日蓮宗 [日蓮] 法話

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雑学の世界・補考

仏様のお話

養老山立國寺
善は福をもたらし、悪は災いをもたらす。利益は供養をもって本となし。神仏の助は祈祷をもって先となす。菩薩の神力は一切を護り給う。
由来
我が国に仏教が伝わって以来、観音様は、三十三身に変化し巷に苦悩する一切衆生の迷いを転じ、悟りに至らしめ、国民精神の活力となって、その慈悲力・功徳力の御利益は普く衆生の苦難を救済して、津々浦々に知れ渡り、観音信仰の礎を築き仏果をおさめてまいりました。
「出世観音」は今を去る八百年前、源頼朝公が天下統一の旗揚の際、石橋山合戦において大庭景親に敗れ、九死に一生を得て安房に逃れ転じ上総に入り、再起を賭け昼間なお暗き当処の山谷に立て篭もり、平素甲冑に持参の観音像を茅舎に奉祭して、一心不乱に戦勝祈願をされ、三浦義澄・上総介広常・介常胤・下野の小山朝政・下総の下河辺行平・安西景益等の助けを借り下総より関東に攻め入り天下を平定・掌握し、公家社会から武家社会の初めての頭領と成ったとされています。
この由緒に因み、当処に鎮座された御神霊を「開運招福の守護神」・「出世観音」と命名し当山の観音像に移入せしめ安置しております。この観音様の御利益として、立身出世を願う者にはその願いを成就せしめ、病ある者は速やかに治癒と成し、商売繁盛を願う者には商売繁盛にして千客萬来と成し、豊作・大漁を願う者にはその願いを成就せしめ、開運成就・良縁成就を願うものには諸縁吉祥にして開運・良縁をもたらし、日々昼夜の「御祈祷」並びに「先祖供養」により、一切衆生のあらゆる苦悩・厄災を除き心願成就なさしめる「霊験あらたか」な観音様として有名となり、今日に至っております。

源頼朝公は、義朝公の三男として生まれ、13歳で父とともに平治の乱に出陣し、敗戦して東国に逃れる途中捕らえられ、伊豆国蛭ガ小島に流された。ここで流人生活を送ること20年、この時、伊豆山権現別当をしていたかくえん覚淵の勧めにより、持仏の観音様に法華経の観音経を唱えるようになった。その後、高尾山神護寺の再興を志し、後白河法皇に寄付を強要したことから、伊豆に流された文覚と知り合う。
もんがく文覚は、たびたび頼朝のもとを訪れ挙兵を勧めたといわれる。また、平家一族の横暴に耐えかねていた周辺武士の要請もあり、祈願の半ばであったが観音経800巻の成就をもって、治承4年(1180)8月平家討伐の旗揚げをした。
小田原の石橋山の合戦において、大庭景親等の平家軍に敗れ、九死に一生を得て安房、上総に入り、再起を願い昼なお暗き当処の山谷に立て篭もり、持参の観音像を祀り、三日三晩、一心不乱に観音経をもって戦勝祈願をした。
このとき、この周辺一帯を統括している山神が龍の化身となって現れ、「汝の法味言上(経)を聴き受けた。我は開運招福をもたらすものにして、ここに、汝の願いを聞き置く。」と申され、御姿を隠された。
その後、この地に一大勢力を誇る上総介広常・介常胤の協力を得て、三浦義明・義澄・下野の小山朝政・下総の下河辺行平・安西景益等を従え、房総・武蔵・相模を一気に制し鎌倉に入った。ここを根拠地として、富士川では、平維盛軍を破り、常陸國佐竹氏を討ち、東海・東山道諸国を勢力下において、東国支配権を握り、弟のりより範頼・よしつね義経に命じて、寿栄3年(1184)木曽義仲を討たせ、翌年には平家を一ノ谷から屋島・壇ノ浦に追いつめ滅亡させた。
のち、義経を退け、その追補を理由に諸国に守護・地頭を配置して武家政権を確立し、文治5年(1189)には自ら軍を率いて奥州藤原一族を討伐して、建久3年(1192)7月、征夷大将軍に任ぜられ、公家社会から武家社会の頭領として初代の将軍となった。この由来により、当処に鎮座された御神霊を観音像に移入し、「開運招福の守護神」「出世観音」と命名された。  
 

 

■観音さまって、な〜に!
私がこどもの頃、近所のおじいちゃん、おばあちゃんが、「うちの誰々が病気で」どこそこの観音様にお願いしたら治ったとか、あそこの観音様にお願いした何々さんの娘さんが縁付いて嫁に行ったとか、いろいろ話しているのを何気なく聞いていたものでした。
こども心に観音様にお願いをすると何でも願いを聞いてくれるのだなぁと思ったものでした。皆さんの中にも、このようなお話を聞かれたり霊験あらたかな体験をした方がたくさん居られると思います。
観音様は、数居る仏さまのお姿の中でも気品に満ちた美しさや優しさは天下一品です。また、むずかしい理屈や教理を説かず、人間の欲を満たしてくれる範囲の神格がとても魅力的です。昔から多くの人々に愛され、ご利益を現す仏様の代表的な存在になっております。
観音様は、観音経の中に説かれいる菩薩様です。また、観音経というのは法華経二十八品の中で第二十五番目に書かれているお経で、正式には観世音菩薩普門品第二十五といわれるものです。このお経の中には、私たち日常生活の中に起こる諸々の願望や不利益な現実が一心に観音様を称名する事によって簡単に、かつ直接的・迅速に処理され、信仰する人々の心に安らぎや感動を多くの人々に与え親しまれてきました。この信行は容易に法華経教義の真髄まで到達し得る事が記載されております。このお経は難しい法華経の真理を、平易通俗の実践によって速やかに大乗の深理を現実生活上に体験させる為に説かれたものです。この普門品は、観音経といって広く一般に流布しました。今では観音経が法華経の一部である事を知らない人がたくさんおります。
この観音様は、一心に念じ唱える(一心称名)衆生の悩み・苦しみ(七難・四苦・三毒)を取除き、二求願(福徳を持った子供を授かること)など、あらゆる願いを叶え救っていく誓いを立てられた仏様です。救いの対象は天国や地獄の世界ではなく、悩み・苦しみを抱える現実世界の衆生なのです。昔から、霊験も無数に語り伝えられております。お経の中で仏様も観音様のあらわす功徳について、その身を三十三身に変化して即時・即処に現われるご利益はスーパースター的な存在を説いております。信仰のあり方も、人が望むならば観音を恭敬しなさい。そうすれば、それらの問題はすべて解決してあげますよ。といった押し付けがましい強制ではなく、寛容な自由意志の認め方で善導していきます。観音様は、大慈悲心による「念彼観音力」であらゆる衆生の現世利益の不可思議を顕わし善導する、また仏様の最終目的でもある大乗仏教の趣旨による理想の完成を成就させることにあります。
この経に説かれる「一心称名」の世界は、人間本来の宗教本能(原始人でも、現代の人でも、自分が努力しても力の及ばぬ時、太陽や月、星、山、石、大木、火、水などの自然霊力に頼る気持ち)を持ち合わせているものです。このような信仰のかたちは、遠い原始時代から継承されてきたものです。宗教本能は、素朴かつ純粋で原始的になればなるほど、力強く自然生命力を増し豊かなものとなります。本来、原始的な宗教は、ほんの一個人の得益、救済ですが、仏教によるところの「大乗仏教」・「小乗仏教」の違いは、理想の大小によるもので、個人の人格完成を計るものを「小乗」とすれば、自分以外の世界観を考慮に入れてその完成を計っていこうとするのが「大乗」です。しかるに、観音様の理想は「六道能化」と言って、人間を中心に、個々の人格が仏様の目指す最高水準に達するまでその働きを止めないことであります。この観音様の働きは、大乗仏教の中でも「実大乗」に属する願行に従う菩薩であります。
理想の大きさにおいて、原始的な信仰方法であっても、現実を尊重し、現実的に随順しつつ、向かう目的は、「有情・非常・悉皆成仏」(ありとあらゆるものを救済していく)という最も発達した宗教理想の到達を目指している事であります。
この一心称名の世界で「南無観世音菩薩」と唱えることは、心に念ずる働きを起します。唱え念じていくうちに、人々は、その意味を知っていようが知るまいが、観音様の目指すところの「仏の世界」へと傾倒していきます。その「仏」は念ずるものの心に内在しているものにせよ、あるいは客観の世界に外在しているものにせよ、念唱者に感応し、仏の説く真如が個々の固有の発展性を啓発していくことになり、遅速は別として仏教の実大乗教の理想とする現象が現れる神秘な世界へと導かれているのです。
専門家の中には、「現世の利益や厄除けばかりを説いて、それで純粋な仏教なのか。ご利益信仰は外道として仏教の排斥する一つではないのか」という、非難を言う人もありますが、経文のごとく、「一心にみ名を称せば、観世音菩薩、即時にその声音を感じて、皆解脱することを得せしめん。」と観音様は約束されています。このことは「信」をもって念じ唱えるものは、現実の種々相を、自分自信の妙智力で観察、分析して、適宜に整理、調節して、本来私たちに備わるところの仏界(宇宙生命=あらゆるすべてのものは平等に調和されている世界)、すなわち生命の絶対境に至らせるということです。
このことから、観音様の称名によって呼び起こされる生命力の偉大な力が、我々自身の精神肉体上に反映された時すべてが善導し、観音様を信仰した人たちは深い体験から絶対に確信をもち続け、その霊験が強烈に心をとらえたため、多くの観音信仰が広まっている証でもあります。
ちょっと余談になりますが、このような一心称名の形式を基として、日蓮聖人は、法華経を信仰するものに、最も易しい修業の方法として「南無妙法蓮華経」の唱題行を説かれました。
この「南無妙法蓮華経」を唱えれば、この観音様も含めて、法華経に書かれているすべての功徳が、その行じた人の身に備わってくるということです。当寺院では、この「南無妙法蓮華経」を唱えることをお勧めしています。ここに最も大胆で自信に満ちた大乗の教法があると私は考えております。
簡単ではありますが、観音様の「働き」と法華経の中での観音経の位置づけについて説明をさせていただきました。 

■お釈迦様の智慧をあらわす観音さま
先日、観音様とお釈迦様の関係って何ですか?師匠と弟子みたいな関係ですか?という質問が掲示板に寄せられました。私は、どう説明をすればよいのか考えてしまいました。観音様は歴史上、お釈迦様のお弟子の中には存在せず、かといってお経文の中には度々登場してきます。
専門家の方は常識として知り得る事でも、一般の人は、漠然とした知識の中でしか認識していないのが現実で不思議に思う事は当然の事だからです。これはいい機会なので今回は観音様とお釈迦様の関係についてお話をさせて頂きます。
最初に、お釈迦様が成道(悟りを開くこと)された当時の教えと、お釈迦様が亡くなった後、解釈がいろいろと分れた事の経緯から説明をしなければなりません。お釈迦様が生きていたときは、慈悲に満ちあふれた理想の人格を目の前にするので、大衆の誰もが全面的に信頼を傾け、無条件に説法された教えに従い実践(修行)に励んだと思われます。
お釈迦様の滅後は、お弟子の皆さんが集まって教説を条文化(結集という)しました。このとき結集は二回開かれたと伝えられております。結集当時のお弟子さんたちは、ある程度の境地に到達していた方々ですので条文化された程度のものでも真理を深く理解していたことが想像されます。
このような結集が終って100年・200年後と時代が経過し教説は文字のみで残る形となり、その解釈の仕方に形式どおり実践しようとする者と、形式にとらわれずお釈迦様の教えの真意を汲み取り実践する人達に分れてきました。
結集以後の原始仏教は、お釈迦様が完全な真理を体験し、完全無欠の人格を会得したもの(ブッタ=覚者=悟りを得た人)として常に正道を目指す信仰の対象として崇められてきました。この為、お釈迦様と同じように自分自信で解脱(悟ること)が正道とされていました。この教え以外の信仰の対象(偶像崇拝主義など)は、教理に背くものとして厳しく破却されていきました。時代が経過してくると、文化向上にともない人間性や社会環境が複雑・多岐にわたり変化してきます。
このように、社会環境・生活環境が変わり結集当時に残された素朴で原始的な教義では、あまりにも個人的・非現実的・超人的なものとして不自然さや矛盾を感じられるようになりました。
人々の機根も多岐にわたり、時代にそぐわない非現実的なものは、お釈迦様が本来導びこうとした真理に反しているのではないか。この説かれた真理は、いつの時代にも適応する小乗にも大乗にもなる縦横無尽の教説でなければならないと主張する人達がおりました。
このような人達は、当時インドの輩出した世界最高水準にある哲学者・科学者・芸術家・宗教家を一同に集め原始経典に、あらゆる方向性から考察を加えいつの時代にも即応する多くの大乗経典を長い年月をかけて作り上げていきました。
この大乗経典には、数多くの仏さまや菩薩さまが現れてきます。お釈迦様は、他国の仏さまや菩薩さまの徳をたたえ信仰の道を勧めます。このように観音様をはじめ、大乗仏教に至って原始仏教では見られなかった多くの仏さま(阿弥陀如来・大日如来・薬師如来など)や菩薩さま(普賢菩薩・文殊菩薩・妙音菩薩など)が登場してきます。又、天界(大梵天・帝釈天・自在天など)・竜王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅等々さまざまな世界観のものが登場してきます。このことは、前記のとおり時代が移り変わると社会環境や人々の機根が複雑になる為、ありとあらゆる機根の衆生にお釈迦様の悟られた真理(宇宙生命)を悟らせる為に、比喩や方便として神格化して表現されたものだと思います。
大乗仏典の作者達は、お釈迦さまの説かれる真理が宇宙生命をも包括する広大で甚大な深さを表現されたからに他なりません。このように、経典に説かれている、観音様やその他仏さま達は、お釈迦様の真理をあまねく一切衆生に悟らしめる為であり、また、この真理を実践(経験)してもらう為の方便として、久遠仏の知恵を客体(お釈迦さまの意志や行為が及ぶ目的の譬えの対象として人格化した姿)として表現されたものです。久遠の仏とはお釈迦様の悟られた魂で「完成された悟り・完全無欠の悟り」そのものを表現しております。
観音様の働きは経典の中で、「諸法実相のあらゆる音を明らかに観る」という意味です。普通は音を聞くという受け身の表現を使うのが一般的ですが、ここでは音を観ると表現され他へ働きかける能動的な表現を示されています。この世の命ある全てのうごめく音を観ている。この中には、人間の声や言葉、心の中の願いや祈りのように声なき言葉までもシッカリ聞き取ってくださるのです。
諸法実相の諸法とは、一切の有形および無形のあらゆる事物のことです。また、実相とは、この世に存在するあらゆる事物のありのままの真実の姿で、言語や思考を越えた絶対否定の理とするもの、あるいは空・有を越えた絶対肯定の中道の理と解釈してください。このことを明確にしているのが、法華経思想の中に化・空・中の三諦という法門があります。ここで少し説明をいたします。
[化諦]とは、ものごとが特有の相や性質・働き・力など、それぞれの個性をもって現れてくる現象をいいます。すべての存在は実体がないもの。因と縁によって仮の姿であらわれている。その現実をあきらかに観ることをいいます。
[空諦]とは、すべての事象は空であり絶対的な存在は何も無いということです。
[中諦]とは、空諦・化諦にとらわれず一切の事象をありのままにとらえること。このことは、諸法実相は、化諦であり空諦であるということであり、一方向的に考えるのではなく我々凡夫の言葉や思慮を超えた世界観をあらわしている。観音様はこの中諦を本体としているといわれています。
このことは万物・万象は常に流動的であり、生命があるという視点からみれば草木・動物・細菌の果てまで平等に生命を有している平等相。しかし、個々に現実を見ればあまりにも不平等な実相がある差別相。この両面に即した現象をありのままに観ることが<真実の智慧>そのものであります。第一回の辻説法でもお話のとおり、観音様に一心に心を合わせることによって、久遠の仏と感応し仏の智慧を頂くことになり、あらゆる苦悩からの救済が実現することとなります。また、深く念ずることにより理想とする客体に自分の人格を近づける努力をすることとなり、自分自身の気づかないところで人格の向上が自然に実現することとなります。
観音様はこのような徳や力を持っている菩薩さまで、久遠仏の智慧を客体として表現されたものです。このことから、観音様とお釈迦様の関係は師匠とお弟子の関係ではなく、実は観音様も、お釈迦さまの「悟られた真理の智慧の部分」を表現していることであります。また、経典に書かれている他の仏さまや菩薩さまも同様に、お釈迦様の智慧や慈悲の部分を表現されているということです。
参考までに諸仏と釈尊の関係について、日蓮聖人は「善無畏三蔵抄」に明確な解釈を述べられております。別の機会にご紹介をさせて頂きます。 

■三徳を備える「お釈迦さま」がこの世の救済者 〜善無畏三蔵抄〜
前回の辻説法で「お釈迦様の智慧をあらわす観音様」のお話をさせて頂きました。この中で、
社会環境の違いや人間の機根の違いにより、人の世の姿は千変万化する。したがってある時期は薬師如来としての医薬による救済を必要とし、またある時期には帝釈天として護法の威力を、観世音菩薩の慈悲を必要とする時もあれば大日如来の理と智、阿弥陀如来の希望がなければならない時代もあり、そうした要求が永い時間をかけ結集以降、お釈迦様の智慧の結集として大乗仏典が作られてきた。
とお話をさせて頂きました。今回は、この件につき日蓮聖人の見解をほんの一部ではありますが参考として記載させて頂きます。
日蓮大聖人
鎌倉時代の僧で日蓮宗の開祖。改名前は是生房蓮長で幼名は善日麿といった。勅号は立正大師。安房国(千葉県)漁師貫名重忠の子。十二歳で小湊の清澄寺に入り、十八歳で出家。比叡山ほか各地で修行。建長五年清澄寺で布教を開始し、辻説法などを行う。文応元年「立正安国論」を著し、幕府の忌避にふれ伊豆へ流罪。三年後許されたが、ますます幕府や諸宗を叱責し、鎌倉竜の口で斬罪に処せられかけた。佐渡流罪後文永十一年身延に隠棲。武蔵国(東京)池上で没。著に「観心本尊抄」「開目抄」「報恩抄」等々。
世の中の戦争や権力抗争・自然災害・疫病・災難が巷に満ちあふれ衆生は恐怖と不安を隠しきれない原因は、教主釈尊の教えに背き、仏弟子と称する者は正しく法を理解しないことである。釈尊の正意は一つであるはずなのに、八宗・十宗に教義がわれて、学問は混乱する。この学問の混乱がそのまま世の中の混乱となる。諸々の災いを解決するには、末法の時は釈尊がこの時代の為に説かれた唯一乗の妙法蓮華経を信ずる事であり。個人においては成仏という無上の幸福境涯を得る生活法であり。国家においては諸々の天変地変の災いを消滅して真の安泰を得る秘術であると確信するに至る。
この娑婆世間に仏として存在したことがあるのは、釈尊ただお一人である。この世の仏の条件として主師親の三徳を備えており、この娑婆世界の一切衆生の性格や宿業までも知り尽くされ、久遠という遥か昔からこの娑婆世界の衆生を永い時間をかけて救済されてこられた為である。
主師親の三徳
1.主の徳とは、この世の中心をなし自由自在の力を持ち我々の運命までも支配しているもので、縁ある一切衆生を守護する力
2.師の徳とは、一切衆生を指導する力
3.親の徳とは、一切衆生を救っていこうとする慈愛の力
久遠の仏釈尊と諸仏の関係を遺文「善無畏三蔵抄」の中に本尊観をしめしながら次のように仰せになっておられます。本文を現代風に訳し一部解説を加えながら記載いたしました。
善無畏三蔵抄
「我が師・釈迦如来は一代聖教ないし八万法蔵の説者なり この娑婆(しゃば)・無仏(むぶつ)の世の最先(まっさき)に出(い)でさせ給いて一切衆生の眼目を開き給う御仏(みほとけ)なり。東西十方の諸仏・菩薩も皆この仏の教えなるべし。」
我が師匠の釈迦如来は、一代において尊い教えならびに八万法蔵の幾多の教えを説いた人ではないか。この世の中が、神も仏も一切居ない悪い時期、真っ先にこの世に仏としてお出になり一切の人々(衆生)に真実の教えを説き、人間としてのありかたの心を開き、気づかせてくれた仏様である。十方世界の仏や菩薩の教えも、元は皆この釈迦如来の教えなのである。
「譬(たと)えば皇帝已前(こうていいぜん)は人・父をしらずして畜生(ちくしょう)の如(ごと)し、尭王已前(ぎょうおういぜん)は四季(しき)を弁(べん)えず牛馬(ぎゅうば)の癡(おろか)なるに同じかりき。仏(ほとけ)世に出(い)でさせ給はざりしには 比丘・比丘尼の二衆もなく只男女二人にて候(そうら)いき。 今比丘(びく)・比丘尼(びくに)の真言師等・大日如来を御本尊と定めて釈迦如来を下(くだ)し念仏者等が阿弥陀仏を一向(いっこう)に持(たも)って釈迦如来を抛(なげす)てたるも教主釈尊の比丘・比丘尼なり元祖が誤りを伝え来るなるべし。」
例えば、古代中国では三帝・五帝が出て人としての道を説かれたが、それ以前は指導者というものが居なかったので無知で本能に任せた生活を送り、動物の世界のようだった。尭王の時、初めて春夏秋冬の自然界の仕組みを教えられたが、それ以前は牛馬と同じように愚かで知恵が無かった。釈尊がこの世に出現し人の道として仏法を説いた。ただの男や女も人としての心を育てられ、この仏道を修行しりっぱな比丘(男の出家者)・比丘尼(女の出家者)になったのではないか。しかし、今の比丘・比丘尼の修行者は、本家本元の釈迦如来を忘れ、この娑婆以外の世界を守護する阿弥陀如来や大日如来を本尊と崇めている。この誤りの根源は、釈尊の教える教義を間違って解釈した他宗の宗祖によるものである。
この釈迦如来は三の故(ゆえ)ましまして他仏(たぶつ)にかわらせ給いて娑婆世界の一切衆生の有縁(うえん)の仏となり給う。
釈迦如来は三つの理由から、他の仏に代わって娑婆世界の一切衆生を救う仏となられた。
「一にはこの娑婆世界の一切衆生の世尊(せそん)にておはします。阿弥陀仏はこの国の大王にはあらず釈迦仏は譬えば我が国の主上(しゅじょう)のごとし まずこの国の大王を敬って後に他国の王をば敬うべし、天照太神・正八幡宮等は我が国の本主(ほんしゅ)なり 迹化(しゃつけ)の後・神と顕(あら)われさせ給う、この神にそむく人・この国の主となるべからず、されば天照太神をば鏡にうつし奉(たてまつ)りて内侍所(ないじどころ)と号す、八幡大菩薩に勅使(ちょくし)有ってもの申しあいさせ給いき、大覚世尊(だいがくせそん)は我等が尊王(そんのう)なりまず御本尊と定むべし。」
第一に、この娑婆世界の一切衆生の仏は釈尊である。阿弥陀如来はこの娑婆衆生を教化したことも無く、この世に生まれたことも無くこの世の大王(主)ではない。その点、釈迦如来は現実にこの世に生を受け、多くの衆生に教えを説き、現実に救済をしてきている。このことを考えればこの娑婆世界の主上(大王)ではないか。ものの道理を分かるものは、まず自分の国主を敬って、その後に他国の国主を敬うのが当然のことである。今、我が日本の主神である天照太神・八幡大菩薩して敬っているが、元を正せば迹化(衆生の機根に応じて教化活動すること、またその姿)といって、釈迦如来の分身である。したがって、この神々に背くものはこの日本の国主となることはできない。朝廷では内侍職にある女官達が、鏡に天照太神が宿ったとして給仕奉公している。また、八幡大菩薩においては勅使(天皇の意思を伝える使者)を持って御神託(神のおつげ、神言)を受けられたのである。これらのことからも分かるように釈迦如来ただ一人が本当に尊敬できる方であり、本尊として定められるべきである。
「二には釈迦如来は娑婆世界の一切衆生の父母なり、まず我が父母を孝し後に他人の父母には及ぼすべし。例せば周の武王(ぶおう)は父の形(すがた)を木像に造って車にのせて戦(いくさ)の大将と定めて天感(てんかん)を蒙(こうむ)り殷(いん)の紂王(ちゅうおう)をうつ、舜王(しゅんおう)は父の眼(まなこ)の盲(めしい)たるをなげきて涙をながし手をもって・のごいしかば本のごとく眼あきにけり、この仏も又是くの如く我等衆生の眼をば開仏知見(かいぶつちけん)とは開き給いしか、いまだ他仏は開き給はず。」
第二に、釈迦如来は、娑婆世界において一切衆生の父母である。まず自分の父母に対して孝行した後に他人の父母に孝行するのが道理である。例えをいうならば、周の武王は、高徳で尊敬してた亡き父の姿を木造に造って車に載せ大将として戦った。天より感応を蒙り紂王を討つことができた。また、舜王は父が盲目となったことを嘆き悲しみ、父と共に涙を流した。その涙を拭きながら、自らの手で父の涙を拭き取ったところ、その心が通じて父の目が元のように見えるようになったという、言い伝えもある。これらの例えの如く、この世の仏である釈迦如来も、我々誰でもが仏となる命を備えていることを、教え気づかせてくれたのである。このように、教え気づかせた仏は、他の仏ではなく釈迦如来ただお一人であった。
「三にはこの仏は娑婆世界の一切衆生の本師なり、この仏は賢却(げんこう)第九・人寿百歳(にんじゅひゃくさい)の時・中天竺(なかてんじゅく)・浄飯大王(じょうぼんだいおう)の御子(みこ)・十九にして出家し三十にして成道し五十余年があいだ一代聖教(いちだいせいきょう)を説き八十にして御入滅後(ごにゅうめつご)・舎利(しゃり)を留めて一切衆生を正(しょう)・像(ぞう)・末(まつ)に救い給う。」
第三には、釈迦如来はこの娑婆世界の一切衆生の師匠であり指導者である。釈迦如来は、賢劫といって多くの仏や聖者が出現する時期に、インドの中ほど(現在のネパール地方)の浄飯大王(アーリア族で迦毘羅城の城主・古種の王族)の御子(幼名ゴータマ=シッタルタ)として誕生された。十九歳で生死解脱の法を求めて出家し、三十歳で悟りを開かれた。以来、五十年間にわたりインド各地に聖教を布教し続け、八十歳で御入滅された。その後正法時代・像法時代・末法時代に骨を留め置いて、我等衆生を救済された。
•正法時代 / 仏の教えがよく保たれ、正しい修行によって悟りが得られる時代。仏滅後、千年。
•像法時代 / 釈尊入滅後、正法の時をすぎて、教えや修行が行われるだけで、さとりが得られなくなった時期。像法千年と数える。
•末法時代 / 釈迦の入滅後、正法・像法に次ぐ時期で、仏の教えがすたれ教法だけが残る最後の時期とされ、万年の間。
「阿弥陀如来・薬師仏・大日等は他土の仏にして、この国土の世尊にてはましまさず、この娑婆世界は十方世界の中の最下(さいか)の処・たとえばこの国土の中の獄門(ごくもん)の如し、十方世界の中の十悪(じゅうあく)・五逆(ごぎゃく)・誹謗(ひぼう)正法の重罪(じゅうざい)・逆罪(ぎゃくざい)の者を諸仏如来・擯出(ひんずい)し給いしを、釈迦如来この土にあつめ給う。三悪(さんあく)ならびに無間大城(むげんだいじょう)に堕(お)ちて、その苦をつぐないて人中天上(にんちゅうてんじょう)には生れたども、その罪の余残(あまり)ありてややもすれば正法を謗(ぼう)じ智者を罵(ののし)り罪つくりやすし。」
阿弥陀如来や薬師如来・大日如来などは、他土の仏であって、この娑婆世界の仏ではないので第一に考えてはならない。この娑婆世界は十方世界の中で最も下にある最悪の処である。例えばこの娑婆世間にもいろいろな世界があるが獄門(刑場)のような苦しみもがく場所である。なぜならばこの世界は十方世界の中で十悪・五逆といって最も罪の重いものたちや、誹謗正法といって法華経を謗ったり敵対する者を他土の仏たちが追放してしまった。このような者たちを釈迦如来はこの娑婆世界に集め教育を施された。この者の中には三悪道や無間地獄に墜ちてその罪を償い人間界や天界に生まれ変わる者も少しはいるが、ほとんどの者は、その罪を犯した性格や性質が償いきれずに、ややもすれば法華経を謗じたり、この法を行ずる智者を罵り罪をつくりやすい。
•十悪 / 身・口・意の三業が作る十種の罪悪。すなわち、殺生・偸盗・邪淫の「身三」、妄語・両舌・悪口・綺語の「口四」、貪欲・瞋恚・邪見の「意三」の総称。
•五逆 / 五種のもっとも重い罪悪。一般には、母を殺すこと、父を殺すこと、阿羅漢を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけることの五つをいい、これを犯すと無間地獄(むげんじごく)に落ちるとされ、五無間業と呼ばれる。
•三悪道 / 悪業の結果堕ちる三つの悪道。地獄道、餓鬼道、畜生道。
•無間地獄 / 八大地獄の一つで、現世で五逆などの最悪の大罪を犯した者が落ちる地獄。
「例(れい)せば身子(しんじ)は阿羅漢(あらかん)なれど瞋恚(しんに)のけしきあり、畢陵(ひつりょう)は見思を断ぜしかども慢心の形(すがた)みゆ、難陀(なんだ)は淫欲(いんよく)を断じても女人(にょにん)に交(まじ)わる心あり、煩悩(ぼんのう)を断じたれども余残(あまり)あり。何(いか)に況(いわん)や凡夫(ぼんぷ)においてをや、されば釈迦如来の御名(みな)をば能忍(のうにん)と名づけてこの土に入り給うに 一切の誹謗(ひぼう)をとがめずよく忍び給う故なり、これらの秘術(ひじつ)は他仏のかけ給へるところなり。」
例えば身子のような阿羅漢でもややもすると、忍耐ができず怒りの気持ちがまだ残っている。また、畢陵も自惚れがあり、ややもすると人に対して非難をしたり馬鹿にしたりするところがある。難陀という弟子は確かに淫欲を断じたけれども、心の中にはまだ女人と交わる思いが残っていてなかなか断じ切れなかった。このように、厳しい修行をした者でさえこの様なことがある。まして、凡夫の衆生はなお更のことである。この様なことから釈迦如来のお仕事も大変なことで、御名を能忍と名乗り、一切衆生の誹謗の罪をとがめず、よく忍び難きを忍んで罪深き衆生を救う為に、この娑婆世界に出現されたのである。この秘術は他の仏様には欠けているところである。
•身子 / 釈迦十大弟子、また十六羅漢の一人。提舎を父、舎利を母として、釈迦当時、中部インド摩訶陀国の婆羅門の家に生まれた。懐疑論者に師事していたが、のち釈迦の弟子となり、その教化を助け、智慧第一と称された。
•阿羅漢 / 小乗仏教の最高の悟りに達した聖者をいう。また、学ぶべきものがないので「無学」ともいう。
•畢陵 / 釈尊の弟子で見思惑第一といわれ優れた見識と判断力を持ち賢人といわれた人。
•難陀 / 釈迦の異母弟。有喜と意訳する。紀元前四〜五世紀のインドの人。美貌の妻孫陀利への思いを出家後も捨てきれずたびたび諭され、のち悟りを得て、五官などの制御に特に傑出した人。
「阿弥陀仏等の諸仏世尊・悲願をおこさせ給いて心には恥をおぼしめして還(かえ)ってこの界にかよい四十八願・十二大願なんどは起こさせ給うなるべし、観世音等の他土の菩薩のまたまた是(か)くの如し、仏には常に平等の時は一切諸仏は差別なけれども常に差別の時は各々に十方世界に土を占めて有縁無縁を分かち給う。」
阿弥陀如来(「無量光」、または 「無量寿」と訳す。阿は「無」、弥陀は「量」の意。十万億土の先にある西方浄土[極楽浄土]にいる教主の名前)やその他の仏様たちにも言えることであるが、極悪人や罪深き蘇生の遅い者を追放したので、仏としての目的が早く成就してしまった。その為、恥を忍んでこの娑婆世界に来られ釈迦如来のお手伝いをしようと考えた。阿弥陀如来は四十八の請願(この中で、念仏を唱える者は必ず極楽浄土に生まれることを記載しているが、誹謗正法・五逆罪の者を除くとある)をし、薬師如来は十二請願の約束をされたのである。観世音菩薩も同じことである。仏というのは、衆生を救済する慈悲心の上では常に平等であるが、仏は縁の深浅により差別が生じるため、他土の仏さまも、それぞれ自分たちの国土において十方世界縁者の守護する者を分かち合う。
「大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)の十六王子・十方に土を占めて、我が弟子を救い給う、その中に釈迦如来はこの土に当たり給う 我等衆生(しゅじょう)もまた生を娑婆世界に受けぬ、いかにも釈迦如来の教化(きょうけ)をば離るべからず而(しか)りといえども人みな是(こ)れを知らず、委(ゆだね)く尋ねあきらめば唯我一人(ゆいがいちにん)能為救護(のういくご)と申して釈迦如来の御手(みて)を離るべからず、而(しか)ればこの土の一切衆生・生死を厭(いと)い御本尊を崇(あが)めんとおぼしめさば必ず 先ず釈尊を木画(もくが)の像に顕(あら)わして御本尊と定めさせ給いてその後 力おわしまさば弥陀等の他仏にも及ぶべし。」
その昔、大通智勝仏(三千塵点劫の昔、この法華経を説いたといわれる仏)がいた。この仏には十六人の御子(釈迦如来・阿弥陀如来もこの時に兄弟として生まれていたとされている)がおり、この御子達が後に出家して十方世界に国土を定めて、それぞれの眷族となる者を守護していくこととなった。この時、釈迦如来はこの娑婆世界の担当と決まった。この様なことから、我々娑婆世界に生を受けた衆生は、釈迦如来の御手から離れるべきではない。このように大事なことを衆生は知らないのである。この件について調べてみれば、法華経譬喩品第三に「唯、我一人のみがこの世の衆生を救い護るのである。」と明白に断言をしておられる。この理由から生死の苦しみから離れようと考える者は、釈迦如来の教えを離れてはならないのである。この娑婆世界の衆生は、まず、釈尊の木画の像を顕わして本尊とするべきである。その後、力があるならば阿弥陀如来や他土の仏さまを拝するべきである。

以上のことが、日蓮聖人の仰せであります。我々仏教を学び修行を志す人はよく肝に銘じなければならないことだと思います。 
 

 

■悟りへの道「四諦・八正道」
仏は、個人的な悟りを得たいと求める人のためには四諦の法門を説いて、生・老・病・死をはじめとするさまざまな人生苦から救い、現象へのとらわれから解脱した境地を極めさせました。また人生のいろいろな出来事を縁として自ら悟りを開こうと努めるものには十二因縁の法門を説き、もっと大きな志を持ち人を救い世を救うことにより仏の境涯に達しようとする者には六波羅蜜の法門を説き、あらゆる物事を総合的に明らかに見通す大きな智恵を得、悟りに至る手段を明らかにされました。
四諦(したい)
四諦の教えは、初転法輪から入滅の直前まで、釈尊が一貫して説かれた人生の真理。四苦八苦(しくはっく)を滅する方法を説いたものです。
1.苦諦(くたい)
人間の歴史が始まって以来、暑さ寒さ・天災地変・飢饉・疫病・貧困・不仲・不安・老い・死等に対する苦しみがあり、人生は苦「生(しょう)・老・病・死・愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)」であることを諦(さと)る。
2.集諦(しったい)
集というのは「集起(しゅうき)」の略で「原因」という意味です。人生苦にも必ず原因があり、その原因を探求し、反省しそれをはっきり諦(さと)ること。法華経・譬諭品第三に「諸苦(しょく)の所因(しょいん)は貪欲(とんよく)これ本なり」と説かれ、渇愛(かつあい)といって喉の渇いた者が激しく水を求めるように、凡夫が諸々の欲望の満足を求めてやまない心の状態、無制限にものごとを貪り求めること。本能そのものは善悪以前の自然のものであると釈尊は説かれているのですが、欲望を必要以上に増大させ、人の迷惑などおかまいなく貪りを増大させる思いや行為が、不幸を呼び起こすのだと教えられています。この原因を悟る方法として十二因縁の法門が説かれている。
3.滅諦(めったい)
前記の集諦によって、苦の原因は人間の心の持ち方にあるのだということが解りました。この事から当然「心の持ち方を変えることによって、あらゆる苦悩は必ず消滅する。」ということになる教えです。渇愛を余すことなく捨て去り、解脱し執着を断ち切ることができるのか、ただ捨て去ろう、解脱しよう、執着を断ち切ろうとすると、かえってそのものへの心の引っ掛かりから苦しみを増大させてしまうことも充分ありうる事で、釈尊は次に述べる「道諦」の真理をお説きになりました。
4.道諦(どうたい)
釈尊は苦を滅する道について、本当に苦を滅する道は苦から逃れようと努力することではなく、正しく物事を見る「正見(しょうけん)」・正しく考え「正思(しょうし)」・正しく語り「正語(しょうご)」・正しく行為し「正行(しょうぎょう)」・正しく生活し「正命(しょうみょう)」・正しく努力し「正精進(しょうしょうじん)」・正しく念じ「正念(しょうねん)」・正しく心を決定させる「正定(しょうじょう)」の八つの道「八正道(はっしょうどう)」を説かれました。
これらの四諦の法門は、非常に重要な教えであり「法華経・譬諭品第三」に次のように説かれております。「もし人 小智(しょうち)にして深く愛欲に著(ぢゃく)せる これらを為(もっ)ての故(ゆえ)に苦諦(くたい)を説きたもう 衆生心に喜んで未曾有(みぞう)なることを得 仏の説きたもう苦諦は真実にして異なることなし もし衆生あって苦の本(もと)を知らず 深く苦の因(いん)に著(ぢゃく)して 暫(しばら)くも捨(す)つること能(あた)わざる これらを為ての故に 方便(ほうべん)して道を説きたもう 苦の所因(しょいん)は 貪欲(とんよく)これ本(もと)なり もし貪欲滅(めっ)すれば 依止(えし)する所なし 諸苦(しょく)を滅尽(めつじん)するを 第三の諦と名づく 滅諦(めったい)の為の故に 道を修行す」とあります。仏教修行を志される方々は、よくこの意味をよく理解していかなければならないと思っています。
四苦八苦
すべては苦である(苦諦の法門)と観なさい!釈尊は人間というものは、「必ず移り変わるもの」を「永久に不変のもの」と錯覚し、無理な執着をつくりだすのだと説いています。「人生は苦である。」と断定したことは決して悲観的・厭世的(えんせいてき)なものの見方を教えたわけではなく、「苦」そのものを直視し、心の表面でごまかすことなく一時の喜びや、楽しみは、いつかは消え失せ、その影には必ず「苦しみ」がつきまとうという事を断ぜられた真意はここにあります。現代生活に即して云えば、酒や遊びなどで一時逃れをせず、しっかりと「現実」を見すえて「苦」を正面から受け止め、その原因を見つめる態度が大事であるという事です。このような時「諸行無常」の真理を悟り、今の苦しみは永遠のものでもないし、今の楽しみや喜びも永遠ではなく一時的なもので、これらの現象にとらわれない生活習慣をつけることが修行にほかなりません。
1.生(しょう) 生きるということは苦である。
2.老(ろう) 老いていくことは苦である。
3.病(びょう) 病にかかることは苦である。
4.死(し) 死ぬということは苦である。
5.愛別離苦(あいべつりく) 愛するものと別れるのは苦である。
6.怨憎会苦(おんぞうえく) 怨み憎む者と会うのは苦である。
7.求不得苦(ぐふとっく) 求めても得られないのは苦である。
8.五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊とは色・受・想・行・識のこだわりの苦しみ。簡単に云うと、人間の五官(眼・耳・鼻・舌・身・)で感じるものや心で感じる人間の肉体や精神活動すべてが物事にこだわりをつくる苦しみ。
釈尊は、このように「苦」の分類を八種類に分類され生・老・病・死を「四苦」といい次の「四苦」愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を合わせて「八苦」と呼びます。
八正道(はっしょうどう)
釈尊は「苦」を滅する方法として八つの正しい道を解き明かしました。これが、正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定の方法です。これらすべての方法に「正」の字がついていますが、「正しい」とは「真理に合った」・「調和のとれた」考えや見方、行動をさし、小我「自分本意」にとらわれて、自分自身を過大評価し、不平・不足・不満などの苦の種をつくらない大きな立場で物事を判断できる人間となる事を示す道として解き明かしたものである。また、ものの見方には現象に現れた差別の見方や前記した大きな立場からの「平等だけの見方」のどちらに偏っても正しい見方とはいえないのです。ここでなぜ「平等」の見方だけで正しくないのかという疑問が湧くかもしれませんが、物の本質として現象に千差万別の差別の実相を現すには、それなりの原因や条件があり理由があり無視する事はできないのです。このように差別の見方にも偏(かたよ)らず、平等の見方にも偏らない、両者を総合したとらえ方が本当の「正しい」見方やとらえ方となります。これを仏教では「中道」といいますが、これは一方に片寄らない、ちょうど真ん中という意味ではなく、その時々の真理の条件・立場に合った最善の方法の見方や考え方という事です。この考え方や見方は法華経の「妙」を現すものです。
1.正見
自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすること。
2.正思
自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)・愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。
3.正語
恒に真理に合った言葉使いをする事。社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)・綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。
4.正行
本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」です。
5.正命
衣食住その他の生活財を正しく求める事。人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって生計を立ててはいけないこと。
6.正精進
自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや脇道にそれたりしない事で、とらわれ過ぎたり偏った精進はかえって逆効果になる場合があります。
7.正念
仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、ものごとの真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。
8.正定
心の状態が真理に照らし正しい状態に定まる事。腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。
これらの「四諦」・「八正道」の法門は、釈尊が人生苦というものに対する考え方や、その「苦」に対処する実践方法を解き明かされた大切な法門ですので、深く心に刻んでいただきたいと思います。 

■悟りへの道「十二因縁」
お釈迦様が、初めて悟りを開かれた『初転法輪(しょてんほうりん)』で、私たちの生活する娑婆世界は、
1.諸行無常(しょぎょうむじょう):この世の中で常であるものはなにもなく絶えず変化している
2.一切皆苦(いっさいかいく):一切は皆苦であると知ること
3.諸法無我(しょほうむが):本来、我(われ)となる主体はない
の三法印(さんぽういん)をお説きになりました。また、この三法印に、4.『涅槃寂静(ねはんじゃくじょう):一切のとらわれやこだわりを離れた姿』を加えて四法印(しほういん)と呼び、これら三法印・四法印は仏教の根幹をなすものとされています。
仏様は、私たちに、実相(じっそう)をありのままに受け入れる事が苦を滅する第一歩であると説かれています。また、私たちの心の状態に応じた、悟りへ導く手だてとして、第四回目にお話をした『四諦(したい)・八正道(はっしょうどう)』と、今回お話致します『十二因縁(じゅうにいんねん)』、また次回にお話をさせていただく『六波羅蜜(ろくはらみつ)』の法を説かれました。
今回お話しする『十二因縁(じゅうにいんねん)』は、釈尊(しゃくそん)が、人間の苦しみや悩みがいかに成立するかを考察(こうさつ)し、その原因を十二の項目によって追求しました。一切の現象は私たちの心に原因があり、現在、生かされている業(行為)が魂にすり込まれ、前世などの過去世を含めた時代の業にも影響しあって、現在のそれぞれの幸・不幸が決まるとされています。
諸法実相(しょほうじっそう)すべての存在・ありのままの姿をもっと深く理解させるために、縁起の角度から説かれた教えが『十二因縁(じゅうにいんねん)』です。この教えは、人間の肉体生成を十二種の法則に分類し、心の変化にも十二に分かれた因縁の法則があるという教えです。前者を外縁起(がいえんぎ)、後者を内縁起(ないえんぎ)と言いますが、その内容は、私達人間の肉体がどのような過程(かてい)を経(へ)て生まれ、成長し、老死にいたるかということを、過去、現在、未来の三世にわたって、千変万化(せんぺんばんか)する人間の心のありさまを示されたものです。
まず、最初に十二因縁(じゅうにいんねん)の働きを簡単に示すと下記のようになります。
1.無明(むみょう)⇔2.行(ぎょう)⇔3.識(しき)⇔4.名色(みょうしき)⇔5.六処(ろくしょ)⇔6.触(そく)⇔7.受(じゅ)⇔8.愛(あい)⇔9.取(しゅ)⇔10.有(う)⇔11.生(しょう)⇔12.老死(ろうし)
上記は、これあるが故にこれあり、これ生ずるが故にこれ生ず(順観(じゅんかん)といい、1〜12へと順番に見ていく様)、また、これなきが故にこれなく、これ滅するが故にこれ滅す(逆観(ぎゃっかん)といい、逆に12〜1へと見ていく様)になります。
法華経『化城諭品第七』の中で、
及広説。十二因縁法。無明縁行。行縁識。識縁名色。名色縁六入。六入縁触。触縁受。受縁愛。愛縁取。取縁有。有縁生。生縁老死憂悲苦悩。
と説かれ、意味としては、
「及び広く十二因縁の法を説きたもう。無明(むみょう)は行(ぎょう)に縁たり、行(ぎょう)は識(しき)に縁たり、識(しき)は名色(みょうしき)に縁たり、名色(みょうしき)は六入(ろくにゅう)に縁たり、六入(ろくにゅう)は触(そく)に縁たり、触(そく)は受(じゅ)に縁たり、受(じゅ)は愛(あい)に縁たり、愛(あい)は取(しゅ)に縁たり、取(しゅ)は有(う)に縁たり、有(う)は生(しょう)に縁たり、生(しょう)は老死(ろうし)・憂悲(うひ)・苦悩(くのう)に縁たり。」
となります。
ここで云う『縁たり』というのは、○○の縁によって生じたもの、言い替えると○○を条件として生じたものという意味です。例えば、『無明(むみょう)は行(ぎょう)に縁たり』といえば、『行(ぎょう)』というものは『無明(むみょう)』という縁を介して生じた・・・ということです。ものごとが生ずるには、かならず原因(因)と条件(縁)がなければならないということです。
また、同じく経文に、
無明滅則行減。行減則織減。識減則名色減。名色減則六入滅。六入減則触減。触減則受減。受減則愛減。愛減則取減。取減則有減。有滅則生滅。生滅則老死憂悲苦悩減。
とあり、意味は、
「無明(むみょう)滅すれば則ち行(ぎょう)も減す、行(ぎょう)滅すれば則ち識(しき)も減す、識(しき)滅すれば則ち名色(みょうしき)も減す、名色(みょうしき)滅すれば則ち六入(ろくにゅう)も滅す、六入(ろくにゅう)滅すれば則ち触(そく)も減す、触(そく)滅すれば則ち受(じゅ)も減す、受(じゅ)滅すれば則ち愛(あい)も減す、愛(あい)減すれば則ち取(しゅ)も減す、取(しゅ)滅すれば則ち有(う)も滅す、有(う)減すれば則ち生(しょう)も減す、生(しょう)滅すれば則ち老死(ろうし)・憂悲(うひ)・苦悩(くのう)も減する。」
と説き、苦悩(くのう)の根本にある無明(むみょう)を滅することが、一切の束縛(そくばく)から離れる根本であると説いています。
この十二因縁(じゅうにいんねん)は、四諦・八正道(したい・はっしょうどう)・六波羅蜜(ろくはらみつ)などとともに仏教教義の根本でありますが、四諦・八正道(したい・はっしょうどう)を声聞界(しょうもんかい)、六波羅蜜(ろくはらみつ)を菩薩界(ぼさつかい)の衆生を対象に説法され、この十二因縁(じゅうにいんねん)は縁覚界(えんがくかい)の衆生を対象に説いたといわれています。
外縁起(がいえんぎ)
人間を物質的面からとらえた考え方で、肉体はどのようにつくられてきたかを十二の段階から考えることです。
十二因縁の最初は1.『無明(むみょう)』です。無明というのは、「明るくない」とか「無知(むち)」ということです。
私達の魂(たましい)は、両親の夫婦生活という2.『行(ぎょう)=行為』によって母親の胎内(たいない)に宿り、3.『識(しき)』が生まれます。識(しき)というのは『生物の特性を備えたもの』ととらえ、不完全ながらも人間らしいものができてきます。
不完全な識(しき)がだんだんかたちを整えてくると、4.『名色(みょうしき)』になります。名(みょう)とは無形のもので、精神や心の状態をあらわし、色(しき)はその逆の形あるもの、つまり肉体を指します。したがって名色(みょうしき)というのは、魂(たましい)の入った人間の心身ということです。
名色(みょうしき)が発達すると六入(ろくにゅう)、ここでは5.『六処(ろくしょ)』と呼び、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜっ)、身(しん)、意(に)、すなわち六根(ろっこん)が調うということです。私達は、このような段階の状態で、この世に生まれ出てくると云われています。
五感(ごかん)と心が発達してくると、視覚(しかく)、聴覚(ちょうかく)、臭覚(しゅうかく)、味覚(みかく)、触覚(しょっかく)などをはっきり感じられるようになります。このように、名色(みょうしき)と六処(ろくしょ)が互いに影響(えいきょう)しあって感覚器官が発達した状態を、6.『触(そく)』といいます。
触(そく)の感覚器官がもっと発達してくると、感受性が強くなってきて、好き嫌いの感情がでてきます。この状態を7.『受(じゅ)』と言うのです。人間の年ごろで言えば、六、七歳ごろを指しますが、さらに成長すると、8.『愛(あい)』が生じます。この愛にはいろいろな意味がありますが、この外縁起(がいえんぎ)では異性に対する愛情と考えてください。
異性への愛情が芽生えてきますと、自分のものにしたいという所有欲(しょゆうよく)、独占欲(どくせんよく)がでてきます。それが9.『取(しゅ)』であります。
また、逆に自分の嫌いなものから、離れようとしたり、嫌ったりします。このような区別する感情が出てくることを、10.『有(う)』といいます。
ここまでくると、人生のほんとうの苦しみというものがいろいろな形で襲いかかってきます。このように、さまざまな苦楽(くらく)の意識を業(ごう)=(行為)として魂に記憶し、このような意識で人生を展開することを、11.『生(しょう)』といいます。この『生(しょう)』は本人だけでなく、子々孫々の『生(しょう)』にも影響を与えていると考えることもできます。仏法では、『無明(むみょう)』をなくさない限り、親や先祖の『無明(むみょう)』が、子や孫へと受けつがれ、いつまでも、束縛(そくばく)やとらわれから逃(のが)れることがなく、苦楽(くらく)の意識を継続(けいぞく)してしまうのです。
そして、それは一生続いて、最後に老いて死を迎える12.『老死(ろうし)』に至(いた)るわけです。
以上が、私達人間の肉体を中心とした外縁起(がいえんぎ)による十二因縁(じゅうにいんねん)です。
内縁起(ないえんぎ)
内縁起(ないえんぎ)は、心の働きを中心に、十二の項目について検証(けんしょう)します。
最初に1.『無明(むみょう)』ですが、これは正しい世界観や人生観を知らない人です。また、知っていても無視した生き方をすることです。
無明(無知)のために、真理〈宇宙意識を含めた大自然の原理原則〉に合わない行動をしてきた、これが2.『行(ぎょう)』です。ただ、この場合の『行』は、自分自身だけの行いだけにとどまらず、解釈においては、「人間の行為が永い間、魂(たましい)にすり込んだ、過去の行い」を含んでいます。よく世間で「親の因果(いんが)が子に報い」とか「因果(いんが)は三代めぐる」などと言いますが、これは潜在的に形成されているものを含んで言うのでしょう。
次の3.『識(しき)』は、外縁起(がいえんぎ)で述べた眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜっ)・身(しん)・意(に)の六処(ろくしょ)に影響(えいきょう)を及ぼす働きをもつことから、物事を知り分ける識別作用の働きをいいます。私達の識の中には、前世の業=行為が、輪廻(りんね)した魂(たましい)の潜在意識(せんざいいしき)の中にあると思われます。前世に悪業(あくごう)をなした人は、現世の識(しき)も無明(むみょう)の識(しき)と言えます。このような人達は、過去世からの無明(むみょう)の識(しき)を背負(せお)ったままのスタートとなり、これに現世(げんせ)の業(ごう)=行為が積み重なります。
私達人間には、眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(に)という六つの器官(きかん)があります。そのうち、体の部分である眼・耳・鼻・舌・身の五官を、普通感覚(ふつうかんかく)と呼びます。そして、心の部分の「意(い)」を知覚と云います。私たちの生活は、この普通感覚と知覚の働きが互いに関連することにより生活ができるわけで、『識(しき)』と、4.『名色(みょうしき)』、5.『六処(ろくしょ)』、6.『触(そく)』が、複雑に依存(いぞん)し合い、さまざまな人間の行動をさせているのです。
このように心が発達するにつれて、7.『受(じゅ)』が生じます。環境や価値観の違いから、ものの受け取り方や感じ方が違ってきます。主観(しゅかん)と感受性(かんじゅせい)の相違(そうい)が生まれてきますが、これは過去の経験から生じてくると云われています。
このように、名色(みょうしき)・六処(ろくしょ)・触(そく)が複雑に関わり合って、好き、嫌(きら)いなどの苦楽(くらく)の感情が生まれてくると、自然に8.『愛(あい)』が起こります。ここでいう愛は、執着心(しゅうちゃくしん)と考えとらわれる心だと解釈してください。仏様も、比喩品(ひゆほん)第三の中で、《諸苦(しょく)の所因(しょいん)は貪欲(とんよく)これ本(もと)なり》と仰(おお)せです。《もろもろの苦の原因は、貪欲が本となっている》という意味です。貪欲(とんよく)と言うのは、自分の欲望にまかせて執著(しゅうちゃく)する心を指(さ)します。
このように、好き・嫌(きら)いの苦楽(くらく)に対する考え方が激しいほど、極端に相手に対しての愛(あい)・憎(ぞう)の感情が強くなります。執著心の強い人は『愛』を感じて、自分のものにしたいとか、放したくないと考えます。この心が9.『取(しゅ)』です。これは、愛憎(あいぞう)の心から起こる強い取捨選択(しゅしゃせんたく)の心です。仏様が、前記と同じく法華経の比喩品(ひゆほん)第三の中で、《深く愛欲(あいよく)に著(じゃく)せる、此れ等を為っての故に苦諦(くたい)を説きたもう》と説かれて、《悪行悪徳(あくぎょうあくとく)の原因を除かなければ、人間は幸せになれない》とハッキリ仰せです。
『取(しゅ)』があると、人間はそれぞれの考えや主張がでてきます。それが10.『有(う)』です。有とは、自己中心の心がもたらす差別・区別の心です。好きなものには親しんで、気に入らないものや嫌いなものは排除(はいじょ)するのが、人間世界の姿です。
こうした差別心は、人間に対立や争いを起こします。争いや対立は苦しみを伴います。このように苦しむ人生を11.『生(しょう)』と云います。
そして目先のできごとで喜んだり、悲しんだり、苦しんだりして生きているうちに、12.『老死(ろうし)』を迎えるということになります。
以上が心の動きを中心とした十二因縁(じゅうにいんねん)の説明です。十二因縁の教えを、私たちは自分の人生に生かし、自分自身のあり方を考えることも大事であると思います。
無明 (むみょう)  『無明』とは明るく無いことで、智慧のないことを意味します。つまり、すべてのものごとのあり方や、人生についての意義を知らず、また知ろうともしない状態をいうのです。【無知のこと、根本煩悩のこと】
行  (ぎょう)  人間の意志をもって行う行為ではなく、人間が人間という形をもたなかったころ、すなわち、十億年も前、この宇宙に生物というものが発生した当時から、その生物が無意識のうちに行動してきたことをさしているのです。【潜在的形成力】
識  (しき)  そうした無意識の行動が、長い間無数につみかさなることによって、次第に、物事を知り分ける意識ができあがってきます。簡単に云うと、習慣によって、ぼんやりとした、きわめてハッキリしないものごとを知り分ける働きの大元にすぎません。これを『識』というのです。【認識・判断と考える】
名色 (みょうしき)  識が、少しずつ発達して『名色』となります。『名』は無形のものをいい、ここでは心や精神世界を表します。『色』は有形のもので、ここでは肉体をいいます。心身の作用が除々に形を整え、自分の存在を意識するようになる状態を、『名色』といいます。ここでいう意識は、自分勝手に自分の存在を意識するわけです。わかりやすくいえば、身体というものはもともと『空(くう)』であるのにもかかわらず、自分の存在を固定的・永続的に実在するかのように意識する意識をいいます。【名称と形態をいう】
六処 (ろくしょ)  名色が発達すると、心身の六つのはたらきがハッキリしてきます。すなわち、眼(視覚)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌(味覚)・身(触覚)という五感の感覚と、その五官で感じたものの存在を知りわける意(心=知覚)が相互に働き、分別や区別する意識がでてくるのです。そういう働きを『六入又は六処』といいます。【対象と接触する領域】
触  (そく)  前記の物事を見分ける能力がそなわってきて、ハッキリと意識的に物を判断できる状態になること。例えば、赤ちゃんが成長してきて、お父さん、お母さんなどの識別ができるようになった状態をいいます。このような識別は、『名色』と『六処』が互いに融合し関連して起こるものを『触』といいます。【対象との接触】
受  (じゅ)  心身が発達し、ものごとを識別できるようになると、自然に、好き・嫌い・憂い・悲しみ・苦しみなどのような、さまざまの感情が起こるようになります。これを『受』といいます。心に起こる最初の感情を、『受』というのです。【受容して生じた苦・楽・非苦・非楽をいう】
愛  (あい)  このような感情が起こるようになると、当然のこととして、ものごとに対して『愛着』が起きてきます。これは、好きなものに心がとらわれることです。この段階では、まだ無邪気な心の動きの状態をいい、自分が楽しく感じる物に執着を感じている状態を云います。【渇愛】
取  (しゅ)  愛着を感じると、どこまでも追い求めていこうという欲望が生まれます。愛着・執着の気持ちが強くなると、得たものは離すまいという気持ちが起こります。反対に、嫌なものを遠ざけたい、逃げたいというような、自分本位な心の働きが起きてくる状態を、取というのです。【執着】
有  (う)  取が生じると、人の感情はそれぞれで、物事に対する考え方や判断が違ってくるようになり、それぞれが、自分の立場でものごとを主張をするようになります。つまり、『他人と自分を差別や区別』をする意識を持つようになります。そうした差別や区別する心の状態を有といいます。こうした意識の状態が芽生え始めて、意識に幸・不幸を感じるようになり、他人との不調和が人と人との対立を生み、争いが起こり、苦楽を意識するようになります。これらは、差別や区別する心であり、有が引き起こすものとされています。【生存すること、憂・悲・苦・悩をいう】
生  (しょう)  このように苦楽の意識は、業(行為)として、魂にすり込まれ、さらに次の世における『生』においても、同じような意識で人生が展開されていきます。つまり、根本原因である『無明』をなくさない限り、いつまでもこのような苦楽の輪廻を繰り返すとされています。また、この『生』を、本人だけでなく、『因果は三代めぐる』と云われるように、子々孫々の『生』にも影響を与えていると考えることもあるようです。【生まれること】
老死 (ろうし)  人間は、この世に生を受ければ、やがて老いて死を迎えなければならない運命です。このことを『老死』と云います。人間が死を恐れたり、不安になるのは、肉体が活動していることのみを、この世限りの人生だと錯覚しているからではないでしょうか。仏様は、人生において仏法による正しい行為(善業)を積み重ね、次の世では、後生善処といって環境の良い処へと生まれ変わり、よりよい人生を送ることができるとされています。最終的には、輪廻さえ解脱して仏の境界に到達できるのだと説かれています。生物発生から人間という形になるまでの経過や、人間が苦の人生を送る状態を考えてみると、『無明』を根本原因として、十二因縁のさまざまの段階においてその無智を深めた結果であることがよくわかります。【老いて死ぬこと】
余談になりますが、生理学者が臨床研究によって証明するところによりますと、精子と卵子が結合して、完全な赤ちゃんとして生まれるまでに、アメーバーのようなものから、虫のようなもの、魚のようなもの、両棲類(りょうせいるい)のようなものと、人類の進化とおなじような過程を経て成長して、ついに人間の形となるわけです。ですから、この十二因縁の法則は、生物発生の経過の考察であると同時に、個人の受精から死に至るまでの実相を明らかにしたものです。こういった状況を永遠に繰り返している状況を三世両重(さんぜりょうじゅう)の因果(いんが)といいます。
順観(じゅんかん)・逆観(ぎゃっかん)
十二因縁の法則を、人間の存在発生から死にいたるまでを、ものごとが縁により生じるものを順に観察したものを『順観』と呼んでいます。人間は生まれて死に至るまで、さまざま人生苦を味わうこととなります。お釈迦さまはブッダガヤーの菩提樹下において、この人生苦を消滅し、輪廻から解脱する為にはどうすればよいかをお考えになり、無明から老死に至る人間の存在発生から死に至るまでの発想を逆転させ、根本の無明を滅する方法を『逆観』といい、縁起を順と逆に観じて、悟りを開かれたといわれております。
この順・逆の発想は十二因縁の教えを完成する上でとても重要です。
諸法実相(しょほうじっそう)
諸法とはすべての存在、実相とは真実のすがたのこと。
法華経方便品では、諸法が十如是(じゅうにょぜ)(相(そう)・性(しょう)・体(たい)・力(りき)・作(さ)・因(いん)・緑(えん)・果(か)・報(ほう)・本末究竟等(ほんまつくきょうとう))の仕組みで働いているものとする。すべての存在を空(くう)の思想に立った考え方でうけとり、にもかかわらず仮のものとして現実をうけとめ、さらにそれらを中道(ちゅうどう)、つまり偏りのない認識でみることである。
こうした思想は、天台大師(てんだいだいし)智(ちぎ)によって提唱(ていしょう)された円融三諦論(えんゆうさんたいろん)としてまとめられたが、さらに日蓮によって一念三千(いちねんさんぜん)即妙法五字(そくみょうほうごじ)の法門(ほうもん)へと高められていった。
十如是(じゅうにょぜ)
法華経方便品に、
「唯(ただ)仏と仏とのみすなわち能(よ)く諸法(しょほう)の実相を究尽(くじん)したまえり。所謂(しょい)、諸法(しょほう)の如是相(にょぜそう)・如是性(にょぜしょう)・如是体(にょぜたい)・如是力(にょぜりき)・如是作(にょぜさ)・如是因(にょぜいん)・如是縁(にょぜえん)・如是果(にょぜか)・如是報(にょぜほう)・如是本末究竟等(ほんまつくきょうとう)なり」
と説かれる法華経の特色ある法門の一つを、天台大師智(てんだいだいしちぎ)が、十如是(じゅうにょぜ)または略して十如(じゅうにょ)と称した。すべての存在(諸法)のありのままのすがた(実相)には、十種の範疇(はんちゅう)があるということである。
相(そう) 外面の形相
性(しょう) 内面の本性
体(たい) 相や性を統一する主体
力(りき) 体が備える潜在的能力
作(さ) 力が外界に現れて動作となったもの
因(いん) 原因
緑(えん) 因を補助する間接原因
果(か) 因(いん)と緑(えん)から生じた結果
報(ほう) 因果(いんが)によって生じる報果(かほう)
本末究竟等(ほんまつくきょうとう) 相(そう)から報(ほう)までの原理は一貫しており、その帰結するところは同一であるということ。
天台大師智(てんだいだいしちぎ)は、この十如是(じゅうにょぜ)を基(もと)として、十界互員(じっかいごぐ)・百界干如(ひゃつかいせんにょ)・一念三千(いちねんさんぜん)の教理を立て、これを究極の説とした。
一念三千(いちねんさんぜん)
われら凡夫の一念(一瞬の思い)にも三千世間(全宇宙の現象)がそなわっているという意味。法華経だけがもつ究極の法門で、煩悩(ぼんのう)のなかにも仏性(仏と等しい性格)があるとすることによって、人々が成仏(じょうぶつ)できる根拠(こんきょ)とされる。
中国の天台大師智(てんだいだいしちぎ)が創唱したもので、法華経方便品の十如是(じゅうにょぜ)(ものごとの十のありさま)と、華厳経(けごんきょう)の十法界(じっぽうかい)(凡夫がさまよう六つの世界と聖なる四つの世界)と、「大智度論(だいちどろん)」の三世間(五陰(ごうん)・衆生(しゅじょう)・国土(こくど))を相乗(そうじょう)することによって三千世間となる。この三千には善悪(ぜんあく)すべてが含まれている。智(ちぎ)が仏の境界をめざし完成させたのが、一念三千に思念(しねん)をこらす修行(止観行)である。
日蓮聖人は、この一念三千を法華経の珠であるととらえて発展させた。日蓮聖人は、一念三千の意味は法華経本門(ほけきょうほんもん)の如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)によって初めて明らかになると説く。本門(ほんもん)寿量品(じゅりょうほん)において、釈尊は歴史上実在した仏であるだけでなく、久遠(くおん)の生命をもつ仏であり、久遠の過去から救済活動をしていたことが明らかにされた。すなわち、仏の加護は永遠に働きつづけており、これによって真の成仏が可能となると示し、これを本門の一念三千(いちねんさんぜん)とした。
そして、本仏釈尊(ほんぶつしゃくそん)の久遠以来から、衆生救済の菩薩行とその功徳とは、本門の教法である妙法五字(妙法蓮華経)という題目にそなわっているから、われら凡夫は妙法五字を受持(じゅじ)することによって、釈尊(しゃくそん)の因果(いんが)の功徳(くどく)を自然に受得(じゅとく)すると説く。すなわち、本門の一念三千の修行とは南無妙法蓮華経と唱えることであり、唱題によって釈尊の救済の世界につつみこまれ、成仏が実現するとしたのである。
日蓮聖人は、天台智(てんだいちぎ)の、『理の一念三千』の観法(かんぽう)の実践を、信を媒介として妙法五字の受持唱題という信心行にしぼり、これを本門事の一念三千とし、末法の行法としたのである。 

■悟りへの道「六波羅蜜」
前回までは、釈尊(しゃくそん)が、初転法輪(しょてんほうりん)において、五比丘(ごびく)のために述べられたものとして知られる苦(く)・集(じゅう)・滅(めつ)・道(どう)の四つの聖なる真理からなる四諦八正道や、不幸の原因が心の中の無明(むみょう)にあるとし、世の中の道理に通じていない智慧(ちえ)のない状態から苦が生じてくる十二因縁を勉強いたしました。
仏道修行を通じてこの我執(がしゅう)が取り除かれたとき、周囲の人々やあらゆる生き物に対して慈悲心が開花します。この慈悲の心を完全に体得したとき、自分と他人の対立・区別が無くなり、他人の幸福は自分の幸福、逆に他人の不幸は自分の不幸という、自他一致の心理が生まれます。また、自分が幸福になれば、その福徳を少しでも他の人々に役立ててもらおう、という心理が作用します。わかりやすく言うと、それは抜苦与楽(ばっくよらく)の精神に尽きます。苦をなくして楽を与えるという意味です。このような心を持ち、実際に行動に移す者を、仏教では菩薩と呼んでいます。
大乗の菩薩が涅槃(ねはん)の境涯(きょうがい)に到るための修行方法を波羅蜜(はらみつ)といいます。簡単ないい方をしますと、生きて成仏するために修行しなければならない修行のことです。布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧の六種の修行があり、これらを六波羅蜜(ろくはらみつ)といいます。
お釈迦様は、この六種の修行を通して、悟りに到る道を明かされました。悟るとは、無我や空(くう)、つまり、無差別智(むさべつち)の立場に立ち、個人レベルの幸・不幸の視野を超越して、宇宙的な観念の世界観を持つこととなります。これを真理に目覚めるといいます。仏教では、私たちが住むこの世のことを娑婆(しゃば)と呼び、悟りに到った者は、その目覚めを自分だけのものとせず、他の人々に伝えてこそ、『真の自覚』を得るのです。
菩薩というものは、声聞界(しょうもんかい)や縁覚界(えんがくかい)の境地を離れて、仏様のお教えを守り、自らを仏様の心に近づけるべく精進を重ね、その結果として迷いを離れ、他を救う働きをいいます。この六波羅蜜の法門はすべて自他を救うことが前提となっています。
お釈迦様も、五十年間にわたって悟られた真理を、幾多の衆生(しゅじょう)に説き広める実践(法施)を重ねられました。仏心とはそういうものでなくてはならないと思います。
1 布施波羅蜜
布施波羅蜜(ふせはらみつ)は、別名、檀那波羅蜜(だんなはらみつ)ともいい、さまざまな施(ほどこ)しをさせて頂く修行のことです。簡単にいうと、貪欲(とんよく)の心を対冶(たいじ)して、人に財を与え、法(真理)を教え、安心を与えることで、完全な恵みを施すことです。
お布施というと、信者や檀家の人がお坊さんに対して施す金品が一般的になっております。これらのお布施によって寺院が守られる事となり、僧侶が教えを広め流布(るふ)することができるのです。これらの布施の行為が長い間続けられて、法が絶えることなく伝えられてきているのです。よくお寺で『檀家さん』という言葉を耳にしますが、これは、檀那波羅蜜の壇那(だんな)は元々布施の意味ですから、経済的な援助(布施)をする人を世間一般に檀那とか檀那様といいます。この檀那の人達の家族を檀家と呼んでいるのです。
さて、布施行には、財物を施す財施(ざいせ)、恐怖や不安を取り除き安心を与える法施(ほうせ)、法を説き与える修行を実践する無畏施(むいせ)があります。
   財施
財施と言うのは、文字通り、金銭や物品を他人に施す物質的な布施のことをいいます。地震や水害時などの衣類・毛布・食料等々の生活用品や義援金なども、この財施にあたります。
お布施の心がけを少しお話ししますと、本来、人間は欲深く罪深いものです。お寺へのお布施なども、金額が定まっていないと、いくらですかと尋ねられる方が多くなりました。お布施は、自分の出来るだけの気持ちを喜んでさせて頂くというのが趣旨であります。このことから、お布施をすることを喜捨(きしゃ)ともいいます。喜捨は喜んで捨てると書きます。この意味は、喜んでさせて頂きますという心がけの大切さを教えています。このような気持ちで、仏様の教えを守り伝える僧侶や自分より経済的に苦しんでいる人に布施することが、自分の罪障を消滅することになるといわれています。お金の有る人は有るなりに、無い人は無いなりに、自分の能力に応じて布施させて頂くのが基本なのです。このことから、お寺などのお布施は金額を定めないのが本来の姿なのです。
また、托鉢(たくはつ)行の時など、「あの坊主は、お布施したのに御礼も言わない!」と耳にすることがあります。これは、何々してやったという人間の醜い姿の現れであります。また、一般には、お布施の金額が決まっていないと、少ないとケチと思われはしないか、また、多ければ多いお布施も、法要のお経や説法などがお布施の金額に見合ったものかどうか査定をしたり、見栄の心や欲深い心が顕(あらわ)れたりします。
仏様の教えを守り、説き広める場であるお寺や僧侶の皆さんは、逆に布施する人に対して、金額の大小で囚われたりする心があってはならないのです。布施をする者とされる者が清浄の心となって、互いの罪を消し、功徳(くどく)となり得るのです。このことを空無我(無自性・無所得の自覚)でなければならない修行とされ、菩薩道を代表する実践法となっています。空無我とは、施す者も、施しを受ける者も、施し物も、全てが執われを捨てたものでなければならないという意味になります。
   法施
法施は、仏様の理想とする教えを説き、迷い悩む人を救い、悟りの世界へと導くことをいいます。出家者たる僧侶の方は、この法施の第一線に立つのが本来の役目とされています。また、仏様の教えを信じる在家の方も、縁ある人に仏様の教えを伝えることがとても大事なことだといわれております。
簡単にいうと、人に物事の道理を説くということです。一般の方でも、豊かな知識や智慧のある人は、物やお金はなくても、人にものを教えたり、導いてあげたり、拘(こだわ)りや囚われから離れる方法などを教えてあげることができます。どんな人でも法施はできるのです。悩んでいる方は、他人の体験話を聞くだけでも随分救われたりするものです。このような行為も立派な法施です。
実生活の中で、暮らしの知識を教えることも広い意味で法施に当たります。例えば、おいしい漬物の漬け方や編み物の仕方、パソコンの使い方などを手ほどきしてあげたとしても、やはりそれは法施なのです。このうちのどれでもいいですから、自分にできる布施を実行して、人の役に立つことが肝心です。
   無畏施
無畏施というのは、人の悩みや恐れを取り除き安心を与える布施をいいます。その気になれば、たとえ、経済的にゆとりのない境遇の人でも、自分の体を使って労力を提供したり、いたわりの言葉をかけたり、優しさのある微笑で人と接したりすることは出来るものです。心がけ次第で、困っている人達のために、「布施の心」は持てるはずです。
仏様は、雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の中で、財力もなく知恵も無いという人の為に、次に掲げる『無財の七施』をお説きになりました。
   無財の七施
眼施(がんせ) 優しい眼差しで人に接する。
和顔施(わがんせ) 和やかな明るい顔で人に接する。
言辞施(ごんじせ) 優しい言葉をかける。
身施(しんせ) 身をもって布施する。
心施(しんせ) 心の底から人を思いやる慈悲心を施す。
牀座施(しょうざせ) 例えば、先輩やお年寄りに自分の席を譲る行為。
房舎施(ぼうじゃせ) 例えば、困っている旅人に一夜の宿を提供したり、休憩の場を提供したりする行為(昔はお遍路さんなどに対して行われていた)。
以上のように、布施ということが菩薩行の第一条件とされているのは、大変意味深いことと言わなければなりません。
2 持戒波羅蜜
持戒波羅蜜(じかいはらみつ)は、別名、尸羅波羅蜜(しらはらみつ)ともいい、戒律を堅固に守ることをいいます。持戒の意味ですが、これは、仏から与えられた戒(いまし)めによって悪業の心を対冶して、心の迷いを去り、身心を清浄にすることで、戒を守ることを教えたものです。これらの教えを守り、身を慎むことを律といいます。総じて戒律といいます。
代表的な戒に五戒(ごかい)・十戒(じっかい)があります。
   五戒律
不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物をみだりに殺してはならない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗みを犯してはならない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい) 道ならぬ邪淫を犯してはならない。
不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をついてはならない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲んではならない。
以上が五戒律といわれるものです。この五戒律に次の五つの戒律が加わったものを十戒律と呼んでいます。
   十戒律(五戒律含む)
不説四衆過罪(ふせつししゅうかざい) 他人の過ちや罪を言いふらしてはならない。
不自賛毀他戒(ふじさんきたかい) 自分を誉め、他人をくだしてはならない。
不慳貪戒(ふけんどんかい) 物おしみしてはならない。
不瞋恚戒(ふしんにかい) 怒ってはならない。
不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい) 仏様の教えや仏法伝道の僧をくだしてはならない。
このように、正しい生活をして自分自身の完成に努めなければ、本当に人を救うことはできないということです。ただ、誤解してならないことは、自分はまだ完成していない人間だからとても人を助け導くことはできない、という考えを持たないことです。自分だけの生活に囚われてしまえば、返って自己の完成はできないのです。人のために尽くすということも持戒の大きな要点なのです。人のために尽くすことによってそれだけ自分も向上し、自分が向上することによってそれだけ人にも尽くせるようになる、この二つは無限に循環していくものなのです。
3 忍辱波羅蜜
忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)は、別名、せん提波羅蜜(せんだいはらみつ)ともいいます。忍辱、これは、瞋恚(しんに)の心を対冶して、迫害困苦(はくがいこんく)や侮辱等を忍受(にんじゅ)することです。チョットの事でキレ易くなっている現代の人間には、特に必要なことだと思います。
釈尊はあらゆる徳を備えた方ですので、一つの徳だけをとりたてて申すのもおかしな話ですが、釈尊の最大の徳は実に寛容であったことです。お釈迦様のどんな伝記にも、お釈迦様が立腹されて人に対して怒りの感情をあらわにしたとは、何一つ書いてありません。悪人の代表とされている堤婆達多(だいばだった)に命をねらわれ、どんなに迫害されても、微塵も立腹されていないのです。また、弟子達が教えに背き師のもとを離れても恨むことなく、返ってその増上慢(ぞうじょうまん)がもたらす先々の不幸の予測に、「可哀相に!」と哀れみと慈しむ心を起こしています。
人間として、釈尊という方の性格は徹底した寛容の人であったようです。私達が、何かにつけて腹を立てたり、人を恨んだり、また、その怒りや恨みを相手にぶっつけたりすることはとてもおぞましい事です。忍辱というのは寛容ということです。それは、人に対してだけでなく、この忍辱の修行を積むことによって、天地のあらゆる事象に対して、腹を立てたり、恨んだりすることがなくなることをいいます。
私達は、ややもすれば、暑ければ暑いで寒い方が良いと云い、寒ければ寒いで暑い方が良いと云い、太れば痩せたいと云うし、痩せすぎれば太りたいと云う。また、忙しすぎれば暇になりたいと云い、暇になればなったで忙しい方が良いと云う。色々、人間はブツクサ愚痴を云い、不平・不満を云う人が多いものです。
仏の教えを生活に生かして修行を積む人は、心がゆったりとして調和していますから、四季折々の変化にも常に感謝して賛嘆できるようになります。周囲の変化に心がとらわれぬようになるのです。
また、自分に侮辱や損害を与え、人を裏切るような相手に対しても、単に怒りや恨みの心を抱かずに、慈悲心から、そういう不幸から救ってあげようとする気持ちが起きるようになります。また、他の人から、「あなたは仏様のようだ」、「あなたが神様のように見える」などとおだてられても有頂天にならず、じっくりと自分を省みて、優越感を持つこともなく、さがる心を持するのも、皆「忍(にん)」の心なのです。
こういう境地が忍辱行(にんにくぎょう)の極致だと云えます。このように、無理なことをしてくる相手に対して、仏の教えを知らない、つまり、仏様の教えは真理ですから、世間の道理を知らない事となり、可哀想な人と考えるまでは、案外、早く到達することができるようです。これぐらいの境地までは誰でも進みたいものです。この忍辱という精神的習慣が、ある程度、人々の心に浸透できたら、それだけで世の中も平和になると思います。
4 精進波羅蜜
精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)は、別名、毘梨耶波羅蜜(びりやはらみつ)といい、懈怠(けたい)の心を対冶して、身心を精励して、他の五波羅蜜を修行することです。この精進ですが、「精」という言葉は「まじりけのない」という意味です。
例えば、仕事でも修行でも、頭の中や行ないにまじりけがあっては精進とは言えないのです。目標に向かって、ただ一筋に進んでいくことこそ精進なのです。時には、一生懸命に一念心で事に当たっても、結果が得られない場合や逆の現象が出たり、外部から水をさされたりすることがあります。そういうものは、大海の表面に立ったさざなみのようなもので、やがて風がやめば消えてしまいますので、多少の困難は自分を試す幻に過ぎません。これは八正道の正精進と同じ事です。
5 禅定波羅蜜
禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)は、別名、禅波羅蜜(ぜんはらみつ)といい、心の動揺・散乱を対冶して、心を集中し安定させ、真理を思惟(しゆ)することです。禅定波羅蜜の「禅」とは「静かな心」、「不動の心」という意味です。「定」というのは心が落ち着いて動揺しない状態です。
ただ、一生懸命に精進するばかりではなく、静かな落ち着いた心で世の中のことをジックリと見る、そして考えることが大切なのです。そうすると、物事の本当の姿が見えてきます。そして、それに対する正しい対処の方法もわかってきます。その正しいものの見方、物事の本当の姿を見分ける力が、次に掲げる第六番目の智慧です。この智慧がなければ、結局の処、人を救うことはできません。
6 智慧波羅蜜
智慧波羅蜜(ちえはらみつ)は、別名、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)といい、一切の諸法に通達して、愚痴の心を対冶し、迷いを断ち、真理を悟ること、または諸法の究極的な実相を見極めることをいいます。
例えば、現代のように世の中が混沌としていますと、困っている人に、前後の考えもなく、相当のお金を恵んでやったとします。ところが、その男はバクチ好きだったとしたら、これ幸いに、そのお金で、パチンコ、競馬、競輪等々で、与えられたお金をすぐに使ってしまうこととなってしまいます。そのために、救うことができず、人に甘えて社会的努力をしないダメ人間を作ってしまう事となります。このように、布施も、本当の智慧をもってしなければ、せっかくの慈悲の心も有効な働きをしないばかりでなく、返って逆の結果になってしまいます。
前記は極端な例えですが、世の中にはこれと似たようなことが大小無数にあるものです。このように、私たちが人のために役立つとか人を救うという立派な行ないをする場合、智慧は絶対に欠くことのできない条件となります。
私達は、末法(まっぽう)という五濁悪世(ごじょくあくせ)の時代に生を受け、仏様の教えに出会い、新鮮で永遠の理想を持ち続けられることはとても幸せなことです。
今回勉強された六波羅蜜の法門のように、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の心で常に人間向上の道を志すことが人間の理想となるのです。
仏法は、天地の法則に随順(ずいじゅん)して生きることを教え、同時に人間らしい情緒を豊かにする完全無欠の教えです。日々の生活にも、夢の実現や希望を叶え、悔いのない人生を歩まんが為に、大いなる意欲を持って、創造力をフルに働かせて、惜しみなく努力をしなければなりません。失敗や障害があっても、それは仏様から与えられた試練だと心得ることです。それらを乗り越えて、囚われの心や偏りの心を離れて、自他が共に救われてこそ、仏様の説かれる仏国土となり、これからの新しい時代を担う人間に成る事ができると確信しています。
以上までが、六波羅蜜の説明ですが、苦・集・滅・道の四つの聖なる真理からなる四諦・八正道の法門や流転縁起の十二因縁の教えでは、苦しみの根本を知り、考え方や事象のありのままを認識することが大切です。不幸の原因は、自分の心の中にある無明であり、智慧がなく世の中の道理に暗い状態を意味しています。人間は、自分に不幸が降りかかると、その原因を自分以外のものに責任転嫁しようと試みます。あらゆる宗教の目的の一つは、自分に降りかかる苦からの離脱であると言っても過言ではなでしょう。そして、この不幸の原因を見いだし、納得した解答が得られて、はじめて人は安心の境地を得るのです。
仏道修行を通じ、我執を取り除き、慈悲の心で自分と他人の対立・区別を無くし、自他一致の心持ちで行動する者を、仏教では菩薩と呼んでいるのです。 
 

 

■十界
人間の一人一人の立場や環境の違い、価値観の違いなどで、人の幸・不幸の価値観も変わりますが、お釈迦様は《今この三界(さんがい)は、みなこれ我が有(う)なり。その中の衆生はことごとく、これ我が子なり。然(しか)も今この処はもろもろの患難(げんなん)多し。ただ、我れ一人(いちにん)のみよく救護(くご)をなす。》と説かれ、この世の一切衆生は吾が子であると仰になりました。仏の子としての自覚が出来れば、必ず幸せになる事を保障しています。
人によっては、自分の果報(結果や報い)が良いと感じる人、また、悪いと感じる人など様々だと思いますが、ここで問題となるのは本人の心によって楽しさや苦しみを感じるという事に気が付かなければなりません。
仏様は、十界(本来、十界互具・一念三千観を説明しなければなりませんが、ここでは簡単に説明)といって様々の因縁によって、人の心が定まるところの境地を説いています。一つの念の中に三千種の心境(一念三千)があるといい、その初めに、十界という人間の心境や境遇をたて、その十界の各世界に、それぞれ同じように十界を具えていると説かれています。このことを「十界互具」といいます。
まず、最初に十界の説明からさせていただきますが、簡単に理解していただくために、十界を図に表すと下記のようになり、次の六道と四聖道に分かれています。
六道
一、地獄界
二、餓鬼界
三、畜生界
四、修羅界
五、人界
六、天上界
四聖道
七、声聞界
八、縁覚界
九、菩薩界
十、佛界
以上の心境や境遇をいいます。この十の段階の心境や境遇というものは、一切の人が、持ち合わせているもので、それぞれ自分の心の中に感じている世界観です。
一、地獄界
地獄界という世界が、どうして心の中に現われて来るかというと、それは毎日の生活において、心の瞋恚(いかり)の部分を表したものです。
これは、他人の言う事や働きが、自分の心に合わず不平・不満・不足の念を感じて、何故、自分だけこんな不幸な境涯なのだろうと考え、次第に瞋(いか)りの念が沸き起こり、瞋りの想念から、心の中に地獄を出現させてしまいます。
このように、自分の考え方と違うものに対して不愉快を感じたり、考え方が自分中心であるため、自分と違うものを認めようとせず、みな不愉快だ。自分以外のものは一切気に入らない。一つも認めない。許さない。というような我儘な心持ちになり、自分の考えと、違うものを喜ばない気持ちが増長し、仕舞に瞋りを発してしまうようになります。
瞋りを発すれは、少なからずも、相手を敵にすることになってしまい、いずれは孤立し、ひとり寂しく誰からも相手にされなくなってしまいます。瞋りの気持ちが絶頂に達している時は、周囲の人たちも迷惑するもので、味方をする人が一人もなくなります。
当の本人は、親や子も、夫婦も、兄弟も、友達も、犬や猫まで、自分の回りにいるのは、みな敵だと思うような気持ちになってしまいます。
人間のというものは、本来、家族や仲間と共にいたわりあって生きる。また、共に楽しみ、励ましがあったりするのですが、本来の姿を離れて一人ほっちになるということは、非常に寂しいことであり、苦しいことであり、辛いことです。
心の中は苛立ちと瞋りで、浅ましい心になるものです。不満や瞋りから自分だけ何故こんな目に逢うのかなどと考えたり、苦しさややりきれなさを感じて生活をしていると、心の中も境遇も自然に苦しみの世界に身を置く事となってしまいます。
地獄界の因縁として、五逆罪(五種のもっとも重い罪悪。)を、犯したものが落ちる世界といわれ、母を殺すこと。父を殺すこと。悟りを得た人[阿羅漢(あらかん)]を殺すこと。僧の和合を破ること。仏身を傷つけることの五つをいい、これを犯すと無間地獄(むげんじごく)に落ちるとされています。
また、十悪といって、身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)で作る十種の罪な生活を送る者が落ちる世界が地獄界です。この世界に落ちる因縁は次のとおり。殺生・倫盗・邪淫の「身三」、妄語・両舌・悪口・綺語の「口四」、貧欲・瞋恚(しんに)・愚痴の「意三」をいいます。
二、餓鬼界
餓鬼界は、いつも不足を感じ求めて得られない苦しみの境界です。例えば、どんなにたくさんの物を食べても満腹感が無く満足しない心をいいます。また、周りの人達が気遣い、いろいろ世話をしてくれても感謝する気持が少しもなく、もっとして欲しい、もっと、もっとと求めて止まない心の状態が餓鬼界です。
このことは、食べ物に限った事ではなく、全ての物欲の部分をいいます。
この、餓鬼の世界は貪欲(とんよく)の念が強いために、自分自身を満足させることがなく、欲しい欲しいという思いだけが極端に強くなります。この念は、どうして起こるかといえば、
すべてを自分中心に考えてしまい、貪(むさぼ)る心が強すぎるためです。この貪りの心でいっぱいになった人は、いつも不足や不満、不安や苛立ちといった感情が、心の中の全体を占めていきます。このような考えに陥った人は、他の健全な考え方ができなくなり、自分の都合でわがままな生活となります。このような行為は周囲から相手にされることもなくなり、孤独となり、行いも見苦しさを増し、除々に餓鬼を思わせるような形相になってしまいます。
そして、お金や物を貪り、ある者は、名誉を貪り、勢力を貪り、人の親切を貪り、もっと何とかしてくれそうなものだと考え、誰に対しても満足を感じることができなくなってしまいます。このようになる原因については、昔から次のように言われています。
1.ケチで欲が深く布施をしない人。また、財物をたくさん蓄え、独り占めする人。
2.隙をうかがい他人のものを、ひそかに盗む人。
3.両親に孝行しない人。また、父母、兄弟、妻子を奴隷のように扱う人。
4.性格上、貪り・瞋り・愚痴・慢心・疑りの心が強く、優しさのない人。
三、畜生界
畜生界とは、いつも愚痴の心が支配し、知恵が足りない世界観をいいます。いいかえれば眼前の事ばかりに囚われ、思慮分別が足りない人のことです。
物事は、偶然に起こるものではなく、みな起こるべくして起っています。
釈尊も諸行無常の真理を説いているように、同じ状態がいつまでも長く続くものではありません。人はみな悪いことがあると、その事象がいつまでも続くと錯覚してしまい、眼前のことはかり見て、喜び、悲しみ、得意になったり、落胆したりする人間の心境や境遇を言います。
即ち、後先を考えず眼前に囚われて愚痴の心を起こし少しも感謝や喜びの無い生活をする世界をいいます。この世界に落ちる人は次のような因縁によるとされています。
1.悪業をなし、反省し罪改めることを誓うが、密かに同じ罪を繰り返す人。
2.借金をそのままにして償わない人。
3.殺生して身をもって償わない人。
4.経法を聴受することを喜ばない人。
四、修羅界
修羅界とは、この世界は、争いが絶えない世界をいいます。万事を自分の都合の良いように解釈し、都合の悪い事は、全て相手にこじつけて良い事だけ自分のものにする考え方です。都合の悪い責任を相手に押し付ける事が争いが起きるわけですが、この世界観の人は諂曲(てんごく)といって、物事を悪い方向にこじつける習性があります。このような心持の人は、悪いことは、みな相手や他人にこじつけて 良い事だけを自分のものにするというように、正しい道理を曲げて、万事を自分の都合のよいように解釈して、責任は他の者に押しつけようとすることから争いが起こるのです。この諂曲の心持ちが強い人には、必らず争いが起こり、修羅の世界を出現させてしまいます。
この世界に落ちる人の因縁は、ただ他より勝れていると思い、嫉妬、自慢、自大〈自ら尊大になる事〉、また、自惚れの強い人が陥いる世界です。
前記の地獄・餓鬼・畜生を三悪道といい、修羅を加えて、四悪趣ともいいます。
五、人間界
人間は、いろいろ迷いが起こりやすいものです。この迷いを極端な考えにならない内に、途中で喰い止めることが出来る人を、人間界の世界観を持つ人といいます。心に迷いが在っても、冷静に対処し、喰い止めることができ、極端にならないですむ境涯の人が人間界といいます。日々の生活の中には、腹の立つことがあったり、怨む心も起きたりします。また、嫉む心があっても、自分がいたらなかった事として反省し、悪い行いや考えを喰い止めて生活して行けることが大事な事です。そういう努力を惜しまない境遇の人が人間界の住人です。この世界に生まれる人の因縁は、次のとおり。
1.中程度の十善(十悪の反対の行為)を修した人、この世界に生まれる。
2.恩に報いる人。
3.先祖供養などをキチンとする人。
六、天上界
この世界は、楽しみや嬉しい事の多い世界観をいいます。人として、恵まれた生活環境に生を受けることが出来たり、人生に於いても、非常にうれしい事があり、喜び事の多い環境の人がいます。そういう人を天上界の住人といいます。
しかし、多くの人の天上界の生活は、「天上界にあっては、後衰をうけ」と教えられていますように、その喜びの時間は短く忽ちにして、憂い、悲しみ、苦しみ、悩みが起こる世界に戻されてしまいます。人間とは、おかしなもので《幸せだな》と感じると、有頂天になって自慢して相手が聞きもしないのに、あれこれ話したり、また、幸せに慣れていない人は、《いつまで、この幸せが続くのか?》などの不安を覚えたりする人が多いものです。
この世界の境地の人は、教えを聞いて、その喜びが長く続くような生活。つまり、感謝の心がけで生活をしなければなりません。決して有頂天となってはならないと戒めています。この世界に生まれる人の因縁は次のとおり。
1.過去世に最上の十善を修した人。
2.神仏を大事にする人。
3.全てのことに感謝ができる人。
これら六つの生活環境を六道といいます。一般的に、普通の人はこの六道の境地をグルグルと回って、喜びや苦しみを感じていると説かれています。これを、六道輪廻(ろくどうりんね)といいます。
七、声聞界
声聞界とは、仏さまの教えを聞いて、その通りに教えを守って生活をして行こうと考える境界であります。仏様は、むさぼるとか、怒るとか、嫉むとか、憎むことは、みな執着の心が作り出し、苦しむ原因となるものであると説いています。
一般的に多くの衆生は、環境が恵まれ、どんなに、すばらしい状態であっても、その欲望を、なかなか満足させることが出来ないものです。貧しい人が富める人を羨ましがるけれども、富める人でも、いろいろ不足や不満、不安を抱えていて、富を持っているだけでは本当の満足はあり得ないのです。
この世は、無常の世界で常であるものはなく、常に移り変わっている世界です。人の考えや環境も絶えず変化しています。 人の一生は無常であり、頼りにならないものです。その頼りにならない自我や執着を頼りとして、争いや憎しみを起こすことは、無意味なことです。真理の教えを聞いて、悟りへ近づく生活努力をする人の境地を声聞界といいます。八正道(はっしょうどう)を中心とした修行によって仏の世界へと導かれる世界(詳細は、悟りへの道「四諦・八正道」に記載)。
八、縁覚界
縁覚界とは、縁に依って悟るという意味です。この境涯の人は、仏様の教えを聞くだけでなく、自分の毎日の生活経験を思い合わせ、自然界の摂理を通し、人生の無常を悟り、意義ある生活を考え、世間の悪い生活に執着しないように、精進、努力する人が縁覚界の人です。仏様はこの縁覚界の人に十二因縁(じゅうにいんねん)の法門を説き、仏の境地へと導いたとされています(詳細は、悟りへの道「十二因縁」に記載)。
九、菩薩界
人は、自分一人が悟りを得たなら、それで満足だと考える人が多いものですが、それで本当に満足するものでしょうか。自分だけ(渇愛)の思いでは、決して真の満足は得られないものです。例えば、家族にあっては、自分に良いことがあっても、誰かが事故や病気になると、幸せだと思っていた気持ちもどこかにとんでいってしまいます。
世の中の人々の中には、迷い苦しんでいる人が数え切れないほど沢山います。自分が、ある程度の執着を離れた心持ちになって、冷静に社会を見渡しますと、苦しみや悩みをかかえて生活する人。瞋りが充満して常に争いを起こす人。嫉妬や嫉みなど心に不安を感じている人。また、悪心から人を陥れようと計らいをする人等々。様々な苦しみが満ち溢れています。このような人々を拝見しますと、いかにも気の毒な状態にある人が多いことに気がつきます。
誰しも、まともな心を持った人は、このような三悪道や四悪趣といった、悲しい生活から脱出し、少しでも幸せになって欲しいと願うものです。このような心を慈悲心といいます。この慈悲心から、少しでも、人々を楽しい生活の送れるようにしてあげたいという想いが出来てきます。このような決心や覚悟で、自他共に救われていこうと行動できることが大事です。ただ、このように苦しむ人々を救うには、それなりに助けたり救うだけの力がなければ、人を助けたり救ったりすることはなかなか出来きるものではありません。
仏様は、このような人々に六波羅蜜(ろくはらみつ)の法門を説き、自らが修行を怠らず精進することを勧めました。衆生救済の手立てとして、智慧をみがき、徳分を養い、修行を怠りなく続けて慈悲の実践をする人を、仏教では菩薩と呼んでいるのです(詳細は、悟りへの道「六波羅蜜」に記載)。
十、仏界
仏界とは、菩薩の修行を積み、すっかり迷いがなくなった世界観をいいます。智慧や慈悲が広大なものとなり、洪水のように満ちあふれて止む事なく、一切の人々のために心をつくして、慈悲心や知恵によって救済や守りの働きが完全無欠の状態になった時が仏の境地だといわれています。
以上のように、声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の四つを、四聖道と呼び、尊い修行により成就するものとされています。
このことから、自分の境地を分析してみますと、仏さまや菩薩様のように優しい慈悲の心もありますし、逆に瞋り(修羅)の心やむさぼり(餓鬼)の心も持ち合わせていますし、時に、悪いことが重なると、苦しみのどん底(地獄)に落ち込んでしまいます。このことから、私達、一人一人の心の中に、十界の全てが具わっているのです。 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
日蓮宗法話

 

 
 

 

■いのちに合掌 1
ではご法事の場合という設定でお話をさせていただきます。
皆様方と同じなのですが、欲令衆を唱えて、お自我偈でお焼香、本尊抄を読んで、お題目の時ですね。必ず「合掌をお願いします。大きな声でご一緒にお題目をお唱えいたしまして、仏様に供養をいたします」と声をかけます。みんな大きな声で唱えますので、それが一番やはり理屈よりも、まず大事と思いずっと実践をしております。
終わって、必ず法話をするわけですが、基本的にはやはりまず故人の追悼の言葉ですね。よいところを褒める。それから、お葬儀の打合せの時にリサーチをして、テレビは何を見ていましたか?食べ物は何が特に好きでしたか?嫌いなものはありましたか?そういったエピソードを聞いておくことは、非常に大事と思っています。
また、最近は「魂の繫がり」という話をしております。
人間というのは誰しもですね、横軸と縦軸の交わるところにおります。
横軸は今こうして一緒にお題目を唱えて、今一緒に生きている川越の人、埼玉の人、日本の人、ずーっと世界の人が一緒に生きている。今を一緒に生きているのが横軸です。
縦軸というのは、自分がおりますと、必ず、お父さん、お母さんがいて、そのまたお父さん、お母さんがいて、ずーっと、繋がっているわけです。
さっきの横軸は独楽のこの肉の部分、そして縦軸の方は独楽の芯の部分。縦軸の芯が真っ直ぐになっていないと、独楽もですね、グルグルグルグル、変なふうな形で回ってしまう。だから縦軸は特に大事です。
人間というのは錯覚をしておりまして、生きているものだけで生きている、とそう思ってしまいます。横軸だけですね。でもそうじゃないんだ。人間っていうのは、生きているものと、縦軸の先に亡くなったものと一緒に生きているのがこの世界です。
亡くなった人は、過去は関係ないってことではなく大聖人の御妙判『諸法実相抄』にも「三世各別あるべからず」とあります。
過去と現在と未来と三世がそれぞれ別々にあるのではなく、密接に繋がっている。「三世各別あるべからず」で、生きている人も亡くなった人も一緒に生きているのがこの世界、と仏教は教えます。
女優の若尾文子さんをご存知ですか?最近コマーシャル出ていますよね。真っ白な犬と戯れてですね。会話しているコマーシャルやっています。あれはソフトバンクですかね。犬が会話するんですね。
ご主人が世界的に有名な建築家で黒川紀章さん。この前の前の参議院選挙に立候補しましてね。皆様方もテレビではご覧になったと思うんですが、お金を出しまして、こういう四角いガラス張りの透き通った車を作って、そこに若尾文子さんとね、黒川紀章さんが並びまして、「一票お願いします」と選挙運動をやっておりました。
残念ながら落選したんですが、覚悟の選挙みたいなことを言っていて、平成19年10月12日に亡くなりました。大聖人のお命日、前の日ですね。
その当時、若尾文子さんが、一歳年上74歳、黒川紀章さんが73歳。年が明けましてから、親しい人が集まりまして「偲ぶ会」というのをテレビのニュースで放送していました。
若尾文子さんがマイクをもちまして、ご挨拶をしていたんですけども、あれ、女優さんっていうのは言うこと違うなって思って書き留めたんですが、はじめこう言ったんです。
「うちの主人の肉体が亡くなっちゃったんです」とおっしゃってね。
「うちの主人の肉体が亡くなっちゃった」とおっしゃって、普通は癌でこうなりましたとかですね。脳梗塞で倒れましたからって言い方するんですけども、のっけからそうおっしゃったんですね。
でも確かにその通りですね。亡くなりますと、一緒に話をしたり、ご飯を食べたり、時には喧嘩をしたりってできなくなりますからね。もう二度と会えないってことになります。肉体の方はね。そういうことになります。「あっそうだな」と思っておりましたら…。
その次にですね。これはあの「ある人から教わったんですけど」っていう前置きがあったんですけども、「ある人から教わったんですけれども、人間っていうのは二度死ぬっていうふうに教わった」とおっしゃったんですね。
「あれ、二度死ぬって何かな」と思いましたらば、一度目はですね。心臓が止まってお別れをした時ですね。
「二度目は」ですね、「うちの主人のことが皆様方から忘れられてしまって記憶がなくなってしまった時だ」とおっしゃいました。記憶がなくなってしまった時だって「ですからどうぞ忘れないでいつまでも思い出してやってください」というご挨拶だったのですけれども。
その時に思いましたのは、黒川紀章さんについて新聞やテレビが取り上げなくなっても、おうちの方の記憶と記憶が繋がっていくので、世間の記憶が薄らいでも、近しい人の記憶がなくなることはないんじゃないか思いました。
でも仏教の方では、記憶と、記憶というよりも、亡くなりますと「魂と魂の繋がり」だってお教えるので、「いやーもっと深い気持ちで繫がっているんだけれど」と思いながら書き留めまたものです。
「魂」っていうのは、「大和魂」とか、あるいは「職人魂」とか、私はジャイアンツ・ファンで報知新聞をとってたんですけども、「ジャイアンツ魂」なんて言います。最近、読売と朝日が喧嘩はじめたりしてジャイアンツ魂もおかしいんですけども…。
魂っていうのは字引を引きますと、こういうふうに出てきます。「肉体を離れた精神的本体」とかですね。肉体を離れた精神的本体、また逆にですね「肉体に宿って不思議な力のあるもの」なんて出てきます。
漢字で書きますとね。あの人間の方の魂は「云う偏」に右は「鬼」みたいに書きますね。こう書いてね。最後こう「ム」って書きますね。「コン(魂)」とも言いますね。
亡くなった人のたましいも漢字で一字ですね。ご存知のとおり。亡くなった人の魂も漢字で一字です。お塔婆に何々の霊と書いてありますね。「霊」(たましい)ですけど、これですね。「雨」って書いてですね。それで並木の「並」って書きますね。けれども「霊」これ略字なんです。で、元の字はね。こういう字なんです。
字引引きますと「たましい」って出てきますけれども、これ雨は同じなんですが、その下に丸がちょんと三つありますね。この丸い点というのが、これは天から降ってくる雨の雫。普通の雨の雫じゃなくて、清らかな雨の雫をあらわします。
で、下に人間みたいな形が二つございますね。両脇にあります。これは確かに人間を表すのですが、普通の人間ではなくて神に仕える清らかな巫女さんをあらわします。神社に行きますねと、真っ赤な袴に真っ白な着物を着た巫女さんです。ですから雨を隠しましてこの下に女って書くと巫女っていう字なんです。巫女って字なんですね。
霊っていうのは、「たましい」という意味です。でも霊なもんですから、最初は、あの亡くなった人だけの「たましい」って使うかと思ったんですけども、これは、生きている人にもよく使いますよ。
例えば、相撲の白鵬が大関から横綱になります時に相撲協会から使者が来まして、「横綱に推挙します」と口上を言うんですね。紋付袴で手をついて口上を言うんです。
私は貴乃花ファンだったんですけども、貴乃花は法華経の「『不惜身命』で頑張ります」と言ったんです。身命を惜しまず命懸けで頑張ります、と言ったんですね。
白鵬はなんと言ったかといいますと、「相撲道に全身全霊で頑張ります」と「全身全霊で」と言いました。全身全霊ですから身も心も魂も全てでという意味です。これはよく使います。
この間も参議院選挙の時にも自民党の谷垣さんがね。谷垣さんは日蓮宗の檀家で、あっ、奥さん亡くなられましたが、「自民党のために全身全霊で頑張ります」と言っていました。
私、この「霊」というのを、違う言葉に置き換えますと、「心」っていう字に根っこの「根」と書く言葉があるんですが、「霊」とは「心根」ということじゃないかと思うんですね。
今日の仏様、○○さんは「心根優しかったね」と言いますとと、その人の芯っていいますか、核っていうのは、一言でわかりますね。そのいい心根がぐっとこう結晶したみたいなものを仏教では魂とこう言っています。
これは「魂の繋がり」ですよね。「記憶と記憶の繋がり」ですと、こうやって本堂までお運びいただいてですね、お経をあげさせてもらえないんじゃないかと、こう思うんです。
こうやってお運びいただいて、お経をあげさせてもらうのは、記憶と記憶じゃなくて、魂と魂が繋がっているからと思います。
何故かって言いますと、故人が(○○さんが)仏壇の中から、息子さんや娘さんを見てですね、「もうじき三回忌だからお寺へ行って坊さんにお経をあげてもらいなさい」なんて言わないんですよね。そうは言わないけれども、こうやってお運びいただくということは、間違いなく魂と魂が継がっているからだと思います。
宗教っていうのは必ず拠り所の教典があって、私どもは法華経なのですが、キリスト教はご存知の通り聖書ですね。オバマ大統領は、聖書の上に手を置いて「頑張ります」って誓いました。
日本は仏教の国で、「法華経」がお経の王様といわれ、聖徳太子以来大事にされたお経です。総理大臣も必ず就任の時には、お経の上にこう手を置いて、宣誓すると少し違うんじゃないかとこう思うんですけども…。
そしてその法華経は一部八巻二十八品って言います。八巻っていうのは、昔はあの忍者の巻物みたいなものが八つあったので八巻ですね。法華経一部は八巻があって、二十八品、小説で言えば第一章から第二十八章まであって、その中の一番大事なところが第十六の如来寿量品、その中に「生きてあるがごとく一緒」という意味の言葉があります。それが、
常在此不滅(常に此にあって滅せず)
常住此説法(常に此に住して法を説く)
です。
つまり、亡くなった故人と、魂と魂がつながった時には「生きてあるがごとく一緒」なんですね。それを実際のお経文では「常在此不滅」「常、在、此、不、滅」(じょう、ざい、し、ふ、めつ)「常にここにあって」って読みます。
亡くなったお母さんもね、日蓮聖人も、お釈迦様も、常にここにあって魂と魂が繋がった時には「常にここにあって滅せず」ですから、「生きてあるがごとくに一緒」ですよ、ということなんです。
次の「常住此説法」についてですが、本堂のご本尊は一塔両尊四士ですが、仏様とも、魂と魂がつながった時には、インドのお釈迦様の本体の本仏の釈尊も、日蓮聖人とも、魂と魂がつながった時には常に「常、住、此、説、法」「常住此説法」で「常にここに住して教え(法)を説いている」。その教えを説く声が聞こえてきますよ、と説かれています。
魂の繫がりは非常に大事です。魂と魂が繫がっているということは、生きているものだけで生きているのではなくて、亡くなった人もともに一緒に生きているんだっていうことですね。
先程お題目をご一緒にお唱えいたしました。こうしてお集まりいただいて、ご一緒にご供養いただきました。故人の○○様は、あの霊山浄土の日蓮聖人のね、右か左にいらっしゃっています。
ところで、川越には天台宗の喜多院という大きなお寺がありまして、そこに「多宝塔」、木造の多宝塔があります。ご本堂のご本尊をまつっているのが、多宝塔という塔なのですが、その中にある「ご本尊」っていうのは何かって言いますと、お檀家の方には、お仏壇の真ん中一番高いところに曼荼羅本尊という文字の曼荼羅をかけてもらっています。この「ご本尊」というのは一言で言いますと、「根、本、尊、崇」(こん、ぽん、そん、すう)といって「根本尊崇」。「尊」は尊重の尊で、「崇」は崇拝の崇です。ですから根本から尊重されて崇拝されるものをご本尊といいます。
ご本尊の中のお祖師様、日蓮聖人は、法華経をお持ちになっている。法華経を説いているお姿です。
今日は亡くなったお母様のご供養。日蓮聖人の右か左にいらっしゃって、ニコニコしながら皆様のお気持ちを受け止めていらっしゃると信じております。 
 

 

■いのちに合掌 2
正福寺の院首をしております稲垣宗孝と申します。
正福寺では保育園を経営しております。「たちばな保育園」と申します。
食事になりますと子ども達の中でリーダーが「姿勢を正しましょう。手を合わせましょう。ご挨拶を致しましょう。いただきます。」と指示をし、終わりますと、同じ作法で「ごちそうさまでした」と挨拶します。
午前、午後のおやつの時を含め一日三度この挨拶をしています。
この「合掌」ですが、そもそもは、インドで仏様や菩薩に対して敬意を表するための礼儀作法でありました。
それがインドとともに東南アジアの方面では日常生活の中に溶け込んで挨拶になっているようですし、我が国では、仏教の信行作法以外では、食事の作法とし定着しているようです。
考えてみれば、動物でも、魚でも、植物でも、その命をいただいて生きているわけですから、命に感謝して合掌することは、非常によい習慣で、これまで同様これからも続けて行くべきだと思います。
ところで、この命ですが、動物や植物は人間等に食されることにより、その命は尽きると思われています。もっとも、食される動物等の供養を行う場合もありますので、一概に、なくなってしまうとも言えないのでしょうが、感覚として、それらの命が、魂として死後も存続するとは考えにくいでしょう。
ところが、人間は亡くなっても、命が無くなったとは考える人ばかりではない。心の中にある仏性、仏の命は永遠であると信じている人々もいます。人間に宗教があるのはそのためです。
例えば、法華経、知来書量品第16の中で「例え大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏にして…」とありますように、「大火に焼かれるような苦しみの中でも、仏の命に入れば安穏である」とお釈迦様は仰っておられます。
人世の諸々の苦しみから離れて、仏の世界に入れば永遠の命が約束される、だから人間の魂は死なないと仰せなのでしょうが、そうなんだけれども、やはり、肉体の死は人間の苦しみの中で、一番重いものです。
死んでしまえば、妻も子どもも、財産も全て消えてしまう。だから一時でも長く生きたいと言うのが人間の情です。
従って仏の世界に入れば死なないんだと言われても、身体のある限り死にたくない。これが人間の本心でしょう。
そこでお釈迦様は、繰り返しますが、人生には逃れることのできぬ「老病死」の苦しみがあるんだと仰っています。
ところで、若い方等の中には、「生まれてめでたいと思っていたら、その後にすぐ老病死がくっついているので暗いなあ」と思う人があるようです。感覚としてそのような気持ちになるかも知れませんが、これは間違いで、お釈迦様は「人は生まれればめでたいけれど、その後は、喜びや悲しみ、楽しみや苦しみ色々なものが混ざり合って老年を迎えるんだ。そして、そこに行くまでに亡くなってしまう方もあるけれども、そして、何とか老年を迎えても、次いで病と死が訪れる。ですから、人生に老病死は当然で、むしろそれをちゃんと認識して生きなさい」と仰せになっています。
それでも、そのようなお釈迦様の戒めを知りましでも、なかなか本当に納得できないのが我々です。特に若いときは、健康で適当にお金もあり、家族も元気で、仕事も何とか進んでいれば、そのようなことは考えようとしません。
また、色んな勉強や修養を積んで、人生を理解していると思われているような人でも、なかなか自分の心の仏性、命を見ようという所までは行きません。残念ですが。
しかも、自分が逆境になったときでも、お釈迦様の仰っていること素直に信じ切れるかどうか。難しいのも事実です。
しかしながら、また反面、ちょっと見れば平凡な方が、例えば大病になったとして、あわてふためいて泣き悲しむかというとそうではなく、堂々とした、穏やかな最後を迎える方もおられます。
これは、平成1 7年のことです。例えばKさんとしましょう。
お寺の檀家のKさんが亡くなられたのは6 7歳でした。
お母様と2人暮らしで、地元では大きな規模のデパートに勤めておられました。そのころは仕事も忙しく、なかなかお話しをすることもできませんでしたが、お母様の葬儀の際、引導文の中に私が母上の思い出を書いていたものですからそのことを「結構な文( おふみ) をいただきありがとうございました」と大層喜ばれ、その後仏事を通して話す機会が多くなりました。
中学卒なんですが、それで課長までなられました。しかも女性でその地位につく人は少ないそうです。努力に加え並みの能力ではなかったのでしょう。
そのKさん、お母様の亡き後は、時間が出来たのでしょう、短大へ行ったり、海外旅行をしたり、悠々自適の日々でしたが、「好時魔多し」と申しますか、60歳頃になって膵臓を患われました。始めは内科治療でしたが、遂に癌に移行、66歳の時、手術をすることになりました。
膵臓癌というのはなかなか回復が困難と言われています。本人も一心に回復を願い信仰をしておられましたし、私も力一杯祈念を致しました。
手術は成功し退院をされ、しばらくしてお寺にお参りになりました。明るく話されるものですから、膵臓癌は延命が難しいといわれているが、案外これは良くなるのではないかと思っていましたら、半年後、遂に亡くなられました。
もうお母様も亡くなっておられますので、身内の人は誰もいません。ただお一人です。どんな葬儀になるかと思っていましたら、なんと200人を超える方々が会葬され別れを惜しんでおられました。多くの方々とよほど深い親交があったのでしょう。
まもなく職場の上司であり、Kさんの姉のような方である浅野様という方が、葬儀のお礼に来られまして、故人の遺言だと言って、かなりの大金の寄附をされました。お寺の修理の使おうが、仏具を求めようが使途はご自由にとのこと。
驚きました。果たして、頂いていいものかと思案をしていますと、浅野さんは、「これは彼女が手術を受ける前に私も手伝い、世話になった方々へ遺品分けをするときに、お寺に持参するように言われていたものですので、何卒お納め下さい」と念を押されましたので頂戴いたすことにしました。本当に感慨無量のものがありました。
手術前には既に自分は死ぬと思っておられたのでしょうが、出来るだけ明るく振る舞っておられました。私も、一時は回復されるのではと思ったほどです。
だけど亡くなられました。その時には既に死後の用意がしてありました。気丈夫で潔い方です。
ですけれども、やはり私は、彼女は毎夜毎夜、涙を流しながら、命のはかなさを恨んだと思います。
お釈迦様は法華経、知来書量品第十六で「常に悲感を懐いて心遂に醒悟す」と仰せになっておられますけれども、恐らくKさんは、涙に洗われた目で、心の中の仏性を見つめ、それを仏の命と確信されたのでしょう。そして、自分の心の中にある仏の命に合掌して、亡くなる何日かの日々をすごされたのではないかと思います。
人生67歳の他界は今日では惜しみの多い年令です。今や、90歳や95歳の人もかなりおられます。しかし、お釈迦様の目から見れば、90歳も100歳も一瞬です。長寿は結構ですが、大切なのは、仏様から頂いた命を生かす生き方が出来たか、身体が亡くなっても、その命は来世で修行できるという確信が得られるかどうかだと、Kさんの生きざま、死に様を見て、私はつくづくと考えさせられます。
「いのちに合掌」「命に合掌する」と言うことは、私達が自分自身の心に向かい合掌することで、心の中に「仏性・仏の命」があることを自覚することだと思います。なかなか自覚できなくても、それを念じ、その思い、動作を繰り返すことで仏の命が備わっていることを信じようとすることでしょう。
そして、お釈迦様は「全ての衆生に仏性あり」と仰っているわけですから、自分のみならず、みんな仏性を持っている。仏の命を持っていることになります。ですから、挨拶の時合掌し会う、東南アジアの作法は、お互いの仏性を拝んでいることになるのでよい作法だと思います。
先ずは、自分の命に合掌し、次は自分に近い方々、即ち家族の命に合掌、そして、地域の人々の命に、さらに社会の人々へと広げていくような心になればどんなにすばらしいかと思うこの頃です。
ご静聴感謝します。お題目一唱お願いします。 
 

 

■いのちに合掌 3
皆さんこんにちは。私は神奈川県横浜市蓮久寺住職の鈴木浄元と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。
私が住んでおります横浜市も人口がたくさん増えまして、多くの人が住んでいる所でございますけれども、いいような悪いような話がございまして、人が多くなっても仲間同士、絆というのが薄くなっている。
今問題になっている孤立死というものがございます。横浜の旭区という地区で、昨年の12月でございます。新聞の切り抜きを持って参りましたが、普通のお家で母親77歳、そして重度の障害を持った息子さん44歳が孤立死をなさっていた。亡くなっていたという話でございます。周りの人は気付かないで、しばらく経ってから、お二人の死が確認されたと、本当に悲しいことでございます。
人口が多くなっても隣の人が何をしているか、死んでることも分からないようなそのような世の中になってしまったのは悲しいことでございます。町内会に入っていれば、民生委員の方が見回りに来てくれたかもしれません。けれども町内会に入っていないで孤立して亡くなったのでございます。お母さんはきっと重度の障害をお持ちの息子さんと一緒に慎ましく暮らしていらっしゃったと思います。けれども自分が体を悪くなさいましてお亡くなりになって先に亡くなって、その後息子さんも亡くなったと推察するのでございます。
この報道、新聞記事を読みまして、お母さんって偉いなあと思ったのでございます。子供のために働いて、息子のために食事を作ってあげていた。自分の体、病院に行くことも出来ない。けれどもお母さんは一生懸命、子供を養っていたのでございます。お母さんの偉大さというのが改めて感じられたのでございます。
けれども今はそのようなことばかりではございません。子供を捨ててしまう親もいるわけでございます。大聖人様の時代も同じでございます。親孝行な子供は少ないとおっしゃられておられます。
「一谷入道御書」というお手紙がございます。その中に若き夫婦が、夫は妻を愛し、妻は夫をいとおしむ。父母は薄い衣を着てる。
「我はねやは熱し、父母は食せざれども我は腹に飽ぬ。…是は第一の不孝のもの」なり、とおっしゃっておられます。
お父さんお母さんがいても自分はあったかい寝巻きを着ていてもお母さんには薄い寝巻きしかあげない。自分はお腹いっぱい食べてもお父さんお母さんには食べ物を与えない人がいると、これは親不孝の大事のものであるというふうにおっしゃられているわけでございます。このようなことではいけない。やはり恩ある父母を孝養を尽くすということが大切であると大聖人様は私たちに教えていただいているのでございます。
先だってお彼岸がございました。あるお檀家さんの法事がございました。そのご親戚の中に皆さんもご存知かと思いますが、歌手の二葉百合子さんがいらっしゃいました。その二葉百合子さんが歌って大ヒット致しました「岸壁の母」という歌がございます。そのモデルとなったのは石川県出身の端野いせさんでございます。
いせさんは明治32年に石川県羽咋郡にお生まれになり、ご縁がありまして青函連絡船の乗組員である旦那さんと一緒になりまして女のお子さんをもうけたのでございますが、昭和の5年の頃に相次いで旦那さんと娘さんを亡くしてしまいました。函館の資産家である橋本家というおうちから新二さんという男の子を養子にもらいました。新二さんと共に昭和6年に東京の大森に引っ越して参りました。洋裁をしながら生計をたてて息子さんと暮らしておりました。
新二さん、その新二さんは、その養子になった新二さんは大学に入りましたけれども自分は兵隊さんになると言って満州に行くことになりました。満州に行って兵隊さんになるんだ、お母さん申し訳ないですけれども兵隊さんになることを許して下さい、といせさんにお願い致しまして、満州に渡りました。
昭和19年のことでございますが、激しい戦闘で中国の牡丹江という所で新二さんは行方不明になってしまいました。いくら手紙を出しても戻ってこない。本当に心配で心配でならない親心でございます。いせさんはそれでもしんじは帰ってくる、必ず帰ってくると神仏にお願いをしたのでございます。シベリアに抑留された方がたくさんいらっしゃいました。その中に入っているのではないか、そう思ったいせさんでございます。
終戦になりました。引き揚げ船が日本に参ります。多くの方が大陸から日本に戻ってくるのでございます。兵隊さん、そして一般の方、多くの方が引き揚げ船に乗って戻って参ります。京都の舞鶴港という所でございます。いせさんは名簿を見ても、その中に新二さんの名前はないけれども、ひょっとして帰ってくるんじゃないかと思い、その日を目にするために、ひと針ひと針縫いながらお金を貯めて鈍行列車に乗って京都舞鶴まで迎えに行ったのでございます。ああ今日も船に乗ってなかった。岸壁に立って涙を流されたのでございます。そういった方がたくさんその岩壁にいらっしゃったそうです。
それを見て「岸壁の母」という詩が作られました。歌になって全国の人に共感を呼びまして、岸壁の母、二葉百合子さんがまたセリフ入りで歌うことによってまたまたヒットしたということでございます。岸壁に立って、新二、新二とただひたすらに待っていた、いせさん。これも母心。この強いこの母の思いというものが届いたということは、それからだいぶ経った後のことでございました。
新二さん、亡くなっていたという、思っていたけれども、実は中国で生きていらっしゃいました。戦友が訪ねて行って、この方は端野いせさんの息子さん、新二さんだろうということが分かりました。けれども新二さんは帰ってくることは出来ません。中国の人となってレントゲン技師となって家族をもうけているわけでございます。家族のこともあり、今更日本に帰れないということでございます。
けれど、いせさんはやはり会いたい、ひと目でも会いたい、息子新二に会いたいと願い続けました。
何度も戦友たちの勧めによりまして、新二さんはお手紙を書いたのでございます。お母さんにお手紙を書いた。けれどもその時お母さんは病におかされました。病院で81歳、昭和56年7月1日に81歳でお亡くなりになりました。お手紙が着く頃には残念ながら亡くなっていったのでございます。
けれどもその母親の思いが息子さんに通じまして、新二さんに通じまして、親子の絆が結ばれたということがこの岸壁の母のお話でございます。
「三世諸仏の慈悲心は母の苦労と変わらざりけり。」
「三世諸仏の慈悲心は母の苦労と変わらざりけり。」
仏様の心というのはお母さんが我が子を愛する気持ちと同じである。子供が苦しんでいれば早く治るようにして、病気ならば早く病院へ連れていって看病してあげたい、お腹がすいていたら美味しいものを食べさせてあげたいという気持ち、早く治るようにという気持ちで仏様も私たちを導いてくださるのでございます。
法華経譬喩品第三に「今此の三界は皆これ我が有なり。その中の衆生は悉くこれ我が子なり。しかも今此の所は諸の患難多し、唯我一人のみ能く救護をなす。」というお経文があります。
その仏様の慈悲心を知り、私たちは仏の子として自覚を持ちまして生活していく、このことが私たちにとりまして一番大切なことなのであります。
岸壁の母の端野いせさんのお話をさせていただいて、母親の愛情の深さその心というものは仏様の心と一緒であった。そのことに気付いて私たちは日夜、「いのちに合掌」の精神で、お題目の修行を続けていかなければならないということをお話させていただいて私のお話を終わらせていただきます。
最後にお題目を三返お唱えさせていただきます。 
 

 

■いのちに合掌 4
高座説教、テーブル法話、講演、人権問題講演など、テーマを頂くとそれに対応できる。フットワークは軽いです。依頼されたことには全力で対応したいです。
「白露の己が心を玉にしてもみじに置けば紅の玉」
自分の心をひとつの白露と例えて考えてみた時に、その白露がちょうど赤く染まった紅葉の上にがぽつんと落ちた時には、きれいな紅色に染まって自分の目にその白露の光をみせてくれる。
しかしながら、仔細にそのもみじの葉を見てみますると、その紅葉の葉には茶色に染まったところもあれば、虫に食われて穴の空いているところもある。赤いところに白露が落ちた時には赤く、紅色に染まり、茶色に染まったところにその白露が落ちた時には茶色に自分の目に見せてくれる。
しかしながら、ちょうど穴の空いているところに上から白露が落ちたとするならば、葉にとどまることなくして下の泥にまぎれてしまう。自分のこの、心というものもこの白露のように明るく紅色にも染まり茶色にも染まり、そしてまた泥水の中にもまぎれてしまうものではないでありましょうか。
自分の近くの小学校に磨光小学校という学校があります。まこうの「ま」は磨く、「こう」は光と書きます。まあ磨けば光るとも読める校名でありますが、その磨光小学校の3年に伊藤ゆき子ちゃんという女の子がおります。誠に元気がよいクラスでも人気者の彼女でございますが、お父さんは伊藤敏明さん38歳、お母さんは裕子さん35歳。誠に親子仲良く暮らしております。
先年おばあさんを亡くされておりましたけれども、本当に3人の親子は仲良く暮らしてございましたが、ただ一つ心配なことが、このゆき子ちゃん周りの子供と比べて見た時に少し発達が違っていたようでありました。
3歳の頃になりますると、まずお母さんが「ねえあなた、少しゆき子、周りの子供と比べてみた時にちょっと違うような気がするんだけれど」
「そうかねえお前、私にはそんなふうには見えないけれども」というような会話が幾度かなされた挙句、
「ねえあなた、いっそお医者さんに相談してみましょうかしら」
「あー、お前が気になるのならばそれもよかろう。一度、先生に相談してみたらどうだ」
と言うので病院に行って先生に色々と調べてもらって診てもらいましたところ、
「お母さん、確かにお母さんが心配するようにゆき子ちゃんは少し他の子供と比べた時に発達が遅いようですね。体の方も脳の方も少し他の方とは…。まあそんなに気にする程ではありませんから、もう少し様子を見てみましょう」
というので、それから1年、2年と様子を見ながら元気なゆき子ちゃんを育てておりました。
ちょうどその年が小学校に入学するという年になり、学校ではあらかじめゆき子ちゃんをオオルリ学級に入れようということで親御さんの敏明さんと裕子さんと相談を致しました。
「なんとか先生、普通学級に入れて他の子供と一緒に勉強させてやってくれませんでしょうか」
強い両親の、お父さんお母さんのその希望に、学校の方でも「それならば」というので、普通学級で勉強することになりました。みんなの中に入ってやはり学校生活は楽しいものでありました。
1年、2年、3年と学校生活をして参りまして、やはり一番楽しみであったのは運動会でありました。ゆき子ちゃんはその運動会の中でも駆けっこが一番好きでありました。
しかしながらゆき子ちゃん、他の子供と比べて少し走るのが遅かったものですから、いつ走っても一番ビリでした。
1年の時も2年の時もビリでありました。それでもみんなと一緒に駆けっこをするというのが本当に楽しみで、楽しくて楽しくて仕方がないゆき子ちゃん。3年生のその時には本当に前の晩からはしゃいで、その日になりますと
「お父さん、行ってきます」
という元気なゆき子ちゃんの声に
「随分ゆき子、今日は元気がいいね、にこにこしてるね、何かいいことでもあったの」
「うん。昨日、運動会の練習の時に隣で走ってたあけみちゃんが「ヨーイドン」と一緒に走った時に、途中で転んだの。そして足くじいたの。だけども明美ちゃん、絶対運動会に出るって言うから、ゆき子ね、きっと明美ちゃんを抜いて7番目になれるかもしれないの」
「あーそうか、それでニコニコしてたのか。がんばんなさいよ。お父さんも仕事片付けたら応援に行くからね」
と言って、元気に送り出す。お母さんも弁当をこさえて後から学校の方に参りました。
競技が進んでいって、3年生の徒競走の番になり、1組目、2組目が終わって3組目のゆき子ちゃんの番になりました。それでは位置についてヨーイドンというピストルの合図とともに8人の子供たちがいっせいにパアっと走り出しました。
その日は仕事の都合でお父さんはついに運動会に来ることが出来ませんでした。
運動会が全て終わって、お母さんと一緒にゆき子ちゃんは手をつないで、ニコニコ、ニコニコしながら帰ってきました。お父さんはそのゆき子ちゃんのにこにこしている顔を見て
「おー、ゆき子どうだった、駆けっこは。7番目になれたか」「ううん、8番目」「8番目か」「あなたね、ゆき子ったらね、こうだったんですよ。
ヨーイドン、というピストルの音と一緒にみんなが走り出した。途中まで行ってゆき子が明美ちゃんを抜いたかと思った時に明美ちゃんがキャーと言って転んでしまったの。
そしてなんとか先にゆき子は行ったんだけれども、さっと立ち止まって、振り向いて明美ちゃんのそばに行って耳元でこちょこちょこちょっと何かしゃべったかと思うと、明美ちゃんを起こして手を繋いで一緒に走り出したの。
ゴールの所まで来るとゆき子ったらねえ、明美ちゃんの背中をぽんっと押して明美ちゃんを先に入れてあげたの。で、ゆき子はやっぱり8番目だったというわけ。
そのゆき子ちゃんのすることを見て校長先生がまず手を叩いてくれたの。「ゆき子ちゃん偉い、ゆき子ちゃん偉い」って。
その校長先生の声と拍手につられて他の先生方がやはり拍手をしてくれて、「ゆき子ちゃん偉い、ゆき子ちゃん偉い」
その先生方の声にまた周りの子供たちも拍手をして、「ゆき子ちゃん偉い、ゆき子ちゃん偉い」の大合唱になったのよ、あなた」「そうか、それは偉い8番目だったな、うん。で、ゆき子、明美ちゃんに何て言ったの」「うん、明美ちゃんの耳元にね、『痛いの痛いの飛んでけー、南無妙法蓮華経』って言ったの」「あー、そう言ったのか」「うん、だって死んだおばあちゃん、ゆき子が小さい時に転んだら、『痛いの痛いの飛んでけー、南無妙法蓮華経』って言ってくれたもん。そしたらゆき子、全然痛くなくなったんだよ。だから同じことを明美ちゃんにしてあげたの」「そうか、ゆき子偉いぞ、偉いぞゆき子」
このゆき子ちゃんの心は自分共もどなた様でも一様に持っている心であります。それは人を敬うという心、そしてそれはまた、まさに合掌の心、そのものであります。敬いの心を持ち、合掌の心を持って、お題目を唱えて、私たちは安穏な社会づくり、人づくりに努めて参りたいものです。 
 

 

■いのちに合掌 5
私は、北海道の函館本行寺の住職をしております原顕彰と申します。
現在、宗門では「いのちに合掌」という運動を展開しております。今日は日蓮宗の宗徒として、このスローガン実践の前に、基本的にはどのような心構えを持ったらよいかということを私なりに考えお話させていただきたいと思います。
ここで今日、私が一番申し上げたいことは、それは、私たちは常日頃、法華経をお上げしていますが、特に「お自我偈」一番大事なお経ですが、そのお自我偈の中に
而実不滅度 常住此説法
というお経文が出て参ります。「しかも実には滅度せず。常にここに住して法を説く」と。
お釈迦様は常にここにおられて法を説いている、ということですが、それでは私たちは現実にそのお釈迦様の法を一度でも聞いたことがあるのかと問われますと、いや恥ずかしながら私自身でさえ、聞いたことがないんです。
お自我偈に説かれたんですから、それが本当のことでなければなりません。私たちもそのお自我偈でいう「常住此説法」とお釈迦様の説法を一度でも聞いていなければならないんですが、聞いたことがない。これは大きな問題ではないかと思うのです。
ただ、私自身考えますと、お釈迦様の説法というのは耳にしたことはないんですが、色々亡くなった人たちの声とかを聞いたり、また、不思議な体験というのは結構あります。しかしその亡くなった人の声を聞いたり、不思議な体験をするというのは現在はあまりないです。
それではいつ聞いたのかといいますと、私は小学校4年生でお寺へ養子に参りました。その小学校、中学校の頃の本当に純粋な心を持った、そういう時にこそ、亡くなった人の声とか不思議な体験、そういうものを経験しているんですが。
例えば、子供の頃に御檀家さんと一緒に寒修行して終わって来まして、茶の間でみんな夕食を食べておりました。昔は茶の間の干し物竿に干し物を干しておりましたが、その竿が半分だけ「ガタガタガタ」と揺れたのであります。
私はその竿を指さして「あーすごいね」と言って指さしているんですが、その音を聞いているのは、12、3人の寒修行の方が居ったんですけど、2人か3人だけだったのです。
「あ、本当に若さん揺れてますね」って言うんですが、残りの7、8人の人は「いや、何も揺れてないよ」とキョトンとしている。竿の半分だけが揺れる。しかもそれが「ガタガタガタ」と揺れるんですが、半分の人たちは「いや、そんな音聞いていないし、竿自体が揺れていない」と、そういうことがありました。
また、私の叔母は主人を早く亡くしてひとり身で、子どもがいなかったんです。それで自分が死んだら、跡を頼む、供養して欲しい、ということだったんですが。ある朝、真っ暗闇から白い布に包まれた御骨箱が飛んできたんですね。ふっと夢の中で。そして頬ずりをする。
普通、御骨箱に頬ずりされたらゾッと寒気がするんですけど、そうじゃないんです。可愛がっている犬か猫が自分の顔に頬ずりをしているように、懐かしく温かく感じたんです。目が覚めますと、その叔母が亡くなった、という電話が、すぐ入りました。
また、函館には大火が多いんですが、昭和9年の大火で2200人の人が亡くなった。ある川で、昔は、橋は全部木で造った橋ですから、火によってその橋が焼け落ちちゃうんですけど。それでも火に追われて来た人たちがドンドンドンドン川に入って亡くなっていく。
それで、そこに慰霊堂というのが建てられたんですけど、その慰霊堂で仏教界の慰霊祭を行った。そうして、丁度、川向いにもうちの同じ大火で檀家が亡くなったところがありまして。その川向いの檀家に行くために衣を着たまま、三十三回忌法要だったんですが。それで、川の真ん中まで行きましたら、突然、右足が動かなくなったんです。
小学校の5年生で、まだ子供だったものですから、先代の住職を呼んで、来てもらったら「ここでたくさん亡くなったんだからお題目を三回唱えなさい」と、子ども心に「南妙法蓮華経、南妙法蓮華経」と三回唱えましたら、右足が嘘のように動くようになった。
このように、子供の頃には色々亡くなった人の声を聞いたり、不思議な体験を経験しているんですけれども、大人になればなるほど、だんだん経験しなくなってしまった。これは私の心に欲が出たり、怒りの心や嫉妬の心などの三毒が邪魔したり、いろんなことで自分の心が汚れたり汚れてきてしまって、そういう亡くなった人の声も聞かなくなったり、体験もしなくなったんではないかと思います。
やはり心を清めるというのは大事なことかと思います。お釈迦様もスッタニパータという一番古いお経の中に、「世は燃えている。心を静めよう」ということを説かれております。
「世の中が燃えている」とは、家が燃えているのか、山が燃えているのか、とそうじゃないんです。家や山が燃えているわけじゃない。
人の心が燃えている。煩悩の心、嫉妬の心。そういう三毒の心で世が燃えている。心が燃えてて、本物の心がなくなって見えなくなってしまっている。ですから、心を静めて、本物の世の姿を見なさい、という戒めの言葉です。
私たちはなかなかそういう心を無にしたりすることもできないのです。心を無にして子どもの頃に帰るためには、やはりもう一度、心を無にしたり、生きがいを持ち、人生の目的を持つ必要があると思うのです。また、もう一つは、死の覚悟をすること。日蓮聖は教えられておりますが。「まず臨終のことを習うて、後に他事を習うべし」というお言葉ございます。
死の覚悟をまずすると。
それから生きがいを持つ。
自分の生きる目的っていうのを持つ。その人その人によって生きがいも大、中、小あると思いますが。
小さい「生きがい」の一つの例え話ですが。私は、生活保護施設を、今100人収容している施設の方の世話をしている。生活保護施設ですから、誰も身寄りがないという人たちが多いんです。そういう人達が亡くなると簡単な葬儀をして、そうしてお骨を無料で預かってあげている。
お礼にっていうので、お寺の草取りをそこの元気な人が2、30人来ては、一ヶ月に一回来てやってくれる。それがお骨の預かり料、だって言ってるんですが。
ある時、その収容者の1人、お婆さんが当時ですね、500円ずつ小遣いをひと月に一回もらう。もらった小遣いを、皆は「今日はジュースを買う」「みかんを買う」とか言って元気な人が店に行って買ってくるんですけども、そのお婆さんだけは、その500円をもらとすぐ枕の下に隠してしまう。
何回やっても500円もらうとそれを隠してしまう。ある時、施設長さんが「おばあちゃん、おばあちゃん、そんなお金なんか死ぬ時は持っていけないんだから。皆がこうやって一緒に、楽しんで飲んだり食べたりする時に、一緒に買ってもらったりして、飲んだり食べたりしたらどうか?」こう言いましたら、
「いやいや、私は死ぬ時にしたいことがあるからお金を貯めている。」
「なんなのかね?」と聞きましたら、
それはその生活保護施設は当時は、死ぬと座棺。丸いお棺に「押し込められる」。足を折ってそうして座って、座ったままでお棺の中に入んなきゃダメで。
「あれが嫌で私はじーっと小さい時から、あっちに貰われこっちに貰われ、いろんな窮屈な思いをしてきてのびのびとした気持ちで暮らしたことがないんだ」と、「だから死ぬ時だけでも、寝棺と言って、今は全部寝棺なんですけど。寝てお棺に納めてもらおう、その寝棺にして欲しいんだ」と。
聞くところによると、その寝棺にしますと生活保護のお葬式代が出ない。ですからお棺のお金から、火葬のお金から埋葬のお金。全部自分が出さなきゃならないので、そのために自分は貯めているんだと言うのです。お婆ちゃんにとっての生きがいっていうのは、要するに寝棺でゆっくり寝て死んでいきたいと、それだけが生きがいだったんです。
私は子ども心に「あー、人の生きがいとか、幸せっていうのは、これでもよいのかな」と、何も偉くなったりお金持ちになったり、有名人になったりとそれだけが生きがいじゃないと、こうやって5年も10年ももらった500円を枕の下に隠してまで寝棺で死んでいきたい。これもまた人生で、これもまた、小さな生きがいなのかなと。
その人その人に与えられた運命、道があります。どんなに偉くなろうと、どんなにお金持ちになろうと思っても、なれない人の方が多い。そういう人達はじゃぁどういう生きがいを持っていくか。
今のお婆ちゃんのように、こういった寝棺で死んでいくのが生きがいだと。それもまた認めてあげなきゃならないんじゃないかなと思います。
私たちも同じです。そういう生きがいとか、自分自身の生きがい。自分のできる範囲内の生きがい。人生の幸せ。それと心を無にすると。また最後の死の覚悟をすると。
日蓮聖人は「まず臨終を習うて、後に他事を習うべし」と、おっしゃられます。死ぬ時の覚悟。御檀家さんだけじゃなくて。私たち自身が死の覚悟をきちんと決めてから、それから毎日の生活、というのを考えなきゃなんない。その手本をしてみせなきゃ、とも思うのであります。
そして、この心を無にして生きがいを持って、死の覚悟。これができますと、先程、忘れてしまったという子供の頃のあの純粋無垢な心。亡くなった人の声が聞こえたり、不思議な体験をする、ああいう心にまた帰れるんではないかと。
こういう心になって始めて、冒頭申し上げました、「常住此説法」、仏様の説法する声が聞こえてくるのではないか、と。亡くなった人の声、不思議な体験、それどころかお自我偈に説かれているこの「常住此説法」、ずーっと何千年も何万年も前からお釈迦様がここにおられて法を説かれている。
法華経は仏教で最高の教えです。この最高の教えの真髄がお自我偈。お自我偈の中に出てくる「常住此説法」。
私たちが、それを、現実のものとして受け止めて、現実、お釈迦様の説法を聞くようでなければ、この法華経のお自我偈というお経は、偽物になっちゃう。お釈迦様は嘘つきになっちゃう。
私たちは、ですから一生に一回でもこの仏様の説法を、確かに聞くという義務があるのじゃないかなと。それこそが私たちに与えられた人間として生まれてきた、自分たちの一番の義務でないのかと思うのであります。
法華経を信仰する。日蓮聖人の教えを継ぐ、私たちの義務ではないかと。仏様の説法を聞く、そういう義務があるんだと、そう思うのでなければ、冒頭の「いのちに合掌」の宗門のスローガンも生きてこないと思うのであります。
日蓮聖人、波乱万丈の人生を送られて、身延の生活に入られて初めて、心静かに、山や川や自然界の姿を静かに眺められたんでしょう。
その折のお言葉が「吹風も、ゆるぐ木草も、流るる水の音までも、此山には妙法の五字を唱へずと云ことなし。」と。
日蓮聖人にとっては、吹く風も木草が揺れる姿も流れる川の水までも、仏様の説法に聞こえる。それどころか日蓮聖人は、そういう仏様のさとりの境地になられて、身延での生活を終えられたんじゃないかなと思うのであります。
ですからこそ、私たちは、折角このもらった人間としての命を、日蓮聖人の教えお釈迦様の教え、この世を仏国土に変えると、そういう大理想に向かって行かなければならないのであります。私たちは、法華経に説かれる「仏性」。お互いの仏性に「いのちに合掌して」、この大きな目的、仏国土建設、という目的に向かって邁進していかなければならないと、そういう義務があるんではないかと思います。
私は日蓮宗のこの「いのちに合掌」の運動の展開以前に、日蓮宗宗徒として、こういう心構え、「常住此説法」の仏様の説法を一度でも聞くという、心構えでいなければならない、ということをお話させていただいた次第でございます。お題目を三唱しまして、法話を、終わらせていただきたいと思います。 
 

 

