えようと第八の詩句を唱えました。
友よ 果実の豊かなこの樹を見よ
君はこの樹と共に住むべし
枝葉がのびて果実が実り
栄えて美しく立つであろう
このように言って、帝釈天は白鳥の身体を捨て、自分とスジャーとの神通力を現し、ガンガー河から手で水をすくって、ウドゥンバラ樹の幹に注ぎました。するとただちに樹には枝や若葉が茂り、甘い果実が実り、露出した宝石の山のように、美しく輝きながらそびえ立ちました。オウムの王はそれを見て喜び、帝釈天をほめたたえて、第九の詩句を唱えました。
多くの果実を眺め見て
わが喜びは限りなし
それと同じく帝釈天一族にも
幸福と栄えあれ
帝釈天は彼に謝礼をして、ウドゥンバラの果実を甘露の如くして妻のスジャーと一緒に自分の住処へ帰りました。
最後に、この物語についてお釈迦さまが次の詩句を唱えられました。
オウムに謝礼をして
再び果実を実らせ
帝釈天夫妻は
神々の歓喜苑へと立ち去った
お釈迦さまはこの話をされて、「比丘よ、このようにむかしの賢者は動物として生を受けても、欲に溺れることはなかったのだ。おまえは、どうしてこのような教えのもとで出家しながら欲に溺れる行動をするのであるか。行ってその場所で暮らしなさい」とおっしゃって、さらに指導なさいました。そして、過去を現在にあてはめられました。(その比丘は、その場所へ行き、ヴィパッサナー実践を行い、阿羅漢の悟りに到達しました。)「そのときの帝釈天はアヌルッダであり、オウムの王は実にわたくしであった」と。  
 
香り盗人の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、ある比丘について語られたものです。
その比丘は、ジェータ林を離れて、コーサラ国の、とある森の近くに住んでおり、ある日のこと、蓮池に降りて行って、花の咲いた蓮花を見つけ、風下に立って香りを嗅いでいたということです。
そのとき、その森に住んでいる女神が、「尊者よ、あなたは香り泥棒ではないでしょうか?実にあなたの行為は偸盗罪にあたります」と言って、彼を恐れさせました。これを聞いた彼は、大変に怯えて、ふたたびジェータ林に帰ってきて、お釈迦さまに礼拝して坐りました。お釈迦さまに、「比丘よ、お前はどこに行っていたのか?」と尋ねられ、彼は、「これこれの森に住んでおりました。そこで女神が、このように言って、わたしを恐れさせました」と答えました。そこでお釈迦さまは、「比丘よ、花の香りを嗅いで、女神におびやかされたのはお前ばかりではない。昔の賢者も、かつて恐怖させられたことがある」と言って、比丘に請われて、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、カーシ国の町のあるバラモンの家に生まれました。彼は成長すると、タッカシラーの町で学問を学び、その後仙人の道に出家して、ある蓮池の近くに住んでいました。ある日のこと池へ降りて行き、満開の蓮の花を見て、その香りを嗅ぎながらたたずんでいました。そのとき一人の女神が木の幹の穴から現れて、彼を恐れさせて、第一の詩句を唱えました。
水中に生まれた一輪の蓮の花
貰いもせずにあなたは嗅ぐ
それは偸盗罪の一種といえる
君は香り盗人なのである
そこで菩薩は、第二の詩句を唱えました。
取ることもなく折ることもなく
ただ離れて花を嗅ぐのみである
何故にして私は
香り盗人と呼ばわれるのか
ちょうどそのとき、一人の男が、その池で蓮根を掘り出して、蓮花を傷つけていました。菩薩はそれを見て、「離れて立って香りを嗅ぐ者を、あなたは盗人と呼ぶのなら、どうしてあの男をそのように言わないのですか」と女神に語りかけながら、第三の詩句を唱えました。
この人は蓮根を掘る
蓮花を切り散らす
このように散々に痛めつける
何故この人には言わないのか
そこで神は、その男にはそう言わぬ理由を説明して、第四、第五の詩句を唱えました。
残酷な行為が多い人は
子守りの前掛けの様に汚れている
彼に言うことはない
しかし自己を戒める人には言う
煩悩から離れて
常に清浄を求める人には
毛端ほどの罪さえも
雲のように大きく見える
女神の意外な言葉に気付かされ、菩薩は感動して第六の詩句を唱えました。
実に神霊よ 君は私を知っている
さらに私を隣れんでいる
神霊よ 私の他の過ちを見出したならば
ふたたび私に告げたまえ
そこで女神は、彼にたいして第七の詩句を唱えました。
貴方と同居しているのではない
貴方に養われているのでもない
比丘よ 如何にして天界に行けるかは
自分自身で知りなさい
女神はこのように彼を諭して、自分の住所に入って行きました。菩薩も禅定に入り、梵天の世界に生まれるべき身となりました。
お釈迦さまは、この話をされて真理を明らかにされ、過去を現在にあてはめられました。(真理の説法が終わったとき、その比丘は、預流果の悟りに達しました)「そのときの女神はウッパラヴァンナーであった。修行者は実にわたくしであった」と。
 
蚊を退治する話

 

この物語は、釈尊がマガダ国を遊行しておられたときに、ある村で愚かな村人たちについて語られたものです。伝えるところによると、そのとき如来は、サーヴァッティーからマガダ国へ赴き、そこを遊行して、とある村へ到着されました。その村には、大勢の愚か者たちが住んでいました。
ある日のこと、その愚か者たちが集まって、「皆さん、われわれが森へ入って仕事をしていると蚊にくわれ、そのためにわれわれの仕事が邪魔されてしまう。皆で弓と武器を持って行って蚊と戦い、全部の蚊を射ったり斬ったりして殺してしまいましょう」と相談しました。そして、森へ入って行き、「蚊を射殺そう」と言って、心ならずも互いに射合い、斬り合いました。そして苦しみながら帰って来て、村の内や中央や入口に倒れていました。
お釈迦さまは、比丘たちに囲まれながら、その村へ托鉢に入られました。残った賢い人々は、お釈迦さまを見て、村の入口に礼拝所を作り、お釈迦さまを初めとする比丘サンガに多大な布施を行ない、お釈迦さまを礼拝して一面に坐りました。お釈迦さまは、あちこちの場所の負傷した人々をご覧になり、信者たちにたずねられました。「これら大勢の者たちは傷ついているが、彼らはどうしたのか。」「尊師よ、この人たちは、『蚊を退治しよう』と言って出かけ、互いに射合って、自ら怪我人となったのです。」お釈迦さまは、「愚か者たちが、『蚊を打とう』として自分たち自身が傷ついたのはいまだけのことではなく、前生でも、『蚊を打とう』として仲間を打ったのである」と言って、人々に懇請されて過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、商業で生計を立てていました。そのとき、カーシ国のとある辺境の村に大勢の大工たちが住んでいました。
その中の一人である禿頭の大工が木を切っているとき、一匹の蚊が、その銅鍋の底のような後頭にとまって、槍で突くように頭を嘴(くちばし)で刺しました。彼は自分のそばに坐っている息子に言いました。「おい、わしの頭を蚊が槍で突くように刺している。追い払っておくれ。」息子は、「父さん、辛抱していてくださいな。一撃でそいつを殺しますから」と言いました。菩薩は、自分の扱う商品を仕入れるためにこの村に着き、その大工の小屋に坐っていました。大工が息子に「おい、この蚊を追い払っておくれ」と言ったのは、丁度そのときでした。息子は、「父さん、追い払ってあげるよ」と、鋭利な大なたを振りあげ、父親の背後に立って、「蚊を打つよ」と、父親の頭を真二つに割ってしまいました。大工は、即座に死んでしまいました。菩薩は、彼のそのしわざを見て、「(味方の愚か者よりは)たとえ仇敵であっても、賢明な者のほうがまだましである。何故ならばそういう者は、刑罰の恐れを理由にしてでも、人々を殺すことまではしないだろう」と考えて、つぎのような詩句を唱えました。
浅はかな味方より余程
思慮ある敵は優れたり
蚊を殺そうとするこの白痴は
父親の頭を切り裂く
この詩句を唱えて菩薩は立ち去って行きました。大工は、親族たちによって、手厚く葬られました。
お釈迦さまは、「信者らよ、このように昔も蚊を退治しようとして、人を殺した者がいたのです」とおっしゃって、説法をなさいました。そして過去を現在にあてはめられました。「そのときの詩句を唱えて去った賢明な商人は、実にわたくしであった」と。  
 
毒蛇に咬まれた修行者の話

 

この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、ある頑固な比丘について語られたものです。
お釈迦さまは彼に、「比丘よ、そなたは聞き分けがないということだが、本当か」とたずねられました。「本当です、尊師よ」と答えたので、「比丘よ、そなたが頑固なのは今だけのことではなく、前世でも頑固だった。頑固だったために、そなたは賢者たちの忠告を聞き入れず、蛇に咬まれて命を落とすに至った」とおっしゃって、過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、カーシ国の大金持の家に生を享けました。彼は、分別ある年齢に達すると、欲望から起こるわざわいと、世俗離脱における利益とを理解し、欲望を捨ててヒマラヤ山に入りました。そして、仙人として出家生活に入ると、集中瞑想を行ない、五つの神通力と八つの禅定を得て、瞑想の喜悦を享受して過ごしました。その後、多くの弟子をもち、五百人の修行者にとりまかれ、集団の師となって暮らしていました。あるとき、一匹の幼い毒蛇がその習性に従って這いまわり、一人の修行者の庵に舞い込んで来ました。修行者は、その蛇に息子に対するような愛情を起こし、それを竹の筒の中に入れて育てました。それは、竹の筒の中に飼われていたので、「ヴェールカ(竹坊や)」と名づけられました。また修行者は、それを息子に対するような愛情をもって育てたので、「ヴェールカの父」と言われるようになりました。
そのとき菩薩は、「一人の修行者が毒蛇を育てているそうだ」ということを聞いてその修行者を呼び寄せ、「おまえは、毒蛇を育てているそうだが、本当か」とたずねると、「本当です」と答えたので、「毒蛇は飼い慣らせないものだ。そのようにして飼うのはやめなさい」と言いました。修行者は言いました。「お師匠さま、あの子はわたしの息子です。わたしは、あの子なしでは生きていけません。」「それでは、おまえはその息子のもとで命を失うだろう」と菩薩は言いました。修行者は、菩薩のことばを受け入れず、毒蛇を捨てることができませんでした。それから幾日かたって、修行者たちはみな、野生の果実を採りに出かけましたが、行った場所でいろいろな果実が容易に手に入ることが分かると、二、三日そこに滞在しました。ヴェールカの父も彼らと一緒に出かけましたが、毒蛇を竹の筒の中に入れ、覆いをして残して行きました。二、三日して、彼は彼らと一緒に帰って来て、「ヴェールカに餌をやろう」と、竹の筒を開けました。そして、「さあ、せがれや、おなかが空いただろう」と手を差しのべました。毒蛇は、二、三日のあいだ、食べものを断たれていたので腹を立て、差しのべられた手に咬みつきました。修行者はその場で死に至り、蛇は森へ逃げて行きました。修行者たちはそれを見て、菩薩に報告しました。菩薩は、彼を手厚く葬らせ、修行者の集まりの中央に坐り、修行者たちを訓戒するため、つぎのような詩句を唱えました。
他人の幸福を願う慈悲深き人の
訓戒に耳を貸さない者は
惨めになるのだ
ヴェールカの父のように
こうして、菩薩は修行者たちに訓戒し、四つの崇高な境地である「慈・悲・喜・捨」を修習して、寿命が尽きると、梵天の世界に生まれました。
お釈迦さまは、「比丘よ、そなたが頑固なのは今だけのことではなく、前世でも頑固だったために、毒蛇に咬まれて腐乱することになった」と、この説法を取りあげ、過去を現在にあてはめられました。「そのときのヴェールカの父は頑固な比丘であり、その他の修行者たちは比丘サンガであり、そして修行者たちの師は実にわたくしであった」と。  
 
チュッラカ長者の話

 

この物語は、釈尊がラージャガハ近郊のジーヴァカのマンゴー林に滞在しておられたときに、チュッラパンタカ長老について語られたものです。
この場合、まずチュッラパンタカの出生について語らねばなりません。伝えるところによると、ラージャガハの長者の娘が、自分の下男とねんごろになり、「他の者が私たちのこのふるまいを知るかもしれない」と恐れて、このように言いました。「私たちはこの場所に住むことはできません。もし、私の両親がこの過ちを知るようなことがあれば、私を切り刻んでしまうでしょう。他国へ行って暮らすことにしましょうよ。」そして手持ちの大事なものを持って表の門を出て、「どこでもよいから他の者に知られない場所に行って暮らしましょう」と、二人は出て行きました。
彼らが、ある場所で一緒に暮らしていくうちに、彼女のおなかに子が宿りました。彼女は臨月が近づいたので、夫と相談しました。「私のおなかの子は、もう間もなく生まれます。知人や親戚のいない場所でお産をするのは、私たち二人にとってはとてもつらいことです。家に帰りましょうよ。」しかし彼は、「もし今私が行けば、命がない」と考えて、「今日は行く、明日は行く」と言いながら、一日また一日と空しく過ごしていました。彼女は思案しました、「このバカ者は、自分が犯した過ちを恐れて思いきって行くことができないのだ。世の中で両親というのは絶対に我が子を心配するもの、この人が行こうが行くまいが、私は行くことにしよう」と。
彼女は彼が家から出かけているあいだに、家財道具を整理し、自分の実家に行くことを隣の家に住む人々に告げて旅路につきました。さて、その男は家に戻っても彼女が見えないので、近所の人たちにたずね、「実家に行きましたよ」と聞き、急いで後を追い、途中で追いつきました。ちょうどそこで彼女は出産していました。彼は、「子どもはどうなの?」とたずねました。「あなた、男の子が生まれたのよ。」「さあ、私たちはどうしたらよいだろう。」「お産のために、私たちは実家に行こうとしたのに、途中で生まれてしまったのだから、あちらへ行ったって何になりましょう。引き返すことにしましょう」と言って、二人は心をあわせて引き返しました。そして、その子供には、道路で生まれたということで、パンタカ(旅人)という名をつけました。
ほどなくして、彼女に別の子が宿りましたが、すべて前と同じ次第になりました。その子供も道路で生まれたことから、初めに生まれたほうをマハーパンタカ(マハーは、大という意味です)という名にして、次の子にはチュッラパンタカ(チュッラは、小という意味です)という名をつけました。彼らは、二人の子供を連れて自分たちの住む所に戻りました。彼らがそこで暮らしていたとき、幼いマハーパンタカは、他の子供たちが「おじさん」とか「おじいさん」とか「おばあさん」と言っているのを聞いて、母親にたずねました。「お母さん、よその子供たちは『おじさん』とか『おじいさん』とか『おばあさん』とか言っているよ。僕たちには親戚はいないの。」「そうよ坊や、ここにはおまえたちの親戚はいないのよ。でもラージャガハの都には、お金持の長者であるおまえたちのおじいさんがいます。そこには、おまえたちの親戚が沢山いますよ。」「お母さん、どうしてそこへ行かないの。」彼女は、自分が行かない理由を息子に話しましたが、息子たちが繰り返しそのことを話すので、夫に言いました。「この子供らは私をとても困らせるのよ。両親は私たちを見ても怒って肉まで食べるようなことをするはずはないわ。さあ、子供らにおじいさんの家を見せてやりましょう。」「私は顔を合わせることはできないが、おまえをそこへ連れて行ってやろう。」「けっこうよ、あなた。どんなふうにしてでも、子供らにおじいさんの家を見せてやればよろしいのよ。」
二人は子供たちを連れて、やがてラージャガハに着き、都の門のところにある一家屋に宿をとり、子供の母親は、二人の子供を連れて戻って来たことを両親にとりつがせました。両親はそのことづてを聞くと、「輪廻の世界にいる私たちに息子や娘がいないわけはない。だが、彼らは私たちに大きな罪を犯したから、彼らを私たちの目の届くところにおくことはできない。これだけの財産を持って二人は安穏な場所へ行って住めばよい。しかし子供たちはこちらへ連れてきてくれ」と言いました。長者の娘は、両親から送られた財産を受け取り、子供たちを、やって来た使いの者たちの手に渡して送り出しました。
それから、子供たちは祖父の家で成長しました。彼らのうちで、チュッラパンタカは幼すぎましたが、マハーパンタカのほうは祖父と一緒に十力具者(お釈迦さま)の法話を聞きに行きました。彼はつねにお釈迦さまの面前で教えを聞いているうちに、出家することに心が傾いていきました。彼は祖父に言いました。「もしおじいさんたちが承知してくれるなら、ぼくは出家したいのだけれど。」「願ってもないことだよ。全世界の人が出家することよりも、わしらにとってはおまえ一人が出家するほうがめでたいことなのだ。おまえ、もしできると思うなら出家しなさい」と承知して、お釈迦さまのもとへ一緒に出かけました。
お釈迦さまは言われました。「長者よ、この子供はそなたの何にあたるのか。」「はい、尊師よ、この子供は私の孫でございまして、お釈迦さまのもとで『自分は出家したい』と申しました」と答えました。お釈迦さまは一人の長老に、「この子供を出家させよ」と命じられました。その長老は、彼に髪の毛、身体の毛、爪、歯、皮膚という五つの観察を説いて出家させました。彼は多くのブッダの教えを習得し、成年になると比丘戒を受け、比丘になりました。比丘として受戒した彼は、徹底的に、専心して修習し、阿羅漢の境地に到達しました。
彼は瞑想の喜悦と、解脱の安穏とを享受しつつ、日々を送りながら考えるのでした。「いったい、この喜悦と安穏をチュッラパンタカに与えることができるだろうか」と。そこで、祖父の長者のところへ行き、「大長者よ、もしあなたが承知してくださるならば、私はチュッラパンタカを出家させたいのですが」と言いました。長者は、「尊師よ、出家させてください」と言って承知しました。そこで長老マハーパンタカは、幼いチュッラパンタカに沙弥出家を授けて、十戒を堅く守らせました。沙弥のチュッラパンタカは、出家はしたけれども、愚鈍でありました。そのため、
美しく慕わしく香る紅蓮華が
暁に綻びるような
太陽が大空に輝くような
釈尊をご覧になれ
というこの一つの詩句を四ヵ月かけても習得することができませんでした。
実は彼は、昔カッサパという正覚者の時代にも出家して、賢い人でありましたが、ある一人の愚鈍な比丘がお経を習うのに苦戦しているのを見て、嘲笑しました。彼に嘲笑されたその比丘は、恥じて落ち込みました。それからお経を習得することをやめてしまいました。その業によって、彼は今出家したけれども愚鈍になったのです。一偈の前半を習って、後半に移るとき、前半を忘れてしまいます。彼がこれだけの詩句を習得しようと努力しているあいだに、四ヵ月もの日々を費やしてしまいました。
長老マハーパンタカは、幼いチュッラパンタカに沙弥出家を授けて、十戒を堅く守らせました。沙弥のチュッラパンタカは、出家はしたけれども、愚鈍でありました。そのため、
美しく慕わしく香る紅蓮華が
暁に綻びるような
太陽が大空に輝くような
釈尊をご覧になれ
というこの一つの詩句を四ヵ月かけても習得することができませんでした。
実は彼は、昔カッサパという正覚者の時代にも出家して、賢い人でありましたが、ある一人の愚鈍な比丘がお経を習うのに苦戦しているのを見て、嘲笑しました。彼に嘲笑されたその比丘は、恥じて落ち込みました。それからお経を習得することをやめてしまいました。その業によって、彼は今出家したけれども愚鈍になったのです。一偈の前半を習って、後半に移るとき、前半を忘れてしまいます。彼がこれだけの詩句を習得しようと努力しているあいだに、四ヵ月もの日々を費やしてしまいました。
そこで、マハーパンタカが彼に言いました。「チュッラパンタカよ、おまえはこの教えを全うすることができない。四ヵ月も費やしたのに詩句一つも習得できない。そんなおまえが出家としての修行をどうして達成することができよう。寺を出なさい」と、放逐しました。
チュッラパンタカは、ブッダの教えを敬愛していたので、在家に戻ることを欲しませんでした。
そのとき、マハーパンタカはお布施の采配の担当を一任されていました。
ジーヴァカ・コーマーラバッチャが香や花や多くの供物を持って自分のマンゴーの林へ出かけ、お釈迦さまに供養して教えを聞き、座から立って十力具者(お釈迦さま)を礼拝してから、マハーパンタカに近づいて、「尊師よ、お釈迦さまのもとには、どれくらいの比丘がおりますか」とたずねました。「五百人ばかりです。」「尊師よ、明日、お釈迦さまを初めとする五百人の比丘たちをお連れして、私たちの住居で供養をお受けください。」「ウパーサカ(男性在家信者)よ、チュッラパンタカは愚鈍で、修行を達成できない。彼を除いた、残りの者に対する招待をお受けいたします」と長老は言いました。
それを聞いてチュッラパンタカは考えました。「長老は、これだけ多くの比丘の招待を受けておりながら、私を除外して受けた。きっと私の兄には、私に対する思いやりがなくなったのだろう。今さら出家でいても、私にとって何になろう。在家に戻って、布施などの善行為を行ないながら生きることにしよう。」彼は、「翌日早朝に、私は還俗します」と決めたのです。
お釈迦さまは、明け方に世間を観察されるとき、この様子を発見され、先まわりして、チュッラパンタカの出口を遮ろうと門のところを経行しながら待っておられました。チュッラパンタカは建物から出ると、お釈迦さまに出会ったので、近づいて挨拶をしました。すると、お釈迦さまは彼に対して、「チュッラパンタカよ、そなたは今時分にどこへ行くのか」と言われました。「尊師よ、兄が私を放逐しました。私は還俗するために行くのです。」「チュッラパンタカよ、そなたは私を頼りに出家したのだ。兄に放逐されたのなら、どうして私のもとへ来なかったのだ。君が在家に戻って何になろう。私のもとにいなさい」と言われ、チュッラパンタカを連れて行き、仏殿の前に坐らせて、「チュッラパンタカよ、東の方に向かってこの布きれを『垢とり、垢とり』と言って擦りながら、この場所にいなさい」と、神通力で作り出した清潔な布きれを渡しました。そして釈尊は時間になったので、比丘サンガにとりまかれてジーヴァカの家に行き、用意の座に坐られました。
チュッラパンタカのほうは太陽を仰ぎつつ、その布きれに、「垢とり、垢とり」と言って擦りながら坐っていました。その布きれは彼が擦り続けているうちに汚れてしまいました。そこで彼は考えました。「この布きれはとても清潔でした。しかし、私の身体に触れたことで、以前の清潔さを捨ててこのように汚れてしまった。変わったのだ。実に、作られたものは無常なのだ」と。このことが、諸行の消滅を観察する、ヴィパッサナー実践となったのです。
お釈迦さまは、チュッラパンタカの心がヴィパッサナー実践に移行したということを察知されて、「チュッラパンタカよ、この布きれが汚れて垢に染まったことを気にする必要はありません。実に、君の心の内には、貪欲などの垢がある。それらを取り除きなさい」と言われて、光明を放ち、あたかも面前に坐っているかのように姿を現わして、つぎのような詩句を唱えられました。
垢とは塵に非ず貪欲こそが垢なり
垢とは貪欲の同義語である
比丘はこの垢を捨てて
無垢の教えに安住する
垢とは塵に非ず瞋恚こそが垢なり
垢とは瞋恚の同義語である
比丘はこの垢を捨てて
無垢の教えに安住する
垢とは塵に非ず無知こそが垢なり
垢とは無知の同義語である
比丘はこの垢を捨てて
無垢の教えに安住する
詩句がおわると、チュッラパンタカは、特別な能力までも具わった大阿羅漢の境地に到達しました。その特別な能力は、三蔵経の教えの理解でもあります。
実は、彼はある前生に国王であったとき、都城を廻っていた折、額から汗が出たので、清潔な布で額を拭ったところ、布が汚れてしまいました。彼は、「私の身体に触れたことで、以前の清潔さを捨ててこのように汚れてしまった。変わったのだ。実に、作られたものは無常なのだ」と、無常観を体得しました。このようなわけで、彼には「垢とり」というのが一番適合したのです。
ところで、ジーヴァカ・コーマーラバッチャは、十力具者にお食事前の手洗い水を差し出しました。お釈迦さまは、「ジーヴァカよ、精舎には比丘たちがまだいるのではないか」と、手で鉢を覆われました。マハーパンタカ長老は、「尊師よ、精舎には比丘たちはおりません」と申しあげました。お釈迦さまは、「ジーヴァカよ、いるかもしれませんよ」と言われました。ジーヴァカは、「それでは、おまえ、出かけて行きなさい。精舎に比丘たちがいるかいないかを調べてきなさい」と男を遣わしました。
その瞬間に、チュッラパンタカは、「私の兄は『精舎に比丘たちはいない』と言ったが、精舎に比丘たちのいることを彼に見せつけてやろう」と、マンゴーの林全体に神通で比丘たちをあふれさせました。ある比丘たちは、衣服の仕事を行ない、ある者たちは染色の仕事を、ある者たちは誦経をするというぐあいに、互いに異なった千人の比丘を現出させました。その男は、精舎に多くの比丘たちがいるのを見て引き返し、「だんなさま、マンゴーの林全体が比丘たちで満ちあふれております」とジーヴァカに報告しました。一方、チュッラパンタカ長老はその場で、この詩句を唱えました。
我が身を千体も化作して
心地良きマンゴー林に
パンタカが坐している
食事の時を告げられるまで
お釈迦さまは、「ジーヴァカよ、精舎には比丘たちがまだいるのではないか」と、手で鉢を覆われました。マハーパンタカ長老は、「尊師よ、精舎には比丘たちはおりません」と申しあげました。お釈迦さまは、「ジーヴァカよ、いるかもしれませんよ」と言われました。ジーヴァカは、「それでは、おまえ、出かけて行きなさい。精舎に比丘たちがいるかいないかを調べてきなさい」と男を遣わしました。その瞬間に、チュッラパンタカは、「私の兄は『精舎に比丘たちはいない』と言ったが、精舎に比丘たちのいることを彼に見せつけてやろう」と、マンゴーの林全体に神通で比丘たちをあふれさせました。ある比丘たちは、衣服の仕事を行ない、ある者たちは染色の仕事を、ある者たちは誦経をするというぐあいに、互いに異なった千人の比丘を現出させました。その男は、精舎に多くの比丘たちがいるのを見て引き返し、「だんなさま、マンゴーの林全体が比丘たちで満ちあふれております」とジーヴァカに報告しました、一方、チュッラパンタカ長老はその場で、この詩句を唱えました。
我が身を千体も化作して
心地良きマンゴー林に
パンタカが坐している
食事の時を告げられるまで
そこで、お釈迦さまはその男に、「精舎へ行って『如来がチュッラパンタカを呼んでいる』と言いなさい」と言われました。彼は出かけてそのように言ったところ、「私がチュッラパンタカです」「私がチュッラパンタカです」と千人の比丘が一斉に声を上げました。その男は帰って来て、「尊師、皆がチュッラパンタカというそうです」と申しあげました。「では、そなたは行って、『私がチュッラパンタカです』と最初に名乗った者の手をつかまえなさい。残りの者たちは消えうせてしまうでしょう。」彼はその通りにしました。すると、千人もいた比丘たちはたちまち消えうせました。長老チュッラパンタカは、出向いた男と一緒に行きました。
お釈迦さまは食事が終わると、「ジーヴァカよ、チュッラパンタカの鉢をとりなさい(※↓)。彼は、そなたに説法するでしょう」と言われました。ジーヴァカはそのようにしました。長老は咆哮する若いライオンのように、三蔵経典に基づいて説法しました。お釈迦さまは座から立ちあがって、比丘サンガにとりまかれて精舎に行かれました。そして比丘たちの務めがすむと、座から立ちあがり、居室の前に立って、比丘たちに助言を授けました。さらに瞑想を指導されてから居室に入り、右脇を下にして(獅子臥形という)床に就かれました。
さて、夕刻になると、講堂に比丘たちがあちこちから参集して、あたかも褐色の毛布を張り巡らしたように居並び、ブッダの威徳について話を始めました。
「友よ、マハーパンタカは、チュッラパンタカの気質を知らないで、四ヵ月かかっても一つの詩句を習得することができない、この者は愚鈍だ……と言って、精舎から追い出した。ところが、正覚者は、この上ない法の王であられ、ほんの半日のあいだに、彼に『無碍解』(特別な能力までも具わった大阿羅漢の境地)を授け、彼は、『無碍解』によって三蔵経典に精通するようになった。ああ、諸仏の御力はまことに偉大なものだ」と。
そのとき、世尊は講堂でこの話が始まったのを知られ、「今こそ私は行くべきだ」と、臥床から起きあがられました。濃い赤褐色の二重の衣を下に着け、稲妻のように輝く腰帯を結び、赤褐色の上衣をまとい、芳香室(お釈迦さまの居室は「芳香室」と呼びます)から出られました。ライオンの如く、雄々しく堂々とした歩調で、講堂に行かれました。そして、飾りたてた堂の中央の、立派に備えられた見事な座にあがられました。六色の光明を放ち、あたかも海の底までも照らしつつユガンダラの山頂に昇った朝日のように、座の中央に坐られました。正覚者が来られただけで、比丘サンガは、話を中断して沈黙しました。
お釈迦さまは、優しく慈しみの心で比丘たちをご覧になり、「この会衆はまことに立派だ。一人として無作法に手を動かしたり、足を動かしたり、咳ばらいや、くしゃみをする者がいない。この者たちはすべてブッダを尊重して敬意を抱き、ブッダの威光に畏敬の念を持ち、たとえ私が生涯話さずに坐っていても、先んじて話を切り出して語ることはないであろう。話を始める機会は私が承知すべきことだ。私がまず話をすることにしよう」と、妙なる神々しい声で比丘たちに告げました。「比丘たちよ、今どのような話をしていたのか。君たちが中断した話はどのようなものであったのか」と問われました。「尊師、私たちは、禁止されている卑しい話をしていたのではありません。世尊のすぐれた威徳を賞讃しながら坐っていたのです。『友よ、マハーパンタカは、チュッラパンタカの気質を知らないで、四ヵ月かかっても一つの詩句を習得することができない、この者は愚鈍だ……と言って、精舎から追い出した。ところが、正覚者は、この上ない法の王であられ、ほんの半日のあいだに、彼に『無碍解』を授け、彼は、『無碍解』によって三蔵経典に精通するようになった。ああ、諸仏の御力はまことに偉大なものだ』と話をしていました。」お釈迦さまは比丘たちの話を聞かれ、「比丘らよ、チュッラパンタカは今、私によって、もろもろの教えのなかでも大いなる教えを得たが、前生でも、私によって、もろもろの財産のなかでも大いなる財産を獲得したのだ」と言われました。比丘たちは、そのわけを明らかにされるよう世尊に懇請しました。世尊は、過去の生涯の隠れた経緯を説き明かされました。
その昔カーシ王国のバーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は長者の家に生まれ、成長して長者の地位を得て、チュッラカ(小)長者と名づけられました。彼は、賢明で有能であり、あらゆる吉凶を見分けられました。
ある日のこと、彼は王に仕えに行く途中で、路傍で死んだネズミを見つけ、その瞬間の星廻りを読んで、このように言いました。「能力のある人がこのネズミを取れば、妻を養い事業を営むことができるだろう」と。
そのとき、ある貧しい家の息子が、その長者の言葉を聞き、「この人が、いい加減なことを言うはずはなかろう」と、そのネズミを取って、ある酒屋で猫の餌用に売り渡し、小銭を手に入れました。その小銭で砂糖を入手し、水瓶に飲み水を入れて持ちました。彼は森からやって来る花環作りたちに出会って、少量ずつ砂糖のかたまりを与え一杓の水も与えました。彼らはお返しに、めいめい一つかみの花をくれました。彼はその花の代価で翌日も砂糖を手に入れ、水瓶を持って花園へ行きました。その日、花環作りたちは半分摘み残された花の茂みを彼に与えて行きました。彼は、まもなくこのような方法で八カハーパナ(八両)を得ました。
さらに、ある風雨の日に、王家の庭園に大量の枯れた小枝や大枝や木の葉が風のために落ちたことがありました。庭園の管理人は、これをどう処分したらよいのかわかりませんでした。彼はその場に行き、「もしこの枯木や葉を私にいただけるのなら、私はあなたに代わってこれらをすべて片づけてあげましょう」と管理人に言いました。彼は、「よろしい、持って行ってくれ」と承諾しました。チュッランテーヴァーシカ(チュッラカ長者の教えを受けた弟子、という意味)である彼は、子供らの遊び場へ行って砂糖を与えると、子供たちにすべての枯木や葉をすぐさま片づけさせ、庭園の門のところに山積みさせました。ちょうどそのとき、王家の陶芸家が王家の人々の陶器を焼くための薪を探していました。陶芸家は庭園の門のところでそれらを見つけ、彼の手から買いとりました。その日、チュッランテーヴァーシカは木を売って十六両と、瓶などの五個の陶器を手に入れました。
彼は、所持金が二十四両になったとき、「妙案がある」と都の門からほど遠からぬ場所に水瓶を一個据え、五百人の草刈り人たちに飲み水を供給しました。彼らは、「あんたは私たちに大変親切にしてくれた。あんたのために何をしてあげたらいいだろう」と訊きました。彼は、「私に何か事が起きたら、手伝ってください」と答えました。その後、彼はあちらこちらと動き廻っているうちに、陸路の商人や水路の商人と親しくなりました。陸路の商人は彼に、「明日、この都に馬の仲買人が五百頭の馬を連れてやって来るだろう」と教えました。彼はその言葉を聞くと、草刈り人たちに、「今日、私にひとつずつ草束をください。そして、私が草を売らないうちは、自分の草を売らないでください」と頼みました。彼らは、「いいとも」と承知して、五百の草束を運んできて、彼の家に積んで置きました。馬の仲買人は都じゅうで馬の草を入手できなかったので、彼に千両を渡してその草を買い取りました。
それから数日たって、水路の商人である友人が彼に、「港に大きな船がやって来た」と告げました。彼は、妙案が浮かんで、八両で、あらゆる装備のついた豪奢な車を借りてきて、威風堂々と船着き場に赴きました。船を買収するための誓約として指輪を一つ船主に渡すと、遠からぬ場所に天幕を張らせて坐りました。そして従者たちに、「外から商人がやって来た場合には、三人の門番を通じて知らせなさい」と命じました。「船が着いた」ということを聞いて、バーラーナシーから百人の商人たちが、「品物を手に入れよう」とやって来ました。だが彼らは、「あなたがたは品物を得ることはできない。某所の大商人が、すでに買収する契約をしてしまった」という話を聞いて、彼のもとへやって来ました。従者たちは前もって注意されていた通り、三人の門番を通じて、彼らのやって来たことを知らせました。その百人の商人たちは各自、千両を出して彼と一緒に船の所有者になり、さらに各自、もう千両ずつ出して彼に所有権を放棄させ、品物を自分らの所有にしました。
チュッランテーヴァーシカは、こうして二十万両を獲得してバーラーナシーに帰り、「恩に報いるのは当然だ」と、十万両を持ってチュッラカ長者のもとへ行きました。すると、長者は彼に、「君は何をしてこの財産を獲得しましたか」とたずねました。彼は、「あなたが話された方法にもとづいて、ちょうど四ヵ月の間に獲得したのです」と、死んだネズミのことから始めてすべての出来事を語りました。チュッラカ大長者は、彼の言葉を聞いて、「このような若者を他人にとられてはなるまい」と思い、年ごろの自分の娘を与え、自分の後継ぎとして、全資産の所有者としました。彼は長者の死後、その都における億万長者の地位を得ました。また、菩薩であるチュッラカ長者は、業に従って生まれかわって行きました。正覚者は、この説法をされてから、次の詩句を唱えられました。
才能ある賢者は
資金がわずかでも
見事に身をたてる
微かな火種を
吹き起こすように
こうして、お釈迦さまは、「比丘らよ、チュッラパンタカは今、私によって、私の教えのなかで最高の法を得たが、前世でも、私によって、財産のなかでも巨万の冨を獲得したのだ」と言われました。このように二つの出来事を語られると、過去を現在にあてはめられ、「そのときのチュッランテーヴァーシカはチュッラパンタカであり、チュッラカ大長者は実に私であった」と言われて、説法を終えられました。  
 
偉大な猿王物語

 

これは、シャカムニブッダが、ジェータバナという町で語られたお話です。
ある時比丘たちが、お釈迦さまが日々衆生の解脱のために休むことなく憐れみをもって心配なさっているにもかかわらず、自分の親族のためにも行うべき義務を果たされていることを話していました。するとそこにお釈迦さまが来られ、「何を話しているのか」とおたずねになりました。比丘たちがお答えすると、お釈迦さまは、「如来は、過去生でも一族のために行動したのだ」と、過去の物語をお話しになりました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は猿として生まれました。強くて立派な猿に成長した菩薩は、八万匹の猿たちのボス猿になってヒマラヤに住んでいました。ヒマラヤ山に流れるガンガー河のほとりには、小山のように大きくてフサフサと葉が生い茂るマンゴーの大木がありました。その木には、ほっぺたがとろけるほどおいしくて水ガメみたいに大きなマンゴーの実が、あふれんばかりに実るのでした。賢いボス猿は、他の猿たちとマンゴーを食べながら、「もしも川の中に実が落ちて流され、それを人間が見つけたならば、たいへんなことが起きるだろう」と考えました。そして、川の中に実が落ちないよう注意して、皆にもよく注意させ、川にせり出した枝の実を小さいうちにつみ取るように気をつけていました。
ところが皆で気をつけていたにもかかわらず、熟れたマンゴーの実が一つ、川に落ちて流されてしまったのです。ちょうど川の下流では、王様が川遊びをして魚を捕らせていました。マンゴーは魚の網にかかり、漁師がそれを王に差し上げました。王はマンゴーを食べてその最高の味にとりつかれ、「この実がなっている木を探せ」と大臣に命じました。家来たちは方々を探し、ヒマラヤ山中のガンガー河上流にその木があることをつきとめました。王はたくさんの筏(いかだ)を作り、大勢の家来を引き連れて川を遡(さかのぼ)りました。マンゴーの大木を見つけた王は熟れた実を拾い、思う存分食べました。満足した王は、その夜はそこに泊まることにして食事をとり、眠くなって木のそばに立派な寝床をつくらせて寝てしまいました。
菩薩の猿は、猿たちと夜中にマンゴーの木にもどり、皆で果実を食べていました。その時王が目を覚ましました。王は、猿たちがおいしい果物を食べているのを見て腹を立て、猿肉も食べてやろうと思いつき、「この猿どもを取り囲め。明日の朝、射殺して猿鍋にするのだ」と家来たちに命じました。弓矢を持った人間にねらわれていることに気づいた猿たちは震えあがり、「ボス、たいへんです! 我々は恐ろしい人間たちに取り囲まれています」とひどく怯えながら訴えました。
ボス猿はまず、「みんな、恐れなくてもいい。私がおまえたちを助けよう」と力強く言って、皆を落ち着かせました。川向こうに飛び越えると矢は届きませんが、川幅はとても広いのです。普通の猿が飛び越えるのはとても無理です。しかしボス猿には強い脚の力があったので、すぐに向こう岸にビューンと飛び移りました。ボス猿は丈夫な蔓(つる)を探し、「私が飛んだ河の幅はこの長さ、木に結ぶためにはこれだけ必要」とちょうどの長さに切ろうとしました。そのために忙しくて自分の足に結ぶ長さを足すのを忘れました。ボス猿は、丈夫な木と自分の足に蔓の端をそれぞれしっかりと結びつけ、川を素早く飛び戻りました。ところが、足に結んだ分の長さが足りず、木にたどり着くことができません。
それでも、菩薩であるボス猿は慌てません。両手でマンゴーの枝をしっかりとつかみました。そしてそのままで、「さあみんな、早く、私の背中を橋にして、私を踏んで、蔓の上を渡って向こう岸へと逃げなさい」と言ったのです。八万匹の猿たちは、「お頭(かしら)、本当に申し訳ない、申し訳ない」と許しを請いながら、言われたとおりに次々と向こう岸に渡りました。
猿の群のナンバー2がこれを見て、密かに喜びました。「これは俺のジャマ者のボスを追い払う良いチャンスだ」と思ったのです。その猿はわざと最後まで残って高い枝に登り、そこからボス猿の背中に思いっきり飛び降りました。勢いをつけてひどく蹴りつけたのです。ボス猿の内蔵は破裂し、耐えられないほどの苦痛がボス猿を襲いました。ボス猿を蹴りつけた猿は、そのままそこを立ち去りました。
ブラフマダッタ王は、その一部始終をしっかりと見ていました。王は、「あのボス猿は、動物ではありながら、自分の命も顧みずに仲間たちを助けたのだ」と感動し、「この猿の王を死なせてはならない。ちゃんと手当をするように」と家来たちに命じました。ボス猿はゆっくりと木の枝から下ろされ、ガンガー河でていねいに沐浴させられました。そして、高価な薬油を塗られ、砂糖水を与えられ、油引きの革の上に黄色い衣をかけて横たえられました。
ブラフマダッタ王はボス猿の下座に座り、詩でボス猿に問いかけました。
みずからを、踏ませてまでも
河を渡らせ、皆を救う。
あなたは彼らの何なのですか。
彼らはあなたの何なのですか。
大猿よ。
これを聞いた猿の王も、詩で答え返しました。
私は王で、彼らを治める頭(かしら)です。
恐れ怯えて泣き崩れる
彼らを決して見放すものか。
後ろ足に蔓(つる)をしばり、
百本の矢を巧みに避け、
風に飛ぶ雲のように、
河をひらりと飛び越えた。
マンゴーの幹にはたどりつかぬが、
両手で枝をしっかりと捉えた。
蔓と私を橋にして、
猿たちは無事に河を渡った。
蔓の枷(かせ)は私を痛めつけず、
死も私を苦しめない。
彼らに平和をもたらして、
王の務めを果たしたのです。
王よ、これはあなたにも良い例えである。
王たるものは、国、国民、兵隊、村、
すべてのものに、幸せを与えるべきです。
それは、政治家の務めである。
このように王を諭す詩を唱えた後、ボス猿は亡くなりました。ブラフマダッタ王は深く感銘を受け、大臣たちを集め、猿の王の葬儀を国王と同じように盛大に執り行うよう命じました。大臣たちは車百台分の薪の山をつくり、ボス猿をそこで荼毘(だび)に付した後、その頭骨を王に渡しました。ブラフマダッタ王は、ボス猿の頭骨に黄金をちりばめさせました。ボス猿の火葬場にはストゥーパが建てられて灯火を灯され、香料や花が供養されました。王はきれいに飾った頭骨を槍の先につけて先頭にたて、香料や花で供養しつつバーラーナシーに戻りました。ボス猿の頭骨は城内の廟(びょう)に安置され、街はきれいに飾られて、七日間のあいだ国中で喪の供養が行われました。ブラフマダッタ王は一生涯、菩薩の猿の廟を香料や花で供養しました。そして、その戒めの教えに基づいて徳行を行い、国を公正に治めました。王はその徳により、死後、天界に生まれました。
お釈迦さまは過去の物語を終えられ、「その時の王はアーナンダであり、ボス猿を蹴りつけた猿はデーヴァダッタでした。八万匹の猿たちはブッダの弟子たちであり、猿の王は私でした」とお話しになりました。  
 
ケチケチ大富豪の物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
マガダ国にサッカラという町があり、マッチャリコーシャという億万長者の豪商が住んでいました。マッチャリコーシャはひどいケチでした。草の先の露ほどのものさえ、決して人に与えません。お金があるのにケチケチと切りつめて暮らし、鬼の住む蓮池のように誰も寄せつけずに生活していました。
ある朝お釈迦さまは、慈悲の目で世間を見渡され、サッカラの豪商とその妻は預流果の悟りを得る能力があることをご覧になって、彼らに法を説いてあげようとお考えになりました。
その日の前日、マッチャリコーシャはお城に出かけ、お城から帰宅する途中、男が道ばたで米粉で作った揚げ菓子をおいしそうに食べているのを見ました。豪商は、自分もすごく食べたくなりました。しかしケチな豪商は、「私が食べて、家の皆にも食べさせるはめになったらたいへんだ」とガマンしました。そのうちに、だんだん体が黄色くなって青筋が浮き出てきました。豪商は苦しくなって、寝床にしがみつくように横になりました。それでも揚げ菓子のことは、決して誰にも言わなかったのです。
妻が心配して、「どこか悪いのではないですか」「お城で何かあったのですか」「家の者が、気に障ることをしましたか」「何かほしいものがあるのではないですか」と色々と訊いても、「別に何もないのだ」と生返事ばかりして寝ています。それでも妻が「何かほしくないですか。何でも言ってください」としつこく言うと、やっと「米粉の揚げ菓子が食べたい」と言ったのです。
妻は、「どうして黙っていたのですか。町中の人に揚げ菓子を作って振る舞いましょうよ!」と喜んで言いました。豪商は「とんでもない!人のことは放っておけ!」と怒りました。「では近所に振る舞いましょうよ」「何という大盤振る舞い屋だ!」「では家の皆に振る舞いましょう」「何という浪費家だ!」「では家族で食べましょう」「子供たちには贅沢だ!」「では、私たち二人で食べましょう」「なぜおまえまで食べるのだ!」。何を言われても機嫌が悪かった豪商は、「では、あなただけのために作りましょう」と妻が言うのを聞いて、やっとうなづきました。
「台所で作ると皆にバレる。米粉と牛乳とバターと砂糖とハチミツ、それに鍋とかまどを七階の部屋に用意して、そこでこっそり作っておくれ」と豪商は言いました。妻は「はい、はい」と、言われた通りのものを準備させました。豪商は建物にも部屋にも鍵をかけ、七階の高殿の部屋の中で、やっと安心して椅子に腰掛けました。妻は豪商のために揚げ菓子を作り始めました。
ブッダの十大弟子のお一人に、モッガッラーナ尊者という神通力に優れた大長老がおられます。ブッダはモッガッラーナ尊者に、「モッガッラーナよ、サッカラの強欲な豪商が、揚げ菓子を独り占めしようとして七階の高殿の部屋にいる。そこへ行って教えを説き、彼の妻と彼をこちらに連れてきてください」とおっしゃいました。モッガッラーナ尊者は「かしこまりました」と、すぐに神通力でそちらに飛び、豪商がいる七階の部屋の窓の外に、衣を形良くつけ、宝石の像のようにすらりと立ちました。
一般の人には、神通力など、まず見せることはありません。モッガッラーナ尊者が窓の外にいるのを見たら、誰でも驚くはずなのです。しかし欲で目がくらんでいる豪商は、その力を賛嘆するよりも、揚げ菓子を取られることを思って心臓が震えました。「こういう連中を避けて七階に来ているのに、窓の外にまで来て立っているとは!」と、鍋で煮詰めた砂糖のようにブツブツと怒りながら、「修行者よ、そこで何を得ようとしているのか。あなたが空中で歩行しても何も得られないだろうよ」と言いました。モッガッラーナ尊者はその場で歩く瞑想をしました。豪商が「空中で歩いてもムダだ。空中で坐っても何も得られないのだ」と言うと、尊者は結跏趺坐を組みました。豪商が「ムダだ! 窓の敷居に立っても何も得られないぞ」と言うと、尊者は窓の敷居のところに立ちました。「ムダだ。たとえ香をたいても何も得られないのだ」と言うと、尊者は香をたきました。部屋全体にお香の煙が立ちこめ、豪商は目が痛くなりました。豪商は、家が火事になっては困るので「炎を出しても何も得られないぞ」とは言わないようにして、「しょうがないから一つだけ菓子をあげて帰ってもらおう」と思い、「小さな菓子を一つ作って出家者に与え、追い返しなさい」と妻に命じました。妻は少量の種を鍋に入れましたが、菓子は大きくふくれました。「妻にまかせてはおけない」と、豪商が自分で小さなお菓子を作ろうとしました。すると、前よりもっと大きくなりました。いくらがんばっても、全部大きくなるのです。根負けした豪商は、「いちばん小さな菓子を捜して一つあげなさい」と言いました。妻が小さいのを取ろうとすると、全部の菓子がくっついてしまいました。豪商が来て、一つだけ菓子を取ろうとしても、取れません。二人で両端を持って引っ張りましたが、取れないのです。一生懸命になっているうちに汗が出てへとへとになりました。豪商はやっとモッガッラーナ尊者の神通力の偉大さに気づきました。そして、優れた出家者にさえケチケチしている自分がとても恥ずかしくなりました。彼は「もう私は揚げ菓子はいらない。全部お坊様にお布施しなさい」と言いました。
妻が菓子を持ってモッガッラーナ尊者のところに行くと、尊者は彼らのために、お布施について法を説きました。布施の功徳を天空の月のように説き示された豪商は、生まれてはじめて清らかな信仰心を起こしました。そして「尊者、どうぞこちらの椅子に坐ってお菓子を召し上がってください」とていねいに言ったのです。尊者は「豪商よ、正しく悟りを開いた方が、五百人の修行僧と共に僧院におられます。もしよければ一緒に師のもとに行きましょう。師はここから四十五ヨージャナ離れた祇園精舎におられます。もしお望みなら、私の神通力でお連れしましょう」と言いました。豪商の夫妻は「よろしくお願いします」とお願いしました。
モッガッラーナ尊者は、部屋の階段の下に祇園精舎の門をつなげました。豪商の夫婦は、階段を下りて祇園精舎に入りました。二人は、僧団に供養の水を献上し、お釈迦さまの鉢に揚げ菓子を入れました。師が、ご自身の生命を維持するだけ取られると、五百人の比丘たちも、次々と同様に菓子を取りました。豪商と妻も食べたいだけ取り、物乞いの人々にも与えましたが、菓子はなお余りました。余った菓子は門の近くの洞穴に捨てられました。豪商の夫婦は釈尊の傍に行って祝福の言葉を与えられ、釈尊から法話を聞いて預流果の悟りを得ました。
翌日、比丘たちが昨日のことを話していると釈尊が来られ、「何を話しているのか」とおたずねになりました。「昨日、モッガッラーナ尊者が貪欲な豪商を教化して尊師に会わせ、預流果の悟りを得させたことを話しておりました」と皆が答えたところ、釈尊はモッガッラーナ尊者をほめて次の詩を唱えられました。
ミツバチが花を損なうことなく
蜜を取り去って行くように
聖者は人々を損なうことなく、
村々を歩く(ダンマパダ49)
そして、「モッガッラーナが欲張りな豪商を導いたことは過去にもあった」と、過去の物語を話されました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、イッリーサという億万長者の豪商がいました。彼は体にあらゆる障害をもち、手は不自由、足はびっこ、目は片目というありさまでした。しかも邪見があり、物惜しみをし、強欲で、人に何一つ与えませんでした。イッリーサの家は、七代にわたって施しをする慈善家として知られた家でした。けれどもイッリーサは、家のしきたりを破って施しのためのお堂を焼き払い、貧しい乞食が来ると背中を打ち据えて追い返させるほどでした。
イッリーサ豪商はある日お城に出かけ、帰宅する途中、腐った魚を肴にして酒を飲んでいる人を見かけました。そして、自分もひどく酒を飲みたくなりました。しかし、「もし私が酒を飲めば、うちの者どもも飲む。大事な財産が減ってしまうぞ」という考えが浮かび、ガマンしました。そのうちに次第に体が黄色くなり、青筋が浮き出てきました。豪商は苦しくなって、寝床にしがみつくように横になりました。でも酒のことは、決して誰にも言いませんでした。
妻が心配して色々と聞いても生返事ばかりして寝ています。それでもしつこく訊くと、やっと「酒が飲みたい」と白状しました。そこで、「どうして黙っていたのですか。町中の人に酒を振る舞いましょうよ」「人のことは放っておけ!」からはじまって、前回の話と同じように、「では、あなたお一人で飲んでください」と妻が言うまで、豪商は文句を言い続けました。一人で酒が飲めることになって落ち着いた豪商は、こっそりと酒を買ってこさせて川へ行き、川岸の茂みに隠れて酒を飲み始めました。
イッリーサ豪商の父は、生前の善行によって、死後、帝釈天(サッカ神)となって、天界に住んでいました。帝釈天はある日、下界をのぞき、息子が家のしきたりを破って慈善を一切行わなず、一人でこっそりと酒を飲んでいるのを見ました。帝釈天である父は、「息子に『行為とその果報』という因果関係を教えてやろう」と思い、人間界に降りて息子そっくりの姿に化けました。
イッリーサに化けた帝釈天は、まずお城を訪ね、「私の家には八億の財産があります。それを王様に差し上げたいと存じます」と申し出ました。王は、「その必要はない。私には十分財産がある」と、断りました。彼は「では私は施しをしようと思います」と言って、王の許可を得ました。帝釈天は豪商の家に行き、門番に「私を語って家に入ろうとする者がいたら、背中を打って追い返せ」と命じてから家に入りました。そして豪華な椅子に座り、豪商の妻に、「妻よ、私はこれから皆に施しをしようと思う」と言いました。その言葉を聞いた妻や子供や使用人たちは、「旦那様は酒を飲んで気が大きくなってしまった」と驚きました。妻は「どうぞお好きなように皆にお与えください」と答えました。帝釈天は「それでは、『金・銀・宝石・真珠がほしい人は、イッリーサ豪商の家に行け』と太鼓を打って町中にふれまわすように」と妻に命じました。
おふれを聞いた大勢の人々が、思い思いの入れ物を手に豪商の家に集まりました。帝釈天は「望むだけ取りなさい」と蔵を開けました。みんな大喜びで、あれこれと、宝物をいっぱい持ち帰りました。ある田舎者が豪商の牛に豪商の宝を満載し、豪商をほめたたえながら歩いていました。「イッリーサの旦那、万歳! おかげで私も金持ちだ。この財産は親にもらったのではない。すべてイッリーサ様のおかげです」。その言葉が、酒を飲んでいる豪商の耳に入りました。
驚いた豪商は、「男が私の財産をもらったと言っている。王様が略奪など許されるはずがない」と、茂みから飛び出しました。すると、自分の牛が自分の宝物をいっぱい引いて歩いています。豪商は慌てて、「返せ! これは全部私のものだ!」と牛の鼻紐を取りました。田舎者は「何をする! イッリーサ様が私に施してくださったのだ!」と、雷が落ちる勢いで豪商の肩を打ちすえました。豪商はその場に倒れましたが、震えながら立ち上がって泥を払い、追いすがりました。田舎者はイッリーサの髪をつかんで頭を地面にたたきつけ、立ち去りました。あまりのことに、豪商の酔いは、すっかりさめてしまいました。
慌てて家に戻った豪商は、自分の財産を持ち帰ろうとする人々を見て驚きました。「これはいったいどうしたことだ! 王様が私の財産を略奪してもいいと言ったのか!」と、皆の胸ぐらを捕まえて叫びました。人々は豪商を殴りました。痛みと混乱で狂いそうになった豪商が家に入ろうとすると、門番が竹の棒で彼の背中を打って追い返そうとしました。豪商はもうわけがわからなくなって、「もはや王様に助けてもらうしかない」と、急いでお城に行きました。「王様、なぜ我が家の略奪を許されたのですか」と王に訴えたところ、王は「そなたが自分でやって来て、財産を差し出すと申し出たのだ。私が断ると、町中に施しをすると触れ歩いたではないか」と答えました。「そんなバカな。私がすごいケチなことをご存じでしょう。私は草の先の露ほども人に与えないのです。私を語った者を呼び、どうぞお調べください」と、豪商は王に懇願しました。
豪商の家に使いがやられ、豪商に化けた帝釈天が城に呼ばれました。二人はそっくりです。誰にも見分けがつきません。豪商の妻が城に呼ばれました。妻は、「こちらが主人です」と、帝釈天の側に立ちました。子供たちや使用人も呼ばれましたが、皆、帝釈天の側に立つのです。困り果てた豪商は、「私の頭には髪に隠れた腫れ物がある。私の賢い理髪師を呼べば、私が本物だとわかるだろう」と考えました。理髪師が呼ばれて二人の頭を見ようとした瞬間に、帝釈天は自分の頭にも腫れ物を作りました。理髪師は二人の頭を見て「王様、二人とも同じ腫れ物があり、どちらが本当のイッリーサ様か見分けることはできません」と、次の詩を唱えました。
どちらもびっこ
どちらも片目
どちらにも腫れ物
どちらがイッリーサかわからない
イッリーサ豪商は心配のあまり気を失い、その場に倒れました。それを見た帝釈天は本当の姿を現し、「王よ、私は帝釈天です」と慈愛にあふれた姿で空中に立ちました。イッリーサは水をかけられて息を吹き返し、立ち上がって帝釈天に頭を下げました。
帝釈天は「イッリーサよ、家の財産はおまえのものではない。私はおまえの父だ。善行を積んだ徳によって、死後、帝釈天となった。おまえは強欲で、家のしきたりを破って慈善堂を焼き払い、乞食を追い払って、鬼の住む蓮池のような家にして財産を守っている。もしもお堂を元通りにして慈善行をするならよし。さもなければ、財産はすべて奪い、金剛杖で頭を割ってしまうぞ!」と叱りつけました。イッリーサは震え上がり、「絶対に慈善行を行います」と誓いました。帝釈天は空中に坐って豪商に法を説き、五戒を授けてから天界へと戻りました。心を入れ替えたイッリーサ豪商は、帝釈天の教えに従って善行を行い、その徳によって死後天界に生まれました。
お釈迦さまは過去の物語を終えられ、「その時のイッリーサ豪商はサッカラの欲張りな豪商であり、帝釈天はモッガッラーナでした。王はアーナンダであり、イッリーサの理髪師は私でした」とお話しになりました。  
 
幸運物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国、舎衛城近郊の祇園精舎におられた時のお話です。
祇園精舎を教団にお布施したのは、舎衛城のアナータピンディカ長者という大富豪です。長者は在家仏教徒として、生涯にわたって、毎日毎日、金に糸目をつけずにお食事や日常品のお布施をしつづけました。ある時、大金を貸した知人の舟が嵐にあうなどの不運が重なり、長者の財産が傾いたことがありました。それでも長者は全く気にせずに、毎日教団にお布施をつづけていました。財政を心配したアナータピンディカ家の守護神が、「今はお布施はやめてください」と言いました。長者はそんな言葉には全く従わず、それどころか、守護神を追い出してしまったのです。家を追い出された守護神は困り果て、帝釈天に助けを求めました。しかし、帝釈天でさえ、ブッダと親しいアナータピンディカ長者に意見できるほど偉くはありません。帝釈天は、「君は、早く長者の家に戻り、彼の財産を回復しなさい。そうすれば、許してくれるだろう」とアドバイスしました。守護神はその言葉に従って懸命に働いて、長者の財産を元に戻し、長者に許してもらいました。
そのように、貧乏になってもすぐにまた大金持ちになる長者を見て、あるバラモンが、「アナータピンディカ長者のところには幸運の神がいるにちがいない。客人のような顔をして訪問し、幸運の神を盗んで来てやろう」と考えました。このバラモンは幸運の神を見る能力があったのです。長者の家を訪ねたバラモンが「幸運はどこだろう」と見回すと、金の駕籠で飼われている真珠のように白い鶏の鶏冠に幸運の神がいました。バラモンは、「何とすばらしい鶏だ。私にはたくさんの弟子がいます。でもうちの鶏ときたら時間にルーズで、弟子達を起こさず、困っています。ぜひこの賢そうな鶏を私にください」と懇願しました。長者はサラッと「はい、どうぞ」と言いました。その言葉を聞いた幸運の神は、寝台の横に飾られた宝石の玉にパッと飛び移りました。バラモンは、あれこれ理由をつけて、宝石の玉をも懇願しました。欲のない長者が「どうぞ。それも、もらってちょうだい」と言ったとたん、幸運の神は長者の位を象徴する家宝の杖にパッと飛び移りました。バラモンは、またうまいことを言って、杖も、もらい受けました。すると幸運の神は、長者の第一夫人の額に飛び移ったのです。さすがの幸運泥棒も、奥さんをもらいたいとは言えず、「実は、私は幸運の神の相を知っています。今日は、幸運を盗もうと思ってやって来ました。ところが、幸運の神が宿ったものををもらい受けると、神はパッと他に飛び移ります。とうとう奥様の額に宿ってしまいました。いくら何でも奥様をもらい受けることはできません。私はあきらめました。やはりあなたのものは、あなたのものです」と言って、帰りました。
長者はこのことをおもしろく感じ、「お釈迦さまにお話ししよう」と思って祇園精舎へ行き、ブッダに礼拝して傍らに坐り、一部始終をお話ししました。ブッダは「長者よ、この度は幸運が他の者のところに行くことはなかったが、過去に、徳の少ない人の得た幸運が、徳多き人のところに行ったことがあった」と、過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバラモンに生まれました。成長した菩薩はタッカシラーで学問を習得し、両親が亡くなると出家して、ヒマラヤで修行をしました。ある時、バーラーナシーに托鉢に来た菩薩は、善良な象使いに出会い、彼に請われるままに象使いの庭園に滞在することになりました。
ある夜、森で薪を集めていて城壁の閉門時間に遅れた一人の木こりが、しかたなく森の神殿の祠で薪を枕に寝ていました。神殿の大木には野生の鶏たちが住んでいました。鶏たちは仲が悪いらしく、上の枝の鶏が下の枝の鶏の背中に糞を落としました。下の鶏が「何でこんなことするんだ!」と怒るのもかまわず、上の鶏はまた下の鶏に糞をかけたのです。怒った下の鶏が「聞いて驚くな。俺を殺して焼いて食べると、次の朝千金を得られるんだぞ!」と大声を出すと、上の鶏は「お前、そんなことでいばるなよ。俺の太ももを食べると王になる。外側の肉を食べると男は将軍、女は第一王妃。骨つき肉を食べると在家者は大蔵大臣、出家者は国師だぞ」と自慢しました。それを聞いた木こりは、すぐに上の枝の鶏を捕らえて殺し、城門が開くのを待ちかねて家に帰り、妻に鶏を料理させました。木こりは「まず沐浴して身体を清めてからこれを食べよう」と、鶏肉料理を壺に入れ、それを持ってガンガー河に行きました。木こりが沐浴していると、突然、高波が襲いかかり、壺をさらって、木こりを溺れさせました。木こりは、何とか水から逃れて、這々の体で家に逃げ帰りました。
波にさらわれた壺は下流に流され、象を沐浴させていた象使いがそれを拾いました。象使いは壺の料理を見て、行者に供養しようと思いました。菩薩の行者は、天眼によってこの一部始終を知り、象使いの家に行きました。そして、鶏肉料理を供養しようとした象使いに、「この肉は私が分けましょう」と言って、太ももの肉を象使いに、外側の肉を象使いの妻に与え、自分は骨のところの肉を食べました。そして、「あなたは三日後に王になるでしょう。そのことを心にとめておきなさい」と言いました。
三日後に、隣国の王が攻めてきて、城壁を取り囲みました。王は象使いに自分の服を着せて王に変装させ、「お前は象に乗って戦え」と命じ、自分は家臣に変装して戦場に出かけました。ところが王は、すぐに矢に射られて死んでしまったのです。それを知った象使いは、蔵から大金を取り出し、「金の欲しい者は前に出て戦え」と太鼓を打ち鳴らし、敵軍を蹴散らしてしまいました。
大臣たちは国王の葬儀を終えた後、王の座について協議しました。そして「王様は象使いに自らの衣を与えられた。象使いは勇敢に戦って勝利を得た。彼に王になってもらおう」と、象使いを王位につけました。象使いの妻は第一王妃となり、菩薩は国師となりました。
ここでブッダは過去の話を終え、詩を唱えられました。
財を集めることならば
能力を活かし、日雇いでもして
不運な人にもできること
しかし、財を享受することは
幸運な者にのみできる
他の人を乗り越えて
有徳者に冨は常に集まる
たとえ大不況においてさえ
そして、「長者よ、幸福な者とは善を行う者のことで、他のことではない。徳を積む人は、鉱山を持たなくても、宝石を得るのだ。
神々と人間が望むものをすべて与える宝がある。どんな願いであっても、かなえられる宝である。美貌、麗しさ、権力、地位などは望むまま。天輪王の幸福や天界の王の位さえ得られる。人間界の成功、天界のあらゆる楽しみどころか、涅槃の成就さえ、かなうのだよ。善友との深い結びつき、明知、自在性、真理の会得、解脱、弟子としての完成、独覚の境地など、ありとあらゆるものが得られる奇跡のような宝。その宝とは、善行為なのだ。ゆえに思慮ある者、賢者たちは、善行為を賞賛する」と説かれ、
鶏も、宝石も、杖も、妻も、
これらはただの幸運のしるし
清らかな徳を積む者を
幸運が決して離さない
とアナータピンディカ長者をほめる詩を唱えられてから、「王になった象使いはアーナンダであり、行者は私であった」と話を終えられました。  
 
油鉢物語

 

ある時、シャカムニブッダはスンバ国のデーサカという町の近くの森におられ、弟子たちに次の話を語られました。
「比丘らよ、国で評判の絶世の美女がいて、多くの人々が集まっているとする。美女は魅惑的に歌い、踊り、人集りは増える一方で、その場はものすごく混み合っている。そこにある男がいる。男は『生きていきたい、死にたくない、安楽でありたい、苦を免れたい』と願っている。ところがある事情で、『油をいっぱいに満たした鉢を持って、この群衆の中を歩け。おまえの後ろから刀を抜いた者がついて行き、たとえ一滴でも油をこぼしたら頭を斬り落とすぞ』と脅されているのだ。比丘らよ、その男は油で満たされた鉢を持ち、何の注意もせずに歩くことがあるだろうか。」
「いいえ、尊師。男は必死の注意を払わずには歩かないでしょう。」
「比丘らよ、これは修行のたとえ話です。『油を一滴もこぼさないように』とは、身体に関する気づき(サティ)のたとえです。あなた方は、身体に関する気づきを、そのように修行し、完成させなければならない。修行者は、油で満杯の鉢を一滴もこぼさないように注意深く運ぶ男のように、必死で気づきを保ち続け、修行を完成するのです。」
「尊師、この男のように、絶世の美人を見ることもなく、大勢の群衆の中を、油で満杯の鉢を一滴もこぼさずに運ぶというのは、とても難しいことだと思います。」
「比丘らよ、それは難しくはない。むしろ簡単なのです。なぜならば、男の後ろには剣を抜いた者が付き従い、彼を狙っているからです。 そのように脅されるのであれば、気づきながら行くことは難しくないのです。
その昔、賢者は自ら精進して気づき(サティ)を捨てずに五官(眼耳鼻舌身)を制御し、天女のように美しく化けた夜叉(鬼神)にも惑わされず、王位についたことがあった。これこそ真に難しいことなのです」と。
そしてお釈迦さまは、次のような過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は王子として生まれました。菩薩には百人もの兄弟があり、彼は末っ子でした。成長した菩薩は、「こんなに多くの兄さんたちがいる私に、この国で領土を得ることができるだろうか」という疑問をもちました。ある日、王様のお城で、独覚ブッダ(独りで悟った聖者)に食事を供養することになりました。菩薩は自分の疑問を智慧者である独覚ブッダに相談しようと思い、お城に行って独覚ブッダの足を洗い、お食事のお世話をしました。独覚ブッダが食事を終えられると、きちんと礼をして、傍らに坐りました。そして、「先生、私には多くの兄たちがいます。私はこの国で領土を得ることができるでしょうか」と質問しました。
独覚ブッダは次のように答えました。
「王子よ、あなたはこの国では領土を得られないでしょう。ここから百二十ヨージャナほど離れたガンダーラ国にタッカシラーという町があります。今日から七日目にそこに着けば、領土を得ることができるでしょう。
しかし、七日間でタッカシラーに到着するためには、夜叉たちの住む森の中の難路を通らなければなりません。森には女の夜叉たちがいて、金を散りばめた天蓋のついた臥所のある豪華な家を造り、色とりどりに美しい布で飾って、男たちが通るのを待っています。女夜叉は天女のように美しく化けて、男たちを誘惑するのです。男たちが家に入ると、魔力で彼らを惑わせて煩悩のとりこにし、あげくの果ては、男を血まみれにして、骨だけを残して食べてしまいます。
女夜叉たちは、容色を好む者には美しい天女を装い、音を好む者には天の美声で歌い、香りを好む者には天の香りをかがせ、味を好む者には天の味覚を味わわせ、感触を好む者には天の臥所をもって惑わすのです。もしあなたが正しく五つの感覚器官を制して眼耳鼻舌身を護り、気づきを保ち、自分を失わずに行くならば、タッカシラーに着いて領土を手に入れることができるでしょう」と。
菩薩は、「先生、あなたの教えを聞いた今、どうして夜叉などに惑わされることがあるでしょう」ときっぱりと言って、独覚ブッダに守護の祈念をしてもらい、お守りの砂と糸をもらいました。そして、独覚ブッダと両親に別れの挨拶をし、いったん自分の家に戻りました。
菩薩には五人の家来がいました。菩薩は家来たちに、「私は領土を得るために、タッカシラーに旅立つことにした」と告げました。家来たちは「王子様、私たちも一緒に行きます」と言いました。「それはダメだ。タッカシラーに行くには、恐ろしい女夜叉たちの住む森を通らねばならない。夜叉は、天女のように美しい女に化けて、色香や美声、味や香りなどで、森を行く男たちを惑わすという。私は十分気をつけるからだいじょうぶだが、おまえたちは危ない。」「あなたと一緒にいて、そんな女に惑わされることがあるでしょうか。私たちもぜひ一緒に行きます。」五人の家来はどうしても一緒に行くと言ってききません。しかたなく菩薩は、「行くならば、よく五つの感覚器官を護り、夜叉にたぶらかされないよう気をつけるように」と言い聞かせ、彼らを連れて行くことにしました。菩薩と五人の家来は、タッカシラーに向けてすぐに出発しました。
六人は森に入りました。女夜叉たちは家々をつくり、華麗な美しさの天女に化けて、六人を待ちかまえていました。一行が通ると、「どうぞ、こちらで少し休んでいってくださいな」と、口々に家の中から呼びかけました。美人に目のない一人の家来が夜叉を見て、そのあまりの美しさに心を奪われてしまいました。彼は、次第に足が遅くなりました。菩薩が「どうして遅れるのか」と訊くと、「王子様、私はひどく疲れました。少し、あの家で休んでいこうと思います」と言うのです。菩薩が「あの美しく見える女たちは恐ろしい夜叉だ。惑わされるな」と注意しても、「どうしても足が痛くて、これ以上は進めません」と動かなくなりました。菩薩は「きっと後で後悔するぞ」と彼を引き留めようとしましたが、女夜叉の美しさに惑わされた家来は、菩薩が止めるのを振り切って、吸い込まれるように夜叉の家に入ってしまいました。夜叉たちは、家に入ってきた男を色香でとりこにし、殺して食べてしまいました。
菩薩の一行は仕方なく、五人で道を急ぎました。一人目の家来を食べた夜叉たちは、先回りをして違う趣向の家を造り、風雅な音色の楽器を奏で、天女の声で歌いながら菩薩たちを待ちました。美声を愛する一人の家来がそれを聞き、どうしても離れられなくなりました。彼は、次第に足が遅くなりました。菩薩が「どうしたのだ」と訊くと、「王子様、少しあの家で休んでいきます。先に行ってください」と言うのです。菩薩が「さっき家に入った者は追いついてこないではないか。決して惑わされてはいけない」と忠告しても、「きっとあとから追いかけます」と、菩薩が引き留めるのを振り切って、吸い込まれるように夜叉の家に入ってしまいました。夜叉たちは家に入ってきた男を美声と色香でとりこにし、殺して食べてしまいました。
菩薩の一行は仕方なく、四人で道を急ぎました。
たくさんの兄がいる王子である菩薩は、独覚仏陀の薦めに従い、自分の領土を求めてタッカシラーという町へと旅立つことにした。五人の家来を伴って道を急ぐ菩薩の一行を、女夜叉(鬼神)たちが森の中で待ちかまえていた。夜叉たちは、容色・美声・香り・美食・触感を使って、菩薩の一行を誘惑しようとした。五人の家来のうち二人は誘惑に負け、夜叉に食べられてしまった。
菩薩の一行は仕方なく、四人で道を急ぎました。二人目の家来を食べた夜叉たちは、先回りをして魅惑的なお香の店をつくり、美妙で典雅なお香の小箱をたくさん並べ、菩薩たちを待ちました。菩薩の一行が近づくと、美女に化けた夜叉は、天のお香をたきました。家来の中の香りに目がない男の足が、次第に遅くなりました。菩薩が「どうして遅れるのか」と訊くと、「王子様、私はひどく疲れました。少しあの店で休んでいこうと思います」と言うのです。菩薩が「あれは夜叉だ。惑わされるな」と忠告しても、「どうしても足が痛くて、これ以上は進めません」と動かなくなりました。菩薩はなんとかして引き留めようとしましたが、甘美な香りの誘惑に負けた家来は、吸い込まれるように、夜叉の店に入ってしまいました。夜叉たちは、店に入ってきた男を色香でとりこにし、殺して食べてしまいました。
菩薩の一行は仕方なく、三人で道を急ぎました。夜叉たちはまた先回りをし、今度は世にも豪華な料理店をつくり、最高の天の味覚を盛りつけたお皿を豪勢に並べてすばらしい匂いを漂わせ、菩薩たちを待ちました。一行がそこを通りかかると「こちらへどうぞ」とにこやかに呼び止めました。食道楽でおいしいものに目がない家来の足が次第に遅くなりました。菩薩がなんとかして止めようとしましたが、彼は吸い込まれるように料理店に入って行ってしまいました。夜叉たちは、店に入ってきた男にたっぷりとおいしい食事を取らせた後、彼を殺して食べてしまいました。
菩薩たちは仕方なく、二人だけで道を急ぎました。四人目の家来を食べた夜叉たちは、先回りをし、艶やかで華麗な家を造り、両方に赤い枕のある天の臥所を置いて、美しい天女に化けて二人を待ちました。二人が通ると寄ってきて腕にまとわりついて、家の中に呼び込もうとしました。最後に残った家来は、女夜叉の天女のごとき肌に惑わされ、次第に足が遅くなりました。菩薩が「おまえまで惑わされたのか。あの女は夜叉だ。だまされるな」と、なんとかして止めようとしたのですが、美しく化けた女夜叉の色香に惑わされた家来は耳を貸さず、夜叉の家へと吸い込まれていってしまったのです。夜叉たちは、家来を魔力のある色香でとりこにし、殺して食べてしまいました。
菩薩はとうとう一人になりました。しかし菩薩は臆することなく勇敢に森を抜け、タッカシラーへと急ぎました。一人の女夜叉が、「あの男は非常に意志が固い。私はどんなことをしてでも、あの男を食べてやる」と、可憐な美女に化けて菩薩の後を追いました。若くて立派な男の後を、世にも美しい若い女が追いかけて行くのです。通りがかりの人々は興味を引かれ、次々に、「あなたはなぜあの男を追いかけているのですか」とたずねました。女夜叉が、「あの人は私の主人ですから」と答えると、「こんなにやさしくて花のように美しい女性が、自分の家も捨てて追い従っているのに、なぜ一緒に行かないのですか」と菩薩を責めました。菩薩が「この女は私の妻ではない。彼女は夜叉なのです。私の五人の家来は彼女に食べられてしまいました」と言うと、女夜叉は涙を浮かべ「何と悲しいことでしょう。男というものは、怒ると、自分の妻を鬼だとまで言うのです」と嘆いて見せました。人々はすっかりだまされて、「こんなにやさしくて可憐な女性に対して、何という冷たい男だろう」と菩薩を責めました。夜叉は、おもしろがって、美しい妊婦に化けたり、赤ん坊を作って胸に抱いたりしながら、菩薩の後ろをずっとついて行きました。多くの人々がわけをたずね、そのたびに菩薩を非難しました。
やっとタッカシラーに到着しました。そのころには夜叉の赤ん坊は消えていました。菩薩はある空き家に入り、お守りの砂を頭にかけ、糸を身につけて坐りました。清められた砂と糸で守られた家に、夜叉は入れません。夜叉は仕方なく、天女のように美しく化けたまま、家の前で立っていました。
するとたまたま、その国の王がそこを通りかかりました。王は美しい夜叉を見て心を奪われ、家来に調べさせました。夜叉は「家の中にいるのが私の主人です」と答え、菩薩は「この女は私の妻ではない。彼女は夜叉です。私の五人の家来は彼女に食べられました」と言いました。それを聞いた王は、「男は彼女は自分の妻ではないと言っている」と夜叉を呼び、自分の象に乗せて城に連れて帰りました。
王は夜叉を、最高の后の位につけました。夜叉は美しく化けた色香で王をとりこにした後で、泣き出しました。王が「なぜ泣くのか」とたずねると「私は道で拾われた女です。后になっても、何の権威もありません。王様にはたくさんのお后がいます。私は皆にバカにされています。王様、国中の権力と命令権を私にお与えください。そうすれば、私をバカにする人はいなくなるのです」と訴えました。いくら夜叉でも、人からの権利を得なければ、自分の好き勝手には行動できないからです。王は「后よ、それはできない。国民は私のものではない。国民が王に逆らってなすべきではないことをなさない限り、私には何もできない。ただ好き勝手に命令する権利は、私にはないのだよ」と言いました。それを聞いた夜叉は「では仕方ありません。この城の権威だけでもいただきたいと存じます」と願いました。夜叉のとりことなった王は、夜叉の望みを断ることができません。「よろしい」と、城の主権を与えてしまいました。城を支配下におさえた夜叉は、王が眠りについた後、仲間の夜叉たちを呼び寄せました。女夜叉はまず王を殺し、骨だけを残して、筋、皮、肉、血など、すべてを食べてしまいました。夜叉たちは、王の妻たちや、家来たち、城中の馬や象から鶏にいたるまで、すべての生き物を、骨だけ残してむさぼり食いました。
夜が明けて、お城には人っ子ひとりいなくなりました。お城の中があまりにもしーんと静まりかえっているので不審に思った人々は、門を壊して中に入り、びっくり仰天しました。お城の中は血まみれで、骨が散らばり、地獄のようなありさまです。人々は呆然として、「あの女は夜叉だと言ったあの若い男は正しかったのだ。王様は夜叉を后にし、お城の人々や動物は、残らず食べられてしまったのだ」と言い合いました。そして「あのよそから来た男は、美しく化けた夜叉に対しても五官を制し、惑わされることがなかった。勇敢で智慧のある人物に違いない。我々には王が必要だ。彼が国を治めたら、すばらしい政治をするだろう。彼に頼んで王様になってもらおう」と、皆で菩薩のところに行き、「どうかこの国の王になってください」とお願いしました。菩薩は承諾し、国王となりました。菩薩はその後、正しく国を治め、数々の善行為を行い、その行為に応じて次の世に生まれ変わっていきました。
ここで釈尊は過去の話を終えられ、正覚者として次の詩を唱えられ、涅槃に至る法話を頂点に導かれました。
未踏の地へ行くことを望む者は
油で満たされた鉢を運ぶごとく
自己の心を護れ
そして、「タッカシラーの王になった王子は私であった」と言われ、話を終えられました。
  
「ダダーン!」物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
そのころ祇園精舎の近くでは、多くの苦行者たちが、針のような棘のむしろの上に寝ころんだり、40度を超える炎天下の下で四方に火を炊いてひどい熱の中で坐ったり、死ぬほどの激しい苦行に明け暮れていました。比丘たちは、托鉢に行く途中で苦行者たちを見かけ、釈尊に、「尊師、彼らの激しい苦行には何か意味があるのでしょうか?」とたずねました。釈尊は、「比丘たちよ、彼らの苦行には何の意味もないし、得るものもない。その内実は、便所に行く道のようなものであり、『ウサギが聞いた物音』と変わりはないのだ」とおっしゃいました。比丘たちが「尊師、『ウサギが聞いた物音』とはいったい何なのでしょうか?」とお訊きすると、ブッダは過去の物語を話されました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は立派なライオンとして生まれ、獣たちの王となって森に住んでいました。
森の西側の海辺には椰子林があり、たくさんのウサギたちが住んでいました。ある日、一匹のウサギが食事を終え、椰子の根もとで寝ころんで、「もし大地がひっくり返ったら、どうすればいいかなぁ…」と不安そうに考えていました。すると、その瞬間、熟した大きな椰子の実が一つ、「ダダーン!」とすごく大きな音をたてて落下したのです。
ウサギはビックリ仰天して飛び起きて、「本当に大地がひっくり返るんだ!」と後も見ず、一目さんに逃げ出しました。
死の恐怖で真っ青になってすごい勢いで逃げるウサギを見て、他のウサギたちが「どうしたんだ!」と驚いて訊きました。ウサギは懸命に逃げながら、「話なんかしてる場合じゃない!」と必死の形相で言いました。「これはただごとではない」と思ってさらにたずねると、ウサギは「大地がひっくり返るんだよ〜」と走りながら叫んだのです。それを聞いて、たくさんのウサギたちも、次々に逃げ出しました。我も我もと逃げる数は増え続け、とうとう十万匹のウサギの大群が、一斉に駆けだしたのです。
それを鹿たちが見て、「どうしたのだ!」と訊きました。ウサギたちが「大地がひっくり返るんだよ〜」と皆で叫ぶと、「大変だ!」と鹿たちも一緒に逃げ出しました。
それを見てイノシシたちが、「なぜ逃げるのだ!」と訊きました。皆が逃げながら「大地がひっくり返る、大地がひっくり返る」と言うのを聞いて、イノシシたちも逃げ出しました。
次に牛たちが、次に水牛たちが、次に山羊たちが、つられて逃げ出しました。そして犀(サイ)たち、次に虎たち、ライオンたち、さらに象たちまでが、皆、死の恐怖にとらわれて、「大変だ!大地がひっくり返る!」と、必死で逃げ出したのです。森中の動物たちの大集団が血相を変えて怒濤の勢いで走るという、たいへんな騒ぎになりました。
菩薩のライオンがこれを見て、「これはいったいどうしたことだ?」とたずねました。皆、必死の形相で逃げながら、「大地がひっくり返るのです、逃げないとダメです」と口々に言いました。菩薩は「大地がひっくり返るなどということが、あるはずがない。皆、きっと何か勘違いしているに違いない。私が力を出さなければ、このまま走り続け、みんな海に落ちて死んでしまうだろう。彼らの命を助けてあげねばならない」と考えました。ライオンは、素速く皆を追い越して山の麓に先回りし、三度、百獣の王の雄叫びを大声で大地に轟かせました。さすがの動物たちも、その声の恐ろしさには足がすくみ、その場に立ちつくしました。
菩薩のライオンは、「なぜ逃げるのか?」と改めて皆に訊きました。「王様、大地がひっくり返るのです」「誰がそれを見たのか?」「象たちが知っています」「いえ、ライオンたちが知っています」「いえ、虎たちが知っています」「いや、犀たちに聞きました」「いえ、山羊たちが言ったのです」「いえ我々も知りません。水牛たちが知っています」「いえ、牛たちが見たはずです」「いえ、知っているのはイノシシたちです」「いえ、鹿たちに聞いたのです」「いえ我々は知りません。ウサギたちに聞きました」。そこで、ウサギの中の誰が見たのかということになり、一番最初に逃げ出したウサギが前に出ました。
菩薩のライオンは、「君はなぜ大地がひっくり返ると言ったのか?」とたずねました。「王様、私は見たのです」「どこで見たのか」「西の海辺にある椰子の林の中です。ちょうど私が『もし大地がひっくり返ったらどうしよう』と考えていたところに、大地が割れるものすごい音がしたのです。私は心臓が止まるほど驚き、死ぬかと思って、必死で逃げてきたのです」。
それを聞いた菩薩は、「おそらく林の中の椰子の実が落ちて、ダダーン!と大音がしたのだろう。このウサギはその音を聞き、大地が割れると思いこんだに違いない。実際のところを確かめてみよう」と考えました。そして「私はこの者が大地が割れる音を聞いたところに行き、本当に大地がひっくり返っているかどうか調べてこよう。皆、ここで待っていなさい」と皆を落ち着かせ、ウサギを背中に乗せてライオンの高速で飛ばし、椰子の林に到着しました。「ウサギよ、どこで大地がひっくり返るのを見たのだ」「王様、恐ろしくてとても行けません」「ウサギよ、怖がることはない」。しかしウサギは怖がって、どうしても椰子の実が落ちたところに近寄ることはできません。そして震えながら、「王様、あそこが大地が割れる音がしたところです」と指をさし、詩を唱えました。
貴き人よ、我の住むところの近く
ダダーン!という地響きが鳴る
なぜにその音が鳴りしかは
我もまた知らぬなり
菩薩のライオンはその場所へ行って、とても大きなココナッツ椰子の実が落ちているのを見、「大地が割れる音」の原因を確かめました。菩薩はそのことを話してウサギを安心させ、彼を背中に乗せて、再び皆のところに素速く戻りました。そして動物たちに事情を説明し、皆を落ち着かせて自分たちの住処に帰しました。
動物たちが走っていた先には海に面した崖がありました。菩薩が止めなければ、みんな海に飛び込んで死んでしまうところでした。動物たちは、菩薩のおかげで、命拾いをしたのです。
椰子の実が、ダダーン!と落ちる音を聞き
必死で逃げるウサギあり。
ウサギの言葉を聞いたとき、
動物は、皆、怖れなす。
話を智慧で見れぬ者、
他人の言葉を鵜呑みにし、
人の叫びに従う者は、
他人の声に頼るのみ。
戒を守り、智慧があり、
静かさを楽しむ賢者であれば、
他人に頼ることはない。
お釈迦さまは「その時の獣たちの王は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。
  
「無常を観る者」の物語

 

これはシャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
ある地主が最愛の息子を亡くし、片時も悲しみが忘れられずに嘆き暮らしていました。お釈迦さまは、この地主に預流果に悟る能力があることを観られ、托鉢の途中で彼の家に立ち寄られました。
喜んだ地主が礼拝して傍らに坐ると、釈尊は、「居士よ、何を悲しんでいるのですか?」とおたずねになりました。地主が「尊師、息子を亡くし、涙ばかり出るのです」と答えると、「居士よ、壊れる性質のものは壊れ、滅ぶべき性質のものは滅びる。それはある一人だけの話ではない。ある村だけでの話でもない。果てしなく広大な大宇宙(三界)の中で、死なない者はいないのです。一切の生きとし生けるものは死ぬ性質のものであり、つくられたものは壊れるものだ。過去の賢者たちは、我が子が死んでも『滅びるべき性質のものが滅びた』と知って、悲しむことはなかったのだよ」と説かれ、地主に請われるままに過去の話を語られました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はある村のバラモンに生まれ、農業を営んでいました。菩薩には息子と娘がいました。息子は成人して嫁をもらい、菩薩の一家は皆で仲良く暮らしていました。菩薩は、「お前たちは、それぞれ自分のできる範囲で施しを行いなさい。行いを正しくし、懺悔するのだよ。そして死を随観し、自分たちも死ぬことを観じなさい。死は確かなものだが、生は不確かなものだ。すべてのものは無常であって滅ぶ性質のものだ。それを、夜も昼も忘れないように、努め励みなさい」と皆に教えました。家族の者は「お父さん、よくわかりました」と菩薩の言葉を受け入れて、死の随観に励みました。
ある日、菩薩はいつものように息子と農作業に出かけました。息子が畑のゴミを集めて焼いたところ、その煙が近くの蟻塚に入り、蟻塚に住む毒蛇の目を痛めました。毒蛇は怒って蟻塚から這い出し、「こいつのせいだ」とばかりに息子の足を猛毒の牙で噛みつきました。息子は即死状態でその場に倒れました。菩薩はすぐに息子に駆け寄りましたが、息子が死んだのを知ると、彼を抱き上げて樹の根本に横たえ、上から衣を掛けました。普段から修行をしている菩薩は泣いたり嘆いたりすることはなく、「壊れるべき性質のものは壊れる。死すべき性質のものが死んだのだ。すべての現象は無常であり、死に至るものである」と無常であることを観察して、畑を耕しつづけました。
その時、隣人が畑のそばを通りかかりました。菩薩は「家の方へお帰りですか?」と声をかけ、「すみませんが、私どもの家に立ち寄って、今日は二人分の弁当ではなく一人分でよいこと、また、今日は女中だけに弁当を持たせず、家族全員が清らかな服を着て、お香と花を持って皆でこちらに来るようにと伝えてくださいませんか」と頼みました。
隣人は承知して家に帰り、菩薩の妻に伝言を伝えました。妻は、「誰がこの伝言を頼んだのでしょうか」とたずね、夫の言葉であることを知ると、息子が死んだことをさとりました。しかし、妻も普段からよく修行をしていたので、泣いたり喚いたりすることはありません。家族全員に菩薩の伝言を伝え、自分も清らかな服を着て、花とお香と菩薩の食事を持って、皆と一緒に畑に行きました。
皆、事情を察していましたが、泣き叫んだりする者は一人もいませんでした。菩薩は息子が横たわっている近くに坐って食事をし、食事が終わると皆に薪を集めさせ、息子の遺体を薪の上に横たえました。菩薩の一家は花とお香を遺体に供え、薪に火をつけて息子を荼毘に付しました。その間も、泣いたり喚いたりする者は誰もいません。ふだんの修行のおかげで落ち着いていました。
彼らの正しい行いの力によって、天界にいる帝釈天の、天の玉座が熱を帯びました。帝釈天は「いったい誰が私をこの座から動かそうとしているのか」と下界を眺め、菩薩の一家の徳の威光によって座が熱くなったことを知りました。帝釈天は喜びを感じ、「彼らが皆、正しい言葉を獅子吼するのであれば、あの家族を七宝で満たそう」と、急いで下界に下りました。
菩薩たちはまだ息子の遺骸を焼いていました。帝釈天は「何をしているのですか?」と、菩薩に話しかけました。「火葬を行っています」「落ち着いたその様子では、人間を焼いているはずがない。鹿の焼き肉を作っているのでしょう」「いいえ、人を火葬しています」「ではその人は、あなた方の敵なのでしょう」「いいえ、それどころかうちの一人息子です」「では、さぞ憎い子どもだったのでしょう」「いいえ、最愛の息子でした」「では、なぜあなた方は、我を忘れて泣き叫ばないのか」父である菩薩は詩で答えました。
人は死に
蛇が脱皮するように
己の身体を捨てて去りゆく
焼かれるものは親族の
悲しみなど知りはしない
ゆえにわれは、嘆き悲しまず
彼は行くべきところに行けり
帝釈天は菩薩の妻に訊きました。「ご婦人、亡き人はあなたの何だったのですか?」「十ヶ月間お腹に宿し、乳を飲ませ、手塩にかけて育てた息子でした」「奥さん、父親は男だから泣かないこともあろうが、母親の心は柔らかいものだ。なぜ泣き崩れないのですか?」母は次の詩で答えました。
招かれずして彼の世より来たりて
告げることなく此の世を去る
来た時と同じように去る
何の泣き崩るべきことがあるものか
焼かれるものは親族の
悲しみなど知りはしない
ゆえにわれは、嘆き悲しまず
彼は行くべきところに行けり
帝釈天は菩薩の娘に訊きました。「娘さん、亡き人はあなたの何でしたか?」「彼は私の兄でした」「娘さん、妹は兄を慕うものだ。あなたはなぜ泣き崩れないのですか?」妹は次の詩で答えました。
泣き悲しみてやせ細り
何の得るものがあることか
わが両親や親族たち
友人たちなど、親しい人を
煩い悩ますのみなれば
焼かれるものは親族の
悲しみなど知りはしない
ゆえにわれは、嘆き悲しまず
彼は行くべきところに行けり
帝釈天は死んだ息子の妻に訊きました。「ご婦人よ、亡き人はあなたの何でしたか?」「彼は私の夫でした」「女の人は夫が死んで一人になると頼りのない存在となるものだ。あなたはなぜ泣かないのですか?」妻は次の詩を唱えました。
死者を追い、縋り嘆くさまは
月を追い泣く幼子と同じ
得るものなどは何もない
焼かれるものは親族の
悲しみなど知りはしない
ゆえにわれは、嘆き悲しまず
彼は行くべきところに行けり
帝釈天は女中に訊きました。「女中さん、亡き人はあなたの何でしたか?」「私が仕える若主人でした」「その嘆かない様子を見ると、あなたはこき使われていたのでしょう」「とんでもありません。若旦那様はとても親切で、まるで私が育てた方のようでした」「ではなぜ悲嘆に暮れていないのですか?」女中は次の詩を唱えました。
壊れてしまった水瓶は
もう元には戻らない
同じように、死に去りし者を
想(おも)い悲しんでも、益はなし
焼かれるものは親族の
悲しみなど知りはしない
ゆえにわれは、嘆き悲しまず
彼は行くべきところに行けり
帝釈天は、皆が正しくしっかりと語るのを聞き、清らかな喜びの心を起こして言いました。「あなた方は死の随観の修行に励まれた。我は帝釈天である。あなた方にたくさんの財宝を与えよう。これからも、あなた方は、施しをし、戒を保ち、懺悔をして、修行に励みなさい」。帝釈天は、彼らにたくさんの財宝を与えて去っていきました。
お釈迦さまが過去の話を終えられて、さらにしばらく法話を続けると、息子を亡くした地主は預流果の悟りを得ました。釈尊は「その時の女中はクッジュタラーで、娘はウッパラヴァンナー、息子はラーフラで、嫁はケーマー、母はラーフラの母であり、バラモンの農夫は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
糞(くそ)まみれのイノシシ物語

 

これはシャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
ある夜、祇園精舎で法話会がありました。お釈迦さまは月明かりの下、宝玉で飾られた演台に立って朗々と法を説かれ、法話が終わると側にあるご自分の部屋に入られました。釈尊の一番弟子の、智慧第一と称されるサーリプッタ尊者も、釈尊にていねいに礼拝してから自室に戻られました。サーリプッタ尊者と並んで釈尊の二大弟子のお一人であるモッガッラーナ尊者も同様に自室に戻られたのですが、しばらくして問答のためにサーリプッタ尊者をお訪ねになりました。その辺りにいた大勢の比丘、比丘尼、男女の在家信者たちが、お二人の大長老を囲んで集まりました。サーリプッタ尊者は法話の座に着かれ、さまざまな質問に対して、夜空を月が照らすように明らかにしながら、一つ一つお答えになりました。人々は、すばらしい法話に心を喜ばせ、静かに耳を傾けていました。
その時、一人の年寄りの長老が、「私はここで、サーリプッタ長老が返答に困るような賢い質問をしてやろう。そうすれば、この大勢の人たちは『なんとすばらしい学識者だ』と私を尊敬するに違いない」と考えました。年寄りの長老は立ってサーリプッタ尊者のそばに行き、「友、サーリプッタさん、私もあなたに質問をしようと思うが、よろしいか。徹底、取捨選択、論破、承諾、特質的、細別的、その決め方を教えていただきたいのだ」と得意そうに言いました。
サーリプッタ尊者は、「この老人は欲から離れられず、空っぽで、何も知ろうとしていない」とわかり、彼の質問には何も答えず、扇を閉じて座を立ち、自室へ戻られました。モッガッラーナ尊者も同じように自室に戻ってしまわれました。在家信者たちは、「あの年寄りの長老のせいで、せっかくの法話が終わってしまった」と、その長老を非難して詰め寄りました。年寄りの長老は、慌ててその場を離れようと急いだために、フタが壊れた肥溜めに落ちてしまいました。
皆は驚いて長老を助けましたが、あまりのことにその夜の法話で静まり喜んでいた心が落ち込み、もう一度お釈迦さまのお話が聞きたくなって、釈尊のところに戻りました。釈尊は、「こんな時間に、いったいどうしたのですか」とたずねられました。人々が事情をお話しすると、釈尊は「あの老人が自分の本当の力を知らず、高慢になって糞まみれになったことは、過去にもあった」とおっしゃって、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はライオンとして生まれ、ヒマラヤ山中の洞窟に住んでいました。洞窟の近くにある湖のほとりには、たくさんのイノシシが住んでいました。また、その近くには、多くの苦行者たちが、茅葺きの小屋を建てて住んでいました。
ある日、ライオンは、水牛や野猿などの獣のうちの一匹を食べてお腹がふくれ、湖で水を飲んでいました。すると、一匹の太った大きなイノシシが、獲物を探しにやってきました。ライオンはそのイノシシを見て「私は今はお腹が大きいが、今度、こいつを食べてやろう。このイノシシが怯えて逃げないように、今日はもう帰るとするか」と思い、静かに湖から離れようとしました。
イノシシはそれを誤解して、「このライオンは、俺を見て、怖がって逃げようとしているぞ。よし、こいつと果たし合いをするように仕掛けてやろう」と思いあがり、首をあげ、ライオンに戦いを挑む詩を唱えました。
友よ、私は四本足で、
君も、同じく四本足だ。
ここへ来たれ、ライオンよ。
怯えてどこへ逃げるのか。
ライオンはその言葉を聞いて、「友よ、私は今日は君と戦うつもりはない。七日後にここで戦おう」と挑戦を受けて、その場を立ち去りました。
イノシシは、「俺はライオンと果たし合いをすることになったぞ」と高ぶって、親族に自慢しました。親族のイノシシたちはその話を聞いて恐ろしさに震え、「バカ者め。自分の力も知らず、ライオンに果たし合いを挑むなど、何という身の程知らずだ。ライオンは、おまえだけではなく、我々全員の命を取るだろう。全く、軽率なことをしたものだ」と責めました。イノシシはすっかり怯え、「何とか助けてくれ」と懇願しました。親族の中の知恵者が、「一ついい方法を教えよう。湖のそばには苦行者たちが住んでいる。人間の大小便は、不浄でひどく臭いのだ。苦行者たちが便所にしているところに行って、大小便の上で身体を転がしなさい。七日間の間、転がっては乾かし、転がっては乾かし、身体を糞まみれにするのだ。果たし合いの日には身体を汚物で濡らしたまま早めに行って、風上に立っていなさい。ライオンというのはきれい好きで、わずかな汚れも嫌うものだ。おまえの不潔な姿を見たら、きっと戦わずに立ち去って、勝ちをゆずるだろう」と教えました。イノシシは言われたとおりに、苦行者たちの便所に行って、転がっては乾かし、転がっては乾かし、身体中を糞まみれにしました。イノシシの体は大小便だらけの恐ろしく汚い有様になりました。
そのようにして七日間が経ちました。決闘当日、汚物で体を濡らしたイノシシは、早めに行って風上に立ちました。果たし合いの場に現れたライオンは、ひどい悪臭を嗅ぎ、すぐにイノシシの策に気づきました。そして、「こいつはよく考えたものだ。こんなやつはすぐに倒して食べてやろうと思ったが、こんな汚いやつに触れることはできない。私は立ち去ることにしよう」と、次の詩を唱えました。
毛皮が臭くて、糞まみれ。
悪臭漂う、イノシシよ。
そのまま戦うつもりなら、
勝利などはもういらぬ。
ライオンは引き返して他の獲物を捕り、湖の水を飲んで、山の洞窟に戻りました。イノシシは「俺は勝ったぞ。ライオンを負かしたぞ」と威張って言いました。親族たちはその頭の悪さにあきれ、「こいつとここにいては自分たちの命が危ない」と、よそへ逃げて行きました。
お釈迦さまは、「その糞まみれになったイノシシは肥溜めに落ちた長老であり、ライオンは私であった」と過去の話を終えられました。  
 
賢い隊商主の物語

 

これはシャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は隊商主の家に生まれました。立派に成長した菩薩は、五百の車からなる隊商を率い、東から西、西から東へと商いの旅をしていました。
ある時、菩薩は五百の車に高価な品物を満載し、商売の旅に出ることにしました。ところがちょうどその頃、同じバーラーナシーに住むもう一人の隊商主の息子も五百の車に商品を満載し、同方向に旅に出ようとしていました。その隊商主の息子は賢くはなく、愚鈍でした。
菩薩は「あの愚か者の息子と一緒に街を発つと、あわせて千もの車が道を通ることになる。それは道の許容量を超えた数であり、薪や水が不足し、牛が食べる草もなくなってしまう。どちらかが先に出発し、時期をずらして行く方がいいだろう」と考えました。
そこで、もう一人の隊商長を呼んでそのことを話し、「君は、先に発つか、後から発つか、どちらがいい?」と訊きました。
愚かな隊商長は考えました。「我々は先に発った方が利得が大きい。先に発つと、道路も荒らされておらず、牛たちの草も手つかずだ。 我々が食べる葉っぱも、水も、汚されずにたっぷりあるだろう。商品の値段も好きに決めることができるぞ」と。そこで、「では、僕が先に出発するよ」と答えました。
菩薩ははじめから、自分たちは後から発った方がいいと思っていました。「後から行けば、先に通る一隊がでこぼこ道をなだらかにしてくれるだろう。牛の食む草も、先発隊の牛たちが古い草を食べた後の甘い新芽が生えているはずだ。我々も新しくておいしい葉を食べられる。彼らが水がない場所に井戸を掘ってくれるから、水も楽に手に入る。品物の値段を決めるのは人の命を奪うようなことだ。先に定められた値段で品物を売った方がいい」と思ったからです。
二人はお互いにその決定に満足し、愚かな息子の率いる隊商が先に街を出発しました。
旅に出た隊商は人里を離れ、難所にさしかかりました。難所には、盗賊、猛獣、乾き、悪鬼、飢饉という五種類の難所があります。
ここは、水不足と悪鬼という二つの苦難があるとされる難所でした。愚かな隊商長は、水を満杯にした大きな瓶を車に積ませ、六〇ヨージャナの難所に入りました。難所の中程に達した頃、ここに住む夜叉(鬼神)が、「あいつらに水を捨てさせて、弱らせてから、全部食べてやろう」と考えて、策略を巡らしました。
夜叉は、魔力で、真っ白な若い牛に曳かせた牛車をつくり、十人の手下の鬼たちを武士に化けさせました。彼らは、頭や衣を水で濡らし、白や青の蓮華で飾り、蓮華の花束を持ったりレンコンを食べたりしながら車輪を泥だらけにした牛車を牛に曳かせ、隊商の来る道に向かいました。
隊商主は、砂塵を避けるため、向かい風の時は従者に前を囲まれて進み、風が背後から吹く時は後ろを囲まれて進みます。その時は、隊商主の車が先頭に立って進んでいました。彼らは反対方向から出会って挨拶を交わし、すれ違おうとしてお互いに道を譲りながら言葉を交わしました。
隊商主は「友よ、私どもはバーラーナシーの都から来ました。あなた方は向こうから来られたが、手に手に蓮華を持ち、レンコンを食べ、水に濡れておいでだ。雨でも降ったのですか。この先に池があるのですか」とたずねました。
夜叉は「友よ、なぜそんなことを訊くのですか。あそこに緑が広がっているでしょう。あそこから先は水が豊富でいつも雨が降っています。蓮華の咲く池もたくさんありますよ。ここまでは水が必要でしょうが、もうだいじょうぶ。重い水は捨てて、楽に行きなさい」と話し、「では失礼します。我々は少し遅れました」と先を急ぐふりをして、見えなくなるところまで進んでから自分たちの住処にもどりました。
愚かな隊商長は夜叉の言葉を信じ、水をすべて捨てさせて荷を軽くし、先を急ぎました。ところがそこから先には一滴の水もありません。人々も牛たちも乾き切って、喉がからからになりました。日が没して円陣を組んでも、飲み水も粥もありません。
皆が疲れ切って眠ったところに夜叉たちが襲いかかり、簡単に皆殺しにして、血肉を喰らい、骨だけ残して立ち去りました。リーダーの無能のせいで、すべてが破滅したのです。
菩薩たちは、一ヶ月半遅れて出発し、快調に旅を続けて同じ難所にさしかかりました。菩薩は皆に、「これから私の許しなしには、誰も一滴の水も使ってはならない。また、この辺りには毒の植物がある。見たことがない植物は食べる前に私に訊くように」と命じ、水を満杯にした水瓶を車に載せて、難所に入りました。
夜叉たちが前回と同様に、体中を水で濡らし、蓮の花やレンコンを持って現れました。そして、この先はよく雨が降って水がとても豊富だとウソをつき、水を捨てて荷を軽くするようにと菩薩の一行に勧めました。
菩薩はすぐにおかしいと気づきました。「ここは『水がない難所』として有名な所なのに、この者たちの目には怖れの色がない。彼らには影もない。きっと夜叉に違いない。彼らの様子からして、先にここを通った隊商は、だまされたらしい。おそらく水を捨てさせられて疲れ果て、夜叉に食べられてしまったのだろう。だが、私も同じようにだまされると思ったら大間違いだぞ」と思い、「お前たちは立ち去れ。我々は商人だ。新しい水を見つけないうちは、決して水は捨てない。水を見つけてから、重い水を捨てて荷を軽くするのだ」と言いました。夜叉たちは何も言わず、見えないところまで進んでから、自分たちの住処にもどりました。
夜叉たちの様子にすっかりだまされた人々は、口々に、「旦那様、あの人々は、この先は水が豊富だと言いました。重たい水を捨てて荷を軽くし、楽に進みましょう」と訴えました。
菩薩は車を止めさせて、全員を集めました。「この難所に池があるという話を聞いた者はいるのか」「いえ、旦那様、そんな話は聞いたことがありません」「先程の人々は、緑の見えるところには雨が降ると言った。雨風はどれくらいの広さで降るだろうか」「一ヨージャナくらいです」「誰か、雨風を感じた人がいるか」「いいえ、感じません」「雨雲はどれくらいのところに見えるだろうか」「一ヨージャナぐらいです」「誰か雨雲を見た人がいるのか」「いいえ、見えません」「稲妻はどれくらいのところで見えるだろうか」「四、五ヨージャナくらいです」「誰か稲妻を見た人はいるのか」「いいえ、いません」。このような会話を皆と交わしてから、菩薩は、「先程の一行はきっと夜叉に違いない。我々に水を捨てさせ、弱らせてから襲いかかろうとしたのだろう。彼らの様子を見ると、先に出発した隊商は、だまされて喰われてしまったのだろう。我らは一滴の水も捨てずに先を急ごう」と言いました。
果たして、進んで行く途中には、水は一滴もありませんでした。さらに進むと、商品を満載した五百の車と、たくさんの人骨や牛の骨が散らばっているのが目に入りました。菩薩は車を止め、車を円形に並べて野営を張り、中央に牛を入れ、皆にたっぷりと水分と食事を摂らせて休ませました。そして自分は武器を持った者たちを率い、夜中じゅう見張りをしました。翌朝は荷物を整理し、古くなった車を捨てて丈夫な車に替え、安価な品物を捨てて高価な品物を積んで出発しました。菩薩は、目的地に着くと、元値の二、三倍の値段で品物を売り、全員を連れて、再びバーラーナシーにもどりました。
ブッダは、「このように、間違った思念にとらわれた者は滅び、妄想を離れて正しくものごとを見た者は鬼神の手から逃れて安全に目的を達した」 と説かれ、次の詩を唱えられました。
ある者は、道理を説き
またある者は、妄想を語る
賢者はこれを知りて
妄想なき道を選ぶべし
釈尊は「愚かな隊商主はデーヴァダッタであり、その従者はデーヴァダッタの弟子たちだった。賢い隊商主の従者は仏の弟子たちであり、賢い隊商主は私であった」と話されて、話を終えられました。  
 
シンドゥ産の仔馬物語

 

これはシャカムニブッダがコーサラ国、舎衛城郊外にある祇園精舎におられた時のお話です。
舎衛城で雨安居を過ごされてから遊行に発たれていたお釈迦さまとブッダの弟子たちが、再び祇園精舎にもどられました。舎衛城の人々はとても喜び、競うように精舎へ行って、釈尊や比丘方に食事のお布施を招待しました。ある貧しい老婆が、お布施の受け付け時間の終わり頃に、一人分のお布施を申し込みました。お布施を受け付ける係の比丘は「サーリプッタ長老以外は、皆、招待を受けてしまいました。おばあさんのところにはサーリプッタ長老に行っていただくことにしましょう」と老婆に告げました。老婆はたいへん喜びました。
サーリプッタ尊者が貧しい老婆の家で食事のお布施を受けられるという噂はすぐに広まり、それを聞いたコーサラ国王は、すぐに豪華な食事や衣服と千金を老婆の家に贈らせました。アナータピンディカ長者やヴィサーカー婦人など、多くの人々も次々にお金や品物を贈り、老婆のところには、一日にして一万金ものお金が集まりました。
お布施の当日、十分に準備を整えた老婆は祇園精舎の門で待ち、サーリプッタ尊者が来られると礼拝して鉢を受け取り、自分の家に案内しました。サーリプッタ尊者は老婆が作った粥や料理を召し上がり、食事の後で老婆に法を説かれました。老婆は預流果の悟りを得ました。
比丘たちが、サーリプッタ尊者の徳によって貧しい老婆が多大な恩恵を得たことを話していると、釈尊が来られ、何を話しているのかおたずねになりました。比丘たちがお話しすると、「サーリプッタがあの老婆の作った食事を食べ、彼女に恩恵を与えたことは過去にもあった」とおっしゃって、皆に請われて過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は北国の馬商人の家に生まれました。
バーラーナシーの近くの村には一軒の大きな屋敷がありました。かつて富豪であった家は、今は落ちぶれ、たった一人残された老婆がぽつんと住んでいました。ある馬商人が五百頭の馬を連れてバーラーナシーへ向かう途中、老婆の邸宅で宿を借りました。ちょうどその夜、シンドゥ産の純血種の雌馬が産気づき、一頭の仔馬が生まれました。二、三日して馬商人がそこを発とうとすると、老婆は、「この仔馬をどうぞ私にくださいな。宿代は安くしますから」と頼みました。生まれたばかりの仔馬の世話から解放される馬商人にとっても悪い話ではなく、老婆はその仔馬をもらい受けました。老婆は仔馬をわが子のようにかわいがり、糠を混ぜた料理や、残飯や、草などを与えて育てました。
ある時、菩薩も、五百頭の馬を連れてバーラーナシーに旅立ちました。そして、旅の途中、老婆の屋敷で宿を借りることにしました。ところがシンドゥ産の仔馬の匂いをかぎつけた馬たちが、屋敷の中に入ろうとしません。その様子を見た菩薩は、「おばあさん、この家にも馬がいるでしょう?」と老婆に訊きました。老婆は「はい。一頭だけいます。わが子のようにかわいがって育てていますよ」と答えました。「その馬はどこですか」「さあ、どこかに散歩に行ったのでしょう」「いつ帰ってきますか」「あれは適当な時になったら帰ってくるでしょう」。
菩薩は自分の馬たちを外につなぎ、この家の仔馬が帰ってくるのを待ちました。シンドゥ産の仔馬は適当な頃に帰ってきました。菩薩は仔馬の特徴を見て、この馬は驚くほどの値打ちがあるすばらしい名馬だと知りました。菩薩は「この馬の価値は、はかりしれない。宿の老婆に代価を払い、この馬をもらい受けよう」と決めました。シンドゥ産の仔馬が家に入ると、他の馬たちも家に入りました。
菩薩は二、三日その家に泊まって馬たちを休ませ、出発する時になって、「おばあさん、十分な代価を払いますから、この馬をゆずってください」と老婆に申し出ました。「あなた、それは無理ですよ。わが子を売ることはできません」と、老婆は断りました。「おばあさん、あの馬に何を食べさせていますか」「糠を混ぜた料理や残飯や草を食べさせて育てていますよ」「おばあさん、私がこの馬を手に入れたならば、馬にとって最上のものを食べさせて、最高の生活をさせます。厩には天幕を張り、絨毯を敷いて育てます」「あなた様の所にいた方が、あの子の幸福になるのなら、どうぞあの子を連れて行ってください」。
菩薩は仔馬の、四本の足、しっぽ、頭、の六カ所それぞれに千金ずつのお金を包み、新しい高価な衣服も添えて、老婆に渡しました。老婆はその服を着て仔馬の前に立ちました。仔馬は老婆と別れることを察して涙を流しました。老婆は仔馬の背中を優しくなぜて、「私は十分な養育費をもらったのですよ。お前は行きなさい、わが子よ」と言いました。それを聞いて、仔馬は、菩薩と一緒に家を出ました。
菩薩は仔馬のために、馬にとっての最高の食事を用意しました。しかし、「この馬が自分の値打ちを知っているかどうか試してみよう」と考えて、糠を混ぜた料理や残飯を、仔馬の飼い葉桶に入れました。シンドゥ産の仔馬は、一口も食べませんでした。菩薩は詩で仔馬にたずねました。
君のご飯は残飯や、糠を混ぜたものと聞く
いつもの食事を、なぜ食べぬのか? 仔馬よ
仔馬も詩で答えました。
大バラモンよ、私の値打ちを知らぬなら
糠の料理で十分だ
あなたは私の値打ちを知る
あなたの糠飯を、私は食わぬ
菩薩はそれを聞いて満足し、「君を試そうと思ったのだ。悪く思うな」と言って、最上の食事を食べさせました。菩薩は馬たちを王の所に連れて行きました。そして、片方に五百頭の馬をつなぎ、片方に立派な天蓋と絨毯のついた天幕を張り、シンドゥ産の馬一頭だけを中に入れました。
王は、「なぜこの馬だけ特別待遇なのか」と訊きました。菩薩は「大王様、このシンドゥ産の馬は独りでおいておかないと、他の馬が逃げてしまうのです」と答えました。王は「この馬の速さを見よう」と言いました。菩薩が「ではご覧ください」とシンドゥ産の馬を走らせると、あまりの速さに、城の庭園全体に馬の姿が隙間なく見えるほどでした。誰一人として、ちゃんと目で追える者はいません。次に、馬のお腹に赤い布を付けて走らせると、赤い布だけがグルグルと廻っているように見えるのでした。庭園の蓮池の上を走らせると、水面の上をを飛び、蹄の先さえも濡らさず、蓮の葉一枚も池に沈めません。
このようなすばらしい能力を見せた後、菩薩は馬から下りて手を差し出しました。馬は、四本の足を揃えて、菩薩の手の上に立ちました。菩薩は、「大王様、この馬が本気を出せば、海の周りを走っても、間に合わないほどなのです」と言いました。
王はたいそう満足し、菩薩に国の半分を与え、シンドゥ産の仔馬を国の吉祥馬にしました。馬は王の寵愛を受けただけでなく、王から尊敬もされました。シンドゥ産の馬の厩は王の寝室のようであり、床は四種類の香料で磨かれ、壁は香草や花で飾られました。上には金の星を散りばめた天蓋があり、四方には立派な幕が張り巡らされました。厩には常に香油の灯りが灯され、便所には黄金の便器がおかれました。そして毎日、王が食べるような食事ばかりが与えられました。
この馬が来て以来、全インドの主権がこの国に集まりました。王は、菩薩の教えに従って善政を行い、死後、天に生まれました。
お釈迦さまは、「その時の老婆は舎衛城の貧しい老婆であり、シンドゥ産の仔馬はサーリプッタであった。王はアーナンダであり、馬商人は私であった」と語られて、過去の話を終えられました。  
 
