曹洞宗 [道元] 法話

西光寺法話 / 時々の法話法話1法6法11法16法21法26法31・・・一切皆苦極楽浄土因縁こころ十大弟子十三仏四諦1四諦2病気にならない生き方四諦3不慳法財戒おもてなし日本人の宗教観太平洋戦争の真実仏遺教経観音様観音経・・・
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寶慶記 / 雕寶慶記序記21記41・・・
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正法眼藏辨道話 / 問1問6問11問16・・・
 

雑学の世界・補考

西光寺法話

   「四苦八苦」を調べていて
   偶然 この法話集に辿り着く
   めぐり合せ もったいない これも縁 ゆっくり読む
曹洞宗正木山西光寺住職 無玄邦光
ご挨拶
はじめに御本尊様へご挨拶をいたします。般若心経をお唱えし、仏教の興隆、社会安寧、世界平和と人類の幸福を祈念いたします。「祈り」は人類だけに与えられた最高の「慈悲」行為です。ご一緒に般若心経をお唱え下さい。
はじめに・・・
仏教ってなんでしょう。お寺ってなんでしょう。坊さんってなんでしょう。普段なんとなくわかっているようで、実はよくわかっていないのではないでしょうか。
お寺はお葬式や法事を行う所であり、それを執り行う人が住職であり坊さんであるというのが一般的な印象ではないでしょうか。つまり、多くの人たちにとっては普段ほとんど用の無いところがお寺であり、お坊さんであり、そしてお坊さんの唱えるお経であるのです。
だとすると、お寺や坊さんは普段用の無い存在であり、もっと辛らつな言い方をするとあまりかかわらないほうが人生幸せということにもなりかねません。現に「お寺はさみしいところ」だとか「怖いところ」だという言い方をする人も少なくありません。はっきり申し上げて、そのような印象をお持ちの方は大変な誤解をされています。
実に残念なことです。では、どうしてそのような印象が定着してしまったのでしょう。それは「仏教」が正しく伝わっていないからです。「葬式仏教」とか「葬式坊主」などと揶揄されるのは、あたかも仏教とは葬儀のためにあるような印象を受けます。
その仏教に携わる坊さんは当然「葬式坊主」になってしまいますよね。では「仏教」とはなんでしょう。何かと問われればいろいろな説明ができますが、私なりに一言で言わせていただければ、仏教とは「人がしあわせに生きるためのおしえ」だということです。
せっかくのこのすばらしい人生のテキストがあるのになぜもっと活用しないのでしょうか。問題はそこにあります。仏教の本当の良さすばらしさを少しでも多くの人たちに解かっていただければとの思いもありこのサイトを起ち上げました。
縁あって只今このサイトを見ていただいているあなたにも少しでも 仏教により深い興味を持っていただければうれしい次第です。どうぞさいごまで見てください。
仏教とは・・・
お釈迦様が二千五百年ほど前に宇宙の成り立ちを発見されました。「発見」ですから、これは「真理」を見極められたということです。これを「お悟り」といいます。このお悟りを基にお釈迦様は仏教を確立され布教されました。
仏教の目的とは、一言で申せば、人が幸せになるための教えだということです。お釈迦様は真理と道理に遵った生き方をすれば必ず幸せになれると説かれました。つまり、幸せになるためには真理に沿った生き方が必要なのです。
真理を「法」といいます。人の作った「法」は都合でいくらでも変えられますが、真理の法は絶対であり、万物に平等なのです。これを「仏法」と言います。法律に反すると罰があるように、仏法に反するとやはり罰があります。その罰は「因果の法則」により百パーセント実証されます。
仏教の根本教義は「縁起論」とも言われています。宇宙の森羅万象はすべて縁起によって流されています。だからこそ仏教は「修善奉行・諸悪莫作」と説いています。善いことをしなさい。善いことをすれば良い結果が生まれ、悪いことをすれば悪い結果が生まれると力説しているのです。
実に明快な理論です。このように仏教はしごく当然のことを教えているのです。当然のことが大人になるほど難しくなるのはなぜでしょう。人が幸せになるためには、まず「善いこと」をすることです。
死んですべてが終わることにはなりません。先に述べたように、生死一如ですから死後も因縁の流れに逆らうことはできないのです。昨今の世相は、詐欺、暴力、殺人など犯罪のニュースばかり。どんどん人が悪くなっているように思えてなりません。
「因縁」を信じない人が悪いことをするのです。来世を信じない人は決して幸せな来世には往けません。仏の世界を信じない人が仏の世界に往ける訳がありません。子供達にとっても大変な受難の時代です。いつ、どこで犯罪に巻き込まれるかわかりません。子供がダメになったら人類は終わりです。
テロや戦争も増えています。社会環境のみならず自然環境も悪化の一途です。自然のしっぺ返しか、自然災害も増えています。果たしてこの先人類はどうなってしまうのでしょう。
繰り返しになりますが、仏教は人が幸せになるための教えなのです。今こそ、お釈迦様の正しい教えに目を向ける時です。正しい生き方、正しい生活にこそ幸せと平和があるのです。家族が、社会が、世界が平和になるための教えなのです。  
 
時々の法話

 

 
 

 

■諸行無常
よく聞く言葉です。お釈迦様のお悟りの内容を表す言葉のひとつです。この宇宙に存在する全ての物は、瞬時瞬時に変化しているということで、変化しない物は何一つ存在しないということです。
時間の最小単位を「刹那」と言います。約75分の1秒だと言われています。つまりこのアッと言う間の一刹那の間に全ての物が変化していると言うのです。一刹那の連続が過去から現在に至りそして未来に連なっているのです。
我々は時間と共に歳をとっていることは理論的にはわかっています。しかし実感はどうでしょうか。我々は数年経っていつの間にか歳をとった自分に気がついたりします。しかし1年位だとよくわかりません。
でも1年ごとに確実に老化しているのです。1年で変化しているということは1日ごとに変化しているわけです。1日で変化しているということは1時間、1分、1秒ごと、一刹那ごとに変化しているわけです。逆に言えば一刹那の連続が1年10年そして一生になるのです。
時間はイコール命なのです。刹那刹那に命が失われているのです。つまり時間を無駄にすることは命を無駄にすることになるのです。
自分の命はあとどのくらい残っているか考えてみたことはありますか。確かに寿命は人によりまちまちで先のことはまったくわかりません。だからこそ今を大切に生きようということです。よかったといえる人生のために時間を大切にしましょう。

■餓鬼って何?誰?
たいていのお寺では宗派に関係なく施餓鬼(せがき)会(え)あるいは施食会(せじきえ)と言った行事を行っています。各お寺にとっての年中行事の中の最大の行事となっています。うちのお寺でも勿論やっていますが、お施餓鬼を中心に一年が動いていると言っても過言ではありません。
お寺の本堂のことを「道場」と申します。それは仏道の修行の場という意味です。よく道場と言うと、剣道や柔道などの武道の道場を意味しますが、その由来は仏教の本堂が本家なのです。
今日のような施食会のほかに、お正月やお盆、お彼岸などにもお寺にお参りされますね。特に本堂は仏道の場だけに普段とは違ったやや緊張した敬虔な気持ちになるものです。それはご本尊さまをはじめ多くの仏様に見つめられているという気持ちからでしょう。
ですから皆様は本堂にお入りになって法要行事に参加された以上是非何かを持ち帰って下さい。「何か」と言っても形のあるものはダメですよ。本堂には色いろ高価なものがありますので形のあるものはダメです…冗談ですよ。「何か」といっても、それは精神です。形のない精神、つまり仏教の教えを是非何か一つでも持ち帰って頂きたいのです。
帰る時には教えの何かをお持ち帰りになる。でも来るときは別ですよ。来るときは「形のあるもの」をお忘れになりませんように。そう、言わなくても分かりますね。重いモノよりも軽いモノの方が有り難いのですね…冗談ですよ。
冗談はさしおいて、では、形のない餓鬼についてのお話をしましょう。ご承知のとおり地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の世界を六道と言います。仏界に至らない迷いの世界のことです。その中の餓鬼道は下から2番目の世界で、特に欲得に溺れた者が堕ちている世界とされています。
本堂の正面に供養棚を設置し多くの僧侶の読経の下、飢渇の餓鬼達を集め、種々無量の食べ物を与えその飢えを満たせてあげます。陀羅尼のお経があってはじめて食べ物が飢渇の喉を通るのです。われわれの目には見えないけれどそこには無数の餓鬼が集まっているとされるのです。貪欲、渇愛に溺れ成仏できない有縁無縁の餓鬼達に、気の毒に…可哀そうに…との思いも俄かに湧いてくる気さえしてまいります。目に見えない哀れな餓鬼ども…。
しかし、そこには目に見えないそれら多くの餓鬼の他に実は多くの目に見える餓鬼が集まっているのですよ。それは一体誰でしょうか?それはそこに集まっているすべての施主の人達のことなのです。まちがいなくあなた方もそのうちの一人なのです!
どうです、驚きでしょう。ショックですか?
まさかねえー。自分が餓鬼などとはこれまで思ったことも無かったし、言われたこともありません。しかしちょっと失礼千万だよねえ…
などと思っておられるかも知れませんね。でも、実際に本当の餓鬼があなたの心の中に住んでいるのです。いや間違いなく全ての人の心の中に住んでいると言ってもいいでしょう。ただ人によって餓鬼の程度もまちまちで、比較的おとなしい餓鬼から、ひどい餓鬼になるとその人自身の破滅をもたらすこともよくあるのです。
餓鬼の正体、それは、物欲や名誉欲からくるところの欲そのものなのです。欲の無い人っていませんものねえ。ただ問題はその程度なのです。小欲のうちはよろしいが油断するととんでもない貪欲・渇愛に満ちた立派?な餓鬼になるのです。そのせいで大きな問題を起こしたり、事件を起こしたりすることにもなりなねません。
(一時世界一の大金持ちになったそうですが、その欲得がとどまるところ知らず、今拘置所に入っている人がいますね。文字通り餓鬼道に堕ちてしまっているのです。)
ではどうすればその貪欲餓鬼を諌めることができるのでしょうか。それにはただ一つ「布施」をすることです。布施とは見返りを一切求めない純粋な慈愛の行為のことです。苦しんでいる者や有縁無縁の餓鬼に布施することが自分の中の餓鬼心を仏心に変えていく最も効果的な行為とされています。お寺の施餓鬼会法要に参加するということは、つまり施食棚の餓鬼に「布施」することであり、同時に自分の中の餓鬼にも供養していることになるのです。
餓鬼も修羅も畜生もそして地獄も仏も全て我がこの身の内に宿っていることを自覚することが肝心なのです。まさに、「仏道をならふというは、自己をならふなり」です。
その布施の功徳をご先祖さまに向けるから「回向」と言います。「回向」とは回して向けると書きますね。つまり仏様に向けた功徳がまた巡り巡って自分に返ってくることにもなるということです。そのための法要が「施餓鬼会」なのです。
今では「施食」と言うようになってしまいましたが、法要の意味は餓鬼に施すことであり、餓鬼とは欲に飢えて迷っている者のことであり、特に人間である以上、誰でも心のなかには、地獄から仏様までが宿っていることを自覚することがだいじです。
誤解のないように最後にもう一度申しあげますが、ご先祖様が餓鬼ではなく、餓鬼道に堕ちている救われない者を布施する功徳を皆さま方のそれぞれのご先祖様に回向するのが施餓鬼会の意味なのです。
毎年同じように修行される施食会の法要ですが、毎年飽きないのはなぜでしょうか。それは宗教行事だからです。毎朝お仏壇のご先祖様にお灯明やお線香を手向けることが飽きないのと同じです。
大震災に遭われた子供が言っていました。毎日普通に当たり前だと思っていたものこそ幸せだったことがわかりましたと。毎朝仏様ご先祖様にごあいさつできることこそがほんとうは最高の幸せだったのです。
毎年この日当山でも施食会に参加できることが幸せなのです。年中行事で日にちが決まっています。そんな報恩感謝の施食会に参加できないことは何か特別なことが起きたことになります。それが悪いことであってはなりません。
来年のことをいうと鬼が笑うと言いますが、良いことをいうと仏が笑うのです。来年の施食には又是非お会いしましょう。「お会いする」と言ってあの施食棚の上からではダメですよ。是非健康に気を付けてお過ごしください。

■唯我独尊
その昔お釈迦様はルンビニー園の花園の中で生母摩耶夫人のお腹から生まれるなり、七歩あゆみて右手で天を指し、左手で地面を指し、「天上天下唯我独尊」と申されたとはあまりに有名なお話しです。
人の子が産まれてすぐ歩いて言葉を発するなどとは常識では考えられないことであります。おそらく後々の神格化により「神話」として生まれ伝えられてきたお話でしょう。いずれにしろその真偽についてはどうでもいいことであり、問題はその言葉の意味合いであります。今日はこの言葉について考えてみたいと思います。
「天上天下唯我独尊」・・・この地上においても天上においても唯我ひとり尊し・・・これはお釈迦様自身のことであるのは間違いありませんが、その真意は我々ひとりひとりの人間こそお釈迦様と同格であるということを表しているのです。このことばこそ仏教の心髄に関するキーワードのひとつと言ってもいいでしょう。
我こそ宇宙、宇宙こそ我なり、我無くして宇宙無く、宇宙無くして我なし。宇宙の中心が我であり、我こそ絶対の存在である。我無くして宇宙無し。我即宇宙、宇宙即我となるとこの自己こそ宇宙本質その物であり、宇宙の本質はこの自己であるということになます。
つまりそこは生死を越えた世界であり、自己は永遠不滅であるということになります。これこそ涅槃の世界であり、極楽の世界なのです。自己とは何か。その自己を求めて釈尊以来あまたの発心者が命がけで追い求めてきました。その絶対の存在である自己の追求こそが仏道なのであります。
「仏道をならう」は「自己をならう」ことなのです。「自己こそ全て」なのであり「全ては自己の中にある」のです。悟りとはその自己の発見であります。また修証一如であるから、修行そのものでもあります。
他方、本来の自己から遊離・離脱し、「自分を見失う」状態はやがて妄我妄執の状態に陥いり、良識の判断をなくしてしまいます。その最たるものを「地獄」といいます。餓鬼界も畜生界もそれに準じた世界であります。
すすんで餓鬼界や地獄界に堕ちる人なんているわけありません。しかし、現実この世においてはあまりにも多くの人たちが苦しんでいます。もちろん避けようのない被害による苦しみもありますが、実は己自身の身から出た苦しみの方がたくさんあるのです。
それは多くの苦しみや不幸は避けることが出来ることを意味しています。多くの苦しみや不幸は、条件次第ではそれを受けずに済むのです。その方法と心がけを教えてくれているのが仏教なのです。われわれは普段から己自身を守るべく心がけと努力をすべきではないでしょうか。
世はまさに健康ブームで、体に良い食べ物、体に良いサプリメント、体に良い運動、体に良いダイエット等等。体には気を遣っていますが、こころの健康の方がなおざりにされているようでなりません。そろそろ「こころのダイエット」を考えてみませんか。
現代人のこころの環境はあまりにも悪化しています。こころの健康には正しい信仰を持つことです。かけがえのない自分自身のしあわせのためのみならず、さらには家族やみんなのためにも是非仏教を学んでほしいものです。
健康で長生きしたい欲望は尽きません。肉体は偏った栄養や運動不足は不健康だとよく判っています。それはそれで上等なことですが、もっと考えて欲しいのは心の健康なのです。心が病むとたちまち肉体にも影響が及びます。
近来こころの病が途方もない勢いで増えています。こころの病はひどくなると命とりになります。今一番必要とされているのはこころのサプリメントであり、こころのケアーです。こころの栄養は「物」を与えることではありません。
逆に余分な「物」を取り除くことなのです。重病なストレス症候群や心身症などには専門医のカウンセリングが必要でしょう。そうならないためにも日頃自己を鍛錬しておく必要があるのです。

■諸法無我
三法印のうちの言葉です。お釈迦様のお悟りの世界を示された一つの表現です。この世界のすべての存在や現象はすべて因縁果の流れによるものだということです。すべての存在や現象には「我」というものはありません。
別々個々の存在や現象はただただ因縁果によるものであり、それは差別の無い完全無欠な存在であるのです。はじめから随分難しい話になってしまいましたが、私なりにやさしく説明してみたいと思います。
以前、「諸行無常」について述べましたが、ほとけの世界を「縦の形」で表したものが諸行無常であるとすると、諸法無我とは「横の形」で表したものと言ったら良いでしょうか。つまりほとけの世界を縦に見た場合と横に見た場合の違いだと思えばいいでしょう。
ではその意味はどういうことでしょう。一言で言えば、この世界に存在するものはすべて完全平等であるということです。不平等なものは何一つなく、それは同時に完全無欠なものであるということです。しかし、現実人間はほとんどすべてのものに様々な「程度」や「質」の基準を設け、すべてをそれに当てはめ価値の序列をつけてしまっています。
もちろんそのことで社会生活に目的意識と達成感が生まれ、人間社会は機能的に動いているといえます。実に有効な人間の知恵と言ってもまちがいありません。文化文明の発展の礎とも言えましょう。
しかし、現実そのことですべてが必ずしも上手く行ってはいないのです。ひとはどうしても価値あるものを求めます。財産、地位、権力、体力、知力等々。なぜでしょう。それは価値あるものこそ幸福のバロメーターだと思い込んでいるからです。
誰でも幸福になりたいのですからそれはよくわかります。しかし、その「競争」により必ず格差が生まれます。その格差が「差別」を生み出しているのです。「負け組み」「勝ち組」が生まれているのです。
ここで問題にしたいのは、誤った価値観から生まれてくる「差別観」なのです。真の価値観がわからないためにそこに差別観が生まれているのです。真の価値観とは何か、ここで少し考えてみましょう。人間社会においては、鉄一貫目と金一貫目の価値は、当然金にありますね。
社会通念上その認識は当たり前のことです。そしてこの観念はその他全てのものに対してもそうなのです。お金持と貧乏人。社長と社員。大学卒と高校卒。成績優秀者と成績劣等者。頭の良い者と悪い者。
体力の強い者と弱い者。運動能力の高い者と低い者。
歌の上手い者と下手な者。背の高い者と低い者。足の長い者と短い者。美人とそうでない者。長男と三男。既婚者と未婚者。嫡子と非嫡子。男と女。若者と老人。
健常者とハンディキャップ者。等々挙げればキリがありません。しかし、結論から言って、これらは全くの妄想なのです。
無いものを「有る」と思い込んでいるだけなんです。諸法無我とは存在する全てのものや現象は完全に平等だと言っているのです。男も女も、老人も若者も、健康人も病人も、その本質から全く優劣が無いのです。お釈迦様は宇宙の真理を発見されました。その真理が「法」なのです。
「一切皆空、悉有仏性」と看破されました。この世もあの世も区別とか差別とか元来全く無いのです。実際区別と差別の世界で生きているのは人間だけなのです。その区別と差別意識という妄想により自らを四苦八苦の世界に落とし入れているのです。
早くその妄想から眼を覚ましなさいと仏様が訴えています。世間虚化唯仏是真とは聖徳太子のお言葉ですが、真実を教えてくれているのが仏教なのです。

■お盆
八月に入りました。毎日暑い日が続いていますが八月といえばやはりお盆でしょう。今日はこのお盆について考えてみましょう。
このお盆こそ仏教での先祖供養の原点であるように思われるのです。お盆といえば目連尊者のお話になるわけですが、不思議と何度聞いても煩わしくない思いがあります。それはなぜでしょうか。
それは多分そのお話しを聞くこと自体が「宗教行事」になっているからでしょう。宗教行事は飽きないものなのです。何でもそうですが、飽きたら縁が切れた時なのです。どうか飽きないで聞いてください。
お釈迦様の十大弟子のうちの一人、目連様があるとき亡きお母さんを神通力で捜していました。神通力とは目に見えないところを見通せる力のことです。いわゆる超能力で宇宙の果てからあの世まで見通せる力のことです。
おかあさんは仏様として極楽往生されているとすっかり思い込んでいた目連さまは、お母さんが成仏しておらず、餓鬼道に堕ちて逆さ吊りの罰を受けて苦しんでいることを知りました。驚きとショックを受けた目連様はお釈迦様に相談されました。
「目連よ、おまえのお母さんはおまえにとっては優しいすばらしいお母さんだったのだよ。しかしただお母さんが生前お前を育てることで他人に迷惑をかけたことがままあったのだ。その罪による罰を今受けているんだよ。こんど七月十五日に
お坊さんたちの修行が終わるので、その日お坊さんたちに供養しなさい。そしてお母さんの供養をお願いしなさい。お母さんはきっと餓鬼道から救われるでしょう。」と、さとされました。
その結果目連様のお母さんは餓鬼道から救われたのです。その故事来歴により、普段からご先祖様を供養しなかった一般の人たちに、自分たちのご先祖様の中にも目連様のお母様のように成仏出来ずに苦しんでいる方がいるかも知れない、せめて年に一度の先祖供養の日を設けることにしてはどうかということになりました。
目連様のお母さんが逆さ吊りから救われたことで、「逆さ吊り供養祭」にしたらどうか。逆さ吊りをインドの言葉でウラバーナと言います。ウラバーナを漢字に当てて「盂蘭盆」になったのです。
お盆は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)と言います。以来2500年以上もの間今日まで先祖供養として盂蘭盆会の行事は続いているのです。人として最も大切なことは亡き人への感謝と報恩です。自分がこの世に生まれたことはご先祖様からの因縁の流れがあったからなのです。
ご先祖様への感謝と報恩を思い、これからの自分の人生をより充実させていく気持ちをご先祖様に報告することがお盆の意味ではないでしょうか。また、とくに、今年新盆を迎える方にとっては、故人への追慕、追悼のお気持ちは特に深いものがあると思います。
はじめてのお盆を新盆(しんぼん)又は、にいぼんとかあらぼんなどといいますね。旧で申せば、八月一日に灯篭や精霊棚を設け、早めに仏様をお迎えします。適当な日に法要を行い懇ろに供養いたします。故人にとってはいわばはじめての里帰りです。特にゆっくりして頂き、遅くお送りします。
この辺では、八月二十四日に送る場合が多いようです。二十四日はお地蔵様の縁日ですので、それに合わせてのことでしょうか。はじめての道をお帰りになるわけですので道に迷わないように、修羅道や餓鬼道に迷い込まないように
お地蔵様のお導きに寄ろうとしたものかも知れません。
お盆の供養を受けられた仏様が喜んでいるお姿と供養させていただいた人々が喜んでいる姿が踊りとなったのが盆踊りと言われています。各地において様々な盆行事がとり行われますが、どれも心を和ませてくれるものですね。盆休みは先祖供養のためのお休みなのです。
このごろでは、盆休みこそビッグレジャーだといって海外旅行や海や山に大勢出かけて行きますが、お盆には出かけるものではありません。お盆は帰るのです。仏様がお帰りになるのでから、外に出ている子や孫、家族皆が家に帰って集まってご先祖仏様に感謝するのがお盆なのです。
これが仏教徒のお務めではないでしょうか。毎年毎年同じお盆はやってきません。今年のお盆は去年のお盆とも一昨年のお盆とも違います。そして今年のお盆は二度とやってきません。いいお盆を迎えてください。
 

 

■追善供養 亡くなった人をほとけ様といいますね。
そのほとけ様への供養を追善供養と言います。また何度も法事を行ったりして供養を致しますが、何故でしょうか。今回はその「追善供養」の意味について考えてみましょう。
人は一人では決して生きてはゆけません。個人を取り巻くすべての人達や物や環境などのお陰で生きていると言えます。生きていくために限りない多くの恩恵をいただいていますし、ただ生きているだけでも多くの迷惑をかけているのが実態なのです。
このように人は生きていくために例外なく一生の間相当な「お陰」という「借り」を受けて生きているのです。例えば、卑近な例として食べ物について考えてみましょう。人は何かを食べずには生きて行けません。
豚肉を食すればそれは豚の命をいただくことになります。牛肉をいただけば牛の命を、魚をいただけば魚の命をいただいているのです。イヤ自分は菜食主義者だからといっても野菜の命をいただいているのです。一日にお米何粒食べているでしょう。お米も籾のまま撒けば芽がでてきます。生きているからです。
一生を考えると数え切れないほどのお米の命をいただいています。このようにどんな食べ物であれその物の命を頂いて我が身の命を養っているわけです。イヤ自分はお金を払っているから何の世話にもなっていないと言う人がいるかもしれませんが、そんなものではないのです。
宗教的にはすべて「頂いている」のです。ですから、食事をするときには「いただきます」と合掌していただきますね。それは「わたしの命を養うために
仕方なくあなた様の命を頂だかせていただきます。」との感謝の気持ちを表したものなのです。仏教徒として当然の作法です。
しかし、最近ではそんな躾も難しくなってしまいました。家庭ばかりではありません。学校でも食事は食器を持たず、箸を使わず、「いただきます」も無く、先生の「ピーイ」という笛の合図で一斉に食べ始めると聞いたことがありますが本当でしょうか。食事作法の崩壊から食文化や躾までおかしくなってしまいました。
話は元に戻りますが、このようにわれわれは例外なく一生の内をあらゆる「お陰様」のお陰で生きているのです。ですから、そんな自分が亡くなってお坊さんにいい戒名を付けて頂いたのでもう立派な仏様になりました。それで終わりだという訳にはいきません。
生前の計り知れない多くのそれらの「借り」は一体誰が返すのでしょうか。故人となってしまった本人はどうすることもできないのです。その故人の「借り」を消却する方法が遺族、親族、縁者による「追善」なのです。故人へ向けて「善」を送るのです。
この「追善」をもって故人の「借り」を相殺し消却していくわけです。これがそもそもの追善供養の意味といってもいいでしょう。しかし、膨大な「借り」は一度や二度の供養では及びがつかないのです。だから人は亡くなって仏の世界へ入られてもすぐには完全成仏できないのです。完全成仏は故人の「借り」が完全消却した時点なのです。
そのためには33年間の追善供養が必要とされているのです。仏様にとって亡くなってから一周忌はいわば一歳の誕生日なんです。三回忌は三歳、七回忌は七歳の誕生日でもあるのです。そして仏様としての33回忌が「成人式」であり清浄本然忌と言うように完全無垢の奇麗な仏様に成るということです。
このように、新仏にとっての33年間は「垢おとし」の修行の期間でもあるのです。その間遺族縁者はその修行の応援として追善を施すわけです。その節目とされているのが年回供養法要なのです。33回忌を弔い上げなどとも言いますが、その後は報恩供養として37回忌、50回忌と続いていきます。
われわれは親や御先祖有っての自分であり今日があるのです。考えてみればわれわれみんな親に七五三を祝っていただきました。三回忌と七回忌はいわば親への七五三としての恩返しなのです。報恩感謝の教えこそ仏教なのです。

■合掌
仏様を供養するのにいろいろな形があります。お灯明をあげる。お線香をあげる。お供物をあげる。そして、お塔婆やお経をあげる。このようないろいろな形がありますが、いつでも、どこでも、何も無くても出来るのが「合掌」ですね。今日はこの一番簡単な、合掌について考えてみましょう。
人はほんとうに心からお願いしたり、お詫びをしたりしようとすると自然と「合掌」してしまいますね。また、相手に合掌されて何かを頼まれたり詫びられたりすると無碍にはできません。つい相手の気持ちを受け入れたりしてしまいます。また、逆にすなおな気持ちを表そうとすると自然と合掌の姿をしてしまいます。
なぜでしょう。それは、合掌に「まごころの姿」が表れるからなんです。合掌することにより純粋な自分になれるからなんです。純粋の心こそ仏心なんです。仏心の表れが合掌であり、合掌の姿で人は仏様になれるんです。このように両手を合わせると10本の指が一体になりますね。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏と10界ありますね。この10の世界がちょうど10指だとすると、10界が一つになった形が合掌なのです。10界が一つになるということは、一切の差別や区別が無くなるということです。自他の分別が無くなり、自分が宇宙であり、宇宙が自分であり、この世があの世であり、あの世がこの世であり、自分が仏であり、仏が自分であるという涅槃の世界が出現するのです。
仏様を拝むということは自分が仏様と一体になるということです。仏様と自分、あるいは自分と他人、自分と全ての対象物が自他の領域を越えて一体に成る。ご開山様道元禅師はこれを「同事」という言葉で示されています。「自にも不違なり、他にも不違なり」です。
ところで、こんな詩を作ってみました。
どなたでも 合掌すればほとけさま あなたがほとけ わたしがほとけ
あなたでも 合掌すればほとけさま あなたがわたし わたしがあなた
わたしでも 合掌すればほとけさま わたしがあなた あなたがわたし
ところで、普段みなさんはどの位合掌しているでしょうか。ほとんどしていないのではないでしょうか。せめて家にお仏壇がある人は少しは合掌しているかもしれませんが、それでも朝晩のお仏壇詣りは特定の人におまかせでそれ以外の人たちはほとんど「拝むこと」のない生活ではないでしょうか。
よくクリスチャンは日曜日ごとに教会に行ってミサに参加し牧師のお話を聞くことが日曜日の務めだとされています。仏教徒は日曜日ごとに菩提寺にお詣りしていますか。していないと思います。仏教徒はそれだけ信仰心が無いのでしょうか。
イヤそうではありません。仏教徒は毎日お寺にお詣り出来ない代わりに自分の家の中にお寺を持ち込んでしまったのです。お仏壇は菩提寺の本堂と同じものなんです。いわばミニ本堂なんです。我らがご先祖様が毎日毎日仏様をお詣り出来るようにとの想いを形にした結果なんです。
ところが現状はどうでしょう。折角のグットアイデアによる伝統が失われかけようとしています。合掌する習慣もほとんど無くなってしまいました。よく、分家した方が「うちはまだ先祖がいないから仏壇はありません」とか言うのをきくことがありますが、先祖のいない人が居る筈がありません。
自分が独立したら、家にお仏壇とご本尊様とご先祖様をお祀りして供養をするのが本来の仏教徒の務めなんです。新しく家を建てたりすると「家移り念仏」をしますね。仏教徒の家には必ず仏様がお住まいなんです。我々は仏様と一緒に住んでいるんです。
朝に夕にお参りして、仏様ご先祖様に供養し感謝することこそが肝腎なんです。子や孫はその姿を見て成長します。おじいちゃんやおばあちゃんの後ろ姿から文化が伝えられるんです。核家族の時代と言われ、文化や躾の伝承もままならない状態です。昨今の社会の乱れや子供達の不安は当然のことのような気がします。
こんなときだからこそ仏教徒はもっと信仰の自覚をもってお仏壇に手を合わせましょう。合掌すれば心が安定します。安定はストレスを除きます。現代の多くの病気の一番の原因はストレスだと言われています。ストレスの無い状態こそが健康で一番のしあわせなんです。色々申しましたが、結論としては、やはりほとけ様を拝めばしあわせで長生き出来るということです。
どなたでも 合掌すればほとけさま わたしがほとけ あなたがほとけ
報恩感謝の教えこそ仏教なのです。

■成道会(じょうどうえ) 釈迦如来誕生の日
12月8日はお釈迦様がおさとりを開かれた日としての特別の日であります。お釈迦様がお悟りを開かれたことを成道(じょうどう)と申します。今回は予定でありました一切皆苦(その2)を来月に廻しまして、この成道会(じょうどうえ)についてお話させて頂くことにしました。
その昔、お釈迦様は菩提樹の下禅定6年の修行の結果12月8日暁の明星を見て活然と大悟徹底されました。その瞬間一切皆苦の衆生を済度すべく応身仏としての釈迦如来が誕生されたのです。爾来2500年に亘ってその真如の仏法が伝わってまいりました。
真如の仏法、その宝珠を得んがためにお釈迦様以来あまたの修行僧が命がけで修行してまいりました。仏の教え仏法にはそんな命を掛けるだけの価値が実際あるのです。ただ残念なのは今の時代命がけで法を求める真の求道者が見あたらなくなったことでしょうか。
そのお釈迦様のお悟りにあやかりまして、禅宗の修行寺院においては12月1日の早朝より8日の早朝までまる7日間最も厳しい坐禅の修行に入ります。これを臘八接心(ろうはつせっしん)と言います。12月を臘月(ろうげつ)と言いその8日をとって臘八(ろうはつ)と言います。接心(せっしん)とは坐禅の集中修行のことです。そして、この時期になると私がいつも思い出すのは初めて坐禅をした時のことです。
18才の時でまだ得度出家する前のことでした。縁有りまして東京品川にあります東照寺というお寺の寮に入ることになりました。御指導頂いたのは御住職でありました故伴鉄牛(ばんてつぎゅう)老師であります。前夜坐禅の仕方を教わり、「明朝4時起床。接心に入る」という言葉を聞きました。坐禅のことも接心の意味も分からずその場にぶち込まれたのでした。
チリンチリンという鈴(れい)を合図に参禅者達が先を争って独参(どくさん)に向かいます。独参とは指導者である御老師の丈室に入り一対一で直接禅の指導を受けることです。老師の振る鈴の合図を受けて喚鐘(かんしょう)という小さな鐘を三声して部屋に伺うのです。
三拝をしてから正座して御老師の膝元まで進みます。合掌して、教わった通りの言葉で「数息感(すうそくかん)に参じています。」と申し上げました。御老師の鋭い視線を受けながら何を言われるのだろうと思っていました。
ちょうどその時でした。お寺の玄関先に居た犬がワンワンと吠えました。御老師はおもむろに口を開き、「今犬が啼いたがあの犬は何処で啼いたのか」と尋ねられました。
わたしは当たり前に「玄関先で啼きました。」と応えました。すると御老師は手元の鈴を取りチリンチリンと振られました。次の人と交替ということです。なんのことかまったく解らず退室しました。初めての坐禅での初めての独参でのことです。今でも鮮明に覚えています。
当たり前の答えがまったくの的はずれという禅の世界へはじめて一歩を踏み入れた時のことです。その意図する処とは一体何なのか。あのお寺の玄関先で啼いた犬は一体「どこ」で啼いたのか?
やがて「無字(むじ)の公案(こうあん)」を頂き、明けても暮れても無字、無字ただ「無字」の単提(たんてい)でした。何ヶ月もムームーと唱えたものでした。
伴鉄牛老師は原田祖岳老師の直弟子であり、その指導の厳しさは並大抵なものではありませんでした。次回からの接心は情け容赦無いと思われるほどの警策(きょうさく)を戴きました。一回の接心は五日間でしたが、何本もの警策が折れたものでした。
今では懐かしい思い出となっていますが、10代という若い時に夢中で取り組めた因縁に今では心から感謝しています。その時の経験のお陰で今があると思っておりますし、その経験が無ければこのホームページも無かったのは確かだと思います。
禅は人を分別妄想虚構の世界から真実の世界に導いてくれる手法なのです。本物と偽物の区別がつかない迷いの世界から本物の見分け方を教えてくれるのが禅です。真実本物の宝珠の一端にでも触れてみたいと思いませんか。 

■涅槃会(ねはんえ) お釈迦さまは久遠のほとけさま
お釈迦さまの亡くなった日が2月15日です。仏教寺院では毎年この日お釈迦さまの入滅を記念しての法要が厳粛に修行されます。この法要を涅槃会といいます。降誕会、成道会、そしてこの涅槃会を三仏忌(さんぶっき)と申します。
これら三仏忌こそ仏弟子仏教徒にとっては最も大切にしている報恩感謝の法事なのです。その回向には「波羅蜜の妙徳を修証し上み法乳の慈恩に報いんために・・・」と謳われ、お釈迦さまの大恩慈悲の御恩に報いるためのわれわれの心構えが提唱されています。今回は今年も間もなく迎えるこの涅槃会に因み、「涅槃」をテーマにしてみました。
涅槃とはお釈迦さまの入滅を意味している言葉です。入滅とは文字通り「滅に入ること」であり肉体の滅却であり「死」を意味します。まずそのお釈迦さまの入滅の様子から伺ってみましょう。お釈迦さまは35歳でお悟りを開かれて以来45年間人類衆生済度のため全国を説法行脚されました。
しかしお釈迦さまも肉体を持った人間です。80歳になってからはとみに老いが進まれました。それでも渾身の力を振り絞られ最後の説法の旅に出られました。そしてやがてクシナガーラ城外の河畔にたどりついた時にはもう老いと疲れで歩くことも出来ず沙羅双樹の下に頭を北に右わきを下に横たわっていました。
お釈迦さまはご自分の入滅を悟り、弟子や人々を集めて最後の説法をされました。それが「遺教経」に説かれています。お釈迦さまのまわりに弟子ばかりではなく天竜や動物や鬼畜までもが集まって泣き叫んだと言われています。お釈迦さまはその悲嘆にくれる弟子達に向かって、これを慰め、常に精進することを諭され静かに目を閉じられ涅槃に入られたのです。
涅槃図にはその様子が細かく描かれています。その最後の説法である「遺教経」はお釈迦さまの教えが集約されている聖典であり禅宗では特に大切にされている教典の一つとなっています。本ホームページでもそのうち「仏教講座」のなかで是非とりあげていきたいと思っております。
さて、「涅槃」とはサンスクリット語で「ニルヴァーナ」と言います。「吹き消すこと」の意味と言われ一切の煩悩がふき消された悟りの境地を意味するそうです。また、原始仏教では貪欲の滅尽、瞋恚の滅尽、愚痴の滅尽つまり三毒がなくなった状態を涅槃と定義されているそうです。
そして涅槃には二段階ありお釈迦様が成道されてから入滅されるまでの肉体の存在する上での涅槃を有余涅槃、肉体が消滅してからの涅槃を無余涅槃と言っているようです。大乗仏教では人間にもともとそなわっている仏性をさして自性清浄涅槃、生死と涅槃を超えての涅槃を無住処涅槃と申すそうです。以上が学問的御託ですがこのような講釈は実におもしろくないものです。
そもそも「涅槃」にいろいろ区別や段階があるわけがないのです。仏さまにいろいろ段階が無いように涅槃は涅槃であって一つなのですから。そこで、まずお釈迦さまの死はなぜ単なる「死」とは言わず「涅槃」と言うのでしょう。それは、お釈迦さまは「死んでも死なない」死を超越した存在になられたということなのです。
「死んでも死なない」などと言いますと宗教の非合理的理論の押しつけのように思われるかもしれませんが、この理屈を私なりの浅智恵の範囲でなんとか論理的に論じてみたいと思います。これもまず御託から入りますがどうか聞いてください。
仏さまには、法身仏、報身仏、そして応身仏の3身があるとされています。法身仏とはこの全宇宙そのものが仏さまのカラダそれ自体だという考えです。つまり全宇宙の真理(法)の実態そのものを具現した仏さまなのです。
その仏さまが毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)と言われる仏さまです。奈良東大寺の「大仏さま」が有名です。(密教の方で申しますと大日如来がそれに相当します。)
毘廬舎那仏は沈黙の仏さまといわれ自らは説法しません。その法を説くのは毘廬舎那仏の毛孔から宇宙の隅々まで派遣された無数の仏さまなのです。その仏さまこそが釈迦牟尼仏であり「応身仏」と申します。全宇宙の百千億の国々に出現されるというのです。わがこの地球上にも2600年程昔インドに出世されました。
法身仏である毘廬舎那仏の「化身」として人類衆生済度のためこの地上に降誕されたので化身仏とも申します。報身仏とは、修行の結果悟りを開き覚者となった仏さまということです。つまり釈迦牟尼仏は、法身(ほっしん)、報身(ほうじん)、応身(おうじん)のすべてを具えた仏さまなのです。
このようにお釈迦さまの本質はもともと法身仏という全宇宙の本体そのものであるということです。従ってお釈迦さまの「死」は単なる肉体の「死」を超越し本来の本質に戻られたということなのです。
つまりお釈迦さまは人間としての肉体は滅びたとしても、その本質は本来本法性の永遠不滅の「久遠仏」(くおんぶつ)なのです。その本質こそが「涅槃」であり、涅槃そのものが宇宙実相の法身仏であるのです。
峰の色谷のひびきも皆ながら我が釈迦牟尼の声と姿と(道元禅師)
このように入滅されてもなお涅槃のお釈迦さまが而今に亘って我々を説法し続けているのです。どうですか。「死んでも死なない」お釈迦さまの存在がわかりましたか。しかし折角のそのお姿も生半可には拝見できません。
そのお釈迦さまに相見するためにはそれ相当の修行があっての結果なのです。相見はなかなか難しいかもしれませんが「修行」と「悟り」は別のものではないのです。「修証一如」を励みに精進しましょう。 

■日々是好日「今」がすべて
「日日是好日」(にちにちこれこうにち) 今回はこの有名な禅語をとりあげてみました。このことばの書かれた掛け軸などを床の間や茶室などでよく見かけます。この意味するところは、日というものに良し悪しは無いということです。
毎日毎日が好い日であるということです。実に明解なことばですね。しかし一見明解なものほど奥が深いのですよ。 「日」によって特段違いはありませんがまずよく言われるのがお天気との関係です。
大抵の場合晴れて「好い日」とされています。確かに折角予定された行事が雨天のために延期や中止になることはよくあることです。折角の予定が狂ったり、何をするにしても不便を感じますので、「雨天は好くない日」と言うのもわかります。
しかし、ここでちょっと気になることがあります。「あなたの普段の行いが善いから今日は晴れて好い日になりましたね」とかよく言ったりしますね。社交辞令や相手の徳を持ち上げたりする気持ちから出る言葉です。
確かに個人的な気安い会話の中でのことばとしてはご愛嬌でよろしいのですが、大衆を面前にした公的な挨拶などの場合いささか疑問に思うのです。それは、その日たまたま晴れたからといっても、問題はそのことばを聞いた人の中には過去において大切な行事を大雨に見舞われたという人もきっといる筈なのです。
その人にとっては「あのときの大雨はあなたのせいだ」と間接的に言われているようなものです。確かにどんな行事を行うにしても一般的にも晴れた方が喜ばれますね。それは大抵の場合都合が良いからです。
でも都合は人によってそれぞれ違いますので晴れて喜ぶ人もいれば、中には雨で喜ぶ人もいるということを知るべきです。お天気はその人のその日の都合次第で好い日にもなり悪い日にもなるということです。余談ですが、よく「晴れ男」とか「雨男」とか言いますが、一生の内での確率はほぼ50パーセントだそうです。
また、もし毎日毎日お天道さまが出ていたら砂漠になってしまいますし、また、毎日毎日雨ばっかりだったら物は腐るし土砂崩れや洪水などの災害も起きてきます。雨の日、晴れの日、風の日などがあってバランスが保たれているのです。地球は自分の環境のバランスを保つために気候や天候を変えているのです。地球も生きているのですから。
要は、晴れて好し。雨で好し。風で好し。その日その日はそれ自体完璧な現状だということです。天候状態に優劣はありません。因果の法則に従ってただただ変化しているだけのことです。
それにしても最近の地球は環境悪化のせいか異常気象が見られるようです。とくに世界的に砂漠化が進んでいるとか。実際日本でも平均年間降雨率も年々下がってきているそうです。雨も恵みの雨だと思うとありがたく感じられるものです。
その「天候」は目に見えるものですが、目に見えないもので「その日」を区別するものもあります。まず日本には「六曜」(ろくよう)というものがあります。その日の吉凶を表すものとされています。
「今日は仏滅だから」とか「明日は大安だから」などと言って行事の判断にしたりします。とくに仏教に関するものに仏滅と友引がありますが、実はこのふたつとも元々は仏教に関係なかったそうです。
「物滅」であったものが「仏滅」になり、また友引は「吉と凶が勝負し共に引き分け」といった意味だそうです。今日では「友引」は「あの世に友を引く」というような意味合いから友引には葬儀は致しません。
元の意味がどうであれそれが現在の社会通念となってしまっている以上、それに従うことが文化なのです。その「文化」の基になっているのが「暦」です。その暦に従ってすべての年中行事が決まります。
お正月、節分、立春、ひなまつり、端午、立夏、入梅、七夕、お盆、立秋、十五夜、彼岸、七五三などなど、あげれば切りがありません。それらは生活の指針として無くてはならないものです。人が生活の中に「けじめの意味づけ」として編み出した知恵なのです。
暦だけではありません。1日24時間の「時間」も同じように「けじめの意味づけ」のために人が発明したものです。発見ではありません発明です。念のため。
ちょっと想像してみてください。仮にあなたが現在何月の何日の何時であるのか認識できない状態のまま何日も過ごすとしたらどうなると思いますか。意識のない昏睡の状態でない限り多分あなたは情緒不安になり、それが長時間続けばストレスとなり精神に異変を来すかもしれません。
季節や雑節、年中行事や月日、時間の認識で日常生活に「けじめの意味づけ」がなされ、気持ちが安定するのです。これを「文化的生活」といいます。犬や猫に季節や曜日、時間の認識はありません。
それは彼らには「文化」が無いからです。 (しかしこのごろ中には人間様と同じような贅沢な「文化的生活」をしている犬や猫が沢山います。将来「文化」を身につけ時間を気にする犬や猫が出てくるかもしれませんね・・・冗談ですけど)
さて、ここで私が何が言いたいかと申しますと、人はすべてに於いてさまざまな「尺度」の中で生きているということです。先にあげた暦も行事も時間も全て文化的生活を送るための「尺度」なのです。人は生活の全てに於いてさまざまな尺度に従い尺度を通して生活にけじめをつけ、気持ちをコントロールすることで「安心」できるのです。
尺度がなければ人間生活は成り立たないと云ってもよいでしょう。尺度こそ人類が合理的に生きていくために編み出した最高の叡智であり「文化」なのです。そして次に私が言いたいことは、実はこの「尺度」こそ要注意だということです。
尺度とはすべて人が便宜上作った「発明品」だからです。発見ではなく発明です。(ここでも念のため) 春夏秋冬の季節も、元旦、お盆、大晦日などの雑節も、大安、仏滅、先勝などの「六曜」も、月曜、火曜、水曜などの曜日もすべて「尺度」です。
「何時何分」という時間も尺度です。その尺度の「本質」をしっかり理解することが大事なのです。その尺度に実態は無いのです。有るのは「今」だけです。これを「而今」(にこん)と言います。どんな日であれどんな時間であれ、有るのは「今」だけでその本質は「虚空」なのです。
「日日是好日」 この言葉は禅の古則「碧巖録」(へきがんろく)第六則にある公案(問答)なのです。その「今」の本質を悟ることがこの公案(問答)のねらいなのです。
[本則] 
挙す、雲門垂語して云く、「十五日已前は汝に問わず、十五日已後、一句を道い将ち来られ」 自ら代わって云く、「日日是好日」
雲門は公案を挙げて、教示していう。「今までの十五日間のことは問うまい。これからの十五日間で一番大切だと考えたことを一言でいえ」 雲門自らがいう。 「日日是好日」
「これからの十五日間の修行で一番大事だと考えることを云え」との問いに雲門自らが答えます。一番大切な事は「今の今」だというのです。今という時間は今しか無い。人は今に生きているのだ。
今という時間と自分は別物ではない。今が自分であり、自分が今なのだ。今の本質は自分であり、自分の本質は今である。つまり時間と自分は別のものではないということ。道元禅師は正法眼蔵「有時」(うじ)の巻で、こう云っております。
「あらゆる世界のあらゆる存在は、連続する時々である。山も時である。海も時である。時にあらざれば、山も海もあることはできない。山や海の『いま』に時はないと思ってはならぬ。時がもしなくなれば、山海もなくなる」 「ある草木も、ある現象も、みな時である。そして、それぞれの時に、すべての存在、すべての世界がこめられているのである」
つまりここでは、存在と時間は一体のものであると云っています。あなたは「時間は万物に対して常に一定の速度で流れている」といった観念をもっていませんか? 禅師はそうではないと云っているのです。
「松も時であり、竹も時である。時は飛び去るとのみ心得てはならない。飛び去るのが時の性質とのみ学んではならない」と云っております。
さらに「尽力経歴する」と云っています。その意味は、存在するその物にはそれぞれのエネルギーがあり、エネルギーが使われるところに「時」が進むと云うのです。 以上、存在(空間)と時間は一体のものであり、エネルギーによって時間の速度が違うということは空間は一定では無いということになります。
このことから思いつくのはまさにアインシュタインの相対性理論です。正直わたしは素人でよくわかりませんがひょっとして全く同じ理論ではないでしょうか。実に驚くべきことです。もし専門家の方がいましたら是非ご意見をたまわりたいと存じます。
どうですか。仏法はやはり私の持論とするところの「超科学」ではないでしょうか。今回は少し難しい内容になってしまいましたが、結論としてはつまり「日日是好日」とは、「今」が「あなた自身」であるから「今」こそ全てであり、「今」ほど大切なものは無いということなのです。 
 

 

■隻手音声(せきしゅおんじょう) 分別を断ち切れ
先月に続いて公案(問答)をとりあげました。
拍手するように両手を打つとポンと音がします。その片手だけの音声を聞けという公案です。片手だけの音を聞けというのは常識的な思慮分別ではまったく理解できません。それにしても何故こんな公案があるのでしょう。その意図するところはなんでしょうか。それが今回のテーマです。
前回は「尺度」について講釈しました。尺度は人が人として合理的文化的生活を送るために「発明」したすばらしいものですが、それがあまりにも常識的であるためにその「分別」の範疇から抜け出せないのです。その尺度と並んで同じように人が惑わされているもう一つのものがあります。
それが「差別」です。ここで言う差別とは物に対しての区別意識、つまり「対立観念」を意味します。この差別観も尺度観と同じで人が当たり前に持っている大事な分別です。申すまでもなく、「分別」とは善悪や道理をわきまえるのに人が持つべき最も大切な理性です。
人が人として生きていく上での絶対不可欠のものであり、この分別があってこそ人間社会は成り立っているのです。分別が無くなったらそれこそ動物や虫けらの世界と同じになってしまいます。しかし、しかしですよ。禅はそんな最も大切とされる「分別意識」こそ問題だと捉えるのです。
それはすなわち人が便宜上作り上げた「架空のもの」だからです。架空のものには実体がありません。実体の無いものに尺度や差別をつけて「分別」にしているのです。人は常識であればあるほど、その「実体の無い観念」に捕らわれ雁字搦めに縛られ、振り回されているのです。
そこに「こだわり」の意識が生じ悩んだり苦しんだりするのです。これを「迷い」と言います。禅の目的は只一つこの「迷い」の元を断つことにあるのです。その「迷い」の元こそ「分別」なのです。実体の無いものは「妄想」なのです。
その「分別妄想」を打ち破り真実の世界を悟るために考案されたのが、この「公案」という手法なのです。公案の目的はただ一つその「分別妄想」からの解放なのです。その公案には古則公案と現成公案の二種類があります。
古則公案は参禅して老師から与えられる「問題」であり、約一千七百則と言われています。その出所は「景徳伝灯録」や祖録と言われる「無門関」「碧巖録」「従容録」などです。一方「現成公案」とはまさに現実世界の存在と現象そのまますべてを「公案」だと捉えるものです。
仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。「正法眼蔵(現成公案)」
道元禅師のあまりにも有名な言葉ですが、後ろの方の「万法に証せらるる」とは「悟る」ということです。それには「自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」と申されています。「自己の身心」とは自分自身であり、「他己の身心」とは自分以外のすべての「存在」を指します。
すなわち「悟り」とは「自分と自分以外のすべての存在から一切の『分別』を捨て去ることだ」と明言されているのです。臨済宗の看話禅とか曹洞宗の黙照禅とか区別されていますが、そもそも禅の本質に違いはないのです。
黙照禅はただボーと坐っているのが只管打坐(しかんたざ)ではありません。「現成公案」に向き合うことでなければ意味がないのです。禅は公案を命題とすべきなのです。
さて、また能書きが長くなりましたが、本題の「隻手の音声」の公案に戻りましょう。この公案を創唱したのは日本の臨済宗中興の祖とされる白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師です。白隠は江戸中期の人で禅を独創的に発展大衆化させた方と言われています。
片手の音声を聞けというのは、それまで当然と思っていた思慮分別を根本から疑わせて、理屈や言葉を超えたものと対峙することになります。その対峙の中から、これまでの思考や想念や感覚を払い去って、忽然として大自由を感得し、すべての迷いから解放されることにあるのです。この公案は中国の禅匠たちのそれと比べても遜色はありません。
白隠は、この「隻手音声」の公案は、「無」字や「本来の面目」といった公案を突きつけるよりも、はるかに効果があると述べています。ではこの「片手だけの音」はどうすれば聞くことができるのでしょう。それを私なりの浅見識で述べてみましょう。(真剣ですよ)
公案のねらいはズバリ「迷い」の根元である「分別」を断ち切ることにあると言いましたね。故伴鉄牛老師がよく提唱で申されていました。「凡夫は皆『分別』という色眼鏡で物を見ているから分からないのだ」と。この言葉が忘れられません。
般若心経にあります、不生不滅。不垢不浄。不増不減。無眼耳鼻舌身意。の意味は一切の対立観念の無い完全無分別の世界を言っているのです。物を見るのは「眼」で、音を聞くのは「耳」で、臭いを嗅ぐのは「鼻」で、味覚は「舌」で、暑いとか寒いとかは「身」で感じるといったこの常識観念はすべて「分別妄想」なのです。
この公案のキーは、まず「片手の音」という「分別」に有ります。凡夫は「物」を見るのは「眼」で、「音」を聞くのは「耳」だと思い込んでいるのです。いいですか。この「思い込み」が「妄想」なのです。
「手」と「音」を区別しているからです。「手」と「音」の区別は一体何処にありますか?説明はそれで十分です。本来公案を「説明」するなんてナンセンスなのです。公案は体現するものなのですから。
では今一度自分で両手を打ってみてください。次にこんどは片手だけを打ってみてください。どうですか。聞こえましたか?両手と片手を差別しなければ「音」ははっきり聞こえるはずです。 

■「無字」の公案
お陰様で、この3月で当山のホームページもまる2年を迎えることになりました。今後ともよろしくお願い致します。
その2周年を記念して(大げさですね)今回は「無字」の公案をとり上げました。私事ですが、十代のころ品川東照寺の故伴鉄牛老師に御指導を受けましたが、その中でも最も印象に残っている思い出深い公案です。
趙州和尚、因みに僧問う、「狗子(くし)に環(かえ)って仏性有りや也(ま)た無しや。」州云く、「無。」
この「無字」の公案こそ公案を代表したものと言えるでしょう。趙州和尚とは中国禅界での大物中の大物です。南泉禅師の弟子で120歳まで生きたという傑僧古仏です。
その趙州に、ある時、一僧が、「狗子(犬)に仏性が有るのか無いのか」と問います。趙州はにべもなく、「無」と答えました。「一切衆生悉有仏性」(一切のものには仏の性質がある)が常識であるとされている中での質問です。
その分かり切ったところをあえてその僧は問いたのです。多分「有」という答を期待したのかもしれません。ところが趙州和尚は意外にも、只「無」と言い放ったのです。犬にも仏性が有る筈なのに何故趙州は「無」と答えたのでしょうか。
その「無」とは何なのか、何を意味しているのか、というのがこの公案のねらいです。この公案は「無門関」の第一則「趙州狗子」です。祖録「無門関」は中国杭州の無門慧開禅師によって編纂された「公案集」です。その無門自身趙州無字の公案によって大悟し印可を得たといわれています。
禅宗、特に看話禅では修行者の第一関門としてまず課せられるのがこの公案です。無門慧開禅師がこの公案を無門関四十八則の初めに置かれた意味は、公案は全てこの無字に始まって無字に終わるといった意味合いを含めたものだからでしょう。以下はその無門禅師の言葉です。
「禅の実践的探究には、まず禅の祖師方によって設けられた関門を透過せねばならない。絶妙の悟りに至るには普通の心意識情といわれるものを完全に滅してしまわなければならない。もしそのような関門を透った体験もなく、普通の意識を滅した経験もなしに、禅を「ああだこうだ」と評判するとすれば、その人たちはいわば藪や草むらに住み着く幽霊のようなものである。
さて言ってみるがよい。この関門とはいったいどんなものであろうか。ほかでもない本則でいわれた趙州の「無」の一字、これが禅宗の第一の関門であり、これを「禅宗無門関」と称するのである。
もし人あってこの関門を透ることができれば、その人は親しく趙州におめにかかることができるばかりでなく、達磨をはじめとする歴代の祖師たちと、手と手をとって歩き、たがいの眉毛が結びあわさって祖師たちの見たその眼ですべてを見ることができるし、同じ耳ですべてを聞くことができる。
それこそまことにすばらしく快いことではないか。さあみなのもの、この関門を透過しようではないか。それには、三百六十の骨節、八万四千の毛孔といわれる全身全霊をあげて、疑問のかたまりとなり、この「無とは何であろう」ということに集中してみるがよい。日夜この問題をとって工夫してみるがよい。
しかしながらこの「無」をたんに老荘の説く「虚無」と理解してはいけないし、また「有る」とか「無い」とかの「無」と解してもいけない。一度このようにしてこの「無」を問題にしはじめると、ちょうど熱い鉄丸を呑み込んでしまって吐くこともできず、呑み込むこともできないようなもので、このようにして今まで学んできた役に立たない才覚や、まちがった悟り等、それらをすっかり洗い落としてしまうがよい。
そのように長く持続して時機が熟すると、自然に「外と内」(意識と対象)との隔たりがとれ、完全に合一の状態に入る。その体験は、ちょうど唖が夢見たことを人に語れぬごとくに、自分自身にははっきりしているが、他人にはどのようにも語れない。
突如そのような別体験が働きだしてくると、それこそ驚天動地の働きで、ちょうど蜀の劉備の臣で天下に豪勇を轟かした関羽からその得意の大刀を奪いとっておのれの武器としたごとくに、「無」の一字の別体験こそは、釈迦に逢うては釈迦を殺し、達磨に逢うては達磨を斬って捨てるのであり、そのとき、君たちは生死無常の現世に在りながら、無生死の大自在を手に入れ、六道や四生の世界に在りながら、すでに平和と真実の世界に遊んでいる。
それでは、どのようにこの「無」の一字に全霊を集中させたものであろうか。それこそ君たちの平生の精神力をつくしてこの「無」に集中せねばならない。そうして間断なく休止することがなければ、君たちの心中に仏法の灯り(悟りの光)がパッと一時につくといった境地になることであろう。」
このように無門禅師は提唱されています。この「無」の「門」を打開してこそ涅槃妙心の世界が開けるのです。そしてこの第一関門を透ればあとの公案はみなその応用問題といってもよいでしょう。それはこの公案をいい加減に理解しても後々の公案は全く透らないということにもなるのです。ですから、懇切な指導者程その吟味検証に厳しい判断をされるのです。
さて、本題に戻りましょう。犬にも仏性があることはわかっているのです。それなのに趙州が「無」と言ったのは何故でしょう。
頌(じゅ)に曰(いわく)狗子仏性(くしぶっしょう) 全提正令(ぜんていしょうれい)纔渉有無(わずかにうむにわたれば) 喪身失命(そうしんしつみょうせん)
〔犬! 仏性!仏祖の全ての命題がズバット提出されたのだ。少しでも有無相対の 考えに堕すればただちに息絶えるだろう。〕

この「無」とは、有るとか無いとかの「無」ではないのです。虚無の「無」でもありません。強いて言えば絶対の無です。それは如何せん言葉では説明が出来ないのです。
ある料理の味を知らない他人にいくら説明してもその味を理解させることは不可能です。それは本人が食べてみないことにはほんとうには分からないからです。それと同じで「無」の「味」も体験してこそ分かるのです。
趙州はこの無の一字によって、仏性の絶対性、普遍性を明瞭に吐露されたのです。史上あまたの祖師方をはじめ、無門自身も、白隠も皆この無字によって大死一番大活現成されたのです。まさにこの無字が一大経蔵であり、大宇宙であるのです。
どうですか、「無」とは何か追求してみては。あなたが宇宙、宇宙があなた、あなたが仏、仏があなたになれる最も合理的な方法ですよ。
まず「無」の字に囚われてはだめです。「む」でもいいし、「ム」でいいし、「Mu」でもいいのです。更に言えば、「む」でもないし「ム」でもないし「Mu」でもないのです。只全身全霊の「無―!」です。そこには「無」以外何も無い世界が出現するのです。 

■五観の偈
(八月は多くの寺院で施食法要が修行されます。今回は"セガキ"の法話から「五観の偈」をとりあげてみました。)
みなさんこんにちは。それにしても毎日猛暑で大変ですね。特に今年は異常な暑さで、私等坊さんは、お盆中はホント、「ほとけ極楽坊主地獄」でしたよ。でもなんとかサバイバルできてホットしています。
今日も猛暑の中このように大勢のみなさんのお参りを戴き実に有り難い限りでございます。ところで、毎年この日、このように暑い中菩提寺におセガキ参りして、飽きませんか?もちろん飽きないですよね。
なぜ飽きないのでしょうか。それは宗教行事だからです。毎朝お仏壇にお線香を上げるのが飽きないのと同じです。 そして年齢を重ねるごとに仏様が身近に感じられていくものです。お盆の棚経中、80歳を超えられたあるお爺さんが言っておられました。「この歳になるとお医者さんより仏さまですよ」と。実に含蓄のある一言だと思いませんか。
ところで、日本人女性の寿命が85.99歳で、なんと23年間世界第一位を独占しているとのことですが、たいしたものです。こんな川柳がありました。「あの世にて待てど暮らせど来ぬ女房」 女性のみなさん。どうせいつかは往くところです。女房のありがたさを知らしめるためにもできるだけゆっくり往ってください。
とは言え、日本の男性も平均寿命は79.19歳で世界第3位とのことですから、たいしたものですよ。ただ最近100歳を超える高齢者が相当数行方知れずになっているようですね。なんと坂本龍馬と同級生がまだ生きていたそうですよ。もちろん戸籍上だけですけど。百歳に近い方、どうか迷子にならないよう気を付けましょう。
さて、長生きは大変ありがたいことですが、病気では困ります。こんな川柳もありました「病院の待合室は同窓会」どうですか、病院でいつもお会いする人いませんか。
こんなコントがありました。病院の待合い室での会話です。「このごろ○○さん見えませんがどうしたんでしょうかね」とある人が聞いたそうです。するとある人が言いました。「なんでも病気になったらしいよ」と。このコントの意味が??の人は隠れ脳梗塞に要注意。
さて、前置きが長くなりましたが、本日はお手元にお配りしてあります、「五観の偈」について話させて戴きたいとおもいます。これは坊さん方が修行のなかで食事を戴く時にお唱えするお経の一部です。
本山にお参りした方であれば、食事の時に必ずお唱えしますから覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。
食事に対する心得のお経ですが、この「五観の偈」にこそ健康と幸せの秘訣が説かれていると私は思うのです。では見ていってみましょう。
「一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。」これから食べるこの食事はいかに多くの人のお陰でここにあるかを考えて、感謝をして頂きましょう。自分のお金で買ったんだから当然だとか、当たり前だとかいう考えは間違いです。いくらお金があっても人はお金を食べて生きてはいけません。お金と食べ物はまったく関係ないことです。
「二つには己が徳行の、全欠をはかって供に応ず。」この食事をいただくにあたり、人々や社会のための行いや功徳が自分にあるかどうかを考えていただきましょう。
達磨さんより9代目の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という95歳まで生きられた禅師様のエピソードです。ご高齢にも拘わらず毎日若い修行僧と同じように修行と作務をされていました。その健康を心配されたお弟子さん方が、なんとか禅師に楽をしていただこうと考え、禅師が仕事をしないようにとの配慮から道具の一切を隠してしまったのです。
すると、その日の夕食時禅師はまったく食事に手を付けようとしませんでした。あるお弟子さんが「何故食べられないのですか」と尋ねると、答えられました。「一日なさざるは、一日食らわず」・・・一日の務めをしないことは一日の食事の資格はないということです。この戒めは禅宗では金言となって今に伝わっています。悪い言葉でいえば、タダ飯を食べるなということです。
「三つには心を防ぎ過を離るることは、貧等を宗とす。」正しい心を護りましょう。それには過ちを犯さない、貪(むさぼり)やねたみなどの気持ちを持たないことを心に念じましょう。
人が犯す犯罪のほとんどは「貪り」と「ねたみ」の心から起こるのです。特に「むさぼり」の心こそ大敵です。本日のこのおセガキの意味も、一人一人の己の心の中に潜む餓鬼の心を鎮めることが本来の目的なのです。
「四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。」食事は単に空腹を満たすためではなく、私たちの身と心の弱まりを治す良薬であり、正しい目的をもっていただきましょう。
この部分こそ正に現世利益を説いた内容だと思います。食事は体を護るいわば薬であるということです。この認識が極めて大事です。薬は適量でなければいけません。みなさんよく利く薬だからといって余計に沢山呑んだりしますか。利く薬ほど量を間違えると危険です。食事はそれとまったく同じで適量でなければならないという認識が大事なのです。
食欲という本能は理性で制御しなければいくらでも食べられます。美味しく楽しく食べることがあたりまえの文化になってしまいました。毎日のテレビをみても何と料理番組の多いこと。その中でも問題は大食い競争です。まさに食べ物に対する冒涜ですよ。食べ物を粗末にすると罰が当たり健康を害しますよ。
そんな現代人が被っているのが食べ過ぎや、偏食からなる病気です。特に三大病といわれるガン、心筋梗塞、脳梗塞などの原因の多くは塩分、脂肪、糖分という"余分三兄弟"の摂りすぎからです。
今栄養失調で亡くなる人などほとんどいません。好きなものを好きなだけ食べられる豊かな時代になりましたが、そんな食生活が招いているのが生活習慣病です。その最たるものが糖尿病です。患者とその疑いのある人は平成19年度の調査ではなんと全国に2,210万人いると推定されています。生活習慣病の蔓延している社会が果たして「豊か」で「幸福」な社会と言えるでしょうか。
一方食べる糧が多いということは出る残飯も多いということです。日本で一日に53、000トンの生ゴミが出るそうです。1200万人分の食事に当たる糧だそうです。東京都民の食事に匹敵する食糧が日本では毎日残飯となって捨てられているのですから、実にもったいない話です。
今世界の人口は68億人といわれています。その中でおよそ10億人が飢えに苦しんでいるといわれています。七人に1人の割合です。その中で毎日およそ3万人の人が飢餓で死んでいるといわれています。一年間でなんと1000万人以上になります。日本人は食生活について今こそ反省が必要だと言えるでしょう。
「食事は薬」だと言いました。今日私が色々話したことはどうせすぐ忘れてしまうでしょうけど、せめてこの一言は忘れないで持ち帰ってください。この一言だけでも今日ここに来た価値はありますよ。
腹八分医者要らずと言う言葉もありますね。私は個人的には腹六分が良いと思っています。人間は動物です。動物はほんらい獲物を捕って生きています。だからいつも少し空腹感があったほうがモティべーションが上がるのです。全くの持論ですけどね。
あと、余談ですが、健康のために一番良い、取って置きの食物をご紹介しましょう。 何だと思いますか。それは納豆ですよ。脳梗塞、心筋梗塞の原因は血栓ですね。その血栓を溶かすのが納豆キナーゼという酵素なのです。血栓の予防となる食物は幾つもありますが、すでに出来てしまった血栓を溶かすことができるのは今のところ食べ物では世界で納豆キナーゼという酵素しかないそうです。
老人性認知症の60パーセントは血栓が原因だそうです。あとビタミンk2が豊富で特に骨粗鬆性の予防になるとか。ビタミンEも多量にあって抗酸化作用があるとか。とにかくこんな素晴らしい安くて優れた食材は他にはありません。 3パックたった100円程ですよ。一日ワンパックで十分です。
ところで今日ここに納豆屋さんいませんか?いないようですね。もしいたら後で3パックでも届くかもしれませんね。
今年の新盆に52歳で亡くなったお父さんがいました。あんなに元気闊達だった人がまさかという思いでした。油断大敵です。申すまでもなく、人の幸福は何が何でも先ず健康です。どんなに財産やお金があっても健康でなければ意味がありません。どんなに地位や名誉があっても健康でなければ幸せとはいえません。
健康には運動も大事ですが、まず基本は食生活です。食べ物が体を作るからです。かけがえの無い体と命は健康でなければまっとうできません。健康こそ親孝行であり、子供孝行、家族孝行、しいては社会孝行なのです。それには自己責任が大部分なのですから強いて努めるべきです。
「五つには成道の為の故に、今この食を受く。」この食事は仏道修行のためにいただきます。「いただく」のは「他の命」ですから余分には頂けません。そして「修行」のために頂くのです。その精進と感謝のこころを忘れてはなりません。
今日の一番大事なところを最後にもう一度言います。「食事は薬だと思っていただくこと。健康には納豆をたべること。」これで来年の新盆の数は幾らか減るかもしれません。  

■心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます
3月11日、東日本に大震災が起こりました。東北太平洋沖に発生した巨大地震によって引き起こされた巨大津波の直撃を受け海岸地帯はまさに壊滅状態です。その惨状に言葉がありません。予想だに出来なかったまさに未曾有の大震災です。
発生から数週間が過ぎましたが死者行方不明者の数は日を追って増え続け三万人に達するかもしれない状況です。その犠牲となった方々のご冥福を心からお祈り申し上げますと共に被災され二十幾万人の方々に心からお見舞いを申し上げます。
「自分は助かったけど、家族が居なくなって、生きていてよかったのかどうかわからない」と言っていた方が何人もいました。実につらい現実です。家族や家や財産を失ってしまった人たちの絶望感極まる心痛如何ばかりか、ほんとうに言葉がありません。
「天災は忘れた頃にやって来る」とはいいますが、地震国に暮らす我々日本人は日頃決して忘れているわけではありません。特に今回の東北太平洋側の人々は普段から地震と津波に対する防災意識は相当高かったようです。にも関わらず想定し得なかった巨大津波に為す術がなかったのです。
連日の報道から日毎その惨状が明らかになっていますが、何よりも急を要するのは被災され苦しんでいる人たちの救済です。何よりも辛いのは飢えと寒さです。一刻も早く少しでも楽になるよう日本中が支えるしかありません。
実際日本全国から支援のうねりは日毎大きくなっています。義援金活動も活発で過去に比を見ないほどの勢いです。海外からも多くの救援隊が駆けつけてくれていますし、多くの支援物質や相当額の義援金も届いているようです。実に有難いことです。
支援活動はどんどん増え続くでしょうが、これで十分だと言えることは決して有りません。無事な人たちがその辛さを今こそ共有すべき時なのです。当分は物質的支援が中心になりますが、その後は精神的支援が大きな問題になるでしょう。特に心的外傷によるストレス障害(PTSD)の問題です。
家族を失い家も財産もすべて失った人の絶望感たるや私にはとても想像できません。これから時間が経つにつれて目に見える環境はどんどん回復に向かうでしょうが、目に見えない心の傷は地獄の記憶をフラッシバックさせるのです。
そんなショックと悲しみの中、さらに原発の問題が被災者を襲っています。地震国だけにあらゆる想定の元に造りあげた盤石の原発だった筈です。それが破損し制御不能という、まさかの想定外が起こってしまったのです。連日その情報が伝えられてはいますが実際のところ私にはよくわかりません。ただ分かるのは、終息に向かっているとはとても言えない現実です。
すでに放射能汚染が農産物や畜産物に現れています。風評被害も拡散しています。海外からの観光客は激減、国内でも各地の観光やイベントも自粛され、さらに計画停電によるダメージで日本はさらなる疲弊に追い込まれています。先行きの見えない日本、一体どうなってしまうのでしょうか。
しかし、思い起こしてください。戦後のあの焼け野原から立ち上がった日本です。65年目に迎えた今回の国難ですが、日本国民が心を一つにして、この500年に一度とも1000年に一度とも言われる試練に立ち向かっていくしかありません。
「和をもって貴しと為す」の「和」の国日本です。和の心とは「おもいやり」から始まります。「うばいあったら足りなくなる。分け合ったら余る」という思い遣りの心がすさまじい勢いで日本中から寄せられています。支援中のアメリカ軍兵士が、被災者の礼儀正しさに感銘したとの報道がありましたが、「礼儀」こそ「おもいやり」の表れなのです。
「自分に何ができるのか考えたらここに来るしかないと思った」というボランティアの若者がいました。そんな多くの若者が被災地に赴き親身になって支援活動に邁進しています。そんな"菩薩"が多くいるかぎり日本は"無縁社会"ではありません。必ず復興します。
しかし、それにしても天災は実に不条理です。地球よりも重いという人命を何万と奪い去ってしまうのですから。何の罪もない人から命だけではなく家も財産も一瞬のうちに奪い去ってしまうのですから。亜鼻地獄に落とされた悲しみと絶望感を一体どこにぶつければよいのでしょう。天災は仕方ないと言ってしまうにはあまりにも理不尽です。
しかし、やはり、今となっては仕方のないことかもしれません。「仕方ない」とは何もしないことではなく、過去を受け入れ心を共有するということです。心を共有するということは自分にできることは何かを考え実行するということです。
そしてあとは祈るだけです。犠牲者の冥福を祈り、生き残った命を大事に、回復を祈り、健康を祈り、無事息災を祈るのです。そして日本の未来を祈るのです。 

■「生苦(しょうく)」を考える  
シェイクスピアの四大悲劇の一つである『リア王』に、「人間は泣いて生まれる」という象徴的な表現があると聞いたことがあります。
正確には、生まれて泣くのですが、生まれて泣かない時は大変です。それで生まれてくる赤ちゃんや母親に何らかのトラブルやリスクが予想される時、私たち小児科医が出産に立ち会うことがよくあります。産声が無いと急いで吸引したり刺激を繰り返したりします。産声を上げたら一安心です。母体内で胎盤を介して母親の血液から酸素を供給していた胎児循環が、自らの呼吸で酸素を供給する自立した血液循環に切り替わり機能しだした奇跡の瞬間です。
一般的には、生まれることはめでたいことです。しかし四苦八苦(生苦・老苦・病苦・死苦で、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)と言う、釈尊の教えには生苦があります。生苦とは生きる苦しみではなく、生まれる苦しみですが、なぜ生まれることは苦しみなのでしょうか。
苦の本来の意味は、思い通りにならないということのようですが、老苦・病苦・死苦はよくわかります。今までは何事もなく生きてきたけれど、老いが次第に現実となり、病になり健康がそこなわれ、死を垣間見たとき、それは思い通りにならない苦として迫ってきます。この苦を取り除くため、老病死をなんとか解決しなければならないと私たちは考えるわけです。老いをのばして長生きをはかり、病院で何とか病気を治してもらい、死にうち勝ちたいと努力します。
では生苦とは何でしょうか。長いこと生苦がはっきりせず、ああでもないこうでもないと考えてきました。
生まれる時、お母さんの狭い産道を通ってくるから苦しい。それが生苦でしょうか。あるいはとても居心地のよい子宮から、冷たい世間に無理に押し出されるから苦しい。それが生苦でしょうか。私たちは、どの時代に、どこの国に、どの人種に、どの両親から、男なのか女なのか、こういう選べない業を背負って生まれてきます。この世に何も条件なしにまっさらで生まれてくるわけではないのです。これが生苦でしょうか。
しかし私は現在、この世に「エゴ」という業を背負って生まれること、つまり「エゴの私」の誕生が生苦の意味だと理解しています。それが普遍的に万人の誕生を言い当てているように思えるからです。
エゴをもって生まれるということは、本来の一如の世界を見失ってしまうということです。生まれてくる赤ちゃんの泣声は、自分のふるさとを見失った叫びのようにも聞こえます。分別で苦悩するエゴの人生の始まりです。これが私たちの苦しみの源なのです。このことを釈尊は「一切皆苦」と言われたのでしょう。
何故、エゴはこの一如の世界を見失うのでしょうか。
エゴは分別し対象化してしか物を見ません。一如の世界は対象化できない無分別の世界です。その一如の世界を自分の都合で切り刻むのがエゴのはたらきです。ですからエゴが分別し対象化した瞬間に一如の世界は視野から消えてしまいます。一如の世界を見失うのがエゴの本質です。
私を誕生せしめた根源的な一如の世界を見失い孤児になるだけでなく、一如の世界に背を向ける反逆児(誹謗正法)として誕生するということです。
仏教の眼目はこの四苦八苦を超えていくことです。どんなに努力しても老いて病み、一〇〇% 死にます。老病死をこえる試みは、世間道では最終的にはこえられず敗北です。この世間道の問題点は、「私」をぬいて問題を考えていることにあります。これは仏教の視点ではありません。生苦・老苦・病苦・死苦は、「私」の生苦・老苦・病苦・死苦です。その「私」が問題なのです。生・老・病・死は事実そのものです。つまりその事実を受け取れない「エゴの私」が問題なのです。仏道とは、この「エゴの私」を超える道に他ならないでしょう。
エゴのつくりだした妄念妄想の世界を現実だと主張し、本来私を生かしめている一如のいのち(無量寿)を自分の命だと私物化します。しかし、エゴが私物化した小さな命では、私たちは生ききれません、死にきれません。エゴが握り締めた命は腐る以外にありません。だから苦しく不安なのです。本来のありようから外れている私たちは、自然の道理として元の一如に帰れ(南無阿弥陀仏)と呼びかけられている存在です。 
 

 

■「生苦」生きる苦しみ
生苦(しょうく)という「生きる苦しみ」についてでも触れていきます。四苦八苦のうちの四苦「生老病死」の最初の苦しみがこの生苦です。生苦とは、生きる苦しみのことを意味しますが、基本的には「生存本能にただやらされているだけ」というのが「生苦」・「生きる苦しみ」です。
これから「四苦八苦シリーズ」としてあらゆる苦しみについて、四苦八苦の全てに中心にして一度ずつは触れておきつつ、全てが揃ったらまとめようと思います。ということで第一弾は生きる苦しみ「生苦」です。
一切行苦(一切皆苦)の時に少しだけ触れましたが、内容的に少しだったので、まずはこの生苦からもう少し詳しく哲学的に考えていきます。
「生きることは苦しみである」というフレーズ自体は、四苦八苦のすべてを通じて理解することができるような抽象的な概念になります。生苦も「生きることは苦しみである」というものにはなりますが「生は苦である」とか「生きているからこそ苦しみが生ずる」というもののうち、特に生命活動としての生きる苦しみを中心として取り扱っていきます。
生苦の「苦」
「苦」の持つ意味については一切行苦でさんざん書いたので、概要だけの再掲にしておきますが、ここで言う「苦」は日常の苦しみとは少しニュアンスが異なり、不完全、不満足、「思い通りにならない」という感じのことを指します。苦痛を含め、もちろん苦しく感じることは全て「苦」の範疇ですが、基本は「やっているようでやらされている。そして、それは思い通りにならない」といった「心で受け取る苦しみ」のことを意味します。
ということで生苦とは「生きるためにやらされている事による苦しみ」という感じです。もちろん生まれてきたことそのものが苦しみだというような側面もあります。
生きること自体の目的が何なのかはわからない上に、仮に目的があろうがなぜそんなものに強制的に付き合わさせられているのか、というような面も見逃すことはできません。
ただ、生まれたからには「生きる」という方向性から逸れるものに対しては苦痛が与えられるようになっています。単純には生存本能です。
「環境が体にとって都合が悪い」ということであれば、身体的な苦痛を与えてきます。暑ければ暑い、寒ければ寒いといった感じです。
生きるためにやらされ続ける毎日
食べる必要がなければ食べ物を探す必要もありません。そんな中「生きるために食べろ」ということで、ずっと食べずにいれば体は空腹の苦痛を与えてきます。
息をしなければすぐに苦しさを与えてきます。呼吸すらずっと止めることを許されないという感じです。
喉が渇かなければ水分を取る必要はありません。水分を取るために行動を取る必要もありません。
「なぜ生きるのか?」
ということがはっきり示されないまま、生命維持に必要なことをやらないと即座に苦痛を与えてきます。
一方、体的に都合の良いことであれば報酬を与えてきます。
栄養価が高いというような感じで美味しいものを食べれば、気分まで嬉しい気分になるというような形でです。
その割にうまいものばかり食べていると、急に腹が壊れることがあります。
普段は苦痛を与える割に、体にいいもの判定、悪いもの判定、何かが足りない判定、摂りすぎ判定を正確に下すことはあまりしてくれません。「気分的に嬉しい」を指針として、栄養を摂ったのに、腹の激痛で仕返しをしてくるという感じです。
自分の都合など聞いてはくれません。あくまで体は言語を使わず苦痛などを利用して命令ばかりしてきます。
今日本においては飽食の時代ですが、物資が少なかった頃など自分ではどうしようもないような時であっても空腹の苦痛を与え、低品質のものしか手に入らない状況であって、それを仕方なく食べたりすれば、時に腹痛を起こしたりもしてくるという感じです。
「生きることは素晴らしい」
という感想を持つのはいいですが、生きるために常に何かを求められ、やらされているという構造は、常に同時に満足のすぐ後に不満足の状態になるという構造をも持っているということになります。
いつまで経っても満たされることはなく、生きている限り不満足や欲はつきまとい、同時に苦痛や怒りなどがどこまでも追いかけてくるということにもなります。
この体は、「心地よさ」と「苦痛」というコントラストをもって、何かの行動を促し、何かの行動を制限してきます。
ただ静かにいることすら許されず、体の都合、生命維持の都合のために毎日毎日奴隷のように何かをやらされ続けてしまうという感じになります。
毎度は思い通りにはならない日々の行動
その上、体からの苦痛を避けるために、または体が提案してきた心地よさのためにせっせと行動を起こしても、そこには不確定要素があります。毎度毎度思い通りになるわけではない、というような側面すら持っています。
喉が渇いて水を飲み行くという行動一つとっても、転んで怪我をして痛みが生じるとか、コップを落としてガラスの破片が飛び散って怪我をして痛みを感じた上に掃除までしなければまた怪我をする危険性があるとかそうした可能性が少なからずあるという感じです。
さらによくよく考えてみると、毎日思い通りになったところで、単なる流れ作業、単純作業になります。
「それをこなしたところで一体何になるのか?」
という感じがしてしまいます。
家族を含め社会に求められることをこなしたところで、生活を守ったところで、「で?」という感じがしてこないでしょうか。
「思い描いた社会的成功」が実現したところで、「で?何ですか?」という感じになってしまいます。
社会的な評価をもらったり、自分で好きなことを実現したという満足のようなものは「報酬」として心地よく感じるかもしれませんが、「それがどうしたんだ?」と深く考えれば、「これは何だったんだろう?」と思ってしまうはずです。
もちろん合間合間では想定外のことが起こったりもします。嫌な感情が起こることもあるでしょう。途中様々なところで「思い通りにはならない」という苦痛が起こるということになります。
その上で何かを達成したところで、「で?」という感想を持ったりはしないでしょうか。
人との比較の上での価値のようなものではなく、自分自身のこととして「それで?」という感じがしてこないでしょうか?
まず、「なぜそれを達成したいと思ったのか?」というところからが不明です。
といっても、もちろんその間で見えた様々な景色は映画を観るようで楽しかったかもしれません。
しかしながら、それが「満足」を求めてやったことなのであれば、確実に「不満足」を発端として「やらされたこと」になります。
一切行苦からみる生苦
一切行苦は「一切の形成されたものは苦しみである」という感じですが、その形成されたものには動機や感情すらも含まれており、客観的な物理現象である物に限定されるようなものではなく、虚像たる「我」の内側も含める必要があります。
例えば「宇宙」と言うと銀河系とかそうした宇宙を想起してしまいますが、今のこの目の前も宇宙であることには変わりありません。それと同じように「形成されたもの」は自分が認識する外界の現象だけではないという感じで捉えておきましょう。
そこで、ここでは、根本的に「なぜ形成されてしまうのか?」というところについてもう少し深く考えてみましょう。
形成されたものは、もちろん形成されたからそこに状態として成り立っているという感じになります。それが実体や実在として「ある」ということではありませんが、そのように心が受け取るというような感じで情報の状態としては今そうあるという感じになります。
そして、自我の視点においてその形成には、何かに触れることやそれが何かを統合して把握すること、記憶を引っ張ってきて判断することといった素因が必要になります。
そういうわけで、素因が無くなれば、形成されません。しかし、いくらまぶたを閉じたところで瞼の裏側を見ることになってしまいます。
「この目さえ光を知らなければ見なくていいものがあったよ」
という感じですが、このあたりは五蘊盛苦(五盛陰苦/五取蘊苦)でまた詳しく触れることにしてここでは割愛します。
生む苦しみを捉える
「生苦」は、「生きる苦しみ」であり、生きているからこそ起こる苦しみを意味しますが、稀に字面だけ読んで生苦を「生む苦しみ」だと考えてしまう人もいます。
「生きることが苦しいことであるはずがなく、おそらく生苦とは子ども生む時の苦しみのことだろう」
といった具合です。アイツこと自我にとって都合の悪いことは、こうしたように見るべきものを見えなくし、見たいようにしか見ないように働いたりするという感じです。
「生まれてきたことが苦しみである」という表現
また輪廻的な話から「生まれてきたことが苦しみである」ということを言いたがる人もいます。
「生まれてくると生きるために何かとやらされたりする苦しみがあるのに生まれてきてしまった」
という感じです。
これら全てを生苦は含んでいますが、生苦はそうした具体的な事柄だけではありません。
「生む苦しみ」「生まれてきた苦しみ」を含む「生苦」
そういうわけで、これらを仏教的にそして哲学的に「一切行苦」として統合して考えてみましょう。
一切行苦や生苦から考えると、「生む苦しみ」「生まれてきた苦しみ」というものすら、「形成されたもの」を「形成する働き」による「苦しみ」だということになります。
因縁により生命としての活動が始まったこと、それがきっかけとなって、「一切のものが生み出されてしまう」ということが始まりました。そしてそれら形成されたものは執著を生み、苦しみを与えてきます。
だから生苦を「生む苦しみ」だと捉えるのであれば、「子どもを生む苦しみ」といった具体的な何かではなく、「生きているからこそ、様々な不足や不満を生んでしまう」という感じで苦しみを捉えてみましょう。
そして、「生まれてきた苦しみ」と捉えるのであれば、生まれてきたからこそ「認識する働き」としての心が生じ、生命としての衝動からは逃れられないという構造の中に入り込んでしまった、という感じで捉えてみましょう。
生苦の基本は「生きていなければ起こりえない渇望」を常に与えられてしまうというところにあります。それが体的なものであれ、精神から起こったものであれ全てです。
「生きているから喉が渇く」ということに生苦の根幹があります。喉が渇くから苦しく、喉が渇くからそれを解消するために動かなければならない、という構造から逃れられないというのが生苦です。
そしてその現象は「生きているからこそ起こった」ということになりますし、「生まれてきたからこそ起こった」ということでもあります。そして、「生きているからこそそれを生み出す」ということですらあるという感じで生苦を捉えておきましょう。
生きるエネルギーと生存本能
さて、生きるエネルギーとは、端的に欲や怒りなどであり、またトートロジー的になりますが「生存本能」です。そして生きるエネルギーがあるからこそ欲があり怒りがあるという感じにもなります。心底「以降の変化のない満足」をすれば、欲や怒りは無くなります。しかしながらどうあがいても全ては変化を避けることはできません。
「生きたい」という生きるエネルギーは、一般的には良いものとして扱われたりもしていますが、それがあるからこそ生苦が生まれ、欲や怒りといった煩悩に苛まれることにもなるという感じになります。
「死にたい」は生きるエネルギーの逆噴射
かといって「生きたい」ということの逆である「死にたい」であれば済むのかと言われればそれでは済みません。そうした二元論で短絡的に答えが出せるような感じではありません。
あくまで「死にたい」などと言っていても、それは怒りを発端としており(なお、悲しみも一種の怒りです)、「現状が嫌だ」という一種の生きるエネルギーが逆噴射しただけような現象だからです。
「絶望した」ということを理由にしようが、それはあくまで分離を前提とし、外側に「期待」を寄せていて、それが叶わないと思考が判断し、不快な感情が起こっていることに起因しており、生きたいというエネルギーが「無くなった」のではなく、生きたいというエネルギーが逆向きに作用しているという感じになります。
なぜなら、それが死にたいということであっても、すべての行動にはエネルギーが必要であり、エネルギーが無くなったのなら行動すら取らないはずだからです。欲か怒り(根本は同じです)がないと動機すら生まれません。そして欲や怒りは生存本能がその正体です。
仮に今すぐ全てが期待通りに行ったとすれば、そんな感情もなくなり、そんな思考も沈下するというのが何よりもの証拠という感じです。
生存本能と同化した視点
ただしそうした生存本能と同化した視点で観るか、対岸からその様子を観察するかによって、内側で囚われるかどうかが変わってきます。
よくよく観察してみると、この体、この体が与える生存本能からの衝動・不足感は、他の誰でもない自分の体からのものではありますが、一方でこの体は自分が作り出したものでもありません。
いわば体も生存本能も、他人事といえば他人事なのです。
もちろん直接的に体から心地よさや不快な感覚を与えられたりはしますが、そうしたものを与えてくるのはある意味自分ではないのです。
生きている事自体が苦しみの原因とはなりますが、苦しみが苦しみであることになるためには、因が縁の上で形成される必要があります。となれば、どこかしらで成り立たなくなれば、それは形成が完了せず、結果も現れなくなります。
「ただやらされているだけ」の生きる苦しみ
しかし、のどが渇いたり空腹が訪れるということは体的には避けられないという感じになり、そこには苦しみがあります。水分を取ることで喉の渇きが潤ったというような感じで、それを叶えたところで束の間の満足、そして、時にそれが思った通りには叶わないということも起こります。そして生きている限りそれから逃れることはできません。
そこには基本的に不満足しか無く、諸行無常ゆえに満足してもまた不満足になるという構造しかありません。
見渡す限り「ただやらされているだけ」という感じです。
生存本能が命令するまま、苦痛を基本として何かの行動を促してきながら、その行動を取ったところで束の間の満足しか与えず、またすぐに不足を提示してくるという構造です。
それが生苦、生きる苦しみということになりましょう。

体の側面から考えるとわかりやすいですが、そのレベルを超えて生存欲求が様々な形に変化し、不満足を与えてきて振り回されたりもします。
それが叶ったところで、「で?」となるにもかかわらずです。
まだまだ派生して考えられるような分野になりますが、四苦八苦の他の苦の方がより深く考えられるような感じなので、生苦についてはひとまずこれくらいにしておきましょう。

■生老病死とは
生老病死とは|仏教の四苦八苦の四苦
生老病死とは実は仏教由来の言葉です。
生老病死は、ただ「生きる、老いる、病む、死ぬ」ではなく、
生苦:生きる苦しみ
老苦:老いる苦しみ
病苦:病む苦しみ
死苦:死ぬ苦しみ
4つの人生で避けることができない根源的な苦しみのことを意味する言葉です。
四苦八苦という四字熟語を聞いたことがあると思いますが、実はこの四苦に当たるのが「生老病死」です。
生老病死の読み方は「しょうろうびょうし」
生老病死では、生を「しょう」と読みます。
ここからは、生老病死という人生の苦しみを乗り越えるためにはどうすればよいのか、その答えを悟ったお釈迦様の言葉や、生老病死の意味についてさらに詳しく見ていきます。
生老病死の意味(お釈迦様の見解)
生老病死の意味は、先ほど見た通り、生苦(しょうく)、老苦(ろうく)、病苦(びょうく)、死苦(しく)の4つの苦しみのことです。
生老病死の苦しみを含み、仏教の苦しみと言うのは「思い通りにならないこと」「自由でない境地にいること」を意味します。
老いることや、病気にかかる苦しみ、また人はだれでも死ぬという究極的な苦しみは、どれだけ頑張っても今の科学では乗り越えられない、「思い通りにならない」ことの代表ともいえます。
老化防止、病気の予防などなどどれだけ徹底しても、老病死を避けることはできません。そして、自分が醜くなること、病気で苦しむこと、死が迫ることに対する苦しみにどんな人も少なからず苦しむのではないでしょうか。
では「生きる苦しみ」とはどういう意味なのかについて詳しく見ていきます。
生老病死の生|生きる苦しみとは
仏教では、一切皆苦(いっさいかいく)とも言いますが、この世のすべては苦しみなのだという考えからスタートします。
仏教では生きること自体苦しみだというのです。
もちろん楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこと、それらが存在しないと言っているわけではありません。
ただ、それらの楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことはいつまでも続くわけではなく、さらにそれらポジティブな感情が大きければ大きいほどネガティブな感情、つまり苦しみを生み出すと考えます。
例えば、とても気の合う友達や恋人、好きなことを想像してみてください。
その友達といると(好きなことをしていると)、いつも楽しく、最高の気持ちだと思います。もしそんな友達や恋人、好きなものが突然この世から失われるとしたらあなたはどう感じるでしょうか。
最高の気持ちは一転、最悪の感情を生むと思います。
好きな気持ち、楽しい気持ちが強ければ強いほど、苦しみが大きくなるのです。
これは一つの例ですが、大なり小なり、私たちの生活のあらゆる感情は苦しみに通じていると考えられます。
そして、老病死という人間として生きていると絶対に避けては通れない苦しみとも私たちは直面します。
このような苦しみばかりの世の中であるのなら、「生きること」それ自体がもはや苦しみなのだというのが、生の苦しみということです。
四苦八苦|生老病死を含む仏教の教える苦しみ
四苦八苦の四苦が「生老病死」となりますが、それ以外に仏教では4つの苦を入れて、全部で8つの避けられない苦を挙げます。
四苦八苦は、12の苦しみではなく、全部で8の苦しみということなのですが、残りの4つの苦しみについてもご紹介いたします。
愛別離苦(あいべつりく)
愛別離苦とは、先ほど好きな友達や恋人との別れの苦しみという例もありましたが、「愛する人と離れることの苦しみ」を意味します。
人に限らず、ペットでも、モノでもあらゆる愛着の湧いた対象との別れはつらいものです。
愛別離苦についてはこちらで詳しく解説しています。
愛別離苦とは|意味や読み方,お釈迦様が説く乗り越える方法を解説
怨憎会苦(おんぞうえく)
怨憎会苦とは「憎い人、腹が立つ人と会うことの苦しみ」を意味します。
人はよほどのことがない限り、社会の中で生きていて、他人と関わり合いながら生きていきます。
会社の上司や部下、学校の腹立たしい人という同じコミュニティで、そのような出会いたくもない人間と出会ったり、買い物先の店員、道端の人、いたるところで嫌な思いをさせるような人と出会うことがあります。
それらは避けようと思っても、突然やってきて「憎い、腹立たしい」という感情を生み私たちを苦しめます。
求不得苦(ぐふとくく)
求不得苦とは「求めたものを手に入れることができないことの苦しみ」を意味します。
努力しても手に入れられなかったモノ、栄冠、地位、財産などなど、私たちの生活で求めて努力をしても、それが手に入るとは限りません。
強く欲しいと求めたものを手に入れられなかった時、強い気持ちがあればあるほどその苦しみは大きくなります。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)
五蘊盛苦とは「私たちの心と体は苦しみ、この世の一切のものは苦しみ」ということを意味します。
五蘊(ごうん)という言葉が少し難しく感じると思いますが、これは簡単に言うと、心と体のことです。
この理解について、経典では「五蘊という心と体はすべて無常(消えていくもの)であり、無常ということは苦しみということ」と説かれています。
「私たちの心と体である五蘊が苦しみなのだ」と言われても、意味が理解しにくいと思いますので、少しかみ砕いて解説しますと、
「私たちのもの」と考えている私たちの心と体という存在は、私たちの思い通りには動きません。
老いること、病にかかること、死ぬこと、どれも私たちの体が私たちの思った通りではありません。むしろ望みとは反対に変化していきます。
全ては変化していくということを諸行無常と仏教では言いますが、思い通りにならない心と体も実は苦しみ、苦しみを生むものなんだということなのです。
生老病死と仏教の捉え方
生老病死という避けられない苦しみを乗り越えるために、仏教は教え(=お釈迦様の教え)を説いています。
まずはお釈迦様が実際に言ったであろう言葉に近いと考えられる初期のころの経典でのお釈迦様の言葉をご紹介します。
生老病死とお釈迦様の言葉
生老病死に関係することについては一言でまとめられないほど、お釈迦様はたくさんの言葉を残しています。
これらは修行者(出家をした人)に向けられた言葉であり、それを聞いて全ての人の生老病死の苦から解放するような魔法の言葉ではありませんが、ふと自分の生活を見直すきっかけになるのではと思います。
『「われらは、この世において死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。−この断りを他の人々は知っていない。しかし、人々がこのことを知れば、争いはしずまる。』(Dnp.6) よく生きることと、よく死ぬこととは、表裏の関係にあるのである。
当たり前のことではあるのですが、普段生きていると”いつか”死ぬということは、何となく理解していても、その”いつか”が今日、明日かもしれないと意識することはありません。
健康であれば十年後かもしれないし、二十年後なのかもしれないし、いつになるかわからないとは言っても、死は遠い先のことに感じてしまっているのではないでしょうか。
死を忘れ、近くにある幸せな人達との人生を楽しんでいるときに、覚悟をしていない死や病が突然やってきて「なんて苦しい人生なんだ」と感じてしまうのではと思います。
だからこそ、「人は死ぬはずだ」と知って、覚悟をしようとおっしゃいます。
『学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、彼の知慧は増えない。』(Dhp. 152)
ただし、お釈迦様は生老病死の苦しみ以外にも苦しみばかりだと思って何もしないで諦めることが良いのではなく、その苦しみの世界の中で、苦しみから逃れる努力、知慧をつける努力をしなさいとおっしゃいます。
お釈迦様が説く生老病死を乗り越える知慧とは
仏教の教えと言うのは、詰まるところ、生老病死を含む様々な苦しみから逃れる知慧とはなにか、そしてそれを得るためにはどうするべきかというものです。
生老病死の捉え方、死生観と言ったものとは違い、この世の真理を知り、どのようにこの世を眺めるのか、そしてそのために正しい努力をするという考え方が説かれています。
ここで書くと長くなるので、どんな教えがあるのかについて簡単にご紹介いたします。
気になる方は、それらの教えについて解説したページをご覧ください。
仏教の教えを3つ、もしくは4つの言葉でまとめた三法印(四法印)
(一切皆苦)
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
一切皆苦を除いた3つを三法印、それを入れると四法印と言います。
この世は苦しみばかりであり、その苦しみをなくすためには私たちの欲望(煩悩)をなくせば良い、など仏教の基本の4つの教え
四諦 
苦しみをなくすための実践すべきこと
八正道
六波羅蜜 

■ジャーナリスト・後藤健二さんの犠牲が意味するものとは
日本中を震撼させた過激派組織ISによる人質事件は最悪の結果に終わりました。危険な地域に、勝手に足を踏み入れたのだから、人質となった本人が悪いとする、いわゆる「自己責任論」が噴出しました。だが、ほんとうにそれだけで片づけてしまっていいのでしょうか。
後藤健二さんは、ジャーナリストとしてのキャリアの多くを紛争地域の子供たちの苦難を世界に伝えるために費やしてきた人道主義者であり、不運な湯川さんを救出しようとする必死の試みでシリアに向かったといわれます。
湯川さんは、'14年4月にISとは別の反政府勢力・自由シリア軍に拘束された際、偶然現地にいた後藤さんが、「湯川さんは普通の市民」と説明し、解放されたことがあったそうです。
湯川さんは、これを機に中東での行動のノウハウを後藤さんから学び始め、自ら後藤さんの助手と公言するほど後藤さんを慕っていたそうです。湯川さんは、シリアにも慣れたと感じたのか、8月に再び単身シリアに渡航し、結果ISに拘束されたのです。
後藤さんは、結果的に自らがシリアに導く形になってしまった湯川さんを案じ、相当な責任を感じたのでしょう。外務省幹部の再三の引き留めにも拘わらず、「何が起ころうと自分自身の責任です」と言ってイスラム国に足を踏み入れたのです。相当な覚悟のほどが窺われます。
後藤さんと交友のある戦場ジャーナリスト・安田純平さんは、普段の後藤さんなら決してそんな無理はしなかったといいます。「極めて慎重な人で、シリアの別の武装勢力から『取材許可証』をもらったのに、危険だと判断しそのまま帰ってきたことがあったくらいです。」
さらに人柄について、「同業者同士で話をすると、たいてい、戦場に入って酷い目に遭ったとか、どんな手法でネタを手に入れたかが話題になります。ところが後藤さんは、そうした話にはほとんど興味を示しませんでした。関心を持っていたのは、そこに生きている人々の『表情』でした。後藤さんは口癖のように、『テロリスト』という記号でくくられてしまうが、一人一人が表情を持っているのだ」と話をしていました。
'14年10月末に拘束されたと見られている後藤さんは、約3ケ月間耐え続けたのです。妻や幼い二人の子どもたちを想い、そして、テロリストも人間だと自分に言い聞かせながら、死の恐怖と戦うことなど、誰にでもできることではありません。
自己責任論を唱える人でも、あるいは戦場に向かった後藤さんの動機を疑問視する人でも、その胆力には、『よく頑張った』と言わざるを得ないのではないか。
普段から極めて慎重な人であった後藤さんが、今回は、危険を知っていてなお、ISの中心部に向かったことを、『無謀』と切る捨てることは簡単です。だが、友情からにしろ、義務感からにしろ、他人のために命を賭して死地に踏み込む勇気が私たちにあるだろうか。」と雑誌で述べられています。
また、ネット上では、「勇敢なジャーナリスト」、「日本人魂に敬服」、「武士道精神」などの言葉をはじめ、米メディアは「普通の日本国民ではなかった」とか、中国メディアでさえ、「戦争に見舞われている国で子供たちに寄り添った人柄」などと紹介しています。
後藤さんへの評価は今のところ日本国内よりも外国の方が高いようですが、あなた自身はどう思われるでしょうか。
それにしても、イラクでは今年に入ってISの暴虐で120万人が住む場所を追われたとか、IS絡みの戦闘で、半年で市民9347人が死亡したとか。見せしめ公開処刑、性奴隷制度復活…そんな残虐悲惨な現実社会に比べ、日本は実に平和でありがたいことではありませんか。イヤ、しかしこれから先はわかりませんよ。
それは、ISが、「これからはすべての日本人を標的にする」と明言したからです。これからは日本でもテロの起こる可能性がより現実味を増してきたということです。
先日のNHKクローズアップ現代に出演されていたゲストも「今まで紛争地域において日の丸を掲げていればそれが中立の象徴であり、身の安全が確保されていました。しかし、最近では日本人ジャーナリストへの見方が変わってきていると感じる」と言っていました。
ISとアメリカの戦争は、もはや現地の戦場だけのことではなく、世界中に影響を与えています。多くの国でISを支持する若者が生まれ、実際に義勇兵としてISに合流しようとしたり、あるいはISと敵対する国でテロを起こそうとしたりする動きがどんどん広がっています。
すでに世界80か国から外国人義勇兵がISに参加しているとか。ISの兵力は3万数千人程度とみられ、うち半分近い1万5千人がシリア・イラク両国以外の出身者とか。大半は近隣アラブ諸国の出身者だが、欧米国籍者も3千人ほどいて、日本人もいるらしい。
そもそも今回の人質事件の発端には、安倍総理がISと戦う国々に対して2億ドルの支援を約束したことで、それがISに口実を与えてしまったとする見方が有力です。
安倍総理が唱える「積極的平和主義」は、日本政府が長年、国際舞台で自国を中立な立場の国として演出してきたものを、これからの日本の立場を戦争のできる明確な方向へ突き動かそうとするものです。
今回の後藤さんの犠牲が意味するものは、今までの平和主義憲法に根差してきた日本の外交政策が分水嶺を超え、戦争のできる国家としての立場を明確にしたということです。そう考えると、後藤さんはまさに「積極的平和主義」の犠牲者と言えるのかもしれません。
しかし、後藤さんの犠牲でいたずらに感情論や報復論が助長されると、それこそ「積極的平和主義者」にとっては思う壺です。安倍総理は、さっそく人質なった国民を助けるための自衛隊の海外派遣を検討し始めたとか。
安倍総理にしては今こそ追い風と思っているかもしれません。悲願である憲法9条の廃止に向けて、来年までに、遅くとも再来年までには国民投票まで持っていくという決意です。
しかし、9条廃止はおそらく不可能でしょう。極めて平和主義の日本国民がほぼ間違いなくそのような修正は否決するからです。 