■いのちに合掌 6
私は、神奈川県は、横浜から参りました辻本学真と申します。
皆様に、一つお尋ねを、申し上げますが、人類が進化していく、その中で、私どもの祖先も実は四本、手と足を使って歩いていた時期があったのをご存知でしょうか。
けれども、ある時、突如として立ち上がっていく。ではなぜ立ち上がったかということを今、人類の祖先を研究している学者が研究した結果、だんだんわかってまいりました。
四足で歩くということになりますと、食べるものを口でくわえるくらいしか確保できなかった。けれども、立ち上がって手が使えるということになりますと、手で食べるものを確保できた。この人間だけがそういうふうになってきたという部分を進化と申しています。
ところが私共この手が自由に使えるということを考えた時に、良いこともしますけれども、悪いこともする。例えば、戦争に行って銃の引き金を引くのもこの手でございます。良い方では合掌をして拝む、ということを私たちはできる。誠に尊い行為であります。
大聖人様をもととして、お題目を唱えるということから、合掌ということが言われておりますが、これは尊い姿です。手を合わせていれば、悪いことはない。手を離して拳を握れば人を打つ、あるいは何か考える行為に繫がっていくわけでございます。
まず、私共はこの合掌ということを常にやって参りましょう。それから、命というものを考えた時に、動物、生きている牛や馬や、やぎや色々なその動物の種がどのくらいあるか。
ある学者がそれをずーっと数えていったら、なんと動物だけで170万種。それは動物だけ。もうひとつは、この草や木ですね。草や木はどのくらいあるかと申しますと180万種。これをトータルしますと350万種になります。
まぁ、途方もない命ですね。そのいのちがこの地球上にあって、私たちは人間に生まれているということを考えた時にそれは大変不思議なことであります。それを大聖人様も考えて下さいとおっしゃっています。
そしてこの命の根源は仏様から伝わってきている。妙法蓮華経如来寿量品というのは、その仏様、如来の寿命がどのくらい長いかということを実は説き示している教えなんですよ。
それは時間的な長さだけではなくて、空間的な距離もそこに含まれて、永遠ということを、法華経は説いているわけであります。
私たちの人間の営みの中で、一つ申し上げたいことがあります。「織物」というものをよく考えてみますると、縦糸と横糸があるんです。
その縦糸というのはずーっと親、親、親を辿っていった時間の流れ、縦の流れ、横糸というのは自分の一生だろうと思います。
その自分の一生の横糸を強くすることは、これは、まぁ努力でございますけれども、ただその横糸が縦の糸に支えられているということを私たちはあまり認識していないのです。
その縦糸が弱ければ布をバっと引っ張りますとバラバラになります。これはある意味では、家族崩壊にも重なっていくわけですね。どんなに自分が強いと思っていても、縦に支えられているというその認識がなくなってしまうと、家の中はバラバラになります。そういう縦糸と横糸が丈夫であることが大事なんだと申し上げたいわけであります。
この経糸こそは先祖の流れを意味します。
実は、この春、長崎県の方へお彼岸のお説教に参りまして、長崎は特に大村というところ、あれは大村藩の領内でございますけれども、その第19代大村義前(よしあき)公以来、このお題目の信仰が非常に広がっていったところであります。
そういう土地柄である大村のこの8ヶ寺というお寺が大勢のお檀家を抱えておりますが、その中の2ヶ寺、彼杵郡の東彼杵(ひがしそのぎ)の妙法寺、それから川棚(かわたな)の常在寺という2ヶ寺で7日間、お話をして参りましたが…。
その東彼杵の妙法寺というお寺で朝、住職と打ち合わせをいたしておりましたら、お説教師さん、今日はお檀家の方が赤ちゃんをお連れになりますのでお経頂戴をお願い申し上げますとおっしゃった。
私も初めてでございますから、ご住職が「まぁ高座に上がっていただければわかりますので、いつものようにお経頂戴をして下さい。」とおっしゃいました。
そうして時間になりまして、ご法要のあと、高座に上がってお話をさせていただいたわけですが、そのお題目でずっとこう高座に上がって、高座で一応全部用意を致しまして、まだお題目が続いている中で、ご住職は、赤ちゃんを抱っこしたお母さんをお宮参りのような形をとって、高座の前にお連れになられました。
「御経頂戴をお願い申し上げます」ということで、そのお題目をずっと唱えている中を
「御経頂戴、今身より仏心に至るまでよく持ち奉る南妙法蓮華経、本日参詣の善童女、そして発育増進、智慧明良」
というふうにこの御経巻をそーっと頭に乗せて拝んでおりますると、なんとお母さんがその赤ちゃんの外から、一生懸命こう手を合わせて、若いお母さんですけれども、お題目を唱え、その周りの御信徒もその姿をご覧になっている。その皆さんが一生懸命お題目をあげて手を合わせていらっしゃる姿に私も感動したんですね。
あー、これは一人がお題目を挙げているんではなくて、その姿にまた誘われながら、周りの全参詣の皆さん方が一心に手を合わせられている。その個と全体、全体と個というものがひとつになってお題目の世界ができ上がっている、これこそが大聖人のおっしゃられた浄土のお姿ではないか、とつくづく感じ、私も高座の上で、もう涙が出て参りました。
この命、赤ちゃんがそのお題目の中で包まれてそしてお聞きになって、お母さんと赤ちゃんとが一つになっています。私は、きっとこの子は将来大きくなって、立派な人になれるな、こんなに小さい時からお題目の声をお聞きになって育っていくのだからと思って、お話の方へ入らせていただきました。そのお母さんもさがられましてから、横の方で私の話を聞いて下さいました。
これこそが命に向かっての合掌。この赤ちゃんの命がスクスク育っていくことを、親も思うけれども、この会座、皆さんが参加されている会座の妙法寺の檀信徒の方々も、それを祈っていらっしゃるんだな、そういう世界を感じた次第でございますが…。
大聖人も
「魚は水に住む、水を宝とす。木は地の上において候あいだ、地を宝とす。人は食によって生あり、食を財とす。命と申すものは、一切の宝の中の第一の宝なり」
とご指南くださっています。
まさにこの命というものを私たちはいただいている。そのことをこの親子に感じていただいたら、私はその子どもがまた大きくなってからも、同じ世界の中で生きていかれるのではないか、そう思いながらこの彼岸を過ごさせていただいた次第でございます。 
 

 

■いのちに合掌 7
身延山久遠寺で朝の朝勤のメンバーになっておりまして、言い訳になりますが、そのお勤めを済まして出掛けて参りました。ちょっと中央高速の方も渋滞しておりまして、遅くなりましたことお許し下さいませ。
よろしいでしょうか。それではあの、10分という時間をいただきながら、お話させていただきます。
色々なことを話させてもらってますけども、考えたところ、やはり究極は何かということに絞りまして、これでなきゃならない、日蓮宗僧侶となった以上は大聖人の言われている「今すぐと仏となる」全てそれから早く一日も早く仏になりなさい悟りなさいと大聖人のご遺文を拝読しておりますと、大聖人は色々な法門を説いてきたけれども、究極は成仏に限ると、まあ皆さんもご承知のことと思いますけれども、成仏ということがなかなか叶わないわけでございます。
で、仏様の教えの中で常不経菩薩が但行礼拝であれだけの行をされて仏になった、というところ、簡単なようで徹底して拝みまくった。全ての人に、自分が出来ないことを、拝んで拝んで拝んで、どなたにも区別無く拝んで、ようやく仏になれたということですけれども、我々は信徒の前でお話をして拝んで「合掌は尊いですよね、合掌は尊いですよね」と言っていてもなかなかそれが実行出来ない。
なぜならば私たちは、悲しいかな好き嫌いがあって、そしてあいつ好かないからといって素直に合掌出来ないじゃないですか。
仏様の教えはそれを乗り越えて、あの人は嫌いだから合掌するのはやめましょう、あの人に対して頭を下げるのはよしましょうなんていうことをケチなことを言わないで、徹底して合掌する。
その合掌する心になれること。これが我々が残されたですね、人生においてあと何年生きられるか分からないですけれども、「合掌」「合掌」です。但行礼拝。
で、この日蓮宗もそうです。「いのちに合掌」、ほらあ、自分が尊いから合掌するわけです。自分自身を磨くために合掌するわけです。
ところが、大聖人が、心の迷い、曇りを取るのは南無妙法蓮華経と唱えてお題目を唱えると、この曇りが消えていくとは言っております。
ですけれども自分一人で合掌礼拝をして修行をしていてもなかなか磨かれていかない、と思うのです。
私は最近考えることは、合掌というのは私がどなたかに合掌する、一生懸命合掌をする、こちらの人にも合掌する、そうするといずれその人から合掌した人から合掌されるようになって私たちは磨かれていくのではないか。
自分一人が修行して、お題目は尊いからといって捉えていてもなかなか生涯生きているうちにこの心を磨きあげるのは遠いのではないかと思うのです。
夫婦がおります。奥さんに対して合掌しています。
女房は尊い、身延山で団体の人が登ってくると、女房のおかげだ、という話をします。奥さんに素直に合掌出来るか、その奥さんに対して、「おまえのおかげでありがたいよ、自分の人生はあなたのおかげで尊かったよ」というふうに素直に合掌出来るか。
やってます。
だけれども合掌しているんだけれどもやはりそこが凡夫です。つまらない顔をされたとか、返事が何かつんとしていたりすると、「なんだおまえの態度がそれならば、俺だって考えがあるぞ」と言って、はっきりとものを言ってしまって2、3時間黙ってしまう。一日、口をきかないでいるというようなことが多々あります。
だけれども、人生短い間なのに、そんなつまらないことで夫婦の間でも理解出来ないようでどうするんですか。こういうふうに思うようになってきたわけでございます。
信徒に早く仏になりましょう、早く悟りを得ましょうと言いながら、自分自身はもう心が乱れていて、家族に対しても合掌が出来ないような坊さんであるならば、もう坊さんは諦めて辞めた方がいいんじゃないか、とそのくらいに思えるのです。
私が、この成仏ということを教えてもらったのは、身延山短期大学に20歳で入った時に室住一妙先生という先生の祖書を習う中で、
「早く何を置いても仏になることが一番重要です。仏教というのは仏様の教えと書くけれども、仏様が我々がどのように生きたらいいのか、ということを教えてくれる仏の教えなんだよ、と同時には成仏、仏教というのは仏になる教えでもあるんだよ。」
「仏になるということは難しく考えれば大変ですけれども、仏となるということを考えた時に大切なものは何かということに目覚めた人、気が付いた人を仏というんだ」と。
我々はもうボケてしまっていて、世の中の欲に負けたりして、そして本当に大切なことは何か、ということを間違えて考えている人もいます。
私らもそうかもしれません。だけれども、本当に大切なものは何かと、大聖人のご遺文を拝読していくと、さあ、大聖人は、大切なものは「心の宝」と言っておりますけれども、その心の宝というのは、心の持ち方、大聖人の法門は「志の法門」と言えると書いてあります。
「志の法門」、何かと言った時に「事理供養御書」の中で成仏のことを語られております。その仏になるということは難しい。先師先哲は自分の命を投げ出してようやく仏になれたけれども、我々凡夫は先師先哲と同じように、飢えた鬼にお腹をすかした鬼に命を投げ出すというようなことはかなわない、出来ない。
ならば、仏になれないのかと言った時にいや、そうじゃないよ、凡夫には凡夫なりに仏になれる道がある、と書いてあった
それは「志の法門」だ。「観心の法門」とも言っております。「観心の法門」とは何ですか。「観心本尊抄」の「観心本尊」というのは「本当に尊いものは何か?」心を観るということでございます。
大聖人がその心を観るということは、大聖人が身延山9カ年の生活の中で山中でひもじい思いもしました。寒さに負けて腹の気の病にかかって下痢病が一年近く続いた。命、臨終というものを大聖人も覚悟されたわけですけれども。
その中にあって言われていることは、飢饉が続いた時に皆さんの家庭でも食べるものは少ない、皆さん信徒の方も食べるものが少ない中にあって、上野殿だとか、その松野殿だとか、富士の裾野の人たち、その静岡の信徒の方々が、山の中の大聖人のもとへ食べるものを届けてくれたと。
この食料、米というもの、餅というもの、その芋というものは、これは芋じゃない、米じゃない、命そのものだと言っている。日蓮聖人の命をつないでくれた食料であるから、この米は命そのものだ。
そして大聖人は礼状を書かれる中にあって、その礼状の中にこういうことが書いてある。この米が大変あっても供養してくださるとは限らない。このお米、食料を山の中の日蓮坊に届けてくれるあなたのその心が尊いんだ。その命を繋いでもらいたい。
大聖人が苦労して食べるものがない。そこへ届けたいというその食料は多い少ないじゃないだろう。あなたの志の成せる技である。その志、心の持ち方が私は尊いと思います。ありがとうございます。その志に対する「合掌」「礼拝」なんです。
ですから大聖人はお釈迦様の教えを広めるに当たって、信徒から受けたその恩、そういうものを身で感じて、それを法門として、池上宗仲の兄弟にも着るもののお礼状、ですから大聖人が「事理供養御所」の中で、尊いものは着るものをいただくことだ、寒い時に着るものをいただくことが尊い、食べるものがない時に食料をいただけることが尊い、考えたならば無いものをいただくことは尊い。今身延山中で寒い飢えと闘っている日蓮に対しては着るものと食料はありがたいんですよといって、大聖人はお礼状を書かれているわけでございます。
我々が日蓮大聖人のその教えを守っていく、日蓮聖人の生き方というのは今目覚めなきゃならない、今が幸せでなくてどうするんだ、という念仏がはびこってた時代に念仏の阿彌陀さんの信仰は、今諦めて亡くなった後、来世に救われるという教えで信徒の方が大勢でてきた。
それを見て大聖人はおかしい、死んだ後に救われるなんて教えはおかしい。今救われて死んだ後も救われる、今救われて父母をも救うことができる教えはこの法華経お題目の教えをおいて他にはないだろう。お題目の功徳は過去、現在、未来の三世に渡る功徳がある。今一生懸命私たちが信仰して合掌して磨き合って仏になれたとするならばその功徳によって大切な父母をも救います。そして今私どもが生きているうちに仏になれたとするならば、自分の大切な子や孫にその功徳を伝えることが出来るのではないかと思うわけでございます。
私が20歳で、その室住先生がですね、授業が始まると「すぐに仏になれ、すぐに仏になれ」、そして大聖人の教えを室住先生は教えてくださった。
私は一番前でこうやって聞いていたけれども、うとうとうとうとと寝だした。
そしたら、室住先生が「おい、寝るんじゃない。起きろ、顔を洗ってこい。」
「冗談言うな、こっちは授業料払ってる立場だぞ」と思ったけれども授業を聞いて、また眠ったら「本当にトイレ行って顔洗ってこい」と言われまして、私は顔をトイレで洗った覚えがあります。
そしてそれからはですね、シャープペンシルの芯を手のひらに刺したり、ボールペンでですね、寝ないようにって言って起きていてそして、室住先生のその仏になる全てそれから、その教えを受けたわけでございます。
身延山で御開帳しますと、宿坊で御開帳しますと、その「今すぐと仏となる、全てそれから。真心は尊きものとひれ伏して宇宙全てが拝む日もくる。そして宇宙全てを拝む日もくる。宇宙全ての人が宇宙全ての人に対して拝む日もくる」というそのフレーズを語りながら頑張っているわけでございます。
私は身延山布教師になる時に功刀部長さんが
「布教院、出たろ?」「えっ、布教院って何か知らないから行ってません。」「大丈夫、大丈夫。布教研修所は出たよね。」「いや、それも行ってないんです。」「大丈夫、なんとかなる」
と言われて図々しく身延山でお話をさせていただいたわけでございます。
本日はこんな皆さん大先輩の前でお話をさせていただきましてありがとうございました。 
 

 

■いのちに合掌 8
はい、皆さんこんにちは。私は山口県山陽小野田市妙蓮寺住職、吉本光良です。
今から一週間前、春の選抜高校野球が開幕になりました。その開幕式で東日本大震災の被災地であります宮城県石巻工業高校の阿部翔人主将が宣誓をしました。
この新聞に写真が出ておりますが、「東日本大震災から1年、多くの人が苦しみ悲しみの中を経験致しました。」と始まるそれでこの宣誓の中でこういう文章がありました。
「人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて辛いことです。しかし日本が一つになり、その苦難を乗り越えることが出来れば、その先には必ず幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。」
素晴らしい宣誓をしてくれました。次の日、多くのメディアが取り上げて一大ニュースとして賑わさせました。
私は山口県の出身ですけども、山口県長門市仙崎生まれの金子みすゞという詩人がおります。昭和初期の原風景を詩にした童謡詩人と言われた金子みすゞさんであります。
この金子みすゞさんは、仙崎から下関へ嫁いで参りまして、結婚して一人の娘さんをもうけました。ところが夫が、いわゆる放蕩で不治の病をえまして、その病をみすゞさんにうつしてしまいました。
答えのない悲しみの中で一生懸命に、詩をつづり、その苦しみの中でも娘を思い、色んな詩を作ってくれました。その中で一番有名なのが『わたしと小鳥と鈴』であります。
わたしが両手を広げても お空はちっとも飛べないが 飛べる小鳥はわたしのように 地面(ぢべた)をはやくは走れない
もうすぐ春の繁殖期がきまして、雀たちが軒先に巣を作って、そして幼い小鳥が地べたに降りてよちよちしております。それを捕まえられると思って私も何回も追っかけたんですけれども、今はその小鳥の姿もなかなか見ることが出来ません。追っかけていきますと、ばたばたばたーっと屋根の上に上がってしまいます。
飛べる小鳥はわたしのように 地べた地面(ぢべた)をはやくは走れない わたしが体をゆすっても  きれいな音は出ないけど あの鳴る鈴はわたしのように たくさんの歌は知らないよ
鈴はリーンリーンといい音は出しますけれども、あくまでもリーンリーンだけであります。それに比べて私は色々な童謡も歌えるよ、そして、
鈴と小鳥と それからわたし みんな違って みんないい
今では文部省の推薦もありまして小学生の低学年の方はみんな知っている歌であります。詩であります。ところが、
みんな違って みんないい
と言いながら、なかなか腑に落ちません。心の底に届いておりません。それが今のこの日本の現状であります。
法華経の薬草喩品第五の中に『三草二木の喩』というのがあります。
「ある時、干ばつが続いて大きな木も小さな草も今にも枯れそうな時に、しとしとと雨が降り出して、草も萌えあがり、小さな木も大きな木も息を吹き返す、という喩え話であります。この雨というのは、すなわち法華経の教えであり、全ての人が仏の慈悲の光の中でその本来の姿をちゃんとあらわし、仏の姿をあらわすんだと。だけれども小さな草は小さな草、大きな木は大きな木、小さな木は小さな木、それぞれみんな違うんだ。それでもやっぱりみんな仏の姿なんだ。」
という喩えであります。
同じく金子みすゞの詩に『土』というのがあります。
こッつんこッつん ぶたれる土は よいはたけになって よい麦生むよ
昔は冬の寒い時は、麦畑に霜柱が立ちますので、その麦畑、芽の上から踏んでいきます。そして立派な麦が育ちます。
こッつんこッつん ぶたれる土は よいはたけになって よい麦生むよ 朝からばんまで ふまれる土は よいみちになって 車を通すよ
人がいっぱい踏み付けるところはそこが道になる。
ぶたれぬ土は ふまれぬ土は いらない土か
そしたら踏まれもしない、ぶたれもしない土はいらないのか。
いえいえそれは 名のない草の おやどをするよ
やっぱりあちらこちらでその草が生えて、そしてその命をまっとうするよ。みんなみんなそれは違って仏なのよ、仏の姿なのよ、それが法華経の教えの根本であります。
その誰でも仏になるということを、礼拝の行として実践したのが、法華経の20番目に出ております『常不経菩薩品』の常不経菩薩であります。
「私はあなたを礼拝致します。あなたもきっと菩薩の道を行じてきっと仏になれる筈でございます。しっかり頑張ってください、あなたもきっと仏になれますからしっかり頑張ってください。」
会う人会う人にみんな拝んでいった。
これが宗門運動の『但行礼拝』であります。すべての人の中に必ず仏を見る、仏を認めるということであります。みんな違ってみんないい、みんな仏の姿なんだということが腑に落ちていれば、心の奥底で納得出来れば、自然に出来る姿であるはずであります。
それを『如来寿量品第十六』の仏の悲願として、皆様方は『毎自の悲願』ということで何度もお聞きになっていると思います。
毎に自らこの念をなす 何を以ってか衆生をして 無上道に入り
無上道というのは最上の道、仏になる道、みんなが仏になれる道であります。その道にみんな入って速やかに仏身を成就して、みんな仏の姿を表してくださいよ、それが法華経の根本の願い、最上の願いだと存じます。
それをそのまま詩にしたのが宮沢賢治の『雨ニモマケズ』という詩であります。雨ニモマケズという詩は宗門運動発行の『但行礼拝パンフレット』の中に入っております。
金子みすゞさんの詩から言いますと、この東日本大震災の後に流行りました『こだまでしょうか』というのがあります。
「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう こだまでしょうか いいえ、だれでも。
この詩が震災の後、公共広告機構のCMとして流れました。その後、金子みすゞのブームが起りました。
金子みすゞの、その心こそが一番最初に申し上げましたけれども、あの石巻工業高校の主将が言った答えであるかもしれません。
「人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて辛いことです。しかし日本が一つになり、その苦難を乗り越えることが出来れば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。」
日蓮大聖人のお言葉からいえば、それこそが『立正安国論』の、
「汝信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」
みんなが仏になる道を歩みましょう。その心を持って合掌をしてお題目を唱えて、みんなが拝み合うことが出来たならば、それこそがこの立正安国お題目結縁運動のお題目の輪を広げることになるのかと思います。
仏の心と仏の心がこだまする世界、それを今、皆様方と共にお題目結縁運動でお題目の輪を広げていきましょうというのが但行礼拝の運動だと信じます。
どうぞ皆様これからもお題目の輪を広げていっていただきたいと存じます。ありがとうございました。 
 

 

■いのちに合掌 9
皆さんこんにちは。青森県永昌寺の住職、田端義宏と申します。しばらくお付き合いいただきたいと思います。
日蓮宗では平成19年より平成34年までの16年間、日蓮聖人ご降誕800年を期して、「立正安国・お題目結縁運動」という宗門運動を開始致しまして、既に1期4年が過ぎ、2期2年目に入ろうとしております。
宗門運動とはそれぞれのお上人様がやっている活動、それぞれのお寺でやっている活動とはまた違った、宗門全体で同じ方向に向かって、同じ足並みを整えて、同じ目的に向かって進んでいこうという運動だと思います。
では、宗門とは、日蓮宗とは一体どういう教団なのだろうか。日蓮宗では全国を11の教区に分け、その11の教区をさらに細分して74の管区に分けて、それぞれが、宗務所を中心として色々な活動を行なっております。その中にお寺の数は5178の寺院協会結社、お寺さんがあります。皆さん方のお寺もその一つに当たります。お上人方の数は8294人いらっしゃいます。8294人のお上人と5178のお寺さんがこれまでいろんな活動を皆さんと共にやって参りました。
従来、宗門運動というと、どうも宗務院が行う運動になりがちだったり、またはお上人やお寺さんの活動が宗門運動で、お檀家の皆さんは関係ないという風な受け止め方をされがちでした。
でも今度の「立正安国・お題目結縁運動」は違います。5178のお寺、8294人のお上人では足りない。もっともっとたくさんの方々に一緒に参加してもらいたい。
宗門は通常、檀信徒の数が385万人とも言われております。じゃあ、385万人でこの運動を推進したら数倍の力、または時間的にも広がりも多くなるのではないだろうか。そういう意味でこれまでと違ったお上人とか宗務院とか、お寺だけの活動ではない、檀信徒の皆さんと一緒にやる活動、そして世の中の皆さんに訴えていく活動、それが「立正安国・お題目結縁運動」という運動です。
でもこの名前ですと、なんか大上段に振りかぶってちょっとあまりにも日蓮宗のお上人方の言葉になってしまいます。それをもう少し簡単に出来ないだろうか。噛み砕いた言葉が、「敬いの心で安穏な社会づくり、人づくり」の運動ですよ、という解釈が付け加えられました。
これは、対社会的には但行礼拝という常不軽菩薩の行った、あの但行礼拝の精神で、立正安国の社会づくりをしようという社会運動です。
ですからお寺の中だけの運動ではありません。社会に向かってそれぞれがお檀家としてだけじゃない、社会人としても日蓮宗のご信者さんは違いますね、日蓮宗のお寺は違いますね、と言われるような活動を行なっていきましょう。
もう一つは宗門内部に向かっては「お題目結縁」という、お題目を通して宗門を再生していこう、これまでの宗門から新しい宗門に生まれ変わっていこうという、いわゆる信仰運動というのがこの運動の主旨だと思います。そしてそれをもっと簡単なもっと分かりやすい言葉に変えたのが、「いのちに合掌」というスローガンです。
第1期ではこの「いのちに合掌」、特に自死の問題にスポットをあて、年間3万人を超える自死者をなんとか減らそうという形で取り組んで参りました。第2期に入ってもこの「いのちに合掌」はそのまま継続し、さらにもっともっと進めていくような方向で現在取り組んでおります。
手を合わせる合掌、些細な行為です。皆さんの右の手と左の手を合わせるだけです。それだけで果たして世の中は変わるんだろうか。問題だと思います。
でも合掌には力があることを私は学びました。私は忘れられない合掌を二つ感じております。 
一つは、私の父であり師匠である、前住職の合掌でした。私の父は101歳で亡くなりました。90歳を超えてからは足腰がだいぶ弱くなって、100歳の頃には車椅子に座っておりました。いつも食堂でご飯を食べた後、車椅子に座っているのですが、私が車に乗って外出をする時、どういうわけかその車椅子から立ち上がって、私の車が見えなくなるまで窓から合掌してくれるんです。
私にとっての父のイメージは、おっかない人。子供の頃から厳しくされた師匠です。親父です。怖い親父が私の車が見えなくなるまでずっと合掌して見送ってくれる。ちょっと気持ちが悪いもんで、ある時、聞いたんです。なんでですかって聞いたら、いや、車で事故が起きないように、向こうへ行っての仕事がちゃんと出来るように、私なりに拝むしか出来ないから、お前に応援してるんだよって言ってくれました。
あの厳しい親父が私の車を、私を合掌で送ってくれた姿に私は感動しました。親父に対する見方が変わりました。
もう一つは、私の母の合掌です。母は89歳で亡くなりました。だいぶ弱って入院し、病院のベッドで寝たきりになりました。言葉が出なくなりました。ものが言えなくなっちゃったんです。それまではいっぱい言葉を言っていた母でしたけれども、言葉が言えなくなった母がその後とった行動は、ただただ合掌することでした。
お医者さんが来る、合掌する。お見舞いのお檀家が来る、合掌する。私たちが行く、合掌する。ただただ合掌するだけ、言葉はありません。でもその合掌がどういうわけか、人を変える。看護婦さんも合掌してくれました。お医者さんもお母さん元気ですかと言って、合掌してくれるんですね。
合掌は小さな行為だけれども、とても大きな力を持っているんじゃないか。そして、人を変える、人を変えるだけじゃない、自分が変わり、人が変わり、世の中が変わっていく、そういう力を持っているのが合掌ではないかと思いました。
「いのちに合掌」というテーマはそういう意味ではとても大きな意味を持つテーマであり、力のある運動だと思います。「立正安国・お題目結縁運動」というと大上段に振りかぶった何か凄い宗教的な運動になりますが、それを「いのちに合掌」という言葉に変えただけで、とても身近な、しかも上人だけではない385万人と言われる日蓮宗徒全員が出来る、しかもお年をとっても寝たきりでも出来る、言葉を使わなくても出来る活動、これが合掌という活動だと思います。
私のお寺の境内の入口に掲示板があります。そこに時々、内容を変えた掲示をしております。私はこういう言葉を書いたことがあります。
「握れば拳、開けば掌、振り上げればげんこつ、合わせれば合掌」
手のひら一つですが色々変わります。握れば拳です。開けば掌。お腹を撫でたり、頭を撫でたりできます。振り上げればげんこつですよ。その振り上げたげんこつを合わせれば合掌に変わるんですよ、という意味のことを書きました。物事は色々変化するんだよ。また、変化させなきゃいけないんだよ。
「立正安国・お題目結縁運動」という難しい言葉も、変化させれば合掌というひとつの行いにまで集約されます。と同時に、その合掌という小さな行為の中に、「立正安国・お題目結縁運動」という素晴らしい内容が秘められているんだ。私は社会づくりに繫がる、また人づくりに繫がる大きな意味をもった出発点が、合掌という行為ではないかと思います。
ハーバード大学の教授で国際政治学者、そしてアメリカの頭脳とか知性と言われたサミュエル・ハンチントンという方が数年前に本を出しました。21世紀は、文明の衝突の時代ですということを書きました。当時は、文明は集約されてひとつにまとまっていくだろうという時代に、サミュエル・ハンチントンは、違う文明が衝突してもっともっと激しい争いの世がくるだろうと予想されました。現在、世界はイスラム、キリスト教、いろんな思想が文明がぶつかってまさに混沌とした時代になっております。
その異質な文明と文明が一つに溶け合う、統合されていく、私は合掌という姿は、まさに異質なものが共にひとつに重なり合っていく姿が合掌なのではないかと思います。そういう意味ではこの運動はとても大きな、宗門の中の運動だけではない世界に通ずる、大切な運動ではないかと思います。
もうひとつこういう文章を本で読みました。草柳大蔵さんがその著書の中で書いた言葉でした。
「家庭にあっては親は子供を恐れ、教室にあっては教師は生徒の機嫌を取り、社会にあっては年長者は年若い者から頭が固いとか権威主義者と言われるのを恐れて、軽口と冗談ばかり言っているようになった。」
まさに現在の日本の教育環境といいますか、世の中を表しているなあと思ったんですけれども、ふと見るとなんとこの文章は今から2500年前、ギリシャの哲学者プラトンが当時の古代ギリシャの社会を書いた文章だったそうです。なぜそういう時代になったのか、こう書いてあります。
国家や社会に規範がなくなり、全てが自由と開放に置き換えられたためだ。全てが自由と開放に、そして規範がなくなった。柱がなくなった、魂がなくなった時に人々は、世の中は、家庭は、教育は、崩れていくんだと思います。そしてこうなった時にこの古代ギリシャは滅び去ったと書いてあります。古代ギリシャはあっという間に滅び去ってしまいました。
私は今の日本の社会の様子を見ていると、この古代ギリシャとそっくりの状態で後を追いかけている。しかも急な坂を転がり落ちているような気がしてなりません。もしも今この時代に日蓮聖人がいらっしゃったならば、どういう『立正安国論』を書くだろうかな。どういう言葉を私たちに問いかけるだろうかな。その思いを胸に秘めながら、私たちはこの立正安国・お題目結縁運動、また「いのちに合掌」という小さな合掌の中に集約させていきたいなと思います。
東日本大震災では15854人の方が亡くなり、3155人の方がまだまだ行方不明だそうです。とても痛わしい限りです。でもあの災害をただ大変な災害だったと終わらせないで、あの災害から学ぶことはたくさんあったはずです。
「いのちに合掌」の「いのち」、これは人の命だけではない、動物や植物の命、物の命、時の命、色々な命が大切なのだということを私たちは学ばされたと思います。どうぞこれからみんなで一緒に「いのちに合掌」をテーマに、宗門運動を盛り上げていただきたいなと思います。お題目を三返お唱えして終わりにしたいと思います。 
 

 

■いのちに合掌 10
「曇りなきひとつの月を持ちながら浮世の雲に迷いぬるかな。」
曇りのない素晴らしい月を心に持っておりますが、浮き世のいろんなことのことによってですね、真っ黒になってしまいます。
汚れきってしまった心の月を皆様方どうぞご信仰によってきれいに洗い流すことがご信心ではないでしょうか。
さて、夢なら覚めて欲しい。これは夢だったんだろうか。しかし現実に起きました。昨年の平成23年3月11日、東日本を襲ったあの地震です。なんとマグニチュード9ということ、そして平静ならば30秒の揺れですよね。しかしあの時の地震はなんと5分15秒というじゃないですか。
人間を飲み込み、人家を飲み込んでしまったあの津波、80倍から90倍というすごい津波でした。
その時に避難している体育館で、8歳になる一人の少女がテレビのインタビューに答えておりました。
「私は自分のうちがあって、お父さんお母さんがいて当たり前だと思っていたんです。今は自分の家もなくなってしまった、お父さんお母さんも行方不明になってしまった。なんて今までの当たり前だったことが嬉しかったんだろうか」と涙を流しながら話をしておりました。
私たちも普段当たり前のことに、感謝しているんだろうか。この少女も一瞬の間に当たり前だったことがなくなってしまった。この目でものが見える、この耳でものが聞こえる、この歯でものが噛める。当たり前かもしれない。しかしながらこの当たり前のことが私たちは当たり前でなくなってしまった時、はじめて「あの時は有り難かった」と思うんじゃなくて、普段この当たり前のことに報恩感謝の気持ちを持つことが大切ではないでしょうか。この少女の幸多かれを私は心から祈りたいと思います。
そしてこの年の11月、皆様方もご承知だと思いますが、あの被災地にブータンから国王夫妻がやって参りました。そして、被災地の方々を見舞われました。
その国王夫妻の素晴らしいこと、私は今でもこの目から離れません。あの合掌のきれいなことです。素晴らしい合掌だったじゃないですか。あの被災地にいる本当に苦しい人たちがあの合掌を見て、感動致しました。そして子供たちを集めて話をされました。子供たちは涙を流しながら話を聞いておりました。
国王は、子供たちに向かってですね、「皆さん龍を見たことがありますか?今年は辰年ですよね、私はその龍を見たことがあるんですよ。皆様はどうですか?」と話された。
みんな首をかしげていた。すると国王は「龍はみんなの心の中にいるもんなんだよ。一人一人の心の中に龍がいるんだよ。その龍というのは経験を食べながら生きているものなんだ、成長していくものなんだよ」と子供たちに話された。
その国王の心にいる龍というのは仏心なんですよ。仏心を指して言っているんですよ。その龍は経験を食べながら大きくなっているというのは、仏道修行をしながらどんどんどんどん大きくなっていくものなんだよと話されたのです。
その国王の言う仏心というものは私たちもみんな持っているじゃないですか。仏性、仏心皆様方もみんな心の中に素晴らしい仏性があり、仏心があり、仏力があり、みんな兼ね備えて持っているのです。
昔、江戸時代に中江藤樹という儒学者がおった。その儒学者は素晴らしい心の教育をあちこちに講演して歩かれた。1608年、1648年の頃の人ですよ。なんと40歳でこの世を去った方です。素晴らしい儒学者だった。
その中江藤樹先生はあちこちに頼まれて心の教育をして歩いたと言われている。ある時、先生が一山向こうの村で話を頼まれた。
先生はその山を超えて行くには2時間3時間歩かなければ、向こうの村に着かなかった。それを「はいはい」と言って二つ返事で引き受けた。さあ、向こうの山に向かうには山越えをしなきゃならない。やっとその場所に着いて、2時間の話を終えて帰りかけた。もう辺りは真っ暗だった。
すると村人が「先生、泊まっていってくださいよ。」「いやいや、明日早いから、今日は失礼するよ。」
そして、まっ暗い山道を超えなければならなかった。その山というのは暗くなると、追い剥ぎが出ると言って有名な山だったんですよ。藤樹先生はそれを分かりながら山越えをして家路を急いだ。ちょうど中腹まで来た時に、噂通り「身ぐるみ脱いて置いて行け」とものすごい勢いで山賊が出てきた。
すると藤樹先生は「やっぱり出たか。お前が有名な山賊か。分かった。まあ私はまだ命が惜しい、身ぐるみくらい脱ぐのは簡単なことだ。」
そして藤樹先生は自分の着ているもの全て脱いでふんどし一つになった。「さあ持って行け。」持っている風呂敷包みも全部放ってやった。
するとその山賊がですね、「お前びっくりしねえのか。」 「いや、びっくりはしねえ。お前が山賊ということは知ってたからだよ。」「そうか、お前、職業何なんだ。」「まあ職業ってほどじゃないけど、私は儒学と言って、心の教育をみんなに広めて歩いているんだよ。」「なんだその儒学って。心の教育というのは。」「いやあ、お前に言っても分からないだろうな。心の教育というのはそれぞれに仏心、ほとけ心があるということをみんなに教え導いているんだよ。」
するとその山賊は、「仏心。その仏心というのは俺にもあるのか。」と言った時に中江藤樹先生、「お前にもあるかな。まあ、お前にもあるだろう。」「どこにあるんだ。」「どこにあるって。じゃあ、お前、俺と同じような裸になってみろ。」すると、山賊は言われた通りに着ているものを脱いだ。
そしてふんどし一つになった時に中江藤樹先生が、「お前、犬だって猫だってふんどしなんかしねえぞ、お前。それも取れ。」「そんな恥ずかしいみっともないこと出来ねえ!俺は猫と犬と違うよ。」と言ったその時、中江藤樹先生が、「そうか、お前は素晴らしい仏心を持っているじゃないか。今、恥ずかしいと言っただろう。猫と犬とは違うと言っただろう。その心がまさに仏心という素晴らしい心なんだよ」とその山賊に語った。
そして「お前は本当にそんな素晴らしい心を持ちながらなんで山賊というみっともないことをやっているんだ。」
それを聞いた山賊はその場で涙を流しながら、「そうか、俺にもほとけ心があったんだ。先生の言う通り、本当にみっともなかった」と言って、その中江藤樹先生の前にひざまずき、「申し訳なかった。今日から先生の弟子にしてください」と手を合わせて謝ったんです。
その後立派な先生の弟子になり、真っ当な道を歩むようになったという話です。
誰もが仏心を持っている。それがどこにあるか分からず、私たちは今日まで来ているじゃないですか。
日蓮大聖人は、「当体蓮華鈔」というご文書の中に、
貧しい人が家はお金がない。子供が3人もいるがおいしいものも食べられないと泣いている。そうじゃないでしょう。あなたの家には素晴らしい一家だんらんがあるではないですか。家族の和はお金では買えませんよ。それに早く気付いてください。
「貧女が家中の秘蔵を忘れ、龍の身内の玉を宝と覚ざるが如し。我々凡夫の仏性というのは、雲の中の水、土の中の金、そしてまた、石の中の火、木の中の花。」とお示しくださっております。
「雲の中の水。」
見えますか。見えませんよね。でもあれほどの雨が降ってくるじゃないですか。気がつかず、見えないだけですよ。私たちの心の中と一緒ですよ。
「土の中の黄金。」
あの土の中にあれほどの黄金があったのが見えたんだろうか。佐渡ヶ島の金山にしても掘ってみたらあれほどの金が出たじゃないですか。
そしてまた、「石の中の火。」
石と鉄をすり合わしたら、あれほどの火花が飛び交うじゃないですか。あの石の中に火のあるのが見えるんだろうか。見えませんよね。でもあれほどの火花が飛び交う。全く私たちの心と一緒なんですよ。
「木の中の花。」
3月の後半、4月の頭にかけて、あの桜の木に素晴らしい花が咲くじゃないですか。あの木の中にあの素晴らしい花があるのが見えるんだろうか。見えなかった。でも満開になった時の桜の素晴らしさ。
確かに心の中には素晴らしいものが私たちもみんな持っているんですよ。ただ、それに気がつかず終わってしまっているわけですよね。せっかくこの世の中に素晴らしい心を持ちながら生まれてきた私たちじゃないですか。この心で私たちは生かされているわけじゃないですか。
どうか、この素晴らしい心を持っている私たち、この素晴らしい命を大切にし、これからも素晴らしい生き方をしていかなければならない。
「慰めを求めて泣きし我なれど、捧げて生きる喜びを知る。」
今まで慰められて、人様から、優しい声を掛けてもらった。
しかし、これからは、私たちもこの素晴らしい、いただいた命を、人々に捧げて生きる喜びを知ることが大切ではないか、とつくづく思うのです。
生かされているこの命に感謝し、すべてのものの恩恵に、合掌の日々を繰り返して、過ごすことをお勧めいたします。
ご聴聞ありがとうございました。 
 

 

■いのちに合掌 11
ご紹介に預かりました大阪の欣心寺(ごんじんじ)の東でございます。
今、皆様方と一緒にお題目をご唱和させていただきました。
何故でしょう。
つい私たちはものが始まる前にお題目をお唱えしましょう、とお声をかけて、そして共にご唱和させていただきます。私がお声をかけて、じゃあしましょうか、というそれに対して、お題目をご一緒に唱えているのか。それとももっと大きな意味があって唱えているのか。少しそこのところから考えていってみるとお題目という大きな意味が見えてくるのではないでしょうか。
人を見れば仏と思え。ものを見れば菩薩と思え。人様の姿、これは仏様として私たちにいつも働きかけてくれている、ありがたい慈悲の世界という思いを、いかに自分で持つか、というところであると思います。
私たちは自分の存在を自分だけのものと思っている場合が結構ございます。
今おられる方で奥さんの方。奥さんの最低必要条件というのはなんでしょうか?
もしご主人がおられれば、ご主人としての最低必要条件はなんでしょうか?
これをお聞きしますとね、まあ皆さん方もそうでしょうけど、ちょっと悩んで色んなこと考えられると思います。
しかしこれはものすごく単純なことなんです。
旦那がいることが奥さんの必要条件。というのは旦那がいるから奥さんであり、いなければ奥さんじゃないし、奥さんがいるから旦那である。また子供がいるから親であり、親がいるから子供である。
相手によって今の自分の存在を認めさせていただいているということが私たちの日常生活であり、全ての存在によって私が今いる。
そのことに対して感謝を申し上げる、それがお題目に始まりお題目に終わる私たちの生活であります。
しかし、それはどういう形の中で私たちの存在を認めていくのかということになりますと、私たちは仏様を離れて存在はしていないということが、一つの条件になって参ります。
私たち全てのものは母親の胎内から離れ、まあ今、現実的に平均寿命から致しますと80何歳というところまでは生きる、まあこれが今の日本人の平均寿命であります。
生物学的に考えますと、母の胎内に宿って、自分の命が終わってしまう、それで個体がなくなってしまうというのが生物学的なものの考え方でございます。
しかしそれで本当に自分というものは無くなるのでしょうか?
否であります。
私たちの命はずっと存在し続けているのであります。私たちがこの世に生をうけるのは、自分の業因業果により輪廻転生し、父母の体をいただいて私たちはこの世に出現する。
また仏様の意思を引き継いで、迷える衆生がおればその迷える衆生を救わんがために願を以って生まれてくる。
その時に父母の体を借りて今私たちは存在しているということであります。
このことを日蓮大聖人は忘持経の事ということの中で
「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。」
自分の肉体の全て父母から受け継いだものであるとおっしゃっておられます。
そしてそれの裏付けとしては法華経方便品には、
「諸欲の因縁を以って/三悪道に墜堕し/六趣の中」
これは六道、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天までの世界です、それに
「輪廻し/備さに諸の苦毒を受く/受胎の微形」
これは母親の体内に宿して
「世世に常に増長し」
生まれて、そして肉体が成長していく、と説かれ、また法師品の中には、
「妙法華経を/受持することあらん者は/清浄の土を捨てて/衆生を哀れむが故に生ずるなり/当に知るべしこの(如きの)人は/生ぜんと欲する所に自在なれば/能く諸のこの悪世において/広く無上の法を説くなり」
と説かれております。
今生、今持っている肉体だけが命の存在ではありません。
お釈迦様が法華経の如来寿量品をお説きになられました。仏様の命は始めなく終わりなく、永遠不滅であるとお説きになられたわけです。
これをぱっと考えてしまいますと時間だけが永遠のように思いますけれども、永遠の存在とは時間だけの無限性を言うのではなく、そのことにより空間的にも無限大の存在になるということであります。
空間的に無限大になるということは、今私たちの存在している全ての空間、それは仏の存在ということになれば、今私たちが存在している私自身もその仏の存在の中に住してる、住んでいるということであります。
下の地獄界から上の菩薩界に至る苦界の存在は無始の仏界、永遠なる仏様に包まれ、仏様の世界も無始の九界の中におのずから備わっている、ということが大聖人の開目抄の中に説かれております。
このことにより私たちの命は久遠の御本仏といつも共に存在しているということであります。
始めに皆様方とご一緒にお題目をお唱えしたこのお題目は、そういう大きな意味を持ったお題目でございます。私たちの命は仏様に備わる命であり、仏様に備わっている命であるのであります。
本来人々に備わっていることを、このことをご存知であった常不軽菩薩というお方は、道行く方々に対し、合掌礼拝されました。
私たちの命の根本の礼拝はここにあるのでございますが、単なる合掌では意味がございません。
仏様に備わる命であり、仏様に備わっている命、その方に対して無限の過去、久遠と申しますが、その時に仏様よりいただいた仏様の種、その種を忘れてしまったことを思い出していただくために、種を復活させるために、唱えるお題目、これが日蓮大聖人の弟子檀那、日蓮宗の教師の方、檀信徒の方がお唱えしていただくお題目でございます。
現代に生きる人々にとって、仏様と共に生きていると考えておられる方はどれぐらいおられるでしょうか。
仏教徒といわれる方でもこのような思いを持った方は少ないように思います。
このような方を法華経では心を失った子、失心の狂子と申しますが、この子のためにお釈迦様は、私どもが先程お唱えしたお題目というお薬を留め置かれまして、日蓮大聖人に現在の私たちに服するようにとお渡しになられたのです。
お題目をお唱えさせていただいて、受け手となる人々が心に仏様を備える命、仏様に備わっている命ということで、お互いにお題目をお唱えし合える世の中、そして久遠御本仏釈迦牟尼仏と常に一緒に存在できる常寂光土という浄土をこの世に顕現することが私たちのお題目を唱える者の役割でございます。
この地球という物体は今の宇宙物理学からすれば30億年か40億年後には消えてしまいます。しかし、仏様が述べておられる真の存在の常寂光土という所はそういうものを越した世界にございます。
私たちの信仰の世界は真にその常寂光土を作るため、そのためにはお互いに仏様の命としてその身を持ち、共に生きていることを敬いながら、まだお題目を知らない方、常寂光土という本当の真の浄土があるということを知らない方のために広めていく、それが私たちの真に願うお題目の在り方だと存じます。
どうぞこれからもご一緒にご精進して参りましょう。本日は誠にありがとうございました。
それでは共にお題目の世界へ入らせていただきまして、ここが常寂光土の入口になるよう、皆さん方と共にご祈念申し上げたいと思います。 
 

 

■いのちに合掌 12
本日は皆様ご苦労様でございます。私は金沢全性寺の住職で吉田と申します。
今日は石川一部檀信徒研修会ということで若い方の参加が多いと聞きまして楽しみにして参りました。
先程、お経の稽古をなさっていましたけれど、初めてお経を読まれたような若い方もいらっしゃったようですが、分かりましたか、難しいですよね。漢字で書かれたお経は難しい。
しかしですね、お釈迦様の教えというのは、本当のところは易しく説かれております。
今日いらした8人の若い方の中には高校や大学を受験なさった方がいらっしゃるそうですけれども、第一志望校に皆さん入られましたでしょうか。
そうですか、残念でしたね、思うようにいきませんね。その思うようにいかないということをお釈迦様は苦だと、苦しみだとおっしゃったわけです。
皆様方もご経験があるかと思いますが、
「いい学校に行きたい」、それもダメ。
「お金が欲しい、小遣いもっと欲しい」、それも思うようにならない。
「大きな家に住みたい、立派な車が欲しい」と思っても思うようにならない。
「憎らしい人、嫌な人と一緒に座りたくない」と思っても隣同士になってしまう。
「病気をしたくない、年を取りたくない」と思っても病気をするし、年を取る。
思うようにならない、それをお釈迦様は苦だとおっしゃったわけです。
そしてどのようにすれば、その苦を克服して安らかに楽しく生きることが出来るか、言葉を換えて申し上げますとどうすれば仏になれるかということを説かれたのが、仏の教え、仏教なんです。
鎌倉時代に生きられました日蓮聖人はですね、法華経を信じて修行をする以外に心安らかに生きる道はないと悟られました。
そしてですね、法華経を修行するその肝心は何かというと、お題目を信じ唱えて、全ての人を敬うことだと。国境を越え、肌の色の違いを越え、主義主張や、信仰を越え、男女の別を超え、善人悪人の別を越えて、全ての人を敬うことだ、つまり全ての人々が持っている成仏する可能性・仏性を敬うことだというふうに教えられました。
これこそが合掌の心ですね。
じゃあ、具体的にどうすればいいか。
ひとつ、まず仏様の御加護を深く信じる。どんな不幸にあっても、どんな悲しみ、苦しみ、病気、どんな悲惨な状況に置かれてもお題目を信じて疑わない。いい時も悪い時もお題目しかないと信じきる。それが基本です。
で、二つ目。四恩報謝ということを教えられております。
四つの恩に報いよ、というのが日蓮聖人の生涯を貫くテーマですね。教えです。四恩というのはここに書いて参りましたけれども、一切衆生の恩、父母の恩、国主の恩、三宝の恩ということなんです。これは先ほど申し上げました、「全ての人を敬え」ということと、その心は同じですね。
三宝の恩というのは、仏様の御恩と置き換えてもよろしいかと思うのですが、一切衆生の恩、国の恩、仏様の御恩を返せと言われても私たちに出来っこないじゃないか、と思われるかもしれませんが、日蓮聖人はですね、そうじゃないよ、出来るよとおっしゃっているわけです。
そこで、何からまず手をつければいいか、何が基本なのかというと、親への報恩ということなんです。自分を産んでくれた親、育ててくれた親への孝養というのが基本ですよ、ということなんだと思います。
ここにいる皆さん方もそのうち結婚をなさるでしょう。若いうちに結婚をするというのは、未熟な二人が結婚をして、そして子供を授かって、そして未熟なまま子育てをし、教育をせんといかんわけですよ。
ですからね、いつの世も親というのは概ね未熟なんです。学校の先生もそうですね、大学を出て20歳過ぎで学校の先生になるわけです。未熟な人が学校の先生になって、ものを教えんといかん。
だからね、未熟であるということは時として間違いを犯すということなんです。人間は必ず間違うんですけれども、未熟であれば余計に間違うことが多い。またそこから学ばんといかんのですけれども。
日蓮聖人はですね、未熟な親に対し、孝行せよ、敬え、赦せとおっしゃるわけですよ。
話は突然変わりますが、うちの檀家にですね、校長先生をしている人がいます。で、その先生は優秀で京都大学を出て、親が学校の先生だったから、自分も学校の先生になりたいっていって先生になりました。
そして先生になったらすぐ、大恋愛をしまして、その両方の親は大反対。家が釣り合わない、そして母親同士が全然気が合わない、顔を見るのも嫌、口をきくのも嫌、隣に座るのなんてとんでもない、というくらい母親同士が嫌がりましてですね。
「しょうがない、二人で家を出よう」というところまでいきましたら、親の方が折れまして、めでたく結婚したわけです。それでまあその後、母親同士は相変わらず憎み合ってたんですが、順調にいって、その方も校長先生までいかれた。
そうこうしているうちにですね、校長先生の母親が末期のガンになられました。手遅れだと。
余命4ヶ月。で、校長先生は一生懸命その母親の看病やら見舞いやら行ってしましたけれども、奥さんの母親がですね、見舞いに来てくれない。一度でいいから見舞いに来てくれればなあと思って「お母さんお願いしますから見舞ってやってください」と頼もうかとここまで言葉が出そうになったけれども、いやいやそう言ってお母さんに見舞ってもらっても、頼んで見舞ってもらった、という思いが残るから自発的に見舞ってくれるのを待とうと思ってたら、とうとう見舞いに来てくれないうちに校長先生の母親が亡くなってしまった。
それ以来ですね、その校長先生のこの胸には太いトゲが一本刺さっているわけですよ。
そして数年後、今度は奥さんのお母さんがやはりガンになって余命3ヶ月。
ちょうどその頃にお盆でその校長先生は全性寺に、お参りに来られて、
「お上人さんちょっといいでしょうか」と言われるから、
「どうぞどうぞ、なんだったでしょう」って言ってお話を聞きましたら、
実はこんなこんなで、と言われるわけです。
で、「先生、お気持ちは分かるんですけど、もう答えは出てるんでしょう」と言ったら、
「はい」と。
「今までのことは水に流して、覚悟してお母さんが苦しまれないように仏様にお願いすると共に、精一杯の看病をなさったらどうですか」。と申し上げますと、
「分かりました」と言ってお帰りになった。
その先生がどうされたかといいますと、自宅があって病院があって学校がある。自転車で通勤出来る距離なんです。
そこで、「俺が見舞いに行ける日は毎日でも見舞いに行こう、極端なことをいえば、下の世話でも私でよければさせてもらおう」、という覚悟で。本当にほとんど毎日行かれたそうですよ。
2ヶ月頃過ぎた頃ですね、ちょうどいい日和のお昼だったそうですが、先生が行かれたら食事を終わったお母さんがベッドの上に起き上がられまして正座をして先生に手をついて、
「先生、ありがとうございます。そして私はあなたに謝らんといかん。お母さんが病院に入られた時に見舞いに行かんといかんな、行かんといかんなと思いながらとうとう行く機会を失って、亡くなられてしまった。本当に申し訳ないことをした。あれ以来そのことが私の肩にずっしりと重荷となって今日まできましたけど、どうぞ赦してください」と謝られた。
それでまあ、校長先生もここにあったトゲが抜けたわけですね。その後、医者の言う通り亡くなられました。
葬式が終わって四十九日、納骨に来られて、納骨が終わってあと、お膳が出まして、お酒を私に注ぎに来て下さっておっしゃったことが、
「お上人さんに水に流して覚悟しなさいって言ってもらえてよかった。母が喜んでくれたのはもちろん良かったんですけど、家内が喜んでくれました。そして夫婦の絆が深まったと思います。家内の兄弟たちもみんな喜んでくれた。本当にありがとうございました。だけどね、それだけじゃないんですよ」と言われた。
私も一瞬びっくりしましてね、「どういうことですか」と尋ねましたら、
「母が亡くなって、正直言うとほとんど毎日見舞いに行ってましたから、ちょっとだけホッとしました。でもそういうことより母が亡くなって以来、自分の胸があったかいんです。こういう安らいだ気分、気持ち、心持ちになったのは生まれて初めてです」とおっしゃった。
それを聞きましてですね、「私はもしかしたらそういう心の安らぎというのは味わったことないかもね。先生よかったですね」ということをお話したんですけれども、
この話の中でですね、日蓮聖人の教えが偲ばれるんですけれども、
「親は親たらずとも子は子として成すべきを成せ。」
ということが一つ。
「師は師たらずとも、先生は先生たらずとも、弟子は弟子たれ。主君は主君たらずとも家臣は家臣としての役目を果たせ。」
という、そういったことが思い浮かべられます。
四条金吾さんとか池上兄弟に教えられたのはこの辺のことだろうと思います。仏の教えに素直であれ、忍耐せよ、そして赦せと教えられたのだと思います。
「親は親足らずとも子は子たれ。」
なぜそう言われるか。それはね、理由は探せばあるんでしょうけれども、こうする以外に心が安らぐことはないんです。
皆さんに特に若い方にお伝えしときます。世の中というのは、いつの世も悪いんです。お釈迦様の時代にも戦争がありました。釈迦族は滅ぼされてしまいました。で、ずっと世の中というのは大体悪いんです。
しかし、悪い世の中をちゃんと生きてきた人たちがたくさんいる。今の世の中もいいとは言えません、でもあなた方はしっかり生きていっていただきたい。決して世の中に絶望して欲しくないと思います。
二つ目。自分が平凡な人間だと思ったら、どうぞ結婚して出来れば二人や三人の子を授かって育ててください。子供っていうのは可愛いんですよ。でもね、結構に苦労するんです。
でも二人や三人の子供を育てるというぐらいの苦労は味わってください。今は子育てが難しい時代だと言われておりますが、あえてそれは申し上げておきます。
三つ目。親を敬って親孝行してください。親を敬う一つの表れとして、親に対して敬語を使ってください。
そして、「おはようございます、おやすみなさい、いただきます」を言う時には合掌をしてみてください。あなたが変わると親が変わってくれると思います。
ここにいられるお年を召した方にお願いいたします。自分の過去を振り返り、悔やまれることがあったとしても、そして未熟であっても、忸怩たる思いをいだきながらでも、間違があれば指摘し、正しいことを教えてやって下さい。
自分が出来てなくっても正しいと思ったことは子や孫にこうせえと教えてやらんといかんのです。そういう責任があるんです。
どうぞ正しいと思ったことを子や孫にお伝えいただきたい。
日蓮聖人は、
「自分自身が仏にならないでいては、どうして父母を救うことができようか。ましてや他人を救うことはそれ以上にできないことだ。」
と教えられています。
皆さんが「為すべきを為して」心安らかなよき人生を送られますように願いまして、私の法話とさせていただきます。 
 

 

■いのちに合掌 13
合掌ほど素晴らしい祈りの姿はございません。合掌とは二つの手を胸の前に合わせて祈ることです。
あるお仏壇屋のコマーシャルで可愛い女の子が、私とは違いますよ…、
「お手てとお手てを合わせて幸せなあむ」
と言っていますけども、これは手のシワとシワを合わせてという行為と、誰もが求める幸福の「幸せ」という言葉の語呂合わせなんですね。
それとは反対に手を握りしめて合わせると節と節とが合いますから、これ「不幸せ」というような話もあります。
誰だって不幸せにはなりたくないですよね。
ところで皆さんにお尋ねしますけれども、右の手と左の手と同じ形をしているでしょうか。よーくご覧になって下さい。確かに良く似ています。でも、もしおんなじ形ならば合わせることができますか。右と左の手は対照的に反対の形をしているんです。まぁ、鏡の世界と同じだと考えていただいて結構です。
その反対のものが向き合い合わさっているのが実は合掌の心、祈りの世界なんです。
インドの人たちは食事をする時は右の手を使い、お尻を拭く時は左の手を使うと聞いたことがあります。もっとも左利きの人なら逆かもしれませんけども、インドの人たちは清潔なものを扱う時と、そうでないものを扱う時にはこの二つの手を使い分けているそうです。なるほどなぁと感心しました。
ところが、この人たちは、人に出会うごとに使い分けているはずの二つの手を合わせて「ナマステ」と挨拶し合うんです。
「どんな意味なんですか」と訪ねると、
「あなたを尊敬します」ということですよと答えてくれました。
そして「ナマス」とは私たちがお唱えする「南無妙法蓮華経」の「南無」と同じ意味なんだとも教えてくれました。私はその時、妙法蓮華経の第二十番目の章、常不軽菩薩品にある不軽菩薩の祈りにも通じている心だなと考えさせられました。
不軽菩薩という方は出会う人ごとに私はあなたを拝みます。決して軽蔑しません。なぜならあなたはいつの日か仏様になられる方ですから、と言ってこの二つの手を合わせて、これが自分の一番大切な修行なんだと信じ抜かれたお方なんです。
これは「ただ礼拝を行ず」ということから「但行礼拝」と呼ばれていますけれども、今私たち、日蓮宗が推し進めている宗門運動の道しるべともなる大事な心がけでございます。
お互いがお互いを尊敬し合い、助け合い、仏の子として自覚を持ち、この世界を仏様の願いに叶う清らかな世界にしていく。実はこれが日蓮聖人の正しい教えを立てて、国を安んじるという「立正安国」の精神なんです。
ちょっと話が飛躍致しました。話を元に戻します。
二つの手を合わせるというのは真反対と思われていたものが合体している姿です。清らかなものと濁ったものとを合わせることを清濁併呑と申しますけれども、お題目の信仰はただ合わせ呑むだけではございません。
濁った世界に根を下ろしながらも、地上に清らかな花を咲かせる、そこに南無妙法蓮華経の祈りがあるんです。
わかりやすく申しあげますと、悩みがあるから悟りもある。苦しみがあればこそ喜びも生まれてくる、ということなんです。
先般の甲子園、春の選抜野球大会で選手宣誓をしたのは東日本大震災の被災地、石巻工業高校の主将阿部翔人くんでした。 
あの大球場で「苦難を乗り越えればこそきっと幸せはやってきます」と言った言葉は日本中に感動を与えました。
やっぱりこれからの日本は、こんな若者たちのエネルギーが必要なんだと思わされました。
が、同時に、私のような高齢者の出番はもうないのかなとも、感じさせられました。
そう考えた時、若さ、それから老いたというこの二つの気持ち。二つの手のように真反対のものなんです。それならば若者と年寄りは心を合わせられるべき時が来ているんだとも考え直しました。
日蓮聖人のお言葉に心は…、失礼しました。体は違っても心がひとつになることを「異体同心」、そういう言葉でお説きになっておられます。
この苦難の時代を乗り越えるには、そういう若者と年寄りの合体がまさに必要な時ではないでしょうか。
手のひらのことを掌(たなごころ)と申します。でも心を棚上げにしてちゃダメですよね。
心の棚に生き方の整理をしていく。お互い手をつなぎ合ってそして生きていく。
日蓮宗徒である私たち。お題目のご縁をいただくものはまさにこの心がけで手を合わせるべきだと思います。 
 

 

■いのちに合掌 14
この手を合わせるという合掌でございますが、合掌ですぐに私たちが思い出すのは、「いただきます」という時でございます。
一般のご家庭においては、まず食卓を囲んでそして食事をいただく時に、「いただきます」というのが昔からの風習でございました。最近のテレビでもNHKのドラマなんかでよく「いただきます」とやっております。
この「いただきます」なんですけれども、聞いたお話ですが、ある小学校に入ってきた1年生の担任の先生です。
みんなで合掌して「いただきます」と、食事を「いただきましょう」と言ったんですけれども、どういうわけか一人だけそれをしないで、「なんでやらないの」と言ったら泣き出してしまった子がいたそうでございます。
その時はそれで終わって、どうしてかなと思っていたそうですけれども、その後、その子のお母さんが学校へやってきたそうです。
校長先生と担任の先生を前にしまして、うちの子になぜ合掌をさせて「いただきます」ということを強制するのかということで、大変厳しい抗議の言葉を述べたそうであります。
「いただきます」、これをなぜあなたに、先生に言わなくちゃいけないの、なぜ学校でしなくちゃいけないんですか。うちの子は給食代を私がちゃんと払っているんです。親が払った給食代で食べる給食なのに、なぜ合掌して感謝して、先生にお礼を言わなくちゃいけないんですか。大変厳しい剣幕でそんなことを言ったそうでございます。
1年生の先生は、その剣幕に負けてたじたじとして、「どうも申し訳ありませんでした、それぞれのご家庭の有り様っていうのを考えておりませんでした。」と謝ったそうです。
結局それで済んでしまったんですけれども、それを話してくれた私の知人がそんなことでいいんでしょうか、いただきますというのはそんなことなんでしょうか、合掌というのはそんなことなんでしょうかと大変嘆いておいでになりました。
私も同感でございます。「いただきます」というのは先生に対して言うことではないと私は思います。まずその食事を作ってくださった方への思い、これももちろんでございます。
しかしそれだけではなくて、その食事をいただく時には、その食材の命を私たちは頂戴しているわけでございます。お米、小麦、そしてまた肉、野菜これは全て生命でございましょう。その生命をいただいて、私たちは自分の生命を長らえることが出来るのでございます。
日蓮宗では食法というのがございまして、
「天の三光に身を温め、地の五穀に精神を養う」と、
ここからはじまる感謝と、そしていただいた生命を自分の身をもっていかに生かしていくかということを考えていきたい、これがこの食法の根本精神だと思うんですけれども。実はそれこそが私はお題目の一番底に流れている仏様のおっしゃりたかったことではないかと思うんです。
共に生き、共に生かされている自分というものをまず知ること、そこから私たちの生き方というものがおのずと導き出され、そしておのずと自身の生き方というものがふつふつと湧いてくるはずでございます。
そういったものを無くしてしまった、いただきますという気持ちを無くしてしまったその挙句が今の社会ではないかと思うんです。
合掌というものも小林一茶の句ではございませんけれども、
「やれ打つな蝿が手をする足をする」
という言葉がございますけれども、夢中になった時に一生懸命になった時にそして全てを他に委ねて生きようとする時におのずと出てくるのが合掌の姿なのです。
(合掌の姿)
この形では手を上げることはもちろん出来ません。また言い返す言葉もございません。ただただ他の力に身を委ね、そして精一杯に生きていく、それが合掌の姿であり、そこにまた「いただきます」という感謝の気持ちが入った時に私たちは誠に今、生かされている自分というのを感じるんじゃないかと思います。
手を合わせて合掌し、そして高らかに南無妙法蓮華経とお題目を唱えます時に私たちはその私たちを生かして下さっている全て、そして世界、そしてそこにいる自分が繫がれているんだということをしっかりと身を持って心の底から感じることが出来るんじゃないかと思っております。
合掌し、お題目を唱え、その心がこの社会におのずと滲み出していくような私たち日蓮宗徒でありたいと願っております。
どうか皆様方お一人お一人手を合わせ、お題目を唱える中で、共に世界中が手を携え合っているという姿、そしてまたその中に生かされている自分ということを感じていただきたいと念願する次第でございます。 
 

 

■いのちに合掌 15
お題目を唱えてください、と申し上げなくても、ご一緒にたくさんのお題目を頂戴し、誠にありがたいことでございます。
今日は日頃からお世話になっております。実成寺さんの行事にお招きをいただき、お話をさせていただく場所を頂戴し本当に有難く思っております。
お上人様方もおられるようでございますが、今日は檀信徒の皆様にお話をさせていただきます。
ご当山でも桜の花がちらほら咲いておりますが、
「桜の花は人恋し。」「桜の花は人恋し。」こういう言葉がございます。
日頃、お花見されますか?
お花見をなさる時に桜の木の下に昔は茣蓙(ござ)を敷いたようですね。今はビニールシートでしょうか。なぜ茣蓙(ござ)を敷くかというと、茣蓙(ござ)ならば空気・水を通すので根っこに優しい、ということ。
今はビニールシートですから空気も水を通しませんで、その上を人が歩いておりますから、根っこには大変悪いのだそうでございます。
と同時に、お花見をされる時にだいたいお酒を召し上がる方は、宴の方に夢中になってしまいまして、なかなか上に咲いているお花を見上げることがないようでございますが、桜の花というのは、下をむいて咲いているんだそうですね。
ですから、お花見においでになった時には、上を見上げて、
「綺麗だね。」「今年もよく咲いたね。」「嬉しいね。」
こういう気持ちでお花を見てあげると桜の花も大層喜ぶんだそうです。
「桜の花は人恋し」ということでございますが、私自身のことで恐縮ですが、
「今年の桜は見られないかもしれないなぁ」と…。
いや、去年のことですから、来年の桜は、ですが…。
実は日頃の不摂生がたたったか、仕事をやりすぎたかわかりませんが、病名でいえば癌というような名前がついているようなものにかかりまして…、
静岡県の県立がんセンターというところで見てもらいましたらば、右の歯肉ですね。歯茎ですね。歯茎にだいぶ進行のものがあると。それが下の顎の骨まで触っていて、このままほっといたら、というような話でございますから、まあ外科手術をすればなんとか大丈夫であろう、というような、先生の指導によりまして手術を受けました。
それで申しましたところの部位でございますから、その歯茎と歯、そうですね。歯と歯茎とその歯茎がのっている顎の骨を、右半分削除致しました。
削除を致したあとはどうするのだろうな、自分が寝ている間の仕事ですから、私はわかりませんが、左足の腓骨という骨を取りまして、ここへくっつけるっていうんですね。すごいですね。今の医学っていうのはね。
それでそれが無事成功して12時間後くらいに目が覚めて、痛くもなんともないもんですから、これは助かったわいというような状態なのですが、面白いですよ。
申しましたように、足の腓骨、あのすねの横にある細い方の骨です。これをちょん切ってこうつけるんですが、骨だけじゃ付きませんから、こう皮、皮っていうんですか、皮膚というんでしょうかね。それをくっつけた状態でここへ移植をして血管をこう手術でくっつけて、そうするとうまくいけば、その細胞が動き出すということなのですが、ここにいますからうまいことくっついたのですが、足の皮ですので、ここからすね毛がでるんですよ。
嘘のような話ですが、私最初、なんだろう。いくら、この口の中を掃除をしても何かくっついているなあ。煩わしいなと思って先生に聞いたら、
「いやそれすね毛です」って。
「どうしたらいいんですか」って言ったら、「自分でピンセットで抜いてください」って言う。
こんな調子でございますが、その時にお聖人様の
「病によりて道心は起こり候うか。」
というお言葉ではございませんが、経験しなくてもよいことかもしれませんが、経験できて、そして、再びこの娑婆で命をいただけたなと思った時に、思わず手を合わせたのは、私が和尚だからでしょうか。
最初のうちはそういう手術でございますから、言葉も出ませんし口も開きませんでした。
「今大丈夫ですか?」「言うことわかりますか?」
その時に先生が、病院の先生が「大丈夫ですか?どうですか?」、毎日来てくださる時に、声も出ないし、口も開きませんから、
「大丈夫です、痛くもありません、順調です」という全て意思表示をする時に手を合わせることが当たり前のようになりました。
私が和尚だということはわかっていますから、先生の方も「そうですかそれはよかったですね」と自然に手を合わせて返してくれたのを有難く思いました。
そうこうするうちに檀信徒の方々、役員さんをはじめ、お話できる日にちになって参りました時に、私がそういう病を得た、ということで、檀信徒の方々も、
「実はお上人さん、私もね、胃の方がね。」「私も肝臓がね。」「私もどこどこがね…。」
二人に一人とも三人に一人とも言われておりますけれども、
今まで、「亡くなりました…。」「あっ残念でしたね。」
ということで、すんでいた檀家さんとの話し合いの中で共通な話題がこの病気でありましたから、そういう思いをぶつけていただけるということに気がついたんであります。
これも病の御利益でしょうか?
桜の花を見上げて見れることが無かったように、檀信徒の方々の思いを、果たして、和尚として、菩提寺の住職として、どれだけ目を向け耳を傾け心を通わせていたであろうかと、そういうようなことを思うようになったわけでございますが、それはそれ。私も生身の凡夫でございますから、やっぱり欲が出るものだなと思いました。
最初は手術がうまくいけばね。それだけで十分。いのちが助かればね、それだけで有難い。しかしこれが日に日に良くなってまいりますと、よくしたもんで、「あっ帰ったら、あれもしたいね、これもしたいね」。
そのうち声が出てくるようになると、病室でお経本を開いて方便品か御自我偈か読めるようになって祈願する。
自分の「身体健全闘病平癒」。
その時にふと思ったのは、癌センターという病院ですから、全ての人がそういう病で入院もし、手術もされている。離れた時には余命が何ヶ月という方も、実はいらっしゃるわけでございます。
自分だけの祈りでよいのかと、今更ながら気付かさしていただいて、自分の「身体健全闘病平癒」を祈る時は、それを欲している人々の思いもいたっての「身体健全」であり「闘病平癒」であるべきであろう。
皆様方も手を合わせて祈られることは、たくさんおありになろうかと思いますが、手を合わせるということはどういうことでしょうか?
昔の人は歌にして教えてくれていますよね。一緒にやってみてください。
「右仏 左私と合わせての うちぞゆかしき 南無の一声」
「右仏、左私と合わせての うちぞゆかしき 南無の一声」
私たちは日蓮宗でありますから、この右手が仏様を表しますよ。お釈迦様ですよね。たくさんの仏様がいますけれども私たちはお釈迦様であります。日蓮宗でありますから、その中にお祖師様もお入れ下さい。ご守護の神様もお入れください。
お釈迦様、お祖師様、日蓮様、ご守護の神様と、凡夫のその私たちが一つになるところに「南無」という祈りの言葉が発せられてくる、こういう歌でございます。
実はこの歌を深く掘り下げてくれた方がおられまして、そのご紹介をさせていただきますが、私たち「布教師」と呼ばれるものでございますが、私はこのような布教師さんになりたいなぁと思った方に京都の三木随法上人という方がおられました。
この三木随法上人は、亡くなられる前に、手を合わせる合掌ということについて、このようなことをお書きになっております。
「ちょっとお聞きください。少し前までは合掌礼をするお坊さんが多かったのですが、合掌礼とは手を合わせて拝むということですね。最近では「よっ」こんにちはと片手をあげて挨拶することの方が多くなりました。法衣の姿もめっきり減った中で、合掌礼をすることによって坊さんらしさが気づけるかもしれません。」
「信者さんが、お坊さんに向かって合掌をする人が、今はまだ少し残っていますので、合掌礼を勧める今が最後のチャンスかもしれません。幼稚園や保育園、収容道場でも食事の時だけではなく、朝夕の挨拶の合掌礼を指導し、各寺院で行事や信行会でも多いに指導していき、合掌礼が日蓮宗徒のシンボルとなるまで広めていければよいと思います。」
結構意識をしながら修行のつもりで実行しなければならないだろうと思います。今、皆様方のお手元にはないかもしれませんが、私たち和尚には宗務院本部から布教方針、日蓮宗はこういう普及をして教えを広めて行こうねという冊子が届いてまいります。
この中に合掌で礼をする「合掌礼」という項目がございまして、もう菩提寺のお上人から度々お聞きになっていると思いますが、実は今お話、お読みした、三木随法上人のお書きになったものが、この布教方針の大本になっている。
そういうことをおっしゃられた三木随法上人さんのような布教師になりたいなと思って…。この方も胃癌という病気で、病名で言えば胃癌という病で、お亡くなりになったんですが、三木随法上人の真似をしようと思って、病気の方だけ先に真似をしてしまいました。
中身の方はこれから真似をするんですが。その三木上人が、こういうことを最後の年賀状でお書きになっているので、ご紹介をして、締めくくりにさせていただきます。
遠くの方は見えないかもしれませんが、こういう年賀状をいただきました。「合掌の似合う人なりたい」と書いてあります。
「合掌の似合う人になりたい」。
この合掌の姿を実践されていた三木随法上人でございますが、その方も「合掌の似合う人になりたい」、つまり手を合わせて人を拝む。物を拝む。全てを拝む。
そういう心の中に形として手を合わせる、それを実践していく、そういう人が合掌の似合う人であろうと、私は受け止めさせていただいております。
この病を一つのよき縁として私も「合掌の似合う人」、志していきたいと思っております。
皆様におかれましても、ご住職のご指導よろしきを得て、日蓮聖人のお喜びになる、お釈迦様の愛でてくださるご修行をお願い申し上げまして本日の解説の行とさしていただきます。
ご聴聞、誠に有難うございました。 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
身延山妙法華院久遠寺 日蓮宗総本山

 

由緒
鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「法華経」をもってすべての人々を救おうとした日蓮聖人は、三度にわたり幕府に諫言(かんげん)を行いましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。当時、身延山は甲斐の国波木井(はきい)郷を治める地頭の南部実長公(さねなが)公の領地でした。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。このことにより、1274年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開闢(かいびゃく)の日としています。日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山妙法華院久遠寺」と命名されました。
翌1282(弘安5)年9月8日、日蓮聖人は病身を養うためと、両親の墓参のためにひとまず山を下り、常陸の国(現在の茨城県)に向かいましたが、同年10月13日、その途上の武蔵の国池上(現在の東京都大田区)にてその61年の生涯を閉じられました。そして、「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という日蓮聖人のご遺言のとおり、そのご遺骨は身延山に奉ぜられ、心霊とともに祀られました。
その後、身延山久遠寺は日蓮聖人の本弟子である六老僧の一人、日向(にこう)上人とその門流によって継承され、約200年後の1475(文明7)年、第11世日朝上人により、狭く湿気の多い西谷から現在の地へと移転され、伽藍(がらん)の整備がすすめられました。のちに、武田氏や徳川家の崇拝、外護(げご)を受けて栄え、1706(宝永3)年には、皇室勅願所ともなっています。
日蓮聖人のご入滅以来実に700有余年、法灯は連綿と絶えることなく、廟墓は歴代住職によって守護され、今日におよんでいます。日蓮聖人が法華経を読誦し、法華経に命をささげた霊境、身延山久遠寺。総本山として門下の厚い信仰を集め、広く日蓮聖人を仰ぐ人々の心の聖地として、日々参詣が絶えることがありません。
法華経とは
「法華経」の成立と「二門六段」
「法華経」は、正しくは「妙法蓮華経」といいます。インドでお釈迦さまによって説かれた法華経は、西暦406年、中国の鳩摩羅什(くまらじゅう)によって漢文に訳されました。その後、日本に伝わった「妙法蓮華経」は、聖徳太子の著書「法華義疏(ほっけぎしょ)」のなかで仏教の根幹に置かれるなど、最も重要な経典として扱われます。そして鎌倉時代、日蓮聖人によって「妙法蓮華経」は末法救済のためにお釈迦さまによって留め置かれた根源の教えであると説かれました。「法華経」は全部で二十八品(ほん)からなっています。この「品」とは章立てのことで、各品に「序品(じょほん)第一)」「方便品(ほうべんぽん)第二」というようにそれぞれの名前と順序が示されています。また「法華経」は思想上の区別から『迹門(しゃくもん)』と『本門(ほんもん)』の二つに大きく分けられます。さらにそれぞれが「序分(じょぶん)」「正宗分(しょうしゅうぶん)」「流通分(るづうぶん)」の三段に分けて解釈されるため、これを「二門六段」といいます。
「迹門」と「本門」
『迹門』は序品第一から安楽行品(あんらくぎょうほん)第十四までの前半の十四品で、「開三顕一(かいさんけんいつ)」などが説かれています。「開三顕一」とは「声聞(しょうもん)」「縁覚(えんがく)」であっても「菩薩(ぼさつ)」と同様に成仏できるという教えです。「声聞」と「縁覚」の修行者は、自分自身の悟りの世界のみを追求するために成仏することが許されませんでした。対して「菩薩」は自らの修養のみならず他人に対しても教えを説き、功徳を与えようとする求道者のことです。お釈迦さまが法華経以前の経典において、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗という三つの異なった修行のありかたを示されたことや、説法を受ける人の能力にあわせてさまざまな教えを説いてきたことは、実はすべてが一つの教えに帰結することに導くためであったことが、この『迹門』のなかの「方便品第二」を中心として明かされます。そして、この一つの教えが「一仏乗(いちぶつじょう)」の教えであり、声聞・縁覚、善人・悪人、男性・女性などという別を超え、すべての人々が救済され、成仏できるという教えなのです。『本門』は従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)第十五から普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼっぽん)第二十八までの後半の十四品で、「開近顕遠(かいごんけんのん)」などが説かれています。「開近顕遠」とは、お釈迦さまは、歴史上実在し菩提樹の下で悟りを開いた人物、というだけではなく、実は「久遠実成(くおんじつじょう)」の仏、つまり五百億塵点劫という久遠の過去に悟りを開き、その久遠の過去から永遠の未来まで人々を救済しつづけている「本仏(ほんぶつ)」である、という教えです。お釈迦さまが永遠の存在であるということは、諸経で説かれる諸仏はすべてお釈迦さまの分身であるということになります。したがってお釈迦さまこそ唯一絶対の仏、すなわち「本仏」である、ということがこの『本門』のなかの「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六」を中心として明かされます。
「二処三会」と「虚空会」
「法華経」は、この「二門六段」のほかに「二処三会(にしょさんね)」という分け方をすることもあります。お釈迦さまは、古代インドのマガダ国の首都、王舎城の東北にそびえる「霊鷲山(りょうじゅせん)」という山で「法華経」を説かれました。「序品第一」から「法師品(ほっしほん)第十」までは、この「霊鷲山」において「法華経」が説かれる場面なので「前霊山会(ぜんりょうぜんえ)」とします。つづく「見宝塔品(けんほうとうほん)第十一」から「嘱累品(ぞくるいほん)第二十二」は、地上から虚空(こくう)へと場面が移り、ここで「法華経」が説かれるので「虚空会(こくうえ)」とします。「薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)第二十三」から「普賢菩薩勧発品第二十八」までは、ふたたび地上にもどり「霊鷲山」において「法華経」が説かれる場面なので「後霊山会(ごりょうぜんえ)」とします。この二つの場所と三つの場面を「二処三会」といいます。なかでも「虚空会」は特に重要な場面で、お釈迦さまは空中にあらわれた「七宝の塔」の中に入り東方宝浄世界の仏である「多宝如来(たほうにょらい)」とともに座して「妙法蓮華経」の中心的な教えを説かれます。「虚空会」では、「勧持品(かんじほん)第十三」において「妙法蓮華経」弘通の困難の予言、「従地涌出品第十五」において「本化菩薩(ほんげぼさつ)」の涌出、「如来寿量品第十六」においてお釈迦さまの「久遠実成」の顕示、「如来神力品(にょらいじんりきほん)第二十一」において「本化菩薩」への「妙法蓮華経」弘通の付嘱(ふぞく)、などが説かれています。「妙法蓮華経」は、単なる経典の名前ではなく、お釈迦さまの教えが最終的に帰結した大法であり、「妙法蓮華経」の妙法五字の中にこそ、お釈迦さまの功徳のすべてが含まれています。したがって「南無妙法蓮華経」というお題目を唱え「妙法蓮華経」に帰依することによって、すべての人々の「即身成仏」が約束されるのです。
日蓮聖人の霊跡
小湊山誕生寺
日蓮聖人生誕地に建つ霊跡 通称は小湊(こみなと)誕生寺。日蓮聖人は貞応元年(1222)2月16日、漁師であった父「貫名次郎重忠」、母「梅菊」の間に誕生した。千葉県安房郡天津小湊町小湊
岩本山実相寺
日蓮聖人が代表的著作『立正安国論』を撰述した霊跡 通称岩本実相寺。実相寺は鳥羽法皇の勅願によって久安年代(1145頃)に開創された寺院で、日蓮聖人の当時は天台宗の名刹であった。最盛期には敷地が一里四方だったという。日蓮聖人は実相寺の経蔵で『立正安国論』を撰述し鎌倉幕府に提出した。日蓮聖人が身延山入山の後、実相寺は日蓮宗に改宗した。静岡県富士市岩本
千光山清澄寺
「日蓮聖人出家」「立教開宗」の霊跡 宝亀元年(771)に開創、中絶後、慈覚大師円仁が再興したと伝わる。日蓮聖人在世の頃は天台宗であった。日蓮聖人は天福元年(1233)12歳で清澄寺に登り、16歳で道善坊を師として出家し行学を積まれた。後に日蓮聖人は、鎌倉を手始めに比叡山延暦寺を中心とした遊学をされ、法華経持経者としての自己を確立され、清澄寺に帰られる。建長5年4月28日、清澄山の旭が森より立ちのぼる朝日にお題目を唱えられ立教開宗された。そして、持仏堂の教主釋尊を背にして、法華信仰の強調と浄土教(阿弥陀仏信仰)を批判されたのであった。ところが、当時の清澄寺には阿弥陀信仰が盛んであり、日蓮聖人は清澄寺に居ることはできなくなった。 清澄寺は後に真言宗となったが、現在は日蓮宗に帰属する。千葉県安房郡天津小湊町清澄
海光山佛現寺
日蓮聖人の「伊豆法難」の霊跡 「立正安国論」を時の北条政権に提出したことに起因して、日蓮聖人は伊豆伊東に流罪となった。その頃、当地の地頭である伊東八郎左右衛門祐光は熱病にかかっていた。日蓮聖人の祈祷により病気が治り、喜んで日蓮聖人に海中出現の立像釈迦牟尼仏を贈った。日蓮聖人はこの立像釈迦牟尼仏を生涯身から離さなかったそうである。その、仏像出現の岸に建立されたのが佛現寺である。開山は六老僧日昭上人。静岡県伊東市物見が丘
妙隆山鏡忍寺
日蓮聖人の「小松原法難」の霊跡 日蓮聖人は12年ぶりに故郷である小湊に帰られ、母を尋ねて孝養を尽くされた。文永元年(1264)11月11日、天津城主の工藤吉隆の招きで華房より天津に向かう道中の小松原で待ち伏せしていた、念仏者である東条景信(かげのぶ)の手勢によって襲われた。この法難で鏡忍坊日暁は討ち死にし、急を知って駆けつけた天津城主工藤吉隆も毒刃に倒れ、日蓮聖人も眉間に3寸の傷を負った。その霊地に建つのが小松原の鏡忍寺である。日蓮宗や法華宗など日蓮系宗派では、お会式から立教開宗会までの期間に日蓮聖人像に綿帽子を被せる。これは、小松原法難に於いて、九死に一生を得たものの眉間に傷を負った日蓮聖人が老婆に綿帽子を供養されたということにに因む習慣である。千葉県鴨川市広場
寂光山龍口寺
日蓮聖人の「龍口法難」の霊跡 文永8年9月12日、日蓮聖人は鎌倉幕府に捕らえられ、龍の口(たつのくち)の刑場で斬首(死刑)されそうになった。日蓮聖人の首を斬ろうとしたとき、奇跡が起こり斬首の刀に雷が落ちて刀が折れて一命を取り留めた。やがて、日蓮聖人は佐渡島への流罪となる。神奈川県藤沢市片瀬
明星山妙純寺
日蓮聖人が佐渡島へ流罪となるまでの間1ヶ月滞留された霊跡 通称、星下り。龍口法難の翌日文永8年(1271)9月13日に「天より明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝にかかり・・・」『種々御振舞御書』(※真跡曽存)と奇跡が起こったと伝わる。「星くだりの御霊跡」として有名。※『種々御振舞御書』は日蓮聖人真跡が身延山にかつて存したが現存しない。なお、部分的には真跡によらず写本によっている。真跡になかった部分については、日蓮聖人の撰述ではない(偽書)との有力な説がある。神奈川県厚木市金田
塚原山根本寺
日蓮聖人の「佐渡流罪」の霊跡 文永8年、龍口の刑場で九死に一生を得た日蓮聖人は佐渡流罪の身となった。そして、佐渡流罪の当初に日蓮聖人のおられた場所が塚原三昧堂と呼ばれる場所で、その地にあるのが根本寺である。新潟県佐渡郡新穂村大字大野
妙法華山妙照寺
日蓮聖人が佐渡流罪のときに住まわれた霊跡 日蓮聖人は文永8年(1271)に佐渡島に流罪となり、当初は塚原三昧堂に居られた。しかし、翌年夏ころには妙照寺のある一谷(いちのさわ)に移られた。当地では、大曼荼羅本尊の図顕、日蓮聖人の代表作の一つ『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』が撰述されている。流罪の身の日蓮聖人を自邸で預かった一谷入堂は熱心な念仏者であったが、のちに夫婦そろって教えを信奉するようになる。新潟県佐渡郡沢田町大字市野沢
徳栄山妙法寺[小室山]
日蓮聖人と善智法印の法論の霊跡 もともと真言宗の名刹であった。当時の住持、善智が日蓮聖人と法論をして屈服し日蓮宗となった。しかし、日蓮聖人との法論に破れた善智は日蓮聖人を亡き者としようと毒入りの粟餅をたべさせようとするが、白犬がその毒餅を食べたためにばれてしまう。善智は心より改心し、日蓮聖人に帰依するようになった。山梨県南巨摩郡増穂町小室
長崇山本行寺
日蓮聖人御入滅の霊場 通称は大坊(だいぼう)。日蓮聖人直檀(直接の檀徒)たる池上宗仲の館の跡で、日蓮聖人入滅の霊場として東京都の史跡に指定されている。東京都大田区池上
長栄山本門寺
日蓮聖人御入滅の霊場の大本山 池上(いけがみ)本門寺。日蓮聖人の檀越(だんのつ)池上氏の建立によるもので、日蓮聖人入滅の間近である。開創は弘安6〜7年(1283〜84)ごろと考えられる。本門寺に安置されている日蓮聖人の坐像は、日蓮聖人の七回忌のおりに弟子や檀越によって造立されたもの。右手には日蓮聖人の母親の毛髪を拂子(ほっす)として持たせてある。初代の住職は六老僧(日蓮聖人の選ばれた直弟子の代表者6人)のひとりである日朗聖人である。東京都大田区池上 
歴史 1
山梨県南巨摩郡身延町にある、日蓮宗の総本山(祖山)。山号は身延山。
文永11年(1274年)、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭南部六郎実長(波木井実長)が、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招き西谷の地に草庵を構え、法華経の読誦・広宣流布及び弟子信徒の教化育成、更には日本に迫る蒙古軍の退散、国土安穏を祈念した。
弘安4年(1281年)に十間四面の大坊が整備され、日蓮によって「身延山妙法華院久遠寺」と名付けられたという。日蓮は弘安5年(1282年)9月に湯治療養のため常陸(加倉井)の温泉と小湊の両親の墓参りに向かうため身延山を下ったが、途中、信徒であった武蔵国の池上宗仲邸(現在の東京都大田区本行寺)にて病状が悪化したため逗留し、6人の弟子「六老僧」を定めて、同地において同年10月13日に死去した。「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」との日蓮の遺言に従い、遺骨は身延山に祀られた。当地では足かけ9ヵ年の生活であった。
日蓮の身延山での生活は日蓮遺文に記されており、「人は無きときは四十人、ある時は六十人」とあるように、大人数で生活をしていたと考えられている。各地の信徒より生活必需品が多く届けられ、日蓮はこの身延山をインドの霊鷲山に見立て、信仰の山として位置づけている。遺文の3分の2は身延山での生活する中で執筆されており、日蓮真筆の曼荼羅もほとんどがここ身延山で手がけられている。身延山は日蓮教団における最高の聖地であると位置づけられており、日蓮の遺骨は歴代の法主(住職)により、日蓮の遺言通り今日まで護られている。
室町時代の文明7年(1475年)には、11世法主日朝により、手狭になった西谷から現在地に伽藍が移転され、戦国時代には甲斐国守護武田氏や河内領主の穴山氏の庇護を受け、門前町が形成された。江戸時代には日蓮宗が徳川氏はじめ諸大名の帰依を受け発展し、宗門中興三師と賞される日重・日乾・日遠のころ、身池対論を経て対立する不受不施派を排斥して確固たる地位を確立した。その後、日脱、日省、日亨の三師以降壮大な伽藍を整えて正徳2年(1712年)山内に133坊と最盛期を迎えた。
寛保4年(1744年)下之坊より出火し山内の11坊が焼失した。安永5年(1776年)七面山の諸堂を焼失した。文政4年(1821年)西谷御廟の八角堂と拝殿を焼失した。文政7年(1824年)祖師堂から出火大雨の中13棟が焼失した。文政12年(1829年)五重塔から出火し28棟を焼失し、山内寺中町方の大半も焼失したという。慶応元年(1865年)中谷の仙台坊から出火し支院17坊小堂8棟を焼失し、さらに延焼して上町、中町、上新町、横町、片隅町、下町の計100軒以上が焼失した。その後復興されるも、明治8年(1875年)1月に西谷本種坊からの出火により再び伽藍や寺宝を焼き尽くしたが、74世法主日鑑の尽力とその後の法主等の力により現在に至る。
久遠寺には数多くの経典や典籍・書籍、聖教や古文書類(身延山文書)が所蔵されており、「身延文庫」として一括され身延山宝物館に所蔵されている。身延文庫には「諸宗部」に分類されている他山・他衆により筆記・書写された典籍類も含まれている。  
歴史 2
日蓮宗の総本山として知られる身延山久遠寺。その歴史は700年以上前までさかのぼります。地震や洪水、飢餓、病役、争乱などが相次いだ鎌倉時代、日蓮聖人は、「法華経」の教えによってすべての人々を救おうとしました。三度にわたり幕府に「正しい仏法である『法華経』に帰依すれば、全ての人が末法の世から救われる」などとする諫言(かんげん)を行いましたが、幕府は一切耳を傾けませんでした。その言葉に反発した幕府や念仏者によって命を狙われ、さらに伊豆や佐渡への流罪となりましたが、その後流罪赦免となり、信者である南部実長公の招きにより1274年に身延山に入山しました。
鷹取山のふもとの西谷に構えた草庵を住まいとし、約9年にわたり法華経を末法万年に伝える人材の養成に務め、大勢の弟子や信者とともに法華経の講義や唱題修行に精進しました。1281年には十間四面の大堂を建立し、「身延山妙法華院久遠寺」と命名しました。
翌1282年、日蓮聖人は療養と両親の墓参のために一度身延山を下りて常陸国(茨城県)に向かいましたが、その途中で病状が悪化し、武蔵の国池上(東京都大田区)で61年の生涯を静かに閉じました。日蓮聖人は「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という遺言を残し、遺骨は身延山に奉ぜられました。
その後、身延山久遠寺は日蓮聖人の弟子らによって継承され、約200年後の1475年に現在の地へと移転されました。そして、武田氏や徳川家の崇拝、外護を受け、また領主などからも手厚く守られて栄えていきました。
日蓮聖人が法華経に命をささげた身延山久遠寺は、その後も日蓮宗の総本山として門下の厚い信仰を集め続け、今も日蓮聖人を慕う人々の心の聖地として多くの人が参詣に訪れています。毎年春には樹齢400年といわれるしだれ桜が境内を彩り、その美しい姿を一目見ようと全国から人々が押し寄せます。大きくしだれる枝いっぱいに花が咲き誇る様は息をのむほどの美しさで、風格と優美さが感じられます。
また少し足を伸ばせば、日蓮聖人が9年間生活された御草庵跡、日蓮聖人の御遺骨が火葬の灰とともに納められた御廟所があります。神聖なその地は静寂に包まれていて、時間もゆっくりと流れているように感じます。秋には色鮮やかなカエデの紅色に彩られ、一層美しい景色が広がっています。 
仏教Q&A 
Q.日本の仏教にはなぜ宗派(しゅうは)があるのですか?
最初に仏教の教えを説いたのはブッダであることはまちがいありません。仏教が日本に伝来し、既に1200年あまり経ちました。その中で、時代とともに解釈が変わり分派したものが宗派と考えてよいでしょう。たとえば、天台宗や真言宗が開宗立教された年代と黄檗宗では、約800年という開きがあります。「お釈迦さまの教えと宗派仏教の教えは違うのではないか?」というご質問をいただくことがあります。各ご宗派は決してお釈迦さまの教えを変えているわけではなく、それぞれの時代背景の中で、仏の教えを説き続けて現在に至っているわけです。日本仏教の各ご宗派を横一列的に見るのではなく、歴史の経過という奥行で見ていただきたいものです。それから、各ご宗派の教義の違いについてですが、一つの山を登る際に、様々な登山ルートがあるように、「悟り」に至るための修行の仕方は様々です。つまり「悟り」という頂上は一つなのです。
Q.宗派はどのくらいあるのですか?
下の一覧は全日本仏教会に加盟している各ご宗派です。現在、国内の寺院の約7割が全日本仏教会に加盟している形になりますが、他にもたくさんのご宗派があります。全日本仏教会への問い合わせの中で「おたくのご宗旨(しゅうし)はどちらですか?」と尋ねますと、「うちは真宗だ」「うちは禅宗です」と、お答えになられる方が少なくありません。以前、お話しを伺っている間に「ちょっとおかしいな・・」と思い、改めて「たしかご宗旨は真宗系でしたよね?」と問い直したことがあります。そこで、いろいろと話しをしてわかったのが、その方にとっては「真宗系」に「真言宗」が入っていると思っていたということでした。皆さんも、改めて下の一覧でご確認下さい。
Q.なぜお葬式をするのですか?
葬儀には三つの意味があるといわれています。1 亡くなった方の「お弔い」です。これは宗教的なもので、世界の民族でお弔いをしないものはないと言われています。2 亡き人との別れです。告別式といわれる部分がこれにあたり、社会的意味があります。3 葬儀には悲しみを癒す意味があります。読経がなされ、きちんとした形で葬儀ができ、皆さまにもお別れしていただけたということが、後々、遺族の心の安らぎ安堵につながっているようです。仏式でつとめられる葬儀は、死を見つめる大切な時間です。亡くなられた方の安らかな顔を見ていると、誰しも湧き出てくるものがありましょう。人間は必ず死ぬという事実、そのなかで「いのち」を尽くして生きられたという感動、日々のご苦労、感謝…。「身業説法(しんごうせっぽう)」という言葉がありますが、亡き人は身をもって私たちに「いのち」の有りようを教えてくださっています。葬儀は、私たちの気が済んだということで終わるものではありません。亡き人からの眼差しをいただいていくこと、亡き人との対話が大切です。
Q.通夜・葬儀・告別式はそれぞれ違うのですか?
本来は、親しい間柄の方で通夜が営まれ、葬儀に一般の人が見えるものでしたが、最近は通夜のほうに多くの弔問客が訪れる傾向にあります。通夜がメインの弔問の場となっているようです。通夜には飲食が提供される場合が多いのですが、食事を共にすることで故人についての思い出が多く語られ、遺族が故人の知らない部分を発見するなど、慰めの場になっています。葬儀は、葬場における仏教儀式と告別式から成り立っています。会葬者の多い場合には、葬儀と告別式を別に設ける場合もあります。通夜・告別式ではなく、通夜・葬儀ならびに告別式であることをご理解ください。
Q.今までの葬儀と家族葬や直葬は違うのですか?
高齢化社会を迎えて、いわゆる「家族葬」が増えています。形式に流されることなく、心を込めて家族を送りたいとの思いからです。家族葬とは、不特定多数の一般会葬者がいない葬儀と考えてよいでしょう。ですから、これを執り行おうとする場合には、亡くなられた方の社会的立場、あるいは商売上の関係などをよく考慮して家族葬で大丈夫かを判断しなければなりません。また家族葬は香典の収入もかぎられますので、遺族の金銭的負担がかえって大きくなってしまうこともあります。香典には相互扶助的な意味があることを忘れることはできません。直葬は、親族の立ち合いのもと直接火葬場で荼毘にふす方法です。通夜も葬儀も行わないもので、結果として親戚関係や菩提寺との関係が損なわれてしまったなどということもよく耳にします。できれば事前に住職に事情をよく説明し、相談されることをお勧めします。収骨後、葬儀のお勤めをすることも一つの方法です。
Q.数珠・焼香について教えてください。
数珠ができたのは、今から2500年前、お釈迦様の時代といわれています。仏さまにお参りするときの「身だしなみ」として、形や素材を変えながらたくさんの人に大切にされてきました。正式には108の玉で出来ており、宗派によって仕立て方に違いがありますので購入の際には注意が必要です。ひと輪の数珠は、108の玉を略したもので、広く一般に使われています。焼香は、仏教儀式において、精神と身体を清浄にするための象徴的作法です。お香の燃焼は、自己中心性やエゴが昇華して、自らが他者とともにある一人となることを表しています。焼香の回数についても、1回から3回と宗派によって違いがありますが、心をこめて礼拝することが大切です。
Q.戒名って何ですか?そもそも必要なのでしょうか?
戒名は、宗派によって「法名」「法号」とも言われています。「仏弟子」となった者に与えられる名前で、仏教教団にとって極めて大切なものです。なぜ戒名をつけなければならないのか、高い戒名料をとられた、などという疑問や不満がお寺に対する不信感につながり、それが社会問題化しているのではないかと危惧しています。これらを解決していくためには、住職と檀信徒との相互の信頼関係が不可欠です。日頃より菩提寺住職に尋ねるなど、戒名について学んでいただきたくお願いします。なお、生前に戒名をいただくことも良いことです。その場合には、菩提寺の住職にお問い合わせください。
Q.永代供養について教えてください。
少子化の影響で、お墓の継承がだんだん難しくなってきたのではと感じております。また人口の流動化により、菩提寺がない、あるいは菩提寺を持たない方々が増えています。そうした意味で、「永代供養墓」は今までのお墓の継承と違った形で、ご家族の「こころとこころの繋がり」を確認できる場になりつつあると思います。
Q.改葬(お墓の引越し)について教えてください。
改葬は、お墓の引っ越しです。最近、改葬の話題が聞かれますが、これも少子化の影響で墓を守り継ぐ担い手が少なくなっているからだと思います。改葬は、現在の墓地から新しい墓地への移動に際し、さまざまな手続きが必要ですが、まずは日頃からの菩提寺との話し合い、あるいは家族・親戚とも十分に理解し合える関係性を持っていることが一番大切だと思います。菩提寺も親戚も代々に亘って続いていく間柄です。
Q.「終活」について教えてください。
日頃、私たちは、死は自分にとって都合の悪いものと考え、死を遠ざけて生きています。しかしそれは、いわば一枚の紙の表だけを求めようとする姿勢にほかなりません。仏教では、人生のことを「生死(しょうじ)」と表現します。生と死をあわせ持った人生観です。人間は、生きれば生きるほど死に近づいていくのですから、死を視野に入れて生を考えることこそ健全な死生観であるといえましょう。よく、「人に迷惑をかけたくない」という言葉を耳にします。果たしてそうでしょうか。インドでは「人に迷惑をかけているのだから感謝して生きなさい」と教えるのだそうです。お互いが迷惑と思わない人間関係、いのちといのちの繋がりを築いていくこと、そして日々新たなるいのちを賜って希望をもって生き生きと生きていくことこそが人生の終わりに備える活動、本当の「終活」なのではないでしょうか。
Q.お葬式を行う意味を教えてください。
亡き人は、私たちに大切な「贈り物」をしてくださいました。それは、人間は生まれた限り必ず死ぬ、ということです。亡き人が身をもって私たちに教えてくださった「いのち」の事実を、しっかりと受けとめていくことが大切です。亡き人の最後のプレゼント、それを受けとる「場」が葬儀なのではないでしょうか。近代社会は、人間を能力だけで価値化し、能力のない者や弱者、高齢者を役に立たない者、価値のない者とみる傾向が顕著です。ましてや亡くなってしまえば終わりだ、生きていることだけが価値のあることだという考え方が蔓延してきているように思われます。仏教が大切にしてきた先祖供養は、亡くなった人を切り捨てていくのではなく、むしろ亡き人と向きあうことを通して自らの生き方を問い直していく、「いのちのバトンタッチ」なのです。先祖供養をすすめる仏教教団が果たしてきた役割は、近代社会の検証とともに、いま再認識されようとしています。
Q.お寺って税金を払っていますか?
お寺は「宗教法人法」に則り運営されています。ご葬儀、法事、施餓鬼会などの宗教活動そのものには課税されません。それから境内や墓地には固定資産税はかかりません。また、駐車場を貸したり土地を貸したりしますと課税となります。宗教法人法では、宗教法人が行う事業の中で、法人税の対象となる34種類の収益事業が決められています。それから、住職や住職夫人など、お寺に勤めている方々は、お寺から給料が支給されるので、皆さんと同じように源泉徴収されています。 
 

 

■『生きる』ということについて
メールボックスに、Iさんより、『生きるとは?』・『人間やその人生とは?』ということについて、お話しを聞きたいとありましたので、少しくそのことについて書いてみます。
日蓮聖人のお言葉に「人身受けがたし、仏法にはあいがたし」というのがあります。よくよく考えれば、牛馬や鳥や象や虫ではなく、私たちが人の身として生まれたことを不思議に思うことがあります。その生まれがたい人の身に生まれたから 、ただちに私たちは「人間」になったというわけではありません。「人間」としての心や生き方を持つことによって、はじめて人は「人間」になれるのです。
人はなぜ生まれてきたのでしょう それはなぜ生まれてきたのかを知るためです
命の尊さ、出会いの大切さ、苦しみや喜びや恐れや感謝や善悪を知り、真実とは何かを探求するためです。本来私たちは「生きとし生ける者を哀れみ、助け合うため」(法華経法師品)に人間に生まれてきたのです。その真実の生き方を示されたのが仏法であり 、法華経なのです。
あらゆる生物の中から人間に生まれ、たまたま仏法に会うことはむずかしいことです。たとえ仏法に会えても、この上なく深い教えの法華経に出会うことはもっとむずかしいことです。それは「この経(きょう)は甚深微妙(じんじんみみょう)にして諸経(しょきょう)の中の宝 、世に希有(けう)なる所なり」(法華経提婆達多品)といわれているほど、めったに会えない、尊く珍しい宝珠、それが法華経だからです。お釈迦様は、「甚深微妙の法を私はすでにそなえ得た」と宣言され法華経を説かれました。私達は今人間に生まれ 、法華経に出会い、お経(きょう)の文字を見聞きして、真実の教えを受けたもつことができました。お釈迦様が私達を救おうとされているみ心にふれ、その姿や声を見聞きすることができたのです。法華経に出会った「ありがたさ」をかみしめながら 、「どうかお釈迦様の説かれた第一のすぐれた教えを信じ習いきわめることができますように」(開経偈の意味)と心から誓願を立て、法華経の正しい教えを理解していくことが大切です。
日蓮聖人は、「仏の御意あらわれて法華経の文字となり、文字は変じてまた仏の御意となる。だから法華経を読む人は単なる文字と思ってはならない。そのまま仏の御意と思わなければいけない」と述べられています。法華経の功徳は平等です。法華経は平等に救う教えなのです。知恵のある者も 、ない者もわけへだてはありません。これまでおかしてきたあらゆる罪をなくし、善い心をおこさせます。
法華経を信ずる者も、また法華経をそしる者も、この法華経の限りない功徳に包まれることによって、ともに仏に成る道をなしとげることができるのです。過去・現在・未来その三世にあらわれたもろもろの仏様は 、いずれも法華経を悟って仏に成られました。日蓮聖人は「法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり」といわれました。 一切の仏を生み出した深い教えが法華経です。法華経に出会えた喜びを忘れることなく 、法華経を読み、御題目を唱えて信仰していきましょう。
『仕事について』
日蓮聖人は、『妙法尼御前御返事』の中で、次のように述べておられます。「日蓮は、幼少の時から仏法を学んできたが、念願することは、人の寿命は、無常であり、はかないものである。賢い人もおろかな人も、老人も青年も、順番などなく、いつ生命を失うか解らない。だから人はまず死に対する心構え、悔いのない生き方の道について教えを受けて、その後に他のことを学ばなければならないということなのです。」
私たちは、食べるために働いているのではありません。人としての、尊い生き方をするために、その身を養い、働くのです。仕事は、私たちの目的ではありません。生きていくための手段です。仕事が忙しい忙しいといって、尊い生き方の教え=仏法『法華経』を知らないで、人生を終えてしまってはもったいないと思います。たとえどこの職場にいても、他を大切にする生き方を学んだ人は、生甲斐を持ち、他から尊敬され、明るい人生を歩くことができます。
『大霊界』の映画ではありませんが、自分が何をするためにこの世に生を受けたのか考えると、この人生を粗末にできません。
『華厳経』という御経の中に「心は絵師のごとし」とかかれています。心は、絵描きさんのようなものです。どんなふうにもかくことができると言うのです。同じ出来事に出会っても、心の持ち方一つで、幸せにも・不幸せにも感ずることができう。何事にも感謝して暮らしていけば、人生は明るくなり、人もまたたくさん集まってきます。人生百年。長いようで短いもの。尊い仏法に少しでも多くふれあって下さい。

■友よ幸福になってくれ 「衣裏宝珠の話」 (『法華経』五百弟子受記品第八より)
ある所に大変貧乏な男がいました。あるとき、その男は友だちを訪ね、そこでたいそうごちそうになりました。男はお酒を飲んでいるうちに酔いつぶれてしまい、眠り込んでしまいました。
友だちは、わざわざ訪ねてきてくれたこの男をどうにかして救ってやりたいと思いましたが、どうしても用事があり、出かけなければなりませんでした。そこで、少しでも役立ててもらおうと、眠り込んでいる男の着物の裏に、大変高価な宝石を縫いつけてやりました。
男は、酔いがさめると、宝石が着物の裏に縫いつけてあることなど、まったく知らず、友だちの家を去り、またあてもなく、あい変わらず仕事を探しては、苦しい生活を続けました。それからしばらく後、男はぐうぜんにも、先日ご馳走をしてくれた友だちと道でバッタリ会いました。友だちは言いました。
「何だ、君はまだそんな苦労をしているのか。私は、君にご馳走したあの日、君が一生、幸せに暮らせるようにと、君の着物の裏に、たいへんに高価な宝石を縫いつけておいたんだよ」
友だちに言われ、男は自分の着物の衿の裏に手をあててみました。そしてはじめて、縫いつけてあった宝石に気が付きました。
「全く知らなかった。なんてことだ。本当にありがとう」男は友だちの気持ちに感謝し心からお礼を言いました。
【注】ご馳走した友だちは、お釈迦様です。貧しい男は、私たちのことであり、縫いつけてあった宝石こそ『法華経』なのです。

■12月8日は 仏教「誕生の日」です
大乗仏教では、この日を「成道会(じょうどうえ)」と呼び、お釈迦様が正覚(悟り)を開いてブッダ(仏陀)に成られた記念日としています。いわば仏教の《誕生の日》といえる大事な日なのです。
今から二千五百年の昔、ヒマラヤの山麓を領していた釈迦族のスッドーダナー王の子として、 お生まれになられたお釈迦様(ゴータマ・シッダールタ太子)は、恵まれた王宮での生活ではありましたが 、〈人生の苦〉を感じて二十九歳の時、出家しました。やがて滅びるであろう弱小の国の王になることをやめ、名誉を捨てたのです。そして、とうとう全ての人々が救われる教えを開かれました。
お釈迦様出家の動機
シッダールタ王子 「なぜ人は苦しみ、悩まなければならないのだろう。なぜ生まれ、なぜ死ぬのか。この世を正しく生きる道はないのか……。救われる道はどこにあるのだろう……」 王様は 、考えに沈む王子の心を明るくしようと、毎日パーティを開きました。けれど王子 「この楽しみはつかの間にすぎない。あの美しい姫たちもやがては年をとり、ついに……」  
ヤショウダラ妃 「王子様、楽しゅうございましたか」
王子 「ありがとう、ヤショウダラは楽しそうでよかった」
妃 「王子様もお楽しみください。この世を楽しく暮らしましょうよ」
王子 「いや……楽しいのと幸せということは同じではないのだ」
妃 「王子様はお幸せではないのですか」
王子 「人の幸せはうわべだけでは解らないよ……心の中に悩みがあるのだ」
妃 「でも王子様、皆幸せそうに暮らしています」
王子 「いや……それは夢を見ているようなもの、本当に生きていることではないのだ……うかうかとその日暮しをすることはまるで古井戸におちた旅人みたいなものだ」
妃 「それはどんなことですか」
王子 「昔ある旅人が旅をしていると、大虎に追いかけられました。逃げて行くうちにいい具合に古井戸があったので、その旅人はつるにつかまってその中に隠れました。虎は降りてこられませんが 、自分も出ることができません。目を凝らしてみるととても深い井戸です。つるにつかまったままで廻りを見ると食べられそうな実がありました。この実を食べて飢えをしのいでいると 、上では2匹の鼠がそのつるをかじっています。白い鼠が昼間で、黒い鼠が夜です。鼠たちが人の命のつるをかじっているのに旅人は何も知らず『そのうち何とかなるだろう……この実でも食べておこう』とのんきなことを考えています。その旅人の命のつるはいつ切れるかわからない。つるが切れたらはてしなく暗い世界(未来のこと)におちる。この旅人と私達は同じ者なのだ」
妃 「まあ何と恐ろしいことでしょう」
王子 「だから私はどうすべきか、それを見つけたいのだ。けれど私一人がその迷いから目覚めたいと思うのではないのだよ。その道を求めたらこの王国の人々はもちろん 、全ての人々が救われるのだ……」
そして、お釈迦様はみごとに世界中の人々を永遠に救う教えを悟られたのです。

■たらいの水 (身延山法主 岩間日勇猊下の御言葉)
たらいの水を かきよせれば
水は向こうへ 回ってしまうように
自分のことだけを 考えている人は
幸福をついに 取り逃がしてしまうだろう
まず 人を幸いに してあげるように努めることだ
そうすれば 人が 幸いになると同時に
自分もいっしょに 幸いを得ることができる
環境も自分の持物です 人は転ぶと石のせいにする 石がなければ坂のせいにする 坂がなければ靴のせいにする 人はなかなか自分のせいにしない ・・・ 誰が言った言葉か忘れてしまいましたが、なかなか私達の姿をよく言い当てているような気がします。お寺に来られる方にも、二とうりの人があるような気がします。
昨年の暮れ、「おっしゃんいるか。護持会費持ってきた。」と言って訪ねて来られた方がありました。普通だったら「ごめん下さい」と言っていくぶん頭を下げながら入って来る方が多いのですが、その方は逆に少し後ろにそっくり返っていました。私も、まだ人間ができていないため、「いるか」などと言われるとすこしムカッとしたのですが、そこは抑えて「はい、おります」と言って応対しました。
そこで世間話が出るのですが、その方は「近頃の若いものは……」から始まって、「家の嫁は返事が悪い……動作がのろく……」、「隣の○○は……」等々、次から次と人の悪口が出てきます。この方にとって世の中の人は全て悪い人なのでしょう。あまりに回りの人を悪く言うので、かえって人から煙たがれて、人から粗末に扱われたり、無視されたりするのではないかと思いました。
この方とは逆に挨拶のとても丁寧な方もいます。「こんにちは、いつも大変お世話になり……」この辺でいいと思って頭を上げると、その方はまだ頭を下げているので又頭を下げる、三回くらい頭を下げてやっとつりあうくらいでした。私も最近は覚えてこの方には丁寧に挨拶をするようになりました。行事の時など見ていますと、他の人には簡単に挨拶する人も、このおばあさんには丁寧に、又きれいな言葉を使っています。このおばあさんは「嫁にはとてもよくして貰って……息子はよく働くし、孫が優しい……」、「あの方はとてもよくお寺のお手伝いをなさっていい方ですね……」等々、いつも人をほめています。そして「世の中にはいい人がいっぱいいますね。この間荷物がいっぱいあって駅で階段のところでひとやすみしていたら若い人がやってきて改札口まで一緒に持ってきてくれました」と言いました。
このおばあさんの感謝する心が相手に写り、相手の人が(その人が持っている)優しい心でこのおばあさんに接するのだと思います。かくして「世の中の人は皆いい人だ」とおばあさんは言うのです。 
 

 

 
長栄山本門寺

 

縁起
池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。
日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。
毎年10月11日・12日・13日の三日間に亘って、日蓮聖人の遺徳を偲ぶ「お会式法要」が行われ、殊にお逮夜に当たる12日の夜は、30万人に及ぶ参詣者で賑わいます。
そして池上本門寺は「日蓮聖人ご入滅の霊場」として700年余り法灯を護り伝えるとともに、「布教の殿堂」として、さまざまな布教活動を展開しています。
生身・孝道示現の御尊像
池上本門寺の大堂に格護されている日蓮聖人の御尊像は、日蓮聖人の七回忌にあたる正応元年(1288)に日持上人と日浄上人とが大願主となって造立されました。生前の日蓮聖人を良くご存知だった方々が丹誠を込めて作られたことから、ありし日のお姿を映した「生身の御尊像」と呼ばれています。
また、日蓮聖人は孝養を大変重んじられた方でした。その一端を表すように御生母の髪の毛を御入滅の時まで肌身離さずお持ちになっておられました。池上本門寺の御尊像は、左手に御入滅の時までお読みになっていた「内典の孝経」法華経第六巻を、そして右手には御生母の髪の毛を差し入れた払子(ほっす)をお持ちになって、日蓮聖人が体現された孝養の道を忘れることがなきよう「孝道示現の御尊像」として、静かに私たちを見守っておられるのです。
歴史
日蓮聖人の御入滅 宗仲公をはじめ、弟子たちの介抱にもかかわらず病状はすすみ、臨終が近いことを悟った日蓮聖人は、10月8日に後継者として本弟子6人(六老僧)を定められたのち、同月13 日、齢61 歳で御入滅された。翌14 日、弟子たちは葬送の式を営み、荼毘に付したのち、御遺言によって御遺骨は身延山へ納められた。宗仲公の邸宅は当山西谷にあって、現在の大坊本行寺がその故地にあたる。御荼毘所もその傍らに位置し、現在では宝塔が建立されている。
中世 日蓮聖人御入滅の後、宗仲公は当山を六老僧の1人、日朗聖人に付与し御入滅の霊跡として伽藍を整備された。日蓮聖人7回忌にあたる正応元年(1288)には、大堂に奉安されている日蓮聖人御尊像(重要文化財)が、六老僧の1 人日持聖人らによって造立されている。日朗聖人は、自らが布教活動の拠点としていた鎌倉比企谷の長興山妙本寺と当山の貫首職を兼任した(両山一首制、昭和16 年まで続いた)。
以来、当山は多くの末寺を組織して本寺としての発展を遂げ、身延山久遠寺とともに宗門の最重要寺院に位置づけられるようになった。
近世 徳川家康が江戸へ入府すると、第12 世日惺聖人はその居を鎌倉から池上に移し、以来貫首は池上に常住する。これにより、当山は徳川家や加藤清正などの諸侯の外護を得て更なる発展を遂げ、大伽藍を形成するに至った。江戸後期には、江戸市中の人々における祖師信仰・法華信仰の高まりとともに、寺運はますますの隆盛を迎える。当山で営まれる日蓮聖人御命日の法要「お会式」には江戸より庶民が群参し、賑わいを見せるとともに、浮世絵の題材としても取り上げられた。
近代 幕末には、江戸城攻撃のために東征した官軍が当山に本陣を構えるなど、動乱の影響を受けた。この時、江戸城の無血開城のため西郷隆盛と勝海舟が当山奥庭のÁ松濤園で会見したとされる。明治時代には新制度下の混乱と改革の嵐に見舞われるなか、第65世新居日薩聖人の尽力によって宗門の近代化が進められていった。
戦災と復興 昭和20 年4月15 日、京浜地区南部の空襲によって、大伽藍と厳重に格護されてきた御霊宝のほとんどを失った。しかし、猛火のなか身命を賭した寺僧の活動によって、日蓮聖人御真蹟を中心とする特に重要な御霊宝は焼失を免れ今に伝わっている。また、伽藍は堂宇56 棟を焼失するという未曾有の大被害をうけたが、先師先聖の御尽力と檀信徒のご丹精により復興を遂げ、今日に法灯を伝えている。  
 

 

■彼岸に思うこと
暖冬のせいなのでしょうか、本門寺の周辺で霜を踏みしめたり、雪景色を見ないままあっという間に春を迎えてしまったように思います。冬らしい季節を感じることがなく過ぎ、地球温暖化が私たちの身近な問題であると改めて肌で感じます。雪解け水が大地を潤してくれるように、その季節が持つ大切な役割があります。私たちが今できることを実行しなければならない時が来ています。
さて、3月は卒業、転勤、引っ越し等々様々な場面に於いて大切な人との別れの季節でもあります。人によっては別れの苦しみのあまり何日も悲しい思いをすることもあるでしょう。仏教ではこうした苦しみを四苦八苦と言い、その中でも愛する人との別れを「愛別離苦」と呼び、人間の苦しみの代表的なものとされております。しかしながら、近頃ではSNS等の発達により特別な技術が無くとも気軽にいつでもどこでも人と繋がり合うことが出来ます。そうした意味では別れの苦しみは昔ほど感じられないのかもしれませんが、実際に会って話しができる嬉しさは変わらないのではないでしょうか。
間もなくお彼岸を迎えますが、技術の進歩によりいずれご先祖様や亡くなられた大切な人といつでもどこでも繋がれる日が来るかもしれません。例えそうなったとしても、ご先祖様が眠るお墓をお掃除する時に触れた石の感触や水の冷たさ、お線香に火を付ける時の香りがあってこそ、お参りに来たなと実感が得られるのではないでしょうか。今年の桜の開花はずいぶん早いと聞きます。お彼岸の頃には本門寺の桜も満開で彩られ、全山ピンク色に染められることでしょう。ご先祖様と一緒に桜を愛でていただき、近況などを語らっていただきたいと思います。ご参拝をお待ち申し上げております。

■ふたつの御聖日
2月となりますと節分を思い浮かべられる方が大多数かと思われますが、私たち日蓮宗を信仰する者にとってはさらに大切な御聖日をお迎えする月であります。それは2月15日の釈尊涅槃会(お釈迦様が亡くなられた日)と2月16日の宗祖御降誕会(日蓮聖人がお生まれになられた日)の二日間です。皆様ご存じの通りお釈迦様は仏教の開祖であり、法華経を私たちに遺して下さった大切な大切なお方です。
そのお釈迦様がクシナガラという地において最後のご説法をされ、大勢の弟子たちが見守る中、沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で頭を北に向けて右脇を下にし、両足を重ねて静かに入滅(にゅうめつ)されたのです。その時、沙羅の木は白く枯れ垂れ下がり鶴のような姿になったと伝えられています。 池上本門寺では涅槃図を奉掲し、お釈迦様の御遺徳を讃える法要を営みます。続いて16日は宗祖御降誕会です。
日蓮聖人は、貞応元年(1222)の2月16日、今の千葉県にあります安房の小湊で、父・貫名次郎重忠、母・梅菊のもとにお生まれになりました。聖人がお生まれになった時、三つの不思議なこと(三奇瑞)がおこったといわれております。一つには、安房小湊の海に時ならぬたくさんんの青蓮華が咲きほこり、二つには安房の港に鯛の大群がウロコを輝かせて押し寄せ、そして三つには、お生まれになった産屋の庭先の泉がコンコンと湧き出てきたということです。また、日蓮聖人は、お釈迦さまの涅槃会2月15日の翌日にお生まれになったという、本当に不思議なめぐり合わせであります。
日蓮聖人は12歳で出家得度をされて以来、仏法を学び、わけても法華経こそが末法の衆生を救う唯一の教えであると確信され「南無妙法蓮華経」お題目弘通に生涯を捧げられました。令和3年2月16日は日蓮聖人御降誕800年という記念すべき日であります。是非、本年2月16日に大堂で営まれます宗祖御降誕会にお参り頂き、あらためて日蓮聖人への御報恩を共に捧げようではありませんか。

■心の洗濯
本年四月より管理部執事を拝命致しました田中智覚と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。さて、皆様は洗濯物の汚れが目立つ所を予め軽く洗っておく「下払い」又は「ヨアライ」を行っていらっしゃるでしょうか?この「ヨアライ」をお寺へのお参りやご供養の前にしておくと、自身の「心の洗濯」にも繋がるのです。どういうことかと申しますと、ほとんど会ったことのない遠い親戚や知人のご供養のため、形式的に付き合いでただ何となく法事やお参りに行っていたことがあるかもしれません。しかし、故人がどんな人だったのか、自分や家族とどのようなご縁があったのかを聞いてみたり、どうして手をあわせるのか?なぜご供養が大切なのか?お経はどんなことを説いているのか?等お寺に聞いてみる。たったそれだけで今までにない感謝の気持ちや様々な思いが芽生えてきます。
そうして生まれた感謝の心を伝えることが出来たと感じていただければ、皆さんの「心の洗濯」になると思います。洗濯した後のきれいさっぱりな心でいられると、眉をひそめるような出来事も笑顔で受け入れられたり、心が変われば人生も変わるかもしれません。同じ服を着るにしても見るにしても「汚れたTシャツ」より洗いたての真っ白な「Tシャツ」のほうがいいと思います。いよいよ令和元年も年の瀬を迎えようとしています。来年は是非皆様も「白いTシャツ」で1年お過ごしください。

■空が広い
本年四月より事業部執事を拝命致しました野坂法章と申します。よろしくお願い致します。現在は池上本門寺の塔頭(たっちゅう)寺院(周辺の本門寺に縁のある日蓮宗寺院)の住職も勤めております。大森の病院で生を受け、以来池上で育ち暮らしてきましたので、本門寺は小さい頃からの遊び場でした。その頃は無心に境内を走り回っていたので特に意識はしていませんでしたが、長じて僧侶になって境内を歩いていたときにふと気づいたことがありました。それは本門寺は「空が広い」ということです。
本門寺は東京二十三区の中では珍しい山の上にあるお寺です。寺院には山の上にあるなしに関わらず必ず「山号」と「寺号」があります。本門寺の場合は、寺号は勿論「本門寺」ですが、山号は「長栄山」といい、山の名前もそのまま長栄山といいます。私たちは本門寺のことを「お山」と呼びますが、まさしく長栄山というお山の上にあるのが本門寺なのです。初めて本門寺にお参りされる方の中には「都内で山の上にこんな大きなお寺があるなんて知りませんでした」と驚かれる方もいます。二十三区内とはいってもその南端に位置する大田区にはそれほどの高層建築物はありません。正面の石段を登り、仁王門をくぐると広々とした大空を背景に日蓮聖人御尊像を安置する大堂が威風堂々と構えています。私も僧侶になって初めて、都内ではそういった風景が希有であること、有り難いことに気がつきました。都心では高層ビルに遮られて広い空を見上げることはなかなかできません。本門寺にお参りの際には是非境内の真ん中で全天を仰ぎ見て心をリフレッシュさせて下さい。(できましたら晴天の日に・・・)

■8月15日
8月15日を迎え令和元年8月15日、今年で戦後74年を迎えました。日蓮宗では、千鳥ヶ淵戦没者墓苑が建立された昭和34年以来、毎年8月15日に日蓮宗宗務総長を御導師に「千鳥ヶ淵戦没者追善供養・世界立正平和祈願法要」を営んでおります。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、海外から収集され身元不明など引き取り手のない戦没者の遺骨36万9,166柱(平成30年5月28日現在)が六角堂に安置されています。昨年まで、私も8年来この慰霊法要に参列させていただいておりました。晴天の年、猛暑の年、雨の年もありました。蝉の鳴き声も聞こえてきました。作家の高見順の『敗戦日記』には「8月15日 ついに負けたのだ。戦いに敗れたのだ。夏の太陽がカッカと燃えている。目に痛い光線。烈日の下に敗戦を知らされた。蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ」とあります。
終戦の日の天気を調べますと関東以西は晴れ、東北・北海道は曇天で一部地域によっては小雨が降ったと記録があります。法要では、大勢の参列者がお焼香をされ、お花を手向けられ、一心に戦没者のご冥福を祈るとともに、二度と戦争が起こらぬよう世界立正平和の祈りを捧げております。数年前、法要に於いて御導師様が「勝つものは怨みを招き、敗れたるものは苦しみを増す。そのいずれをも離れたる者は、心安らかにして幸いなり」と述べられていました。以前に訪れた鹿児島の知覧特攻平和会館で拝観させていただいたときのことを思い出しました。多くの尊い命があっての今の自分自身の命であるということを実感いたします。ご供養をする心が平和な世の中を築く第一歩となるのではないでしょうか。

■復歴 長遠院日樹上人
長遠院日樹上人は下総国の飯高檀林・中村檀林で学業を積み、飯高檀林7世の化主となり、元和5年(1619年)、池上本門寺に入寺し復興に努め、特に宗祖御尊像を安置されている大堂を再建復興を遂げる等多方面において功績のある方でした。妙覚寺の日奥上人に同調し不受不施を主張。受布施派の身延山久遠寺と激しく対立しました。寛永7年(1630年)、江戸城で行われた受布施派と不受不施派との対論(身池対論)で不受不施派は敗者となり、日樹上人は信濃国伊那郡飯田(現長野県飯田市)に流罪となってしまします。しかしながら、昭和6年(1931年)本門寺第七十四世酒井日慎上人の代に、日樹上人の復歴を決定し、第七十七世石川日教上人の代より毎年ご命日にあわせて墓所を参拝するようになりました。流罪後一年程で入寂されますが、僅かな間にもかかわらず地元の多くの人々と深く関わり上人の徳は今日まで延々と語り継がれることとなりました。。現在に於いても「池上古蹟保存会」として上人の墓所を護持し厚い信仰を集めていることに大変驚かされます。余談ですが、地元で採れる「おしょうにん」と呼ばれる黒く大きなキノコは日樹上人に由来するようです。大変美味しいそうです。

■円満な日々を送るには
平成31年度も終わりに近づいて参りました。4月1日には新元号の発表も行われ、いよいよ次世代への歩調も一層速く感じられるようになってまいりました。その一方では、この時期特有である学友、同僚などとの親しき人との別れ、進学、就職による新たな出会い、また将来に対する夢と希望、或いは健康や老後の生活などの不安等々さまざまな心境の変化に直面することが多々見受けられます。思いがけなく不安に陥りやすく体調を崩しやすくなります。少々立ち止まって自身の心の整理整頓を行うことも必要かと思います。先日あるお寺を参拝させていただいたおりに目にした「円満な日々を送る七つの条件」をご紹介致します。 ・・・ 1.喜んで働くこと / 2.信用を財産にすること / 3.節約の生活をすること / 4.笑顔とやさしい言葉を忘れないこと / 5.物でも心でも喜んで与えること / 6.ご先祖さま、みなさんのおかげを忘れないこと / 7.正しい信仰に生きること ・・・ 日々の生活、お仕事に役立てていただければ幸甚です。

■己亥
ご存じの通り春の節分を迎えて新しい干支へと変わる。平成三十一年は己亥 (きがい・つちのとい) の年である。六十年前の己亥の年、昭和三十四年は四月十日に、時の皇太子明仁親王と正田美智子様が結婚された。明仁皇太子は後に平成天皇となり、そして本年退位されるわけで、この六十年は後世明仁陛下と美智子妃の時代と評されるかもしれない。昭和三十四年といえば安保反対のデモ隊が国会中央玄関になだれ込む事件が有名なように、政治は不安定であり、死者五千人以上、被害家屋五十七万戸を出した伊勢湾台風が日本を襲った年でもある。しかし皇太子のご成婚がテレビ中継されるということでテレビの売行きが急増、さらに家庭の電化が広まり、マイカーが普及するなど、高度経済成長時代にステップアップして行く年でもあった。亥はいのししの事だが、核に通じ、植物の種の意味があり、植物の生命力が種子の中に閉じ込められている状態を表しているという。種はやがて芽生え、成長し実を成らせていくのだから、亥はこれから発揮するエネルギーやパワーを蓄えている姿なのだ。日本は二〇二〇年に東京オリンピックを開き、二〇二五年には大阪万博を開くが、日蓮宗門も二〇二一年には宗祖降誕八百年を迎え、十二年後には七百五十遠忌を迎える。充分な準備があってこそすばらしい成果を得られるわけだから、 「亥」の時代の精進こそ大切なのだ。 「亥」の姿に学ぶ事は大きい。亥というと猪突猛進という言葉がうかぶが、これは決して褒め言葉ではない。正しい方向を見極めて進む事を心掛けたいと思う。

■思い出
この記事を今まで三度担当させていただきました。「初心忘るべからず」「三省」「少欲知足」 これらの言葉は昭和60年3月、それまで普通の大学生として生活していた私が卒業式の翌日に池上本門寺に随身修行を志して上山した際、入寮式で当時の金子日威貫首様が訓示の中で新入生だった私にお話し下さった言葉です。小学校・中学校・高校・大学とおそらく多くの先生方からたくさんの言葉をいただいてきたと思いますが、一つも思い出すことができません。しかし、金子貫首様からいただいたこの三つの言葉だけは鮮明に覚えています。「人間の死後に残り、思い出となるのは、地位でも財産でも名誉でもない。その人の心・精神・言動である。」との言葉がありますが、金子貫首様のお言葉、お姿を今でも思い出し懐かしく思います。

■霜月
今年(平成30年)の夏は、本当に暑い「猛暑」であったと、多くの方が感じたことでしょう。その夏も時季が来ると自然に景色が変わり秋を感じるようになります。池上本門寺では、秋季の彼岸が終わると「お会式」の準備一色になります。お会式の行事期間は3日間ですが、準備・片付けを入れますと、10月はお会式の言葉に集約できるほど大きな行事です。このお会式行事を私の自坊及び組内寺院では、11月に行っています。これは農業地域であるゆえに農繁期を避ける為に、旧暦に合わせて行なっています。行事には「お盆」・「彼岸」等のように日程が限られるものも有りますが、お会式は組内寺院同志の協力により行事を行う為に、各寺院の都合により日程を定めて行っています。
11月は旧暦の別名で「霜月」と言いますが、現代の暦でも使用します。今年は7日が立冬になり、暦の上では冬に入る日です。立冬は、24節気の第19番目。十月節(旧暦9月後半から10月前半)を言います。現在では地球温暖化により、季節感が感じられなくなりつつありますが、着実に季節がやって来る頃です。今までは、季節は徐々に変わって来るものでしたが、昨今は「突然に」・「急に」来るように感じられます。11月は1年の内で最も変化のある月であると言われています。初旬は「秋晴れ」、そして立冬後は「紅葉」になり落葉を迎えますが、その間には霜の降りる日があり、月末に近くなると初雪もあり、冬到来となります。
私の自坊は栃木県の南部にあり、関東地方では夏は暑く、冬は寒さの厳しい地域です。隣の市には、寒中を過ぎる頃になると、天然のスケートリンクを営んでいる所が、現在も行っています。寒暖の差の大きい地域であればこそ、季節の変化が如実に写し出されます。12月は「師走」であり、今年最後の月になり慌ただしさを感じますが、霜月は年の終わり間近感より、「実りの秋」・「収穫の秋」の集大成である、新嘗祭(勤労感謝の日)が宮中で行われる特別な月です。このような季節感は、東京の池上本門寺では、かなりの違いがあると思われます。池上本門寺では、季節ごとの行事を催して東京における、季節感を表現する活動をしています。
 

 

■―祈るこころー 『お会式(おえしき)』
十月の本門寺は、『お会式』を迎えます。お会式とは、日蓮聖人のご命日に営まれる法要の事です。日蓮聖人は、弘安五年(一二八二)十月十三日辰の刻(午前八時頃)、この池上の地(池上宗仲公の館―現・大坊本行寺)でご入滅(お亡くなりになる)になられました。ご臨終の際、館の庭にある桜の木が時ならぬ花を咲かせたと伝えられています。当初は、このご命日に併せて日蓮聖人のご肖像を掲げて法要と講話を行う『御影講』(みえいこう)あるいは『御命講』(おめいこう)と呼ばれる法会でしたが、江戸時代の入ると「桜の花」の言い伝えから、徐々に桜の花で飾った万燈(まんどう)を掲げて、纏を振り、団扇太鼓でお題目を唱えながら練り歩くという現在の形が出来上がって来ます。中でも、ご入滅の霊地・池上本門寺へのお参りは大変なもので、『東都歳時記』にも記される、江戸の名物歳事に数えられる様になりました。あの俳人・松尾芭蕉の句も残る程です。現在、本門寺のお会式行事は、十月十一日、十二日、十三日の三日間に渡って行われます。法要は三日間で五回、十一日・十二日の午前と午後。十三日、日蓮聖人のご入滅の時刻に合わせた早朝。の五回です。
初日(十一日)は、午前十一時より、歴代聖人並びに池上法類・池上護山会(ごさんかい)先師法要を行います。亡くなられた歴代の貫首様と、本門寺の興隆にご尽力頂いた各寺院の亡くなられた住職方への報恩法要です。午後二時より、「納経十種供養式法要」を行います。写経会の方々により書写された写経が表装されて納められます。それに併せて法華経に説かれる十種類の供養品を日蓮聖人の御宝前に供える法要です。
二日目(十二日)は、午前十時より宗祖御更衣(ごこうえ)法要を行います。大堂に安置されている日蓮聖人御尊像の御衣を夏物から冬物へお召し替えする法要です。午後二時からは、宗祖報恩御逮夜(おたいや)法要です。これは、日蓮聖人のご命日の前日に行われる法要を意味しています。そしてこの日、夕刻になりますと、万燈講中の方々が纏を振り、提灯をかざし、団扇太鼓をたたいて、万燈をかかげて、各地より参詣されます。例年、午後六時から午前0時頃まで、万燈練り供養が続き、その数は、講中一00団体、四五〇〇人。一般参詣者は、約三十万人です。
三日目(十三日)は、午前七時より、日蓮聖人の御一代記が語られる特別説教が行われ、続いて、日蓮聖人がご入滅された時刻に合わせて臨滅度時(りんめつどじ)法要となります。午前八時、貫首様によって「臨滅度時の鐘」が静かに打ち鳴らされます。これは、日蓮聖人が入滅された時に、お弟子の日昭聖人打ち鳴らされた故事に由来するもので、歴代の貫首様がこの鐘をその時刻に合わせて打ち鳴らされるのです。まさに、日蓮聖人の滅度(亡くなられた)時に臨む(立ち会う)という事です。

■オリオンよ、愛する人を導け。帰り道を見失わないように!
みなさんは「真夏のオリオン」という映画をご存知だろうか?タイトルの「真夏のオリオン」とは、主人公潜水艦々長・倉本の恋人、志津子が彼にお守り代わりに手渡したオリジナルの楽譜のタイトル。イタリア語で『真夏のオリオン』と題された譜面には、倉本への巻頭のメッセージが書き添えられていた。冬の星座であるオリオンが真夏に輝けば、それは船乗りにとって吉兆となるのだという。作品ではそんなオリオンが輝こうとする空の下、米海軍との戦いに挑む潜水艦乗りたちをドラマチックかつリアルに描いていく。玉木宏演じる倉本艦長を中心に潜水艦イー七七の乗員たちが苦境の中を必死に生き抜こうとする姿には、熱い想いがこみ上げてくる。また倉本艦長と米駆逐艦の歴戦の勇士・スチュワート艦長との知略にあふれた戦いは手に汗握る展開をみせる。戦い過程の中でそのメッセージ入りの楽譜をスチュワート艦長が手にするところとなる。映画のラストシーンで精根尽き、酸素も残量一時間となった倉本率いる潜水艦が海上にやむなく浮上、そこに海軍本部から終戦の緊急電報が入る。米駆逐艦にもそのことが米国本土から伝えられる。
「もうこれで終わりなら、最後まで戦って少しでも敵を殺傷して死ぬべきだ」と主張をする者もいる日本側にスチュワート艦長より冒頭の譜面に書かれたメッセージが光信号で送られ「敵も同じ人間だった」という当たり前の事実にみんな気づく。「これが最後じゃない、これが始まりだ」と言う倉本艦長のセリフで映画が終り、全員が無事帰還して戦後復興に尽くしたことを予感させてくれる。恋人からもらった楽譜が本当にお守りになったのです。このオリオンを「お釈迦さま」、あるいはこの人生をイキイキと生き切るための教え「法華経」と差し替えたら実にぴったりと心にフィットするのです。私達は大いなる存在である本仏釈尊から使命・役割を持ってこの世に遣わされ、何時も慈愛に満ちた眼差しで見つめられている存在です。そして今生での成すべき事が終わり、肉体生命が尽きたらまた本仏のところに帰って行く。この始終の人生にはいろいろなことが起きます。その過程を間違いなく、道を見失うことなく航海して行くため本仏釈尊の慈光≠ニ法華経の教え≠ェあるのだとこの映画を見て改めて確信しました。法華経・題目信仰こそ人生行路を歩む私達のオリオン・光明・頼りなのです。

■立秋
8月を迎えまだまだ残暑が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。今年は、8月7日が立秋です。暦の上では秋になります。8月を別名「葉月」とも言います。語源は諸説あるようですが、このころになると木々の葉がそろそろ散り落ちる頃なので「葉落ち月」、略して「葉月」となったようです。8月の異名は他にも、「穂張り月」、「秋風月」、「雁来月」、「月見月」、「観月」など秋を思わせる名称が多く見られます。昔は立秋の頃になると秋冬の支度を始める頃だと言われました。しかし現代はまだまだ夏真っ盛りです。10月には「お会式」が行われますが、50年位前は暖を取るために火鉢を用意したと聞いておりますが、現在は冷房をつけております。新暦と旧暦の差は有りますが、季節が少しずつずれていると思います。これも地球温暖化が原因でしょう。
旧暦では「一日(ついたち)」の事を「朔日(さくじつ)」と言い、8月1日を「八朔(はっさく)」と言います。「八朔」は、早稲米の初穂を神に供え五穀豊穣を祈る日で、初秋の儀式です。ちなみに、果物に「はっさく」が有りますが、これは江戸時代に広島のお寺の境内で偶然発見され、八月朔日(ついたち)になると食べられるようになることから、そのお寺の住職が「はっさく」と命名されたようです。正に実りの秋です。実りの秋と言えば、菅野貫首様も自ら畑を耕しジャガイモやキュウリ等を育てております。それらの収穫も楽しみです。残暑が厳しい中にも月遅れのお盆を迎えると、やはり秋の気配を感じます。朝夕の涼風やヒグラシ(蝉)の鳴き声に秋めいていく自然界の様子が感じられます。これが日本人の感覚なのでしょう。夏の終わりをお盆と共に味わってみてはいかがでしょうか。

■お盆に思うこと
7月と8月はお盆の月です。皆様のお宅ではご先祖様をお迎えする準備をされることと思います。お盆の正式名は「盂蘭盆」(うらぼん)といい、お釈迦様の十大弟子のお一人神通第一≠フ目連尊者に由来すると言われています。
ある時、母を恋しく思った目連は、母は今どこで何をされているのだろかと考え、いても立ってもいられなくなり、自身の神通をを使い母の居場所を探します。するとあろう事か母は餓鬼界に変わり果てた姿でいるではないですか。母を救わんが為に神通力で食べ物を差し出しますが、たちまち炎に包まれ、かえって母を苦しめることになってしまいました。困り果てた目連はお釈迦様のもとを訪ね、母を救う手立てを乞います。するとお釈迦様は「7月15日、3ヶ月の修行を終える僧侶達に沢山の食事を供養をしなさい」とお諭しになります。言われたとおり供養申し上げると、多くの僧侶の祈りによって母だけではなく、多くの人々が苦しみの世界から救われることになりました。
では目連の母はなぜ餓鬼の世界へ墜ちてしまったのでしょう。それは我が子を思うが為に、他者を思いやる心を失ってしまったからです。昨今のニュースでは子供の虐待等目を覆いたくなるような事件が多発しています。親子のあり方、家族のあり方を今一度考えなければならないような気がしてないません。お盆はご先祖様と現在生きている私達が繋がりを持てる期間です。是非大切にしたいと思います。

■夜空を見上げて
昔からの「かぐや姫伝説」のように、月に住んでいるといわれる生物の語は世界中にあるが、実際には姫もうさぎも見当たらない。宇宙人の話も昔からあるが、これもまた映画の中でしか今のところ会うことが出来ていない。しかしながら、地球以外の星で生物を見つけようという研究は、地球の成り立ちの研究にもつながるので、地道に行われている。最近土星の月に生命体?というニュースを見た。地球が月と呼ばれる衛星を一個持っているように太陽系の土星は35個もの月があり、木星は48個という子沢山だが、土星の月の中のエンケラドゥスという名の月で生命体を作り出す環境が観測された、というのだ。土星探査機「カッシーニ」の調査を分析した結果だというが、よく判ったと感心するばかりである。たとえ細胞でも、居た、としたら、太陽系以外に宇宙人がいてもおかしく無い、ということになる。夢はどんどん広がるが、宇宙人を迎えるには地球が平和であり続けることが何より大切、ということに間違いは無い。