「豚に真珠」物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。アチラヴァティーという川に、三宝の功徳を知らず、世俗の徳も知らない乱暴者の渡し守がいました。
ある時、田舎に住む比丘が、お釈迦さまにお仕えしようと田舎から訪ねて来ました。
夕暮れ時にアチラヴァティー川に着いた比丘が舟を出すように頼みました。「船頭さん、私を向こう岸まで渡してください」
「今はとても遅い。今日はどこかへ泊まってください。明日、船を出します。」
「私に泊まるところはありません。どうか今日船を出してください。」
そう頼まれると、渡し守は激怒しました。「こら、比丘! それなら、乗れ!」
彼は比丘を舟に乗せてムチャクチャに船をこいで、比丘の衣をびしょぬれにした上に、わざとまっすぐ川を渡らずに、かなり川下に降ろしました。夜遅く精舎に着いた比丘がその日はもう時間がなく、次の日にお釈迦さまのところに行くと、釈尊は「いつ着いたのか」と訊かれました。
「昨日です」「ではなぜ挨拶に今日来たのか」。そこで比丘が昨日の出来事をお話しすると、釈尊は「あの渡し守は過去においても乱暴者であり、賢者に乱暴をはたらいたことがあった」とおっしゃって、比丘に請われるままに過去の話を語られました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバラモンに生まれました。成長してタッカシラーで学問を修めた菩薩は出家して、ヒマラヤの行者になりました。ある時、日用品を得るためにバーラーナシーの街に下りてきた菩薩を王が見かけました。菩薩のすばらしい立ち居振る舞いに感心した王は、菩薩にお城に住んでもらうようにと頼み、菩薩はお城の御苑に滞在することになりました。王は毎日のように菩薩を訪れ、菩薩から法を聞きました。菩薩は、「大王よ、王は四つの不正(好み・怒り・畏怖・無知によって公平に審判を行わないこと)を捨て、忍耐を育て、慈悲を完成し、優しさに満たして正しく国を治めるべきです」と、次の詩を唱えました。
怒りなきよう、大地の主よ
怒りなきよう、君子よ
怒りに怒りを返さぬ王は、国中の尊敬を得る
村、森、低地、高地、いづこでも、
怒りなきよう、君子よ
菩薩の法話を聞いて心を清められた王はたいへん喜び、豊かな村をお布施したいと申し出ました。しかし菩薩は断りました。
そうするうちに十二年が経ちました。菩薩は「私は長居しすぎた。そろそろ旅に出よう」と思い立ち、庭師に「私は同じ所に長くいすぎた。しばらく国を旅して来ようと思う。王様によろしくお伝えください」と言い残し、お城を立ち去りました。
菩薩はガンジス河の渡し場に来ました。渡し場にはアヴァーリヤ親爺という名の渡し守がいました。彼は愚か者であり、賢者の徳を理解せず、自らの利益を得る方法も知りませんでした。アヴァーリヤ親爺はいつも、川を渡ろうとする人をまず向こう岸に渡してから賃料を要求していました。自分の要求する船賃を払わない人がいると罵って暴力をふるう渡し守は、自分もしょっちゅう殴られて、ケガが絶えませんでした。たくさん儲けるつもりの行いで、かえって彼の儲けは、いつもわずかでした。
ここでお釈迦さまは、この状況を次の詩句で唱えられました。
アヴァーリヤ親爺、ガンジス河の渡し守
人を先に渡し、船賃を後に請う
喧嘩は増えるが、財は増えず
菩薩は渡し守に、向こう岸に舟を出すように頼みました。アヴァーリヤ親爺は、「お坊さんは船賃を払ってくれるのかい」と訊きました。菩薩は「財産を殖やし、道理を知り、真理を得る方法を教えよう」と答えました。渡し守は「きっと何かいいものをくれるに違いない」と思い、菩薩を舟に乗せて向こう岸に連れて行きました。「では、船賃を払ってください」と渡し守が言うと、菩薩は「よかろう」と、財産を殖やす方法を次の詩句で唱えました。
船頭よ、船賃は、
岸に着く前に求むもの
船に乗る時、降りし時
人の気持ちは違うゆえ
渡し守は思いました。「これはただの忠告にすぎない。もっと何かくれるに違いない」と思いました。菩薩は「それが財産を殖やすための忠告だよ。
次に、道理を知り、真理を得る教えを説くから、よく聞きなさい」と、次の詩を唱えました。
村、森、低地、高地、いづこでも、
怒りなきよう、船頭よ
菩薩は「これは道理を知り、真理を得る教えだよ」と、告げました。愚かで鈍い渡し守は、その説法について考えることは何もせず、「お坊さん、まさかこれが船賃じゃないだろうな」と怒って言いました。そして菩薩が「そうだ。これが船賃だ。船頭よ」と答えると、「ふざけるな! こんなものが何の役に立つんだ! 俺がほしいのはこんなものではない」と怒鳴りつけ、腹を立てて菩薩を押し倒し、顔や胸を殴りつけました。
さて、お釈迦さまはここで、「比丘らよ、行者は王に法を説き、豊かな村を差し出された。同じ法を愚か者の船頭に説くと、殴られたのだ。教えは心ある人に説くべきものだ。ふさわしくない愚か者に説くべきではないのだよ」とおっしゃって、次の詩を唱えられました。
王に説き、村を差し出されしその教え、
同じ教えを船頭は、聞きて我を殴りたり
渡し守が菩薩を殴っていると、渡し守の妻が昼のお弁当を運んできました。妻は二人を見て、「お前さん、この修行者は王様が帰依しておられるお方ですよ。殴ったりしてはダメですよ」と驚いて止めました。渡し守はますます怒り、「お前は俺に指図するのか」と、妻まで殴り倒しました。お弁当は地面に落ちて散乱し、妊娠していた妻は流産してしまいました。人々は渡し守を取り囲み、「人殺しの悪党め」と非難しながら縛り上げ、王のもとに連れて行きました。王は渡し守に刑罰を与えました。
ブッダは過去の話を終え、最後にもう一つ詩を唱えられました。
食事は散らばり、妻は打たれ、
胎児は死んで地面に流れた
勝れた教えも、愚か者には、
豚に真珠のようなもの
お釈迦さまはつづけて法を説かれ、それを聞いた比丘は預流果の悟りを得ました。
釈尊は「その時の渡し守はアチラヴァティー川の渡し守、王はアーナンダ、行者は私であった」と、話を終えられました。  
 
「ジャッカルに仕えたライオン」物語

 

これは、シャカムニブッダがマガダ国の王舎城近郊にある竹林精舎におられた時のお話です。
仲の良い二人の若者がいて、一人は竹林精舎のお釈迦さまのもとで出家し、もう一人は僧団の和合を破って僧団を出て行ったデーヴァダッタのところで出家しました。仲良しの彼らは出家してもたびたび会い、互いの僧院にも遊びに行きました。デーヴァダッタは阿闍世王子を信奉者にしてガヤーシーサに僧院を建ててもらい、毎日、五百の銀皿に、三年越しの香米とごちそうを溢れさせた供養を受け、贅沢に暮らしていました。デーヴァダッタの弟子は、釈尊の弟子となった比丘に、「君は毎日毎日、托鉢に歩かなければならないね。我々のガヤーシーサの精舎は、阿闍世王子の供養を受けて、すばらしいごちそうにあふれているよ。何もそんな苦労することはない。托鉢の時間にはこちらに来ておいしい食事をとればいいじゃないか」と勧めました。何度も勧められてその気になった比丘は、ガヤーシーサでごちそうを食べるようになりました。
それを聞いた比丘の友人たちは、彼に事情を聞きました。その比丘が「私はデーヴァダッタにもらうのではない。友人に勧められているだけだよ」と言いわけするのを聞くと、比丘たちは彼をお釈迦さまのところに連れて行きました。
お釈迦さまは「比丘らよ、なぜこの比丘を無理に連れてきたのか」とお訊きになりました。「尊師、彼はデーヴァダッタが不法に得た食事を食べています」「比丘よ、それは事実なのか」「尊師、私はデーヴァダッタから食事をもらうのではありません。友人に勧められて食べているのです」「比丘よ、そのような言いわけをすることはよくない。デーヴァダッタは行いの悪い破戒者だ。君はここで出家して私の教えを聞きながら、なぜデーヴァダッタが不法に得た食べ物を食べるのか。昔から君は、誰彼かまわず、すぐに信じてしまう性格だったのだよ」と、過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はライオンでした。菩薩には息子と娘がいました。息子の名はマノージャといいました。成長したマノージャは妻をもらって一家の働き手となり、歳を取った両親と妻と妹のために狩りをして、家族は仲良く暮らしていました。
ある日、牧場で一匹のジャッカルが悪事を企んで、隠れるために地面に伏せていました。マノージャはそこを通りかかり、「どうしたんだい?」と訊きました。ずるいジャッカルは、「あなた様にお仕えしたくて頭を下げています」と言いました。マノージャは「よし」と、ジャッカルを連れて自分の洞窟にもどりました。
ジャッカルの名はギリヤといいました。菩薩である父ライオンはギリヤを見て、「マノージャ、ジャッカルは性格が悪い。きっと悪い影響をお前に与えるだろう。あいつとは親しくつきあうな」と忠告しました。しかしマノージャは、毎日のようにギリヤを従えて狩りをつづけました。
ある日ギリヤは馬の肉が食べたくなって、マノージャに言いました。「旦那、私たちは馬の肉は食べていません。今度は馬を襲いましょう」「ギリヤよ、馬はどこにいるのか」「バーラーナシーの川岸にいます」。マノージャはギリヤを従えて川に行き、川で沐浴している馬を襲いました。彼は、家族のために、馬を背中に乗せて洞窟に帰りました。
菩薩の父ライオンは馬の肉を食べ、「息子よ、馬は王の財産だ。王は、獣を仕留める手だてを持っている。馬を食べるライオンは長生きはできない。馬を襲うのはやめなさい」と忠告しました。しかしマノージャは父の言うことは聞きません。相変わらずギリヤを従えて、馬を襲いつづけました。
馬がライオンに襲われると聞いた王は、城内に池をつくらせて、城内で馬を飼いはじめました。マノージャは城内に忍び込んで馬を襲いました。王は柵のある厩をつくらせました。マノージャは、厩の柵を飛び越えてまで、馬を襲いつづけたのです。王は、とうとう弓矢の名手を呼び、「お前はライオンを射殺せるか」と訊きました。彼は「できます」と、ライオンの通り道に櫓をつくり、中に隠れて待ちました。
何も知らないマノージャが、城の外にギリヤを待たせ、馬を襲いに来ました。弓矢の名手は、「ライオンは来る時は非常に素速くて仕留めるのは難しい」と考えて、マノージャが馬を殺してもどるのを待ちました。仕事を終えて馬を背中に乗せたマノージャが通り過ぎると、弓矢の名手は、後ろから鋭い矢を放ちました。矢はマノージャの体を貫きました。マノージャは「やられた!」と咆哮を響かせ、弓の名手は、弓の弦を雷鳴のごとくうならせました。ギリヤは、マノージャの慟哭と弓の音が辺りに響き渡るのを聞いて、次の詩を唱えました。
弓が張られ、弦がうなり
わが友、獣の王、マノージャの命が消えた
さて、俺は、気が向くままに森へ去ろう
友は死んだ
また新しい友をさがせばいいさ
マノージャは何とか自分の洞窟までたどり着いて馬を背中から下ろし、その場で倒れて死にました。マノージャの家族は外に出て、血まみれになって死に絶えたマノージャの亡骸を見ました。マノージャの家族はそれぞれ、詩を唱えました。
世に悪友とつきあって
幸福になる者などいない
悪友ギリヤに惑わされ
見よ! 徒死したマノージャを(父)
悪友の仲間となった我が息子
母を悲嘆にくれさせる
ここに血まみれになり倒れ
見よ! 徒死したマノージャを(母)
幸福を知る善友の
忠告の言葉を聞かぬ者
悪に交わり、滅ぶまで
悪果を受けるはめとなる(妹)
最高位にありながら、最劣の者につくす者
彼は、最劣以下の者
王でありながら、下郎に仕え
見よ! 射殺された獣の王を(妻)
最後に、ブッダは次の詩を唱えられました。
劣る者につくすなら、彼はいずれ落ちぶれる
同等の者につくすなら、彼は落ちることはない
尊い人に従えば、彼はすみやかに向上す
ゆえに、人は、おのれより、すぐれた人に従うべし
釈尊がこの話の後しばらく法話を続けられると、デーヴァダッタのところで食事をした比丘は預流果の悟りを得ました。釈尊は、「その時のジャッカルはデーヴァダッタ、マノージャはこの比丘であり、妹はウッパラヴァンナー、妻はケーマー、母親はラーフラの母であり、マノージャの父は私であった」と、話を終えられました。  
 
虎の威を借るビーマセーナ

 

これはシャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
ある比丘が、「友よ、私ほど高貴の出の者はいないのだ。私は偉大な王族の立派な家柄で、実家は大金持ちなのです。私の家では下僕でさえ白米と肉を食べ、カーシ産の服を着て、カーシ産の香油を使っていた。私は出家したのでこのように粗末なものを食べ、粗末な衣を着なければならなくなってしまったが」と、ことあるごとに皆に自慢して歩いていました。
一人の比丘が、彼の自慢話は虚偽であったことを知り、そのことを皆に伝えました。比丘たちが「あの比丘は、解脱のための道に入ろうと出家しながら、ほらを吹き、威張っている」と彼のみっともなさについて話していると、釈尊が来られ、「比丘らよ、何を話しているのか」とおたずねになりました。比丘たちがお答えすると、「あの男が大口をたたくのは今だけではない。彼は過去でも大言壮語して威張っていた」と言われ、皆から請われるままに、過去の物語を話されました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はある町のバラモンの名家に生まれました。菩薩はとても優秀でしたが、生まれつき少々背が低く、背中が曲がっていました。成人した菩薩はタッカシラーの有名な先生の元で、三つのヴェーダと、一八の学問と、弓矢などの技芸を完全に修得し、チュッラダヌッガハパンティタ(小射手博士)と呼ばれるほどの俊才になりました。
学業を終えた菩薩は師の元を離れ、自分の仕事を探すための旅に出ました。菩薩は「私が王様に仕えようとしても、『こんな小男に何ができるのか』と言われて雇ってもらえないことだろう。私は、一人で仕事を捜すより、見た目の良い男を捜し、その男と組んで仕事を捜した方がいいだろう」と考えました。
ある時、菩薩は、立派な体格の織物職人に出会いました。彼はビーマセーナという名前でした。菩薩は、「あなたはこれほど立派な体をしているのに、なぜこんな仕事をしているのですか」とたずねました。ビーマセーナは「食べていくことができないからです」と答えました。菩薩は「世界に私ほどの弓の名手はいません。しかし、私が王様に面会しても『こんな小男に何ができるのか』と言われ、雇ってはもらえないでしょう。あなたは体格が良い。あなたが王様に面会して『私は弓の名手です』と言えば、雇われるに違いありません。あなたが王から命じられた仕事は、私がやりましょう。二人で組めば、どちらも良い仕事が得られます。そのようにしたらどうですか」とピーマセーナを誘いました。ビーマセーナは「言われるとおりにしましょう」と同意しました。
菩薩はビーマセーナを連れて、バーラーナシーの王のもとを訪ねました。ビーマセーナは、王に挨拶をして、「私は弓の名手です。世界に私ほどの弓の名手はいません」と言いました。「いくらで私に仕えると言うのか」「半月で千金です」「そちらの男は誰だ」「私の助手です」「よろしい。仕えなさい」。ビーマセーナは王に雇われました。ビーマセーナに仕事が来ると、菩薩がその仕事をこなしました。
ある時、カーシの森に人食い虎が出て、多くの人が襲われるという事件が起こりました。王はビーマセーナを呼び、「そなたは虎を捕らえることができるか」と訊きました。彼は、「虎一匹捉えられないで、弓の名手と言えるでしょうか」と答えました。 王はビーマセーナに特別手当を与え、虎退治を命じました。
ビーマセーナは家に帰り、菩薩に仕事を頼みました。菩薩は、「よろしい。森に行きなさい」と言いました。ビーマセーナは、「あなたが行かれるのではないのですか?」と訊きました。「私は行かなくても、ある方法があります」「教えてください」「あなたは一人で森に入るのではなく、その地方の人々を集め、千か二千の弓矢を持たせ、いっしょに虎のところへ行くのです。虎が起きあがったら、あなたは素早く茂みの中に隠れて伏せるのです。そうすれば、そこにいる人々が、虎を射殺すことでしょう。虎が殺されたら、あなたは歯で蔓をかみ切って、その端を持って虎の横に立ち、『なぜ虎を殺してしまったのだ。私はこの虎を生け捕りにして王の元に連れて行こうと思って、牛のように虎をしばろうと、蔓草を探していた。その間に虎は殺された。誰が虎を殺したのか』 と言うのです。人々は怖れて貢ぎ物を差し出すでしょう。王様からもご褒美がもらえるでしょう」と教えました。ビーマセーナは一人で森へ出かけました。
ビーマセーナは計画通りに振る舞って成功し、森の危険は去りました。ビーマセーナは人々からの貢ぎ物を受け取り、その上に、「王様、虎は私が退治しました。森は元通りになりました」と報告したので、喜んだ王からも褒美をもらいました。
別の日、野牛が暴れて道をふさいでしまう事件が起こりました。王は、ビーマセーナに野牛の退治を命じました。ビーマセーナは虎退治の時と同じ方法を使って、再び成功しました。王はますます喜んで、より多くの褒美を与えました。ビーマセーナは王に気に入られ、次第に権力者になりました。
権力を得たビーマセーナは尊大になり、菩薩を見下すようになりました。菩薩の言うことを聞かなくなって、「私はあなたのお陰で生活しているわけではない。あなたは私の使用人にすぎないのだ」という乱暴なことまで言うようになったのです。
それからしばらく経って、敵国の王が攻めてきました。敵国の王はバーラーナシーを取り囲み、「おとなしく国を明け渡せ。さもなくば、我と戦え」という信書を送りつけてきました。王は、ビーマセーナに、戦場に行って戦うことを命じました。ビーマセーナは立派なよろいかぶとをつけ、武装した大きな象にまたがって先頭に立ちました。ピーマセーナのことを案じた菩薩も十分に武装して、ビーマセーナの後ろにまたがりました。
ピーマセーナは大勢の軍隊を引き連れて、戦場に向かいました。しかし陣太鼓の音が聞こえてくると、彼はひどく怯えて、ガタガタと震え出しました。菩薩は、「このままでは、ビーマセーナは象から落ちて死んでしまうだろう」と、象の背中に彼をしばりつけました。戦場に着いたビーマセーナは、その様子を見て、恐怖のあまりに失禁し、象の背中を汚物で汚しました。菩薩は「ビーマセーナよ、君は、以前は戦場の勇士のようだった。しかし今はあまりにも怯えて象の背中を汚している」と、次の詩を唱えました。
前面には大言壮語し
背後で汚物を失禁す
ビーマセーナよ
勇ましい話と惨めな姿
両者は調和せぬ
菩薩は「怖れることはない。なぜ私がいるのに怯えるのか」とビーマセーナを象からおろし、汚れた身体を川で洗って家に戻るようにと、彼を先に帰しました。菩薩は、「今こそ私は自分の名前を表に出すべき時だ」と、大声で鬨の声を上げて勇敢に戦い、敵王を捕らえて王の元に戻りました。王は歓喜して、菩薩に大きな名誉を授けました。
それ以降、小射手博士という名前は国の内外に響き渡るようになりました。菩薩はビーマセーナが生活に困らないようにお金を与え、元のところに帰しました。菩薩はそれからも布施行などの善行為をし、その行為に応じて次の世に生まれ変わっていきました。
お釈迦さまは、「ビーマセーナは自己を誇示して語る比丘であり、小射手博士は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
「天の法」物語

 

シャカムニブッダがコーサラ国の舎衛城近郊の祇園精舎におられた時のことです。舎衛城のある資産家が、妻に死なれて出家しました。彼は、出家する前に、台所つきの小屋と食材を満たした貯蔵庫を造り、出家してからはそこに住んで家の使用人に料理を作らせて食べていました。ある時、地方から来た比丘たちが多くの家財道具や衣服を見て、かの比丘にたずねました。「これは誰のものですか」「私のものです」「すべてあなたのものなのですか」「そうです」。比丘たちは、「友よ、君は小欲の教えのもとで出家しながら、教えに従っていない。師にお話を聞きなさい」とその比丘を釈尊の所に連れて行きました。
釈尊が「比丘らよ、なぜこの修行僧を無理に連れてきたのか」とたずねられたので、比丘たちがわけをお話ししました。「君が物を多く所有しているというのは本当なのか」「尊師、本当です」。「なぜ多くの物を持つのか。私は小欲で満足することを賞賛しているでしょう?」と釈尊が言われると、かの比丘は腹を立て、「では、こうすればいいでしょう」と上衣を脱ぎ捨てて、皆の前で下衣一枚だけになりました。釈尊は彼をなだめられ、「比丘よ、君は、前世では、池に住む羅刹(鬼神)であった時でさえ、慚愧(ざんぎ = 人としての恥を知り、識者の目を怖れる)の心をもって十二年間を過ごしたではないか。それなのに今、このような尊ぶべき教えのもとで出家しながら、慚愧の心を捨てて立つのか」と諭されました。それを聞いた比丘は慚愧の思いを起こし、衣をつけてお釈迦さまに礼拝し、おとなしく傍らに坐りました。釈尊は皆に請われるままに、過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は王子として生まれ、マヒンサーサ王子と名づけられました。その何年後かに弟のチャンダ王子が生まれ、チャンダ王子が走り回るようになると、二人の母であるお后は亡くなりました。そこで新しい王妃が位につきました。しばらく経つと、その王妃に息子が生まれ、スリヤ王子と名づけられました。王はスリヤ王子の誕生を喜び、新しいお后に、「何でもおまえの好きなものを与えよう」と言いました。
お后は贈り物を受ける権利を保留し、スリヤ王子がだいぶん大きくなったところで、「あの贈り物のお約束を、今、お願いいたします。スリヤ王子に王位を授けてください」と王に願い出ました。王は「何を言うのだ。上の二人の王子は、すばらしい輝きを放って成長している。三番目の王子に王位を譲ることはできない」と断りました。しかしお后はあきらめず、何度も頼みました。
その様子を見た王は心配になりました。王は上の二人の王子を呼んで、「お前たち、私はスリヤ王子が生まれた時、后に望みのものをやると約束した。スリヤの母は、わが子の王位を求めている。私はそのような頼みを聞くつもりはない。しかし、女は思い詰めると何をするかわからない。お前たちに悪事をたくらむかもしれない。お前たちは森林に隠れ住み、私の死後に出てきて王位を継いでおくれ」と、涙を浮かべて命じました。王子たちは父王に礼をして、すぐに城を出ることにしました。ちょうど庭で遊んでいたスリヤ王子はその話を聞きつけ、「僕も兄さんたちと一緒に行く」と、二人の兄と共にお城を出ました。
三人はヒマラヤ山に入りました。菩薩であるマヒンサーサ王子は、下の方にある湖を見て、弟に「スリヤ王子、あの湖で遊んでから皆に水を汲んできておくれ」と言いました。スリヤ王子は湖に降りていきました。
実は、その湖は、ある羅刹(鬼神)の領分でした。羅刹は毘沙門天から「水に入った者は、天の法を知る者以外、自由に食べてもかまわない」という許可を与えられていました。羅刹は水に入った者に天の法を問い、答えられないことを確かめてから、食べていました。スリヤ王子が何も気をつけることがなく湖に入ると、羅刹が出てきて「お前は天の法を知っているか」と訊きました。スリヤ王子が「知っているよ。天の法とは、月と太陽だ」と答えると、羅刹は「お前は天の法を知らない」と言って王子を捕まえ、自分の住処に連れて行きました。
スリヤ王子の帰りが遅いので、菩薩はチャンダ王子を見に行かせました。チャンダ王子も、あまりよく調べずに湖に入ってしまいました。羅刹が出てきて、チャンダ王子に、「お前は天の法を知っているのか」とたずねました。チャンダ王子が「知っている。天の法とは、東西南北という四方のことだ」と答えると、羅刹は「お前は天の法を知らない」と、チャンダ王子も捕らえて、とりこにしました。
菩薩はチャンダ王子もなかなか帰ってこないので、自ら様子を見に来ました。湖の岸に着くと、湖に向かう二人の足跡が一方通行で残っていました。菩薩は、「ここは鬼神が住む場所に違いない」と知り、剣と弓を手に持って湖の側に立ちました。菩薩が水に入らないのを見た羅刹は、木こりに化け、菩薩に「あなたは旅で疲れている。なぜ湖に入り、沐浴し、水を飲んで、レンコンを食べ、蓮華を飾って身体を楽しませないのか」と話しかけました。
菩薩はすぐに、これは湖の鬼神だと気づき、「私の弟たちを捕らえたのはあなたでしょう」と言いました。羅刹は「そうだ。俺だ」と答えました。「なぜ捕らえたのですか」「俺には湖に入ってくる者を捕らえる権利があるのだ」「あなたはすべての者を捕らえるのですか」「そうではない。天の法を知っている者は捕らえない」「あなたは天の法を知りたいのですか」「そうだ」「私はそれを知っています。私が天の法を教えましょう」「教えてくれ。俺はそれが聞きたいのだ」。
そのような会話を交わしてから、菩薩は、「では天の法を説きましょう。しかし、このままでは落ち着いて話ができません」と言いました。羅刹は菩薩に沐浴をさせ、飲み水や食事を差し上げ、蓮華で飾ったり油を塗ったりしてもてなし、美しく飾った座を設けました。菩薩は準備された座に坐り、羅刹を傍らに坐らせて、「では耳を傾けて、天の法を聞きなさい」と、次の詩を唱えました。
慚愧(ざんぎ)の心をそなえ
清らかな法に励み
寂静(じゃくじょう)に住む善き人こそ
天の法を知る者といわれる
羅刹はこれを聞いて清らかな喜びの心を起こし、菩薩に、「賢者よ、私はあなたのお力で、清らかな喜びの心を起こしました。あなたこそ天の法をご存じの方です。お礼に、弟方お二人のうち、どちらか一人をお返しすることにしましょう。どちらを連れてきましょうか」と訊きました。菩薩は「では、年下の弟を連れてきてください」と答えました。
「賢者よ、あなたは天の法をご存じだが、それを実行しておられぬ」「なぜですか」「あなたは、年上の者を尊重するという善行を実行してないからです」「鬼神よ、私は天の法を知り、それを実行しています。実は、我らが森に入ってきたのは、下の弟のためなのです。あの子の母は、私の父である王に、あの子の王位を要求しました。父はそれを断りましたが、私たちの身を案じ、私たちを護るために、森に住むように命じたのです。下の王子はそれを知り、自分から私たちについてきました。それなのに森で鬼神に食べられたなどと、どうして言えることでしょう。誰も信じてくれず、必ず問題が起こります。だから私は、下の弟を取り戻そうとしたのです」「よくわかりました。賢者よ、あなたは天の法を知り、それを実行する方です」。
羅刹は信頼感を取り戻し、菩薩を賛嘆しました。羅刹は菩薩の弟たちを二人とも連れてきて、菩薩に返しました。菩薩は羅刹に、「友よ、あなたは自分の過去の悪業によって、他人の血肉を喰らう鬼神となったのです。ここで、こういう生活を続けていれば、悪業があなたを地獄から抜け出せないようにするばかりだ。これからは、悪事をやめ、善を行いなさい」と説き、彼を改心させました。
羅刹は菩薩に仕えることにし、彼らと共に森で暮らしました。ある夜、星の動きを見て父王の死を知った菩薩は、弟たちと羅刹を連れてバーラーナシーにもどりました。菩薩は王位を継ぎ、チャンダ王子を副王に、スリヤ王子を大将軍にし、羅刹には景色の良い場所に住居を与えました。羅刹の住居は最上の花で飾られ、毎日最上の食事が与えられました。王となった菩薩は正義に則った政治を行い、業に従って生まれ変わっていきました。
その話の後で釈尊が四聖諦について説かれると、かの比丘は預流果の悟りを得ました。釈尊は「その時の羅刹は物持ちの比丘であり、スリヤ王子はアーナンダ、チャンダ王子はサーリプッタ、マヒンサーサ王子は私であった」と、話を終えられました。  
 
ライオンと虎が去った森

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のことです。ある雨安居(雨期の間の修行)の時、お釈迦さまの二大弟子であるサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者のお二人は、祇園精舎を離れて静かに雨安居を過ごそうと、お釈迦さまの許しを得て、コーカーリカ国へ行かれました。お二人は、コーカーリカと呼ばれる出家者の寺で雨安居を過ごすことにしました。お二人は、自分たちの滞在を内密にするようにコーカーリカ比丘に言って、コーカーリカ比丘にも法話をしてあげながら、雨安居の三ヶ月間の間、静かに成就法の安楽を過ごされました。
雨安居の時期が終わり、お二人の大長老は祇園精舎に帰ることにしました。コーカーリカ比丘は長老方について近くの村まで出てお二人を送ってから、村の人々に、「あなた方は、お釈迦さまの二大高弟といわれる仏弟子のお二人が三ヶ月もお寺に滞在しておられたのに何も知らなかったとは、まるで動物のようだね」と言いました。人々は、「なぜ教えてくれなかったのですか」と驚いて、たくさんの薬や衣や油などを持って長老方を追いかけ、「知らぬこととはいえ大変失礼致しました。なにとぞ私どものためにお布施をお受けください」とお願いしました。コーカーリカ比丘もそちらに来て、「長老方は小欲だから、きっと品物を私にくださるだろう」と期待して待っていました。しかし、これらのお布施はコーカーリカ比丘の言葉に促されて得られたものであることを知っている長老方は品物を受け取られず、コーカーリカ比丘も何も得られませんでした。彼はがっかりして腹を立てました。コーカーリカの人々は長老方に「では、私たちを憐れんで、ぜひもう一度こちらにいらっしゃってください」とお願いし、お二人はそれを承諾されて、祇園精舎にもどられました。
お二人の長老方は、時期を見て、自分たちに従う五百人ずつの弟子たち、皆で千人の比丘たちを連れて、再びコーカーリカ国を訪れました。人々は喜んで毎日盛大な供養をしました。そちらではたくさんの衣や薬などもお布施されました。コーカーリカ比丘は、自分も当然何かもらえるものと期待していました。しかし、お布施を扱う比丘たちはコーカリカ比丘には品物を渡さず、長老方からの指示もありませんでした。コーカーリカ比丘は怒り狂い、長老方を非難しました。「前の時は自分たちもお布施を受けなかったが、今回はたくさんお布施されている。それなのにあの二人は人のことなど顧みず、何も渡さない」とお二人を罵ったのです。
サーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者は、「この男は我々のために罪を犯している」と思われ、比丘たちを連れて立ち去ることにしました。コーカーリカの人たちが、もっと滞在してくださいと懇願しましたが、お二人のお気持ちは変わりませんでした。人々は、お二人が立ち去られるのはコーカーリカ比丘のせいだと気づいて彼を非難し、「長老方が滞在できないようにするのなら、あなたはここを出て行ってください。あの方々にお詫びして、もう一度来ていただくか、あるいはあなたが出て行くか、どちらかにしてください」と詰め寄りました。皆の剣幕に恐れをなしたコーカーリカ比丘は、お二人を追いかけて、滞在していただくように頼みました。しかしサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者は、「友よ、帰りなさい。私たちは引き返しません」と、祇園精舎にもどってしまわれました。コーカーリカの人たちは納得せず、「こういう愚か者がいたら、優れた大長老はこちらには来てくれない」と、すごい剣幕でコーカーリカ比丘を追い出しました。
コーカーリカ比丘はサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者を連れて帰ろうと思い、祇園精舎にやって来ました。彼はブッダに礼拝した後、二人の高弟のところに行って、「友よ、コーカーリカの人々は、あなた方に来ていただきたいと望んでいます。一緒に戻ろうではありませんか」と言いました。しかし、お二人の高弟は「友よ、あなたは行きなさい。私たちは行きません」と断られました。コーカーリカ比丘は一人で帰るしかありませんでした。
比丘たちが集まって、「コーカーリカ比丘はサーリプッタ長老とモッガッラーナ長老と一緒にいることもできず、離れることもできないようだ」と話していました。そこに釈尊が来られ、何を話しているのかおたずねになりました。比丘たちがお答えすると、「過去においても、コーカーリカ比丘は、サーリプッタとモッガッラーナと一緒にいることもできず、離れることもできなかった」と言われ、皆に請われるままに過去のことを話されました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は、ある森の樹の樹神でした。同じ森で、菩薩の樹からそれほど遠くないところにある大木に、もう一人の樹神がいました。その樹神は愚か者で、ものの道理がわかりませんでした。
その森には、恐ろしいライオンと虎が住んでいました。そのライオンや虎を怖れた人々は、決して森に寄りつきませんでした。ライオンや虎はさまざまな獣を殺して食べ、満腹になると、死骸を残して放っておきました。そのため、その森には死の匂いがただよっていました。
ある日、愚かな樹神が菩薩に、「君、我々の森は、ライオンや虎のために、汚れた死の匂いに満ちている。私はあいつらを追い払おうと思う」と言いました。菩薩は「この森は、彼らのおかげで護られている。ライオンや虎がいなくなったら人間たちが来て、多くの樹を伐り払い、畑を作ったり村を作ったりするに違いない。そうなったら君も困るだろう」と、次の詩を唱えました。
おのれの安穏を壊してしまう
悪い友人に対しては
自分の眼を護るごと、
賢者はおのれを護るべし
おのれの安穏を増大させる
善き友人に対しては
他の為すべきを為すがごと、
その暮らしを護るべし
菩薩がこのように明確に説いたのにもかかわらず、愚かな樹神は、よく理解できませんでした。そしてある日、恐ろしい様相でライオンと虎を脅し、彼らを森から追い出してしまいました。
ライオンと虎がいなくなると、人間たちが森へ来るようになり、森を壊し始めました。愚かな樹神はまた菩薩のところにやってきて、「君の言う通りだった。ライオンと虎がいなくなると、人間どもが森を荒らしに来てたいへんなことになってしまった。いったいどうすればいいだろう」と困り果てて言いました。菩薩は「ライオンと虎は向こうの森に移ったようだ。あちらに行って、彼らを連れ戻すのが良いだろう」と答えました。愚かな樹神はその森に行き、合掌して次の詩を唱えました
さあ、虎よ、もどっておくれ
大いなる森に、帰っておくれ
虎なき森は荒らされている
虎は、決して、森から離れるな
そのように懇願しましたが、ライオンと虎は「お前は帰れ。俺たちは帰らない」と断りました。愚かな樹神は、すごすごと一人で森に帰るしかありませんでした。人間たちは好きなように森を切り開き、畑を作りはじめました。
釈尊は「愚かな樹神はコーカーリカであり、ライオンはサーリプッタ、虎はモッガッラーナ、賢い樹神は私であった」と語られて、過去の話を終えられました。  
 
苦い新芽を食べた王子

 

これは、シャカムニブッダがヴェーサーリー近郊の大きな林の中にある重閣講堂におられた時のお話です。その当時、ヴェーサーリーは繁栄を極め、城壁は三重になって幾里にも渡り、三方には大きな門がそびえ立っていました。城壁の中は、七千百七人の王よる共和制で治められていました。ヴェーサーリーには多くの王にふさわしい数の王妃たち、皇太子たち、大臣たち、将軍たち、他の家来たちがいて、大勢の大富豪も住んでいました。
そのたくさんの皇太子の中の一人に、リッチャヴィ王子という凶暴で残忍な王子がいました。彼の心の中には常に、害意の炎が毒蛇のごとく燃えていました。リッチャヴィ王子がひとたび怒り出すと、王でさえ口をはさむことはできません。面と向かって忠告したり訓戒を垂れることができる者は、一人もいない有様でした。
リッチャヴィ王子の両親は「もはや、ブッダ以外に王子を導いてくれる人はいないであろう」と思い、お釈迦さまの元に王子を連れて行くことにしました。王は王子を連れてお釈迦さまのところに行き、礼拝して傍らに坐り、「世尊、この王子はまことに気性が荒く、すぐ激高し、怒りっぽくて困っています。どうぞ教えを説いてやってください」とお願いしました。
釈尊はリッチャヴィ王子に向かい、「王子よ、人というものは、心の中に、憤怒、粗暴、憎悪があってはならない。きつい言葉は、肉親でもある母にも、父にも、自分の子どもたちにも、兄弟姉妹にも、妻にも、親戚にも、友人にも、憎しみと不快感を抱かせるものだ。
噛みつこうと飛びかかる毒蛇のような、森で潜む盗賊のような、食らいつこうとする悪魔のような行いをしていると、来世は必ず地獄に堕ちる。現世においても怒りっぽい人は、いかに美しく着飾っていても、とても醜いのだ。怒る人は、たとえ満月のように美しい顔をしていても、太陽に焼き尽くされて枯れ果てた蓮華のように、ほこりに覆われた黄金の鉢のように、醜くなる。醜い怒りのせいで、人は自らを傷つけ、自ら毒を喰らい、自らを縛り上げて絶壁から身を投げる。その上に、自らの怒りで、死後も自ら地獄に堕ちる。害意ある人も、現世では批難を受け、死後には地獄に堕ちる。たとえ人間に生まれても、生まれつき多くの病気をかかえ、次から次へと様々な病苦に苦しめられることになる。
もしも怒りの思いを去れば、苦はなくなる。ゆえに、すべての生命に慈しみと憐れみの心を持ちなさい。慈しみの人こそ、地獄に堕ちる苦しみから逃れることができる人なのだよ」と、力強く説かれました。
リッチャヴィ王子は、お釈迦さまの説法を聞くと、一度聞いただけで荒れた心が静まりました。慈愛の心が起こり、心から反省の念が起こったのです。慈しみの心に満たされて心が柔軟になった王子は、恥ずかしさと感激の気持ちでいっぱいになり、毒牙を抜かれた毒蛇のように、はさみを切り取られたカニのように、角を折られた水牛のように、おとなしくなったのです。
比丘たちはその様子を見て、説法場で、「両親も、親戚も、友人も、誰も注意することさえできなかった皇太子を、尊師は一度で反省させ、従順にしてしまわれた。まるで優れた調象師が、狂った象を六種の術をもって調御するようであった。『調象師に調教された象は、前にも後ろにも、右にも左にも、自由自在に歩かせることができる。調牛師、調馬師に調教された牛や馬も同じである。同様に、如来、応供、正覚者に調御された人は良く導かれる。八方に導かれ、色を色と見、またそれを如実に見る。正覚者こそ、この上のない力ある真の調御者である』という。まさに、正しく悟りを開いた方によって調御されるとはこのことなのではないか」と話していました。そこに釈尊が来られ、「何を話しているのか」とおたずねになったので比丘たちがお答えすると、「私が一度で彼を調御したことは過去にもあった」とおっしゃって、過去の話をお話しになりました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は高貴なバラモンの家に生まれました。菩薩はタッカシラーで学問を学び、三ヴェーダとすべての学芸を身につけてバーラーナシーに戻りました。しばらくして父親が亡くなると、菩薩に出家の思いが生まれました。菩薩は出家し、神通力と禅定を得て、ヒマラヤの山中で暮らしました。ある時、菩薩は、塩や日常品を手に入れるために山から下りて、町を歩いていました。
ちょうど城の窓から外を見ていた国王が、町を歩いている菩薩を見かけ、その端正な姿と落ち着いた立ち居振る舞いにたいへん心を打たれました。「あの行者は実に正しく心身を整えている。一歩、一歩、千の黄金の上を歩くように、獅子が起きあがるような威光をもって歩いている。この世で正しい法を体得した人がいるとすれば、彼であろう」と考えた王は、家臣に「あの行者をこちらにお連れするように」と命じました。家臣は、すぐに菩薩のところに行き、うやうやしく礼をして、托鉢の鉢を取りました。菩薩が「どうしたのですか」と訊くと、「聖者よ、国王がお呼びなのです」と答えました。菩薩は「私はヒマラヤに住み、王家とは関係ない者です」と断りました。家臣は城に戻って王にそれを伝えました。王は「私には信頼して語り合う相手がいない。あの行者をぜひ連れてくるように」と再度命じました。家臣は再び菩薩のところに行き、無理にお願いして、菩薩を城に連れて行きました。
王は菩薩にていねいに礼拝し、天蓋のある黄金の玉座に菩薩を座らせ、豪華な食事の用意をさせて自らの手で様々なごちそうを菩薩に供養しました。そして、「ぜひ私どもの御苑で雨安居を過ごしてください」と申し出ました。菩薩は王の申し出を受けました。王は直ちに家臣に命じ、御苑に菩薩の夜の部屋と昼の部屋を用意させ、粗相の無いようにと細かい指示を出しました。菩薩は城の御苑に滞在され、王は日に何度か菩薩を訪れました。
王には、ドゥッタ王子という名の、ひどく性格の悪い息子がいました。とても凶暴で、両親でさえどうすることもできません。大臣やバラモンが「王子様、そのようなことをしてはなりません」と諭しても、決して言うことをききません。かえって気が荒くなるのがおちでした。王は、「あの聖者以外に王子の行いを正してくれる人はいないであろう」と思い、王子を菩薩の元に連れて行きました。そして、菩薩に王子に教えを説いてくれるようにと頼み、王子を菩薩の元に置いて帰りました。
菩薩は王子を連れて、御苑を散歩することにしました。歩いていると、ニンバ樹という死ぬほど苦い味をもつ若芽をつけた若木がありました。菩薩は「王子よ、この若芽を噛んでごらんなさい」と、王子に言いました。若芽を口に入れた王子は、あまりの苦さに「あっ」と驚いて、すぐに吐き出しました。そして、「聖者よ、この芽はまるで劇毒だ。今でさえこれほどひどいのだ。大きくなったら、多くの人を殺すに違いない」と言ってその若木を引き抜き、手でもみ砕いて捨て去って、次の詩を唱えました。
今はまだまだ若芽であり
指の長さほどしかない
それでもこれほどの毒ならば
大きくなれば、ひどいだろう
菩薩は即座に、「王子よ、あなたはニンバ樹の芽を『まだ芽であってさえ猛毒だ。成長したらどれほどの恐ろしい毒か』と、握りつぶしてしまわれた。それと同じような気持ちを、人々があなたに対して感じてはいないだろうか。『あの王子は、まだ若くても、あれほど残忍で激しやすい。成長して王になられたら、どれほど恐ろしいことだろう』と、ニンバ樹の芽のごとく、握りつぶそうとするでしょう。あなたはニンバ樹のようであることを止め、寛大で慈愛ある皇太子にならなくてはなりません」と、力強く説かれました。王子にはその教えがよく心に入り、直ちに、柔軟で、慈愛深く、親切な性質になりました。王子は菩薩の言葉をよく心に留め、国王となってからも善行為をし、その果報によって生まれ変わっていきました。
お釈迦さまは「その時の王子はリッチャヴィ王子であり、王子を教え諭した聖者は私であった」と言われ、過去の話を終えられました。  
 
説教嫌いの猿の話

 

これはシャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
その頃、ブッダの十大弟子の一人であるマハーカッサパ尊者は、マガダ国の王舎城近郊の森の中にある庵に住んでおられました。マハーカッサパ長老には二人の沙弥(見習い僧)がおり、一人は働き者で、もう一人は怠け者でした。怠け者の沙弥は、いつも働き者の沙弥の仕事を自分の仕事のように見せかけようとしました。働き者の沙弥が洗面の水を汲んでおくと、怠け者の沙弥は長老のところに行って礼拝し、「先生、洗面の水が用意できました。顔をお洗いください」と言います。働き者の沙弥が長老の留守の間に部屋の掃除をすると、怠け者の沙弥は、長老が戻られる頃にほうきやはたきを持って、いかにも自分が掃除をしたように見せかけました。
働き者の沙弥は、「この怠け者は私の仕事を自分の事のように見せている。彼の見せかけをあばいてやろう」と考えました。そして、怠け者の沙弥が食後の昼寝をしている間にいつものように沐浴のための湯を沸かし、湯釜にわずかなお湯だけを残して残りのお湯は桶に入れて外に出しておいたのです。昼寝から目覚めた怠け者の沙弥は、湯釜から湯気が上がっているのを見てお湯の用意ができたと思い込み、「先生、お湯の用意ができましたので、どうぞお使い下さい」と長老に言いに行きました。長老が浴場に来ると、お湯がありません。「お湯はどこにあるのか」とたずねたところ、怠け者の沙弥が来て、慌てて空の湯釜にひしゃくを落としてしまい、「カラン!」という音を響かせました。それ以後、怠け者の沙弥は「カラン」とよばれるようになりました。
働き者の沙弥が湯を運んできて無事に沐浴を終えた長老は、夕方になって長老のところに挨拶に来たカランに、「沙門は自分がしたことだけを自分がしたと言わねばならない。でないとウソをつく人間になる。これからは人の仕事を自分がしたように見せてはいけない」と諭しました。
カランは長老に諭されたことを逆恨みし、翌日の托鉢は一緒に行かず、一人で長老を尊敬している信者さんの家に行き、「長老は具合が悪くて来られませんでした」とウソをつきました。家の者が心配して「何か長老様に差し上げるものはないでしょうか」と訊くと、「これとこれを下さい」と自分の好物を頼み、庵に持ち帰るふりをして、帰る途中に食べてしまいました。
次の日、マハーカッサパ長老はその信者さんの家に行かれました。家の者は長老に食事のお布施を差し上げて、「長老様、昨日は庵で休んでおられるとお聞きして、ご入り用のものを持って帰っていただきましたが、お体の調子はいかがでしょうか」とお訊きしました。長老は黙って食事を召し上がり、庵に戻られました。
夕方、カランが長老に挨拶に来ると、長老は「カラン、おまえは私の具合が悪いと言って信者の家で食事をねだり、それを食べたであろう。ねだるというのは、決してしてはならないことだ。食事をねだることなど二度としてはならない」と厳しく戒めました。カランは、「長老は、先日も入浴のお湯くらいのことで私を叱りつけ、今日も、私が信者の家でちょっと食事をもらって食べたと言って、こんなにも怒る。よし、どうするか覚えていろ」とひどく恨みをいだきました。翌日、カランは托鉢に行かず、誰もいない部屋の中を棒を振り回して暴れ、庵に放火して逃げました。
カランは、その後、人間のままで餓鬼道に落ちて悲惨な状態になり、死んで無間地獄に生まれました。怠け者の沙弥の不祥事は、多くの人の知るところとなりました。
ある時、マガダ国の王舎城の比丘たちが、コーサラ国の舎衛城の祇園精舎を訪れました。舎衛城に着いた比丘たちは、まず衣鉢を置いてから、ブッダのところに行って礼拝し、ご挨拶をしてから傍らに坐りました。釈尊は「比丘たちよ、どちらから来たのか」とお訊きになりました。「世尊、王舎城から参りました」「誰の教えを受けているのか」「マハーカッサパ長老です」「カッサパは元気にしているか」「はい、世尊、長老はお元気です。けれども長老と一緒にいた沙弥が、長老に説教されて逆恨みし、長老の庵に放火して逃げました」。これを聞かれた釈尊は、「カッサパは、そういう愚か者と一緒にいるよりも、一人でいる方が良いであろう」と言われ、次の詩を唱えられました。
自分より、優れた人か
同等の者がいなければ
断固一人で歩むべし
愚か者と行くことなしに(ダンマパダ61偈)
そして、「かの沙弥が説教されて怒ったことは、過去にもあった」と言われ、皆に請われるままに過去の話を話されました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はシンギラ鳥(角のある鳥)に生まれ、雨の入らない巣を作り、ヒマラヤに住んでいました。雨期になって雨が降りしきるある日、一匹の猿が寒さに身体を震わせて、菩薩の巣に入ろうとしました。菩薩は猿の様子を見て、詩を唱えました。
人のごとき手足もち、
なぜに住処をつくらぬか
猿も詩で答えました。
シンギラ鳥よ、手足は人に似たれども、
肝心要の智慧がない
菩薩は再び詩を唱えました。
落ち着かず、動き回って、害意あり、
不品行な者に、安楽はない
ゆえに手だてを講ずべし
正しい行いへと至れ
寒さと雨を防ぐ住処をつくれ、猿よ
猿は「この鳥は、自分が雨のかからない巣を作っていると思って私をバカにしている。このままではおかないぞ」と怒り、鳥に飛びかかろうとしました。菩薩である鳥が飛び立つと、猿は鳥の巣をメチャクチャに壊したあげく、どこかへ行ってしまいました。
お釈迦様は「猿はマハーカッサパの精舎を焼いた沙弥であり、角のある鳥は私であった」と言われ、過去の話を終えられました。  
 
賢い鹿と愚かな鹿

 

これは、シャカムニブッダがマガダ国の竹林精舎におられたときのお話です。
デーヴァダッタという王家出身の比丘は、言葉を操るのが上手く、阿闍世王子を信奉者にして毎日贅沢なお布施を受けていました。しかし高慢な性格で自分を高く評価し、釈尊に叱られると逆恨みして、釈尊に狂った象をけしかけたり、崖の上から岩を転がして釈尊にケガをさせたり、ひどい狼藉をはたらきました。そのような大罪を犯して人望をなくしたデーヴァダッタは、名誉を回復しようとして、五つの規則を提案しました。五つの規則とは、一、比丘は生涯森に常住し村に入らない。二、比丘は生涯乞食で食を得、食事のお布施の招待を受けない。三、比丘は生涯捨てられたボロ布をまとうのみとし、衣のお布施を受け取らない。四、比丘は生涯樹下に住んで屋根のある家には入らない。五、比丘は生涯肉や魚を食べない、というものでした。
釈尊は、その提案を退けられました。デーヴァダッタは、出家者の中で未だ法と律に熟達していない五百人の修行者たちを得意の話術で説き伏せて、彼らを引き連れてサンガを離れ、ガヤーシーサ(象頭山)に移り住んで新たな僧団をつくりました。
時が経ち、デーヴァダッタと共にサンガを出た修行者たちの智慧が熟してきたことをご覧になった釈尊は、サーリプッタ尊者とモッガラーナ尊者を呼ばれ、ガヤーシーサに行って比丘たちに正しい法を説くようにと言われました。二人の高弟は、すぐに竹林精舎を後にして、ガヤーシーサに赴きました。デーヴァダッタは、ブッダの高弟が自分のところにやって来たのを見て、二人が自分の賛同者となったと勘違いして喜びました。デーヴァダッタは釈尊を真似、夜の法話の時に威厳を見せようとして、「サーリプッタ尊者よ、比丘たちはまだ疲れておらず、倦怠もしていない。私は背中が痛むので少し休もう。比丘たちと法の問答をつづけるのであれば、話をつづけてください」と、如来のような厳かな口調でサーリプッタ尊者に法話をまかせました。サーリプッタ尊者は五百人の修行者たちに因果の教えを説かれました。その話をよく理解した修行者たちは、次の日にサーリプッタ尊者とモッガラーナ尊者と共に、竹林精舎へ戻りました。
たくさんの修行者たちを連れて竹林精舎に戻ったサーリプッタ尊者がブッダに礼拝して傍らに立たれると、比丘たちはサーリプッタ尊者を褒め称え、「世尊、我らの最年長の法兄であるサーリプッタ尊者が五百人の修行者たちと共に戻られました。その威光は燦然と輝いています。一方、デーヴァダッタのところには誰もいなくなりました」と申し上げました。
ブッダは「比丘たちよ、サーリプッタが親しい者たちに囲まれて戻り、威光があったのは今だけではない。過去にも親しい者たちに囲まれ、威光があった。デーヴァダッタがが自分の徒衆を失ったのも今だけのことではない。過去にもやはり自分の集団を失ったのだ」と言われました。比丘たちはその話のわけをあきらかにされるようにブッダに懇願し、ブッダは過去の話を語られました。
昔々、マガダ国の王舎城(ラージャガハ)において、菩薩は鹿に生まれました。立派な鹿に成長した菩薩は鹿の群れの頭となり、千頭の鹿たちを従えて森に住んでいました。菩薩には、ラッカナ(瑞相)とカーラ(黒闇)という名前の二人の息子たちがいました。
ある時、菩薩の鹿は、息子二人を呼びました。菩薩は「私は歳を取った。これからはお前たちが群れを率いてほしい」と息子たちに告げました。二人の息子たちは、それぞれ五百頭の鹿の群れのリーダーとなりました。
マガダ国においては、穀物の収穫期が、鹿にとって一番危険な時期でした。というのは、人間たちが、穀物を食い荒らす動物たちを殺そうとして、いろんなとところにさまざまな仕掛けをしたからです。人間たちは、方々に穴を掘って落ち葉をかぶせたり、とがった杭を立てたり、石の罠を仕掛けたりし、毎年、多くの鹿たちが殺されていました。
その年も穀物の収穫期に入ったことを知った菩薩は二人の息子を呼び、「そろそろ穀物の収穫期になった。お前たちも知っているとおり、この時期には多くの鹿たちが殺される。私たち年寄りは、あれこれ方法を講じ、なんとかこの辺りで暮らすことにしようと思う。お前たちは鹿の群れを率いて森の中に入り、穀物の収穫期が終わる頃まで森の中で暮らしなさい。適当な時期になってから帰って来たら良いだろう」と話しました。二人の息子は「お父さん、よくかわりました」と父の言葉を聞き入れて、自分の群れを率いて山に入ることにしました。
人間たちは「この季節になると鹿たちは山に入り、この時期になるとなると下りてくる」と知っていて、鹿を射殺するために物陰に隠れて鹿たちを狙っていました。愚か者のカーラ鹿は、「この時にこのように行くべきであり、この時にはこのように行くべきではない」と知ることができず、自分の鹿の群れを連れて、午前でも、午後でも、夕暮れでも、夜明けでも、時刻にかまわず、森に一番近い村の入り口を通って森に入ろうとしました。その辺りに隠れていた人間たちは、たくさんの鹿たちを射殺しました。自分の愚かさによって多くの鹿たちを失ったカーラ鹿は、数少なくなった鹿たちと共に森に入りました。
ラッカナ鹿は、賢くて機知に富み、臨機応変の才のある鹿でした。彼は、「この時にこのように行くべきであり、この時にはこのように行くべきではない」と知っていたので、動く時刻に配慮して、日中は動かず、夕暮れににも動かず、夜明けにも動かず、夜中だけに動きました。また、人間たちが潜んでいる村の門は通りませんでした。そのためラッカナ鹿は、一頭の鹿も殺されることない群れと共に、安全な森に入りました。ラッカナ鹿の群れは森に四ヶ月間住んだ後、穀物の収穫期が終わった頃に、山に入った時と同じように賢く用心しながら山から下りました。ラッカナ鹿は、五百頭の群れに囲まれて元気に戻ってきたのです。一方カーラ鹿は、帰る時にも、来る時と同じように愚鈍にウロウロと戻って来たので、残っていた仲間の鹿もすべて殺され、一人だけで戻ってきました。
菩薩である鹿は、二人の息子たちを見て、他の鹿たちと語りながら、次の詩を唱えました。
徳があり
慈愛ある者には繁栄あり
見なさい、皆に囲まれて戻るラッカナを
見なさい、皆を失ってしまったカーラを
息子の鹿たちを喜んで迎え入れた菩薩の鹿は長寿を全うし、その業によって生まれ変わっていきました。
ブッダは、「比丘たちよ、サーリプッタが親しい者の一団を従えて威光があったのは、今だけではなく、過去においても威光があった。デーヴァダッタが徒衆を失ったことは、過去にもあったのだ。その時のカーラ鹿はデーヴァダッタであり、ラッカナ鹿はサーリプッタであった。鹿の群れは仏の弟子たちであり、母はラーフラの母であり、父鹿は私であった」と話を終えられました。  
 
天女に会った王子の話

 

これはシャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
ある時、お釈迦さまは故郷であるカピラワットゥのお城に立ち寄られました。お釈迦さまにはナンダという名前の弟がおられます。釈尊はナンダ王子に、ご自分の鉢を手渡されました。ナンダ王子は鉢を釈尊にお返ししようとして後に従い、祇園精舎までついて来てしまいました。釈尊はサーリプッタ尊者を呼ばれ、ナンダ王子を出家させました。
ナンダ比丘は修行をはじめたのですが、ある女性のことがどうしても忘れられません。釈尊と共にカピラワットゥのお城を出ようとした時、国一番の美人がきちんと髪を結わずに城の窓から顔を出し、「ナンダ王子、早く帰って来てくださいね」と呼びかけたのです。ナンダ比丘は、美しい彼女が忘れられずに思い患い、そのうちに青白くなるほどやせてきてしまいました。
釈尊はそれをお知りになって、ご自分からナンダ比丘の居室に行かれました。そこに用意された上座に坐られた釈尊は、「ナンダよ、真理の教えを楽しんでいるだろうか」とおたずねになりました。ナンダ比丘は、「世尊、国一番の美人のことが思い出されて、どうも楽しめないのです」とお答えしました。「ナンダよ、ヒマラヤの方に行ったことはあるのか」「いいえ、世尊。まだ行ったことはありません」「それでは今から行きなさい」「世尊、私には神通力がなく、行くことはできません」「ナンダよ、私が連れて行ってあげよう」。
釈尊はナンダ比丘の手をとって空中に昇り、一緒に空を飛びました。空を飛びながら、釈尊は、神通力で下界に燃えさかる田畑の光景をつくり出しました。火事で焼けている田畑の切り株には一匹の雌猿が坐っていました。雌猿の鼻と尾はちぎれ、毛は焼け落ちて、露出した皮膚が焼けただれて血がにじんでいました。釈尊はナンダ比丘にその光景をしっかりと見せてから、一緒に天へと向かわれました。天界には、広々とした美しいマノーシラ平原や、金山、銀山、宝石でできた山々、アノータッタ池などの七つの大池、五つの大河など、すばらしい光景が広がっていました。釈尊はその光り輝く景色をナンダ比丘に楽しませてから、「ナンダよ、三十三天を見たことはあるか」と訊かれました。「世尊、見たことはありません」「では、見せてあげよう」。
釈尊はナンダ比丘を連れて三十三天に昇られ、天界の宝石の玉座に坐られました。天界の王である帝釈天が、多くの神々を従えて釈尊に挨拶に来ました。帝釈天の侍女である二千五百人の天女たちや、ほっそりした五百人の天の少女たちも釈尊を礼拝し、挨拶しました。一切の世俗の汚れを離れた天女たちは、この上もなく美しい姿をしていました。釈尊は「この天女たちと、国一番の美人と、どちらが美しいだろうか」とおたずねになりました。ナンダ比丘は清らかな美しさの天女たちにすっかり心を奪われて、「尊師、あの美人も、この天女たちに比べれば、来る時に空から見た醜い雌猿のようです」と答えました。「ナンダよ、では、おまえは今どういう気持ちなのか」と釈尊に問われ、ナンダ比丘は「尊師、私はこの美しい天女たちにすっかり心を奪われました」と言いました。釈尊は「もしも熱心に修行をするならば、おまえの思いが叶うだろう」とおっしゃいました。「それでは私は懸命に修行します」「ナンダよ、それがいいだろう」。たくさんの神々の中で釈尊とそのような話を交わしたナンダ比丘は、「尊師、では直ちに祇園精舎に戻りましょう」と釈尊をうながしました。釈尊はナンダ比丘を連れて祇園精舎に戻られました。
精舎に戻ると、ナンダ比丘は、熱心に修行をはじめました。釈尊は、サーリプッタ尊者に、「サーリプッタ、弟のナンダは、神々の集まる三十三天で、天女への思いが叶うことについて、私を証人に立てたのだよ」と皆がいる前でお話になりました。その噂は祇園精舎中に広まりました。サーリプッタ尊者はナンダ比丘に、「友、ナンダ比丘よ、あなたが三十三天において、神々が集まる中で、天女のことで世尊を証人に立てられたというのは本当ですか」と話しかけ、「そうであれば、あなたが熱心に心を清らかにするために修行をすることと、世俗の人たちが熱心にお金のために仕事をすることとはどんな違いがあるのでしょう」と言ってからかいました。ナンダ比丘は自分の行動をとても恥ずかしく思い、「つまらないことをしてしまった」と慚愧(ざんぎ)の思いを起こしました。慚(ざん)とは自己の不善を恥じること、愧(ぎ)とは識者の目を怖れることです。釈迦族の人々は正直で誇り高い性格で、何よりも恥を怖れます。発奮したナンダ比丘は、怠らず自己を観察して熱心に修行に励み、阿羅漢果(最終的な悟りの境地)を得ました。
阿羅漢となったナンダ尊者は釈尊のところに行かれ、悟りを得たことを報告されました。そして、「世尊、あの約束はなかったことにしてください」と釈尊に言いました。釈尊は、「ナンダよ、おまえが最終的な悟りを開いた時、自然にあの約束は消えているよ」とおっしゃいました。
比丘たちが法話堂で、「ナンダ尊者こそ、師の言葉をよく聞く素直な方だとほめられるべきお方だろう。尊師に一度指導していただくと、すぐに慚愧の心を起こして熱心に仏道修行に励まれ、早くも最終的な悟りを得られたのだ」と話をしていました。釈尊が来られて何の話をしていたかをお聞きになったので比丘たちがお答えすると、「ナンダは過去においても素直な性質であった」と、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、、菩薩は象使いの家に生まれ、優れた象使いとなって、バーラーナシーの敵国の王に仕えていました。菩薩は王の象の世話をし、象を十分に訓練させました。
ある時、菩薩の仕える王がバーラーナシーを攻め落とすことに決めました。王は象を立派に武装させ、自分も王に相応しい鎧兜をつけて、象に乗ってバーラーナシーへと向かいました。バーラーナシーに着いた王は、「国を明け渡すか戦うか、どちらか答えよ」という信書をブラフマダッタ王に送りました。ブラフマダッタ王は、「喜んで応戦しよう」と答え、城壁、城門、天守閣など、至るところに軍隊を集めました。
菩薩が仕える王は鋭い刺棒をもって象にまたがり、象を前へ進めようとしました。しかし初めて実践の場に臨んだ象は、熱くなった泥水を浴びたり、隙間なく飛んでくる矢や石つぶてを身に受けたりして恐れをなし、死ぬのが怖くなって進むことができず、退却しそうになりました。その時、近くに控えていた象使いである菩薩が象に近づいて、次の詩を唱えました。
君は強く、誉れある
戦場を住処となす勇者
今、敵門に達するに、
象よ、なぜに戻るのか
さあ、閂(かんぬき)を取り外し
門柱を打ち倒して進め
象よ、城門を粉砕し、
ここぞと中へ攻めるのだ
象は、このように一度だけ戒められただけで気を取り直し、鼻で柱を引き抜いて閂を投げつけ、城門を粉砕し、城内に入って勇敢に戦い、王に勝利をもたらしました。
お釈迦さまは、「この時の象はナンダであり、王はアーナンダであり、象使いは私であった」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
ローサカ・ティッサ長老物語

 

これはシャカムニブッダがコーサラ国の都であるサーワッティ(舎衛城)郊外の祇園精舎におられた時のお話です。
コーサラ国に、一千戸の漁師の家族が集まる漁村がありました。ある時、一人の漁師の妻のお胎に胎児が宿りました。その時から、その村では災難ばかりが起こるようになりました。漁師たちには一匹も魚が捕れず、村はどんどん貧しくなる一方です。しかも、七回も火災が起こり、七回も王様から処罰を受けました。あまりの災難つづきに、村人たちは、「村のどこかに不幸を呼ぶ者が来たに違いない。ためしに村を二つに分けてみよう」と話し合い、村を五百戸ずつに分けました。すると、その子を身ごもった夫婦のいる村は落ちぶれ、その夫婦のいない村は栄えました。落ちぶれた方の村をまた二つに分けたところ、また、その子を身ごもった夫婦のいる村は落ちぶれ、その夫婦のいない村は栄えました。それを繰り返していくうちに、とうとう、その子を身ごもった夫婦の家だけが残りました。村人たちは、その夫婦を打ち据えて、追い出しました。
村を追い出された母親は、やっとのことで生活して息子を出産しました。その赤ん坊は、今生を最後の生まれとして生まれたので、悟りを開くまで死ぬことはありません。阿羅漢(最上の悟りを開いた聖者)になる資質が、ビンに入ったランプの灯のように、心に灯っていたのです。
しかし母親は、子どもがある程度大きくなるまで面倒をみたかと思うと、やっと元気に走り回れるぐらいになった子どもに「これからは乞食をしてくらしなさい」と鉢を持たせ、自分はどこかに行ってしまいました。子どもはひとりぼっちになり、適当なところで寝、体も洗わず、餓鬼のようななりで、何とか生きていました。そのうちに彼は、さまよいながら、サーワッティへとやって来ました。
ある日、七歳になった子どもが屋外の洗い場に落ちている米粒をカラスのように拾い食いしていると、ちょうどサーワッティで托鉢しておられたサーリプッタ尊者が通りかかりました。サーリプッタ尊者の心に「あの可哀想な子どもはどこの子だろう」という憐れみの心が起こりました。長老は「こちらにおいで」と子どもを呼びました。子どもは長老の側に来て、礼をしました。長老は「君はどこの村の子か。親はどこにいるのか」とたずねました。「僕はひとりです。両親は僕を捨ててどこかに行ってしまいました」「君は出家するつもりはないか」「お坊さま、僕は出家したいです。だけど僕のようにみずぼらしい者を、誰が出家させてくれるでしょう」「私が出家させてあげよう」「本当ですか。お願いします」。
サーリプッタ尊者はその子に食事を与え、精舎に連れて帰り、ご自分の手できれいに洗ってあげて、沙弥として出家させました。そして、彼が十分な年齢になるまで面倒を見てから、具足戒(正式に比丘になるための戒律)を授けました。
比丘になった彼は熱心に修行し、ある年月が経つと、人々からローサカ・ティッサ長老と呼ばれるようになりました。しかしローサカ・ティッサ長老の生活はなぜか恵まれず、いつもわずかなもので満足する状態でした。盛大なお布施の時でさえ、ローサカ・ティッサ長老が得る食事は、命を保つだけのささやかなものでした。ローサカ長老の鉢は、ヒシャクに軽く一杯だけ粥を入れただけで、溢れるように見えるのです。そこで人々は、次の比丘の鉢に粥を入れてしまうのでした。人々の中には、「ローサカ長老の鉢に粥を入れようとすると、なぜかこちらの用意していた粥がなくなってしまう」と言う人もいました。粥だけでなく、すべての食べ物がそのようなありさまでした。
けれどもローサカ・ティッサ長老は熱心に修行を続け、ついに智慧が生じて阿羅漢果(最上の悟りの境地)を得ました。それでも、ローサカ長老はお布施に恵まれず、わずかな食べ物で満足するしかない生活は相変わらずでした。
そのうちにローサカ・ティッサ長老の寿命が尽き、涅槃に入られる日が来ました。サーリプッタ尊者はそのことを知り、「友、ローサカ・ティッサは、今日、涅槃に入るだろう。私は今日こそ、彼が食べたいだけ食べられるようにしよう」と思い、長老と共にサーワッティの街に托鉢に出ました。しかし人々は、ローサカ・ティッサ長老がいると、お布施どころか礼もしないのです。サーリプッタ尊者は、「友よ、先にあるお堂で坐っていてください」と長老を先に行かせ、自分が托鉢して、「これをローサカ・ティッサ長老にあげてください」とそこにいた人に言って、十分な食事を持って行かせました。ところがそれを運んだ者は、ローサカ長老のことを忘れて自分が食べてしまったのです。サーリプッタ尊者がお堂の方に行くと、ローサカ長老が立って、礼をしました。サーリプッタ尊者が立ち止まって振り返り、「友よ、食事を食べましたか」と訊くと、ローサカ長老は「尊師、後で食べるでしょう」と答えました。比丘の食事の時間は過ぎようとしていました。
サーリプッタ尊者は「友よ、ここで坐っていてください」と言って、コーサラ王の宮殿に行きました。国王は、「お食事の時間は過ぎている。長老に四甘食(バターや蜜で作ったデザート)を差し上げなさい」と命じ、サーリプッタ尊者の鉢一杯に上等の四甘食を入れさせました。サーリプッタ尊者はローサカ長老のところへ戻り、「友、ティッサよ、これを食べなさい」と言いました。しかし、サーリプッタ尊者を深く尊敬するローサカ・ティッサ長老は、遠慮して食べません。サーリプッタ尊者は、「友、ティッサよ。私はこの鉢をここで持って立っていよう。あなたは坐って、この鉢から食べなさい。私が鉢から手を放すと、中の食べ物はなくなってしまうだろうから」と立っていました。ローサカ・ティッサ長老は、最も年上の法兄であるサーリプッタ尊者が鉢を持っておられる間に、おいしい四甘食を食べました。それは、サーリプッタ尊者の神通力で、いくら食べても減りませんでした。ローサカ・ティッサ長老は、十分満足するまで食べることができました。そしてその日のうちに寿命が尽きて、涅槃に入られたのです。釈尊は阿羅漢であるローサカ・ティッサ長老を手厚く葬らせ、骨を塔に奉りました。
比丘たちが法話堂に集まって、「ローサカ・ティッサ長老は、あのように恵まれず、わずかなお布施しか得られない方でありながら、なぜ聖なる法を得て悟られたのだろう」と話をしていました。釈尊が来られて何を話しているのかと比丘たちにたずねられ、比丘たちがお答えすると、釈尊は「比丘らよ、ローサカ・ティッサが恵まれなかったことも、聖なる法を得たことも、自分でした行いの結果なのだ。彼は前世で、他の者が布施を得るジャマをしたので、わずかなものしか得られない者となった。また、世は無常であり、苦である、という智慧を得るに相応しい励みによって、聖なる法を得る者となった」と言われ、比丘たちに請われるままに過去の話をされました。
昔々、カッサパブッダという正覚者の時代に、ある出家者が、村の金持ちの居士のお布施を受けて、居士の屋敷の近くにある寺に住んでいました。彼は比丘として為すべきことを為し、戒を守り、智慧を得るための修行を熱心に行じていました。
ある時、一人の阿羅漢(完全に悟りを開いた聖者)が、その村にやって来ました。居士はその長老の立ち居振る舞いに感心し、長老の鉢を取って家に招き、礼拝して、うやうやしくお布施の食事を差し上げました。お布施の後で長老から短い法話を聞いた居士は、長老に礼をして、「尊師、どうぞこの屋敷の近くにあるお寺にいらっしゃってください。私も夕方に訪問いたします」と言いました。旅の長老はお寺を訪ね、そのお寺に住んでいる長老に挨拶しました。寺の長老は旅の長老に挨拶を返し、「友よ、食事のお布施は受けましたか」とたずねました。「はい。受けました」「どちらで受けたのですか」「ここから近い金持ちの居士の家です」。阿羅漢である旅の長老は自分の宿坊をたずね、そちらに行って鉢を置いてから、静かに坐って禅定の安楽に入られました。
夕方になると、村の居士が、お香や花や灯火や油を持たせてお寺に来ました。居士はお寺の長老に礼拝し、「尊師、旅の長老がこちらに来られましたか」とたずねました。「はい、来られましたよ」「今、どちらにおられますか」「あちらの宿坊です」。居士は阿羅漢の長老を訪ねて法話を聞き、塔と菩提樹に供え物をして灯火に火を灯し、二人を翌日のお布施に招待してから家に帰りました。
寺の長老は、「あの居士は私から離れようとしている。旅の比丘がこの寺に住んだなら、いったい私に対してどういう待遇をするようになることだろう」と考えて不愉快になり、なんとか旅の長老がこの寺に住まないようにしようと考えました。寺の長老は、旅の長老に口をきかなくなりました。阿羅漢である旅の長老は、寺の長老の心を知って、「彼は私が邪魔者にならないということを知らない」と思い、自分の庵でひとり坐って、禅定の安楽に住していました。
翌日の托鉢の時間になると、寺の長老は、指の節で鐘を小さく鳴らし、阿羅漢である旅の長老が休んでおられる庵の戸を爪でなでるように叩いてから、居士の家に一人で行きました。居士は寺の長老の鉢を取って用意した席に案内し、「尊者よ、旅の長老はどうされましたか」とたずねました。寺の長老は、「私はあなたの信頼する方の様子を知りません。来る時に鐘を叩き、庵の戸を叩いたのですが、彼は目を覚ましませんでした。昨日こちらでおいしいごちそうを食べ、それが消化できずに寝ているようだ。どうぞ気にしないでください」と言いました。
その頃、阿羅漢である旅の長老は、身の回りのものを整えて、鉢と衣を持ち、空に浮かぶように、どこかへ飛び去って行かれました。
居士は、寺の長老に、上質のバターと蜜と砂糖を入れた乳粥のお布施を差し上げました。そして、香りのいい粉で磨かせた鉢に同じ乳粥を満たし、「尊師、新しく来られた長老は、長旅で疲れて寝ておられるのでしょう。どうぞこの乳粥を持って帰って差し上げてください」と言いました。
寺の長老は乳粥の鉢を受け取り、寺に戻りながら思案しました。「あの比丘にこのおいしい乳粥を食べさせたら、首根っこをつかんで追い出そうとしても、寺を出て行かなくなるだろう。だが、この乳粥を他の誰かにあげたりしたら、私の行動がバレてしまう。どこか水の中に捨てたりしたら、バターの油が浮かんで不審に思われる。地面に捨てたなら、カラスが集まるから、やはりおかしいと思われる。いったいどこに捨てたらいいだろう」。ちょうどその時、焼き畑に出くわしました。寺の長老は焼き畑の燃えくずを取り除いて乳粥を捨て、上から燃えくずをかぶせました。
寺に戻った長老は、旅の長老がいなくなっているのを知りました。そして、「あの長老は、私の考えを知って、どこかへ立ち去ったのに違いない。あの方は優れた境地を得ていた。私は胃の痛くなるような悪いことをした」と、非常な心痛に襲われました。彼は人間のまま餓鬼のようになり、まもなく死んで、地獄に生まれました。
彼は、地獄に堕ちて何十万年も非常に苦しみました。しかし悪い業は尽きず、その後、五百回も夜叉に生まれ変わりました。夜叉でいた間、彼は、たった一日だけ排泄物を食べて満腹になることがあった以外、一日も何かを腹一杯食べることはできませんでした。次に、五百回、犬で生まれました。犬になっても、たった一日だけ吐き気を催すようなものをたくさん食べたことがあった以外、満足する量の食べ物を食べた日はありませんでした。
犬としての生を終えた彼は、人間となってカーシ国の村の貧しい家に生まれ、ミッタヴィンダカと名付けられました。ミッタヴィンダカが生まれると、その家はますます貧乏になり、水粥さえ満足に食べることができなくなりました。両親は飢えの苦しみに耐えられず、「貧乏神は出て行け」と言って、彼を追い出しました。ミッタヴィンダカは身寄りのない身となって、さまよいながら、バーラーナシーの都へとやって来ました。
その頃、菩薩は高名なバラモンであり、バーラーナシーで五百人の弟子たちに技芸を教えていました。当時のバーラーナシーでは、貧しい若者に奨学金を与えて勉強させる制度がありました。ミッタヴィンダカは奨学金を得て、菩薩のところで技術を学ぶことになりました。
ミッタヴィンダカは乱暴者で、すぐに暴力を振るいました。しかも頑固で、菩薩が親切に諭しても言うことを聞きません。乱暴なミッタヴィンダカが来てから、菩薩の弟子は少なくなりました。そのうちにミッタヴィンダカは若者とひどい喧嘩をして菩薩のところからも逃げ出し、あちこちさまよいながら流れて行きました。
ミッタヴィンダカは、とある辺境の村に流れ着き、一人の不幸な女と出会って一緒に暮らし出しました。その女に二人の子どもが生まれました。村人たちは彼を雇い、「良い情報や悪い情報があれば、我々に知らせてくれ」と言って、村の入り口にある小屋に住ませました。ここにミッタヴィンダカが住み着くと、村は災難つづきとなりました。七回も火事になり、七回も王の処罰を受け、七回も池が枯れて干ばつになったのです。村人たちは、「これはミッタヴィンダカのせいに違いない。あいつが来るまでは、こんな不幸は起こらなかった」と、彼を打って追い払いました。
家族を連れて村を出たミッタヴィンダカは、他の場所に行こうとして悪鬼の住んでいる森に入り、妻と子どもたちを食べられてしまいました。彼だけは何とかその森から逃げ出て、そのままさまよい歩いていると、ガンビーラという漁村に着きました。そちらではちょうど、舟が出航するところでした。ミッタヴィンダカは舟で雇ってもらい、航海に出ました。ところがその舟は、海に出て七日目に海のど真ん中で止まってしまったのです。岩に乗り上げたように静止した舟に困り果てた船乗りたちは、災難を起こす不吉者を捜すくじ引きをしました。くじは七回ともミッタヴィンダカに当たりました。船乗りたちは、竹の筏に彼を乗せ、海へ放り出しました。ミッタヴィンダカが舟から出たとたん、舟は無事に進み出しました。
ミッタヴィンダカは竹の筏に腹這いになって海の上を進んで行きました。彼はカッサパブッダの時代に出家して戒を守っていた果を受けて、海に浮かぶ水晶の宮殿にたどり着き、そこに住む四人の天女たちと七日間のあいだ楽しく暮らしました。七日経つと、天女たちは用事で島を留守にしました。ミッタヴィンダカは島を出て筏を進め、八人の天女たちが住む銀の宮殿に着きました。彼はそこにも長く留まらず、次に十六人の天女たちがいる宝玉の宮殿に流れ着き、そこでしばらく暮らしてからまたその島を出て、三十二人の天女たちがいる金の宮殿に流れ着き、その島にも満足できずに、さらに他の場所へと進みました。
すると今度は、たくさんの夜叉が住む島に着きました。一人の夜叉の女が山羊に化けて歩いていました。ミッタヴィンダカは、「山羊の肉を食ってやろう」と思って足をつかみました。夜叉は、魔力で彼を投げ飛ばしました。彼は海を越え、バーラーナシーの城の濠端にまで放り投げられました。
投げ飛ばされたミッタヴィンダカは、そこにいる山羊を見て、「もしまたこの山羊の足をつかめば、今度は海の上の天女の宮殿まで投げ飛ばしてくれるかもしれない」というバカげた考えから、山羊の足をつかみました。足をつかまれた山羊は、大声でわめきました。山羊飼いたちが飛んできて、ミッタヴィンダカを捕らえ、「盗賊め、長い間、王様の山羊を盗んできた山羊泥棒はおまえだな」と彼を殴って、きつく縛り上げました。
ちょうどその時、菩薩が五百人の弟子たちと沐浴に出かけようとして、そこを通りかかりました。菩薩はミッタヴィンダカを見て、山羊飼いたちに話しかけました。「彼は私の弟子だった者だ。いったいどうしたのか」「師よ、彼は山羊泥棒です。山羊の足をつかんだところを捕らえたのです」「そうか。私は彼を下僕として仕えさせようと思うのだが、こちらに渡してもらえないだろうか」「師よ、よろしゅうございます」。山羊飼いたちは彼を放免しました。
菩薩が「ミッタヴィンダカよ、長い間、いったいどこにいたのか」と訊くと、彼はそれまでのことを話しました。話を聞いた菩薩は、次の詩を唱えました。
ためを思い憐れみて教え諭されるも
その言葉を聞き入れぬ者
山羊をつかんだミッタヴィンダカのごとく
悲哀を得る
その後ミッタヴィンダカは菩薩に仕え、皆、それぞれの行いによって、生まれるべきところに生まれ変わって行きました。
お釈迦さまは「その時のミッタヴィンダカはローサカ・ティッサであり、高名なバラモンの教師は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
真珠物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
ある時、コーサラ国王の侍女たちが、このように考えました。
「ブッダが世に出現されるというのは、実に有り難い、めったに出会うことのできない幸福です。私たちが人間として生まれるというのも、たいへん貴重であり、その上に心身も穏やかなことは得難いことです。私たちはこれほどの希有な機会に恵まれながら、自らの求めるままに精舎へ赴いて法を聞いたり、供養したり、お布施したりすることができません。まるで箱の中に閉じこめられたような生活をしています。私たちは王様にお願いして、私たちのために法話をしてくださるお坊さまにお城に来ていただき、法を説いていただくことにしましょう。そして学べることをすべて学び、その教えにしたがって、布施行などの善行為をしましょう。それでこそ、私たちがこの貴い機縁に出会えたことが実りあるものとなることでしょう」と。
彼女たちは王に自分たちの考えを述べました。王は、「よろしい。そなたたちの望みのとおりにするが良いだろう」と、同意しました。
ある日、王は、御苑で遊ぼうと思い立って家臣を呼び、準備を命じました。家臣たちが御苑を掃除していると、お釈迦さまが一本の樹の下で坐っておられるのを見かけました。家臣は城に戻り、そのことを国王に報告しました。王は、「では我は釈尊のもとに詣で、お話を聞こう」と豪華な車で御苑に乗りつけ、車から降りてお釈迦さまのおられるところに近づきました。
ちょうどその時、チャッタバーニという名の在家信者(ウパーサカ)が、お釈迦さまの傍らに坐ってお話を聞いていました。チャッタバーニは、不還果(三段階目の悟り)を得た人でした。彼はブッダへの尊敬の気持ちから、王の姿が見えても、立ち上がって敬礼したり、うやうやしく挨拶の言葉を述べたりすることはありませんでした。王は不審に思いましたが、「この男が悪人であるならば、世尊の側に坐って法話をお聞きするようなことはないだろう」と思い、釈尊のところに来て礼拝し、自らも傍らに坐りました。
しかし王は、王に対して礼を尽くさないチャッタバーニを快く思いませんでした。お釈迦さまは王の気持ちに気づかれ、チャッタバーニの徳をほめて、「大王よ、彼は博学であり、教えに通じ、諸々の欲を離れている」とおっしゃいました。王は「釈尊がこのようにほめられるのであれば、優れていない者であるはずがない」と思い、「在家信者よ、何か必要なものがあれば余に何なりと申し出よ」と言いました。チャッタバーニは丁寧に礼を述べました。王はお釈迦さまの法話を聞いてから、右回りの礼をし、城に戻りました。
ある日、コーサラ王は、チャッタバーニが朝食を終え、傘を持って祇園精舎に向かうのを見かけました。王が声をかけると、彼は丁寧に礼を尽くした態度で挨拶をしました。王は、チャッタバーニに言いました。「汝は法に精通していると聞いている。我が城の宮女たちが法を学びたいと言っているのだが、汝が城に来て法を説くことはできるだろうか」「大王様、在家の者が王様の内殿で法話を説いたりすることは、よろしくありません。しかし、出家されている尊者方であれば、それにふさわしいと存じます」。
王は「あの男の言うことは筋が通っている」と思い、城に帰って宮女たちを呼んで言いました。「宮女たちよ、余は世尊を訪ね、おまえたちのために法を説いてくださる長老を城に招待しようと思う。ブッダには八十人の大弟子がおられるが、どなたにお願いするのがいいだろう」。宮女たちは皆で相談し、「法の宝庫であるアーナンダ長老にお願いしていただきたいと存じます」と王に伝えました。
コーサラ王は釈尊を訪ね、礼拝して傍らに坐り、「世尊、我が宮殿の宮女たちが、アーナンダ長老から法を聞き習いたいと申しております。どうかアーナンダ長老は、我が宮殿で、法を説いたり語ったりしてくださいますように」とお願いしました。釈尊は承諾されました。
そのようにして、アーナンダ尊者は、時々お城へ行って、宮女たちに法を説かれるようになりました。
ところがある日のこと、王の冠に飾られていた大粒の真珠がなくなるという事件が起こりました。王は大臣に、「城にいる者、雇われている者を一人残らず捕らえて調べ、必ず宝石を探し出せ」と命じました。大臣は、城にいるすべての者を調べ上げ、真珠を見つけようとしました。しかし、真珠はなかなか見つからず、人々は皆、たいへんな迷惑を被りました。
ちょうどその日は法話の日でした。いつもは、アーナンダ長老がいらっしゃると、宮女たちはとても喜んでお話を聞きに集まります。しかしその日は、皆、沈みがちで、浮かない様子でした。アーナンダ長老が不審に思われて、「なぜあなた方はそのように、憂いに沈んでいるのですか」とたずねられると、宮女たちはそれまでのいきさつをお話ししました。そして、「真珠はなかなか見つかりません。これからいったいどうなるのか、誰に何が起こるのかを思うと、とても不安で、皆、気持ちが沈んでいるのでございます」と打ち明けました。アーナンダ長老は「心配することはない」と彼女たちを安心させ、コーサラ王のところに行きました。
アーナンダ長老はそちらに用意された座に坐られて、王と会話を交わしました。「大王よ、王冠の真珠がなくなったと聞きました」「尊師、その通りです。宮殿にいる者を残らず捕らえて調べさせたのですが、見つかりません」「大王よ、良い方法があります」「尊師、どのような方法でしょうか」「大王よ、束を与えるのです」「尊師、どのような束ですか」「大王よ、城にいる人々の数だけのワラ束を作り、一人一人に渡すのです。そして、朝早くこのワラ束を持ってきて門のところに置くようにと命じるのです。真珠を奪った者は、束の中に真珠を入れて持ってくるでしょう。一日目に見つかればいいのですが、もし見つからない場合は、二日目にも同じことをするのです。それでも見つからなければ、三日目にも同じことをするのです。そうすれば、きっと真珠を取り戻せることでしょう」。長老はそう言って、帰られました。
コーサラ王は長老の言葉にしたがってワラ束を城中の者に配らせ、次の朝に門のところに置くようにと命じました。一日目は真珠は見つかりませんでした。二日目も見つからず、三日目にもやはり真珠は見つかりませんでした。
三日目に、アーナンダ長老が城に来られました。長老は再び王と会話を交わしました。「大王よ、真珠は戻りましたか」「いいえ、尊師、真珠はまだ戻りません」「それでは大王よ、広い庭の真ん中に水を入れた大きな瓶(かめ)を置き、四方に幕を張らせるのです。そして、『城の者は全員、一人ずつ幕の中に入って瓶の水で手を洗って出てこい』と命じるのです。真珠を盗んだ者は、皆に見つからないように瓶の中に真珠を落とし、なくなった真珠が見つかるでしょう」。長老はそう言って、帰られました。
王は長老が言われた通りに、庭の真ん中に水を張った瓶を置き、周りに幕を張らせ、城の者は全員、一人ずつ幕の中に入って手を洗うように、と命じました。真珠を盗んだ者は、「アーナンダ長老は、この事件を引き受けて、真珠が見つかるまでこういうことを繰り返すつもりなのだろう。そろそろこの辺で真珠を返した方がよさそうだ」と考えました。彼は、自分の番が来ると、真珠を隠し持って幕の中に入り、瓶の中に真珠を落として立ち去りました。全員が手を洗った後で瓶の水を捨てると、真珠が出てきました。
コーサラ王は、「長老のお陰で、誰にも迷惑をかけずに真珠を取り戻すことができた」とたいへん満足し、とても喜びました。城の者は皆、「長老の徳によって、我々は大きな苦しみから逃れることができた」と安堵して、たいそう喜びました。「アーナンダ長老の徳によって、王様の王冠の真珠が無事に戻ってきた」という噂は、瞬く間に広がりました。
比丘たちが法話堂に集まって、アーナンダ尊者を賞賛し、「友よ、アーナンダ長老は、ご自分の博識と智恵と巧みな方便を使う力によって、誰にも迷惑をかけず、問題を解決された」と話していました。釈尊が来られて何の話をしているのかとお訊きになったので、比丘たちがお答えすると、釈尊はアーナンダ尊者をほめられ、「過去においても、賢者は、誰にも迷惑をかけずに盗品を取り戻した」とおっしゃって、皆に請われるままに、過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はあらゆる技芸に秀でた有能な大臣として、王に仕えていました。ある日、王は、家臣や宮女たちを引き連れ、御苑へ野遊びに出かけました。王は林の中を散歩してから、水遊びのために、宮女たちを呼びました。宮女たちはイヤリングや首飾りなどの宝石類を取り外して上着に包み、下女に番を命じて、蓮池に入りました。
御苑に住む一匹の雌猿が、国王の第一王妃が美しい大粒の真珠の首飾りをはずすのを、木の上から見ていました。雌猿は、その美しい首飾りを自分の首にかけてみたくてたまらなくなりました。雌猿が何とかできないものかと様子をうかがっていると、見張りの下女が居眠りをはじめました。雌猿は、木の上から風のようにふんわりと飛び降りて、真珠の首飾りを首にかけ、再び風のようにふわっと木に飛び上がりました。そして、少し離れた木の穴の中に首飾りを隠して知らんぷりをしていました。
居眠りをしていた下女は、目が覚めて、王妃の真珠の首飾りがなくなっていることに気づきました。驚いて怖くなった下女は、「たいへんです!男が王妃様の首飾りを盗って逃げました!」と大声をあげました。人々がたくさん集まって来ました。事件の報告を受けた王は、「盗賊を捕らえよ」と命じました。家来たちは御苑の外まで泥棒を捜し回り、「盗賊を捕まえろ、怪しい男を捕まえろ」と大騒ぎをしました。ちょうどそこに、神々に供物を捧げようと田舎から出て来ていた一人の田舎者がいました。彼は王の家来たちの大声と大騒ぎに驚いて、震えながら逃げ出しました。皆は彼を追いかけて捕え、「この悪党め!おまえがあの高価な首飾りを盗もうとしたのか」と大声で罵りました。男は、「もし私がここで『私は知りません』と言ったりしたら、すぐに殴り殺されてしまうだろう」と思い、「はい、旦那様、私が盗りました」と言いました。
男は王のもとへ連れて行かれ、審議のための問答が交わされました。「汝(なんじ)は首飾りを盗ったのか」「はい。大王様」「首飾りはどこにあるのだ」「大王様、私は高価なものというものは、寝台と椅子でさえ見たことがないのです。実は、大長者が私にあの高価な首飾りを盗ませました。私は首飾りを長者様に渡しました。首飾りの場所は長者様が知っているでしょう」。
王は大長者を捕らえさせ、大長者に訊きました。「汝はこの男から首飾りを受け取ったのか」「はい、大王様」「首飾りはどこにあるのだ」「司祭様に差し上げました」。そこで王は司祭を捕らえさせ、司祭に訊きました。「汝は長者から首飾りを受け取ったのか」「はい、大王様」「首飾りはどこにあるのだ」「あれは音楽師に与えました」。そこで王は音楽師を捕らえさせ、音楽師に訊きました。「汝はこの男から首飾りを受け取ったのか」「はい、大王様」「首飾りはどこにあるのだ」「愛欲にかられ、美しい遊女に与えました」。そこで王は遊女を捕らえさせ、遊女に「汝はこの男から首飾りを受け取ったのか」と訊きました。すると遊女は「私はもらっていません」と答えました。
この五人を調べているうちに、日が暮れて暗くなってきました。王は、「今日はもう遅い。明日また取り調べることにしよう」と、五人を大臣である菩薩に渡し、自分は城に戻りました。
菩薩は考えました。「真珠の首飾りは御苑で盗られた。しかしこの田舎者は、御苑の外にいた。御苑の門には、力の強い番人が見張りをし、御苑にはたくさんの家来たちがいた。御苑の中にいる者でさえ、首飾りを盗って逃げるなどということはできないことだ。まして、御苑の外にいた者には不可能だろう。ということは、彼は首飾りを奪うことなどできなかったはずだ。この不運な男は、『私が盗って長者に渡しました」と言ったが、それは自分が許されたいためだろう。長者が『司祭に差し上げました』と言ったのは、司祭と共にいる心強さがほしかったのだろう。司祭が『音楽師に与えました』と言ったのは、音楽師のお陰で気楽になりたかったのだろう。音楽師が、『遊女にやりました』と言ったのは、嫌な状況を楽しくしたいという気持ちから、そう言ったのだろう。この五人は、いずれも泥棒ではないのであろう。御苑にはたくさんの猿たちがいる。あの首飾りは、御苑に住む雌猿が盗んだに違いない」。
次の日、菩薩は王のところに行き、「大王様、あの五人を私にお預けください。この事件は、私の手で解決したいと思います」と申し出ました。王は「よろしい。汝がこの事件を解決するように」と、同意しました。
菩薩は家に五人を連れて帰り、召使たちを呼んで、「あの五人を一緒の部屋に入れ、しっかり番をするのだ。そして、彼らが互いに話すことをよく聞いて、何を話していたか私に報告しなさい」と命じました。
五人を同じ部屋に入れたところ、長者が田舎者に向かって怒鳴りました。「おい!田舎者の悪党め!おまえは私とどこで会ったことがあるのだ。いつおまえは私に首飾りを渡したというのだ」「大長者様、私は高価な品物というものは、樹の芯で作った寝台や椅子でさえも見たことがありません。実は、大長者様に頼って何とか許されたいと思い、あのようなことを言ったのでございます。どうか、大長者様、怒らないでください」。司祭も長者を怒鳴りつけました。「大長者!そなたは自分でもらいもしないものを、どうやって私にくれたというのだ」「司祭様、我々二人は、人の上に立つ者です。二人が一緒にいれば事件が早く解決するのではないかと思い、そう言ったのです」。音楽師も司祭に怒って言いました。「司祭よ!いつ私に首飾りをくれたというのですか」「音楽師よ、私は君が一緒にいると気楽にいられると思って、そう言ったのだ」。遊女も音楽師に怒って言いました。「音楽師さん!あなたは本当に悪い人ね。私がいつあなたのところに行きましたか。あなたが私のところに来たことがあるというのですか。あなたはいつ、私に首飾りをくれたというのですか」「女よ、なぜそんなに怒るのか。我々は家族のように一緒にいることになる。だから、嫌でなく楽しくいたいと思って、そう言ったのだ」。
菩薩は使用人からこれらの話を聞いて、彼らが泥棒でないことを確信しました。そして、「やはり盗ったのは御苑の雌猿に違いない、何とかして首飾りを取り戻してやろう」と思いました。
菩薩は、ガラス玉でたくさんの首飾りを作らせました。そして、園内の雌猿たちを捕らえさせ、首にガラス玉の首飾りを着けて放させたのです。菩薩は御苑の番人たちに、「おまえたちは御苑に住む猿たちを見張れ。真珠の首飾りをした猿を見つけたら、その猿を脅して真珠の首飾りを取り戻せ」と命じました。
真珠の首飾りを盗んだ雌猿は、首飾りを大切にして、ずっと首飾りの近くを動かずにいました。ガラス玉の首飾りを首にかけられた雌猿たちは、「首飾りをもらった」と大喜びで園内を飛び回りました。彼女たちは、真珠の首飾りを盗った雌猿にもそれを見せびらかして、「きれいな首飾りだよ」と自慢しました。真珠の首飾りを盗った雌猿はついに我慢できなくなって、「そんなガラス玉の首飾りなんか、なんだ」と言って、真珠の首飾りを着けて皆の前に現れました。御苑の番人がそれを見つけ、雌猿を捕らえて真珠の首飾りをはずし、菩薩に渡しました。
菩薩は、無事に戻った真珠の首飾りを王のもとに届け、「王様、首飾りが戻りました。あの五人の者は、泥棒ではありませんでした。首飾りは、御苑に住む雌猿が奪って、木の穴に隠していたのです」と報告しました。王は驚いて、「いったいどのようにして、これを雌猿が持っていることを知ったのか。そして、どのようにしてこれを取り戻したのか」と菩薩に訊きました。菩薩はそれまでのいきさつを話しました。国王はたいへん満足して次の詩を唱えました。
戦争には勇者を
相談には言葉の曖昧でない者を
食事には親しき友を
事が起きたときには賢者を
王は菩薩をほめたたえ、雲が大雨を降らすようにたくさんの七宝を与えました。王はその後も大臣である菩薩の教えにしたがって布施行などの善行を積み、自分の行為にふさわしいところに生まれ変わっていきました。
お釈迦さまは過去の話を終えられ、「その時の王はアーナンダであり、賢い大臣は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
賢いカラスの物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時、親族のために尽くすことについて、語られたお話です。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩(ぼさつ)はカラスとして生まれました。成長した菩薩は森の中にある大きな火葬場のカラスたちの頭(かしら)となり、八万羽のカラスたちを従えて森に住んでいました。
ある日のこと、国王の相談役で、国の司祭であるバラモンが、街を囲む城壁の外にある川で沐浴しました。バラモンは体中に高価なお香を塗り、立派な法服を花で飾り立て、街にもどってきました。ちょうどその時、城壁の門の上に二羽のカラスがとまっていました。いたずら者のカラスがバラモンを見かけ、「おい、あの気取った司祭の頭に糞を落としてやったらおもしろいぞ」と言いました。もう一羽のカラスは「ダメだよ。あのバラモンは権力者だ。権力者を怒らせたらまずいよ。そんなことをしたら、僕たちカラスは皆、ひどい目に遭わされるよ」と止めました。しかし、いたずらカラスは「俺はどうしてもやりたいんだ」と言ってききません。もう一羽のカラスは「そんなことしたらすぐにバレるに決まっているよ」と言いながら、逃げてしまいました。
司祭が城門の下を通ろうとした時、門の上のいたずらカラスは、糸をつり下げるようにして、糞をバラモンの頭の上に落としました。バラモンは真っ赤になって、烈火のごとく怒りました。それ以来、そのバラモンは、世の中のカラスというカラスを、皆、憎むようになったのです。
ある日、一人の農婦のおばさんが、米を広げて日に干しながら見張りをしていました。農婦は、つい眠くなってウトウトと居眠りをしました。そのすきに一頭のヤギが、こっそりと近づいて来て米を食べました。農婦は目を覚まし、「しっしっ」とヤギを追い払いました。ところがまたすぐに眠くなり、居眠りをしてしまいました。すると、第二のヤギがこっそりと来て、また米を食べました。農婦はまた気がついて、「しっしっ」とヤギを追い払いました。しかし、またしばらくすると居眠りをしてしまい、またヤギに米を食べられてしまいました。
何度もヤギに米を盗み食いされた農婦のおばさんは、自分が居眠りばかりしていることを棚に上げ、プリプリと腹を立てました。「このヤギどもは何度もしつこく米を盗み食いに来るね。うかうかすると米を半分以上も食べられてしまう。そうなったら大損だ。何とかしなきゃいけないよ。そうだ、二度と来ないように、火で脅かしてやることにしよう」。そのように怒りで浅知恵をめぐらした農婦は、火をつけた松明(たいまつ)をそばに置き、眠ったふりをしてヤギを待ちました。おばさんが眠ったと思ったヤギが、こっそり米を食べに来ました。サッと立ち上がった農婦は、火のついた松明で思いっきりヤギを殴りつけました。
松明の火はヤギに燃え移り、たいへんな騒ぎになりました。体が燃え上がったヤギは大騒ぎをして、死にものぐるいで駆け出したのです。「何とかして火を消そう」と必死になったヤギは、その辺りの象舎に飛び込んで、そこに積み上げてあった枯れ草に体をこすりつけました。火はたちまち枯れ草に燃え移り、猛火となって乾燥した大量の枯れ草を勢いよく燃やしながら、ドンドン燃え広がっていきました。象舎は火の海に包まれました。たくさんの象たちの体はひどく焼けただれ、おそろしい大惨事となりました。かわいそうな象たちのやけどのあまりのひどさに、獣医も打つ手がありません。大やけどを負った象たちの大被害は、国王に報告されました。
国王は司祭であるバラモンに、「バラモンよ、象舎が火事になり、たくさんの象たちが、獣医さえも治すことができないほどの大やけどを負ってしまった。何か良い薬を知らないだろうか」とたずねました。「大王よ、存じております」「バラモンよ、どうすればいいのだ」「大王よ、カラスの脂肪が、やけどにたいへん効く、とても良い薬になるのでございます」。
そこで国王は、カラスを殺してカラスの脂肪を集めるようにと、家来たちに命じました。家来たちは、すぐさまカラスの脂肪を集めにかかりました。しかし、カラスの体には、もともと脂肪というものがないのです。それにもかかわらず何とかしてカラスの脂肪を取ろうと焦った家来たちは、次から次へとカラスたちを殺していきました。街にはカラスの泣き叫ぶ声が響き、あちこちにカラスの死骸が山のように積まれました。街のカラスたちは死の恐怖に怯えて震え、街中がパニックにおちいりました。
火葬場のカラスの頭となって森に住んでいる菩薩のもとに、一羽のカラスが街からやって来て、街で起こっている恐ろしい大虐殺の有り様を伝えました。菩薩はその話を聞いて、「私の仲間たちに起きている身の毛もよだつような怖ろしいことを解決するためには、慈悲の修行をするよりほかには、手だてはないだろう。私はそれを為そう」と考えました。菩薩は十波羅蜜(じっぱらみつ)の完成に専念し、中でも慈悲波羅蜜に力を入れて、慈悲で心が完全に満たされるように、心を修めました。懸命にがんばって慈悲の冥想を完成させた菩薩は、街に向かって飛び立ち、お城に向かいました。
菩薩のカラスは、開いていた城の窓から中に入り、王が座る玉座の下に潜り込みました。家来が菩薩を捕らえようとしましたが、王は菩薩のカラスが静かに控えている様子を察し、「捕えてはならない」と家来を止めました。菩薩はしばらく静かに慈悲の冥想をして心を落ち着けてから、玉座の下から出て、慈悲の心で王に話しかけました。
「大王よ、王は我欲を抑えて国を治めるべきです。どんなことでも、よく気をつけて、注意深く、思慮深く行動するべきです。王様が現在なさっていることで、成果が得られる見込みがあることは行うべきですが、成果が得られる見込みのないことをし続けてはなりません。もし国王が、成果が得られる見込みがない虐殺を続けるならば、多くの者は死の恐怖に怯え、ひどい恐怖の中で苦しむことになります。
私はカラスの大虐殺についてお話しするために、こちらに来ました。司祭は怒りにとらわれて、事実ではない話をしました。カラスの脂肪がやけどの薬になるということですが、カラスには脂肪はないのです」と言いました。
王は、慈悲の溢れた菩薩と話をして心が清らかになり、菩薩を黄金の椅子に座らせました。そして、召使に命じて、千回精製した香油を菩薩の羽にぬらせ、黄金の器ですばらしいごちそうを運ばせて菩薩をもてなしました。菩薩が食事を食べ終わると、王は菩薩に、「賢者よ、あなたはカラスには脂肪がないと言われた。なぜカラスには脂肪がないのですか」とたずねました。菩薩はそれについて、次の詩を唱えました。
心臓は絶えず恐怖で震え
体は世間に痛めつけらる
これ我らカラスの常なれば
なぜに肥ゆる暇ありや
このように、菩薩はその理由を説明して、「大王よ、一国の王たるものは、無計画に、無思慮にことを運ぶべきではありません」と、王を戒めました。そして王に五戒を説き、すべての生きものを保護することを願いました。王は菩薩の智慧に感心し、すべての生きものを保護することを決めました。
それからは、カラスたちは、毎日お城で食事を与えられることになりました。お城では毎日十貫もの米が炊かれ、おいしく料理をしてカラスたちに与えられました。また、菩薩のカラスには特別に、王と同じ豪華な食事が毎日供されることになったのです。
王は菩薩の話を聞いて善政につとめ、自分の行いによって、生まれるべきところに生まれ変わっていきました。
ブッダは「その時の王はアーナンダであり、カラスの王は私であった」と話されて、過去の話を終えられました。  
 
マンダートゥ王物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の首都サーワッティ(舎衛城)の郊外にある祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
ある若い比丘(びく)がサーワッティで托鉢(たくはつ)をしていて、一人の美しい女に出会い、心を強く惹かれました。それからというもの、比丘は、気持ちが晴れず、鬱(ふさ)ぎがちになりました。心配した友人の比丘たちは、彼を法話堂におられる釈尊のもとに連れて行きました。お釈迦さまが「比丘らよ、なぜこの比丘を連れて来たのか」とたずねられたので、仲間の比丘たちは、「世尊、彼はサーワッティで見かけた女性に心を惹かれ、気持ちが鬱いでおります」と申し上げました。「比丘よ、それは本当なのか」「世尊、本当でございます」「比丘よ、君が在家に戻ったとして、雑事の多い在家生活の中では、いつ欲を滅(ほろ)ぼすことができるというのか。愛欲というものは大海のように広く、深く、限りがない。昔、ある王は、二千の島に囲まれた四つの大陸に転輪王(世界を支配するという伝説の王)として君臨し、その後、人間でありながら四大天を統治しただけでなく、三十三天において、三十六人の帝釈天(たいしゃくてん)が次々と交替する間の長きにわたって帝釈天と共に天界を治めた。しかしそれでもなお、彼は、自分の欲を満たすことができずに死んだ。出家した今をおいて、君はいつ心を清らかにしようというのか」と。そしてお釈迦さまは、過去の話をなさいました。
遥か昔のこと、最初にマハーサンマタという王が国を統一しました。その息子はロージャ王といいました。ロージャ王の息子はヴァラロージャ王で、ヴァラロージャ王の息子の名はカルヤーナ王。カルヤーナ王の息子をヴァラカルヤーナ王といい、ヴァラカルヤーナ王の息子はウポーサタ王。そのウポーサタ王のところに皇子が誕生し、マンダートゥと名づけられました。
マンダートゥ皇子は、七種の宝(輪宝、象宝、馬宝、珠宝、女宝、家主宝、主兵臣宝)と四種の神通が備わった転輪王でした。彼が左手を曲げて右手を打ち鳴らすと、まるで水晶の雨のように、金、銀、七種の宝石が、膝のあたりまで埋め尽くすほども降り注いだといわれています。
マンダートゥ王は、そのように、生まれつきすばらしい不思議な力を授かっていたのです。
立派に成長したマンダートゥ皇子は、八万四千年の間は皇太子としての生活を楽しみ、次の八万四千年の間は副王となってその生活を楽しみ、王位に即位してから八万四千年の間は転輪王として世界に君臨しました。それでもマンダートゥ王の寿命には何の傷もなく、彼の寿命の長さはまだまだ計り知れなかったのです。
ところが、そのようにありとあらゆる快楽を味わったマンダートゥ王は、次第に自分の欲を満たすことが難しくなってきました。王は沈みがちでいることが多くなりました。大臣たちが「大王様、何を鬱(ふさ)いでおられるのですか」と訊くと、王は溜息をついて「余の福力を考えた時、この王国など何だろう。余が楽しめるところはいったいどこにあるのだろう」と言いました。
大臣たちが「大王様、それは天界でございます」と答えたところ、マンダートゥ王は、すぐさま輪宝を転じ、多くの家来を従えて、四大天と呼ばれる天界に昇りました。四大天を治めていた四人の大王は、両手に天奉と天香を携えて、たくさんの神々を従え、マンダートゥ王を出迎えました。そして、転輪王であるマンダートゥ王に、四大天の王権を譲ったのです。マンダートゥ王は自分の率いてきた人々に囲まれて四大天を統治しました。そして、かなりの長い年月が過ぎ去りました。
ところがそのうちに、四大天においても、マンダートゥ王は、自分の欲を満足させることが難しくなってきました。王は、またしても憂鬱になってきたのです。四大天王が、「大王よ、なぜ鬱(ふさ)いでおられるのですか」とたずねると、王は溜息をついて、「この四大天よりも優れた快楽はどこにあるのだろう」と言いました。
四天王が「王よ、我々はより上の天界の従者のようなものです。ここより上の三十三天の世界は、さらに楽しゅうございます」と答えるのを聞くと、マンダートゥ王はまたもや輪宝を転じ、自分に従う多くの人々を連れて三十三天と呼ばれる天界に昇りました。三十三天の王である帝釈天(たいしゃくてん)は、両手に天奉と天香を携え、多くの神々を従えて、彼を出迎えました。帝釈天は、彼の手を取って、「大王よ、こちらにおいでください」と、マンダートゥ王を玉座に導きました。そして、三十三天を二つに分け、その半分を自分が統治し、あとの半分をマンダートゥ王に譲ったのです。それ以来、マンダートゥ王と帝釈天という二人の王が、三十三天を統治することになりました。
それから長い長い時が経ちました。数えきれないほどの年月が経つと、現帝釈天は崩御し、新しい帝釈天が新王となりました。その帝釈天も、数えきれないほどの長い年月の後、寿命が尽きて亡くなりました。そのようにして、マンダートゥ王が三十三天を統治している間に、三十六人の新しい帝釈天が生まれ変わったのです。それでもマンダートゥ王の寿命は尽きず、相変わらず人間の状態のままで、三十三天の半分を統治していました。
ところが、そのような果てしなく長い年月の後、マンダートゥ王の心に、また、次のような欲が生まれました。「余にとって、三十三天の半分だけを統治するのでは不満である。現帝釈天を殺し、我一人で三十三天の全体を治めることにしたらどうであろう」という考えが浮かんだのです。
しかし、マンダートゥ王には、帝釈天を殺すことはできませんでした。それどころか、この欲は、マンダートゥ王自身を破滅させるものとなったのです。この欲が王の心の傷となり、彼の寿命に衰えが生じました。人間の体は、天界にあっては、壊れることはありません。寿命に傷がついたマンダートゥ王は、天界から、人間界に墜ちることになりました。マンダートゥ王は、人間界の王の宮廷に墜ちました。
宮廷の園丁(えんてい)が、マンダートゥ王が天界から降りてきたことを宮中に知らせ、城内の人々がそこに集まりました。マンダートゥ王のために、宮廷に立派な臥所(ふしど)が設けられました。衰えたマンダートゥ王は、そちらで臨終の床に就くと、次のような遺言を述べました。
「余が亡くなった後、汝らは人々に次のことを伝えよ。『マンダートゥ大王は、二千の島に囲まれた四つの大陸で、八万四千年の長きにわたって転輪王として君臨し、その後、より長きにわたって四大天と呼ばれる天界を統治し、その後三十三天に昇り、三十六人の帝釈天が王位を交代する間の長きにわたって三十三天を統治した後、死んだ』と」。マンダートゥ王は、そのように言い遺した後、息を引き取りました。そして業に従って、生まれるべきところに生まれ変わって行きました。
お釈迦さまは、過去の物語を終えられた後、次の詩句を唱えられました。
陽(ひ)と月の
輝きわたる天(あま)の下
地上に住めるものはみな
マンダートゥ王の僕(しもべ)なり
金銀、財宝の雨、降るとても
欲は、未だ満たされぬ
欲こそ苦(にが)き苦痛だと
知りてこそ、賢き人となる
清き天の欲でさえ
快楽(けらく)を満たすことはない
欲、滅尽(めつじん)の意志ありてこそ
正覚者(しょうがくしゃ)の弟子となる
お釈迦さまは、つづいて四つの真理を説き明かされました。女性に恋いこがれていた比丘は、その法話を聞いて、預流果(第一段階の悟り)を得ました。他の多くの比丘たちも真理に目覚め、預流果や一来果や不還果などの悟りを得ました。お釈迦さまは、「その時のマンダートゥ王は私であった」と言われて話を終えられました。  
 