■お盆のぶっちゃけ
言うまでもなく坊さんにとってお盆は一年を通し最も多忙な時期です。なかでも酷暑の中お檀家さんを回る棚経はとても過酷で、この三日間はまさに"ホトケ極楽ボウズ地獄"といったところです。
とは言え檀家さんが待ってくれているのだという想いがモティベーションになっているから頑張れるのです。実際棚経をうっかりミスで抜かしたりすると、問い合わせや苦情がきたりします。当てにされていることは実にありがたいことです。
今年も特に猛暑の中汗だくになって回りました。軒数が多いのでスケジュールは分刻みです。まさに時間との戦いですからゆっくりお茶を頂いている余裕はありません。ですから"ぶっちゃけ"お茶を出されない方が助かるのです。
そんな"ぶっちゃけ"が今年のお盆前のテレビ「ぶっちゃけ寺」で放映されたせいか、今年は持ち帰り用のペットボトルを頂くことが多かったようです。仏壇前の椅子もありがたいですね。特に長時間の正座で疲れた足がほんとうに休まります。ぶっちゃけ、その分お経が丁寧になること請け合いです。
扇風機もありがたいのですが、風で灯明が消えてしまったりすると、ちょっとイラッとしますので、あらかじめ無難な風向にセッティングしておいてくれると助かります。坊さんもちょっとした心遣いが嬉しいものです。
あと、特に困るのが、吠える犬のいるお宅です。静かな犬なら全く問題はありませんが、中には玄関を入るなり吠えながら突進してくる犬がいたりします。家主が隔離しても吠え続け、読経にとってコラボどころか、妨害でしかありません。正直モティベーションは最悪です。
弟子から犬が怖くて入れないお宅があるというので今年は拙僧自身が出向きました。確かに大型犬が移動式に繋がれていて、当方に気付くなり狂ったように猛進してきたのです。その状況に家人が気付くのを期待したのですが、家人は現れません。ヤッテラレナイと思い帰りました。
拙僧自身むかし犬に咬まれたことがありますので少しトラウマもあります。例年伺う時間帯は大体決まっているのですから、"歓迎する気があれば"それなりの気遣いがあって然るべきだと思うのですが・・・
拙僧宅も雑種の中型犬を飼っていましたので、飼い主としてのマナーには配慮したつもりです。そのカレも天寿を全うしてこのお盆を前に死にました。15年間も番犬として尽くしてくれたことに只感謝です。
坊さんといえどもやはり人の子、"ぶっちゃけ"、心遣いや心地よさによってお経も丁寧になったり長めになったりするものです。子や孫共々一家揃って畏まってお経を聞いてくださるお宅などでは、つい説法をしたり話し込んだりしてしまいます。
それにしても、毎年お盆のお宅訪問で感じることは、急激な高齢化の実態です。昔は、どこでも子どもがいてその親御さんも若く元気でした。しかしあれから40年、子供たちは居なくなりその後の親御さんたちも今や"立派"な高齢者です。
昔は子供の里帰りに一緒だった孫たちも今や成人して里帰りには付き合えなくなってしまったのでしょうか、お盆に見かける顔も少なくなりました。老夫婦や独居老人が、猛暑の中クーラーもなしで過ごしているお宅がありますが、熱中症に十分気を付けるようにと言いながらもやるせない気持ちになります。
今や独居は老人だけに限りません。独居の独身者も増えています。統計によると、30代後半男性の3割強(35.6%)、女性では2割強(23.1%)が未婚だとか。男性の生涯未婚率は30年前の10倍にもなるそうです。そんな少子・未婚・高齢化社会がものすごい勢いで進んでいます。
核家族化が始まって40年、自律が難しくなった高齢者が若い人達と一緒に暮らせる環境はありません。やむなく"疎開"せざるを得なくなったのが介護施設です。拙僧自身、実母を施設にお願いした経験者ですが、その仕方なさと有難さはよく理解できます。
戦後70年、日本の社会も大きく変わりました。その中で最も顕著になったのが少子・未婚・高齢化問題でしょう。特にバブル崩壊以降、日本の経済は疲弊し人々のモティベーションはすっかり委縮してしまいました。
そんな委縮感が日本を覆い人々の考え方や価値観は大きく変わりました。その結果現れてきたのが、直葬や家族葬といったものです。文字通り家族だけで葬儀を行うということですが、これには一考を要します。
言うまでもなく、葬儀とは、故人の冥福を祈り、遺族縁者が哀悼の誠を捧げ、感謝と惜別の気持ちを全うすることです。人は葬送儀礼を通してこそ故人の逝去を受け入れることができるのです。葬儀はその「気持ちの意味付け」となる実に大切なものです。
ですから、真っ当な人間にとって葬儀は必要不可欠なものです。ただ、家族葬で懸念されるのが、社交儀礼と故人の意志です。葬儀は告別式ともいいます。それは惜別の意味と同時に故人にとっての辞世の場でもあるからです。
人は誰でも、送りそしていつか送られる存在です。送り送られる双方にとって謂わば最後の挨拶の場が告別式なのです。故人が生前お世話になったのは肉親や家族だけとは限りません。故人にお世話になった"他人"も大勢いるかもしれないのです。
ですから遺言があれば別として、喪主は告別の場を設けることが社会通念上からも望ましいのです。たとえささやかなものだとしても規模の問題ではありません。確かに喪主の都合もあるかもしれませんが、葬儀の主役はあくまでも故人であることを慮って欲しいのです。
住職をしていると様々な価値観の人に出会います。父親を葬儀もしないまま納骨し、墓誌に俗名だけを刻んで済ませてしまった人。墓地がお寺ではなかったので後からその事実を知りましたが、喪主の人格が理解できません。喪主は某科の医師ですから経済的な理由ではなかったと思います。
母親の遺骨を二人だけでお寺に持参し、葬儀納骨を済ませ帰ってから一切の連絡が取れなくなった人。当然その後の墓参もないので墓地は荒れ始めています。故人は生前お寺には丁寧なお付き合いをして下さった方だけに、さぞ無念でしょう。
そんな、墓地がありながら連絡が途絶える人がいますが、葬儀後連絡のつかなくなる理由の一つに相続問題があるようです。それは相続の話合いが拗(こじ)れ家族関係が破綻してしまい、結果墓地が見捨てられてしまうのです。
幼いころからあんなに仲の良かった兄弟・姉妹が、なぜこんなになってしまったのか。それを誰よりも一番悲しんでいるのは他でもない故人となられた両親やご先祖様でしょう。こんな親不孝はありません。
他方、お盆には兄弟、姉妹が集い高齢の親御さんをみんなで労う家族がいます。そんなお宅だけに棚経に伺っても歓迎されているという心地良さを感じます。そんな雰囲気や心遣いに励まされ、坊さんもやる気、元気のテンションアップが得られるのです。"ぶっちゃけ"そんなお宅にこそ、心からのご多幸を願わずにはいられません。
お盆にはご先祖様がお帰りになります。それは今ある私たちの幸せを見届け、エールを送るためでもあるのです。そんなご先祖様に安心して頂けるような人生にしましょう。 

■テロリズムの正体とは ほんとうの幸福とは 輪廻からの脱却
12月8日はご存知釈尊のお悟りを讃える成道会(じょうどうえ)です。降誕会(4月8日)、涅槃会(2月15日)と並び「三仏忌」の一つで、仏教寺院ではどこでもそのご遺徳に酬いる報恩供養をいたします。
仏教とは文字通り、仏陀のみ教えであり、その教えは仏陀の成仏得道(成道)から生まれ、その敷衍が仏教であることはいうまでもありません。その仏教の目指すところは、言うまでもなく人の真の幸福にほかなりません。
釈尊はお悟りにより「如来」となりました。これは「真如来人」の略で、「真如(真理)から来た人」という意味です。その如来が説かれた真理の一つが人生「一切皆苦」という真実です。つまり、「人生はすべて苦である」ということです。
では、人にとってほんとうの楽はあるのでしょうか。仏教の言う「大安心」とは一体何のことでしょうか。どうすれば「ほんとうの幸福」を得ることができるのでしょうか…当然の疑問です。
成道会に因み今回はそれにお答えしましょう。結論から言えばそれは「輪廻」からの脱却です。インドでは元来一般的な考えで、生命あるものは生まれて死ぬ、そしてまた生まれるという、生まれ変わりを延々と繰り返すという輪廻思想がありました。
仏教もこの思想を取り入れています。この生まれ変わりを繰り返す世界こそ、苦の世界であり迷いの世界である輪廻の世界なのです。そしてその実態がすなわち三界六道なのです。
三界六道の世界がすなわち「一切皆苦」の世界なのです。ですからこの「輪廻」からの脱却が同時に三界六道からの脱却であり、まさに仏教の目指すところの「大安心」であり「ほんとうの幸福」なのです。
ところで三界とは、輪廻の世界を精神的境地の視点から欲界、色界、無色界の三つに区分したものであり、欲界とは感覚的な欲望の世界であり、色界とは欲望のない物質の世界であり、無色界とは純粋に精神だけの世界のことです。
六道とは、いうまでもなく、天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄の世界をいいます。そのうちでも地獄、餓鬼、畜生の三つは極めて苦が大きいので三悪趣、もしくは三悪道といわれます。また三途ともいわれ「三途の川」の由来となっています。
これに対して阿修羅、人間、天を総称して三善趣とか三善道といいます。以上、これら三界六道のうちで生まれることと死ぬことを延々と繰り返すことがすなわち輪廻です。
人間界は天上界とともに古来「人天の楽果」といわれ、楽の多い優れた世界であるというのが普通の認識です。「人生は苦である」といわれても「結構楽もあるじゃないか」「人生苦があるからこそ楽がある、仏教は妙なことをいうものだ」と思われる方も少なくないと思います。
しかし輪廻の世界での「楽」は大いなる錯誤なのです。それは、本能的、官能的なまやかしだからです。真の楽とは絶対安心(あんじん)でなければなりません。その世界をすなわち「極楽」というのです。
天上界は、苦は少なく寿命も長く膨大な楽に満ちた世界とされます。しかしそこは五衰も寿命もあるれっきとした苦と迷いの世界なのです。「寅さんシリーズ」で有名な葛飾柴又の帝釈天や毘沙門天、弁財天など天がつくのはすべて天上界の住人であるインドの神のことです。
六道の中で最高に優れた者の世界とはいえ、そこはまだ解脱していない者の輪廻の世界ですから、業によって六道のうちのいずれかに生まれ変わることになります。つまるところさまざまな苦の世界の繰り返しにほかなりません。
そんな輪廻のサイクルからの脱却がすなわち解脱です。人類で初めて解脱された人、それが釈尊であり、解脱によって仏陀となられました。仏陀となれば二度と三界六道に堕ちることはありません。
つまり仏陀こそ「ほんとうの幸福」ということになります。したがって仏教では、この苦と迷いのスパイラルから脱却することこそが最大の命題であり、全ての人は仏道に精進し「ほんとうの幸福」の仏陀を目指せ、というのが仏教の基本的理念なのです。
一切の苦悩から解放された絶対安楽な世界、それはまさに六道輪廻のない涅槃であり極楽浄土なのです。しかし涅槃とか極楽というと一般的には死後や来世をイメージしてしまいます。しかしそれこそ大いなる誤解です。
真如涅槃の世界は般若心経にもあるように生も死も超越した「不生不滅」の世界ですから、そこには今生も来世もありません。涅槃には輪廻が無いからです。三界六道はすべて「迷いの身にある」のです。(法話平成18年5月分参考)
12月8日は、仏教徒にとってまさに「法乳の慈恩に酬いる」特別な日です。しかし、奇しくも70年前のこの日、日本は太平洋戦争に突入したのです。日本人戦没者だけでも約310万人に上りました。何という因果でしょう。
「すべての者は暴力におびえる。すべての者は死を恐れる。自分に引き寄せて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(法句経)との教えに従って、我々仏教徒に限らず今日を生きる日本人は皆あらためて強い不戦の決意を持つべきです。
12月9日には作家野坂昭如さんが85歳で逝去されました。彼が最後まで言い続けたのが、「戦争をしてはいけない。巻き込まれてはならない。戦争は何も残さず悲しみだけが残るんだ。」という言葉でした。
常に時代の寵児だった野坂さんだけに、晩年身を削って訴え続けた「戦争反対」の声は特別の重みがありました。「生命、財産、文化、伝統を守っていくのは軍事力ではない。どんな戦争も自衛のためと言って始まる。そして苦しむのは世間一般の人々なのだ。騙されるな。このままでは70年間の犠牲者たちへ顔向けできない」と叫ばれていました。
自らの戦争体験を基に書かれた小説「火垂るの墓」はまさに戦争の悲惨さと不条理さを謳った実に悲しい物語です。終戦直後の混乱の中で必死で生き抜こうとする親を亡くした14歳と4歳の兄妹の餓死までを描いた物語ですが実に感動ものです。
すでに世界中で多くの人に読まれていて不朽の名作との評価を得ています。拙僧も最近ユーチューブでそのアニメと映画をはじめて見ました。個人的感想としては、アニメでありながら描かれている少女のなんともいたいけな表情と仕草に特に感動しました…歳甲斐もなく涙が止まりませんでした。
戦後70年、あれだけの悲惨な犠牲を経験したにも拘わらず「戦争アレルギー」も厭戦の気持ちもかなり風化してしまっているように感じます。世界でISによるテロ行為が頻発しています。中国、北朝鮮の脅威も確かに問題です。
日本政府は防衛の名の下に戦争準備を着々と進めています。集団的自衛権に対する賛成派も反対派も、どちらも思いは同じ戦争抑止なのですが、問題は方法論に対する見解の相違なのです。
その賛否に対して今「どちらとも言えない」という中間派が増えています。迷っている人が増えてきているということでしょう。「目には目、歯には歯」と、とかく人は感情論に流され勝ちですが、冷静に仏教に鑑みて判断すれば自ずと正しい答えは出てくる筈です。
「どんな戦争も自衛のためと言って始まる。騙されるな。」という野坂昭如さんの言葉をもう一度噛み締めたいものです。 
 

 

■テロリズムの正体とは 菩提心のすすめ
新年おめでとうございます。先ずは本ページをご覧頂いている方々のこれからの一年がつつがない歳でありますことを心より祈念申し上げます。
新年をHappy New Year と言いますが、希望に胸を膨らませている人もいれば問題や心配を抱え不安いっぱいで新年を迎えた人もあまたいることでしょう。
たとえ今が順風満帆であったとしても明日のことは分からないのが人生です。軽井沢のスキーツアーバス転落事故で15人もの尊い若者の命が奪われました。将来を夢見ていた掛け替えのない人生を奪われたその無念さはとても計り知れません。
何の罪もない人の命が突如奪われることほどの理不尽はありません。過失も自己責任もないそんな不条理の現実に直面したとき人はほんとうに苦悩します。何でうちの家族が、何で大切なあの人が、何で…何で…只々お悔やみと同情を禁じ得ません。
そんな突然の不幸は事故だけには限りません。これからはテロに巻き込まれるという理不尽極まりないことも心配されるのです。何の罪もない不特定の人を狙った無差別テロほど残虐で許されないものはありません。
悲しいかなとても人間の仕業とは思えません。それがテロです。そんな尋常では到底理解できないISによるテロが今世界で頻発しています。ISはさらにテロ活動を進めると言っています。日本もその標的になっている以上、その心配は一層現実味を増しています。
どんな人にも人としての当たり前の良識も情もある筈だと思うと、何故ISのような集団が生まれてしまったのでしょうか。理解に苦しみます。人の心を持った真っ当な人間にそんな極悪非道はできる筈はないと思うのですが。
彼らにもはや人の心は無いのでしょうか。今回は、そんなISがなぜ生まれたのか、なぜ残虐なテロが行えるのか、そんな彼らへの対処はあるのか考えてみました。
人類は原始時代以来利権と覇権をめぐってサバイバルを繰り返してきました。人類の歴史はまさに部族間、民族間そして国家間の戦いの歴史だったと言えるのです。そんなあまたの歴史に学びながら人類はあらゆる民族、国家が共存共栄できる国際社会を目指してきました。
そんな人類が選んだ結論が民主主義と資本主義だったのです。ところが、「自由」と「平等」という人類の至宝はいくら経っても一向に担保されません。逆に個人から民族、国家単位に至るまで富と人権の格差は広がる一方です。
世界は産業革命以来アメリカを中心とした資本主義が世界を席巻してきました。先進国はグローバル経済をリードするアメリカンスタンダードが当たり前でそれが世界の基準だと思ってやってきました。
アメリカを頂点にした金が金を生む金融資本主義が格差を一層広げていきました。トリクルダウン(豊かな人々がもっと豊かになれば、やがてその豊かさが下にも落ちてきて貧しい人々も豊かになれるという議論)なんて大ウソでした。
同じ中東でありながら湾岸産油国の豊かな人達と貧しいイスラム社会との格差は極度のアイデンティティークライシスを生み、1700万人もの抑圧されたイスラムの人達が生まれました。貧しいイスラム社会は混沌から秩序の崩壊へと向かったのです。その結果が100万人の難民です。
世界の富の半分をたった1パーセントの人間が握っているとか。世界人口の半数の人達が一日2ドル以下の生活費で命をつないでいるとか。そんな不条理からの反発がグローバリスムの中で「混沌と秩序の崩壊」となって表れたとしても不思議ではありません。
世界の現実は理想とは真逆な方向に進み大きな矛盾と歪に陥ってしまったのです。「勝ち組」には優越感が生まれ「負け組」を見下す奢りが生まれるものです。そんな不条理の中で生まれてきたのがまさにISだったのです。ISが何故生まれたかと言えば、「生まれるべくして生まれた」まさに因果というべきものかもしれません。
ISには世界各国からおよそ3万人もの志願兵がいるとか。その彼らの多くが移民であり、貧困、差別、いじめ、そして疎外感と絶望感から極度のアイデンティティークライシスに陥り、ニヒリズム(虚無感)の中から彼らは唯一ISに「居場所」を見付けたのです。
「自分は意味のない存在」であったのが「ISで自分の存在の意義を知った」というのです。彼らはもはやこの世に期待など持っていません。持っているのは只一つ「この楽園とアラーの神のために死にたい」という願望だけです。ISにとって自分たち以外はすべて敵なのです。
この世の不条理を怨み、アラーのご神託がジハードだと狂信している彼らにとって自爆テロなど怖くはありません。そんな人がまだまだ世界中からISへ流れているのです。いくら空爆したところでそんな彼らの勢いを止めることはできません。
ではこのような事態にどう対処したらよいのでしょうか。テロとの戦い、テロに屈しない、といった言葉はよく聞きますが、しかし、これだけ広がってしまっては残念ながら有効な方策はまったく見えません。
いまにして思えば、かつてタリバンやアルカイダが標的であるとされ、オサマ・ビン・ラディンを捕らえればことが収まるように考えられた時期もありました。あの時点ではテロとの戦いには圧倒的な支持があり日本も大変協力的でした。
しかし、ほんとうの敵の正体をつかんではいなかったのです。敵は武力の前に屈するような代物ではなかったのです。単にテロリストを追いかけるばかりで、テロリズムの本質に迫ろうとする努力に欠けていたのです。
ここにこそ今の混迷の源があったのです。テロリストをいくらやっつけてもテロリズムが消滅するとはまったく思われません。先ずはテロリズムのほんとうの正体を見定めていくしかないのです。
元米大統領ビル・クリトン氏は、「テロリズムを終息させるのは国家を超えた共通の人類意識であり、経済的に苦しむ国々に援助の手をさしのべない限り、米国は永遠にテロリズムと戦い続けることになる。
先進国の人は、グローバル経済やテクノロジーが当たり前だと浮かれているが、実際には世界の大半の人々にとってそのような恩恵は届いておらず、発展途上国では経済破綻や医療制度の不備が起き、人々は絶望の中で生きている。
世界人口の半数の人にとっては一日の生活費が2ドル未満しかなく、1億人の人がエイズウイルスに感染する恐怖に苦しんでいるというのが実際の状況であり、これがテロ組織を生む温床になっている。」と指摘しています。
クリントン氏は、テロリズム対策として、発展途上国再建プランが必要だとして、最貧国に対する債務免除、小規模ビジネス向けの資金援助、発展途上国での医療インフラの整備などを挙げています。
日本も他人事ではありません。労働人口のおよそ4割が非正規労働者だといわれます。格差の実態は確実に広がっています。疎外感、絶望感からISに傾倒していく若者が日本でもこれから増えていくことが心配されるのです。
今こそ世界は真の「グローバリズム愛」を必要としています。闘争に明け暮れお互いの存在を認めないユダヤ、キリスト教やイスラム教にはもはや期待できません。一神教の彼らにとっての「愛」は「偏愛」だからです。
それに対して仏教の「慈悲」は、民族、宗教を超えた「普遍愛」なのです。ですから特に多神教文化の日本こそ異宗教間の取持ちができるのです。「おもい遣り」と「助け合い」の心無くして人類に未来はありません。
その「慈悲」が「グローバリズム愛」として世界に広がれば人類はまだ未来に希望が持てます。その教えが「自未得度先度他の心」であり即ち「菩提心」(法話20年8月分参考)なのです。日本仏教界が「菩提心」を宝の持ち腐れにしないことを只々願っています。 

■熊本地震 お見舞い申し上げます 和の心こそ日本の誇り
九州熊本県を中心にまたまた大地震が発生しました。 今月14日に発生した地震は、震度7が2度もあり、27日の今日まで震度1以上が950回も続いているとか。これは一日に平均してなんと73回にもなるとんでもない事態です。
このような規模の地震が広域的に長く続発するのは過去に例がなく、これからの余震の収束の予測すら極めて困難だと気象庁は言っています。 発生して2週間経ちますが、今なお3万6千人もの人達が、言いしれない余震の不安とライフラインを断ち切られた不自由な生活を余儀なくされています。
あの東日本大震災からまだ5年しか経っていないというのになんたる試練でしょう。 地震国日本の宿命とはいえあまりにも不条理です。 日本を愛したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、「この国には永遠のものがほとんどない、絶え間ない災害による破壊で日本人の根気や忍耐力が培われた」と記しています。
フランスの元駐日大使ポール・クローデル氏は、日本人は絶えず身震いする巨人の上で暮らしているようなものだと言っています。 まさに巨人の体の上に置かれた日本列島、その一部の九州中央部が身震いしたのです。 人間をあざ笑う地下の巨人に、人はあまりにも小さく無力です。
しかし、考えてみれば日本は地震大国だけではなく、津波大国や台風大国でもあります。日本人は太古よりそんな揺れ動く大地や自然災害に鍛えられてきたのです。 だから日本人は日頃からお天道様やよろずの神々に感謝し無事を願ってきたのです。
そのようにして日本人は、「お蔭さま」「お互いさま」「ありがとう」と言って感謝し労い合い、隣人愛ともいえる「和の心」を養ってきたのです。 相手を思いやり、他人に迷惑がかかる行いは極力しないように努める。 だから日本人は災害時には途方もない自制力や忍耐力、協力心を発揮するのです。
その「和の心」の根底にあるのが日本独特の多神教文化なのです。 多神教文化は他の文明を巧みに取り入れそれらを適応させてきました。 だから日本人は他国の文化に寛容であるし、織田信長や豊臣秀吉などもキリスト教に興味を持ちました。
しかし、現代においてキリスト教をはじめとしたイスラム教などの宗教は日本社会では意外と広まっていません。何故かといえば、それはそれらが一神教だからです。 日本人の多神教文化が「和の心」を生んだといいました。「和の心」が相手を尊重し同じ目線に立ち受け入れてきたのです。
ところが織田信長によってキリスト教が容認されたころ、キリスト教の宣教師たちは日本の神社仏閣を破壊したのです。他宗教を認めず、両立や共存を許さないのが一神教ですから、それは当然のことだったのかもしれません。 結果、多神教文化の日本人にとって一神教とはシンクロできなかったのです。
日本に初めて仏教が入ってきたとき、天皇は神道を受け継ぎながら、仏教徒となり、寺院を建立しています。仏教は一神教ではないため天皇も人民も仏教には初めから寛容的だったのです。
神道と仏教は宗教としては明らかに別のものです。しかし、そのことに疑問を持ったり悩んだりする日本人はいません。 確かに歴史上廃仏毀釈などの時期もありましたが、それは政治的なものだったのです。
そんな多神教文化が理解できないのがすなわち一神教文化の人達なのです。 一神教の立場からすれば、他宗教に対して譲歩も寛容もありません。 他宗教を認めることは自分の神を裏切ることになるからです。 教祖や教義が違えば別派となり全ての相手と対峙することになります。
そもそも一神教の教義からすれば神と人との関係は全て「契約」で成り立っているのです。「契約」ですから、その神のみを信じることで自分は救われ、信仰を止めてしまえば見放されてしまう存在にあるのです。だから「契約」は絶対であり、その神に代わる指導者の声は絶対であるから、自爆テロさえ厭わないのです。
宗教や派が違うことで戦争や紛争、テロを起こすことなど日本人には到底理解できませんが、ユダヤ、キリスト教、イスラム教は元はといえば同じ神なのです。 それが、教義が違うことから相互が認め合わないのです。相互が常に敵意を抱いているのはそういった理由からです。
ついでに申せば、日本の宗教界にも一神教の原理と酷似している宗教が幾つかありますが、その代表格が創価学会でしょうか。 彼らは仏教を主唱してはいますが、自分たち以外の他宗教のみならず、他派さえ一切認めていません。
よく「学会」の噂を耳にすることがありますが、その内容は日本の宗教界の中ではかなり異質なものです。親戚や近所の葬儀、法事から町内会の祭礼や地鎮祭などにも参加しないという。お題目の「南無妙法蓮華経」以外仏教でもなければ宗教でもないという立場はまさに一神教そのものと重なります。
余談で恐縮な話ですが、拙僧が町内会長を務めた時には鳥居建設の責任者もやり祭礼の神事にも参列し神官からお祓いも受けました。 そのことで檀家や地元の皆さんから抗議を受けたり不信感を抱かれたりしたことは一切ありません。むしろ住職なのにと感謝されたくらいです。
個人的には正直多少違和感もありましたが、地元人として「お互いさま」だと割り切り、まさに「和」の精神で責任を果たした次第です。
拙僧が十代のころ読んだ古い記憶ですが、ユダヤ人でイザヤ・ベンダソンという作家が「日本人が神社、寺院、クリスチャン教会を差別もせず疑問も持たずに生活できるのは、その全体が即ち『日本教』という『宗教』を形成しているからだ」と書いてあったのを覚えています。今にしてもまったくその通りだと思います。
日本の大地の下にはいつ「身震いする」かもしれない巨人が眠っています。ですから山の神から海の神まで八百万の神々に日本人は無事を願い感謝してきたのです。 よく「日本人は無宗教で宗教や宗派など、どうでも構わないと思っている」などということを聞きますがそれはまったくの誤解です。
「どうでも構わない」のではなく、八百万の神々や諸仏諸菩薩に差別なく頼り切っているからこそ差別観念がないのです。つまり差別意識を必要としないほど「日本教」という宗教の中に溶け込んでいるのです。 それこそ「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の「和」の精神が原点です。
相手の方から拒否されない限り、何であれ誰であれ受け入れるこの寛容な「和の心」。 今日本の「おもてなし文化」に魅了されて諸外国から実に大勢の観光客が来日しています。その「おもてなし」こそ「和」の精神文化なのです。 まさに日本人が世界に誇れる文化であり、益々大切にしていかなければなりません。
その「和」が「絆」となって、阪神淡路の大震災から東日本大震災、そして今回の熊本地震の被災地への共感となっています。 何かできないか、できることがあれば何でも、という気持ちを持った多くの共感者がボランティアとして向かっています。その人達こそまさに菩薩様です。
本音では自分のところでなくて良かったと思う人もいるかもしれませんが、明日のことが分からないのが人生です。 あなたの下に住んでいる巨人はいつ「身震い」してもおかしくない存在ですから、決して他人事とは思わずに被災地の人達に想いを致すべきでしょう。
「あたりまえのことがほんとうは幸せだったことが分かった」という素晴らしい内容の投稿文を見付けましたのでご紹介します。 東京都昭島市のまだ若干13歳の中学生冨高明香里さんの文章です。
「熊本県をはじめとする九州地方で大きな地震が起きた。テレビでは死亡した人数や崩壊した建物が映し出されている。 私はテレビを見ながらふと、被災された方の、地震が起きる前の様子について考えた。友達と楽しく話したり、一生懸命仕事をしたり、私たちと同じような生活を送っていたと思う。しかしこの地震で平和な生活は奪われてしまった。 私たちの身にいつ何が起こるか分からない。もしかしたら、明日死んでしまうかもしれないし、百歳まで生きるかもしれない。 私は急に人生の終わりが来たとしても、後悔しないように生きていきたい。そのためには、今まで当たり前と思っていたことを幸せなことと考えたい。そうすれば、いつも通りの一日も丁寧に大切に生きていけるのではないだろうか。もし毎日を大切に生きたら、絶対に後悔はしないはずだ。 そして、今回被災して亡くなられた方のご冥福をお祈りします。」
道元禅師は、「たとえ七歳の女流なりともすなわち四衆の導師なり」と示されています。 他人を慮る菩提心があれば、老若男女に関係なく、たとえ七歳の女子であってもその者こそあらゆる人達にとっての「人生の先生」だという意味です。
他方、「あの地震が今の時期で良かった」などと発言した大馬鹿国会議員がいました。 次の総選挙の時期のことを考えての発言だったというのですが、普段から私利私欲を大優先にしている本音が吐露されたことに間違いないでしょう。
日本には2000以上の活断層があり、未知も活断層も多数あるといわれます。 いつどこで地震が起こるか分からない地震大国日本なのです。 今回の地震の収束の見通しもなく、南海トラフを誘発するかもしれないという心配もある中、政府はなぜ鹿児島の川内原発を停止させないのでしょうか。
地震の巣である日本列島にある原発はやはり考え直すべきです。 福島原発の炉心のデブリを除去するのは本当は不可能だそうです。毎日400トンの地下水が流入していることも止められない。たとえ廃炉しても無害化には10万年も要すると言われます。使用済み核燃料の安全貯蔵の場所すら決まっていません。
安倍政権は福島原発事故の原点に立ち返り、原発に依存しないエネルギー政策の再構築に取り組む必要があります。 こんなことを言ったところで、所詮我利我利亡者の政治家連中にはまさにカエルの面にションベンかもしれませんけどね。 

■夏休みあれこれ 自然と平和に感謝
八月は日本人にとって俄かに忙しい月です。夏休み、帰省、お祭り、花火大会そしてお盆等の行事などが目白押しです。さらには広島、長崎の原爆の日、終戦記念日もあり国民にとっては多種多様な行事を迎えます。
それにしても一般人にとって一番楽しいのはやはり「夏休み」ではないでしょうか。拙僧も子供の頃は夏休みが楽しみでたまりませんでした。拙僧が育ったのは外房の漁師町で、夏は毎日といっていいほど海で遊んでいました。遊ぶといっても天草などを採って売って小遣い銭を稼いでいたのです。
その小遣いでお祭りを楽しむことが更なる大きな楽しみでした。今では鴨川市になってしまいましたが、拙僧が育ったのは旧天津小湊町です。その町の人は特に祭り好きで、祭りはなんと三日三晩続き、町の人口も何倍にもなりました。
各町内にそれぞれの屋台があり、拙僧も地元の屋台の太鼓を叩くのが一番の楽しみでした。町に只一の神輿がありますが、これがまた凄い神輿なのです。でっかくて兎に角カッコいいのです。見ているだけで血が騒ぎ、心が踊るのです。
この歳になっても不思議とその感動は変わりません。神輿と屋台を見てお囃子を聞くと今でも心が高鳴ります。どこのお祭りのどんな神輿と比べても、心の中で天津の神輿は日本一だと思ってしまいます…バカですね。それは十分自覚しています。
つまり言いたいことは、こどもの頃の経験や感動は幾つになっても忘れないということ。だから子供の時こそいろいろな良い経験をすることが大事だということです。安っぽい言訳ですかね。でも興味のある方は是非「鴨川市天津祭礼」で検索してみてください。
ところで、この夏休み明け近くなると子供の自殺率が特にあがるということがテレビで報道されていました。拙僧もそうでしたが夏休みが終わりに近づいてくるほど気持ちが落ち込んできたものです。でも自殺するにはよほどのイヤなことを抱えているのでしょう。
拙僧は特に何もありませんでしたが、登校するという「義務感」が嫌でしたね。当時は不登校のこどもはほとんどいませんでしたが、いまは、全国でなんと17万6千人ものこども(国公立、小、中、高校だけで)が学校に行けてないとか。
その原因としては、無気力(30,8%)、不安・情緒的混乱(18%)、あそび・非行(10,4%)、そして四番目に、いじめ・友人関係(8,3%)となっています。我々団塊の世代にはこんなことはありませんでした。一学年300人位いたと思いますが、不登校の子供が一人でもいたという記憶がありません。
まだ戦後間もない頃でしたが、当時子供心に「戦後」という感覚はまったくありませんでした。向こう二軒両隣には同級がいました。男の子は学校が終わると徒党をなして野原を遊び回っていました。夕方暗くなるまで遊んでいてよく親が迎えにきたものです。
子供たちはいつもお腹が減らせていたこともあり、子供たちにとって野山にある柿やあけび、木イチゴ、野イチゴ、茱萸(グミ)、桑の実など、食べられるものを漁るのも遊びの大きな要素でした。
時には枇杷や栗を求めて他人様の領地を侵したりして追いかけられもしました。足や手には生傷が絶えませんでした。以前にも触れましたが、当時の子供たちは大自然の精のなかでたくましく育ったのです。実家の前には川があってすぐ先の海に注いでいました。猫の額のような地域で周りは山に囲まれていました。
そんな環境だったので、昨日は川で、今日は山、明日は海でと、ガキ大将の気分しだいで様々な場所で遊んだものです。魚釣りはもちろん、うなぎや川エビや藻屑蟹などを捕ったりしたものです。ですから今でも木登りも泳ぎにも自信はあります。
そんな子供の頃の記憶は楽しかったことばかりです。ただ一つあるとすればそれは将来に対する不安でした。高校への進学率が急激に高まっていた時代で進路に対する葛藤は今でも忘れません。
いまの子供たちの素質が昔の子供たちの素質と違ってしまったとは考えられません。昔なかったアトピーやアレルギーが増えたのは、子供たちの生活環境が自然の摂理にそぐわなくなってしまった結果なのです。このことは以前から指摘してきました。
不登校だけに留まらず、大人になっても閉じこもりになるのは、人が人らしく生きられる環境ではないということです。人間以外の動物には閉じこもりなどありません。動物が動物として当たり前の環境のなかで生きているからです。
人も動物だと考えると、人はもっと昔のように動物的に生きるべきではないでしょうか。動物的になれば、無気力も不安も情緒混乱、非行、いじめなど起こりません。人は霊長類で動物の進化の先端にいるという奢りの中で環境が異常になってしまったことに気が付かないのです。
人も動物である以上、おかしな環境にいれば病気になるのは当たり前です。食生活環境が悪いから生活習慣病になるのです。心の環境が悪いからいじめや引きこもりが起こるのです。大自然の動物には生活習慣病も引きこもりもありません。動物は大自然の摂理の中で生きているからです。人もまさに動物だという自覚が大事です。
さて、あと8月と言えば原爆の日と終戦記念日です。毎年やってくる記念の日ですが、戦後71年目を迎えアメリカの現職大統領として初めてオバマ大統領が被爆地広島を訪問しました。
核兵器廃絶へ向けた歴史的一歩として歓迎する声は日本の内外にあがりましたが、その一方で、日米の様々な立場の人たちが、謝罪すべき、謝罪すべきではないといった議論もありました。
原爆投下の正当性に関する両国民の世論については、アメリカの調査機関が同時に行った最近の意識調査があります。日本人で原爆投下が「正当化される」と回答した人は14パーセントだったのに対して、アメリカ人では56パーセントと半数を超えていました。
しかし、「正当化される」と回答したアメリカ人の割合は確実に減ってきています。1945年のギャラップ社調査では85パーセントが「正当化される」だったのに対して、91年の調査では63パーセントに落ちました。この先さらにこの割合は低下するだろうと思われます。
それにしても日本人の回答者の14パーセントが「正当化される」と回答したのには驚きます。どこの社会にも一割は「変わり者」がいるそうですから、割合から言えばそんなものかもしれません。
広島が14万人、長崎が7万人というのが日本で広く引用されている死者数ですが、広島のこれまでの原爆が原因による死没者は、2008年8月6日現在で25万8310人とされています。しかし実際には現在でも正確な数はつかめていないそうです。
それにしても、いくら戦争だからといっても核兵器だけは使ってはいけません。原爆の威力、恐ろしさを知っていて使ったとしたら如何なる言訳も許されません。ドイツがユダヤ人虐殺を認めたからドイツはヨーロッパから許されたとして、日本も南京虐殺を認め戦争犯罪を認め謝罪しろと執拗に迫る隣国がありますが、アメリカの原爆と東京大空襲こそ大虐殺ではないでしょうか。
オバマ大統領の広島演説はまだ自国の国民感情に配慮した内容になってしまいましたが、近い未来アメリカは必ず日本に謝罪する日がやってくると拙僧は信じます。
八月十五日は終戦記念日であると同時にお盆です。十二月八日は開戦日であると同時にお釈迦さまの成道会です。日本国民にとってまさに国教ともいえる仏教の開祖お釈迦さまがお悟りを開かれたその記念の日に日本は真珠湾攻撃をして開戦したのです。
結果310万もの日本人が犠牲となりました。なんという因果か、拙僧は毎年この両日を迎えるたびに、お釈迦さまが戦争だけは二度とするなと言っているような気がします。イヤ全国民が戦争の反省と平和への誓いをあらたにする日にすべきです。  

■御征忌焼香師報告 両個の月
私事ですが、去る10月13日、本年度大本山総持寺御征忌法会に焼香師として、上山してまいりました。「御征忌」とは、御開山瑩山(けいざん)禅師御命日供養を中心として、二代様以下各禅師さま方の報恩供養法要のことで、毎年十月に四日間に亘って修行される一大行事のことです。
焼香師の御案内を頂いたとき、正直あまり気が乗りませんでした。それは、自身にそれに足る素養と資格があるか自信がなかったからです。しかし、思えば今こうして一介の住職を務められているのも大本山総持寺での修行から始まったものであり、その御恩は計り知れません。
曲がりなりにも宗侶としてこれまでやって来られたのもまさに大本山をはじめ曹洞宗、宗門のお蔭様なのです。そう考えたとき、今回の御縁は恐らく今後二度とない報恩の好機とも言えるものです。そこでこの縁由に我が師先代住職の報恩忌を併せて修行させていただくことで決心いたしました。
さて、日本曹洞宗は、言うまでもなく鎌倉時代に永平寺御開山道元禅師によって南宗から日本に齎されたものです。その曹洞宗が今日までに日本全国に凡そ一万四千五百ケ寺院を擁する日本最大の仏教教団に成長したその礎は道元禅師から四代目の大本山総持寺御開山瑩山禅師に始まっているのです。
曹洞宗ではお釈迦さまを御本尊として、永平寺御開山道元禅師と総持寺御開山瑩山禅師のお二方を「両祖」と仰ぎ、「一仏両祖」として仏壇にお祀りしています。ですから、曹洞宗には永平寺と総持寺を「大本山」として同格に位置付けているため、所謂「総本山」というものはありません。
道元禅師から懐弉禅師、義介禅師そして瑩山禅師に受け継がれた仏法は、遡れば南宗の如浄禅師を経て慧能禅師に行き、さらにそこから達磨大師を経てお釈迦さまに至るまさに正伝の仏法です。
その瑩山禅師の教えを受け継ぎ、今日の曹洞宗の基盤を形成する偉大な功績を遺されたお方が、総持寺第二代峨山韶碩(がさんじょうせき)禅師なのです。瑩山禅師下には、峨山禅師と並んで二神足と尊称された明峰素哲禅師がおられます。
この両禅師の会下より傑出したお弟子方が多く育ち、全国各地に布教の拠点を築きました。峨山禅師のもとからは特に「五哲」、または「二十五哲」と称せられる優れた門弟子が育ち、さらにそれぞれのもとより多くの弟子が全国に進出し今日の一大仏教教団曹洞宗が形成されるに至ったのです。
此度の御征忌のなかで拙僧の務めた法要がその「五院二十五哲献供諷経」でした。恥ずかしながら愚僧の拙い香語を紹介致します。
両箇月圓諸嶽山 (両箇の月圓かなり諸嶽山)
須知月落不離天 (須ず知るべし月落ちて天を離れず)
賛仰廿五哲功勲 (賛仰す廿五哲の功勲)
一炷心香奉真前 (一炷の心香真前に奉ず)
ある夜、師瑩山禅師は弟子の峨山に問いかけました。「汝(峨山禅師)、月に両箇あるを知るや。」そのように尋ねられても、眼に映る月を唯一の存在だとしか理解できない峨山は言葉の意味を理解することができませんでした。
瑩山禅師は、「月に両箇あることを知らざれば、宗門の仏法を嗣ぐ者にはなれない」と 峨山に一層の弁道精進を指示されました。 「両箇の月」つまり二つの月とはどうゆう意味なのでしょうか。まさに一大公案です。
峨山を優れた法器と高く評価していた瑩山禅師は一層厳しく指導されました。 すでに三年の月日が過ぎようとしていたある夜、寒気の中で、冷たく冴え渡った中で、月の光を浴びて峨山は坐禅をしていました。
彼の心境一段と深まったことを看取された瑩山禅師は、静かに傍に寄り、彼の耳元で指をはじかれたのです。その弾指は大音響となって峨山の心に響きました。
この様子について、諸伝は、「心身湛寂、物我俱忘」と記しています。 その意味は、精神・肉体などすべての執着を離れて、差別のない自由自在の境地に達したということです。
つまり、月と自己、師瑩山禅師と自己という、相対した観念の世界を脱し、あらゆる存在が自己と一体になったまさに対立観念の無くなった悟りの境地を著したものです。
しかし、これは悟境ではあっても、「色即是空」という一面にすぎません。峨山は師の弾指の一喝によって、「空即是色」という現実の世界に回帰されたのです。すなわち、「色即是空」が一箇の月だとすれば、「空即是色」がもう一箇の月だったのです。
お釈迦さまは菩提樹の下で正覚されました。それこそ「色即是空」の大覚醒でしたが、次には樹下の坐を立たれ教導の道に踏み出されました。この心がすなわち「空即是色」だったのです。悟りの世界、すなわち「空」の世界と、現実の世界、すなわち「色」の世界がまさに一体にならなければ真の悟りではないのです。
どんな深遠な悟りであっても、それが日常生活の場で実際の菩提心として機能しない限り、悟りの真価を発揮したことにはなりません。ですから道元禅師は、坐禅のみならず、洗面、洗浄、食事、作務に限らずあらゆる所作に己の全人格を露呈するのが「修行」だと示されています。
師瑩山禅師の示された「両箇の月」の「公案」、その答えはまさに「悟りの月」と、「菩提心の月」だったのです。「両箇月圓諸嶽山」 その両箇がまんまるく諸嶽山総持寺の上に輝いている。「須知月落不離天」 やがて月はお隠れになっても無くなるわけでもなく、菩提心の月はいつでも天に輝いていることを悟らなければならない。「賛仰廿五哲功勲」 その法燈を今日にお伝えされた廿五哲の功勲を仰ぎ敬います。「一炷心香奉真前」 今ここに祖師様方に心をこめてお線香を手向けます。
自己の真源を了得した峨山は、師瑩山禅師より印可証明を受けられた後も、何ら変わることなく修行を続けられました。
やがて峨山禅師の名声の下に全国から多くの修行僧が集まりました。峨山禅師は師の遺された「瑩山清規」(けいざんしんぎ)を基盤として総持寺の発展に尽くされ総持寺は叢林として次第に充実した体制を整えられたのです。
総持寺の第三代には太源宗真禅師が就かれ、その伝燈は廿五哲と尊ばれる祖師方を経て現在に至り、今日の曹洞宗が築かれたのです。しかるに二祖峨山韶碩禅師とその弟子廿五哲と称せられる祖師方の功績は実に計り知れません。
現今の世相の混迷は、人々が「心」を置き去りにして、物の豊かさだけをひたすら追求してきた結果だとも言えるのです。人々が心豊かに幸せに生きるための原点が何度も言うように「菩提心」です。
そのお釈迦さまからのまさに正伝の仏法を今日まで伝え広められた峨山韶碩禅師と廿五哲の祖師様方に対して改めて報恩感謝を申し上げます。 

■年頭所感 トランプ占い
新年おめでとうございます。皆様方のご多幸を祈念申し上げます。お蔭様で当山のホームページも13年目に入りました。本年もよろしくお願い致します。
それにしても今年はどんな年になるのでしょうか。新年早々アメリカではトランプ氏が大統領に就任しました。しかし、就任式から世界各地では数百万人もの反トランプデモが起きました。こんなことは過去に例のないまさに異常な事態です。
「アメリカ第一主義」を掲げ、「協調より国益」を主張して憚らない、実に傲慢で過激なまさに暴君的な人物です。就任から一週間で早速14もの大統領令を出しましたがどれも尋常なものではありません。常識派からすれば黙っていられないところでしょう。まさにアメリカ社会が"分断"しまった感じです。
就任早々の大統領令はどれも非常識的なもので、"トランプ旋風"となって世界中に衝撃を与え戸惑いと不安を引き起こしています。"トランプ旋風"が世界を翻弄する台風の目となり、予測のつかないような荒天が予想されます。
アメリカは、建国以来自由と民主主義を掲げてきた移民に寛大な多民族国家であり、多様性と寛容性が保たれてきた、文字通り「合衆国」なのです。ニューヨークにある世界遺産「自由の女神」には次のような詩が刻まれています。
疲れ果て、貧しさにあえぎ、自由の息吹を求める群衆を、私に与えたまえ。人生の高波に揉まれ、拒まれ続ける哀れな人々を、戻る祖国もなく、動乱に弄ばれた人々を、私のもとに送りたまえ。私は希望の灯りを掲げて照らそう。自由の国はここなのだと。
民主主義国家の象徴的存在として常に世界をリードしてきた筈のそんなアメリカが、今回何故そんな"暴君"を大統領に選んでしまったのでしょうか。確かにロシアのサイバー介入とか、フェイクニュースなどが飛び交ったりして大統領選が「操作」されたという情報もあります。
選挙の投票数の実数ではクリントン氏の方が133万票程上回っていたとか。選挙制度の結果から仕方ないにしても、多くの常識派にとっては受け入れられないところでしょう。彼を大統領として認めないという人も多く、支持率も過去最低の40%台だというのもその表れでしょう。
"分断"の体をなしているアメリカですが、問題はトランプ氏を支持しているその4割の人達の本音こそ今のアメリカが抱えている問題を表しているのではないでしょうか。また、グローバル社会である以上これは単にアメリカだけに止まらない問題だとも言えるのです。
その問題こそ、ズバリ「格差」問題、貧困問題です。アメリカでは、中流層がどんどん消えていて、上か下かに分かれる社会になってきているのです。
その理由は富裕層が猛烈なスピードで収入や資産を増やし、貧困層はそのまま置いてけぼりにされているのです。アメリカの一流企業の経営者の平均所得と、ごく普通の労働者の平均所得の格差はすでに343倍の開きになっているとか。
アメリカの経営者の収入は主に株式で提供される収入です。弱肉強食の資本主義は、「株式至上主義」になってしまっているので、株を持っている者といない者との差が凄まじい勢いで「格差」を広げているのです。
貧困層は、リーマンショック以前よりも増えていて、リーマンショックを乗り越えたのは企業と富裕層だけで、アメリカは「1%の富裕層と99%の貧困層の国」だといわれています。上位1%が持つ資産は、下位90%が持つ資産の総量よりも多いのだとか。
日本でも「子供の貧困」が問題になっていますが、アメリカの「子供の貧困」は日本の比ではなく、アメリカの6歳以下の子供の約60万人がホームレスだとか。親がワーキングプア層で病気や事故で働けなくなると、途端に子供を抱えて路頭に迷うことになるのです。
そしてアメリカは日本以上の学歴社会と化しつつあるので、貧困の子供は貧困であるがゆえに高収入に最初から辿り着けなくなっているのです。貧困は遺伝するので伸し上がれない。アメリカはすでにそんな社会になってしまっているのです。
だから、どの国もグローバル化の中に存続している以上、アメリカで起きていることが、そっくりそのままどの国にでも起こり得るのです。アメリカの現象は着実に全世界を覆い尽くしていくでしょう。
現にイギリスでもフランスでもアメリカとまったく同じ格差問題が起きているのです。イギリスでは2000万人が貧困状態であり、子供の5人に1人がホームレスだとか。若者の失業率も高く、やはり金銭的な問題で大学進学もできない家庭も多く、アメリカと全く同じ問題が起こっているのです。
当然日本も例外ではありません。日本でもすでに6人に1人が貧困という事態になっています。当然子供の貧困も同じです。生活保護の受給世帯数は毎年最多を更新しており、貧困層は着実に増えており、止まることなく、激しい勢いで超格差の容赦ない現実が進んでいます。
働いても働いても這い上がれない非正規雇用。低賃金で結婚もできない。一流会社であっても過労死。希望などもてない、疲れて死んでしまいたいと思うような社会。日本もこれまで以上に苛烈な社会になろうとしているのです。
国際貧困支援NGO「オックスファム」はこの1月15日、世界で最も裕福な8人が保有する資産は、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分に当たる約36億人が保有する資産とほぼ同じだったとする報告書を発表しました。
世界の総資産額ランキングのトップは、言わずと知れたマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏で、その資産は約9兆1千億円だとか。ランキング上位の殆どをアメリカ人が占めています。ちなみに日本人のトップは世界ランキング41位でユニクロ柳井正社長で、総資産額約2兆3千億円だとか。
同じ人間でありながらなんとも比べようもないほどの格差です。産業革命以来世界の経済と富を牽引してきたアメリカが、今では格差社会の"先駆け"となってしまいました。アメリカはこれから先どう舵を切るのでしょうか。
そんなアメリカが今求めているのは「変革」です。只の変革では意味がありません。よほどの変革でなければ何も変わらないことを国民はわかっています。そんな中出現した"暴君"トランプ氏に多くの人が期待を寄せたとしても不思議ではありません。「背に腹は代えられぬ」…自由と民主主義の旗頭としての誇りはもう要らない。今のアメリカはそこまで追い詰められてしまったのでしょうか。
「衣食足りて礼節を知る」ということわざが日本にあります。人は生活の安定があってこそ礼儀や道徳心を弁えることができるということですが、貧困がグローバル化するなかで、世界から正義や礼節が失われていくのでしょうか。
国家国民の運命はその国の為政者に託されます。トランプ氏が「自由の女神」の精神を知らないとは思えません。問題はトランプ氏ではなく、彼を選んだアメリカ社会に問題があるということです。
ただ言えることは、人であれ国家であれ、独り善がりでは絶対に良い結果にはなりません。トランプ氏にも国民にもアメリカの誇り「自由の女神」の精神をもう一度考えてみて欲しい。
さらに、その謳われている精神こそ、仏教精神「慈悲の精神」まさに「菩提心」と一致していることを、すべての国の人に知って欲しいものです。 
 

 

■反菩提心 自分ファースト
相変わらずアメリカを中心にトランプ旋風が吹き乱れています。アメリカの分断は一層深まっています。日本にとっても他人事ではありません。もう少し「トランプ占い」をしてみましょう。
トランプ大統領の就任演説は、従来の大統領の演説に比べて、型破りのものでした。アメリカの理想を語らず、民主主義の大切さにも触れず、「アメリカ・ファースト」を連呼したからです。
もちろんアメリカの大統領ですから、アメリカを大事に思うのは当然ですが、よその国はどうでもいいという感じがありありの演説でした。自国(アメリカ)さえ良ければ、他はどうでもいいという「アメリカ・ファースト」。
自分を支持する人だけがアメリカ人であり、自分にとって不利になるものはすべて排除するというのは「自分ファースト」であり、まさに「利己主義」です。
前回、アメリカの「自由の女神」の精神は、仏教の「慈悲の精神」である「菩提心」に通じていると述べました。「菩提心を発(おこ)すというは、己未だ度(わた)らざる前(さき)に、一切衆生を度さんと発願し栄(いとな)むなり」(道元禅師)
ひとことで言えば「自分よりも先ず他人のために」というのがすなわち「菩提心」です。その精神から言えば「利己主義」はまさに「反菩提心」と言えるのです。
トランプ氏の言動はまさに「反菩提心」です。 世界一強大な権力を手にし、客観性を欠く発想で、人種、国籍、宗教などさまざまな立場によるレッテルで、人権を制限する命令を発しています。
しかも入国を制限した7カ国は彼のビジネスが展開されていない国ばかりとなれば、何をか言わんやです。国内はもちろん世界中から反発を浴びるのは当然です。まさに「利己主義」そのものです。
大統領就任式では、最高裁判所長官の言う通りの宣誓の文章を読み上げます。宣誓の最後は「神の御加護を」の言葉で終わります。アメリカはキリスト教の国として建国されたからです。アメリカの紙幣には「私たちは神を信じる」と書いてあるほどです。アメリカ大統領にはそんな矜持が求められるのです。
トランプ氏の「アメリカ・ファースト」は、その実「自分ファースト」なのです。人の話を聞こうとしない、真実に目を向けようとしない、自分さえ良ければいい、他人は後回しというのは「利己主義」であり「我欲」以外の何物でもありません。
「我欲」は煩悩の中の三悪道、貪・瞋・痴の貧(とん)に値します。「貧」についてはこれまで何度も触れてきたことですが、人が不幸になる最大級の「悪業」「悪徳」なのです。
そんな我欲に満ちた「自分ファースト」ですから公私混同なんのその、トランプタワーに住むメラニア夫人や家族の警備に、ニューヨーク市当局は一日50万ドル(約550万円)もの経費を負担しているとか。
就任約一ヵ月でフロリダの別荘に3週間滞在した経費が約一千万ドル(約11億円)とか。トランプ氏の一家の警備などにそんな巨額の公費が投じられたのです。その中には安倍総理が仲良くゴルフをして過ごした経費も入っています。
歴代大統領が利用してきたワシントン近郊の大統領山荘キャンプデービットや周辺のゴルフ場を使うべきでしょう。国民の税金を少しでも無駄に使わないというのが「アメリカ・ファースト」ではないでしょうか。
トランプ氏の「自分ファースト」から出てくるものはどれも今までアメリカが築き上げてきた民主主義の精神に反するものばかりです。連邦裁判所の判断を批判したり、前オバマ大統領が目指した反軍拡や非核の方向とは真逆の方向に進もうとしています。
最近なんと核戦力増強論まで唱え始めました。さらに、年間軍事費を540億ドル(6兆円)規模増額しようとしています。その額日本の年間防衛費の額とほぼ同じだとか。そのために福祉や補助金が削られたら「格差」は一層進むだけです。
常識人であるほど良識があります。ましてや世界をリードするアメリカの大統領ほど高い良識と見識が求められる地位はありません。アメリカの「良識」が、トランプ氏の得意とする「You are fired!」(おまえは首だ)と彼に引導を渡すのはいつになるのでしょうか。
仏教の因果の教えを知らなくとも「悪い事をすれば悪い結果が返ってくる」というのは論外の常識です。そんな常識のない大統領と馬が合う安倍総理も同じような「自分ファースト」で「利己主義者」なのかもしれません。
大歓迎され「ドナルド、シンゾウ」などと呼び合う程親密な間柄になったと自慢して帰ってきましたが、同じ「自分ファースト」でも相手は格が違います。トランプ氏からみたら、日本の総理など煽てて利用することしか考えていません。親密になるほど相手からの要求は断れなくなるのです。
衆議院議員の亀井静香氏も「トランプ氏が『「米国中心』の主張を変えたら大統領でいられなくなる。安倍総理がゴルフで仲良くするのはいいが、トランプ氏が日本に対して手を緩めることはない。『米国を受け入れてもらい感謝する』と言ったが、それなら『この際基地や日米地位協定の問題を解決しよう』と突っ込んでいかなきゃいかん。それが交渉術というものだ。『トランプさんのおっしゃることは全部ありがたい』というのはばかげている。」と言っています。
トランプ氏は「フェイクニュース」、つまりウソのニュースで大統領選に勝ったようなものです。その手法は大統領になってからも衰えません。ウソを平然とつき矛盾を指摘され、多くのマスコミを敵にしても憚りません。
ウソは本人が一番自覚しているのです。仏教の戒律に「不妄語戒」があります。ウソは四番目に重いという戒律です。ウソはドロボウと始まりとも言いますが、ウソを平然とつける人は確信犯的な悪人です。
それに似たウソを平然と主張する為政者は日本にもいます。トランプ氏の子分になった安倍総理です。安倍総理は「テロ等準備罪」がなければ東京五輪を開けないと主張していますが、野党は、いまある法律でも対処できると反論しています。日本弁護士連合会も、「テロ対策は既に十分国内法上の手当てはなされており、共謀罪の新設は必要がない」と主張しています。
「テロ等準備罪」というネーミングになっていますが、それは過去3度も廃案になった「共謀罪」というまさに天下の悪法の焼き直し版なのです。安倍総理はまさに“4度目の正直”を目指しているのです。
政府は東京五輪テロ対策と言っていますが、それは、国家による国民の監視や盗聴の強化が目的であり、憲法で保障する表現の自由など基本的人権をないがしろにする実に恐ろしい悪法なのです。
安倍さんの目指すのは戦前の体制と同じような国家主義です。国民は国家のためにあるというのが国家主義で、それはまさに立憲主義とは真逆にあるものです。国民を「人間の盾」にし「人柱」にするのが「国家主義」です。
そういえば、太平洋戦争で戦死した兵士に国から与えられた戒名の多くに「国柱院〜」が付けられていますが、「国の柱」の意味が皮肉にも「人柱」だと解釈されてもおかしくありません。そう思うと亡くなった兵士はとても哀れで浮かばれません。
安倍政権は、「安保法制」や「特定秘密保護法」を次から次へと数の力で押し切ってきましたが、その目的はまさに戦争をし易くするためです。「共謀罪」はその「総仕上げ」になるのです。
「共謀罪」は日本が法治国家でなくなる危険性をはらんでいるのです。絶対に阻止しなければならないのです。 誰が、いつ、どこで何をたくらむのか。四六時中、網を張り巡らせて国民を監視するための法律です。
国民は見えない壁に囲まれつつあるのです。見えていないから国民は抵抗しません。この忌わしい壁が見えるようになるのは、実際に紛争や戦争が起きた時なのです。その時はもう完全に手遅れなのです。我々国民は今こそ平和ボケしている暇ではないのです。 

■諸行無常 桜から学ぶ人生観
当山のさくらも駆け足で過ぎ去り、今や藤がその後を継いでいます。さくらから藤やサツキへとまさに「諸行無常」が引き継がれています。
四月に入って、東京地方から桜の情報が続々伝わってきたのに、どうしたわけか今年に限ってここ房州館山のソメイヨシノは開花が遅くまだ2〜3分咲きといったところでした。
桜花のこの時期日本中が桜の話題で溢れかえります。桜前線や花見情報が毎日のようにニュースになるのも、妙に心がウキウキしてくるのも日本人だからでしょうか。
桜は日本人に最も愛されている花と言っても過言ではありません。しかし今では桜の人気は世界的になっています。敢えてこの時期日本の桜を見にわざわざやって来る外国の観光客は年々増えているそうです。
今月の初め、ある檀家さんご夫妻から誘いがあって東京の新宿御苑までわざわざ花見に出かけてきました。新宿御苑といえば、拙僧の記憶からすれば東京にいた学生時代に行ったことがあるきりで、それ以来だとすればおよそ45年振りのことでした。
どんな場所だったかほとんど覚えていませんでしたが、改めて見る広大な庭園の様々な景観と草木の調和のとれた美しさに心が癒されるおもいでした。特にソメイヨシノは丁度満開でその絢爛な美しさには改めて感心させられました。
一部ではすでに散り始めていましたが、さくらの種類も色々と沢山あるので、さくらの旬はまだまだ続くようでした。言うまでもなく、特にソメイヨシノの人気は高く、桜といえばソメイヨシノといった感があります。
桜に見とれながら何故それほど人気があるのかをちょっと考えてみました。絢爛な美しさは勿論ですが、その花の命の短さに魅力があるのかもしれません。パット咲きパット散り往くその潔さに人は人生観を重ねるのでしょうか。
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」(親鸞聖人) 今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない。
人の命を桜の花に喩え、「明日自分の命があるかどうかの保障などない、一夜のうちに何が起こるかもわからないのが人生。だからこそ今を精一杯に生きなければ」との思いが込められています。
私たちは当然のように自分には明日が有り、明後日も、そして10年先、20年先もあるように思っていますが、その保障は無いのです。人生「一寸先は闇」なのですから、今を大切にすべきなのです。
ごく最近のことですが、檀家さんで自宅で倒れ急に亡くなった方がいます。しかもなんと3件も続いたのです。それぞれ50代、70代、80代の方ですが、ご家族のショックは大変なものでした。誰よりも驚いたのは当の本人かもしれません。お別れや感謝の一言も交わせずいきなり黄泉の国に旅立ったのですから、こんな不幸はありません。
死因は後で分かるのですが、その多くが生活習慣病です。病気にはどれも「未病」の段階があるわけですから、自分の健康状況を普段から把握しておくことが如何に大事かということです。
健康と病気の関係も当然因果応報の理(ことわり)ですから、健康に対する意識を高め、「病気にならない生き方」を学ぶことで、「未病」の段階のうちであれば突然死はかなり避けられると思います。何度も言うように、健康なくして幸福はありえません。
確かに人に与えられた命の時間には限りがあります。いつかは必ず死ぬわけですが、気を付けるかどうかで寿命は大きく違ってきます。「諸行無常」の中で自分の命を如何に大切にするかは本人次第なのです。
「諸行無常」の理を知ることで自分の命と真剣に向き合うことができます。「いろは歌」は見事に諸行無常の人生観を謳っています。
いろはにほへど ちりぬるを
わがよたれぞ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみじ ゑひもせず
(さくらの花は今を盛りと咲き出しているが、やがて散ってしまう。それと同じで、この世に誰がつねに変わらずありつづける者があろうか。この有為の奥山を今日こそのり越えて、彼方の理想の世界に行こう。そこではもはや、浅はかな夢を見ることもなく、酔いしれることもない)

昨日まであんなに綺麗に咲き誇っていた桜が今日はもう散り始めている・・・ この今絢爛に咲いている桜もあと何日もつのだろうか・・・桜花の寿命は大変短いけれど、見事に命を全うさせている・・・人の命は長いようだけれども、自分の生き様はどうだろうか・・・
浅はかな夢を持つのをやめて有為の奥山(諸行無常)を悟り理想の世界を目指そう・・・桜花は僅か数日間でパッと咲いてパッと散ることで「有為の奥山」を見事に「越えて」いるではないか・・・桜花の一生は人の一生からみればほんの一瞬でしかありません。しかし短い生涯の中で見事に「諸行無常」の真如を示しているのです。
桜は、誰かに見せたいとか見て欲しいなどと思って咲いているわけではありません。その場で、ただ与えられた命を精一杯「あるがまま」生きて命を全うしているのです。だから人は皆その美しさと潔よさに感動するのでしょう。
私事ですが、自分もこの4月16日で古希を迎えました。これまでの人生を振り返ってみたとき、どれ程のものだったのだろうか・・・今日までを顧みると、様々なことが走馬灯のように脳裏を駆け巡りました。
あれから45年、まさに夢の如し。あとそう長くもない人生をどう生き、そしてどう散るのだろうか・・・他人には「諸行無常」をえらそうに説いているが、自分の「無為の奥山」はこれでいいのだろうか・・・
綺麗な桜を眺めながらゆっくり流れる時間のなかでしばしそんな感慨に浸っていました。多忙に追われている日々の中で、ゆっくり花見などした記憶がないことに改めて気付ました。
さて、新宿御苑の魅力は絢爛さばかりではありません。日本庭園の魅力は季節が織りなす「わび」「さび」の景観です。諸行無常を表した「わび」「さび」は茶道の茶庭からきたものです。
「わび」「さび」の感覚とその魅力は日本人にしかわからないなどという時代ではもはやありません。新宿御苑にも実に多くの外国人客が見えていましたが、その凡そ7〜8割方は外国人のようでした。日本庭園を見る外国人の眼差しが日本人よりも真剣なのに驚きました。
日本庭園の美、わび、さびの魅力は異文化を越えて確実に世界に広まっているようです。日本人にとって当たり前のものが外国人からみたらすごく魅力的に感じるものが沢山あるようです。
多くの外国人が日本に来て驚くことに「親切」や「安全」があります。それも文化だと捉えると、その基本となっているのが「神仏を敬う」宗教観からきているような気がします。
よく言う「おもてなし」文化も、神仏を敬いもてなす精神が「お客様」に向かったと考えられます。どんな国であれ民族であれ、その文化の基礎は宗教が母体になっているのですから、その国の文化を知るにはその国の宗教を理解することが大事です。
一神教文化の国からきた人には日本人が神社や仏閣に差別なくお参りすることが理解できないようです。それは日本が多神教文化だということを理解しないからです。
日本人が一神教文化を理解できないのも全く同じ理屈からです。なぜ日に何度も聖地に向かって礼拝するのか、なぜ派閥抗争で自爆テロや紛争が絶えないのか、なぜ酒を飲まないのか、豚肉を食べないのか。なぜ戒律が絶対的なのか。
宗教に優劣はありません。大事なことは異宗教を尊重し異文化を理解し合う心です。異宗教間のテロや紛争などを無くすには相互に理解し合うことしかありません。それには日本文化が大きな参考や手本になれると拙僧は思うのですが。 

■施食会 三界萬霊供養とは
毎年のことながら、7月に入ると新盆家の法事や組寺院の施食会法要の随喜などに追われ、いよいよ多忙な“夏”が始まります。そしてピークの8月の棚経が終わり24日の地蔵盆が終ってやっとようやく自分(坊さん方)の“お盆休み”といったところでしょうか。
さて、浄土真宗以外宗派を問わず住職のいるお寺では大抵施食会(せじきえ)法要が修行されていますが、特に夏のお盆前後に集中しています。当山も毎年8月5日で猛暑のなか大変です。しかし、拙僧がこの寺に来て以来凡そ50年一度も雨に見舞われてないのだけはチョト自慢です。
菩提寺を持つ方なら誰でもその施食法要に出席されたことがあるでしょう。本堂に施食棚が設けられ様々な山海の野菜や乾物が供えられ、三界萬霊に供養します。
三界萬霊といっても供養する相手は主に餓鬼であることから「施餓鬼会」ともいいますが、曹洞宗では、施すものと施されるものの間に尊卑尊賎があってはならないとして1988年の行持規範より「施食会」としています。
三界萬霊の三界とは、欲界、色界、無色界のことです。欲界とは性欲、食欲、睡眠欲など本能的欲望の世界です。色界とは欲界を離れた上にある世界で、物質と形あるものの世界です。
無色界とは色界の上にあり、欲望も物質的な面も超越した精神的な要素のみからなる高度な世界です。そこは心の状態から四段階の「天」に分けられます。その一番上の段階が「有頂天」であり、喜びや得意の絶頂にいて、我を忘れている状態を表す言葉としても有名です。
無色界の上、つまり三界を超越したところに仏様の世界が存在します。三界は、仏界に至らない世界ですから、「解脱」しない限り永遠に六道の中で生まれ変わりを繰り返すのです。これを即ち六道輪廻と言います。
三界はつまり六道輪廻の世界ですから、三界萬霊とはすなわち未だ成仏できていないもの達のことになります。この点の理解が重要です。
だから仏陀は六道輪廻を「解脱」して仏界に入ることを説くのです。六道とは、言うまでもなく三悪趣(三悪道)の地獄、餓鬼、畜生と三善趣(三善道)の修羅、人間、天上のことです。
人間界も天上界も六道ですから即ち迷いの世界です。有情非情の三界の萬霊、それは譬えればガンジス河の砂粒の数ほどもある限りない飢え苦しむものの類であり、それらを雲集鬼神招請陀羅尼の力で施食棚に集め、無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼の力で供養するのです。
では、施食会の因縁について考えてみましょう。釈尊の弟子、阿難(アーナンダ)はある夜静処で坐禅していると、突如恐ろしい形相の鬼が現れました。痩せて咽は針のごとく細く、頭髪は乱れ、爪は牙のごとく長く、口から火を吐く、それは焔口鬼という餓鬼でした。
その餓鬼は、阿難に向かって「お前は三日のうちに死ぬだろう」を告げました。阿難は恐れおののき、釈尊にどうすればよいか尋ねました。
すると、釈尊は、「沢山の食べ物を用意し、三界の命あるものに平等に食事を与え供養することで餓鬼も救われお前の命も救われるだろう」と「施食の法」を示されたのです。(救抜焔口餓鬼陀羅尼経)
施食会には甘露門というお経を唱えますが、その中に施食の意味合いが述べられています。「発心して、あまねく、十方、窮尽虚空、周遍法界、微塵刹中、所有国土の一切の餓鬼に施す、先亡久遠、山川地主、乃至曠野の諸鬼神等、請う来って此に集まれ」われ(阿難)は今決心した。三界萬霊の一切の餓鬼に食を施しますから汝らここに集まりなさい。
「我今悲愍して、あまねく汝に食を施す、願わくは汝各各、我が此の食を受けて、転じ持って尽虚空界の諸仏及聖、一切の有情に供養して・・・」 我今あわれみを以って汝等にこの食を施す。それぞれがこの食を受け、その功徳を一切の諸仏と三界萬霊に回向しなさい。
「あまねく皆飽満せんことを」 三界萬霊のすべてのものが飢餓から解かれ満腹になることを願って。
「亦願わくは汝が身、この呪食に乗じて、苦を離れて解脱し、天に生じて、楽を受け、十方の浄土も、意に随って遊往し、菩提心を発し、菩提道を行じ、当来に作仏して・・・」 汝がこの食を受けて、苦から救われ、天に生まれ楽を受けられればどの浄土にも自由に行くことができる。菩提心を持ち修行すれば来世こそ仏になれるだろう。
「所生の功徳、あまねく以って法界の有情に廻施して、もろもろの有情と、平等共有ならん、もろもろの有情と共に、同じく此の福を以って、ことごとくもって真如法界、無上菩提、一切智智に回向して、願わくは速やかに成仏して・・・」この功徳が三界萬霊のすべてのものに平等に行き渡ることを、この福を以って真如悟りの世界の諸仏諸菩薩に回向となって汝が速やかに成仏することを願って・・・」
「オン サンマヤ サトバン」三界萬霊の命が仏陀と平等になることを願って。
普段でも宗侶が食事の前にお経を唱えますが、読経中箸で5〜6粒程のご飯を取って卓上にお供えします。これを「生飯」(さば)といいますが、これも施食法に由来した所作です。
生飯之偈(さばのげ)
汝等鬼神衆 我今施汝供 此食偏十方 一切鬼神共 (じてんきじんしゅう ごきんすじきゅう すじへんじほう いしきじんきゅう)
ついでに申せば、食事の最後に折水之偈(せっすいのげ)という偈文を唱えます。食事が終わると、鉢(食器)に白湯(さゆ)を注いでもらい、使った全ての食器をその白湯で洗い、洗い終わったその白湯の半分を飲みます。
そして、最後に残り半分の白湯を桶に空けますが、その所作を「折水」(せっすい)と言います。その時に唱えるのがこの偈文です。
我此洗鉢水 如天甘露味 施与鬼神衆 悉令得飽満 (がしせんぱすい にょてんかんろみ せよきじんしゅう しつりょうとくぼうまん オンマクラサイソワカ)
どれも意味は説明するまでもなく語感から察知できると思います。修行の食事はまさに施食の精神を以って頂くのです。施食会の回向文に、「無尽法界一切の群類に回向す。法味に飽満し、正智開発し、広く衆生を度して、同じく種智を円にせんことを・・・」とあります。
この功徳を一切の群類に回向する。この上ない仏法の醍醐味、ご馳走の味わいが飽き足りるほど満ちあふれて、これを満喫し、それによって、それぞれが本来もっている正しい真理の智慧を開き発こさんことを願って・・・
「無量の煩悩、皆解脱を得、隠顕利益し、同じく種智を円にせんことを・・・」 貪・瞋・痴の三毒をはじめ、傲慢・疑い・邪見などの、一切の煩悩から解きほぐされ、解脱し、今生きているものも既に亡くなってしまったものにもそのご利益が及び、仏の智慧が全てのものに行き渡らんことを願って・・・
仏法という、この上ない、ご馳走を飽くまで満喫することによって、誰もがみな正しい智慧を開き起こし、量り知れない煩悩による心の穢れが、解きほぐされて、今は亡きものも、この世にあるものも、幸せに恵まれて、同じように仏の一切の智慧を円にそなえられて、成仏できますように・・・これがまさに施食会の精神です。 

■大本山永平寺の旅所感
11月4日から大本山永平寺に2泊3日の団参に行ってまいりました。4日早朝にバスで館山を出発して一路永平寺を目指し、4時前に入山し、DVD視聴や法話での研修、翌朝は3時起床で坐禅と拝観、大本堂での先祖供養の法要等を終え、団員29名一同霊験あらたかな気持ちで下山しました。
次のお参りは伊勢神宮です。伊勢鳥羽までは長距離でしたが、本山での“修行“の解放感からか、バスの中では早速盛り上がり、まさに宴会状態になりました。お伊勢さまをお参りしてホテルに到着、その夜の宴会もさらに盛り上がり、これも本山での研修の“御利益”なのかと思いました。
若い修行僧のキビキビした動作を目の当たりにし、厳しい修行の現実を体感し、法話や実際の坐禅体験や質素な食事や作法を通して、たった一泊での研修でしたが、「良い経験をさせていただきました」という正直な言葉を何度も聞きました。
一年ほど前から計画した旅でしたが、当初は参加者もなかなか集まらず中止も考えた程ですが、総代さん達の励ましでなんとか実行できたことに感謝いたします。
バスの中で拙僧自身の修行時代のエピソードなどを話しましたので、それを少し綴ってみたいと思います。本山は朝が早く行事に追われ、緊張感から一日がとても長く感じられるのです。若い時の経験は忘れないものです。厳しかったことや悔しかったことはいろいろありますが、その中で感じたことの一つに、人間の体の対応能力があります。
朝食は粥と胡麻塩とたくあんのみです。昼食は粥がご飯になり、みそ汁と野菜の料理が一品、いわゆる一汁一菜です。夕食になると一菜が二菜になるだけです。団員の皆さんは出された料理の質素さに驚きますが、実はそれでも修行僧の食事と比べたら大変な“ご馳走”なのです。
修行で上山する前に言われたことは「脚気になるけど気にするな、必ず治るから」でした。確かに間もなく脚気の症状が現れました。脛を押すと、ペコット凹むのです。しかし、他に体に特に異常を感じることはありませんでした。
ただ、質素な食事のためか、何時も空腹感がありました。カロリー不足からでしょう。食事は、粥やご飯はおかわりできますが、2回までです。全員が一斉に食べ始め、終わるのも同時でなければなりませんので、遅れないように必死で食べました。
本山では基本的には自分の居場所は僧堂のなかの畳一畳だけです。そこで坐禅をし、食事をし、そして寝るのです。普段行事の合間は看読寮という大部屋に控えています。そこでの居場所は序列が決まっています。それは上山した順です。年齢も学歴もまったく関係のない縦の世界です。
そんな環境の中で、自分一人になる場所などありませんが、一つだけあります。それは東司(トイレ)です。ある時何かのことで、個人的に差し入れに羊羹をいただいたことがありました。しかし、大部屋のなかで自分だけが何かを食べることなんてとてもできません。
ですから、もし何かをこっそり一人で食べるには場所はトイレしかないのです。普段から空腹感があるといいましたが、一本の羊羹をまさにバナナのように食べられました。今では羊羹など一切れ食べるのがやっとですが、当時は普段からそれほどカロリー不足だったのでしょう。
話しついでにもう一つお話ししますと、看読寮の修行僧には日替わりの配役がありますが、その中で直堂(じきどう)という、いわば学校でいう日直のような当番があります。その直堂には当番と加番と毎日2人づつ日替わりで当てられます。
全員が法堂(はっとう)に朝の勤行に行っている間、留守番と各部屋の掃除をします。そんな中、ある役寮さんの部屋を掃除していたら、一つの壺が目に留まりました。興味本位に蓋を開けてみると、白い塊のような物が入っています。
悪いことだと思いながらそれをちょっと舐めてみたら、なんと砂糖だったのです。とっさにその塊の数個を口に頬張ってしまいました。あとでその行為がバレはしないか心配しましたが、何もなくホットしました。
一度きりのことですが忘れもしません。それだけ低血糖で飢えていたのでしょう。でも、多分その部屋の役寮さん自身も普段の空腹感に備えてのモノだったのではないのかと、あとあとそう思いました。
さて、話は戻りますが、しばらくしたら言われた通り脚気の症状が無くなりました。考えてみるに、人の体というものは、食べた物の量が少なければそれなりにそれを最大限に活用する能力があるのだろうということです。
何かの本で読んだ記憶がありますが、禅僧の修行道場での食事の内容について某大学がその栄養価について調査した結果、栄養学的にはとても不足していて、栄養失調にならないのが不思議だといった記事がありましたが、まさに人の体には学問的な理屈を越えた潜在的な能力があるのではないでしょうか。
以前、法話のなかで、「人類は十数万年もの間、飢えと寒さへの対応能力を身に着けてきたが、その反対に食べ過ぎに対する能力は身に着けられなかった。人が満足に食べられるようになったのは極最近のここ100年程のことである。そんなことから起こる現代病の代表格が糖尿病である」といったことを述べたことがあります。
全くの私見ですが、本山や修行道場での食事が栄養不足といわれるなか、空腹感に苛まれながらも、脚気の症状がなくなったり、栄養失調症にならずに修行に耐えられるのも、そんな人類が太古から身に着けてきた対応能力によるものではないでしょうか。
「ここは娑婆じゃないんだ」という言葉を何度聞いたことか。全てが理屈抜きの世界であり、先輩から言われたことは「命令」であり、「上官の命令は天皇陛下の命令」だという、日本軍隊に似た感じがありました。
ある役寮さんから聞いた話で今でも覚えていますが、明治時代日本が欧米の列強国に劣らない軍隊を作るのにモデルにしたのが禅宗の修行道場の制度だったというのです。なるほど、そういえば先輩の修行僧のことを「古参」と言いますが、軍隊でも先輩のことを「古参兵」と呼んでいます。
永平寺にはこれまで常に200人もの修行僧がいたそうですが、このごろではその数も減り130人程だそうです。これも少子化によるものだとのことです。普段から多忙な上に修行僧が少ないということは、一人一人に課せられる任務や負担が増すので修行僧も大変です。
確かに日本の少子高齢社会の影響は坊さんの世界にまで及んでいるのが実態です。事実、後継者のいない寺院が増えたり寺院の合併や解散も進んでいます。これは他人事ではなく、拙僧自身後継者不足で悩んでいます。どなたか道心のある方がいたら自他薦を問わずご紹介ください。
ところで、他方修行道場には外国籍の修行僧が増えているのも実態です。宗教には国境がありませんし、宗教は人を選びません。確かに仏教の開祖の仏陀も、禅の達磨大師もインド人です。仏教・禅も日本人の特権ではないことを時代の流れは表しています。
仏教・禅を求めて日本に入ってくる人も増えていますが、その逆に日本から諸外国への布教の波も実は拡散しているのです。この現象は全ての宗派にいえることですが、曹洞宗も、海外特別寺院や布教センターが、ハワイに10ヶ所、北アメリカ52カ所、南アメリカ14ヶ所そしてヨーロッパには45ヶ所、都合120ヶ所ほどにもなるのです。
そんな中の一つ、ブラジル・サンパウロ市にある曹洞宗両大本山南米別院仏心寺から先日寺報が届きました。その仏心寺住職采川道昭(さいかわどうしょう)老師の挨拶文の中の「禅の二元論」がとても分かりやすいと思いました。 

■廓然無聖 対立観念のない世界
前回、ブラジル・サンパウロ市にある曹洞宗両大本山南米別院仏心寺から届いた寺報の中で、御住職采川道昭老師が説明されている「禅の二元論」がとても分かりやすいと述べました。そのご紹介から始めましょう。
「ある日の夜坐(夜の坐禅)の後に、達磨廓然(だるまかくねん)の話(わ)について女性が質問に来ました。彼女は多くの坐禅参加者と同じく、まだ独参(どくさん)に来る機会がなかったので今がチャンスと私を呼び止めたのです。
彼女は『廓然無聖』(かくねんむしょう)について納得がいかないというのです。この身体(からだ)や世界は聖なるものであるのになぜにそれを否定するかと言うのです。それに対して私は、その聖なるものであるというのは、人間であるあなたの頭が作りだした観念でしかないと答えたのですが納得がいかなかったようでした。
それで、『世界は人間の好悪や善悪などの意見をつける以前が根本にあるのではないですか。頭のはたらきが作り出した二元対立以前が根本にありますよ。言葉は二元対立の中にあるので「無聖」という表現で聖を否定する方法で説いていますが、本当は聖の反対(凡)も否定しており、更には無聖も否定しています。
つまり二元のどちらかを取る人間の頭のはたらきを超えた世界を表しているのです。生まれた赤子には対立は無いのに、名前を呼ばれながら成長するということは対立概念を植え付けられるということであり、やがて人々はこの対立の中でしか考えを進められなくなってしまっています。
つまり幻の自他、内外、主客などが疑うべからざる確たるものとして存在していると信じてしまっているし、社会もその上に成り立っています。しかし、世界は、宇宙は対立を飲み込んでいるのが実相ではないですか。』と言うと、ああ解った!と満面の笑みを浮かべて喜びを表しました。周囲にいた彼女の友人もそうだそうだと相槌を打って、実相は頭のはたらき以前の世界にある(実相無相)ことを確信して喜んでいる様子でした。
後で解ったことですが、傍にいた友人の女性は哲学科専攻の修士課程で学んでいる人でした。哲学は言葉や観念を重んじる学問ですから哲学をする人は一般の人々と同じく二元対立の中にどっぷりと浸かっているのだろうと思っていたのですがそうでもありませんでした。
天国と地獄、神と悪魔、善と悪、そして我(自己)と他などを揺るぎないものとして存在していると信じている二元対立の最たるものであるキリスト教世界にあっても、二元を超えた世界、実相に目覚めるという救いの道があることに気が付いている人々が増加していることを感じ、坐禅のすばらしい効力をさらに認識し大いに嬉しくなったものです。合掌」
「頭のはたらきが作り出した二元対立」・・・この「二元対立」を拙僧は自身の法話のなかでは「対立観念」として縷々説明してきたところですが、この采川老師の「二元論」とまったく意を同くするものだと思います。
あと、「独参」をされていることにも興味を持ちました。曹洞宗では普通独参はしないからです。独参とは、参禅者が師家と直接対面し公案を通して指導を受けることです。主として看話禅(公案)を旨とした臨済宗系が行っているものですが、ご老師の独参の内容にいささか関心のあるところです。
釈尊のお悟りを三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)で表しますが、その中の「諸法無我」を説いたのが「非二元論」といえるでしょう。人間は自我意識のお蔭で二元論という対立観念を抱えてしまっているのです。この対立観念のない世界こそが「諸法無我」なのです。 (拙ホームページ法話の「諸法無我」(平成17年7月)を参考にしていただければと思います。)
「達磨廓然」とは、禅宗の祖録「碧巌録」と「従容録」の中にある公案で、達磨大師と武帝との問答を著した話(わ)ですが、この公案はまさに「諸法無我」の実相を主題にしたものです。武帝とは、中国の南北朝時代にあった梁という国の仏教に大変帰依していた王様のことです。
武帝は、「自分は即位以来、多くの寺を建立し、多くの僧侶を育て、自らも持戒清浄につとめ仏法修行に精進しているが、はたしてどんな功徳があるのか」と達磨に問いかけます。ところが、達磨はそっけなく「無功徳」、つまり「何の功徳もありません」と答えたのです。
武帝は、心のうちに何らかの善果を求めて精進されたのでしょうが、それを「無功徳」だと言われたのです。常識的には理不尽で理解できません。言うまでもなく、仏教は善因善果、悪因悪果の因果応報の教えであり、「修善奉行」(善業を修めなさい)「諸悪莫作」(悪い事はするな)に精進せよと説いているからです。
仏教の大帰依者でもある武帝にしてみれば達磨の言った真意がまったく解りません。称賛の言葉を期待していた武帝にとってさぞショックだったでしょう。増上慢の鼻先をへし折られましたが、さすがは武帝改めてお尋ねします。
「では、佛教の真義、仏法の根本とは一体何であるか」と質問したのです。この世の実相は、からりと晴れた青空のようなもので聖とか梵の分別は無く、からりと晴れわたった虚空のごとく、聖と名づけられるものなどないというのです。
武帝はこれ又その意味が理解できません。「無聖」を「聖者無し」ととらえたのでしょうか。それでは「朕に対する者は誰そ」(私の前にいるあなたは一体誰ですか。)
この質問に対する答えが「不識(ふしき)」です。不識とは単なる「知らない」という意味ではありません。不識の不は、不思量・非思量の不であり、「思量できる存在ではない」という意味です。「思量すること不可能」これをすなわち「不思議」と言います。
「廓然無聖」と「不識」とは、まさに異語同意なのです。ここがこの公案の核心です。この二つが解れば「無功徳」もしかり。「廓然無聖」のなかに功徳なんてものはありません。だから達磨は武帝の“善業”を「無功徳」と喝破されたのです。武帝にはまだそこまでの力量がなかったということでしょう。
そもそも果報や見返りを期待して行う行為だったら、厳しい言い方かもしれませんが、偽善行為に他なりません。人や社会の為に尽くし、善人だと思われたいと思う心があったらそれは単なる「名誉欲」に過ぎません。名誉欲こそ煩悩の最たるものです。
どんな善業でも「見返りとしての功徳」を“意識”したら、それはただの煩悩です。如何なる行為も須べからく「布施」でなくてはなりません。一切の見返りを求めない心にこそ「功徳」があるのです。
が、しかしですよ、達磨はその功徳さえ否定しています。「廓然無聖」だからです。廓然無聖の中には「真の功徳」などというものさえないのです。ここが実に難しいところですが、この公案を透過できるかどうかはまさにここが勝負です。己さえ悟れば良いとするのが小乗仏教(上座部仏教)ですが、真の悟りには菩提心がなければならないとして仏教は小乗から大乗に進化しました。その菩提心、その心を持つ者を菩薩といいます。
今年8月105歳で亡くなられた日野原重明先生の生き様に菩提心を感じます。先生は、ある時から「これからは人のために生きようと決心した」そうです。きれいごとを言う人はいくらでもいるものですが、先生のそれは本物だと感じました。
昭和45年赤軍派によるよど号ハイジャック事件に巻き込まれ、一時は死を覚悟しながらも生還できたことでまさに人生観が変わったとのこと。「自分は一度死んだ人間」だと思ったとき、「これからの人生は人のために使おう」と決心されたそうです。その思いで生涯現役医師を貫かれたのでしょう。
禅語に「大死一番大活現成」という言葉があります。死を乗り越えて臨んだ修行にこそ、本物の命を悟ることができるという意味です。死を覚悟したことで先生は命の尊さと価値ある生き方を悟られたのでしょう。
繰り返しになりますが、見返りを求めない生き方が菩薩行であり、人のために生きられる人を菩薩といいます。菩薩は心がけ次第で誰にでもなれるのです。そのお手本を見事に示されたのが日野原先生ではないでしょうか。  
 

 

■師の遷化によせて 善知識に感謝と哀悼
秋もいよいよ深まり秋の風情と秋の味覚を楽しめる時期となりました。当山庫裏先の庭に何本かの甘柿の木があり、今年も多くの実が成りました。柿好きの拙僧自身が30年程前植えたものでこの時期毎日何個か食べています。
そんな柿に小鳥もご相伴にあずかりにやってきますが、ちょっと感心することがあります。それは、自分が啄んで食べる柿を限定していることです。小鳥ですから、一個の柿を一度には食べ切れません。毎日少しづつ食べに来るのですが、前回食べ残した同じものを食べています。
つまり、手当たり次第口を付けるのではなく、自分が食べている柿を最後まで食べてから別のものに手を付けているという、他愛もないことですが、そんな小鳥に妙な「マナー?」を感じますが、小鳥自身はどう思っているのでしょうか。
話ついでに申せば、柿は栄養が大変豊富で健康に良いそうです。「柿が赤くなれば、医者が青くなる」と言われるほどの健康食品としての優れた果物だそうです。
ビタミンCは柿一個で一日の必要量がほぼ賄えるとか。その他各種ビタミン類からカロテン、ミネラルまで、様々な栄養、抗酸化物質が含まれていて、腸内環境の調整から、ガン予防、老化防止などなど、この時期食べないと損するようなものです。
特に二日酔いには効果が高いとか、酒好きの方(拙僧自身も含め)は是非意識して食べた方が良いのではないでしょうか。ただ気を付けることは、身体を冷やす効果があることや、特に干し柿になると高カロリーなので、糖尿病傾向の方などは注意が必要だそうです。
何か、「病気にならない生き方」の内容になってしまいましたが、体に良いものだからといってそればかり食べていたのではむしろ「偏食」になってしまいます。仏教の中道の精神と同じで、食事もバランスが大事です。偏らない食事にこだわることが必要です。
さて、拙僧が若い時から禅の指導を受け懇意にさせて頂いていた“恩師”ともいえる鴨川市龍泉寺住職(東堂)三浦良憲老師が去る10月1日八十七歳にて遷化されました。11日に本葬儀が修行されました。はからずも拙僧奠茶師の命を賜り、感謝と哀悼を捧げさせていただきました。
因みに、今回はご老師との縁と自分自身の昔に想いを巡らしてみました。ご老師との縁は、拙僧がまだ得度する前の十代の頃に遡ります。これから坊さんとして得度する前、坐禅の経験が必要だと言われ、師匠によって東京品川区豊町にある東照寺という寺の寮に入ることになりました。
その寮の名は「同愛寮」と言って、寮費も安価なことから一般社会人もいましたが、主に地方から出てきた大学生で占められていました。お寺は参禅道場でもありますから、寮生は当然毎朝坊さんと同じような坐禅とお勤めが必須です。4時起床、体操、坐禅、勤行、作務(そうじ)、そして食事になります。
何よりも大変だったのは、春、夏、冬の年三度の接心会(せっしんえ)です。接心とは五日間(本来は七日間)坐禅を集中して行う行事のことです。拙僧が入寮したのは四月の春の接心会の前日でした。
その日の夕方、先輩より坐禅の仕方を教わり、食後の席で一人の若い坊さんから、「明朝4時振鈴、接心に入る」と、厳しい口調で告げられました。その若い坊さんこそ、三浦良憲老師だったのです。自信のない拙僧など怖くて近寄れないような存在でした。
坐禅の「ざ」の字も知らない自分にとって、接心とは何か当然分かりません。翌朝から始まった坐禅は段々厳しい雰囲気になっていきました。しかし当初は坐禅にやる気もなく仕方なく座っていたというのが正直なところです。
当時三浦老師はまだ三十代前半で単頭職(坐禅の指導者)にあり、若くて実直な青年僧だったので厳しさは半端ではありませんでした。独参(どくさん)のため廊下に正座して順番待ちしている間でも容赦ない警策(きょうさく)を受けました。
因みに、「独参」とは師家(しけ)の部屋に一人で赴き直接対峙し指導を受けることです。「師家」とは、坐禅と仏法を教授する特別な資格を持った指導者のことです。東照寺では住職の伴鉄牛老師が師家として剛腕を振るわれていました。
「警策」とは、いうまでもなく坐禅中に肩を叩く棒のことです。東照寺は曹洞宗ですが、臨済宗系の公案を採り入れた流儀(いわゆる看話禅)だったので、頂いた公案を一心に単提します。
その公案の答えを求めて独参するのですが、答えが解っても解らなくても何度も繰り返し独参するのです。師家はいろいろな方法でヒントをくれますが、決して答えはくれません。公案はあくまで自分自身で悟らなければ意味がないからです。
師家伴鉄牛老師は原田祖岳系曹洞宗と呼ばれる会下(えか)にありましたので、ここで原田祖岳老師についてお話しておきましょう。原田老師は、7歳の時に曹洞宗の寺院に小僧として入り、20歳のときに自ら臨済宗正眼寺で修行、その後曹洞宗、臨済宗の双方の高僧を歴参されました。
臨済宗系の修行で見性(さとり)された老師だけに、禅の修行は公案禅を基本とするのが最も合理的だと認識されその流儀を貫かれたのです。「坐禅をしている姿がそのまま仏である」という、いわゆる「只管打坐」を標榜する曹洞宗本山や宗門の大学研究者に当時真っ向から対抗したので、異端的存在と見なされましたが、駒沢大学(曹洞宗立)仏教学部の教授を12間勤められました。 
仏教の本来の眼目は「見性(けんしょう)」であると主張する原田老師は、時として永平寺に対抗しました。例えば、「道元禅師は独参をしていた。永平寺には当時の『独参』の単牌がある筈だ」と主張しましたが、永平寺からは無回答だったそうです。 単牌とは修行内容を伝える「告示板」のことです。
福井県小浜の発心寺二十七世として晋住、専門僧堂を開単。ほかに五カ寺(宮津市智源寺など)を歴住し、そして東京品川に東照寺を開山されたのです。非常に厳格な人柄で、生涯独身を通され92歳で遷化されました。
そのような異色の高僧の弟子の一人が伴鉄牛老師ですから同じように指導が厳しかったのは、師に倣って当然だったのかもしれません。またその厳しさを更に受け継いだのが三浦良憲老師でした。
「原田祖岳系」と言いましたが、臨済宗との違いは、ただ公案を透過するのが目的ではなく、先ず「無字」の公案の徹底で「見性」を目指すのです。その関門が、文字通り祖録「無門関」の第一則「趙州狗子」(じょうしゅうくし)の「無字」の公案です。
「犬に仏性が有るのか」の質問に対して、「無」と答えたが、その真意は何かという公案です。無門関の著者・無門慧開禅師自身がこの「無字」の一字で大悟されたことから、この公案が第一則になっているのは理に叶ったものと理解できます。
「無門関」という名のとおり、もともと門など無いところに、我々凡夫は分別妄想により実体のない門を築いてしまっているのです。何としても、一度これら人間の妄想が作り上げた理屈の門を破壊して、真の「無門」の実体を見る必要があるのです。これを見性(けんしょう)と言います。(当山法話「17年12月成道会」、「19年3月無字の公案」乞参照)
拙僧30歳過ぎてから、更に公案を透過したいという思いから、当時の三浦良憲老師の参禅道場を訪ね参禅しました。老師の提唱を聞いていると、師の伴鉄牛老師の仕草に妙に似てきていることに子弟愛を感じた印象があります。
未熟な拙僧にも拘わらず単頭の位を頂きながら、何の恩返しもできなかったことを今更ながら恥ずかしく思います。拙僧自身の晋山式の助化師、本師の本葬儀の秉炬師(導師)などをお勤めいただいた恩もございます
東照寺、伴鉄牛老師、そして三浦良憲老師との縁がなければ、少なくても今のこのホームページは無かったのは確かだと思います。改めて老師への感謝と哀悼の意を捧げます。ありがとうございました。 