■歴史に新たな1ページを
いよいよ5月を迎え、爽やかな風が池上のお山を吹き抜けております。日蓮宗では、4月28日を立教開宗の日と定めております。日蓮大聖人が千葉県の清澄寺にございます旭が森で、登りくる太陽に向かいお題目をお唱えになり、法華経弘通の誓願を立てられた日でございます。当山でも立教開宗の日にあわせ4月27日から29日まで「法華経千部読誦会」を営みました。全国より大勢のお上人様、檀信徒の皆々様にお集まりいただき盛大に執り行うことができましたこと、厚く御礼を申し上げます。
この千部会は壱千部の経典を読誦する法会のことで、その起源は遠く奈良時代にまでさかのぼります。このように歴史ある法要を、この池上の地でも続けて来られたのは、ひとえに皆さまからのお力添えあってのことです。そのような長い歴史の中で、とても喜ばしいことがございます。この度、当山の第83世菅野日彰貫首様が日蓮宗管長に任ぜられることとなりました。菅野貫首様はこれから日蓮宗全体を統理するお立場となられます。私共、山務員一同もこれまで以上に法華経?お題目弘通に精進する所存です。どうぞ皆様におかれましてはより一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

■少欲知足
最近読ませていただいた本の中に、アメリカの製薬会社が開発する新薬の四分の三程が、アマゾンの熱帯雨林で暮らす少数民族の長老やメディシンマンから、伝承的に受け継がれてきた医療技術を聞きとりそれらの微生物や鉱物などを化学分析して人工的に合成して新薬として売り出し莫大な利益を上げていることが書かれていました。自然の力、そしてそれらを活用してきた自然と共に暮らす人々の知恵に驚かされました。さらに、ブラジル政府は、アメリカの製薬会社がアマゾンの長老たちに特許料を支払う制度をつくったが長老たちは「自分たちのもっている知識が人類の幸福のために使われることぐらいうれしいことはなく、その喜びをお金に換えるようなさもしいことはしたくない」と受け取りを拒否する、とありました。これこそ「少欲知足」の実践だと思います。人間はとかく目先の勝ち負けや損得にとらわれもっと大切なことを忘れがちですが、佛様の御心に叶った生き方を心掛けたいものです。

■努力出来る能力
3月11日は東日本大震災が発生した日であり、あの日から7年が経過した。今なお、全国規模で震災地の復興途中であり、犠牲になられた方々には、全国各地の寺院等で供養会が行われていると聴く。本門寺でも、春秋の彼岸会及び施餓鬼会には毎年追善供養を続け、3月11日には別途に法要を営んでいる。 1月31日の某全国紙の新聞に、福島県富岡町の真言宗寺院の住職の奮闘活動が紹介されていた。「離散の檀家回り50万キロ」という見出し記事である。上人は寺院に生まれたが、5歳の時、父である前住職が遷化された。急遽、母親が尼僧となって、寺を切り盛りすることになった。そんな母の苦労を見て育ったので、20歳で覚悟を決め、仏門に入門したという。震災による原発事故に遭遇したのは、結婚をして二人の娘に続き長男にも恵まれて、10か月が過ぎた時であり、上人が30歳であった。震災後、福島を出て埼玉・岐阜等を転々として、2か月後に山梨で落ち着き、布教の拠点とした。
この拠点からの活動が想像を絶するものである。車を走らせ、避難所や仮設住宅を回って檀家を探し続けた。避難中の檀家から法要の依頼が入れば、静岡や滋賀にも出向いた。時間を見つけては福島の自坊に行き、境内の草取りや動物に荒らされた本堂・庫裡等の掃除を行った。三年前に、水戸市の借り上げ住宅に転居したが、長距離移動の生活は続いた。そして昨年、富岡町の大半の地域で避難指示が解除されたのを機とし、単身で自坊での生活を始めた。原発事故後、車で走り続けた距離は、何と約50キロ、地球12周以上であった。富岡に戻った檀家は10軒程である。このような中にあっても、2022年迄に、本堂・客殿の再建を志しているという事である。一方、家族は水戸にて生活をしている。息子は水戸で小学生になり「なんでパパはいつも家にいないの」と言っている言葉を聞くと、何とも思いやられない気持ちになるという。
富岡の道路沿いの風景は、雑草に覆われた家・積み上がる汚染土、街をうろつくイノシシ等、胸を痛める事ばかりで、原発事故前とは別世界で見る影もない。この様な状況による重圧は並大抵でなく、想像を絶するものであろう。この状況に目を背ける事なく精進を続けて頂きたいと、節に願うばかりである。このような困難に立ち向かい前進しようと思う気持ちを貫く者には、必ず、諸天のご加護があるはずである。様々な困難に立ち向かい、努力が出来るという事は、大切な能力である。この上人の気概・行動力には敬意を表する以外にはないが、私達が様々な状況において、問題を乗り越えて行こうと発する、「気力」が大切である。更に、その「気力」により『努力出来る能力』を発揮することが、最も肝心である。

■―祈るこころ― 「節分」
「福は内、福は内、鬼は外」の掛け声で豆をまいて「邪気」を払う『節分』。皆さんは、この節分が年四回あることにお気づきですか? 『節分』とは季節を分ける事を意味する言葉で、各季節(春・夏・秋・冬)の始まりの日、立春・立夏・立秋・立冬の前日を言います。因みに今年は二月四日が立春、五月五日が立夏、八月七日が立秋、十一月七日が立冬となります。ですからその前日がそれぞれ季節を分ける『節分』となる訳です。それではなぜ春の節分に豆をまくようになったのでしょうか?前述の通り、一年を春夏秋冬の四季に分けるのはご存じの通りですが、この四季の一つをさらに六つの節気に分けて二十四の節気を立てます。例えば春は立春、雨水、啓蟄(けいちつ)、春分、晴明、穀雨の六つで、私たちが普段ニュースや新聞で耳や目にする、夏至、大暑、秋分、冬至、大寒などもその二十四節気の内の一つです。
一年二十四節気は、立春から始まって大寒の末日、即ち立春の前日である節分に終わり、又再び立春から始まるという陰暦の暦法によっています。つまり、立春が正月元旦、そしてその前日である節分が一年の終わりである大晦日(年越しとも)となる訳です。昔より宮中では大晦日の夜、年越しの行事として疫(やく)を駆逐する、厄除けの行事が行われてきました。それを追儺(ついな)といい、かつては葦の戟(ほこ)や桃の杖で音を鳴らして疫鬼を追ったり、桃の弓と葦の矢で鬼を射るという行事で、今のように豆を撒く事はありませんでした。豆まきは、豆うちといって「宇多天皇」(八八八年)の御代に、鞍馬山の鬼が都に出てきて色々な悪さをするので、三石三斗の豆を投げつけてこれを追い払ったという言い伝えが在り、諸説さまざまですが、節気の変わり目の節分と、年越しの厄払いの追儺の行事が重なり合って、今日の節分の豆まきとなったのです。余談ですが、その豆まきに豆を使うのは「豆」は「魔滅」に通じるといわれ、また煎った豆を使うのは「魔目」、つまり魔の目が出ないようにとも言われています。面白いですね。

■いつも本仏の中にいる私たち
ヨーロッパのカッコー鳥の行動に関する話です。この鳥の雛は多種の鳥によって卵からかえされ、育てられます。親の姿は一度も見ずに育ちます。夏の終わり近く、親鳥は冬期の棲息地である南アフリカへ渡り、それから約一ヶ月後、カッコーの雛は集団を形成してアフリカの同じ場所へ渡り、親鳥と一緒になるのです。雛は自分が渡り鳥であること、渡る時期、渡る方向、最終目的地を本能的に知っており、自分と同じ雛を本能的にに見分けて集まることが出来るのです。
ニューサイエンスはこういうよく考えてみれば不思議行動の根底に「形態形成場」の作用を想定しています。ある地域に新しいリアリティー(真実)に目覚めた人が出現すると、その途端に何らコミュニケーション手段を持たない各地の人々が同じ意識に目覚めることがありうる。つまりものすごく強くて、深くて、偉大な精神は、そのまわりに「形態形成場」という物理的な「場」を造って明らかに目に見えるような現象を起こしうる。その「場」の中に残像のように記憶の痕跡がとどまり、それは「形態共鳴」という形で他へ伝播しします。 お釈迦さまのような強くて、深くて、偉大な精神は、そのまわりに「形態形成場」という物理的な「場」を造って明らかに目に見えるような現象を起こてしまうという状況を序品第一は表現していると思えます。法華経の序品でのお釈迦様の三昧(瞑想)と次々に起きる不思議な出来ごとについて、このような視点で見てみと納得できるように思います。法華経は宇宙生成の根幹にかかわる、凄い世界を私たちに示してくれているのだということが法華経の序品でよく承知出来ます。
法華経の梵文原典の中に「仏教においては衆生を無上菩提(この上もない覚り)へと引導する教えであれば、それは何であれ全て釈尊の直説である」となっていて、人々を彼岸=覚りに向かわせるものはすべて正しいと明確に言っています。また別のところでは 「衆生を無上菩提へと引導する教えが説かれ続ける限り、釈尊は永遠にこの世に現存し、法を説き続けている」としています。無上菩提=覚りにいたる道筋がある限り人々は救われ、釈尊は永遠となり、私たちもまた本質のところでは永遠だということを言っています。まさに歴史性と肉体の有限性の煩わしさから解き放たれる思いです。法華経序品第一はそうした永遠の世界を解き明かしていく文字どうり序曲なのです。  
 

 

■年末のこと
12月を迎えると、どなたも年末・年始の準備で色々と慌ただしくなってくると思います。年末の挨拶でよく「年の瀬」と言う言葉を耳に致しますが、この言葉は江戸庶民の生活からできた言葉だそうです。「年の瀬」の‘瀬,は川の瀬のことで、川が浅くなり流れが急に速くなる所を言います。逆に、川が深くなり流れが緩くなる所を‘淵,と言います。川の瀬は急流で船で渡ることが、困難な所を言います。江戸庶民の生活は「ツケ」がほとんどだったようです。その「ツケ」を年末に清算しなければならないが、清算しまうとお金が無くなり正月を迎えられなくなる。支払いたいけど支払えないという、鬼気迫る状況、「ツケ」の支払いの困難さを、川の瀬にたとえて表現しました。そう言う事から、年末の慌ただしく押し詰まっている様子を「年の瀬」と言います。
また、12月を「師走」とも言います。語源は諸説ありますが、一番有力な説は「年末の挨拶回りなどで、師(お坊さん)も走り回るほど忙しい」と言う説です。古来より日本では年末になるとお坊さんに自宅に来てもらい、お経を唱えてもらう風習がございます。そのため、年末になるとお坊さんが西へ東へと走り回るほど忙しくなることから、師が馳せる=「師走」と呼ばれるようになったと言われています。年末のお経回りを俗に「釜締め(かまじめ)回り」と言います。「釜締め」は、竈(かまど)の前で「火の神様(日蓮宗では三宝荒神)」に対して一年間の無事を感謝するのお経です。お経を唱えた後、お札を新しいものに替え、お正月は「火の神様」にお休みをして頂きます。したがってお正月は竈を使うことはできません。そのためお正月に食べるものを前もって準備しました。これが「お節料理」です。
現代では昔ながらの竈を見ることはほとんどございません。「釜締め回り」の風習も少なくなってきたようです。師走に入り、年の瀬も迫って参りました。この一年間を無事に過ごせたことに感謝しましょう。そして来年が皆様にとって良い年になります様、ご祈念申し上げます。

■菊花展
本門寺境内では10月の下旬から11月の下旬にかけて東京菊友会主催による菊花展が開催されます。大堂向かって左側に二棟の小屋を作り、その中で大輪の花を咲かせた菊花が競い合っている姿は大変見応えがあり、近隣の方々や多くの檀信徒皆様方の楽しみとなっております。春を代表する花と言えば「桜」を思い浮かべる方が多いと思いますが、秋の花と言えば「菊」ではないかと思います。(普段見慣れているからかも) 日本では鎌倉時代より芸術文化などに用いられ、特に皇室の紋としてもよく知られ、日本を象徴する花となっています。ちなみに花言葉は「高貴」です。観賞用の菊の栽培は寒い時期から始まり、一年を通して日照や温度管理等々非常に難しく手間がかかる上、昨今の異常気象のもとでは更にご苦労をされているようです。そうした状況下で丹精を込めて出来上がった花は正に我が子同然であるといえます。11月と言えば七五三で賑わう季節でもあります。我が子の成長を見守る親御様にとりましても、七五三を迎えた晴れ着姿のかわいらしいお子様にとりましてもこの丹精を込められた菊花が華麗な花を添えてくれることでしょう。是非ご参詣下さい。

■今も昔も変わらずに
お会式が終わると、本門寺では10月下旬から11月上旬にかけて、大堂前の空間を利用し菊の展示会が開かれる。葦簀(よしず)張りの小屋の中に、日頃丹精した菊の数々が並べられ、菊ファンはもちろん、訪れた参詣の人々を大いに楽しませている。こうした菊の展示は元禄にころから京都を中心に広がった、と言われる。菊作りの愛好家たちが、美しい花を咲かせる楽しみから、徐々に新品種≠誰よりも早く育てるという、まるでニューモードファッションを世に送り出すかのように競うようになり、寺院の境内などで展示するようになった。花の美しさや斬新な姿、そして栽培技術を誇り、大勢の見物人を大いに楽しませた。こうした事は現代と何も変わっていない。驚くべき事は、どの会場でも出品品種がほとんど重なっていないそうで、江戸時代中期の栽培所に図入りで多様な品種が紹介されている。江戸時代に学ぶことはこんなところにもあるのだ。

■お会式
9月を迎え、夕暮れ時には秋を感じる季節となって参りました。9月はお彼岸の季節でもございますが、それと同時に10月11日、12日、13日で営まれます「御会式」に向けての準備の季節でもあります。毎年9月18日には、本門寺のすぐそばにございます大坊本行寺で「宗祖池上御入山会」が営まれます。今から700余年前の弘安5年(1282年)9月18日、現在の大坊本行寺である池上宗仲公の館に日蓮聖人がご到着されましたことが由来となっております。この日は本門寺の菅野日彰貫首様を大導師に、厳粛な法要が営まれます。また法要中に池上家の御子孫によります「献膳の儀」が執り行われます。「献膳の儀」とは、ご病気で弱っていらした日蓮聖人の体調を気遣い、池上宗仲公が「ひきずり豆腐」という料理でおもてなしをされたという故事に基づく儀式です。この「宗祖池上御入山会」は日蓮聖人の御命日にあたる10月13日、すなわち御会式に至る大切な行事でございます。ご存知の通り、10月の11日より報恩の法要が執り行われ、12日の夕刻より万灯行列が池上の町を照らします。これらひとつひとつがすべて宗祖日蓮聖人への感謝を表した大切な行事でございます。どうか皆様におかれましては日蓮聖人の御遺徳を讃えるこの御会式にご参列賜り、今一度、日蓮聖人が目指された法華経の世界を体感して頂きたく存じます。

■三省
史上最年少でプロ棋士となり次々と記録を塗り替えた藤井聡太四段の活躍で注目を集めている将棋界ですが、私が担当しております池上本門寺の朗峰会館でも実は第74期名人戦の第6局が昨年の6月7・8日に予定されていました。結果としては羽生善治名人が第1局のみ勝ちましたが、その後挑戦者の佐藤天彦八段(現名人)が4連勝して名人位を奪取し朗峰会館での対局は実現いたしませんでした。そんなご縁で当時頂戴した羽生名人の扇子に「三省」という文字が書かれています。明治時代の実業家渋沢栄一の座右の銘としても有名な言葉ですのでご存知の方も多いと思いますが、論語の「吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか」という言葉です。 (私は一日に何度も自分の行いを反省する。他人の為に真心を尽くして考えたか、友人と嘘をつかず誠実に交際できたか、よく知りもしないことを人に伝えたり教えたりしていないか。)といった意味になるかと思います。日々の報道を見ると、自分の知り合いが有利になるよう便宜を図る人、先の米大統領選挙でも影響があったと言われるインターネットのフェイクニュースなど、人や情報は信頼できるのか不安になりますが、自分が佛様の元に戻った時に後悔しないよう日々精進して行きたいものです。

■祈るこころ 『お盆』
私が住職をしている東京の下町では、七月に入ると「朝顔市」に始まり、「ホオズキ市」・「風鈴市」と夏の風物詩が次々と催されます。この七月は、東京の「お盆」月でもあります。そもそも「お盆」とは、亡きご先祖を我が家にお迎えして供養する行事で、古くから行われている日本の伝統行事です。本門寺も七月七日に『盂蘭盆施餓鬼会』の法要を修し、十三日から十六日にかけて檀家各家にお盆の棚経に伺います。
「お盆」は「盂蘭盆(うらぼん)」と言い、その語源である『盂蘭盆経』に由来するものです。その内容とは、仏弟子である目連尊者の亡き母は生前に犯した罪業により餓鬼道に堕ちて苦しんでいました。目連尊者は釈尊の教えに従い、夏安居(げあんご)の終わる七月十五日に多くの修行者に百味の飲食(おんじき)を供養し、その功徳により餓鬼道の母を救うことが出来ました。そのことが仏教と共に日本に伝わり、日本古来の魂祭りの風習と混ざり合って日本のお盆行事となったのです。十三日が迎え盆、夕方、門口で焙烙(ほうろく)に麻幹を炊きます。この火は精霊が戻ってくる目標であり、また障りを払う浄火でもあります。そして、その日を取って精霊棚(仏壇)のロウソクに火を灯します。
胡瓜の馬と茄子の牛は、精霊の乗り物で、馬で早く来る様、牛でゆっくり帰る様にとの意味があります。果物、お菓子等のお供え物と、お皿の上に蓮の葉を置き、そこに茄子を賽の目に刻んだ「水の子」と水を入れて、禊萩(みそはぎ)の小枝に水を含ませて「水の子」に注ぎます。「水の子」は、餓鬼道に堕ちた霊のための施食(せじき)で、洗米や瓜を混ぜることもあります。禊萩で水を注ぐのは、灑水(しゃすい)といって水の供養と水による浄めを意味します。こうして精霊をお迎えしてお線香を上げて亡き親やご先祖のお陰で私たちが今あることに感謝し、心から供養します。また、一家が精霊棚の前に集まってそれぞれの近況を報告するのもお盆の大切な心です。
十六日(地域によっては十五日という処も)には、精霊棚(仏壇)にお参りをし、門口に用意した焙烙の麻幹に火をつけ精霊をお送りしてお盆が終わります。全国的には旧盆(八月盆)の地域が多いのですが、これは明治時代初期、政府が西洋の近代制度を取り入れる一環として、それまでの太陰暦を廃止し、太陽暦(グレゴリオ暦)を導入した時期に生じたタイムラグによってのことのようです。東京は七月盆、様々な夏の風物詩が催される中、そのどれもが「お盆」と重なり合った行事であることに、その大切さを見つけましょう。

■写経の功徳
みなさんは写経を体験したことはございますか? 写経とは読んで字のごとくお経を写す¥C行です。お経はお釈迦さまが「こういう生き方をして下さいね」と語りかけて下さった言葉をまとめたものです。つまり、仏さま目線で説かれた生きるヒントを書き写しているのです。実際に写経を行った人が、こんな感想を寄せてくれています。
はじめ、わたしは法華経に説かれている内容を聞いた時、余りにも巨大な話の連続なので『信じられない!信じられない!』と悲鳴をあげ続けておりました。しかし、回を重ねるにつれて、わたし自身がその世界に引きこまれてしまい、とうとう時間的感覚が変わってしまいました。変な言い回しですが、釈尊が涅槃に入られたのは去年のことであり、法華経を最も大切にした日蓮聖人が居られたのは先週のことではなかろうか……などという感覚をもたせていただけるようになったのです。そうなってくると、法華経で述べられている釈尊のお言葉が、直接わたしに語りかけて下さっているようにも感じられてきたり、十大弟子の舎利弗(しゃりほつ)や摩訶迦葉(まかかしょう)が兄弟子のようにも思われたりして…。実に不可思議な、そして何とも言えないほど有り難い世界に遊ぶことができるようになりました。
これは、法華経を何百回音読しても、あるいは解説書を繰り返し読んでも入ることのできない世界ではなかろうかと思います。一字一字を拝みながら自分の手で書くことによってのみ入ることのできる世界だと思います。また、わたし自身がどこから来て、この世で何をして、そしてどこへ逝くのか?ということも解って来るように思います。法華経には『今、法華経を聞いている者は前世でも法華経を聞いていたのであり、法華経を聞いた功徳で今生において、この法華経の教えを聞くご縁の中に生まれてきたのだ』と書かれてあり、また更に『前世に法華経を聞いて善根を植え、本来は仏の国に生まれるべきところだが、この五濁の悪世の人々を憐れんで、わざと願ってこの娑婆世界に生まれてきたのがお前たちだ』とまで示されているのを写経しているうちに、そう信ずるようになってしまいました。これもほんとうに有り難いことだと手を合わせています。これらも一字一字をたどりながらの写経によってのみ頂戴できる有り難さだと思います。
仏さまの言葉を書き写し、自分自身の心に銘じてゆくのが写経です。本門寺では毎月最終日曜日の午前9時から「法話と写経の会」を開催しています。感想を寄せてくれた方もこの会に永いこと参加されているおひとりです。一字一字をたどりながらの写経行によって得られる有り難さを皆さんも体感してみて下さい。

■栴檀香風
先般当山では、「千部会」が営まれました。この千部会は正式には『法華経千部読誦会』と言います。法華経一部(序品第一から普賢菩薩勧発品第二十八まで)を千回読誦すると言う事ですが、法華経一部を一人で千回読誦しても千部ですし、千人で一回読誦しても千部になります。それが転じて、僧俗一体となり大勢で法華経一部を読誦し、お題目を唱える法要のことを「千部会」と申します。千部会は、一年間の、いつ営んでもいいのですが、当山では「立教開宗会」(日蓮大聖人が初めて「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えた日/建長5年4月28日)に合わせて、毎年4月27日から29日までの三日間営みます。
ちょうどその頃、境内では植木市が行われています。いつ頃から始まったかは定かではありませんが、二、三十年前までは関東随一の植木市と言われていました。しかし現在は住宅事情も変わりマンションが増え、庭付きの一軒家も少なくなり、植木市の規模も縮小されてしまいました。しかしながら、この時期は気候も良く、新緑が映え、植木市も相俟って、境内は爽やかな風に包まれています。
法華経の序品第一に『栴檀香風 悦可衆心』と言う経文があります。「栴檀の香風は、多くの人々の心を喜ばす」と言う事ですが、言い換えると「良い教え(法華経)は、栴檀(白檀)の香りがする風となり、多くの人々を楽しませ又、清らかな心にする」と言う事です。千部会にお参りされた方は、御経とお題目のシャワーを浴び、爽やかな風に当たり、清々しい気持ちになられたと思います。千部会と植木市は終わりましたが、五月のこの時期は若葉の香りがする初夏の爽やかな風がお山(本門寺)の境内を通り過ぎて行きます。本門寺は御経の絶えない(何時来ても御経が聞こえる)お寺を目指しております。御経を乗せた風がそよぐ本門寺にお参りして頂き、眼(新緑)と耳(お経)と鼻(若葉の香り)と味(美味しい名物精進アイスが有ります)と肌(風)の五感でお山を感じてもらい、心をリフレッシュして頂きたいと思います。皆様のご参詣をお待ち申し上げます。

■桜
春爛漫の季節となりました。本門寺はチョットした桜の名所でもあります。開花が近づきますと連日のように「桜は咲きましたか?」というお問い合せを多く頂戴します。元々は戦災で灰燼に帰してしまった本門寺境内に、少しでも華やかさをと言うことで植えられたようですが、時が経つにつれて桜の名所となったようです。仁王門をくぐると右手に「笹部桜(ささべざくら)」という品種の木が植わっております。桜の研究に生涯をかけられた笹部新太郎氏の品種改良によって誕生した桜で、大変貴重な銘木です。縁あって本門寺に寄贈されました。薄いピンク色の花を付け同時に若葉が芽吹くといった特徴を持っております。枝振りも立派でしたが、数年前の大雪により無残にも数本の枝が折れてしまい以前の姿を見ることはできません。しかしながらピンク色と新緑のコントラストは現在でも十分に楽しむことができます。また今年二月には大堂正面には総本山久遠寺様よりご奉納をいただいた若いしだれ桜が加わりました。これからすくすく育ち大木となってご参詣の皆様を楽しませてくれることと思います。皆様のご参詣お待ち申し上げております。

■正直者の頭に神宿る
「ことわざ(諺)」の多くは庶民の生活の中から生み出されたものであり、実体験がほとんどです。『正直者の頭に神宿る』と言う諺がありますが、これは日ごろまじめに働く正直者には必ず神や仏の加護があるもので、そのおかげで物事は順調に進んでいくものだ、という意味です。しかし、最近あまり耳にしなくなり、「正直者が馬鹿を見る」、「偽りの頭に宿る神あり」等の対義語の方が多く聞かれ、浸透しているようです。日本には古来から森羅万象に神が宿る思想『八百万の神』がありますので、信仰しているものを守る仏教守護の善神とは限りません。しかし、一般に言う神は、人の道、人の心を念頭に考えて、絶え間ぬ努力を重ねている者を守る神で、福・幸運を導いて下さる『神』を指します。信仰とは一線を画す『ことわざ』であろうと思います。私達、法華経・日蓮大聖人の教えを信じている者は、神と言えば法華経の教えを実践する者を守る、法華経・仏法守護の善神を思い浮かべます。法華経の常不経菩薩品第二十に於いて、常不経菩薩は正に神の守護する「正直者」と言って良いでしょう。常不経菩薩は、人々を合掌礼拝し続けた一人の菩薩のことであり、『但行礼拝』の実践者です。私達は、法華経・日蓮大聖人の教えの実践を通して、「平和で、安らかな世界」を目指していますが、特に信仰を意識しない者でも、人の道、人の心をいつも念頭に考え、お互いに助け合う心を大事にしている人は、善神に導いて頂いているのです。『正直者の頭に神宿る』
 

 

■くじけないでね
ねえ不幸だなんて 溜息をつかないで
陽射しやそよ風は えこひいきしない
夢は 平等に見られるのよ
私辛いことが あったけれど
生きていてよかった あなたもくじけずに
九十歳を過ぎてから詩作を始めた柴田トヨさん。詩集『くじけないで』は百五十万部を越えるベストセラー。この詩に救われた人は沢山いると思う。何かに行き詰まった時この詩を思い出す。私の「杖ことば」の一つです。

■謹賀新年
平成二十九年丁酉年、新春のお慶びを申し上げます。参与法類寺院・山内支院、当山総代の皆様、奉賛会会員の皆様、そして檀信徒の皆様、全国有縁の各聖・各位には、旧年中一方ならぬ御支援に与りましたこと心より深く感謝申し上げます。菅野貫首様におかれましては、池上御晋山なされ二度目の正月、益々ご壮健にて私共始め檀信徒皆様への御教導賜り、誠に同慶の極みに存じます。二年後の平成三十一年には当山第二祖日朗菩薩第七百遠忌をお迎え致します。当山では「朗尊七百遠忌奉行委員会」を立ち上げ、御報恩記念事業を奉行して参ります。これにより、池上のお山は新たなるお題目の光明を頂くことが出来ることでしょう。また、このお山は、菅野貫首様の基本理念でもあります、これから出家して仏道を修行する人材育成の為のものでありたいと考えております。菅野貫首様・市川智康学頭・山口顕辰学監が未来を担う若人を導いて下さる実践道場たる池上本門寺に、ぜひ御子弟をお預け頂きたくお願い申し上げます。私共内局一同、菅野貫首様のご意向に沿い、法華経の精神に従って、池上の将来、宗門の未来の為、給仕第一の努力に励む所存です。全国有縁の各聖・各位には重ねて本年も宜しくお願い申し上げ、新春のご挨拶とさせて頂きます。合掌と微笑みを♀F様の御多幸をお祈り申し上げます。

■「生涯現役、臨終定年」
私が長いこと心から尊敬し、宗派を越えて仏教を多くの人に生きる力としてもらいたいとの趣旨のもと活動している南無の会の会長を長年務められた松原泰道先生は百一歳で亡くなられました。法華経についての著作も数多くあります。訃報を聞いて巨星地に落つの思いを多くの人が抱き、私もまたその一人でした。その松原先生が八十歳を過ぎた頃からよく言われていたのが冒頭の言葉です。このことを先生はよく「独楽(こま)の舞倒れ」と表現され、「松原は話をしていたが突然声が聞こえなくなり、近寄ってみたら亡くなっていた・・・そのような今生のしめ括り方が私の望みです!」とよく言われていました。実際に九十歳を過ぎても一日数回法話をされたり、百歳近くなり、足がご不自由になるまで全国を東奔西走され、亡くなる数日前まで車椅子でお話しに出向かれておられました。まさにご自身がおっしゃっている通りに生きられ、かつ人生を締めくくられたのです。
私がある大きな講演会の司会をしていた時、先生を紹介し舞台の緞帳が開いても先生が合掌したまま固まって一言も言葉を発せられなかったことがありました。私は先生が日頃おっしゃっている通りになったのかと一瞬焦り、おそるおそる近づいて声をかけると「あっもう話してもいいの?」と言われ、すぐにお話しを始められました。もうすでに耳と目が少し不自由になっておられ、私が「それでは松原先生お願いいたします!」と言ったことも、緞帳が開いたことも気づいておられなかったのです。私は安堵の胸を撫で下ろしました。
松原先生はまた亡くなる数年ほど前から「私が亡くなるその日は地獄で説法する初日です!」と言っておられました。ある人が「なぜ地獄なんですか?」とお尋ねすると「地獄じゃなかったら、あなたにまた会えんでしょう!」と即座に答えられました。いかにも仏法(法華経)を深く極めた禅の老僧らしいウィットに富んだやり取りに私は心の中で拍手喝采でした。定年退職して「もう、私にはやることがない」なんって言っている御仁がいたら、仏さまからの使命を常に感じつつ生涯を終えられ、かつ次の生での己の役割をも確信しておられた松原先生の生き方に新たなる年を迎える時節にあたり、ぜひ学んでいただきけらばと思います。私も松原先生の教えと、なによりもその日々のあり方を見本として今後も精進したいと内心念じているところです。間近に迎える新玉の年、皆さま方にもそのようなことを改めて思いつつ、本門寺に初詣をしていただければと願っています。

■日本の伝統行事・お会式
当山では、年間で一番大きな行事「お会式」が10月11日、12日、13日に営まれました。このお会式は江戸時代の頃は単なる一宗派の行事ではなく、江戸の一大イベント、すなわち日本の伝統行事の一つでもありました。お会式はご存知のように、日蓮大聖人のご命日の法要の事を言います。弘安5年(1282年)10月13日・辰の刻(午前8時頃)、日蓮大聖人は池上宗仲公のお屋敷(現在は日蓮宗の本山・大坊本行寺)でその波乱万丈のご生涯を閉じられました。
今年はそれから数えて、735回目のお会式でした。毎年お逮夜(10月12日の夜)には、万灯練供養が行われます。万灯供養は他宗にもありますが、日蓮宗の万灯供養は、人が持ち運べるくらいの五重塔の周りに桜を模った花を垂らしたもので(桜は日蓮大聖人がご入滅されたとき、時ならぬ桜の花が満開になった、と言う故事にちなみます)、その万灯を全国から講中(檀信徒)が本門寺に持ち寄り、日蓮大聖人を供養いたします。又、大堂(日蓮大聖人のご尊像を奉安しているお堂)では、午後7時から翌朝の4時まで、僧俗(お坊さんと檀信徒)一体となって、一晩中唱題行を行って、日蓮大聖人のご遺徳を偲んでいます。この日は、一晩で約30万人の参詣者で賑わいます。ところがここ数年このお会式の様子が変わってきました。参道や境内には屋台(夜店)が並び、お酒に酔った人や、大声で騒ぐ人などがおり、来ている人のほとんどがお祭りの感覚です。これは、お会式と言う行事の趣旨を知らない人が、増えてきたからだと思います。
昨年の夏、靖国神社のみたままつりで夜店が無くなった、と言うニュースがありました。これも同じことが理由だと思います。伝統とは先代(先人)から受け継いだ経験や風習を、正しく伝える事だと思います。人を呼ぶには夜店も必要だと思いますが、お越し頂いた皆様に「お会式」と言う行事の趣旨を如何に正しく伝えれば良いのか、それが私たちの仕事(布教)だと、痛感しております。お会式は毎年行われます。来年のお会式は、日蓮大聖人への報恩感謝の気持ちと、日蓮大聖人の願いである、「立正安国」の祈りをもってご参詣頂き、この伝統行事を後世に伝えて参りましょう。

■備えあれば憂い無し
今夏、必要に迫られ防火・防災管理者の取得講習会に参加してまいりました。二日間に亘る講義で、老若男女約200名が受講しておりました。学校の授業のような形態でしたので、卒業してすでに何年も経過している私にとって、当時のことを懐かしく思い起しながら若かりし頃に戻ったつもりでどことなく嬉しさを感じながらの受講でした。講義は多義にわたり、特に火災については「何が原因で」「どうして重大化してしまったのか」ということを事象を踏まえながら説明を受けました。それによると「防火管理体制の不備」「消防設備の不備」「適正な自衛消防活動がされていない」ことなどがあげられ、それらが原因で重大化してしまうようです。私たちの周りの殆どの施設においては法律によりが厳しく規制され、また義務化されておりますので消防設備的な問題はほぼクリアーしていると思われますが、しかしその設備を使用する私たちがいざという時に使用方法を知っているか否かで大きく事態は変わってきます。つまり前述の「適正な自衛消防活動がされていない」ことに関わってくるのです。そこで日頃の訓練が重要不可欠となって参ります。皆さまは消化器・消火栓等々の使用方法をご存知でしょうか? 百聞は一見にしかず。日頃から「もしも」の事態を想定して、備品、備蓄、設備等をご自身の目で再度点検をしてみてはいかがでしょうか。

■まごわやさしい
世の中は健康志向が広がっているが、まずは毎日の食事から改善していこうということで、「まごわやさしい」が提唱されている。ご存知の方も多いと思うが、ま(まめ)ご(ごま)わ(わかめ)や(やさい)さ(さかな)し(しいたけ)い(いも)をバランス良く食生活に取り入れると、生活習慣病予防、コレステロールダウン、老化予防、皮膚や粘膜の抵抗力強化、疲労回復、骨を丈夫にするなど良いことずくめの結果が得られるというわけだ。すばらしい限りだが、さかなを除けばいわゆるお寺の精進料理の食材である。だから、これらを規則正しく食していた昔のお坊さんは健康で長生きの方が多かったのだ。しかもこれらの食材は日本には昔からあるおなじみの食材で、極端に贅沢なものなどひとつも無い。現在長寿を伸ばしている年齢の方々も若い時からこれらの食材を毎日のように食べてきたからこそ世界一の長寿になったのだ。これに反し生活習慣病の危険性を高めるものが「オカアサンヤスメ(オムレツ カレーライス サンドイッチ ヤキソバ スパゲッティ メダマヤキ)」。何と大好きなものばかりである。これに偏ってしまうのはすべて自分の責任だ。食欲の秋を前に「まごわやさしい」を美味しく頂くことを考えたいと思う。

■お盆はご家族と共に
8月を迎え、多くのご家庭でお盆の準備をなさっていることと存じます。池上本門寺をはじめ、関東の一部地域では7月にお盆を迎えますが、全国的には8月盆が主流です。これは新暦を用いるか、旧暦を用いるかによってお盆の時期に差異があるためです。しかし、本当に大切なことは、ご先祖のみ魂をお迎えし、ご回向を捧げることにあろうかと思います。きゅうりで馬を作り、なすで牛を作るのも、ご先祖が早馬でお越し頂き、牛に多くのお土産を携えてゆったりお帰り頂きたいという心から生まれた物です。そのご先祖をおもてなしする心こそ「仏心」といえるのではないでしょうか。
日蓮大聖人の御遺文に「盂蘭盆御書」(うらぼんごしょ)がございます。悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末へ七代までもかゝり候けるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給う。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う。乃至子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生三悪道をはなるゝのみならず、皆初住・妙覚の仏となりぬ。故に法華経の第三に云く。願わくはこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に、仏道を成ぜんと。
簡単に内容を申し上げますと、私たちが今を懸命に正しく生きることによって、私達の父母も祖父母も、ひいては七代前のご先祖様も仏になることができ、さらには子や孫、七代先の子孫までも仏になることができると説かれております。私達人間は正しい生き方をするのが難しい存在です。そこで、頭の片隅に置いておいて頂きたいことがございます。それは、人間が持つ霊魂は不滅であり、死んだらお終いという存在ではないということです。 だからこそ、今を生きる私達が仏様の教えにそった生き方をすることで、ご先祖のみ魂も仏になることができるのです。 そして、日蓮大聖人もおっしゃられているように、この行いはご先祖のためだけではなく、子や孫にも影響いたします。 皆様の日々の行いだけでなく、お盆のように大切な行事を共にすることで、お子さんやお孫さんにも正しい生き方を伝えることができます。現在では核家族化が進み、お棚経でお伺いをしても奥様がおひとりでいらっしゃることが多くございます。 ぜひお盆をひとつのきっかけに、ご家族が集うお時間とし、仏様の教えであるお題目をお供え頂ければ幸いです。

■お年賀と盆賀
私の自坊は栃木県南部の農村地帯で、干瓢(かんぴょう)の産地です。干瓢は、江戸時代中期に近江の国(滋賀県)より鳥居忠英公が壬生藩にその栽培を伝えたとされて300年の歴史があり、全国の95%が生産されています。自坊は元数件の檀家数であったので、地元地域の支えで護られてきた寺院です。その為、正月とお盆(月遅れ)には100数件の近隣の家を回ります。正月は1月4日に年始のご挨拶に各家を回ります。お盆は御棚経と申しまして、各家を回り精霊棚の前でご回向いたします。どちらも、志のお布施を頂いてきます。正月は熨斗袋に『お年賀』とありお盆は『盆賀』と有ります。全ての家が同じ様に記載されている訳でありませんが、多くの家が正月・お盆共に赤の熨斗袋です。正月・盆等の地域の「しきたり」は、その家の習わしとして、年長者より代々語り継がれていくことであり、理屈ではないのです。元々、お盆もお正月も仏教と祖霊信仰が結びついた行事でありました。33回忌を過ぎた御霊は先祖の仲間入りをして、「ご先祖さま」が「歳神さま」として、各家に帰って来られると言われる説があります。これは、33回忌までの先祖さまはお盆に帰って来られ、33回忌を過ぎた先祖さまはお正月に帰って来られるということです。しかし乍ら、迎える者としては、お盆の場合には33回忌を過ぎた先祖も一緒にお迎えするのが人情のようです。新しい仏さま(新盆)の年は特別ですが、それ以外の年は、熨斗袋に『盆賀』と書かれていることに妙に納得できます。テレビ・新聞・雑誌を始めとする情報化の時代と違い、狭い地域間での交流が中心の時代では、各家の習わし、地域の習慣により生活が営なまれていたのです。理屈では理解できない大切さが含まれています。

■初心忘るべからず
4月に新しく入った学生や社会人の方が、5月のゴールデンウイーク明けの頃になんとなく気持ちが落ち込む・疲れやすい・集中力が続かないなど心身の不調を訴えることを「5月病」というのを聞いたことがあります。最近では、特に社会人の方が、5月ではなく6月に、同じような状態になる人が増えており「6月病」と呼ばれているそうです。この「5月病」も「6月病」も正式な病名ではなくどちらも知らず知らずのうちに蓄積されていた心身の疲れや、新しい環境や人間関係などについていけないストレスが原因の一つだそうです。せっかく始めた希望に満ちた新生活を途中であきらめず有意義に過ごすためにもストレスを溜めずに日々を過ごすことが大切です。新緑の池上本門寺にお越しいただき日頃のストレスを発散し心身共にリフレッシュされてはいかがでしょうか。池上本門寺では毎日5時半からの朝勤はもちろんですが唱題行・写経・おそうじの会など皆様にご参加いただける様々な行事、また人生相談も行っております。いつもの一日とは違った非日常をお過ごしいただくことで明日への活力にしていただけると思います。「初心忘るべからず」の言葉にはもっと深い意味があるそうですが、初心を大切にさらに皆様が次のステップヘと飛躍されますことをお祈りいたします。

■―祈るこころー『千部会(せんぶえ)』
池上本門寺では、日蓮聖人が立教開宗(宗派を開くこと)された四月二十八日(建長五年四月二十八日)の前後三日間(例年四月二十七日から二十九日迄の三日間)に亘り『千部会』(せんぶえ)が催されます。はて?『千部会』とは、何たるものか?の声が聞こえて来そうですが・・・・。日本人は、どうも言葉を略するのが得意な人種の様です。パソコン、スマホにメアドまで数えればキリがありません。  『千部会』は、『法華経千部讀誦会(ほけきょうせんぶどくじゅえ)』の略で、「法華経(序品第一〜普賢菩薩勧発品第二十八迄)を千回読誦する大法要」の意味です。
歴史を振り返りますと、この法華経千部は天平二〇年(七四八年)七月、聖武天皇が先帝であった元正(げんしょう)天皇の崩御に際し、法華経千部を書写して供養されたことに始まります。(『続日本紀』) 以来、平安・鎌倉と時代を経て次第に広まって行きました。
日蓮宗で『千部読誦会』が営まれた記録が見えるのは、日蓮聖人第百五十遠忌に当たる永享三年(一四三一年)十月四日から十三日までの十日間、京都本圀寺にて行われたという記録が残されています。そしてこの後、江戸時代に入りますと、本圀寺は勿論、身延山久遠寺、中山法華経寺、鎌倉妙本寺そして、池上本門寺と日蓮宗を代表する寺院にて営まれる様になります。やがて、池上本門寺では江戸時代の中頃(明和年間)には年中行事として定着し、江戸市中の各町内に「千部講中(せんぶこうちゅう)」と名付けられた講中が作られ、それらの各講中が施主となって、盛大な法要が営まれる様になりました。そして、この法要を成就したあかつきには、「法華経讀誦一千部」と記した石碑を建て、行われた年月日、回向・祈願の内容、施主・願主名を刻んだのです。当時のご信徒の方々の祈る思いが伝わって来ます。それは間違いなく、私たちが現在(いま)、平安を祈る気持ちと何ら変わることはないのです。日蓮聖人は、「法華経の行者の祈りの叶わざるものか。」(『祈祷鈔』)と「法華経・御題目を通した祈り」の大切さを示されました。その事こそ『法華経千部讀誦会』に見る「祈るこころ」なのです。 
 

 

■華はいのちの象徴
春はいろいろな花々が咲き競い、種々の生命が燃え立ち、私たちの気持ちもウキウキする素晴らしい季節です。そういえば、法華経にも「華」という字が使われています。この「華」は蓮の花のことで、私たちの日々のあり方を象徴しています。蓮は日の届かぬ泥田の中に根を張り、茎を伸ばして葉をつけ光合成をし、やがてその泥に染まらない純白の華を咲かせます。「華はいのちの象徴だ」とはよく言われるところですが、妙法蓮華経という名前にはお釈迦さまの教えによって、今を生きているひとびとが、それぞれ蓮の華のように泥に染まらず輝いて、その人らしく生きてほしいというメッセージが込められています。
いろいろと煩わしいことのあるこの現実社会は、さながら泥の中のようです。そんな泥の中にあっても、埋没することなく仏さまから与えられた使命を全うしていく前向きな生き方をされたのが日蓮聖人です。ご自身のお名前に「蓮」という一文字を取り入れたのも、泥に染まらずに生きようという決意表明と言えるでしょう。 ・・・ 置かれた場所で咲く ・・・ 最近こんな言葉に出会いました。「置かれた場所で咲きなさい!どうしても咲けない時は根を下へ下と降ろして、根を張るのです。」(岡山ノートルダム清心学園理事長・シスター渡辺和子) 花は生まれ落ちたその場所で咲きます。気に入るも気に入らないも無いのです。その場で自分の持ち味・特長を発揮して、黄色の花は黄色の花らしく、赤い花は赤い花らしく、青い花は青い花らしく輝いてその存在を全うしていきます。それがなかなか出来づらい状況の時は、十分根を張り養分を吸収して、しっかり時節到来に備え、時来りならば一気に咲き誇りなさいとシスター渡辺は言っているのです。
私達は、親である仏さまからこれ以上無い財産であるいのちをいただき、とても愛でられてこの世に生れ、常に見守られ、しっかり生きろよと励まされています。ですから「何があっても、それこそ死んでも安心!なぜなら全ては仏さまの掌の中だから」そんな思いで元気一杯に日々素敵な花を咲かせていただけたらと思います。

■荒行僧の功徳
私のお寺が所属する組寺の若僧侶が、日蓮宗の荒行を成満し、先日帰山奉告式が行われました。日蓮宗の荒行は「世界三大荒行」と言われており、非常に厳しい修行です。正式には「加行(けぎょう)」と言います。「加行」とは仏教用語で、あることを達成するための手段として行う、準備的な修行のことを言います。荒行は、毎年11月1日より翌年の2月10日まで、千葉県中山の法華経寺において寒中一百日間行われます。
【寒水白粥 凡骨将死】(かんすいびゃくじゅく ぼんこつまさにかれなんとす)
【理懺事悔 聖胎自生】(りざんじげ しょうたいおのずからしょうず)
この言葉は、荒行堂の生活を表した言葉です。1日7回の寒水に身を清め、懺悔滅罪をして1日2回の白粥に命を繋げ、死と隣り合わせの中、仏祖三宝・諸天善神のご加護を頂き、法華経を読誦し、身・口・意(体・口・心)にお題目をお唱え、その力によって自分自身を即身成仏に導き、尊い身体となることを目的とする修行が荒行です。荒行堂での修行を終えた彼は日蓮宗修法師として加持祈祷が許され、荒行で得た功徳を檀信徒皆様にご利益として分け与える事が出来るようになりました。
日蓮大聖人は『法華経の行者の祈りの叶わぬことあるべからず』と述べられています。修法師の使命は、加持祈祷により檀信徒皆様の悩みや願いを仏祖三宝・諸天善神の慈悲をもって救い、叶えることですが、仏祖三宝・諸天善神と修法師と檀信徒皆様の心が一致した時(これを感応道交と言います)に、初めてご利益が生まれます。そういうことで、檀信徒の皆様が祈願や加持祈祷をお願いする時は、合掌し一緒にお題目をお唱えし、祈りを捧げて下さい。実は今回荒行を成満した若僧侶は、当山の役課(本門寺で働くお坊さん)でもあります。3月22日(火)午後2時より、本門寺の守護神である「長栄大威徳天」の例祭が営まれます。この時初めて彼が、長栄天信者の皆様に対してご祈祷を致します。是非当日にお参り頂き、修法師のご祈祷を受け、ご一緒にお題目をお唱えして、各々に祈りを捧げ、百日間に亘る荒行の功徳をお受け下さい。

■クール・ジャパン
最近「クール・ジャパン」という言葉をよく耳にする。「カッコ良い日本」という意味だ。日本の良いところを見直そう、ということで、日本に留学している外国人や日本に駐在しているビジネスマンに、日ごろ日本に感じている「カッコ良さ」や不思議に思っていること、自国にはない面白さを語り合う番組が人気である。日本食や日本酒がブームになっていることはよいことだと思う。食事作法や食器の美しさについて日本人自身が見直すことに通じる。寿司や天ぷら、ソバ、うどんが江戸庶民にどんな形で愛されたかを調べるだけでも面白い。芝居見物の席に弁当や酒が運ばれ、芝居そっちのけで食事を楽しむ姿や、花見に持参する弁当の中身に一喜一憂する庶民の姿は現代の我々の興味を大いにそそるものだ。
豊かな食文化を持つ日本人は本当に幸せな民族だと思う。海の幸、山の幸、そして豊かな地味から生み出される食材の多さは世界に類を見ない。その中から出てきた言葉が「いただきます」と「ごちそうさまでした」だ。この二つの言葉の意味を捉えて訳せる外国語は無いという。そもそも「いただきます」は食材になってくれた命に対し敬意を払って「あなたの命を頂戴します」という意味を持つ。「ごちそうさまでした」は漢字で書くと「ご馳走様でした」となる。この「ご馳走」というのが肝で、贅沢な食事という意味での「ご馳走」とは少し意を異にする。元々は各地から馬を走らせ、美味しい食材を集めたことに由来するのだ。つまり「ごちそうさまでした」の中には、食材を調達してくれた人、調理してくれた人への感謝が込められている。食材になってくれた命への感謝。料理として運ばれるまでに関わった人々への感謝を表現したこの二つの言葉は、日本が世界に誇って良い最高の「クール・ジャパン」だと思う。

■義を見てせざるは勇なきなり
今、世の中は物質・経済効率優先で、極端な話がお金儲けの出来ないヤツは人間失格だと決めつけられかねない雰囲気が未だ一部にあるように思います。素晴らしい衣装は身にまとってはいるものの実に自己中心的で損・得でしか判断・行動しない顔つきの人々をいまだ見かます。それと正反対の行為が冒頭の言葉です。
日本人のポリシー / 人間としてかけがえのないいのちを与えられた不思議に心から感謝し、少しでも己の存在を誰かのため、何かのために役立てていきたい。私達日本人は伝統的にそういう思いで日々の行動をとり、仕事をしてきました。三・一一の大震災以後の被災地の人々や他の日本人の「困った時はお互いさま」「今日は人のみ、明日は我が身」「お天道様とご先祖はいつも見ている」といったポリシーに基づく行為や暴動・略奪が全く起こらないことに国際的な賞賛が寄せられています。このことからまだまだ冒頭の精神が日本人の心の中に生きていることを感じるのは私だけでしょうか?
年の瀬人気の忠臣蔵 / 年末が近づくと決まって公演されるのが忠臣蔵です。何回見ても日本人はこのドラマに飽きないのです。いよいよ仇討ちのために江戸に出発するにあたって大石内蔵助は息子の主税にこう言います「私と一緒に江戸に行くか?郷里に残るか?自分で決めなさい」それに対し主税はすかさず「私も武士です。父上と共に江戸に参ります」と答えます。江戸に行くことは言うまでもなく武士としての名誉を重んじ死ぬことを選ぶということです。そして主税は家族に類が及ぶことを懸念して内蔵助が離縁した母・りくの処に最後のお別れに行きます。ところが母は「男児のくせに何と女々しいことか!」と言って息子の主税に会おうとしないのです。でも祖父の取りなしによって渋々会うことになります。
日本人の品格を信じて / 冒頭の言葉が好まれ、忠臣蔵にその都度感動して涙する日本人の心の内には聖徳太子以来、国や社会の運営の指針として来た仏教・法華経の教えが脈脈と息づいていることをきちっと認識しておきたいものです。日本人が永いこと培ってきた精神性と品格はまだまだ健在と信じて新しい年も力強く歩みを進めたいものです。  
 
長栄山本門寺・法話

 

 
■浅学薄徳の身ですが
当山八十二世酒井日慈猊下におかれては、この度退隠のご決意を表明され、私達参与、法類委員は青年期よりご指導たまわった者ばかりでありますので、強くお引き止め申し上げましたが猊下のご決意は固く、日ごろ「少しでも老いを感じたら下山するヨ」とおっしゃっておられた事を年頭に、ご決意をおうけすることになった次第であります。
あらためて酒井山主さま、八十二才から九十七才の今日まで十六年間のご在山まことにご苦労様でございました。猊下が積み重ねられた赫赫たるご法功は当山のみに止まらず宗門史上に永く記されることであります。我等一同感謝の心をこめ厚く御礼申し上げる次第であります。ご自坊実相寺様でご休養なさりながら、私共後輩をお導き下さいますようお願い申し上げます。
右次第により当山の諸機関は会議を重ね、不肖私を第八十三世法灯継承者に推挙、もとより浅学薄徳の身、その器でないこと重々承知しておりますが、皆様の強いご推挙を受けさせていただきました。どうぞよろしく御願い申し上げます。
顧みますと、私と池上のお山との佛縁はおよそ六十年ほど昔にさかのぼります。昭和三十二年三月雪の北海道から柳行李一つで上山しました時、お山は戦後復興の真最中、仮祖師堂に仮客殿全てが仮であり名園松濤園はその面影すらありません。私が笈を解かせていただきましたのは、後にお山の第八十世貫首に晋薫される金子日威猊下が住職をしておられる永寿院さまでした。大学卒業後三年間布教部に在籍、当時の酒井執事長(日慈猊下)から手とり足とり、布教のイロハをご教示いただき、諸学研修で同僚の中島師と二人、永平寺さんで参禅のまねごとをさせていただいたのもこの時であります。その後日蓮宗々立谷中学寮の寮監を三十年、本山海長寺で満十年在山、かくて池上のお山に帰らせていただきました。初心に帰り、全身全霊をもって佛祖三宝に給仕、法灯護持につとめます。どうかよろしくお願い申し上げます。

■ご法門のこと お目にかかり、お話ししましょう。
『よろこびて御とのひと終わりて候。ひるはみぐるしう候へ婆、よるまいり候はんと存候。云々。御はたり候て法門をも御だんぎあるべく候』 (富木殿御返事)  「御貴殿とのご縁、この上なきよろこびであります。日中は他人の目もあることですから、夜分にお目にかかりたく思います。その上でご法門(法華経のこと)のお話をいたしましょう」
おそれ多いことですが、私の領解(りょうげ:信仰的理解)で今日の言葉にさせていただきました。日蓮聖人は、ご生涯に現存するだけで四百余編のご文章をお書きになっておられますが、その中で今回ご紹介いたしました御文章は一番最初にお書きになられた御書(異論あり)であります。日蓮聖人門下で最も強い信仰者となられる富木常忍氏が、このお手紙を仏縁として信仰を深めてゆかれたのだと拝する時、このお手紙の持つ時の重さ≠ェ伝わって参ります。日蓮聖人は、建長五年四月二十八日、始めてお題目をお唱えになられたあと鎌倉にお出になられ辻説法をなさいます。同じころ、富木常忍氏(御家人・千葉氏の家臣両説あり)も鎌倉におられ、聖人の説法を拝聴、感動した富木氏は聖人に手紙を書かれ、返事を待っていたところ 『大事な法門のことですから、お目にかかって、じっくりとお話ししましょう』  思っても見なかった聖人からの面談の申し入れを、富木氏は万感の思いで拝受したにちがいありません。後年日蓮門下信徒の中心的存在となられる富木常忍氏の入信が、この面談、談義にあったと拝しますと、時空を超えて私たちへのよびかけ≠ナもあるのであります。
常忍氏からの質問状をお受けになられた日蓮聖人は、先にも述べましたように御書が四百余編も現存するほど筆まめな方ですから、早速長い手紙で返事をお出しになられたとしたら如何でしょうか。如何に「名文」「豊かな表現」がなされていたとしても入信≠ノは至らなかったと拝します。このと¥ことを十分にご存知の聖人はお目にかかり≠ニおおせになられたのであります。面談されたお二人がどのようなお話をなされたかは窺うことは出来ませんが、日蓮聖人の五体から発せられる声なき声、無言の人格が重なって、広大無辺の法華経世界、難解難入のお題目のおこころが伝わり、富木常忍氏の入信≠ニなったのだと私は拝見いたします。昨今は「メール」「フェイスブック」「SNS」と「文字伝達万能」の時代でありますが逆に「文字の暴力」「文字のイジメ」「文字のいやがらせ」と化している現状を見るとき、「お目にかかって、ゆっくり話しましょう」と教化された日蓮聖人の深いお心が四方八方に広さを持って伝わって参ります。そしてもう一つ、こちらの方が大事なのですが、面談の目玉である声なき声∞無言の人格≠アのことも日蓮聖人は、私たちに求めておられるのであります。共々に養って参りたく存じます。

■成佛への道は法華経しかありません
法華経の悟(さとり)と申すは易行(いぎょう)の中の易行也。只(ただ)五戒(ごかい)の身を押(おさ)へて佛因と云(いう)事也。五戒の我体は即身成仏とも云う也。 (戒体即身成仏義) 『八万四千の法門と伝えられている教主釈尊のみ教えの中で、法華経のみ教えだけが最も心安らかに悟り、大安心の境地(成佛)に至る道である。諸経が色々な条件をつけているのに対し、法華経は日常の戒め、たとえば、うそを言わない、暴力をふるわないと云ったことを守ることによって悟りの世界に入ることが出来る。このことを即身成仏、生活のままで佛の境地に至る、と云うのである。』
今回ご紹介しました日蓮聖人の御書、戒体即身成仏義は、御年21歳、仁治3年(1242)清澄寺に於いて著された若き学僧蓮長法師(日蓮聖人)の論文であります。ちなみに。この時日蓮聖人は鎌倉での勉学を終えられ、ここから学問の中心地、京都比叡山遊学に向かわれる中間にあたっておられ、建長5年(1253)4月28日の立教開宗に先立つこと12年ということになります。この時の日蓮聖人は、さまざまな条件のついた難行苦行のお経、娑婆は苦の世界だから死後十万億土の佛によって救われるしか道はないというお経ではなく、日常の正しい生活、例えば、うそをつかない。他人の物を盗まない。人を傷つけない。悪酒を飲まない。邪淫を行わない(五戒)と云った生活を行っていれば、特別なことを行わなくとも、自然に佛の道に入り、成佛する。(大安心の境地に至る)と説く法華経のみ教えこそがお釈迦さまの真実のみ教えであると結論づけられました。この結論の正しさを証明するために京都遊学は必要でありました。
ちなみにこの時代、京都に出ても人脈とお金のない人は僧兵から始めなければなりません。その点、日蓮聖人はお師匠様の導善御坊の人脈(その他もありました)、領家の尼とおっしゃる親戚筋の女性からの援助によって、横川の定光院(現在名)から学問のみの修行僧として12年間勉学に励まれるのです。この間、日蓮聖人は比叡山一山に止まることなく京都、奈良の諸大寺を訪ね勉強されました。求めることは只一つ。今生に生活したままで佛さまと同じ境地に至る道、それを説いたお経はないか。この一点だけであります。私が拝しますに、この時の日蓮聖人の頭には、先にご紹介した法華経第一ではなく、まったくのゼロからの出発であったであろうことであります。 しかし12年後『やっぱり法華経だ。加えて南無妙法蓮華経とお唱えすることこそが唯一の道である』と結論づけられます。今月ご紹介しました若き学僧蓮長法師(日蓮聖人)のよびかけが重さを増してくるのです。

■法華経に人生の全てのことが説かれてます
明けましておめでとうございます。平成二十八年が皆様にとって平穏、平安の年でありますよう、池上のお山よりお祈り申し上げます。当山八十三世の法灯を継承させて頂いた初めての年、決意を新たに精進して参ります。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄也。三世の諸佛は此の経を師として正覚をなり、十方の佛陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ(兄弟鈔) 今日の言葉で申しますと、『法華経というみ教えは、お釈迦さまが五十年間かけてご説法された八万四千ものご法門の中でも最も大事なことを説かれたお経であり、又十二部と言って、五十年間のご説法の内容を学問上・内容別に十二に別けたお経の中心根本の教えである。要するにどの方向から拝読しても法華経が第一であるということ。過去・現在・未来(これから佛の位にのぼられる方も含めて)の世に於いて、悟りを開かれ佛の位にのぼられる方はみな、この法華経を自分の先生として学び正しい悟りを開かれた。だからこの世の全ての佛さま方はこの法華経を只一つのみ教え、辿り着く悟りの世界として人々を導かれるのである。』
さて、年の始めにあたり皆さまにご紹介申し上げる日蓮聖人のお手紙は、当池上本門寺をご寄進なされた池上宗仲・池上宗長ご兄弟と、そのご夫人にお与えになられたお手紙の冒頭です。もう一つの念押しのところもご紹介させて頂きます。それは「法華経を経のごとく説く人に会い難し、法華経は尊いみ教えではあるけれども、その内容を正しく読み伝える人に会うことは大変に難しい。」  という本文中の一節であります。法華経が説かれて二千五百年、平成の今日でも独自の立場で法華経の解説をされる方がおられますし、日蓮聖人と同じ鎌倉時代の祖師方はみなお読みになられました。しかし「難しいから捨ててしまいなさい」又「悟りに文字はいらない」という祖師方の中で只一人日蓮聖人だけが『南無妙法蓮華経とお唱えなさい、これが法華経の神髄です。』とお説きになられました。それは「法華経はお釈迦様の真実の言葉(金言)である、説かれていることそのままに拝読すると南無妙法蓮華経のお題目となる」との日蓮聖人のご教示で「説の如く説く人に会うのは難しい」という先にご紹介したお言葉に繋がっているのであります。
結論です。法華経は尊いお経です。私たちの人生の生老病死の苦を全て救ってくださるお経であります。ですが読む人によってそれは大きく変わります。ある意味ではそれだけ難しいお経でもあるのです。それだけに私たち受ける側の勉強と信じる力が求められます。法華経は私たちの苦を全て救って下さいますが、それには南無妙法蓮華経のお力を信じ切り、身と口と心でお唱えすることが只一つの道、今年はこのこころで共にご修行いたしましょう。

■皆さん 悪友と悪知識には気をつけましょう
天台大師釈して云く「若し悪友に値へば則ち本心を失う」云々。本心と申すは法華経を信ずる心なり。失うと申すは法華経の信心を引き換えて余経へ移る心なり。経に云く。「然るに良薬を与うるに而もあえて服せず」等云々。 (兄弟鈔) 先月に続いて池上ご兄弟にお与えになられた御文章をご紹介致します。あて先は池上ご兄弟であり、ご教示の内容も池上ご兄弟への為のおさとしでありますが、現代に生きる私たちへのご教示でもあります。それでは私の理解の中で現代の言葉にしてご紹介致します。『中国の高僧天台大師が法華経を解説されて、仰せになられるには、法華経という教えは私たちの人生百般にわたって救済して下さるお経で、生涯離してはならない尊いみ教えであるけれでも、悪友(人生を迷わすことを目標としている悪魔の使い)に会って目先の甘い言葉に迷うと、たちまち本心を失ってしまうと警告されている。本心≠ニ言うのは、法華経を信じ、力強く生きることの出来る心のこと、失うというのは折角持っている法華経の力、み教えを捨てて余経、法華経以外のみ教え、仏教に限らず人を迷わす教え、享楽の教えに迷い込んでしまうことをいうのである。このことを法華経では毒に当たって苦しんでいる子供たちの為に父である優れた医者が、色・形・香り・味の良い薬を調合したのに子供たちは折角の薬を飲もうとしない≠ニ説かれているが、法華経以外の教えに気を取られてしまうということは、折角の良薬を飲まないのと同じこと、しっかりと心にすえて法華経、お題目を信じなさい。』
少々長くなりましたが兄弟鈔を私の言葉で紹介させて頂きました。良薬∞良薬は口に苦し∞忠言耳に逆らう≠ンんな忘れ去られた言葉になってしまいましたが、もう一度蘇って欲しい言葉の一つであります。と申しますのも今私の今申し上げているこの文章そのものが良薬≠ナあるからであります。今更、本稿で取り上げる必要も無いことでありますが、イスラムを名乗る殺人集団・テログループ、まさに悪友であり悪知識の塊であります。これほどでなくとも私たちの廻りには悪友、悪知識がウヨウヨとおります。かの振り込め詐欺、まさしく悪友・悪知識です。みんなわかっているのです。そして自分は大丈夫と思っているのです。しかし振り込め詐欺はなくなりません。悪魔の方が上です。又世界各地の争いに比べて日本は一見平和です。ですが孫が祖父母を殺し、同居の女が友人を殺し、ネットでの悪口、学校・会社でのいじめ、青少年の自殺、依然として無くならない路上生活者、町中に溢れる自己主張の嵐、徐々に進行している貧富の差、決して平和では無いのです。今日本は心の戦争の中におります。悪友、悪知識にはくれぐれもご注意なさって下さい。  
 

 

■池上のご守護神さま
世間の楽及び涅槃の楽を得、貧窮の衆生には福力を与え病ある衆生には良薬を与え、智なき者は智者と成し、短命の者は長命と成し、悪心の者は善心と成す云々。(大黒天神供養相承事) 今回ご紹介申し上げる日蓮聖人のご文章は池上兵衛志殿にお与えになられた大黒天神ご守護を説かれた御文の一説であります。ただし学問的には聖人のご文章と認められておりませんが、ご守護の善神のご守護の内容を詳しく示しておりますので、その内容に重きを置きお読み頂ければと思います。その前に大事なことを申し上げます。それは全てのご守護神は、南無妙法蓮華経の七字の大光明に照らされて初めてお力をお出しになれる。つまりご守護神は久遠の佛さま、法華経お題目弘経のお手伝いの役として、私たちをお守り下さっておられるのだということ、ご守護神さまにお願いする時はその後ろにおられる久遠の佛さま、お題目をしっかりと心に止めてお願い申し上げる。このことをしっかりとお心に止めておいて頂きたいと存じます。それでは私の現代語訳をお読み下さい。
「ご守護神のお力、救済のお力を具体的に申し上げると、まず日常生活に於いて平安であること、そして最終的には何物にも心を動かされることのない、大安心の境地に導いて下さること、金銭だけでなく心の貧しい人には豊かさを、病人には良き薬を、知識のない人には単なる学識ではなく、人生の智慧・佛智を与えて下さる、又短命の人には長命を、悪心の人には善心を与えて下さる。これがご守護神のお力である。」 池上のお山には長栄さま、大黒さま、日朝上人、清正公さまが奉安されており戦火を受けるまでは全てのお堂が在りました。色々なことがあり目下大黒さま、清正公さまが仮住まいであります。何時の日かお堂を建立させて頂きたいと願っているのは一人小衲だけではないと存じます。さて先号でも申し述べましたが、今の日本は心の戦争≠フ最中にあります。本稿を執筆中の一月末日にも池上と同じ大田区内で、三才の男子が母の愛人によって殺されるというニュースが報じられました。日本人は動物以下の人間に成り下がったとは識者の言葉でありますが、私はテレビのニュースを見ながら涙し合掌唱題致しました。池上本門寺では様々な文化活動や行事、人生相談を行い佛縁の絆の手を差し伸べております。信行会や唱題行を通してより深くお題目の心を知って頂く活動も行っております。そしてご守護神を通してこのご加護の祈りも行っております。これらの全てが心の戦争に対する防戦(よびかけ)と心得ております。この中の一つでもあの母親・あの父親・若い母親の内縁の夫そして母となる自覚の無いままに子供を持ってしまった母親、いや目下その渦中におられる男女に池上からのよびかけの声が届くことを希ってやみません。

■あなたは日本病にかかってませんか
汝早く信仰の寸心を改めて速やかに實乗の善に歸せよ。然らば則ち三界は皆佛國なり。佛國それ衰へんや。十方は悉く寶土なり。(立正安国論)かつて「イギリス病」という時代表現がありました。一九六〇〜一九七〇年にかけてイギリスが労働紛争、経済不振から人々は「マンネリ」「怠惰」「無気力」「自己中心主義」に陥ったことを表現した言葉であり、当時のイギリス全体を覆っていた「閉塞感」を打破するため「自信復活」の為になされた提言と受け止めるべきではないか、これは一人、イギリス人だけのことではない。日本だって油断すると、と強く感じ、このことを私はある教誌に書かせてもらいました。この古い言葉をほじくり出しましたのは、昨今の日本がこのイギリス病と同じ症状、情けない状況に陥っていると感じるからであります。安倍首相は「一億総活躍運動」を呼び掛けております。このことの裏を返せば日本国全体を覆っている「イギリス病」=「日本病」を何とかしたいということの表れと私は受け止めております。七百年前日蓮聖人は「汝早く信仰の寸心を改めて実乗の一善に歸せよ。」あなたが今持っている既成観念を改めて、本来持っているイキイキとした生き方、法華経的生き方に改めなさい。日本は佛の国、人々の心に佛さまの魂が宿っており必ず救われます。と呼びかけられました。私は日蓮聖人がもし平成の世におられたら、やっぱり同じことを呼び掛けられたのではないかと拝しております。
ちなみに安倍首相は「老人の働ける社会云々」ともおっしゃいます。ところがお役所は、収入のある老人に対し、あなたは収入があるからと言って「健康保険料の割り増し」「病院支払い三割」「年金のカット」等々収入の伴分近くを吸い上げています。これでは老人に働く意欲が出るわけがありません。私はこのことを実感してますので日本病の病菌≠フ一つはこれ「お役人の既成概念一辺倒。マンネリ」だナと強く思っております。又庶民にも困った保菌者がおります。老人のゴミ屋敷。切れる若者。言葉と文字の暴力。社会をおおういじめ気風。日本全体を覆う無力感、これらの一つ一つが日本病の病菌≠ナあります。病菌ですから菌は一人一人の心の中に在ります。そこでお考え下さい。自分はこの病菌に侵されていないかと。もしかかっているなと実感あるいは近くに保菌者がおられたらまず池上にお出で下さい。遠くの方は朗峰会舘にお泊り下さい。そして毎月第四金曜日夕方六時から七時半まで行っている、「本門寺大堂での法話と唱題行」にご参加下さい。一発で完治とは申しませんが生きる力≠必ず与えて下さいます。日本病の克服は池上のお祖師さまにお願いなさい、強くおすすめします。日本全体の救済は国民一人一人の救済からと日蓮聖人は言っておられます。

■青少年諸君 志を持とう
鳩、化して鷹となり、雀、変じて蛤となる。悦ばしいかな、汝、蘭室の友と交わりて、麻畝の性となる。(立正安国論) 『中国の古書、礼記集説に、ちゅうしゅん仲春に鷹が化して鳩となり、ちゅうしゅう仲秋に鳩が化して鷹となり、きしゅう季秋に雀が大水に入って蛤となる。ということが説かれているが、あなたが志を立て今までの生き方を改めるということは、この故事の示す通り、大なる成長の第一歩であり大変に悦ばしいことである。更に付け加えて言うならば、同じく中国の古書、孔子家語に志ある人と交わるということは芝が蘭の室に入ると久しくして自ずから芳しくなる。との教えのように、あなたが志ある人と交わるならば又自然に志を持つ人の人格を身につけるようになられるであろう。このことを更に例えて言うならば、麻の畑に蓬を植えると地にはう蓬が真直ぐに成長するようなものである。』
日蓮聖人は自分の意見を述べるにあたり、この事は自分勝手に言っていることではなく、先人の説・古代の書物の説を例としてあげ、ご自分の意見を述べるのを常としておりますが、今回も志を立てることの大切さを、古代中国の古書の説によって証明なさっておられるのです。このことを心におき耳をかたむけて頂きたいと思います。初夏五月、多くの若者が社会人として、学生として人生のスタートを切っております。当山にも四人の若者が上山しました。立正大学で四年間学ぶ者、大学を卒業後二年間の僧道教育を受けようとする若者であり私はその志に大いなる期待を持っております。彼等も含め、私は全ての若者諸君に志を持ちなさい≠ニ呼びかけております。そして必ず「志のある者、志を持って生活している者に対し、み佛・ご守護神は守って下さる。」更には「志ある者を助ける人(仏教ではへんげ変化の人と云います)が現れものである。」ということを付け加えております。さて今一度日蓮聖人のご教示をご覧下さい。鳩が鷹となると仰せです。現実的にはどう考えても無理ですが、鳩が鳩の姿のままで鷹のように大空を飛ぶ「志」を持つよう「変化」することは可能です。そして又ごくごく平凡な私たちが蘭室(高い志に生きている人)の人と交わりを持つことによって、自分も又志ある人のような立派な人間になってゆくことが出来ると仰せです。そして「志を立てる者は一人ではない」ということ。内容的には違っていても、必ず仲間がよって来るということです。その仲間とは友であり、同僚であり、学友と様々ですが、あなたの志を持つ姿に共鳴し寄って来るのです。あなたも又志を持つことによって、友の見方が変わってきます。「志は人を呼びますし、人を引き付けます。志は生きているのです。」新しい旅立ちをした青少年諸君、いやすでに歩み始めている諸君も「志」を持ち豊かな人生を歩もうではありませんか。

■法華経は 身読(実践)のお経です
法華経を余人の読み候は口ばかり、言葉ばかりは読めども心は読まず。心は読めども身に読まず。色心に二法、共にあそばされたるこそ貴く候へ(土籠御書) 「世間一般の人々が法華経を読まれるのは、経文を口から声に発して読むことはするが、心の奥底で感動を持って読むことをしない。一歩進めて心で読むことまではしても身に読む、経文の説かれていることを自らの行動で実践するという読み方まで深めていない。色(身体)心(精神)二法(双方共)に読む、全身全霊を注ぎ込んで読む。この読み方こそが真の法華経の読み方なのである。」
今月ご紹介申し上げた土籠御書は、文永八年(一二七一)日蓮聖人ご自身が佐渡ご配流という極限の状態にありながら、お弟子の日朗聖人方が鎌倉の土籠に在ることを労わられてのお手紙であります。日蓮聖人は 「日蓮は明日佐渡の国へまかるなり。今宵の寒さにつけても籠のうちのありさま思いやられていたわしくこそ候」とお述べになられ、ご自身が置かれているお立場の厳しさを越えてお弟子の身を案じておられる聖人の御心をまずご理解下さい。その上でご紹介の一文をお読み頂きたいのです。お弟子の方々は何の罪も犯しておられませんが、お師匠様共々法華経を信じ全ての人々の平安、立正安国(法華経の精神で個人・家庭・社会・国家の平安を祈る)の精神を説いたことによる入籠です。(幕府は気に入らず政治犯にし罰したのです)このことを日蓮聖人は真の法華経の実践、法華経の色読と仰せになられてのであります。この時から七百五十余年の後に生きる私たちにも「法華経の色読」が求められております。と申しましても平成の今日、人々が幸せになる道を説いたからと言って罪を受けることではありません。ですが今度は人々が耳を傾けて下さるかどうか、又強い反論が待ち受けているという別の「難」が待ち構えております。では私たちが法華経を「身読」するにはどうすれば良いか。「身読」の実例を申し上げること沢山ありますが、一例のみを申し上げますのでお汲み取り頂きたいと思います。お山では毎月第四金曜日の夜六時から「法話と唱題行の会」を行い百余名の方々がご参加下さり「安心した」「心が晴れた」皆様悦んで下さっております。お題目のお力(法力)お祖師様のご加護(仏力)そして参加の方々の唱題(信力)これが一体となっての結実であります。ここでご自分が「よかった」で終わってはお題目の真のご加護は頂けません。一人でも他の人にこの悦びを伝え、その方々にも法華経の悦びを分け与えてあげる。ここまで行ってはじめて法華経を体で読む「身読」になるのです。言論の自由が保障されている現代、私たちの出来る「身読」を私はこのように拝受しております。どうぞあなたの「ひと声」をお待ちしております。

■魚の子は多けれども
魚の子は多けれども魚となるは少なく云々。人も又此の如し、菩提を発す人は多けれども退せずして、実の道に入る者は少なし(松野殿御返事) 「魚は一度に沢山の卵を産み落とし、孵化して、稚魚となるけれども一人前に成長するのは数パーセントとという少なさである。多くは他の魚の餌となってしまうのである。人も又同じである。志を立て佛の道(佛道修行)を学ぶ者は多勢いるけれども、途中で挫折せず最後までやり遂げる者は少ないのである。佛の道を志す人はこのことを心中深く止めておくべきことである。」
私は昭和四十四年から足かけ四年お山の布教部に在職、池上誌の担当・信行会・朝がゆの会・学僧の指導等々、発足間もない布教部(当時は文化部と言ってました)の一員として出来ることは何でも勤めておりました。当時の金子貫首さま、酒井執事長(後の酒井貫首さま)のコンビは史上最強でした。私たち若い山務員にとっても仕事の上では厳しかったですが、それだけ全力投球出来ました。そんな中で私は一人の若いサラリーマン男性の信者さんと親しくなったのです。Aさんとのみ申し上げますが、信行会・朝がゆの会に参加されたのが佛縁の始まりで、人生・信仰・お題目を語り合う仲になるまで時間はかからなかったと思います。当時私は浅草の妙音寺さんの岡崎上人と一緒に毎月四日唱題行と法話の会を開いておりました。(ちなみにこの会は今でもご子息が受け継がれ、毎月行っております。)そこにもAさんは出席され、更には私が主催しておりました梅森講という七面山登詣の会にも参加して下さいました。(もう一つの佛縁、当山の岩田経理部長さんも一緒に登詣した仲です。ですからお山の為にご夫婦で協力して下さっております。)私はその後、日蓮宗宗立谷中学寮々監に就任、お山を退職、住所も台東区谷中に移り約三十年間寮監職と住職、大学の非常勤の講師をする等々の為に心ならずもお山から離れており、Aさんとも疎遠になっておりました。あれから四十年。私がお山に戻り「法話と唱題行の会」を開催、しかし内心は参加者がいるかどうか、十人いや二十人来て下さるかとビクビクものでしたが、一月二十二日第四金曜日午後六時、大堂下大広間に行ってビックリ、百人を超える参加者、私は合掌、目に涙でした。そんな私の背中に軽く触れる人、振り向いてビックリAさんでした。「お上人、いや貫首さま待ってましたヨ」私は二度ビックリ今度は涙ボロボロです。Aさんは唱題行の会に毎月参加されてますが、目立つこと無く特別に私との縁を吹聴することなく、一会員としてごくごく普通にご修行されてます。もちろん当山の他の会にも「そ〜と」参加され、ご自分の修行をしておられます。日蓮聖人は「水の流れの如き信心」をおすすめになられましたが、Aさんの信仰はまさにこのことであります。四十年前に入信した一人の若き信仰者が「退せずして実の道に入っている姿」を私はAさんの上に見るのです。  
 

 

■人は善根を なせば必ずさかう
花は開いて果となり、月は出でて必ずみち、燈は油をさせば光を増し、草木は雨降ればさかう。人は善根をなせば必ずさかう(上野殿御返事) 「花は開いて自然の惠みを受けて果(実)を成らせる。月は欠けても必ず満月となる。灯は油をさせば光が増す。草木は天の慈雨によって成長する。これは天地自然の習わしである。人の一生も又同じである。善根(良い行い)を積めばその結果として必ず栄えるのである。」
現在の静岡県在住上野氏が身延山の大聖人に度々供養の品をお届けされており、この御文はお礼を兼ねてのおさとしと善根功徳のご教示であります。さて八月はお盆の月です。と申しましても池上は七月にお盆の行事を行っており、お盆は七月の感が強いのでありますが、日本全体で見ますとやっぱりお盆は八月。の感を強くするのは一人私のみではないと思います。そしてもう一つ、お盆は亡き人々の思いが巡ってくる尊い時でもあります。私事ですが、八月のお盆になりますと走馬灯のように亡き方々の姿を思い出します。その中でM老夫人のお姿と言葉は私の信仰の柱としての思い出であります。私は中学一年で出家、高校卒業まで北海道小樽市の妙龍寺伊藤師匠のもとで佛道修行に励み、僧侶としての道を教えて頂きました。昭和三十二年立正大学入学を許可され、上京すると決まった時、お檀家のM夫人は私にお餞別を下さりながら「亮さん(私の幼名)受けたご恩は忘れるんでないよ。そして坊さんは徳を積まねばだめだよ。人に慕われる坊さんになんなさいネ」と懇々とさとして下さり私の目をじっと覗かれたのです。あの声・あの目が八月のお盆に蘇ってくるのです。そして私は反省します「私は恩を忘れていないか」「私は慕われる坊さんになっているか」と。
合わせてもう一つ思い出します。M家は日蓮聖人のご教示そのままのお家だった、昔も今も。このことであります。M家は資産家で市の重要な役をつとめられつつ、お寺の世話人をやっておられ、人の面倒見の良いことで知られておりました。M夫人が私に言って下さったことは一人私だけでなく、他の人にも同様に伝えM家自身でも守っておられました。お子さんは三人、私とは今も交流がありご長男は大学の先生、ご次男はエンジニヤ、ご長女は校長先生夫人、そしてそれぞれにお孫さん。平凡ですが平穏な温かいご家庭を築いておられます。重要なことはそれぞれが「父母、いやご先祖のおかげです。」と必ず口にされることです。お伝えしたいことはM家の教えはお子さん方もきちんと守っておられる、ということであります。日蓮聖人は上野氏の御書で「人、善根を積めば必ずさかう」とご教示下さいましたが、私はM家ご一家にその姿を見るのです。そして更に一歩すすめて「さかえ」た人々が「感謝している」この事に日蓮聖人のご教示の深さを感じるのであります。

■日蓮は泣かねども 涙ひまなし
鳥と虫とは鳴けども涙おちず。日蓮は泣かねども涙ひまなし。この涙世間のことには非ず。ただひとえに法華経の故なり。若ししからば甘露の涙とも云っつべし。(諸法実相抄) 「鳥も虫も鳴き、さえずることによって自分の存在を知らしめようと努力している。しかしどれほど鳴いても涙を出すことは無い。私日蓮は鳥や虫のように声を出して鳴くことは無いが、涙は止まることなく流し続けている。この涙、世間で云うところの喜怒哀楽の涙では無い。法華経に出会い、釈尊の真実の教え、真意を悟ることの出来た悦び、法に生き法に生かされている法悦の涙、この法によって末法万年、闇の世界から人々を救済することの出来る歓喜の涙、これが私の涙なのである。」
十月は今更申し上げるまでもなく、宗祖日蓮大聖人第七百遠忌御会式の月であります。今年は第七百三十五遠忌に正当いたします。お山では八月お盆が終わるやいなや御会式に向けての準備が始まっております。かく言う私も九月十八日大坊さんの「入山会」をかわきりに御会式行事の開始でありますが、それら行事を一つ一つ全力でおつとめさせて頂いて、思い来ることは日蓮聖人の「衆生への思いの深さ広さ」であります。今回ご紹介いたしました御文章「諸法実相抄」は文永十年(一二七三)佐渡一谷でご撰述、お与えになられた方は天台宗の僧侶で宗祖と同じく佐渡に配流になっていた最蓮房にお与えになられたお手紙の一節であります。最蓮房は日蓮聖人の教化に触れ、日蓮門下の一人となられる方であります。ただ本書のご真蹟は遺っておりません。ですがその内容が法華経修行者の根本精神をお説きになっておられることから、日蓮聖人真実の教えの御書と拝されております。さて法華経の一々文々を表面だけ拝読しても南無妙法蓮華経の七文字は出て参りません。それを末法という時代に上行菩薩という方を使いとして遺された、という法華経神力品のみ教えを金言として受け止められ、上行菩薩というお立場で法華経如来寿量品を読まれた時、是好良薬今留在此「今この良薬をここに留めておく」の文の底に隠されていた、南無妙法蓮華経の七文字が顕れ、このお題目を受持することによってこれから先、末法万年の衆生が救われる。このことに至った時日蓮聖人は、お釈迦様の広大なお慈悲のみ心を悟られ、上行菩薩というご自覚、その大役の重さ、そして自らに与えられた佛縁のありがたさに涙を流されたのであります。このような境地に立って世間の人々の喜怒哀楽の涙が鳥と虫の鳴き声であり、何とかして真実の教え南無妙法蓮華経の世界、佛法の喜び法悦の世界に触れさせてあげたい。この願いに自らの身を置かれると涙はひま無く流れ落ちてくる。今月のご文章はこのことを述べておられるのであります。
(衆生へのまなざし∞よびかけ∞思いやり)。

■異体同心なれば 萬事を成ず
異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶う事なしと申すことは、外典三千余巻に定まりて候云々。一人の心なれども、二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。(異体同心の事) 「異体同心といって身は異なっていても、その精神・目指すところが一致しお互い協力し合っているならば物事は必ず成功する。然しこれと反対に同体異心といって、一つの体・一人の心であっても心が二つ・三つに動き乱れ、精神が統一されていない時は、何事も成就しない。このことは私日蓮の言葉では無い。佛教には勿論(もちろん)のこと外典即ち佛教以外の書物、儒教の書物の数多くにこの事が説かれ、さらに付け加えるならば歴史上の事実も沢山ある。つまり一人の人であっても二つの心・目的とする事の精神が定まらず、あれこれ乱れ、迷いを生じていては何事も成就しない。それに対したとえ百人・千人の心であっても、目的が一つに定まっていれば何事も成就するのである。」
弘安二年(一二七九)四月、熱心な法華経信者であった静岡県富士郡熱(あつ)原(はら)の豪農、神四郎兄弟が他教徒の讒訴(ざんそ)にあって殉教、他に十名もの信徒が入獄、その後、許され放免されると言う一大法難(熱(あつ)原法難(はらほうなん)と言います)の時に日蓮聖人自ら筆をとってお示しになられたのがこの御文章であります。この故をもって「異体同心」のご教示は私たち日蓮聖人門下の者にとり欠くことの出来ない最重要の「み教え」であります。いや門下に限らず人生百般物事を成そうとする者、志を成就しようとする者にとって欠くことの出来ない大事なみ教えでありますこと、言を待ちません。加えてこのみ教えには、先にも述べておりますように「同体(どうたい)異心(いしん)」というみ教えも含まれております。一人の人があれもこれもと目標を立てたり、あるいは一つの事を成ずるにあたって、あれこれと迷い目的に対して心が定められない状態の事を言いますが、これでは事が成就するわけがありません。この事は一人個人に限ったことではありません。一つの家庭にあっても同じであります。家族がバラバラでは何事も成就しません。会社・学校・地域社会・日本国・世界にあっても同じことであります。このことを「異体異心」と申します。各人が自分だけの事を願い、転々バラバラの状態を言います。今日の日本、世界がまさに「異体異心」の状態に在ること明白であります。かと言って、指をくわえている訳には参りません。日蓮聖人のみ教えを信じ、お題目をお唱えする私達日蓮聖人門下の成すべき事の第一は「お題目への異体同心」このことであります。お題目を口でお唱えし、心(意)でお唱えし、体(身)でお唱えする(身・口・意の三業受持(さんごうじゅじ)と申します)異体同心の根本はこのことにあります。来る十月十三日は宗祖日蓮大聖人ご入滅七百三十五遠忌、まずお題目を唱え唱えて唱えきる「唱題行」をもって鴻恩に報じさせて頂きたく念じております。

■瞋(いか)りの杖を捨(す)てよ
汝、佛にならんと思わば慢のはたほこを倒し、瞋りの杖を捨て偏に一乗に帰すべし。名聞、名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり ああ、恥ずべし恥ずべし、恐るべ恐るべし。(持妙法華問答抄) 「そなたが佛さまと同じ境地、大安心の境地に至り、諸の苦悩から脱っしたいと希(ねが)うのであれば、まず「おれが、わたしが」というおごり、高ぶり、わがままの気持を捨てるがよい。もう一つ、自分の思うようにならぬからと言って瞋(いか)る、その心も捨て去ることである。そしてただひたすら法華経を信じ、お題目を至心にお唱えする。唱題受持の生活を持ちなさい。これが佛の境地に至る唯一の道である。思うてみよ、短いこの生での出世や地位の向上などと云うものはこの世のひとときの飾りに過ぎない。又自分の我を通そうといくら瞋りの声をあげたとしても、それは他の人との争いになるだけ、いや死後にまでも引きずりこむ苦悩となるだけである。このような将来の苦の因をつくる行為をしてはならない。世の人々はこのことに気づかず目を瞋らし、手を振り上げているが、なんと恥ずかしいことであろうか、将来を思うとまことに恐ろしいかぎりである。」
いかり・むさぼり・おろか、佛さまはこの三つの心のことを私達が陥りやすい心、物事の判断を狂わす心、三つの毒と仰せになり常に心に止めておくようご注意なさっておられます。そのご忠告を日蓮聖人はご信者の人々に佛道修行の大条件とてして遺されました。今月ご紹介申し上げる「持妙法華問答抄」は先に申し上げた三毒を初めとして、佛教の根本理念を優しくお説きになられた御書として、そのみ教えは大切に伝承されてきましたが、残念ながら日蓮聖人のご直筆は遺されておりません。しかしながらその内容の深さから一般檀信徒にお与えになられた御文として今日まで伝えられております。「瞋りの杖を捨てよ」今の日本人、平成に生きる私達へのぴったりのご忠告であります。と申しましても、かく言う私自身宗立学寮の寮監でありました時、学生諸君から「瞬間湯沸器」というあだ名をもらい、今日でも卒業できずにいる私としましては少々、いや多分に気が引けるのですが、自戒を含めてのこととしてお読み頂ければと存じます。先師のご教訓に「叱るべし、怒るべからず」というみ教えがあります。その心は人は教えられて成長してゆくもの、その教えの中で叱ることは大事な教育条件の一つである、叱ることによって相手は成長してゆくものである。それが怒るに変わると自分の感情が入り、大切な教えを見失ってしまうのである≠ニいうことであります。改めてこのみ教えを親子・家庭・学校・社会等々に当てはめてみますと怒るの方が多いように感じるのは私一人でありましょうか。そして怒る≠恐れて叱る≠ワでを失ってしまっているのでは、とも思い至ります。み佛、大聖人のご教示の深さに合掌致します。

■法華経の文字 生身の佛となる
佛は法華経を悟らせ給いて、六道四生の父母の孝養の功徳を身に備え給えり。此の佛の御功徳をばを信ずる人にゆずり給う。例せば母の食す物、乳となりてを養うが如し云々。法華経の文字は、みな生身の佛なり。我等は肉眼なれば文字と見るなり。(法蓮抄) 「み佛は、真の教えである法華経をお悟りになられて、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道の六つの迷いの世界)と、四生(母の胎内から生まれる胎生・卵から生まれる卵生・虫などのように湿気のある所から生まれる湿生・天人のように過去の因縁によって変化して生まれる化生)の生類、などこの世の全ての父母として孝養を尽くされたお慈悲のお功徳を、その御身に備えておられ、そのお功徳を法華経を信ずる人に譲り与えられるのである。譬えて言うならば、悲母の食事が母乳となって幼児を養うのと同じである。更に述べるならば、法華経の文字は一文字一文字が生きておられる佛さまのお姿をしておられるのであるが、我等凡夫の眼からはただの文字としてしか見えない。(だが、法華経を信じて悟りの境地に至った人は、この文字を佛さまとして拝見することが出来るのである。)」
平成二十八年、今年の結びにあたり、日蓮聖人がお示し下さった祈りの根本≠ご紹介させて頂きました。「法蓮抄」とございますが、法蓮入道に与えられたお手紙であります。現代の千葉県市川市大野に在住。聖人の母方の従兄弟に当たり、入道されて聖人から法蓮日礼という法名を与えられます。夫人も蓮華尼と法名を授けられ夫婦揃っての法華経信者でありました。この法蓮入道が亡き父君の十三回忌に当たり、ご自身で法華経五部(二十八章を五回)拝読されたと報告しつつ、大聖人のご回向もお願いされたことへの御返事がこのご文章であります。法華経一文字一文字が佛さまである。このことをお経では「一々文々是真佛(いちいちもんもんぜしんぶつ)」とお説きになっておられますが、私達凡夫がお経をあげても文字を拝読しているだけですが、佛さまの目からご覧になられると、一文字が一人の佛さまとなって供養されている。大聖人は法蓮入道の佛事を通して、来世の私達に供養の心∞祈りの根本≠お示し下さっておられるのであります。私事ですが、私は母を大学三年の時に亡くしました。四十九日まで故郷礼文島で供養して上京、学校に出ましたら恩師茂田井教享先生(立正大学名誉教授・本山堀之内貫首)が同級生二十人余りをご自坊に招いて下さり母の回向をして下さり、かつ奥様が手料理をご供養して下さいました。私は感謝の涙、涙でありました。その席で先生はこの法蓮抄の話をして下さり「菅野君のお母さんは二十余人の諸君が拝読した法華経の文字の数の佛さまに囲まれて、ご供養を受けられておられるのだヨ。」と仰って下さいました。私は先生のお言葉に救われ、母の成佛を確信、僧侶として生きる事、このことを生涯語り伝えてゆく布教師になろうと誓ったことでありました。母を送って六十年、この誓い、この祈り今も変わりません。  
 

 

■人を善く成す者は強敵なり
釈迦如来の御為には、提婆達多こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに、人を善く成す者は、方人よりも強敵が人をば善く成しけるなり云々。日蓮が仏に成らん第一の方人は景信、平左衛門、守殿ましまさずば、いかでか法華経の行者となるべきと悦ぶ。(種々御振舞御書) 平成二十九年の新春を寿ぎ十方有縁の皆様のご平安を心よりお祈り申し上げます。さて、今月の聖語でございますが、『法華経提婆進多品第十二章に於いてお釈迦さまは自分が悟りを開き、人々を救済することが出来たのは、私の布教をさまたげた提婆達多のおかげである≠ニおおせになっておられる。ちなみに善知識とは自分に善き教え、方法を教えてくれる人のことである。このことを今日の世相に照らし合わせてみると、人を大成させるのは、甘い言葉でほめそやす人よりも反対意見や敵対する人が居ることによって大きく成長するのである。かく言う日蓮も景信(小松原の法難)平左衛門、北条時宗(龍口法難)らの迫害によって法華経の行者としての確信が持てたのだ。と私は悦んでいる』
今月ご紹介申し上げている「種々御振舞御書」は文永八年(一二七一)十一月一日、佐渡島、塚原三昧堂、極限のご生活の中で、今自分が受けているこの苦しみこそが法華経の行者としての確証であると確信なされ、法悦の中でおしたためになられた聖人魂魄の御書であります。平成二十九年、年始にあたり、お釈迦さま、日蓮聖人の善知識観をご紹介いたしましたのは、このことは平成の乱世に生きる私達への励まし、激励であると私は拝受しているからであります。今更申し上げるまでもなく、私達の人生は難多く、楽の少ないものであります。一口に難と申しましても受ける人の機根(佛教的生き方)によって大小深浅があり、一人の人にとって大難であっても他の人にとっては小難、いや難では無い、無難である場合もありましょう。と申しましても佛さまの眼からご覧になられては全て我欲≠ゥら出たもの、我欲≠ニいう元を断てば…。のご教示。でも私達凡夫の立場から言わせて頂けるなら「我欲と分かっているのですが」という言い訳が聞こえてきます。そこで今月の聖語のご教示善知識と受け止めなさい≠ご紹介申し上げた次第であります。「あの何でも反対論者がいなければ、ではなく、あの反対論があったから自分は最善の道を選ぶことが出未だと受け止めなさい。その人はあなたにとって善知識である。」と。もう一つ大事なことをお伝え致します。日蓮聖人は影信、平之左衛門たちについて「法華経の行者を証明するために悪役を引き受けられた。このことに感謝し成佛を祈ってやらねばならない。」と仰せであります。善知識と受け止めるにはここまでの領解(佛教的理解)が必要なのであります。

■冬は必ず春となる いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえれることを
法華経を信ずる人は冬の如し、冬は必ず春となる。 いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえれることを。 いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫なることを。(妙一尼御前御消息) 『法華経を信じ、お題目をお唱えしている人がもし人生の苦難に遭われたとしたら、季節の冬であると受け止めなさい。冬の後には必ず春がやってくる。古来冬から秋に逆戻りしたことはない。それと同じように法華経を信じ切り、本当の信仰者となった者が元の凡夫、我欲、執着にまみれた世界に逆戻りした例も無いのである。』
健治元年(一二七五)五月、日蓮聖人五十四歳身延山に於いて熱心な信徒の一人、妙一尼から御衣のご供養を頂かれたことへの御礼と妙一尼が夫を亡くされたことに対するお慰めのご文章の一節であります。妙一尼という方は鎌倉武士の妻でありましたが、夫は幼な子を遺して亡くなってしまい、所領も無くなるとい困難の中で法華経、日蓮聖人を信じ強い信仰生活を守った方であります。伝承として日蓮聖人第一のお弟子・日昭聖人のご母堂であり、日蓮聖人が佐渡や身延山にいらっしゃった時に、物品だけでなく身の回りの世話をする者まで遣わせるという外護の方でもありました。先にも述べましたが、この時妙一尼は夫を亡くし、幼な子抱えての生活という、人生の苦難の中におりました。この妙一尼に日蓮聖人は「冬は必ず春となる」と励まされたのです。この励ましによって尼は子を育て、信仰者としての人生を全うされます。さて今月ご紹介申し上げました日蓮聖人のご教示について、私達凡夫の身に当てて拝受致しますとき、私はこのように思います。よく「苦しい時の神頼み」と批判される方がおられますが、私は違うと思います。苦しい時だからこそ一生懸命に心の底から祈るのです。この祈りは本物です。ご守護神に通じないはずがありません。ただ忘れてはならないのは、事が成就した時に「その時の祈りの気持ち」を忘れずに持てるかどうか、ということであります。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」であってはならないのであります。人生に苦はつきものです。祈って祈って、お題目を唱えて唱えきり、ご加護を頂きましょう。

■死骨に魂やどる
法華を悟れる智者、死骨を供養せば即法身、是れを身という。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて彼の魂を変じて佛意と成す。成佛是れなり。(木絵二像開眼之事) ご紹介しました日蓮聖人の御文は文永元年、日蓮聖人四十三歳の時、篤信の鎌倉武士、四條金吾殿にお与えになられたお手紙の一節であります。内容は金吾殿が木造のお釈迦様のご尊像の開眼供養のお願いをなされ、そのご尊像の入魂(生身のお釈迦さまとなられる)にあわせて「人の死骨にも魂の宿る」ことのご教示をなされた大変重要な御文章であります。
さて昨年六月、「都内のあるお寺さんが大々的に行っている、宗派を問わずお骨を預かる行為は宗教とは認められない、単なる保管業であるので課税すると税務署が判断した」と新聞が報じておりました。「お骨に三万円を付けて宅急便で送ってくれれば預かる。」というお寺さんもありますがこちらはどうなるのでしょう。海や山にお骨を捨てる業者もおります。(散骨などと言っても事実は事実です。)知人が集まりお酒を飲んで食事をし、食事葬というのを行う人もおられます。こういう方々に知って頂きたく、日蓮聖人のご教示をご紹介させて頂きました。都内の日蓮宗寺院での実話です。警察からの依頼で持ち主不明のお骨(多くは公園や川の土手に置きっ放し・捨てた?)を永年預かってきたが、お堂の改修に合わせて一部分を納骨堂とし、そこの一角をこの方々の場所と定めて布や壺を浄め、毎朝一巻の読経・唱題をしていたところ、初老の夫妻が訪ねて来て探し当て「母が新しい着物を着て夢枕に立った。びっくりして探しに来た。」 この話を私は教え子であるそのお寺の山務員から聴きました。彼は四十余人の方々のお骨を浄め、お経をあげているのにたった一人しか訪ねて来ない。どうしたら後の人に届くか。と言って私に相談したのでした。私は即座に『全部届いてる。でも受け止める方が酒を飲んで寝込んだりして聴く耳を持っていない、本当に守る人がいない、等々の理由があるだろうけど、僧侶の側からするとお一人でも訪ねて来た事実はお経・ご供養は必ず届くものである、との証明であるから今後は自信を持ってご供養なさい=xと諭したことでした。まさに死骨に魂が宿っているのであります。今月はお彼岸の月。ご先祖さま・恩人・知人にご供養のまことを捧げる好期であります。

■佛道に入る根本は信をもって本とす
夫れに入る根本は信をもって本とす。五十二位の中には十信を本とす。十信の位には信心初なり。たとい悟りなけれども信心あらん者は鈍根も正見の者なり。たとい悟りあれども信心なき者は誹謗闡提の者なり。(法華題目抄) 『佛道修行に入る第一番の条件は、み仏を信じ、み仏のみ教え(経典)をみ仏のお言葉(金言)に絶対の信をおく、強い信仰心である。先師が示された仏道修行者が学ぶべき道すじ(道程)に五十二番までの順番がつけられているが、更に細かくわけた種類の信仰心の第一に信心≠フ位が第一にあげられている。それほど信心≠ヘ大切なのである。たとえば、経文上の意味や理義をわきまえ悟ることが出来ないにしてもみ仏を強く信じきる信仰心さえあるならば、その人は正見(仏さまの物事の見方)の位に住する者なのである。これに反して、如何に知識や表面上の学問に秀い出で、経文の道理に達っしていても、信心の一点において欠けているならば逆にその人は法を謗り、不信(仏法を信じない)邪見(邪な考え方)に堕ちてしまっている者なのである。』
今月のご紹介申し上げました日蓮聖人の御文、法華題目抄は文永三年(一二六六)正月、聖人四十五才、清澄山でおしたためになられました。そのお相手は聖人の母君か、光日尼。(又は安房在住で、信仰心篤い女性の信者さん)であったと伝えられております。大聖人は仏道修行に於いては信仰心、信じきる心が一番大事であると説かれております。信じきるとは第一にみ仏のお慈悲を信じきること、第二に法華経、お題目のお力を信じきること。第三に自分の心の奥底に在る仏さまと同じ安らぎの境地に至ることの出来る仏性(仏になれる力)の在ることを信じきりなさいとお説きになられておられます。もう一つ大聖人は以信代慧(信仰心をもつことによって智慧の境地に至ることが出来る)ともおおせになっておいでであります(四信五品鈔) 一般的に佛教は智慧・悟りの宗教である≠ニ言われており、日蓮聖人のご教示と異なるように思われるかも知れません。では智慧とは何でしょうか、智慧は知識ではありません。佛の智慧、佛智のことで、決して一般的学問や一般的知識の世界のことではありません。この世の全てを見透し、悟られた佛智、佛さまの智慧、おさとりのことで在ります。かと言って経文の学習や修行法を学ぶことを否定するものではありません。否定はしませんけれども、その根底に信≠ェなければならないとのお示しであります。これが智慧、佛智であります。江戸時代の国学者平田篤胤は法華経は薬の能書き≠ニ批判されました。信なき知識のいたるべき処と私は受けとめております。

■明かなること日月にすぎんや 浄きこと蓮華にまさるべしや
明かなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべしや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華と名く。日蓮又日月と蓮華との如くなり。信心の水すまば、利生の月必ず応を垂れ、守護し給うべし (四条金吾女房御書) 「法華経というみ教えは譬えてみれば太陽と蓮華である。万物を見るには明かりが必要であるが、それには太陽の光が最も優れている。蓮華は泥沼に生息しているけれども、その泥にけがされることなく清らかさを保っている。清らかさ、気さにおいて蓮華に勝るものはない。この二つのこころを表して妙法蓮華と言うのである。私、日蓮の名も太陽と蓮華のこのこころから拝受したものである。この名は私の人生。信仰生活そのものである。そのような尊いみ教えであるから、法華経を信ずる者は必ず御守護神がお守り下さっているのである。」 今月ご紹介申し上げております「四条金吾殿女房」というお方は、その名の示す通り日蓮聖人第一のご信者、四条金吾殿の奥さまのこと。ご夫妻そろって大の法華経信仰者でありました。そう言うご夫妻だからこそ、大聖人は御自らのお名前の由来をお説きになられたのであると拝します。
日蓮聖人の御名には先に示された二つのこころの象徴。法華経如来神力品に説かれている「日月(にちがつ)の光明(こうみょう)の能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除(のぞ)くが如(ごと)く、斯(こ)の人(ひと)世間(せけん)に行(ぎょう)じて能(よ)く衆生(しゅじょう)の闇(やみ)を滅(めっ)す」(太陽の光が世の暗闇を除くように自分も又人々の心の闇を除く人となる)というご教示のこころが示されております。このことは聖人の御名前のかわり方を拝することによってよく理解することが出来ます。聖人は幼名を善日丸(ぜんにちまる)(麿(まろ))、清澄に上山して藥王丸(やくおうまる)(麿(まろ))出家得度して是聖坊蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)と名乗られ三十二才の時立教開宗の宣言をなされた時、つまり神力品の実践を誓われた時に日蓮とお名乗りなされました。 それだけではありません。この日、父君には「妙日」母君には「妙蓮」というおん名前をお授けになられます。見方をかえますと「日蓮」の御名前はご両親から一字づつをいただいたお名前であるということでもあるのです。この尊いみ教えを伝統として私ども日蓮宗僧侶は「日号」を名乗ります。ちなみに私は「日彰」と名乗っておりますが、父母からつけていただいた名は「亮」でした。中学二年の時伊藤啓昭師匠について出家得度「啓淳」と改めました。師匠から「啓」の字を、父栄淳から「淳」の字をもらってのことであります。平成十七年本山海長寺の法灯を継承して「日彰」として戸籍上も三度にわたって改めました。裁判所でもこの「改名」は認めてのことであります。大聖人のように自らの名の通り行動し、佛天のご加護がいただけるか、生涯の課題であります。名はその人の体(人生)を表すと申します。読者の皆さまは如何でしょうか。  
 

 

■病は佛の御はからいか 病によりて道心おこり候か
入道殿御所労の事、云々。法華経に閻浮提人病之良薬とこそ、説かれて候へ。入道殿閻浮提の内日本国の人なり。しかも身に病をうけられて候云々。この病は佛の御はからいか。その故は浄名経、涅槃経には、病ある人、佛になるべきよしと説かれて候。病によりて道心おこり候か。(妙心尼御前御返事) 「ご主人入道殿ご病気のよし、さぞご心配のことでしょう。法華経には佛法の世界、娑婆世界で佛の教えを信ずる人が病気になった時、必ず良薬をとどける≠ニ説かれているが、入道殿は教えの中の人、日本国の人であるその人が、病気になられたのだから、この良薬を与えられ、病が治らぬはずはない。この事は浄名経の中で維摩居士が病は仏弟子の自覚を持って治ること。涅槃経ではお釈迦さまが病気でないのに病気の形をとられたことが示されている。これらのことを考えて、病気を佛縁ととらえられること、病気は法華経信仰の入り口と受けとめらるるよう、入道殿におすすめなさい」 今月ご紹介の妙心尼と言うお方は静岡県在住の尼さん、と申しましても今日的尼さんでなくご夫婦揃って信仰生活に入られた方ということです。ですから夫は入道殿、ご夫人は尼と申されるのです。ご主人の病気、その苦しみを法華経お題目によって乗り越えなさいという励ましのお手紙であります。
「閻浮提」とは古代印度の世界観で、我々の住む人間世界、娑婆世界のこと。「良薬」とは南無妙法蓮華経、お題目のこと。「浄名経」とは「維摩経(ゆいまきょう)」とも言い、維摩居士のために説かれたお経で、居士は在家の佛弟子ですが大乗菩薩としての行いをなされた方です。居士が病になられたのでお釈迦さまは、文殊菩薩をお見舞に向かわされ、お二人の会話が説かれているお経が「維摩経」であります。居士は一切の衆生病むが故に我も病む≠ニ説かれております。「涅槃経(ねはんぎょう)」はお釈迦さまのご入滅の相(すがた)を説かれたお経で偉大な完全な寂滅≠示すことが主眼ですが、もう一つ如来常住、佛は常に在られる∞悉有佛性、生きとし生ける者全てに佛性がある≠ニいう法華経の教えにつながる大事も説かれております。  一つの実例をもってご説明させていただきます。池上では毎月第四金曜日夜六時から大堂、お祖師さまの前で、唱題行≠行っておりますが、ここにMさんご夫婦が参加されています。M夫人は熱心な信者さんでしたが、ご主人は仕事一筋、信仰は女房まかせが口癖でした。三年前男性特有と言われる前立腺ガンを発病、即手術。この時からご夫人と一緒にお題目をお唱えするようになられます、口癖は『貫首さん、私はガンで救われましたヨ、ガンのおかげで人生の尊さ、信仰、お題目のありがたさ、家族、夫婦のありがたさを知る事が出来ました。これからが私の本当の人生です。立派に生きますヨ』 夫婦揃って合掌唱題する後ろ姿に私は合掌しております。

■卒塔婆にも 法華経の題目を顕し給え
去ぬる幼子の娘御前の十三年に、丈六の卒塔婆を立てて、その面に南無妙法蓮華経の七字を顕しておわしませば、北風吹けば、南海の魚族その風に当たりて大海の苦を離れ、東風吹けば西山の鳥鹿その風を身にふれて畜生道を脱がれて都卒の内院に生れん、況んや卒塔婆に随喜をなし、手をふれ、眼に見まいらせ候人類おや云々、此より後の卒塔婆にも法華経の題目を顕し給え(中興入道殿女房御返事) 中興入道というお方は、日蓮聖人が佐渡にご配流になっておられた時入信された方で、入道前のお名前は近藤信重、佐渡の領主、本間家の家臣でありました。父君も入道され一(いち)谷(のさわ)入道(にゅうどう)≠ニ名乗り、日蓮聖人の大信者でその住居は現在、本山一谷妙照寺となっており、息子の信重は妻とともに中興村に住しておりましたので中興入道≠ニ名乗られたのでした。入道の住居も妙経寺というお寺になっております。  今回ご紹介致しました御書は中興入道が三度目の身延参詣を行った際、夫人が亡き愛娘の十三回忌供養をお願いし、供物の数々を夫の入道に託されたことへのお礼状で、それ故「中興入道殿女房御返事」と申します。では本文を私の理解に合わせてご紹介致します。
「幼くして死去された、娘子の十三回忌供養の為に沢山の供物を頂き感謝し佛前にお供え申し上げました。入道殿の話によると供養の為に丈(たけ)六尺もある大きな卒塔婆を造り、その表に南無妙法蓮華経のお題目をお書きになって建立されたとのこと、誠に尊くその功徳は計り知れません。そのことを例えて言いますと、この塔婆に北風が吹けば南の海の魚たちが妙法七字のお題目の功徳の風にふれて、大海の底で暮らす苦しみから離れて楽を得ることが出来るであろうし、又東の風が吹くときは西の山に棲む鳥や鹿たちが、その風を身に受けて畜生道から脱がれ、天上界、菩薩さまたちが居住する世界(都卒の内院)に生まれる事が出来るのであるとお経文に示されてます。  ましてや、このお塔婆の功徳を知って喜んでお塔婆に触れたり、目で見たりした人々の受ける功徳、更には建立の霊位(娘子の霊位)が受ける功徳、更には建立された方のお功徳は計り知れない。このように尊いことであるから、お塔婆を建立する時には必ず正面に南無妙法蓮華経のお題目をお書きなさることをおすすめ申し上げる。」 お塔婆建立のお功徳について、日蓮聖人のご教示をご紹介申し上げました。七月八月はお盆の月、ご先祖さまはじめ、先亡の方々、ご恩を受けられた方にお塔婆供養をなされ、計り知れないお功徳をお届け申し上げたいものであります。結びに、お塔婆建立の功徳は、お題目、お戒名、読経の三つが揃ってはじめて成就する事、それには菩提寺、近くの日蓮宗のお寺さん、日蓮宗の資格をもつお上人にお願いなさる事をおすすめします。もちろん池上本門寺では三六五日お受けしております。

■法華経と申すは、手に取れば その手やがて佛となる
法華経と申すは、手に取ればその手やがて佛と成る。口に唱うればその口即ち佛也。云々 法華経に曰く「若し法を聞くこと有らん者は一(人)として成佛せざること無し」云々、文の心は此の経を持つ人は、百人が百人ながら、千人は千人ながら一人もかけず佛になると申す文也。(上野尼御前御返事) 「法華経というみ教えは、実に尊く、しかも私たち凡夫であっても理解体得出来る教えである。たとえてみると法華経を手にとればその手がやがてみ佛の手になり、口に唱えたならばその口がそのままみ佛の口となるのである云々このことは法華経に”もし法華経を聞き実行する者がいたならば一人として佛にならない者はいない。”と説かれている。この文の意(こころ)は、法華経を聞き信ずる者は、百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人として欠けることなく佛になるということである」
今月ご紹介申し上げております上野尼というお方は夫が上野郷、今の静岡県富士郡大宮町を知行地としておられたので通称を「上野どの」と呼ばれており日蓮聖人もそのようにお呼びされておりましたが、正式には南条兵衛七郎殿と申し上げ、北条時頼殿の近習でありました。この方が亡くなられたので上野殿尼御前と申し上げるのであります。もう一つ、尼御前の実弟は六老僧のお一人、日持聖人であるとも伝えられており、日蓮聖人の大信者、信仰心の篤いお方であられました。さて、そのご教示の”法華経を手にとればその手がみ佛の手となる”ということでありますが、どういうことかと申しますと、法華経即ち南無妙法蓮華経を至心にお唱えしながら手にしたものの全てが佛さまになるということ。このことを私の理解で述べさせていただきますと、私は今三十年近く使っている万年筆(私の分身的存在で外国製で義兄からの贈物)で本稿を執筆しておりますが、私の心は少しでもみ佛のお心、お祖師さまのお心、お題目のお心、に近づきたい、そしてその御心を読者の方々にお伝えしたいと念じて、ペンをにぎっております。それを表現するのが手中の万年筆、今万年筆も又私と同じように、少しでもお祖師さまに近づきたい、佛さまのおこころを表現したいと思っていてくれています。万年筆が佛さまのお役をつとめてくれているのです。変に思われるかも知れませんがこの万年筆で文章を書きますと文章がすすむのです。まさに”万年筆佛”なのであります。佛の手なるというご教示を私はこのように拝受しており、この”こころ”は自宅の”自動車佛・自転車佛”お台所の”お鍋佛・包丁佛”となるのであります。更にこの”こころ”は私達自らが身(からだ)の佛に、口(くち)の佛に、意(こころ)の佛になるよう励みなさい。と日蓮聖人は上野尼御前を通じて私たちによびかけておられる。私はこのように拝受しております。

■うつりやすきは人の心也 善悪にそめられ候
うつりやすきは人の心也。善悪にそめられ候云々。法華経にそめられ奉れば必ず佛になる。経云、諸法実相云々。若人不信乃至入阿鼻獄云々。いかにも御信心をば雪、漆のごとく御もち有るべく候 (西山殿御返事) 今月ご紹介申し上げますお手紙のお相手、西山殿というお方は今の静岡県富士宮市、西山郷の地頭であったので西山殿とよびならわされておりましたが、本名は太内氏で鎌倉幕府に仕えておられ、聖人の篤信者になられた方であります。このお手紙は「金子五貫文日蓮聖人にご供養なされた事」に対するお礼にあわせてのご教示であります。前文の部分も加えて私の領解文をご紹介されていただきます。
「金子五貫文拝受いたしました。雪は至って白い物であるから別の色に染めることは出来ない。漆は至って黒いものであるから白くすることは出来ない。それとは違って人の心ほど移り易い(染まりやすい)ものはない。善悪に染められて善くもなれば悪くもなるのである云々。さて私たちの信じ、行っている法華経の正しい教え、お題目の実践に染められるならば必ず佛となる。このことを法華経方便品ではこの世の諸々の姿(相)そのものが佛の姿であり、我々の行いも又佛の姿、み佛の手の中に在るものである。∵喩品には法華経を信じないで謗る者、法華経を信じ持つ者を見て軽ろしめ、憎む者は地獄に堕ちる≠ニ説かれていることを忘れてはならない。どうか法華経の信仰心をば白い雪、黒い漆の心で、他の色に染まらぬよう信心堅固であられることを祈っている。」
あらためて「うつりやすきは人の心なり」のご教示に胸をうたれます。そして法華経的生き方をするのに現代はすさまじい悪≠フ時代なのだと思います。と申しますのも現代社会は過去に例のない善悪に染まりやすい時代であると思うからであります。昨今は情報社会と言われておりますようにありとあらゆる情報が私たちの廻りを飛び思っております。ひと昔前までは情報と言うと新聞、ラジオ、テレビでしたが今はそれに加えてケイタイ、スマホ、パソコン、インターネット、ユーチューブ等々情報が氾濫しており、それぞれが強い色を持っております。しかも匿名で出来るため何んでもありです。言いたい放題、書きたい放題。中には注目を集めて他の人に見てもらうとその数によってお金になると言う、とんでもないものまで出てきました。まさに「情報無法化社会」であります。よほどしっかり見すえないと流されてしまいます。「何が正しいのか」「何が真実なのか」この思考が大切であります、気をつけなければいけないのは「おれおれ詐欺」だけではないのです。日蓮聖人のご教示善悪に染められ≠驍ニいうことは所詮自分の欲を中心にして物事を判断しようとすると道を誤りますヨ。思考の根本にはお題目のこころをおきなさいと言う重大な警告を発しておられるのであります。「情報無法化社会」に生きる私たち、善悪に染められぬよう欲の皮が突っぱらぬよう用心いたしたいものであります。

■我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。
教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ掌を合わせ、両目を開きて尊容を拝するに、歓喜身に余り心の苦しみ忽ちに息む。我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり云々。是の如く観ずる時、無始の業障忽ちに消え、心性の妙蓮は忽ちに開き給う云々。(忘持経事) 十月十三日は宗祖日蓮大聖人第七百三十六遠忌ご祥当でございます。日蓮聖人がご両親に対し、なみなみならぬご孝心の方であられたこと。皆様ご承知のことと存じますが、聖人のご両親への思いをお偲び申し上げることこそが聖人へのご報恩と拝し、それには「忘持経事」の紹介が一番と考え今月の聖語とさせて頂いた次第であります。因にこのご書は建治三年、大聖人五十五才の時、身延山に九十才で亡くなられたご母堂のご遺骨をご納骨に参られた千葉県中山の富木常忍上人が、ご自分が持経として持っておられた法華経を忘れてゆかれたので、それをお返しする時に添えられたお手紙の一節であります。長文ではありませんがそれでも全文はご紹介出来ませんので、私の領解(信仰理解)をもってご紹介させていただきます。
『私、日連は教主釈尊のご尊像の御宝前に亡き母君のご遺骨を安置し法味を言上、ご回向申し上げました。あなたはその全身をもって合掌、唱題、礼拝され、あらためて教主釈迦牟尼世尊の尊容を拝された時、母君の即身成佛を覚信(さとり、納得、信じきる)することが出来、別離の苦しみの心から忽ちに安心の心に納まってゆくことを実感なされたことでしょう。そしてご自分の五体そのものが父母の五体そのもの、そのままであることを体感なされ、あらためて自分の頭は、足は、十指は、口は、いやその他の体の全てが父母からの給わりもの、父母そのものであると実感なされた。この思いに至られた時あなたは、自らの六根が清浄になり、佛性開顕、自ら持っている大安心の境地即ち心の蓮の花びらの美しさを悟られたのだと私日蓮は拝しております。これからも供に、ご修行に励みましょう。』
富木上人は母上の成仏を覚信することによって自らの佛性の心蓮を開かれました。この信仰の大事をお手紙によって、又聖人自らの絵解きによって富木上人は小さなきづきから大きな安心これだ≠ニの覚信に至られるのであります。このことを第一番のご信者であられた富木上人に示されたということは、大聖人ご自身もご両親への思いが同じであったということ、ご両親の成佛が聖人の安心につながっていることを富木上人だからお説きになられたのだと私は拝します、そして末法万年の世に生きる私たちにもかくあるべしとご教示なさっておられるのだとも拝するのであります。  
 

 

■猊子王の如くなる心をもてる者 必ず佛になるべし 例せば日蓮が如し
『百獣の王と言われるライオンは、小兔をあなどらず、大象を恐れず、常に自分の持てる力を百パーセント出し切り、どのような時にも力を緩めることなく、いかなるものにも恐れない。と言われている。この姿、この心を法華経を信ずる者は学ぶべきである。小事をあなどらず、大事をおそれず、法華経お題目に全てをおまかせする。法華経お題目のお力を信じきる。この絶対の信こそが佛になる道。悟りへの唯一の道である。実例をあげれば私日蓮を見習うがよい。』(佐渡御書) 今月ご紹介申し上げております「佐渡御書」は文永九年三月佐渡塚原三昧堂においてお認めなられたお手紙で対告衆(お手紙のお相手)は「日蓮弟子檀那等御中」とございますから、鎌倉その他在住のご信徒の皆さんに宛てられたお手紙であります。聖人は前年の九月に龍の口のご法難にあわれた後十一月に佐渡にご配流、御年五十一才、我が身は極限の状態におかれている中にあっての信徒の方たちへ励ましのご教示であります。
さて日蓮聖人が今月のご教示でお説きになられている「猊子王の心」とは信仰心、法華経お題目を信じきる「信」の心のことでありますが、日蓮聖人がかくまで信じ切られた「信」とは何かと申しますと、法華経、お題目、久遠実成の佛、お釈迦さまへの絶対なる「信」であります。くり返しになりますが日蓮聖人は『法華経はお釈迦さまの真実のお言葉、金言である。そこにはいささかのあやまりもない。全てが真実である。だから自分はその説かれている事を実行するのである。その結果としてわが身に如何なる大難がふりかかろうともこの「信」を守り通す。これが私、日蓮の「信仰心」であり、成佛であり、悟りの姿なのである』とご教示下さっておられます。佛さまの教え、法華経の教説を聴聞、お題目の修行に励んでいる私たちでありますが、仕事、病気、対人、等々に於いて少しでも困難に直面するとあれだけお題目をお唱えしてきたのに≠ニの不安の芽が出てくるのをおさえることが出来ません、信じきれない、まかせきれない、そういう私たちの「信」の弱さをご存知の日蓮聖人だからこそ「猊子王の如き心」をもって、信じきりなさい、おまかせしなさいとおすすめになられるのであります。日蓮聖人の時代と違い、現代に生きる私たちに「法華経を信ずることによる身の危険」はありません。ありませんが逆に信じきる強さのないことも事実であります。「信」はあくまでも佛さま、日蓮聖人と自分の二対一対、あるいは一対一の心の中のこと、信じきれているか否かは自分にしかわかりません。今月のご教示を佛縁とし「自らの信」を問いただしたいものであります。

■わざわいは口より出でて 身をやぶる さいわいは心より出でて  我をかざる (重須殿女房御返事)
平成二十九年も残すところ一ヶ月。一年を長く感じられた人、あっと言う間であった人、時の長さは同じでも受ける人の心次第で長くも短くもなります。かく言う私は「あっと言う間」の方で『この一年何をした』『何を学んだ』『どれだけ修行した』かと反省しきり、であります。さて、今月ご紹介申し上げております重須殿と申しますのは、今の静岡県富士宮市北山のことで、土地の名です。正しくは重須に住しておられた「石川新兵衛入道道念」と言う方のことであります。「女房御返事」とございますから「石川道念入道夫人」へのご返事ということであります。『むしもち百まい、菓子ひと籠たしかに拝受、御宝前にお供えいたしました云々この世における災難(わざわい)のもとをたずねてみると、それは何気ない、あるいは不用心なひと言からもたらされていることに気づくべきであります。反対に、人の幸せのもとを探し考えてみると、常日頃から、相手を思いやる心、温かい言動がその源になっていることに気づかれることでありましょう。それ故平素の言動には重々気を配られるよう祈っております。』
このお手紙はお正月を迎えられる身延山の日蓮聖人に、むしもちとお菓子をご供養なされたことへのご返事の中で述べられたご教訓であります。ところで先の衆議院選挙で華々しく出発の声を挙げ、人々から多いに期待されたある党が党首の「たったひと言」で大惨敗という結果になりましたこと耳目に新しいところであります。「言葉ってこわいナ」と感じられたのは一人私だけでなかったと思います。先師は、災難を呼び込むひと言の出処は「増長慢・おごり高ぶる心だ」と教えておられます。私達の心に、俺が私がと言うおごりぶった気持ちがありますと、どうしても言動に出てしまいます。いや言動に出る前に実は顔に出ているのだ。だから本当はそこから気をつけなければいけない。「朝、鏡と向かい合った時今日の私はどうだと反省しなさい」そして気がついたら「その日一日今日は気をつけようと思い定めなさい」とはこれ又先師のご忠告でありますが、先師はもう一つ大事なことを遺しておられます。それは自宅における「朝のお祈りと夕べの感謝」であります。朝、食事の前のほんの「ひととき―今日も無事でありますように」と佛さま・ご先祖さまにお祈りをする。そして夜帰宅したらすぐ「今日一日無事でした。今日は誰れ誰れさんのお世話になりました。今日は何々がありました」と感謝のご報告、時間にして一分もかかりません。朝夕二分のこの祈りの有無が「人生の鍵」これが先師の遺された大事な大事なご教示であります。昨今は口だけではありません「メール」などというやっかいな「武器」もあります。それだけに我と我が心をしっかりとガードしておくことが大切であります。一年の結び、我が心のヒモをしっかりとしめられることをお祈りいたしております。

■身つよき人も、心の櫂なければ 多くの能も無用なり(乙御前御消息)
平成三十年の新春を寿き、全国のご寺院、檀信徒の皆様はじめ、十方有縁の皆様のご清福をお祈り申しあげます。年の始めにあたり皆様にご紹介申し上げます日蓮聖人のご教示は「心の櫂をしっかりと持ちなさい。持ち直しなさい」このことであります。ご紹介申し上げます聖語のあて先は乙御前となっておりますが、この題名は後の世の人がおつけし、通称となったもので、内容的には「乙御前の母、日妙聖人」にお与えになられた御文であります。本書は建治元年八月、乙御前の母日妙聖人が身延山を訪ねられたことに対してお与えになられた御書であります。日妙聖人は幼な児乙御前を連れて夫と別居した夫人ですが、その強い信仰心を日蓮聖人が認められ、日妙聖人という御名を授けられた方であります。それほどの方に対して、いやそれほどの方だからこそ聖人はこのみ教えを示しておきたかったのだと拝します。もちろん末世に生きる私たちへのご教示であるとの意味を含めての事であります。『如何に身体が健康であり沢山の才能、能力を備え持った人であっても、ただそれだけでは宝の持ちぐされである。持てる才能、能力を正しい方向に導き、生かし、推し進めてゆく力、それが心の櫂、お題目なのである。このことを心にしっかりと定めて日々おくられることを祈っている』
では「心の櫂」とはどういう「櫂」なのでありましょうか。佛教では「心の師とはなるとも心を師とせざれ」と説きます。つまり「自分の思ったままを実行しようとするのではなく、今自分の思っている事は、考えていることは、正しい事か、自分一人のためでなく他の人のためにもなっているか、一歩退って自分自身を見つめ直し、コントロールする力を持ちなさい」と言うことであります。日蓮聖人はこの力のことを「心の櫂・お題目」と表現、私達に伝えたかったのだと拝します。自分の心をコントロールする「心の櫂」それがお題目。私はよくお説法で「夫婦ゲンカの前にお題目を唱えなさい」と話しますが、かく言う私も実行出来ておりません。それでも毎回のように話しますのは「常日頃のお題目の積み重ね」が微妙に出てくるものだからであります。おためしになる必要はありませんがお心の底に止めておいていただきたい「夫婦の絆の妙」であります。さて目を外へ転じますと、日本中、いや世界中「心の櫂」を失っているように思えてなりません。特に全世界の政治を司っている方にはしっかりと「心の櫂」を持っていただきたいと願うことしきりであります。国内に於いても、政治、経済、産業、教育、医術、家庭、家族、親族、もちろん宗門人、宗教界を含めて全ての人々が新年を迎えるにあたり「我が心の櫂」に目を向けていただけることを願ってやみません。

■信なくして此の経を行ぜんは 手なくして宝山に入るが如し (法蓮鈔)
「信じきる。という心を持たないで、法華経を拝読し、お題目をお唱えしてご修行しても、それは形だけ、声だけの修行でみ佛のお説きになっておられる大安心の境地に至ることは出来ない」 今月ご紹介申し上げている法蓮鈔というご妙判は、日蓮聖人のご直檀、曾谷教信法蓮入道にお与えになられたお手紙の一節であります。ちなみに曾谷氏は、現在の千葉県市川市曾谷を領地とする武家でありました。その入道が亡き父の十三回忌の供養のために法華経一部八巻、六万九千三百八十四文字を五回拝読、それだけに止まらず十三回忌に至るまで毎日、お自我偈一巻を拝読回向されたことを、亡父のご回向のお願いにあわせご供養の品をそえて日蓮聖人にご報告されます。日蓮聖人はその浄行をおほめになられ、貴殿こそが法華経の修行者、実践者であるとお認めになられた上で、今月ご紹介申し上げているご妙判となるのであります。このご教示には曾谷入道の法華経実践を他の信徒の方々への手本に、との日蓮聖人の強い思いが込められております。もちろん、末の世の私たちも含めてのことであります。
まず「信」ということについて申し上げなければなりません。「信」には二つあります。一つは私達の日常生活における「信」であります。私達の生活は全て「信ずる事」によって成り立っております。親子、夫婦、兄弟、姉妹、家族から始まって学校、病院、役所、会社等々みな「信」を基としております。ですが「新幹線よお前もか」ではありませんが、決して万全、絶対ではありません。気づいてみれば「仮の信」でありました。日常生活の全てが「仮の信」であるからこそ、その「信」を大切に大切にしなさいと佛教では説くのであります。これが第一の「信」であります。これに対しもう一つの「信」は、佛さま、日蓮聖人のお説きになられる「信」でありまして、この「信」は絶対に「裏切ることなく・くずれることのない信」―「絶対信」であります。それは、お釈迦さま、日蓮聖人が至られた悟り、大安心の境地のことであり、厳然たる事実であり、本物であります。この境地に私たちも到達することが出来ると説かれるのがみ佛の教えであり、日蓮聖人の説かれるお題目であります。私たちが至心に南無妙法蓮華経とお唱えすることによってその境地に至るのである。と日蓮聖人はお説きになられます。それには私たちが佛さま、日蓮聖人を「信じきる」ことが第一の条件である、この「信」なくしてお題目をお唱えしても手がない状態で宝の山に入っても、一つの宝も手にすることが出来ない≠フと同じであると、今月のことばで「信」の大切さをお説きになられるのであります。先師は「信」とは「佛さま、日蓮聖人におまかせすることである」と解説しておられますが「まかせきる信」「信じきる信」日蓮聖人がお求めになっておられるお心も実はここにあるのだと私は受けとめております。

■帰命(きみょう)と申すは我が身を 佛に奉ると申す事なりし(事理供養御書)
三月は春のお彼岸、菩提寺の御本尊さま、ご先祖さま、先亡の方々にお参りなさる時日蓮聖人のご教示を思い出していただきたく、今月のご妙判をご紹介申し上げました。今月ご紹介の事理供養御書と申しますのは、御真筆は富士大石寺に格護されておりますが年号とどなたにお与えになられたかは不明です。後半と思われる部分だけが失われているのです。ただこのお手紙は、『白米一俵、里芋一俵、海苔一籠』ご供養へのお礼状でありまして、海苔のことを「こふのり」とお書きになっておられ、これは、静岡県芝川に育成する河苔(かわのり)≠フことでありますので、お手紙のお相手は静岡在住の方、しかもその内容から拝して篤信の方のご供養、この方へのご返事では、と私は理解しております。あらためてご紹介のご妙判を拝しますと「み佛、法華経、お題目を信仰するという事は、我が身をみ佛にささげるということ、それほどの覚悟・気持ちを持って信じきりなさい」 毎々申し上げておりますように、この強い表現はこの方へのご教化と申しますよりこの方を通じて、他の方へのご教化と、末世の私たちへのご教化が多分にこめられていること、申すまでもありません。
さてその末世である現代の信心を申し上げますと、今年のお正月は当山に沢山の方々が初詣をなさって下さいました。そして昨今はおみくじブームだそうでしてお山ではおみくじの台を各所に配置しましたが、それでも長い行列が出来ました。中には「吉」が出るまで何回も引く人、行く所それぞれで引き、「吉」が出るとあそこのお寺は良い≠ネどと評価していると聞きます。多分に遊び心で引いておられ、祈る心は無≠ネのでありましょうが、それにしてもと思います。こういうブームを目の前にしておりますので、あえて先月は「信」、今月は「帰命」という信仰の根幹の話をさせていただいた次第であります。本文の「帰命」と申しますのは「帰依」とも申し訳し、「南無」と同義語であります。池上にご縁のある方ならば「なーむ」で親しんでおられることと存じます。この帰命と申しますのは佛さまのみ教え、つまり南無妙法蓮華経に絶対的な信頼をよせると言うことであります。先師は「素直に真面目に真剣に信じなさい」とさとされておられますが、この心がなければ如何にお題目をお唱えしても、口ばかり言葉ばかりの題目になってしまう、とのご教示であります。お彼岸は佛道修行の一週間であります。自らの「信」「帰命」を問うていただければと願ってやみません。  
 

 

■一切の道俗 一時の世事を止めて 永劫の善苗を植えよ(守護国家論)
春四月、出発の月であります。学校、就職新人だけではありません、定年退職の方も次の生活への出発でありますし、企業、学校と言った組織にとっても出発の月である事、申すまでもありません。この月に当たり、又昨今の日本の実状を直視し、皆様に是非お伝えしたいのが、今月の聖語日蓮聖人「守護国家論」のご教示であります。この論文は聖人三十八才、鎌倉に於いておしたためになられた長文で、格調高い、本格的国家論を述べられた論文であります。お相手は文中には示されておりませんが内容から拝しますに、当時鎌倉に居住しておられた二十代の青年鎌倉武士、池上宗仲・宗長ご兄弟、四条金吾、富木常忍、等々の面々であったのではと私は拝しております。「今は多事多難の時代である。何かと多忙であろうけれども、ひとときそれらの世事から離れて、国家本来のあり様、人の世、自らの人生のあり様を考えなされよ」とよびかけられたのが、本書であります。「今、この世に於いて生活しておられる全ての人々、在家の方々、道を求めて修行しておられる出家の方々、常日ごろ行っていることの手を休めて私の方、いやお釈迦様が今日のこの世界の状態を想念予言されたみ教え、法華経の教説に一時、耳と目をかた向けていただきたい。そして、この世の全ての人々が今生だけでなく来世に至るまでの心の安らぎ大安心の境地に至る佛の種を植えられることをおすすめしたい」
今月の聖語で日蓮聖人はこのようによびかけられたのであります。七百年前日蓮聖人が若き鎌倉武士を当面の相手とし、全ての人々によびかけられた今月のみ教えを、不肖私が平成の世の今日、世界全体が争いの中に在る世の人々に対し、自己主張が先にあり、他者との共存の有難さを忘れている日本人に対し、軍備増強論がやけに目立つようになった日本政府に対し、又この世の全ての人々、機関に対し申し上げます。二千五百年前お釈迦さまは四姓は平等なり―全ての人々は平等であり、幸せになることが出来る≠ニお説きになられ、日蓮聖人は立正安国―正しい教えによって国、人々は救われる≠ニ示され、日蓮聖人のみ教えを信じた宮沢賢治は、世界全体が幸せにならない限り、個人の幸せは実現しない≠ニ絵解きされました。このこと、このみ教えをふまえて申し上げます。『皆さんもう少しゆっくり歩きませんか、自然の声、宇宙の動きに心を合わせてみませんか。そしてみ佛のお慈悲の光明に照らされている自分に気づき、み佛のお声に耳をかたむけませんか』と。四月は出発の月と申しました、出発する前にまず腰を下ろし、息を調え、心を安めて、自分は、人は、人生は、み佛はと自らに問うひとときを持たれることをおすすめします。

■今此の妙経は十界皆成佛道なること分明なり(二乗永不成佛事)
日蓮聖人三十八才、鎌倉、あるいは静岡県岩本実相寺にておしたためになられたと伝えられ、ご真蹟は身延山に格護されております。このご妙判がどなたにお与えになられたかは不明です。ですが、先月ご紹介申し上げました「守護国家論」において全ての人々よ、一時心を息め考えよ≠ニ呼びかけられたことと併せてお考え頂きますと、守護国家論と同じく、時の若き鎌倉武士、池上ご兄弟、四条金吾等の諸氏であったのではと私は拝察しております。何故かと申しますと原文は漢文体内容も深遠で相当の知識がなければ理解することが無理だからであります。御文でお述べになっておられる「妙経」とは、申すまでもなく妙法蓮華経のことであります。「十界」とは下から地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・佛界、十種に区別される人の心の世界のことであります。それぞれについては別の機会述べさせていただきますが、私たちはこの十種の世界を行ったり来たりしているということであります。そうではありますが「皆成佛道」みな佛道を成ず≠ツまり現在はそれぞれの世界に止っている人でも必ず佛界(佛さまと同じ大安心の境地)に至ることが出来る。そのことを法華経で「分明」あきらかに説きしめしておられる。もう一つ、御文の顕れ、これは後世の人がわかりやすくする為におつけしたのでありますが、二種類あります。一つは、ご紹介の「二乗永不成佛事」二乗界(声聞界、縁覚界)の人々は永久に成佛することが出来ない≠「ま一つは「爾前二乗菩薩不作佛事」法華経以前にお説きになられたお経では二乗界の人々は成佛出来ない≠ニいう題名であります。
この題名でお分かりいただけたと思いますが、今月ご紹介の御文章はつまり声聞界(佛の法を聴いた人)縁覚界(佛と縁のあった人)たちでさえ成佛出来なかった。と言うことを述べられたあとで法華経の方便品第二で智慧第一と言われた舎利弗尊者が成佛の約束を与えられた事実を示されて法華経こそが、お釈迦さまのご真意を伝えているみ教えである。ということを日蓮聖人はこの御文に於てお説きになられるのであります。「妙法蓮華経こそが、地獄界から佛界に至るまでの全ての人々が成佛、つまりお釈迦さまと同じ大安心の境地に至ることの出来るみ教えなのである」 日蓮聖人はこのようにお述べになられて、要は人々よ、あなたご自身、あなたの身の廻りの人々をながめてご覧なさい。地獄の苦しみの人、求めて求めてばかりの人、動物と同じ心になってしまっている人、争うことしかしない人、あれこれ悩んでばかりの人、有頂天になって足もとの定まらない人、沢山見ることが出来る。だから心を止めて法華経の声、南無妙法蓮華経に耳を傾けてごらんなさい。又自らもお唱えしてご覧なさい。必ずや安らぎの境地を知ることが出来るでしょう。このようによびかけておられるのであります。

■国土乱れん時鬼神乱る 故に万民乱る(災難興起由来)
「天変地異、人心の荒廃などによって国全体の乱れがある時は、その国を守っておられる神々のお力が乱れているということ。つまり守護神がその力を失っておられるということである。したがって、その神々のご守護によって生活している私たち衆生(気がつかないで生活している人間)の生命力も弱まり、心も乱れてゆくのである」 今の世界、日本の現状を平和であると観るか、乱れていると観るかについては、論の分かれるところでありますが、少なくとも自然は悪く変わりつつあること、人々の心が自己中心主義というより我欲化し、さまざまなトラブルの「源」になっているということ、このことはどなたも認められるところでありましょう。そして、一歩すすめて社会全体をながめてみた場合、セクハラ、パワハラ、地位の悪用、隠蔽、等々も又世の乱れ「我欲化、物欲化」の現れと思うのですが如何でしょうか。更にもう一歩すすめて、日本人の品格が落ちてきたと思いませんか。かく言う私も、貫首らしくない貫首と陰口をたたかれておりますから大きな事は言えませんが、政治家、大企業にはじまって世の指導者の方々、そして一般庶民に至るまでおしなべて不作法、行動の下劣さが目立ちませんか。たとえば食事を例にとりましょう。仏教の先師の言葉に「仏教が日本に入ってくる前までは、食事もまるで鳥がエサをついばむような不作法であったが、佛法が伝わってはじめて、人の食事らしくなった。とのご教示がありますが、又元にもどってきていると感じるのは私一人でありましょうか。
こういう状況を全てまとめて拝見する時世の乱れ≠ニ言うのであると私は拝受しております。今月ご紹介の日蓮聖人のご教示、災難興起由来は鎌倉でお表したためになられ、ご真蹟は中山法華経寺に格護され重要文化財の措定をうけております。さて、聖人ご在世中の七百年前の戦乱、疫病、飢饉は現代の日本にありません。では災難は無くなったのではありましょうか。「否」であります。世界各地で行われている戦乱をさし引いても「地球滅亡」という難がひしひしとおしよせてきている事実を見逃すわけにはまいりません。病気はどうでしょう。流行と言えばインフルエンザくらいしか思い当らない昨今ですが特効薬と病原菌の追いかけっこはスピードを早めております。日本に飢饉はありませんが食物の輸入がとまった時のことを思うとぞっとします。あらゆる角度から「国の乱れ」を直視しつつ、自らの足もとを固めなさい。今月の聖語を私はこのように拝受しております。

■智慧ありて信心無くんば 是の人 邪見を増長す(顕訪法鈔)
日蓮聖人は「信」つまり「信じきること」を大切になさっておられます。と申しますより「信じきること」を信仰の基本となさっておられる。と申し上げてよいと思います。信じきるとは目に見えない大きなお力、仏さまのお慈悲、今の私たちの立場で申しますとお祖師さまのお力を信ずるということであります。目に見えない大きなお力を信じていないと「人の目」「人の知」さえ届かなければ何をしてもよい、という「悪心」につながってしまいます。佛教では「人はみな佛さまになれる。佛さまと同じ大安心の境地に至ることが出来る」と説いております。が同時にもう一つ、「人の心の中には地獄界から佛界までの身勝手でおそろしい働きをする心がある」ということも説いております。私たちが、目に見えない力を信じていないと(これは自分自身しかわからないことでありますが)、地獄の心や争いの心、欲の心が出てくる。しかも恐ろしいのはそういう人の心には「悪智識、悪智慧」が十分に働くということであります。このことをふまえて今月ご紹介の聖語を拝見しますと「一般的に見て、学問も教養も充分にある人でも、信仰心み仏の大きなお力を信じきる心、大きなお力を恐れる心がなければ、この人は自分だけが正しいと他の人を見下し、自分勝手な行動をするようになる。加えて人に知られなければ何をしてもよいという悪心にとらわれる事となる。
だから、この世には目には見えなくとも、耳に聞こえなくとも、佛さまはちゃんと見ておられる、守って下さっておられるのだということを忘れてはならないのである」 今月の聖語を私はこのように拝読しております。ちなみにこの顕訪法鈔は日蓮聖人四十一才、伊豆の伊東でおしたためになられた御書でご真蹟は身延山に格護されております。実はこの御書で教・機・時・国・流布の前後(解説は次回に予定しております)という大事なことをお述べになられるご予定だったようですが、教えのみで終りとなっておりますことをあえてご紹介します。さて、昨今目に見えない力を信じていないのでは、と思われる方多くなっていると思いませんか。そういう方にあえて申し上げます。因果って本当にあるのですと。今の自分はそれでよくても子供や孫のことは考えないのでしょうか、「そのお姿は眼に見えなくとも、そのお声は耳に聞こえなくともみ佛はお在します」 智識豊かな現代人に贈る言葉であります。