口が達者なカターハカ

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時に、語られたお話です。
僧団の中に、偉そうに大きなことばかり言う比丘がいました。お釈迦さまは、「彼は過去でも口ばかり大きかった」と言われ、比丘たちに請われるままに過去の話をお話しになりました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバーラーナシーの大富豪でした。
ある時、菩薩の妻が身ごもり、息子が産まれました。ちょうど同じ日に、菩薩の家の女奴隷もまた、一人の男の子を産みました。奴隷の息子はカターハカと名づけられました。カターハカは主人の息子とまったく同い年だったので、主人の息子が読み書きを習う時に、石板持ちなどをして手伝いながら、共に学ばせてもらうことができました。成長したカターハカは、読み書きが巧みな、美しい男になりました。
奴隷でありながら教育があり、頭の切れるカターハカは、次第に菩薩の家の財産の管理まで任されるようになりました。しかし彼は、自分の奴隷の身分が不満でなりませんでした。
「ああ、おもしろくない。こんな生活はもうイヤだ。奴隷は、少しでも間違えば殴られる。食事は粗末なものばかり。俺はいつまでもこんなことしているもんか。なんとか奴隷の身分から抜け出すうまい道はないかなあ。…そういえば、ご主人様の知り合いに、跡取り息子のいない長者がいると聞いたことがある。確か地方に住んでいる長者で、息子はいないが娘が一人いるという話だった。何とかその家の娘婿になることはできないだろうか…」。
カターハカは、ある計画を考えました。得意の読み書きの能力を使って、地方の長者に手紙を書くことにしたのです。主人の便せんに適当な挨拶文を丁寧に書いてから、「実は、わが息子をあなたの家の婿(むこ)として差し上げようと思い、息子に手紙を持たせることにしました。我々が親戚関係になることは、両家にとってふさわしいことだと思います。どうぞ息子をそちらで入り婿にしてください。私もいずれお伺いいたします」と書いて、主人の印鑑を押しました。
カターハカは主人の家から好きなだけお金や衣服を持ち出して家を逃げ出し、地方の長者の屋敷を目指して旅立ちました。無事に地方の長者の家に着いたカターハカは、丁寧に挨拶をして、「私はバーラーナシーの長者の息子です」と名乗り、自分が偽造した手紙を長者に渡しました。地方の長者は、その手紙を読んでたいそう喜び、カターハカを一人娘と結婚させて、彼を跡取りとして自分の屋敷に住ませることにしました。
すっかり長者の息子になりきったカターハカは、偉そうに振る舞うようになり、出された食事には「つまらない田舎料理だ」と文句を言いました。そちらの衣服やお香などは「田舎くさいなあ」とバカにしました。
一方、バーラーナシーの長者の家では、奴隷が一人いなくなったということで、手分けして方々を捜させていました。ようやくある使用人が、カターハカが地方の長者の家で若主人になっているのを見つけました。彼はカターハカには何も告げずにすぐにバーラーナシーに戻り、主人に一部始終を報告しました。長者である菩薩は、「彼はしてはならないことをした。行って連れて帰ることにしよう」と、王に旅の許可を申請しました。王から許可を得た菩薩は、多くの従者を連れ、地方の長者のところへと旅立ちました。
「バーラーナシーの長者がこちらに来るために都を出発したそうだ」という噂が、カターハカの耳にも入りました。カターハカは青くなって、「ご主人様は、私を捕らえようとして、こちらに来るに違いない。これは逃げるしかないぞ」と慌てました。しかし、「いや待てよ。主人はとても優しい人だ。私が礼を尽くして謝ったら許してくれるかもしれない」と思い直しました。
それからというもの、カターハカは、ことあるたびに、「愚かな者は両親を敬うということを知らない。両親が食事をする時に敬礼もせず、自分も共に食事をするのは、礼を知らない者のやり方だ。私たちは、両親が食事をする時には、壺を捧げ、痰壺(たんつぼ)を持ち、お盆に水や扇をのせて、側(かたわら)に侍(はべ)るのだ。また、両親が用を足す時は、手を洗うための水入れをもって陰に控えているのだ」などと、奴隷の作法を息子の作法のように皆に話しました。菩薩が近くまで来たと聞くと、カターハカは舅(しゅうと)に、「父上様、実家の父があなたにお会いするために、すぐそこまで来ています。父上様には、家の方の準備をお願いいたします。私は贈り物をもって、父を途中まで迎えに行きたいと思います」と告げて、舅の承諾を得ました。
カターハカは、たくさんの贈り物を持って、多くの従者を従え、主人である菩薩の元へと向かいました。菩薩に会ったカターハカは、奴隷の礼をもって菩薩にていねいに敬礼し、贈り物を差し出しました。菩薩は黙っていました。それからのカターハカは、主人に対する奴隷の礼を尽くそうと、懸命に努力しました。菩薩に対する言葉遣いや立ち居振る舞いはもちろんのこと、菩薩が用を足すために天幕を張った便所に行くと手を洗うための水瓶をもって付き従い、おとなしく陰に控えていました。そのようにして菩薩の気持ちが和らいだのを見て、カターハカは他の者を下がらせてから菩薩の足元にひれ伏し、「ご主人様、どうぞお許しくださいませ。私はどうしても奴隷の身分から抜け出したかったのでございます。何でも言われる通りにいたします。どうぞ私の立場が失われないようにしてくださいませ」と懇願しました。カターハカの様子を見た菩薩は彼を憐れみ、「心配するな。私の方は別に困ることはないのだ」と言って、地方の長者の家に向かいました。
菩薩は地方の長者の家で、たいへんなもてなしを受けました。カターハカは常に気を配り、奴隷が主人になすべきことをするように努めました。ところがある時、菩薩がくつろいでいると、地方の長者が菩薩の横に坐り、「私はあなたのお手紙を拝見してたいへん喜び、娘をあなたのご子息に差し上げることに決めたのですよ」と話しかけました。菩薩は地方の長者の気持ちを損なわないように親切な言葉を返したので、地方の長者は満足しました。しかし、それ以降、菩薩はカターハカの顔を見るのが嫌になりました。
ある日、菩薩は長者の娘を呼んで、「娘よ、私の頭にシラミがいないか見ておくれ」と頼みました。彼女は菩薩の近くに来て、頭を梳(す)き始めました。菩薩は彼女に優しく語りかけ、「息子は、苦しい時も楽しい時も、あなたに親切にしていますか。二人は仲良くケンカせずに暮らしていますか」と訊きました。カターハカの妻は「あなた様のご子息に何の不満もありません。ただ、彼は都会育ちのため、こちらの田舎料理が気に入らず、不満を言われるので困っております」と答えました。菩薩は「娘よ、それは彼がしてはならないことだ。私が黙らせる言葉を教えよう。それをよく覚えておきなさい。彼が食事に文句を言ったら、その言葉を唱えなさい」と、ある詩を娘に教えました。菩薩はその後数日そちらに滞在すると、バーラーナシーに戻りました。カターハカは多くの贈り物を持って途中まで菩薩に従い、菩薩を送ってから地方の長者の家に戻りました。
菩薩が滞在していた間は奴隷そのままにおとなしくしていたカターハカは、菩薩が帰ると、とたんに態度が大きくなりました。ある時、長者の娘が数々のごちそうを用意して運ぶと、「また田舎料理か」と文句を言いました。長者の娘は、菩薩から教わったとおりに、詩を唱えました。
他(ほか)の国に来たからと
威張った言葉を語るなら
彼が戻って、破滅させよう
カターハカよ、食事をなさい
カターハカは、これはきっとご主人様が妻にすべてを教えたに違いないと思い、怖くなりました。彼は、それからは文句はひと言も言わないようになり、出されたものは何でもおとなしく食べるようになりました。
釈尊は、「カターハカは僧団で高言を吐く比丘であり、バーラーナシーの長者は私であった」と話され、過去の話を終えられました。  
 
善王物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
コーサラ国には一人のすばらしく有能な大臣がいました。彼は国王の優れた補佐役であり、あらゆることがらを処理することができました。国王は有能な大臣について喜び、「彼こそは、余を大いに助けてくれる者である」と褒め、彼を優遇しました。王が有能な大臣を気に入って重用するのを見た他の大臣たちは、おもしろくありません。そのうちに、なんとか彼を陥れようとして、事実無根の陰口を王の耳に入れるようになりました。
大臣たちから陰口を何度も吹き込まれた王は、その虚言に乗ってしまい、徳があり邪心のない有能な大臣を捕らえました。そして、自ら詳細に調べることもなく、彼を牢屋に投獄してしまいました。しかし、戒を守り徳がある大臣は、投獄されたという逆境を利用して冥想し、心の統一を得て、禅定を体験することができたのです。
しばらく経つと、かの大臣が無実であったことが判明しました。コーサラ王はすぐに彼を釈放し、以前にも増してその大臣を大事に優遇するようになりました。
大臣は、そういう自分の経験をお釈迦さまにお話ししたくなり、たくさんの香料や花を携えて祇園精舎に出向きました。大臣は釈尊に近づいて礼拝し、傍らに坐りました。釈尊は大臣を親しく迎えられ、「貴公(きこう)に禍(わざわい)が降りかかったと我々は聞いたのだが」と、話しかけられました。大臣は、「世尊、確かに禍がございました。しかし、私は、その禍によって幸福を得ました。牢獄に入れられている間に禅定を得ることができたのでございます」と話しました。お釈迦さまは、「在家信者(ウパーサカ)よ、禍を福に変えた者は、貴公一人だけではない。昔の賢者たちも、禍を福に変えたことがあったのだよ」と言われ、彼の求めに応じて過去のことを話されました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は王の第一夫人のお胎(おなか)に生を受けました。成長した菩薩はタッカシラ―で学業を修得し、父王が亡くなった後に即位して、バーラーナシーを治める王となりました。菩薩は、王の守るべき十の法に違うことなく、布施を施し、戒を守り、国中に善政を敷きました。
ある時、菩薩に仕える一人の大臣が、後宮(こうきゅう)で不義をはたらきました。下僕たちがそれを知り、菩薩に報告しました。菩薩は事の真相を自ら十分に調べ、話に間違いがないことを知ってその大臣を呼びつけ、「汝(なんじ)はもう余に仕える必要はない」と言って彼を追放しました。
菩薩のところをクビになった大臣は隣国に逃れ、隣国の王に仕えるようになりました。彼は隣国の王に、「王様、バーラーナシーは、まだ蠅(はえ)のたからないミツバチの巣のような国です。あちらの国王は極めて柔弱なのです。その気になれば、わずかの兵で簡単に攻め取ることができるでしょう」と進言しました。隣国の王はその言葉を聞いて、「バーラーナシーは大国である。しかしこの男は、わずかな兵力で攻め落とせると言う。たぶんこいつはスパイに違いない」と思い、「汝は金で雇われて、そのようなことを言うのであろう」と言いました。すると彼は、「いいえ、王様、とんでもございません。私の言葉に嘘はありません。もしお疑いであれば、試しに誰かをバーラーナシーに送り、国境辺りの村で殺戮(さつりく)をさせてみてください。バーラーナシーの王は、彼らに財を与えて釈放することでしょう」と言いました。
隣国の王は、「この男は大胆なことを言う。一つ試してみよう」と考えて、人をやって、国境あたりの村で殺戮を犯させました。村人たちは賊を捕らえ、バーラーナシーの国王のもとに連れて行きました。国王である菩薩は、彼らを審議しました。「汝らは、なぜ村人を殺したのか」「王様、私どもには金がなく、生活ができません。しかたなく人を殺しました」「なぜその前に私のところに来なかったのか。以後、決してこのようなことをしてはならない」。国王は彼らに財を与えて釈放しました。彼らは自分の国に戻り、国王にこれを報告しました。それを聞いた王はにわかには信じがたく、再度同じように人を遣わせ、今度はバーラーナシーの国の中ほどで殺戮を行わせました。しかし彼らは、以前と同じように、国王から財を与えてもらって戻って来たのです。それでも隣国の王はまだ信じられず、重ねて人を送り、今度はバーラーナシーの市街で殺戮を行わせました。すると彼らは、やはり以前と同じように、国王から財を与えられて無事に戻って来ました。隣国の王は、「バーラーナシーの王はたいそう善良な王である」と驚き、「では我は、あの国をいただくことにしよう」と決めて、軍隊や象を率いて大々的に出征しました。
当時のバーラーナシーには、千人の勇猛果敢な勇士の集団がいました。彼らは、たとえ帝釈天の雷が頭上に落ちても少しもひるまぬ勇者たちであり、突進してくる狂象さえも怖れずに戦う強者(つわもの)ぞろいでした。隣国の王が攻めてくると聞いた彼らは、菩薩に訴え出て、「大王様、隣国の王が攻めて来ようとしています。すぐに我々を出征させてください。我々は、この国に、彼らの足を一歩も踏み入れさせません。彼らを皆、生け捕りにしてやります」と言いました。王は、「余にとって、人を傷つけて保たれるような王国に何の用があろう。汝らは何もするな。戦ってはならない」と、彼らの言葉を斥(しりぞ)けました。
隣国の王はドンドン軍を進め、都の周りを取り囲みました。大臣たちが王に近づき、「大王様、こうしていてはいけません。敵王を捕らえましょう」と言いました。しかし王は、「いや、決して戦うな。城門を開いて入れてやれ」と命じ、自らは城の玉座に静かに座りました。隣国の王は、四つの門に軍隊を殺到させ、都に入ると王宮によじ登り、無抵抗の王を捕らえて鎖で縛り、牢屋に投獄しました。
王は、牢獄で独り坐し、賊を憐れみました。すると王に慈悲の喜悦が生じ、慈悲の禅定を得ることができました。その慈悲の威力によって、隣国の王は高熱を出しました。彼は全身が焼かれるように熱くなって苦しみながら、なぜこんなことになったのだろうと考えました。そして、善良で徳の高い王を牢屋に投獄したせいだと気づいたのです。彼は菩薩のところに行って許しを乞い、「貴方(あなた)の国は、貴方自身のものであれ」と言って、国を菩薩に返上しました。
隣国の王は、「これからあなたの裏切り者達の責任を私が負うことにいたします」と告げて、裏切り行為をした大臣に王令(判決)を出し、彼を追放し、自分の国に戻りました。
菩薩は、飾られた大きな壇上に、白い天蓋を翻(ひるがえ)して玉座に座り、周囲に大臣たちを坐らせて、彼らと談笑しつつ、次の詩を唱えました。
善き人に近づくは
真の幸いなり
われ、一人と和合して
百の死を救えり
聞け、カーシーの人々よ
されば、たった一人にて
死後、天界に往(い)ぬでなく
一切世界と和合せよ
このように、菩薩は、大衆のために慈悲を修得する功徳を賛嘆してから、十二ヨージャナの大きさの真っ白な天蓋を捨てて出家しました。菩薩はヒマラヤに入って修業し、仙人になりました。
過去の話を終えたお釈迦さまは、正覚者として、次の詩を唱えられました。
バーラーナシーのカンサ王
彼は、この語を説きてより
矢も、鎧も、うち捨てて
こころの制止に到達す
そしてお釈迦さまは、「その時の隣国の王はアーナンダであり、バーラーナシーの王は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
ウズラ物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国のサーワッティ(舎衛城)郊外にある祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
その頃、サーワッティに、ウッタラセッティという大富豪が住んでいました。
ある梵天(ぼんてん)が梵天界での寿命を終えてウッタラセッティの妻のお胎(なか)に入り、誕生後、成長して、梵天の風貌を思わせるたいへん美しい青年になりました。ウッタラセッティの息子は、友人たちが皆結婚しても、ずっと独身でした。梵天の寿命というのは気が遠くなるほど長いのです。あまりにも長い間梵天界にいたウッタラセッティの息子は、心がとても清らかで、煩悩に支配されるということがありません。そういうわけで、女性に興味が起こらなかったのです。
ある秋のこと、そろそろ満月がカッティカ星(昴/すばる)に近づく時節となりました。サーワッティでは、毎年、カッティカ星に満月が近づく頃に、カッティカ祭(秋祭り)という夜祭りが祝われることとなっていました。街中の人々は祭りの準備で忙しく、そのことで頭がいっぱいでした。
ウッタラセッティの息子の友人である豪商の息子たちは、「せっかくのお祭りくらいは、あいつのために誰か女を連れてきてあげよう。そして楽しく祝えばいい」と話し合いました。そして、ウッタラセッティの息子に、「君、もうすぐカッティカの星祭りがあるだろう。君のためにとびきりの美人を連れてくるよ。皆でいっしょに祭りを楽しもう」と言いました。
ウッタラセッティの息子は、「そんなこといらないよ。僕は女には興味がないんだ」と断りました。しかし友人たちは、彼の言葉を聞き入れず、一人の美しい遊女を豪勢に着飾らせて彼の家へ送りつけました。ウッタラセッティの息子は、美しい遊女をほとんど見ることもなく、しゃべりかけることもせず、静かに落ち着いていました。遊女は、「この人は、私のような魅力的な美女に言い寄ることもせず、ろくに見ようとさえしない。なんとか彼を魅了して、こちらに振り向かせてやろう」と、艶(あで)やかな媚態(びたい)をつくって微笑みました。
ウッタラセッティの息子は、微笑んだ彼女の歯を見たとたん、歯骨の相を観相し、瞬時に骨想観(体を単なる骨で組み立てたものだと見る冥想法)を会得して、欲は少しも起こりませんでした。彼は遊女に金を与え、女を帰らせました。遊女が外に出ると、ちょうどそこを通りかかった一人の貴族が彼女を見かけ、大金を与えて自分の屋敷に連れて帰りました。
祭りの七日間が過ぎ、カッティカ祭は終わりました。祭りが終わっても、遊女は家に戻りませんでした。遊女の母親は、ウッタラセッティの息子の友人たちのところへ行って、「娘はどこにいるのですか」とたずねました。彼らは母親を連れて、ウッタラセッティの息子の家へ行きました。ウッタラセッティの息子は、「あの女は、皆が連れてきた後すぐに、金をやって帰らせたよ」と言いました。
遊女の母は、「娘は帰って来ませんよ。娘を返しなさい」と、ウッタラセッティの息子を王のところに連れて行き、裁判に訴えました。王は審議のために彼と問答を交わしました。「若者よ、豪商の息子たちは、汝(なんじ)のところに娘を連れて来たのか」「はい、王様、その通りです」「女は今、どこにいるのか?」「王様、私は存じません。私はその後すぐに、金をやって、女を帰らせたのです」「今、ここに女を連れて来ることはできないのか?」「王様、それはできません」「女を連れて来れないのであれば、汝に刑罰を与える」。
刑を執行する役人がウッタラセッティの息子を後ろ手にしばり、刑罰を与えるために彼を連れ去りました。その噂はすぐに広がり、街中のいたるところで、「大富豪ウッタラセッティの息子が、遊女をどこかにやってしまい、王の刑罰を受けることになったそうだ」という声が聞こえました。ウッタラセッティの息子が街を引き立てられて歩いて来ると、彼を知っている人々は胸に手を当てて立ち止まり、「これは何かの間違いに違いない。あなたは無実の罪を着せられているのでしょう」と悲しみ、嘆きながら後をついて来ました。
ウッタラセッティの息子は、縛られて歩かされながら、「私がこのような苦しみを受けるのは、在家に留まっているからだ。この罰から放免されたなら、私は必ず、世尊、ゴータマブッダのもとへ行き、出家するぞ」と強く心に決めました。
一方、貴族の家にいた遊女は、街の噂を聞いて驚きました。彼女は大急ぎで街中に出て、人混みをかき分け、「皆さん、どうぞ私を通してください。どうぞ王様の役人たちに、私を見えるようにしてください」と言いながら歩きました。
役人は、遊女に気づくと、すぐに大富豪の息子の縄を解いて放免し、彼女を母親の元に返しました。ウッタラセッティの息子は自由になり、喜んだ友人たちに取り巻かれて河に行って沐浴しました。そして家に帰って簡単な食事をとり、食事が終わるとすぐに両親に出家の許可をもらって、祇園精舎に行きました。
釈尊に近づいて礼拝したウッタラセッティの息子は、すぐに出家をお願いしました。出家を許された彼は、熱心に修行に励み、しばらく経つと智慧が生じて阿羅漢果(最終的な悟りの境地)の悟りを得ました。
ある日、比丘たちが法話堂に集まって、「友よ、この間出家して悟られた方は、苦が生じた時にブッダの教えの功徳に気づいて出家され、熱心に修行に励まれた。そして、早くも最終的な悟りを得られたのだ」と彼の徳を賞賛していました。釈尊が来られて何の話をしていたのかお訊きになったので、比丘たちがお答えすると、「比丘らよ、自らに苦しみが生じたときに、『この方法で苦から逃れよう』と考えて自己の束縛を逃れたのは、ウッタラセッティの息子だけではない。過去にも、賢き者は、自らに苦が生じたときに、『この方法で苦から逃れよう』と考えて、自己の束縛を脱した」と言われ、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩(ぼさつ)は輪廻の流れの中でウズラのお胎(なか)に入りました。賢いウズラに成長した菩薩は、森に住んでいました。
森には、しょっちゅうウズラ捕りの男がやってきました。彼は罠を仕掛け、たくさんのウズラたちを生け捕りにして家に持ち帰り、おいしい餌をたらふく食べさせて肥え太らせました。そして、ウズラ肉を求めてやって来る人々に、ウズラを売って暮らしていたのです。
ある日のこと、菩薩がウズラ捕りの罠に捕えられてしまいました。ウズラ捕りは、たくさんのウズラたちと一緒に菩薩を家に連れ帰り、鳥籠に入れました。鳥籠の中には、ウズラの大好きな食べ物が、たくさん用意されていました。
菩薩は、「もし私がこのおいしい餌を好きなだけ食べたなら、私は肥え太り、すぐに売り飛ばされて食べられてしまうことだろう。もし私が何も食べないでいれば、やせ衰えた私は売れず、私は無事でいられるだろう。私は餌を食べずに自分を護ることにしよう」と考えました。
そのように考えて実行した菩薩は、日に日にやせ衰え、骨と皮だけになりました。肉のまったくついていない菩薩を買おうとする人は、誰もいませんでした。
ついに他のウズラたちはすべて売れてしまって、菩薩だけが売れ残りました。ウズラ捕りはやせ細った菩薩を籠から出して手の上に乗せ、「いったいこのウズラはどうしたのだろう。病気にでもなったのかしら」と調べ出しました。菩薩はウズラ捕りの油断をついて彼の手からサッと飛び立つと、森へ逃げ帰りました。
森のウズラたちは菩薩を見て、「君、最近は見かけなかったけれど、いったいどこに行ってたんだい?」と訊きました。菩薩が「ウズラ捕りに捕らえられていたんだ」と答えると、皆は驚いて、「どうやってあの怖ろしいウズラ捕りから逃げてきたの?」と訊きました。菩薩は、「僕は、あの男が与えた餌を食べないという手段によって、禍(わざわい)を逃れた」と、次の詩を唱えました。
思慮なき者
勝れた果を得ることなし
思慮深き者の果を見よ
われは、死と束縛を逃れたり
そのように、菩薩は、仲間のウズラたちに自分の行いとその結果について話しました。
お釈迦さまは、「その時の、賢いウズラは私であった」と言われ、話を終えられました。
 
クサナーリ物語

 

これは、シャカムニブッダが、コーサラ国の首都サーワッティ(舎衛城)郊外の、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
その頃、サーワッティには、アナータピンディカ長者という、祇園精舎をお布施したことで人々に知られる大富豪が住んでいました。長者の友人、仲間、親族たちは、「大長者よ、あなたが親しくしている人の中には、生まれ、家柄、財産などが、あなたより優れてはおらず、等しくもない人々がいるでしょう。なぜそんな劣った人々と親しくするのですか。彼らと親しくするのはやめなさい」と、何度もいさめました。しかしアナータピンディカ長者は、「友情というのは、劣っている者とも、等しい者とも、優れている者とも結ぶべきものだよ」と言って、その言葉を受け入れませんでした。
アナータピンディカ長者にはカーラカンニ(不吉)という名前の幼馴染みがいました。二人は若い頃、同じ師のもとで学んでいたのです。その後、カーラカンニは落ちぶれ、生計が成り立たなくなって困り果て、アナータピンディカ長者を頼って来ました。アナータピンディカ長者は彼を慰め、彼に給料を払って自分の財産を管理させました。
アナータピンディカ長者の周りの者は、彼がカーラカンニを雇うことに反対でした。なぜなら、「カーラカンニ」という名前は「不吉」という意味で、彼が来てからというものアナータピンディカ長者のところでは「不吉」という言葉がよく聞かれるようになったからです。たとえば「カーラカンニ(不吉)、いらっしゃい」「カーラカンニ(不吉)、座りなさい」「カーラカンニ(不吉)、入りなさい」という具合に、「不吉、不吉」という言葉が耳に入るのです。友人たちは、「あんなに『不吉、不吉』という声を聞いたなら、鬼でさえ逃げてしまうよ。あの男は貧乏で、格が低い。あんな名前の人を雇うのはやめなさい」と、長者に言いました。
しかしアナータピンディカ長者は、「名前は単なる呼び名でしょう。賢き者は、名で人を判断することはしません。私は名前のせいで友達を捨てるようなことはしないよ」と、人々の言葉に耳を貸しませんでした。
ある日、アナータピンディカ長者は自分の所有する村に出かける用事ができて、カーラカンニに留守をまかせて旅立ちました。長者が家を留守にすることを聞きつけた盗賊たちは、留守中を襲おうと武器を持って夜中に集まり、長者の家を取り囲みました。しかしカーラカンニは、盗賊たちの来襲を予測して、ちゃんと眠らずに見張っていました。盗賊の気配を察したカーラカンニは、「おまえはホラ貝を吹け、おまえは太鼓を打ち鳴らせ」と、大勢の人がいるかのように大声をあげて、家中を歩き回りました。盗賊たちは「たくさんの人々が屋敷にいる」と驚いて、武器を捨てて逃げ去りました。朝になってたくさんの武器が捨てられているのを見た人々は震え上がり、「長者の賢い友人のお陰で、怖ろしい危難を免れた」とカーラカンニを褒め讃えました。
アナータピンディカ長者が家に戻りました。友人たちは、長者にカーラカンニの手柄を話しました。長者は、「あなた方は、これほども私の家を護ってくれる私の友人を、追い出そうとしたでしょう。もし私があなた方の忠告を聞いて彼を追い出していたら、私の財産はなくなっていました。名前は人を判断する基準にはなりません。有能な心こそが基準になるのです」とカーラカンニを褒め、今まで以上の給料を出して優遇しました。
アナータピンディカ長者は、「このような良い話は説法の種になるだろう」と思って祇園精舎に行き、お釈迦さまにそのことをお話ししました。釈尊は、「長者よ、親友は、決して劣れる者とはならない。友人を護ってくれる友が、親友なのだ。そういう友人がいたら、たとえ自分と等しい格の者や、劣っている格の者であっても、皆、優れている者だと思うべきである。なぜなら、彼らは、自分の上にかかってくる重荷を、必ず取り除いてくれるのだから。あなたは今回、親友によって家を護ることができたが、過去にも、親しい友によって天宮の主となった者がいたのだよ」と言われ、長者に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は宮殿の庭に茂っているクサナーリ(吉祥草)に宿る神霊でした。宮庭の中心には、幹がまっすぐに高くそびえて枝が四方に広がった立派なルチャ(幸い)の樹がありました。そのルチャ樹は、王の家来たちから神木として崇められているほどの、堂々としたすばらしい大樹でした。この樹にはたいへん威力のある女神が住んでいました。クサナーリの神霊は、この女神と、とても親しくしていました。
ある時、ブラフマダッタ王の御殿の柱が揺れました。王は大工を呼び、「大工よ、御殿の柱が揺れた。新しい丈夫な柱をつくれ」と命じました。大工は「王様、かしこまりました」と承り、御殿の柱となるべき材木を探すことにしました。しかし、御殿の柱になるほどの樹木は、なかなか見つかりません。ある時、宮廷の庭でルチャ樹を見つけた大工たちは、「これは御殿の柱になる立派な樹木だ。しかし、神木を切ることはできないだろう」と考えました。
大工たちは王に会いに行きました。王が「大工よ、御殿の柱にふさわしい樹は見つかったか?」と訊くと、大工は「王様、樹は見つかりました。しかし、その樹を切ることはできません」と答えました。「大工よ、なぜか?」「王様、御殿の柱にするほどの樹はなかなかありません。宮庭のルチャ樹であれば、柱にできるでしょう。しかし我々は、神木を切ることはできません」「もしあの樹しか他にないのであれば、あれを切って柱にせよ。神木のための樹は新しく植えることにしよう」「王様、仰せの通りにいたします」。
大工たちは供え物を持って宮庭へ行き、「明日、この樹を切ることにしよう」と言いながら、ルチャ樹を供養して去りました。ルチャ樹の女神はそれを聞き、「私たちの住んでいる樹は天宮なのだ。しかしここも、明日にはなくなってしまう。私は子供たちを連れてどこかへ行かなければならない。いったいどこへ行けばいいのだろう」と、子供たちを抱いて涙を流しました。ルチャ樹の女神の友人である森の樹神たちが、心配して集まってきました。女神は事情を話しましたが、樹神たちにも、どうすればよいのかわかりません。樹神たちは、しかたなく、女神と共に泣き始めました。
この時、菩薩であるクサナーリの神霊が、ルチャ樹の女神を訪ねてきました。事情を聞いた菩薩は、「心配しないでください。私はあなたの樹が切られるのを黙って見ていることはしません。明日、大工たちが来たら、わかるでしょう」と、女神を慰めました。
翌日、大工たちがルチャ樹のところに来ると、菩薩はカメレオンに化けてルチャ樹の根本に姿を見せました。そして、樹の中にある空洞を通ったようなふりをして上方の枝から姿を現し、そこで頭を振りながらじっとしていました。大工の棟梁はカメレオンの様子を見て、手で樹を叩きながら、「どうもこの樹は中に空洞があるようだ。空洞のある樹を柱に使うことはできない。昨日はそんなこととも知らず、供養までしてしまった」とブツブツ腹を立てて、そこを立ち去りました。
ルチャ樹の女神は、菩薩のお陰で、再び天宮の女主人となりました。彼女の無事を祝って、たくさんの樹神たちが集まりました。女神は菩薩の徳を讃え、「神々よ、私たちは大威力を持っていても、智慧が足りず、事が起こるとどうしていいかわかりませんでした。クサナーリの神霊は、智慧によって、私を天宮の主(あるじ)に留まらせてくれました。自分より格の優れたる者だけでなく、等しい者も、劣る者も、友は、それぞれの力で、友達に起こった苦しみを除いてくれ、安楽にしてくれるのです」と、友情を賛嘆して次の詩を唱えました。
等しき友も、優れたるのごとくせよ
劣れる友もまた、まったく同一にせよ
彼らは危難にあたり、最上の利を与えん
我がルチャ樹における、クサナーリの助けのごとく
ルチャ樹神は、その後も菩薩とつきあって、業に従って生まれるべきところに生まれ変わっていきました。
釈尊は「その時のルチャ樹神はアーナンダであり、クサナーリの神霊は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
一四の裁決物語

 

これは、お釈迦さまがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時に、智慧について語られたお話です。
昔々、バーラーナシーでジャナサンダ王が国を治めていた頃、菩薩(ぼさつ)は、王の第一王妃のお胎(なか)に入りました。皇太子として誕生した菩薩は、よく磨かれた黄金の鏡のように神々しく清らかな顔立ちで、アーダーサムカ・クマーラ(鏡王子)と名づけられました。
父王は、息子が七才になるまでに三つのヴェーダを完全に学ばせ、他の修得すべきこともすべて教えました。そして、七才になったばかりの皇子を残して亡くなったのです。王のために七日間にわたって盛大な国葬が執り行われた後、大臣たちは今後のことを話し合いました。「皇子様は利発な方ではあるが、まだとてもお若い。いったいどうしたものだろう」「王になる力があるのか、ないのか、皇子様を試してみることにしよう」
大臣たちは正式に法廷を準備させ、菩薩である皇子に、「殿下、法廷にお出ましください」と告げました。菩薩は「よろしい」と、多くの者を従えて法廷の王座に着席しました。
大臣たちは、二本足で歩く猿に家相を観るバラモンの服を着せて、法廷に連れて来ました。そして、「殿下、この者は亡くなられた大王様に仕えた高名なバラモンです。家相を占い、地中七ラタナの深さにある悪所でさえ見分ける力を備えています。この城の位置を定めたのもこの男です。殿下もこの男を重用なさいませ」と進言しました。
皇子はその男をよく観察し、「これは人間ではなく、ただの猿だ」とわかりました。「猿というものは、造られたものを壊すことはできても、まだ造られていないものを造ったり、それについて考案することはできない」と知る皇子は、次の詩を唱えました。
彼は名工にあらず
ただのしわ面の強欲者にて
造られたものを皆壊す
そがこの種族の本性なるぞ
大臣たちは「殿下、仰せの通りでございます」と、猿を連れ去りました。
何日か経つと、大臣たちは、再び猿に立派な服を着せて法廷に連れて来て、「殿下、この者は大王様の代の法務大臣であり、司法の責任者でした。彼を、再度、法務大臣に任命なさるのがよろしいかと存じます」と進言しました。
皇子はその男を観察して猿であることを見抜き、「心ある者の毛はこのようではない。心ない猿が司法を司ることはできない」と知って、次の詩を唱えました。
心ある者は、彼のごとき体毛なし
猿は信憑(しんぴょう)者にあらず
かくのごとき者、無知なりと
ジャナサンダ王はわれに説く
大臣たちは、「殿下、仰せの通りでございます」と、猿を連れ去りました。
何日か経つと、大臣たちは、また猿に立派な服を着せて法廷に連れて来て、「殿下、この者は大王様の時代に善く母に仕え、父に仕え、年寄りを尊敬しました。この男を家臣として召し抱えられますように」と進言しました。
皇子は、また、この男は猿であることを見抜き、「猿というものは、心が変わりやすい。そのような善業をなすことはできない」と知って、次の詩を唱えました。
かかる者は、母や父
兄弟姉妹友人を
養うことは能(あた)わぬと
ダサラタ王に説かれたり
大臣たちは「殿下、仰せの通りでございます」と、猿を連れ去りました。
大臣たちは、「皇子様は賢者であられる。国を治めるにふさわしい方だ」と菩薩の実力を認め、「アーダサムカ王御即位の勅令だ」と、街中に慶事を知らせる銅鑼(どら)を響かせました。
国王となった菩薩は国中に善政を敷き、その名君ぶりはインド中に知れ渡りました。
菩薩が賢者であることの証(あかし)の一つとして、一四の難問が解かれた逸話があります。「牛、子供、馬、籠細工師、村長、娼婦、若き女、蛇、鹿、オウム、樹神、龍王、苦行者たち、若きバラモンたち」の一四の問題が、一気に解決されたのです。それは次のようなことでした。
新王が即位すると、先代のジャナサンダ王に仕えていたガーマニチャンダという従者は、「この王国は、若い王様と共に、若い人々によって栄えていくだろう。私は歳をとりすぎている。田舎に引っ込んで農業をしよう」と考えました。彼は、街から3ヨージャナほど離れた村に住むことにしました。
自分の農地を耕そうと思ったガーマニチャンダは、雨の日に友人から二頭の牛を借りて一日中土を耕し、牛に草を食べさせて休ませてから、牛を返しに行きました。ちょうど友人は妻と食事中でした。慣れている牛たちはサッサと自分で家の中に入って行きました。ガーマニチャンダは友人夫妻に邪魔をしたくないと思い、挨拶せずに自宅に戻りました。
ところがその夜、牛泥棒が牛を二頭とも盗んでいったのです。朝早く牛小屋に行った牛の持ち主は、牛が盗られたことを知り、「これをガーマニに償わせよう」と企みました。彼はガーマニチャンダを訪ね、「君、牛を返してくれないか」と言いました。「牛は、昨日君の家に連れて行った。彼らは勝手に家の中に入って行ったよ」「では君は、私にきちんと牛を手渡したのか」「いや、手渡してはいない」「そうだろう。これは汝(なんじ)への王の使いだ、さあ来い」。
当時、その国では、砂利かどくろの破片を振り上げて「これは汝への王の使いだ、さあ来い」と言うと相手を訴えることができるという決まりでした。ガーマニチャンダは仕方なく、裁判のために、友人と城に行くことになりました。
二人が城に行く途中、ある友人の住む村を通りかかったガーマニチャンダは、「君、私は腹が減った。近くの友人のところで食事をしてくるから待っていてくれ」と言って、友人の家に行きました。友人は留守でしたが、友人の妻は、「ガーマニさん、すぐに何か作りますから待っていてくださいな」と食事を作ろうとしました。ところが、妊娠中であった彼女は、米倉へのハシゴを登ろうとして転倒し、七ヶ月目の胎児を流産してしまったのです。家に戻った友人は激怒し、「君は私の妻を流産させた。これは汝への王の使いだ、さあ来い」と、彼を訴えることにしました。二人の男は、ガーマニチャンダを間にはさんで、城に向かうことになりました。
ある村の門で、一人の馬丁が馬を杭(くい)にかけ損ね、馬が逃げ出しました。馬丁は、ガーマニチャンダの方に馬が逃げるのを見て、「ガーマニおじさん、その馬を何かで打って留めてください」と叫びました。ガーマニチャンダが石を投げると馬の足に当たり、馬の足は蘭(ラン)の茎のように折れてしまいました。馬丁は、「あなたは馬の足を折った。これは汝への王の使いだ、さあ来い」と、彼を訴えることにしました。
ガーマニチャンダは三人の男に訴えられることになりました。歩きながらガーマニチャンダは、「私には牛を賠償するお金もない。まして胎児や馬の賠償などできるわけがない。私は死んだ方がマシだ」と思いました。道中の森で崖を見たガーマニチャンダは、「友よ、私は用を足したくなった。ちょっと待っていてくれ」と言って崖に近づくと、下に飛び降りました。ところが崖の下では籠(かご)細工師の親子が籠を編んでいたのです。ガーマニチャンダは運悪く籠細工師の父の上に落ち、父親は死んで、ガーマニチャンダは助かりました。籠細工師の息子は怒り狂い、「父を殺した悪党め、これは汝への王の使いだ、さあ来い」と言って、ガーマニチャンダを訴えることにしました。一行は、五人でお城に向かうことになりました。
彼らがある村を通りかかると、そこの村長がガーマニチャンダを見て、「チャンダおじさん。どこに行くのですか」と呼びかけました。「王様のところへ」「それではぜひ、私の問題をお尋ねしていただけませんか。私は以前は美しく、財産も名誉もあり、体も健康でした。それが今は貧しくて、黄疸を患っています。いったいどうしたわけか、お訊きしたいのです。新しい王様は賢者だという評判です。きっと答えてくださるでしょう」と頼みました。ガーマニチャンダは承知しました。
さらに進むと、一人の娼婦が彼を見かけ、「チャンダおじさん、どこに行くのですか」と呼びかけました。「王様のところへ」「それではぜひ私の悩みをお訊きしてくださいな。以前、私にはたくさんの実入りがあったのに、今は誰も私のところに来なくなり、椰子の実ほどの蓄えもない有り様です。これはどうしたことなのか。若い王様は賢者だという評判です。きっと答えてくださるでしょう」と頼みました。ガーマニチャンダは承知しました。
さらに進むと、ある村の若い女が彼を見かけて同じように話しかけ、「私は夫の家にいることもできず、父母の家にいることもできません。いったいどうしたことでしょう。王様にお訊き下さいませ」と頼みました。ガーマニチャンダは承知しました。
さらに進むと、道の端の蟻塚に住んでいる蛇が彼を見かけて同じように話しかけ、「私は食物を探しに穴から出る時には、腹が減ってやせているにもかかわらず、なかなか穴から出られません。やっとの思いで這い出します。しかし、食事を済ませて穴に戻る時には、満腹で体が肥え太っているのに、スルスルと穴に入れます。これはいったいどうしたわけなのか、王様に訊いてください」と頼みました。ガーマニチャンダは承知しました。
さらに進むと、一匹の鹿が彼を見かけて同じように話しかけ、「私はある木の根元でだけ草を食べることができます。他の場所では草を食べることができません。これはいったいどういうことか、王様に訊いてください」と頼みました。ガーマニチャンダは承知しました。
さらに進むと、一羽のオウムが、彼を見かけて同じように話しかけ、「私はある蟻塚の麓で坐って鳴くと、愉快になっていくらでも鳴けるのに、他の場所では鳴くことができません。これはいったいどうしたわけなのか、王様に訊いてください」と頼みました。ガーマニチャンダは承知しました。
さらに進むと、ある樹神が彼を見かけて同じように話しかけ、「私は以前は人々から崇拝され、多くの供物を受けていた。しかし、今は一握りの若枝さえも供養されません。これはいったいどうしたわけなのか、王様にお尋ねしてください」と頼みました。ガーマニチャンダは承知しました。
さらに進むと、龍王が彼を見かけて同じように話しかけ、「以前はこの湖の水は清らかで宝玉のごとくであった。しかし、その水が、今は濁って汚い浮き草で覆われている。これはいったいどうしたわけなのか、王様に訊いてもらいたいのです」と頼みました。ガーマニチャンダは承知しました。
さらに進むと、ある園の苦行者たちが彼を見かけて同じように話しかけ、「以前はこの園の果実はこの上なく美味でしたが、今ではまずい実しか実りません。これはいったいどうしたわけなのか、王様にお訊きください」と頼みました。ガーマニチャンダは承知しました。
そこからさらに進むと、街の門の近くのお堂にいる若いバラモンたちが、彼を見かけて同じように話しかけ、「以前は、学んだ聖典の箇所ならどこでも、私たちには明らかでした。しかし、なぜか今では、穴の開いたビンに入った水のように、学んだことが少しも頭に残らず、わからず、真っ暗な有り様です。これはいったいどうしたわけなのか、王様にお訊きください」と頼みました。ガーマニチャンダは承知しました。
ガーマニチャンダは、これらの一四の問題と共にお城に着き、法廷に坐っている王のもとに行きました。王はガーマニチャンダを見て、「彼は余の父王の従者であり、余が幼い頃に遊んでくれた者だ」と懐かしくなって、「おお、チャンダよ、長い間見かけなかったが、いったいどこにいたのか。何の用事でこちらに来たのか?」と話しかけました。「はい、王様。先王様がお隠れになり、私は田舎に引退しました。そこに牛の事件が起こり、『王の使い』の言葉によって、こちらに連れて来られたのです」「そういうことでもなければ、汝はここには来なかったであろう。再び会うことができたのは喜ばしいことである。汝を連れてきてくれた男はどこにいるのか」「王様、こちらにいます」
「友よ、チャンダをここに連れて来たのは本当か」「王様、左様でございます」「それはいったいどういうわけか?」「彼は、私の二頭の牛を返しません」「チャンダよ、それはまことか?」。ガーマニチャンダは牛の一件について、一部始終を話しました。王は牛の持ち主にたずねました「友よ、汝は牛が家に入るのを見たか?」「王様、私は見ていません」「友よ、余は鏡王と呼ばれている。余に嘘をつくことはできない。こちらを見てはっきりと述べよ」「私は見ました」「チャンダよ、汝は牛をしっかりと持ち主に手渡さなかった。ゆえに牛は汝の負債である。しかしこの男は牛を見たのに、見ていないと嘘をついた。したがって、汝は、この男の両目を取り出すがよい。そして牛の代価として24カハーパナを彼に支払え」。これを聞いた牛の持ち主は驚き、「チャンダさん、牛の代金はあなたに差し上げます。その上にこれも受け取ってください」と、数カハーパナをガーマニチャンダに渡して逃げ去りました。
次に、二番目の男が訴えました。「王様、彼は私の妻を流産させました」「チャンダよ、それは本当か?」。ガーマニチャンダは事情を話しました。王は訴えた男に「汝は流産した胎児を元通りにすることができるか?」「王様、それはできません」「では、どうせよと言うのか?」「私は子供がほしいのです」「ではチャンダよ、汝は彼の妻を家に連れ帰り、子供をつくってから、妻を彼に返すがよい」。男はそれを聞いて驚き、「私の家庭を壊さないでください」と、数カハーパナをガーマニチャンダに渡して逃げ去りました。
次に、馬丁が「王様、チャンダは私の馬の足を折りました」と訴えました。王はガーマニチャンダから事情を聞き、男に「汝はチャンダに、馬を打って留めてくれと言ったというのはまことか?」と訊きました。男は「そんなことは言ってません」と述べましたが、王に嘘は通用しません。嘘がバレたところで、王は、「チャンダよ、この男は嘘をついた。汝はこの男の舌を切り取り、馬の代償として1000カハーパナを支払うがよい」。それを聞いた馬丁は、数カハーパナをガーマニチャンダに渡して逃げ去りました。
次に、籠細工師の息子が訴えました。「王様、この悪党は私の父を殺しました」。王はガーマニチャンダから事情を聞きました。「籠細工師よ、汝はどうしてもらいたいのか?」「私は自分の父親を取り戻したいのです」「チャンダよ、この男は父を求めている。しかし死者を連れ戻すことはできない。汝はこの男の母と一緒になって、この男の父になるがよい」。それを聞いた籠細工師の息子は、「どうぞ私の家庭をメチャクチャにしないでください」と、数カハーパナをガーマニチャンダに渡して逃げ去りました。
すべての事件が無事に解決し、ガーマニチャンダはたいへん喜んで王に言いました。「王様、来る途中でいくつかの伝言を頼まれました。お許しをいただければ、それらの問題をお訊きしたいのですが、よろしいでしょうか?」「よろしい、申し述べよ」。チャンダは頼まれた伝言をそのまま語り、王は最後に聞いたバラモンたちの伝言から順を追って、一つ一つ答えを解き明かしました。
(バラモンたちの疑問)「以前、彼らが住んでいた場所では、毎朝早朝に時を知らせる賢い鶏がいた。ゆえに彼らは規則正しく目覚め、聖典を読みあげるうちに陽が昇り、学んだことが失われることはなかったのだ。しかし今の鶏は正しく時を告げることがない。鶏が真夜中に鳴くと、彼らは真夜中に目覚め、聖典を読もうとしても眠くて寝てしまう。陽が昇ってから鳴くと、遅く起きた彼らには聖典を読む時間がない。ゆえに学んだことは頭に留まらず、わからず、真っ暗になっているのだ。再び賢い鶏を手に入れるようにと、彼らに言いなさい」と。
(苦行者たちの疑問)「彼らは以前は沙門の務めを為し、冥想修行に熱心であった。しかし今は、為すべきことを為さず、為すべきでないことに専念し、園の果実を人々に与えて不法な施物を得て生活している。ゆえに彼らは、おいしい果実を得ることはできなくなったのだ。以前のように沙門の務めを果たすことを彼らに説くがよい」と。
(龍王の疑問)「龍王たちは互いに争っている。ゆえに湖の水が濁っているのだ。以前のように互いに仲良くすれば、水はまた清くなるであろうと彼らに説くがよい」と。
(樹神の疑問)「その樹神は、以前は森に入った人々を守護していた。それゆえ多くの供物を得た。今は人々を護らなくなった。それゆえ供物を得ることもできなくなってしまった。彼らに、以前のように、森に入った人々を護るようにと言うがよい」と。
(オウムの疑問)「そのオウムが愉快に鳴く蟻塚の下には、宝物がいっぱい入った壺が埋まっている。汝はそれを掘り出し、宝を取るがよい」と。
(鹿の疑問)「その鹿が草を食べることができる木の上にはたくさんのハチミツがある。彼は蜜のこぼれた草のおいしさに慣れ親しみ、他の場所の草を食べることができないでいる。汝はそこのミツバチの巣を取って、ハチミツの最上のところを余に送り、残りは自分で食べるがよい」と。
(蛇の疑問)「その蛇の住む蟻塚の下には、たくさんの宝の壺がある。蛇はそれを知っていて、出かける時にはその財欲によって、体を穴にしっかりつけて嫌々出て行く。食を得て戻る時には、財を愛する気持ちから、スルスルと急いで穴に入り込む。汝はその宝の壺を掘り出し、それらを取るがよい」と。
(若い女の疑問)「かの若い女の夫の住む村と父母の住む村の中間の村に、彼女の愛人がいる。彼女はその愛人のことを思って夫の家にいることができず、『父母に会いに行く』と言って愛人の家に行く。そこに数日滞在してから父母の家に行くが、そちらにも落ち着けず、『夫の家に行く』と言っては愛人の家に行く。彼女に『夫の家に住め。さもないと王様が汝を捕らえ、汝の命はないだろう。注意深くせよ』と言い聞かせなさい」と。
(娼婦の疑問)「その娼婦は、以前は、一人の男の手から金を受け取ると、その金に見合う仕事を果たす前に、他の男から金を受け取ることはなかった。しかし今はその習慣を捨て、一人の手から金を受け取ると、その男を満足させずに、次の男のところに行く。それゆえ誰も彼女に近づかなくなったのだ。以前通りの自分の習慣を守るなら、彼女の収入は元通りになるだろう」と。
(村長の疑問)「その村長は、以前は正しく公平に裁判を行っていた。したがって、人々から尊敬され、人望も厚く、多くの贈り物を得ていた。しかし今や、彼は、賄賂(わいろ)を喜ぶ不正な者となった。ゆえに、貧しく、惨めになり、黄疸を患っている。彼が以前通り正しく行動するならば、再び以前のようになれるだろう」と。
そのように王は、ガーマニチャンダによって伝えられた問題や疑問に対し、一つ一つ、智慧によって、あたかも正覚者のごとく明確に説き示しました。その後、王は、ガーマニチャンダに多くの施物を与え、彼の住んでいる村まで彼に与えて、村へ帰しました。
ガーマニチャンダは、帰る途中で、菩薩から聞いた伝言を、若いバラモンたち、苦行者たち、龍王、樹神に正しく伝え、オウムが坐っていた場所から宝物を掘り出し、鹿が草を食べた木の上からハチミツを採って王に最上の蜜を送りました。そして、蛇が住んでいた蟻塚を壊して宝物を掘り出し、若い女、娼婦、村長に王の言葉通りの伝言を伝えて、大いなる財産と名声を得て村に帰り、そちらで一生を過ごしました。その後、ガーマニチャンダは、その業に従って、生まれるべきところに生まれ変わっていきました。菩薩である王は、それからも善政を敷き、布施を行い、善業を積んで、死後、天界に生まれました。
過去の話を終えられたお釈迦さまが、四つの真理について法話を続けられると、それを聞いていたたくさんの比丘たちが、預流果、一来果、不還果、阿羅漢果の悟りを得ました。
釈尊は、「その時のガーマニチャンダはアーナンダであり、鏡王は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
貪欲の使者物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時に、貪欲について語られたお話です。
祇園精舎に、食べ物に対する執着が強く、「食」への欲からなかなか離れることができない比丘がいました。
お釈迦さまは、「比丘よ、君が食べることに対して貪欲であったのは、今だけではない。過去においても君は、食べることに対する気持ちがとても強かった。そのために君は、剣で頭を切り落とされそうになったこともあるのだよ」と言われ、皆に請われるままに、過去のことを話されました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はその国の皇太子として生まれました。
成長した菩薩は、タッカシラーに留学して数々の技芸を修得し、父王が亡くなると、父の跡を継いで王となり、国を統治しました。
菩薩は公正で立派な王でしたが、たいへんなグルメでした。あまりにも食べることを大事にしたために、人々から「美食王」と呼ばれるほどだったのです。
菩薩である王は、毎日、一食に十万両もかかるような贅沢なごちそうを、選りすぐりの料理人たちに作らせました。そして、人々にその食事ぶりを見せてますます福を増幅させようと、城の中ではなく、たくさんの人々が往き来する城門の近くで食事をするのを常としていたのです。
王の食事のため、城門の近くに、外から見ることができるような造りの、色鮮やかな宝石を散りばめ贅を尽くした世にも豪華な食事の館が建てられました。菩薩は、食事のたびに、白い傘をかざす黄金作りの玉座に座り、召使いたちに担がれて、華やかに着飾った美しい侍女たちと共に、にぎやかに城内から食事の館にやって来るのでした。
食事の館は、毎度毎度、その時のごちそうに合わせてさまざまな趣向が凝らされ、毎日見ている人々も目を見張るような飾り付けがなされました。たくさんの人々が、王の食事のたびにそちらに集まって、そのすばらしさに見とれました。豪華な料理の数々が、高価な美しい皿に華やかに盛りつけられて、広い食卓を埋め尽くすように並べられたのです。
ある時、ある男が、その豪勢な食事の様子を見ました。彼は、王に負けないほどの美食家でした。何よりもおいしいものに目がなかったのです。それまで見たこともないようなすばらしいごちそうを目の当たりにしたグルメ男は、自分もそのごちそうが食べたくて食べたくてたまらなくなりました。どうしてもその欲を抑えられなくなった男は、あれこれと思い巡らしたあげく、ある計画を思いつきました。
ある日の食事時、菩薩は、門のところの食事の館で、豪華で贅沢なごちそうをおいしそうに食べていました。いつものように、食事の館の周りは、老若男女たくさんの人々で混雑し、王の豪華な食事の様子をがやがやと見守っていました。城門の辺りはたいへんな賑わいだったのです。
するとそこに、グルメの男が立派な衣服を着て、両手をあげて大声をあげながらやって来ました。
「王様、私は使者でございます。私は使者でございます」と言いながら、近づいて来たのです。
当時、その国においては、「私は使者である」と言いながら歩く者に対して、人は必ず道を開けるという習慣がありました。ですからそこに集まっていた人々は、すぐに道を開けて彼を通らせたのです。グルメ男は「私は使者でございます」と言いながら足早に進んで来て、菩薩の前まで来たかと思うと、おもむろに、テーブルに並べられた皿の上から手で料理をつかみ、それを口にほうばりました。
それを見た王の家来たちは、「なんという無礼なやつだ、すぐに捕らえて首を切り落としてやろう」と気色ばんで剣を抜き、男を捕らえようとしました。
菩薩は、「この男を捕らえるな」と家来を制し、彼に「遠慮せずに、食べるがよい」と許可を与えました。
喜んだグルメ男は手を洗い、あらためて座に着きました。男のために皿が運ばれてきました。菩薩はその男の皿に望むままに料理を取らせ、豪勢な食事を思う存分食べさせました。
食事が落ち着くと、菩薩は、「友よ、汝は『私は使者だ』と申していた。いったい誰の使者なのか」とたずねました。
男は、「王様、私は欲の使者でございます。胃袋の使者でございます。貪欲が、私に、『おまえは行け』と命じ、使者として私をこちらによこしました」と言って、次の詩を唱えました。
それのためには、仇(かたき)にも
恨み忘れて乞うという
かの胃袋の、われは使者なり
叱るなかれ、戦車の主よ
昼も、夜も、若人(わこうど)は
その魔の下に、はせ参ず
かの胃袋の、われは使者なり
叱るなかれ、戦車の主よ
菩薩はその話を聞いて、「確かに、この男の言うことは真実である。すべて、生きとし生けるものは、胃袋の使者だ。生命は皆、欲の力によって行動している。欲は、実に、すべての生きているものを動かしている。この男はおもしろいことを言う」と思いました。
彼の言葉を気に入った菩薩は、次の詩句を唱えました。
バラモンよ、汝に与えん、赤牛を
千の雌牛に、仔牛も添えて
使者は、使者に、与えるものなれば
確かに、われらは、その使者なり
このように唱えて、菩薩である王は、「余は、この男から、今までに聞いたことのない話を聞くことができた」と言って喜び、彼に多くの褒美を与えました。
お釈迦さまは、この話をした後、四つの真理についての法話をされました。その法話を聞いた食に貪欲な比丘は、不還果(ふげんか)の悟りを得ました。法話を聞いていた他の比丘たちも、預流果(よるか)や一来果(いちらいか)、不還果の悟りを得ることができました。
お釈迦さまは、「その時のグルメ男は食に貪欲な比丘であり、美食王は私であった」と話されて、話を終えられました。  
 
呪文物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
祇園精舎に、性格が頑固で目上の人の言葉を素直に聞き入れない比丘がいました。釈尊は彼を諭され、「比丘よ、君が頑固なのは今だけではない。過去においても君は頑固であり、賢者の忠告を素直に聞こうとしなかった。そのために君は鋭い刀で斬り殺され、その上に、千人もの人を破滅させる原因をつくってしまったのだ」と、過去の話を語られました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバラモンとして生まれました。ある村に、ヴェーダッバ(智慧の雲)と呼ばれる呪文を知るバラモンがいました。ヴェーダッバの呪文というのはたいへん価値のある技で、ある星と満月がピッタリと重なっている時に空を仰いで繰り返し唱えると、七種の宝石が空から雨のように降り注ぐというものでした。まだ若い菩薩は、ヴェーダッバの呪文を知るバラモンのもとで技芸を学んでいました。
ある時、ヴェーダッバを知るバラモンは、所用のためにチューティヤ国に行かねばならず、弟子の菩薩を連れて村を出ました。二人は、道中の森の中で五百人の盗賊団に襲われて、捕らえられました。
その盗賊団は、人々から「派遣盗賊」と呼ばれていました。なぜかというと、彼らは、二人の旅人を捕らえると、一人を人質にしてもう一人に身代金を取りに遣(や)らせたからです。たとえば父と息子を捕らえると、息子を人質に取り、「子供の命が惜しければ、金銀財宝を持って息子を受け取りに来い」と、父親に財産を取りに遣らせます。母と娘を捕らえると母親に財産を取りに遣らせ、兄弟を捕らえると兄に財産を取りに遣らせ、師と弟子を捕らえると弟子に財産を取りに遣らせました。
そういうわけで、バラモンと菩薩を捕らえた派遣泥棒は、師であるバラモンを人質にして、菩薩に財産を取りに遣らせることにしました。菩薩は師に敬礼し、「先生、二、三日で必ず財産を持って戻ります。決して心配しないで待っていてください。たまたま今日は、例の星と満月がピッタリと重なる日です。あの呪文を唱えれば、宝石の雨を降らすことができます。でもどうか私の忠告を聞いてください。苦しさに耐えかねて呪文を唱え、財宝を降らせてはいけません。もしたくさんの宝石を空から降らせたりしたら、先生は殺されることになるでしょう。それだけでなく、五百人の盗賊たちも破滅してしまうでしょう」と忠告してから、財産を取りに行きました。
夕方になると、盗賊たちはバラモンを縄で縛り上げました。ちょうどその時、東の空にぽっかりと満月が昇りました。バラモンは空を眺め、「例の星と満月がピッタリ重なっている。なぜ私は財産が届くのを待って、こんなに苦しい状態でいなければならないのか。呪文を唱えて宝石を降らせ、この盗賊どもに与えてやろう。そしてすぐに解放してもらおう」と考えて、盗賊たちに話しかけました。
「盗賊よ、なぜ私を捕らえるのか?」「財産を得るためだ」「もし財産が欲しいなら、すぐに私の縄を解き、頭を洗って新しい衣を着せ、体に香を塗り、服を花で飾りなさい」。盗賊たちは、バラモンの言う通りにしました。バラモンは星と満月がピッタリと重なるのを見て、空を仰いでヴェーダッバの呪文を繰り返し唱えました。すぐに空からたくさんの宝石が降ってきました。盗賊たちは宝物を集めて上着に包み、それを持って歩き出しました。ヴェーダッバを知るバラモンも、彼らの後から歩き出しました。
しばらく行くと、別の五百人の盗賊団が現れ、この一行を襲って捕まえました。捕らえられた盗賊たちは、「なぜ俺たちを捕らえるのか?」とたずねました。「財産を得るためだ」「財産が欲しいなら、あのバラモンを捕らえろ。あいつは空を眺めて呪文を唱え、財宝の雨を降らせるのだ。このたくさんの宝石も全部、彼が降らせてくれたのだ」。それを聞いた盗賊たちは、自分たちが捕らえた盗賊たちを釈放してバラモンを捕らえ、「俺たちにも宝の雨を降らせろ」と脅しました。バラモンは、「できるなら私もそうしたいのだ。しかし、宝石を降らせるためには、ある星と満月がピッタリと重ならねばならない。今はその時を過ぎてしまった。一年後にまたその時が来る。それまで待ちなさい。その時に財宝を降らせてあげよう」と言いました。
盗賊たちは、「意地の悪いバラモンめ。他の奴らには貴い宝石の雨を降らしてやったくせに、我々には一年も待てと言うのか」と怒り、鋭い剣でバラモンを真っ二つに斬り殺して道ばたに捨てました。そして大急ぎで先程解放した盗賊たちの後を追い、彼らを皆殺しにして財宝を奪い取りました。
しかし、争いはそれで終わりませんでした。彼らは手に入れた財宝を取り合って、二百五十人ずつに分かれて戦ったのです。一方が勝ち、負けた相手を皆殺しにしました。残った二百五十人は、さらに二派に分かれて戦い、残りの半分を殺しました。そのような殺戮を繰り返し、盗賊たちは、とうとう二人だけが残るまで、お互いに殺し合ったのです。残った二人は財宝を運び、ある村の近くまで来ました。二人はとてもお腹がすいたので、一人が剣を持って宝石の番をしている間に、もう一人が村で米を炊かせてご飯を持ち帰ることにしました。
財宝の番をしている盗賊は、宝石のために死んだ者たちを思い、「貪欲はまさに滅亡の根だ」と考えながら待っていました。しかしそのうちに「このお宝を二つに分けるのはおもしろくない。村へ行った男が帰って来たら、斬り殺そう」と考え出したのです。彼は、もう一人の盗賊が戻ってくる気配をうかがいながら、坐っていました。
村に行った盗賊も、「戻ったら、あの財宝を二つに分けることになる。ご飯に毒を入れてあいつに食べさせ、宝石を独り占めにしてやろう」と企んでいました。彼は、手に入れたご飯を先に食べ、残りに毒を入れて持ち帰りました。待っていた盗賊は、ご飯を持ってきた盗賊がそれを置くと同時に彼を剣で突き殺し、道ばたに投げ捨てました。そして、もとのところに戻って毒入りのご飯を食べ、死んでしまったのです。
そのようにして、ヴェーダッバの財宝のために、千人もの人々が、すべて、破滅してしまいました。
二、三日後、菩薩が財産を持って戻って来ました。もとの場所に誰もいなくなっているのを見た菩薩は事情を察し、「先生は私の忠告を聞かずにヴェーダッバの宝の雨を降らしたのだろう。盗賊たちがあの財宝を見て争わないわけがない。たくさんの死者が出たに違いない」と考えて、道を進みました。すると、師であるバラモンが、真っ二つに斬り捨てられて死んでいるのを見つけました。菩薩は薪を集めて師の遺体を丁寧に荼毘(だび)に付し、森の花を供えました。そのまま進むと五百人の死体が見つかりました。さらに行くと二百五十人の死体、さらに行くと百二十五人の死体と、順次、半分ずつの人数が殺されており、とうとう最後に一人の盗賊の死体が転がっているのを見つけました。
菩薩は、「千人の盗賊が殺し合い、結局、最後に二人だけが生き残ったのだろう。しかし彼らもまた、戦うことを自制することはできなかった。最後に残った盗賊はどこへ行ってしまったのか」と考えながら進みました。すると財宝の大きな包みを見つけ、その側に一人の盗賊が毒入りご飯の鉢をひっくり返して死んでいるのを見つけました。菩薩は一切の事情を理解し、「師は私の忠告を頑固に聞かず、自滅した。それだけでなく、彼のために千人もの命が失われた。誤った不正な手段で自分の利益をはかる者は、これほどの悲惨な状態を招くのだ」と考えて、次の詩を作りました。
過った手段で利を求む者
彼ら、すべて滅ぶ
チューティヤ国の賊は呪師を殺し
自らも残らず破滅に至れり
菩薩は、「私の師は間違いを犯し、正しくないところで力を尽くして宝の雨を降らせた。そのために、自分が破滅しただけでなく、他の人々を破滅させる原因もつくった。そのように、不正な方法で自分の利益のために励む人は、自らの破滅はもちろんのこと、他人をも滅ぼしてしまう」と、森中に響けとばかりに高らかに先程の詩を唱え、森の神々がそれを賞賛する中で、詩にしたがって説法しました。そして、菩薩はそこに残された財宝を持ち帰り、数多くの布施を行いました。その後、菩薩は寿命をまっとうし、死後、自分の善行為によって天界に生まれ変わりました。
お釈迦さまは、「比丘よ、君は今世で頑固であるだけではなく、前世においても頑固な性格だった。そしてその心の頑固さのために、悲惨な破滅を引き起こしたのだ」と言われ、「その時の、ヴェーダッバの呪文を知るバラモンはこの頑固な比丘であり、バラモンの弟子は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
アッサカ王物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
ある比丘が、在家の時に妻であった女性を恋しく思い出し、出家生活が嫌になってきました。
それを聞いたお釈迦さまは、「比丘よ、君が在家の時の妻を思って出家生活が嫌になっているというのは本当なのか?」とおたずねになりました。その比丘が「尊師、本当でございます」とお答えすると、「君がかつての妻に恋いこがれて苦しんだことは過去にもあったのだよ」と言われ、彼に請われるままに過去のことを話されました。
昔々、カーシー国のポータリカという街において、アッサカという名の王が国を治めていました。アッサカ王には、ウッパリーという、輝くように美しく魅惑的な妃(きさき)がいました。彼女の美しさは神々しいほどで、天界の天女には及ばないにしても、この世の人間の美しさは、はるかに超えていたのです。王は美しいウッパリー妃(ひ)を第一王妃とし、心から愛していました。
ところがある時、そのウッパリー妃が、まだ若くして死んでしまいました。寵愛(ちょうあい)する王妃を亡くしたアッサカ王の落胆ぶりは、並大抵のものではありませんでした。王は、ウッパリー妃の棺(ひつぎ)の中に、つぶして油を取り去ったゴマを詰めさせ、棺を自分の部屋の寝台の近くに置いたまま、食事もとろうとせずに、ひどく嘆き悲しんで寝台に臥(ふ)せっていました。
王の両親も、親族も、友人も、家臣も、バラモンも、在家の者も、「大王よ、どうかそのように嘆き悲しまれますな。諸行は無常でございます」と口々に言いましたが、誰も王を納得させることはできませんでした。そのように王が嘆き悲しんでいるうちに、七日間が過ぎました。
その頃、菩薩(ぼさつ)は出家して、五種類の神通や八つの禅定をすべて修得した仙人となって、ヒマラヤに住んでいました。菩薩はその神通力によって天眼で世間を見渡して、アッサカ王が愛する王妃を亡くし、悲嘆に暮れて臥せっていることを知りました。菩薩は王を救うために山を下ることを決め、神通力で空中に昇り、街の中の御苑に降り立ちました。菩薩は、御苑にある吉祥石の上に、黄金の象のように坐りました。
ちょうどその時、その御苑には、ポータリカに住む一人の若いバラモンが来ていました。彼は菩薩を見かけると、菩薩に礼拝して傍らに坐りました。菩薩は彼に好意を示し、
「若者よ、こちらの王様は公正にふるまわれていますか?」とたずねました。
「はい、尊者よ。私たちの王様は行いの正しい方です。しかし、第一王妃が亡くなられてからというもの、王様は、ひどく嘆き悲しまれて臥せっておられます。食事も召し上がらずに、お后様(おきさきさま)の遺体が入った棺の傍で、七日間もの間、ずっと嘆いておられるのです。尊者、あなたのような徳の高い方がこちらにおられますのに、王様があのように苦しんでおられるのは、ふさわしいことではありません。なぜ、すぐに王様のところに行って、王様の苦しみを取り除いてあげようとなさらないのでしょうか」。
「若者よ、私は王様と面識がない。私の方から訪ねることはできません。もし王様の方からこちらに来られて、私におたずねになるならば、私は、亡くなられたお后様はどちらに生まれ変わっておられるのかということをお話しすることもできるし、王様が、生まれ変わられたお后様と話しができるようにしてあげることもできるのですが」。
「尊者、私がすぐに王様のところに行って、王様をこちらにご案内いたします。どうかそれまで、このままこちらにおられますように」。
バラモンの若者はお城に行って、王に面会することを得、菩薩との会話を告げました。そして、「あの天眼を備えた仙人のところにおいでになられるのがよろしいと存じます」と、菩薩と会うことを王に奨めました。王は、ウッパリー妃と再び会って話すことができると聞いてたいそう喜び、すぐに車で御苑に乗りつけました。御苑に着いて車から降りた王は、菩薩に近づき、菩薩に礼をして、傍らに坐りました。王は菩薩にたずねました。
「尊者よ、貴殿は妃の生まれ変わったところを知っていると聞いた。それは本当ですか?」
「はい、大王よ、そのとおりです」
「尊者よ、妃はどちらに生まれ変わったのでしょうか?」
「大王よ、お后様は、その美しさを誇って怠惰になり、善業を積むことを怠られました。そのために、この御苑にいる、牛糞を食べ、皆からフンコロガシと呼ばれている甲虫類に生まれ変わられました」
「まさか、そんなことはあるはずがない。余はそんなことは信じぬ」
「では、お后様とお話しをなさいますか?」
「ぜひ、そうしてもらいたい」
菩薩は神通力で、ウッパリー妃の生まれ変わりであるフンコロガシと、今はその夫となっているフンコロガシの、二匹の虫を呼びました。二匹のフンコロガシは、仲良く牛糞の塊を転がしながら、やって来ました。菩薩はウッパリー妃の生まれ変わりのフンコロガシを指して、
「大王様、こちらがお后様です。今はこちらの虫と夫婦になっておられます」と言いました。
「尊者よ、余はウッパリーが、この牛糞を食う汚いフンコロガシとして生まれ変わったなどということは、断じて信じぬぞ」
「では、話をしてご覧になりますか?」
「尊者よ、どうぞそのようにしてもらいたい」
菩薩は神通力でフンコロガシが会話ができるようにして、「ウッパリー妃よ」と呼びかけました。彼女は「尊者よ、何でございましょう」と、人間の言葉で答えました。
「あなたは前生で誰だったのですか?」
「尊者よ、私はウッパリーという名前で、アッサカ王の第一妃でございました」
「今、あなたには新しい夫がいるようだが、あなたは、アッサカ王と牛糞を食うフンコロガシである現在の夫と、どちらを愛しているのでしょうか?」
「尊者よ、前生では、私は、この御苑で、アッサカ王様と共に、さまざまな五つの感覚(色形・音声・香り・味・触覚)を楽しみました。しかし今の私にとりましては、そんなことはすべて過去のことでございます。もう何の関係もありません。今の私は、アッサカ王を殺して、その首から出る血を、私の夫であるフンコロガシの足に塗ってあげたいと思うほどでございます」
そして彼女は、次の詩を唱えました。
ここはかつて、アッサカ王と二人
われら仲良く遊びしところ
互いに愛し、愛されて
王が愛しきわが夫であったころ
新しき苦、新しき業を受けた今
それらすでに過ぎ去りし
されば、アッサカ王よりも
夫のフンコロガシこそ、愛し
それを聞いたアッサカ王は、ひどくがっかりして、その場に立ちつくしました。王はすぐにウッパリー妃の棺を寝室から取り去るように命じ、菩薩に挨拶してから、気を取り直して、街へ出かけて行きました。
菩薩は、そのように王の悲哀を取り除いてあげて後、再び自分の住むヒマラヤに戻りました。その後、王は、他の婦人を第一妃として迎え、それからも正しく国を治めました。
お釈迦さまは、過去の話を終えられると、四つの真理(四聖諦)について、説かれました。その法話を聞いて、かつての妻に未練を感じて悩んでいた比丘は、預流果の悟りを得ました。お釈迦さまは、「その時のアッサカ王はこの比丘であり、ウッパリー妃は比丘のかつての妻であり、御苑にいた若者はサーリプッタであり、ヒマラヤの行者は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
吉凶物語

 

これは、シャカムニブッダがマガダ国の竹林精舎におられた時のお話です。
マガダ国の都ラージャガハ(王舎城)に、大金持ちのバラモンが住んでいました。彼はとても贅沢に暮らしていましたが、迷信深く、三宝を敬わず、邪見でものごとを見ていました。
ある時、バラモンがタンスにしまっていた服を、一匹のネズミが囓(かじ)りました。後日、バラモンが入浴後にその服を持って来るようにと命じたところ、召使いが、その服はネズミに囓られたことを主人に告げました。
迷信深いバラモンは、それを聞いてとても驚き恐れ、次のように考えました。
「ネズミが囓った衣服というのは、大変に不吉なものだ。あの服は疫病神だ。この家にあれを置いておいたら、大変な禍(わざわい)が起こるに違いない。しかし、あの服を召使いや使用人に与えてもならない。不吉な服を持つ者には、災難が降りかかる。それだけではなく、彼に触れる者も皆、ひどい災難に遭うことになるのだ。あの不吉な服は、すぐさま墓場に捨てさせねばならない。しかし、あれを召使いに持たせるのは安心できないぞ。もし彼らが『これを捨てるのであれば自分がもらっておこう』という欲でも起こしたら、大変なことになる。これは私の息子に命じて、墓場に運ばせることにしよう」。
バラモンは息子を呼んで、その衣服がいかに不吉であるかを詳しく言い聞かせ、
「おまえはあの衣服に決して手を触れてはならない。服を棒に巻き付けて墓場に運び、棒と共に墓場に捨ててくるのだ。あれを捨てたらすぐに沐浴し、頭の先からきれいに洗って体中を清めなさい。くれぐれも頼むぞ」と言い聞かせて、墓場にやりました。
その日、お釈迦さまは、早朝の冥想において人々を見渡され、悟りに導くべき者をご覧になりました。そして、このバラモンの親子は預流果(よるか/一段階目の悟り)を得る機根があることをお知りになりました。お釈迦さまは、森で鹿を追う鹿猟師のように、すばやく墓場へ向かわれ、六色の金色に輝く光を放って墓場の入り口に立たれました。
バラモンの息子は、父の言葉にしたがって、ネズミの囓った衣服を、蛇を巻き付けるように棒の先に巻き付け、墓場にやって来ました。
お釈迦さまはバラモンの息子に声をかけ、「若者よ、ここに何をしに来たのか?」と尋ねられました。
息子が、「ゴータマさん、この衣服はネズミが囓った、とても不吉なものなのです。疫病神と同じです。猛毒のようなものなのです。私はこの服を墓場に捨てに来ました。私の父は、これを召使いに捨てさせて、万一その者がこれを自分のものにしたならば、彼に禍が降りかかってしまうと心配し、息子である私にその用事を命じました。私はこれを捨ててから、沐浴して穢(けが)れを清めなければなりません」とお話しすると、釈尊は「では、捨てなさい」と言われました。青年はその服を棒ごと墓場に捨てました。
すると釈尊は、「これは我々が使うべきものだ」と、その場でその衣服を拾われたのです。
バラモンの息子は驚いて、「ゴータマさん、その衣服は不吉です。疫病神と同じなのです。拾ってはなりません。拾ってはなりません」と必死で止めましたが、釈尊はそのまま竹林精舎へ戻られました。
息子は急いで家に帰り、「お父さん、私があの衣服を墓場に捨てたところ、沙門ゴータマが、『これは我々が使うべきものだ』と言って拾われました。そして、私が止めたのにもかかわらず、竹林精舎に持って帰ってしまわれました」と告げました。
バラモンは、「大変なことになった。あの衣服は怖ろしく不吉なものだ。疫病神と同じなのだ。あの衣服を使ったら、沙門ゴータマは災難に遭うに違いない。そんなことになれば、あの衣服を捨てた私たちも非難されることだろう。沙門ゴータマには新しい布をお布施して、あの不吉な衣服を捨てていただくことにしよう」と考えました。
バラモンは息子といっしょに、お布施する布地を使用人に持たせて竹林精舎に出向き、釈尊のところに行きました。そして釈尊と次のような会話を交わしました。
「ゴータマさん、あなたは墓場で衣服を拾われたと聞きましたが、本当ですか?」
「バラモンよ、その通りです」
「ゴータマさん、あの衣服はひどく不吉なものなのです。あなたがあれを使われたなら、災難に遭うことになるでしょう。その上に、精舎にいる皆さん方にも、災難がふりかかるに違いありません。衣のための布地は、お布施いたします。どうぞあの衣服は捨ててください」と、新しい布をお布施しようとしました。
釈尊は、「バラモンよ、私たち出家には、墓場、街頭、ゴミ捨て場、浴場、道ばたなどに捨てられたり、落ちていたりする布地こそ、使うためにふさわしいのだ。あなたは今だけでなく、過去においても、そのような迷信を懐いていたのだよ」とおっしゃって、バラモンから求められるままに過去のことを話されました。
昔々、善政を敷くマガダ王がマガダ国を治めていた頃、菩薩は都の西北の方に住むバラモンの家に生まれました。成長した菩薩は出家して、神通力と禅定を得た仙人となり、ヒマラヤ山中に住んでいました。
ある時、菩薩はヒマラヤから下り、ラージャガハ(王舎城)に来ました。マガダ王は、菩薩の立ち居振る舞いを見て感心し、御苑に滞在してくれるようにと頼みました。菩薩は承諾し、王に法話を説きながら、御苑に滞在していました。
その頃、ラージャガハに、一人の迷信深いバラモンが住んでいました。ある時、バラモンがタンスにしまっていた衣服をネズミが囓(かじ)りました。現世物語と同様、迷信深いバラモンは、その衣服が非常に不吉なものになってしまったと信じ込み、息子に墓場に捨てに行くようにと命じました。それを知った菩薩は、墓場の入り口で立って、待っていました。
息子がネズミが囓った衣服を捨てると、菩薩はそれを拾いました。
息子は「行者よ、その衣服は不吉です。拾ってはなりません。拾ってはなりません」と必死で止めましたが、菩薩はそのまま御苑に戻られました。
息子はすぐさま家に戻り、バラモンにそのことを報告しました。
バラモンは、「王様の御苑におられる出家者が災難に遭うだろう」と心配して、菩薩に会いに行きました。
「行者よ、あなたが墓場で拾われた衣服は、怖ろしく不吉なものです。あの衣服を捨ててください。捨てないとあなたに災難が起こり、大変なことになるのです」
菩薩は、「バラモンよ、出家である私には、墓場に捨ててある衣服がふさわしい。我々は、吉凶や占いは気にしない。吉凶を気にすることを、ブッダ・独覚ブッダ・ブッダの弟子たちは、善きことだとほめてはおられません。賢き者は、吉凶や占いを気にしてはならないのです」と言われ、バラモンのために法を説かれました。
バラモンは菩薩の教えを聞いて、迷信に対する邪見を打ち破り、菩薩に帰依しました。
菩薩はその後も怠らずに禅定を修し、寿命を全うして、梵天界に生まれ変わりました。
お釈迦さまは、過去の話を終えられ、バラモンのために法を説かれ、次の詩を唱えられました。
吉凶判断、夢見、手相見
それら占いに頼らぬ者
迷信の過失を超え、諸々の煩悩を滅ぼして
再び輪廻に戻ることはない
そしてお釈迦さまは、バラモンの親子のために、四つの聖なる真理(四聖諦)を説き明かされました。その法話を聞き終わった時、バラモンは息子と共に、一段階目の悟り(預流果)の境地を得ました。
お釈迦さまは「過去の話に出てきたバラモンの親子は、ここにいる親子であり、王の御苑に滞在していた行者は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
象のお腹に入った狐

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の舎衛城(しゃえいじょう)近郊の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
ある時、舎衛城に住む五百人の大金持ちの息子たちが、お釈迦さまの法話を聞きました。法話を聞いて感動した息子たちは、悟りを得るための道を歩もうと決意しました。彼らは仲の良い友人たちだったので、皆で出家しました。出家して比丘となった若者たちは、祇園精舎で共に修行していたのですが、そのうちに若い心に愛欲の煩悩が生じ、出家を後悔する気持ちが生まれてきました。在家に戻って再び自分の欲を満たしたいという煩悩が力をふるいだしたのです。
お釈迦さまは、慈悲の目で祇園精舎の修行僧たちの心を観察され、彼らの妄執をご覧になりました。釈尊は、母親が一人息子を見守るように、片目の人が一つの目を大切にするように、弟子たちを護られます。修行僧たちが欲の妄執で苦しめられているのであれば、直ちにそれを静めようとされるのです。この時も、「私は転輪王(てんりんおう)がその統治する国土を素早く巡って定め鎮(しず)めるように、すみやかに彼らの煩悩が静まるようにしてあげよう」と思われました。そして、「五百人の若い比丘たちだけを集めて説法したならば、彼らは自分の煩悩を師に知られたことを気にして、素直に法に耳を傾けることができないだろう」と、アーナンダ尊者に、祇園精舎にいるすべての比丘たちを集めるようにと命じられました。アーナンダ尊者は祇園精舎をくまなく廻り、すべての修行僧たちに釈尊の法話が始まることを伝えました。
祇園精舎にいるすべての比丘たちが集まりました。お釈迦さまは、大きな岩の上の須弥山(しゅみせん)のように堂々と、高い場所に用意された座に端正に坐られました。お釈迦さまの頭の周りからは六色の光明が光を放ち、まるで大海の底から暁の太陽が頭を出した時のようでした。その輝きは天にまで届いていました。比丘たちはお釈迦さまに礼拝し、それぞれ座に着きました。
お釈迦さまは、聞く者の心をつかむすばらしい声で法話を始められました。「比丘らよ、比丘たる者は、貪欲の思い、怒りの思い、害意のある思い、という三つの不善の思いに気をつけるべきです。心の中に起こる煩悩は、それがいくら小さくても、これぐらいは大したことはないと考えてはならない。いかなる煩悩も最大の敵だと知りなさい。たとえ小さな敵であっても、バカにすることはできません。小さな煩悩も、強い破壊力を持つようになる。わずかな煩悩であっても、いつ増大して、大きな破壊をもたらすかはわかりません。毒のように、痛みのように、毒蛇のように、雷のように、煩悩を怖れなければならない。たとえ一瞬サッと生まれただけの煩悩であっても、自己をよく観察し、わずかでも自分の心に留めることのないように。あたかもハスの葉が水滴を瞬時に転げ落とすように、直ちにそれを消し去るように気をつけなければならないのです。昔の賢者たちは、煩悩を観察し、懺悔して、再び心に煩悩が生じないようによく気をつけた」と説かれ、過去の物語を話されました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は狐として生を受け、ガンジス川の傍の森に住んでいました。
ある日、菩薩の狐がお腹を空かせて食べ物を探して歩いていると、一頭の老いた象がガンジス川の河辺で死んでいるのが見つかりました。「これは大きなごちそうを見つけた」と喜んだ狐は、まず老象の鼻に噛みつきました。けれども象の鼻は鋤(すき)を噛むように固く、まるっきり歯が立ちませんでした。そこで次に、耳に噛みつきました。しかしここは笊(ざる)の端を噛むようにカスカスしていて、まったく味気ないものでした。次に、お腹を噛んでみましたが、死んだ老象の大きなお腹はそれこそ穀物倉のようなもので、とても食べられたものではありません。次に足を噛んでみましたが、象の巨大な足はずっしりと重く、石臼(いしうす)を噛むようなものでした。次に、しっぽを噛みました。しっぽさえもカチカチになっていて歯が立たず、杵(きね)を噛むようなのです。これはもう、この象を食べることなど無理ではないかと思われるほどでしたが、菩薩の狐はあきらめず、どこか食べられるところはないかと、次々に試してみたのです。
ついに食べられるところを見つけました。象の肛門のあたりは柔らかく、まるでお菓子のようにおいしかったのです。ひどくお腹が空いていた狐は、喜んで食べ始めました。おいしくていくらでも食べられます。そのままドンドン食べ進み、お腹が一杯になってから、自分の住み家に戻りました。
次の日、菩薩の狐の足は、自然に象のごちそうの方に向かいました。もう、どこから食べればいいかとわかっています。どんどん食べつづけてふと気がつくと、狐はいつのまにか象のお腹の中へと入り込んでいました。狐はそのまま、象の腸や腎臓、肝臓、肺臓などの内臓を食べ、満足して住み家に戻ったのです。次の日も、また次の日も同様でした。そういうことを繰り返しているうちに、象のお腹はとても居心地の良い場所になりました。そして狐の心に、「いっそここに住めばどうだろう」という思いがわいたのです。お腹が空くと、いくらでも食べ物があります。喉が渇くと象の血を飲みました。そして、狐は、象のお腹の中で暮らすようになったのです。
ところが、そのまま何日か経つと、強い太陽に照らされた象の死骸は、少しずつ乾燥してきました。だんだんと死体が縮み、入り口も小さくなって、中が暗くなってきたのです。ある時、入り口が完全にふさがって、毛の先程も見えない真っ暗闇になりました。象のお腹は、世間から隔絶した閉ざされた空間になってしまったのです。
菩薩の狐は初めて恐怖を覚えました。あちこち出口を捜しましたが、どこにも出口は見つかりません。だんだん血も渇いてきて、飲み物も不足してきました。肉も固くなってきました。狐は、グツグツ煮えるお釜の中で米粒が動き回るように、真っ暗な象のお腹の中で出口を探しました。
その時、雨が降り出しました。雨は激しい大雨となり、乾ききっていた大地は潤され、象の死骸も少しずつ湿り気を取り戻してきたのです。
ついに、象のお腹の中に入ってきたところがわずかに開き、星のようなかすかな光が差し込みました。菩薩の狐はその光に向かって全力で突進し、必死で突き進んで、やっとのことで象のお腹から這い出しました。しかし、お腹から出るための穴はあまりにも狭かったので、外に出る時に体中の毛が抜けてしまったのです。狐は、変わり果てた自分の体を見て、思わず走り出しました。しばらく走ったところで立ち止まり、再び自分の体を見て、しみじみと思いました。
「これは他の誰のせいでもない、自分自身の貪りのせいだ。自分の行為の結果、こんな有り様になった。これから私は決して貪欲は起こさないことにしよう。それと、どんなことがあっても、象のお腹の中には二度と入らないぞ」。そして、菩薩の狐は、次の詩を唱えました。
ひとたび、ふたたび
またみたびとなりぬ
象の腹には入らぬぞ
命取りなり誘惑の恐怖
菩薩の狐は、それ以降は象の死骸にはまったく見向きもせず、貪欲の煩悩を起こすこともありませんでした。
お釈迦さまは、「その時の狐は私であった」と言われ、過去の話を終えられました。
そして、「比丘らよ、心の中に貪欲を育ててはならない。常に自分の心を調御し、心に生じた煩悩をすぐに取り除きなさい」と、四聖諦の真理の法を説かれました。
その法話を聞いて、五百人の比丘たちは、ある者は阿羅漢果の悟りを得、ある者は不還果の悟りを得、ある者は一来果の悟りを得、ある者は預流果の悟りを得たのでした。
  
吉祥物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
ある時サーワッティの都で催しごとがあり、街はとても賑わっていました。ふと一人の男が「今日は私の吉祥日(きちじょうび)で、めでたい日だよ」と言いました。するとそれをきっかけに、「吉祥とはいったい何なのか」という議論が始まったのです。
ある人は、「何かおめでたいものを見ることこそが幸運の印、吉祥だ。朝早く起きて、真っ白な牝牛、妊娠した女性、赤い魚、瓶(かめ)一杯の油、絞りたてのミルク、新品の布地、乳粥などを目にしたならば、それこそが福というものだ。それ以上の吉祥なんかない」と言いました。
すると他の人が、「それは違う。吉祥とは、めでたい言葉を聞くことだよ。『いっぱいだ』とか、『成長した』『成長している』『食べる』『噛みごたえがある』などの言葉を耳にしたら、それこそラッキー! それよりすごい吉祥なんかないよ」と反対しました。
もう一人の人が、「まったく違うよ。吉祥とは、おめでたいものに触ることだよ。朝早く起きて、緑の草、しめった牛糞、清浄な上着、赤い魚、金銀、食べ物などに触れる。なんとすばらしい福だろう。それほどの吉祥などあるはずがない」と主張しました。
見る福、聞く福、触れて感じる福という三つの意見には、それぞれ賛同者たちがいて、自分の優位を言い張って譲りません。誰も、相手を納得させて賛成させることはできなかったのです。論争は次第に大きくなり、ついには神々にまで広がりました。ところが天界の神々も、梵天界の神々にいたるまで、「これこそは吉祥である」という決定的な答えを知る者はいませんでした。
帝釈天は「この問いこそは世尊にお訊きするべきであろう」と考えて、夜が更けてから祇園精舎を訪ね、釈尊のお答えをいただきました。それについては吉祥経という経典に詳しく述べられています。帝釈天は神々に吉祥経を伝え、数え切れないほどの神々がそれを繰り返し唱えて悟りを開いたとのことです。釈尊の言葉を伝え聞いた神々や人々の疑いは晴れ、「よく説かれた」と歓喜したのです。
比丘たちが法話堂で如来の大智をほめたたえていると、釈尊が来られて皆の話題をお尋ねになり、「私は過去にも吉祥について説き、人々の疑を晴らしたことがあった」とおっしゃって、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はあるバラモンの名家に生を受け、ラッキタと名づけられました。成人し、両親の死後に出家した菩薩は、禅定と神通を会得して、五百人の弟子たちと共にヒマラヤに住んでいました。
ある時、菩薩の弟子の行者たちが、雨期のあいだ山を下りることにしました。下山した行者たちは人々から大いに歓迎され、ブラフマダッタ王の御苑に滞在することになりました。その頃、バーラーナシーで吉祥とは何かという議論が起こりました。現世物語と同様に、見る吉祥、聞く吉祥、触れる吉祥を主張する者たちがいて、互いに意見を譲りません。人々は答えを求め、菩薩の弟子である行者たちのところにやって来ました。しかし行者たちも、吉祥とは何かという疑問に答えることはできなかったのです。
行者たちは王に告げました。「王様、私どもの師、ヒマラヤの大智者ラッキタ仙人こそ、めでたきもの(吉祥)をご存じの方です」「尊者方よ、ぜひお答えを聞いて来ていただけませんか」「わかりました」。
菩薩の弟子たちはヒマラヤの師匠のところに戻り、礼拝して傍らに坐りました。菩薩が王や人々の様子をたずねたところ、弟子の中の長老が吉祥についての議論のいきさつを話し、質問を詩で唱えました。
人、めでたきもの(吉祥)を望むとき、
いかなる聖典、天啓を読誦すべきや
あるいは、いかなる行いにて、
人は、この世、かの世において、
損なわれざる祥福に守らるるや
菩薩も詩で質問にお答えになりました。
いかなる神々も、あらゆる祖神も
爬虫類より一切有情にいたるまで
互いに慈悲もち、敬愛ある
これぞ、生類におけるめでたき幸いといわれる
もし人、一切世界に優しさをもちて
男女、子弟に謙虚に振る舞い
罵(ののし)られても動じず、心静かなれば
その忍耐の心こそは、めでたき幸いといわれる
たとえ学あり、家系優れ、富に恵まれ、
智に輝き、ことに臨んで思慮あれど
同僚を軽んずることなきなれば
これぞ、仲間におけるめでたき幸いといわれる
友のために善人であり
あざむかざるがゆえに信を得て
裏切りのない、分かち与える友と互いに認む
これぞ、友のめでたき幸いといわれる
妻は歳同じくして、愛情細やか
従順で、道を好み、子宝に恵まれ、
教養ありて、徳高く、敬虔なる
これぞ、妻女のめでたき幸いといわれる
王は、有類の主にして、名誉あり
自ら清浄の生活を営み、大勢力あり、
民を「われと不二にして、わが友なり」となす
これぞ、王のめでたき幸いといわれる
信者は食と飲み物を供え
清き心に喜びを覚えつつ
花と香と香水を供養す
これぞ、天のめでたき幸いといわれる
諸賢、彼を聖なる法もて清め、
多聞にして持戒堅固の諸仙、彼を清む
彼は平安と寂静に住せしめらる
これぞ、修行完成者と交わるめでたき幸いといわれる
世に、これら八つの吉祥あり
これぞ智者の讃える法にて
智あるものは、この法に親しむべし
世俗の三種の吉祥には、何らの真理なきなれば
そのように、めでたきもの(吉祥)は、菩薩によって説き明かされました。弟子たちは大いに喜んでこれを学び、山から下りて人々に伝えました。ここに吉祥は世に明らかとなり、教えを聞いて喜び理解して実践した人々は、死後、天界に溢れました。菩薩は生涯ヒマラヤで暮らし、死後、弟子の行者たちと共に梵天界に生まれました。
お釈迦さまは「その時の行者たちは今の仏弟子たちであり、長老弟子はサーリプッタであり、ヒマラヤに住む師は私であった」と言われ、過去の話を終えられました。  
 
クンタニ鳥物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
その頃、コーサラ国王の宮殿に、クンタニ鳥という鳥が大切に飼われていました。クンタニ鳥が大切にされていたわけは、王の大事な仕事をしていたからです。クンタニ鳥は、王の書信を空から届ける仕事をしていたのです。クンタニ鳥には、まだとても小さな二羽の雛(ひな)がいました。
ある時、コーサラ王は、ある王に宛てた手紙を運ぶよう、クンタニ鳥に命じました。クンタニ鳥は手紙を受け取って、すぐにその国に飛び立ちました。
ところがクンタニ鳥が仕事で城を留守にしている間に、たいへんなことが起こりました。いたずら盛りのコーサラ王の二人の子供たちが、遊びながらクンタニ鳥の雛を手でねじり殺してしまったのです。
そうとは知らず、城に戻ったクンタニ鳥は、すぐさま小さな雛たちに会いに行きました。しかし、雛たちは、どこにも見当たりません。真っ青になったクンタニ鳥は、半狂乱になって、可愛いわが子を捜し廻りました。必死で皆に雛たちのことを聞き回ったクンタニ鳥は、王の子供たちが遊びながら自分の雛たちを殺したことを知りました。
クンタニ鳥の心は凍りつき、怒りで燃え上がりました。悲しみと憎しみに震えるクンタニ鳥は、何とかして復讐しようと心に決めたのです。
お城には、一匹の獰猛(どうもう)な虎が、鎖につながれて飼われていました。王の二人の子供たちは、強くて立派な虎が大好きで、怖いもの見たさに、よく虎を見に来ていました。クンタニ鳥は、「彼らが私の子供を殺したように、彼らも殺されるべきだ」と考えました。そして、虎を見に来た王子たちを待ちかまえ、力強い足の爪で捕まえて、虎の足元に投げたのです。虎はガリガリと音を立てて、子供たちを食べてしまいました。
クンタニ鳥は、「これで私の思いは晴れた」と、ヒマラヤに飛び去って行きました。その事件は広く皆の知るところとなりました。
ある時、比丘たちが法話堂に集まって、「友よ、王宮に飼われていたクンタニ鳥が、コーサラ王の王子たちに自分の雛を殺された。怒りに狂ったクンタニ鳥は、復讐のために王子たちを虎の前に投げ捨て、虎に食べさせて逃げ去ったのだそうだ」と話をしていました。
釈尊が来られ、何を話しているのかと比丘たちにおたずねになりました。比丘たちがお答えすると、釈尊は、「比丘らよ、それは今だけのことでない。過去においても、あの鳥は、自分の子供を殺されて、復讐し返し、立ち去って行ったことがあった」と言われ、比丘たちに請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は王の第一夫人のお胎に生を受けました。成長した菩薩はタッカシラーで学業を修得し、父王が亡くなった後に即位して、バーラーナシーを治める王となりました。菩薩は、公正に、偏ることなく、法に則って国を治めていました。
バーラーナシーの菩薩の城にも、一羽のクンタニ鳥が住んでいました。クンタニ鳥は、現世物語と同様に、王の書信を届ける仕事をしていました。クンタニ鳥には、二羽の雛がいました。ある時、クンタニ鳥の留守中に、いたずら盛りの菩薩の二人の子供たちが、クンタニ鳥の雛たちを手でねじり殺してしまいました。戻って来たクンタニ鳥は、半狂乱になって雛たちを探しました。菩薩の王子たちが雛を殺したことを知ったクンタニ鳥の心は、怒り憎しみに震えました。
コーサラ国での話と同様に、怒りに狂ったクンタニ鳥は、王の子供たちを城に飼われていた虎に食べさせて、復讐を果たしました。
ここまでは、現世物語と同じことが起こったことになります。しかし、ここからは現世物語と、少し違います。
クンタニ鳥は、王の子供たちを虎に殺させてから考えました。 「私はもうここに住むことはできない。どこかに立ち去ることにしよう。しかし、私は、お世話になった王様に話をせずに立ち去ることはするまい。王様と話をし、挨拶をしてから立ち去ることにしよう」。
クンタニ鳥は王のところに行って、王に礼をし、傍らに立って言いました。「ご主人様、あなた様が注意を怠っている間に、あなた様の王子たちが、私の雛を殺しました。私は悲しみと怒りに耐えかねて、あなた様の子供たちを虎に襲わせ、殺してしまいました。こうなってしまったからには、私はもう、ここに住むわけにはまいりません。このお城から立ち去ろうと思います。」
そして、クンタニ鳥は、次の詩を唱えました。
われ、大切に敬われ
汝の城に住めり
今、汝らはかくなせり
王よ、われ、今は去らん
それを聞いた菩薩は、次の詩を唱えました。
彼、悪事をなし、
汝もまた、同じくなす
この恨みついに静まるために、
クンタニ鳥よ、とまれ、去るなかれ
それを聞いたクンタニ鳥は、再び詩を唱えました。
ことを為したもの、為されたもの、
その友情は再び結ばれず
こころ、それを、許さざるゆえに
王よ、われ、去らん
それを聞いた菩薩は、再度、詩を唱えました。
ことを為したもの、為されたもの、
愚かなるものは、いざ知らず、
賢きものの友情は、また結ばれん
クンタニ鳥よ、とまれ、去るなかれ
クンタニ鳥は、「確かに左様でございましょう。しかしご主人様、私はここに留まることはできません」と言って、王に礼をし、ヒマラヤの方に飛び去って行きました。
お釈迦さまは、「その時のクンタニ鳥は、コーサラ王の王子を殺したクンタニ鳥であり、バーラーナシーの王は私であった」と言われて、話を終えられました。  
 
スジャーター物語

 

これは、シャカムニブッダが祇園精舎におられた時のお話です。
祇園精舎をサンガにお布施したことで知られるアナータピンディカ長者の息子は、大富豪として高名なダナンジャヤ長者の末娘、スジャーターと結婚しました(彼女はヴィサーカー夫人の末妹にあたります)。名高い名家の娘スジャーターは、アナータピンディカ家を名誉で満たしながら嫁入りしてきました。しかし彼女は自分の家柄を笠に着た高飛車で高慢な女性で、すぐに声を荒げて大声で怒鳴りつけるような乱暴者でした。夫の両親や夫に仕える気持ちなど少しもありません。すぐに使用人を怒鳴ったり打ったりして、威張って暮らしていました。
アナータピンディカ家では、毎日、サンガへの豪勢な食事のお布施を用意し、比丘方を歓待しています。ある日の食事時、お釈迦さまは、五百人の比丘たちを従えてアナータピンディカ長者の家に行かれ、用意された上座に坐られました。大長者は釈尊の傍らに坐り、お話をお聞きしていました。
ところがそこに、スジャーターが大声で召使いを怒鳴る声が聞こえてきました。釈尊は法話を中断され、「これは何の物音か」とたずねられました。アナータピンディカ長者が「世尊、これは、不敬なわが家の嫁でございます。彼女は、姑にも、舅にも、夫にも仕えようとせず、布施もせず、戒も守ろうとしません。信もなく、心清らかにすることもなく、朝から晩まで皆に威張り散らしております」とお答えすると、釈尊は「では、ここに呼びなさい」とおっしゃいました。
スジャーターは、やって来て、釈尊に礼をして傍らに立ちました。師は彼女に、「スジャーターよ、妻には、七種の妻がいる。あなたは、その中のどれだろうか」とたずねられました。彼女が「世尊、そのような簡単な問いでは、意味がわかりません。意味を説明してください」と言うと、釈尊は「では、よく聞きなさい」と、次の教えを説かれました。
心は邪悪(よこしま)、思いやりなく
他の男には心寄せ、夫のことはないがしろ
さような妻は、怖ろしい、殺す妻と呼ばるなり
夫が、技芸、商売、耕作で、妻のためにと儲けた財
利己的な心でそれを見て、掠(かす)め取ろうと狙う妻
さような妻は、信置けず、盗む妻と呼ばるなり
働くことを好まずに、怠けて、一日貪食し
粗暴、強情、言葉激しく、下女を虐げ、日を送る
さような妻は、怠惰なる、高慢な妻と呼ばるなり
いつも相手の利を思い、母のわが子に対すごと
常に夫を守り見て、夫の財を良く守る
さような妻は、慈愛ある、母のような妻と呼ばるなり
妹が姉を見るように、夫のことを尊敬し
控えめに、かわいく夫に従う
さような妻は、謙虚なる、妹のような妻と呼ばるなり
常に夫を見るときは、心喜び、楽しみ溢れ
あたかも長く別れたる、親友と再び出会うよう
躾あり、品よく夫に従う
さような妻は、徳のある、友のような妻と呼ばるなり
罵ののしられても静かにて、加害の杖にも心汚れず、
怒ることなく夫に接す
さような妻は、優れたる、下女のような妻と呼ばるなり
スジャーターよ、これら七種の妻の中で、殺す妻と、盗む妻と、高慢な妻は、死後、地獄に生まれる。他の妻たちは、死後、化楽(けらく)天という天界に生まれるのだ。
ここに妻あり
殺す妻、盗む妻、高慢な妻、さように呼ばるる悪しき妻
戒を守らず、粗暴にて、敬意などかけらもなし
寿命尽きては、地獄に堕ちる
ここに妻あり
母のよう、あるいは、妹、友のよう
さらに、下女のようとも呼ばるる妻女
彼女たちは、よく戒守り、己を制御し、こころを護る
寿命尽きても、天に赴く
お釈迦さまのお話しを聞いたスジャーターは、たちまちにして心が変わり、ついに預流果の悟りを開きました。釈尊が「スジャーターよ、この七つのうちの、どの妻になるのか」とお訊きになると、彼女は「世尊、私は下女のような妻になろうと思います」と言って、今までの悪業の許しを乞いました。
そのように、釈尊は、アナータピンディカ家の困りものの嫁を、一度の諭しで躾られ、祇園精舎に戻られました。そして、比丘たちになすべきことを指示された後、ご自分の香室に入られました。
比丘たちが法話堂に集まって「友よ、世尊はたった一度の法話でスジャーターの心を変え、預流果の悟りを得させられた」と釈尊の徳を讃えていました。釈尊が来られて皆の話についてお訊きになり、比丘たちがお答えすると、「過去においても私は、一度の諭しで彼女の心を和らげたことがあった」とおっしゃって、請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はその国の皇太子として生を受け、父王の死後に即位し、法に則って国を正しく治めました。前王の第一王妃であった菩薩の母は、わがままで怒りっぽく、強情で言葉が荒く、すぐに人々を厳しく叱ったり怒鳴ったりする性格でした。菩薩は母親を諭したいと思いましたが、「そのことを唐突に話すのは適当ではない」と思い、忠告すべき時機を待っていました。
ある日、菩薩は、母親と家来たちを連れて御苑に出かけました。御苑への道すがら、青樫鳥という鳥が、ひどい声で、うるさく鳴きわめきました。皆、「なんてひどい鳴き声だ、なんて粗野な嫌な声だ、これ以上は聞きたくない」と耳をふさいで嫌がりました。
御苑に着いて、菩薩が皆を従えて散歩していると、美しく花が咲いたサーラ樹にとまったコーキラ鳥が、すばらしく美しい声で鳴き出しました。人々はその美声を喜び、「なんて穏やかな旋律だろう、なんて親しみのある声だろう、何と柔らかい響きだろう。鳥よ、どうかもっともっと鳴いておくれ」と、首を伸ばして立ち止まり、鳥を眺めながら、その声に聞き入りました。
菩薩は「今こそ母に話をする好機だ」と思い、「母上、こちらに来る途中に聞いた青樫鳥の粗野な鳴き声には、皆、嫌がって耳をふさぎました。粗野な声を好む者はいないのです」と、次の詩句を唱えました。
身は麗しき色そなえ
声よく、見目麗しきその女も
言葉荒けば、愛しからず
この世においても、他の世でも
君よ、見ずや、
色悪く、醜い斑点ありとても
コーキラ鳥の、柔和なる
美声、人々に、いかに愛さるるかを
さればこそ、親しき言葉を語り、
賢き、こころ穏やかなる者は、
その語るところ美しく
意義と理法を説き明かす
それを聞いた菩薩の母は深く反省し、以後は正しい行いの人となりました。二人は、死後、それぞれ自分の業に従って転生していきました。
お釈迦さまは、「その時の母王妃はスジャーターであり、息子の王は私であった」と言われ、過去の話を終えられました。  
 
ティッティラ鳥物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサンビー近郊のパダリ園におられた時に語られたお話です。
パダリ園に行かれる前のこと、お釈迦さまはアーラギ国の近くのアッガーラヴァ廟(びょう)で法話をされました。そちらにはたくさんの人々が集まっていました。日が沈み辺りが暗くなるにしたがって在家女性信者や比丘尼たちは帰途につき、後には男性信者と比丘方だけが残りました。お釈迦さまの法話は夜更けまでつづきました。法話が終わると長老方は自分たちの居所に戻り、他の人々はそこでそのまま休みました。大勢の中には、イビキを掻いたり歯ぎしりをする者もいて、夜中に起きる人々もいました。その様子を誰かが釈尊にお話ししたところ、釈尊は、「比丘は具足戒(ぐそくかい/比丘が受ける戒律)を受けてない者と同宿してはならない」という戒を定められ、コーサンビーに行かれました。
その頃、まだ出家したばかりで沙弥であったラーフラ尊者には自分の宿坊がありませんでした。ブッダを深く尊敬する比丘たちは、ブッダの息子であるラーフラ尊者を快く自分の宿坊に泊めたので、何の問題もなかったのです。ラーフラ尊者の寝床や枕を作るために自分の衣を貸す比丘もいたぐらいでした。ところが新しい戒律を犯すことを恐れた比丘たちは、「ラーフラよ、ブッダは新しい戒を定められた。あなたは自分の寝るところを見つけなさい」とラーフラ尊者が自分の宿坊に泊まるのを断りました。
賢いラーフラ尊者は、「私の父だから」と釈尊のところに行くこともなく、「私の師だから」とサーリプッタ尊者のところへ行くこともなく、「私の伯父だから」とアーナンダ尊者のところに行くこともなく、釈尊の厠(かわや)に、まるで梵天の宮殿に入るようにして入り込み、そちらに泊まりました。お釈迦さまの厠は、戸は堅く閉ざされ、香が焚かれ、床はきれいに掃除が行き届き、香りの縄、華曼の縄で繕われ、夜もずっと灯火が灯されています。とはいえ厠には違いありません。ラーフラ尊者は、戒律を守ろうとして寝る場所を求めてそこに泊まったのです。
ラーフラ尊者は子供の頃から道徳心が高く、よく戒を守りました。時々、比丘方は、ラーフラ尊者を試そうと、ラーフラ尊者が来るのを見かけるとわざと手箒やちりとりを外に放り投げ、「友よ、誰がこれを放り投げているのですか」「さあ、ラーフラがこの道を通っていたが」と言ったりしました。ラーフラ尊者は、「尊師、私は手箒やちりとりなど知りません」とは言わず、「尊師、すみません」と詫び、それらを片づけました。彼はそのように、よく戒めを守る、徳のある子供でした。
釈尊は、夜明け前に厠の入り口に立たれ、中の気配を感じて咳払いをされました。すると、中にいるラーフラ尊者も咳払いをしたのです。釈尊が「誰かいるのか」と尋ねると、彼は「ラーフラです」と外に出て、ブッダに敬礼しました。「ラーフラよ、なぜこんなところにいたのか」「寝るところがなかったからです。比丘方は私に自分の宿坊を探すようにと言われました」。
釈尊は、「比丘たちは、私の息子であるラーフラでさえ、このように遇している。他の者を出家させたなら、どのようにすることだろう」と正法のために憂いを感じられ、陽が昇ると比丘たちを集めさせました。そしてサーリプッタ尊者に、「サーリプッタ、ラーフラの宿舎がどこにあるのか知っているか」と問われました。「世尊、私は存じません」「サーリプッタ、ラーフラは、私の厠で寝ていた。サーリプッタ、お前たちは、ラーフラでさえこのように見捨てて放っている。他の者を出家させたら、その者はどうなるだろう。このような調子では、仏道に出家した者は、こちらに留まることがないだろう。これからは、まだ具足戒を受けてない者であっても、一、二日は自分の宿坊に泊まらせなさい。三日目には宿坊を見つけてやって、そちらに泊まらせるようにすればいい」と、新しい戒を定められました。
比丘たちが法話堂でラーフラ尊者の徳について話していました。「友よ、ラーフラは実に道徳のある者だ。自分の宿坊を探せと言われて、私はブッダの息子だぞと言い返すこともなく、ひとり静かに厠で寝ていたのだ」。そこに釈尊が来られて皆の話題をお訊きになり、「比丘たちよ、ラーフラは、過去においても、学への志を懐き、自分の罪を省み、道徳を守ろうとする者であった」と言われ、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバラモンの家に生まれました。タッカシラーで学んですべての技芸を身につけた菩薩は、出家して山に入り、熱心に修行して神通と禅定を得、出家の楽を享受しつつ楽しく森林で暮らしていました。
ある時、菩薩は、生活に必要なものを得るために森を出て村里に下りました。菩薩の立ち居振る舞いを見て信仰心を起こした村人たちは、村の近くの森に茅葺きの小屋を建て、そこに住んでもらうようにお願いしました。菩薩は承諾し、その庵(いおり)に滞在することにしました。
その村に一人の猟師がいました。彼は一羽のティッティラ鳥を捕らえて鳴くように仕込み、籠の中に入れて飼っていました。猟師はそのティッティラ鳥を森に連れて行って鳴かせました。その鳴き声で他の鳥たちをおびき寄せ、多くの鳥たちを捕らえたのです。
ティッティラ鳥は「僕のために僕の仲間たちがたくさん捕らえられて死んでしまう。これは僕の罪だ」と思って鳴かなくなりました。鳥捕りは、声を出さないティッティラ鳥の頭を竹の鞭で殴りました。ティッティラ鳥は苦しさに耐えかねて声を出しました。こうして猟師は、ティッティラ鳥を無理に働かせて生活していたのです。
ティッティラ鳥は、「僕が声を出さないと皆は来ないだろう。僕が声を出すから、皆、やって来るのだ。この人は、それを捕らえて命を奪う。僕には仲間たちが死ねばいいという気持ちはまったくない。けれども、僕に罪がないと言えるわけがない。悪業の果は僕に還ってくるに違いない」と考えました。そして、「誰かこの業から救ってくれる人はいないだろうか」と、賢者に会うことを待ち望んでいました。
ある日、猟師は森に出て、たくさんの鳥たちを捕らえて籠に入れ、疲れて喉が渇いたので菩薩の住む庵に立ち寄りました。猟師は、ティッティラ鳥の入った籠を菩薩のそばに置いて水を飲み、そのままウトウトと眠ってしまいました。ティッティラ鳥は、やっと待ち望んでいた時が来たと、籠の中から菩薩に詩句で問いかけました。菩薩も詩句で答え、互いに次のような問答を交わしたのです。
(ティッティラ鳥)
われ安楽に日を送り、
食うものに不自由なし
しかるに、われ、罠に落ちるべきところにおり
尊師よ、わが赴くところはどこぞ 
(菩薩)
鳥よ、もし汝(なんじ)がこころ
悪しき行いに傾かず
悪しきこころざしなく、こころ善きものは
罪に汚るることなし
(ティッティラ鳥)
わが仲間おりと思いて
多くのものつどい集まる
わが罪業の報いありや
わがこころはこれに惑まどう
(菩薩)
汝がこころ、汚れあらずば
汝、業の悪果を得ることなし
悪に無関心で、こころ善きものは
罪に汚るることなし 
菩薩の教えのおかげでティッティラ鳥の疑は晴れました。鳥捕りは目を覚まし、菩薩を礼拝し、鳥籠を抱えて去りました。
お釈迦さまは、過去の話を終えられ、「その時のティッティラ鳥はラーフラであり、庵に住む行者は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
忍耐を説く行者物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時に、一人の怒りっぽい性格の比丘に語られたお話です。
昔々、バーラーナシーでカラーブ王が国を治めていた頃、菩薩は八億の財産を持つ資産家のバラモンの家に生まれました。成長した菩薩はタッカシラーで学芸を修めた後、自分の家庭を持ちました。その後、菩薩の両親が相次いで亡くなりました。両親の死後、多くの蔵に莫大な財産が蓄えてあるのを見た菩薩は、「私の両親はこれほどの財を蓄えながら、何も持たずにあの世へと旅立っていった。これは私が持ってゆくのがよいだろう」と考えました。菩薩は財産を詳しく調べ、布施の功徳を積む者として、それを受けるにふさわしいところに適宜に分け与え、自分は出家して何も持たずに雪山に入り、果物や木の実で命をつないで熱心に修行を積みました。
それから長い年月が経ちました。ある時、菩薩は塩や酸味のものを得るために山を出て、人里に下りました。菩薩がバーラーナシーで托鉢をしていると、バーラーナシーの軍師が菩薩を見かけ、その立ち居振る舞いに感心して菩薩を家に招き入れ、自分のために用意してあった食事をお布施しました。軍師は、菩薩がお城の御苑に住むように便宜を図りました。
ある日、カラーブ王は、酒をたくさん飲んで酔っぱらったあげく、多くの侍女たちや歌姫、舞姫たちを引き連れて御苑に繰り出しました。王は、平らな吉祥石の上に臥所(ふしど)を設けさせ、一人の気に入りの侍女の膝を枕に横たわり、女たちに歌い踊るように命じました。技芸に秀でた官女たちがさまざまな楽器で妙なる楽曲を奏で、美しい歌姫たちや舞姫たちが歌い踊るさまは、あたかも帝釈天の住む天界のようでした。そのうちに王は、良い気持ちになって、ぐっすりと寝込んでしまいました。王が眠ったのを見た女性たちは、演奏や踊りをやめ、琵琶や太鼓などの楽器をそこに残して御苑の散策に出かけ、花を摘んだり、木の実を拾ったり、笑いさざめきながらぶらぶらしていました。
ちょうどその頃、菩薩は、御苑にある満開の沙羅の樹の下で、出家の楽を味わいつつ、満ち足りた象のように堂々と坐っていました。菩薩を見つけた女性たちは、「皆さん、沙羅の樹の下に、立派な出家者が坐っておられます。王様がお目覚めになるまでの間、何かお話しをお聴きしましょう」と言いあって、菩薩の近くに来て菩薩を礼拝し、「どうぞ、何か私達にふさわしい、良いお話しをお聴かせください」とお願いして、菩薩を取り囲んで腰をかけました。菩薩は彼女たちのために、法を説き始めました。
その頃、王を膝に乗せていた侍女が膝を揺すり、王は目を覚ましました。周りに誰もいないことに気づいた王は、「女たちはどこに行ったのだ」と不機嫌になりました。彼女たちが菩薩の話を聴いていることを知った王は、たいそう腹を立て、「悪党の悪徳行者め、思い知らせてやる」と、刀を持って菩薩に近づきました。
女性たちは、刀を携えた王が血相を変えて近づいてくるのを見て青くなりました。何人かの王の気に入りの侍女たちが、王の手から刀を取って、王をなだめようとしました。
菩薩の傍らに立った王は、「沙門よ、おまえの説く教えとは何か!答えよ」と怒り声で詰問しました。「大王様、私は忍耐を説く者です」「忍耐とはどういうものだ!」「ののしられたり叩かれたり、ひどい目に遭わされても、怒りの心を起こさないことが忍耐です」。
それを聞いた王は、「では、おまえに忍耐があるかどうか調べてやろう」と、首切り役人を呼ばせました。首切り役人は、斧と棘(とげ)付きの鞭(むち)とを携えて、黄色の衣服を着、赤い花輪を持ってやって来ました。彼は王にうやうやしく挨拶をして、「大王様、ご用はなんでございましょう」と訊きました。「この盗人(ぬすっと)の悪徳行者を捕らえ、地べたに引きずり倒し、前後左右から二千回、その鞭で叩け」「かしこまりました」。
首切り役人は、王に言われた通りに菩薩を引き倒し、棘付きの鞭でさんざん叩きました。菩薩の外皮膚は破れ、内皮膚も破れ、肉が裂け、血が流れ出ました。
王は再び「おまえの教えとは何か!」と菩薩に尋ねました。菩薩は「大王様、私は忍耐を説きます。あなたは忍耐は私の皮膚の内にあるとお考えのようですが、忍耐は皮にはありません。あなたのご覧になることのできない、私の心の中にあるのです」と言いました。
菩薩が落ち着いているのを見た王は、ますます凶暴になり、「この悪徳行者の両手を切り落とせ」と命じました。首切り役人は、菩薩の手を台に乗せ、斧で菩薩の手を切り落としました。王は「両足も切れ」と命じました。役人は、両足を切り落としました。菩薩の手足の先からは、壊れた壺から油が流れるように、どくどくと血が流れ出しました。
王は、再び菩薩に尋ねました。「おまえは何を説く者か!」「私は忍耐を説きます。あなたは、忍耐が、私の手足の先にあるとお考えでしょうが、そんなところにはありません。私の忍耐は、奥深いところに秘蔵されています」。
菩薩がまだ落ち着いているのを見た王は怒り狂い、「この者の耳と鼻をそぎ落とせ」と首切り役人に命じました。役人は、命じられた通りにしました。
全身血みどろになった菩薩に、王は再度「おまえは何を説く者か!」と尋ねました。「大王様、私は忍耐を説く者です。忍耐は耳や鼻の先にあるものだとお考えになってはなりません。忍耐は、奥深い心の中に秘蔵してあります」。
王は、「おまえのその忍耐にもたれて坐っておれ」と言って、足で菩薩の胸を蹴り、その場を立ち去りました。
王が立ち去ると、軍師が菩薩に駆け寄って菩薩の血をぬぐい、菩薩の体をできるだけ楽に坐らせて、切り落とされた手足と耳や鼻を清らかな布でくるみました。軍師は菩薩に礼拝し、「尊師、もしあなた様がお怒りになるのであれば、あなたに対して乱暴狼藉をはたらいた王様に対してお怒りになってください。どうか他の者には怒らず、お赦しくださいませ」と言って、詩句を唱えました。
あなたの手と足と
耳と鼻とを断ちたる者
大徳よ、その者にお怒りあれ
この国を滅ぼすことなかれ
これを聞いた菩薩は、次の詩句を唱えました。
わが手と足と
耳と鼻とを断ちたる者
彼の寿長かれ
われのごときは、怒ることなければなり
王が御苑を出て、菩薩の視界を離れた時、二十四万由旬(ゆじゅん/長さの単位)の厚さのある大地が、堅い布地のように裂け、アヴィーチ地獄(阿鼻地獄)から真っ赤な火が現れ、代々王家に伝わってきた赤い毛布でくるむがごとく王を包みこんでアヴィーチ地獄に吸い込みました。
菩薩はまもなく亡くなりました。たくさんの王の家来や街の人々がお香や花を持って集まり、菩薩の死を弔いました。その後、かの行者は雪山の方へ飛び去ったと噂する人がいましたが、それは事実ではありません。
過去の話を終えたお釈迦さまは、次の詩句を唱えられました。
その昔、忍耐を説く沙門あり
忍耐によりて安息に達しし彼を
カラーブ王は
無慚に断ち切りぬ
かかる極悪非道の行いの
報いは辛し
カラーブ王は地獄にて、
そをさとりたり
釈尊はつづけて四聖諦の法を説かれ、それを聴いた怒りっぽい比丘は、不還果の悟りを得ました。
釈尊は、「その時のカラーブ王はデーヴァダッタであり、軍師はサーリプッタであり、忍耐を説く行者は私であった」と言われて、話を終えられました。  
 