■台風災害の教訓 温暖化の責任を問う
台風15号が甚大な被害をもたらしてからもうすでに3週間が過ぎましたが、日を追うごとに被害の大きさが明らかになってきました。農産物の被害に限ればあの東日本大震災の被害額を越えたとか。いまだに瓦礫の後片付けやブルーシート張りに追われている人達がいます。
当山も本堂の瓦が多く吹き飛ばされ堂内はひどい雨漏りに襲われました。漆喰の壁が崩れ落ちたり、その泥や瓦の跡片付けや掃除に何日も追われました。これから畳の搬送もしなければならないし、問題は山積です。
屋根の修理は何年も先になるようですから、とりあえずはブルーシートで凌ぐしかありません。しかし頼める人がいないのです。特に本堂の屋根は高く勾配がきつく素人には無理です。大工さんも瓦屋さんも手が回らないと断られまさにお手上げ状態です。
何とか自分達でシートは張ったものの所詮素人仕事。その後雨が降る度に漏水に悩まされています。堂内にシートを敷きバケツを何十箇も並べて対処していますが頼みの綱もなく当面は仕方ありません。
90歳になろうというあるお年寄りが、「この歳まで生きてきて、こんな災害は初めてだ」と言っていましたが、死者10万人以上の犠牲者を出した関東大震災から今年で96年目になりますから、房州にとってはそれ以来の災害かもしれません。
房州は近年大きな災害がなく恵まれた地域だという思いが正直ありました。人って案外楽観論者なのです。「そろそろ大地震がくるかもしれない・・・でもまだ大丈夫だろう」とか「今度来る台風も避けるかもしれないし、たいしたことはないだろう」とか、高を括るのが一般人の心情ではないでしょうか。
だから災害はいつでも「想定外」なのです。ここ房州も「房州に限って」などという神話はありません。「今のところ」は恵まれていたに過ぎなかったのです。大自然の営みには贔屓やそんたくなどまったくないのです。特に災害大国日本である以上常に「想定内」を心掛けるべきです。
よく災害直後は誰でも備えの重要性を感じて防災用具や避難対策に大きな関心を持ちますが、時間が経つにつれて危機意識は薄らいでいくものです。折角用意された非常用グッズなどもいつの間にか存在感をなくし忘れられていきます。
さて、これまで東日本大震災・大津波、原発事故をはじめ、熊本地震や全国各地には多くの災害が発生し、長期にわたる避難生活を余儀なくされた方々や、復旧が遅れている地区の方々がいまだにいます。
今回のこの地域でも住み続けることができない程の被害を被った人達もいます。そんな人達と比べるというのもどうかと思いますが、個人的にはこの程度の被害で収まったと考えれば苦労もさほど厭いません。
当山の場合、4日間電気はありませんでしたが、水道とガスは大丈夫だったのでさして食事には困りませんでした。ただ猛暑のなか冷蔵庫とエアコンのないのには参りました。それでも車に行けばエアコンもテレビもあるのでその点は幸いでした。
久しぶりに夜はロウソクの下で過ごしました。昔子供のころは台風がくれば停電はしょっちゅうだったので慣れたものでした。当時はまだ冷蔵庫も洗濯機も炊飯器も無かったので、停電で困ったのは照明くらいのものでした。(まだ蛍光灯などなく裸電球の時代)
電気製品と言えばラジオくらいのものでした。エアコンなど当然ありません。夏はせいぜい扇風機だけでしたが、それでも暑さはなんとか凌げました。当時熱中症という言葉など聞かれませんでした。
冬は炬燵(こたつ)が暖房の主役でした。石油ストーブが出てきたのはもっと後のことです。やがて木炭や豆炭の炬燵が「電気炬燵」になり、ご飯釜が「電気釜」に、洗濯桶が「電気洗濯機」に、箒が「電気掃除機」にとみんな“電気仕掛け”に進化したのです。
子どもながら、「電気洗濯機」と聞いたとき、電気がどのようにして洗濯するのか不思議に思ったものです。やがて白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器」が人々の生活を飛躍的に豊かにしていきました。
あれから60年、電気は人々の生活に革命的な豊かさを齎しました。世はまさに「オール電化」の時代になったと言っても過言ではありません。今や電気がなければ一日たりとも、否一時たりとも生活はままならないのです。
人々はそんな「極楽生活」を享受してきましたが、その実態が主に化石燃料によるものであることを考えると、「極楽生活」は本物ではありません。それは、かけがえのない環境を犠牲にしてきたからです。
化石燃料を使い放題使い、二酸化炭素で大気を汚染し、プラスチックで海洋を汚染し続けてきました。その代償として今人類が直面しているのが生態系の破壊と地球温暖化です。まさに因果応報、異常気象は起こるべきして起きたのです。
人々は「極楽生活」が、地球は人類のものだというエゴによるものだったと反省していますが遅きに失しました。反省の割には1997年の京都議定書、2015年のパリ協定から遅々として温暖化対策は進んでいません。
温暖化は人類自らが招いた自業自得の結果として受け止めるべきですが、誰もどの国も自国の利益ばかりを優先して建前論ばかりで具体的な対策が示されません。国連の指導者達が本気で向き合っているとは思えません。
そんな大人達に大カツを入れたのが、スウェーデンの若干16歳の少女グレタ・トウンベリさんです。23日、国連本部で開かれた「気候行動サミット」に登壇した彼女は、温暖化対策に対し、具体的な対策が進まないことへの苛立ちを露わにし、涙ながらに訴えたのです。
「30年以上前から科学ははっきり示していました。生態系は崩壊しつつあり、私たちは絶滅の始まりにいるのにあなたたちが議論しているのはお金や経済成長というおとぎ話ばかり。よく言えたものですね。許せない。
あなたたちは目を背け続け解決策が少しも見えないのに、ここにきて『十分やってきた』とよく言えますね。私たちの声を聞き『切迫していることも理解している』と言う。この状況を理解しておきながら行動を起こさないのならあなたたちは『悪そのもの』です。
私はそれを信じたくないのです。何らかの技術で問題解決できるフリ≠よくできるものですね。今日この場で数値に沿った解決策や計画は一切示されることはない。
それは、ありのままを伝えられるほどあなたたちは大人になっていないから。あなたたちは私たちを裏切っているのです。未来の世代の目はあなたたちに向けられています。
裏切るなら私は言います。『あなたたちを絶対に許さない』あなたたちが好まなくても世界は目を覚まし変化が訪れています。」
一方、日本の新環境大臣小泉進次郎氏は22日、訪問先のニューヨークで海外メディアと記者会見し、独特の「小泉語」で地球温暖化対策への意気込みを語りました。「気候変動のような大きな問題は、面白く、クールでセクシーでなければならない」と。
野党が「意味不明」などと批判していますが、誰にとってもまったくの意味不明です。日本のこれからの若い政治家のホープとして期待されていますが、親の七光りと人気は抜群ですが政治家としての資質が問われます。
16歳の少女グレタ・トウンベリさんに「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と大カツを入れてもらいたいものです。(トランプ大統領と共に) 

■ボランティアにみる菩提心 善人のススメ
台風15号で終わりではありませんでした。ひと月も経たないうちに巨大な19号がほぼ同じコースをたどり追い打ちをかけました。更にその後25日に記録的豪雨が襲い、関東甲信、東北地方にかけて未曾有の被害をもたらしました。
昨年の西日本豪雨に続き今年は東日本で甚大な被害が起きました。特にひどかったのは豪雨による水害です。なんと71河川170ヶ所で氾濫が起こりました。そのあまりにも酷い被害状況に言葉がありません。
破壊された道路や家屋、水没した家や車や田畑、土砂崩れなど想像を絶する酷い光景をマスコミは連日伝えています。災害規模ではあの東日本大震災を上回るものになるとか。大自然の猛威を改めて見せつけられました。
ここ館山でも15号による被害のあと立て続けにきた19号とさらなる豪雨により被害は一層拡がってしまいました。館山市だけでも被害を受けた住宅は7,000戸を超え、業者不足のため修理は早くて半年以上先になるとか。
当山も三連発の襲撃を受け、ブルーシートもなくなり本堂屋根の雨漏りはひどくなる一方です。床にブルーシートを敷き80個のバケツで雨漏りを受けていますが大雨になると対処できません。業者は頼んでありますが先は見通せません。
それでも、もっと酷い状況下にある人たちのことを考えれば当山はまだまだまだ良いほうです。現にあるお寺さんは本堂の屋根がすっかり飛ばされ堂内の仏具も全部駄目になったそうです。
この一連の災害で家や住む場所を失った人、工場やお店を失ったり田畑や農園が破壊されたりして生活の基盤を失った人、先の目途の立たない人のなかには店を畳んだり廃業を考えている人も多くいるとか。そんな人達の気持ちは察するに余りあります。
一方、そんな被災地にとっていつも助け励まされるのが自衛隊やボランティアです。ここ館山でも全国各地から派遣された「災害派遣」の幕を掲げた自衛隊車両を多く見かけます。特設風呂や炊き出し、ブルーシートの指導など実に自衛隊サマサマです。
そしていつも被災地に必ず現れ助けてくれるのがボランティアです。被災者に寄り添い懸命に復旧作業を手伝う姿に被災民は励まされ勇気をもらいます。自分にはできないだけに彼らにはいつも頭が下がります。
言うまでもなくボランティアは、無償の奉仕活動です。人の為にとか、社会の為にとか、博愛だとか絆だとか口で言うのは簡単ですが、ボランティアは大きな自己犠牲精神がなければできないたいへん勇気ある行為です。
そんな打算のない見返りのない奉仕活動こそ、仏教でいうところの菩提心から発せられた布施行です。今回は、そんなボランティアの「布施行」から、「善人」とは何かについて考えてみましょう。
では、「善人」の概念とは何でしょうか。ちなみに広辞苑をみると「善良な人」とだけ記されています。もっと論理的な説明はないのでしょうか。拙僧の持論から言えば、それは「ひとのために尽くせる人」であり、仏教的に言えば菩提心を持った「布施行のできる人」のことです。
ではそんな「善人」とは具体的にはどんな人のことでしょうか。布施行の一つボランティア活動から考えてみましょう。ボランティアといえば、今や「スーパーボランティア」ですっかり有名になった尾畠春夫さんです。彼の生き様に「善人」を見ることができるのではないでしょうか。
そもそも、尾畠さんはなぜボランティアを始めたのでしょうか。そのきっかけは四国のお遍路だったそうです。「私はよく旅をしました。そんな中で四国のお遍路道を歩きました。そこで受けたおせったいが忘れられなかったのです。」おせったいとは寝床や食べ物を無償で提供するなど、善意による様々なおもてなしのことです。
「知らない人からいろいろな物をもらいました。親切にしてくれた人にあとでお礼をしたいので、電話番号や住所を聞いても、『お遍路さん、ここでは何かをあげたからって恩には着せない。もらったからって恩に感じなくていい』と言われました。」
その無償の精神に感銘を受け、65歳で魚屋を畳んでからは残りの人生をひとの為に尽くそうと思い、身体が健康で車の運転ができる限りは、被災地行ってボランティアをしていこうと決心したといいます。
見返りや損得勘定をする人や妬みや嫉みなどの強い人にはとてもボランティアは務まりません。他人を慮る心のある人、困った人を見過ごせない人、他人の身になり寄り添える人、これこそボランティアの資格ではないでしょうか。
尾畠さんは大好きなお酒について聞かれました。「酒はやめています。私はもともと大酒飲みでした。飲むというか、浴びていました。ただ東日本大震災で我慢しながら仮設住宅に住む人たちを目の当たりにして、酒は我慢することにしました。仮設住宅の人が全員外に出るその日まで、酒は飲まないと決めています。」
被災者によりそい、その人達が全員仮設住宅から出るまで、自分の嗜好を我慢するというその「願かけ」こそ菩提心(自未得度先度他の心)ではないでしょうか。「菩提心」とは、つまり自分がいまだ度(わた)らない前に他の人を渡して(助けて)あげようとする心根のことです。自分より他の人を優先するという思い遣りの心はなかなか持てるものではありません。
そして大事なことは、善人が布施行をするのではなく、布施行するのが善人になるという理屈です。布施行は善人の“特権”ではなく「善人になる」修行なのです。仏教の眼目はなんといっても「善人になる」ことですから。
「その形陋(かたちいや)しというとも、この心を発(おこせば、すでに一切衆生の導師なり)(道元禅師) 「その形」というのは、その風貌あるいは容姿というような意味です。悪業の果報としての地獄道とか餓鬼道、ないし畜生道というような悪趣におちた者は、醜悪な姿をしています。
しかし、たとえ、そのような陋(いや)しい容姿をさらしている者であっても、「この心」すなわち菩提心を発こすならば、その醜いすがたかたちのままで、一切衆生の導師たりうるというのです。菩提心を起こすということが、どれほど尊いものであるか、ということが示されています。
「此(この)心を発(おこ)せば、巳(すで)に一切衆生の導師なり、設(たと)い七歳の女流(にょりゅう)なりとも即(すなわ)四衆(ししゅ)の導師なり、衆生の慈父(じふ)なり、男女(なんにょ)を論ずること勿れ、此れ佛道極妙の法則なり」(道元禅師)
たとえ僅か七歳の童女であっても、もし菩提心を起こすならば、「四衆導師」とも「衆生の慈父」ともいうべきものであるという。また男女の別などあえて論ずるところではない、これが、「佛道極妙の法則」だというのです。
「極妙」の「妙」は、すぐれた、深遠な、という意味ですから「最高に優れた」法則(真理)だということです。菩提心によって老若男女、年齢や地位を問わず誰でも導師(善人)になれるのです。
善人は全てに感謝しますが、善人になれない人は全てに不満をもちます。善人は他人の幸福を喜びますが、善人になれない人は他人の幸福を妬みます。善人は他人に寄り添えますが、善人になれない人は自己中に徹します。善人は自分を幸せだと思いますが、善人になれない人は自分を不幸だと思います。
善人は好かれますが、善人になれない人は嫌われます。二度とない人生、あなたはどちらの人生を選びますか。 

■中村哲先生にみる菩提心 馬鹿は善人になれない
12月4日、アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた「ペシャワール会」代表で医師の中村哲さんが、現地で銃撃され亡くなりました。享年73、志半ばでの非業の死でした。
中村先生のご遺体がアフガンの空港を出発するとき、ガニ大統領自身が棺をかつぎ、成田空港に到着したとき多くの在日アフガン人が「感謝と謝罪の気持ちを伝えたい」と花束や先生の写真を手に集まり、死を悼みました。11日の葬儀には1300人以上の人達が参列しました。
モハバット大使は、「守れなくて、こういう結果になって残念で、お悔やみ申し上げます。アフガン人はみんな中村先生のことを愛していたのでみんな泣いている。アフガン人それぞれの心に英雄として永遠に残るでしょう」と話していました。
マスコミがこぞってその悲報と業績を報道する度に改めて凄い人だったんだということがわかります。 2008年に同じように現地でペシャワール会のメンバーとして働いていた伊藤和也さん(31歳)が撃たれて亡くなったとき(法話平成20年8月「菩提心」参考)に語った中村先生の言葉です。
「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓う」 異国アフガニスタンのために尽くしたのに、なぜアフガニスタンの地で殺されなければいけないのか、そんな伊藤和也さんの理不尽な出来事があっても、中村先生の視線は常に前を向いていました。
先生は、戦乱と干ばつで荒れたアフガンの地で「100の診療所より1本の用水路」といって現地の人々と共に用水路建設に取り組みました。 2010年には全長約25キロメートルの用水路が完成しガンベリ砂漠は1万6,500ヘクタールの緑の大地に生まれ変わりました。
水路は多くの農地と水の恵みをもたらし、これによって65万人もの難民たちが用水路の流域に帰農し、定住するようになったのです。想像を絶する途方もない努力があったのです。こうしたリダーシップと功績から多くのアフガン人から信頼され慕われていたのです。
異国の地で、先生はなぜこれほどまで必要とされ情熱を傾けられたのでしょうか。それは、中村先生が語った言葉に表れています。ある講演で、何十年も活動を続けられる原動力について聞かれた時に次のように答えています。
「ここで自分がやめると何十万人が困るという現実は非常に重たい。また、多くの人が私の仕事に対して希望を持って何十億円という寄付をしてくれている。その期待を裏切れない。何よりも現地の人たちに『みんな頑張れば、きちんと故郷で1日3回ご飯が食べられる』という約束を反故にすることになる。日本では首相までが無責任なことをいう時代だが、十数万人の命を預かっているという重圧は、とても個人の思いで済まされるものではない。みなが喜ぶと嬉しいもので、それに向けて努力することが原動力だと思う」
「泥棒に入る人だって強盗に入る人だって、別に遊び金が欲しいわけじゃないんですね。家族を食わせるために人のものに手をだしたり、米軍の傭兵になったり、あるいはタリバン派の傭兵になったりして、やむを得ずそうするけども、決して誰も望んでいない。とにかく平和に家族がみんな一緒にいて、安心して食べていけること。診療所を100個作るよりも用水路を1本作ったほうが、どれだけみんなの健康に役立つのかわからないと医者として思う」

こうした中村先生の人柄について、ノンフィクションライターの石戸諭氏は、「中村さんはクリスチャンで、基本的な姿勢は“天命”という考え方に近いと思う。 アフガニスタンで医療支援をしているうちに、人びとの命を守る医者として活動するとともに、アフガニスタンには“パンと水”の問題が重要だと言っていたことを思い出します」と述べています。
人の困るのを見て放っておけない、自分がしなければならないという使命感を「天命」と感じたのでしょうか。11年前伊藤和也さんが殺害されたとき多くの日本人スタッフが引き揚げたなか、中村先生は残って復興活動に取り組んでいました。
危険を顧みず、現地の人々のためにという固い決意があだとなったようで、残念でなりません。先生はクリスチャンだそうですが、仏教的にいえば先生こそ「菩提心」に満ちたまさに「菩薩」だったと言えるでしょう。
「約束を反故にしてはならない。日本では首相までが無責任なことをいう時代だが、十数万人の命を預かっているという重圧は、とても個人の思いで済まされるものではない」という中村先生のことばを1億3千万人という国民の命を預かっている安倍総理はどう聞いたのでしょうか。
「桜を見る会」から露呈した税金の私物化や公職選挙法違反の疑惑などの問題にも検証するための名簿や公文書が廃棄され一切残っていないとか。サーバーに残っていたバックアップデーターについて、行政文書ではないとの認識だというのですから、まさに確信犯的所業です。
安倍一強がもたらした政権内の腐敗が如実に現われた結果といえるでしょう。安倍政権、行政官僚までが安倍に阿(おもね)て、黒を黒だと言えない、まさに「大馬鹿」になってしまいました。
新聞のコラムに「馬鹿」の語源とその意味が分かり易く載っていましたので紹介します。今の安倍政権がまさに馬鹿の巣窟だということが良く分かります。
「ばか」はサンスクリット語に由来するというが、「馬鹿」の字があてられたのは「史記」にある中国の故事からという。秦の2代皇帝、胡亥(こがい)に丞相(じょうしょう)の趙高(ちょうこう)が「これは馬です」と言って鹿を献じた話である。
胡亥は「これは鹿ではないか」と左右の群臣に問うたが、多くは趙高におもねって「馬です」という。奸臣(かんしん)の趙高の狙いは群臣の自分への忠誠度を試すことで、この時に「鹿です」と言った物は後に彼によって粛清されることになった。
指鹿為馬(しろくいば)という次第だが、趙高の陰謀によって帝位についた胡亥もばかにされたものである。だが「公文書のバックアップデーターは公文書にあらず」と官房長官に言われた国民もかなりばかにされていないか。
首相の「桜を見る会」の招待者名簿を廃棄したと政府が答弁した5月、実はバックアップデーターがあったというのだ。国会が提出を求めた文書にこんな強弁を用いられては、公文書による行政の公正の担保も何もあったものではない。
そもそも功労者を遇する会の招待者名簿を、秘匿すべき個人情報だというが「指鹿為馬」でないか。首相の公私混同や怪しい招待者が注目される桜を見る会だか、真相をたどると公文書管理の問題に行き着くおなじみのパターンだ。
秦と異なり、居並ぶ役人からも、丞相を出した朋党(ほうとう)からも「これは鹿だ」の声が上がらぬ令和日本である。公文書で真実を検証できない世を放置していては、次世代から「馬鹿」のそしりを受けかねない。

信義も矜持も良心の咎めも捨てて、権力者におもねて、真実を曲げ、ウソを徹底することを「馬鹿」と言うのです。そんな馬鹿の蠢く政府、官僚の世界と比べると中村先生の魂は遥かに気高く崇高です。
毎年ゴマンの叙勲が連発されますが、真に功績のあった人達にもっと目を向けるべきです。伊藤和也さんのときにも言いましたが、中村哲先生は日本人の誇りです。日本に、世界からこれだけの尊敬と感謝を受けている人がいたのです。
世界中で偏狭な自国第一主義が広がる中で、手放しで尊敬するしかない方です。ノーベル平和賞が与えられて当然の人物だったといえるでしょう。日本政府は今からでも遅くはありません。先生に「国民栄誉賞」を贈られたらどうでしょう。少しは「馬鹿」のつぐないになるかもしれません。 
 
一切皆苦

 

 
■1 苦海の中の魚
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静を三法印といいますが、これに「一切皆苦」を加えて四法印といいます。今回は仏教の根幹教理でもあるこの「一切皆苦」について考えてみましょう。
まず、「人生は一切皆苦」であるとの意味とその本質をしっかり認識することによって様々な苦しみから解放されようとするのが今回のテーマなんです。認識と自覚の無いところに対応は無いのですから。「人生はすべて苦から成り立っている」「人生は苦そのものである」という理論をあなたはどう思われますか。多分よく理解できない人が多いと思います。
「毎日案外楽しいし、このまま自然に歳とって何時かは死んでいくだろう。そう大きな好い事も無いけどそう悪い事も無かったし、これからもこの調子で過ぎて行くだろうし、多分そうなるだろう。まあまあの人生かな。」と高をくくっているのではないでしょうか。今そのように思えるあなたは本当にラッキーでした。
ラッキーだったという意味は単に運が良かったということなんです。皮肉に聞こえるでしょうか。皮肉ではなく私の言わんとするところは、今までが例え安泰であったとしてもこれから先は分からないということです。今まで本当に辛かったこと、悲しかったことが無かっただけなんです。
将来のこと、来年のことのみならず明日のことさえ分からないのが人生なんです。一寸先が闇と言われるように、一瞬の間に大きく人生が変わってしまった人を私は何人も見てきました。それも良い方向に変わった例はほとんど無く、大きな不幸に見舞われた例の方が断然に多いのです。
世間には大変な苦しみや悲しみを受けている人が今のこの今数え切れない程います。毎日が地獄のような生活を送っている人が世界中にはゴマンといるのです。そんなことは知っていても「他人事」と思っているだけなんです。しかし、けっして他人事ではないのです。何時自分の身に降りかかってくるかも知れないのです。
大きな不幸もあれば小さな不幸もあります。色々な苦しみがあるのが人生なのです。残念ですが人生そのものが「苦」の本質であるという実態をまず認識して欲しいのです。人が見舞われる様々な「苦」、それをまとめて「四苦八苦」と言います。生老病死という四大苦に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つを加えて「四苦八苦」です。
生…生きていること自体肉体的精神的苦痛が伴います。
老…老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなります。
病…様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされます。
死…死ぬことへの恐怖、その先の不安。
愛別離苦(あいべつりく)…愛するものとの別れ。
怨憎会苦(おんぞうえく)…怨みや憎しみを持った者と会うこと。
求不得苦(ぐふとっく)…求めても得られないこと。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)…人間の五官(眼・耳・鼻・舌・身)で感じる五感から生れる苦しみ。
全ての人は人である以上この四苦八苦が付いてまわるのです。程度の差こそあれ人生そのものが四苦八苦なのです。これを「一切皆苦」と言うのです。もう少し「人間」と「苦」との関係について説明してみましょう。例えて言えば、人は「苦」という海の中を泳いでいる魚だと思ってください。
魚である以上、その「海」から出ることは出来ません。その環境から決して逃れられないのです。ここが一番の問題なんです。その環境である「海」を変えることが出来ないとすれば、ではどうすればいいのでしょう。
人生はすべて苦であるという点につきましては認識をもって頂いたでしょうか。認識と自覚の無いところに対応はありません。次にその対応について考えてみましょう。実はその「苦の海」の中にあって幸福に生きられるれっきとした方法が存在するのです。さすが仏教です。  

■2 苦海こそ法海
お釈迦さまの亡くなった日が2月15日です。仏教寺院では毎年この日お釈迦さまの入滅を記念しての法要が厳粛に修行されます。この法要を涅槃会といいます。降誕会、成道会、そしてこの涅槃会を三仏忌(さんぶっき)と申します。
これら三仏忌こそ仏弟子仏教徒にとっては最も大切にしている報恩感謝の法事なのです。その回向には「波羅蜜の妙徳を修証し上み法乳の慈恩に報いんために・・・」と謳われ、お釈迦さまの大恩慈悲の御恩に報いるためのわれわれの心構えが提唱されています。今回は今年も間もなく迎えるこの涅槃会に因み、「涅槃」をテーマにしてみました。
涅槃とはお釈迦さまの入滅を意味している言葉です。入滅とは文字通り「滅に入ること」であり肉体の滅却であり「死」を意味します。まずそのお釈迦さまの入滅の様子から伺ってみましょう。お釈迦さまは35歳でお悟りを開かれて以来45年間人類衆生済度のため全国を説法行脚されました。
しかしお釈迦さまも肉体を持った人間です。80歳になってからはとみに老いが進まれました。それでも渾身の力を振り絞られ最後の説法の旅に出られました。そしてやがてクシナガーラ城外の河畔にたどりついた時にはもう老いと疲れで歩くことも出来ず沙羅双樹の下に頭を北に右わきを下に横たわっていました。
お釈迦さまはご自分の入滅を悟り、弟子や人々を集めて最後の説法をされました。それが「遺教経」に説かれています。お釈迦さまのまわりに弟子ばかりではなく天竜や動物や鬼畜までもが集まって泣き叫んだと言われています。お釈迦さまはその悲嘆にくれる弟子達に向かって、これを慰め、常に精進することを諭され静かに目を閉じられ涅槃に入られたのです。
涅槃図にはその様子が細かく描かれています。その最後の説法である「遺教経」はお釈迦さまの教えが集約されている聖典であり禅宗では特に大切にされている教典の一つとなっています。本ホームページでもそのうち「仏教講座」のなかで是非とりあげていきたいと思っております。
さて、「涅槃」とはサンスクリット語で「ニルヴァーナ」と言います。「吹き消すこと」の意味と言われ一切の煩悩がふき消された悟りの境地を意味するそうです。また、原始仏教では貪欲の滅尽、瞋恚の滅尽、愚痴の滅尽つまり三毒がなくなった状態を涅槃と定義されているそうです。
そして涅槃には二段階ありお釈迦様が成道されてから入滅されるまでの肉体の存在する上での涅槃を有余涅槃、肉体が消滅してからの涅槃を無余涅槃と言っているようです。大乗仏教では人間にもともとそなわっている仏性をさして自性清浄涅槃、生死と涅槃を超えての涅槃を無住処涅槃と申すそうです。以上が学問的御託ですがこのような講釈は実におもしろくないものです。
そもそも「涅槃」にいろいろ区別や段階があるわけがないのです。仏さまにいろいろ段階が無いように涅槃は涅槃であって一つなのですから。そこで、まずお釈迦さまの死はなぜ単なる「死」とは言わず「涅槃」と言うのでしょう。それは、お釈迦さまは「死んでも死なない」死を超越した存在になられたということなのです。
「死んでも死なない」などと言いますと宗教の非合理的理論の押しつけのように思われるかもしれませんが、この理屈を私なりの浅智恵の範囲でなんとか論理的に論じてみたいと思います。これもまず御託から入りますがどうか聞いてください。
仏さまには、法身仏、報身仏、そして応身仏の3身があるとされています。法身仏とはこの全宇宙そのものが仏さまのカラダそれ自体だという考えです。つまり全宇宙の真理(法)の実態そのものを具現した仏さまなのです。
その仏さまが毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)と言われる仏さまです。奈良東大寺の「大仏さま」が有名です。(密教の方で申しますと大日如来がそれに相当します。)
毘廬舎那仏は沈黙の仏さまといわれ自らは説法しません。その法を説くのは毘廬舎那仏の毛孔から宇宙の隅々まで派遣された無数の仏さまなのです。その仏さまこそが釈迦牟尼仏であり「応身仏」と申します。全宇宙の百千億の国々に出現されるというのです。わがこの地球上にも2600年程昔インドに出世されました。
法身仏である毘廬舎那仏の「化身」として人類衆生済度のためこの地上に降誕されたので化身仏とも申します。報身仏とは、修行の結果悟りを開き覚者となった仏さまということです。つまり釈迦牟尼仏は、法身(ほっしん)、報身(ほうじん)、応身(おうじん)のすべてを具えた仏さまなのです。
このようにお釈迦さまの本質はもともと法身仏という全宇宙の本体そのものであるということです。従ってお釈迦さまの「死」は単なる肉体の「死」を超越し本来の本質に戻られたということなのです。
つまりお釈迦さまは人間としての肉体は滅びたとしても、その本質は本来本法性の永遠不滅の「久遠仏」(くおんぶつ)なのです。その本質こそが「涅槃」であり、涅槃そのものが宇宙実相の法身仏であるのです。
峰の色谷のひびきも皆ながら我が釈迦牟尼の声と姿と(道元禅師)
このように入滅されてもなお涅槃のお釈迦さまが而今に亘って我々を説法し続けているのです。どうですか。「死んでも死なない」お釈迦さまの存在がわかりましたか。しかし折角のそのお姿も生半可には拝見できません。
そのお釈迦さまに相見するためにはそれ相当の修行があっての結果なのです。相見はなかなか難しいかもしれませんが「修行」と「悟り」は別のものではないのです。「修証一如」を励みに精進しましょう。
新年明けましておめでとうございます。昨年3月にこのホームページを起ち上げて以来アクセスをいただいた数は4500を超えました。一人でも多くの人の参考になればと願っております。本年もよろしくお願いいたします。本年も引き続きましてこの「法話」のページを重ねていきたいと思います。
今回は「一切皆苦」(その2)をお届け致します。前回、喩えて言えば、人は「苦」という海の中を泳いでいる魚だと言いました。苦という海に生きている以上その「海」から逃れることはできないのです。四苦八苦の海が人生そのものだからです。
では一生その海の中で苦しまなければならないのでしょうか。だとしたら本当につらいことです。ではどうすればいいのでしょう。実はその苦海にあって苦から逃れる方法があるのです。
それが仏教というすばらしい宗教なのです。苦海を法海に変えていくのです。まず、魚である自分を変えていくことなのです。海自体は決して変わるものではありません。ではどのようにするのでしょう。
それは「魚」である自分をその「海」と一体化させるということです。そのために自分自身を変えていくことなのです。つまり「魚」という「自分」が「苦」という「海」に同化することなのです。ちょっと難しい話になりましたね、別の喩えで聴いてください。
例えば、「火」は熱いものですね。あたりまえに思っていますね。なぜでしょう。それは火と自分が対立しているからなのです。火それ自体は実は決して熱いものではないのです。(この点が難しいかな?)
火と対立しているから「熱い」のであって火それ自体は熱くも冷たくもないものなのです。火自体は自分が「熱いもの」とは思っていません。(擬人的に)火が熱いものなのだという観念は、火に対しての対立観念なのです。ここのポイントが大変重要なところなのです。ここをよ〜く考えてみてください。
戦国時代、武田信玄の菩提寺山梨県恵林寺が織田信長の攻撃を受けました。時の住職であった快川和尚の遺偈「安禅不必須山水滅却心頭火自涼」は特に有名な詩ですが、この句にその意味するところが実に良く表現されています。
完全に禅定の世界に入ることによって心も体も区別が無くなる。心と体の区別が無くなった時限でそれは火との区別も無くなることになる。そこで全てが一体になる。全てが一体になることはつまり火と一体になることである。火自体は熱くも冷たくもないであるから、特に山の水を使わなくとも快適な涼しい世界に入ることができるのだ。
という火との対立観念の無くなった世界・「空」の世界「涅槃」の世界を表したものです。実に禅僧らしい境涯と言っていいでしょう。そこで、その「火」を「苦」に置き換えてみてください。全ての「苦」は対立観念から発生しているのであるからその苦と一体になることでその苦から解放されるということになるのです
苦海が法海に変わるのです。それは自分が苦海に飲み込まれてしまうというのではありません。自分と苦海が同時に成仏するのです。イヤ、もともとお互いは成仏していたのでが、それが解らなかっただけなのです。(ちょっと難しくなってしまったかな?)でも私はこれを単なる理論として言っているのではありません。空論でもありません。事実を言っているのです。事実・真実を「仏法」と言います。いま私はその「仏法」を論じているのです。すべての対立観念が無くなった時点で「苦」が消滅するのです
そこに現れた世界を「法界」と言います。涅槃の世界、安楽の世界、極楽の世界が出現するのです。それが仏の世界なのです
幾万と悩める衆生をその仏の世界に入らしめんがために我が世尊釈迦牟尼仏は2500年来而今(にこん)に亘ってなお説法し続けているのです。なんと尊いことでしょう。それに応えることが「只管打坐(-しかんたざ-ただ坐禅すること)」であり、「一心称名」であるのです
あなたの仏様・・・お釈迦様であれ、観音様であれ、阿弥陀様であれ、お地蔵さまであれ、大日如来さまであれ、法蓮華経であれ、あなたの信ずるところの「ほとけさま」をお称えするのです。「一心称名」が絶対条件だと説くのが観音経です。是非あなたの仏様を信じてください。まちがいなくあなたはその仏様に救われます。これが私の結論です。  
 
極楽浄土

 

 
■1 極楽ってどんなところ
昨年の3月にこのホームページを開設してまもなく一年になりますが、お陰様で六千件のアクセスをいただきました。これからもよろしくお願い致します。
さて、極楽ってよく聞きますがどこにあるのでしょう。正式名称は「西方極楽浄土」といい西方十万億土を経た所にあるといわれています。そしてそこは、阿弥陀如来が支配している仏国土とされています。では極楽ってどんなところでしょうか。それが今回のテーマです。
極楽の極はきわみ、最高ということ。その究極の楽の世界――それが極楽なのです。そこは苦患の全くない安楽の世界と言われています。まさに理想郷であるのです。そんな理想の世界とは一体どんなところでしょう。まずみなさまは極楽をどの様にご想像されているのでしょうか。
辺りには宮殿や楼閣がそびえ建ち、仏を讃える雅楽声明が穏やかに響き渡り、辺り一面には馥郁たる香が漂っている。 人々のマイホームは全て豪華な宮殿造り。家のあらゆるところは四宝(金・銀・瑠璃・水晶)で飾られ、庭園には七宝(四宝にシャコ貝、珊瑚、瑪瑙を加えたもの)の池、その池の中には大きな蓮華の花が華麗に咲き乱れている。
人々はあらゆる装身具で身を美しく飾りたてている。食卓には各人の好みに応じた山海の珍味がふんだんに盛られいつでも鱈腹食べられる。どこを見ても美男美女しかいない。人々は自由を謳歌し、享楽と官能的快感に酔いしれている。
食欲、性欲、睡眠欲はいつでも完全に満たされている。言葉ではとうてい語り尽くせぬほどのただただおもしろおかしい楽園の世界――― もしそのような世界を想像していたとしたらそれこそ大変な間違いです。犯罪的誤解と言ってもいいかもしれませんよ。(そんな言葉ありませんか。)
「ただただおもしろおかしい楽園」とは単なる本能と欲望に満たされた快楽の世界に外ならないのです。快楽は麻薬のようなもので更なる快楽を喚び求めるため更なる欲望の世界に引きずり込まれていくのです。
快楽に溺れ退廃の先にあるのが畜生、修羅、餓鬼、地獄の世界なのです。快楽と安楽はまったく別のものです。先にも申しましたが安楽とは仏の世界を意味します。安楽の極致が「極楽」なのですから。
では本当の極楽ってどんなところでしょうか。そこは全てが揃っているので欲しい物は何も無い。いやなこと、いやなものは何もない。いやな人間も一人もいない。不満がないから詐欺、暴力、強盗、殺人、テロ、戦争などまったく起こらない。
人々は全てにおいて満ち足りていてストレスも無く心もからだもいたって健康。病気にもならない。年もとらない。もちろん死ぬこともない。不都合は全く無い安楽の世界―――― それが真の極楽なのです。
どうですか。快楽と安楽の違いがわかりますか。ここのところが最重要ポイントなのでここをどうか混同しないでしっかり把握してください。<全てが揃っているので欲しい物は何も無い>ということは、知足(ちそく)の世界だということです。
徒に欲望のない世界だということです。満ち足りているということです。貪欲や渇愛の結果飢渇にあえぐことになるのです。「汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、当に知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり。」 (遺教経) このようにお釈迦様もさいごの説法で力説していらっしゃいます。
<病気にもならない。年もとらない。もちろん死ぬこともない。>とは人々の永遠の願いですね。先月の「涅槃会」の中でも申しましたが、涅槃の世界には「死」がありません。<不都合は全く無い>とは「諸法無我」の世界であり、涅槃の世界だということです。
まだよくわからない人のために更に申し上げましょう。つまり安楽の世界には人間社会に有る「四苦八苦」が無いということなのです。「人生は一切皆苦」であると1月の法話のなかでも申しあげてきました。一切皆苦の中身が四苦八苦だといいました。この四苦八苦から解放されることが安楽なのです。
安楽の安は「安心」(あんじん)の安です。不安や迷いの無い「不動の境地」であり、それは同時に一切の「苦」の無くなった境地に外なりません。このように「快楽」と「安楽」の世界は似て非なるまったくの異質の世界なのです。「苦」から解放されることが真の「楽」なのです。
それが安楽であり、その極致が極楽なのです。なんだかまだよく分からないと思っている方の為にもう一つ卑近な例で申し上げましょう。特に何かで一度でも大変なつらい、苦しいことを経験された人ならわかるとおもいます。
ほんとうにつらい苦しいことから解放された時のことを思い返してみてください。「何も無いこと」がどれほど楽か。「何も無いこと」がこれほど楽だったとつくづく思いませんでしたか。思い当たる節はありますか。そこなんです。
無事がなにより。無事が一番。無事が最高なのです。無事で安心。無事が安楽なのです。そんなエラそうなことを言っている私自身にも経験があるから言っているのです。無事こそ息災なんです。そんな「無事で安心の境地」、これが安楽であり極楽へ通じているのです。
禅語にもあります。「無事是貴人」(ぶじこれきにん) 人間はもともと何も持たない存在であるから、余分な事や物を持たない境涯こそ貴人(ほとけ)である。
以上、今回のテーマ、極楽の様子については少しは理解していただけたと思います。「一切の煩悩から解放された安楽の世界」が「極楽」だという。ではその極楽という「理想郷」はなぜ西方十万億土も経た所にあるというのでしょうか。
西方十万億土とはあの世のことでしょうか。ではあの世とはどこにあるのでしょうか。 

■2 極楽ってどこ?
理想の世界、極楽浄土の様子については先月申し上げました。そこの実態がほんとうに理解できればその場所も自ずから解ってくる筈なのですが・・・ 今回はその極楽浄土のある場所について考えてみましょう。
まず極楽浄土ってほんとうに在るのでしょうか。結論から言いますと、ほんとうに在るのです。まちがいなく在ります。建前論ではなくほんとうに在るのです。そのことを私なりの持論、独論、珍論?で論理的に述べてみたいと思います。
お釈迦さまは阿弥陀経のなかで、西方十万億土にあって阿弥陀仏の住む極楽浄土がいかにすばらしいところか、どうすればそのすばらしい浄土に往生できるかを説いています。
お釈迦さまの説かれたお経ですから絶対にウソや間違いはありません。まずそのことを信じてください。宗教は信じることから始まるのです。では、ほんとうに在るというその極楽浄土の旅にこれからご案内致しましょう。
そのお釈迦さまの教え、その説法とはただただ大宇宙悠久の真理という「法」を説くことにあったのですが、お釈迦さまは相手によってその人に適った仕方で説法をされたといいます。これを対機説法といいます。
子供には子供なりの老人には老人なりの、その人となりを見極められて説法されたのです。 その手段として使われたのが「方便」です。お釈迦さまの説法の中には実に多くの比喩や方便が取り入れられています。ですからこの「方便」を抜きにお釈迦さまの説法やお経は語れないのです。
法華経にある「火宅の比喩」はとくに有名です。大邸宅にあって、子どもたちが嬉々として遊びたわむれています。その大邸宅が火事で燃えているのに全く気がついていないのです。子ども達の父は自分が大邸宅の外に出てみて火事に気がついたのです。
そして「早く出ておいで・・・」と声をかけるのですがこども達は遊びに夢中で父親の呼びかけに応じようとしません。そこで父親は、うまい方便(工夫)でもってこども達を誘い出して救うのです。それが「火宅の比喩」です。
救おうとする父親とはお釈迦さまであり、こども達とは迷える衆生のことを指しているのです。救うことを第一に考えると比喩や方便がどうしても必要だったのです。現代では言い訳に方便を使ったり、ウソを正当化させるために「ウソも方便」などと言ったりしますが、正しい使われ方ではありません。
「方便の家元」であるお釈迦さまが悲しまれます。本来の意味合いをしっかり心得てほしいものです。さて、ここであえて「方便」をとり挙げたのは、持論ですが、わたしは「他力門」の教えこそ方便だと考えるからです。
当時お釈迦さまのお弟子や信者の中には厳しい修行に依って悟ることのできない人達も当然大勢居たわけです。自力に頼れる人以外に悟りの道は開かれないとしたらそれはとても理不尽なことです。どんな人でも悟りを求める以上そこには道が開かれていなければなりません。
一切衆生を救うこと、それがお釈迦さまの本願ですから、お釈迦さまが修行の苦手な人達のために編み出した手法がこの「他力門」の教えであったとしてもしごく当然ではないでしょうか。その代表的教典が「無量寿経」などの阿弥陀三部経といわれるものです。
阿弥陀経の中には、「心から阿弥陀仏を念じることでどんな人でも極楽に往生できる」と説かれています。浄土宗の提唱する「浄土思想」の教えの根拠はこの阿弥陀経に由来していると考えられます。
阿弥陀仏の救いを信じ、専心念仏で極楽浄土に成仏できる・・・・実に分かりやすい教えですね。特に現世に失望している人たちにとって「来世の浄土」は絶対の魅力です。安心して臨終を迎えることができるのです。
むずかしい仏教理論を知らなくても、身を粉にして修行をしなくとも、ただ「南無阿弥陀仏」とお称えさえすればいいのです。実に単純明解な教えですね。まさに大乗仏教の精神がここにあると言ってもいいでしょう。
多分もうお分かりでしょう。つまり他力門の教えが方便であるとしたら即ち「阿弥陀経」の教えも方便であるということです。極楽浄土は十万億土も離れたとこに在るとのことですが、十万億土とは具体的にどの位の距離を言っているのでしょう。
正直私にはわかりませんが、随分と遠い宇宙の遙か彼方のことでしょう。そして「往生」とはまさに「あの世に行く」ことなのでしょう。このイメージこそが仏教は死んだ人をあの世に送ってあげる宗教であるかのようなイメージをつくりあげてしまっていると言ってもよいかもしれません。
現に仏教イコール葬式・法事をやる宗教だと思っている人がほとんどです。実は、もともと仏教は葬式・法事とはまったく無関係だったのです。実際、お釈迦さまにしても、最澄、空海、法然、道元、日蓮、親鸞といった各宗の祖師方におかれてもその一生の間にご自分の弟子や信者のための葬式をしたことはないのですよ。
どうです。驚きでしょう。江戸時代以降、お寺が檀家制度を取り入れてからその維持経営と檀家把握の手段として仏教が葬式を扱うようになったのです。以後葬式儀礼としての仏教が主流となってしまったのです。
むかしのお寺をよく見てください。実際、東大寺、薬師寺、法隆寺などに墓地や霊園などはまったくありません。むかしは、お寺とは今で言う大学みたいなもので仏教という学問を学ぶための文字通り殿堂だったのです。
本来の仏教寺院は生きている人たちに対しての「生き方」や「真理探求」の学問教授の所だったのです。否、今でもこれからでもそれが本題だということをここであらためて強調したいわけですが、現在の実態を考えると本来の仏教やお寺に戻れる可能性は果たしてあるのでしょうか。
あるようにはとても思えません。イヤハヤほんとうに末法なのでしょうかね。とは言うものの、今現にお寺から葬式が無くなってしまったらわれわれお坊さんはあがったりです。
信者だけのお布施だけでやっていけるお寺さんが果たしてどの位あるでしょうか。わたしも本音を申せばまったく自信がありません。随分えらそうなことを言っている割にはだらしない坊さんだと重々自覚しておりますので。
脱線が長くなりました。さて本論に戻りましょう。先にも申しましたように、わたしの持論は阿弥陀経の教えもお釈迦さまの巧みな方便を駆使した絶妙の説法であったということです。 わたしも阿弥陀経を読んでみましたが、「死んでから」とか「あの世」とかの具体的表現はどこにも見当たりません。
確かにあの世を彷彿とさせる内容ですが、例えば観音経の解釈に事訳と理訳があるように、阿弥陀経にも事訳と理訳があると思うのです。たしかに一般的に「往生」と言うと「死ぬこと」と解釈されていますが、それは極楽浄土をあの世と解釈するからなのです。
「往生」とはつまり悟りを得て涅槃に「往く」ことなのです。遠い極楽浄土に生まれかわるとは、理訳でいえば悟って涅槃の世界に入るということなのです。
さて、今回の極楽浄土への旅もまだ道半ばですが大分近づいてまいりました。 

■3 極楽ってここですよ
阿弥陀経の意味するところは方便を取り入れた他力門の教えだと申しました。お釈迦さまが方便を駆使したお説教の達人であったことを考えると当然のことです。ここでちょっと「方便」について私なりの考えを独論的に述べてみたいと思います。
方便とは仏教に限らずどの宗教にも宗教である以上その教えの中には必然的にその要素がとり入れられていると思うのです。方便の要素こそ宗教の本質に欠かせないものであると思うからです。そこで注意したいことは、「方便」の解釈を誤ったり過信したりすると「盲信」になるということです。
たしかに宗教である以上現世利益が求められるのは当然なことです。現世利益があってこそ宗教なのですから。しかし、方便が歪曲されてしまったり方便の範疇を逸脱したりしてしまうとそこにあるのは盲信や迷信の罠です。
例えば、拝めば病気が治る。拝めばお金が入る。信心が足りないから不幸が続くのだとか、そんな悪意の手口にはまるととんでもない災難や不幸に見舞われることにもなるのです。霊感商法などの詐欺行為に遭ったり、変な宗教にマインドコントロールされたりするのは盲信の結果なのです。
その極端な事例があのオウム真理教の事件と言ったらよいでしょう。大変な殺人事件を起こした者の多くはもとはといえば純粋な若者たちだったのです。多分最初から殺人鬼の集団と知って入信した人はまずいないと思います。盲信の結果殺人鬼に仕立て上げられてしまったのです。これを狂信と言います。
変な宗教に引っ掛からないためにも普段から正しい信仰を持っておくことが大切なのです。正しい信仰とは正しい信条をもった宗教に帰依するということです。正しい信仰は邪教に対する免疫力にもなり抵抗力にもなるのです。
宗教は「阿片」ですからマインドコントロールされない眼力を養う必要があるのです。それには何よりときどきこのホームページを見ることです。いつもご覧の方はまず心配ないでしょう。わたしがいつもこのページに「正しい気」を吹き込んでいますので安心してください。(これはマインドコントロールではありませよ、念のためここでアピール)
「あの世の極楽浄土へ往生できる」とはつまり方便だと申しましたが、そこでそれは方便だから事実ではない「ウソ」だろうと決めつけてしまってはそれこそ元も子も無くなってしまいます。方便は迷信ともごまかしとも違います。方便とはつまり「事実の比喩」なのです。だから「真実」なのです。そのまま真実として信じてください。
念仏こそ悟りへの他力門であると申しましたね。ただただ阿弥陀仏を一心に称名することで阿弥陀さまに救って頂けるということ。そのねらいはまさに「一心称名観世音菩薩」と同じであるのです。
一心に念仏することで無心に成りきり、それはそのまま無相無碍の阿弥陀仏の世界に取り込まれるというシナリオなのです。どうですか。このように方便の中に真実があるのがわかりますね。ちっとも難しくないでしょう。
「念仏」という実践がそのまま悟りであるという、修と証が一如であるという(修行と悟りは一体であるということ)お釈迦さまの意図が正にここに有るのです。自力門も他力門も入り口だけが別なだけでそのゴールは全く同じ極楽浄土であったのです。
お釈迦さまの狙いは只一つ涅槃の世界へ人々を導くことにあるのですから、如何に人々を彼岸の世界・浄土の世界へ導くかにあるのです。方便がその大きな手法の一つであるのがわかりますね。
さて、「極楽浄土」への旅もいよいよ佳境へとやってきました。煩悩があるから悟りがあるのです。穢土があるから浄土があるのです。此岸があるから彼岸があるのです。
此岸での迷いが深いほど彼岸の距離は遠いのです。彼岸への距離は迷いの程度に比例しているのです。迷いの深い娑婆世界に居るからこそ、極楽浄土は遠い遠い遙か彼方に存在するのです。その想像もつかないほどの遠い距離を「十万億土」という言葉で表しているのです。
これこそ方便であるのですが、同時に真実なのですよ。ほんとうにたいしたもんだと思いますお釈迦さまは。ひとによってそれぞれ極楽浄土への距離はちがうのです。どうでしょうか、あなたの極楽浄土はどの位のところにありますか。とても想像つかないですって?イヤイヤそれが普通なのですよ。
でも、もし少しでもその距離を縮めたいと思ったら修行することです。当山の坐禅会に来てみてはどうですか?えっ?自力門は大変だから他力門にするって?「方便」を要領に使われるのはどうかと思いますね。まあいずれにしろ阿弥陀さまはすべてをお見通しですから好きにしてください。
「毫釐(ごうり)も差あれば天地はるかに隔(へだ)たる。」(普勧坐禅儀・道元禅師)悟ってみれば全宇宙は一つであり、己自身が宇宙そのものだと分かるのです。そこには十万億土の距離なんて全くありません。自分と極楽の間には「毫釐の差」も無いのです。
天地輿我同根 萬物輿我一体「天地と我と同根、万物と我と一体」(碧巌録) 宇宙の全てが我が身の中に存在するのです。「ここ」こそ涅槃、「ここ」こそ浄土、「ここ」こそ毘廬舎那仏の本体なのです。「阿弥陀さまは西方浄土にいらっしゃるが、地獄とはどちらの方角にあるんですか」ある人が一休禅師に訊ねました。
「地獄か。きまっているではないか。南の方角だよ」「地獄は南方にあるんですか。証拠でもあるんですか」「証拠はおまえさん自身だよ。みんなみにある」「みんな身にあるんだよ。地獄はみんなわが身にあるんだよ」
仏教に「六道」という言葉がありますね。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界です。一般的にはこれらは死後の世界だろうと思っているようです。おそらくあなた自身そう思っていませんか。半分当っていると言えます。
なぜ半分かといいますと真如の世界には生前と死後の区別が無いのです。般若心経の「不生不滅」の意味はそのことを言っているのです。あの世とこの世の区別が無いということは地獄や極楽はあの世にもこの世にも在るということです。
この世に生きている私たち自身の今のそのままの心が、地獄から最高は極楽浄土まで行ったり来たりしているのです。地獄も極楽もすべてこの身の内にあるのです。
お釈迦さまは開悟したときに思わず叫びました。「人間はもとより禽獣虫魚も山川草木もみな成仏して、それぞれに大光明を放っており、昨日まで穢土(えど)と思っていたこの娑婆世界が、そのまま極楽浄土であることに気が付いた。このように開悟すれば娑婆即浄土であり、大調和の世界である。」と。
どうですか。遠い遠いと思って旅してきました極楽への旅は「ここ」こそ極楽だったのです。今あなたが住んでいるその場がいつでも極楽浄土にもなれば地獄にもなるという、極楽も地獄もすべてはあなたのこころ次第で決まるという・・・・これが結論です。 
 

 

 
■1 四恩
仏教では、人は生まれながらにして四つの恩を戴いているとされています。これを四恩(しおん)と申しまして、国王(国家)、衆生、三宝そして父母の四つの恩です。恩という字は心の上に因という字が乗っています。因は「もとづく」とか「うけつぐ」という意味です。
「心」の上に「受け継いでいるもの」を乗せているのが「恩」なのです。「受け継いでいるもの」とは「お陰」です。私たちは様々な「お陰さま」を受けて生きているのです。その四つの大きなお蔭さまが「四恩」です。
四恩を自覚することが「恩義」であり、人が他の生き物と一番違うのはこの恩義を持っているということです。これは間違いありません。この恩義に感謝することが報恩への道なのです。
しかし、どうでしょう。世の中特に最近ではこの恩義を感じない人が増えてきてはいないでしょうか。恩義を感じないと人は利己的になったり、自己中心的になるのです。当然「おもいやり」の気持ちはありません。思いやりが無いから、いじめや暴力が生まれるのです。
毎日のニュースをみてください。親の子殺し、子供の親殺し、詐欺、ストーカー、強姦、放火、殺人、などなど凶悪犯罪が後を絶ちません。今や日本も犯罪大国になってしまいました。犯罪はすべて「おもいやり」の無い自己中心的、短絡的思考の結果なのです。
子供の犯罪も増えています。躾がどうの教育がどうのという次元を超えてしまっているようです。今ほど心の教育が求められている時代はありません。心の教育・・・それが「四恩」の教育なのです。はじめに申しましたように、人が人として受け継いでいる四つの恩を心に刻んで欲しいのです。
本宗の本尊上供という法要の中に「四恩すべて報じ・・・」という回向文があります。人は人である以上これら四つの恩を自覚し、それに報いるべく努めることが仏教徒としての務めであると謳われています。
先ず国王の恩ですが、国王とは国家社会の指導者です。有史以来それぞれの民族は自衛と繁栄のために国家を建設し、その中心にいたのが国王であり君主であったのです。民主主義社会の現代では国の指導者や国家それ自体がそれに相当すると言ってよいでしょう。今でもこれからも国民の一人一人は国家社会の庇護と恩恵を受けていることを忘れてはいけません。
次に衆生の恩ですが、衆生とは生きとし生ける一切の命ある生き物のことです。人はこの一切衆生との関わり合いの中で生かされているのです。また衆生とは広い意味では生物無生物を問わず環境の全てと解釈すべきだと思います。
次に三宝です。これは仏・法・僧のことです。申すまでもなく仏教徒にとってこの三宝が原点であり信仰の拠り所となっています。仏は仏陀であり本師です。法は仏陀の真理の教えであり、僧はその教えの修行者であり同時にリーダーなのです。
最後が「父母の恩」です。人は父母を縁として人はこの世に生を受けたのです。「願生此娑婆国土しきたれり」(修証義)この世に生まれたいという願いを両親が叶えてくれたのです。これこそ絶対の「恩」なのです。
その父母もそのまた父母の恩を戴いているのです。つまり父母の恩の連鎖が御先祖の恩なのです。まず親や御先祖の「こころ」を知ることです。そのこころを自分の心に乗せて受け継ぐことが「恩」なのです。そしてその恩をさらに子々孫々に伝えていくことが「報恩」であるのです。
この夏ある若者(女性・20代)が叔父という人と二人でうちのお寺にやってきました。彼女は父親の遺骨を持参しました。自然葬をしたいとのことでした。話を伺うと、自分たち3兄妹がまだ幼い頃両親は離婚をしてしまったそうです。以来自分たちは母親のもとで育てられたとのこと。だから父親の「存在」は記憶にも気持ちの中にもまったく無かったそうです。
そんな父親が最近あるアパートで孤独死をしてしまったそうです。警察からの連絡で戸籍上身元引き受け人となり火葬までは済ませたとのことでした。兄妹の話し合いの結果「特にお世話になった人でもないので自然葬で海に流そう」ということになったというのです。そこで自然葬の相談にうちのお寺にやってきたという次第です。
私は「自然葬も今では業者がいくつもありますから可能ですよ。でも自然葬も葬儀ですから葬儀をすることになりますよ」と申しました。そしてインターネットで検索した業者のコピーを渡しました。「ではまた話し合ってみます」と言って彼女は遺骨を置いて帰られました。
それから数日後長男という方が見えて「お骨を頂きに来ました。やはり海に撒くことにしました」とのことでした。結局彼らは葬儀も一切の供養もせずにある外房の海に遺骨を流してしまったのです。ただ娘さんだけは反対したそうですが二人の兄(一人は弟?)には逆らえなかったそうです。
自分たちでハンマーで砕骨し、海に行って撒いたそうです。一切の宗教的儀礼も無く。これが「自然葬」になりますか?浮かばれますか?捨てただけのことです。「自分達は何の世話にもなっていない人だから・・」と言った言葉が忘れられません。彼らに「父親の恩」は無かったのです。 

■2 父母の恩・知恩
「善男子、善女人よ。わたしたちは、父親にいつくしみ(慈)の恩を、母親にあわれみ(悲)の恩をうけている。なぜなら、人間がこの世に生まれてくるには、前世に自分が蒔いた善悪の種子(たね)を直接原因とし、父と母とを間接条件としているからだ。父がなければ、わたしたちはこの世に生まれてこないし、母がなければ育つことができない。(父母恩重経:ぶもおんじゅうきょう)
父母恩重経のはじめの方のことばですが、申すまでもなくあなたはあなたの両親がいてこそ今のあなたが存在するのです。今のあなたの「存在」は絶対のものですね。そう認識できますか? だとするとそれは同時にあなたの両親も絶対の存在ということになります。
例えあなたの両親が今健在であろうと故人であろうとその「存在」の意味は変わりません。はじめから少し難しくなってしまいましたが、ここでは先ずその「存在」の意味を考えてみましょう。
その「存在」が絶対ということは永遠ということです。あなたもあなたの両親も永遠の存在なのです。これはすなわちあなたも両親もそしてご先祖様も同じ永遠の存在だということになります。その「永遠の存在」とは言い換えれば「永遠の命」ということです。つまり今のあなたは「永遠の命」という「恩」を戴いているのです。
その恩は「絶対の恩」です。絶対とは不変ということです。不変とは実質が変わらないということです。増減が無いということです。死んでもう何十年も経ったからといってその恩が薄れることはないのです。
この人間世界の常識ではすべてのものが時間と共に確実に薄らいでゆきます。しかしこの絶対の恩は「絶対」だから決して薄らぐことはないのです。もう何年もお中元とお歳暮を贈ったから大体恩はお返し出来ただろうというような世間の恩義とは別時限のものなのです。
時間が経って薄らぐのは人の記憶と気持ちと器量だけです。イヤ「罪」も確実に薄れていくとされています。余談ですが、わたしが納得できないものに「時効」というものがあります。どんな罪を犯したとしても時間がくれば罪を問われないという摩訶不思議な制度です。罪が問われないということは無罪と同じです。一定の時間が過ぎれば免罪になるというのはおかしな理屈です。
宗教的には罪は罪であってどんなに時間が過ぎようがその罪が薄らぐことはないのです。ちょうど今日のニュースにありました。若い小学校の先生を殺害した犯人が時効が過ぎて自首したそうです。その後の民事裁判の内容が報じられていましたが、民事においても時効が成立していたため、たいした賠償金も無いそうです。
そんな僅かな賠償金をめぐってなお犯人は最高裁まで争うとか言っていたそうです。そんな犯人ですからいまだに謝罪も無いそうです。マスコミも時効が成立していると言うのならその犯人の顔をはっきり出したらどうでしょうか。遺族が「怒りと悲しみに時効はありません。」と言っていましたが、まったく気の毒です。
これもちょうど今日のニュースでした。奈良の女児誘拐殺人事件の一審で死刑を告げられた小林薫被告は自ら死刑を望み、遺族に対して悪びれた様子もなく何の謝罪も無かったそうです。どちらもまったく理不尽なことです。しかしですよ、例えこの世で裁かれなくとも必ず来世が待っているのです。
わたしの口癖ですが、極楽浄土は仏を信じる人しか往けません。しかし、地獄は別です。信じなくとも往ける世界なのです。たしかに人である以上どんな人でも過ちや間違いを起こすことはあり得ます。それが人間というものかもしれません。ですからそのために仏教には「懺悔」(さんげ)があるのです。
懺悔とは心から悔い改めることを言います。「滅罪」の方法は心からの懺悔しか無いのです。親鸞聖人の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」の悪人正機説はあまりにも有名なことばですが誤解をしないでください。この真意は心からの懺悔を前提としての理論なのです。
何の懺悔も無く、罪が問われないとか悪人が救われるなどということは絶対にありませんから。いいですか。もし悪人殿がこのページをみていたらこのことをしっかりと肝に銘じてください。え?悪人はこのようなページなど見ないですって? なるほど。分かるような気がします。このようなページを見てくださるのはあなたのような善人だけなのでしょうね。
間違いなくあなたは善人です。自信を持ってください。これからも善人で居続けることを願っていますよ。余談ですが、お陰様でこのホームページもアクセス数が先日一万件を超えました。多くの善人に励まされているのですね。これからもガンバリます。よろしくお願いします。
さて、本論に戻りましょう。我々は親を通して「永遠の命」という「恩」を戴いていると申しました。その恩を「絶対の恩」と言い決して薄れることのないものであるという・・・ その恩を知るにはまず親の恩を知ることから始まります。ここで父母の恩の「十種の恩徳」を紹介しておきましょう。
「父母の恩の重きこと、まさに天に限りないのと同じである。善男子・善女人よ、この父母の恩を詳しく説くならば、十種の恩徳となる。
第一に、懐妊中、母が子を守護してくれた恩。
第二に、出産の折、母が苦しみに耐えてくれた恩。
第三に、子どもが生まれたとたん、母がそれまでのすべての苦しみを忘れてくれた恩。
第四に、乳をのませ、養育してくれた恩。
第五に、子のために乾いた場所をゆずり、みずからは湿ったとことに寝てくれた恩。
第六に、子の不浄物を、洗い濯いでくれた恩。
第七に、子に食物を与えるとき、口にふくんで、苦きものはみずから呑みこみ、甘きを吐きて子に与えてくれた恩。
第八に、子のために、あえてみずからは悪業をすすんでつくってくれた恩。
第九に、子が遠くに行ったとき、子の安否を気遣ってくれた恩。
第十に、最初から最後まで、ひたすら子に慈愛をかけてくれた恩。
父母の恩の重きこと、天に限りがないのと同じである。善男子、善女人よ、ではわれわれはこのような父母の恩に、いかにすれば報いることができるであろうか。(父母恩重経)

お釈迦さまは、天に限りの無いのと同じくらい大きな父母の恩に報いるにはどうすればよいかと問われ、それには先ず「知恩」だと申されています。 恩に報いるには先ずその恩というものを知らなければなりません。これを「知恩」といいます。
恩を知ることで人は感謝をします。恩を知ることで人は優しくなれます。恩を知ることで人は全てを許します。恩を知ることで人は命の大切さや知ります。恩を知ることで人は真実に目覚めます。
どうですか。恩を知ることでいじめや暴力などの芽が育つ余地など無くなります。そればかりかあらゆる犯罪が無くなりますよ。わたしの持論ですが、こどもや世の中がこうも悪くなったのは核家族化が最大の原因だと言ってもよいでしょう。
その最大の問題点は、子ども達がお爺ちゃんお婆ちゃんから引き離されてしまったということです。それは同時に仏壇や神棚が無いところで子どもが育ったということです。古来子どもたちはお爺ちゃんお婆ちゃんから様々なもの、形有るもの形無いものを沢山教わり授かりました。
お爺ちゃんお婆ちゃんは御先祖様や仏さま神さまから沢山の「受け継ぐもの」を持っていたからです。それが今では「宝の持ち腐れ」同然です。「受け継ぐべきもの」を乗せている「心」が恩だと言いましたね。恩を知るという「知恩」の環境がすっかり損なわれてしまったのです。
最近の子どもは悪くなったと言いますが、子どもには責任はありません。子どもこそ被害者なのです。それも分からず少年法の適用年齢をどんどん下げようとしていますが、本末転倒です。問題は家庭だ、イヤ学校だ、やれ社会だ、などとそれぞれが勝手な議論をしているだけで的を射ているものは有りません。
エライ学者先生達も随分議論していますがとんちんかんな烏合の衆でしかありません。だいたい今「恩」を話題にしたり問題にしたりする人が一人でもいますか? 世の大人は早くその核心に気がつかなければなりません。
そんな中ちょっとだけ気になるニュースがありました。昨日阿倍新内閣が発足致しましたが、教育基本法の改正を最重要課題にしているそうです。愛国心についても取り上げられているとか。そのことでの賛否両論があるようですが、愛国心を否定する人の考えが私には理解できません。
教育は国家百年の計ともいわれています。犯罪の年少化、教員の不祥事等を考えると教育改革に問題意識を持たれた阿倍さんをおおいに評価したいと思います。是非大鉈を振って欲しいと思います。
ただ私の意見を言わせていただければ、対症療法では駄目だということです。ただ徒に規則、罰則を厳しくするだけでは決して問題の根本的解決にはなりません。人が決まるのはすべて「こころ」です。だから本当に必要なのは心の教育なのです。「心の教育」とは、すなわち「恩」の教育です。
「愛国心」もその一つです。四恩の内の「国王の恩」と同じです。誤解しないでください。真の愛国心とはファシズムともナショナリズムとも違います。国家の恩を知ることで感謝の心が育ちます。
それは人として国民として誇りと勇気と自信を育みます。それは優しさと思いやりの心を育て命の大切さを知ることになります。世界平和の基はまず人造りからです。今回は大分話が大きくなってしまいましたが、ともかく阿倍新総理に期待しましょう。
しかしどうもわたくし的には宗教性のない政策にはどうも実効性があるようには思えません。やはり宗教ですよ。もはや人造りは宗教教育を通して「恩」を教えることでしか無いと私は思うのです。 

■3 不知恩の戒め
前回は、人は恩を知ることで感謝を知り、おもいやりの心が育つのだと言いました。「恩」を知らないところに虐待やいじめの心が芽生えるのだ・・・と。なぜか今月に入り特に子どもの虐待、いじめによる自殺などのニュースが目立ちます。虐待、いじめなどは人間の尊厳を否定する行為です。
この非人間性の行為が今日本中の家庭、学校を襲っています。この現象は明らかに宗教教育の衰退がもたらした結果だとわたしは思っています。「恩」の教えが無くなってしまったのです。そこで今回は「恩」を失った「不知恩の戒め」ということで考えてみたいと思います。
つい最近の福岡での中2男子生徒のいじめによる自殺は、その発端が元担任教師によるものだったことから俄然社会の関心を集め、メディアはこぞって連日その成り行きをニュースで伝えています。この件では、母親からの相談内容を教師が同級生に漏らしたことからいじめが始まったとのこと。
学校側はそんな事実をなんとか隠し通そうとしていたようですが「遺書」の存在が明らかになり仕方なく「いじめ」を認め雁首そろえて生徒宅に謝罪に訪れていました。父親が特に激しい口調で「あの笑顔を返せよ!」と怒鳴っていたのにはおもわず共感と憤りを覚えました。学校と教育委員会のいじめ隠蔽体質の実態が暴露された映像だけに大変なインパクトがありました。
ついそのちょっと前には北海道滝川市での小学6年生の女子児童のいじめによる自殺のニュースがあったばかりです。「私が死んだらよんでください」と書かれたものを"遺書"とは言わずあえて"手紙"と言っていた教育委員会のそらぞらしい態度にも思わず腹立たしさを覚えました。
遺族の悲痛な訴えと周りからの批難と抗議によって一年以上も経ってからやっと教育委員会は「いじめによる自殺」と認めたというのです。この理不尽な事件を機に学校や教育委員会の隠蔽体質に対してマスコミの攻撃的取材が始まったようです。
このほかにも福島では中一女子生徒がいじめを受け、柔道の練習と称して男子生徒から集団で投げ飛ばされ脳挫傷となり8時間もの手術を受けたにも拘わらず、3年も経った現在でも意識不明の重態が続いているという。
PTA臨時総会が開かれたそうですが、学校側は「休憩中に倒れた」として「学校に一切責任はない」とし、さらに保護者会では「もともと脳に障害があった」とさえ言い切ったとか。その学校の校長はいまだにマスコミの取材を一切拒否しているそうです。
いじめは1980年代に社会問題化し、すでに20年以上も経っているのに実態はまったく変わっていなかったのです。イヤ実態はむしろ悪化し深く潜行していたと言って良いでしょう。それがこのところの相次ぐ「事件」の発覚で全国でのいじめの実態が続々明らかにされてきているというのです。
マスコミによれば小・中・高生のいじめは年間2万〜3万件もあるそうです。自殺は年間100人〜160人にも上るとのことです。その全てがいじめによるものとは言えないかもしれませんが、子どもが借金や病気を苦に自殺をするでしょうか。ところが文部科学省の発表するデータによると、いじめによる自殺者は過去七年間毎年ゼロであるというからまったくの驚きです。
このギャップは一体何でしょう。その理由は学校と教育委員会の「体面」と「保身」のための「責任回避」に他ならないのです。「いじめ」を認めたら裁判に勝てないという思惑がすべての隠蔽工作に繋がっているのです。
保身と責任回避を優先させるところには必ず嘘と隠蔽の体質が発生するのです。ウソと隠蔽は"犯罪"です。これが行政組織の「体質」になっているとすれば、はっきり言って北朝鮮とかわらないではないですか。
学校も教育委員会も腐りきってしまったのでしょうか。誤解の無いように申しあげますが、日本のすべての学校、全ての教師がそうだと言っているのではありません。勿論真面目に一生懸命に子どものためにがんばっている先生も沢山いるのです。
これも今日のニュースでした。23才の若い小学校の女性教諭が心の病で自殺をしてしまったそうです。せっかく崇高な夢を持って教師になったばかりでした。ご両親は労災の申請をしたとのことです。
学校の環境がかなり悪化しているのでしょう。心の病にかかる教師も急増していてこの十年間で3倍にもなっているそうです。教師にも学校にも異変が起こっているのです。
また、なんと虐待の多いことでしょう。京都での三歳児が虐待によって餓死したニュースが報じられていました。しつけと称してほとんど食事を与えなかったそうです。たかが三歳児ですよ。何の罪もありません。そんなバカ親の元に生まれてきたことを恨んでいるでしょう。その無念を思わずにはいられません。
マスコミによりますと、昨年だけでも3万4千件以上の虐待が報告されているそうです。報告されたものだけですから実態はもっと深刻な筈です。そしてなんと毎年50人前後の子どもが虐待死しているそうです。虐待白書によると、虐待の相談件数はこの10年間で15、4倍になっているとか。虐待は実母によるものが59%、実父によるものが24%、両親あわせて83%であるという。
家庭にも大きな異変が起こっているのです。このように家庭も教師も学校も行政もみんな明らかにおかしくなっているのです。今まで何度も言ってきましたが、子どもにはまったく罪も責任もありません。子どもは宝です。未来です。夢です。子どもが駄目になったら未来はありません。
「美しい国・日本」などと悠長なことを言ってはおれません。早くなんとかしなければなりません。責任はすべて大人社会にあることをしっかりと認識すべきです。
安倍総理はタイミングよろしく教育再生会議なるものを立ち上げました。メンバーは各界から選りすぐられた十七人の有識者で構成されているそうです。期待感も高いようで是非注目したいところです。
しかしですよ。各界の有識者とは言いますが、宗教関係者が一人も入っていないところが気になります。いささか疑問ですね。これは今の宗教界が当てにされていないということなのでしょうか。或いは教育に宗教の必要性が認められていないということなのでしょうか。私はその両方だと思うのです。
確かに今まで宗教界は積極的に宗教教育をアピールしてこなかったということは言えるかも知れません。でもこれはアピールしてこなかったというよりはアピールできる"人"が居なかったのだと私は思うのです。残念ながら宗教界はまったくの"人材"不足なのです。
そこで持論を言いたいのですが、現在の倫理観や道徳観がこうも衰退し乱れてしまったその責任の大半は宗教界にあると私は思うのです。一般的にその社会の倫理道徳観はその社会の文化通念に基づいているのです。その社会の文化通念の多くは宗教に基づいているのです。
これは日本文化の大半が仏教思想や仏教文化に基づいているという事実をみても明らかなことです。つまり日本の教育がおかしいということは日本の社会がおかしいということであり、その社会がおかしいということは即ち宗教界に責任があるということです。
学校だけがおかしいとか、家庭だけがおかしいとか別個に切り離せる問題ではないのです。おかしくなった枝葉末節だけを捕らえ、議論してみてもほんとうの根本を理解しなければ意味はありません。
そこでわたしが主張したいのは、教育の退廃は宗教教育の退廃にあると認識すべきだということです。宗教教育にもっと眼を向けるべきだと言いたいのです。人が人らしく生きるための指針と指標を教えてくれるのが宗教だからです。
その基本の一つが「知恩」の教えなのです。自分が生まれてきたのも、今生きているのも、様々な「恩」を受けているお陰だと知ることです。くどいようですが、人は恩を知れば必ず感謝の心が生まれます。
感謝の有るところには必ずおもいやりの心が育ちます。おもいやりの世界には決して虐待もいじめもありません。おもいやりの心とは即ち菩薩の心、「自未得度先度他のこころ」(道元禅師・修証義)です。
エライ先生方、どうか今一度「仏教」に眼を向けてはいただけないでしょうか。聖徳太子は申されました、「世間虚仮、唯仏是真」と。太子が命がけで仏教を国教に採り入れたからこそ大和国家が栄えたのです。「美しい国・日本」が生まれたのです。
今の日本が美しいと思いますか?美しさとは風景ではないのです。心の景色を言うのです。もう猶予は有りません。是非一人でも多くの大人に真剣になって欲しいものです。
理由を聞かれて「からかいやすかったから」と応えたあの教師。47才といえば教師として人間として最も分別の有る年代の筈です。それが何の罪意識も持たずにからかっていたのです。あえて彼の側から少し弁護するとすれば、彼もまた「恩」の教育を受けてこなかった"かわいそう"な一人だったと言えるのかもしれません。
しかし、事の結果責任は重大です。「一生掛けて償っていく」と言っていましたが、彼は今人生最大の屈辱と苦しみを味わっているに違い有りません。しかたのないことです。因果応報としてこの際しっかり受け留めてもらいたいと思います。この因果応報の理論も仏教の重要な教理の一つです。
今回発覚した北海道や福岡の件は氷山の一角といわれています。今なお必死で責任回避を模索している例の福岡の校長先生や教育委員会。未だに事実を認めようとしない福島の先生方をはじめその他多くの隠蔽を続けるセンセイ方にもやがて必ず因果応報の"その日"がやってくるでしょう。
因果応報に"個人の勝手"は一切通用しません。真実は必ず証明されるという因果応報の法則を知るべきです。 

■4 いまこそ徳育
毎日毎日虐待といじめのニュースばかりです。いじめによる自殺の連鎖が止まりません。子どもに止まらず教師や校長先生が自殺をするという事態までも起こっています。
特に先般いじめによる自殺予告の手紙が文部科学大臣宛に届いてからその種の「予告」が相次いでいます。この11月19日現在でなんと27通にもなっているとのことです。
先生、教育委員会、文化省など教育関係者は恐々としていることでしょう。今やメディアの中心はいじめと自殺の問題となってしまいました。テレビ番組も連日教育問題をとりあげ教育評論家やコメンテーター、それにタレントが加わり様々な議論を交えています。
新聞からいくつかの意見を拾ってみました。「子供からのサインを絶対に見逃さないための努力と、事実を受け止め、きちんとした対応をとる」(某有識者)「いじめられる子の逃げ場を作る。」(某中学校長)
「いじめを疑ったら学校組織で徹底糾明する。加害生徒の親にも改善要求を突きつける。教育委員会や警察、地域もアンテナの感度を高めて学校の中を注視する」「校長を孤立させない。」(某新聞社説) 「いじめっ子のために死ぬなんてばかばかしいよ。相談においで。一緒に解決しよう。」(某氏)
「いじめられる子供には今は苦しいが、この経験は自分自身を変える種になるかもしれないという視点を持たせ、いじめる側には、いじめしかすることがないのかと思わせるようにする。」(某教育評論家)「いじめに負けない強い精神と心を鍛える。」(某タレント)
どの意見もごもっとものように思われます。しかし、残念ながら的を射たものとはいえません。それらはどれもみな対症療法にすぎないからです。 病気と同じです。症状だけを診て手当を施してもその病根を治療しなければ善くはならないのです。
確かに今現在虐待やいじめで一刻の猶予もままならない子供が不特定大勢います。当面はその子ども達に対する緊急の対応が必要でしょう。それと私が言いたいのは同時に長期的普遍的な解決を目指した方策が必要だということです。
恒久的な指導対策が確立されなければ真の解決とはならないからです。どんな問題であれ問題の解決にはまず原因の究明と、その的確な対応を講ずることにあるのですから。
さて、初めから考えてみましょう。まず「教育」って何でしょう。それは誰もが知っているとおり、知育・徳育・体育でしょう。現在そのバランスが完全に崩れ去ってしまっているのです。はっきり言うと徳育がなおざりにされて知育偏重になってしまっているのです。
ではなぜ知育偏重になってしまったのでしょうか。それは経済主義と物質主義がもたらした結果なのです。戦後日本は貧しさから抜け出すために必死でした。幸い日本人には元々は労働に対する強い美徳観が有りました。
寝食を忘れたように一生懸命働きました。戦後60年、結果日本は奇蹟の経済復興を遂げ世界ナンバー2の経済大国になりその豊かさを享受したのでした。
しかし、それも束の間、豊かさを求めて突っ走ってきて、今立ち止まってみたら手元には"物"しか見当たりません。心の中に優しさやおもいやりの"情"が見当たらないのです。実に"情けない"状況です。
「形のある物にこそ価値がある」とするのが物質主義です。これに対して「こころの豊かさこそ真の豊かさ」であるとするのが精神主義です。知育・徳育・体育とは看板だけであって、本音は勉強さえできればいいという、その心は知育第一主義だったのです。
これを知育偏重と言うのです。その結果が、良い学校、良い大学、良い資格、良い仕事、そして最後に良い収入であったのです。こうして経済力が豊かさの象徴であるという価値観が戦後定着したのです。
そして、地位も名誉もすべてお金次第であるというこの偏った価値観が定着し、ついに「物質主義」が"完成"されたのです。そこには当然優しさとおもいやりのある精神主義が追いやられてしまっていたのです。物質主義にかぶれると人は餓鬼道に堕ちます。
餓鬼道とは欲望により善悪の判断を無くしついには地獄に堕ちてしまうという世界です。知育偏重による偏った価値観にはそういった恐ろしい餓鬼道も待ち構えているのです。ついでに申し上げるならば、そこで見落としてはならないことは、その偏った価値観はさまざまな差別感を生んでいるということです。
知育偏重が学歴偏重や職業偏重の感覚を生み出し、人を学歴や職業で決めつけるといった実に危うい感覚を生みだしているのです。学歴や職業で人を決めつけるというのはまさに差別です。更にその知育偏重の結果生じたものに例の高校での履修ごまかし問題があります。
受験科目だけが贔屓(ひいき)され、皆でやれば怖くないごまかし授業が黙々と行われていたのです。指導要領とは一応学校教育のバランスを図っての国の指導基準です。その法的な指導要領を無視してまで進学一辺倒の"予備校"授業がほぼ日本中の高校で行われていたのです。
その教科偏重により、必修教科の「歴史」は切り捨てられてしまったのです。歴史は人間にとって大変重要なものです。過去を知ることで現在が分かりそして未来が見えてくるのです。歴史を個人のレベルで考えてみましょう。
もし仮にあなたが今自分自身の過去を失ってしまったとしたらどうでしょう。丁度一切の記憶を無くしてしまった状況を想像してみてください。自分の家族や親、先祖や出身地のことが全く分からなくなったらどんな心理状態になると思いますか。多分自己確信ができず不安によるストレスで自信も希望も失ってしまうでしょう。
人は犬や猫と違うのです。人は自分の過去を認識することで自己確信をします。先祖を知りルーツを知ることで父母の恩、祖先の恩、衆生の恩そして国の恩を知るのです。
郷土や国の歴史も同じです。自国の歴史を知ることで民族の伝統や文化に誇りを持ち、未来に希望と責任感が持てるのです。歴史を重んじないところには何の発展もありません。家族愛も人類愛も愛国心もありません。あるのは国家の衰亡だけでしょう。
歴史の教科書を買わせるだけ買わせて埃をかぶらせていたのですから実に情けない話です。どうですか。歴史教育こそ「徳育」の宝庫と知るべきです。この知育偏重の風潮は高校だけではありませんでした。義務制の学校にも見られたのです。
これもつい最近のことです。東京都足立区教育委員会は区内の小・中学校を学力テストの結果から四段階にランク付けをし、そのランクに応じて特別補助金を分配するという案を出しました。教育委員会は「やり甲斐と目的意識を持たせた妙案」として大層な自信でしたが、予想外の批判に結局この案は撤回されました。
しかしまったく教育というものの何たるかを分かっちゃいないのが教育委員会のオエライ方達です。ダイタイですね、今大問題のいじめ、自殺の問題にしろ、戦後の日本の教育がこれほどおかしくなってしまったその責任の大半は教育委員会にこそあるのですよ。そんな当事者としての自覚や反省を果たして感じているのでしょうかね。とても感じているようには思えません。そんな組織無くともいいんじゃないですか。
今回のいじめ問題で世間もようやく教育委員会の実態に気付きはじめたようです。教育再生会議からも教育委員会不要論が出てきています。大賛成です。だいたい教育委員会も叙勲待ち組の天下り組織のようなもんじゃないですか。これって言い過ぎでしょうか。
しかし、日本の教育の真の再生を考えたとき問題は教育委員会不要論とか組織体制論とかの時限ではないのです。本当の問題はいわば「知育偏重教」という邪教にかぶれてしまっているこの日本人の頭からまず知育偏重の"呪縛"を解くことなのです。これら"邪教"によるマインドコントロールから解放されない限り日本にこれからも健全な教育は戻ってはこないでしょう。以上、知育偏重の原因とその"弊害"について縷々述べてきましたが、そのことから私が最も言いたいことは「徳育」の必要性なのです。徳育というものが知育偏重の陰に追いやられ、なおざりにされた結果がズバリ「いじめ」の問題となっているからです。
いじめ問題は昨日今日の突然変異で出現したのではありません。戦後60年間の物質主義による知育偏重の陰に追いやられた徳育不在の結果なのです。その付けが今大きなうねりとなって日本中の家庭、学校、社会を襲っているのです。
いいですか。「因果必然」の言葉を思い出してください。原因の無い結果はありません。結果の無い原因もありません。これは大宇宙の絶対の法則なのです。
次に徳育欠如の教育こそいじめの原因というそのメカニズムについて述べてみたいと思います。今回はちょっと話が長くなってしまい恐縮ですが、どうか聞いてください。これからが重要なのです。
子どもは小学校に入学以来全てにおいて勉強の成績で評価されてきました。まさに知育偏重によるものです。教師も親もそしてこども達自身も成績こそ一番重要だと信じ込んでしまったのです。そこから成績の良いのが「良い子」だという成績至上主義が形成されました。
これは裏を返せば、成績の良くない子は"ダメな子"だという表と裏の論理構造になるわけです。成績イコール人間評価というとんでもない価値観が植え付けられてしまったのです。どこにも成績のトップは一人しかいません。残りの全ての子供にとって自分より上位がいるのです。
そこで生まれてくるのは比較による競争意識と劣等感です。その競争意識のストレスと劣等感の反動から現れたのが弱者への抑圧なのです。比較され被差別感を持った子供はその劣等感と鬱憤(うっぷん)の吐口を弱者に向けたのです。性格的或いは体型的特徴のある子供などが特にターゲットにされたのです。
徳育とは一言で言えば「人は皆等しく尊いのだ」という教えです。それを論理的にも感情的にも教え伝え、人としての理性と情けを身につけさせるのが徳育なのです。そうでしょう?教育委員会殿。分かっていましたか?
「いじめ」は人としての理性と情が動物的弱肉強弱の本能に負けてしまった結果起こるのです。いじめだけではありません。どんなに優秀な人間であっても生育の課程で適切な徳育を欠くと歪んだ性癖を持ってしまうことにもなるのです。
徳育に裏打ちされた教養でなければちょっとした誘惑にも勝てないのです。スカートの下を手鏡で覗きたいという小さな欲望にも勝てない"人格者"が育ってしまうのです。
わが子虐待殺人事件を起こした最近の進藤美香の事件や例の畠山鈴香の事件にしろ、その二人はほぼ同じような生育環境にあったといわれます。その共通点はまず弱者としてターゲトにされたことでした。二人とも小・中・高時代を通して大変いじめられたそうです。その疎外感から受けた深い心の傷が元で心がすっかり歪んでしまったのでしょう。
歪んだ精神は我が子を虐待し、ついには殺害するという非人間性の行為に及んでしまったのです。虐待が虐待を生むという虐待の世代間連鎖が定説となっていますが、この点から言えることはいじめも虐待も本質は同じなのです。自分が受けたいじめが我が子虐待という形で現れたのでしょう。
この理論から言えば、いじめられる側もいじめる側も被害者なのです。いじめは単にいじめる側が悪いとしていじめた子どもを罰すれば済むと言うのはまったくのオンチのお門違いです。いじめる側も被害者なのです。被害者を犯人扱いするようなものです。
ちょうど今日のニュースでした。ある人気の有名な教育評論家(教育再生会議メンバー)が「いじめをしている側に厳しい対応を」と言っていましたが、いじめる側の子供を"悪"と決めつけるのではなく、なぜその子供の"心の叫び"を聞こうとしないのでしょうか。
いじめる子供の心にこそ解決の糸口があるのです。いじめる子供の心を集めてみてください。その心を紐解いてみてください。その中に必ず解決の答えが有るはずです。
"いじめる心"にこそいじめられる心の叫びがあるのです。そこまで分かっている有識者が果たして一人でもいるのでしょうか。とにかく、"いじめる心"をターゲットにしてみてください。
そしたらきっと見付かるでしょう。これもあれもすべては徳育不在の偏重教育によってもたらされた心の貧困から生まれた「愛情不足」であったことを。今こそ徳育に眼を向け、その実践について鳩首凝議すべきなのです。 

■5 徳育は信仰から
つい最近、ある民放の番組であるジャーナリストが、ノーベル平和賞受賞者であり現在の世界仏教界のリーダーといわれるチベット仏教の最高指導者14世ダライ・ラマ法王に尋ねていました。「日本では今大変ないじめの問題が起こっていますが何が原因でそうなったのでしょうか。またどうすればよろしいのでしょうか。」と。
これに法王は、「日本は世界で有数な先進国でありますが、その発展のためにすべて知識優先の教育をしてきた結果子供達に十分な愛情が与えられなかったのです。子ども達は愛情の不足により優しさとおもいやりの心が欠けてしまったのです。」と語っておられました。いじめは愛情の不足が原因だと明言されているのです。
わたしも前回の法話の終わりに、「優しさとおもいやりの心」が日本人の心から欠けてしまったのは徳育不在の教育によってもたらされた心の貧困から生まれた「愛情不足」であったと申しました。そして「今こそ徳育に眼を向け、その実践について鳩首凝議すべきなのです。」と提言いたしました。
それを受け今回は徳育とは何か、そしてその実践とは何かについて考えてみました。はじめに徳育の欠如についておさらいしておきましょう。 戦前のそれまでの道徳教育がすべて否定されてしまったことで、家庭も学校も子供に対する躾の"規範"を失ってしまいました。その戦後教育の走りがいわゆる団塊の世代でした。
実は私自身団塊の世代なのです。ちょっと当時を偲んでみました。どこにでもガキ大将がいて徒党を組んでよく野原を走り廻りました。よく遊んだという記憶の一方いつも腹を空かしていたような気がします。
遊びの中でもいつも食べられる物を探していたような気がします。柿や栗、枇杷、蜜柑など野生のものもそうでないものも結構漁りにいったものです。こどもながら何が食べられるかよく知っていました。今思うにそれだけ食べ物が少なかったのだと思います。
今の子供がその辺に生っている柿とか蜜柑とかを採って食べるということはまずありません。 家には物が溢れ慢性飽食状態になっているのです。家にある果物さえあまり手を出しません。
昔は食べ物は粗末で少なかったけど家族は皆集まって楽しく食卓を囲んだものです。サツマイモが蒸けたといってはお隣さん配ったりお裾分けしたりしたものです。 当時はみんなが貧しかったせいか特にひもじかったという思いはありません。子供はみんな外で遊び、子供が子供らしかったと思います。
しかし、そんな楽しい時代は小学校までで、中学校に入ると高校進学のための厳しい受験勉強が待っていたのです。「できたら高校に行きたい」と誰もが希望するようになり一気に高校進学率が高まりました。その波はやがて大学進学熱となりいよいよ高学歴社会が始まったのです。
みんな物の豊かさを目指しました。三種の神器と所得倍増をキャッチフレーズに物質主義が加速されていったのです。子ども達はその物質主義がもたらした知育偏重教育にどっぷりと浸されたのです。その結果は前回までに縷々述べたとおりの徳育欠如の教育でした。
徳育が失われたさらにもう一つの原因が「宗教の欠如」です。これこそ一番の問題なのです。それは核家族化がもたらしたものでした。これについても何度も言ってきました。
人は経済的に裕福になると個人主義になります。個人主義は人との関わり合いを避けます。これは家族や肉親の間でも例外ではありません。家庭に個室が急速に普及したのもこれによるものです。
「家付きカー付き婆抜き」などというイヤな言葉が流行りましたが、これは若者の心がいかに身勝手な個人主義志向になっていたかを良くあらわしたものです。戦後の団塊の世代に始まった物質主義は同時に個人主義を助長させたのです。その団塊世代の子供、つまり団塊ジュニアが今の親になって核家族社会は"完成"されたのです。
みてください。そこには仏壇も神棚もありません。親が神棚に向かって柏手(かしわで)を打つことや仏壇の先祖に灯明や線香を手向け合掌する姿を今の子ども達は知りません。当然お爺ちゃんやお婆ちゃんに連れられてお寺に行くこともないのでお寺のことも知りません。
ちょっと余談になりますが去る10月の終わり頃、近隣のある小学校の3年生と4年生37名の児童が3人の先生に引率されて当山にやってきました。当山のホームページを見て「体験坐禅」に見えたのです。
最後に質問の時間を設けたのですが色々ありました。その質問内容から感じたのは彼らが如何に日頃神仏から離れたところで生活をしているかということです。
さて、日本には古来よりの神道や仏教があります。それらを心の拠り所として日本人は文化と伝統を築いてきたのです。家に神棚や仏壇が無いということは神仏に対する畏敬の念や、祖先や父母に対する敬慕の念が希薄になってしまうということです。
世界のどんな民族にも必ず宗教があります。イヤ世界中の民族の中で宗教を持っていない民族は皆無なのです。多くの民族が命がけで自分達の宗教を護っているのです。
つまり、人間には宗教が必要なのです。というより宗教の中で生きているのが人間だと言うべきでしょう。ですから、まず人間には絶対に宗教は必要だという認識を持って欲しいのです。
その絶対であり拠り所である宗教を持っていない人がいるとしたら果たしてどのような人でしょう。おかしな宗教にかぶれておかしな精神になっている人を考えますと宗教の"効果"は決して侮れません。このことからも人には正しい宗教が如何に必要であるかが分かります。
「あなたに宗教はありますか。」と聞かれて、「ハイ」と自信をもって言える人が今の日本人にどの位いるでしょうか。あなたはどうですか?自信ありますか?はっきり言って、今の一般的日本人には宗教認識があまりありません。これを「宗教の欠如」と言うのです。
そのことを認識した上で次に進みましょう。次のテーマは宗教と徳育の問題です。宗教が如何に徳育に拘わっているかということを知ってもらいたいのです。まず、宗教とは何でしょう。
世界宗教といわれる宗教はどれも皆その基本教理は「愛と感謝」なのです。これが仏教では「慈悲」と「報恩」になるのです。ここでは仏教を通して考えてみます。仏教でいう慈悲とは元々人に具わっている仏心のことです。
この仏心は信仰によってのみ開花するのです。開花された仏心には慈悲心が表れるのです。慈悲心とはすなわち優しさとおもいやりの心のことです。
仏教の命題に「修善奉行・諸悪莫作」があります。文字と通り善行を為し悪を為してはならないという教えです。「善い事をせよ。悪いことはするな」とは七歳の子供でも分かることです。でもそれがともすると70歳の老人でも難しいことなのです。
なぜでしょう。それは仏心が未開発だからです。人は信仰のなかで仏心を開発し慈悲心を感得します。その慈悲心の下で「修善奉行・諸悪莫作」が実践されるのです。
「善いことだからする」とか「悪いことだからしてはならない」というのは理屈です。慈悲心には「理屈」がありません。慈悲心いは「善いことしかできない」という理屈を超えた観念しかありません。「善いことしかできない」ということは「悪いことはできない」ということです。
犯罪を犯す人のそのほとんどは悪いことと知っていてするのです。詐欺や泥棒や強盗などが悪いことと知らない人はまずいません。みんな重々承知して行う"確信犯"なのです。
これは善行に対しても言えることです。困っている人を助けることや、奉仕活動は善いことだと誰もが分かっています。しかしそれを実行するとなるとなかなか難しいのです。なぜ難しいのでしょう。
それは損得勘定という理屈が働くからです。慈悲心には一切の理屈が無いと言いました。理屈を超越した慈悲心だからこそ「善いことしかできない」「悪いことはできない」という境涯に達するのです。「善いことしかできない」という思考観念、これが慈悲心なのです。
信仰によって感得された慈悲心には一切の理屈はありません。あるのは「善行」だけなのです。つまり宗教とは人に本来具わっている仏心を開発し慈悲心を感得することです。その結果理屈抜きに「修善奉行・諸悪莫作」が身に付くのです。
子どもの心を育てるのが「徳育」でありその基本にあるのが宗教であるというのが分かっていただけたでしょうか。ダライ・ラマ法王の仰せられた「愛情の不足」とは宗教の欠如によるものだったのです。正しい宗教の下では決していじめや虐待は起こりません。そのためにも正しい信仰を持つことです。
最後にその実践についてちょっと触れておきましょう。まず信仰を持つことだと言っても、信仰は強制されて出来るものではありません。ではどのようにしたらよいでしょうか。信仰は理屈ではないと申しました。それはつべこべ考えるなということです。理屈抜きに「形から」入ればいいのです。
まずあなたの家の仏壇に手を合わせるのです。もし仏壇が無ければ用意してください。当然のことです。そして仏様ご先祖様を崇拝し感謝を申し上げるのです。初めはなんてことはありません。信仰は継続からです。少しずつ確実にあなたの心は変化していきます。
必ず子供と一緒に行うのです。宗教は学校で教えるものではありません。家庭で躾るものですから。だからまず親です。親が率先して信仰の姿を子供に示しそして共に実践するのです。
そんなあなたの姿を通しこどもはご先祖さまや親に対しての敬慕の念を感得する筈です。そしてやがて理屈を超えた「恩」と「感謝」の念が芽生えてきます。感謝の先にあるのは「優しさとおもいやりの心」です。 
 

 

■6 恩義
恩という字は心の上に「因」が乗っています。因は「基づくもの」、「受け継ぐもの」という意味です。人はみんなさまざまな"もの"を受け継いでいるのです。それをしっかり"心"の上に乗せているのが"恩"です。これは以前にも申し上げました。
これまで幾度も四恩(父母の恩、国王の恩、衆生の恩、三宝の恩)についても触れてきましたが、今回はその"お陰"である「恩義」について考えてみました。
じぶんが生まれてきたのは父母やご先祖のお陰です。(父母の恩) じぶんの今があるのはあらゆる環境のお陰です。(衆生の恩) じぶんの命と生活が護られているのは国家社会のお陰です。(国王の恩) じぶんの永遠の命が保証されるのは大宇宙の因縁のお陰です。(三宝の恩)
しかし、どうでしょう。今や日本の家庭、学校、社会にこの恩義が感じられません。父母の恩を感じないから、虐待やいじめ暴力、兄弟殺人が起こるのです。衆生の恩を感じないから、自然破壊、環境破壊が起こるのです。
欠陥ガス器、欠陥自動車、細菌入りお菓子、捏造テレビ番組が平気で作られるのです。国家の恩を感じないから、賄賂、不正談合、脱税、子どもの給食費逃れが起こるのです。三宝の恩を感じないから、健康や命が粗末に扱われるのです。
四恩といってもそれぞれが別個のものではありません。父母の恩だけが有って他の恩は持って無いとか。三宝の恩だけ有ってほかの恩は持って無いとかはありえません。恩はみんな根元は一つのもので全てが繋がっているのです。
その恩義の欠落によって人は利己的、利欲的、貪欲的、短絡的、自堕落的になってしまうのです。それはともすると動物にも劣りかねません。
畜類なお恩を報ず、人類いかでか恩を知らざらん。(道元禅師)
人の悲しい行為や犯罪の原因の多くにこの恩義の欠落があるといっても過言ではありません。人は恩義を感じることで感謝し切磋琢磨し他人に優しくなれるのです。
その恩義を教え育てるところが家庭であり学校であり政治であるのです。しかし残念ながら今の日本には誇れる躾も教育も政治もありません。親も教師も政治家もすっかり自信を無くしてしまっています。
教育方針は政治行政によって決められます。つい先日「教育再生会議の第一次報告最終案」が出ました。残念ですが、斬新的なもの、画期的なものはありません。
(1)ゆとり教育を見直し、学力を向上する。ゆとり教育が何故だめなのか。ゆとりがないから子どもがおかしくなっているのです。ほんとうの"ゆとり"の意味がわかっていないのです。学力も確かに大切です。ですが学力至上主義の方向に偏ると弊害が起こるのです。
誤解しないでください。私の言いたいことは、本当のゆとりとは人にとって大切な智慧を教えることだということです。智慧とは哲学と情緒と愛です。これこそ人が豊かに平和に送れる人類不変の原理ではないでしょうか。
(2)出席停止制度の活用、立ち入り支援、警察との連携。子供の鑑は大人です。こどもを悪くさせている張本人は大人自身であることが全然分かっていません。悪いと決めつけて出席を停止させてしまうのは教育の放棄です。
難しい子供こそ親身になってその心を理解しようと努めるべきなのです。悪いと決めつけて警察にまかせるとはまったくあきれてしまいます。子供の心はどんどん離れていってしまうだけです。
(3)魅力的で尊敬できる先生を育てる。メリハリある給与体系、教員免許更新制導入。給与や免許更新制度と先生の質の問題はあまり関係ないと思います。先生に必要なものは哲学と愛情です。
問題教師に良い給料をあげても免許更新しても資質と素質は変わりません。資質のある先生を育てるには、子供の教育とまったく同じではじめから哲学と愛情でしっかり育てる以外にはないでしょう。
(4)すべての子どもに規範意識を教え、社会人としての基本を徹底する。(2)と同じで、鑑としての大人が問題なのです。規範意識の無いのはむしろ大人社会です。純粋な子供に必要なのはしっかりとした大人社会の模範なのです。子供自身に責任転嫁するのは問題です。
(5)反社会的行動を取る子供に対する毅然たる指導のための通知等の見直し。何度も言いますが、最初から悪い子供なんていません。子供は百パーセント環境で育つのです。その環境とは大人社会のことです。なぜそれに気が付かないのでしょうか。毅然たる指導は大人社会にこそ必要なのです。
どうですか?どれもみな押しつけ、排除、強制の理論で一貫しています。哲学が有りません。情が有りません。なぜ今の子供がこうも問題になったのか、その根本が論議されていないのです。私は情と哲学が子供に与えられなかったからだと思うのです。情と哲学とはすなわち"恩義"の教えです。
恩義が無くなったから子供の心は荒みいじめや暴力が先行するようになってしまったのです。排除や強制では絶対に恩義は育ちません。
何度も言いますが子供に罪は無いのです。子供は庇護されるものなのです。すべて責任は大人社会にあるということを認識すべきです。
その教育の元はと言えば政治です。その政治が教育と同じようにすっかり疲弊してしまっています。"芯"に哲学が無いから毅然とした「まつりごと」ができないのです。
政治も教育と一蓮托生ですから、教育が悪くても政治は良いとか、政治が悪くても教育が良いなどということはありません。ついでに申し上げれば家庭も社会もそうです。
みな同じ世界の同じ環境の中の有象無象なのです。世は末法だから仕方がない、などと言うのは無責任です。一蓮托生だからこそ他人事ではないのです。
そして大切なことは、恩義とは一方的なものではないということです。子供は親に恩義がありますが、同時に親は子供に恩義があるのです。生徒は先生に恩義がありますが、同時に先生は生徒に恩義があるのです。家庭は学校に恩義がありますが、同時に学校は家庭に恩義があるのです。国民は国に恩義がありますが、同時に国は国民に恩義があるのです。
この理屈難しいでしょうか? でもこれは仏教の当然の理論なのです。一蓮托生とはそういうことです。この理論からすると、子供は国に恩義がありますが、同時に国は子供に恩義があるということになります。
難しく考えなくとも、国は未来を子供にお願いするのだから当然でしょう。政治は子供に恩義があるということです。常にこの観点に立った行政がなされれば良い教育ができると思うのですが。どうでしょうか?
しかし、その政治も今右往左往しています。今の日本は大変な格差社会にあると言われます。マスコミもその政治責任を連日とりあげています。阿倍政権の不人気もこのせいだと言われています。
同じように働いても報酬に倍程の差があればこれは不条理と言わざるを得ません。人がもっとも辛く苦しく感じるのは"不条理"です。不条理とは本人の責任ではどうすることもできないことを言います。この不条理の気持ちが蓄積すると国家や社会に対する不信、不満が高まります。
当然国家社会に対する恩義の情もなくなります。恩義が無くなると感謝の心は失せて心が荒んできます。その結果増えるのは犯罪です。美しい国どころではありません。情けない国になってしまいます。
犯罪の原因としては先にあげた利己的、利欲的、貪欲的、短絡的、自堕落的な気持ちになる他に、あとはこの不条理から生まれた絶望的、自虐的、闘争的、復讐的な気持ちに陥ることにあります。ですから、こういった不条理を無くすことこそ政治の大きな責任と言えるでしょう。政治が国民に恩義があるということはそういうことです。
以上述べてきましたように、教育も政治もその基本に恩義の精神が無ければ情の有る教育も政治もできません。これからの教育と政治の再生を図るならば恩義の教育が是非とも必要であると私は思うのです。
確かに政教分離もよく分かります。特定の宗教を公立学校で教えるのも難しいでしょう。私が言いたいのは個々の宗教がもっともっと自然に堂々と主張できる環境の推進に政治が力を入れるべきだということです。
それにはまだまだ宗教に対する誤解や偏見もあるようです。「宗教」と口にしただけで迷惑顔をされるのが今の日本の社会です。外国のように堂々と宗教が語れる社会こそ"正常"だと思うのですが、いかがでしょうか?
ともあれ、まずは家庭からです。信仰は家族相互の敬慕の情を高めてくれます。感謝の元に家族がまとまります。それこそ「恩義」のお陰です。 