■釈迦如来は我等衆生には 親なり 師なり 主なり(南條兵衛七郎殿御書)
「久遠実成の本師釈迦牟尼佛。つまりお釈迦さまは私たち生きとし生ける者、一切衆生にとっては、私を生んで下さった両親のような方、人生の道しるべ、人間として生きることの大切さを教えて下さったお師匠さま、先生でもあり、更には一人では生きてはゆけないこの世にあって人々が仲良く生活してゆくためのよるべとなるご主人とも申すべきお方なのである」 今月ご紹介申し上げている日蓮聖人のご文章は、聖人四十三才千葉県安房において、静岡県在住の信徒南條兵衛七郎殿にお与えになられたお手紙であります。この時南條氏は病気で伏せっておられましたので南條氏が病に打ち勝ち生きる力を得ていただきたいとの強いお気持からおしたためになられたお手紙であります。当時の日本では苦しい現実の娑婆を捨て西方極楽浄土、死後の世界に救いを求める¥@教が全土に弘まっておりました。南條氏も病気による気の弱さからこの傾向になびきつつあったと思われます。このことを知った日蓮聖人は「佛さまのみ教えは死後の世界のことを説いた教えではありません。今生きている私たちに生きる力を説かれたみ教えです。現実の自分の在る姿をしっかりと認識し、如何に生きるか、どのように克服するかをお説きになられたのが仏の教え、つまり法華経なのです」とお説きになられます。
その上で今あなたの心は病気のために弱くなっている。そのお心を正常な心に直すこと、そのためにはまず心を静かにして合掌し南無妙法蓮華経のお題目をお唱えなさい。久遠の佛さまであるお釈迦さまはあなたが子供のころ優しく見守って下さったご両親と同じ、いやそれ以上の優しさであなたを見守って下さるでしょう。それだけではありません。あなたに人の道を教えて下さったお師匠さまと同じ姿であなたの弱った心を正して下さいます。もう一人今あなたがお仕えしているご主人の立場であなたを励まして下さいます。つまりお釈迦さまはお一人で親と師と主との三つの徳をお持ちなのです。三つのお徳を持っておられる久遠実成の佛さま(未来永久に人々を守る力をお持ちの佛さま)があなたを守って下さっているのです。心安らかに休養なさることをおすすめします。私の理解を加えての説明になりましたので長くなってしまいましたが、南條さんへのご教化は時間空間を越えて現代人、私たちへのご教示であるとお受け止めいただきたいのであります。このお手紙では更にもう一つ大事なことをお説きになられます。それは法華経は二千五百年前、お釈迦さまのご遺言によって伝えられている最も尊いみ教えであること、弘める国は日本が最初、弘める時は今である、このことは私日蓮の自説ではなくお釈迦さまの「金言」によるものであることをお説きになられます。このことを五義(教・機・時・国・序)と申しますが、詳細の説明は失礼させていただきます。  
 

 

■女人の往生成仏決定と説かるる法華経は実語なり(薬王品得意抄)
文永十二年(一二六五)日蓮聖人四十四才の時の書状であります。お与えになられましたのは、静岡県在住南條時光夫人、又は鎌倉在住大学三郎夫人と伝えられておりますがどちらかと言うことは定かではありません。しかし内容的には女性にお与えになられたことを示しており、全文は遺されておりませんが、千葉県保田妙本寺さんに七紙が格護されております。(遺文辞典) 「女の方がお釈迦さまと同じ大安心の境地に至ることが出来る。来世に於ても成佛の世界に安住することが出来る。と法華経に説かれているが、それはお釈迦さまの実語(真実の言葉)である。だから金言と申し上げるのである」 今月の聖語、私の今日訳であります。今月ご紹介のお手紙で日蓮聖人は法華経二十八章の内容を詳細にわたって解説なされたあと、「女人の成佛」は法華経で説かれていることこそがお釈迦さまの金言であるとお説きになっておられ、まさしく、女性信徒向けのお手紙であると拝することが出来るのであります。
さてそこで、私の領解を通して法華経で説かれる「女人成佛」について少しご紹介いたしますと、法華経の第十二章、提婆達多品に於て娑竭羅龍王(しゃからりゅうおう)の娘八才の龍女(りゅうにょ)が佛道修行をして「女人成佛」の姿を示されたことが説かれています。ただこの時龍女が「変成男子(へんじょうなんし)―男の姿になった」ということが形だけのこととして受け止められがちでありますが、これは「心の状態も男性と同じであった」と受け止めるべきであると私は拝しております。次は法華経の第十三章勧持品において、お釈迦さま育ての親、喬曇彌(きょうどんみ)とかつてお釈迦さまの夫人であった耶輸陀羅(やしゅたら)比丘尼(びくに)のお二人を特にお名前をあげて成佛の約束をなさいます。この時お釈迦さまは「何(なに)が故(ゆえ)ぞ、憂(うれい)のにして如来(にょらい)を視(み)る」とお二人にお声をかけられます。十三章では沢山の修行者の成佛が約束され、その中に当然お二人も入っておられたのですが「女心(おんなごころ)」で「私たちはどうなのだろうの気持ちでお釈迦さまをご覧になられた。そのことに気づかれたお釈迦さまは「みんな一緒に、と言ったその中にそなたたち二人のことも入っていたのですよ。心配ならあらためて成佛の名をさしあげますよ」とやさしくおっしゃられます。お二人は大いに安心なさいます。私見ですが第十三章のこのくだりが私は好きです。何故なら私は一住職として全檀家、全信徒のご回向を言上しますが、母の法号こそ言上しませんが、併せて「母さん成仏してネ」の一言、亡き母への思いをめぐらすのを常としているからで、人間お釈迦さまの温かさを感じる一章であり、「女人成佛のこころここにあり」と拝する一章なのであります。今月の聖語「法華経は実語」とは単に女人成仏だけでなく男性は勿論生きとし生ける全ての成仏を説いていること申すまでもありません。

■南無妙法蓮華経と唱うるならば 悪道をまぬがるべし(法華題目抄)
今月十月十三日は宗祖日蓮大聖人ご入滅七百三十七遠忌ご正当をおむかえいたします。池上のお山では全山、いや宗門をあげてご報恩の法要を営むと同時にそのご精神南無妙法蓮華経のおこころ≠社会に弘め、後世にまで遺して参ります。今月ご紹介申し上げます御文はまさしくその精神をお示し下さっているご文章であります。この御手紙は文永三年(1266)正月六日千葉県清澄寺に於てしたためられました。大聖人四十五才の時であります。お与えになられたのは女性の信徒ということしかわかっておりませんが、ご真蹟は水戸久昌寺さんはじめ数ヶ寺に分かれて格護されております。(遺文辞典) ところで、大聖人がこのお手紙をおしたためになられる一年半前の文永元年十一月十一日、千葉県安房郡東条の郷で東条景信等よって襲撃されお弟子の鏡忍房とご信者の工藤吉隆が殉死なさいます、小松原のご法難であります。実はこの前年に大聖人は母君妙蓮尊儀を臨終からよみがえらせ四年間ご寿命をのばされるという一つの霊験をお示しになっておられ、土地の人々が大聖人を慕って大勢清澄や小湊のご自宅に集って来られ、それを妬んでの襲撃でありました。そして今月ご紹介のお手紙となるのであります。
霊験あらたかな日蓮聖人にお目にかかりたいと集った人々に対しこのようによびかけられます。「夫(そ)れ佛道に入る根本は信を以(も)って本(もと)とす。」みなさん、佛さまのみ教えをご修行なさろうとするならまず、お釈迦さま、法華経、南無妙法蓮華経を信じきるということが第一の条件になりますヨ∞信じきるという信仰心がなければ如何にお題目をお唱えしてもそれは空題目となってしまうのです≠ニ信の大切さをお説きになられます。そして更に続けて 「さればさせる解なくとも南無妙法蓮華経と唱うるならば悪道をまぬがるべし」八万巻もある仏教の経典を読まなくとも、沢山の学説を学ばなくとも、ともかく南無妙法蓮華経とお唱えするならば毎日の生活において悪しき行いや、地獄・餓鬼のこころに惑わされることはなくなり、佛さまと同じ大安心の境地に至ることが出来るのでありますよ≠ニよびかけられるのであります。この時から時を経て七百余年、平成の現代には仏教書があふれ、メディアは何が本物か≠けがわからなくなっているのが現状であります。そこで「信をもって事となす」「させる解なくとも南無妙法蓮華経と唱うるならば」のご教示がたよりとなります。信ずるとは、おまかせる、ということ。全てを佛さま、日蓮大聖人におまかせして、ひたすらお題目をお唱えする。この混沌とした現代社会において、何ものにもゆるがない大安心の境地に至るには、全てをおまかせしてお唱えする、このことしかない。私はこのように拝受しております。

■但ひとえに国の為 法の為 人の為にして 身の為に之を申さず(安国論御勘由来)
文永五年(1268)蒙古国は日本に国書をもたらし、これを拒絶した日本に対し二度にわたって進攻、世に言う蒙古襲来となるのであります。この時より遡る事九年、文応元年(1260)、日蓮聖人は前執権北条時頼に「立正安国論」を進呈、その本文で「蒙古の襲来」を予言しておられ、今月ご紹介の立正安国御勘由来となるのであります。この御書は「法鑒房(ほうかんぼう)」という方にお与えになっておられます。法鑒房については所説があり、一人は平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)頼綱(よりつな)の父盛時(もりとき)。盛時は北條執権の家司であり、侍所所司(さむらいどころしょし)をも兼務する幕府の実力者でありました。もう一人は「房」と名がついているので、北條家にたいへん近い高僧ではないか。(遺文辞典)という説であります。そのどちらであれ、時の実務権力に力を持った方というのが一般的理解であります。こういう方に蒙古の国書が到来した直後に日蓮聖人はお手紙をお出しになられ、「他国より此の国を破るべき先相ありと予言したが、いささか自讃に似ているけれども、その予言は的中した。今国をあげて対策を立てなくては将来大きな災いとなるであろう」と提言、そして今月ご紹介している「私がこのように申し上げているのは、ただただこの日本国の為を思ってのことであり、正しい佛法の伝道を希ってのことであり、日本の人々、全ての人々の安穏を願ってのことであって、私の名声や評価を思ってのことではありません。私の今の提言を用いないと蒙古からの更なる災があるでしょう。後悔なきよう、ご注告申し上げるのです」 とのご文章をとなるのでありますが、歴史はそのようになったことを伝えております。この時日蓮聖人は「国の為」とおっしゃておられます。もちろん日本国のことであります。けれども、もう一つ「一閻浮提(いちえんぶだい)-地球全体-」ということも念頭に入れての提言だったという事をつけ加えさせていただいた上で今月の聖語を私に拝しますと「日本国はもちろんのこと、世界全体の動向を視野に入れて、全ての人々の幸せも説いている佛法のみ教えを信じ、人々が自分の幸せだけでなく、全ての人々の幸せを祈る大きな気持ちを持ってほしい」と時の幕府や今日の私たちによびかけられておられるのであります。今年の夏、地球は異常気象に見舞われました。集中豪雨、大地震、日本での被害も甚大です。七百年前日蓮聖人の時代も同じでした。日蓮聖人は異常な自然現象をみて「人間も自然の一員、争いという乱に入ってはならない」と警告をなされたのが「立正安国論」でした。
私見ですが、今、世界は一国主義、民族主義化、そして争いの世界に向かっているのでは、日本もその方向にと心配しております。日蓮聖人の立正安国論を拝して詩人宮沢賢治は「世界全体が幸せにならない限り、個人の幸せはない」と警告しました。この警告今月の聖語の結論と私は拝しております。

■滅するは生ぜんが為 下るは登らんが為なり(御輿振御書)
文永六年(1269)三月、日蓮聖人四十八才鎌倉においておしたためになられたお手紙の一節であります。同じ年の一月十日比叡山の僧徒が御輿を奉じて強訴、これがもとで叡山の諸堂が焼失したことは歴史が伝えております。日蓮聖人は、ご自身もかつて学ばれた「学問のお山」でありましたから、当時京都に在住しておられた三位房(さんみぼう)にお与えになられたのが本書であります。ただし、三位房のこと、三位房にお与えになられたかどうかについて諸説がありますので、本稿ではふれずにおきます。 「比叡山の諸堂が焼失したことはかえすかえすも残念なことである。残念ではあるが、なってしまったことをふまえて次に如何になすべきかを考えてゆかなければならない。諸堂が焼失したことを新しい比叡山出発、生まれかわるための準備と心得る。それは例えてみれば、道を下るということは成就という山に登る為の道であると受け止めるべきである。」このご教示、実は今日に生きる私たちへのご教訓でもあります。『今あなたが苦悩の底に在るならばそれはこれから先にある安心への道程である。今あなたが家庭、人間関係で悩んでおられるのであれば、それは解決への下り坂で、その先には平安という立派な山への登り坂が待っているとい思い定め、歩み続けられるがよい』
私の心の友にSさんという男性が居られます。お山の唱題行にご夫妻で参加されています。かれこれ二十年余も昔、Sさんは会社を倒産させ借金に追われ一家心中しようとした時のこと、唱題行で知り合っていた谷中の寺に位牌を預って欲しい≠ニ訪ねられ、本堂でのお経中に私はふとひらめくことがあって今月の聖語を話したのでした。今の苦しみの先には必ず楽という光明のあることを信じてお題目をお唱えすると、苦は楽の始りになる。と日蓮聖人はご教示下さっています≠ニ。Sさんは肩をふるわせて泣いておられました。何言もいわずに毎月お寺に来られ、二人で唱題、三年ほどした時でしょうか、ご夫妻でおいでになられお上人、ようやく借金を返し、独立しましたヨ≠ニ晴れ晴れとした顔、そしてひと言“実は三年前一家心中しよう、それには父母の位牌が、と思ってお上人の所に伺ったら、苦は楽の始りと教えていただいて、死んだ気で一家が頑張り今日そのお礼参りとお位牌をいただきに来ましたその時三人でお唱えしたお題目の楽しさ=A今も鮮明に思い出すことが出来ます。平成三十年も十二月、あと少しであります。今年一年、いや今日までの事を振り返り、人生の行きづまり、苦悩をお持ちであられるならば、今月の聖語を自らの心の糧と受け止められ、Sさんのように生きる力とし、新しい年において安心(あんじん)という美しい花を咲かせていただけることを願ってやみません。

■佛経と行者と 檀那と三事相応して 一事を成ぜん(問注得意鈔)
平成三十一年の新春を寿ぎ、五千有余のご寺院、教会、結社の各聖人、檀信徒の皆様、十方有縁の信徒の皆様に新春のおよろこびを申し上げ、皆様の御清福を御祈り申し上げます。 小衲   昨年五月、はからずも第五十四代日蓮宗管長を拝命いたしました。とより浅学非才の身、その人に非ずと存じておりますが、佛祖のご命令と受け止め、不惜身命精進いたす覚悟でございます。どうぞよろしく御願い申し上げます。 合掌
年初に当り皆さまにご紹介申し上げます聖語「問注得意鈔」は文永六年五月九日、宗祖日蓮大聖人御年四十八歳、鎌倉在住の時、若き鎌倉武士富木常忍氏と同志の三人が仲間とおぼしき武士から信仰上の問題で問注所に訴えられたことに対しての心構えを説かれたお手紙であり、御真蹟は中山法華経寺さんに格護されております。本文で日蓮大聖人は「訴訟の事はそなたたちの方が十分に承知の事であると思うが、 駿馬にも鞭うつ≠フ理りもあり申し上げる」とおっしゃっておられ、実に細部にわたってのご注告をなされております。例えば「相手の雑言にのせられず、 三度までは我慢、 顔色を変えず平静に答えなさい」とのご注告。かく言う私、寮監時代に学生から「瞬間湯沸器」と綽名された者としては今日に生きるご注告と拝受しております。
「み佛の教えは、今現在如何に生きるか、という事を説いておられるが、日常の生活は刻々と変化している。その変化にあやまりなく対応してゆくための道を、み佛のみ教えに従って説いてゆくのが行者法華経修行者である私日蓮の役目である。そしてその教え、導きによって職業を完うすることの出来た人、それが檀那(檀信徒)である。み佛の教え。それを説く人。信じて職を全うする人。この三者が一体となって物事は成就し、国・社会・家庭は安穏なのである」
今月の聖語を私の領解で紹介させていただきました。このご教示を今日の人工頭脳時代に当てて考えてみます。たしかに人工頭脳の発達はすばらしく、人間に代わって何でもする時代がすぐそこまで来ているやに伝えられております。しかしその中に在っても「人間の心」に至ることは困難だとも言われておりますが、人工頭脳は人間を助ける役目に止めるべきであります。さてそうなりますと人間である私たちの「心」が浮び上ってきます。心を平安に保ち続けるにはどうすべきか、日蓮大聖人は「妙法五字の光明に照らされて本有の尊形となる」つまり常に自分が佛さまに見守られている事に気づき、み佛のみ手の中で生活させていただいている。このことを心の奥底にしっかりと定めなさいとご教示下さっております。「心にお題目の光明を」今年はこのこころで過させていただきたく念じております。  
 

 

■釈尊は我等が父母なり 一代の聖教は父母の子を教えたる教経なるべし(法門可申鈔)
今月ご紹介の聖語は、聖人四十八才鎌倉に於て、京都遊学中のお弟子三位房にお与えになられた御文であります。この中で聖人は三位房に対し「都風の脆弱(ぜいじゃく)、軽佻(けいちょう)の僧になってゆくことを心配、質実剛健、真の求道者、東国の気質を失ってはならない。」(遺文辞典) と教誡なさっておられますが、平和の世に慣れ親しんでいる私たち現代人へのご注告でもあると私は拝しております。  このご注告をふまえて今月ご紹介の聖語が説かれます。 「教主釈尊は、私たち信徒にとっては父であり母であると受けとめなさい。釈尊ご一代、五十年に及ぶご説法の全ては父母が子供を教え導いた教訓である。わけても法華経というお経はその最たるみ教えである」 このみ教えを受けて先師は「子、子たらずとも親は親たれ、親、親たらずとも子は子たれ」と絵ときしておられます。親子ともにその役目を完うしなさいと説かれるのであります。
私の法友に上人がおられます。明朗闊達を絵に描いたようなお上人で、頭脳明晰、言説さわやか、明るく、ほがらか、少々出しゃばり、常に話題の中心に居るかなり目立つお上人、私より少し年下ですが何故か気が合い、年齢を越えて、よき佛法の友として今日に至っておりますが、私は内心「日蓮宗のそれなりのお寺の御曹司」と思っており、私のような北国の島生れとは違うな、と思い続けておりました。先般ふとしたことから身の上話になり、「私は捨て子、父母は知りません。施設で育ち、あるお上人のお弟子となって僧侶になりました。私は文字通りみ佛の子です。」 私はしばし言葉がありません。世間一般でいうところの暗さは全くありません。むしろ天衣無縫的明るさを持つお上人です。この明るさ、この姿、どこからきているのか、結論は一つ「佛の子」この事しかありません。自らが佛の子となることによって、自分を捨てた父母への思いを心の奥底に秘め、自分は佛さまの子である。仏さまが父であり母である。ならば佛さまが説いておられるように、明るく、ほがらかに、お題目にお守りいただきながら強く生きようとされている。法友K上人のことを私はこのように理解しております。そして思うのです。法華経お題目のすごさ、有り難さを。更には、私は幸せ者だとも、四十二才私八才の時に亡くなったが父を知っているし、写真もある。五十六才大学二年の時に亡くなったが母の全霊は我が身に遺っている。この幸せを、K上人同様佛の子の一人として明るく人々に説いてゆくべきであると。今は「佛の子」として生きよ。聖人は今月の聖語を通してこのように呼びかけておられるのです。

■南無妙法蓮華経と申す人をば 法華経の行者と申し候(十章鈔)
「み佛が全力をあげてお護り下さる法華経の行者≠ニは心の底から法華経を信じ南無妙法蓮華経とお唱えする人のことである。社会的地位や学問のあるなしにかかわらず、ひたすらお唱えし、実行する人を法華経の行者と言うのである。」 文永八年五月、聖人五十才鎌倉に於いておしたためになられた御文で、お相手は先月号でもご紹介しました三位房というお弟子です。この方は学職豊かな方でしたがみ佛の教えを頭で理解するタイプの方であったらしく、日蓮聖人度々のご注告にもかかわらずその真意が理解出来ず、最終的には聖人のもとを離れられます。ですから六老僧に入ることが出来ませんでした。もう一つ頭のきれる三位房にお出しになられたお手紙で地位や学問・頭で佛法を理解してはならない≠ニお説きになっておられる。このことを念頭に今月ご紹介の聖語を拝していただきたく存じます。「法華経の行者」私たち法華経を信じお題目をお唱えする者にとって、最終的に至るべき境地であり、自分は法華経の行者である≠アの境地に至りたい。この一念、お題目をお唱えしている人ならどなたも持っておられることであると拝します。しかし「法華経の行者日蓮聖人」と申し上げることは出来ても、自ら名のることなど到底出来ることではありません。
では、私たちは「法華経の行者」になることは出来ないのか、「否」であります。日蓮聖人は今月拝読の御書に限らず常に「お題目をお唱えする者は法華経の行者である」とおおせであるからであります。ですから、お題目をお唱えしている私たちはすでに「法華経の行者」なのであります。でありますけれども「行者」と胸を張って言うことが出来ません。それは何かが「不足している」と、どなたもお感じになっておられるからだと思います。かく言う私もその一人であります。あらためてその「何か」を考えてみますと、お題目を唱えきれていない自分。行動が法華経の行者になりきれていない自分、等々なりきれていない自分ばかりが思い出されます。そんな私たちでありますけれども、私はそれでよいのだと拝しております。もし仮に「自分は法華経の行者である」と公言したとしたら如何でしようか、まさしく増長慢そのものであります。自分は未だ法華経の行者に成り切ってはいないけれども、その末端で生活させていただいている。一日二十四時間のうちほんの数時間だがその境地に至らせていただいて居る。そうした自己反省のくり返しの中で着実に行者としての実りはふくらんでいるのです。江戸時代の高僧慧明日燈上人は、母上のために「一時(いっとき)相続すれば一時(いっとき)の佛、一日相続すれば一日の佛」 と絵ときしておられます。今日、一日私は何時(なんとき)佛になれたか、法華経の行者になって居られたか、自分自身を見つめる目、その目・心を養いなさい。私は今月の聖語をこのように拝受しております。

■他の過ちを見るなかれ 他の作さざるを責むるなかれ おのが何をいかになせしかを自らに問うべし(法句経 五〇)
今月は一人の佛弟子の願いとして、宗祖大聖人の聖語ではなく、佛教最古の経典と伝えられているパーリー語のダンマパダ(真理のことば)法句経の第五十番をご紹介させていただくことにしました。ご紹介した日本語訳は池上とご縁の深かった故松原泰道老師の意訳であります。参考までにご紹介しますと、漢訳として伝えられているこの五十番は、「彼(か)の作(な)すと作(な)さざるを観るを務むべからず、常に自ら身を省みて正と不正とを知れ」であります。実にやさしく、理解しやすいみ佛の教えであります。私はこのお経を法華経入門の経典と拝しております。そのわけは後に述べるとしまして、私たちは自分のことを棚にあげ、他人の過失、欠点はよく目につきます。又人の悪しき行為、邪悪についてもよく解ります。そして、それを咎(とが)めたくなり、つい口にしてしまうことが多々あります。それだけではありません。その「咎(とが)め」を自分の心の内では良いことをしたと勘違いしている場合が多いということであります。ところがこの種の注告、咎めは注告している本人も別な形で行っており、他の人はそのことを知っています。ですからそこからは百パーセント「良い結果」は生まれないということ、このことは人類の長い歴史が物語っておりますし、逆に悪い結果の方が多いことを心配された佛さまが、今月ご紹介の法句経で具体的注告として、このみ教えを遺されたのであります。
先師は、「他人のふり見てわがふり直せ」と教えておられますが、この諺も又佛典をふまえてのことと私は拝しております。この経典を現代語訳された松原老師は「他の過ちを責むる前にわが過ちを省(かえり)みよ」と説いておられます。かくありたいと私も拝します。昨今自分の名前の出ないことを幸いに他人への悪口雑言が流行しておりますが、私たちも知らず知らずの内にその仲間入りをしているのでは、と反省しております。私は先にこの経典は法華経に入る前の教典だと述べました「わが過ちを省みる」なかなかむつかしいことであります。ですが、要するに「他人を責めない。責める気持をおこさなければ」よいのです。「妙法五字の光明に照らされ、本来の自分にかえった姿を心に念じ南無妙法蓮華経とお唱えなさい」と 日蓮聖人はこのように説いておられます。このご教示を私は他人の過ちを見る気持が出たら心にお題目をお唱えなさい。このようにうけとめさせていただいております。現代は「他人の過ちを責める」風潮が力を強くしておりますが、法華経、お題目のお力におすがりして、悪口悪口の悪魔から身を守り、毎日の生活を心豊かに過ごしたいと念じております。

■法華経一部を讃歎するは 釈尊の金言なり(行敏訴状会通)
文永八年七月、龍の口御法難のおよそ二ヶ月前、行敏と名乗るお念佛の僧から日蓮聖人に宛て書状が届けられます。「対面を遂げて悪見を破らん」と言うものでした。対し日蓮聖人は個人対個人の対論は「暗中の絹衣――暗闇で絹の衣服を着てもわからぬの通り」なので幕府の役所「公(おおやけ)の場での対論」を申し出られますが、行敏師は受け入れず、逆に幕府に訴えて来ます。陰には当時鎌倉佛教界を引っぱっていた高僧達の居ること、日蓮聖人は十分ご承知で行敏師の名は一句も出さず、真正面から「法華経はお釈迦様の金言、おさとりの真実を説かれたお経であること。末法という時代(鎌倉時代以降のこと)こそ法華経が弘められ、苦しんでいる人々を救済するみ教えであること。自分日蓮はその先陣として教えを弘めていること」を根幹とした論陣を張られます。この他七ヶ条にわたって反論しておられますが本稿ではふれずにおきます。
今月ご紹介の聖語 「妙法蓮華経の一部(開結を含め十巻)を拝読、その内容の尊さ、ありがたさについて知り、それを人々に教え伝え弘めよ、とはお釈迦さまが法華経ご説法の中で説かれていることである。私日蓮の弘法活動も個人の考えでなく、お釈迦さまのご命令に従っているからなのである。」 私の領解(りょうげ)を加えてご紹介させて頂きました。くり返しになりますが、日蓮聖人は法華経を拝読なさる時、全て真実、お説きになっておられることの一つ一つが真実、事実なのだとお受け止めになられます。特に従地涌出品第十五で大地が六種に震動し、地より上行菩薩をはじめとする無数の菩薩が出現なさる場面。この上行菩薩の出現によって末法の衆生が救われるとお説きになられたお釈迦さまのみ教え。当時拝読された多くの人ほぼ全員が物語として読まれている中で、只一人日蓮聖人だけが上行菩薩は出現なさるのである$^実であると受けとめられ、その先がけとして法華経をお弘めになられました。そして法華経で説かれているように三障四魔がおそいかかり、数々のご難に遭われるのであります。このように法華経の教説を全面的に信じきる、ここに日蓮聖人のみ教えの尊さがあります。そしてこのことを日蓮聖人は法華経の教説を信じきる信仰心のことを「信」の一字でお示しになられるのです。この「信」のある者だけがお釈迦さまのお功徳を拝受することが出来る。日蓮聖人は、私たちにこの「信」を持ちなさい、持ち続けなさいとよびかけておられるのであります。

■日蓮は安房国 施陀羅(せんだら)が子也 法華経の御故に捨る事 石を金にかえるにあらずや(佐渡御勘気鈔)
文永八年九月十二日、皆様ご承知のように日?聖人は「龍ノ口のご法難」にあわれます。その後、依智(えち・今の厚木市本山妙純寺様)の本間重連の館に約一ヶ月間留められます。この時旧友であった千葉県安房清澄寺の浄顕房・義浄房のお二人に出されたお手紙が今日ご紹介の『佐渡御勘気鈔』であります。このご文章で日?聖人は二つの大事についてお述べになられます。一つはご自身のお生れを「施陀羅(せんだら)が子(こ)」とおっしゃっておられることであります。施陀羅とはインドにおける社会階級制度上より更に下の階級の人のことでありますが、日本にはこの制度がありませんので、この階級には当りません。ただインドでは狩猟等を行う人を指してますから、聖人はこの意をとって、ご自身の漁民の出自をお述べになられたと拝されております。と申しましても聖人の出自は漁民と言っても、名主・荘官級に位置する中級漁民層のお子であったと考えられております(日?宗辞典)。この事はお手紙の相手であるお二人、清澄寺で倶に修行した浄顕房・義浄房の日?聖人の出自を御存知のお二人であったからこそ、ありのままを表現なさったのであります。
さて、鎌倉時代の各宗の祖師方の全てと言ってよい方々がみな当時の貴族出身であります。唯一日?聖人だけが一般人であります。お釈迦さまがご自分亡きあと全ての人の幸せを願って説かれた法華経を弘める御役として日?聖人をおえらびになられた最大の理由はここにあります。それは「最下級から上の階級の人々」全ての人々の事を知っている人でなければこの大任はつとまらないという厳然たる事実、このことを私達は強く受け止めなければなりません。そしてもう一つ、「法華経に命を預けられた」ご生涯。末法の時代に法華経を理解するには、まず法華経の全文を金言・真実・事実と受けとめる「信力」の持ち主でなければならないこと、加えて法華経を真実のままに弘めるためには「命をも捨てる覚悟」が必要であること。このことは法華経中にくり返し説かれていることであり、日?聖人は、この度の龍ノ口の法難はまさしくその表れであること、自分がこれまで説いてきたことの正しさがこの法難によって証明されたこと。このことをまず、清澄寺の旧友に知ってもらい恩師に報告してほしいとの願いが込められていること申すまでもありません。そして自分の法華経如説修行者としての行動。小湊の浜育ちの自分が大聖釈尊のご遺命を拝するということはまさしく、たとえてみれば石が黄金≠ノ変化したのと同じ大事なのである。このことを深く心に止めおいてほしい。との願いが込められており、七百余年後に生きる私たちにも語られているご教示と拝すべきであります。
 

 

■日蓮は諸菩薩の代官としてこれを申す 加被(かび)を請くる者なり(寺泊御書)
文永八年十月二十二日、今の新潟県寺泊の地より、千葉県中山の富木常忍氏にお出しになられたお手紙の一章であります。先号でもご紹介しましたが、日蓮聖人は龍ノ口のご法難の後、佐渡へのご配流となられますが、寺泊の地で順風待ちのため約六日間この地に留まられ、その時の文であります。富木氏は聖人の身を案じ、供奉の入道をつけられますが、聖人は「ここまででよい」とお帰しになられ、その供奉の入道にたくされたのがこのお手紙であります。又この時富木氏は『鵞目一結(がもくひとゆい)』を供養されたと古書にあります。いつの世も同じと思われるのは私一人ではないと拝します。『私日蓮は、佛陀釈尊、諸天諸菩薩のお使い(代官)として行動し、幕府に申し上げているのである。だから諸菩薩は私を護って下さっているのである。』
今月ご紹介の聖語を私の領解で現代語訳をさせていただきましたが、よりご理解を深めていただくために前後のご事情を加えて、再度ご説明させていただきますと、「日蓮聖人は法華経に説かれている内容を全て真実・事実と受け止められました。そのみ教えにはこの世に生きるもの全ては仏の子である、みな平等に心安らかに生きるべきである∞生きる力、佛力を持っている≠ニ説かれており、聖人はそのみ教えに従って立正安国(お題目によって、人・国が幸せになる)のみ教えを世に弘められましたが、時の権力者はそれを認めません。認めると自分が成り立たないからであります。そこで聖人を迫害しました。それが龍ノ口のご法難であり、佐渡へのご配流であります。ですが聖人は私はみ仏の教えの通りに発言しているので、私日蓮の個人的幸せ、又お金、地位のために言っているのではない、人々の幸せのために言っている。今回このような難に遭っているけれども必ず諸天はご加護下さるであろう。」 との確信をお述べになられたのがこのお手紙であります。事実佐渡では足かけ四年でご赦免になられ、その後身延山にご入山なされますが、聖人のご教示は佐渡ご配流前と配流の後では深まりに差があります。佐渡でのご生活は法華経の行者日蓮≠ニしての確信がより深まってゆかれるのであり、今回ご紹介のお手紙は『佐前最後』のお手紙ということになります。
では今月の聖語を私たちはどのように受け止め、実行したらよいか―。「日蓮聖人が受けられたご加護を私たちも拝受することが出来る」まずこのことを信じ「お題目を口と心と体で実行」することであります。何を実行するかは人によって異りますから 「自分の行動がみ仏のお題目の心に叶っているか」との自己判断が必要で、その判断をみ佛と一対一で行う、ここに日蓮聖人のお説きになっておられる、お題目信仰による安心の世界があります。

■大事の秘法を此国に初めて之を弘む 日蓮豈に其の人に非ずや(富木入道殿御返事)
文永八年十一月二十二日、日蓮聖人は佐渡塚原三昧堂において、佐渡御配流の第一報を富木常忍入道にお出しになられますが、今月の聖語はその一節であります。冒頭で「霜、雪の降らない時はあっても、日光を見ることなし。八寒(八種の寒さ)を現実に感じて居る」と現代の十二月の佐渡の寒さについて述べておられます。そして、龍の口での刀杖の難に加えて、佐渡配流の難、これこそが二千二百余年前に教主釈尊が末法の衆生の爲に遺されたお経、法華経で予言されている『上行菩薩出現と法華経流布の法難』に相当することである、との確信をお持ちになられるのであります。ご心中を富木入道にお示しになられたのが本書であります。「教主釈迦牟尼佛世尊が、末法の衆生のために上行菩薩に託された大事の秘法、法華経、お題目を此の国において初めて弘めたのが私、日蓮である。ならば私日蓮こそが二千二百年前、印度霊鷲山において付属を受けられた上行菩薩その人に非ずや」 ついに上行菩薩ご自覚の一言をお述べになられました。佐渡に渡られる前までは「先がけの人」「代官」等のご発言でありましたが、ご自身の数限りない御難、経文の予言通りの天変地異、外国からの難、全てが経文の予言通りであり、それに基づいて私は発言、警告し、この大難である。しかもこのことは印度、中国、日本において未だかつて誰も弘めてはいない。内心では思っておられた先師も存在したが、実行はなされなかった。私日蓮が唯一人この秘法を世に弘めたのである。このことは大難の苦しみより、その大任を自覚した法悦の方がはるかに大きい。であるから 「この度の佐渡への流罪の事、痛み苦しみ歎く必要はない。この難は法華経勧持品、不軽品に説かれている通りなのだから、むしろ悦んでもらいたい。只一つ願うことは日本が、世界が佛の国となることなのである」
ご自身は数限りないご法難の結末として八寒地獄に譬えられる極寒の佐渡塚原の荒れた小堂に身を置きながら、佛法体現(色読―体で読む)の法悦にひたりつつ、この国の人々がお題目による心の平安を持つ佛の国へと変ってゆくことを願う日蓮聖人の御心。私たちはどう感謝し、どう受け止め、どう実行してゆくべきでありましょうか。毎々申し上げていることでありますが、私たちにとって大事なことは日蓮聖人上行菩薩のご再誕、法華経お題目こそが私たちに心と体の安らぎを与えて下さるみ教えと信じきり、実行すること以外何もありません。私が、師匠から申し渡された教えの中に「いつお祖師様の処に行っても胸を張ってご報告出来る生活をしなさい」がありました。いつ来るか判らない死、その時がいつであっても私はお題目をお唱えし、実行してきました≠ニ報告出来る生活をする。ここに法華経お題目に守られた生活があります。日蓮聖人上行菩薩のご自覚は、私たちの信仰生活にこのように重なっているのだと私は拝しております。

■日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめ 佛に成る血脈を継がしめんとす(生死一大事血脈鈔)
文永九年(一二七二)二月十一日、佐渡塚原三昧堂において、故あって佐渡に流されていた天台宗の僧(後に聖人のお弟子になられたと伝えられております)最蓮房にお与えになられたお手紙の一節を今月はご紹介させていただきます。今月のことばのご説明をする前にこのお手紙の大事な内容について、私の理解するところを加えて少しご紹介いたします。「私たちがこの世に生をいただいて、人生を終るまでの全ては法華経のみ教えの中のことである。久遠の佛さまであるお釈迦さま、妙法蓮華経・お題目、そして私たち一切衆生、この三者が一体である、区別がないと領解(信仰的理解)し、ひたすら唱題修行すること、その唱題修行の中にこそ生死が一体となった大安心の境地が存在するのである」 もう一つ。唱題三昧ということが先師のみ教えにございます。静かに正座すること、このことが「静」であることはどなたもご理解出来ると思います。これに対し唱題となりますと「動」とどなたも思われると思います。たしかに声を出すのですから「動」にちがいありませんが、南無妙法蓮華経のお題目を「唱えて唱えて唱えきった時」実は、そこに「静」の世界があるのです。私は「動の中の静」と申し上げておりますが、「動の中の静」の境地を味わせていただいた時、そこには「法悦」しかありません。当山で毎月行っている唱題行もこの「動の中の静」「法悦」を味わっていっていただくためのご修行なのでございます。以上のことをお心にとどめて、いただき今月のことばの私の領解を読んでいただきたく存じます。
「私日蓮は、この佐渡に配流の身となってあらためて、私が今日まで弘めてきた法華経お題目のこころが正しかったこと、それはまさしく、久遠実成の仏さまが末法の衆生救済のために遺されたみ教えの実践であったという確信を持つことが出来た。この決意のもと、あらためて日本国の一切の人々に法華経お題目を信じてもらい、佛さま発願の道すじ(血脈)を受け止めていただきたいと願うばかりである。」 更に日蓮聖人は「日蓮が弟子檀那は水魚の思い、水と魚が一体であるように、自分だ他人だとの区別を無くし自分と他人とが一体となった心で南無妙法蓮華経とお唱えなさり、そのこころ、その修行の姿を生死一大事の血脈(生と死が一体となった大安心の境地)と言うのである」と 結んでおられます。九月は秋のお彼岸、ご先祖さまはじめ、亡き方々のご回向はもちろんでありますが、自らの安心、佛性開顕に心をそそぐ一週間であってほしいと願ってやみません。

■但、法華経計(ばか)り 教主釈尊の正言なり(開目抄)
池上抄では宗祖日蓮大聖人が三十二才立教開宗なされた時からの御文章を年代順にご紹介申し上げておりますが、今回ご紹介させていただく「開目抄」は四百余編におよぶ御文章の中でも最重要の御文、ご教示でありますので、三、四回にわたってその内容をお伝えさせていただくことにいたしました。文永八年(一二七一)十一月、佐渡塚原三昧堂にご配流の身となられてすぐにご撰述を開始、翌年二月に完成。折りよく訪れた大信者四条金吾殿の使者に託して「有縁の弟子」にお与えになられたのが「開目抄」であります。その目的と申しますと、聖人は、三十二才の立教開宗から五十才の佐渡ご配流まで十九年間、大難四度、小難数知れぬ迫害の連続でありました。そして何よりも「佐渡に流されると生きて帰れない」という伝えもありお弟子信者の中に少なからず動揺があり、大聖人の弘教に疑問をいだく者も出はじめ、それらの事をお考えになられてこの開目抄をおあらわしになられたものであります。ご真蹟は身延山にありましたが、明治八年の大火で焼失、しかし沢山の写本があり、原文のまま存在しております。本文六十五紙という大論文であります。この中で聖人は「法華経こそがお釈迦さまが末法の衆生救済のために遺された真実のみ教えである」「そのみ教えを弘める大任を上行菩薩に託されている」「この法華経を弘めると三障四魔(諸々の難)がおそいかかる」ということが示されているが、私日蓮はその事の全てを体現してきた。必ず諸天善神がこのことを証明して下さるであろう、今こそ法華経への信力を強めなさい、とご教示なさるのであります。そして後のことになりますが佐渡ご配流中に「観心本尊抄」をおあらわしになられ、この度の「開目抄」はそのための大前提となる大事なみ教えであります。
「お釈迦さま五十年のご説法は数限りなく存在する。それらは全てお釈迦さまご在世の人々のために、その人の求めに応じてお説きになられたみ教えである。但し法華経だけは、お釈迦さまご入滅二千年を経て、人々が佛教を信じなくなった時代、末法の時代の人々のために自らのご意志でお説きになられたみ教えである。法華経だけがご入滅後二千五百年に生きる私たち衆生のためにお説きになられた正言(金言とも、真実のこと)なのである」 少々長くなりましたが今日の聖語を私の領解を加えてご紹介させていただきました。そして日蓮聖人は、「あなたがもし、心と体の真の安らぎを得たいと願われるならば、まずこのことを『信じきり』なさい。」と私たちによびかけておられるのであります。毎度のくり返しになりますが、七百年前、お弟子信者にお与えになられた「開目抄」も又、時間空間を越えて現在に生きる私たちへのよびかけでもあるのです。

■当世日本国に第一に 富める者は日蓮なるべし(開目抄)
先月に続いて開目抄で示された日蓮聖人の聖語をご紹介いたします。紙数の都合で短くご紹介いたしましたので聖語の一句全てをご紹介いたします。「当世日本国に、第一に富める者は、日蓮なるべし 命は法華経にたてまつる名をば後世にとどむべし」 先号でも申し上げましたが、文永八年十一月日蓮聖人は佐渡にご配流になられます。思いおこしますと、松葉ヶ谷の焼打、伊豆へのご配流、小松原のご難、龍ノ口のご難に続いての佐渡へのご配流です。お弟子信徒の中には「日蓮聖人の弘教、弘法は正しいのか」「ご守護神はお守り下さらないのか」との疑問を持つ人が出てきました。そこで先月ご紹介の「私日蓮の法華経観、布教は釈尊の金言通り」とのご決意表明をなされて、更にご自身がこの法難についてどう思っておられるかということについてお述べになられたのが今月ご紹介の聖語であります。
「私日蓮は北国寒山佐渡ヶ島に流されている、皆さんから見て過酷なように思われるかも知れない、又法華経布教について疑問を持たれるかも知れないが、私の心は法悦にあふれている、世間一般的な表現をするなら日本第一の富める者、豊かな者≠ニいう幸せな心に満ちあふれている。というのが今の正直な心境なのである。」 とおおせになられ、更に加えて、その理由として、
「お釈迦さまはこの法華経を上行菩薩に弘めよ≠ニご遺言となされた。その上行菩薩が真に法華経を弘めると身命を失うほどの難に遭うと説かれている。私はまさにその通りの生活をしてきた。私こそが法華経の行者、実践者なのである。このことを確信した時の有り難さ、尊さをわかってほしい。これほどの悦び、これほどの豊める者が他におられようか、この大事を成しとげた私のことは末代までも語り継がれてゆくことであろう」 更に加えて、「天の加護なき事を疑わざれ、現世の安穏ならざる事をなげかざれ」 とおおせであります。それは全て法華経の行者≠フ証しなのだから。七百年後の私たちの心中を見透かされてのご教示と思わずにおられません。
「心の豊かさ」「佛法実践の法の悦び」日蓮聖人は佐渡の国から鎌倉、千葉、静岡の弟子信者の方にこの事をお示し、「そなた達もこの心境を味わいなさい」とお伝えになられました。このことはとりも直さず令和の時代に生きる私たちへのよびかけでもあります。「あなたは法華経、お題目を信仰することによって豊かな心になっていますか」「あなたは法華経、お題目を信ずることに佛法上の喜び(法悦)を感じていますか」「あなたは諸天善神のご加護を信じていますか」 他人に言う必要はありません。池上のお祖師さま、菩提寺本堂のお祖師さまお宅のお佛壇のお祖師さまにご返事なさって下さい。  
 

 

■人をあだむことなかれ 眼あらば経文に我が身をあわせよ(開目抄)
今月も開目抄のご教示をご紹介いたします。先月号で日蓮聖人が極寒の地佐渡に配流の身でありながら「日本第一の富める者」という日蓮聖人法悦のご心境をご紹介いたしました。今月は私達に対し、自分と同じように佛さま、法華経と生きる法悦を味わいなさい、というよびかけであります。『自分が不幸であるとか、他人とのことで心を悩ますことはやめなさい。 もしあなたが法華経・お題目を信仰し自らの本当の幸せを希うのであれば自分の行動を法華経の経文にお題目のみ教えに照らしてみなさい∞自分はお題目の心で他の人に接しているか、お題目の心で日常をおくっているか≠我れと我が身に問う生活をしなさい。』 今月の聖語を私の領解を通してご紹介させていただきました。なかなか厳しいご教示であります。ですがもう一度聖語を拝見なさって下さい。「経文に我が身をあわせよ」とは佛さま・お祖師様と一緒の生活・言動をせよ≠ニ言うことであると私は拝受しております。
このことを江戸時代の高僧慧明日燈上人という方がご自分の母上にお題目のこころを示されたご教化でこのように絵解きされております。「母上まず目をとじ、おなか中の自分勝手な心の気をはき出して下さい。そして佛さま、日蓮聖人を心に念じ清浄の気を鼻から吸います。これを三回くり返します。そして心も体も息も清浄になったところでお題目を静かにお唱えします。こちらは十唱ほど。この浄らかな気持、佛さま日蓮聖人とご一緒の気持、この気持を一時(いっとき)持てば一時の佛さま、一日持てば一日の佛さまなのです。つまり母上が一時の佛さまになられたのです。そのあと日常の母上、凡夫の母上にもどられます。このくり返しの中で佛さまの時を少しでも長くするこのこと大切にして下さい。そして一日に何回この気持になれるかをご自分でおたしかめ下さい。いや、このことをお楽しみ下さい。それがお題目の生活なのです。」 一日に何回佛さまの境地に至れたかを楽しんで下さい」日燈上人の母上に示された温かさが伝わってきます。如何でしょう、 一時の佛=@一日の佛℃ゥ分を監視するのではなく今日は一時の佛さまになれた≠ニ楽しむ。これなら私たちにも出来るのではないでしょうか。当山第八十世金子日威貫首さま、聖人でなくあえて親しみをこめ貫首さまと申し上げさせていただきますが、「私は朝のおつとめが一番の楽しみだ」が口ぐせでした。小僧の私など苦行≠セったのですが、その苦行を楽しみと拝受するこの楽しみの気持こそが今月の聖語の実践であったのだと、私は拝しております。一年の終りの月、一年の反省心をこめ、実行なさることをおすすめします。

■我れ日本の柱とならん 我れ日本の眼目とならん 我れ日本の大船とならん 誓いし願やぶるべからず(開目抄)
令和二年の新春を寿ぎ、十方有縁の各聖各位皆様のご平安と世界の平和を心よりお祈り申し上げます。 合掌
年初に当りご紹介申し上げます日蓮聖人の聖語は、ご入滅後七百年を経た私たち門下に遺されたお題目受持者の「誓願―誓い・心がまえ」であります。日蓮聖人は、建長五年四月二十八日清澄寺に於て立教開宗を宣言、法華経、お題目による一切衆生救済のご決意をなさいました。この時ご自身、心中深く秘めておられたご決意、その内容を開目抄ではっきりお示しになられたのがご紹介の聖語であります。私共門下一同は「三大誓願」として大切に大切にお守りさせていただいております。このご誓願、佐渡ご配流という極限極寒の中で、一つにはご自身のご決意表明のため、二つには私達滅後の門下の者に対して「かくあれ」とお示しになられた「ご教示」でもあります。このご教示を法華経詩人として名高い宮沢賢治は、「世界全体が幸せにならない限り個人の幸せはあり得ない」と解説されました。三大誓願の今日的表現であると私は拝しております。
この表現をもとに現在の私たち、日本・世界いや地球温暖化の事に合わせて考えてみますと、地球温暖化の話は十年、いや二十年も前から警告とよびかけがなされ、私たちも身の廻りから見直しましょう、とゴミの分別や焚き火の禁止などを行ってきましたが、如何でしょう。正直に申し上げて今一つ身近に感じていなかったのではないでしょうか。ですが南インド洋の島々では五十年後に水没すると、今からその準備をすすめております。そんな中で大国の大統領が「温暖化なんかそれぞれで考えればよいこと、国をあげての行動は不用」と言ったそうですが、とんでもない暴言です。その証拠に、ここ一・二年の強雨、竜巻、最強台風、世界各地をおそい各国で尽大な被害を受けております。日本も例外ではありません。海水温の上昇、温暖化がその原因と指摘されて私たちもようやく、目がさめたのではないでしょうか。識者によると、今後毎年続く可能性大との事です。如何でしょう。個人と世界は一つ、宮沢賢治の言う通りであります。気候だけではありません。生活の格差、貧困、地域紛争、人種差別、みんな私たち一個人とつながっております。私たちは世界の現実を直視する「眼」、世界の人々の声を聴く「耳」をもって、あらためて日蓮聖人のご教示、三大誓願を我が身、我が心にあてて拝受すべき時であると拝します。

■法華経の寿量品にして 皆成佛する也(佐渡御書)
「私たち凡夫が、お釈迦さま、日蓮聖人と同じ、大安心の境地に至るには、妙法蓮華経の第十六番、如来寿量品で説かれている南無妙法蓮華経の五字七字を信じきり心と身にしっかりと納めること、お題目を身・口・意(心)でしっかりお唱えし法悦の境地に常住すること。それが法華経による成佛なのである」 文永九年(一二七二)三月二十日、佐渡から一門の人々、わけても富木常忍、四条金吾、十郎入道、桟敷の尼といった代表的信徒を通して、お弟子檀那一同に対しお示しになられたご教示であります。又時を同じくしていることから先号までご紹介してきました「開目抄」に準ずる御書でもあります。教学的には第一段から第六段までと細部にわたってのご教示が示されておりますが、本誌の立場上第一段の中より、先にご紹介した一文を取りあげさせていただきました。と申しますのも、当時のお弟子信者の人々が抱いた疑問「日蓮聖人は度々ご難に遭っておられるが、本当に法華経お題目で成佛、大安心の境地に至ることが出来るのであろうか」「聖人が法華経の行者ならば、法華経のご守護神が何故守って下さらないのか」等々の疑問を持つ人々が出てきたために、その人々への念おし的ご教示として本書はしたためられました。それは本文のあとの追申で「志ある人は寄合って本書を見て心慰め、一層の信仰心を養ってほしい。」と結ばれていることから伺い知ることが出来ます。
では、このことは当時の人々だけの事でありましょうか「否」であります。むしろ令和に生きる私たちへのご教示、励ましであると拝します。「あなたは今、法華経、寿量品で説かれている、南無妙法蓮華経のお題目によって心の安らぎ、法の悦びを得ておりますか、何事にもゆるぎのない大安心の境地に至っておりますか、もし至っていないのであれば今一度お題目を、身と口と意(心)の三つ、三業に受持し直し、一日も早く大安心の境地に至って下さい」 今月の聖語を今日の私たち向けの言葉として再表現させていただきました。
本書でもう一つご紹介しておきたいことがあります、それは本書の第六段、結びの項における日蓮聖人ご自身の過去世に対する強い反省の御心であります。「人々は過去におかした『因』によって今生の『苦』があるが、私日蓮の『苦』は、過去世に於て法華経を信じ切れなかった失によるものである?」 このご反省であります。さてそこで今の私達が素直に法華経、お題目の世界に住することが出来ないのは過去の如何なる罪障によるものなのでありましょうか。法華経を信じ、お題目をお唱えし、大安心の境地に至ることを目指す私たち、日蓮聖人の(ですら)なされた自身の過去に目を向けることも忘れてはならない修行の一つであること、心に納めておかなければいけない大事であります。  
 

 

 
 

 

 
 

 

 
日蓮聖人・聖語

 

 
 

 

■獅子王の如くなる 心をもてる者 必ず仏になるべし
日蓮聖人御遺文「佐渡御書」/文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
この文章は、「例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛(ごうじょう)なるべし」と続く。 仏教者・仏弟子として、仏の教え・正法の衰微をどうして悲しまずにおられよう。正法の衰滅にあらがい、正法護持建立に奮然たつ。正法哀惜の情(じょう)うたた強盛たらざるを得ぬ。これが仏者の当然の気持ちである。 そのため百出の困難をしのぐ内なる勇気、かの獅子は小兎一匹にも全力を尽くし、大象にも恐れず雄々しくたちむかう。そのような獅子王の気概。この心あればかならず仏となる。我日蓮がその実例であり、これは決して日蓮のおごりではない。 日蓮は、獅子王だ。日蓮聖人の言(げん)は獅子吼だ。受難に身をさらす我が門弟達よ、ついの願い仏になるために、このことを知悉せよ。冷静に判断せよ。門弟にいいさとす日蓮聖人のお言葉は重い。

■人の悪心 盛んなれば 天に凶変 地に凶夭出来す
日蓮聖人御遺文「瑞相御書」/文永十二年(一二七五年聖寿五十四歳)
きちずい吉瑞と凶夭 自然界に起こる様々な異変は、自然の運行、自然それ自体の活動とはせず、人間界の動向と深く関わると考えるのがえ依しょうふにろん正不二論。「人の悦び多々なれば、天に吉瑞をあらわし、地に帝釈の動きあり」と、示される。人の平安多幸は、吉祥の瑞が天にみちるし、地も帝釈の快い活動を招いて安穏豊楽で五穀がうるおうというのである。その逆が掲出文。悪心さかんで人の迷惑つのれば、不吉な天変・不祥な地夭が競起し充満すると。人間堕落の根本は三毒。人間破壊の害毒三つの煩悩がとん貧・じん瞋・ち痴。災害は自然界の怒りで人間界の怒りの反動。心身の平安を乱しさとりを妨げるこんぽんあく根本悪しんに瞋恚。集団瞋恚の反動は当然に大きく、大害をもたらせる

■法華経 修行の者の 所住の処を浄土と思うべし
日蓮聖人御遺文「守護国家論」/正元元年(一二五九年聖寿三十八歳)
「娑婆即浄土」 この聖語の前には「此の文の如(ごとく)んば本(ほん)地(じ)久(く)成(じょう)の円仏は此の世界に在せり。此の土を捨て何れの土を願うべきや。故に〜」とある。「此の文」とは、次の三文を指している。「問うて云く、法華経修行の者、何れの浄土を期(ご)すべきや。答えて曰く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云(いわ)く、我常に此の娑婆世界に在りと。亦云(またいわ)く、我常に此に住すと。亦云く、我が此土は安穏と」。我等が願求し期待し努力すべき浄土の所在はいずこ、というのが質問。我(われ)等(ら)所住のこの世、現実の娑婆世界こそ願うべき浄土である。娑婆を離れて真実の浄土はないから、あらぬ方(かた)を望むべきではない。何故なら久遠の昔から円満の仏で一切の迹仏(しゃくぶつ)の本地である教主釈尊常住常在の地が娑婆であるからである。 要するに現実遊離は仏説に非ず、なのである。

■心すなわち大地 大地則草木なり
日蓮聖人御遺文「事理供養御所」/建治二年(一二七六年 聖寿五五歳)
「宗教と生活」 この聖語の前には、「爾前の経々の心は、心より万法を生ず譬えば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す 法華経はしからず」とある。日蓮聖人は、爾前経と法華経の思想、その立脚点の相違を述べている。法華経が説かれる以前の諸経と法華経とは教理上おおいに異なり浅深があると。世間のありように対する認識はその一例であって、法華経以前の諸経は、世間の法を仏法と関係づけておしえているのであるが、法華経はそうではない。法華経では世間の法がそのまま仏法の全体であると解釈し認定するのである。爾前経は世間の現象を対立的相対的に見て、現象のあれこれを仏法と引き合わせて解釈するが、法華経は、端的・直截に世法即仏法と説くのである。だから心が万法(すべてのもの)を生む大地で生ずる草木は万法というが、そうではなく、心即大地・大地即草木と見る。つまり対立の調和ではなく融合一体。すなわち宗教と生活の一枚化の原理の説示である。

■男は柱のごとし女は桁のごとし 男は羽のごとし女は身のごとし
日蓮聖人御遺文「千日尼御返事」/弘安元年(一二七八 聖寿五十七歳)
「夫婦」 男女・夫婦の互いの役割をものに託して指摘した三箇条。掲出の二箇条の間には省略した一文がある。「男は足のごとし 女人は身のごとし」である。桁(なかわ)は柱の上に渡す屋根の受け木。柱が倒れると落下する。柱なくして桁(けた)はない。桁(けた)なくば屋根ふけぬ。ともになくてはならぬ用材である。男女の関係、ここは夫婦の関係の密接不可分さを告げ、相互の関係をいいつくしている。足と身、羽と身の関係を指摘して一体不可分さを語る。男が足と羽に譬(ひ)されたのは、夫のはたらきをいい、それが存分に活動するのは妻たる身のささえによるというわけ。つまりは、男の仕業は女の力ということ。「家に男なければ人の魂なきがごとし。公事(くうじ)をばたれにかいいあわせん。よき物をばたれにかやしなうべき」とつづく。 
 

 

■妙法蓮華経と申すは 蓮に譬られて候
日蓮聖人御遺文「上野尼御前御返事」/弘安四年(一二八一年 聖寿六十歳)
「仏花蓮華」 妙法蓮華経とは、妙なる蓮華の教え。仏教の象徴は蓮華。仏の花、仏花は蓮華である。花はどの花も美しい。めでたい花がある。花の中の花、大王の花が蓮華である。法華経は諸経の王、大王経だから、妙法蓮華経と名付けられた。天上界にはマンダラ華、人間界には桜の花、仏界は蓮華。「蓮(はちす)はきよきもの、泥よりいでたり」。泥中に身を沈めながら汚泥に染まることなく清浄に咲き誇る花蓮華。仏花蓮華は、仏をめざす人間の生き方を無言で示す。「一切の花の中に取分けて此花(このはな)を法華経に譬(たと)えさせ給(たも)う事は其故候(そのゆえそうろう)なり」という。仏花蓮華には、深い意味があるというのである。

■先、臨終の事を習うて 後に他事を習うべし
日蓮聖人御遺文「妙法尼御前御返事」/弘安元年(一二七八年 聖寿五十七歳)
「喫緊(きっきん)の課題(かだい)」 日蓮聖人は、十二歳清澄寺(せいちょうじ)に登って仏教の修学に着手。四年後の十六歳、髪を剃り落として出家、是聖房(ぜしょうぼう)と名乗られた。登山につぐ第二の転機は仏弟子としての道を歩むことであった。四年間の基礎学の修得を卒(お)えてさらなる修学の志望をかきたて出家の道へと日蓮聖人をいざなった動機はいくつか知られる。その主要で決定的であったのは無常観であり、人生無常苦・死の超克の問題であった。死は人生苦の集約であり、争乱にあけくれる中世のただ中に生きられた日蓮聖人は、そのことを日々に実感されたのである。そこから臨終の大事を解決することが何にも勝る優先課題、先決問題である、と思い定められた。

■願くは一切の道俗 一時の世事を止めて 永劫の善苗を種えよ
日蓮聖人御遺文「守護国家論」/正元元年(一二五九年 聖寿三十八歳)
「善苗(ぜんみょう)下種(げしゅ)」 世事はこの世のことども。この世は俗世。俗世間の諸事百般は多くはとりとめのない無価の事柄。俗事にかまけ、世間になずみ、ふりまわされて一生を終えるのが一般。このことは、在俗の人も仏道に入っている僧も、道俗あわせ通同だ。僧もまた俗の俗たる人と成り下がっているからだ。だから要するにすべての人よ、まず何よりもこの世一時の俗事を止めて、心の種まきにいそしみ、永劫不変の善き苗を植え育てよう。善苗(ぜんみょう)とは仏種(ぶっしゅ)である。尊貴(そんき)な仏教をわれらの心田(しんでん)に植え、仏を目指し仏となることに励もう。それが仏教徒のふるまい、仕業(しわざ)である。今この論策は日蓮の私言ではなく、経・論にもとづいての仏説である。自義ではない。客観視してさばいてほしい。

■鉄は炎打てば剣となる 賢聖は罵詈して試みるなるべし
日蓮聖人御遺文「佐渡御書」/文永九年(一二七二年 聖寿五十一歳
「試練」 名刀は鍛えれば鍛えるほど、打てば打つほど出来栄えは見事である。歴史に名をとどめる賢人(けんじん)・聖人(せいじん)も悪口(あっく)雑言(ぞうごん)・罵詈(めり)誹謗(ひぼう)の嵐に耐え、それを試練として自己を磨いていった。悪口(あっく)罵詈(めり)のみならず刀杖(とうじょう)瓦礫(がりゃく)、流(る)罪(ざい)死(し)罪(ざい)がたえまなく見(み)舞(ま)い、それをばねとし試験台(しけんだい)として飛躍(ひやく)していったのが日蓮聖人の歩みであられた。だからこそ、迫害者(はくがいしゃ)を己を磨き鍛える善知識(ぜんちしき)と言(い)ったのであるが、それは同時(どうじ)に先(せん)業(ごう)の重(じゅう)罪(ざい)を今生(こんじょう)の大難(だいなん)甘受(かんじゅ)を通(とお)して消(しょう)去(きょ)し、未来(みらい)の大苦(だいく)を軽(かる)からしめるという「転(てん)重軽受(じゅうきょうじゅ)」の教(おし)えを踏(ふ)み行(ゆ)くものであった。だから、困苦迫害に身をさらされた歩みは歎き(なげ)ではなかった、との回想の言葉を残されもしたのであった。

■在世の月は今も月 在世の花は今も花 むかしの功徳は今の功徳なり
日蓮聖人御遺文「南条殿御返事/建治元年(一二七五年 聖寿五十四歳)
「功徳」 この御遺文は、麦の供養への謝辞を述べた中の一節である。仏弟子阿那律(あなりつ)尊者(そんじゃ)と迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)の故事を引き、供養の得果は仏となった。だから、「彼をもって此を案ずるに、檀那の白麦(しらむぎ)はいやしくて仏にならず候べきか。おくり給びて候御心ざしは、麦にあらず金(こがね)なり。金(こがね)にはあらず法華経の文字なり。今の麦は法華経の文字(もんじ)なり」と芳志(ほうし)を讃える。釈尊在世の月は今も変わらず同じ月として輝く。花も咲き続けて同じ。懇志(こんし)の功徳も同様である。「昔と今と一同なり」「在世は今にあり、今は在世なり」。古今を通じて至誠(しせい)・懇情(こんじょう)もとることはない。それらの事(こと)共(ども)を思うにつけ、変わることないばかりか、いよいよますますの篤き信仰、熱誠(ねっせい)の信心。讃ずるのほかは何もない。 
 

 

■大事には小瑞なし 大悪おこれば大善きたる
日蓮聖人御遺文「大善大悪御書」/文永十二年 (一二七五年 聖寿五十四歳)
「大善と大悪」 めでたいしるしやきざしである瑞相(ずいそう)・瑞兆(ずいちょう)は、どうでもよい小事にはおこらず、大事におこる。大事には小瑞(しょうずい)はなく、大瑞(だいずい)があらわれるのである。一方、小を捨てて大に就くべきであり、小を忍びずば大謀(だいぼう)は無理なこと。大悪の興起(こうき)は大善興起の大瑞と思うべきである。大悪の根源、法華経誹謗(ひぼう)の大謗法(だいほうぼう)が国土に充満している事実は、大正法たる法華経信仰が流布する大瑞相でありその明証(みょうしょう)である。「魔競わずは正法と知るべからず」なのだから、眼前の大悪は悲歎すべきではなく、逆に喜びである。「舞(まい)をも舞(まい)ぬべし、立(たち)て踊りぬべし」といって弾圧下の門弟を日蓮聖人は鼓舞するのであった。

■子にすぎたる財なし
日蓮聖人御遺文「千日尼御返事」/弘安三年(一二八十年 聖寿五十九歳)
「絶大の慰撫」 佐渡配流の身の日蓮聖人を命を投げ出して庇護した阿仏房の妻千日尼宛の長い手紙の結文。佐渡・身延の間をいくたびも往来した阿仏房。佐渡にあって苦境の日蓮聖人を懸命に護り助けた阿仏房。人生を信仰を語り明かした阿仏房。その阿仏房が死んだ。弘安二年三月二十一日である。七月二日、子の藤九郎守綱は父の遺骨を首に掛け身延に登山し、日蓮聖人の草庵のかたわらに埋骨した。今年また七月一日、守綱は墓参に上山した。仏事を営み終えた守綱は、佐渡への帰途につく。島へ帰る子に、島で待つ千日尼への状を日蓮聖人はもたせやる。夫を亡くした妻の別離の悲しみを思いやり、はるばる登詣(とうけい)した孝子をたたえ、その母に、「子にすぎたる財なし」と書き付けた。それはあふれ出る慈愛の言葉であり、絶大の慰撫と激励であった。

■日蓮が慈悲広大ならば  南無妙法蓮華経は 万年の外未来までもながるべし
日蓮聖人御遺文「報恩抄」/建治二年(一二七六年 聖寿五十五歳)
「慈悲広大」 全ての生あるもの一切衆生の救済、つまり成仏が仏教の目指す究極の課題。教主釈尊は衆生救済の大慈悲心にあふれた聖者、大慈悲者であられる。大慈悲者の仏の使命を引き継いだ法華経の行者日蓮聖人。仏の命・仏の魂魄、唯一の成仏への直道法華経の題目、「南無妙法蓮華経」は、万年をこえでた未来に向けて流伝する。日蓮聖人の衆生救済の慈悲心が広大だから、そのことは確かである。衆生の救済・成仏の達成に向けて人々の盲目を開き、地獄への道を途絶させる。そのことが日蓮聖人の仕事である。人間凝視への開目、仏を見つめる心の開目、これによって人は仏となり得る。大いなる慈悲の実践者仏、仏の慈悲の継承者日蓮聖人。日蓮聖人の課題を総括する一文である。

■仏法は体のごとし 世間は影のごとし 体曲れば影ななめなり
日蓮聖人御遺文「諸経与法華経難易事」/弘安三年(一二八〇年 聖寿五十九歳)
「体と影」 仏法と王法(世間法)は一体不可分の関係にある。その関係は、仏法が主体・中心であり、王法はその反映・影響である。それは、本末の関係である。仏法の顛倒(てんどう)は、世間の濁乱(じょくらん)を招き起こす。体と影は不分で相即するのである。仏法の混濁・迷妄はそのまま世間に反映して悪影響を与える。源流が濁っていれば下流が清いはずはなく、身が曲がっていては影がまっすぐなはずがない。この関係を日蓮聖人は「法定まり国清(す)めり」といわれる。ゆえに国土の平安は仏法の正しい安定によるのである。かくて要するに宗教の邪正と国家の消長はそのままに対応し比例する。日蓮聖人の「立正安国」の主張はここに立脚する。日蓮聖人の一生の主張と課題と使命感をあふれさせた「立正安国」。「立正」の意味はことのほか深重(じんじゅう)である。

■早く天下の静謐を思はば 須く国中の謗法を断つべし
日蓮聖人御遺文「立正安国論」/建治二年(一二七六年 聖寿五十五歳)
「榜法禁断」 天下の平安、静謐は、仏法に信順し正法を信受することによってもたらされる。すなわち正法の建立がその前提であり、逆にいえば邪法の根絶・謗法(ほうぼう)の禁断が要請される。しかるに世間のありさまは「如来誠諦の禁(きん)言(げん)」に反逆し、「愚侶(ぐりょ)迷惑(めいわく)の麁(そ)語(ご)」に随順さかさまぶりである。この現実の願うべき世の太平を乱し、望むべき静謐を疎外する。とまれ法の乱れは国の乱れである。このように日蓮聖人は考え「立正安国論」の趣旨はこのことを仏説にもとづいて論述したのであった。「如来誠諦」とは「法華経如来寿量品」の文、釈尊の金言をいう。本仏の金言は絶対順守が要請される。本仏釈尊の要請に応えることが、仏教者の当然の行為である。かくて、禁断謗法は当然の事なのである。 
 

 

■かたうどよりも強敵が 人をばよくなしけるなり
日蓮聖人御遺文「種々御振舞御書」/建治元年(一二七五年 聖寿五十四歳)
「敵こそ味方」 提婆達多は仏陀の従兄弟で弟子だが反逆。新教団を創出して新仏たらんとした。さらに仏陀を殺そうと謀り破門された。釈尊に敵対した教団の破壊者。極悪人の代表である。非道の仏敵提婆達多は、逆説的に釈尊に味方した。敵こそ味方。釈尊第一の敵こそかえって第一の善知識であった。そのことを「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善智識なれ」の文が掲出文に接して語られる。世間の例を見てもこのことは言えよう。強敵が人を育て、競争相手がわが身を磨き鍛えるのである。思うに戒心すべきこと、用心しなくてはならぬことは、遠くではなく近くにあるものだ。釈迦に提婆、太子に守屋。毒薬も変じて薬となる。逆境に身を置きながら奮励これつとめ、味方少なく敵多かった日蓮聖人のしみじみとした述懐の言葉である。

■法華経と申すは 手にとれば其の手やがて仏になり 口に唱うれば其の口即ち仏也
日蓮聖人御遺文「上野尼御前御返事」/弘安四年(一二八一年 聖寿六十歳)
「即身成仏」 現在の肉身のままでただちに成仏する、これが即身成仏(現身成仏、現生成仏、一生成仏ともいう)。日蓮聖人の教説は、唱題受持によって成仏を決するので唱題成仏、受持成仏ともいう。「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」と花果同時の特性を述べるが、一般には「前華後菓と申して華は前、菓は後なり」。しかし蓮華は同時。このことにこと寄せて、即身成仏の法門をあかし、法華経信仰は、華果同時の蓮華のようであるといい、あるいは音と響きは同時であるようにと、譬話を重ね、法華経信仰、唱題による凡夫即身成仏の証明を簡明に、また卑近に日蓮聖人は明かされる。

■いまだきかず法華経を信ずる人の 凡夫となる事を
日蓮聖人御遺文「妙一尼御前御消息」/建治元年(一二七五年 聖寿五十四歳)
「純信の果報」 掲出分の前には、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえれる事を。」とある。冬来たりなば春遠からじ。冬は春の先触れ。冬と春は直結し逆行はあり得ない。季節の推移が不変のように、法華経信奉者は必ず成仏し、凡庸(ぼんよう)浅識(せんしき)のおろか者、つまり凡夫にはもどらない。それは、「法華経を聞く人は一人として成仏しない者はない」と説かれているからである。掲出文は後続して、「経文には若有聞法者無一不成仏と説かれて候」とある。経文は、法華経方便品第二の句。救済の絶対性をあかしたことばである。冬は春に、信は仏にそれぞれ直結して例外はない。ただし、冬は峻厳(しゅんげん)。それゆえ冬の信は純信(じゅんしん)厳正(げんせい)なのである。

■たといさとりあれども 信心なき者は 誹謗闡提の者也
日蓮聖人御遺文「法華題目鈔」/文永三年(一二六六年 聖寿四十五歳)
「信心肝要」 仏法の大海(だいかい)は信を能入とするという。能入とは、仏の教えの門に入り、仏道成就へと導く最良・最先の手がかりのことで、それが「信」。信ずることによってのみ仏道をきわめ入ることができると、仏説はあかす。信心肝要、信心為先である。仏道に入るとは、信心の志とその実修によって成仏の大果をいただくことである。仏のすくいに預かる大安心の獲得である。そのための根本条件が信の一字である。悟りの有無、この場合のさとりは仏教の理解度をさすが、世の常の知恵・才覚は、仏道に入るための必要条件ではない。いたずらな才能は、ややもすれば逆作用を生むから利根は不可。むしろ鈍根者は純信ゆえに一途で正しい見識をすなお・まっすぐにもつのであって、頼もしい。

■予が門家等深くこの由を存ぜよ 今生に人を恐れて 後生に悪果を招くこと勿れ
日蓮聖人御遺文「大田殿許御書」/文永十二年(一二七五年 聖寿五十四歳)
「督励」 後生の善果、死後の成仏。これこそが仏教徒の究竟の願いである。このことのために今生を意義あらしめねばならない。今生はあげて後生のためである。悪果の回避は今生の過ごしかた、活用の仕方にある。仏法の正しい理解とその上にたつ正信の覚路を歩むこと。正解のための学習活動は深刻徹底でなくてはならぬ。日蓮聖人が、門下へ言い教える習学督励の辞は、甚だ多い。止暇断眠、行学二道はもっとも名高い。「我弟子等、此旨を存して法門を案じ給うべし」「我門弟、委細にこれを尋討せよ」「眼有ん者は開いて之を見よ」「眼有ん我門弟は之を見よ」等々。このように門弟の習学実践を勧め励ましてやまぬ日蓮聖人ご自身が、まこと破格なまでの勉学に従事されたから、督励の辞は大変に重いのである。 
 

 

■此経を信ずる人の所佳の処は 即ち浄土なり
日蓮聖人御遺文「守護国家論」/正元元年(一二五九年 聖寿三十八歳)
「この世の浄土化」 此経とは法華経。久遠の昔、真実の成道を達成された釈迦如来は法華経を説き明かし、如来寿量品に根本教義を詮顕された。そこでは真実の浄土は他処になくここに常在すと示す。こことは我等が住む娑婆、現実のこの世である。娑婆即寂光土。瓦礫(がりゃく)荊棘(けいきょく)の穢土(えど)・魑魅魍魎の不浄世界の娑婆が所期(しょご)の浄土であるという。釈迦佛・法華経は、娑婆を離れて浄土はないと教え明かされたのである。不浄の地に浄花を咲かせ、苦悩の忍土を逃避せず楽土にしたてあげる。西方浄土などというのは仮言・幻想の産物と指摘し喝破もされた。求むべき理想はかなたになくここにある。これが釈迦佛・法華経の教旨であり、釈迦佛・法華経への絶対信が娑婆に浄土を築くのである。

■愚人にほめられたるは 第一のはぢなり
日蓮聖人御遺文「開目抄」/文永九年(一二七二年 聖寿五十一歳)
「道心」 仏道に精進し、仏のさとりを求め願う心、道心。仏道を信奉実践する心の持ち主、道心者。道心を欠く人が無道心者であり、無道心であっては決して生死の繋縛(けいばく)をたち切って覚者(仏)になり得ない。真の道心者は世に少ないから、世に多い無道心ものたちからの嘲(あざけ)りをうける。掲出文の前には「無道心の者、生死をはなるる事はなきなり。教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈(めり)せられさせ給い、天台大師の南北並びに得一(とくいち)に三寸の舌もて五尺の身をたつと、伝教大師の南京(なんきょう)の諸人に最澄未だ唐都を見ず等といわれさせ給いし。皆、法華経のゆへなれば恥ならず」とある。敬すべき先師、教主釈尊・天台大師・伝教大師、みな悪罵(あくば)にさらされたがそれは大道心のためであったからなんら恥ではない。道心を欠くことこそが恥である。思うに無道心の愚人は、智人の心を計り知ることは出来ない。だから、そんな愚人からの讃辞はとんだ大恥だ。第一の恥だ。

■陰徳あれば陽報あり
日蓮聖人御遺文「陰徳陽報御書」/弘安二年(一二七九年 聖寿五十八歳)
「愛育」 純真一徹な鎌倉武士四条金吾頼基は、素直でまっすぐな性格を愛でられ、信心の志ことのほか純信であったから日蓮聖人に深く愛された。日蓮聖人は、あたかも弟を保護するように身辺の些事(さじ)まで気を配り愛育の手をさしのべられた。師弟一枚の信が根底に存したのであるが、頼基の性格は直情径行でもあったから、主君のおぼえめでたい身は、同僚の嫉妬を招き、主従間の離間策を弄されて主の不興をかうに到った。頼基は、窮地に陥り苦しみ悩むが、隠忍自重久しきにわたって遂に苦境を乗り越える。それは、日蓮聖人の教導に純真素直に従った成果であった。陰ながらの徳行(とっこう)は必ず報われると日蓮聖人は言い教えてきた。四条頼基は、年余のはてに主君の信頼を回復し一陽来復の時を迎えたが、陰徳は果報の来る門口であったし、来るべき大果報の前兆だと日蓮聖人は、言い励ましたのであった。

■願わくは我弟子等 大願をおこせ
日蓮聖人御遺文「上野殿御返事」/弘安二年(一二七九年 聖寿五十八歳)
「督励」 掲出文の前には、「かれは人の上とこそみ(見)しかども、今は我等がみ(身)にかかれり」とある。日常茶飯の事柄、どうでもよいこと、ありふれた平凡事でも「人のふり見て我がふり直せ」、「人の上見て我が身を思え」としきりにいう。身辺の雑事ですらそうなのだから、ましてや俗事をこえた信仰の世界に生きんとする我等、不退転の決意で仏を目指している我等なのだから、せまりくる暴圧にたじろぐことがあっては、前者の轍を踏むではないか。今は傍観し得る他人事ではなく、我身に直接降りかかってきた厄難である。心しなくてはならない。仏を目指す本願成就のために、大願を発起せねばならぬのだ。かえすがえす念願する。「我が弟子等、大願をおこせ」と。門弟の国権弾圧。その法難(熱原法難)に遭遇しての教導者日蓮聖人の督励の辞である。死身弘法の聖者日蓮聖人の激励の言葉である。

■善からんは不思議 悪からんは一定と思え
日蓮聖人御遺文「聖人御難事」/弘安二年(一二七九年 聖寿五十八歳)
「重々の策励」 掲出前文に「彼等には、ただ一円に思い切れ」とある。日蓮聖人は断固たる決断を要請されたのであった。更に続く「ひだるしと思わば餓鬼道を教えよ。寒しといわば八寒地獄を教えよ。恐ろしといわば鷹にあえる雉、猫にあえる鼠を他人とおもう事なかれ。」と。彼等とは、駿河熱原の日蓮聖人の信徒群で農民たち二十名。「日蓮帰依」を憎んだ鎌倉幕府執権北条時宗の腹心で、侍所所司(次官)平頼綱は「日蓮門下」に不当な暴圧を久しく加え、ついに信徒群を捕縛し、鎌倉に連行した。頼綱は私邸で彼等を拷問し、その果てに三人をみせしめに虐殺するにいたる。捕縛連行の急報に接した日蓮聖人は門弟に指示。弘安二年十月一日付この状がそれである。事件「熱原法難」は、国権介入の不当な弾圧であり暴挙であった。日蓮聖人は渾身の気迫を込め必死の教示書の筆をふるった。頼綱の狂気的加害を充分予測し得たから、日蓮聖人はまことに厳しいぎりぎりの言葉を費やし、策励されたのであった。  
 

 

■天の加護なき事を疑わざれ
日蓮聖人御遺文「開目抄」/文永九年(一二七二年 聖寿五十一歳)
「諸天の加護」 「文永八年の法難」は、日蓮聖人五十歳の秋・冬に起こった。それは日蓮聖人ご自身と門弟たちに加えられた鎌倉幕府つまり国家権力からの巨大な弾圧事件の総称である。国権は日蓮聖人の教団を根こそぎ消滅せんと謀った。教団殲滅を企てた国権発動は、文永八年九月十二日の「日蓮逮捕」。その深夜、刑場龍ノ口で断行し、失敗に終わった死刑未遂事件「龍口法難」。斬首不履行によって翌十月決行された死島佐渡への島流し「佐渡法難」。弟子たちの捕縛投獄。信徒多数への様々な迫害加圧、それは財産没収・親子主従関係の義絶・制裁金徴収などなど。師弟一同に弾圧の嵐が吹き荒れた。それが「文永八年の法難」であった。教団は壊滅させられたのである。流人の身を佐渡の雪中にすごす日蓮聖人は、懸命の筆業に従事され、畢生(ひっせい)の大作『開目抄』を擱筆(かくひつ)された。文永九年二月のことである。『開目抄』は門弟への遺言の書・かたみの書であった。万苦を忍び死と引き換える留魂(るこん)の大著であった。四面楚歌のただ中にあって日蓮聖人は絶対の救済・安心を確信されていた。そのような日蓮聖人の魂が発する門弟たちへの救いと安らぎの叫び、それが「天の加護なき事を疑わざれ」であった。『開目抄』中に充満する佳句・至言・慈教のその一語である。「天」とは十界の一つ天上界(天界)にあって仏法守護を誓願とする神々をいう。諸(もろもろ)の天の神々、諸天(しょてん)善神(ぜんしん)はことに法華経信奉者の守護を責務とされる。すなわち日蓮聖人は門弟たちに「天の加護」必然・必来をいいさとしたのであった。それは絶対の確言であった。

■人に物をほどこせば 我身のたすけとなる
日蓮聖人御遺文「食物三徳御書」/弘安元年(一二七八年 聖寿五十七歳)
「布施」 「食には三つの徳あり、一には命をつぎ、二には色をまし、三には力をそう」。こう述べて掲示文となる。文意は明瞭である。そもそも食物は三つの効能を持つ。第一になによりも生命保善の糧であるから命を継ぐものである。また、第二・第三に健康体の容姿を育て、活力を生みだすもとであると。そして言われる。命をまし、色をまし、力をます三徳の食物を他人のために施与すれば人のためだけではなく、かえって我身を養い助けることになるのであると。こう述べて「譬えば、人のために火をともせば、我が前あきらかなるがごとし」と告げられる。まことに明瞭で自明な指摘である。このように布施の意義と効能を説かれた文言は大変平易で、もっともと頷ける。布施・ほどこしは、かならずめぐり来って己の果報となる。物の施しも、目に見えぬ心の施し、親切や思いやり等も皆しかりである。思うべし。所詮、まかぬ種は生えぬものである。ただし、人に施して慎みて念(おも)うこと勿れ。施した恩恵は忘れよ。

■当時は痛けれども後の薬なれば 痛くて痛からず
日蓮聖人御遺文「聖人御難事」/弘安二年(一二七九年 聖寿五十八歳)
「必死の教導」 宗教に迫害がおよぶことは古来の歴史が示すとおりである。日蓮聖人の教団も例外ではないばかりか、もっとも過酷な迫害にあけくれたのであって、酸鼻な教団史を形成している。日蓮聖人も門弟達も、血を流し、はては殺されていった。もとより弾圧は、単にいやがらせではない。棄教を要求し、転向を強いる。かくれみのはない。退転なくば死である。それを知ってそれを乗り越える力、それは信であり、そのゆえにいっそう純潔の信たらざるを得ない。後生の大楽、死後の浄福。これ信あるものの力である。弘安二年十月一日夜ご執筆『聖人御難事』は、駿河熱原の地の門弟に加えられた国権弾圧「熱原法難」渦中の書状。急迫昂進する事件の真っ只中にあって受難の門弟に伝言された奮起激励の檄文である。無法な迫害下に身をさらす門弟への憐憫。不法な加圧者国家権力への激怒。『聖人御難事』は重書である。後世の我ら『聖人御難事』を読むべし。引文「当時」は、当座・そのとき。漢字「痛」は、原本はかな文字。

■仏法を習う身には必ず四恩を 報ずべきに候か
日蓮聖人御遺文「四恩鈔」/弘長二年(一二六二年 聖寿四十一歳)
「報恩行」 日蓮聖人の言動を心よく思わぬ人びとは、日蓮聖人をおとしいれようとして悪口を吐き告発した。幕府は人びとの讒言を容れて伊豆の国伊東への流罪に処した。「伊豆法難」である。日蓮聖人四十歳、弘長元年五月のことであった。流人日蓮聖人は、配流の身の逆境を順境におきかえ、法華経修行にいそしむことができた。かかる果報をもたらせたのは、讒言者たちのお陰であり、国王である執権北条政権の恩恵である。それゆえ国権発動の迫害者である彼等は、日蓮聖人にとってかえって「恩深き人」である。日蓮聖人は己が身を害し仇なす者への遺恨を放擲し、迫害者を賞揚したのである。仇を恩で報い、敵を味方と日蓮聖人は感受されたのであった。仏教者の歩むべき大道に「四恩」への報謝がある。「四恩」には衆生の恩、国王の恩がある。「伊豆法難」は、感恩報謝の思いを深めさせ、報恩の実践、「報恩行」の自己貫徹日蓮聖人の思索の中に深々と抱懐させたのである。『四恩鈔』は配所伊豆における著作であった。

■我師釈迦如来は一代聖教乃至 八万法蔵の説者なり
日蓮聖人御遺文「善為畏三義鈔」/文永七年(一二七〇年 聖寿四十九歳)
「教主釈尊」 教主釈尊。文字通り仏教の教えの主は釈迦牟尼如来ご一人。釈迦仏は教えの師匠。われらにとって我師と呼べるただご一人。ご一代のあいだ、八万余の教法を示された大説法者・大教導師である。我師釈迦如来は、われらの住むこの娑婆世界にまだ仏が出現なされていない暗黒時代、その無仏の世に、最初にお出ましになられ、われらの盲た眼、無明にとざされた凡眼を開いて、智慧の眼に目覚めさせてくだされた御仏である。尊貴無上の大聖者・大覚者であられる。おもうに、東西南北、天地十方に数多の諸仏諸菩薩が遍在するが、それらはみなただ一人の教主釈尊、我師釈迦如来の教えをうけたもの、その享受者である。要するに、教主釈尊こそ人類の教主・救主なのである。 
 

 

■何ぞ同じく信心の力を以って 妄りに邪儀の詞を宗ばんや
日蓮聖人御遺文「立正安国論」/文応元年(一二六〇年聖寿三十九歳)
「本当の信心」 『立正安国論』のこの部分は「人は皆、救われたいと言う同じ信心を持っている。しかしその信心の故に、妄りに邪な言葉を貴んでしまう。凡夫とは悲しい生きものだ」と、厳しく叱りながらも、心配し、慈悲に溢れた親心を示しています。凡夫と言う普通の人間は、正しいと信じて、純粋に間違いを犯してしまいます。たとえば、エスカレーターの乗り方です。右か左を空けて、急ぐ人に譲るのがマナーですが、左右どちらを空けるのが正しいのでしょうか?と論じられる姿とよく似ているのです。答えは、左右どちらでもありません。エスカレーターは真ん中に立つ設計になっています。片寄った立ち方は故障のもとであり、その上、歩くのは、もってのほかです。してはいけない行為なのです。しかし真ん中に立つと言う正しい行動は、間違いを固く信じている多くの人々には受け入れられません。人には、人の役に立とうとする心があります。しかしそれが、必ずしも正しいとは限らないのです。信心もそうです。だからこそ「汝早く信仰の寸心を改めて」と一切衆生を救済する深いメッセージが『立正安国論』に示されたのです。

■法華経の題目は 日輪と雷の如し
日蓮聖人御遺文「法華題目鈔」/文永三年(一二六六年 聖寿四十五歳)
「唱題の得益」 掲示文は次の文節の断章である。「さればさせる解(さと)りなくとも、南無妙法蓮華経と唱るならば悪道をまぬかるべし。譬ば蓮華は日に随って回る、蓮に心なし。芭蕉は雷によりて増長す、是草に耳なし。我等は蓮華と芭蕉との如く、法華経の題目は日輪と雷との如し」。『法華題目抄』は念仏信者の某女性に宛てた長文の書状。その長文を費やし自在に筆を進め、まさにねんごろに、懇情を傾け尽くして丁寧に説明し説得し、法華経の題目信仰を勧奨するのが本状の趣旨である。長大なこの手紙は、救済せずんば止まじの熱誠をあふれさせ、ひたむきな心を打ちつけて「とくとく心をひるがへすべし。南無妙法蓮華経」と結ばれる。南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題の得益得果の広大絶大を明かす言葉は平易で、その説得説示の辞句は層層と譬話を重ねて圧倒させる日蓮聖人の筆遣いである。原典・原文、読むべし。

■法華経は正像よりも末法に 殊に利生有るべし
日蓮聖人御遺文「薬王品得意鈔」/文永二年(一二六五年 聖寿四十四歳)
「末法の法華経」 法華経第二十三章薬王品は、十種の譬喩をもって法華経が諸経を超え出た最勝の経典、仏典の大王経であることを明し称揚する。『薬王品得意鈔(やくおうぼんとくいしょう)』は、薬王品の十喩称揚を説明したもの。ここは十喩の「第三(だいさん)譬月(ひがつ)」の文で月と星との光の度合いを対比校量(たいひきょうりょう)した箇所。経文は「衆星の中に月天子最もこれ第一なるが如く、この法華経もまたまた是の如し。千万億種の諸の経法の中に於て最もこれ照明なり」。星屑無数に光るが、ただ一月の光に明を失う。「衆星は光ありと雖も月に及ばず」なのである。星と月の光輝の差異は比較を絶するように、法華経は諸経に超勝するとの宣言・断定である。しかも法華経は「末法為正・末法為本」である。釈尊滅後の三時代中、正法・像法は傍で、末法が正しく法華経が流布し衆生が救済される特別の時代であると教諭する。それが掲示文の意味。

■いうにかいなきものなれど 約束と申す事はたがへぬ事にて候
日蓮聖人御遺文「上野殿御返事」/建治元年(一二七五年 聖寿五十四歳)
「約束の重大性」 約束の履行はなかなか困難である。人が世にあるということは、それ自体さまざまな約束ごとで結ばれている。それは網の目のようにつながっている。だから一つの不履行はたちまち他へ影響し、余波を生むこと必然である。約束は、それがたとえつまらないことであっても違えてはならない、というのが掲示文の意味。約束は厳粛・厳正を内実とする。違約や破棄は、世俗にあっても信頼をそこねる。まして、出世間・信仰の世界にあっては、棄教となってすべてを失う。約束は守らねばならない。日蓮聖人は、世俗倫理にすぎぬかにおもえる約束を重視した。信仰とは約束であると。「まして約束せし事たがうべしや」 「いかに約束をばたがえらるるぞ」と。日蓮聖人の宗教は、本仏釈尊との堅固な約束にたつ。日蓮聖人は本仏に約束し、本仏は日蓮聖人の応生を約束した。約束は決して世俗の規範ではないのである。

■仏の御意あらわれて 法華の文字となれり 文字変じて又仏の御意となる
日蓮聖人御遺文「木絵二像開眼之事」/文永十年(一二七三年 聖寿五二歳)
「読経(どっきょう)の姿勢」 法華経の全品二十八章。その全部の文字、一々の文字は、どの一字もことごとく釈尊の真実のみ心である。釈尊がご本意を説きあらわしたものである。法華経は釈尊出世の本懐経だから、全ての文字、一々の文字には釈尊のみ心がこもるのである。ご本意が宿らせたまうのである。法華経を読むもの、このことに深くおもいをひそめ、深信(じんしん)体読(たいどく)して釈尊のみ心に寄り添わなくてはならない。文字をただ文字としてとどめるか、そうではなく変じ転じて仏のみ心を掬(きく)するものとなるか。それは読む者の信受の心、真実信心の人であるか否かによってのみ決定することである。「仏の御意」を知り解し、つつしんで法華経を読む。そのような深信にもとづく敬虔な法華経の読み手となれかしと。それが釈尊のご意志であり御要請である。 
 

 

■昔と今はかわるとも 法華経のことわりたがうべからず
日蓮聖人御遺文「兵衛志殿御返事」/建治三年(一二七七年 聖寿五十六歳)
「今昔通同の道理」 池上兄弟と父との「日蓮聖人帰依」をめぐる争いは長くもつれあい、葛藤は久しくうずまき、悶着の度を深めた。兄、大夫志宗仲は強信を貫いた。弟、兵衛志宗長は父を捨て兄につくか、つまり信仰を貫くか、兄を捨て父につくか、つまり実利について家督を相続するか、択一の企路に立って苦悶をかさねた。日蓮聖人は書状多数を兄弟に発して教導し、教示した。ことに帰趨にまよう弟への暁諭の言葉は激語を発して連綿としてつづいた。法華経第二十七章厳王品は、邪心の父王妙荘厳とそれを改信させた仏徒浄蔵・浄眼二子の物語である。昔、父のめざめをいざなった兄弟。今、池上兄弟も合力して法華経が明かす往事の因縁故事に習え。法華経はまことの言葉である。道理の言葉である。道理実現の言葉である。日蓮聖人は、全智を傾けことばを尽くして教導し救済せんとした。かくて兄二度の勘当を含む家庭争議は、ついに円満解決に導かれるに至る。法華経信仰をめぐる池上家の事件は、今昔通同の道理を鮮やかに実証したのであった。

■一滴の水漸漸に流れて大海となり 一塵積りて須彌山となる
日蓮聖人御遺文「唱法華題目鈔」/文応元年(一二六〇年 聖寿三十九歳)
「小と大の相関」 大海の一滴となればごくごく微量。あるかなきかすら知れぬほどである。存在感もわかぬから、まして存在意義はないかのようである。けれども、そのような存在も意義も乏しい巨海の一滴であっても、その一しずくのより集まりが凝(こ)ってついに成したのが大海である。つまるところ、微小の一滴なくては大海たり得ないのである。かくして極微が極大をなりたたせているのであるから、微量な一滴の存在の意義と価値は途方もなく巨大であるといわねばなるまい。「衆流あつまりて大海となる」のだから、「一塵積りて須彌山となる」のは当然である。こうして我等、非力を嘆き無力をかこつこと全くなし。巨木の幹を穿つ小鳥がいる。雨垂れもいつしか石に穴をあける。要すれば精勤(せいごん)あるのみ。なせば成り、なさねば成らぬのである。云く。「為す者は常に成り、行う者は常に至る」。

■一生が間賢なりし人も 一言に身をほろぼすや
日蓮聖人御遺文「本尊供養御書」/建治二年(一二七六年 聖寿五十五歳)
「至極の言葉」 一生涯、賢明に事を処して波風おこすことなく、順調に人生をすごしてきた人でも、最後期のただ一言が仇となって身を亡ぼし、永年の功を台無しとしてしまうことがある。「九(きゅう)仞(じん)の功(こう)を一(いっ)簣(き)に欠(か)く」は口惜しいこと、重々心しなくてはならぬことである。一言(いちげん)既(すで)に出(い)ずれば駟馬(しば)も追い難し、駟(し)も舌(した)に及ばず、なのである。だから、一言(いちげん)以て之を蔽(おお)う、そのような一言(いちごん)。一言(いちごん)の約、そのような重みのある言葉。男子の一言(いちごん)金鉄(きんてつ)の如し、であるべき発言。これらが求められよう。言言(げんげん)肺腑(はいふ)を突く誠意と熱意の言葉。ひびき万雷(ばんらい)の切言(せつげん)。声涙(せいるい)倶(とも)に下る慈言(じげん)。対するに、言わずもがなの駄言(だげん)・放言(ほうげん)の類(るい)はよろしく禁制あるのみ。同人宛ての別状に日蓮聖人は言われる。「千年のかるかや(苅茅)も一時にはい(灰)となる。百年の功も一言にやぶ(破)れ候は、法のことわり(理)なり」と。「法の理(ことわり)」に無知であっては破滅あるのみ。事事(ことごと)、理(ことわり)にはずれてはならぬのである。檀越池上氏宛て両状至言。二句の紹介。

■仏の御目には 一一に皆御仏なり
日蓮聖人御遺文「本尊供養御書」/建治二年(一二七六年聖寿五十五歳)
「凡夫成仏の不思議」 法華経の行者日蓮聖人は、法華経絶対を択一された法華経至上主義者であられる。その絶対の根拠は究極ただ一つ。法華経が、仏教の唯一で最大の目的である「凡夫を仏に成し給う」大法であるからであった。かかる法華経の秘妙さ絶妙さを日蓮聖人は「法華経の不思議」「法華経の御力」と言われ讃嘆されたのである。故に、法華経の文字、その全文、全文字の一字一字は、そのまま挙って仏のご本意・ご本懐すなわち衆生救済をあらわし告げるものである。つまりは、仏そのものであられる。要するに、肉眼・凡眼に見る黒い印字は、智慧の眼・慈しみの眼である仏眼には、変じてみ仏の本体・本質と映るのである。その一大変化変質、つまり凡夫成仏の大転換、転凡(てんぼん)成聖(じょうしょう)・転凡(てんぼん)入聖(にっしょう)の不思議さを日蓮聖人は言葉に尽くして説き明かされるのである。「法華経の不思議もまた是の如し。凡夫を仏に成し給う。蕪(かぶら)は鶉(うずら)となり、山(やま)の芋(いも)は鰻(うなぎ)となる。世間の不思議以(もっ)て是(かく)の如し。何(いか)に況(いわん)や法華経の御力をや」と。蕪は野菜、鶉は鳥、また山芋と鰻。全然種族を異にするが形状は似る。だから実体はちがうが形が似ていれば誤って見られやすく、あり得ぬことも起こるように、そのようにものごとはよく変化するものであると。一字一仏、変じ転じて凡夫を仏となすことの譬話である。

■我 日本の柱 とならむ
日蓮聖人御遺文「開目抄」/文永九年(一二七二年聖寿五十一歳)
生きる誓願 この聖語は、日蓮聖人の三大誓願の第一です。三大誓願は、建長五年(一二五三)四月二十八日、立教開宗の日から聖人を支え続けたものです。それは、私たちを支える三大誓願でもあることを意味します。しかし残念なことに、聖人と全く同じではありません。それは、ピアノの演奏と似ています。ピアノは誰が弾いても決まった音が出ます。しかし、弾く人の技量や魂によって、響きが変わり、意味に深みが増すのです。それでは聖人は、どのような信仰をもって、このような誓願を立てられたのでしょうか? 「柱」とは、建造物の中心となるものです。と言うことは、一切の世間の過去・現在・未来の三世にわたって、必要不可欠な人間として生きると言う誓願であります。それは「真実を求め至誠を捧げよう」と訳されています。真実を求め至誠を捧げるとは、自己を大切にすることです。それはやがて、他者を微笑ませ、自己を幸せに導きます。これはすべての命を活かしきることです。この聖人の誓願の中に私たちは生きているのです。 
 

 

■病によりて道心は をこり候ふか
日蓮聖人御遺文「妙心尼御前御返事」/建治元年(一二七五年聖寿五十四歳)
苦しみの中に この聖語は、病に苦しんでいる夫を持つ妙心尼を励まされた御消息によります。人間は生きていれば、生老病死の四苦から逃れることはできません。しかしあきらめる事はありません。法華経・お題目という良薬があるからです。この良薬は、薬そのものに処方箋も記してある不思議な薬です。病気が重ければ重いほど力を発揮する良薬です。日蓮聖人は、人間の病と、社会の病とを並べながら妙心尼を励まされたのでした。人間は肉体的にも精神的にも病気になる可能性があります。しかし治癒させる力も同時に備えています。不思議なことに、善悪を同じように持っているのです。その善なる力の基が、法華経・お題目の良薬です。健康なときにこの良薬を飲めば、健康の促進に力を発揮します。しかし薬は、飲まなければ効果がありません。「良薬を飲む」とはお題目を唱えて信心を深めるという事です。人間の無限の可能性を、遙かに伸ばしていくのが、法華経・お題目の信心なのです。

■法華経の御名をきく事は をぼろげにもありがたき事なり
日蓮聖人御遺文『法華題目鈔』/文永三年(一二六六年聖寿四十五歳)
ありがたき存在 この聖語は、房総方面を布教しておられた日蓮聖人が、清澄にて著述された『法華題目鈔』の一節です。この書は、表題からもわかるように、お題目の信心について語られています。まさに「名は体を現す」です。教えを理解しているが、信心は浅い人と、理解は少ないけれど、信心の深い人は、どちらが勝れているのか?という問答も本書で行われ、信心の重要性が説かれます。では聖人が示される信心とは、どのようなものなのでしょうか?それは、この聖語をそのまま受け止める素直な心のことです。聖人は、この『法華題目鈔』にて、信心の基になる《妙》の一字について、繰り返し説かれます。「妙とは蘇生の義なり」は、その最も有名な部分です。他に《開》《具》の意味を《妙》の一字に示されました。無念な思い、辛い苦しみを経験すると、元気が少なくなり、信心も小さくなることがあります。しかし、お題目は、おぼろげにもありがたいのです。お題目の《妙》によって、辛さを《開》き、苦しみを互いに《具有》し、そして幸せを蘇らせるのが、お題目の信心なのです。

■仏眼をかつて時機をかんがへよ。仏日を用て国をてらせ。 
日蓮聖人御遺文『撰時抄』/文永三年(一二六六年聖寿四十五歳)
仏の智・仏の徳 この聖語は、日蓮聖人が身延山の信行の毎日から、それまでの法門をまとめられた『撰時抄』の一節です。仏眼とは釈尊の智慧のことです。仏日とは釈尊の徳のことです。釈尊の智恵を借りて「その時」「その人」を考え、釈尊の徳を用いて一切を照らし、一切の闇を除き、真の姿を浮かびあがらせようとする聖人の祈りです。この祈りで聖人は、文応元年(一二六〇)七月十六日『立正安国論』を鎌倉幕府に奏進なさいました。そして聖人は、一身が安らかであることを願うならば、まず何をおいても世の中が穏やかになることを祈らなければならないと示されました。これは聖人の信仰を端的に示しています。私たちは、科学のお陰で、便利で豊かな生活を手に入れました。しかし、幸せと感じている人は驚くほど少ないのです。それは科学が、それ以外を犠牲にしてきたからです。科学が模索したものは、周囲の安堵ではなかったのかもしれません。今こそ、聖人の信仰が必要です。信仰は人生に意味を与え、便利で豊かな生活を、幸せに導くものです。どんなところにも聖人の祈りは届きます。どんなところでも尋ねて行かれます。どんなときも聖人は、私たちとともに唱題して下さっています。

■釈迦仏の本土は 実には娑婆世界也。
日蓮聖人御遺文『下山御消息』/建治三年(一二七七年聖寿五十六歳)
娑婆世界=本土=浄土 この聖語は、日蓮聖人が弟子日永にかわって筆をとり、その父に提出した弁明書の一節です。まず、日永が念仏を捨てて法華経を信ずるにいたった経緯を述べ、お題目を唱えることが真実の報恩であると示されます。信仰が異なるということは、浄土が異なることです。しかしお盆には、死者も生者も同じく実家に帰ってきます。民族の大移動とも表現されますが、死者と生者が同時に一つの場所に集う姿に、娑婆世界こそが釈迦仏の本土=浄土であるという真実が現されているように感じます。この娑婆世界は、忍土であり、耐え難い苦難だらけです。しかし聖人は、この娑婆世界こそが本土=浄土であると示されたのです。法華経では、如来寿量品に「大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏である」と説かれます。私達は、この世、この土でしか、普通の生活はできません。だから、どんな苦難があろうとも、どんな状況だろうと、この世この土で、生きていかなければならないのです。その雄雄しき営みこそが本土=浄土への入口であり、その真実の姿に導くのが、法華経・お題目の信心なのです。

■進退此に谷り。
日蓮聖人御遺文「報恩抄」/建治二年(一二七六聖寿五十五歳)
進退窮まる 止めんとすれば仏の諫暁のがれがたし。進退此に谷り。進退窮まった場合、その後の行動に、その人の真価が現れます。この聖語は、日蓮聖人五つの重要な書のうち『報恩抄』の一節です。聖人は一切世間を幸せに導く教えを求められ、法華経・お題目の信心に到達されました。それを世間に説けば、必ず受難するという経文と、教えを知ってそれを隠してはならないという釈尊の諌めの狭間で悩まれ、進退窮まりながら、立教開宗されたのです。それからは艱難辛苦の連続でありました。とくに九月十二日は、日蓮聖人の四大法難のうち「龍口法難」といって、首を刎ねられる坐に着かされ、刀を振り落としかけた瞬間、奇跡的に逃れられ、聖人の信心の正しさが証明された聖日です。凡夫の私達は、常に迷います。悩みます。追い詰められます。これは、強さの象徴のような聖人でさえ進退窮まるときがあったのですから、当然のことです。そのとき聖人を動かしたのは、釈尊への絶対的「信」でありました。それは、とりもなおさずお題目の信心に身を任せることであります。私達に、どんなに辛いことが起ったとしても、お題目に身を任せる信心に入った瞬間、必ず未来が開けるのです。 
 

 

■地涌千界の菩薩は、己心の釈尊の眷属なり。
日蓮聖人御遺文「観心本尊抄」/文永十年(一二七三聖寿五二歳)
本仏と私心 地涌千界の菩薩は、己心の釈尊の眷属なり。すべての人々が仏と成れると説かれた日蓮聖人は、弘安五年(一二八二)十月十三日に、ご命日を迎えられました。そのとき、聖人の旅立ちを荘厳するように、季節はずれの桜の花が満開となりました。この故事によって、多くの寺院では、桜の造花を飾って「お会式」という法要が勤められます。この桜は現在も、聖人の信仰へ誘うように咲き、私たちを癒し続けてくれています。この聖語は、内なる釈尊がおられると説かれています。この「私たちの心に釈尊がおられる」という信じ難い理念を感じるために、試みに「私」という漢字を見つめてみました。すると偶然にも「のぎ偏」から「一」と左右のはらいを除くと人偏となり、残ったのは「仏」という漢字でした。つまり「私」の中には、すでに「仏」がいて下さったことになります。しかし、この「仏」は、なかなか現れません。余計なものに隠されているのです。そこで聖人は、邪魔を除いて「仏」を咲かせるのが、お題目の信仰であると示されたのです。そして本書は、私たちが、心に花を咲かせるような信心を立て、内に仏を感じ取れば、外に地涌の菩薩のご守護が現れると結ばれています。

■仏の御意あらはれて法華の文字となれり。
日蓮聖人御遺文「木絵二像開眼之事」/文永十年(一二七三年聖寿五十二歳)
法華の文字 仏の御意あらはれて法華の文字となれり。この聖語は、日蓮聖人が木像や絵像の仏像について説明された御書の一節です。仏像は只拝するだけで、理由は分からなくとも癒されます。それは三十二相といって、独特な髪型や眼差し、額の印に象徴される三十二項目の姿の決まりが表現されているからです。しかし、仏の声だけは書けませんし、作れません。そこで聖人は、その像の前に経典を置けば三十二相が備わり、欠けたるところのない仏像になると説明されています。経典とは釈尊の説法を集めたものですが、対象者によって調節したので内容に深浅が生まれました。しかし説法の対象者を安心させるために、全ての経典はそれぞれ一番勝れていると自称している姿で説かれています。法華経も同じように一番と説きますが、他の経典と大きく異なっているのは、法華経の一文字一文字そのものが釈尊だと言うことです。それは法華経に書いたり、作ることができない釈尊の心が備わっているからなのです。だからこそ聖人は「法華経の一々の文字は、三十二相を備えた仏陀なり」と何度も示され、法華経は釈尊そのものであると説かれたのです。

■近きを以て遠きを推し、現を以て当を知る。
日蓮聖人御遺文「聖人知三世事」/文永十一年(一二七四)聖寿五三歳
三世の信仰 近きを以て遠きを推し、現を以て当を知る。日蓮聖人は過去・現在・未来の三世を知る者が聖人であるとこの聖語で説明しておられます。さらに日蓮聖人は、現在の自然災害や、人心の乱れの状況から、近い未来を予知することができ、はるかな未来も予見できると示されました。過去の原因が、現在の結果となり、同時に未来の原因となります。三世は独立しているのではなく、折り重なるように存在しているとも言えます。これは私達が、針が進むアナログ時計を見るときの感覚と似ているように感じます。ほとんど無意識に、針の動きと文字盤から、過ぎ去った時間と、現在と未来とを同時に見ています。そして、文字盤を見る姿は、時間を俯瞰することにもなり、近い未来への時間の計算を容易にしているのです。今年は様々なことを思い知らされた一年でした。しかし、まっさらな新年は、何もなかったように訪れます。法華経は三世にわたる説法です。現在生きている私達が唱えるお題目は、辛い、悲しい過去を照らし、癒します。そして、豊かで安穏な未来へと導くものなのです。

■新春の御慶賀自他幸甚々々。
『大田殿許御書』/文永十二年(一二七五)聖寿五十四歳
新春の慶賀 新春の御慶賀自他幸甚々々。この聖語は日蓮聖人が、信徒の大田乗明公にあてた書状の文頭です。新春の慶賀を、自他幸甚と示されています。ここに聖人の立正安国の信仰があらわれ、ともに前へ向かって力強く歩もうとする姿が見えます。立正安国とは、すべての人々が幸せに暮らせる社会といえるでしょう。では、幸せとはどのようなものなのでしょうか。幸せはお金で買えません。買えるのは満足感のみです。お金がないと辛いことも確かですが、私たちはお金のあることを幸せと誤解し続けていたように感じます。もっと言えば、お金で買えないものをあまりにも粗末にしすぎてきたのではないでしょうか。災害や事故、紛争が起こるたびに、それを肝に銘じるのですが、なかなか善なる方向に進めません。過去の辛さに、意味を持たせるのは、現在の善なる正しい営みであり、それによってのみ幸せな未来が開けるのです。災害で犠牲になられた方々のためにも、生活をしている私たちのためにも、全体が幸せでなくてはならないのです。この祈りが、この聖語であります。

■法華経は釈迦牟尼佛なり。
『守護国家論』/正元元年(一二五九)聖寿三十八歳
救済と安穏 法華経は釈迦牟尼佛なり。節分が訪れると「鬼は外。福は内」の祈りを、誰もが心に思いうかべます。震災から一年たとうとしている今日、この祈りは、より大きく、深いものでしょう。日蓮聖人のご生涯は、一切の人々を救い、その幸せを願い、国土の安穏を祈りつづけたものでありました。その祈りのためには釈尊そのものである法華経によらなければならないと日蓮聖人は本書で明示されたのです。法華経は釈尊の身体と等しいのですから、法華経の前では釈尊と対面していることになります。釈尊は、法華経で「一切の人々を、我の如くして異なることがないようにします」と誓願なされました。私たちはこの誓願に応えて、慈悲に満ちた釈尊の笑顔を鏡のように映しとっていかなければなりません。これは、苦しいときも、楽しいときも、災害のときも、平穏なときも、全ての事柄を釈尊と同じ目で見て、同じ心で受け止めるということです。ここに救済と安穏が始まるのです。 
 

 

■天は賢人をすて給はぬならひなれば。
『兄弟鈔』/文永一二年(一二七五)五四歳
震災と私たち 天は賢人をすて給はぬならひなれば 大震災から一年が経ちますが、いまだに私達の心は、過去の喪失感と未来への不安でいっぱいです。しかし、多くの人々が心をくだき、暗中模索しながら前進しようとしていることも確かです。三月十一日は亡くなられた方々への追悼とともに、生きている全ての人にとっての「命の日」とし、その重みを共有しなければなりません。日蓮聖人は、どんなに悲しく辛いことがあっても、天は賢人を捨てはしないと説かれ、暗闇の中に確かな方向を示す光を点されました。では《賢人》とはどのような人間なのでしょうか。ご遺文を拝読いたしますと、頭がよく成績のよい人ではありません。ここで示された《賢人》とは、真実を求め至誠を捧げようとしている人々のことであります。それはいまだかつてない大震災によって、正しい人間性に目覚め、新たな絆で結ばれようとしている私たちのことであり、このご遺文を読んで下さっているあなたのことです。今は、この新たな絆をたよりに立ち上がり前進するときです。そんな私たちを天は見捨てはしないのです。

■我れ日本の眼目とならむ。
『開目抄』/文永九年(一二七二)五一歳
眼目を開く 我れ日本の眼目とならむ。大震災以降、私たちはうつむきかげんになってしまっています。しかし、眼を開けば「上を向いて歩いて下さい」と桜が咲き微笑み、励ましてくれています。自然は過酷でもありますが、優しくもあります。日蓮聖人は法華経の信仰に目覚められ、地涌の菩薩としての眼を開かれました。それは正義を尊び邪悪を除こうとする行動となりました。その姿について語られたのが本書です。「眼目」とは、真実を見通す智慧、あるいは、過去、現在、未来の有り様を見通す仏の眼でもあります。聖人は、この「眼目」を用い、社会、国家の進むべき指針を示す人になることを誓願なされました。鎌倉時代、私たちの国は、自然災害と混沌とした社会の真只中でした。聖人は、未曾有の大災害には、未曾有の教えが必要であると考えられ、建長五年(一二五三)四月二十八日に立教開宗され、この世界をそのまま浄土に導こうとされたのです。私たちも前を向きながら、聖人の心とともに力強く生き抜き、未来を切り開いて行かなければなりません。

■国を損じ人を悪道におとす者は、悪知識に過(すぎ)たる事なきか。
『唱法華題目鈔』/文応元年(一二六〇)聖寿三十九歳
悪知識に染まらない心 悪知識は、文章や映像や様々な情報、あるいは人の姿になって周囲を誘います。どんなに気を付けていても、つまずくことがあるように、悪知識に騙されることがあります。巧みに人を騙す姿はテレビや新聞などでよく見聞きしますが、《振り込め詐欺》のように当事者には分かりにくいものです。実際、様々な形で注意を呼びかけていますが、《振り込め詐欺》の被害は後を絶ちません。悪知識は、さも善人のような顔をして忍び寄ってくるからです。さらに国を動かす立場の者が「悪知識」に染まれば、国を損ね、社会を壊し、人間の営みを破りかねません。そうならないために日蓮聖人は、真実を見通す智恵の眼が必要であると示され、蓮の花のように泥水(悪知識)に染まらない美しい心を養わなければならないと戒められたのです。蓮の心を持った人はつまずいても、そのつまずきから大きく学んで成長する力を備えます。個人は勿論、社会の安穏のためにも、私たちは蓮の心を持ち、しっかりと前へ歩まなければならないのです。

■善知識たいせちなり。
『三三蔵祈雨事』/建治元年(一二七五年聖寿五四歳)
真実の善知識 ここで示す善知識とは、善良なる縁やきっかけのことです。それは人であったり、書物であったり、映像であったりします。 「朱に交われば赤くなる」といわれるように私たちは周囲の影響を強く受けながら生きています。恐ろしいのは全体が一色になり個々の色が分からなくなり、社会が崩壊してしまうことです。それだけに善知識との出会いは大切です。善知識から得た正しい感性や価値観は個々の人生を豊かにすると同時に、社会全体を美しいものにし、安穏なる姿に導いてくれるのです。そんな善知識とは出会っていないと多くの方々が思いますが、それは自分だけの狭い価値観によるものです。本当の価値は未来が決めてくれます。悪縁との出会いでも、いつしか良縁と感じることがあります。またその逆もあります。ですから、時代や社会がどんなに移ろっても変わることのない真実の価値観と善知識が求められます。実は求め続ける姿こそがすでに善知識と言えます。それは理想を求め続けるスポーツ選手と、それを見つめる私たちの姿と似ています。人は真実を求めながら、求められる存在になっているのです。この聖語の掲示も、つねに皆さんに寄り添う善知識です。ともに安穏なる社会を築き上げましょう。

■教主釈尊の愛子なり。
『法華取要抄』/文永一一年(一二七四年聖寿五十三歳)
仏の子の社会 あらゆる生命は親の存在があってこそ生まれます。では子から親へ遥かに遡るとそこには何があるのでしょうか? それは宇宙の起源に到達します。これがお釈迦さまの説かれる久遠の命です。そして子育ての教科書として法華経を説かれ、お釈迦さまと全ての人々は親子である示されたのです。だから私たちは久遠の命を授かった子どもなのです。これをそのまま受け止めますと、この世の中はお釈迦さまの家族によって構成されていることになります。しかし世間を見渡せば、そうとは思えないことばかりですし、私たちが仏の子だと信じることは容易にできません。この不信こそが不安の根源なのです。そこで日蓮聖人は、赤子に乳を含ませたい一心で教えを説かれ、信仰によったお釈迦さまとの親子の関係を取り戻し、仏子による安穏なる社会をつくり上げようとなさったのです。 
 

 

■蓮華と申す花はかかるいみじき徳ある花にて候へば
『妙心尼御前御返事』/建治元年(一二七五)
盂蘭盆 人が亡くなると私たちは合掌して心を込め故人を仏さまとして見送ります。お盆はまた合掌して仏さまを迎え、さらに自身の生きる意味を教わる大切な節目でもあります。蓮の花は多くの人びとが亡きかたがたに思いを馳せるお盆のころに咲きます。蓮の花のつぼみは合掌の姿とも言われ、その中にはすでに実になる部分が隠されています。お釈迦さまが説かれた法華経には私たちの心に仏の種が存在するとあり、蓮はその象徴的なものなのです。さらに蓮華が風に吹かれて揺らぐ姿はお釈迦さまのお弟子である菩薩を象徴しています。菩薩は信仰をもって、心と生命を未来へ紡いでいく使者でもあります。私たちもその使者の一人なのです。私たちは日々の生活のなかでついついそのことを忘れがちです。蓮の如く、その徳によって清らかで美しい心を取り戻し、持ち続ける努力をしましょう。

■時にあたり、人々にしたがひて、なげきしなじななり。
『光日房御書』/建治二年(一二七六年聖寿五五歳)
嘆きと供養 人間として生を享ければ身分や立場に関わらず心配はいつもつきもので、逃れることはできません。その嘆きは、時により、人によって様々ですし、各々が一番の苦しみと感じます。この聖語は、日蓮聖人が嘆きの様々な姿を述べられながら、その嘆きの最もなるものは親より先に子が死んでしまう悲しみであると示されたお手紙の一節です。我が子の姿を見られるならば、たとえ火に入っても、頭を砕いても惜しくないという母親の心情を示され、母親の苦悩から生まれる供養によって子供の成仏は疑いないものであると説かれました。そして成仏した子供に、かえって導かれることになると慈愛あふれる教示をされました。私たちはそれぞれの嘆きのなかで、御霊を見送り供養しています。それは私たちが生きている証拠でもありますが、亡くなった方々が生きていた証明でもあります。そして私たちは、亡くなった多くの方々に導かれて生きているのです。

■凡夫(ぼんぶ)は志(こころ)ざしと申す文字(もんじ)を心へて仏になり候なり。
『事理供養御書』/建治二年(一二七六聖寿五五歳)
凡夫と志ざし 凡夫とは仏教用語で煩悩に束縛されている人間を指しますが、それは普通に生活している私たちのことです。そして仏教が一番に目指しているのは、普通に生活している私たちが仏となることです。仏になる道は「南無」と唱えて心を磨くことです。簡単そうですが「命がけで信じていくこと」であり、とても難しいことです。そこで日蓮聖人は凡夫の信行「南無」のあり方としてこの聖語を示されたのです。では「志ざし」という文字は何を示しているのでしょうか? それは心の目標であり、誓いであり、心に残し止めるということです。夏のオリンピック、秋のパラリンピックの選手たちに、私たちは大きな感動をおぼえました。それは結果だけではありません。選手たちが志ざしを立て、周囲の人々の思いを心得て試合に臨む姿からです。私たちも仏になりたいと志ざしを立て、それは周囲の人々に仏を見出すことだと心得て、お互いを仏として拝み合う安穏で住みよい社会づくりに進んでいかなければなりません。

■一切衆生を悪道(あくどう)に導びくこと、人師(にんし)の苅(あやまり)によれり。
『報恩抄』/建治二年(一二七六年聖寿五五歳)
小松原法難 師とは、人を導く能力を持った人格者のことです。弁舌が爽やかであったり、言葉が優れていたり、声の響きが良かったり、容姿の感じが好いのも、この能力の一つです。しかし導く能力と、導く先は別ものです。言葉の花を咲かせるだけで実りのないこともありますし、誤った方向に導く可能性もあるからです。難しいのは、ここに悪意がなく、むしろ善意による場合が多いことです。たとえば原子力です。地球にやさしく、安全でクリーンなエネルギーとされ、多くの人々が信じ、その恵みを享受してきました。しかし現在は、災害の多い日本には適さないと考える人が増えてきました。今、正しき道への指導者やリーダーシップが求められています。しかしそれは、私たち一人ひとりが問われていることになります。私たちは、他者に導かれながらも、他者を導く人師でもあるのです。

■人の心は時に随つて移り、物の性は境(きよう)によつて改まる。
『立正安国論』/文応元年(一二六〇年聖寿三十九歳)
信仰の棹 今年も、もうすぐ終わります。振り返れば事件や事故が多い一年でした。毎年反省し、来年はよりよい年にしたいと誰もが祈ります。しかし、私たちは同じことを繰り返しているように思えます。それは、このご遺文に示されたように、せっかく目覚めた決心が時の流れで移ろい、環境の変化によって評価も変わるからです。これは真実を見定めていないから起こることです。例えば今来ている冬服は温かく心地好いものですが、夏に着ると暑くて大変です。冬服が変化したのではなく、時が移ろい環境が変化したので、価値が変わったのです。私たちは日々の生活に流され、その時々の価値観に追われています。それが流行なのですが、たまには流れに棹差して止まり、自己を検証する必要があります。なぜならば、どこに流れて行くのか分からなくなるからです。その止まるための棹が信仰です。信仰によって止まって周囲を見渡し、流れを確かめ、方向を見定めて棹に力を込めて進み、よりよい未来に向かって進んでいきたいものです。 
 

 

■それ月は清水に影をやどす濁水にすむ事なし。
『諫暁八幡抄』/弘安三年(1280)聖寿五九歳
新年の心 新年が明けました。昨年を反省し、誰もが清らかな志を立て、美しい一年にしようと誓います。しかし、時が経てばどうしても濁ってしまい、輝きを失うことがあります。そのようなときは、必ず新年の美しい心を取り戻しましょう。諸天善神は美しい心にこそ住まわれるのです。過去に大いに学び、未来を見据えて、現在を晴れやかに生きようではありませんか。
日蓮聖人ご遺文 『諫暁八幡抄』 弘安三年十一月、源頼朝が創建した鶴岡八幡宮が焼失しました。このご遺文はこれを契機に述作されたものです。日蓮聖人はこの焼失から、八幡大菩薩は、正しい心を失ったこの国の人々を見捨て、天に帰ってしまわれたのかと問題を提起されたのです。そして、たとえ宝殿が消失しようとも八幡大菩薩は、人の美しい心に住まわれるであろうと示されました。またこのご遺文は、日蓮聖人が釈尊と同じように、一切衆生が受ける苦しみを自己も同じく背負うという信仰を表明された重要な書です。

■法華経の文字は六万九千三百八十四字一字は一仏なり。
『御衣並単衣御書』/建治元年(1275)聖寿五十四歳
経文と仏陀 仏陀が悟られた内容をそのまま語られたのが法華経です。その文字の総数が六万九千三百八十四であり、この一文字ずつが仏陀そのものです。これは私たちの身体を構成している細胞と似ています。それぞれの細胞に遺伝子が組み込まれているように、法華経の一文字には悟りの全てが内包されています。ですから法華経の一文字は、それぞれが大慈悲の分身なのであり、このように受け止めることで、仏陀と同じ心になれるのです。
『御衣並単衣御書』 このご遺文は、現在の千葉県市川市在住の富木常忍公の夫人から供養の品として、法衣の生地と単衣の着物が届けられたことに対する礼状です。慈悲にあふれた優しい心と、困難に耐え忍ぶ強い心との両面を備えた衣を着なければならないと示されながら、種を植えれば多くの実りがあるように、この供養を法華経に奉れば六万九千三百八十四の仏に供養したことになり、その功徳は大きいと讃えられています。

■各々互に読み聞けまいらせさせ給へ。
『法華行者値難事』/文永十一年(1274)聖寿五十三歳
支える縁 つらさや悩みは誰かにそれを話すことでやわらぎます。一方で聞く側の心の中には、何か少しでも人の役に立てたかもしれないというぬくもりが生じます。人に役立つことで自分が救われる——支え合う社会とはそんな人間の姿をいうのではないでしょうか。《支援》とは支える縁《支縁》とも言えます。ですから支援は、する方もされる方も差がありません。それは始まりも終わりも無い円のようなものです。だから《支円》です。支援の正しい姿は、全てを《円かなる心》に導くものです。
日蓮聖人ご遺文 『法華行者値難事』 このご遺文は、日蓮聖人が流罪された佐渡より、現在の千葉県市川市大本山法華経寺を創建した富木常忍公と諸人に宛てられた書状です。現在の迫害や災難の意味を明確に示され、このような乱れた世の中では、互いに常に寄り添って語りあい、絶えず未来の姿を祈ることが大切ですと、短い文章の中に繰り返し説かれ激励されています。

■我れ日本の大船とならむ
『開目抄』/文永九年(1272)聖寿五十一歳
大きな乗り物 「大船」とは、多くの人たちを乗せて、目的地に渡るうえでの大きな乗物です。目的地は「安穏なる社会」です。「大きな乗物」とは、私たちの生活の場である社会のことでもあるのです。これ以上大きな乗物はありません。私たちは経済のもと生活していますが、社会はそれだけでは不安定になります。大切なのはお互いを敬い合う、温かい心を持つことです。目先のことのみにとらわれる社会ではなく、みんなで一緒にこの大きな船を漕いで本来のあるべき姿に戻さなければなりません。
日蓮聖人御遺文 『開目抄』 日蓮聖人が佐渡へ流罪となり、生命の危険にさらされながら、ご自身の信仰と生き方について自問自答され、「かたみ」とも言われた重要な書です。本書は全体として、すべての人々が釈尊と同じ心になれることを厳しい表現を用いてつづられていますが、その厳しさは、苦しみの世界に生きる私たちを「安らかな世界に導く」という大慈悲心から出たものです。そして和平を願い人類に尽くそうとされたのです。

■我が面を見る事は明鏡によるべし
『神国王御書』/文永十二年(1275)聖寿五十四歳
明鏡と仏教 朝起きて洗顔するとき、鏡の中の自分の顔を見ます。そして今朝の体調を思い、今日一日元気でがんばりたいと祈ります。それと同じように社会全体を写す鏡があれば、社会の健康状態を知り、そのあるべき姿の規範を得ることができるはずです。日蓮聖人は音から、その《明鏡》を《仏鏡》と表現され、世の中を写す優れた鏡は仏教であると示されました。私たちは、そこに写し出された姿に学び、正しい道を歩み、安穏な社会づくりへと努力しなければなりません。
『神国王御書』 このご遺文は、日本の国名、地理、歴史から書き起こされ、その後、多くの宗派の経緯を示しながら、その教えに対する疑問が、日蓮聖人を出家へと導いたと語られています。そして、正しい信仰・信念を立てられないことが国を衰えさせる原因であると指摘され、歴史と経緯から真理を再確認する方策を示されました。本書はお手紙ですが、日蓮聖人の信仰と基本理念が語られた重要なご遺文です。 
 

 

■法華経は草木を仏となし給う
『上野殿御返事』/弘安二年(1279) 聖寿五十八歳
安穏への種 法華経は、草木でさえ仏とする教えであり、全ての人びとをも仏としようとしています。まして、信仰し供養する人びとを成仏させないことはないのです。成仏とは、心と身体が最も安定した姿のことです。現代は災害や人災によって、非常に不安な社会と言えます。しかし、不安な要素の中にも安定の種は必ず宿しています。この種の存在を信じる力が、不安を小さくし安心安定へと導きます。そして、これが安穏な社会づくりへの第一歩なのです。
『上野殿御返事』 このご遺文は、駿河国富士郡上野郷に在住した南條時光公からの供養に対しての礼状です。物の価値は、環境や状況によって変化します。暑いときには水、寒いときには火が財となります。いただいた供養の品々は、今必要としている財であり、この功徳が成仏へと導く旨が述べられています。短文ですが、日蓮聖人の信仰がやさしく表現されています。時光公は感動して受け取り、信仰を深められたことでしょう。

■仏の金言を試みよ
『曾谷入道殿許御書』/文永十二年(1275)聖寿五十四歳
金言と私たち 金言とは、広くはお釈迦さまの言葉である経典全体のことですが。なかでも最も純粋なものを示します。その純粋な金言とは、すべての人びとを仏としようとするお釈迦さまの永遠不滅の誓願のことです。それを「こころみよ」とは、どんなに辛く悲しいことがあったとしても、この誓願を信じきって、身を任せて生きていこうとすることです。このような精神に立ったとき、必ず安穏なる社会が開けてくるのです。
日蓮聖人ご遺文 『曾谷入道殿許御書』 このご遺文は、今の千葉県北部に住んでいた曾谷教信公、大田乘明公に宛てられたお手紙です。このお手紙にて日蓮聖人は、教えの確認と未来のために、今までに遭われた数々の法難や迫害によって散失した経典の蒐集を依頼されました。さらに、病気によって使用する薬が異なるように、人や社会を導くには、そのありさまによって選ばなければならない教えがあると示され、つぎに、その教えの内容を詳細に述べられた重要な書です。 

■ただ仏のみよく知ろしめす
『始聞仏乗義』/建治四年(1278) 聖寿五十七歳

■天は必ず戒を持ち善を修する者を守る
『祈祷鈔』/文永九年(1272) 聖寿五十一歳
善と守護 戒めるとは、自己中心的になりやすい私たちの心を警戒することです。善とは、神仏の意にかなう正しい心を示します。この二つの心を大切にした行動をとれば、その姿は美しいものとなります。美しい姿の人間を神仏は守護して下さるのです。どんなに辛く悲しいことがあっても、またどんなに楽しく幸せだと感じるときも、「戒」と「善」この二つの心を忘れないことが大事なのです。
日蓮聖人ご遺文 『祈祷鈔』 このご遺文は、三つの書を一つにまとめられたものですので、三段に分かれています。日蓮聖人は、一段、二段の結論を三段目に明らかにされました。それは、国王に生まれるのは、過去世の正しい信仰によるということです。しかし当時の為政者は正しい信仰をしていなかったので、未来に及ぼす影響が恐ろしいものであることを暗示しています。

■この生を空しうすることなかれ
『守護国家論』/正元元年(1259) 聖寿三十八歳
充実した人生 人生を空虚なものにしないためには、正しさに対して、素直に真面目に真剣に取り組むことです。そうすれば、自己中心的な考えから逃れられ、他者に慈しみの心で接することができ、自他ともに安穏になります。それは、蓮の花が泥から養分を摂取しながら、泥に染まることなく成長し、やがて空中に美しい花を咲かせ、見る者をして和ませる姿に似ています。蓮の花のようになりたいとの祈りが、人生を充実させるのです。
日蓮聖人ご遺文 『守護国家論』 このご遺文は日蓮聖人が、乱れた世の中を安穏に導く教えを明らかにするために著述された論文です。全体を七段に分けて構成されています。一〜三段で正しい教えを求められ、四段では、信仰者の正しい心構えを、五段ではよき指導者と出会うことの大事を、六段では正しい信仰のあり方と浄土について詳説され、七段に未来の対処を示しておられます。日蓮聖人の教えを知る上で重要な書の一つです。 
 

 

■天地は国の明鏡なり
『法蓮鈔』/建治元年(1275) 聖寿五十四歳
人の営みと天地 科学が発達し私たちは、病気や怪我が治りやすくなり、衛生的でよりよい生活を手に入れました。しかし、人間の営みは自然のあり方から遠のいたと言えるでしょう。天地は私たちの営みを写す鏡と言われます。世界中で私たちが経験したこのない災害が起こっています。私たちは、天地の叫びに耳目を傾け、その意味を知ろうと心掛け、その心を柱とし、未来へと歩まなければなりません。
『法蓮鈔』 これは日蓮聖人が、法蓮法師から父の十三回忌の諷誦文と供養の品とを受け取られたことに対して出された長文の返書です。まず、誹謗正法の罪を示され、末法の法華経の行者への供養を讃歎されました。諷誦文の内容から父聖霊が息子である貴方を拝んでいることだろう、これこそ真の孝養であると説かれました。正しい信仰に対する迫害の罪について述べられ筆は置かれます。

■薬はしらねども服すれば病やみぬ
『報恩抄』/建治二年(1276) 聖寿五十五歳
社会の良薬 病気になると私たちは、医師の処方、あるいは市販の薬を飲んで治そうとします。今、多くの人々は、私たちの社会がどこか病んでいるように感じています。社会全体が健全にならなければ個人の真の幸福は訪れません。社会全体を治療する良薬は、私たち一人ひとりが、美しく正しい心を穏やかに保つことです。この心を求め始めたとき、安穏なる社会への道が必ず開けるのです。
『報恩抄』 このご遺文は、日蓮聖人が、旧師道善房の訃報を受けられ、報恩回向のために撰述し、捧げられたものです。聖人は、多くの艱難辛苦を乗り越えられ、お題目の信仰を布教されましたが、本書にて、その功徳は全て故道善房の聖霊に集まると示されました。この報恩の信仰こそが日蓮聖人の魂の柱です。この柱は日蓮聖人の生涯を支え、今を生きる私たちを励まし続けています。

■心の財をつませ給ふべし
『崇峻天皇御書』/建治三年(1277) 聖寿 五十六歳
真実の財産 真実の財産は、金銀宝石でもなく、土地や建物でもありません。まして数字で表現できるものではありません。それは、心に蓄積されるものです。こ の財は生きる力の根源的なものです。経済優先の現代社会の不安は、本当に大切にしなければならないものを失いつつあることからくるかもしれません。心に財を積めば、それは内より出て身を飾り、人生をより輝かせ、やがて安穏な社会へと進む力となるのです。
『崇峻天皇御書』 このご遺文は、四条頼基公からの贈り物に対しての礼状です。頼基公は、謹慎中でした。やがて主君の誤解が解け、薬事の心得があったため、主君の病気治療を命じられました。許されたうえに、以前より厚遇さ れることになりましたが、日蓮聖人は、それを自慢したり、油断してはならないことを事細かに教示され、人としての振舞こそが大切であると戒められ ました。

■すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし
『聖人御難事』/弘安二年(1259)聖寿 五十八歳
たゆまぬ心 私たちは、苦難に遭うと、くじけそうになる心と、立ち向かう心を同時に持ちます。このとき少しでも心が緩むと、その隙間に魔が入り込みます。そのようにならないように、日頃から心に柱を立てておくことが大切です。その柱とは、正しさであり、清らかさです。心に柱が立てば、一人ひとりの人生を支え、社会を支えていくことになります。
『聖人御難事』 このご遺文は、弘安二年(一二七九)に信徒が迫害された熱原法難の危機的状況に対し、門下一同に激励、導かれた書状です。日蓮聖人は建長五年(一二五三)四月二十八日に立教開宗されました。それから弘安二年に至るまでの迫害と守護のあり方を説示し、どんな苦難に遭っても、正しく清らかな心を強く持っていれば、必ず諸天の守護があることを諭されました。

■世すでに上行菩薩等の御出現の時剋に相当れり
『下山御消息』/建治三年(1277)聖寿 五十六歳
菩薩の出現 上行菩薩は、社会が不安なとき、私たちを導くために出現する菩薩です。菩薩とは、自己よりも他者を思い、社会をよりよくするために行動できる人間のことです。東日本大震災のおり、多くのボランティアの方々が行動しました。それは、それぞれの心の中にある菩薩の一分が働いたからです。被災地はいまもなお、あなたの菩薩の心を必要としています。
『下山御消息』 このご遺文は日蓮聖人が、弟子日永上人のために代筆され、念仏信者の父下山光基に宛てた長文の弁明書です。日永上人は念仏の信者でしたが、日蓮聖人の説法を聞いて入信します。それは誠の信仰の姿を知り、真実の報恩に目覚めたからでした。その後、日永上人を追放した父光基は、この書によって入信しています。 
 

 

■腹あしき者をば天は守らせ給はぬ
『崇峻天皇御書』/建治三年(1277) 聖寿 五十六歳
心のあり方と守護 ここで の《腹あしき》の意味は《短気》ということです。年度が改まり、新しい生活が始まったり、目標が示されたりします。結果がすぐ現れるものもあれば、そうでな いものもあります。成功しても失敗しても腹あしく短気にならず、周囲に対し感謝の心を持つことが大切です。この心はやがて、敬いへと育ちます。実は、この[敬いの心]にこそ守護が宿り、正しい方向が示され、自他ともに穏やかに導かれるので す。
『崇峻 天皇御書』 このご遺文は、四条頼基公からの贈り物に対してのお礼とともに、丁寧な注意が記されたお手紙です。日蓮聖人は、内面に貯えた徳は、自然と外面に現れると示されました。それには、行動を慎み[心の財]を積むことが大事であると説かれました。そして、どんな人でも敬い続けた菩薩である不軽菩薩の振る舞いについ て、よくよく考えて下さいと教え諭され結ばれています。

■身をやしない魂をたすけず
『千日尼御前御返事』/弘安元年(1277)聖寿 五十七歳
本当の生き方 《身を養う》とは、経済や文化的な活動によって、人が生きていく上で必要な入れ物をつくる作業を指します。《魂をたすける》とは心の営みのことで、入れ物に内容を注ぎ込み、充実させることです。豊かなはずの現代社会に、漠然とした不安を感じるのは、この二つのバランスが崩れているからです。今、私たちは《身を養う》ことに使うエネルギーに見合うだけの《魂をたすける》心の営みについて考えなくてはならない時を迎えています。
『千日尼御前御返事』 日蓮聖人の佐渡流罪中、千日尼は、夫の阿仏坊とともに聖人の教えに入信し、その生活を夫婦で支えました。この書は千日尼からの供養の品への御礼と、女性の悩みの質問に答えた長文のお手紙です。女性の成仏を中心に説かれた書ですが、聖人自身の信仰のあり方や、仏教について詳しく示されています。男女を問わず、人のあるべき姿について明 らかにされた感動の書です。

■蝦が大海を見ず
『開目抄』/文永九年(1272) 聖寿 五十一歳
知識の広さと智恵の深さ 《井の中の蛙大海を知らず》とは、よく知られた言葉ですが《されど空の深さを知る》と続くとは、あまり知られていません。知識は広さを求めるものですが、広くなればなるほど、深い智恵を持たなければなりません。知識に振り回されてしまうからです。インターネットによって、とてつもなく広い知識を手に入れることができる現代社会は、より《空の深さを知る智恵》が必要なのです。
日蓮聖人ご遺文 『開目抄』 このご遺文は、日蓮聖人の著作中で最長編にして、重要書の一つです。しかし書き起こしは、信仰の部分からではなく、人の歩むべき道としての一般教養からです。それは聖人が、広大な知識と深遠なる智恵を求め続けられたからなのです。そして得られた真理と、それを行う《人》について示され、信念を述べられた《かたみ》とされた書です。

■その法 何ぞ廃れたるや
『立正安国論』/文応元年(1260)聖寿 三十九歳
常識と油断 常識は安定を生み出しますが、同時に社会や経済によって変化するものです。油断すると常識に振り回されてしまいます。だから、常識に流され続けるのではなく、たまには立ち止まって検証してみなければなりません。落ち着いて常識を眺めてみると揺らぐことのない存在があることに気が付きます。揺るがないものこそが《安穏な社会》への道標です。油断せずこの 道を歩みたいものです。
日蓮聖人ご遺文 『立正安国論』 日蓮聖人が生きておられた鎌倉時代は、大きな自然災害が重なり、幕府も色々な政策を打ち出しますが好転しませんでした。なおかつ蒙古襲来の危機 が迫っていました。そんなとき聖人は、社会全体が幸せにならない限り、個々の幸福はないと考えられ、その方策をこの書に示され、幕府へ申し上げられたのです。聖人の苦難に満ちたご生涯を決定づけた重要な書です。

■眉は近けれども見えず
『曾谷入道殿許御書』/文永十二年(1275) 聖寿五十四歳
善悪と鏡 眉は近くにあるのに見ることはできません。それと同じように自分の善悪を見ることは、なかなかできません。では、どのようにすればよいのでしょうか? それには鏡を使うのが一番です。鏡に映った顔を見れば自分の表情がよく分かります。不透明な社会情勢の中、私たちの善悪を映す鏡が必要です。私たちは、その鏡に映った姿を素直に受け止め、美しく是正し、よりよい社会へと歩まなければなりません。
日蓮聖人ご遺文 『曾谷入道殿許御書』 このご遺文は、日蓮聖人が曾谷教信公、太田乗明公に宛てられた書状です。二人は学識があり、聖人の教義を理解し、信頼されていました。よって、このご遺文は名文の書状でありながら、漢文で書かれた長文の論文と呼べるものです。現実社会を救済されようとした聖人の教えの根幹が示された重要な書であり、堂々とした筆づかいは読む者を感動させます。 
 

 

■天の御はからいとをぼすべし
『伯耆殿並諸人御書』/弘安二年(1279)聖寿五十八歳
苦難と魂 私たちは悪いこと、辛いことがあると歎き悲しみます。しかし、「艱難汝を玉とす」という言葉があるように、宝石も原石のままでは輝きません。身を削り磨かれてこそ、その魅力が、ようやく生まれてくるのです。ですから、すぐには信じられませんが、苦難との出会いも、お導きなのです。そう信じる魂にこそ正しい力が宿るのです。そして、この力は安穏な社会を照らす光のエネルギーの源となっていきます。
『伯耆殿並諸人御書』 弘安2年(1279)9月21日、現在の静岡県富士市厚原(当時は熱原)において、日蓮聖人の信徒20人が鎌倉幕府に捕らえられ、うち3人は尊い命を失うという大事件が起きました。後にこれを熱原法難と呼びます。このご遺文は、この法難に関係する弟子信徒へ宛てた長文の書状です。これにより、聖人は事態への対応と、導かれるという信仰の姿を示されたのでした。