縫い針物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時、智慧について語られたお話です。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はある村の貧しい鍛冶屋(かじや)に生まれました。成長した菩薩は、超一流の腕を持つ鍛冶職人の青年になりました。
菩薩の住む村からそれほど遠くないところに、千軒の鍛冶屋が集まる集落がありました。その鍛冶屋村に、一人の優れた腕を持つ親方が住んでいました。彼は王からも重用されるほどであり、鍛冶長者と呼ばれていました。鍛冶長者には、たいへん美しい一人娘がいました。彼女はその国の美人としてのあらゆる相を備えていたのです。多くの人々が、評判の美人を一目見ようと、鋼や斧、鍬、鋤などを買いに村へ来ると、家事長者の娘に会いに来るのでした。娘の美しさに感心した人々は、自分の村に戻ると、皆に聞かれるままに彼女のすばらしさを話しました。
菩薩はその娘の話を聞いて、話を聞いただけで彼女に強く心を惹かれました。何とかしてその娘を自分の妻にしたいと思った菩薩は、少量の極上の鋼を調達し、これ以上ないほど細くて堅い縫い針をつくりました。菩薩はその針に糸を通し、その針がきっちり収まるような針の鞘(さや)をつくりました。次に、またそれを入れるための鞘をつくりました。そのようにして七重の鞘をつくった菩薩は、最後に円筒形の入れ物を作り、自分の作品を収めました。そのような品物が他のどこかにあるわけではなく、誰かから教わったものでもありません。それは菩薩の広い知識と優れた技術によってのみ作ることができる品だったのです。
菩薩はその作品を持って鍛冶屋村に行きました。そして美しい娘のいる鍛冶長者の家を探し当てると、そのお屋敷の門の前に立ち、次のような詩句を唱えました。
糸はするりと、滑らかで
ぴかぴか磨かれ、まっすぐで
針先鋭く、品のある
そんな針はいらないか
糸はするりと、通りよく
見目麗しく、まっすぐで、
堅いものをも刺し通す
そんな針はいらないか
鍛冶長者の娘は、朝食が終わって休んでいる父親に扇で風を送っていました。そこに菩薩の声が聞こえてきました。その優しく美しい声を聞いて、娘は生肉で心を打たれたようにハッとしました。千の瓶の水で心を洗われたような、清らかな気持ちになったのです。
「いったい誰がこのようなすばらしい声で針を売ろうとしているのでしょう。ここは鍛冶屋村なのに、針の本場で針を売ろうとするのは誰でしょう」と思った娘は、扇を置いて、家の外まで様子を見に来ました。ここで、鍛冶長者の娘に会いたいという菩薩の最初の目的は、まずは容易く達成できたことになります。
娘は菩薩を見ると、「若いお方、ここは鍛冶屋村です。この村に住む者は、皆、針や斧や鋤などをつくっているのです。たくさんの人々が、そういうものを買うために、こちらに来るのですよ。あなたは、針の本場で針を売ろうという愚かなことをしようとしておられる。一日中歩き回って宣伝しても、ここでは誰も針を買おうとはしませんよ。針を売りたければ、他の村に行って売らなければ」と、次の詩句を唱えました。
釣り針も、縫い針も、
すべて、ここでは売られたり
かかる鍛冶屋村に来て
針を売ろうとするのは誰ぞ
こちらでは
武器さえもつくられており
かかる鍛冶屋村に来て
針を売るとは愚かなり
菩薩はその言葉を聞いて、「娘さん、あなたは知らないからそんなことを言うのですよ」と、次の詩句を唱えました。
たとえ鍛冶屋村なるも
秀でた針は売らるべし
まさに、真の師こそが、
巧みなる技の価値を知るものなれば
娘よ、汝の父親が
わが針を見し、そのときは、
家督をわれに譲らんと
汝をわれに与えよう
その会話を聞いていた鍛冶長者は娘を呼びました。「娘よ、誰と話していたのか?」「お父様、見知らぬ若者が針を売っています。私は彼と話していました」「ではその若者を呼びなさい」。
娘は菩薩を連れてきました。菩薩は鍛冶長者に礼をして傍らに立ち、二人は次の会話を交わしました。「おまえはどこの若者だ?」「私は近くの村の、鍛冶屋の息子です」「何をしにこちらに来たのか?」「私の作った針を売りに来ました」「ではその針を見せなさい」。
菩薩は自分の力は多くの人々に見せた方がよいと考えて、「おひとりでご覧になるよりも、たくさんの人とご覧になった方がよいのではないでしょうか?」と言いました。
鍛冶長者は承諾し、村中の鍛冶屋を集めました。菩薩は、針の性能を見せるため、鉄敷と水を満たした銅器を用意してもらうように頼みました。
準備が調うと、菩薩は皆の前で円筒から七重の鞘に入った針を出し、長者に手渡しました。鍛冶長者はそれを手にとって、「これがその針か」と訊きました。「いえ、それは針ではありません。それは鞘です」。鍛冶長者は、あまりにも細い鞘を開けることができませんでした。菩薩が爪で鞘を開けると、中から針の入った鞘が出てきました。それを見た鍛冶屋たちは、皆、驚きの声を上げました。鍛冶長者が「これがその針か」と訊くと、菩薩はまた、「いえ、それは針ではありません。それは鞘です」と応えました。鍛冶長者は鞘を開けることができなかったので、菩薩が開けて、針の入った鞘を出しました。そのようにして、次々に、鞘を開けてみせるたびに、集まっている鍛冶屋たちは、感嘆の声を上げました。
七回目にやっと針が出てきた時、鍛冶長者は菩薩に、「友よ、この針はどれほどの力があるのか」と尋ねました。菩薩は「師よ、力持ちの者に命じて、鉄敷を銅器の上に置かせてください。そうすれば、鉄敷の真ん中に、この針を突き刺してお見せしましょう」と言いました。用意が調うと、菩薩は見事に針を鉄敷の真ん中にまっすぐに突き刺しました。しかも、銅器に入った水は毛の先程も動かず、水面は静かなままだったのです。
そこに集まった鍛冶屋たちは大変驚き、「こんなにすばらしい腕を持った鍛冶屋の話は、一度も聞いたことがない」と口々に言いながら、腕を振り上げて菩薩を賛嘆しました。鍛冶屋は娘を呼び、たくさんの人々の前で、「娘よ、この若者こそ、おまえの夫にふさわしい」と言って、二人の頭上を祝福しました。菩薩は娘と結婚して鍛冶長者の家督を継ぎ、長者の死後は、その村の鍛冶長者になりました。
お釈迦さまは、「鍛冶長者の娘はラーフラの母であり、賢い鍛冶屋の息子は私であった」と言われて、話を終えられました。  
 
大騎士物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時に語られたお話です。お釈迦さまは、「恩人に対し、その徳と恩により、あるいは恩を知る者として、恩を返すことは正しい」とおっしゃって、過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はその国の皇太子として生まれました。父王が亡くなって跡を継いだ菩薩は、王としての戒めを守り、公正に国を治めていました。ある時、国の国境近くで紛争がありました。菩薩は争いを鎮めるために軍を率いて出かけましたが、思いがけず戦に敗れ、命からがら逃げることになりました。夜中に暗闇の中を走る途中で軍隊からはぐれた菩薩は、翌朝の朝早く、片田舎の村にたどり着きました。村ではちょうど、王の支持者たちが三十人、村の中央に集まって仕事をしていました。しかし、鎧兜(よろいかぶと)をつけて武装した菩薩が馬に乗って近づくと、ほとんどの人々は怯えて逃げ去りました。
ところが一人の男だけは落ち着いて菩薩を迎え、「バーラーナシーの王様が国境あたりの紛争を収めるために軍を率いて来ておられると聞きました。あなたは王様の軍隊の方ですか、それとも敵軍ですか」と尋ねたのです。「王方の者だ」という言葉を聞いた男は、王を自分の家に連れて帰りました。男は妻に王の足を洗わせ、心づくしの食事を食べさせ、寝床を整えて疲れ切った王を休ませました。王が休んでいるあいだに、王の馬の鎧をはずして水を与え、馬の背に油を塗って、草地に連れて行って草を食べさせてやりました。
王は何日か男の家に滞在した後、村を発つことにしました。男は王と馬のためにするべきことをなし、旅の準備を整えました。王は、「村人よ、世話になった。都の方に来たならば、ぜひわが家に来てもらいたい。南門の門番に『大騎士の住まいはどちらか』と尋ねればよい」と男に言い残して村を発ちました。
その頃、王とはぐれた軍隊は、都に帰ることもできずに途方に暮れて都の近くで野営をしていました。そこに王が現れたので、彼らはたいそう喜び、沈んでいた軍隊は息を吹き返したのです。すぐさま都に帰還することになりました。都に入る時、王は南門の門番を呼んで、「田舎から村人が来て大騎士の住まいを尋ねたら、その者に失礼のないように、すぐに城に連れてまいれ。そうすれば一千両の褒美を取らせよう」と言いました。
王は村の男が来るのを待ちましたが、男は来ませんでした。しびれを切らした王は、彼が来るようにと、男の村の税金を上げさせました。それでも男は来ませんでした。王は、二度も三度も税を上げさせました。
村の税金があまりにも高くなったことに困り果てた村人たちは、集まって話し合いました。そして王をかくまった男に、「あなたの友人である大騎士さんが都に帰ってから、なぜか税金がすごく高くなって、たいへん苦しい。どうか都に行って大騎士さんに会い、何とかならないか頼んできてもらえないだろうか」と頼みました。「よし、わかった。しかし、手ぶらで行くことはできない。私の友人には二人の子供がいるそうだ。その子供たちと奥さんと友人自身のために衣服を用意してもらいたい」「承知した」。男は村人たちが用意した衣服と自分の妻の手作りのお菓子を持って、都に向かいました。都に着いた男は、南門の門番に「大騎士さんのお住まいをご存知ですか?」と尋ねました。門番は、「はいはい、ご案内いたします」と言って、男をお城に連れて行きました。
男を見た王はすぐに玉座から立ち上がり、「余の友人を迎えよ」と言って、男を抱いて歓迎しました。王は、「奥さんと子供たちはお元気か?」と親しく言葉を交わした後、男の手を取って、白い傘に覆われて高いところにある玉座に座らせ、第一妃を呼び、「私の友人の足を洗ってあげなさい」と男の足を洗わせました。王もそれを傍で手伝い、黄金の水差しで男の足に水をかけました。第一妃は男の足に香油を塗りました。男が手みやげの菓子を持っていることに気づいた王は、喜んでそれを受け取り、すぐに自分も食べ、王妃や大臣たちにも食べさせました。みやげの衣服も受け取り、すぐにその衣服に着替え、王妃にも着替えさせました。王は豪華な食事で男をもてなし、王になされるのと同じ世話を大臣に命じ、男を香水で湯浴みさせ、髪と髭をきれいに整え、高価なカーシー産の衣服を着せました。それから王は、都中に響き渡る太鼓を叩かせて大臣たちを集め、白い大傘の下で、赤いたすき(王位を示す)をかけ、副王に任命しました。
それ以降、王は男と共に食べ、共に休み、あらゆることを共にするようになりました。二人の間の信頼は、何人にも破れない堅いものでした。王は、男の妻子を田舎から呼び寄せ、彼らのために都に立派な家を造らせました。王は男と共に国を治めるようになったのです。
その様子を見た大臣たちは王の息子に訴えました。「王子様、王様はただの平民と一緒に食事をされ、休まれ、国を半分渡すことさえなさっておられます。彼の子供たちを拝ませたりもなさいます。いったいあの人がどういうことをしたのかも、私どもは存じません。王様はいったいどうなさったのでしょう。正気の沙汰とは思えません。どうか王子様から王様に、行いを改めるようにおっしゃってください」。王子は承諾し、彼らの言葉を父王に伝え、「王様、こういう振る舞いは王にふさわしくないと思います」と意見しました。
「王子よ、このあいだ辺境の地で戦があり、わが軍は負けて退却し、余は独りはぐれてたいへんな目に遭った。そのことは、そなたも存じているであろう。では、軍から独りはぐれていた間、いったいどこでどうしていたのか、そなたは知っているか?」
「王様、私は知りません」
「余は彼の家で手厚いもてなしを受け、そのおかげで無事に戻ることができたのだ。彼は恩人だ。どうして自分のものを分け与えないでいられることだろう」。
そして王は、「王子よ、与えるべきでない者に与え、与えるべき者に与えない者は、何か事が起こった時、助けを得ることはできない」と教えて、次の詩句を唱えました。
施すべからざる者に施し、
施すべき者に施さざる者
不幸に遭い、危難におちいりしとき
よき友を得ることなし
施すべからざる者に施さず、
施すべき者に施す者
不幸に遭い、危難におちいりしとき
よき友を得る
親しみと親愛を
道賤(いや)しく偽りある者どもに示せども益なし
尊くこころ清き者に示せば
些細なものさえ大果あり
先に善を行い
世になし難きことをなせる者は
後に、さらになそうとなすまいと
大いなる恭敬を受くるに足る
それを聞いた王子は引き下がり、それを王子から伝え聞いた大臣たちも、その後は何も言わなくなりました。
お釈迦さまは「その時の村の男はアーナンダであり、バーラーナシーの王は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
道徳考察物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
コーサラ王に仕える大臣に、三帰依し、五戒を守り、三つのヴェーダ聖典の極意にも通じたバラモンがいました。彼は、コーサラ王の信頼も厚く、格別の敬意を払われていました。
ある時、その大臣は、「王様は私に過分なほどの敬意を払ってくださる。それは、私の家柄、素性、地位、学業などによるのだろうか。それとも、私の道徳によるのだろうか。私はそれを試すことにしよう」と考えました。
ある日、大臣は、お城での仕事が終わったあとに、財務官の部屋に入り、財務官の目の前で一枚の金貨を取って、黙って家に持ち帰りました。財務官は大臣に対する尊敬の念から、何も言いませんでした。翌日、大臣は、同じように、断りもせずに二枚の金貨を持ち帰りました。財務官は再び黙っていました。
三日目に大臣は、一握りの金貨を掴み、持ち帰ろうとしました。財務官は初めて口を開き、「あなたはこれで三度も王様の金貨を盗んだ」と大臣の腕を掴み、「王の財産を盗む賊を捕らえたぞ」と大声で三度叫びました。たくさんの人々がやって来て、「今まで長いあいだ有徳者の仮面をかぶっていたのだな、化けの皮がはがれたぞ」と言いながら、三度大臣を殴り、王のところに引き立てました。
王は、皆に引き立てられてきた大臣を見て、「この者に刑罰を処せ」と命じてから、彼の行いを悔やみ悲しんで「バラモンよ、そなたはなぜこのような不徳をはたらく賊に成り下がったのか」と問いかけました。「大王様、私は賊ではありません」「それならば、なぜ金貨を盗ったのだ」「王様が私を尊敬されるのは、私の家柄、素性、地位、学業が優れているためなのか、あるいは、私の道徳によるのか、それを試そうとして、あのようなことをいたしました。これで、敬意を払われるのは、私の道徳のせいであり、私の家柄、素性、地位、学業ではないということがわかりました。王様、今、私は、この世において、道徳こそは最も大事であり、すべてに勝るものだと確信いたしました。本格的に徳のある生き方をするためには、欲にまみれた在家生活のままでは無理でございます。私は、刑を受け終えた後、ブッダのもとで出家することを心に決めました。どうぞそのことを私にお許しください」。
王の許可を得た大臣は、刑を受け終えた後、出家することにしました。親族や友人知人が彼を引き留めようとしましたが、大臣の決意は固かったのです。大臣は祇園精舎の釈尊のもとに出向いて出家を願い出、比丘戒を受けることを許されました。比丘となった大臣は、怠らず熱心に冥想に励み、ついに阿羅漢果を得ました。そして、釈尊のところに行って自分の得た境地を語り、師から認められました。
法話堂に集まった比丘たちが彼の徳を誉め称えていたところ、釈尊が来られて皆の話をお尋ねになり、「道徳の価値を試して出家し、自己を救い得たのは彼だけではない。過去においても賢人が道徳の価値を試して出家し、自己を救ったことがあった」とおっしゃって、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、バラモンとして生まれた菩薩は、王に仕える司祭となりました。現世物語の大臣と同様、徳の優れた者として王からたいへん尊敬された菩薩は、やはり同じように、家柄・学識か、あるいは道徳か、どちらが勝るかを試そうとして、わざと王の財産を持ち帰り、盗人として捕らえられました。菩薩は王の裁きを受け、刑に処されることになりました。
菩薩が人々に引き立てられて行く途中、一人の蛇遣いが毒蛇の尾を掴んだり、毒蛇の頭を掴んだり、毒蛇を首に巻いたりしているところを通りかかりました。菩薩が「そのような危険なことをしてはならない。蛇に噛まれたら命がないであろう」と注意すると、蛇遣いは、「バラモンよ、この蛇は道徳があり、品行が正しいのです。そのような不道徳な行いはしません」と応えました。
菩薩は、「蛇でさえ、行いが正しいと有徳の名を与えられ、敬意を払われる。人間においては言うまでもない。この世界で、徳のある行いこそは最も優れている。それ以上のものはない」と考え、次の詩句を唱えました。
道徳こそは善けれ
世に道徳は無上なり
見よ、劇毒をもつ蛇でさえ
道徳あれば害ならず
刑罰を受けた後、王の許可を得て出家を決めた菩薩は、山に向かって歩き出しました。山へ行く途中、一羽の鷹が肉屋から一片の肉をかすめ取り、空中に飛び上がりました。すると、他の鷹たちが猛烈に襲いかかり、鋭い爪や嘴で、肉を持つ鷹を攻撃したのです。肉を持つ鷹はその苦しみに耐えきれず、肉片を手放しました。ある鷹がその肉片を奪うと、すぐに他の鷹たちから攻撃を受けました。それに耐えきれずに肉片を手放すと、その肉片を奪った鷹が、また襲われたのです。
こうして、肉片を取る鷹はいつでも他の鷹から攻撃を受けて苦しみ、肉片を捨てた鷹はそれで楽になったのです。これを見た菩薩は、「欲というものは肉片のようなものである。これに執着する者は苦しみ、これを捨てた者は楽になる」と、次の詩句を唱えました。
彼、何ものか持てる間は
世の鷲ども来たりてそを奪い喰らう
何ものもなき者を
彼ら害することなし
そのうちに日が暮れたので、ある村の家で宿を借りました。その家のビンガラーという名の女中は、男と夜更けにこっそり会う約束を交わしていました。仕事が終わったビンガラーは、皆が寝静まった後も男を待って、「今か、今か」と落ち着かずにウロウロしていました。夜明け近くになって「彼はもう来ないだろう」とあきらめたビンガラーは、寝床に入って深い眠りに落ちました。これを知った菩薩は、「この女は、今に男が来るだろうと思う欲情から、あれだけの長い間落ち着かずにイライラしていた。男が来ないことを知ってあきらめた今は、気楽に眠っている。欲情は苦で、欲情のないことは楽である」と、詩句を唱えました。
欲は実りあるときのみ楽し
欲なき者は楽に臥す
欲を無欲にして
ビンガラーは楽に臥す
翌日、菩薩は森に入りました。菩薩はそこで、一人の修行者が一心に禅定を修して坐っているのに出会いました。菩薩は「この世でも、かの世でも、禅定の楽に優る楽はない」と、次の詩句を唱えました。
三昧に優るものは
この世にも、かの世にも、見つからず
三昧を得るものは
他人をも自己をも損なうことなし
菩薩は森に住んで熱心に修行し、禅定と神通を得て、死後梵天界に生まれる身となりました。
お釈迦さまは、「その時の出家した司祭は私であった」と言われ、話を終えられました。
 
地獄の鉄釜物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の首都、舎衛城(しゃえいじょう)の近郊にある祇園精舎におられた時のお話です。
ある夜更け、コーサラ王は、世にも怖ろしい音を聞きました。まるで地獄の底から振り絞ったような、「ヨォ…」「ナァ…」「オ…」「ネ…」という呻(うめ)き声が聞こえたのです。実はその声は、遙か昔にこの国の王子であった四人の者が地獄で苦しむ声だったのです。
彼ら四人は身分に驕(おご)り、人妻を我がものにするという罪を犯して地獄に堕ちたのです。欲に支配され、他人が大事に護る女性に対して邪な心のままに快楽を貪った彼らは、死後、地獄のグツグツ煮立った巨大な鉄釜の中に生まれました。その釜の中を三万年かけて沈み、底にぶつかると、また三万年半かけて上昇するという、怖ろしい苦しみを味わっていたのです。七万年近くもかけて鉄釜の口に近づき、わずかに頭を出した四人は、「いつこの苦しみから逃れられるのか?」と絶望しつつ、自分の思いを言葉にしました。しかし一瞬のうちに釜の中に沈んでしまったので、一声ずつしか外に出すことができなかったのです。地獄の鉄釜の口はお城の近くにあり、コーサラ王の部屋にその声が届いたのでした。
世にも怖ろしい声を耳にしたコーサラ王は、あまりの恐怖に動くことさえできず、朝日が昇るまでじっと坐っていました。朝になると、王に仕えるバラモンたちがご機嫌伺いにやって来ました。「王様、昨夜はよくお休みになりましたか?」「師匠方、よく休むどころではない。昨晩、死に神の叫び声のような怖ろしい音を聞いたのです。あまりの恐ろしさに一晩中起きていました。いったいあの怖ろしい音は何であろうか?」。バラモンは厄払いの身振りをしながら「大王様、それは闇の力の声です」と言いました。「怖ろしいことだ。その悪しき力から逃れることはできるのであろうか?」「それは難しいことです。しかし、大王様、ご安心ください。我々は手だてを知っています」「師よ、どういう手だてですか?」「大王様、厄よけの祭儀を行うのです。決まった範囲の生き物を「四頭組 生贄(いけにえ)」でお供えし、祈祷するのです。さっそく、象を四頭、馬を四頭、牛を四頭、人間を四人、集めましょう。他にも、動物から鳥にいたるまで、すべての生命から四匹ずつ集めなければなりません」「では師匠方、すみやかに祭儀の準備を整えていただきたい」「かしこまりました。すぐに準備に取りかかります」。
バラモンたちは、広大な祭儀場を造り、多くの柱を立てました。それぞれの柱には生贄となる動物たちを四匹ずつくくりつけました。生贄となった動物たちの肉は、祭儀の後、バラモンたちに与えられます。彼らは「久しぶりにすごいごちそうだ。しかもたくさんの褒美ももらえるのだ」と、懸命に準備に励みました。「王様、これが必要です、あれが必要です」と、さまざまな品も手に入れました。
その様子を見た王妃マッリカーはコーサラ王に、「王様、いったい何ごとでしょう。バラモンたちは何を騒いでいるのでしょう?」と尋ねました。「妃よ、そなたには用のないことだ。自分の楽しみにかまけて、余の苦しみなど知りもしないのだから」「大王様、どうぞお聞かせください」「妃よ、余は、夜更けに、世にも怖ろしい声を聞いたのだ。それは悪しき呪いの声であり、余の地位、寿命などを脅かす、不吉な力だという。余の安泰を祈るための祭儀には、多くの生贄が必要だということだ」「大王様、そのことについて、人間・天界の第一のお方にお尋ねになりましたか?」「妃よ、それは誰のことか?」「正覚者である世尊です」「妃よ、まだ正覚者である世尊にはお尋ねしていない」「王様、すぐに世尊にお尋ねになってくださいませ」。
そこで王は、食事の後で、豪華な車で祇園精舎に乗りつけ、釈尊に近づいて礼拝し、傍らに座りました。王は、四つの怖ろしい声を聞いたこと、バラモンたちが、王の安泰を祈祷するために多くの生贄を集めていることを釈尊に告げ、「尊師、どんな禍が私に起ころうとしているのでしょうか?」とお尋ねしました。「大王よ、何ごとも起こりません。その音は、地獄に堕ちた者たちの苦しみの泣き声です。過去にも、一人の王がその声を聞き、バラモンの進言によって多くの生命が命を失いかけたことがあった。しかし賢者のはたらきで事なきを得たのです」。そして釈尊は、過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はカーシー国のバラモンの家に生まれました。成人になった菩薩は出家して、禅定と神通を得、楽しく森に住んでいました。
ある夜更け、バーラーナシーの国王は、「ヨォ…」「ナァ…」「オ…」「ネ…」という、地獄に堕ちた四人の者の呻き声を聞きました。現世物語と同様、バラモンたちは、王の安泰を祈るための祭儀を王に進言し、たくさんの動物を生贄のために集めました。
その頃、慈悲観を主に修行していた菩薩は、天眼で世の中を見渡し、多くの動物たちが生贄になろうとしていることを知りました。菩薩は「今、私は行った方がよいだろう」と神通力で空間を飛び、お城の御苑に降り立ちました。菩薩は広々とした板石の上に、黄金の像のようにどっしりと坐りました。
その頃、お城では、若くして大司祭の一番弟子となっているバラモンの青年が、生贄になろうとしている多くの動物を見て不審に思い、師に尋ねました。「尊師、ヴェーダ聖典には『他のものを殺生して己が無事に終わることはない』と教えられているのではないでしょうか?」「おまえは王の財産を運べ。余計なことは言うな」。大司祭は弟子を斥けました。
バラモンの若者は、「ここは私のいるべきところではない」と考えて城を出ました。そして御苑を歩いている時に菩薩を見かけました。二人は互いに親しく挨拶を交わし、若者は菩薩の傍らに坐りました。菩薩は「青年よ、王は公正に国を治めておられますか?」と訊きました。「はい、尊者、王様は正しく国を治めておいでです。しかし王様は、先日、この世のものとは思われぬ怖ろしい声を聞かれ、たいへん怯えておられます。お城では、その声の悪しき力を鎮める祈祷のために、多くの生贄が集められています。尊者よ、そのような殺生は本当に必要なのでしょうか?」「青年よ、私はその声の意味を知っている。生贄の必要はありません」「尊者よ、どうか王様に会って、そのことをお話しください」「私は国王を存じ上げず、自分から会いに行くことはできません。王様がこちらにいらっしゃれば、音の意味についてお話しし、王様の疑を晴らしてあげることができます」「では、尊者よ、どうぞお待ちください。私が王様をこちらにお連れいたします」「よろしい、青年よ」。
若者はお城に戻って国王に事情を話し、王を菩薩のところに連れて来ました。王は菩薩を礼拝し、傍らに坐って尋ねました。「尊者よ、あなたは余が耳にした怖ろしい声の意味をご存じだと聞きました」「大王よ、そのとおりです」「尊師、ぜひ教えてください」「大王よ、あの声は、地獄に堕ちた四人の者の泣き声です。彼らは、過去で、他人が大事に護っていた女性を犯し、死後、地獄の鉄釜の中に生まれました。釜の中で煮られながら、堅くて肌を突き刺す泡に押されて三万年かけて下へ沈み、底にぶち当たると今度は三万年半かけて上に突き上げられました。そしてやっと一声釜の外へ声を発すると、また沈んでいったのです。釜の口はお城近くにあり、王様は、たまたまその声をお聞きになりました。四人は、それぞれ、次のような詩句を唱えようとしていました。
ヨォ…
邪(よこしま)なる生を営みきたれり
われ、多くの財がありながら、
善き人に布施もせず、
わがための庇護となるものを築かず
ナァ…
七万の年月
すべてあまねく満たす間
地獄の釜で煮らるるものに
いつその終わり来たらんや
オ…
終わりなし。いかで終わりあらん
終わりは見えず
友よ、われと汝の罪の果
熟してあればなり
ネ…
願わくは、ここより去りて 
人間の胎に宿り 
穏和で徳あるものとして 
多くの善業をなさん 
大王よ、彼らは、罪業の大きさのために、詩句の最初の音しか外に出すことはできませんでした。彼らは今も自分の罪の果を受けて泣き叫んでいます。しかし彼らの嘆き声が聞こえたからといって、王様に禍が起こることはありません。恐れることは何もないのです」。菩薩の話に納得した王は、生贄にされようとしていたたくさんの動物たちを解き放ち、祭儀場を取り壊させました。菩薩は数日御苑に滞在してから山の修行生活に戻り、死後は梵天界に生まれました。
お釈迦さまは、「その時のバラモンの若者はサーリプッタであり、山に住む行者は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
ガンダーラ王とヴィディーハ王

 

これは、シャカムニブッダが祇園精舎で語られたお話です。
昔々、菩薩はガンダーラという国の王でした。少し離れたところにヴィディーハ国と呼ばれる国がありました。ヴィディーハの国王と菩薩は、一度も会ったことはないながら、信頼を寄せ合う友人同士でした。当時、人間の寿命はとても長く、三万歳もの寿命があったといいます。
ある満月のウポーサタ(戒律の儀式)の日、菩薩は高殿に設けられた立派な玉座に腰をかけ、大臣たちに法に適った話をしていました。その時、大空を照らしていた満月をラーフ(暗黒を象徴する龍魔神)が覆い、月の光が失われました。菩薩は、「この月は外来の汚れによって汚され、光を消された。余にとってはこの王位が汚れである。ラーフに覆われた月のごとく光輝を失うことは、余にふさわしいことではない。清き天空に照りわたる月のごとく輝くため、この王位を捨てて出家しよう。余にとって他を教戒することは何になろう。これからは家族や家臣たちにとらわれることなく、自分だけを戒めつつ遊行しよう。それが余にはふさわしい」と決意し、「汝らの欲するままになせ」と国を大臣たちに与え、カスミーラとガンダーラの王位を捨てて出家しました。熱心に修行した菩薩は、まもなく禅定と神通を得、禅定の楽を楽しみつつヒマラヤに住んでいました。
ある時、国々を渡り歩く商人に友人の消息を尋ねたヴィディーハ王は、菩薩の出家を知りました。王は、「わが友は出家した。余は世俗に留まったままでいて、いったいどうしようというのか」と自分も出家することを決意し、広大なヴィディーハの国とミティラ市、一万六千の村落の支配権と満杯の宝倉、一万六千人の舞姫を捨て、後を省みることなくヒマラヤに入り、野生の果実で命をつなぎながら静かな出家生活をおくり始めました。同じヒマラヤで生活する二人は自然と出会い、ヴィディーハ行者は、すでに禅定と神通を得ていたガンダーラ仙人の弟子になりました。こうして二人は、互いに相手の出自を知らぬまま、仲良く静かな修行生活をはじめたのです。
ある満月の夜、二人は木の根元に坐り、法に適った話をしていました。その時、天空に昇った月をラーフが覆いました。ヴィディーハ行者はそれを見て、「師よ、いったい何が月を覆い隠して暗くしてしまったのでしょう」と尋ねました。「弟子よ、あれはラーフのせいだ。ラーフは月の汚れであり、月の光を失わせる。私は出家する前、ラーフに覆われた月を見て、『清らかな月は外来の汚れによって光を消されてしまった。余にとってはこの王位が汚れである。ラーフに光を奪われた月のようにならないように、王位を捨てて出家しよう』と決意し、直ちに王の位を捨てた。私はラーフに光を奪われた月を縁として出家したのだ」「師よ、あなたはガンダーラ王ではありませんか?」「そうだ」「師よ、私はヴィディーハ王です。私達は友人だったのですね」「そうだったのか。そなたはいかなる縁で出家を決意したのか」「私はあなたが出家されたことを聞き、『実に、かの方は出家の功徳を見極めたのだ』と知って、あなたを縁として王位を捨てたのです」
彼ら二人は、それ以来、以前にも増して非常に親しく調和して、清らかな修行生活を送りました。
二人はヒマラヤに長い間住んでいましたが、ある時、生活に必要な塩などを得るために山から下り、国境の村に入りました。村人たちは二人の承諾を得て、夜露を防ぐ庵(いおり)を近くの森に建てました。また、清らかな水の流れの近くに二人が食事するための庵を造りました。二人は森の庵に滞在し、村で托鉢した食事を水辺の庵で食べました。ある時の食事には適度な塩気があり、ある時の食事には塩気が足りませんでした。ある日、村人が草籠(くさかご)に塩をたくさん入れて二人にお布施しました。ヴィディーハ行者は、その日の食事に使った塩の残りを「これは塩気のない食事の時に使うことにしよう」と庵に保存しておきました。
ある時、塩気のない食事がお布施されました。ヴィディーハ行者はしまっておいた塩を出してきて、「師よ、塩をお取りください」と言いました。「この塩はいったいどうしたのだ?」「師よ、先日たくさんの塩をもらいました。私は『これは塩気のない食事の時に使うことにしよう』と思って保存しておいたのです」。
その言葉を聞いた菩薩は、「愚か者、二百由旬もの広大な国を捨てて出家して、何も持たない境遇になったのに、塩や砂糖などに欲を起こすのか」と弟子を戒めて叱りつけ、詩句を唱えました。
汝は捨てり
一万六千もの豊かなる村落を
満ち溢れたる財宝を
されど今また、たくわえをするや
ヴィディーハ行者は、菩薩から厳しく叱責されたことに耐えかねて腹を立て、「師よ、あなたは自分の罪を見ず、私の罪だけを見ておられます。あなたこそ、『余にとって他を教戒することは何になろう。これからは家族や家来にとらわれることなく、自分だけを戒めつつ遊行しよう』と考えて王位を投げ出し、出家されたのでしょう。それなのに今、なぜこのように私を戒めなさるのか」と言い返して、詩句を唱えました。
種々の財宝に満ち満てる
ガンダーラ国を捨て去りて
教戒よりも離れしに
ここに戒む、われをまた
菩薩も詩句で応えました。
われは正しき法を語る
非法はわれに好まれず
われの法を語る行為は
邪悪に染まらず
ヴィディーハよ
ヴィディーハ行者はなおも、「師よ、いくら有益なことであれ、他人を怒らせてまで話すことは善くありません。あなたは、まるでなまくらなカミソリで剃るように、私に粗暴に語られました」と言って、詩句を唱えました。
いかなる類のことなるも
それにて他人が煩わば
大利もたらす語なりとて
賢者はそれを口にせず
菩薩も再び、詩句で応えました。
人、悩め、悩まざれ
籾(もみ)がらのごと乱るるも
われの法を語る行為は
邪悪に染まらず
菩薩は、「ヴィディーハよ、私は、陶芸師が生土(しょうど)を生土のままにしておくような所作はしないであろう。真(まこと)のことは、三度も四度も叱責して説いてこそ身につくのだ。陶芸師は、窯に入れた陶器を何度も叩き、まだ生焼けのものは窯から取らず、しっかり完成した陶器だけを取る。そのように人も、何度も戒められ叱責されてこそものに成るのだ」と、次の詩句を唱えました。
人、自らの智慧がなく
戒めも躾もないときは
盲目の水牛が林で迷うごとく
道わからず、うろつかん
されど、戒めと躾を正得せし人あらば、
そにより人々は戒められ、正しく生くるならむ
ヴィディーハ行者は、「師よ、どうぞこれからも私を戒めてください。私は躾のないまま、あなたに論を語りました。どうかおゆるしください」と素直に謝りました。
その後、彼らはヒマラヤに戻り、より親しく出家生活を続けました。菩薩に教え導かれたヴィディーハ行者は、ついに禅定と神通力を修得し、二人とも死後梵天界に生まれるべき身となりました。
お釈迦さまは、「その時のヴィディーハ行者はアーナンダであり、ガンダーラ仙人は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
マイハカ鳥物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の舎衛城(しゃえいじょう)近郊にある祇園精舎におられた時のお話です。
その頃、舎衛城に、億万長者の帰化人の豪商が住んでいました。彼はすごい金持ちでしたが、ひどくケチで、人に何かを与えたり、困った人を助けたりすることは決してありませんでした。それどころか自分にさえケチケチして、せっかくの財産を自分で楽しむこともしなかったのです。豪商は、家でおいしいごちそうが出ても喜ばず、古くて酸っぱくなった古米の粉粥を好んで食べました。よい香りのする高価な絹の衣服は奥にしまい込まれ、粗くてゴワゴワの粗末な織物を身につけました。駿馬に牽かれた金の馬車には乗らず、木の葉の傘に覆われたロバの馬車に乗るのでした。お布施や慈善事業などの善行為を一切せずに物惜しみの心で生きた豪商は、死後、ロールヴァ地獄に堕ちました。豪商には財産を継ぐ後継ぎがいなかったので、莫大な遺産も王に没収されることになりました。豪商の財産を城に運ぶためには、七日七晩もかかりました。
その騒ぎが収まると、コーサラ王は祇園精舎にお釈迦さまを訪ねました。王は釈尊に、七日七晩もかけて豪商の財産を城に運んだことをお話しし、「世尊、かの帰化人の豪商は、あれほどの財産を持ちながら、人には全く施さず、自分さえもケチケチ暮らし、鬼が蓮池に陣取ったように、財産を護って死んでしまいました。あれほどの貪欲非道の男が、なぜあれほどの財産を作ることができたのでしょうか。また、彼はなぜ、自分の財産を楽しもうという気が全く起こらなかったのでしょうか」とお訊きしました。釈尊は「大王よ、それは彼の過去の行いによるのです」と言われ、王に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、バーラーナシーに一人の豪商が住んでいました。彼は大金持ちでしたが、不信心で利己的な性格で、自分のものを人に分け与えたり、困っている人を助けたりすることは全くありませんでした。
ある日、豪商は、王様に用事があってお城へ出かける途中に、タガラシキンという名の独覚仏陀に出会いました。豪商は独覚仏陀に礼をして、「尊者、今日のお食事は召し上がりましたか?」と尋ねました。独覚仏陀は、「いいえ。これから托鉢に行くところです」と応えました。さすがのケチな豪商も、「聖者にはお布施しなければならないだろう」と思い、食事のお布施を独覚仏陀に申し出て承諾を得、「この方を我が家にお連れしなさい。私の席に座っていただいて、私のために用意してある食事をお布施するのだ」と下僕に命じました。
下僕は独覚仏陀を豪商の家に案内し、豪商の妻に主人の命令を告げました。妻は独覚仏陀を豪商の席に座らせ、数々のごちそうを独覚仏陀の鉢に満たしました。独覚仏陀はそちらでは食事を召し上がらず、そのまま豪商の家を退出されました。独覚仏陀が歩いていると、お城から家に戻る途中の豪商と再び出会いました。豪商は独覚仏陀に礼をして、「尊者よ、食事のお布施は受けられましたか」と訊きました。「はい、いただきました」と独覚仏陀は答えたのです。豪商は、どれどれと、独覚仏陀の托鉢の鉢の中を覗いてみました。
独覚仏陀の鉢の中に、さまざまなごちそうが入れられているのが見えました。しかしこの豪商には、そのお布施に対して心を喜ばして感動することができなかったのです。それどころか、「しまった。こんなごちそうをうちの召使いや使用人に与えたなら、骨の折れる仕事でも何でもしただろうに…。私は実にもったいないことをした」と、自分のお布施を後悔したのです。
ここで釈尊はコーサラ王に、「大王よ、布施というものは、次の三つを備えてこそ、大果があるのです」と言われ、次の詩句を唱えられました。
布施をする前に快くあれ
布施をするときには、こころ豊なれ
布施し終わりて、悔いるなかれ
さればわれらの幼子は死を免れん
与えようとするとき、こころ楽しく
与えるときには、こころ清く
与え終わって、こころ喜ぶ
これぞ正しき布施の極意なり
「大王よ、その豪商は先日亡くなった帰化人の豪商でした。彼は過去において独覚仏陀に布施をした徳のおかげで、多くの財産を得ました。しかし、布施の後で自分の心を汚した罪により、その財産を楽しむことができなかったのです」「世尊、では、彼に後継ぎがいなかったのは、なぜでございましょう?」「大王よ、それには次のような理由があるのです」。そしてお釈迦さまは、コーサラ王の求めに応じ、もう一つ過去の物語を話されました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は大長者の家に生まれました。若い頃に両親を亡くした菩薩は、家督を継いで、まだ幼い弟の面倒を見ました。菩薩は結婚して息子が生まれ、門の前にお布施堂を建てて多くの慈善行為を行いながら暮らしていましたが、欲の苦しみと出家の功徳を知って、幼い息子がようやく歩けるようになった頃に出家することにしました。菩薩は、妻と子供とすべての財産を弟に託し、布施などの善行を怠らぬように弟に言い聞かせてから、自らは出家して山に入りました。菩薩は修行に励み、神通力と禅定を得て、雪山で満足して住んでいました。
そのうちに菩薩の弟も結婚し、子供が生まれました。弟の心に、「兄の子がいると、将来、財産を二つに分けなければならない。そうならないように、今のうちに兄の子供を殺してしまおう」という邪悪な思いが起こりました。彼は菩薩の子供を川に連れて行き、川に沈めて殺しました。菩薩の妻は、一人で帰ってきた弟を見て、「私の子供はどうしたのですか?」と訊きました。彼は、「川で遊んでいて突然いなくなりました。懸命に捜したのですが、見つかりませんでした」と応えました。彼女は泣き崩れ、何も言うことはできませんでした。
菩薩は神通力でこのことを知り、空中を飛んでバーラーナシーに戻り、家の前に立ちました。かつて門の前に建っていたお布施堂は、影も形もなくなっていました。弟は兄が来たことを知って、急いで迎えに出て来ました。弟は菩薩に敬礼して家に招き入れ、さまざまなごちそうでもてなしました。食事が終わると、お互いに快く挨拶をしてから、菩薩は弟に訊きました。「私の子供の姿が見えないが、どこに行ったのか?」「兄さん、あの子は死にました。川で溺れたようなのですが、なぜそんな事が起こったのかはわかりません」
菩薩は、「愚か者、おまえが殺したことを私が知らないと思っているのか。おまえは、いつまでも財産があると思っているのだろう。しかし、そんなものは、いつ王などの権力者に没収されるかわかったものではないのだ。おまえはマイハカ鳥のような愚か者だ」と弟を厳しく戒めて叱り、菩薩の威厳をもって次の詩句を 唱えました。
マイハカという名の鳥が、山の洞穴に居た
ピッパラ樹の枝にとまり、
熟した果実をついばんで鳴く、
「マイハン、マイハン(わがもの、わがもの)」と
その声を聞いて他の鳥たちが集まり、果実を食い、去り行く
かの鳥はなおさら鳴き騒ぐ、
「マイハン、マイハン(わがもの、わがもの)」と
これのごとく、人ありて、多くの財貨を貯え
ふさわしい分配により他を助けることもなく
自分で衣食香花を楽しむこともない
彼、「マイハン、マイハン(わがもの、わがもの)」と泣き喚(わめ)いて、
財産を護るのみ
けれども、盗賊、国王、その後継者たちが、すげなく財を掠(かす)め去る
ゆえにかの守銭奴は、常に憂いて泣き止まず
賢者、もし財を得れば、これを他に分かちて惜しまず
この世で名声を得、死後も天上の楽を享く
菩薩は弟を戒め、布施などの慈善を再開させ、自分はヒマラヤに戻って禅定に入り、梵天界に生まれる身となりました。
お釈迦さまは過去の話を終えられ、「大王よ、その弟は帰化人の豪商でした。彼は、かつて兄の子供を殺した罪により、後継者を得ることができなかったのです。また、兄の出家者は私でした」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
スマンガラ物語

 

これは、シャカムニブッダが祇園精舎でコーサラ王に語られたお話です。
昔々、菩薩はバーラーナシーの王であり、慈悲深く国を治めていました。その頃、一人の独覚仏陀が雪山に住んでいました。ある時、独覚仏陀は托鉢のために山から下りてバーラーナシーの街で托鉢していました。その立ち居振る舞いを見て心が清められた王は、独覚仏陀を城に招いてさまざまなごちそうでもてなし、法話を聴きました。聖者に城の御苑に滞在してもらおうと決めた王は、それを申し出て承諾を得、翌朝自ら御苑に赴き、細かい気配りをもって準備を整えました。王は、スマンガラという名の庭師に独覚仏陀に仕えるように命じました。
それから独覚仏陀は御苑に滞在してお城で王自らの手による食事のお布施を受け、毎日のように王と親しく話を交わすようになりました。スマンガラは、心を込めて聖者のお世話をしました。
ある日、独覚仏陀はスマンガラに、「私は用事である村に行き、そこにしばらく滞在してから戻ります」と告げて御苑を出ました。数日後、独覚仏陀は日が暮れてから御苑に戻り、平たい石の上に坐って禅定に入りました。スマンガラは独覚仏陀が戻ったことは知らぬまま、自分の仕事を終えて自宅に帰りました。
ちょうどその夜、スマンガラの家に何人かの人々が来ることになりました。スマンガラは鹿肉のごちそうで客人をもてなそうと思い、弓を携えて御苑に戻りました。スマンガラは、暗闇の中に坐っている独覚仏陀を見て「鹿だ」と思い、力一杯矢を放ちました。矢は独覚仏陀に命中しました。独覚仏陀はスマンガラを見て、「スマンガラよ」と言いました。スマンガラはものすごく驚いてあわてふためき、「尊者、お帰りになっていたのですか? そうとは知らず、鹿と間違って、たいへんなことをしてしまいました。お赦しくださいませ」とひれ伏して、自分がしたことのあまりの怖ろしさに震えながら詫びました。独覚仏陀は、「よい。今となっては仕方がない。さあ、矢を抜き取っておくれ」と言いました。スマンガラはうやうやしく矢を抜き取りました。独覚仏陀に強い痛みが生じ、聖者はそのまますぐに涅槃に入られました。庭師は「このことを王様がお知りになったら、決して私を赦してはくださらないだろう」と怖れ、妻子を連れて逃亡しました。
独覚仏陀が涅槃に入られると、それを知った神々の神通力で街中に大きな嘆きの波が起こり、人々は聖者の死をさとりました。翌日、街の人々は次々と御苑を訪れ、独覚仏陀の亡骸を礼拝しました。王は、たくさんの家臣たちを連れて御苑を訪れ、七日七晩にわたる弔いの供養を執り行い、独覚仏陀を荼毘に附して骨を塔に祀りました。
それから一年が経ちました。スマンガラは、そろそろほとぼりが冷めたか確かめるために街へ戻り、親しかった仲間の一人に「王様のお気持ちを確かめてきてくれないか」と頼みました。仲間は王のところに行って、世間話のようにしてスマンガラの話をしました。王は、まるで話が聞こえないかのように、黙っていました。仲間は、それ以上は何も語らずに引き下がり、スマンガラに王の様子を伝えました。
それからまた一年が経ち、スマンガラは再び仲間のところを訪れました。仲間は一年前と同じように王のところに行って、スマンガラの話をしました。王は、やはり、話が聞こえないかのように黙っていました。仲間は、それ以上は何も語らずに引き下がり、スマンガラに王の様子を話しました。
それからまた一年が経って、スマンガラは今度は妻子を連れて街を訪れました。仲間は王のところに行って、スマンガラの話をしました。すると王は、穏やかにスマンガラの話に応じたのです。そこで仲間は、スマンガラを王宮に連れてきて、王にスマンガラが戻って来たことを告げました。
王はスマンガラを呼び、「スマンガラよ、なぜおまえは、私の福田であった聖者を殺してしまったのか」と尋ねました。スマンガラは「大王様、私は独覚仏陀様を殺そうなどという気持ちは微塵もございませんでした。御苑にお戻りになっていることを知らず、客人をもてなすための鹿肉を得ようとして、誤って弓を放ってしまったのでございます」と述べました。それを聞いた王は、「そうか。では、そのことについて、おまえは心配することはない」とスマンガラを赦し、再び庭師として彼を雇いました。
スマンガラの仲間は王に尋ねました。「王様、一年前も、二年前も、私がスマンガラのことをお話ししても、まるでお聞きになっておられないように何もおっしゃいませんでした。それはなぜでございましょう。また、どうして三年目の今、スマンガラとお会いになったのでございますか」。
王は、「王というものは、怒りがあるうちは、何ごとも急いでやるべきではない。余は、以前は、スマンガラに対して怒りがあった。それゆえ何も語らなかったのだ。今は余の心はやわらいだ。それでスマンガラと会う気になったのだ」と、次の詩句を唱えられました。
怒りありと自ら知りて
王は鞭(むち)をあげるべからず
怒りがあれば、道理なく、自らに不似合いに
いたずらに多くの者に苦をもたらさん
さあれ、自らは穏やかなるを知り
他が悪行を義に照らし
これは義なりと自ら知らば
そのときこそは鞭を正しく用いん
他をも己をも苦しめず
無欲にて、正を非正より分かち
王として鞭を用いるならば
誉れありて、威も落ちず
王の剣を無思慮に用い
気をつけることなく鞭をふるう者
誉れも長寿をも失いて
死後も、悪趣に赴く
聖者の説く法を喜び
行いと言葉とこころを護る者
静けさ保ちて、慈心あり
人の世と天界との二つを制す
われは王なり、男女の主なり
怒りあるときも、よく自らを持し
人民をも制御し
慈悲ありて、正しく鞭を用いん
それを聞いた王の家来たちは深く喜び、「そのような徳行こそ、陛下にふさわしいことでございます」と王の徳を讃えました。スマンガラもたいそう喜んで、王に敬礼して合掌し、次の詩句を唱えました。
威信と栄え、その二つを
庶民の王よ、お捨てになるな
怒りなく、常にこころ穏やかに
百年の寿命を保たれよ
王よ、かかる徳を持し
善行あり、善語にして、怒りなく
安楽にして、害意なく、世を治め
ここを脱してさらにまた、死後も善趣に赴かんことを
かくも善くなされ、説かれたる
法と手だてで導きて
おののき震える庶民を鎮めたまえ
雨雲が乾いた大地を潤すがごとく
お釈迦さまは過去の話を終えられ、「その時のスマンガラはアーナンダであり、スマンガラを赦した王は私であった」と言われて、話しを終えられました。  
 
水盗人物語

 

これは、シャカムニブッダが祇園精舎で語られたお話です。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はその王でした。
ある時、カーシー国のある村で、二人の若者が飲み水を入れた水瓶を持って畑に行きました。彼らは水瓶を畑の片隅に置いて農作業を始めました。一人の若者が、喉が渇いて水瓶のところに行きました。ところが彼は、なんだか自分の水が減るのが惜しくなり、こっそりと友人の水を飲んだのです。
夕方になって作業を終えた若者たちは、汗を流しに川へ行きました。友の水を飲んだ若者は、川の水で身体を清めてから、「今日、僕は何か悪いことをしなかったか」と自分を省みて、友人の水を盗み飲んだことを思い出しました。彼は自分の罪を見て怖くなり、「この貪欲を放っておくと、僕はいずれ悪趣に墜ちるだろう。この煩悩を克服するぞ」と鋭く自己を観察し、その場で悟りの智慧を得て、独覚仏陀(ひとりで完全な悟りを開いた聖者)となりました。
聖者となった若者が悟りの智慧を思い巡らしながら立っていると、友人が「さあ、そろそろ家に帰ろうよ」と話しかけました。彼は「君は帰るといい。僕はもう家に用はない。悟りを開いて独覚仏陀になったのだから」と応えました。友人は笑って「その格好では独覚仏陀とは言えませんよ」と言いました。彼は「では、独覚仏陀とはどんな格好をしているのでしょうか?」と問い返しました。友人は「独覚仏陀は、髪は指の節までの長さしかなく、袈裟をつけ、ヒマラヤのナンダムーラカ洞窟に住んでるんだよ」と答えました。
それを聞いたとたん、独覚仏陀となった若者の髪は短くなり、真紅の下衣を着け、雷光のような帯を締め、糞掃衣をまとい、黒い土器の托鉢の鉢を肩から下げて空中に立ちました。そして空高く飛ぶと、ナンダムーラカの洞窟に降り立ったのです。
また、その頃、カーシー国のある村で、裕福な商家の若旦那が店先に腰を下ろしていました。そこにまだ若くて可愛い夫婦がやって来ました。美人の奥さんに見とれていた若旦那は、ハッと自分の有り様に気づき、「こうやって五官を護らずに貪欲を放っておくと、いずれは悪趣に墜ちるだろう」と自分の罪を怖れて自己を鋭く観察し、独覚仏陀となる智慧を得ました。そしてそのまま空中に立ち、空中を飛んでナンダムーラカの洞窟に降り立ったのです。
またその頃、カーシー国の他の村に住む親子が旅に出ました。彼らは人質盗賊がいるという森に着きました。人質盗賊とは、二人連れの旅人を捕らえると、親子の場合は子を人質にして親に財産を取りに行かせ、兄弟の場合は弟を人質にして兄に財産を取りに行かせ、師匠と弟子の場合は師匠を人質にして弟子に財産を取りに行かせるのでした。父親と息子は、盗賊たちに出会っても絶対に親子だと名のらないことを申し合わせて森に入りました。森で父親は盗賊に捕まりましたが、息子が「私達は何の関係もない、赤の他人です」と言い張って、二人は難を逃れました。森を出て川で汗をかいた身体を洗い流し、その日の行動を省みた息子は、自分が嘘をついたことを思い出し、「このまま悪行をつづけると、僕は悪趣に墜ちるだろう」と自分の罪を怖れ、自己を鋭く観察し、独覚仏陀となる智慧を得ました。そしてそのまま空中に立ち、空中を飛んでナンダムーラカの洞窟に降り立ちました。
また、その頃、カーシー国の他の村の新しい若い村長は、村人たちに殺生を禁じました。しかし村人たちが「これまで通り鹿や豚を生贄にしなければ祭儀ができないではないか」と強く訴えたので、村長は「では、祭儀においてはこれまでの習慣に従えばいいでしょう」と仕方なく生贄を許可し、祭儀が行われました。祭儀の後で殺されたたくさんの動物たちを見た村長は、「この動物たちは、私の言葉によって殺されたのだ」と自分の罪を怖れ、家に帰って窓によりかかって自己を鋭く観察し、悟りの智慧を得て独覚仏陀となりました。そしてそのまま空中に立ち、空中を飛んで、ナンダムーラカの洞窟に降り立ちました。
また、その頃、カーシー国の他の村の新しい若い村長は、酒の売買を禁じました。しかし酒好きの村人たちに「酒祭りで酒が飲めないと、祭りにならない」としつこく文句を言われ、「では、祭りは今までのしきたり通りにすればいいだろう」と飲酒を許しました。祭りで酔っぱらった人々は喧嘩を始め、手足をくじいたり、ケガをしたり、頭を割られた人までいて、たくさんの人々が逮捕されました。それを見た村長は、「私の言葉によって多くの人々が罪を犯した」と自分の罪を怖れ、自己を鋭く観察し、悟りの智慧を得て独覚仏陀となりました。そしてそのまま空中に立ち、空中を飛んで、ナンダムーラカの洞窟に降り立ちました。
ある時、彼ら五人の独覚仏陀たちがバーラーナシーに托鉢に来ました。菩薩である王は若い聖者たちの立ち居振る舞いを見て心を清められ、五人を宮殿に招いてさまざまなご馳走をお布施し、「尊者方、皆さんがお若くして出家されたのはなぜなのですか?」と訊きました。五人はそれぞれ次のように答えました。
私は友人でありながら、
友の水を盗み飲みました
己の悪行を嫌悪して
二度と再びなさぬよう
ゆえに、私は出家しました
私は他人の妻を見て、
こころに欲を起こしました
己の悪行を嫌悪して
二度と再びなさぬよう
ゆえに、私は出家しました
私は森で父を捕らえた盗賊に、
「赤の他人だ」と嘘をつきました
己の悪行を嫌悪して
二度と再びなさぬよう
ゆえに、私は出家しました
私はゾーマ祭での生贄を許し、
多くの命が失われました
己の悪行を嫌悪して
二度と再びなさぬよう
ゆえに、私は出家しました
私はスラー酒メーラヤ酒の飲酒を許し、
多くの村人が罪を犯しました
己の悪行を嫌悪して
二度と再びなさぬよう
ゆえに、私は出家しました
菩薩である王は五人の聖者を賞賛し、たくさんの衣や薬をお布施しました。独覚仏陀たちは、王を祝福して立ち去りました。その時以来、王は欲の快楽を喜ばなくなり、贅沢な品や美しい女性にも無関心となりました。自室で白壁に向かって坐禅を組むことが多くなった王は、やがて禅定を得て、次の詩句を唱えました。
愛欲こそはおぞましき
苦のみをもたらし害多し
われ、もし愛欲に沈んでおれば
この安楽を得ることはなし
王の様子を心配して王の部屋近くに来ていた第一妃は、王の詩句を聞いて驚き、愛欲を讃える詩句を唱えました。
愛欲こそは喜ばし 愛欲に勝る楽しみはない
愛欲に耽る者 彼らは天に生まれる 
これを聞いた菩薩は、「去れ、悪女よ、愛欲は苦しみである」と、次の詩句を唱えました。
愛欲こそは苦患なり 愛欲ほどの苦しみはない
愛欲に耽る者 彼らは地獄に堕ちる
鋭く研がれたとがった剣で、あるいは鋭い短刀で胸を刺されるよりも、
さらに愛欲は苦をもたらす
身の丈より深い真っ赤な炭火の穴に落とされるよりも、
あるいは太陽で真っ赤に熱せられた鉄の上にあるよりも、
さらに愛欲は苦をもたらす
猛毒を飲むよりも、煮たった油を飲むよりも、あるいは銅の緑青を飲むよりも、
さらに愛欲の毒は苦をもたらす
このように説いた後、菩薩は家臣を集めて出家することを宣言し、そのまま空中に立つとヒマラヤへと飛びました。そして心に適う場所に住んで修行生活をおくり、死後は梵天界に生まれました。
釈尊は「その時の独覚仏陀たちは皆、死後は涅槃に入られた。その時の后はラーフラの母であり、出家した王は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
チュッラボーディ物語

 

これは、シャカムニブッダが祇園精舎におられた時に語られたお話です。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は梵天界から降りてカーシー国の大富豪のバラモンの家で生まれ、チュッラボーディと名づけられました。青年となった菩薩がタッカシラーで学業を終了して戻ると、両親は、清らかな生活を望み結婚などしたくないという菩薩の願いは聞かずに、すぐに天女のように美しい良家の娘を嫁に迎えました。ところが実は、その娘も菩薩と同じく梵天界から人間界に降りてきた娘で欲がほとんどなかったのです。気の合った二人は結婚しても清らかで欲のない生活をおくっていました。
菩薩たちが結婚してしばらく経つと、両親が亡くなりました。両親の葬式を済ませた菩薩は出家することを決め、妻に、これからは両親の残した莫大な財産を自由に使ってひとりで幸福に暮らしてほしいと告げました。「あなたはどうするのですか?」「私は出家してヒマラヤで修行生活に入る」「出家生活は男性にのみできるのでしょうか?」「いや、それは女にも可能だろう」「では私はあなたの吐き出した痰を受け取るようなことはしません。私も出家します」「よいだろう」。そこで二人は両親が残した莫大な財産をすべてお布施してヒマラヤに入り、果実や木の実を食べながら修行生活を始めました。彼らは、なかなか禅定は得られなかったものの、清らかな出家生活に満足して暮らし、そのまま十年が経ちました。
ある時、二人が生活に必要な塩などを手に入れようと里に下りて王の御苑に泊まっていると、たまたま御苑に遊びに来た王が端正に坐っている美しい修行尼を見てたいへん心を惹かれ、強い愛着心に囚われてしまいました。王は煩悩に支配されつつ、菩薩に「行者よ、この修行尼は汝とどういう関係なのか?」と尋ねました。菩薩は「大王よ、我々は共に出家して修行しておりますが、特に何の関係もありません。ただ、出家する以前、彼女は私の妻でした」と答えました。王は「彼は、この女は在家の時には妻であったが、今は何の関係もないと言う。では、この美しい女は余が城に連れて行くことにしよう。しかし、彼女を連れ去ったなら、たとえ出家者といえども、この男はひどく怒ることだろう」と思い、詩句を唱えました。
美しい瞳、愛らしき 優しく微笑むこの女
力づくで連れ去らば 何とするか、バラモンよ
菩薩も詩句で、力強く獅子吼しました。
われに起きたとて表わさず 命ある限り表わさず
豪雨が埃を静めるごとく 即座に滅すべきなり
修行尼の美しさに目がくらんだ王は、菩薩の言葉を深く吟味することもなく、「この女を城に連れて行け」と大臣に命じました。大臣は嫌がる修行尼を無理やりに捕まえました。彼女の悲鳴を聞いた菩薩は、一瞬彼女の方を見ましたが、すぐにもとの姿勢に戻り、再びそちらに目を向けることはありませんでした。嘆き悲しむ彼女は王宮に連れ去られました。
城に戻った王は修行尼を丁寧な態度で扱い、高い地位や高価な品物を与えようとしました。しかし彼女は、世俗の名誉や財産の無益を説き、出家の利益を語るばかりでした。王は彼女を部屋に閉じこめさせ、「あの修行尼は何も欲しがらぬ。出家にはたくさんの魔術があるという。彼女の気持ちを変えることは難しいだろう」などと考えていましたが、「ところであの行者は、『怒りなど起こってもすぐに滅し去る』などと言っていたが、ことが起こると怒って女の様子を見ようともしなかった。修行者たちは、こころの中で何をたくらんでいても、見事に隠すものだ。もしかすると私に不幸が降りかかるようなことをしかねない。あの者は今、いったいどうしているのだろう」という思いが起こり、菩薩の様子が知りたくてたまらなくなりました。王は、再び御苑へ菩薩を見に行くことにしました。
数人の従者を引き連れた王は、足音も立てずに菩薩のところに近寄って立ちました。それに気付かなかった菩薩は、もとのところで坐って衣を縫っていました。王は、「この者は、『怒りなどは生じない、もし生じても、そんなものはすぐに抑制するのだ』と言っていたのに、今は怒りで頑固に沈黙している」と菩薩をあなどって、詩句を唱えました。
先に豪語せし、その者が 
怒りの力に身をゆだね
今は黙してかたくなに 
衣縫わんと坐しにけり 
菩薩は、「王は私を誤解しているらしい。私が憤怒の力に支配されてないという事実を述べよう」と詩句を唱えました。
われに起きたが表わさず 命ある限り表わさず
豪雨が埃を静めるごとく 即座に滅すべきなり
それを聞いた王は、「はて、彼は憤怒について述べているのだろうか、あるいは何か他のことについて述べているのであろうか?」と疑問に思い、再び詩句を唱えました。
何を、起きたが表わさぬのか 何を、命ある限り表わさぬのか
豪雨が埃を静めるごとく 汝は何を滅するか
菩薩は「大王よ、憤怒は多くの危難をもたらし、人を破滅させます。私は怒りが起これば、それを慈悲によって鎮めるのです」と、憤怒の危難を説く詩句を唱えました。
起こらば見ず、自他の利を 起こらずば見る、自他の利を
われに起きたが滅すべし 憤怒ぞ無知の糧となる
それが起こらば喜ぶは わが災禍を願う敵のみぞ
われに起きたが滅すべし 憤怒ぞ無知の糧となる
それが起こらば誰にても 自己の善をば忘れ去る
われに起きたが滅すべし 憤怒ぞ無知の糧となる
打ち克たざれば幸を捨て 大利もついに逃すなり
憤怒は暴虐な破壊者ぞ 大王よ、われは憤怒を滅すなり
乾ける薪を摩擦せば 火はあかあかと起こるなり
かの火はそこより生まれ出て まさにその木を燃やすなり
愚かで道理の見えぬ者 かく無知なる人間は
争いて憤怒を生じさせ 怒りで己を燃やすなり
枯れ草を燃やす火のごとく 怒りを燃やす、その人は
闇に欠けゆく月のごとく 誉れをなくし、うち沈む
薪の尽きた火のごとく 怒りを消したその人は
天空に昇る月がごとく 誉れが照らす、煌々と
菩薩の説く法を聞き、彼に怒りがないことに気づいた王は心を打たれ、大臣に命じて修行尼を連れて来させました。そして、「師よ、怒りなき方よ、あなた方はこの庭園で出家の楽を享受してください。余は、あなた方を法に適って庇護しよう」と言って、これまでの乱暴狼藉の赦しを乞い、敬礼して去りました。それから二人はそこで暮らしましたが、その後、修行尼は亡くなりました。菩薩は一人でヒマラヤに戻り、神通力と禅定を得て、死後は梵天界に生まれました。
お釈迦さまは、「その時の修行尼はラーフラの母であり、怒りなき行者は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
アキッティ行者の物語

 

これは、シャカムニブッダが祇園精舎におられた時に語られたお話です。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は大富豪のバラモンの家で生まれ、アキッティと名づけられました。菩薩が学業を終えて家に戻ると菩薩の両親が亡くなりました。世俗の欲のない菩薩は莫大な財産を捨て、出家しました。すると、町や村のたくさんの人々も菩薩の後を追って出家し、菩薩が住む庵の周囲に暮らすようになりました。菩薩たちは在家の人々から尊敬され、たくさんの供養を受けました。しかし菩薩はそのような暮らしを喜ばず、誰にも知らせずにこっそりとそこを抜け出して、港の近くの園で独り修行に励み、禅定と神通を得ました。するとまた、多くの人々が菩薩を慕って集まるようになりました。菩薩は再びそこを捨て、空中を飛んでアヒ島と呼ばれる島へ行き、カーラ樹の大木の近くに庵を結びました。菩薩は、カーラ樹の実がある時は実を食べ、実のない時は葉を食べながら、満ち足りて住んでいました。
ある時、菩薩の戒を保つ力によって、帝釈天の玉座が熱くなりました。地上を眺めた帝釈天は菩薩を見つけ、「あの行者は何のために苦労しながら戒を保って熱心に修行しているのだろう」と思い、バラモンに姿を変えて菩薩のところに現れました。ちょうど昼時だったので、菩薩はカーラ樹の葉を蒸して、冷めてから食べようと庵の入り口で坐っていました。バラモンの姿をした帝釈天が托鉢のために近くに立つと、菩薩はとても喜んで、バラモンの鉢に用意した食事をすべて入れました。菩薩は、その日は何も食べずに、自分が布施をした喜びと心の安らぎに満ちて日を過ごしました。帝釈天が翌日の食事時にも菩薩を訪れると、菩薩は食事をすべてお布施し、また何も食べずに喜びと安らかさに満ちて日を過ごしました。三日目も同じくバラモンに食事をお布施した菩薩は、体が弱っていたにもかかわらず、「カーラの樹からすばらしい幸福を生み出せた」と自分が食事を施したことを喜びながら、一日を過ごしました。
帝釈天は、「このバラモンは、三日も何も食べず、あれほど体が弱っているのに、自分の布施行を喜び、心は安らかに落ち着いている。いったい彼は何を望んでこのような善行為をするのだろう?」と、昼が過ぎるのを待って帝釈天の姿に返り、若い太陽神のように美しく輝きながら菩薩の前に現れました。そして、「修行者よ、熱風が吹きすさび、塩辛い海の水に取り囲まれたこのような場所で、いったい何を求めているのか?」と尋ねました。菩薩は、「私は栄光を求めているのではありません。ただ悟りの智慧を得たいと願っているだけなのです」と、次の詩句を唱えました。
帝釈天よ、再生は苦である 体が壊れるのも苦である
迷妄も、死も、苦である ゆえに私はここに住む、ヴァーサヴァよ
それを聞いた帝釈天の心は喜び、「この男は一切のことがらに厭離の気持ちを起こし、出家して修行しているのだ。この男の願いごとを叶えてやることにしよう」と思い、菩薩と詩句で会話を交わしました。
《帝釈天》
汝は実に善い言葉を語る 
望みがあるならばカッサパよ 汝に恩典(おんてん)を与えよう
《アキッティ行者》
有情の主、帝釈天よ、 
妻や子や金銀財宝、愛しき者たちを得たとしても 心が満たされることはない 
望みを叶えてくれるなら その欲が私に起こらないことを
《帝釈天》
汝は実に善い言葉を語る 
望みがあるならばカッサパよ 汝に恩典を与えよう
《アキッティ行者》
有情の主、帝釈天よ、 
畑や財産や黄金、牛や奴隷を得たとしても 生じるものは、老い、また滅する 
望みを叶えてくれるなら その時に怒りが私に起こらないことを
《帝釈天》
汝は実に善い言葉を語る 
望みがあるならばカッサパよ 汝に恩典を与えよう
《アキッティ行者》
有情の主、帝釈天よ、恩典を賜れるなら
愚者を見聞きせぬことを 愚者と共にいることのないことを 
愚者と言葉を交わすこともなく、愚者との会話を楽しむこともないことを
《帝釈天》
愚者は汝に何をしたのか わけを語れ、アキッティよ
愚者に会わぬことを 汝が願うのはなぜなのか
《アキッティ行者》
愚か者は為すことはすべて外れ かけるべきでないところに心をかける
道徳を知らず、外れたことを善しとなし 正しい言葉に憤る
ゆえに、愚者に会わないことこそが恩典である
《帝釈天》
汝は実に善い言葉を語る 
望みがあるならばカッサパよ 汝に恩典を与えよう
《アキッティ行者》
有情の主、帝釈天よ、恩典を賜れるなら
賢者を見聞きすることを 賢者と共にいることを 
賢者と言葉を交わし 賢者との会話を楽しむことを
《帝釈天》
賢者は汝に何をしたのか わけを語れ、アキッティよ
賢者に会うことを 汝が願うのはなぜなのか
《アキッティ行者》
賢者は為すことはすべて的を得 かけるべきでないところに心をかけず
道徳を知り、善い行いを善しとなし 正しい言葉に怒ることはない
ゆえに、賢者と共にあることこそ恩典である
《帝釈天》
汝は実に善い言葉を語る 
望みがあるならばカッサパよ 汝に恩典を与えよう
《アキッティ行者》
有情の主、帝釈天よ、恩典を賜れるなら
夜が過ぎて朝日が昇る時 天の食事が現れるように
また、施しを受けるため 戒を守る托鉢行者が来るように
布施をして飽きることなく 布施をして悔いぬこと
布施により心が清らかになること
帝釈天よ、それこそは私が求める恩典である
《帝釈天》
汝は実に善い言葉を語る 
望みがあるならばカッサパよ 汝に恩典を与えよう
《アキッティ行者》
有情の主、帝釈天よ、恩典を賜れるなら
あなたは二度とこちらに来ぬことを 
帝釈天よ、それこそは、私が求める恩典である
《帝釈天》
修行に励む男女の多くは われに会うことを望む
私に逢うことに 何の不都合があろうか
《アキッティ行者》
あなたは天の美しさに溢れ すべての愛しい楽を顕している 
それゆえ会うと修行の妨げとなる それがあなたに会うことの不都合である
このように何度も願いが叶う機会を得ながら、菩薩は、世俗からの出離のためになるものだけを選びました。菩薩は、帝釈天といえども他人の心の欲や怒りをなくしたり身口意の行いを清らかにしてあげたりすることなどできないと知っていましたが、真の法を説くためにそれらの願いを選んだのです。帝釈天は、「尊者よ、了解しました。二度とあなたの邪魔はしません」と菩薩に礼をして天界に戻りました。菩薩は寿命が尽きるまでそこで住み、死後は梵天界に生まれました。
お釈迦さまは「その時の帝釈天はアヌルッダであり、アキッティ行者は私であった」と言われ、過去の話を終えられました。  
 
マンゴーの呪文物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
デーヴァダッタは「沙門ゴータマは私の師ではない」と釈尊のもとを離れ、サンガを分裂させようとしました。しかし、ついに自分が犯した罪によって生きたまま大地に呑み込まれ、阿鼻(あび)地獄に墜ちてしまったのです。釈尊は、「デーヴァダッタは、過去でも、師を捨てて破滅したことがあった」とおっしゃって、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、王に仕えるバラモンの司祭一家が怖ろしい伝染病にかかり、世間から隔離されました。家族の中でただ一人生き残った息子は、隔離の壁を破ってそこを逃げ出しました。彼はタッカシラーに行き、高名なバラモンの弟子となって学芸を学び終えると、旅に出ました。
国の国境近くに身分の低い人々の集落がありました。菩薩は当時、その集落に住む賢者でした。
菩薩は不思議な呪文を知っていました。その呪文を唱えると、季節に関係なく天の果物のようにおいしいマンゴーを実らせることができるのです。朝早く森に行ってマンゴーの樹から七歩離れて立ち、コップ一杯の水を樹にかけながら呪文を唱えると、古い葉がみるみる新しい葉に生え替わり、たくさんの花が咲いて散って実が生じ、たちまち大きくなって、熟れたマンゴーが樹から降るように落ちてくるのでした。
旅の途中で菩薩が季節はずれのとびきりおいしいマンゴーを売っているのに出会ったバラモンの若者はとても驚いて、「これはすばらしい。この人はきっと世にも稀な呪文を知っているにちがいない。なんとかしてその秘密を知りたいものだ」と思いました。若者は菩薩の跡をつけ、菩薩がマンゴーを手に入れるところを盗み見ました。しかし、菩薩が唱えている呪文の言葉まで知ることはできませんでした。
若者は菩薩の家に行き、菩薩や菩薩の妻の機嫌をとって、「先生、どうぞ私を先生の弟子にしてください。召使いの仕事でも何でもいたします」と頼み込みました。菩薩は彼をよく観察してから、「あの若者は呪文を知りたくて来たのだろうが、どうも性質が悪い。あの男にはこの呪文を身につけることはできないだろう」と妻に話しました。
若者は菩薩の家に住み込んで、薪を割ったり、米をついたり、菩薩が顔を洗う水を用意したり、菩薩の足を洗ったり、どんなことでもやりました。菩薩が「足が疲れたから寝る時に足を載せる台がほしい」と言うと、「では私の膝の上に足を載せてください」と、一晩中菩薩の足を膝の上に載せたりもしました。また、菩薩の妻の出産の時には、とても細かく気を配って懸命にお世話しました。
菩薩の妻は若者を気の毒に思い、菩薩に、「あなた、あの若者は身分の高い生まれなのに、呪文を教わりたいばかりに、身分の低い私達のためにどんなことでもしてがんばっています。呪文が彼の身につくかどうかはわかりませんが、教えてあげたらどうでしょう」と言いました。菩薩は承知して、バラモンの若者に呪文を教えました。そして、「これは、莫大な財産や名誉を生み出すことのできる力をもつ呪文だ。しかし、ひとつ気をつけなさい。この呪文を誰に教わったのかと人に訊かれたら、身分が低い師から学んだことを恥じて、私のことを隠してはいけない。そんなことをしたら、この呪文の力は失われるだろう」と忠告しました。若者は、「どうして私が先生のことを隠すようなことがあるでしょう。たとえ誰から尋ねられても、堂々と本当のことを言いますよ」と応えました。
呪文を教わった若者は菩薩に別れを告げてバーラーナシーの都へ帰り、そちらで季節はずれのおいしいマンゴーを売って大もうけしました。
ある日、お城の園芸長が若者からマンゴーを買って、王に献上しました。王は、季節はずれのとびきりおいしいマンゴーを食べて驚き、「このマンゴーはどこで手に入れたのか」と大臣に訊きました。「王様、一人の若者が、街で季節はずれのマンゴーを売っております。その者から買い求めたものでございます」「では、これからは、このマンゴーは城に納めるようにと、その若者に命じておけ」。それ以降、若者はマンゴーを城に納めました。王は若者のマンゴーをたいそう気に入って、彼を家臣に取り立てました。若者は王の近くに仕えるようになり、高い地位と多くの財産を持つようになりました。
ある時、王が、「おまえはこのすばらしいマンゴーをどうやって手に入れるのか。龍か鳳凰(ほうおう)が運んでくるのか、それとも何か魔法でもあるのか」と尋ねました。「王様、誰が運んでくるのでもありません。私は世にも稀な呪文を知っているのでございます」「その呪文の力を、一度見てみたい」「かしこまりました。では明日ご覧にいれましょう」。
翌日、彼は、王や家来たちとともにお城の御苑に出かけ、呪文の力で実のないマンゴーの樹にたくさんのマンゴーを実らせて雨のように降らせ、皆の喝采を浴びました。王は若者にたくさんの褒美を与え、「若者よ、このような珍しい世にも稀な呪文を、いったい誰から教わったのか」と尋ねました。若者は、自分が身分の低い師匠の弟子になったことを恥じ、「そんなことが皆に知れたら、どんな陰口を言われるかわからない。先生は、事実を隠せば呪文の力はなくなると脅したが、呪文の力が身についた今となっては心配することはないだろう」と高をくくって、「タッカシラーの高名なバラモンの先生に教わりました」と嘘をつきました。
ところが、そのようにして若者が真の師匠を捨てたとたん、彼の呪文の力は消えてしまったのです。
数日後、王は、「もう一度、目の前でマンゴーが実るのを見ながらマンゴーが食べたい」と、若者や家臣たちと御苑に行きました。しかし、若者がマンゴーの樹から七歩離れて呪文を唱えても、何の変化もありません。若者は、焦りながら、空しくマンゴーの樹の前で立ちつくすことになりました。王は不審に思い、「若者よ、つい先日は、あれほどたくさんの実を降らせたではないか。なぜ今回は固くなって立っているのか?」と訊きました。返事に窮した若者は、「今日は星の巡りが悪いようです」と、ごまかそうとしました。しかし王は、「今まで星の話などはひと言も言わなかったではないか。前回は、ただ呪文を唱えただけで、いとも簡単に成功したのだ。今さらできないというのはおかしい」と、納得しませんでした。
若者は、呪文の力が失われてしまった以上、ごまかし続けることはできないだろうと観念して、本当のことを話しました。「実は、私は、あの呪文を、身分の低い生まれの師に教わったのです。その時、師匠の名を隠したりしたら呪文の力は消え失せるということも教わりました。それなのに私は、高名なバラモンに教わったなどと嘘をつきました。そのために呪文の力が失われてしまったのです。」それを聞いた王は驚きあきれ、「このようなすばらしい宝のような呪文を教えてもらいながら、師を捨てるようなことをするとは、何という悪人か」と、詩句を唱えました。
エーランダの樹であれ、プチマンダの樹であれ、パーリバッダカの樹であれ、
蜜を求める者にとって、蜜を持つ樹こそは最上の樹である
クシャトリヤ、バラモン、バイシャ、シュードラ、チャンダーラ、
またはプックサ、いずれの身分であれ
法を求める者にとって、
法を教えてくれる師こそが、最上の人
杖で、鞭で、この者を打ち据えよ 
この賤しいこころの男を打ちのめせ
苦労して得た宝の教えを、
見栄のために失った愚か者を
若者は罰を与えられ、「師匠のところに戻ってもう一度あの呪文を教わってくるのだ。さもなくば、こちらへ足を向けることさえするな」と都から追放されました。若者は仕方なく菩薩のところに戻って訳を話し、次の詩句を唱えました。
平地だと思い込んで、穴ぼこに、くぼみに、
あるいは大木の腐った根っこに、
足をとられることがあるように、
縄だと思って黒蛇を踏むことがあるように、
盲人が火に足を踏み入れてしまうことがあるように、
私はあなたに対してつまづき、罪を犯しました
賢者は、呪文を失った者に、再度呪文を教えたまえ
菩薩は、「盲人でさえ、あらかじめ注意しておけば、穴に足を取られることはない。呪文を失わぬように注意まで与えたのに、こうなってはどうしようもない」と、詩句を唱えました。
私は法に従って呪文を教え、君もまた法に従ってそれを学んだ
そして私は、その呪文が去らぬよう、その性質をも教えたのだ
苦労して学んだ、今の人の世にて得難きその呪文を、
生きる糧となる宝を、無知な者は、己の悪行によって、すべて失った
愚か者、迷い多き者、恩知らず、嘘をつく者、自制心のない善からぬ者に
尊い呪文が身につくことはない
どこから呪文がくるというのか、去れ、愚か者よ
師匠に弟子入りを断られた若者は、森に入ってさまよい、死んでしまいました。
お釈迦さまは「比丘らよ、デーヴァダッタは過去においても師を捨て去り、破滅に至った」と言われ、「その時の恩知らずな若者はデーヴァダッタであり、王はアーナンダであり、呪文を知る師は私であった」と、話を終えられました。  
 
使者に語らぬ行者の物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)で語られたお話です。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、王が重い税を課したので、その国の人々にはほとんどお金がありませんでした。当時、カーシー国のバラモンの家で生まれた菩薩は、「今はお金がないが、先生へのお礼は学業を終えてから国中を托鉢して集めることにしよう」と考えて、学芸の修習のためにタッカシラーに行きました。事情を話して、あるバラモンの弟子となった菩薩は、そちらで勉学を終えると、師に、「先生へのお礼を得るために旅に出ます。どうぞしばらくお待ちください」と言って、托鉢のために旅立ちました。菩薩は国中を偏ることなく托鉢し、かなりの時間をかけて、ようやく七ニッカの金を得ることができました。ところが、タッカシラーの師のもとに戻る道中で、ガンジス河の渡し舟が転覆し、持っていた金をすべて河の中に落としてしまったのです。
菩薩は、「今、この国では、どこに行っても金がない。あの礼金を再び集めるには膨大な時間がかかるだろう。それでは遅くなりすぎてしまう。金をたくさんもっているのは王様だけだ。なんとかして王様から先生への礼金をもらうことにしよう」と考えました。
そして、「私はこちらの河辺に坐って断食することにしよう。そうすれば、それが評判となり、いずれは王様の耳に入るだろう。王様はまず、家来に様子を見に来させることだろうが、私は王以外の人々には口を開かないようにしよう。そうすれば、いずれ王自らが来ることになるだろう。その時に王様に役に立つことを説いて、金をもらえばよいだろう」と、計画を立てました。
そこで菩薩は、ガンジス河の河辺で、辺りの砂を敷き詰めて銀の板のように平らにし、黄金の像のようにどっしりと坐りました。そして、祭儀用の紐を横に置いて、断食を始めました。何も食べずに痩せ細りながらも落ち着いて端正に座っている菩薩の姿は次第に評判になり、多くの人々が菩薩を心配してやって来ました。しかし菩薩は、何を話しかけられても、訊かれても、ひと言もしゃべろうとはしませんでした。そのうちに都の近くの村からも人々がやって来るようになりましたが、菩薩はひと言も話しませんでした。人々は、痩せ細った菩薩を心配しながら村に帰りました。次に、都からも人々が来るようになりました。しかし菩薩は、何を言われても、ひと言も話しませんでした。次に、市長がやって来て菩薩に話しかけました。しかし菩薩は、ひと言も話しませんでした。次に、王の家来たちがやって来て菩薩に話しかけました。しかし菩薩は、ひと言も話しませんでした。次に、大臣たちがやって来て菩薩に話しかけました。しかし菩薩は、ひと言も話そうとはしなかったのです。
とうとう、その噂を聞いて、国王自らが菩薩のところにやって来ました。王は、菩薩に次の句をもって話しかけました。
ガンジス河で冥想する者よ、
幾人かの使者を遣わして訳を問うたが
汝はいっさい答えぬという
いかがしたのか、バラモンよ
菩薩は、「王様、私は悩みを取り去ることのできる人には悩みを語りますが、その他の人には語りません」と、詩句を唱えました。
カーシー国を富ませる方よ
悩み苦しみが生じたときは
その苦を取り除くことができぬ者に
それを語ることなかれ
悩みを語るとき
ただちにそれを取り除く力のある人であれば
その人に親愛を示し、
語るべきです、大王よ
ジャッカル、ハゲタカの叫びは理解できても
人の言葉はわかり難い
先に「兄弟」「大親友」と、親しく喜び合いながら、
後には敵となり、終わる
問われもせぬのに
むやみに悩みを語るなら
彼に好意をもつ人も敵となり
彼のため思う人の心証をも悪くすることになりかねません
ゆえに、賢き者は、言うべき時を知り
雑心のない賢者を選び
穏やかな意味ある言葉で
諸々の苦痛を語るべきです
しかし、これは自らを安楽にする道ではないと知るとき
あるいは、これはなすべきではないと知るならば
賢者はひとり耐えるべきです
正しく恥を知り、罪を怖れて
そのように法を説いた後、菩薩は、自分の事情を語る句を唱えました。
街より街を、王城を
いくつもの国をさまよって
師への謝儀を得るために
王よ、私は行乞しました
居士を、役人を、商人を、バラモンを訪ね
やっと七ニッカの金を得た
ところが事故でそれを失った
ゆえに、私に嘆きが起こりました
大王よ、あなたの家臣たちには
たとえその気持ちはあっても
私の苦を除く力はない
ゆえに、私は語らなかった
大王よ、あなたは、実に、気持ちがあり
私の苦を除くことができる方です
ゆえに、私は、あなたにのみ語るのです
王は菩薩の法に適った話を聞いて、菩薩に十四ニッカの金を与えました。
釈尊は、そのことを、次の詩句で説かれました。
カーシー国を富ます者
ここに信のこころを起こし
黄金よりなる
十四ニッカを彼に与えたり
そのように、菩薩は王に法を説き、師への謝礼のための金を得ることができました。王はその後も菩薩から教えを聞いて、布施などの徳を積み、正しく国を治めました。彼らは自分の業に従って、死後、生まれ変わっていきました。
お釈迦さまは過去の話を終えられ、「その時の王はアーナンダであり、バラモンの師はサーリプッタであり、師に礼金を渡した弟子は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。
  
雄鶏(おんどり)物語

 

これは、シャカムニブッダがマガダ国の竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)におられた時に語られたお話です。
ある時、法話堂で、比丘たちがデーヴァダッタの話をしていました。「友よ、デーヴァダッタは、乱暴者の象を仏陀にけしかけたりして、正覚者を殺すことまで企んでいるのだ」とデーヴァダッタの不徳について話していたところ、お釈迦さまが来られ、彼らの話題をお尋ねになりました。比丘たちが話題の旨を伝えると、釈尊は、「比丘らよ、デーヴァダッタは、過去においても、私を殺すことを企んだことがあった」と、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、コーサンビーでコーサンバカという王が国を治めていた頃、菩薩は野生の雄鶏(おんどり)として、森で生を受けました。成鳥になった菩薩は、多くの野生の鶏(にわとり)たちと共に森に住んでいました。
その森には一羽の鷹が住んでいました。その鷹は、鶏が大好物でした。ずるがしこい鷹は、あれこれ工夫をこらして鶏を捕らえ、一羽、また一羽と食べ続けました。そのうちに、とうとう、菩薩以外の鶏たちはすべて食べられてしまい、森に住む鶏は菩薩だけになってしまいました。
鷹はなんとかして菩薩も捕らえようとして、あれこれ企てました。しかし、注意深くて賢い菩薩のことは、どうしても捕まえることができません。なんとかして菩薩を捕らえようと思った鷹は、ある時、用心して安全な場所にいる菩薩に近づいて親しげに話しかけました。
「わが愛する鶏王よ、なぜ私を怖れ、私を避けるのか。私は君と親しくなりたいと思っているのだよ。あそこにも、ここにも、この森にはおいしいものがたくさんある。我々は一緒に餌を食べ、互いに仲良く暮らそうではないか」
「私はおまえとは友達にはならない。ここを立ち去れ、鷹よ」
「君は、私がかつて多くの悪事をはたらいたと思い、私を信用してないのだろう。確かにいろいろなことがあった。しかし、私は完全に心を入れ替えたのだ。これからは悪いことは決してしない。さあ、君はひとりぼっちではないか。これからは私と良い友達になろう」
「私はおまえのような友人は要らない。どこかへ行ってしまえ」
そのように、菩薩は鷹の申し出を三度まで拒絶し、「このような者と親しくなってはならない」と、次の七つの警句を唱えて森に響き渡らせました。
われは信ぜず、悪行の者
われは信ぜず、虚偽の者
われは信ぜず、利己主義者
われは信ぜず、ひけらかし屋
それらの者、常に渇く
喉が渇いた牛のごとし
「友」というのは、口ばかり
言葉のみにて行わず
こころ空しく合掌し
言葉の陰に身を隠し
恩を知らず、感謝ない
不実の者に、われは近づかず
われは信ぜず、移り気な人を
男であれ、女であれ、
言葉を守ることのない
取り繕う者、信じ得ず
鋭い刀を隠し持ち
すべてを滅ぼし破壊して
不浄の業に下り行く
危害なす者、信じ得ず
または、友の仮面をかぶり
こころにもなく、親しげに
さまざまな手管で、あれこれと
だまそうとする者、信じ得ず
食物、または財産が
豊かなりと目にすれば
愚人は友を裏切りて
己の友を殺し去る
雄鶏である菩薩は、詩句を唱えた後、「おまえが何をしようとしているか、私は知っているぞ」と厳しく鷹を叱りつけました。鷹は急いでそこを立ち去り、どこかへ行ってしまいました。
ここまで語られて後、お釈迦さまは、次の四つの句を唱えられました。
友の仮面をかぶりつつ
多くの敵は接近す
これら愚人を避け、捨て去れ
雄鶏の鷹におけるごとくに
ことが起こったその時に
意味を素速くさとらねば
敵の力に屈服し
後に悔いることとなる
ことが起こったその時に
意味を素速くさとる者
敵からの危難を免れる
雄鶏の鷹におけるごとくに
森に置かれた罠のように
非法破壊をなす者は待ち受ける
俊敏に気づき、遠ざけよ
雄鶏の鷹におけるごとくに
お釈迦さまは「その時の鷹はデーヴァダッタであり、雄鶏は私であった。デーヴァダッタは、そのように、過去でも私を殺そうとしていた」とおっしゃって、話を終えられました。
 
蓮根物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)で、修行に対するやる気がなくなった一人の比丘にちなんで語られたお話です。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は億万長者のバラモンの家に生まれました。菩薩には六人の弟たちと一人の妹がいました。菩薩が学芸を学び終えると、両親は菩薩に結婚を勧め、家を継がそうとしました。菩薩は「私にとって、この世は、火が燃えさかっているように恐ろしく、牢獄のように窮屈で、糞の山のように嫌なものに感じられます。女など、夢の中でさえ欲したことはありません。家は弟たちの誰かに継がせてください」と断りました。両親は友人たちに説得を頼みましたが、菩薩の気持ちを変えることはできませんでした。友人が「君はそんなに利得を拒んで、いったい何をしたいのか?」と訊くと、菩薩は出家する決意を語りました。両親はあきらめて弟たちに家を継がせようとしました。しかし弟や妹も、結婚して家を継ぐことを断りました。
そのうちに両親が亡くなりました。菩薩は、両親の葬式をすませると、出家することにしました。弟たちと妹も、菩薩の弟子となって出家することを強く望んだので、莫大な財産はすべて貧しい人々にお布施することにしました。菩薩たちは、他に出家を望んだ下男と下女と一人の友人と共に、皆で山に入りました。美しい蓮池の側に庵を構えた菩薩たちは、修行生活を始めました。
最初の頃、彼らは、果実や木の実などの食料を探すために毎日皆で山に入り、にぎやかに食物を集めていました。菩薩は、「せっかく財産を捨てて出家したのに、このように貪欲に支配され、食を求めて村市場のように騒がしくすることは出家にふさわしくない。これからは私が一人で食べものを集めよう」と考えて、皆に話しました。弟たちは、「いいえ、先生はここで修行していてください。これからは、我々が毎日一人ずつ食を探します。妹は下女と共にここにいなさい。食探しは我々男たち八人で分担します」と言って、菩薩の承諾を得ました。
それからは、食事当番となった者が一人で皆の食料を集め、それを十一に分けて一人分ずつ所定の場所に置き、鐘で合図をしてから自分の取り分を持って自分の庵に入りました。皆、静かに自分の分を自分の庵に持ち入り、一人で食を摂りました。そのうちに彼らは、近くの蓮池で採れる蓮根を毎日のように食べるようになりました。そのようにして、十一人の修行者たちは、様々な苦行で己の感覚器官を静めつつ、熱心に修行生活を送っていました。
その頃、彼らの戒を保つ力によって帝釈天の宮殿が震えました。天眼で地上を眺めて菩薩たちが真剣に修行をしているのを見た帝釈天は、彼らが本当に欲を離れて修行しているか試すために、三日間、菩薩の食事を隠すことにしました。
一日目、自分の食事がないことに気づいた菩薩は、「当番の者が私の分を置くのを忘れたのだろう」と気にしませんでした。二日目は「私は何か彼らに悪いことをしたのかもしれない。師である私に言葉で言うのを遠慮して、行為で示したのだろう」と思いました。三日目には「私が何か彼らに悪いことをしたのであれば、彼らに謝ることにしよう」と思い、夕方に鐘を鳴らしました。
皆が集まったところで菩薩が事情を尋ねると、当番の三人は「私はそんなことはしていません。ちゃんと先生の蓮根も置きました」と言いました。菩薩は「では誰かが私の蓮根を食べたことになる。欲を捨てて修行生活を送る者が、たとえ蓮根であれ、他人のものを盗むことは彼のさまたげとなる。いったい誰の行いなのか知らねばならない」と言って、皆で輪になって座りました。
彼らの庵の近くには古い大木があり、そこに一人の樹神が住んでいました。その樹神も皆の輪に加わりました。また、その山には、王の軍隊の訓練中、苦痛に耐えられずに脱走して来た象が住んでいました。庵の近くには、蛇遣いに捕らえられて蛇と曲芸をさせられていた猿も逃げて来て住んでいました。彼らは、よく菩薩たちを訪れて、修行者を尊敬して礼拝していました。その象と猿も輪の片隅に座りました。帝釈天は、ことの成り行きを見届けようと、姿を隠して、輪の近くに座りました。
まず、菩薩のすぐ下の弟が立って菩薩に礼をし、「先生、まず私から身の潔白を証明したいと思いますがいいでしょうか?」と菩薩に承諾を得、「もし私があなたの蓮根を食べたのなら、このようなていたらくとなると誓います」と詩句を唱えました。
次男 馬、牛、金銀、魅惑的な妻を得て
子孫に囲まれて暮らすはめに陥れ バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
皆は、「そこまで言うあなたが盗みをはたらいたはずはない」と彼を座らせました。そして弟たちは、次々と立ち上がって詩句を唱えました。
三男 花飾りとカーシーの白檀香を身につけよ 多くの子に恵まれてあれ
諸欲に強い希望あれ バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
四男 豊かな耕地と名誉を得、子孫多き財産家となれ
老いを気にせず、欲を楽しむ在家になれ バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
五男 力を持つ王家に生まれ 帝王として崇められ
四方に広がる大地を統治するはめに陥れ バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
六男 欲に富むバラモンになれ 占星術に優れた司祭になれ
大王に敬われる身になれ バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
七男 ヴェーダの大学者になれ 修行の成就者と世間に認められよ
民衆に深く敬われる身になれ バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
下男 四つの富(人々、穀物、材木、水)を満たした最上の村を 帝釈天から賜れ
欲を喜びながら死を迎えよ バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
友人 朋友に囲まれた村長になれ 歌や踊りを喜び暮らすはめに陥れ
また、王に悩まされることなく バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
妹  国を征服した大王の 千人の妃たちの第一妃となれ
美女の中で輝く美女になれ バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
下女 下女たちの中で 堂々と美酒を味わい
豊かさを誇れる下女に陥れ バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
樹神 大寺院の住職となり トンカントンカン普請する音を絶やさず
日に日に窓の数を増やせ バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
象  何百もの枷で六カ所に縛られよ 楽しい森を出て王の都に行け
手鉤と棒で打たれ調教されるはめに陥れ バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
猿  花輪をかけられ、耳輪で飾られ 棒で打たれて蛇に近づけ
つながれてうやうやしく道を歩け バラモンよ、あなたの蓮根を盗んだ者は
これらの詩句を聞いた菩薩は、「私がつくりごとを語ってないことを皆に示すため、私も誓いの言葉を述べよう」と、次の詩句を唱えました。
紛失せぬのに紛失したと語る者は 欲のみを享受するはめに陥れ
行者たちよ、疑い持つものは誰であれ 在家の身で死を迎えるはめに陥れ
帝釈天は「この人々は吐いた痰のように欲を嫌悪している」と知り、そのわけを訊きたくなって姿を現し、次の詩句を唱えました。
帝釈天 世界が一貫して切望するもの 大衆に歓迎されるもの、快いもの
この生命に好ましいものを 仙人たちよ、なにゆえに厭うのか
菩薩  鞭打たれ縛られる、まさに欲のゆえ 苦しみと恐れ、欲により生じる
生命の主よ、欲に酔いしれ、 愚者は諸悪を犯す
悪人は悪を積み上げ 死後、地獄に堕ちる
欲が備えるこの危機を観て 仙人たちは欲を厭う
帝釈天 仙人を試す意を持ち 我は蓮根を丘に隠せり
仙人は清らかに悪を離れ住む さあ行者方よ、こが汝らの蓮根だ
菩薩  我らは汝に踊らされる、遊ばれるべき身にあらず 親戚でも、まして伴侶でもあらず
千眼者・神々の王よ 仙人たちを弄ぶ権利は何処にある
帝釈天 我が師匠であり、父上である仙人よ 梵行者に対して犯した罪を謝ります
大智者よ、たったひとつの我が罪を許したまえ 賢者とは、怒りを力としないもの
菩薩  この一夜は有意義に過ごせた
生命の主たる帝釈天を見ることもできた
善士たちよ、皆に幸福あれ
バラモンの蓮根も無事に戻りたり
帝釈天は行者たちに礼をして天界に立ち去りました。その後、熱心に修行した菩薩たち修行者は、四禅定と六神通を得て、梵天界に生まれる身となりました。
お釈迦さまは、「私とサーリプッタ、モッガラーナ、マハーカッサパ、アヌルッダ、プンナ、アーナンダはその時の七人兄弟であり、妹はウッパラヴァンナー、下女はクッジュタラー、下男はチッタであった。樹神はサーターギラ、象はパーリレィヤ、猿はマードゥヴァーセッタであった。また、帝釈天はカールダーイであった」と言われ、話を終えられました。  
 
ビラーリコーシャ物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
祇園精舎に、いつでも他の人に喜んでお布施する比丘がいました。彼は、食べ物を得たら必ず誰かに分けてから食べ、飲み物も人に分け与えてから飲みました。お釈迦さまは、「この比丘は、過去世で、心が貧しく、草の端についた油の一滴でさえ人に分け与えようとしなかった。しかし私が戒めたところ、心を入れ替えて懸命に布施行に励むようになり、その心が深く染みこんで、現世でもその善い性質が抜け去らないのだ」とおっしゃって、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は大富豪の家の跡取り息子でした。父が亡くなり家督を継いだ菩薩は、ある時「確かにここには莫大な財産がある。しかし財産は、死後も持ち運べるわけではない。この財産を正しく役立てて善い結果を残せるようにしよう」と考えました。菩薩は、お布施のためのお堂を建て、生涯にわたって大々的に布施に励みました。そして亡くなる時には、代々布施行に励むことを遺言にし、死後天界に転生して帝釈天となりました。菩薩の子孫は代々その遺言を守って善行を積み、死後はそれぞれ天界の神々として転生しました。菩薩の息子はチャンダ(月の神)、その次の息子はスリヤ(日の神)、次の息子はマータリ(帝釈天の戦車の御者)、次の息子はパンチャシカ(ガンダッバ神)となったのです。
しかし次の六代目、ビラーリコーシャという名の長者は不信心で、「布施堂なんか壊してしまえ」と命じて貧しい人々を追い払い、草の先についた油の一滴さえも人に与えようとはしませんでした。帝釈天である菩薩は彼の悪行を憂い、神々となっている四人の息子たちを連れて天界から地上に降り、バラモンの行者に姿を変えてかつての自分の家の近くに行きました。
長者は、その日の仕事を終えて、門の近くを歩いていました。菩薩は息子たちに「私が先に行って長者と話そう。後から時間をずらして一人ずつ中に入りなさい」と言って門の中に入り、その家の主人に食を乞いました。長者は「バラモンよ、他へ行ってください」と断りました。「大長者よ、行者が食を乞うときは拒むものではありません」「私の家には料理した食事どころか、その材料さえもないのだ」「長者よ、あなたのために詩句を唱えましょう」「いえ、あなたの詩句など聞きたくはない。ここに立ち止まらず、立ち去ってくれ」。菩薩は聞こえないふりをして、詩句を唱えました。
炊事(すいじ)せぬ賢者でも 施しをする
炊事する汝は なぜ施しを拒む
施しはけちんぼと 愚者が拒むもの
福徳を望む者の 為すべきは施しなり
それを聞いた長者は渋々、「では中に入って座ってください。少しは何かあるでしょう」と言いました。次にチャンダが門の中に入り、主人に食を乞いました。「バラモンよ、あなたのための食べ物はない。他へ行ってください」「大長者よ、家の中にバラモンが入っているでしょう。行者への供養があるはずだ」「いいえ、バラモンへの供養などあるものか。よそへ行ってくれ」。チャンダは彼の追い出そうとする言葉は聞こえないふりをして、詩句を唱えました。
飢渇(きかつ)怖るる けちんぼが 施し拒む
されどそ(飢渇)が 今世来世も 彼を見舞う
ゆえに慳貪(けんどん)断ち切って 施しに挑め
福徳のみが 死後の支えなり
長者は渋々、「では中に入って座ってください。少しは何かあるでしょう」と言いました。次にスリヤが門の中に入り、同じように主人に食を乞い、追い出そうとする長者の言葉は聞こえないふりをして詩句を唱えました。
なし難き施しをする なし難き行為をなす
そは善人の教えにまつろわぬ 悪人どもの拒む道
ゆえに善人と悪人の 道は分かるる
悪人は地獄へ 善人は天界へと
長者は渋々、「では中に入ってください。少しは何かあるでしょう」と言いました。次にマータリが門の中に入り、同じように主人に食を乞い、追い出そうとする長者の言葉は聞こえないふりをして詩句を唱えました。
貧者にも布施する者あり 与えぬ大富豪もあり
貧者のわずかな施しは 千金に値す
長者は渋々、「では中に入ってください。少しは何かあるでしょう」と言いました。次にパンチャシカが中に入り、同じように主人に食を乞い、追い出そうとする長者の言葉は聞こえないふりをして詩句を唱えました。
如法に生きる 正当な活計(かっけい)で家族を養う わずかなりとも施しする
千の供犠も その人の足下に及ばず
※1註:身口意で悪行為をしないこと。罪を犯さないこと。
※2註:動物を生贄にして行うバラモン教の施しを供犠と言う。この場合は千匹の動物を生贄にする供犠のこと。
これを聞いた長者は疑問に思い、パンチャシカと次のような問答を交わしました。
《ビラーリコーシャ長者》
なぜ最大の高価な供犠が わずかな布施に劣る
なぜ千の供犠を捧げても 清貧(せいひん)の布施の足下にも及ばぬ
《パンチャシカ》
悪を土台に施しする (他の命を)殺し苛め悩ましながら
武器を持ちて 命泣かせる施しが 賢者への施しに勝るはずなし
ゆえに千の供犠を捧げても 清貧の布施の足下にも及ばぬ
長者は渋々、「では中に入ってください。少しは何かあるでしょう」と言いました。
長者は下女を呼び、「五人のバラモンに籾米を少しだけお布施しなさい」と命じました。しかし、バラモンたちは、自分たちは籾米はさわれないのだと言って断りました。長者は「では、精米を少しお布施しなさい」と命じました。しかしバラモンたちは、自分たちは料理をしていない生のものは受け取れないと言って断りました。そこで長者は「では、牛のえさを煮てお布施しなさい」と命じました。下女は牛のえさを皿に盛って食卓に運びました。
バラモンたちが出された牛のえさを丸めて口に入れたところ、のどに詰まって倒れてしまいました。下女は、彼らが死んでしまったと思って驚き、急いで主人に報告しました。長者は、「たいへんなことになった。人々は『立派なバラモンたちに悪人が牛のえさを与えた。おかげで彼らは死んでしまった』と非難するだろう」と青くなり、「バラモンの食卓の皿を、いつも私が食べている食事の皿と交換しなさい」と命じました。そして道に出て、「たいへんです。私は五人のバラモンにとても上等な食事をお布施したのだが、彼らは欲張ってほおばり、のどに詰まらせて死んでしまった」と大声をあげました。
その声を聞いて多くの人々が集まって来ました。すると、倒れていた菩薩が起きあがり、「この長者は我々に牛のえさを与えました。それを食べた我々がのどに詰まらせて倒れている間に、皿を交換したのです」と言って、のどに詰まらせていた牛のえさを吐き出しました。人々は「目の見えない愚か者め、おまえはこの家の善い習慣を破り、布施堂を壊し、乞食を追い散らした。そして立派なバラモン方に、牛のえさを与えた。おまえはあの世にまで財産を首にぶら下げていくつもりなんだろう」と長者を非難しました。
菩薩は「あなた方は彼の莫大な財産は本当は誰のものかご存じか」と人々に訊きました。「いいえ、知りません」「昔、ここにはバーラーナシーの大豪商といわれた長者が住み、布施堂を作り、大々的にお布施をしたことを聞いたことはないですか」「それは聞いたことがあります」「その長者は私なのだ。私は、その布施の功徳により天界に生まれて帝釈天となった。ここにいる四人は私の子孫で、皆、家訓を守ってお布施などの善行に励み、死後は天界で神となっている。このように、善行は生前だけでなく、死後もすばらしい福をもたらすのです」と言って、その言葉を裏付けるために帝釈天の姿となり、他の神々を従えて空中に昇り、光輝いて空に立ちました。街中がその光に照らされて、明るく光りました。菩薩は空中で立ったまま、「我々は、わが家の子孫である悪息子、ビラーリコーシャを教え諭すために、天から地上に降りてきた。このバカ者は家訓をないがしろにし、布施堂を壊し、乞食を追い払った。このままでは彼は地獄に堕ちるにちがいない。我々はそれを不憫に思い、悪息子を憐れんで、やってきたのです」と言って、布施の徳について法を説きました。
ビラーリコーシャは深く反省して合掌し、「神様、私は心を入れ替えます。今日からは、口をゆすぐ水でさえ、まず人に与えてからでないと口にすることはありません」と誓いの言葉を述べました。菩薩は彼を教え戒めた後、四人の天神と共に天界に戻りました。ビラーリコーシャはその後、心が全く変わり、布施などの善行に励んで死後は天界に生まれました。
お釈迦さまは「その時の長者は今も布施に励む比丘であり、チャンダはサーリプッタ、スリヤはモッガラーナ、マータリはマハーカッサパ、パンチャシカはアーナンダ、帝釈天は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
セーリヴァ商人物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国のサーワッティ(舎衛城)近郊の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
サーワッティの良家の息子が釈尊の説法を聴いて信心を起こし、諸欲は厭うべきものであることを観て出家しました。彼は具足戒を受けるために五年間沙弥として学び、法と戒律について教義要目を習得し、ヴィパッサナー冥想を習い、仏のもとで自分にふさわしい冥想法を教わってから、修行の完成のために森に入りました。
比丘は、雨安居の三ヶ月間、懸命に精進努力しました。しかし、悟りの兆しはまったく現れず、そのわずかな兆候さえも見出せませんでした。彼は、「仏陀が、@少しの法を聞いただけで悟る者、A多くの法を聞いて悟る者、B悟るために指導を必要とする者、C経典の暗記を最上とする者、という四種の人がいると説かれたのを聴いたことがある。たぶん私は最低の四番目の人間なのだ」と悲観し、「そういう自分が森に入ってどうしようというのだ。ここにいても私など、仏の悟りの道も果も得られないに決まっている。私は森から出て仏陀の近くに戻ろう。仏の秀麗なお姿を拝し、甘露のごとき法を聞きながら暮らそう」と考えて、祇園精舎に戻りました。
彼の親しい友人たちが、「友よ、君は仏陀の指導のもとに冥想を学び、沙門の務めをやり遂げる決意で森に入ったのだろう。こんなところで皆と楽しく談笑しているのはどういうわけだ」と訊きました。比丘は、「私はがんばっても、悟りの道も果もさっぱり得られない。自分は無能だとわかったのだ。だからもう精進努力はあきらめて帰って来たよ」と答えました。友人たちは、「友よ、固い精進の決意で仏の教えのもとに出家しながら、その精進を捨てるというのか。今すぐに如来に会って、お話しした方がいい」と言って、彼を釈尊のところに連れて行きました。
お釈迦さまが「比丘らよ、なぜこの比丘を無理に連れてきたのか」と尋ねられたので、友人の比丘たちが「世尊、彼は精進の心を捨てて、森を出て帰ってきました」とお答えしました。釈尊はそれが事実かどうか本人に確かめられてから、「比丘よ、君は、悟りの道と果をもたらす教えのもとで出家しながら、精進努力を捨てるという。そんなことをしたら、君は、十万金の黄金のお椀を失ったセーリヴァ商人のように、永く悲しむことになるだろう」とおっしゃいました。比丘たちが、その言葉の意味を教えてくださるようにと釈尊にお願いしたところ、お釈迦さまは過去の話を話されました。
昔々、今から五劫(五宇宙)も遡った頃のお話です。その頃、菩薩は、ある地方の行商でした。そちらにはもう一人、欲が深くて愚か者の行商がいました。ある時、菩薩は、欲深い行商と共に商売に行くこととなり、ラーラワーハ河を渡ってアヌダプラという街に着きました。二人は街を二分し、互いの縄張りを決めて、それぞれ自分の受け持ち区域で行商を始めました。
その頃、この街に、主人夫婦や息子たちが相次いで亡くなり、落ちぶれてしまった元豪商の家がありました。今は古びた豪邸に一人残された娘が、もう一人の生き残りである祖母と二人で貧しく暮らしていました。
欲深い行商は、品物を売り歩きながらその家の戸口を訪れ、「最新のアクセサリーはいりませんか、美しいアクセサリーですよ」と声をかけました。娘は新しいアクセサリーがとてもほしくなりました。「おばあさん、私にもひとつ買ってくださいな」「買ってあげたいけれど、うちにはお金がないのよ」「おばあさん、お父さんが大事にしていたお椀があったでしょう。あれで何とかならないかしら」。娘は埃だらけのお椀を戸棚から出してきました。実は、そのお椀は純金製の、大変な値打ちの品だったのです。しかし二人とも、そのことは全く知りませんでした。
祖母は欲深い商人を家に呼び入れ、お椀を見せて、「この娘にアクセサリーを買ってあげたいのだけれど、これを下取りにしてもらうわけにはいきませんか?」と頼みました。お椀を手に取った商人は、すぐに、それが大変な値打ちものだと気づきました。お椀の底を針で傷つけ純金製だと知った商人は、「これは大したお宝だ。俺にはとてもこのお椀を下取りできる金はない。しかし、こいつらはこれの値打ちをまったく知らないらしい。うまくだまして二束三文で手に入れてやろう」とたくらみ、「こんな安物のお椀なんか半マーサカにもならないよ」とわざとお椀を放り出して家を出て行きました。
ちょうどそこに菩薩が通りかかり、連れの商人が家を出て行くのを見かけました。自分の受け持ち区域以外のところでも一度担当のものが出て行った家を訪れるのはかまわないので、菩薩は、「アクセサリーはいりませんか」と言いながら、その家の門を入って行きました。
娘はもう一度、「おばあさん、ひとつ買ってください」と頼みました。「そうねえ。だけどあのお椀はなんの値打ちもないそうだし、どうしようかねえ」「さっきの人は乱暴で感じが悪かったけれど、今度の人は優しそうなとても感じのいい人だから、もう一度頼んでみてください」「では、家に入ってもらいなさい」。娘は菩薩を家に呼び入れ、祖母は先ほどのお椀を彼に見せました。菩薩はすぐにそれが黄金でできていることに気づき、「これはすばらしいお椀だ。おばあさん、これは十万カハーバナもの値打ちの純金製の品物です。これほどのものを買い取るお金は私の手元にはありません」と二人に告げました。祖母は、「まあ、そうですか。先ほど来た人は、こんなものは半マーサカの値打ちもないと言って、投げ捨てていったのですよ。このお椀はあなたの徳によって黄金製になったのでしょう。これはあなたにふさわしいものなのだから、これを下取りにして、何でもいいから私たちに置いていってください」と言って、お椀を菩薩に渡しました。
菩薩は、帰路のための八カハーバナを引いて、残りの所持金である五百カハーバナをすべて二人に差し出し、手に持っていた五百カハーバナの値打ちのアクセサリーを全部娘に渡して家を出ました。そして急ぎ足で川岸に向かうと、船頭に八カハーバナを与えてすぐに船を出させました。
しばらくたってから、欲深な商人が祖母と娘の家に来て、「かわいそうだからあの安物のお椀を下取りにして、何かひとつアクセサリーをあげようと思って戻ってきたのだ。あのお椀を出しなさい」と威張って言いました。二人は、「あなたは十万金の価値のある黄金のお椀に、半マーサカの値もつけなかったでしょう。あの後で正直な商人が来て、私たちに五百金と五百金分の品物を渡してあのお椀を持っていきましたよ」と言いました。欲深な商人は大変なショックを受け、「何ということだ、十万金の値打ちのある黄金の器を得損ねた。大失敗だ、大損だ」と歯ぎしりして悔やみ、気がふれたようになって上着を脱ぎ捨て、自分の持っていた品物やお金を戸口にまき散らして、秤棒を振り上げ、菩薩の後を追いかけて全速力で川岸へと走りました。遠くに走り去る船を見た欲深な商人は、「船を戻せー、船を戻せー」と大声で何度も叫びましたが、後の祭りでした。商人は船がどんどん離れていくのを見ながらあまりにも悲憤の情が高まり、口から血を吐き、心臓が破れて死んでしまいました。これがデーヴァダッタが菩薩に対して抱いた最初の恨みだということです。その後、菩薩は布施などの善行をし、その業に従って生まれ変わっていきました。
お釈迦さまは過去の話を終えられ、詩句を唱えられました。
もし人が目先の利益を求め
真理の道を踏み外すならば
彼は永きにわたり苦難に陥る
セーリヴァという商人のように
その後、仏陀が四つの真理を説かれると、それを聴いた精進努力を捨てようとした比丘は阿羅漢の悟りを開きました。釈尊は「その時の愚かな商人はデーヴァダッタであり、賢い商人は私だった」と言われ、話を終えられました。  
 