■7 報恩
これまで恩についていろいろ述べてきましたが、ではその恩に報いることとは一体どうすることでしょう。それが今回のテーマです。
恩を"返す"というと、自分が他人から受けた恩や義理をなんらかの形でお返しするといった感覚を持ちます。それはそれで人として当然なことです。また、恩を与えたと思っている側の人もその見返りとして何らかの期待感を持つことも普通のことかもしれません。
ただ、この両者間に発生した恩義の感覚がずれたりすると、「恩に着せる」「恩を売る」「恩を知らない」「恩を仇で返す」などと言った感情が生まれ、遺恨問題にもなりかねません。つい先日もある大物歌手とある大物作詞家がそのようなトラブルを起こし、ワイドショーの話題になっていました。
そういったトラブルの元はすべて"こだわり"にあるのです。「してやった」「してあげた」という「こだわり」の気持ちが心のどこかにあるからちょっとした恩義に反するようなことがあると「恩をしらない」「恩を仇で返す」という思いになってしまうのです。
でも人である以上どうしても心のどこかで恩の貸し借りの感情を持ってしまうのも仕方のないことかもしれません。しかし、本来恩とは「着せたり」「売ったり」するものではないのです。ではどうすればよいのでしょう。
以前「布施」について講釈したことがありますが、ちょうど同じようなものです。人に何かをして"あげる"ときは布施の精神ですれば良いのです。布施の心ですれば絶対に「こだわり」や「わだかまり」は生じません。人に何かをしてあげるとき「布施」だと思えばよいのです。
布施とは喜捨(きしゃ)ですから、捨てる気持ちになることです。捨てた"もの"には一切頓着しませんね。あとに"こだわり"の心が残りませんからね。何でも「してあげた」という想いが有って、それを自慢や誇りにしているのを「寄付」とか「寄進」と言います。
「誰が」「何を」上げたかはっきり公表しないと本人が満足しないのが「寄付」行為なのです。凡夫とはそういうものです。凡夫だから仕方がないというのではなく、仏教の諭すところは"脱凡夫"なのです。脱凡夫の"こころ"とは布施の精神になれということです。
このように恩義に関してトラブルやわだかまりを避けるには「布施」の精神に立ち返ることが一番です。よく「掛けた恩は水に流し、受けた恩は石に刻め」ともいいますが、その"水に流す心"が必要なのです。
問題は次の恩を受けた側です。どんな小さな恩でも、受けた側はその恩を「石に刻み」決して忘れてはいけません。 「当然だ」とか「感謝の必要はない」とか思ったらとんでもないことです。それこそ地獄行きです。
以上一般的な恩義に関しての双方の心がけについて述べてきました。さていよいよ最大のテーマでもあるところのその報恩の在り方について考えてみましょう。これまで何度も触れてきましたように、仏教では「四恩すべて報じ・・・」と諭されています。
国王の恩、三宝の恩、衆生の恩、父母の恩というこの四つの恩に報いることこそ仏教徒にとっての最大の務めであるというその報恩の在り方とはどのようなものでしょう。
国王や国家に対する報恩とは、国のために働くことでしょうか。税金をしっかり納めることでしょうか。外敵から国を護ることでしょうか。三宝に対しての報恩とは、仏様に供養したり、仏教の戒律や教えを守ったり、坊さんに布施したりすることでしょうか。
父母に対する報恩とは、親に豊かな暮らしをさせたりする親孝行のことでしょうか 衆生に対する報恩とは、社会の全ての人達に親切に優しくしてあげることでしょうか。ここでちょっとご注目いただきたいのは例えば「父母の恩」です。
生きている内の親孝行はわかりますが、亡くなってしまった親に対しての孝行とはどうすればよいのでしょう。これは多分多くの人が思っていることだと思います。仏壇や遺影にご馳走を上げても食べてくれません。
すてきな着物や暖かい布団もお墓に掛けてあげることもできません。では感謝とご冥福をひたすら祈ることが親や先祖に対しての報恩なのでしょうか。それらも決して間違いではありませんが、仏教の目指すほんとうの報恩の形はもっと深いところにあるのです。これこそ本ページを見た人の得といえるでしょう。(勿体付けてすみません)
まず、報恩には直接的なものと間接的なものとがあるということです。まず直接的な親孝行とは、生前から親に優しく、心配かけないことでしょう。これは誰にでも分かりますね。
次の間接的な孝行とは亡くなっている親や先祖に対しての報恩行為をいいます。実は仏教でいう報恩行為とはこの間接的な形こそ中心になっているのです。ちょっと難しくなりますがこれからが本題です。
宗祖道元禅師は報恩とは行持(ぎょうじ)だと示されています。修証義「行持報恩」の中からそれを検証してみましょう。まず「恩」の実体について考えてみます。四恩をはじめとして恩にはさまざまな恩がありますが、それらは一見それぞれ皆別個のように思われますがその実体は一つだということです。
まずこの認識を持っていただきたいと思うのです。あなたが今生かされているのは紛れもなく大宇宙の法則によるものなのです。この大宇宙の法則が大宇宙の実体であり、これを法身仏といいます。つまり法身仏とは大宇宙の真理そのものであり、これこそ無始無終の永遠の生命体であるところの毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)とも申します。
ですからわれわれの実体は即ちこの法身仏になります。つまり、われわれ自身が「法」であり、法がわれわれ自身であるということです。更に言い換えれば、「法」が「法身仏」であるから、「法」が「恩」であり、恩の実体が法であるという論理になるのです。
この辺ちょっと難しいかもしれませんが、ここが最も肝腎なところですからここをしっかり認識してください。いずれにしろ、「恩」イコール「法」だということです。この恩のことを御開山道元禅師は「正法眼蔵無上大法の大恩」(修証義)と示されています。
この場合の「正法眼蔵」とは仏陀所説の法という意味で、仏陀が説き示されたところの、最大、最尊、最上の「正しい法」ということです。ですから四恩を辿ってみるとすべて「法恩」に帰結するのです。すなわち「恩」とは「法恩」であるという論理なのです。このことを念頭において次に進みましょう。
では、その「正法眼蔵無上大法の大恩」に報いるにはどうすればよいのでしょう。
「その報謝は、余外(よげ)の法は中(あた)るべからず。唯まさに日日(にちにち)の行持、その報謝の正道(しょうどう)なるべし。いわゆるの道理は、日日の生命を等閑(なおざり)にせず、私に費さざらんと行持するなり。」(修証義)
と道元禅師は示されています。
無上大法の大恩に対しての報恩と、その道は如何にあるべきかを説いたのがこの一節です。「余外の法は中るべからず」とは「その道以外に真の報謝に的中するものはない」と言う意味です。
次の「唯まさに日日の行持、その報謝の正道なるべし。」というこの一句こそまさに今回のテーマの結論と言ってもよいでしょう。禅師は、われわれの「日日の行持」こそが、仏恩報謝への正しい道であると明言されているのです。
「行持」の行は修行の行であり、持は護持あるいは持続の意味です。すなわち毎日の仏道を修行持続することこそが報恩感謝の正しい道であるという意味になるのです。
国王(国家)の恩に報いることとは日々の修行である。衆生の恩に報いることとは日々の修行である。三宝の恩に報いることとは日々の修行である。父母の恩に報いることとは日々の修行である。
日々の修行が報恩感謝であり、報恩感謝とは日日の正しい修行そのものであると申されているのです。先に「法」が「恩」であると言いました。なんとなればその法の実践を行持することこそ報恩になるという理屈になりますね。日々の修行が報恩になる意味がもうお分かりですね。
真理こそ「善」です。宇宙の真理を仏法と言います。だから仏法こそ絶対の「善」です。社会の法律に背くことは「悪」であるように宇宙絶対の真理に背くことは「悪」なのです。
ですから、仏法と言う絶対の法則に基づいた生活をすることこそ恩に報いることになるのです。すなわち「行持」こそが国王の恩、衆生の恩、三宝の恩そして父母の恩に報いる正道なのです。
禅師はさらに、「いわゆるの道理は、日日の生命を等閑にせず、私に費さざらんと行持するなり。」と示されています。
「なおざりにせず」とはおろそかにしないということです。時間も命もおろそかにしてはならないということです。「私に費さざらん」とは我欲を張らないということです。利欲的な生活に堕ちこんで自堕落にならないということです。「行持するなり」とは「これこそ行持である」との強調です。
仏道修行こそ報恩行持であり浄土の世界に通じるのです。これまで幾度も申してきましたが報恩感謝の生活こそ仏教の目指すところなのです。 仏法の精神に基づいた日常生活、それがそのまま報恩行であるという・・・これが結論です。 
 
因縁

 

 
■1 理論は仏道で智慧となる
「因縁」・・・だれでも知っている言葉ですね。しかしこの「因縁」こそ仏教の最も基本となる仏説なのです。因縁とはすべての現象が相互に、瞬時に、多次元に連鎖する、無常のありさまを説いたものです。この世のほんとうの姿を説いたものであり、因果とも縁起ともいいます。
「この世の中で、因果関係で説明できないものは何一つない。だからすべてのことは因縁を理解しなければならない」というのが仏教の考え方なのです。ですから因縁説を理解することが仏教を学ぶことになるのです。
阿難尊者はお釈迦さまの侍者としてもっとも身近に仕えた方です。記憶力抜群でお釈迦さまの説法を全て覚えていたとも言われた方です。その阿難尊者があるときお釈迦さまに言いました。「因縁の教えがむずかしいのは確かですが、自分にはむずかしくありません。」と。
それに対してお釈迦さまは「あなたはまだそういうことは言ってはいけない。因縁説は悟りの智慧ですから、簡単だなんて言ってはいけません。」と諭されたそうです。それはその時点では阿難尊者はまだお悟りを開かれていなかったからです。阿難尊者は因縁をただ「理論」として理解していたからつい簡単だと思ったのでしょう。
お釈迦さまはさらに、「因縁説は悟りの智慧だからほんとうに理解するのは簡単ではない。因縁がわからないからこそ、人間は輪廻の中で生まれたり死んだりして、無限にいろいろな苦しみを味わっているのだ。輪廻の中で無限に苦しむのは、因縁を悟りの体験として理解していないからなのだ」と述べられています。
ここで注目したいのは「因縁を悟りの体験として理解していないから」という言葉です。お釈迦さまは「因縁」は悟りの体験があってはじめて「理論」を超えて「智慧」になるのだと申されているのです。というわけで、今回はこの「因縁」について「理論」を超えた悟りの「智慧」にするにはどうすべきかを考えてみました。
「因縁」つまり「原因があって結果がある」という理論は理論としては大変わかりやすいものです。この理論には、基本になる四つの方程式があります。AがあるからBがある。AがないからBもない。Aが生まれるとBが生まれる。AがなくなるとBもなくなる。
つまり、何事も「原因があって結果がある」ということです。「原因の無い結果はない」し「結果の無い原因はない」ということです。そして原因と結果の間をとりもつのが「縁」です。
その例でよく言われるのが、「種」(因)と「実」(果)の関係です。どんな種でも水や太陽や肥やしが無くては花が咲き実が生りません。その結実までに必要な条件を「縁」といいます。いたって単純明快な理論ですね。
しかしこの一見単純明快な理論が実はなかなか難しいのです。たしかに「原因があり縁をとおして結果がある」という理屈はだれにでも容易に理解できます。しかし、お釈迦さまは「因縁」をほんとうに理解するには、すべての煩悩を捨て去ったときに現れる悟りの智慧が必要であるというのです。理論上の理解と悟りの智慧からの理解とではそこに海と山ほどの差があるというのです。
もう少し噛み砕いてみましょう。「人は善い事をすれば善い結果に恵まれ、悪いことをすれば悪い結果に見舞われる。だから人は皆善い事をすべきである」というのは実に分かり易い因果説の一例でよく言われることです。
しかし、これは「理論」なのです。理論は理論である以上決して理論の域を出ません。「理論」には、「必ずしもそうとは限らない」という懐疑の余地があるのです。さらに、自分の都合や欲で理論の解釈はいくらでも変わってしまうのです。みてください。 世の中の悪事の原因のすべては自分勝手の理屈の結果なのです。「自分に限ってバレルことはない。絶対大丈夫だ。」と高をくくってしまうのです。
つまり「理論」である以上それは「ひとごと」であり「自分のこと」ではないのです。さらに理論である以上それを信じても信じなくとも個人の自由なのです。しかし、「智慧」となると違います。「信じるしかない」のです。なぜならそれは宇宙絶対の法則であり「真理」だと確信するからです。そこに疑念の余地はありません。確信が信念になり信仰になるのです。
さらに言えば「理論」とは「絵に描いた餅」です。絵に描いた餅の味は想像することしかできませんし、絶対に本物の味を味わうことはできません。本物の味は本物を食べるしかないのです。
これと同じように、ほんとうの因縁の味は悟りの智慧があってこそほんとうに味わえるのです。つまり理論上の理解と智慧による理解には雲泥の差があるというわけです。
お釈迦さまが、「因縁がわからないからこそ、人間は輪廻の中で生まれたり死んだりして、無限にいろいろな苦しみを味わっているのだ。」と申されていることは、ほんとうの「因縁」が理解されない限り「一切皆苦」というこの世の現実から解放されることはないということです。
確かに、仏教はお釈迦さまのお悟りの智慧から生まれた理論であり、それは人々が幸福になるための叡智が詰まった人類最高のテキストなのです。でもテキストである以上やはり理論の時限なのです。ですからこれらを「智慧の時限」にしなければならないのです。ではどうしたらよいのでしょうか。
幸福になる秘訣が説かれているテキストですから見るだけでも眺めるだけでもよいかもしれません。そして興味や関心を持ってもらえればそれだけでもかなりな効果と言えるでしょう。しかしお釈迦さまの本願は人々がその理論の実践を通してほんとうの智慧を身に付けるところにこそあるのです。
その仏教の理論を実践することが「修行」であり、これを「仏道」といいます。つまり仏道修行こそがほんとうの智慧を得るための正道なのです。その正道こそ坐禅なのです。
坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり、不染汗の修証なり。「正法眼蔵(坐禅儀)」 (坐禅は禅定を修することではない。それは大安楽の法門であり、絶対の修行なのである)
ここで「坐禅」について大切なことなので触れておきたいことがあります。禅宗だから坐禅にこだわるのではありません。禅師が述べられているように、坐禅が大安楽の法門であり、それ自体が絶対の修行だからです。
「仏法におおくの門がある。それなのに、なにゆえ一途に坐禅をすすめるのか。それは坐禅が仏法の正門であるからである。ではなにゆえにひとり坐禅をもって正門となすか。
大師釈尊は、あきらかに仏道をさとるすばらしい方法を正伝したもうたのであり、また、三世の如来たちは、いずれもみな坐禅によって仏道を悟ったのである。だからして、これを仏法の正道であるとするのである。それのみではない。西の方天竺、東の方中国のもろもろの祖師たちも、みな坐禅によって仏道をさとったのである。だからして、いまその正門を人々に示すのである。」「正法眼蔵(弁道話)」

さらに注目すべきことは、道元禅師は「禅宗」という呼称を激しく否定されています。
「かの時においても、まったく禅宗と称するものはなく、また禅宗と称すべきいわれも存しないのである。」・・・・・「仏祖正伝の大道を、禅宗と称してはならない」「正法眼蔵(仏道)」
更に、「雲門・法眼・臨済・曹洞など、いろいろ家風のわかちがあるというが、そんなのは仏法ではない、祖師道でもない。」「正法眼蔵(仏道)」、と天童如浄禅師のことばを引用されてもいます。
「仏法をまなぶ正しい道には、宗の称などを見聞すべきではない。仏より仏、祖より祖へと付属し正伝するものは、ただ正法眼蔵であり、最高の智慧である。仏祖が所有するところのものは、すべてそこに付属してきたのであって、そのほかに別になにかがあるわけではないのである。そこの道理が、とりもなおさず、仏法・仏道の骨髄というものである。」「正法眼蔵(仏道)」
あらためて道元禅師のスケールの大きさを教えられます。因果の道理という理論を智慧として会得するにはやはり坐禅なのです。 

■2 すべては現象であり無常である
前回は、何事も原因があって結果があるのであり、「原因の無い結果はない」し、「結果の無い原因はない」ということを述べましたが、今回はその因縁の実体について考えてみました。
この世の中に存在するもので、原因が無くて存在するものは何一つ無いのであって、あの山、この川、あのビル、この家、あの木、この花、あの人、この人、そしてあなた自身を含め、全ての"もの"には存在する原因があるから存在しているのです。
いや、「存在しているから原因が有る」といた方がよいかも知れません。例えばここに一つの蜜柑があります。その存在の原因は、誰かがここに持ってきたという原因があるわけです。さらにその原因にはその人がその蜜柑を手に入れたという原因があり、その先には誰かがそれを育てたという原因があり、更にその先には誰かがその種を蒔いたという原因があるのです。
結果も同じことです。「存在しているから結果が有る」のです。例えばこの蜜柑が誰かに食べられました。その結果その種が捨てられ土に埋もれました。その結果やがて芽が出て実が生りました。その種がまた土に埋もれました。また実が生りました。
つまり、「存在」とは即ちそれ自体が「原因」と「結果」であるということです。そして、原因を辿ればその原因がその先に無限にあるのです。結果も同様で、結果の結果がその先に無限に続いているのです。先に言いましたように、「存在」とは、あの山、この川、あのビル、この家、あの木、この花、あの人、この人、そしてあなた自身を含めこの宇宙に存在するすべてのものを指します。
ではその「存在」の実体とはなんでしょうか。その実体とは「現象」なのです。この宇宙にあるものはあなた自身を含め全て「現象」なのです。般若心経にある色(しき)とは「存在」を意味します。空(くう)とは現象を意味します。「色即是空」すなわち存在は現象であるということです。
「かくて五つの智慧がある。明らかに見ることがすなわち智慧である。その主旨とするところを説いたのが、色即是空であり、空即是色である。色とは色であり、空とは空である。百草がそうであり、よろずが現象である。」「正法眼蔵(摩訶般若波羅蜜)」
また、この宇宙に存在する全ての"もの"を森羅万象といいますが、それを「諸行」と言います。諸行の「行」はパーリ語でsankhara(サンカーラ)と言って「つくられたもの、できあがったもの」という意味です。
現代語で言えば「現象」といいます。ですから「諸行」とは「森羅万象の現象」という意味になります。現象は「瞬間の状況」という意味ですから、現象には「固定」とか「本来」はありません。
いつでも生まれたり壊れたりして変化し続けているだけのものなのです。現象は瞬時に変化する一時的なものであるから「無常」なのです。これを「諸行無常」と言います。この智慧こそ仏教の最も大事な三大支柱として「三法印」といわれるのです。
例えばここに一個の電球の光があります。その光は「存在」として認識できますね。この光は電子が猛烈に活動しているから「存在」として安定しているのです。しかし、その電子の動きが一瞬でも止まってしまえば同時に光は消えてしまいます。光の実体が現象であることがわかります。
これと同じことが存在するすべてのものに言えるのです。以上、森羅万象という一切の「存在」は「現象」であるから「無常」であるという理論を認識していただけたでしょうか。
その存在の全てのものと言えば、繰り返しになりますが、勿論あなた自身も含まれます。しかし、自分自身も現象であり無常であるというこの事実が悟りの智慧として認識ができないから人は「苦」から解放されないのです。
一切の存在は現象であるから無常であるという真実。そしてその無常とはただ漠然とでたらめに「無常」ではないのです。そこには絶対の法則があるのです。その法則こそ「因縁」なのです。
その因縁の法則に従って一切の存在は無常なのです。その流れは無限の過去にさかのぼり、永遠の未来へと流れているのです。 

■3 輪廻転生
前回はみかんを例に原因と結果の流れについて述べましたが、その原因と結果の間にあるものが「縁」です。しかし、実際にはその縁は複雑多岐に入り混んでいて決して単純なものではありません。それは人の説明など人知の及ばない妙たるものなのです。
例えばみかんの「種」は全てが育つわけではありませんし、実際には育たない種の方が多いと言えるでしょう。種が種として育たずに腐ってしまう方がずうっと多いのです。一個の種が育つ確率はほんのわずかなものなのです。
ここで何が言いたいかと申しますと、それぞれの種が育つかどうかはすべて「縁」次第なのですが、種が途中で腐ってしまったからといってその本質が消滅してしまうわけではないということです。種が種としての機能が無くなってもその本質は別なエネルギーとなって新たな次の物を形成していくのです。
種としての機能は無くなってもその実体は「現象」ですから質量に変わりはありません。ただ因縁によって次の形態をとるのです。ちょうど酸化と還元の繰り返しのようなものといったらよいでしょう。ここまでは理論的にも容易に理解できると思いますが、そこで問題なのは人の場合です。
人には「魂」というものがあります。死んだらその魂はどうなってしまうのでしょう。これこそ人類最大のテーマなのです。このテーマのために人類には宗教があると言っても過言ではないのです。
ほとんどの宗教はその魂の鎮魂のため冥福のために存在していると言ってもいいでしょう。宗教には現世利益も勿論ありますが、多くはあの世の冥福を信じるから入信するのです。中東では毎日のように自爆テロが起きていますが、神の下で救われると信じるからこそ決行できるのです。その認識の賛否は別としてその実態は魂のありようを示しているのです。
では仏教では魂をどう捉えているのでしょう。これまで私は、人も「存在」であるから現象であり無常であると申してきました。では自分も死んだら雲散霧消のごとくただ消滅してしまうのでしょうか。だとしたら、なんとはかない、さびしい、つまらないことではないでしょうか。
それは大きな誤解です。あなたは永遠の命を持っているのです。「えっ? だって現象である以上消えて無くなるのではないの?」という疑問も当然です。その疑問に答えるのが今回のテーマですから、これからが大事です。
では「永遠の命」って何でしょう。それが「仏性」なのです。
「一切衆生、悉有仏性」 「悉有は仏性であって、その悉有の一つのありようを衆生というのである。衆生はその内も外もそのまま仏性の悉有である。」「正法眼蔵(仏性)」
一切衆生、悉有仏性であるということは、人は死んでも仏性はそのままであり、永遠であるということです。これがすなわち「永遠の命」です。人の魂を仏性と捉えたならば、その命は永遠ということが理解できます。
どうですか。あなたは死んでも死なない命を持っているのです。そして今自分がここに存在しているという事実が過去の自分の「存在」と未来の自分の「存在」を証明しているのです。
難しいですか? つまり、今自分がここに居るという事実はそれを結果としたら、過去にさかのぼって自分がいたということの証(あかし)であり、同時に未来に自分が存在するという証でもあるということです。
その「存在」の流れを「輪廻転生」というのです。ふつう輪廻転生というと霊魂が単に次々と生まれ変わりをすることだと理解する人が多いようですが、この場合の「魂」とはいわゆる霊魂不滅説による解釈です。
しかしこの解釈ははっきり言って誤解です。霊魂の本質を知らないでただ不滅の存在であるととらえるのは妄想です。霊魂の本質が仏性だと認識し、このことが悟りの智慧として理解できたら、霊魂は不滅であり永遠に輪廻転生するというほんとうの意味が分かってきます。
すべての「存在」の本質は仏性であり、それはただただ因縁の流れに従って形態を変えていく永遠の流れであるという・・・これを輪廻転生というのです。 

■4 一大事の因縁
前回は輪廻転生について述べました。おさらいすると、存在するすべての本質が仏性であり、それはただただ因縁に従って永遠に無常であり続けるのです。その実態を「輪廻転生」と云うのです。
すなわち仏性こそ永遠の「命」であり、その命はただただ因縁の流れに従っているのです。イヤ仏性自体が因縁と云ってもいいでしょう。仏性と因縁とは別個のものではないのです。
「仏性の義を知らんと欲せば、当(まさ)に時節の因縁を観ずべし。時節もし至れば、仏性現前す」「正法眼蔵(仏性)」
仏性の意味を知るには因縁の意味を知ることであり、因縁を悟ることが仏性を悟ることであると道元禅師は示されています。かねてから申しているように、やはり仏教とはすなわち因縁の教えであるということです。
その教えがまとめられているのが「修証義」の一章です。「総序」として総括されていますが、その論旨はまさに「因縁」です。「因縁」を悟りの智慧として会得してこそ人は幸せになれると明示されています。この章抜きに因縁は語れないと云っても過言ではないでしょう。よってこれよりしばらくはこの章の中から「因縁」について学んでみましょう。
生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり。生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし。ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭(いと)うべきもなく、涅槃として欣(ねご)うべきもなし。この時はじめて生死を離るる分あり。ただ一大事因縁と究尽(ぐうじん)すべし。「修証義一章(第一節)」
「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり。」まずこの言葉から始まっていますが、生死の問題を徹底的に明らかにすることこそ仏教の最も肝腎とするところの究極の目的であるというのです。
仏教とは申すまでもなく、教主釈尊自らが、生老病死という人生最大の問題を解決すべく道を求めて出家修行され覚者となられその道を説き示されたものです。すなわち生死解脱こそ仏教の究極の目的なのです。「修証義」の冒頭にまずこの一句が示されているのはまさに当然と言えるでしょう。
「生死の中に仏があれば、生死はない。生死の中に仏がなければ、生死に迷うこともない。生死をはなれたいと思う人々は、まさしくその意味するところを明らかにしるがよろしい。」「正法眼蔵(生死)」
正に公案といってもいい句です。「生死の中に仏があれば」とはどうゆうことでしょうか。まず「生死」について御開山は次のように示されています。
「そもそも、生と死のありようは、生から死に移るのだと思うのは、まったくの誤りである。生とは、それがすでに一時(ひととき)のありようであって、そこにはちゃんと初めがあり、また終りがある。
だからして、仏法においては、生はすなわち不生であるという。滅もまた、それがすでに一時のありようであって、生というときには、生よりほかにはなんにもないのであり、滅というときには、滅よりほかにはなんにもないのである。
だからして、生がきたならば、それはただ生のみであり、滅がくれば、それはもう滅のみであって、ただひたむきにそれにむかって仕えるがよいのである。厭うこともなく、また願うこともないがよろしい。」「正法眼蔵(生死)」

要約すると、生は生であり死は死である。生から死に移るということではないし、生は生でしかなく、死は死でしかないのである。生は生で、死は死でそれ自体が満点であるから生と死とを区別して善いとか悪いとかの問題ではない。
この中のポイントは「ただひたむきにそれにむかって仕えるがよいのである。」というところです。生は生で満点であり、死は死で満点であるから生死にこだわる必要はなく、生は生で、死は死で「一生懸命」であればよいというのです。
「生死の中に仏があれば生死なし。」 生も死もその本質が仏性であるから、いずれもそれ自体が真如実相の世界であるということです。そこにはもはや「生死」の区別などありません。それを「生死の中に仏があれば生死なし」と表現されているのです。
では眼蔵の中の次の一句、「生死の中に仏がなければ、生死に迷うこともない。」とはどうゆうことでしょう。これは前文に対しての反語による強調です。「仏がなければ」とは「仏性」にこだわらないということです。生死を超えた次元にはそれ自体「仏性」という認識もこだわりも無いのです。
仏性、仏性、仏性・・・というのはこだわりです。こだわりは分別であり妄想です。そのこだわりを超えたところにほんとうの悟りがあるのです。そこにはすでに「生死の迷い」などありません。そういうことです。
「ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭(いと)うべきもなく、涅槃として欣(ねご)うべきもなし。この時はじめて生死を離るる分あり。」「正法眼蔵(生死)」
生と死の両方がすなわち涅槃であることを知るべきであり、死を涅槃と解釈して求めたり、また涅槃は死だと解釈して忌み嫌ったりすることは間違いなのです。「生死」を解脱してこそほんとうの「涅槃」の意味がわかるのです。
「この時はじめて生死を離るる分あり。」 涅槃を悟ってこそ生死という分別から解放されるのです。
「ただ一大事因縁と究尽(ぐうじん)すべし。」 この節の結語です。生と死の真実を見極め、涅槃を悟ることこそ仏教徒、修行者にとっての最大の眼目なのです。 

■5 最勝の善身
「人身(にんしん)得(う)ること難し、仏法値(あ)うこと希なり。今われら宿善(しゅくぜん)の助くるに依りて、すでに受け難き人身を受けたるのみに非ず、遭(あ)い難き仏法に値(あ)いたてまつれり。生死の中の善生、最勝の生なるべし。最勝の善身を徒らにして、露命を無常の風にまかすることなかれ。」(修証義)
まず人間として生まれてきたこと、さらには仏教の教えに遇えたことは正に奇蹟の因縁によるものであることを銘記し、さらに、その因縁は前世の善根によるものであると示されています。そしてこの人間という最尊最上の命を無意味な無常の風にさらし無駄な人生を送ってはならないと諭されています。
「爪上(そうじょう)の土」という譬(たと)えの話があります。お釈迦さまがあるとき、左の手のひらに土を山盛りにして、それを、弟子の阿難尊者の面前にさし出され申されました。
「阿難よ、お前は、大地の土の分量と、この手のひらの上の土の分量と、どちらが多いと思うか」 もちろん阿難は、掌の上の土の分量は、大地のそれとは比べようもないほど微量ですと答えました。
するとお釈迦さまは、「阿難よ、まことにその通りである。丁度そのように、この世の中に生きとし生けるすべてのものと、人間として生まれたものとを比べてみると、それは大地の土の分量と、この手の平の上の土の分量のごとく、人間の生を受けるものの数は実に少ないのだ」と説き示されました。
まことに「人身得ること難し」です。人として生まれる確率はまさに奇蹟の確率と言って良いでしょう。するとお釈迦さまは今度は、手の平の土をごく少量つまんで、左の拇指の"爪"の上に載せられ、ふたたび阿難尊者に訊ねられました。
「阿難よ、この爪の上の土の分量と掌の上のそれといずれが多いか」と。阿難尊者は、「それはもちろん爪上の土の方が、これまた比べようもないほど微量であります」と答えました。するとお釈迦さまは、「阿難よ、まさにその通りである。この世に生きとし生けるすべてのものの数と、人間の数とを比べてみると、それは大地の土の分量と掌の上のそれの如く、まったく比べるすべもない程であるが、さらに、たとえ人間として生まれてきても、覚者(仏陀)の教えに値うことのできる者は、この爪の上の土の分量のごとく、それは実に少ないのだ」と諭されました。
まことに「仏法値うこと希なり」です。同じ人でありながら仏法に出会うことの出来る確率が奇跡的であることを示されています。開経偈は「無上甚深微妙法。百千万劫難遭遇。我今見聞受持。願解如来真実義。」と説いています。 (※開経偈とは読経や、説法を拝聴する前にお唱えする偈文です)
「この上もなく妙(すぐれ)た法(おしえ)としてのこの仏法は、百千万劫を経るあいだにも容易にあいたてまつることはできない」というのがこの偈文の大意です。一生のあいだに仏教の正しいおしえに会えるのは難値難遇(なんちなんぐう)の因縁だというのです。いまあなたが仏教に関心を持ち、このサイトを見て仏教の教えに触れているのも実は大変な因縁があってのことなのです。
「今われら宿善の助くるに依りて、すでに受け難き人身を受けたるのみに非ず、遇い難き仏法に値いたてまつれり。生死の中の善生最勝の生なるべし」(修証義)
「宿善」は「宿殖善根」の略語です。このばあいの宿は宿世すなわち前世のことです。「宿善の助くるに依りて」は、前世に善根を植えつけておいたその功徳力に依って、という意味です。
得ることの難しい人身(命)を得た上に、遇うことも希れなる仏法に値いたてまつることができたというのは、決して偶然なことではなく、それはひとえに宿殖善根の功徳力という因縁によるものであるというのです。
「生死の中の善生最勝の生なるべし」このなかの「生死」とは六道流転の生死のことです。仏教では、迷いの衆生は六道、すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの世界を輪廻流転すると説かれています。
その中で人間は「善生であり最勝」であるというのです。まさに「人間」という最もすばらしい生命を授かった因縁を自覚すべきなのです。「最勝の善身を徒らにして、露命を無常の風にまかすることなかれ」 その最高の人生を無駄に送ることによって、はかなくも尊い命を無意味な時間にさらしてはならない、という意味です。
人間とは最高の存在なのです。その最上で最高のせっかくの人生を無駄に送っている人がなんと多いことでしょう。今日のニュースにも実に痛ましいものがありました。
30才台の男三人が何の関係もない女性を金目的で拉致し、ハンマーで殺害。犯人の一人が死刑が怖くて通報したことで犯人達はすぐ捕まりましたが、彼らはたった七万円で若い女性を惨殺し尊い命を奪ったのです。なんたる理不尽極まる極悪非道残忍な事件でしょう。
また、あるスーパーの女性店員による同僚殺害事件もありました。犯人の女性は元恋人がその被害者女性と結婚したことに嫉妬したのです。嫉妬心もひどくなると人を狂わせてしまうのです。その犯人は自分自身の人生をも棒に振ってしまいました。
このような事件は正に゛浜の真砂゛のように尽きません。なぜでしょう。それは真実を見失うからです。真実以外すべて迷いであり煩悩なのです。人は迷いの存在なのです。だからこそ真実を求めて絶えず精進しなければ、いつ何処で迷いから地獄に堕ち込むか知れないのです。
残念ながら、今の世の中どんどん確実に悪くなっています。世の中が悪いということは人の心が悪くなっていることにほかなりません。
ひとつの例ですが、昔は保育料や給食費を払えるのに払わないなどという人はほとんどいませんでした。それが今何ですか。平成17年度だけでも総額22億円の給食費が未納だとか。それもその多くが払えるのに払わない保護者だとか。督促に逆ギレする者もいるとか。
そんなモラルや常識のない親に育てられた子供こそ不憫です。将来どんな大人になるのでしょうか。推して知るべきです。因果論を身につけることで悪道に堕ちることから救われるのです。
持論ですが、人が幸せに生きる方法を教えてくれているのが仏教です。その基本が「因縁の教え」なのです。その因縁の智慧を身に付ける方法、それが仏法なのです。仏法を学び、その法に従って生きることで人は確実に幸福になれます。 
 

 

■6 己れに随い行くのは善悪業等のみ
「無常たのみ難し。知らず露命(ろめい)いかなる道の草にか落ちん、身すでに私に非(あら)ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し。紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡(しょうせき)なし。つらつら観ずるところに、往事の再び逢うべからざる多し。無常忽(たちま)ちに至るときは、国王、大臣、親じつ、従僕、妻子、珍宝たすくるなし。ただ独り黄泉に赴くのみなり。己れに随い行くは、ただこれ善悪業等のみなり。」
この第三節では主に無常観が説かれています。そして結論として、その無常の流れの中で己が積み重ねた"業"のみが来世に随(つ)いていくという"因縁"が示されています。言葉の意味としては比較的分かり易い内容だと思いますが、大切なことは言葉の解釈ではなくその真意を信ずるところにあるのです。
ご承知のように、仏教の三大眼目である三法印の第一義が「諸行無常」です。宇宙のありとあらゆるすべての"もの"は一刻一刻、刹那ごとに生滅変化を続けているという真理の"法"を示したものです。本節では道元禅師のその無常観が如実に示されていると言えるでしょう。
「無常たのみ難し」人生は無常なものであり、まったく頼みの当てにはならないということです。「無常」に対しては、人はどうしようもできないということです。
「知らず露命いかなる道の草にか落ちん」人の命というものは実にはかないものです。今元気でも明日も元気だという保証はどこにもありません。それはちょうど道ばたの草の葉先に玉状となって止まっている露の状態によく似ています。
いつ何時、その露の命はぽろっとこぼれ落ち消え去るかもしれないのです。われわれの命というものは丁度そのようにまことに頼りない不安定で保証のないものなのです。
「あすありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」という古歌がありますが、明日どころか、一時間先、イヤ一分一秒先がわからないのが人生です。まさに一寸先は闇なのです。
「身すでに私に非ず」「身」とは「体」のことです。「私に非ず」とは「自分のものではない」ということです。ふつう自分の髪の毛一本から足の爪の垢まで自分の"もの"だと思っていますね。だれでも自分の目、鼻、耳、口から心臓、腎臓、肝臓などの内臓から全て完全に自分のものだと思い込んでいるのが当たり前です。
しかし果たしてそうでしょうか。自分のものであれば自分が自由にできるはずです。ところが、髪の毛一本すらわれわれは自由にできません。若い時は全く意識すらしていなかったそのゆたかな髪もやがて加齢とともに薄くなったり白くなったりしてきます。
哀愁のもと、育毛剤や養毛剤を必死に使ってみても遅かれ早かれ結果は同じことです。抜け出す髪の毛一本すらわれわれはコントロールできないのが現実なのです。一本の毛すらコントロールできないものが五臓六腑などコントロールできる筈もないのです。
完全に自分のものだと思い込んでいるこの"身"は実は自分の自由になるものではないというのが「身すでに私に非ず」ということです。「すでに」とは「もともと」というほどの意味です。
お彼岸の今日、折しもお参りに見えたある方のお話です。数年ほど前脳梗塞を患い、大手術の末九死に一生を得たそうですが、視力が大変落ちてしまい車の運転も出来なくなってしまったそうです。
そのことから大変落ち込んでしまい鬱病になってしまったそうです。ようやく立ち直り今日お墓参りに来られたとのことでした。自分の体でありながら自分の体でないことを悟ったそうです。
「命は光陰に移されて暫くも停め難し」「光陰」とは「時間」のことです。命と時間は一体のものです。一瞬たりとも止まってはいません。
「紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし」 少年時代の瑞々しいあの紅顔はいつの間にか何処かへ消え失せてしまいました。何処へいってしまったのかその形跡すらどこにもみあたりません。今このしわくちゃの老顔、重い足腰、記憶力、気力の低下という現実にさらされて"無常の理(ことわり)"を実感します。
「つらつら観ずるところに、往事の再び逢うべからざる多し」 ひとたび過ぎ去った時間は絶対に二度と再び戻ってはきません。宇宙に存在する一切の"もの"は瞬時に流れているのです。例え外見は同じように見えてもその実体は現象でありとどまることはありません。諸行無常なのです。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず。淀みに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまる例(ためし)なし」(方丈記)
きのうの一日も今日の一日も、今の一刹那も次の一刹那もなんら変わることのないもののように思えても、昨日の一日は昨日の一日であり、今日の一日は今日の一日であり未来永劫再び戻ってくることはあり得ないのです。これを「一期一会」と言います。このように、「諸行」は永遠に流れ続けてやむことのない「時」の流れの上に乗っているのです。
「無常忽ちに至るときは、国王、大臣、親じつ、従僕、妻子、珍宝たすくるなし」ひとたび無常の風に誘われたら、例え国王であれ、大臣であれ、親族であれ、友人であれ、使用人であれ、妻子であれ、お金や財産であれ、それらによって無常の風の流れを差し止めることはできないのです。
つまり死ぬ時がきたら、例えどんな威力であれ、権力であれ、忠義であれ、愛情であれ、金銀財宝であれ、それらを以て延命に役立てることなどできないということです。例えどこかの国の将軍様といえども"その時"がきたならばどんな権力や財力も全く役に立たないのです。命をコントロールできるものなど絶対に無いのです。
「ただ独り黄泉に赴くのみなり」結局はただ独りであの世に行くだけなのです。どんな権力者であろうとどんな金持ちであろうと、所詮死ぬときは独りであるのです。
「己れに随い行くは、ただこれ善悪業等のみなり」しかし、あの世の先まで随いていくものがあります。それは只一つ、自分が生前に積み重ねた善と悪の業(ごう)なのです。人は死ぬことで肉体を失いますが「業」だけは絶対に失いません。この「業」を因とし縁として「来世」に赴くのです。
今の世の中、どんどん悪くなっているような気がしてなりません。毎日のニュースをみてください。悪いニュースばかりです。この業の道理を信じない人がどんどん増えているなによりの証拠と言えるでしょう。
「業」を信じない人は来世を信じません。来世を信じない人は自分を大切にしません。自分を大切にしない人が悪事を働くのです。来世は厳然として有るのです。お釈迦さまのお悟りがそれを証明しています。
業を信じ来世を信じてこそ人は自分を大切にできるのです。"諸縁吉祥"はまず業の道理を信ずる人にこそ訪れることを知るべきです。 

■7 因果の道理歴然たり
「今の世に因果を知らず、業報(ごっぽう)を明(あきら)めず、三世を知らず、善悪をわきまえざる邪見のともがらには群すべからず。おおよそ因果の道理歴然(れきねん)として私なし。造悪の者は堕ち、修善の者は陞(のぼ)る、豪釐(ごうり)もたがわざるなり。祖師の西来(せいらい)あるべからず。」
この第四節では、因果の道理はまことに歴然たるものであり、昧(くら)ますことなど絶対にできないものであるという、因果必然の理法が示されています。
「今の世に」とは、「いつの時代のいつであれ」ということです。「因果を知らず」とは、この宇宙に存在するすべてのものは因果必然の道理の下にあるという真理の法を知らずして、ということです。
「業報を明めず」とは、「業には応報があるという理法を知らずして」ということです。「業」という字を辞典で調べてみると、「わざ」とか「なりわい」とかいう意味のほかに、「すでに」と読んで、「すでに為しおわったこと」という意味があります。梵語では「カルマ」と訳されていますが、この「為したこと」という意味が重要です。
ここで少し「業」について"持論"を述べてみます。まず「業」とは何でしょう。それは人の「為したこと」によって生まれるエネルギーのことです。エネルギーとは総じては目には見えないものです。万有引力や磁気などの例をみてもわかるようにそのエネルギーは見えませんね。従って「業」も目に見えない"エネルギー"なのです。
まず食べ物のエネルギーを例に考えてみましょう。人が物を食べるという行為は食べ物のエネルギーを体に取り込むことです。そしてそのエネルギーは代謝によって体力と気力として消費されるわけですが、そのエネルギーはまず一旦体に栄養として蓄積され、必要に応じて代謝、消費されるわけです。
さらに言えば、その代謝の仕方にはいろいろあります。ある食べた物のエネルギーが一日で消化されることもあれば、10日かかることもあれば、半年以上かかることもあります。さまざまです。それは消費には体内環境が拘わっているからです。その環境条件に従って蓄積されたエネルギーは徐々に代謝、消化されるからです。この理論は誰にでも容易に理解できることです。
次に、その「食べた物」を「業」に置き換えてみましょう。人の「為したこと」が「業」であるから、人のあらゆる行為には業というエネルギーが伴うのです。そして、食物のエネルギーと同じように業のエネルギーも一旦体に蓄積されます。これを「宿業」(しゅくごう)と言います。
その宿業のエネルギーは同じように体内環境に従って代謝、消費されます。その代謝、消費される時間は一様ではありません。短ければ刹那に消費されるでしょうし、長ければ何年にも亘ることもあれば、場合によっては来世に及ぶこともあるのです。
一つ一つの業のエネルギーの消費の時間はすべて異なるのです。それは一つ一つの業の条件が異なっているからです。その"条件"に相当するのが「縁」です。つまり縁にしたがって業は確実に消費され応報という結果を迎えるのです。
このように宿業の一つ一つのエネルギーは縁に従って100パーセント消費され応報という結果となるのです。つまり業とは応報という結果を宿したエネルギーといえるのです。(我ながら上手い例えだと思いますが・・・いかがでしょうか?)
さて、次の「三世をしらず」とは、「因果は過去、現在、未来の三世にわたるものであることを知らずして」ということです。今我々は「現在」に生きています。現在があるということは過去があったからです。ご先祖様という「過去」があったからこそ自分という「現在」が存在するのです。自分の過去を辿ればそれこそ宇宙誕生まで遡ることになります。
これは未来に対しても同じです。今の現在が「現在」であり、明日の現在が「未来」なのですから、未来があるということは厳然としています。この理屈分かりますね? つまり未来を否定する人は過去も現在も否定することになるのです。未来とは勿論来世も含みます。未来も来世も否定する人のことを「三世をしらず」というのです。
「善悪をわきまえざる邪見のともがらには群すべからず」 「善悪をわきまえない」とは、善悪の区別が出来ないということです。「邪見」とは、業報の道理を信じようとしないことをいいます。
「ともがら」とは、「輩(やから)」とか仲間という意味です。「群すべからず」とは、仲間に入ってはだめだということです。「類は友を呼ぶ」といいますから自分自身を高めなければなりません。それには仏法を学ぶことです。
「おおよそ因果の道理、歴然(れきねん)として私なし」 「おおよそ」とは「実に」とかの強調でしょうか。善因善果、悪因悪果という宇宙絶対の真理は「歴然として私なし」なのです。「歴然」は、(れきねん)と濁りません。「はっきりしていること」「明白なこと」という意味です。
「私なし」・・・公平無私ということです。これが大切です。真理の法は人の身分や権力の有る無しにかかわることなく万物万人に対して絶対平等です。この絶対不偏の平等のことを「私なし」というのです。
しかし、人の世には不公平なことがあまりにも多すぎます。それは国の秩序や法律を決めているのが権力者だからです。その最たる者が独裁者です。自己中心の悪中の悪、悪の権化です。どこかの国の将軍様が背負っている悪業の量が見えるものなら見てみたい気がしてなりません。悪い好奇心でしょうか?
とはいえ、民主主義でさえその政治や経済を牛耳っているのが権力者であることを考えると、過去にも未来にもそういった人達が自分たちに都合の良いようにするのが人の世かもしれません。理不尽ですがこれが人間界の宿命なのです。
しかしですよ、真理の法の下ではどんな権力者であれ平民であり絶対平等なのです。悪事には悪報の裁きが待っているのです。業報は正に「私なし」にやってきます。その例が次の句です。
「造悪の者は堕ち、修善の者は陞(のぼ)る、豪釐(ごうり)もたがわざるなり」 文字通りに、悪いことをする者は堕ちて、善いことをする者は陞る、ということです。堕ちる処と言えば地獄、餓鬼、畜生や修羅界のことであり、陞ると言えば声門、縁覚、菩薩、仏の世界のことです。地獄も極楽も過去、現在、未来の三世に亘ってれっきとして存在するのです。
「豪釐(ごうり)もたがわざるなり」 豪釐の豪は毛筋のことであり、釐は厘と同じで、一銭の十分の一をあらわす単位です。「豪釐」とはウサギなどの極細の、毛先の見えない位の太さのことで、極めて僅かという意味です。「たがわざるなり」とは「違いがない」とか「狂いがない」という意味です。
悪いことをする者は餓鬼道や地獄道に堕ち、善いことをする者は仏界や極楽に陞るという、この因果業報は、極細の毛筋ほどの狂いもなく間違いなくやってくるということです。しかしその「法」を知ろうともせずに悪事を働く者は浜の真砂のように尽きません。
オレオレ詐欺も一向に減りません。私事ですが、つい数日前、家族がオレオレ詐欺に遭いかけました。義母が孫を装った詐欺グループにだまされかけたのです。その途中で私にも家族から連絡が入ったのですが、私もはじめは信じてしまったくらいです。有り難いことにすんでの所で助かりました。今まで自分に限ってはと思っていましたが、甘かったと思いました。みなさんもどうかくれぐれも気を付けてください。
さて毎日のニュースをみても、己の欲望に負け因果業報も信じない人が悪事を働くのです。このところ餅菓子メーカー「赤福」、比内地鶏の偽装事件などが連日報道されています。ちょっと前に白い恋人や不二屋の偽装事件が大きく騒がれたにもかかわらず、なんの警鐘にもなっていません。
悪事は重ねる毎に鈍感になり罪意識も薄らいでいきます。そして高を括るようになり、発覚するなど思いもよらなくなってしまうから恐ろしいのです。しかし、因果業報は"歴然"としています。今日は例の北海道のミートホープ社の元社長らがついに逮捕されました。己の手錠の姿など夢にも思わなかったことでしょう。
まさに有頂天から急転直下奈落の底へ堕ちてしまいました。(有頂天とは仏界のうちの形のある最上の世界のことであり、奈落とは梵語で地獄の意味です。) 間違いなく「造悪の者は堕ち」るのです。そしてつくづく失った地位や名誉、誇りの大きさに気付くのです。哀れとは正にこのことです。
このほか訪問介護事業者による介護報酬の不正請求の事件などがありました。どれもこれらもみんな貪欲の毒にかぶれ善悪の判断ができなくなった結果です。"邪見のともがらに群する"とそのような犯罪組織に引き込まれるのです。そんな我利我亡者を待っているのが悪業報なのです。世の中には表に現れない組織犯罪はゴマンとあります。気をつけましょう。
この他には、前防衛事務次官の問題や、亀田一家の問題がありました。彼らの特徴は世間を見下した傲慢横柄なキャラクターと倫理観の欠如です。天皇とまで呼ばれすっかり成上がり者になってしまった守屋氏。高慢ちきで非常識なそんな男が日本の防衛の長だったとは日本の恥です。彼もまたこれからじっくり煉獄の業火に炙られることでしょう。
もう一方の成上がり者の亀田一家。馬鹿なパフォーマンスにマスコミもすっかり乗せられてしまいました。人を喰った無礼な態度も"絶好調"でした。しかし世の中そんなに甘くはありませんでした。こちらも有頂天から奈落の世界に真っ逆さま。「私なし」の法は身勝手な彼らにとっては非情でした。でも若い彼らです。業報の道理を学んで出直してもらいたいものです。
あとマスコミに言いたいのは、あのくだらないパフォーマンスを初めは是認しておきながら今では手の平を返したように一斉にバッシングの嵐です。自分たちの責任は感じていないのでしょうか。はっきり言って卑怯です。
「若し因果亡じて虚(むな)しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来(せいらい)あるべからず」 もし万が一にも因果の理法が虚妄な、あやふやなものであるならば、諸仏もこの世に出現される必要はなかったし、達磨大師が西天(インド)から、はるばる支那へと仏法を伝えに来る筈もなかったということです。つまり、因果の理法が仮にデタラメなものであるならば、お釈迦さまの悟りもなく、仏教などという宗教も生まれなかったということです。
善因善果、悪因悪果の理法の万古不易なることをあらためて肝に銘じたいものです。 

■8 三時の業報
「善悪の報(ほう)に三時(さんじ)あり。一つには順現報受(じゅんげんほうじゅ)、二つには順次生受(じゅんじしょうじゅ)、三つには順後次受(じゅんごじゅじ)、これを三時という。
仏祖の道を修習するには、その最初よりこの三時の業報の理をならいあきらむるなり。しかあらざれば多く錯(あやま)りて邪見(じゃけん)に堕(お)つるなり。ただ邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。」
「善悪の報(ほう)に三時(さんじ)あり」 善業にせよ悪業にせよ、その業に対する果報には時間的に3通りあるというのです。その第一が「順現報受」(じゅんげんほうじゅ)です。その第二が「順次生受(じゅんじしょうじゅ)」です。その第三が「順後次受」(じゅんごじじゅ)です。
「仏祖の道を修習する」というのは、仏道を修行するということです。「その最初より」とは、仏道修行の出発点こそ大切だということです。「ならいあきらむる」とは、十分に修行し究めるということです。
「しかあらざれば、多く錯(あやま)りて邪見に堕(お)つるなり」この三時の業報の道理を十分究めないととんでもない間違った方向、誤った認識の我見や我執にとらわれ、「邪見」に堕ってしまうというのです。
「ただ邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。」それも、ただ単に邪見に堕ちるだけではなく、その邪見が元となって、やがては三悪道(地獄・餓鬼・畜生)といわれるような、抜き差しならぬ苦しみの世界に堕ち、いつ果てるとも知れぬ長い「苦の果報」を受けることにもなるというのです。
以上がこの第五節のあらましですが、三時の業報の道理をしっかり究めつくすことこそ仏道であるということ。そして、もしこの道理を無視したり否定したりすると、とんでもない誤った認識、邪見を持つばかりではなく、三悪道に堕ちて長い苦しみを受けることになると諭されています。
前節において、「おおよそ因果の道理歴然として私なし。造悪の者は堕ち、修善の者は陞る、豪釐もたがわざるなり。」と説いていました。善因善果、悪因悪果の理法は、断じていささかの狂いもなく果報として現れることを説いたものですが、しかし、世間の現実を見ると、果たしてそうかと思われるようなことが沢山あります。
それは、どうみても善人なのに、その身の上に痛ましいことや不幸なことが立て続けに起きたり、それとは逆に、どうみても悪人と思われる人が順調に富み栄えている例などいくらでもあります。
善因善果、悪因悪果の道理とはいえ、おおいに疑問の念が起こるところです。その理不尽、不条理の思いに応えているのが正にこの「三時の業報」の理法なのです。この理法に照らして見ると、善因善果、悪因悪果の道理というものが、いささかの例外も目こぼれもあり得ないのだということがわかります。今回のテーマはここにあります。
善業であれ悪業であれ、私たちの行為による業には、時間的に三通りの果報があるというのです。それがこの、順現報受・順次生受・順後次受という「三時の業報」なのです。「順」は「したがう」という意味です。善業は善業に"したがって"、悪業は悪業に"したがって"、さらに悪業も善業もそれぞれ軽い、重いがあって、その軽重に"したがって"果報があるというので、"順"という字が使われているのです。
まず、第一の「順現報受」をみてみましょう。わたしたちが善悪の行為をした場合、その報を現世、つまり今の世で受けることをいいます。
「いはく、人ありて、あるひは善にもあれ、あるひは悪にもあれ、この生(しょう)に(業を)つくりて、すなはちこの生にその報をうくるを、順現報受業といふ」(正法眼蔵・三時業)
第二の「順次生受」とは、今生、つまり今の世で行った行為の報いを次の世、つまり来世で受けることをいいます。
「いはく、人ありて、この生に五無間業(むけんごう)をつくれる、かならず順次生に地獄におつるなり。順次生とは、このつぎの生なり。また第二生ともこれをいふなり」(正法眼蔵・三時業)
第三の「順後次受」とは、今生で行った行為が、次の次の生、またはその先の世でその報いを受けることをいいます。「後次受」の「後」とは、限りない次の世ということであり、私たちの行為は業のエネルギーとなって、その果報を受けるまで永久に続くのです。
「いはく、人ありて、この生にあるひは善にもあれ、あるひは悪にもあれ、造作しをはれりといへども、あるひは第三生、あるひは第四生、乃至、百千生のあひだにも、善悪の業を感ずるを順後次受業となづく」(正法眼蔵・三時業)
私たちの行為によって生まれる業のエネルギーは、たとえ三つの時節に分かれてはいますが、必ずその結果を招かずにはおかないという、これを三時の業報の道理というのです。
道元禅師はさらに、「深く因果を信ずべきこと、僧侶の中でも因果の道理に暗い人がいる」とか、「因果の法則を知らない人は、仏法を説いてはいけない」とか、「因なし果なしというは外道なり」とか、「仏祖の洪恩を報ずべくは、すみやかに諸因諸果をあきらむべし」(正法眼蔵・深信因果)と示されています。
「因果の法則」を抜きにして、仏法を説くことはできません。その因果の法則を時間の関係から説かれたのがこの「三時の業報」です。要するに、善業にせよ悪業にせよ一旦造られた「業」が、その果報を招かずに終わるということは、絶対にありえないのです。
あなたの行った行為は善であれ悪であれ、時間的な差があっても必ずその結果は現れるのです。しかし、世の人々の中には、この因果の理法、三時の業報というものを信じることもなく短絡的に生きている人がなんと多いことでしょう。
毎日のニュースはその有様を示しています。詐欺、ストーカー、殺人、偽装、賄賂汚職等々。あんな善い人が、こんな事件を起こすなんて信じられない、といったことをよく聞きます。どんな人でも油断をすると悪道に堕ちる可能性を持っているのです。だからこそこの「理法」を身に付けて欲しいのです。
さて、ここでさらに大事なことを申し上げましょう。それは、この因果の理法、三時の業報の理法を、単に悪道に堕ちないために信じるということでは不十分だということです。どうゆうことかと言うと、それは、悪い事は悪い結果となるから「してはならない」とか、善いことは善い結果を生むから「しなさい」というのは単なる利得的発想だからです。
ちょっと難しいかもしれませんが、「行為」というものに、意図的なものがあったらたちまち利欲的な個人的なものになってしまうからです。義務感覚での段階は低次元だということです。
悪い事は、「悪いからしない」ではなく、「悪いことは出来ない」ということでなければなりません。 善い事は、「善いことだからする」のではなく、「善いことしか出来ない」ということでなければ本物ではありません。
因果の理法、三時の業報の理法を真に究めるということはその境涯まで求められるのです。悪いことすると罰が当たる、善いことをすると善い見返りがある、というのは単なる賞罰論であり、道徳論の域を出ません。
仏教は道徳ではありません。宗教です。宗教は理屈を超えた崇高な精神の世界です。ただ「悪いことは出来ない」、「善いことしか出来ない」菩提心の世界です。
だからこそ祈るのです。懺悔するのです。それにより報恩感謝の生活、仏作仏行の生活が送れるのです。 

■9 因果を活かす
三朝祈四海五福 一切群生明晃晃
「当(まさ)に知るべし、今生の我が身、二つなし三つなし。徒らに邪見に堕ちて虚(むなし)く悪業を感得(かんとく)せん、惜しからざらめや。悪を作りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟(じゃしゆい)するに依りて、悪の報(ほう)を感得せざるには非ず。」
「当(まさ)に知るべし、今生の我が身、二つなし三つなし。」まさに読んで字の如く、いま生きているところのこの身、この命はたった一つきりのものであり、二つも三つも掛け替えのあるものではありません。
「徒らに邪見に堕ちて虚(むなし)く悪業を感得(かんとく)せん、惜しからざらめや。」「邪見」というのは、前にも述べましたように、因果の必然の理法を否定する見解のことです。そのような無意味な邪見に堕ちると無駄な悪の果報を受けることになるというのです。「惜しからざらめや。」まことに惜しいことではないか、ということです。
「悪を作りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟(じゃしゆい)するに依りて、悪の報(ほう)を感得せざるには非ず。」悪業を悪業とも思わず、また、たとえ悪業を造ったところで、悪の報いなどあるものかと自分勝手なよこしまな考え方をしたとしても、悪業に対しての悪報を受けずに済むということは絶対に無いというのです。
以上が第一章の最後、第六節の説明ですが、ここでの論旨は「免れえぬ因果の道理」ということです。「一たび人身を失えば万劫に還り難し」(梵網経)とありますように、ひとたび人間の身を失えば、再度人間に還るということは永久に訪れないということです。人生は二度は絶対にないことを智慧として知るべきだということです。
だからこそ、尊い人の世に生を受けた今生のわが身と、さらに値い難き仏法に遭い奉った因縁に感謝し精進することこそ三悪道に堕ちいらない術なのです。因果の業報は絶対に免れることはできないことを肝に銘じるべきだということです。
しかし、人は誰でも過ちを犯すものです。そしてそれなりの業報を受けますが、大切なことは、その後の懺悔と、その"因果を活かす"ことです。「因果を活かす」ことこそ真の智恵なのですから。
ところで、今年も12月8日がやって参りました。言わずもがな"成道会"(じょうどうえ)です。お釈迦さまがお悟りを開かれた日としての聖日であり、私たち仏教徒は皆お釈迦さまへの報恩感謝の意味を込めて特に供養を捧げる日です。
しかし他方、12月8日と言えば多くの日本人は過去の日米開戦を回顧するでしょう。62年前のその日、旧日本帝国はアメリカハワイ真珠湾に奇襲攻撃を決行し太平洋戦争が勃発したのです。お釈迦さまが人類を救わんとするお悟りを開かれたその聖日に、日本は戦争を始めたのです。よりによって成道会の日に開戦したところに大変な因果を感じるのはわたしだけではないでしょう。
結果、日本は230万人の兵士と80万人の市民が犠牲となりました。原子爆弾投下という人類史上絶対に許されない被害も被ったのです。何という因果でしょうか。 因果の業報は個人のレベルだけのものではありません。民族や国家という単位でも起こるのです。
一民族、一国家の指導者のエゴが悪業となり悪報となるのです。ちなみに第二次世界大戦の犠牲者をみてみますと、ドイツ550万人、ソ連2000万人、中国1000万人、ポーランド600万人、イタリア78万人、イギリス50万人、アメリカ40万人、フランス34万人となっています。
さらにドイツでは600万人といわれるユダヤ人が強制収容所で虐殺されたり、中国南京での日本軍による10万〜20万人の虐殺(中国は30万を主張)。広島原爆14万人、長崎原爆7万人、東京空襲爆撃10万人、沖縄戦線では12万人というそれぞれ大変な犠牲者が出ました。
その他、シベリア抑留約60万人、朝鮮から70万人、中国から4万人の日本への強制連行、従軍慰安婦問題、等々計り知れない非人道行的為が行われました。この大戦でヨーロッパでは約4000万人、アジアで約2000万人、全世界で約6000万人もの尊い人命が奪われたのです。
戦争を起こすのは一握りの指導者かもしれませんが、その民族、その国民の運命がその者達に左右されるということに言い知れぬ不条理を感じます。
戦争は人の理性を奪い心を鬼にします。殺人と破壊という人類最悪の行為です。それぞれが勝手な大義名分を主張し、それなりの理由があるとされていますが、戦争によって生まれるものは何もありません。救われる人は誰もいません。"忠義報国"とか"聖戦"とか、欺瞞の言葉でしかありません。
平和な社会にあっては、殺人行為は日本であればその刑罰は死刑が相当です。それが、同じ殺人行為であっても戦争では一切罪が問われません。むしろ敵を多く殺した者程英雄扱いされるのです。こんな理不尽はありません。 戦争だから当たり前と言う人がいるでしょう。しかしこれは真理の智慧から見たら途轍もなく異常なことなのです。
そこで思い出されるのは、私がかつて高校の教員をしていた時のことです。ある時、ある教頭と"命"についての議論になりました。
その教頭が言うに、戦争での命と平和の時の命とでは重さが違うというのです。戦争での命は軽いと言ったのです。それに対して、私が、命の重さはどんな状況であっても変わりはない。戦争での命は軽いというのはまったくの間違った認識だと主張したのです。
負けず嫌いのその教頭は猶も言い張るので、私が、「ではそれを公の場で言えますか?」と言ったら、その一言で、彼はその議論から逃げていきました。これはその教頭一人の問題ではありません。実は多くの人たちがそのような認識を持っているのです。
命というものは、人種、民族、階級、貧富、能力、性別に関係なく、みんな絶対平等だということを"知識"としてはみんなしっかり知っています。しかし、人の心は実に弱く不確実なものです。戦争は人々を集団パニックに陥れ、当たり前である筈の常識や認識はそのパニックですっかり狂ってしまうのです。それが"戦争"という狂気なのです。
パニックはその民族、国民から正常な思考力、判断力、自制心を奪ってしまいます。人々は一部狂った指導者達に自分達運命のすべてを託してしまうのです。一度勢づいたその殺人と破壊のエネルギーは途中で止まることは決してありません。行き着くところまで行ってしまうのです。前述の第二次世界大戦での犠牲がそれを如実に証明しています。
過去は仕方のないものとしましょう。問題はこれからです。絶対に戦争は起こさないという盤石の備えこそ必要なのです。どんな賢人や学識者、聖職者、宗教家、僧侶であれ、一旦戦争になればその波に呑みこまれてしまい為す術はありません。
ではどうしたらよいでしょう。それは病気と同じです。普段から健康に注意して、絶えず健康検診を怠らず、もし危険な兆候が少しでも現れたら即治療を施すということが必要なのです。病気も戦争も普段が大事です。それこそ普段の生き方を指導する賢人や学識者、宗教家、聖職者、僧侶の存在が問われるのです。
戦後62年、人の記憶も反省も風化の一途を辿っています。しかし、12月8日こそ、成道の日としてお釈迦さまへの一層の帰依と同時に、あらためて戦争への懺悔とこれからの平和への誓いをあらたにし、過ちは決して繰り返さないための真の智慧を身に着けることです。"因果を活かす"とはそういうことです。 

■10 縁は選択できる
三朝祈四海五福  一切群生明晃晃
新年おめでとうございます。年頭にあたり、正法興隆、国土安穏、万邦和楽、諸縁吉祥と皆様のご多幸を祈念致します。本年もこの「法話」をどうぞよろしくお願い致します。
「因果」つまり原因と結果の間にあるのが「縁」です。原因は縁によって結果となるという、因果の道理についてはこれまで幾度も述べてきましたが、今回はこの「縁」について、『「縁」は選べる』という持論を紹介したいと思います。
まず縁とはどのようなものでしょうか。一言で言えば、万物の潤滑油のようなものです。諸行無常といって万物は一瞬一瞬変化していますがその「変化」の動向や実態はその「縁」によるのです。変化は全て「縁」次第という、いわば「変化」の潤滑油に当たるのが"縁"といったらよいでしょう。
そのことを念頭においてまずその「変化」について考えてみます。「変化」とは何か。「変化」はどのようにして起こるのかを考えてみます。
変化とは万物の一つ一つに具わったエネルギーの移動によるものです。以前「もの」には全てそのものに具わったエネルギーがあるということを述べましたが、「ある」というより、その「もの」自体がエネルギーと言った方がよいかもしれません。つまり存在=エネルギーということです。
例えば、変化として分かり易いのが「老化」です。人は時間と共に老化しますが、老化という「変化」を考えた時に、それは新陳代謝によるエネルギーの損失による変化です。そしてやがて全てのエネルギーが尽きた時にその「存在」も無くなります。存在=エネルギーですから。それがすなわち「死」です。
なるほど、人や生物の場合はそれでなんとなくわかりますが、では無生物の場合の変化はどうでしょう。一つの岩を例に考えてみましょう。岩は無生物ですから当然新陳代謝をしてはいません。
しかし、存在=エネルギーという理論(持論)からすると当然岩にもエネルギーがあることになりますが。そうです。その岩もれっきとしたエネルギーの塊(かたまり)なのです。
岩がエネルギーの塊だって?一体なんのことでしょうか。「風化」ということを我々は知っています。風化はれっきとした「変化」ですが、この場合の変化は岩が外から受けるエネルギーによるものだと考えるのが常識です。でも持論から言いますと、それは岩それ自体の退化エネルギーによるものなのです。
つまり、「生育」も「老化」も「退化」も「風化」もみんなそれ自体のエネルギーによる「変化」なのです。すなわちエネルギーの移動により存在が形を変えるのです。これが「変化」です。生物、無生物を問わず、存在する「もの」にはすべてエネルギーがあり、そのエネルギーの移動が変化となって、その流れは永遠に止むことはないのです。これがすなわち諸行無常の姿です。
何年、何十年経っても変化していないように見える岩でも百年経てば目に見える変化が現れてきます。百年経って変化しているということは、一年一年で変化しているということです。一年一年で変化しているということは、一日一日で変化しているということです。一日一日で変化しているということは、一分一分で変化しているということです。一分一分で変化しているということは、一秒一秒で変化しているということです。つまり、刹那ごとに変化しているのです。生物、無生物を問わず、万物はそれ自体瞬間瞬間に変化し続けているのです。
では次にその「変化」のメカニズムについて考えてみましょう。「変化」にはルールがあるのです。すべての「変化」はそのルールに則っているのです。そのルールこそ「因果の法則」であり、その素因が"縁"という潤滑油なのです。
では「縁」とはどんなものでしょう。一つの「もの」が時間の流れに流されている状態を水の流れに例えてみます。水は万有引力の法則に従ってただただ低い方へ低い方へと流れていきます。その流れは一定ではありません。速度を変え、速くなったり遅くなったり、急カーブしたりしながら流れて行きます。それは流れの中にさまざまな障害があるからです。
流れにとって自分の都合で流れの速さや方向を変えることはできません。都合の良い石もあれば悪い石もあるでしょう。イヤな石にぶつかったり岩に乗り上げたり、土を削ったり、澄んだり濁ったりしながら流れていくのです。その流れの中にある障害のすべては環境である以上必然のものです。必然ですからそれは"縁"であり受け止めるしかないのです。
つまり"縁"とは"必然"であり避けられないものだということがわかります。これと同じで、万物の一つ一つにはそれぞれの流れがあってその環境のすべてが"縁"であるのです。
人の人生もこれとまったく同じだと考えられます。人それぞれにはそれぞれの環境という必然があるのです。その環境のすべてが「縁」であると考えたときに、その縁といかに向き合っていくかが人生にとって大切なのです。
今私は、縁は必然であり、その縁と如何に向き合っていくかが問題だということを申しましたが、実は人の場合「縁は選択できる」のです。これこそ人に与えられた「特権」なのです。
出会う「縁」は必然であり、仕方のないものとしましょう。しかし、「縁」が選択できるというのならそれをしっかり認識してそれを人生に活かすべきなのです。
人の出会いの縁からその「選択」について考えてみましょう。友人を選ぶということは一つの選択ですが、良い友人を持つのと悪い友人を持つのとでは人生にとってその影響は実に大きいものがあります。
さらにそれ以上に人生にとって重大な縁と言えば結婚でしょう。結婚は出会いの中でも最大級の「選択」であり、その決断は人生を左右するものと言っても過言ではありません。
そこで、極最近ある若い女性から直接聞いた話をご紹介します。数年前のこと、縁あってある男性と約一年間の交際を経て結婚することになったそうです。お相手は家柄も良く社会的経済的にもまったく申し分のない青年だったそうです。結納も済み、式場を決めようとしていた矢先のことだったそうです。
その彼からなぜか突然彼の家のお墓参りに誘われたそうです。ご先祖様へのご報告として当然のことだと思いながら、そのお墓に案内されたそうです。ところがそこには彼女にとって大変な"結果"が待っていたのです。
そのお墓に行って唖然としたというのです。そこにはなんと卒塔婆でもない板切れが数本立っているだけでそれ以外何も無かったというのです。「ええ・・・! これがお墓?」「墓石も何も無いのに何を拝むの?」 「この家の人達は一体先祖やお墓のことをどう考えているのだろう?」 「こんなお墓に連れてきた彼のその神経が理解できない・・・・・」しばし呆然。
この瞬間から、彼との結婚への想いは急激に冷めてしまったそうです。結局破談となり当然その理由を聞かれたそうですが、お相手方にその本当の理由はすぐには言えなかったそうです。「突然決まったあのお墓参り・・・あれはきっと私のご先祖様、特にお爺ちゃんの示唆によるものではなかったかと今にして思われます。」と彼女はいみじくも語っていました。
出会いという「縁」から結婚という「選択」があるわけですが、彼女の場合実にドラスティックな"選択"があったわけです。それはまさにご先祖さまからの"ご神託"であったとも捉えることもできますが、私には何よりも彼女にご先祖様に対しての報恩感謝と畏敬の「感性」があったからこその結果だったと思えるのです。
私は彼女のそんな感性に感動を受けましたが、その感性こそご先祖様から受け継がれた「因縁」によるものなのです。優れた感性が正しい縁の選択をするのです。今の時代に最も求められているのはそんな「感性」ではないでしょうか。
「縁は選択できる」ということの一例を述べましたが、これは特段に考えることではありません。誰でも毎日の当り前の生活の中に有るちょっとした「選択」をちょっとだけ真剣に考えてくれればよいのです。
例えば、朝早く起きるか、遅く起きるかということで検証してみましょう。例えば早く起きることを選択すれば、余裕ができます。余裕ができればしっかりした食事がとれます。家族の会話ができます。学校や会社に遅れる心配もありません。ストレスもたまりません。
他方、ぎりぎりまで寝ていることを選択すれば、あわてて起きなければなりません。結果、満足に食事もとれません。家族の会話もできません。あわてて事故にぶつかる可能性も高くなります。すべてに余裕がなくなればストレスも重なります。双方の結果は歴然です。
朝起きなければならないという事態は必然の「縁」ですが、起き方の選択の違いでその結果は大きく違ってきます。これが習慣となればやがて大きな結果となって現れてくるでしょう。
このように、われわれの毎日は選択の連続なのです。良い選択は幸福に向かいます。悪い選択は不幸に向かいます。犯罪を犯す人は間違いなく「選択」を誤ってしまうのです。これこそ因果の法則です。
毎日の生活は縁の選択の連続だとしたら、人生は縁の選択で決まってしまいます。だとしたら選択の判断を間違えない方法があったら良いですね。実はあるのです。 
 

 

■11  縁は心で決まる
前回、「縁」は必然であり、その縁と如何に向き合っていくかが問題だということを述べました。さらに縁を選択できるということは人に与えられた「特権」だとも述べました。果たしてほんとうにそうでしょうか。その点についてもう少し考えてみたいと思います。
まず「必然の縁」とは"与えられた縁"であるということです。川の流れの中でぶつかる岩は必然の出会いです。生まれてきた親の下も必然の縁です。「必然」の縁だから子供にとって親は選べません。
一方の「選択できる縁」とは、必然の後の「対応の縁」を意味します。対応の縁とはこれから"どう向き合うかという縁"のことです。
例えば、ある会社員が転勤命令を受けました。その場合転勤命令は受け止めなければならない必然の縁です。しかし、その「命令」に対して人はどうするか選択できます。これが「対応の縁」です。つまり、人が受け止める縁は必然ですが、対応で縁を選択できるのです。
人生は縁の選択の連続だとすると、良い人生も、悪い人生もそれぞれの選択の積み重ねの結果だということがわかります。ですから"縁に流されて"しまうのではなく、しっかり向き合うべきなのです。そして、普通「縁」というと何か特別の出会いや出来事を思い浮かべる人も多いかと思いますが、実は毎日の生活のすべてが縁だということを認識して欲しいのです。
今食べていることも、話していることも、歩いていることも、車に乗っていることも、働いていることも、即ち朝起きてから寝るまでの一挙手一投足の行動の全てが「縁」との「対応」と「結果」なのです。結果が次の必然であり、その必然との対応が次の結果をもたらすという、人生は縁の展開なのです。
そこで考えなければならないことは、必然の縁には当然好ましい縁もあれば好ましくない縁もあります。しかし、好ましい縁であっても扱いによっては悪い結果となりますし、悪い縁であっても扱いによっては良い結果をもたらすことを自覚すべきです。
また、良い縁だけが与えられる人生なんて絶対にありませんし、また悪い縁だけが与えられるということも絶対にありません。どんな人の人生もさまざまな縁のぶつかり合いなのです。
ですから、人はどんな縁に対しても"選択"で勝負をしなければなりません。しかしその勝負にいつも勝てるとは限りません。なぜでしょう。それは人の人たるゆえんです。
そのゆえんとは「こころ」です。人の行動のすべては、意識的にしろ無意識的にしろ、「心」によるものだからです。ですから、どんな縁でもそれを好転させるかどうかはその人の心に掛かっているのです。ということは、人生を決めるのは縁ではなく、その縁をコントロールする「心」だということになりますね。つまり「こころ」こそ縁の「よるべ」なのです。
ですから仏教は「心」を第一番の問題と捉えているのです。仏教は「仏陀の教え」ですが、一言で言えば心のあり方の教えです。お釈迦さまは真理を悟られて、人にとって心こそ最大の問題だと認識されました。
つまり、人は心を豊かにすれば幸せになれるし、心を貧しくすれば不幸に陥るという極めて単純明快な教えなのです。しかし、お釈迦さまの教理はお悟りから生まれた深遠で妙たるものなので人々には大変難しかったのです。悟りの世界のことは悟りを体験せずには理解はできなかったからです。
どんな体験でもそうですが、その内容を言葉だけで100パーセント人に理解させることは無理です。それと同じことで、悟りの智慧は悟ってこそ初めて理解できるのです。だからこそ、お釈迦さま以来あまたの修行者が命がけで修行をしてきたのです。悟りの智慧とはそれほど価値のある凄いものなのです。
その仏教も初めは「学問」だったと考えられるのです。科学、物理学、医学などと同じような「哲学」でした。普通「〜学」という学問であれば案外簡単に証明ができますから誰にでも容易に理解できます。
科学も物理学も医学もみんな"証明"や"立証"ができる「学問」なのです。では仏教はなぜ宗教になってしまったのでしょうか。その理由を持論で述べてみたいと思います。
特にインド文化においては哲学を教える先生などは仙人のような扱いを受けたそうです。先生の教えを頂くときにはまずお線香を立てて礼をしてからという習慣があったそうです。仏教が"宗教"になってしまった要因にはそうした環境も考えられますが、私は一番の理由は一言で言えば仏教の持つ「凄さ」だったと思うのです。
仏教は小乗から大乗に至りました。その大乗の中でさらに顕教から密教に進化しました。特に密教は理論で理解できない世界です。理論で理解出来ないことを「不思議」といいます。不思議とは「思議すること不可能」ということであり、人の考えや思いの及びのつかない世界のことを言います。
先に、仏教は悟りの智慧から出た教えであり、その体験無くして真に理解できないということを述べましたが、それは即ち証明や立証のできない世界だということになります。証明、立証ができないものは「学問」の範疇ではなくなります。
証明や検証ができないものは「不思議」なものであり、その「不思議」な感覚、感情を与えるものをカリスマと言います。そのカリスマに人は惹かれ興味や憧れを持つのです。その畏敬の心が「宗教心」になるのです。
お釈迦さまにはその凄いカリスマがあったのです。私の言う仏教の「凄さ」とはそういうことです。不思議な人、不思議な世界に人は惹きつけらます。そこは理屈無しに信じられる世界になるのです。理屈を超えて信じる世界、それが「宗教」です。
ただし、いつも言うように宗教にはいろいろあるので気をつけなければなりません。宗教といわれるものはみな一様に「幸せになる」ための教えを謳っていますが、盲信は絶対ダメです。実体を見極めないと「邪教」や「外道」に陥る結果にもなりかねません。
おかしな宗教によって不幸になったり人生を狂わせられたりしたケースはいくらでも有りますし、これから将来も人類が続く限りそういったことが無くなることは絶対にありません。それは人間とは宗教的生き物だからです。気をつけましょう。
以上、仏教と宗教との関係について述べてみましたが、要するに、仏教とはただただ「心の教え」だということです。どうやって悩みを無くすか。どうやって苦しみを無くすか。どうやって完成された人格をつくるか。つまり、どうやって「心」を豊かにするかについての教えが仏教なのです。
我々は、見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、体で感じたり、考えたり、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、楽しんだり、嫉妬したり、憎んだり、愛したりしますが、これらはすべて「心」の働きによるものです。
心の働きと言いましたが、これほど科学や医学が進歩した現代においても心の実体が解明されたわけではないのです。いくらレントゲンをかけてもMRIで解析しても体のどこにも「心」の実体が確認できません。その形も場所もわかっていないのが現実なのです。
辞書には「人間の精神作用のもとになるもの。またその作用。知識、感情、意志の総体。」などと定義されていますがきわめて抽象的です。では、仏教はその「心」をどう捉えているのでしょうか。
御開山道元禅師は「よろずの存在がそのまま心である。三界はただ心である。」「正法眼蔵(心不可得)」と示されています。この意味は、「存在のそれ自体が心である」ということです。
さらに、「心とは、一心一切法、一切法一心である。」「正法眼蔵(即心是仏)」と示されています。この意味は、「心が即ち一切の存在であり、一切の存在が即ち心である」という意味です。
これらは一体どの様に理解すればよいのでしょうか。これからその「こころ」についてさらに考えてみたいと思います。 

■12 公案「百丈野狐」【前編】
境内の彼岸桜ちょうど今お彼岸で、境内では彼岸桜が満開です。おもわず写真に撮りました。いよいよ春本番です。春は希望に満ちていていいですね。
しかし、チベットではこのところ大変な状況が続いています。人民による暴動ばかりが伝わってきますが、その原因ははっきりしません。が、ただ一つ言えることは、いつの時代でもどこでも正義は人民にこそあるということです。
何の原因もなく何百何千の人々が暴動を起こすなどということはありえません。そこにはそれ相当の原因があってのことです。恐らく追い詰められた人民の不満が爆発したのでしょう。
チベットはもともと独特の仏教文化の穏やかな独立国でした。それが、1949に中国に突然侵略されて以来、国家としての独自性を奪われたのです。強引な統制により自然環境さえ破壊され続けているというのです。
チベット人民の堪忍袋は限界を超えたのでしょう。暴動は中国政府の不条理に対する抵抗なのです。チベット人民にとってダライ・ラマ法王は宗教・文化・民族の象徴であり誇りであるのです。
その象徴や人権や文化を認めようとしない国はとても民主主義国家とは言えません。中国は共和国〞の筈です。君主でも独裁でもなく、主権が人民にあるというのが"共和国"の意味です。でもそう言えば北朝鮮も確か"共和国"でした。中国も国の看板が偽装だったのでしょうか。偽装は犯罪です。
どうか北朝鮮と同じような犯罪国家にはならないでください。中国自身かつて日本に占領され大変辛い経験をした国の筈です。今世界が注目をしています。中国政府は今すぐにでもダライ・ラマ法王と会って謙虚に話し合うべきです。オリンピックどころではありません。
あと、日本の平和ボケのニュースコメンテーターなる者に一言。「政治とスポーツとを一緒にして欲しくない」というコメントをこのところまま耳にしますが、それはまったくの現実知らずの「他人事の言い方」です。命や生活を脅かされている人たちにとって「何がスポーツだ」と言いたいのです。
どうか平和ぼけした馬鹿な意見やコメントを言わないでください。同じ日本人として恥ずかしい限りです。以上本論に入る前に一僧侶として一言言わせていただきました。
さて、当山ホームページもこの3月でまる3年を迎えることができました。2万件以上のアクセスをいただきました。感謝申し上げますとともに、これからもよろしくお願い致します。三周年の節目ということで特に今回は公案無門関第二則「百丈野狐」(ひゃくじょうやこ)をとりあげました。(前回からの「こころ」は先に延ばさせていただきます。)
さて、「因縁シリーズ」の中で「因果」を論じるときやはりこの公案を避けて通ることはできないと思いながらも実は少々躊躇していました。それはこの公案の本則が長いからです。長いということは説明が大変だという実にイイカゲンな理由からです。(これは言う必要無いですかね)
というわけで今回から前・中・後三回に分けて公案「百丈野狐」をお届けいたします。特に公案に興味ある方は最後まで看ていただければうれしい次第です。祖録の公案は原則として本則(公案の本題)だけは全部暗記することが建前になっていますので、それが案外大変なのです。
この公案は第二則ですから、第一則「趙州狗子」の「無字」を許されてからの最初の公案になります。「無字」を透るだけでも個人差にもよりますが、何ヶ月から何年もかかるのです。それだけに「無字」を透ってほっとして感慨にふけっているときに、次のこの長い本則は正直面倒だと思います。実際この本則は「無門関」の中で最長のものです。
本則の本文は長いし、内容も作り話のようなウソみたいな話で、公案の狙いもはっきりわからないし、はじめはモティベーションが上がりませんでした。そんなことも有ってか、この公案にも数ケ月掛かりました。そんな印象がこの公案にはあります。
しかし今、改めてこの公案を看返してみると、無門禅師が「無門関」の第二則にこの公案を持ってきた理由がわかるような気がします。それは第一則での「無字」の検証になっていると思えるからです。
どういうことかといいますと、第一則の「無字」の見性(けんしょう)を更に確かなものにする必要があるということです。見性が二次元留まりであってはダメなのです。三次元の見性でなければ本物ではありません。難しい言い方かもしれません。別な言い方をしてみましょう。
「色即是空」だけの理解では二次元の理解でしかありません。その翻りの「空即是色」の理解があってこそ「色即是空」が真に理解されるのです。二次元の理解を「平面」とすると、三次元の理解で「立体」になるのです。"立体"が三法印の姿だからです。この持論我ながら言い得て妙とでも申しましょうか。(うぬぼれですかね)
つまり「無字」の見性の程度がこの第二則で試されるということです。それだけにかなり手強いものになっているのです。前置きが随分長くなりましたが、ではこの公案の主旨に入りましょうか。仏さまは果たして因果の支配は受けるのか、あるいは因果の支配を受けないのか、そのどちらなのかというのがこの公案の主題です。
登場人物についても紹介しておきましょう。百丈とは百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師のことで、達磨さまから九代目の人で馬祖道一の弟子です。南泉普願とは兄弟弟子になります。黄檗(おうばく)は百丈の弟子で黄檗希運のことで臨済義玄の師匠になられるお方です。
百丈禅師と言えば禅宗の憲法とも言える「百丈清規」を定めた人でもあり、「一日作さざれば一日食わず」という提唱でも有名です。なんとその時代に九十四歳まで生きられたという大古仏です。以上のことを念頭に置いて本則を看ていきましょう。
本則
百丈和尚が説法するときに、いつでも一人の老人が他の僧たちと一緒に法を聞くためにその場にいた。僧たちがその場を去ると、その老人もまたその場を去った。ところがある日、その老人だけがその場に残った。そこで、百丈がその老人に、「お前さんいったい誰なのか」と尋ねた。その老人は答えて言った。
「はい、実は私は人間ではありません。ずっと昔、過去仏である迦葉仏(かしょうぶつ)の時代に私はこの山で住職をしておりました。あるとき修行者が私に、一体悟りを得た人は因果の鎖の世界に落ちるのでしょうかと尋ねたので、私は因果に落ちないと答えました。そのため私は、五百回も野狐に生まれかわってしまいました。今どうかお願いしたいのは、私に代わって一転語(いってんご)を答えていただき、私を野狐の身から解放していただきたいのです」と。(一転語とは、迷いを転じて悟りに導く一句の法語)
そこで、その老人が改めて百丈に問いた。「悟った人は因果の支配に落ちるでしょうか」と。百丈は「誰人も因果の支配を消し昧(くら)ますことはできない」と答えた。その一転語によって老人はたちまち悟りを開いた。そして礼拝して言った。「私はおかげでやっと野狐の身を脱することができました。更に百丈禅師様にお願いがあります。どうか私の葬儀を僧侶の作法で執り行ってください」と。
それを受けて百丈は一山の綱紀を取り扱う維那(いのう)という役僧をよび、白槌(びゃくつい)の合図をして僧たちに告げた。「昼食後、亡僧のための葬式を行う」と。一山の僧たちはいろいろと取り沙汰して言い合った。
「われわれは皆健康であるし、涅槃堂(病僧が養生するための施設)にも別に誰も居ないのにこの知らせは何なのか?」と言って不思議がった。昼食の後、百丈は一連の僧を連れて裏山にのぼり、岩の下から杖で一匹の狐の死骸を引き出して、亡僧の儀礼で火葬に付した。
その日の夕方、百丈は法座台上に登ってこの話を僧たちに聞かせた。すると弟子の黄檗が言った。「その老人は錯(あやま)って一転語を答えたばかりに、五百回も野狐の身に生まれかわったとのことですが、もし、その一転語が間違っていなかったとしたら、いったい何に生まれかわる定めだったでしょうか」と。
すると百丈は、「こっちへ来なさい、お前のために言って聞かせよう」と言った。それを受けて、黄檗は進み出るやいなや、百丈の横面に平手打ちをくらわせた。それを百丈は大笑いし手を叩いて言った。「赤鬚(あかひげ)の達磨はわしだけじゃと思っていたのに、ここにまたもう一人の赤鬚の達磨がおったわい」と。

以上が本則の内容ですが、この公案の狙いは、「不落因果」と「不昧因果」という言葉を通して「因果」の実体を知ることにあるのです。「因果」というその本当のすがた、本質を知るのがこの公案の狙いなのです。このことを忘れないでください。
そのための問題提起が「不落因果」「不昧因果」なのです。「不落因果」とは因果に落ちないということであり、「不昧因果」とは因果をくらますことはできないということです。まずあなた自身はどう思われるでしょうか?
仏様になったら因果の支配から免れると思いますか?それとも因果の支配を免れないと思いますか?この答えは"何"でしょう。(「どちら」ではなく「何」というのがヒント) ここに登場した一老人は昔「因果の支配から逃れられる」と答えたのですが、その答えが間違っていたためなんと五百回も野狐に生まれかわったというのです。
その悔いから彼は百丈禅師に正しい答えを求めたのです。百丈は、「例え仏であろうが誰であろうが因果の支配から逃れることはできない」と答えたのです。その答えが正しかったのでその老人はたちまち悟りを得て野狐の身から解放されたのです。
では「不落因果」と答えたその老人の答えは"なぜ"間違っていたのでしょう。そして「不昧因果」と答えた百丈の答えは"なぜ"正しかったのでしょう。この"なぜ"が正にこの公案の答えなのです。この答えは次回にまわすとして、折角ですからヒントを言っておきましょう。
先にもちょっと触れましたが、「色即是空」は同時に「空即是色」であることが証明できてはじめて「色即是空」がほんとうに理解できたことになるということ。さらに言えば、「不落」が「色」であり、「不昧」が「空」であるということ。最高のヒントですよ。 

■13 公案「百丈野狐」【中編】
今朝オリンピック聖火が長野市内を走りました。警察官100人の壁に護られて走るという異様な光景でした。平和の象徴である筈の聖火が中国に対する抗議の煽りをうけて風前の灯火となっています。
一体なんのための聖火リレーなのかわからなくなりましたが、一つの考え方として言えることは、聖火リレーが開催国の民主主義の程度を示すバロメーターと受け止めれば納得できることかもしれません。
聖火と共に吹き出したチベット問題を中国政府はオリンピアの神からのご神託と受け止めて真摯に向かい合うべきでしょう。つい先ほど中国政府がどうやらダライ・ラマ法王との話し合いに応じると報じられていましたが、それが結果的に単なるポーズに終わらないことを願いたいと思います。
これからの世界の平和と安定を考えたとき、世界人口の5分の1を占めるという超大国中国の存在は極めて大きいのです。これから将来必ずや世界のリーダーになるのですから、何としても真の開かれた民主主義社会を確立して欲しいものです。「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」という孔子の格言に学んで、変な欲得など捨ててチベットを解放し"人権国家"を宣言されたらどうでしょうか。
さて本論に入ることとしましょう。先月からの宿題は「なぜ」でした。老人が五百回も野狐に生まれ変わったというその原因が「不落因果」の一言であったわけですが、それが"なぜ"間違っていたのか。そして、百丈が言った「不昧因果」の一言が"なぜ"正しかったのか。この公案を解く鍵がここにあると言ってもよいでしょう。
では「不落因果」がなぜ間違っていたのでしょう。それはかの老人が「対立観念」という分別意識から「不落因果」と答えたからです。いうまでもなく対立観念というのは分別妄想にほかならないのです。妄想から出た答えは迷いですから即ち「間違い」なのです。
他方、「不昧因果」が正しかったのは、悟りから出た答えだからです。悟りとは一切の対立観念の無い境地を言います。悟りの境地から出た答えは真理ですから即ち「正しい」のです。
つまり答えが間違いか正しいかは悟っているかどうかに掛かっているということです。「不落因果」がなぜ間違いで、「不昧因果」がなぜ正いかったかという、その「なぜ」の答えがこれで分かったかと思います。わかってみれば答えは簡単なものです。
さらに確認ですが、「不落因果」が間違いで、「不昧因果」が正しいと言う判断は言葉の意味ではなく、それを使う人が悟っているかどうかに依るということです。この認識が極めて重要なポイントです。
例えば、百丈の答えた「不昧因果」が正しいからと言って、それをかの老人が答えたとしてもそれは正しい答えにはなりません。逆に、百丈がかの老人の「不落因果」の答えを言ったとしたら、それが正しい答えになってしまうということです。そういう意味になりますね。
つまり「不落」も「不昧」も答える人が悟っているかどうかでそれが正しいかどうかが決まるということです。ですから単に言葉の意味に囚われてしまっていては公案の狙いが分かりません。公案の"言葉"に惑わされないことが肝腎です。
これは全ての公案に言えることですが、公案の狙いを読み取るためにはまず一切の対立観念を捨て去ることです。今回の「不落」と「不昧」というこの二つの認識はまさに対立観念にほかならないわけですからまずこの"分別"を断ち切ってこそ公案の意図が見えてくるのです。
かの老人が五百生に亘って野狐の身に堕ちたのは因果の実体を知らなかったからです。因果の実体には「不落」も「不昧」も無かったのです。分別という迷いに縛られていた結果、彼の答えはすべて"迷いの答え"に過ぎなかったのです。
彼はその迷いからさらに、「人間」が「善」であり、「狐」が「悪」だという差別観念に陥ってしまったのです。「善」と「悪」という差別観念はすべて対立観念から来るのです。つまり彼が野狐の身に堕ちてしまったのはまさに彼自身の差別観念という迷いによるものに他ならなかったのです。これこそ自業自得と言う"因果"でしょうか。
ですから彼が野狐の身から脱するにはまずこの「人間」と「狐」という対立観念から脱却するしか無かったのです。そこで百丈の言った「不昧因果」の一言はこの間違った観念を打ち破る正に"一転語"であったのです。その瞬間その老人は「人間」と「狐」という分別妄想から開放され豁然として因果の実体を悟ったのです。
このように、この公案の狙いはまさにこの「因果の実体」を悟ることにあったのです。どうですか?お分かりいただけましたか。そしたらさらに、その老人がたちまち野狐から解放されたという、その「解放」の意味も自ずと分かる筈です。つまり、彼は悟ったことで、野狐であった己は元々成仏していた存在だと分かったわけですから、そのことで彼は野狐であった自分自身に納得できたのです。「納得できたこと」がすなわち「解放された」という意味になるわけです。
黄檗が「それならば間違わぬ法を説いたら一体何に生まれ変わっていたのでしょうか」と問いましたね。その意味は、「野狐は野狐でそれ以外の何ものでもないでしょう。」「野狐は野狐で完璧でしょう。」という意味です。黄檗がまさに百丈の意図を見抜いていた一言と言えるでしょう。
そして、百丈が黄檗に「もっと近くへ寄れ、教えてやろう」と言いました。それなら聞かせて貰いましょうと、黄檗は師匠に近づくなり師匠の横面にピシャリと一撃を与えたのです。それに対して百丈は「わしこそ赤鬚の達磨だと思っていたらここにもう一人の赤鬚の達磨がいたわい」といって手を叩いて大喜びしたのです。
百丈は黄檗がどの程度理解しているか試そうと思い、多分百丈の方から黄檗の横面をひっぱたき、「野狐以外に何があるかー!」と教えるつもりだったのでしょう。ところがどっこい、逆に黄檗の方が一枚上手だったのです。「そんな事くらいとっくに分かっていますよ」といって逆に師匠の横面を先にひっぱたいてしまったという次第です。百丈は黄檗のその力量を認め、自分以外にも同じ悟った仏がここにおったわいと言って喜んで黄檗の悟りを証明したのです。
結論としては、「因果」に「不落」と「不昧」があると思っていたのはまったくの妄想だったのです。妄想はすべて対立観念という分別から起こるのです。だから一切の対立観念を捨てきったときに因果の実体が明らかになるのです。
その「因果の実体」について、さらに次回の「提唱」と「頌」で明らかにしましょう。それとあと、この公案の内容、つまり老人も野狐も実話のことなのかどうかという疑問です。 

■14 公案「百丈野狐」【後編】
無門禅師は提唱しています。
「不落因果、なんとしてか野狐に堕す。不昧因果、なんとしてか野狐を脱す。若し者裏(しゃり)に向かって、一隻眼を著得(じゃくとく)せば、便ち前百丈、かち得て風流五百生なることを知得せん。」
「不落因果、なんとしてか野狐に堕す。不昧因果、なんとしてか野狐を脱す。」 この"なんとしてか"にこの公案の意味が込められています。「不落因果」でどうして野狐に堕ちたのか。そして「不昧因果」でどうして野狐から脱することができたのか、と無門禅師は問いかけています。つまり、不落因果と不昧因果との違いは何ですか?と言うことです。
「野狐に堕ちた」のと「野狐から脱した」のとの「差」はどこにありますか? もっとはっきり言えば、本当に「堕ちた」のですか?また本当に「脱した」のですか? 更に言えば、何を以って「堕ちた」と言い、また「脱した」と言うのですか?
「一隻眼」とは成仏して得ることのできるいわば"一眼レフ"の「眼」と言ってよいでしょう。普通の眼のことを「双眼」と言い凡夫の眼、迷いの眼を意味します。 双眼ですから、その眼からみると全ては相対に見えるのです。右と左、表と裏、東と西、北と南、煩悩と菩提、生と死・・・この見方こそ対立観念なのです。
「一隻眼」は一切の対立観念の無い真如を見る眼ですから、「真実」の姿しか見えません。だから、右と左の区別も無い。表と裏の区別もない。東も西も、北も南も、上も下も、大も小も、重いも軽いも、長いも短いも、浄も不浄も一切の区別が無いのです。
つまり煩悩と菩提、生と死の区別が無いのです。生は生で絶対、死は死で絶対、絶対だからそこには他のものは一切入る余地は無いのです。この絶対無差別の世界こそまさに、生死一如、煩悩即菩提の世界なのです。「一隻眼」という悟りの世界から観ると、「不落」も「不昧」も無いのです。「不落」も「不昧」も妄想であり、その実体はまさに一如の世界なのですから。
次に「若し者裏(しゃり)に向かって、一隻眼を著得(じゃくとく)せば、便ち前百丈、かち得て風流五百生なることを知得せん。」とあります。これは「もしその老人が一隻眼という悟りの眼を開くことができれば彼は五百生という野狐の生涯が決して厭なものではなく、飛切りの風流に満ちた楽しい「人生」だったと知ることができるだろう」という意味です。
それは、悟ってみれば狐の生涯もそれ自体実に完璧な風流に満ちた楽しい"生涯"ではないかということです。なんともはや素晴らしい境涯ではないでしょうか。あなたにも是非この公案を透ってこの境地を堪能して頂きたいものです。
野狐で何がいけないの?野狐は野狐で満点ではないか。迷っていたから仏と野狐が天地の差程隔たっていたのです。迷っていたから狐に差別感を持っていたのです。すべては対立観念という迷いから起こっていたのです。因果の実体を悟れば一切の迷いから解放されほんとうの"風流"が味わえるのです。
無門はさらに「頌」に示しています。不落不昧。両采一賽(りょうさいいっさい)。不昧不落。千錯万錯(せんしゃくばんしゃく)。不落不昧。両采一賽。・・・不落も不昧も一つのサイコロである。まったく別のものではないということです。
だから、不落即不昧であり、不昧即不落であるというのです。つまり、サイコロの采の目は違う二面であってもサイコロの中では一つのものである。それと同じで、不落と不昧という別のものに見える二面もその実体は一つのものだということです。
不昧不落。千錯万錯。・・・不昧と不落とが別々のうちは何千回何万回も間違いを繰り返すだけのことであるということです。正に策励の一句と言えるでしょう。
まとめに入ります。あの老人が、「不昧因果」の一言で悟って野狐の身から脱したと言われていますが、それは悟ってみたら野狐は野狐で完璧だったことが分かったということです。
「野狐の身から脱した」という意味は悟ったことによって野狐であることに心から納得できたということです。迷っている限り「野狐」は「野狐」なのです。野狐の身から離れることは絶対にできません。「野狐禅」という言葉はここからきているのです。
老人にとって野狐になったことが不幸ではなく、因果を超えた世界を妄想し、野狐を越えようとしてあがいたことで五百生という長い長い迷いのトンネルに迷い込んだのです。百丈によって「不昧因果」と喝破されて、野狐は野狐のまま絶対であり、天上天下唯我独尊であると悟ったのです。それをもって彼は五百生の野狐の妄想から解脱できたのです。
「不落因果」も「不昧因果」もそれは迷っている限りまったく別の「もの」です。見性成仏してこそ「不落」も「不昧」も別のものではなく一体のものだと分かるのです。先月のヒントでも触れたように、不落が色であり、不昧が空であると考えれば分かり易いかと思います。
つまり、色即是空とは不落即不昧であり、空即是色が不昧即不落であるのです。「不落」も「不昧」も対立観念という妄想によるただの理屈だったのです。どうですか?これで因果の実体がご理解いただけたと思います。もうこれ以上の説明はできません。
もしまだ合点できなければまだ分別妄想の境涯にいるということになりますので、あとは御自身の一層の単提を願います。以上で本論を終えますが、多分他には見られない内容だと思いますよ。(うぬぼれですかね)
あと、この物語が事実に基づいたものなのかという点にこだわる方のために、さいごにこの事についてお答えしておきましょう。ここに登場する老人は、迦葉仏の時代に前百丈山の住職であったという。迦葉仏とは過去七仏の第六人目の仏さまでお釈迦さまのお師匠さまに当たる架空の仏さまであるので、時は三千年から五千年以上も昔のことになるのです。
そのような昔に百丈山があったということ自体おかしいことですし、五百生の間野狐だったとか、人間の姿で説法を聴きに来ていたとか、大変おかしな話です。ちょうど狐といえば騙す代名詞のように思われていますが、実際のところまず作り話と言って良いでしょう。
おそらく百丈禅師が何かの用で裏山に登った折りに一匹の狐の死骸に出くわしたことから弟子達のために想像力を駆使して創作された"傑作"の一つでしょう。ですから、この公案にとって内容が事実かどうかは問題ではありません。
歴史的詮索も地理的詮索も意味がありません。要は公案の意図する精神の問題です。公案は"方便"ですから、百丈禅師の「傑作」だと思っておけばそれでよろしいのです。 