■八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり
『四条金吾殿御返事』/建治三年(1277)聖寿五十六歳
八つの風 人の心を動揺させるものに利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽の八つがあり、それを風に譬えられています。そして、これらの風が吹いても、平常心を保てる人間のことを賢人と呼ぶとされます。ですから賢人とは、どんな時も人として謹み深く、他者を敬うことのできる美しい心の持ち主のことです。諸天善神は、このような人の心に住まわれ、その人を守護し、正しく導いて下さるのです。
『四条金吾殿御返事』 このご遺文は、四条金吾公からの供養の品々と書状に対する返書です。金吾公は実直至誠の人柄でした。それが時に、主君から誤解されたり、同輩から妬まれたりしました。日蓮聖人は、歴史的な事例や身近な事柄を示され、たとえ誤解や、妬みがあろうとも《八つの風》に惑わされることなく、美しい心を持ち、正しく祈れば、状況は必ず好転すると諭されています。

■僻事は一人なれども万国のわづらひ也
『本尊問答抄』/弘安元年(1278)聖寿五十七歳
一人の言動と全体 僻事とは、道理や事実を曲げる過ちのことです。一人の過ちは、池に石を落とした波紋のように、本人に止まらず周囲に影響していきます。波が波を呼んで大きくなることもありますから、注意しなければいけません。善もまた同じように、本人に止まらず周囲に広がります。どんなに小さな善であっても、それを積み重ねようとしている努力が、周囲を和ませ、人を育て、やがて安穏な社会を開いていくのです。
『本尊問答抄』 このご遺文は日蓮聖人が、兄弟子の浄顕房からのご本尊授与の願いと質問によって、ご本尊をしたためられ、その意義を示されながら問いに答えられた書です。まず末代悪世に信仰すべきご本尊を示され、後に僻事の事例を示されました。聖人はこれらを広く伝えられました。その功徳をすべての人々に分かち与えたいと祈られ、このご本尊のもとで、迷うことなく信仰しなさいと結ばれました。

■約束と申す事はたがへぬ事にて候ふ
上野殿御返事/建治元年(1275)聖寿54歳
約束の大事 私たちの生活のなかには、多くの約束事があります。約束は、お互いに尊重し認め合う関係によって成り立ちます。そこに信頼が生まれ、安穏な社会への道が開けるのです。たとえば、交通ルールで考えてみましょう。このルールは一方的に決められているように感じますが、これによって快適な通行が保たれているのです。約束は守るものであると同時に、みんなを守ってくれるものです。
『上野殿御返事』 この御遺文は、南条時光公からの供養の品に対する書状です。日蓮聖人は、供養への感謝を述べられ、この功徳によって父の菩提が弔われ、供養者は諸天善神の守護が約束されることを示されました。この先、どのような大難があっても信仰を捨てることがなければ、父の精霊は成仏し、その後、父の守護をいただけます。難儀なことがあっても喜びと感じるような信心を結びなさいと訓戒なさっています。

■心田に仏種をうえたる
撰時抄/建治元年(1275)聖寿54歳
心田と仏種 お釈迦さまは、私たちの心を田畑にたとえられました。そして、教えを説いて心の田畑を耕し、仏になる種を植えられました。天の光と地の養分がなければ、種は芽吹きません。私たちの合掌の姿が、仏種への光と養分です。自身の心田に合掌すれば養分になり、他者に合掌すれば光となります。新年を迎え、改めて自他の仏種を信じ、豊かなみのりを祈りたいものです。
『撰時抄』 このご遺文は、題号から推察できますように《時》について論じられており、普通の《時》を超越した日蓮聖人の信仰の世界を詳説された重要書のひとつです。聖人は、末法の《今》に必要な教えとその示し方、それを担う人のあり方について述べられ、これを実践し、その正しさを証明されました。だからこそ門下に、同じ心となって信仰するように勧められたのです。 
 

 

■人をも諂はず聊か異なる悪名をたたず
頼基陳状/建治3年(1277)聖寿56歳
正直に生きる 日蓮聖人は、人に媚びることもなく、少しの悪名もありませんでした。それは、お釈迦さまが示された道に正直に生きられたからです。しかし、さまざまなしがらみのなかに生きる私たちにとって、これは難しいことです。では、どのようにすればよいのでしょうか。それは、池の底の泥から養分を摂取しながらも、美しい花を咲かせる蓮のようになりたいと祈ることです。この祈りによって、心は正しく導かれるのです。
日蓮聖人ご遺文 『頼基陳状』 このご遺文は、四条頼基公が、主君から誤解を受けたことへの、日蓮聖人が代筆された弁明書です。主君からの詰問の一つひとつに丁寧に答えながら、頼基公が父子二代にわたって忠誠を尽くした事実を回顧し、後生までも随従し、主君を救いたいと述べています。そのために聖人に従って信仰を励むことを示し、主君からの誤解をとこうとされています。

■人の智はあさく仏教はふかくなる
『報恩抄』/建治2年(1276)聖寿55歳
社会と生き方 お釈迦さまはさまざまな事柄に応じて、人間の生き方を法として説かれました。現代を見ますと、高度な科学文明が発達し、豊かなようですが、依存しすぎて人間性が薄くなったように感じます。現代社会はさまざまな格差を生み出し、科学で乗り越えられない自然災害に、人は不安を感じています。これからは、人間性を深め仏心を持たなければならない時代です。その先に安穏な社会は開けるのです。
日蓮聖人ご遺文 『報恩抄』 このご遺文は、旧師道善御房の訃報を受け、使者に墓前などで読むように託された長文の追悼書です。日蓮聖人は、旧師への供養のために、人としての報恩のありかたから書き起こされ、仏教の歴史を示し、その核心を説かれ、生きとし生けるものへの広大な慈悲の世界を述べられました。この書には添え状があり、何度でも読み返し、わからないことは質問するように書かれてあります。

■仏になる道は師に仕ふるには過ぎず
『身延山御書』/弘安5年(1282)聖寿61歳
仏の心 仏とは、円かなる心を持った人のことです。その人の存在で、その場が和み、円くおさまる。そんな人を「仏さまのような方」と言います。このような人になるには、何かに導かれなければなりません。導きの師は、人とは限りません。小説や映画であったりもします。また反面教師の場合もあります。その存在を信じるとき、導きの師は様々な姿で現れます。あなたを仏に育ててくれる師の存在を信じて下さい。
『身延山御書』 このご遺文で日蓮聖人は、晩年心やすく住まわれた身延山の風光を語られながら、ご自身のそれまでの人生を感慨深く語られています。まず、お釈迦さまがお悟りを開かれるまでの修行の姿や、法華経の物語に、ご自身を重ねられ、信仰には導きの師が肝心であると示されました。多くの説話を引用されながら、信仰の深い世界を独白するように説かれた同書は、心に染み入ります。

■駿馬にも鞭うつの理これあり
『問注得意鈔』/文永6年(1269)聖寿48歳
励ましと受容 優れた才能も、努力しなければ、枯れてしまいます。また、才能だけに頼っていては、行き詰まることもあります。そんな時の周囲の励ましは、あなたへの期待のあらわれです。柔和に受け止め、自分のものにすれば、才能が磨かれ、花が咲いていきます。この花はたとえ小さくとも、周りの人を幸せにします。自分のためにだけではなく、他者のためにも、精進を怠らないようにしましょう。
『問注得意鈔』 このご遺文は、鎌倉幕府の裁判所である問注所に呼び出された富木常忍公に宛てられた手紙です。「すでに知っている事であろうが」と、ことわりながら、問注所での心得を、従者に至るまで細々と指示されています。その姿から日蓮聖人の信徒への思いやりと気遣い、広い知識が伝わってきます。聖人の適切な助言によって、富木公は落ち着いて問注所に臨んだと思われます。

■石中の火木中の花
『観心本尊抄』/文永10年(1273)聖寿52歳
大切なもの 石の中には火はありませんが、打てば火が出ます。木の中には、花の色も葉の緑もありませんが、時が来れば芽や蕾みが出て花が咲き、やがて実も成ります。同じように、目には見えないけれど、大切なものが誰にもあります。それは、仏さまのような美しい心です。それをすぐに信じるのは難しいことですが、自分自身の中にこの心を開こうとしたとき、歩むべき道が照らし出されるのです。
『観心本尊抄』 このご遺文は、日蓮聖人が信仰の世界を余すことなく説かれた最も重要な書の一つです。三十番の問答を繰り返され、人が仏の心を持つことを説明されました。そして、これを信じた人には、お釈迦さまの全てが譲られ、そんな人々が住む場所を浄土と示されました。さらに、これらの教えを信じる人々は、天が晴れれば地が明らかになるように、菩薩さまの守護が得られると説かれたのです。 
 

 

■慈悲なき者を邪見の者という
『顕謗法鈔』/弘長2年(1262)聖寿41歳
慈悲と合掌 慈悲とは、人として持たなければならない大切な心です。その意味は、慈しみと哀れみです。それは、他者の苦しみを除き、楽しみを与えることであり、他者の幸せを祈る心のことです。この心が薄くなれば、自己中心的になり、よこしまな考えに陥ります。このような人が増えれば、道理がとおらなくなり、社会は不安になります。社会が不安になれば、個人の幸せもありません。慈悲の心を自分に確認し、他者の幸せを祈る姿が合掌です。
『顕謗法鈔』 この書は、日蓮聖人が法難を受け、正しい教えを謗る罪について示された論文です。全体は、四段で構成されています。一段では犯した罪によって堕ちる八大地獄を、二段では最重苦の無間地獄の因である謗法を、三段では謗法の行為を、四段では仏法のひろめ方を、それぞれ述べられました。特に、仏法のひろめ方については、五つの要素を示され、それは聖人の生涯を通じて深められていくことになりました。

■心は仏心に同じ
『曾谷二郎入道殿御報』/弘安4年(1281)聖寿60歳
仏心 私たちの心の中には、貪りや愚痴など嫌な部分もありますが、誰かの役に立ちたいと願う良いところもあります。それが仏心です。しかし私たちは自分自身のなかに仏心があることを忘れがちです。《私》という 漢字を見つめてみましょう。《私》の《禾》から「一(イ)」と「八(ヤ)」のイヤな心を除くと《仏》という漢字が残ります。つまり《私》の字には《仏》が内在しているのです。この隠れた仏心を呼び起こすのが合掌です。
『曾谷二郎入道殿御報』 この書は弟子の曾谷二郎入道へのお手紙です。正しい教えを否定する罪について筆を起こされ、この罪を犯す者がはびこれば世が乱れることを示されました。当時は蒙古襲来の危機など社会不安の真っ只中にありました。この罪を犯しているからだと、聖人は批判されています。社会の一員として、どのような苦難に遭おうとも「心は仏心と同じ」と信じる覚悟を勧めて筆はおかれます。

■月こそ心よ花こそ心よ
事理供養御書/建治2年(1276)聖寿55歳
本当の心 月を見て美しく感じ、花を愛でて気持ちがなごむのは、私たちの心がそれらと呼応するからです。すなわち、私たちの心にはすでに月は美しいもの、花は愛らしいものと感じる清らかな心があるからです。しかし、私たちは忙しい生活を送るうちに、知らず知らずなごやかさや穏やかさを失い、美しく清らかな心の存在を忘れてしまいます。そんなとき、合掌すれば、あなたの心の奥にしまわれている月や花を呼び起こし、私たちがもつ本当の心を取り戻すことができるのです。
『事理供養御書』 このご遺文は信徒からのお供え物に対しての礼状です。財(宝)のなかで《いのち》こそが、一番であると示され、過去に雪山童子という修行者が教えを授かるために自らの《いのち》をささげた行動が、信仰の姿だと述べらました。しかし、それは現実として無理なことです。そこで日蓮聖人は、「人として正しく生きる」という《志し》を立てることが大切とされ、私たちがこの教えを信じたとき、営みのすべては仏さまの教えの世界になると示されました。

■主と親と師との三つの大事を説き給へり
下山御消息/建治3年(1277)聖寿56歳
主師親の三徳 主師親とは、お釈迦さまに備わった三つの徳のことです。「主」とは秩序を「師」とは智慧を「親」とは愛情をそれぞれ意味します。お釈迦さまはこの三徳を悟られ、世の中を安穏な社会へと導き、生きとし生けるものへ、この三徳を授けたいと願われました。この願いを素直に受け止め、自らもこの三徳を備えたいと祈る姿が合掌です。日蓮聖人もこれを願っておられます。
『下山御消息』 このご遺文は、日蓮聖人が代筆して弟子日永の父に出されたお手紙です。まず、念仏の信仰をしていた日永が、聖人の説法を聞いて法華経に入信したことを示されます。ついで経文に説かれている予言と、現実との一致を述べられ、法華経の真実を明らかにされました。そして、親孝行のためにも正しい信仰をしなければならないと結ばれ、父親もこの書によって入信することになります。

■一切の事は時による事に候か
上野殿御返事/弘安2年(1279) 聖寿58歳
「時」の大事 春に美しい花を咲かせ、秋に実をみのらせる植物。春は花を咲かせることに、秋は実をみのらすことに一生懸命になった結果です。目の前の「時」にベストを尽くすことはとても大事なことです。同時に、こうも考えられるはずです。春は秋に美味しい実をみのらすために花を咲かせ、秋は来春に美しい花を咲かすために実を結ぶのだと。現在の花を咲かせることと、未来に実を結ぶことを一つにした祈りの姿が合掌です。
『上野殿御返事』 このご遺文は、南条時光公が身延山の日蓮聖人に白米一駄を届けたことに対する礼状です。窮乏の時を知るかのような贈り物への聖人の驚きや、冬の寒さに食糧難という身延山でのくらしの厳しさがうかがわれます。山中の生活で食糧も乏しくなり、命が絶えそうになったときに頂いた白米は、尊い品物だと礼を述べられ、供養した南条公には釈尊と法華経の恵みがあると結ばれています。 
 

 

■一切の功徳を合わせて妙の文字とならせ給ふ
妙心尼御前御返事/弘安3年(1280)聖寿59歳
妙の意味 「功徳」とは、善い結果をめざす精進努力のことです。「失敗は成功のもと」とも言いますから、精進努力は必ず報われるものです。「妙」は、細やかで美しく、優れている様子です。さらに自然や人、文物を見て、その心に触れることを意味しています。これによって、総ての本質を正しく知ることができるのです。合掌して、今年一年の総てのことを「妙」の一字に集約し、新しい年をより善く、安穏な社会が実現するよう祈りましょう。
『妙心尼御前御返事』 このご遺文は、日蓮聖人の信徒の妙心尼が、亡き夫の菩提を弔うために、聖人のもとへ供養の品々を届けたことに対する礼状です。まず、供養の志に故人も喜び、遺した家族をおもいやっているであろうと述べられました。次に、花が種や実となるように、「妙」の文字には、凡人が仏となる不思議な力があると信仰の世界を示されました。そして「妙」とは一切の功徳を合わせたものだと結ばれています。

■人間に生を得る事都て希れなり
祈祷鈔/文永9年(1272) 聖寿51歳
いのちに合掌 新しい年を迎えました。過去に思いを馳せ、未来に向かって志を立てる時でもあります。ふり返りますと、人間の存在は奇跡の連続の賜です。両親が出会って生まれ、両親も祖父母がいてこそ生まれました。この奇跡を十代遡りますと、1024人になります。この中の一人でも欠ければ、現在の命はありません。今を生きている私たちの命は奇跡の連続が生み出したものです。この尊い「いのち」に合掌する姿を育てる一年にしていきましょう。
『祈祷鈔』 このご遺文は日蓮聖人が、弟子に宛てられた書状とされています。諸宗の祈祷について述べられながら、正しい信仰者への守護の姿について論を進められています。中でも事例を挙げられ、信仰の善悪による守護の姿の差を示されました。そして守護のもととなるのは報恩の心だと述べられています。さらに、合掌して正しい信仰に目覚め、安穏な人生をおくり、未来の成仏を祈ることを勧めておられます。

■たぼらかされ候ぞ
光日房御書/建治2年(1276) 聖寿55歳
心の姿勢 「たぼらかす」とは、他者を邪な道に誘うことです。そして、その邪気によって、狂わされることを示しています。この狂いは、自分の欲によって、さらに大きくなってしまいます。「たぼらかされない」ためには、正しい教えによって、心の姿勢を保つことが大事です。正しい姿勢は強さを呼びます。そして美しくもあります。この美しい心を育てる身体の姿勢こそが「合掌」です。「合掌」することによって、社会は安穏へと導かれるのです。
『光日房御書』 このご遺文は現在の千葉県、安房天津に住んでいた光日尼に宛てられた手紙です。安房は日蓮聖人の故郷です。聖人は佐渡流罪などを示されながら懐郷の念を語られています。以前の光日尼からの手紙を、故郷からなので急ぎ開いたところ、子息弥四郎が亡くなったことが告げられていました。聖人は弔意を示されながら、親子で互いに、正しい信仰に導き値うようにすれば、死後も必ず救われると説かれました。

■妙と申す事は開といふ事なり
法華題目鈔/文永3年(1266)聖寿45歳
「妙」の一字 「妙」の一字は、全ての人間に美しさや優しさを観ていくことを意味しています。「開」とは、これを開花させることです。よって「開」は、すでに「妙」があることを暗示しています。そこで日蓮聖人は「妙」を「開」と表現され、「蘇生」の意味があると示されました。東日本大震災から5年です。私たちは、この辛く悲しい体験から多くを学びました。復興はまだまだですが、合掌して「蘇生」を祈り、笑顔という「妙」なる花を開かせていきましょう。
『法華題目鈔』 このご遺文は、日蓮聖人が房総方面を布教されたおり、清澄寺にて述作されたものです。四番の問答で形成され、お題目の功徳と利益が詳述されています。なかでも「妙」の一字から、その意味を掘り下げられ、「妙」による信仰のあり方を繰り返し述べています。また女性の信仰の姿について多くの紙数を使っていることから、女性に宛てられた著述であると考えられています。

■天晴れぬれば地明らかなり
観心本尊抄/文10年(1273) 聖寿52歳
天晴地明 空が晴れれば、地面が明るくなることは道理です。逆に、空が曇れば、地面が暗くなります。同じように、人の心が晴れれば社会は明るくなり、人の心が曇れば、社会も暗くなります。私たちは、個人のためにも、社会のためにも、晴れやかな心を持たなければなりません。晴れやかな心は、人としての正しい姿によって導かれ、育ちます。その正しい姿とは「合掌」です。「合掌」で人生と社会を晴れやかにしていきましょう。
『観心本尊抄』 このご遺文は日蓮聖人が、その信仰を説きあらわされた最も重要な書です。書名が示すように「心を観る」ことと「ご本尊」との関係を示しておられます。まず、私たちの心には、すでに仏陀がおられることを、経典を引用して証明されました。そして、心中の仏陀の存在を知らせたい慈悲の世界を端的に述べられ、これを信じられれば、法華経の守護の中に生きることになると結ばれました。 
 

 

■歓喜身に余り心の苦しみ忽ち息む
『忘持経事』/建治2年(1276) 聖寿55歳
苦しみと合掌 苦しいとき、悲しいとき、美しい姿にふれると、心が和み落ち着きます。それは、美しさに秘められた不思議なエネルギーが導いてくれるからです。美しさの極みは、正しさを信じる心です。その心の現れが合掌です。人は合掌に導かれ、苦しみの少ない社会を創造していくことができるのです。そして今、あなたの合掌が、あなた自身を癒やし、同時に世の中の苦しみや悲しみを減らし、軽くしていくのです。
『忘持経事』 現在の千葉県市川市中山に住まいしていた篤信の富木常忍公の母が逝去した。常忍公は遺骨を抱いて、遠路遙々身延山の日蓮聖人のもとへ埋葬しに行きました。その帰りに常忍公は、自身の経本を忘れてしまいます。このご遺文は、聖人が経本を届けるさいに付けられた書状です。大切な経本を忘れたことを叱責されながら、母を見送った悲しみを思い、合掌して回向したので、母は成仏し、あなたの苦しみは息んだと示されました。

■源竭れば流れ尽きる
実相寺御書/建治4年(1278) 聖寿57歳
正しき流れ 邪な教えは、正しい教えが現れたとき消える運命です。これを古来「源竭れば流れ尽きる」と表現してきました。また逆に、正しい教えは源まで遡ることができるので尽きることはありません。それは、正しい教えを絶やしてはならないことも意味しています。どのような災害、苦難の中でも正しさを身に着けていれば、流れは尽きることはないのです。どうか合掌して、身体と心を正しく持ち、過去から現在、そして未来へ祈りを捧げましょう。
『実相寺御書』 この書は、現在の静岡県富士市の本山実相寺(当時は天台宗)に住まいしていた日蓮聖人の弟子の日源上人が、実相寺住僧から質問を受け、聖人がその質問に答えた書状です。聖人は、その住僧の経論の誤読を示され、正しい解釈を述べられました。そして、邪な教えは尽きると説かれたのです。このご遺文は、実相寺内において、聖人の弟子への迫害があり、それに対する激励と訓示の書でもあります。

■日は赫赫たり月は明明たり
『南条殿御返事』/建治2年(1276) 聖寿55歳
日月の光明 「赫」には、聖火で身を清める意味があります。「明」は、窓から月の光が差し込み、暗闇から解放され、物事が明らかになることです。どちらも神仏の力を現しています。災害や紛争など、辛いことがあると、私たちは、うつむいて下を見ることが多くなります。しかし天を仰げば、そこに分厚い雲があったとしても、その上には必ず「日月の光明」が優しく輝いているのです。それは全てを包み込み、新たな力を与え続ける恵みの光なのです。
『南条殿御返事』 この御遺文は、駿河国(現在の静岡県)富士郡上野に在住した南条時光公からの供養の品への返書です。日蓮聖人は御礼を述べられ、法華経への供養の功徳の大きさを示されました。そして法華経の文を引用され、その果報は必ず現世に現れると明らかにされました。さらにこの功徳は、亡くなった慈父への回向にもなると説かれたのです。時光公は合掌して受け取ったことと思われます。

■盂蘭盆と申し候事は
『盂蘭盆御書』/弘安3年(1280) 聖寿59歳
お盆の心 盂蘭盆(お盆)は、お釈迦さまのお弟子の目連さまが、死後餓鬼道に堕ちてしまった母親を救う供養の姿から始まりました。それが日本に伝わり、推古天皇の時代(592〜628)に、宮中の正式な行事として始まりました。やがて、寺院の法要となり、次に一般化されて現在の供養の姿になりました。供養とは、花や物だけではなく、合掌する心や姿そのものです。合掌されて死者は安らかになり、生者は穏やかになるのです。これがお盆です。
『盂蘭盆御書』 このご遺文は、日蓮聖人のお弟子の日位上人の祖母から送られてきた盂蘭盆会の供養の品々へのお礼と、盂蘭盆の由来の質問に答えた書状です。死後、餓鬼道に堕ちてしまった母親を、目連さまが救う供養をしますが、それは餓鬼道から救うのみで真の成仏ではないと、聖人は示され、それには、供養者の目連さまが成仏しなければならないと説明されました。つまり死者と生者が同時に仏の心となることが大事なのです。

■実乗の一善に帰せよ
『立正安国論』/文応元年(1260) 聖寿39歳
実乗と和平と合掌 信仰とは、悟りへの乗物とも言えます。より確実な乗物として、日蓮聖人は「実乗の一善」と表現されました。そして、そこに「帰せよ」とは、そこを揺るがぬ定点とし、それを知恵として世の中を見つめ、世界全体の苦しみが除かれる祈りを捧げ、救いたいと誓願することです。どんなに小さくても、この誓願を持ったとき、人は幸せを感じます。この幸せが世界中に広まれば、真実の和平が必ず訪れます。それは、あなた1人の合掌から始まるのです。
『立正安国論』 この書は、日蓮聖人が鎌倉幕府に奏進したものですが、正しくを立て、国を安んずる祈りの書でもあります。「正」とは、一に止まると書きます。この書では、一善に帰することを意味しています。「国」とは、国家だけではなく、人が人として生きている場所であり、自然や文化芸術などを含んでいます。聖人は、予想される苦難を恐れることなく、この書を奏進され、「安国」を祈られたのです。 
 

 

■母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり 
『諫暁八幡抄』/弘安3年(1280)聖寿59歳 
お題目は慈悲の教え 乳飲み子を育てる母親は、自分のことは二の次にして、ただただ赤子のことを思って毎日を過ごします。自分のためだけではなく、世の中のすべての安らぎを祈るのが「南無妙法蓮華経」のお題目。赤子のためにいっしょうけんめいな母親の姿と重なるものがあります。赤ん坊が母親の慈愛を理解するのは、ずっと後のこと。大きくなってはじめて分かることです。成長した後も、私たちには、暮らしのなかで見逃してしまっている大切なことがたくさんあるのではないでしょうか。
『諫暁八幡抄』 本書には、法華経守護を誓約する八幡大菩薩を祀る鎌倉鶴岡八幡宮が炎上した原因が説かれています。それは氏子の北条氏が法華経の行者を迫害した故に八幡大菩薩が自ら社殿を焼き天上へ昇ったというのです。そこで聖人は改めて八幡大菩薩に対して法華経の行者を守護すべきであると諫められました。この一節は仏の御心を体する者として、聖人ご生涯の一大目的を明かされているのです。

■現世安穏の証文疑いあるべからざるものなり
『如説修行鈔』/文永10年(1273) 聖寿52歳
現世の安穏を得る術 日蓮聖人が説かれる現世が安穏とは決して苦がないことではありません。苦楽は表裏一体不二のもの。とするならば、苦の中にこそ真の喜びを見出すことが仏さまの教えの真髄なのです。「らく(楽)」という言葉を見て下さい。「ら」の下には「く(苦)」が付いているではありませんか。日々苦悩の中で生きる私たちへの聖人からの激励のお言葉なのです。
『如説修行鈔』 日蓮聖人50歳。ご生涯で最大のご法難、龍口法難、佐渡流刑という危難に遭われた時期、迫害は弟子信徒にも及びました。その結果「千人がうち、九百九十九人が退転した」という程、教団にとっても壊滅的状況であったと述懐されています。本書はその佐渡で書かれたと伝えられています。動揺し退転していく者が多く現れる状況下で、今こそ自らの信仰が試される時として、門下を叱咤激励されたお手紙です。迫害に遭うこと自体が仏さまの御心に添って修行していることの証であると述べられています。

■艮の廊にて尋ねさせ給へ、必ず待ち奉るべく候
『波木井殿御書』/弘安5年(1282) 聖寿61歳
霊山浄土への導き 人生最後を迎える時、最も不安なのは「死後自分はどうなるのか」ではないでしょうか。その時「霊山浄土へ来られたなら、その入り口である北東の方角の渡り口で日蓮をお呼びなされ。必ずそこでお待ちしておるから」 このように明確に行き先が示されたなら、どんなに大きな安らぎが得られることでしょう。ただ信じて懐へ飛び込んで行けばよいのです。「死に様は生き様」。安心して人生の最後を迎える確信を得ることは、いい生き方につながるのではないでしょうか。
『波木井殿御書』 この書を与えられた波木井実長公は聖人に身延の寺領を提供し、給仕に勤められました。本書は聖人ご入滅の6日前に書かれたと伝えられています。ご一生を振り返り、最後に波木井公に謝辞を述べ、死後墓を身延に建てること、さらに後から来る弟子信徒に霊山浄土で待つことを約束して結ばれています。本書は日蓮宗の葬儀の際、引導文の一節によく読まれ、故人に死後の安心を与える名文です。

■百人千人なれども、一つ心なれば必ず事を成ず
『異体同心事』/文永11年(1274)聖寿53歳 
成功の鍵は一致団結 「自分の我がままは当たり前、他人の我がままは許せない。いや、むしろ自分はいつも我慢している」と思いがちなのが私たちの常かも知れません。そんな姿を鏡に映した時、どのように見えるでしょうか。こんな捨てがたい「我」を持った者同士、一息ついて相手を拝む気持ちで「我」を認め合ったなら、調和と発展の「大我」が生まれるのではないでしょうか。今年一年の心構えとしたいものです。
日蓮聖人ご遺文 『異体同心事』 熱原(静岡県富士市)の農民たちが領主の弾圧と対決するさなか、聖人は門弟一同に今こそ固い信仰の結束を促されたお手紙といわれています。日蓮聖人の高弟六老僧の一人、日興上人の導きにより法華経の熱烈な信徒になった農民たちが幕府から加えられた弾圧を熱原法難といいます。その結果、二十数名の農民が捉えられ、内、三人は処刑されました。しかし、一同は退転することなく、むしろこの法難を契機に駿河地方に法華経の信仰が弘まったと伝えられています。

■地獄も仏も心の内
『重須殿女房御返事』/弘安4年(1281) 聖寿60歳
地獄も仏も心の内 自分の心を覗いた時、そこに地獄(悪しき心)が存在していたことに気付くのが信仰の原点ではないでしょうか。しかし、自分の悪を認めることは人にとってたやすいことではありません。それに気付いたらば、日々、仏の前に額ずき己を謙虚に省みることです。その時、初めて仏の大いなる懐に抱かれ、生かされていた自分を発見することができるのです。それが信仰の喜びというものかも知れません。
『重須殿女房御返事』 重須は地名で、駿河国富士郡重須郷(現在静岡県富士宮市北山)に居住した石川新兵衛宗忠の妻。夫・新兵衛は聖人から授戒され道念日実と号した。また、同女は聖人の最有力信者の一人南条時光の姉あるいは妹と伝えられ、聖人篤信一族の1人。この館が後の北山本門寺となる。本書は正月に当たり餅や菓子の供養への礼状に添えて、地獄と仏について教え、その両者とも所在は人の心の内にあることを説く。(本文は原文を中略して引用) 
 

 

■教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ
『崇峻天皇御書』/建治3年(1277) 聖寿56歳
信仰者のあり方 「短気は損気」とよく口にしますが、日頃の心がけで大切なのは俗に忍耐といわれます。しかし、一般に忍耐というとただひたすら自分を抑えて堪え忍ぶために、いつか限界が来るのではないでしょうか。一方、法華経では忍辱を説きます。忍辱は自己の成長、成仏の糧として今を受け入れる心持ちです。プラス思考かマイナス思考かによって今後の人生に雲泥の差が生れてくるのではないでしょうか。
日蓮聖人ご遺文 『崇峻天皇御書』 聖人に最も深く帰依した信徒であった四条左衛門尉頼基に与えられたお手紙。日頃聖人は四条金吾と呼ぶことが多く、四条とは父祖が治めた領地の名に由来するといわれています。鎌倉御家人江馬氏に仕える武士で医薬に通じ、龍口法難の折、聖人に殉死の決意を表しました。この一節に金吾氏は至誠にして信心堅固の人ではありましたが、一方で短気な面もあったといわれます。聖人はそれを戒めるため、短気が災いして臣下の蘇我馬子に殺害された崇峻天皇の故事を引かれました。

■方人よりも強敵が人をばよくなしけるなり
『種々御振舞御書』/建治元年(1276)聖寿54歳 
逆境 極楽とは「楽の極み」と書くように、そこには悪人もいなければ苦しみもないといわれます。一方、私たちが生きるこの世界を娑婆と呼びます。忍土とも表現されるように、まさに苦しみが充満し、それに堪え忍ぶ世界です。だからこそ苦のない世界を望みます。しかし、翻って考えた時、苦のない所に自己の成長や進歩があるでしょうか。アスリートたちを見て下さい。なんの苦もなく栄冠をつかんではいないはずです。逆境を乗り越えたからこそあの笑顔が生まれるのではないでしょうか。
『種々御振舞御書』 本書は聖人の四つの手紙を先師が一つにまとめたといわれています。蒙古襲来の気配の中『立正安国論』での諫めを用いない幕府などの有り様を糾し、さらにご自身の度重なる法難の様子を述べ、最後に身延での生活の様子を語られています。この一節は方人、つまり味方よりもむしろ自分を迫害する強敵こそが信仰を育ててくれる恩人であると説かれています。いかなる苦しみにも屈するなと励まして下さっているのです。

■我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり
『忘持経事』/建治2年(1276)聖寿55歳
いのちの源 「親孝行、したい時に親はなし」。日蓮聖人の教えを一言で表すならば「知恩報恩」に尽きるのではないでしょうか。受けた恩の深さを知れば、報いずにはいられない。その心を聖人は法華経から受け取られたのです。親の恩に気付くことは、取りも直さず、自らの命の源に気づくことであり、生かされている自分の存在の重さ、尊さに目覚めることでもあるのです。        
『忘持経事』 富木常忍は90歳で亡くなった母の遺骨を抱いて、下総(千葉県市川市)からはるばる身延の聖人の下へ登詣し納骨しました。その帰途、富木氏は自ら所持の経巻をご草庵に置き忘れてしまったのです。聖人はその経巻に手紙を添えて使いに届けさせたのが本書です。信仰に厳格な富木氏に似つかわしくない失態にユーモアを交えた説諭が見られます。この一節は聖人の前で見せた富木氏の亡き母への追慕孝養の姿そのものだったのです。また富木氏の納骨が身延山納骨の起源ともいわれています。

■身命もをしまず修行して此度仏法を心みよ
『撰時抄』/建治元年(1275) 聖寿54歳
まず一歩 口癖で結構多いのが「どうせ」。皆さまはいかがですか。「どうせ」とは、やる前からマイナスの結果を想定した諦め言葉としてよく使います。それは自らをなんと貶めている言葉ではありませんか。己を信じてまずは一歩踏み出してみて下さい。すると、今見ているのとは違った情景が見えて来るはずです。一歩一歩進むうちに当初予想もしていなかった本気になっている自分を発見できるのではないでしょうか。「どうせ」には別の使い方もあります。「どうせやるなら!」
日蓮聖人ご遺文 『撰時抄』 本抄は聖人の最重要御書の一つです。この書では本仏釈尊がお題目を末法にこそ弘めるべき教えとして説き遺されていたこと。そして何より弘める使命を担ったのが聖人自身であると明確に表明されています。さらに末弟にもその志を継ぐ使命があることを督励された書です。この一節の「心みよ」とは、その甚深なる使命感は私たち各自のたゆまぬお題目信仰の実践でしか深まらないことを強調されたお言葉なのです。

■我が身仏になるのみならず、父母仏になり給う
『盂蘭盆御書』/弘安3年(1280)聖寿59歳 
いのち輝く 私のいのちは父と母から贈られたものです。その父母にも2人の親がいます。それが10代前には1024人の親がいました。その間の総数は…。その中の1人でも別な人と入れ替わっていたらここに私はいません。あなたもいません。そんな不思議なご縁を頂いて生まれ出たこの私たちのいのち。お題目の力で私のいのちが輝く。私が輝く時、両親が輝く。私が輝く時、ご先祖さまも輝く。その時、すべてのいのちが輝く。お盆はそのいのちのリレーに気づく好機なのです。
日蓮聖人ご遺文 『盂蘭盆御書』 本書は聖人の高弟の1人で治部房日位上人の祖母に与えられたお手紙です。盂蘭盆の供養への返礼を述べ、さらに盂蘭盆の起源や意義を説かれています。盂蘭盆の起源は釈尊の十大弟子の一人・目連尊者が餓鬼道に堕ちた母を救おうとした故事に由来します。この一節は目連尊者が小乗の教えを捨てて法華経を信じた功徳によって自身が成仏し、同時に両親をはじめ先祖、子孫も成仏できることが説かれています。 
 

 

■信心あらん者は鈍根も正見の者なり
『法華題目鈔』/文永3年(1266)聖寿45歳 
もっと謙虚に 「実るほど頭を垂れる稲穂かな 垂れるほど人は見上げる藤の花」 人が成長する上で知識を蓄えることが絶対に必要なのは周知のことです。一方それは諸刃の剣で人を天狗にしてしまう恐れもはらんでいます。その心をコントロールする手立ては、私たちを生かす大いなる存在に気付き頭を垂れることなのです。その謙虚さはこの存在を信じ受け入れることから始まるのではないでしょうか。
日蓮聖人ご遺文 『法華題目鈔』 本鈔には正反対の人物が登場します。まず仏教徒にとって極悪人とされるダイバダッタについてです。彼は凄まじい修行をし膨大な知識と力を持っていました。しかし仏を信じる心がなかったため、遂には地獄に堕ちてしまったのです。一方、愚者の代表としてあげられたスリハンドクは自分の名前すら覚えられない鈍根者でした。しかしひたすら仏を信じる生涯を送り、遂に正しく物事を見る仏の目を持つことができたといいます。 法華経の要諦は「信心」が根本であると強く説かれています。  

■大逆なれども、懺悔すれば罪消えぬ
『光日房御書』/建治2年(1276)聖寿55歳
懺悔は信仰の根本 宗教の根幹は自らを顧みることです。その中で善い行いはいつまでも覚えているものですが、日々犯した罪は果たしてどこまで覚えているでしょうか。知らず知らずのうちに誰かを傷つけているかもしれません。そんな私たちに対し法華経の信仰は懺悔に始まり懺悔に終わる教えです。その懺悔の中に自らの罪の重さが自覚されてくるのです。聖人の教えの根本は懺悔行です。懺悔の唱題(お題目)を積み重ねる中にお釈迦さまに生かされている自己に気付くのです。その時、懺悔の唱題は報恩の唱題ともなってくるのです。
日蓮聖人ご遺文 『光日房御書』 光日房は女性信徒で天津(千葉県鴨川市)の人です。本書は息子に先立たれた母への慰めと導きのお手紙です。その息子も聖人に深く帰依していました。生前、聖人に殺生を避けられない武士である自らの後生の不安を訴え、さらには母に先立たなければならないかもしれない不孝を嘆き、万一の時には母の導きを依頼していたのです。

■体曲がれば影ななめなり 
『諸経与法華経難易事』/弘安3年(1280) 聖寿59歳
本物の教え 「一犬虚に吠ゆれば、万犬実を伝う」という諺があります。一人の嘘も万人が言えば本当になってしまうものです。嘘は簡単に広がりますが真実はなかなか伝わりません。なぜなら嘘は人の耳には心地よく、真実は辛口が多いからです。しかし、辛口の中には糧になる言葉が含まれているものです。辛抱して耳を傾けて下さい。実はあなたのことを心配して勇気をふるっての言葉ではないでしょうか。
日蓮聖人ご遺文 『諸経与法華経難易事』 法華経は最も信じ難く理解し難いお経。それはこの経には有限な凡夫の知恵で無限なる仏の心をつかもうとする挑戦が説かれているからです。混迷する現代の指針はすなわちその法華経。しかし、人々はこの挑戦を避けて目先の安易な教えに付こうとします。それが返って過ちとなることに気付いていないと聖人は嘆かれます。体が曲がれば当然影も曲がるが如く、教えという本体が曲がれば人々も曲がった方向に導かれて行くことに警鐘を鳴らされたのがこの一節です。

■毒の変じて薬となりけるを良薬とは申し候けり
『大田殿女房御返事』/弘安3年(1280)聖寿59歳(建治元年説あり)
変毒為薬 「毒変じて薬となる」と聖人は言われています。毒も調合処方次第で病気に効く良薬となります。ところで法華経には「煩悩即菩提」「生死即涅槃」という教えがあります。私たちを苦しめる心の毒とは煩悩です。しかし、煩悩の中にこそ悟りの種があるのです。生死の苦しみの中にこそ成長の鍵が秘められているのです。聖人はこう叫ばれています。「毒を恐れるな! 苦から逃げるな! すべて悟りを得る良薬だ!」
日蓮聖人ご遺文 『大田殿女房御返事』 本書は大田乗明氏の妻が聖人に供養米を送ったことへのお礼のお手紙です。この大田氏は富木常忍氏や曽谷教信氏等と共に聖人の生涯を支えた大檀越です。この書には法華経の極理である即身成仏について説かれており、別題として『即身成仏抄』ともいわれています。夫には聖人の重要な教義書が数多く与えられており、妻にもこの様なお手紙が与えられるということは夫婦共に信仰を一にしていることが伺えます。

■名は必ず体にいたる徳あり
『十章鈔』/文永8年(1271)聖寿50歳
名前に誇りを 5円玉の穴を通して向こうを覗いたことがあるでしょうか。たった5ミリの小さな穴ですが数百倍の広い景色が見えます。見方を変えればその穴に広い世界が“凝縮”されているとも考えられませんか?この見方は自分の名前にも通じるように思えます。「名は体を表す」と言います。僅かな文字数ですが、自身の総てが名前に“凝縮”されているのです。しかし、日頃それを一番自覚していないのが自分自身ではないでしょうか。そんな重みを持つ大切な自分の名。もっと意識して、誇りを持って名に恥じない日々を過ごそうではありませんか。
日蓮聖人ご遺文 『十章鈔』 本鈔は遊学している弟子の三位房に宛てたお手紙で、都の貴族に褒められ有頂天になっているのを誡められています。法華経の本義を見失った教えに引きずり込まれず、あくまでもお題目にこそ修行とその一切の功徳が具わっていることを見失うなと教戒されています。 
 

 

■道の遠きに心ざしのあらわるるにや
『乙御前母御書』 /文永10年(1273) 聖寿52歳
初一念 中国唐代の僧、玄奘三蔵は経典を求めて中国からインドへ17年間、20万里の旅をしました。そうしてもたらされた経典を求めて日本から荒波を越え、中国へ渡った人たちが大勢いました。日蓮聖人は釈尊の真意をつかむためまさしく命を懸けられました。真理を求める人は常に命懸けです。そんな求道者に共通する心は「できるか、できないか」ではなく「やるか、やらないか」の腹のくくりの有無だったのです。何事も初めの志、すなわち「初一念」が最も重要なのです。
日蓮聖人ご遺文 『乙御前母御書』 本書は女性信徒の日妙尼に与えられたお手紙で乙御前はその一人娘の名前です。日蓮聖人が佐渡へ流罪となられた時、幼い娘を連れて母子2人で鎌倉から命懸けで聖人の下を訪ねました。その志を「日本第一の法華経の行者の女人なり」と称され「日妙聖人」の名を授けました。本書には玄奘三蔵、伝教大師等の艱難求道の旅を述べつつ、母子の遠き佐渡への旅にこそ、その信仰の志の強さが窺われると賞賛されています。

■三十三の厄は転じて三十三の幸いとならせ給ふべし
『四条金吾殿女房御返事』/文永12年(1275)・聖寿54歳
厄、転じて幸いとなる 「竹が真っ直ぐに立っていられるのは間に節があるから」とはよく聞く言葉です。人も同じこと。人生に苦難という節があるからこそ、辛くとも大きく成長できるのではないでしょうか。「厄」は「役立ちの役」そして「飛躍の躍」にも通じるものです。その知恵と力を頂くために節分には日蓮宗寺院にてぜひ七難即滅七福即生の「厄」祈願をお受け下さい。厄を転じてご利益をゲットせよ!
日蓮聖人ご遺文 『四条金吾殿女房御返事』 本書は聖人の大信徒だった四条金吾氏の妻・日眼女に与えられたお手紙です。この年、女性の大厄といわれる33歳に当たることから、日眼女は身延に住まわれた聖人の下へ供養を送り、厄除けを祈願しました。その返礼状の一節です。聖人の生涯を振り返った時、男性の節とも言われる42歳前後に伊豆法難、小松原法難。さらに50歳の折には龍口法難、佐渡流罪といった大難にあわれています。しかし、それはむしろ法華経への信仰の深まりと、ご自身の使命の揺るぎない確信に転じる天祐だったのです。

■仏教をならはん者の父母 師匠国恩を忘るるべしや
『報恩抄』/建治2年(1276)聖寿55歳
知恩報恩 あなたは生まれた時、産湯に1人でつかれましたか。誰もが必ず入るであろう棺桶。そのふたを自分で閉められますか。火葬場まで歩いて行けますか。私たちは誰かのご厄介にならなければ生きることも死んでいくこともできないのです。まず、足元を見つめましょう。「恩」という字の姿をよくよく見て下さい。「恩」とは「因」に「心」を向けた時に気づくものなのです。  
日蓮聖人ご遺文 『報恩抄』 本書は聖人が師匠道善房の訃報に接し、出家時の兄弟子、浄顕房、義浄房に宛てたお手紙です。身延で書かれ弟子の日向上人を使者として房州・清澄寺の師匠の墓前や山内で数回読ませたといわれています。現在、私どもが拝読して3時間以上かかるほど非常に長いお手紙です。本書のテーマは「知恩報恩」。聖人61年の生涯を通して伝えようとされた教えの根本だったのです。ご本仏釈尊に生かされている命であることを確信し、そのご恩に報いずにはいられなかった聖人の半生が綴られています。

■さくらはおもしろき物 木の中よりさきいづ
『重須殿女房御返事』/弘安4年(1281) 聖寿60歳
心の花を咲かせよう 花と言えば桜。日本人に最も親しまれ、愛される花と言っても過言ではないでしょう。ところが冬、寒風にさらされ葉を落としぽつんと立つ桜の木の姿を見ると、春あのほんのりと柔らかい花が咲くとは想像し難いものがあります。まさに春という季節の縁を得て木の中に宿っていた芽が吹き出すのです。それと同様にごつごつとした私たちの心の中にも、桜の花のような優しい仏の芽が宿っています。だからこそ仏さまの教えに触れて心の花を咲かせようではありませんか。
日蓮聖人ご遺文 『重須殿女房御返事』 聖人はこの一節の直前に「我等は父母の精血変じて人となりて候えば、三毒の根本」と述べています。如実に私たちの命をご覧になっておられるのです。清浄なるところに清浄は生まれない。汚濁の中にこそ清浄なるものが生ずると説かれています。これこそ法華経の極意である煩悩即菩提の教えです。清濁併せ呑む中にこそ本当の強き美しさが生じるものだと説かれています。

■蘭(らん)室(しつ)の友に交り 麻(ま)畝(ほ)の性と成る
『 立正安国論』/文応元年(1260) 聖寿39歳
環境が第一 「酒蔵にモーツァルトの曲を流すと美味しい酒ができる」。そんな蔵元があります。酵母菌が活性化されるためとか。よい音楽が成育にプラス効果をもたらすことは最近の研究でも明らかで、胎教や音楽療法として近年大いに用いられています。要因は生物にとり心安らぐ環境が生命力を増し、品格を向上させる源になるというのです。このお寺の門をくぐって下さい。「南無妙法蓮華経」という音色と響きがあなたに仏さまの品格を与えて下さいますよ!
日蓮聖人ご遺文 『 立正安国論』 蘭が置かれた部屋に入るとその香りが気づかぬうちに身にしみ込み、自分もよい香りとなります。同様に横に広がる性質の蓬も真っ直ぐに伸びる麻の畑に植えると不思議と上に向かって伸びるとの言い伝えがあります。私たちも同じこと。よい環境に身を置くことで自然と立派な人格を備えるようになるのです。聖人は本書を通して、鎌倉幕府の政治の骨格に法華経を置くことで、日本が仏の心にかなった揺るぎない、安寧な国家になることを強く訴えられたのです。 
 

 

■法華経修行の者の所(しょ)住(じゅう)の處を 浄土と思う可し
『守護国家論』/正元元年(1259) 聖寿38歳
真(まこと)の浄土は何処(いずこ)に 浄土というと即ち苦しみはなく悪人もいない、完全に清らかな世界と思いがちです。しかし、それは誤解です。私たちを成長させてくれる所こそが本当の浄土なのです。その成長に必要なのは試練です。試練には悪も含まれ、苦しみも伴います。泥にもまみれることでしょう。蓮畑を想像して下さい。泥の中から引き抜いてきれいに洗った時艶やかで太った見事な蓮根ができているではありませんか。あの畑の光景こそ、当に浄土と呼ぶべきではないでしょうか。
日蓮聖人ご遺文 『守護国家論』 鎌倉時代、庶民は苦しみに喘いでいました。頼みは浄土でした。その浄土には死後にしか往けないとの教えが広まっていました。「そんな考えでいいのか。それじゃあこの世に生まれた甲斐がないじゃないか」「俺たちの命の花はこの世でこそ開くんだ」そう叫ばれたのが日蓮聖人でした。そんな熱い思いを込めて書かれたのが本書です。これは聖人が生きた時代だけではありません。今日只今の問題なのです。

■総じて因果をしらぬ者を邪見と申すなり
『顕謗法鈔』/弘長2年(1262) 聖寿41歳
鳥瞰 「袖すり合うも多生の縁。つまずく石も縁の端」とよく言います。しかし、出会いは日々の生活ではむしろ「偶然」と考えがちになっていませんか。ここにさまざまな過ちと後悔を生む要因があるように思えます。ところで「鳥瞰」という言葉があります。字の如く鳥になったつもりで高い所から全体を見渡すという意味です。心の高度を上げることでそれまで見えなかった結びつきの糸が見えてくるかも知れません。その時「偶然」ではなくすべて「必然」の出会いであったと理解できることでしょう。日々の信仰は私たちに鳥瞰の目を養ってくれるはずです。
日蓮聖人ご遺文 『顕謗法鈔』 本鈔は日蓮聖人が伊豆流罪中に書かれたお手紙です。大恩ある本仏お釈迦さまの心に背くことを「謗法」と呼び、その行為を強く戒めておられます。そしてそれは自らを地獄に堕とすことに他ならないとして、堕ち行く先の地獄の様子を詳細に説かれています。殊に因果の法に疎いことが堕地獄の大きな要因になるのです。

■父母は常に子を念へども子は父母を念はず
『刑部左衞門尉女房御返事』/弘安3年(1280) 聖寿59歳
指から学ぶ親子の姿 ちょっとご自分の手の平を見て下さい。親指はどこを向いていますか。内側、殊に小指の方を向いていませんか。一方、当の小指はどうでしょう。大抵の人は親指の方には向いてはいませんね。親指を親、小指を子とするならこの指の姿はまさに私たちの親子関係を表しているとは思いませんか。親は子どもを遠くからでも常に見守っています。が、子どもはそんなことに気付かず勝手な方を向いています。親から貰った体の一部にも親子のあり様を教えてくれているところがあるのです。たまには自分の手の平をじっくり眺めてみて下さい。
日蓮聖人ご遺文 『刑部左衞門尉女房御返事』 本書のご真蹟は現在伝わっていませんが古来、親の恩、殊に母への恩を喚起されたお手紙として大切にされてきました。出産の苦しみ、子育ての苦労。総て見返りを求めない無償の母の慈愛が切々と述べられています。現代人が決して忘れてはならない教えです。

■仏法の鏡は過去の業因を現ず
『開目抄』/文永9年(1272) 聖寿51歳
鏡 「鏡よ鏡、この世で誰が一番美しい?」「はい、それは女王さまです」しかし、ある日、鏡は答えました。「それは白雪姫です」激怒した女王は白雪姫を殺そうとしました。これは有名なお話ですね。日頃鏡に映った自分の姿を見ていますが、見方を変えれば鏡もあなたを見ているともいえるのです。私たちは髪や服装を整えるのに見ますが、それは往々にして今の自分の外側しか見ていないのではないでしょうか。しかし、鏡の方は今までのあなたの内側も見通しているかもしれません。鏡は鑑みるに通じているのですから。
日蓮聖人ご遺文 『開目抄』 本抄は聖人が佐渡へ流罪された折、弟子信徒への遺言書として著されたお手紙です。ご自身ひたすら釈尊のお心に適うべく布教してきたのになぜこのような迫害に遇うのか自問自答されました。この時、法華経という鏡に我が姿を照らされたのです。すると過去に法華経を謗った罪が映し出されてきました。今生の苦難はその懺悔滅罪に繋がることと確信されたのでした。

■眉は近けれども見えず 自らの禍(わざわい)を知らず
『曽谷入道殿許(がり)御書』/文永12年(1275) 聖寿54歳
自らの眉は見えず 皆さまは宇宙ステーションを肉眼で見られたことはありますか。筆者は先日見ました。地上から約400キロ上空の宇宙空間を飛んでいる物体を望遠鏡も使わずこの目で見た時は感動しました。針の穴よりも小さい点が白く光って、すーっと移動して行きました。その時ふと思いました。遙か彼方、宇宙の物体を見ているこの目の一番近くにある眉を見ることができない、この不思議。私たちは他人のことはよく云々しがちです。しかし自分のことはいったいどうでしょうか。ある方がこんな句を詠んでいます。「自分のことは棚に上げ、やたら他人の棚卸し」
日蓮聖人ご遺文 『曽谷入道殿許(がり)御書』 本書は聖人と血縁関係にあり、遊学当時から学資などの援助をしてきた篤信者、曽谷教信・太田乗明両氏に宛てられたものです。聖人はこの方々には自身の教義の内奥を常に明かしていました。 そこには、釈尊の本心を正しく理解していない人が早く過ちに気付いてくれよ、との叫びが綴られています。 
 

 

■仏と申すは正直を本(もと)とす
『法華題目鈔』/文永3年(1266) 聖寿45歳
正直に生きるとは 「正直者は馬鹿を見る」とよく口にしますがこれは最近言われ始めたことではありません。一方「正直の頭に神宿る」という言葉も昔から伝えられています。こんな言葉があるのは、人間が正直に生きるということが如何に至難の業であるかの表われではないでしょうか。ではいったい何が正直なのでしょう。誰に対して正直にあらねばならないのでしょうか。正直の正体を見つめ直すこと自体が正直に生きることへの第1歩かもしれません。
日蓮聖人ご遺文 『法華題目鈔』 このお手紙の相手は女性信徒であったといわれています。さらに本鈔は題号に示されるように法華経の題目である南無妙法蓮華経を唱える人の功徳が述べられています。当時の社会にに於いて男尊女卑の風潮が強い中、聖人は女性の救いがこの法華経に説かれていることを力説されました。そしてその方法は釈尊のみ心に正直に適うことであり、そのためには南無妙法蓮華経をひたすら信じ唱えることであると繰り返し説かれているのです。

■命はかぎりある事なり すこしもをどろく事なかれ
『法華證明鈔』/弘安5年(1282)聖寿61歳
逝き方は生き方から 「今までは人のことだと思ふたに 俺が死ぬとはこいつはたまらん」。江戸時代の狂歌師大田南畝の辞世の句です。見方によって私たちはこの世に生まれ出た瞬間から死に向かって歩み始めているとも言えるでしょう。これを「諸行無常」と表現しています。しかし、日頃この事実をどこまで実感しているでしょうか。自分の息が止まる瞬間をイメージして今を生きる。これはとても想像し難いことかも知れません。ですが、そこから地に足が着いた生き方が見えて来るのかも知れません。
日蓮聖人ご遺文 『法華證明鈔』 本書は別名『死活鈔』とも呼ばれ、弟子日興上人を介して檀越南条時光公に与えられた書状です。聖人自身病床にありながらも時光公が重病との知らせに、治病の護符の作法を日興上人に伝授されました。併せて本人には、自らの病魔を呵責し信心堅固にして病悩を克服するように励まされました。その結果、時光公の大病は全快し長寿を遂げたのです。

■四恩をしって知恩報恩をほうずべし
『開目抄』/文永9年(1272) 聖寿51歳
新年を迎えて 「借りた傘、雨が上がれば邪魔になり」。耳に痛い言葉ですね。私たちは受けた恩を往々に忘れがちです。これは凡夫の性かもしれません。しかし、それが人間関係のトラブルの原因になっていることも否定できないでしょう。だからこそ次の句を心に刻む努力が必要ではないでしょうか。「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」。今年の座右に置こうではありませんか。
日蓮聖人ご遺文 『開目抄』 聖人の文書で最重要なのが『立正安国論』『開目抄』『観心本尊抄』です。これを「三大部」ともいいます。ここに最重要教義が吐露されているのです。「末法」という、生きる指針が喪失されている現代、私たちを覚醒させる祈りが本抄には込められています。「四恩」とは、1命を与えてくれた親、先祖の恩。2師として教導してくれた人々の恩。3国土環境の恩。4すべての源であるご本仏の恩。 これを常に我が心魂に留めて生きていくことが説かれています。

■水のごとく信ぜさせ給へるか たうとし たうとし
『上野殿御返事』 /建治4年(1278)聖寿57歳
途切れさせない信仰  「火の如き信仰」「水の如き信仰」と聖人はよく申されます。燃えさかる信仰も大切であるが淡々と流れ続ける信仰こそが肝心であると。流れるとは自身のみならず次代に繋がっていくことも含まれているのです。近頃「信仰は自分一代のもの。子や孫に強制するつもりはない」と言われる方もおられます。一見物わかりがよさそうですが、信仰とは生きる上での土台となる何物にも代え難い遺産です。それをどうして次に譲ってあげないのでしょうか。今一度熟慮してみてください。
日蓮聖人ご遺文 『上野殿御返事』 本書は食料事情の厳しい身延へ絶えず供養品を送り届ける南条時光公への礼状です。南条氏のことを上野殿と聖人はよく呼ばれています。駿河上野に住していたことからそう称されました。現在の静岡県富士宮市あたりです。時光公の父・兵衛七郎公が聖人の信徒になって以来、信仰が妻、長男を筆頭に一族に伝えられました。現在も当地は法華信仰の牙城となっています。

■九思(きゅうし)一言(いちごん)とて、 九(ここの)度(たび)おもいひて一度(ひとたび)申す
『崇峻天皇御書』 /建治3年(1277) 聖寿56歳
口は災いのもと 皆さまにお聞きします。あなたの人生で一番よく耳にするのは誰の声でしょう。答えは自分の声ではありませんか。聴覚のみならず心の呟きを耳にしているではありませんか。ならば自分の声にしっかりと耳を傾ける。すなわち自分の言葉に責任を持つことが大切になるのではないでしょうか。現代はスマホで呟いたことが瞬時に地球全体に伝わります。これは便利なことであると同時に非常に怖いことでもあります。一言発する前には心の中で9度、いやせめて1度は言葉にしてから話すように心がけたいものす。
日蓮聖人ご遺文 『崇峻天皇御書』 今回の聖語は中国の孔子の言葉を聖人が引用されたものです。聖徳太子の伯父である崇峻天皇は短気を起こしたために臣下に命を奪われた故事を引き、一言発するのに9回反すうして10回目に話しなさいという言葉で示されました。それほど言葉は慎重に扱わなければならないということです。この一節は信仰は誰よりも篤いが短気であった四条金吾氏に与えられた戒めのお手紙です。 
 

 

■仏法を学せん法は、必ず先づ時をならうべし
『撰時抄』/建治元年(1275) 聖寿54歳
出会い 「もっと早く知っていれば」「もっと早く出会っていれば」と、後悔の言葉を口にしたことはありませんか。でも、ちょっと振り返ってみて下さい。それぞれの流れの中で、その時はその時の精一杯の過ごし方をしていたのではないでしょうか。今だからこそ、この出会いが巡って来たのです。言い換えれば、出会うべき時に出会うべきことに出会っているのです。そんな人生の見方もあることを知っていただきたいのです。
日蓮聖人ご遺文 『撰時抄』 聖人の教えの特質の1つに「教えとの出会いの時」というとらえ方があります。8万4千あるお釈迦さまの教えといえども、いつでも通用するものではありません。お釈迦さまが亡くなって2千年後にタイマーが作動して威力を発揮する教えがあることを聖人は発見されたのです。それがお題目だったのです。そのタイマーをセットして下さっていたお釈迦さま、大慈悲に感謝し、そのみ心に適っていこうとされたのが聖人のご生涯だったのです。

■根深ければ 葉枯れず
『窪尼御前御返事』/弘安元年(1278) 聖寿57歳
根を養え いよいよ「令和」の始まりです。この元号に込められた思いとは、梅が花開きふくよかな香りを放つことができるのも、冬の厳しさを経験しているがゆえ。人も厳しき経験を通して他を思い、美しく心を寄せ合う時代になることを願って選定されたといわれています。ところで、私たちはつい花に目がいきがちです。しかし花を咲かせる大本は根っこにあるはずです。しっかりと根を養う心がけが第一ではないでしょうか。こんな言葉があります。「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」
日蓮聖人ご遺文 『窪尼御前御返事』 窪尼からの供養に対する礼状。窪尼とは持妙尼とも称されます。聖人の有力檀越であった高橋六郎兵衛入道の妻で、現在の静岡県富士宮の住人で六老僧の日興上人の叔母といわれています。夫亡き後、その追善のため身延の聖人のもとへ種々の供養を捧げました。夫の信仰を受け継ぎ、その根を深く張ることを教え諭されています。

■人の地に倒れて還て地に依りて起つが如し
『大田入道殿御返事』/建治元年(1275) 聖寿54歳
失敗は成功の母 道でつまずいて転んだ時。「痛い!」。思わずでこぼこを恨みます。でも立ち上がる時、その道に手をついて立ち上がっていませんか。そして「もっと気を付けて歩こう」そう自分に言い聞かせていませんか。道に傷つけられ、道に教えられているのが私たちではないでしょうか。生き方においても同様です。「1回の成功は99回の失敗の産物」というような言葉があります。誰しも失敗を避けたいのは当たり前。しかし、失敗から多くを学び、人は成長していくものなのです。
日蓮聖人ご遺文 『大田入道殿御返事』 本書は聖人の有力檀越である大田乗明入道の病気見舞としてしたためられたお手紙です。病気になることは嘆きでもあるが悦びでもあると述べられています。悦びとは、病気に罹る原因を探った時、今までの自らのありようを振り返る大きなチャンスであると言われるのです。この一節は中国天台宗第6祖妙楽大師の文で、それを引用して大田入道に一層法華経の信仰に励むようにと諭されています。

■仏になるみちは 善知識にはすぎず
『三三蔵祈雨事』/建治元年(1275) 聖寿54歳
師 物事を学ぶ上で師匠は絶対になくてはならない存在です。師に就いてこそ初めて教えを受け成長へと導かれるのです。これはどの分野でもいえることではないでしょうか。一方、「無師独悟」といってまったく師に就かず、自分で道を極めたという人も中にはいるかも知れません。しかし、その人とて最初からそうではなかったでしょう。必ず誰か導き手がいたはずです。成長に決して欠かせない師との出会い。今一度その師への思いを巡らせたいものです。
日蓮聖人ご遺文 『三三蔵祈雨事』 本書は駿河国富士郡西山郷の地頭で熱心な信徒だった大内三郎安清氏への手紙です。ここでの「善知識」とは衆生を成仏に導く師という意味です。冒頭で何事に於いても良き導き手が重要で、仏教史上、当初は悪人だった阿闍世王も釈尊に導かれて成仏できた故事を引かれています。しかし、一方でその善知識に会うことの難しさも述べられています。信仰は良き手本、良き導き手が最重要と強調されています。

■滅するは生ぜんが為下るは登らんが為
『御輿振御書』/文永6年(1269) 聖寿48歳
プラス思考 昔ある村に「三年峠」と呼ばれ恐れられた峠がありました。そこで転んだら3年しか生きられないというので、みんな注意して歩きました。ところがある男が転んでしまったのです。「俺はもう3年しか生きられない」と嘆き悲しみました。そこへ別の男が現れ「もう一度峠へ行って、今度は10遍でも20遍でも転べばいい」と言いました。「逆に考えれば1遍転べば3年は確実に生きられるということ。それなら転ぶほどその分長生きできるぞ」。物事は受け取り方次第です。ピンチの裏には同じ量のチャンスが用意されているものです…。
日蓮聖人ご遺文 『御輿振御書』 本書の題「御輿振」とは、寺社の僧徒や神人が朝廷や幕府に対して仏力・神威をかざして訴えを主張することです。かつてはそういったことが度々行われていました。日蓮聖人は伝教大師最澄の「末法の時代に近づくとき、法華一乗の教えが弘まる」との言葉を引き出され、逆に正法興隆の契機になると述べられています。 
 

 

■仏道に入る根本は信をもて本とす
『法華題目鈔』/文永3年(1266) 聖寿45歳
求道 茶道、華道、書道、柔道、剣道、弓道など。日本古来の伝統文化、スポーツには「道」が付くものが多くあります。これらに共通するのは奥義を極めようとする求道心が伴っているということではないでしょうか。その鍛錬の中で自ずと技も磨かれ向上していくのです。ところでこの奥義に達するためには、自らが身心もろともにその世界に飛び込み、一体化を目指さなければならないことでしょう。これすなわち仏道で説く「信」に通じるといえましょう。「道」は「信」によって達するのです。
日蓮聖人ご遺文 『法華題目鈔』 本鈔は女性信徒に与えられた書状です。表題が示す通り法華経の題目である南無妙法蓮華経に具わる功徳とそれを唱える人の功徳が明解に説かれています。さらに「根本大師門人日蓮撰」と署名される如く、日本における法華経信仰の流れを伝教大師最澄に受けていることを表明しています。一書を通じて「正直」と「信心」が肝要であることを強調されています。

■病によりて道心はおこり候か
『妙心尼御前御返事』/建治元年(1275) 聖寿54歳
病も仏の慈悲心 「苦しい時の神頼み」とよくいいます。人間はそれほど強い生き物ではありません。日頃手を合わさない人でも病気になったり大きな困難に遭遇した時、神仏にすがりたくなります。これは自然の情ともいえるでしょう。人智を超えた大いなる存在に頭を垂れ祈りを捧げる。ここに信仰との出会いがあるのではないでしょうか。そう受け取るなら苦しみも神仏の慈悲の現れといえるかもしれません。ただ大切なのは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」重々用心しなければならない凡夫の性です。
日蓮聖人ご遺文 『妙心尼御前御返事』 本書は駿河に住む妙心尼に与えられたお手紙です。この女性の夫が重病に罹りました。余命幾ばくもないなか、夫本人は元より自らも髪を落とし懸命に祈る妙心尼に励ましと夫の後生の慰めを与えています。この中で「この病は仏の御はからいか」と述べられるように現世安穏、後生善処をもたらす法華経信仰を深めるため、あえて仏が与えられた病であると諭されているのです。

■一をもって萬を察せよ
『報恩抄』/建治2年(1276) 聖寿55歳
一を以て知る世界 狭い視野に留まり広く世間を知ろうとしないのを「井の中の蛙大海を知らず」と言います。しかしこれにはこう続ける人もいます。「されど空の蒼さを知る」。たとえ世界が狭くとも一つの事柄を突き詰めていくことでその世界の深さや広がりを知ることができるというのです。現代は情報が氾濫しています。それをキャッチすることも大切ですが、追いかけることに気を取られ本質を見極める目が曇ってはいないでしょうか。「一」を侮ってはいけません。
日蓮聖人ご遺文 『報恩抄』 聖人の亡き師への弔意を通してまことの報恩について述べられたお手紙です。本書は仏教誕生から説き起こし、お題目に帰結していく過程が詳細に語られています。その中で印度、中国へ渡り仏典を渉猟するよりも天台大師の経文に向かう姿勢にならって法華経を軸にすべての経を取捨選択すべきことが説かれています。標題のご文章に続いて「庭戸を出ずして天下を知るとはこれなり」とあります。この眼力は釈尊への信力から生じるのです。

■受るはやすく持つはかたし
『四条金吾殿御返事』/文永12年(1275) 聖寿54歳
継続こそ力なり 「一念発起」という言葉があります。意を決して1つの事柄に取り組もうと立ち上がるのは大いに良いことです。しかしながらそれ以上に大切なのは、それを継続させることではないでしょうか。継続は地味です。飽き易く迷いも起こり不安になりがちです。しかしやり続けましょう。とにもかくにも自分を信じ、このご縁を下さった仏さまを信じてやり続けましょう。おのずと結果はついて来るはずです。
日蓮聖人ご遺文 『四条金吾殿御返事』 本書は真蹟は伝わっていませんが『此経難持鈔』との異称があります。その名の通り聖人の檀越で強固な信仰を持つひとりが四条金吾氏でした。しかしその金吾氏にもさまざまな迫害が加わり動揺が生じたのです。それを励ますために与えられたのが本書でありました。聖人の教えの肝要は持ち(たも)続けること。持つとは継続であり、決して手放さないことです。法華経信仰にはこの厳しさが要求されます。しかしその先には必ず喜びが待っているのです。

■心の財をつませ給うべし
『崇峻天皇御書』/ 建治3年(1277) 聖寿56歳
ー怒りと付き合うー 心の宝を傷つける根本に貪り、愚痴、怒りの三毒があります。この3つは互いに絡み合っていますが、中でもまず生じるのは怒りではないでしょうか。最近は心理学でも「アンガーマネージメント」という怒りへの対処法の研究が行われています。それによればカッとした時、最初の6秒が重要だとか。その間、いかに心をコントロールするかによって沈静するか増幅するかが変わってくるとのこと。ところですでに仏さまはそのコントロール法を用意して下さっていたのです。カッとしたら心の口で唱えて下さい。「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」「はい6秒!」。今年の目標にしてみて下さい。
日蓮聖人ご遺文 『崇峻天皇御書』 この書簡は堅固な信仰者四条金吾氏に与えられたものです。金吾氏の欠点は非常に短気な点でした。いかに信仰が篤くとも短気は身を滅ぼす元になります。この一節の前には「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」とあります。ここでの「心の財」とはひとえに忍辱の心を持つことでした。 
 

 

■沙婆と申すは忍と申す事なり
『四恩鈔』/ 弘長2年(1262) 聖寿41歳
ー人生のアスリートー この世を人は娑婆とも呼びます。語源は梵語の「サハー」に由来し、苦しみを耐え忍ぶ世界ということです。ところで今年は東京オリンピック・パラリンピック。アスリートたちは出場を目指し今まさに胸突き八丁。様々な思いで日々練習の苦しみに耐え忍んでいます。しかしその忍耐があるからこそ表彰台で光る涙がこぼれ落ちるのではないでしょうか。苦しみは人を成長に導くエネルギー源です。私たちも人生の表彰台を目指すアスリートなのです。
日蓮聖人ご遺文 『四恩鈔』 本鈔は日蓮聖人伊豆流罪の折に書かれたお手紙です。幕府に『立正安国論』を奏進するや次々起こる迫害の嵐。遂に伊豆流罪となられました。しかし本鈔冒頭で「大いなる悦び」と語られるように流罪自体がご自身の法華経信仰の正しさの証しと受け止めておられます。そしてその迫害者たちに対しては「恩深き人」とまで述べておられます。「忍」の極みに見えて来るのが「恩」なのです。  
 

 

 
 

 

 
 

 

 
顕乗山久城寺

 

歴史 
秋田県に最初に日蓮の教えが伝播されたのは、室町時代・文亀2年(1502)土崎湊に京都本満寺塔中・玉持院の久遠院日尋上人が法華寺を創建したことにはじまる。3年後の永正2年(1505)やはり土崎湊に顕乗山久城寺が権大僧都・日有上人により創建された。
久城寺由緒によると、日有は「下之総州正中山中山7代嗣法」とあり、下総(千葉県)の中山・法華経寺の7世であったことが知られるが、示寂したのは文安5年(1448)で、久城寺の創建より早い。従って久城寺の2世の日領が、師の日有を開祖に勧請したものと推測される。久城寺は法華寺・伝法寺とともに、京都本満寺の末寺にあたる。
江戸時代に入り、幕府の新寺建立の禁令にもかかわらず、多くの日蓮宗寺院が久保田藩の領内に建てられた。慶長7年(1602)常陸から久保田(秋田)に移封された佐竹義宣は、慶長から元和にかけ、旧城下・土崎湊にあった法華寺、久城寺、伝法寺、本妙寺の四ヶ寺を久保田城下の寺町(現在地)に配し、それぞれに中本寺の寺格を与えている。中本寺とは、末寺をもつ本寺のことで、当時は、支配権が強かった。旧藩時代、当久城寺の末寺には、八橋の宝塔寺、土崎の見性寺、実城院、船越の堯林院、阿仁の法華寺があり、久保田藩内では最も末寺を多く有した。
久城寺の歴史で、特筆されることは、総本山身延山久遠寺の29世・隆源院日莚上人との関係である。徳川実紀によると、延宝7年(1679)10月に日蓮宗の総本山、身延山久遠寺の住職継承問題で、同寺の29世日莚上人が久保田藩主、佐竹義処にお預けになったという。
日莚は「矢橋不動庵日莚尊師御廟所並庵室縁起」(久城寺蔵)「諸檀林並親師法縁録」によると隆源院と号し、春山と称した。京都、七織屋に生まれ、18歳にて下総の正東檀林(学問所)に入り、宗学を研鑚すること十余年に及んだという。30歳にて関東三檀林の一つ、小西学堂の11世の化主となった。のち、正東檀林に移って10世の講主となり、経蔵を建立、玉沢の妙法華寺に招かれて19世を継いだ。日莚は、さらに明暦元年(1655)12月に48歳で京都・妙顕寺(日蓮宗大本山)に出世し、17世となっている。妙顕寺に住山すること11年、在任中、五重塔や七面社などを造営した。日莚が身延山久遠寺(総本山)に昇住したのは、寛文7年(1667)59歳のことであった。身延山は言うまでもなく、宗祖日蓮聖人の開創した根本道場であり、ここに住山することは日蓮宗の者にとって最高の栄誉であった。日莚は、身延山に住すること6年、この間に円光庵・丈六宝塔・常題目堂。奥之院・祖師堂などを造営し、総本山の興隆に尽くした寛文12年(1672)3月に64歳で後席を日通に譲り、京都の紫野に隠居し、風月を友としている。
しかし、隠居した日莚にとって厄介な問題がもち上がった。というのは、延宝7年(1679)2月に身延山30世の日通が逝去し、その後席をめぐり宗門が二派に分かれて対決したのである。日通の遺言を守って日脱を後任にしようとする意見と、仏前で公平にくじ引きで後任を決めようとする意見とに分かれたが、日莚は後者の側に擁立され、幕府に訴訟した。しかし、幕府は、日脱を身延山31世と認め、日莚はじめ反対側の関係者一同の訴えは非義であるとして重く処分したのであった。
特に日莚は、隠居した身の所行に似つかわしくないとして、幕府から久保田藩主・佐竹義処にお預けになったのである。日莚が、71歳の老体をもって久保田(秋田)城下に到着したのは、延宝7年(1679)10月24日のことであった。弟子の随従は幕府の老中・大久保加賀守が許さなかったという。しかし、間もなく師匠日莚の後を追って江戸から善行院、日晴、春芸、恵忍の四人の弟子が久保田に来て寺町の久城寺の境内に庵居し、ひそかに師、日莚を看護したという。日莚は、延宝9年(1681)正月27日、73歳で臨終した。
日莚のすぐれた門下には83人がいたといわれ、特に京都本圀寺の日隆・妙顕寺の日利・小倉山の日現などは傑出していたという。これらの門下は、師の死を聞いて遠く久保田まで集まり、久城寺で盛大に葬儀を営んだという。日莚の遺体は八橋の不動山(宝塔寺)で火葬にされ、遺骨は身延山・玉沢の妙法華寺・京都の妙顕寺・小西檀林・中山檀林の五ケ所に分骨された。また、久保田城下の久城寺には、御霊屋が建てられ、日莚の遺体を荼毘にした八橋の不動山には、石塔が建立された。師の後を追って江戸から秋田まで来た日晴は、久城寺の11世を継いで師の御霊屋を守り、また、恵恩は、宝塔寺の境内の不動庵に住して日莚の石塔を守ったという美しい師弟愛の物語である。
日莚は、世を去る前に藩主佐竹義処から与えられた佐竹家及び岩城家の法名帳二巻を日晴に回向することを命じている。日晴は日莚の没後、御霊屋の守護職として久城寺の後住を申し渡され、久城寺の11世として法華経の教えを弘通し、藩主・佐竹義処の帰依を受けた。師の三回忌には、同門と相謀って八橋の六処庵(現在の宝塔寺境内)に石造の五重塔を建立している。久城寺が、久保田藩の日蓮宗の総録(触頭)をつとめたのは、日莚上人との関係によるものらしい。
元禄4年(1691)久城寺は、日晴の願いによって、永代聖人号を許された。永代聖人号というのは、歴代の住持が聖人(上人)号を世襲することである。日晴は、このように久城寺の寺門を興隆させたので、同寺の中興と称された。日晴が遷化したのは、享保11年3月23日のことであった。世壽75歳。
江戸時代初期の名僧として、この他当久城寺の6世・本行院日元上人がいる。日元は、元和元年(1615)阿仁に法華寺を開創。その他、13世の天心院日通上人は京都鷹峰の檀林の能化(学頭)をつとめた。14世・週遍院日徳上人は水戸の三昧堂檀林の24世化主。15世・覚了院日迂上人は水戸の三昧堂檀林の能化53世。16世・顕義院日解上人は水戸の三昧堂檀林の93世能化。17世・了善院日浄上人は水戸の三昧堂檀林の133世化主。21世・平等院日慧上人は水戸の三昧堂檀林の156世能化。24世・究竟院日等上人は水戸の三昧堂檀林の257世、261世化主。このように、久城寺の世代のほとんどが日蓮宗の能化となっていることは、注目に値する。
明治から大正にかけては、28世瑞雲院日潤上人(大正6年4月寂)も名僧の一人にうたわれているが、明治初年の廃仏毀釈(仏教を排斥し、釈尊の教えや仏像などを壊し、捨てようという運動)や、神道が国教に定められたことにより、天照大神などの神さまを仏さま以上に崇拝することを強要される破目になり、その上、日蓮宗の加持祈祷も禁止されるなど、わが日蓮宗にとって誠に厳しい受難の時代があった。また、明治5年(1872)に僧侶の「肉食妻帯蓄髪の禁令」が解除されて以来、僧侶の地位、生活に対する社会通念に変化を及ぼした。現在は、僧侶各々が宗祖の本門戒の精神を守り、固い信念で妙法弘通を中心とした伝道布教の宗教活動を展開している。現住・小倉孝昭(日孝)は師父31世・蓮昭院日雄上人の後を継ぎ、第32世として、開創516年の法灯を継承している。  
 
法華経 

 

道場偈
法華経を信じ読誦する場所が仏のおられる道場であることを念じて、お唱えします。
当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸佛此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸佛此に於て法輪を転じ、諸佛此に於て般涅槃したもう。
まさに知るべきである。この場所は、すなわちこれ道場である。もろもろの仏は、この道場において、完全に平安な境地に入られた。
三帰依
仏・法・僧の三宝に向かって、信心をおこし、教えを学び、教えを説いていく誓願をこめてお唱えします。
一切恭敬
自帰依佛 当願衆生 体解大道 発無上意   自ら佛に帰依したてまつる。当に願わくは、衆生とともに大道を体解して、無上意を発さん。
自帰依法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海   自ら法に帰依したてまつる。当に願わくは、衆生とともに深く経蔵に入りて、智慧海の如くならん。
自帰依僧 当願衆生 統理大衆 一切無疑   自ら僧に帰依したてまつる。当に願わくは、衆生とともに大衆を統理して、一切無礙ならん。
自ら仏に帰依いたします。すべての人びとともに、大いなるみ仏の道を身につけて、最高の悟りをえるために、信ずる心をおこすよう誓います。自ら法に帰依いたします。すべての人びとともに、深くお経を習い学んで、海のように広い智慧を身につけることを、誓います。自ら僧に帰依します。すべての人びとともに、いっさいの苦しみ悩む人を救い導くために、つねにたゆむことなく教えを説いていくことを誓います。
三宝礼
仏・法・僧の三宝のかなめは、釈迦牟尼仏(仏)・妙法蓮華経(法)・日蓮大菩薩(僧)の三宝にあると信じ、一心にうやうやしく帰依の心をささげてお唱えします。
一心敬礼   十方一切    常住佛
一心敬礼   十方一切    常住法
一心敬礼   十方一切    常住僧
一心に敬って礼拝し、とこしえにすべての生きとし生けるものを救い導かれる本師釈迦牟尼仏に帰依いたします。一心に敬って礼拝し、大いなる智慧をそそぎ、平等にすべてのものを仏の道に導く妙法蓮華経に帰依いたします。一心に敬って礼拝し、み仏の使い上行菩薩の自覚にたって、すべてのものを救い導く日蓮宗の宗祖日蓮大菩薩に帰依いたします。
開経偈
これから法華経の経文を開き見て読んでいくときにお唱えする言葉です。あいがたき法華経にあい、この法華経の功徳をほめたたえ、一心に信じたもっていく誓願をこめてお唱えしましょう。
無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭いたてまつること難し。我れ今見聞し受持することを得たり。願わくは如来の第一義を解せん。至極の大乗、思議すべからず、見聞触知、皆菩提に近づく。能詮は報身。所詮は法身。色相の文字は、即ち是れ応身なり。無量の功徳、皆是の経に集まれり。是故に自在に、冥に薫じ密に益す。有智無智、罪を滅し善を生ず。若は信、若は謗、共に佛道を成ぜん。三世の諸佛、甚深の妙典なり。生生世世、値遇し頂戴せん。
この上なく深い妙のみ法である法華経には、はかり知れないほどの長いあいだ生きていても、出会うことはむずかしいのです。しかし、私はいま、お釈迦さまがほんとうの心をあかされた真実の教えである法華経に出会い、お経の文字を見聞きし、受けたもつことができました。どうか、お釈迦さまの説かれた第一のすぐれた教えを信じ習いきわめることができますよう、心から誓願いたします。最高の大いなる法華経の教えを、私の小さな考えによって理解しようとするのではなく、法華経を見聞きし、お経の文字にすなおにふれて知ることが、そのまま、みなともにみ仏の悟りに近づく、と信じて法華経を読んでまいります。法華経の教えを説かれているのは、限りない命をとこしえに輝かし、いっさいを救い導こうとされているお釈迦さまです。法華経に説かれている教えは、すべての生きとし生けるものを仏にしようとされているお釈迦さまのお心です。法華経にしるされているお経のひとつひとつの文字は、そのままお釈迦さまのお姿そのものです。お釈迦さまが長い間積まれた、はかり知れない功徳は、みな、このお経に集まっております。このゆえに、法華経を信じれば、おのずから香りに染まるように、法華経の功徳は私の体にしみついて、知らず知らずのうちに、まことの利益をもたらします。智慧のある者も、智慧のない者も、これまでおかしてきたすべての罪をなくし、善を生ずることができます。法華経を信ずる者も、そしる者も、この法華経の広大な功徳につつまれて、みなともに仏になる道を成しとげることができます。過去・現在・未来の世の、もろもろのみ仏は、この法華経を悟って仏になられました。そのはかりしれない深い悟りの心が、妙なる法華経に示されております。いくたび生まれかわっても、いつの世に生きようとも、このありがたい法華経にお会いし、おしいただいて信じつづけることを、心からお誓いします。 
方便品
法華経二十八品(章)の第二にあたる経文。拝読するのは、この方便品の最初にしるされた文章で、仏の智慧はたやすく知り難いと述べ、真実の姿を見極める仏の深い智慧を信じて、これを悟り極めるよう説いたもの。私たちの一念のなかに、あらゆるものが色々な姿となって現れてくる。その心のありようをはっきりと見極めて、真実と平等を求め、仏の道を歩んで生きることの大切さを心がけて読誦すること。
妙法蓮華経 方便品 第二 真読
爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。一切声聞。辟支仏。所不能知。所以者何。仏曾親近。百千万億。無数諸仏。尽行諸仏。無量道法。勇猛精進。名称普聞。成就甚深。未曾有法。随宜所説。意趣難解。舎利弗。吾従成仏已来。種種因縁。種種譬喩。広演言教。無数方便。引導衆生。令離諸著。所以者何。如来方便。知見波羅蜜。皆已具足。舎利弗。如来知見。広大深遠。無量無碍。力。無所畏。禅定。解脱。三昧。深入無際。成就一切。未曾有法。舎利弗。如来能種種分別。巧説諸法。言辞柔軟。悦可衆心。舎利弗。取要言之。無量無辺。未曾有法。仏悉成就。止舎利弗。不須復説。所以者何。仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。
方便品 第二 訓読
爾の時に世尊、三昧より安詳として起って、舎利弗に告げたまわく、諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり。所以は何ん、仏曾て百千万億無数の諸仏に親近し、尽くして諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞えたまえり。甚深未曾有の法を成就して、宜しきに随って説きたもう所意趣解り難し。舎利弗、吾成仏してより已来、種々の因縁・種々の譬喩をもって、広く言教を演べ、無数の方便をもって、衆生を引導して諸の著を離れしむ。所以は何ん、如来は方便・知見波羅蜜皆已に具足せり。舎利弗、如来の知見は広大深遠なり。無量・無碍・力・無所畏・禅定・解脱・三昧あって深く無際に入り、一切未曾有の法を成就せり。舎利弗、如来は能く種々に分別し巧に諸法を説き言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ。舎利弗、要を取って之を言わば、無量無辺未曾有の法を、仏悉く成就したまえり。止みなん、舎利弗、復説くべからず。所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。
現代語訳
そのとき、釈迦牟尼世尊は、身も心も安らかに、不動の境地に入っておられた。やがて、ゆっくりと静かに立ち上がられて、み仏の弟子で智慧第一といわれた舎利弗尊者に向かって、こう告げられた。もろもろの仏の智慧は、まことに深い。仏以外のものには、とうていはかり知ることはできない。もろもろの仏によって、さまざまに説かれた智慧の門は理解しがたく、その中に入っていくこともむずかしい。仏の教えを聞いて悟りを求めるものや、ひとり修行して悟りを開いたすべての仏弟子でも、これを知ることはできないほどである。なぜなら、仏はかつて、百千万億の、いやそれ以上のとても数えきれないほどの間、もろもろの仏のそば近くで親しくつかえ、悟りを得るために計り知れないほど教えを修行しつくし、その名があまねく聞こえるほど、勇気をふるい立たせ精進をかさねて、ひたすら悟りを求めてきたからである。しかも、きわめて深く、いまだかつて聞いたことすらない最高の悟りを成し遂げ、その悟りきわめた教えを聞くものの状態に応じて適切に説いてきたために、仏の心をたやすく理解することはむずかしいのである。
舎利弗よ。わたしは、仏になって以来、さまざまな実例やいろいろなたとえ話をひいて、広く教えを演説してきた。たくみな手だてを数えきれないくらい用いて、一切の人々を仏の道に導き入れ、もろもろの煩悩の執着から離れさせてきた。なぜなら、仏は、いろいろな手だてを用いて悟りに導き、智慧をさずけて悟りにいたらしめる道とを、すでにことごとくそなえているものだからである。舎利弗よ。仏の智慧は、広大で深く、はるかに長くはかり知れない。それは、楽しみを与え苦しみをとり除き、喜びをもたらし迷いをぬぐい去り、いかなる障りにもさえぎられない力をもち、いかなるものにもおそれることのないものである。仏は、身も心も動ずることのない平静な心に入り、煩悩からまったく解き離れた完全で平安な境地に住み、限りなく深い、いまだかつてない教えをすべて悟り、仏の道を成し遂げているのだ。
舎利弗よ。仏は、よくさまざまの考えをめぐらして、たくみに、もろもろの教えを説いている。やさしい言葉で人々を導き、人々の心に悦びを与えている。舎利弗よ。要するに、はかり知ることのできないほどの限りない、いまだかつて示されたことのない教えを、仏はことごとく悟りきわめているのである。舎利弗よ。もう、やめよう。ふたたび、このことを説いてもしかたがない。なぜなら、仏の成し遂げた悟りの境地は、もっともすぐれており、まことにたぐいまれで、たやすく理解することのできない教えだからである。ただ、仏と仏とが語りあうことによってのみ、その教えをきわめつくすことができる。それは、仏のみがあらゆるものごとの真実の姿を悟っているからである。あらゆるものごとの真実のすがたとは、いったい何か。それは、もろもろのものがいかなるすがた形を示しているのか。いかなる性質をもっているのか。その本体は何であるのか。どのような力をもっているのか。いかなる働きがあるのか。それらのものごとがおこる原因は何か。ものごとの関連性や結びつきはどのようであるのか。それらの結果はどうであるのか。その結果のあとのありさまはどのようであるのか。こうした、はじめから結末にいたるまでの事がらが、たがいにかかわりあいながら、それぞれ等しく、つねにはてしなく結びあっている、ということである。これが、すべてのものごとの真実を悟りきわめた仏の深い智慧なのである。それゆえに、かたよった見方や少しばかりの悟りにおちいらないよう、平等で真実を見とおす仏の智慧をそなえるようにつとめはげむがよい。
法華経 2

 

欲令衆
はじめに、仏がこの世にお出ましになられた目的は、すべての人びとを平等に悟りの世界に導き入れることを語って、仏と私たちとの深い因縁をあかし、次に苦しみにみちているこの世の中で憂い悩むいっさいの人びとを仏は救い守ることをのべ、最後に法華経こそお釈迦さまの説かれた真実の教えであることを示した経文。法華経の方便品第二と譬喩品第三と法師品第十および見寶塔品第十一の経文のなかから選びだしてまとめたもの。法華経を信ずれば、お釈迦さまによって苦しみからはなれることができるとともに、救い導かれてつねに仏に守護されていることを確信しつつ、この経文を読誦すること。
欲令衆 真読
諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見。使得清浄故。出現於世。欲示衆生。仏知見故。出現於世。欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。欲令衆生。入仏知見道故。出現於世。舎利弗。是為諸仏。唯以一大事因縁故。出現於世。三界無安 猶如火宅 衆苦充満 甚可怖畏 常有生老 病死憂患 如是等火 熾然不息 如来已離 三界火宅 寂然閑居 安処林野 今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護我遣化四衆 比丘比丘尼 及清信士女 供養於法師 引導諸衆生 集之令聴法 若人欲加悪 刀杖及瓦石 則遣変化人 為之作衛護 爾時宝塔中。出大音声。歎言善哉善哉。釈迦牟尼世尊。能以平等大慧。教菩薩法。仏所護念。妙法華経。為大衆説。如是如是。釈迦牟尼世尊。如所説者。皆是真実 
欲令衆 訓読
諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。三界は安きことなし 猶お火宅の如し 衆苦充満して 甚だ怖畏すべし 常に生老病死の憂患あり 是の如き等の火 熾然として息まず 如来は已に 三界の火宅を離れて寂然として閑居し 林野に安処せり 今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処は 諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す 我化の四衆 比丘比丘尼 及び清信士女を遣わして 法師を供養せしめ 諸の衆生を引導して 之を集めて法を聴かしめん 若し人悪刀杖及び瓦石を加えんと欲せば 則ち変化の人を遣わして 之が為に衛護と作さん 爾の時に宝塔の中より 大音声を出して、歎めて言わく 善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたまう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊、所説の如きは皆是れ真実なり。
現代語訳
もろもろの仏は、すべての人びとが本来そなえている仏の智慧を開かせて、煩悩のけがれをとりさって清浄にするために、この世に出現なされた。すべての人びとに仏の智慧を示そうとして、この世に出現なされた。すべての人びとに、仏の智慧を悟らせようとして、この世に出現なされた。すべての人びとを、仏の智慧の道に導き入れようとして、この世に出現なされた。舎利弗よ。これを、もろもろの仏が、ただ一大事の因縁があるからこそ、この世に出現されたというのである。この世は、欲望がさかんで、生死の苦しみにみちている。ひと時も、安らかなことがない。それは、さながら、ぼうぼうと燃えさかる家のようである。さまざまな苦しみが、いたるところにみちみちている。この世ほど、こわいところはなく、人びとは恐れおののかないではいられない。つねに、生・老・病・死の四つの苦しみに憂え、わずらっている。それは、燃えさかる火が、ますます燃え上がって、消えることなく燃え続けるようなものである。しかし、仏は、すでに、煩悩の燃えさかる家のようなこの世の苦しみや迷いからはなれて、心静かに、清浄で安らかな悟り の世界に住んでおられる。それは、閑静な林や野原に安らかに住んでいるようなものである。けれども、いま、すべての人びとが憂い苦しんでいるこの世は、みんな、仏である私がおさめているものなのである。この世の中で苦しみ、悩んでいるすべての人びとは、ことごとく、仏である私の子どもたちなのである。しかも、さまざまのわずらいや多くの困難がふりそそぐ今のこの世を、ただ、仏である私一人だけが、よく救い導き、護って  いるのである。
私は、僧と尼と清らかに信仰している男女の信徒をつかわして、仏の教えを修行しひろめて仏の道を歩んでいるものを供養せしめ、さまざまな人びとを仏の道に導き入れて、これらの人びとを集めて、仏の教えを聞かせようとしているのである。もし人が、悪い心をおこして刀や杖をふったり、瓦や石を投げつけて危害を加えようとしたならば、すぐさま人のすがたに身を変えた使いをつかわして、仏の教えを信じひろめるものを護り通すであろう。このように仏が語られたとき、宝塔の中より大きな声を出して、多宝如来はこうほめたたえられた。よくいわれた。よく申された。釈迦牟尼世尊よ。よくぞ、平等で大きな智慧をそなえ、身と心をささげて仏の教えをひろめる菩薩のための教えであり、仏が護り念ずる妙法蓮華経を広くあらゆる人びとに説かれた。そのとおり、そのとおりなのである。釈迦牟尼世尊が説かれた教えは、すべてみな、真実なのである。
自我偈
如来寿量品第十六の偈文(詩句)が「自我得仏来」の言葉からはじまるので、「自我偈」という。法華経の中心内容を説きあかし、すべての経典の眼目とされている。釈迦牟尼仏の命は永遠であることが語られ、仏は迷い苦しむ人びとに死を示して人びとの心を目覚めさせることにより仏の道を歩むよう説いている。また、いっさいの人びとを仏にするのが、仏の誓願であることがしめされている。私たちをつねに変わることなく救い導いてくださる仏の大きな慈悲の心にふれ、仏の願いにこたえて一心に信仰にはげむことを誓いながら、この経文を読誦すること。
妙法蓮華経 如来寿量品第十六 自我偈 真読
自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇   
常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法   
我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見
衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心   
衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命
時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅   
以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者
我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度   
我見諸衆生 没在於苦海 故不為現身 令其生渇仰
因其心恋慕 乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫   
常在霊鷲山 及余諸住処 衆生見劫尽 大火所焼時
我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳   
宝樹多華果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆妓楽
雨曼陀羅華 散仏及大衆 我浄土不毀 而衆見焼尽   
憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁
過阿僧祇劫 不聞三宝名 諸有修功徳 柔和質直者   
則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量
久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 慧光照無量   
寿命無数劫 久修業所得 汝等有智者 勿於此生疑
当断令永尽 仏語実不虚 如医善方便 為治狂子故   
実在而言死 無能説虚妄 我亦為世父 救諸苦患者
為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生憍恣心   
放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道
随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生   
得入無上道 速成就仏身 
訓 読
我仏を得てより来 経たる所の諸の劫数 無量百千万 億載阿僧祇なり 常に法を説いて 無数億の衆生を教化して 仏道に入らしむ 爾しより来無量劫なり 衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず 而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く 我常に此に住すれども 諸の神通力を以て 顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ 衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し 咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず 衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず 時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず 我時に衆生に語る 常に此にあって滅せず 方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず 余国に衆生の 恭敬し信楽する者あれば 我復彼の中に於て 為に無上の法を説く 汝等此れを聞かずして 但我滅度すと謂えり 我諸の衆生を見れば 苦海に没在せり故に為に身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ 其の心恋慕するに因って 乃ち出でて為に法を説く 神通力是の如し 阿僧祇劫に於て 常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあり 衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり園林諸の堂閣 種々の宝をもって荘厳し 宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天天鼓を撃って 常に衆の妓楽を作し 曼陀羅華を雨らして 仏及び大衆に散ず 我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて 憂怖諸の苦悩 是の如き悉く充満せりと見る 是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て 阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず 諸の有ゆる功徳を修し 柔和質直なる者は 則ち皆我が身 此にあって法を説くと見る 或時は此の衆の為に 仏寿無量なりと説く久しくあって乃し仏を見たてまつる者には 為に仏には値い難しと説く我が智力是の如し 慧光照すこと無量に 寿命無数劫 久しく業を修して得る所なり 汝等智あらん者 此に於て疑を生ずることなかれ 当に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚しからず 医の善き方便をもって 狂子を治せんが為の故に 実には在れども而も死すというに 能く虚妄を説くものなきが如く 我も亦為れ世の父 諸の苦患を救う者なり 凡夫の顛倒せるを為て 実には在れども而も滅すと言う常に我を見るを以ての故に 而も恣の心を生じ 放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん 我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って 度すべき所に随って 為に種々の法を説く 毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと
現代語訳
釈迦牟尼仏は、はてしない久遠のいのちをもって、ずっと生きつづけられ、いっさいの生きとし生けるものを救い導かれていることを、こううたわれた。わたしが仏になってから 経てきた時ははるかに遠い大昔 百千万・億 とても数えきれない年月だ そのあいだ わたしはつねに教えを説き 数えきれないほどの人びとを 教えて 救い導いて 仏の道に入れてきた。その時いらい はかり知れないほどの長い長い時がたっている いっさいの苦しむ人をみんな救おうと たくみな手だてを用いては わたしの身体は滅すると いったり したりしてみせて 悟りの境地をあらわした けれどもほんとうは けっしてわたしは死んだりなんかはしないのだ いつも この世に住んでいて こうして教えを説いている わたしは つねにここに住んでいるけれど いろいろ不思議な力を使っては 心が迷ってさかさまに おかしくなっている そんな人たちにたいしては こんなにそば近くにいるけれど わたしはすがたをあらわさないし 見せもしないのだ 人びとが わたしの身体が滅んだと まのあたりに わたしの死をじっと見て 広く 仏の遺骨を供養して みんながぜんぶ わたしのことを恋いしたい ぜひとも 会いたい会いたいもう一度 わたしに向かって仰いで求める心をおこすなら すべての人びとが わたしを信じて従って 素直な心でおだやかに 一心に 仏を見たい会いたいと 自ら いのちを惜しまず願うなら そのとき わたしは僧をたくさんともなって この霊鷲山にあらわれる わたしは そのとき 人びとにこう必ず語るのだ わたしは つねにここにいて けっして滅することはありえない けれども たくみな手だてを用いては 死んだり ずっと死なない姿をば いつも こうして示すのだ 
ほかの国の人たちで 仏を敬い尊んで 信じて聞きたいと 願っているものがいるならば わたしは またまた そこにおもむいて かれらのために 最高の 教えを説いてゆく ほかの国すら そうなのに わたしの住んでいる この世の中で 迷っているのがあなたたち わたしの言葉を聞きもせず ただ わたしが死んだとばかり思っている わたしが この世の人をよく見ると 苦しみの 海に沈んでいるのが あなたたち 迷い さまよい 仏に背いているのが あなたたち それが ほんとうに よく見える だから わざと わたしはすがたをあらわさず みんなに 会いたい気持ちをおこさせて 恋いしたう心になったとき わたしは すがたをあらわして みんなのために 教えを説いてゆく 仏のそなえている まことに不思議な力とは これをさしていうのだよ はるかに遠く 長い長い 数えきれないほどの年月を わたしは つねに 霊鷲山にいる さらに そのほかの いたる所に住んでいる この世が滅びるときがやってきて この世に生きる人びとが 大火で焼きつくされようとしたときも わたしの国土は 安らかで 天の神と人間で つねに いっぱいみちている 美しい花園 きれいな林がはえしげり たくさんの お堂や楼閣 たちならび それは いろんな宝で まばゆくばかりに飾られて きらきら宝の輝く樹木には いっぱい美しい花が咲きにおい たくさん実がなっている 人びとは みんなそこで遊んだり 楽しんだりしているのだ 天上界の神々や人びとは 天の鼓をうちならし いつもいろいろな 音楽をかなでてる 仏だけでなく 悟りを求める人びとに きよらかで美しい 曼陀羅華の白い花を 雨のように 散らしながら降りそそいでいる わたしの浄土は このように美しく けっして こわれることはありえない それなのに 人はみんな この国をば 燃えさかる火によって 焼きつくされていると見まちがえ 憂えや恐れやもろもろの苦悩によってみたされていると思いこみ こうして さまざまの 罪をつくった人びとは 悪い行いをつみかさね その因縁にもとづいて 罪を背負って 長い長い年月を 過ぎても過ぎても いつまでも 
仏・法・僧の三宝の 名すら聞かずに生きている けれども あらゆる善い行いを 行いおさめて 功徳をつみかさね 心は柔和で すなおな人は  みんな わたしがここに身をあらわして 教えを説いていることを はっきり見ることができるのだ あるときは こうした人びとに対しては 仏のいのちに限りはないのだよ と説く 長い長い時を経て ようやく仏に会えた者に向かっては 仏に会うのはむずかしいことなのだよ と説くのだ わたしの智慧の働きは このように自在なのだ わたしの智慧の光は はかり知れないほど いたるところを照らしだす 仏の寿命は 数えきれないほど長くて限りがなくて 永遠だ それは 久しい間善いことを ずっと行い つみ重ね 功徳をおさめてえたものだ あなたたちは 智慧をそなえているものだ このことを けっして疑ってはならないし まさに疑いのすべてをみんな断ちきって ずっと疑いを 捨てさらなければいけないよ 仏の言葉は 真実で これっぽっちの嘘もない すぐれた医者がいた まちがって毒をのんで苦しんで 心の狂ったわが子をば なおして助けて救おうと たくみな手だてを工夫した 自分は 生きているにもかかわらず 父は遠い旅する土地で死にました そう使いに言づけし これを聞いた子どもたち すっかり驚き悲しんで たちまち目ざめておきなおり 父がのこしておいた良薬を のんで心をとりもどし 病気をなおして救われた このはなしを わたしはあなたたちに 語って聞かせたことがある この医者の 言葉を嘘などと はたしてだれがいえようか わたしもまた この世の人びとにとっての父なのだ いろいろな 多くの苦しみ悩む人たちを救い導くものなのだ 凡夫は 善と悪とを見あやまり 正と不正とをまちがえて さかだちした心をもっている 
そこで わたしはじっさいは いつでも生きているけれど わたしはもはや滅したのだ というのだよ つねに わたしに会えるのだと考えて 救ってくれると思いこみ そこで わがまま おごりがわきおこり なまけていろいろな 欲望にとらわれて 悪い道に おちこんで 苦しんでいるのが この世に生きる人びとだ わたしは つねに すべての人びとが 仏の道を行っているか 行っていないか それを よく知っている 正しい仏の教えに従って どうしたら救われるか 救うべきところを見さだめて みんなのために それぞれに ふさわしいさまざまな方法で 教えを説きあかす わたしは いついかなるところでも つねに 自ら こう誓願しているのだ どのようにしても すべての人びとを この上なき最高の 仏の道に入らしめて すみやかに 仏の身を成就させようか これが わたし 釈迦牟尼世尊の 永遠で滅することなき 誓願なのだ
神力偈
如来神力品第二十一の偈文(詩句)であるところから神力偈という。お釈迦さまは、末世の人びとを救うために、仏の使いをつかわし、法華経を信じ行いひろめるよう説いている。わたしたち一人ひとりが、人びとの心のくらやみをとりのぞく法華経の信仰者であることを肝に銘じて、この経文を読誦することが大切である。
妙法蓮華経 如来神力品第二十一 真読
諸仏救世者 住於大神通 為悦衆生故 現無量神力   
舌相至梵天 身放無数光 為求仏道者 現此希有事
諸仏謦声 及弾指之声 周聞十方国 地皆六種動   
以仏滅度後 能持是経故 諸仏皆歓喜 現無量神力
嘱累是経故 讃美受持者 於無量劫中 猶故不能尽   
是人之功徳 無辺無有窮 如十方虚空 不可得辺際
能持是経者 則為已見我 亦見多宝仏 及諸分身者   
又見我今日 教化諸菩薩 能持是経者 令我及分身
滅度多宝仏 一切皆歓喜 十方現在仏 竝過去未来   
亦見亦供養 亦令得歓喜 諸仏坐道場 所得秘要法
能持是経者 不久亦当得 能持是経者 於諸法之義   
名字及言辞 楽説無窮尽 如風於空中 一切無障碍
於如来滅後 知仏所説経 因縁及次第 随義如実説   
如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇
教無量菩薩 畢竟住一乗 是故有智者 聞此功徳利   
於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑
訓 読
諸仏救世者 大神通に住して 衆生を悦ばしめんが為の故に 無量の神力を現じたもう 舌相梵天に至り 身より無数の光を放って 仏道を求むる者の為に 此の希有の事を現じたもう 諸仏謦・の声 及び弾指の声 周く十方の国に聞えて 地皆六種に動ず 仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以ての故に 諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう 是の経を嘱累せんが故に 受持の者を讃美すること 無量劫の中に於てすとも 猶故尽くすこと能わじ 是の人の功徳は 無辺にして窮まりあることなけん 十方虚空の 辺際を得べからざるが如し 能く是の経を持たん者は 則ち為れ已に我を見 亦多宝仏 及び諸の分身者を見 又我が今日 教化せる諸の菩薩を見るなり 能く是の経を持たん者は 我及び分身 滅度の多宝仏をして 一切皆歓喜せしめ 十方現在の仏 竝に過去未来 亦は見亦は供養し 亦は歓喜することを得せしめん 諸仏道場に坐して 得たまえる所の秘要の法 能く是の経を持たん者は 久しからずして亦当に得べし 能く是の経を持たん者は 諸法の義 名字及び言辞に於て 楽説窮尽なきこと 風の空中に於て 一切障碍なきが如くならん 如来の滅後に於て 仏の所説の経の 因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん 日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し 無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん 是の故に智あらん者 此の功徳の利を聞いて 我が滅度の後に於て 斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て 決定して疑あることなけん
現代語訳
仏とは すべて この世を救うもの 人の力のおよばない 不思議な世界に住んでいて すべての人びとを 悦ばせようと念願し はかり知れないほどに 不思議な力をあらわして みんなを救おうとしているのだ 仏は 長い長い舌を出し 高い天の上までも 長い舌をとどけさせ 仏の言葉は こんなに長いあいだ いつもほんとうだよとさし示す 身体からは 数えきれない光をだし 仏の道を求めるものに 見たり聞いたりしたことも これまでめったにないほどの すばらしい救いの事実をこうしてはっきり示すのだ すべての仏は せきばらいしながら声をだし 指をはじいて音をだす その声と音は あまねく 十方の国までとどろいて 大地は 上下に前後に左右にゆれ動き 地なりや地ひびき なりわたる 仏が 滅したのちまでも よく この法華経を信じつづけていくことを 仏はみんな知っている すべての仏は みんな心の底から喜んで はかり知れないほどの 不思議な力をあらわした この法華経を 次から次ぎえ伝えようと 心がけている人もいる すべての仏は 法華経を 信じ行うものたちを はかり知れない長いとき いつでもどこでも ほめたたえ けっして やめることはない 法華経を 信じ行う この人の 功徳の深さはかぎりなく はるかにはるかにはてしない それは はてしなくひろがる 十方の大空のようだ よく この法華経を信じ行うものは すぐさま わたし すなわち釈迦牟尼仏に会えるのだ わたしの言葉を 真実なりと証明した 多宝仏にも会えるのだ 
さらに わたしが こんにちまでずっと教え導いた すべての菩薩たちにも会えるのだ よく この法華経を信じ行うものたちは わたしやわたしの分身や 過去に滅した多宝仏やすべてのみんなを 喜ばせ そこで いたるところの仏たちも 今いる仏や過去におられた仏や未来にあらわれる仏たちも このようすを見たり 供養をささげたり または すっかり喜んでいるだろう もろもろの 仏がすべて この道場に すわって悟った大切な めったに示さぬみ教えを よく この法華経を信じ行うものたちは 久しい時間もかからずに すぐさま体得するだろう よく この法華経を信じ行うものたちは もろもろの教えの意義をすぐつかみ その名や文字や言葉など 仏の説かれたみ教えを 心楽しく かぎりなく 教えのすべてを 習いきわめつくすだろう それはちょうど 風が いっさいの障害もなく 空中に 吹きわたるようなものなのだ 仏が その身を滅したその後に 仏の説いた経典と 法華経の ひろまるいわれと順序とを すっかり知りつくし 法華経の 説かれた教えにしたがって 教えの意義と 真実を きっと説いていくだろう 太陽と月の光明 あかるくて よく もろもろの くらやみ とりのぞく ちょうど それと おんなじだ この世にわいてあらわれた この仏の使いたちは この世で法華経を 信じつづけ 行って 法華経をいたるところにひろめては よく 煩悩に けがれた人びとの心のくらやみとりのぞき すっかりなくしていくだろう しかも 数えきれないたくさんの 菩薩たちを ついには真実の 悟りの道に引き入れて 仏になるための 法華経の世界に 住まわせるのだ だからこそ 仏の道を求めて行う 智慧あるものたちよ こうした法華経の すばらしい功徳を よく聞いて わたしが滅した のちの世において この法華経を いつでも どこでも 信じ たもって 行うがよい 法華経を信じて この人は 仏の道に安住し つまらぬ疑いおこすこともなく 心は不動で しっかりと確信もって生きつづけ きっと仏になるだろう
宝塔偈
法華経見宝塔品第十一の偈文(詩句)であるところから、「宝塔偈」という。法華経を末世に信じ行いひろめることの困難さをあかし、その苦難にひるまないで、つねに法華経を信じ、読み、知り、説いていかねばならないことを教えている。わたしたちは、法華経を信じ行うことが、ほんとうの勇気であり努力であることをしっかりと心に刻み、この経文を読誦しなければならない。
妙法蓮華経 見宝塔品第十一 偈文
此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然   
如是之人 諸仏所歎 是則勇猛 是則精進
是名持戒 行頭陀者 則為疾得 無上仏道   
能於来世 読持此経 是真仏子 住淳善地
仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼   
於恐畏世 能須臾説 一切天人 皆応供養
訓 読
此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり 是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり 是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり 是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く 則ち為れ疾く 無上の仏道を得たり 能く来世に於て 此の経を読み持たんは 是れ真の仏子 淳善の地に住するなり 仏の滅度の後に 能く其の義を解せんは 是れ諸の天人 世間の眼なり 恐畏の世に於て 能く須臾も説かんは 一切の天人 皆供養すべし
現代語訳
この法華経を 信じ行うことは たいへんむずかしい もし 少しのあいだでも この法華経を信じ行うものがいたならば わたし釈迦牟尼仏はそのときたちまち 心から喜ぶであろう これは わたしだけでなく もろもろの仏たちも同じである このように 法華経を信じ行う人を もろもろの仏たちは ほめたたえるのである 法華経を信じ行うことを ほんとうの勇気があるというのである 法華経を信じ行うことこそ 真の精進なのである これを 仏の教えを信ずるものがもつべき戒めをたもち すべてを捨てさって ひたすら仏の道を求め行っているものというのである 法華経を信じ行うならば たちまち すみやかに この上なくすぐれた仏の道を体得できるのである 未来の世に生まれて よく この法華経を読みつづけるならば この人はこれ ほんとうの仏の子であり きよらかで善にみちたところに安んじて住むことができるであろう 仏であるわたしが 滅したのちの世で よく 法華経の教えを 信じて理解するならば この人は もろもろの天上界の人びとや この世の中の人びとを導く眼となるであろう 恐ろしい末の世において よく ほんの少しのあいだでも この法華経を説くならば すべての天上界の人びとは みな この人を供養するであろう
四弘誓願
衆生無辺誓願度   衆生は無辺なれども 誓って度せんことを願う
煩悩無数誓願断   煩悩は無数なれども 誓って断ぜんことを願う
法門無尽誓願知   法門は無尽なれども 誓って知らんことを願う
佛道無上誓願成   佛道は無上なれども 誓って成せんことを願う
み仏の教えを、つねに変わることなくずっと信じ行いひろめていく誓願をあらわすのが、この四弘誓願です。この誓願を仏・法・僧の三宝にささげていくこころざしをこめてお唱えすること。
現代語訳
苦しみ悩む人びとが、いかに限りなくいようとも、みなともに救い導いていくことを誓願いたします。煩悩が、いかに数限りなくあろうとも、すべて断ちつくすことを誓願いたします。み仏の教えが、いかにつきないほどあろうとも、すべて学び知りつくすことを誓願いたします。み仏になる道が、いかにこの上なき高さにあろうとも、必ずみ仏の道をなしとげていくことを誓願いたします。  
 
日蓮宗信行教典  

 

仏教や日蓮宗の教えをわかりやすく書いたものがほしい、日々のくらしの中で活用できるような信仰の書がもっと必要なのではないか、という声をよく耳にします。たしかに、仏教の本はむずかしく書かれたものが多く、加えて仏教特有の言葉や用語もたくさんあるため、読んでも意味がわたりにくいという傾向にあります。しかし、本来、仏教は苦しみや悩みを乗り越えて、よりよく生きるためのささえや指針を与える教えなのです。信仰とは、苦楽を分かち合い、困難にくじけないで、みなともに幸福と平安をなしとげていく人生の道をきり開き、み仏と同じような智慧と慈悲の心をもっていきぬいていく志を持ち続けることである、といえます。
一見難しそうに思えるお経の文字や仏教の言葉をよく読み、深く知っていくならば、そこに生きとし生けるものを導こうとしているみ仏の限りなく深い慈しみの眼に自分が見つめられ、救いの心が注がれていることを見出すことができます。この『日蓮宗信行教典』はこうしたみ仏の魂にふれながら、み仏の智慧と慈悲を心に刻むための信行の手引書としてまとめたものです。み仏を信ずる心とは、み仏の教えに従って生き、説かれたように実行することでもあります。み仏の道は、信をもって根本とし、行と学によって教えを身につけ、心の田にみ仏の種をうえることが大切です。
日蓮宗の信行は、宗祖日蓮聖人に導かれながら、本仏であるお釈迦さまの説かれた真実の教え妙法蓮華経(法華経)を信じ、南無妙法蓮華経とお題目を唱えて、法華経に帰依し、行じていくことを基本としいます。法華経と日蓮聖人の教えを信行し、習い学び語り伝え、信じあい助けあいながら、いっしょにみ仏の道を求めていくことは、日蓮宗の信徒のつとめであり、善根功徳をこの世にしるしとどめることにもなるのです。この『日蓮宗信行教典』には、日蓮宗の信徒としてなすべき信行の内容と心得がおさめられております。信徒の誓い、生活信条と勤行(ごんぎょう)の心得にもとづいて信行の内容と意義をよくつかみ、勤行の次第順序に従って信行に励み、現代語に訳した法華経の経文と日蓮聖人のお言葉を生きるためのささえとしつつ、お題目の意味をつかんで一心に素直な気持ちで唱題修行(しょうだいしゅぎょう)につとめてほしい、という願いをこめてまとめました。
信行の心がまえ
信徒の誓い
一、わたしたちは、日蓮宗の信徒として、本仏釈尊の説かれた真実のみ教えである法華経を信じ、南無妙法蓮華経とお唱えして、一心に信仰の道にはげむことを誓います。
一、わたしたちは、日蓮宗の信徒として、宗祖日蓮聖人のみ教えに導かれ、どんな困難にもまけず、現世の安穏と未来の救いがかなえられるよう祈りをささげ、世界の平和とすべての人びとの幸せをめざして精進することを誓います。
一、わたしたちは、日蓮宗の信徒として、法華経と日蓮聖人の信仰をすべての人びとに語り伝え、菩提寺を護り、先祖への供養と朝夕の信行につとめることを誓います。
生活信条
一、ひとりよがりやうぬぼれをなくし、喜びも苦しみや悩みもわかちあい、どんな困難にもひるまずに、信じあい、助けあっていこう。
二、いつくしみあい、いたわりあい、ともに力を合わせて、明るく楽しい家庭をきずいていこう。
三、先祖への感謝を忘れず、つねに供養をささげ、菩提寺へのお参りと朝夕の信行にはげんでいこう。
四、すべての人の幸せと平和な社会を実現していくために努力していこう。
五、み仏の教えを学び行い、日蓮聖人に導かれて、すこしでも自分を高め、人びとのためにつくしていこう。
勤行の心得
日蓮宗の勤行
勤行とは、ふつう「おつとめ」というように、朝夕を中心に、いついかなる時と所においても、仏の教えを信じ行い、合掌礼拝し、お経を読み、供養をささげることにつとめはげむことをいいます。日蓮宗の勤行は、法華経のお題目すなわち南無妙法蓮華経とお唱えすること(唱題)と法華経の経文のなかの主要なところを声をだして読みあげること(読誦)を中心に行います。
勤行の心がまえ
お経とは、ただひとりの仏であるお釈迦さまの説かれた教えのことです。お釈迦さまの悟りの心をしるしたものが、お経のひとつひとつの文字です。お経の文字は、お釈迦さまのみ心をあわらしたものです。
お経のなかで、お釈迦さまがほんとうの心をご自身で説きあかされたのが、法華経です。法華経は、正式な名を妙法蓮華経といいます。法華経を命をささげて信じてゆく決意をあらわすことが南無妙法蓮華経とお唱えすることです。この法華経のお題目をお唱えし、その経文を読むことはもっともすぐれた法華経を信じ、法華経に示されたみ仏の智慧と慈悲を身につけて、法華経の救いをすべての人びとにひろめていこうという誓いと願いをあらわすことです。法華経に説かれたみ仏の言葉に従って生きていくことを念じ、これまで法華経とみ仏の縁に結ばれてきた先祖の人びとをはじめ、家族・親族やいっさいの人びとが安穏にくらし仏となって慈悲の心をもつよう、一心に祈りをこめて、朝夕の勤行につとめはげむことが大切です。
仏法僧の三宝ならびにご本尊に対し、また朝夕仏壇に向かってご供養するときは、まず顔や手などを洗い浄め、「世間の法に染まらないことは蓮華の水にあるように、この身を清浄にして法華経を信じたもちます」と念じます。次に、「み仏にお花をささげます。すべての人びとが、この花のように浄らかになるように」と祈りながら、献華をします。さらに、「仏法僧の三宝ならびに有縁無縁いっさいの人びとに供養します。飢え、渇きをとりのぞき心は浄らかになるように」と願いながら、お供物とお茶をささげます。同時に、お灯明をささげます。このときには「み仏の眼のように、すべてを明るく照らして、この世と人びとの煩悩のくらやみをなくしていきます」と誓いながら献灯し、お線香をつけ、またお焼香をいたします。
勤行の作法
ご本尊ならびに仏壇に向かって正座をし、心をおちつけたのち、次の順序で信行をいたします。
合掌・礼拝
道場偈   この場所にみ仏がすがたをあらわしてくださることを念ずる。
三帰依   仏法僧の三宝に帰依の心をささげる。
三宝礼   仏法僧のうち、とくに釈迦牟尼仏・法華経・日蓮大菩薩の三宝に帰依する。
開経偈   法華経を読む功徳をほめたたえる。
方便品   み仏の限りなく深い智慧を信じ、身につけることを願って読む。
欲令衆   み仏の智慧を心に刻み、み仏の救いと守護を念じつつ読む。
自我偈   み仏の永遠で滅することのない慈悲にふれみ仏になることを誓いつつ読む。
神力偈   み仏の教えを体して法華経をいつまでも信じ行うことを心に刻みつつ読む。
唱題     一心にお題目をお唱えして法華経を信じ行う誓いをあらわす。
宝塔偈   どんな困難があろうとも法華経の信心をつらぬいていく決意をこめて読む。
御遺文拝読   日蓮聖人のみ教えに導かれて信心の道を歩んでいく誓いをこめて、日蓮聖人のお言葉の一節をお唱えする。
祈りの言葉   ご本尊ならびに三宝に祈りをささげ、ご本尊と三宝に護られて信心に励み先祖への菩提と家内安全・子孫長久・世界平和などを祈願する。
四弘誓願   み仏の教えを信じ・学び・行い・ひろめる四つの誓いをあらわし、三宝に信心をつらぬいていくことを誓う。
唱題三唱   お題目を三辺となえる。お寺でいとなまれる法要のときには、本堂の出入りには必ず合掌し、さらに導師の指示に従って、お経を読み、お題目をお唱えすること。  
 
日蓮聖人 一日一訓 

 

日蓮聖人は、救い主であるお釈迦さまの説かれた法華経を信じ、お題目を日本のすべての人」びとに唱えるようすすめて、邪悪や背信をいさめて、いっさいの苦しみをなくし、人びとを救い導かれた日本第一の法華経の行者です。み仏の使いである上行菩薩の生まれかわりとして、法華経を語りお題目をひろめて、国土と人間を救済することを誓願され、いくたの法難にも屈することなく民衆のために献身され、日蓮宗を開かれました。この法華経の行者でありみ仏の使いでもある日蓮聖人を宗祖と仰ぎ、日蓮聖人の示された信仰・教え・生き方に習って生きることが、しんに日蓮聖人の弟子信徒として信心にはげむ日蓮宗の宗徒のつとめです。また、日蓮聖人は、身延山をはじめ各地で多くの弟子信徒に対して信仰や教えの内容を書き示されました。こうして書きのこされた著作や手紙は「ご遺文」とよばれています。この「ごいぶん」を読み、学んで、法華経の信心をつらぬいた宗祖日蓮聖人の心にふれ、その生きかたを習学していくことが大切です。
信心
妙一尼御前御返事にいわく  夫れ、信心と申すは別にこれなく候。妻のおとこ(夫)をおしむがごとく、おとこの妻に命をすつるがごとく、親の子をすてざるがごとく、子の母にはなれざるがごとくに、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神  等に信を入れ奉りて、南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを信心とは申し候なり。
そもそも、信心というものは、別にこれというむずかしいことがあるわけではない。妻が夫を愛し、夫が妻のために命をすてるように、親が子をすてず、子が母のもとからはなれないように、法華経と釈迦牟尼仏と多宝仏と十方のすべてのみ仏や菩薩そしてもろもろの天上界の善い神々などに信ずる心をささげて、南無妙法蓮華経とお唱えすることを、信心とはいうのである。
仏道を習う
佐渡御勘気抄にいわく  本より学文し候し事は仏教をきわめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思う。仏になる道は、必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと、おしはからる。
もともと、学問にとりくみはじめたのは、仏の教えを習いきわめて仏となり、恩をこうむってきた人たちをも助けよう、とおもったからである。仏になることができる、と思いめぐらしてきたのである。
菩提心
松野殿御返事にいわく  魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人も又此のごとし。菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。すべて凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。鎧を著たる兵者は多けれども、戦に恐れをなさざるは少なきがごとし。
魚は子を多くうむけれども、そのまま魚となるものはすくない。なつめの木には花は多く咲くけれども実になるものは少ない。人もまた同じである。菩提心をおこして、み仏の悟りをえようとする人は多いけれども、一歩もしりぞくことなく、ひたすら菩提心をつらぬいて、真実のみ仏の道に入っていくものは少ない。すべて、凡夫のおこす菩提心は、悪縁にだまされひきずられて、事にふれて移りやすいものだからである。鎧をつけたつわものは多いけれども、戦に恐れをいだかないものが少ないようなものである。
法華経の功徳
上野尼御前御返事にいわく  一切経の功徳は先に善根を作て後に仏とは成ると説く。かかる故に不定なり。法華経と申すは手に取れば其手やがて仏に成り、口に唱うれば其口 即仏なり。譬えば天月の東の山の端に出づれば、其時 即 水に影の浮かぶがごとく、音とひびきとの同時なるがごとし。故に経にいわく。もし法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し、云々。文の心はこの経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。
ふつう、あらゆるお経の功徳は、まずさきに善い行いをしたのちに仏になれると説いている。そのために、はじめから仏になれるかどうかは決まっていない。しかし、法華経というには、それを手にとれば、その手はたちまち仏になり、口に唱えればその口がそのまま仏なのである。それはちょうど、天にある月が東の山のはしにでて照っていると、そのときただちに月の影が水に浮かぶようなものであり、音とひびきとが同時に聞こえるようなものである。そこで、法華経には、「もし法華経を聞いたならば、ひとりとして仏にならないものはない」と示されている。このお経の心は、法華経を信じたもつ人は、百人は百人ながら千人は千人ながら、ひとりもかけないで仏になる、ということなのである。
信心成仏
妙一尼御前御消息にいわく  法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には「若し法を聞くこと有らん者は、一として成仏せざること無し」と、とかれて候。
法華経を信ずる人は、きびしい冬の寒さにたえしのぶようなものである。しかし、冬は必ず春となる。いまだ昔より聞いたことはない、見たこともない、冬が秋にかわることを。いまだ聞いたことはない、法華経を信ずる人が、仏にならずに凡夫のままでいることを。法華経の経文には、もし法華経を聞いたことのあるものは、ひとりとして仏にならないものはない、と説かれている。
一日一訓 2

 

いのち
可延定業御書にいわく  命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆえぞかし。
いのちというものは、人間の身にとって、第一の貴くかけがえのない宝である。たとえ一日だけであろうと、このいのちをのばすならば、千万の黄金にもまさるものである。法華経がお釈迦さまの説かれたお経のなかでも、もっともすぐれて貴いお経といわれるのは、み仏の寿命が永遠であることを説きあかしている如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)の経文がおさめられているからである。
臨終のことを習う
妙法尼御前御返事にいわく  日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、なお譬にあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無き習いなり。されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし。
日蓮は、幼少の時よりみ仏の教えを学んできたが、その折にこう念願した。人の寿命は無常である。はく息はすう息をまつことなく出てゆく。風の前の露すら、なおたとえることができないほどはかない。かしこい者もおろかな者も、年おいた者も若い者もさだめがたいのが人の世の習いである。だからまず、死に臨んで悔いない覚悟をもつことをしっかり習いさだめて、それからのちに他のことを習うべきだ、と願ったのである。
夫と妻
持妙尼御前御返事にいわく  いにしえよりいまにいたるまで、親子のわかれ、主従のわかれ、いずれかつらからざる。されどもおとこおんなのわかれほどたとえなかりけるはなし。過去遠々より女の身となりしが、このおとこ娑婆最後のぜんちしき(善知識)なりけり。ちりしはなおちしこのみもさきむすぶなどかは人の返らざるらむ。こぞもうくことしもつらき月日かなおもいはいつもはれぬものゆえ。法華経の題目をとなえまいらせてまいらせ。
昔より今にいたるまで、親子の別れ、主従の別れにあって、だれしもつらいと思わないではいられない。けれども、夫婦の別れほどたとえようもなく、悲しくつらいものはない。あなたは、はるかに遠い過去の時代より女の身として生まれてこられたが、この夫こそ娑婆(しゃば)世界でめぐりあった最後の善い先生であった。ちりしはな おちしこのみもさきむすぶ   などかは人の 返らざるらん   こぞもうく ことしもつらき月日かな   おもいはいつも はれぬものゆえ ・・・ 法華経のお題目を唱えてさしあげるがよい。
祈り
富木尼御前御返事にいわく  御信心月のまさるがごとく、しお(潮)のみつがごとし。いかでか病も失せ、寿ものびざるべきと強盛におぼしめし身を持し、心に物をなげかざれ。
法華経の信心というのは、月がだんだん満ちていくように、潮がしだいに満ちてくるように、日に日に信ずる心が強く深く満ちていくものである。どうしても病気もなおり、寿命がのびないことがあろうかと心強く思われ、よく身も養生をして、心はくよくよしないようにするのがよい。
信心の涙
諸法実相抄にいわく  現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあえず。鳥と虫とはな(鳴)けどもなみだおちず。日蓮はなかねどもなみだひまなし。此のなみだ世間の事には非ず。ただ偏に法華経の故なり。若ししからば甘露のなみだとも云つつべし。
法華経をひろめてこの国と人びとを救うためにうけている現在の大難は、法華経を身に読んでいるあかしなのだと思いつづけるにつけても涙をうかべ、法華経によって仏になる道を歩いていることによって未来には必ず仏になれると思って喜ぶにつけても、涙はとどまることなく、次々にうかんでくる。鳥と虫は鳴いてはいても、涙をおとすことはない。日蓮は泣かないけれども、涙をひまなくこぼしている。この涙は、世間のことを思ってこぼす涙ではない。ひとえに、法華経のためなのである。そう思うならば、甘露のようなすばらしい涙ともいうべきであろう。
一日一訓 3

 

苦を苦とさとる
四条金吾殿御返事にいわく  ただ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなえ給え。苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思合て南無妙法蓮華経とうちとなえい(唱居)させ給え。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給え。
ただ、女房と酒をうちそろって飲んで、南無妙法蓮華経とお唱えなさるがよい。苦をば苦とさとり、楽をば楽と心を大きくひらき、苦しみにつけ楽しみにつけ、苦楽ともに思いあわせて、南無妙法蓮華経としっかりお唱えなさるがよい。これこそ、法華経を信ずる喜びを、自分自身でうけとることなのである。ますます強く、法華経を信ずる力をあらわしていくがよい。
親と子
光日房御書にいわく  人間に生をうけたる人、上下につけてうれえなき人はなけれども、時にあたり、人々にしたがいて、なげきしなじな(品々)なり。譬えば、病のならいは何の病も、重くなりぬれば是にすぎたる病なしとおもうがごとし。主のわか(別)れ、親のわかれ、夫婦のわかれ、いずれかおろかなるべき。なれども主はまた他の主もありぬべし。夫婦はまたかわりぬれば、心をやすむる事もありなん。親子のわかれにこそ、月日のへだつるままに、いよいよなげきふかかりぬべくみえ候え。親子のわかれにも、親はゆきて子はとど(留)まるは、同じ無常なれどもことわりにもや。おいたる母はとどまりて、若き子のさきにたつなさけなき事なれば、神も仏もうらめしや。いかなれば、親に子をかえさせ給いてさきにはたてさせ給わぬ、とどめおかせ給いて、なげかせ給らんと心うし。
人間として生をうけた人は、身分の上下にかかわらず、愁いのない人はいないけれども、時により人に応じて、その歎きはまちまちである。たとえば、病というものは、つねにどのような病でも重くなれば、これ以上の病はないと思うようなものである。主との別れ、親との別れ、夫婦の別れ、そのどれをとっても、いずれ劣らぬ歎きである。けれども、主人と死に別れてもまた別の主人につかえることもできる。夫婦のどちらかと死に別れても、またかわりを迎えれば心をなぐさめることもあろう。しかし、親と子の別れだけは、月日がたてばたつほど、いよいよ歎きは深くなっていくものである。親子の別れにおいても、親が先立って子がとどまるのは、同じ無常とはいえ、順序であると思って心をなぐさめることもできよう。だが、老いた母はとどまり、若い子が先立つとは、あまりになさけないことである。神も仏もうらめしい、どうして親を子どもにかえて先に立たせてくれなかったのか、親をこの世にとどめさせて歎かせるのであろうか、と悲しみにくれていると思うと、わたしもつらい気持ちがするのである。
み仏は法華経に宿る
上野殿母尼御前御返事にいわく  魚は水をたのみ、鳥は木をすみかとす。仏もまたかくのごこく、法華経を命とし、食とし、すみかとす。魚は水にすむ、仏は此経にすみ給う。鳥は木にすむ、仏は此経にすみ給う。月は水にやどる。仏は此経にやどり給う。此経なき国には仏まします事なしと御心得あるべく候。
魚は水のなかに生き、鳥は木をすみかとしている。み仏もまた同じである。み仏は、法華経をいのちとし、食べものやすみかとしている。魚が水にすんでいるように、み仏はこの経に住んでおられる。鳥が木にすんでいるように、み仏はこの経に住んでおられる。月は水に宿るように、み仏はこの経に宿られている。だから、この法華経のない国には、み仏はおられることはない、とお心得なさるがよい。
食べものといのち
事理供養御書にいわく  いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり。遍満三千界無有直身命ととかれて、三千大千世界にみてて候 財をいのちにはかえぬ事に候なり。さればいのちはともしび(燈)のごとし。食はあぶら(油)のごとし。あぶらつくればともしびきえぬ。食なければいのちたえぬ。
いのちというものは、いっさいの財のなかでも、第一に貴い財である。全世界にみちあふれているもののなかで、いのちより大切なものはない、と経文に説かれている。これは全世界にある財も、いのちにかえることはできない、ということである。だから、いのちはともしびのようなものである。食物は、いのちというともしびをともす油のようなものである。油がなくなればともしびも消えてしまうように、食物がなくなればいのちもたえてしまうのである。 
生死無常
上野殿後家尼御前御返事にいわく  人は生まれて死するならいとは、智者も愚者も上下一同に知りて候えば、始めてなげくべしおどろくべしとはおぼえぬよし、我も存し、人にもおしえ候えども、時にあたりてゆめかまぼろしか、いまだわきまえがたく候。
人は生まれて死ぬことは、世の習いである、ということは、智慧ある者も愚かな者も、上下を問わずみな知っていることであり、その時にあたってはじめて歎いたり驚いたりすることはないと、わたしも思い人にもそう教えてきたけれども、いざその時にあたってみると、夢か幻かのように思えて、いまだにほんとうに死んだとは思えないのである。
一日一訓 4

 

追善供養
刑部左衛門尉女房御返事にいわく  今生には父母に孝養をいたす様なれども、後生のゆくえまで問う人はなし。母の生きておわせしには、心には思わねども一月に一度、一年に一度は問いしかども、死し給いてより後は初七日より二七日乃至第三年までは人目の事なれば形の如く問い訪い候えども、十三年四千余日が間の程はかきたえ問う人はなし。生きておわせし時は一日片時のわかれをば千万日とこそ思われしかども、十三年四千余日の程はつやつやおとづれなし。如何にきかまほしくましますらん。
たとえ、この世では父母に孝養することはあっても、亡くなったのちの世の行末まで心配し孝養をつくそうとする人はいない。母が生きている時には、たとえ真心からでたのではなくても、一月に一度、一年に一回ぐらいは心配することはある。けれども、亡くなったのちは、初七日から二七日(十四日)忌あるいは三回忌までは、世間体もあるので形ばかり心配し弔いはするが、それから十三年四千余日ののちまでを思いやる人はいない。それなのに、あなたは母が生きておられた時には、一日片時の別れでさえ千万日も別れていたかのように思われていたのであるから、十三年四千余日のあいだ、今か今かと亡くなった母が自分のもとに訪れてくるのを待ちのぞんでいたことであろう。
女性の救いと母への報恩
千日尼御前御返事にいわく  ただ法華経計りこそ女人成仏、悲母の恩を報ずる実の報恩経にては候えと見候えしかば、悲母の恩を報ぜんためにこの経の題目を一切の女人に唱えさせんと願す。
ただ法華経のみ、まさに女性を救い、女性が仏になれることを説いている教えである。母の恩におむくいすることのできるまことの報恩をなしとげるお経である、とみいだすことができた。そこで、母の恩を報ずるために、この法華経の題目を、すべての女性が唱えるようにつとめよう、と念願したのである。
恋慕の心
国府尼御前御書にいわく  日蓮恋しくおわせば、常に出る日、ゆうべにいづる月をおがませ給え。いつとなく日月にかげをうかぶる身なり。また後生には霊山浄土にまいりあいまいらせん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 
日蓮を恋しく思うならば、つねに、空にのぼる太陽と夕べにでる月を拝むがよい。いつも、いつも、太陽と月に、日蓮はすがたをうかべているであろう。また、死んだのちには、み仏のおられる浄土にまいって、ふたたびお会いしたいと思う。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
文字の仏の広い功徳
さじき女房御返事にいわく  ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。この功徳は父母・祖父母乃至無辺の衆生にもおよぼしてん。まして我いとおしとおもうおとこごは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし。
一枚のきものではあっても、法華経のいっさいの文字の仏にたてまつったことになるから、この功徳は父母・祖父母はじめ限りないすべての人びとにも及ぼしていくのである。まして、愛(いと)しいと思うわが夫に、この功徳が及んでいくことはいうまでもない、と思われるがよい。
病の良薬
高橋入道御返事にいわく  法華経は閻浮提人病の良薬とこそとかれて候え。閻浮の内の人病の身なり。法華経の薬あり。三事すでに相応しぬ。一身いかでかたすからざるべき。ただし御疑の御わたり候わんをば力およばず。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。
法華経は、全世界の人びとにとって病の良薬である、と説かれている。世界の内にいる人は、いずれも身が病んでいる。法華経の薬はここにある。法華経の薬と病の良薬をのませるものと薬をのむべき病人の三つがすでにそなわっている。一身がどうして助からないことがあろうか。しかし、これを疑って、わたしのもとへまいるならば、わたしの力もおよばない。よくよく信じて南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経とお唱えなさるがよい。
一日一訓 5

 

恩がえし
千日尼御前御返事にいわく  日蓮はうけがたくして人身をうけ、値いがたくして仏法に値い奉る。一切の仏法の中に法華経に値いまいらせて候。その恩徳をおもえば父母の恩・国主の恩・一切衆生も恩なり。父母の恩の中に慈父をば天に譬え、悲母をば大地に譬えたり。いずれもわけがたし。その中悲母の大恩ことにほうじがたし。
日蓮は、うけがたい人間の身として生まれ、値(あ)いがたいみ仏の教えにお値いすることができ、しかもあらゆる教えの中でも、もっともすぐれている法華経にお値いできた。その恩徳がいかに重いかを思うならば、人間に生まれて法華経に値わせてくれた父母の恩、国の恩、すべての人びとの恩にむくいていかなければならない。このうち、父母の恩のなかでも、父を天にたとえ母を大地にたとえている。どちらの恩が重いかをわけへだてすることはできない。とはいえ、あえていえば、そのなかでも母よりうけた大きな恩はとてもむくいることができないほど重いのである。
救いの宝珠
観心本尊抄にいわく  釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。
釈迦牟尼世尊が長いあいだ積みかさねてきたあらゆる修行の功徳と、仏になられてからいっさいの人びとを救い導かれたすべての功徳をおさめた教えは、妙法蓮華経の五つの文字にすべてそなわっている。わたしたちが、この妙法蓮華経の五つの文字を信じ行うならば、しらずしらずのうちに、おのずから、釈迦牟尼世尊の積まれた修行と仏になって一切のものを救われた功徳を、ともに譲り与えられて、釈迦牟尼世尊と同じ仏になれるのである。
一善のすすめ
立正安国論にいわく  汝、早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国也。仏国其れ衰えん哉。十方は悉く宝土也。宝土何ぞ壊れん哉。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞、信ず可く崇む可し。
あなたは、早く、これまで少しばかり信じてきた心を改めて、すみやかに法華経の説く真実の、仏になるただ一つの大いなる善い教えに帰依するがよい。そうすれば、煩悩にみちているこの世界が、みな仏の国であることにめざめるであろう。この世は移り変わったり滅んだりするが、仏の国はどうして衰えたりすることがあろうか。このところは十方ことごとく宝土である。み仏の教えの輝く宝土が、どうして破壊されることがあろうか。国が衰微することなく、土が破壊されないならば、身は安全で、心は平安をえるであろう。この教え、この言葉を、信ずべきである。あがめるべきである。
信心の相続
忘持経事にいわく  教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝し、歓喜身に餘り心の苦しみ忽ち息む。我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬ば種子と菓子と身と影のごとし。
教主釈尊のご宝前に母の遺骨を安置し、五体をうやうやしくひれ伏し、合掌して両眼をみひらき、釈尊の貴いおすがたを拝すると、よろこびは身にあまり、母をなくした心の苦しみはたちまちなくなった。わが頭は父母の頭、わが足は父母の足、わが十本の指は父母の十本の指、わが口は父母の口である。ちょうど、種をまけばすぐ実がなり、体があれば影がつきそうようなものである。
懺悔滅罪
光日房御書にいわく  それ、針は水にしずむ。雨は空にとどまらず。蟻子を殺せる者は地獄に入り、死にかばね(屍)を切れる者は悪道をまぬがれず。いかにいわんや、人身をうけたる者をころせる人をや。但し大石も海にうかぶ、船の力なり。大火もきゆる事、水の用にあらずや。小罪なれども、懺悔せざれば悪道をまぬがれず。大逆なれども、懺悔すれば罪きえぬ。
針は水にしずみ、雨は空にとどまらない。ありを殺したものでさえ地獄に入り、死体をきったものは悪道におちることからまぬがれることはできない。まして、人間の身として生まれたものを殺した人は、いうまでもない。しかし、大石も海にうかぶ。これは、船の力である。大火も消える。それは、水のはたらきによる。小さな罪でも、深く反省し、ぜったいあやまちをくりかえさないと懺悔しなければ、悪い道におちることからまぬがれることはできない。しかし、いかに大きな罪悪をおかしたとしても、ほんとうに心のおくそこから懺悔したならば、その罪は消えるのである。
一日一訓 6

 