黒牛物語

 

ある時、ピンドーラ・バーラドヴァージャ(賓頭盧/びんずる)長老が、王舎城の商人の挑戦を受けて多くの人々の前で神通力を顕し、高い竹の上に付けられた黒檀の鉢を取ったことがありました。そのことを知った釈尊は長老をお叱りになり、今後は人々の前で神通力を見せてはならないという戒律を定められました。
それを聞いた外道の師匠たちは、「沙門ゴータマは、もう人々の前で神通力を見せることはないのだろう」と考え、「先生はなぜ神通力で鉢を取られなかったのですか?」と問う弟子たちに、「あのくらいの神通力を見せることは簡単なことだ。だが、あんな鉢を得るために自分の繊細で微妙な力を大衆に見せて何になるだろう。釈迦族の沙門たちは貪欲で愚かだから、あんなことで奇跡を見せたのだ。我々に力がないから鉢を取らなかったわけではない。我々は、沙門ゴータマが挑戦を受けるなら、喜んで神通の力比べをしよう。そうすれば、ゴータマの神通の倍の奇跡を見せてやることだろう」と豪語し、仏陀に挑戦しました。
この話を聞いたビンビサーラ王は、お釈迦さまを訪問し、皆の前で外道の師匠たちと共に神通力を見せていただけるかお訊きしました。釈尊は承諾されました。「しかし、世尊は神通を人々に見せることを禁ずる戒を定められたと聞いております。そのことは大丈夫でしょうか?」「大王よ、戒律とは私が弟子たちに授けるものであり、仏に禁戒はありません。お城の御苑に咲く花や果物を取ってはいけないという規則があったとしても、その規則は王様には関係ないでしょう。それと同じことなのです。」
お釈迦さまに指定された場所(舎衛城の城門近くのガンダマンゴー樹の下)と日にち(雨安居入りの月の満月の日)は王によって国中に広められ、国中から数え切れないほどの人々が集まってきました。外道の師たちも、多くの弟子たちを連れてそちらに集合しました。神々の王、帝釈天は、「世尊が力を顕されるのにふさわしい覆いを造らねばならない」と、十二由旬もの広さのある七宝の覆いを造り、一万世界から大勢の神々が集まりました。当日、釈尊は正覚者として、火と水による驚くべき神通力を顕されました。その場にいた者は圧倒され、多くの人々が信の心を起こしました。それを知った釈尊は空中から降りて仏座に座り、その場で法を説かれました。数知れぬ有情がその法を聴いて、不死の甘露を飲む恩恵を受けたといいます。釈尊は、「過去仏は奇跡を顕した後、どうされたのだろうか」と過去を観て、仏たちが三十三天に滞在されたことを知ると、ご自身も三十三天に昇られました。
その後釈尊は、三十三天で神々に法を説きながら、雨安居の三ヶ月間を過ごされました。雨安居の終わりが近づくと、モッガラーナ長老が三十三天に昇り、釈尊にそのことを告げられました。釈尊は、「サーリプッタはどこにいるのか?」とお尋ねになりました。「世尊、長老は、すばらしい奇跡を見て信心を起こし新たに出家した五百人の修行僧たちと共に、サンカッサで雨安居を過ごしておられます」「では、私は七日後にサンカッサに降りよう。」
その話を聞いて、お釈迦さまが突然消えてしまったと心配していたたくさんの人々が、サンカッサに集まりました。釈尊は、帝釈天が三十三天からサンカッサまで造らせた宝石をちりばめた階段を降りてこられ、サーリプッタ尊者の挨拶を受けられました。釈尊は、サーリプッタ尊者が智慧の第一人者であることを皆に示すための法話を説かれた後、多くの弟子たちを率いて祇園精舎に戻られました。
比丘たちが祇園精舎の法話堂でそれらの出来事を話題にし、「法友よ、如来の偉大さは、他に比類なき最勝たるものだ。神通の力においても、六人の外道の師匠たちは師の足下にも及ばなかった。如来が運ばれる荷を運べる者は、どこにもいない」と、釈尊の威徳を褒め称えていました。そこにお釈迦さまが来られ、彼らの話題をお訊きになって、「比丘らよ、今私が担っている荷を、他の誰が担うことができるだろうか。過去で私が畜生界に生まれた時も、私の運んだ荷を運べる者は誰一人もいなかったように」と言われ、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はある雌牛のお胎に生を受けました。その頃、菩薩の持ち主は牛の群れを連れて旅をしており、菩薩は生まれてすぐに旅費の代わりに宿泊先の老婆に与えられました。老婆は菩薩に乳粥などの滋養ある食べ物を与え、我が子のようにかわいがって育てました。仔牛は炭のように真っ黒だったので、アッヤカーカーラカ(お婆さんのクロ坊)と皆に呼ばれました。成長した仔牛は、他の村の牛たちと一緒に歩き回る、賢くて行儀の良い、真っ黒な美しい牛になりました。村の子供たちは、菩薩を見かけると、「お婆さんのクロ坊だ」と喜んでやって来て、角や首にぶらさがったり、背中に乗ったりして遊びました。
ある日、菩薩は、「私の母さんは、貧乏でお金がない中、私を実の我が子のように、苦労しながら愛情をもって育ててくれた。私はお金を稼いで、母さんに楽をさせよう」と考えました。それ以来、菩薩は、何かよい仕事はないかと気をつけて、探していました。
ある日、五百もの荷車を牽いた隊商が、村にやって来ました。彼らがでこぼこした河の渡し場にさしかかったところ、彼らの牛たちは荷車を牽いて河を渡ることができず、行列は止まってしまいました。隊商主がどうしたものかと思案していると、立派な黒牛が歩いているのが目に入りました。彼は牛の目利きであり、黒牛の力が一目でわかりました。
隊商主は、「あれはすばらしい生まれの牛だ。あの牛なら、この荷車を牽いて、河を渡すことができるだろう。あの黒牛はいったい誰のものなのだろう」と思い、「あの真っ黒な牛の主人は誰ですか?」と牛飼いたちに尋ねました。「私はあの牛に仕事をさせたいのです。もちろん、それ相応のお金を支払います」。牛飼いたちは「ここには彼の主人はいません。あの牛は自由にしているのだから、好きに使えばいいでしょう」と答えました。
隊商主は黒牛の鼻にひもを付け、引っ張りました。しかし黒牛は、岩のように動きません。「この牛は仕事をしたくないのかな。いや、そうではないだろう」隊商主は、牛が自分の仕事にそれ相応の賃金を求めていることがわかりました。そこで彼は牛に向かって、「私は君を雇いたい。五百の荷車を牽いて河を渡してくれたなら、一車につき2カハーバナの賃金を支払おう。全部で1000カハーバナの仕事ということになるが、どうだろう」と告げました。自分の仕事に相応の賃金が定められたと納得した菩薩は、荷車の方に歩き出しました。人々は次々と荷車を黒牛の背中につなぎ、黒牛は休みなく荷車を牽いて河を渡し、自分ひとりですべての仕事をなし終えました。
隊商主は、一車につき1カハーバナの賃金で計算した500カハーバナを布に包んで、黒牛の首に結びました。菩薩は、「彼は約束通りの賃金を支払っていない。このまま彼を行かせてはならない」と思い、隊商の通る道を遮って、道をふさいで立ちました。多くの人々が牛をどけようとして、あれこれ手を尽くしましたが、どうしてもどかすことはできませんでした。
隊商主は、「きっと彼は約束通りのお金が支払われてないと知っているのだろう」とわかり、布に1000カハーバナを包み、「約束通りの君の賃金だよ」と言いながら牛の首に結びました。すると黒牛は、何事もなかったように道を空け、家に向かって歩き出しました。家に帰る途中、子供たちが、「お婆さんのクロ坊だ。何か首に結んでいるよ。なんだろう」と言って近寄ってきました。しかし黒牛は、いつもと違って、子供たちを一人も自分の近くに寄せ付けませんでした。
家に戻ったとき、過酷な労働で一日を過ごした菩薩は、目を真っ赤に充血させ、汚れて疲れ切っていました。老婆は、菩薩が首に1000カハーバナもの大金を結んでいるのを見て、「あらまあ、おまえはいったいどこでこんな大金を手に入れたの」と驚いて、牛飼いたちに事情を尋ねました。菩薩が大金を得たいきさつを知った老婆は、「まあまあ、私がおまえにそんな苦しい仕事をさせて食べようなどと思うものかね。どうしてそんな苦しいことをしたの」と声をかけながら、菩薩をお湯で洗い、体に香油を塗り、おいしい食事や飲み物を与えました。その後、老婆と菩薩は仲良く暮らし、寿命が尽きるとそれぞれ自分の業に従って生まれ変わっていきました。
お釈迦さまは過去の話を終えられて、次の詩句を唱えられました。
義務は困難であるほどに、
成し難くなるものなり
されど成し遂げるべし 
クロ坊が荷を運んだ如く
お釈迦さまは、「比丘たちよ、その時もクロ坊は、その重荷を運んだのだ」とおっしゃって、「その時の老婆はウッパラヴァンナーであり黒牛は私だった」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
アオサギ物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
祇園精舎に一人の縫い物が抜群に上手な比丘がいました。その比丘は、布を断つこと、布を組み合わせること、全体的に調えること、布を縫い合わせることなど、すべてにおいて巧みなことから裁縫上手として知られていました。彼は、使い古したボロ布を柔らかくて上等な布のように美しく染め上げ、貝殻でこすって美しい光沢を出し、見栄えよく衣を仕上げて置いておきました。新しい布が手に入った比丘たちが、「友よ、衣を縫ってくれませんか」と頼みに来ると、かの比丘は、「法友よ、衣を縫い上げるにはかなりの時間がかかります。ちょうどここに私が作った衣がある。その布を置いて、これを持って行けばいいでしょう」と衣を渡しました。比丘たちは、その衣の見栄えのよさを見て実質に気づかず、それを受け取って喜んで帰りました。ところが衣を洗ったりするうちにその本性を現して本当はひどい品物だとわかると、比丘たちは後悔することになるのでした。そうやって来る者を次々に欺くので、かの比丘の名は、いたるところで知られるようになりました。
その頃、田舎のある村に、彼と同じように裁縫上手で人を欺く長老がいました。彼の親しい比丘たちが、「尊師、祇園精舎にも一人の裁縫上手な比丘がいて、人を欺いているそうです」と告げました。それを聞いた彼の心に、「よし、私はその比丘を欺いてやろう」という考えが浮かびました。
彼は古いボロ切れを集めて継ぎ合わせ、きれいな赤い色に染め上げて美しく衣を作り、その衣をまとって祇園精舎に行きました。祇園精舎の裁縫上手の比丘は、その衣を見てとても欲しくなり、「尊師、この衣はあなたが作られたのですか」と訊きました。「法友よ、そのとおりです」「尊師、この衣を私に譲ってくれませんか」「法友よ、私は田舎の村に住んでおり、布を手に入れるのは容易ではありません。これを差し上げたら、私はどうすればよいでしょう」「尊師、ここに新しい布があります。これを差し上げます」「友よ、この衣には私の技巧が凝らしてある。しかし、あなたがそれほどまでに言うなら仕方がない。この衣を差し上げましょう」と、田舎の比丘は新しい布を手に入れて帰って行きました。
その衣を使っているうちに、自分がだまされたことに気づいたかの比丘は、恥じ入りました。祇園精舎の裁縫師が田舎の裁縫師に欺かれたという話は、僧団の中で知れ渡りました。ある時、比丘たちが法話堂でそのことを話していると、お釈迦さまが来られ、彼らの話題をお訊きになり、「比丘らよ、祇園精舎の裁縫上手の比丘が人々を欺いたのは今だけではない。過去でも、彼は、他の者を欺いていた。田舎の比丘に彼が欺かれたのも、今だけではない。過去でも欺かれたことがあった」と言われ、皆に請われるままに、過去の話をされました。
昔々、菩薩はある森の蓮池のほとりに立つ大きな木の樹神でした。その蓮池から少し離れたところに、あまり大きくない池がありました。夏になるとその池の水が涸れ気味になり、池に住む魚たちを苦しめました。一羽のアオサギが、水が少なくなって苦しんでいる魚たちを見て、「何とかこの魚たちをだまして食べてやろう」と考えました。
アオサギは、池のほとりで思案深げに池を見ながらたたずみました。その様子を見た魚たちは「あなたは何を思ってたたずんでいるのですか?」と尋ねました。「私は君たちのことを思案して、たたずんでいるのだよ」「私たちのことで、いったい何を思案しているのですか?」「この池には水が少なく、食べるものはほとんどない。また、この夏の暑さは相当なものだ。このままでは、魚たちはいったいどうするのだろうと、君たちのことを思案してたたずんでいたのだ」「それで、何かいい考えが浮かんだのですか?」「君たちが私のアイデアに従うなら、いい方法がある。私は君たちを、一匹ずつ口にくわえて、五色の蓮華が咲き乱れる美しい大きな蓮池に連れて行ってあげようと思うのだ」「宇宙始まってこの方、魚の身の上を心配するアオサギなんか、いませんよ。きっとあなたは、私たちを一匹ずつ食べようと思っているのでしょう」「君たちが私のことを信じるなら食べたりはしないよ。もしそんな蓮池があることなど信じられないと言うのであれば、誰かを連れて行ってその池を見せてやろう」。
魚たちはアオサギの巧みな言葉に乗せられて、彼を信じてしまいました。そして、水の中でも陸の上でも生きられる大きなムツゴロウを偵察にやることに決めました。アオサギはその魚をくわえて蓮池に連れて行き、池に放して存分に泳がせてから、ふたたび魚をくわえて元の池に戻りました。ムツゴロウは、仲間たちに、その蓮池がいかにすばらしいかと語り、その池を褒めそやしました。
ムツゴロウの話を聴いた魚たちは、その池に行きたくてたまらなくなりました。魚たちは、アオサギに、「どうぞ私たちをその池に連れて行ってください」と頼みました。アオサギは、まず、大きなムツゴロウをくわえて蓮池に連れて行き、蓮池を見せてから、今度は池に放さずに、池のほとりの大きな木に運んで木の股に魚を落とし、くちばしで魚を殺して肉を食べ、骨を木の根本に落としてから元の池に戻りました。アオサギは、「さあ、あの魚は蓮池に連れて行って放してあげたよ。他の皆も、連れて行ってあげよう」と、一匹、また一匹と、彼らを蓮池に運んでは、木に連れて行き、殺して食べました。
ついに、池にたくさんいた魚たちは一匹もいなくなりました。まだ誰か残っていないかとアオサギが探してみると、一匹のカニがいるのが見つかりました。アオサギは、そのカニも食べたくなって、「やあ、カニ君、ここにいた魚たちは皆、美しい蓮池に行ってしまったよ。君も連れて行ってあげよう」と親切そうに言いました。カニは心の中で、「僕はだまされるもんか。こいつが魚たちを蓮池に放してやるはずがない。もし僕を連れて行って、本当に池に放してくれるのなら、文句はない。だけど、池に放さずに食べようとしたら、あいつの首をハサミでちょん切ってやる」と考えました。
カニは、「アオサギさん、あんたが僕を落とさずに連れて行けるのか心配だなあ。僕があんたにつかまることにするよ。僕のハサミで首につかまってもいいのなら、一緒に行ってもいいよ」と言いました。アオサギは、カニが自分をだまそうとしていることに気づかず、「いいだろう」と同意しました。
カニはハサミでアオサギの首につかまって「さあ出発!」と言いました。アオサギは、カニを蓮池に連れて行き、池を見せてから、魚たちと同様に池のほとりの木に連れて行こうとしました。
カニは「もしもし、おじさん、池はここだよ。なのにあんたは僕を他のところに連れて行こうとしているね」と言いました。アオサギは「私がおじさんなら、君は私の甥っ子だ」とおどけてから、「君は『アオサギは自分を運ぶ召使いだ』と思っているかもしれないが、この木の根本を見てみなよ。骨が山になっているだろう。おまえも、あの骨の仲間入りだ。さあ、食べてやるぞ」と本性を現しました。カニは、「この魚たちは、自分の愚かさのために、あんたに食べられてしまった。でも僕は違うぞ。食べられるどころか、おまえの首をちょん切ってやる。僕をだましたつもりだろうが、だまされたのはおまえの方だ」と言って、火箸で挟むように、ハサミでアオサギの首をぎゅっと締め付けました。アオサギはくちばしを大きく開き、苦しさに涙を流しながら死の恐怖に怯え、「降参です。決してあなたを食べたりはしません。命を助けてください」と嘆願しました。カニは、「では、僕を蓮池に連れて行け」と命じて池にアオサギを降ろさせてから、小刀で蓮の茎を切るようにアオサギの首をちょん切って殺し、池の中に入っていきました。
蓮池のほとりに住む樹神は、この不思議な出来事を見て感嘆し、森をざわめかせながら妙なる声で詩句を唱えました。
欺くことにたけた者が
その詐術で、永く栄えることはない
アオサギがカニにされたように
詐術の報いを受ける
釈尊は、「その時のアオサギは祇園精舎の裁縫上手の比丘であり、カニは地方に住む比丘であった。蓮池のほとりの樹神は私であった」と言われ、話を終えられました。
  
ソーマダッタ物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
ある歳をとった長老が、一人の子供を沙弥(しゃみ)として出家させました。長老は沙弥をとても可愛がり、沙弥も長老のお世話をしたり、親しく学んだりして楽しく出家生活を送っていました。ところが、その沙弥が、ある日突然病気になって、そのまままだ若くして死んでしまったのです。かの長老は沙弥の死をひどく悼んで、嘆き悲しみながらさまよい歩きました。
比丘たちは法話堂でそのことについて語り合い、「友よ、あの長老は、沙弥が死んだことを嘆き悲しむあまり、死に対する正念を失っているようだ」と話しをしていると、お釈迦さまが来られ、皆の話題をお訊きになったので比丘たちがお応えすると、「あの老比丘は、過去にも、かの沙弥をなくして嘆き悲しんだことがあった」と言われ、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は帝釈天でした。その当時、カーシー国のとある街に、裕福なバラモンが住んでいました。ある時、バラモンは、世俗世界の苦を観察し、欲を捨て、家族と多くの財産から離れて出家することにしました。彼は雪山に入り、木の根や木の実などを食べながら修行生活をはじめました。
ある日、木の実を捜して山を歩いていたバラモンの行者は、象の子供が迷子になってうろうろしているのに出会いました。行者は子象を自分の庵に連れて帰り、ソーマダッタという名前をつけて、わが子のように可愛がって育てました。ソーマダッタも行者になつき、すくすくと大きくなりました。
ところがソーマダッタの体が行者よりもだいぶ大きくなったある日のこと、森でたくさんの果物を食べたソーマダッタはお腹の調子が悪くなり、そのまま体調を崩して寝込んでしまったのです。行者はソーマダッタを草庵で寝かせ、懸命に看病しました。しかし、行者が食べるものを探しに森に行った留守中に、ソーマダッタは死んでしまったのです。森から戻ってきた行者は、「いつもはわが息子が私を迎えに来るのに、今日はあの子は来ない」と悲しんで、次の詩句を唱えました。
森のはるか彼方から
来る私を迎える
象が今は現れず
ソーマダッタよ、
どこにいる
庵に戻ると、ソーマダッタは歩く冥想のための場所の端っこで死んでいました。行者は泣きながら象の首を抱いて、次の詩句を唱えました。
摘み捨てられた若芽のように
彼はここに斃れている
地に横たわり倒れている
ああ、死せるかな、わが象は
その時、帝釈天は世界を観察し、「この行者は妻子を捨てて出家したのに、今は象の子供にわが子の想を抱き、象を失って嘆き悲しんでいる。彼を揺り動かして正気にしてやろう」と思い、天界から行者の庵の上に降りて空中に立ち、詩句を唱えました。
すべてを捨て
出家の身になりし沙門に
是は相応しからず
逝きし者を思い悩むことは
それを聞いた行者は、次の詩句を唱えました。
サッカ(帝釈天)よ、ともに暮らせば
人も獣も変わりなし
胸のなか、愛着は沸き燃ゆる
悼み嘆かずにいられない
帝釈天は彼を戒めて、次の詩句を唱えました。
死すべき者が
死者を悼み悲泣するとは?
仙人よ、悼むなかれ
嘆き悲しむは
無益なりと賢者は言う
バラモンよ、
慟哭によりて
死者が蘇生するならば
われら親戚みな集い
死者を思いて悲泣するがよい
帝釈天の詩句を聞いて嘆くことを離れ、立ち直った行者は、涙をぬぐい去って次の詩句を唱えました。
油注いだ火のごとく
燃えさかるわが嘆きに
水を注ぐようにして
わが憂いを消し去りぬ
こころを貫いていた
箭は抜き去られた
悲しみに沈んでいた
我が息子への愛着は消え去った
ワーサワ(帝釈天)よ、君に耳を傾けて
私の箭は抜かれた
悲哀なく、平静に至りて
いまは泣かず、悲しまず
そのように行者は帝釈天を賛嘆して感謝しました。帝釈天は、行者を立ち直らせて天界に戻りました。
お釈迦さまは、過去の話を終えられて、「この時のソーマダッタは亡くなった沙弥であり、森に住む行者は沙弥の死を嘆き悲しむ老比丘であり、帝釈天は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
ダッバ草花物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
祇園精舎にウパナンダという名の長老がいました。ウパナンダ長老は、出家でありながら、小欲知足の徳を捨てていました。
ある年、田舎の精舎で雨安居(うあんご)を過ごしたウパナンダ長老は、そこに住む比丘たちを集め、「比丘たるものは小欲知足の徳を保つべし」と、空を照らす月のごとき名調子で四つの必需品(衣食住薬)に対して清らかであることを説きました。その説教に心を動かされた比丘たちは、我も我もと快い衣を捨ててボロの糞掃衣(ふんぞうえ)をまとい、質の良い鉢を捨てて粗末な土の鉢を持ちました。ウパナンダ長老は自分の場所に他の人を住ませて雨安居の定住をすませ、戒律の儀式を行ってから、他の比丘たちが捨てた衣や鉢を荷車にいっぱい積んで祇園精舎に向かいました。
祇園精舎に戻る途中、ウパナンダ長老は、ある僧院の裏で足をつる草に引っかけました。彼は「こちらにも何か良いものがあるに違いない」と思い、精舎に入りました。そこには二人の年寄りの比丘たちが雨安居を過ごしていました。彼らはちょうど、二枚の粗末な上衣と一枚の立派なショールを適切に分配できず、困っていました。ウパナンダ長老が来たのを見た二人は、「この長老は我々の問題を解決してくれる方にちがいない」と期待して、「尊師、ここに雨安居のための、粗末な上衣が二枚と上等なショールが一枚あります。どうぞ我々のために公平に分配してください」と頼みました。ウパナンダ長老は、粗末な上衣を一枚ずつ彼らに与え、上等なショールは「これは律を持する我々の持つものだ」と取り上げて、そこを去りました。
ウパナンダ長老が祇園精舎に戻ると、比丘たちは、彼が運んできた衣や鉢を見て、「友よ、あなたは運がいい。たくさんの衣や鉢を手に入れたものだ」と言いました。彼は、「友よ、私は運がいいわけではない。私はこのようにして、これらを得たのだ」と事情を話しました。その頃、上等なショールに執着のある二人の比丘たちは、ウパナンダ比丘の後を追って、祇園精舎にやって来ました。彼らは先輩の比丘方に事情を話し、「尊者方、律を持する者は、このように、ものを取り上げることを許されているのですか」と訊きました。
法話堂で比丘たちが、「友よ、ウパナンダ長老はどうも欲から離れられないようだ」と話をしていると、釈尊が来られ、何の話をしていたのかお訊きになりました。そして、「比丘たちよ、ウパナンダによって、道は正しく行われなかった。他人に道を説く時は、先ず自らが実践してから法を説くべきなのだ」とおっしゃって、次の詩句を唱えられました。
まず自己を整え
その後に、他を教導すべし
さすれば賢者に
批判されることはない
そしてお釈迦さまは、「比丘らよ、ウパナンダは今だけではなく、過去でも欲にとりつかれていた。また、過去においても人の財産を取り上げたことがあった」と言われ、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はとある川のほとりにある木の樹神でした。その頃、マーヤーヴィン(まやかし屋)という名のジャッカルが、雌のジャッカルと共に、川岸に住んでいました。
ある時、雌ジャッカルがマーヤーヴィンに、「新鮮なローヒタ魚が食べたい」とねだりました。マーヤーヴィンは「ここで待て。俺が魚を持ってきてやろう」と言って巣穴を出、川岸に沿って歩き出しました。
その時、二匹のカワウソも魚を捜していました。ガンビーラチャーリンという名のカワウソが大きなローヒタ魚を見つけて食らいつきました。しかし元気な魚はそのままどんどん泳ぎ、魚に引っ張られた彼は友の助けを呼びました。
友、アヌティーラチャーリン(岸を走る者)よ
僕を追いかけてくれ
大きな獲物を捕らえたが 
彼は猛スピードで僕を運ぶ
友、ガンビーラチャーリン(深みを走る者)よ 
力強く強固に捕らえよ
ガルーダ鳥が蛇を捕らえるように 
僕があいつを引き上げてやろう
そのように、二匹は協力してローヒタ魚を捕まえました。ところが彼らは、せっかく捕まえた魚を上手に分けることができません。とうとう魚をそこに置いたまま口論を始めました。そこにジャッカルがやって来ました。カワウソたちは、賢そうなジャッカルを見て、きっと自分たちの問題を解決してくれるだろうと期待して、次の詩句を唱えました。
赤毛の友よ、(ダッパ草花色=赤茶色)
ここに争論が起こっている
友よ、お願いだ、争いを鎮めておくれ
ジャッカルは応えました。
俺はかつては名裁判官
事件をたくさん解決したものさ
友よ、まかせろ
論争は鎮まるだろう
アヌティーラチャーリンはしっぽを
ガンビーラチャーリンは頭を
真ん中は
裁判官の取り分だ
そう言って、ジャッカルは、魚の真ん中の部分を持って立ち去りました。カワウソたちは悔しがって、次の詩句を唱えました。
僕らが争わねば
獲物は奪われなかったものを
頭と尾を残し、
ジャッカルは魚を奪い去った
夫が赤い魚を持って帰って来たのを見たジャッカルの妻は、たいへん喜びました。彼女は不思議がって「泳げないあんたが、どうやって魚を捕まえることができたの?」と尋ねました。ジャッカルは次の詩句を唱えました。
論争により人はやつれ
論争より財が減る
論争ゆえにカワウソは負ける
マーヤーヴィン、ではローヒタ魚を食べよ
そしてお釈迦さまは次の詩句を唱えられました。
まさにかくのごとく
人々の間に争論起こりて
彼らは裁判官のもとに行く
裁判官こそはわれらを教導する者と
頼るとき
彼らの財は失われ、王の蔵のみ増大す
お釈迦さまは話を終えられ、「その時のジャッカルはウパナンダであり、カワウソは二人の年老いた比丘たちであり、この出来事の目撃者である樹神は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
ナーラダと父の物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
舎衛城に、一六歳になる、年ごろの娘がいました。彼女はとても美しく、家柄も良かったのです。娘の母親は、「私の娘は年ごろなのに、良い結婚話がない。なんとか出家した若い仏弟子を還俗させて娘と結婚させることはできないかしら」と思い、朝早くさまざまなおいしい食事をつくって門の外に立っていました。
その頃、祇園精舎にお釈迦さまの教えを聞いて出家した良家の息子がいました。彼は、出家したにもかかわらず、仏法を勉強する気持ちはあまりなく、おしゃれ好きで、眉をきれいに描き、髪を伸ばしぎみにして整え、美しく柔らかい衣を形良くまとっていました。その日も彼は、マニ石色に輝く鉢をかかえ、上等な日傘を持って、托鉢に出かけました。若くて美しい比丘を見た娘の母親は、一目で彼を気に入り、丁寧に礼をして鉢を受け取って、「どうぞ私どもの家にお入りください」と家に招き入れ、数々のご馳走でもてなしました。母親はその若い比丘に、毎日来るように勧めました。その日から彼は、毎日のようにその家に立ち寄るようになりました。
ある日、母親はかの比丘に、「この家は居心地が良いですよ。実は、私どもの一人娘は、まだ結婚相手が決まってないのです」と告げました。若い比丘は、「なぜそんなことをおっしゃるのですか?」と言いながら、少し胸がドキドキしました。その時以来、若い娘は、美しく着飾って若い比丘の近くに座りました。若い比丘はだんだん美しい娘に心を奪われ、煩悩のとりことなっていきました。
若い比丘はついに還俗を決め、鉢と衣を返そうと、彼を指導する長老に会いに行きました。心配した長老と友人の比丘たちが、彼をお釈迦さまのところに連れて行きました。お釈迦さまは、「比丘よ、君は、過去に森に住んでいた時も、あの女に修行を妨害されたことがあったのだよ」と言われ、過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はカーシー国の富裕なバラモンの家に生まれました。タッカシラーで必要な勉強を学び終えた菩薩は、結婚して家督を継ぎました。ところが菩薩の妻は、まだ幼い息子を残して若くして死んでしまったのです。菩薩は、「愛しい妻は突然死んでしまった。そのように、いつ私にも死が襲いかかるかわからない。こうしてはいられない。私は出家することにしよう」と決心し、すべての財産を捨て、息子を連れてヒマラヤに入りました。熱心に修行した菩薩は禅定と神通力を得、木の実や草の根を食べながら、息子と共に山の中で満足して修行生活を送っていました。
菩薩たちが出家してから十数年が経ったある日、国の辺境に住む盗賊たちがある村を襲いました。彼らは村人たちを捕らえ、荷物を担がせて、自分たちの住処に戻ることにしました。捕らえられた村人たちの中に、一人の美しい娘がいました。逃げる機会をうかがっていた娘は、トイレに行くふりをして逃げ出しました。彼女は、一人で山の中をさまよい歩くうちに、菩薩と息子が住む庵を見つけました。
ちょうどその時、菩薩は留守でした。彼女は息子を誘惑してそれまで守っていた戒を破らせ、「どうしてこんな山の中に住んでいるの? 村里に下りれば、美しいものやおもしろいものがたくさんあって、いろんな欲を満足させられるのよ」と息子を誘いました。息子は、「父が帰ってきたら訳を話して、一緒に村に行くことにしよう」と言いました。彼女は、「彼の父親は私の思い通りにはならないだろう。それどころか息子を誘惑したことを怒って、私は殴られるかもしれない。早くここを逃げ出そう」と考えて、「では私は先に行くから、必ず後から来てね」と、道しるべを残すことを約束して、庵を発ちました。息子は彼女がいなくなるととても悲しくなり、仕事も以前のように手につかず、寝込んでしまいました。
庵に帰ってきた菩薩は、女性の足跡を見つけ、「この女は息子の梵行を破らせて逃げたにちがいない」と思いながら庵に入り、寝込んでいる息子を見て、詩句で息子と会話を交わしました。
《父》
薪も割らず、水も運ばず、
祭壇の火を守ることも忘れ
呆けた者のごとく
いったい何を思い悩んでいるのか
《息子》
カッサパよ、告げます
山に住む意欲は消えた
山に住まうは苦しいこと
国の生活に未練を感じる
ここを下り、人里に住む
在家のバラモンが学ぶべきものを
教えてくれたまえ
「よくわかった。おまえに、人里に住む場合は気をつけるべきものを教えてあげよう」と言って、菩薩は、
《父》
もしおまえが山を下り
木の実、草の根を捨て去って
人里で楽に住むつもりなら
その正しい方法を聞くがよい
毒に絡まず避けること
険しい崖を避けること
泥沼には沈まないこと
蛇を避けて歩むこと
省略したその話の意味を解らなかった息子は、父に訊ねる。
《息子》
行者が説く、毒とは何ですか
崖とは何ですか、
泥沼とは何ですか、蛇とは何ですか
それを尋ねる私に答えてください
《父》
わが子よ、世に異様な液体がある
「酒」というのだ
香しく、甘美な蜜の味にて
修行を破壊する液体ゆえに
ナーラダよ、聖者はそれに毒という
わが子よ、世に女というものが
放逸の者をさらに陥れる
風が綿毛を運ぶように
若者のこころを奪い去るゆえに
ナーラダよ、行者はそれに崖というのだ
また利得、賞賛、尊敬、人から供養されることあり
ナーラダよ、行者はそれを泥沼というのだ、
わが子よ、軍を率いる王がいる
大いなる威力をもち 人々の間で彼は偉大なり
権力を持つ、支配者たる彼の傍を歩むなかれ
ナーラダよ、行者は王を蛇というのだ
食を求めて托鉢し、どこかの家に近づくとき
善を保てる家ならば、そこで食を求めるがよい
食を求めて家に入っても
適度を越えず食事をし
美麗なものには目を向けず
居酒屋、売春宿
賭博場、そのような悪所を遠ざけよ
これらは悪路という
息子は、父の言葉を聞いているうちに理性を回復し、「お父さん、僕は人里はもうたくさんです」と、元の息子に戻りました。菩薩は息子に慈悲を育てることを教えました。彼は父から教えを受け、間もなく神通力と禅定を得て、死後は二人とも梵天界に行きました。
お釈迦さまは「その時の娘は舎衛城の美しい娘であり、息子は還俗しようとした若い比丘であり、父である行者は私であった」と言われて、話を終えられました。  
 
ハンサ鳥王物語

 

ある時、シャカムニブッダは祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)で次のように語られました。
「比丘らよ、四人の弓の達人が背中合わせに四方を向いて立ち、同時に力一杯弓を放つとする。ある男が、「放たれた弓が地面に落ちる前に、四本とも捕らえてみせましょう」と言って、目にもとまらぬ速さで全部の弓を集めたとする。その男こそは、世にも稀な、おそろしく敏捷で迅速な、速さの達人と言えるのではないだろうか?」「世尊、まさにその通りです」「しかし、比丘らよ、太陽と月は、その男より遙かに速いのだ。そして、太陽や月を追い越して天を駆け抜ける神々は、日月よりさらに速い。しかし、さらに速いものがある。命というものは、それらすべてよりもずっと速く、言葉では言い表せないほどの速度で消え去り逝く。ゆえに比丘らよ、このことを肝に銘じなさい、『不放逸であってはならない』と」。そして釈尊は、過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はハンサ鳥として生まれ、九万羽の鳥たちのリーダーとなって、チッタクータ山に住んでいました。ある日、群れを率いた菩薩は、ジャンブディーバ平原の湖に降り立ち、辺りに生えている野生の米を食べ、再び大空に飛び立って、バーラーナシーの都の上空をゆっくりと戯れながら飛翔しました。ブラフマダッタ王は菩薩を見て、「あの鳥は、鳥の王にちがいない」と親しみを感じ、空を飛ぶ菩薩に向かってさまざまな優れた香りのお香を焚かせたり、あらゆる楽器を奏でさせたりしました。それに気づいた菩薩は、「あの王は私に敬意を表そうとしてさまざまなことをしている。いったい私に何を求めているのだろう?」とつぶやきました。近くにいた鳥が「あなたとの友好関係でしょう」と応えると、菩薩は、「では王と親交を結ぶことにしよう」と、王がわかるように親愛の情を示してから都を去りました。
それからしばらく経って、ブラフマダッタ王が御苑で遊んでいると、鳥の群れを率いた菩薩がアノーダッタ湖の水と栴檀の粉を持って御苑に飛来し、水と栴檀の粉を王の身体に振りかけて王を浄めてから、皆の見守る中を飛び去って行きました。そのことがあって以来、王は鳥の王に会いたくてたまらず、毎日のように「今日はわが友は来るであろうか?」と、菩薩の住む山の方向を眺めていました。
ある時、菩薩の群れの二羽の元気な若鳥が「太陽と駆け比べをしよう」と計画し、菩薩に許可を求めました。菩薩は「若者よ、太陽は怖ろしく速いのだ。大変な目に遭うから、やめなさい」と、彼らをとめました。しかし若鳥たちはあきらめず、再度菩薩にお願いしました。菩薩は三度まで彼らの願いを断りました。若鳥たちは菩薩に無断で決行することを決め、ある朝早く、陽がまだ昇らないうちに旅立ち、ユガンダラ山の頂上に降り立ちました。それに気づいた菩薩は、「あの子たちは途中で力尽きて倒れるだろう」と心配し、自分もユガンダラ山の頂上に行きました。
朝陽の光が見えるやいなや、若鳥たちと菩薩は飛び立ち、太陽と共に駆け出しました。一羽の鳥は、まだ朝の間に、翼の付け根が燃えるようになって力尽き、「僕はもうダメです」と悲鳴をあげました。菩薩は「安心しなさい」と若鳥を抱きかかえてチッタクータ山に連れ帰り、再びもとのところに戻りました。もう一羽の若鳥も、お昼近くになると翼の付け根が燃えるように熱くなり、「僕はもうダメです」と悲鳴をあげました。菩薩は「安心しなさい」と、再び自分の翼を籠のようにして若鳥をチッタクータ山に連れ帰りました。ちょうどその時、太陽は大空の真ん中に来ました。菩薩は、自分の力を試してみようと、素速く元に戻り、太陽に追いつきました。太陽と先になったり後になったりしながらしばらく飛び続けた菩薩は、「こんなことをして、いったい何になるのか?まったく意味のないことだ。こんなことで時間を潰すより、友人のブラフマダッタ王に、役に立つ、法に適った話をしよう」と思い、引き返しました。
菩薩は、太陽が中空を過ぎる前にチャッカヴァーラ山脈の端から端まで飛んでから速度を落とし、ジャンブディーバをも端から端まで飛んで、バーラーナシーに着きました。菩薩が王の部屋の窓に降り立つと、王は「余の友人が現れた」と大変喜んで、黄金の座に座らせ、百金にも千金にも値する香油を菩薩の翼に塗らせ、黄金の皿でごちそうを振る舞って、親しく歓待しました。
王が菩薩に、「友よ、今日はひとりのようだが、どうされたのですか?」と訊いたので、菩薩はその日にあった出来事を王に話しました。王は、「太陽と共に駆けるという、その速さを余にも見せてもらいたい」と菩薩に頼みました。「王様、それは速すぎて、とてもご覧にいれることはできません」「ではそれほど速くなくてもいいから、鳥王の飛翔を見せてほしい」「わかりました。それでは弓の名手たちを集めてください」。
弓の名手が集められると、菩薩はその中から特に優れた四人の名人を選び、王宮から外に出ました。そして自分の首に小さな鈴を結び、広場に一本の石柱を立てさせて、その上に立ちました。菩薩は、弓の名人たちを、石柱を背に四方を向けて立たせ、「王様、この四人に、同時に矢を力一杯放つように命じてください。私はそれらの矢が地面に着かないうちに四本とも捕らえ、彼らの足元に落としてみせましょう。私の姿は速すぎて見えないでしょうから、鈴の音で動きを察してください」と言って、人々が見ている前で、四人の弓の名人が放った矢を、目にも留まらぬ速さで捕らえ、彼らの足元に落とし終えてから、再び柱の上にとまりました。
菩薩は、「王様、これは私の最上の速さではなく、中くらいでさえもありません。これは最も速度が遅い方です」と言いました。感嘆した王は、「あなたの最上の速さよりもさらに速いものが、この世にあるのだろうか」と言いました。菩薩は、「あります。王様、有情の命は、私の最上の速さよりも、百倍も千倍も、万倍も、十万倍も速く過ぎ去っていきます。命は、それほど速くなくなっていくのです。それほど速く壊れていくのです」と、一瞬のうちに形あるものが壊れいくさまを説き示しました。
王はその話を聞いて死の恐怖に打たれ、意識を失ってその場で倒れてしまいました。人々は驚いて、王の顔に水をかけ、意識を回復させました。菩薩は、「王様、怖れてはなりません。死を知り、法に適った行いをし、布施などの福徳を積むのです。怠る時間はありません」と説きました。王は、「友よ、あなたのように智慧ある師をもたずに生きていくことはできない。なにとぞこちらに住んで、師として、法を説いてください」と、詩句で菩薩と会話を交わしました。
《王》
声を聞いて愛しさを覚え、
姿見て愛しさの消えることもあり、
姿見てなお愛しさの増すこともある
汝、われを見て愛しさを覚えざるか
鳥よ、われは、汝の声を聞くも愛し
姿見てさらに愛しさを覚える
かくも愛しき汝は、わがもとに暮らせよ
《鳥王》
あなたが、変わらずに私を重んじつづけるならば
あなたのもとにとどまろう
しかし、あなたはいつの日か、
酒に酔って言うだろう
「この鳥を調理せよ」と
《王》
汝に勝るものは世にない
汝に比べれば、酒など、ただいとわしいのみ
汝がわがもとにいる限り
われは、酔わすものを、決して摂ることはせぬ
《鳥王》
ジャッカル、ハゲタカの叫びは理解できても
王よ、人の言葉は、わかり難い
先に、「血縁の友」「わが友」と言えども
後には敵となり、終わる
こころ通じた者は、遠く住んでも、
真に離れることはない
近くにいても、こころに隔たりがあれば、
真に離れている
こころが清ければ、大海の彼方にあっても清い
こころが汚れてあれば、
大海の彼方にあっても汚れている
王よ、敵は、共に住んでも、こころは遠い
国を富ます者よ、遠く離れていても、
友はこころの近くにいる
長く共に住めば、愛しき者も、
愛しからざる者となる
されば私は別れを告げ、ここを発とう
あなたの愛しからざる者とならぬように
《王》
われ請い願い、嘆願するも、汝聞き入れず
たとえわが言葉に耳を傾けることがなくても、
われ、さらに請わん
いつかまたここに飛来することあれと
《鳥王》
大王よ、あなたも、私も、われらの命の
遮られることなければ 
いく昼夜か過ぎたのち、互いに相見るだろう
このように詩句を交わした後、菩薩はチッタクータ山に飛び去りました。
お釈迦さまは「その時の王はアーナンダであり、二羽の若鳥はサーリプッタとモッガラーナであり、ハンサ鳥の群れは仏弟子たちであり、ハンサ鳥王は私であった」と言われて、話を終えられました。  
 
荒馬物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時、乱暴な二人の比丘について語られたお話です。
そのころ、祇園精舎に一人の、怒りっぽくて、気が荒く、すぐに暴力的に振る舞う比丘がいました。祇園精舎から少し離れた田舎の方の寺にも、同じように気が荒く、粗暴で、ちょっとしたことで人をどやしつける比丘がいました。
ある日、田舎の気の荒い比丘が祇園精舎にやって来ました。彼の性質を知っている沙弥たちや若い比丘たちは、乱暴な者同士が出会ったらどれほど大変なことになるだろうといういたずら心から、田舎から出てきた気の荒い比丘を、祇園精舎の気の荒い比丘のところに連れて行きました。
ところが、二人の乱暴者は、会ったとたんに、にこやかに互いの背中を抱き合って、ひどい喧嘩をするどころか、手や足や背中をさすりあって親しくしていたのです。
比丘たちは、法話堂で、このことについて話をはじめました。「友よ、あの怒りっぽい比丘たち二人は、他の人に対しては、ちょっとしたことで苛立ち、すぐに乱暴な行動を取ろうとする。しかし、乱暴者同士が二人でいるときは、互いに仲良く、機嫌良く、親しみあっていた。」
するとそこにお釈迦さまが来られ、「何を話しているのか」と比丘たちにたずねられました。比丘たちがお応えすると、お釈迦さまは、「比丘らよ、あの二人が怒りっぽい性質であることも、互いに仲良くすることも、今だけのことではない。過去においても、あの二人は、他の者に対しては粗暴で暴力的であった。しかし、二人でいる時は、互いに仲良く親しみあっていたのだ」とおっしゃって、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバラモンとして生まれ、その国の大臣となって、王に仕えていました。菩薩は、世俗のことだけではなく、出世間のことにまでわたって、すべてのことにおける王の師であり、王にとってなくてはならぬ相談役として信頼されていました。
しかし、ブラフマダッタ王は、少しばかり欲が深いことで知られていました。
ある時、北国の馬商人が、五百頭の馬を連れてバーラーナシーを訪れ、商いのために城にやって来ました。馬商人が来たという報告を受けた王は、いつものように菩薩を呼ばず、他の大臣に馬の買い付けを命じました。前回までは、馬の買い付けも菩薩に任せていたのですが、菩薩が馬を値切らずに買い入れるので、国王は不満だったのです。
お城では、マハーソーナという名の、気が荒く、乱暴で喧嘩ばかりする馬を一頭、飼っていました。
王は他の大臣に馬の買い付けを命じ、「馬に値を付けるときは、まずマハーソーナを馬商人の馬たちの中に放しなさい。マハーソーナが噛んだり蹴散らしたりして馬たちを傷物にしたならば、良い馬も安く買い叩くことができるであろう」と指示を与えました。
馬の買い付けを命じられた大臣は、王から言われた通りのことをしました。馬商人は、そのひどい仕打ちを不快に思い、その不正なやり方を菩薩に訴えました。
菩薩は「あなたのところには荒馬はいませんか」と馬商人に訊きました。
「おります、旦那様。今こちらには連れて来ていませんが、国の方には、スハヌという名前の、とても乱暴で気性の荒い馬がいます」
「では次に来るときは、そのスハヌを連れて来なさい。今度、馬の群れに荒馬を放たれたなら、スハヌを群れに放てば良いでしょう」
「わかりました」
馬商人は、菩薩に言われた通り、五百頭の馬と共にスハヌを連れて、再びバーラーナシーにやって来ました。
国王は、馬商人が来たと聞くと、「前回と同じ様に、馬商人の馬たちの中にマハーソーナを放して馬を買い叩け」と言って、大臣に馬の買い付けを命じました。
暴れ馬が馬たちの中に放たれると、馬商人は、すぐにスハヌを群れに放しました。マハーソーナとスハヌは、お互いを見たとたんに立ち止まり、互いに体をなめあったり一緒に遊んだりして、トラブルは全く起こりませんでした。
馬の買い付け役の大臣の報告を受け、二頭の暴れ馬が仲良く遊んでいるのを見た国王は不思議に思って、菩薩にたずねました。
「二頭の荒馬たちは、他の馬に対しては乱暴に振る舞い、噛みついたり蹴散らしたりして相手を傷つける。しかし、彼ら荒馬同士はすぐに仲良くなって、互いに体をなめあい、穏やかに、楽しそうに遊んでいる。これはいったいどうしたことか」とたずねました。
菩薩は、「王様、この二頭は性質がよく似ています。似ている者同士は気が合うのです」と答え、次の詩を唱えました。
ソーナとスハヌは似た者同士
ソーナはスハヌのごとく、
スハヌはソーナのごとく
乱暴で、恥を知らず、
常に手綱に噛みつく
邪(よこしま)な者は、邪な者と和し
不善な者は、不善な者と和す
そのように詩を唱えた菩薩は、「王様、王たる方は強欲であってはなりません。他人の財産を損なうような仕業(しわざ)は、国王にふさわしくありません」と、王を戒め、商人の連れてきた馬たちに値を付けさせて、適正な値段で馬を買い付けました。馬商人は、もらうべき代価を得、満足して帰って行きました。
その後、王は、菩薩の戒めに従って生活し、その業によって、生まれるべきところに生まれ変わっていきました。
お釈迦さまは、「その時の二匹の荒馬は乱暴な二人の比丘であり、ブラフマダッタ王はアーナンダであり、賢明な大臣は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
白象物語

 

これは、シャカムニブッダがマガダ国の竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)におられた時に語られたお話です。
竹林精舎の法話堂で、比丘たちが、「友よ、デーヴァダッタは、満月のように輝く世尊のお顔を拝しても、心を清められて信を起こすことはない。世尊が、仏陀と天輪王の相として昔から言い伝えられている八十の特徴と三十二の相のすべてを満たしておられ、光に包まれたお姿であることを見ても、清らかな信の心を起こすことがない。それどころか世尊に嫉妬し、『諸々の仏はこのような、戒、定、慧、解脱の智慧を備えておられるのだ』と人々が世尊を賞賛するのを聞くと、腹立たしく思うのだ」と話していました。
そこにお釈迦さまが来られ、皆の話題についておたずねになったので、話の内容をお話しすると、「比丘らよ、デーヴァダッタが、私が賞賛されるのを聞いて嫉妬の炎を燃やすのは今だけではない。過去でも同じことがあった」とおっしゃって、皆に請われるままに過去の話を語られました。
昔々、マガダ国の都が王舎城であったころ、菩薩は真っ白な美しい象としてマガダ国で生まれました。成長して、すばらしく立派な美しい象になった菩薩を見たマガダ王は、「この象は偉大な相に満たされており、余の象にふさわしい」と、菩薩を王象にしました。
あるお祭りの日のことです。王は、天の都のように飾りたてられた都を、見事な装飾を施された王象にまたがって、ゆっくりと街中を練り歩いていました。街中にあふれた人々は、豪勢な行列の中でもひときわ目立つ菩薩の真っ白で偉大な姿を見て感動し、「ああ、なんと美しく立派な象だろう、なんと優美な身のこなしだろう、なんと堂々として立派な歩き方だろう、これほどすぐれた相を満たした象は天輪王にこそふさわしい」など、口々に菩薩をほめて、感嘆の声をあげました。
王は、象ばかりがほめられることにがまんができず、皆に賛嘆される象が憎くてたまらなくなりました。嫉妬に駆られた王は、「王である私をないがしろにして、象ばかりがほめそやされるとは、なんと無礼なことであろうか。今日、こいつを崖からつき落として殺してやろう」と心に決めました。
王は、象の調教師を呼びました。
「この象はよく仕込まれているか」
「はい、王様。とてもよく仕込まれています」
「そうであろうか。それほどでもないであろう」
「いいえ、王様。この象は、本当によく仕込まれています」
「もし本当によく仕込まれているのであれば、ヴェープッラ山の崖を登らせることはできるか」
「はい。できます。王様」
「それでは、この象にあの崖を登らせよ」
王は象から降り、調教師が象に乗って菩薩をヴェープッラ山の険しい崖を登らせ、崖の上に立ちました。王も家臣たちに担がせて山を登り、崖の上に立ちました。王は、調教師に命じて象を崖に向かって立たせ、次のように命じました。
「汝は、この象を立派に仕込んだと言った。もしそれが本当であるならば、象を崖淵で三本足で立たせてみよ」
象の調教師は、象の背中に乗ったまま、「友よ、三本足で立ちなさい」と象に合図を送りました。象は、三本足で立ちました。
次に王は、「では、二本の前足で立たせてみよ」と命じました。
調教師は象から降りて、「友よ、二本の前足で立ちなさい」と象に合図を送りました。象は二本の前足で立ちました。
次に王は、「では、二本の後ろ足で立たせてみよ」と命じました。
調教師が、「友よ、二本の後ろ足で立ちなさい」と象に合図を送ると、象は二本の後ろ足で立ちました。
次に王は、「では、一本の足で立たせてみよ」とさらに無理なことを言いました。
象の力を知っている調教師は慌てることなく、「友よ、一本の足で立ちなさい」と象に合図を送りました。象は三本の足を高く蹴り上げて、一本足で立ちました。
どうしても象を崖から落とすことができないことを知った王はイライラして、「では、できるなら、空中に立たせてみよ」と命じました。
それを聞いた調教師は驚きました。「これほどの技ができる象は、どこを探してもいないはずだ。そのことはもう十分に証明できたことだろう。それなのに王は、とどまることなく無理難題を言い続ける。きっとこの王は、象が崖から落ちて死んでしまうことを望んでいるのだろう。このままでは何をしても、いずれは象が殺されるに違いない」と状況を理解した調教師は、象に乗って耳元でささやきました。
「友よ、王様は、おまえが崖から落ちて死ぬことを望んでいるようだ。この王は、おまえの主(あるじ)としてふさわしい王ではない。もしおまえに空を飛ぶ力があるならば、空中に昇り、そのまま空を飛んでバーラーナシーに行け」
福徳にあふれ、神通力を備えた象は、直ちに空中に昇りました。調教師は、「王様、このような福徳にあふれた神通力のある象は、不徳で愚かな王にはふさわしくありません。福徳にあふれた賢い王こそ、福徳にあふれた象の主としてふさわしいのです。
不徳な愚か者がこのような象を得ても、その値打ちがわからず、象の名声も引き下げて、自分の名声と同じように、名声を地に落とし、台無しにしてしまうのです。私たちは、ふさわしい主の元にまいります」と、次の詩句を唱えました。
愚か者が名声を得たならば
自己破壊の道を歩む
自分と他人との
傷害のみを遂行する
このように詩句を唱えた調教師は象に合図を送り、白象は調教師を乗せたままバーラーナシーへと飛びました。
バーラーナシーに飛んだ白象は、王城の庭園の上空で止まり、そのまま空中で立っていました。人々は驚いて、「たいへんだ!虚空から龍象が現れた。我々の王城の上に真っ白な象が浮かんでいるぞ」と騒ぎ出し、城のところに集まって来ました。
バーラーナシーの王も多くの家臣と共に城から出て上を見上げ、「汝が余を喜ばせるために来たのであれば、こちらに降りよ」と声をかけました。
白象は、ゆっくりと地上に降りました。調教師は象から降り、王に丁寧に敬礼しました。どこから来たのかと王に尋ねられた調教師は、マガダ国の王舎城から来たことを告げ、突然空から現れた事情を詳しく話しました。
それを聞いたバーラーナシーの王はたいへん喜んで、「それはよく来られた。ようこそ我が国へ。こころから歓迎しますぞ」と言うと、すぐに立派な象舎を用意させ、白象をそちらで休ませました。
その後、バーラーナシーの王は国を三等分し、そのうちの一つを菩薩である白象に捧げ、後の一つを調教師に贈り、残りを自分が統治することにしました。
菩薩が来てからインド中の領地は次々にバーラーナシーのものとなり、王は広大な国を治めることになりました。王は布施などの福徳を積み、その生涯を終えました。死後は、それぞれの業に従って、自分にふさわしいところに生まれ変わっていきました。
お釈迦さまは、「そのときの、白象を殺そうとしたマガダ王はデーヴァダッタであった。バーラーナシーの王はサーリプッタであり、象の調教師はアーナンダであった。白い王象は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
カッカールの花輪物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
デーヴァダッタは、出家してまだ間もない比丘たちを上手く言いくるめて彼らに釈尊のもとを離れさせ、共にガヤーシーサ(象頭山)に移り住んで、サンガの分裂という大罪を犯しました。その後、サーリプッタ尊者とモッガラーナ尊者が修行僧たちに法を説いて仏陀のもとに連れ戻すと、デーヴァダッタは絶望のあまり口から血を吐いて、怖ろしく苦しみました。
ある時、法話堂で比丘たちが、デーヴァダッタが自分の悪行為の報いを受けて苦しんだことについて話をしていたところ、お釈迦さまが来られ、「比丘らよ、デーヴァダッタが自分の悪い行いの報いを受けて怖ろしく苦しんだのは今だけではない。過去でも、デーヴァダッタは、自分の悪い行いの報いを受けて大変な苦しみを受けた」と言われ、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は三十三天に住む神のひとりでした。
ある時、バーラーナシーで盛大なお祭りが開かれ、国中からたくさんの人々が都にやって来ました。祭りを見に集まったのは人間だけではありません。たくさんの龍や金翅鳥(こんじちょう)、地上の神々など、ありとあらゆる有情(生命)が、バーラーナシーにやって来ました。
三十三天からも、四人の神々が、祭りを見に訪れました。四人は、それぞれ、天界の妙なる香りを漂わせた美しい花輪を頭に飾っていました。十二由旬(ゆじゅん)もの広さのある都が、その花のすばらしい香りで充たされました。人々は、「この香りはいったい何の花だろう?このすばらしい香りの花の持ち主は誰だろう?」と、香りの主を捜しました。
三十三天の神々は、人々が自分たちを捜していることを知り、王宮の庭から神通力で空中に浮かび上がり、人々の前に姿を現しました。たくさんの人々がそちらの方に集まって、上を見上げました。報告を受けた王も、副王、大臣たち、家来たちと共に、そちらにやって来ました。
人々は、「あなた様は、どちらの天界から来られたのですか?」と四人の神々にたずねました。「我々は三十三天からやって来ました」「何のためにいらっしゃったのですか?」「お祭りを見に来たのです」「このすばらしい香りをもつ美しい花は何という花ですか?」「天界に咲く、カッカールという花です」「天界には美しい花がたくさんあるでしょう。その花を私たちにいただけませんか?」。
人々は、その花の妙なる香りのすばらしさに魅せられて、花輪を譲ってくれるようにと、神々にお願いしました。しかし、神々はその願いを断って、「この花輪は、大徳のある天界の神のみが飾る資格をもつのです。卑しく、愚かで、心が貧しく、品行の悪い人間界の者に、この花輪を飾ることはできません。しかし、たとえ人間でも、この花にふさわしい徳を備えている人であれば、この花輪を飾ることができます」と言いました。
そして、四人の中の最年長の神が、次の詩句を唱えました。
身で盗むことなく
口で嘘を語らず
名声を得ても意で酔わぬ者
カッカールの花は彼にこそ相応しい
それを聞いた一人の宰相(さいしょう)が、「私にはそれらの徳は何ひとつ備わってはいない。しかし、この花輪を飾れば、人々は私のことを、すばらしい徳の備わった人格者だと見上げるにちがいない」と考えました。
彼は、「私はそういう徳を備えている者です」と名乗りを上げて、神から花輪をもらい、頭に飾りました。
次に二番目の神が、詩句を唱えました。
道に外れず正しく財を求め、
偽(いつわり)にて儲けることなく
財を得ても、こころ酔わぬ者
カッカールの花は彼にこそ相応しい
宰相は、「私はその徳も備えています」と再び嘘をついて、神から花輪をもらって頭に飾りました。
次に三番目の神が、詩句を唱えました。
こころは欲に染まることなく
信から離れることもなく 
富を独り占めにしない者
カッカールの花は彼にこそ相応しい
宰相は、「私にはその徳もあります」とまた嘘をついて、神から花輪をもらって頭に飾りました。
次に四番目の神が、詩句を唱えました。
おおやけでも わたくしでも
仙人をののしらず
言葉に行動が伴う者
カッカールの花は彼にこそ相応しい
宰相は、「その徳も私にあります」と今度も嘘をついて、神から花輪をもらって頭に飾りました。
神々は花輪を全部その宰相に与えると、三十三天に帰っていきました。
神々が見えなくなると、宰相の頭に激痛が走りました。鋭い刃物で頭を刺されたような、鉄の器械で押しつぶされるような、猛烈な痛みでした。宰相はあまりの痛みに正気を失い、ぐるぐる回りながら大声で泣き叫びました。
驚いた人々が、「いったいどうなさったのですか?」と訊くと、宰相は泣きながら、「私は、本当は神々の言ったような徳など全くないのです。それなのに大嘘をついて神々から花輪を受け取ってしまいました。お願いです、誰かこの花輪を取って下さい」と懇願しました。
人々は何とかして花輪をはずそうとしましたが、花輪は打ち付けられた鋼のように、びくともしません。人々は、仕方なく、泣き叫ぶ宰相を抱きかかえて、彼の家に運びました。
宰相が家でひどく苦しみながら泣き暮らしているうちに、七日間が経ちました。王は、大臣たちを呼んで、彼らに相談しました。「あの罰当たりのバラモンは、あのままでは死んでしまうであろう。いったいどうしたものだろう」「大王様、神々しか彼を救うことはできません。もう一度盛大なお祭りをすれば、神々を呼び寄せることができるかもしれません」。
王は、再び、盛大な祭りを催しました。三十三天の四人の神々は、前と同じようにすばらしい香りで都中を満たしながら、美しい花輪をつけて、祭りに現れました。人々は、死にそうになっているバラモンを家から運んで来て、神々の前に横たえました。
宰相は泣きながら「どうぞ私を助けて下さい」と神々に懇願しました。
神々は、「このカッカールの花は、あなたのような品行の悪い、道に外れた者にはふさわしくないのです。あなたは我々をうまくだましたつもりだったのだろうが、自分の虚言の報いは自分に返ってくるのですよ」と、大勢の人々の前で彼を叱りつけて人々に訓戒を与え、宰相の頭から花輪をはずしてあげてから、天界に帰って行きました。
お釈迦さまは、「その時の嘘つきの宰相はダイバダッタであり、四人の神々は、マハーカッサパ、モッガラーナ、サーリプッタと、私であった」と言われ、話を終えられました。
  
肉屋物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の都(舎衛城)の近郊にある祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
ある時、祇園精舎で、何人かの比丘が体の調子を崩して整腸剤を飲んで寝ていました。看病の比丘たちが、病人に甘味のお粥を食べさせるため、午前中の早いうちから病人食を求めて舎衛城の菓子屋街に托鉢に出ました。ところが、どこに行っても、思うようなお布施を得ることができません。比丘たちは、仕方なくあきらめて、空の鉢を抱えて精舎に戻ることにしました。
ちょうどその頃、サーリプッタ長老が、昼近くになったため舎衛城に向かって歩いてきました。祇園精舎に戻ろうとする比丘たちに出会ったサーリプッタ長老は、「法友たちよ、どうしてそんなに早く帰ろうとしているのですか?」と声をかけました。
比丘たちが「我々は病人に食べさせる食事を求めて托鉢に出ましたが、病人食を得ることはできませんでした」と告げると、サーリプッタ長老は「では一緒に来なさい」と同じ菓子屋街に彼らを連れて入りました。サーリプッタ長老と共に托鉢すると、先ほどあれほど苦労しても得られなかった病人食を、簡単に、たくさんもらうことができました。比丘たちは、鉢に満たされた食事を持って急いで祇園精舎に帰り、無事、病人たちに食事をさせることができました。
ある時、法話堂で、比丘たちが、その出来事について話を始めました。
「友よ、法友たちが病人に食べさせる食事をいくら探しても得ることができずにあきらめて戻ろうとしていたところ、サーリプッタ長老が彼らを連れて街に戻り、望みのものを十分に手に入れてあげたのだそうだ。」
そこにお釈迦さまが来られ、彼らの話題をお訊きになって、「比丘らよ、巧みに食を得たのはサーリプッタだけではない。過去において、柔和に愛語を語る賢人も、巧みに食を得たことがあった」とおっしゃって、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は街の長者の息子でした。
ある時、一人の猟師が肉をたくさん荷車に積んでバーラーナシーの都にやってきて、街はずれの四つ辻で商売を始めました。
ちょうどその頃、バーラーナシーの四人の長者の息子たちもその四つ辻にたむろし、辺りで目につく様々なことについて、あれこれしゃべっていました。
長者の息子の一人が猟師の荷車を見て、「俺は、あの猟師のところに行って、肉を一切れもらって来てやろう」と言って猟師に近づくと、「おい、猟師、肉を一切れおくれ」と言いました。
猟師は、「人に何かをねだる時は愛想良く言わなきゃならないよ。あんたの言葉にふさわしい肉をやることにしよう」と言って、次の詩句を唱えました。
君は粗悪語で肉を求める
その言葉は、ハラワタのように感じる
言葉に相応しい、ハラワタをあげよう
はらわたの肉を持って戻った友人に、一人の息子が「君は何と言ってそれをもらったのか?」と訊きました。
「おい、猟師、肉を一切れおくれ、と言ったのさ」と聞くと、その息子は、「では今度は僕がもらいに行こう」と言って猟師に近づきました。
彼が、「お兄さん、僕に肉を一切れ下さいよ」と言うと、猟師は、「では、あんたの言葉にふさわしい肉をあげよう」と言って、次の詩句を唱えました。
兄弟は人の手足なりと
世に言われる
君の言葉は手足のようなので
君に足のもも肉をあげよう
足のもも肉を持って戻った友人に、他の息子が「君は何と言って肉をもらったんだい?」と訊きました。
「お兄さん、僕に肉を一切れ下さいよ、と言ったんだ」と聞くと、その息子は、「では、今度は僕が行こう」と言って猟師のところに行きました。
彼が、「お父さん、僕に肉を一切れ下さい」と言うと、猟師は、「では、あんたの言葉にふさわしい肉をあげよう」と言って、次の詩句を唱えました。
子が「父よ」と呼ぶ言葉は
父の心を揺り動かす
君の言葉は心臓のようなので
君に心臓の肉をあげよう
猟師はそのように言いながら、心臓の肉と共においしい肉もつけてあげました。
心臓の肉とおいしい肉を持って来た友人に、菩薩が「君は何と言ったの?」と訊きました。
「お父さん、僕に肉を一切れ下さい、と言ったんだ」と聞くと、菩薩は、「では、僕も行くことにしよう」と言って猟師のところに行きました。
菩薩が、「朋友よ、僕に肉を一切れ下さい」と言うと、猟師は、「では、あんたの言葉にふさわしい肉をあげよう」と言って、次の詩句を唱えました。
村に朋友なき私は
森の中に独りいると同じ
朋友がいることはすべてに値する
君にすべての肉をあげよう
猟師はそのように言って、「さあ君、この肉を荷車ごと君の家に運ぼう」と言いました。
菩薩は、彼を自分の家に連れて行き、猟師に敬意を払って丁寧に遇し、彼の妻子も呼び寄せて、自分の敷地内に住まわせました。その後、菩薩と猟師は仲の良い友人同士となって、親しく共に暮らしました。
お釈迦さまは、「その時の猟師はサーリプッタであり、全部の肉をもらった長者の息子は私だった」と言われて、話を終えられました。
 
黒猿物語

 

これは、シャカムニブッダがマガダ国の竹林精舎におられた時、デーヴァダッタについて語られたお話です。
デーヴァダッタは、理由もなくお釈迦さまに恨みを抱き、お釈迦さまを殺そうという計画まで立てて、ナーラーギリという凶暴な象をけしかけました。デーヴァダッタの悪行為は世間に知れ渡るところとなり、人々から非難されたデーヴァダッタは、それまで得ていた食事などのお布施を得ることができなくなりました。国王からも見放され、人々からの尊敬を失ったデーヴァダッタは、家々を「何か食べ物を下さい」と訪ね歩いて、何とか命をつないでいました。
ある時、法話堂で、比丘たちが、「友よ、デーヴァダッタは、尊敬と利得が得られるようになりたいと願い、その願い通りに多くのお布施を得られるようになりながら、尊敬と利得を得る立場を堅持することはできなかった」と、話をしていました。
お釈迦さまが来られ、比丘たちの話題をお訊きになって、「比丘らよ、それは今に始まったことではない。過去においてもデーヴァダッタは、布施も尊敬もなくしたことがあった」と言われ、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでダナンジャヤ王が国を治めていた頃、菩薩はラーダという名の、大きくて立派な体格の美しいオウムでした。菩薩の弟はポッタパーダという名前のオウムでした。
菩薩と弟は、ある猟師に捕らえられ、国王に献上されて、お城で飼われていました。ダナンジャヤ王は、二羽のオウムを大変気に入って、金の籠を作らせ、毎日とてもおいしい食事と砂糖入りの水でオウムたちの世話をさせました。
オウムであった菩薩と弟は、そのように王の寵愛を得、この上なく皆に大切にされて暮らしていたのです。
ところが、ある時、森でうろついていた猟師がカーラバーフという名の黒い大猿を捕らえ、王に献上しました。
王をはじめとし、城中の者の目が、新しく来た黒猿のカーラバーフに注がれました。カーラバーフばかりがもてはやされるようになり、二羽のオウムたちはあまり顧みられなくなったのです。次第にオウムたちの食事や飲み物は、おざなりになってきました。
兄であるラーダは菩薩の特性を備えているので、そんなことには動じませんでした。しかし弟のポッタパーダは、菩薩の特性がないため、新参者がもてはやされることにがまんができず、不満をぼやくようになりました。
「兄さん、以前はお城のおいしいものは、いつも僕たちがもらっていた。それなのに最近は僕たちの待遇はさっぱり悪くなってしまった。いつもあの黒猿ばかり、良いものをもらっている。僕たちはダナンジャヤ王から大事にされなくなってしまったんだ。おいしいごちそうももらえないのに、こんなところにいてもつまらないよ。僕たちはもう森に帰ろう、兄さん、森で住むことにしようよ。」そして弟は、次の詩句を唱えました。
かつて、われらが王より得たごちそうは
今は、猿のもとに行く
ラーダよ、われらは、森に去ろう
もはや、ダナンジャヤには顧みられず
兄であるラーダは、次の詩句で応えました。
得ると得ざると、名誉と不名誉と
誉れと貶(けな)しと、苦と楽と
それらは、人間界では、常に遷(うつ)ろうもの
憂うことはない、ポッタパーダよ、なぜ憂うのか
しかしポッタパーダはがまんできず、次の詩を唱えました。
ラーダよ、あなたは確かに賢者であり
まだ来ぬ利得を知る
いかにすればあの卑しい猿が
王家より排せらるるを見るや
ラーダは次の詩句で応えました。
耳を動かし、尊大な風をふかし
鼻息荒く、王子たちを脅かす
それらの行いにて、カーラバーフは
自ら食物より遠ざかるだろう
しばらく経つと、黒猿のカーラバーフは、王子たちに対して尊大に振る舞うようになり、耳を動かして王子たちを脅しました。王子たちは怖がって悲鳴をあげながら逃げました。
「あの声はいったいどうしたのだ」と尋ねた王は、その事情を知り、「あの猿を追い払え」と命じて、黒猿を王の周囲から遠ざけました。
オウムの兄弟は、再びおいしいごちそうを与えられるようになり、とても大事に扱われるようになりました。
お釈迦さまは、「その時の黒猿カーラバーフはデーヴァダッタであり、弟のオウム、ポッタパーダはアーナンダであり、兄のオウム、ラーダは私であった」と言われて、話を終えられました。  
 
郭公(かっこう/コーキラ鳥)物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
ある雨安居(うあんご/雨期の間の修行)の時、お釈迦さまの二大弟子であるサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者は、祇園精舎の外で静かに雨安居を過ごすために、お釈迦さまの許しを得て、精舎を出ました。お二人は、コーカーリカという国にある、コーカーリカと呼ばれる出家者の寺に行きました。
長老方は、コーカーリカ比丘に、「自分たちは安息したいので、滞在は内密にするように」と頼みました。その時コーカーリカ比丘が、「あなた方に安らぎを与える事で、私に何の得があるのか?」と訊きました。「コーカーリカ、では、私達はあなたに真理を解説しましょう」と約束しました。
両尊者は無事三ヶ月の安居を終了しました。長老方は祇園精舎に戻ることにしました。最後の日、長老方はコーカーリカ比丘と一緒に村に托鉢に出ました。托鉢が終わって長老方が帰るとき、コーカーリカが村に戻り、村の人々に、「あなた方は、仏陀の二大高弟であるサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者が三ヶ月間もわが寺に滞在しておられたのに、何も知らなかったとは、まるで動物のように愚かだね」と言いました。人々は、「なぜ教えてくれなかったのですか?」と驚いて、たくさんの薬や衣や油などを持って長老方を追いかけ、「なにとぞ私たちを憐れんで、お布施の品を受け取って下さい」とお願いしました。コーカーリカ比丘もそちらに来て、「長老方は小欲だから、きっと品物を私にくださるだろう」と期待して待っていました。
しかし、お二人は品物を受け取られず(頼まれて持ってきた品物なので、布施として受け取ることは戒律違反です)、コーカーリカ比丘に与えなさい、とも言わなかったのです。村の人々は、「それでは、私たちを憐れんで、ぜひもう一度こちらにいらっしゃってください」と長老方にお願いし、お二人は承諾されました。コーカーリカ比丘は、お布施の品を何も得られなかったことにがっかりし、「長老方は何も品物を受け取らず、私に何もくれなかった」と腹を立てました。
祇園精舎に戻られたサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者は、しばらく祇園精舎で過ごした後、それぞれ五百人ずつ、千人の弟子たちを連れて、再びコーカーリカ国を訪れました。人々は喜んで、毎日盛大な供養をしました。多くの衣や薬などの品々もお布施されました。コーカーリカ比丘は当然自分もたくさん品物をもらえると期待していました。しかし、お布施を扱う比丘たちは必要な順番で配ったので、客として訪れた比丘たちに行き渡ったところで品物は無くなりました(お布施の作法として、客として訪れた比丘には優先的に品物を渡すのです。そのお寺に住んでいる比丘にはいつでもお布施できますから)。
コーカーリカ比丘は、「前は両尊者も自分も何も受け取らなかったが、今回は両尊者はたくさんお布施を受けている。それなのにあの二人は、私を顧みず、何も私にくれなかった。両尊者は少欲知足に優れていると言われているが、結局は多欲ではないのか」と異常な怒りの炎を燃やしました(戒律に抵触して品物を頼んだのも自分ですし、村人が客の比丘にあげる品物は客比丘の間で分けるようにするのが定住比丘の勤めであることを顧みなかったのも自分でした。沢山お布施を期待することで多欲になったのも、コーカーリカ比丘でした)。
サーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者は、「この男は我々といると罪を犯してしまう」と知り、比丘たちを連れて立ち去ることにしました。村人たちが、もっと滞在してくれるように懇願しましたが、長老方の気持ちは変わりませんでした。人々は、長老方が立ち去るのはコーカーリカ比丘のせいだと気づき、「長老方が滞在できないようにするのなら、あなたはここを出て行ってください。あの方々にお詫びしてもう一度こちらに来ていただくか、あるいはあなたが出て行くか、どちらかにしてください」と彼に詰め寄りました。
コーカーリカ比丘は、長老方の一行を追いかけて、戻ってくれるようにと頼みました。しかしお二人は、「友よ、あなたは戻りなさい。私たちは引き返しません」と言って、祇園精舎に帰られました。村人たちは納得せず、「こういう愚か者がいたら優れた大長老はこちらに来てくれない」と考えて、「ここにいても、あなたには何もありませんよ」と言ってコーカーリカ比丘を追い出しました。
自分の寺を追い出されたコーカーリカ比丘は、祇園精舎に来て、仏陀のところに行き、「世尊、サーリプッタもモッガッラーナも心の正しくない人々です。悪い望みに支配されています」と釈尊に告げました。お釈迦さまは、「コーカーリカよ、そのようなことを言ってはならない。サーリプッタとモッガッラーナに対する異常な怒りの心を鎮めなさい。二人を善良な修行僧だと知りなさい」とおっしゃいました。コーカーリカ比丘は、「世尊、世尊はあの二人を最も優れた弟子だと信じておられますが、私は自分の目で見たのです。あの二人は正しくない行いを隠れてする人々です。戒のある道徳的な人々ではありません」と言い張って、お釈迦さまが三度たしなめられたにもかかわらず、三度もサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者を誹謗中傷した後で、やっと座から立ち上がりました。
コーカーリカ比丘が釈尊のところから立ち去ろうとすると、全身に芥子の種ほどの小さな吹き出物が現れました。さらに歩いているうちに、それらの吹き出物はみるみる大きくなって、大きな果実ほどの膿をもったおできになりました。もう少し経つと、おできが破れ、血と膿が吹き出してきました。コーカーリカ比丘は、あまりの苦痛に耐えられず、うめきながら祇園精舎の門のところに倒れ込みました。
コーカーリカ比丘が、最も優れた二人の仏弟子を誹謗したことによる震動は、梵天界にまで届きました。かつてコーカーリカ比丘の師匠であったトゥドゥ梵天は、昔の弟子の悪行を心配し、祇園精舎にやって来ました。トゥドゥ梵天は倒れているコーカーリカ比丘のところに行って、空中に立ったまま話しかけました。「コーカーリカよ、おまえは大変なことをした。すぐに、最も優れた二人の仏弟子への異常な怒りを鎮めなさい」「友よ、あなたはどなたですか?」「私はかつてのおまえの師匠だよ。今はトゥドゥ梵天となって梵天界にいるのだ」「友よ、世尊は、私の師は不還果を得たと言われた。不還果はこの世には戻らないはずでしょう。あなたはどこかの塵の山にでも住む夜叉(やしゃ)ではないのですか?」。そのように、コーカーリカ比丘は、自分の師である大梵天をも誹謗しました。トゥドゥ梵天は「おまえは自分自身の言葉で苦しみを受けることになるだろう」とあきらめて、清浄な世界(梵天界)に戻っていきました。
コーカーリカ比丘は、そこで倒れたまま死亡し、蓮華地獄に堕ちました。それを知ったサハンパティ梵天が、それを仏陀に告げ、仏陀はそれを比丘たちに話されました。
比丘たちが法話堂で、「友よ、コーカーリカ比丘は、サーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者を誹謗し、自分の口から出た禍のために蓮華地獄に堕ちてしまった」と話をしていました。お釈迦さまがそこに来られ、「比丘らよ、コーカーリカが言葉で身を滅ぼし、ひどい苦しみを受けることになったのは今だけではない。過去にも、彼は、口から出た禍で苦しみをなめたのだ」とおっしゃって、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は王に重んじられる大臣でした。国王は、駄弁を弄する人でした。菩薩は、いずれ機会を捉えて、王の駄弁を諫めてあげようと思い、好機をうかがっていました。
ある日、国王は御苑を散歩して、玉座として使われている板石の上に座りました。板石の上にはマンゴーの木が茂っており、木にはカラスの巣がありました。
何ヶ月か前、そのカラスの巣に、一羽の黒い郭公(コーキラ鳥)が、自分の卵を産み付けました。その卵を温めて雛をかえしたカラスは、郭公の雛を自分の子供だと思って、えさをあげて育てていました。ところがちょうどその時、郭公の雛が、まだ羽もろくに生えそろっていないのに、突然、郭公の声で鳴いたのです。カラスは驚いて、「この鳴き声はカラスとは全然違う。こいつが大きくなったら何をするかわからない」と思って雛を嘴で突き殺し、死骸を巣から落としました。
王は、突然、殺された鳥の雛が上から落ちてきたので、とても驚きました。そして菩薩に、「これはいったいどうしたことか?」とたずねました。
これはいい機会だと思った菩薩は、「大王様、口数が多く、時を選ばずに声を出すと、こういうことになるのです。この郭公の雛は、カラスの巣に産み付けられて、カラスに養われていました。ところが、まだ翼が十分成長しないうちに、突然、郭公の声で鳴いてしまったのです。鳴き声がカラスと違うことに気づいたカラスは、雛を突き殺し、巣から蹴り落としたのです。
人間にしても、動物にしても、時を選ばずにしゃべると、恐ろしい目に遭うのです」と、次の詩句を唱えました。
時が来ぬのに
長談義に耽るもの
ことごとく落ちてゆく
死に至る郭公のごとし
速やかに人を殺す
よく研いだ刃物も
ハラーハラという猛毒も
邪に吐かれた言葉には敵わぬ
されば語るべき時も、また語るべからざる時も
賢者は口を護るもの
等しい仲間同士であっても
時を超えず語るもの
思慮し、また洞察し
適度を知り語るもの
あらゆる敵に勝ちを得るなり
金翅鳥(こんじちょう)が蛇に勝つがごとし
このことがあってから、王は適度に口を開くようになり、菩薩をますます重んじるようになりました。
お釈迦さまは、「この時の郭公の雛はコーカーリカであり、賢い大臣は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
苦いマンゴー物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
ある時、コーサラ王は、お釈迦さまに会ってお話を聞きたくなって、祇園精舎を訪れました。
お釈迦さまは、「大王よ、王たるものは、必ず、正しく国を治める者となるように気をつけなければなりません。不正な王となってはならない。なぜなら、不正な王に仕える者も、皆、不正な者となってしまうのですよ。死んだ後で頼れるのは、自分が為した善い行いだけなのです。それゆえ、何人も、劣った者に仕えることだけは、決して、してはならないのです。たとえ人々がどれほど貴方を褒め称えようと、いい気になって怠ってはなりません。常に怠らず、正しくあることにつとめるべきです。過去にも、賢者の話を聞いて国を正しく治め、死後は天界に生まれた王がいました」とおっしゃって、コーサラ王に請われるままに、過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバラモンとして生まれました。成人して学芸を学んだ菩薩は、あらゆる学業を修めた後に、出家しました。熱心に修行をして禅定と神通を得た菩薩は、仙人となって、出家生活に満足しつつ、ヒマラヤの山奥で暮らしていました。
その頃、バーラーナシーの国王は、「苦情探し」に興味を抱いたのです。他人のことではなく、自分に対して誰かが苦情を申し立ててはいないかと、非難しているのではないかと、何か自分の気づいていない不正はないものだろうかと、知りたくなったのです。そして、どこかに王を非難する者はいないかと、探し回りました。
しかし、王宮内の人々からも、王宮の外の人々からも、国王の不徳について、わずかなことさえ聞き出すことはできませんでした。
王は、「地方に行けば、私の徳の足らぬところを語る者がいるかもしれない」と、変装して自ら地方に出かけ、王の評判を聞き歩きました。しかし、どこに行っても、王の不徳を語る声を聞くことはなかったのです。人々が語るのは、王の徳を褒める話ばかりでした。
王は、ヒマラヤにまで足を伸ばして山の中を歩き回り、山奥で暮らす菩薩の庵を見つけました。王は菩薩を礼拝して親しく挨拶を交わし、菩薩の傍らに座りました。
ちょうどその時、菩薩は森からマンゴーの実を採ってきて、食べようとしているところでした。そのマンゴーの実は糖がまぶしてあるのかと思うほど甘くて、とってもおいしかったのです。
菩薩は王に、「福徳のある方よ、熟したマンゴーはいかがですか?」と勧めました。王はマンゴーを一口食べて、「おお、なんと甘くておいしいマンゴーだ!」と驚き、「このマンゴーはなぜこれほど味が良いのでしょう」と思わず菩薩にたずねました。
「福徳のある方よ、マンゴーがこれほどおいしいのは、この国の国王がよほど正しく国を治めておられるのでしょう」
「尊師、王が正しくなければ、マンゴーは甘くなくなるのでしょうか?」
「そのとおりです。福徳ある方よ。国王が不正であるならば、マンゴーだけではありません。油、蜜など、どんなものもひどい味となり、森の木の実も、果実も、滋養がなくなって、ひどく不味くなってしまいます。それだけではありません。国中の力が抜けて、居心地が悪くなり、嫌な雰囲気になります。しかし、国王が正しく良い政治をしている国は、木の実や果実も甘く、滋養深くなりますし、国中に活気が出て、すべてにおいて明るく、良い雰囲気になるのです」。
王は、「おっしゃるとおりなのでしょう」と言って、自分の身分は明かさずに、菩薩に礼拝して、山の庵を発ちました。
バーラーナシーの都に帰った王は、「あの行者が言ったことは本当だろうか?ひとつ試してみよう」と思い、わざと不法な政治を行いました。
しばらく不正な政治を続けた後、王は再び、ヒマラヤの菩薩のもとを訪ねました。
菩薩は前と同じように、山で採ってきたマンゴーを、王に勧めました。王がマンゴーを一口食べてみると、あまりの苦さに驚きました。王は、そのマンゴーを口に入れておくことができず、ぺっぺと吐き出してしまいました。
「尊師、すごく苦くて、ひどい味です」
「福徳ある方よ、この国の王が正しく国を治めず、不正な政治を行っているのでしょう。王が不正な政治をすると、木の実も果実もひどく不味くなり、滋養分もなくなります」そして菩薩は、次の詩を唱えました。
川を渡る牛の群れ
牛のおさが泳ぎを乱せば
すべての牛が泳ぎを乱す
導く者に従いて
人間界も異ならず
上に立つものが非法を行えば
民衆の行いは言わずもがな
法に従わぬ王が
国全体を苦に陥れる
川を渡る牛の群れ
牛のおさが正しく泳げば
すべての牛も正しく泳ぐ
導く者に従いて
人間界も異ならず
上に立つものが法に従えば
民衆も当然、法に従う
法に従う王が
国全体に楽を齎(もたら)す
それを聞いた王は、自分の身分を菩薩に明かし、「尊師、以前はマンゴーの果実を自らが甘くしておりましたが、今度は自らが苦くしてしまいました。これからは、甘くすることにします」と言って、菩薩を礼拝し、城に戻りました。
王は、その後、正しく公正に国を治め、秩序正しい政治を行いました。 お釈迦さまは、「その時の国王はアーナンダであり、ヒマラヤの仙人は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
供養物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の都サーヴァッティー(舎衛城)近郊にある祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
ある時、一人の比丘が田舎から出てきて祇園精舎を訪れました。比丘は、法衣と鉢を庵に置いてお釈迦さまのところにご挨拶をしに行ってから、沙弥たちに、「友よ、サーヴァッティーを訪れる来客比丘は、どちらで食事の供養を受けているのですか?」とたずねました。
沙弥たちは、「友よ、サーヴァッティーには、アナータピンディカという大長者と、ヴィサーカー夫人という大富豪の女性が住んでいます。この二人は仏教の多大なる援護者で、お二人の家は比丘たちにとって我が家のようなところです」と言いました。
田舎の比丘は、次の朝とても早く、まだ誰も托鉢に行かない時間にアナータピンディカ長者の家に行き、門のところに立ちました。しかし、あまりにも時間が早いので、長者の家の人々は比丘が門のところで立っていることに気づきませんでした。比丘は、アナータピンディカ長者のところをあきらめて、ヴィサーカー夫人の家に行くことにしました。けれども、ヴィサーカー夫人の家でもまだ朝食のお布施の準備はできておらず、かの比丘は何も得ることができませんでした。
田舎の比丘は、サーヴァッティーの街をあちこち歩き、再びアナータピンディカ家の門口に立ちました。ところが、その時にはアナータピンディカ家の朝食のお布施は終わっていました。次に彼は、ヴィサーカー夫人のところに行きましたが、そちらでも朝食のお布施は終わってしまっていたのです。
比丘は、また他の場所をうろうろしてから再びアナータピンディカ長者のところに来ました。しかし、その時は、昼食のお布施は終了してしまっていました。ヴィサーカー夫人のところも同様でした。
田舎から出てきた比丘は祇園精舎に戻り、「こちらの比丘たちは、あの二人こそは、信仰心の篤い、清らかな心の持ち主だと言っている。しかし、アナータピンディカ長者もヴィサーカー夫人も、信仰心もないし、清らかな心もない」と言い歩きました。
法話堂で比丘たちが、「友よ、あの田舎から出てきた比丘は、自分が時間はずれな時に托鉢に行ったのに、アナータピンディカ長者とヴィサーカー夫人のことをけなしている」と話していました。
お釈迦さまが来られて比丘たちの話題をお訊きになり、比丘たちが申し上げると、お釈迦さまは田舎の比丘を呼んで、その話が事実かどうかおたずねになりました。
比丘が、「尊師、その通りでございます」と応えると、釈尊は、「比丘よ、君はなぜ供養が受けられなかったことを怒るのか?過去において、まだ仏陀が世の中に現れていない時でさえ、出家者は、家の門口に立っているにもかかわらず何の供養も得られなくても、怒りを覚えることはなかったのだよ」と言われ、過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバラモンの家に生まれました。成人した菩薩はタッカシラーに行ってあらゆる学芸を学び、学業を終えてから出家して、ヒマラヤに住む行者になりました。
長い間、ヒマラヤに住んだ菩薩は、ある時、塩と酸味のある食物を得るために、山を下りてバーラーナシーにやって来て、城の御苑で泊まりました。
その頃、バーラーナシーに、信仰心が篤くて心が清らかな長者が住んでいました。
翌日、托鉢のために都に入った菩薩が、「信仰心の篤い方の家はどちらでしょうか?」とたずねたところ、街の人々からその長者の家を教えられました。
菩薩は長者の家の門口に立ちました。しかし、ちょうどその時、長者は王に会うためにお城に行って留守でした。家の者も行者が門のところに立っていることに気づかず、菩薩はしばらくしてからそこを立ち去りました。
菩薩が歩いていると、お城から戻ってくる長者と出会いました。長者は、菩薩に礼拝し、托鉢の鉢を受け取って家に案内しました。長者は菩薩の足を洗い、席に案内して、様々な食事をたっぷりと供養し、先ほど菩薩が長者の家に来たのに何も得られず、そこを立ち去っていたことを知りました。
食事が終わると、長者は菩薩の傍らに座り、「尊師、私の家に来た方は、乞食であれ、正しい道を歩まれる沙門、バラモンであれ、必ず敬意をもって供養を受けるのです。今日は、私の家の者があなたに気づかず、席にお通しすることもなく、食事も飲み物も差し上げませんでした。あなたが何も供養を受けずに私の家を立ち去られたことは、私どもの手落ちです。どうぞお許し下さい」と言って、次の詩句を唱えました。
われら汝に座を用意せず
食事も飲み物も供養せず
こは われらの過ちなり
梵行者よ、われらを許せ
菩薩は、次の詩句で、それに応えました。
われには恨みも怒りも起こらず
不快な気持ちも起こらず

されどこの家には供養の
習慣なしと われは思えり
そこで長者は、次の詩句を唱えました。
座と、足洗う水と、足用の油など
それら全てを用意する
こは わが家の
先祖伝来のならいなり
最上の親戚に供える如く、
人々を供養することは
こは わが家の
先祖伝来のならいなり
菩薩は、数日間、バーラーナシーの長者の家に滞在して長者のために法を説き、その後ヒマラヤの庵に戻り、神通力と禅定を得た仙人となりました。
お釈迦さまは過去の話を終えられて、四つの真理(四聖諦)について法を説かれました。それを聞いた田舎から来た比丘は、預流果の悟りを得ました。
お釈迦さまは、「その時のバーラーナシーの長者はアーナンダであり、ヒマラヤに住む行者は私だった」と言われ、話を終えられました。  
 
金色の山ネールの物語

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
ある比丘が、お釈迦さまのもとで冥想を習得し、雨安居を過ごすために地方の村に赴きました。かの比丘の立ち居振る舞いに感銘を受けた村人たちは、雨安居の間 比丘のお世話をすることを決めて、村の森に庵を結んで比丘に住んでもらうことにしました。村人たちは、比丘に大いなる尊敬の念をもちつつ、供養していました。
ところが、ある時、その村に、真我論を説く常住論者たちがやって来ました。村人たちは、常住論者の論説に感心して彼らを敬うようになり、それまで尊敬して供養していた比丘のことをないがしろにするようになりました。
しばらくたつと、今度はその村に、「真我や魂などはない。人は死と共に消滅する」と説く断滅論者たちがやって来ました。すると村人たちは、こちらの方がすばらしいではないかと断滅論者たちをもてはやすようになり、常住論者たちのことは顧みなくなってしまいました。
次に、裸で行ずる行者たちが村に来たところ、村人たちは裸形行者たちに感服し、裸の行者ばかりを敬い暮らすようになったのです。
比丘は、この善と不善のわからない村人たちの中で、とても居心地の悪い思いをしながら雨安居を過ごしました。そして、雨安居が終わってから、また祇園精舎に戻りました。
お釈迦さまにご挨拶に行った比丘は、釈尊と次のような会話を交わしました。
「比丘よ、君はどこで雨安居を過ごしたのか?」
「世尊、辺境の村におりました」
「君はそちらで、心地よく過ごせたのだろうか?」
「世尊、善と不善がわからない人々のもとで、ひどく居心地悪く過ごしておりました」
お釈迦さまは、「比丘よ、昔の賢者は、畜生界に生まれたときでさえ、そのような、善と不善をわきまえない者たちと共に過ごすことは、一日たりともなかったのだ。君は、どうして、善と不善のわからないような連中のところにとどまったのか?」とおっしゃって、比丘に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は美しい金色の雁(かり)として生まれました。菩薩には一羽の弟がいました。菩薩と弟はチッタクータ山に住み、ヒマラヤに自生している稲を食べて暮らしていました。
ある時、ヒマラヤで稲を食べた菩薩と弟が、いつもと違うルートを通ってチッタクータ山に帰ろうとしたところ、黄金に輝く美しい山を発見しました。その山はネール山といいました。菩薩と弟は、ネール山に行ってみることにしました。ところが、ネール山では、どのような鳥も、動物も、山の黄金色に照らされて、金色に輝いてしまうのです。
菩薩の弟は、その道理がわからず、「これはいったいどうしたことだろう?」と兄に言いながら次の偈を唱えました。
大きなカラスたちも、小さなカラスたちも、
美しい金色の我々も
ひとたびこの山に入れば
皆、等しくひとつの色となる
ライオンやトラなど獣の王も、ジャッカルなどの卑しい獣も
獣たちは、皆、こちらでは
すべて等しく金色に輝く
これはいったいどういう山か
菩薩は、次のように答えました。
この山はネールという山
山々の中の最たる山とされる
ひとたびここに入るなら
鳥も獣もすべからく、皆、等しく金色に輝く
それを聞いた弟は、次の偈を唱えました。
尊きものが敬われることなく
不当に扱われるような場所
そのようなところには留まらず
速やかに去り、離れよう
賢者と愚者、勇者と惰夫
両者が等しく敬愛される
正しい区別なき山に
賢者は留まることはない
このネール山では
貴きもの、卑しきもの、中庸のものを区別せぬ
無差別の山ネールよ
われらは、速やかにここを捨て去ろう
そのように唱えた後、菩薩と弟は、その山を離れ、チッタクータ山に帰っていきました。
お釈迦さまは過去の話を終えられて後、辺境の地で雨安居を過ごした比丘に、四つの聖なる真理について法を説かれました。その法話を聞いた比丘は、預流果の悟りを得ました。
お釈迦さまは、「弟のガチョウはアーナンダであり、兄は私であった」と言われ、話を終えられました。  
 
ケーサヴァ仙人とカッパ行者

 

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
その頃、アナータピンディカ長者の家では、毎日毎日五百人分もの食事のお布施が準備され、比丘サンガへの供養が盛大に行われていました。アナータピンディカ長者の家は比丘サンガにとっての泉であり、黄褐色の法衣で光り輝くところ、仙人の風がそよぐところでありました。
ある時、コーサラ王は、都を巡り歩いている折りに、アナータピンディカ長者の家で、比丘サンガへの供養が行われているのを見かけました。その清らかな雰囲気に感銘を受けた王は、「これからはわが城においても、聖なるサンガに毎日供養をすることにしよう」と決め、さっそく、そのことをお釈迦さまにお話しするために、祇園精舎を訪れました。釈尊に近づいて、礼拝した王は、傍らに坐り、これからは毎日、五百人分の食事のお布施をお城で供養することを約束して城に戻りました。
それ以降、お城では、比丘サンガのためのたくさんのごちそうが準備されました。高価なヴァッシカ華の香りのする香米をはじめとして、数々の豪華な皿が供養の場に並べられたのです。しかしそこには、多くの召使いたちは控えていても、比丘サンガへの信と慈しみをもって自らもてなす主(あるじ)がいません。自然と比丘方の足は遠のきました。あるいはお城で托鉢をして、そのごちそうを信者の家に持って行き、お城の豪華なごちそうは彼らに渡し、粗末な食事であれごちそうであれ、信者たちの準備した食事を食べることもありました。
ある日の食事時、珍しくておいしい果物がたくさんお城に届けられました。王は、「ちょうどいい。これはサンガにお布施しなさい」と命じ、それらを供養の場に運ばせました。人々が果物を持って行ったところ、一人の比丘も見当たりません。彼らは、王にそのことを報告しました。
「王様、比丘方は誰もおられませんでした」
「なぜであろう。今はお布施の時間であろう」
「さようでございます。しかし比丘方は、ふだんから、こちらに托鉢に来られても、こちらでは召し上がらず、信者方のところに行かれ、こちらのごちそうは信者方に渡して、粗末なものであろうがおいしいものであろうが、信者方の作られた食事を召し上がっておられます」
「城の食事は豪華で美味であるのに、比丘方はなぜ、他の食を求めようとするのであろう」。
王は、「これはブッダにお訊きしてみよう」と思い立ち、祇園精舎に行って釈尊に会い、そのことをお尋ねしました。
釈尊は、「大王よ、食事には、何よりも信が大事です。お城では信と慈悲をもって食事のお布施を供する人がいません。ゆえに比丘たちは、食事を携え、信ある人々のところへ行って食事をするのです。大王よ、信に比べられる味は、どこにもありません。信のない人のお布施した食事は、それがたとえ四種の蜜であったとしても、信ある人がお布施した野生の雑穀粥にも及ばないのです。昔の聖者も、病を得た時、国王がおいしくて滋養のある病人食を用意しても、主治医を遣わして薬を飲ませても、病気は治らなかった。ところが、信ある人のところで塩気のない野生の米で作った粥と味もついてない葉物料理を食べただけで、すぐに元気になったのです」と、王に請われるままに過去のことを話されました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はカーシー国のバラモンの家に生まれてカッパと名づけられ、子供の頃はカッパ坊やと呼ばれました。成長してタッカシラーであらゆる学芸を修めた菩薩は、出家して修行の道に入りました。
その当時、ケーサヴァ仙人という行者が五百人の弟子と共にヒマラヤに住んでいました。菩薩はその仙人の弟子となり、懸命に学んで修行し、ついに一番弟子になりました。菩薩はケーサヴァ仙人を敬愛し、師の役に立ちたいと常に思っていました。二人は互いに篤く信頼しあっていたのです。
ある時、ケーサヴァ仙人は、弟子の行者たちを連れて、塩気と酸味のものを得るためにバーラーナシーに下り、王の御苑に泊まりました。そのことを知った王は、翌朝、彼らを城に招いて食事のお布施をし、雨期の間御苑に滞在してもらうように申し入れ、仙人の承諾を得ました。
雨期が終わると、ケーサヴァ仙人は、王に挨拶して出立を告げました。王は「尊師、あなたは歳を取っておられる。尊師はどうぞ、この御苑にお住まいになってください。ヒマラヤには若い行者方だけ戻られるのがよいでしょう」と申し出ました。ケーサヴァ仙人は王の申し出を承諾し、一番弟子である菩薩に弟子の行者たちを連れて山に戻るようにと告げました。菩薩は皆を連れてヒマラヤに戻り、彼らと共に修行生活を送り始めました。
ところがケーサヴァ仙人は、信頼しているカッパ行者(菩薩)と離れて住むうちに気持ちが鬱(ふさ)ぎがちになり、安眠できなくなりました。体の調子も悪くなり、食事がうまく消化できません。そのうちに赤痢になって、激しい痛みに苦しむようになりました。
心配した王は城の主治医に仙人を手厚く看護させましたが、病状は良くなりません。ケーサヴァ仙人は、「私の体を心配してくださるなら、私をヒマラヤに連れて行ってください」と頼みました。王は承諾し、ナーラダ大臣に、「尊師をヒマラヤにお連れしなさい」と命じました。ナーラダ大臣は、寝台に横たわった仙人を家来に担がせてヒマラヤに送り届け、都に戻りました。
ヒマラヤに戻ったケーサヴァ仙人は、カッパ行者を見たとたんに心の病が癒え、ふさいでいた気持ちが晴れて元気になりました。カッパ行者が塩気のない野生の雑穀で作った粥と、味のついてない茹でた青菜を持ってきたところ、それを食べたケーサヴァ仙人の体はすぐに回復し、とても楽になりました。
しばらくして、バーラーナシーの王は、ナーラダ大臣に、仙人の様子を見てくるように命じました。ヒマラヤに来たナーラダ大臣は、仙人が健康を回復して元気になっている様子を見て、仙人に尋ねました。「王家の主治医の懸命の看護でも治らなかったあなたの病を、カッパ行者はどのようにして治したのですか?」「カッパの言葉は私を喜ばせ、私の心は癒された。カッパが私に与えた塩気のない雑穀の粥と、味もついてない葉物を食べ、私の体は回復しました」。そして、二人は、詩句で会話を交わしました。
(ナーラダ大臣)
望むものは何でも得られる
王が住む都を去り
なぜに尊者ケーシーは
カッパの庵を快しとするのか
(ケーサヴァ仙人)
こころ和む樹々に囲まれ
カッサパの愛語が降り注ぐ
この場所はナーラダよ
われを楽しませる
(ナーラダ大臣)
滋養ある肉料理や
サーリ米のご飯などを食されていたのに
その塩気なき粗末な雑穀が
なぜお気に召されるのか
(ケーサヴァ仙人)
美味なるも 美味ならざるも
多きも 少なきも
信頼ありてこそのもの
信頼は最上の味なり
ナーラダ大臣はそれを聞いて都に戻り、王にケーサヴァ仙人の言ったことを話しました。
お釈迦さまは「その時の王はアーナンダであり、ナーラダはサーリプッタであり、ケーサヴァ仙人はバカ梵天(ぼんてん)であり、仙人の一番弟子カッパ行者は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。  
 
ジャータカ物語 2

 