■15 天災の因果
中国四川省で巨大地震が発生しました。想像を絶する被害です。4500万人が被災し、1500万人が避難民となり、死者、行方不明者は8万人以上にもなるそうです。犠牲者には心よりご冥福をお祈り致します。
その凄まじい実態が日ごと明らかになっています。肉親家族を失い、家を失い、怪我を負って食べ物も無いまさに絶望のどん底に落とされてしまった被災者の気持ちいかばかりでしょう。慮(おもんばか)る言葉がありません。阪神淡路の時もそうでしたが、天災の非情さと怖さを改めて思い知らされました。
これほど科学や文明が発達した現代でも天変地異に対して人はまったく無力だということです。今回の地震に対してもまったく予知はできませんでした。カエルの大移動や動物の異常行動の方に関心があったのでは「科学アカデミー」も立場がありません。
では天災に対して人はどのように対応したらよいのでしょう。今回は特に四川の大地震に鑑み(予定であった「百丈野狐の後編」は次回に廻しまして)、この天災という因果について考えてみたいと思います。
天災といえば、地震、台風、サイクロン、竜巻、干ばつ、水害、山火事・・・などがありますが、自然現象である以上仕方のないものでしょうか。だとすると人は天災には逆らえない運命にあるのでしょうか。天災が運命だとしたら避けられないのか。あるいは避けられるのか。天災とはどのような因果なのか。そして術はあるのか。それが今回のテーマです。
結論から言えば、天災は運命ですから避けられません。でも術はあるのです。天災はすべてを呑みこんでしいますのでそこから逃れることはできません。それが運命というものです。あと私の言う「運命」とは「宿命」ではありませんので、その点誤解の無いようにおねがいします。
因みに「宿命」とは因果に関係なく決まってしまっている「結果」を意味します。これは仏教の因果の法則から言ってもあり得ない理論なのです。この認識は重要です。
しかし運命には因果において避けられない部分と避けられる部分があるのです。それは「川の流れの例」で以前にも説明したとおりです。どういうことかと言いますと、因果は個々によって違うのです。だから当然被災の程度にも差が出るのです。
一緒にいても助かる人もいれば助からない人もいるのはその因果によるのです。理不尽かもしれませんがそれが真理であり真実です。百人百様の人生があるということは百人百様の因果があるということです。
そこで考えなければならないのは天災の中の人災です。そこにサバイバルがあるからです。特に「人災」は人為によるものだとすると避けられる確率は百パーセントに限りないということになります。ここを見極めなければなりません。
とくに近年地球温暖化による災害が増えてきていますが、温暖化が人為によるものだとすると、天災の中に人災の部分がかなりあると見るべきです。では次にその天災と人災の関係について考えてみましょう。
人間はいつでも自分たち人間が中心でした。人間こそ第一優先だとするそのエゴは止まるところを知りません。化石燃料は無制限に消費され地球の温暖化は一挙に進んだのです。その温暖化が叫ばれて久しく、誰でも温暖化と異常気象の関係は知っていたにも拘わらず真剣に考えるようになったのはごく最近のことです。
異常気象により様々な二次的被害三次的被害が出ています。これこそ人災による人災です。干ばつにより穀物の不作から食糧争奪の暴動が起こりました。ガソリンや食料品や生活用品全般に高騰の波が押し寄せています。
それはさらに、富は富を呼び、貧は貧を呼ぶという不条理のスパイラル現象を生み、格差社会を益々増長させています。その末端にいるのがいつも弱者です。まさに不条理な人災です。
人間はこれまで自然も地球も自分たちのものであり水も空気もタダ(無料)が当然だとして好き勝手にやってきました。その結果の温暖化なのです。ようやく自然も地球上も有限であることに気がついたようですが、遅きに失した感があります。
しかしアメリカなどは巨大サイクロンにより甚大な被害を被ったにもかかわらず未だに温暖化対策に消極的です。今年もシーズンがやってきます。同じようなことが起こる確率は極めて大きいのです。アメリカは環境犯罪国家と言われる前に真っ先に緊急最重要課題として取り組むべきです。地球上の"もの"はすべて一連託生なのですから。
自然がなおざりにされ多くの生物や動物が絶滅に追いやられました。現在でも絶滅に瀕している種は限りなく多いそうです。しかし皮肉なことは、その主な原因である自然の形態を損ねてきたのは他でもない人間なのですが、その人間自身が今環境変化によって追い込まれているということです。
しかし理不尽なことは、温暖化に"貢献"していない発展途上国ほどその被害を被っているということです。干ばつで食糧も無くなり飢えに苦しんでいる人々や、海面上昇により住まいを追われ耕地を失ってしまった人々の苦しみは計り知れません。まさに犯罪的人災と言えるでしょう。先進国はこの現実を真摯に受け止め誠意も持って援助すべきです。
環境あっての命です。 このままいくと人類はそう長くないかもしれません。人類の歴史は原人から数えてもたかが100万年です。恐竜は地球上で1億6500万年もの間生き続けました。その恐竜に比べたら人類は線香花火のようにパッと光ってあっという間に消え失せてしまう運命なのでしょうか。人間は恐竜よりも智恵はある筈です。智慧を使うのは今のうちです。
自然や環境には国境はありません。人類を護ることと地球を護ることとは同事です。それにはまず人間至上主義のエゴを捨て去ることです。大自然から離れて人間は存在できません。それを肝に銘じて"人災"を減らす智恵を働かせるべきです。
今回の中国四川の未曾有の大地震の中にも人災の部分があった筈です。天災は同時に"人災"をもたらしますが、その矢面に立たされているのはいつも貧しい人々や弱い人々です。特に学校の崩壊が際立ちました。生徒と教師の六千五百人以上が犠牲になったそうです。痛ましい限りです。
なぜ学校ばかりが。なぜ子供たちばかりが。なぜ救助が遅いのか。なぜ自分たちばかりが。親御さんの気持ちは筆舌に尽くせません。手抜き工事の疑いも言われています。それにさらに疑問に感じるのは、なぜもっと早く海外からの救助を受け入れなかったのかということです。
その″なぜ″に答えるのが情報公開です。何でもそうですが開かれなければ真実は見えません。被災者の「なぜ」の疑問に答えられない以上"人災"という誹りは免れません。特に政治は開かれてこそ民主主義であり国民の信頼を得られるのですから。
中国政府はようやく海外からの援助を受け入れましたが、なぜはじめ日本からの緊急救助隊を断ったのでしょうか。そこにも疑問が残ります。もしかしたら幾つも救われた命があったかもしれません。核関連施設の情報もまだ不十分です。情報の公開も無く人民の命と生活を後回しにして永く保った政権はありません。歴史が証明するところです。
ミャンマーもそうです。先のサイクロンでは200万人が家を失い10万人が死亡したと伝えられますが、国連人道問題調整事務所の推計では犠牲者はなんと32万人にもなるそうです。ほんとうのところは一体どうなっているのでしょう。
軍事政権はほとんど情報も公開せず救護対策も怠り外国からの援助さえも断り続けました。(最近ようやく国際的非難に屈して外国の援助を受け入れました。) これこそ人災と言わず何と言うのでしょう。"人災"は故意であれば許されない犯罪です。
中国はチベット問題に続き今回の大地震と散々でした。しかし中国は1976年、史上最大級の地震を経験しています。河北省・唐山地震です。なんと死者24万2千人という地震史上最大の犠牲者が出ました。その犠牲者の数が明らかにされたのは地震発生から3年も経ってからのことです。
当時はもっと閉ざされた国だっただけに情報公開もなく国際援助も無かったのでしょう。それにしても、たかが32年前のことです。天災の部分は仕方ないものとしても、その教訓がもっと生かされていたのであれば、人災の部分はもっと少なかったかもしれません。
中国政府は今国民と国際社会から注視されています。民主主義社会をアピールするなら情報公開です。オリンピックが成功するためには信頼と協力が不可欠なのですから。
言うまでもなく日本も決して他人事ではありません。特に日本は超地震大国です。近い将来百パーセント大地震はやってきます。予知も難しいでしょう。人は"天の下"と"地の上"に生きている以上"天変地異"という因果は避けられません。これが運命です。
天災も人災も運命ですが、災難は因果次第であると申しました。しかし、その因果には「縁」が有ることを忘れてはいけません。以前、「生活のすべてが因果」だということを申しました。それはどんな小さな結果にもすべて「縁」が関わっているということです。だからこそ「縁」における自己責任の認識が重大なのです。
天災であれ人災であれ、どんな状況下であっても「縁」が働くのです。そしてどんな状況下であっても結果を決めるのは「縁」です。因果を信じるということは縁を信じることです。縁を信じることとは縁を大事にすることです。縁を大事にすることとは精進することです。精進することで真実が見えてきます。真実の中に智慧があります。そこに災難に対応する術があるのです。 
 
こころ

 

 
■1 仏教は心の教え
またまた八王子で無差別殺人事件が起こりました。つい一月ほど前秋葉原で七人が殺害されるという大変な通り魔殺人事件があったばかりです。このような通り魔殺傷事件は今年に入ってすでに八件目になるとか。その理由の多くが、世の中がイヤになって、誰でもいいから殺したかったというまったく身勝手なものです。
子供による凶悪事件もどんどん増えています。中学生の女子が寝ていた父親を刺殺してしまった事件がありました。中学生男子によるバスジャック事件や無職少年が高校生を殴って殺してしまった事件。無職少年による強盗殺人事件等々。今の子供の心に何が起こっているのでしょう。
確かなことは多発する通り魔事件も子供による凶悪事件もみんな「心」がおかしくなってしまった結果です。昔は通り魔事件などありませんでした。子供が親を殺すとかバスジャックするとかそのような事件もまずありませんでした。
人間はすべて心に従って行動します。ですから良いことも悪いこともすべて心で決まるのです。犯罪率が高まり理解できないおかしな犯罪がどんどん増えています。人の心がどんどんおかしくなってきているということです。だとしたら心を正すしかないのです。
しかし人にとって心ほど厄介なものはないのです。「心こそ、心まよわす心なれ。心に心、心ゆるすな。」(沢庵禅師)
持論ですが、人は誰でも幸福になるためにこの世に生まれてきたのです。前世からの因縁によって人として幸福になる資格を得たから生まれて来れたのです。初めから不幸になるために生まれてくる人なんていないのです。しかし幸も不幸も生まれてからの「心」で決まってくるのです。だから仏教は心を最大のテーマにしているのです。
人は心があるから夢も希望もあるのです。しかし夢と希望があるということは同時にその裏側には苦悩と絶望もあるということです。希望も絶望もそれらはまさに表裏一体のものです。希望が表に出れば幸福となり、絶望が表に出れば不幸となるのです。
それを決めるのはすべて心の中の煩悩です。煩悩というと「良からぬもの」と捉えている人があるかと思いますが、それは誤解です。煩悩とは悪い意味ではありません。煩悩とは即ち心それ自体のことです。だから煩悩を否定することは心を否定することになってしまうのです。
仏教は心をテーマにしていると言いましたが、それは即ち煩悩をテーマにしているのと同意です。「煩悩即菩提」と言いますね。その意味は煩悩と悟りは表裏一体だということです。つまり人は煩悩の実体を理解し真実に従って生きることが幸福への道だということです。ですから「心の教え」である仏教は、煩悩と如何に向き合っていくかということを説いているのです。
煩悩がコントロールされないところに苦悩と絶望が生まれるのです。その苦悩と絶望に負けてしまうと犯罪や自殺に繋がるのです。ですから犯罪も自殺もそれは心を持った人間だけの不幸だと言えるのです。
因みに動物には心がありません。「心」の無いところには煩悩が無いから苦悩も絶望もありません。だから犬や猫は絶対に犯罪を犯しませんし自殺もしません。動物の世界の弱肉強食は罪ではありません。生きるためのただの本能なのです。
頻発する通り魔事件も子供や肉親による家庭内事件も心の中の煩悩が渇愛となって生まれた苦悩と絶望から起こったものです。渇愛とは愛情に飢えた心のことです。その鬱積した不満が外に向かえば通り魔事件となり、内に向かえば家族殺害事件となるのです。まさに親への当て付けと社会への逆恨みの表れなのです。
渇愛による偏愛は狂気となって、本人は勿論のこと被害者やその家族ばかりではなく自分自身の親や家族の人生までめちゃくちゃにしてしまうのです。これ以上の不幸はありません。その原因はすべて家庭にあるのです。今の日本の家庭環境が改善されない限りこれからも通り魔事件や子供や肉親による殺害事件が減ることはないでしょう。
そして、もっとも残念なことは自殺です。人にとってこれ以上の不幸はありません。毎年三万人を超えています。死を選ぶにはそれ相当の苦悩があってのことですが、その死によってさらに悲しみや苦しみを受ける家族や関係者が大勢出ることを考えると自殺こそ無くしたいものです。
その自殺の原因も心から生まれる苦悩と絶望によるものです。命ある生き物の中で自ら命を絶つのは唯一人間だけです。それは人間には心があるからです。因みに心の無い犬や猫は自殺しません。人には心があるから苦悩があるのです。経済苦、病気苦、失恋苦、対人苦などいろいろありますが、そのどれも人間の世界にしかないものです。
その「苦」が堪忍の臨界を超えると自殺となるのです。それは決して他人事ではありません。人である以上誰でもその可能性を持っているのです。 人間にしかない苦と、人間しかしない自殺。言い換えれば人間だからこそある苦と自殺だと言えるのです。
動物には心がありませんから苦悩がありません。でもそれは羨ましいことではありません。「心」が無いということは「楽」も無いということです。人には心があるからこそ楽があり幸福感が味わえるのです。苦も楽も表裏一体のものです。だから仏教は常に楽が表になるような生き方を説いているのです。
そのためには如何に煩悩をコントロールするかです。欲望は煩悩から生まれるものですが、問題はコントロール不能となった欲望です。人には欲望があってこそ希望があり夢があり喜びがあるのです。ですから仏教は欲望を否定しているわけではないのです。正しい欲望の在り方を説いているのです。
連日報道されている大分県の教員採用汚職事件もそうです。お金と地位と名誉という欲望がコントロールを失った結果です。悪しき慣例に呑みこまれ極々当たり前の良識が麻痺してしまっていたのです。地位も名誉も何千万円という退職金も一瞬のうちに吹っ飛んでしまいました。刑事罰も受けなければなりません。
さらにまだ発覚を畏れて恐々としている職員がほかにもいるかもしれません。点数偽造に使われたパソコンが警察から戻されたそうです。不正を承知で合格した先生にとっては辛い毎日でしょう。聖職といわれる先生も、欲望に聖域は無かったのです。
振り込め詐欺も今年は過去最悪でその被害額は300億円にもなるとか。一日約一億円のお金が騙し盗られているそうです。騙しのテクニックが驚くほど巧妙化しているのです。狂った欲望に歯止めはできません。悪事は必ず報いがあることを知って欲しいものです。
32歳にもなるバカ息子に金をせがまれてなんと六億円もの公金を横領した女がいました。牛肉やうなぎやフグやアンコウの産地偽造も続々と出てきました。尿の検査で癌が分かるというウソの試薬品で3億円も荒稼ぎしていた30代の女が捕まりました。霊感商法による被害も倍増しているとか。どれもこれもコントロールを失った欲望の結果です。
人は家庭に生まれ家庭で育つのです。心と体は一つのものですが、体だけが成長して心が取り残されてしまっているのが今の日本の家庭です。ではなぜ心が育たないのでしょうか。それは宗教です。今日本の家庭には宗教がほとんど無くなってしまったのです。
宗教は愛と真実とを教えてくれます。愛と真実から感謝と報恩が生まれるのです。感謝と報恩の心があれば苦悩も絶望も生まれません。だから犯罪もなくなります。自殺もしません。幸福の原点は感謝と報恩です。
仏教とは人が幸せになるための教えです。これまでにも何度も申してきた言葉です。心についてさらに学んでみようではありませんか。 

■2 菩提心
仏教は心の教えだと申しました。どうしたら人は心の悩みや苦しみを無くすことができるのか。どうしたら心豊かな完成された人格を身に付けられるのか・・・それを仏教は教えているのです。
人の価値は正に心の有り様で決まると言っても過言ではありません。ですから仏教はどうしたら心を豊かにすることができるのか、その実践的な方法を教えてくれているのです。
その教えについてこれからいくつか学んでみたいと思います。その教えが最も分かり易く説かれているのが曹洞宗の教典・修証義の中の「発願利生」(ほつがんりしょう)です。
「菩提心を発(おこ)すというは、己(おの)れ未(いま)だ度(わた)らざるさきに、一切衆生を度さんと発願し営むなり。たとい在家にもあれ、たとい出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ、苦にありというとも楽にありというとも、早く自未得度先度他の心を発すべし。たとい在家にもあれ、たとい出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ、苦にありというとも、楽にありというとも、早く自未得度先度他の心を発すべし。」(修証義第十八節)
「発願利生」の「利生」とは利益衆生(りやくしゅじょう)を切り詰めたものです。利益は利済(りさい)とか済度(さいど)という意味です。つまり衆生を済度するということです。
「衆生を済度する」というとあまりにも高尚なことのように思われますが、それは決して大それたことではなく仏教徒であるならば当然求められることなのです。平たく言えば、「人の為に尽くす」ということです。この心を即ち「菩提心」といいます。
その心とは、自分のためよりも先ず他人のためを考える心のことです。人はふつう自分のことを先ず第一に考えます。自分にとって自分以上に大事なものはありません。自分こそ最も尊い存在なのですから、この感情は人として当たり前のものです。
しかし、菩提心は違います。いつも自分のことより他人のことを心配しているのです。この心を起こすことを発菩提心(ほつぼだいしん)とか発心(ほっしん)と言います。
「菩提心を発(おこ)すというは、己れ未だ度らざるさきに、一切衆生を度さんと発願し営むなり」 菩提心を起こすこととは、自分のためよりも先ず他人のため、たとえ自分は彼岸に度らずとも、まず一切の他人を度さずには自分自身は決して度らないという利他の心こそ菩提心だということです。
「済度」とは、迷いの「此の岸」から悟りの「彼の岸」へ衆生を「わたす」ということです。「わたす」とか「わたる」という場合には、「渡」という字を書くのが普通ですが、度も渡も同じ「わたす」という意味で使われます。
「発願し営むなり」の「営む」とは、「実際に行ずる」という意味です。どんな立派な決心でも実行がなければ絵に描いた餅です。
「たとい在家にもあれ、たとい出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ、苦にありというとも、楽にありというとも、早く自未得度先度他の心を発すべし。」 この一段は前段の補足といってもよいでしょう。
「たとい在家にもあれ、たとい出家にもあれ、」とは、在家、出家を問わずということであり、「或は天上にもあれ、或は人間にもあれ、」とは、天上界、人間界を問わずという意味です。
「苦にありというとも、楽にありというとも、」とは、悪業の果報として、地獄界、餓鬼界というがごとき苦界に居ても、あるいは善業の果報を受け天上界という楽界に居てもという意味です。要するに業の果報によって今現在如何なる身の上にあろうともということです。
「早く自未得度先度他の心を発すべし。」 文字どおりに読み下せば、「少しでも早く、自らは未だ度ることを得ざる先に、他を度さんとする心を発するべきである」ということです。それにしても、楽界に居る者はともかく、地獄・餓鬼・畜生・修羅・というが如き苦界の衆生が果たして「自未得度先度他の心」という律儀な心を起こすことができるのでしょうか。自己中心の我利我利亡者故にその業報により苦界に堕ちた輩に菩提心という高尚なものを期待すること自体所詮無理なことではないでしょうか。
いやいやそうではありません。ここにこそ菩提心の奥義があるのです。今現在、楽界にいる衆生は余裕があるからとか、苦界にいる衆生は余裕が無いからとかの問題ではないのです。楽界や苦界に居ることと菩提心を持つことに資格や差別はないのです。
いや、むしろ苦界にいる者こそ功徳は大きいとも言えるのです。地獄・餓鬼・畜生・修羅などの悪趣の世界にこそ仏陀は救いの手を差し延べているのです。苦界に堕ちている者こそ救われなければなりません。その彼らが救われる道は只一つ彼ら自身が菩提心を持つことです。
「菩提心」は善人だけのものではありません。悪人には持つ資格はないなどというものでは決してありません。例え善人であれ悪人であれ、或いは裕福にあっても貧困にあっても、どんな境遇にあっても「菩提心」を持つことに一切の資格も制限もないのです。菩提心を持つことで苦界から救われるという、そこに仏陀は大慈悲心をもって復活の道を開いているのです。
ですから菩提心を持った者はみな「菩薩」となって自ら救われるのです。過去はどうであれ今ここで菩提心を持つことで誰でも「菩薩」になれるのです。
普通「菩薩」と言えば娑婆世界の衆生を済度するためにわざわざ仏界から降りてきて働き回る仏さまのことを言います。ご承知のように観音菩薩、虚空蔵菩薩、日光菩薩、月光菩薩、弥勒菩薩そして地蔵菩薩などなどいろいろな菩薩がおります。でもそのような有名な菩薩だけが菩薩ではありません。
繰り返しになりますが、菩薩とは菩提心を持った者であれば悪人・善人の区別なく菩薩になれるのです。我が身を顧みずにただただ苦境にある人達を救おうという一大決心をした人が即ち観音菩薩であり地蔵菩薩であるのです。
ところで、史上最大規模と言われた北京オリンピックも終わりました。どの国の選手も国の期待を一心に背負って一生懸命頑張りました。その中で日本人のメダリストの中には、家族のため、応援してくれた人達のため、さらに自分自身のために頑張ったという人もいました。
金メダルが300万円、銀が200万、銅が100万という報奨金では少なすぎるという意見もありました。国家プロジェクトとして選手育成にもっと多くのお金をつぎ込むべきだという意見もありました。オリンピックで勝つことが国の名誉と威信になると思えるからでしょう。
中国もメダルの数こそが最高の名誉だと捉え、まさに国家の威信をかけてオリンピックに莫大なお金を投じました。大成功だったと自画自賛しているようですが、数々の人権問題を隠蔽してしまった事実を見逃してはいけません。人権を棚上げして置いて名誉も威信もありえないのです。
それにしてもほんとうにメダルの数が国家の名誉と威信を表しているのでしょうか。私は何もスポーツに偏見も持っているつもりはありませんが、ただメダルの数が国家の名誉と威信だと捉える感覚はおかしいと思うのです。
私は、真の名誉とはメダルも報奨金も無い中で一生懸命人道援助に尽くしているボランティアの人達こそ名誉だと思うのです。アフガニスタンで農業支援活動をしていたNGOの伊藤和也さんがアルカイダの標的となって非業の死を遂げました。
「自分はアフガニスタンの土になる」という思いで活動を続けていましたが志なかば31歳の若さで夢を断たれました。その無念さを思うとたまりません。伊藤さんのお父さんは、「和也は家族の誇り、胸を張って言えます」と話していましたが、彼は家族の誇りだけではなく日本の誇りだと私は思います。
メダルや報奨金のため、或いは家族や自分のために頑張ることも名誉かもしれません。金メダル獲得者に国民栄誉賞の呼び声も上がりました。しかし、人道援助に命をかけた人こそ国民栄誉賞にふさわしいのではないでしょうか。自分のことよりも困窮に苦しんでいる人達を助けることこそ人としての最高の道であり、そこにこそほんとうの名誉があるのではないでしょうか。
さらに、ほんとうの国家威信とは人権が保証され、格差の無い安全で平和な社会であることを伊藤さんは身を以て教えてくれました。彼と同じ志で活躍されている日本人がまだまだ大勢いることも知りました。彼らには今後も怯むことなく活動を通して人としての真の名誉とは何かを世界に示してくれることを願ってやみません。
さらに言わせていただければ、日本政府はオリンピックに国家プロジェクトとしての大幅な予算アップを考えるとしたら、その前にメダルも報奨金も無いなかで頑張っているNGOやボランティアの若者にこそ目を掛けるべきでしょう。日本政府がこれからメダルの数を国家威信に結びつけていくとしたらレベルは中国と同じです。人権も尊重されない中国と同じレベルの日本政府だったらこれから先期待は持てません。
私は伊藤さんの中に「菩薩」を感じました。それは彼が「自未得度先度他の心」という「菩提心」を持っていたからです。そんな菩薩がまだ日本人の中にいたことを私はほんとうに誇りに思います。そして、日本政府も国民も彼の生き様から真の名誉と国家威信というものを学びとって欲しいものです。 

■3 我欲心
「その形(かたち)陋(いや)しというとも、この心を発(おこ)せば、すでに一切衆生の導師なり。たとい七歳の女流(にょりゅう)なりとも、即ち四衆(ししゅ)の導師なり、衆生の慈父なり。男女(なんにょ)を論ずることなかれ。これ仏道極妙の法則なり。」(修証義・発願利生)
前回、最も尊いことは菩提心を発すことだと述べました。出家とか在家とか、今現在苦境にあっても無くとも、更には善人とか悪人とかを問わず、己のことよりもまず他人を先に心配する心こそ「菩提心」であり、その心を持つことで菩薩になるということを申しました。
菩提心とは仏陀の心です。しかもそれは一切衆生のすべてが持ち合わせている心なのです。「その形(かたち)陋(いや)しというとも、この心を発(おこ)せば、すでに一切衆生の導師なり。」 「その形」とは容姿風貌のことです。「陋し」とは「みすぼらしい」とか「醜い」ということです。
人の風貌は様々です。風貌は個性であり百人百様です。格好良い人もいればそうでもない人もいます。人は誰でも美男美女を望むのが当たり前の心情かもしれません。見た目で嗜好を判断してしまうのが人の常かもしれません。
しかし、格好の善し悪しは主観であり、本質の善し悪しとは全く関係無いのです。人の価値は決して格好の良し悪しではありません。人の価値を決めるのは只一つ、「菩提心」なのです。さらに言えば、悪業の果報によって地獄、餓鬼、畜生などの悪趣の世界にいる者はそれなりの風貌をしています。それは環境と心が風貌をつくるからです。
でも、たとえそのような悪趣の世界にいる者であっても、その「菩提心」を起こせば一切衆生の導師に成り得るというのです。「導師」とは仏道の指導者のことです。つまり菩提心において風貌はまったく関係がないということです。
「たとい七歳の女流(にょりゅう)なりとも、即ち四衆(ししゅ)の導師なり、衆生の慈父なり。」 例えわずか七歳の童女であろうとも、菩提心を発こすならば、すなわち「四衆の導師」にも「衆生の慈父」にも成り得るというのです。「女流」とは女性の意味です。「四衆」とは、比丘・比丘尼・優婆塞(在家の信士)・優婆夷(信女)の総称です。
「男女(なんにょ)を論ずることなかれ。これ仏道極妙の法則なり。」 仏教における男女両性観は、男尊女卑的であるといわれていますが、道元禅師は法の上から、修と証の上からも男女を全く平等に見られています。
「唐の国にも愚かな僧があって、『生々世々(しょうじょうせせ)ながく女人を見ず』と願を立てたことがある。その願はいったいなんの道理によるものであろうか。世間の道理によるのか、仏法の道理によるのか、外道の道理によるのか、それとも天魔の理(ことわり)によるのであろうか。女人になんの咎があるか。男子になんの徳があるか。悪人は男子にもあり、善人は女人にもある。・・・惑いを断ち、理を証するも、また男女によってなんの差別もないのである。」(正法眼蔵・礼拝得随)
「男性なるが故に貴く、女性なるが故に貴からずというのではなく、敬重に値するかどうかは、真に仏道を体得しているかどうかという、唯その一点にある」と禅師は明示されています。仏道修行のための導師は、「男女等の相にあらず」、つまり仏道修行のための指導者は男女の問題ではないというのです。
菩提心を発こして菩薩道を行じることで、風貌など関係なく、たとえ七歳の女子であっても「四衆の導師」となり、「衆生の慈父」となると示され、さらにこの道理こそ仏道究極の法則だと喝破されているのです。なんという力量底の人でしょう。これこそ真実を悟った人の言葉だと私は思うのです。
しかし誰でも持ってはいる菩提心ですが、悲しいかな、人によっては菩提心に恵まれない人もいるのです。菩提心の邪魔をしているのが「我欲心」です。この心こそ最も悲しい心です。しかも残念ながらこの心も「人」であれば誰でも持っているのです。今回は菩提心の対極にあるこの「我欲心」について考えてみたいと思います。
「我欲心」は英語でエゴイズム(EGOISM)と言います。その心を持っている人をエゴイストといいます。利己主義者、我欲者、うぬぼれ者のことです。真実の見えない人、真実を見ようとしない人、真実を放棄した人がエゴイストになるのです。その輩の多い社会ほど不幸な社会です。それは犯罪のほとんどがこのエゴイストによるからです。
自分さえ良ければ他人はどうでもかまわないといった、そのような我欲心の持ち主が自己のみならず他人やまわりの人々まで不幸に陥れるのです。その我欲心による事件が毎日のように今の日本の社会では起こっています。
人はどうすればここまで残忍非道になれるのかと思わせられたのが去年の8月に起こった愛知女性拉致殺害事件です。闇サイトで知り合った3人の男が何の関係もない行きずりの31歳の女性を拉致し惨殺放棄した事件です。
彼らは最初から金を奪い殺害することを決めていました。命だけは助けてと懇願する彼女をハンマーでめった打ちにして殺害したのです。3人は捕まりましたが未だに謝罪も反省もまったくありません。彼らの弁護士は裁判では殺害方法で争うつもりだとか言っていましたが、いくら弁護士でも良識を疑います。私心ですが、彼らに「弁護」が必要とは思えません。
被害者のお母さんが極刑を求めて15万人の署名を裁判所に提出しました。仏教では悪人こそ救われると説かれていますが、それは心からの懺悔があってのことです。懺悔のない悪人が救われることは絶対にありません。それが因果応報という真実です。
止めどなく起こる偽装や詐欺事件、最近での汚染米流通事件にしろ、メラミン混入事件にしろ、みんな「我欲心」から起こった事件です。何の関係もない実に多くの人たちが甚大な被害を被っています。特に中国から起こったメラミン事件は全世界に広がりつつあり、その被害の実態は計り知れません。
日本の汚染米被害も日本全国に拡大しています。特に問題なのは農林水産省による関与の疑念です。平成15年から現在まで7400トンの事故米を売却していたというのですが、状況からして食用として転売されていたことを知らない筈はないのです。行政ぐるみの犯罪と疑られても仕方ありません。事実が解明され責任がとられない限り国民の怒りは治まりません。
日本はよく議員内閣制ではなく官僚内閣制だといわれています。その意味は日本が官僚による独裁国家だということです。高齢者医療問題や年金問題、道路特定財源問題、先にあげた農水省指導による汚染米問題等々、それらの原因のすべては官僚独裁行政の「我欲心」から生まれたものです。
官僚独裁者達は自分たちの利権の棲家として全国に4696もの特別法人をつくり、2万6千人以上もの天下りを送り、年間12兆6千億円以上もの税金が使われているという。民間のある調査によるとこの12兆6千億円も無駄をなくせば3兆円で済むとか。これらの情報は毎日のようにテレビで、みのもんた氏が言っていることですから、みなさんもよく御存知でしょう。
もちろん官僚の全てが悪いわけではありません。戦後の日本の発展は官僚なしには実現できなかったことも事実でしょう。しかし、どんなに優秀な組織も自浄性がないと病原菌が蔓延るのです。現代の官僚組織はまさに無秩序に増殖するガン細胞によって健康の部分までも癌化させられてしまったのです。その結果自らの身の破滅を招くことは自明の理です。国の借金は800兆円を超えると言われますが、まさにその結果の表れの一つだと思います。
もう猶予はありません。日本が救われるには官僚による独裁から解放され以外にはないのです。行政改革をいくら叫んでみても霞ヶ関の官僚伏魔殿が有る限り真の民主主義行政は実現されないでしょう。それには中央官僚が抱え込んでいる膨大な利権を地方に分散するしかないのです。そのために考えられているのが道州制だといわれています。
それに応えるのが政治家です。政治家に一番求められるのが菩提心です。我欲心があったらダメです。十分見極めて政治家を選ぶしかありません。その政治家を選ぶ選挙がまもなくやってきます。 

■4 菩薩の行願
「若(も)し菩提心を発して後、六趣四生(ろくしゅししょう)に輪転(りんてん)すといえども、その輪転の因縁、みな菩提の行願となるなり。然(しか)あれば従来の光陰は、たとい空く過ごすというとも、今生(こんじょう)の未だ過ぎざるあいだに急ぎて発願すべし。
たとい仏に成るべき功徳、熟して円満すべしというとも、なお廻(めぐ)らして衆生の成仏得道に回向するなり。或いは無量劫(むりょうこう)行いて、衆生を先に度して自らは終に仏に成らず、但し衆生を度たし衆生を利益するもあり。」(修証義・発願利生)
「若し菩提心を発して後、六趣四生に輪転すといえども、その輪転の因縁、みな菩提の行願となるなり。」 「六趣四生」の六趣は六道のことです。「六趣」の趣はそれぞれの業報によって趣き住む処という意味です。「四生」は、この世に生きとし生けるあらゆる生物をその生まれ方の上から、胎生・卵生・湿生・化生の四つに分類したものです。これはいわば仏教における生物の発生学的分類とでもいうべきものです。
人間のような高等動物からウジ虫のような下等生物にいたるまで、おおよそ生物は、この四生のうちの何れかに属しているのです。つまり「四生」とはありとあらゆる生き物という意味です。「輪転」は「輪廻転生」を二字に切り詰めたものです。人はあたかも車輪の廻転するが如く生と死を幾度となく繰り返し続けるという意味です。
この句を解りやすく書き直してみましょう。「もし、菩提心を発こした後であれば、たとえ六道の何れの世界に生まれ変わろうとも、また四生の何れのものに生まれ変わろうとも、その者には衆生済度の誓願と実行が営まれるであろう。」ということです。
つまり、菩薩道を行く者は、地獄道であろうが餓鬼道であろうと、どんな世界であろうとも衆生済度の誓願を携えている限り、その者は菩薩の立場にあるのです。「自未得度先度他」を行願とする菩薩となったからには、たとえ地獄や餓鬼道へ往生しようとも、それは迷いの輪廻転生ではなく、衆生済度のための転生というべきものなのです。
「然あれば従来の光陰は、たとい空く過ごすというとも、今生の未だ過ぎざるあいだに、急ぎて発願すべし。」「然あれば」というのは、「発菩提心には、以上述べてきたような深妙不可思議の大功徳があるのだから」という意味です。
「従来の光陰は、たとい空く過ごすというとも」とは、「これまでの人生のうち、欲望の虜となり、いたずらに空しい日々を過ごしてきたとしても、」という意味です。「今生の未だ過ぎざるあいだに、急ぎて発願すべし。」とは、「今の人生の命のあるあいだに急いで発心を決心しなければならない。」という意味です。
「たとい仏に成るべき功徳、熟して円満すべしというとも、なお廻(めぐ)らして衆生の成仏得道に回向するなり。或いは無量劫(むりょうこう)行いて、衆生を先に度して自らは終に仏に成らず、但し衆生を度たし衆生を利益するもあり。」
「仏に成るべき功徳、熟して円満すべしというとも」というのは、「仏教の最高目的としての成仏の域に到達するために、それ相当の修行を重ね、功徳を積みあげてきて、その「功徳」が熟しきって、すぐにでも成仏できるその時に至ってもなお」という意味です。
「なお廻(めぐ)らして衆生の成仏得道に回向するなり。」 さらに己の成仏は後にまわして、衆生の成仏を先にするために己の「功徳」を衆生の方に振り向ける(回向)ことであるというのです。
「或いは無量劫(むりょうこう)行いて、衆生を先に度して自らは終に仏に成らず、但し衆生を度たし衆生を利益するもあり。」 「無量劫」の「劫」とは時間の単位ですが、千年とか万年とかいう程度のものではなく、計算仕様もないほどの遠大な時間のことです。ここで「劫」について説明しておきましょう。
その説として「盤石劫」(ばんじゃくごう)と、「芥子劫」(けしごう)というものがあります。「盤石劫」とは、四十里立方の石があり、天女が百年に一回舞い降りてきて、その羽衣の袖で一度その石を撫でて、ついにその石が摩滅してしまうまでの時間を一劫というのです。
「芥子劫」とは、四十里立方の倉の中に一杯詰めてある芥子の実を、天女が百年ごとに舞い降りてきて一粒ずつ持ち去り続けて、倉一杯のその芥子の粒がすっかり無くなったときが「一劫」だというのです。
まことに気の遠くなるほどのスケールの話ですが、「無量劫」となると、その一劫が無量倍ということになるのです。まあ結局は限りない永遠の時間とも言うべきものでしょう。因みに、教典によく出てくる「阿僧祇劫」(あそうぎこう)の「阿僧祇」も「無数」という意味であり、「無量劫」と同じ意味です。
ついでに申し上げると、億劫と書いて「おっくう」と読みます。劫が億もあったらその時間の長さを考えただけですっかり「やる気も気力も無くなってしまう」のです。「無量劫行いて、」とは、「自未得度先度他の心」を心とする「菩提の行願」を、「無量劫のあいだ行じ続けて」、という意味です。「衆生を先に度して自らは終に仏に成らず」とは、「己以外の衆生を先に度(わた)らせて、己自身は迷える衆生が尽きない限り、永遠に成仏しない」という意味です。
「但し衆生を度たし衆生を利益するもあり。」但しは「ただひとすじ」という意味です。「衆生を度たし衆生を利益するもあり。」「度す」とは何度も言っているように「成仏」させることです。「利益」(りやく)とは利益(りえき)を与えるという意味ですが、精神的に安心立命させることです。
ここでいうところの「利益は」とはお金が儲かるとか、病気が治るとかの浅はかな現世利益のこととは違います。ここを是非誤解しないでいただきたいと思います。真のご利益(ごりやく)とは、仏教の教えである仏法の智慧を身に付けることで、心身ともに「安心」(あんじん)することなのです。
さて、本節の説明も随分長くなりましたが、ここでまとめに入ります。菩薩の「行願」とは、永劫に亘って、この世の一切衆生を最後の一人まで、ただひたすらに救わんとするものであり、その悲願が達成されないうちは決して己から成仏することはないとする、その「心」のことです。
すなわち一切衆生をことごとく成仏させるまで永劫に六道輪廻をされているのが 「菩薩」であるという、この菩薩の「行願」の心こそ仏教の奥義なのです。仏教がなぜ素晴らしい宗教かを一言で表すとすれば、私はこの「菩薩の行願」に尽きると思っています。
人間には地獄の心、餓鬼、修羅、畜生の心があると同時に菩薩の心があるのです。現在社会の混迷はこの菩薩の心が失われた結果なのです。止むことのない虐待、いじめ、詐欺、自殺、殺人。それらは教育や医療、年金制度の政治に対する不信と広がる一方の格差社会のなかの不平不満と無縁では無い筈です。さらにサブプライム、リーマンからはじまった経済不況が追い打ちをかけ、あらゆる分野で大切なものが崩壊しつつあります。中でも最も大切な「人のこころ」が崩壊しています。
奇跡の星に生まれ、素晴らしい可能性を持ちながら、欲望と怒りと愚かさという悪趣に取り憑かれて傷つき、傷つけ合う人類。この状況は人類そのものの「終わりのはじまり」かも知れません。心の貧困と迷いを早くなんとかしなければなりません。それには「菩薩の行願」を涵養するしかありません。 

■5 心眼
言うまでもなく仏教とは「心眼」つまり真実を見極める心の教えです。今回はその「心眼」を持って命を賭して布教と民衆の幸福を追求した一人の若き僧侶の話です。その方とは、明治四十四年、36歳にして冤罪により刑死した曹洞宗の僧侶こと、箱根・林泉寺二十世・内山愚童(うちやまぐどう)住職です。
人は「心眼」を持たないと真実を見失います。真実の見えないところに過ちや不幸が生まれるのです。それは個人に限らずどんな団体であれ国家であれ有り得る事なのです。当時の明治政府もその例外ではありませんでした。世界の列強に後れをとるまいと軍事力の強化を図り、ひたすら軍国主義に突き進んでいたのです。
軍国主義とは戦争を念頭に国家威力の発現に努めることです。それは国家による侵略の欲望そのものです。そこには道義も正義も平和もありません。明治政府は、思想・言論・出版の自由を厳しく制限し、民衆の声や運動を封じ込め、特に反政府思想や活動に対して厳しい監視や弾圧を行いました。
そんな時代、内山愚童師は二十二歳で出家得度し、その後の修行を経て二十九歳で箱根大平台の林泉寺に入山したのです。愚童師が僧侶となった動機は明確でした。立身出世のための便宜的手段でもなければ大寺院の住職を得るためでもなかったのです。「人類幸福主義のため、苦痛を救済するの必要」というのが発心の動機でした。
愚童師は入山当初から地域の児童を対象に「寺子屋学級」を立ち上げ、さらに「青年組合」を組織し地域の活動に取り組みました。どれも貧困による不就学や青年たちの修養を目的としたものです。
箱根山は"天下の嶮"の急斜面、火山灰土の土地は痩せていて水田や畑作にはとても不利な土地柄でした。そんな大平台の人々の生活はとても厳しいものでした。当地に限らず国民の多くが貧困に疲弊していた時代です。愚童師はそんな民衆と共に苦しみ、その根源を洞察して、抑圧者やその体制に立ち向かうのが宗教者の使命であると考えたのです。
国民を顧みることのない理不尽な国家に対する愚童師の想いは社会主義思想へと傾倒して行きました。愚童師の社会主義思想は、終始一貫、仏教者としての自覚をベースに民衆への想いから起こったものですが、秘密出版『無政府共産』の中で天皇制とその神格化の否定、非戦および小作人解放を訴えたのです。
「秘密出版」とは思想・言論・出版の自由が無い中で政府や警察の弾圧を回避するために印刷・出版・配布のすべてを秘密裏に行うことです。そんな愚童師に対して明治政府と宗門は、「大逆徒」というレッテルを貼り付け、無政府共産主義者・革命僧というイメージを植え付け、果ては天皇と皇太子を暗殺して国家転覆を計画したと決めつけたのです。
宿代としてたまたま預かっていたダイナマイト(当時箱根では鉄道工事に多くのダイナマイトが使われていた)を口実に、出版法・爆発物取締罰則違反で逮捕され、そしてその後「大逆罪」という罪名で追起訴され国家反逆者として処刑されたのです。
愚童師の社会主義思想は、暴力革命を志向するものではなく、穏健で啓発主義的な傾向が基本でした。獄中で書かれた『平凡の自覚』と『遺稿』の中では、自由と幸福を実現するために、民衆・労働者自身が「理性」に従って物事を観察し、思考して行動することの重要性を、さまざまな例をあげながら繰り返し主張しています。
「個人の自覚」の中では、独立自活と相互扶助、人類の終局的目標として、自由・平等・博愛の実現を訴えています。「女性の自覚」の中では、女性の自立を、「家庭の自覚」の中では、封建的な家父長権威を否定し、「村民の自覚」や「市町村の自覚」の中では、今日的な福祉行政問題などに通じる諸提言をしています。
さらに生存権・平等権・自由権が万民当然の権利であることを訴え、国民はいかなる困難があっても個々の「理性」に従って、能力の及ぶ限り、理想の実現をめざして行動すべきであると訴えています。同時代の社会主義の同志たちが愚童師に一目も二目も置いていたのも、愚童師の宗教信念に裏付けられた独自性にあったといわれています。
愚童師は正真正銘の仏教者でした。「その土地で死ぬつもりでなければその土地の人を救うことは出来ぬと思います。」 「折角因縁あって住職した今の地が、三百年来、曹洞宗の信仰の下にあり乍ら、高祖道元の性格は勿論、その名も知らぬという気の毒な人ばかりであるから、之を見捨てて去る時は、千万劫この地に仏種を植ゆる事は出来ぬ。」と信条を述べています。
愚童師再評価と復権へ向けての動きは戦後民主主義がはじまって後でもしばらくは表に出ることはありませんでした。しかし、愚童師が埋葬されていた林泉寺では、「内山愚童を偲ぶ会」によって追悼法要や懇談会が行われたり、現代史研究家や法律家らによって、愚童師の思想と行動が評価されていたのです。
そんな愚童師の評価が世に出るきっかけとなったのは、平成四年に林泉寺住職から宗門に提出された「名誉回復について」の嘆願書でした。それまで、宗門では「逆徒愚童」の汚名を濯ぐことはありませんでした。宗門にはいつでも"エライ"お坊さんは大勢いらっしゃいますが、「心眼」を持ったお方は一人もいらっしゃらなかったのでしょうか。「エライ」って一体何なんでしょうか。
因みに「エライ」という愚僧の持論の定義は「心眼」をもって「菩薩の行願に努める人」でしょうか。そんなエラそうなことを言っている自分こそどうかと問われれば自信ありませんがね。
「心眼」を失う者は個人に限らず団体にも国家にもあり得ると言いましたが、仏教伝道の一大教団である「曹洞宗」もその例に漏れなかったのは実に残念です。道元禅師の禅を標榜し「正伝の仏法」を自負する曹洞宗が一宗門僧侶の「心眼」と「菩薩の行願」を見抜けなかったのです。どんな時代背景にあったにせよこの結果は実に情けない話であります。
平成五年、宗門はようやく愚童師の冤罪を認め、教団永久追放・僧籍剥奪・履歴抹消の処分を撤回し、宗門僧侶としての名誉の回復を宣言いたしました。さらに愚童師の仏教者としての遺徳をたたえ、宗門としての罪過を懺謝(さんじゃ)したのですが、なんと八十有余年の歳月が過ぎ去っていました。
「宗門も時の国家体制に追随し、信仰の自由と平和を希求する良心をも放棄し、仏教者の誓願に背き、教学を歪曲してまで、積極的に戦時体制に協力しました。」(曹洞宗) 「戦争は総て罪悪也」「人類の終局目的は独立自活・相互扶助にある」「女子は男子の付属物ではない」と主張した愚童師の言葉を肝に銘じ、おおいに反省すべきでしょう。
日本近代史上例を見ない暗黒裁判によって、内山愚童師をはじめ12人の社会主義者、仏教僧侶が死刑になりましたが、そのほとんどは当時の刑法に照らしても無実によるものでした。明治の国家権力が社会主義運動を壊滅させるために仕組んだ国家的犯罪だったのです。悪質な冤罪事件でありながらも、「再審請求」に対して、昭和42年7月、最高裁判所は「抗告棄却」の決定を下したのです。
弁護側が提出した新証拠資料の精査はまったく行われなかったのです。この決定によって、法的には冤罪事件としての解明の方途は事実上断たれてしまったのです。我々一般人は民主主義社会において、「司法」こそ正義の拠り所であると信じてきましたが、司法も只の権力団体に過ぎなかったのです。例え司法であろうとも、そこに「心眼」が無ければ真実は保証されないということです。
ある宗教団体の使途不明金にしろ、社保庁の組織ぐるみの年金改ざん問題にしろ、どんな団体であれ、行政であれ、そこに「心眼」が欠如している限り不幸は絶えません。人の世で人が幸せに暮らせるために必要なものは「心眼」であることを愚童師は身を以て教えてくれました。
処刑場に向かう愚童師は最後まで僧侶としての誇りを失わず、理想世界を冀(こいねが)い、泰然として死に臨んだといわれています。そんな愚童師の遺徳に報いるためにはわれわれ自身が「心眼」を自覚し「菩薩の行願」に努めることです。
先月宗務所研修旅行で箱根大平台の林泉寺へお参りする機会を得ることができました。内山愚童師のご冥福をお祈りすると共に、曹洞宗にもそんな坊さんがいたということを是非皆さんにも知って欲しいと思いました。 
 

 

■6 安心(あんじん)
12月8日は成道会(じょうどうえ)です。御存知お釈迦さまが人類ではじめてお悟りを開かれた記念の日です。「悟り」にはいろいろな表現がありますが、その一つが「大安心」(だいあんじん)です。「成道」とはつまり「大安心」を成し遂げられたという意味です。
お釈迦さまは自らが体得した「大安心」を人類に教示せんと発心されました。現身仏としてのお釈迦さまは2500年前に入滅されましたが、爾来法身仏として而今においてなお説法されているのです。我々が毎日礼拝するのは単なる偶像崇拝からではありません。お釈迦さまは法身仏として現存されていると考えるからです。
そのお釈迦さまの大恩に報いるためにわれわれ一人一人が志しを新たにする日が成道会です。お釈迦さまの願はただ一つ衆生済度です。それは一切衆生に「安心」を与え苦しんでいる人を一人残らず救済せんとする大誓願です。
しかしその大誓願はお釈迦さまの大慈悲心をもっても尚お一人では手が足りません。そこで多くの仏に意を託されました。その代表格が「菩薩」です。菩薩の使命は菩提心の宣揚と実行です。これまで何度も触れてきましたが、菩提心とは自分より先に他の人々を"救う"ことです。
「救う」とはすなわち「安心」を与えることです。「安心」がないところに心配や、悩みや、苦悩や、苦痛といった「不幸」が生まれます。「安心」こそ幸福の証(あかし)なのです。
人にとって「安心」が一番です。しかし、どうでしょう。今ほど「安心」の失われてしまった時代はありません。世界は百年来ともいわれる大不況の嵐に襲われています。日本でも多くの人達が職を失い途方に暮れています。毎日のニュースを見ていると明日は我が身かもしれないという"不安"に襲われます。
不安は生活苦に限ったことではありません。富のある人やエライ人達にも不安はあります。今天皇陛下は極度のストレスによって体調を崩されているとか。天皇陛下でさえ精神的苦痛に見舞われるのです。どんな富や地位や名誉も「安心」の担保にはならないということです。
これまで人類は驚異の発展をしてきました。しかし、2500年昔のお釈迦さまの時代から人の心の「不安」は減ってはいません。むしろ増えているのかも知れません。それは、社会が高度化され機密化されるに従って「心」が疎外されてきたからです。
増え続ける虐待、いじめ、詐欺、テロ、殺人、自殺などはみなその結果の表れなのです。特に象徴的なものがインターネットです。便利さに紛れて裏サイト、闇サイトが暗躍し、いじめ、自殺、詐欺、殺人など陰湿卑劣な犯罪の温床になっています。
さらに今大問題になっている年金問題から医療、福祉そして雇用問題などもみな人の心がもたらした結果です。政治が悪い、社会が悪いと言ってもその指導者を生み出してきたのは我々自身なのです。会社にしろ、行政にしろ、組織集団はみな人の心の寄せ集まりなのですから、問題は一人一人の心にあるということです。
その原因を辿れば、それは間違いなく我々一人一人に菩提心が欠如していたということです。一人一人が「己のことよりまず他人のこと」という気持ちを持っていれば少なくとも、社会はこれ程悪くなっていなかった筈です。自業自得です。
世界には実に様々な宗教がありますが、どれもみな目指すところは「幸福」なのです。仏教も正に人の「幸福」を追求した宗教なのです。仏教とは「心の教え」だと言いましたが、それはつまり心の「安心」を目指したものだからです。
その旗頭が仏教寺院である筈です。しかし現実はどうでしょうか。下記は最近の朝日新聞の「声」の欄に載った記事です。
「昨今、心を痛める問題が多すぎる。とりわけ、この年の瀬に派遣社員の方が即刻解雇され、即刻社員寮を追い出されるという問題は、本当に胸が痛む。一体、日本はどうなったのか、どうなっていくのか、実に不安に駆られる。ニュースで、解雇された若者がわずかな荷物を抱え寮を出て、公園で一夜を明かす姿があった。(一部省略) それにしても日本の仏教界はこの現実をどう見ているのだろう。ニューヨークなどでは教会が率先してホームレスに食事を提供しているではないか。日本でお寺が早々と困っている人たちに炊きだしをしたとか、境内にテントを張って避難場所を提供したという話を聞いたことがない。葬式仏教になり、お寺と人々の関係が疎遠になったこともあるが、ここらでお寺が困っている人たちに手を差し伸べ、仏教の志を示して欲しい。お釈迦様は衆生を救うためにこの世に生まれたのではなかったのか。」(東京都女性77歳)
なんとも耳の痛い話ですが、反論は難しいようです。日本全国には仏教系寺院が約7万7千ヶ寺余ありますが、ほんとうの意味での「駆け込み寺」になっているお寺が果して幾つあるでしょうか。
お寺は布教の道場であって福祉施設ではない。福祉は行政が行うべきであるとの考えがあるようです。が、私は非常時には寺院はそれなりの対応があっても良いのではないかと思います。寺院と言ってもピンキリですから当然実状に応じての話です。全国には格式的にも規模的にも立派なお寺は沢山あるのです。
仏教の本願は衆生済度です。しかし残念ながら、上部組織や包括団体からの具体的指示はほとんどありません。それは各寺院の自発的裁量に任かされているということでしょう。しかし、仏教離れ、寺院離れが叫ばれている今こそエライ組織のエライ坊さん方から率先して「菩提心」のお手本を示されたらどうでしょうか。
先月とりあげた内山愚童師がもし現存されていたらどうされただろうかと、ふと考えてみました。この寒空に放り出され途方に暮れている人たちを見過ごせず、恐らく自ら跳んで出て行かれたかもしれません。このホームページでえらそうなことを言っているだけの愚僧とは雲泥の差です。恥ずかしい限りです。
先日のテレビで、放り出された人に一人ずつ声を掛け親身に相談に乗っていた女性がいました。絶望の人たちにとっては「地獄に仏」に思えたかもしれませんが、その仏役を務めるのは本来坊さんでなければなりません。僧侶が施すのは法施だと言われますが、苦しんでいる人たちの身になって共に道を求めることも「法施」なのです。
そこで愚僧から一つの提案です。本山僧堂や地方僧堂から若い修行僧の一団を救援活動に向かわされたらどうでしょう。現場に赴き、最寄の寺院の境内を借りてテントを張り炊き出しをするのです。全国にはコンビニの凡そ二倍の数の寺院が津々浦々にあるのです。本山での坐禅や托鉢、作務だけが修行ではありません。修行とは菩提心を学ぶことです。菩提心の実施訓練です。もちろんパフォーマンスになっては絶対だめです。
菩薩の行持とは常に悩める衆生と共にあるのです。それが大乗仏教の本旨です。行持が本物かどうかは見れば誰にでも分かるのです。自信が無いことは無い筈です。で、その経費?それはもちろん宗務庁が全国の末派寺院から集めている賦課金から捻出すれば良いのです。多分活きた使われ方だと言う人の方が多いと思いますが、いかがでしょうか。
今真っ先に弱者が切り捨てられています。日本は最低の社会になってしまいました。菩提心が無くなり我欲心が蔓延した結果ですが、もはやその原因と責任を問うている時ではありません。とにかく、政府は勿論それぞれの組織団体は出来ることをすぐにでも行動すべきです。で、仏教界はどうするのでしょうか。曹洞宗はどうするのでしょうか。 

■7 安心本尊
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
新年が明けることが何故「おめでたい」のでしょう。それは新たにもう一年「生かされた」ことに感謝するからです。「寿」は「命長し」という意味です。長生きこそが人にとって一番おめでたいことなのです。今年もその命を大切にしっかり生きて行きましょう。
その命に最も欠かせないものが「安心」です。安心こそ長寿の秘訣なのですから。そして安心といえば、お正月早々エチオピアで医療支援活動中武装集団に誘拐されていた赤羽桂子さんが108日振りに解放されました。「安心感でいっぱい」と語っていましたが、ほんとうによかったと思います。彼女は今心から「安心感」と「しあわせ感」に浸っていることでしょう。
人にとっていつ殺されるか分からないという状況でのストレスは想像を絶するものです。そんな3ヶ月半にも及ぶ極限状況によく耐えました。命にとって最大の敵はストレスです。恐らく心身共にボロボロの筈です。まず心と体をゆっくり休め、それから再出発をしてください。
新年は明けても世界から不安は一向に減りません。戦争、紛争、テロの拡大、温暖化、環境破壊、経済格差と貧困の拡大等。世界の飢餓人口はおよそ10億人といわれ、毎日2万5千人の人が飢えで亡くなっていると言われています。
戦争や紛争の多くは一部の人間の貪欲と無責任から生まれるのです。テロの多くは差別と貧困がもたらすのです。人間社会に差別や格差がある限り戦争や紛争そしてテロは絶対に無くなりません。特にテロは非人道的で絶対に許されるべき行為ではありませんが、その根底にある言い知れぬ不条理の想いを推して知るべきです。
アメリカではオバマ新大統領が誕生しました。アメリカ国民のオバマ新政権に対する期待は凄まじいものがあります。それは彼が直接"民意"で選ばれた大統領だからでしょう。それだけに国民が政府に関心と信頼を持つのは当然なことです。
それに比べ今の日本の政治は惨憺たるものです。"民意"が問われない政府に対する不信不満はピークに達しています。景気、雇用、福祉、医療、年金等、どれ一つ安心できるものはありません。今問題の定額給付金など誰がみても行政史上最大の愚策です。それをぬけぬけと詭弁を弄して懸命に言い繕っている政府与党。末期症状の足掻きにしか見えません。政治家としての大儀と信念を捨て去った情けない政治家ばかりです。
そんな中、一人敢えて政党の殻を破り信念を貫いたのが渡辺喜美代議士です。早速四人の仲間で「国民運動体」を組織しました。「永田町の常識ではなく、国民の常識が通用する国政の実現に向けて・・・」の表明に期待します。
よく人の命は平等だと言われますが現実は決してそうではありません。お金が無ければ病院には行けません。それは助かる命であってもお金が無ければ助からないということです。命もお金次第だというそんな不条理が許されていたら日本国内にも暴動やテロが起きてもおかしくはありません。
我々国民は財産と生命の「安心」は政治に頼らざるを得ません。その意味からすると、国民にとって政府はまさに「他力本願」なのです。その"ご本尊さま"が頼りにならなくなったら国民に"御利益"(ごりやく)はありません。御利益どころか、もたらされるものは不幸ばかりです。
国民にとって必要なものはしっかりした頼れる「安心本尊」としての「政府」です。それは「他力」の"ご本尊さま"ですが、それを決めるのは国民の「自力」です。すなわち国民の"民意"です。その威力を発揮するのが選挙です。選挙を通してしっかりした「安心本尊」を決めるしかないのです。
しかし、それだけに「自力」の質が問われるのが選挙です。「自力」が"ブレ"ていたんではまたまたおかしなご本尊が出現するだけです。国民の一人一人が正しい価値観と判断力を身に付けない限り真の御利益のあるご本尊さまは出現されないでしょう。
その正しい価値観と判断力を養うのが「宗教」です。仏教では特に四諦(したい)八正道(はっしょうどう)の実践を通して真理の智慧を身に付けます。四諦八正道については後日また勉強したいと思っていますが、それは一言でいえば、貪・瞋・痴という三毒に冒されない正しい強い心のことです。
いくらお金や財産があっても、いくら地位や名誉があっても心が三毒に冒されていたら人は絶対に幸福にはなれません。逆にどんなに貧しくとも心が正しければその人は豊で幸福なのです。
人の心とは実に弱いものです。心が"弱い"とは、気が小さいとか、臆病だとか、勇気が無いとかの問題ではありません。人は誰でも、貪・瞋・痴という三毒に冒され易いことを言うのです。
自分の心は「強い」と思っているのは思い込みです。あなたも、どんな人も、人である以上程度の差こそあれ必ず貪・瞋・痴という三毒を心の内に秘めているのです。いつ何時その毒素が暴れ出すか分からないのです。
人である以上これは宿命なのです。
ですから、「弱い心」は護らなければなりません。そのためにあるのが「宗教」です。この認識が大事です。この認識があれば誰でも「宗教」の存在とその持つ意味が分かるはずです。正しい宗教の正しい信仰によって正しい心、つまり「強い心」が養われるのです。そのためにはまず正しい「本尊」が必要です。
それを「護り本尊」と言います。その本尊をこころから信仰できたときに、その「本尊」はやがて「安心本尊」になります。しかし、自分から精進しない限りその「本尊」には巡り遇えません。それが「信仰」というものです。 まずは自分自身の護り本尊を選ぶのです。阿弥陀仏や大日如来、釈迦如来や薬師如来、観音菩薩や地蔵菩薩、そのほかさまざまな仏さまがいらっしゃいます。まさに選り取り見取りです。独断で構いません。あなたに合った、あなた好みの仏さまを選びます。
「護り本尊」を心から信仰できたときに、それは「安心本尊」となり、やがてしっかりあなたを護ってくださいます。「安心本尊」を持つ人こそ幸福です。 

■8 達磨安心
今回は公案、無門関第四十一則「達磨安心」(だるまあんじん)をとりあげました。
「心を安心させてください」という願いに対して、「その"心"をもってこい」という公案です。達磨大師の「面壁九年」は有名ですが、この話(わ)はその間に起こった二祖(慧可大師)との問答であり禅宗史上特に有名な公案の一つです。
本則
達磨面壁す、二祖雪に立ち、臂を断つて云く、弟子、心未だ安んぜず、乞う師安心せしめたまえ。磨云く、心を将(も)ち来たれ、汝が為に安ぜん。祖云く。心をもとむるに了(つ)いに不可得なり。磨云く、汝が為に安心せしめ。竟(おわ)んぬ。
達磨は少林寺に留まって日々面壁坐禅をしていました。そこへ修行中の二祖がやってきました。彼は雪降る中に長く立ち、自ら臂を切断し、達磨に差し出して言いました。「私は、心が未だ不安であります。どうか私のために安心させてください。」と。すると達磨は、「それではおまえさんの心をここへ持ってきなさい。安心させてあげるから。」と答えました。二祖は、「その心を探しているのですが、とんと見つかりません。」と言いました。達磨は「さあ、もうちゃんと安心させてあげたよ。」と言いました。
達磨は梁の武帝との会見に失望し、揚子江を渡って北魏に入り、崇山の少林寺に留まり、日々坐禅をしていました。そこへ神光がやってきました。後の二祖慧可です。神光は儒教や道教に関する深い研鑽を積んでいたのですが、その教えにあきたらず、四十歳にして達磨大師が少林寺におられることを聞いてやってきたのです。
神光は教えを仰いだのですが、達磨は面壁端坐して一向に何の言葉もくれません。その日、十二月九日の夜は大雪となりましたが、神光はその中庭に立ち続けました。二祖は思いました。昔人は道を求むるのに命がけで向かわれたのだから自分もその覚悟を要するのだと。
積雪は膝を越す位になったとき、達磨はやっと口を開いて問いました。「汝は久しく雪中にいるが、一体何をもとめているのか」と。神光はこの言葉を聞いて感激の涙にしたりつつ、「和尚、大慈悲をもって甘露の法門を開いて、御導きください」と懇請したのです。
達磨は応えました。「諸仏の無上の妙道は、精進行じ難きをよく行じ、忍び難きを忍ばねばならぬ。ささいな徳や智慧、軽心や慢心をもって、真実の教えに向かってもそれは徒に苦労するだけである」と。
神光はこの言葉を聞いて、にわかに刀を取り出して自らの左臂を断って達磨の前に置いたといわれています。達磨はこの神光の覚悟の程を受け、改めて入門を許し、名を「慧可」と改めました。その後の修行の中での出来事が今回の問答なのです。この問答の前には次のような問答があったとされています。
慧可曰く、「諸仏の法印、得て聞く可しや」 (仏さまの悟りについて教えて頂けましょうか。) 達磨曰く、「諸仏の法印、人に従って得るにあらず」 (悟りは他人によっては得られない)このあとに「本則」がくるのですが、再度その要点を看てみましょう。
二祖「弟子の私は、心が安らかではありません。どうか老師、私を"安心"させてください」
達磨「ではその"心"を持ってこい。おまえのために"安心"させてあげよう」
二祖「"心"を求めましたが、まったく得ることはできませんでした」
達磨「おまえのためにちゃんと"安心"させてやったぞ」
主題は「安心」(あんじん)です。「安心」とは、言うまでもなく「悟り」によって得られる一切の迷いから解放された大自由の心、これを「安心」というのです。この公案の狙いはその「安心」の"実体"を悟ることにあるのです。
さて、ではこの公案はどう看ればよいのでしょう。達磨が「その"心"をここに持って来い」と言ったのに対して、二祖が「心不可得」(心が見付けられませんでした)と言いました。その「心不可得」の一言にこの公案の答えが秘められています。
では、その一言をどう解釈すればよいのでしょう。「心不可得」を単に言葉の意味の上から理解しようとしてもまったくダメです。公案はすべてそうですが言葉に囚われないことです。一切の分別と理屈を超えたところの"もの"を見付けるのです。
その「もの」とは、「心不可得」という言葉"そのもの"です。「言葉そのもの」とは、その言葉自体の「実体」を意味します。"そこ"が分かるかどうかが勝負です。分別や理屈で考えていたのでは公案は絶対に分かりません。
ではその「心不可得」"そのもの"の「実体」とは一体何でしょう。それは「無心」です。無心とは心が無いと書きますが、文字通り「心」を無くした境地のことです。「心不可得」(心が得られません)と一心に成りきって言葉に出して言うとき、言葉の意味を考えながら言う人はいません。言っている瞬間は「無心」の筈です。"そこ"です。「そこ」に答えがあるのです。
実を言えば、「そこ」とか「無心」とか、本来公案を"説明"することは邪道なのです。なぜかと言えば、「説明」はそれ自体が分別や理屈になるからです。言うまでもなく「禅」に理屈や分別は通用しません。師家の室に入れば「説明」は一蹴されてしまいます。独参ではただ「事実」のみが問われるからです。
とは言え、ある程度の言葉がなければ「事実」は伝わりません。そのために師家は「提唱」するのです。提唱は解説ではありません。講話でも法話でもありません。「提唱」は特に高い見識と実力を認められた「師家」だけに与えられたものです。それだけに「提唱」の言葉には仏祖の代弁者としての重みがあるのです。
全国にお師家さまは大勢いらっしゃいます。是非"本物"の「提唱」を拝聴する機会を得られたら如何でしょうか。但し、本物かどうかを見極めるにはそれなりの「説明」を見極める見識が必要でしょう。
私は師家ではありませんし一介の愚僧ですから私の"説明"は単なる「説明」に過ぎません。しかし、敢えて私見を言わせてもらえば、巷に溢れる公案の解説書の多くは「説明」にもなっていません。単なる知識の羅列だけでは「説明」にもならないということです。言い過ぎましたらごめんなさい。
さて、言い訳したところで愚僧の"説明"をもう少し続けましょうか。「心不可得」という一言を慧可は「無心」で言ったのです。その「無心」こそ「心の実体」なのです。だから、そこに間髪入れず「そーら安心しただろう」と達磨が言ったのです。
それが一転語となって慧可は「心不可得」それ自体が元々「心可得」だったと気付いたのです。つまり言葉「それ自体」が「心」だったと悟ったのです。「心不可得」が「心」であれば、それは同時に「心可得」も同じことです。こうして慧可は「心」の「実体」を悟り本物の「安心」を了得したのです。
まだ難しい方のためにさらに説明するとすれば、「心不可得」それ自体を無字の公案の「無」と捉えるのです。「心不可得」を「無」に置き換えることができれば即座に「無心」が出現します。イヤ「出現」すると言うより元々「無心」だったことが分かるのです。
では、最後に"説明"抜きで敢えてこの公案の答えを私なりに体現してみましょう。「心不可得」(心が得られませーん)←無心で特に大声で←この部分は"説明" どうですか?みごとに「心の実体」が体現されていますね。(←厳密に言えば文字を通しているので"本物"ではありません。念のため。) 愚僧のこれまでのクドクドした"説明"など吹っ飛んでしまったでしょう。
さて、この公案とちょうど同じような話が徳山禅師の「三世心不可得」です。参考までに紹介しておきましょう。徳山は四川省から旅立って途中ある餅屋に立ち寄ります。そこでの老婆との問答です。徳山は実に優秀な金剛経の大家でしたがその時はまだ開眼してはいませんでした。徳山はその老婆の餅屋で点心(おやつ)にしようとしたのです。
老婆「そのかついできたものは何ですか」
徳山「金剛経の注釈書です」
老婆「わしに質問がある。もし貴僧が答えることができれば、ただで餅を差し上げましょう。もし、答えられなければ、よそへ行きなされ」
徳山「どうぞ質問してください」
老婆「金剛経に『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』とあるが、あなたは一体どの心で餅を食べるのか」
徳山 ・・・無言
徳山は餅を売る老婆にぐうの音も出なかったというエピソードです。徳山は「心」という文字に「心」を奪われてしまったのです。心で餅を食べるとでも思ったのでしょうか。餅は口で食べるに決まっています。彼には心が何か分かっていなかったのです。心の「実体」が分かっていれば、彼は黙って餅をつまんで食べ、ただ「ああ旨い」と言ったでしょう。
この公案の狙いもまったく同じ「心の実体」です。「心の実体」が分かれば「餅の実体」が分かります。同時にそれらは別々の「もの」ではなく、元来一つの「もの」だったことが分かるのです。「三界唯一心」という言葉がありますね。 真実は極めて単純明解です。禅はそれを教えてくれます。 

■9 平常心是道
前回に続いて公案をとりあげました。無門関第十九則「平常是道」(びょうじょうぜどう)です。
「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)という言葉は特に有名ですが、この公案から出ている禅語です。この意味は「ふだんの心が悟りである」ということです。では、その「ふだんの心」とは一体何でしょう。それが今回の主題です。
本則
南泉、因みに趙州問う、如何なるか是れ道。泉云く、平常心是れ道。州云く、環って趣向すべきや否や。泉云く、向かわんと擬すれば即ち乖く。州云く、擬せずんば争でか是れ道なるを知らん。泉云く、道は知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不擬の道に達せば、猶大虚の廓然として洞豁なるが如し、豈に強いて是非す可けんや。州云く、言下に頓悟す。
南泉は趙州が、「道とはどんなものですか」と尋ねたので、「ふだんの心が道である」と答えた。趙州は問うた、「それをめざして修行してよろしいのでしょうか」 南泉は答えた、「めざそうとすると、すぐにそむく」 趙州、「めざさなかったら、どうしてそれが道だと知れましょう」 南泉、「道は知るとか、知らぬとかいうことに関わらない。知るというのは妄覚だ、知らぬというのは、無記だ。もしほんとに『めざすことのない道』に達したら、ちょうど虚空のようで、からりとして空である。そこを無理にああだこうだと云うことなどできない」 趙州は言下に悟った。
趙州禅師といえば第一則の"無字の公案"でも有名ですが、その悟境の透徹さと行持の清高さから、禅宗史上その存在感は別格です。趙州は十八才にして開悟されたといわれています。それからさらに二十年の修行をされ、六十才で出家され、この公案で徹底されたといわれています。この時七十三、四才だったとのことです。120歳まで生きられたといわれるまさに傑僧です。
ある時、趙州は師の南泉禅師に「(悟りの)道とは何ですか」と尋ねました。南泉はそれに対して「平常心是道」(ふだんの心が悟りへの道だ)と答えました。趙州はさらに「ではそれをめざして修行すればよろしいでしょうか」と尋ねました。すると南泉は「めざそうとすると、すぐそむく」(そむくとは外れるということ)と答えました。趙州はそれに対して「そんなことをおっしゃっても、それを目指して修行しなかったら、どうしてそれが道だと解るのでしょう」と尋ねました。なるほど当然の疑問です。
「悟り」という目標を目指して修行するのでなければ悟れないのではないかというのが趙州の疑問です。それに対して南泉は、道(悟り)は知るとか、知らぬとかいうことではない。知るというのは妄覚だと答えました。妄覚とは煩悩妄想のことです。
つまり、悟りを「知る」(認識する)こと自体煩悩妄想だというのです。ここが一番大事なところです。まさにここがこの公案の勝負どころと言ってもよいでしょう。それはその認識できない"ところ"がこの公案の答えだからです。そこを「無記」と言っているのです。
南泉はさらに説明しています。「もし、真に疑いようのない道に達してみると、それは虚空のごとくああのこうの云うことのできない一切の分別の無いカラットしたところである」
「疑う余地のない道」とは、思慮分別、自我意識のまったく無い無我無心の"ところ"であり、「廓然として洞豁」、つまり「虚空のごとくああだこうだと説明のできない一切の分別の無いカラットしたところ」だと言うのです。
さらに、そこは「豈に強いて是非す可けんや。」(ああだこうだというものは何も無いところ)だと言ったのです。 趙州はこの一言で悟ったのです。
さすが天才趙州です。師南泉の「虚空のごとくああだこうだと説明のできない一切の分別の無いカラットしたところ」「そこはああだこうだというものは何も無い」と言う言葉で即座に悟ってしまったのです。それには恐らく南泉自身も驚いたことでしょう。
しかしいくら悟ったとはいえまだまだ悟りには深さがあるのです。無門禅師は提唱の中で評しています。「趙州、たとい悟り去るも、更に参ずること三十年して始めて得てん。」 悟りと言ってもまだまだ本物ではあるまい。本物の悟りを得るにはもっともっと修行してあと三十年は掛かるだろうと言っています。
では趙州の悟ったものは一体何だったのでしょうか。それは「無心」です。「ああだこうだというものは何も無い」とは「一点の曇りもない心」であり、それはすなわち「無心」のことです。「無心」については、前回の「達磨安心」でクドクド"説明"した通りです。ですからすでにお分かりのように、この公案の狙いもまさに「無心」の実体を悟ることにあるのです。
では「無心」の実体とは何でしょう。それは「あるがまま」です。因みに敢えてやぼな"説明"をしてみましょう。例えば、おかしい時には笑いますが、普通はあるがまま笑いますよね。悲しい時にはあるがまま悲しいですね。腹が立つ時はあるがまま怒り、楽しい時は"あるがまま"楽しいですね。
笑っているときに、何故笑っているのか考えません。悲しいときに、「今自分は悲しんでいるな」とか思いません。腹が立っているとき、「今ここに腹を立てている自分がいる」などと考えません。「ただ可笑しい」「ただ悲しい」「ただ腹が立ち」「ただ楽しい」・・・それが「あるがまま」です。
「悲しい」のも「可笑しい」のも「楽しい」のも、「ぼ〜と」しているのも、更には眠っているのも、どんな心の状態であれ、それが「平常心」なのです。そしてその実体が"無心"だとすれば「平常心」そのままが「道」(さとり)だと悟れるのです。
ですから「道」(さとり)は「あるがまま」の「そのもの」です。「そのもの」ですから、"それ"を意識すれば即座に"分別"になってしまい、すなわち「道」(さとり)から外れてしまうのです。実体を悟るとは「そのもの」に成り切るということです。
敢えて"説明"すればそういうことです。しかし、説明での理解は想像の域を出ません。「想像」はいわゆる絵に描いた餅です。絵の餅は食べられませんから本当の"味"は分かりません。本物の餅を食べるには一切の分別や理屈を全部捨て切って、"あるがまま"の"それ自体"を味わうしかないのです。無門禅師は頌で提唱しています。

春に百花有り秋に月有り。夏に涼風有り冬に雪有り。若し閑事(かんじ)の心頭に挂(かか)る無くんば。便ち是れ人間の好時節。

「春には様々な花が咲き、秋は月、夏の涼風、冬の雪。もしつまらぬ事柄を心にかけることがなければ、それこそその人の生活はまさに幸せの日々である。」という意味です。閑事(かんじ)とは「むだごと」とか「妄想」のことです。好時節とは「幸せの日々」ということです。つまり、妄想を捨て去った人はそれこそ幸せの日々であるというのです。
ここで思い起こされるのが道元禅師の詩「春は花夏ほととぎす秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」です。この詩は単なる和歌ではありません。諸法実相が詠われているのです。「諸法実相」とはまさに「あるがまま」ということです。
更に言えば、「あるがまま」は「心」に限りません。「大自然」もまったく同じなのです。 ここが特に重大なところです。人の心と大自然の間には本来何の差別もないのです。花もほととぎすも月も雪もみんなあなたの心と一つなのです。
春が来れば間違いなく草木は萌え花々はみごとに咲き誇ります。夏にはホトトギスが大空を飛び交い、秋には月が鮮やかに天空に浮かび、冬には雪が降り積もって清々しい。まさに大自然の"あるがまま"です。
人の「心」も「大自然」も真実は同じ"あるがまま"です。一切の分別妄想の無い「諸法実相」こそ「法身仏」であり「如来の姿」なのです。峰の色谷のひびきも皆ながら我が釈迦牟尼の声と姿と(道元禅師)
分別妄想のまったく無い状態がまさに「あるがまま」です。ですから無門禅師はさいごに「妄想を捨て去った人はそれこそ幸せの日々である」と提唱されているのです。
「あるがまま」に「分別」が付着することで「妄想」となるのです。妄想は欲望の根源です。欲望は油断するとつぎつぎと発展して尽きることはありません。確かに人類は欲望のお陰で未曾有の発展と豊かな生活を手にしました。しかし現実を鑑みると生活の豊かさがそのまま心の豊さになったとは決して言えません。
むしろ人類は生活の豊かさに追われ欲望の餌食になったと言えるでしょう。その結果が地球の環境破壊、格差社会、そして戦争、テロの拡大です。すべては生活の豊かさという名の欲望に取り憑かれた結果なのです。このまま行けば人類は明らかに滅亡の方向を辿るかも知れません。今こそその道を断たねばなりません。
そのためには真実を知ることです。真実を知ることで「心」の実体が分かります。心の実体が「無心」だと分かれば諸悪の根源である「欲望」も「無心」であり「空」であることが分かります。つまり心の実体が「空」だと悟ることで人は欲望から解放され本当の幸福を得るのです。 それがすなわち「悟り」です。 

■10 非風非幡非心
無門関第二十九則 「非風非幡」(ひふうひばん) 動いているのは幡(はた)でも風でもなく、それを見ている人の心だという、前回に引き続き"心の実体"に挑む公案です。
本則
六祖、因(ちなみ)に風刹幡(せっぱん)をあぐ。二僧有り対論す。一(ひとり)は云く、幡動くと、一は云く、風動くと。往復して曾(かっ)て未だ理に契(かな)わず。祖云く、是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、仁者が心動くのみ。二僧悚然(しょうぜん)たり。
「六祖」とは達磨大師を初祖としてその第六番目の祖師という意味であり、大鑑慧能(だいかんえのう)禅師のことです。唐の時代、禅宗の黄金時代を築いた第一人者であり、まさに禅宗の中興の祖とも云うべきお方です。
刹幡(せっぱん)とは、寺で説法をする印に掲げる旗のことです。その幡を風が吹き上げていました。これを見ていた二人の若い僧が議論を始めました。一人は「幡が動いている」と言い、もう一人は「イヤ風が動いているのだ」と言って互いに譲りません。その遣り取りを見かねた六祖は「幡が動くのでも、風が動くのでもない。お前さん方の心が動くのだ。」と言い放しました。その若い二人の坊さんは身震いしました。
以上が本則の内容ですが、常識から言えば風が動くから幡が動くのであり、それを己の心が動いているから幡も風も動くのだという、その真意とは一体何でしょう。
結論を言ってしまえば、幡と風と心の実体が"一つのもの"だということです。しかしそれは机上の理論であり、机上の理論では答えにはなりません。以前から言っているように理論上の理解は絵に描いた餅です。本物を味わうには理論を超えた"実物"を会得するしかないのです。そのために必要なのが"証明"です。公案の意味合いはまさにここにこそあるのです。
公案はすべてそうですが、狙いは「三界唯一心」「心外無別法」という理論の"証明"です。宇宙の真理も仏法も、理論は単なる知識です。知識は分別です。分別は妄像ですから、その一切の分別妄想を断ち切るための証明が必要なのです
今回の公案で言えば、幡と風と心の実体は一如であるということの証明です。すなわちこの三者間にある一切の対立観念を完全に払拭するための証明です。室に於いては「作用」を以て証明しますが、さあ、あなたならこの公案をどう作用しますか? 作用の仕方は「達磨安心」のところで私が示した通りです。ヒントはそれで十分でしょう。無門禅師は提唱しています。
拈提
無門曰く、是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、是れ心の動くにあらず、甚(なん)の処にか祖師を見ん。若し者裏(しゃり)に向かって見得して親切ならば、方(まさ)に知る二僧鉄を買って金を得たり。祖師忍俊(にんしゅん)不禁(ふきん)して、一場の漏逗(ろうとう)なることを。

六祖は「風が動くのではない、幡が動くのでもない。あなた方の心が動くのだ」と言われるが、かと言って、心が動くのでもない。さあ、どこに祖師の面目を見るか。もしここでそれがばっちりと看て取れたら、二人の僧はくだらない問答をしたお陰で、大変な法(真理)を聞くことができたのである。それはいわば鉄を買って金を得たということになるのである。六祖は二人の愚かさを見ておられず、飛び出したことで大きな失敗と恥をかいたことを知るであろう。
なんと、驚くなかれ、無門禅師は「心が動くのでもない」と明言しているのです。くだらない論議をしていた二人の僧だが、彼らがもしその「心不動」の真意を理解できたら、彼らは鉄を買ったつもりが実は金を得たということになるというのです。となれば六祖はつい口を滑らせたことで大きな失敗と恥をかいたことになるというのです。
「鉄を買ったつもりが実は金を得た」という意味は、「おかげで"更に深い悟り"を会得することになるだろう」ということです。つまり、六祖の言った「あなた方の心が動くのだ」という一言でその若い二僧が見性しさらに悟境を深めたら「心不動」という世界を徹底するだろう。そしたら、六祖の一言はその格下に見られるだろうということです。
因みに、「六祖はつい口を滑らせたことで大きな失敗と恥をかいた」という表現はなにも六祖を批判しているのではありません。これは言貶意揚(ごんべんいよう)と言って口ではけなして心では褒めているのです。この手法は禅門の特徴であり無門禅師の提唱では特に顕著です。
さて、では、その「心動かず」の真意とは何でしょう。無門禅師は更に「頌」において提唱しています。

風幡心動、一状領過す。只口を開くことを知って、話堕(わだ)することを覚えず。

「風幡心が動く、などとは、二僧と六祖の三人は皆同罪である。ただ議論することは知ってはいるが言い損なったことに気が付いていない。」という意味です。「一状」とは、一通の判決状という意味で、三者の罪状は一通で間に合うという意味です。例によって言貶意揚の表現で無門禅師は六祖をばっさり切り捨てていますが、その本意は六祖の悟境を讃えたものです。
では「風・幡・心が動く」と「風・幡・心は動かず」との違いは何でしょう。語意からすればまったく相反する表現です。しかし、ここがこの公案の見所なのです。この公案の意図はまさにここにあるのです。
それはつまり「心が動く」と「心動かず」に"差"があったら「事実」は見抜けないということです。すなわち、「動く」が真に分かれば、同時に「動かず」が分かるのです。「動く」を観念として理解していたら絶対に分かりません。ちょっとでも差別観念が働いたらたちまち「真実」は"天地遙かに隔たって"しまうのです。
「物我一如」(もつがいちにょ)という観念は確かに仏法を表した言葉ですが、その観念に囚われている限り「分別」なのです。分別は妄想であり「事実」ではありません。だから「分別」を超越したところにある「事実」を捉えるのが公案です。
風・幡・心が真に不二一体のものならば、一体という認識も、不二という概念も、「動く」「動かない」という観念も、更に言えば「悟り」という観念もそこにはありません。あるのはただ「あるがまま」の「まるだし」だけです。
「ただまるだし」の世界には一切の分別はありませんから、無門禅師の言う「動くもの」など何もないのです。一切の対立観念もないから幡も風も心も無く「物我一如」なのです。すなわち「まるだし」が「事実」なのです。あえてやぼな"説明"をすればそういうことです。
と言われて「まるだし」とか「事実」を"想像"しているうちは絶対ダメです。「想像」こそ正真正銘の妄想です。だから室に於いてはただ「まるだしの事実」を"作用"すれば良いのです。最高のヒントですよ。さあ、ではその「事実」を証明してみてください。 
 

 

■11 即心即仏(前編)
無門関第三十則 「即心即仏」(そくしんそくぶつ) 「仏とは何ですか」という問いに、「心が仏だ」という、前回に引き続き"心の実体"に挑む公案です。
本則
馬祖、因みに大梅問う、如何なるか是れ仏。祖云く、即心即仏。
馬祖道一(ばそどういつ)禅師は六祖慧能禅師の孫弟子になるお方であり、特に禅宗五家七宗の基礎を築いたといわれる偉大な禅匠です。その弟子には南泉、百丈、金牛、鳥臼などそうそうたる老古仏がおられます。大梅もその内の一人であり大梅法常(だいばいほうじょう)禅師のことです。
その大梅が師の馬祖に質問します。「いかなるかこれ仏」(仏とはなんですか) これに対して馬祖は、「即心即仏」だと答えました。「即」とは「そのまま」という意味ですから、つまり「そういうお前の心がそのまま仏だ」と言ったのです。大梅はその一言で悟ったのです。
「いかなるかこれ仏!・・・」 これは今でも修行中の若い坊さんが問答に使う最も一般的な一句です。今回の公案もこれまでの「達磨安心」「平常是道」「非風非幡」などとまったく同じ「心の実体」を掴むための公案です。入りくみが違うだけであってその狙いと答えはみな同じであって、どれでも一つ徹底すればあとはみな応用問題です。
若い大梅にとって全身全霊の突撃でした。大梅は幼少から出家し、有数の大寺で修行を積み、仏教の根本問題を真っ向から提げ師の馬祖に迫ったのです。
問答はすべてそうですが、全身全霊で臨むものです。特に室(しつ)にあっては師弟双方とも真剣勝負です。師弟とはいえ問答に於いて上下関係はありませんからそこには一切の手加減も妥協もありません。それだけに弟子は不惜身命の思いで立ち向かうのです。
故原田祖岳老師は独参に来る者の足音からその者の気概を感じ取り、やる気のない者には途中で鈴(れい)を振られたこともあったとか。ながい修行によって培われ研ぎ澄まされた感性のなせる業と言ったらよいのでしょうか。
実際拙僧もまだ若い十代の頃の経験です。故伴鉄牛老師の室に独参に向かいました。室に入るなり一言もなしに鈴を振られたことが幾度かありました。鈴を振られれば次の者と交替ですから即座に三拝をして退室しなければなりません。独参の室は緊張感で満ちていましたが、いつでも最高の香が焚かれていたことを思い出します。
この「即心即仏」も語意はいたって単純明瞭です。しかしいつも言うように公案の答えは語意ほど単純なものではありません。「心そのものが仏」だという、その「こころ」の実体をほんとうに会得するには並大抵のことでは叶わないのです。馬祖でも南嶽のもとで十年の修行を積み、大梅も幾十年かの悟後の修行を徹底されたのです。
大梅は馬祖の下を辞して後、悟後の修行のため暫し山中に隠遁したのです。その間たまたま馬祖の法嗣の僧が道に迷い大梅の庵に至り、大梅の消息が馬祖の知れるところとなりました。その評判を聴いた馬祖は大梅の悟りの円熟度を知ろうとして一僧を遣わせたのです。
その僧が大梅を訪ねたときの問答です。「和尚はかつて馬大師に参じられ大悟されたと聴きますが、どんな見識でここに住まわれているのですか。」
大梅はこたえました。「かつて馬大師は私の問いに『即心是仏』と答えられました。そのことで今この山に住んでおる。」
その僧はさらに言いました。「それが近頃は馬大師の説法は違います。『即心即仏』ではなく『非心非仏』と言われています。」
それを聞いた大梅は言いました。「老漢(おやじ)はまだそんなことを言って人をたぶらかしているのか。老漢が何と言おうと、私はただただ『即心即仏』だ。」
この話を聞いて、馬祖は言われました。「そうか。そんなことを言ったか。"梅"の実は熟したな。」 大梅の"梅"という字にことよせて馬祖が大梅へ印可証明を与えたのです。
馬祖は大梅の悟境を試そうとあえて遣いの僧に「非心非仏」と言わせたのですが、大梅はそんな馬祖の魂胆をとんとお見通しでした。「即心即仏」の境涯で応戦したのです。では馬祖に「梅の実は熟したな」と言わしめたものとは一体何だったのでしょうか。
実にこれも一大公案です。因みに無門関第三十三則が「非心非仏」です。同じ馬祖の説法であり、この「即心即仏」に対応した公案です。これら両則は表裏一体のものですから、一方が分かればもう一方も同時に分かるというものです。したがって次の公案はこの「非心非仏」にしたいと考えております。
さて本題に戻りましょうか。「心」がすなわち「仏」だというその"心"とは何でしょう。これまでの公案をちょっと振り返ってみましょう。
「達磨安心」では「みつかりません」という"言葉それ自体"が「心」でした。「平常是道」では「人の心と大自然」の"あるがまま"が「心」でした。「非風非幡」では「動いている幡」"それ自体"が「心」でした。
「心とは、山河大地であり、日月星辰である」(正法眼蔵・即心是仏) 永平御開山は乾坤大地がすなわち"心"だと示されています。つまり宇宙の森羅万象そのものが「心」だというのです。
「心のほかに何があるかい。乾坤大地ただこの一心じゃ。そうすれば朝から晩まで、寝るから起きるまで、見るもの聞くもの、ことごとく一心じゃ。また貧瞋痴と動こうが、食べたいと動こうが、憎い可愛いと動こうが、さては見るもの、見られるもの、きくもの、聞かれるもの、みな自己本来の一心だ。山は高く水は長いのも、柳は緑、花は紅も、鳥飛ぶ、蝶舞う、風吹くに至るまで、わがこの一心でないものはない。みなことごとく自己本来の一心三昧ならざるはないのである。」(原田祖岳老師提唱)
星も月も、山河大地も、大自然それ自体が「心」であり「仏」であるという。問題は人の「心」です。人は朝起きてから寝るまでさまざまな心を持って暮らしています。楽しい、悲しい、辛い、憎い、愛しいなど、みな人の「心」です。
順境には喜び、逆境にふさぎ込むのが人の「心」です。そのような心には良い心もあれば悪い心もありますが、悪い心も果たして「即心即仏」と言えるのでしょうか。禅はその心も即ち仏だと主張しています。禅は決してでたらめなことは言いません。ではそれはどう解釈したらよいのでしょうか。 

■12 即心即仏(後編)
無門関第三十則 「即心即仏」(そくしんそくぶつ) 前回の「本則」の後の「拈提」と「頌」を看ていきます。
拈提
無門曰く、若(も)し能(よ)く直下(じきげ)に領略(りょうりゃく)し得(え)去(さ)らば、仏衣を著(つ)け、仏飯を喫し、仏話を説き、仏行を行ず、即ち是れ仏ならん。然も、是(か)くの如くなりと雖(いえど)も、大梅多少の人を引いて、錯(あやま)って定盤星(じょうばんぜい)を認めしむ。争(いか)でか知らん、箇(こ)の仏の字を説くも、三日口を漱(そそ)ぐと道(い)うことを。若し是れ箇の漢ならば、即心是仏と説くを見ば、耳を掩(おお)うて便ち走らん。
「拈提」(ねんてい)とは「本則」に対してのいわゆる「提唱」です。その後の「頌」(じゅ)とともに著者である無門禅師の悟りの境涯が述べられているものです。要するに「本則」の解説ということです。したがって「公案」は「拈提」と「頌」の理解があって了得されたことになるのです。
領略(りょうりゃく)は領得と同じで、よく分かること、はっきり受け取ることです。「仏衣を著け、仏飯を喫し、仏話を説き、仏行を行ず、即ち是れ仏ならん」とは、悟ったその人が衣服をつければそれが仏の衣であり、その人がご飯を食べればそれが仏の飯であり、その人が話す言葉が仏語であり、その人の行為のすべてがそのまま仏の行となるということです。「即ち是れ仏ならん。」そういう人こそ仏と云うべきだということです。
「然も、是くの如くなりと雖も、」とは「ところが、そういうことではあるが」ということです。「大梅多少の人を引いて、錯(あやま)って定盤星(じょうばんぜい)を認めしむ。」定盤星とは動かないいわゆる秤(はかり)になっている星のことです。「即心即仏」という語句を鵜呑みにすることは、秤の目盛りが絶対であるという観念に囚われることになり、それは多くの人をして仏の真相を見誤ることになるというのです。
「なるほどそうか、即心が是れ即仏か、何を苦しんで修行をして悟りを目指す必要があったのか」などという誤りを与えることになるのです。それこそとんでもない邪見です。"心のすべてがそのまま仏"だと信じることは悟りの心も煩悩の心も同じ心だと信じ切ってしまう恐れもあるのです。つまり汚い言葉で言えば糞味噌一緒ということになるのです。
大梅が徹底して「即心即仏」と言っているが、その言葉を鵜呑みにしてしまうとそれこそ多くの人を「定盤星」の誤った認識に陥らせることになるというのです。「多少の人」の多少は助字であり、つまり多くの人という意味です。
「争(いか)でか知らん、」とは、「どうして知っていようか」ということです。「箇(こ)の仏の字を説くも、三日口を漱(そそ)ぐと道(い)うことを。」 「"仏"という言葉を口にする時、その仏という言葉それ自体はいわば煩悩という汚れであるから、その臭いと汚れも落とすには三日間も口をそそがねばならないということを彼は知っているのだろうか?」というのです。
「若し是れ箇の漢ならば、即心是仏と説くを見ば、耳を掩(おお)うて便ち走らん。」 「"こいつは"といわれる程の悟りを徹底している男ならば『心がそのまま仏だ』という言葉を聞いたら、そんなことを聞くのは耳の穢れだと言って、即刻耳を塞いで逃げ出してしまうだろう」というのです。
迷いや煩悩をいわば体についた汚れのようなものに例えれば、「悟り」はそれを落とす石鹸のようなものです。しかし、その石鹸で脂や汚れが落ちても後に"石鹸"の臭いが少しでも残っていたのではダメなのです。悟りに悟り臭さがあったら糞悟りです。ここが極めて重要なところです。
無門禅師は大梅の「即心即仏」の主張が杓子定規になっていればそれはもはや本物の悟りではないと言って「即心即仏」を抑えつけて言ったのです。ところがこれも無門禅師の言貶意揚であって、大梅の「即心即仏」が馬祖の「非心非仏」と少しの違いもないことを暗に言っているのであり、同時に大梅の悟境を讃えているのです。ここの見極めも重要です。

晴天白日。切に忌む尋覓(じんみゃく)することを。更に如何と問わば、臟(ぞう)を抱いて屈(くつ)と叫ぶ。
「晴天白日」は「即心即仏」を受けて、それはまさに天が晴れて日が輝いている如くはっきりしたものであるというのです。尋覓は探し求めることであり、「即心即仏」などと言って今更仏がどうのこうのと探し求めることは実に慎むべきことであるというのです。
「更に如何と問わば、」とは、「さらにそれは何かと問うことは」ということです。臟(ぞう)とは盗んだ品物のことで、屈(くつ)は屈辱のことで、屈を叫ぶとは無実を叫ぶということです。盗人が盗んだ物を両手に抱えていながら、自分は他人の物を盗ってはいないと言い張っているのと同じだというのです。
つまり、「即心即仏」とはなんだかんだと説明するものではないというのです。そのままでいいのです。つまり、あるがままです。"そこ"を求めたらたちまち妄想になってしまうのです。いつも言っているように"説明"や"認識"はそれ自体分別妄想なのですから。
「心」を理屈で理解することは論外でありまさに迷いそれ自体に外ならないのです。あるがままの世界とは理屈の要らない世界です。そこを「晴天白日」と言うのです。そんな理屈の要らない世界にあえて理屈を求めることはまさに盗人が盗品を持っていながら無実を叫んでいるのと同じだというのです。
何も求めない"ところ"に一切の迷いはありません。"求めること"がすべて迷なのですから。すなわち何も求めない"こころ"こそ悟りだという、この頌の本旨はまさにそこにあるのです。
「求め心さえ絶対になければそれでよいのだ。悟りたい悟りたいなどと物乞い根性をちょっとでも起こしたらもうダメだ。ただ単提だ。ただ忠実に「無!」 無! ム! ム!・・・と成り切り、生り切ったというものも無い単提だ。」(原田祖岳老師提唱) 無字の公案で「無とは何か」と考えたらもうダメなんです。
「無」と言ったらただそれだけです。理屈も解説も要りません。「無」と言ったら「無」で完全です。それ以外はすべて余分なものです。"余分のもの"をすなわち妄想、妄念と言います。この"余分のもの"のゾーンを透過した先にあるものこそ"悟り"なのです。この公案の主旨はまさにここにあるのです。
さて、そこで大きな疑問がまだ残っています。前回、心がそのまま仏だと言いました。心が仏だとしたらどんな心でも仏なのかという疑問です。悪いことをするその悪い心も仏の心なのでしょうか。結論からいえば「イエス」です。
悪い心は心でないということは絶対にありません。「貧瞋痴と動こうが、食べたいと動こうが、憎い可愛いと動こうが、さては見るもの、見られるもの、きくもの、聞かれるもの、みな自己本来の一心だ。」(原田祖岳老師) どんな心も自己本来の心です。
さて、ではそこをどう理解したら良いのでしょうか。その答えが「煩悩即菩提」です。煩悩とは悪い心だけを言うのではありません。良い心も悪い心もその全てが心である以上心のすべてをひっくるめて"煩悩"と言うのです。すなわち煩悩とは心それ自体を指しているのです。
ですから「煩悩即菩提」とは「心即菩提」です。「菩提」とは「仏」のことですから、「煩悩即菩提」とは「どんな心でもそのまま仏」ということになるのです。このように良い心も悪い心もその実体は仏なのです。
しかしですよ。 これからが実に大事です。実体を悟らない限り悪い心は悪い心のままなのです。悪い心がそのまま悟りになる筈などありません。悪い心がそのまま救われることなど絶対に有り得ません。ですからここをどうか誤解しないでください。
御開山道元禅師が「本来本法性、天然自性身」の一言に大疑問を抱かれたのは有名ですが、この「本覚論(ほんがくろん)」の中にこそその"正解"があります。「人の身体はもともと仏の身体であり、人は誰でも生まれながらに『仏の性質』を具えている」というものです。
「もし、わたしたちが、仏の体と心と同じように、もともと悟っているのものなら、これまで、この世にあらわれた仏祖の方々は、どうして、その上まだ、仏を求め修行をつまれたのか・・・」という疑問ですが、考えてみれば当然の疑問です。
禅師が比叡山にのぼられ五年も経った、まだ18歳にも至らない時のことですが、この疑問に答えられる者は誰一人いなかったのです。失望のもとやがて叡山を去りますが、禅師が入宋の一大決心をされたのはまさにこの疑問に対する思いからだったのです。
正師如浄禅師の下、徹底修行の結果、やがて禅師は「身心脱落」されその大疑問をみごと晴らされたのです。宋にわたってから二年あまり、二十六歳の時のことです。 なんたる天才でしょう。「人の心はそのまま仏である」というその真意は"修行そのもの"だったのです。すなわち「修証一如」です。
「即心是仏とは世の常情に染まぬ即心是仏であり、諸仏とは人の煩悩に汚れぬ諸仏である。詮ずるところ、即心是仏とは、発心・修行・正覚・涅槃の諸仏にほかならない。いまだ発心・修行・正覚・涅槃せざるには、即心是仏ではない。」(正法眼蔵・即心是仏)
御開山は修行もしない心が「是仏」だなどとはあり得ないと示されています。つまり修行する心こそ「即心是仏」なのだという、「修証一如」の真理から言ってもその意味は当然わかります。ですから菩提心の「心」こそ「即心即仏」の「心」なのです。これがこの公案の結論です。
人は心の実体が「畢竟空」だと悟ることで自己の尊厳、万物の尊厳を知るのです。畢竟空の境地こそ自己の本質であり宇宙の実体なのですから。 

■13 非心非仏
無門関第三十三則 「非心非仏」(ひしんひぶつ)
本則
馬祖、因に僧問う、如何なるか是れ仏。祖曰く、非心非仏。
馬祖にある僧が問います。「仏とはどんなものですか」 馬祖が答えました。「仏とは心でもなければ仏でもない」
この公案も前回の公案「即心即仏」も同じ馬祖の説法でありますが、語意からするとまったく相反する内容です。 「即心即仏」では心が仏であると明言したばかりです。それが今度は、仏とは心ではないと断言しているのです。はたまた一体どうことでしょう。
「自分はあくまで『即心即仏だ』」と言って譲らなかった大梅に「梅の実は熟したな」と言って印可を与えたのは師でもある馬祖自身でした。その馬祖が今度は「非心非仏」と主張しているのです。その真意は何でしょう。
結論から言ってしまえば「即心即仏」も「非心非仏」も"同じもの"なのです。言葉としてはまったく矛盾していますが、「即心即仏」が本当に理解できれば「非心非仏」も同時に理解できるのです。何故ならば両者は表裏一体だからです。
大梅は「即心即仏」で悟りを徹底され、すべての迷い、無明を晴らしたのです。だから「即心即仏」のそれ以外必要なものは何もないのです。当然「非心非仏」など関係ないのです。馬祖は大梅のその"完熟"を認めたからこそ印可を与えたのです。
何も求めない"心"こそ悟りだという、前回の「即心即仏」の"答"を思い出してください。その何も求めない"ところ"を「非心」と表現しているのです。つまり表現が違うだけで意味している中身は正に同じ畢竟空の"実体"そのものなのです。
前回から言っているように、心の実体は畢竟空なのです。ですから畢竟空を悟れば、それを「心」と言おうが「非心」と言おうが違いはないのです。繰り返しになりますが、何も求めない「心」に「心」の意識はありません。有るのは畢竟空の"そのもの"だけです。"そこ"が即ち「非心」なのです。
公案はすべて言葉を超えたところの真実、事実だけを示唆しています。ただただ真実を問うのが公案なのですから。
拈提
無門曰く、若し者裏(しゃり)に向かって見得(けんとく)せば、参学(さんがく)の事(じ)畢(おわ)んぬ。

「者裏」とは、「このなか」ということであり、「非心非仏」のこの公案のことです。「見得せば」とは、「親しくわがものにしたならば」ということです。「参学の事畢んぬ。」とは、「参禅学道の目的は達せられた」ということです。つまり、この公案を透過したならば修行の目的は達せられるだろうと言っているのです。実に簡潔明瞭ですが、言うまでもなくどの公案にも当てはまる拈提です。 公案の答えは全て一つだということです。

路(みち)に剣客(けんかく)に逢わば須(すべか)らく呈すべし、詩人に遇わずんば献ずること莫(なか)れ。人に逢うては且(しば)らく三分(さんぷん)を説け、未だ全く一片を施すべからず。