行学にはげむ
諸法実相抄にいわく  一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給え。あいかまえて、あいかまえて、信心つよく候て三仏の守護をこうむらせ給うべし。行学の二道をはげみ候べし。行学たえなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候え。行学は信心よりおこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし。
全世界第一のご本尊を信じなさるがよい。しっかりと肝に銘じ、ひたすら強く信心をふるいおこして、釈迦牟尼仏と多宝仏と十方のみ仏の守護をこうむるようにつとめるべきである。修行と勉学の二つの道をはげむがよい。修行と勉学が絶えてしまったならばみ仏の教えはこの世に存続することができない。みずからも行い、他の人びとをも教え導いてゆくがよい。修行と勉学は、法華経への信心よりおこるのである。力のあるかぎり、一文一句なりとも語ってゆくがよい。
仏性をあらわす
法華初心成仏抄にいわく  我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕われ給う処を仏とは云うなり。譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給う。梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給う。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給う。されば 若暫持者我則歓喜諸仏亦然 と説き給うはこの心なり。されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道 の妙法と云うは是なり。是等の趣を能々心得て仏になる道には、我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱え奉るべき者なり。
わが心にある妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつり、信ずる心をささげて、わが心の中の仏性が法華経への帰依をあらわして南無妙法蓮華経とよびよばれてあらわれるところを仏というのである。たとえば、籠の中の鳥がなくと、空を飛んでいる鳥もその声によばれて集まり、空を飛ぶ鳥が集まってくると、籠の中にいる鳥も空に飛びでていこうとするように、口に南無妙法蓮華経と唱えてみ仏をおよびすれば、わが身の心の中にある仏性もよばれて、必ずあらわれるのである。そのとき、天上界にいる梵天王や帝釈天などの法華経の守り神の仏性もよばれてあらわれ、わたしたちをお守りくださるのである。み仏や菩薩たちの仏性もよばれて、法華経を信じているすがたをご覧なされてよろこばれるのである。もし少しの間でも法華経を信じ行うものをみると、釈迦牟尼仏はただちに心より喜び、もろもろの仏も同じように喜ぶと説かれている、というのはこの意味なのである。そこで、過去・現在・未来のもろもろの仏も、この妙法蓮華経の五字によって仏になられたのである。過去・現在・未来のすべての仏がこの世にあらわれた本当の心が、すべての生きとし生けるものに、みな仏の道をなしとげさせようとするところにある、というのは、これである。これらの内容をよくよく心得て、仏になる道のためには、うぬぼれや我欲の心にとらわれないで、ひたすら、まっすぐに南無妙法蓮華経とお唱えなさるべきである。
お題目の功徳
報恩 抄にいわく  日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教天台にも超え、龍樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是はひとえに日蓮が智のかしこきにはあらず。時のしからしむるのみ。
法華経を行ずる日蓮の慈悲が広大ならば、南無妙法蓮華経は万年も、さらにそれ以上の未来までもひろまるであろう。南無妙法蓮華経は、日本国のすべての人びとの心のくらやみをきりひらいていく功徳があり、はかりしれない地獄の苦しみの道をふさぐ功徳をもつものである。この南無妙法蓮華経を唱えひろめてきた日蓮の功徳は、これまで法華経を伝えてきた日本の伝教大師や中国の天台大師にも超え、インドの龍樹菩薩や迦葉尊者にもすぐれていると確信している。たとえ極楽で百年修行しても、このわたしたちの生きているけがれた世界で一日修行する功徳の大きさにはおよばないのである。み仏の教えが信じられていた時代や形ばかり栄えてきた時代など、これまでの二千年間に法華経をひろめてきた功徳も、み仏の教えがうしなわれ戦いにあけくれている末世のひと時にひろめる功徳には劣るのである。南無妙法蓮華経と唱える日蓮の慈悲が広大で、その功徳がすぐれていることは、けっして日蓮の智慧がかしこいからではない。法華経のひろまる時にあたっているからである。
太陽と蓮華のように
四条金吾女房御書にいわく  明らかなること日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮また日月と蓮華との如くなり。
明らかなことは、日月にすぎたるものがあろうか。浄きことは、蓮華にまさるものがあろうか。法華経とは、くらやみをとりのぞく明るい日月であり、けがれたところにあって、とこしえに浄らかな花を咲かせる蓮華のことなのである。そこで、妙法蓮華経となづけられている。日蓮もまた、この日月と蓮華のようになって、法華経とともに生き、くらやみの世に光明をそそぎ、けがれた人の心を浄めていこうとするものなのである。
誓願
開目抄にいわく  我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。
われ、日本の柱となって、釈迦牟尼仏と法華経をそしり悪と不正のみちている濁りけがれた国を救済し、仏の国土にきよめていこう。われ、日本の眼目となつて、すべての苦しみ悩む人びとに仏の道を教え、みなともに救い導いていこう。われ、日本の大船となって、苦しみと迷いの海に沈んでいる人びとを救いとり、み仏の悟りの岸へ導き入れていこう。などと誓った願いを、けっしてやぶってはならない、と決意しているのである。
心の連帯
異体同心事にいわく  異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は、外典三千余巻に定まりて候。殷の紂王は七十万騎なれども、同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども、異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども、一つ心なれば必ず事を成ず。
体はたとえちがっても心が同じであれば、なにごとも成しとげられないものはない。体は同じでも心がばらばらにちがっていれば、いろいろなことをやっても実現させることはできない。このことは、儒教の三千余巻にのぼる教えにもはっきりとしるされているところである。たとえば、昔、中国の殷という国をあさめていた紂王は、七十万騎という大軍をひきいていたが、王があまりに悪逆のかぎりをつくしていたので、同じ軍ではありながら心はばらばらであったため戦争に敗けてしまった。これに対して、周の武王は善と礼節を重んじていたので、わずか八百人しかいなかったけれども、たとえ身はことなろうとも心は同じであるという気概にあふれ、殷の紂王にうち勝ったのであった。また、ひとりの心の場合もそうである。ひとりの人間の心に、二つのちがった心があれば、その二つの心がたがいにちがうことをことを考えてぶつかりあうので、ものごとを成しとげることはできない。たとえ、百人、千人しかいなくても、一つの心でものごとを行えば、必ず事を成就することができるのである。  
 
日蓮聖人のご生涯

 

誕生
二月十六日の夜明け、太平洋に面した千葉県天津小湊の海岸で不思議なことが起こりました。海に蓮の花が咲き、その花の周りでたくさんの鯛が飛び跳ねたのです。ちょうどそのとき、漁師の貫名次郎重忠さんの家では、庭に泉が湧き出し、男の子が誕生しました。「こんな不思議なことが起こった日にうまれたのだから、きっと偉い人になるに違いない」と、たちまち村中の評判になりました。お母さんの梅菊さんは、太陽のような暖かい心を持った善い子に育ってほしいと願い、「善日丸」と名付けました。それから十二年、善日丸は、近くの山で一番高い清澄山にある清澄寺に入って、名前を「薬王丸」と変えて、お坊さんを目指して勉強しました。

波木井殿御書 1925 日蓮は、日本国、人王八十五代、後堀河院の御宇。貞応元年壬馬、安房の国、長狭の郡、東条郷の生まれなり。仏の滅後二千百七十一年に当たるなり。
弥源太殿御返事 807 日蓮は、日本国の中には安州のものなり。総じて彼の国は、天照太神のすみそめ給いし国なりといえり。かしこにして日本国をさぐり出し給う。安房の国御厨なり。しかも、この国の一切衆生の慈父・悲母なり。かかるいみじき国なれば定んで故ぞ候らん。いかなる宿習にてや候らん。日蓮また彼の国に生まれたり、第一の果報なるなり。
佐渡御勘気鈔 511 日蓮は、日本国、東夷東条安房の国、海辺の旃陀羅が子なり。
佐渡御書 614 日蓮、今生には、貧窮下賎の者と生まれ、旃陀羅が家より出たり。心こそ、すこし法華経を信じたるようなれども、身は人身に似て畜身なり。魚鳥を混丸して、赤白二Hとせり、其中に識神をやどす。濁水に月のうつれるがごとし、糞嚢に金をつゝめるなるべし。
本尊問答抄 1580 日蓮は、東海道十五ケ国の内、第十二に相当たる、安房の国、長狭の郡、東条の郷、片海の海人が子なり。
善無畏三蔵抄 465 日蓮は安房の国東条、片海の石中の賎民が子なり。威徳もなく、有徳のものにあらず。
中興入道御消息 1714 日蓮は、中国・都の者にもあらず、辺国の将軍等の子息にもあらず、遠国の者民が子にて候いしかば、
出家得度
清澄寺で勉強を重ねた薬王丸は、十六歳のときに、お師匠さまの道善房について、お坊さんになる得度式をして、「是聖房蓮長」という名前になりました。蓮長は「日本一のお坊さんになりたい」と、虚空蔵菩薩に願をかけ、猛勉強をしました。しかし、勉強をすればするほど疑問が増え、政治の中心地であった鎌倉へ行きましたが、仏教の中心地は京都だったので、二十一歳のときに、「絶対に仏教の真髄をつかむぞ」という強い決心をして故郷を出発されました。京都までは遠く、ときには船を使われたこともあるかもしれませんが、何よりも学費が大変だったと思われます。両親をはじめ、富木常忍など、知り合いの方々の応援をうけ、希望と責任を感じて京都へ向かわれたのです。

波木井殿御書 1925 天福元年癸巳、十二歳にして清澄寺に登り、道善御房の坊に居て学文す。時に延応元年己亥十八歳にして出家し、
妙法尼御前御返事 1535 日蓮、幼少の時より仏法を学び候いしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出る気は入る気を待つことなし。風の前の露なお譬にあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習いなり。されば先づ、臨終の事を習うて後に他事を習うべし、と思いて、一代聖教の論師・人師の書釈、あらあらかんがえあつめて、これを明鏡として、一切の諸人の死するときと、ならびに臨終の後とに引き向えて見候えば、すこしもくもりなし。此人は地獄に堕ちぬ、ないし人天とは見えて候を、
妙法比丘尼御返事 1553 民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。此度、いかにもして仏種をもうえ、生死を離るる身とならんと思いて候いし程に、皆人の願わせ給うことなれば、阿弥陀仏をたのみたてまつり、幼少より名号を唱え候し程に、いさゝかの事ありて此事を疑いし故に、一つの願をおこす。日本国に渡れる処の仏経ならびに菩薩の論と、人師の釈を習い見候わばや。(中略)禅宗・浄土宗と申す宗も候なり。これらの宗宗、枝葉をばこまかに習わずとも、しょせん肝要を知る身とならばやと思いし故に、
善無畏三蔵抄 473 日蓮は安房の国東条の郷清澄山の住人なり。幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てゝ云く、日本第一の智者となし給えと云々。虚空蔵菩薩、眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき。
比叡山遊学
京都に着かれた蓮長法師は、比叡山を中心に仏教の全宗派を学ばれました。京都よりも古い奈良の仏教をはじめ、弘法大師が中国から伝え、大日如来を祀り祈祷を中心にする真言宗・自分だけが修行に専念して悟りを得ようとする禅宗・学問や修行をしなくても、念仏を唱えるだけで阿弥陀如来が救いに来てくれると教える浄土宗など、どの宗派も、お釈迦さまの正しい教えを伝えていると、各々主張していました。お釈迦さまの教えが幾つもあるのはおかしい「真実は一つしかないはず」と、横川定光院に戻って再びお経を勉強された蓮長法師は、「法によって人によらざれ」というお釈迦さまの言葉に出会い「人に聞いて学ぶのではなく経典に従おう」と決心された結果、「お釈迦さまの真意は法華経にある」と確信されたのです。

妙法比丘尼御返事 1553 随分にはしりまわり、十二・十六の年より、三十二に至るまで、二十余年が間、鎌倉・京・叡山・恩城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺、あらあら習い回り候いし程に、
報恩抄 1193 父母・師匠等に随わずして仏法をうかがいし程に、一代聖教をさとるべき明鏡十あり、いわゆる倶舎・成実・律宗・法相・三論・真言・華厳・浄土・禅宗・天台法華宗なり。この十宗を明師として、一切経の心をしるべし。世間の学者等おもえり、この十の鏡は、みな正直に仏道の道を照せりと。(略)我等凡夫は、いづれの師々なりとも、信ずるならば不足あるべからず。仰ぎてこそ信ずべけれども、日蓮が愚案はれがたし。世間をみるに、おのおの我も我もといえども、国主はただ一人なり。二人となれば、国土をだやかならず、家に二の主あれば、その家必ずやぶる。一切経も又かくのごくや有るらん。何れの経にてもおわせ、一経こそ一切経の大王にておわすらめ。しかるに、十宗七宗まで、おのおの諍論して随わず。国に七人十人の大王ありて、万民おだやかならじ。いかんがせんと、疑うところに、一の願を立つ。我れ八宗十宗に随わじ。天台大師の専ら経文を師として、一代の勝劣をかんがえしがごとく、一切経を開きみるに、涅槃経と申す経に云く、「法に依って人に依らざれ」等云云。依法と申すは一切経、不依人と申すは、仏を除き奉つりて、外の普賢菩薩・文殊師利菩薩ないし上にあぐるところの諸の人師なり。この経に又云く「了義経に依って不了義経に依らざれ」等云云。この経に指すところ、了義経と申すは法華経、不了義経と申すは華厳経・大日経・涅槃経等の、已・今・当の一切経なり、されば仏の遺言を信ずるならば、専ら法華経を明鏡として、一切経の心をば、しるべきか。
立教開宗
あしかけ十二年、京都での勉強は世界の文学・歴史・思想に及び、ついに、世界の人々が平和に暮らすには法華経の教えに従うほかはないと確信されたのです。しかし、法華経には、「正しいことを伝えると、必ず妬み(ねた)や怨み(うら)みをもつ人が現れ、お釈迦さま亡きあと、法華経を伝える者は大変な難にあう」と説かれています。言うべきか言わざるべきか、何度も悩んだ結果「法華経を伝えることがお釈迦さまの命令だ」と自覚され、千葉の小湊に帰られました。なつかしいご両親とゆっくり過ごす間もなく、四月二十八日早朝、清澄山に登り、太平洋から昇る旭に向かい、南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経と、「お題目」を始めて唱えられ、お師匠さまの道善房や兄弟弟子に、京都での報告と法華経の尊さを語られました。

波木井殿御書 1925 十五年が間、一代聖教、総じて内典・外典に互りて残り無く見定め、生年三十二歳にして、建長五年癸丑三月二十八日、念仏は無間の業なり、と見出だしけるこそ、時の不祥なれ。
開目抄 535 それ一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主・師・親これなり、また習学すべき物三つあり、いわゆる儒・外・内これなり。
開目抄 539 ただ法華経ばかり教主釈尊の正言なり。三世十方の諸仏の真言なり。大覚世尊は四十余年の年限を指して、その内の恒河の諸経を「未顕真実」、八年の法華は「要当説真実」と定め給しかば、多宝仏大地より出現して「皆是真実」と証明す。分身の諸仏来集して、長舌を梵天に付く。この言赫々たり、明々たり。晴天の日よりもあきらかに、夜中の満月のごとし。仰いで信ぜよ伏して懐うべし。
開目抄 556 日本国にこれをしれる者、ただ日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば、父母・兄弟・師匠に、国主の王難必ず来るべし。いわずば慈悲なきににたり、
開目抄 601 種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり、その外の大難、風の前の塵なるべし。我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。
三沢鈔 1445 此を申しいだすならば、仏の指させ給いて候未来の法華経の行者なり。知りてしかも申さずば世々生々の間、おうし、ことどもり生れん上、教主釈尊の大怨敵、その国の国主の大讎敵他人にあらず、後生はまた無間大城の人これなり、とかんがえみて、あるいは衣食にせめられ、あるいは父母・兄弟・師匠・同行にもいさめられ、あるいは国主萬民におどされしに、すこしもひるむ心あるならば一度に申し出ださじと、としごろ、ひごろ心いましめ候いしが、
初転法輪
旭が森で始めて「お題目」を唱えられた当日、帰郷報告を兼ねたお説教の会が開かれました。兄弟弟子や村の人々は、仏教の本場で勉強した話が聞けると、期待に胸を躍らせて集まっていました。しかし、その話は仏教の本質を歪(ゆが)めている各宗の批判と、地位や名誉やお金を求めて、欲望のままに生きている人々への批判でした。念仏信者で幕府の要人から東条郷の支配のため使わされた地頭の東条景信は、権威を振りかざしていただけに、殺さんばかりの勢いで怒りだしましたが、道善房が蓮長法師を小湊から追い出すことで、その場をおさめました。両親のもとへ行かれた蓮長法師は、法華経の尊さと自分の使命を話され、最初の信者になったお父さまに「妙日」お母さまに「妙蓮」という戒名を贈られました。 

聖人御難事 1672 建長五年太歳癸丑、四月二十八日に、安房の国、長狭郡の内、東条の郷、今は郡なり。天照太神の御厨、右大将家の立て始め給いし、日本第二のみくりや、今は日本第一なり。この郡の内、清澄寺と申す寺の、諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時にこの法門申しはじめて、
波木井殿御書 1926 この法門を申さば、誰か用うべき、返りて怨をなすべし。人を恐れて申さずんば、仏法の怨となりて大阿鼻地獄に堕つべし。経文には、末法に法華経を弘むる行者あらば、上行菩薩の示現なりと思うべし。言わざる者は仏法の怨なり、と仏説き給えり。(中略)「我不愛身命」の法門なれば、命を捨ててこの法華経を弘めて、日本国の衆生を成仏せしめん。纔の小島の主君に恐れて、これをいわずんば、地獄に堕ちて閻魔の責をば如何がせん。
清澄寺大衆中 1134 これを申さば、必ず日蓮が命と成るべし、と存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩を報ぜんがために、建長五年四月二十八日、安房の国東条の郷、清澄寺、道善の房、持仏堂の南面にして、浄円房と申すもの、ならびに少々の大衆にこれを申しはじめて、
諸法実相抄 727 皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱えがたき題目なり。日蓮一人、はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人三人百人と次第に唱えつたうるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義にあらずや。あまつさえ、広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えん事は、大地を的とするなるべし。  
ご生涯 2

 

鎌倉辻説法
今度いつ会えるかも分からず、東条景信の危害が及ぶに違いないご両親に、深くお詫びして、自ら「日蓮」と名乗って千葉をあとにされました。鎌倉へ着かれた聖人は、松葉が谷(やつ)に小屋を建て、昼は鎌倉の辻に立ち、夜は心ある人々を集めて法華経の話をするという生活でした。たちまち鎌倉中のうわさとなり、各宗派のお坊さんたちは「敵が現れた」と大騒ぎになりました。そんなある日、大地震によって、人や動物の死体が街にあふれるという大惨事が起きました。日蓮聖人は、富士の麓(ふもと)の岩本実相寺で、全ての仏教経典を読み直し、大惨事の原因を追求して、「正しい法に従わなければ国がだめになる」という論文「立正安国論」を書いて幕府に提出しました。

四条金吾女房御書 484 闇なれども、灯入りぬれば明かなり。濁水にも、月入りぬればすめり。明かなる事、日月にすぎんや。浄き事、蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名く。日蓮また日月と蓮華との如くなり。
寂日房御書 1669 一切の物にわたりて、名の大切なるなり。さてこそ、天台大師は五重玄義のはじめに、名玄義と釈し給えり。日蓮となのること、自解仏乗とも云っつべし。かように申せば、利口げに聞こえたれども、道理のさすところ、さもやあらん。経に云く。「如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇」と、この文の心よくよく案じさせ給え。「斯人行世間」の五の文字は、上行菩薩、末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり。日蓮等は、この上行菩薩の御使として、日本国の一切衆生に、法華経をうけ、たもてと勧めしはこれなり。
如説修行鈔 733 かゝる時刻に、日蓮、仏勅を蒙むりて、此土に生れけるこそ、時の不祥なれ。法王の宣旨、背きがたければ、経文に任せて権実二教のいくさを起こし、忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ、一部八巻の肝心、妙法五字の旗をさし上げて「未顕真実」の弓をはり「正直捨権」の箭をはげて、「大白牛車」にうち乗りて、権門をかっぱと破り、かしこへおしかけ、こゝへおしよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗十宗の敵人をせむるに、あるいは逃げ、あるいは引き退き、あるいは生け取られし者は、我弟子となる。
松葉が谷法難
「立正安国論」は、宿屋光則(やどやみつのり)という人を通して、幕府の最高責任者である前の執権の北条時頼に提出されました。幕府から何の返事もないまま、一ヶ月が過ぎたある日の夕刻、猿に衣を引っ張られるままに裏山へ登って振り返ると、多くの暴漢が押し寄せ、草庵が燃えあがっていました。いったんは千葉県中山の富木常忍(ときじょうにん)さんの家に身を潜めた日蓮聖人でしたが、再び松葉が谷に草庵を建てて、日昭・日朗・日興(こう)などの弟子とともに布教を再開しました。草庵を襲った人々は、日蓮聖人はすでに焼け死んだと思って安心していました。しかし、再び鎌倉の辻に立つその姿を見て、またまた大騒ぎになり、各宗の坊さんや信者さんが集まって、「何とか日蓮を懲らしめ、法華経を広めることを止めさせる方法はないものか」と、幕府の役人まで引き込んで、日蓮追放の秘策を話し合いました。

本尊問答抄 1582 仏法の邪正乱れしかば、王法も漸く尽きぬ。結句は此国、他国にやぶられて、亡国となるべきなり。この事、日蓮独り勘え知れるゆえに、仏法のため、王法のため、諸経の要文を集めて、一巻の書を造る。よって、故最明寺入道殿に奉つる。立正安国論と名づけき。その書にくわしく申したれども愚人は知り難し。
立正安国論 209 旅客来りて嘆きて曰く、近年より近日に至るまで天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり。死を招くの輩、すでに大半に超え、これを悲しまざるの族、あえて一人も無し。(中略)これ何なる禍により、これ何なる誤りに由るや。主人の曰く、独りこの事を愁えて胸臆に憤ぴす。客来たりて共に嘆く。しばしば談話を致さん。
立正安国論 220 客則ち和らぎて曰く、(中略)天下泰平国土安穏は君臣の楽うところ土民の思う所なり。夫れ国は法に依りて昌え、法は人に因りて貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。先ず国家を祈りて須らく仏法を立つべし。もし災いを消し難を止むるの術あらば聞かんと欲す。主人の曰く、余はこれ頑愚にして敢えて賢を存せず、ただ経文に就きて聊か所存を述べん。そもそも治術の旨、内外の間にその文幾多ぞや。つぶさに挙ぐべきこと難し。但し仏道に入りてしばしば愚案を廻らすに、謗法の人を禁じて正道の侶を重んぜば、国中安穏にして天下泰平ならん。
破良観等御書 1286 きりもの(権臣)ども寄り合いて、まちうど(町人)等をかたらいて、数萬人の者をもんて、夜中におしよせ、失わんと、せしほどに、十羅刹の御計らい、にてやありけん、日蓮その難を脱れしかば、
伊豆流罪
人を殺そうとしたり、家を襲った人が罰せられるのがあたりまえなのに、それらの人々は何の罪にも問われないというのは、正しい法が行われていない証拠です。しかし、幕府も各宗のお坊さんたちも、自分に都合の悪い者が悪人と決めつけ、正しいかどうかを考えることさえせずに、日蓮聖人を伊豆流罪という刑に決めました。しかも、松葉が谷の夜襲と違い、国家権力をもって流罪ときめ、鎌倉の材木座の浜から船出しました。弟子の日朗上人は、とも綱をつかんで「一緒に島流しにしてください」と叫んだのですが、聞き入れられず、力一杯櫂(かい)でたたかれ、右腕を折られてしまいました。船が出て行くのを見送る弟子たちの耳に、「此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然 如是之人・・・」という日蓮聖人のお経を読む声がいつまでも聞こえていました。

下山御消息 1330 夜中に、日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかども、いかんがしたりけん、その夜の害もまぬがれぬ。然れども心を合わせたる事なれば、寄せたる者も科なくて大事の政道を破る。日蓮が生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ。
破良観等御書 1286 きりもの(権臣)ども寄り合いて、まちうど(町人)等をかたらいて、数萬人の者をもんて、夜中におしよせ失わんとせしほどに、十羅刹の御計らいにてやありけん、日蓮その難を脱れしかば、両国の吏、心をあわせたる事なれば、殺されぬをとがにして伊豆の国へながされぬ。最明寺殿ばかりこそ子細あるかとおもわれて、いそぎゆるされぬ。さりし程に最明寺入道殿隠れさせ給いしかば、いかにもこの事あしくなりなんず。いそぎ、かくるべき世なりとはおもいしかども、これにつけても法華経のかたうど、つよくせば、一定、事いで来たるならば身命をすつるにてこそあらめと思い切りしかば、讒奏の人人いよいよかずをしらず。上下萬人、皆父母のかたき、とわり(遊女)をみるがごとし。
妙法比丘尼御返事 1561 今日本国すでに大謗法の国となりて他国にやぶらるべしと見えたり。これを知りながら申さずば、たとい現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし。後生を恐れて申すならば流罪死罪は一定なりと思い定めて、去る文応のころ故最明寺入道殿に申し上げぬ。されども用い給う事なかりしかば、念仏者等、此由を聞きて、上下の諸人をかたらい、打ち殺さんとせし程に、かなわざりしかば、長時、武蔵の守殿は、極楽寺殿の御子なりし故に、親の御心を知りて、理不尽に伊豆の国へ流し給いぬ。
伊豆法難
日蓮聖人を乗せた船は、相模灘を横断し、伊東の近くの小さな「まないた岩」に降ろして、帰っていきました。海で育った聖人ですから、岸まで泳ぐことは簡単なことだったでしょうが、しばし波に身を任せ法華経を読み始められたとき、小舟が近づいて聖人を助けあげました。小舟の主は、船守弥三郎(ふなもりやさぶろう)という漁師で、網置き場の岩屋にかくまって、奥さんとともに食事を運び続けました。そんなある日、地頭の伊東氏が病気になり、聖人を探し求めて、ご祈祷を依頼しにやってきました。罪人の身である聖人に祈願を頼むくらいですから、相当重い病気だったのでしょうが、快復したお礼にと、海の中から出現した仏像を差し出しました。この仏像は随身仏として、いつも日蓮聖人のそばにまつられることとなりました。

一谷入道御書 989 弘長元年、太歳辛酉、五月十三日に御勘気をこうむりて、伊豆の国、伊東の郷というところに流罪せられたりき。兵衛の介、頼朝のながされてありしところなり。
報恩抄 1237 弘長元年辛酉、五月十二日に御勘気をこうむりて、伊豆の国伊東にながされぬ。
波木井殿御書 1927 生年四十、弘長元年辛酉、五月十二日には、伊豆の国、伊東の荘へ配流し、伊東八郎左衛門尉の預かりにて三箇年なり。
船守弥三郎許御書 229 日蓮、去る五月十二日流罪の時、その津につきて候いしに、いまだ名をも、きゝおよびまいらせず候うところに、船よりあがり、くるしみ候いきところに、ねんごろにあたらせ給い候いし事は、いかなる宿習なるらん。過去に法華経の行者にて、わたらせ給えるが、今末法に、ふなもりの弥三郎と生まれかわりて、日蓮をあわれみ給うか。(中略)当地頭の病悩について、祈せい申すべきよし、仰せ候いし間、案にあつかいて候。然れども、一分信仰の心を、日蓮に出だし給えば、法華経へ訴訟とこそ、おもい候え。この時は十羅刹女も、いかでか力をあわせ給わざるべきと思い候て、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏、ならびに天照・八幡・大小の神祇等に申して候。定めて評議ありてぞ、しるしをば、あらわし給わん。よも日蓮をば捨てさせ給わじ。いたきと、かゆきとの如く、あてがわせ給わん、と思い候いしに、ついに病悩なおり、海中いろくづの中より出現の仏体を日蓮にたまわる事、この病悩のゆえなり、さだめて十羅刹女のせめなり。この功徳も夫婦二人の功徳となるべし。
小松原法難
伊豆におられたのはあしかけ三年、一年九ヶ月の流罪が許された聖人は、「いま両親に会わなければ二度と会えないかもしれない」と、故郷へ帰られました。家では、お母さまの梅菊さんが瀕死の床に伏しておられ、急いでお題目を唱えて祈られたところ、たちまち病気が治って、再会を喜ばれました。しかし、そんな喜びもつかの間、小松原というところで、かねてから恨みをもっていた東条景信が襲いかかり、弟子の鏡忍房(きょうにんぼう)と信者の工藤吉隆(くどうよしたか)さんが殺され、聖人も額を斬られたうえ、左手を折られるという重傷を負わされました。斬りつけた東条景信は落馬し、難をのがれた聖人は、家のものに迷惑をかけないよう、家の近くの岩穴に身を隠され、通りがかりの老婆から贈られた綿帽子をかぶって寒さをしのがれました。

波木井殿御書 1927 生年四十、弘長元年辛酉、五月十二日には、伊豆の国、伊東の荘へ配流し、伊東八郎左衛門尉の預かりにて三箇年なり。同じき三年癸亥、二月二十二日赦免せらる。「如来現在猶多怨嫉 況滅度後」の法門なれば、日蓮この法門の故に、怨まれて死なんことは決定なり。今一度旧里へ下って、親しき人々をも見ばやと思いて、文永元年甲子十月三日に安房の国に下って三十余日なり。同じき十一月十一日には安房の国、東条の松原と申す大道にて、申酉の時ばかりにて候いしが、数百人の念仏者の中に取篭られ、日蓮は但一人物の用にあうべき者は、纔に三四人候いしかども、射る箭は雨のふるが如く、打つ太刀は電光の如し。弟子一人当座に打ち殺され候。また二人は大事の手を負い候いぬ。自身ばかりは、射られ、打たれ、切られ候いしかども、如何に候けん、打ち漏らされて、かまくらに登る。
可延定業書 862 日蓮、悲母をいのりて候いしかば現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。
南条兵七郎殿御書 326 今年も十一月十一日、安房国東條の松原と申す大路にして申酉の時、数百人の念仏等にまちかけられ候て、日蓮は唯一人十人ばかり、ものゝ要にあうものは、わづかに三四人なり。いる矢はふる雨のごとし、うつ太刀は稲妻のごとし。弟子一人は当座にうちとられ二人は大事のてにて候。自身もきられ打たれ、結句にて候いし程に、いかが候けん、うちもらされていままでいきてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさり候え。第四の巻に云く「しかも此の経は如来の現在すらなお怨嫉多し いわんや滅度の後をや」。第五の巻に云く「一切世間に怨多くして信じ難し」等云云。
聖人御難事 1673 文永元年甲子、十一月十一日、頭にきずをかほり、左の手を打ち折らる。  
ご生涯 3

 

祈雨
文永五年正月、鎌倉幕府に蒙古から手紙が届きました。蒙古はすでに中国全土を制圧し、ヨーロッパにまで手を伸ばす勢いをもって日本に迫ってきたのです。「立正安国論」で、正しい法に従わなければ「他国から侵略される」と忠告された危機が迫ったのです。聖人は幕府や寺々に十一通の手紙を出して「日本のために仏教の真実の教えをはっきりさせよう」と呼びかけましたが、返事はありませんでした。さらに三年後、大干ばつが続き、幕府は生き仏と呼ばれた律宗の極楽寺良観(両火房)に雨乞いを命じました。聖人は「七日で雨が降れば日蓮の負け、降らなかったら良観の負けとしよう」という手紙を出し、雨を待ちましたが、七日を過ぎても一滴の雨も降らず、良観は涙を流して悔しがりました。

種種御振舞御書 964 六月十八日より七月四日まで、良観が雨のいのりして日蓮にかかれて、ふらしかね、汗をながし涙のみ下して雨ふらざりし上、逆風ひまなくてありし事。三度まで使いをつかわして、一丈の堀を超えぬもの十丈二十丈の堀をこうべきか。(中略)いかに二百五十戒の人々、百千人あつまりて七日二七日せめさせ給うに雨の下らざる上に大風は吹き候ぞ。これをもって存ぜさせ給え。各々の往生は叶うまじきぞと、せめられて良観がなきし事人々につきて讒せし事、一一に申せしかば、平の左衛門尉等かたうど、しかなえずしてつまりふしし事どもは、しげければ書かず。
下山御消息 1322 此に両火房祈雨あり。去る文永八年六月十八日より二十四日なり。此に使いを極楽寺へ遣わす。年来の御歎きこれなり。七日が間に、もし一雨も下ば御弟子となりて二百五十戒具さに持たん上に、念仏無間地獄と申す事ひがよみなりけりと申すべし。余だにも帰伏し奉らば我が弟子等をはじめて、日本国大体かたぶき候なんと云云。
頼基陳状 1353 文永八年太歳辛未、六月十八日大旱魃の時、彼の御房祈雨の法を行いて、万民をたすけんと申し付け候由、日蓮聖人聞き給いて、この体は小事なれども、この次いでに日蓮が法験を万人に知らせばや、と仰せありて、良観房の所へ仰せつかわすに云く、七日の内にふらし給わば、日蓮が念仏無間と申す法門すてて、良観上人の弟子と成りて、二百五十戒持つべし。(中略)良観房悦びないて七日の内に雨ふらすべき由にて、弟子百二十余人、頭より煙を出だし、声を天にひびかし、あるいは念仏、あるいは請雨経、あるいは法華経、あるいは八斎戒を説きて種種に祈請す。四五日まで雨の気無ければ、たましいを失いて、多宝寺の弟子等、数百人呼び集めて、力を尽くして祈りたるに、七日の内に露ばかりも雨降らず。
召し取り
松葉が谷夜襲や伊豆流罪など、聖人暗殺を影から指示していた良観は、雨を降らすことができなかったことで、負けを認めるどころか、かえって怨みを深め、表面だって動き始めました。法律を守るべき役人も、生き仏とまでいわれた人には逆らえず、法に従わず人に従って動き、体裁を保つため、一応は日蓮聖人の意見を聞くという形をとったものの、九月十二日には、平(へい)の左衛門頼綱を先頭に、多くの兵士が戦に行くようないでたちで草庵に押し掛け、なぐるけるの暴行を加えたうえ、お経本を破り、家中をかきまわしました。逃げ隠れもしない聖人たった一人を逮捕するにしては、あまりにも派手なことですが、これは幕府の権威を鼓舞する思いと、鎌倉中に日蓮聖人がいかに重大犯罪人であるかを宣伝するねらいがあったのでしょう。

神国王御書 892 日中に鎌倉の小路をわたすこと、朝敵のごとし。その外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし、その室を刎ねこぼちて仏像経巻を諸人にふまするのみならず、糞泥にふみ入れ日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候いしを、とりいだして、頭をさんざんに打ちさいなむ。このこと如何なる宿意もなし。当座の科もなし。ただ法華経を弘通するばかりの大科なり。
種種御振舞御書 963 文永八年太歳辛未、九月十二日御勘気をかおる。そのときの御勘気のようも常ならず、法にすぎてみゆ。(中略)平の左衛門尉大将として数百人の兵者に胴丸きせて、烏帽子かけして眼をいからし、声をあらうす。(中略)日ごろ月ごろ思いもうけたりつる事はこれなり。さいわいなるかな法華経のために身をすてん事よ。くさき頭をはなたれば沙に金をかえ珠をあきなえるがごとし。さて平の左衛門尉が一の郎従、少輔房と申す者、走り寄りて、日蓮が懐中せる法華経の第五の巻を取り出して面を三度さいなみて、さんざんと打ち散らす。また九巻の法華経を兵者ども打ち散らして、あるいは足にふみ、あるいは身にまとい、あるいは板敷たゝみ等、家の二三間に散らさぬ所もなし。日蓮大高声を放ちて申す、あらおもしろや平の左衛門尉がものにくるうを見よ。殿原、ただ今ぞ日本国の柱をたおすとよばわりしかば、上下万人あわてて見えし。日蓮こそ御勘気をかおれば臆して見ゆべかりしに、さはなくしてこれは僻事なりとや思いけん。兵者どもの色こそ変じて見えしか。十日ならびに十二日の間、真言宗の失、禅宗・念仏等、良観が雨ふらさぬこと、つぶさに平の左衛門尉にいいきかせてありしに、あるいははと笑い、あるいはいかり、なんどせし事どもは、しげければしるさず。
龍口法難
日蓮聖人は、はだか馬に乗せられ、江ノ島片瀬(えのしま・かたせ)龍の口(たつのくち)刑場へと引かれていったのです。途中、鶴ヶ岡八幡宮にさしかかったとき、日蓮聖人は大声で「八幡大菩薩はまことの神か・・・」と、法華経の行者を守る役目を果たすよう叱りつけました。源氏の氏神を叱りつけたのですから、役人はびっくりして、あわてて馬を引き立てました。知らせを聞いた信者の四条金吾(しじょうきんご)さんは、一緒に死ぬ覚悟で駆けつけ、いよいよ首を斬ろうと、役人が刀をかまえたとたん、江ノ島の方角から不思議な光の玉が飛んできて、役人は驚いて逃げ去り、処刑どころではありません。「日蓮の首斬れません」という早馬が鎌倉に向かい、鎌倉からは「日蓮の首斬るな」との連絡が、小さな川で行き合い、その川は「行合川」(ゆきあいがわ)と呼ばれています。

妙法比丘尼御返事 1562 外には遠流と聞えしかども内には頸を切べしとて、鎌倉龍の口と申す処に九月十二日の丑の時に頸の座に引きすえられて候き。いかがして候けん、月の如くにおわせし物、江の島より飛び出でて使の頭へかかり候しかば、使恐れてきらず。とこうせし程に、子細どもあまたありて、其夜の頸は逃れぬ。
種種御振舞御書 966 今夜頸切られへまかるなり。この数年が間願いつる事これなり。この娑婆世界にして雉となりし時は鷹につかまれ、鼠となりし時は猫にくらわれき。あるいは妻に子に敵に身を失いしこと、大地微塵より多し。法華経の御ためには一度も失うことなし、されば日蓮、貧道の身と生まれて父母の孝養心にたらず、国の恩を報ずべき力なし。今度、頸を法華経に奉りてその功徳を父母に回向せん。其あまりは弟子檀那等にはぶくべし、と申せし事これなり、と申せしかば、左衛門尉兄弟四人、馬の口にとりつきて腰越、龍の口にゆきぬ。此にてぞ有らんずらんと思うところに、案たがわず、兵士どもうちまわり、騒ぎしかば、左衛門尉申すよう、只今なりと泣く。日蓮申すよう、不かくの殿原かな。これほどの悦びをば笑えかし。いかに約束をば違えらるるぞ、と申せし時、江の島のかたより月のごとく光たる物まりの様にて、辰巳の方より戌亥の方へ光渡る。十二日の夜のあけぐれ、人の面もみえざりしが、物のひかり月夜のようにて、人々の面もみな見ゆ。太刀取、目くらみたおれ臥し、兵共おぢ怖れ、きょうさめ(興醒)て、一町ばかりはせのき、あるいは馬よりおりてかしこまり、あるいは馬の上にてうずくまれるもあり、日蓮申すよう。いかにとのばら、かゝる大に禍なる召人には遠のくぞ。近く打ちよれや打ちよれや、とたかだかとよばわれども、いそぎよる人もなし。
佐渡塚原三昧堂
首が斬れない以上は、予定通り島流しにするしかないと、ひとまず佐渡守護代・本間重連(ほんましげつら)の館(やかた)のある、厚木(依智)<えち>へ護送されました。そしてここでも、天から大きな光り物が降りてきて、庭の梅の木に掛かるという、不思議な現象が起きました。しかし、佐渡流罪という幕府の考えは変わらず、龍の口からひと月後、厚木を発って新潟県寺泊(てらどまり)を経て、佐渡へ着かれたのは十八日目のことでした。佐渡での住まいは、本間重連の佐渡館の裏山、塚原という墓場の中の三昧堂で、寒風吹きすさぶあばら屋でした。冬のある日、お坊さんや念仏の信者たちが、聖人に問答を迫りましたが、ことごとく論破され、中でも八十歳を越えた阿仏房(あぶつぼう)は、特に熱心な信者となり、妻の千日尼(せんにちあま)とともに毎日食事を運びました。

種種御振舞御書 970 天より明星の如くなる大星下りて、前の梅の木の枝にかかりてありしかば、ものゝふども皆椽より飛びおり、あるいは大庭にひれ伏し、あるいは家のうしろへ逃げぬ。(中略)同く十月十日に依智を立って、同十月二十八日に佐渡の国へ著ぬ。十一月一日に、六郎左衛門が家の後ろみの家より、塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のように、死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし。上は板間あわず四壁はあばらに、雪ふりつもりて消ゆることなし。かゝる所に所持し奉る釈迦仏を立まいらせ、しきがわ打ちしき、蓑うちきて夜をあかし日をくらす。夜は雪・雹・雷電ひまなし。昼は日の光もささせ給わず、心細かるべき住まいなり。
寺泊御書 512 今月十月なり、十日相州愛京郡依智の郷を起って武蔵国、久目河の宿に付き、十二日を経て越後の国、寺泊の津に付きぬ。これより大海を亘りて佐渡の国に至らんと欲す。順風定まらず、其の期を知らず。
開目抄 590 日蓮といいし者は、去年九月十二日、子丑の時に頸はねられぬ。これは魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月、雪中にしるして、有縁の弟子へおくれば、おそろしくておそろしからず。みん人いかにおぢずらん。これは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来、日本国当世をうつし給う明鏡なり。かたみともみるべし。
千日尼御前御返事 1545 地頭・地頭等、念仏者・念仏者等、日蓮が庵室に昼夜に立ちそいて、通う人あるを惑わさんとせめしに、阿仏房にひつをしおわせ、夜中に度々御わたりありし事、いつの世にかわすらん。只悲母の佐渡の国に生まれかわりて有るか。
大曼荼羅始顕
塚原での生活は六ヶ月におよび、「我れ日本の柱とならん 我れ日本の眼目とならん 我れ日本の大船とならんと誓いし願破るべからず」と示された、日蓮聖人の遺言の書である「開目抄」を極寒の二月、この地で書かれました。そして、新緑薫る四月、聖人の身柄は一の谷入道(いちのさわにゅうどう)の家へ移され、ここで日蓮聖人の生涯において最も重要なご文章である「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」を書いて、千葉の富木常忍さんの元へ送られました。この「本尊抄」には、法華経に説かれている表面的な内容だけでなく、文章の奥に秘められている宇宙の真実の姿、生命の真実の姿が説かれているのです。さらに三ケ月後には、「本尊抄」に説いた法門を図様化した「十界互具の大曼荼羅」を顕わされ、これこそ誰もが本来最も尊ぶべき「本尊」なのです。

一谷入道御書 994 文永九年の夏のころ、佐渡の国、石田の郷、一谷といいし処に有りしに、預かりたる名主等は公といい私といい、父母の敵よりも宿世の敵よりも悪げにありしに、宿の入道といいめといい、つかうものといい、始めはおじおそれしかども、先世の事にやありけん、内々不便と思う心付きぬ。預りよりあづかる食は少なし。付ける弟子は多くありしに僅かの飯の二口三口ありしを、あるいは折敷に分け、あるいは手に入れて食いしに、宅主内々心あって外にはおそるる様なれども、内には不便げにありし事、いつの世にか忘れん。我を生みておわせし父母よりも当時は大事とこそ思いしか。何なる恩をもはげむべし。まして約束せし事たがうべしや。然れども入道の心は、後世を深く思いてある者なれば久しく念仏を申しつもりぬ。その上、阿弥陀堂を造り田畠もその仏の物なり。地頭もまたおそろしなんど思いて、直ちに法華経にはならず。これは彼の身には第一の道理ぞかし。然れどもまた無間大城は疑いなし。たといこれより法華経を遣わしたりとも世間もおそろしければ、念仏すつべからず、なんど思わはば、火に水を合わせたるが如し。謗法の大水、法華経を信ずる小火をけさんこと、疑いなかるべし。
観心本尊抄副状 721 観心の法門、少々之を注し、太田殿・教信御房等に奉る。このこと、日蓮当身の大事なり。これを秘して、無二の志ざしを見ば、これを開じゃくせらるべきか。この書は難多くして答え少なし。未聞の事なれば、人の耳目、これを驚動すべきか。たとえ他見に及ぶとも、三人四人、座を並べてこれを読むこと勿れ。仏滅後二千二百二十余年、未だこの書の心有らず。国難を顧みず、五五百歳を期して、これを演説す。乞い願わくば、一見を歴て来たるの輩、師弟共に霊山浄土に詣でて、三仏の顔貌を拝見したてまつらん。恐恐謹言。  
ご生涯 4

 

佐渡赦免状到着
本尊を書かれた後も信者の数が増え、佐渡の寺々は、「自分たちが食べられなくなるから、日蓮を何とかできないものか」と相談して、鎌倉へ訴え出ました。佐渡の守護職宣時(のぶとき)は「日蓮の信者は牢へ入れよ」と命令を下したものの、「立正安国論」の予言通り、内乱が起こり、蒙古の来襲が近づき、幕府はあわてて、弟子や信者を牢から出しました。信者は聖人の赦免運動を考えましたが「仏さまにまかせるよう」戒められ、ついにその時がきました。弟子の日朗上人は、はやる気持ちをおさえつつ、首にしっかりと赦免状を掛けて、佐渡へ迎えに行きました。二年五ケ月の佐渡の生活。島の人たちに別れを告げられた聖人は、三月十三日真浦(まうら)を出発して新潟の柏崎に到着、二十六日に鎌倉へ戻られました。

真言諸宗違目 638 早々に御免を蒙らざることは、これを歎くべからず。定んで天これを抑うるか。藤河入道を以ってこれを知る。去年流罪有らば今年横死に値うべからざるか。彼を以て之を推するに、愚者は用いざることなり。日蓮の御免を蒙らんと欲するのことを色に出だす弟子は不孝の者なり。あえて後生を扶くべからず。各々この旨を知れ。
光日房御書 1153 大海のそこのちびきの石はうかぶとも、天よりふる雨は地に落ちずとも、日蓮は鎌倉へは還るべからず。ただし法華経のまことにおわしまし、日月我をすて給わずば、かえり入りてまた父母のはかをもみるへんもありなんと、心づよくおもいて梵天・帝釈・日月・四天はいかになり給いぬるやらん。(中略)もしこのこと叶わずば日蓮が身のなにともならん事はおしからず。各々現に教主釈尊と多宝如来と十方の諸仏の御宝前にして誓状を立て給いしが、今日蓮を守護せずして、捨て給うならば、「正直捨方便」の法華経に大妄語を加え給えるか、十方三世の諸仏をたぼらかし奉れる御失は提婆達多が大妄語にもこへ、瞿伽利尊者が虚誑罪にもまされたり。たとえ大梵天として色界の頂きに居し、千眼天といわれて須弥の頂きにおわすとも、日蓮をすて給うならば、阿鼻の炎にはたきぎとなり、無間大城にはいづる期おわせじ。この罪おそろしとおぼせば、いそぎいそぎ国にしるしをいだし給え。本国へかえし給えと、高き山にのぼりて大音声をはなちてさけびしかば、九月の十二日に御勘気、十一月に謀反のものいできたり、かえる年の二月十一日に日本国のかためたるべき大将どもよしなく打ちころされぬ。天のせめという事あらわなり。これにやおどろかれけん、弟子どもゆるされぬ。しかれどもいまだゆりざりしかば、いよいよ強盛に天に申せしかば、頭の白き烏飛び来りぬ。(中略)文永十一年二月十四日の御赦免状、同三月八日に佐渡の国につきぬ。
鎌倉幕府との対面
お釈迦さまの誕生の聖日、四月八日、幕府は聖人に面会を求めてきました。対面したのは、執権北条時宗(ほうじょうときむね)の命令を受けた、平左衛門頼綱(侍所次官)<へいのさえもんよりつな>あの龍の口で首を斬ろうとした役人ですが、うって変わった丁重な態度で質問をしてきました。「蒙古来襲はいつでしょうか?」「年内には攻めてくるでしょう」「対策はどうすればいいのでしょうか?」「正しい法に従いなさい」という具合でしたが、信仰よりも習慣化・伝統化している宗派との繋がりの方が大切だと幕府は思っていたのです。聖人は、三度の諌めも聞かない幕府をみかぎり、日本中を歩いて法華経を広めようと考えられ、ついに身延山へ向かって旅立たれたのです。

撰時抄 1053 文永十一年四月八日、左衛門尉に語って云く、王地に生まれたれば身をば随えられたてまつるようなりとも、心をば随えられたてまつるべからず。念仏の無間獄、禅の天魔の所為なる事は疑いなし。殊に真言宗がこの国土の大なるわざわいにては候なり。大蒙古を調伏せんこと、真言師には仰せ付けらるべからず、もし大事を真言師調伏するならばいよいよいそいでこの国ほろぶべし、と申せしかば頼綱問て云く、いつごろかよせ候べき。日蓮言く、経文にはいつとはみえ候わねども、天の御けしきいかりすくなからず急に見えて候、よも今年はすごし候わじと語りたりき。
光日房御書 1155 文永十一年二月十四日の御赦免状、同じく三月八日に佐渡の国につきぬ。同十三日に国を立ちて真浦という津におりて、十四日はかの津にとどまり、同じき十五日に越後の寺泊の津につくべきが、大風にはなたれ、幸いにふつかぢ(二日程)をすぎて、柏崎につきて、次の日は国府につき、十二日をへて三月二十六日に鎌倉へ入りぬ。同じき四月八日に平の左衛門尉に見参す。本よりごせし事なれば、日本国のほろびんを助けんがために、三度いさめんに御用いなくば、山林にまじわるべきよし存ぜしゆえに、同五月十二日に鎌倉をいでぬ。
富木殿御書 809 飢渇申すばかりなし。米一合も売らず。餓死しぬべし。この御房たちもみなかえして、ただ一人候べし。このよしを御房たちにもかたらせ給え。十二日酒匂、十三日竹ノ下、十四日車返、十五日大宮、十六日南部、十七日このところ。未だ定まらずといえども大旨は、この山中心中に叶いて候えば、しばらくは候わんずらん。結句は一人になて日本国に流浪すべき身にて候。又たちとどまる身ならば見參に入り候べし。恐々謹言
身延奥の院
身延に着いた聖人を迎えた波木井実長(はきいさねなが)さんは、「生涯をこの地で過ごしてください」と草庵を建築しました。法難に次ぐ法難の日々で、弟子の教育ができなかった時間を、ここで思う存分果たすことができたのです。身延に入られて一年目の冬のある日、日朗上人が七歳の満寿丸を千葉県松戸の平賀から連れてきました。五十四歳の聖人は、孫ができたように喜ばれ「経一丸」(きょういちまろ)の名を贈って、一字一字お経を教え、手紙やご本尊を書くときも、いつもそばに座らせ、家族の団らんがなかった聖人にとっては、ほんとうに心なごむひとときでした。しかしそれは、両親への不孝を思い出させるものでもあり、毎日毎日、身延山頂に登って、はるかに両親の墓を拝み、いかに山奥であろうと、「人が貴(とうと)いからこそ所が貴いのだ」という誇りが身延山の生活でもありました。

九郎太郎殿御返事 1260 この身延の沢と申す処は、甲斐の国、波木井の郷の内の深山なり。西には七面のがれ、と申す嶽あり。東は天子のたけ、南は鷹取のたけ、北は身延のたけ。四山の中に深き谷あり。箱の底のごとし。
千日尼御返事 1765 その子、藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頸に懸け、一千里の山海を経て、甲州波木井、身延山に登りて法華経の道場にこれをおさめ、今年はまた七月一日に身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。
身延山御書 1915 誠に身延山の栖は、ちはやふる、神もめぐみを垂れ、天下りましますらん。心無き、しずの男しずの女までも心を留めぬべし。哀れを催す秋の暮には草の庵に露深く、ひさしにすだくさゝがにの糸玉を連ぬき、紅葉いつしか色深うして、たえだえに伝う懸樋の水に影を移せば、名にしおう龍田河の水上もかくやと疑われぬ。また後ろには峨峨たる深山そびえて梢に一乗の果を結び、下枝に鳴く蝉の音滋く、前には湯湯たる流水湛えて実相真如の月浮び、無明深重の闇晴て法性の空に雲もなし。かゝる砌なれば、庵の内には昼は終日に一乗妙典の御法を論談し、夜は竟夜、要文誦持の声のみす。伝え聞く釈尊の住み給いけん鷲峰を我が朝この砌に移し置きぬ。
光日房御書 1155 鎌倉へ帰り入る身なれば、また錦を着るへんもや、あらんずらん。その時、父母の墓をも見よかしと、ふかく思うゆえに、いまに生国へはいたらねども、さすがこいしくて、吹く風立つ雲までも、東の方と申せば、庵をいでて身にふれ、庭に立ちてみるなり。
身延離山
身延山は、お釈迦さまが法華経をお説きになった霊鷲山(りょうじゅせん)よりもすばらしく、吹く風や草木もお題目を唱えている、と感激された身延での生活は、早くもあしかけ九年をむかえていました。その間、蒙古来襲による博多の惨状を聞いては心を痛め、師匠道善房の訃報に接して涙ながらに「報恩抄」二巻を書いて、弟子日向(にこう)上人に千葉まで持たせたこと、七面天女が龍となって法門を聞きに来たこと、善智法印が毒まんじゅうを持って聖人を殺そうとしたこと、などなど、夢のように過ぎていったのです。そして、いつのまにか聖人の身体を病魔がむしばみ、身延を離れたくない、と思ってはおられましたが、ついに、弟子や信者さんの勧めに従って、常陸(ひたち)の温泉での療養を決意して、甲州路を進まれるのでした。

中務左衛門尉殿御返事 1524 日蓮が下痢、去年十二月三十日事起り、今年六月三日・四日、日々に度をまし月々に倍増す。定業かと存ずる処に、貴辺の良薬を服してより已来、日々月々に減じて、今百分の一となれり。しらず、教主釈尊の入りかわりまいらせて日蓮を扶け給うか。地涌の菩薩の、妙法蓮華経の良薬をさづけ給えるかと疑い候なり。
上野殿母尼御前御返事 1896 文永十一年六月十七日、この山に入り候て、今年十二月八日にいたるまで、この山出づる事、一歩も候はず。ただし八年が間、やせやまいと申し、としと申し、としどしに身弱く、心耄候いつるほどに、今年は春より、この病おこりて、秋すぎ冬にいたるまで、日々におとろえ、夜々にまさり候いつるが、この十余日は、すでに、食も殆ど、とゞまりて候上、雪はかさなり、寒はせめ候。身のひゆる事石のごとし。胸のつめたき事氷のごとし。しかるに、この酒温かにさし沸かして、かつかうをはたとくい切て、一度飲みて候えば、火を胸にたくがごとし、湯に入るににたり。汗に垢あらい、しづくに足をすゝぐ。
兵衛志殿御返事 1525 みそおけ一つ給び了んぬ。はらのけ(下痢)はさゑもん殿の御薬になおりて候。又このみそをなめて、いよいよ心ちなおり候いぬ。あわれあわれ今年御つゝがなき事をこそ、法華経に申し上げまいらせ候え。
波木井殿御書 1931 日蓮ひとつ志あり。一七日にして返る様に、安房の国にやりて、旧里を見せばや、と思いて、時に六十一と申す、弘安五年壬午、九月八日、身延山を立ちて、武蔵の国、千束の郷、池上へ著きぬ。
御入滅
九月八日身延を発ち、十日間をかけて、東京池上の大工宗仲(むねなか)・宗長(むねなが)兄弟の家に到着されたときには、筆を持つ元気さえありませんでした。寒さが近づいた十月のある日、弟子たちを集め、日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持という本弟子六人の六老僧を定め、仏像やお経本などの遺品分けをされました。肌身離さず持っていたお母さんの髪の毛は、いつも聖人のお世話をした日朗上人に託され、手取り足取り指導した経一丸には、京都への布教を託されたのでした。伝えるべきことを伝え、なすべきことをなし終え、床の間に本尊を掲げ、弟子信者とともにお題目を唱えながら、十三日午前八時、六十一歳の生涯を終えられました。池上の山に季節外れの桜の花が咲き、日昭上人の打つ臨終を知らせる鐘の音が悲しく響いていました。

波木井殿御報 1924 道の程別事候わで、池上までつきて候。みちの間、山と申し河と申し、そこばく大事にて候いけるを、公達に守護せられまいらせ候て、難もなくこれまでつきて候事、おそれ入り候ながら悦び存じ候。さては、やがてかえりまいり候わんずる道にて候えども、所労の身にて候えば不定なる事も候わんずらん。さりながらも日本国に、そこばくもあつこうて候みを九年まで、御きえ候いぬる御心ざし、申すばかりなく候えば、いづくにて死に候とも墓をばみのぶの沢にせさせ候べく候。
波木井殿御書 1931 釈迦仏は霊山に居して八箇年法華経を説き給う。日蓮は身延山に居して九箇年の読誦なり。伝教大師は比叡山に居して三十余年の法華経の行者なり。しかりといえども、かの山は濁れる山なり。我がこの山は天竺の霊山にも勝ぐれ日域の比叡山にも勝れたり。しかれば、吹く風もゆるぐ木草も流るる水の音までも、この山には妙法の五字を唱えず云うことなし。日蓮が弟子檀那等はこの山を本として参るべし。これ則ち霊山の契りなり。この山に入って九箇年なり、仏滅後二千二百三十余年なり。(中略)釈迦仏は、天竺の霊山に居して八箇年法華経を説かせ給う。御入滅は霊山より艮にあたれる東天竺、倶尸那城、跋提河の純陀が家に居して入滅なりしかども、八箇年法華経を説かせ給う山なればとて、御墓をば霊山に建てさせ給いき。されば日蓮もかくのごとく身延山より艮にあたりて、武蔵の国池上右衛門の大夫宗長が家にして死すべく候歟。たとい、づくにて死に候とも九箇年の間、心安く法華経を読誦し奉り候山なれば、墓をば身延山に立てさせ給え。未来際までも心は身延山に住むべく候。  
 

 

 
 

 

 
 

 

 
日蓮宗佐賀県宗務所

 

日蓮宗は、日蓮聖人(にちれんしょうにん)(1222-1282)を宗祖とする日本の伝統ある宗派(しゅうは)です。日蓮聖人は、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)(法華経)に説(と)かれた釈尊(しゃくそん)の久遠(くおん)のみ教えを深く信じ生涯を通じて実践されました。日蓮聖人が身命(しんみょう)をかけて実践されたのが法華経の教え・南(な)無(む)妙(みょう)法(ほう)蓮(れん)華(げ)経(きょう)のお題目です。お題目を私たちが一心にお唱えすることにより、法華経のみ教えへの「信」もより頑固なものとなっていくのです。すなわち、南無妙法蓮華経とは、法華経の説く真実に帰依(きえ)することなのです。日蓮宗佐賀県宗務所は日蓮聖人の教えを弘めるための佐賀県の組織です。 
 
法話

 

■「頂きます」の精神
私の寺のある地域は、地域の習慣で、昔は供養の後の食事といえば豆腐や、煮しめなどの精進料理がほとんどでした。今では、逆に精進料理の時が、まれになってきました。これも時代の流れかもしれません。この間、たまたま精進料理が出された席で、子供から「お坊さんは普段から精進料理を食べているの?」と質問されることがありました。「普段は皆さんと同じものを食べますよ。」とお答えしましたら、不思議そうな顔をされました。精進料理=仏教=お坊さんなのかも知れません。
さて今回は、ひとつ屁理屈をお話ししたいと思います。実は、お釈迦様は精進料理を食べたことがなかったのです。精進料理というのは、後のお坊さんたちが修業の妨げになるということで、肉、魚などをとらない料理として考えられたものなのです。では、お釈迦様は実際どんな料理を食べられていたかというと、普通の料理を食べていたのです。ただし、いくつかルールがあって、一つは特別に用意されたものはダメ。もう一つは絶対に頂いたものは残さず食べるというものでした。
お釈迦様は生き物を殺してはダメということを、守らなければならないルールとしていましたが、これは動物だけではなく植物にも当てはまるのです。だから野菜であっても生き物を殺したことになる。食事をとることは何であっても命を頂くことに他ならないのです。ですから特別に用意されたもの(自分のために殺された命)はダメ、残さず食べる(頂いた命を無駄にしない)ということになります。お釈迦様も日本人のように「頂きます」の精神を大切にされていたのです。
最後に余談になりますが、沢山の食べ物を頂くのは人気のある証拠で、徳の高いお坊さんかどうかは、その体つきを見ればすぐに分かったそうです。お釈迦様は、当然一番人気でしたので、大仏など仏さまの像を見てもらえば分かる様に、大変ふくよかな体型だったそうです。

■『親の恩』
最近の調査で、一生独身で過ごす男性の割合が50%を超えたそうです。また、35歳を過ぎて結婚をしていないと、92%の割合で一生独身のままだそうです。
私が結婚できたのが35歳の時だったので、奥さんにはよくぞ来て下さったと、感謝してもしきれないくらいです。おかげさまで、現在2歳の男の子と8ヵ月の男の子、2人の子宝に恵まれ、夫婦円満に過ごしております。
しかし、子育てというのは、いつの時代も難しいもののようで、この間はちょっと目を離した隙に、上の子が本堂の入り口の線香立ての灰を、花咲かじいさんのように外に向かってまいて遊んでおりました。私がいないときには2人の子を見てもらっている奥さんには、ますます頭が上がりません。
このように、自分が子育てをするようになって改めて思うのが、自分の親に対する感謝の気持ちです。私は3人兄弟で、それも年子だったので、大変な思いをして育てて下さったのだと、今更ながらに痛感しております。
日蓮大聖人は、『知恩報恩』ということを説かれております。自分がこれまでにどれだけの恩を受けてきたのかを知り、その恩に報いていかなければならないということです。
日蓮大聖人は、母親の供養をお願いされた信者への手紙の中で、「自分も母親から受けた恩は忘れがたい」と書かれております。産みの苦しみから始まり、育てるときに与える母乳は、3年間でおよそ180斗3升5合、3,250リットルにもなるそうです。これだけのものを母親の体から分け与えられているのですから、その恩というのは計り知れません。たとえ一円でも米一粒でも、他人から盗んだならば、罪に問われます。しかし子供は、親からこれだけのものを得ても、何も言われず大丈夫なのです。
それでは、この親の恩に対して、私達はどの様にして報ずるべきでしょうか。
日蓮大聖人は、大恩ある親に対して、敬いの心をもって接することが、まず大事であると説かれております。普段から心と態度で、きちんと感謝の気持ちを伝えることが必要なのです。
その上で、供養をすることの大切さも説かれております。亡くなった親に向けて、法華経とお題目をお唱えして供養することによって、親の恩に報ずることができるのです。
親が生きているうちに親孝行をできなかったと、嘆くことはないのです。きちんと仏壇に手を合わせ、真心をこめて法華経・お題目をお唱えすること、それがまさに親孝行となるのです。

■『毎日を豊かに』
「生き方は逝き方」という言葉があります。元々、生きとし生けるすべてのものには必ず、『死』というものがやってきます。誰しもが、遅かれ早かれ巡ってくるものなのです。
昨今、「終活」「エンディングノート」「QOL」などという言葉が注目されるようになりました。段々と、「人生とはなんだろう」、「人の価値とは」といったことに目を向ける人が増えてきている表れではないでしょうか。
確かに私達は、どんな手段を使っても、どれだけの信心があっても、その命に終わりがあるものです。永遠に生きることは不可能なようです。
ですがどうでしょう、私達はなぜか、「死ぬ」という現実から目を背けがちです。
人間とは不思議なものです。体が元気な時には、病気の苦しみは想像できません。逆に、人間の体は、健康な時をしっかり覚えていて、病に伏せっている時には、元の健康体に戻ることをひたすらに望みます。
これと同じように、生きている間には、自分が死ぬなんてことを想像すら出来ない人がほとんどです。誰が生きているのに早々と死ぬ事を考えるでしょうか。
『先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし』(妙法尼御前御返事)
日蓮大聖人は、私達に対して、「死ぬということを自覚しなさい、人生に悔い無きように生きることが大事である」と仰せになっています。
私達は、人間として生まれ、人生80年と言われる、長いようで短いいのちを頂いているのです。
そのゴールに向けての一歩一歩、何気ない毎日を大切にしようと考えると、日々このいのちがある事への感謝、御先祖様への感謝、毎日食べ物がある事への感謝などと、自然と生きとし生けるもの全てへの感謝の気持ちが生まれてくるはずです。そして、その事を念頭において人間として心が豊かになる事をしなさいよ、というのが「他事を習う」ことなのです。
「いのち」とは何か。私達は何を信条に生きるべきか。
人々の生きる目的、生きとし生ける物の命の目的を説かれたものが、お釈迦様の教えであり、日蓮大聖人の教え、お題目なのです。
この科学万能と言われる時代に、生きる目的を見失って、日常に追われていませんか?法華経、お題目をお唱えすることで、心に芯を持った生き方をし、「あぁ、今日も一日良かったな」と言える日々にしていきましょう。

■天国と浄土
テレビや新聞で、また葬儀の時などによく見たり聞いたりするのですが、死後の世界や理想世界のことを指して、「天国」と表現される方が多いようです。
マスコミ関係の仕事に就いている方は高学歴の方が多く、机の上の勉強はたくさんされているようですが、宗教についてはどれだけ学ばれているのでしょうか。
もちろん、しっかりした信仰に基づいての表現なのかもしれませんが、佛教の側からみれば違和感があります。
快適さや物の豊かさを求め、何でも望み(我欲)が叶う理想世界を「天国」と捉えているのではないでしょうか。
けれども、そこに心の満足がなければ、佛教ではそれはまだ迷いの世界なのです。
今年の十月頃に新しく映画ができるそうですが、約三十年程前、テレビで「おしん」というドラマがありました。
その中で、約百年ほど前の世の中は物質面では貧しく、多くの人が子供を幼い頃から奉公に出さなければならない時代だったようです。
私がたまたま見たシーンで、おしんの祖母が「自分で作っているのに食べられない白米を、一度でいいから食べてみたい」と言っていたので、おしんが奉公先より頂いた白米を食べさせたところ、そこで祖母が「これで思い残すことはない。幸せな人生であった」と嬉しそうに話すところがすごく印象に残っています。
現在、いわゆるアベノミクスによって、多少は景気も良くなってきているようですが、それでもまだ不況だという言葉をよく見たり聞いたりします。
しかし、毎日のゴミの量を見ても、私達の生活は、おしんの時代と比べたら、格段に豊かになっているはずです。
当時からすれば天国のように見えることでしょうが、果たしてこれが理想世界なのでしょうか。
心、魂を無視しては理想世界は実現しません。自分の欲望を叶える事だけを優先し、勝ち組・負け組だと競争ばかりを考え、損得だけで行動し、金儲けを第一としたりと、今の世の中では大切なことが見失われているのではないでしょうか。
まずは、私達の怒りや妬みといった気持ちを見つめ直して、心の立て直しをしてみてはどうでしょう。
佛教でいうところの理想世界、いわゆる浄土とは、物はそれ程無くとも、何にでもありがたいと報恩感謝をし、心満足する世界のことです。
そこに真の安らぎがあり、今生かされているこの世(娑婆世界)を離れては、浄土はどこにもありえないのです。
『娑婆即寂光』という教えが法華経にございます。必要以上に求めることをせず、何にでも感謝をし、心が満たされる世界。「天国」ではなく「浄土」を、私達の住むこの世界に実現できるのが佛様の教えなのです。

■なぜお仏壇をお祀りするの?
起塔供養 (塔を起てて供養すべし)
所以者何 (ゆえはいかん)
當知是処 (当に知るべしこの処は)
即是道場 (即ちこれ道場なり)   (如来神力品 第二十一より)
時折、法事や葬儀の席で、「私の家にはまだ故人がいないので、お仏壇はいりません」 「私の家は分家だから、お仏壇はいりません」 という言葉を聞くことがあります。
さて、そもそもお仏壇とは一体どういうものなのでしょう?
一般的にお仏壇は、ご本尊、日蓮大聖人の御像、ご先祖様のお位牌、そしてお香(線香・焼香)、お花、灯明をお供えし、朝夕供養し、報恩感謝を捧げる壇のことですが、亡くなった人を祀るだけのものではございません。
ご本尊を中心にお祀りすることで、そこが修行の場になるという意味もあるのです。
また、ご先祖様と私達の関係は、本家だから分家だからということで変わるものではありません。
私達一人一人それぞれが、ご先祖様が一人でも欠けていれば、この世に生まれていなかったのです。
ちなみに、ご先祖様を10代前までさかのぼると1024人、20代前までさかのぼると104万8576人もいらっしゃいます。
このようにたくさんのご先祖様が、私達にいのちを繋ぎ、守ってくださっているのです。
しかし残念ながら、普段はそういったことをなかなか意識しませんので、現実には身内の誰かが亡くなってから初めてお仏壇を用意する、という方が多いようです。
このお話の最初に紹介しました、如来神力品のお経文は、「法華経の力を信じ、お題目という宝塔を起てれば(唱えれば)、自分がいる処ならどこでも、道場(修行の場所)となりますよ」 と説かれております。
例えば、職場や学校、もちろん皆さんが普段生活をしている家庭でも、お題目をお唱えすることで、そこがそのまま道場となり、仏様やご先祖様に、祈りを捧げることができるのです。
皆さんの心の中で、お釈迦様、日蓮大聖人、ご先祖様に手を合わせ、また家庭の中心にお仏壇を置いて、日頃からお題目修行に励んで頂ければ、日常のあらゆる出来事に対して、報恩感謝の気持ちで臨めることでしょう。

■一口法話 立正安国論
汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに實乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆佛國なり、佛國其れ衰へんや。十方は悉く寶土なり、寶土何ぞ壊れんや。国に衰微なく土に破壊無くんば、身は是れ安全に、心は是れ禅定ならん。此の詞、此の言信ずべく、崇むべし。
立正安國論とは正法(法華経 正しい教え)をもって、この世界に仏國土(仏の世界)を現し日本国及び全世界の人々を幸福に導く為に、日蓮大聖人が御年三十九歳の時、お釈迦様の誓願を実現する為に当時の鎌倉幕府の権力者北条時頼に提出された書物です。
日蓮大聖人は、幾度の災難を乗り越えられて新潟の佐渡から許しを得て鎌倉に戻るとすぐに、鎌倉幕府に対してお釈迦様の真実たる法華経の教えに基づく政治を「立正安國論」の趣意をもって三度目の国家諌暁(いさめさとす)をなされました。しかし幕府に受け入れられず、弟子の養成と自らの仏道修行を志して甲斐の国(山梨県)、身延山(現在の日蓮宗総本山)に入られたのです。
身延にて布教すること九ヶ年、身延のお山を寄進して頂いた波木井実長公に感謝の言葉を述べられ、臨終の近きをお悟りになられた日蓮大聖人は、身延山を下山されます。弘安五年九月十八日池上宗仲公の館(現在の東京都大田区池上・日蓮宗大本山池上本門寺)に到着されました。
日蓮大聖人は自らの命の灯火が消えることをお悟りになられておられました。そのような病状の中、多くの弟子や信者を前に今も池上大坊にのこる床柱に背をおよりかけられ、最後の力を振り絞りご講義なされたのも「立正安國論」だったのです。
日蓮大聖人の六十一年に及ぶご生涯は、「汝早く信仰の寸心を改めて、速に實乗の一善に帰せよ」 この実現の為だけに過ごされた苦難と法難のご一生でした。そして残されし人々、後に続く人々への自らの体験で示した教えと激励でもあるのです。
日蓮大聖人は「立正安国論」の内で「一刻も早く国主も国民も法華経の信仰にあらためねば、いまだおこっていない他国から押し入られ、国内においても疫病・天災・大飢饉に悩ませられるであろう」と予言なされていたのであります。
今この世の中、いかがでしょうか。諸外国の紛争やテロ、また温暖化で起こりえる地球の問題、日本国内でおこる様々な問題等につながっているのではないでしょうか。
日蓮大聖人は、私達が住む此の世界を本当の、佛の国(仏様が住む世界)とする第一歩は、私達一人一人がお題目を唱え、佛の子であるとの自覚に立って、「信仰の寸心」即ち尊い佛の世界から生まれたその生き方、考え方を改めようとする所から始まるのだと仰せにならました。「實乗の一善(=妙法蓮華経)に帰す」とは、まさにこの事なのです。
私達は、この乱れきった世の中を浄化する為にお釈迦様の真実である法華経の教えを実践し、お題目を唱える事で世界平和を実現して行かなければなりません。

■一口法話 写経のすすめ
昔から、お坊さんに必要なことが三つあるといいます。まず、お経を読むこと、それからお話しをすること、最後に筆で字を書くことだそうです。最初の一つ目は言うまでもないでしょう。教えを説くという立場から二つ目も、上手下手はありますがやはり必要なことです。さて三つ目はというと、御位牌に、卒塔婆に、御札と現代においても必要な場面は多いようです。以前テレビのニュースで紹介されていましたが、自動卒塔婆印刷機などといったものもあるそうです。そこまで便利になるのは、いかがなものでしょうかと思いましたし、あまり受け入れられそうではないと思います。そういうわけで現代でも、この三つはお坊さんにとって必要なことのようです。
私は、生まれてからずっと食べるのも、字を書くのも、投げるのもすべて左手でやってきた生粋のサウスポーです。普段から筆をとられる方はご存知かと思いますが、左手では筆は上手く扱えません。何事にも近道はないもので、週に一度ですが書道教室に通って練習をしています。上手ではないのですが、筆で字を書くこと自体は好きなので、もう5年近く通い続けています。その時に、手習いの後に余った時間で、少しずつですが御経を書いています。略式ではありますが、いわゆる写経というものです。
さてこの写経、法華経の中に、5つの修行の一つとして挙げられています。一つ目が御経を大切に受け保つこと、二つ目が見て読むこと、三つ目が暗記して読むこと、四つ目が解説して人に説くこと、そして五つ目に最も大切なこととして写経をすることと記されています。
自我偈を一回で五百六十文字。紙は普通の半紙で、大き目に書いても百文字は入ります。ですから、題名を入れても半紙六枚あれば書き終わるわけです。別に一度で書き終える必要もなく、特別な紙を用意する必要もありません。
継続は力なりと言いますが、何事も無理をせずに、きちんと続けて行うことが重要です。私の書道の腕前も、右利きの人から見れば、マイナスからのスタートでしたが、何とか人に見せられるぐらいにはなってきました。
写経というのは、あくまで書くことに意味があるのですから、上手に書く必要はありません。気持ちを込めて、丁寧に書けばそれでいいのです。御経を読むということに慣れていない方も、紙と筆、それから御経本があればできる仏道修行として、写経をお勧めしたいと思います。  
 
コラム

 

■被災地を訪れて
ちりしはな(散花)、をちしこのみもさきむすぶ、などかは人の返らざるらむ。こぞ(去年)もうく(憂)、ことしも(今年)つらき月日かな。おもひはいつもはれぬのゆへ。 日蓮大聖人御遺文「持妙尼御前御返事」
花は散ってしまってもまた咲くし、木の実は土に落ちてもまた実を結ぶ。それなのにどうして逝ってしまった人は帰って来てくれないのか。去年も亡き人のことを思って、もの憂い日々であった。今年も悲しみは消えず辛い月日を過ごす。この思いはいつも晴れることないから・・・。この言葉に理屈はありません。大聖人は、ただ亡き夫を思い続けている持妙尼に同調され、その悲しみを共にされているのです。
先日、未曾有の被害をもたらした大地震と大津波により、多くの方々が犠牲になられた宮城県石巻市・女川町に、何か自分に出来ることはないかとの思いで足を運ぶ御縁を頂きました。約四ヶ月たっているその現場をみて、何も口にすることができませんでした。「ひどいひどすぎる・・・祈ることしかできない・・・」八箇所を廻り現地のお上人方と共に一心に御回向申し上げました。その中で全児童百八名の七割が水に飲み込まれた、大川小学校の近くでは今でも百名近くの警察関係の皆さんが一所懸命ご遺骨を捜されていました。その慰霊碑の前でテレビでは報道されていない現場のお話をお聞きしました。「アメリカの西海岸で子供さんのご遺体が見つかったんです。」「三月十一日震災から四日間避難した体育館では二千人が立ったまま寝たんです」等、驚く内容のお話に涙をこぼしました。慰霊碑の前にお子さん宛にかかれていた一文では『○○のこと捜し出してあげられなくてごめんね。○○に会いたくて毎日ここに来てるけど・・・どこかにきっといるはずなのに・・・夢にもでてきてくれないから寂しいよ。何もしてあげられなくてごめんね・・お兄ちゃんと○○には「涙を見せるな!」つて言っていたお母さんなのにお母さんはすっかり泣き虫になってしまいました。毎日お婆ちゃんとここで○○と同じ空気を吸っていたくて・・・それだけでいい。でもやっぱりもう一度○○の声が聞きたい 笑顔が見たい 夢の中に来てくれたらいっぱい抱きしめるからね・・・』最後にもう一人の方が「みんなが支え合う人の心の優しさに感謝すると共に、犠牲になった皆様の無念の思いを復興と再建の力に変えて前に進んでいきますよ。お経ありがとうございました。」
慈悲とは、他者と喜びや悲しみを共に出来ることだと言われています。つまりは、他者への思い、他者の立場に立てることが、慈悲であり、愛なのです。私達も個々に出来ることを心からの思いやり(慈悲心)で共にこの日本国に浄仏國土「仏の世界」を作ってまいりましょう。

■『今を生きる情のありよう』
衆生の心けがるれば土もけがれ、情清ければ土も清しとて、浄土と云い穢土>と云ふも土に二つの隔なし、只我等が心の善悪によると見えたり。  『一生成佛鈔』建長七年(一二五五)宗祖御年三四歳
日々、失われていく自然の姿を見るにつけ、また毎日のように繰り返し報道されている悲惨な出来事を知る度に、幸せの追求と云いながらも、この地球を「悪」へと変えている張本人は、結局は我々人間なのだとつくづく思ってしまいます。もしも、人間という一つの命が、この世に生まれて来なければ、地球はどんなに美しい、「みほとけの国=浄土」であったでしょう。例えば、人間以外の他の総ての生き物は、いつも我が本分を尽くして、自然のままに、あるがままにこの世界に生かされて、自分の為に犠牲になってくれた生命を我が身の中に生かしながら、それぞれが<みほとけの>魂の一分を生きているのに、人間だけが<みほとけの>与えられた本来の目的に見向きもしないで、ただ目先の欲望の為だけに、自分の生命さえ「殺す」のであります。とても哀しいことだけれど、そんな人間の存在が、この世を「穢土=けがれた世界」にしているのではないでしょうか。
日蓮大聖人は、苦しみ多きこの世界を、み佛のおわす心豊かな国=浄仏国土とする為に、私達の"心のありよう"を、常にみ佛の心に通じる「善」へと誘う『御題目の信仰』を弘め、今を生きる私達にお残し下さったのです。私達の心が悪意におぼれ穢れてしまえば、私達の周りには悪者が集い、この世界は悪土となる。私達の心が善意に目覚め清らかになれば、同心の者が集い来たる素晴らしい世の中となるでしょう。「浄土」は他所に求めるのではなく、実は私達の心の中にこそ常に在ることをそして、その"心のありよう"が、この世界を「善」にも「悪」にもすることを、大聖人様は私達"幼き佛"にお教え下さっているのです。
人身は受けがたし爪上の土、人身は持ちがたし、くさの上の露。百二十まで持ちて名をくたし(腐)て死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ。  『崇峻天皇御書』建治三年(一二七七)宗祖御年五六歳
人間がこの世に生を受けることは大変まれなことでさらに法華経に縁を頂くことなど大変難しいことなのです。これ程僅かな確率でしか生まれることが出来ない貴重な人間としてこの世に誕生して法華経に巡り会うことが出来ても私達は、草の上に出来る朝露のように非常に儚い存在なのです。だからこそ私達は、世の中が辛いなどと嘆いて、いたずらに空しい人生を送ってはいけないのです。人間が人間らしい生き方、すなわち世の為、人の為に尽くす生き方をし、他の人々に安らぎの心を与えるような日常生活を送る努力を怠ってはいけないのです。その為に、身と口と心で「南無妙法蓮華経」の御題目を一心に唱えることです。御題目を唱えれば、私達に元々具わっている『仏性』=清い仏が湧きだし自然と人間本来の生き方ができるのです。

■『唯佛與佛 乃能究盡 諸法実相』 
唯佛と佛と乃し能く諸法の実相を究盡したまへり。  「妙法蓮華経方便品第二」より
今回のお経文は、私達が良く読むお経の一つ、方便品の中の十如是(如是相、如是性…)の直前の一説です。『仏だけが、あらゆる教えの本当の姿(実相)を理解(究盡)しているのですよ。』と、お釈迦様が弟子の舎利弗に説かれています。お釈迦様の弟子の中でも、最も物事の理解が早いとされていた「智慧第一の舎利弗」でさえ、最高の教え、妙法蓮華経(法華経)は理解することができない。だったら、その他の弟子や、今生きている私達に、この妙法蓮華経という教えを理解することは到底無理なことでしょう。では、私達に理解することができない蓮華経という教えは、役に立たないものなのでしょうか? 私達の身の回りをよく見て見ますと、実に色々なものが生活の中で活躍しています。テレビを見て楽しんだり、車を使って遠くへ行ったり、携帯電話でいつでも連絡が取れたりと、便利なものが沢山あります。しかし、これらの全ての道具の仕組みを理解して使っている人は、一体どれほどいるでしょう。テレビも車も携帯電話も、その中身を完全に理解せずとも、きちんと正しい使い方をすれば、私達の生活を豊かにしてくれるものです。
そう考えますと、物事の中身を完全に理解することは、意外と重要でないのかもしれません。本当に大事なのは、その正しい使い方を知り、私達の生活に役立てることなのではないでしょうか。日蓮宗の祖であります、日蓮大聖人も、法華経について同じ事を考えられました。理解することができないのならば、ただその力を信じればよい。法華経の中で、この教えによって仏の世界へたどり着けるとされているならば、お経そのものを信じる事を実践すればよい。とされ、「南無妙法蓮華経」(私は妙法蓮華経の力を信じます)と唱えることの大切さを説かれたのです。また、日蓮大聖人は、「岸の上の人が私達を引っ張り上げようと縄を下ろしてくれているのに、縄を引っ張ってくれる人の力を疑っていては、いつまでたっても上へ登ることはできませんよ。」とも仰られています。岸の上からの素晴らしい眺めは、岸の上にたどり着かなければ、下にいる人達には想像もできないでしょう。けれど、上へ引っ張ってくれる力を信じなければ、そこへは辿り着けません。まずは目の前にある縄を、引っ張ってくれる人の力を、信じることから始まるのです。私達には仏様の教えを理解することはできないかもしれません。けれども、「南無妙法蓮華経」とお唱えした先には、世の中を見渡す仏様の智慧が待っていることでしょう。共にお題目修行に励んで行きましょう。

■立正安国論
「汝早く信仰の寸々を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然ればすなわち、三界は皆佛国なり。佛国それ衰えんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく、土に破壊なくんば、身はこれ安全にして、心はこれ禅定ならん。この詞、この言、信ずべく崇むべし。」  立正安国論
日蓮大聖人の遺された著述、いわゆるご遺文の中で、最も有名と言っても差し支えの無い「立正安国論」の中の一説です。私達が、間違った信仰を改めて、全てのいのちを救う法華経に身をゆだねるならば、自然と仏様の世界へ近づいて行けるのである、と説かれています。今の時代、新聞やテレビ等で、「現代人には信仰心が無い」という類の言葉を見かけることがあります。しかし、「何かを信じて身をゆだねる」という行為は、実はそんなに特別な行いでは無いのではないでしょうか。今ではあたりまえになった携帯電話。携帯電話が、なぜ遠く離れた人と、直接線で繋がっているわけでもないのに話が出来るのか。その仕組みを理解して使っている人は、かなり少ないのではないでしょうか。いざ中身を説明しろと言われたら全くできない携帯電話を、私達は疑いもせず、自分の生活に役立つから使っているのが現実なのです。そういわれたらそうだな、じゃあ全てのものを疑ってかかるか、と思う人もいるかもしれません。ですが、それはそれでとても大変な生き方になってしまいます。
自分が大切にしている様々なもの、家族や友人、生活の中で積み上げてきたものが、いつか自分を裏切るかもしれない、その価値が揺らいでしまうかもしれない。そんなことを考えながら生きて行くのは、常に周りに気を張り続けねばならず、心が休まることはありません。私達が休憩をする時に、背中を預ける背もたれや床などが必要なように、心地よい生き方をするには、必ず何かしらの身をゆだねる存在が必要となってくるのです。何かを信じて生きて行くということが特別でないのだとしたら、私達は、何に身をゆだねれば、より良い生き方ができるのでしょうか。日蓮大聖人は、世の中の出来事の良し悪しは、全て自分の心が決めているのだと仰られています。自分の心が怒りや悲しみで満ちていれば、目や耳につく全てが怒りや悲しみの対象でしかなく、逆に穏やかな心待ちで周りを見渡せば、どんなものでもありかたく、感謝の気持ちを見出せるのだと。その穏やかな気持ちを得る為には、法華経を信じ、南無妙法蓮華経とお題目を唱えることこそが、一番の近道であるとされています。速やかに法華経の信仰の道に入ることこそが、より確実な心の安らぎ、安心を得ることができ、その穏やかな心持ちで世界を見渡すことができたなら、全てのいのちを大切にする仏様の世界が、そこに見えてくるのだと、立正安国論で説かれているのです。

■悪に負けない心
『法華経の行者をは第六天の魔王の必ず障べきにて候、(略)  魔の習いは善を障て悪を造しむるおば悦ぶことに候。強て悪を造らざる者をば力及ばすして善を造しむ。』  「富木入道殿御返事」建治三年(一二七七)
新秋涼やかなこの時節に、本来ならば楽しく嬉しく時を過ごし、幸せの中で日々を送れたはずの人が、痛ましい事件や、事故に生命を奪われ、或いは大切な人を亡くし、傷つき、悲しみの淵に沈む現実は、私達の心を締め付ける。心当たりがあろうがなかろうが、気を付けていようがいまいが、世の中には、ただ「幸せそうだったからシャクに障った。」との理由だけで、簡単に人を害する事の出来る悪魔のような人も又、いるのである。何か一体、誰が一体、そんな無残な現実を、この世界に造り出してしまうのだろう。心しましょう、皆さん。努力の人(法華経の行者)には必ず困難が訪れふとした弱気に付け込んで、必ず魔はさすものなのです。例えば私達の中に、自分が置かれている困難な環境を、他人のせいだと責任転換し、せっかくの人生を逃げた記憶はないでしょうか。悲しみも苦しみも、所詮は自分の努力で乗り越えていくものなのに、他の人の内なる努力を知ることもせず、表面に映る幸せに嫉妬したり、気にくわぬ人の苦しむ様を見て悦ぶような心を、一瞬なりとも持ったことはないと、言い切れるだろうか?人の人生を左右する程の事でないにしろ、私達も日々の生活の中で、どれ程の悪を造り出しているかもしれないのだ。この心に気付かぬままに時を過ごせば、私達の心は生涯にわたって魔を宿し、やがては戻ることの出来ない地獄の世界へと、転がり落ちることになるだろう。人は皆、み仏の子。悪魔のような心を持つ人は、たとえいようとも、決して悪魔はいないのだ。誘惑多きこの世界で、心強く悪に打ち勝つ信仰を持ち、法華経の行者を生き抜きましょう。我が身の「悪」に負けない心、それが「善」なのであります。
「妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十」に説かれている常不軽菩薩は、威音王如来という仏が亡くなられたあと、像法の時代(教えや修行する者はいるが、悟りを得るものがない時代)にこの世に出て、修行した菩薩です。常不軽菩薩は、外に出て会う人ごとに合掌し、「私は深くあなた方を敬います。決して軽んじたりいたしません。なぜなら、あなた方すべて皆、菩薩の修行を行って、仏さまになるからです。」と唱え、ただ、ひたすら人々を礼拝しました。拝まれた人の中には、心不浄な人も多く、悪口罵詈し、杖や木で打ち、瓦や石を投げつけ追い払おうとしました。しかし、常不軽菩薩は、身を遠くに避けながらもなお声高く、合掌し、「私はあなた方を敬います。なぜならあなた方は仏さまになるからです。」と唱えて礼拝を止めませんでした。この常不軽菩薩の行動を但行礼拝といいます。この「但行礼拝」こそ、日蓮大聖人のお題目の受持の精神であります。宗門では今「但行礼拝」の運動を展開しています。まず、私達一人ひとりが人を敬う心で人と接する事を心がけ、「合掌礼」をもって接し、家庭の中でも「合掌礼」を実践し、地域や社会へ広げて行きましょう。

■『生きるとは?』
『この経は甚深微妙にして諸経の中の宝、世に希有なる所なり』  妙法蓮華経提婆達多品第十二
皆さんが今まで生きてこられて『生きるとは?』『人間やその人生とは?』ということについて、考えられたことがあるという方がほとんどだと思います。ですが、その答えはなかなか見つけにくいものです。日蓮聖人のお言葉に「「人身受けがたし、仏法にはあいがたし」」というのがあります。よくよく考えれば、牛馬や鳥や象や虫ではなく、私たちが人の身として生まれたことを不思議に思うことがあります。その生まれがたい人の身に生まれたから、ただちに私たちは「人間」になったというわけではありません。「人間」としての心や生き方を持つことによって、はじめて人は「人間」になれるのです。
人はなぜ生まれてきたのでしょう。それはなぜ生まれてきたのかを知るためです。命の尊さ、出会いの大切さ、苦しみや喜びや恐れや感謝や善悪を知り、真実とは何かを探求するためです。本来私たちは「生きとし生ける者を哀れみ、助け合うため」に人間に生まれてきたのではないでしょうか?その真実の生き方を示されたのが仏法であり、法華経なのです。法華経によって他を大切にする生き方を学んだ人は、生甲斐を持ち、他から尊敬され、明るい人生を歩むことができるでしょう。あらゆる生物の中から人間に生まれ、たまたま仏法に会うことはむずかしいことです。たとえ仏法に会えても、この上なく深い教えの法華経に出会うことはもっとむずかしいことです。それは「「この経は甚深微妙にして諸経の中の宝、世に希有なる所なり」(法華経提婆達多品)」といわれているほど、めったに会えない、尊く珍しい宝珠、それが法華経だからです。
私達は今人間に生まれ、法華経に出会い、お経の文字を見聞きして、真実の教えを受けたもつことができました。お釈迦様が私達を救おうとされているお心にふれ、その姿や声を見聞きすることができたのです。もし、尊い生き方の教え=仏法『法華経』を知らないで人生を終えてしまうならば、もったいないと思います。法華経に出会った「ありがたさ」をかみしめながら、「どうかお釈迦様の説かれた第一のすぐれた教えを信じ習いきわめることができますように」(開経偈の意味)と心から誓願を立て、法華経の正しい教えを理解していくことが大切です。日蓮聖人は、「仏の御意あらわれて法華経の文字となり、文字は変じてまた仏の御意となる。だから法華経を読む人は単なる文字と思ってはならない。そのまま仏の御意と思わなければいけない」と述べられています。
法華経の功徳は平等です。法華経は平等に救う教えなのです。知恵のある者も、ない者もわけへだてはありません。これまでおかしてきたあらゆる罪をなくし、善い心をおこさせます。また、その心の持ち方一つで、幸せにも・不幸せにも感ずることができます。何事にも感謝して暮らしていけば、人生は明るくなり、人もまたたくさん集まって来るでしょう。法華経を信じる者も、また法華経をそしる者も、この法華経の限りない功徳に包まれることによって、ともに仏に成る道をなしとげることができるのです。過去・現在・未来その三世にあらわれたもろもろの仏縁は、いずれも法華経を悟って仏に成られました。日蓮聖人は「法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり」といわれました。一切の仏を生み出した深い教えが法華経です。法華経に出会えた喜びを忘れることなく、法華経を読み、御題目を唱えて信仰していきましょう。

■法華経を説く者は 釋尊の使いである
日蓮は幼若の者なれども 法華経を弘むれば 釋迦佛の御使ぞかし  『種種御振舞御書』
例えば、あの大きな戦争を体験されて誰もが二十歳まで生きれたことに、まず感謝が出来た昭和二十年代から三十年代にかけての成人式は、どんなにか思い出に残る素晴らしいものであったろうと、不思議なことにテレビで沖縄の荒れた成人式を見ながら、そう思った。愚連隊さながらの男の子達はもとより、恐らく親から買ってもらったのであろう、振袖を台無しにしながら騒ぐ女の子達の悲しい姿を見てどうかこれからの長い人生を通して、二十歳のときに自分がした振舞いを恥じ入る時が来てくれる事を、親の一人として祈る思いである。
私達が、限られた人生を通して学ぶものは、「人の振舞」真の大人の条件とは、自分自身が「未熟」であることをしっかりとわきまえ、その「未熟」を生きながら自身の魂を成長させ、それぞれの立場で社会に貢献していくことを誓うことである。この誓いは求めて得ざる願い故に、私達は誰もが皆、見事な程に人生を苦しんではいるけれど、だからこそ人間を生きている実感を、私達はこんなにもかみしめることが出来るのです。人は今、まさに「発展途上」を生きている。
「たとえ一人の人であったとしても、たとえ一文一句であったとしても、法華経を説く者は、釋尊の使いである。」  (法華経法師品)
この法華経のみ教えをそのままに、日蓮大聖人は、たとえ幼若=未熟の我が身=であっても人にはやらねばならないことがある。釋尊の使いとして、今を生きる私達の行いが、そのまま法華経を弘めることになる事をお示し下されたのです。人は誰も、「求めて得ざる苦しみ」を背負って生きる、生身の佛。誰かの為に尽くしたいと願う心は、そんな発展途上の佛が見せる、人としてのいちばん美しい魂の表現方法、お釋迦様の使いであることの証なのであります。祈って(願い)悟って(気付き)行って(弘める)人の為、我が身の為に日々精進して参りましょう。

■『運想』について
今回は、皆様も何度も読まれたことのある『運想』について解説したいと思います。これは、方便品や自我偈といったお経文ではなく、また、日蓮大聖人がのこされた御遺文でもありません。
『運想』(想いを運す)は、江戸時代末期、金沢に「充洽園」という塾を興して近代日蓮宗の教学(教え)を確立し、日蓮教団の再興に貢献された「優陀那院日輝上人」という方が説かれた、お題目の想いにひたることを目的とした指南書(手引書)で、お題目や法華経を読む功徳について述べてあります。つまり、お題目をお唱えすることはお釈迦様の説かれた法華経に想いをめぐらし、お釈迦様の御心を頂戴することでありますが、何度もお唱えするうちに単調になりがちなものです。そこでこの『運想』の文を、お題目をお唱えする前にあらかじめ唱えて、お題目に集中することが重要であるということを述べられております。
「唱え奉る妙法は、是れ三世諸仏所証の境界、上行薩藉霊山別付の真浄大法なり。」 ・・・ お唱えする「南無妙法蓮華経」のお題目は、過去・現在・未来の三世にわたるすべての仏様が悟りに到達された境地をあらわすもので、教主であるお釈迦様が弟子である上行菩薩に命じて、末法の世でこの教えを弘めるよう特別に委嘱されたとても清らかなすばらしい大いなる教えなのです。
「一度も南無妙法蓮華経と唱え奉れば、則ち事の一念三千正観成就し、常寂光土現前し、無作三身の覚体顕れ、我等行者一切衆生と同じく、法性の土に居して自受法楽せん」 ・・・ だから、「南無妙法蓮華経」とお題目を一度でもお唱えしたならば、たちまちにお釈迦様の尊い救いの教えを正しく理解し体得することができますし、その眼の前にお釈迦様の悟りの世界を確かめることができ、そのお姿が現れその本体が明らかとなります。私達法華経の教えを一心に修行する者は、すべての人々と一体となり、その悟りの世界にあって、自らがその悟りを味わい楽しむ境地を得られるでしょう。
「此の法音を運らして法界に充満し、三宝に供養し、普く衆生に施し、大乗一実の境界に入らしめ、仏土を厳浄し、衆生を利益せん。」 ・・・ この「南無妙法蓮華経」の唱題の声を周りに響かせて全世界に満ちあふれさせ、仏(お釈迦様)・法(法華経)・僧(お釈迦様の弟子・その教団)の三宝に供養を捧げ、すべての人々にその功徳を施して、お釈迦様が説かれた大いなる教えの境地に導き、さらにはこの世界をおごそかで汚れない清浄な地にし、すべての人たちにこの教えの救いをもたらしましょう。
以上が本文の解説です。先師が残されたこの教えを胸に、お題目修行に励み、その功徳が世界中に弘まりますよう日々精進して参りましょう。

■無明と苦悩の世界
昨今、再び親殺し、子殺し等の事件が多発しています。普通の家庭の「良い子」といわれていた子供が、ある日突如として親や兄弟あるいは祖父母を殺傷して、しかも家に火を付け行方をくらまし数日後に発見保護される事件でした。周囲の人達には大変仲が良い家庭、家族思いの「良い子」と映っていました。原因として考えられるのは親子間の些細な心の行き違いです。縁あってこの世で親となり子となり、兄弟となったのです、また人は一人で生きているのではありません、世の中全ての人々と関わって生きているのです。今一度「私」と人々との繋がりを考える必要があるのではないでしょうか。宗祖は「立正安国論」の中に正法が聞けない世の中では、瞋り(いかり)・貪り(むさぼり)・痴か(おろか)・闘い(たたかい)の四つの悪い精神ばかりが増して善心は減り衰え、人々は生死の迷いの河、すなわち無明と苦悩の世界へ落ちるとされています。日本の政治の中枢に間違った法を信じる人達が関わっています、今こそ正しい法を信じ「仏の国」とせねばなりません。

■いかされる生命(いのち)
今身より仏身に至るまで爾前の殺生罪を捨てて法華寿量品の久遠の不殺生戒を持つや否や持つと三辺。  「本門戒體鈔」
小食の子供に母親が「残さないでもっと沢山食べないと、大きくなれないわよ。」と怒っている。私が子供の頃には「お前まだ食べるのか?」とあきれられたものだが、と苦笑してしまう。私達は普段せっかく自分の身を犠牲にしてまで、私達の糧となってくれた動物や植物に、感謝の気持ちを忘れている。他の生きとし生ける者は皆、殺した「いのち」を生かしているのに人間だけが「殺す」のである。私達にとって「いのち」とは、何よりもかけがいのない大切なもの。けれども、自分にとって大切なものが、他のとってもかけがえのないものだということを、私達は忘れてしまっている。私利私欲の為だけに、他人を傷つけたり、殺したり、苦しめたりする人は、それがかえって自分自身の「いのち」を殺していることにどうして気付かないのでしょう。例えば、同じ食糧であっても、家族や社会の為に役立とうと、精進する人の糧となる「いのち」は、幸せだ。何故なら、きっとその「いのち」は、それぞれに与えられた環境の中でみ仏の用(=はたらき)を顕すその人達の「いのち」に同化して久遠の生命を生きる(=成仏)からだ。しかし、人道にもとる行いをする者に食された「いのち」は、苦しみながらその者の栄養となり、三悪(地獄・餓鬼・畜生)を生きねばならないのだ。数限りない関わりあいとお蔭の中で数限りない「いのち」を戴いて生きる私達だからこそ「いのち」を継いで生きている有難さと、生かされる「いのち」の尊さと、その使命の重大さとを何よりも認識しなければならないはずです。食べ物を大切にするというのは「いのち」を大切にするというのは、そういうことであります。
大聖人様がお示しくださった「久遠の不殺生戒」とは、み仏から頂戴した自分自身の「いのち」を決して無駄にしないことなのであります。  
 

 

■『菩提心をおこす人証多けれども、退せずして実の道に入る人は少なし』
昨年十一月、高橋尚子選手が出場した東京国際女子マラソンが行われました。二年前のこの大会で二位となった彼女、それから二年間私たちに伝えられる情報は、何一つ高橋選手を後押しするものはありませんでした。二年前に止まった彼女自身の時間を進めるために敢えて難コース東京を選んで臨んだレース。二日前のふくらはぎ肉離れの会見を聞き、「いつ後退していくのか」「いつ止めてしまうのか」そう云う思いで中継を見ずにはいられませんでした。ところが三五・七キロ地点、圧倒的な力の違いを見せつけるスパートで一気に抜け出し、文字通り風のようにゴールを駆け抜けました。「今、暗闇の中で悩んでいる人、夢をあきらめないで。夢を持つことで充実した日々を送ることが出来る。一日だけの目標でもいい。夢があれば必ず光はみえてくる。」二年間止まっていた時間を、自らの力で再び刻み始めさせた彼女のレース後の言葉は心に響いた。
『菩提心をおこす人証多けれども、退せずして実の道に入る人は少なし』日蓮聖人、松野殿御返事にてのお言葉です。

■『四弘誓願(しぐせいがん)』
衆生無辺誓願度 煩悩無数誓願断
法門無尽誓願知 仏道無上誓願成
今回は、皆様もよくご存知であります『四誓(しせい)』についてご説明したいと思います。正式には『四弘誓願(しぐせいがん)』と言い、四弘(しぐ)・四弘誓(しぐせい)などとも称します。日蓮宗だけではなく他宗にも共通しますが、各宗派によって字句に若干違う部分があります。ちなみに真言宗では、
衆生無辺誓願度 福智無辺誓願集
法門無辺誓願学 如来無辺誓願事
無上菩提誓願成
と五句唱えるところもございます。日蓮宗では、法要、朝・夕のお勤めなど勤行の「回向」の次にこの文をお唱えする事になっており、この文をお唱えした後には必ずお題目を三唱するのがきまりとなっております。『四弘誓願』とは、仏様の世界へ一歩でも近づく為の四つの誓いの言葉で、弘はあらゆる願いの広く大きいこと、誓は自らの心に堅く誓うこと、願は修行の満足を求めることを意味しております。ではこの四句を簡単にご説明したいと思います。
衆生無辺誓願度 《衆生の無辺なるを度せんと誓願せん》 苦悩にあえいでいる限りなく多くの衆生を救おうと誓い願います
煩悩無数誓願断 《煩悩の無数なるを断ぜんと誓願せん》 数え尽くせないほど沢山の、人間を悩ます欲望をとどめさせようと誓い願います(煩悩は無くせないので抑えるべきものである)
法門無尽誓願知 《法門の無尽なるを知らんと誓願せん》 修めても尽きることのない仏様の教えを修得しようと誓い願います
仏道無上誓願成 《仏道の無上なるを成ぜんと誓願せん》 この上なくすぐれている仏様の悟りに至る道を成し遂げようと誓い願います
以上が『四誓』の説明ですが、日蓮大聖人は『小乗大乗分別抄』というご遺文で第一句を特に強調されております。これは、この句がどの宗旨にも共通するもので、命あるものすべてを救おうとする大乗仏教に共通した根本の本願であるからです。そして、この第一句は菩薩としての行の始まりであり、この誓願が満足することによって他の三句も成就するのであると日蓮大聖人はおっしゃっています。私達もこの大聖人の思いを胸に『四誓』をお唱えし、お釈迦様の大いなる慈悲と救済を確かめ、少しでも仏様の悟りに近づきたいとの願いを込めて、法華経・お題目修行に励んで参りましょう。

■立正安国・お題目結縁運動
宗門運動(平成十七年度〜平成三十四年度)『立正安国・お題目結縁運動』について
皆様のお寺に新宗門運動のポスターが掲示されていると思います。この立正安国・お題目結縁運動とは何なのか、一目では難解な言葉に感じる事と思います。今、NHKテレビで放映されている『義経』兄の頼朝が開いた鎌倉幕府、宗祖日蓮大聖人が活躍された時代です。大聖人は立教開宗ののち清澄寺から鎌倉の松葉谷に庵を結び布教伝道の日々を送っておられました。この時大地震・台風・伝染病とたて続けに大災害が襲い、国中の人々が恐怖にさらされました。大聖人は仏教の国である日本で何故この様な混乱が起きるのか、一切経(お釈迦様が説かれた全ての教え)を調べ原因を究明されました。その結果、この国には釈尊の教えである法華経が取り入れられていないのが原因であるとの結論に達せられました。是を『立正安国論』にまとめられて鎌倉幕府に奏進されました。時に、文応元年七月十八日(一二六〇)のことでした。来る平成二十一年は安国論奏進七五〇年をまた、平成三十三年には大聖人ご生誕八〇〇年の慶事を迎えます。そこで現代の世の中に大聖人が示された立正安国の御心を伝えることを目標としてこの運動が決められました。
岩間湛正宗務総長はこの運動達成のために五つの基本目標を掲げられました。
第一は『お題目こそ成仏の種』 私達の人生の目的は、仏様によって心の奥底に植えられた仏の種をお題目によって育てて実らせる事です。第二は『人を育てる、人こそが法の担い手』 立派な教えがあってもそれを伝える人と、受け取る人が居なければなりません。良き教師(僧侶)と檀信徒が一体となって修行に励み、未来に教えを伝えなくてはなりません。第三は『心の平和、社会の平和、世界の平和』 家庭でお題目を唱える功徳により必ず健やかな心、幸せな家庭を築くことが出来ます。このことが社会の平和、世界の平和への基礎となるのです。第四は『現代社会の諸問題への対応』 現代社会の物質文明は行き詰まり、終焉に向かっています。その結果環境汚染や飢餓・病気等の問題により世界の人々のいのちはおびやかされています。大曼陀羅ご本尊に示されたお題目の光明によって、あまねく世界を照らすように様々な問題に対処しなければなりません。第五は『世界の仏教徒と共に』 宗教が戦争やテロの原因になっている現状です、私達は世界の仏教徒と手を取り合い、他宗教の人々との対話を通して平和の基礎を造って行かねばなりません。
以上、五つの基本目標をお伝えしましたが、結縁とは仏縁を結ぶことです、大聖人は「下種結縁」と示されています。これはお釈迦様が法華経を説いて、人々の心に成仏に必要な種を植え付け、仏となる縁を与えることです。つまり大聖人が弘められたお題目を唱えることを下種結縁と言います。朝夕の勤行等によって、私達の心田に植えられたお題目の種を育て、成仏という豊かな実りを得たいものです。そしてこの豊かな実りを多くの人々に伝えることによって、一粒の種が多くの実りとなり、大聖人の目指された立正安国の実現に近づくのです。
人の寿命は無常也。出る気は入る気を待事なし。  《妙法尼御前ご返事》
我々人類は、息を吐いて次の空気を吸わなければ、どんなに健康な人でも三分ともたずに酸欠で死んでしまいます。又、次の日の朝、必ず目が覚めるといった保障はどこにもありません。無意識のうちに我々は、寝ている間も休みなく呼吸を繰り返しています。では、私達は一日にどのくらいの空気を吸っているのでしょうか。ある大学の教授の計算では、普通の人が一日の生活で、およそドラム缶五七本半もの空気をただで吸い続けているそうです。しかし、ただであるが故に我々は、この空気の有り難さに気付いていないはずです。もし空気が無くなったとしたら、我々はこの地球上で生きていく事は出来ません。さらには、他のたくさんの「命」を頂いて我々は生かされているのです。
では、皆さんはこの生かされている自分の「命」について考えた事はあるでしょうか。「命」とは不思議なもので、我々人間はもちろん、どんなに小さな動植物にいたるまで色々な「命」かありますが、その「命」に大小の差は無く、色や形もありません。しかし、全ての「命」には必ず最後があります。そうです、いづれは確実に死が訪れます。しかし、仏さまは『生と死は一緒である』と教えられています。それは私達のご先祖様の「命」、お釈迦様の「命」を預かっているからです。歳を重ねますと男性の方はだんだんと父親に似てきますし、女性も母親に似てきます。これこそ「命」を受け継いでいるということではないでしょうか。仏さま・ご先祖様から受け継いだ大切な「命」を粗末にしてはなりません。この大事な「命」を大切にする方法は、報恩感謝の心を常に心身に保つことです。親やご先祖様を思い、それを態度であらわすこと。すなわち、仏さまの教えである法華経を読誦し、日蓮大聖人がお唱えになった南無妙法蓮華経を唱え、心から感謝する気持ちを保つ、それが一番大切なのです。お題目を唱え、悔いの無い毎日を過し、それを子孫に伝えていくことこそが私達の大事な役目では無いでしょうか。

■開経偈
無上甚深微妙の法は。〜中略〜  生々世々。値遇し頂戴せん。
読経(お経を読む)の前に唱える偈文を開経偈といいます。はじめの四行はほとんどの宗派で用いられていますが、日蓮宗以外では四行目を「如来の真実義を解せん」と唱えます。日蓮宗では、究極の経典「法華経」によって誰もがさとりを得られること、この教えにめぐりあえたことに感謝し、いくたび生まれ変わっても、この教えを受持することを誓うというお経です。この開経偈の文は、『このうえもなくすぐれた仏様の教えは、百千万劫という永遠の時を経てもめぐりあうことは難しい。しかし、私は今幸いにしてその教えを聞き、乗直に信じる事ができました。どうかこれからも修行して、仏さまの無上の教えを体得したいと心から願っています。
仏法の極まりである大乗の教えは、我々凡夫には考えもおよばないものです。しかし、見ること、聞くこと、感じること、知ること、そのすべてを通じて、菩薩(さとりの智慧)に近づくことができます。その教えの内容を明らかにしてくれるのが、報身(お釈迦様)であり、つまりは法身(真理そのもの)であり、そして色や形として肉眼でみることができる「法華経」の一文字一文字、これがすなわち応身(仏の化身)なのです。はかり知れない功徳がすべて、「法華経」に集約されているのです。だから、なんの障害もなく、暗闇に香るように秘かに恩恵を与えてくれます。智恵のある者にもない者にも罪を消滅させ、善を生じます。信じる者も、誹謗する者も、ともに悟りの道を成就するでしょう。過去・現在・未来にわたる仏様方によるすぐれた経典なのです。生まれ変わり死に変わりして多くの世を経ても、めぐりあい、受持いたします。』という、ほとんどの皆様がお経が始まる前に、お読みになる経文であります。
私たちは、報身(祈り)、法身(悟り)、応身(行い)というこの日蓮宗の三大誓願を受持し、法華経の教えの通り歩み、自分自身が仏の化身である事に気付かねばならないという事であります。今まで以上に法華経に接し、仏の子として共に精進して参りましょう。

■心の財
人身はうけがたし爪の上の土。人身は持ちがたし草の上の露。〜乃至〜 蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給べし。  崇峻天皇御書
このお言葉は日蓮大聖人五十六歳、建治三年(一二七七)九月十一日、身延より信者である四条金吾氏に出されたお手紙の一説で、四条氏よりたくさんのご供養を頂いたことに対するお礼状でもあり、お題目による救いを説かれた日蓮大聖人のお言葉の一つです。二十一世紀を生きようとする我々人類に欠くことができないのは、慈しみに生かされる心の豊かさではないでしょうか。我々の生きている今日、科学技術は核兵器をはじめとする軍備の問題・ハイテク産業による情報工業化、さらには生命科学の分野における遺伝子研究・クローン生物の誕生など、想像をもつかない恐ろしいばかりの発展をみせています。
しかし、これらの科学技術を研究開発し、使用するのは人間の心にあると考えるとき、常に生命の倫理を第一に考えなければなりません。この世に生を受けているものはお互いに繋がり合っている大切な「いのち」の尊厳を、慈しみの心で見つめる視点を失ったならば、人類そのものを破滅へと導くことになりかねません。また、"人類は平和を願う"と口にし、"生命の大切さ"を叫びながら不幸な戦いを繰り返しています。現に今起っているイラクでの自爆テロなどは皆さんもご存知のはずです。そして、昨今では自らの命を絶つものが増加の一途をたどるばかりです。せっかくこの世にいただいた有り難いこの命を、まるでテレビゲームのリセットボタンを押すように簡単に死を選び、安易に他人を傷つける者が激増しています。まさに心の豊かさが失われている証拠であります。限りある私たちの尊い命。信仰を糧とする心の豊かさ。それを大切に思う生活を送ろうではありませんか。心の財の尊さを知ることのできる人生であれば、必ず身の財・蔵の財がそなわるはずです。日蓮大聖人からいただいた大きな財・お題目に合掌し、お唱えする縁をたくさんいただけますよう、日々精進して参りましょう。

■『宝塔偈』此経難持のお話し
前号において「此経難持(妙法蓮華経見宝塔品第十一)」の中で最も大切な「六難九易」について説明致しました。この六難九易の文を体得した日蓮大聖人は末法における法華経弘通の唱導師であることを表明され、大聖人の死身弘法・法華色読の弘教活動を支えた経文であります。日蓮大聖人は人々を救うため困難を覚悟の上でこの法華経を弘められたのです。ところで「此経難持」の唱え方について疑間をお持ちになった事はございませんか?
日蓮大聖人が伊豆へ流罪になられた時のお話です。配流される日蓮大聖人を乗せた船が出港しようとした時、弟子の一人日朗上人が役人に同行を求めました。役人は日朗上人の申し出を拒絶するだけでなく、擢で上人を打ち据えたのです。痛みに砂浜でうずくまる日朗上人を残し日蓮大聖人を乗せた船は岸を遠ざかって行きます。その時日朗上人の耳に大聖人の「宝塔偈」を唱える声が聞こえてきました。日蓮大聖人の声は波に遙られ、時には詰まり、時には伸びて聞こえてきます。御自身がどうなるかもしれない特に悲痛な面持ちで見送る弟子達に「宝塔偈」を唱え励まされたのです。弟子達もまたその声に合わせ「宝塔偈」を唱えられたと言われています。この事に由来し、現在でも「宝塔偈」を独特のリズムでお唱えするものです。宝塔偈では、しっかりとした信念を持って法華経を持つ人がいるならば、仏天がその精進に対し喜び、その人々をお守り下さると結ばれています。法華経の一文一句、一心に経文の意味をかみしめ、日々の仏道修行に精進致しましょう。

■『宝塔偈』
七月に長崎でおきた十二歳少年による殺人事件、その少年の児童自立支援施設送致が決まりました。私事で恐縮ですが事件の後、近所の小学校から《生命の貴さ》について話をして欲しいとの依頼がありました。
「ご先祖様からずっと受け継がれた命のバトン、今僕がここに生まれて生きているのは奇跡的なことなんだなあと思いました。」話を聞いた五年生の男の子の感想です。奇跡的に授かった命をどう生きなければならないのか、それを子供たちに伝えていくのは私たち大人の務めです。「「人身は受け難し爪の上の土、人身は持ち難し草の上の露、…蔵の財より身の財、身の財より心の財が第一なり」」日蓮聖人崇峻天皇御書でのお言葉です。「此経難持…宝塔偈のはなし」 「シキョウナンジ─」、お題目の後に独特の節でお唱えするこのお経は、俗に「此経難持」とか「難持経」等と呼ばれ、盛んに読まれています。実はこのお経、法華経第十一番目のお経「見宝塔品」の最後に説かれている偈文(詩句)であることから、「宝塔偈」と言います。このお経「見宝塔品」には、お釈迦様が亡くなられた後、我々弟子たちがこの法華経を信じ弘めていくうえでの六つの難しいことと、九つの易しいことが対比されて説かれています。又、九つの易しいことも必ずしも易しいことではなく、普通では大変難しいものとされていますが、お釈迦様滅後法華経を持ち弘めることに比べれば易しいことであるとされています。
即ち六難とは、広説難─法華経を説き弘めること。 ・・・ 書写難─法華経を自ら書き、他の人にも書かせること。 ・・・ 読誦難─法華経を読んだり、誦したりすること。 ・・・ 説法難─法華経を人のために説き聞かすこと。 ・・・ 問義難─法華経を聞き、その意味を問うこと。 ・・・ 受持難─法華経を持ち続けること。以上の六つが六難で、九易とは、無数にある法華経以外の経典を説くこと。 ・・・ 大きな山『須弥山』を手にとって投げること。 ・・・ 足の指で三千大千世界を動かし他国へ移すこと。 ・・・ 『有頂天』という最高の山で、大衆のために無量の経典を説くこと。 ・・・ 虚空を手にとって自由に歩くこと。 ・・・ 足の爪の上に大地を載せて天に昇ること。 ・・・ 乾草を背負って大火の中に入っても焼けないこと。 ・・・ 法華経以外の経典によって神通力を得ること。 ・・・ 無数の衆生に法華経を説いて小さな悟りを得させること。以上が九易です。このように法華経を持ち弘めることの難しさが説かれています。それでは、「宝塔偈」のお経文をおって解説致します。
【此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我則ち歓喜す 諸仏も亦然なり】 この法華経を信仰して持ち続けて、実行するのは容易なことではありません。だから、もししばらくでも受持するものがあれば、我(お釈迦様)は非常に喜びます。亦、全ての仏さまも皆喜ばれることでしょう。それは、お釈迦様の教えを信じることで、全ての仏の教えを信じることになるからです。つまり、法華経を信じ持つことは、堅い信心が無くてはできないのです。この信心こそが、全ての人々を救済することにつながっていくことになります。
【是の如き人は 諸仏の歎めたもう所なり 是則ち勇猛なり 是則ち精進なり 是を戒を持ち 頭陀を行ずる者と名づく】 このように法華経を持つ人は仏さまがほめ讃えるほど尊い人であり、これこそどんな困難にも打ち勝つ、勇気のある人であり、その道に向かって真っ直ぐに進んで行く精進の人であります。戒とは仏さまの教え、即ち法華経でありお題目のことで、頭陀とは全ての物質的欲望のことであります。その欲望を捨て法華経を信じ、お題目を一心にお唱えすることこそ真の仏道の修行であるといえるのです。
【則ち為れ疾く 無上の仏道を得たり 能く来世に於いて 此の経を読み持たんは 是れ真の仏子 淳善の地に往するなり】 このような善い行いを続けて行けば、無上の仏道即ち仏に成る道が得られるのです。未来の末法の世にこの法華経を信仰し実践する人こそ真の仏さまの弟子・子供であり、雑じり無いすばらしい境地に至り住することが出来るのです。
【仏滅度の後に 能く其の義を解せんは 是れ諸の天・人 世間の眼なり 恐畏の世に於いて 能く須臾も説かんは 一切の天・人 皆供養すべし】 仏滅後の末法の世に、法華経の真の意味を理解して体得するならば、これこそ天上界・人間界世間全ての目標となるでしょう。恐ろしい末法の世でありますから、正しい教えを弘めようとすると、それを邪魔しようとする者が出てきます。しかし、しっかりとした信念を持って法華経を説く人がいるならば、天も人もその努力に感謝してその人々をお守り下さるでしょう。
以上が『宝塔偈』の説明です。私達は素直な心で法華経を持ち、お題目唱題の正行に励むことが肝要であり、そこにお釈迦様をはじめ、諸仏諸菩薩のご守護が現前するのです。

■旦行礼拝
アメリカとイラクの戦争は、圧倒的軍事力の差でアメリカの勝利におわりました。無政府状態になったイラクでは、博物館から「目には目を歯には歯を」の言葉で知られるハムラビ法典が略奪に遭いました。アメリカもイラクもこの、やられたらやり返せ主義で戦争をして悲惨な結果をもたらしたのです。決してこの考え方で平和は訪れません。今こそ法華経で説かれる常不軽菩薩の「旦行礼拝」の精神が必要不可欠であります。危害が与えられようがひたすらに相手を拝む。その敬虔な姿で相手を導いていく。絶対的な非暴力が仏様の本意であります。今日本は、有事法制整備に力を入れてどうも仏の本意に背く方向へ進んでいるようです。五十八年前の教訓は、今どこへ。
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。  《如来滅後五五百歳始観心本尊抄》
このお言葉は日蓮大聖人五十二歳の文永十年(一二七三)四月、佐渡配流中、一の谷で著述された觀心本尊抄の一節で、大聖人が延長五年(一二五三)の四月より三十年間唱えられ、弘められた南無妙法蓮華経の御題目とは何であるかを説かれたものです。「お釈迦様が仏となるまでの修行のすべてと、お悟りを開かれて以後(仏となられた後)のお釈迦様の功徳のすべてが妙法蓮華経の五字のなかに説き顕わされており、私達でも妙法蓮華経の五字を堅く信じて、その気持ちを強く持ち続け、一心にお唱えするならば、自然とお釈迦様が仏となられるために御修行された功徳と、お悟りの功徳その全てを譲り与えられるのであり、教主釈尊の広大無辺なる慈悲救済をいただくことにほかならないのである」と述べられております。
お釈迦様は、遥か遠い昔に長い修行によって悟られた真理を法華経に説き顕わされました。すなわち、『如来寿量品』において末法(正しい教えや行動がすたれて世の中に混乱と退廃が起こる時代)の人々を救うためには、この妙法蓮華経の教えが必要であるとして「是の好き良薬を今留め此に在く」といわれ、『如来神力品』で上行・無辺行・浄行・安立行の本化の四菩薩たちを呼び出され、末法の世の人々を救済するために妙法蓮華経(法華経)の教えを世に弘めることを、命じられたのでした。つまり、妙法蓮華経の題目とは単に法華経というお経の名前であるだけでなく、仏の悟りのすべてを表す名であり、仏の悟りの本体である智慧と仏の修行と悟りと、仏が人々をを救済する働きとを含んでいるのであります。我々はこのお釈迦様の尊い御教えを我が身となし、大聖人と共にお題目の修行を実践しなければならないのです。

■「子を持って初めて知る親の恩」
世に「子を持って初めて知る親の恩」と言います。法華経は、その真理の形や信仰のあり方を親子のたとえ話でしばしば説かれています。「「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」」とお釈迦様は説かれ、日蓮聖人は、「「一切衆生の同一の苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし」」と答えられました。お釈迦様や、日蓮聖人は、私達が考え得る親心以上の親心で私達を心配して下さっています。我が子を思う同じ心で親孝行をし、報恩感謝の心で掌を合わせましょう。
起塔供養 所以者何  「塔を起して供養すべし」 「ゆえはいかん」
當知是處 即是道場  「当に知るべしこの処は」 「即ちこれ道場なり」  《如来神力品第二十一》
「私の家にはまだ故人がいないので仏壇は要りません」「私は分家だからいいんですよ」「家が狭くて仏壇なんか置く所がない」等々良く耳にしますが、果たして仏壇とは何なのでしょうか。仏壇とは崇敬の仏像。曼荼羅本尊及び宗祖御像並に先祖の位牌・過去帳を案じ五供(香・華・灯・浄水・茶・飯食)を供え、朝夕礼拝供養し報恩感謝の誠を捧げる壇のことで、亡くなった人を祀る為だけにあるのではありません。
第一に御本尊を中心に祀り、そこが修行の道場になるということです。また先祖というものは本家だけが関係があるのでなく、私達がこの世に生をうけているのは先祖あってのことですので、分家であろうと大切に祀ることが大切です。しかし現実には家族の誰かが亡くなって初めて仏壇を求める人が多いようですし死別という悲しみを縁として、仏様の教えに出会うことができるのも事実のようです。この神力品の句は、どこであろうと塔(本尊)を起てて供養すれば、自分が居る処は大切な道場であり、霊山浄土と同じである。つまり法華経を信じ、お題目を唱える処はどこでも道場となる。お釈迦様、日蓮大聖人と同じ心で修行し信仰すればどこでも、生活の場もそのまま道場であり、霊山浄土になるわけです。例えば鍬で耕している田畑が、機械を操作する工場が、パソコンに向き合う事務所が、そして炊事・洗濯・掃除に明け暮れる家庭がそのまま道場になるのです。皆さんの心の内に題目の宝塔を起ててお釈迦様、日蓮大聖人、先祖に手を合わせる場(即是道場)、家庭の中心として仏壇を活用し、自分の魂を磨く場、先祖供養の為にもこの神力品の持つ意味をかみしめて、心を磨こうではありませんか。

■上野殿御返事
「或は火の如く信ずる人もあり、或は水の如く信ずる人もあり。火の如くと申すは、聴聞する時は燃えたつばかり思へども、遠ざかりぬれば捨る心あり。水の如くと申すは、いつも退せず信ずるなり。」
信仰をする人の中には、火のように信じる人もあれば、水のように信じる人もあります。火のように信じるとは、説法を聴聞する時は大いに感激して燃えたつばかりに思いますが、時がたつにつれ、信仰が薄れてしまう一時の信心をいいます。水のように信じるとは、河の水が常に流れているように、いつも退転せず永々と信じ続ける信心をいうのであります。大聖人のお仰せになる水の信仰とは、ただ怠らず続けて精進していくという事だけの教えでなく、お題目の教えをしっかりと身につけて信じて疑いなくお唱えしていく事を仰せになっておられます。今は、ご利益信仰が流行しております。そのご利益のみを求めるが為に、自分の意に叶わぬ結果になってしまえば今の信仰が駄目だと思い又別の信仰に変えてしまう。この様な事では、本当の信心とは言えません。例え求めぬ結果となり苦しむ事になりましても、お題目をお唱えする私達は、その苦しみは、自分を成長させる為の仏様から与えて頂いた試練として受け止め、退転する事なく、逆に感謝の心を持ってお題目をお唱えする事が大事であります。
本年は、日蓮大聖人が初めてお題目をお唱えになられて七五〇年になります。一口に七五〇年と申しましても、その長さを具体的に想像できますでしょうか。また、「始める事」や「止める事」は、「続ける事」に比べれば簡単な事と思います。日蓮大聖人は御年三十二歳で初めて「南無妙法蓮華経」とお唱えになられて、生涯唱え続けられ自ら水の信仰を我々にお示し下さいました。そして、そのお題目は、七五〇年もの間、受け継がれて、今でも唱え続けられています。七五〇年間、大河の如く流れ続けた日蓮大聖人のみ教えそして、お題目を次の代に伝えるのが我々の努めであると思います。  
 

 

■天の童子
天諸童子以為給使 刀杖不加毒不能害  《安楽行品第十四》
法華経安楽行品第十四の中のことばです。真に法華経を世に弘めるものはどんな艱難に値っても、必ず天がこれを護るということです。天の童子が法華経を弘める人を給仕し、介抱せしめます。そうして武器を持ってこれを害そうとしてもその武器が役に立たない。刀杖も加えることができない。あるいはまた毒をもってこれを害そうとしても、これを害することはできないと説かれています。
日蓮大聖人は命がけで法華経を信仰されました。普通、我々の信仰の仕方といいますと、大概自分の行いは悪いが浄土にやってくれとか、楽をして金が儲かりますように願う。あるいは自分ほど信仰するものはいないがくだらないことですぐ怒る等、行動を伴わない欲望だけの信心、信仰ということも多いようです。又、逆に「仕事が忙しくて信仰する暇がない」?というような事を聞いたことがあるのですが、信仰とは寺の本堂や仏壇の前で経を読んだり題目を唱えたりすることだけだと考えておられるのでしょうか。もちろんそのことは信仰活動の大切な行いなのですが、本来信仰とは日常の生活を離れては在りえないのです。例えば仕事をしている時も、食事をしている時も、歩いたり車を運転していても寝ていても仏の心でいる。
日蓮大聖人が、弟子の日朗上人にあてた手紙の一節に「法華経を余人のよみ候は、□ばかりことばばかりはよめども心によまず、心によめども身によまず」(土籠御書)と書かれておられます。ご本尊である久遠の本師お釈迦様、その教え(題目)を信じ、生活行動する、生きているうちに仏の心を持ち、自らの命は惜しまず命がけの法華経の生活をされたのが日蓮大聖人です。その為、龍の口の法難で奇跡的に救われたのは、天の助けがあり雷が刀に落ちたからだといわれています。世界が宗教対立している今、上辺だけでない法華経に立脚したしっかりとした信仰的考え、行動が日蓮大聖人に一歩でも近づく事であり、大聖人の「立正安国」を目指し精進してゆかなくてはなりません。

■実乗の一善
汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。  《立正安國論》
このお言葉は日蓮大聖人三十九歳の時、時の政治的な権力者である前執権の北条時頼(最明寺入道)に献呈された「立正安國論」の結論の部分です。
日蓮大聖人は一生涯にわたり立正安國論を講義、そして実践されました。お題目を信じ、唱へ、行う事により世界の浄化、つまり立正安國の誓願の人生でした。天災が続き、内乱、元寇の恐れ等と人々の心は疲れはてている時、その宗教的な心の建て直しをしなくては真の解決方法はありません。例えば現在も、世の中の反映と考えられる成人式、近年特に顕著に見られる多くの人を悲しませるような行為。宗教を忘れた悪知恵に毒された自由主義、民主主義等と、物で栄えて心から滅ぶ、希望が無く真の喜びが感じられないといわれてもしかたない現状です。その宗教も逆にカルト、オウムの無差別テロ、霊感商法等逆に不安心を煽り、問題化しています。又佛様を自分の奴隷のように、意のままにしようとすることはないでしょうか。信仰(命令?)したら直接個人の欲望を満たす、つまり貧乏、家庭不和、病気やたたり等から救われる。有難い、ご利益がある、お供えしよう、取引しよう…
日蓮大聖人は本当の仕合せを求め行動され、世の中の乱れは、お釈迦さまの本心、法華経が正しく伝わっていないからだと考えられました。そこには生老病死に代表される四苦八苦の世で、いかに生きるべきかが説いてあり、死後はどうなるとか、霊魂のたたり等迷わす事は一切説いてありません。そこから分かるのは、今まではせいぜい世俗的な名誉とか財産を得る、個人の欲望の成就等(信仰の寸心)だけが人生の最高、最終目的であったのに対し、より尊いこと(実乗の一善、法華経)があるのです。お釈迦さま、その教え(題目)を信じ、一体化し、行動することです。今世の浄化(立正安國)が過去世、来世にもつながり真の救い、喜びがあります。かつて法華経、日蓮大聖人の信者宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。」と述べましたが、まさに立正安国の誓願から導かれています。

■身口意の三業
昨今は「荒れる十代」と言われていますが、日本の戦後教育に本当に問題はなかったのでしょうか。「教育の三原則」というものがありますが、即ち「体育、智育、徳育」の三つを指します。戦後日本は、物を造る事に全身全霊をかたむけ経済大国を目標に突き進んで来ましたが、人間の教育に於きましては「体育」「智育」には力を入れてきたものの、最も大事な心作りであります「徳育」を忘れてきてしまいました。想像を絶する少年犯罪が多発している今日、私達は、「物造り」でなく「人間(心)作り」を真剣に考えないと、本当の豊かな社会は遠い先の事になってしまいます。
此経難持 若暫持者  このきょうはたもちがたし もししばらくもたもつものは
我即歓喜 諸佛亦然  われすなわちかんぎす  しょぶつもまたしかなり
「お上人さん、これはおれが食べる為に作ったものだから虫が付いているんだ。薬かけるのが少ない証拠だからさあ。そのかわり安心野菜というわけさ。スーパー、学校等に出しているものは見た目の成りが良いものだけで、虫など付いてたら置いてくれないし、お客が買わないんだ。その為薬など必要以上にたくさんかけなければならないんだ。作ったおれは喰う気はしない。」 といって畑仕事が終わった農家の人が虫喰い茄子を某寺の本堂のご本尊、日蓮大聖人にお供えしていかれたそうです。虫が付かないように、見た目が良いように、又おいしさ等の為か農作物等には必要以上に大量の薬、放射能等が使用されると聞きます。そこで思い出されるのが、某動物園の猿です。約十年程前のことですが、本来の自然のままの食ではないスナック菓子などだけで育てていたら、奇形児が異常に増えたので、それをやめたという新聞記事をどう考えたらよいでしょうか。見た目のきれいさ、おいしさ等上辺だけで品定めをする消費者がいらっしゃればこのことをどう考えられるでしょうか。
そこでそのことに重要な役目をはたすはずの宗教も、上辺だけのインチキ宗教ではなく、本物が求められなければなりません。遂に宗教そのものがカルト宗教に代表されるように問題になっています。病気が治る等それだけ、目先のことだけで説き終わるような宗教。耳ざわりが良く甘言で引き付けるような安易な事だけを中心に布教するような宗教に魅力を感じる人が多いようです。この経文は法華経見宝塔品第十一のなかの宝塔偈の出だしで、法要では唱題の後に唱えます。お釈迦さま、法華経、日蓮大聖人の教え、そしてその誓願は「立正安国」です。その為には南無妙法蓮華経(佛の心)を口先だけでなく、身口意の三業にみんなが受持しなければなりません。そのことは本来簡単なことではないのです。生老病死の四苦に代表されるこの世界で本当の幸せを求め、実現するというのは非常に難しい事なのでお釈迦さまはこのように説かれたのではないでしょうか。

■「盲信」
最近また理解ができない宗教団体が様々な問題を起こしている。教祖を絶対的な存在とし、世間の常識が通じない「定説」とか「天の声」など教祖だけが啓示を受けて指示をし、それを信じて思い込み行動をする。その結果として社会の人々といろいろな争いや軋轢を生じさせてマスコミの恰好の材料となっている。信仰は麻薬と言われることがあるが、良しも悪しきも信じ込んでしまう事、疑う事もなく盲目的に信じてしまう「盲信」である。お釈迦様は盲信を戒め自らの心で考える事が必要といわれています、頭を取っていけません。
『衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一H一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此よりほかに又もとむる事なかれ。』  『撰時抄』
日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。  『報恩紗』
今、日本社会は疲れているようです。いじめ、自殺、家庭内暴力、離婚、学級崩壊、中毒、カルト教団、公害……さまざまに不幸な兆候が社会の表面にあらわれてきています。戦後、所得倍増政策に代表されるように、経済的な豊かさを目指し、一応物質的欲望を満たすことはできたようです。しかし精神、心の荒廃と疲労という後遺症が残ったのも事実です。原因の一つとして知恩報恩感謝の念が希薄になってきたことをあげられないでしょうか。親子の断絶、教師と生徒の対立、政治家不信、まさに仏教でいうお釈迦さまの教えはあっても、それを実践することがなく末法という時代を露呈しているようです。今こそお釈迦さま、日蓮大聖人の教えを実践する必要があります。日蓮大聖人は報恩ということを非常に重んじられました。そしてその対象は、まず肉体をさずけて頂いた父母、精神を教育してもらう師匠、身心を保護してもらう国等の主師親三徳です。そして全ての関連において我々の身心を育て教え護る一切衆生をあげ、真の報恩の為最も重要なものとして以上のことを兼ね具えている久遠実成の本師釈迦牟尼仏の恩徳を説いておられます。
たとえば親の恩。父親がサラリーマンであれば、会社勤めで家族を養ってくれたことが父の恩のひとつです。でもそれだけではありません。父親を働かせてくれた会社にも間接的に恩を受けてます。そして、その会社の取引先、消費者……一切衆生の恩、ひいては久遠の本師釈尊の恩になるのです。『報恩鈔』は建治二年初夏、大聖人五十五歳身延入山第三年目、清澄の旧師道善坊の死去の報に、昔日の御師に想いを巡らし師恩報恩感謝、追善の為弟子日向上人を使者として、清澄の兄弟子、浄顕坊、義浄坊の両名に送り、旧師の墓前で読誦せしめられました。この文章は、久遠の本師釈尊に従って南無妙法蓮華経を自分の使命として受け止め、生きとし生きるものすべてを救おうという確信より生まれました。我々は今一度この言葉をかみしめたいものです。

■何故 世紀末
来年は西暦二千年です、又西暦二千一年は二十一世紀の始まりということで、一言申し上げます。西暦二千年は特別な年?として、様々な祝う行事、まつり、イベントなどが各地で計画、予定されているようです。初日の出、観覧車、特別ツアー、電光掲示板、ホテルの予約…。観光業界も千年に一度の追い風と乗り遅れないよう懸命のようです。更にはコンピューターの二千年問題等と騒ぎはとどまるところを知らないようです。又、もうすぐ二十世紀も終わるというので、世の中世紀末と何かと騒がしいようですが、果たして世紀末、西暦とは一体どういうことでありましょうか。世紀という時代区分は西暦より成り立っています。その為紀元はキリスト誕生の年を無理に元年として計算しています。つまり世紀も西暦もキリスト教関係、そして西洋の暦でしかなかったのです。俗に上等舶来という言葉を耳にしますが昔より日本人は海外のもの新しい物はたいがい優れていると勘違いして?取り入れてきたのでしょうか。特に明治時代にはキリスト教の影響を受けた西洋の文化が大量に入ってきて、そしてそれは太平洋戦争敗戦で決定的となったようです。
例えば商売人を始め多くの人はケーキの日(クリスマス)、チョコレートの日(バレンタインデー)等横文字を使う行事には一生懸命のようですが、東洋の花祭り、花入り十五夜はともかくとして、四月八日の花祭(お釈迦様の誕生日)十二月八日の成道会(お釈迦様が悟りを得られた日)にいたっては一部の人を除いて完全に無視されてしまったような気がします。ほかにも日本人の象徴である天皇陛下でさえ、外国の要人と会う等正式の場ではネクタイを締め洋服を着ておられるようです。我々も洋服を着ることがほとんどになってしまいました。着物というものがありながら…。暦は日本にも皇紀という年号があります。今年は二千六百五十九年です。仏教国では仏暦(釈尊誕生を元年)を使い、又、イスラム教圏ではマホメット聖遷(ヘジラ)を紀元元年としているようです。まあその程度だったら時代の流れとして目くじらをたてることではないのかも知れません。
というのは、冬だというのに昔のように寒くなく、温暖化は確実に進行しているようです。原因の一つにクーラー等文明機の使い過ぎがあげられます。昔ながらの藁葺き、障子、泥壁、ふすま等自然と共生、調和してきたものから、特に西洋の影響を受けてか、自然を遮断して自己の快適の為自然を無視、あるいは敵対、犠牲にした生活の為ではないでしょうか。そしてその西洋の文化圏に多大なる影響を及ぼしたのが、砂漠の宗教であり、人間中心に自然を敵対征服しようとした侵略的な思想を持つキリスト教だったことは否定できないでしょう。良いものを取り入れ活かすことは大切なことだと思います。西洋、西暦のお蔭で今の生活を享受でき、又世界のことは理解しやすくなりました。しかし西暦を唯一絶対のように考え、昔からの良い生活習慣等無視し、余りに西洋かぶれして世紀末と浮足だつのはどうでしょうか。和合、自然との調和を説き、そして唯我一人のみ能く救護をなすと云われたお釈迦様の教えである仏教こそ真の意味で世界を救う教えです。来年は教祖でもありインドの地に生を受けられたお釈迦様仏暦三千二十年です。

■「如来寿量品」
自我得仏来 所経諸劫数 無量百千萬 億載阿僧祇 ・・・ (訓読) 我れ仏を得てよりこのかた、経たる所の諸の劫数、無量百千萬、億載阿僧祇なり ・・・ この経文は妙法蓮華経如来寿量品第十六の偈文の初まりの句です。
日蓮大聖人は『法華経』を根本聖典として宗旨を建立されましたが、その中でも「如来寿量品」を最重要視されました。『法蓮抄』に「夫法華経は一代聖教の骨髄なり。自我掲は二十八品のたましひなり。三世の諸仏は寿量品を命とし、十方の菩薩も自我偈を眼目とす。」と述べられ、お釈迦さまご一生の教えの中心は法華経であり、その中でも寿量品の自我偈の部分が法華経二十八品の真読を説き顕わしたものであるから、全仏教中の最高位置を占めるべきものであるとみられたのです。自我偈とは如来寿量品の偈文の部分をさしています。〔偈〕とは偈陀の略でつまり経論の文の一段、または全文の終りに仏の功徳や教理を讃歎して詩句の形式にて述べるものです。偈文の初まりが「自我得仏来」とあるので、初めの二字をとって「自我偈」といいます。又、お釈迦さまの久遠実成(永遠の命)を説き顕わしていることから「久遠偈」ともいいます。
つまり、私が仏になってから経過した歳月は、到底はかることの出来ないものと言われます。たとえば、川には水が絶えず流れています。そこで、目の前の水面を見つめていますと、数秒前にあった水は現在はもうありません。今この瞬間に目の前にあった水は、次の瞬間にはもうないのです。でも川がなくなったわけではありません。目の前の川に毒を流せば、下流の魚は死んでしまうでしょうし、かきまわせばその濁りは下流までつづいてゆきます。今日、命あるものすべてはやがて消えてしまいますが、それはたしかに過去から存在し、未来まで影響を与えてしまいます。だから今現在を大切にしなければならないのです。お釈迦さまは、過去から仏であった自分が、仮に今この世に国王の子として生まれ仏になる修行をして成道することが出来ました。これは全てこの地上の生とし生けるものを救う為です。

■「資質」
「資質」という言葉が言われています。今の世の乱れは政界人、財界人、役人、宗教人の「資質」の悪さかも知れません。本来「資質」とはその人が生れつき持っている性質とあります。しかし、仏様は人は生れつき平等であり元来「資質」の悪い人はいないのであります。ただ育っていく過程に於いて様々な要因が働き性質が変化するのです。「資質」の悪さとは、その仕事に就いた環境により決まってしまうのかも知れません。悪を悪と認識する眼を育てる事が必要です。仏様の慈眼は全ての事を見通しておられます。
願諸衆生 諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 

■「修行」
「修行」というと昨今では変なイメージが頭をよぎります。本来の修行とは仏法に従って善事を行うこと、つまりお釈迦様の教えに従って善根功徳を積み、私達が仏に成る努力、行を修める事なのです。この「修行」の方法としては色んな行がありますが、その根本は日蓮大聖人がお唱えになった南無妙法蓮華経を口に唱え、心に持ち、身で実行する事です。身や心を水行や読誦・唱題によって鍛錬し、仏様の智慧を私達の身近に観じて自分だけの幸福でなく、他の人々の幸福をも願う事が大切なのです。

■「慈悲」
お釈迦様のお教は全ての人々の救済が中心の考えです。昨今の新々宗教をみると自己の救済に重きがおかれ、他人はどうでも良いという考えが問題といえます。「慈悲」とは互いを慈しむ心、悲しむ心なのです。決して自己満足の心ではありません。この慈悲の心は常々の家庭の中から生まれてくるのです。仏壇の前で親が手を合わせる姿、その背中を子や孫達は学ぶのです。私達は一人で生きているのではない、多くの人々のお陰で生かされているという自覚を持つ事、自らが考える事が一番大切な事なのです。信仰にマニュアルはありません。
「備えあれば憂い無し」という諺がありますが、此の度の阪神大震災では備えも余り役に立たなかった様な気がします。大自然のエネルギーは、人間の浅はかな知恵など到底及ぶものではありません。技術の粋を尽して建てた近代的なビルがもろくも崩壊してしまいました。お釈迦様のお悟りの一部は大自然、大宇宙との関わりといわれています。法華経を信じお題目を唱えて、色(身)に心に日蓮大聖人の教えを実践し慈悲の心を持って生活をする事が本当の備えというものでしょう。