お釈迦様の前世物語。本生譚(ほんじょうたん)と漢訳されるお釈迦さま前世において菩薩であった時代に衆生を救った善行を集めた物語です。パーリ語聖典には五七四のジャータカ物語があり、散文と韻文とからなり紀元前三世紀ごろ成立といわれている。その後仏教の伝播に伴って世界各地に伝えられ、『イソップ』や『アラビアン・ナイト』などのペルシャ・アラビア寓話文学に深い影響を与え、日本でも『今昔物語』『宇治拾遺物語』などの中に散見される。
この物語について大谷大学の一楽先生はその著作に「釈尊が生まれる前のことは、「ジャータカ」という物語に膨大なものが残されています。前生譚(ぜんしょうたん)とも言われますが、いろんな物語があります。釈尊はあるときには鹿の王様だったり、兎であったりなど、いろいろ出てきます。しかし、それが実際にはどうであったかという詮索よりも、何を伝えようとしているかが大事だと思います。釈尊は人間界だけではなく、ありとあらゆる世界の苦しみ、問題を見尽くしたお方であると表しているのですね。ありとあらゆる世界の苦しみを見通した上で、敢えて人間の世界においてその問題をどう超えていくのかということを課題として担われたのが釈尊であると表現しているのです。
■ムニカ豚の報い
昔々、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていた頃のことである。ひとりの菩薩がある村の長者の家に一匹の牛として生まれ変わった。
その名をマハーローヒタといい、その牛にはまたチュルラローヒタという弟があった。この二匹の牛の仕事といえば朝から晩まで車を引く重労働だったのです。ところでこの長者には年頃の娘があり、結婚も決まり、その準備に明け暮れていた。 
長者は式の日のご馳走のためにムニカという豚を飼っていて、餌には上等の乳粥を与え、豚は丸々と肥っていた。これを見た弟牛のチュルラローヒタは 「兄さん、この家の辛い仕事はみんな僕たち二人の力でうまくいってる。それなのに僕たちがもらう食べ物といったら草と藁だけじゃないか。豚のムニカをご覧よ、仕事は何にもしないで食べ物だけはあんなご馳走をもらっている、不公平だと思わないかい。」
兄のマハーローヒタは静かに答えた。「あの食べ物をうらやんではいけない。アレは死の食事なのだ。もうすぐこの家の婚礼の日がくるだろう、そのときムニカは小屋から引き出され殺されてお客のご馳走になってしまうのだ。死ぬために肥っていくムニカをこれでもうらやましいと思うかね?」
そしてつぎのような詩を唱えた。
豪華な食事をうらやむな。死のご馳走なのだから。
欲を離れてモミを食べ、いのちの味をかみ締めようやがて婚礼の日が来て豚のムニカは殺されお客をもてなす料理になってしまった。
牛の姿をした菩薩は弟に向かって「どうだ、ムニカの最期を見たかね、」と振り返り、チュルラローヒタは「兄さん、ご馳走ばかり食べていた者の報いを見たよ」と応えた。
お釈迦様は祇園精舎で弟子たちに向かってこのように語り終えられ、そのときの兄牛マハーローヒタは前(さき)の世の私であった、と言葉を結ばれた。 
■象と猿と雉のはなし
昔々、ヒマラヤ山の中腹に大きなニグローダという木があった。そしてその木の周りにキジとサルとゾウの三匹が勝手気ままな生活を送っていた。ある日のこと、こんなバラバラな生活はよいことではない、三人の仲間内で誰が一番年上かを調べて、年上の者を敬い、きちんとした暮らしをしようということになった。
そこで三匹はニグローダの木の下に集まり、まずキジとサルがゾウに向かってたずねた。「ゾウ君。君はこのニグローダの大木をいつごろから知っているのだ?」ゾウはゆっくりと長い鼻を振り上げながら「うーん、ボクの子どものころはこのニグローダの木はひざにまで届かない若木だった。だからボクはその上をまたいで通ったものさ。それからおとなになってからもこの木の先はボクのへその辺りまでしかなかったなあ、いずれにしてもそんな小さいときから知っているよ。で、サルくん、君はどう」
「ボクかい。ボクが子ザルのころはそれよりもっと小さかったような気がするな。だって子どものボクがすわったまま手を伸ばしても、一番上の柔らかい新芽を取ることができたからね。」二匹はキジに向かって同じように聞いた。
「そうだな…。昔ここからずーっと離れた場所にやはり一本のニグローダの木があって、私はいつもその実を食べていた。その私がここへ来て糞をしたもので、その中に混じっていた種が芽を出してこんな大木に育ったというわけ。だからこの木の生える前から知ってるということになるね」
「そうか、だったらキジさん、あなたが一番年上ということになるね。これからボクたちはあなたを先輩として敬い、いろいろ教えてもらうことにしよう。よろしくね」
それからというもの、キジは規律正しい生活を二人に授け、自分もまたその規律を守って暮らした。そして三匹の自然で安らぎのある生活が続いていった。
お釈迦様は舎衛城において弟子たちにこんな話をされ、次のような歌をとなえられた
“真理を求めるものはまず先輩を敬うべし
それが未来を開く第一歩となる” 
さらに続けてさっきの話のゾウは目連、サルは舎利弗、キジこそは前(さき)の世の私であった、と言葉を結ばれた。
■鳥さしとウズラ
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころのことである。一人の菩薩(ぼさつ)が鶉に生まれ変わって多くの仲間とともに森の中に住み着いていた。その近くに一人の鳥射しがいて鶉を捕らえて暮らしをたてていた。囮(おとり)の口笛が抜群なので鶉はどんどんおびき寄せられていく。ある日菩薩は仲間たちに向かって訊ねた。
「このままいけば我々は全滅してしまう。みんなはそれでもいいのか?」重苦しい沈黙が流れる中で一羽が力なく「だけど、どうしようというのです。あの鳥射しの口笛の誘惑、それにあっという間に襲い掛かってくる網の目から逃れる方法があるとでもいうのですか?」
「ある。」菩薩はこたえた。
「あるとも、力を合わせることだ。いいか、網が投げられたらみんな網の目に頭を入れて、力いっぱい羽ばたくのだ。みんなが力を合わせればきっと飛び立つことができる。そして茨の藪に網を捨てよう。そうすれば鳥射しが網を探すのに丸一日はかかるだろう。」
わあっと群れの中に明るいざわめきが起こった。そしてあくる日、鳥射しが網を投げると鶉たちは力いっぱいそれを持ち上げ、茨の藪にむかって飛んだ。慌てふためいて鳥射しは網を追いかけた。そして茨の藪から網を離すのにたっぷり日暮れまでかかった。
次の日も、また次の日も鳥射しは鶉の群れに振り回された。ぷりぷりして家に帰ると、 「お前さん、今日もまた手ぶらじゃないか。他に持っていくところでもできたんじゃないの!」妻までが嫌味たっぷりに言う。
「馬鹿いうな!嘘だと思うなら森までついてくればいいだろう。フン、こんなことが長続きするもんか。」
幾日かが過ぎた。餌場に舞い降りた鶉の群れにとうとう喧嘩騒ぎが起こった。
「いばるな!自分ひとりで網を持ち上げているわけじゃないぞ」
「なにをー、もういっぺん言ってみろ!」
この様子を見て菩薩はこれでは一族のすべてが滅びると考え、周りの弟子たちを連れて新しい森へ飛び去っていった。
一方森に現れた鳥射しはまだ喧嘩に夢中になっている群れをめがけて網を投げ、一羽残らず捕らえて籠につめた。妻の喜ぶ顔が浮かんで鳥射しは自分もニヤリとほくそ笑んだ。
お釈迦様はこう語り終えられ、“争いはすべて滅亡の元である。一族の間で争ってはいけない。そのときの智恵ある鶉こそ前の世の私であった”と、言葉を結ばれた。
■山犬のたくらみ
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころのことである。一人の菩薩が大ねずみに生まれ変わって、数百匹の手下を連れ、林の中に住んでいた。
ある日、一匹の悪賢い山犬がこのねずみの群れに出くわした。
「ウホッオー、こりゃすごいご馳走だ。あの丸々肥った奴を頭ごと喰ってみたい。二三日は寝て暮らせるに違いない。いや、待てよ。今あの大ねずみに飛び掛れば他の奴らは全部逃げてしまう。なんとか一匹ずつ喰う方法はないものか。あーん。」
そこでいつもネズミたちが通る丘の上にまっすぐ太陽に向かい、風をいっぱいに吸い込んで片足で立った。
「へっへー、誰が見ても立派な修行者に見えるだろう。」
山犬はひとり得意げである。一方ねずみになった菩薩はいつものように一族を連れてえさを探しに出かけ、この丘を通りかかった。
「ここで何をなさっているのですか?」ねずみの菩薩は進み出て尋ねた。
「ウン、ウーン。何に見えるか?」
「修行中のお方だと思います。名前をお聞かせください」
「あ、ウーン、宇宙の根源という名じゃ。」
「一本足で立つ修行なのですか?」「
いやーそうではない、四本足で立つと大地がわしの重さを支えきれないのじゃ」「口をあけておられるのは?」
「か、か風を喰っておる。遠い海の香りを運ぶ風。谷から吹き上げる冷たい風、みんな味がちがってなかなかうまいもんじゃよ」
「太陽に向かっておられるのは?」
「礼拝しておる。太陽もまたわしだけを照らしておる。」
「ほぉー、偉い方なのですね。これから毎日私どもはあなたのお姿を拝みにまいります。」 山犬は内心シメタと思った。
それからネズミたちは朝晩この丘にやってきて、山犬に一礼してから帰る習慣がついた。ところがネズミたちが列を作って帰るときになると、列の一番後ろの一匹をパクリと一飲みにしてしまうのである。ねずみの数はだんだん減っていった。
そこで次の日菩薩は自分が列の最後になり、用心しながら帰ろうとしたそのとき突然背中に殺気を感じた。ねずみの菩薩は振り向きざまにさっと飛び上がり、山犬ののど笛を噛み切った。そして息絶えたのを見届けて次の詩をとなえた。
“人の信頼を利用して悪事をなすもの。悪事のために人の信頼を得ようとするもの この卑劣さを許してはいけない”
お釈迦様はこう語り終えられ、そのときのねずみの菩薩こそ前の世の私であった、と言葉を結ばれた。
■ビサーラの恩返し
昔、ガンダーラーの国タッカシーラの都で、ケンダラ王が国を治めていた頃のことである。
一人の菩薩が仔牛になってこの世に生まれた。まもなく若く貧しい農夫がこの仔牛を手にいれ、ビサーラ「喜び」と名づけた。ビサーラは野山を自由に駆け回り、力強くたくましい牛に成長した。そして若者だった農夫は貧しいまま年老いていった。
ある日、ビサーラは主人に恩返しがしたくてこういった。
「私をこんな立派に育ててくださったので、なにかお礼がしたいのですが、今一番ほしいものはなんですか?」農夫はしばらく考えていたが、
「そうだなあ。一生懸命働いてやっと貯めたお金が1000キン、できたらあと1000キンはほしいのだが」
「よろしい、村の長者の家に行き力比べの賭けをなさい。荷物を満載した百台の車を一列につないで私が引きます、これが動けば1000キン。きっと勝たせて差し上げます。」
農夫はさっそくビサーラを連れて長者の家に行き、うまく長者を煽って賭けを挑ませた。たちまち下男たちが呼ばれて材木や石を満載した百台の車が門前にずらり。
「さぁー、はじめよう。動かなんだら1000キン間違いなく申し受けるぞ!」農夫は荷台の先につないだビサーラにピシリと鞭を一当て
「そら引け、畜生め!」と叫んだ。ビサーラは動かなかった。
「コンチクショウ、どうした、鞭がいくつも飛んだ。ビサーラはそれでも動かず農夫はかけに負けて全財産1000キンを取られてしまった。
とぼとぼと家路に着きながら
「ビサーラ。どうして私を騙したりするのだ?」
「あなたは私を畜生と呼ばれた。そんな蔑んだ呼び方で私が動く気になれますか?」農夫はうなだれた。
一度長者のところへおいでなさい。そして今度は200台の車を引かせ、2000キンの賭けをなさい。
2000キンを賭けた200台の荷車の先にビサーラはいた。農夫はビサーラの首をやさしく撫でて
「ご苦労だな、力を出しておくれ。頼んだよ」ビサーラは息を止め、満身の力を込め、舵棒を引いた。ギシっという音と共に200台の車は動き始めた。農夫は賭けに勝って2000キンを手にした。
お釈迦様はこう語り終えてから、“言葉は愛を伝えるためにある”と一言付け加え、このビサーラこそ前の世の私であったと、言葉を結ばれた。
■吊り橋になった母猿
昔、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていた頃のことである。
ガンジス川を遡って都から何百キロも離れたところに大きな森があった。そこに一人の菩薩が森に住む500匹の小猿の母として生まれた。母猿は小猿たちを満遍なく可愛がって一家はとても幸せに暮らしていた。夏が過ぎるとガンジス川の岸に生い茂ったマンゴーの実が熟して甘い香りが森中に漂い、小猿の頭ほどもある実の中からおいしいジュースが滴り落ちてくる。
風がやんで空の澄み切った日の朝、母猿は子どもたちを集めて言った。 「さぁみんな、今日はお母さんといっしょにマンゴーの実を採りに行こうね。上のお兄ちゃんが一番後ろ、小さい子から一列に並んでお母さんの後についてらっしゃい。」
「はぁーい。うれしいな。今日はおなかいっぱい食べられるぞ。早く行こうよ、おかあさん」はしゃぎまわって木の枝はもう折れそうである。
「だけど今日は一つ大事なことを言っておきますよ、おまえたちはどんなことがあってももぎ取ったマンゴーの実を川の中に落としてはだめよ。もし一つでも落としたら実は丸一日かかって川を流れ、川下に住む人間に拾われます。人間はこんなおいしい果物を知らないから、きっと大勢でこの実を探しに来るに決まってる。そしたら私もおまえたちもここから追っ払われるのよ。いいね!」
マンゴーの木はガンジスの流れに覆いかぶさるように枝を伸ばし、先に行くほど良く熟れた実がなっていた。歓声をあげた小猿たちは枝から枝へ飛び移って甘いマンゴーの実をおなかいっぱい食べ、陽が西にかたむくまで楽しいときを過ごした。
「さぁ、そろそろ帰りますよ。」
母猿が皆にそう言った時一番小さい小猿の手が滑ってマンゴーの実がひとつ川の中へ落ちていった。
「おかあさんはあんなこと言ったけど一つくらいいいや、どこかへ沈んでしまうだろう」
小猿はそう考え黙っていた。川の流れは早くなったり遅くなったりしてその実を都へ運んでいった。
「なんだろ、これは」
都に近い岸で魚を獲っていた漁師が拾い上げ、
「いい香りがする。見たこともない果物だ、こんな珍しいものは王様に差し上げたらどうだろう。きっと何か褒美がもらえるぞ」
そういってお城に持っていった。
「ホォーッ」マンゴーの実を食べた王様はいたくご満悦である。そしてそのおいしさが忘れられず、とうとうこれを探しに出かけることになった。
「すぐ兵を用意せよ!五隻の船に兵隊を乗せガンジスを何処までもさかのぼるのじゃ。この実がなっている木が必ずある、急げ!」
すぐ軍隊が出動し、王様の船を先頭に上流にむかって漕ぎ出した。船は営々と丸一日漕ぎ続けられマンゴーの木に近づいた。
「あっ、あれだ!あの木だっ。鈴なりだあ。みごとな実をつけているではないか。あん、木の上で動いているのは何じゃ。ん、な、なに猿だと!けしからん!弓だ、弓をもてーっ。」
王様とその兵隊たちは船の上から猿の群れ目がけて次々と矢を射かけた。
「さあ、みんな逃げるんだよ、あわてないで。この枝を伝って向うのニグローダの太い枝に飛び移ってお行き、わかったね」
大きい子どもたちは次々と力いっぱい飛び移って、矢の届かないニグローダの茂みに隠れた。
「おかあさん、こわいよー。ボクたち飛べないよ」
マンゴーの木には100匹の赤ちゃん猿が残った。
「じゃ、お母さんがこの藤蔓を体に結び付けて先につかまるからね、みんなはそれを伝って向こう側へお逃げ、順番に落ち着いて渡るのよ。さあ、早く!」小さい猿たちは震えながら藤蔓と母猿の背中を伝って渡っていく。「お母さん、痛くない?」「お母さん、手がしびれてるでしょう」
「お母さん、離さないで」母猿は数えた「95、96、97」あと三匹。手が千切れそうに痛み、藤蔓を巻いた胴は締め付けられて息が止まりそうになる。98、99そして最後の小猿が頭を踏んで渡りおわったとき、母猿の手は枝から離れ、ガンジス川の深みに飲まれるように落ちていった。
「おかあさーん!」
小猿はいっせいに叫んだ。夕日を映したガンジスの川面は小猿たちの涙のように赤くきらめき、とうとうとした水音が辺りにこだまするばかりであった。これを見ていた王様は弓矢を捨て、次のような詩を称えた。
“我が身を吊り橋にして子どもを助けた母猿哀れ、あの猿を救え、マンゴーの実は二度と採るまい”
お釈迦様はこう語り終えて、そのときの母猿こそ前の世の私であった、と言葉を結ばれた。
■象を倒した鶉
昔、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていた頃のことである。
ひとりの菩薩が象の群れに生まれて、その王者となった。体はどの象よりも大きいが心は優しく、八万頭の仲間を引き連れヒマラヤの高原を駆け巡っていた。
そこに一羽の鶉がいて、象の群れが通る道端に卵を産んでしまった。卵は孵ってかわいい雛が生まれたがまだ飛べない。そこへ王者を先頭に象の群れがやってきた。親鳥は驚いて飛び立った。
「象の王様、王様。そのように急がないでくださいまし。この先に私どもの巣がございます、そこにはまだ飛ぶことのできない私の雛がおります。どうぞ気をつけてやってください。」
「オウそうか。それは良く知らせてくれた。ワシの一族が通り過ぎるまで巣の前に立って守ってあげよう」
八万頭の像は列を作って鶉の巣の前を通った。
「ところで鶉さん、この後からもう一頭『はぐれ野郎』と呼んでいる象がくる。そのものにも良く頼んで子どもを守ってやりなさい。」
鶉は両の羽で合掌した。
やがてはぐれ野郎が現れた。
「象さん、はぐれの象さん。この先に私の子どもがいます、どうか踏みつけないようにお願いします。」
「なーにぃ。子どもに気をつけろだと!へっ、弱いものはなにをされても黙っているもんだ。それが自然の習いってもんさ」
はぐれ野郎はそううそぶいて鶉の雛を踏み潰して去った。鶉は泣いた。体が融けていくほど泣いた。そこへ友達の烏とハエとヒキガエルがやってきた。仲間の慰めと励ましの言葉に鶉は涙を払って
「アイツを生かしておいてはこの先次々と私たち弱いものを踏み潰していくでしょう。今ここで力を合わせて戦いを挑まないこと?どうカラスさん。あなたはあいつの目をそのくちばしで潰してよ」
「いいとも、ちょっとおそろしいけどみんなの為だ。」
「ハエさんはあいつのつぶれた目に卵を産みつけてちょうだい、早くウジがわくようにね」
「それでボクは?」 「カエルさんはあの崖っぷちで鳴いてほしいの。目の見えなくなったあいつはきっと水をほしがって崖が湖かと思ってやってくるじゃない?」
「わかった、奴が崖っぷちに来たら今度は谷底で鳴くんだね」
すべては計画通り運んだ。目の痛みに耐えかねたはぐれ象は水を求めてカエルの声を頼りに崖っぷちに誘われ、谷底に転がり落ちて息絶えた。
お釈迦様はそう語り終えられ、そのときのはぐれ象はダイヴァダッタであり、象の王者こそ前の世の私であった、と言葉を結ばれた。
■池の柳
昔、ひとりの菩薩が森の中の蓮池の畔に一本の柳の木となって生まれた。
この蓮池は夏になると決まって水が枯れ、そこに住む魚たちが何百匹も死ぬのであった。それを知った一羽の青鷺が、どうせ夏になって水が干上がり、魚たちが死んでしまうのなら今のうちに俺が食ってやろうと考えた。
「かまうもんか、どうせ早いか遅いかだ」
そこで池の畔の柳の木の根元に、さも心配そうな様子で佇んだ。
「青鷺さん、憂鬱そうなお顔ですね、どうかしましたか?」
水の中から一匹の魚が聞いた。青鷺はますます心配そうな表情で大げさに嘆いて見せた。
「ハーッ、君たちはなんにも知らないんだね、私が心配しているのは実は君たちの事なんだ。」
「僕たちのこと?」
「そうとも!魚だけじゃない蟹やタニシ小エビや蛙君ら水の中に住んでいるみんなのことだよ。いいかい、この池は夏になると水が無くなって、底はひび割れ、君たちは一塊になってのた打ち回るようになる。それを思うと夜も眠れないほど苦しくてネ」
「なーんだそんなこと!水が無くなったら僕たちは生きていられない。それは僕たちみんなが背負った運命と言うものさ」魚は明るい声で答えた。
「水が枯れて死んでしまうんだよ、知ってるかい?」
「それは僕たちが背負った運命というものです」
魚は明るい声で答えた。
(生意気いいやがって、チビ魚めが、今に見てろ)「そこなんだよ、なんとか助けてあげたいなぁ。あー、実はこの森を二つ越えた山の向うに五色の蓮華の咲く湖があるんだ。そこはどんなに日照りが続いても水が枯れない。どうだ、君たちさえ承知するなら私が順番に咥えていってその湖に入れてあげよう。といっても今まで君たちを獲って食ったことのある私だ、そうすんなりと信用はできまい。だから私はまず君たちの代表を一匹湖に連れて行こう。代表が湖を十分に偵察したら、私はまたここに連れて帰ってくる。君たちはその代表の報告を聞いて身の振り方を決めるがいい、どうかね。」
魚たちは額を寄せて相談し、代表として一匹のヤモメの魚を選んだ。青鷺はそのヤモメの魚を咥え、森を二つ飛び越し山の向うへ飛んだ。湖は透明な水をたたえ、浅瀬は五色の蓮の華で覆われ、取り囲む緑の森がふかみに美しい影を映していた。
湖から帰ってきたヤモメの魚はその素晴しさを仲間に語り、その上
「湖の景色もだがそれより俺たちの好きな藻や水草が食べつくせないくらい繁っているんだぜ」
と付け加えたからたまらない。魚たちはわれもわれもと移住を申し出た。
「そうこなっくっちゃ!」
青鷺は魚を一匹ずつ咥え、優しげに飛び立って行った。だが第一の森を跳び越したところで魚を木の枝に叩きつけ、骨と頭を残して全部食べてしまった。
「ウゥーン、ヒッ。たわいのない奴らだ。魚の肉ばかり食ったので何か一口硬いものがほしい。あそうだ、蟹の甲羅など歯ごたえがあっていいかもしれん」
青鷺は蓮池に舞い戻り、水の中の蟹を呼び出した。
「カニさん、君も湖に移りたくないかね。魚たちはみんな喜んで泳ぎまわっているよ」
カニは感慨深そうに言った。
「いままで魚を獲っては食べていたあなたが急に魚の身の上を心配するなんて、ボクには納得できないな。」
「それそれ、君の考え深いのはいいよぉ。でも過ぎたるはなんとかっていうじゃないか、私はもう二度とここへは来ない、最後のチャンスだと思ってわざわざ君に声をかけたんだ、あとで後悔しても私はもういないよ」
「うーん、そうだね。そんなにまで言ってくれるなら。じゃあ、僕も連れて行ってもらおうか。だけど行くときはボクのはさみで君の首に捕まらせてくれないか?」
「いいとも、そのほうが私もくちばしが疲れなくてけっこうだね」
青鷺とカニは宙に飛んだ。第一の森が近づいた。青鷺はカニを叩きつけるのにふさわしい枝を捜し探し飛んでいく。そのとき夥しい魚の骨と頭が蟹の目に映った。蟹は青鷺の首を挟んだはさみに力をいれた。
「だましたね!やっぱり。」
口調は静かだったが怒りがこもっていた。
「親切ごかしをしてみんなをだましたね」
はさみにいっそう力が入った。青鷺は息も絶え絶えになり、一言もしゃべれない。地面に降りたったときには息は止まっていた。
一部始終を眺めていた柳の木はこんな詩をとなえた。
“手の込んだ悪知恵は身の破滅。だますものもだまされるものも自分のことだけを考えるから” 
お釈迦様はこう語り終えられ、この柳の木の精こそ前の世の私であった、と言葉を結ばれた。
■金の羽を与えた白鳥
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころの事でる。
ひとりの菩薩があるバラモンの家に生まれた。やがて妻をむかえ三人の娘が産まれ一家は幸せであった。しかし、一番下のスンダリナンダがやっと歩けるようになる頃、彼は妻子を残してあの世へ行ってしまったのである。残された親子は親戚の家政婦として細々と暮らしていくよりなかった。
亡くなったバラモンはある日、一羽の金の白鳥となってこの世に生まれてた。
「いっしょに暮らしていた妻子はいまどうしているだろう」
そのことだけが心配だったのである。彼は金色に輝く羽を広げてこの世を飛び回り、やっと親子四人の居場所を探し当てた。
「なんというやつれようだ。」
金のことで言い争う以外はあまり口もきかない暮らしぶりを見て彼の心は刺すように痛んだ。
「そうだ、私の金の羽は叩き伸ばせばどんな細工にも使える。これで指輪や首飾りをつくればいい値に売れるだろう。」
彼は月明かりの窓にふわりと降り立ち、妻と娘たちを呼んだ。誰もが目を丸くするばかりである。
「信じられないだろうね、私はお前たちの父親なんだよ。お前たちを助けたくてきたのだ」
「あなたが死んだおとうさんなの?」
二番目のナンダバティが近寄ってたずねた。
「そうだよ。さあ、私の金の羽を一枚ずつあげよう、これで何かを作ってお金に換えなさい。できあがったころにまた来るからね」
白鳥は四枚の金の羽を与えて去った。娘たちはそれで指輪やスプーンなどを作り始めた。ただ、母親は羽をそのまま売ってしまった。父の白鳥は月に一度窓辺に降りて金の羽をおいていき、親子の暮らしはどんどん良くなっていった。そんなある日、母親は娘たちに言った。
「ねえ、どうだろう、一枚ずつもらっていたんじゃじれったくてしょうがない。第一男なんていつ気が変わるか知れやしない。この次にきたときにはみんで押さえつけて金の羽を全部むしってしまおう。私たちはいっぺんに大金持ちになれるよ」
「だめよお母さん、おとうさんがかわいそうじゃないの。」
長女のナンダが反対した。
「おだまり!あれはよそに行っても同じように羽をやっているかもしれないんだよ、そうなれば私たちの取り分が少なくなるじゃないか。」
母親は窓に仕掛けをした。白鳥はその罠にかかり、昔の妻によって丸裸にされていった。と、そのとき、むしりとった金の羽はすべて灰色のガチョウの羽に変わった。一文の金になる代物ではなかった。
「チクショー」という金切り声が何度も聞かれ、娘たちは目にいっぱい涙をためていた。
お釈迦様はそう語り終えられ、この金の白鳥こそ前の世の私であったと言葉を結ばれた。
■香り盗人
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころの事である。
ひとりの菩薩がバラモンの家に生まれた。彼は成長するとタッカシーラの街へ出て学問を修め、仙人の弟子となって修行者の生活に入った。
ある日、近くの蓮池を巡り、満開の花を眺めて楽しんでいた。水面からはかぐわしい花の香りが漂い、風がさざ波を起こすとその香りは一枚の花びらといっしょに彼の体を包み込むように流れてくるのだった。
「ああ!いい香りだ。つらい修行が吹っ飛ぶようだ。私の体をこの香りで染めてしまいたい。」
そして修行者が蓮池に足を浸したとき、どこからともなく鈴のような声がした。
「泥棒はおやめ、香り盗人」
彼は驚いてあたりを見回した。誰もいない、人影は池の向う岸で華を蹴散らして蓮根を掘っている爺さんだけだった。
「おーい、おじいさん、何か言ったかい?」
爺さんは振り向いて首を振った。
「風かァ、花びらの落ちる音か、それとも波立つ水のささやきだったか」
修行者はいぶかりながら花の香りを深く吸い込んだ。
「泥棒はおやめ、香り盗人」
声はまた聞こえた。さっきよりもはっきりと、強い調子である。
「誰です、姿を見せてください。香り盗人とは私のことですか?」
修行者は四方に向かって問いかけてみた。声はまた違う方向から聞こえてくる。
「一本の華でも与えられないものをとるのは盗人です」
「そんなことはしない、私はただ、香りをかいだだけです。それを盗人というならあの向こう岸の爺さんはどうです?蓮根泥棒じゃないですか!」
「盗むことに慣れてしまった人に何を言っても聞く耳をもたないでしょう。あなただから言うのです。清らかに生きようとつとめているあなただから、塵ほどの罪も犯してほしくないのです。小さな罪を犯すことに慣れてしまうと、後は大きく生き方まで変わるものです。自分に厳しく、これは修行者の誓いではありませんか?」
修行者はこれを聞いて、これくらいなら罪にならないと勝手に決めていた自分を思い知った。
「そうでした。私はいつの間にか心が驕りたかぶっていたのです。どうか姿を見せてください、この情けない私をこれからもしかってほしいのです。彼は虚空にむかって祈るように訴えた。声はまた別の方向から響いてきた。
「それが甘えというものです。自分で努力して鍛えていってください。」
声のする方向に紫の大きな蝶が舞った。
あっ、この池の精だと修行者はとっさに思った。
お釈迦様はそう語り終えられ、この修行者こそ前の世の私であったと言葉を結ばれた。
■狼の断食
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころ事である。
ひとりの菩薩が帝釈天という神様になって修行を続けていた。ガンジス川は豊かな水をたたえ、両岸に広がる森や野原は濃い緑に覆われて、そこには数え切れないほどの鳥や獣が住んでいた。
そのガンジスも年に一度荒れ狂う洪水のときがある。春から夏に向かって長い雨の季節が来ると、降り続く雨と遠いヒマラヤの雪解け水とがひとつになって川はたちまち大波を打って両岸の土地を浸すのだった。
そんな時期ガンジスの岸に近い岩場に、一匹の狼がいた。岩山の裾を水が取り巻き、ひたひたと頂上に向かって増え続けた。餌がない、これで三日狼は何も食べていなかった。
「こりやだめだ、当分腹のたしになるようなものにはありつけそうにないや。まあ、あと十日もして水が引くまで、ひとつ断食の行でもしてみるか」
狼は独り言を言って断食の行を思いついた自分に忌々しさと同時にホッとした気分を味わっていた。
狼の断食がいつまで続いたか、30分もすると彼の頭には丸々肥った野うさぎが思い浮かんだ。
「いけねえ、いけねえ、断食の行だ」
彼は頭を振ってこの妄想を追い払った。そして20分もすると鹿の肉の柔らかい歯ざわりが甦ってくる。
「断食というやつは余計腹の減るもんだ」
そういって彼は生唾を飲み込み飲み込み、まだ10分も経たないうちに、今度はどうだろう、目の前に一匹の若い羊がいるではないか。彼はすぐさま決心した。「やめたぁ。断食の行なんてものはまたいつでもやれる。」
彼は力いっぱい後足で岩を蹴り、羊に向かって飛び掛った。と、羊はこれまた優雅な跳躍を見せて、そのまま天空の彼方へ消えていくのである。
「チキショー、まっいい。なんにしても一度決心した断食の行を破らなかったのが幸いというもんだ。さっやるぞ、十日間の断食」
狼はまた心を取り直した。そのとき虚空に鈴のような声が響いた。
「われは帝釈天である、いま羊の身となって汝の心をためした。その場の成り行きで決心したものはまた成り行きによって破られる。決心とは思い付きではない。暮らしの積み重ねである。汝にどのような暮らしがあったか?」
それは音楽のように余韻を残し、羊の消え去った天空に帝釈天の姿があらわれた。
お釈迦様はそう説き終えられ、このときの帝釈天こそ前の世の私であったと言葉を結ばれた。
■猿をほしがったワニ
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころ事である。
ひとりの菩薩が美しい猿の若者としてこの世に生を受けた。
若猿はヒマラヤの山麓を群れと共に駆け巡り、ますます美しくたくましく成長していった。彼の住処はガンジスの川が大きく湾曲した入り江のそばの木の上にある。川の中にはワニの夫婦が住み、彼が水を飲みに来るたびにワニの妻は若猿のたくましい体を水の中から眺めるのである。
ある日、夫のワニにこういった
「おまえさん、あの猿、見れば見るほどいい体じゃないか。食べてみたいねえ。殊に心臓の肉は一度食べれば100年長生きするというじゃないの。捕まえておくれよ」
「身の程を知れよ、俺たちは水の中だし、あいつは木の上だよ」
やる気なさそうなオスワニの返事に、ワニの妻はたちまち機嫌を損じて
「フン、できないっていうの!あーあ、こんな甲斐性なしといっしょになるんじゃなかった。」
「ままま、それはだな…。い、いーとも、なんとか打つ手を考えてみよう。」
晴れた日の朝、猿は川面にきらきらする太陽の光を眺めていた。そのとき水がゆっくりと二つに割れて、ワニの夫が姿を現した。
「森の王様、向こう岸は朝日が当たる、果物の熟れるのも早い。どうして向こう岸へ渡ろうとしないんです?」
「あんな遠い向こう岸へボクの力で渡れるわけがないよ。」
「どうです、私の背中に乗って新しい土地を見にいきませんか?さぁさぁさぁ、どうぞ」
猿はその親切を無にしてはと思ってワニの背中に乗った。尻尾をひとなぎ、ワニは水を切ってガンジス川の深みへ泳いでいく。
(ここらでよかろう)ワニは計画通りグイっと体を沈めた。
「おい、ワニさん、これは何の真似だ!まさかボクを」
「そうよ、川のど真ん中じゃどうしようもないだろー。うちの家内がなあ、おまえの心臓とやらをほしがってるのさ」
「ボクの心臓をだって、そ、そ、そいつは、ここに、も持ってきてないよ。」
「なにー? 心臓を忘れた? じゃどこにあるんだ」
「ほら、いまボクがいた木の枝につるしてあるんだ。戻ってくれ、岸に着いたら心臓を渡すから。」
しまったと思いながらもワニは全速力で元の岸に向かった。猿は岸に飛び移ると木の枝に駆け上り
「ワニさん、生き物の心臓が木の上にあると思ったのかい、騙そうとするときはいつもあわてているもんだよ」
そういって森の奥へ姿を消した。
お釈迦様はそう説き終わってから弟子たちに向かい“必要なものを求めよ、欲望のものを求めてはならぬ”と謳うように言われ、そのときの猿は前の世の私であったと言葉を結ばれた。
■亀と狐の友情
昔、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
ひとりの菩薩がカモシカに生まれ変わって森の湖の畔に住んでいた。椎の大木には一羽の啄木鳥が巣をつくり、湖には亀がいてこの三匹は仲のいい友達であった。ある日猟師が森にやってきて湖の岸でカモシカの足跡を見つけた。
「そうか、ここへ水を飲みに来るカモシカかがいるんだ、こいつを生け捕りにしたらきっと大もうけができるぞ」
猟師は念入りに罠をしかけ、自分の足跡を消して帰った。朝日が木々の頂に届き、湖に風が渡るとゆっくりと朝もやが融けていく。ねぐらを出たカモシカがいつものように砂浜を駆けていると、後足の砂がじりじりとめり込み始めた。おやっと思った瞬間、バチンというバネの音とともに足首が千切れるほど痛んだ。カモシカは悲鳴を上げた。それを聞いて椎の木から啄木鳥が飛んできた。湖の中から亀が浮き上がってきた。
「おーい、どうしたんだカモシカ君!あー、罠だ。足をやられたんだ。亀君、君の歯で食い込んでいる皮ひもを千切れないかい」啄木鳥(キツツキ)が言った。
「よーし、やってみよう。」
「君たち気持ちはうれしいけど、もうすぐ猟師が来るに違いない。そしたら君たちまで捕まってしまうぞ!ボクのことは構わず逃げてくれ」
「なにを言うんだカモシカ君。こんなときこそ力をあわせなきゃ。ウン、ボクは猟師の家に行って奴が来るのを少しでも遅らせるからね」
言い終わるや啄木鳥は飛び立った。猟師の家の窓を破り、屋根の周りをうるさく飛び回る。猟師は
「いやな鳥だなあ。なにか不吉なことが起こりそうだ。出かけるのは昼からにしよう」
また、寝床にもぐりこんだ。
一方亀は懸命に皮ひもを噛み、歯はもうぼろぼろに欠け、口は血だらけであった。陽はすでに昇り、正午を過ぎた。
「おーい、猟師が来るぞ」
啄木鳥の叫びが聞こえ、矢のような速さで頭上を飛び去っていく。
「亀君有難う、こんなに細くなったんだから力いっぱい引っ張ってみるよ」
皮ひもがプツンと音を立てて切れたとき、猟師が砂浜に姿を現した。カモシカは森へ逃げた。 「チェッ。せっかく罠にかけたのに。まっ、この亀一匹でも手ぶらよりはましだ。猟師は疲れきってうずくまっている亀の体を縄でつるした。啄木鳥はすぐにカモシカに知らせた。
「せっかくボクを助けてくれたのに、さあ、今度はボクの出番だ。」
カモシカは猟師に目の前にいかにも傷ついて倒れそうな姿で現れた。猟師はやにわに亀を放り出し、投げ縄をもってカモシカを追った。亀は湖に滑り込み、カモシカは森の奥深く姿を消した。
お釈迦様はそう語り終えられこのときのカモシカは前の世の私であったと言葉を結ばれた。
■揉め事を探す山犬
昔、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
ひとりの菩薩が川岸に生えた一本の柳の木に生まれ変わっていた。
ある日、近くに住む山犬の夫婦が
「おまえさん、川の中ほどでびしゃっと言う音がしたでしょう、あれなんだと思う。赤い大きな魚、おいしそうよ。ねえ、捕まえてきてよ」
「そうだな、だけど相手は水の中だぜ」
「ばっかだねえ、誰か水に潜れるやつに捕まえさせればいいじゃないか」
「よーし、まってな」
山犬の亭主が腰を上げて川岸の柳のそばを通りかかったとき、また大きな水音がする。すると水辺の葦がカサカサと鳴って一匹のかわうそが一直線に泳ぎだした。かわうそは水音の近くで水面から消えた。と思うまもなく激しい水しぶき上げて赤い魚が躍りあがった。そしてその背中にかわうそが爪を立てている。
「兄さーん」かわうそは岸に向かって呼んだ。
「手伝ってくれー、ボクだけじゃムリだよー」
兄のかわうそは水を切って助けに行き、三匹の戦いが続いた。やがて腹を見せた魚をかわうその兄弟が岸に運んできた。
「あーあ、疲れた。恐ろしく力の強い奴だった。あ、兄さん、ボクが見つけたんだから先に食べるよ。」
「ちょっと待った。俺が助けに行ったから捕まえられたんだ、だから俺が先に食べて残った分がお前のものさ。」
「そんなのずるいよ」
そこへ山犬が現れた。
「おふたりさん、アン、もめてますね。そういうことはまず私に相談したまえよ。いいかい、赤い魚は頭と胴と尻尾でできている、まず、三つに切る。」
そういって山犬は自分の鋭い牙で魚を三等分した。
「さあ、兄さんは頭から、弟の君は尻尾の方から食べ始めるがいい。どっちが先なんてことはないよ。」かわうその兄弟がそれぞれ魚に食いついたのを見て、「こういう風に裁きをつけた私が真ん中の胴をいただくことにしよう。」
こういって一番おいしいところを持っていってしまった。
お釈迦様はそう説き終わってからこのような詩を読まれた。
“まさにかくのごとく、合い争う者は富を失い、争いを種として邪まなる者が富を得る。実に争いは二重の悪である”
そして弟子たちに向かい、そのときの一部始終を見定めた柳の木の精は前の世の私であったと言葉を結ばれた。
■くしゃみの因縁
これはお釈迦さま祇園精舎においでになるときにあるバラモンについて説かれたものである。昔バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
王の近くに使えるひとりのバラモンがいた。
「大王様、剣にも剣相というものがございます、ただ切れさえすればよいというものではございません。持てば武勲、品位ともに備わって名刀と呼ばれる剣もあれば、持つだけでひとを切りたくなる妖刀ともうす剣もございます。私はそれを、鼻でかぎ分けます、鞘を払って刀身に鼻をあてがい、うふん。かように致しますと剣の吉凶が伝わってまいります。ウウーン、これは名刀じゃ。」
彼が名刀だといえば、それはすぐさま莫大な金額で王に買い取られるのであった。国中の刀鍛冶たちは競ってこのバラモンに賄賂を送った。彼は金額の多いものを名刀だといって王に推薦した。
賄賂を贈らない刀鍛冶がいた。彼は自分の鍛えた業物の鞘に胡椒の粉を入れて鑑定の日に臨んだ。
王をはじめ大臣の居並ぶ席でバラモンはこの刀を抜いた。一文の金を送ってよこさぬけちな奴と、彼はその刀鍛冶の顔を思い浮かべながらゆっくりと刀身に鼻をあてがった。「はっ、はっ、はっ、はっくしょ〜ん。あ、ああああいてて」くしゃみと同時に鼻先が切り落とされた。血のついた鼻は王の面前にまで転がった。
さて、このブラフマダッタ王には王子がなく、ひとりの王女と甥があった。二人は隣り合った宮殿で育てられ、やがて成長して恋しあうようになった。王はそのことを知って迷い悩んだ末、二人を引き離すことに決めた。
「予の血を引くものはこの二人だけ、二人を夫婦にするのも悪くはないが、それぞれに婿と嫁を持たせれば予の血統がさらに多くなる。血族の増えるのはよいことじゃ」
王はそう考えて甥を宮中から離れた場所に住まわせた。愛し合う若い二人には会いたくても合えない日々が続いた。
「どうしたものか」
ため息混じりに王子はバラモンに問うた。
「なんとかして王子を御殿から連れ出す方法はないものか、そなたは剣相を占うなどというまやかしのほかは何もできぬのか?」
バラモンはしばらく考えた。考えるとき鼻先を動かす癖があった。切り落とされた鼻は蝋で補修され、こしらえ物がついていた。鼻先は昔のようには動かなかった。
「月のない番を選びまする。」バラモンはまず答えた。
「月のない番を選んで姫様を必ず城外にお連れします。明朝、大王様にお目にかかり、このごろ王女様の気分優れぬのは悪運の神に取り付かれておいでのためと申しまする。」
「どこで待てばいいのだ?」
「墓地の後ろ、死体置き場の中がよろしゅうございましょう。厄払いの儀式は死人の中でいたしまする。」
「それもまやかしであろうが…」
「いけませぬか?」
「よい、ただ王女には一群の兵がついてこよう。」
「さればでございます、姫と共にわれらの一隊が近づいたときに胡椒をかいで三度くしゃみをなさいませ、武装の一群といえども生身の兵士でございます、死体の中からくしゃみが起こっては勇気もなえてしまいましょう。私が大声を上げて一番先に逃げ出します。そのとき迷わず姫を抱いて婚礼の誓いを申されませ」
「うん。」
「姫には内々に伝えておきますゆえ」
月のない夜が来た。王女の一隊は墓地に向かい、死体置き場で厄払いの式を行った。百八つの壺から香水がかけられ、王女の体に取り付いたという悪運の神を洗い流した。  
そのとき死体の中からくしゃみが起こった。バラモンは大声を上げ、肝を潰して逃げ惑う兵士たちを尻目に鼻をおさえて逃げ帰った。
翌朝、バラモンはブラフマダッタ王の御前に出仕して、ありのままを申し述べた。王はすべてを了解し、大臣を集めると「我が甥を予の跡継ぎとする。」と宣言された。若い二人は相携えて宮殿に帰り、次の王、次の王妃として暮らした。
晴れた朝、東宮へ出仕したバラモンを見て王子は言った。
「太陽に顔を向けるではない。蝋細工の鼻が溶けようぞ。」
バラモンは鼻を押さえてかしこまった。
「くしゃみひとつでそなたは鼻をそぎ落とし、私はくしゃみのために王位につく、くしゃみは善でもなく悪でもないが善としてはたらくときと、悪としてはたらくときがある。これ因縁である。物事は末通って善もなく、末通る悪もない。」
陽は中天に上がりバラモンの鼻が少し融け始めた。
お釈迦様はそう語り終えられ、そのときの王子こそは前の世の私であったと言葉を結ばれた。
■悪逆の王子
これは、お釈迦様が竹林精舎においでになるときダイバダッタについて説かれたものである。
むかしバーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
ひとりの菩薩が仙人としてこの世に生を受けた。彼は世俗の暮らしを捨てて森に入り、ちょうどガンジス川が大きく蛇行する岸辺に小さな掘っ立て小屋を建てて住んでいた。その頃バーラーナシーの都ではドッタクマーラという王子が、それはもう悪逆の限りを尽くして人々にきらわれ恐れられていた。ことに宮中でこの王子に使える者たちにとってはいつ怒りに触れて殺されるか生きた心地もしない毎日であった。
「水浴びに参る。ガンジスの水が恋しくなった。供をせい」
ある日大声で命令した。馬の用意が遅いといって側近の者を殴り飛ばしたのはいつものことである。王子ドッタクマーラの一香がガンジス川に着いたとき、空は向こう岸から曇り始めて生暖かい風に水面は波立ってきた。
「この川を泳ぎきるぞ、ついてまいれ」
が、供のものは互いに顔を見合わせるだけで誰一人跡に続くものはなかった。空はいっそう暗くなり風が強まって、雨交じりの暴雨風と変わった。
「おい、みんな。このままお城に帰って、王子様は先にお帰りになったと口裏を合わせようではないか。この嵐だ、ずっと下流に流されていのちも危ういもんだ。」
「そうとも、われらを虫けら扱いにしてきた王子だ魚の餌食になればいい」
供の者たちはこの意見に賛成すると、一目散に城へ駆け戻った。
一方、王子は濁流に押し流されながら助けを求めてわめき叫んだ。だが、周りは風と雨と吼えるような川の流れであった。ふと手に触れた木枝を握った。その枝は中州に根を張る大木の梢であった。王子はその枝にしがみついて真っ暗な一夜を明かした。雨がやんで夜が明けた。
菩薩は小屋を出て、ガンジスの岸に立った。川の真ん中にあった中州はすっかり水の中にかくれ、仰ぐように見た大木も横倒しになって流れに逆らっていた。その木の枝からすすり泣きが聞こえた。
「いかなるものであろうと、死を恐れるものを救わねばならない」
菩薩は神通を現じて中州に飛びいたった。三方にのびた大木の枝、その一つに王子ドッタクマーラが泣いていた。もう一つの枝に年老いた蛇がいた。最後の枝には鸚鵡の雛が震えていた。
「怖れるではない、怖れるではない」
菩薩はそう呼びかけながら片手でその大木を引き抜き、宙を飛んで岸に立った。小屋から温かい食べ物を運んで彼らに与えた。蛇が言った。
「私はバーラーナシーで一・二といわれた金持ちでございました。生前いのちより大事な金をこの中州に埋め、それが気がかりでこうして蛇に生まれ変わりこの金を守っていたのでございます。夕べ死ぬほどの恐ろしさを味わって、初めて金よりも大事なものがあることに気がつきました。この金4億すべて差し上げとうございます。」
鸚鵡が言った。「私はお金はありません、けれども私の一族すべて集まって雪山(ヒマラヤ)の麓から一番良く実った籾を10台の車に積むほど運んでまいりましょう。」
菩薩はそれぞれに頷きながら、静かに微笑した。王子は言った。
「私が王位についたときには尊師よ、かならずわが王城をお尋ねください。お望みのものはなんでも、いやまずもって4種の宴をはってお迎えいたしましょう。」
ガンジスの川の水が引いて、それからさらに三年たった。菩薩はふと思い出して旅に出た。
まずひと飛びに中州に至り 「蛇よ!」と呼んだ。
蛇はすぐに現れ「お待ちしておりました。ここに4億の金がございます。どうぞお持ちください」
「いや、それはそのまま。必要なときに思い出そう」そういい残して鸚鵡の住処に行った。
「鸚鵡よ!」
「お待ちしておりました。私の一族のものがすでに車十台分の籾を集めていつでも運べる手はずでございます。」
「必要なときに思い出すことにしよう」
菩薩はそういってバーラーナシーの都へ向かった。都はドッタクマーラが王位について専横を極めていた。菩薩は城門に立って「王よ!」と呼びかけた。
「城門に立つ乞食を捕らえて殺せ!わしを妬んでのゆすりたかりに相違ない。死刑に処してさらし者にせよ」城内の高楼からドッタクマーラ王の声が響いた。菩薩はそのまま立ち尽くし、
「獣に劣る人あり、獣に劣る人あり」と何度も何度もとなえた。
お釈迦様はそう説き終わって、そのときの王はダイヴァダッタであり、菩薩こそは前の世のわたしであったと言葉を結ばれた。
■鸚鵡の味方
これはお釈迦様が祇園精舎においでになるとき、妻の身持ちの悪さに悩んでる在家のお弟子に向かって説かれたものである。
むかしバーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
ひとりの菩薩が鸚鵡としてこの世に生まれた。彼には同じ卵から生まれたもう一羽の弟がいた。二羽の鸚鵡は雛のときから心優しい商人に飼われていて、菩薩はポッタパータ、弟はラーダという名で呼ばれていた。
「おはよう!ポッタパータ」
朝、商人が起きてきてそう声をかけると決まってラーダの方が
「オハヨウ!ポッタパータ」とこたえ、
「こんにちは、ラーダ」と話しかけると
「コンニチワ、ラーダ」とポッタパータがこたえた。
商人には子どもがなかったのでこの二羽を本当の子どものように可愛がった。餌はいつも新鮮な果物と上等のひまわりの種であった。羽に虫が入ると気持ちの良い水浴びもさせてくれた。鸚鵡の方もこの商人に父親のように懐いていた。
「困ったことがあるんだよ、お前たち」
ある日、鳥かごの前にしゃがんで商人は話しかけた。
「旅に出なければならない。商売のためだ。そうだなあ、一月はたっぷりかかるだろう。その間お前たちの世話をしてくれる者がいない。女房はあのとおり気ままな女だ、自分が着飾ることばかり夢中で、鳥の世話など真っ平ゴメン。世話をするどころか焼き鳥にして食ってしまいそうな剣幕でね、寂しいがお別れだな。さっ、出ておいで。そのかわり果物は自分で探すんだよ、空を飛んで風にあたり、雨に打たれて丈夫になっておくれ。この家の回りにひまわりの種は蓄えておいたよ、そして私が帰ってきたらまた姿を見せておくれ。ポッタパータ!ラーダ!」 
商人はそういって涙ぐみ、二羽の鸚鵡を空に放った。
商人が旅に出たその日から妻のコシャーヤナの生活は乱れ始めた。まず着るものを買いに出た、気に入ったものを手当たり次第買った。次に履物を買いに行った。着物に合わせて十足の靴を買った。そして次の日は髪飾りを買いに出た。これなら自分に似合うと思ったもの五つと、この方が良くお似合いですと勧められたもの五つとを買った。着物を着替え、靴を履き替え、髪飾りを付け替えて一日を過ごした。三日間それを繰り返して彼女は十分楽しかった。
四日目、新しい着物とそれに一番よく似合う髪飾で街を歩きたくなった。街を歩いて誰もが自分を見ている気がした。羨望の眼差しで自分の美しさに見惚れているように思った。
五日目、また街を歩いた。1人では寂しかった。だれか自分にふさわしい男がいると思った。そして知り合った男と食事を共にした。
六日目、今日も着飾って男と街を歩いた。彼女の視線ひとつでどの男も笑顔で答えた。自分の名を呼ばれたいと思った。「コシャーヤナ」そう耳元で囁かれてみたいと思った。そうして月のうちの十日が過ぎた。
ポッタパータとラーダの二羽の鸚鵡は遠くへ行こうとはしなかった。この家の庭のあちこちに果物の木はあったし、一年かかっても食べきれないほどのひまわりの種が彼らのために用意されていた。主人の心遣いであった。二羽は家の入り口のモッカカの木に止まって主人の帰りを待った。来る日も来る日も帰りを待った。そして二羽が見たものはコシャーヤナの浮気であった。
月の十五日が過ぎるとコシャーヤナはもう外出することをやめた。その代わり毎日男の客があった。来る顔ぶれは毎日変わっていた。
そのたびにコシャーヤナは「待ってたわ、会いたかった」といって男の名を呼び自分の部屋へ招じ入れた。そんな暮らしが月の半分を超えて、やがてこの家の主人が旅に出てから丸ひと月になった。
昼間の暑さが沈んでいってどこかで夕暮れの優しい風が出る頃、街に五十台の馬車が着いてこの家の主人が商売の旅から帰ってきた。先頭の馬車から降り立った主人は、供の者たちにねぎらいの言葉をかけ、我が家の入り口に立った。ポッタパータとラーダはモッカカの木の上で喜びに羽を震わせた。コシャーヤナも着物を裾を翻して玄関を駆け降り、「お帰りなさいあなた、待ってたのよ。会いたかった」といって主人を迎えた。
そのときポッタパータはその声色を真似て
「マッテタノヨ、アイタカッタ サーヴァカ」と男の名を付け加え、ラーダも続けて
「マッテタノヨ、アイタカッタ シーヴァリ」と二人目の男の名を挙げた。
こうして二羽の鸚鵡は十五人の男の名を次々とコシャーヤナの声色を使って真似ていった。
お釈迦様はそう語り終えられ、そのときのポッタパータこそ前の世の私であったと言葉を結ばれた。
■黒い牡牛の菩薩
これはお釈迦様が祇園精舎にいらしたときのことである。
ある月の明るい夜、比丘たちは車座になってそれぞれの修行生活について話し合っていた。一人の老比丘が言った。
「私が若い頃はじめて仕えた師匠は、いま思うと大ぼら吹きであった。当時は大雄弁家として人気のあるお方であったが、奇跡をおこなう行なうといいながら、ついにただの一度もそれは実行されなかった。」
「それでその師匠を捨てられたか」若い比丘が尋ねた。
「さよう、我からその師を捨てた」
「ならばいま、我らが師、釈迦牟尼世尊は奇跡をおこなわれるか?」
「奇跡をおこなわれようともしない」
「では、なおこの師に仕えられる訳は?」
「自らの業報を担い、運命を使命と転じて自在を得た聖者、釈迦如来はほか比らぶべき者がない」老比丘がそう答えたときお釈迦様は静かにその場所に近づき、次のように語りだされた。
むかしバーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
一人の菩薩が牛の胎内に宿って、その牛の持ち主と共に諸国を旅されたのであった。旅の途中で菩薩は母牛の胎内から生れ落ち、真っ黒な仔牛となってこの世へ出られた。
「こんなに痩せて真っ黒なやつは大きくなっても使い途はあるまい」持ち主はそう考えて、仔牛を一夜の宿賃代わりに貧しい老婦人にくれてやった。老婦人は優しかった。生き物をわが子のように可愛がった。
「おまえをこれからホクロという名前にしましょう。さあこっちへおいで。痩せて小さいのは食べ物が十分じゃなかったからです。これからは私の分を減らしておまえに食べさせましょう。そして毎朝藁のブラシでおまえの背中を磨くことにします。歳をとって力はなくなったけれど、毎日磨けばきっと黒曜石の輝きが出てきますよ。もともとそんなに弱い子じゃないんだから」
二年経つとホクロは堂々たる体躯をもつ村一番の雄牛に成長した。両の角に大人を三人づつぶら下げて坂道を登ることができた。子どもなら二十人をその背中に乗せ、急流を泳ぎきることもできた。そして老婦人の藁のブラシはもう雄牛の首までも届かなくなっていた。
「これで私がおまえにしてやれることはなくなりました。おまえはやわらかい草を求めてあの山並みを越えていくこともできるでしょう。水浴びするとき川の深みを恐れることもないのです。さあ、これからは自分ひとりで生きておいでなさい。」老婦人はそう言い聞かせてその日から病の床についてしまった。
雄牛の菩薩は村々をさまよいながら、なんとかして恩返しをしたいと、そのことばかり考えていた。
ある村の船着場に来合わせたとき、500台をも車を連ねた隊商の列に出会った。川の流れは早く、車を引く牛たちは川岸で立ちすくんでいるようであった。鞭を当てる音が続いた。そして牛たちの悲鳴が起こった。
「皆の衆!」大男が車の荷の上に駆け上がって叫んだ。
「皆の衆、知恵を借りたい。この車をどうやって向こう岸へ着けたらいいか。牛たちはご覧のように一歩も動かん、この荷車を向こう岸に着けてくだすった方に一千銀のお礼だ!どなたか、」
と言いかけた時雄牛の菩薩はゆっくりと列の先頭に進んで、舵棒の中に身を入れた。
「おっ!本気かね」さまざまの声が乱れ飛ぶ中で菩薩は満身の力をこめて最初の百台を引き、急流に身を躍らせた。舵棒が背中に食い込んで血が吹き出た。
「はー、やったぞ!」そういう人間たちの歓声とともに隊商の牛たちも勇気を得ていっせいに川を渡り始めた。500台の車と牛と人間たちは水しぶきをあげて流れを横切った。
その夜、ホクロの母であった老婦人は夢を見た。大きな岩のように育った雄牛がいつの間にかネズミの様に小さくなり、目に涙をいっぱい溜めている夢であった。そして彼女が目覚めたとき、ホクロと名づけた雄牛の菩薩は首に一千金の入った袋を提げて老婦人の門口に帰り着いていた。
「まあ、私のためにしてくれたのかい?背中の皮が破れて骨がみえてるじゃないの!いいんだよ、おまえの稼いだお金でどうして私ひとり楽できるもんですか。さあさあ、また昔のように柔らかい藁でおまえの背中を撫でてあげよう」そういい終わって老婦人はそのまま息絶えたのであった。
お釈迦様はそう語り終えられ、さらに言葉をついで
“比丘らよ、誠実であること、我が身の分限を知って誠実であること、これが人の世の力である。人が奇跡を求め、夢に迷うとき、きっと誠実であることの喜びを失っているものだ”
この雄牛たる菩薩こそ前の世の私であったと言葉を結ばれた。
■五武器太子
これはお釈迦様が祇園精舎におられたとき、努力を捨てた比丘について説かれたものである。
むかしバーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
一人の菩薩が、この国の王妃の胎内に宿られた。ブラフマダッタ王は800人のバラモンを招き、この子の未来について予言を求めた。
祇園精舎「大王様、この子は間違いなく男のお子でございます。私どものみるところ武勇に優れ、五種類の武器を使う名人となられましょう。長じてこの国を治められるにふさわしい皇太子でございます。王はバラモンのことばを聞いてこの子の名前を『五武器太子』と命名した。弓・槍・太刀・棒・投げ縄の五の武器に優れるならその名は近隣諸国に聞こえて国の安泰に役立つに違いないと考えたのだ。
はたせるかな、太子は幼い頃から刀と槍を片時も手放さず、家来を相手に立ち回りの毎日であった。太子が16歳になったとき、もうこの国の家臣の中には太子を打ち負かす者がなくなった。
ブラフマダッタ王はある日太子に行った。
「ガンダーラの国、タッカシーラに武芸に秀でた阿闍梨がいると聞く。汝はその下に行って文武諸芸を学ぶが良い、供は付けぬ。」
太子はタッカシ−ラの師匠の下で五年の修行を積んだ。それは五種の武器をいかに巧みに操るかという技の修行ではなかった。五種類の武器でさんざん打ちのめされる修行であった。師は言われた、
「バーラーナシーの太子よ、今日限りここを去るがよい。私は武器のなんたるかを教えた。ここで学ぶことはそれに尽きる。ただ…」そういって師の阿闍梨は少し言葉を飲み
「ただ、五武器太子と呼ばれるよりは…」と言ったままそのまま瞑想に入られた様子であった。
太子は永年の教えの礼を述べ、五の武器を携えて旅路についた。馬の背で十日、国境の森が見えた。
「若いお方!」村人が太子を呼び止めた。
「あの森を一人で越そうなどと考えてはいけません。」
「なにか訳があるのか?」
「粘毛夜叉が住んでおります。生きてこの森を出たものはありません。」
「食われるのか?」「
「夜叉は獅子の鬣に似た毛で覆われ、矢であれ槍であれその毛で相手の武器を付着させてしまいます。そして武器を奪った後で人間一人丸ごと飲み込んでしまいます。」太子は微笑した。
「よい。私は食われる修行をしてきた。」
そう言い残して森へ入った。森は暗く冷たく粘毛夜叉の妖気に満ちて生き物の気配がなかった。
一里先から大木の梢が揺れ始め、やがて森全体がうなりをはらんと粘毛夜叉が現れた。背の高さはたらの木の頂上に届き、目は茶碗ほどに大きく赤い。二本の牙をむき出した口は鷹のくちばしのように尖っていた。
「止まれ、わが餌食」
夜叉は低く吼えた。太子は弓に矢をつかえ、引き絞って夜叉の胸を狙った。矢は飛んだ。次々に五十本の矢は正確に夜叉の胸板に飛んだ。しかし矢はすべて粘毛夜叉の茶色の毛に吸われるようにくっつくだけで胸を射抜くことはできなかった。太子は槍をとった。太刀をとった。棒をとった。投げ縄を飛ばした。すべての武器をもって立ち向かった。そしてそれらは夜叉の全身を覆う毛に吸い取られるだけであった。太子は拳を振るった。右手が毛に絡みつき左手が吸い取られ、夜叉の胸にぶら下がるように体の自由を失った。
「おれに歯向かうなんざ余程の向こう見ずだな。何奴だおまえは」
「私は五武器太子である、聞いたであろうこの名前を!」
「そんな名は聞かぬが、俺に捕まって震えもしない、命乞いもしない。こういう奴はさぞ歯ざわりが良かろうと楽しみにしているところだ。恐くはないか?」「恐くはない!人間は生まれれば必ず死ぬ、その覚悟はできている。私は武器を頼りにおまえと戦ったのではない。私は、この私の身だけが本当の武器だと思っている。戦いはこれからだ!」
「これから食い殺されようというのにどうして戦うのだ」
「おまえは私を口に入れたが最後、生きてはおれぬ、私の背骨は金剛の剣でできている」粘毛夜叉は少したじろいだ。
「その剣がおまえの内臓を粉々に切り裂くだろう、さあ、私はおまえと刺し違えておまえを退治する」夜叉は太子の凛とした声に心大いに動揺した。
「うー、もし、今日限りこの悪事をやめるなら、おまえ様の弟子にしてもらえるだろうか?」夜叉は太子を抱き下ろしながら少し恥ずかしげに言った。
お釈迦様はこう語り終えて、そのときに五武器太子こそ先の世の私であったと言葉を結ばれた。
■何果樹の木の実
これはお釈迦様が祇園精舎においでになるとき、果物のことなら何でも知っているという優婆塞についてお説きになったものである。
むかしバーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
ひとりの菩薩が、ある貿易商の息子としてこの世に生まれた。子どもの頃から彼が両親に尋ねることは決まっていた。
「これはなんという花?この木は?あの木の実は食べられるの?」
庭中の植物について知り尽くすと、彼は森へ入って小さな草花にいたるまで詳しく調べるのであった。
「あの子はこれで一人前の商人になってくれるのでしょうか」
「そうよなあー。朝から晩まで草木のことばかり考えているようだ。あれでは先が思いやられる。そろそろ商売のことを教えなければ」両親は将来のことを思うと不安でならなかった。彼が二十歳になったとき、父親は病に倒れた。彼はその日から父に代わって五百台の車、五百頭の馬、五十人の人々からなる隊商を指揮しなければならなかった。
苦しい旅が続いた。国々を巡って商品を売り、新しい産物を仕入れて、また国境を越えるのであった。
草原を抜けて森に入る道ではしばらく馬を休めて、彼は必ず部下に命令した。「いいか、これからは私に断り無しに木の芽、木の実、草や花を何一つ食べてはならぬ。馬が道端の草を食べようとしても私に許可を得てほしい。」隊商はこの命令を固く守った。やがて秋になろうとする頃、一行は大森林を通り抜けてある村に差し掛かっていた。そのとき先頭から馬を反して駆けてくる部下があった。
「だんな様!」彼は弾んだ声で告げた。
「だんな様、この先の村の入り口にマンゴーの大木があります。しかも熟れきった実がそれはもう鈴なりと申していいほどの見事さでございます。馬も疲れております、マンゴーの実で喉を潤して一休みということにしましては」
「うーむ、村の入り口にか」菩薩は馬を走らせて隊商の先頭に立ち、更に鞭を当ててその大木のところまで一息に駆けた。木の周りは一面に緑の草が生えて隊商を休めるにはかっこうの場所であった。
「まて!その実に触れてはならぬ」部下を制しておいて菩薩は仔細にその木を調べた。幹も枝も葉もマンゴーの木と変わりはない、けれども実の色に茶色に熟した実の色に鮮やかな紫が混じっている。
「これはマンゴーではない。何果樹という毒りんごの一種だ。聞いてはいたが見るのは初めてだ」そう独り言のようにつぶやいて隊商に向かって厳しく言い渡した。
「これをマンゴーの実だと誰もが思うだろう、しかしよく考えてみるが良い、村に近いこの丘でマンゴーの実がこれほど熟れるまで何ゆえ村人は採りに来ないのか。この実に触れてはならぬ!触れたものは酔いが全身に回り、これを食したものは死に至る。ナンガジュの実にはハラーハの毒が満ちている、さあ、私たちは青草の茎をかんで渇きを癒そう。癒えたらおのおの武器を抜いてそのまま死んだように大地にひれ伏せ、やがて盗賊の一団が襲ってこよう」
「だんな様、私どもは戦うのですか?」
「いやいや、ただ武器を手にして立つだけでよい、敵は戦う勇気など持たぬ」五十人の一行が車の陰、木の茂み、草原の石に身を横たえて待つとき村がざわめき、家々から飛び出した村人たちがナンガジュの木に集まり始めた。
「ひゃはっはっは、この前のときは牛一頭だった、今度はワシは荷車を手に入れたい」
「ふー、荷車一台でも荷の中身によって値打ちが変わる。絹など積んでいれば笑いが止まらんというもんだ」
「それにしてもこのナンガジュの実は村の宝だ、俺たちゃ働かずに楽ができる。みんなこの人殺しの木の実のおかげさーね。ひゃっははは!」
「いまだ!」菩薩は掛け声と共に剣を抜いて立った。五十人の部下が一斉に立ち上がった
「ひゃーああ」悲鳴をあげて後も振り返らず我がちに逃げ帰る村人たちを見下ろしながら菩薩はまず自らの剣をナンガジュの幹に打ち下ろした。五十人の部下が次々にその剣を振り下ろすうちに実もたわわな枝を震わせて大木は倒れた。木の倒れた後は真っ青な空が広がって世界が広く明るくなったように思われた。
お釈迦様はこう語り終えられて、
「比丘らよ、昔の賢者もまた果物に詳しかったのだ。その隊商の長こそ前の世のわたしであった」と言葉を結ばれた。
■空飛ぶ白象
これはお釈迦様が竹林精舎においでになるとき、ダイバダッタについて説かれたものである。
昔、王舎城においてマカダ王が国を治めていたころのことである。一人の菩薩が一頭の白い象となってこの世に出られた。真っ白な全身にエメラルドに似た緑の目を持ち、それが福徳円満の相を表すものとして国中の評判になっていた。それを伝え聞いたマカダ王はこの象を自分専用の乗り物として召抱え、調教師をつけて一年の間みっちり仕込んだのであった。
象と調教師はまるで兄弟のようであった。
「兄弟!」と呼びかけながらある日調教師は言った。
「いよいよ王様からお召しの声がかかった、あしたからおまえの背中は玉座となる。七宝を飾り、天蓋を設けて荘厳し、常に行列の中央を進んで、王の行かれるところ何処へでも趣かなければならぬ。賢く素直に勤めてくれよ。」白象は調教師に鼻を摺り寄せて一時の別れを惜しんだ。
その次の日から、王の巡察が始まった。王舎城の南の部分を三日かけてくまなく巡察し、東の地方北の地方へと移っていった。500人の行列の真ん中を白象は歩いた。仲間のどの象よりも大きく威厳があった。沿道で待ち受ける人々の中から「ホォー」というため息がもれ、雪のような白さ、優雅な歩き振りという囁きはやがて熱気をはらみ、ついに人々は声をそろえて
「転輪聖王の船よ」と爆発にも似た歓声を挙げるのだった。マカダ王は得意であった。
「これほどの象はめったにいるものではない、これを手に入れたのも我が栄光の証しである」といって憚らなかった。
巡察は王舎城の西の部分に入った。王の行列を待つ民衆はここでも口々に白象を讃え、その美しさに感嘆の声を上げた。その頃から王は少しずつ不機嫌になっていった。民衆の歓迎は日増しに高まっているというのに、そのことがどうにも面白くなかった。以前は沿道を埋めた民衆は両手をあげて
「王様!マカダ王万歳!」と歓呼したものだった。
いまはどうだ、王たる私よりも我が乗り物である白象に向かって転輪聖王の船といい、雪山の王者と呼ぶではないか。
「あの象が王たる我をないがしろにしておる」王の心中に嫉妬の焔が燃え上がった。
「あやつを殺す」焔は王にそう決意させた。
「八つ裂きにして殺す。しかしあの大きなものをどうやっ…そうかぁヴェーブッタの頂から突き落としてみては」王はこの陰惨な考えに満足し、すぐに調教師を召しだした。
「何事でございましょうか」
「ほかでもない、ワシのあの白象は十分に調教してあるだろうな?」
「はい、それはもう十二分に仕込んだつもりでございます。」
「ヴェーブッタの山に登れるか?」
「えっ!あの三角の岩山に、でございますか?」
「ただいまから我が目の前で登って見せよ!」否やは言わせぬと王は甲高く叫んだ。
調教師は思い心で白象の背にまたがった。一本の木も生えないヴェーブッタの岩山を、もしうまく登りきったとしてもどうして降りることができるだろうか。おそらく断崖を転げ落ちて刃のような岩でこの身を血に染めることであろう。
「兄弟、どういうわけだ。王はおまえを殺そうとしている、一時はあんなに喜び、この国の宝であるとまで言っておまえを慈しんでいた王が、気でも狂ったのか」白象は調教師を乗せてヴェーブッタを目指した。
王は高楼に昇ってその姿を追った。ヴェーブッタ山麓からその頂上まで道はなかった。誰も登ったことがないからである。白象は進んだ。落ち着いて用心深く進んだ。褐色の岩肌を白象が登るのが城中からも見えた。町中の家の屋根に町中の人が上がった。上がってヴェーブッタの頂上を見た。歩みはだんだん遅くなってはいたが白象の踏みしめる一歩は確実に頂上に向かっていた。
「兄弟、何があったかは知らないがとにかくおまえに無理難題を吹っかけて殺そうとしていることは間違いない。そんな王様なんてこっちからおさらばしようや。さあ、これが頂上だ。兄弟!空を飛ぼう。私もおまえと一緒にいく」調教師が象に向かってそう語りかけたとき、白象は神通力をあらわしてヴェーブッタの頂から虚空を飛んだ。
「象が空をゆく!」高楼で王が叫んだ。家々の屋根で民衆が騒いだ。
「哀王の嫉妬の心が私に虚空を歩ませる」白象の菩薩は一言そういい残した。
お釈迦様はこう語り終えられてそのときの王はダイヴァダッタであり、白象こそ前の世の私であったと言葉を結ばれた。
■砂漠の少年
バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
一人の菩薩が貿易商の家に生まれ、二十歳を過ぎるともう一人前の商人として貿易の仕事に精を出していた。彼は五百頭のラクダを使って大キャラヴァンを組み、ラクダの背には商品を満載して都から都へ国境を越えて商売の旅を続けた。
その旅も終わりに近く明日はバーラーナシーの都に帰りつくというとき、一つの難所に出くわした。それは六十里四方の砂漠であった。砂は手のひらですくっても水のように零れ落ち、太陽が昇るとその熱で火のように燃えるのであった。キャラヴァンは太陽が沈むのを待ち、大地が冷えるのを待って夜出発する。航海する船のように星を観測して方向を決め、闇に横たわる砂の海を五百頭のラクダと五百人の人々は一本の黒い帯となって渡るのである。
「隊長、風が出てまいりました。雲が乱れ飛んでいきます。この分だとやがて星の光もかき消されましょう。」
「さればといってとどまるわけにもいかぬ。」キャラヴァンはもう砂漠の中ほどと思われるところを進んでいた。風は強さを増し、はたせるかな、星は光を落として都への道はそこで途絶えたといっても良かった。東の空が白み始め果てしない砂の起伏が見えてくる頃、キャラヴァンは人もラクダも疲れ果てて太陽と熱砂に焼かれて死ぬ運命にあった。
「断じて諦めてはならん。我らはこの砂漠を越えて必ず都へ帰る。まず足元をよく観察せよ。砂の上に虫の歩いた跡はないか。蛇の這った跡はないか。一粒の草の種が落ちていないか。」
隊長である菩薩は大声で全員に語りかけた。今ここで自分が勇気を失ったらキャラヴァン全体が立ち上がる勇気を失うだろう。
「隊長、これはなんでしょう?このうす緑色のものは」
「あの砂の窪みになにか芽が出ています。」ラクダから降りて二人の隊員の下に歩み寄った隊長は仔細にそれを観察して
「吉祥草の芽だ!水の恵みがなければここに芽を出すはずはない。ここだ、この砂を掘り下げて水を手に入れよう。さあ、最後の力をだせ!」
隊員は交代で鋤をつかい、シャベルを使った。砂の穴は6、7メートルも掘り進んだが水はなく、固い岩盤に出会ってしまった。
「とても無理だぁ、水などありゃしない。力を出すだけ馬鹿馬鹿しいというもんだ。」
「骨折り損のくたびれ儲けというやつさ。隊長、もう止しましょう。それよりもラクダを一頭ずつ殺して、その胃袋の水で喉を潤したほうがずっと楽じゃありませんか」隊員たちは口々にそういって鋤やシャベルを放り出してしまった。「若者はおらぬか!」列の最後尾から一人の少年が駆け寄ってきた。
「いくつになる?」
「17でございます」
「父は」
「おりませぬ」
「母は」
「おりませぬ」
「生来孤独か?」
「仲間がおります。友達がおります。この隊商全部が私の父であり、母であり、兄弟であります。」
少年は広いターバンの下から黒い澄んだ瞳をあげた。水があるなら掘ってもみるがなければ努力するだけ損だという、そういうずるさに染まらない目であった。
「500人の仲間のためにおまえの力がいる。」
「はいっ」
「このハンマーをもって穴の底の岩盤を砕け。打ち貫いても水にい たるまでその作業をやめてはならぬ」少年は穴の底に降り立った。岩盤に足場を決めるとハンマーを振り下ろした。一回二回。鉄と岩がぶつかり火花が散ったが岩はびくともしなかった。少年の背に汗が流れた。何十回打ち下ろされたであろう、両足にいっそうの力を入れて振り下ろしたハンマーの一撃に岩盤は亀裂を生じ、大音と共に砕けた。
「水だぁー!水だぁー!」水は地上に水柱となって噴き上げ人々は喜びに踊った。
「ここにオアシスが生まれる。そうとも一日でも二日でもゆっくりここに逗留しようじゃないか!」
昇り始めた太陽の下で人々は湧き出る水に潤されながら、天幕を張り、食事の用意を始めていた。しかし少年は砂漠に地下水に飲まれてそのまま帰ってこなかった。
お釈迦さまはこう語り終えられ、一人の比丘にむかって、そのときの少年はそなたの前の世の姿である。精進努力するとは今現になしつつあることをいうのであって、努力したとか、精進してみようとか、過去や未来について言われることではない。今、この瞬間の努力が生死を超える道である。結果のみを思い煩うことは努力する力を弱めてしまうものだと言葉を結ばれた。
■金色の鹿
バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。一人の菩薩が鹿の胎内に入り、生まれては金色に輝く牡鹿となって群れのリーダーに成長していった。500頭の鹿を引き連れた彼の群れをニグローダー一族と呼んだ。森にはもう一つの群れがあってサーカー一族といった。そしてその群れのリーダーは銀色に光る大鹿であった。
その頃ブラフマダッタ王は鹿狩りに夢中で鹿の肉をことのほか好んでいた。そのため町中の男たちは毎日鹿狩りの手伝いと鹿料理の準備に借り出されて自分の仕事をすることができなかった。「どういうもんだろうねぇ、いくら王様のためといっても俺たちの身がもちゃあしない。なにかいい考えはないものかねぇ」「ようするに、狩に出なくても鹿が捕まればいいのだが…。おいっ、これはどうだ!まず鹿の食い物を山と積んで、その周りに柵を巡らし鹿が集まってきたら入り口を閉める、つまり生け捕りにしてしまう訳さ」森のはずれに頑丈な柵が作られ、その中に鹿の好きな柔らかな草を植え、水を飲む池が作られた。「王様、よい知らせがございます。森の鹿は全部捕らえました。これからは鹿狩りなどなさらずともこの柵の中から一頭ずつ殺してお召し上がりください。」ブラフマダッタ王は馬の背に跨って柵外を一巡し、金銀二頭のリーダーを認めた。「珍しい鹿がおる、あの二頭だけは生かしておきたい。」その日から弓矢をもった料理人が柵の中に入り、手当たり次第矢を射掛けて鹿の肉を持ち去るのであった。鹿たちはこの恐ろしさをリーダーに告げた。金色のニグローダはサーカー族のリーダーに言った。「兄弟、見てのとおりだ。このままでは手傷を負うものばかり増えていく、どうしても殺されるのであればいっそ順番を決めて一頭ずつ断頭台に上がろうではないか。それなら弓矢で追われるよりも我らの覚悟も決まる。」「よかろう。依存はない」と銀色のサーカはこたえた。 その日から鹿は一頭ずつ断頭台に身を横たえ、群れの仲間は弓矢で追われることはなくなった。ある日、サーカー族の群れから一頭の雌鹿が選ばれた。彼女は身ごもっていた。「お願いがございます」銀色のサーカーの前で彼女は拝むように言った。「わたし、もうすぐ赤ちゃんが生まれます、せめてその子が乳離れするまで私の順番を延ばしていただけないでしょうか」リーダーは苦しそうに言い渡した。「これはおまえの運命というものだ。だれが代わってやれるものでもない」彼女は立っているだけが精いっぱいであった。けれども最後の望みにすべてを賭けて、ニグローダーの群れにたどり着き、金色のリーダーに哀願した。「私が殺されたらお腹の赤ちゃんも死にます、この子の番でもないのに…」そう言って泣いた。「よろしい、おまえはここにいて元気な赤ん坊を産みなさい、なにも心配することはない」雌鹿は三度礼拝した。 その日、ニグローダー族の長、金色の牡鹿は自ら進んで断頭台に横たわった。これをみた料理人は王様の許にとって返し事の次第を報告した。ブラフマダッタ王は断頭台の近くに寄り「ワシはおまえを殺してはならぬと言いつけてある。これはどうしたことか」ニグローダーは答えた。「身ごもった雌鹿の代わりです。大王よ、遠慮なく私の肉を食べなさい。私は自分のいのちをあの雌鹿に与え、彼女の死の苦しみを私が引き受けているのです。この役をどうして他のものにさせられましょうか」「おおう。金色のニグローダーよ、ワシはまだ人間の中にもこれほどの慈悲と徳のある者を見たことがない。おまえのおかげで我が心は清まった!立って群れに帰るがよい。おまえとその雌鹿のいのちを助けよう。」「わたくしども二人が助かってもあとの者たちはどうなりますか?」「いや、すべての鹿を解き放とう。そして今後ワシは鹿の肉を食べるのは止そう」「しかし森には他の生き物がいます、狐もいます、兎もいます、それに鳥たちはどうなるのでしょう」「うううん。わかった!これからは一切狩りはすまい。ワシは自分の好みでほかのいのちを奪ってきた罪深い王であった。私はどうしたらいいのか…」「五戒を保ち、正しい道を行じられますよう」金色の鹿言葉に威厳が備わっていた。数日して、あの雌鹿は可愛い子を産んだ。 お釈迦様はこう語り終えられ、そのときの金色の鹿こそ前の世の私であったと言葉を結ばれた。 
 
ジャータカ物語 3

 