「路に剣客に逢わば須らく呈すべし」 剣の達人に出逢ったら剣を差し出せというのです。「詩人に遇わずんば献ずること莫れ。」 詩人に出逢ったら剣を差し出してはならないというのです。この意味は、剣客でない者に剣を与えたら大怪我のもとになるということです。詩人でない者に詩を与えても単なる紙屑にしかならないということです。
これは何の喩えでしょうか。「即心即仏」がほんとうに理解できた者ならば「即心即仏」で十分だということです。「非心非仏」がほんとうに理解できた者ならば「非心非仏」で十分だということです。つまり、「即心即仏」がほんとうに理解できていない者に「非心非仏」だと言ったらそれは徒に惑うだけであり、その者は確実に魔道に陥ってしまうことになるのです。
馬祖が「即心即仏」と説くのも「非心非仏」と説くのも、それは説く相手を視てのことです。つまり剣客か詩人かを見分けて説いているだけのことです。剣を使おうが詩を使おうがその狙いは一つなのです。
「人に逢うては且らく三分を説け、未だ全く一片を施すべからず。」 一片とは全部ということです。三分とは三割ということです。つまり、人に説法するときには、初めから全部を言ってしまうのではなく、三割程度に抑えておくのが良いというのです。
馬祖が「即心即仏」と説くのも「非心非仏」と説くのも、それは初めから一片(全部)を与えてしまっていて、親切過ぎるというのです。十のものならば、まずその三割程度を説いて後りの七割は本人自身の修行に任せるべきだと評しているのです。
一見馬祖に対する批判のようにも思えますが、これも勿論言貶意揚(ごんべんいよう)であって、馬祖の悟境を讃えると共に修行者に対して策励を与えているのです。優れた指導ははじめから手取足取りの指導はしません。駿馬の喩えにもあります。優れた修行者は鞭影を見て走り出すのです。
現代の教育はどうでしょうか。鞭影どころか、鞭そのものを見ても動かない者、さらに鞭で叩いてみてもなかなか動こうとはしない駄馬が多いようです。手取足取りの親心が返って仇になっているのではないでしょうか。
教育とはただ食事を与え成長させることではありません。知育・徳育・体育と言いますが、この三つは決して別個のものではありません。すべて一つに結びついているものです。そのこころはまさに"心"です。
今の世の中がこれほどおかしくなってしまったのはまさしく人の心がおかしくなってしまったからに他ありません。人の行動の全ては心で決まるのですから。しっかりした教育のないところに安心も平和もありません。
しっかりした教育の元になるのはしっかりした宗教です。日本人の多くが無宗教を自認しているようですが、信条や理念の無い人が多いのはその辺に原因があるのかもしれません。宗教というものをもう一度考えてみて欲しいものです。 

■14 帰崇心
8月は何と言ってもやはりお盆です。昔から盆・正月と言いますが、それは日本人にとっての大きな生活の節目だからです。満員列車の混雑や何十キロもの車の渋滞に耐えても帰省するのは帰巣心からなのでしょうか。
いやいやそこには理屈を超えた心の癒しがあるからなのです。生まれ育ったところには言い表せない愛おしさと懐かしさを感じるのが人の常ですが、特にお盆には不思議と心が故郷に向かいます。それは久し振りに家族の温もりに触れると同時に、共にご先祖様にご供養のご挨拶を申し上げるところに一層の癒しと安らぎを感じるからなのです。
特にお盆には何よりも仏さまとご先祖様への報恩感謝の気持ちが深くなります。この心こそ「帰崇心」(きそうしん)に因るものです。その帰崇心を一層高めてくれる行事が盂蘭盆会であり施餓鬼会なのです。
当山でも毎年8月5日に恒期の施餓鬼会(せがきえ)が修行されます。毎回230名からのお詣りを頂き、お寺にとっての最大行事となっています。特に本年は併せて客殿落慶式を厳修致しました。
客殿建設につきましては檀信徒皆様の絶大なる篤志に心より感謝申し上げます。お陰さまで予定通りの立派な客殿が完成致しました。特に現今の未曾有の不況の下で枉げてご協力を頂いたことに衷心より敬意を表する次第であります。
これも偏に檀信徒各位の檀那寺に対する深甚なる帰依の心と、ご先祖さまへの報恩敬慕の心に因るものと存じます。その心こそ「帰崇心」であります。その功徳を集め近隣諸山の諸老師の御随喜の下落慶法要が無事円成致しましたことに改めて感謝申し上げます。
以下は御導師をおつとめいただきました龍泉寺御住職三浦良憲老師の香語です。お許しを頂きましたのでここに御紹介させて頂きます。
夏本番 猛暑自から冷かなり 人をして刮目せしむ正木山の風光 時代の脚光に古格を改め 斬新なる客殿天空に聳ゆ
山門是日
客殿落慶の吉辰
虔んで大恩教主本師釈迦牟尼仏及び尽十方一切の三宝に奉覲し無上仏果菩提を荘厳恭く惟れば 仏日燦然と輝きを増し 常に如是経を転ずること百万巻なり 大光明裏の善男善女人 等しく法悦の白蓮花開く 堂頭老師因みに野衲をして箇の朽木を焚かしむ 下情感激の至りに堪えず 専ら祈る
山門鎮静 中外咸安 火盗雙除 檀信帰崇 十方檀那 福寿長久 万難消滅 諸縁吉祥
任他
黒漆の崑崙夜裏に走る底 忽ち一強茎草を拈じて梵刹を建立し竟る宜なる哉 仏祖共に手を携え 眉毛相結んで讃嘆随喜 破顔微笑 拍手喝采ならん 団々珠めぐり玉珊々 即今無上菩提荘厳の那一著 又且如何
喝 
暑中もし涼を得んと欲せば 暫く客殿の人となり 親しく冷暖自知すべし 世の中は今より他になかりけり 波のまにまに行こうじゃないか 伏惟れば 珍重
御老師の深邃なる境涯の一端を頂き誠に痛み入りました。三浦老師は私が十代の頃品川東照寺で伴老師のご指導を受けていた時の単頭老師です。その時以来のご縁で今日まで何かとご指導を頂いております。平成11年には愚僧の晋山式の助化師をお願いした大恩師でもあります。 

■15 三心(喜心)
道元禅師は「典座教訓」(てんぞきょうくん)の中で三つの心得を提唱されました。「喜心、老心、大心」の三心(さんしん)です。典座(てんぞ)とは、修行僧たちの食事を司る役職のことであり、いわば修行道場の炊事係りのことです。その役職における訓誡を著したものが「典座教訓」です。
道元禅師は"典座"を通して、真の弁道(修行)とは、坐禅や祖録公案だけではなく、むしろ日常生活のあらゆる場面が修行そのものであることを学んだのです。それは同時にどんな役職や仕事においても貴賤や優劣は無いということの証明でもあったのです。
一切の分け隔てのない世界が禅の世界ですから、人の世界も役職や職種において分け隔てがあろう筈はないのです。禅師はその禅の一大宗乗を"典座"の中から悟ったのです。今回からその経緯と三つの心得、「三心」について学んでみたいと思います。
禅というと何か特別なものであって一般人には近い寄り難いような印象があるかも知れませんが、禅の目指すところは実は「あたりまえ」のことなのです。「あたりまえ」とは言うまでもなく特別でも非凡でもありません。
「あたりまえ」とは「日常生活のあらゆる場面」のことであり、その中にこそ「真理」があり「法」があるのです。ですから禅はこの万物万民に不偏平等の「あたりまえ」にこそ「悟り」があると捉えるのです。
だから「修行」が「日常生活のあらゆる場面」から乖離していたらそこには決して仏法も悟りも無いのです。つまり「修行」とは「日常生活のあらゆる場面」そのものだということになります。
若き道元禅師にとって当初修行とはあくまで坐禅や公案、祖録に専念することであって、それ以外のものが修行の対象だとは思ってもみませんでした。ましてや炊事など単なる雑用に過ぎないという観念でしかなかったのです。
宋に渡った弱冠二十四歳の禅師にとってそれは無理もないところだったのかもしれません。日常生活のあらゆる現場が修行であるという、その宗乗にはじめて気付かせてくれたのが二人の老典座との出逢でした。
炊事に対して全身全霊で向き合っている二人の老和尚との問答から若き禅師は深い感動を覚えると同時に修行の何たるかを思い知らされたのです。
この二人の老典座との出逢いの話は何度読んでも感動をおぼえるところです。その場面を菅原昭英氏監修の「口語訳典座教訓」より見てまいります。まず寧波(にんぽう)の港での最初の老典座との出逢いです。
私が宋の寧波の港に停泊中の船にとどまっていた頃のことです。日宋貿易船の船長と話しをしているところへ一人の老僧がやってきました。年の頃は六十くらいです。
まっすぐ船内に入って来て日本の商人から椎茸を買ったのです。そこで、私はその老僧を招き入れてお茶を差し上げました。どちらの方かと尋ねると、阿育王山広利寺の典座とのことでした。
さらに老僧はこう言いました。「私は中国奥地の四川省のうまれ、故郷を離れて四十年経ち、年は六十一になりました。先年、孤雲道権師が住持をされているさなか、阿育王山を訪ねる機会があり、僧堂に正式に居を構え修行することを許されたのです。それ以後漫然と過ごしていたところ、昨年、夏の集中修行期間が明けると、阿育王山の典座職に任命されたのです。
明日は五月五日、端午の節句だから、修行僧たちになにかご馳走をつくってあげたいと思うのですが、適当なものがありません。そこで、汁入りの麺でもつくろうとしましたが、あいにくだしに使う椎茸がありません。私がわざわざこの船までやってきたのは、椎茸を買って帰り、修行僧たちに食べさせてあげようというわけです。」
私は老僧に尋ねました。「お寺を出られたのは何時頃ですか。」 老僧は「昼をすませてからです」と答えました。私がさらに「阿育王山からここまでどのくらいの距離がありますか」と問うと、「さあ、二十キロメートルたらずですかな」との答えです。
私が「それで、お寺には何時頃お戻りになるつもりですか」と言うと、老僧は「たった今、椎茸を買ったので、これからすぐ帰るつもりです」と答えました。私は、「今日、思いがけなく典座さまにお会いし、船内でお話をしました。これはたいへんよいご縁ではないでしょうか。ぜひ、お食事を差し上げたいのですが」と言いました。
すると、老僧は「それは無理です。自分が仕切らないと、明日の食事が整わないから」と言いました。そこで私は言いました。「お寺には同じ仕事をなさる方がおられるでしょうから、食事をつくる人はほかにもおられるでしょうに。典座さまがおられなくとも、お食事の用意ができないわけでもないでしょう」
すると、老僧はこう答えました。「私は年を取ってから典座職を仰せつかった。つまり老いらくの修行だから、この仕事を他人に譲るわけにはいかないのです。それに、ここへでかけるとき、外泊の許可をもらってこなかったしね。」
私はさらに言いました。「そのようなご高齢の身では、ひたすら坐禅修行に専念され、古人の公案などを勉強しておられればよいのに、どうしてわざわざ面倒な典座職に就かれ、厨房のお仕事に精出しておられるのですか。それでなにかよいことがありますか。」
すると、老典座は大笑いをして、こう言いました。「外国から来られた好青年よ、まだ修行というものがおわかりでないようですな。文字というものをご存知ない。」 それを聞いて私ははっと驚くとともに恥ずかしくなりました。
そこですぐさま老典座に問い返しました。「それでは文字とはどういうもので、仏道修行とはどういうものでしょうか。」 老典座は「その点を見逃さずに質問したのはまさに仏道修行にふさわしい人になれる証拠です」と答えました。
私はそのとき、その意味がわかりませんでした。すると、典座が言われました。「まだよくおわかりでないようなら、後日、阿育王山に私を訪ねていらっしゃい。ひとつ、文字がいかなるものか、大いに議論してみようではありませんか。」 そして、典座は立ち上がり、「もう日が暮れる。急いで帰るとしよう」と言い残して、立ち去られました。
同じ年の七月、私は天童山景徳寺で修行をすることになりました。ある日、例の阿育王山の老典座が来られ、再会しました。典座は「夏の修行期間が終了したら故郷に帰ることにしたのだが、たまたま同じ仲間から、あなたがこちらにおられると聞き、どうしてもお会いしたくなりましてね」と言いました。
私はそれを聞いて大喜び、たいへん感激しました。さっそく典座を招き入れて話を交わしているうちに、過日、船内で会ったときに問題になった文字と仏道修行に話が及びました。典座が「文字を学ぶ者は文字のなんたるかを知り、仏道を修行する者は仏道修行とはなにかを理解することが大事です」と言いました。
そこで、私は「文字とはなんですか」ときくと、典座は「一、二、三、四、五、これが文字です」と答え、「では仏道修行とはどのようなことですか」と問うと、「われわれの住むこの世界が、どこでもありのままに見えることですよ」と答えました。
ほかにもいろいろ議論しましたが、ここでは省略します。私が少しばかり文字のなんたるかを知り、仏道修行のなんたるかを理解したのはまさしくこの老典座のおかげです。これまでのいきさつを私の師である故明全和尚さまにお話したところ、和尚さまはたいそうお喜びになりました。
後に、私は雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)禅師が修行僧向けに書いた次のような詩文を読むことがありました。
「一、七、三、五、これが文字である。世の森羅万象を説明してきたが、それだけでは頼りにならない。夜が更けて月はこうこうと照り輝き、大海原に降りそそぐ。黒龍の顎下(あごした)にあるという得がたい宝玉が、なんと一面いたるところに見られるではないか。」
これは、かつて阿育王山の老典座が話したことと一致するではありませんか。私はあの老典座こそ真の仏道修行者だという思いをいよいよ強くしました。
この老典座との出逢いが若き道元禅師にとって真の弁道(修行)との初めての出逢いだったと言っても過言ではないでしょう。文字とは、一、二、三、であり、仏道修行とは、われわれの住むこの世界が、どこでもありのままに見えることだという、つまり、「あたりまえ」のことなのです。
「夜が更けて月はこうこうと照り輝き、大海原に降りそそぐ。」とは、天地宇宙の"ありのまま"の姿を言っているのであり、「得がたい宝玉」とは、「悟り」のことであり、「なんと一面いたるところに見られるではないか。」とは、森羅万象のすべてが悟りそれ自体だということです。
「ありのまま」と「あたりまえ」が修行であることが説かれています。「あたりまえ」がわかれば、文字はなぜ一、二、三、なのか。一、二、三、がなぜ文字なのかがわかります。「ありのまま」が修行であることが分かれば即ち、坐禅も典座もまったく"同じもの"だとわかります。
そのことを悟った道元禅師は「山僧、聊(いささ)か文字を知り弁道を了ずるは、乃(すなわ)ち彼の典座の大恩なり。」と深く敬意と感謝の言葉を述べられています。
どんな仕事であろうとも坐禅と同じ弁道(修行)であるという思いがあれば喜びの心をもって仕事ができるのです。それが即ち「喜心」ではないでしょうか。
この心こそ現代人に最も欠けている一つかもしれません。現代人が喜びの心を失ってしまった最大の原因は報恩感謝の心を失ってしまったことです。ではどうしたらよいのでしょうか。
それにはまず仏法僧の三宝に帰依することです。禅師は「教訓」の中で示されています。「万法の中、最尊貴なる者は三宝なり。」 (あらゆるものの中で最も尊いもの、最もすぐれたもの、それが三宝です。)
「此の三宝受用の食を作ること、豈に大因縁に非ざらん耶。尤も以って悦喜すべき者なり。」 (この最高最良の三宝に召し上がっていただく食事を作ることができるのは、なんとありがたいめぐり合わせだろうと喜ぶべきです。)
「能く千万生の身をして、良縁を結ばしめんが為なり。此の如き観達の心、乃ち喜心なり。」 (千回万回生まれ変わるはずのわが身に、この良いめぐり合わせが結実するように努力するのです。このように深い心で見ることが、すなわち喜心です。)
三宝に帰依することで必ず報恩感謝の心が育ちます。ご本尊さまご先祖さまに毎朝手を合わせることで「喜心」が生まれます。「喜心」こそ幸福の証なのです。 
 

 

■16 三心(老心)
『ここに言う老心とは父母の心です。親がわが子を思う気持ちで三宝としての修行僧を思うべきです。貧しい者も苦しんでいる者も、一心にわが子を愛し育てます。そういう親の心とはどういうものか、その身にならないとわからない。
自分が父の身となり母の身となって考えてこそわかるのです。自分が貧しいとか裕福であるとかに関係なく、ひたすらわが子の成長を願う。わが身の寒さ暑さをかえりみず、わが子をかばい、守る。これは、親ならばこその切なる思いです。
このような気持ちをもったことのある者には老心というものがわかるのです。常に親心をもち続けている者なら老心が身についています。ですから、典座は水やお米を見るにつけても、わが子を養う慈しみ愛す気持ちをもって調理すべきではないでしょうか。
お釈迦さまは、まだ二十年の寿命があるのに、後世の私たちのために残してくださいました。それはどういう意味をもつでしょうか。子を思う親心を示されたのです。お釈迦さまはその見返りを期待したわけではなく、富や名声を求めたわけではありません。』(菅原昭英氏監修「口語訳典座教訓」より)

要約しますと、「老心」とはすなわち親心であり、その心をもって仏法僧の三宝を心にかけないさい。だから炊事職にある者にとって、水や穀物はわが子の如きものであるので、慈しみねんごろにあつかう心を持つべきであると示されています。
お釈迦さまは、八十歳で入滅されたわけですが、本来百歳あったとされる自らの寿命の内から二十年の寿命を後世の私たちに遺贈されたわけですが、その意味を考えなさいということです。それはただただ薄福小徳の一切衆生を哀れんでのことであり、お釈迦さまはそれに対する果報など一切の見返りなどは期待もされませんでした。
そのお釈迦さまの清浄無垢の御心こそがすなわち「親心」であり「老心」なのです。われわれはみな子々孫々においてこのお釈迦さまの「二十年の遺恩」の恩恵を知るべきであり、その大慈恩に報いることとはただただ仏法僧の三宝に帰依することなのです。
さらに禅師は、「万法の中、最尊貴なる者は三宝なり」(あらゆるものの中で最も尊く優れたものが三宝であり)、それゆえに、「三宝を存念すること一子を念(おも)うが如くせよ」(親が子を思うが如く三宝を思いなさい)と教示されているのです。
その三宝とはすなわち仏法僧のことですが、大事なことは仏・法・僧の三つはそれぞれが別個のものではないということです。つまりこの三つは正に一体のものであるということです。すなわち仏に帰依することは法に帰依することであり、法に帰依することは僧に帰依することであり、僧に帰依することは仏に帰依することになるのです。
ですから食事を作ることはすなわち三宝に召しあがっていただくことになるのです。この認識が特に大事です。禅師は「教訓」のなかで僧について次のように述べられています。
「『禅苑清規(ぜんねんしんぎ)』にも言われるとおり、『この世でもっとも尊く、俗世間から超脱してゆったりと落ち着いており、清らかで何ものにもとらわれない境地にあるものは、修行僧をおいてほかにない』のです。いま、自分が幸いにも人間に生まれて、この最高最良の三宝に召しあがっていただく食事をつくることができるのは、なんとありがたいめぐり合わせだろうと喜ぶべきです。」(典座教訓)
その最高最良の三宝に召しあがっていただく食事を作る人こそ典座なのです。
「朝食でも昼食でも、作法どおりに出来上がったら、飯台の上に置き、典座は袈裟をかけ、坐具を敷いて、まず坐禅堂の方向へ向かってお香を焚き、九回礼をします。この礼拝が終わってから食事を運ぶのです。」(典座教訓)
この作法は「僧食九拝(そうじききゅうはい)」といって現在でも修行僧堂で行われている行事です。食事ができあがり、食事を僧堂に運ぶとき、典座和尚はお袈裟をつけ、僧堂の方向に向かって九回お拝をするのです。それは同時に心を込めて作った料理に向かってお拝をするかたちにもなっているのです。また浄人(給仕係)達も典座と共に合掌立拝するのです。
この様子は僧堂に修行している者にしか見ることはできませんが、その荘厳な光景は実に心引き締まるものです。ここで大事なことは、『この世でもっとも尊く、俗世間から超脱してゆったりと落ち着いており、清らかで何ものにもとらわれない境地にあるものは、修行僧をおいてほかにない』というその意味です。
典座和尚や浄人が僧堂に向かって九拝するのは確かに修行僧を尊んでのことですが、その真意は、修行僧はただの僧だけの存在ではないということです。つまり先にも述べたように仏法僧の三宝は三位一体であるから、「僧」はすなわち「仏」であり「法」であると捉えるのです。
その意味で食事を作った典座和尚はじめ浄人達の九拝はすなわち三宝に対してのお拝いなのです。さらには食事その物さえも仏身と捉えるのです。この認識が無ければ僧堂での一大行事は理解できないでしょう。
また、それだけに食事をいただく側の雲水たちにも実に厳粛な作法があるのです。坐禅を組みながら、読経をし、細かい作法に従っていただくのです。特に応量器(食器)のご飯を盛る器は「頭鉢」と言って、お釈迦さまの頭と見なされ特に大切に扱うことが求められます。
特に若い新到(しんとう)和尚(新米雲水)はまずこの食事作法でしごかれます。合掌の仕方に始まり、返事の仕方、器の並べ方、眼の位置、姿勢など、文字通り箸の上げ下ろしから食べ方まで、詳細にわたってたたき込まれます。
展鉢(食事作法)は新到和尚にとって最初の試練の一つですが、やがてこの行事作法に慣れてくると、今こうして生かされ修行できる尊さが徐々に感じられるようになるのです。そして、やがて仏祖をはじめさまざまな人達との縁のおかげで今日があるという感謝の念が少しずつ湧いてくるのですが、その気持ちも厳しい修行のお陰なのです。
曹洞宗では「威儀即仏法」といい、特に行事作法には厳しいのです。それは心と行動は一体のものであるから、厳格な行事規範によってこそ心が鍛えられると考えるからです。様々な宗派の中でも曹洞宗が特に作法に厳しいといわれる由縁です。そろそろまとめに入りましょう。
「一本の野菜でも仏さまのからだとしてたいせつに扱い、仏さまのからだを一本の野菜にこめて、これをたいせつに生かすのです。それは典座の霊妙なはたらきと自在な工夫であり、仏道修行であり、すべての修行者の利益となるのです。」(典座教訓)
一粒のお米から一本の野菜から、すべてのものに仏性がある。だからその一つ一つを大切に生かすことが仏法僧の三宝に帰依することであり、それは自己に限らず同時にすべての修行者のためになるというのです。
厳しい修行も炊事もすべては三宝に帰依するためのものです。三宝と自分が一体のものであるという、つまり、食事を作る人も、それを食べる人も同じ仏さまだという、そのことが分かるのが悟りなのです。その悟りに少しでも近づくためにはすべてのものに無償の愛情すなわち親心を持って臨むことです。この心をすなわち「老心」と言うのです。 

■17 三心(大心)
「いわゆる大心とは、大山のような高く大きな心、大海のような広く深い心をもち、一方に偏った考えをせず、ひとつの思いに固執することのない、おおらかな心を言います。」(典座教訓)
今回は三心の内のさいごの心「大心」がテーマです。それは今までの「喜心」「老心」を併せた大覚の心といったらよいでしょう。偏りのない、固執のない、おおらかな心・・・「大心」
それは道元禅師が宋に渡り二人の典座和尚から学んだ融通無碍なる心であったのです。天童山如浄禅師の下での猛修行の結果「身心脱落」の大悟徹底されたその基になった心であり、同時にそれはすべての人にとっての修行の心であり悟りの心であるのです。
一人目の典座和尚との出逢いは寧波(にんぽう)の港に椎茸を買いに来た阿育王寺の老典座でした。その時の様子は前々回ご紹介しました。彼からは文字とは何か修行とは何かを学びました。禅師は「自分がいささか文字を知って仏道修行の何たるかを理解できたのは「乃(すなわ)ち彼の典座の大恩なり」(典座教訓)と述懐されています。
二人目の典座和尚との出逢いは天童山での修行中のことでした。彼からは「他は是れ吾に非ず(他人は自分ではない)」「更にいずれの時をか待たん(今やらなければいつやるのか)」というまさに修行の原点を学ばれたのです。そのときの様子がつぶさに「教訓」に述べられていますので紹介しましょう。
「私がかつて宋の天童山景徳寺で修行していた頃のことです。地元寧波出身の用(ゆう)という名の老僧が典座職に就いていました。私が昼食をすませ、東側の廊下を通って超然齋(ちょうねんさい)という建物に向かう途中、この老僧が仏殿前の庭で茸を干しているところに出会いました。
老僧は竹の杖を突き、頭に笠さえかぶっていない。強い日差しが照りつけ、庭の敷瓦は焼けつくような熱さです。老僧はしたたり落ちる汗をぬぐおうともせず、一心にきのこ干しの仕事をしている。いかにも辛そうに見えます。背中は曲がり、長い眉は真っ白です。
私は老典座に近づいて、お年を尋ねました。典座は『六十八です』と答えました。そこで、私が『どうして、見習い僧か下働きの人を使わないのですか』と言ったところ、老僧は『他人にやってもらったら、わたしがやったことにはならないではないですか』と言いました。
私は、『たしかにご老僧のおっしゃるとおりです。しかし、こんなに日差しの強い時にどうしてそこまでなさるのですか』と尋ねました。すると、老僧はこう答えたのです。
『いまやらなければ、いつやるというのですか』と。私はなにも言えなくなりました。廊下を歩きながら、典座という職のたいせつさを思い知らされた次第です。」(典座教訓・菅原昭英口語訳より)
真の仏法を求めて命がけで宋に渡った若き道元禅師にとって二人の典座和尚から学んだものはまさに修行の原点、否仏道そのものであったのです。やがて禅師は悟りによって二人の老典座の教えが本物であったことを認識され、いよいよ典座老宗師への感謝の念を深められたのです。
「典座」は禅師にとってまさに大恩の「人」であり「職」であったのです。その想いから「典座教訓」が著されたと言っても過言ではないでしょう。そこでさらに肝腎なことは、典座という職務が何も特別だということではないということです。
「典座」は一つの例であって、どんな役職であれそれ自体かけがえのない修行の実践なのです。また仕事の大小に拘わらず同じ大事≠ネものであるという、つまりどんな仕事であれそれ自体が修行であると同時に悟りであるという、禅者はそこに「修証一如」の大宗乗があることを見逃してはなりません。この認識が極めて大事です。
「そもそも、修と証とが別のことであると思っているのは、とりもなおさず外道の考え方である。仏教では、修と証とはまったくおなじものである。いうまでも証のうえの修なのであるから、初心の学道がそのままもとから証のすべてである。」(正法眼蔵・弁道話)
「また、大宋国においてまのあたりに見たところによれば、諸方の禅院には、すべて坐禅堂があって、五百六百から千人二千人におよぶ僧を収容して、日夜坐禅をすすめていた。その主席には、仏の心印を伝える師匠があって、つねに仏法の大意をくわしく聞くのであるから、修と証とが別のものではないことがよく理解されていた。」(正法眼蔵・弁道話)
言うまでもなく、「修」は修行のことであり、「証」は悟りのことです。「初心の学道がそのままもとから証のすべてである」とは、ひたすら修行することそれ自体がそのまま悟りの姿であるということです。だから「仏法の大意は修と証とが別のものではないこと」になるのです。
入宋当初の若き道元禅師にとって、修行とは坐禅することであり、古則公案に対峙することであり、それ以外のことは修行とは関係のないものだったのです。寧波の港で出逢った典座に対して言った禅師の言葉がそれを如実に表しています。
「座、尊年、何ぞ坐禅弁道し、古人の話頭を看せずして、煩わしく典座に充てられて、只管に作務す。甚んの好事か有る。」 (そのようなご高齢の身で、ひたすら坐禅修行に専念されたり、古人の公案などを勉強されておられればよろしいのに、どうしてわざわざ面倒な典座職に就かれ、炊事のお仕事に精を出されておられるのですか。それでなにかよいことがありますか。)
それに対して典座が大笑して言いました。「外国の好人、未だ弁道を了得せず、未だ文字を知得せざること在り。」 (外国から来られた好青年よ、まだ修行というものがおわかりでないようですな。文字というものをご存知ない。)
「山僧便ち休す。」(自分は何も言えなくなった。)「潜かに此の職の機要たることを覚えゆ。」(典座という職務の大事さを思い知らされた。)
禅師にとってこの時の心の衝撃は相当のものであったことが伺われます。「修証一如」というまさに正伝の仏法に出逢った瞬間でもあったのです。曹洞宗の経本「修証義」はまさにこの教義をタイトルとして編纂されたものなのです。
大覚の心・・・大心 大山のような心と、大海のような寛容な心と、一切の偏見の無いおおらかな心を持つことなどなかなか容易にできることではありません。確かにわれわれ小人は些細なことにこだわり自分自身を見失い失敗を繰り返している存在なのかもしれません。
だからこそ「修証一如」の精神を信じ実践すべきなのです。一般的には「修」を「努力」に例えれば、「証」は「成果」ということになります。努力無くして成果は絶対にありませんが、とかく成果にこだわるのが凡夫です。凡夫の不幸は成果にこだわり囚われることから起こるのです。
成果にこだわらない心こそ大山のような心であり、大海のような寛容な心であり、一切の偏見の無いおおらかな心なのです。修証一如から悟った境地・・・それが「大心」です。
付録
今から七百七十年も前の鎌倉時代に、調理にかけがえのない価値を認めその中に真の仏道修行のあり方を示された道元禅師の見識には改めて驚歎いたします。少し前までは「男子厨房に入るべからず」などと言っていたのが同じ国民だったことが信じられません。
現在では国内外を問わず、この「典座教訓」に出逢い料理人としてのアイデンティーと誇りを持って「三心」を文字通り教訓に掲げたりしている人も多く見られるとも言われています。まさに現代社会に「典座教訓」の精神が生きているのです。その心得の幾つかご紹介しておきましょう。
「およそ食材や調理器具などを取り揃える際には、ありきたりな見方をしてはいけないし、ありきたりの心で考えてはいけません。一本の草からお釈迦さまの大伽藍を建て、一粒の砂ほどの場所から仏道を説く気構えを持つことがたいせつです。」
「寺の常備品は、人の目玉と同じくらい特別たいせつにしなさい。ですから、お茶や野菜などを、この上なく高貴なお方に差し上げるお食事用のように丁重に扱わなければなりません。生のままでも煮炊きしたものでも、同じ心がけで臨むことです。」
「お米をとぎ、お惣菜を準備するとき、典座は自分の手で直接作業をし、よく気を配り、一瞬たりとも気をゆるめず真剣に取り組み、あることには注意をするが別のことには注意を怠るというようなことがあってはなりません。」
「功徳を積むためには、大海のほんの一滴ともいうべき些細なことでも、他人まかせにはできません。また善根を積むためには、大山がひとつひとつの塵の積み重ねであるように、こつこつと努力を積み重ねる心がけが必要です。」
「苦い、酸っぱい、甘い、辛い、塩辛い、淡いという六味のバランスが取れ、あっさりして軟らかい、きれいで衛生的である、正しい調理法に従って丁寧につくられているという三徳が備わっていなければ、典座が修行僧たちに食事を提供したことにならない。」
「お米を洗う際には砂が混じっていないかどうか、砂を捨てる際にはお米が混じっていないかどうか、よく確かめ。細かいところまでけっしておろそかにせず、注意を払って、よく見ることです。そうすれば、おのずから六味が整い、三徳が満たされることでしょう。」
「とぎ水といっしょにお米を流してしまうことがないように、昔から濾(こ)し袋が用意してあるのです。つぎに、お粥をつくるためにお米と水の分量を量ります。鍋に入れ終わったら、ネズミが入り込んだり、だれか外部者が中をのぞいたりすることがないように気を付けて、特別たいせつにしておかなければなりません。」
「翌朝のお粥のおかずを準備したら、次にさきほどの昼食のご飯のお櫃やお吸い物の桶、調理器具類を取りまとめ、真心をこめて丁寧に洗い清め、高い所に置くべき物は高い所へ、低い所へ置くべき物は低い所へ、きちんと片づけておきます。」
「高い所では高い所なりに、低い所では低い所なりにそれぞれ安定するように整理整頓するのです。菜箸やしゃもじなど、道具類いっさいを同じく慎重に扱い、細心に点検して、そっと取りそっと置くようにします。」
「その後で、翌日の昼食の支度をします。まず、お米の中に虫が入っていないか確かめ、ごみや異物をていねいに取り除きます。お米や野菜などをきれいに選り分けるあいだ、典座の下働きをする見習い僧はかまどの守り神にお経を唱え、礼拝します。」
「それから、おかずとお吸い物の材料を選び、取り揃えます。庫裏の役職者から受け取った材料について、量が多いとか少ないとか、粗末とか上等とか、不平を言わずに、ひたすら食材準備に専念します。」
「材料が多すぎるとか少なすぎるとかの不満を表情に表したり、口に出して言うことはげんに慎まねばなりません。典座たるもの、一日中、食材と調理器具に心を傾注し、物と心が通い合い一体となって仏道修行に励まねばなりません。」
「お米を水に漬けておくあいだ、典座は流しの辺りから離れることなく、お米をといだら、鍋に入れて火を焚き、ご飯をつくります。 昔の人は言いました、『ご飯を炊くときは鍋を自分の頭と思い、お米をとぐときは水を命と思え』と。」
「使う食材のよしあしを気にして、気持ちが動くようではいけません。物によって気分が変わり、相手の人によって言葉や態度を変えるようでは、仏道修行に取り組む者とは言えません。典座は、ひたすら仏道に専念し、誠心誠意自分の職務を果たせば、先輩たちが成し遂げた立派な仕事にも劣らぬ、心の行き届いた仕事ができるでしょう。」
以上、このように道元禅師の典座の意義と心得についてさまざまな教示を紹介しましたが、参考になるものも多いと思います。 

■18 「不是心仏(ふぜしんぶつ)」
無門関第二十七則 「不是心仏」(ふぜしんぶつ)
本則
南泉和尚、因に僧問うて云く、還(かえ)って人の与(ため)に説かざる底の法有りや。泉云く、有り。僧云く、如何なるか是れ人の与に説かざる底の法。泉云く、不是心(ふぜしん)、不是仏(ふぜぶつ)、不是物(ふぜもつ)。

南泉和尚にある僧が尋ねました。「いままでに説かれたことのない法というものがありますか」 すると南泉和尚は、「ある」と答えました。そこで僧が、「では、説かれたことのない法とはどういうものですか」と尋ねると、南泉和尚は、「心でなく、仏でなく、物でもないもの」と答えました。
お釈迦さまから南泉和尚まで、直系の歴代が三十七代、お釈迦さまの説法だけでも三百余会、結集され創作された大乗教典をはじめ律や論部など合わせた大蔵経の巻数は五千四十余巻ともいわれます。
このなかに仏教の教義や仏性論すなわち仏法のすべては説かれ尽くされていると考えるのが常識でしょう。ところが南泉和尚は、「今までに説かれたことの無い"法"がある」と云うのです。
そしてそれは心でもない。仏でもない。物でもないというのです。それは一体何でしょう。今回も心と仏の実体を掴むための公案です。
さて、この公案を解くためには二つのポイントがあると考えます。その一つ目が「今まで一度も説かれたことがない法」の真意です。まずこれをどう解釈するかです。「説かれたことがない」という意味は、つまり「説くことができなかった」ということです。
これまでにも拙僧がクドクド講釈してきたように、"説明"での理解は想像の域を出ません。リンゴを食べたことのない人に何千何万回の"説明"をしたところでその本当の味を理解させることは絶対に不可能です。
この理屈と同じで、「真如」という"リンゴの味"は何千何万巻のお経をもって説かれたとしてもそれは所詮理論上の"想像の味"にすぎないのです。「真如」という"リンゴの味"を真に味わうにはやはり自ら本物のリンゴを食べるしかないのです。
つまり「一度も説かれたことがなかった」とは、「説かれることができなかった」という意味です。「体験」をいくら"説いても"「理解されない」という意味から「説かれない」という表現になっているのです。この認識が極めて重要であり、この点が分からなければこの公案は透過できないでしょう。
次のポイントは「心でない。仏でない。物でもない」という真意です。これまでの「即心即仏」と「非心非仏」と「非風非幡」の公案を振り返ってみてください。その中にも答えは有ります。これらの公案が分かればもう何の説明も要りません。
「心」の実体は何でしたか。「仏」の実体は何でしたか。「物」の実体は何でしたか。そしてそれは"説明"できるものですか・・・最高のヒントですね。
南泉禅師の言われた「心ではない」とはつまり"説明された"「心」ではないということです。「仏ではない」とは"説明された"「仏」ではないということであり、「物」も「説明された物」ではないということです。
「心」を言葉で説明した途端にそれは「観念上の心」になってしまうのです。仏も物も森羅万象もその実体はそれを言葉に代えた瞬間に「観念」になってしまうのです。観念こそ分別妄想の実体なのですから。
「ただし、観念は観念程度の価値はある。すなわち本物に導きく程度の価値はある。すなわち本物に導く宣伝ビラ程度の役割をする意味において価値はたしかにあるのだが、この観念をつかまえてもって仏法の真の事実、真の我と思ったら絶対に違う。」 (原田祖岳老師提唱より)
そもそも公案とは観念から脱却して仏の実体を悟るための手段なのです。実体を知るには「体験」しかないのです。体験があれば何の説明も要りません。一切の観念を捨てさせ真如を体験させるためにあるのが公案です。
八万四千の法門も"説明"である以上それはすべて"観念"の法門にすぎません。何百何千の教典も言葉で説かれている以上それはすべて机上の観念仏法でしかないのです。かけがえのない尊い教典も真如を"体験"してこそその真髄を理解できるというものです。
「観念仏法の講釈の大部分は嘘を教えることだ。何としても体験でなければ我がものにはならない。ではどうすればよいか。正師の指導の下に、一切の分別妄想を徹底的に殺し尽くせばよいのだ。」(原田祖岳老師提唱より)
南泉禅師が示されたこの公案の主旨はまさに観念仏法からの脱却です。そのためには、「心」も「仏」も「物」もそれ自体から"一切の分別妄想を徹底的に殺し尽くせば"よいのです。そこに豁然と真如の姿、すなわち「あるがまま」の世界が現成するのです。
南泉禅師が示された「心でもない。仏でもない。物でもない」の一句は、一切の観念を徹底的に排除するための口宣だったのです。釈尊さえも五十年のご説法の終わりに「我一字不説」と示されました。御自身のこれまでのすべての説法をしても真如を"説く"ことができなかったという、"説明"では絶対に理解できない世界・・・それが「真如」なのです。
ですから"体験"するしかないのです。そしてその入り口が坐禅なのです。熱心な仏教信者も大勢いますが、いくら解説書を読んで学んでみても所詮それは想像での真如に過ぎません。
仏教は大安楽の世界に入るための教えです。しかし大安楽の世界が想像で終わってしまってはまさに絵に描いた餅、イヤ絵に描いた極楽にすぎません。本物の極楽に安住するには本物を体験するしかないのです。
今年も12月8日の成道会(じょうどうえ)がやってまいりました。釈尊のご遺徳を称え多くの寺院で坐禅会や接心が修行されたことでしょう。当山でも月一の坐禅会を行っておりますが、なかなか続けられる人は多くありません。
数回坐っただけで多分「こんなものか」と見限ってしまうのでしょう。2〜3回の経験ですぐ何かが掴めるとか自分が変えられるとか、そのような安易なものではありません。また、ときどき体験目的などと言って見える方がいますが正直感心しません。仏教を真剣に学ぶ決意の人こそ参禅すべきなのです。
なぜなら坐禅こそが仏教の正門だからです。「大師釈尊は、あきらかに仏道を悟るすばらしい方法を正伝したもうたのであり、また、三世の如来たちは、いずれもみな坐禅によって仏道を悟ったのである。だからして、これを仏法の正道であるとするのである。」(正法眼蔵・弁道話)
坐禅は仏道を"生活する"ことなのです。食事をするのも仕事をするのも社交も、入浴もトイレも寝るのも、生活のすべてを"仏道"に従って生きるその基本が坐禅なのです。ですから坐禅こそ仏道の正門なのです。
言うまでもなく仏道の目的は「大安楽」という幸福を得るためのものです。「坐禅とは、禅定を修することではない。それは大安楽の法門であり、絶対の修行なのである。」(正法眼蔵・坐禅儀) 

■19 「以心伝心」
新年明けましておめでとうございます。お陰様で本ホームページも5年目の正月を迎えることができました。本年もよろしくお願い致します。
「以心伝心」(いしんでんしん)・・・ 心をもって心に伝えること。無言のうちに思っていることを相手に分からせること。言葉にしなくとも心意が相手に通じること・・・ 誰でも知っている有名な言葉ですが、本来は、「文字や教典によらずに、師と弟子が向かい合って心から心に仏法の真意が伝わる」という意味の禅語です。
心といっても世俗的な喜怒哀楽の心ではなく「仏心」のことですからつまり、心から心へ「仏心」が伝わるということです。今回はこの「以心伝心」の曰くになっている公案「世尊拈花」(せそんねんげ)からそのほんとうの意味を検証してみたいと思います。
無門関第六則 世尊拈花
本則
世尊昔霊山会上(りょうぜんえじょう)に在りて、花を拈(ねん)じて衆に示す。是の時衆皆黙然たり。惟迦葉尊者のみ、破顔微笑す。世尊云く、吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門、不立文字、 教外別伝有り、摩訶迦葉(まかかしょう)に付属す。

「霊山」(りょうぜん)とは霊鷲山(りょうじゅせん)の略で、マカダ国の王舎の近くにあった山で、その形が鷲に似ているところからその名前が付いたとされています。お釈迦さまが説法をされるときのいわばホーム道場がこのお山にあったのです。
ある日大梵天王が金婆羅華(こんぱらげ)という金色の美しい花を一輪お釈迦さまに献じて御説法をお願い致しました。するとお釈迦さまは獅子座に登られ、これから御説法を拝聴しようと静まりかえった大衆に向かって、何も仰せにならず、す〜とその一輪の花を提示されたのです。
この時、誰もがお釈迦さまの所作の意味が見てとれずただ黙っているだけでした。すると、そのなかで唯一人摩訶迦葉尊者だけがこれを見て微笑されたのです。
それを見たお釈迦さまは宣言されました。「わたしに正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門、不立文字、教外別伝の法が有りますが、それを今そっくり摩訶迦葉に伝えましたぞ。」と。
つまり、お釈迦さまは一枝の花を手にされ、じ〜と提示されました。それを見た迦葉尊者がにっこり微笑まれました。それに対してお釈迦さまは「只今私の仏心を迦葉尊者に伝えました。」と申されたのです。
まさに大衆の面前で開けっ放しで「仏心」が受け渡されたのです。一言一句のやりとりもなく"以心伝心"を以って印可証明が行われたのです。ここに一体何があったのでしょう。
聴衆の中には智慧第一の舎利弗も、雄弁第一の富楼那も、神通第一の目連も、その他大勢の尊者達や弟子達が居た筈です。しかしその真意を理解できた者は他には誰もいなかったということです。
「正法眼」とは、正しい法の眼、すなわち真理が見える心眼のこと。「蔵」とは、それを納めておく蔵のこと。「涅槃」とは、不生不滅なる安楽円寂の世界。「妙心」とはその心。「実相無相」の実相とは、ありのままの姿のことであり、その実体は無相であるということ。
「微妙の法門」の「微妙」とは言葉で説明尽くせない境涯のこと。「不立文字、教外別伝」とは、文字通り文字にも言葉にも表現できない境地のこと。つまり「微妙の法門」は正に不立文字、教外別伝だからこそ、"心を以って心に伝える"以外にはなかったのです。
では斯様に"以心伝心"されたその「微妙の法門」とは一体何だったのでしょうか。摩訶迦葉だけに理解されたという「微妙の法門」、その実体を解くのがこの公案の狙いなのです。
ヒントを言えば、キーワードはズバリ「不立文字、教外別伝」です。不立文字、教外別伝とはつまり"説明出来ない"ということですね。これは拙僧がこれまでもクドクド講釈してきた通りのことで、真如という「微妙の法門」は"説明"では絶対に分からないということを言っているのです。
だからこそお釈迦さまは一輪の花を手に取って黙って大衆に示しただけなのです。ここにこそ答えがあるのです。お釈迦さまが手に取って示したたった一輪の花、そこに真如の全て、すなわち「正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門」がすべて露堂々と現れているのです。ここが分かるかどうかが全てです。
お釈迦さまが、もしそこで手にした花を"説明"したら、即今それは理論上の「観念仏法」「観念真如」になってしまうのです。何度も言うように観念は妄想です。 だからお釈迦さまは一言も申されずに「真如」そのものをズバリお示しになったということです。
説法といえば口でごちゃごちゃ喋って説明してくださるものだとしか思っていなかった大衆にとって、この時のお釈迦さまの所作は当然理解できませんでした。言葉を超えた方法で説法されたのですが、迦葉尊者だけがその真意を理解し「破顔微笑」されたという次第です。
これは案外お釈迦さまにとって想定済みの演出だったのかもと拙僧は思うのですが、いずれにしろ、お釈迦さまのお悟りの「心」がそっくりそのまま二世の迦葉尊者に"以心伝心"されたというこの話は仏教史上最も有名な説法になっています。
さあ、もうこの公案の答えは分かりましたね。一輪の花それ自体が「正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門」だということです。敢えて"説明"したように、その一輪の花こそが真如の実体だということです。すなわちその一輪の花自体が正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相という微妙の法門そのものだということです。
つまりその一輪の花の中に大宇宙の実体が存在するということであり、自分自身も含めた森羅万象のすべてがその花一輪の世界と一如だということです。花一輪の中に有る大宇宙の実体、その真如を見極めるのがこの公案の狙いなのです。
露堂々ありのままの一輪の花こそ真如それ自体だと悟ることです。何度も言うように真如そのものを説くことはできません。だからこそお釈迦さまは何の一言も無く「そのもの」を提示されたのです。
真如は絶対説明できない「不立文字、教外別伝」であるからこそ、体験で悟るしかないことをこの公案は明示しているのです。これ以上の"説明"は止めましょう。無駄なことです。
では、室においてこの公案はどう解くのでしょう。ただ「体現」すればよいのです。分かってみれば答えは極めて単純明解です。 

■20 「三界唯一心」
前回、仏心は文字や言葉によって伝えることのできない「不立文字、教外別伝」であるから悟りの境涯によってのみ理解できるものだと述べました。さらに誤解のないように申せば、それは観念に囚われてはならないということであり、けっして経や教典が劣っているというものでは全くありません。
道元禅師は正法眼蔵(仏教の巻)の中で、とくに「経」に対する態度について強く教示されています。「諸仏の道現成、これ仏教なり。」(もろもろの仏のことばの実現したるもの、それが仏教にほかならない)と冒頭で示されています。ここでいう「仏教」とは「もろもろの仏のことば」すなわち「経」の意味だととらえてください。
そして「教外別伝の謬(あやま)った説を信じて、仏の教えをあやまってはならない」と明言されております。教外別伝の「教」とは「経」のことであり、それは同時に「仏心」そのものです。「別伝」ということばに惑わされると「経」と「仏心」が別物だと謬ってしまうのです。ここに禅師は釘を刺されているのです。
「その正伝した一心を教外別伝という。それは三乗十二分教、すなわちもろもろの経典の語るところとは、まったく別のものである、と。また、その一心こそ最上のものであるから、直指人心、見性成仏と説くのである、という。 そのいい方は、けっして仏教のものではない。そこには自由にいたる活路もなく、全身にそなわる修行の輝きもない。そんな男は、たとい数百年数千年の先輩であろうとも、そんなことを言うようでは、仏法も仏道もまだ分かってはいない、通じてはいないのだと知るがよい。」(正法眼蔵・仏教 増谷文雄氏訳)
道元禅師は「教典の他にも法がある」「教典は戯れである」「一心と教典は別のものである」「一心こそ最高のものでありそれを感知した者でなければ成仏できない」などという解釈はまったくの謬(あやま)りであり仏法でも仏道でもないと批判されているのです。
さらに、「仏の教えが一心であることも知らず、一心がすなわち仏の教えであることも学ばないから、一心のほかに仏の教えがあるなどという。その汝がいう一心は、まだ一心ではあるまい。また仏の教えのほかに一心があるなどという、その汝がいう仏の教えとは、けっして仏の教えではない。」(正法眼蔵・仏教)
禅師は、「一心」と「教典」を区別して「教外別伝」を解釈することはまったくの誤りである。「仏の教えが一心であり、一心がすなわち仏の教えである」と繰り返し主唱されているのです。
「かくて、知るがよい。仏心というのは、仏の眼睛である。破木杓(はもくしゃく)である、もろもろの存在である、三界であるがゆえに、山海国土・日月星辰である。つまり、仏教というのは森羅万象である。」(正法眼蔵・仏教)
「仏心」とは、仏の眼であり、壊れて役に立たない物であり、山海国土であり、月や星である。つまり三界に存在する森羅万象が仏心であり仏教であるというのです。
破木杓(はもくしゃく)とは、こわれた柄杓とか底の抜けた桶とかのことで、なんの用も立たない物の例えです。
三界とは、「三界六道」といわれる輪廻転生の世界を欲界(よっかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)の三つに区分した世界のことです。
三界も六道も同じ輪廻の世界のことですが三界は精神面からの区分であり、六道は苦楽のありさまからの区分であるのです。六道はご存知のように地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つですが、では三界とはどんな世界なのでしょうか。
欲界とは、地獄界から人間界までの欲望の世界のことです。色界とは、その欲望のない物質だけの世界のことです。般若心経の「色即是空」の「色」つまり「物質」の世界だと解釈すればよいでしょう。従って、無色界とは、その物質の存在を超えた世界ですから「空」の世界だと理解したらよいでしょう。
禅師は正法眼蔵「三界唯心」の冒頭でつぎのようにも示されています。「釈迦牟尼仏は仰せられた。『三界とはただ一つの心である。心のほかにまた別の法はない。心といい、仏といい、衆生というもこの三つは別のものではない』 この一句の表現は、如来一代の総力をあげてなれるものである・・・「三界唯心」とは、如来のさとりのすべてである。一代のすべてがこの一句に結晶しているのである。」
「華厳経」の中の「三界唯一心 心外無別法 心仏及衆生 是三無差別」を引用されたものであり、「三界は一心である」「衆生も一心である」「一心以外のものはない」「三界は一心であり如来の悟りのすべてである」と明示されているのです。
そこで注意すべきは、そうか、仏教は結局は「唯心論」か、などと思ってはなりません。禅師はそんな誤解のないように「三界はすなわち心といふにあらず」と言われています。これは唯心論に陥らないようにという意味のことばですから誤解のないように願います。仏教は唯心論とはまったく別次元のものです。
禅師はさらに法華経・譬喩品のなかの句をあげられて仏と三界の関係について説かれています。「このゆえに、釈迦大師道、『今此三界、皆是我有、其中衆生、悉是我子』」 (また釈迦牟尼仏はおおせられた。『今この三界は、みなこれ我がものなり。そのなかの衆生は、ことごとくこれわが子である』)「正法眼蔵・三界唯心」
お釈迦さまは申されました。「今この三界はすべてわたしのものであり、衆生もすべてわたしの子どもである」と。このことばこそ仏教の真骨頂だと拙僧は思うのですが、いかがでしょう。
お釈迦さまのこの「教(経)」こそ大慈悲心であり、それを信じきった者こそ救われるのです。それを確信するためにはこの「今」と「我」と「子ども」についてしっかりとした理解が必要なのです。
この「今」とは、過去・現在・未来のすべてが含まれている「今」なのです。仏法でいう「今」には過去も現在も未来もありません。言い換えれば過去も現在も未来も「今」に集約されてしまっているのです。
だからお釈迦さまは過去の仏さまではなく今でも生きておられるのです。だからわれわれはみな「今」お釈迦さまの「こども」なのです。「こども」といっても親子に上下関係はありません。「惟一心」を持った親子ですからその関係はまったく平等なのです。
お釈迦さまの申される「我」とは、応身仏・化身仏・法身仏のことであり、それはお釈迦さま自身であり同時に森羅万象それ自体であるのです。だからお釈迦さまと「わたし」とは久遠の仏親子なのです。
「三界唯一心」・・・わたし自身かけがえのない存在であり、わたし自身が久遠の仏であることを教えてくれているのです。 
 
十大弟子

 

 
■阿難尊者 悪魔
仏教とは一言で言えば、「智慧と慈悲」の教えです。拙僧が口癖にしております「人がしあわせになるための教え、社会が平和になるための教えである」という、まさに「至福の寄辺」と言えるものです。
その意味からも仏教はまさしく人類の至宝と言っても過言ではありません。お釈迦さま入滅後、その教えを後世に伝えることこそ至上命題となりました。十大弟子を中心に多くの弟子が集まり、教え賜った「法」を整理検証され膨大な経典ができ上がりました。
爾来現在まで2500年に亘ってその法灯は人類に光明を放されているのです。今回よりその嗣法に携われた釈迦十大弟子についてご紹介しましょう。第一回目は阿難尊者(アーナンダ)、テーマは「悪魔」です。
阿難尊者は、お釈迦さまの実のいとこで、侍者(おそばつき)として25年もの間ひたすら随従された方で十大弟子の一人に数えられます。弟子1250人の中で常にお釈迦さまの説法を間近で聴聞され、よく質問され、その記憶力が抜群だったことから「多聞第一」と称されました。
お釈迦さま滅後に第一結集という教典編纂のための会議が開催されることになりましたが、阿難はまだ悟りが開けておらず、出席資格である阿羅漢(修行を修了した者)ではありませんでした。
しかし会議には記憶力のずば抜けた多聞第一と言われる阿難の出席は是が非でも欠かせません。ついに彼は頑張って阿羅漢の悟りを開き、会議の場では説法回想を担当されて余人の及ばない貢献をされたのです。教典の多くの冒頭は「如是我聞」とか「我聞如是」から始まっていますが、この「我」とは阿難のことだと伝えられています。
阿難はお釈迦さまの従兄弟であるといいました。お釈迦さまが成道(おさとり)された日の未明に叔父である斛飯に第二子が誕生されたのです。
お釈迦さまの父君の浄飯王は「めでたい」という意味の「アーナンダ」(阿難)という名を付けさせたのです。「名は体を表す」とはよく言いますが、彼は生まれつき美男子であり、誰からも「愛でられる」存在でした。特に女性の心を虜にさせるほどでした。お釈迦さまをして阿難に限って肌の露出を少なくするように指導されたとか。
彼はまたイケメン色男であるばかりではなく情にも厚かったのです。お釈迦さまの養母の願いを聴き入れて、お釈迦さまに懇願して当時まだ許されていなかった女性の出家(比丘尼)の道を開いた功労者とも伝えられています。教団の中でも阿難に対しての信奉はかなりのものでした。後々の仏教教団は、阿難を師と仰ぐ人達によって大きく発展したといわれています。
お釈迦さまが80歳の夏安居(げあんご)のとき、諸国を飢饉が襲いました。このような時に教団が一箇所に固まっていたのでは共倒れになってしまうということで、お釈迦さまは一時的に解散命令を出し、ご自身は阿難と二人で過ごすことになりました。そんなときの会話の一つをご紹介します。テーマは「悪魔」です。
阿難「世尊よ、悪魔とはいったいどのようなものでしょうか。」
世尊「確かにこの世の中には恐ろしい姿をして襲ってくるものがいる。しかし、怪獣だとか妖怪だとか、さらには鬼や幽霊などといったものなどほんとうにはこの世に存在しないのだよ。」
阿難「世尊よ、それでも人は悪魔の存在を信じ怖がっているように思えるのですが、それはどういう訳でしょうか。」
世尊「人間にとって恐ろしいものといえば、地震・雷・嵐・洪水・干ばつ・火事といたものがあるが、こういった天災は人間の生命を奪うことはできても人間の心を奪うことはできないのだよ。人間にとって何よりも恐ろしいことは心を失うことなのだ。例えば戦争・内乱・紛争などからとても多くの人間の生命が犠牲になってきたのだが、それらはみんな心を失った人間自身によって引き起こされた結果なのだよ。殺人や暴力などもしかり、人としての心を奪ってしまうものこそ悪魔なのだ。」
阿難「世尊よ、ますますわからなくなってきました。人間の心を奪ってしまう悪魔とは一体どういうものなのですか。どんな姿をしているものなのですか。」
世尊「阿難よ、悪魔はお前の中にも住んでいるし、かつてわたしの中にも住んでいたのだ。この世の真理を悟ろうと修行をして、あの菩提樹の下で静かに坐禅をしていた時、わたしの中にいた悪魔がひそかにわたしにささやいた。『なんのためにそんな苦労をするのかね。さっさと城に戻るがよい。美しい妻や可愛い一人息子が待っているよ』と。このように悪魔というのは、一人一人の心の中に住んでいるのだよ。誰も心の中に善と悪との両面を持っているが、善をしようと努力する人間を妨げている心の悪の面を悪魔と呼んでいるだけなのだ。」
阿難「世尊よ、それでは、妻子を捨て、出家することが善で、在家のままでいるのは、悪魔に負けたことになってしまうのですか。」
世尊「よく訊いてくれた阿難よ。実はそのことでどんなに苦しんだことか。わたしが出家したことで、祖国カピラヴアスツは後継者を失い、父も妻も子も嘆き悲しんだのは事実だ。だからこそ私の心が、城に戻れ、と叫んでいたのだろう。しかしながら、あのとき城に戻ってしまっていたとしたならば、今こうして多くの人々にほんとうの幸せを与えることはできなかったであろう。菩提樹の下に坐り続けているときに、もし私が悪魔のささやきに負けていたとしたらわたしは悟りをひらき『仏』になれなかったであろう。しかし、平凡な人間にとって、家庭を持って生活し続けることこそ大事であり、出家しないことが必ずしも悪魔に負けることにはならないのだ。一人一人の心の中にある二つの面の、どちらが善でどちらが悪であるかをよく判断することである。ある人にとっては善であることが、ある人にとっては必ずしも善ではないことだってあるのだ。そういったことがわかるためには、わたしが説いた教えをじっくり味わうことが大事なのだ。」
阿難「世尊よ。だんだんわかってきました。人それぞれに歩く道があるということですね。一人でも多くの人々の幸福のためになることをするのが善で、その反対になるようなことをするのが悪だということになるのですね。」
世尊「悪い行為をする心こそ悪魔だということだ。だからだれの心の中にも悪魔は宿っているといえるのだよ。残念ながら、そのような悪魔を追い払うことは、まことに難しいことなのだ。しかし、大切なことは、『自分の心の中に悪魔が住みついている』ことがわかる人とわからない人とでは毎日の生き方がまったくちがってくることを知るべきなのだ。その自覚がない人は知らず知らずのうちに悪魔にむしばまれて、やがて身も心も滅ぼされてしまうだろう。」
阿難「わかりました。その正体こそ『欲望』なのですね。」
お釈迦さまの弟子としても阿難尊者は最高の生き証人だったと言えるでしょう。そんな彼も最期は教化の情熱を失い、悲しいかなガンジス河の真ん中で自ら神通力で起こした炎に身を投じてしまったのです。 実に波乱万丈の人でしたが、多分これからも人間ドラマの主役として永遠に生き続ける人でもあるでしょう。 

■舍利弗尊者 四諦
今回は舍利弗尊者(サーリプッタ)のお話です。
智慧第一と称され釈尊が特に信頼をよせていたといわれます。「般若心経」の中には釈尊の説法の相手となり「舎利子」として登場されています。また「阿弥陀経」の中で釈尊は阿弥陀仏と極楽浄土の様子について語るなかで「舍利弗よ」と三十七回も語りかけています。
彼は裕福なバラモンの家系の生まれであり、目連尊者とは幼友達でした。あるとき目連と二人で祭り見物にでかけました。そこで祭りに酔いしれ狂喜乱舞する人たちをみて、この人たちもやがて100年もしないうちに皆この世にいないであろうと思うと、言い知れない無常観におそわれたのです。
その思いを親友の目連に打ち明けると彼もまた同じことを感じていたのです。このことがきっかけで二人は出家することになったのです。
二人とも、はじめは、六師外道のひとりである懐疑論者サンジャヤのもとで修行していましたが、どうしても満足の安心を得られません。二人は日頃真の師に出会ったらお互いに知らせあう約束をしていました。
あるとき、舍利弗は街で一人の修行僧に出会いました。その清清しい立ち居振る舞いに感動して思わず尋ねました。「あなたの師はだれですか。その師の教えはどのようなものですか?」と。
するとその僧は答えました。「私の師は釈尊です。」と言って、「諸法は因縁より生じ、如来はその因を説き給う。」という偈文を述べました。
それを聞いた舍利弗はたちどころにその教義の偉大さを理解しました。さすが智慧第一と称された人物です。彼は急いで目連のもとに行き、探し求めていた正師が見つかったことを知らせたのです。
目連も舍利弗から偈文を聞き二人は早速釈尊の弟子になることを決意したのです。釈尊の教えに感銘を受けて舍利弗はサンジャヤの弟子250人を連れて釈尊に弟子入りしたと言われています。
やがて彼は阿羅漢(悟りを得て修行を終えた位の人)を得て教団内において、釈尊をして「私の次の席を得ることのできる智慧と徳を兼ね備えた第一の尊者だ」と言わしめる存在になったのです。
ただ残念なことは釈尊よりも早く入滅されたことです。その舍利弗尊者が修行中に釈尊に問訊された「四諦」(したい)についてご紹介しましょう。
舍利弗「世尊の説かれた教えの中で、もっとも基本的なものの一つに、四諦(したい)と呼ばれる四つの真理がございますが、これについてご説明いただけないでしょうか。」
世尊「四諦というのは、苦・集・滅・道という四つの真理のことで、それぞれを苦諦(くたい)・集諦(じつたい)・滅諦(めつたい)・道諦(どうたい)と呼んでいる。苦諦というのは、『この世は苦に満たされているという真理』、集諦というのは、『この世が苦である原因は人間の執着心にあるという真理』、滅諦というのは、『そのような執着心を断ち切るという真理』であり、最後の道諦というのは、『そのような執着心を断ち切るための方法という真理』なのだ。」
舍利弗「そして最後の道諦の内容を述べたものが、確か、まとめて『八正道』と呼ばれるものだったのではないでしょうか」
世尊「その通りだよ、舍利弗。八正道というのは、正しいものの見方、正しいものの考え方、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念(おもい)、正しい心の統一という八つの実践徳目ということになるのだ」
舍利弗「はじめの苦諦ですが、人間が苦しまなければならないその原因の多くは自分自身に起因しているのでしょうか。例えば欲望とか執着を断ち切れないでいることが苦の原因を作りだし、その苦しみによってあらたな苦の原因を作り出していることを意味しているのでしょうか。」
世尊「もちろんそういった意味もあるが、それ以外にも例えば八苦の中の『愛別離苦』(あいべつりく)を考えても自分自身の愛の執着にあることがわかる。例え別離していてもその人が愛着の対象でなかったならば苦しむことはないことになる。したがって、欲望とか執着を断ち切ってしまいさえすれば、もはや苦しむ必要はない。それが『滅諦』である。」その方法としてあるのが八正道なのだよ。」
舍利弗「『八正道』とはどのようなものなのでしょうか。」
世尊「人の行為は身・口・意の三種類の行動が全てなのだ。すなわち、身体でなす行為、口でなす行為、そして心でなす行為が、人のすべての行為ということになる。人は誰でも修行することで、これらのすべての行為を正しい行為にすることができるというのが『八正道』の教えなのだよ。」
舍利弗「八正道のそれぞれについて、もう少し詳しく説明していただけないでしょうか。」
世尊「『正見』と言って、因果の道理を信じて正しいものの見方をすること。『正思惟』と言って、正しいものの考え方をすること。『正語』と言って、嘘や無駄口や悪口など言わないこと。『正業』と言って、殺生や盗みや邪淫などよこしまな行為をしないこと。『正命』と言って、恥ずかしくない生活をすること。『正精進』と言って、怠惰のない正しい修行を行うこと。『正念』と言って、正しい志と信念を持つこと。『正定』と言って、心を正しく静め統一すること。」
舍利弗「なんだか多くて混乱してきました。正しいというのは、一体なにを基準にしているのでしょうか。それに、出家している人にとってはどれも専念することができるかもしれませんが、在家の信者にとっては難しいように感じられるのですが。」
世尊「『正しい』というのは、それが『悟り』に向かっているかどうかです。出家者であれ在家者であれ、この四諦八正道こそ悟りに向かった真実の教えであることを信じて実践することです。」
舍利弗「なるほどよくわかりました。難しいことかもしれませんがその実践こそが真の修行であるのですね。」
今回の結論としては、どんなに優れた教えであっても実践がなければ意味がないということです。すなわち、人の本当の幸せは、四諦八正道という「教えの実践にある」ということです。 

■阿那律尊者 三学
今回は阿那律尊者(アヌルッダ)のお話です。
アヌルッダは釈尊と同じ釈迦族の出身で釈尊の従弟だといわれています。ある日釈尊が祇園精舎で説法されている最中に彼はつい居眠りをしまいました。釈尊に「あなたは道を求めて出家したのではありませんか。それなのに説法中に居眠りをするとは、一体出家の決意はどうしたのですか」と、叱責されてしまいました。
それ以後彼は釈尊の前では決して眠らないことを誓い不眠不臥の修行をしました。その厳しい修行のせいかは分かりませんが失明してしまたんです。釈尊は眠ることをすすめたのですが固辞したのです。彼はそのかわり肉眼では見えないものを見通す力、即ち「天眼」(智慧の眼)を得、「天眼第一」と称せられるようになりました。
こんな逸話が残されています。ある日阿那律尊者が衣のほころびを繕おうとして、針に糸を通そうとするのですが、どうしても通りません。彼は「どなたか私のために針に糸を通してくださいませんか」とお願いしました。すると、「私が功徳を積ませていただきましょう」と釈尊ご自身が申し出られたのです。その阿那律尊者がある日釈尊に修行について質問されました。
阿那律「世尊よ、修行にはどのような心得が大事でしょうか」
世尊「修行の実践には三つの基本があるのだ。それは三学といって戒(かい)・定(じょう)・慧(え)である。つまり三種類の実践行をいうのだ」
阿那律「その戒・定・慧についてご説明願えないでしょうか」
世尊「戒とは戒律のことであり、仏教徒たるものが日常生活の中で守るべき規則として私が定めたものだ。もっとも出家と在家、男性と女性、大人と子どもといった違いがあるので立場によって戒律の数は違っているが、基本的なものはかわらない」
阿那律「それでは、それらの戒律の中で、すべての弟子に共通しているものはなんですか」
世尊「まず主なものが五戒である。殺してはならない、不殺生戒。姦淫してはならない、という不邪淫戒。盗んではならない、という不偸盗戒(ふちゅとうかい)。嘘をついてはならない、という不妄語戒(ふもうごかい)。酒を口にしてはならない、という不飲酒戒」
阿那律「前の四つの戒はよくわかるのですが、どうして酒はいけないのでしょうか」
世尊「酒そのものが悪いのではない。問題は酒によって理性が歪められるからである。言うまでも無く人は理性の欠如によって過ちを犯すからである」
阿那律「世尊よ、それでは飲みすぎさえしなければよいのではないでしょうか」
世尊「いったいだれがその量を決められるであろうか。少しだから良いとなれば自分の勝手に判断して歯止めを失うのが人間なのだ。だから特に酒は量の多少に関わらずダメだと知るべきなのだ」
阿那律「人間の欲望に限度が無い以上、戒律で縛らない限り、なかなか守られないということですね。では、二つ目の『定』というのはどのような実践修行なのですか」
世尊「定とは禅定(ぜんじょう)のことで、精神の統一と集中を意味しているのだ。悟りは精神の統一の中にあり、その姿が坐禅なのだ。また、日常生活の中で何をする場合にも精神を集中することこそ大事でありその基本が禅定なのだ」
阿那律「例えば食べるときは食べることに、歩くときには歩くことに、作務をするときには作務に集中すれば、それが禅定ということになるのですね」
世尊「その通りだよ。ただし、忘れてならないことは、戒律によって禁じられていることに心を集中したのではなんにもならない、ということだ」
阿那律「ところで世尊、三学の最後の『慧』というのは、智慧のことだと思いますが、どうして智慧が実践修行になるのですか」
世尊「その疑問こそ大事なのだ。言うまでもなく智慧とは『さとり』のことである。しかし『さとり』は単なる目的ではないということである。ふつう『目的』は達成すればその時点で終わりになる。だから、さとりが目的になれば、さとった時点で修行が必要でなくなるということになる。さとりに終わりがあっては決してならないのである。なぜなら、人間は生きている以上生活に終わりがないからである。つまり、終わりのない『さとり』の実践がなければ意味がないのだ。その『終わりのないさとり』の実践こそ『智慧』と言うのである。だからこそ私自身も、私の弟子達も毎日修行を重ねているのである。悟りだけを法とは言わない。法とはさとりの実践、つまり智慧を言うのである。私が説く法こそ智慧である。田を耕す者が秋に収穫を得るために、まず春のうちに田を耕し、種をまき、水をやり、雑草を取り除き、日々に大切に育てるように、真の悟りを求める者は、必ずこの三学を学ばなければならない」
阿那律「戒律・禅定・智慧の三学は、別々のものではないということがよくわかりました。悟りと言う種を必死で守り育て上げるということは、自分自身がさとりの種であることをしっかり自覚することですね」
真の悟りを智慧と言い、その智慧を「天眼」と言う。阿那律尊者は視力を失ったが、肉眼では見えないものを見通す「天眼」を得たのです。天眼は一つの例かもしれませんが、人間には途轍もない才能があるものです。
最近もっとも感動した人は、全盲の天才ピアニスト、辻井伸行さんです。昨年アメリカで開催されたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝していきなり時の人となりました。弱冠まだ21歳です。
全盲であれば当然楽譜は読めません。しかしすべて耳で聴いてどんなクラシック曲でも自分のものにしてしまうのです。私は音楽に疎い人間ですが、その凄さにただただ驚くしかありません。
彼の凄いところはその技術だけではありません。眼で見えない情景だけではなく、人の心情さえ読み取って音楽(ピアノ)で表現してしまうのです。
天才と言ってしまえば、すんでしまうことかも知れませんが、彼はまさに「天眼・心眼」の持ち主であるということが言えるのかもしれません。人にはそれぞれが持っている才能があり、それを信じて前向きに生きる勇気を教えてくれています。 

■迦旃延尊者 三法印
今回は迦旃延(カセンネン)尊者のお話です。
対論や哲学的論議を多くされていることから「論議第一」と称せられました。彼は婆羅門家の出であり、西インドのアヴァンティー国出身とか、南インド地方出身とかの説がありますがはっきりしたものはありません。
大変聡明な少年であった彼は、博学な兄のバラモン教の聖典の講義を一度聞いただけでその内容をすべて暗記してしまうほどでした。その才能に嫉妬した兄はやがて迦旃延少年を憎むようになりました。
兄の嫉妬はひどくなる一方で、彼の身に危険を感じた父親は彼をアシタ仙人に預けることにしました。アシタ仙人とは釈尊がまだシッダルタ太子と呼ばれていた子供の頃に、「この少年は将来仏陀になる人だ」と預言した人物だといわれています。
アシタ仙人のもとで弟子としてバラモンの教えを学んでいましたが、ある日どうしても解けない偈文に出くわしました。それを知ったアシタ仙人は彼に釈尊を紹介することにしました。釈尊は懇切丁寧にその偈文の意味をお答えになりました。この出来事が契機となって、迦旃延は釈尊の弟子となったのです。
ある日、彼は自分の出身国の王様から、「釈尊の教えを直に受けたいので来ていただけるように頼んでほしい」ということの依頼をうけました。実はそれまでにも何人かの家来がすでに釈尊にそのお願いに行っていたのですが、そのうちの誰一人戻ってきてはいなかったのです。
その理由はなんと、釈尊にお会いしてその教えに感動してみんな弟子になってしまったからなのです。修行がすすみ立派な弟子となっていた彼はあらためて釈尊に自国に巡錫(じゅんしゃく)して欲しい旨お願いしました。
すると、釈尊は自分に代わって迦旃延自身が帰国するように申されたのです。彼はその釈尊のお言葉を命として帰郷し国王はもとより自国の津々浦々布教されたのです。やがて仏教がインドに広く広まったのはそれが大きな要因だったとも言われています。ある日、迦旃延は世尊に悟りの根本教義とされる三法印について尋ねられました。
迦旃延「三法印とはどんなものなのでしょうか」
世尊「第一は『諸行無常』、第二は『諸法無我』、第三は『涅槃寂静』、これに『一切皆苦』を加えて四法印とすることもある。『諸行無常』とは、一切の存在は故に常に変転していて一瞬たりとも同じ状態にとどまってはいないということだ。なぜならば、一切の存在は現象だからだ」
迦旃延「よく分かりませんが、現象とは流動しているものだと考えれば少しはわかる気がします」
世尊「現象に実体がないことが分かれば、そこに『我』は無いということになる。これがすなわち『諸法無我』の意味なのだ。つまり、一切の存在には『我』がないということなのである。 」
迦旃延「あらゆる存在には実体と呼べるようなものはないということですね。でも、「わたし」という人間には、少なくとも『わたし』という『我』がどうしても存在しているように思えるのですが。もし、我という実体がないとするならば、私がこの世に生まれる以前にも死んだあとにも何もないということになるのですね。わたしにはそれが納得できません」
世尊「婆羅門教においては、個々の存在に我と呼ばれる実体があることを認め、梵(ぼん)と一体になると説いているが、私の教え(仏教)はこのような立場を否定したところから出発しているのだ」
迦旃延「もしこの世が無常であり、我と呼ばれる実体がないとするならば、私たちは何を目的として生きていったらよいのでしょうか」
世尊「その答えこそが第三の涅槃寂静なのだ。つまり、そのような無常にして無我なる存在にとらわれることなく、あらゆる欲望の火を吹き消した状態こそがニルバーナ(涅槃)なのだ。涅槃に達すればそこはまさに静かな寂静の世界である。そこはもはや世の中の存在や現象にわずらわされることのない境地なのだ。この境地に到達したものこそ仏陀なのだ」
迦旃延「まだよくわからないようですが、どうして一切皆苦を加えて四法印とする場合があるのですか」
世尊「無常なるものを常であるかのように錯覚し、無我なるものを有我と錯覚することで、人間の心に執着が生まれるのだ。一切の苦悩の原因はその執着の心なのだ。名誉も財産も愛も肉体も健康も、そして命すらも、すべては無常なのだが、それを認めないところに人の苦悩があるのだ。つまり生きている以上、否、生きていること自体所詮『苦』それ自体であるということだ」
迦旃延「生きていること自体が苦である・・・つまりそれが『一切皆苦』ということですね。では、その「苦」から人は解放されないものでしょうか」
世尊「その疑問こそ大事なのだ。その疑問に答えるために仏教があり、仏教こそその答えを持っていると言えるだろう」
迦旃延「その答えをお示しください」
世尊「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の実体は『無我』と『無常』であるということは話したとおりである。この無我と無常という実体がわかれば、名誉も財産も愛も肉体も健康も、そして命すらも、すべて同じ無我であり、無常であることが分かる筈である。その無我と無常の実体が『仏性』だと解れば『苦』は『楽』に蘇るのである。つまり『一切皆苦』が『一切皆楽』になった瞬間である。これがまさに悟りである。そこを極楽というのである。だから、死んで極楽に往くのではなく、生きているうちに極楽に往くことに意味があるのだ。そのためには三法印を信じ、悟りのための修行にひたすら精進するより仕方ないのである」
警視庁が発表した昨年の自殺者は3万2845人でなんと12年連続で3万人を超えています。最も多い原因は健康問題であり、次いで生活苦となっています。人の心が脆くなってしまっているのでしょうか。他人ごとではありません。
絶望の淵に追いやられている人に、人生「一切皆苦」と説得することはできません。どんな真実も心にゆとりがなければ受け入れることはできないからです。だから人は心のゆとりこそ大事なのです。
心のゆとりは普段の生活から生まれるのです。その普段の生活を安定させてくれるのが宗教です。仏教は宗教ですが真実の道理が説かれている意味から言えばまさに「哲学」です。
真実の道理を知り心を豊にするのが仏教です。心を護るために是非この正しい信仰を持つべきです。人生はまさに心次第なのですから。 

■須菩提尊者 空
今回は須菩提(スブーティ)尊者のお話です。
須菩提(しゅぼだい)は北インド、コーサラ国の首都サーバティ(舎衛城)のバラモン家系の大長者の家に生まれました。「祇園精舎」を寄進したといわれるかの有名な須達多(スダッタ)長者は彼の叔父にあたります。
幼少より天才的頭脳を発揮し神童といわれるほどでした。十歳をこえる頃には諸学を修め学ぶものが無くなったとのこと。しかしその慢心からやがて他人を見下すようになり、世の中さえも蔑視するようになってしまったのです。
甚だしい虚無主義と、その性行からついに両親からも見放され、突然家を出てしまったのです。数年間の放浪の末、幸いにも祇園精舎に至りました。そこで釈尊の説法を聞き深く感銘し、ついに釈尊の弟子になったのです。
そして数年の修行と釈尊の教導の下、無諍(むそう)第一といわれるようになりました。「無諍」とは「言い争わない」という意味です。かつてのあの横柄傲慢な人がまさに悟りを得て生まれ変わったのでした。その穏和な性格から教団内では勿論のこと、在家の人々からも広く慕われたといわれます。
あるとき、釈尊が亡き母・麻耶夫人のための説法を終えたとき、「須菩提は空を感じ私の法身を拝謁した」と言われたそうです。その「空観」の悟りから「解空第一」と称せられ、諸弟子の中でも特に尊厳を集めたといわれます。「解空」の「空」とは「色即是空」の「空」のことです。つまり「空」を理解した人ということです。
ある日須菩提尊者は釈尊に「空」について教示を求めました。
須菩提「世尊の説かれます法の中でもっとも難解なものの一つが『空』だと思いますが、これを説明していただけるでしょうか。また『無我』とはどのような違いがあるのでしょうか」
世尊「『無我』も『空』もまったく同じものだ。その意味するところは『存在するものにはすべて実体は無い』ということである」
須菩提「たとえば、わたくしという人間は、少なくとも生まれた瞬間から現在に至るまで存在し続けてきているという現実があります。その現実は『わたし』無しには存在しないと思われるのです。その『わたし』の実体が無いことが納得できません」
世尊「その『わたし』を考えてみよう。昨日の自分と今日の自分とは何の違いもないように思えることが問題なのだ。 昨日の自分と今日の自分、そして明日の自分とは同じ自分ではないのだ。なぜなら『諸行無常』であるからである。つまり、存在する一切のものは一瞬たりとも同じ状態でとどまってはいないということだ。つまり、『わたし』という存在は、一瞬一瞬違った存在として生きているのであるから固定的、不変的な『我』と呼べるような実体は無いのである」
須菩提「では、生まれてから死ぬまでの間に存在し続く『わたし』というのは、一体何なのでしょうか」
世尊「それを『仮我』(けが)というのだ。実在するように見えてもその実体は仮の存在に過ぎないということだ。『わたし』の存在もすべての存在もあえて言葉で説明するならば、『色即是空・空即是色』であり『色不異空・空不異色』だということだ。つまり、色とは形のことであり、空とは形の実体のことである。同時にその色と空とは同事だということだ」
須菩提「『空』の実体とは具体的にはどんなことでしょうか」
世尊「『形あるもの』の実体は『現象』だということだ。現象とは、つまり地・水・火・風という素元素の融合離散の姿に他ならない。だからその実体の本質を表しているのがすなわち『空』なのである」
須菩提「なるほど少しわかりかけてきました。形あるものの実体は空であるから無常なのですね。そのすべてが現象である以上、永遠に不変なものや不滅なものなど無いことがわかってきました。『空』の意味がわかって、はじめて『諸行無常』と『諸法無我』の意味がわかてきました」
世尊「その『空』の実体を表した言葉が諸行無常、諸法無我、涅槃寂静である。これを三法印と言うが、これこそわたしの説く『空論』である。だから三法印を理解することが『空』を悟ることであり、『空』の姿が三法印だということである。さらに言えば、『空』をさとることで同時にわかることが『縁起』である。『縁起論』こそわたしの説く無上菩提である」
須菩提「『空』と『縁起』の関係がよくわかってきました。因果必然の道理はまさに『空』そのものだったのですね。わたしはこれから益々精進して『空』を学び縁起論の布教に務めたいとおもいます」
拙僧の論法で言えば「空」とは「からっぽ」の中に「すべてが在る」ということ。これが「空即是色」です。その逆、「すべてが在る」のは「からっぽ」の中、というのが「色即是空」です。これが机上の空論≠ナあるうちは絶対に「空論」は理解できないでしょう。
「色」と「空」が「同事」だと分かることが命題だと般若心経は説いています。己自身が「空」の存在だと分かることで、己こそ「久遠仏」だと分かるのです。久遠の命を悟ることで人生観が変わります。 
 

 

■富楼那尊者 方便
今回は富楼那(プンナ)尊者のお話です。
釈尊とは生年月が同じで十大弟子中では最古参でした。特に弁舌に秀でていて"説法第一"と謳われています。
出身には異説あるようです。一つには、インド西海岸の港町に生まれで、海洋貿易の大商人だった父親が女中に生ませた子だったということから無一文で生家を出て、薪や香木を売って生計を立て、やがて父親ゆずりの商才のお陰で大商人に成りあがりました。
ある日商人達がお釈迦さまの教えを唱えたり歌にして歌っているのを聞いて大変興味を持ち、是非一度釈尊に会いたいという願望を持ちました。祇園精舎を寄進したという須達多(スダッタ)長者に頼んで面会が叶い、お釈迦さまの教えに感銘しそのまま出家してしまったとのこと。
もう一つの説です。コーサラ国のカピラ城近郊のバラモン種族の生まれで、父はカピラ城主浄飯王(釈尊の実父)の国師で大富豪だったとか。母は釈尊の最初の弟子(五比丘)の一人である阿若憍陳如(アニャキョウチンジャ)の妹だったとのこと。幼い内から聡明で釈尊の成道の噂を聞き鹿野苑へ赴き釈尊の弟子になったとか。
彼は優秀で舎利弗から徳風を慕われ、よく問答を行い、その見識をお互いに認め合ったとか。また阿難は彼の弁才を比丘の新人教育の手本にしたとか。特に弁舌にすぐれていたといわれますが、迦栴延が哲学的な議論を得意とする学者タイプの"論議第一"だったのに対し、富楼那は人情味のある大衆向き説法を得意とした庶民派タイプの"説法第一"だったのです。
また彼は特に殉教的精神の持ち主だったことでも有名です。ある時彼は遠い未開の土地に布教に赴く決心をしました。釈尊が「その国の人々は凶暴であるから、もし汝に辱めをしたらどうするか?」と聞かれたのに対して、彼は「もし私を辱めたとしても命までは奪わないから彼等を善良な民と考えます」と答えました。
釈尊がさらに「では、もし彼等が汝の命を奪おうとしたら?」と聞かれたのに対して、「世の中には自ら命を絶つ者もいます。だからこの老朽の身に殉死を与えてくれる人は善良であると考えます」と答えました。釈尊は「よいであろう。行くがよい。行って彼の地の人々を教化救済するがよい」と申され、彼を賞賛されたといわれます。
彼は阿羅漢果を得てさらにその天与の弁才と布教の信念のもと、遂には9万9千人の人々を教化したと伝えられています。
富楼那「世尊よ、『方便』についてお訊き致します。いったい方便とはどういう意味でしょうか」
世尊「『近づく』とか『到達する』といった意味である。近づくものとは、『正しい目的』であり、正しい目的とは『悟り』である。悟りに導くための正しい手段をすなわち「方便」と言うのである。それにはまず相手を思い遣る配慮の心がなくてはならない」
富楼那「その場合、相手を思い遣っての結果嘘をついてもよいものでしょうか。"嘘も方便"として許されるでしょうか」
世尊「嘘と方便はまったく異質である。方便は決して嘘ではない。正しいことをいっても嘘は嘘である。わたしが言う方便とは悟りへの"比喩"といったらよいであろうか。"方便"の意味のわかる話を紹介しよう。
キサー・ゴーマミーという名の女がおった。彼女は何よりも大切な一人息子を病気で亡くしてしまったのだ。なんとしてでも息子を生き返えらせたいとの想いから、あちこちの祈祷師や魔術師、医者や行者を訪ねて頼み込んだが、もちろん死んだ者の命を蘇えらせることなどできる筈はなかった。
ついに私の噂を聞きつけて私のもとを尋ねてきたのだ。そして言った。『世尊よ、あなたはこの世で苦しんでいるすべてのものにあわれみをかけてお救いくださるとのことです。どうぞ私の息子の命を取り戻してください。そのためなら自分の命さえ惜しみません』
そういって嘆き悲しんでいる母親に向かってわたしは次のように言ったのだ。『よかろう、お前さんの息子を救ってあげよう。それには条件がある。どこかで少しばかりの芥子の種をもらっておいで。ただし、普通の家からではダメだ。今まで一人の死人も出したことのない家の芥子の種でなければダメだ。さあお行きなさい。
『わかりました。なんとかそんな家の芥子の種をもらってまいります』と言って、息子の遺体をそこにおいて外に飛んで出ていたのだ。彼女は必死になって村中の家を訪れ『こちらさんでは今までにどなたか死んだ方はおられないでしょうか?』と尋ね歩いたのだが、今までに死人が出なかった家などどこにもなかたのだ。
一軒残らず村中を回った彼女は、はじめてわたしの言葉の意味に気が付いたのだ。つまり、生まれたものはいつかは必ず死ぬ運命にあるここと、一度死んでしまった命は絶対に呼び戻せないものだという真実を悟ったのだ。
わたしのところへ戻ってきた彼女は静かに息子の亡骸を葬って、わたしの弟子になったのだ。
富楼那「なるほど、このような場合に、ほんとうはあり得ないことでもいかにもあり得るように説きながら、相手に自然に自ら分からせるように導くことこそが『方便』であるのですね。よくわかりました」
世尊「そういうことになるであろう。あり得ないことをあり得ると仮定させて真実の姿を本人に気づかせる手段、すなわち、正しい目的へ導くための良い手段、これを真実方便というのである。人それぞれであるからして、その人、その場、その状況に応じた方法で導く術なのだ」
富楼那「『方便』とは、仏・菩薩が衆生済度のため、真実に導くための「はたらき」という手段であり、我々修行者はその術こそ研鑽しなければならないことがよくわかりました」
法華経二十八品の内の第二が「方便品」(ほうべんぼん)です。品(ぼん)とは章の意味であり、法華経は四要品から構成されていて、方便品は「教」を、安楽品は「行」を、寿量品は「体」を普門品は「用」について説かれているといわれます。「教」とは文字通り、釈尊の悟りです。
方便品の冒頭にあるのが次の経文です。「仏の智慧は、声聞や縁覚など独りで悟った小乗の徒には、まったく知ることができないほど深遠なものであるという。これを人々にわからせるためには、相手の能力に応じたもっともよい方法で、深い教えを説くことが必要となる。」
方便品は法華経二十八品のなかでも重要な教えだと言われています。それは世尊の教えの目的が明らかにされているからです。ただ「教え」を聞く衆生の気根には浅深があるから、種々の"方便"を設けてこれを教え導いているというのです。 

■優波離 身・口・意
今回は「持律第一」と言われた優波離(ウパーリ)尊者のお話です。
優波離はインドのカーストでも下層のシュードラの出身でした。釈尊がまだ悉多(シッダルタ)といわれた太子の頃カピラ城で釈迦族のもとで、なんと阿那律の奴隷として仕えていた理髪師だったのです。主人である阿那律や釈尊の実子の羅睺羅や金比羅など六人が釈尊の弟子になるということになりその一行に付き添って行かれたのです。
阿那律は出家するときに所有物を全部優波離に与えましたが、優波離は釈尊の教えの方が偉大だと言ってそれを断り、自ら出家を切望したのです。主人である阿那律が釈尊に「世尊よ、願わくば理髪師優波離を本日受戒の最初としてください」と申し出て、釈尊は優波離を最初の受戒者とされたのです。
釈尊は、「出家以前において身分の違い、地位の高低など種々あるが、出家後はすべてその差別はない」と常に述べられていました。仏教教団(サンガ)ではすべての者は平等でしたが、ただ一つ序列がありました。それは出家順位です。身分や年齢に関係なく先に出家した者が先輩であり兄弟子になるのです。
その儀礼に従い阿那律達も優波離に礼拝したのです。これを見て釈尊は「釈迦族の高慢な心をよくぞ打ち破った」と賛嘆せられたとのこと。「本来人間に階級などない」という当時としては革命的な釈尊の教えが示された事例の一つです。
優波離が「持律第一」と言われたのは戒律に精通しそれをよく守ったからです。サンガでの修行は厳しいものでした。とくに釈迦族から集団で出家した阿那律や羅睺羅達貴族出身の若きボンボンにとってサンガでの質素貧窮の生活はさぞ大変なことだったでしょう。
その点奴隷出身であった優波離は、体は丈夫で貧しい暮らしにもよく慣れていたので、きつい修行や厳しい戒律も彼にとっては案外容易なものでした。それに加え彼はたいへん律儀な性格の持ち主であり戒律に精通し、よく守ったことから、後に阿羅漢果(悟り)を得て、「持律第一」と称せられるようになりました。
釈迦サンガにおける規律は彼によって設けられたものが多く、釈迦入滅後、仏典のための第1回の結集では、彼は戒律の編纂の責任者として活躍したのです。
優波離「世尊よ、わたくしどもが日常行っている行為を『身・口・意』と呼んでいますがどんな意味があるのでしょうか」
世尊「身体で行う行為、口で行う行為、そして心で行う行為という三種類の行為を意味しているのだ。人はそれらの行為で自らの業をつくっているのであるからこそこの『身・口・意』を清らかなものにしなければならないのだ」
優波離「身体の行為は行動であり、口の行為は言葉であることが容易にわかりますが、心の『意』の行為とはどのように捉えたらよいのでしょうか」
世尊「身体や口で行う行為はすべて行動と言葉になって外にあらわれるのであるが、心だけは見えない。行動は心の作用によるものであるが、行動のすべてが心の表れだとは言えない。それは、人は心に反した行為を行うことがあるからである。一見正しい行為も邪心によるものかも知れないし、またその逆であるかもしれない。だから心こそ大事にすべきなのだ」
優波離「確かに人は本心と行動と矛盾することがあります。建前としては立派な行為をしていても本音のところではまったく違ったことを考えていたりします。どんなに立派な行為であってもそれが心と一緒でなければ正しい行為とは言えないわけですね。」
世尊「どんな立派な行為であっても、そこに邪心や下心があったのではそれは即座に悪行になってしまうのである。どんな行為であれ、行為のすべては心次第で善か悪かが決まってしまうのだ。『身・口・意の業』のすべてはすなわち心次第ということである」
優波離「では、正しい心を持つためにはどうしたら良いのでしょうか」
世尊「日常生活の中でわたしが制定した戒律を守ることがすなわち"正しい心"である。すべての生活の中で決められた戒律を身・口・意にわたって守ることだ。常にこの三つの行いを清めることのためにあるのが戒律なのだから」
優波離「まず基本となる戒律をお示しください」
世尊「では基本の十戒をしめそう。(1)生き物の命を奪わない。(2)他人の物を盗まない。(3)姦淫をしない。以上は身体で行ってはならない三つである。次に(4)嘘をつかない。(5)二枚舌をつかわない。(6)悪口をいわない。(7)無駄口をたたなない。以上が口で言ってはならない四つの行為である。次に(8)むさぼらない。(9)怒らない。(10)邪な思想を持たない。以上は心が持ってはならない行為である。特に最後の三つは人間が持っている最悪の愚かな心である。すべての戒律はこの三毒「貧慾・瞋恚・愚痴」の心を諫めるためにあると言っても過言ではないのだ」
優波離「世尊の示された戒律は、すべて"心の三毒"を除去するための手段であるということでしょうか」
世尊「戒律の目的は単に三毒を鎮めるためだけのものでもない。あえて言えばそれは智慧を得るためのものである。智慧とはすなわち悟りである。悟り無くして心の安心は得られないからだ」
優波離「世尊よ、戒律を守ることが無明からの解放であり、仏道であることがよくわかりました。解脱を求めて益々精進いたします」
釈尊の十戒は戒律というよりも人間としての基本道徳であり、宗教の壁を越えた人としての根本理念であり正義であるのです。今人類が滅亡の危機に瀕しているとして、その原因を質すとしたら、間違いなくこの十戒の欠如にほかならないのです。
犯罪のそのほとんどは貧慾・瞋恚・愚痴から起こるのです。個人にもならず者がいるように、国家にもならず者がいます。おのれの欲望(貧慾)に溺れ近隣の諸国を恫喝(瞋恚)し侵略(愚痴)を画策しているアジアの某超大国などはまさにその最たるものです。
釈尊の十戒は人間社会の最低限の"きまり"です。それが守れない個人や社会、国家に幸福は絶対やってきません。個人も国家もそのことを肝に命じるべきです。 

■羅睺羅尊者 四苦
今回は羅睺羅(ラゴラ)尊者のお話です。
羅睺羅(ラゴラ、あるいはラーフラ)は、釈尊の実子であり、密行第一と称されました。釈尊は16歳で結婚されましたが、なかなか子宝に恵まれず、27歳になったとき妻のヤショーダラ姫との間にようやく授かったのが一人息子、羅睺羅でした。
釈尊が出家する2年前のことでした。おそらく釈尊はこれで釈迦族の跡継ぎができたと安心されたのかもしれません。しかしこれには異説があり、妃が身ごもられたのを知ってすぐに出家されたという説もあります。
また、羅睺羅が生まれたのはお釈迦さまがお悟りを開かれた日だったという説もあります。そうだとすると羅睺羅は六年もの間、母の胎内にいたということになります。「羅睺羅は顔は似ていないしお釈迦さまの息子ではない」などという不名誉な噂まで出たようです。実際彼の顔は釈尊に似ておらずかなり不細工だったようです。
そんな噂を聞いた羅睺羅は「顔は不細工でも私の心は仏である」と言って胸を開けて見せたという。この話は彼が信仰の対象として人気があった中国唐の時代の逸話だと言われていますが、十六羅漢信仰はその時代に生まれたものであり、十大弟子の中で只一人羅睺羅だけが十六羅漢に選ばれたことからも彼の中国での人気の程が窺われます。
出生の次第はともかく、釈尊自身が否定しているわけでもありませんから羅睺羅は間違いなく釈尊の実子なのです。彼は父親のいないカピラ城で王子として何不自由なく素直に育てられました。
羅睺羅が九歳になった時のことです。釈尊が久しぶりに帰城することになったのです。それを知った城の重臣たちが、幼い羅睺羅に入れ智慧をしたのです。
「お父上に頼んで、お城や財宝を息子に譲るという証文を書いてもらいなさい」という内容でした。それは、カピラ城主の権利は事実上釈尊にあったことから教団に城を乗っ取られるのではないかと重臣達が心配したのです。
「わたしは王になろうと思います。どうぞ財産を下さい。お宝をお与えください。」と言いながらすがりつく幼い羅睺羅に釈尊はびっくりしてしまいました。
ことの重大さを知った釈尊は、舎利弗と目蓮を呼んで羅睺羅をニグローダの林に連れてゆき、羅睺羅を出家させてしまったのです。「お前には金銀財宝ではなく、私が修行をして得た真理の仏法という財産を継がせてあげよう」と釈尊は申されたのです。
年少のころは釈尊の実子ということもあり、特別扱いを受け慢心が強く、釈尊より戒められたこともあったようです。 20歳で具足戒を受け比丘になってからは舎利弗に就いて修行を重ね不言実行を以て密行を全うし、ついには密行第一と称せられるようになったのです。
密行とは戒律を遵守し特に密教での修行を徹底することです。そんな厳しい修行に耐え、ついに彼は阿羅漢果を得えたのです。十六羅漢に選ばれたことなどを考えれば実に人間味あふれるドラマチックな人生を送った人だったようです。
羅睺羅「世尊よ、四苦とはどんなことをいうのでしょうか」
世尊「四苦とは、生・老・病・死の四つの苦しみのことである。人間として生まれた者ならば誰しもが味わねばならない苦しみの基本であるのだ」
羅睺羅「世尊よ、確かに老・病・死は苦しみであることは理解できるのですが、どうして『生』(しょう)が苦しみなのでしょうか。ふつう、生まれることは目出度いことであっても、特には苦しみと感じられないのですが?」
世尊「確かに、生まれることは目出度いことであり、極上の慶びである。目出度いことや慶びが"苦"であるということは矛盾した論理であるが、問題はその本質にあるのである。生まれるということはその瞬間から五蘊(ごうん)を得ることになる。その五蘊の本質が即ち"苦"の実体だということである」
羅睺羅「五蘊についてお示しください」
世尊「五蘊とは五つの集まりで色・受・想・行・識を言う。「色」とは形あるもの。あとの「受・想・行・識」は「心」の世界を意味し、「受」は、感覚とか知覚などの感受作用。「想」は、「受」で受けたものを心の中で思うこと。「行」は、思いを意志にすること。「識」は、判断である」
羅睺羅「つまり、肉体と魂という存在自体が"苦"だということですね。世尊が提唱されております『五蘊皆空度一切苦厄』(般若心経)の意味がやっとわかりました。肉体も魂も一切が皆『空』であるということを悟ってはじめて『苦』から解放されるわけですね」
世尊「その通りだ。人間として生まれた以上自己が『一切皆苦』の存在だと認識し、その『苦』から解放されるために我々は修行をするのである。その修行が萬行に至った時に苦から解脱できるのである。解脱の世界が涅槃であり、極楽浄土なのである」
羅睺羅「よくわかりました。では、世尊が初めて"苦"を意識されたいきさつをお話頂けますでしょうか」
世尊「実は、わたしが出家の道を選んだ根本的理由はこれら『四苦』にあったのだ。わたしが生まれてわずか七日目に母マーヤーは亡くなってしまったということを叔母より聞いて『人はなぜ死ななければならないのだろう』という大きな疑問にぶつかったのだ」
羅睺羅「後に『四門出遊』という形でお述べになっておられますね。東門から出て老人に遭い、南門から出て病人に遭い、西門から出て死人に出遭ってショックを受けられたお話ですね」
世尊「そうだ。最後に北の城門から出たときに出遭ったのが一人の修行者だった。着ている服はぼろぼろだし、身は痩せ細ってはいたが、顔は生き生きとしていた。わたしのように恵まれている者が苦しんでいるのに、貧しいあの者が何故あのように希望に満ちているのだろうと思ったのだ。 『あなたは何をする人か』と尋ねたら、『修行者で、衆生に慈悲を施す者です』と答えられたのだ。それ以来"修行者≠ニいうことが頭を離れなくなってしまい、ついに出家を決断した次第なのだ」
羅睺羅「つまり"四苦≠フ疑問の答えを求め出家されたわけですね」
世尊「その他に『愛別離苦』(愛する者と別れる苦しみ)、『怨憎会苦』(いやなものと付き合う苦しみ)、『求不得苦』(欲しいものが手に入らない苦しみ)、『五蘊盛苦』(体と心の不調の苦しみ)の四つを加えて『四苦八苦』と言う」
羅睺羅「人の幸せはまさにこれらの苦しみをいかに克服するかに掛かっているのですね。その道筋を世尊は八万四千の法門で教示されているわけですね」
「四門出遊」(しもんしゅつゆう)の話は有名ですが、むろん、これは伝説です。若き王子ゴータマ・シッダールタの苦悩を象徴的に表現したものと言えるでしょう。
幼いころから王子として贅の限りをつくした環境の中で名誉と冨と権力を自在にできたのです。しかしどんなに享楽と贅沢の限りを尽くしても彼の心は満たされなかったのです。
それは、どんな権力・名誉・富であろうと生・老・病・死の四つの苦しみから逃れることができないことを知ったからです。その答えを求めて出家を決断し城門を出たのです。時に王子29歳のことでした。
難行、苦行を経て、ついに悟りを開かれ「四苦」の実体を解明され、一切の「苦」から解放されたのです。その表現が「極楽」であり「大安心」なのです。ですから「極楽」は実在するのです。
「極楽」は死んでからだけの世界ではありません。生きている内にこそ意味があるのです。なぜなら仏教は決して死後の教えではないからです。
今現在から死ぬまでの間、もちろん死後も含めて、「安心」して生きて行くための「教え」を釈尊は残されたのです。 