■「まけよまけ、仏の種も彼岸から」
「光陰矢の如し」と申しますが、本当に月日の経つのは早いもので春のお彼岸がやって参りました。年が明け寒い寒いと申しておりましたが、梅もほころび春の日差しを受け、草木も芽を出し暖かい気候となり、私達の心までもが明るくなってくる気がします。この様に暖かく活動しやすくなりますと色々な事が出来る様になります。私達の御先祖様は、年間を通して仏道修行の行い易い時期はいつ頃だろうかと考えられ、春と秋の時期を選択し、一週間づつ期間を設定され、この間に仏道修行に精進する事を決められました。実は、これが春・秋の彼岸の発端なのであります。そして、その彼岸は、世界中でも日本だけにしかない国民的伝統行事なのです。私達は、せっかく先祖が残してくれたこの大事なものを真摯な態度で受け止め、行動に表わして行く様努めなくてはなりません。
では、「彼岸」とはどの様な意味があるのでしょうか。彼の岸と書きますが、彼の岸とは、仏様のお悟りの世界の事で汚れのない純粋な清らかな世界を言います。これとは反対に「此岸」という言葉があり、此の岸、即ち私達の住む汚れきった煩悩で満あふれた世界を言いつまり彼岸とは、この汚れきっている世界から清らかで汚れのない仏様の世界へ渡ろうと努力精進する事を申す訳であります。
ところで今の世の中はどうでしょうか。人の幸せより自分の幸せを追求し、お金、名誉、地位を貧り愚かな事ばかり繰り返しているのが現状です。自分が幸せになる為には、他人の命までも奪い、それどころかもっとひどい事には我が子の命までも奪い取ってしまうという凶悪な犯罪も起こりました。これでは到底彼岸の世界には行けません。誠に悲しい世の中です。彼岸というのは決して難しい修行をしなさいという事でなく、自分の幸せを求める事よりも、少し周囲の人達にも目を向けて、周囲の人達の幸せというものを考え、その為に少しでも実践してみましょうという事なのです。
日蓮大聖人は「彼岸抄」の中で「「それ彼岸とは春秋の時節の七日、信男信女ありて、もし彼の衆善を修して小行をつとむれば、生死の此の岸より苦海の蒼波をしのぎ菩提の彼岸に到る時節なり。ゆえにこの七日を彼岸となづく。この七日のうちに一善の小行を修せば、必ず仏果菩提を得べし。余の時節に日月をはこび功労をつくすよりは、彼岸一日の小善はよく大菩提に至るなり」」と仰せになり、彼岸の間に積む功徳は大変素晴らしく、又それが例え小さな善行であっても功徳の大きなものになるのですとお示しであります。  
 

 

■菩薩行に励む
自分の幸せよりも他人の幸せを願い実行出来る人、この人を菩薩と申します。そして、その行いを菩薩行と申します。右の頁に説明があります様に、この彼岸の間に六つの行いをしなければなりません。六つの全部とは申しません。自分の出来る行いから始められては如何でしょうか。さっそく彼岸への第一歩を歩んで下さい。今年の一月十七日、かつてない未曽有の大惨事が兵庫県で発生しました。恐らく皆さんはテレビの報道にくぎづけだった事と思いますが、その報道の中で大変嬉しかった事は、大地震発生直後より全国各地から何万という老若男女の方々が自分の仕事を放棄し、ボランティア活動に参加され救援活動をされている事でした。まさに地獄の世界に佛の世界、彼岸の世界がある、これだと感銘しました。
人間本来、仏になる種を持っています。種は持ちながらなかなか芽を出しません、しかしながら芽を出させようと真剣に志を持った時に人間は仏になれるのです。お自我偈の中に「一心欲見佛・不自惜身命」即ち「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自らの身命を惜しまず」という救えでありますが、これは、本当に彼岸に行きたいと思うならば、自分の命さえも惜しまないという程の真剣さが必要であるという事を私達にお示しの言葉であります。日蓮大聖人のお言葉に「「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。」」とあります様に、彼岸にあたり心の財を大切にして参りたいものです。

■御会式
仏教にはさまざまな行事があります。特に春・秋のお彼岸、お盆などを営みます。お彼岸は本来私達の仏道修行の期間ですが、お盆と同じように御先祖様の供養も同時に営みます。お盆の棚経を終えてふり返ってみますと、仏壇に御本尊様がおまつりしてない家や、中の掃除もしてなくホコリだらけの家もあることです。さぞや御先祖様はなげいておられることでしょう。仏壇は家の中心です。正しくおまつりをしてお題目を唱え、明るく、温い家庭を築いて下さい。
御会式は、お題目信仰反省の日
私たち、日蓮宗の信徒は、御会式を迎えるにあたり、ただ漠然と法要を営むというのでは悲しい気がする。日蓮大聖人が我が命に替えても末法の世を救済せんが為、お釈迦様の本当の教えである法華経とそのエキスのお題目を弘められた事を思う時、私達はただ単に歴史的な流れとして受け止めるのではなく、日蓮大聖人の御心に真剣にふれていく気持ちを抱く事が大事である。この一年間、いわゆる昨年の御会式から本年の御会式迄の間、自分のお題目信仰が如何様であったか、空題目になっていなかったか、心の底からの本当のお題目を唱えていたのか、反省の起点とすべきである。この反省なくしては漫然としたお題目信仰になり、そこには何にも向上は生まれない。反省をし、新たなる精進をお誓いし、宗祖に御奉告申し上げるのが本来の御会式の意義である。私達は、仏子であり宗祖の弟子であるという自覚を持ち、強盛なる法華経の信者として努力すべきであろう。今は、末法のど真中、今こそ法華経の実践の時期である。自分だけが幸せになればいいというのでなく周囲の人々全てが幸せになってもらいたいという菩薩の心を持つ修行が大事になってくる。自分の事よりも周囲の人に対して素直に合掌が出来る人間になりたいものだ。この一年間、合掌のある素晴らしい生活を営み、本当のお題目をお唱えして頂きたい。
御会式に想うこと
日本は世界一、経済・物質に恵まれた豊かな国といわれていますが、真に生活のゆとりと満足度は十分でしょうか。私たちは、一つの願いが叶うと、更にその上を望んでしまいます。そこには心の満足はなく、それだけでは決してしあわせとはいえないようです。その為にも、精神面の修養により、より心豊かな生き方が必要です。そしてそこにはよき指導者がいなければならないでしょう。既に現役の野球選手から引退した王さんが、テレビで「私がホームラン王になり、満足できたのは、荒川さんという名コーチにめぐり会い、私をとことん鍛え指導してくれたおかげでした。」と述べていました。精神、心の世界でも同じようによき指導者にめぐり会いたいものです。日蓮大聖人は「「法華経の観心、諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり。わたうども二陣三陣つづきて…」(種種御振舞御書)」と申されております。つまり仏(釈迦)の本心、魂は妙法蓮華経とさとられました。そして、それを口だけでなく、身、心に南無妙法蓮華経とたもつことによりすべての人々の仏の心を開き、真にしあわせな仏の国土を建設する道を指し示していただきました。御会式に臨み、身命をかけて私たちに御題目を伝えてくださいました日蓮大聖人の遺徳を偲ぶと同時に、私たちに末法の世を生き抜く指針を示してくださった偉業を今一度顧みなくてはなりません。  
 
お釈迦さま

 

お釈迦さまは、今から約二千五百年前に、インドで活躍されました。そしてその教えは仏教と呼ばれ私達が今日信じる法華経をはじめ数多くの教えを説かれ、世界中の人々に明るい光を与え続けています。
誕生
ヒマラヤのふもとに「カピラバットウ」という国があり、そこに釈迦族という民族が住んでいました。この国は何一つ不自由のない平和な国でした。この国の王さまは浄飯王(スッドダーナ)といい、お妃さまは摩耶(マーヤ)と呼ばれていました。ある晩、摩耶夫人は白い美しい象が自分の体に入る夢を見、お腹に子を宿しました。いよいよお生まれになる日が近づき、摩耶夫人は里のコーリャ国へと帰られました。そして、途中にある「ルンビニー園」で休息をし、純白の美しい花を見て楽しんでいるときにお産が始まり、花の舞い散る四月八日にお釈迦さまはお生まれになりました。このとき、天上から甘い味の雨が降り、お釈迦さまの誕生を喜ばれたといわれてます。そして、そのまま立って七歩あるいたところで、右の手で天を指し、左手で大地を指して、「天上天下唯我独尊」(世界中で自分は最も尊い人間である)と言われました。今日ではこのお誕生日を祝うのが四月八日の「花祭り」で、天と地を指したお姿の仏像に甘茶をかけてお祝いします。
生・老・病・死
父、浄飯王がお釈迦さまの事をアシタ仙人に占なってもらわれましたところ、「家にあれば徳によって全世界を征服する転輪王となるであろうし、また出家すれば人々を救済する仏陀となるであろう。」と予言されました。そして「シッダールタ」と命名されました。悲しいことに七日目にして母の摩耶夫人が亡くなられ、お釈迦さまは摩耶夫人の末妹マハーパジャーパティーが継母となり育てられることになりました。しかし、他は何一つ不自由のない生活を送ることができました。そして勉強も武術も人よりすぐれた青年に成長しましたが、心がやさしく、虫や鳥が殺されるのを見ても心がいたみ、もの思いにふけることが多くなりました。心配した王さまのすすめで、お釈迦さまはヤソーダラーという妃と結婚しました。やがて男の子(ラーフラ・羅睺羅)も生まれました。しかし、そのうちにお釈迦さまは日一日と、老いとは、病とは、死とは、といった問題に対し考え悩みました。ある日、東の門から城の外に出ますと、髪は白く腰はまがり、やせ衰えた老人に会いました。また西の門から外出してお葬式の行列に出会い、南の門から出たときは、病み苦しんでいる病人をみまして、更に考え込んでしまいました。そしてある時北の門から外出した時、欲を捨て、汚れや悩みから離れているお坊さんに会い、大いに感動しました。お釈迦さまが、この四つの門の外出から感じとられた事を「四門出遊」といいます。
出家
この「四門出遊」が、お釈迦さまの出家の動機となりました。お釈迦さまはある日の夜半に従者チャンナを連れ、愛馬力ンタカに乗ってマガダ国のバカバ仙人のもとに修行の旅に出られたのです。御年二十九歳のときでした。国を捨て、父母、妻、そして、子どもまで捨てられたお釈迦さまは、どのようにしたら、人々の心の苦を取り除くことができるかを一心に考えられました。そのために荒行を続ける日々を送り、またあるときは、アーラーラ仙人のもとで禅定に入り、心を無にする行を行ないました。それでも解決の糸口が見つかりません。ついにお釈迦さまは、苦行者たちが集まって熱心に修行している苦行林に移ることにされました。苦行林に入られたお釈迦さまは、今まで以上に苦しい、また、荒い修行をしました。呼吸をとめる行、断食の行、あるいは厳しく肉体を痛めつける修行を、五人の修行僧(コンダュニャ、バッディヤ、ワッパ、マハーナーマ、アッサジ)とともに六年もの間、続けたのです。六年間、ありとあらゆる苦しい修行を積んだお釈迦さまでしたが、やはり、ただ肉体を痛めつけるだけでは理想に到達することはできないということがわかりました。そしてついに苦行を捨てられ、新たに修行を行なうことにしたのです。お釈迦さまは苦行林を去り、近くのネーランジャラー河というところで、心身を洗い流し、苦行に疲れた体を癒されました。しかし、あまりに弱り果て、疲れきっていたお釈迦さまは、立ち上がることができませんでした。そこへスジャータという若い女性が現れ、お釈迦さまに乳食を捧げました。お釈迦さまは、これを食べて失われていた体力を次第に取り戻したのでした。余談ですが、今日、コーヒーや紅茶にミルクを入れますが、そのミルクにスジャータという名のついたものがありますが、実はこの女性の名をとってつけたものなのです。
成道
苦行林を去り、体力を回復されたお釈迦さまは、一大決意のもとに、その晩から、ブッタガヤの菩提樹の下に座り、行をはじめられ、思念されました。すると、どこからともなく悪魔がやってきて、お釈迦さまの思念を邪魔しようと弓矢や火で襲ってきたのです。悪魔は何回も何回も姿を変えては、お釈迦さまの心を揺すぶりましたが、お釈迦さまはそのたびに悪魔を追い払い、遠ざけるのでした。そして、夜空に光る星が一つ一つ消えていくたびにお釈迦さまの心は澄み、邪念が消えうせ、ついに十二月八日の明け方近くに、人生の真理(世の中の人々が救われるまことの道)を悟られ、『仏陀』となられたのです。御年三十五歳のときでした。このお釈迦さまが悟られたことを「成道」といいます。悟られたお釈迦さまは、なおしばらくのあいだ考えられました。それは悟られた内容が易しくはなく、はたして人人が理解してくれるかどうか、という問題があったからでした。これを空から見ていた梵天さまが心配し、「お釈迦さま、どうか素晴らしい悟りを人々に説いてください」とお願いし、お釈迦さまはいよいよ人々のために法を説き歩く決意をしたのです。
初転法輪
真理を悟ったお釈迦さまは、世の人々がその教えによる救済を求めている事を自覚され、教化に生涯を捧げる決意をし禅定の座から立ち上がられました。はじめに、六年間共に苦行を積んだ五人の修行者(五比丘)に示す為にサールナートの鹿野苑に趣き、快楽主義でも苦行主義でもない「中道」こそが真理への道であり、その為の方法である<四諦・八正道>を説かれたのでした。
四諦・四聖諦とは
1.苦諦…四苦八苦と云われるように、この世の中の様相は「苦」であると見極る事。
2.集諦…「苦」を引き起こすのは、欲望と執着であると見極る事。
3.滅諦…苦を引き起こす欲望と執着を捨て去り滅する事。つまり煩悩の束縛を脱した最高の境地である。
4.道諦…滅諦に至る為には八つの正しい行い(八正道)を実践しなければいけない。
そこでこの八正道とは、
•正見…あるがままの姿を見極める正しい見解を持つ事。
•正思惟…何の固定観念も混じえず、正しく思惟・分別する事。
•正語…虚言や曖昧な表現ではなく、真実を表わす言葉を使う事。
•正業…世間的な戒律を守るのは勿論、その枠をも超えた正しい行いをする事。
•正命…悪い結果を生む無意味な原因を生じさせない様に、正しい生活を送る事。
•正精進…我執や快楽を目的とした努力ではなく、あるがままを見据えた正しい努力をする事。
•正念…偏りなく、何事にも真剣に対処する正しい集中力を持つ事。
•正定…ことさらに坐す禅定ではなく、日常を素直に感謝し真剣に受け入れる正しい心眼を持つ事。
以上の中道を歩む為の修行方法である<四諦・八正道>が、お釈迦さま最初のご説法であったので「初転法輪」と云われています。そしてそれを聞いた五比丘も次々と悟りを得る事が出来ました。これは、お釈迦さまの説く教えがお釈迦さまのみのものでなく、誰にでも得られる教えである事の証明であり〜他宗教には教祖のみ別格と云う事がある〜、法華経にある「皆成仏道」の教えは、これを受け継ぐものであります。
布教
初転法輪に次いでお釈迦さまは、マガダ国、コーサラ国などを中心として布教伝道の旅に出られました。そしてその間には有名な「竹林精舎」や「祇園精舎」といった今でいうところの、お寺で教えを説かれたのです。また、お釈迦さまに帰依した者の中にはサーリプッタ(舎利弗)、モッガラーナ(目犍連)の二大弟子や、後にお釈迦さまの後継者となったマハーカッサパ (大迦葉)などがおられます。また、釈迦国では父シュッドダーナ(浄飯王)育ての親マハーパジャッパティー(摩訶波闍波提)妻ヤショダラー(耶輸陀羅)息子ラーフラ(羅睺羅)などもお釈迦さまに従って出家しました。
デーバダッタの悪心
こうして日ごとにお弟子が増えていったのですが、沢山の人がお釈迦さまをおしたいしているのを、従兄弟でもあるデーバダッタ(提婆達多)がねたみ、ある日自分が教団の主になって権力を持ちたいと考えはじめたのです。デーバダッタはマガダ国の王子アジャータシャトル(阿闍世)を利用しお釈迦様の殺害を計画します。そして後ろから斬りつけようとしたり大きな石を上から落としたり、荒れ狂った象で押しつぶそうとしたのです。しかしお釈迦さまは寸前のところで自らの不思議な力により難を逃れることができました。遂に最後にはデーバダッタが自らの爪に毒を塗りお釈迦さまを殺そうとしたのですが、襲う寸前に毒が自分の全身に回り悶え苦しみながら死んでいったのでした。
法華教の開教
四十余年にわたる布教の後、お釈迦さまはある日<さとり>の全貌を現す重大な決意をなされます。ラージキール(王舎城)の北東に鷲の形をした霊鷲山と呼ばれている山があります。お釈迦さまはそこで、自らの説かれた説法の仕上げと統一、仏法の完成をめざして「サッダルマプンダリーカスートラ」(正しい教えの白蓮華)という遺言、遺命ともいえる説法を始められたのです。白蓮華の聖なる花にたとえられる最高の妙なる教えを説かれた経典です。この説法はお釈迦さま入滅の年まで八年間続いたそうです。鳩摩羅什により訳されたこの経典は「妙法蓮華経」と名付けられ、一般的には「法華経」と呼ばれております。そしてこの「法華経」はお釈迦さまの説かれた一切のお経の頂点、最高位に位置し諸経の王とされています。
我が所説の諸経、而も此の中に於て、法華最も第一なり。(法師品)
此の経も亦復是の如し。一切の諸の経法の中に於て最も為れ第一なり。仏は為れ諸法の王なるが如く、此の経も亦復是の如し、諸経の中の王なり。(薬王品)
このように一切の仏様が法華経の最も勝れていることを証明し、讃歎しておられるのです。私達「日蓮宗」はこの最高の教え、「法華経」を信仰の依りどころとしております。
涅槃
お釈迦さまはいくたびかの難にあわれながらも、四十五年もの長いあいだ、人びとを教化してこられました。けれども、長い間の修行と布教の疲れで病気になられました。そしてクシナーラーのサーラ林の双樹の下で頭を北に向けられ、右わきを下にし、両足を重ねて横臥され、休まれました。お釈迦さまは、自分の死期を感じとられ、弟子たちに「わが亡き後は、わが教えを守れ」と教えを説かれました。二月十五日の夜半、お釈迦さまは入滅なされました。お釈迦さまの周りには大勢の弟子・信者たちがとり囲みサーラ双樹は時ならぬ花を開き、(サーラ双樹は、白鶴のように変色したので、ここを鶴林ともいいます。)大小の動物たちはお釈迦さまの死がわかったのか声もなく、静かにそのまわりに集まり、悲しみました。お釈迦さまの遺骸は、荼毘に付されたのち、教化を受けた諸国の人びとによって八分され、それぞれ仏舎利塔が建立されました。遺骨を分けるのに用いられた瓶、荼毘ののちの灰もそれぞれもち帰られて瓶塔、灰塔が建てられ、合わせて十塔がお釈迦さまの恩徳をたたえるため十の地方につくられました。お釈迦さまの教えは、現在まで脈々と伝えられ人びとを教え導き、また明るい光を今なお与え続けています。
久遠の本仏
日蓮宗では、久遠実成本師釈迦牟尼仏といいますが、法華経の如来寿量品第十六に説かれる仏さまのことです。寿量品おいて、インドに出現され法華経を説かれたお釈迦さまは、はるか久遠の過去に成仏され、それ以来、常にこの娑婆世界に在って人びとを教化し続けてきたのであります。しかも三世十方のすべての仏を統一する根本の仏であることが、説き顕されております。これを久遠実成といい、この仏さまを「久遠の本仏」といいます。そしてこの寿量品に顕された久遠実成のお釈迦さまこそが、娑婆世界における一切衆生の頼るべき唯一の救済主であります。ですから私たちは主の徳(衆生を守護するはたらき)、師の徳(衆生を教化し導くはたらき)、親の徳(衆生を慈愛するはたらき)の三徳を具えた教主釈尊を「久遠実成の本師釈迦牟尼仏」と信じ仰いでいます。私達が法華経・お題目を唱える時にはお釈迦さまはいつも私達のそばにいらっしゃるのです。 
 
日蓮大聖人のご生涯

 

混沌とした鎌倉時代には様々な宗派が興りました。その中で法華経こそが最勝の教えであると私達にお示し頂きました日蓮大聖人のご生涯をこれからたどって参ります。
日蓮大聖人は今から七十七年前、貞応元年(一二二二)二月十六日、安房の国(千葉県)小湊に漁夫の子としてお生まれになられました。幼名を善日麿といいます。天下分け目の戦いともいわれた承久の乱の翌年の年のことであります。家柄などについては、父の貫名重忠は、遠州(静岡県)貫名の郷主でありましたが、わけがあり小湊へ流されました。母梅菊は、舎人親王十代の子孫で下総の国(千葉県)道野辺に住む大野吉清の娘であったと伝えられています。小湊の海辺で幼年時代を送った善日麿は、十二歳の夏五月に両親の許しを得て、故郷にほど近い清澄寺に入られました。清澄寺は、標高三八三メートルの清澄山の山頂近くにあります。山は海辺からいきなり立ち上がって道は険しく、うっそうとした森に覆われて、古来よりこの地方の山林修行の聖地でした。寺のご本尊は、智恵・功徳・慈悲が虚空のように無尽蔵であるといわれる虚空蔵菩薩です。宝亀二年(七七一)に不思議法師という行者が堂を建て、虚空蔵菩薩を祀ったのが始まりといわれています。そして承和三年(八三六)慈覚大師円仁によって天台宗に改められ、善日麿が入山された当時も天台宗の寺でありました。善日麿は、道善房という師のもとに十六歳で出家し、名も是生房蓮長と改められました。
善日麿が出家された動機は、「日本第一の智者となしたまえ」、すなわち仏の智慧を求め、お釈迦様の説かれた仏教は一つなのに、なぜ八宗十宗もあるのかという疑問を解明するために、真理を究めたいという思いからのことでした。清澄寺での修行は、まず第一に学問・思索であり、天台密教の加持祈祷、そして当時の一般信仰である念仏往生(仏の姿や功徳を心に思い浮かべ、口で阿弥陀仏の名を唱えることでした。そして、往生とは極楽浄土に生まれ変わることを指します。つまり「南無阿弥陀仏」と唱えながら来世に望みを託すこと)の修行でした。が、その様な中でも暇さえあれば虚空蔵堂に籠られご宝前で祈られていた蓮長の前に奇瑞が表われたのです。それは、虚空蔵菩薩が眼前に高僧となって現れ明星のような智恵の大宝珠を授けて下さった、というものです。清澄寺に残る伝説では、この奇瑞を感じた蓮長は堂を退いて階段を下るとき、心身混蒙して凡血を吐き気絶して倒れてしまいました。その血を吐いた所に黒い斑点のある笹が後で生えたのでこれを「凡血の笹」と呼ばれています。つまり、凡夫の血を吐き捨て仏弟子として歩み始めたことを示す象徴的な出来事だったのです。この神秘体験の後「一切経を見るに八宗ならびに一切経の勝劣が手に取るように明らかになった」といわれる蓮長は、年来抱き続けてきた疑問を説く経典も、自分を導いてくれる師も清澄寺には存在しないことを感じ、暦仁元年(一二三八)十七歳で清澄山を下りられます。そして、それは、以後十数年に及ぶ研鑽の旅の始まりでもあったのです。
遊学〜鎌倉へ
清澄寺は房州地方では屈指の大寺であったものの、向学心に燃える日蓮大聖人にとっては到底満足しうるところではありませんでした。当時の政治・文化の中心地から離れた房州清澄では、人材や書籍などあらゆる面において学問研究の充実を期することは不可能に近く、更なる修学のため諸国諸山遊学へと旅立たれたのです。一二三八(暦仁元)年より北条執権政治の中心地・鎌倉へと遊学されました。念仏・禅を中心とした信仰仏教が生き生きと鼓動する鎌倉の地にとどまり、経論を紐解き、師を尋ね、渇者の如く法を求めて学習を深めて行かれたのでした。四年間にわたる鎌倉遊学を終えた一二四二年、「安房国清澄山住人蓮長撰」と署名のある『成体即身成仏義』を述作されました。これは学問研究を集大成し、清澄寺へ提出した報告論文のような性格のもので、日蓮大聖人の最初の著述であるとともに「蓮長」の名で書かれた唯一の著書であります。(幼名の善日麿より、出家に伴い十六歳の時より是聖房蓮長と改められる)
遊学〜京畿へ
二十一歳になられた大聖人は「お釈迦様のご本意を知る」という大志を抱き、伝統的文化と仏教の中心である京畿を目指して遊学の途につかれました。比叡山・園城寺・高野山等諸宗諸山を回り、清澄や鎌倉では学び得なかった仏教の奥義を修学されたのでした。中でも比叡山はもっとも充実した勉学の地で、横川を拠点に比叡山での修学に勤められました。「お釈迦様のご本意を知る」それは単なる知識の習得ではなく、一切衆生を導き、そして救済する無上の教えに生きることを意味していた。そしてついに最勝の法を覚知されたのでした。それは純粋な法華経信仰の世界に生きること、法華経信仰に「お釈迦様のご本意」を確信されたのでした。お釈迦様の真実を覚知された日蓮大聖人の目には、念仏・禅・真言・律等の各宗が充満した当時の社会は「一同に謗法」と映り、後に国を諫め、諸宗批判へと進まれたのもこのような現状を憂えてのことでした。自然災害に加えて、社会・政治の変動による価値観の変遷、民衆は飢え、病み、混沌とした今日こそ法華経(正法)への帰依の必然性を説かなければならない。これまでひたむきに研鑽の日々を重ねてきた求道者・日蓮大聖人は、お釈迦様のご本意・法華経の弘通者として新たな旅立ちを心に誓い、十年間に渡る京畿への遊学を終え、故郷房州へと歩みを進められたのでした。
開宗宣言
法華経こそがお釈迦様の真実の教えを説かれた経典であると確信された日蓮大聖人は、両親や師匠の待つ故郷へと向かわれます。法華経によれば、末法の世にこの経を弘める者には様々な迫害や法難が待ち受けている、とありますが日蓮大聖人は、「これを申さば必ず日蓮の命となるべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩を報ぜんが為」とまさに命がけで弘経なされる決意をされました。ついに一二五三(建長五)年四月二十八日、出家得度なされた清澄寺の旭ヶ森にて東方のはるか太平洋上から昇りくる朝日に向かって力強く「南無妙法蓮華経」と初めてお題目を唱えられました。これをもって我が宗では「立教開宗」と申します。その後、それまでの名(蓮長)を(日蓮)と改名されました。その由来は「明らかなること、日月に過ぎんや、浄きこと蓮華にまさるべしや。法華経は日月と蓮華なり。ゆえに妙法蓮華経と名づく。日蓮又、日月と蓮華との如くなり」と申され、闇を照らす日月、泥沼の中にあっても美しい花を咲かせる蓮華。そのように世の中の人々を救済していこう、という決意のこもった改名なのでした。旭ヶ森での立教開宗の後、清澄寺にて初めての説法が開かれることになり、大勢の人々が持仏堂に集ってきました。そこには地頭の東条景信をはじめ多くの念仏の信者がいたのです。その大衆に向い日蓮大聖人は「法華経以外の法を尊び念仏や禅の信仰をする為に色々な災難に見舞われるのである。法華経こそが真実の仏法なのだ」と仰せになられました。すると聴衆のほとんどの念仏信仰の者は憤り、東条景信は日蓮大聖人を殺してしまえというほどに激怒しました。その後、日蓮大聖人は故郷を後にし、再び鎌倉に出られ法華経伝導の決意をなされたのでした。
鎌倉辻説法
鎌倉に入られた日蓮大聖人は松葉谷に草庵を構え、そこを拠点に本格的な法華経流布の活動を開始されます。当時の鎌倉は天変地異や火事や疫病などに再三見舞われ、庶民はまさに地獄の苦しみを味わっていました。こうした状況の下で日蓮大聖人は民衆を救済する為に鎌倉の街で「法華経に帰依せよ」と呼びかけます。しかし、その叫びは念仏や他宗の信心に固まった大衆の反発と憎悪を買うばかりで罵倒や投石が絶えませんでした。しかし、日蓮大聖人は、法華経弘通には迫害を受ける事は、すでに法華経に予言されている通りの試練であり、まさに法華経の行者である確信を深めていかれたのでした。そして、その日蓮大聖人の熱心な布教活動により、弟子や信徒も数を増し次第に日蓮教団の形成がなされていったのでした。
立正安国論
当時鎌倉では、台風、大洪水、疫病、飢饉等、天変地異が重なり、人々は苦しみにあえいでいました。大聖人は原因の究明のため、駿河岩本の実相寺の一切経蔵に入られ、一切経をお読みになられました。その結果、正法(法華経)を謗り、邪法(禅、念仏等)を信じるならば、その国に三災七難が起こる。未だ起きていない自界叛逆難(国内の戦乱)、他国侵逼難(外国の侵略)も必ず起こるであろうと予言され、国土の平和をもたらす教えは法華経であるので、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」と主張された『立正安国論』を一二六〇年(文応元年)に著され、当時の最高権力者、北茶時頼に上奏されました。
松葉谷法難
『安国論』の上奏に対し、幕府首脳からは何の返答もありませんでしたが、念仏者の反感は激しく、八月二十七日、松葉谷の草庵に火を放ちました。大聖人は危うい所を逃れられ、難を避けられるために、下総に所領を持つ富木常忍のもとへ行かれ、ここを中心に約一年の間、布教の日々を送られました。一説には、この時大聖人の為に建てられたお堂が現在の中山法華経寺であるとも言われています。富木常忍は深く大聖人に帰依し、後に出家して常修院日常と称し、大聖人の教えによく通じ、中山門流の祖と仰がれるに至った方です。
伊豆法難
一二六一年(弘長元年)春、大聖人は鎌倉へ戻られ、以前にも増して強く法華経への帰依を訴えられました。これを快く思わぬ執権、北条長時は、大聖人の伊豆配流を決め、五月十二日、大聖人は不当に捕らえられ、由比が浜から伊豆へ流されました。伊豆の伊東へ到着したものの、役人は、俎岩と呼ばれる小さな岩の上に大聖人を置き去りにしました。満潮で、あわや一命を潮の中に没されようという時、船守弥三郎という漁師に助けられました。弥三郎夫妻は大聖人を匿うのみならず、法華経に帰依し、大聖人に給仕をしたのでした。伊東の地頭、伊東八郎左衛門も、大聖人に病気平癒の祈願を請い、御祈梼にて見事に回復し、法華経に帰依した一人です。大聖人は伊東におられる間、行住座臥つねに法華経をお読みになられ、また、『教機時国鈔』などの大事な御書もしたためられるなど、伊豆での流罪生活を送っておられました。一二六三年(弘長三年)二月二十二日、大聖人は御赦免になり、鎌倉へ戻られました。
小松原法難
鎌倉へ戻られた大聖人は、その年か翌年頃、御母堂様の病気看護の為安房へ御帰省なされ、その後、安房で布教をなされておられましたが、一二六四年(文永元年)十一月十一日、大聖人の一行約十名が、東条の松原の大路にさしかかった時、東条景信はじめ多くの念仏者に襲撃され、弟子鏡忍坊は殉死、二名は重傷し、大聖人も額に三寸ほどの傷を受けられ、死に直面する大難となりましたが、幸い危機を逃れられました。大聖人は、法華経の「一切世間怨多くして信じ難し」(安楽行品)を身をもって読まれた事実を、法華経の行者としての自覚とされ、「されば日本国の持経者はいまだこの経文にあわせたまはず、唯日蓮一人こそ読みはべれ、我身命を愛せずただ無上道を惜しむとはこれなり、されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり」と、『南條兵衛七郎殿御書』に語っておられます。
祈雨
文永五年蒙古からの国書到着以来、自らが予言した他国侵逼難(外国からの侵略)の実現の近い事に危機感を抱かれた日蓮大聖人は前にも増して激烈な宗教活動を展開されていました。時の執権・北条時宗に「立正安国論」を読み返すように迫ったりもしましたが幕府は前回同様何の返答もなく黙殺されたのです。文永八年の夏は干天が続き、幕府は真言律宗の良観房忍性に雨乞いを命じ、良観は極楽寺・多宝寺の僧を動員して修法に入りました。日蓮大聖人は、恐らく良観仏教の呪術性・非精神性をあばいて幕府の宗教観を醒ませようと思われたからでありましょう。極楽寺に使をやって「七日の内に雨があれば自分は良観の弟子になろう、もし降らなければ法華経に帰せよ」と言い送り、ついに雨は降らなかった。社会事業を盛大に行って鎌倉中から生き仏と崇められる良観は、負けた悔しさから日蓮大聖人の排斥運動に専念するようになりました。
召し捕り
日蓮大聖人への怨みを深めた良観は表面だって動き始めました。法律を守るべき役人も、生き仏とまで云われた人には逆らえず、法に従わず人に従って動いたのです。一応日蓮大聖人の意見を聞くと云う形をとったものの、文永八年九月十二日、平左衛門頼綱を先頭に多くの兵士が戦に行くようないでたちで草庵に押しかけ、なぐるけるの暴行を加えたうえ、お経本を破り家中をかき回しました。日蓮大聖人たった一人を捕えるにしては余りにも派手な事ですが、これは幕府の権威を鼓舞する思いと、鎌倉中に大聖人がいかに重大犯罪人であるかを宣伝するねらいがあったのでしょう。
龍口法難
捕えられた日蓮大聖人は、はだか馬に乗せられ、江の島片瀬龍の口刑場へと引かれていったのです。知らせを聞いた信者の四条金吾達も、一緒に死ぬ覚悟で駆けつけました。いよいよ首を切ろうと役人が刀をかまえたとたん、江の島の方角から不思議な光の玉が飛んできて、役人は驚いて逃げ去り処刑どころではありません。幕府は処刑命令を撒回し、日蓮大聖人は九死に一生を得られたものの、遠国佐渡へ流罪の身となられたのでした。
種種御振舞御書
文永八年大歳辛未、九月十二日御勘気をかおる。その時の御勘気のようも常ならず、法にすぎてみゆ。〜略〜今夜頸切られへまかるなり。この数年が間願いつる事これなり。日蓮、貧道の身と生れて父母の孝養心にたらず、国の恩を報ずべき力なし。今度、頸を法華経に奉りてその功徳を父母に回向せん。其あまりをば弟子檀那等にはぶくべし、と申せし事これなり。
佐渡での生活
一二七一年(文永八年)十一月一日、日蓮大聖人は佐渡ヶ島の塚原に送られ、一間四面の粗末な三昧堂を住居としてあてがわれました。当時の塚原は死人を捨てる共同墓地のようなところでした。しばらくの間、日蓮大聖人はこの三昧堂で念仏の信徒と法論を戦わす日々を過ごされました。その中でも熱烈な念仏の信者であった阿仏房は「法華経が成仏できて、念仏は無間地獄というにはどういうことか」と刀を抜いて問い詰めましたが、結局は自分の誤りを指摘されその場で念仏を捨て、法華経に帰依されるようになりました。阿仏房はそれからというもの監視の厳しい中に毎晩夫婦交代で百日間もの間、日蓮大聖人に食料を運んでいます。その功徳は千日の修行にも勝るということで、妻に千日尼、阿仏房には日得という法号が与えられています。
三大誓願
この供養によって命を長らえることが出来た日蓮大聖人は一二七三年(文永九年)に「われ日本の柱とならん。われ日本の眼目とならん。われ日本の大船とならん」との三人誓願を立てられ開目抄を著述されました。この「開目抄」という題名は信仰に対する人々の盲目を開くという意味で、我こそが法華経の行者、末法における師であるということを強く現されたことから、<人開顕の書>といわれます。翌年、日蓮大聖人の予言していた国内の内戦が的中したため幕府はこの霊力に驚き、佐渡の豪族、一の谷の入道清久の屋敷に移されました。そしてそこでは、本尊について、また、本尊を観ずる心のあり方についても示された「観心本尊抄」をお書きになられました。こちらは、<法開顕の書>といわれます。一の谷では一二七三年(文永十年)七月八日に信仰の対象であります大曼荼羅を図顕なされました。
赦免
一二七四年(文永十一年)二月十四日、執権・北条時宗の決断によりついに赦免が決定しました。二年数ヶ月による佐渡での配流生活は苦難に満ちたものでしたが、日蓮大聖人には大きな転換期であり、また意義のある流罪でした。三月八日には弟子の日朗が赦免状を携えて到着、その後阿仏房夫妻や信徒に別れを告げ十三日には佐渡ヶ島を後にされました。
三度目の諫言
この年の四月八日に、執権北条時宗の招きで幕府に出頭された大聖人は、蒙古の襲来は恐らく今年中であろうと断定され、国家の安全を得ようとするならば、一刻も早く他宗の信仰をやめて、法華経を信仰する事を強く主張されました。
身延御入山
しかしながら大聖人のこの主張も、幕府には何の効果もなく、大聖人は中国の故事に倣われ、隠栖の道を選ばれ、五月十七日に、波木井実長公の招きで、身延山へ御入山されました。
身延での御生活
身延山での大聖人は、門下の教導と著述に専念されました。御在山中に認められた御文書は二百九十余篇を数える程です。この中には、『法華取要抄』や『撰時抄』という、宗義に関わる大事な御書もあり、また、師の道善房の追善に棒げられた『報恩抄』もあります。「「昼夜に法華経を読み、朝暮に摩訶止観を談ずれば、霊山浄土にも相似たり、天台山にも事ならず」(『松野殿女房御返事』)」と、身延山を法華経の根本道場門下育成の聖地と讃えられ、大聖人の魂魄を永遠に留め置く「棲神の地」と定められて、聖なる山であることを強調されています。
身延から池上へ
身延にあって、弟子や檀越の教導につとめられていた大聖人は、次第に衰えられました。衰弱された心身を癒すべく、弘安五年(一二八二)九月、足掛け九ヶ年住み慣れた身延をあとに、常陸の湯に向われました。病身の大聖人にはこの旅は大変厳しいものであり、武蔵の国の池上宗仲公の館に留まらざるを得ませんでした。再起が困難であることを悟られた大聖人は、『立正安国論』の最後の御講義をなされ、六老僧の選定、帝都開教の委嘱をされて、十月十三日辰の刻(午前八時)六十一歳の御生涯を閉じられました。大聖人の御生涯を偲び、御命日を期して、報恩の誠を捧げる法会が「御会式」です。この御会式に「万灯供養」を行うのは、大聖人の御入滅の時に、桜の花が咲きほこった事に由来します。「「日蓮さきがけしたり、わとう共、二陣三陣つづいて、迦葉・阿難にもすぐれ天台・伝教にもこえよかし」」と『種々御振舞御書』に書かれてありますが、この言葉こそ、日蓮大聖人が現代の私達にのこされた御遺言と言えるのではないでしょうか。大聖人の遺命を果たすためにもなお一層強固な信仰を続けましょう。
ご入滅
「人身は受けがたし、人身は持ちがたし、艸の上の露。百二十まで持ちて名を腐して死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ。」 〜崇峻天皇御書〜
日蓮大聖人は弘安五(一二八二)年十月十三日、六十一年間のご生涯を閉じられました。十四日夜半より葬儀がしめやかに執り行われ、十五日零時過ぎ遺骸は荼毘に付されたといいます。その後初七日忌が過ぎた二十一日、参集した信者たちは大聖人のご遺骨が入った宝瓶を携えて池上を出発、遺言に従って身延山へと向いました。一行は二十五日に到着、庵室近くにご遺骨は埋葬されました。こうして身延山は聖地となり、後に日蓮宗総本山「久遠寺」となったのでした。
守塔輪番制度
日蓮聖人は、その死に際して本弟子・六老僧(日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持)を定め後事を託し、また六老僧達に交代で自分の墓を守るように遺言されました。これに従い滅後百日の節目となる弘安六年の正月に組まれたのが守塔輪番の制、所謂「輪番制度」であります。身延山にご廟所が設けられ墓石が建立されました。守塔とは、この廟塔を守り墓石を清掃し、香を焚き、花を献じ、法華経お題目を唱えて大聖人の菩提を弔い、護持していく事を云います。その役を本弟子六老僧を始めとして主な弟子達十八名が交代して勤める事を輪番と言います。これは各自が布教先で法華経弘通に励みつつ、毎年所定の一ヶ月間、身延山で師大聖人の墓所に仕えることで門下の結束を固めるための具体的な方法でした。しかし各地で布教活動をしながら、毎年一ヶ月とはいえ身延山常駐は大変な事で、三回忌の頃にはもっぱら地元の日興上人が常住し祖廟の給仕にあたるようになりました。こうして守塔輪番の制の維持は次第に難しくなり、早くも三回忌前には挫折せざるをえなくなってしまいました。しかし事を憂えた日向上人が身延専任の守塔者となり制度を再興し、以後七百余年現在まで身延山では脈々と法灯が継承されています。今日も「守塔輪番制」にならい、全国の寺院住職が檀信徒を率いて参拝し、「祖廟輪番奉仕の制」が布かれ受け継がれています。 
 
身延山久遠寺・七面山

 

私達日蓮宗信者の「魂の故郷」総本山身延山久遠寺と法華経信仰守護の七面天女が祀られている七面山の御紹介です。法華経・お題目に帰依する私達は、日蓮大聖人の魂の棲む聖地へ是非お参りしたいものです。
歴史
日蓮大聖人が文永十一年(一二七四)甲斐国(山梨県)波木郷におられた檀越の南部実長公の支援を受け、同年五月十七日、身延に入山なされ、同年六月十七日、西谷の地に三間四面の草庵をかまえられました。この日を久遠寺の開創の日とされています。弘安四年(一二八一)十月、新たに十間四面の大坊が建立され、身延山妙法華院久遠寺と称されました。日蓮大聖人のご入滅後、日蓮大聖人のご遺言により、身延にお墓が建立されご遺骨が納められました。その後、六老僧を中心に輪番制によって運営されていました。しかし、輪番制はくずれ、日向上人が二世となってからは、住職が定められるようになりました。その後、十一世行学院日朝上人は、西谷の地から現在の地へ移転拡張されました。江戸時代になってからは、心性院日遠上人をはじめ歴代の住職(法主)の尽力により諸堂の建立整備がなされてきました。しかし、明治八年(一八七五)の大火により多くの堂宇を焼失してしまいました。昭和五十七年(一九八二)日蓮大聖人七百遠忌の事業として、間口十七間半、奥行二十八間の大本堂が完成し、昭和六十年五月落慶法要が営まれ、総本山の根本殿堂にふさわしい大本堂が再建され現在に至っています。次に身延山の山内の一部を御紹介致します。

日蓮大聖人の入山の頃から、弟子らがそれぞれに庵室をかまえ、有縁の者を養い、朝夕に日蓮大聖人に給仕して行道修学にいそしんだ場所を後に坊と呼ばれ、信者らの宿坊となりました。現在では、三十二の坊があります。
総門
日蓮大聖人が身延入山の第一歩をしるされた地に立つ門で二十八世日 上人が寛文五年(一六六五)に建立したものです。「開会関」の額は、三十六世日潮上人の書で、開会とは一切の人々は法華経の信仰によって仏となるとの意であるから、この門を入ることによって道が開けることを示しています。
菩提梯
佐渡の信者で仁蔵の発願により起工し、完成されたものです。高さ五八間、階段数二八七段、お題目になぞられ七区切りに分かれる急な階段で登りは苦しいが、それを通して仏の悟りに近づく意から菩提梯と呼ばれています。
御廟所
日蓮大聖人のご真骨が納められた墓所です。また、身延山の歴代の墓所で富木常忍の母、阿仏房日得上人、南部実長公の墓があります。
御草庵跡
日蓮大聖人が構えた草庵の跡で、当初は三間四面でありましたが、のち十間四面に改築されました。身延山久遠寺発祥の地であります。
七面山
久遠寺の約二十キロ西方にあり、標高一九八二メートルのお山です。頂上部に大崩崖があり、日蓮大聖人は「なないた(七面)がれのだけ」とよばれてます。一帯は早川町に属しますが、山上は身延町の飛び地で、久遠寺の所有です。身延山の守護神である七面天女がまつられています。日蓮大聖人滅後、永仁五年(一二九七)九月十九日、弟子である日朗上人と、信者である南部実長によって開創され、この日をもって大祭を行っております。徳川家康の側室で水戸光圀の祖母であるお万の方が女人禁制を解きました。
七面天女
建治三年十一月、日蓮大聖人五十六歳の時、草庵近くの大きな石(高座石)で説法されていました。聴衆の中に、見なれぬ美しい少女が聴聞しています。そこで大聖人は、「そなたの姿を見てみな不思議に思っています。本体を見せてやりなさい。」と言われますと、「私は身延山の鬼門をおさえ、法華経を修行する人に心のやすらぎと満足を与える七面天女です。どうか水をすこし。」と乞いました。かたわらにあった花瓶の水をそそがれると、たちまち龍の姿となり七面山の方に飛び去っていきました。 
 
日蓮宗の守護神

 

日蓮宗では、お曼荼羅やお釈迦様、日蓮大聖人はもちろん、その他に色々な守護神がお祀りされています。
鬼子母神
「ハーリティ(音訳は詞利帝)」とは、鬼子母神のインドでの呼び名で、日本では「鬼子母神」または「鬼子母尊神」と呼ばれています。ハーリティは、もとは邪神で、一万人(一千人や五百人という説もあります)もの自分の子供を養うために、人間の子供をさらって、その肉を食べていました。困った人々から相談を受けたお釈迦様は、ハーリティが一番可愛がっていた末っ子の「ビンガラ(音訳は賓伽羅)」を隠してしまいました。世界中を探しまわったが見つからず悲しんだハーリティが、お釈迦様に救いを求めたところ、お釈迦様はこう諭されました。「お前は一万人の子のなかの一人が居なくなっただけでそのように悲しんでいるが、お前に子を攫われた人々は三人か五人ほどしかいない子供を亡くしてしまったのだ。命の大切さと、子供が可愛いことには人間と鬼神の間にも変わりはない。」 これを聞いたハーリティは自分の罪の重さに気付き、今後人の子を攫う事は止め、お釈迦様の教えを守り、全ての子供たちと、仏教を信じる全ての人たちを守ることを誓いました。『法華経』の二十六章にあたる「陀羅尼品」の中では、鬼子母神が十羅刹女と共に、法華経を信仰する人を守護する事を誓約しておられます。日蓮大聖人も鬼子母神を信仰され、大曼荼羅に鬼子母神を勧請されていますが、鬼子母神と十羅刹女の関係を、母と子であるとの確信を次第に深められました。これらの事により、日蓮宗ではご祈祷をする際には、鬼子母神を法華経信者の守護神のひとつと位置づけ勧請するので、ほとんどの日蓮宗寺院では鬼子母神がお祀りされています。鬼子母神信仰で有名なものをあげると、千葉県市川市中山の法華経寺で、日蓮宗の祈祷根本道場といわれ、荒行僧はここの鬼子母神に百日間お経をあげ続けます。また、東京雑司ヶ谷の法明寺は、徳川家康が武運長久を祈願した鬼子母神があり、庶民の信仰も篤く、
洗濯に井戸をかえほす鬼子母神
という川柳が残っています。子供が多いのでお襁褓や衣服を洗濯すれば井戸水が干上がってしまうだろうと、鬼子母神を身近に感じられていた様子がしのばれます。
恐れいりやの鬼子母神
とは、狂歌の一部ですが、東京入谷の真源寺(法華宗本門流)の鬼子母神の霊験に驚いた蜀山人(江戸時代中ないし後期の狂歌師・戯作者、太田南畝)が詠んだといわれています。また、これほど多くの人に信仰されている鬼子母神ですが、そのお姿には大きく分けて二つの型があります。一つは「鬼形」とよばれ、眼光鋭く、口が大きく牙が見え、鬼のような形相をしたもので、これは、法華経の信者の邪魔をする者を戒める姿を顕しています。もう一つは「天女像」で、羽衣をまとい、子供を抱いて、手には吉祥果(ザクロ)を持ってあり、抱いた子供は子育ての、ザクロは種が多いので安産の象徴と考えられます。皆様方の菩提寺にお祀りされている鬼子母神はどちらのお姿でしょうか。
大黒天
法華経の守護神として鬼子母神とともに並び祀られ、また七福神としても広く親しまれている大黒天についてご紹介します。大黒天は、恵比寿とならんで福徳や財宝を与える七福神として広く親しまれています。ふっくらとした体型で顔に微笑を浮かべ、頭巾をかぶって右手に打出の小槌を持ち、左肩に大きな宝の袋を背負って、米俵の上に乗っている姿がお馴染みです。しかし、もともとはインドの死を司る恐怖の破壊神で、暗闇の中に住み、恐ろしい姿をしていました。大黒天は、サンスクリット語で摩訶迦羅(まかから・マハーカーラ)と言います。マハーは『大いなる』、カーラ『闇黒』です。ヒンズー教ではシヴァ神が世界を灰にする時、この姿になるとされています。この神に祈ると必ず戦いに勝利するのでインドでは大いに信仰されました。その後、仏教に取り入れられて三宝を守護する戦闘神となりました。また、苦行する仏教徒には穀物を与えるとされ、食料や厨房を司る神としての性格も持つようになりました。日本では、平安時代に天台宗の開祖である伝教大師が比叡山延暦寺に祀ったのが始まりと言われています。この比叡山の大黒天の霊験の強さは有名で、各地に大黒信仰が波及します。さらに、出雲大社の御祭神として知られる「大国主命」が、「大黒」と同音であることで民俗信仰と習合していつしか七福神の一人に加えられ、江戸時代頃から現在のお姿になり、福の神として一般に広く知られるようになりました。大黒天のお祀りの仕方は、通常、仏壇に入れず神棚に別に勧請します。年に6回ある甲子(きのえ・ね)の日が縁日です。この日に供物をささげ、法要を厳修しましょう。詳しくは、大荒行堂の第三行を成満された修法師の御上人にご相談なさってください。食堂や台所にまつられることが多く、そこから転じて寺の婦人(僧侶の妻)を大黒さんと呼ぶこともあります。また建物の中心となる太い柱を大黒柱と呼びますが、これは大黒さまが天・地・人を守る事から屋台骨を支えるものをこのように呼びます。ちなみに大黒天が俵に乗っているのは「毎日ご飯を供えてお参りすれば、一生、食に不自由はさせない」というお告げがあった話が残されており、米俵と結びついたようです。日蓮大聖人も「真間釈迦佛御供養逐状」の中で「「いつぞや大黒を供養して候しい其後より世間なげかずしておはするか(大黒天を供養してからは安楽に過ごしていらっしゃいますか?)」」とおっしゃっています。また、「大黒天神供養相承事」では「「大黒天神を信ずる者は、現世安穏・福祐自在、疑なし。毎月毎日信ずること成り難き者は、六斎の甲子(60日に一度ある大黒天の縁日)に、供物を調え、御祭祀あるべき者也。是れ秘中の秘なり」」と大黒天を供養することを勧めております。皆様もぜひ大黒天をご家庭に勧請してお祀りしましょう。
最上位経王大善神
「最上位経王大善神」は、一般的に『お稲荷さん』と呼ばれることから、そのご神体はキツネであるとの誤解がありますが、姿を持たない久遠実成の御本佛の応現として衆生の済度のために菩薩の姿となって現れた、法華経の守護神です。最上位とは、神々としての位階が最も上位であることを表します。また経王とは、数ある経典(お経の本)の中の王をいい、久遠実成の本師釋迦牟尼佛の秘密を唯一説き明かした妙法蓮華経(法華経)を指します。つまり、最上位経王大善神とは、われわれが受持する法華経のお経の力の不思議そのものの応現なのです。その最上位経王大善神の姿は、通常美しい女身で、左の肩に稲束をになって、右の手に鎌を持ち、口に如意宝珠をくわえた白狐を連れています。稲束は、最上尊が五穀の神であることを象徴するものです。これは食糧をもって生活を守護することを意味しています。また鎌は、稲束と共に農作を表し、広く労働を守護する意味を持ち、更に悪を払い、退散させる意をも表しています。白狐のくわえている如意宝珠は、心願成就・開運招福を意味しています。最上位経王大善神の連れている(乗っている)白狐は、最上尊の清浄なることを表す色である白と、神出鬼没の神通力・神秘的な霊力を象徴するものです。なお、稲荷=キツネの認識は、稲荷の眷属である狐の霊力を、人々が恐れるあまりできあがった誤解と思われます。妙法蓮華経の智慧の応現たる神ですから、多くの日蓮宗寺院に勧請されています。特に、伏見、祐徳と並び日本三大稲荷(ほかにも諸説あり)に数えられる岡山県の最上稲荷が有名です。武神としての性格の他に、五穀豊穣、商売繁盛、開運など多くの福徳をそなえています。また、水の神である「八大龍王」、福禄寿の神である「大黒尊天」とともに各家庭に祀られるかたちも多く見られます。 
 
お彼岸

 

「悲願」という言葉がございます。これは悲壮な願い、是非とも達成しようと心に思っている願望という意味です。従って「彼岸」とは少し違うものですが、仏教徒である私達はこの、悲願の思いで「彼岸」(仏様の世界)へ渡れる様に努力していかねばなりません。
六種の行
「六波羅密」という仏教の言葉があります。これは「彼岸」に到達するための六種の行(おこない)のことです。すなわち、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六種で、仏道を修行し悟りを得るために実践すべき事として示されております。これからその六種を簡単に説明してまいります。
布施
人の為に尽くす、何かをしてあげること。この布施で大切な事は、決して相手に見返りを求めないという事です。そうでないと不浄施といって、本来の布施ではなくなってしまいます。先日の阪神大震災でのボランティア活動をテレビで御覧になられた方も多いと思いますが、あの姿こそが布施の浄行なのです。
持戒
私達が集団生活を営んでいく上でのルールや戒律を守ること。仏教で説かれている有名なものには次の五つがあります。 ・・・ 1.不殺生戒(生き物を殺さない) ・・・ 2.不偸盗戒(盗みをしない) ・・・ 3.不邪淫戒(みだらな事をしない) ・・・ 4.不妄語戒(嘘をつかない) ・・・ 5.不飲酒戒(酒を飲まない) ・・・ これらの事は他から命令されて従うものではなく、自発的な戒として定められています。
忍辱
迫害や侮辱に対し、耐え忍ぶこと。決して人を怒ったり、恨んだりしないで、どんなに辛い事でも我慢するのが本当の勇気です。「忍ぶこと、まさに橋の如くなるべし。橋は人に踏まれて人を渡せり」 という言葉がございます。時として怒りは爆発させるよりもこらえた後の方がすっきりするものです。お釈迦様は決して怒らなかったという事を学びましょう。
精進
努力する事、励む事、努める事、持ち続ける事、即ち怠惰を克服する事です。「継続は力なり」 「精出せば凍る暇無し水車」 などと、精進を勧める言葉も数多くございます。皆様がそれぞれのお仕事に励む事は勿論ですが、根本には「信仰」に努めることを覚えておいて下さい。
禅定
気持ちを落ちつかせ、何事にも心を乱されない状態の事です。如来寿量品第十六(お自我偈)の中に「「質直意柔軟」」とございます。質直とは素直な心、柔軟とは柔和で従順な心の事です。この気持ちを持って日々の生活を送り、時には自分自身を反省致しましょう。
智慧
学問や知識の事だけではなく、真実の智慧を得る事、つまり仏道に目覚める事です。自分が仏様の世界に生かされているという事、又、自分の中の仏となる種(仏性)の存在に気付いて物事を正しく見、正しく考えられる人間になりたいものです。  
 
ひとくち説法

 

■定めなきならい
仏教では老少不定ということを説きますが、これは老人が先に死に若い者があとに残る決まったものではないという意味です。私のお寺の檀徒の方で息子さんを先に亡くされた老夫婦の方がおります。葬儀が終わった後お参りにお伺いしましたら、「先日は有難いお経を上げて頂きまして有難うございました」と、涙声で言われました。葬儀が少しはお役に立てたのではと思いましたが、「子どもを先に亡くすということは悲しいものです。毎日泣いています」と言われました。子供を先に亡くした親の気持ちとはどのようなものなのでしょうか。日蓮聖人は『上野殿後家尼御前御書』の中で、「霊魂はお父上のいらっしゃる霊山浄土においでになって、手を取り、顔を寄せ合ってお喜びなさることでしょう」と、おっしゃっておられます。私たちはお祖師さまに導いていただかなければならないのです。
■いのちに合掌
数年前までは大変元気でカクシャクとされていた檀家のM氏が、体調を崩されすっかり弱くなってしまった。しばらくぶりでお寺にお参りされた時、会うなり伸びきらぬ指を合わせ合掌し「ご住職、よろしくお願いします」と、言って頭を下げられた。思わずこちらも手を合わせ「こちらこそ」と挨拶したのだが、背も曲がり少し小柄になったその姿が、なぜかとても美しく見えた。年輪を重ねた老人の合掌の姿がとても尊く感じられた。日蓮宗では「いのちに合掌」を唱え、生きとし生けるものに全てに仏性があり尊い存在であることを説いている。日蓮聖人は『観心本尊抄』で、法華経に「開仏知見」とあり、私達にはすでに仏性が備わっているから、お釈迦さまはそれを開くために世に出現されたのだと、述べられている。M氏が尊く美しく見えたのは、彼の仏性が開かれたからに他ならないと確信した。
■浄土は作り上げていくもの
「きよい」という漢字には「清」と「浄」があります。では何故「清土」ではなく「浄土」と呼ぶのでしょうか。清の字は青い水と書き、清流のように元々きよらかなものを意味します。浄は浄化のように、穢れたものをきよくするという意味があります。浄土の反対語は穢土です。穢れとは「気枯れ」が語源で精神的に弱ること、うまくいかないことを言います。浄土とは精神的に充実した世界のことを示しています。また浄の字はサンズイに争うです。争うという字には訴える・諫めるという意味があり、間違った考えには決して従わず、正すということです。全ての人々が話し合い、努力・協力して作り上げていくのが浄土なのです。ゆえに日蓮聖人は「浄土と穢土、それはただ私たちの心の善悪によるのだ。心を清浄にすることによって浄土が顕現する。お題目でしっかり心を磨きなさい」と示されておられるのです。
■雨の朝参り
その日の朝は、未明からドシャブリであった。団参での本山の朝勤で、遅れて参拝にきた60歳過ぎと思われる女性の姿が目に入る。私の目の前の座布団の後ろに膝を落とすと、おもむろにバッグの中からビニールの風呂敷を取り出して座布団に敷き、きちっと正座をしてその上に座った。その方は、当然傘を差し、長靴も履いてきたことだろう。更にはコートも着てきたと思われる。しかし、今日のこの強い雨ではそれでも膝から下が濡れるだろうと思って、自宅を出るときにビニールの風呂敷をバッグに入れてきたのだ。座布団を濡らさないために。干す手間を掛けさせないために。物を大事にする心、人そして物への感謝の心が伝わってくる。「人への思いやりの心、心を配るとはこういうことだ」「お題目を唱えると、このような気持ちになれるぞ」と教えてくれた「雨の朝参り」に感謝した。
■一年の計は元旦にあり
「正月太り」という言葉があります。私が通っているスポーツクラブの、正月休み明けのサウナ室の中で必ず囁かれる言葉です。毎年様々なダイエットが流行し、キウイやバナナ、トマト等が店頭から消えたりしますが、ダイエットとは本来「健康的な体型になるための療法または食事そのもの」を指す言葉で、健康で充実した生活を目指し行うものであります。何をするにしても、その出発点と目的を確かめておくことは大切です。「一年の計は元旦にあり」と申しますが、正月には仏壇の前に集い新年の計画を語り合い、その時抱いた抱負を互いに披露し仏様、お祖師様そしてご先祖に証人になっていただきましょう。仏様は人びとが、それぞれの道を歩んでいるか、いないかをよくご存知で、それぞれにかなった教えを示し、かた時も休むことなく、全ての人が無上の仏の道に入ることを念じておられます。
■仏の種を育てる
最近の新聞、テレビなどのニュースで人間らしからぬ、おぞましい事件を見聞きする。我々はこの世に生まれ、心の中には仏の種を宿している。それを成長させ、仏となる使命を持って出てきたのに、私たちの身には3つの毒を持っている。それはむさぼり、いかり、おろかさ。むさぼりは我欲物欲。いかりとは、にくしみ慢心もふくまれる。おろかさは愚痴とか迷いなど。この3つの毒は、自分の身から出てきて、本来仏になるべき自身をおとしめ、おろかな行いをしてしまう。我々は法華経のお題目を唱えることにより、我身の仏の種、仏性を呼び起こし、この3つの毒を抑えるために日々の信仰を重ねなければならない。毎日の生活の中で仏種に向かい手を合わせる時、ご先祖の供養と同時に自身のこの3つの毒を抑え煩悩を起こさぬよう願うのが大切だ。
■皆さんハッキリ見えていますか?
皆さんハッキリ見えていますか? 最近新聞の文字が見えにくくなり眼鏡店を訪ねた。「老眼鏡を見せて頂けますか?」 「はい、シニアグラスですね」 そうか今はシニアグラスと呼ぶのかなどと考え多数の商品から数点選び試着してみた。なんと見るものがハッキリ、スッキリ見えるではないか。歳と共に体の機能が衰えていくことは仕方ないがメガネひとつでこれ程違いがあることにショックを受けた。我々は経験を積んで多くを身に付けてきたが失った機能も多くあるのだろう。妙法蓮華経如来寿量品に「顛倒の衆生」とあるように真っすぐ素直な心で見ることを忘れ、霞んで見えていることに気づいていないのかも知れない。経験と知識に胡座をかき周りの出来事をただぼんやり見てしまってはいないだろうか?ハッキリと物事を見直すため、心に法華経・お題目のシニアグラスをしっかり掛け直してみよう。
■如是我聞
お経の最初は「如是我聞」と始まります。「かくの如くわれ聞けり」と読みます。お釈迦さまが説かれた教えは、多聞第一の阿難尊者から次の時代、また次の時代のお弟子さまへと伝えられてきましたから、私はこのように聞きましたという意味の「如是我聞」から始まります。お弟子さまたちは、そのお言葉を、その一文字一文字を、生きておられるお釈迦さまそのものと、次の時代へ必死に残し伝えてきて下さいました。ですから、日蓮聖人は「一一の文字は、皆、生身の釈迦牟尼仏なり」と尊ばれるのです。私たちは、お釈迦さまの生きておられた時代のお弟子さまたちと同じように、お釈迦さまから、直接「如是我聞」していることになるのですね。もうお解りですね。法華経を読み唱えている私たち自身が、「如是我聞」の「我」なのです。「われも致し、ひとをも教化そうらえ」と宗祖が言われたように、法華経の絆を広げましょう。
■いのちに合掌の心
「ただ見れば何の苦なき水鳥の足にひまなき我が思いかな」。水鳥は優雅に水面を進んでいるように見えるが、水面下では一生懸命に足をかいている。人も外面は平静を装っているが、内面では皆、苦しみや悩みを持ちながら生きている。お釈迦様は苦しむ人々を何とか救い出したいとこの世に出現され、法華経をお説きになられた。お釈迦様は常に私達を見守り、救って下さる。苦悩があるから、真の幸せがわかる。そして苦悩を知ることで、他人の苦しみ・悩みが解かるようになり、優しい心で接する事ができるようになる。私達は仏になる性質を持って生まれてきている。子供が経験を積んで大人になるように、私達も修行することでいつか必ず仏となれる。苦悩を縁として優しい心を育て(自利)その優しい心を他人に向ける(利他)お題目を唱えれば、自分の中の仏性が呼び起こされ、そのお題目は、他の人々の仏性をも呼び起こすのである。
■身近な人を大切に
短大の教授をしていた檀家の女性が病気で急逝した。69歳であった。その方の日記帳最後の頁に次のような新聞の切り抜きが貼ってあった。 ・・・ 私たちは生まれてから死ぬまでに 何人のひとにめぐり逢うのだろう 無数のような気もするが 実はほんのわずかな数 そしてさらに その中で この人と逢えてよかったと 思えるひとが たとえひとりでもいれば それは幸福ということになる あなたに逢えてよかった あなたと同じ時に 同じ地球の空気の 中にいてよかった ぼくはあなたにそういいたい (やなせ・たかし) ・・・ 亡くなる日も母を亡くした教え子に励ましの葉書を出していた。自分のまわりにいる身近な人を大切にして優しくするのが、いのちに合掌の心だ。  
 
■心の中にも春を
冬の堅かった梅も開花し、春の彼岸へ桃、桜の花と順々に咲き出して、境内は明るい和やかな雰囲気を醸し出し、暖かい季節を迎えます。日蓮聖人は、そうした季節の変わらぬ移ろいのように大曼荼羅に向かい、法華経を信じ、お題目を唱える者は、一人ももれずあらゆる人は、必ず成仏(人間として完全、円満、永久な精神を得る)するとお教えくださいました。先師、先人達は、自然現象の中から、人間を、人生を洞察し学んできました。今日の私達は、それらに余りに鈍感となり、心が働かなくなってきたように思います。人間としての情緒が荒み、不安定となってきたためでしょうか。お題目の信仰によって、人間としての尊い心(仏性)を呼び起こし、自らの心を完成させ、少しでも世の中を明るく平和にしてまいりたいものです。
■お題目の木
日蓮聖人が清澄寺旭が森にてお題目を唱えられて760年。今年も4月28日に立教開宗会を迎えようとしております。その清澄寺境内には樹齢千年と言われる大杉が堂々と立っております。近年では樹木医による養生の手を借りてはおりますが、連綿と命を繋ぎ今年も青々と茂ることでしょう。さて、ここに「お題目の信仰」という一本の木があるとしましょう。そうすると、お題目を信じて行い唱える私たちは、さしずめその木の枝葉でしょうか。お題目を行じ唱えて一生を終えると枯れ葉となって木の根元に積もり、その功徳は肥やしとなって木を成長させ新しい枝葉を茂らせます。幾年幾年も繰り返し、やがて木は枝葉が茂り雄々しき大木となり世界を覆うことでしょう。法華経・お題目を信じて行い唱える私たちは、お題目の信仰を孫子に継承するだけではなく、自らの回りの縁ある方々へも伝えましょう。
■異体同心
生きとし生けるものを、永遠の命をもって救ってくださるお釈迦さまに、私たちは心を同じくして、感謝のお題目を唱える。これを「異体同心」といいます。言葉で言うのは簡単ですが、いざ「心を同じくしましょう」と呼びかけても、皆どのような心持ちに統一したらよいのか悩んでしまいます。日蓮聖人は、「日蓮と同意」あるいは、「水魚の思いをなして」お題目をお唱えしましょうとおっしゃっています。すなわち、すべての人が、日蓮聖人と心を同じくすれば、おのずと「異体同心」となります。そして、日蓮聖人を通して、法華経、お題目を学び、正しく信仰することで安穏な世界が実現するのです。このご恩に感謝し、ともにお題目をお唱えしましょう。
■道に生きる「名」
「親からもらった名前があるんだから戒名なんかいらないよな」街中で葬儀の帰りらしき人たちからこんな会話が聞こえてきました。今年1月、元横綱大鵬の納谷幸喜さんが亡くなりました。相撲史上最多となる32回の幕内優勝を成し遂げ「昭和の大横綱」とまで呼ばれました。師匠の二所ノ関からつけてもらった大鵬という四股名は納谷さんにとっては相撲力士としての戒名・法号だったのではないでしょうか。土俵の中でも外でも昭和の大横綱として振舞った納谷さん。道を極めようとするなら覚悟が必要です。その道に生きる者にとって名前は覚悟の証、おおきな拠り所になります。私たちは「お題目を身と心で唱え、成仏をめざし精進します」と覚悟し日蓮さまと約束したのです。手を合わせている時だけが仏弟子ではありません。「所作仏事」そのことを忘れないためにも今日も心からのお題目を唱えましょう。
■いのちと信仰の相続
「おじいちゃん、お家のお墓には、大きいのや小さい石(石塔)が沢山あるのはどうしてなの」 「昔は、お父さんやお母さんのために、子供がそれぞれ石を建てたんだよ。大きい石を建てたご先祖さまと小さい石しか建てられなかったご先祖さまでは、どちらが偉いと僕は思う?」 「それは大きい石を建ててあげたご先祖さまの方が偉いに決まっているでしょう」 「そうだね、誰でも大きな石を建ててご供養してあげたい気持ちは同じだね。でも小さい石しか建てられなかったご先祖さまは辛かっただろうね。しかし、そのご先祖さまが一所懸命がんばって生きたから、いのちが繋がって、お爺ちゃんがいて、お父さんがいて、僕がいるんだよ」 「なるほど、小さい石しか建てられなかったご先祖さまが頑張ったからお家があるんだね」 「ご先祖さまを大事にしお家の教えを守り、南無妙法蓮華経とご挨拶することが大事なんだよ」
■広いようで狭い世間
娘の仕事の関係でサンフランシスコで、シリコンバレーや3回WBC準決勝を観戦しました。日本に帰る前、夫婦でコイト塔を見学した時、一人旅の日本の青年と会いました。「どこから来たの」と聞くと「横浜の日大の学生」と答えました。親戚寺の孫もその学校に行っているので、名前を言うと、友達だというのです。驚きました。寺を出た孫で、困ったとき以外は連絡もありません。昨年、一浪して合格したが、明日中に、入学金を払わないと無効になるとの相談で、入学手続きをしたので知っていました。27回忌も近い伯父達の引き合わせかと。その後、日本に帰ってきた友達から電話があり、電話口に出た孫の「頑張ります」との声は泣いているようでした。世間は広いようで狭いものです。人と人とはどこかで仏縁につながれています。不思議な縁、仏縁はいつか、どこかで花が開きます。良い種、良い縁を植えましょう。
■世界が法華経の教えを待っている!
きわめて毒性の強い大量の放射性廃棄物を出す原子力発電を続けることは生命維持装置である地球(母なる大地)を殺す所業と言っていいでしょう。福島原発事故は「母なる大地」からの警告だと受けとめるべきでしょう。チャップリンは映画「独裁者」の中で「我々は考えすぎて感じることが余りにも少ない。我々が必要としているのは機械よりも人間の愛であり、利口さよりも優しさと思いやりである」と言っています。すべての分野にわたって感性と知性のバランスのとれた“人づくり、社会づくり”が必要とされています。それぞれの存在とその違いを認め、調和することを基本とする法華経の教えを世界が必要としています。歴史の流れは平等と統一にゆるやかに向かっていると信じます。
■今そこにいる菩薩
見たいと思っていた映画「海猿」をDVDで見ました。海上保安庁で海難救助に携わる人々の物語で、愛する妻子や恋人のいる普通の若者である隊員たちが、事故に遭って死の危機に瀕しているあかの他人のために、自らのいのちも顧みずに救助にあたるお話です。映画ですから作り話と言ってしまえばそれまでですが、私たちの平和で安全な生活が、彼らのような人々の不断の努力によって支えられていることに改めて気付かされました。今にも消えそうな遭難者のいのちの火を消すまいと可能な限りの智恵と勇気を傾注し、一致団結して決してあきらめず挑戦し続ける彼らの必死の姿に感動し、両の頬を涙が流れて止まることを知らず、同時に自らの身体を張って人々の幸せのために修行に励む菩薩の姿が重なって見えました。「身施(しんせ)」とは、かくのごとき“おこない”のことなのでありましょう。熱くて優しい心を届けてもらった心地よい時間でした。
■お題目の継承
昨今、お年寄りと若い方が一緒に墓参なされる姿が少なくなってきているのではないかと思われます。そのようななかで、率先してお寺の役員を務めていただいた方が、毎月のお命日に幼稚園くらいの男の子のお孫さんの手を引き、境内までの長い急坂を一歩一歩と足を踏みしめながらご本堂に到着。堂内に上がり、ご本尊さまにお線香とともに小さな手を合わせて唱題を上げ、墓所にお参り。再びお爺さんに手を引かれ、楽しそうに帰路に就かれました。核家族といわれておりますなかで、朝夕に家族皆でお題目を唱え伝えていくことが一番大切なことではないかと思います。お釈迦さまは「人々が、仏の教えを信じ従うことによって、素直で柔和な気持ちが生まれてくる」と仰っています。お爺さんとともにお参りされてれいたお孫さんが、真っ直ぐに成長されることを楽しみに、後ろ姿をお見送りさせて頂きました。
■スー・チーさん
来日したミャンマー民主化運動のシンボル、アウン・サン・スー・チーさんは、記者会見の中で、15年以上も自分を軟禁していた軍事政権に対して、恨みを抱いていない。国民が一致団結してより良い国を作ることが私たちのなすべきことである、と美しい瞳を輝かせて語っていた。さすがに仏教国ミャンマーである。彼女の合掌の手から光が発しているように思われた。菩薩には忍辱(にんにく。慈しみをもって耐え忍ぶ)の修行があるが、彼の国の仏教にも大乗の菩薩に通ずる実践があることを彼女が証明していた。今、群馬の青年僧は、スー・チー事務所と協力し、ミャンマーの村々に井戸を掘り、浄らかな水を提供する仕事を始めている。昨年11月、民主化に沸き立つヤンゴンの町で、日蓮宗寺院より預かった資金をもとに、NLD(国民民主連盟)ペン・ウー会長と調印し、東部トンワ州で起工した。交流が深まることを期待したい。  
 
■生まれてきたわけ
私が子供だった頃、母に部屋をきれいにしなさいといつも言われていました。しかし「どうせ散らかるから」と部屋の片付けをしなかった時、「食べてもすぐお腹が空くんだから食べなくてもいいの!」と、母に叱られたことがあります。すぐに片付けを始めたのはいうまでもありません。母に叱られたのはこれだけでしたので、とても印象的でした。やがて、なぜ生命(人)は死ぬのに生まれてくるのか疑問を持つようになりました。【それから40年】信行会で使っている教本の中に「この身、今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん」とあります。「度」を「悟り=幸福」ととらえれば、「私たちは、みな幸せに変わるために生まれてきた」ことに気づかされました。変わるためには肩の力を抜いて、心静かに「南無妙法蓮華経」と唱え続けることが唯一の方法であり、一番の近道です。
■他人と比べなくてもいいんじゃない
以前の教箋の言葉に「苦しめているもの それは 他人と比べている 自分自身です」というのがありました。人はどうしても他人と比べて、「自分はダメだ」と落ち込んだり、また、その反対に「おれは奴よりも勝れている」と優越感に浸ったりもするようです。実はそこから「苦しみ」が生まれるのであります。「ダメだ! ダメだ!」と悲観的になるとそれこそ自分自身が嫌になってきます。これは苦しみですね。また必要以上の優越感も、いつまでこの状態が続くのだろうかと、これまた苦しみになるのです。私たちは、多くの人々と関わることにより、自分と他人とを比べて、自ら「苦しみの中で生かされている」と思ってしまう、そう言っていいのかもしれませんね。他人と比べる必要ってあるのかな。自分の信念があれば、比べずとも仏さまがちゃんと見守ってくれますよ。
■幸せへの近道
「幸せは喜び上手な人にゆき」とある雑誌の投稿川柳を見つけました。道端で小さな花が咲いたのを見つけ「可愛く咲いたね」と声をかけ、ご主人が食事の片付けを手伝ってくれたことに心から感謝し「ありがとう」と伝え、奥さんの手料理に「おいしかったよ」と言葉を添える。何気ない小さなことにも深い感動を覚え、当たり前の感謝の気持ちを言葉にすることが、その人の幸せにつながるのですよ、という川柳です。そして、それは相手に対しても幸せのおすそわけをすることなのです。愚痴ばかりを聞かされて幸せな気分になれません。いやなことでも考え方・見方を変えれば自分にプラスになります。喜びを感じるには、ゆとりある豊かな清い心が必要です。生活する中で、慌ただしく時間に追われて過ごしていてはなかなか難しいものです。一度立ち止まって、深呼吸(お題目)をしてみましょう。きっと清い心が取り戻せます。
■臨終正念
「病によりて道心は起こり候か」病気になった時に、はじめて本当の自分の求めることが何か見えてくるという。「あるだけで有難いね」治ればもちろん有難いけれど、普段有難いと思わなかったことまでもが有難く思えるようになる。お釈迦さまは「あなたがここに生まれてきたのは、苦しくて、辛くて、思いがけないことばかりの多い娑婆で修行をするために自分で望んで生まれてきたんだよ。そこが娑婆の修行の尊いところだよ。いいことばかりあるのなら極楽でいいんですよ。娑婆であるがゆえに生老病死の苦しみ、矛盾の中でいかに私たちが功徳を積むことができるか。その為にあなたはここを選んで、望んで生まれてきたんだよ」と言い、これを感じた時こそ、実はこの世界こそが、お釈迦さまが見守って下さっている所であり、なおかつ、この娑婆といわれる所がお釈迦さまのおいでになる浄土であると受けとることができるのです。(故平野譲山上人説教から)
■感謝が財産
最近めっきり足腰が弱くなってきた。じつにふがいない。まだ若いのに。駅まで歩いただけで、膝小僧が小犬のように震えておる。修行の足らんヤツめ。「身 の財(たから)より心のたから第一なり」と、常に自身に説き聞かせてはいるのだが、健康に自信がなくなってくると、意味のない無駄な不安が忍び寄ってく る。けしからん。そうだ! そんな時は、お題目をたくさんお唱えしよう。耳と目が悪い。二度手術した。しかし声は出せる。尊いお題目をたくさんお唱えしよう。足首と膝が悪い。二度手術した。今は歩ける。腕がある、二本ある。合掌できる。ありがたい。失ったものを嘆くより、残っているものを大切にしたい。お題目をお唱えしていると、不平不満や不安な心を、感謝の心にかえてくださる功徳がある。私は幸せなのだと感動できる。感謝させて頂ける。なによりそれがありがたい。
■仏さまの眼
最新の顔認証技術は、スマートフォンで写真を撮り検索するだけで、その人がどこの誰でどういう経歴の持ち主か即座に分かってしまうそうです。もちろんその人の写真やデータがインターネット上に何もなければ出てきませんが、多少の変装でも高い確率で判別できるとか。今や、町中のいたる所に防犯カメラが設置され、この技術と連携すれば、防犯はもとより事件の捜査等にかなり役立つものと期待されます。かつて地域社会が一つの共同体であった頃は、誰もがみな知り合いで、それぞれの事情もよく分かっていて、苦しい時は支え合い、楽しい時は共に喜び暮らし ていました。それが今日では、個人情報云々いうようになり、かえって犯罪を誘発しやすくなっているのではないかと思われます。疑心が根底の技術に頼らず、信頼関係で結ばれた社会にできないものでしょうか。先ずは子供たちに「仏さまが見ているよ」と教え導きましょう。
■数え切れないありがとう
ありがとうは「有り難し」ということ。今、ここにあるということは、数え切れない奇跡によって紡がれて来た命であるということ。今、ここにあるということは、数え切れない育みに汗水垂らしてくれた人がいたということ。今、ここにあるということは、数え切れない命を糧にしてきたということ。今、ここにあるということは、数え切れない人々が自分の知らないところで関わり、支えてくれているということ。今、ここにあるということは、数え切れない出会いと別れがあったということ。今、ここにあるということは、自分も誰かの「ありがとう」になっているということ。今、ここにあるということは、誰かに「ありがとう」を伝えることが出来るということ。数え切れないありがとうを込めて―いのちに合掌。
■真の救いに繋がる登り口
日蓮聖人ご在世の頃、世は末法に入り全ての人は救いを求めていました。富士山の登り口が須走口、富士宮口、吉田口とあるように仏教の悟りを目指す登り口にも禅宗口、真言口、念仏口、法華口などあり、それぞれ悟りを目指す人に合った登り口から頂上の悟りを目指せば良いと各宗の先師は布教をしました。しかしその中にあって日蓮聖人は法華口、題目口以外の登り口は頂上にまで繋がっておらず、途中で行くべき道を見失ってしまう。題目口しか頂上に着けず、真実の救いはないと明らかにされました。当時は全ての人が仏教という偉大な山の存在を知り、救いを待っていました。それを思うと今は、仏教という山の存在を知らず本当の救いがあることを知らない人ばかりです。偉大な山の存在、仏の教えを知り信じている私達は登り口の違いを言う時ではなく、山の存在、仏の存在を伝えていく時なのでしょう。
■信仰する心のあり方
から心コロコロと言いますが、心が一定して生活することがむずかしく、その中で私たちは日々を過ごして生きていかなくてはなりません。父母先祖さまから受け継いだ、尊いいのちの呼吸。息をして、寿命持続をいただいて生かされております。息という字を見てみますと、心の上に自らと書き、心の台座に自分を正しく置いていないとバランスの取れた美しい字にならず、おのずと正しい信仰生活に繋りません。心と体がバラバラになってしまうので、正しい物の見方、正見が悟れないのであります。日蓮聖人の言われる、体曲がれば影ななめなり、とあるように心のあり方と自分自身が正しく一体でなくては日々の信仰生活ばかりでなく、せっかくの人生もみだれ尊いいのちの一生を台無しにしてしまいます。そのための正しい教え、良きお手本、良薬すなわち正法、法華経でありお題目でありましょう。
■三人の旅人
東南アジアのある国の童話でこのような話があるそうです。ある満月の夜、三人の旅人が峠の上に座って月を見ていました。一人の男は、月を観て両手いっぱいの金色に輝く黄金が欲しいと思いました。隣に座った男は、月を観て搗(つ)き立ての餅の二つか三つでも食べたいなぁ、と思いました。もう一人の男は、月を観て、故郷にいる愛しい人は無事であるだろうかと思いました。同じ月を見て別々のことを思う、人の心の不思議さよ…。人の心とは面白いもの。そのありようによって違うものに見えてくるというのは、私たちも経験することです。正しくものを見るということは、この心のありようにかかっています。くれぐれも執着する心によって正しきもの、本当のものを見失わないようにしたいものです。  
 
■敬う心
「敬いの心が大切なんだ!」と、テレビを見ていた我が息子が突然叫びました。番組は「介護現場の虐待」を扱ったものでした。高校で福祉を学び、施設実習も経験した息子にとって、この問題は他人事ではありません。否、これは超高齢社会で暮らす日本人全体にとって「見過ごすことのできない大きな問題」と言えましょう。重労働・低賃金・人材不足・高離職率・多岐にわたるストレス≠ネど、負の面ばかり強調される介護現場ですが、志を持って、前向きに働いている職員も少なくありません。人と人がふれあい、相手の反応が直に伝わる職場のため、「やりがいのある」との声が聞こえてきます。そして、彼らの根底にある「相手を敬う心」を感じるのです。礼拝行の実践で成仏した常不軽菩薩は「我深く汝等を敬う」と、誰に対しても「敬い」を示しました。私たちも文明の進化に流されることなく、「他を敬う心」を持ち続けなければなりません。
■いのち川柳
この頃のマイブーム、いのち川柳。上の句「い」、中が「の」、下が「ち」を入れた、いのちに合掌にちなんだいのち川柳です。頂いて のの様のかね チーンとなり ・・・  お客さまからお土産にいただいた菓子が欲しいので、すぐ開けてと幼子が、親におねだりします。でも、まだ開けてはだめよ。仏壇にお供えして、おりんをチーンと鳴らして、合掌して、のの様(仏さま、ご先祖さま)に報告してからと教えられます。次に「組織で動く」について ・・・ いい仕事 能率上げる チーム力 ・・・ 職場でも、どこでも自分1人では何もできません。優秀な人がたくさん集まっても、皆のこころがバラバラでは仕事ははかどらず、成果が期待できません。少数でもみんなで力を合わせることで、組織の動きは良くなるものです。
■五感で知る幸せ
東京医科歯科大学病院の玄関にピアノが置いてあります。そのそばに紀元前5世紀にギリシャに生まれたヒポクラテスの銅像があり「人命を断つべき毒物の投與は何人の望みによるも断じてこれをなさず」の宣誓文が記されています。この誓いはいのちと向き合う医師の倫理を示します。法華経ではいのちの象徴として五感【視・聴・嗅・味・触】を大切にします。法師功徳品では六根【眼・耳・鼻・舌・身・意】を荘厳することで、すべてが清浄になると説きます。六根のどの1つが欠けても生活に支障をきたすといわれます。宗祖は晩年9ヵ年間を身延山で修行され、「吹く風もゆるぐ木草も流れる水の音までも」と身延山を釈迦牟尼仏の聖地・霊鷲山に喩えて、自然の恵みのありがたさを示されました。身延山は枝垂れ桜の季節です。それを六根すべてで味わって下さい。その瞬間、みなさんの五感は自然のピアノが奏でる幸せと感謝を感じ取ることでしょう。
■温もりのある葬儀
昨今の葬儀事情…近所の人にも友人にも知らせない、いわゆる家族葬が増えてきたようだ。火葬場に直行する直葬という言葉さえ耳にする。何とも嘆かわしい限り。遺された者が故人の冥福を祈り、生前中の交誼に対して感謝を申し上げ、心にけじめをつけるのが葬儀ではなかったか。先日、高校の同級生M君の母親が入院先の病院で亡くなった。彼女は10年ほど前まで、先に旅立ったご主人と居酒屋を営んでいた。10人も入れば満席になる小さなお店。我々が若い頃は、週末の憩いの場であった。彼女は入院中、「家に帰りたい」と何度も訴えたという。M君はお通夜までの3日間、自宅で寝かせ供養した。そして葬儀当日、親類や友人、我々同級生仲間を含むかつての常連客が集まった。回向が終わり、棺に花を手向けながら、「美味しいものを有り難う」「本当にお世話になりました」などと口々に話しかけ、最後のお別れをした。温もりのある葬儀だった。
■今ある生命を大切に
先日、テレビのニュースで、お年寄りの女性2人が手を繋いで電車に飛び込み自殺をし、また別の日には男性の老人が踏切の中に入って立ち止まり、その老人を助けようとして2人の尊い命が奪われてしまいました。誠に残念でなりません。先人の言葉に「人生は重き荷を背負い、遠き道を行くがごとし」とあり、人それぞれ生きていくことに大変な苦労があろうかと思います。しかし、辛いからといって逃げていてはだめです。日蓮聖人は「蓮の花が泥水の中に根を張って綺麗な花を咲かせるように、辛い娑婆世界に生きて、真の極楽浄土を見つけなさい」と教えて下さっています。私たちは、父母の血を半分ずついただいて、この世に誕生し、他の動物や植物の命を頂戴して生きているのです。寿命があるかぎり感謝の念をもって生きることが父母への孝養と法華経のご縁を導いて下さった日蓮聖人へのご報恩に繋がって行くことと思います。
■名前の重み
本名・萩原寛さんは15歳で鳴戸部屋に入門して親方から四股名・稀勢の里をいただき、精進を重ねついに力士の最高位・横綱に上りました。ところで、最近法号(戒名)無しのお葬式が散見されます。「親からもらった名前があるのだから法号などいらない」ということのようですが、「成仏して欲しい」という思いはあるのです。法号などいらない、という方の理論を相撲道に当てはめてみると「四股名などいらない。本名で横綱を目指す」ということです。つまり相撲部屋に入らず、師匠にもつかずに「横綱になる!」ということで、誰が考えても無理な話です。仏道の法号は相撲道の四股名と考えれば、成仏を目指すには法号は必要なのです。名前はとても重いものです。もちろん、名前だけあっても中身がなければそれこそ名折れ。お祖師さまの弟子を自認するならば、名折れとならぬよう相応しい振る舞いを心がけたいものです。
■温もりのある葬儀
昨今の葬儀事情…近所の人にも友人にも知らせない、いわゆる家族葬が増えてきたようだ。火葬場に直行する直葬という言葉さえ耳にする。何とも嘆かわしい限り。遺された者が故人の冥福を祈り、生前中の交誼に対して感謝を申し上げ、心にけじめをつけるのが葬儀ではなかったか。先日、高校の同級生M君の母親が入院先の病院で亡くなった。彼女は10年ほど前まで、先に旅立ったご主人と居酒屋を営んでいた。10人も入れば満席になる小さなお店。我々が若い頃は、週末の憩いの場であった。彼女は入院中、「家に帰りたい」と何度も訴えたという。M君はお通夜までの3日間、自宅で寝かせ供養した。そして葬儀当日、親類や友人、我々同級生仲間を含むかつての常連客が集まった。回向が終わり、棺に花を手向けながら、「美味しいものを有り難う」「本当にお世話になりました」などと口々に話しかけ、最後のお別れをした。温もりのある葬儀だった。
■知恩
年回忌のご法事の時、私はいつもお檀家さまに次のようにお願いします。このあとお題目を唱えます。唱えながら母親(父親)のお顔を想い出していただきたい。「あの時は悲しい想いをさせてしまった」「あの時はひどい態度をとってしまった」「あの時もう少しやさしくすればよかった」「あの時は辛かったろうなー」など母親(父親)が悲しい顔をした時のことを想い出していただきたい。「喜ばせたこともたくさんあったでしょう! それは家に帰って想い出していただいて、この本堂に上がった時だけは親の悲しい顔を想い出してお題目をお唱えいただきたい」と申します。目がしらを押さえる方も多々あります。この時良いご法事になったと思うのです。年回忌のご法事は「知恩・報恩」の時です。「感恩の心」が入らなければ良いご法事にはならないと常々思っています。
■矢のはしる事は弓の力…
矢が飛んでいくのは弓の力であり、雲が流れてゆくのは龍神という雨を司る神の働きによるそうです。夫が社会に出てよく活躍するか否かは妻次第ということでしょうか? 何とも男女の機微、家庭生活の有り様をよくよく承知されたお言葉といえます。男は何ともたわいなく、仕事から帰った時に「お疲れさま!」なんて労われると、「明日も家族のために仕事頑張るぞ」と思います。人の心はサジ加減で丸くもなれば四角にもなります。「雌鳥がつついて雄鳥が時を告げる」とも言います。ともかく人間社会が健全で明るく豊かに営まれていくために女性の果たす役割はとても大きいということでしょう。合掌し、お題目を唱える者は、日常生活においてもこうしたことを承知できる、きめ細かく柔軟な感性が必要との日蓮聖人の有り難いお諭しです。
■私の言葉
年齢を重ねてふっと自身を振りかえる場面が増えてきた。その中で改めて「なぜこのお経にひかれるようになったのか」と初心を思い返す。私が感激したのは「この経(お釈迦さまの言葉)を聞いて皆が歓喜の心を起す」ことだった。最近は多くの人が自分で情報を発信できる世の中になった。手軽に情報を発信し、ある時は自己表現の場として、ある時は顕示欲を満たす場として本音が語られる。そして本音は人を写す鏡として共感を得て受け入れられている。ただ時に本音は建前とともに思いやりの心を失い、自己中心的な暴言となって傷つけ合い、必要のない争いを生むことになっている。これは言葉の持つ本来の力を失わせるもので、とても悲しいことである。仏さまの心を持つ我々の言葉は、仏さまにならい「歓喜の心」を与えるためにあるべきだろう。 
 

 

■父の肩車
「ポルシェ」「ベンツ」「BMW」。車は、色々あるけれど、お金と免許があれば乗れるだろう。私の好きな車は、お金を持っていてももう二度と乗れない、違う世界が見渡せる、世界にたった一台の、父の肩車。これは、私が教誨師をさせていただいている、少年院の院生で、幼い頃に両親が離婚し、その淋しさから非行にはしった少年の詩です。いつの時代も、子供にとって一番の宝は親の愛情です。しかしながら、子供はその愛情に気がつかなかったり、逆にうっとうしく思えてしまうものです。法華経『如来寿量品』には、「我も亦これ父、諸の苦患を救う者なり」と、この娑婆世界の父であるお釈迦さまは、私たち子供に愛情の宝であります『法華経』を与えて頂きました。私たちは、この教えをしっかり守り広め、安穏な社会づくりをめざして参りましょう。
■熟練の読誦練習
学習の「学」は真似ること、「習」は馴れるが始まりといわれます。信仰の場合、ただ馴れて習慣になっても正しくなかったら意味を成しません。慣れるでなく「熟練」の「熟れ」でなければならない。それには師について正しく真似る、良く耳を傾け良く聴き、「凝視」し良く観る、正しく読誦し、唱えないといけない。「南無妙法蓮華経」のお題目は「ナム、ミョウホウレンゲキョウ」と七字をハッキリ唱え、「ナンミョウ・ホーレンゲイキョー」ではありません。また開経偈の「無上甚深微妙の法は」では「ムジョウジンジンミミョウのホウは」で、「ムジョウのホウ」でも「ムミョウのホウ」でもありません。宝塔偈「此経難持・若暫持者」は「シキョウナンジ・ニャクザンジシャ」で「シキョウナンジ・ナクナンジシャ」ではありません。指導を正しく、教わる方は、良く聴き熟練の学習を!
■大慈懐(おおいなるじひのふところ)
長年、難病の夫を介護しそして看取り、その後また同じ難病を発病した息子のM君を介護しつつ、明るく生きる母子の姿を昨年小欄で紹介した。そこには苦境のなかで「苦をば苦と悟る」尊敬すべき家族の姿があった。その後、妙薬もないまま次第に悪化するM君の病状を話す母に疲労の色は隠せない。毎日、徒歩と電車で片道一時間強の道程を病院まで通う。齢七十を越えている。久しぶりに「あの笑顔」のM君にあうべく病床を訪ねた。驚いた様子で私を見ると、彼は悲痛な面持ちで何事か訴えるように声を発し始めた。しかし残念ながら言葉にならず私には理解できない。「ごめんよ!々」どうしようもなく悲しく、申し訳なかった。為す術もない私は、いつしか彼の肩から腕にかけて撫で、擦っていた。すると彼の顔は穏やかになった。うららかな春の海を見るようだった。きっと私とM君は、本仏釈尊の大いなる慈悲の懐に抱かれているのだと思った。
■最後の仕事
高齢期になり、人生の最期を「自宅で迎えたい」と考えている人は多い。しかし、現実は8割以上の人が病院で死を迎えることとなります。多くの高齢者は、病院のなかで管につながれ、生活が管理され、したいこともできずに、最後の日々を送るのを余儀なくされています。そんな日常性が遮断された病院生活のなかで幻覚や妄想にさいなまれて、かけがえのない人生の最期を迎えることはとても辛いことです。最後にできる高齢者の仕事は、その人生を見事に演じきった、その姿を後を行く人に伝えることではないでしょうか。自宅で子供や孫たちに囲まれ、できればお仏壇の前で、お題目信仰で臨終正念を遂げる、その姿こそ子や孫への最大の教化になるのではないでしょうか。そのためには在宅で最期を迎える強い意志と家族の協力、医療・介護のお手伝いも必要になります。そして、事前指示書の作成という準備も必要です。
■仏壇をおもてなす
仏壇を安置し、仏祖三宝と先祖の精霊を、お迎えしようとする心はとても尊いものです。強い仏縁なくして成就するものではありません。豪華絢爛な仏檀・仏間ではなくても、大きな篤い信仰があれば、仏祖三宝はお歓びになり、家族にとって心の安らぐ空間となりましょう。仏壇は自分の心を映し出す鏡でもあります。清い心を映し出している仏壇は清浄であり、心が荒んでいれば日常の生活は乱れ、仏壇も粗末になって表れてきます。玄関が汚れて雑然としていれば、奥に入らなくても部屋の状態はおおよそ想像がつきます。いつも掃き清め花など飾り、芳香のする玄関であれば、そこに住む家族の生活や人柄、おもてなしの心が見えてきます。そして最も心が動かされ嬉しいのは、喜び溢れた心でお出迎えされることです。仏檀・仏祖三宝に義務や強制でなく、すなおに喜びのお題目を唱えることは尊く美しいものです。
■生戒名の意味
最近、檀家の皆さんから「生戒名いただけますでしょうか」との問い合わせを受けることが増えています。主に70歳前後の方が多いのですが、理由を聞くと皆同様に残された人生の指針にしたいのだといわれるので、住職である私と相談しながら戒名を決めることにしています。生け花を生涯の友としたい方には「華」という文字を、踊りを趣味とする方には「舞」という文字を取り込んだ戒名を授与するのです。そして、その生前戒名をご仏壇に安置し毎朝のお参りの際に仏さまに、ご先祖さまに合掌するのに加えて、自ら望んで決められた戒名にふさわしい日々を送ることの誓いを立てるよう指導します。自らの死後に受け身で授与される戒名ではなく、人生の節目に自らの残された日々を共に歩んで行く存在として、菩提寺の住職との相談の上で自ら納得する戒名を自ら選び取る。超高齢社会に、よりふさわしい戒名のありように思えるのですが。
■南無妙法蓮華経と唱うるならば…
南無妙法蓮華経と唱うるならば悪道をまぬかるべし  『法華題目鈔』 山梨大学教授のコミュニケーションを上手に取るための調査法というのがあります。相手を認めて沢山褒めてあげれば自分も褒められ、相手を悪く思えば自分も悪く思われる。コミュニケーションは己の心の鏡だそうです。人と人とのつながりをよくするのは相手を唯一無二の存在として認識し、よいところを褒め、同じ考えには共感し、違う考えは尊重し、自分の弱みを話すとよいそうです。更には笑顔が大事で、苦手な相手でも笑顔で接すると脳下垂体から鎮痛ホルモンが出てスムーズに対応が可能になるようです。何時も笑顔で接することが常にできるようになるにはすべての人が仏さまから使わされたかけがえのない存在と説いている妙法蓮華経の教えとそれをいつも忘れない、つまり実践行としての唱題をすることが最上の手段です。南無妙法蓮華経と唱うるならば疑心暗鬼や人間不信から陥るであろう悪道からまぬがれること疑いなしなのです。
■一心欲見仏
私は50代半ばであります。かつて若い頃は、「ああ、もう20歳になったか」「早30になったな」などつぶやいていたものですが、50歳を超えてからは「あと、何年」というふうに思うようになってきました。男子の平均寿命が80歳前後ということを耳にすると、「ああ、あと20数年だな。あっという間に過ぎるぞ」という意識を持つようになってきました。残された日々がより貴重に思えてくるようになりました。今を大切にしよう。そして、住職として何をすべきか? 檀家さんのご先祖さまと私の先祖さまを一生懸命供養しよう。檀家の皆さまの安全、幸せを祈ろう。日蓮聖人に感謝の気持ちをもとう。これが「一心欲見仏」ではないでしょうか。皆さま、毎日を大切に悔いのない充実した生活を心がけましょう。朝はご先祖さま、日蓮聖人に挨拶で合掌し、無事一日が終わればご先祖さま、日蓮聖人への感謝で合掌しましょう。
■生老病死の憂患
法華経の中に生老病死(しょうろうびょうし)の憂患(うげん)ありとあります。特に老と病は生きている私たちが自覚できる現象であります。老いるから病が出るのか、病が出るから老いが進むのか。まさに鶏が先か卵が先か…。古来、「人生五十年」と申します。しかしながら、現在日本人の寿命は男女とも80歳を優に超えています。ということは、それだけ病とのお付き合いが好むと好まざると長くなるということであります。視点を変えると、人生の後半30年余りは「老と病」をバランスよく付き合って生活することではないでしょうか。病が出た時、仏さまからのご指導と気づくのか、自分の不幸と歎くのか。老いが人生の充実ととるか、それとも若い人の体力を羨むのか。人それぞれに価値観や考え方がありますが、せっかく仏さまから頂いたこの命のご縁をお題目信仰と共に生かさなければならないと思います。
■心の拠り所
今年は、甲午(きのえうま)四緑木星の年です。午(うま)は、さからう≠ニか突きあう∴モ義があり、激しい衝突のなかから新芽が強く成長する様子が伺えるそうです。しかし、日本を取り巻く環境は異常気象による急激な気候変化による災害など深刻な問題を多くかかえています。政治の安定は国の安定につながりますが、政治家、国民は今後何を心の拠り所として行動していけば良いのか、それは法華経の教えであり、お題目であります。ほかに何を求めるのか。日蓮聖人は「法華経の明鏡をもて自身に引向へたるに都てくもりなし」とまた「南無妙法蓮華経と申すは、一代の肝心たるのみならず、法華経の心なり、体なり、所詮なり」と仰せられています。私たちは法華経、お題目を心の拠り所として日々、安穏な生活ができるよう願い実践し行動しなければなりません。 
 
■次代に繋いでいくもの
「村や町の文化、伝統を語らなくなったら、その村、町はなくなる」と昔から言われます。葬儀のあとのお斎のときに30人ほどが出席して、自己紹介と故人との関係をしゃべっていました。たいていの場合、そのあとに世間話で時間が過ぎてお開きとなります。せっかく集まったのですから、故人の冥福を祈るのと同時に、故人の両親、祖父母の話や家、地域、地方の歴史を話題にしてもいいのではなかろうかと思います。歴史を語ることは自分自身を知ることに他なりません。この頃は葬儀もホールで行われるものですから、行列がない。帳面に役割などを書かないから家の歴史がわからない。歴史が我々の都合で消えていくようで大変残念な気が致します。さまざまな大切なものを次の世代に繋げていく貴重な「場」として、葬儀や法事を見直してみてはいかがでしょうか。
■味噌ラーメンとノートパソコン
駅の近くのラーメン屋に寄った。へんこ親父が経営している行列まではできない店のようだ。思ったよりおいしい味噌ラーメンの汁をすすりながら、目の前の注意書きに目をとられた。「食事中のノートパソコン、iPad、インターネット、漫画、雑誌等のご使用はご遠慮願います」。おもしろい注意書きである。漫画まではわかるが、ノートパソコンをしながら食べる客もあるようだ。店主に恐る恐る聞いてみた。「こんなことする人、おんの?」。「なんでも食べながらや。一番おいしい麺の具合でだしているんやから、すぐに食べてほしい。一生懸命作るから、一生懸命食べてほしい。そういう意味ですわ」と予想外のかわいい笑顔で答えてくれた。むかしテレビを見ながら夕飯を食べていて、祖父に叱られたことを思い出した。「一生懸命食べてほしい」夜風の中に、親父さんの言葉が妙に耳に残った。
■時の流れと共に
毎年、世相を反映してきた新語、流行語大賞があります。ちなみに、個人的に記憶として残る言葉としては「亭主元気で留守がいい」を上げますが、言うに及ばず、当時の社会現象がありありと読みとれ、とともに時代の流れも実感する事は確かのようです。「政権交代」「事業仕分け」「維新」等々の政治用語はすっかり輝きを失い、逆に異常気象に関連した「猛暑日」「ゲリラ豪雨」「爆弾低気圧」など当時より存在感を感じる気もします。縁あって24歳で入寺して以来40年以上の職歴を重ねてきました。住職就任当時は若く何をしていいかもわからず、手探りのなか、孤軍奮闘の毎日だったと記憶しております。唯一の救いは当時全国寺院のなかでもおそらく皆無に近い事だとは思いますが、毎日毎晩雨風関係無く、午後8時より9時迄の1時間のお題目講がありました。一年365日、確かに時間に縛られ辛い時も感じましたが、今となれば懐かしい想い出です。あの時の信仰の原点が礎となって今があると実感しております。故に、信仰とは理屈抜き、見返りを求めず粛々と精進するものであると確信しております。
■利益
利益と書いて「りえき」と読む人、「りやく」と読む人がいる。辞書を引いてみると「りえき」とは収入から費用を引いた残り、儲けや得。一方「りやく」は人々を救済しようとする仏神の慈悲や人々の善行、祈念によって生じる、宗教的あるいは世俗的なさまざまな恩恵や幸福、とある。今の時代お金が大事でお金があれば何でもできると思われている。しかし、人として次の3つのことは避けることができない。死ぬこと、老いること、病気になること。それなのにお金に執着する。儲けや得ばかりを追求する。「りやく」は得ではなく徳を生む。徳は死や老い、病気を受け入れることができる。徳は自分だけではなく子供や孫ひ孫、家族や知人友人にまで回っていく。日蓮聖人も「蔵の財より身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」と示されている。お寺に参詣しお題目を唱え、心の財すなわち徳をたくさん積んで全ての人が幸福になれるよう努めましょう。
■現世安穏
最近、領土外交問題で日中韓の関係がギクシャクしており一抹の不安を感じます。あるお婆さんが「私には若い頃の写真が一枚もない。空襲で家も何もかも失いました。この歳になって若い頃の写真が1枚もないのは思い出さえ失ったようで大変悲しい。もう二度とあんな体験はしたくない。だから、お仏壇に向かって平和で安穏に暮らせるようにお願いしています」と言っていました。現在の社会は戦争を経験された先人たちが安穏な社会を目指し復興させた結果です。私たちはその思いを受け止めなければなりません。法華経に「現世安穏 後生善処」という教えがあります。現世は安穏な人生を送り、未来もまた善い処に生まれ幸いを得るという意味です。お題目を唱え、現世安穏を祈り、より一層の安穏で、平和な社会を目指しましょう。
■お・も・て・な・し
昨年、「お・も・て・な・し」が流行語大賞を受賞しました。6年後の東京オリンピック・パラリンピック招致活動で滝川クリステルさんのパフォーマンスが一躍脚光を浴びたことは記憶に新しいところです。私にはこのシーンが「わたしは あなたを 拝みます」と言って合掌をしているように見えました。これは、ご降誕800年に向けての奈良県独自のスローガンなのです。「おもてなし」とは、他者を思いやること、他者を敬うことが基本です。常不軽菩薩が「深くあなた方を敬います。けっして軽んじません。あなた方は菩薩道を修行して、仏さまになられるからです」と言って修行を続け、やがて仏さまの心を悟られたのです。この菩薩とは、ありし日のお釈迦さまであり、宗祖は菩薩をお手本とされました。ご降誕800年は、東京オリンピックの翌年に当たります。今年は、日本中が合掌による、おもてなしの心を育てる元年としたいものです。
■寒修行
私がこの寺の住職になって46年が間、小寒・大寒から立春に向けて、檀信徒とともに唱題行脚し寒修行≠行っています。この地は、豪雪地帯で、溶けた雪が夜には凍てつき滑ることもあります。私も修行参加者も年を重ね、ここ10年ほどは土・日曜祝日に行っています。うちわ太鼓の音が聞こえ始めると、近所の方々はお仏供米やお供えを用意してお願いに来たり、電話で「○○家やけど何時頃来てくれる」とか「○○家ですがお願いします」と申し込んでこられる方もいます。玄関先で合掌したり、家族揃ってお参りしてくれたり、仏間にはローソクと線香を灯して迎えてくれるところもあります。その家の家内安全、家族皆の身体健全・無病息災を祈り、住んでいる地域の人々が安心安全で暮らせるよう、また何時の世にか、法華経・お題目に良きご縁を結ばれるよう、祈り願いながら寒修行≠行っています。
■先行きを知る=法華経は道しるべ
山道を車で走っていました。陽光が道を白く照らしています。急カーブにさしかかったとき、突然道に影が射し黒雲が湧くかに見えました。何だかよく分からないまま急ブレーキをかけました。間一髪。カーブを内回りしてきた大型トラックがタイヤをきしらせながら横を通り過ぎて行きます。口から心臓が飛び出すほど驚きました。長閑な田舎道に運転手も油断していたのでしょう。もし影を見ていなかったらどうなったことか。些細なことでも、しっかり情報を得て進む。これは運転だけではなく、人生という道を歩む上でも大切なことです。その人生を知りきっているのが仏です。仏の教えこそは、何よりも頼りになる道標ではないでしょうか。経文にも「若し法を聞くこと有らん者は一人として成仏せずということ無けん」とあります。仏の教えに耳を傾け、先行きをしっかり見定めて、輝くような人生を歩んでいきましょう。
■少欲知足
歳とともに歯がガタガタになりつつあます。懇意にしている歯医者に行った時のことです。受付で診察券を出したところ、チリリリーンと昔懐かしい電話の呼び出し音がしました。受付の後ろにはダイヤル式の黒電話がデンと構えています。この歯医者では、電話だけでなく治療用の椅子など古い物が大切に使われています。また虫歯でも抜かないことで有名です。子どもには歯科衛生士が治療に来ることを少なくするために歯ブラシの使い方指導も徹底しています。私の歯もグラグラしている1本をいずれ抜かないといけないけれど、もう少し持たせてみようと言われてから数ヵ月が過ぎます。親からいただいた身体の一部ですので、大切にするのは当然です。この歯医者の治療技術や方法などが評判で予約も常に一杯です。新しい物を追っかける生活が当たり前の今日、それが本当に必要かどうかという「少欲知足」や物を大切にすることを考えさせられた歯科治療でした。
■第2のチャンス
ゴールデンウィーク(G・W)も終わり、皆さまもようやく日常の生活に戻られた頃ではないかと思います。私もG・W中、家族と食事に出かけたのですが、そのレストランの額にかかっていた言葉がとても素敵だったので思わずメモして帰ってきました。その言葉とはこんな言葉でした…。「人生はいつでも、あなたに第2のチャンスを与えてくれます。それは明日と言います」 明日という第2のチャンスは私たちすべてに与えられています。ただし現実の世界では、第2のチャンスの明日といっても楽ばかりで苦がないことはありません、むしろ苦ばかりが多いのが日常です。苦楽は表裏一体不二のものです。だからこそ苦のなかに喜びを見出すお題目の教えこそ、私たちが第2のチャンスを活かすことができる唯一の方法です。日々の苦悩のなかで生きる私たちへの日蓮聖人からの激励のお言葉がお題目なのです。 
 
■流行語から
おもてなし 誰もが知っている言葉である。しかし、意味は? と聞かれると少し困ってしまう。「うら、おもてがない」と考える方もいた。調べてみた。《もて》には、数種類の漢字があった。その中で心に響いたのは《以》の用字である。それは《○○を以って□□となす》と言うことである。「和を以って貴し」となす。これは、もっともよく知られている用法だろう。東京オリンピック招致は《和の心を以て、皆さまの楽しみとなす》という姿勢だろう。私たちは《敬いの心を以て、安穏な社会となす》これが、お題目に生きる私たちの《お・も・て・な・し》である。
■諸(衆)善奉行
先日、一般企業内の研究職の方と話をする機会があった。電器関係の企業で仕事をされている。30数年間勤務されているが、仕事が面白く定年後も引き続き勤められているそうだ。会話のなかで興味深いことを言われた。「不特定多数の人のためにならない研究は、すでに研究ではない」ということだった。ただ自分の興味だけでとか、有名になることのみを目的にすると、よい結果につながらないことも多いらしい。「基本理念が大切です」といわれた。私はそれを聞いて、七仏通戒偈の一節「諸(衆)善奉行」が心に浮かんだ。昨今、色々な事件事故に驚かされることが多い。事件を起こした人たちは、自身の心の奥底で何を思っていたのだろう。釈尊をはじめ過去七仏が持たれたという聖語「諸悪莫作 諸(衆)善奉行」は仏道の基本であるが、我々は忘れてしまってはいないだろうか。
■祖師(そし)の利生(りしょう)は日々に
岡山に伝わっている法華和讃に「祖師の利生は 日々にまします…」とあります。「利生って?」と質問を受けました。辞書には「仏が衆生を救済し、利益を与えること」とあります。祖師の日蓮聖人の不思議な力に日々見守られている私たちなのですよ…と言われています。お釈迦さまの教えが遠くなってしまった「末法」と言われる今にこそ、法華経の教えが大切と、命を惜しまず弘教された日蓮聖人。その「利生」が今も私たちに…と、素直に受け止めて詠われてきたのですね。怪我や病気、家族最愛の人との別れなど絶望の底にある時、仏さまからの言葉は言葉以上の力を持って私たちに迫ってきます。「ああ助けていただいた」と思える言葉は、苦難あればこそです。護っていただいた暖かい心を感じ、その思いを深めましょう。「祖師の利生は日々にまします…」と詠われた先人に続きうる生き方を求めたいことです。
■心澄めば、善悪が…
昔、あるところに、と始まる日本昔話。そのなかに「花咲じいさん」がある。正直おじいさん夫婦が、可愛がっていた犬が畑で吠えていた。掘ってみると、なんと小判がザクザクとでてきた。その様子をみていた、となりの欲深いおじいさんが、犬を借りて畑に行き、掘ることになった。しかし、いくら掘っても汚いごみばかりでした。おなじみのお話です。なぜ、こんな違いがおきたのでしょうか。そして、掘った犬のいのちが奪われてしまう結果になったのでしょう。自分の心のあり方に気づいていないのでしょうね。現代社会を見渡すと、なんと理不尽なことが多いではありませんか。自分中心に行動し、結果が悪ければ他人のせいにすることが目立ちます。自分を映す鏡があればいいのですが。あります。合掌し、お題目を唱えてみましょう。心澄めば、物事の善悪がはっきりと映し出されます。 諸善奉行 自浄其意   合掌
■命輝く時
法華経は自分が好きになる教え、自分が好きになる生き方を勧める教えです。とても簡素で易しい教えなのにどうして理解されない、とお釈迦さまは心配されたのでしょうか。私たちは自分が好きになれないので、自分が好きになれるものを外に求めて、自分を好きになろうと努めたからです。それのどこがいけないのでしょう。外にあるものは一見自分を高めてくれるように思えるのですが、どんなものでも内なる宝に比べたら、取るに足りないものばかりだからです。いつ自分の中にある宝に気づけるのでしょうか。求めて求めて得た宝が本当には自分を守ってくれなかったという事実を知る時です。この世の無常を知るということですか。そうです。知っていても実感するためには辛い年月を必要とします。気づいた時にはもう時間がないということもあります。でも一日でも自分の命が輝く時を過ごせたら、生まれてきた甲斐があるというものです。
■菩薩になろう
人助けをする人を「菩薩」といいます。先頃、川で溺れている人を救助した方がおられます。そうです! その方が菩薩さまなのです。妙法蓮華経方便品に「但教化菩薩(お釈迦さまの目的は人々を菩薩にすること)」とあります。だから法華経を信仰する私たちは菩薩となって人助けをしなければなりません。でも、私たちは凡人。菩薩さまになるとか、人助けをするとかは、大それた行為、肩の荷が重過ぎます。でも大丈夫! 身近なところから始めればよいのです。例えばご主人が病気になった時、奥さんが「私がズッと側にいてあげる。私が力になってあげる」と声をかけると、ご主人は「心配をかけてスマンなぁ。ありがとう」と涙がこぼれ、両手を合わせて奥さんを拝みたくなるはずです。そのとき、ご主人が両手を合わせて拝もうとしているのは、もはや奥さんではありません。菩薩さまです。そう! 簡単に菩薩さまになれるのです。
■合掌礼
もう20年も前のことですが、今でも鮮明にそのときの情景が目に浮かびます。岩手県のあるお寺に、お説教に呼ばれました。その帰り、ご住職も東京へ所用があり出掛けられるとのこと。花巻駅までお檀家の若い方の運転で、山を越えて送って頂いたときの出来事です。花巻駅に到着して私はお礼を言って車を降り、駅の方へ進みましたが、ご住職がおいでにならない。振り返ってみるとご住職はベレー帽を小脇に挟み、合掌して若い方を見送っておいでになる。慌てて傍まで戻ると、小さな声でお題目をお唱えになって、車が見えなくなると深く頭を下げられたのです。まったく自然でなんとも神々しいお姿でした。私は感激しました。涙が溢れそうでした。どんな教えより有り難く、心の奥に響く教えでした。私は人の良いところはまず真似ること、と思っているので、それ以来素直に実行しています。
■感謝を知れば
私が家族6人で七面山に登詣させていただいて今年で6回目になります。最初の年に0歳で背負われて登った末の息子が6歳になり、自分の足で登るようになってもう3回目になりました。私は山登りが苦手で、家族の一番最後を1時間も余計にかけて登ります。登っている時は自分が一番つらいと思っていますが、敬慎院で家族と再会して話を聞くと、それぞれのつらさがあり、自分だけではないことを毎回知ります。お互いの苦労を分かち合うと、疲れた体も軽くなったような気がするから不思議です。七面山は罪障消滅のお山と言われていますが、つらい思いをして登ることが罪障消滅になるのではなく、誰かと辛さを分かち合い、誰かの苦労を無条件で認めることができる感謝と慈悲の心があるからこそ自らの罪障も消滅するのでしょう。軽くなった心で、また日常を送るなかに感謝と慈悲を忘れないでいたいものです。
■宇宙時代の法華経
コペルニクスの地動説(1543年)が普及した16世紀から20世紀までの5百年間に、科学技術は目覚ましく進歩してきました。今、21世紀に入って14年目のこの時、人類はその生活空間を地上から宇宙へと広げようとしています。法華経の二処三会の説相は、第十一章見宝塔品の中間において、地上での説法(霊山会)から空中での説法(虚空会)へと場面は激変します。即時に釈迦牟尼仏は、大音声を以て普く四衆に告げたまはく、「誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり」と。宇宙空間での生活を可能ならしめた科学技術の基礎学問分野は、言うまでもなく、現代数学と現代物理学です。その数学・物理学の基本法則は、妙法華経によって説明することができます。法華経は現代の最新科学にも通じる教えなのです。さまざまな学問を網羅・融合した人類の叡智と永遠の真理がそこにはあります。
■合掌して「いただきます」
暑くなるとどうしても食欲が落ちる方もおられますが、一方、こんな時だからたくさん食べて体力をつけなければと思う方も。いずれにしても、食事は、私たちの生命を維持するために必要なことです。お米をはじめお蕎麦や素麺、豚肉に牛肉、鶏肉、そして魚介類とさまざまないのちを私たちはいただいているのです。いのちに大小、軽重はありません。私たちが口にする諸々のいのちによって、私たちはいのちを繋いでいるのです。だから、食事の前には、「いただきます」「ごちそうさまでした」と感謝の気持ちを表すことが大事です。合掌は、相手を敬う姿とも言われています。食事の前後には、合掌して「いただきます」、そして「ごちそうさまでした」と声に出して、感謝のことばを言いましょう。 
 
■信行の力  
20年ほど前に授戒した信士が新盆を迎える。先代の信徒として長年夫婦共々の信行を重ね、70歳を前に共に法号をいただく。夫婦は元々の持病と大病のため、治療養生を欠かすことができず、互いを労わりながら、信行を大切に、ご守護を信じ、片道1時間の田舎道を運転して寺の行事に準備から参加、従容として奉仕する。6年前の1月、信頼してきた先代が遷化、3月には東日本大震災で自宅は全壊、避難所暮らしとなり体調を崩す。今後の相談の中で、かつて卒寿を過ぎ大腿骨を骨折した信徒が「もう1度、題目講の太鼓を叩きたい」の一念で力をいただいたことを話す。信行の継続を重ね見て選択した道には、湧く力があることを尊く思う。思慮の末、老夫婦は家を再建し、寺へは孫が幼子を乗せて2往復(4時間)し、祖父母の信行を助けた。昨年お会式月に元気に参拝、皆に信行の姿を留め霊山浄土に赴く。
■合掌で非認知能力アップ
私たちが子どもの頃、「そんなことをすると、バチが当たるぞ」とか「ご先祖さまが見てるよ」などと周囲の大人からよく注意されました。現代では「子どものすること」として、親がいても注意もせずに自由奔放に飛び回る様子が見受けられます。もちろん子どもの活動を制限したり、「あれはダメ、これもダメ」とするのが良いとも思いませんが、ちょっと疑問を持つ時もあります。最近幼少期に獲得すべき能力として非認知能力が言われています、これは物事を成し遂げるために自分自身を自制する力と言われています。今懸命に子育てをされている方、そのおじいちゃんおばあちゃん、その非認知能力を育てるためには、菩提寺のご本尊さま、家庭にあるお仏壇、ご先祖さまのお墓に、お子さんと一緒にお参りしましょう。非認知能力がアップします、功徳…その拝む後姿が、その合掌が「そんなことをすると、バチが当たるぞ」を実感できるからです。
■真にたよるもの
将来の生活や健康への不安、北朝鮮の核開発や戦争への不安、IT・AIなど社会環境の急速な発展からとり残されるのではという老いへの不安とさまざまな不安を感じながら生きています。そのような人びとに日蓮聖人の次のようなお手紙の一節を送ります。「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて、南無妙法蓮華経とうち唱へ居させ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(『四条金吾殿御返事』)。「苦しいことは苦しいこととしてそのままに受けとめ、楽しいことは楽しいこととして受けとめて、そのたびに嘆いたり、ぐちったり、あるいは喜んで浮かれたりせずに、苦しい時も楽しい時もすべては仏さまのはからいと受けとめて、ただ南無妙法蓮華経とお題目を唱えていけば、毎日毎日が苦しかろうと楽しかろうといつでも晴れ晴れとした気分で生きていける。だから一層の信心にはげみなさい」。
■命を感じる
一雨ごとに容赦なく伸びる畑の中の雑草。野菜を生かすために抜き取られ、コンポーザーに入れられ不要な糞尿と混ぜられて時を待つ。やがて不要な存在だった雑草も糞尿も土に帰り肥料となって戻ってくる。もしも、心の中の怒り・悲しみ・許せない心を手放して、神仏という名のコンポーザーに入れてみたらどうなるだろうか? 幸せに生まれ変わって戻ってくるのだろうか?きっと闇の深さの分だけ、より深く心の中の奥深くに潜む本当の自分に道を開くことになりはしないか?丁寧に心の雑草を抜き取って、野菜(本当の自分)の声に耳をすます。大地に根を下ろし、天に育まれ、呼吸が深くなると、静かな呼吸の奥底に響く生命の意志の声が聞こえてくる。「早く早く」と促される日常に、いつも考えている思考をを止め、じっくりと静かに心に耳を傾けると、確かに私の中に大生命の存在を感じることができる。
■努力は足し算、協力は…
運動会の開会式でのことを思い出しました。「努力は足し算、協力は掛け算」です。暑い中練習をして、なかなかできなかったことができるようになる。成果が積み重なるのです。そして、それぞれが努力したことを持ち寄り、より大きなことを成し遂げる。1人ひとりの力は小さいかもしれないけれど、協力することによって、何倍も何十倍にもなるのです。しかし、その大勢の中で「自分1人くらいはサボっても変わらない」という「ゼロの心」の人がいたらどうでしょう。掛け算ですので、1人でも「ゼロの心」の人がいたら出てくる答えは「ゼロ」になってしまします。1人ひとりが持てる力を十分発揮してください。と話しました。運動会ばかりではありません。普段の生活にしても、地域の活動にしても同じです。思いあって支え合うことが大切です。無関心が「ゼロの心」です。
■絆生む合掌礼
日本人は思いやりの心に富み、周囲の人々とともに幸せになることを望むことのできる世界に比類なき民族です。その一方で、人生に幸福を感じる度合いが少なく、世をはかなんで自ら生命を絶つ人の数が、先進諸国の中では高位にあります。「改正自殺対策基本法」の制定により、全国の自治体の自殺防止の取り組みが強化されるなどして、この数年来国内の自殺者は減少傾向にありますが、 特に自殺者の少ない地域には、人間関係のあり方にある共通点があるそうです。日頃のお付き合いは挨拶程度で過度な干渉はなし。でも、顔見知りが多く孤立はしづらいというものです。人は、家族や同僚などとの身近な人間関係に苦しむことが少なくありません。一方、たまに会う人や違う価値観の持ち主の言葉に触れて、希望や生きる力を取り戻すこともあります。合掌礼で普段の何気ない人々との絆を大切にしていくことは、現代社会ではとても重要なことと考えます。
■笑顔
「笑う門には福来たる」と古来より伝えられておりますが、幸福だから笑顔が生まれるのではなく、笑いや笑顔が幸福を呼びよせるのでしょう。NK細胞(ガン細胞を攻撃するリンパ球)が活性化して免疫力があがったり、「α波」という脳波がストレスを軽減したり、笑いや笑顔の効果は素晴らしいですね。作り笑いでもよいとのこと。私たちが生まれて初めて笑った時、間近で見つめてくれた人が喜んでくれました。今、私たちは大人になって、大切な人に笑顔を見せているでしょうか?和顔施(笑顔の布施)の尊さはもちろんのことですが、「親に良い物を贈ろうと思いついても、何もできない時には、一日に二度三度、笑顔を見せてあげなさい」(『上野殿御消息』1124頁)。日蓮聖人が親孝行の第1歩を教えて下さっております。笑顔はめぐりめぐって大切な人と自分自身を豊かにするのですね。
■さいわいは心よりいでて
今日は「幸い」ということについて考えてみたいと思います。広辞苑によりますと運が良く、恵まれた状態にあること。しあわせ。好運。幸福とあります。好運(幸運)とは、例えば宝くじや懸賞に当選するというような、文字通り良い巡り合わせのことで、自らの力を及ぼすことが難しいと言ってよいでしょう。数多く購入したり、あるいは応募はがきをたくさん書いたからといってなかなかうまくいきません。また、好運に恵まれた人を見るとそれが他人のことでも何となく妬ましい気持ちになるのが人の常です。しかし、一方「幸福」という言葉には、私たちが努力することによって得られるという意味が込められていると思います。自然にまわって来るものではありません。「さいわいは心よりいでて我をかざる」と日蓮聖人はおっしゃっています。日常生活の中で行いを正して、心が満たされるように努力し、充実した人生を送りましょう。
■お塔婆は故人への手紙?
毎年、ご両親のご命日近くに4姉妹4家族で、お参りに来られる東京のお檀家さんがいます。当然、お塔婆を4基お建てになり、お線香を手向けます。ある時、私のご回向が終わると長女さんが「お塔婆は母への手紙なんですよね」と。塔婆は古代インド語のストゥーパを音訳した、卒塔婆を略したもので、お釈迦さまのご遺骨(仏舎利)が納められた塔は、日本に伝わり五重塔にまで発展しました。その想いは故人への追善供養のために、細長い板の上部に4つのきざみを入れ五重に型どり、板塔婆になりました。日蓮聖人も「過去の父母も彼の卒塔婆の功徳によりて天の日月が如く浄土を照らし…」と塔婆供養の功徳をお説きになられ、塔婆を建て合掌礼拝された方にも功徳が得られるとのご教示です。お塔婆を建てた方の功徳も故人に廻り、ご成仏の道を歩まれるのですから、心のこもった何よりも尊い「お手紙」に間違いないのでしょう。
■家族に感謝
5月5日こどもの日の朝、母が永眠しました。93歳の長寿とはいえ、晩年の8年間は認知症との闘い。自宅で介護し看取ろうと決めたその日から、言葉では語り尽くせないほど苦労の連続。母もさぞ辛かったと思います。日ごと薄れていく記憶に負けまいと、起きてから休むまでのすべてを事細かくノートに記す毎日でしたが、最後は自分の旧姓と誕生日の記憶だけが残る状態でした。葬儀の日の夜、私は家族の前で手を合わせ頭を下げ、今まで苦労を強いてきた詫びと感謝の気持ちを言葉にしました。日蓮聖人のお手紙には「ご主人が身延まで来られて、母が亡くなった悲しみは深いけれど、臨終のありさまがよかったことと、妻が母によく尽くして看病をしてくれたことの嬉しさは、いつの世までも忘れることができない。と言って喜んでおられましたよ」と労いのお気持ちを綴られています。昔も今も変わらぬ家族への感謝。 
 

 

■常懐悲感 心遂醒悟
「四年前は家に帰るとお母さんが『おかえり』と大きな声で迎えてくれた。今は『ただいま』と言っても誰もいない。ぼくはさみしい。この悲しみをどこにぶつければいいのかわからない。でも、ぼくにはお父さんがいる。悲しい時も怒っている時もお父さんがいる。お父さんと一緒に歩いて行くしかない。」これは、東日本大震災で、祖父母と母と弟の4人を一度に亡くし、今は父子2人で仮設住宅に暮らす千葉雄貴君の作文である。法華経の寿量品のなかに「常懐悲感 心遂醒悟」常に悲しみをいだき続けて心は遂に醒めて悟りにいたるとある。雄貴君も、やり場のない悲しみや怒りを抱き続けることで、生きて行く道を見つけ出している。この逆境に負けない生きる力は、出来事を否定的に捉えるのではなく、受け入れて共に生きることで得たものと思う。全てを肯定する法華経の開会の思想がここに見えてくる。
■終活で考えた
先日「終活〜人生の終焉への心構え〜」と題したシンポジウムに参加した。主催者の発表では300人の参加が有ったと云う。大半がご高齢の方たちで、関心の大きさを感じた。長寿社会の中、メディアがその不安や心配を煽っている感もあるが、深刻な問題でもある。人生の最終章をどの様に生きるか? 貧しさの中では今日生きるのに精一杯で考える余裕も無いが、豊かな社会であればある程、生きる意味が求められているように思う。「どちらが幸福なのだろうか」と考えてみた。確かに経済や環境に恵まれ、健康であれば云うことはないのであろう。しかし、諸行無常は仏教の真理。だからこそお釈迦さまは正しい生き方「八正道」を説かれた。現代ほど菩薩としての生き方を勧奨する法華経が必要な時は無いと思う。「本当の幸せ」を一緒に求めて行きましょう。
■幸せのかたち
秋は運動会のシーズンです。わが家でも祖父や祖母を交えての運動会観戦です。お遊戯や徒競走、玉入れなど子どもたちの一生懸命な姿に心が満たされます。懸命に走る姿、皆と合わせてのダンス。子どもたちも観戦する親たちも笑顔があふれています。幸せとはこんなことをいうのだろうなとつくづく思います。多くの人は常に満たされない心で幸せを求めています。お金が足りない。いい生活をしたいなどなど。足りないものを得た時にはじめて幸せを感じる。本当にそうなのでしょうか。私が私がといっている限り心が満たされないのではありませんか。決して求めてはいけないといっているわけではありません。食事も満足に食べられなければ、心が満たされないのも事実です。今あるものに目を向ける。身の回りにある笑顔こそが心を満たしてくれるものではありませんか。仏さまは笑顔に気づくことを願っています。
■子どもの声は魔を払う
長崎の10月は各地の秋祭り同様「おくんち」で賑わいます。子どもたちの元気な声とお囃子で、街中を豪勢な出し物が練り歩き、大勢の見物客で溢れます。「子どもの声は魔を払う」とはよく言ったもので、神社やお寺のお祭りには稚児さんが出て、先触れをしながら魔を払います。子どもの声が響き渡ると本当にその場が明るく元気になるのです。家のなかもお寺も地域社会も子どもの声が充満すれば良いのですが、昨今のゲーム病や少子化の波は世の中から元気をも奪っていくようです。拙寺でも何とかして子どもたちをお寺にと、マンガ制作や鬼子母神講の活性化、「お参りさんこんにちは」と題したプレゼント攻勢、コンサートやお祭りのイベントなど、悪戦苦闘を続けていますが、なかなか成果は上らないのが実状です。素直な子どもの明るい元気な声が宗教のエネルギー源であることは間違いありません。また子どもの声がお寺にこだまする日を夢見ながら…。
■涙活
就活、婚活、最近では人生終焉にむけての活動として終活という言葉もよく聞かれるようになった。そして今「涙活」という言葉も出てきた。この涙活とは、能動的に涙を流し、心のデトックスを図る活動のことである。泣ける映画・音楽・詩の朗読など、意図的に感動を呼び起こし、意識的に泣くことでストレス解消を図り心を癒やすという。逆に言えば、今や涙活をしなくてはならないような、潤いのない殺伐とした世の中である証ではないかと思う。既に設定した場面に涙を流し心潤すのではなく、本来互いの生活の中で心温まる話が充満していかなくてはならないはずである。しかしながら現実は心痛む話ばかりだ。日蓮聖人は、「心の財第一なり」と仰せになられた。私たちは、お題目を唱え、皆が仏となり、慈悲心溢れる社会を顕現するため、心の財を尊重する立正安国の世界を築き上げていかなくてはならない。
■子どもを大切にする国を願って
東京の老舗ホテルで雛まつり展を観た時のこと。一泊した翌朝、病弱な乳児期の長男が突然這い這いをした場所だ。絢爛豪華かつ繊細優美な雛文化に接するなかに、江戸後期の這い這い人形が待ち受けていた。ぐらっとくる感動。私は、子どもを大切にする江戸の時空を遊歩していた。かつての貧しくも多産多死の時代、人は子どもの発育と健康を願い、神仏にそれを祈った。古い墓石や過去帳に嬰子や孩子が何と頻出することか。這い這い人形も、あるいは無数の悲しみを懐いた祈りの表出だったのかもしれない。さて、日本は近代以降、江戸文化を否定しつつ何を求めたのか。富国強兵策で戦争を煽り、戦後も経済成長を駆り立てた。そして福島原発事故。子どもが最大の被害者ではなかったか。私たちは太古から次世代の「教主釈尊の愛子」を守ってきたはずだ。完璧なエコ社会で生まれた件の人形は野蛮で愚かな2百年後の今をどう眺めているのか。
■体・心の栄養 お献立
出家以前、料理の道を志していた時、師匠にいつも言われたことがある。献立を作る時には、法則がある。五味、五方、五色、五季、真心。五味とは苦味甘辛酸塩、五方とは生焼煮揚蒸、五色とは白黒青赤黄、五季とは春夏秋冬土用。これらをそれぞれに取り合わせて食する人のために、真心の旨味を加えて、その人の体調にあった献立を作成する。体の栄養はこの料理で頂くことができるが、心の栄養はどこから頂くか。それこそ仏さまの法則のお献立、南無妙法蓮華経だ。28品の代表をなす素材と6万9千384あるといわれるお経の文字をもって、四季折々に「とうし和合」し、諸々の経方に依って、如き薬草の色香美味、皆悉く具足せる最高の醍醐味である主食のお題目。心一杯頂いて、日々の信仰に精進し、今日も1日、色も香りも、味わいよき、法華経で作ったお献立。両の手あわせて感謝して、頂きます、お題目。ありがとう、お祖師さま。
■想いが現実をつくる
8年前、知り合いがいないお寺に入った頃の私は自己中心的で心が曇っていて、空回ってばかり。お寺を出ようかと師匠に相談すると「お寺は住職のものじゃない、檀信徒や地域のものだ」と一喝され、掲示板に「地域の誇りとなるお寺を目指します」と貼り出し、お題目を唱え始めました。すると見えなかった町の素晴らしさや、お寺の素晴らしさが見えてきて8年経った今、周りにお題目を唱える笑顔の人が溢れていました。「私はここに呼ばれたんだ。この場所でお題目を弘めることが私の役目なんだ」と受け入れ、想いが変わることで周りの現実が変わって行くということを教えられました。人生は色々なことがあります。でもそんな時だからこそ、心からお題目を唱えて、曇った心を綺麗に磨いて、水の流れのように生き続けて行くと、必ず現実の世界が浄土の世界に変わっていきます。一緒に心を磨くお題目を唱え続けて生きていきましょう。
■雪裡の想い
苦手な冬が来る。年齢を増すごとに、寒風が身を刺す。特に吹雪時の運転は不安が付きまとう。帰宅時には、南無妙法蓮華経と感謝のお題目を唱える。常に、ご守護を戴いていることを感じる冬でもある。雪は一晩たてば氷の固まり。軒下には、槍のような丸太程のの氷柱が、下を通る者を狙っているかのようだ。昨年は除雪用のスコップが犠牲になった。春まで冬眠させてあげようと、勝手な言い分で負けてしまった。冬には弱い自分。歩けば滑って転ぶし、スパイク付きの靴が頼りになる。昔はなかった、こんな物。そう思った時、日蓮聖人の佐渡流罪が偲ばれた。「雪降り積りて消ゆる事なし―夜をあかし日をくらす」。日蓮聖人は「坐立行、一心に法華の文字を念ぜよ」と述べられた。それを想えば、まだまだ、修行の身です。寒いがゆえに、暖が恋しく、春が待ちどおしいのです。「後生には大楽をうくべければ大に悦ばし」と精進しましょう。
■慰霊と復興への道
「幽霊を見た ・ 亡くなった家族に会った」 東日本大震災の被災地では震災直後から現在までこういった声がよく聞かれます。ある日、3・11後にできた仮設中学校に赴任した女性からそのような相談を受けました。その校舎の西側に整地されたグラウンドは、かつて震災犠牲者の遺体安置場だったので、供養を行うことにしました。しかし、その時に女性と「犠牲者の御霊(みたま)を追い払うのでは無く、安心を与えるための供養であること。残念の御霊は、子どもたちの未来に後事を託すしか無いが、今の教育は知識の詰め込み偏重なので、御霊が安心するように、子どもたちの魂の育成に心がける」ことを話し合いました。塔婆を認(したた)め、供物と自我偈訓読・唱題・回向の醍醐味を捧げ終わると、その女性は「心と体が軽くなり、楽になりました」と言われました。この世もあの世も、日蓮聖人のお題目の光と力に依ってこその、安全・安心の道であるとの体信でした。 
 
■四つの心、六つの行い
慈の心 他に仕合せを与えたい恵みの心 / 悲の心 他の苦を除きたい憐れみの心 / 喜の心 他の仕合せを自分の仕合せと共に喜ぶ心 / 捨の心 我を捨て他に奉仕する心を養って、 / 布施 物心共に惜しみなく世に捧げる行い / 持戒 善を勧め悪を除く行い / 忍辱 正道のため困苦誘惑に打ち克つ行い / 精進 社会浄化奉仕のための努力を行い / 禅定 邪念妄想を捨て心集中する行い / 智慧 よく視よく聴きよく読んで正しい智識を身につける行いを実践しましょう。 ・・・ 右、当山の布教箋である。この教箋を「人生大切なことだから」と言って孫が嫁に行く時に祖母に言われた。その孫がいま母になり、職業人になって祖母の言葉を実践しているという。祖母の葬儀の時の孫代表の弔辞であった。この教箋を教えた祖母、素直に受け聴き入れた孫に拍手を送り、さらに四無量心、六波羅蜜を実践してほしい。
■顧みる教え
檀家の法事の席で「知識と経験は悪知恵を生む」という言葉に出会いました。筆者は来年還暦を迎えますが、妙に納得させられる響きがありました。知識を蓄え経験を積むことは大切なことですが、それが本当により善く生きていくため、自分以外の人たちをも幸せにするための智慧となったのかと問われたら、人は何と答えるのでしょうか……。譬喩品のなかでお釈迦さまは、智慧第一と称されたお弟子の舎利弗尊者に「少しばかり覚えただけで解ったような顔をして、大事なことを忘れ、自分中心にしか物事を見れない者には、この教えを説いてはいけない」とおっしゃっています。法華経は、自らを顧みる教えです。すなおに、まじめに、しんけんに、仏さまのお心の込められた「妙法蓮華経一部八巻二十八品6万9千384文字のお説法」を頂きましょう。南無妙法蓮華経
■春を待つシンデレラ
皆さんはグリム童話のなかのシンデレラのお話を、ご存知だと思います。シンデレラは継母とその2人の娘にいじめられて、家政婦のようにこき使われ、灰まみれになって働きました。シンデレラとは灰かぶりという意味だそうです。ある時お城から王子様の花嫁を選ぶための舞踏会の案内が来ました。シンデレラは「お前にはドレスがないからだめだよ」と連れていってもらえなかったので、小鳥に頼んで素敵なドレスを用意してもらいました。王子様は美しいシンデレラに夢中になり、やがて二人は結婚して幸せに暮らしました。シンデレラはまた、ドイツの厳しい冬を象徴しているとのことです。日蓮聖人は「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」と仰っておられます。私たちは厳しい冬にこそ、法華経の信心に励まなければならないと思います。
■娑婆即寂光土
かつて平和の祭典・冬季オリンピックが開催された旧ユーゴスラビアのサラエボは、オリンピックの8年後にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争により美しい街が地獄図と化した。多くの市民が殺害され街が破壊された。憎しみが憎しみを生み穢土(けがれた大地)となった。日蓮聖人は「衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云も土に二の隔なし。只我等が心の善悪によると見たり」と説かれる。憎しみは怒りや恐怖を生み地獄が現れる。柔和で正直な心からは浄土が現れる。もし怒りや憎しみの心が生じたならば「南無妙法蓮華経」と唱えてみよう。自身から浄土を広げてみよう。法華経の霊山浄土とは、天国やはるか彼方の浄土ではない。今いるこの娑婆世界が実は浄土であると説く。一人ひとりが持っている仏心を膨らませてみよう。1分1秒でも長く仏心を持ってみよう。今生きているこの瞬間に霊山浄土・常寂光土は現れている。
■私たちは何をなすべきでしょう。
フィギュアスケートのグランプリファイナル2連覇を達成した羽生結弦選手(20)の帰国会見で、「魂」を感じました。彼は東日本大震災の被災者として、競技を続けるべきか否かの葛藤のすえ、昨年2月のソチオリンピックで金メダルを勝ち取ったことは皆さんご存じの通りです。その折りにも、さらには2大会前の中国大会で試合直前練習で中国選手とぶつかり負傷しながらも好成績を収めたときなども、「最後まであきらめない心」を私たちに知らしめてくれました。さらに帰国会見では、「ただがむしゃらに突き進むのではなく、今、自分は何をするべきか? を考え実行した」と一段階上の魂を披露したと感じました。仏教の根本を説いた七仏通戒偈は「悪を止め善を行う」という戒を授け、さらに「自らその心を浄らかにするこころ」を教えています。羽生選手もこの「浄らかなこころ」を苦しみのなかから勝ち取ったのでしょう。浄らかな心で私たちは何をなすべきでしょう。
■真の覚醒とは
ナチュラリストの河村通夫さん(北海道在住)は、一人暮らしを始めることになった娘さんに「カルト宗教と覚醒剤には絶対気をつけなさい。ほかのことならどうにかなるが、この二つだけはとりかえしがつかなくなる」という注意を与えたそうです。確かにこの二つは抜けるのが難しく、人格を壊し、遂には本人はもちろん、家族や社会全体にも取り返しのつかない被害を及ぼしてしまいます。特に近年、麻薬や危険ドラッグ等の覚醒剤が身近な問題になってしまったのは残念なことです。覚醒を辞書で調べてみると、「目を覚ますこと。迷いからさめ、過ちに気づくこと」とあります。真の覚醒とは仏の子として生きることに気づくことであり、幸福な社会を築くことに努力することです。本来の意味の如く、しっかりと自分の進むべき道を歩んでいくことが大切です。
■心のゴミを拾いましょう
ラジオの「〇〇円の詩」の放送が耳に入る。「ゴミを拾う、たいしたことではないけれど。ゴミを捨てる、たいしたことではないけれど。ゴミを拾う人は、ゴミを捨てない。ゴミを捨てる人はゴミを拾わない。ここに大きな違いがある」 誰かが見ていると、悪いことをすまいと思い、誰も見ていないと、ついつい浅ましい気持ちを持ってしまいがちな私たちの心です。近所の奥さんは外出のとき、必ずビニール袋を提げている。ある日その奥さんが道に落ちているゴミを拾ってそのビニール袋に入れているのを見た。そのことをお檀家さんに聞くと、「誰に頼まれた訳でもないのに何年も前から道のゴミを拾ってるんですよ」と教えてくれた。ゴミを見たその時に一つ拾えば1つ分、二つ拾えば2つ分きれいになるのだという。常にみ仏は見ている、お祖師さまが見ているとしっかり心に刻んでお題目を唱えて、ゴミを拾う人になりたいものです。
■「立正安国・お題目結縁運動」が第3期に入る。
「立正安国・お題目結縁運動」が第3期に入る。ここまでの宗門運動の成果を総括し、しっかりと自己採点することが肝要だろう▼この運動は全国74の宗務所の管区伝道企画会議で、2年の時間をかけて検討した意見をもとに、ボトムアップで生まれた運動だ。宗内的にはお題目結縁による人づくり、宗外的には立正安国の社会活動というのが主なねらいだ▼当初、運動名の「立正安国」に対し、いまさら四箇格言(念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊)を持ち出すのかという「安国論封印」の声があがった。しかし「立正安国」は日蓮聖人の「いのち」。聖人の信仰から「立正安国」を除いたらなにが残るか。「立正」を主張することが、イコール排他的宗教ではないはず▼世界にはキリスト教やイスラム教、資本主義や市場原理主義といった思想や宗教があり、多くの人びとの行動規範となっている。それらは聖人の時代にはなかったもの。しかも中には「立正」に照らして「ノー」と正すべきものも多い。聖人の時代の四箇が、今では十箇も百箇もある▼『論語』に「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」という言葉がある。「立正」を主張せず、世の大勢に同ずる(おもねる)ことが祖意ではない▼人びとの価値観が多様化し、混沌とした時代。こんな時代だからこそ宗門運動第3期では、社会に向かってもっと「立正」を主張すべきではないか。
■逆境にこそ咲く華あり
新島八重は弘化2年(1845)に会津藩の砲術師の山本権八・佐久の子として誕生し、昭和7年(1932)に87歳で生涯を閉じた女性で、この表題が信条だった。戊辰戦争では自ら銃を手に参戦するも敗戦。その後、同志社大学の創始者・新島襄と結婚。襄と死別後はさまざまな活動を通して社会に貢献した。晩年は自宅を改築。「寂中庵」で茶道に親しみ、裏千家圓能齋を師匠と仰いだ。能齋師は日蓮宗に通じる「元品の無明を切る大利」の銘がある竹茶杓を所持していた。八重にとってその影響は大だった。後に会津藩主松平容保の孫・勢津子様が昭和天皇の弟の秩父宮雍仁親王とご成婚。この「ご慶事」は八重や会津の人々にとっては「逆賊」「朝敵」とされた無念を打ち消す祝事となった。紆余曲折の人生。何回も逆境に遭いながらも前向きに生きる姿勢を失わなければ、美しい華が必ず咲くことを八重は教えてくれる。
■仏らしく生きる
先日、華道の趣味のある方から、花を生ける時は温かい眼差しで花を見つめ、優しい言葉をかけながら生けると、花が生き生きと綺麗になるのだとお聞きしました。私たちも日々の生活で人と接する時、温和な顔で、優しい言葉をかけるよう、心がけなければなりません。それが仏の行いの一つです。仏教のみ教えには成仏が説かれています。私たちは皆、仏の種を持ってこの世に生まれます。それに気付いて仏に成る。それが悟りであり、仏らしく生きることが大切なのです。しかし私たちの心の中には、貪欲や怒り、愚痴をこぼしたりする悪い心が仏の心と同居しているのです。日々、お題目を唱えるそのお力で悪い心を抑え、仏の心を呼び起こすことが、仏の行いにつながります。そして皆が仏の自覚を持ち、平和で住み良い世界を作るために努めなければなりません。 
 