この物語は、釈尊の前世での話として伝えられ、教典にもこれらの話は比喩として登場します。仏教をわかりやすく、またおもしろく説いたものと言えるでしょう。
ですから、これらの話は早くから一般の人びとに受け入れられ、浸透してきました。もしかすればこれから紹介する話の中には知っているものがあるかもしれませんね。仏教道徳をただ理論的に説くのではなく、物語として話すことによって自然と覚えさせる。そういう物語です。それではご一読ください。
■欲張りなめんどり
バーラーナシー(現在のベナレス)の都の近くに大きな森があった。森の中ほどに泉があって、いつも清らかな水をたたえていた。森の動物たちは、皆、泉にやって来て水を飲んだり、水浴びをしたりした。岸辺には一年中草花が咲き乱れていた。
ある時、この森に一羽の鳥が生まれた。幼い頃から聡明【そうめい】で、鳥の仲間から慕われ、成鳥になるころにはいつしか鳥の王に選ばれていた。この王のもとで、鳥たちは何不自由なく平和に暮らしていた。
しかし、生き物とは不思議なものである。不自由のない平和な暮らしは、やりきれない退屈さを呼ぶものらしい。鳥たちは、新しい世界、もっとおいしい食べ物、もっと美しい森を求めて旅をしたいと言い出した。
鳥の王は仕方がなく、数千羽の鳥たちを引き連れ、旅立った。
深々と雪をかぶったヒマラヤの近くまでやって来た時、鳥たちは口々に言った。
「なんと美しい景色だろう」
「あの白く輝く雪を一口でも食べることができたら、私たちの寿命は数倍延びるに違いない」
「ふもとには町もある。きっと、人間たちの食べる珍しい食べ物にもありつけるだろう」
そこで鳥たちはしばらくの間羽を休めることにした。
鳥たちは思い思いに、近くの山や森や川へ食べ物を探しに出かけた。
群れの中に、一羽の欲張りなめんどりがいた。めんどりはただ一羽、人間たちの住む町の方へ出かけていった。町の中をあちこち飛び回っていると、ある広い道路の上に、米や豆や果物などのごちそうが落ちているのを見つけた。道路の上をひっきりなしに、象や馬や牛に引かせた荷車が走っていた。ごちそうは、どうやらその荷車が落としているらしかった。
めんどりは目を輝かせごちそうをついばんだ。おなかがいっぱいになると、めんどりは考えた。
──こんないいごちそうのありかを、仲間に知らせてやることはない。自分だけの秘密にすることにしよう。しかし、もし気づかれたら『この場所は、恐ろしい象や馬に引かせた車が走っている。急に飛び上がることなど到底できるものではない。危険だからあそこへは近寄らない方がいい』と言うことにしよう・・・・・。
めんどりは群れのいる方へ飛んでいった。
夕方、あちこち飛び回っていた鳥たちが帰ってくると、みんなは今日の出来事を話し合った。珍しい食べ物、初めて見る草花や動物など、それぞれが自慢げに話した。めんどりも自分の番が回ってくると、あのごちそうの話をしないわけにはいかなくなった。話をした後、めんどりはつけ加えて言った。
「でも、あそこへは決して行ってはいけない。あそこへ行くことは、自分の命を落としにいくようなものだ」
みんなもめんどりの言葉に深くうなずいた。
「そのとおりだ。いくらおいしいごちそうでも、命を落としてしまってはどうしようもない」
そして、いい警告をしてくれたというので、みんなは尊敬の気持ちを込めて、めんどりに警告者という名前をつけた。
ところがその翌日のこと、めんどりが群れから離れ、町の道路へ出かけてごちそうをついばんでいると、勢いよく走ってきた荷車に、あっという間もなくひき殺されてしまった。目の前のおいしいごちそうに惑わされ、まだ大丈夫、まだ大丈夫と思っているうちに、飛び上がる機会を失ってしまったのだった。
夕方、鳥の王は群れの数を調べてみると、どうしても一羽足りない。みんなで手分けして捜していると、町の道路で無残に死んでいる一羽の鳥を見つけた。王が近寄ってみると、夕べ、仲間から警告者と名前をつけられたばかりのあのめんどりだった。
王はめんどりを近くの森に運ぶと、手厚く葬り、群れに向かって言った。
「めんどりは、ほかの鳥には禁じていながら、自分でそこへ出かけていって車にひき殺されてしまった。めんどりは自分の欲に殺されたのだ」
■シカ王ナンディヤ
昔、コーサラ国(古代インド一六大国の一つ)のサーケータの都に、たいへんシカ狩りの好きな王が国を治めていた。農村の人々にも畑仕事すら禁じて、辺り一帯をすべてシカ狩りに使っていた。家来も毎日そのお供をしなければならない。これでは人々は作物一つ収穫できず、生活が不安になっていた。
「困ったものだ」
「何かいい方法はないかな」
人々は寄り集まっては相談した。
「牧場のように、シカを一つの囲いの中に集めてしまうのはどうだろう」
一人が言い出した。
「それはなかなかいい考えだ」
「まずアンジャナ林宮苑【きゅうえん】を取り巻く門と壁を作り、その中に森のシカを追い込もうじゃないか」
「そうしたら門を閉めてしまい、王様は好きな時、好きなだけシカを殺せばいい」
「我々は自分の仕事ができるというものだ」
そうだ、そうだとみんなは勢い込んでこの仕事に取りかかった。このころ、森にはナンディヤという優れたシカの王がいた。頭がよく、堂々としていて、たいへん親孝行であった。
ある日、その父母とともに小さなやぶ陰に休んでいると、村人たちのシカを追い立てる声がこちらへ近づいてきた。のぞき見ると、手に手に矛【ほこ】や盾【たて】などの武器を持っているではないか。
ナンディヤは父母を驚かさないように、小さな声で言った。
「お父さん、お母さん、もうすぐ村人たちがこのやぶに入ってきます。そうすれば、たちまち私たちは見つけられてしまいます。助かる方法は一つしかありません。今わたしに大切なのは、わたしの命よりあなたたちの命です。わたしは彼らが近づいてきたら、このやぶの端から飛び出します。みんなはわたしに気を取られて追いかけるでしょう。こんな小さなやぶに一頭以上のシカがいるとは思わないでしょうから、あなたたちのところまでは探しにこないと思います。どうか気をつけてじっとしていてください」
彼は言い終わると一声高く鳴いて、やぶから走り出ていった。ナンディヤが思ったとおり、人々はみんな彼を追って走ってきた。ほかのシカといっしょに、彼は宮苑の中へ追い込まれ、門は閉められた。
それからというもの、王は毎日宮苑に出かけ、シカを一頭ずつ射殺して遊んだ。シカたちは、ただ震えながら自分の順番を待つしかなかった。みんな食欲をなくし、恐怖の中で毎日を過ごしていた。ナンディヤだけは落ち着いて池の水を飲み、牧草を食べて堂々と暮らしていた。彼の順番はなかなか来なかった。そうやって月日が過ぎていった。
宮苑の外では、ナンディヤも両親が、息子の身の上を心配しながら落ち着かない毎日を過ごしていた。
「あの子は象ほどの怪力なのだから、どんなことをしたってわたしたちのところへ帰ってこられるはずなのに」
母の言葉に父もうなずいていうのだった。
「あの子は強い足を持っている。苑の柵【さく】など一飛びで越せそうなものだ。あの子の所へだれかに使いにいってもらおうではないか」
両親は早速、道で出会った一人の男に尋ねた。
「あなたはこれから、どちらへおいでですか」
「わたしは都へ上るところだ」
「それはよかった。どうか都へ着かれましたら、わたしどもの息子、ナンディヤと呼ばれているシカにわたしどもの気持ちを伝えていただきたいのですが」
「いいとも、伝言を言ってごらん」
「ありがとうございます。わたしどもはご覧のように年老いております。愛する息子の顔が見たいし、また彼がそばにいてくれないと心細くてたまりません。あの子が、自分の強い足で柵を飛び越え、早くわたしどもの所へ帰ってきてくれることを願っていると、そう伝えてください」
男は快く承諾し、サーケータの都へと向かった。彼は都へ着くと、早速宮苑に出かけた。そして大きな声で呼んだ。
「ナンディヤ、ナンディヤ、お前はどこにいるのだ。」
すると、おおきなろっぱなシカが男のそばに走ってきた。
「わたしがナンディヤです。なんのご用でしょうか。」
男は優しくナンディヤに言った。
「ナンディヤ、苑の外でお前の両親はとてもお前を案じているよ。お前は象にも負けない力があるし、足も強い。どうして柵を飛び越えて会いにいってあげないのだ。あんなにお前の顔を見たがっているのに」
「わたしは飛び越えたければいつでも柵を飛び越えられます。けれどもそれでは、飲食をさせてくださっている王様にご恩が返せません。それにここにいる大勢のシカたちとも長くいっしょに暮らしました。わたし一人逃げて帰るわけにはいかないのです。わたしは王や仲間のシカに、なすべきことをしてから帰ります」
ナンディヤは、そう言って、うたを唱えるのだった。
青い草々飲み水も
すべては王のくださる物
どうして黙って立ち去れよう
王の射る矢を身をもって
わたしは笑って受けましょう
それで許してくれるなら
再び母に会えるでしょう
男は到底ナンディヤの決心を変えられないのを悟り、帰っていった。
そしていよいよナンディヤの順番がやって来た。王や大勢の家来に見つめられながら、ナンディヤは苑の片すみにじっと立っていた。
ほかのシカのように死を恐れ、悲しい声を上げて逃げ回ったりはしなかった。ゆったりと立ち、彼はまるでなにかを教え諭してるような威厳に満ちていた。王はどうしても矢を放つことができなかった。シカの偉大な風格に圧倒されてしまったのだ。
「王さま、どうなさいました。早く矢をお放ちなさい」
シカ王ナンディヤがりんとした声で言った。
「シカ王よ、どうしてもわたしにはそれができないのだ」
「王さま、いつも正しい道を歩み、気高い心を持つものの力がお分かりになりましたか」
シカはおごそかに言った。おうは心を強く打たれるものを覚え、そこへ弓矢を捨ててしまった。
「シカ王よ、わたしを許しておくれ。命のないこんな一本の矢だって、お前の徳の高さを知っていて弓から離れようとしなかった。それなのに、心というものを持っているわたしが、お前の気高さを感じる力がなかったのだ。わたしは恥ずかしい。お前を殺すことなどわたしにはできない」
王はナンディヤの命を助けた。また、苑の中でただ死を待っていたシカたちもすべて助けると誓った。そればかりではなかった。心を洗われた王は、この森に住むすべての獣、空の鳥、池の魚を安全に守ってやろうと決めたのである。
ナンディヤは、王がいつまでも正しく国を治めるようにと願い、次のようなうたを王に与えて宮苑を去っていった。もちろん愛する父母に会いにいったのである。
施しの心を保ち戒めを
守り通せよ大王よ
欲望を捨てて正義と優しさと
常に努力を絶やすまじ
ほかを害せず怒りも捨てよ
耐える心と真の目を
もって治国に励むべし
これこそ王の十法ぞ
そのような行い保ち努めれば
恵みは王に満ちあふる
■イノシシと宝石
昔、ヒマラヤの山中で一人の苦行者が修行していた。
その苦行者の住んでいるすぐ近くに、美しい宝石でできたほら穴があった。そのほら穴には、三十頭ものイノシシが住んでいた。
ところが、ほら穴の周りには、恐ろしいライオンがいつもうろうろしていた。ライオンのうろつく姿が宝石に映るので、イノシシたちは、その影を見るたびにブルブルと震え上がるのであった。
イノシシたちは考えた。
─宝石が透き通っているためにライオンの姿がはっきり映るのだ。ライオンの影を見ると、おれたちは怖くて怖くて、どうしてもブルブルと震え上がってしまう。それもこれも宝石のせいだ。いっそのこと、この宝石をどろどろに汚してしまえば、ライオンの影は映らないだろう。
みんなの意見が一致して、イノシシたちは連れ立って近くの湖のほとりまで出かけ、どろ土を運んできた。そしてそのどろ土で宝石をグイグイとこすった。しかし、どろはこすっているうちにすぐになくなってしまい、どろでこするよりもイノシシの毛むくじゃらの手でこすることが多くなる。すると宝石は、逆に前よりも透き通ってきれいに光ってくるのであった。
イノシシたちは、もうどうしていいのか分からなくなった。
「なにか、いい方法はないものだろうか」
みんなで頭をひねっていたところ、一頭のイノシシが思いついたように言った。
「ほら、あの苦行者に聞いてみたらどうだろう」
イノシシたちは全員で、早速ほら穴からあまり離れていない所に住んでいる苦行者の所に出かけていった。大勢のイノシシたちがやって来たので、苦行者は少し驚きながらも彼らを迎えた。
イノシシたちは口をそろえて言った。
「教えていただきたいことがあるのです。」
「ふむ、なんだね」
苦行者はイノシシたちをながめ渡した。
イノシシたちは恭(うやうや)しくお辞儀をすると、次のうたを唱えた。
我らイノシシ三十頭
この穴に住み早七年
ところが怖いライオンの
影を映せし宝石の
光りが邪魔で落ち着けず
憎い光りを消そうとしたが
どろでこすればこするほど
宝石光りを増すばかり
教えてください苦行者よ
あの石汚す方法を
イノシシたちの必死のうたを聞いた苦行者は、彼らを見すえてうたで答えた。
尊く光る宝石は
汚れがなくて清らかで
光りを消すなどできはしない
尊い光り逆恨み
頭を冷やせイノシシよ
ほら穴捨て去りなさい
このうたを耳にしたイノシシたちは、それ以上苦行者に何も言えず、その場をすごすごと去っていった。
■象の親子
昔、ヒマラヤに象の母子が住んでいた。息子の象は全身が雪のように白く輝いていて、その美しさはまぶしいほどだった。彼は八万頭もの象を従えている王者でもあった。この象の母親は目が見えず、えさを探すことも不自由な身の上だった。親孝行な息子は、おいしい果物を見つけるたびに、ほかの象に頼んで母親のもとへ届けていた。
ところがその象たちは、預かった果物を母親には届けず、こっそりみんな自分たちで食べていたのだった。やがてそのことを知った息子の白象は、すっかり象の仲間にいや気がさしてしまった。そこで仲間を捨てて、母親とともにヒマラヤを後にした。
みんなに気づかれないように夜のうちに出発し、チャンドーラナ山のふもとに着いた。
そこに清らかな水をたたえた池を見つけ、白象は大喜びであった。早速近くのほら穴に母親を住まわせ、それからは池の水で体を洗ってやったり、新しい土地で見聞きしたおもしろい話を聞かせたりして、むつまじく暮らしていた。
ところがある日、この山の道を泣きながら歩いてくる男の声が聞こえた。あまり大きな泣き声なので、白象は気の毒に思い、声をかけた。
「いったいどうなさったのですか。私を怖がることはありません。お力になれるかもしれませんから話してごらんなさい」
「ありがとう」
男はしゃくり上げながらも、ほっとした様子で話し出した。
「私はバーラーナシー(現在のベナレス)の都に住む者です。山の中で道に迷ってしまったんです。もう七日間も山の中を歩き回ってへとへとなんです。」
優しい白象は男がかわいそうになり、自分の背中に乗るように勧めた。
「私の背中で疲れを休めなさい。私が人間の住む辺りまで運んであげましょう。」
彼らは険しい山道や生い茂る草木を分けて進んでいった。
しかし、せっかくの象の親切も良い実を結ばなかった。この男は悪知恵ばかり発達した人間で、自分が助かったと安心するなり、卑しい考えで頭がいっぱいになったのだった。
──おれが乗っているこの象は、まるで雪のように白い。こんなりっぱで美しい象を王さまに売りつけたら、さぞ大金が手にはいるだろう。ようし、この象が住んでいる辺りをよく覚えておいてやろう・・・・。
そこで彼は、象の背中から道の様子を観察していた。珍しい形の木、森の間から見える遠い山の形、道の曲がり具合。
やがて無事にバーラーナシーの都に着くと、この欲の深い男は王の所へ出かけていった。
ちょうどこのころ、王の乗っていた象が病死して、新しい象を探せという命令が都中に出されていた。男の話を聞くと、王は早速象使いや力の強い男たちを集め、山へ向かわせた。
欲張りの男が案内を務め、やがて池の中で水浴びをしている白象を見つけた。象は簡単に捕らえられてしまった。彼には逃げる力がなかったのではない。彼はおとなしく頭を垂れ、されるままになりながら心の中で考えていた。
──この場所を教え、私を売ったのはあのときの男だな。私は怪力だ。千頭の象だってやっつけられる。私が怒れば王の兵隊をすべて殺せるだろう。だけど私はやめておこう。ただ怒って暴れるのはほかに能のない、品位のない者のすることだ。自分の徳を失うことにもなる。もっと温和に自分の気持ちをわからせる方法が、きっとあるはずだ。
象使いはこの白象がただの者とは思えなかった。『わが子よ』と呼んではかわいがり、大切にして都まで連れてきた。
一方、母増は何日たっても息子の声が聞こえないし、自分のそばにいる様子がないので、心が騒ぎだした。そして、都の役人たちによって連れ去られてことを悟り、不安な気持ちのまま、悲しげにうたをうたった。
優しく気高い我が息子
どこへ行ったか象王よ
力のこもったその足の
地を踏み締める音(ね)が絶えて
森の草木は伸びほうだい
金の飾りは身につけた
人々彼を連れ去れり
王こそ乗るにふさわしい
わたしの息子象王を
王はまたとない美しいりっぱな象が手に入ったという知らせを受け、象を歓迎するために都中を飾らせた。象舎には香水をまき、おいしい食事を用意させた。しかし、王のもとへやって来た白象は、いくら勧めても食事に口をつけなかった。これには王も困ってしまった。
そこで、王は優しく象にうたいかけた。
象よ食事をとりなさい
象よやせてはいけないよ
お前にやってもらいたい
大事な仕事は盛りだくさん
象よ食事をとりなさい
象は元気なく答えた。
食事はのどを通りません
養う者も今はなく
目も不自由な彼女の身
思えばわたしは食べられない
彼女は悲しみ泣き暮れて
チャンドーラナの山深く
足で木株をたたいてる
悲しい音が耳を打つ
王は驚いて尋ねた。
「象よ。彼女ってだれなのだ。お前が食事もとれないほど、その身を案じている盲目の彼女はお前のなんなのだ」
象は重ねてうたった。
チャンドーラナの山深く
悲しみ嘆く彼女とは
それはわたしの母親です
養う者も今はなく
目も不自由な我が母です
王はすっかり心を打たれ、すぐさま象をチャンドーラナへ返してやった。白象は喜び勇んで母の所へ駆けていった。そして清らかな池の水を鼻で吸い上げ、汚れた母の体に注いでやった。
悲しみに暮れていた母象は、雨が降ってきたのだと思い違いをしてしまった。母は雨に向かってどなりつけた。
時をわきませず雨降らす
愚かな神はだれなのです
我が最愛の象王が
連れ去られたるこの時に
白象はほほ笑み、自分が帰ってきたことを優しく母に告げた。それもすべてカーシ国(中インドの古国)王ビデーハのおかげだと話した。母はその見えない目から涙を流して喜び、感謝の気持ちを唱えた。
孝行者の我が息子
わたしの息子を返してくれた
カーシの王に栄えあれ
長く幸あれカーシ国
王はやがて、この輝くように美しい白象の姿を石で彫らせ、大切に扱った。毎年、国の人々は各地から集まってきてはこの彫像を囲み、象の祭りを祝うようになったのだった。
■葦(あし)の茎(くき)
昔、ある森の中にハスの花が咲いている美しい池があった。池の周りはたくさんの葦(あし)で覆われていた。そこには、森に住んでいる羅刹(らせつ)という恐ろしい鬼が毎朝早くやって来て池の中に隠れ、動物たちが水を飲みにやって来ると、それを片っ端から水中に引き込んでは食べてしまうのだった。
ある時、賢い王に率いられた八万匹のサルの群れがここにやって来た。サルの王は、森に入ってしばらくすると皆に命令した。
「この森にはなにかおかしなものが住んでいるような気がする。いいか、みんな。わしが確かめるまでは、知らない木の実を食べてもいかんし、初めての所で水を飲んでもいかんぞ」
王を信頼しているサルたちは、みんな素直に、
「分かりました」
と答えた。
そうしてサルたちは、よく気をつけながら森の中を進んでいった。途中でだれかが木の実を見つけると、キャッキャ、キャッキャと言って王に知らせた。王はすぐにそこへ飛んでいって、辺りを調べ、においをかぎ、味をみて食べていいものかどうかを確かめた。
八万匹のサルたちは、おなかのほうはいっぱいになったけれど、いつまでたっても水が見つからず、のどが渇いてきた。小さな小川一つないのだ。
仕方がないので、サルの王は家来に命じて、水がないかどうかあっちこっちに調べにやらせた。
「いいか、水を見つけても、わしの言ったことを忘れるなよ」
サルの王は皆に注意を与えると、残ったほかのサルたちといっしょに待っていた。
水を探しにいったサルたちは、森のいろいろな方角に散らばってみたが、さっぱり見つからなかった。それもそのはずだった。あの鬼が、不思議な力でみんな隠してしまっていたのだ。そして、ただ一つ外から見える水場といえば、鬼のいる池だけだったのだ。
やがてサルたちの何匹かがそこへたどり着いた。ハスの咲いているきれいな池を見つけて、みんなは喜んだ。すぐに水を飲もうとしたのだけれど、王が言ったことを思い出した。
──それにのどが渇いていいるのは待っている仲間も同じことだ。まずみんなに知らせなくてはいけない。
そう思うと、その中でも一番声の大きなサルが、森中に響くような声で鳴いた。その声はどんな鳥の声よりもよく通り、木々に当たっては跳ね返り、待っているサルの王の所にも届いた。
「見つかったらしいぞ」
王はそう言うと、残った者を率いてその声のする方に向かっていった。森に散らばっているほかのサルたちも、それを聞いて集まってきた。
水辺にたどり着くやいなや、サルの王はなにか不吉なものを感じた。
「王さま、この池を見つけましたが、わたしたちは水を飲まないでお待ちしておりました」
それを聞くとサルの王はうなずいた。
「それでいい。ここはなにかおかしい。お前たち、もっと水から離れていろ」
水辺にいたサルたちはみんな後ろに下がった。そしてサルの王は、水際を調べて回ったり、少し遠くから水の中をのぞき込んだりし始めた。
一方、水の中の鬼は、よだれをだらだらと垂らして待っていた。
──八万匹のサルがいっぺんにやって来るなんてめったにないことだ。さぞかし食べがいがあることだろう。それにサルはおれさまの大好物だ。
鬼はそう思ってにんまりと笑った。
けれどいつまでたってもサルたちは水に近づいてこなかった。動物は水を飲んでいる時がいちばん注意力を失っているから、水の中から近づいて、次々と首根っこをひっつかんで、中に引きずり込めばいいのだ。でも水に近づいてこなければどうしようもない。
ハスの葉の陰から外をのぞくと、サルたちはにんなのどが渇ききって、早く水を飲みたくて仕方のない顔をしていた。
──あれなら、必ず水を飲みにくるぞ。
鬼はほくそえんだ。けれど、その中に1匹の体の大きいりっぱなサルがいて、池の周りを回っては、しきりになにか調べていた。
──あいつか。あれはサルの王だな。なにか感づいているらしい。だけどそうしたところで、サルたちはもう水を飲まずにはいられないだろう。どうせほかに水場は見つからない。やつらはここで飲むしかないのだ。
鬼はそう思った。サルたちはみんな水をうらめしそうにながめていた。でも、おなかがすいて、早く食べたくていらいらしているのは、鬼も同じだったのだ。
「いくら調べても同じだ。どうせここで、水を飲んで、おれさまに食われるのだ。同じことなら早くしろ」
鬼はぶつぶつ言った。
さてサルの王は、ようやく水際にさるのものではない足跡を見つけた。それは、朝、鬼が森からこの池の中に入った時についたものだ。だからその足跡は池の中に向かっているだけで、池から外に出ていったものはない。
「みんな、よく聞くがいい。この池の中には鬼が潜んでいるぞ。たぶん、水を飲みにくるものをねらっているのだろう」
サルの王は水辺の葦の所に立って言った。水の中で鬼が、
「ちっ」
と舌を鳴らした。
サルたちはどよめいた。そして一匹が言った。
「けれども王さま、ほかには水のある所はありませんでした。どうしたらいいのでしょうか。この水を飲まなければ、みんなのどが渇いて死んでしまいます」
「いいぞ、いいぞ」
水の中で鬼が言った。
するとサルの王は答えた。
サルたちは顔を見合わせた。水の中で鬼は首をかしげた。
サルの王は池の周りに数えきれないほど生えている葦を見回して、それからなにか呪文を唱えながら、池の周りを回った。そして一本の葦を取って口に当てると、フッと吹いた。すると、その茎の中身は飛び散って、葦の茎は空洞(くうどう)となったのだ。それから王は、周りの葦を見回すとおごそかに命令した。
「すべての葦は皆、空洞となれ」
すると、そこにあったすべての葦は、みんな中が空洞になって、ちょうどストローのようになったのだ。
王はみんなに、それを一本ずつ取るように言った。
そして八万匹のサルたちは、池を取り囲んで、少し離れた岸辺に座ると、水の中に葦の茎を入れて、いっせいにチューチューと水を飲んだのだった。
見る見るうちに池の水はなくなり、鬼の青い腹、白い顔、赤い手足が見えてきた。鬼は唖然(あぜん)として、池の真ん中でハスの花を頭に載せたまま、立ちつくしていた。
こうしてサルたちは十分水を飲むと、鬼のことを笑いながら、引き上げていった。葦の茎が空洞になったのは、この時からだといわれている。
■ライオンの毛皮
ある地主が大勢の農夫を使い、畑を耕し、麦をまいた。やがて麦は芽生え、ぐんぐん伸び、日の光を浴びて青々とそよいでいた。いつの年も、こうして農夫たちは畑を耕し、麦を作り、実れば取り入れて暮らしていた。
その年、農夫たちが作った麦の畑に、奇妙な動物が来て、伸びかかった麦を片っ端から食べていた。それは、頭から背中にかけてはライオンであり、しっぽや背丈はロバとよく似ているという、珍妙なものだった。
「追い払ってしまえ。畑を荒らすやつを。」
地主は変な動物を見て叫んだ。しかし農夫たちはだれ一人追っ払いに出ていく者はいなかった。
「あれはライオンだ。恐ろしい。」
みんなしりごみした。変な動物は、近寄る者もいないので、ゆうゆうと麦を食べていた。
さて、周りにだれもいないところを見計らって、一人の商人が変な動物のそばへ来た。商人は無造作にライオンの頭をつかむと、バサッとそれをはぎ取った。奇妙な動物はライオンの毛皮を着せられたロバだったのだ。商人はロバの背中へ薬の袋を積むと、隣の村へ薬を売りに出かけた。商人はロバに話しかけた。
「お前さん、この毛皮を着ていれば、たらふく畑の作物が食えるし、人間も近寄ってこない。どうだ、わしの考えはいいだろう。」
そして明くる朝、商人は自分が宿屋で朝食を食べている間、自分のロバにまたライオンの毛皮を着せて麦畑へ離しておいた。農夫たちが作った麦を、ロバは片っ端から食い荒らしていった。農夫たちは自分たちが汗を流して作った麦を食われ、畑を踏み荒らされるのにたまりかねた。そして、ついに変な動物を退治しようと、立ち上がった。
「おうい、みんな、刀や弓をもって集まるんだ。あの妙なライオンをやっつけてしまおう。」
農夫たちは手分けして触れて回った。
日の光がきらきらと畑に輝きだしたころ、ロバは緑の麦を腹いっぱい食べ終わった。その時、農夫たちは一人一人弓矢を持ち、ライオンを捕まえようと集まってきた。やがて男たちはほら貝を吹き、太鼓を打ち鳴らした。
「ワァー」
農夫たちはときの声をあげてライオンに近づいた。ロバは驚き、一声高くいなないた。
「やっ、ロバだぞ。ロバの声で鳴いたぞ。」
農夫たちはロバだと分かると、ぐるりとその動物を取り囲んだ。ライオンに見せかけて人をだました化けの皮ははがれた。農夫たちは寄ってたかってロバを捕らえ、畑の麦を食い荒らされた仕返しに、骨も砕けるほど打った。そしてライオンの毛皮をはぎ取っていってしまった。
ロバは裸にされ、息も絶え絶えになって横たわっていた。そこへ薬売りの商人が来て死にかかったロバを見た。商人はうたを唱えた。
ライオンの毛皮まとって声たてず
威厳(いげん)示せばいつまでも
食べられたものを良い麦を
余計な声で自滅した
ロバのいななき命取り
唱え終わった時、ロバは息絶えた。薬売りはロバを捨てて立ち去った。
■二匹のサル王
昔、バーラーナシーの都に、賢いサルの王と愚かなサルの王がいた。二匹のサルの王は、それぞれ五百匹のサルの群れを率いて王宮の庭に住んでいた。庭は広く、緑濃い森と草原があり、澄んだ水をたたえた川も流れていた。周囲は、密猟者や猛獣の侵入を防ぐため、高い塀が巡らされていた。
そして、近くに神殿があった。
ある日の午後、一匹のいたずらなサルが、群れを離れて庭のアーチ型をした門の上に座って、馬屋の飼い葉桶(おけ)からかすめてきた豆を食べていた。少し離れた木陰では、仲間のサルたちが、ノミを捕ったり、木の実をかじったりしていた。いたずらザルは退屈していた。なにかいたずらの種はないかと、辺りを探していた。
その時、神殿の方から年老いた司祭がやって来た。司祭は、たった一人だった。閑かな足取りでアーチの門をくぐると、サルたちのいる木の前を通って川の方へ歩いていった。
門の上でぼんやりと司祭を見送っていたサルの目に、小柄な司祭の頭が映った。
「よし、あの頭の上に糞(ふん)をかけてやれ。」
いたずらザルは、チビの司祭がどんな顔をして怒るか、想像しただけで楽しくなった。司祭は木陰でしばらく物思いにふけってから、気持ちの良い流れで沐浴(もくよく)をした。そして、さっぱりとした顔で門の方へもどってきた。
いたずらザルはアーチの門の上で、しりを持ち上げて待っていた。司祭はゆっくりと門に近づいた。サルのしりから、勢いよく焦げ茶色の糞(ふん)が出た。豆を食べたせいか、少し柔(やわ)らかめの糞(ふん)が頭の上にかかった。
「なにをするか、このいたずらザルめ。」
小柄な司祭は手を振りあげてどなった。しかし、サルは平気な顔で、門の上からもう一度柔らかい糞(ふん)をした。運悪く、糞(ふん)は上を向いて大きく開けた司祭の口の中に落ちた。
司祭は慌(あわ)てて庭の流れへ駆(か)けていくと、口をすすぎ、もう一度沐浴(もくよく)して髪の毛を洗った。そしてすでに門から逃げて仲間たちのいる木の上に登ったいたずらザルに向かって、大きな声で言った。
「覚えておれ、いたずらザルめ。きっとお前を懲(こ)らしめてやる。」
近くでこのいたずらを見ていた一匹のサルが、賢いサルの王に、この出来事の一部始終を知らせた。その話を聞いた賢いサルの王は、しばらく考えていたが、五百匹の仲間のサルたちを集めて話した。
「この王宮の庭は安全でたいへん住み心地の良い所だったが、残念ながらよその場所へ移るべき時が来たようだ。我々サルに恨みを抱く人間がすぐ近くに住んでいる所に住み続けると言うことは、危険すぎる。司祭は、必ず我々に恨みを晴らそうとするだろう。司祭にとって、サルはすべていたずらザルに思えるはずだ。さあ、わたしといっしょに、新しい住みかを探そう。」
そして、別の群れの五百匹のサルたちにも、そうすべきだと話した。しかし、愚かなサル王は賢いサル王の話を聞くと、笑いながら言った。
「そんな必要はない。あんなチビ司祭になにができるか。サルがすべていたずらザルに見えるのなら、どれがあのいたずらザルか分からないので、恨みを晴らす方法がないではないか。」
愚かなサル王の笑うのを見て、仲間の五百匹のサルたちも同じように笑って、賢いサル王の忠告に耳を貸さなかった。
賢いサル王に率いられた五百匹のサルたちは、その日のうちに一匹残らず王宮の庭を去り、新しい住みかの森に移った。愚かなサル王と五百匹のサルたちは、相変わらずのんびりと、王宮の庭にいた。
それから数日後、王宮の象小屋が火事になった。女の召し使いがひなたに広げて干しておいた米をヤギが来て食べ、怒った女が火のついたまきを投げたら、ヤギの毛に燃え移った。ヤギは逃げていって、火のついた体を、象小屋のそばにあった草小屋になすりつけた。草小屋は燃えやすい材料でできていたので、たちまち火がつき、隣の象小屋が類焼したというわけだ。
象たちはなんとか逃げ出したが、背中に火の粉を浴びてひどいやけどを負った。象医が駆けつけたが、やけどがひどすぎて手の施しようがなかった。
その話を聞いて、司祭はすぐさま心配そうに象の傷を見ていた王の所へ出かけた。年老いた司祭の来たのを知って、王は尋ねた。
「司祭よ。我々の象たちがやけどをしたが、象医は、ひどすぎて手がつけられないでいる。お前はなにか良い手当を知っているだろうか。」
司祭は象の大きな体を調べてから、王に言った。
「王さま。象のやけどには、サルの脂が良く効くと聞いたことがあります。ひとつ、サルの脂を試してみたらいかがでしょう。」
「しかし、こんな大きな体の象には、さぞたくさんのサルの脂が必要であろうが、今すぐ、どこでそれを集めたらよいのか。」
「王宮の庭に、何百匹とサルがいるではありませんか。」
王は喜んで、すぐに大臣にサル狩りを命じた。大臣は、弓矢を持った兵を王宮の庭の近くに集めると、叫んだ。
「王宮の庭に住むサルどもを、一匹残らず射殺して脂肪を集めてこい。すぐにだ。」
そこで、大仕掛けなサル狩りが始まった。家来たちが、塀から外へ一匹も逃がさないように、森や茂みから庭の中央へと追い立てた。追い立てられたサルたちはサル王に指示を仰いだが、愚かなサル王は慌てるだけでどうしたらよいのか分からなかった。そのためサルたちは、家来たちに追われるままに逃げ、身を隠す木の一本もない草原に集められて、待ち構えていた射手に、次々と射殺された。
愚かなサル王は、アーチ型の門の上に逃げ登ったところを、若い射手に胸を射抜かれた。愚かなサル王は胸に矢が突き刺さったまま、血を流しながらも枝に飛び移り、木から木へと庭の奥深くに逃げて、塀を乗り越え、たった一匹で、賢いサル王たちの住む森へ来た。しかし、森へたどり着いた時、息が絶えた。仲間のサルの知らせで駆けつけた賢いサル王は、森の木の根本で死んでいる愚かなサル王を見て、五百匹の仲間のサルたちを集めると、群れの中央に座って、今度の出来事から得た教訓を次のようにして、仲間たちに教え諭(さと)した。
恨みを抱く残虐者
そんな男のいる場所へ
知恵ある者は住みはしない
恨みの炎は燃え盛り
不幸の火事を呼ぶだろう
こんな理屈の分からぬ者が
群れを率いていたなんて
たった一匹のサルのため
ひどい話さ皆死んだ
愚かなくせに賢いと
うぬぼれ心に捕らわれて
自分の心もつかめずに
群れを率いていたなんて
悲しい話さ皆死んだ
力の強い愚かな王は
全くおとりとおんなじさ
ボスが仲間に死に神を
呼んでみんなが滅びるよ
力の強い賢い王は
みんなに幸福呼ぶだろう
天の幸せしっかり守る
帝釈天(たいしゃくてん)がするように
これこそ善というものさ
戒めを守り知恵あり聞く耳を
しっかり持った人ならば
自分と他人のいずれにも
確かな幸せ呼ぶだろう
そんな賢い人ならば
世界を支配し人々に
幸福呼ぶかあるいはまた
出家して人を救うだろう
■竜の兄弟
昔、ヒマラヤのダッダラ山のふもとにある竜の宮殿に、竜の兄弟の王子がいた。兄はマハーダッダラ、弟はチュッラダッダラと呼ばれていた。
弟は怒りっぽい性質の乱暴者で、若い女の竜をからかっていじめたり、ばかにしたり、殴ったり、悪さの限りを尽くしていた。
王は弟の王子があまりに気性が激しいのを心配して、竜宮から追放するように命じた。これを聞いた兄のマハーダッダラは、弟によく言い聞かせ、父王に謝らせて、やっと王の怒りを解いた。
二度目にまた王を怒らせた時も、謝らせて追放を思いとどまらせた。三度目の時には、王はもう許そうとはしなかった。それどころか、いつも弟をかばう兄の王子にも腹を立てた。
「お前は、こんな乱暴なやつをしかるのをなぜ止めるのだ。ばか者、お前も弟も同罪だ。この竜宮から出て行け。いいか、バーラーナシー(現在のベナレス)の都の臭い便所の中に三年間住んでいろ。」
王は兄弟の王子を竜宮から引きずり出させてしまった。
仕方なく兄弟の王子は、王に言われた場所へ行ってつらい生活を始めた。兄弟が便所の水の中でえさを探していると、村の子供たちがやって来て土くれや木片を投げつけた。
「おい、この頭でっかちで、尾っぽに針のある竜を見ろよ。」
子供たちは竜の兄弟をはやし立てて、口々にからかった。
弟のチュッラダッダラは気性の荒い性質だったので、子供たちがからかって騒ぎ立てると、我慢ができなくなった。
「兄さん、この子供たちはおれたちの悪口を言ってるよ。おれたちにはものすごい毒があるのを知らないんだ。あいつらにからかわれているなんて、俺にはもう我慢できないよ。ようし、鼻風を吹っかけて、皆殺しにしてやろう。」
弟は首を立てて、恐ろしい牙をむき出していった。
「この猛毒を食らってみろ、おれたちの本当の強さを見せてやる。」
今にも子供たちに飛びかかろうとすると、兄のマハーダッダラは、弟の肩を押さえてうたを唱えた。
国を追われて我々は
他国に暮らす身の上ぞ
悪態雑言吐かれても
それを丸ごとしまい込む
大きな蔵を造りなさい
他人の素性人の徳
いちいち知らぬが当たり前
知らない人とともに住み
自分が偉いと思い込む
無意味な慢心捨てなさい
故郷を離れて住む者は
たとえ道理をわきまえて
自分が正しい場合でも
愚かな人のののしりに
強く耐えねばならぬのだ
このようにして、兄弟の竜はそこで三年に月日を送った。
弟のチュッラダッダラは、時々牙をむき出して人々の悪口に怒りだすこともあったが、そのたびに兄の忠告を守り、目に涙をにじませて耐え、少しずつ我慢強くなっていった。
やがて父王の怒りは解け、兄弟は国に帰った。それからというもの。兄弟はわがままな心を抑えてほかの者のために尽くすりっぱな王子として尊敬を集めた。
■にせ弓術師のうぬぼれ
昔、パーラーナシーの都でブラフマダッタ王(ジャータカを中心とする古潭(こたん)中によく登場する架空人物でバーラーナシーを支配した慈悲深い王とされる場合が多い)が国を治めていたころのことである。この都のある家に、一人の男の子が生まれた。チュッラダヌッガハと名づけられたその子は、成人してタッカシラー(現在のタキシラ)の町へ行き、高名な師について様々な学問や技芸を修めた。特に、弓術ではだれにも負けないだけの技術を持つようになった。
すべてを学び終えたチュッラダヌッガハは、タッカシラーの町を出る決心をした。自分の持っている技術と才能を生かしてくれる王を探し、仕えたいと思ったのだ。そこで、マヒンサカ地方へ行くことにした。
ただ一つ、チュッラダヌッガハにとって悩みがあった。それは、背が小さく、おまけに腰が老人のように曲がっている自分の姿だった。
──もしわたしがどこかの王を訪ねても、わたしの姿を見て、こんなに背が小さく老人のような姿では、家来としてなんの働きもできまいと思われるに違いない。そうなると雇ってもらえない。わたしは自分の身代わりになる男を探して、まず雇ってもらえるようにしよう。身代わりは、背も高く、腰も曲がっておらず、がっしりとした体つきでどこから見ても男らしくなければならない。
考えつくとすぐ、チュッラダヌッガハは身代わりにふさわしい男を探すため、あちこち歩き回った。しかしなかなか理想の男は見つからなかった。
──だめかもしれない。
あきらめかけたある日、たまたま通りかかった織物工場で、まさしく理想にぴったりの男を見つけたのだ。
チュッラダヌッガハは胸を躍らせながら、怪しまれないように男のそばへ歩み寄った。そして相手を脅かさないように、気を遣いながら尋ねた。
「たいへんぶしつけですが、なんというお名前ですか。」
「わたしですか。わたしは、ビーマセーナといいます。」
男は答えた。
「あなたのようにりっぱでそのうえ美しい体を持った人が、どうしてこのようなお金にならない、人からきらわれるような仕事をしているのです。」
「食べていけないからですよ。仕方なく、織物職人をしているのです。」
それを聞いて、チュッラダヌッガハは男の手を取った。
「今すぐこの仕事を辞めなさい。今よりももっとお金になる仕事を、わたしといっしょにやりましょう。」
そう言って、自分は弓術ではだれにも引けを取らない腕を持っていることを話し、今まで自分が描いてきた考えをビーマセーナに伝えた。
「わたしの言うとおりにしなさい。必ずお金持ちになれるし、幸せになれるから。」
「しかし、もし王さまにあなたのことを尋ねられたら、どう答えれば……。」
「弟子だ、と答えればいいのです。後はすべてわたしに任せておきなさい。」
チュッラダヌッガハはビーマセーナを連れてパーラーナシーの都にもどり、王を訪ねた。
二人は王宮の門の前に立ち、門番に王への取り次ぎを頼んだ。
「入るがいい。」
二人は、宮殿の中の王の前へ通された。もちろんチュッラダヌッガハは、ビーマセーナの弟子として、後ろから従うようについていった。
王はビーマセーナの顔を見て尋ねた。
「お前たちは、なんの用でわたしに会いにきたの。だ」
ビーマセーナはもったいぶった口調で答えた。
「王さま、わたしは天下にただ一人といわれた弓術士です。わたしをぜひ、王さまの家来として雇っていただきとう存じます。」
「なるほど……。で、どれほどの給料が欲しいのだ。」
「そうですね。半月に千金でもいただければお仕えしましょう。」
半月に千金といえば、これまで男が働いて得る金の十倍はあった。
「よかろう。ところで、お前の後ろにいるもう一人の男はだれだ。」
「王さま、こいつはわたしの弟子でございます。どうぞお気にとめないでください。」
うまく話がまとまり、思いもかけぬ大金で王に仕えることになったビーマセーナは、ほくほく顔であった。
なにか事が起こっても、チュッラダヌッガハが代わってうまく解決してくれた。日常の仕事も彼がすべて処理してくれた。ビーマセーナはいつも威張っているだけでよかった。
そんなある日のことであった。森の中に一頭の大きなトラが現れ、通りかかった人を食い殺してしまったのだ。それも一度や二度ではなかった。何人もの犠牲者が出て、だれも森へ近づくことができなくなった。
王はビーマセーナを呼び寄せて、トラ退治を命じた。
「お前のすばらしい腕があれば、トラを捕らえることぐらい簡単だろう。頼むぞ。」
ビーマセーナは得意満面で答えた。
「王さま、わたしは世界一の弓術士です。トラの一頭ぐらい、すぐ捕らえてみせます。」
しかし、男にはなんの考えもなかった。いつものようにチュッラダヌッガハに相談した。
「こんな難題を持ち出された。どうすればいいだろう。」
チュッラダヌッガハはうなずき、そして言った。
「まず、村の人々をたくさん集め、それぞれに弓を持たせるのだ。トラがほえながら立ち向かってくるのを見たら、すぐ近くの茂みへ逃げ込み、うつ伏せになってじっとしているのだ。」
「なるほど……。」
「人々は立ち向かってくるトラを見て、いっせいに弓を射るだろう。たくさんの弓の前に、トラはひとたまりもないはずだ。必ず射抜かれて死ぬに違いない。その時、君は慌てずに茂みの中から出てくるのだ。一本のつる草を持って……。」
「つる草を?」
「そうだ。つる草を持って死んだトラのそばへ行き、こう言うのだ。『やいやい、このトラを殺したのはだれだ。わたしは、このトラを生け捕りにし、つる草で縛って王さまの所へ連れていこうと思っていたのだ。ところがどうだ。わたしが茂みの中に入ってつる草を採っている間に、だれかがトラを射殺してしまった。だれかこんな勝手なことをしたのだ』と。」
「なるほど」
「君の言葉を聞いて、人々は恐れおののいてこう言うだろう。『どうか、王さまにはこのことをおっしやらないでください。黙っていてくださるなら、いかほどのお礼でもいたします』と。そしたら君は、射殺されたトラを持って王さまの所へ行けばいいのだ。王さまはトラを捕らえたのは君だと信じ、それにふさわしいほうびを、たくさんくださるだろう。」
ビーマセーナは教えられたとおりにして、王からたくさんのほうびをもらった。
それからまた幾日かたったある日のこと、野牛が出て暴れ回っているといううわさを聞いた王はビーマセーナに野牛退治を命令した。
ビーマセーナはトラを捕らえたときと同じように、チュッラダヌッガハから教えられた方法でうまく事を処理し、またまた王からたくさんのほうびをもらった。
次から次へと、思うように事が運んだ。ビーマセーナに慢心が芽生えた。彼は自分で得た力でないにもかかわらず、それを自分の力だと思い違いをしてしまい、しだいにチュッラダヌッガハをばかにするようになった。
「今までやってきたことは、みんなわたしがやってきたのだ。なにもあなたのおかげじゃない。実際あなたは、口でいろいろ言うだけでなにもしてないじゃないか。わたしの後ろについてくるだけじゃないか。」
チュッラダヌッガハは、そんなビーマセーナを心配そうに見つめた。
折も折、敵の国が攻め寄せてきた。
『国を明け渡すか、それとも戦いをするか、いずれかを返答せよ』
敵国は使者を使って通告してきた。
王は、トラをやっつけ、野牛を退治したビーマセーナのことが頭の中にあったから、なんのためらいもなく全軍に命じた。
「戦え。」
もちろん、ビーマセーナを先頭に立てて戦いにいどむつもりだった。
ビーマセーナは王から戦いの先頭に立つことを命令されたが、チュッラダヌッガハには、一言も相談しなかった。ビーマセーナは武装した。自分の乗る象もしっかり武装させることを忘れなかった。
だが、ビーマセーナは不安だった。不安だったが、今さらチュッラダヌッガハに相談することはできなかった。チュッラダヌッガハはビーマセーナのおどおどした目を見て、なにか起これば守ってやるつもりで、黙って後ろに従った。
ビーマセーナは象の背に乗り、国中の期待を一身に受けながら城門を出た。わずかばかり進軍すると、もうそこは戦場であった。先頭に立って勇ましく城を出たまではよかったが、
──ひょっとすると、真っ先に敵の弓矢を受けて殺されるのは自分かもしれない。
そう思うと、言いようのない恐怖がビーマセーナの体を締めつけた。全身は震えだし、何度も象から落ちそうになった。象の背中は彼の小便でぬれた。チュッラダヌッガハは、その男の姿を後ろからじっとながめながら、深いため息をついてつぶやいた。
最も強く賢い者は
自分をおいてほかにない
ちょっと前にはそう言っ
大言壮語したはず
お前の体は打ち震
象に小便漏らしてる
ビーマセーナよ慢心を
捨てて謙虚にものを見る
言ってることとやること
あまりの違い恥を知れ
チュッラダヌッガハはビーマセーナの肩に手をやって言った。
「わたしがついているのにどうしてそんなに恐れおののくのだ。さ、もういいから、家へ帰りなさい。後はわたしがうまくやっておくから」
ヒーマセーナはチュッラダヌッガハの言葉を聞くと、すぐ戦場を逃げ出した。チュッラダヌッガハは、戦いの先頭に立って敵の陣営を破り、おまけに敵の王まで捕らえて城へもどってきた。
王はビーマセーナのことを聞いて、チュッラダヌッガハに言った。
「なぜお前は姿かたちにとらわれたのだ。たとえ姿かたちがとうであろうと、本当に力と知恵を身につけた者こそ尊いのだ。そうではないか。」
王はチュッラダヌッガハに地位と名誉と財産を与え、彼をたたえた。チュッラダヌッガハはビーマセーナに生活できるほどの財産を贈り届け、その後、布施その他の善行を積んだという。
■キンスカの木
昔、バーラーナシーの王には4人の王子がいた。
ある時、王子たちが集まっていろいろな話をしているうちに、いつしかキンスカ(マメ科ハナモツヤクノキ)という木の話になった。
しかし、4人ともキンスカという木を見たことがなかった。
「だれも見たことのない木の話をしても、結論が出ないな。」
4人はキンスカの木を見にいこうと相談した。
「ねえ、あの年寄りの御者に頼んだらどうだろう。」
4人は御者の所へ行って頼んだ。
「私たちはキンスカの木というのが見たいんだけれど、知っていたら、連れていって見せてくれないか。」
「よろしゅうございます。でも王子さま、この車は私のほかに一人しか乗れません。それに、たいへん忙しいので、私の都合のつく時に一人ずつお連れすることにしましょう。」
御者はそう言って承知してくれた。まず第一の王子を馬車に乗せて森へ連れていった。
「はい、これがキンスカの木でございます。」
木はちょうど芽を吹いている時だった。
第二の王子は、それから少したって森へ連れていってもらった。若葉が盛んに茂っていた。
第三の王子は、まるで人の手のひらのような花の咲くころに見せてもらった。
第四の王子は、もう実がたくさんついているころ連れていってもらった。
その後、四人がまた集まった時、得意そうにキンスカの木について話し合った。
第一の王子は言った。
「キンスカの木って、赤い芽がきれいだ。まるで柱が燃えているようだった。」
第二の王子は言った。
「いや、ニグローダ(桑科バンヤンジュ、別名バンガルボダイジュ)の木みたいに、たくさんの若葉が茂った大きな木だったよ。」
第三の王子が言った。
「私は真っ赤な肉のかたまりみたいだと思いました。人の手のひらみたいな形で、少し気味が悪かったけれど。」
第四の王子が言った。
「そうじゃないですよ。シリーサ(マメ科ビルマネムノキ)の木にそっくりでした。見事な実を結んで…。」
そんなわけで、四人は各々、自分の意見を固く言い張って譲らなかった。
そこで、みんなは父王の所へ出かけていった。王は水浴のすんだところで、きげん良く四人の息子を迎えた。
「お父上。わたしたちは皆、御者からキンスカの木を見せてもらったのですが、お互いに言うことは全く違っています。どうしてでしょう。いったいキンスカって、本当はどんな木なのですか。」
王は、一人一人にもう一度見たものを詳しく説明させた。そして言った。
「みんなは確かにキンスカの木を見たのだ。でも、その見せてもらった時、これはキンスカのどんな時の姿なのか、時期によってどのように違うものなのかを、どうしてしっかり聞いておかなかったのだ。たとえば第一王子の時は、これはキンスカのどういう時期だからこんな赤い芽が出るのか葉はいつ出るのか、実はどこへどのようについていつなるのか、こういうことを一つ一つ、よく聞かなければいけないよ。目の前のことだけを見て帰るから、部分的なことしか分からず、キンスカについて完全な知識は得られないのだ。キンスカばかりではない。物事はみんな、あらゆる自分の知恵を絞って、完全な形でとらえたり考えたりしなければいけないのだ。そして、分からないことはよく聞いて、自分の疑問を一つ一つ消していくと、物事の本性がはっきりと見えてくるものなのだ。」
四人の王子は、なるほどと心から感心した。そして、大切なことを教えてくれた父王に丁寧に礼をして、その場を下がった。
それからは、各々がよく見、よく聞き、よく考えて学び、修行した。四人とも、成長すると、優れた人になったのであった。
■隠した財産
ある所に一人の年老いた地主がいた。地主には、親子ほども年の違う若い妻があった。二人は仲むつまじく暮らしていた。
やがて、二人の間に息子が生まれた。地主の喜びは一通りではなかった。
ところが、ある日のこと、地主の心にふと不安が宿った。
──妻はまだ年が若い。私が死んだら、きっとまただれかいい人を見つけて結婚するに違いない。そうなれば、この財産は子供に与えず、みんな使ってしまうかもしれない。
地主は財産を安全に子供に残す方法をいろいろと考えたが、そのうち、ある考えが浮かんだ。
「そうだ、それがいい。そうすることにしよう。」
地主は一人うなずくと、忠実な召し使いのナンダを連れ、ひそかに森へ出かけていった。森の奥のある大木の所まで来ると、地主はナンダに言った。
「お前の誠実な人柄を見込んで頼みがある。わしの一生一度の頼みだ。聞いてくれるか。」
「はい、わたしにできますことなら、どんなことでもいたします。」
ナンダは固くなって答えた。
「そうか、ありがとう。実はな、この大木の根元に、わしの財産を埋めようと思うのだ。」
「それはまた、どうしてでございますか。」
「お前も知っているように、わしの息子はまだ幼い。一人前になるには、よほど時間がかかる。ところが、わしは年老いて明日をもしれぬ命だ。妻はまだ若く、わしが死ねばきっと再婚するに違いない。息子に財産を安全に残してやるには、この方法しかないのだ。」
そこで地主とナンダは、人に気づかれないよう財産を運び出しては、ひそかに大木の根元に埋めた。すべてを埋め終えた時、地主はナンダに言った。
「わしが死んだら、この事を息子に教えてやってくれ。それまでは決して他言してはいけない。それに、妻には、この森を人手には渡してはならんと伝えてくれ。頼んだぞ。」
「承知いたしました。必ずお言葉の通りにいたします。」
それからしばらくして、地主は亡くなった。
地主は亡くなったが、妻は再婚しなかった。息子と家を守って必死に働いた。しかし、広い土地はしだいに手放し、残るのは森と自分たちの住む家だけになった。
息子がやっと成年に達した時、母親は言った。
「お前のお父さんは、ナンダと一緒に家の財産を森にお隠しになった。成長したお前に、そっくり渡すために。今からお前はナンダを連れて森へ出かけ、財産を掘り出してきなさい。そして、お父さんが生きておられた時のように、この家を守りなさい。」
息子はそれを聞くと、早速ナンダの所へ出かけていって尋ねた。
「ナンダじいさん。わたしの父が財産を残しておいてくれたというのは、本当ですか。」
「本当ですとも。ご主人さま。」
年老いたナンダは、目をしょぼしょぼさせて言った。
「それは、どこにあるの。」
「森の奥深くに埋めてございます。」
「それでは、そこへぼくを案内してくれないか。」
「いいですとも。」
それから二人は、それぞれ鋤(すき)とかごとを持って森へ出かけていった。ようやくのことで例の大木の根元にやって来た時、ナンダは急に立ち止まって言った。
「ご主人さま、わたしは年を取って、財産の埋め場所を忘れてしまいました。」
「それは困ったな。でも、こうして歩いているうちに思い出すだろう。」
息子はナンダをいたわって言った。
明くる日、また二人は森へ出かけていった。森中歩き回って例の大木の根元の近くまで来ると、ナンダの顔は急に引きつった。
「やはり、思い出せません。でも、あの財産は、長い間土の中に埋まっていて、腐ってしまっているかもしれません。」
「しかし、父親がせっかくわたしに残してくれた財産だ。見つけ出さないわけにはいかないよ。まあ、今日はこれまでにして、また明日探しにこよう。」
二人は疲れた足を引きずって、家へ帰っていった。
明くる日も、また明くる日も二人は捜しに出かけたが、なぜか、例の大木の近くまで来ると、ナンダの顔は険しくなり、なにかと理由をつけて家に帰りたがった。
こんなことの繰り返しが十日も続いた後、息子はがっかりして母に言った。
「ナンダは年老いて、財産の埋め場所をすっかり忘れてしまっています。あの広い森を全部掘り起こすなどとてもできるものではないし、残念ですが、あきらめるよりほかありません。」
「でも、あきらめるのはまだ早い。一度お父さまの友達だった隣村の村長を訪ねて相談してみなさい。きっとなにかいい知恵を授けてくださるはずです。」
息子は母親の言葉に従って、翌朝早速、隣村の村長を訪ねた。
村長は、息子から一部始終を聞くと、言った。
「何も落胆することはない。ナンダはすでに財産の隠し場所をお前に話しているよ。」
「えっ、それはどこですか。」
「ナンダがそこに近づくと、決まって不機嫌(ふきげん)になるという大木の根元、そこに財産は埋まっているはずだ。」
「それでは、今すぐ行って掘ってみます。ありがとうございました。」
息子は家に帰ると、早速ナンダを連れて森へ出かけていった。村長に教えられた大木の根元を掘ると、果たして財産は現れた。息子はそれを家へ持って帰り、昔どおりに家を守った。
だが、ナンダはすっかり元気を失って、おずおずと息子の前に出て言った。
「わたしは、前のご主人さまとの約束を決して忘れたわけではございません。いや、それよりも、あなたさまが一日も早く成長され、いっしょに財産を堀に出かける日を楽しみにしておりました。でも、一方で、財産の隠し場所を知っているのはわたし一人だということがなによりの生きがい、わたしの誇りになっておりました。あの大木の根元までやって来た時、わたしは例えようのない寂しさに襲われました。この財産を掘り出してしまえば、わたしの生きがいはなくなってしまうと思ったのです。そこでわたしはうそをついて、一日延ばしに延ばしてきました。ご主人さま、このような裏切りをしましたからには、もはやここにおいていただくわけにはまいりません。お暇を取らせてください。」
「いやいや、お前は長い間財産をまもってくれたわたしたちの恩人だ。お前は、初めから財産のありかをわたしに知らせてくれていた。ただ、わたしがそれに気づかなかっただけだ。裏切りなどとんでもない。これからも仲良くわたしたちと暮らしてくれ。」
息子は年老いたナンダの体をしっかりと抱きしめて言った。
■シカの約束
昔、バーラーナシーの都に住む財産家に、一人の息子が生まれた。両親はその子にマハーダナカと名づけた。
彼の両親は、その一人の息子の育て方を話し合った。
──なまじっかの学問などさせると、たぶん一日中本を読んでいたり、字を書いていたり、また考え事をして、じっと座ってばかりいるようになるかもしれない。
そう考えて、息子には何一つ教えもせず学ばせもしないまま大きくしてしまった。何の勉強もしなかったマハーダナカの楽しみは、食べること、酒を飲むこと、そして酔って大きな声で歌うことと、歌に合わせて踊ることといったように、遊ぶことばかりだった。そのうえ彼の友達も、彼に輪をかけたように、ただもう一日をおもしろおかしく遊び暮らすような道楽息子ばかりだった。
年ごろになると彼の両親は、家柄、財産の似合った家から嫁を迎えてくれたが、その後数年のうちに相次いで死んでしまった。
両親が死んでしまうと、彼の遊びはなおいっそう野放図になり、ばくち打ちとか飲んだくれの悪い友達ばかり増え、両親の残してくれたばくだいな財産もあっという間に使い果たしてしまった。おまけに山ほどの借金までしてしまい、毎日毎日借金取りに矢の催促を受ける始末だった。
──ああ、この間まであんなにお金があって、何一つ不自由なく、毎日毎日が楽しくておもしろくてならなかったのに、どうしてこんな情けない羽目になってしまったのだろう。これじゃ死んでしまったほうがよっぽど楽だ。
マハーダナカは自分勝手な考えを起こした。そして一計を立てた。早速、大勢の借金取りに証文を持ってくるようにといって呼び寄せた。
借金取りが集まると、彼は皆を率いてガンジス河の岸辺に連れていった。
「皆さん、実はこの河の岸辺に、わたしの一族がこっそりと財産を埋めておいたそうです。皆さんにご迷惑をかけてばかりいたので、今日はそれを掘り出して皆さんにお返ししたいと思います。」
彼はまことしやかなうそをついた。そして、あの岩の下だ、いやこちらの石の下だ、あの葦(あし)の中だなど、ありもしない宝探しを、大勢の借金取りにさせるのだった。そして自分はその騒ぎに紛れて、ザブンと河に身を投げてしまった。河は水量が多く、流れは速かった。彼は波にもまれながら、急流を木の葉のように流されていった。
「だれか、だれか助けてくれ。」
急流の中で悲鳴を上げながら、彼はどんどん下流へと流されていった。
河の下流の岸辺には、美しい花を枝いっぱいに咲かせているマンゴーの林があった。また、サラソウ樹の葉も茂り、絵のように美しいところであった。マンゴーの林からは、甘い花の香りが漂ってくるのだった。
その美しい林の中に、ルルと呼ばれるシカが住んでいた。ルルの美しさ、すばらしさは比類ないものだった。手足は牛乳のように白く、しっぽは長くりっぱだった。全身は輝くような金色の毛で柔らかく覆われていた。二本の角は夜空の星に似て、銀色に光っていた。そのうえ優しい目は、まるで宝石をみがき上げたように黒々として、口を開けると、その舌は目が覚めるような鮮やかな朱の色をしていた。
ルルはぐっすりと眠っていたのだが、どこからか叫び声が聞こえるような気がして、目を覚ました。耳を澄ますと、やはり河の方から声が聞こえた。
「きっとだれかがおぼれかけて、助けを呼んでいるのだ。」
そこですくっと立ち上がると、河に向かって走っていった。そして河の中ほどで苦しんでいる男を見ると、恐れることなく急流に飛び込んだ。ルルは男を背中に乗せて流れを泳ぎ渡り、林の中の住みかに連れて帰った。
マハーダナカは、この金色のシカから母親のような行き届いた、優しく慈愛にあふれた介抱を受けた。二、三日もすると、もうすっかり元気になっていた。そこでルルはマハーダナカに言った。
「この森を抜けてバーラーナシーにまっすぐ行ける道まで、あなたを送って行きましょう。けれど一つだけ、大事な約束があるのです。いいですか、この森の中でわたしに出会ったことだけは、どんなことがあっても、だれにも言ってはいけません。この約束だけは必ず守ってくださいね。」
彼はシカに約束をし、無事にバーラーナシーに帰ることができた。
そのころ、王の妃のケーマーは不思議な夢を見た。それは神々しいほどりっぱな金色のシカから教えを聞く夢であった。目が覚めても、そのシカのおごそかな様子が鮮やかに目に残り、なぜか心が洗われるような思いがするのだった。
──もしかしたら、これは夢ではなくて本当のことかもしれないわ。この近くに、きっと夢の中にいたシカ、あの金色のシカがいるのかもしれない。
そう思うと、妃は王に頼んでぜひそのシカを探し出してもらおうとせがんだ。
「王さま、そのそのシカは本当に輝くような金色をしていました。そして優しい声で、教えを説いてくださいましたの。」
王は、学者たちを呼び集めて金色のシカのことを尋ねた。その中の一人は答えた。
「たしか、おごそかに法を説く黄金のシカがいるという話を聞いたことがございます。」
王は早速一つのうたを作り、それを金の板に彫らせて国中に触れ回らせた。
だれが受け取る我がほうび
肥沃な村と美女たちを
黄金(こがね)に輝くシカの王
我に知らせよその所在
愚かなうそつきのマハーダナカは、この布告を読むと王を訪ね、シカの所在を知らせると言ってうたを唱えた。
わたしにくださいそのほうび
肥沃な村と美女たちを
シカの中なるそのシカの
わたしは居場所を告げましょう
マハーダナカは王や王の軍隊を案内し、あのマンゴーの花咲く林にやって来た。ルルの住みかの近くまで来ると、その場所を指さしてうたった。
青く茂ったサラソウ樹
マンゴーの花萌(も)え盛り
天の香(か)放つあの辺り
輝くシカが住んでます
ルルは森が騒がしいので、たぶん自分を捕らえに大勢の人間がやってきたのだなと直感した。見ると、すでに森はすっかり囲まれていた。るるはどこか一か所ぐらい抜け道はないだろうかと、辺りを見回した。しかし、自分を取り囲む軍隊で、アリのはい出るすきまもなかった。その時ルルは、はっと気がついた。王のそばだ。王の方に矢を向ける者はいない。王のそばこそ、唯一安全な場所だと。
ルルは王は全速力で走っていった。王は自分目がけて走ってくるシカを見て、思わず矢をつがえて構えた。
ルルは大きな声で王にうたいかけた。
偉大な王よしばし待て
わたしを射てはいけません
わたしがここにいることを
だれが告げたか大王に
王は、シカの美しい声や堂々とした様子に驚き、弓矢を下ろした。シカはすくっと王のそばに立った。家来たちも、武器を捨てて王とシカの周りに集まった。これを見て、マハーダナカは後ずさりした。
シカはまるで金の鈴が鳴るような澄んだ声で、王に尋ねた。
「王さま、ここにわたしが住んでいることをあなたに告げたのはだれですか。」
王はぐるりと見回し、マハーダナカを見つけると彼を指さした。
黄金(おうごん)に輝くシカの住む所
ひそかに告げた男あり
あそこで退くあの男
その名はたしかマハーダナカ
ルルはガンジス河の急流の中からやっと助けた彼が、大切な約束を簡単に破ってしまったことを悲しんだ。そして王に言った。
「心ない者を救うより、河を流れてくる流木一本を拾ったほうがましだと人から聞いたことがありますが、本当なのですね。」
王はその嘆きを聞いて、ルルに尋ねた。
「いったいあなたはだれを責めているのですか。獣ですか、鳥ですか、それとももしや人間ですか。」
「マハーダナカという男を、わたしは河から救ったのです。激しい急流に流されていくのを。それが今日の災難のもとになるなんて。友を選ぶのは難しいですね。心卑しい人もいるのですから。」
王はこの話を聞くと、情けなく、また恥ずかしく、彼に対する怒りでいっぱいになった。
「わたしの矢は、四枚の羽を持って飛び立つ鳥ですら射抜いてしまう。その矢で、裏切り者で恩知らずのあの男を、あなたに代わって射抜いてやりましょう。」
「王よ、あの男はものの道理をわきまえていない愚かな男です。あんな男を射ることはあなたの弓矢が汚れます。あんな男を相手にするのはやめましょう。ほうびも与えたらいいでしょう。」
王はその寛大な心に、改めて教えられる思いがした。
「金色の輝くシカよ。あなたをだましたあの愚かな男は、まただれかをだますでしょうよ。けれどわたしは彼を許しましょう。約束どおりほうびも与えましょう。あなたはどうぞご自由になさってください。」
ルルは王の目を真っすぐに見つめながらうたった。
獣の叫び鳥の声
聞けば気持ちがよく分かる
けれどこの世に一つだけ
信じられないものがある
それは人間の言葉です
喜び合ったその後で
すぐまた互いに憎み合い
人に会ったらしっかりと
考えなければなりません
信頼できるかできないか
王はいつの間にか目を伏せていたが、顔を上げると、ルルをしっかりと見つめた。
「シカよ、わたしは王です。愚かな卑しいあの男とは違います。わたしはわたしの王国をかけて、あなたとの約束を破るようなことは決してしません。」
王はそのあかしとして、ルルの言うどんな願いもかなえると言った。
「本当ですか。それではすべての生き物が安心して暮らしていけるようにしてください。」
ルルは王について都へ行き、いつか妃が夢で見たのとそっくり同じように、おごそかに教えを説いていた。
ルルの声は澄んでいた。心にしみるような人間の言葉で王や妃、その他すべての人々に教えを説いた。そして再びマンゴーの花の咲く、ガンジス河の岸辺の森へ帰っていった。
王はルルとの約束の触れを国中に出した。またそのために、シカや獣の群れが畑の作物などを荒らしても、捕ったり、殺したりすることも禁じた。
その結果、あちらこちらの村や町から、多くの人が王に陳情にくるようになった。作物や穀類をシカの群れに食べられて困ると、被害を訴えるのだったが、王は苦しそうに答えるのだった。
みんなの愛を失って
この王国失って
たとえすべてをなくしても
わたしは守る約束を
殺生しない約束を
みんながわたしを見捨てても
そのため国が滅んでも
ルルとの約束破れない
殺生しない約束を
王の、約束を守る固い決心を知ると、人々はどうすることもできず、また町や村へと帰っていった。
この話を聞いたルルは、シカの群れに命令した。
「王さまの約束があるからといって、いい気になって畑を荒らしたりしてはいけない。」
そして人々にも、畑には木の葉を結んだ印をつけ、これはシカの食べ物ではないという目印にするように告げた。その後は畑の作物を荒らされることがなくなったという。この印があると、今もシカは穀物を食べないそうだ。
■ライオンと山犬
昔、山の洞窟にライオンが住んでいた。
ある日、食べ物を探しながらふもとをさまよっていると、美しい湖のほとりに出た。湖の上をシラサギが楽しそうに群れをなして飛んでいた。ライオンはしばらくその群れをながめていたが、湖の中にある小さな島に丸々と太ったシカがいて、柔らかな草を食べているのが目についた。
──おいしそうなシカだな。よし、ごちそうになるとするか。ふん、どのくらい離れているかな。
ライオンは島までの距離を目で測った。
ウォーとほえた。そして走った。弾みをつけ、湖のふちで地をけって跳ね上がった。ライオンの体は宙に浮いた。
「しまった。」
どろが辺りに跳ね上がった。ライオンの体は、どろの中にのめり込んでしまった。思いがけないことだった。その島には若草が茂っていて、ウサギやシカがおいしそうにその草を食べているのをながめると普通の島のように思えた。
ところがこの島は、どろの島だった。ウサギなど、軽い体の小動物ならなんともなかった。はんがわきのどろの上を小走りに走ることもできた。だが、ライオンのような重い体が、しかも勢いをつけて、身を翻(ひるがえ)して飛び込んだからたまらない。どろの中にブスリとのめり込むのは当たり前だった。
シカはびっくりしてピョンと飛んで逃げていった。ライオンは慌てた。どろの中から抜け出そうともがくと、あべこべにずるずると体がどろの底へ沈んでいった。そして、どろがライオンの体を四方から締めつけた。軽率なことをやったものだ。ライオンは後悔した。
──助けてくれ。
ライオンは叫びたかった。しかし、ライオンは百獣の王である。女々しい泣き声を立てるわけにはいかなかった。
ライオンは七日間何も食べず、どろの中から首を出したままどろに埋まっていた。体を動かせばずるずると底に沈むから、そのままじっと我慢するしかなかった。このままでは飢えて死ぬよりほかになかった。のどはからからに渇いた。
そこへ、ひょっこりと山犬が通りかかった。
「ヒャ、危ない。」
山犬は身震いした。ライオンがぎょろりと目を光らせているのを見たのだ。
らいおんはもう息も絶え絶えだった。弱りきっていた。それだけに、落ちくぼんでぎょろりとした目は恐ろしげに光った。今にも飛びつかれそうに感じて、山犬は一瞬逃げようとした。
その時、ライオンは言った。
「山犬よ、逃げることはない。」
飛び去ろうとした山犬は、その声を聞くと、体からちょっと力を抜いた。ライオンは言葉を続けた。
「山犬よ、恐れることはない。これこのとおり、わしはどろに足を取られて動けないでいる。わしを助けてくれないか。」
山犬はライオンの頭を見つけた時、今にもライオンが飛びかかってくるように思えた。しかしよく見ると、なるほどライオンの言うとおり、らいおんは体がどろの中に閉じこめられて動けないのだ。これでは怖くはない、急いで逃げるには及ばないと思った。
「おれはお前さんを助けたいと思う。けれど、やめる。」
「どうしてだ。」
「助けるってことは、裏切りの種をまくことだ。それだけのことだ。」
「裏切りだと。」
「そうなんだ。おれは助けたいという情けを心の中にいつもあふれさせている。けれどこれまで、助けたやつに裏切られてばかりいた。あいつを助けてやらなければこんな悲しい目には遭わなかったろうと、何回も後悔させられているのだ。今だってせっかく助けて食べられるのではかなわないからな。助けることはやめるよ。」
「世の中のやつらは信用できぬということか。」
「そうだ。俺はひどい目にばかり遭っているんだ。」
「百獣の王のわしまで、信用できぬというのか。」
ライオンの恨めしそうな顔を見ると、情け深い山犬の心は動揺した。
──これまでの経験によると、助けた後には必ずといっていいくらい、そいつに裏切られた。その悔しさったらない。しかし、助けてあげるという気持ちは、また格別だ。人を助けるすがすがしい気持ちと、後で裏切られる口惜しさ、さて、どちらが重いか。そうだ。おれには人を助けるすがすがしい気持ちのほうが大切だ。
山犬はそう思うと、にっこりとしてライオンに言った。
「助けてあげることにするよ。」
ライオンの顔から、うらめしそうな光りが消えた。
「頼む、俺は裏切りなんかしない。一生、恩にきるよ。」
「その言葉を信じることにしよう。」
情け深い山犬は、そう言いながらライオンのそばに近づき、周りに深いみぞを掘った。そしてそのみぞの中に水を注ぎ込んだ。すると、ライオンの体を締めつけていたどろが崩れ始めた。
山犬はさっとライオンの腹の下に入り込み、ライオンを肩で担ぎ上げた。
「よいしょ。」
とだんに、ライオンの体は跳ねた。島はどろの所ばかりではなかった。傍に大きな岩が出っ張っていた。ライオンは大岩に跳ね上がった。
「ありがとう。約束は必ず守るよ。」
ライオンは頭を下げた。
「百獣の王が泥まみれじゃ、威厳(いげん)が損なわれます。さあ、体を洗いましょう。」
「うん、そうだな。」
ライオンは湖の中に入って体を洗った。七日も絶食をしていたから、体は弱りきっていた。しかし、どろを洗い落とすと、りんりんとした勇ましい姿によみがえった。目も鋭く光った。
山犬は、はっとして身構えた。そしてじりじりと後ずさりした。今にも飛びかかってきそうなライオンを警戒したのである。
「おい、勘違いしないでくれ。」
ライオンは首を振った。
「危ないときには用心しなくては。」
山犬はにやりとした
「お前はわしの命の恩人だ。勘違いしないでくれ。」
ライオンは、なるほど七日間なにも食べていない。腹はぺこぺこだ。しかし、恩人の山犬を食べようなどとは考えていなかった。ところが山犬のほうは身構えたままだ。
「わしは百獣の王だ。裏切るなんて卑劣なことはやらぬ。体面というものがある。」
山犬はうなずいた。
その時、そばへのんびりと水牛がやってきた。湖で水浴びをしようと、のそのそとやって来たのだ。
それを見た瞬間、ライオンは目にも止まらぬ速さでその水牛を捕まえた。まさに百獣の王の鮮やかさだった。大きなずうたいの水牛は、のど首をかみ切られると、どたりとその場に倒れた。
ライオンはその肉をかみ切って山犬に言った。
「水牛は、盛り上がった肩に肉がいちばんおいしいんだ。さあ。」
山犬はびっくりして、ただじっと見つめたままだった。
「わしも腹ぺこだが、君だって腹がすいているんだろう。さあ、どうだ。」
「いや、あなたから、どうぞ。」
「君はわしの恩人だ。恩人からまず、おいしい所を食べてもらわなくてはね。」
「じゃ、お先にいただきます。」
山犬はおいしい肩の肉に飛びついた。山犬も朝からなにも食べていなかった。腹ぺこだった。新鮮な水牛の肉はおいしかった。そのうえに、なにはともあれ百獣の王の命を救ったのだ。いいことをしたのだ。いいことをした後の心は満足で、秋の空のようにすっきりと晴れるものだ。だから、数倍、おいしかった。
山犬は腹いっぱい食べた。もちろんライオンもがつがつと食べた。水牛は大きいので、腹のすいた山犬とライオンが、腹がはちきれるほど食べても食いきれなかった。肉は、まだ残っていた。
山犬は言った。
「あなたの奥さんは、腹をすかしてあなたの帰りを待っておられるでしょう。お土産を。」
ライオンもにっこりと笑って言った。
「君の奥さんにも、お土産を。」
ライオンと山犬は、仲むつまじい兄弟のように笑い合った。ライオンはちょっと考えてから山犬に言った。
「わしは、あの山のふもとの洞窟に住んでいるんだが、近くに同じくらいの大きさの洞窟がある。君たち夫婦はそこに住まないか。わしらは、これから隣同士になろう。」
「ありがたいことです。」
「わしといっしょにいれば、君たち、これから飢えることはないぞ。」
「願ったり、かなったりです。」
山犬の疑いも、春の雪のように解けていった。
ライオンの勧めで、山犬一家はライオンの住む洞窟の隣の洞窟に移った。
ライオンの洞窟は山の中腹にあった。足の下には広大なジャングルが広がっていた。あちこちに湖が光っていた。その湖には美しいハスの花が咲いていた。青い空には、ハゲワシが舞っていた。すばらしいながめだった。明け方には金色の太陽が昇ってきた。
「生まれ変わったみたいだ。」
山犬は明るい顔をした。今までこんな明るい顔をしたことはなかった。山犬はライオンの心を疑わなかったし、ライオンは山犬の恩を忘れなかった。山犬が速い足を利用して獲物を探し出すと、ライオンが飛びかかって捕まえた。だから、山犬の家族はいつもおいしいごちそうにありつけた。
ライオンと山犬の家族の住む洞窟の上は、毎日澄んだ青空が広がっていた。平和とはこのようなものであろうか。山犬は毎日の暮らしが楽しく、幸せを全身に感じていた。
ところで、澄んだ青空でも時にはすみっこに黒い雨雲が浮かぶことがある。山犬は知らなかったが、幸せな彼らの生活にも、黒い雨雲が浮かんでいたのだった。
実は、ライオンの妻が、山犬と隣同士になるのをきらったのだ。妻のその心はこの平和な暮らしにとって黒い雨雲だった。
妻は気位が高かった。
──百獣の王たる者が下品な山犬と隣組になるなんて、汚らわしい。
妻はそう思って不愉快だった。
今日も仲良く獲物を探しにいき、おいしいシカを捕まえて帰ってきた夫に、妻は言った。
「わたし、食べたくありません。捨ててください。」
夫のライオンは、びっくりした顔で尋ねた。
「どうしたんだ。」
「そのシカは、山犬が見つけたんでしょ。」
「そうだよ。やつは足が速い。やつは、見つけるや否や飛び出してわしの方へ追い込んでくれる。山犬がいなかったら取り逃がしたかもしれん。」
「じゃ、そのシカは、山犬のものでしょう。山犬にあげなさい。」
「おい、むきになるなよ。このシカは、山犬が見つけたのを、わしが捕まえた。平等に分け合えばいいんだ。」
「私たちは百獣の王です。汚らわしい山犬なんかと平等だなんて言わないでください。」
「お前は山犬といっしょにに暮らすのがいやなのかね。」
「もちろんです。山犬は下品な動物です。お互いに悪口を言い合い、ほかが幸せになるとねたんで寄ってたかっていじめ、自分の利益だけを考える動物です。そんな卑しい者と私たちが隣同士になるなんて、真っ平です。」
「でも、あの山犬は、わしを助けてくれたんだぞ。」
「分かっています。だから黙っていたのですが、今までにずいぶん、あなたが捕まえたごちそうを食べさせてやりました。そのごちそうで恩返しがすんだわけでしょう。そろそろ、さよならをしてください。」
ライオンは、ふむと深いため息をついて考え込んだ。それから妻に言った。
「なるほど、わしらは百獣の王だ。山犬は卑しいやつらかもしれない。それは知っている。けれども、尊いのは心だ。あいつは、百獣の王であるわしらに劣らぬ、すばらしい心を持っている。」
「口がうまいだけでしょう。心の悪い者ほど口がうまい。心にもない巧みなことを言い、顔色もうまくそれに合わせます。あんたは、ごまかされているのです。」
「違う。」
夫のライオンは言った。
「ごまかされていない証拠がありますか。」
「ある。」
「あなたは、ぞっこん、だまされています。」
「違う。わしがどろの中にのめり込み半死半生の時だった。あいつはこう言った。真剣な顔でね。『わたしは今まで、助けた後に必ずといっていいくらいに、助けた相手に裏切られた』とまず言った……。」
それを聞くと、妻は声を荒げていった。
「そうでしょう。山犬という動物はそういう卑しいやつらです。助けられた恩をあだで返すやつらだと聞いています。」
「うん、わしもそれを聞いているが、あいつはちょっと違った。」
「違うものですか。」
「あいつは、次に言ったのだ。『人を助けるすがすがしい気持ちと、裏切られての口惜しさと、どちらが重いか』ってね。」
「それ、裏切られてもいい、助けてあげたい、っていう意味?」
「うん、そうだ。」
「まあ。」
ライオンの妻は大きく目を見開いた。
「わしとあいつは、今まで知り合いじゃなかった。だからわしがどんなに苦しんでいようと、見ないふりをして去っていけばいいのだ。もしかすると、助けた後で食い殺されるかもしれないのだ。しかしあいつは助け合うことの尊さを知っているのだ。すばらしいではないか。」
妻は、こっくりとうなずいた。
「あいつは、すばらしい心を持っている。おれたちの心と変わらない。心が変わらないなら、いっしょに暮らす資格があるというものだ。」
夫の話を聞いているうちに、妻の心の中の黒い雲は少しずつ薄れていった。
「おれは、助けられたという恩を感ずるよりも、あいつの心にほれ込んだのだ。」
妻は小さく吐息をついた。
夫は一息ついでから、言葉を続けた。
「わしは山犬に助けられた時に、その百獣の王に劣らぬ精神にほれ込んで断じて裏切りはやらないと固く約束したが、息子や孫に、それを忘れるのではないぞと遺言するつもりだ。」
「分かりました。」
妻は、夫のライオンに頭を下げた。
山犬とライオンの家族はいよいよ仲むつまじくなった。そして、両親が世を去ってからも、子や孫たちのむつまじい仲は変わらなかった。それは森中の評判になった。この家族同士の仲良しぶりは、七代も続いて変わらなかったという。
■竜王の井戸
昔、バーラーナシーの都に裕福な隊商王がいた。その息子はたいへん利発な子供だった。その子が成人して若く賢い隊商王となった。彼はバーラーナシーで商品をたくさん仕入れ、車に満載し、多くの商人たちを率いて商売の旅をした。その途中の道には、数々の難所があった。ある時、彼らはちょうどその難所にさしかかった。一同はひどくのどが渇いていた。するとそこに、うまい具合に井戸を見つけた。
「水だ、水だ。」
商人たちは大喜びで井戸をのぞいたが、その水はかれていた。
「井戸をもっと掘り下げれば、水が出てくるかもしれない。」
「うん、きっと出てくる。みんなで掘ってみよう。」
商人たちは、勇み立って井戸を掘り下げた。
すると、出てきた物は水ではなかった。なんと、次々にたくさんの宝石が出てきたのである。
「運がいい、我々は運がいいぞ。」
彼らは夢中で掘り続けた。掘り尽くしてそれを公平に分け合ったが、一人の取り分は相当な物であった。思いがけず財宝を手にした商人たちは、急に欲の皮が突っ張ってきた。
「ここにはほかにも、もっといい物があるに違いない。」
彼らは、一度掘り尽くした井戸をまた掘り返し始めた。賢い隊商王は心配そうに言った。
「もうよしなさい。がつがつ欲張るのは身を滅ぼすもとだ。わたしたちはもう、こんなにたくさん財宝を掘り当てたではないか。それだけで十分だ。これ以上は掘らない方がいい。何ごともほどほどにするべきだ。」
しかし、商人たちはそんな言葉には耳も貸さず、せっせと掘りまくった。
ところが、この井戸は竜王の住む井戸だったのである。竜王は、自分の住みかにどんどん土くれやゴミが落ちてくるのに、すっかり腹を立てていた。運悪く、ゴロゴロンと大きな石ころが竜王の頭にぶつかった時、我慢の限度を超えた竜王はさっと立ち上がり、商人たち目がけて毒の熱風を吹きつけた。
欲深い商人たちは、ひとたまりもなく吹き飛ばされて死んだが、賢い隊商王だけは助かった。必要以上に掘らなかった彼にだけは、竜が毒風を吹きつけなかったからである。竜王はのっそりと住みかから出てきて、宝をいっぱい隊商王の車に積んで言った。
「欲のないお方よ、あなたにはなにもいたしません。」
そして、恭しく礼をし、きれいな車に隊商王を乗せ、若い竜にそれを引かせてバーラーナシーに送らせた。竜の引く車は速かった。彼らは一瞬の間にバーラーナシーに着いた。若い竜は丁寧に財宝を家の中へ運び、住みかへ帰っていった。
隊商王はその財宝を売り、広く施しをした。戒めを守り、善行を積んで、死後は天界に生まれる身となった。
■サルと一粒の豆
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていた時、国境の部族が反乱を起こし、王の国に攻めてくるという知らせが届いた。
季節は雨季で、長い雨が降り続き、川はあふれ、家も作物も水に押し流されるという悪天候であった。王は降りしきる雨の中を出陣し、ある園に陣営を張った。王の信頼する一人の賢い大臣は王とともに行動した。
王の率いる兵隊がたくさんの大豆を蒸し、軍馬に与えるためにおけの中へ投げ入れた。その時、園にいた一匹の飢えたサルが、すかさずおけの中の大豆をつかみ、その手いっぱいに豆を握りしめたまま人に取られぬように木に登った。
サルは枝に腰を下ろして、一粒一粒豆を食べ始めた。少しすると、サルの手から一粒の豆がぽろっと地面に落ちた。サルはその豆を拾おうと、慌てて木から降りた。その拍子に、口の中にあった豆と、両手につかんでいた豆全部をばらばらっと皆落としてしまった。
サルは地面に降りて、さっき指の間から落ちた一粒の豆と、後から落としたすべての豆を、あちこち飛び回って捜した。しかし、落とした豆は雨水に流されてしまい、いくら捜してももはや見つからなかった。サルは再び木に登り、千万の大金をふいにしたように悔しがり、口をひん曲げてもとの枝に座った。
王は大臣に話しかけた。
「サルが苦々しげな顔をして下を見ているが、どうしたのかね。」
すると大臣は答えた。
「王さま、あのサルは少しばかりの物を取り返そうとして、たくさんの物を捨てた、知恵のないものです。一粒の豆を惜しんだために、手に持っていたたくさんの豆をみんななくしてしまったのです。」
「そうか」
「王さま、この大雨の中で大軍を進めていくのは、このサルのようなことになるかもしれません。」
「うむ、このサルのように、なにもかもなくしてしまうのか。そうだ、国境の少数の部族の反乱などに、雨の中を兵を引き連れて進軍するほどのこともなかったな。」
そう気がついた王は、バーラーナシーへ軍隊を引き連れて帰った。
反乱を企てた部族は、
『王の軍隊は賊を滅ぼそうと都から出発した。』
といううわさを耳にしただけで、国境から逃げ去ってしまった。
■バラモンのくしゃみ
昔、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていた時、剣のにおいをかいでその吉凶を占うバラモンが使えていた。
当時国中の刀鍛冶(かたなかじ)が、次々と王の剣を作っては宮殿に参上した。するとまず、そのバラモンが剣を受け取り、相を占った。ところがそのバラモンは、自分への贈り物によって占いの結果を左右するという、強欲な男であった。
「これはなかなかの吉相である。国王の持ち物にふさわしい。」
常日頃から贈り物を届けている刀鍛冶の剣についてはこのように言ってほめ、贈り物を届けない刀鍛冶のものについては
「これは凶相である。早々に持ち帰れ。」
と一蹴(いっしゅう)した。そのため、贈り物を届けない刀鍛冶の剣はどんなに優れたものであっても国王の目に触れることはなかった。
このことを怒った一人の刀鍛冶は、ある時剣のさやにコショウの粉を隠し入れ、それを持って宮殿に上がった。
早速、バラモンが剣相を占おうと剣を抜き、鼻先に近づけると、とたんにコショウが鼻に入り、思わず大きなくしゃみをした。と、剣は鼻を切り裂き、鼻先が床に落ちた。そのことはたちまちのうちに宮殿中に知れ渡り、国王の耳にも届くことになった。しかし国王はこのバラモンを厚く信頼していたため、同情してすぐに医者を呼び、治療させた。医者は傷が治った後、蝋(ろう)で鼻先の形を作り、バラモンの鼻にくっつけることにした。
さて、王には王子がなく、唯一人の王女と甥があった。王はこの二人を常に手元に置き、かわいがって育てた。二人は成長するにつれ、お互いに恋し合う仲になった。そこで、王は大臣たちを呼び集めて言った。
「私の甥をこの王位の継承者にし、娘をその妃としたいがどうか。」
そう言ってから少し口ごもり、しばらく考えていたが意を決したように言った。
「いや、私の甥と娘は血族同士だ。一緒にさせるのはよくないかもしれない。甥には他国から王女を迎え、娘は他国の王に嫁がせよう。そうすれば、私の血族はより増えることになり、また王統も二つできることになる。」
大臣たちはいろいろ協議したが、結局王の考えに従うことにした。
「とにかく、あの二人は別々にしなければいけない。」
王と大臣たちは、甥と王女を離れた土地に住まわせることにした。ところが、それはかえって火に油を注ぐことになり、二人の恋は激しく燃え上がった。
王子は、来る日も来る日も考えた。
──王女と一緒になるのでなければ、生きているかいがない。さてどうすれば王宮から王女を連れ出すことができるだろう。
そしてある時、王の近くに仕えている女の占い師を、高額の贈り物をして呼び寄せ、相談した。
「あなたは徳の高い占い師だ。あなたの力でできないことは、何一つないはずだ。どうか、何か理由を作り、王女を王宮から連れ出すよう取り計らってもらいたい。」
女占い師は答えた。
「王子さまの願いはよく分かりました。それでは、わたしは王さまに、このように申し上げましょう。『王女さまにはこのごろどうも悪霊がついているご様子です。これを追い払うには、王女さまを墓場へお連れし、祭壇の後ろの寝台の下に死人を寝かせ、その上に王女さまをお載せし、百八のつぼの香水を注ぎ、悪霊を洗い流すよりほかありません』と。そう申せば、きっと王さまは大勢の警護をつけたうえでお許しになるでしょう。そこで王子さまはその当日、わたしより先に墓場へ出かけ、寝台の下で死人になりすまして伏せてらっしゃいませ、コショウを少し持って。わたしが王女さまをお連れしたら、そのコショウを鼻に入れて、くしゃみを三度してください。そうしたら、わたしたちは大急ぎで墓場から逃げ出します。だれもいなくなったら、王女さまをご自分の家へお連れになればよろしいかと思います。」
「賢明なあなたのことだ。その策略のとおりにしよう。」
王子は喜んで同意した。
さて、女占い師は手はずどおりに整えると、大きな行列を作って墓場へ向かった。途中、歩きながら供の者たちに言った。
「いいか、わたしが王女さまを寝台の上に置くと、その下の死人がくしゃみをするかもしれない。くしゃみがやむと、悪霊は寝台の下から出てきて、だれでもいちばん先に見つけた者につかみかかるだろう。くれぐれもよく注意してほしい。」
これを聞いて供の者たちはおびえた。
さて、王子が手はずどおり先に行って寝ていると、女占い師は王女を抱いて祭壇の後方へ行き、王女にそっとささやいた。
「何も怖くはございません。」
そして王女を寝台の上に載せた。と同時に、王子はコショウをかいで大きなくしゃみをした。
その瞬間、女占い師は王女を振り捨て、大声を上げて逃げ出した。
「恐ろしや、悪霊がつかみかかるぞ。」
供の者も、先を争って墓場から逃げ出した。王子と王女を除いては、一人としてそこに残る者はいなかった。
王子と王女をはひしと抱き合った。久しぶりの再会だった。涙が止めどなく流れた。
「もう、どんなことがあっても離れない。離れて暮らすなら死んだほうがましだ。」
「わたしも同じです。王子さま、決して離さないで……。」
二人は長い間立ちつくしていたが、ふと我に返り、王子の住まいへと向かった。
女占い師は、すべてを王に語った。王はうなずいて言った。
「二人に死んでしまわれたのでは、もとも子もない。仕方がない。二人を許すことにしよう。なあに、もともとわたしは、二人を後には夫婦にと思って育てたのだ。」
王は、二人を晴れて結婚させることにした。
その後、王は王位を甥に譲り、王女を妃とした。
さて、先の剣相を見るバラモンは引き続き新王に仕えることになった。ある日、バラモンが王に会うために王宮にやって来ると、強い日差しに顔が当たり、例の蝋で作った鼻は、とろとろと溶けて地上に落ちてしまった。バラモンは恥ずかしさのあまり、顔を伏せて立ちつくした。
王はこれを見ると、笑いながら近寄った。
「バラモンよ、憂うことはない。くしゃみも、ある者には善であり、ある者には悪となる。お前はくしゃみのために鼻を切ってしまったが、わたしは王女をもらい、王位を得ることができた。」
そう言って、うたを唱えた。
全く同じ出来事も
ある場合には善(よ)しとなり
ある場合には悪(あ)しとなる
一切すべて善きものなく
一切すべて悪しきものなし
■ウズラ捕りとウズラ
昔、ある大きな森の中に、数千羽のウズラたちが住んでいた。
太ったウズラ、やせたウズラ、陽気なウズラ、泣き虫なウズラ、年取ったウズラから、まだ生まれたばかりの赤ん坊ウズラなど、様々なウズラが森ややぶの中に住んでいた。彼らは朝早くから目を覚まして、それはにぎやかに木の実をついばんだり、虫を食べたりしていた。
その森から少し離れた村に、ウズラ捕りの名人といわれる若者がいた。彼は、毎日たくさんのウズラを捕ってきた。そしてそれを都に都に売りに出かけ、高い値段で売って金儲けをしていた。
「いったいお前さんは、毎日あんなたくさんのウズラをどうやって捕るんだい。」
村人の一人が、うらやましそうに若者に聞いた。
「なあに、ちっとも難しいことなんかありゃしないさ。おれはただ、ウズラの鳴きまねがうまいだけだよ。俺はいつも森へ行って、ウズラの仲間のふりをして、ウズラの声のまねをして誘い出すんだよ。」
「人間の鳴きまねで、本当にウズラがやって来るのかい。」
「やって来るとも。おれが鳴くと、あっちこっちの茂みの中や木の枝から、本当におかしいようにウズラが寄ってくるんだ。」
若者はおもしろくてたまらないといった顔をして、声を立てて笑った。
「へえ、そういうもんかねえ。それでお前さんは寄ってきたウズラをどんな風に捕るんだい。」
「そうなんだよ。それからが大事なことなのさ。」
若者は得意げに、少しもったいぶった調子になって、ウズラ捕りの秘訣(ひけつ)を話した。
それは、若者の鳴きまねでぞろぞろと集まってきたウズラの上に、上手にふんわりと網を投げ、そしてゆっくりと網を引いていくという方法だった。投げた網の中に、何十羽というウズラがたちまち生け捕りにされてしまうのだ。
村人に自慢した若者は、毎日毎日足取りも軽く森へ出かけた。そして口先をとがらせ、舌を丸めて、優しく楽しそうにウズラを呼ぶのだった。その声がウズラたちに心地よく聞こえるのか、相変わらずやぶの陰、茂みの中から若者の声に誘われて、ウズラたちはぞろぞろと集まってくるのだった。
何千羽のウズラたちの中にも、落ち着いて考え深い、賢いウズラもいた。そんな一羽の注意深いウズラは、毎日毎日、仲間のウズラが若者に生け捕りにされてしまうのを情けなく思っていた。網を投げてからはっと気がついて、悲しそうに鳴きわめく仲間たちが哀れでならなかった。
──ああ、どうすればあのウズラ捕りの巧妙な手段から逃れることができるんだろう。
一生懸命考えた末に、一羽のウズラの力ではどうにもならないことに気がついた。
「そうだ、みんなで力を合わせるんだ。そうしなければ助からない。」
そこで森中のウズラたちに呼びかけた。
「みんな、毎日あのウズラ捕りのために仲間を殺されていくことはつらいことだと思わないか。もしかしたら、今度は自分が捕らえられるかもしれないんだ。そこでわたしは、もし運悪く捕らえられても、うまく助かる方法はないかどうか考えてみたんだよ。これから話す方法は、きっとうまくいくと思うんだ。」
「昨日、友達のウズラがやられるのを、ぼくは見てしまったんだ。あっという間に網の中に入れられてしまうんだよ。それをどうやって逃げるというんだい。」
「そうだよ。網は大きな雲のように、音もなく頭の上に広がっていくんだよ。あの中に入れられると、身動きできなくなるらしいよ。」
ウズラたちは、あの若者の投げる網の恐ろしさを話しながら、賢いウズラがどんな名案を考えたのか、彼の話に耳を傾けた。
賢いウズラは、落ち着いた静かな声で話し始めた。
「朝になるといつものようにウズラ捕りが来る。そして、例の優しい声で、おいで、おいで、おもしろいことがあるんだよ、とばかり呼びかける。本当はあの声についていってはいけないのだけれど、仲間の声と聞き分けがつかないほどあの声は巧妙だ。つい、なんだろうと思って、ついていってしまうこともあるだろう。それからがとても大切なんだ。いいかい、もしあの怖い網が天から降ってきて、頭の上にふわっとかかったとき、その時こそ慌てちゃいけないんだ。その時が生きるか死ぬかの分かれ目なんだよ。」
ウズラたちは、頭の上に網が投げかけられてきたときを思い描いて厳しい顔になり、話の続きを聞いていた。賢いウズラは、三つの作戦を提案してきた。まず、網にかかったその時、それぞれのウズラは静かに慌てずに、自分の頭を網の目の中に入れてしまうこと。次に、だれかの合図でみんないっしょにその網を持ち上げること。そしてみんなで持ち上げたまま飛んでいってイバラの生えている所へ網を持っていく、という作戦だった。
また、そのイバラのために網は地面にぴったりと張りつかない。そのすきまを急いでくぐり抜けて逃げることができる。そうすればウズラ捕りはイバラのために網が取れず、難儀をするのは確実だというのだった。
「なるほど。」
「それならば、みんなでやればできそうだ。」
「みんなでいっしょに網をイバラの所へ持っていけば、後はわけないね。」
ウズラたちは彼の話した方法を納得して、またにぎやかに木の実や虫などを採りに、森の中に散っていった。
さて、若者はウズラたちがそんな相談をしたことなど夢にも知らず、今日もたくさんのウズラを捕ってやろうと、元気よく森へやって来た。
例によって、優しい声を出して、ウズラの鳴きまねを始めた。ウズラたちは若者が呼んでいるのだということを忘れ、仲間の声と間違えて、うかうかとその声のする方へ集まっていた。数十羽集まってきたのを見ると、若者は、それっとばかり得意の網を投げかけた。
「あれっ。」
若者は自分の目を疑った。いつもならそこでウズラたちは泣き叫び、ばたばたと羽を広げたり、大慌てをするはずなのだ。ところが今日は、一羽のウズラの鳴き声も聞こえず、羽を広げてもがくウズラたちもいない。驚いているうちに、網は投げられた形のまま地面から浮き上がり、動き出したのだ。そしてイバラの生えている辺りで止まった。
「おれの目がどうかしたのかな、網が動き出すなんて。こりゃあどうしたことなんだろう。」
若者は、イバラの上に広げられた網をたぐり寄せようとした。ところが網は、イバラのとげにひっかかって動かない。手をとげだらけにしながら、若者はやっとの思いで網をイバラから外し、中を見た。ところがそこには、一羽のウズラも見当たらなかった。
その日の若者は、何回も何回もウズラの声をまねて鳴き、そのたびに網を投げた。けれども結果は同じで、一羽のウズラも捕ることができなかった。
すごすごと家へ帰ると、若者の妻は夫が一羽のウズラも捕れなかったことに驚いた。こんなことは結婚してから初めてのことだった。が、その翌日も翌々日も、夫は森へ出かけては、また手ぶらで帰ってくるのだった。妻はたまりかねて、顔色を変えて怒った。
「あなた、このごろ森へ行くと言って出かけるけど、本当は森へなんか行かないのでしょ。森へ行ったふりをして、どこかで一日中楽しく遊んでるんじゃないの。」
「とんでもない、おれは毎日いつものように森へ行ってるんだ。だけど、いったいどういうわけかウズラたちが今までと違ってしまったのだ。ウズラのやつらめ。何十羽というウズラが妙に気を合わせておれの網を上手に抜け出していくんだよ。本当に不思議なことがあるもんだ。」
「それでこのごろ、一羽のウズラも捕れないのね。そうだとしたらわたしたちがお金に困るじゃないの、あなた、どうしてそう落ち着いているのよ。」
「だってね、お前も知ってのとおり、ウズラっていうのはあまり利口な鳥じゃない。それに飽きっぽい鳥だからさ、今はおれの投げる網の目をくぐって逃げる事がおもしろくてたまらないのだろうけど、もう少し待っててごらん。また前と同じように、網いっぱいのウズラを捕って帰ってくるよ。今はただ、おれとウズラの根比べだよ。」
気を合わせ心を合わせてウズラらは
網を持ち上げ持ち去るが
もうすぐたぶん仲間割れ
ウズラはしょせんウズラだよ
たちまちおれの網の中
若者は朗らかな声でうたった
それから数日後、一羽のウズラが虫を捕りに地面に降りた時、ちょっとした弾みで、そばにいた仲間の頭を足で踏んでしまった。
「いたたた、お前、なんの恨みがあっておれの頭を踏みつけるんだ。」
「まあそう怒るなよ。物の弾みさ、わざとしたわけじゃないんだ。なにもそんなに口をとがらせて怒らなくたっていいじゃないか。」
「なんだ、おれの頭を踏みつけておいて言いわけばかりして、一言も謝りもしないで。」
言い合っているうちに、どちらも後にひかずにとうとう本当のけんかになってしまった。
賢いウズラは、そんな二羽のウズラの様子を少し離れた所でながめていた。そして思った。
──つまらないことにすぐにかっとして頭に血が上り、怒ったり、どなったり、けんかをする者には困ったものだ。あんな風じゃ絶対幸福というものはないだろう。あのウズラ捕りの網の中で、今のように踏んだとかつついたとかの言い争いが始まったら最後だ。彼らはきっと網の中でもけんかを始めることだろう。そして、あの力を合わせて網を運ぶということはできなくなってしまうのだ。ウズラ捕りはまたもとのように、網いっぱいのウズラを担いで帰るだろう。わたしは生け捕りにされるのなんか真っ平だ。あんなけんか好きの仲間がいる限り、破滅は目に見えている。もうこの森に住んでいることはできない。どこか静かな、ここ安らかに暮らせる所に越そう。
賢いウズラは、自分と仲の良い仲間たちとそろって森を出ていってしまった。
村の若者はその二、三日後、またもとのとおりウズラの鳴きまねをしてウズラを呼び集め、巧みな手さばきで網を投げかけた。ウズラたちは、最初はみんなで網を持ち上げようとした。ところがそのうち、網の中でけんかが始まった。
「君のくちばしの先で、わたしの毛が抜けてしまったじゃないか。君が持ち上げろよ。」
「お前のせいで翼の羽が抜けたじゃないか。お前こそ自分で持ち上げろよ。」
言い争いは激しくなり、あのイバラの生えている所まで力を合わせて網を運ぶことなど、みんなが忘れてしまっていた。
「お帰りなさい。まあたくさんの獲物だこと。」
村の若者の家では、妻がいそいそと森から帰った夫を迎えていた。
■猟師とカモシカ
昔、ある森の中に、枝もたわわにたくさんの実をつけた、大きなセーパンニの木があった。
森の中に住んでいるカモシカたちは、いつもこのセーパンニの木の下にやって来て、おいしそうによく熟した実を食べていた。
村に住んでいる一人の猟師が、このセーパンニの木の下によくカモシカがやってくることに気がついた。それである時、彼はこの木によじ登り、高い所にある太い枝に台を作り、この台に座っていた。朝から夜まで、彼は根気よく木の枝に座って機会を待っていた。
三日目、セーパンニの枝に上に座っていた猟師は、カモシカたちが木の下にやって来たのを知った。
「しめた、この機会を待っていたんだ。」
彼は、木の実をおいしそうに食べているカモシカの首筋にシュッとやりを投げた。百発百中、ほとんどのカモシカは難なく猟師に捕らえられ、彼はその肉を売って金をもうけた。
猟師はその日も、木の下に真新しいカモシカの足跡を見つけた。
「ようし、明日も朝早く起きてあの木に登って待っていよう。この足跡の様子だと、カモシカはまだ若くて、きっと肉の柔らかい上物だぞ。」
翌朝まだ暗いうちから目を覚ました猟師は、やりの用意もそこそこに森に出かけた。そして、あのセーパンニの木によじ登ると、台の上に腰をかけた。そして息を凝らして、今か今かとカモシカの来るのを待っていた。
カモシカの群れの中に、一頭のたいへん賢いカモシカがいた。非常に落ち着いていたし、そのうえ用心深いカモシカだった。彼はこのごろ、仲間のカモシカが森で殺されてしまうことが多いのに気がついていた。
──森の、あのセーパンニの実を食べていると殺されてしまうってことは、そうだ、きっとあの木の上に猟師が隠れてねらっているんだ。
そう思ったカモシカは、あのセーパンニの木の真下には行かず、少し離れた場所にじっと立っていた。
一方猟師は、姿のいい、おいしい肉のたっぷりありそうなカモシカが、さっきからこちらの方を見ているので気が気でなかった。早くこの木の下に来てくれればいいのに、なぜあんな所にいるのだろうと、しだいに気持ちがいらいらしてきた。
そこで、おいしそうによく熟れた木の実をカモシカの方に投げ落とした。カモシカは、ふいにわざとらしい落ち方で木の実が落ちてきたことを怪しんだ。そこで、その木をゆっくりと見上げた。
じっと見ていると、枝の中にうずくまっている猟師が見えた。猟師はやりを構え、すぐにでも投げられるような姿をしていた。カモシカはそれを見届けると、わざと大きな声を上げていった。
「おうい、セーパンニ君、君はいつも、木の実を真下に落としていたのに、いったいどうしたんだい。今見ていたら、大きなおいしそうな実を、投げるように落としたね。セーパンニ君、君は木の実は真下に、真っすぐ落とすという気の約束を破ってしまったね。これからはもう君の木の実は食べないよ。ほかの木の下に行って、枝から真下に落ちてくる本当の木の実を食べるよ。さようなら。」
カモシカは晴れやかな声でうたった。
セーパンニセーパンニ
わたしはすべてを知っている
セーパンニセーパンニ
だれかが枝に潜んでる
だれかの投げる不吉な木の実
わたしはそれを食べないよ
そのうたを聞くと、猟師はかっとしてカモシカに向かってやりを投げたが、やりは力強く地面を刺しただけであった。
カモシカは振り返り、立ち止まって言った。
「お前はこんなやり方で、わたしの仲間をさんざんひどい目に遭わせたね。お前も死んだら、もっと苦しくて恐ろしくて地獄の中を歩いていくことだろうよ。火の海、血の池、針の山とね。そのうえお前のやりよりもっと痛い責め道具で、つらい思いをするだろうよ。」
カモシカは森の中に姿を消した。
「お前はもっとひどい目に。」
「お前はもっとひどい目に。」
カモシカの声が猟師の耳にいつまでも聞こえていた。
■ウサギの布施
昔、ある深い森に賢いウサギが住んでいた。
ウサギには、サルと山犬とカワウソという友達がいた。これら四匹の動物たちは、みんなとても賢く、お互いに自分のえさを取る場所を決めていて、仲間とえさを奪い合うこともなく、仲良く暮らしていた。夕暮れになると一か所に集まって、ウサギはみんなに言い聞かせた。
「貧しく食を請う人や、困っている者に布施をしなくてはいけないよ。」
サルも山犬もカワウソも、ウサギの教えをよく聞いて、つつましく暮らしていた。
ある日のこと、ウサギは空をながめていて、明日が布施をする日だと思いだし、三匹に言った。
「明日は食を請う人に施しを行う日だよ。しっかりと教えを守って施しをすれば、きっといいことがあるよ。食を請う人が来たら、みんな自分の食べ物を分けてやるのだよ。」
「はい、よくわかりました。」
一同は答えた。
翌日になると、カワウソは早起きして、獲物を探しにガンジス河の岸へやって来た。
ちょうどその時、一人の漁師が赤魚を七尾捕らえてくしに刺し、岸辺の砂の中に隠して、次の獲物を追って川を下っていった。カワウソは、魚のにおいが気になって岸辺を歩き回っているうちに埋まっている魚を見つけた。
「この魚はだれのですか。」
大きな声で三度呼んでみたが、だれも現れなかった。そこで、くしごとくわえてやぶの中の自分の家に持ち帰り、食事の時間になったら食べようと思いながら、眠ってしまった
山犬も獲物を探し歩いているうちに、田んぼの中の番人の小屋に、二くしの肉と大トカゲと、牛乳の入ったつぼとを見つけた。
「これはだれのですか。」
三度大声で呼んでみたが、持ち主は現れなかった。そこで、牛乳のつぼのひもを首にかけ、肉のくしと大トカゲを口にくわえてやぶの中の自分の家に持ち帰り、食事の時間になったら食べようと思いながら寝床に就いた。
サルは森へ出かけていき、マンゴーを持ち帰り、食事の時間になったら食べようと、これも同じように眠った。
一方賢いウサギは、季節柄、自分の食べる物にも事欠いていた。
──食事の時間になったら、寝床に敷いてあるダッパ草を食べよう。
ウサギはやぶの中に寝ながら考えた。
──わたしの家に修行者の方が托鉢に見えても、おいしい草さえ施すことができない。ごまや米や豆もわたしにはない。だからもし、どなたか施しを求めたら、わたしの体の肉をあげることにしよう……。
さて天界では、ウサギの、戒めを守ろうとする気持ちが伝わり、天の神帝釈天【たいしゃくてん】の石座が熱くなった。帝釈天はその理由を探り、ウサギたちの気持ちを試してみようと、バラモン僧(僧侶のこと)の姿になって、まず下界のカワウソの家の前に立って施しを求めた。
バラモン僧に気づいたカワウソは、尋ねた。
「あなたはなんのためにそこに立っておられますか。」
バラモン僧は答えた。
「わたしに、なにか食べ物がいただけましたらありがたいことでございます。」
「はい、分かりました。あなたにおいしい食べ物を差し上げましょう。」
カワウソはそう言って、うたを唱えた。
ガンジスの河からとった赤魚
ここにありますバラモンよ
わたしの布施です召し上がれ
バラモン僧は礼を言うと、
「明日の朝までここに置いといてください。後でいただきに参ります。」
と言って出ていった。
そして、次に山犬の家の前に立った。
「なんの用でそこに立っておられますか。」
山犬が尋ねると、バラモン僧は前と同じように答えた。
「分かりました。おいしい物を差し上げましょう。」
山犬はそう答えて、うたを唱えた。
夕げの支度に取ってきた
二くしの肉と大トカゲ
つぼ一杯の牛乳を
わたしはあなたに布施します
さあ召し上がれバラモンよ
バラモンはまた、
「明日の朝までここに置いといてください。後でいただきに参ります。」
と言って、サルの所へ行った。サルもまた、
「なんの用でそこに立っておられますか。」
と尋ねると、バラモン僧はやはり同じことを答えた。サルも快く承諾した。
「分かりました。差し上げますとも」
おいしく熟れたマンゴーの実
冷たい水と涼しい木陰
わたしはこれらを布施します
さあ召し上がれバラモンよ
バラモン僧は、
「明日の朝までここに置いといてください。後でいただきに参ります。」
と言って、最後にウサギの所へ行った。
ウサギは尋ねた。
「なんの用でそこに立っておられますか。」
「なにか、食べ物を施していただきたいのです。」
ウサギはこれを聞くと、大きくうなずいた。
「ようこそおいでくださいました。今のわたしには新鮮な草一つございません。ですから今日、わたしはこれまで施したことのないものを施したいと思います。あなたは戒めを守られるお方ですので、生き物を殺すことはなさらないでしょう。あなたは薪を集めて火を起こして、わたしにお知らせください。わたしはその火の中に飛び込みます。わたしの体が焼けたら、その肉を食べて、修行に励んでください。」
そう言って、うたを唱えた。
ウサギの食事は細いもの
ゴマ、豆、米すらありません
この火であぶったわたしの肉を
わたしはあなたに布施します
さあ召し上がれバラモンよ
バラモン僧はウサギの言葉を聞くと、ただ黙ってうなずいて、神通力で火を起こした。
ウサギはダッパ草の寝床から起き上がって、燃え盛る火に近寄った。
「もし、わたしの毛の中に、ノミやシラミなど、生き物がいたらそれを殺してはいけない。」
そうつぶやいて、二度、三度、体をブルブルッと震わせた。そして、自分の体を施そうと、勇敢に飛び上がった。
美しく咲き誇るハスの花に宿る白鳥のように、堂々と美しい微笑を浮かべながら、ウサギは真っ赤な火の中に身を投じた。
しかし、どうしたことだろう。その真っ赤な火は、ウサギの体の毛穴一つも焼くことはできなかったのだ。
「あなたの起こした火は、まるで雪のように冷たい。これではわたしの体の毛穴一つ焼くことができません。いったい、どうしたことでしょう。」
ウサギは唖然としてバラモン僧に言った。
「どうか許してください。わたしはあなたを試したのです。」
バラモン僧はウサギの前で手を合わせた。それを聞くと、ウサギは少し笑顔を見せてからきっぱりと言った。
「そうですか。でも、たとえ世界中からどなたがやって来て、わたしをいくら試そうとしても、わたしの中に、施しをいやがる気持ちを見つけることはできないでしょう。」
「どうか、あなたのりっぱな行いが、世界のどこにも知れ渡りますように。」
バラモン僧はそう言うと、周囲の山々に手をさし出した。すると不思議なことに、山々は彼の手のままに締めつけられ、汁を出した。彼はその汁で、月の表面にウサギの姿を描いたのだった。
バラモン僧はウサギを招き、森のやぶの中に若い柔らかなダッパ草で寝床を作って寝させた。それから、帝釈天の姿にもどって去っていったという。
サルも山犬もカワウソも、もちろんウサギも、月夜には言い合わせたように森の広場に集まった。
「ウサギさん、あなたとそっくりのウサギが、ほら、お月さまの中にいるよ。」
みんな月に見とれて言った。
「あれはわたしの心が映っているのだよ。わたしが少しでも悪い気を起こしたら、お月さまは暗くなる。今夜はとても明るいだろう。みんなといっしょに明日からまた、施しができるように働こうね。」
みんな、にこっと笑ってうなずいた。月の光はいっそう明るくなって森を照らした。
■減らない酒
昔、バーラーナシーの都で、ならず者たちが、酒代を工面するために悪い相談をしていた。
「どうだい、兄弟。このごろは景気が悪くっていい酒も飲めないや。何かいい話はないかい?」
「いい酒どころか、悪い酒だって飲めないや。貧乏人のつらさよ。」
「そうよなぁ。そこへいくと、あのお城の財務官のだんなは、大した景気だな。」
「おれはこの間、道ですれ違ってちらっと見たけれども、すごい上着を着ていたっけ。」
「上着もりっぱだけど、あの右手の指にどっしりとはまっている指輪を見たかい。ウズラの卵くらいのルビーだぜ。それといっしょに、黄金の厚いハンコのついた指輪。あれがあると、あのお方の家屋敷が売買できるんだと。」
「へえ、なんだか夢みたいな話だなぁ。でも、おれたちには縁のない話よ。」
「そうでもないぜ。」
その時、今まで黙って聞いていた、いちばんたちの悪そうな男がすごみのある声で言った。
「いいか。よく聞きな。」
男はそして、五、六人のならず者たちになにか耳打ちした。
男たちはうんうんとうなずいた。
「さすが、兄き。知恵者だなぁ。」
そう言って、男たちはそそくさと散っていった。
「いったい、どうした風の吹き回しかな。」
財務官は、手入れのよく行き届いたひげをなでながら独り言を言った。いつもは顔を見ただけでこそこそと隠れてしまう、あの札つきの町のならず者の一人が、
「いつも財務官さまを敬ってます。そりゃあね、あっしどもはくず同然の人間だけど、やっぱり人間と生まれたからには、一度でいいから財務官さまのような偉いお方と酒を飲んでみたいと思いましてね。へえ。」
と言いながら、近寄ってきたのである。思いがけぬいい酒が手に入ったから、町のすみの小さな自分たちの酒場に、一度酒を飲みに来てください、と誘ってきたのだった。
「おかしい。まあ、殊勝だといえば殊勝だが、そんな甘い連中だとは思えないし。はてな。」
それでも財務官は、その酒場へゆうゆうとした足取りでやって来た。
「おお、これはこれは。よもや、お出かけくださるなんて思いませんでしたが、なんともありがたいことで。」
使いにきた男は、もみ手をしながらそわそわと仲間に合図した。どうぞどうぞと輪になって座った彼らは、財務官に一びんの酒を勧めた。
「さあさあ、お飲みください。この酒はうまいですよ。」
黙ってじっと皆の様子を見ていた財務官が、さっと手を出して酒びんを取った。
「そんなにいい酒なら、わたし一人で飲むのはもったいない。さあさあ、わたしのおごりだ。遠慮をせずにぐっとあけておくれ。」
そして、もじもじしているならず者たちの杯に一つ残らずその酒をついだ。
さあ、いっしょにと言いかけた時、ひとりのならず者が、ぶるぶる震えながら立ち上がった。
「どうかしたかね。」
「へえ、あの……。」
「あ、あっしも。」
隣の男も立ち上がった。
「おれも。」
「どうしたんだ。」
「あの、急に用を思い出しまして。」
「お前は?」
「気分が悪くなりまして……。」
「お前は?」
次々に立ち上がる男たちを、止めもせずに財務官はながめていた。最後に、真っ青な顔をしたいちばんたちの悪そうな男が一人残った。
「お前も急用ができたんじゃないのか?」
財務官は、いかにもおかしそうにその顔を見た。
「だんな、堪忍しておくんなさい。あっしは、ただ頼まれただけなんですから。」
「ほう、しかし、まあせっかく二人っきりになったんだから、その酒を飲んだらどうかね。もっともその様子じゃ、しびれ薬が効いてきても、はぐ物なんてなにもなさそうだがね。」
「だんな、すみません。出来心なんですから。」
──こんなことをしていつも町の人をいじめているのか、これは大掃除をせねばならぬわい……。
財務官は心の中で舌打ちをした。家に帰って財務官は酒場の一部始終を妻に話した。
「まあ、それは危ないことをなさいました。どうしてそんな所へ、知っていてお出かけになったのですか。」
「どんな風に悪いことをするかを見ようと思ってな。」
「でも、その酒がしびれ薬だなんて、どうしてお分かりになったのですか。」
「ははは……なんでもないさ。わしがじっと見ていたら、その酒だけはだれも手をつけないんだ。ほかの酒はどんどん減っていくのに、そのびんだけは減らないのさ。そのくせ、やつらはそのびんばかりほめ続けているんだ。あのばか物めらが。」
財務官は、その妻の手から、汚れのないお茶を一杯、さもおいしそうに飲んだのであった。
■シャコの知恵
昔、ヒマラヤの山の中にニグローダ樹(別名ベンガルボダイジュ)の大木がそびえ立っていた。その木の下には、シャコという小さな鳥と、サルと象がいっしょに暮らしていた。
象は重い物を運んだりする力仕事を受け持ったし、サルは木から木へ飛び回り、食べられそうな木の実を落としたり、遠くの様子をながめてみんなに知らせたりするのが仕事だった。だが、シャコは小さくて象のような力もないし、サルのように素早く動き回ることもできなかった。せいぜいサルの落としてくれた木の実を食べ、象の後ろにくっついて回るぐらいだった。
そうやって長い間生活していくうちに、三匹は、いつからとはなしに、なんとなく仲が悪くなっていった。
象は思った。
──おれは毎日重い物を運んで汗を流して働いているというのに、サルのやつめ、いつも木の上で調子に乗って大騒ぎしている。そのくせ、あいつの仕事ときたら、適当にその辺りの木の実を落とすだけなんだから簡単なものだ。第一、いちばん賢いのはこのおれだし、年だっていちばん上じゃないか。
象はそう思うとどうしようもなく腹が立ってきて、サルの所にそれを言いにいった。
一方サルはサルでこう思っていた。
──象のやつは楽でいいよ。ばか力を出して荷物でも運んでいればそれでいい。このおれときたら木の枝から枝へ飛び移って、木の実を一つ一つ確かめてよく熟れているのだけを下に落とすんだ。おまけにその間も、木の上から辺りを見回して、危険な敵がいないかどうかまで気を配らなきゃいけない。なのに象のやつときたら、そんな苦労も知らないで、山のような木の実をペロリと平らげる。第一、いちばん賢いのはこのおれだし、年だっておれがいちばん上だぞ。
そう考えると、サルもたまらなくなって、今日こそは象に一言言ってやるぞと思って、木の下へ向かった。そして向こうからやって来る象を見つけると、いきなりこう言った。
「象よ、だいたい象っていうのは、みんな年上の者を敬わないように教えられているのかい?ええ、どうなんだ。」
それを聞いて、象のほうもかっとなって言い返した。
「なんだと、そういう自分はどうなんだ?賢い年上の者を大事にしないのはサルのほうだろう。」
象とサルはお互いに相手のことをにらみつけた。シャコもちょうど木の下にいたけれど、なにも言わずに黙っていた。
それからひとしきり、象は自分の体の大きいことや力の強いことを自慢した。そして、年も取っていて経験もずっとサルより多く、考え方が地についていて、サルのようにちゃらちゃらしていないんだと言い張った。
またサルのほうも、自分がどんなに素早く動くことができ、遠くの木の枝にも飛び移れるかを自慢した。そして、目先ばかりでなく遠くのことを見ているので、象のように凝り固まった考えをせずに、物事を正しく見られるんだと言った。もちろん年だって自分のほうが象より上だと言ってきかなかった。
象とサルはそうしてしばらく口げんかをしていたけれど、結局は力の強いこととすばしっこいことを比べることなどはできるはずがない。しかし、どちらが年が上かということだけは、決着がつけられそうだ。
象が言った。
「そうだ、お互いに、このニグローダの大木をどのぐらいの時から知っているか言うことにしようじゃないか。そうすればこの木をより小さい時から知っているほうが年上だと分かる。」
「そりゃいい、そうしよう。」
サルもうなずいた。
まず、象が話し始めた。
「おれは子供のころ、この木をひょいとまたいだもんさ。その時、いちばん上の枝がおれのへそに触ってくすぐったかったことをはっきりと覚えている。だから間違いない。ほら、今のあの枝だ。」
象は鼻で木のこずえをさした。
サルも負けてはいない。
「ふん、そんなものか。おれが子ザルの時なんか、地面に座り込んでひょいと首を伸ばせば、あの木のいちばん上の枝に届いたぞ。そこに出ていた木の芽を、よく食べたから間違いない。おれのほうが、この木が小さい時から知っている。子ザルの座った高さのほうが、子象のへそより低いからな。」
サルは得意そうに言った。
「いや、そうじゃない。おれは子供のころ、体が小さくてな。へそはこの辺りだった。」
象は鼻で、昔のへその高さをさしてみせた。
「おれの座った高さは、これぐらいだぞ。」
サルも手でやってみせた。あのくらい、いや、このくらいと彼らはまた言い合いを始めた。これもいつまでやっても同じことで決着がつかなかった。
サルは腹立ち紛れに、そばで聞いているシャコに向かって言った。
「なんだ、お前はさっきから黙っているけど、どうなんだ。」
「そうだ、お前も言ってみろよ。俺たちより年が上なら、言うことを聞いてやってもいいぞ。」
象が半分ふざけて言った。
「君たちはこの木が小さい時から知っているんだね。」
シャコが言った。
「ああ、そのとおりだとも。」
象とサルはばかにしたように言った。
「わたしが小さい時には、もうここに大きなニグローダの木が生えていた。」
シャコが言うのを聞くと、象とサルは、
「ほらみろ」
と手をたたいて笑った。
ところがシャコはその先を話し始めた。
「わたしはよくその木の下で、落ちている実を食べたんだが、ある日のこと大木は年を取ってとうとう倒れてしまったんだ。わたしはそれを見ていた。そしてそこでふんをしたら、中に種が残っていたらしい。いつの間にか芽が出てきて伸び始めた。それが今じゃあ、こんな大きな木になっている。もともとこの木は、わたしのふんから生えてきたんだ。」
それを聞くと、象もサルも口をあんぐり開けたまま、なんにも言えなくなってしまった。そして自分たちがずいぶんばかなことで言い争っていたことに気がついた。
いちばん賢いのはシャコだということが分かった。
それからというもの、象とサルは二度とばかなけんかもしなくなり、知恵のあるシャコの言うことを聞いて、いつまでも仲良く暮らしたのだった。
■大ガニのはさみ
昔、ヒマラヤの大きな湖に、体中が黄金色で、畳十畳(たたみじゅうじょう)ほどもあるばかでかいカニが住んでいた。その大ガニは、湖に水を飲みにやってくる象を捕まえては食べていたので、ゾウの群れは怖がって、湖のほとりに下りてこようとはしなかった。
ところでそのころ、象の群れの王に一頭の子象が生まれた。その母親は、子象が大ガニに襲われないように、湖から遠く離れた田舎で子象を育てた。
子象は、母親の深い愛情に包まれ、やがて立派に成長した。その体は濃い紫色をしており、見るからにたくましい象になったのだった。
こうして若者になった象は、なんとかして湖の水が自由に飲めるようにしたいと思うようになった。そうするためには、あの大ガニをやっつけてしまわなければならなかった。
若者の象はやがて結婚したが、ある時彼は、結婚したばかりの妻を連れて、父親の所へやって来た。
「お父さん、わたしはあの憎い大ガニを、わたしの手で捕まえようと思っているんです。」
若者象は言った。
「そりゃむちゃだ。今まで、あいつに勝った者はだれもいないんだから。」
そう言って、父親象は盛んに引き止めたが、若者象の決心は固かった。
「象の王さまであるお父さんが承知してくれなければ、思いきって戦うことができないんです。」
「それほどまでに言うんなら、やってみてごらん。」
父親象は、しぶしぶうなずいた。
若者象は、早速湖の近くに住み象たちを集めると、連れだって、湖の見えるところまでやって来た。若者象はみんなを見渡して尋ねた。
「カニがわたしたちを捕まえるのは、湖に下りるときか、それとも水を飲んでいるときか、または岸へ上がるときだろうか。」
「あの大ガニが我々をねらうのは、いつも、岸へ上がるときです。」
「そうだそうだ。今までやられた者は、みんなそうだった。」
「ひきょうなやつだよ。安心して上がってくるところを、いきなり襲ってくるんだから。」
みんな口をそろえて言った。
大ガニの襲い方が分かった若者象は、みんなに命令した。
「じゃ、湖に下りて、そして水を飲んでから上がるんだ。」
若者象の目は、固い決意にみなぎっていた。
象たちは、若者象の命令どおりに動いた。ゾロゾロと群れを作って湖に下り、そして水を飲んで岸へ上がってきた。
計画どおりに、いちばん最後に岸へ上がった若者象を待ちかまえていたのは、ちょうど、鍛冶屋(かじや)が鉄の棒をはさむときの大きなはさみに似た大ガニのはさみであった。そのはさみは、がっちりと若者象の足を捕らえた。
「危ない。」
若者象の襲われる様子を見ていた彼の妻は、思わず大声で叫んだが、どうしようもなかった。
大ガニは、すごい力で夫の若者象を湖の中へ引きずり込もうとした。夫は、苦痛のために顔をゆがめた。妻はただ、ハラハラしながら見つめているだけであった。
「怖いよう。」
「殺されるのはいやだ。」
象の群れは、震えながら悲鳴を上げて、森の方へと一目散に逃げていった。妻はじりじりと後ずさりした。それを見た若者象は、うたを唱えて妻に告げた。
突き出た目の玉硬い皮膚
鋭いはさみは血にまみれ
水に住みつくお化けガニ
この怪獣に我敗れ
動けぬ足も口惜しく
我が惨めさを嘆くのみ
ああ最愛の我が妻よ
わたしを捨ててはなりません
心の支えの我が妻よ
これを聞いて、妻は引き返してくると、若者象を慰めるためのうたを唱えた。
愛する人よ我が夫
どうしてあなたを捨てられよう
この地の極みに至るまで
我が最愛の良人を
良人を勇気づけた妻は、今度は大ガニに向かって、哀願するようにうたを唱えた。
ナンマダー河でガンジスで
それらの至る大海で
あなたに勝る者はない
勇者よ悟れ我が嘆き
わたしの夫を放したまえ
大ガニは自分をほめる女の声にうれしくなった。それに、必死になって夫を思う女がちょっぴりかわいそうになった。その時、若者象の足をはさみつけていたはさみがわずかに緩んだ。
その瞬間、若者象は素早く前足を上げると、思いっきり大ガニの背中を踏みつけた。すると大ガニの背中の骨は、メリメリと音を立てて割れていった。
若者象の喜びのいななきを聞いて、森に逃げ帰っていた象たちが続々と集まってきた。
「やった、やった。」
「この憎い大ガニめ。」
「くそ、これでもか、これでもか。」
象たちは、代わる代わる大ガニを踏みつけ、やがて、跡形もないくらいにめちゃくちゃにしてしまった。
ところで、大ガニからもぎ取られた二本のうちの一本は、水かさの増した湖からガンジス河へ、そして海へと流れていった。残りのもう一本は、ガンジス河のほとりで遊んでいた王家の十人の子供たちが拾った。子供たちはこのはさみでアーナカという太鼓を作った。海に流れたほうのはさみは、阿修羅という悪神が拾って、アーランバラという鼓を作った。
その後しばらくして、阿修羅は帝釈天と戦争をしたが、戦争に負けた阿修羅は、この鼓を捨てて逃げていった。そこで帝釈天は、鼓を自分のものにした。
インドで、「アーランバラの雲のように雷が鳴る」という言葉があるが、それは、この鼓を打つときの音と雷の鳴る音が似ているからであるという。
■火の中のハス
昔、バーラーナシー(現在のベナレス)の都に一人の豪商が住んでいた。たいへん情け深い人で、事のあるごとに施しをして、多くの貧しい人々に慕われていた。
ある時、豪商は都にある四つの門にそれぞれ四か所、都の中央に一か所、自宅の門前に一か所、全部で六か所に布施堂を建て、食料や衣類などを貧しい人たちに施し、自らは厳しい戒律を守る布薩行(ふさつぎょう)、つまりは仏教信者が六斎日(ろくさいび)(八日、十四日、十五日、二十三日、二十九日、三十日)などに八斎戒(はっさいかい)(生物を殺さない、盗みをしない、男女の交わりをしない、嘘をつかない、酒を飲まない、化粧をやめ歌舞を聴視しない、高くゆったりしたベッドに寝ない、昼以後食べない)を守る行に入った。
ちょうどその時、ただ一人深山に入って修行に明け暮れていた、辟支仏(びゃくしぶつ)(縁覚、独覚ともいい、師匠がなくて一人で修行し、悟りを得た者。寂静な孤独を好み、その悟りを人に説くことをしない聖者)と尊称される修行者が七日間の断食行を終え、托鉢に出かけようとしていた。
「そうだ、今日はバーラーナシーの豪商の家へ行ってみよう。」
辟支仏はゆっくりと立ち上がると、体を清めるために湖水へ出かけていった。それから神通力で作られた土鉢を両手に持つと、静かに呪文を唱えた。すると、辟支仏の体は、そのまま空に浮かび上がり、バーラーナシーに向けて歩き出した。
辟支仏の足は、土の上を歩くようにゆっくりと動いている、だが、その速度は、鳥よりも雲よりも速かった。眼下に広がる山野は次々走り去って、またたく間にバーラーナシーの都に着いた。
辟支仏は、豪商の館の上空に止まってしばらく様子をながめていた。ちょうど食事時とえ、庭に作られたテーブルの上に、召し使いたちが美しい食器に盛ったごちそうを運んでいる。館の門前の布施堂には、多くの貧しい人たちが群がっている。辟支仏は、ごちそうの香りに引きつけられるように、少しずつ空を降りていった。
やがて、豪商がテーブルの近くにやって来た。そしていすに座ろうとしてふと空をながめた時、一人の辟支仏が空中を歩いてこちらに近づいてくるのが目に入った。豪商は慌てていすから離れると、手を合わせて信従の礼を表して言った。
「さあどうぞ、こちらにお降りください。」
それから、近くの召し使いに命じた。
「尊い辟支仏が托鉢に来られた。さあ、早くさし上げる鉢を持ってきなさい。」
召し使いは台所へ走っていった。
召し使いが姿を消した台所の陰から、悪魔が姿を現した。悪魔はきょろきょろと周囲を見回したが、空中の辟支仏を見上げて、にやりと笑って言った。
「たしかあの辟支仏は、七日間の断食行をしてきたはずだ。今日食べ物の布施がなければ、餓死をするに違いない。良し、今からひとつ豪商の布施の邪魔をしてやろう。」
悪魔はそう言うと、ぶるぶるっと体を震わし、なにか怪しげな呪文を唱えた。すると、すぐ目の前の中庭に、ものすごく大きな穴が開き、ちょうど巨大な囲炉裏(いろり)のように、その中に火が燃えだした。火は庭いっぱいに広がった。ゴーゴー、ゴーゴーとまるで火炎地獄のように燃え盛った。
悪魔は、炎の海を手であおるようにしながら空中に浮き上がり、歌うように言った。
「燃えろ、燃えろ、燃えて布施の邪魔をしろ。」
鉢を持って出てきた召し使いは、目の前に噴き上がる火柱を見て、びっくりして叫んだ。
「ご主人さま、大変です。中庭が火の海です。」
「火の海、なにをばかなことを。」
豪商が振り返ると、天をも焦がす、ものすごい火炎が巨大な囲炉裏の中からゴーゴーと上がっている。豪商は、じっと火の海をながめた。
「うむ、これはただ事ではない。悪魔が仕組んだことに違いない。悪魔め、わたしの辟支仏への布施を妨害するつもりだな。わたしは百や千の悪魔の妨害を受けて、ひるむ者ではないことを見せてやらねばならん。」
豪商は、自分の鉢を両手でしっかりと持つと、燃え盛る火炎に向かって歩いていった。炎のすぐ近くまで行って上を見ると、炎に見え隠れして、怪しい者の姿があった。
「お前はだれだ。」
豪商は叫んだ。
「わしか、わしは悪魔だ。」
「この火炎は、お前の仕業か。」
「そうだ。」
「なぜ、こんなことをするのだ。」
「うふふふ、お前の布施の邪魔をするためだ。そうすれば、あの辟支仏は飢えて死ぬはずだ。」
悪魔は、不気味に笑いながら、手で火炎をあおぎ続けた。
「いや、わたしは、布施の邪魔をすることも、辟支仏の命を絶つことも許さない。さあ、今から、お前とわたしのどちらの力が強いか勝負をしよう。」
「なにをこしゃくな。お前など、ひとひねりだ。」
悪魔は豪商の言葉をあざ笑って言った。豪商は巨大な囲炉裏のふちに立った。
「尊敬する辟支仏よ、わたしはこの火炎に中に入ってもはや二度と帰ってこないでしょう。だが、わたしがささげるこの食べ物だけはお受け取りください。」
鉢を空中にささげて豪商は言った。そして、そのまま燃え盛る火炎の中に入っていった。
その時だった。燃え盛る巨大な穴の底から、突然、噴水が上がった。そしてその噴水に支えられるようにして、一本の美しいハスの花が現れ、豪商の体をすくい上げた。
火炎は相変わらずゴーゴーと上がっているが、もはや、なんの力にもならない。清らかな噴水に包まれて、豪商を載せたハスの花は空中高く上がっていった。そこには辟支仏がにこやかに待ち受けていた。豪商は目を輝かせて鉢をささげた。
「さあ、召し上がってください。」
そして、次々と食べ物を辟支仏の鉢へ入れた。いつしか、そらには大きな虹がかかっていた。
「あなたの生命をかけた布施は、なによりも尊い。ありがとう。」
辟支仏は礼を言うと、そのまま虹の上を歩いてヒマラヤ山へ帰っていった。悪魔は、じだんだをふんで悔しがったが、もはやどうすることもできなかった。
■おとりのシャコ
昔、バーラーナシーの都に、ある若者がいた。彼は成年に達してタッカシラー(現在のタキシラ)の町へ行き、多くの学問を修めた。その後出家して修行に励み、ヒマラヤ地方の森で満ち足りた生活を送っていた。
若者は、塩と酸味の物が必要になると、村里へ出ていった。人々はその彼のひたむきな修行の姿を見て彼を尊敬し、みんな信仰の心を持つようになった。人々は森の中に木の葉でふいた小屋を建てて、暮らしに必要な物を持ち寄って、彼を住まわせた。
その村に一人の鳥刺しと呼ばれる、鳥を捕らえる猟師がいた。彼は一羽のシャコという鳥を捕まえて、おとりにするためによく芸を仕込み、かごの中に入れて飼っていた。
彼は、このおとりのシャコを連れてよく森に出かけていった。シャコは捕らわれの身の悲しさにせつなく鳴いた。すると、シャコの悲しげな声を聞いて、たくさんのシャコたちが集まってきた。鳥刺しはころあいを見計らって、シャコの群れを捕まえた。おとりのシャコはつらかった。シャコはつぶやいた。
「わたしのために、鳥の仲間たちがたくさん殺されてしまう。それもみんな、わたしが自分のつらさのために鳴いたためなんだ。すべてわたしの罪だ。そうだ、これからわたしは決して鳴かないようにしよう。鳴いてはいけないのだ。」
鳥刺しは、シャコがなんとしても鳴こうとしないので、竹のむちでシャコの体を、これでもか、これでもかとぶった。シャコは我慢していたが、とうとう苦しさに耐えきれなくなって鳴いた。それからというもの、鳥刺しは味をしめてシャコをぶち続けた。鳥刺しはこうして鳥たちを捕まえ、暮らしを立てていた。
おとりのシャコはつくづく思った。
──わたしは、仲間が殺されてもいいなどと、一度として思ったことはない。それなのにこの始末だ。わたしはなんと呪われて生まれたことだろう。わたしが鳴かなければ仲間は来まいが、わたしはつらさについ鳴いてしまう。ああ、わたしの罪は深い。だれか、このようなわたしの呪われた生活をすくってはくれないだろうか。
ある日、鳥刺しはいつものように、たくさんのシャコを捕まえて帰途に就いた。途中で疲れて水を飲みたくなり、ある小屋に立ち寄った。そこにあの信仰厚い修行者がいた。かれはシャコのかごを修行者の傍らに置いてゴクゴクと水を飲むと、あまりの疲れに、砂の上に座ってそのまま眠ってしまった。
シャコは彼がぐっすり眠り込んでしまったのを知ると、修行者の方へ目をやった。
──わたしが日ごろ悩んでいることを、この修行者に聞いてもらおう。この方なら、なにかいい知恵を与えてくれそうな気がする。
シャコはかごの中から修行者に向かってうたを唱えた。
たくさんのえさ屋根あるかご
わたしは過ごす安楽な日々
ところがこれらの安楽は
仲間を殺す手助けの
代償なのです修行者よ
わたしはなにをなすべきか
我に教えよ修行者よ
彼の問いに答えて、修行者もうたを唱えた。
鳥よ聞け
悪事をしようという心
お前は持たずに結果として
悪事に加担させられた
もしもそれが真実ならば
お前の心が正しいならば
汚れはしないその罪に
これを聞いて、シャコはまたうたった。
わたしが鳴けば鳥たちは
仲間と思いそばに寄る
この鳥捕らえる鳥刺しに
我が鳴き声のそのために
こうして罪業重ねます
わたしの心は惑います
修行者はまた、答えてうたった。
お前の心が汚れておらず
つもりがなくても犯した罪は
報いを受けることはない
心正しくいる者は
罪に汚れることはない
こうして修行者はシャコを教え諭した。
シャコはつらい心が少しいやされて、長いこと鉛が詰まったような胸のあたりの痛みが、少し薄らいだような気がした。
やがてうたた寝から目を覚ました鳥刺しは、傍らにいる修行者に気がついて、人が変わったように恭(うやうや)しく礼拝し、鳥かごを持って去っていった。 
 
お釈迦さんの話

 