■目連尊者 極楽浄土
今回は目連(モッガーラーナ)尊者のお話です。目連は、幼い頃より舎利弗(サリープッタ)とは大の仲良しの間柄でした。祭りに興じている人々を見て無常を感じ、二人して出家を決意したいきさつは舎利弗尊者の紹介(四月)の中で話したとおりです。
二人は幼なじみで、ほんとうに仲の良い親友同士でした。性格こそ対照的な二人でしたがいつも一緒で、亡くなったのもほぼ同じ頃で、師の釈尊よりも短命だったのです。十大弟子の中でも最も早くに弟子となり、力を合わせて初期の教団をまとめていかれたのです。
釈尊もそんな二人をたいへん頼りにされておりました。先月の「羅睺羅尊者」の中でもふれたように釈尊の実子羅睺羅を出家させ、その後の指導の専任をまかされた程二人に対する信頼が深かったのです。「智慧第一」と称せられた舎利弗に対して、目連は「神通第一」と称せられました。「神通」とは一種の超能力のことで、肉眼では見えない処を見抜く力のことです。
こんな逸話が残されています。釈尊がある法座に臨まれました。しかし、いつまで経っても説法が始まりません。侍者の阿難尊者が、「世尊よ、夜も更けましたので、どうかお始めください」と申されますと、釈尊は、「この法座の中に不浄の者がいるので、法を説くことはできない」と申されました。そこで目連尊者が他心通という神通力をもって不浄な比丘を見つけ、その法座から追放し、改めて釈尊に説法を願ったということです。
あと、なんとも有名なお話が「盂蘭盆会」のいきさつでしょう。ある日、目連尊者が父母の恩に報いるために修行で得た神通力で亡き両親を探していました。
すると仏界に居るはずと思っていた母がなんと餓鬼界に堕ちていたのです。骨と皮ばかりに痩せ細って逆さ吊りにされていたのです。 それを見た目連は食べ物を鉢に入れて母に差し出すのですが、母が食べようとするとその食べ物はたちまち火に変わってしまい食べることが出来ません。
目連は悲嘆のあまり号泣し、釈尊のところに行かれ、ことの実情を説明し救済を求めたのです。釈尊の示されたところによりますと、目連の母が餓鬼界に堕ちたのは過去世の罪過によるものであり、それを救うには多くの出家者に百味の飲食(おんじき)を供養することでした。
7月15日の萬行のあと多くの僧侶の供養を受けて目連の母は救われたのです。「もし、後の世の人々がこのような行事をすれば、たとえ地獄にあろう者でも救われるでしょうか」と尋ねた目連に、釈尊は「もし孝順心をもってこの行事を行うならば必ずや善きことがおこるであろう」と答えられました。
お盆(盂蘭盆会)の起源はこの曰く因縁によるものであり、お盆こそまさに「先祖供養」の原点なのです。仏教徒にとって、孝順心によるご先祖供養こそ報恩感謝の証なのです。
さて、目連は又教団のボディガード的存在でもあったのです。釈尊の説法を守るために異教徒にはことさら厳しい対応をされていました。 そのせいもあってか異教徒からはとくに憎まれる存在になっていたのです。
目連の最期は悲惨でした。彼を憎む異教徒達に襲われ惨殺されてしまったのです。瀕死の目連のもとにかけつけたのは親友の舎利弗でした。「神通力第一の君がどうしてこんな目に・・・」と嘆く舎利弗に、目連は釈尊への最後のお別れの言葉を託して息を引きとりました。
その後間もなくして舎利弗も病のため亡くなってしまいました。釈尊にとって舎利弗と目連の二人はまさに二大弟子だったのです。二人の高弟を一度に失った釈尊の嘆きは如何ばかりだったでしょうか。その目連尊者がある日世尊に「極楽浄土」について問われました。
目連 「悟りの世界のことを"浄土"といわれますが、その浄土とはどのような世界を言うのでしょうか?」
世尊 「浄土とは悟りの世界の一つの表現である。他に『涅槃』や『彼岸』そして『極楽』なども皆同じ悟りの世界を意味したものだ。 悟れる者とは仏陀のことであり、その者たちの住む世界を浄土と言い、阿弥陀仏の住む国土を『極楽』と言うのである」
目連 「世尊が説かれています『阿弥陀経』にはその極楽の様子が子細に述べられているのはよく承知いたしております。極楽国土に住む者には何の苦しみもなく、只々いろいろな楽しみだけが有ると説かれています。国土は四宝(金・銀・瑠璃・水晶)で出来てきており、天上にはつねに美しい音楽が奏でられ、池の蓮の花は様々な光の色を放ち、大地は黄金で覆われ、昼夜綺麗な曼荼羅の花が降りそそぎ、さまざまな鳥たちは優雅にさえずり、人々の寿命は限りなく長く、病も悩み苦しみもなく、一切の罪過も無く、みな阿羅漢の悟りを得ているという。その極楽浄土に住むためには一切の欲望から解放され、阿羅漢の悟りを得なければならないとされますが、"極楽"の意味とは一体何でしょうか?つまり、極楽という言葉を文字通り解釈すると、『きわめて楽しい』ということになりますが、もし一切の欲望の無い世界だとしたら、はっきり言って、少しも楽しくはないのではありませんか。その点疑問を感じますが」
世尊 「確かに極楽の中には実際人間の欲望を満足させる多くの対象が有るように感じさせるし、人間を喜ばせるようなものがたくさん出てくるのも事実だ。極楽という世界がどんな世界であるかということを説いているのは、すでに悟りを開いた仏たちに対してではなく、まだ悟りを開いていない者たちに対してであって、極楽はこんな素晴らしい世界だということを示すためなのだ。それによって迷える者たちは、ぜひともそんな素晴らしい世界に往生したいという願望を起こすのだ。 いってみれば、まだ煩悩に満たされている者たちを極楽へ導くための"方便"なのである」
目連 「すると世尊よ、極楽には金銀財宝や金色の蓮の花などまったく無いということでしょうか?」
世尊 「そんなことはない。まちがいなく極楽は黄金の国土である。 『方便』とは真実を伝えるための手段であることを間違えないでほしい」
目連 「それでは、欲望も煩悩もない仏たちにとって、極楽に金銀財宝がある意味は何でしょうか?いくら高価で美しいものに囲まれていたにせよ、それらに対してなんの欲望も感じない者にとって、それらはなんの価値もないのではありませんか? 娑婆世界でしか意味のないような宝物が極楽に存在する必要は無いのではありませんか?」
世尊 「そこが煩悩の世界に生きる者の理解の限界なのだ。金銀財宝のほんとうの意味がわかっていないからそのような矛盾が起こるのだ。どんな金銀財宝も"煩悩の対象ではない"というところをよ〜く考える必要がある。一切の煩悩のない仏たちにとってどんな金銀財宝も美しいものも、それらは何の価値もないのだ。"何の価値もない"ということは、金銀財宝はただの金銀財宝であって"ただの物"でしかないということだ。『ただの物』とは、いわば無価値である。しかしこの無価値こそ"絶対の価値"であり最高の価値である。これをすなわち『黄金』というのである。つまり、どんな場所でも煩悩から離れた世界は絶対無価値の世界になる。それは同時にそこに存在するあらゆる物すべてが"黄金"になるということだ。ここに"極楽"のほんとうの意味があるが、理解できる者は極めて少ない」
目連 「わかりました。どんな場所でもどんな物でも、煩悩の対象で無ければ、その場所が極楽浄土であると同時に存在するあらゆる物が金銀財宝になるのですね」
世尊 「その通りだ、目連。わたしが説く西方極楽浄土の真意は、一切の煩悩から離れた処こそすなわち極楽であり、同時にそこに存在するあらゆる物が金銀財宝の存在になるということだ」
目連 「解りました。極楽浄土が実際にあることが大変よく解りました。 ところで浄土と呼ばれる世界はどのくらいあるのでしょうか」
世尊 「仏国土と呼ばれるように、十方にいる仏たちの一人一人が自分の浄土を持っているのだ。それこそ無数といってもよいくらい存在するのだ。阿弥陀仏の西方極楽浄土のほかに、主なものでは薬師如来の東方浄瑠璃世界、阿閦(あしゅく)如来の東方妙善世界、弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)、観音菩薩の普陀落山などが挙げられよう」
さて、今年も12月8日の成道会を迎えました。およそ2500年前釈尊が転迷開悟され極楽浄土に往生され如来になられた記念の日です。拙僧が何度も言うように、極楽浄土は決して死後の世界ではないのです。もちろん涅槃という「生死一如」の意味から言えば死後の世界も当然極楽浄土と言えるわけですが、大事なことは生きているうちに今いる自分のところを極楽浄土に変えることです。
釈尊は一切の煩悩から離れた世界がすなわち極楽浄土だと説かれています。すべての欲望と煩悩から離れたときに、即今その場所が極楽浄土に変貌するのです。同時にあなたの持っているものはすべて『黄金』になるのです。それを信じて修行をし、少しでも極楽浄土に近付ける生き方をしたいものです。極楽浄土は実際に存在するのですから。 

■迦葉尊者 無財施
新年おめでとうございます。おかげさまで70回目の「法話」を迎えることができました。今後いつまで続けられるかわかりませんが、まずは今年一年間を目標に精進したいと思います。よろしくお願い致します。
さて、"十代弟子"も今回で最後となりますが、そのトリは迦葉(かしょう)尊者です。釈尊の滅後、二世となって教団を率いたのはこの迦葉尊者でした。彼もまたバラモンの出身でした。裕福な家柄の良い家に生まれました。癇症で欲の無い子供でした。特に潔癖に症が付くほどの性格からか、結婚は望まず出家を望んでいたのです。
なにぶん名家でもあることから両親が必死で結婚を説得して、やっと妻を迎えたのです。しかしそれから出家するまでの十二年間、妻とは一度も床を共にすることはなかったといわれます。
やがて両親も亡くなり希望通り出家が叶い釈尊の弟子となったのです。ある日釈尊と托鉢に出た途中、釈尊が木陰で休もうとしたとき、彼は自分の衣を脱いで畳んで釈尊の座布団にしたのです。
師の喜ばれているお顔を見て迦葉尊者はその衣を献上致しました。それに対して釈尊も自分の袈裟を迦葉尊者に与えたといわれます。彼は生涯そのお袈裟を何よりも大切にされました。これが「伝衣」の始まりとなったのでしょうか。
迦葉尊者で有名なのは「拈華微笑」(ねんげみしょう)の故事です。釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)での説法の折、金婆羅華の花を一輪手にして大衆に拈じ示したところ、誰もその意味がわからない中、迦葉尊者だけがニコリと微笑されたのです。
それを見て取った釈尊は、「わたしの仏法を今迦葉尊者にそっくり伝えた」と宣言されたのです。釈尊から迦葉へと仏法が"以心伝心"された瞬間でした。「伝衣」とこの「伝法」から釈尊の後継者は事実上迦葉尊者に決まったと言えるでしょう。
釈尊が故郷に向かう旅先の途中で亡くなったとき、迦葉尊者は別の旅先で訃報を受けました。迦葉尊者は釈尊のもとへ急ぎました。それまでの間、阿難尊者が荼毘に付すために棺に火をつけようとしますが、何度やっても火がつきません。
ところが迦葉尊者が拝んだあとで、パーッと燃え出したというのです。まるで迦葉尊者の帰りを待っていたかのようでした。釈尊の葬儀の導師を務めたことにより迦葉尊者が教団の二世となったのです。
釈尊が入滅されておよそ3ヶ月後、迦葉尊者は第一回目の「結集」(けつじゅう)を開きました。結集とは、世尊亡きあと、その「法」を検証整理して後世に伝えるための「経典編纂会議」のことです。迦葉尊者の呼びかけに王舎城郊外の石窟、七葉窟に499人の阿羅漢が集結しました。
もちろん阿難尊者もかけつけたのですが、ところが彼はまだ悟りを開いていなかったため阿羅漢の資格が無く入場できなかったのです。しかし、釈尊の侍者として25年間いつもおそばに仕え、全ての説法の内容を知っている記憶力抜群の人だったといわれます。それだけに彼抜きに経典の編纂はできないことは誰もが認めるところでした。
しかし潔癖で厳格な迦葉尊者は頑として阿難尊者を中に入れなかったのです。それを受けて阿難はその晩死に物狂いで坐禅をしたのです。結果ついに悟りを手に入れ、すぐさま迦葉尊者のもとに急ぎました。
迦葉尊者は阿難の悟りを認め結集(けつじゅう)に加えたのです。そして500人の阿羅漢の中から阿難尊者を司会進行役に抜擢したのです。記憶力の良い阿難尊者は「如是我聞」(わたしはこのように聞きました)と言って、とくとくと語り出し、こうして初めての経典編纂会議は粛々と進んだのです。
迦葉尊者の入滅は劇的でした。第一回の結集からおよそ20年後、百歳になった迦葉尊者は三世に阿難尊者を指名し後を託されひとり山に入り禅定に入りました。そこに三つの山が押し寄せ彼を飲み込んでしまったのです。まさに壮絶な即身成仏でした。
「頭陀(ずだ)第一」とは「はげみ第一」ということです。三衣一鉢というのが出家者にとっての全財産です。その粗衣粗食に耐え修行を徹底される姿に釈尊は「頭陀」の模範だと称えました。
禅宗寺院に多く祀られている釈迦三尊仏は、向かって右脇に迦葉尊者、左脇に阿難尊者が脇侍となっていますが、舍利弗尊者と目連尊者の亡きあと、釈尊とその教えを護るのは自分たちだという決意が表れていて壮観です。
"十大弟子"とは、すべての人間が持ち合わせている人間性を代表した尊者達と言えるのかも知れません。自分は彼等の何れに近いのかを考えてみるのも自分自身の内面を知る一助になるかもしれません。ある日頭陀第一の迦葉尊者が『無財施』(むざいせ)について世尊に尋ねられました。
迦葉「布施行のなかに、『無財施』がありますが、それはどんな内容なのでしょうか」
世尊「まとめて無財の七施(しちせ)と言う。一には身施(しんせ) 二には心施(しんせ) 三には眼施(げんせ) 四には和顔施(わげんせ) 五には言施(ごんせ) 六には牀座施(しょうざせ)そして、七には房舎施(ぼうしゃせ)ということになる」
迦葉「文字の意味から有る程度その内容を推測できますが、それぞれの具体的な内容についてお示し頂けるでしょうか」
世尊「まず『身施』だが、これは肉体による奉仕なのだ。なかでも捨身行は、自らの生命を犠牲にすることだが、これこそ最高の布施行と言えよう」
迦葉「しかし世尊よ、自らの命を失ってしまっては、自らの修行が不可能になってしまいますが」
世尊「他の命を救うため、自己の命を捧げたり、あるいは正しい教えを伝えるために犠牲になる命は、その功徳によって本人は最高の悟りに達することができるのだ」
迦葉「わかりました。では次の『心施』についてお願いいたします」
世尊「慈悲の心ということだ。慈悲とは『与楽』と『抜苦』を合わせたものだ。 他の人の心に喜びを与え、同じく苦しみを抜き去る行いのことだ」
迦葉「第三の『眼施』と『和顔施』というのは、やさしい眼つきとおだやかな笑顔ということでしょうか」
世尊「その通りだ。人というものは、つい自分の感情を外に出してしまう存在だからいつもやさしい眼つきとおだやかな笑顔をたやさないことだ」
迦葉「『言施』というのは言葉による施しということで、思いやりのこもった暖かい言葉をかけてあげるということでしょうか」
世尊「その通りだ。日常生活のなかで、何気なく使っている言葉が、なによりの施しになることに気付かねばならない。 どんな些細な言葉でも言葉には心情が籠もることを忘れてはならない」
迦葉「第六の『牀座施』とはどんな施しなのでしょうか」
世尊「一言で言えば『席を譲ること』だ。自分よりもか弱い子供や老人、または目上の先輩など尊敬すべき人に対しての思いやりの行為をいうのだ」
迦葉「さいごの『房舎施』というのはどんな施しでしょうか」
世尊「わが家に泊めてあげることを『房舎施』というのだ。事情があって宿をとれない人に対しての宿泊を提供する布施行のことをいうのだ」
迦葉「このように財産やお金がなくとも出来る施しこそ布施の基本なのですね。『無財の七施』をいつも心して一層の精進をしてまいります。 ありがとうございました」
布施とは、物やお金だけではないということです。 人のためになることであるならば、自分の体の全てで布施行ができるというのが無財施の意味なのです。 人は眼、耳、鼻、口、手、足など、どれを使っても人に対して慈悲行為、すなわち『与楽』と『抜苦』の一助の施しができるのです。
仏陀の教え、仏教とは突き詰めればこの慈悲行為の勧奨に尽きるのです。 その教師が阿弥陀仏であり、観音菩薩であり、地蔵菩薩、そして無限に存在する菩薩さま方なのです。
布施行が即ち菩薩行に通じ、菩薩行を行う人が菩薩さまとなり、菩薩さまの住む世界が安心極楽の世界となるのです。 そんな浄土の世界とはあまりにもかけ離れているのが人間社会の現実です。 自己中心の我利我利亡者の渦巻いている餓鬼、畜生、修羅の世界に他なりません。 拙僧自らも「無財施」の精神を少しでも心に留めていけたらと願っているところであります。 
 
十三仏

 

 
■不動明王 降伏(ごうぶく)の仏
一口に「仏さま」と言っても実際には数多くの仏さまがいらっしゃいます。
大きく分けると「如来・菩薩・明王・天・声聞」になります。
「如来」・・・ 釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来など。
「菩薩」・・・ 観音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、虚空菩薩、など。
「明王」・・・ 不動明王、愛染明王、孔雀明王、烏枢沙摩明王など。
「天」・・・・ 大黒天、帝釈天、毘沙門天、梵天、多聞天など。
「声聞」・・・ 阿羅漢や悟りを開いた高僧、比丘、比丘尼など。
一切皆苦という娑婆世界の大海の波間で苦悩し、もがき生き続けるのがわれわれ人間の宿命なのです。人に八万四千の煩悩があるかぎり、同じ数だけの苦悩が存在するのです。
そんな我々人間にとって、何よりも必要なことが抜苦と与楽です。その問題解決のためにわれわれ仏教徒が常に拠り所としているのが様々な「仏さま」です。その諸仏の代表格「十三仏」から学んでみたいと思います。
「不動明王」【初七日】・・・・降伏
「釈迦如来」【二七日】・・・・悟
「文殊菩薩」【三七日】・・・・智慧
「普賢菩薩」【四七日】・・・・知徳
「地蔵菩薩」【五七日】・・・・抜苦、与楽
「弥勒菩薩」【六七日】・・・・久遠仏
「薬師如来」【七七日】・・・・健康
「観音菩薩」【百ヶ日】・・・・抜苦、与楽
「姿勢菩薩」【一周忌】・・・・法導
「阿弥陀如来」【三回忌】・・・冥福
「阿しゅく如来」【七回忌】・・忘悪
「大日如来」【十三回忌】・・・清浄
「虚空蔵菩薩」【三十三回忌】・智慧
広大無辺な慈悲と、法力をもって抜苦と幸福を招いてくださる諸仏です。初回は「不動明王」です。大日如来の化身ともいわれ十三仏では初七日の導師をつとめます。酉年生まれの守り本尊でもあります。
不動明王は空海(弘法大師)により唐より密教とともに日本に伝えられたといわれます。また大日如来の化身でもあり、不動明王を祀り御本尊とされているのはほとんどが真言宗系寺院となっています。
明王の「明」とは、「真言」を意味しており、真言(マントラ)の力を体現した仏さまなのです。その真言は「ノウマクサンマンダ バザラダン カン」です。最後の「カン」は「不動心」の意味で、不動心と不動堅固の行によって、煩悩の深い者を大空三昧(さとり)へ導いてくださる明王です。
また「不動」の意味としては、釈尊が悟りを求め菩提樹の下に座し「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心された「不動心」ともいわれます。そのとき、世界中の魔王が釈尊を挫折させようと押しかけたのですが、釈尊は穏やかに降摩の印を結び摩王の群れを降伏させたといわれます。そのときの釈尊の心印が「不動明王」だといわれていますが、しつこい魔王たちを降伏させたのが「忿怒」だと考えると実に納得できます。
右手に宝剣左手に羂索(けんさく)という縄を持ち、猛火の火炎を背にした実に恐ろしい忿怒の相をした姿はすでにおなじみの通りです。背後の炎は迦楼羅焔(カルラエン)といいます。迦楼羅とは、毒を持った動物を好んで食べるという伝説上の鳥のことです。この鳥のように毒を焼き尽くす炎ということから「迦楼羅焔」と言うのです。
その火焔の如く烈火の怒りの形相で人の心の内に迫ってきます。右手に持った剣は宝剣です。宝剣とは正しい仏教の智慧からできている利剣のことです。その利剣で迷いや邪悪の心を一刀両断にしてしまうのです。
また左手の羂索は智慧の縄です。悪事を働く者を縛束し、その悪い心を智慧の心に変えてしまうのです。一見恐ろしい憤怒のお姿はまさに邪心を智慧に変えるための怒り(叱り)にほかならないのです。
あらゆる悪魔を降伏(ごうぶく)し、すべての障害を打ち砕き、仏道に従わない者を無理矢理にでも導き済度するためなのですが、その姿が釈尊の心印だと思うと改めて親しみを感じます。
不動明王の信仰が特に広まったきっかけは平安時代の平将門の乱だったといわれます。将門を調伏させるために京都高尾山神護寺の不動明王像を借りて千葉の成田の地で調伏の護摩行を修行した結果その願いが叶ったのです。
手に負えない将門に勝ったことで「新勝寺」が創建され、その不動明王がそのままご本尊さまになったそうです。また一説には、その不動明王自身が「自分はこの地に留まって関東の守護尊になると申されたとか。
その後特に鎌倉時代の元寇(げんこう)では全国各地で蒙古軍撃退の祈祷が行われましたがその主役を勤めたのが不動明王でした。その御利益が"神風"となって現れみごと敵軍を壊滅させたのです。こうして不動明王信仰がいよいよ盛んになっていったのです。
現代でも全国各地の霊場には多くの不動明王がご本尊として祀られています。厄難回避から心願成就まであらゆる願い事に対する庶民信仰として大変な人気です。中でも特に病気平癒の御利益があるとして薬師如来とともに親しまれています。
観音様のような慈愛に満ちた慈悲もあれば、一方このような厳しい怒りの慈悲もあるのです。怒りの慈悲とはすなわち不条理に対する怒りです。救いがたい私たちが犯すのが不条理という大罪です。
それにしても不条理に満ちあふれているのがこの人の世です。同じ人間なのに理不尽な差別にさいなまれ、不幸に陥っている人がなんと多いことでしょう。そんな不条理の元を忿怒の宝剣で断ち切ってくれる仏こそ不動明王なのです。
"不条理"を人間社会から無くすことは不可能かもしれません。例えば「民主主義」も理想の金科玉条でしかありません。ほんとうの自由平等を実現している国家社会など世界中どこにもありません。どんな国家社会であれ、権力者を中心に権力と富が渦巻き不条理な社会が形成されているのが現実です。
貧困層の上に富裕層がのし上がり、その頂点に独裁者が君臨し、下から富を吸い上げまくるまさにピラミッド形社会を形成しているのです。ピラミド形だけにその"構造"は極めて強靱ですが、一見安定感のあるピラミッドも長年の風化を免れることはできません。あのエジプトも長年の不条理という"風化"によってついにピラミッド政権は崩壊してしまいました。
国民8200万人の頂点に立ち30年間の独裁と悪政の元なんと5兆8千億円もの巨万の隠し資産をため込んだというムバラク前大統領。平均的国民一人当たりが1日2ドル以下で生活しているなかで、なんという人間でしょう。
人間にも"程"があります。食うか食わずの極貧の国民を抱えていながら、国政の責任者としてこれ程まで貪欲非情になれるものでしょうか。ついに悪政非道の運も尽きたとはいえ、国家・国民を犠牲にしてきたその大罪は万死に値するものです。国民の勇気を結集させたインターネットの力こそ現代の迦楼羅焔かも知れません。
その火の粉が飛び火となって今中東が大荒れになっています。特に今リビアが大変な情況になっています。カダフィも時間の問題でしょう。その火焔こそまさに不動明王の怒りと言えるのかもしれません。否アラーの神の怒りと言った方がよいでしょう。
世界にはまだまだ〜大統領、〜国王、〜将軍など極悪非道の独裁者が多く存在します。中東から上がった忿怒の火の手がもっともっと飛び火して世界中の悪政独裁者を業火によって焼き尽くして欲しいものです。
とはいえ日本も決して他人事ではありません。内閣支持率がついに20パーセントを切ってしまいました。庶民の味方だと思って期待した民主党にもすっかり裏切られました。「権力」を手にした結果やはり利権主義者の化けの皮が剥がれたのです。そんな連中の理不尽な愚策に国民は騙されません。
政局闘争に明け暮れ内政もダメ外交もダメ、理不尽の権化であるあの中国、北朝鮮、ロシアからもすっかり舐められてしまいました。拉致問題や北方領土は一体どうなってしまうのでしょう。実に情けない限りです。
アーアー不動明王よ。願わくばその怒りの宝剣で制裁を下してください。 

■釈迦牟尼仏1
大震災から一ヶ月が経ちましたが、依然被災された方々の心痛と困窮と不安は計り知れません。一刻も早く復興に向けての展望が進み、被災された方々の心労が少しでも和らげますことをただただ祈るばかりです。
地震国日本列島にとって地震・津波は逃れることのできない運命なのかもしれません。先祖伝来の国土を見限ったり出来る筈もなく、只ただその現実を受けとめ一層の備えをしていくしかありません。掛け替えのない祖国、この「美しい国・日本」を再び築いていきましょう。
それと、まだまだ先の見えない原発の問題が一番の心配事ですが、今責任論や原発賛否論を言い合っている場合ではありません。勿論政府や東電の責任は重大です。「想定外」が絶対にあってはならないのが原発であるべきだかです。
ただ、原発反対を日頃訴え続けてきたわけでもない人が、今まで原発の電気の恩恵に与ってきておきながら、事ここに至って責任論を最優先にするのはほどほどにすべきでしょう。これまで電気の恩恵に"湯水の如く"浴してきた国民一人一人にも普遍の責任の一端は有ると思うからです。
停電の不便さを知り、ようやく節電の気運も高まってきたところです。被災地の不便さを思えばいくらでも節電できる筈です。被災者の気持ちを共有してこそ「日本は一つ」になれるのです。
「共有の心」が「思い遣りの心」であり「和の心」です。人類史上希に見るこの大震災をどう乗り切るか世界中が注目しています。日本は大きな和の国「大和」(やまと)の国です。「大きな和の心」で必ずや復興・再生します。ガンバレ大和の国・日本!
さて、本題に入りましょう。仏教の開祖、本家本元のお釈迦さまを知らない人はいない筈ですが、今回は13仏の二番目ということで改めて釈迦牟尼仏をテーマと致しました。知っているようで知らない面もあるかと思います。一緒におさらいしてみましょう。
我々は普通に「お釈迦さま」と呼称しますが、「釈迦」は部族名または国名なのです。そのため「聖者」「修行者」という意味の「牟尼」をつけて「釈迦牟尼仏」と呼称するのです。それに世尊や如来という称号を加え、釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼如来ともいいます。さらに称号だけを残し、世尊、仏陀、ブッダ、如来とも称します。いずれにせよ日本では一般的には「お釈迦様」で通じていますからそれはそれで良いかと思います。
誕生
およそ2500年昔、現在のネパール国境付近のカピラバースト国という小さな共和国に生誕されました。国城主シュッドーダナを父とし、妃マーヤーを母として誕生されゴータマ・シュダールタと名付けられました。
「ゴータマ」は「最上の牛」を意味し、「シュダールタ」は「目的を達した者」という意味だそうです。ゴータマは母親がお産のために実家に里帰りする途中、ルンビニの花園で休んでいたときに誕生されました。
ゴータマは生まれたとたん、七歩歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話したという、誰でも知っている話です。また、ゴータマはマーヤ夫人の右脇から生まれたという説もありますが、生まれた直後歩ける人間なんている筈もなく、これらは釈尊を崇める過程でできあがった伝説にすぎないと捉えて結構でしょう。
しかし問題は事実かどうかではなく精神です。人間ゴータマがお悟りを開らかれ如来となられ一切衆生を済度されたその意味合いがこの言葉に集約されていると考えられるからです。
「全世界で私が一番尊い」というその言葉の意味は誰にでもわかります。しかしその真意を理解できないととんだ誤解をすることになるのです。例えば暴走族などが特攻服などに「天上天下唯我独尊」などと刺繍してあるのは単なる「傍若無人」「自己中心」の粋がりの意味にすぎないのは言うまでもありません。
道元禅師が示されています「仏道をならうというは自己をならうなり・・・」の言葉通り、「自己」の答えこそまさに「天上天下唯我独尊」であることを悟るべきなのです。自己の実体を悟ることで「天上天下唯我独尊」(全世界で私が一番尊い)という極意が会得できるのです。
さて、話を戻しましょう。ゴータマの生後七日目に母マーヤーは亡くなってしまいます。その後は母の妹マハープラジャパティーによって育てられたそうです。当時は姉妹婚の風習があったことから、彼女もシュッドーダナの妃だった可能性もあるようです。
ゴータマは一族の期待を一身に集め、二つの専用宮殿の中で贅沢三昧に育てられ、教養と体力をしっかり身につけた聡明な立派な青年に成長しました。16歳で母方の従妹のヤショーダラと結婚し、一児をもうけラフーラと名付けました。
出家
よく知られた出家の動機として四門出遊の故事があります。ある時、ゴータマがカピラバースト城の東門から出た時に老人に会い、南門から出た時に病人に会い、西門を出た時に死者に会い生老病死の無常を感じたという。そして北門から出た時に一人の出家僧に出会い、世俗から離れた清廉な姿に感銘を受け出家の意志を持つようになったと伝えられています。
29歳になった12月8日夜半、かねてよりの念願であった出家の志を実行します。バッカバ仙人からアーラーラ・カーラーマ、ウッダカラーマ・ブッダの三人の師を訪ねたのですがすべて真の悟りを得る道ではないことを覚りウルヴェーラの林に入りました。
そこに父シュッドーダナはゴータマの警護も兼ねて五人の沙門(修行僧)を同行させたのです。いわゆる五比丘です。それから共に6年(7年の説もあり)間の修行と苦行を積み重ねたのですが、心身を極度に消耗するだけで一向に悟りの気配を窺うことはできませんでした。
ゴータマはこのままでは人生の苦悩を根本的に解決することはできないと悟って難行苦行での修行を捨ててしまったのです。共に修行をしていた五比丘たちはゴータマは苦行に耐えられず修行を放棄したと判断し、ゴータマの元を去りムリガーバ(鹿野苑)へ去ってしまったのです。
成道
それからゴータマは独りネーランジャナー(尼連禅河)で沐浴し、村娘スジャータの施した乳粥を戴き気力体力の回復を図り、ガヤー村の菩提樹の下で49日間の瞑想に入りました。そしてついに12月8日、暁の明星を見て大悟徹底されたのです。これを「成道」と言い、爾来ガヤー村は仏陀の悟った場所という意味のブッダガヤと呼ばれるようになったのです。
仏陀(覚者)となられたお釈迦さまは暫しお悟りの喜びに浸っていました。悟り・・・それは別名「涅槃」と言い、言葉では説明できない素晴らしい世界だったのです。それだけに「このまま無余涅槃に至ろう」と思われたのです。つまりこのまま3ヶ月の禅定を続けそのまま死を迎えるということです。
それを知った梵天と帝釈天は驚きます。折角仏陀となられたお釈迦さまがそのまま居なくなったら人類を救う人が居なくなってしまいます。そこで梵天と帝釈天はその「真理の法」を迷える衆生の為に説くよう勧められたのです。いわゆる「梵天勧請」です。三度の説得の末にお釈迦さまはついに衆生済度の決心をされたのでした。
そして、まず初めに共に苦行をした元の五人の仲間に自らの正しい悟りを伝えるべく鹿野苑に向かったのです。はじめ五人の比丘はお釈迦さまに対して、苦行から逃れた人として蔑んでいましたが、説法を聞くうちに心から帰依していったのです。これを初転法輪(しょてんぼうりん)といいます。つまり初めての説法をされたのです。 

■釈迦牟尼仏2 教団誕生
まだまだ大震災の収束に見通しがつきません。いまだ8500人以上の人が行方不明となっています。亡くなった人たちの無念さとご遺族の心中を思うとほんとうにこの世の不条理を恨むばかりです。
特に原発による被害は天災というより人災の思いが強く、人為を恨む心境が日毎に増してきます。ましてや、実態を正直に公表していない政府・東電には怒り心頭です。ただ、現場で日夜まさに命がけで働いている作業員こそほんとうに気の毒です。その人たちには感謝はもちろん、ただその無事を祈るばかりです。
伝道の旅
釈尊は成道後鹿野苑で五人の旧友に対して初めての説法をしました。これを初転法輪といいます。その内容は、主に「四諦八正道」の教えだったということです。かつての仲間たちはその教えに感銘し最初の弟子になりました。こうして仏教教団の第一歩がはじまったのです。
釈尊とその弟子五人の比丘は広く教えを伝えるための旅にでます。これより教団が発展していく過程を十大弟子の入信の経緯などを交えて見てまいりましょう。
釈尊はバーラーナシーに向かう途中ヤサという青年に出会いました。裕福な商人の息子であったのですがむなしい生活に悩んでいました。釈尊から三論・四諦を説かれ、その教えに感銘しヤサはその場で出家を決心しました。
その事実を告げられたヤサの両親は釈尊の言葉に感銘し、在家信者になりました。教団初めての優婆塞(うばそく)優婆夷(うばい)の誕生になったのです。
ヤサの出家は町の人々に衝撃を与えました。けがれのない新しい生き方を求めて次々と若者が出家したのです。ヤサの友人だけでも54人が出家したと言われています。出家者たちはわずかの間に次々と覚りを開き、60人の阿羅漢が誕生したのです。
釈尊は弟子たちにそれぞれが伝道の旅に出るように告げると、御自身はマガタ国へ向かわれました。 そこにはカッサパ三兄弟が住んでいました。彼等はバラモンで長男のバルバーラには500人の弟子が、次男のナディには300人、三男のガヤーには200人の弟子がいたといわれます。
釈尊は先ず長男のバルバーラの庵を訪れ説得を試みますがなかなか釈尊の説法を認めようとしませんでした。最後に釈尊は神通力で川面を渡るなどなんと3500もの奇跡を起こしたといわれます。
ついに釈尊の偉大さを認め、慢心を恥じたバルバーラは、大地にひれ伏して釈尊への帰依を誓い弟子になったのです。すると、彼の500人の弟子達も一緒に釈尊の弟子になったのです。このあと次男のナディと三男のガヤーもそれぞれの弟子を引き連れて釈尊の弟子になったのです。
釈尊が悟りを得てからこの間わずか半年で教団は1000人以上に増え、特定の集団を表すサンガ(僧伽)という言葉が使われるようになったのです。サンガは、修行と教えを説く出家者(比丘・比丘尼)と、戒律を守って寄進や布施をする在家信者(優婆塞・優婆夷)に大きく分けられます。
1000人の弟子を率いた釈尊は、マガタ国の首都王舎城に入りました。人々は尊敬を集めてきたカッサパ三兄弟が付き従っている釈尊を見て不思議に思いました。そんな彼等に、長男バルバーラは「釈尊こそわが師」と言って釈尊の足に礼拝し釈尊の偉大さを知らしめたのです。
釈尊の来訪を知ったビンビラーサ王は飛び上がらんばかりに喜び迎えました。それは、王はかつて、出家したばかりのシッダッタ太子(釈尊)に出会っていたのです。その時、悟りを開いたら必ず再会し、自分と国民のために説法をすることを約束し合っていたからです。
そして今、その約束通り釈尊が帰ってきたのです。王の喜びは大変なものでした。王は、12万の民と共に釈尊の元を訪ね、教えを受けたのです。その中のカランダカ長者という豪商が自身の所有する竹林園の寄進を申し出たのです。
それを受けてビンビラーサ王は、城から適当な距離に精舎(僧院)を建てる決心をしたのです。これが竹林精舎と呼ばれる仏教最初の寺院となったのです。
ラージャグリハというところにサンジャヤというバラモンがいて多くの弟子を持っていました。その中にいたのがサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)です。
二人は幼なじみの親友で共に出家し、サンジャヤの弟子になっていたのですが、日頃からサンジャヤの教えには満足していませんでした。ある日のこと、サーリプッタは町で釈尊の弟子アッサジに出会います。その威厳のある姿に魅せられて声をかけた結果、釈尊の説く縁起論に感銘し、親友モッガラーナ(目連)のもとに急ぎました。
二人は釈尊に帰依する決心をして、250人のサンジャヤの弟子を引き連れて竹林精舎へと向かったのです。その後、釈尊のもとで修行し悟りを開いた二人は、やがて智慧第一の舎利弗尊者と、神通第一の目連尊者として、教団の指導的重大な役割を担うことになるのです。
そして又ある日、釈尊は一人菩提樹の下で坐禅をしていました。そこにカッサパが通りかかったのです。彼こそ後の大迦葉尊者です。裕福なバラモンの家に生まれたのですが、早くから出家を望んでいました。
両親の死後妻と一緒に出家しました。(両親の死後離縁の説も有り)そんな彼がある日禅定の釈尊の前を通りかかったのです。
釈尊は静かに「カッサパよ」と声をかけました。カッサパはすぐに偉大な人だと気づき説法を聞きました。すぐに釈尊に帰依し、八日後には悟りを開いたのです。舎利弗尊者や目連尊者が亡くなって後、十大弟子の筆頭として釈尊の後継者になったのです。
コーサラ国の首都シラーバスティ(舎衛城)に、スダッタ(須達多)という豪商がいました。スダッタはマカダ国で釈尊の教えを聞き、深く帰依しました。そこでスダッタは、釈尊に「教団のために精舎を寄進いたしますので、コーサラ国へ来て教えを説いてください」とお願いしたところ快諾を得ました。
自国に戻ったスダッタは精舎を建てる土地を求め、祇陀太子の所有する園林の購入を申し入れたところ「たとえその土地に金貨を敷き詰めても売れない」と断られたのです。
それならばと、彼は実際にその地面に金貨を敷き詰め始めたのです。しかしいくら富豪の彼といえども全ての私財を投げうっても叶う現実ではありませんでした。
しかし彼の熱意に心を打たれた祇陀太子は一部を自分が寄進することで遂に園林を提供したのです。スダッタはそこに精舎を建て釈尊に寄進したのです。 これが祇園精舎です。京都をはじめ、日本各地にある「祇園」の地名は、この故事に由来しているのです。
マガダ国王、コーサラ国王、その王族や家臣たちが多く釈尊に帰依したという評判は釈尊の故郷カピラ国スッドーダナ王の耳にも届きました。その仏陀の勇姿を見たいと願った父王は九人の使者を送って、釈尊の帰郷を願ったのですが、みな釈尊のもとで出家してしまい戻ってきませんでした。
釈尊の太子時代の友人を10人目の使者として送り出した結果、ようやく仏陀釈尊の帰郷が叶ったのです。釈尊が悟りを開いてから六年目のことでした。
父王をはじめカピラ城の人々は釈尊を温かく迎えました。教えを聞いた父王は釈尊に帰依し、「わがサーキャ族は各家庭から一人以上の出家者を出す」という規則まで作ってしまったのです。
このことから、釈尊の実子ラーフラ(後のラゴラ尊者)、従兄弟アーナンダ(後の阿難尊者)やアヌルッダ、理髪師のウパーリ(後の優離波尊者)などなど、500人以上のサーキャ族が出家したのです。中でも阿難は釈尊が55歳の頃に侍者になって以来、釈尊のお側付きとして、秘書として釈尊が入滅するまでの25年間努めたのです。 

■釈迦牟尼仏3 教団興隆
3ヶ月以上経っても原発の被害はひどくなる一方です。メルトダウンどころか、実態はメルトスルーになって、核燃料が地中まで浸透しているという。いまさら水をかけても意味がない段階まできているとか。これから先一体どうなっていくのか、心配と怒りで一杯です。
「党のメンツはどうでもよい。菅おろしなどどうでもよい。10万人が風呂に入れるようにしてくれ」という声に早く応えてほしい。いつの時代でも国民は支配者に翻弄されるものです。例え民主主義社会といえども、権力の下に犠牲になるのは一般国民です。
今回の大震災による原発事故も、政府と電力独占企業の権力と奢りによってもたらされた結果と言えるでしょう。それは因果必然の理による当然の結果だということです。一民間企業が10兆円もの賠償を負うという、歴史に残る前代未聞の大失態に、情状酌量の余地はありません。
拙僧がなぜこんな厳しいことを言うかというと、それは政府、東電が、原発の事故の実態を正直に公表してこなかった対応にこそ、その腐った体質と本性が表れているからです。
津波直後、冷却システムが不能となってから間もなくメルトダウンは始まっていたという事実は識者、関係者の間では端から判っていたことだという。事態を正直に指摘した中村審議官が会見直後に飛ばされてしまったことなどまさに事実を隠蔽しようとした証拠です。
さらに、NHKをはじめ大手マスコミメディアまでも、こぞって、政府の発表以外の情報を国民に知らせようとしなかった事も分かりました。日本のメディアには政府贔屓の風潮があることも分かりました。
ほんとうのことは、政府としがらみのない一部のジャーナリストや海外メディアからの情報でしか伝えられなかったというのですから唖然です。日本のメディアに権力に阿る体質があるとしたら実に裏切られた思いです。NHKや新聞に高い金を払っているのが馬鹿らしくなってきました。
国民に真実が伝わらない社会はもはや民主主義社会とはいえません。愚かな政府と傲慢な電力独占企業に対してのガバナンスを無くしてしまったところにこそ、まさに今回の原発事故の原因があったと気づくべきです。国民はもっと怒るべきです。
弟子達の台頭と危機
釈尊の父スッドーダナ王の帰依と庇護により教団はいよいよ巨大化していきました。特にサーキャ族(釈迦族)からは、釈尊の実子ラーフラ(後のラゴラ尊者)をはじめ、従兄弟のアーナンダ(後の阿難尊者)とアヌルッダ(後の阿那律尊者)と、理髪師のウパーリ(後の優離波尊者)などが続々と出家し釈尊の弟子になったことは前回述べました。
祇園精舎の土地を寄進したのが給孤(ぎつこ)長者ですが、その甥に当たるのがスブーティ(後の須菩提尊者)です。常日頃伯父から釈尊のことを聞かされていたスブーティはある日祇園精舎に釈尊がお見えになると聞き、説法を伺いに行った結果その偉大さに魅せられて出家してしまいました。
これまで十代弟子の内八人について触れました。あと二人がプンナ(富楼那尊者)とカチャーヤナ(迦栴延尊者)です。二人とも弁舌に優れていましたが、プンナは主に庶民を相手に説法をして大衆から尊敬され「説法第一」と称えられました。
カチャーヤナは主に国王や貴族を相手に主に知識層の人たちといわゆるディベート≠通して布教されたのです。「論議第一」と称えられました。以上十大弟子の他にあと特異の弟子を三人紹介しましょう。その内の一人が「殺人鬼アングリマーラ」です。
コーサラ国の首都シラーバステにいたアングリマーラは、師に師の妻との関係を疑われ、「千人を殺し、その指を首飾りにして持ってこなければ許さない」といわれたのです。
彼は99人の殺人を重ね、あと一人で千人となった時、彼はなんと自分の母親に襲いかかったのです。そこへ釈尊が現れ、諄々と教え諭したのです。自分の罪深さに目覚め、仏弟子となったのです。それからの彼は別人のようにひたすら修行を重ね、ついに悟りを得たのです。
しばらくして、殺人鬼を捕まえようとバセーナデ王が500人の兵を従えてやってきました。事情を知った釈尊は言いました。「もし殺人鬼が私のもとで修行し、悟りを開いていたらどうしますか」
それに対して王は「捕える代わりに供養します。でもそんなことはありえません」と答えたのです。そして、仏陀・釈尊の指さした先には、静かに禅定にいるかつての殺人鬼アングリマーラがいました。その崇高な姿を見た王と兵士達は思わず手を合わせたといいます。
二人目の特異の弟子は、「最も愚かな弟子」と言われたチューラパンタカです。彼は、短い経文を4ヶ月かけても覚えることが出来ずにいました。同じように出家した兄からは「とても悟りは開けないだろう。諦めて家に帰った方がよい」といわれたのです。
それを知った釈尊は、彼に一枚の布を渡し、「これからは、毎日やってきた人の衣や履き物の埃をこの布切れで払ってあげなさい。その時『塵を払え、垢をとれ』と唱えなさいと申しつけられたのです。
来る日も来る日も、チューラパンタカは釈尊の教えの通りを実行したのです。そして何年か経ったある日、彼は突如悟ったのです。それは、『塵を払え、垢をとれ』とひたすら唱えたことで、彼の心の中の塵と垢である一切の煩悩が払拭されてしまったのです。
拙僧この話を知って私的に納得できるのは、『塵を払え、垢をとれ』の一句は当に「無字の公案」であったということです。公案はすべからく一切の煩悩からの解脱の手段ですから、まさに徹底単提の結果、本来の面目に遭遇されたということです。
多くの弟子の中には様々な弟子がいるものですが、最後に最悪と言われた三人目の弟子の話を紹介しましょう。アーナンダ(阿難)の兄弟のデーバダッタ(堤婆達多)です。アーナンダは釈尊の従兄弟ですから、彼もまた釈尊の従兄弟ということになります。
彼は釈尊の元で出家し、早い時期から頭角をあらわしました。しかし、釈尊の晩年、巨大化した教団の統制を図るため、教団内に厳しい五つの戒律を提案したのです。
ところが、釈尊にその戒律は厳しすぎると認められず、さらに極端な行動を戒められたのです。それに腹を立てたデーバダッタは、賛同する500人を引き連れ、釈尊のもとを去ったのです。
さらに彼は教団の乗っ取りを謀り、なんと釈尊の暗殺を企ててしまったのです。刺客を何人も放って暗殺を謀りました。しかし、みな釈尊に教化されて失敗してしまいました。
霊鷲山の上から、下にいる釈尊目がけて石を転がしたり、巨像に大量の酒を飲ませ、托鉢中の釈尊を襲わせたりしたのですが、どれも失敗してしまいます。最後に、デーバダッタは、自分の爪の間に毒を塗り釈尊を傷つけ毒殺しようとしたのです。ところが、指先の小さな傷から毒が回り、自分の命を落としてしまったのです。
教団にはいくつもの危機があったのですが、拙僧が思うに、その最大のことは、釈尊が最も信頼していた二人の高弟の死だったのではないでしょうか。サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)との死別です。
二人は幼なじみの親友で共に出家し、初期の教団をまとめあげました。特にサーリプッタ(舎利弗)は、般若心経の中に見られるように、釈尊より「舎利弗よ」と呼びかけられるほどの存在感のある立場だったのです。
目連は盂蘭盆の故事で有名ですが、彼は異教徒に対しては特に厳しく、釈尊のボディーガード役となって師・釈尊を護りました。過度の排斥行動から異教徒の恨みを買って最後は撲殺されるという悲惨な運命でした。
二人の死後間もなく、釈尊は弟子達を見回して申されました。「今ここに二人がいないことは大きな損失だ。しかし悲しんではいけない。すべてのものは無常である。大樹の葉が繁るとまず先に大きな枝が折れるのと同様に、二人は先にこの世を去ったのだ」
そして、釈尊はサーリプッタの遺骨を右手に乗せ言いました。 「いま一度、わが子の遺骨を見よ」アーナンダ(阿難)は号泣しました。 

■釈迦牟尼仏4 釈迦族滅亡
今月は、なでしこジャッパンの活躍に久しぶりに日本中が沸きました。体格に勝るドイツやアメリカの選手を相手に物怖じせず果敢に立ち向かい、優勝した結果はまさに奇跡の感があります。
しかし、今回の勝利は偶然に得られたものでは決してありません。それは、笑顔の監督の下、勝利を信じ、お互いがお互いを信じ切って、最後まであきらめない気持から幾つもの奇跡のゴールが生まれたといえるでしょう。
大型選手を振り切り、交わし、伸び伸びプレーする姿は、「柔よく剛を制す」の諺通り、判官贔屓の日本人にはたまらない興奮を与えてくれました。決勝戦では、アメリカよりも日本を応援してくれた国が多かったとか。判官贔屓の感情は世界共通のものかもしれませんね。
しかし、人生にもスポーツにも奇跡なんてありません。大事なことは、勝利を信じ仲間が一体となって、さいごまであきらめないで戦うフェアプレー精神です。そうすればそこに奇跡とも言える結果が生まれるのです。
結果はすべて原因と縁で決まるのです。今回なでしこジャパンがそれを証明してくれました。今後世界が「やまとなでしこ魂」を研究し始めるかもしれませんよ。
せっかく咲いたなでしこです。つぎは国民が守ってあげる番かもしれません。今朝の新聞に載っていた川柳です。
「咲かすより枯らさぬ努力なでしこを」
その隣にありました。「あと二つ民主党にもメドコール」
その近くにありました。「事故車両埋めて世界の開いた口」
不安と不人気の日本の政府ですが、中国の非人道的闇政権よりはましかもしれません。政治家こそフェアプレー精神を身につけて欲しいものです。
仏の顔も三度
釈尊の出身サーキャ族(釈迦族)は実は釈尊存命中に滅亡したのです。今回はその経緯についてお話しましょう。
当時のインドはコーサラ国とマガダ国の二強が覇権を争っている時代でした。釈迦族のカピラバットウ国はコーサラ国の属国だったのです。
コーサラ国の前王バセナーディ王が特に釈尊を崇拝し深く仏教に帰依していた縁もあって、現国王は、妃を娶るにあたり、釈尊出身の地である釈迦族から妃を迎えたいと願い、使者を釈迦族に遣わせたのです。
ところが、この使者が問題でした。属国の釈迦族が妃を差し出すのは名誉なことだし、当然だという横柄な態度に釈迦族の人たちはすっかり臍を曲げてしまったのです。
長年コーサラ国の属国として隷属に甘んじていた釈迦族にとって好ましい縁談ではなとして、ある王族とその召使いとの間に生まれた娘を王族の嫡子と偽って嫁がせてしまったのです。これがすべての悲劇の始まりでした。
何も知らないコーサラ国王は、その見目麗しい娘を第一夫人として寵愛したのです。やがて男の子が誕生し、バドーダバと名付けられました。その王子が八歳になったとき、弓術を習うため母の故郷カピラバットウ国に留学することになったのです。
その母の故郷で知らされたのはなんと母の出生の秘密でした。バドーダバ王子は下女の子という理由からひどい屈辱を受けたのです。若い王子が受けた心の傷は相当のものでした。やがて成長し国王となってもその怨念は収まることはなく、ついに釈迦族を滅ぼそうと決心するに至ったのです。
コーサラ国王となったバドーダバは大軍を率いてカピラバットウに出兵します。事態を知った釈尊は、母国を想うあまりなんとか侵攻を止めさせようとして、コーサラ軍の通る道端の枯れ木の下で坐禅をされたのです。
そこに通り掛かったバドーダバ王は釈尊に訳を尋ねました。「お釈迦様、他に繁った木があるのに、なぜ枯れた木の下にお座りですか」 釈尊は答えました。「枯れ木でも親族の木陰は涼しいものです」と、滅び行く一族を枯れ木に例え暗に撤退を願ったのです。
その思いを汲み取ったバドーダバ王は、そこから軍を取って返したのです。しかし、怒りの収まらない国王は、やがて再び進軍を始めます。そして、その時も同じ場所に釈尊は坐禅をされていたのです。偉大な釈尊の前を素通りすることも出来ず、軍は再び折り返したのです。
その後さらに三度目の侵攻があり、同じように釈尊の禅定のお姿にコーサラ軍は進軍を諦め引き返したのです。
そして、やがて四度目の侵攻が始まりました。しかし、その時には、もはやそこに釈尊のお姿は有りませんでした。釈尊は、「滅びゆくものは滅び行くにまかせるしかない・・・」と申され、遠くからコーサラの進軍を見送ったのです。
「仏の顔も三度まで」・・・でした。釈尊の故郷、サーキャ族(釈迦族)の小国カピラバットウ国はこうして大国コーサラ国の大軍に為す術もなく滅亡したのです。
宗道者は政治とは無縁でなければならないと政治不介入を貫いた釈尊が、その生涯において唯一政治に関与された出来事でした。
弟子の目連尊者がその神通力を使って釈迦族の救済を申し出たのですが、釈尊は、「釈迦族は今日、宿縁がすでに熟した。今まさに報いを受くべし」『増阿含経』と申され、目連の申し出を断り、すべては因果必然の業報だと教示されたのです。
釈迦族の滅亡への因果の流れは、世尊お釈迦さまにしてさえ、どうすることも出来なかったのです。その「因果業報」は、個人のみならず、団体、社会そして国家、さらには地球全体にも及んでいる道理なのです。
今日本が直面している最大の問題は原発事故ですが、その因果の悪影響が日本中のあらゆる個人、家族、会社、団体、地方、国家のみならず、諸外国までも巻き込んでしまっています。
原子炉から流れ出た核燃料がコントロールできないように、一端流れ出た因果の流れは途中で止めることは絶対にできません。人生に想定外はつきものですが、人は自己責任による不幸だけは避けなければならないことを釈尊は示されたのです。
すべての個人、会社、団体、そして国家が、「修善奉行」「諸悪莫作」の教えを今一度肝に銘じるべきでしょう。 
 

 

■釈迦牟尼仏5 七つの法
「当たり前」のありがたさ
ごく最近、一人のおじいさんが当山を訪れました。聞くところによれば、福島県の双葉町からこの館山で避難生活をされている家族で、自分は81歳になるとのこと。
放射線で、自宅の仏壇にも檀那寺にもお参りできないことで気持ちが落ち着かず、お盆が過ぎた今、居ても立っても居られず、同じ曹洞宗のお寺を探してこちらへお参りに来たとのことです。
本堂にご案内し、ご本尊さまにお線香を手向けられたら「これでやっとほっとしました」といって安心されていました。暫し、福島の悲惨な現状を伺いましたが、返す言葉に窮しました。
今回の大震災と原発事故から、"当たり前"の生活がどれほど"有難かった"か、思い知らされました。「当たり前」を「当然」として受けとめてきた多くの日本人は、今こそその認識を改めるべきでしょう。
「当たり前」が「当たり前」でなかったと気づいたとき、人ははじめて感謝の気持ちになれるのです。すなわち、「有ること難(がた)し」の「ありがとう」になるのです。人はみんな"有り難し"の中で生かされているからです。
水も空気も、大地も海も空も、大自然は人間にとって決して当たり前の"私物"ではないのです。古来、人は大自然を敬い、その恵みに感謝し神殿を祀り絶えず報恩の気持ちを捧げてきました。それが近来、科学の発展に伴い万事人間優先の便宜至上主義の結果大自然をないがしろにしてしまいました。
その奢りの最先端にあったのがまさに原子力でしょう。もし大自然を敬う心があれば、原発をこれほどまで過信することは無かったでしょう。多分会社にも発電所にも自然を敬い安全を祈願する大神宮様や守護神様は祀られてはいなかったでしょう。(これは想像です。間違っていたらごめんなさい)
これまで、われわれは豊かさの限度を忘れて、空気も水も食糧も、電気も石油も「当たり前」のこととして浪費してきました。ところが、空気も水も食料も、電気も石油も実は「当たり前」のものではなかったと気づかされたのです。
人は「当たり前」でないと分かったときに「ありがとう」の気持ちになれると言いましたが、実はそれに加え自分自身の存在も、置かれている環境の全てもまさに「有り難い」存在なのです。だから、人は絶えず神仏に感謝することを怠ってはいけないのです。報恩感謝の心無くして神仏のご加護と幸福は得られません。
七つの法
釈尊はネパールのルンビニーで生誕され、悟りを開かれた後、各地を巡錫されましたが、その活動の場は主にガンジス川の中流域でした。釈尊がラージギルの霊鷲山において説法をしていた頃のことでした。
当時この辺りで最も強国であったのがマカダ国でした。そのマカダ国からガンジス川を隔てて繁栄していたのがヴァッジ族でした。共和制が敷かれ商工業が栄え非常に裕福な部族でした。
マカダ国の王はその隣国を疎ましく思い攻め滅ぼそうと考えたのです。そこで、マカダ国王は釈尊のもとに使者の大臣を遣わして、その是非を尋ねました。釈尊は直接大臣にはお答えにならず、弟子のアーナンダを介してヴァッジ族が繁栄している理由を七つ挙げて質問をされたのです。
1. ヴァッジ族の人々はよく集会を開き、正しいことを論じているか
2. 君主と臣下が協力し、身分の上下を弁えお互いに尊敬し合っているか
3. 法律を遵守し、礼節を重んじているか
4. 父母に孝行を尽くして目上のものを敬っているか
5. 部族の霊域を敬い、祖先の供養をよくしているか
6. 男女間の礼節をよく守っているか
7. 尊敬されるべき出家者たちに正当な保護と支持を与えているか
これらの質問に対して、特派の大臣はすべて、「はい、その通りです」と答えたのです。これを受けて釈尊は「ヴァッジ族がこの7つの法を守っているあいだは、彼等はいっそう繁栄し衰えることはないだろう」と言い、暗にヴァッジ族を滅ぼすことは許されないことだと説かれたのです。
おそらくは、釈尊にはコーサラ国によって無念にも滅ぼされたわが愛しの釈迦族の因果を鑑みての強い思いがあったに違いありません。ヴァッジ族はまさに釈尊の威光と見識によって救われたのでした。この7つの法をあらためて見てみると今の時代にもそっくりそのまま適用する実に大事な道理だということがわかります。今一度これら7つの意味を吟味してみる価値はありそうです。
1. ヴァッジ族の人々はよく集会を開き、正しいことを論じているか人の集団の中で正しいことが論じられなければ民主主義社会ではありません。 しかし、当時から2500年経た現代でさえ民主主義は難しいのです。 エジプト、リビアなどやっと民主化されましたが、まだまだ非人道的独裁国家は存在するのです。
2. 君主と臣下が協力し、身分の上下を弁えお互いに尊敬し合っているかどんな国家社会でも指導者がいて、指導される民がいるのです。 大事なことは基本的人権が尊重されているかどうかです。
3. 法律を遵守し、礼節を重んじているか法律や義務は社会秩序のためには絶対必要不可欠のものです。 さらに礼節は道徳文化の規範であり、個々の尊厳と民族の誇りを表すものです。 倫理と誇りを失った社会こそ犯罪社会なのです。
4. 父母に孝行を尽くして目上の者を敬っているか父母への敬意と孝行こそ倫理道徳の原点です。 かつての日本は三世代家族が当り前でしが、現代は核家族が普通になってしまいました。 子や孫に孝行の場が無くなってしまったことが、虐待社会の要因になってしまったのです。
5. 部族の霊域を敬い、祖先の供養をよくしているか部族伝来の土地に守護神を祀り、祖先への報恩感謝を怠らない心です。 信仰心を持つということです。自然や神を崇めない人は魂の拠り所のない人です。 信仰こそ心の拠り所なのですから。
6. 男女間の礼節をよく守っているかこの礼節なくして一家の幸福も一族の繁栄もありません。 現代社会、特に今の日本にこそ一番求められる礼節ではないでしょうか。
7. 尊敬されるべき出家者たちに正当な保護と支持を与えているか出家求道者が尊敬保護される社会こそ安心社会なのです。 特に仏教では三宝といって、仏、法、僧に先ず帰依することから始まります。 なぜならば、文字通りこの"三宝"こそ人々の救いの拠り所となっているからです。 しかし、この三宝を真に理解し、布教できる人が居ない現代こそ悲しい限りです。 

■釈迦牟尼仏6 最後の教え
真の「絆」とは
千年に一度と言われる大地震による大津波。その天災によって引き起こされた原発事故という大人災。
天災は仕方ないという気持ちにもなりますが、人災は絶対に許されないという気持ちになります。そしてその責任をとってもらわない以上絶対に納得できません。
では、今回のその責任の所在はどこにあるのでしょう。国策として推進してきた原発事業である以上、その責任はまず、政府にあると言えるでしょう。次に、その政治家を選んだのが一般国民である以上、一般国民にも間接的責任があり、国民は加害者、被害者双方の当事者だとも言えるでしょう。
しかし、なんといっても一番の加害者は東電であることに間違いはありません。本日の新聞には、その当面の賠償額の見積が4兆5400億円だと載っていました。しかし、お金で済む問題では決してありません。大事なことは誠意です。
ところが、ほとんど塗りつぶした事故報告書だとか、やたら難しい補償請求書の内容だとか、追加請求しないという一方的合意書の要求だとか、あまりにも被災者をバカにした態度に、東電に反省の様子はまったく認められません。
そのおごりから推して知るべきです。電力独占巨大企業の長年のおごりがもたらした、起こるべくして起こった、まさに因果と言われても仕方ありません。今回たまたま東電が「一番籤」だったというだけのことであり、東電でなくとも、いつか必ずや他の電力会社に起こることだったと認識すべきでしょう。
野田総理は原発の安全を最高水準にもっていくと言っていました。それで安全が保障されるならば、是非東京に作ったらどうでしょうか。原発はすぐには無くせないという人が多いようですが、それならば、その人達は自分のところに持ってきてもよいと認めてのことでしょうか。
自分さえよければと、考えている人は、東電の無責任の輩(もちろん中には良心的な人もいますが)と同等ではないでしょうか。原発賛成、反対は、まず自分の立場を当事者、被災者の中に入れてからの判断です。真の「絆」とは、相手の立場が理解できてはじめて生まれるものです。
自灯明・法灯明
王舎城の霊鷲山に住されていた釈尊は80歳を迎えようとされていました。
大悟成道されて以来40余年の歳月が流れていました。多くの人々を教え導いて来られ、もはやその尊い役目も終わりに近づいてきていることを感じられたのでしょうか。
ご自身の身体の衰えを「私の体はちょうど古い車が革紐の助けを借りてやっと動いているようなものだ」(大般涅槃経)と表現されています。身体の衰えとともにご自身の入滅の近いことを悟られた釈尊は、生まれ故郷のカピラドットウに向かって旅に出る決心をします。
侍者のアーナンダと数人の弟子を従えた、およそ350キロもの長旅です。ご高齢の釈尊にとって最後の旅立ちとなったのです。その様子が記されているのが大般涅槃経です。
王舎城を出た一行は、まずアンバラティカーに行き、そこの王の園林に逗留し、次にナーランダー村に行きました。ナーランダーは五世紀になって仏教の大寺院が建立されましたが、当時は広々とした農村地帯でした。
釈尊はマンゴー林に止住され多くの修行者に説法されました。ナーランダーは5〜12世紀には仏教教学の一大中心地として栄え、玄奘三蔵や義浄もここで学んでいました。当地で研究された仏教哲学は法相宗として日本に伝わりました。
次に釈尊はバータリー村に行きました。ここは当時はガンジス川南岸の船着き場としての小さな寒村でしたが、後にバータリプトラと呼ばれる大都市になりアショカ王の都城として栄えました。
釈尊はここからガンジス川を渡り、対岸のヴァッジー国に入りました。対岸にあった村はコーティ村と言い、そこから更にナーディカ村を通ってヴァーサリー市に至りました。
釈尊は通る村々において、集まった村人達や随行の弟子達にそれぞれに適した法話をなされ、人々を励まし、鼓舞し、歓喜されたのです。
やがて釈尊一行は商業都市ヴェーサリーにやってきました。そこには遊女アンバパーリーの園林がありました。当時、修行者は土地の所有者に断り無く立ち入ることができました。彼女は釈尊が自分の園林に止住されることを知り大変喜びました。
彼女は釈尊に対して心を込め敬礼しました。釈尊は法話を説かれ、訓戒し、鼓舞し、彼女の心を満足させました。彼女は釈尊に食事の供養を申し出ました。釈尊は快諾しました。
そして、貴族の若者達が大勢で訪れ、釈尊を食事に招きましたが、先約があると言ってそれを断わりました。身分制度の厳しいインドにおいて、遊女アンバパーリーの接待を優先されたのです。供養を終え、喜びに溢れた彼女は自分の園林を教団に献じました。
一行が次の村、竹林村に到着した時に雨期が始まりました。インドでは雨期が四ヶ月間続きます。毎日スコール性の強い雨が降ります。それゆえ、釈尊はこの雨期の三ヶ月間、一ヶ所に止住してそこで修行をする「安居」(あんご)の制度を設けられていました。
この時も雨期が始まりましたので、弟子達にそれぞれ縁故者を頼って宿所を見つけ、三ヶ月の雨安居に入るよう命じられました。教団は一ヶ所に留まらない遊行生活が基本でしたので、生活はとても不便で苦しいものでした。
しかし、このような苦しい生活に堪えて巡錫することが修行であり目的であったのです。竹林村にて釈尊もいつものように雨安居の生活を始めておられたある日のこと。釈尊はひどい腹痛に襲われました。釈尊は三昧に入りなんとか堪えておりました。やがてその病気は治まり回復してゆきました。
侍者のアーナンダは釈尊の様子をみて、「仏陀よ、ご機嫌うるわしくお見受けいたしますが、師のご病気が心配で私は方角も道理もわからなくなりました。師が修行僧の教団に関して、何も言い残さないで涅槃に入られることはないであろうか、と考えて大変不安になりました。」
釈尊は申されました。「それでは修行僧の教団は私に対して何を期待するのか。私は内外の隔てなく教えを説いてきた。アーナンダよ、如来の法には、何ものかを弟子に隠すような教団の握拳(秘密の教え)は無い。
アーナンダよ、今や私は老い、衰え、人生の終わりに達した。例えば、古い車が革紐で修理されて動くように、私の身体も、いわば革紐の助けによっているのだ。」
そして、弟子達が釈尊のみを頼りとしていることの非を諭されました。「自己を島として住し、自己を帰依処として住せよ。他を帰依処とせざれ。法を島として住し、法を帰依処として住せよ。他を帰依処とせざれ。」と述べられたのです。これが即ち、釈尊の最後の教え「自灯明・法灯明」です。
「自己を拠りところとし」の真意は、修行こそ自己実現であるということ。真の自己に目覚めることが仏陀であり、それが即ち極楽浄土の「唯我独尊」の主だということ。
「法を拠りところとせよ」とは、「法」は釈尊の教えであると同時に釈尊自身であるということ。この認識が大事です。「法」は永久不変の真理であるから、釈尊自身も久遠の存在になるということ。すなわち「久遠仏」となって説法されているということ。
人はすべて「心」によって決まります。心がすべてである以上、自己を拠りところにするしかないのです。「良い心」も「悪い心」も、それはあなた(自己)次第です。 

■釈迦牟尼仏7 チュンダの功徳
真の「おもいやり」とは
原発への過信から、とんでもない事故が起こり、国家、国民に与えた損害は甚大なものです。一民間企業の事例としては史上最悪のものになるかもしれません。このとんでもない賠償責任に果たして東電だけが負えるものでしょうか。
その責任を考えた時に、原発という巨大利権に群がってきた関連企業101社からなる日本原子力産業協会にも当然その賠償責任は及ぶべきでしょう。あるマスコミによれば、その協会の埋蔵金は80兆円にもなるそうです。東電ばかりにおっかぶせるのではなく、仲間としての責任と「おもいやり」を示して欲しいものです。
他人に危害や損害を与えた場合、それを償うことが、人間社会の責務であり常識です。故意であれ、過失であれ、その責任は免れません。その幅は罰金から死刑にまで及んでいて、人の命を危めた場合など、大変な償いを求められます。
あなたは、自分の命の価値をどの位に思っているのでしょうか。少なくとも生命保険の死亡保証金の額では納得していない筈です。もし、仮に過失であれ、あなたの命が奪われたら、相手にどのような賠償を求めるのでしょうか。ご存知のように、お釈迦さまは、誤って毒茸を食べさせられたことがもとでお亡くなりになりました。その「過失」に対して、お釈迦さまは、相手に何の非難も賠償要求もしませんでした。それどころか、「私に最後の食事を供養してくれた最高の功徳者」だと称えたのです。
その御心は我々凡夫にはなかなか計り知れない境地ではありますが、その境涯こそ仏陀の大慈悲心に他なりません。その仏陀の徳に少しでもあやかり、真の「おもいやり」とは何か考えてみたいものです。前回に続いて大般涅槃経から学んでみましょう。
チュンダの供養
雨安居を終え、弟子とともにヴァーサリー市を出発した釈尊は故郷カピラドットウを目指し、さらに北に向かって歩き始めました。
いくつかの村を通過し、パーバー村につきました。そして、鍛冶工チュンダの所有するマンゴー林に滞在することになりました。
これを知ったチュンダは大変喜んで早速釈尊を尋ね恭しく敬礼しました。釈尊は法話され、チュンダは深く諭され、鼓舞され、喜びました。
そして、「尊い師よ、どうか明朝わたしの家で食事の供養を受けてください」と申し上げました。釈尊は沈黙をもって、この申し出をお受けになったのです。
チュンダは、夜も明けないうちから様々な美味しい料理を作りはじめました。用意ができたことを受け、釈尊は弟子とともに鍛冶工チュンダの家に行き、食卓につかれました。
釈尊はおっしゃいました。「チュンダよ、汝の用意した茸は私に供養しなさい。そして、残りの柔らかい食べ物、かたい食べ物を修行僧に供養しなさい」チュンダは指示に従って、料理をそれぞれに供されました。
そして、釈尊は更にチュンダに言われました。「チュンダよ、残った茸はすべて穴に埋めなさい。この茸を消化できる人は、如来以外に、天人の世界にも人間の世界にもいない」
チュンダは言われた通りに、残った茸をすべて穴に埋めました。その後で、チュンダは釈尊に近づき、敬礼し、一方に座しました。座したチュンダに対して、釈尊は法話をし、彼をさとし、鼓舞し、喜ばしめました。そして、座より立って去りました。
このとき鍛冶工チュンダが供養した「茸」は、原語では「スーカラ・マッダヴァ」と言います。漢訳では「栴檀樹耳」とか「柔らかい豚の干し肉」と訳されますが、日本では「毒茸」説が一般的です。
ところが、チュンダの家から帰る途中、釈尊は突然激しい痛みを感じ、下痢による出血が止まらなくなりました。その苦痛に耐えながら、阿難に言われました。「さあ阿難よ、クシナガラへ行こう」 「かしこまりました」と阿難は答えました。
釈尊は病をおして、バーヴァーからクシナガラへの道を歩いておられました。やがてお疲れになったので、一樹の下で休まれることになりました。そして阿難に言われました。
「阿難よ、私のために上衣を四重にして敷きなさい。私は疲れた。坐ろう」ここで言う「上衣」とは、「僧伽梨衣」(そうぎゃりえ)と言って、二メートル四方位の大きな布のことで、体に巻き付けて「袈裟」として着ているものです。
上衣でできた床に、釈尊は坐して、阿難に言われました。「水が飲みたいから、水を持ってきてほしい」しかし、近くの小川の水は濁っていてとても飲めたものではなかったので、阿難は、「この先のカクッター河まで、辛抱なさいませ」と申し上げました。
しかし、釈尊の喉の渇きはひどく、三度も所望されました。ついに阿難は「かしこまりました」といって、濁った小川に行きました。そしたら不思議なことに、その小川の水は綺麗に澄んで流れていたのです。阿難は、釈尊の神通力によるものだと感嘆しました。そして鉢に水を汲み、釈尊に差し上げたのです。
そのとき、ブックサという商人が通りかけました。彼は、一樹の下で心静かに休んでおられる釈尊を見て深く心を打たれました。彼は釈尊の威光に深く感銘し、信者になりました。そして、釈尊と阿難に柔らかい一対の金色の絹衣を献上しました。
阿難が釈尊にその金色の美しい衣をお着せしました。すると、不思議なことに、釈尊の皮膚の色が金色に輝き出したのです。
すると、釈尊は申されました。「阿難よ、如来は二度皮膚の色を金色に輝かせる。この二つの時間に、如来の皮膚の色はきわめて清らかに、美しくなるのである。一度目は、無上の仏陀の悟りを得た夜であり、二度目は、無余依涅槃界に入る夜である。
阿難よ、今夜の夜の終わる最後に、クシナガラのマッラー族の林の沙羅双樹の間で、余は般涅槃に入るであろう。さあ阿難よ、河へ行こう」
ブックサが持ってきた柔らかい金色に輝く一対の絹衣によって釈尊の体は金色に輝いたという、現代の仏像が一般的に金色に輝いているのは、この故事に来歴していたのですね。
釈尊は修行僧とともに、カクッター河へ行きました。そして水に浸り、水浴し、水を飲み、対岸に渡ってマンゴーの林へ行きました。そこで釈尊は鍛冶工チュンダに後悔の念の起こらないようにと説法されました。
「阿難よ、チュンダの後悔の念は、次のように排除されるべきである。『汝の差し上げた最後の供養の食べ物をおあがりになって、般涅槃されたのであるから、汝は利益があり、大なる功徳がある』と、チュンダに伝えてほしい。
無上の供養に二つあり、一つは、如来が仏陀の悟りを得られた時の、その供養の食べ物であり、もう一つは、如来が無余依涅槃界に入られる時の、その供養の食である。 この二つの供養の食べ物は、等しい功徳があり、等しい利益がある。
鍛冶工チュンダは寿命を延ばす業を積んだ。鍛冶工チュンダは容色を増す業を積んだ。鍛冶工チュンダは安楽に導く業を積んだ。鍛冶工チュンダは名声を増す業を積んだ。鍛冶工チュンダは天界に生まれる業を積んだ。鍛冶工チュンダは王権を得る業を積んだ。阿難よ、このように鍛冶工チュンダの後悔の念は排除されるべきである。」
チュンダの後悔の念を取り除こうという、釈尊の深い思いやりの心が伝わってきます。 

■釈迦牟尼仏8 入滅にのぞみ
永遠の命とは
死んだらどうなってしまうのだろうか。地獄や極楽は本当にあるのだろうか。自分は一体何処へ行くのだろうか。誰もが抱いている大疑問です。人はその答えが解らないから苦しいのです。
人類で初めてその答えを見付けた人、それが釈尊です。釈尊は、その答えを"発見"し、大安心(だいあんじん)を得られました。その一切の苦悩がない世界を、すなわち"極楽"といいます。
"発見"した世界ですから、極楽はまさに"実在"するのです。釈尊は、この「一切皆苦」の現世で苦しんでいる一切衆生に、なんとか「安心」を得させんとされて、その「方法」を説かれました。これが即ち「仏法」です。
「仏法」は一切の苦悩から解放されて安心を得るための正に人生のテキストとなのです。しかしですよ。"テキスト"である以上、単なる方法論であって、そこから安心そのものが直接得られるわけではありません。つまり、テキストに書かれた「安心」は、いわば"絵に描いた餅"であって、"本物の安心餅"ではないのです。では、本物の安心餅を味わうにはどうすればよいのでしょうか。
それには、仏法を"実践"することです。それを「仏道」と言います。仏道の実践なくして本物の"安心餅"を食べることはできないのです。それが「一切皆苦」から解放される唯一の道なのですから。
もしあなたが、仏教に興味を持ち、多くの仏教書を当たり勉強していたとしたら、実に尊く素晴らしいことでしょう。しかし、どんなに知識を詰め込んでも、それが画餅の域を出ないものだとしたら、実に勿体ないことです。
さて、釈尊は、ご自身の死を目前に、泰然自若として法を説かれました。そこには一点の迷いも、不安も、嘆きもありません。それは正に解脱を得、「生」と「死」の一如の世界に安住されていたからに外ありません。
生死一如の世界にもはや大安心以外のものはありません。そこがすなわち、彼岸、涅槃、浄土、極楽の世界であり、"永遠の命"を得た久遠仏の世界なのです。釈尊は横臥され、今まさに黄金色に輝き、尊厳に満ちた如来の姿で久遠仏として入滅されんとしています。前回に引き続き大般涅槃経からその様子をみてまいりましょう。
阿難の嘆き
釈尊がチュンダの供養受けられたのが正午前でした。出家者の食事は、正午以後には許されないからです。チュンダの家を出発された釈尊は、病気に苦しみながら、クシナガラに通じる大道を進んでいました。
ようやくクシナガラにたどりついた釈尊は、マッラ族の住むウパバッタナ村の林に入りました。釈尊は阿難に言われました。「さあ、アーナンダよ、汝は私のために、沙羅双樹の間に、頭を北に向けて床を用意しなさい。私は疲れた。横臥しよう」
「かしこまりました。尊い師よ」と阿難は答えて、二本の沙羅双樹の間に床を敷きました。そして、釈尊は右足の上に左足を重ね、獅子臥をなし、思惟を正しく保ち、しっかりした自覚をもって、休まれました。
このように、釈尊が沙羅双樹の間に横たわられますと、その時、ときならざるに沙羅双樹の花が咲きはじめ、すべての花は満開になりました。花は釈尊を供養するために咲き、そして花びらが釈尊に降りそそぎ、あたり一面を花びらが散り敷きました。
林が真っ白い花で一杯になったので、これを「鶴林」とか「つるの林」などと言われます。「涅槃経」には「沙羅の林が白く変じて、白鶴のようであった」と述べられていて、それに由来しているそうです。
奇瑞はそれだけではありません。涅槃経によりますと、天上から花や香が釈尊の体の上に降り注ぎ、さらに空中に音楽が奏でられ、天人達が釈尊を供養したというのです。
しかし、釈尊は阿難に告げられました。「このように花や香、音楽などによる供養は真の供養ではない。真の供養とは、法に従って正しく実践することであり、如来を敬い、尊び、最上の供養を施すことである。アーナンダよ、このように学ぶべきである」と説かれました。
また、阿難は釈尊の葬式について質問します。「世尊よ、私たちは世尊の舎利(遺骸)を、どのように処理したらよいでしょうか」
「アーナンダよ、汝らは如来の舎利の供養にかかずらうな。いざ、汝らは、真実の目的のために精進せよ。正しい目的のために、放逸せず、熱心に精進せよ。如来に信心をもつ王族の賢者たちや、バラモンの賢者たち、居士の賢者たちが如来の供養をするであろう」
釈尊はこのように答えられて、出家の弟子たちに、自分の葬儀に関係したり、遺骨の礼拝や供養をすることを禁止されたのです。そして、信心ある在家の賢者たちが自分の葬儀に関わるであろうと申されたのです。ゆえに、釈尊が亡くなられて葬儀をしたのは、マッカラー人達でした。そして、火葬のあと、舎利を集めて、塔を建てたのも在家信者たちでありました。
釈尊が最後の説法をされている間に、阿難は釈尊が涅槃に入られるのを悲しんで、すすり泣きをしていました。「世尊が涅槃に入られるのは、何と早いことであろう。わたしはまだ修行が完成していない。まだ修行中であるのに、それなのに、わたしを捨てて般涅槃されてしまう」と言って嘆き悲しんでいました。
そこで釈尊は阿難に言われました。「やめよ、アーナンダよ、悲しんではならない。嘆くのをやめよ。かつて私は汝に言わなかったか、『すべて愛するもの、好めるものといえども、生別し、死別し、死後には境界を異にする』と。
アーナンダよ、すべて生じたもの、存在するもの、つくられたもの、破壊すべき性質のものを、それを破壊しないようにということが、どうしてあり得ようか。 そのような道理はあり得ない。
アーナンダよ、汝は長い間、慈悲のある、利益のある、純一な、はかり知れない言葉と行為と心とによって、私に仕えてくれた。アーナンダよ、汝は功徳をなした。努め励め。遠からず煩悩を尽くして、悟りを得るであろう」と言って阿難を慰めました。
そしてさらに修行者たちに言われました。「アーナンダは賢者である。四つの不思議にして、珍しい能力がある。その四つと言うのは何であるか。もし、修行僧たちが、アーナンダに近づくならば、会っただけで、彼等は喜びを感ずる。もし、アーナンダが説法すれば、それを聞いた者は喜びを感ずる。もし、修行僧たちが満足すれば、そのときアーナンダは沈黙する。もし、修行尼の集団、在家者の集団、在家信女の集団がアーナンダに近づくときもまったく同じである」
このとき阿難は釈尊に申し上げました。「世尊よ、世尊はクシナガラのような小さな町で般涅槃にお入りになるべきではありません。他の大きな都城、たとえばチャンバー、王舎城、舎衛城、サーケータなど、そこには多くの裕福な王族やバラモン、居士たちの大きな会堂があり、世尊にふさわしい舎利供養が施されるでしょう」
これに対して釈尊は、「アーナンダよ、そのように言ってはならない」と阿難の言葉を制止されました。そして、阿難に、ご自身が般涅槃されることをクシナガラの住民に知らしめるよう命じられました。
これは、「釈尊が生きておられるうちに、もう一度お目にかかった」と、人々が後悔しないように配慮されたからです。「アーナンダよ、行きなさい。クシナガラのマッラー族に告げなさい。今夜の最後に如来の般涅槃があるでしょう、と」 

■釈迦牟尼仏9 最後の弟子
命の尊厳
故人にとって人生最期の"舞台"、それが通夜、葬儀です。"舞台"などとは不適切な表現かもしれませんが、敢えて申せば、それが故人にとっての最後の"主役"の場だからです。
「人生、百人百様、同じようなものなど二つとないのが人の人生です。その唯一無比の"主役"が、今ご自分の一生に満足し、肉親、縁者のみなさまに感謝し、従容として浄土に旅立たれんとされています。その心境が穏やかなお顔立ちになって表れています・・・」たいていの通夜で拙僧が述べる言葉です。
臨場の肉親、縁者は故人に感謝し、徳を称え、哀悼を捧げ、"主役"の冥福を祈ります。人生終焉の"舞台"はしめやかに"終演"を迎えようとしています。まさに尊厳ある"旅立ち"といってよいでしょう。
拙僧、住職になって以来多くの葬儀をつとめてまいりました。そのほとんどはそのようなしめやかな尊厳に満ちたものでした。そんな"演出"が人として当たり前の最期だと思っていました。いや、今でもそう思っています。人の命ほど尊厳あるものはないと思うからです。
しかしそれが、今年、とんでもない災害が東日本を襲い、何万人もの罪もない人達の尊い命が一瞬にして奪い去られてしまいました。しかも人としての尊厳さえも打ち砕くようなあまりにも無惨なかたちで・・・
「さようなら」「ありがとう」の一言も言えずに、亡くなった人の無念さを思うとたまりません。残されたご遺族の気持ち、未だ行方不明の方のご家族の気持ちは如何ばかりか、そのうえ家や財産など一切を失った絶望感は想像を絶するものです。いくら自然災害とはいえ、あまりにも不条理です。
人には人としての尊厳があります。その"さいごの舞台"が葬儀です。その、人としての"しめやかな、当たり前"の葬儀、告別が"演出"出来なかった、犠牲者と遺族の無念さと悲しみは察するに余りあります。その多くの御霊(みたま)にただただ心からの哀悼の意を捧げます。
今年、平成23年はそんな本当に残念、無念の歳でした。この悲劇を忘れずに、多くの人々の犠牲が無駄にならないよう復興に向けて、頑張るしかありません。どうか、新年は穏やかな歳になりますように・・・
わが世尊、釈迦牟尼仏は、まさに入滅にされんとする中、忌わの際まで衆生済度につとめられ、そして最後の弟子をつくりました。世尊は最期まで尊厳に満ちておられました。
最後の弟子スバドラ
「遺教経」の初めに「釈迦牟尼仏、初め法輪を転じて、阿若僑陳如(あなきょうじんにょ)を度し、最後の説法に須跋陀羅(スバドラ)を度す」とあります。
その最後の弟子「スバドラ」のお話です。「今夜、お釈迦さまが般涅槃されるであろう」と聞いたスバドラは、「今私に生じている疑問を解いてくれることができるのはお釈迦さまだけだ」として、彼はサーラ林に出かけて行きました。
そして、阿難尊者に頼みました。「如来であり、阿羅漢であり、完全に悟った仏陀は、きわめてまれにしかこの世にあらわれない。しかるに私には、いま疑問が生じています。お釈迦さまはきっと私の疑問を解いてくださると思います。どうかお釈迦さまに会わせてください」
阿難尊者は言いました。 「おやめなさい、スバドラさん。世尊は疲れています。世尊を悩ませてはいけません」スバドラは二度、三度、同じことを述べ、阿難尊者に頼みました。それに対して、阿難尊者も同じ言葉で三度断りました。
そのやりとりをお聞きされた釈尊は、「やめよ、阿難よ、サバドラをさえぎってはならない。阿難よ、スバドラに如来を見ることを許しなさい。彼は私を悩まそうと思って質問するのではない。私は何の質問にも答えるし、彼はそれを理解できる」と答えられました。
そこで阿難は、スバドラに「おいきなさい、スバドラさん。世尊はあなたに許可を与えられました」スバドラは釈尊のところに近づいて、ていねいに挨拶をし、一方に座しました。
スバドラは初めに、「六師外道」に関する質問をしました。時間を持たない釈尊は、それを見当違いの質問だとして、「その問題は捨てなさい。私はあなたに法を説きましょう。よく注意して聞きなさい」と諭されました。
「かしこまりました」とスバドラはお釈迦さまに同意しました。そして、釈尊は、「世間には多くの宗教家がいるが、その教えの中に『八正道の教』が無いものは、修行も悟りも阿羅漢も認められないし、真実の果報も決して得られない」と諭されました。
そしてさらに、「しかるにスバドラよ、私の説く教理と戒律には、聖なる八正道が見いだされる。ゆえにこの教理と戒律とによって修行する者には、真実の悟りを得ることが出来、この世はむなしくないであろう。
スバドラよ、私は齢29歳にして、善とは何かを求めて出家した。スバドラよ、私が出家してから50年余となった。正理と正法の地を歩んできた。 これより以外に、真実の修行者は存在しない。」
釈尊の説法を聞いて、スバドラは心から心服し、次のように申し上げました。「世尊よ、すばらしいことです。世尊よ、実にすばらしいことです。たとえば倒れたものを起こすがごとく、覆われたものを露(あら)わすがごとく、迷った者に道を示すがごとく、暗闇に灯火をかかげるがごとく、世尊は種々の方法によって法をあきらかにされました。
私は、世尊に帰依します。そして完全な修行僧になる戒律を得たいと思います。正規の修行僧になるには、試験期間が四ヶ月あるとのことですが、私には四ヶ月ではなしに四年間の試験期間を過ごさせてください。そして、教団の許可がありましたら、どうか私に修行僧になる許可を与えてください。」
そこで釈尊は阿難尊者に言われました。「それでは阿難よ、このスバドラを出家せしめなさい。」 阿難尊者は、「かしこまりました。」と答えて、スバドラを出家させました。
スバドラは修行僧としての戒律を具えたあとで、独りで、怠らず熱心に修行し、やがて無上の悟りを得、そして、ついに清らかな阿羅漢になりました。釈尊最後の直弟子、それがスバドラでした。 
 

 

■釈迦牟尼仏10 遺言
新年おめでとうございます。昨年は千年に一度といわれる大震災に見舞われました。それに人類史上最悪の原発事故も加わり、今年も大変な試練が続きそうです。まだまだ先の見えない年になりそうですが、少しでも早く復興が進むことを願わずにはいられません。
遺偈・・・
禅院では、僧侶は本来毎年年頭にあたって、自己の現在の境涯を詩偈にして、これから一年間の、言わば"辞世の句"とする慣わしがあります。(もっとも今日の禅僧の多くは必ずしもやっているようには思えませんが)これを「遺偈」(ゆいげ)と言います。
遺偈は、遺誡偈頌(ゆいかいげじゅ)の略で、歴代の高僧碩徳が入滅に際して、後人のために自己の境涯を示した漢詩です。いろいろな形があるようですが四言古詩の形が一番多いようです。これは一句が四字で、それを四つかさねたもので、詩としては一番短いものです。
まずは、天童如浄禅師の遺偈をご紹介しましょう。
六十六年 六十六年
罪犯彌天 ざいぼんみてん
打箇孛跳 箇のぼっちょうをたして(本来「孛」は足偏があります)
活陥黄泉 いきながらこうせんにおつ
六十六年の生涯、仏天を汚したが、個体(肉体)を飛び出して、生きたままあの世に参る(愚僧訳)
ご自身の「天童」から謙遜して「罪犯彌天」を表しているのではないか。「活きながら」とは、不生不死の仏陀の実体を示したもので、自分は仏陀として永遠に生き続けるという自負をあらわしたものです。
次に、永平道元禅師の遺偈です。
五十四年 五十四年
照第一天 第一天を照らす
打箇孛跳 箇のぼっちょうをたして
觸破大千 大千をそくはす
五十四年の生涯、仏天を照らす、個体(肉体)を飛び出して、三千大千世界を突き破る(愚僧訳)
「第一天」 の「天」とは、「仏天」の「天」と、師である如浄禅師の「天童」の「天」を掛け合わせたもので、「照らす」は、「仰ぎ見る」と訳くしてはどうでしょうか。
「箇のぼっちょうをたして」は、あえて如浄禅師と同じ句を使っています。「三千大千世界を突き破る」とは、仏陀となり三千大千世界の主として永遠に生き続けるといった意味で、あえて自己の境涯を如浄禅師の詩に重ね合わせたようで、道元禅師の師に対する並々ならぬ想いが感じられます。
遺言・・・
では、開祖釈尊は入滅に際してどんな遺偈を残されたのでしょうか。もちろんインドには漢詩などありませんから、それは遺言と言ったほうがよいかもしれません。
釈尊は、臨終に際して、弟子から「これから何を拠り所にして生きていけばよいのですか」問われ、「拠り所は二つある。一つはお前たち自身、もう一つは私の教えである」と言われました。いわゆる「自灯明、法灯明」の教えです。
釈尊は、絶対者を信仰して、「そこに救いを求めよ」とは言いませんでした。誰か跡継ぎを指名し、「その者の言うとおりに生きよ」とも言いませんでした。つまり、誰かに導いてもらえるとは思うなということです。
「悟りへの道順は教えておくから、それを頼りに自分で進んでいきなさい」ということです。「立派な教え」と「たゆまぬ自己精進」、この両者が対になってはじめて釈尊の遺言は実を結ぶのです。
四つの遺言・・・
釈尊はさらに臨終に際して、四つのことを遺言されました。
第一は、「教法と戒律を師とすること」です。釈尊は自分が涅槃に入ってもそれで自分の活動が終わるわけではないと言われました。すなわち、今後は法と律とを師として修行をなすよう言われたのです。
第二は、「長幼の序、上下の秩序を尊重すること」です。このあと、釈尊が亡くなり、弟子たちだけになったら、「釈尊の弟子」という点では同じであっても、そこには必ず上下の順序があり、お互いを尊重し合わなければならないということ。
その基本は、まず先に出家した者が先輩であり、1日でも出家が遅ければ後輩になるということ。生まれた年の順序ではなしに、修行僧になる戒律を受けた日時が、先輩・後輩を区別する基準になることです。
深い悟りを得た者や、学問のある人などは、それなりに尊敬されますが、しかし教団における長幼の順序は、出家した日時で決まるのであって、後輩は先輩に対して、無条件の尊敬を捧げるのです。
第三は、「小小戒の廃止」です。修行僧には二百五十戒というほどの沢山の戒律がありましたが、釈尊は、自分の滅後には、もし修行僧の教団が希望するならば、小小戒(しょうしょうかい)は廃止してもよいと申されました。
しかし、中でも殺人・性交・盗み・嘘の四条は、波羅夷罪(はらざい)といって、最も重い罪で、これらの罪を犯した者は即教団から追放されることに変わりはありませんでした。
第四は、チャンナ比丘に梵檀罰を与えることでした。これだけが個人的なものです。チャンナは、釈尊が王宮から出城し、出家するときの従僕であったことを自慢し、他人を軽蔑し、粗暴の行為があったのです。
釈尊は、その愛弟子のことを心配され、彼に梵檀罰を与えることで折伏させようとしたのです。チャンナはその時、中インドの西コーサンビーにいて、あとから阿難尊者からこのことを聞き、悲しみと驚きで失神したといいます。
その後、すっかり改心したチャンナは、熱心に修行し、ついに阿羅漢の一人になったということです。忌わの際、愛弟子の一人を心配され、折伏させるための遺言を残されたことに、"仏陀釈尊"の中に、"人間釈尊"の愛情を感じさせられます。
釈尊は、いよいよ般涅槃される直前にも、弟子たちのことを思われ、「疑問があればいまのうちに何でも聞きなさい」と三度も繰り返し問われ、「友だちに問うよう気軽に問いなさい。どんな疑問も残さないように」と逆に気付かわれたのです。
そして最後に釈尊は申されました。「いざ、修行僧たちよ、汝らに告げよう。もろもろの存在は変化する性質のものである。諸行は無常である。怠らず修行せよ」
これが釈尊の最後の言葉でした。そして、瞑想に入れ、八十年のご生涯を終えました。釈尊が涅槃に入られたとき、大きな地震が起こり、天の太鼓(雷鳴)が轟いたといわれます。 

■文殊菩薩 知恵に智慧なければ煩悩にすぎず
今回の主人公は「三人寄れば文殊の知恵」で有名な文殊菩薩です。「三七忌」の導師で智慧の菩薩といわれます。文殊は文殊師利(もんじゅしゅり)の略称で、妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)ともいいます。真言は「オン・アラハシャノウ」です。
釈迦三尊・・・
釈迦三尊とは、釈迦如来を中尊とし、脇侍(きょうじ、わきじ)として左に文殊菩薩、右に普賢菩薩を配置する仏像安置の形式の一つです。両脇侍として薬王菩薩と薬上菩薩、観音菩薩と虚空蔵菩薩や、梵天と帝釈天を配する例もあります)
文殊菩薩の造形はほぼ一定していて、獅子の背に蓮華座に座しています。右手に智慧を象徴する宝剣を持ち、左手に経典を乗せた蓮華を持っています。文殊菩薩が登場するのは初期の大乗教典、般若経です。ここでは釈尊に代わって般若の「空」を説いています。
文殊菩薩の徳性は、悟りへ至る最も重要な要素である智慧です。智慧は般若を意味し悟りを意味するものです。その「智慧」が「知恵」の象徴となって、「文殊の知恵」ということわざが生まれたのです。
維摩経には、維摩居士に問答でかなう者がいなかった時、居士の病床を釈尊の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記されています。
では、文殊菩薩は実在した人物だったのでしょうか。実は文殊菩薩が実在したという事実はありません。しかし観世音菩薩などとは異なり、そのモデルとされた人物が教団内に存在したのではないかと考えられています。
聖僧・・・
智慧と般若(さとり)の徳性を兼備されていることから、特に禅宗においては、修行僧の理想を表す聖僧(しょうそう)として、僧堂の中央に安置されています。
坐禅中、修行者の肩ないし背中を打つ棒がありますが、これを警策と言います。(曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と読みます) 警策は、「警覚策励」(けいかくさくれい)の略で、修行者に対して集中力を高めるための文殊菩薩の手の代わりと言われます。
通常警策はそのように使用されるものですが、時として「罰策」(ばっさく)として用いられることがあります。「罰警」(ばっけい)とも言われ、雲水(修行僧)が規矩を破ってしまった際、文字通り「罰」として警策で打たれることをいいます。
拙僧も本山で、矢鱈打たれて肩が腫れて仰向けに寝れなかったことを思い出します。特に旦過寮や攝心中には厳しく、策励の音が鳴り響いていることに今でも変わりはありません。
警策は文殊菩薩からあずかるものですから「打つ」とか「叩く」とは言いません。それは、「与える」ものであり「いただく」ものですから、与える者もいただく者も合掌に始まり合掌に終わります。
ただ、時として僧堂の威を借りて新参者に行き過ぎた警策が振り舞われることがあります。修行に厳しさは当然ですが、そこに私的な差別感情などがあったならば、たちまちいじめや暴力になってしまいます。自重心なくして僧堂の威厳はありえません。
もんじゅ・・・
ところで、「もんじゅ」と言えば、福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉です。名前の由来は、若狭湾に面する天橋立南側にある智恩寺の本尊・文殊菩薩から来ているといわれますが、果たして文殊菩薩のご加護とご利益はあったのでしょうか。
高速増殖炉は約20年前まで、ウラン燃料の有効利用促進のため米国、フランス、ロシア、イギリス、ドイツ、日本などが積極的な開発をすすめてきた原子炉の一種で、ウラン資源を事実上数十倍にできるまさに「夢の原子炉」と言われるものです。
しかし、開発中の高速増殖炉の多くが何らかの事故を起こし、安全性への疑問が多く、将来の経済性までも含めて政治的判断によって開発を断念する国がほとんどで、日本でも「もんじゅ」はナトリウム漏れ火災事故(2010年)以来運転が中止されています。
すでに多くの国が高速増殖炉の開発を中止しましたが、今なお、フランスをはじめ日本、ロシア、中国、インドなどが開発を行っています。しかし、実用化は2030〜40年頃になるとされていますが、それも確証などありません。
運転停止中の「もんじゅ」の開発に総額約1兆811億円が支出されたとか。このうち約830億円を掛けて建設された関連施設は全く利用されていないとか。今のところ文殊菩薩のご利益は全くありませんが、勝手に名前を使われた文殊菩薩こそ迷惑千万。ご自身には責任は一切ありません。有るとするとその命名者でしょうか。
また、「もんじゅ」がある同じ福井県敦賀市には「ふげん」という新型転換炉がありましたが、2003年に廃炉になりました。その高レベル放射性廃棄物の恒久処理に数千年から数万年かかると言われています。さらに、その廃炉コストに約2千億円かかると言われています。
福井県には曹洞宗大本山永平寺があります。布教部長の西田正法老師の話によりますと、新型転換炉「ふげん」と、高速増殖炉「もんじゅ」の命名にお寺(永平寺)が関わったとのこと。
「いずれも菩薩の名前に由来したものだが、福島第1原発事故を踏まえて、事故の影響は子々孫々に及ぶ取り返しのつかないものであり、原発は仏教の教えに相反するものだとして、これまでの認識不足への反省と、私たちの責任は重く、懺悔(さんげ)することから始めたい」と自戒されているとか。
「もんじゅ」も「ふげん」も、全ては国民のため良かれと思って科学の粋を集めて巨額のお金を投資して行ったまさに国家的プロジェクトでした。文殊菩薩が智慧の象徴であるならば、科学の"知恵"はまだまだ悟りの"智慧"には遠く及ばなかったということでしょうか。
普賢菩薩が理知の象徴であるならば、人の"思慮"はまだまだ仏の"理知"には遠く及ばなかったということでしょうか。先にもふれたように、文殊菩薩も普賢菩薩も、その御利益は何も無かったということでしょうか。
いやいや拙僧はそうではないと思いますよ。科学万能を信じ、生活の豊かさが人の幸福の証だと信じて突き進んできたその認識こそが厄であって、仏の"智慧"にこそ真の幸福があると気付かされたのであれば、これこそ真の御利益と言えるのではないでしょうか。
曹洞宗大本山永平寺が命名に関与された結果、文殊菩薩と普賢菩薩による御利益があったと考えれば、反省や懺悔などせず、現場に菩薩像を建ててその御利益の程をアピールされたらどうでしょうか。(居直りではありませんよ) 曹洞宗はもっと自信を持ちましょう。 

■普賢菩薩 慈悲の実行仏
今回は普賢菩薩のお話です。前回の文殊菩薩とともに釈迦三尊の脇侍として有名です。白象の背に坐している姿が一般的ですが、五仏がついている冠を戴せていたり、左手に宝剣を立てた蓮茎を持つ姿や、右手に如意や教典を持つ姿などその姿にバリエーションがあるのが特徴と言えるでしょう。
「四七忌」の導師で真言は、「オン サンマヤ サトバン」です。この真言を唱えれば、災いを避け、寿命が延びるといわれます。梵名は「サマンタバドラ」と言い、「サマンタ」は「普く」、「バドラ」は「賢い」を意味します。文字通りの「普賢菩薩」ということです。
智慧の文殊に対し、普賢菩薩は慈悲の実行を象徴する仏として釈迦如来の脇侍を努めます。法華経「普賢菩薩勧発品」では六牙の白象に乗った普賢菩薩が修行者を守護し、理・定・行をつかさどるとされており、白象が進とき、それを妨げるものはないという。
つまり、象は徹底した「行」の象徴であり、白は衆生済度の「自利利他」の象徴であり、六本の牙は「六波羅蜜」の象徴であるといわれます。六波羅蜜のうち、心の安定を修する行の禅定をつかさどり、一切にわたる最もすぐれた善を説く菩薩で、密教の金剛サッタと同体異名ともいわれます。
さらに、この菩薩が発展して密教の仏として表現されたのが普賢延命菩薩です。この菩薩の場合は、一身四頭(三頭)の白象に騎乗され、その名のとおり、寿命を延ばす御利益と福徳を与える仏とされることから普賢信仰が広まりました。
日本では平安中期以降、女性の救済を説く法華経の普及によって、主に貴婦人たちから信仰を集めたといわれます。また、絵画・彫刻などの作例も多く、特に平安時代後期の普賢菩薩騎象像(国宝・東京国立博物館)などその代表作と言えるでしょう。
法華経では、はじめの方の主役は「智慧」の文殊菩薩であり、中程においては「慈悲」の弥勒菩薩であり、さいごの結びにおいては「行」の普賢菩薩であるという設定になっています。
つまり法華経の意味するところは、まず諸法実相の智慧を知り、次に久遠実成の慈悲に生かされ、さいごに仏陀の教えを実行することが仏道であるということです。
釈尊は普賢菩薩の問いに対して、次の四つの事柄を成就すれば、如来(釈尊)滅後においても「法華経」の真義をつかみ、その功徳を得ることができると説いています。
これを「四法成就」といいます。
第一に、諸仏に護念されているという堅い信念を持つこと。
第二に、怠りなく日常生活に善行を積むこと。
第三に、正しい教えを奉ずる仲間に入ること。
第四に、世の中のすべての人々を救おうという心を持つこと。
この教えを受けて普賢菩薩は四つのはたらきをします。
1.「法華経」の教えを自ら実行する。
2.「法華経」の教えをあらゆる迫害から守護する。
3.「法華経」の教えを実行するものが自ら招く功徳と、迫害するものが自ら招く罰とを証明する。
4.「法華経」の教えに背いたものも、懺悔することによって罪から解放されることを証明する。
次に普賢菩薩の導きです。
1.法に基づいて悟った真理が誤りでないことを証明します。
2.実際において真理をどのように当てはめ、実行すればよいのか指導します。
3.道を誤り失敗したら、その失敗を取り返す方策を教えてくれます。
次に人の世が悪くなる五つの汚濁です。
1. 劫濁・・・マンネリ化して、活性化できなくなった世の中2. 煩悩濁・・・他人を省みない欲望や行動によって、正常に機能しなくなった世の中3. 衆生濁・・・一人一人の性質の違いから生じる調和のとれなく世の中4. 見濁・・・一人一人のものの見方が、よこしまの見方になったために起こる争いの世の中5. 命濁・・・年をとるとともに一人一人の残された命を不安に感じたり、時代を経て弱まる組織や国家において、人々が焦りを感じ不安になる世の中
普賢菩薩が教える智者の条件です。
1.ものごとの是非善悪をよくわきまえている人
2.自分のすることがどのような結果を生み、他にどのような影響を及ぼすかをあらかじめ見極めることのできる人
3.自分がこの世でどのような位置を占めているか、どのような役目を持っているのかがよくわかっている人
4.人を愛し、人と調和することの高貴な喜びを知っている人
5.どのような生き方が人間らしい意義のある生き方であるのかよくわかり、世の中全体をもよくする道を知り、考え出すことのできる人
さて、東北大震災から一年が経ちましたが、未だ復興は遅々として進んでいません。その最大の原因はがれき処理問題だとか。今朝の新聞で見た川柳です。「絆には加えてもらえぬ県三つ」
絆、絆という割には痛みを分かち合おうという気持ちがあまり感じられません。野田総理も業を煮やし「国民性が問われている」と訴えています。確かに放射能の汚染を心配されるのはわかりますが、広域処理には万全を期しているということが信じられないのでしょうか。
確かに、これまでの政府の対応には信じられないことばかりです。東電は原発事故の反省はおろか未だ真相の公表を拒んでいます。そんな東電になんの指導もできない今の政府をどこまで信頼したらよいのでしょうか。
ただ、世論調査(朝日新聞)では瓦礫受け入れに賛成64%、反対24%とのこと。地域別では、関東、東海地域が70%で、中国、四国地域では56%、九州では49%と東高西底のばらつきがあるようで、遠いほど絆が薄くなるということでしょうか。
明治維新は長州、土佐、薩摩などの武士達の活躍によって達成されました。高杉や桂をはじめ大久保や西郷隆盛、国民に圧倒的人気の坂本龍馬など、そのほとんどが西日本出身の武士たちでした。今彼等が生きていたら日本のこの現状をどう思うでしょうか。
日本の維新に命を賭した彼等にすれば、おそらく「痛みを分かち合うことが絆である。絆なくして復興はあり得ん。維新魂を受け継ぐ者は率先して模範を示せ」と訓辞されるかも知れません。
政治はつねに国家国民の大局的見地に立って判断し実行すべきものです。国民の過半数の総意をうけているのであれば、一刻も早く政治的決断をもって瓦礫の処理を進めるべきでしょう。それこそ民主主義というものです。
反対の人達も、放射線の実態を検証し安全の担保が確認できたら、是非客観的情状的見地に立って判断してみてください。自分さえ良ければという自己本位からは絆も復興も期待できません。
他己へ思いを寄せ痛みを分かち合う心、一切の見返りを期待しない助け合い・・・それが布施であり慈悲心であるのです。その心は誰にでもあるものです。466億円を超えた義援金や数多くのボランティアや支援活動はまさに慈悲心の証に他なりません。
震災復興だけではありません。今の日本は様々な難局に直面し、まさに国家的危機状態にあると言えます。今ほど法華経の智慧と普賢菩薩の実行力が求められている時はありません。
すべての国民に是非学んで欲しいものが先に挙げた「四法成就」と「五濁の戒」と「五つの智者条件」です。特に政治家には「五濁の戒」を銘として国民のための真の政治を実行して欲しいものです。 