■この師匠にしてこの弟子
私たちはお祖師さまの弟子として恥ずかしくない振る舞いをしているでしょうか。本堂でお参りを終えたKさんが隣の部屋に入って来て私を見つけると「いつもお世話になっております」と座ってご挨拶。すると「あっ」と急に立ち上がって出口近くに座り直しました。「どうされたのですか?」と聞くと「(お祖師さまのいらっしゃる本堂側の)上座からご挨拶してしまい失礼しました」とのこと。私はこの時Kさんの振る舞いに胸を打たれ、それ以上にKさんの日本舞踊の師匠Mさんの偉大さを感じました。Mさんは信仰については非常に厳しい方で、私を「お坊さん」として育ててくれたような人です。後日Mさんにこの一件を話すと「お上人、そりゃ当り前のことです」と事無げに話されました。この師匠にしてこの弟子あり…です。お祖師さま、師匠の弟子として、父母の子として胸を張って感謝の日々を送りたいものです。
■心の財を残す
毎日寺にお参りに来ていた檀信徒が亡くなり、その法事の時に、お嫁さんから「母の手帳に書いてありました」と見せていただきました。それを子どもたちに色紙に書いて、渡してあげました。「苦難は味方、貧しければこそ、甘やかされず育った、余裕がなかったからこそ、早くから働くことを覚えた、境遇に恵まれなかったからこそ、強い勇気と忍耐を養った、苦しめばこそ、人の親切と有り難さを知った、悩めばこそ、人の愛情の尊さを知った、だから貧しいことにも恵みがあり、苦しいことにも幸がある」。お墓参りに来た方たちにも写してあげました。「あの方らしい」と感激していました。彼女なりのエンディングノートではないでしょうか。日蓮聖人は『崇峻天皇御書』の中で「蔵の財よりも身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり」と述べられておりますが、良い財を子どもたちに残されたのではないでしょうか。
■70年たっても
戦後70年。戦争を体験した人が少なくなっている。第二次世界大戦で日本の戦没者は310万人。そのうち海外では約240万人という。その47lの約113万人は海外に眠っている。激戦地の一つにパラオのペリリュー島がある。先日その日本兵集団埋葬地の地図がアメリカで発見された。国や家族を守るために海外で戦死した兵士の望郷の念に米国人も日本人もないと、米国人が調査し資料を見つけ出してくれたのだ。島では1万人以上が戦死し、まだ約2600人の未帰還兵の遺骨が埋もれているらしい。調査をして早く収骨作業をしてもらいたいものだ。現在、日蓮宗ではいのちの尊さや平和の大切さを社会に弘め、安穏な社会を築こうと、「立正安国・お題目結縁運動」を展開している。終戦から70年の節目の年にあたり、戦争の悲惨さを省みて、尊いいのちを守る平和のありがたさを人から人へ伝えていかなければならない。
■志を心得て
「凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」  (『事理供養御書』) 私たち凡夫が仏さまになるには高い志を持つことが大事だ、と日蓮聖人は言っておられます。他人、地域、社会、そして世界のために何か役に立てることはないか? こうした高い志を持つことが、人が仏になっていくためには重要な要素です。日蓮聖人は「立正安国」=いのちの教え・法華経をみんなが承知して平和で安らかな世界を構築していこう、との志(課題)を生涯持ち続けられました。その崇高な志を大きな力として、大難4ヵ度、小難その数を知れずという苦難多きご一生をたくましく生き切られたのです。その日蓮聖人の教えとその実践は7百数十年後の今日にも及び、地球環境問題をはじめとして核、民族紛争などいろいろな課題が山積している現代、益々その重要性と有効性が認識されているようです。
■遷化とは
本年2月、3月と続けて大変お世話になった先輩僧が他界した。僧侶が亡くなることを遷化(せんげ)という。僧侶は亡くなると、仏さまのもとへは向かわず、教化する場を遷すことからこう言われるのだ。亡くなった本体は来世に遷る。しかしそれだけではないのでは、と思った。教化の場が遷るとは、来世はもちろん現世にも通じるはずだ。現世にあっては「信仰・精神の継承」を意味していると考える。先師の築いた「信仰」は、後に続く者たちへ遷されなくてはいけないのだろう。さらに私は檀信徒の皆さまとの何気ない会話から発せられる「言葉の持つ魂」に生きるエネルギーを頂いている。これは「精神の継承」であろう。本年戦後70年の節目を迎える。世では改憲・集団的自衛権が議論されている。読者の先輩方には会話を楽しみ、若き者たちへ自らの経験を遷し、「言葉の魂」で平和への精神を授けて下さることを願う。
■生かし、生かされ
現代は、物的には本当に豊かで便利になりました。物や情報も溢れんばかり、消化不良で溺れそう。反面、受け止める間もなく流れ去り、大量消費でゴミの山。手元にある物もいつしかホコリだらけ。十分に活用しない、できないままに…。日々、万物が因と縁のかかわりの中で刻々と時をきざみ事象が推移して行きます。「活用」とは、存在価値を認識して生かすことです。一頃、外国人が「もったいない」という言葉をピックアップしました。日本人のもつすばらしい精神です。森と同時に1本1本の木、先行きと同時に現在の足下、周囲の人々・世界との関わりを端座して見つめることが肝要でありましょう。周囲の事象や人間相互の意義を再認識し、生(活)かし、生(活)かされていく総和の世界を―これこそ立正安国。その心眼を開くのはお題目です。
■龍の髭の結縁
当山の隣には幼稚園があり、園との境に立派な青銅製の龍の口から水が出る洗心のお手洗い場が寄付された。子どもたちのいい遊び場になりそうで、寄付をされた方に「嫌な思い」をさせるのではと心配していた。案の定、子どもたちはその龍の髭に葉っぱを刺したり、小石がお供えさながら盛られていた。日々掃除をしても園児は100名以上でとても追いつかず、うるさく注意するのも、と困っていた。そんな時、ある保護者が、「娘はここで遊ぶのが大好きなんです。お爺ちゃんがお迎えに来たとき、ここ(本堂)とお家の仏壇は仏さまのお力で繋がっているんだよ、と聞いてからは、園に出かける前に家のお仏壇でナムナム、行ってきます≠ニ手をわせるようになりました」。 方便品第二に「乃至童子の戯れに沙を聚めて仏塔と為る」を実践し、寄付された方も小さな下種結縁の功徳をいただけるのではないだろうか。それにしても今日も龍の髭には葉っぱが……。
■ただただ祈るだけ
先日、もともと生家が当山の檀家で、私が幼い頃には忙しい母の代わりに子守をしてくれた女性が、68歳という若さで霊山浄土に旅立ちました。結婚後もご主人と子どもを連れて境内の掃除をするなど、お寺を気にかけていただきました。その方の通夜の読経中「恩山の一塵に報じ、徳海の一滴に謝し奉る」という願文が頭をよぎりました。「山のように受けた御恩に対し、チリ一つ分だけ恩返しをし、海のように受けた御徳に対し、一滴分だけ御礼させていただく」という謙譲の意味を含んだ報恩のことばですが、生前いただいた恩返しのつもりでお題目を唱え、ただただ祈るだけでした。生きていくなかでお釈迦さま、日蓮聖人をはじめ多くの方々からさまざまな御恩や御徳をいただいて、私たちの今があります。私たちができる唯一にして最も大切な恩返しが、お題目を唱えることなのです。
■逆境の中で
長い人生に楽しみも苦しみも連れ立ってきます。失業、人間関係、病気、死。苦しみの中で死は大きいことで、老若によらず突然に来ます。愛する人との別れの悲しみは広くそして深い。私も1年の間に、妻も含め近親者が5人亡くなり、今、思い切り落ち込んでいます。『四条金吾殿御返事』に「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合はせて」とあります。順境も逆境も縁を受け止め、平常心を持って日常の行いをしなさいとの、教えです。順逆の縁は、自分の力では動かしがたく、人それぞれに順逆の歴史があります。逆境は避けられないもの。ならば、そこに意味を見出しより良く対応する。逆境とは苦しい時です。我慢の時です。時には時間が心の傷を癒す薬です。現在あることは大切な人のお蔭と感謝をする。明けない夜はないと、逆境を好機と捉え、苦楽に一喜一憂せずに、成長していきたいものです。
■ろうそくのように
朝夕に、お仏壇にお参りされる時、ろうそくを灯します。ろうそくは芯に火を灯され、自らの身を削りながら火を灯し続けます。あとわずかになっても使命をまっとうします。人も然り。両親から命の灯をいただき、生をうけ、人生が始まります。それと同時に平等に与えられるものは「死」であります。どんな方でもそれは避けて通ることはできません。しかし、それを悲観するのではなくその終わりを理解し受け入れ、一時一時を大切に過ごすことが大事です。ろうそくの灯は、ただ点いているだけではありません。その火は周りを明るくし、温かさを分けてくれています。私たちも、命の灯をいただきその温かさや、明るさを周りの人びとに与える使命を持っています。この世に生をいただいたということは、一人ひとりに仏さまが役割を与えて下さったのです。それを全うすることが生きるということです。 
 
■次世代に繋ぐ
夏休みにお寺の生活を体験したいという小学生3人を預かりました。今どきの小学生が朝晩のお勤め、掃除など寺の生活になじめるか心配でしたが、約束の5日間頑張りました。後日、親御さんから「家で息子が家族の前でお経を聞かせてくれました。普段落ち着きのない娘が長いお経を写経できたのに驚きました」と電話が。日蓮聖人は「末法に入って法華経を持つ男女の姿より外には寶塔なきなり。若し然らば貴賤上下を撰ばず、南無妙法蓮華経と唱ふる者は、我が身寶塔みして我が身又多寶如来なり(『阿仏房御書』)」とご教授下さっております。不信だらけの世の中、目に見えない仏さまの教えを信じ持つことは大変なことです。また、こんな時代だからこそ、大切なことなのです。私たちは、親から受け継いだ尊い仏のみ教えを、子や孫に伝えていく責任があります。菩提寺の行事には是非、お子さんやお孫さんとご一緒にお参りし、仏さまとご縁を結んで下さい。
■生(逝)き方
「生き様」ということばは実に嘆かわしい。それは「死に様」という、これまた人の死を罵った語から派生した造語に過ぎないからだ。このことを理解すれば、人がこの世で生きていくこと、すなわち「人生」は、人の「一生」を言うのであるから、こんな気負った表現は甚だおかしい。ある高齢男性が、「あなたにとっての幸せは」という問いに「私が亡き後、孫たちやその後の者が手を合わせてくれること」と応えた。このことばには、私自身がこの世からいなくなっても、信仰を継承し、手を合わせることで先祖を受けとめてくれる。言い換えれば、この男性は生前中に明確な信心を持ち、家庭や社会においても信仰ある生活を送られたという裏付けがあることに気がつく。人生とは、どのように生きるかを問う時に、いかに逝くかを考えることだろうと思う。正に臨終の事を習う大切さを考えたい。
■うちわの風
暑さのぶり返したある日のこと、月回向に伺ったお宅でお経を読んでいると、後ろから柔らかい涼やかな風を感じた。お経が終り振り返ると、そのお宅の奥さんが、うちわでゆっくりと私をあおいでいてくださったのだ。少し前までは日常的にあったように思う、そんな光景が、何とも懐かしいような、最近は感じることのなかった心地よい風を感じた。暑ければ、スイッチ1つで、エアコンや扇風機が動き出す生活。うちわすら使うことはなくなってきた現代では感じられない、人のやさしさのこもった風である。夏の暑い昼下がり、孫の昼寝を見守るおばあさんが、孫のためにゆっくりゆっくりうちわを動かすような、そんな風。お経の中に「風動出妙音」という言葉が出てくる。風が動いて周りの人々の心に妙なる音が響くという。周りに向かって、相手に向かって、そんな風を送り続けたい。
■でんでんむしのかなしみ
愛知県半田市出身の童話作家新美南吉の残した作品の中に「でんでんむしのかなしみ」という作品があります。ある日、でんでんむしは自分の殻の中には「悲しみ」しか詰まっていないことに気づき、もう生きてはいけないと嘆きます。そこで別のでんでんむしにその話をしますが、私の殻にも悲しみがいっぱい詰まっていますと言い、また別のでんでんむしも同じことを言います。そして、最初のでんでんむしは「悲しみは誰でも持っている。私ばかりではないのだ。私は私の悲しみをこらえていかなければならない」と嘆くのをやめました。自分の悲しみに心が囚われその不満を他人や社会にぶつける人が増えている今、この作品は私たちに悲しみに耐えることの大切さを教えてくれています。悲しみをいつまでも嘆くのではなく、悲しみを背負いながらも歩き続ける強さを私たちに伝えてくれていると思います。
■仏の佐吉
昔、人びとから「仏の佐吉」と呼ばれ、美濃聖人と称えられた「永田佐吉」(1701〜89)という人がいました。生い立ちは貧しく、早くして両親に別れ、商家に奉公しながら読み書き商いを覚え、苦労の末、綿の仲買人として自立しました。佐吉の商いはお客を信用してはかりを一切使わず、相手の言い値、言いなりで取引をしていました。さぞや大赤字…と思いきや、追いはぎにも「これじゃ足りなかろう」と家に招くほど情が深い佐吉を人びとは愛敬し、かえって繁盛しました。そして、豊かになった佐吉ですが、質素な生活は変わらずに、儲けたお金は石橋や道標の設置など地域のために使い、また、信心深い佐吉は村人が自由にお参りできるよう丈六釈迦如来胴像を村に寄進しました。人を信じ、人を愛した仏の佐吉。仏国土とはそういう人々が住まう処なのでしょう。「仏佐吉さま 仏で暮らす 誰れも仏で世をおくれ」 野口雨情
■「烏」のプラス一手間
烏は保護鳥であるらしいが、どちらかといえば「嫌われ者」である。ただ、子育ては他の動物たちに劣らない。童謡「七つの子」がある所以か? その烏が子育てをしている頃の話である。我が家には殺処分を免れた犬猫が多頭いる。私は毎朝夕に彼らの食べ残しの餌をスズメたちにあげているのだが、次第に烏の方が上前をはねるようになった。ただ、嘴一杯に餌を頬張ると一目散に飛び去って行く。子烏に運んでいるのだ。そのうちに子烏も巣立ちをして親烏に付いてくるようになったが、まだ自分で餌を啄むことはできない。翼を広げ「カアカア」と嘴を大きく開けて餌をねだる。とその時私は驚きの光景を目の当たりにした。粒状の餌を頬張った親烏はそれをそのまま子に与えずに一旦猫の水飲み場迄行き、その口一杯に水を含み、それを子烏に与えるのだ。脱帽、合掌。子烏が餌を喉に閊えないように「慈愛の一手間」プラス。ありがとうカアちゃん。「常住此説法」
■縁
すべての生きとし生けるものはお互いに生かし生かされています。自分の生命を知り、家族の力添えを知り、社会の仕組みを知れば、恩にゆきあたります。縁を感ずれば知恩に至るとも言えます。亡くなった人に別れを告げる人生最後の弔いの場。そのかたちが今、大きく変わりつつあります。家族葬という近親者のみで行う葬儀。ごく身近な肉親だけで火葬に立ち会うだけの直葬。かっては親戚、地域にとって一大イベントとして亡き人を送った葬儀の変化は、人と人のつながりの希薄化、縁の縮小を象徴しているようです。日本の住宅には縁側がありました。縁側は内と外をつなぐ開放的なコミュニケーションの場として機能していました。縁を結ぶ大事な場所だったのです。日本家屋に縁側が少なくなりました。「縁」「恩」は21世紀の人間関係を見直すキーワードではないでしょうか。そんな中で寺はどのような役割を果たせるのか考えさせられます。
■人の振舞〜合掌礼〜
ある日ショウさんと世間話をしていた。「小さい頃からの癖で、すぐ手を合わせちゃうの」とショウさん。ありがとうの時も、ごめんねの時も、こんにちはの時も、さようならの時も。「すぐ手を合わせちゃうから、友だちに私はまだ生きとるんだから手を合わせないでよ≠ニ怒られちゃうだわ」と話してくれた。そこで私は、ある菩薩さまの話をした。「この菩薩さまは、僕やショウさんの心に仏さまの種があって、あなたは、その種を一生懸命育てて、仏さまになるお方だ≠ニ、いろんな人に手を合わせて頭を下げられてたんだよ。なんだかショウさんと似ているね」。そう話すと「菩薩さまも生きとる人に手を合わせとったんだね。なんだか嬉しいね」とはにかんだ。日蓮聖人は「釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と仰っている。「人の振舞」とは、心の中の仏さまに手を合わせることなのかなと、90歳のショウさんに教えて頂いた気がした瞬間だった。
■誰かのために
人間が歳をとって一番辛いのは「自分が誰の役にも立っていない」という孤独感に苛まれることだそうです。人は1人で生きていくのではありません。つまり私の命は、人と人はもちろんのこと、人と他のすべての生命を生かし、そして生かされている生命と言えます。その意味で、人は人のために生きなければなりません。目は、誰かの良いところを見るために使おう。耳は、誰かの言葉を最後まで聴いてあげるために使おう。手足は、誰かを助けるために使おう。心は、誰かの痛みが分かるために使おう。幸せとは決して人の評価によるものではなく、自分が何かの、誰かのために力を尽くすことができたという満足感の中にあります。私たちが行うすべての営みに、謙虚さと感謝と勇気と喜びをもって、菩薩行を実践したいものです。合掌
■合掌
古来インドでは、箸を使わずに素手で食事をしましたので、右手は清浄な食事に、左手は不浄なトイレでと、両手を使い分ける習慣があります。ことに仏教では、右手は清浄なる仏の心を表し、左手は不浄な自己の煩悩を表し、両手を合わせ「合掌」することで、清浄なる仏の心に自己を合一させ、相手を敬うことを表します。日本においても「右ほとけ 左衆生と合わす手の うちぞゆかしき 南無のひと声」という古歌が有名です。また、数珠を片手で持つときは、不浄・煩悩を表す左手に掛けます。『法華経』でお釈迦さまは、この経を信じるすべての人に成仏を約束されましたが、ご自身も前世で「常不軽菩薩」(常に軽んじない菩薩)として、世の中の人びとの成仏を念じ、ひたすら「合掌」して巡る修行(但行礼拝)をされました。日蓮宗ではこの故事に基づき、「合掌」であいさつを宗門運動として勧めています。 
 

 

■思いやる社会・合掌の心の実現
日本人のおもてなしの心は、今や世界に誇れる精神文化であり、私たちを取り巻く社会は、とても便利であり、優しく親切です。しかし、世の中が親切になり過ぎたせいなのか、個人の責任が軽視され、社会の秩序や公共のマナーを守る気持ちが薄れてきているようにも感じます。自分さえよければ他人の迷惑には無関心といった行為を目にすることが、少なくありません。社会全体が平和でなければ個人の幸せはなく、社会全体の平和もまた、個人の小さな努力の積み重ねによってしか成し得ないものと考えます。車に乗れば歩行者を思い、電車やバスに乗ればお年寄りや妊婦のことを思いやり、公共のトイレ等は汚さぬように使用するなど、お互いが気持ちよく人生を生きるためのマナーを心掛けていきたいものです。そんな心掛けが尊い合掌の心に通じるのであり、身近な所から、「立正安国」の小さな輪がやがて大きく広がっていくものと信じます。
■伝言
90歳になる妹は、80年前に若くして逝った兄の夢を見た。幼少だった彼女の記憶のままの口数少なく寂しげな顔をしていた。とても気になった。多かった兄妹も今は自分一人。来月の祥月に法事をすることになった。本家の甥から電話。「叔母の夢の件でお世話になります」。自分が生まれる前から、夢の兄(伯父)を含め六霊の位牌を護って来たが、古いので今回新しくすることにした。繋がりが分からないので戸籍を調べると、「夢の兄」には位牌も無くわずか1ヵ月で逝った弟がいた。一緒に供養することになり名前と命日をいただく。年回表を見る。大正5年百回忌。しかも夢の兄の10日後が命日。「間にあった」。戒名を授与し位牌開眼の供養となった。「婆ちゃんの夢大したもんだ」と甥の言葉。常住此説法の仏壇のご本尊を中心に、位牌諸霊も日々に『関わりの命』を持つ。来月は戦後70年。平和への諸霊の伝言、心の耳でしっかりと。
■私たちの振る舞い
昔、雪山童子は「諸行無常是生滅法」の続きの半偈を聴くために鬼神の口に身を投げ入れたといいます。法のためとはいえ、私たちにはなかなかできることではありません。毎月お経に伺っている信徒さんのお家で、お経が終わって帰ろうとしていたところ、お嫁さんが「娘からです」と言ってチョコレートを渡してくれました。ちょうどバレンタインデーの頃のことですが、その気遣いにうれしい気持ちになりました。このお家は数十年にわたってご夫婦揃って、最近は親子でお参りされています。朝早くお出でになった時は、本堂の清掃・草取りをしていかれますし、お供えもされます。以前からその様子を見ていますと、見習わなければいけないと思い、またお参りになるまでには、本堂の扉を開けておかなければならないなと思いました。「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候」のお言葉が身にしみました。
■仏の心で仏国土に
ある日、朝勤前に本堂から境内をながめると、宗祖遠忌報恩塔や三界万霊塔、戦没者慰霊碑などの石塔に「みかん」が置かれていた。大きなみかんにマジックペンで「おじぞうさま、めしあがってください」と書かれていた。この石塔は残念ながら「お地蔵さま」ではないけれど、どなたかの感謝・供養の心に思わず手を合わす。ふと「一見四水」の教えを思い起こす。人間には「水」と見えるものが、天人には「宝の池」、餓鬼には「血の川」、魚には「家宅」に見える。同じものも見る者・心によってさまざまに変わる。「みかん」の施主には、石塔はみな「お地蔵さま」に見えるのか? 笑い話ではない。人は仏の心も地獄や餓鬼の心も持っている。私たちの住むこの世界を仏の心で見れば浄土(安穏な仏の世界)、凡夫の心で見れば穢土(苦しみの世界)である。全ての人が持っている仏の心で過ごすならば、此の世が、この社会が仏国土に変わるのです。
■ガンさん! ありがとう
ガンで入院していた檀徒さんが、快復されて「信仰の力って凄いですね。病院のベットの上で、お経を読み続けておぼえてしまったら、ガンが消えてしまいました。本当に不思議です」と語っていた。本当は、私たちの命の力というのは、計り知れない。その命の力を発現させる教えによれば、実はガンが治ることも不思議でもなんでもないのかもしれない。先日ある医師の講演会に参加した。その講演の中で次のようなお話があった。「ガンになったら、ガン細胞さんありがとうくらい言ってほしいものです。ガン細胞だって自分の細胞です。自分自身に悪い悪いと祈るのだから、ガンの方だってたまったものではない」 いつからか私たちは条件付きで自分のことを愛し、仏さまからの無条件の御心を自ら望んで拒んでいるのかもしれません。
■星は多けれども…
秋の夜長。皆さんは何を思うのでしょうか? 空を見上げれば満点の星。一つひとつにそれぞれの星々の煌きがあり、とても美しいですね。しかし、日蓮聖人のお言葉に「星は多けれども大海をてらさず」とあります。どんなに綺麗で素敵な星々が多数集まっても、夜の大海や闇の大地を輝かせることはできません。日月の光明だけが幽冥を除いてくれるのです。そのとおりだと思いました。そこで、このお言葉の続きがどうしても知りたいと思いました。しかし、ご遺文やお手紙の名称が解らないと続きは当然見つからないのです。困りました。自分自身の勉強不足を恥じましたが、ならば全ご遺文を拝読させて頂こうと決意して月日が経過してしまいました。苦労しましたが…。やっとやっと出会えました。昭和定本遺文の『九郎太郎殿御返事』です。「但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ」と続いておりました。生涯忘れません。
■死ぬまで生きる
6歳の男の子の一言。「死ぬまで生きる!」可愛がってもらった祖母の死に直面して出た不思議なことばです。しかし、子どもなりに「死」をしっかり受けとめた実に意義深いことばでもあります。バス停でのこと。「今2時半ですよね」と声をかけられました。このことばには「2時半になったらバスは来ますよね」ということばが省かれています。つまり、時刻を特定して、その時刻になると出来事は起るのではなく、出来事が起こる「時」というのはそのもの自身が運んでくるという解釈ができないでしょうか。私たち人間が関わるすべての現象は、時計の刻時刻によって表示されるのではなく、出来事それ自身が「時」を運んでくると考えた方がより自然ではないか。「死ぬまで生きる」は、「その時」を待つことではなく正に宗祖教示の臨終を習う私たちが精いっぱいに「この時」生きることをいうのでしょう。
■仏さまとむきあう
「生老病死の憂患あり」お釈迦さまのお言葉ですが、私も持病の治療のため2ヵ月に1度、病院で血液検査と薬をいただいています。診察まで数時間待ち、診察はわずか1〜2分。先生はパソコン(電子カルテ)で血液検査の結果を見ながら背を向けて話します。一度も顔を合わせずに診察が終わることもあります。大勢の患者の診察をされているののですから仕方ないとも思いますが…。それでは、私たちが信じるところのお釈迦さまはどうでしょう。医者と同じように私たちを苦しみから救ってくださいます。違うところは、私たちが願い求めれば、すべての人と向き合ってくださるのです。「あひかまへて、あひかまへて、信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給べし」(『諸法実相鈔』)。法華経を固く信じ、日蓮聖人の教えを素直に受け、忍耐強く、慈悲の心を篤くし、ことに当たっていくなら、三仏の守護と功徳をいただけるのです。
■仏さまはいつも一緒に
ある会社の社長さんが突然寺を訪ねてこられ、「仏さまの教えとはどういうことですか」と質問されました。そこで私は「明日の朝より、奥さまと一緒に起床し、そして台所に入り、新聞を読まず、テレビも見ないで、静かに朝食が済むまでいてください」と、お話しいたしました。後日、その方がみえられて「ありがとうございました。お米を研ぐ音、漬け物を刻む音、野菜を洗い刻む音、普段あたりまえのように頂いていた朝食がこんなにも大変なことかよくわかりました。私自身の力で会社も家庭もやっていけるのだと、私に感謝しろと、思い上がっていました。それが誤りであったと気づくことができました。周りの人びとに支えられ今がある。私を支えていてくれる人たちに感謝しなければならないことに気づかせていただけたこと、とても感謝しています」と。お題目の信仰を持つということは、周りに仏を見、自分の心の中にいる仏に気づくことです。みんなほとけさま いのちに合掌
■ぶたれ坊
江戸時代の終わり、鏡岩源之助(本名・加藤助三郎)という力士がいた。父は鏡岩濱之助。時の英傑、雷電為右ェ門に土を付けるなどの活躍をし、小結まで務めた名力士であった。立派な体躯に恵まれた助三郎、周囲の期待を背に角界に入り、父の四股名「鏡岩」を継いだ。2代目鏡岩の通算戦績は6敗4休。土俵上で一度も勝ち名乗りを受けることなく廃業した。故郷に戻った助三郎は宿屋を営んでいたが、奉公人をこき使うなど、地域に尽くした父とは反対に、悪い評判ばかりが聞こえた。そんなある日、妙泉寺大徳(岐阜市加納妙泉寺第13世本受院日芳上人と伝わる)の導きにより仏道に入ると、これまでの行いを反省し、中山道を行き交う人々のために茶を振る舞ってもてなした。傍らには自身の等身大の木像を置き、罪滅ぼしに棒で打ってほしいと乞うた。偉大な父との葛藤を離れて、我が道を見つけた助三郎。助三郎の木像は「ぶたれ坊」と呼ばれ親しまれている。 
 
■身近な人に感謝
「空気のような存在」という言葉が使われるのは長年連れ添った夫婦の間の関係を表すことが多いようです。地球上の生物は、空気がないと生きていけない「なくてはならない」ものです。でも、空気があるのが当たり前になっているので、私たちはいちいち「空気さん、ありがとう!」とは言わないように、長年連れ添い「空気のよう存在」の夫婦はそれぞれに対して「ありがとう」と言うことは少ないようです。私は今年、40年間連れ添ってきた妻を病気で亡くしました。まさに「空気のような存在」であった妻に感謝の言葉を述べたこともなかったことが痛恨の極みとして心に刺さっています。空気はなくなることはありませんが、なくなって、初めてその存在の大切さに気付くのが空気であれば、最初からその存在をたくさん感じていきましょう。そして、「空気のような存在」である一番身近な人にこそ感謝の言葉を。
■世界に響け平和の鐘
今年は戦後70年。テレビでは各局で戦争を題材にしたドキュメンタリー番組が多く制作されています。今年は76ヵ国から代表者が広島原爆ドームに集い、平和祈念式典が開催されました。8月6日8時15分に広島、9日長崎に原爆が投下されてから70年。私の寺でも10数年前から、檀信徒を集め、原爆・戦争等で尊い命を奪われ犠牲になった人びとに、鎮魂追善供養のため、また国土安穏・世界人類平和のために、梵鐘を打ち、お題目を唱え、ご祈念いたしております。今、戦争体験者は老い、戦争を語る人が少なくなり、若い世代に継いでいく人たちがいなくなってきました。今こそ一人ひとりが平和を訴える時でしょう。梵鐘を打ち、大きな声でお題目を唱え日蓮聖人の眼目であった立正安国を目指し、2度と戦争のない、平穏な世界づくりにむかい、響け平和の鐘よ、轟け命のお題目。さあ、皆さまご一緒に。
■憤りの中から
先日、ある檀家さんの7回忌の法事を勤めた時のこと。法要が終わり、差し出されたお布施をいただくと、もう一つお布施の袋がある。不思議に思って、そのお婆さんに聞いてみると、「いじめや誘拐などで、亡くなった子どもたちの供養をお願いしたいのですが、お願いできますでしょうか」とのこと。こちらとしても、そういった申し出に少々驚くとともに、その尊いお心に添うよう、近づいたお施餓鬼で供養させていただくことでお引き受けした。今、社会の中で、いじめや誘拐などによって、罪のない子どもたちのいのちが失われています。私たちは、そのような事件を聞くたびに、やり場のない憤りを感じます。このお婆さんはそんな憤りの中から、自分にできることとして、子どもたちの供養をと考えられたのでしょう。思いを行動に移していくこと。それも「いのちに合掌」。
■困難に遭っても
漢方薬を服用すると、良くなる前に体内の毒素が排出され一時的に体調が悪くなることがあります。これを瞑眩(めんげん)といい好転する兆しとなりますが、同じ様に、法華経には信仰する上で過去世の宿業が顕れ難に遭うことが説かれます。日蓮聖人は「我今度の御勘気は世間の失一分もなし。偏に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし」(『佐渡御書』)と、法華経を信仰する上で法難として流罪を受けることは、今までの宿業を解消する機会であり、後生に悪しき道へ堕ちるのを防ぐものであると受け止められました。我々もお題目という良薬を唱え服する上でさまざまな困難に遭っても、日蓮聖人の大難に比べれば小さな難で済んだと受け止め、好転する兆しとして乗り越えてゆくことが、聖人に近づく一歩となると思われます。
■喪中と年賀(忌明・徐服)
年末になり、喪中ハガキが届くことがあります。現今では人が死亡して、仏教徒は四十九日(七七日)、神道で五十日葬までを服喪期間とし、忌明け挨拶状・香典返しをするのが習わしといいます。年賀欠礼のハガキには1年近く過ぎているのもある。私は父母・義父母の死亡後の正月挨拶で「故○○は○月○日霊山浄土へ往詣し 釈迦牟尼仏日蓮聖人(菩薩)に面奉し 倶に元朝の日の出を遥拝(合掌唱題)していると思いなし 私共も安堵しています。本年も……」と、書きました。四十九日忌が終われば忌明けだから平生の生活に戻った方がいい。いたずらに家に籠り世間・社交・外出・音曲・娯楽を避けるなど不自然です。喪中・忌中であっても、日頃と変わらず普段通り仏道修行に励み、故人の霊山往詣を祈り、年始の挨拶や年賀を下さるのを断ることもなく、挨拶を交わす方が嬉しくありがたいようです。私たちは仏教(日蓮宗)徒、皆倶にです。「皆共成仏道」。
■「終活」ということ
近年「終活」ということが話題になっているようである。最近のマスコミの話で終活の一環として「お墓じまい」を考えている人があると聞いた。…何とも嘆かわしい。遺骨は、今は亡き大切な人の最後の「縁」ではないのか? 墓前に手を合わせれば懐かしく対話もできようと言うもの。金品・不動産だけが遺産で、お墓や位牌は「負の遺産」と子孫に伝えるのか?…心に北風が吹く。「死」という字は「一タヒ」と書くように必ず一度迎えねばならない現実である。その準備をする。誠に結構なことである。しかし、ここでいう終活とは、臨終を迎えるに当たっての生き方、逝き方。「後生の為の糧」を考えるという「終活」である。臨終を迎え、今生の精算をし、そして「罪」と「徳行」を持って旅立つのである。懺悔滅罪の謙虚さと、徳を積ませて頂くという謙虚さ、これを終活の心柱として余生に光明を得、霊山浄土を期したいものである。
■日蓮聖人や仏さまと向き合って生きる
愚鈍で頑迷な私は、自分の心との葛藤に苦しむことがあります。その原因のひとつは、今日も謙虚な自分でありたいと思いながら、秀でた能力も無いのに、他者から等身大以上に評価されたいと思ってしまうことにあります。もっと素晴らしいことができるのではないか。何か違うことができるのではないかと。そんな自分に無いものを求めてしまう愚かな思いに振り回されるのです。そのようなとき、「日蓮聖人や仏さまと向き合って生きなさい」とご教示下さった恩師の言葉に従い、本堂にお祀りする聖人や御仏の尊顔を拝しながら、自己と向き合います。なぜ自分が等身大以上に評価をされたいのか。なぜ他者の評価をそれほどまでに気にかけるのかと。その理由を心に問い、自明のことですが、等身大の自分でしか、人生を歩めないことに改めて気づかされるのです。このような私ですが日々、日蓮聖人や仏さまと向き合い自己を見つめ顕虚に生きたいと思います。
■「一粒の妙薬」
北里大学の大村智さんは、足下の土を根気よく採取し、微生物の中から薬を開発した。その薬はアフリカ大陸で毎年2億人以上を感染症から救った。その功績から、大村さんはノーベル賞を受賞した。アフリカ大陸での大勢の人への薬の投与は容易なことではない。しかし、この薬は安全な錠剤で、奥地では専門の医師や看護師がいなくても村人たちが配ることができた。1粒の薬を飲み救われた村人が、喜びと感謝さらに他の人にもその薬を配り、真心の連鎖で菩薩のように大勢の人びとを救っていったのである。この成果は、さまざまな機関と製薬会社などの幅広い協力の賜物であることは言うまでもないが、大村さんの祖母の「人のためになれ」という教えは大きい。お祖師さまに救われた私たちには、今多くの人に「妙法」を届ける役目がある。
■節目
お正月という節目を迎えました。節目とは「節から芽が出る」、つまり新しいものがそこから生まれてくるということです。全国のお寺や神社に1億数千万人の人たちが、さまざま希望を胸に初詣にでかけます。日本人の多くは家に神棚を祀り、仏壇で先祖の御霊に手を合わせます。万物に神宿る≠ニ感じる心、神仏習合は日本人の文化です。人生の希望というのは誰にも取り上げることはできません。冬は次の春を迎える準備をする時であり、夜は明日を迎える準備をする時、人生における節の時もまた、次に進むべき時のために力を蓄える時期です。そして、この節の時が人間を強くします。竹がしなって簡単に折れないのは、ところどろこに節があるからです。節ありて竹強し。人間の節は苦労するとできる。苦労したから折れないのです。そして、人生の苦難を強さに変える方法が信心です。法華経の信心は、行動と実践を中心ととした慈悲・平等・智慧という真理大法を生きることにあります。
■尊いおこない
世の中を見ますと、目、耳を疑うような凄惨で酷い事件が飛び込んできて心が痛み、行く末を案じてしまいます。時を同じく身を置いている者としては日々安穏であれと願うのは皆、同じかと思います。身を置くということからいえば家庭・近隣・地域、広げれば国・世界の一人ということです。私たちは時を同じく生まれ、その中で多くの縁の中で生かされている存在であり、命なのです。この世は娑婆(忍土)といい困難なことだらけです。それはご先祖さまの時代も私たちも、続く子孫たちも同じです。法華経・お題目のご縁を結んだ私たちは久遠本仏さまに下種された者同志。同体の種に気付き仏子の自覚に立ち、身・口・意にお題目を唱え、生きとし生ける存在に敬いと感謝の心をもって接しましょう。そして大いに反省し、開花、結実に向け、ともに歩を進めましょう。現実忍土の修行、功徳こそが何より尊いのですから。 
 
■命を尊ぶ
昨年、フランスで100人以上が犠牲になるテロが発生しました。ISが関わったことは、皆さまご存知の通りです。イスラム過激派の教義に「命を尊ぶ」ということがないのかと思うことがしばしばありました。アメリカ同時多発テロ、何の関係もないジャーナリストを殺害したり、あるいは自爆テロ…。将来のある若い人たち、大切な家族のある方のことを思うとやりきれない思いに駆られます。自分たちは間違った方向に行っているんだなどという思いはまったくないのでしょう。一方で、日本でもつらく苦しい思いをしている若い人たちがいます。自殺をはじめ、いじめ、不登校、ブラック○○など、根本には長く続く不景気が原因かもしれませんが、周りの人に感謝し、ご先祖さまに手を合わせ、自分だけでなく他人も大切にする心(もちろん命も)を持ってほしいものです。
■まず唱えること
20年ほど前、師僧のお寺で修行していたときの話です。ある日、一人の女性がお寺を訪ねて来て、玄関先でいきなり「なんでお題目がありがたいのですか? なんでお題目でなければいけないのですか?」と、問われました。私がしどろもどろしながらも色々な言葉を用いて一生懸命に説明していたところ、途中から来た師僧がその女性に一言。「今日から毎日30分間、1日も欠かさず、1年間唱えなさい。1年経っても分からなければまた来なさい」 1年後、その女性が再びお寺に来られ、涙ながらに「お題目のありがたさが分かりました」と、深々と頭を下げてお礼を言われました。私は理論よりもまず唱えること≠フ大事さを痛感し、以後、檀信徒と共に唱題の実践行に努めております。
■降誕の意義
「日蓮聖人降誕八百年」これを世間的な「誕生」と同義語と解釈してしまうと「降誕」の意義が、泡沫に帰してしまいます。「降誕」とは、聖人(せいじん)が生まれる際に用いられる言葉です。日蓮聖人の誕生を「降誕」と称する意義について、そのご生涯を『法華経』を繙解かずに、世間的な偉人伝=高僧伝として学んでも、宗教的、あるいは、信仰的意義を知ることは到底できません。日蓮聖人に「本化上行」「法華経の行者」等と冠をつけて称しますが「日蓮聖人のご生涯、61年の歴史的事実は、法華経に説く宗教的必然であった」という意味です。それは、日蓮聖人の誕生は、法華経に約束(説示)されたもので、ご生涯を通し、法華経を真実=事実のものとしたということです。ゆえに「降誕」と称するのです。法華経を離れて日蓮聖人の存在はなく、ここに私たちは、他宗の祖師との隔絶の差を知り「本化上行」「法華経の行者」の「降誕」を慶讃するのです。
■言葉の由来に仏教が
日蓮宗と浄土真宗について、古来、対比して使われる言葉がある。「だんだん良くなる法華の太鼓」とは、毎日練習すれば上手になる。「法華の法知らず、門徒物知らず」とは、従来の地域の風習や習慣と違うことをして作法を知らないこと。「馬の耳に念仏、法華のお題目」とは、人の意見や忠告に耳を貸そうとせず、少しも効果がないこと。「朝念仏に夕題目」とは、しっかりとした自分の意見や考えがない。「おそれ入谷の鬼子母神」とは、相手の言うことには同意するが、そのまま認めるのはしたくないことを指す。これらの言葉は2つの宗教が同時期に一般庶民に広まり、字の読めない人のために、平等に信仰する機会と救いを与え、互いにライバルとして競い合った証拠でもあろう。言葉の由来は忘れられる運命にあるかもしれないが、法華経とお題目の信仰の歴史の「あかし」として、後世まで伝え残したい言葉である。
■一番大事な言葉
お釈迦さまがお説きになったお経は、8万もあります。最重要なお経は「法華経」です。これは当のお釈迦さまのご意見。法華経の中で一番大切な章は16番目の「如来寿量品」の「お自我偈」。そこの一番大事な部分は結びの「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 即成就仏身」。「つねにみずから是の念を作す。何を以てか衆生をして無上道に入り、速かに仏身を成就することを得せしめんと」これは「毎自作是念の悲願」といって、永遠の存在であることを明かされたお釈迦さまが「あなたを私と同じ仏にしてやろう」という誓願です。これにたいして「ありがとうございます。お釈迦さまのお誓いを信じ、仏になれるにふさわしい存在にならせていただきます」という私たちの信じて受けとめる感謝の言葉が「南無妙法蓮華経」なのです。自分がグレードアップするのです。私たちにとって一番大事な、言葉を越える言葉です。
■辛いけれど
朝夕の勤行は、何十年と続けていても辛いものである。愚僧にとって夏の暑さと冬の寒さなどは当然辛いものである。しかし、唯一、春の勤行は心地よい。身も心もご宝前に供された仏花も色鮮やかに温かく勤行にいどめる季節でもある。それが、数年前からこの季節も戦いの時季となった。花粉症になったのである。やはり勤行は辛いものである。だが、こんなに辛い勤行も一心に仏さまと向き合っているうちに自然と辛くなくなっていくのである。思えば私たちの日々の生活や人生も面倒なことや辛いことばかりではないだろうか。それを乗り越えてもまた壁が生まれてくる。新しいことが始まるこの時期、挑戦や活動する方は、高い理想に向かって一心に続けてほしい。根気強く続けることで道が開けてくるのである。何十年と辛い勤行を続けてきて分かったことがある。いつも理想の微笑みをうかべる仏さまが私たちを見守っておられるのだ。
■苦を楽に転ずる教え
ある靴の会社が未開地に靴を売り込もうとして2人の調査員を派遣しました。1人は着いてすぐ会社に報告しました。「誰も靴を履いていないので靴を売り込めない」と。別の1人が報告しました。「誰も靴を履いていないので、靴を売り込める」と。同じ事実を見ても考え方でこうも違うものです。日蓮聖人は次々に降りかかる法難にくじけず、法難を受けるのは自分が正しい信仰(法華経)を弘めようとしている証拠だと考えました。そしてより強い信仰を持たれ、苦しみを喜びに変えられました。私たちの人生は、本当に山あり谷あり、苦しみの連続です。日蓮聖人を宗祖と仰ぐ私たちはその「苦」に負けず「苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱えて」前向きの人生を歩みたいものです。
■生き様
先日1人のお婆ちゃんが98歳で亡くなった。生涯独身で若い頃は市役所で働き、茶道を嗜む方であった。ご自宅にお参りに伺うといつものお香のいい香りがして、仏壇もきれいに埃が拭き取られ、お線香立ても手入れがとても行き届いていた。挨拶を交わす時もおだやかでそれは上品なお婆ちゃんでありました。葬儀の折は甥1人、姪2人と数人の知人だけの寂しいものであったが、きれいな花に囲まれてひっそりとした中にお人柄が偲ばれる地味ではあるが可愛らしい式であった。「1日1日の積み重ねが現在の自分の姿である」とどこかのカレンダーで見た。人は生きてきたようにしか生きることはできない。死に様が生き様である。とすると、なおさら今日1日を精一杯生きていかねばならないことになる。仏さまに報恩感謝して、日々の事柄を懺悔して信仰生活をしていこう。きっと仏さまは見ておられるのだから。
■合掌
法華経はお釈迦さまの誓願と大慈悲の経典と言えます。誓願は『方便品』の我本立誓願 如我等無異です。大慈悲は『如来寿量品』の毎自作是念 速成就仏身です。誓願は「すべての生きる力」です。大慈悲は「すべてを生かす力」です。これが法華経の信仰です。法華経の合掌とは、釈尊の誓願と大慈悲の世界が持つ、この「二つの力」を融合させる姿です。この「二つの力」が昇華したのが、南無妙法蓮華経のお題目です。合掌して唱題することは 「すべての生きる力」を体内に知り 「すべてを生かす力」を世間に示すことなのです。
■一人はみんなのために
昨年のラグビーワールドカップで、日本代表チームの快進撃は、歴史的快挙と称えられ、連日の報道では、五郎丸選手のキック前のルーティーンが話題となり、ルール以外のところでもファンが急増するという現象が起こりました。ラグビーには「One for all,All for one(一人はみんなのために、みんなは一人のために)」という有名な名言があります。これはアレクサンドル・デュマの『三銃士』が原典ですが、ラグビーだけではなく、生活を営むにも大切な言葉だと思います。宗門運動のスローガン「いのちに合掌」では、種をまき、育て、花を咲かせ、実をつけるという一連の運動を提唱しています。この運動の担い手である私たち一人ひとりが、みんなのために種をまき、育てるという自覚と行動こそが、宗祖のご降誕をお祝いし、安穏な社会を実現する原点であると言えます。 
 
■笑顔と憤怒(いのちに合掌)
笑顔が一番、笑顔そして声も笑声、聞こえなくても心も笑心。おこったら 今までの笑顔も、声も心も だいなしになる 怒らないのが第大一番。〇そんな怒っちゃいけません そんなに他人を責めてはなりません そんなに悪く言ってはなりません。〇どんな人でも 誰でも 何でも 傷つきやすいんです こわれやすい心があるんです。〇自尊心とも 自負心とも 矜持ともいう心 また虚栄心というのもある。〇この傷が おそろしい!! 何倍にもなって増える 心の傷は3千種、いやもっと。〇これは人だけではない。山川草木動植物、金石万物・・・・・・。郷土、里、町、村、国、國、邦もだ。恐るべし、恐るべし 仏の智慧を学べ!!
■伽羅のお線香
私は伽羅のお線香が大好きである。上品な香りが空間を清め、消えた後の「残り香」が身心を癒やしてくれる。お線香といっても実にさまざまな種類がある。長いものもあれば短いものもある。太いものもあれば細かいものもある。香りも値段もさまざまである。お線香にとって一番大事なことは、一度火を点けたら途中で消えることなく、最後までしっかりと燃え尽きるということ。そして消えた後に残る香りが、そのお線香の価値を決める。私たちの人生も同じである。人それぞれ命の長さは違う。歩む道も皆それぞれ。しかし一番大事なことは、仏さまからいただいた命を、自ら途中で消すことなく、最後までしっかりと全うするということ。そして亡くなった後に残る香り(善徳)が、その人の価値を決めるのです。「ああ、いい人だったなあ」と言ってもらえるよう、日々心の修養に励んでいきたいものです。
■伽羅のお線香
私は伽羅のお線香が大好きである。上品な香りが空間を清め、消えた後の「残り香」が身心を癒やしてくれる。お線香といっても実にさまざまな種類がある。長いものもあれば短いものも。太いものもあれば細かいものも。香りも値段もさまざまである。お線香にとって一番大事なことは、一度火を点けたら途中で消えることなく、最後までしっかりと燃え尽きるということ。そして消えた後に残る香りが、そのお線香の価値を決める。私たちの人生も同じである。人それぞれ命の長さは違う。歩む道も皆それぞれ。しかし一番大事なことは、仏さまからいただいた命を、自ら途中で消すことなく、最後までしっかりと全うするということ。そして亡くなった後に残る香り(善徳)が、その人の価値を決めるのです。「ああ、いい人だったなあ」と言ってもらえるよう、日々心の修養に励んでいきたいものです。
■1日の始まりは感謝の言葉から
私は毎朝、本堂の御宝前で額ずいた後、合掌しお釈迦さまと日蓮聖人を仰ぎ見て「今日も命をいただきありがとうございます。今日も一日、精一杯つとめさせていただきます」と感謝の言葉を申し述べてから勤行を始めることにしております。それは、自己が御仏や神々、ご先祖さまなどによるご加護やお導き、また家族はもとより、御心にお留め下さるご寺院や檀信徒、知己など大勢の方から頂戴するお心遣いや物心両面にわたるご支援によって、かけがえのない命を長らえて、今日も新たな1日を始められることに、心の底から感謝しているからなのです。このような思いから、1日を始めるにあたり、感謝の気持ちを言葉にして表したくなるのです。日々頂戴する数多くのご恩に、わずかでも報いられるよう、感謝の気持ちを忘れず、御仏に対し今日1日の努力をお誓い申し上げ、日々精進を重ねたいと思うのです。
■運・鈍・根
子どもたちが大好きなアニメ「アンパンマン」の作者のやなせたかしさんは生前、人生は運・鈍・根だとよく仰っていました。運とは、まず運がよくなければということです。しかし運がないという時もあります。その時は、運をつかむという努力が大事になってきます。そんな時に「あーついてないな〜」などとあまりナーバスにならないということ、即ちすこしくらい鈍感(おおらか)であることが大切なのです。そしてなかなか「運」がつかめなくても根気を持って続けるということが大切なのです。日蓮聖人のご生涯を考えてみますと、この運鈍根に当てはめることができるかと思います。法華経に出会ったという運命、度々の法難のお遭いになってもめげないというおおらかな心、そして一生法華経の信仰を持ち続けたという根気です。私たちの日々の信仰の持ち方にも参考になるのではないでしょうか。
■仏になる「道」
華道、茶道、柔道、剣道等には「道」という言葉がつきます。この道を進んでいったら必ず目的に到達できる。それはその道に堪能であるが故の人間的完成でしょう。これらの、もともとのイメージは「仏道」から来ているのでしょう。仏道とは、仏になる道です。お釈迦さまは、「真理」を伝えようとされました。でもそれはカタチがないものだから、なかなか伝わりません。それで真理をカタチにたくして伝えようとしました。それが修行とか作法と呼ばれるものです。その道を歩いて行けば必ず目的地に行ける。正法時代・1千年、カタチも目的も1つでした。像法時代・1千年、カタチだけ残りました。これを形骸と言います。末法時代・万年続きます。その形骸さえもなくなってきます。私たちはそんな時代の中で、お釈迦さまが用意してくださった法華経に出会うことができました。「南無妙法蓮華経」を唱えるということは、そのカタチと目的がひとつの行為なのです。
■還暦の同窓会で
出身小学校の同窓会がありました。会場に着くとなんとなつかしい顔が…。久しぶりに会った仲間たちと昔話、思い出話で盛り上がりました。面影がなく誰だか分からない人もいましたが、名札を見て「ああ、〇〇君か」「△△さんやね、なつかしいなあ」と声を掛け合いました。とてもいい1日となりましたが、十数人が亡くなったことも知りました。病気、交通事故、自らいのちを断った人、生きていれば子や孫に会えただろうに、家族と幸せな人生を送っていいたかもしれないのに…。残念。思わず、亡くなった仲間の冥福と遺された家族の幸せを祈りました。喜びも悲しみもあった1日でした。でも、それが人生。笑っているだけの一生もなければ、泣いてばかりいる一生もありません。一緒に笑う人がいて、悲しいときは寄り添って一緒に泣いてくれる人がいる。そんなありがたいいのちといのちのつながりのなかで、人は生かされているのです。
■三品経
『法華経』は全28章から成り立つ物語です。そこには難解な教理を説き示すことよりも、お釈迦さまと私たちの必然的な関係性を明かし、私たちに注がれる釈尊の思い=大慈悲を明かすことに重点がおかれ、展開されているように思います。第2章「方便品」では、釈尊が出現される由来そして「誰でも成仏できる」ということが明かされ、第16章「如来寿量品」では、永遠不滅のみ仏が「いつでも、どこでも救います」ということが明かされます。つまり、この2章で「誰でも(仲間)、いつでも(時間)、どこでも(空間)、救われる」ということが明確にされたのです。第21章「如来神力品」では、末法という時代に上行菩薩=日蓮聖人が、み仏の「使い人」として登場し先のことを教え、お題目「南無妙法蓮華経」を唱える信仰を布教されることが明かされます。この3章が古来「三品経」と称され、特に大切にされる由縁です。
■変わる葬儀、変わらないお題目
当地では六町が一市に合併後、新火葬場を計画。反対運動で場所が度々変更になったが、ようやく完成した。施設は立派で綺麗になったが、火葬炉は総工費節減のため、従来の半分の4炉となった。過疎地では、工事費の節減が最優先である。団塊の世代が亡くなり、炉が不足する2025年問題が言われているが、この世代が終われば死亡者が激減する。新火葬場の規模と火葬炉数は、団塊後を考え決定した。このため新火葬場は炉の順番待ちがあり、葬儀日を延ばすことも出てきた。火葬場までの所要時間も45分と大幅に延びた。当初は最新の冷却装置を備え、1時間で収骨する予定が、経費節減のため不採用となった。2時間と従来より収骨が長くなった。現在葬儀時間が制限される。僧侶・遺族・参列者は一体となり、日蓮聖人の本門受持の心髄のお題目を、一生懸命合掌し、大きな声で唱え、故人を心から霊山に送ることが一番大切となる。
■因果応報
仏教の根本理念は因果応報≠ナあります。いわゆる善行を積めばよい結果が、悪行を積めば悪い結果、つまり人間は生きている時の行いが、すべての原因となります。冥途には閻魔大王を始めとして10人の王がおり、死後の人びとを裁きます。十王の本地仏は菩薩ですが、裁判中は柔和な姿を隠して憤怒の身を現し、衆生が娑婆の縁続きで冥途に赴く時、中有の間、闇い道に座を占めて、初七日忌から七七忌、百ヵ日忌、一周忌、三回忌に到るまで、次々と亡者を受け取り、その罪業を考査し未来に生まれる処を定めます。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人界・天上界と、どれか1つの道に裁決が下されます。常に争いごとを好む人は阿修羅地獄に、頭は人、胴体は畜生、水を飲む・食事をすると炎となる餓鬼に。このような意味から49日忌法要が大切なのです。死後の世界、現在生きている我々の心の現れです。 
 

 

■剣道の指導をして
少年剣道の指導を始めて、もうじき50年になります。自分の技を磨くだけではなく、技術と人格向上に向けて教えることの難しさを痛感しています。剣道の理念の中に、「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」とあり、剣道修練の心構えとして、「剣道を正しく真剣に学び心身を練磨して旺盛なる気力を養い、剣道の特性を通じて礼節を尊び、信義を重んじて誠を尽くして、常に自己の修練に努め、以て国家社会を愛して広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものである」と示されています。剣道の技術を磨き自己の心と躯を鍛えるのは当然のことですが、親や先生、友だちやお世話になった人たちに対し、挨拶や礼節を行うことが大切です。相通じる日蓮聖人の法華経の教えとともに、皆で精進して行きたいと思います。
■生き生きと輝き幸せに生きたい
私たちはいつまでも生き生きと輝き幸せに生きたいと願っています。しかしこの頃ぼけてきたとか、物忘れが多くなったと言われ、気にしていませんか。心配はいりません。予定を立てて暮らしていると心身が元気になると言われています。日蓮聖人のお言葉に「人の生き方の根本は人の振る舞いにある」と教えられています。生き生き輝くには、心のスイッチ意欲を働かせることが大事だといわれています。教育者の小学校校長でもあった東井義雄先生の詩に、「心のスイッチが 人間をつまらなくし すばらしくもしていく 電灯のスイッチが 家の中を明るくもし 暗くもするように」と。やらされている時と自ら意欲をもってやる時とは心身の働きに違いがあるそうです。計画のスイッチをいれて生きましょう。唱題は生き生き輝く力を持っています。だんだんよくなる法華の太鼓、とか。勇気もいただけます。合掌
■ものさし
農村地区にある我が寺も以前はカエルの合唱で賑やかでしたが、最近はカエルの鳴き声も聴かなくなりました。ダーウィンの言葉に「生き残るのは、最も『変化』に適応する者である」という言葉がありますが、よく引用されるビジネス訓示に「熱いお湯の中にカエルを入れる」という話があります。真偽のほどは分かりませんが、カエルを熱湯が入った鍋に入れると、ビックリして、すぐに飛び出して逃げるというのです。一方、水が入った鍋にカエルを入れて少しずつ熱くしていくと、カエルは熱くなるのが判らず、ゆであがって死んでしまうといいます。この話には人生の重大な教訓が含まれています。私たちは現在、過去の経験や情報により物事を判断し、思い込みというフィルターをかけて過ごしがちです。常に「身の回り」を意識し、自分の「ものさし」で判断するのではなく、仏さまの智慧という「ものさし」で判断したいものです。
■仏さまの教え
宇宙をずっとビデオで撮り続けます。誕生から遠い先の未来まで。それを早送りして見ると、この世で物体が存在する時間はホンのひとときでしかなく諸行無常が判ります。その娑婆世界の中でも特に地球をクローズアップして見ていると、命ある生物も命の無い物体も元素は同じモノの中から生まれては消えゆくのを繰り返しています。諸法無我とは個と他の境界が実は無いということ。私たちは生まれてから命ある食物をいただき、親に育てられ教育を受けます。色んな出会いがあり今の自分が存在します。それはさまざまなご縁のお陰です。周りの存在は皆過去から未来まで全て繋がっているという運命共同体を認識しましょう。人間の悩みや苦しみは他者と比べるから起き、生老病死は当然だと悟ると煩悩や執着は薄れてきます。人類が自己中心から脱却し、お互いに信頼しあうと仏国土という幸せが顕現します。その実現のために妙法蓮華経を南無することが仏教なのです。
■間と魔
私は幼いころより剣道をしていた。剣道の醍醐味の1つは、「間」のせめぎ合いである。どちらが間を制するかにより勝負の行方が左右される。いかに自分の「間」を作るかが非常に大切であり、面白いところでもある。この「間」は、日常生活においても、大切である。時間や仕事に追われていると、適切な間が知らず知らずにずれてしまい、普段はしないような忘れ物や、失敗につながることがある。これを「魔がさす」という。私たちの心の内には良い間も悪い間(魔)もあり、その心の持ちよう1つで、「良い間」を生み出すこともできれば、「悪い間(魔)」を生み出してしまうこともある。この「間」と「魔」。私たちが、私たちの心を、私たち自身で上手にコントロールしなければならない。その最善の方法を説くのが、妙法蓮華経で、その方法に従って正しい間を実践しますとお誓いするのが南無妙法蓮華経のお題目である。
■事の一念三千
4月16・17日、熊本地方は大きな地震に見まわれた。東日本大震災の記憶がまだ新しい中、再び大きな震災に遭遇した。被災寺院、被災された方々には、お見舞いの申し上げようもない。私は、熊本被災のニュースを見聞きしながら、『開目抄』の一節を思い出した。「つたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし」の一文である。人間の世の中では、色々な教訓があり、常識がある。人々は、平素それを口に出し、理解しているつもりになっている。いざという時、果たしてどれだけ分かり切っていることを実行することができるであろうか。火急の事態に置かれた時にこそ、本当のやさしさ・慈悲は育っていくのかもしれない。宗祖の説かれた「事の一念三千」とは、仏心に基づく行いのことである。
■会話のコツ
私たちは何気なくおしゃべりをしていますが、家族や友人、他人から何か質問を受けた時、皆さんはどのような答え方をされるでしょうか。「あなたは幸せですか」という質問を受けたとしましょう。まず単純に「はい」「いいえ」という答え方があります。あるいはまた「今は幸せだけど、将来は不安です」というように場合に分けて回答することもできます。第3には「幸せってなんですか」と逆に質問の意味を確かめる方法もあります。第4の方法は沈黙、答えないことです。答えようのない質問には沈黙するというのも選択肢の一つです。釈尊は相手の能力や意図をよく見極めて教えを説かれますが、現実の悩みの解決に役立たない質問にたいしては沈黙されました。また「相手のためになることを語れ」とも教えています。自分の心はことばによって相手に伝わります。会話の際、適切な答え方を選びたいものです。
■来世も法華経
15歳の時に法華経に出会い、そこに説かれている真理を求めて50年近くがたちました。何度諦めかけたことでしょう。しかし、不思議に励ましてくれる人に出会い、この歳まで投げ出さずに歩んできました。法華経には何が説かれているのかを自問自答して、ようやく愛することと赦すことと見返りを求めない生き方を私たちに勧めて下さっているのだと確信するようになりました。この答えは若い頃に気づいていましたが、知識として知っているだけで、生きる原動力にはなっていませんでした。心の成長を願って学んできたはずなのに、50年をかけてようやく1段だけ上がることができただけでした。本当に苦笑いするしかありません。残された時間のすべてを使って償いの行為をしても、余生の罪業は消えそうにありません。来世もまた法華経に値い奉りたいと願うばかりです。
■お盆には…
「お盆ってご先祖さまはお墓から家に帰ってるんですからお墓は留守ですよね」と尋ねられました。お盆はご先祖さまを家にお迎えしますからそういうことになります。昔の人は留守のお墓は私たちがお守りしますから安心して家に帰っていて下さいという思いでお墓に参っていました。ですからお盆のお墓参りには留守番という意味がありました。家に誰も居ないことを留まって守ると書いて留守と言います。これは姿こそ見えませんが家には留まって守って下さるご先祖さまがおられるということです。普段家を留守番して頂いているのでお盆くらいは私たちがお墓を留守番しますということです。盂蘭盆とは自分勝手な行いはやがて自分に帰って来るという戒めの言葉です。温暖化など環境の変化に苦しむ私たちはまさに盂蘭盆の状態にあると言えます。命を繋いで下さったご先祖さまに感謝し自分勝手な行い反省し、盂蘭盆にならない生き方を考える時。それがお盆です。
■回向する責任
“歯ぐきより 血の出で髪の 抜けにつつ 原爆症の われ生きつぎぬ” 終戦70周年の昨年5月13日、この歌の作者である島根の大先輩が遷化した。世寿92歳。師は20歳の時、見習士官として赴任していた広島で、爆心地より1`の所にあった兵舎で被爆した。「私の生命はご本仏のご加護と大勢の方々の生命を頂いてお陰さまで生かされている」との想いで 「私にはお題目弘通の使命がある、戦争犠牲者の ご回向をする責任がある」と信心され、戦後70年をまさに獅子の如く生き抜いた。“僧籍に 七十余年 在りし夫(つま) 法号獅子行院の 如く生きたり” 奥さまの歌にも師の生き様がよく表れている。お題目弘通の使命と戦争犠牲者のご回向をする責任という師の遺志を、戦後生まれの私たちがしっかりと受け継いでいきたいものだ。 
 
■未来は変えられる
人生は後悔の連続ではないだろうか? 「あの時にこうしていれば…」「なんであんなことを言ってしまったのだろう…」。もちろん反省することは大切だ。しかし、そのことばかりにとらわれていてはいけない。ひとつの方法を紹介してみよう。片手を握ってもらいたい。1秒に1本ずつ指を開いていけば5秒後に片手は手のひらが開いた状態になる。その手を次の6秒目に両手を合わせて合掌する。この6秒間だけを反省する時間にする。過去と他人は絶対に変えられない。変えられるのは自分と未来だけだ。反省すべきを反省したら、次に進もう!6秒後に合掌したときにはお題目を唱えてみよう! 今の努力は必ず未来にいい影響をもたらす。まずは自分が行動にうつさなくてはならない。この「まず自分が合掌し、唱えるお題目」の尊さは日蓮聖人が身を以て示してくれている。
■本物に接する大切さ
日蓮聖人は、多くのお手紙や御遺文を残されています。内容もお題目・法華経の教えや、地震などの災害に人びとの暮らしに至るまで多岐にわたっています。現代では活字化されていますので、触れる機会は増えていますが、御真蹟と言われる日蓮聖人がお書きになられたご文章を目にすると、大きく書かれたところがあります。紙が高級品であった鎌倉時代に文字を大きく書く意味は何だったのでしょうか。その多くはご供養に関係したものでした。8行書けるところに「鷲目三貫 絹袈裟一帖」と、大きく書かれているのは、ご供養に対する日蓮聖人の感謝の現れなのです。このことは活字からはわかりません。本物に接する大切さを教えてくれているようです。「鷲目」についてですが、皆さんで調べてみてくだし。本物の答の答えは何でしょうか。
■法華経はいつどこで編集されたか
表題の問いに、ずばり回答すれば、「キリスト教成立後、イスラム教が成立する以前の期間に、アフガニスタンのバーミヤン付近で、法華経は編集された」となります。現在、印度から中近東・アフリカにかけての地域では、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教の各派信徒たちが、熾烈な抗争を繰り返しています。ですから右の回答の当否を調査確認することは困難です。漢訳された妙法蓮華経には、この回答を暗示する句がいくつかあります。その1つは薬草喩品「甘蔗蒲萄」の「蒲萄」。ブドウの品種の1つはアフガニスタンに近い、カスピ海・黒海辺りが原産です。このように妙法蓮華経にはその場所を示唆しているものがいくつかあります。ところで仏教は縁起法です。これに対し、キ・ユ・イ・ヒの4教などは、創造主(神)とその被造物たる人間との関係なのです。このゆえに、世界平和への道は自ずから明らかでしょう。
■この世を楽しく生きる
食事の時、「合掌してお題目を唱えても、それだけで腹は膨れん」と孫から言われたおばあさんが考えた言葉が、「頂きますと感謝したら、よりおいしく食べられる」。ある本に、ピザが大好きな子どもがある時、1人で大きなピザを注文して自分だけで食べようとしたらどうも味がおかしい。そのままにしていたら弟が帰ってきて「あっピザだ。兄ちゃん食べてよかと?」「いいよ、一緒に食べよう」。一緒に食べたらおししいピザだった、とありました。物事を損得、嫉妬、勝ち負けだけなどの我欲の生活では本当においしく頂くことはできません。人生を楽しく生きるには報恩感謝の心で共に生きることではないでしょうか。生きるために祈るのではなく、世界全体を祈るために生きられたのがお釈迦さまであり、日蓮聖人です。我欲をなくすことにより心は自由にのびのびと楽しく生きられると思います。
■熊本地震
くまモンの創作者・小川薫堂氏のツイッタ―に次のような投稿がありました。「地震の後、近くの小学校の体育館に避難した私と5歳の娘に、小さいおにぎりが1個ずつ配られました。すると娘が『みんなの分もあるの』と尋ねてきたので、体育館を見渡して『大丈夫だよ』と答えたらすぐに食べ終えたので、『私の分をあげるよ』と言ったら、『おなかいっぱいだからお母さん食べて』と言われました。いつの間にか成長したわが子が愛しくなりました」。5歳の女の子に仏さまを見た思いがしました。今回の地震で、県内の日蓮宗寺院93ヵ寺が被災しました。現在復興にむけてそれぞれに最善を尽くしています。全国のご寺院や檀信徒の皆さまから心温まるお見舞いや義援金を頂き、仏さまが満ちていることを感じました。ただ、復興にはかなり長い年月が必要と思われます。これからも息の長いご支援をお願い致します。
■おかげさま
あるアンケートで、美しいと思う大和言葉の上位5番のうちに「おかげさま」が入っていたそうです。「おかげさま」はよく日常で使う美しい言葉ですね。では何に対しておかげさまなのか、その1つを考えてみましょう。ここに私という人間がいます。ここにいるということは、両親をはじめご先祖さまがいなければ成り立ちません。私を花に譬えるならば、その花が咲くにはしっかりした「根」が必要です。日頃目には見えないけれど私という花を咲かせるために栄養分を送って支えてくれる「根」、それはご先祖さまです。代々受け継いだ「いのち」に感謝しましょう。そして、ご先祖さま、もっとつきつめれば一切衆生の親は仏さま(お釈迦さま)です。だから私たちは「ほとけの子」。仏さまはいつも私たちを見守っていらっしゃいます。私たちはおかげさまの気持ちを忘れず感謝のお題目を唱えていきましょう。それが「いのちに合掌」です。
■お題目はお天道さま
子どもは成長していくと、大好きだったお父さんお母さんにだんだん素直になれなくなります。でも親離れしていく上で大事なことです。ある父子家庭の信者さんの話です。「私の話も聞かないで、いつも仏頂面でお題目ばかり唱えているお父さんなんか大っ嫌い!」。ちょっと早く大人になった女の子は高校から県外に出て親離れをしました。大人になって苦労を覚え、親になり子どもを育てました。お父さんが歳をとり病気をして気づきました。小さいころのお父さんの温もりと、あの時のお題目が誰のためのお題目だったかに。「お題目はお天道さま。人と人との間にある冷たいものを溶かしてくれる」。あの時お父さんが唱えてくれたお題目。今度は私が唱える番。お父さんの病気が治りますように、そして子どものために唱えていく。今はわからなくてもいつか必ず気づくからと。「お題目はお天道さま。空を見上げればいつも温かく見守ってくれています」。
■見つめる
秋の小学校は運動会、文化祭などたくさんの行事が目白押しです。「必ず見に来てね」と子どもたちはいいます。走る姿、踊る姿、真剣な眼差しなどなど。成長している姿は私たちを温かい気持ちにしてくれます。そこで必ずといって良いほど、子どもたちは親を探します。見つけて、目を合わせてニッコリと嬉しそうな顔をします。子どもは見られて成長する。植物もそう。知人の造園家が植物は見られている所にあると生き生きとして、忘れられている植物はちょっと弱々しかったり、枯れたりすると言っていました。命あるものは見られて成長するということがあるようです。仏さまは私たちの成長を見ています。しかし、感性が弱まっている私たちには仏さまを感じることができません。南無妙法蓮華経のお題目は感性を高めることができます。唱えてみて下さい。あったかい気持ちになります。そうすれば、仏さまに見守られていることが、きっとわかるはずです。
■快適は苦の始まり
人はさまざまな行為を快い、不快に分けて考える。美味しい食事を豊富に食べ続ければ、四大不調となって病気を招く原因になるだろう。好きな人と会うのは楽しいが、別れるときは悲しい。つまり自分にとって快いこと、楽しいことと思っていたものが、実はすべて「苦」の始まりというわけだ。しかしそれに気づかない限り、私たちは、「苦」の元となる「快適」ばかりを追うほど、さらなる苦の因を作り続け、いつまでたっても魂の安らぎを得ることができない。自分に都合のよいものはどこまでも欲しがり、都合の悪いものはなかったことにしたがる根本、それが無明である。その無明の状態から生まれる煩悩が苦の正体だ。一切の煩悩は三毒(貪・瞋・痴)から発生するとしている。自らが率先して苦を増やしている愚かさに気づき、仏の存在、法華経を信じ求め、お題目をお唱えする心を起こす。これこそが、速やかに仏心を成就することの第一歩なのだ。
■孝養の実践
本紙、10月1日号妙蓮尊儀750遠忌の紙面に思いをよせ、当日の法要に参列させていただいた者として、改めて宗祖の孝養観に深く敬慕してきた。身延山には奥之院思親閣があり、身延山頂に宗祖は道とてなき山坂を木の根、枝をつたいながら登山され、房州小湊の亡きご両親を遙拝されました。池上本門寺には御母公のご遺髪を手にする払子のご尊像がお祀りされている。すなわち旧国宝「孝道示現のお祖師」である。大孝の霊場小湊妙蓮寺にはご両親の御廟があり全国の緇素の尊崇をお受けになっておられる。各霊跡を参拝し、人間として最も尊い行い「孝は百行の本」、妙蓮尊儀の750遠忌を期に現代にこそ、一切の人を視ることを仏と思い、宗門運動の「いのちに合掌」、「我深く汝等を敬う敢えて軽慢せず」を実践し、諸人に対し父母を思うが如くありたい。宗祖は「一切の善根の中には父母に孝養するが第一にて候」示されております。 
 
■辻説法って何だっけ
街の中心部に立ってマイクをもち、道行く人びとに向かって訴える。しばしば辻説法と称される。そして、その担い手は公職選挙立候補者や政治家関係がイメージされることが多い。日蓮聖人が鎌倉の辻々に立って教えを説いたことが広く伝えられている通り、本家はこちらの方なのだが。先般、有志僧侶たちと機会をもった。「元祖辻説法です」と。無視される思いきや、喜捨箱に近づく人も。墨染めの衣に天台笠のパフォーマンス力だけではなかろう。「いのちに合掌」を世界中の大衆が希求する時代情況が、今ここにあるのだ。遅きに失した、の叱声も感じ取りながら。他教団友人の語りを思い起こす。「坊さんたちは長い間、寺の中の厚い座布団に座って、何も仕事をせんかった」との門徒の声に発奮して、と。まはや辻説法は本宗の専売特許ではない。「斯人行世間 能滅衆生闇」(如来神力品)の釈尊の金言は全ての人びとに開かれているはずだから。
■現在の因・果
先日、かねてからの念願でありました曾祖父の出生地を訪ね、本家筋の方にも会うことができました。会った瞬間、わが父の弟にそっくりな風貌に感嘆しました。血は争えないものです。時代や環境の違いを超え、枝分かれした子孫に脈々と受け継がれているものはDNAの仕事ばかりではない何かが深く関わっていると思われます。私の後ろには幾千万もの父母たちがおり、私の先にもまた、幾千もの子孫がつながっております。ちょうど、鎖と鎖をつなげる1つのピースの様に私が生きています。その生き方にすべてが集約され、未来がかかっていると言えましょう。『開目抄』に「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ」とあります。苦しい時こそ、愚痴に腐ることなく、柔和忍辱の心で生きぬきたいものです。
■お題目とともに
お釈迦さまは「どうすれば人びとを苦しみから救うことができるか」と修行し悟りを開かれました。そして、たくさんのお経を説かれました。その中に真実の最高のお経『法華経』が説かれました。すべてが仏性(仏さまの心)を持ち、仏さまに成ることができます。仏さまは永遠のいのちを持って、いつも私たちを安らかな仏の心にし、幸せにしたいと願い導いておられます。日蓮聖人はお題目「南無妙法蓮華経」を唱えることを弘められました。お題目の中には、法華経のすべてと仏さまの真理がそなわっています。まずはお題目を信じることが大切です。赤ちゃんがお母さんを信じ乳を飲むように、お題目を心から信じ命がけで唱えることです。唱えると、仏さまのいのちに包まれ、守られていることがわかり、仏さまの心と一体になって、自分の中の仏さまが顕れてくる。みんなが仏さまのような、安らかな心となるようにお題目を弘めましょう。
■意根、浄きこと
着膨れの暖に丸くなり1年の無事を想う。春の緑に道を進める木々。夏の暑さに励まされる蓮華。秋の悲しみを癒やしてくれる紅葉。色の濃さを解らずに散る花。幾つも風に吹かれて根を種えている。善い根に育ってほしいと祈りを込める年頭会。多くの自然の中に活かされている私たちの心根。「未だ無漏の智慧を得ずと雖えども而も其の意根の清浄なること此の如くならん」 日々の歩みは諸根の清浄を得るところ。深く善根を種え六根清浄にして宿世の善根に勤める。誰しも日々の生活は楽なものではない。楽しいことよりも辛いことの方が多いからだ。でも、ちょっと考えや見方を変えると理解できることがある。辛い・悔しい・悲しい・怒る・愚痴る・争い・謗る・妬み・怖い・ストレス社会、不満だらけの人生であっても歩みを止めずに精進を続けることが大事。今年も貴方のそばで見守る、ご神仏とともに善行功徳を積み上げましょう。
■電化から霊化社会へ
20世紀は、簡単なスイッチオンで、闇夜と徒労を打破する電化生活の普及期でした。しかし、地上の幸福感は今イチで、更に高次の光明と動力源が渇望されます。それは鎌倉期、宗祖日蓮聖人の三大誓願(我れ日本の柱・眼目・大船とならん)とその方途、三大秘法として、既に準備してありました。本門の本尊・お題目の光明(霊光)で心の闇を照らして、自身の仏子を開悟(自体顕照)し、本門の戒壇・仏国土建設に向かわずにはいられない(霊力)と言う、本化菩薩集団が霊流を社会に及ぼします。本門の題目・そのアクセスは簡単で、心のスイッチを妙法蓮華経(霊気)にオン(南無)し、口唱するだけでご本仏の守護を得て、安全・安心裡に生活するシステムです。この不思議な霊化生活を、先ず日本国に実現し、世界に普及するのが21世紀の私たちの使命です。
■自分を通してみるいのち
江戸時代、ある修行僧が教えを受けようと高僧を訪ねた。折悪しく高僧は風邪をひいていた。「いま隣から薬をもらって来るので、飲んだ後にでも話をしよう」と、外に出ていった。修行僧は、「風邪をひいたくらいで隣まで薬をもらいに行くとは、いのち根性の汚いことだこと」と、帰ってしまった。戻ってきた高僧は「やれやれ、残念じゃのう」と、紙に何かを書いて小僧に持たせ後を追わせた。追いついた小僧は手紙を渡すとそれには、〽 浜までは海女も蓑着る時雨かな(俳人滝瓢水)とあった。今すぐにこの身は海中に潜ってしまうが、それまでは我が身を愛おしむもの。己れの命を大事にせぬものが、どうして他人さまの命を救う仏の教えを理解することができようか、との教えをこの句に込めたのです。お祖師さまが龍ノ口の首の座から極寒の佐渡にあって、私たちを救わんと、消えかかるご自身のいのちを見つめられていたことが偲ばれます。
■菩薩行の実践
子どもの貧困率の上昇が止まらない。内閣府の統計では18歳以下の子どもの貧困率は17%にもなるという。対策は行政の責任であるが、その歩みが遅いのが何とも、もどかしい。そこで子ども食堂の登場である。札幌で開始準備に忙しいHさんに会った。ボランティア活動であるが故に、場所・人材・費用などの確保の問題が多いことも聞いた。私も何か協力できないかと考えたが、札幌まで80`も離れた所に住んでいることもあり、気軽に参加できないのが悲しい。それでも自坊に上がるお供物を提供して、子どもたちに役立ててもらうことを快諾していただいた。法華経の熱心な信仰者であった宮沢賢治の一文が頭をよぎる。「世界全体が幸福にならないかぎりは、個人の幸福はあり得ない」。Hさんの尊い志と重なり合う。浄仏国土建立を願わずにはいられない切ないひと時だった。その実現には、私たちの菩薩行の実践以外にない。
■足ることを知って
世界幸福度ランキングで私たちの住む日本は54位だそうです。また幸福を感じている人の割合は全体の43%で先進国の中では最低レベルの割合だそうです。あるバングラデシュからの留学生は「私の国の人びとがこのような暮らしができたら、幸せすぎて気絶するかもしれない」と言ったそうです。私たちはこの平和で恵まれた現状にも満足せず、これ以上より以上と限りのない欲のために不満が絶えず、愚痴や文句ばかりを言い、いつまでたっても幸せを感じることがいるのではないでしょうか。お釈迦さまは「小欲知足」「欲を少なくして足るを知る」という教えを残されました。「足ることを知る」。私はこれが幸せへの近道だと思っています。愚痴や文句ばかりを言っていても誰も幸せになりません。お題目を唱え、仏の教えを学び、感謝と敬いの心を持ち、多くの幸せを感じる心を養いましょう。
■心の持ち方次第で
昨年亡くなられた渡辺和子さんの講演を聴き、大変印象に残ったエピソードがあります。彼女は20代後半、アメリカの修道院に入りました。その時、与えられた仕事は100人以上いる修道女のために食堂の食器を置くだけの単純作業でした。彼女は「なんで私がこんな仕事を」と思いながら食器を置いていました。そこに、修練長がやってきて「ワタナベ。何を考えてやっているの?」と聞くので、「何も考えていません」と答えたところ、修道長は「あなた。時間を無駄にしているわよ。みんなの幸せを祈りながらやってみては?」と言われたのです。そこで渡辺さんは「お幸せに」と祈りを捧げながら置くようにしてみたところ、心の持ちようが変わったそうです。日蓮聖人も「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず。ただわれらが胸の間にあり」と仰っています。私たちも心の持ち方ひとつで地獄にも仏にもなります。お題目を唱え、いつも仏心を持ちたいものです。
■日々の積み重ね
稀勢の里が初優勝、そして十数年ぶりの日本出身横綱になり、日本中が大喜びしました。稀勢の里は「支えてくれた人への感謝」を最初に述べ、父親はこれまで肝心なところで勝てない時でも、「毎日一歩ずつ成長しているのだ。」と親子で確認しあってきたこと、一喜一憂することなく決して諦めずに常精進することの大切さを重ねて述べていました。「毎日毎日の積み重ね」。私たちの信仰も同じですね。信仰は水の如くと申します。火が燃えるようにパッと勢いよく燃えても、その時ばかりではいけない。水がさらさらと流れ続けるように、毎日毎日の積み重ねです。変わらぬ心、衰えぬ心が大切です。明けない夜はない。日蓮聖人のお言葉に、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」とございます。この世で一番心豊かな人、この世で一番心清らかな人を目指して、お題目を唱え続けましょう。 
 
■仏教を実践しよう
家内から物置の整理を請け負ってからどれくらいの期間がたっただろうか。「やろう、やろう」と頭で分かっていても、行動にならぬのが正直なところである。片付かぬ物置の中を眺めながら、「よく使う机は手前にして、長年使わない茶碗は処分しよう」と整理の手順やうん蓄を語ってみるが、家内から「何時するの」と言われ、何も言えずにいた。仏さまからの良い教えも、実行するまでにいかないのが常ではないか。仏教も実践が伴わなければ意味がない。仏さまもあきれているのではないか。片付かぬ物置同然、宝の持ち腐れになろう。まずは行動である。最近、物置の整理を始めることにしたのである。小さな1つの行動からでも、大きな善行に繋がる。しかし、自分勝手な思い込みにならないように、法華経に照らし合わせて合掌しお題目を唱える。さあ、始めてみよう。
■智慧のある欲を
「世の中は、一つ叶えば、また二つ、三つ四つ五つ、むつかしの世や」。1つの願望が叶えば2つ目が欲しくなる。2つ目が叶えば3つ4つ5つ目がと、次々に欲しくなる。ああこの世はむつかしいものであるという道歌です。まったく人間の欲望にはきりがありません。欲が欲を呼び、限りなく大きくなる。欲で身を滅ぼす人はたくさんいます。地球の環境破壊も、人間の見さかいない欲望の結果でしょう。だから欲望を全て捨ててしまえとは言いません。欲がなければ人間は生きられないし、文明の進歩もなくなってしまいます。仏教では決して欲望を否定しておらず、智慧のある欲の使い方をする「少欲知足」と言って、ほどほどの欲で足りることを知れと説きます。しかし、どの程度が「ほどほど」なのか。それを知るのが「智慧」です。「知識」ではありません。その「智慧」は神仏の慈悲に感謝して、謙虚に手を合わす日々の信仰から生まれます。
■如渡得船
「仏教はお釈迦さまやから別に何宗でもエエんちゃうん?」という方がおられます。ンじゃこの方は、お釈迦さまのことは信じておられるわけです。お釈迦さまは言われるのです。法華経を説かれる前に「今まで説いてきた教えに真実は無いで」と。方便品第2で「法華経説くことが私のこの世に現れた最大の目的なんや」と。寿量品第16で「わしゃ死んでもアンタのそばにおるがな。良薬をココに置いとくから自分で飲みや」と。神力品第21で「妙法蓮華経には真理や教えの全部を詰め込んどくから、気が付いた人は弘めてや。頼むわ」と。そして良薬が妙法蓮華経の5字であると気付いて、それを忠実に護り弘めようと生涯を捧げられたのが日蓮聖人。人間釈迦は滅しても仏さまは存在するのです。その慈悲に気付くためには南無しなければならんのです。口で唱えるだけでなく心にいつも持ち続け、どんな人でも敬える貴方になれることを仏さまは願っているのです。
■お題目の合掌
「合掌」は多くの宗教で、なされる姿です。しかし、「合掌」の姿は同じでも、その信仰によって、内容が異なります。今、日蓮宗では、「合掌」を基本に、法華経の20番目に説かれている不軽菩薩が、見る人を、ことさらに往って礼拝し、唱えた24字の暗誦を勧めています。なぜならば、この24字がお題目に等しいと、日蓮聖人が示されたからです。その24字は、「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏」です。これは、「私は、深くあなた方を敬います。あなた方は、菩薩の行いをされて、やがて仏さまになれるからです」と言う意味です。お題目と一緒に、この24字を唱えてみませんか。すると自分の中に仏さまを感じ、他者の中に仏さまの存在を信じられるようになります。1人の信仰が、自他の中に仏の世界を見るのです。この信仰が広がった姿が立正安国の一分です。
■我深く汝等を敬う
6月1日は、真珠の日。真珠の生みの親である御木本幸吉さんが、「私が愛蔵している光琳の屏風をご覧になりませんか」と、客人を家に招いては、眼下に広がる鳥羽湾の景色を自慢したといいます。御木本幸吉さんの名言からは、すべての人を幸せにしたいという強い志が感じられます。常不軽菩薩は「我深く汝等を敬う」といって、人びとを礼拝し、修行することによって仏になれるという自覚を示されました。宗祖は、但行礼拝の修行とお題目の心は同じであるとされ、常不軽菩薩の生き方をお手本とされたのです。常不軽菩薩品のお経の中には「仏の滅後、法華経を心に信じ身に持ち、これを読誦し、人に向かって説き、これを書写して、法華経を世の中に弘めるよう力を尽くせ」と私たちにお説きくださっておられます。私たちは、受持・読・誦・解説・書写の修行を行い、真珠のような一点の曇りもない仏さまの世の中の実現に向けて努力しなければなりません。
■ほめること
ほめられると、うれしい気持ちになります。辛い時も自分をほめれば元気が湧いてきます。ほめるということは、長所を発見し、それを言葉にする能力です。否定的な表現を避け、いい所を積極的に評価しましょう。例えば「センスが悪い」と言わないで、「個性的ですね」とほめる。仕事が遅い人には「丁寧ですね」と声をかける。「あの人は冷たい」ではなく、「クールな人だ」と。『法華経』の方便品の経文に「法を聞いて歓喜し、ほめて、ないし一言をも発せば、即ちこれすでに、一切三世の仏を供養するなり」があります。『法華経』を聞いた時に「うれしいな、ありがたいな」と一言でもほめれば、過去・現在・未来にわたる一切の仏を供養したことになりますよ」という意味です。教えを理解したお弟子を仏は「善哉」とほめました。南無妙法蓮華経と唱えて仏をほめ、供養すれば、仏は「善哉善哉」と私たちをほめてくださることでしょう。
■おかげで生かされる
道の駅のお店で「私達は自然から期限付きでお借りしている身体 大切に」と書かれた色紙を発見。思わず自分を見直してみる。衣食住どれをとっても目に見える面、目に見えない面とお世話になっている。ある本に「人間だけでは生きられない」と自然とのかかわりが説かれている。太陽に光は地球を温め、植物を育て、水の温暖を加減し、生きとし生きている生物の命、栄養素をつくり育てていると説かれている。おかげのなかに生きている私たち。たくさんの恩恵を受けている。最近「自分が自分の人生をどうしようと 勝手ではないか」の声。ネット社会が心の交流を薄いものにし、予想のつかない事件・事故が目につく。何かが欠如。おかげで生かされていることに気づき、「おかげさま」の心でいると辛いと思っていたことが楽になりますの声。これこそ立正安国の世界である。人と人との和の交流はもちろん自然の恵みにも気づきたい。有り難さに感謝 合掌
■「陰徳」を積む
私どもの寺は檀家のお墓が境内にあります。朝勤が終わり、境内墓地を読経しながら回り始めて20数年になります。お墓参りも徐々に増え始めて毎日多くの檀信徒がお参りに来られます。暑くなればお墓の花もすぐに枯れてしまいます。花立ての水を入れ替えるために朝夕来られる人も増えました。残った花はバケツに入れて残されており、来た方は自由にいただくことができます。境内の日蓮聖人の銅像や歴代のお墓なども、ある檀家さん夫妻が毎日水替えや傷んだ花の差し替えてくださいます。花の栽培から始め、定期的にお花をお供えして下さっています。お寺に来られる人々は気持ち良くお参りをされています。人を喜ばせれば、その人の喜びと感謝の念が自分に跳ね返り、自分が幸せになれるのです。「陰徳」という言葉があります。これは人に知られず積んだ徳のことです。「陰徳」は孫の代までつづく徳です。「陰徳」を積みましょう。
■伝えよう、親から子へ
先日の法事でのことです。若いお母さんが幼いお子さんと手をつないで、ご宝前にお焼香に進まれました。お母さんが合掌して礼拝されます。それをお子さんがジッと見上げています。するとおもむろにお母さんを真似て合掌礼拝するのです。お焼香を終えたお母さんは、お子さんを抱っこしてお焼香をさせ、また2人で合掌です。唱題中に何とも微笑ましい光景を目の当たりにしました。「母が拝めば子も拝む うしろ姿の美しさよ」。これは、ある温泉旅館の床の間に掛かっていた掛け軸の詩です。私は母の後ろ姿の美しさと理解していたのですが、この時に思ったのです。「あの詩は合掌する親子2人の後ろ姿の美しさを詠んだものに違いない!」と。「子どもは親の言うことは聞きかないが、親のすることはする」。よく言われることですね。大切なことを我が振る舞いを以って伝えていきたいものです。
■吉田松陰
今年は、明治維新から150年を迎えます。吉田松陰は長州の萩で、私塾・松下村塾を主宰し、わずか1年余りで多くの人材を育て、明治維新を推進しました。その松陰の中心思想が『草莽崛起』です。『草莽崛起』とは、「大きな目標に向かって志ある人が雑草のような強さで立ち上がれば、この世が改革できる」という思想です。松陰はこれを日蓮聖人に学び、多くの志ある人、至誠の人を育てたのです。日蓮聖人は、「妙法蓮華経」の教えが、すべての人びとを救う最高の教えであると確信され、「南無妙法蓮華経」のお題目を勧められました。お題目の修行をしている私たちは、法華経の教えを実践しなければなりません。自分のため、家族のためだけではなく、すべての人の安らぎを願い、お題目をお唱えする。この輪を繋げ、広げていくことが、日蓮聖人の意志を受け継ぐ、私たちの大事な役目なのです。 
 

 

■彼此愛憎の心
本年6月に、北朝鮮とアメリカとの会談が行われた。朝鮮半島の非核化が会談の本題だというが、どうだろう……。相方ともにお互いの足元を見ながら、自らの利益を最優先させる姿勢が見え隠れする。そこには、心からお互いを尊敬し、平和を愛するということがあるのだろうか。「法華経第五薬草喩品」の一節に、「我、一切を観ることをあまねく平等にして、彼此愛憎の心あることなし」とある。しかし、この世の中は、「彼此愛憎の心」に満ちているではないか。自らを愛するあまりに他を憎み、自らの利益のために他者を犠牲にする。自分自身をすべてにおいて無き者と考えられぬところに、人間の愛情の限界を感じる。人間としての性(さが)である。「若しは信、若しは謗、ともに仏道を成ず」と、「開経偈」にあるが、仏陀の慈悲は、法を謗る逆縁をも包む大慈大悲なのである。「法華経の心」はそこにある。
■仏教は縁起法
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・ヒンドゥー教・儒教・神道などの教えをreligionと言います。お釈迦さまは、出家してヒンドゥー教の教師の下で修行に励みます。間もなく、religionは争いの原因であることに気づいて、修行を捨ててしまいます。「縁起」の法を覚ったからです。縁起とは、「あらゆる物事は、これあればあれあり、あれあればこれありの関係」のことです。人間は、誰でも縁起を覚れますから、この真理を、法華経の前半では、「二乗作仏」と表現しています。法華経の後半では、人びとの生活空間である全宇宙はどこまでも縁起ですから、この真理を、「久遠実成」と表現しています。縁起法は、現代科学の思考法ですから、科学が進歩すれば進歩するほど、法華経の真実性が明らかにされます。当然のことながら、科学の基礎学問分野は、数学と物理学です。
■滅罪の唱題
生きる喜びは愛される喜びと愛する喜びに集約されます。愛され、愛する人は最高の喜びを手にしています。愛されず、愛そうともしない人は空しさのみを手にするでしょう。愛されても愛せない生き方、愛しても愛されない生き方はあるのでしょうか。人は愛されて愛することを学び、愛することで愛されるのですから、常に愛することと愛されることはバランスがとれているはずです。愛しているのに愛されていないと感じた人は、その愛は本当の愛ではなく、エゴに支配されているに違いありません。本当の愛には自己矛盾はないからです。常不軽菩薩は愛することで、愛のない言動の罪を亡ぼしていきました。この歳になってようやくこの単純な法則に気づきました。私の人生を冷たく暗く寂しいものにしていたのは、私のエゴだったのです。既にこの世にはいない父母に心から懺悔し、滅罪の読誦唱題に励みたいと願っています。
■食によって生あり
比叡山の居士林で研修した時のことです。食事の時間が来て30人ほどが食べ始めると和尚が出てきて「音をたてるな」と怒られました。音をたてると餓鬼界に落ち食べることができない亡者が音を聞いてさらに苦しむとのこと。なるほどと思いながら食べ終わると、また和尚が出て来て行儀が悪かった女性に「あなたは何歳になられますか」と尋ねました。女性が「25歳になります」と答えると和尚が「人間は飲まず食わずにいたら、たった10日しか生きられません。あなたは25年も生きてこられた。ということは、その間毎日食事をいただくことができたお陰ですよね」。女性が「そういうことです」と。すると和尚が「食事をいただくとは、命をいただくということ。もう少し行儀よく真剣にいただきなさい」と一喝。普段気が付かないことに気付くきっかけとなり、日蓮聖人曰く「人は食によって生あり」とは、まさにこのことだと思いました。
■ご先祖さまへのお便り
お施餓鬼法要で卒塔婆を立てて供養しますね。この卒塔婆は、ご先祖さまへのお便りじゃないかなと思います。「南無妙法蓮華経」のお題目の下にご先祖さまの名前(宛名)を戒名または俗名で書き、施主(差出人)を書きますね。ご先祖さまへ供養を捧げるとともに、「こちらは元気にしていますよ」と言っているような気がします。「咲いた花見て喜ぶならば、咲かせた根を尊べよ」。咲いた花は私たち、咲かせた「根」はご先祖さま。今生きている私たち1人ひとりには、たくさんのご先祖さまがいらっしゃいます。ご先祖さまあっての私たちです。このご縁を大切に。そして生きているのではなく、生かされていることに感謝することこそ、「おかげさま」ではないでしょうか。「おかげさま」、日ごろからよく使う言葉。謙虚に受け止め、「ありがたい」と思い表すことが、「合掌」の姿でしょう。
■やってみて気がつく
親しい友人が結婚することになり、披露宴の司会を仰せつかることになった。その打ち合わせを会場の人と行ったのだが、なんと確認事項の多いことか。新郎新婦はもちろん、親族、友人、会場スタッフと異体同心で行うことが大事なのだろう。入念な打ち合わせが必要だ。葬儀は打ち合わせることが難しい。故人(の遺志)、喪主、遺族、宗教関係者、葬儀業者が、ひとつ心で葬儀にあたるという経験はあまりない。冠婚葬祭は簡略化とオリジナリティを求める昨今だが、いわゆるエンディングノートに記入する人はまだ少ない。そのすべてを記入しなくても良い。大切なことは、ノートに記入するという過程だ。書き始めたらわかるだろう。自分の思いを伝えずにはいられなくなる。親しい仲だからこそ伝えきれていない想いがある。それに気づき、あらゆることに感謝しながら生きていく。敬いの心で安穏な社会づくり・人づくりのための第1歩だ。
■幸せのお裾分け
いま、世間ではヨガや瞑想がエクササイズとして流行している。当山でも寺ヨガを行っている。先だって気になる記事を目にした。ヨガや瞑想をエクササイズとして行っている人は、利己的になりやすい傾向があるというものだ。記事には、様々な研究成果をふまえたうえで、欧米ではヨガや瞑想は宗教性を切り離され「自分だけの健康」という現世利益だけを求め過ぎ、他者を軽視する傾向にあると警鐘を鳴らしている。個人主義が基本の欧米だから日本は関係ないと安心はできない。そしてヨガも瞑想も宗教性という根幹を失っては、本来の高みは見えない。そこで1つ足してほしいのは「常求菩提 華化衆生」だ。これは私の一部造語だが、意味は「自らは常に向上を求め、周りの人を華のように笑顔にかえる」。自分の健康という利益だけではなく、周りの人に幸せというお裾分けをしてほしい。ここからヨガや瞑想を始めてはどうだろうか。もちろん唱題行も。
■いろはにほへと
幼少の頃、師父に暗唱させられた「いろはにほへと」の歌。「色は匂へどちりぬるを、わが世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢みし酔ひもせず」。これを訳すと「色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。この世に生きる私たちとていつまでも生き続けられるものではない。有為、すなわち因縁により生じたさまざまな煩悩の心の山を今日越えることができた。もはや悟りの世界に至れば煩悩の酒に酔うこともないのである」。私たちは移ろいゆく人の世を生きて、楽しい出来事に出会ったり、苦しいと思えるような局面を迎えたりする。そうした生活の中で、お祖師さまは「苦をば苦と悟り楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経を唱えて生きていきなさい」とお示しになられている。今一時でも、人や仏とともにこの世で生かせていただけることに感謝の心を忘れてはならない。「いろは」の歌を教えてくれた師父に「感謝」。
■合掌の心
かつて永六輔さんがラジオで問題にして論争を生んだことがありました。学校の給食で合掌して「いただきます」と唱和することへのクレームが保護者からきたことです。「給食費を払っているので食事をするのは当然の権利。公立学校に合掌という宗教行為を持ち込むのはおかしい」というのがその人の言い分。その結果、笛の合図で給食を食べ始めるようになったとか。これに違和感を持つ人も多いのではないでしょうか。肉にしても野菜にしても元は尊いいのちです。だからいのちをいただきます。いのちの問題は理科だけに正解を求めるわけにはいきません。真のいのちの理解には宗教の助けも必要なのでは。いのちを唯物的に、あるいは損得だけで割り切ってしまう。心が伴わない報恩感謝のない教育では、悪知恵が働く賢き鬼を作り出すだけになりかねません。本当に美味しいものを美味しくいただくこともできないと思います。
■「南無」と「妙法蓮華経」
日蓮聖人は「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがえる義なり」(『法華題目抄』)と教えておられます。お題目を唱えることで、昨日までの命は「南無(帰命の意)」で仏さまにお返しをして、「妙法蓮華経(久遠の命の意)」で新たな命を頂くことができます。これは、仏さまと命の遣り取りができるということです。これを「妙」といいます。すると、人生の良いことも悪いことも全てが「順調」と受け入れる「受容力」が湧いてきます。これを「蘇生」といいます。そして正しい祈りは、仏さまやご先祖さまに守られてしだいに「生き抜く力」をもたらしてくれます。これを「よみがえる」といいます。「妙」で仏さまと繋がり、仏の子として「蘇生」し、地涌の菩薩の自覚が「よみがえる」のです。希望をもってお題目「南無妙法蓮華経」をお唱えし、お題目と苦楽をともにしながら、思いを形にする新たな1日を始めましょう。 
 
■風の仕事
台風の後、境内は折れた杉の枝やらで無残な状態に。ため息をついて見回っていると「風は風の仕事をしているんだよねー」と4歳の孫。確かに自然は私たちの思い通りにはならない。ある時は恵みとなり、ある時は災害となる。1つの事象でも受ける側によっては良し悪しも分かれる。良いお天気ですね、良いお湿りですねとなごやかに挨拶できたのは、過去のこと。気候和順にして万民業を楽しみというように神仏に守られながら自然に合わせて生活するのがうまい民族だった気がする私たちもまた、感謝と畏敬の念を持って神仏をお護りさせていただいてきた歴史がある。しかし今、文明の進化と経済至上主義の流れの中、人びとの心には信仰の芽を育む余地など見えない過酷な日常だ。それでも私たち釈尊の教えに触れた者は、私たちのすべき仕事を進んでしなければならない。未来のために。
■感謝は心を豊かに
秋になるとお寺の周りの田んぼが黄金色の稲穂で染まります。収穫の秋を感じさせる大好きな季節です。今年もお寺の田んぼからお米が届きます。お寺では作り手がないので近所の農家さんに作って貰っています。収穫された新米は艶々して、モチモチして粘り気があり美味しい。農家さんに「いつも作っていただいてありがとうございます。お陰さまで田んぼを荒らさずにすみます」。その一言を忘れず伝えるように心がけています。今作っていただいている方は60代、あと何年作っていただけるのだろうか。ほとんどの地域で耕作放棄地が増えています。地元のお米を食べられなくなるのも近い将来かもしれません。ひと昔前、親の仕事はご飯を食べさせることでした。当たり前が変わっていくそんな時代だからこそ、感謝の言葉を伝えたい。お題目は感謝の心。感謝は心を豊かにしてくれます。
■仏国土のイメージ
夕刻、お母さんの心には夕餉の品じなが浮かびます。家を新築しようとする家族の心にはモデルハウスなどから、想像が膨らみます。資金の目処をつけ、業者に依頼すれば、新居は実現します。誰よりも世界平和を希求された日蓮聖人の御心には、法華経の本門虚空会をモデルに、その概要がすでにできていました。若し流刑地・佐渡島で、このまま命終すれば、後世の人びとが迷うからと、紙面に設計図を描き、『観心本尊抄』という仕様解説も認められたのです。健康で長生き・なるべく苦労せず楽に・縛られず・争わず穏やかに暮らしたい(四徳波羅蜜)の思いが、人類共通の願いです。その実現が、裟婆世界での浄土建設に他なりません。日蓮聖人はその棟梁として仕事を成就され、門下は意志を引き継ぎ、現代に伝灯を繋いでいます。平成の世の筈が、自然界・人間界は大きく揺れ動いています。「今こそ人類の柱・眼目・大船として、教団が機能を発揮する秋だろう」と仰せでしょう。
■和顔愛語、忘己利他の心
病気で入院した時に、医師や看護師から微に入り細にわたってお世話になった。病状が病状なだけに心に不安があったが、看護師、介護士の和顔愛語に心救われた思いである。無愛想、気難しい顔で接せられたらどうだろう。快復するものも病状悪化になってしまうかもしれない。大乗仏教の本宗は菩薩行を行じ菩薩に至れると説く。伝教大師は「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」と仰せである。自然災害の時などのボランティア活動の本質はまさに菩薩行であり、忘己利他の心そのものである。全国各地で僧侶も檀信徒も地球規模の自然災害で犠牲になった諸精霊に施餓鬼供養の誠を捧げている。宗祖は「先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と。自然災害などはいつ、どこであうか分からない。常日頃から和顔愛語、忘己利他の心を養っておきたい。亡き精霊に供養の誠を尽くし、被災者が早期復興、通常生活に戻れるように願っている。
■「誰の迷惑もかけずに」(?)
表題のような物言いに接し、しばしばゲンナリする。「アナタ、誰の迷惑もかけずに生きてきたの?」とツッコミたい衝動を抑えて聞けば、そこには関わりを避けたい孤独の情景が広がる。あるいは「世間さま」への痛ましい気遣いと低福祉社会の中で刷り込まれたものか。が、「迷惑をかけるヤツは許せない」に転じるとしたら、それこそ迷い・惑いの領域に突入してしまうのだ。2年半前の相模原事件。「重複障害者は世の中に不要」と「抹殺」を実行した背景にある優生思想に、私たちは全く無関係、と言えるだろうか。「いのちに合掌」に例外はあり得ないのだ。軽くない障害をもつ長男と公共交通を利用しながら、関わりと援助を通じて、世の中を是正し教育する役目を担っているのでは、と常に学ばされる。生きるに値する命とそうでない命を選別する、衆生の闇は今なお蔓延する。私たちは世間に行じて、これを滅していかなければならないのだ。
■奉仕の浄行を達せしめたまえ
「奉仕の浄行を達せしめたまえ」とは、私たちがお寺やお家で食事の前にお唱えする日蓮宗の「食法」の最後の一節です。私たちは多くの動物や植物の命をいただき、多くの人びとや物や環境の恩恵を受けて、日々の命を保っております。水・食べ物・服や建物、今のような冬であれば暖房がなければ、私たちは生きることができません。しかしそれらもすべて、誰かが作り・運び、設備を整えたりしてくれるから、私たちのもとに届き、口にしたり、使うことができているはずです。その諸々のことにかかわる多くの人に感謝して日々を過ごすことが大切です。お釈迦さまは「知恩報恩」、「恩を知って、恩に報いなさい」と教えてくださいます。多くの恩に気付き、多くの人に喜んでもらえる、「ありがとう」と言ってもらえる行いをする日々を過ごすことが「奉仕の浄行」「菩薩行」の実践となるのです。
■天人常充満
ごめんなさい。病気をなおしてあげられなくてごめんなさい。ひと声かけられなくてごめんなさい。なにもできなくて30数年間も大黒さまを拝んで、一生懸命信仰してきたSさん。1年前、3月の頃です。1本の電話が鳴り、肺がんで余命幾ばくもないと知り病院へ。私に最後のお願いがあると。死ぬ前に大黒さまをお納めいただきたいとのことだ。ベッドに上半身起き上がり、背中に枕をあてて私を待っていた。鼻には酸素吸入のチューブ。左胸の上にもあり、顔も体も痩せ衰えていて驚いた。小さな声で目には涙が溢れ、「お上人さま、ありがとうございました」と御礼を言われました。私はSさんの手を両手でギューッと握りしめ、南無妙法蓮華経とお題目を唱えて最後のお別れをしてきました。ふっと振り向くと、大きな窓の外は白い粉雪が舞っていました。私には天人が白い花で待っているかのように見えました。
■遥かなる宙
弥勒菩薩は修行中、竜華樹の下で仏になり、天や人たちのために3回の説法をすると言われている。しかし、それは56億7千万年後のことである。遥か彼方の遠い修行である。そして40億年後には地球のある天の川銀河は、アンドロメダ銀河と激突すると言われている。散り果てた星々は、激しく燃え塵となる。その塵が、合体しながら新たな星が生まれる。生命体が宿るのに数億年以上はかかる。その時に救いの法を説いて下さるのが弥勒菩薩ではないだろうか。弥勒菩薩は282億人の僧侶に対して法を説かれ導くと言われている。でも人類には宿題がある。「末の世になると人間に生まれる者は爪に入る土のように少なく、三悪道に落ちる者は十方世界の塵のように多い。心ある人びとは、よく考えるべきである」と日蓮聖人は言われている。まさに生命体は生きることが修行であり、精進を忘れず励むことが肝要である。宇宙にも、南無妙法蓮華経の広大な大慈悲がある。
■慈父・悲母
一人前の親に育て上げることを目的とする、米国生まれの親業訓練≠ェ、静かに広まっている。「父となり母となる」のに、訓練が必要だろうか。ただ「しつけ」と称し、親が虐待を繰り返した果てに、子どもを死亡させた事件などを耳にした時、「訓練も必要だ」と感じるのも確かである。仏教用語の「慈悲」を基にして、「慈父・悲母」と呼ぶ場合がある。父・母を敬愛しての表現で、慈≠ヘ楽を与えること。悲≠ヘ苦しみを取り除くことの意味。父・母に当てはめると、夫々の役割が見えてくる。否、このご時世、役割は拘らない。「子に楽を与え、子の苦を取り除く」のが親の大事であり、子から敬愛される所以なのだ。お釈迦さまは、私たち衆生を「わが子」と仰られ、「わが子を救い護るのは自分だけ」と大慈悲を示された。私たちも、この親に習って、慈悲ある人≠ノ成るよう励まなければならない。そのために、お釈迦さまを敬愛することが肝心である。
■「身近にいるほとけ」
今年も雪が多い年だった。雪国の人はご存知だろうが、暖かくなると道路の雪も緩んでザラメ状になる。その結果、車はまるで砂の上を走っているような状態になり、タイヤが道路にできた溝にはまって動きが取れなくなることもある。お檀家のお勤めを終えた自分の車もその状況に陥り道を塞いでしまった。まもなく大きな車がそばまで来た。運転者がおりてこちらに近づいてくる。見るからに強面の、私たちとは違う世界の人という感じの人だ。「まずいな」と思ったが、その方は「こりゃ、だめだな」というと、車の後ろに回って押し始めてくれた。ようやく溝から脱出することができた。見るとその方のズボンはタイヤに飛ばされた雪に汚れていた。深く手を合わせ、お礼を述べたのは勿論だが、一瞬、外見でその人を判断した自分を恥じた。どんな人にも仏になる種があり、導くほとけさまは身近にいると感じることのできた出来事だった。 
 
■お彼岸には…
まもなく春のお彼岸がやって来ます。お彼岸とは、お中日を中心に前後3日間仏道修行をする期間です。仏道修行といっても何も難しいことはありません。日常生活を見つめ直して自分の行いを反省することも、立派な仏道修行になります。簡単な仏道修行のひとつ。「和顔」といって、笑顔で人と接すること。あなたが笑顔でいると、相手の人が安心するでしょう。つまり相手の人に安らぎを与えたということで、あなたは功徳を積んだことになるのです。あなたも相手の人も幸せな気持ちになれるということ。こんな簡単なことからお釈迦さまのお導きをいただける、ありがたいではありませんか。さあ、まずは笑顔でお彼岸の1週間をがんばりましょう。お釈迦さまや日蓮聖人が守って下さっていることを実感できるはずです。そして、お寺にも来て御本尊に手を合わせて下さいね。そうすることで積んだ功徳はより一層、花開くのです。
■娑婆に咲く花
私たちは生きていく上で、多くの人とかかわり、仕事をしながら日々の糧を得て暮らしています。ときには意見が合わない人とも付き合わなければならないし、不本意な役割を負うともあるかもしれません。お金をたくさん稼いで贅沢な暮らしをしたいとか、地位や名声が欲しいと思うこともあるでしょう。そんなストレスや欲望に満ちたドロドロとした世界=娑婆に生きているのが私たちです。しかし、泥に染まることなく、いつかは花開くようにと、仏さまは種を残してくださいました。その種を私たちの心の中に蒔き、大事に育て、花開かせることがお題目の修行です。お互いの仏の種に水をやるような気持ちで、敬い合い、合掌してお題目をお唱えてください。生きとし生けるものすべてが、ともに力を合わせ、この娑婆世界に蓮華の花を咲かせ実を結ぶようにと、仏さまの世界を築いていきましょう。
■見方によって
私はずいぶん前から「痛風」という病気になっております。他人からは「贅沢病だよ」と言われ、同情されない病気の1つです。痛風にはいくつかの原因がありますが、その1つにはプリン体の取りすぎがあげられます。プリン体を多く含む商品にはビール・カツオなどがあげられます。しかしこのプリン体は一見悪役のようですが実は身体の元気の元とも言われます。一面は悪、一面は善、見方によって違うということはよくあります。お釈迦さまは「蛇が水を飲めば毒になり、牛が水を飲めば乳になる」、日蓮聖人は「餓鬼は恒河を火と見る。人は水と見る。天人は甘露と見る」とおっしゃられました。法華経・お題目の1文字1文字も単なる文字と見るか、1文字1文字を仏さまと見られるかには大きな違いがあります。私たちはお題目の7字を仏さまだと思い、お唱えすることが大事なのではないでしょうか。
■信じる
自身の難病を公表する人が増えてきました。たとえばオリンピック競泳金メダル候補の池江璃花子さんもその1人です。白血病です。不安の中、公表した勇気に敬意を表します。治療開始直後のブログに「思っていたより数十倍、数百倍、数千倍しんどいです」と。また「東京オリンピックまで499日。1日遅れちゃった。まだまだ諦めないぞ!」っと。五輪出場を目指していることを誓いつつ、東日本大震災の犠牲者に「違う形ではあるけれど私は全力で生きます」と書き込んでいます。難病と戦いながらも、豊かなこころで被災された人たちにまで優しい思いを寄せて、自分の可能性を信じています。日蓮聖人は『法華題目鈔』に「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり」そして、「妙」とは「仏の教えの扉を開きその中に入ること」だと、また、「それ仏道に入る根本は信をもて本とす」と信じる心がすべての根源だと教えて下さっています。
■龍口法難七五〇年に
令和2年9月12日、日蓮聖人四大法難の1つ、龍口法難750年のご正当聖日をお迎えします。西方極楽浄土への往生を願い、幕府をあげて念仏信仰が盛んであった鎌倉時代。日蓮聖人は「この世こそ浄土にすべき!」という信念のもと、み仏の使いとしてお題目布教に邁進されました。ところが幕府の反感を買い、当時の処刑場「龍ノ口」へ。奇跡的にも一命を取り留めたその場所には、本山龍口寺が建っています。去る4月7日、「消難龍ノ口」をキャッチフレーズに、第5回龍口テラスが開催され、「唱題行体験」・「法話とヨガの会」・「消難お札写経」など、さまざまなコンテンツに多くの人が訪れました。宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」も結実期間となりました。結縁とは下種結縁。あらゆる機会を通して、仏になる種を植え、成仏という花を咲かせ、大きな実を結ばせていきたいものです。
■良薬
ノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑さんは免疫療法という画期的ながん治療を発明しました。本庶さんの研究をもとに開発された、がん治療薬オプジーボは、異物を攻撃する免疫の仕組みを利用し、免疫ががんを攻撃し続けるようにする薬です。化学療法、手術、放射線治療に免疫療法が加わったのです。本庶さんは「免疫療法によって生き延びられたというがん患者に出会うと報われたと感じます」「この治療法が広まり、地球上の全ての人が、恩恵を受けられることを願っています」と語っています。如来寿量品に良医の譬えがあります。医者が外出している時、医者の子どもたちは毒を飲み、苦しんでいます。留め置いた良薬を飲み、子どもの病気は治ったという譬えです。良医はお釈迦さま、子どもたちは凡夫、良薬はお題目。毒はむさぼり、怒り、愚かさのことです。お互い拝みあい、安穏な社会づくり人づくりに努めましょう。
■諸天撃天鼓
古い話で恐縮です。今年も東京北部管区恒例の寒行がありました。私も天台笠をかぶり、居士衣姿に身を包み冬の街を行脚し、お題目「南無妙法蓮華経」を唱えました。この寒行は僧侶にとってとても大事な修行であると思っています。長く歩いて疲労して立ち止まりたくなったときに、見知らぬ人から掛けられる「ご苦労さん」のひと言。それによって元気をいただいた自分がいました。宗旨を超え参加を希望する他宗の僧侶からの声も聞こえました。「寒修行 門付を待つ子どもの 手のぬくもりの 暖かさなり」。手に握りしめた小銭の温かさから、浄財の意味を改めて教えてもらいました。お題目を意識したことなどほとんどないように見受けられる人たちが、気がつくとこちらに向かって合掌をしていました。今年も天台笠を通して、不可思議な世界が見えてきました。毎年いい修行をさせてもらっています。
■回向の心
「情けは人の為ならず」という諺があります。昨今では多くの方が「情けをかけるのはかえってその人の為にならない」という間違った意味で覚え、使っているのが大半と文化庁の調査で分かっております。本来の意味は「人に情けをかけることは、巡り巡って自分に帰ってくるのですよ」という意味であります。なるほど、お釈迦さまも同じことを仰っております。「回向というのは自分自身のためにするのではない。自分の行った善行を、他人に勧め施すことを言うんだよ」。誰かのために行う善行は自らの心を磨く手段であります。日蓮聖人も「深く信心を起こして、日々に南無妙法蓮華経と唱えることが心を磨くことだよ」と仰っております。日常における1つひとつの行い全てが、法華経に通じているのです。その気持ちを持って人に接していれば、必ず自分にその善い行いが帰ってきます。今日も一緒にお題目を唱えて生きましょう。
■合掌礼拝
Aさん一家のお墓参り。花、線香を供え全員で静かに合掌礼拝。「今日もお参りできて良かったね。また来ようね」とお参りを終えたその時、「ボーッとお参りしてんじゃねーよ」と天から5歳の女の子ならぬ、ご先祖さまのお叱りの声が。なぜAさんはご先祖さまに叱られてしまったのでしょうか。それは肝心なものがなかったからです。それは「南無妙法蓮華経」のお題目をお唱えすること。ご先祖さまはお花や線香よりご家族が唱えるお題目を何よりもお待ちだったのです。私たち日蓮宗は南無妙法蓮華経とお題目をお唱えし、仏さまを供養し自身の心を磨き、世界中が幸せになることを目的としています。小さな子どもに「お題目を唱えると仏さまが喜ぶよ」と教えると大きな声で唱えます。しかし大人になるとどうでしょうか。どうか一寸だけ勇気を出してお題目を声に出してください。仏さまはあなたのお題目を楽しみになさっているのですから。
■夏休みはお寺へ
子どもたちが楽しみにしてる夏休みがはじまります。小学生の頃、ラジオ体操が終わるとみんなでお寺に走って行き朝のお勤めに参加しました。住職である父の指導で真剣にお経を読み、お題目を唱え、終わるとご褒美のお菓子をもらい相撲を取ったりしたのが懐かしい思い出です。近年夏休みに子どもたちを対象にしたお寺での修養道場の開催が各地で増えています。好評で参加させたいと思っている親御さんも多いようです。お寺での修行体験は夏休みの思い出になるばかりでなく人生の糧になるでしょう。またお盆にはぜひご家族でお墓参りをすることをお勧めします。故人を偲び自分と向き合うお墓参りは大切な家族との思い出にもなります。寺離れ、墓じまいと言う言葉を聞くようになりましたが、家族で一心に合掌する姿はいつの時代までも続いてほしいと思います。もちろんご本尊さまへのお参りもお忘れなく。 
 
■質直意柔軟
今から約30年前、「日本昔話」というテレビ番組が放送されておりました。今思い返せば実に単純で、良いことをすればよいことがあり、悪いことをすれば罰があたる。神さまや仏さまはいつも見ておられる。そんな内容がほとんどだったと思います。子どもの頃に観た感情と、大人になってから観たかは違うと思いますが、そんな単純なことを私たちは忘れているような気がいたします。素直に謝らず、言い訳をしたり、嘘をついたりなど、そういう生活になってしまっている人も多いと思います。そんな時は「誰も気づかないだろう」という気持ちで行動し、苦い思いをしたした人もいることでしょう。しかし、日本昔話では素直に反省し、心を入れ替えて正直な気持ちで生活すれば、番組には「永く幸せに暮らしたとさ」という結びになっておりました。神さまや仏さまが見ておられるからこそ、質直意柔軟(素直で正直な気持ち)で生活しましょう。
■仏の慈悲包まれて
「生きる」ということは「未知の世界を旅する」こと、そのためには対象の相手や私たちの命を優しく包んでいる自然(=仏さまの世界)を知る必要があります。それには知恵、知識、勇気、観察力などが重要です。自然は私たちに多くのモノを与えてくれています。自然の恩恵なしに私たち生き物は一時たりとも生きられません。しかし時に自然は猛威を奮って私たちのいのちと生活を脅かします。昨年の大水害や東日本大震災などはその典型です。その時私たちは「生身の人間の弱さ、力の及ばない世界」があることを知り、自ら宗教の必要性を悟ります。一次産業に従事している人に信仰心の篤い人が多いのも頷けます。法華経譬喩品の「而も今この所は諸の患難多し、ただ我、一人のみ能く救護をなす」の通り、現象面の奥にある仏の慈悲=大いなる摂理に私たちは優しく包まれていることを知り、気づくことが大切でしょう。
■「終活」ブームに思う
今「終活」が注目を集めています。遺された家族に迷惑をかけないよう自分のための葬儀やお墓の準備や身の回りの整理をしたり、遺産相続の計画を立てることなどがブームになっています。しかし、多くの人は、死を迎えるまさにその時の覚悟をあえて遠ざけているように感じます。限りある人生を生き通した先に死は誰にも必ず訪れます。自分の魂が肉体を離れた時、どれだけの人が自分が死んだことを素直に受け容れられるでしょうか。枕経・通夜・葬儀を通してちゃんと霊山浄土へ辿り着けると覚悟できているのでしょうか。人生を生きている時も死出の旅路についてからも、私たちはお題目を杖とし法華経を柱として御本仏お釈迦さま・日蓮聖人に救われ導かれるのです。お題目は生死の暗闇を払い霊山浄土への道を照らしてくれる唯一の大灯明です。今生で縁を結んだお題目を自ら唱え少しでも多くの人に勧めることこそ究極の「終活」であると考えます。
■ご先祖さまに「おもてなし」
東京オリンピックを1年後に控えた今年、茨城県では国民体育大会、通称「茨城国体」が開催されます。大会の基本方針は、「誠意とまごころを持って来県者に接し、全国に茨城の魅力を発信する」です。大会に参加する選手はもちろん、観戦の人にも気持ちよく来ていただき、気持ちよく帰っていただけるように、心のこもった待遇を目指しています。まさに東京オリンピック招致で話題になった「おもてなし」の心です。これで都道府県の魅力度で例年最下位の茨城の順位が少しでも上がればという期待も込められています。おもてなしの心とは、見返りを求めず、相手を敬い、ホスピタリティの精神でお迎えすること。これは何も生きている人に対してだけではありません。ご先祖さまに対しても同様に、いや、それ以上に心もこもった「おもてなし」をしたいものです。お盆には形はもちろん、心の部分もしっかり準備をしてご先祖さまをお迎えしましょう。
■「いのち」
世界の飢餓人口は8億2千万人、餓死者は1日4万人とも言われる。反面、まだ食べることのできる食品を捨てている。日本だけでも食品廃棄は643万d。矛盾に満ちている。山梨3部布教師会では「命の尊厳を見直す」をテーマに平成4年から「朝粥会」を開催している。食べ物の尊さ・食の原点を見直そうと毎年3回、近年は100人を超す参加者と、早朝のお勤めをし、法話を聞法して、食の原点とも言われる1杯の「おかゆ」を皆で頂く。日々の生活でも食事を頂く時、「いただきます」と箸を取る、まさに他の生命を頂くのだ。我々は人として生まれ、やがて死を迎える。その人を支えた他の命はどれほどあるのだろうか。その尊い命に支えられた私たちがどのように生きるのかを問い正す貴重な時間だ。今、食事より服装や体裁にお金をかける、新たな飢餓が生まれている。この社会は人にとって何が大切か考えるてみるべきだ。
■損得でなく尊徳で
4つのリンゴを3人で分けるとしたらどうしたらいいでしょうか? 1人1つずつ分けて、最後の1つは3等分に切るのでしょうか。最後の1つをめぐって奪い合いますか? それとも誰かが遠慮しますか? こんな素敵な答えもあります。「1人1つずつもらって、もう1つは仏さまにお供えすることにしよう」。私たちは、ついつい損得勘定で計算してしまいますが、「尊徳」でモノを見ると随分違って世の中が見えてきます。買い物に行けば、少しでも安いモノを買えば得した気になります。しかし、見方を変えれば「もっと安くもっと安く」は「相手からどれだけ奪えるか」ということでもあります。仏さまの教えは、与え愛です。目の前にいる人に何かをプレゼントしよう、喜ばせようという心構えの人の心はあたたかです。与えるとは、別々に見える命が本来はひとつであるということの体現です。
■親の果たす役割とは…
「子どもは親の背中を見て育つ」と言われ、善悪の判断ができない子どもは、親の良い面、悪い面の全てを常識として受け止め成長いたします。某紙にデパートで飛び回る子どもの話として「元気があって良い子」だと目を細めて見ている親。少しだけまともになると「怖いオジちゃんに怒られるから止めなさい」と言う親。そして正しい親ですと「怒られるから」ではなく「悪いことだからやめなさい」とたしなめる親。子どもは利口ですから「怒られなければやってもいいんだ」と解釈する、とありました。なるほど、と思いました。日蓮聖人は「体曲がれば影ななめなり」と教示され、親の善悪の言動が、そのまま子どもの行いに反映するとおっしゃいました。「子は親の鑑」そして「親は子の鏡」です。愛しい我が子の真っ直ぐな成長のために、親として、大人の責任を果たしていきたいものです。
■伝え残す大事なこと
檀家のAさんが、相談があるといって子息を伴い来寺。Aさんは奥さまに先立たれて1人暮らし。信仰心があり、よくお墓参りをしていた。「あとどの位生きられるか心配で、今後のことを息子に伝えておきたい」とのこと。そこで「信仰について」、「檀家について」の説明をした。2人は安心した様子が帰られた。時が過ぎてAさんは亡くなり、無事葬儀を終えた。後日、子息が家族とお寺に来て「父は安らかに旅立ちました。あの時、父と相談に行ってよかったです。父に感謝して、手を合わせに行きます」と語った。日蓮聖人は「さればまず臨終のことを習うて」と示された。人生最後の時をどのように迎えるか、それはにはどう生きることが大事であるかを説かれた。私たちは仏さまに守られ、いろいろなものに支えられて生きている。そのことに感謝し、手を合わせお題目を唱えていくこと(信仰)が大切であると。Aさんもそのことを伝えたかったのでしょう。
■目標
我々の目標は成仏することであり、仏に成るという目標に近づくためには、「仏の十徳」といわれる行いを心がけ、徳を積まなければなりません。十徳のなかには、「いつでもどこでも苦悩する人のところにやってきて、苦を除き平安と幸福をあたえること」「人びとから尊敬と感謝に値する行いを実践していること」「すべての物事を正しく知り、見極めて人びとを悟りに導く智慧をそなえていること」「煩悩の闇をなくし、人びとの心を明るくすること」などがあります。お釈迦さまの教えを体得された日蓮聖人は、成仏への方法をご遺文に説かれております。「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」(『観心本尊抄』)と絶対の信をささげ、南無妙法蓮華経とお題目をお唱えすることによって功徳をいただき、仏に成ることができます。お題目修行に励みましょう。
■願って生まれてきた私たち
胎内記憶の第一人者、池川クリニック院長・池川明氏の講演を聴く機会があった。お母さんのお腹の中の記憶「胎内記憶」、生まれた時の記憶「誕生記憶」。お母さんのお腹に宿る前の記憶まで話す子どもがいるという。興味深いのはお腹に宿る前の記憶で、空の世界で魂として次に生まれる時を待っていて、自分でお母さんを選んで生まれてくる、そしてその近くに神のような存在がいると証言する子どもがいることだ。これを聴いた時、法華経の法師品第十の願生を説くお経が心に響いた。「私たちは全ての者を哀れみ、助けるために願ってこの世界に生まれてきた」という一節である。そしてお経文は教えてくれる。この人たちが未来において仏さまと同じ境地(成仏)になる人たちであり、その行いをすることが菩薩行であり、仏さまと同じ境地になる振る舞いであると。私たちは菩薩行をするために願って生まれてきたという自覚を持つべきである。 
 

 

■認めていく
あるお通夜でのこと。祭壇の中央に花で飾られた額に納まるお婆さんの遺影。そこでふと違和感を覚えた。まるで別人とまでは言わぬが、私が住職となって20数年来のお付き合いの中で、見たことがなかった輝くような笑顔の遺影だった。喪主の長男が「お袋、良い顔してるでしょう? 息子の私も見たことない笑顔ですよ。これはホームでの習字の時間、先生に花丸をもらった時の写真なんです。家の都合で小学校もろくに行けなかったお袋が、生まれて初めてもらった花丸がよほど嬉しかったんでしょうね」。混沌とした戦中戦後の時代、生きるのに必死だったお婆さんが長い年月を経て初めて貰った花丸。それが、どれほど嬉しかったのか遺影が物語っていた。「認」は「言いたいことを忍ぶ」と書く。人は誰しも本当に言いたいことは胸に仕舞って生きている。その心の声に耳を傾ける姿勢。とことん認めていく精神。担行礼拝に繋がるのではないだろうか。
■仏教は数え年
葬儀の後でお孫さんから質問を受けました。「亡くなったお婆ちゃんの年齢が違っているのですが…」と。そこでお斎の席でこんな話をさせていただきました。私たちの肉体は生きているか、お骨になるかのどちらかです。しかし、私たちの魂は4つの世界を経て仏さまの国へと向かいます。それを四有といいます。生有(お母さんのお腹の中にいる期間)、本有(肉体と共に暮らす期間)、死有(死が訪れる瞬間)、中有(四十九日の旅の期間)の4つです。一般的に使われる満年齢は、肉体と共に暮らしている期間、すなわち出産から死が訪れるまでの本有の世界の年齢を指しています。仏教では魂として生きた4つの世界の期間、つまり、お腹の中で生命が育つ期間(およそ十月十日)と、死が訪れた後の四十九日を合わせた約1年を満年齢に加え、いわゆる「数え年」という年齢を今も大切にしています。
■水のごとく、お寺参り
私が住職をさせていただいているお寺の数少ない信徒さんに2人の信心深い女性がいる。1年のうち余程のことががない限り時間は違うが朝にお参りに来て小1時間お勤めして帰る。彼女らは先々代住職の信徒さんで住職が代わってもお参りに来る。普通、住職が代わるとどこかに行ってもおかしくないものである。私が特別に行と学を身に着けているわけではない。先々代と出会い法華経とお題目のありがたさを知り、毎月の唱題行・信行会・年中行事には欠かさず参詣する。特異なことは先々代の月供養を自分たちで始め、34年経っても続けていることである。その姿に住職として自然と合掌してしまう。まさしくこれは、日蓮聖人のご遺文『上野殿御返事』にある、水のごとく信ぜさせ給へるか…である。人生は順風満帆ではなくさまざまなことが起こるが、彼女らは川を流れる水のごとく、今日もお寺に足を運んでいる。
■本質は真心にあり
「お線香は何本立てれば良い?」「お焼香は何回するのが正しい?」と尋ねられることがあります。私は「お香は仏さまやご先祖さまに良い香りを捧げるためのものだから、数に拘ることはないのですよ」とお答えします。法事などのときには「慣れない正座をしていると足が痛くなって『早くお経が終わらないかな』と思ってしまいます。それでは座って意味がありませんから、足は楽にして供養する心構えを持って臨んでください」と申し上げることにしています。何事においても形を整えるのは大切なことですが、形に拘って本質を見失ったら意味がありません。私たちの生活や信仰でも同じことです。形よりも心が大切です。人間の本質とは真心、すなわち仏の心です。私たち1人ひとりの心の内に仏さまが宿っています。口に心にお題目を唱え、仏の心で日々の生活を送りたいものです。
■心の成長
私たちは毎日何が起こるかを予想しながら生きています。これは少しでも安全で快適な生活を送る上で不可欠なことです。しかし結果ばかりに囚われて一喜一憂しているだけでは心は成長しません。さまざまな出来事には必ず成長するための課題が込められています。それを克服するには事実と向き合い、受け容れるほかありません。日蓮聖人は「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうち唱え居させ給え」とお示しです。すべての出来事は自分自身の成長に必要なことであり、無駄なことは1つもなかったと気付き、仏さまに身を委ねてお題目をお唱えできた時、心の不安は消え大きな安らぎに包まれます。それが受け容れられた証です。現在に至るまでの出来事すべてを必要なことだったと思えば、即ち自分自身を受け容れたことになります。都合の良いことも悪いことも、受け容れられた分だけ私たちは成長するのです。
■仏さまはすぐそばに
中学生の女の子 。難しい顔してタブレットパソコンをもって、ゲームでもしているのかな? 実は学習ソフトで勉強中だって。学校の連絡も宿題もメールで送信。先生も問題行動があればメールで教えてくれるし、学習相談にものってくれる。ペーパーレスで無駄がなく、早くて便利だとお母さん。別のお宅へ行きました。玄関を入ると楽しそうな笑い声。小学4年生の女の子とお祖母さん。卓袱台には鉛筆2本とナイフ。孫娘さんは入学以来、帰宅すると仏間のお祖母さんのところで、お母さんの帰りを待ちます。お祖母さんは学校での話を聞きながら、鉛筆を削ってくれます。高学年になってシャープペンシルを使うようになり、4本だった鉛筆が今では2本。お祖母さんは相槌を打ってゆっくり話を聞いてくれます。
お釈迦さまは「近しと雖もしかも見ざらしむ」 (自我偈)。あなたを見て、話に耳を傾け、喜んだり、悲しんだり。近くに仏さまはおいでなのに気づかないものです。
■郷土の言葉から
比較的、方言の少ない地域に育ちましたが、郷土ならではの豊かな言葉を耳にする機会はあります。先日、友人と話していたら「おれ、ずくなし≠セからさぁ…」と久々に聞くフレーズ。「ずくなし」とか「ずくがない」というのは、「根気がない」や「意気地がない」といった意味の郷土の言葉です。調べてみましたら、お隣りの県でも使われる方言のようです。諸説ありますが、お釈迦さまは涅槃に入られる前、「すべてのものごとはうつりゆく。怠らず努力せよ」と語られたと伝えられます。「諸行無常」の教えとともにお弟子たちを叱咤激励されました。とかく人間は弱い方向へ流されやすいものです。仏教=法華経、日蓮聖人の言葉は万人に開かれた教え。強い心を持つ者はさらにそれを磨き、弱い心の者には怠らぬよう励ますものとなります。南無妙法蓮華経のお題目で、私もみなさんとともに「ずくなし」の心を鍛えたいと思います。
■「あたりまえ」が有り難い
朝、目が覚める。あたりまえでも、当然でもない。ありがたい。本年は、日蓮聖人佐渡流罪から750年。日蓮聖人は龍の口の虎口を脱して一路佐渡へ。言語を絶する死の道中。荒れ狂う冬の日本海を眼前にした寺泊。正に板子一枚下は地獄。極寒の「荒ら屋」三昧堂。「いのちと申すものは三千世界の財にも過ぎて候也」。お祖師さまの目覚めは法華経の世界と一如呼応した、上行菩薩湧現再誕の目覚めであった。究極の艱難をして「日本第一の富める者」と言わしめ、敵地は浄土となり、敵は「変化の人」となった。結句、赦免離島の折には阿仏房夫妻をはじめとする信徒らとの別れを惜しみ「後ろ髪を引かれる思い」とまでその心境を吐露されるに至っている。なんたる摩訶不思議。法華経色読の行者南無本化上行日蓮大菩薩。受け難き人身を受け、百千万劫にも遭遇い難き上行菩薩直伝の南無妙法蓮華経に遭遇いたてまつる。ただの偶然、あたりまえなどでは決してないのである。
■この時代に目指す事
令和になり初めてのお正月となりました。平成結びの年は、明治維新150周年でありました。明治維新の後、時代の目標は富国強兵でありました。強兵は多大な犠牲を残し今はなく、富国も一応は達成されたといえる時代となりました。生活は比べ物にならないほど豊かになり、先人の苦労を考えた時、その艱難辛苦に厚く感謝し、合掌せずにはいられません。そしてこの令和は、時代に何を目指すのでしょうか? 今こそ日蓮聖人のみ教えの1つ、但行礼拝が必要な時代であります。お題目の正しい信仰を持ち、人が人を尊敬しあって生きていける世界、それは素晴らしい仏さまの世界であり、本当の豊かな世界ではないでしょうか。この新年、私も皆さまと心新たにお題目をお唱えし、その世界を共に目指してまいりたいと思います。
■生きる悦び
今年は東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。選手の活躍によって世界中の人びとが一喜一憂し、感動をもたらすことでしょう。また最近の世界的な異常気象や感染症などを考えるとその影響も心配されます。このように喜びと不安の中で生きている私たちは、お祖師さまから法華経の信仰を学んでいます。ある年配の女性が病気で身体が痛く動くのも辛く、もう生きているのが嫌になっていた時、お祖師さまの「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり〜一日もいきてをはせば功徳つもるべし」の御妙判を見て感動し生きる勇気と喜びをいただきました。私たちはお祖師さまから法華経の信仰を学び、お寺に参拝する喜び、御本尊を拜する喜び、お題目を唱える喜び、お経を読誦する喜び、亡き聖霊を供養する喜びなど人生で多くの生きる喜びを得ています。その喜びは法華経の信仰を持ち続ければいつでも、どこでも得ることができます。 
 
■先祖供養を怠れば…
日本では昔から「節目」ごとにさまざまな季節の行事が行われてきた。春が来れば花見に出かけ、秋には名月を愛でる。大自然の中に生かされている自分の命に立ち返るため。単調な毎日の中で、大自然の息吹を感じる行事を作ることで、心をリフレッシュさせると共に規律を正してきた。多忙という理由から歳時記を蔑ろにしてしまいがちになる。だからこそ、お仏壇を中心とした信仰生活を意識的に執り行う必要がある。お仏壇を拝む習慣のある家は、仏さまを拝む親の姿を見て子が育ち、親を大切にする心を備えるため栄える。ご先祖さまを敬う気持ちが伝われば、ご先祖さまの霊は家族を見守って下さる。また「今日も頑張るぞ」という自分自身の戒めにもなる。感謝の気持ちがあれば、その念は故人の魂に必ず届く。この真っ直ぐな気持ちこそが家内安全、無病息災に繋がる。人生は1日1日の積み重ね。お仏壇に手を合わせ「有難うございます」と独り言。
■佐渡のご霊跡へ
本年は、日蓮聖人の佐渡ご流罪から750年となります。文永8年(1271)10月28日、流罪地の佐渡島へ到着された聖人は、翌年の2月、雪中の塚原三昧堂で弟子信者に形見として『開目抄』を著されました。聖人はこの書の中で、久遠のお釈迦さまから末法の世の中に法華経・お題目を弘める任務を受けた上行菩薩として自覚に立たれ、「我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ」と、自らを日本の仏教を支える柱・正邪をわきまえる眼目・悟りの彼岸へと渡す大船とならんとする三大誓願を立てられました。翌文永10年4月には、一谷(現妙照寺)で題目成仏と本尊を明かす『観心本尊抄』を著され、7月には正式な本尊として「大曼荼羅本尊」を顕され、佐渡島で日蓮宗の教義を確立されました。この記念すべき年に佐渡島ご霊跡参拝をご予定下さい。
■涅槃会に思う
能登の寺院では、涅槃会を旧暦に近い3月に営むところが多く、私のお寺もこの時期に、色彩豊かな涅槃団子をお供えし法要を営みます。近接する本山妙成寺では、長谷川等伯が描いた貴重な涅槃図が本堂に掲げられ、盛大な法要が営まれます。涅槃図には、ご入滅され横たわるお釈迦さまを、多くの仏弟子や動物たちが取り囲み、嘆き悲しんでいる様子が描かれています。檀家の信心深い83歳のおばあさんが亡くなりました。孫にあたる女性が、斎場で親族が控室に行こうと声を掛けても、火葬炉の前から決して離れず、むせび泣きながら1人で合掌する姿に心打たれました。おばあさんは、温厚な人柄で自分より周りの人のことを大切にされたそうです。法華経の教えに生きるとは、お釈迦さまや日蓮聖人の慈悲の心をもって生きることです。他者を慈しみ敬う心の大切さを胸に刻み、涅槃会では檀信徒と共に報恩のお題目を唱えたいと思います。 
 

 

 
 

 

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