■1「福いの道」
古代インドのコーサラ国の首都シラーヴァスティ。この地には、お釈迦さんがよく滞在していた祇園精舎と呼ばれる寺院がありました。
ある時、お釈迦さんの弟子の一人であるアヌルッダさんは、自分の着ている衣服のほつれを直そうとしていました。
しかし、彼は眼を失明しています。そのため、なかなか針に糸を通すことができません。
ふと彼は、心の中で思いました。 幸いの道を求める人がいるというのなら、誰かこの私のために、針に糸を通してくれないだろうか……、と。
すると、アヌルッダさんの様子を心配したのでしょうか。誰かが彼の方に、ゆっくりと近づいてきました。
「アヌルッダ。私がそれを通してあげますよ」
アヌルッダさんは驚きました。なんと、その声の主は、お釈迦さんだったのです。アヌルッダさんはすぐさま言いました。
「私は今、心の中で思っていました。幸いの道を求める人がいるというのなら、誰か私のために、針に糸を通してくれないだろうか、と。しかし、私は師に向かってそのようなことを思ったのではありません」
お釈迦さんは彼の手から、そっと糸と針を取ります。
「アヌルッダ。世間の人は皆、幸いを求めている。しかし、幸いを求める人の中で、私ほど真剣に福さいわいを求めている者はいないでしょうね」
そう言って、お釈迦さんは針の穴に糸を通しました。そして、最後に詩をもってこう述べました。
「世の中の様々な力は、天や人など、どこにでもある。中でも福の力こそ最も勝れている。この福の力によって仏道を成ずる」
■2「頑張り屋のアヌルッダさん」
お釈迦さんが祇園精舎で、大勢の人々の前で教えを説いていた時の事です。あろうことか一人の弟子が、ウトウトと居眠りをしていました。
その弟子の名はアヌルッダ。お釈迦さんは説法を終えてから彼を呼び出しました。
「アヌルッダ。あなたはなぜ、わざわざ出家までして、この道を学んでいるのですか?」
「私には迷いがあり、また、悩みがあります。これを解決するために、出家して、この道を学んでいるんです」
「では、私が教えを説いていた時に、居眠りしていたのはどういうことなのですか?」
それを聞いたアヌルッダさんは、即座に自分の失態に気が付きました。彼はすぐさま、その場でひれ伏しました。
「これより以後、私(わたくし)アヌルッダは、師の前で……眠りませんと誓います」
それからというもの、彼は必死の思いで睡魔と闘い、お釈迦さんの前で眠ることはありませんでした。
……がしかし、アヌルッダさんは、お釈迦さんの前で眠らないという誓いを立てたその日から、夜になっても眠ろうとしません。
人間としての彼の身体は、眠らないわけにはいきません。連日連夜、睡魔と闘った彼の眼は、次第に病んでいってしまいした。
そのことを知ったお釈迦さんは、再びアヌルッダさんを呼び出しました。
「アヌルッダ、少しは眠りなさい。やりすぎもよくないですよ。怠けるのは避けないといけませんが、やりすぎるのも避けねばいけません。私はいつも『中道(ちゅうどう)』を説いているではありませんか」
「いいえ! 私はすでに眠らないと、師の前で誓いを立てました。その誓いの言葉に反することはできません」
自分の誓いを曲げることはできないと、断固として言うアヌルッダさん。お釈迦さんの言葉は彼の耳に届きません。
そこでお釈迦さんはひとまずアヌルッダさんの眼を治療しようと、シヴァカというお医者さんに治療を頼みました。
すぐにシヴァカさんは、アヌルッダさんの診察を行いました。そして、その結果をお釈迦さんに報告しにいきました。
「彼の眼は寝たら治りますよ」
「……!?」
この結果を聞き、お釈迦さんは再びアヌルッダさんを呼び出しました。
「アヌルッダ、あなたは眠らなければいけません。全てのものには糧(かて)が必要なのです。私が言う悟りにもまた、糧があるように、眼には睡眠という糧が必要なのですよ」
「なるほど……。ちなみに悟りの糧とは一体どういうものなのですか?」
「それは不放逸(ふほういつ)、つまり怠らないことをもって糧とします」
「……眼は睡眠をもって糧とするということもわかります。しかし私は、やっぱり眠るわけにはいきません」
アヌルッダさんは、お釈迦さんの説得に応じませんでした。その後も彼は眠らず、ついに彼の眼は見えなくなってしまいました。
■3「お釈迦さんの青年時代」
ある時、祇園精舎にて、お釈迦さんが弟子達に自身の過去の話をしました。
「皆さん。私が出家する前、どのような生活をしていたと思いますか?
その時の私は、苦しみというものを知らずに、のほほんとした生活をしていました。
王である父のもとにいた時、父は私のために、春・夏・冬用の宮殿を造ってくれました。そこには池があり、美しい花々が咲いていました。
身体を洗う時は、使いの者が四人がかりで私の身体を洗い、高価なお香を用意していました。
衣服は、上から下まで全て新品で、お香の心地よい香りが染み込ませてありました。
更には、日差しや塵、露から守るため、私は昼夜問わず、上品な絹傘に覆われていました。
食事は、いつも私のために、上等な米や肉などを使った豪華な料理が用意されていました。
夏の雨季の時期には、宮殿には男はおらず、遊女だけがおり、娯楽に興じていました。
庭園を見たいと外出する時は、馬に乗った三十人の使い者が、前後に別れて、私を先導してくれたこともありました。
私は、このように裕福な家に生まれました。そして、苦しみというものを全く知らず、のほほんとした生活をしていました。
しかし私は、思ったのです。
人は、老いていく身であり、老いを逃れることはできない。
それにも関わらず、他人が老いた姿を見て、自分の事は棚に上げて、『私は年を老いたくない』と厭い嫌う。
考えてみると、私も老いていく身であり、老いを逃れることはできません。
それなのに、他人が老いた姿を見て、厭い嫌うというのは、それは本当にふさわしいことなのだろうか?
そう考えた時、私の若さへの驕りは、尽く無くなってしまいました。
また私は、こうも思いました。
人は、病む身であり、病いを逃れることはできない。
それにも関わらず、他人が病んだ姿を見て、自分の事は棚に上げて、『私は病気になりたくない』と厭い嫌う。
考えてみると、私も病む身であり、病いから逃れることはできません。
それなのに、他人が病んだ姿を見て、厭い嫌うというのは、それは本当にふさわしいことなのだろうか?
そう考えた時、私の健康への驕りは、尽く断たれてしまいました。
また私は、こうも考えました。
人は、死ぬ身であり、死から逃れることはできない。
それにも関わらず、他人が死んだ姿を見て、自分の事は棚に上げて、『私は死にたくない』と厭い嫌う。
考えてみると、私も死ぬ身であり、死から逃れることはできません。
それなのに、他人が死んだ姿を見て、厭い嫌うというのは、それは本当にふさわしいことなのだろうか?
そう考えた時、私の生への驕りは、尽く砕け散ってしまいました」
■4「苦行を捨てる」
悟りを開いてまだ間もない頃。お釈迦さんはネーランジャラーと呼ばれる河のほとりにある樹の下で座っていました。
ふとお釈迦さんは、このように思いました。
「あぁ、私はあの苦行を捨ててほんとによかったなぁ」
するとお釈迦さんの中でもう一つ、ある気持ちが浮かび上がってきました。
「人は苦行することで浄められる。それに反してお前は苦行を捨てたのだ。一体何を目指している? 悟りに至る道から外れて悟りを得たと勘違いしているのではないのか?」
その気持ちはまるで悪魔のささやきのように、お釈迦さんを不安にさせました。
しかし、お釈迦さんはこのように考えました。
「私は様々な苦行を実践したが、どれも意味が無かった。結局役に立たないと知ったのだ。それはまるで、矢の無い弓を引いているようなものだ。私は仏教の智慧(ちえ)と実践によって、悟りの道を修めることができたのだ」
すると、お釈迦さんの中に生まれた不安という悪魔は消えてなくなりました。
■5「食いしん坊な王様」
コーサラ国の首都、シラーヴァスティ。
ここに、パセーナディという一人の王様がいました。彼はとても食いしん坊で、毎日毎日たくさんのご飯を食べていました。その身体は、肥えに肥え、まんまると太っていたそうです。
ある日、お釈迦さんが近くやって来ることを聞いた彼は、一目、お釈迦さんに会ってみようと思いました。
その日の朝、彼はいつものように大量の朝ご飯を済ませ、召使いの少年と共に、お釈迦さんのもとに向かいました。
しかし、パンパンに膨らんだ彼の胃と、その丸々とした身体では、歩くのでさえ一苦労。
お釈迦さんの下に着く頃には、その息はフゥフゥと苦しそうで、全身にはダラダラと汗が流れていました。
その様子を遠くから見ていたお釈迦さんは、彼が近づくなり、すぐにこう言いました。
「しっかりと気をつけて、自分に応じた量を知り、節度をもって食事をとりなさい。そうすれば、苦しみは少なくなって、安らかに、長く生きることができるでしょう」
それを聞いた王様は、何か考える所があったのでしょう。共に来た召使いの少年に、こう頼みました。
「よいか。今、お釈迦さんが言った言葉をそのまま覚えておきなさい。私が食事をする時に、その言葉を毎回唱えておくれ。お駄賃もあげるからよろしく頼む」
「かしこまりました! 王様」
そこで少年は、お釈迦さんに頼んで、一生懸命この言葉を暗記しました。
それからというもの、王様がご飯食べる時にはいつも、この召使いの少年がお釈迦さんの言葉を唱えました。毎回毎回、この言葉を聞く度に王様の頭の中には、お釈迦さんとのやりとりが思い浮かびます。
するとどうでしょう。日に日に、王様の食事の量が減っていったのです。
やがて王様の身体にも、ある変化が現れました。身体は徐々に痩せていきました。身体も健やかになってきました。容姿も端麗になっていきました。
王様は大変喜んで、お釈迦さんがいるであろう方角に向かって手を合わせて、こう言ったそうです。
「お釈迦さんは、私に二つのご利益(りやく)をお恵み下さった! 私はあなたのおかげで、現在のご利益(元気で容姿端麗な身体)と未来のご利益(長寿と健康)を手に入れた!」と。
■6「ソーナさんの琴」
お釈迦さんがラージャグリハの竹林精舎にいた時のことです。
そこから近くにある霊鷲山の山中では、ソーナさんがいつも精進して修行に励んでいました。その意気込みは熱心以上に激しいものでした。
しかし、どれだけ懸命に取り組んでも悟りに至れるような気配はありません。彼は一人静かに地面に座り込みました。
「お釈迦さんの弟子の中でも、私は五本の指に入るほど懸命に、いや、一番といっても過言ではないぐらい熱心に修行に取り組んでいる。しかし未だに欲望は無くならないし、悟りに至ることができないではないか……。
私はこれでも資産家の息子で多くの財産がある。ここでずっと修行を続けるより、いっその事、家に帰って気ままな生活をしていたほうがいいんではないだろうか?」
そんな彼の心の叫びは、いつしかお釈迦さんの耳にも入りました。そこでお釈迦さんは彼を呼び寄せることにしました。
「ソーナ。最近あなたはこの道を捨てて、元の生活に戻りたいと思っているらしいですね?」
「え!? 何故その事を知っていらっしゃるんですか?」
始めは師の言葉に驚愕した彼ですが、正直に胸の内を明かしました。お釈迦さんは、彼の話を聞き終わると、このように言いました。
「そうですか……ソーナ。では今から私はあなたに問いましょう。あなたが正直に思うように答えてみなさい」
そう言うと、お釈迦さんは、彼に対してこのような問いかけをしました。
「ソーナ。あなたは家にいた頃、琴を弾くのがとても上手だったらしいですね?」
「その通りです」
「琴を弾く時、弦(げん)が硬いと良い音は出ますか?」
「いいえ。良い音は出ません」
「では、弦が緩いと良い音がなるんですね?」
「いや。単に緩くすれば良いというものでもありません」
「では、一体どうしたら良い音がなるというんだね?」
「あまり緩めすぎてもいけません。張りすぎてもいけません。強すぎず、弱すぎず、琴と弦の具合を見て、しっかり調整しなければ本当に良い音はでません」
そこでお釈迦さんは、にこりと笑みを浮かべました。
「まさしくあなたが今言ったように、ソーナ。精進するのも張りつめすぎると、気持ちが高ぶってしまいます。また反対に、緩みすぎても人を怠惰に貶(おとし)めるのですよ」
その言葉を聞いたソーナさんも笑みを浮かべて喜び、この琴の喩えの教えをしっかりと受けとめました。
■7「答えない」
ある時、祇園精舎にて。
お釈迦さんの弟子であるマールンキヤさんは一人静かに座っていました。その時、彼は心の中でこう思いました。
「師匠はいつも僕の質問について答えてくれないなぁ。説こうともしないし、聞けば拒むし……。
世界は永遠なのか、はたまた、いつか無くなるのか。世界には果てがあるのか、はたまた、果てがないのか。魂と身体は一体なのか、はたまた、別なのか。人は死後も存在するのか、はたまた、しないのか。
こういう問題について何にも答えてくれない。正直不満だし、もう我慢できない。
……よし。もう一度師匠に聞いてみよう。もし師匠が何にも答えてくれなかったら、今度ばっかりはあきらめて弟子をやめてやる!」
そう決意した彼は、すぐにお釈迦さんの下に向かいました。
「師匠! 僕はもう我慢できません。あなたは僕の問いに、いつも答えてくれませんよね。
『世界は永遠なのか。それともいつか無くなるのか。』って聞いても、それについて何にも説いてくれない。『世界は果てがあるのか。それともないのか。』って聞いても、答えを拒む……。
もう耐えられません。僕は最後にもう一度、あなたに問います。それでも答えてくれないと言うのであれば、僕はあなたの弟子をやめて元の生活に帰るつもりです。
師匠……、もし知っているのならば、ちゃんと答えて下さい!」
その言葉を受けて、お釈迦さんは静かにこう言いました。
「マールンキヤ。私はあなたに『それについて答えをあげるから、私の下で学びなさい』と言いましたか?」
「いいえ、そうは言ってませんが……」
彼は言葉を失い、黙ってしまいました。お釈迦さんはこのままでは彼が納得しないと思ったのでしょう。続けてこう言いました。
「マールンキヤ。
仮にここに『世界は永遠である、もしくはいつか無くなる。この答えをくれない限り、私はあなたの下で学ばない!』と言う人がいたとします。
もしその時、私がその問いに答えなかったならば、その人は私の下で学ぶことなく、その真実を知ることもなく、いずれ命尽きるでしょう。
それはどういうことかというと、マールンキヤ。
仮にここに毒矢で射られた人がいたとします。近くにいた友人はその人を助けようと、大急ぎで医者を呼びました。しかし、駆け付けた医者に対して、その人はこう言いました。
『俺を撃った奴はどんな奴だ? 俺を撃った弓はどんな弓だ? 俺を傷つけた矢はどんな矢だ? 矢柄は? 矢じりは? 羽根は? それがわからないうちは、この矢を抜くな!』
もしその時、医者がその問いに答えなかったならば、その人は毒矢を抜くことなく、その真実を知ることもなく、いずれ命尽きるでしょう」
「なるほど……」
毒矢の喩えに合点(がてん)のいったマールンキヤ。お釈迦さんの言葉に耳を傾けます。
「マールンキヤ。『世界が永遠である』という答えがあれば、学ぶのかね? そうではなかろう。『世界は、いつか無くなる』という答えがあれば、学ぶのかね?
そうではなかろう。
仮に『世界は永遠』だと答えれば、その答えに囚われて、あなたは逆に悩んでしまうでしょう。また仮に『世界はいつか無くなる』と答えれば、その答えに囚われて、あなたは悩んでしまうでしょう。
私はあなたが生きる上で、悩みや苦しみを解決するために説いているのですから」
「ぁあ、そうか……」
お釈迦さんは、続けて説きました。
「いいかい。マールンキヤ。だから私が答えないものは、答えないものとして、そのまま受けとめなさい。また私が答えるものは、答えるものとして、そのまま受けとめなさい」
「はい!」
そして最後に、お釈迦さんはこう言いました。
「世界が永遠だの、無くなるのだの……。有限だの、無限だの……。魂と身体は一体だの、別だの……。人は死後存在するだの、しないだの……。
私は『そうだ!』とも、『そうでない!』とも答えません。それは何故か?
その答えは根拠によるものにならないからです。それは実に役に立たず、あなたのためになりません。だから私は答えないのです。
ではマールンキヤ。私は何を答えましたか?
私は苦しみについて説き、そしてその原因はなんであるのか、について説きました。苦しみの解決について語り、それにはどうすればいいのか、を語りました。
これらについて答えたのは、実に役に立って、あなたのためになるからです。
いいですか。マールンキヤ。だから私が答えないものは、答えないものとして、そのまま受けとめなさい。また私が答えるものは、答えるものとして、そのまま受けとめなさい」
「わかりました!」
マールンキヤさんは喜び、お釈迦さんの言葉を深く受けとめました。
■8「答えない答え」
お釈迦さんがシラーヴァスティーの祇園精舎にいた時のことです。
そこにヴァッチャという一人の修行者が訪れてきました。ヴァッチャさんとお釈迦さんは互いに挨拶を交わし、座りながら話し始めました。
「お釈迦さん。あなたは『世界は永遠である』とお考えですか?」
「ヴァッチャさん。私はそうは思いませんよ」
「では、あなたは『世界は永遠ではない。いつか無くなる』とお考えなのですね?」
「そうでもありませんよ」
「……?」
疑問に思う彼は、他の質問を投げかけました。
世界には果てがあるのか、はたまた、果てがないのか。魂と身体は一体なのか、はたまた、別なのか。人は死後も存在するのか、はたまた、しないのか。
しかし、お釈迦さんの答えは、「そうではありません」と、どれも同じ答えでした。
ヴァッチャさんは疑問をぶつけます。
「お釈迦さん。なんであなたは両方とも『そうではありません』と、全ての考えを認めないのですか?」
お釈迦さんは彼の言葉を受け、答えました。
「ヴァッチャさん。『世界は永遠である』というのは、一方的な見解ではないでしょうか。また、『世界は永遠ではない』というのも、一方的な見解ではないでしょうか。
世界には果てがあるだ、ないだ。魂と身体は一体だ、別だ。人は死後も存在するだ、しないだ。
このような一方的な見方は、密林のように、一度囚われるとなかなか抜け出せません。時には反対方向に、時には右往左往と、人を迷わせます。
また時には人を恐れさせ、その身を竦(すく)ませる危険な道でもあります。そして場合によっては、そこから身動きがとれなくなってしまうことだってあります。
また、それは苦しみを伴います。
ひょっとしたら善いことをしているつもりでも、結果として気付かずに悪いことをしている、なんてことにもなりかねません。
それによって何かを壊してしまったり、そこから悩みが生まれたり、その悩みにうなされる、なんてことがあるかもしれません。
このような一方的な見方は、なんの役にも立たないのです。だから私は、これらの考えを全て認めないのですよ」
ヴァッチャさんは、まだまだ納得ができない様子です。
更に、お釈迦さんに問いかけました。
「しかしお釈迦さん。あなたも何らかの見解はお持ちでしょう? 見解がなければ、一体どんな教えが説けるというのですか?」
お釈迦さんは答えます。
「ヴァッチャさん。私は何かの見解に囚われるということはありません。なぜならそれは、私がこのように見ているからです。
あらゆるものごとを、ありのままに見て、それがどのように生じ、またどのように無くなるのか。
このように見るから、私は一方的な見方や考えを持ちません。思いこみに囚われることも無ければ、それを自慢することもありません。何かに執着することもありません。
それ故、悩み苦しみの束縛から解き放たれている。つまり、煩悩から解脱していると説くのです」
お釈迦さんの言うことが、いまいちよくわからない彼は、更に問い続けました。
「それでは、お釈迦さん。そのように解脱しているという人は、一体どこに生まれ変わるのでしょうか?」
それを聞いたお釈迦さんは、再び答えます。
「ヴァッチャさん。『生まれ変わる』ということは適切ではありませんね」
「それなら、『生まれ変わらない』ということですか?」
「『生まれ変わらない』っていうのも適切ではありませんね」
「……」
ヴァッジさんは全く訳がわからなくなってしまいました。
「お釈迦さん。全く訳がわかりません。以前あなたは私に素晴らしい説法をしてくれました。 あなたを尊敬し、とても信頼していましたが、今やそんな気持ちは、どこかに消え失せてしまいました……」
お釈迦さんは、彼の困惑したその気持ちを察しました。
「ヴァッチャさん。あなたがわからないのも無理はないでしょう。この法はとても深い。そして微細かつ複雑で見難く、捉え難いものだからです。
異なる信仰を持ち、異なる考えや実践をしているあなたにとっては殊更ことさら、難しく感じるかもしれません。
それではヴァッチャさん。こういうのはどうでしょう。私からあなたに質問をします。あなたが思うように答えて下さい」
そう言ってお釈迦さんは、逆に彼に問い始めました。
「ヴァッチャさん。もしあなたの前に火が燃えているとしたら、『火が燃えている』とわかりますか?」
「もちろん。わかりますよ」
「では、もし『この火は何によって燃えているのですか?』と聞かれたら、どう答えますか?」
「そりゃあ……、薪か何か、火がつくものによって燃えているのでしょうね」
ヴァッチャさんはお釈迦さんの問いに、思うように答え続けます。
「ならばヴァッチャさん。もし薪につく火が消えたとしましょう。『火が消えた』とわかりますか?」
「もちろんですよ」
「では最後に聞きます。『あなたの前で消えたその火は、どこへいったのでしょう?』と聞かれたら、どう答えますか?」
「いやいや、その質問はおかしいでしょう。その火は薪があったから燃えて、薪が尽きたから消えたんですよ」
お釈迦さんは深くうなずきました。
「ヴァッチャさん。あなたのいう通りですよ。火が消えるって事はそういうもんです。あなたの問いに対する答えもまた、そういうもんです」
その言葉にヴァッチャさんは「ハッ!」と、何か気付くところがありました。そしてお釈迦さんにその喜びを語り、在家の信者になることを伝えました。
■9「灯火」
一年の中で最も雨の降る季節となった頃、お釈迦さんは病気にかかってしまいました。それは全身に痛みを感じるほど辛いものでした。
しかしお釈迦さんは、その痛みにじっと耐え忍んでいました。
「病気のせいか……、身体が痛む。でも弟子達は各地にいて、ここには今ほとんどいない。彼らに別れを告げぬまま、死ぬわけにもいかない。今はなんとかして病苦に耐え、命を繋ぎとめなければ……」
そう思ったお釈迦さんは、一人静かな場所に移り、じっと座っていました。そうすることで、少しは痛みが鎮まるようでした。
その時、病気になったお釈迦さんの様子を心配していたアーナンダさん。お釈迦さんが静かに座っている姿を目にし、彼はすぐさま近づいて言いました。
「今、お顔を拝見したところ、元気そうに見えるので少し安心致しました」
そう言うと、彼はその場に座りました。
「師匠。あなたが病気だと知って、私は何も手がつきませんでした。眼の前が真っ暗になりました。師が説いて下さった教えも何もかもが吹き飛んでいました。
しかし今、かすかな希望を見出しました。私達が不安に思う中、師が何も教えを説かずに亡くなられるはずはないと」
それを聞いたお釈迦さんは、彼に対し、こう言いました。
「アーナンダ。弟子の皆が、私に何を期待するというのですか?
もし私が弟子達の上に立ち、導いてくれると思っている者がいるなら、何か語ることがあると思うかもしれません。しかし私は弟子達の上に立ち、導こうなどとは思っていません。
私は今までずっと、心の内に留めることもなく、そして誰彼、別け隔てなく、法を説いてきました。誰にも言わず、内に秘めたままの教えなんてありません。
そんな私が、一体弟子達にこれ以上何を説くというのですか?
しかも私は随分、年を取りました。もう齢八十歳です。至るところ修理して、何とか動いているオンボロ車のような身です。
ですからアーナンダ。自らを灯明とうみょうとし、法を灯明としなさい。他を灯明とするのではありません。
自らを拠り所とし、法を拠り所としなさい。他を拠り所とするのではありません。
それは何故かというとですね。アーナンダ。あらゆるものごとは、それぞれありのままで、真実のありようを伝えている。
だから僧侶たるもの、この身、心、感覚、そして様々な物事を、熱心かつ冷静に、また注意深く観つづけ、どう生きるかを考えねばなりません。
私が亡き後も、自らを灯明とし、法を灯明とし、他を拠り所とせずにいる者は、私の最上の弟子となるに違いありません。誰でも絶えず学ぼうと努める者は……」
■10「古城に至る道」
ある時、祇園精舎にて。
お釈迦さんは多くの弟子の前でこのような話をしました。
「私はただ先人達が歩いた道を見つけただけ。昔の人々が歩んだ軌跡が道となり、私は今、その道に沿って歩いています」
そう言うとお釈迦さんは、こんな例え話を始めました。
「昔、あるところに、一人の旅人がいました。ある時、彼は旅の途中で道に迷い、草木が無造作に生い茂る荒野に辿り着きました。
彼は道を探そうと、草木をかき分けながら更に歩を進めました。しばらくすると、彼は道らしきものを見つけました。それはどうやら昔の人々が行き来してできた道のようです。
彼はその道に沿って、更に歩を進めました。前へ前と……。
その道の先にあったのは、雄大にそびえる美しい古城でした。美しく華が咲き乱れる庭園、透きとおるように綺麗な湖、そして、昔の人々が住んでいたであろう城下の町は、立派な城壁に囲まれていました。
『本当に素晴らしいところだ……』と彼は思いました。
自分の国に帰った旅人はすぐに、旅先で見つけた美しい古城の事を王様に報告しました。そして彼は王様に、その場所に都をつくることを提案しました。
この話を聞いた王様は、直ちに人を向かわせ、その場所に都城を築きました。するとその都城は、みるみるうちに発展し栄え、多くの人が集まりました」
例え話に続けて、お釈迦さんは更に弟子達に言いました。
「この話と同じく、私も先人達が辿った古道を発見したのです。その道がいわゆる、私が 八正道と呼ぶ仏教の実践です。その道に従って私は苦しみを解決する道を見つけました。
私はこの法において、自ずから知り、自ずから目覚め、様々な人々に語りかけました。それを聞き、感銘を受けた人々が、またその話を人々に語りました。
そうして自ずと法は栄え、あなた達を含め、多くの人々に知られるまでに至ったのです」
■11「福田(ふくでん)」
ある時、お釈迦さんがコーサラの国周辺を巡っていた時、エカナーラという集落に辿りつきました。
ある日のこと、お釈迦さんは、お袈裟をまとい、食事を受ける鉢である応量器(おうりょうき)を手に持ち、僧侶が家々を廻って、施しの食事を受ける托鉢(たくはつ)に出かけました。
少し朝早く出発したお釈迦さんは、バーラドヴァージャという バラモン教の司祭者の所に行ってみることにしました。
丁度その頃、バーラドヴァージャさんは、500以上にも及ぶ農作業用の道具を整えているところでした。そして、彼は向こうの方からやって来る人影に気がつきました。
それが托鉢をするお釈迦さんと気がつくや、彼はお釈迦さんにこう言いました。
「お釈迦さん、私は種を蒔き、田を耕して、そして実ったものを頂いています。あなたもまた種を蒔き、田を耕して、そうしてから食べ物を頂きなさいな」
それを聞いたお釈迦さん。彼にこのように返答しました。
「私もまた、種を蒔き、田を耕しています。そうして食物を頂いていますよ」
その返事を聞いて、バーラドヴァージャさんは、怪訝そうな顔をして、お釈迦さんに言います。
「いやいや、私はあなたが牛馬を引かして土を掘り、鍬(くわ)をもって田を耕したり、そんなことしている姿なんて全く見たことがありませんよ。
なのに、今あなたは、自分も種を蒔き、耕しているというのですか?
そこまで言うのであれば、ちょっと私にあなたが耕した田んぼや、耕作のやり方やらを見せてくれませんか?」
お釈迦さんは頷き、詩を用いてこのように説きました。
「信心は種子(たね)となり、我が身のたしなみは雨となる。精進を牛とし、智慧は手綱となる。身と心と言葉を調え、戒を持つことは、 轡(くつわ)となり 三繋(さんがい)となる。
反省する心を鋤(すき)とし、気をつける心は耕作人となる。雑草を刈り取り、土にかぶせ、心を育てる肥やしとする。善き苗をつくり、心安らかなる福田へと赴く。
このように私は耕し、そうして甘露の果(み)を得るのです」
バーラドヴァージャさんは、お釈迦さんの言葉に大変満足しました。
「いやぁ。あなたの詩は素晴らしい答えだ。善い田を耕していることが私にも理解できましたよ」
彼は心満足いく詩を聞いた代わりに、お釈迦さんに食事を与えようとしました。
しかし、お釈迦さんはそれを受け取りませんでした。
「私は、詩を詠んだ代わりとして食事をいただくわけにはいきません。私はただ法のあり方に住しているだけなんです。
ですからバーラドヴァージャさん。水の如く、どこにも執着なきよう施してください。このような布施は、功徳を求める人の福田ですから」
このように教えられ、バーラドヴァージャさんは心に信を増し、後にはお釈迦さんの弟子となったそうです。
■12「第二の矢」
お釈迦さんがマガダ国の首都、ラージャグリハにある竹林精舎にいた時のことです。お釈迦さんは、弟子達にこのような問いを与えました。
「未だ仏の教えを聞いたことが無い、いわゆる凡夫と呼ばれる人達。そして、仏の教えを聞ける、いわゆる仏弟子と呼ばれるあなた達。
凡夫も仏弟子も共に、私達は人間であることに変わりありません。快く感じたり、不快に感じたり、また喜んだり、憂いたりもします。
いずれにしろ、凡夫であれ、仏弟子であれ、人間である以上、苦楽を感じ、また喜怒哀楽などの感情が生まれてきます。
では、凡夫と仏弟子と一体何が違うのでしょうか?」
その場にいる弟子たちは、その問いに頭をひねらせました。しかし誰一人答えられません。
ついには、弟子の一人がこう言いました。
「師匠。お願いします。その事について是非とも、私達にお説きください」
お釈迦さんは軽く頷き、そして次のように言いました。
「いいですか? 凡夫と仏弟子の何が違うのか。それは二つ目の矢を受けるか否かの違いなのです」
「・・・・・・・?」
弟子たちは、ぽかーんと口をあけたまま、黙ってしまいました。その様子を見て、お釈迦さんは次のように説き始めました。
「人間である以上、私達は物事、出来事等から何かを感じ、受け取ります。苦・楽を感じたり、そして喜怒哀楽などの様々な感情が生まれてきます。
中には、そういう感情が一切生まれてこない、いわゆる無関心ということもあります。そのような苦楽などを感受する作用や、そこから生まれた感情、また無関心というのも含め、『受』と呼びます。
仏法を知らない凡夫は、二種類の『受』を感じます。それは例えるなら、第一の矢に刺され、そして第二の矢にも刺されるようなものです。
例えば、自分の好ましいものに対して、快い感覚を受け、嬉しいという感情が生まれます。
そして更に、それを熱望したり、執着します。それ故に、飽くことなく貪り求める『貪欲』
という煩悩に囚われてしまいます。
例えばまた、嫌悪するものに対して、不快な感覚を受け、苛立ちという感情が生まれます。
そして更に、それを憎み、憤怒し、また害そうとする心を起こします。それ故に、激しく怒り、憎しみ怨む『瞋恚』という煩悩に囚われてしまいます。
例えばまた、自ら興味を抱かないものに対して、なんら感情を持たない、いわゆる無関心となります。
そして更に仏法であるこの『受』の理(ことわり)を知らないため、自らの関心事のみに心奪われ、視野が狭まります。それ故に、道理や物事をあるがままに見て知ることができない『愚痴』という煩悩に囚われてしまいます。
一方、仏法の教えを聞ける仏弟子は、ただ一つの『受』を感じるだけなのです。それは例えるなら、第一の矢に刺され、第二の矢を受けないようなものです。
例えば、凡夫と同じく、自分の好ましいものに対して、快い感覚を受け、嬉しいという感情が生まれます。
しかしその快感に酔い痴れることがありません。それ故に、『貪欲』の煩悩に染まることはありません。
例えばまた、凡夫と同じく、嫌悪するものに対して、不快な感覚を受け、苛立ちの感情が生まれます。
しかし、その不快感に振り回されることはありません。それ故に、『瞋恚』の煩悩に染まることはありません。
例えばまた、自ら興味を抱かないものに対して、なんら感情を持たない、いわゆる無関心となります。
しかし、仏法の教えであるこの『受』の理を知っているため、自らの関心事以外にも気がつき、視野が広がります。それ故に、『愚痴』の煩悩に染まることはありません。
第二の矢を受けないとは、こういうことなのです」
弟子たちは、各々頷き、そして喜びました。お釈迦さんは最後に、このような詩をもって、この話を締めくくりました。
「仏弟子は苦楽において、気づきを得ないことはない。
凡夫人より、大いに気づき知ることがある。
楽を受けては、放逸をなさず。
苦を受けては、憂いを増さず。
苦楽の二辺を捨てて、随わずまた違わず。
仏弟子は諸法を勤めて、正智を傾かせず。
この一切の『受』において、仏智をも悟りうる。
諸々の『受』を悟り知るが故に、法は煩悩を覆い尽くす」
■13「水と欲」
「水、もし常になければ、その井戸が一体何になろうか? 欲、もし全く無ければ、一体何をどうしろというのだ?」 〜クッダカ・ニカーヤ「 ウダーナヴァルガ」〜
経典の中に記されているお釈迦さんのこの言葉。お釈迦さんの「欲望」に対する考え方がよく表れています。この言葉が語られた背景には、このようなことがありました。
お釈迦さんが生きていた時代というのは、今から約2500年前の古代インドです。雨季でない時、お釈迦さんや弟子たちは各々、「遊行」といって、修行や教化のために、各地を巡り歩いていました。
ある日、とある村の近くで休むことにしたお釈迦さん。のどが渇いたので、同行していた弟子に、近くの村の井戸まで水を汲んでくるように頼みました。
弟子は村の井戸へと向かいますが、なんと、向かった先の井戸は、村人の手によって投げ込まれた草などで一杯になっていました。
当時、インドの人々の誰もが、お釈迦さんを尊敬していたわけではありません。中には「エセ坊主!」などと非難する人もいました。
その日、お釈迦さん達が訪れた村は、そんな人々が住まう村だったのです。
事情を知った弟子は、水を汲むこともできず、お釈迦さん達のいる所へ戻りました。そして、お釈迦さんに事情を説明しました。
そこで、お釈迦さんはあきらめるのかと思いきや、後でもう一度、水に汲みに行くよう弟子に頼んだのです。おそらく、そう言われた弟子は、納得いかなかったでしょうね。
しかし、お釈迦さんの言われた通り、後で井戸に行ってみました。すると、井戸はきれいな水で一杯になっていました。弟子は喜んで水を汲み、お釈迦さん達のところへ戻りました。
そして、その水を持って帰ってきた弟子に対して言ったのが、「水、もし常になければ、その井戸が一体何になろうか? 欲、もし全く無ければ、一体何をどうしろというのだ?」という言葉なのです。
どんなに上から草を入れたところで、井戸からは地下水が湧き出でています。ですから、時間が経てば、草も徐々に沈み、表面から水がにじみ出て、水が汲めるようになることも、お釈迦さんは予想していたのでしょう。
どんなに井戸にフタをしようとも、湧いてくるものは湧いてきます。人の欲望もどんなに抑えようとも、湧いてくるものは仕方がありません。
むしろ、水は井戸にとって無くてはならないものです。水があってこそ、井戸は井戸なのです。
「欲望もそんな水のようなものなんだよ」と、井戸から次々と湧き出る水の様子と、人間の持つ欲望を重ねています。
欲望は人が生きる限り、コンコンと湧き出てくるのです。お腹が空いたら、食欲という欲望は生まれます。欲がなければ、私達は生きていけません。
欲望は、人間が生きるためにも欠かせない要素なのです。
では、欲望が無くならないのであれば、欲望のままに随っていればいいのか……と言えば、そういうわけでもありません。それこそが、仏教でいう煩悩の「貪欲」が、本来示すところです。
三大煩悩のうちの一つ「貪欲」は、「貪るほどの欲望」と読めるように、厳密には、好むものに対する強い執着や激しい欲望など、行き過ぎた欲望を「貪欲」と読んでいます。
人には水が必要不可欠です。全くなければ死んでしまいます。かといって、多すぎる水は、人を溺れさせ、苦しませます。
お腹がすくからと、食欲の思うままに任せ、食べ過ぎれば、病気や肥満などで、結果、自らを苦しめることになってしまいます。
過ぎた欲望は、自らの身を滅ぼすことにもなります。多すぎても、少なすぎてもいけないのです。まさに欲望は水のようなものです。
まるで、私達が水に浮かぶ船のように、船を沈ませるのも水であれば、船を浮かしているのもまた水。欲望は、人を殺すものともなれば、人を生かすものともなるわけです。
ところで船と言えば、「バラスト水」というのをご存知でしょうか。
バラスト水は、船、特に貨物船で使われる船の中に入れる水のことです。
普通、船内に水を入れてしまったら、船が沈んでしまうように思ってしまいますが、この水は、重石代わりに、船内に取り込む水のことを言います。
船は重心があがると、波や風に対して不安定になり、転覆しやすくなってしまいます。また、推進力が低下したり、舵が効きにくくなることもあるそうです。
そこで、船内のタンクに海水を取り込み、重石の代わりにして、船を安定させるのです。
水が使いようによって、船を活かすものにもなるように、欲望も使いようによって、人を活かすものになると私は思うのです。
仏教を学びたいという意欲や誰かを助けたいという気持ちも、欲望の一つには違いありません。
欲望の力とどのように付き合い、どのように方向付けするのか。
これが、水と欲の例えから、私が感じたことです。
■14「怒ったっていいことない」
お釈迦さんがラージャグリハの竹林精舎で、坐禅をしていた時のこと。
坐禅から立ち上がったお釈迦さんは、ゆっくりと歩く経行(きんひん)を行っていました。
その時、アコーサカという人物が、お釈迦さんの所を訪れてきました。
彼は、お釈迦さんの姿を見るや否や、悪態をつき始め、ゆっくりと歩んでいるお釈迦さんの後をつけながら、責め立ててきました。
しかし、お釈迦さんは、ただ押し黙り、ゆっくりと歩いています。
経行(きんひん)が終わり、お釈迦さんが座へと戻る頃には、
「何も言い返せないのならば、俺の勝ちだな。俺はあんたを説き伏せたぞ!」
と、彼は騒いでいました。
その時、お釈迦さんは詩をもって、このように説きました。
「勝てる者は更に怨みの念を増し、
敗れる者は悔しさで夜も眠れない。
勝敗の二辺を捨て、是れ安眠を得る」
その言葉に、虚を突かれたアコーサカさん。騒ぐのをやめ、自らの過ちを悔い、反省しました。そして、お釈迦さんの説法を聞き、喜んで帰っていきました。
また、お釈迦さんがラージャグリハの町で、家々を廻って、施しの食事を受ける托鉢(たくはつ)をしていた時のこと。
その時、ヴィーラギーカという人物が、突然、罵声を浴びせながら、近づいてきました。
そして、我を失ったように怒り狂う彼は、何を思ったのか、地面の砂をつかみ、お釈迦さんに投げつけてきたのです。
しかし、その砂は向かい風に煽られ、逆に自らの身に降りかかってきました。
唖然とする彼……。
そこで、お釈迦さんは詩をもって、このように説きました。
「怒り無き人に怒りをぶつけ、過ち無き人に悪態をつく。その悪、かえって自らを汚す。風に逆らい、土を投げ、かえって己を汚すように」
その言葉に我に返ったヴィーラギーカさんは、自らの過ちを悔い、反省しました。そして、お釈迦さんの説法を聞き、喜んで帰っていきました。
■15「怒りの炎」
お釈迦さんが祇園精舎にいた時のこと。アコーサという青年がお釈迦さんを訪ねてきました。彼はお釈迦さんと顔を合わせるや否や、怒りのままに、暴言を吐き始めました。
どうやら彼は、バーラドヴァージャさんの弟子だったようで、師がいなくなってしまったことに腹を立てているようでした。
責め立てる彼の言葉を、お釈迦さんは黙って聞いていました。
しばらくして、彼が全てを言い尽くしたのを見て取り、お釈迦さんは静かに、話し始めました。
「アコーサさん。何か自分の記念日に、親族や親しい友人を家に招くことがありますか?」
「そんなことあるに決まってんでしょ!」
予想外の問いに、アコーサさんはぶっきらぼうに答えました。お釈迦さんの問いは、更に続きました。
「そんな時、やっぱり食事を振る舞うのですか?」
「自分が祝いの席に招待しているんだから、食事でもてなすのは当たり前だろ」
「ならば、招待した方達のために用意したその食事を、もし彼らが食べてくれなかったら、それは一体どうしたらいいだろうか?」
「そりゃあ、食べてくれなかったら、その食事は、俺がどうにかしなきゃいかんでしょうよ」
お釈迦さんは、頷きました。
「そうですね。私もあなたの用意した食事はいただけません。怒りと暴言という名の食事は。そしたら、この怒りと暴言という食事は、一体誰の物となるでしょうか?」
「私の物」と言わざるを得ないアコーサさん。しかし、彼はまだ納得するわけにはいきません。
「お釈迦さん。それは受け取らないといっても、とりあえず、お互いにこうして言いたいことを言ったわけですから、つまり言葉を交わしたということですよね。それならば、暴言も交わしたということにはなりませんか?」
「暴言には暴言で返し、怒りには怒りで返し、殴られれば殴り返し、やられたらやり返す。これがお互いということです。これが交わすということです。私はあなたの言葉は受けましたが、怒りや暴言は受けていないのです」
「……。ならばお釈迦さんは、今怒っていないのですか?」
その言葉を聞いたお釈迦さんは、最後に詩をもって、このように説きました。
「罵声・暴言・呵責を用い、とことん相手を言い負かす。
それで勝ったと愚者は思う。
真に勝利をつかむのはただ忍耐を知る者のみ。
怒らぬことによってのみ、真に怒りに勝つと知る。
怒りに怒りを返す者、更に悪しき事があり。
怒りに怒りを返さぬ者、実に二つの勝利あり。
他人の怒りをよく知って、己を静める熟慮者は、他にも勝ち、また己にも勝つ。
この自と他の両者を癒す者を、愚者だと勝手に決めつける。法を知らざる人々は」
その言葉を聞いた途端、アコーサさんは恥ずかしくなりました。
自分の先生であったバーラドヴァージャさんが、お釈迦さんの弟子となった理由を納得した彼は、お釈迦さんに謝罪し、説法を聞き、喜んで帰っていきました。
■16「愚か」
愚者が自ら愚であると考えればすなわち賢者である。
愚者でありながら、しかも自ら賢者だと思う者こそ愚者だと言われる。
皆さんはこの言葉をどのように受け止めるでしょうか?
ここには愚癡の煩悩に対するヒントが隠されています。
愚癡(おろかさ)という仏教の言葉がありますが、貪欲(むさぼり)、瞋恚(いかり)と並び、仏教の三大煩悩の一つとされています。
今では「愚痴をこぼす」のように、言っても仕方のないことを嘆くことの意味で使われるようになりましたが、愚癡は本来、愚かでものの道理を知らないという意味です。
愚も癡も漢字の意味としては同じ意味ですが、私達が思いつく「愚」は、無知であるとか、馬鹿だとか、劣っているだとか、そのような意味合いが浮かんでくるかと思います。
しかしそれは仏教の〈愚〉のニュアンスと大きな違いがあります。
以前このことに関する話を仲間のお坊さんとしていたら、非常にわかりやすい話を教えてもらいました。それは「ジャータカ」というお経に書かれているエピソードです。
皆さんはキンスカの木をご存じでしょうか?
おそらく見たこともないでしょう。お話に出てくる四人の長者の息子達も、キンスカの木を今まで一度も見たことがありませんでした。
この四兄弟はいつもキンスカの木を話題にしては、「見たい!見たい!」と思っていました。そこで四兄弟は父親に仕えている執事の爺やに相談してみました。
爺やは快く承諾してくれましたが、大切なご子息達に遠い道のりを歩くかせるわけにはいきません。そこで爺やは父親が日頃使っている車を使うことにしました。
車といっても現代使っている自動車ではなく、人力車のようなものです。その車には爺やともう一人しか乗れません。
爺やは父親が車を使わない日に、息子達を一人ずつキンスカの木のもとへ連れていくと約束をしました。
そしてある日のこと。まず爺やは長男をキンスカの木のある森へと連れ行きました。
爺やが見せてくれたキンスカの木は、ちょうど芽がふいている頃でした。長男の目には、それはまるでろうそくの炎のように見えました。
またしばらくしたある日。次に爺やは次男をキンスカの木のある森へと連れて行きました。
爺やが見せてくれたキンスカの木は、ちょうど若葉が生い茂っている頃でした。次男の目には、なんとも生命力あふれるさわやかな木に見えました。
またしばらくしたある日。次に爺やは三男をキンスカの木のある森へと連れていきました。
爺やが見せてくれたキンスカの木は、ちょうど花が咲いている頃でした。三男の目には、なんだか真っ赤な手のようなものがぶらさがっているように見えました。
またしばらくしたある日。最後に爺やは四男をキンスカの木のある森へと連れていきました。
爺やが見せてくれたキンスカの木は、ちょうど実がなっている頃でした。四男の目には、大きな福耳みたいな枝豆が実っているように見えました。
それからまたしばらくして四兄弟が集まった時、キンスカの木が話題となりました。
長男は幻想的な炎のような芽を思い出し、得意げに話し出しました。
「いやぁ、キンスカの木ってとても幻想的で、綺麗な木だよねぇ。まるで炎が燃えているようなさぁ」
すると次男がすかさず、こう言いました。
「何言ってんの!? 幻想的というか、エネルギッシュでこっちも元気になるような木だったでしょうよ!」
すると今度は三男が不服そうな顔をして、こう言いました。
「はぁ? 違うだろ! あんな気味の悪いもの。赤い手みたいでさ。俺は今までみたことがないね!」
すると今度は、四男がこう言いました。
「確かに気味が悪かったが、あれは耳だね。でも立派な福耳にも見えたよ!」
「違う!違う」
「そっちこそ違う!」
四人共、互いに譲りません。最終的には言い争いの喧嘩になってしまいました。
ちょうどその時、父親が帰ってきました。
四兄弟の言い争う様子を見つけた父親は、息子達に詳しく事情を聞きました。
喧嘩の理由知った父親は、今から全員でキンスカの木を見に行こうと提案しました。
そこで四兄弟は父親と一緒にキンスカの木のもとへ向かいました。キンスカの木へ連れてこられた四兄弟は皆びっくりしました。
そこは確かに以前、爺やに連れてこられた場所でした。しかし自分達の目に映るキンスカの木は、自分たちが見たもの、話したもの、そのどれとも違っていたからです。
目の前にあるキンスカの木は、葉がほとんど落ち、枝しかありませんでした。
不思議がる息子たちの様子見て父親は言いました。
「お前たちは確かにキンスカの木を見た。みんなそれぞれが正しい。間違っていない。
しかしな、同じものでも時期や角度や人によって、見え方も感じ方も違ってくる。だから決して、自分だけが正しい。他は間違っていると決めつけてはいけないよ」
このキンスカの木の話は、同じものと言えど、それぞれ違う見え方があることを気づかせてくれます。
同じキンスカの木と言えど、四兄弟のように時期によって、これだけ見え方や感じ方は異なります。
同じものでも上から見る印象と下から見る印象、横から見る印象は異なります。
その人の感性によっても注目するところが違えば、感じ方も違うでしょう。
しかし、そのようにそれぞれ違う見え方や感じ方があると言えど、それらはまた紛れもなく真実の姿です。
芽吹いたキンスカの木、実のなったキンスカの木、枯れたキンスカの木、どれも紛れもなくキンスカの木の真実の姿です。
そう考えると、私達が普段見たり感じたりすることが、その物事のほんの一部分であることを同時に教えてくれています。私達は一度に物事全体を見通すことはできません。
このように私達の視点には必ず見えないところがあります。私達の目には、一度に完璧に世界を見通すような能力はありません。
そういった不完全さを示す意味合いが仏教の〈愚〉には含まれています。私達は失敗もすれば、間違えることもある。
〈愚〉とはそういった人間なら誰しもが持っている不完全なところを指します。
さて、〈愚〉の本当の意味を理解したうえで、もう一度お釈迦さんの言葉を読むと受け止め方も変わってくるのではないでしょうか?
〈愚者〉が自ら〈愚〉であると考えれば、すなわち賢者である。〈愚者〉でありながら、しかも自ら賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。
愚癡という煩悩も決して無くそうとするものでありません。
まず自分自身が失敗することもあれば、見えないことも知らないこともあるのだと自覚する。〈愚〉は必ず誰にでも備わっている。
その自覚こそが、愚癡の解決への糸口となるのではないでしょうか?
■17「筏の如く」
ある時、祇園精舎にて。
お釈迦さんの弟子の一人であるアリッタさんが、集まった人々に向かって話をしていました。
「ある日、お釈迦さんはこう説法していましたよ。『欲のままに行動しても、それは何の障礙しょうがいにもならない』って。わたしもそう理解しています」
その内容をたまたま近くで聞いていた仲間の弟子達は、訝(いぶか)しげな表情を浮かべ、互いに目を合わせました。
「お釈迦さんは、そんな風には言ってないよな……?」
「お釈迦さんは、むしろ『欲は障礙しょうがいになる』と言っていたと思うが……」
そこで彼らはアリッタさんに注意しました。
しかし、アリッタさんは、
「うるさいな!お釈迦さんがそう言っているんだよ!」
と耳を貸さず、自らの主張を変えませんでした。
困った仲間の弟子達は、お釈迦さんに相談することにしました。彼らから事情を聴いたお釈迦さんは、アリッタさんを呼び、直接話すことにしました。
「アリッタ。『欲のままに行動しても何の障礙しょうがいにもならない』と説いているそうですが……?」
「はい、私はそう言っています」
「他の仲間の弟子達が『そうではないよ』と言っても、あなたは頑なに、私がそうやって法を説いていると言い張るそうですね?」
「ええ、間違いありません」
「私はかつてこう説いたことがあります。
『欲は、楽が少なく、苦が多い。悩みも多く、危難も多い。欲はまるで骨のようだ。肉のようだ。炬火たいまつのようだ。火坑のようだ。毒蛇のようだ。夢のようだ。借り物のようだ。木の実のようだ』と。
このことをしっかり把握すると、『欲のままに行動しても何の障礙しょうがいにもならない』とは決して言えません。
自分の誤った理解によって、あなたは仲間を非難してしまいました。それはあなたにとって苦しみとなり、延ひいては自分をも傷つけることになりますよ」
そう言われたアリッタさんは、顔を真っ赤にして、肩を落とし、すっかり意気消沈してしまいました。
そんな彼を見てお釈迦さんは、ひとつ法を説くことにしました。
「アリッタ。それから周りにいる皆さん。今から筏いかだに喩えられる法を説くことにします。しかしこれは、渡るためであって、捕らえるわけではありません。よく聞いて、よく考えて下さい」
周りにいた弟子達は、近くに集まりました。アリッタさんも皆と同じように、顔を上げ、お釈迦さんの話を聞きました。
「例えば、皆さん。ここに一人の旅人がいて、道を歩いているとしましょう。彼は大きな川のほとりに辿り着きました。そこから彼は川沿いを歩こうと考えました。
しかし、川のこちら側はあからさまに危険な道です。一方、川の向こう側は、見るからに歩きやすそうです。
『よし!向こう岸に渡ろう!』と思った彼ですが、川の流れは思った以上に急で、あたりを見回しても、橋はおろか、渡し船もありません。
しばらく考えた彼は、川岸に生えている草木を使い、筏を作って渡ることにしました。そして無事向こう岸に辿り着いたのです」
弟子達はほっとして息を漏らしました。お釈迦さんは更に話を続けました。
「そして、無事に川を渡った彼は、思いました。
『この筏はなかなか役に立つな。ここに残していくのは惜しいくらいだ。よし!せっかくだから、この筏は肩に担いで、どこまでも大切に持っていくことにしよう!』
さて皆さん。これを聞いてどう思いますか?
果たして、彼はそうすることで良かったのでしょうか?」
弟子たちは一斉に答えました。
「そんなことありません!」
お釈迦さんはそれを聞いて頷きました。
「では、どうすれば良かったのでしょうか?
確かに筏は役に立ちました。彼にとって非常に有益なものだったのです」
「師匠!筏は置いていくべきです!」
その声を聞いたお釈迦さんは、ふとアリッタさんに目をやりました。彼も頷いている様子を見て、お釈迦さんは微笑みました。
「そうですね。どんなに有益な筏であろうとも、その筏は水に浮かべるか、川岸に引き上げるか、いずれにせよ、捨て去るのがいいですね。
このように、私は筏に喩えられる法を説きます。しかしそれは、渡るためであって、捕らえるわけではありません。
このような法を理解したならば、あなたたちは、たとえ私の説いた法であろうとも、捨てるべき時には、捨て去るべきです。
ましてや、非法ならば尚更の事」
■18「学びの秘訣」
世間の人自ら云く
ある日、道元禅師さんはこのような話をされました。
世間の人は自らこう言います。
「師の教えの言うことを聞いても私の考えに合いません」
私が思うにこの言葉は間違っています。何故かというと、もし仏典などの道理を心得たのであれば、自分の意に沿わぬところは全て間違いだと思うでしょうか?
もしそうなら、何故師に尋ねるのでしょう?
ひょっとしたら日頃から陥っている
自分の思い込みに基づいてこう言うのでしょうか?
もしそうなら、ずっと昔から続く根拠のない妄想ではないではなかろうか。
仏道を学ぶ者の心掛けとは、自分の気持ちに合わなくても、師の言葉、仏典の言葉ならば、ひとまずそれに随い、元からある自分の見解を捨てて改めていく。
この心が仏道を学ぶ秘訣です。
昔、同輩の者の中に自らの見解に固執して、指導者を訪ねても、「自分の意に合わぬ!」と言って、自分の意見に適うものだけに囚われて、一生虚しく仏法と会えなかった者を見ました。
そこで私は気がつきました。
仏道を学ぶにはそれではいけない。そう思って、師匠の言葉に随って、とりあえずその道理を得ました。
その後、経典を読んでいるとこのように書いてありました。
「仏法を学ぼうと思うのなら、過去・現在・未来の心を相続することがないように」と。
それでわかりました。
以前の考えをいつまでも記憶に留めずに、その度に改めていくべきなのです。
孔子の書にもこう記されていました。
「忠言は耳に逆う」
自分のためになる忠告の言葉は気持ちよく耳には入ってきません。
しかし、良い気持ちがしなくてもしっかりとその言葉を聞けば、結局は自分のためになるのです。
学道の人自解を執する事なかれ
ある日、一同集まっての法話の席でのこと。
道元禅師さんはこのような話をされました。
仏道を学ぶ人は自分の見解に固執してはいけません。
例え“わかっている”と思う所があったとしても、「ひょっとしたら確かとは言えないんじゃないか?」「これよりもよい考えがあるのんじゃないか?」と思って、広くその道に通じた指導者を訪ね、先人たちの言葉をも調べてみるべきです。
また先人の言葉であろうとも、それに執着してはいけません。
「もしかしたらこれは正しくないんじゃないか? 信じるには値するが…」と、念入りに考えて、勝れたほうがあればその度に取り入れるべきです。
昔、南陽慧忠国師さんのところに、宮中に仕える僧侶がやってきました。
国師さんは彼に問いました。
「南の方の草の色は何色でしたか?」
「黄色でしたよ」
すると国師さんは自分に仕えている小坊主さんにも同じ質問をしました。
小坊主さんも同じく「黄色です」と答えました。
そこで国師さんは、宮中からきた僧侶にこう言ったそうです。
「あなたの見解は小坊主さんの見解を超えていない。
あなたもこの小坊主さんも黄色と言いましたね。となれば、小坊主さんもあなたと同じく、宮中に仕える僧のように国皇の師として、真実の色を答えることができます。
あなたの見るところは、当たり前以上ではありません」
このやりとりについて、後になってある指導者がこう言いました。
「宮中の僧侶の答えが当たり前以上でないことの一体何が悪い?
小坊主さんと同じく真実の色を説いています。これこそ真の指導者だろう」
このように、その人は国師さんの意義を用いませんでした。
昔の人の言葉を用いなくても、ただ本当の道理を知っておけばいいのです。
疑心を抱くのはよくありませんが、信じるべきでない事に固執して、探るべき意義をよく考えないのもよくありません。
■19「愛と苦しみ」
お釈迦さんがシラーヴァスティにいた頃の出来事です。
とある夫婦の間に一人の赤ん坊が生まれました。特に父親は我が子の誕生を喜び、大層可愛がりました。
しかしある日のこと、赤ん坊は突然息を引き取りました。
自分の愛する子供を亡くした父親は悲しみに打ちひしがれました。
食事も喉を通らず、身形(みなり)にも気を配らなくなり、どんどんみすぼらしい姿になっていきました。
頭にはいつも赤ん坊が亡くなった時の記憶が蘇りました。毎日ふらふらと力なく彷徨い歩き、最後には赤ん坊を埋めた場所へ行っては涙を流しました。
そしてある日、徘徊していた父親は偶然にもお釈迦さんがいる祇園精舎に行き着きました。
その姿を見たお釈迦さんは彼に問いかけました。
「そこのあなた。そんな上の空でふらふらして、一体何があったのですか?」
「上の空? そりゃそうかもしれませんね。心安らかにいられるはずありませんよ。私の唯一無二の愛する子。とても可愛がり、いつも温かく見守っていました。
その最愛の我が子が突然、何の前触れも無く死んでしまった。もう何もする気が起きません。毎日ただ我が子のことを思い出しては涙しか出ない……」
理由を聞いたお釈迦さんは静かにこう言いました。
「そうですね。その通りです。愛する者を失うのはとても苦しいことですね。そのように愛すればこそ、愁い、悲しみ、嘆き、絶望や苦悩など、苦しみは生まれてきます」
「はぁ!? 愛から苦しみが生まれるというのですか? 馬鹿馬鹿しい。愛からは喜びや楽しみ、そして幸せが生まれるのですよ。我が子を愛した日々は本当に幸せだったのです」
お釈迦さんは二度三度と彼に説明を試みましたが、彼は「違う!違う!」と言うばかりで全く聞く耳を持ちませんでした。結局、彼は怒ってその場を去って行きました。
ちょうどその頃、祇園精舎の門の近くでは多くの人だかりができていました。彼らは全員、ギャンブル目的で集まった人達でした。
彼らの様子が目に入った父親はふと思いました
「ギャンブルねぇ……。でもひょっとしたら洞察力、分析力に関しては、ギャンブラーほど勝れた者はいないかもしれないなぁ。試しにさっきの坊主が言ってたことをどう思うか聞いてみよう」
そして父親は腕利きと評判のギャンブラーを探しました。先ほどのお釈迦さんとの話について問われたギャンブラーはこう答えました。
「おまえよぉ……。どうして愛から苦しみが生まれるってんだ。愛からは、そりゃあ喜びとか幸せとか、そういったもんが生まれるに決まってんだろう」
「私も同意見です。やっぱりそうですよね」
そう父親は頷いて帰っていきました。
それから瞬く間に賭博の場では、この出来事が話題となりました。
愛から苦しみが生まれる。そんなわけのわからんことを言う坊主がいる。噂は次第に町中へと広がり、王宮にも伝わっていきました。
コーサラ国の王であるパセーナディもこの噂を耳にしました。王様は噂の当事者がお釈迦さんであることを知り、急いで妻のマーリッカに尋ねました。
「お前が日頃から先生として慕っているお釈迦さんがこんな事を言っているそうだ。愛から苦しみが生まれてくると。私もそれはどうかと思うぞ」
「私はその通りだと思いますよ」
「……。先生が言うことに教え子は『はい』と言うもんだからな」
「それならお釈迦さんに直接問うてみれば良いではないですか」
そこで王様はお釈迦さんに使いの者を送り、詳しく聞いてくるように命じました。使者は祇園精舎へと向かい、お釈迦さんに問いました。
「近頃町中では『愛から苦しみが生まれると説く僧侶がいる』という噂が流れています。私は王様より、噂の張本人であるあなた様に詳しく事情を聴いてくるように命じられました」
するとお釈迦さんは使者に向かってこう問いかけました。
「わかりました。それではあなたはこれを聞いてどう思いますか?
例えば、ある若者の話です。
その若者にはこの世で誰よりも愛する恋人がいました。お互いに深く愛し合っていました。しかし、その恋人の両親や親族は若者との交際を一切認めませんでした。
しかもあろうことか、他の結婚相手を見つけてきて若者との仲を引き裂こうとしました。
愛しているのにも関わらず強引に別れさせられる者は一体どのように思うでしょうか?
またある夫婦の話です。
その夫婦は互いに尊敬し、大切に思い合う仲睦まじい夫婦でした。しかし、ある日突然最愛の伴侶が亡くなってしまいました。
愛しているのにも関わらず、ある日突然別れを迎えた者は一体どのように思うでしょうか?
それは、夫であれ、妻であれ、子供であれ、両親であれ同じことです」
使者はそれを聞いてこう答えました。
「私にも愛するものがいます。もし私がその若者なら彼女の手を引いて共に死を選ぶかもしれません。もし私が夫なら憔悴しきって、亡くなった最愛の妻を探し求めて彷徨い歩くかもしれません」
それから使者は急いで王宮に戻り、お釈迦さんとのやり取りを王様に伝えました。
「王様。お釈迦さんの言う通り、愛が生まれる時に苦しみが生まれました」
それを聞いた王様は首を傾げ、隣にいた王妃に問いました。
「愛から苦しみが生まれるのだとさ」
「それでは私の夫である王に問いましょう。あなたは私達の子供を愛していますか?」
「もちろん。大切に思っているさ」
「それでは王はこの国を、民を愛していますか?」
「もちろん。私が王としていれるのも、この国と民がいればこそだ」
「では、あなたは私を愛していますか?」
「もちろんだとも」
「もし私と別れることになったら寂しい?」
「寂しいどころではない。私は嘆き悲しみ、そして苦しむだろう」
「しかしいずれ、どちらが先となるにせよ、最期のお別れはきますよね。愛するものとの別れは、それはどんな形であれ苦しいことです。
でもいつか必ず何らかの形で、愛するものと別れなければならない時がくるのです。愛が生まれる時苦しみが生まれるとはそういうことなのでしょう」
「……。そなたの言う通りだ。人にとって別れは辛い。特にそれが愛おしければ愛おしいほど、その別れは辛いものとなる。しかし出会えば何時しか別れの時がくるのか……」
それ以後、王は妻の王妃と共にお釈迦さんを先生として慕うようになりました。
■20「自他を想う」
「どこまで探し求めようと、人は己より愛しきものを見出すことはできない。そのように他の全ての人々にとっても、自己はこの上なく愛おしい。それ故に、己の愛しいことを知る者は、他の者を害してはならぬ。」 〜 サンユッタ・ニカーヤ3-1-8〜
この経典の言葉を初めて目にした時、私は子供の頃に言われた言葉を思い出しました。
「自分がされて嫌なことは他の人にもするな!」
私は三兄弟の長男で、三人共年はそんなに離れていません。遊び盛りの男の子三人が集まれば、たとえ何処であろうとも、そこは遊び場になりました。
家族でどこかに行った時は、そこがたとえ公共の場であったとしても、所構わずやんちゃをしたものです。
もちろん、その度に叱られました。何度も何度も叱られました。
「他の人の事も考えなさい!」とよく説教されたものです。
しかしやっぱりそこは子供。「遊びたいのに!」とか、「自分達が思うようにしたい!」とか、ずいぶん自分勝手な事を考えていました。
時には熱中しすぎて聞かない時もあります。
そんな時は首根っこを押さえられ、面と向かってこう言われました。
「他の人の立場に立って考えなさい。もし自分がこんなことされたら嫌ちゃうか?」と。
もし自分が他の誰かだったら……。自分達がしている事を他の人達から見たら……。自分の店先で騒いでいたり、他のお客さんが駆けっこをしたりするのは当然嫌です。
私が渋々「嫌……」と応えると言われました。「自分がされて嫌なことは他の人にもするな」と。
まぁ仮に子供の乏しい想像力で「別に……」なんて言うと、「そんなんもわからんのか!?」と余計に叱られたわけですが……。
ただ幼い頃は素直に受け入れることができたこの言葉も、少しずつ大人になるにつれてだんだんわからなくなってしまいます。
相手の事を考えなさいと大人は子供に言い聞かせますが、私達は知恵がついてくるほど、だんだん自分たちの身勝手さを目の当たりにします。
時には他人から、そして時には自分自身から。
他人の事を考え、自分自身を抑えようとするほど、自己中心的な自分が露わになります。そして自分が気を付けようとすればするほど、他人の自己中心的な行いが目についてきます。
時には「あの人は自己中だ」と思ってしまうことがあります。しかし、そう思う度に当の“あの人”の立場に立って考えていない自分自身がいつもそこにいます。
他人の事を優先して考えるのが善い事。
自分の事を優先して考えるのが悪い事。
道徳的にそう理解しようとしながらも、やはり自分の事は一大事で、他人の事は所詮他人事。
「一万人の死と一人の死、どちらが重いか……?」
この問いに大抵の人は悩みながらも「一万人」と応えるでしょう。
しかし、もしその一人の死が自分自身だとしたら?
それでも他の一万人と応える人がいたとしたら……、私は大分違和感を覚えます。
このように考えると、私はむしろ自分が一番可愛いと思う人の在り方の方が自然に思えてなりません。
現実を見据えると、自分の事を優先して考える人間の本性が見えてくる。それではいけないと、他人の事を優先して考えようと理想を抱く。
真剣に考えるほど、自分が可愛い現実と他人を想う理想は、どこまで言っても平行線のまま。まさに彼方を立てれば此方が立たぬ状態です。
そしてそのような理想は、それとかけ離れた現実の人の姿をより浮き彫りにしていきます。
「何だかんだ言って皆結局の所、自分が一番可愛いんじゃないか……」
結果としてそういう答えに辿り着く人は少なくないのではないでしょうか?
このような思案は決して私だけの話ではなく、経典の中でも見ることができます。コーサラ国の王パセーナディもこのような考えを巡らしていたうちの一人です。
彼の頭の中まではさすがに経典には記されていませんが、彼もどんなに考えても、自分自身よりも愛しいと思える者を見出すことはできませんでした。
どんなに愛しいと思う他者がいたとしても、その愛しいと思える自分自身がいないことには何も始まりません。
彼は最愛の妻であるマリッカーに自らの考えを聞いてみました。「自分自身よりももっと愛しいと思われるものがあるか?」と。
しかし話を進めていくと、結局の所、彼女にも自分より愛しいと思うものは考えられませんでした。
「私達は本当にこんなことでいいんだろうか?」そう思い彼らはお釈迦さんの下を訪ねました。そして自分たちの疑問を投げかけました。
「私も妻も自分自身より更に愛しいものを考えることができませんでした。どんなに思案しても結局、そう答える他ありませんでした。私は、私達はこんなことでいいのでしょうか?」
お釈迦さんはその問いに対して深く頷き、詩を以て説きました。
「どこまでも探し求めても、人は己より愛しきものを見出すことはできない。
そのように他の全ての人々にとっても、自己はこの上なく愛おしい。
それ故に、己の愛しいことを知る者は、他の者を害してはならぬ。」
自分の事が一番可愛いと思うのは、人間の本性、本能とも言っていいかもしれません。私達はそれを何かどす黒いもののように感じてしまいます。
確かに自分の事しか考えず行動する姿は他から見ると醜いものです。だから私達はそれを否定しようとします。
反対に自分を押し殺し、他者を優先することで打ち消そうとします。
でも自分を押し殺すことは、自分にとって苦しいこと。その姿は他から見ると、どこか歪(いびつ)に見えることがあります。
こうやって私達の考え方は自分か他人かのように二者択一になってしまいがちです。そして結局どちらかだけを選ぶと、そのどちらにも違和感を覚えてしまいます。
お釈迦さんは決して私達がどす黒いと思うものを否定しません。
むしろ肯定したままで、「自己はこの上なく愛おしい」と突き詰めていきます。
そうして自分を想う気持ちが転じて、他者を想うことに通じていくことを説きます。
「他の全ての人々にとっても自己はこの上なく愛おしい。だから害してはならぬ」のだと
自分を想う事と他者を想う事。交わらない二つの線が、たった一つの視点を加えるだけで見事に一つになります。
他の人の事も考えなくちゃいけないと無理矢理に思う必要はありません。自分自身を愛しいと思う気持ちを無理矢理抑え込む必要はありません。
ただそっとその想いを「他者も同じなんだ」と共感することで、そこからまた慈しみの心が生まれてきます。
そうやって自分と他者を共感させるからこそ、私達はこうも感じるのではないでしょうか?
誰かを手助けをしたのに、なぜか自分自身も嬉しい。誰かを励ましにいったつもりが、逆に自分自身も励まされた。
誰かに教えているはずなのに、自分の理解も深まっていく。誰かに救いの手を差し伸べたはずが、自分自身も救われていると感じる。
この話を踏まえると、どうして子供の頃、「自分がされて嫌なことは他の人にもするな!」と叱られたのか、すごく納得がいきました。
■21「許す」
ある日、祇園精舎での事。お釈迦さんの弟子の間で揉め事が起こりました。
一人は「△&□○×!」と相手に罵声を浴びせ続けたのですが、一方その暴言を受けていた弟子は「……」とひたすら沈黙を保っていました。
そのおかげか、とりあえずその場はそれ以上何事もなく騒ぎは治まりました。
しかし、しばらくしてまたこの二人を中心に揉め事が起こってしまったのです。それはちょうど、お釈迦さんが祇園精舎に戻ってきた時でした。
騒ぎを聞きつけたお釈迦さんは急いでその場に駆けつけました。
とりあえず騒ぎを鎮め、その場にいた弟子達に事情を聞きました。すると弟子の内の一人が、事細かに事情を説明し始めました。
「実はこの祇園精舎の中で、二人がケンカになってしまいました。ケンカといっても、一人は大声で暴言を吐いていましたが、もう一人は一言も言い返さず、じっと耐えて黙っていました。
そのおかげでそれ程の騒ぎにはならなかったのですが……。
しかしそれからしばらく経った後のことです。暴言を吐いていた方が少し冷静になったのか、自らの過ちを認めて、一転して今度は以前罵ってしまった相手に謝罪をしに行ったのです。
しかし、謝罪された方は決してその謝罪を受け入れようとしませんでした。
心底反省した様子で何度も何度もひたすら謝っているのにも関わらず、その謝罪を受け入れない。
その様子を見て、さすがに周りにいた私達も『許してあげたら?』と促しました。しかし『罪は罪なんだ』と頑なに謝罪を受け入れませんでした。
すると周りの者も少しいきり立ってしまいまして、このような大騒ぎになってしまいました。そこへちょうど師匠がお戻りになられたというわけです」
そして弟子達から事情を一通り聞いたお釈迦さんはこのように言いました。
「私が思うに、この二人はともに愚か者です。罪を罪として見ない者、そして謝罪を受け入れない者。そのどちらも愚か者といわざるをえません。
しかし、私が思うにこの二人はともに賢き者です。罪を罪として見る者、そして謝罪を受け入れる者。このような二人はともに賢き者なのです。
古い昔話の中にこのような詩がありました」
そういってお釈迦さんは、天界で争いが起きた時に帝釈天という神が戒めの言葉として使った詩を用いて弟子達に諭しました。
「怒りに支配されるな。友情を朽ちさせないように。
非難してはならぬ事を非難するな。
関係を害うような言葉を語らないように。
怒りは愚か者を押し潰す。
まるで山が人を押し潰すかのように。
怒りの手綱を上手に持つ者は、暴れ馬を制するかのようである。
しかし上手に御すると言っても、綱に執らわれる事をいうのではない」
■22「善き友」
お釈迦さんがサッカラという村にいた時のことです。弟子のアーナンダさんがお釈迦さんにこのように言いました。
「師よ。仏法を学び、そして共に仏の道を歩む。このような善き友がいるということは、修行の既に半ばを達成できたに等しいと私は思うのですが、いかがでしょうか?」
それを聞いてお釈迦さんはこのように応えました。
「そうではありません。そんなことをいうものじゃありませんよ。アーナンダ」
さすがに、修行の道はそんな簡単なものではないか……とアーナンダさん頭に一瞬よぎりました。
しかし続けざまにお釈迦さんこのように言いました。
「善き友がいることは修行の半ばではなく、その全てなのですよ」
予想外の答えに唖然としたアーナンダさんにお釈迦さんは更に続けてこう言いました。
「アーナンダ。それはこのことからもわかるでしょう? 皆が私を善き友とすることによって、仏の教えを学び、 そして共に仏の道を歩んでいるということからも。
ですから善き友を持ち、善き仲間がいるということは、修行の全てであると知りなさい」
アーナンダさん、そして周りで話を聞いていた弟子達も、このお釈迦さんの言葉に感銘を受け、喜びました。
■23「縁りて起こる」
「これがあれば、これがある。これ生ずれば、これ生ずる。これがなければ、これがない。これ滅すれば、これ滅する。」 〜ウダーナヴァルガ〜
皆さんは「縁起」という言葉をご存知でしょうか?
縁起が良い、縁起を担ぐといったフレーズで、今ではよく耳にします。
元々縁起は仏教の言葉だったのですが、時代を経て世間一般で使われる縁起の意味は変わっていきました。
現代の縁起の意味は、仏教で用いられる本来の縁起の意味と大分異なります。
では本来の仏教的な意味で縁起とは一体どういうことなのでしょうか?
これがあれば、これがある。これ生ずれば、これ生ずる。
この言葉は仏教の縁起の意味を端的に表しています。仏典では、お釈迦さんが菩提樹の下で悟りを開いた後に初めて言葉に表したものとして記されています。
また縁起という文字を分解すると、今回のタイトルと同じく「縁よりて起こる」と読むことができます。
これに縁よってこれが起こる。これという原因に縁よって、これという結果が起こると言った方がわかりやすいかもしれません。
つまり縁起とは、単純にいえば原因と結果、因果関係を示す教えです。
もちろん縁起も科学と同じく、根拠のあるもの、証明できることを扱います。
因果関係というと、科学や学問が発達した現代では当たり前の事ですが、その当たり前を見直すことで大切なことが見えてきます。
具体的な例として、私は毎日お茶を飲んでいますが、これを縁起の教えに当てはめて考えてみましょう。
まず、結果として、私がお茶を飲めるのはなぜなのか?
原因としてお茶をいれたから、今ここにお茶があります。
しかしこのお茶も魔法のように何もないところから出てくるわけではありません。お茶をいれるには、もちろん茶葉が無くてはつくれません。
また茶葉もどこかの店で仕入れなければなりません。更にお店も茶葉を作る農園から仕入れます。もちろん仕入れるからには、運び手も必要となります。
またその茶葉も農園でパっとできるものではありません。加工もしなければいけません。その前にお茶の木から摘み取らなければいけません。
お茶の木も年月をかけて種から育ちます。種が育つには、土や水、日光も欠かせません。栄養のない土では育ちませんから、微生物の存在も欠かせないでしょう。
種ができるのに受粉する必要がありますから、虫の存在も欠かせないでしょう。もちろん成長を見守ってくれる人の手だって必要です。
様々な原因が複雑に関わって種は成長し、お茶の木という結果をもたらします。
茶葉の他にも考え付く原因は山ほどあります。
お茶を飲むには湯呑が必要です。その湯呑にも様々な原因があります。
お茶を入れるにはお湯が必要です。
お湯を沸かすには? 電気ケトルを使うには? 電気を通すには? 電線はどこから?
運ぶのにも車が必要です。
車を動かすには? ガソリンを作るには? ネジ一本つくるのでさえ。
それを下の図に纏めてみました。5分程で簡単に思いつくだけ書いた図です。
私がお茶を飲むという動作一つとっても、その原因を辿ると、そこには数え切れない関係性があることがわかってきます。
私がお茶を飲むということは日常の中のごく当たり前の行為です。
そしてまた、私がお茶を飲むためにはお茶が必要ということも当たり前。お茶を作るには茶葉が必要なのも当たり前。お湯がいるのも当たり前。
しかし、その当たり前をよくよく考えてみると、私達は様々な関係性の中で生きているということに気づかされます。
これがなければ、これがない。これ滅すれば、これ滅する。
それでは反対に、もしこのような様々な関係性のうち、何か一つでもなかったとしたらどうでしょうか?
私がお茶を飲む行動一つとっても、数え切れないほどの原因がありました。
しかしよく考えてみると、その関係性のうちたったひとつの原因が欠けたとしても、結果として目の前のお茶は存在しなくなります。
その時、その場所にあるお茶に代わりのものなんてありません。
それを実感するには、自分を例に考えたほうがいいかもしれません。自分と言う存在も何の関係性もなく生まれてくるものではありません。
大抵、私達は自分が今ここに生きて存在しているのが当たり前に感じています。しかし単純に考えても、そこには様々な関係性があります。
自分がこの世に生まれてくるだけでも、両親という二人の存在は必要不可欠です。そして両親にも、それぞれ二人の親がいます。
自分1人に、両親が2人、祖父母が計4人。そして曾祖父母が計8人。四代遡れば計16人。
十代遡れば1,024人。二十代遡れば1,048,576人。三十代で1,073,741,824人。
この内の一人欠けても、自分という人間は生まれてきません。
自分がなぜ生まれたのか? それは他の誰かが繋げてくれたからに違いありません。
今ここにいる自分が生まれるだけでも、それだけのつながり、関係性があればこそなのです。
今ここにいる私という存在は数限りない数多もの関係性があって成り立っています。
一杯のお茶や食べ物もそうです。家族や恩師も、好きな人や嫌いな人でさえ。
その他何もかも全部含めて、それらの関係性のうち何か一つ欠けても、今この時にある「私」は成り立ちません。たったの一つで・・・・・・。
当たり前と思っているものを、よくよく考えると実は有り難い。様々な関係性があって初めて自分がいるということに気づかされます。
因みに「ありがとう」という言葉は、このような仏教の教えを背景に生まれた言葉です。
私達は当たり前と思うものに対して、自然と目が向かなくなってしまいます。だからついつい気づかなくなったり、忘れてしまったりしてしまいます。
しかし、そんな当たり前の中にこそ有り難い事、大切な事が隠されているのではないでしょうか。
■24「国王の疑問」
ある時、祇園精舎にいたお釈迦さんの下に、パセーナディ王がやってきました。王様は日頃から抱いていた疑問をお釈迦さんに投げかけました。
「お釈迦さんの説く法は確かに素晴らしい。しかしそれは善き友、善き仲間、善き人々に恵まれているからこそ通じることなのではないですか?
悪しき友、悪しき仲間、悪しき人々に取り巻かれている人のためのものではありませんよね?」
「その通りです。実は以前、弟子のアーナンダにこんな話をしたことがあります。 <中略>
『ですから善き友を持ち、善き仲間がいるということは修行の全てであると知りなさい』と私はアーナンダに言いました。王様。ですからあなたはこのように学んで下さい。
私は善き友となろう。善き仲間となって、善き人々に取り囲まれるようになろう……と。
それには不放逸(ふほういつ)、つまり怠らないことが肝心です。まずこの教えを実践してください」
王様はしばらく黙って考えました。そしてまた浮かび上がってきた疑問を投げかけました。
「もしあなたのおっしゃるように根気強く怠らなければ、たったそれだけで現状は良くなり、後々も良くなっていくものですか?」
「……そうですね。もしあなたが王として怠らずに努め励んでいれば、その姿は誰かの目に映ります。
身近な人、例えばあなたの妻である王妃。彼女はあなたの一生懸命な姿を見て、こう思うでしょう。
『夫は王として毎日怠らずに努め励んでいる。私も何かの役に立ちたい』
またそのように努め励む夫婦の姿は、あなた達の子供の目にも映ります。彼らはあなた達夫婦の一生懸命な姿を見て、こう思うでしょう。
『両親は毎日怠らずに努め励んでいる。私達も何かしなくては!』
またそのように努め励む家族の姿は、あなたの部下や大臣や役人達の目にも映ります。彼らの中にはあなた達家族の一生懸命な姿を見て、こう思う者もいるでしょう。
『我が主である国王、そして家族共に毎日怠らずに励んでいらっしゃる。私達も見習わなくては』
またそのように彼らの務め励む姿は、あなたの国の民の目にも映ります。国民の中にはあなた達国家の者達の一生懸命な姿を見て、こう思う者もいるでしょう。
『私達の国の王族や役人達は毎日怠らずに励んでくれる。私も頑張らなくては』
パセーナディ王。もしあなたが怠ることなく励んでいれば、結果としてあなた自身はそのことによって護られます。妻や家族もまた自らを保ち、結果として国庫は護られ、国土は豊かになるでしょう」
■25「犀の角のように」
「犀の角のように、ただ独り歩め」 〜 スッタニパータ1-3〜
犀の角。犀にとって自分の角は唯一無二。
ただ一つだけ。他に代わるものなどない。
それと同じく、自分という存在は唯一無二。ただ独りだけ。他に代わるものなどない。
だからこそ、自分は自分をやめることはできない。
どんなに望んだって、自分が他人と入れ替わることはできない。どんなに望んだって、自分の行いを他人が代わることはできない。
他人が飲んだ水が、己の喉の渇きを潤すことがないように。
自分の代わりなどいない。自分はただ独りの存在。
犀の角。犀にとって自分の角は唯一無二。
しかしその角は、決して独りだけで存在していない。頭があって、身体があって、足があって、目があって、いろんなところがあるからこそ、支えてくれるからこそ、角は角であることができる。
それと同じく、自分というただ独りの存在は、決して独りだけでは存在できない。
いろんなところがあるからこそ、支えてくれるからこそ、自分は自分でいることができる。
角はただ一つだけ。しかし、決して一つだけでは有り得ない。
自分はただ独りだけ。しかし、決して独りだけでは有り得ない。
犀の角のように、ただ独り歩む。自己と他者が一つの如く。
■26「あらゆるものは変わりゆく」
ある時、祇園精舎にて、弟子の一人がお釈迦さんに尋ねました。
「この世の中には、ひょっとしたら常に有り続けて、 変わらないものがあるのではないでしょうか?」
「この世に、永遠に変わらないものなどありませんよ」
そう言うと、お釈迦さんは爪の上に、ほんの少しだけ土をのせました。
「たったこれっぽっちの物でも、この世に永遠に変わらないものなどありません。
もし、この爪にのせたほんの少しの土でも、永遠に変わらないものがあるとしたら、私の教える道によって、苦しみを解決することはできないでしょう。
たったこれっぽっちの物といえど、この世に、常なるものはありません。
即ち、無常だからこそ、私の教える道によって、苦しみを解決することができるのです」
■27「賢い兄と愚かな弟」
「もうお前には無理だろう。何一つ覚えられないようでは……。いっその事あきらめて、袈裟を脱いで、元の生活に戻ったらどうだ?」
弟のチューラパンタカに対して、熱心に教え続けていた兄、マハーパンタカ。
しかし、この日はさすがに気力が尽きてしまったのか……。
兄はこのように告げ、弟を祇園精舎の門の外に追い出してしまいました。
兄から言い渡された突然の破門勧告。チューラパンタカは、思わずその場で泣き崩れてしまいました。
門外から聞こえる大きな泣き声に気づき、お釈迦さんが彼のもとへとやってきました。
「チューラパンタカではありませんか。どうしてこんな所で泣いているのです?」
「私はどうしようもない愚か者です……。
兄は一生懸命に考えて、あなたの教えをかみ砕いて、短い一句にまとめてくれました。それなのに、私は何か月かかっても、それすら覚えることができませんでした。
それで兄に、もう弟子をやめて家に帰れと、追い出されてしまったのです」
「チューラパンタカ……。なぜ兄に追い出されたその足で、わたしのもとへ来なかったのですか」
そう言って、お釈迦さんは彼の手を取り、門の中へ連れ帰りました。そして空いている部屋に彼を座らせると、お釈迦さんは一本のほうきを持ってきて、彼に渡しました。
「チューラパンタカ。これが何かわかりますか?」
「ほうき……でしょうか?」
「どういう字を書くか、わかりますか?」
「……」
黙り込むチューラパンタカに、お釈迦さんは応えました。
「『彗』と書きます。また、これで掃くことを彗掃(すいそう)と言います。あなたにはこれから、この祇園精舎の敷地を彗掃してもらいましょう」
「スイ……ですか?」
「そうです。彗掃です」
「……ソウ」
チューラパンタカは、『彗』の字がわかっても、『掃』の字を忘れてしまい、反対に『掃』の字がわかっても、『彗』を忘れてしまい、覚えることができませんでした。
「彗掃。まぁ、チューラパンタカ。とにかくやってみなさい」
そうして、翌日から毎日チューラパンタカは、祇園精舎の掃除を行いました。
「スイ……」
しかし、字は一向に覚えることができません。
「ソウ……」
掃除を行って数日後、あいかわらず『彗掃』とは覚えられないままでした。
しかし毎日毎日ほうきを使っている間に、チューラパンタカは、このほうきが塵を掃(はら)い、垢(よごれ)を除くものあることを自ずと理解していました。
それから、しばらくしたある日、彼はこのように思いました。
「掃き除くとはどういうことだろう……。掃き除く垢(よごれ)とは何だろう……」
またそれから、しばらくしたある日、彼はこのように思いました。
「私が掃いているのは、土や埃、塵などの垢(よごれ)。除くというのは綺麗にすること」
またそれから、しばらくしたある日、彼はこのように思いました。
「お師匠様はなぜ、この彗(ほうき)を使って私に教えたのだろうか?」
またそれから、しばらくしたある日、彼はこのように思いました。
「私自身にもまた垢(よごれ)があるのだろうか。それなら……、垢(よごれ)とは一体何だろう。どうやって除けばいいのだろう……」
またそれから、しばらくしたある日。
毎日毎日、掃除の時は肌身離さず使っていたお釈迦さんから渡された彗。その彗を目にして、彼はこのように思いました。
「そうか……。心の彗でもって、私の垢(よごれ)を掃き除けばいいのか……。これが智慧ということか。わかった。わかったぞ!
なんだ……。私はちゃんとお師匠様の教えを理解しているじゃないか!」
そしてチューラパンタカは、お釈迦さんのもとへ駆けていきました。
「お師匠様! わかりました。『彗で掃く』ということが」
「そうですか……。チューラパンタカ。聞かせてください」
「それが智慧だったですね。心の彗でもって、私自身も垢を掃き除けばいいのですね」
「そうです。その通りです。それでは、掃き除く垢とは何でしょう?」
「それは、私を縛り、硬く結びつけているもの……。私はずっと自分はどうしようもない愚か者だと思っていました。
鈍臭くて、頭も良くない。だからほんの短い詩ですら覚えることができませんでした。だから、お師匠様の教えなんて、到底理解できないことだと思っていました。
でも、私はちゃんとお師匠様の教えを理解することできた。『彗掃』という字を覚えることができなくとも、私はちゃんとお師匠様が教えてくださった『彗で掃く』ということを理解することができました。
自分はいつまでたっても変わらない。そんな思い込みで私は自らを固く結び、縛り付けていたんですね」
「ああ、良かった……」
そして最後にチューラパンタカは、このような詩を詠みました。
「今溢れてきたこの言葉。師の説いたことのように。智慧は私の結び目を解く。彗で垢を除くように」
それを聞いてお釈迦さんは、最後に言いました。
「あなたの言う通りです。智慧を以てして……。彗を覚えるだけでは何にもならない。使ってこその彗なのですから」
■28「琴の音色」
お釈迦さんがコーサンビーのゴーシタ精舎にいた時の事です。精舎にはたくさんの弟子達が集まり、お釈迦さんの話を聞いていました。その話の中でお釈迦さんは、とある昔話を語りました。
「昔むかし、あるところに一人の王様がいました。ある日、王様の耳元に、何とも素晴らしい音色が聞こえてきました。
今まで聞いたことが無いほど綺麗な音色に、王様は聞きほれていました。そしてその音が聞こえなくなると、王様はすぐ近くにいた大臣に言いました。
『うむ。実に素晴らしい音色だった。おい! あれは一体、何の音だったのだ?』
『王様。あれは琴の音かと思われます』
『ふむ。ならばその琴の音を持ってまいれ』
『承知いたしました』
大臣はすぐさま部下に命じ、琴を持ってこさせました。しかし、王様は何やら不機嫌そうに言いました。
『なんなのだ。これは』
『王様。これが琴でございます』
『私が必要なものはこれではない』
『ですから王様。これこそが琴であって、あの音色を作り出すのですよ』
『このようなものは要らぬ。私はあの音色を持って来いと言ったのだ』
『……と言われましても、王様。琴の音色というのはですね。つまり、このように支柱や胴と言われる部分があって……、また弦というものが、こうして張ってありまして……、そして音を調整する糸巻きなどですね。
いろんなものが組み合わさって、この琴という楽器があるわけでございます。そして更に言えば、その琴を弾くためのつめも必要です。それに、それ相応の演奏者も必要なわけです
それらがうまく組み合わさって初めて、あの素晴らしい音色が現れるのですよ』
『……私はあの素晴らしい音色を持ってこいと言ったのだ』
『王様。音色というものは、自分自身を通り過ぎていき、そしてまた消えていくものです。ですから、さっき王様がお聞きになった、あの素晴らしい音色も持って来たりできるものではございません』
『あぁ……。ならば、お前のよこした偽物に用はない。この琴と言うものは嘘偽りだ。しかも私達を惑わし、執着させる……』
そう言って王様は、琴をたたき割ってしまいました。
『今、バラバラになったこれを持って行け。そして四方八方にぶちまけてまいれ』
命を受けた大臣は、更に粉々にしてから、あちこちにばら撒き捨てに行きました」
お釈迦さんは昔話を語り終えると、最後にこのように言いました。
「琴の音は確かに聞こえていながら、次の瞬間には……ない。私達の五感や心で感じることも含め、この世の全ては、様々な条件や原因によって生じ、変化し、また滅していく。
あらゆるものは移り変わりゆく。永遠に変わらないものなどないのです。
そうと知っているにも関わらず、私達はこう言ってしまうのです。これが私(我)、これは私の物(我所)と。しかし、これらも確かに感じながら、次の瞬間には……ない。
弟子達よ。このことをよく観察し、参究なさい」
■29「拠り所」
それは、お釈迦さんが悟りを開いてまだ間もない時のことです。お釈迦さんは菩提樹の下で坐っていました。
その時、ふとこんな思いが浮かびました。
「慎ましやかに敬う事がないというのは苦しい。
例えば、自分にとって、他の何か特別な存在があるだけで、安心が生まれ、大義も生まれる。しかし、そのような畏怖するところがなければ、大義もなく衰退の一途をたどるだろう。
立派な修行者や先生、あるいは天や神……。私は何を敬い尊び、拠り所とすべきだろうか」
しかしまた、お釈迦さんはこう思いました。
「いや……、そのような拠り所はない。ただ法があるだけ。これによって私は目が覚めたのだった。私はこれを敬い尊び、これを拠り所とすべきだろう」
そう思い至った時、お釈迦さんの心には、まるで天の声のような、こんな想いが湧いてきました。
「然り然り……」
■30「法を伝える」
それは、お釈迦さんが悟りを開いてまだ間もない時のことです。お釈迦さんはネーランジャラー河のほとりにある菩提樹の下で坐っていました。
その時、ふとこんな思いが浮かびました。
「私が悟ったこの法は、はっきりとせず、なかなか了解することが難しい。そして気づき知ること難しく、思い量るべきでない。
だったら……、私が人のために法を説いても、誰も信用せず、実践してくれないのではないだろうか。もしそうなったら、ただの骨折り損のくたびれ儲け。
それならいっその事、ただ黙っていたほうがいい。どうして、わざわざ説く必要があるだろうか……」
そう思い至った時、お釈迦さんの心には、まるで天の声のような、こんな気持ちが湧いてきました。
「ああ、でも、もしそんなことになったら、この世はどうなってしまうだろうか。この宝のような法があるのに、その法の味わいを醸し出すこともしないなんて……。
蓮(はす)の花に、青、赤、白の花があるように。まだ種のものや、芽吹いてはいるが、未だ水の中のもの。水面に顔を出したが、未だ開かぬもの、開いたもの。
蓮の花のように、人の中にも受け入れてくれる人がいるかもしれない。そんな人達の法の芽を摘むことにもなってしまう。
今、ここがその時だ。法を説くべきだろう」
■31「最期の言葉」
お釈迦さんは弟子達に言いました。
「皆さん。もし仏に関して、また法に関して、僧(つどい)に関して、何か疑問があったら、また道に関して何か疑問があったら、どうぞ何でも聞いてください。後になって、あの時聞いておけばよかったと、後悔しないように」
しかし弟子達は黙り続けていました。お釈迦さんはまた弟子達に言いました。
「皆さん。もし恥を感じて敢えて問わないのであれば、友人から聞いてもらってもいいですよ。後になって後悔のないように」
しかしまた弟子達は、また黙り続けていました。そこで弟子の一人であるアーナンダさんが言いました。
「私は信じています。ここにいる皆は仏に関して、法に関して、僧に関して、また道に関して、誰一人疑っているものはいないと」
「私もまたこのように思います。今ここに集まる弟子の中で、どんなに若く未熟な者でも、きっと道を見つけ、外れることがないでしょう」
そこでお釈迦さんは最期に告げました。
「では、皆さん。私はあなた達に告げます。あらゆるものは変わりゆき、この世に常なるものは無い。怠ることなく落ち着いて、修行に精進してください」
大衆に白す       皆の者に申し上げる
生死の事は大なり    生死の問題は重大な事である
無常は迅速なり     あらゆるものの変化は本当に速やかである
各々宜しく醒覚すべし  各々ぜひとも目を覚ましなさい
慎んで放逸すること勿れ 慎んで怠ることのないように
■32「最初の説法」
道を行くお釈迦さんを見て、ウパカさんが声をかけました。
「あなたは他の修行者と比べて、なんだか雰囲気が違いますね。あなたの師は誰ですか? どのような法を信じているのですか?」
「いえ……。法を信じるというのであれば、私は全ての法に執着していません。敢えて言うのであれば、それは自ずから気づいたのです。ですので、師匠と呼べる人はいません。
等しいものもなく、勝るものもなく、自ずからこの上ない悟りに気づきました。
あるがままの全てが教えてくれていて、その力は隅々にまで行き渡っていることを知りました」
「つまり……、自分が勝(まさ)っていると?」
「勝るとはあるがままであるということ。そういう垢(よごれ)が落ちたことをいうのですよ。そういった法の障害となるという意味では、勝るといえるかもしれませんが」
「(あなたの話は)……、一体どこにいこうとしているのですか?」
「私はヴァーラーナシーの方へ向かっている所です。未だに表現しようがない所ではありますが、法が伝わればと思っています」
「ははは……、そうだといいですね〜」
ウパカさんはそう言いながら、元来た道を歩いていきました。
■33「四の馬」
ある時、お釈迦さんが弟子達に、このような話をしました。
「今日は四種の馬についての話をしましょう。
まず一頭目。この馬は鞭(むち)の影を見ると、それに察し、驚きます。そして乗り手の動きをしっかり観察し、乗り手の意のままに動きます。
次に二頭目。この馬は鞭が毛に触れると、それに察し、驚きます。そして、乗り手の動きをしっかり観察し、乗り手の意のままに動きます。
次に三頭目。この馬は鞭が肉に触れると、それに察し、驚きます。そして、乗り手の動きをしっかり観察し、乗り手の意のままに動きます。
最後に四頭目。この馬は鞭が骨にまで響いて、そうして初めて気がつきます。そして、乗り手の動きをしっかり観察し、乗り手の意のままに動きます」
お釈迦さんの話は続きました。
「一頭目の馬は、このような人の事を指しています。別の村の人の病気や困苦、または死を聞いて、それらに察し、驚く。それが嫌だという気持ちが生じてくる。その恐怖からその人は動き出します。
そして、しっかりと観察し、どうやったらその苦しみを解決できるのかを考えます。そうやって自ら調えるわけです。
二頭目の馬は、このような人の事を指します。同じ村の人の病気や困苦、または死を聞いて、それらに察し、驚く。それが嫌だという気持ちが生じてくる。その恐怖からその人は動き出します。
そして。しっかりと観察し、どうやったらその苦しみを解決できるのかを考えます。そうやって、自ら調えるわけです。
三頭目の馬は、このような人の事を指します。自分と親しい人の病気や困苦、または死を見て、それらに察し、驚く。それが嫌だという気持ちが生じてくる。その恐怖からその人は動き出します。
そして、しっかりと観察し、どうやったらその苦しみを解決できるのか、考えます。そうやって、自ら調えるわけです。
四頭目の馬は、このような人の事を指します。自分の身に病気や困苦、または死の際を接し、それらに察し、驚く。それが嫌だという気持ちが生じてくる。その恐怖からその人は動き出します。
そして。しっかりと観察し、どうやったらその苦しみを解決できるのか、考えます。そうやって、自ら調えるわけです」
■34「子供を亡くした母親キサーゴータミー」
「物事が興りまた消え失せることわりを見ないで百年生きるよりも、物事が興りまた消え失せることわりを見て一日生きることのほうがすぐれている。」 法句経113
仏教の話は難しいと私自身も思うことがあります。しかし、そんな時は、簡単な教えに戻り、考え直すようにしています。
そんな私にとって、仏教の中で一番理解しやすい教えと言えば、「無常=あらゆるものは変化している」という教えです。なぜなら、それは当たり前の事だからです。
上記の「物事が興りまた消え失せることわり」というのは、言い換えれば、「無常」という教えなのだと私は解釈しています。(無常については、第26話、第31話など取り上げています。また伊丹禅教室の法話でも取り上げました)
その無常の教えを説く仏教の話の中に、キサーゴータミーの話があります。私自身、最初この話を聞いた時は印象的でした。
キサーゴータミーは、約2500年前、お釈迦さんの弟子になった女性です。つまり尼僧(女性僧侶)さんですね。
テーリーガーターと呼ばれるお経には彼女自身の詩偈があり、そこには彼女自身の半生も少しばかり描かれています。
テーリーガータ―によれば、彼女は、貧しい家の生まれでした。ちなみに、キサーゴータミーの「キサー」とはパーリ語で「痩せた」という意味です。そんな貧しい暮らしの中で、親、兄弟、一族、皆亡くなってしまいました。
結婚して夫との間に子供を設けましたが、妊娠中にその夫も亡くなってしまっています。更にはその子供も幼くして亡くなってしまったとのことです。
そんな境遇の彼女がお釈迦さんの弟子になった経緯はどんなものかといえば、このような話が伝わっています。
幼子を亡くしたキサーゴータミーは、悲しみに打ちひしがれていました。自分にとっての唯一の肉親。大切に大切に育てていた我が子。
「どうして私だけこんな目に合わなければならないのか!?」
嘆き悲しむ彼女は、現実を受け止められませんでした。
そして彼女は、村中を訪ね歩きました。「どうかこの子を生き返らせる薬を下さい」と、幼子の躯を抱きながら……。
彼女の境遇を知る者にとっては、彼女の行動は理解できなくはありません。
しかし、幼子の躯を抱きながら「生き返る薬をください」と、突然訪ねてきた彼女を見て、村人はどう思ったでしょうか?
真剣に彼女に取り合ってくれる人はほとんどいなかったことでしょう。中には親切な人もいたでしょうが、生き返らせる薬なんて土台無理な話です。
そうして幼子の躯を抱きながら彼女は、各地を彷徨い続けました。
そんな中、ある家を訪ねると「私はあなたの望む薬は持っていないけど、きっとお釈迦さんならあなたに薬を与えてくれる」と言われました。
そうして彼女はお釈迦さんと出会いました。
彼女はお釈迦さんに「この子を生き返らせる薬をください」と訴えました。
お釈迦さんは「わかりました。その薬を作るには芥子の実が必要です」と言いました。
更に付け加えてお釈迦さんは言いました。「ただし、その芥子の実は今まで死者が出たことのない家からもらってくる必要があります」と。
そこで彼女は家々を訪ねました。「芥子の実を分けてくれませんか?」と。
芥子の実ぐらいであれば、香辛料としても使われるため、どこの家にもある代物です。 「いいですよ」と言ってくれる家はたくさんありました。
しかし、彼女は問います。「今までこの家から死者はでてないですか?」と。
すると家の人は応えます。「実はこの間おばあちゃんが……」と。
そこで次のお宅へ向かい、また同じように尋ねました。「今までこの家から死者はでてないですか?」
「実は何年か前に祖父が……」
「実は何年か前に夫か……」
「この子が生まれてすぐに妻が……」
「何番目の子供が事故で……」
「数十年前には父方の母が……」
「そういえば父方の母の姉が私の生まれる前に……」
そんなこと言えば、両親、祖父母、そのまた前……、死者の出ていない家なんてあるはずありません。 彼女は、各家を訪ね歩くうちに気がつきました。
「死は誰にでもやってくる。自分だけが特別不幸に見舞われたわけじゃない。誰もがそのような苦しみを背負っていたんだ……」
そして、彼女は抱いていた子供の躯を弔い、自分自身の人生を再び歩み始めました。当たり前のことに気づかせてくれた、お釈迦さんの弟子として。
このキサーゴータミーの話は、法句譬喩経(ほっくひゆきょう)と呼ばれるお経に載っています。法句譬喩経というのは、簡単に言えば、冒頭のような法句経の偈(詩)を取り上げて、その偈(詩)が用いられた経緯などが描かれています。
キサーゴータミーの話は「不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている」という法句経114の偈に関連して出てくるお話です。つまり、上記の法句経113の次の偈です。
ただ同じような形式の句がいくつも並んでいるので、私としては前後するとはいえ、関連があるように思えてなりません。無常という当たり前のことに気づいたキサーゴータミーの話と……。
このキサーゴータミーの話には学ぶべきところがたくさんありますが、その中で特に私が感銘を受けたことが、当たり前のことに気づく事で彼女が救われたことです。
「死は誰にでもやってくる。自分だけが特別不幸に見舞われたわけじゃない。誰もがそのような苦しみを背負っていたんだ……」
その気づきにより、子供の躯を抱き彷徨い続けた彼女は、自分を見つめるきっかけを得ました。そして、その迷いから立ち直りました。
ただキサーゴータミーの気づきが特別なことかと言えば、落ち着いて考えてみれば当たり前のことです。そしてその気づきの根本には、無常があります。
あらゆるものが変化し続けるからこそ、今生きているという状態もいつか変化する。即ち、死という事実があるわけです。
ただそれだけを聞くと、無常は自分達にとって残酷なだけにも聞こえますが、そうではありません。
なぜなら、無常だからこそ、苦しみも永遠ではないことを教えてくれています。キサーゴータミーの話は苦しみも解決できることも、示唆してくれています。
そして、それは当たり前のことに気づく、無常を観る所に私はヒントがあると感じます。
物事が興りまた消え失せることわりを見ないで百年生きるよりも、物事が興りまた消え失せることわりを見て一日生きることのほうがすぐれている。
当たり前に気づく。当たり前の所に戻る。そのことが大事なんだという所でこれらの話は繋がってくるのではないでしょうか。
■35「大事な当たり前」
「諸悪莫作しょあくまくさ
衆善奉行しゅぜんぶぎょう
自浄其意じじょうごい
是諸仏教ぜしょぶっきょう」 〜七仏通戒偈しちぶつつうかいげ 〜
是諸仏教(是れは諸々の仏の教え)とあるように、上記の七仏通戒偈は、お釈迦さんだけではなく、仏教で代々共通して保たれ、仏教の思想が要約された詩偈とも言われています。
その証拠に、お釈迦さんの言葉として、最古層の経典であるダンマパダ(法句経)にも記されている他、様々な仏典の中で目にすることができます。
私にとって七仏通戒偈は、噛めば噛むほど味がでる、意味が染み出てくる言葉です。何かきっかけがある毎にまさしく(意)味が変わる言葉でした。
よって、翻訳のしようがいくつでもあるので、今回は故意に翻訳を用意していません。
その代りに、これから述べる私自身がこの言葉から感じた印象の変化を今回の翻訳とさせて頂きます。
七仏通戒偈の第一印象
私自身がこの七仏通戒偈の言葉に一体どこで出会ったのか、詳しく覚えていません。
本で読んだのか、はたまた誰かから聞いたのか。
漢文で書かれていますから、おそらく何か意訳されたものを読んだのだろうと思います。
何にせよ、私にとってこの言葉は、七仏通戒偈という有名な言葉があることを知っただけで、それほど気にも留めない言葉でした。
悪い事をするな(諸悪莫作)
善い事をしなさい(衆善奉行)
自らの心を浄くせよ(自浄其意)
これが仏教だ(是諸仏教)
「そりゃそうだ。当たり前の事。どこにでもありそうな標榜(スローガン)だな……」
それが七仏通戒偈の第一印象でした。
道林禅師と白居易のエピソード
私が七仏通戒偈に興味を持つようになったのは、道林禅師(どうりんぜんじ)と白居易(はくきょい)との話を知ってからでした。
この二人のやり取りの中で七仏通戒偈の最初の二句、諸悪莫作・衆善奉行が出てきます。
白居易という人は、仏光如満(ぶっこうにょまん)禅師の弟子です。弟子といってもお坊さんではなく、有名な詩人として唐の時代に活躍していました。
道林禅師と出会った時、彼は杭州(浙江省)の長官の職についていました。
要するに、エリート中のエリートで、しかも詩の世界においても詩仙と呼ばれるほどの才能を持っていた知る人ぞ知る人物です。
一方、道林禅師は、鳥窠(ちょうか)禅師とも呼ばれています。窠とは、鳥の巣のことです。
嘘か真か、長松の枝の上に棲んでいたことから、そのように呼ばれていたようです。
そのような逸話を持つ道林禅師の下に、エリート官僚であり詩仙でもある白居易が訪ね、このような問答をしました。
問答
居易「仏法の根本的に重要な所とはどういうことでしょうか?」
道林「諸悪莫作、衆善奉行」(七仏通戒偈の前二句)
居易「そんなことは三歳の子供でも言えることでしょう」
道林「たとえ三歳の子供が言えることでも、齢八十の老人にも行えないことなのですよ」
そして白居易はお拝をして帰っていきました。
言えるが行えない当たり前で大事な所
悪い事はしない(諸悪莫作)
良い事をする(衆善奉行)
これは至極、当たり前のことです。白居易の言うように、3歳の子供でも言えること、知っていることです。
しかし、その当たり前のことを実際に行うのはどうでしょうか。
たとえ3歳の子供が言えることでも、齢80の老人にも行えない。
言うは易し行うは難しとも言いますが、当たり前のことを当たり前に行うことは、実際の所、相当に難しい……、いや、限りなく不可能に近いことなのかもしれません。
大人として子供に注意したことが、ブーメランのように自分に返ってくる。私自身にも子供と接する中で痛烈に感じることがあります。
「そんなの当たり前でしょ」と思うことはたくさんあります。
それでも当たり前だけど、本当に大事だと思うことは、何度も何度も子供に伝えるわけです。
しかしいざ自分を省みて、一丁前に語るその言葉通りに自分自身が行っているのかというと、とてもそうだとは言えません。
当たり前で大事な事。それを完璧にこなすことはやはり不可能であることを痛感します。
だって、忘れてしまうこともありますから。
例えば「いただきます」や「ごちそうさま」の大切さを今の私は知っていますが、ついつい忘れてしまうことがあります。
それを子供に逆に指摘されることもあります。
しかし、そうやって子供を通じて、自分も改めて気を付けようと教えられます。
3歳でも言える当たり前。でも大人でも行うのは難しい当たり前。
「そんなの当たり前じゃないか」とついつい軽んじてしまうことがある当たり前。
しかし、その当たり前はとても大事なこと。だから皆の当たり前になっていくのかもしれない。
当たり前という言葉が私にとってなんだか意味のある、決して軽んじてはいけない、大事な所を指す言葉に変わっていったのは、この白居易と道林禅師の話がきっかけなのです。
諸悪=莫作
七仏通戒偈に関して次なる印象の変化が起こったのは、道元禅師の書かれた正法眼蔵・諸悪莫作の巻がきっかけでした。
そこには「諸悪は莫作なるのみなり」という文言がありました。
「諸悪は莫作なり(る)」のみなり。
単純に読めば「諸悪=莫作」と言い換えることができます。言い換えたところで、訳の分からない言葉かもしれません。
ただ、正法眼蔵を読んでいると、自分の体験の事が思い浮かび、様々なことが結びついたような気がしました。
   諸悪について
それはある凶悪事件がニュースになった時の事です。
「どうしてあんなことができるのか」
私は会話の中で、理解ができないという主旨の言葉を聞きました。
人を残虐に殺めたり、故意に大切なものを奪ったりする行動は、どうしてそこまで凶悪なことができるのかと、確かに私も理解に苦しみます。
ただ、私自身はネット・ゲーム依存(ゲーム障害)の経験があり、あの頃の自分の事を思い返すと、とても複雑な感情が湧いてきます。
人間はどこにだって、諸悪という可能性が潜んでいることを、私は自分という人間を通して嫌というほど感じるからです。
依存していた頃の私は、起きてから寝るまで、1日中パソコンの前で、ネットゲーム漬けの毎日を送っていました。
生活は乱れ、気がつくと、起きた時にパソコンの電源をつけずにはいられない、落ち着かない……。そうして内面までもが変わっていく。
なんだか自分自身が壊れていくような、そんな日々を過ごしていました。
自分でも、いい加減、それはまずいことは分かっていました。悪いことだとわかっていました。
しかし止められません。
止めよう、止めようと、何度も我慢しました。止めようと意識する。その最初の一歩ですら、相当な意志が必要でした。
それでも意志の力は長続きしません。結局はやってしまう……。そうして自分のダメさ加減に失望する日々が続きました。
「悪いことをするな」と言うのは、簡単です。しかし「悪い事をしない」ようにするには相当な意志が必要です。
常に意識し、常に我慢せねばならない。しかし、その意志は長続きしません。
まさに、齢八十の老人にも行えないとはこのことです。
ネットやゲームの依存に限らず、このことは、いろんな事柄に当てはまることだと私は考えています。
悪い事をしてはいけない。悪い事をしないようにする。そこには理性という意志が働きます。
自分の理性で、自分の欲望を抑え込まなくてはなりません。コントロールしなくてはなりません。
それはまるで、欲望という獣を操ろうとする動物使いになったようなものです。
依存という欲望は凶暴な獣です。暴れる欲望、それを押さえる理性。それはいつも戦いになってしまいます。そして疲れます。
人間疲れれば、楽な道へ行ってしまうのは当然の事。つまり、欲望の勝ちです。諸悪の元凶の勝ちです。
理性という自分で、欲望という自分を抑えようとする。何度も勝負して、疲れ果て、負けてしまう。その辛さや苦しさを私は少なからず知っている。
だからこそ、凶悪事件について理解ができないという主旨の発言に対しても、素直に頷くことができない私がいました。
確かに悪い事はやってはいけないこともよくわかります。だけど……。
そんな違和感ともいえる感覚が私の中にはありました。
   私が感じる「諸悪=莫作」
ただ「諸悪=莫作」を知って思ったのです。
諸悪に対し、誰もがいつも、このような我慢をして止めているのだろうか。
必死で己の理性と欲望を戦わせて、諸悪を止めているのだろうか。
答えは、違います。理性で止めるとか止めないとかいう前に、そもそも、当たり前にやっていません。
これは、言い換えれば、睡眠と似たようなものかもしれません。
私達が眠る時の事を思い出してみてください。
眠ろう、眠ろうと意識して眠るでしょうか?
むしろ、眠ろうとすればするほど、眠れなくなってしまうでしょう。
実際の所、いつのまにか自然と眠りに入っています。いつ、どうやって、眠ったのか自分でも知りません。
本当に“当たり前”に眠っています。
不眠は人間にとって不都合な事、悪い事です。
私達は、不眠にならないよう、悪い事にならないよう、意識的に眠ろうとするわけではありません。
自然に、“当たり前”に眠ることを私達は本来知っています。
私はこれが「諸悪=莫作」の一つの形なのだと思うのです。
   当たり前 ”当たり前”
現に、ネットによって生活を乱されていない今の私は、強靭な意志を得たからそうなったのかと言えば、全然そんなことありません。
しかし、今は自然とネットやゲームとお付き合いしている自分がいます。むしろ、その頃のパソコンに関する知識が、現に今、活きています。
この場で全て語り尽くす事はできませんが、もちろん、それまでの経緯は色々ありました。
ただ、そんな苦しい時に巡り合った出会いの中には、実は仏教も含まれています。
仏教エピソードとして書いている話も、実はそうなのです。
そして、私の心に響く仏教の話はどこか“当たり前”な話でした。
もちろん、仏教の話、古いお経の話なんて、今まで聞いたことありませんでした。
しかし「ああ、知ってる、知ってる。確かにそうだった」と、心のどこかでは本来知っているような、懐かしいような、そんな感覚がありました。
よくよく考えたら、諸悪莫作、衆善奉行というこの言葉も、ものすごく当たり前のことを言っているわけです。
ただそれは、決して常識とかいう当たり前ではありません。
当たり前だという当たり前でもありません。
本来、心のどこかで、自分のどこかで、当然の如く、自然の如く、備わっている“当たり前”。
知らないはずなのに、どこか懐かしさを感じる大事な“当たり前”。
その“当たり前”が、私に様々なヒントをくれました。
“当たり前”で大事な所を知ると、自然と余計な欲望は落ちていく。そして、その結果、私の今があるのだと思います。
そしてまた、今の私があるのは、昔の経験があるからこそ、苦しかった経験があるからこそ、全ては繋がっていると思うのです。
だとすれば、昔のその頃の諸悪も、今の自分にとってかけがえのない事だったわけですから、悪いということは決してありません。むしろ、今の私には善く働いてくれています。
それも諸悪=莫作の一つの形なのでしょう。(諸悪莫作)
そして衆善=奉行の一つの形なのでしょう。(衆善奉行)
そうやって自ずと、その心は浄らかになっていく(自浄其意)
そんな“当たり前”の事、是れが諸々の仏の教え(是諸仏教)なのではないでしょうか。
■36「やってみえる」
馬祖道一さんは、南獄懐譲さんの所に参学し、二人は仏道において親密に通じ合っていました。
馬祖さんは、南獄さんのいる伝法院に住み込み、いつも坐禅をしていました。かれこれ、もう十年余りとなります。
ある時、南獄さんが、馬祖さんのいる庵の所にやってきて、このように言いました。
「おまえさん、近頃何をしておる」
「最近、この道一、ただ坐っているだけです」
「坐禅、何を図る」
「坐禅、作仏(仏となる)を図ります」
南獄さんは、すぐに一つの瓦を持って来きました。そして、庵のそばにあった石でもって、その瓦を磨きはじめました。
馬祖さんは、それを見てすぐさまこのように言いました。
「和尚さん、何をするのです」
「瓦を磨く」
「瓦を磨いて何をするのです」
「磨いて鏡にする」
「瓦を磨く、どうして鏡になるのでしょう」
「坐禅、どうして作仏になるのだろう」
「それは何なのでしょう」
「人が車に乗るようなもの。車がもし進まないならば、車を打つのがそれか、牛を打つのがそれか」
そこで馬祖さんは応えませんでした。
すると南獄さんはこのように言いました。
「おぬしが坐禅を学べば、坐仏を学ぶとなる。もし坐禅を学べば、禅は坐り臥すことではない。もし、坐仏を学べば、仏は一定の相すがたではない。
あらゆるものは留まることなく常に変わりゆく、選び取ったり切り捨てたりしない。おぬしがもし坐仏ならば、それは殺仏でもある。もし坐る相すがたに執らわれても、その理こたえに到達点などない」
馬祖さんはこの言葉を聞いて、仏法の醍醐味を味わったのでした。
■37「観察」
ある時、祇園精舎でのこと。お釈迦さんは弟子達にこのような話をしました。
「あなたの目の前にあるものをごらんなさい。今、目の前にあるそれは、ずっとそこにあるわけではありません。
いつか、朽ちる。或いは、壊れる。そのようにして、今ある形では、なくなってしまいます。
あなたの目の前にあるもの、あなたの目に映るすべて、人も物も、全ては変化しています。
いつまでも変らずにあるものなんてない。常にずっとあるものはない。これを無常と言います。
あらゆるものは変化する。このあり方を観てください。
そして、このような観察は、私は正しい観察だと考えます。
正しく観察する人は、距離を置こうとする気持ちが生まれるでしょう。なぜなら観察する対象に飲みこまれてしまったら、観察しようがありませんから。
このように距離を置く者は、欲望に飲み込まれることはないでしょう。欲望を観察することも、また同じことだからです。
そうして、欲望に飲み込まれることがない、喜んで欲望に支配されるなんて事がない。私はそれを心の自由と説くのです。
心と言えば、あなたの目に映る身体と違い、心は目には見えません。あなたの頭の中も目には見えません。
時に悲しく、時に楽しく、心はコロコロと大いに変化します。
考える事、思う事、察する事、あなたの頭の中は、その一瞬一瞬で変化しています。
私たちが心と呼ぶもの、頭の中と言っているものもまた、無常です。あなたの感じることも、考えることも、あなたの内にあるものもまたすべて、無常です。
あらゆるものは変化する。それは胸の内、頭の中といえども同じことです。
そして、このような観察は、私は正しい観察だと考えます。
正しく観察する人は、距離を置こうとする気持ちが生まれるでしょう。なぜなら観察する対象に飲み込まれてしまったら、観察しようがありませんから。
このように距離を置く者は、喜んで欲望に支配されることがない。私はそれを心の自由と説くのです。
このように皆さん。心の自由と私が説くこと。それを自身で納得したいのであれば、自分自身に向き合って下さい。自分で自身を検証してください。そうすれば納得ができるはずです。
一度立ち止まって観てください。そうすれば自然と見えてくるでしょう。やるべきことは自ずと見えてくるでしょう。
こうして無常を観るように、私が他にも説いていた事、苦も、空も、非我なども、同じようなことなんですよ」
■38「自己を見つめる」
非我や無我は、仏教でよく出てくる言葉の一つ、そして誤解されやすい言葉です。
そもそも、我という言葉自体も、日本語と仏教の間に齟齬があります。
我について
我は、日本語で、われ、自分の意味を指す場合が多い言葉です。
しかし、経典・仏教書等の中で「我」という文字が出てきた時には、注意が必要です。仏教の「我」には、atman(アートマン)という意味合いが含まれている場合があるからです。
「アートマン?」と聞きなれない言葉に首をかしげる人も多いのではないでしょうか。無理もありません。
アートマンは、お釈迦さんが生きていた時代、古代インドの思想です。その思想は、当時のインドでは一般的に広まっていた思想、いわば常識となっていました。
   アートマンとは?
「自分は何者か」「自分は何なのか」
皆さんは、このような疑問を抱いたことはあるでしょうか。
現代だけに限らず、その疑問は、どの時代、どの場所でも様々な人が考える所です。そしてそれは、お釈迦さんが生きていた時代、古代インドも例外ではありません。
そして、古代インドでは、それらの疑問に対する応えとして「自己の正体はアートマンである」ということが説かれていました。
アートマンこそ自己の正体。そして、それは永遠不滅、絶対的で、自己の本質、真実の自己。例え、全てを失っても、その真実の自己だけは永遠に残り続けると信じられていました。
私が初めて大学の講義で、アートマンの話を聞いた時は、このように解釈していました。
例えば、絶対に書き換え不能で劣化しないメモリカード(ex. SDカード)があったとします。今使っているパソコンにもそれが内蔵されています。そしてこのメモリーカードこそが本体なのです。
たとえパソコンが壊れたとしても、新しくつくったパソコンにそのメモリーカードを組み込めば、機能的に様々な変更点はあれど、本質的な所は、前のパソコンと何も変わっていないというわけです。
(余談ですが、大学の講義を聞いた時、私はあまりパソコンに詳しくなかったので、上記の説明にもある程度合点がいっていたのですが、パソコンに詳しくなってくるとかえって違和感のある説明に聞こえます)
何にせよ、そのメモリーカードにあたる部分が人間にもあって、それを古代インドではアートマンと呼び、一般的な思想として広まっていました。
しかし、それに異を唱えたのが、仏教。お釈迦さんでした。
「自己はアートマン(我)ではない」とお釈迦さんは説きました。
これが、漢字に訳されると、非我や無我という言葉になっています。
仏教の説く、非我や無我の「我」には、このような背景があることを理解しておく必要があります。
   無我・非我=自己を見つめる
当時、古代インドでの一般常識は「自己の正体はアートマン」でした。しかし、お釈迦さんは、そんな世の中で「自己はアートマンではない」と説いたわけです。
世間一般の人達が想像もしない話。そんな話に耳を傾けてもらい、また理解してもらうためには、並々ならぬ労力を要します。当然、その説明も丁寧にしていかなければなりません。
その様子は経典の中からも読み取ることができます。以下は、阿含経の中で無我や非我について説いているものの要点をピックアップして、自分なりに編集、意訳してみました。
エピソード
ある時、お釈迦さんは、弟子にこのような話をしました。
「あなたの目の前にあるものをごらんなさい。今、目の前にあるそれは、ずっとそこにあるわけではありません。
いつか、朽ちる。或いは、壊れる。そのようにして、今ある形では、なくなってしまいます。
あなたの目の前にあるもの、あなたの目に映るすべてのもの、人も物も、全ては変化しています。
目に映るものだけでなく、あなたの心や頭の中もまた、時に悲しく、時に楽しく、心はコロコロと大いに変化します。
考える事、思う事、察する事、あなたの頭の中は、その一瞬一瞬で変化しています。
いつまでも変らずにあるものなんてない。常にずっとあるものはない。これを無常と言います」
無常について話し終えたお釈迦さんは、次に弟子にこう問いました。
「あなたの目に映る全て……。自分自身もまた例外ではありません。
自己を見つめてみてください。
あなたの目に映るあなた自身。あなたの身体は日々変わり続けています。
病気や怪我をすることもあれば、それが治癒していくこともあります。日々成長し、また老いています。細胞が生まれ、そして死んでいきます。
あなたの思うがままに応えてください。
あなた自身、その身をじっくりと見て、それらは永遠に変わらず常なるものだと観ますか。それとも、それとも常ではない、無常だと観ますか?」
その問いに弟子は応えます。
「無常と観ます。常なるものはありません」
それを聞いてお釈迦さんは、次にこのように問いました。
「あなたは、あらゆるものは変化していると観察しました。無常を観て、あなたはどのように思いますか。それはあなたにとって、苦しいと感じますか?」
弟子はこう応えます。
「確かに、苦しいと感じます」
弟子の答えを聞き、お釈迦さんはこう言いました。
「苦しいと感じるのであれば、それは変わっているという証拠です。
何も変わらないのであれば、常に同じ状態、常に一定の状態のはずです。
しかし、他ならぬあなた自身が苦しいと感じているのです。ならば自己の正体は、永遠不滅、絶対的、自己の本質、真実の自己と言われるアートマンではありません。
自己を見つめてみてください。
例えば、病気になったのなら苦しい、それは事実です。健康にある状態が変わるという事は、健康を失うということでもありますから……。それは苦しい事だと思います。
だから、病気にならないようにと願うことがあるのです。もし病気になったとしても、今度は病気を治るようにと願うわけです。そして何より、病気を治すことだってできます。
もし、何も変わらないのであれば、病気を苦しいと感じることはありません。そもそも病気になりません。病気があるとしても、治そうとは願いません。病気があるとしても、治すことはできません。
他ならぬあなた自身が苦しいと感じている事こそが、変わっているという証拠です」
お釈迦さんの話は続きます。
「自己を見つめてみてください。
目に映るものだけでなく、あなたの心や頭の中もまた、時に悲しく、時に楽しく、心はコロコロと大いに変化します。
考える事、思う事、察する事、あなたの頭の中は、その一瞬一瞬で変化しています。
私たちが心と呼ぶもの、頭の中と言っているものもまた、無常です。あなたの感じることも、考えることも、あなたの内にあるものもまたすべて、無常です。
あなたの思うがままに応えてください。
あなたの心や頭の中、全て……。それらをじっくりと見て、それらは永遠に変わらず常にあるものだと観ますか。それとも、それとも常にあるものではない、無常だと観ますか?」
その問いに弟子は応えます。
「無常と観ます。常なるものはありません」
それを聞いてお釈迦さんは、次にこのように問いました。
「あなたは、あらゆるものは変化していると観察しました。無常を観て、あなたはどのように思いますか。それはあなたにとって、苦しいと感じますか?」
弟子はこう応えます。
「確かに、苦しいと感じます」
弟子の答えを聞き、お釈迦さんはこう言いました。
「苦しいと感じるのであれば、それは変わっているという証拠です。
何も変わらないのであれば、常に同じ状態、常に一定の状態のはずです。
しかし、他ならぬあなた自身が苦しいと感じているのです。ならば自己の正体は、永遠不滅、絶対的、自己の本質、真実の自己と言われるアートマンではありません。
例えば、色々な色の羽根を持ち合わせている鳥(斑色鳥※1)のように、自己もまた色々な色を持ち合わせています。
一色だけには見えません。実に色々な色を観ることができるでしょう。
心もまたそうです。中には、欲の色、怒りの色、無知の色、そんな悩ましい色もあります。時にはそれ一色に染まることもあるでしょう。染まれば、心悩み、苦しい。しかし清まれば、心清らかに……。
様々な色があるのにも関わらず、特定の色だけに執着すれば、あなたの心は染まります。
しかし、心は実に色々なのです。一色に染まることはないではありませんか。
他ならぬあなた自身に色々な色を感じている事こそが、変わっているという証拠です」
そして、お釈迦さんは爪の上に、ほんの少しだけ土をのせました。
「たったこれっぽっちの物でも、この世に永遠に変わらないものなどありません。
もし、この爪にのせたほんの少しの土でも、永遠に変わらないものがあるとしたら、私の教える道によって、苦しみを解決することはできないでしょう。
たったこれっぽっちの物といえど、この世に、常なるものはありません。
即ち、無常だからこそ、私の教える道によって、苦しみを解決することができるということも、どうか忘れないでください」
■39「壊れるという法は壊れない」
ある時、お釈迦さんが祇園精舎にいた時のことです。
お釈迦さんは、弟子達にこのような話をしました。
「今回は、壊れる壊れないということをお話しようと思います。よく聞いて考えてみてください。
皆さん、あらゆるものは壊れます。
あなたの目の前にあるもの、あなたの目に映るすべて、人も物も、全て。いつまでも変らずにあるものなんてない。常にずっとあるものはない。これを無常と言います。
無常であるが故に、あらゆるものは変化する。つまり壊れる時がくるのです。
あらゆるものは壊れます。この気づきはとても大事な事と私は説いています。
しかし、この気づきは壊れません。あらゆるものは壊れるという事は、変わりない真実なのですから。
私たちが心と呼ぶもの、頭の中と言っているものもまた、無常です。あなたの感じることも、考えることも、あなたの内にあるものもまたすべて、無常です。
無常であるが故に、胸の内、頭の中、あらゆるものは変化する。つまり壊れる時がくるのです。
あらゆるものは壊れます。この気づきはとても大事な事と私は説いています。
しかし、この気づきは壊れません。あらゆるものは壊れるという事は、変わりない真実なのですから」
■40「滅について」
ある時、祇園精舎にて。お釈迦さんの弟子であるサーリプッタさんが同じく弟子のアーナンダさんの所を訪ねました。
互いに挨拶を交わし、座に就いたところで、サーリプッタさんは、アナンダさんに言いました。
「尋ねたいことがあるのですが、少し時間を頂いても構いませんか?」
「構いませんよ。知っていることであれば答えましょう」
「ではアーナンダ。いわゆる『滅』とはどういうことでしょう」
「サーリプッタ。全ては是これ、ありのままの所、そのまんま。そしてこれは無常。つまり、いつまでも変らずにあるものなんてない。常にずっとあるものはない。あらゆるものは変化する。こうして滅するということが現れてくる。様々な事がそのようなことを教えてくれる。
あらゆるものはそうして滅するということを現しているが故に、これを名付けて、『滅』というのではないでしょうか」
「その通り。その通り。アーナンダ。あなたが説いた通りです。全てが、もし、ありのままの所、そのまんまでないのであれば、どうして滅するといえるのでしょうか。言えるはずありません。
アーナンダ。全ては是これ、ありのままの所、そのまんま。そしてこれは無常。あらゆるものは変化する。こうして滅するを様々な事が教えてくれている。あらゆるものはそうして滅するということを現しているが故に、これを名付けて、『滅』というのです」
と、二人は法の話に花を咲かせたのでした。  
 
 

 

 

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