■地蔵菩薩 大地の命の蔵
今回は十三仏の五七忌の導師、地蔵菩薩のお話です。 一般的に「お地蔵さま」と呼ばれていて、観音さまなどと並んで特に親しまれている有名な仏さまです。それにしてもなぜ「地蔵」というお名前なのでしょうか。
地蔵菩薩の意味・・・
地蔵菩薩は、サンスクリット語でクシティ・ガルバと言います。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」とか「子宮」の意味とのこと。真言は、「オン カカカビサンマエイ ソワカ」です。
大地が全ての命を育む力を蔵(かく)し、また、人々の苦悩を無限の大慈悲心で包み蔵し込んでしまう所から名付けられたとされます。その地蔵菩薩の対になるのが虚空蔵菩薩でが、地蔵菩薩の独自性により今日では対で祀られることは無いようです。
釈迦牟尼仏の入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が出世されるとされていますが、その間仏陀の名代として六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を済度する菩薩といわれています。
故事として伝わるのがその昔インドにいた2人の慈悲深い王の話です。1人は自らが仏になることで衆生済度しようと考えました。もう1人の王は自らの意志で地獄に堕ちて迷える衆生を済度しようと考えました。この後者が地蔵菩薩だといわれます。
「一切衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意で六道に自らの足で行脚し、救われない魂を救い続けるのが「地蔵菩薩」なのです。
申すまでもなく、菩薩とは仏の地位にありながら、あえて衆生世界に身を堕として六道世界で苦悩する衆生済度を本願として奔走する正に大慈大悲の仏さまです。
衆生を済度する第一人者として、その霊験は膨大で、実に多岐に及んでおりその人気の程がわかります。少例を挙げてみると、延命地蔵、白寿地蔵、開運地蔵、勝利地蔵、無尽地蔵、ぽっくり地蔵、首つぎ地蔵、とげぬき地蔵、釘抜き地蔵、波きり地蔵、身代わり地蔵、子安地蔵、腹帯地蔵、子育地蔵・・・
水子地蔵菩薩・・・
幼子が親より先に世を去ると、親を悲しませた親不孝の罪により三途の川を渡れず成仏できないとか。賽の河原でただ石を積み重ね石塔を作り、只々親の供養をするしかないのです。
しかし折角作った石塔も鬼によって蹴散らされてしまうのです。その鬼のいじめから救ってくださるのが地蔵菩薩です。経文を聞かせて徳を与え成仏への道を開いてやるのは有名な話です。古来より水子地蔵信仰は絶大で今も変わりません。
六地蔵菩薩・・・
また、よく霊園や墓地などの入り口に六体並べて祀ってあるのが六地蔵菩薩です。これは仏教の六道輪廻の思想に基づき、六道のそれぞれの世界に堕ちた者を地蔵が救うとされる説から生まれたものです。
六地蔵個々の尊称については一定していないようですが、例をあげれば、地獄道から順に法性地蔵、陀羅尼地蔵、宝陵地蔵、宝印地蔵、鶏兜地蔵、地持地蔵となっていたり、或いは檀陀地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、地持地蔵、除蓋障地蔵、日光地蔵となっていたり諸説あるようです。
様相は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持ち物としていますが、これも必ずしも統一されていないようです。
地蔵盆・・・
地蔵菩薩の縁日が毎月24日であり、旧暦の7月24日は盂蘭盆(お盆)期間中であり、24日までの三日間を地蔵盆と呼ばれるようになりました。地蔵盆は全国的な風習ですが、特に近畿地方を中心とする地域で盛んですが、近年では新暦の8月24日に地蔵祭が行われるのが一般的になっています。
地蔵祭では、町内の人々が地蔵の像を洗い清めて新しい前垂れを着せ、灯籠を立てたり供え物をしたりして飾り付けます。京都などでは子供が生まれると、その子の名前を書いた提灯を奉納する風習があるそうです。
地蔵菩薩は中近世以降子供の守り神として信仰されるようになったことに由来することから、地蔵祭においては特に子供のお詣りが多く、子供たちのためのお菓子や手料理などが振る舞われたり、子供向けのイベントなども行われ、今日では子供のための祭りとも言るようです。
しかし地蔵盆は、なぜか関東地方には定着しなかったようです。一説には地蔵信仰の歴史に違いによるもののようです。特に子供を守り育てるという大きな意義をもつ地蔵盆もしのびよる少子化問題で寂しくなる一方かも知れません。
特に少子高齢化が急激に進んでいる日本の将来を思うと暗澹たる気持ちになります。これから日本の人口は年々約74万人減少するそうです。これは静岡市規模の都市が毎年一つずつ減っていくようなものだそうです。
子供は国の宝です。未来を託すのは子供だからです。なんとか少子化が少しでも止められるようなお地蔵さまの御利益をたまわりたいものです。しかし、どんな御利益も何もしないで得られるものでは決してありません。それ相応の善因縁を構築するしかないのですから・・・・
さいごに「地蔵菩薩功徳経」からその御利益をご紹介しましょう。もし地蔵菩薩のお姿を見たり、この経を聞いたり読誦したり、香や華、飲食、衣服、珍宝などを布施し、供養礼拝を行えば28種の功徳が得られるとあります。
1.天龍が守ってくれる / 2.善果が日毎増す / 3.勝れた因が集まる / 4.菩提が退くことがない / 5.衣食に豊で不足しない / 6.病気にかからない / 7.水の難、火の難に遭わない / 8.盗賊の被害に遭わない / 9.人から敬われる / 10.鬼神が助けとなる / 11.女が男に転じる / 12.王の女性大臣となる / 13.容姿端麗で相がよくなる / 14.何度も天界に生まれ変わる / 15.或いは帝王になれる / 16.前世に得た智慧によって将来を知ることができる / 17.求める者は皆、従う / 18.眷属が歓び楽しむ / 19.全ての不道理を消滅させる / 20.苦楽の報いの善悪の業を永久に取り除く / 21.苦しみに通じるところが滅びる / 22.夜の夢見が安らかになる / 23.先祖が苦しみから離れられる / 24.前世の福を受け、生まれる / 25.全ての聖者がほめたたえる / 26.素質や能力がすぐれる / 27.哀れみ、慈しむ心を与える / 28.絶対的な悟りを得ることができる 

■弥勒菩薩 人類の未来を占う
今回は十三仏の六七忌の導師、弥勒菩薩のお話です。五仏の付いている冠をかぶり、手に宝剣を持っている姿が一般的です。像としては京都広隆寺の国宝弥勒菩薩半跏思惟像は世界的に有名で、右手の薬指を頬にあてて物思いにふける表情からは抒情的、神秘的な感動を受けます。
サンスクリット語でマイトレーヤと言い、「慈氏」を表し、菩薩でありながら未来に必ず成仏することから「未来仏」とも言われ、弥勒如来とか弥勒仏とか呼ばれることもあります。
菩薩や如来の殆どが過去仏であるのに対して、未來に出現するのは弥勒菩薩だけです。その点から格別の仏といってよいでしょう。真言は、「オン マイタレイヤ ソワカ」です。
現在兜卒天で修行中であり、釈尊入滅から56億7千万年後に釈尊の後継者として出世され衆生済度されるといわれます。兜卒天とは釈尊がこの世に生まれる前にいたとされる世界です。
それにしても56億7千万年後とは途方もない遠い未来ですが、これは太陽系の余命とほぼ同じだそうです。地球が生まれて46億年ですが、地球の寿命はあと約10億年だそうですから、合わせると56億年となります。
ちょうど地球と太陽系の寿命が尽きたころに弥勒菩薩が出世する計算になりますが、その時まで人類は存在可能なのでしょうか。そしてその場所は一体何処になるのでしょうか。それとも新たなヒト属が出現することになるのでしょうか。残念ながら現在の人類の拙い叡智ではとても推し量れません。
ただそんな遠い未來に弥勒仏が出世するということは、そこに人類が存在するという大前提があってのことです。われわれはその予言を信じるとしたら、未来や来世に向かってどのようにモティベーションをあげていったらよいのでしょうか。
仏性は永遠ですから、輪廻転生が尽きることはありません。宇宙が続く限りあなたの命も続くということです。途方もない遙か未来の弥勒仏の世界に再び人としての命を戴くためにはそれ相応の宿業を積み重ねなければなりません。
そこで今回は、われわれ人類が未来に向かって少しでも長く生き続け、弥勒仏の世界に再生できる為には一体何をどうすべきかを考えてみました。しかし、今の人類の生き方を考えたとき、弥勒仏の世界に往生できる人間が果たしているのでしょうか。
人類は600万年〜700万年前にチンパンジーの祖先から別れヒトへと進化し今日に至ったと言われます。生物のほとんどは環境に応じて進化すると言われていますが、どんな生物にも種としての寿命があるとも言われます。その理論からすると人類も例外ではなく進化と同時に寿命があるのです。例えばヒト属のネアンデルタール人はおよそ3万年前に絶滅しました。その後現われたのが我々現生ホモサピエンスです。
その我々人類もすでに15〜20万年経っているとのことですが、人類はこれから先どのくらい存続できるのか、それともすでに寿命が来ていて、いつでも滅亡を迎えてもよい状態にあるのか、果たしてそのどちらなのか、「進化」と「環境」をテーマに考えてみましょう。
まずヒトの「進化」について考えてみましょう。ヒトはこれからも進化し、眼も鼻も口も耳も鋭敏になり、足は速く、やがて空を飛べるようになるのでしょうか。脳は発達し、精神力や感情がもっと豊になるのでしょうか。否、まちがいなくヒトの身体も心も退化していくと言わざるを得ません。
例えば、ヒトは毛皮や衣服を身につけたことで体毛が無くなりました。これは暗闇の洞窟に住み着いている魚の眼が退化して無くなってしまったのと同じ"進化"による"退化"なのです。つまり進化も退化も同事なのです。
すべての生物は環境により刻々と"進化"しています。ヒトも例外ではありません。乗り物に頼り歩かなくなれば足は退化します。会話をメールで済ませていれば声帯は退化します。騒音の中にいれば難聴になり聴力は退化します。パソコン仕事に詰めれば近視になり眼は退化します。
夜昼の区別のつかない生活をしていれば体内時計が狂い、快適な冷暖房の中にいれば寒暖に対する対応力が不調になり、自律神経が退化します。電子機器に囲まれ電磁波を浴び続け、多くの環境ホルモンにさらされて遺伝子は損傷します。
特に現代社会はストレスに溢れています。ストレスほど厄介なものはありません。五感の機能を弱め、食欲、性欲を減退させます。当然生殖遺伝子は弱まります。実際現代人の男性の精子の数はかなり減少しているそうです。男性のY染色体遺伝子が減少していて、将来は女性だけになってしまうなどという説もあります。
ストレスに対する防御反応で心は鈍感になり、心の機能はどんどん退化し、やがて感情も人格も無い生物に"進化"してしまうでしょう。心のない本能のまま生きるだけの"進化"の行く先は、喰口と排泄口だけをもったミミズのような生物です。ヒトからミミズへと進化するシミュレーションもあるのです。
事ほど左様に、人類の進化における未来は暗雲立ちこめた極めて暗い状態にあると言わざるを得ません。このまま行けば人類は明らかに滅亡への一途をたどるだけです。あとどの位もつのかわかりませんが、56億7千万後の弥勒仏の世界なんてとんでもない絵空事に過ぎないということになるのでしょうか。
次に「環境」について考えてみましょう。ヒトが生きられる環境がダメになれば人類はそこで滅亡となります。人類はこれまでもっぱら科学文明の発展を最優先にして幸福を追求してきました。その結果が環境破壊でした。わずかこの百年で地球環境は瀕死の状態です。しかも改善の見込みはまたくありません。
これから先、最も懸念されるのが原発です。福島の原発事故で未曾有の環境破壊が起こりました。放射能は永久的に消えることがない物質なのです。線量計が下がったと言っても単に拡散されたに過ぎないのです。
さらに、今一番心配されているのが4号機だと言われています。米国の原子力技術の権威者アーニー・ガンダーセン博士によりますと、こんど大きな地震か何かで使用済核燃料のプールが壊れ水が無くなれば、そこから発する放射能は使用前の10億倍になるとか。そうなると更に4千万人の避難が必要になるという、まさに史上最悪のシナリオが懸念されているのです。
そんな心配もよそに今大飯原発が再稼働されようとしています。そうなればその他の原発の追随は必至でしょう。核技術は人類にとってまだまだ未完成の技術なのです。プルサーマル(もんじゅ)なんて夢のまた夢の技術なのです。それを認めないバカ知恵の科学者と我利我利亡者の政治家によって更に環境が破壊されようとしています。
天然資源を使い放題使い、汚染を垂れ流し続けてきた人類、その結果が温暖化です。世界の人口も今や70億にも達し、自然環境は更に悪化の一途を辿っています。地球の環境はまさに汚染スパイラルに陥っているのです。
地上のみならず今や宇宙までもが"ゴミの山"とか。大きさが10センチ以上のものが2万2千個も漂っていて、今も増え続け衛星の居場所がなくなる恐れがあるとか。ゴミと衛星の衝突が破壊の連鎖となり、宇宙が使えなくなる「ケスラー・シンドロウム」現象が現実味を帯びてきているとか。
このさき人類は、「進化」にも「環境」にもまったく自信が持てない状態です。このまま行ったら人類に未来がないことは火を見るよりも明らかです。さあ、一体どうしたらよいのでしょうか。
しかしです。考えてみてください。70億人のすべての人間が同じように生きているわけではありません。なかには、清廉を旨として心穏やかに慎ましく環境に優しい生活をしている人も多くいるはずです。
確かに地球上多くの生物がこれまで栄えては絶滅してきました。しかし、愚かな人類ですが知恵はあります。バカ知恵ですがそれを悟りの智慧に変え、人間本来の誇りを取り戻せばまだまだサバイバルできるかも知れません。
ただし弥勒仏の世界は異次元の世界です。おそらくは2500年も昔、釈尊は末法の世に備え弥勒菩薩を据えられたのではないでしょうか。その教えは、「ヒトとよ、早く正気に戻れ」ということです。これを結論としましょうか。
さて、さいごに一冊の絵本をご紹介しましょう。「サルと人と森」という絵本です。今から102年も前に石川啄木によって書かれた原書「林中の譚」によるものです。便利さと豊かさだけが幸福だと思いこんで何の反省もないエゴに満ちた人類は退化と自滅への一途を突き進んでいるという、人の真の幸せとは何かを示唆した実に含蓄のある一冊です。
ある日森に入った一人のヒトとサルとの間で交わされるやりとりから人間の愚かさを風刺した寓話です。そのサルからヒトへの苦言の一部をご紹介しましょう。
「人間はなんてかわいそうな生き物なんだろう。人間はすでに過去を忘れてしまったのだな。今ここにこうして生きているのは、おれたちと同じ祖先がいたからではないか。過去を忘れた者には未来はないだろう。今がいちばん素晴らしく、人間がいちばん賢いと思い上がっていると、これからの人間には進歩も、幸せもないだろう。かわいそうな人間たちだ。人間滅亡のときが近いうちにやってくるだろう。」
「人間の手足も、その身体つきを見ると、昔はおれたちと同じ働きをしていたに違いない。だけど、今はその働きができないではないか。人間の手足の歴史は退歩の歴史なのだ。いつの日か、何の役にも立たない時代が来るだろう。これはつまり人間たちが怠けていた結果ではないか。」
「人間にとって怠慢の歴史だけが日々に進歩している。ほら、人間が自慢する文明の機械というものは、結局、人間をますます怠け者にする悪魔の手ではないか。」
「この世界で人間ほど退歩した者はないだろう。人間の祖先であるおれたちを見ろ、おれたちは地面の上を自由に動くことができると同時に、上にも下にも自由に動くことができる。 だが人間は地面の上しか動くことができない。人間もずっと昔は木の上に住んでいたのに―しかし人間はヘビやカエルの仲間になり、地上に降りていった。これを堕落と言わずに何と言うのだろう。深く考えてみてくれ、人間が立っている地平線と、おれたちがいる木の上と、どちらが天国に近く、どちらが地獄に近いか―」
「人間はいつの時代も木を倒し、山を削り、川を埋めて、平らな道路を作って来た。だが、その道は天国に通ずる道ではなくて、地獄の門に行く道なのだ。人間はすでに祖先を忘れ、自然にそむいている。ああ、人間ほどこの世にのろわれるものはないだろう。」

歌人として有名な石川啄木は実は素晴らしい哲学者であり思想家であったのです。百年昔といえばまだまだ豊かな自然が一杯の時代でした。そんな時にすでに人類が直面している深刻な問題を提起されていたのですから、まさに天才です。  
 

 

■薬師如来 無病息災は安心から
今回は七七忌の導師、薬師如来のお話です。
薬師如来は、正式には東方薬師瑠璃光如来といいます。阿弥陀如来が西方極楽浄土の教主であるのに対して、薬師如来は東方浄瑠璃界の教主なのです。西の阿弥陀さま、東の薬師さまともいわれます。
西方浄土が来世であるのに対して、東方瑠璃界は現世であるのです。つまり阿弥陀如来が来世での安らぎを約束されるのに対して、薬師如来は現世での安らぎを聞きとどけてくださるという点が特徴といえるでしょう。
薬師如来のそのお体は清浄にして瑠璃の如く輝いているといわれます。瑠璃は七宝の一つで紫がかった青色の宝石です。その光明は太陽や月よりも明るくその無量の光明で世界を照らし、十二の大願を発してすべての衆生を迷いや苦しみから救ってくださるという。
その光明の象徴として日光菩薩と月光(がっこう)菩薩が脇侍として祀られているのが薬師三尊です。薬師如来は、その名の示すとおり医薬を司る仏であり、左手に薬壺を持ち、病気を治す仏さまとして有名です。薬壺の中には、身体の病、心の病、社会の病など、病という名のものはどんなものでも治してしまう霊薬が入っているのです。
真言は、「オン コロコロ センダマリ マトウギ ソワカ」です。真言(マントラ)とは、仏に守護を願い、直接呼びかける、謂わば「パワーコール」なのです。ですから特に訳す必要はありません。その言葉自体に意味があるのです。
日光菩薩の真言は、「オン ロボジュタ ハラバヤ ソワカ」この真言を唱えれば、病根が焼かれるとのこと。月光菩薩の真言は、「オン センダラ ハラバヤ ソワカ」この真言を唱えれば、苦熱が除かれるとのこと。
薬師如来のまたの名を医王如来ともいい、医薬兼備の仏さまです。人間にとって一番恐ろしいのが死を招く病気です。病気には体の病気から心の病気までいろいろあります。欲が深くて、不正直で、疑い深くて、腹が立ち、不平不満の愚痴ばかり、これらも実は皆病気なのです。
薬師如来は応病与楽の法薬で、苦を抜き楽を与えてくださる抜苦与楽の仏さまです。サンスクリット語で思い通りにいかないことを「苦」といいます。その四苦八苦のなかで「病」ほど大きな苦はありません。どんなに地位名誉や財産があっても病に苦しんでいたら幸せとはとてもいえません。
人類にとって健康は永遠のテーマであり、幸福の担保はまさに健康にあると言っても過言ではありません。どんな宗教にも多くの御利益が謳われていますが、「無病息災」こそ万人がこぞって求める最大の御利益だといえるでしょう。
健康こそ幸福の証だという、今回はその健康について考えてみました。まず体の健康ですが、栄養のバランスと適度の運動だとよくいわれます。確かに栄養が不足すれば病気になりますが、現代の病気の多くは食べ過ぎによる生活習慣病が殆どと言ってよいでしょう。
言うまでもなく体は食事でつくられますが、問題はその質と量のバランスです。食欲という本能はコントロールが難しく食べる気になったらいくらでも食べられるものです。子供のうちはしっかり食べても、大人になったらコントロールが必要になるのです。
要は「食事は薬」だと思っていただくことです。ある薬が効くからといって多く服用する人はいませんね。効く薬ほど量を誤ったら危険です。このことについては一昨年の8月の法話「五観の偈」でくどくど話したとおりです。この意識さえあれば、しっかりとした健康が得られる筈なのです。
最近ナグモクリニック南雲吉則医師の「空腹が人を健康にする」という本を読んで、いかに食事が大事であるか改めて知りました。すでにご承知の方も多いと思いますが、最近「長寿遺伝子」なるものが発見されました。正式名を「サーチュイン遺伝子」と言います。
動物の体が空腹であればあるほど生命力が活性化するという仮説のもと、アカゲザルやモルモットなど、多くの動物実験が行われ、その結果証明されたのです。飽食のアカゲザルは老化が早く、40%食餌制限したサルは明らかに毛並みも良く皺もなく若さを維持していたのです。
とくに日本のことを言えば戦後の焼け野原から復興して以降一般庶民はお腹一杯食べられることこそ最高の幸せだと思い込み、国民はみな、お腹一杯食べられることを目指してきました。しかし、皮肉にもその結果は糖尿病を始めとする様々な形の生活習慣病をかかえる羽目になってしまったのです。
南雲先生は、食事の量を減らし、余分な内臓脂肪を減らし、サーチュイン遺伝子を目覚めさせて健康で若々しい肉体を維持できると言っています。サーチュイン遺伝子は空腹状態におかれたとき、人間の体内に存在している50兆の細胞の中にある遺伝子をすべてスキャンして、壊れたり傷ついたりしている遺伝子を修理してくれるというのです。
これまで仏教やヨガの「断食」やイスラム教の「ラマダン」などにみられる小食の結果が人の長寿に繋がっていることが経験的に分かっていたのですが、それはサーチュイン遺伝子の活性化によるものだったのです。
かつて僧侶は粗食に生き長寿の模範とされましたが、今では一般の人と平均寿命においてそう差はなくなってしまったようです。豊かな食生活が坊さんの世界にも普及しているということでしょうか。
「腹八分目」とはよく言われますが、特に年齢を重ね基礎代謝が低くなってきた人にとって小食が一番です。拙僧的には「腹六分目」を心がけています。さらに毎日30分の散歩でおかげでいたって健康に過ごしています。
さて、前回は人類の未来について「環境」と「進化」をテーマに人類の未来は"退化という進化"を続けていて大変暗いものだと申しましたが、実は人の健康にも環境による"進化"があったのです。
人類17万年の歴史はつねに飢餓との闘いであったと言っても過言ではありません。その長い飢餓の時代を生き抜いてきた進化のなかで少ない食べ物の中から、出来るだけ多くの栄養を吸収しようとして身につけたのが「飢餓遺伝子」といわれます。
わずかの食物から最大のエネルギーを蓄えることができるという長寿遺伝子・サーチュイン遺伝子ですが、さらに、これは健康だけでなく、同時に老化や病気をくい止める働きにも関与しているという。私たちの祖先は、過酷な環境を生き抜く長い進化の過程でこのようなサバイバル遺伝子を獲得してきたのです。
しかし飢餓に対する強い体質を進化させてきた一方、我々の体質は肥満に対して無防備という"退化"をしていたのです。人間が日に三食、食べられるようになったのはわずかにここ百年といわれています。十分食べられることの幸せが皮肉にも生活習慣病という結果を招いたのです。
次に体と同時に大事なものが「心」です。仏教では「心身一如」と言って、心の状態が体に大きな影響を与えるとされます。不安やストレスは体に活性酸素を発生させ免疫力を低下させる最悪のものと言われています。
病気の多くは免疫力の低下が原因とされていますので、体にとってストレスこそ最大の敵なのです。それだけに「心の健康」が不可欠なのです。しかし、快適な文明社会を作ってきたはずが、あまりにも高速緻密化された環境に人の心が追いつけずストレスが蔓延しているのが現代社会です。
人が仕事をするのではなく、仕事に人が使われ、時間に追い立てられています。仕事優先の環境に人の心はストレスに冒され人間関係もおかしくなっています。なんでも新入社員の4割が3年以内に離職しているとか。ひきこもりやウツ病という心の病が確実に増えているのです。
「ストレス」の反対が「安心」です。拙僧はこれまで幾度となく「安心」こそが「幸福の証」だと申してきましたが、心の健康とはまさに「安心」にほかなりません。
欲深く、不真面目で、疑い深くて、短気で、不平不満の愚痴ばかり・・・これらも皆病気だと申しましたが、それは「安心」でない状態にあるからです。 (法話20年12月「安心(あんじん)」と21年1月の「安心本尊」を参考にしていただければと思います。)
薬師如来に無病息災という御利益をお願いするなら、只祈るのではなく、まず自己の心を省みて、怒りや貪り、愚痴などが起こらない心の精進が必要なのです。つまり他力本願ではなく自力本願が求められているのです。
これまで何度も言ってきましたが、仏教は「心の教え」です。健康も幸福も基本は心にあります。つまり無病息災の御利益は「安心」にこそあるということです。 

■観音菩薩 いじめは心の病
十三仏の八番目は観世音菩薩です。観音さまについては仏教講座「観音さま」のページをみていただければよろしいかと思いますが、観音菩薩にも"兄弟分"にあたるお方がいますので、その幾つかをご紹介したいと思います。
観音菩薩は、梵語(サンスクリット)では、「アヴァロキティシュバラ」と言います。アヴァ(遍く)ロキティ(観る)シュバラ(自在者)という語の合成語との説が有力です。
玄奘三蔵による訳が「観自在菩薩」で、鳩摩羅什の訳が「観世音菩薩」となっていますが、その意味するところは「遍く世間を仏の智慧をもって自在に導く菩薩」ということです。
阿弥陀三尊の脇侍として勢至菩薩と共に安置されているのが基本形でしたが、観音経の信仰もあってか今日では観音菩薩単独で祀られることの方が多くなっています。地蔵菩薩と並んで抜苦与楽の現世利益の信仰からその人気は絶大です。
ところで観音さまは男性でしょうか、女性でしょうか。「慈母観音」という言葉からは女性のように思えますし、「観音大士」という言葉からは男性のようにも思えます。しかし、顔つきや体型から女性的な印象の方が強い気がします。
観音経の中には、「應以長者。居士。宰官。婆羅門。婦女身得度者。即現婦女身而為説法」とありますように、観音さまは三十三身に身を現じて説法されると説かれています。つまり観音さまは女性でも男性でもないのです。まさに変幻自在の存在であり、「念彼観音力」と乞われればどんな身にもなって、いつでもどんな所にでも救済に赴くとされるのです。
聖観音(しょうかんのん)
観音菩薩の基本形です。宝冠に「化仏」と呼ばれる阿弥陀如来像を戴いているのが特徴です。持物としては左手に蓮の花を持っていることが多いようです。水瓶(すいびょう)という浄瓶をもっているのが滴水(てきすい)聖観音で、無限の功徳水を注いでくださるという。
私事ですが、ごく最近偶然ある石材店に展示されているこの観音像に出会いました。そのお顔立ちとお姿にインパクトを受け一目惚れしてしまいました。身の丈およそ2メートルの滴水聖観音さまです。さっそく購入の交渉を済ませました。近い内に当山にやって参ります。その時には写真でご紹介したいと思います。
十一面観音
文字通り、顔が十一面あるのがなによりの特徴です。造形的には、聖観音の頭の周りに冠状に9面(又は10面)の小さめの面相を付けているのが一般的です。正面の3面が菩薩面で、衆生に対する慈悲の心を表します。左の3面が忿怒面で、悪人の衆生を叱り、戒める相をしています。
右の3面が狗牙出面といい、白い牙をむき出した顔です。良いことをしている衆生を励ましている相とされます。後ろの1面は大笑の相で、浅ましい衆生をあざ笑うことで自らの醜さを悟らせる相とされます。頭頂部が如来面で仏道を説く相とされます。
千手観音
正式には千手千眼観世音菩薩といいます。一人でも多くの衆生を救うために、千の手を持ち、その千の手に千の眼を付けたとされる観音さまです。強力な救いの力を具現化しようとしたもので、その迫力はまさに圧巻で頼もしいかぎりの菩薩として信仰されました。
「千手」といっても千の手を実際に付けるのは造形上難しく一般的には40本の手で千手を象徴するようになったそうです。でも「本当に千手あります」という作例があるそうで、奈良・唐招提寺の立像や大阪・葛井寺などの坐像などがそうです。
馬頭観音
菩薩と呼ばれながら、まるで明王像のように忿怒相をしているのが馬頭観音です。インドの伝説の駿馬だとか、ビシュヌ神が馬に変化した姿だとか、さまざまな説がありますが、馬が神格化された菩薩とされます。
馬が草を食い尽くすように、煩悩を食い尽くす功徳として、馬をはじめ畜生類の護り仏とされます。また交通の安全を守ってくれる仏として辻などに祀られたり、最近では競馬場に祀られたりもしているようです。その場合は、馬の安全なのか、馬券の御利益なのか、或いは煩悩の抑制なのか、イヤそのすべてなのかも知れませんね。
如意輪観音
如意は如意宝珠、輪は法輪の意味で、如意宝珠と法輪を持つ菩薩です。如意とは意のままになるという意味です。富や徳など意のままもたらせるという宝珠で、「擬宝珠」と言います。神社や欄干にある「ぎぼし」はこの「擬宝珠」からきたものです。宝輪は、車輪状の形をした武器が法具に例えられ、その"武器"の力によって煩悩や邪念が祓われるとされたことからその象徴として「宝輪」が生まれたのです。つまり、如意輪観音とは宝珠と法輪によって、煩悩を祓い、衆生に幸せをもたらす菩薩なのです。
以上のほかに准胝観音を加えたものを「六観音」と称します。そのほかにも「〜観音」を言われるものは幾つもあるようですが、そもそも観音さまとは、衆生の悩みを聞き分けたり、願い事を叶えたりしてくれる「抜苦与楽」の仏さまなのです。
さて、今いじめ問題で日本中が大騒ぎになっています。この問題は今に始まったことではなく、数年ごとに繰り返されている日本の"社会現象"と言っても良いでしょう。丁度6年前にも福岡で、いわゆる「葬式ごっこいじめ」で中学2年生男子が自殺し、学校と教育委員会の隠蔽が問題となり、メディアがこぞって「報復」を囃し立て大変な"社会現象"になりました。
当山ホームページでもその問題を取り上げ、いじめや虐待の原因は宗教教育の退廃によるものだとの見解を述べましたが、またまた同じような問題が繰り返されています。人間とはなんと愚かなものかとつくづく思います。
評論家などは、教員の資質や教育委員会制度を問題にしたり、監視制度の導入や厳罰化を主張しています。メディアは、有識者によるいじめ対策論や有名人によるいじめ体験談を紹介したりして方策論を競っていますが、そのどれもこれも人ごとによる単なる対症療法論に過ぎません。この問題は病気と同じです。病根を治さない限り病気は治らないのです。
前回の「薬師如来」の中でも申しましたように、「欲深く、不真面目で、疑い深くて、短気で、思い遣りもなく、不平不満の愚痴ばかり・・・これらはみな病気」なのです。虐待もいじめもみな心が病んでいる「病気」なのです。
しかも、その"ウイルス"が日本中に蔓延しているのです。特にネット上では、加害者少年とその家族の写真と実名、親の職業や住所、その家の写真までもが暴かれている始末です。まさに公開処刑による報復の嵐と言っても過言ではないでしょう。
いじめウイルスが日本中を集団パニックに陥れているのです。熱病と同じで、このパニック症候群は「報復エネルギー」が完全に発散されるまで収まりません。そのエネルギー自体「いじめウイルス」の正体なのです。加害者達は今、皮肉にも自ら放ったウイルスの反撃によって地獄の苦しみを味わっているとも言えるのです。因果応報とはいえ実に哀れなことです。
今、「地獄絵図」の絵本がかなり売れているそうです。子供もかなり興味を示しているとか。しかし因果論を脅かしで教えるのであってはいけません。「おどかし」は「いじめ」と同じ範疇のものだからです。これは大事なことです。
「地獄絵図」の意図するところは、決して脅かしではなく、「自未得度先度他の心」の涵養なのです。つまり人にとって「おもいやりの心」にこそ正しい「因果応報」の理(ことわり)があることを教えているのです。
オトナがしっかりとした手本となってこそ、子供は「大人の鑑」として光を放すのです。今こそ「地獄絵図」をよ〜く見て己の生き方を反省すべきは他ならぬオトナたちなのですから。
「いじめウイルス」に対処するには報復では決して解決しません。報復は復讐という欲望心を満たすかもしれませんが、それは単にいじめウイルスを増殖させ蔓延させるに過ぎません。「報復」も「恨み」もみな同じ「いじめウイルス」によるものだからです。今加害者に集中攻撃をしている人達も、己自身がそのウイルスに冒されていることを知るべきでしょう。
その点からも自分達の保身しか考えなかった学校や教育委員会もまったく同じ病気に冒されていたのです。いじめ問題はすべてオトナの問題でありオトナの責任なのです。「おもいやり」は理屈では誰にでも分かっていることですが、それができないのは理屈を超えたところのものだからです。その領域こそ「宗教」なのです。真の心の涵養は宗教に頼るしかないのです。
現代医学では絶対に治せない病気がこの「いじめウイルス病」という難病なのです。では、一体どうしたらよいのでしょうか。心の病とはいわゆる「貧・瞋・痴」の三毒に心が冒されることです。その防護と対応に当たるのがまさに宗教なのです。
仏教ではそのために如来や応供の仏さま方が存在されているのです。その代表格が薬師如来であり地蔵菩薩であり、そして観音菩薩なのです。悩める衆生はなぜもっとこれらの「抜苦与楽」の仏さまを活用しないのでしょうか。
但し、抜苦与楽とは言え、求めなければ応えてくださらないのが如来や観音さま方なのです。観音さまは、誠心に「南無観世音菩薩」と一心唱名する人にこそ飛んで来てくださるのです。その「貧・瞋・痴」の三毒を諫め「四苦八苦」から解放してくれる妙薬がまさに「唱名」であり「真言」なのです。 

■勢至菩薩 智慧とは
今回は13仏の九番目の勢至菩薩のお話です。勢至菩薩は、サンスクリット語では「マハースターマプラープタ」と言い、「偉大な威力を獲得した者」を意味するそうです。八大菩薩のお一人で、衆生の無知を救う仏の智慧を表します。
一周忌の導師で、真言は、オン サン ザンサク ソワカ です。この真言を唱えれば、煩悩が去り、悟るための智慧が得られるといいます。
勢至菩薩は観音菩薩と並んで阿弥陀三尊を形成します。その右脇侍として有名ですが、観音の慈悲に対して、勢至菩薩は仏の智慧の光を象徴しており、あまねく一切を照らし、往生する衆生が地獄・餓鬼界へ落ちないようにまもり極楽浄土に導いてくれます。
観無量寿経の中には、「知恵を持って遍く一切を照らし、三途を離れしめて、無上の力を得せしむ故、『大勢至』と名ずく」とあり、迷いの世界の苦しみから智慧を以て救い、亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせる菩薩とされます。
今回は勢至菩薩が司る「智慧」をテーマにしました。これまでも「智慧」については幾度も触れてきましたが、改めてその「智慧」について考えてみたいと思います。
まず、「知恵」と「智慧」との違いから考えてみましょう。私たちの日常生活では、知恵という言葉は「知識があって賢いこと」だと理解されているようです。
では、知識とは何でしょう。これも幾度となく言ってきたことですが、人が便宜上作った人間社会共通の約束事なのです。あらゆるものに尺度や理論をつけ差別化をしたものがすなわち「知識」なのです。
確かに知識は人が社会生活を送るうえに絶対に欠くことのできない分別としての大事なものです。知識を生かすことで人は合理的で豊かな生活を手にすることができました。あらゆる分野においてどんな知識も有るにこしたことはありません。しかし、知識を積み知恵をつけた人が果たして"賢人"でしょうか。
それは、「知恵」には「浅知恵」とか「悪知恵」があるように、中には知識を悪用する人もいるからです。オレオレ詐欺の例にもあるように、現代の犯罪の多くは知識をフルに活用した知能犯が主流を占めています。
つまり、「賢人」の定義が「立派な人」だとすれば、「知恵ある人」が即ち「賢人」とは限らないということです。これは、人の作った知識は人の独断や偏見に呑み込まれてしまうということであり、どんな豊かな知恵であっても必ずしも賢人の担保ではないということです。
仏教で言うところのほんとうの賢人とは、知恵ではなくその先にある「さとりの智慧」を会得した人のことをいいます。その人こそ「真理に目覚めた人」即ち仏陀なのです。
釈尊は三十五歳のとき、菩提樹の下でさとりを開かれ仏陀となりました。この後、釈尊によって説かれた教えのすべては、このさとりの智慧の体験を世の人々に伝えようとされたものに外なりません。
「華厳経」には、このときの釈尊の目覚めの体験が次のように記されています。「なんという不思議なことであろうか。欠けることのない仏の智慧は、すべての人の中にすでに届けられているのに、どうしてそれに気づかなかったのだろう。私はこれから、あらゆる生きとし生けるものに正しい道を教え、永く誤ったものの見方から解放されて、仏の智慧がその身の内にあることに目覚めさせるようにしよう。」
智慧が知恵と違うところは、智慧は人の良識や分別を超えた道理だということです。それは、宇宙絶対の真理なのです。それは人の独断も偏見も通用しない絶対の法則です。釈尊のこの"発見"を「おさとり」と言い、仏陀の法則として「仏法」と言います。すなわち智慧とは仏法のことに他なりません。
世間ではよく、宗教とは教祖や何かの象徴を信じることだと理解されることが多いようです。ユダヤ教やキリスト教、イスラム教のような天地創造の主としての神や、日本伝統の神道の八百万(よおろず)の神を信じることなどが挙げられるでしょう。
では、仏教も同じような意味で象徴としての釈尊を崇拝する宗教なのでしょうか。確かにまず仏陀(目覚めた人)として釈尊の人格を信頼することから始まりますが、特に大事なことは、その仏陀が説かれた教え、すなわち「法」です。
釈尊は入滅に際して、「自らを灯明とし、自らをたよりとして他をたよりとせず、法を灯明とし、法をたよりとして他のものをたよりとせず生きよ」(涅槃経)と語られました。いわゆる「自灯明、法灯明」の教えです。
この教示からも解るように、仏教が目指しているのは、単なる個人崇拝や人間を超えた何かをやみくもに信じるということではなく、真理に目覚めた人の教えを学び、その目覚めの内容に私たちも目覚めていこうということであり、その目覚めの内容を指して「智慧」というのです。
「もろもろの仏たちが世に出られるわけは、すべてのものを仏の智慧に入らしめるためである」(妙法蓮華経)
多くの人の中には、仏教を学んでいけば知らないうちに「仏教」という一つの思想に偏るのではないかと感じている人もいるかも知れませんが、それは大きな心得違いです。「智慧」は人間の思考の範疇にある「思想」とはちがいます。
釈尊はさとりの体験から人々がすでに持っている偏見と独断の見識を改め、その束縛から解放されて、ものごとの真実のすがたをありのままに見ることを諭されているのです。その"ありのままの真実"を見ること、それが「智慧」なのです。
「ありのままの真実を見ること」と言われても多くの人は「いったいどういうことなのか」という思いでしょう。極々分かり易い例で言いましょう。
「あの人はいい人だ」というときは、たいてい「自分にとって都合のいい人」であり、「あの人はダメな人だ」というときは、たいてい「自分に利益をもたらさない人」という場合が多いのではないでしょうか。
同じように、「好き」と「きらい」、「可愛い」と「憎らしい」、「きれい」と「きたない」など、ものごとや人を差別したり、仕分けたりするのも、結局は自分というモノサシで計っているのです。
仏教はこの自分のモノサシこそあらゆる苦悩を生み出す元であるとされるのです。仏の智慧は、そのような偏見分別のモノサシを超えて、ものの価値を絶対平等に見る心の眼を開くことにあるのです。これを「無分別智」といいます。
釈尊は教示されています。「ものに、意味のないものと意味のあるものとの二つがあるのではなく、善いものと悪いものとの二つがあるのでもない。二つに分けるのは人のはからいである。はからいを離れた智慧をもって照らせば、すべてはみな尊い意味をもつものになる」
「心の眼を開き、智慧を進める」ことによって、この世に存在するすべてのものは、互いに因となり縁となって大きなつながりの中に存在しているのであって、そこに価値の上下はないのだ、という世界があらわれてくるのです。
どうでしょうか。そもそも「智慧」とは即ち「仏教そのもの」だということがお分かりいただけたでしょうか。仏教とは釈尊が悟りを開きその悟りに基づいた教えであり、その悟りそのものが即ち「智慧」そのものだったのです。
阿弥陀さまも観音さまも、地蔵菩薩も虚空蔵菩薩も、そして今回の勢至菩薩もみな釈尊によって編み出された架空の仏さまですが、なぜ釈尊はかくもあまたの如来や菩薩を"創造"されたのでしょうか。それは只ひとえに悟りの「智慧」を一切衆生に知らしめんがために他なりません。
人に仏の智慧さえあれば、愚かな行為は一切無くなる筈です。もちろん、いじめも虐待も、すべての悪行はなくなり、そこに現れるのはまさに浄土の世界なのです。 

■阿弥陀如来 来世利益の仏さま
今回は13仏の10番目の仏さまで阿弥陀如来のお話です。阿弥陀さまを知らない日本人はいません。そんな有名な仏さまです。大乗仏教における諸仏の中で、もっとも代表的な仏さまのおひとりと言えるでしょう。
三回忌を努める導師で、真言は、「オン アミリタ テイセイ カラウン」で、「威光の無量光明の如来よ、永遠の命を与えたまえ」という意味だそうです。
「アミダ」は、サンスクリット語で「アミターユス」と表現されていたものが中国に伝えられ「阿弥陀」と音写されました。「アミターユス」は、「無限の寿命をもつ者」「無限の光明をもつ者」という意味だそうです。
阿弥陀仏の支配する世界を「極楽浄土」と言いますが、「極楽」は、サンスクリット語では「スカーバティー」と言って、「幸福のあるところ」という意味だそうです。「浄土」とは、清らかな苦しみのない幸せに満ちた「仏国土」ということです。
仏さまにはそれぞれが担当する浄土があるといわれ、その数なんと百千億といわれます。その中で例えば、薬師如来が治める「東方浄瑠璃の世界」や、大日如来が治める「密厳浄土」などが有名です。
ちなみに、釈迦牟尼仏の治める世界を「娑婆世界」といいます。娑婆世界といえば、我々が今住んでいるこの現世の世界のことです。すなわち「四苦八苦」、「一切皆苦」の世界のことであり、「忍土」や「穢土」(えど)とも呼ばれています。
その穢土(えど)となっている娑婆世界を本来の浄土にすべく毘盧舎那仏(法身仏)の仏身より遣わされたのが釈迦牟尼仏(応身仏)なのです。ちなみに、法身仏(ほっしん)とは、宇宙真如そのものを表す仏さまであり、応身仏とは、この世に実在された仏さまのことで、化身仏とも言われます。
ちなみに阿弥陀如来は報身(ほうじん)仏といわれます。「報身仏」には諸説がありますが、拙僧の持論を言わせていただければ、「法身仏」を「理の象徴」と捉え、「報身仏」を「情の象徴」と捉えたらどうでしょうか。観音さまや地蔵菩薩など、お釈迦さまが"創造"された諸仏がそれに当たりますが、そのまさに代表格が阿弥陀さまなのです。
娑婆世界とは、本来は「浄土」であるべきなのです。その「穢土」と化してしまっているこの現世の娑婆世界に出世され今なお説法されているのが釈迦牟尼仏なのです。法華経「如来寿量品」には、「大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏である」と説かれています。
斯様にお釈迦さまにとって娑婆世界は、まさに「我が国土」なのです。我々人間にとっては、この現世こそ掛け替えのない仏国土なのです。この世の「穢土」を本来の「浄土」に化するというのが釈迦如来の本願なのです。
ですから釈迦牟尼仏を本尊とする禅宗の立場は、自ら発心して、この世で救われなければならないとする、いわゆる「自力本願」なのです。この世で救われることこそ「現世利益」とする考えです。
これに対して、現世で救われない者は誰でも阿弥陀仏にすがれば必ずや来世で救われるとするのが浄土門の立場です。来世で救われることこそ「来世利益」なのです。
浄土真宗の宗祖親鸞上人は、歎異抄の中で、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という有名な「悪人正機説」を唱えられました。
また、「善人は自己の能力で悟りを開こうとし、仏に頼ろうとする気持ちが薄いが、煩悩にとらわれた凡夫(悪人)は、仏の救済に頼るしかないとの気持ちが強いため、阿弥陀仏に救われる」と説かれています。
極楽往生には厳しい戒律生活や修行などは要求されません。阿弥陀如来の本願を信じて、ただひたすら阿弥陀さまを念仏すれば、どんな人でも確実に極楽浄土に往生できるというのです。この「他力本願」の信仰はたちまち多くの人々の帰信するところとなりました。
阿弥陀仏の浄土に往生して悟りを得る教えを「浄土門」と称します。極楽浄土に往生し、悟りを得るという阿弥陀信仰を説いた主要教典が、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の三巻です。法然はそれらを「浄土三部経」と位置づけ、親鸞もそれらを根本聖典としました。
このなかでも「阿弥陀経」は最も浄土の思想が説かれたお経といわれています。極楽往生を願う者は、阿弥陀の名号を、一日ないし七日間念ずれば往生できると説かれています。その大意の一部をご紹介しますので、"極楽浄土"を味わってみてください。
仏説阿弥陀経
私(阿難)は次のように聞いた。ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎に、1,250人の僧たちと居られた。彼らは皆、理想的な修行者として知られていた。
上座の長老である舎利弗、摩訶迦葉、摩訶迦旃延、などの偉大な弟子たち、ならびに多くの菩薩様である、文殊菩薩、阿逸多菩薩、乾陀訶提菩薩、常精進菩薩などの偉大な菩薩の方々と、帝釈天等の数えきれない大勢の神々と大衆がいた。
その時、釈迦は長老の舎利弗に次のように語った。ここから西方に十万億の仏国土を過ぎると極楽世界がある。そこに阿弥陀仏がおられ、現在教えを説いている。
舎利弗よ、その世界を極楽と呼ぶのは、そこの人々には苦しみがなく、楽しみだけを受けるために極楽と呼ばれる。また舎利弗よ、極楽国土には七重の欄干や七重の珠飾りの網や、並木があり、これらすべてが四種の宝物で取り巻かれているために、この国土を極楽という。また舎利弗よ、極楽には七宝の池があり、そこには八つの功徳のある水が充満している。池の底には金の砂が敷き詰められ、池の四方の階段は金銀瑠璃などで飾られている。
池の中には車輪のような大きな蓮華が咲き、青蓮華は青く、黄蓮華は黄色く、赤蓮華は赤く、白蓮華は白く輝いて微妙な香りが漂っている。舎利弗よ、極楽国土にはこのような徳をそなえた装いが備わっている。
また舎利弗よ、その国土では常に天の音楽が奏でられ、地面は黄金であり、昼夜六回にわたって曼荼羅の花が降る。そこの人々は、朝には器に美しい花を盛って十万億もの他の国土の仏に供養する。食事には本国に戻り、食事をし散歩をする。舎利弗よ、極楽国土にはこのような徳をそなえた装いが備わっている。
また、次に舎利弗よ、その国には色々珍しい色の白鳥、孔雀、鸚鵡、百舌鳥、迦陵頻伽、共命之鳥などの鳥がおり、これらの鳥は昼夜六回美しい声でさえずる。その音色は五根五力、七菩提分、八聖道分などの教えを説いている。そこの人々は、この鳥の声を聞き終わると、誰もが仏や教えや僧を念じはじめる。
舎利弗よ、この鳥が罪の報いによって生まれ変わったものと考えてはいけない。それは仏国土では、地獄・餓鬼・畜生の世界は存在しないのである。
舎利弗よ、仏国土にはこうした悪道の名前すらないので、その実がないのである。これらの鳥はみな、阿弥陀仏が教えを説くために鳥の姿に変化したものである。
舎利弗よ、その仏国土にはさわやかな風が吹きわたり、さまざまな宝の並木および宝の綱飾りを吹きゆるがせて、妙なる音楽を作り出している。それは百千種もの楽器が同時に奏でられているようであり、この音色を聞く者は、誰でも自ら仏を念じ、法を念じ、僧を念じる心を生ずるのである。
舎利弗よ、極楽国土はこのように麗しく飾り立たてられている。舎利弗よ、そなたはどう思うか。なぜその仏を阿弥陀と申しあげるのであろうか。舎利弗よ、その仏の光明には限りがなく、十方の国々を照らして何ものにも障げられない。それで「アミダ」と申し上げるのである。
また舎利弗よ、その仏の寿命およびその国の人々の寿命も、ともに限りなく、実にはかり知れないほど長い。それで「アミダ」と申し上げるのである。舎利弗よ、阿弥陀仏が仏に成られてから今日まで、すでに十劫という長い時が過ぎている。
また舎利弗よ、その仏のもとには数限りない声聞の弟子がいて、みな阿羅漢のさとりを得ている。その数の多いことは、とても数え尽くすことができない。さまざまな菩薩たちの数も、またまたそのように多いのである。舎利弗よ、極楽国土は、このように麗しく飾りたてられている。
・・・中略・・・
しかし舎利弗よ、わずかな功徳を積むだけでは、とてもその国に生まれることはできない。舎利弗よ、もし善良な者が阿弥陀仏の名号を聞いて、その名号を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日、一心に思いを乱さないなら、その人が命を終えようとするとき、阿弥陀仏が多くの生者たちとともにその前に現れてくださるのである。
するとその人がいよいよ命を終える時、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽国土に生まれることができる。舎利弗よ、わたしはこのような利益を見ているが故に、このことを説くのである。もし人々がこの教えを聞いたなら、ぜひともその国に生まれたいと願うがよい。
・・・中略・・・
舎利弗よ、もし善良な者たちが、このように仏方がお説きになる阿弥陀仏の名とこの経の名を聞くなら、これらのものはみな、すべての仏方に護られて、この上ないさとりに向かって退くことのない位に至ることができる。
だから舎利弗よ、そなたたちはみな、わたしの説くこの教えと、仏方のお説きになることを深く信じて心にとどめるがよい。
舎利弗よ、もしすでに願いをおこした者、また今おこしつつある者、あるいはこれから願いをおこすであろう者がいて、かの阿弥陀仏の国に生まれようとするならば、みなこの上ないさとりに向かって退くことのない位に至り、その国にすでに生まれ、または生まれつつあり、あるいはこれから生まれるであろう。
だから舎利弗よ、善良な者たちで、もし信心がある者は、ぜひともその国に生まれたいと願うべきである。
・・・中略・・・
尊がこの教えを説き終わられると、舎利弗をはじめ、多くの修行僧たちも、すべての世界の天人や人々も、阿修羅などもみな、この釈尊の説法を聞いて、喜びにあふれ、深く心にとどめ、うやうやしく礼拝して立ち去ったのである。
仏説阿弥陀経

以上、想像するに極楽浄土はまさに夢の世界ですね。お釈迦さまは、誰でも願えば極楽浄土に往生できると説かれているのです。これは決して"うそ"ではありません。なぜなら、「極楽浄土」はまさに「情の象徴」だからです。 

■阿閦(あしゅく)如来 不動、堅固の仏さま
今回は13仏の11番目の仏さまで阿閦如来のお話です。「あしゅく」とは、梵名アクショービヤと言って、「揺るぎない」という意味があり、悟りを求める誓願と菩提心が金剛(ダイヤモンド)のように堅固であることを示しているといわれます。
七回忌を努める導師で、真言は、「オン アキシュビア ウン」で、不動の菩提心と三毒(貪・瞋・痴)の心を鎮めてくれるといわれます。
その由来は、東方の千仏刹(千におよぶ仏国土)を越えたところに阿比羅堤(あびらだい)世界があり、その浄土で一人の比丘がさとり求める菩提心を発し、瞋恚(怒り)を断ち、淫欲に溺れないことを誓って精進し、ついにさとりを得て成仏しました。
師の大日如来よりその誓願と精進の堅個さを称えられ、その比丘は阿閦(あしゅく)の名号を授かったといわれます。爾来阿しゅく如来は今も、その浄土において説法を続けておられるといわれます。
その容姿は黄色(又は青色)にして左手を金剛拳にして臍に安置して膝に置いて、右手を垂れ指頭を以って地を押しています。すなわち阿閦觸地の印相を結んでいるのが特徴と言えるでしょう。
密教では、金剛界において五智如来(大日、阿閦、宝生、阿弥陀、不空成就)の一人とされています。東方にあって、「大円鏡智」の徳を備え諸悪の煩悩を破壊し、菩提心を顕現する仏とされます。
「大円鏡智」とは、森羅万象の真実の全てを映し出す悟りと智慧の鏡という意味です。禅宗では卒塔婆の頭によくこの句を書き入れています。
前回の阿弥陀如来とは対象的に、阿しゅく如来はあまりよく知られていない地味な存在といってよいでしょう。しかし、瞋恚を鎮め悟りを求める不動心を持つとされるこの仏さまの精神こそ、特に現代人に求められる心ではないでしょうか。
仏教では、人間の諸悪・苦しみの根源は貪・瞋・痴にあるとし、これらを三毒と言います。煩悩を毒に例え、三毒こそ煩悩の最たるものとされています。
貪は、貪欲のことであり、むさぼり求める心のことです。瞋は、瞋恚(しんい・しんに)は「いかり」「にくしみ」の心のことです。痴は、愚痴ともいい、真理や真実に対する無知の心、「おろかさ」をいいます。
人間の不幸のほとんどはこの三毒に冒されることから始まると言ってよいでしょう。その一つである瞋恚(怒り)こそ最も心のコントロールが必要なのです。
怒りは、他人の心だけでなく自分自身の心までもダメにしてしまうのです。あの一言で友人関係がおかしくなったとか、あの一言がいまだに心の棘となっているとか、過去に負った心の傷がいまだ癒されていない想いは誰にでもあるものです。
一瞬の怒りが人生を狂わせてしまった事例はいくらでもあります。一生取り返しのつかない事件を起こした人が一様に言うことは「あの瞬間に戻れるのなら戻りたいと、どれほど思ったことか」という後悔の言葉です。
時間は絶対に戻りません。それっきりです。いくら後悔しても後の祭りです。 それもまさに「一期一会」なのです。人生腹の立つことは日常茶飯事です。それだけに怒りの心を如何に抑えるかが如何に大事であるか肝に銘ずべきです。
では、腹が立ったらどうしたらよいでしょうか。いろいろ民間療法はあると思いますが、何よりも仏さまに頼ることでしょう。今回の阿閦如来さまを心に念じ、「オン アキシュビア ウン」と真言を唱えるのです。たちどころに怒りの心は鎮まってくるはずです。
もちろん仏さまであれば他のどの仏さまでもかまいません。心から気持ちを込めて真言をお唱えするのです。真言でなくても、「南無地蔵菩薩」でも、「南無阿弥陀仏」でも、「南無釈迦牟尼仏」でも、「南無観世音菩薩」でもかまいません。まずは一度試してみてください。絶対に効果がありますから。
滴水観世音菩薩
さて、七月の「法話」で観音さまのお話をしました。そのなかで、拙僧が一目惚れをした滴水観世音菩薩が近日中に当山にやってくるという話をしましたが、過日遂にご到着されました。拙僧これまで多くの観音石像をみてきましたが、その観音さまは、お顔立ちから容姿まで最高だと思います。なんと瞳があり、拝顔すると視線が合うんです。自分を見つめてくれているようで癒されます。是非一度お参りください。 
 

 

■大日如来 密教の仏さま
今回は13仏の12番目の仏さまで大日如来のお話です。
13回忌の導師で、真言は、「オン バザラダト バン」です。「大日」とは、サンスクリット語で「マハーバイローチャナ」と言って「偉大な輝くもの」という意味です。
大日如来の名前は、太陽である「日」に「大」を加えて「大日」と名付けられたといわれます。太陽を中心とする宇宙そのものが大日如来の身体であるという考えです。宇宙に存在するものは全て大日如来そのものであり、すべての諸仏諸菩薩は大日如来から派遣されたものと捉えます。
真言密教の根本教典である「大日経」と「金剛頂経」には、衆生の救済者として諸仏諸菩薩をはじめ諸神が説かれていますが、これらの全ては大日如来より出生し、大日如来の徳をそれぞれが分担し、衆生済度に当たられると説かれています。
根本教典である両経には、大日如来の徳の現れ方を、多くの諸仏との関係において説かれていますが、その関係を図式したものが曼荼羅です。宇宙に存在する一切のものは大日如来に胎蔵されるもの(胎蔵界曼荼羅)であり、また一切のものは何ものにも侵されない堅個な智慧の顕現(金剛界曼荼羅)であると考えるのです。
つまり、密教において、大日如来はそのものが宇宙の実体であり真理なのです。大日如来はいわば宇宙そのものを神格化したものと捉えることができます。ですから曼荼羅の中では、大日如来は中心に鎮座されまさに宇宙の一切を統治されていて、その功徳によって私たち人間はすべて即身成仏ができると説きます。
また別名を毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)とも、遍照如来(へんじょうにょらい)とも言います。その光明が宇宙全体を遍く照らし、常に法を説いているとしています。その説法の言葉はあまりにも深遠であるために我々凡夫には秘密とされていることから、「密教」といいます。
また、有名な奈良の大仏も同じ毘廬舎那仏ですが、奈良の大仏(東大寺)は華厳宗で、「遮」を「舎」と表して差別化を図っています。陽光である毘廬舎那仏の智慧の光は、すべての衆生を照らして、衆生は光に満ち、同時に毘廬舎那仏の宇宙は衆生で満たされているとされます。
さて、大日如来といえば弘法大師空海の存在を抜きには語れません。日本に本格的な密教を伝え真言宗の開祖となったのが言わずと知れた空海です。子供のころから密教の「大日経」に強い興味をもち、奈良の諸寺で多くの教義を学び、31歳の若さで遣唐使に選出された秀才でした。
長安の都で修学し、「遍照金剛」の名号を得て、正統密教の後継者に指名されました。膨大な教典や法具を携え日本に帰国した空海は、嵯峨天皇に見いだされ、当時の仏教界の重鎮、比叡山の最澄にその密教を指導したと言われます。
高野山・金剛峯寺(こんごうぶじ)を開創し、密教の根本道場とし、宇宙の真理を体現する大日如来と神秘体験をもって成仏を目指すという真言密教の新しい悟りの形態は急速に信仰を広めました。
さらに空海は、唐から最新の学問、医学、土木技術なども持ち帰り、満濃池(まんのういけ)を築いたり、私立の教育施設「綜芸種智院」(しゅげいしゅちいん)などを開設し、仏教のみならず、儒教、医学、土木、音楽などの普及に貢献されたのです。
承和2年(832)8月、空海は高野山においてその62年の生涯を閉じました。後世に起こった入定身信仰に基づき、空海の死を「入定」と称しています。「入定」とは「死」ではなく「禅定」に入るということであり、真言宗では高野山の奥の院御廟で今も生き続けていると信じ、現在も食事と衣服が供えられています。
醍醐天皇より「弘法大師」の諡号(死後天皇より贈られる称号)が贈られ、千年の時を越え、「お大師さん」として崇敬されています。歴史上、天皇から下賜された「大師号」は全27名に及びますが、一般的に「大師」といえば「弘法大師」を指すようになっています。
四国には日本一有名で人気の高い空海ゆかりの八十八箇所霊場がありますね。その巡礼に赴くお遍路さんは年間30万人にもなるそうですが、今も弘法大師空海が同行してくれるという「同行二人」が信じられています。
空海によって開かれた日本仏教の一大聖地・高野山は、空海入定千年の時を越え、後を継いだ僧侶や信者によって人々の信仰と崇敬を集めて発展してきました。そして、平成16年7月には「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
弘法大師にまつわる伝説は日本各地に多く残されています。大師が杖を突くと泉が湧き、井戸や池になったといった伝承をもつ場所は日本全国で千数百件にのぼるといわれています。
大師が発見したとされる温泉は、北は山形県のあつみ温泉から、西は長崎県の波佐見温泉まで、おおよそ26ヶ所にものぼります。ただ中には、温泉を探り当てた際に、宗祖たる空海の名を借用したものもあるようです。
弘法大師が由来とされる伝説や伝承も実に多く存在します。その一部を記しますと、ひらがな、いろは歌、灸、讃岐うどん、手こね寿司、九条葱、曜日、水銀鉱脈の発見などなど。有名がことわざや慣用句なども多くありますが、その中から二つほど有名なものをあげてみました。
「弘法も筆の誤り」 空海は天皇から勅使を受けて、大内裏応天門の額を書くことになったのですが、「応」の一番上の点を書き忘れてしまいました。空海は掲げられた額に向けて筆を投げつけて直したといわれます。
「護摩の灰」 弘法大師大師が焚いた護摩の灰と称し、御利益があるといって売りつけた旅の詐欺師がいたそうです。そのことが転じて旅人の懐を狙う泥棒全般を指すようになったそうです。
大日如来という大きな宇宙的思想を体感し、国とか民族を越えて、人間や人類に共通する原理を会得した人・・・ インドで何百年もかけて成熟してきた純粋密教を7年間の修行のもとに、インドにも中国にもなかった独自の理論体系を築き真言密教を完成させた人・・・宗教界に留まらず、現実社会でもパワフルに活躍し、一人の人生とはとても想像もつかない数々の功績を残した人・・・人並みはずれた知力、感性、そして才能に恵まれていたまさに傑出の天才でした。
そのような指導の天才が今のこのどうしようもない日本には必要です。まもなく衆議院の選挙が始まります。多くの新党が乱立し耳障りの良いことを並べ立てていますが、一体どの党の誰を信じたらよいか一般の国民にはまったく分かりません。
願わくは、真の指導者が出現され、少しでも国家国民を良い方向に導いて欲しいものです。末法といわれる今の世を正してくれる現代の「お大師さま」はいないものでしょうか。 

■虚空蔵菩薩 智慧に安楽あり
今回は13仏最後の仏さまで虚空蔵菩薩のお話です。
33回忌の導師で、真言は、「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」です。この真言を唱えることで大宇宙の智慧にあやかれるのです。
虚空蔵菩薩は地蔵菩薩の対的存在と考えられる仏さまです。地蔵菩薩が「大地」の「蔵」を象徴しているのに対して、虚空蔵菩薩は「虚空」の「蔵」を象徴しているからです。
大地の「蔵」がすべての「命」の源であり、慈悲心の象徴であるのに対して、虚空の「蔵」は大宇宙の理(ことわり)を象徴しています。虚空に蔵(かく)されているもの、それがすなわち「智慧」なのです。
虚空蔵菩薩とは、大日如来の働きのうち、「虚空の智慧」の徳性をもって派遣された、まさに「智慧」の仏さまといえるでしょう。その智慧によってすべての人々に安楽と福徳の御利益がもたらされるといわれます。
「智慧」については、これまでに幾度となくとりあげてきました。「知恵と智慧の違いについて」、「智慧のない知恵は煩悩にすぎないこと」「智慧こそ悟りの本質」等々・・・ その「智慧」についてもう少し学んでみたいと思います。
智慧を説いた理(ことわり)が、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三法印です。慈悲を説いた情(なさけ)が、「一切皆苦」の一法印です。(一切皆苦含めて四法印とも言います)
宇宙には絶対の「理」に対して衆生の命が存在しています。命とは、それ自体が「一切皆苦」ですから、そこには「情」が存在するのです。その情を司るのが「慈悲」です。
ですから慈悲をもって「抜苦与楽」を説いているのが地蔵菩薩であり、観世音菩薩なのです。ですから、智慧の虚空蔵菩薩に対して、慈悲の地蔵菩薩がいらっしゃるのです。
「絶対の智慧」に「絶対の慈悲」が重なり合っているという、このように仏教は智慧と慈悲が表裏一体なのです。ですから智慧を会得することがすなわち、同時に慈悲をいただくことになるのです。
その慈悲の世界を謳ったものが極楽浄土です。極楽浄土は何も来世に限った世界ではなく、慈悲を会得することで現世に居ながら極楽浄土が体験できるのです。これこそが果報であり、現世利益なのです。
智慧がないことを迷いと言いますが、迷っているからこそ、この世が「一切皆苦」なのです。つまり、智慧により煩悩を打ち破り慈悲を得ることで、その「苦」が安楽に替わるのです。
確かに、人は人間として生まれた以上、「四苦八苦」「一切皆苦」という宿命から絶対に逃れることはできません。しかし、実はその「苦」を「楽」に変えることができる妙術があったのです。その妙術こそ「安楽の法門」といわれる「智慧」なのです。
人類で初めてそれを証明された人、そのお方こそ我等が世尊、釈迦牟尼仏です。釈尊は大宇宙の智慧を悟られ、「一切皆苦」から解放されたのです。これを解脱と言い、釈尊は智慧を会得することで誰でも「安楽」の法門に入れることを証明されたのです。
智慧と慈悲は両輪です。智慧がなければ慈悲がありません。慈悲がなければ安楽がありません。安楽がなければ人は救われません。つまり、人は智慧があってこそ救われるのです。
さて、人類は奇跡的進化をとげその「知恵」の恩恵によって様々な科学文明の利器を生み出し、快適にして最高の生活を手にしました。現代人はまさに幸福の絶頂に達したかに思われます。が、果たしてそうでしょうか。
どんなに権力を手に入れても、どんなに知恵を身につけ裕福になっても、人は一向に「四苦八苦」から解放されていないのです。つまり人は、「知恵」から富裕な生活を手に入れることはできても、「智慧」無しでほんとうの幸福を手にすることは出来なかったのです。
幸福とは、敢えて一言で言えば、「安心」「安楽」です。どんなに貧しくとも、どんなに非才浅学でも、安心にこそ安楽があるのです。その「安楽の法門」に入る術、それが智慧なのです。仏教の目的を敢えて一言で言えば、「安楽」なのですから。
例えばその安楽の法門の一つに「知足」があります。ここでその「知足」についてちょっと考えてみましょう。釈尊は入滅に臨み「知足」について諄々と口宣されました。
「汝等比丘、若(も)し諸々の苦悩を脱せんと欲せば、当(まさ)に知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すと雖(いえど)も、猶(な)お安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処すと雖も亦た意(こころ)に称(かな)わず。」(遺教経)
人類は知恵により原子力を発明しました。まさに夢のエネルギーとして人々はその恩恵に与り富楽を享受してきました。しかし、原発事故が起こり、日本人はエネルギー問題の対応に迫られました。
今回の衆議院選挙の結果でも分かるように、その選択は「経済最優先」でした。原発が無ければ経済も生活も立ち行かなくなるとして、日本人の大多数が選らんだのは、原発はイヤだけど仕方ないという、あやふやな結論でした。
これは、日本人の心が、まだまだ富楽をあきらめきれずに、「もっと、もっと(ほしい)」という「不知足心」の表れでしょうか。先のことは考えず今が大事、今さえ良ければという、刹那主義的欲望心にとらわれているとしたら、日本の未来にほんとうの幸せは望めないかもしれません。
原子力は人類にとってまだまだ未完成の代物なのです。膨大な原発廃棄物の最終処分の方法も場所も分からないまま、その量は膨らむばかりです。将来にこれ以上の負の遺産を残さないためにも、「知足心」に基づいた生活を考え直さなければ、未来に幸福は望めません。
持つ程に増すのが欲望心と言われます。だから、必要以上の物欲にとらわれなければ欲望心は減ってくるものです。その基本が「知足心」です。知足心によって満たされた心にこそ、安楽はやってくるのです。
日常の生活エネルギーと、食物エネルギーを減らすことで、さらに、心身ともに健康になれるというまさにおまけつきです。
「安楽の伝授というて外になし、ただ足ることを知るまでのこと」(一休宗純禅師)  
 
四諦 1

 

■法灯明
新年明けましておめでとうございます。当山のホームページを御覧いただいております諸兄善男善女各位のご多幸を祈念申し上げます。
お陰様で、当山のホームページも早9年目を迎えることができました。まずは今年一年を頑張って参りたいと思っています。よろしくお願い致します。
さて、前回で「13仏シリーズ」を終えた訳ですが、拙僧の持論・愚論を通して諸仏の役割について些かなりとも学んで頂けたでしょうか。これからは仏教の基本理念となっている「四諦」(したい)について学んでいきたいと思います。
仏教の最大の特徴はなんといってもその絶対的理念の「法」にあります。その基本こそ「四諦」ですが、その前にまず釈尊にとって「法」の位置づけはどこあったのか、釈尊と法の関係とはどんなものかについて考えてみましょう。
宗教といえば、一般的にはなにか神や偉いカリスマ教祖を崇め奉り、その力にすがったりするもののように考えられていますが、実は仏教はそうではなかったのです。仏教は釈尊を個人崇拝する宗教ではなかったのです。
イヤ、確かに、現代の日本の仏教といえば仏さまを神格化したような現世利益を祈願とした信仰が主流を占めていると言えます。その現実は否めません。しかし、釈尊の教えを改めて検証してみると実はそうではなかったことが分かります。
それを今回は「自灯明、法灯明」の中から検証してみましょう。釈尊は仏教の教祖ではありますが、自分(釈尊)を依りどころにすべきではないと明言されています。その意味はきわめて重要であり、ここに釈尊の真意が窺われます。
釈尊晩年のことです。釈尊は重い病気にかかり、病苦を忍び、やがて回復されました。弟子の阿難は釈尊の回復をたいそう喜びましたが、これから先いつか釈尊が入滅されてもおかしくないことを悟り心配されました。
「世尊よ、よくなられてほんとうによろしゅうございました。世尊の病が重く、お体もやつれたもう時には、私は四方が暗くなったように思われました。だが、世尊は、まだ僧伽(教団)のことについてなにか御遺言のないうちは、亡くなられるはずはない。と思ったとき、ふと安堵することができました。」
阿難は、世尊が、その死に先だって、この教団の後嗣を指名するであろうことを含め期待したのですが、釈尊は、その期待があやまりであることを伝えました。
「阿難よ、その期待は間違っている。私はすでにあらゆる角度から法を説きつくした。わたしの教えには、弟子に隠して握りしめているような秘密はない。
また、阿難よ、わたしは、わたしがこの教団の指導者であるとか、比丘たちはみんなわたしに頼っているとか、思ってはいない。だから、わたしがこの教団のあとつぎなどを指名するはずはないではないか。
だから阿難よ、汝らは、ただ、自らを洲(しま)とし、自らを拠りどころとして、他人を拠りどころとすることなく、法を洲とし、法を拠りどころとして、他を依りどころとすることなかれというのである。他を依りどころとすることなき者こそ、わが教団のなかにおいて最高処にあるものである。」
釈尊は「わたしの教えには、弟子に隠して握りしめているような秘密はない。」と述べられましたが、この意味は重要です。
世間にはよく、師匠が最後まで秘密にしている大切な部分があったり、気に入った弟子のみに伝授するいわば奥義なるものがあったりしますが、釈尊はそれをまったく否定されたのです。
そして、「自分自身を拠りどころとして、他人を拠りどころとすることなく、法を拠りどころとして、他を依りどころとすることなかれ」と教示されたのです。
この言葉にこそ釈尊の実直な思いが込められていると拙僧は考えるのです。何千人という弟子と何万人という信者を抱えた一大宗教の教祖である釈尊が、「わたしを頼ってはならない」「頼るのは己自身と法だけで、他のものは一切頼ってはならない」と明言されたのです。
この「自帰依」「法帰依」の教えは特に釈尊晩年には繰り返えされたようです。そのもう一つをご紹介しましょう。
舎利弗と目連といえば釈尊が最も頼りにしていた弟子のうちの2人です。しばしば教典には「一双の上首」(いっそうのじょうしゅ)と称せられていますが、その二人が師に先立って相次いで逝かれてしまいました。
晩年の釈尊にとって、このうえない痛手でした。ある夕べのこと、布薩の儀式に出席されました。「比丘たちよ、サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)が逝ってからこのかた、この集会は、わたしにはまるで空虚になってしまった。あの二人の顔が見えない集会は、わたしには淋しくてたまらない。
・・・中略・・・
だが、比丘たちよ、この世に存するものは、なに一つとして、たれ一人として、いつまでも移ろわぬものとては、あり得ないのが道理であった。
・・・中略・・・
かの二人は、わたしに先だっていった。この世に、うつろわざるものは、あり得ないからである。
・・・中略・・・
されば、比丘たちよ、わたしは汝らに言う。『みずからを洲とし、みずからを依りどころとして、他人を依りどころとしてはならぬ。法を洲とし、法を依りどころとして、他を依りどころとしてはならぬ』」と。
弟子達にしてみれば、釈尊あっての教団であり仏教なのです。それを頼るなと言われ、さらに、教団の後継者を指名することもしないということは一体どういうことでしょうか。教団には相当な戸惑いと困惑が走ったことでしょう。
しかしその意図は、敢えて教団を突き放すことで釈尊は仏教の本道を守ろうとされたのだろうと考えるのです。つまり、仏教の本道が絶対の「法」であり、決して個人崇拝に陥ってならないことを示されたのです。
確かに釈尊は仏教の開祖ですが、御自身にしてみれば、自分は宇宙の真理の「法」の発見者に過ぎず、「法」の仲介者に過ぎないという自覚と、その正法を後世に伝えていく強い使命感からの発露だったのでしょう。
個人崇拝は個人を絶対の存在に祀りあげます。人は「祀られる」ことで不合理の存在となります。それはつまり神を意味します。神は実体のない存在であり、人が神になること自体不合理なことです。だから人は神にはなれないのです。
しかし、仏は違います。仏には実体があります。それを「仏性」といいます。仏性こそ仏の実体です。「一切衆生、悉有仏性」だから人は仏になれるのです。「悉有仏性」とは没個性の存在ですから、個人崇拝になってはならないのです。
釈尊が個人崇拝を否定されたのは、仏陀は神ではないことを示されたのです。釈尊は、人はみな「本来本法性、天然自性身」だから、悟れば誰でも仏になれることを証明されたのです。この事実こそ仏教の根本教理なのです。
仏教で仏陀を崇拝するのは、それは神としてではなく、自分自身の理想像として、自分も仏になれることを願って崇拝するのです。これが仏教の本筋なのです。この処がちょっと難しいかもしれませんが、この認識こそがあってこそ釈尊が後継者という「人」(個人)にこだわらなかったことが理解できるのです。
つまり、仏教の崇める対象は「個人」ではなく「仏・法・僧」なのです。仏・法・僧を三宝と言いますが、文字通りこれらはまさに三つの「宝」であり、三位一体なのです。だから仏教徒はまず初めに三宝に帰依することから始まるのです。
釈尊は「自灯明、法灯明」をとおして、仏教が決して個人崇拝に陥ってはならないこと、「法」こそ絶対の依りどころであることを示されたのです。
宗教というと、とかく無条件で教祖を奉りその教えを受け入れる節がありますが、釈尊はそれらを「外道」(げどう)と呼んでおられます。しばらく前にも拙僧は述べましたが、仏教は真理に即した「超科学」の教えなのです。  

■苦諦 釈尊の苦悩
なぜ、仏教はさとり、解脱、涅槃というものをめざすのでしょうか。それは、仏教の問題認識が、この世を「苦」だと見ているからです。これは今まで何度も言ってきたことです。(法話「一切皆苦」―苦海の中の魚―平成17・18年参考)
この現実認識をとらえ、仏教は苦からの脱出、苦の解決のため、さとり、解脱、涅槃をめざすにほかなりません。まさしく、釈尊が出家した原因も釈尊自身の「人生は苦である」という悩みにあったのです。
現代では超人のように思われている釈尊ですが、決して超人ではありません。前回「法灯明」でもとりあげたように、釈尊は、「わたしを頼ってはならない」と言われました。その真意は、釈尊自ら自分は超人でも神でもないという宣言だったのです。
釈尊は、神から啓示を受けたり、生まれながらに特殊な能力をいただいていたわけでも特別な存在だったわけでもありません。あったのは私たちと同じような心の感性です。
釈尊は幼い頃から非常に感性が豊かで、何不自由のない王宮殿の贅沢な生活の中にも多くの疑問を持ち続けたのです。人生や世の不条理に対する思いは日増しに強くなりました。その想いが有名な「四門出遊」の伝説となりました。
ある日、王子が城外の園に遊びに行こうとした折の話です。城の東門から出ようとすると、杖にすがった老人に出会いました。王子は、従者から全ての人はやがてあのような老人の姿になることを諭され、いたたまれなく外出をやめて城に引き返されました。
気を取り直して後日、やはり園へ行こうとされ、南門から出ると、こんどは病で倒れて苦しんでいる人に出会いました。従者から人はみんな同じように病に冒され苦しむことを聞かされました。王子はいたたまれず城に引き返されました。
また、幾日か後、気を取り直してこんどは西門から出て行くと、葬送の列に出会いました。家族や縁者が悲しみながら棺を運んでいきます。死は誰にでも必ずおとずれる不幸であると知り大変なショックをうけ、いたたまれずやはり城に引き返されました。
さらに何日が経ち、王子は四度目に北門から外出されました。すると、そこには一人の出家者が歩いていました。その姿に何か神々しくすがすがしさを感じとられたのです。
その者に王子は「あなたは一体何者であるか?」と尋ねました。出家者は、自分は解脱を求める修行者であると答えました。これを聞いた王子は、これこそわたしが歩む道であると決心されました。
むろん、これは伝説ですが、王子が持ち続けていた「苦悩」を象徴的に表現したものといえるでしょう。しかし、世の不条理に苦悩し、ついに苦の解決を求めて王子の位をうち捨て、二十九歳にして出家し、人生の全てをかけたのです。
しかし、私たちの一般的な見方から言えば、釈尊は王侯に生まれ何不自由のない贅沢三昧の生活の中で、一体何が不足で「人生は苦である」などという悩みを持ったのか。いくら感性が豊かであるにしろ、常識では理解しがたい、ずいぶんな変人か我儘お坊ちゃまの印象すら持ってしまいます。
しかし、だれでもが正直に自分自身の人生を見つめてみると、今まで悩みのなかった人など誰一人いません。又、今現在悩みのない人もいない筈です。今この文章を見ているあなたも、この文章を書いている拙僧も同じです。生きている限り悩みの尽きないのが人の宿命なのです。
お金がない。病気で苦しい。人間関係で悩んでいる。パワハラ、セクハラ、近所付き合い、体力の衰え、老化、不眠症、不妊症、花粉症、対人恐怖症、介護、通院、家事、育児、仕事、責任、ノルマ、借金、ローン、失業、交通事故、離婚、子供の将来、進学、就職、性格、嫉妬心・・・等々。
人生はまさに取るに足らないものから死に追い詰められるものまで大小様々な苦しみの中に存在します。苦悩の極みが自殺ですが、日本では年間3万人以上とか。一日平均8〜9人の人が尊い命を断たれているという悲惨な現実です。自殺は不幸の極みですが、その原因のすべては心の問題にあると言えるのです。
当山ホームページ「かけこみ寺」にも、ときどき「死にたい」と悲痛な気持ちを伝えてくる人がいます。「がんばれ」「命を無駄にするな」「生まれてきた意味を考えろ」などと言ってしまえるほど簡単な問題ではないのです。
本人は悩みに悩み、追い詰められてしまっているのです。「がんばる」ことは分かっているし、十分がんばってきたのです。「死にたい」とは言っていますが、本心は「死んではだめだ」と自分に言い聞かせ、"死にもの狂い"で葛藤しているのです。
年間3万人と言いますが、死の淵から辛うじて"生還"した人の数はおそらくその何倍にもなる筈です。自殺願望に追い込まれる心中は如何ばかりか。人生は実に過酷です。今日人ごとでも、明日は我が身かもしれないのです。あんな幸せだった人が・・・なぜ。という事例はいくらでもあります。
仏教でいう「人生は苦である」というのは特段哲学的な高尚なことを言っているのではありません。冷静に現実を見つめるならば、大小様々な苦悩が日常茶飯事に私たちの身の上には起こるのです。人であれば必ず直面する様々な苦悩がまさに人生の実態にほかなりません。
その事実に対して若き釈尊は正直な心の叫びを発したのです。そして、解脱を求めた修行者の中に問題解決の大きなヒントがあることを確信したのです。
私たちと同じ人間であったゴータマ・シッダールタ(釈尊の本名)が、同じ人間として、同じ目線で、同じような苦しみを感じ、そこから立ち上がり、そして解脱し「苦」の問題を解決されたのがまさに仏教にほかなりません。
私たちが言う世間一般的幸福とは、健康であることや富、地位、名誉のあること、あるいは家族が愛情で満ち足りていることを言います。しかし、これらが完全に揃うことはなく、たとえ揃って手に入れたとしても、それは一時のことです。
いかなる権力をもち栄華を誇った王侯貴族や富豪でも所詮私たち一般人と同じです。いくら権力や富の力があるからといっても、老いないわけでも、病にならないわけでも、寿命がおまけに追加されるわけでもありません。幸福を保証する担保など微塵たりとも存在しません。老・病・死は万人に縁に従って平等に訪れるのです。
権力、地位、名誉、健康、繁栄などが真の幸福ではないことをさとった若き釈尊は、苦の実態とその解決を求めたのです。そして、六年間の修行の結果、釈尊はついに解脱されたのです。「解脱」とは、さとりによって大自由を得ることです。
大自由こそ大安楽であり、そこには一切の苦も存在しません。安楽は苦の対極にあるのではなく、苦そのものが消滅した後に出現するものです。つまり安楽は苦によって覆い隠されているのであるから、苦を取り除くことで人は幸福になれるのです。まさに苦からの"脱皮"こそ"解脱"なのです。
釈尊は解脱により苦の原因がすべて心の問題であることを突き止めました。その理論こそ「四諦」であり「八正道」なのです。すべてが心の問題である以上、人は誰でも心次第で幸福にも不幸にもなるのです。だからこそ心を鍛え幸せになりなさいという教え・・・それが仏教なのです。 

■苦諦 出生の苦
四諦(したい)の諦とはサトヤ(satya)の訳で真理という意味です。 つまり「四諦」とは四つの真理という意味です。
この四つを苦諦・集諦・滅諦・道諦といいます。般若心経の中に出てくる「苦集滅道」のことです。釈尊は、「空」を悟ることは同時に「四諦」を悟ることだと説法されています。
前回学んだように釈尊の出発の原点は「苦悩」でした。人はだれでも生きている以上一切皆苦の中にいるのだという現実に直面し、その問題の解決を求めて出家されたのです。
そして、ついに悟りを得て解脱されました。解脱とは全ての迷いと苦しみから脱したということです。解脱されたことから、釈尊は苦に対する四つの真理すなわち「四諦」を説かれたのです。
まず問題提起し、分析し、認識し、そしてその解決策を説いているのが四諦なのです。その最初にあるのが苦諦ですが、これは、「人生は苦である」という真理です。生・老・病・死の四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四苦を合わせて「四苦八苦」といいます。
前置きが長くなりましたが、今回は四苦八苦の最初の「生苦」(しょうく)です。これは、文字通り「生まれる苦しみ」ということです。生きていることの苦しみではありません。「生まれ出る」苦しみということです。いったい「生まれ出る苦しみ」とは何か・・・それが今回のテーマです。
常識からすれば人間に生まれることこそ最高のしあわせです。にも拘わらず、生まれることが「苦」であるとはいささか理解し難いことです。しかし、人間の苦の原点は「生まれること」にあるとするのが仏教の真理なのです。
それは、人間に生まれるということは輪廻の世界である三界流転の世界に生まれるという事実からです。では三界流転の輪廻の世界とは何なのか、まずはそのことから学んでみましょう。
三界とは、この世を精神的レベルから「欲界」、「色界」、「無色界」の三段階に分けた世界のことです。
欲界とは、最も欲望にとらわれた世界のことです。色界とは、欲望を離れた物質の世界のことです。無色界とは、欲界と色界を離れた無我の世界のことです。しかし、無我という禅定にいながら涅槃に到らないため輪廻の世界に留まっているのです。
三界六道を生まれ変わり死にかわりながらさまよい続けることを三界流転とか輪廻転生と言います。迷いの世界である三界に留まる以上永遠に安まることはないのです。
釈尊は「三界は安きことなし、なおし火宅のごとし」と語られています。三界で生きることは火のついた家に住んでいるようなものだ。火に焼かれ苦しむ世界であるからそこには安息は無いということです。
では真の安息はどこにあるのでしょうか。結論から言えば、その世界こそまさに涅槃にほかなりません。その真の安息の世界・涅槃を目指す教えがまさに仏教なのです。
涅槃というと、死後の世界を想像する人が多いかも知れませんが、それはまったくの認識不足によるものです。涅槃とは、絶対無比、完全無欠な「空」の世界のことです。それは解脱し仏陀となられた者だけが入れる世界です。
人類史上その最初の人こそほかならぬ釈尊です。つまり、生きながらに仏になること、生きながらに涅槃の世界に入る教え・・・これこそ仏教の目指すところであり、言い換えれば「生き仏造り」が仏教なのです。
それには先ず六道から解脱をしなければなりません。六道とは、苦楽の位置づけで地獄から天上まで六つに分かれた世界のことです。程度の差こそあれ苦の世界なのです。
地獄とは、時間と空間ともに常に苦に満ちている最下位の世界です。餓鬼とは、いつも空腹や渇きといった苦が止むことのない世界です。絶えず飢餓感に襲われている世界です。
畜生とは、動物や魚から命ある生物の世界です。比較的自由で空腹に悩まされることはありませんが、絶えず弱肉強食の運命にある世界です。
修羅とは、戦いに明け暮れる神の一種です。いつも帝釈天に敵意と憎悪をたぎらせて戦争をしかけるのです。戦争や紛争に駆り立てられ安らぎのない世界です。そのため阿修羅は神でありながら人間よりランクが下になっているのです。
人間とは、四苦八苦の世界です。ただし精進次第で六道から解脱し涅槃に入ることができるのは唯一人間だけです。この認識がきわめて大事です。
天上とは、六道のなかでも最上の世界です。例えば寅さんで有名な葛飾柴又の帝釈天、毘沙門天、弁財天といった「天」のつく神々の世界のことです。これらの諸天は本来インドの神々でした。
仏教はこれらの神々を仏教の守護神としてとりいれたことで天上界が存在するのです。一応神の位ですが、解脱をしていないので輪廻の世界に留まっているのです。
輪廻の世界である以上天人といえども死もあれば「五衰」もあるのです。五衰とは、老化による五つの体の衰えのことです。仏典により異なりますが、体臭、脇汗、油垢、抜け毛、視力低下などのことです。
さて、以上で三界、六道、輪廻等の説明を終える訳ですが、大事なことは人間界こそ三界流転の世界であり、四苦八苦の世界だという認識です。すなわち人間に生まれることは、「苦の世界に生まれる」ことなのです。
たしかに、一般的感覚からすれば、「人生は苦だ」とは申せ、「苦もあるだろうけど、結構楽もあるじゃないか」「仏教は妙なことを言うものだ」と思われる節も多いかもしれません。
しかし、それは大きな錯誤であり、一見楽に思えるものでも実はその本質は苦と一体なのです。楽とは精神的、肉体的心地よさ、楽しさ、満足感にほかなりません。永遠に続く楽など絶対にありません。楽はわずか一時のものにすぎず、必ず終わりがあるのです。
ちょうど登り坂の向こうには必ず下り坂があるように、世界には上り坂と下り坂の数は同じだけあるのです。それと同じように、生があるから死があるのです。生と死は同事なのです。つまり生まれることは死ぬことなのです。
ただ、先にも触れたように、人によって受ける苦の質と量の違いに不条理を感じるのも当然かもしれませんが、その問題についても釈尊は業と縁起論で条理を説かれています。いずれそれについても学んでいきたいと思います。
以上人間に生まれることは、四苦八苦の世界に生まれることだという実態と、「生苦」の意味について、持論を含めながら説かせていただきました。そして何よりも大事なことは、人間こそ精進次第で六道輪廻の因果から解脱できる存在だということです。
それを信じるからこそ、われわれは仏教に精進できるのです。 

■苦諦 老苦1
人生四苦八苦、前回はその最初の「生苦」について学びました。今回はその次の「老苦」です。
老苦とは文字通り老いる苦しみです。時々刻々と老いているのが生き物の宿命であり、人間もまた例外ではないことは、誰でも当たり前のこととして受けとめています。
釈尊ですら、晩年ご自身の衰えを「私の体はちょうど古い車が革紐の助けを借りてやっと動いているようなものだ」(大般涅槃経)と述べられています。人間である以上、必ずやってくる老化による様々な苦しみ、その避けて通ることができない苦しみをいかに克服するかが今回のテーマです。
人は誰でも歳はとりたくない、老いたくないという願望をもっています。それは歳をとるにつれて、体力、精神力はどんどん衰え、老醜になるからです。あの天上界にさえ老化による「五衰」(前回参考)があるのです。五衰こそまさに老醜なのです。
美しく老いるとか言う言葉を聞いたりしますが、老いが美しく望ましいものであろうはずがないのです。できたら少しでも歳を取りたくない、老けたくないというのが本音の筈です。本音抜きに問題の実態は見えてきません。
若き釈尊ゴータマも「四門出遊」で出会った老人の老醜にショックを覚え、自分も何れあのような姿になるであろうと思い、老いは醜い、若い方がよい、自分はああはなりたくはないと感じて深く苦悩したのです。
「四門出遊」が伝説の域を出ない以上、実際に釈尊が老化に対してどれ程の思いを持っていたのか本当のところは分かりません。ただ人にとって老苦の存在が厳然たる事実である以上、人はそこから解放されなければならないのが仏教の立場なのです。
何度も言ってきたことですが、仏教の目指すところはあらゆる苦悩からの解放です。解放無くして真の安楽はありません。それには先ず老化の実態を学び、その実体を悟ることで解放を目指すというのが今回のシナリオです。
ですから、本論で述べていることは、決して老人を蔑視したり軽視しているのではありません。老人を大切にし尊重すべきであることは言うまでもありません。ただ礼儀や倫理上の考え方と、一大宗乗の問題としての解決を目指す仏教の立場は分けて認識する必要があるのです。
古くなることには、くたびれたもの、間に合わないものという通念がありますように老化もその実態は老醜なのです。しかし、そのすべては長い年月を通して人生の風雪に耐えてきた結果なのであり、"老醜"には人生の尊い重みがあることを知るべきです。
老化の中でも先ず端的に現れるのが容姿、容貌の衰えでしょう。男女を問わず誰にでもあるのが、いつまでも若く格好良くいたい、もてたいという願望です。しかし「無常たのみ難し」です。どんな若さも美貌も"無常の風"による"風化作用"から逃れることはできません。
人にとってその風化作用こそ"老化"と言うべきものです。それは丁度「酸化」の原理に似て、人も歳をとることで体のあらゆる部分を"酸化"させているのです。ですから体にも当然"耐用年数"があるのです。人はそれを"寿命"と呼んでいます。
若い時には気にもならなかったことが、齢を重ねる毎に老化として現れてきます。腹は出る、歯は無くなる、老眼は進む、加齢臭は出る、足腰は弱まるわ、頭は禿げるわで、あれほど男前だった風貌もかなり褪せてきます。
俗に言う「ハメマラ」の衰えで"男の方"の自信も失せたころ、しっかり「老苦」を実感するのです。心身一如ですから、精神力も同時に弱まります。思考力、記憶力、判断力も衰え、痴呆や交通事故のリスクも格段に高くなります。
女性も同じです。顔にはシミ、皺が増え、化粧のノリも悪く、首は太く、肩から尻まで寸胴、(失礼、勿論例外はあります)あの瑞々しいくびれた曲線美は何処へやら。昔は振り向いてくれた人もいたのに、あ〜ぁ"あれから40年"とはこのことか、と人ごとでなかったことに気づくことで、老化の現実を実感するのです。
「紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし。つらつら観ずるところに、往事の再び逢うべからざる多し」(修証義)あの紅顔の美少年は何処に行ってしまったのでしょう。あの瑞々しかった"永遠"の美少女は何処に消えてしまったのでしょうか。何処を探しても何の跡形もありません。
「白髪三千丈、愁いに縁りてかくのごとく長し。知らず明鏡のうち、何れの処にか秋霜を得たる」(李白) 鏡に映る我が姿を見て、あらためて「いったいどこでこんなに老けてしまったのだろう」というそのショックたるやまさに"三千丈"です。
拙僧自身、その都度ショックを受けるのが車の免許更新時です。その時に撮った写真と前回のものとつい比べてしまいます。その都度その老け具合いに驚くのです。写真は正直です。たかが5年とはいえ老化の程度を歴然と証明してくれるのですから。
また、写真は過去の若き日の初々しい姿も証明してくれます。自分も昔はこれだけ若かった、弾けていたと主張できるのです。しかし、それも哀れな話。"あれから40年"の今の現実を誰が想像できたでしょうか。過去は幻、昔の話や、同じ話を繰り返すようになったら間違いなく「老害」です。
以上、老苦の厳然たる実態を受けとめていただいたと思います。"実態"を味わったところで、次にその「実体」について学んでみましょう。
苦悩の実体、それは事実を認めたくないという心の葛藤なのです。誰でも歳をとれば当たり前のことだと分かっていながら、本音のところではその事実を認めたくない自分がいます。「苦悩」は、事実に対してそうあって欲しくないという反動の感情から生まれる不安感なのです。
では釈尊はそれらの苦悩をどうやって解決されたのでしょうか。般若心経の冒頭に、「行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」とありますように、「深く智慧の世界に至り、自分の全てを空だと悟ったとき、全ての苦悩から解放された」のです。
釈尊はお悟りにより大自由を得られ一切の苦から解放されたのです。「色即是空」の色は形あるものを指し、それを現象と捉えます。現象は時々刻々と変化するものです。その現象が「行」ですから、世の中の全てはうつろい行くものという意味で、「諸行無常」と言います。
「色即是空」とは、この世の存在の全てを「色」とし、その実体は「空」であるというのです。「色」は「現象」であるが故に「無常」なのです。だから人間も現象であるが故に刻一刻と老化しているのです。諸行の実体は空だと悟ることで、一切の現実を"あるがまま"受け入れます。
「あるがまま」の現実を「あるがまま」受け入れることを「諦め」といいます。「諦め」はギブアップではなく、明らかに納得するという意味です。つまり存在する全てはまさに縁に随った完璧なものだと悟ることです。
涅槃の世界は完璧な世界です。余分なものも不足したものも全くありません。老化それ自体が"完璧"なのです。ですから「老化」に対して"こだわる"という迷いなど一切ありません。これが悟りであり即ち「苦悩」からの解放なのです。
曹洞宗大本山永平寺に「不老閣」という建物があります。そこにお住まいのお方こそ大本山の住職、不老閣禅師です。その名の示すとおり、まさに「不老」の境涯にあるお方がおわします処という意味です。 

■苦諦 老苦2 天寿への道理
「不老長寿」・・・それはまさに人類永遠の願いといえるでしょう。 実は、仏教こそ不老長寿の教えなのです。それは、人生順風満帆にいけば長寿につながるからです。言うまでもなく、仏教は人生を順風満帆に送るための教えなのですから。
仏教に限らず全ての宗教の目指すところは同じかも知れません。家内安全も交通安全も、商売繁盛や心願成就も、病気平癒や健康増進などもみな行き着くところは「不老長寿」といえるのです。
目出たいことを「寿」といいますが、「寿」は、「命長し」という意味です。それは、世の中で一番目出度いことは「長生きすること」だということです。すなわち長寿こそ人生最高の幸せなのです。
確かに、いつまでも若く、元気で人生を楽しみたいという欲望は人として当然のことです。できるだけ楽しく長く生きて、そして寿命が尽きてパッと死ぬこと。これこそ万人の願うところかもしれません。
寿命が尽きることを天寿全うと言います。その天寿を全うするには人生に立ちはだかる七難八苦に打ち勝たねばなりません。心身にまつわるあらゆる厄難を排除し幸福になる教えが仏教です。ですから、仏教の目指すところは、「天寿全う」なのです。
折角の掛け替えのない人生です。仏教の御利益に与りなんとか天寿を全うしたいものです。ただし、タダではその御利益に与れません。タダとは何の努力も精進もしないということです。どんな御利益もそれ相当の精進あっての果報なのですから。
その精進とは、天地宇宙の道理にかなった生き方をすることです。人間も宇宙の一部である以上、その道理の下に生かされているのであり、その道理に則った生き方こそ万難を排し、長寿に繋がっているのです。是非その道理を学び、心身ともに健康で幸福な人生を全うしようではありませんか。
さて、その道理を学ぶには、宗教の二面性を理解しなければなりません。宗教には非合理的道理と合理的道理の二面があるからです。「鰯の頭も信心から」の理論が非合理的道理です。十円や百円のお賽銭で受験合格を願ったり、お札やご祈祷で商売繁盛を願ったりするのは明らかに非合理的道理です。
又、お経の解釈に意訳と理訳があるように、文意そのままを信じることが非合理的解釈であり、文意に隠された真意を理解することが合理的解釈です。例えば、観音経や、阿弥陀経のように観音さまや阿弥陀さまに只おすがりすれば救われるとするのが非合理的道理です。他方、経文の意訳の裏にある真意を理解し自ら悟ることで救われるとするのが合理的道理です。
非合理的道理だけのものは単なる迷信です。特に仏教にはこの非合理性と合理性が相まっているのです。また、他力本願の教えを非合理的道理と捉え、自力本願の方を合理的道理と捉えることもできます。
更にいえば、前回"講釈"した「不老」の意味についていえば、文字通り「肉体的に不老」と解釈するのは非合理的道理です。実際生き物が老化しない筈はないのですから。それに対して「不老」の意味を「仏性」と捉えるのが合理的道理です。
どういうことかと言えば、人の本質は仏性であり、それは永遠の存在であるから「死」とは捉えません。そこをすなわち「不老」と言っているのです。拙僧的持論で言えば、すなわち「超科学」なのです。
仏教は、その超科学の合理的道理から人の生き方を説いた教えです。ですから、ほんとうの不老長寿という御利益は仏教の合理的道理に生きた人に与えられるものです。
さて、実際問題、天寿こそ最高の幸せだとして、われわれ人間は一体どのくらいの寿命を持っているのでしょうか。それを探るためには、人間という己自身の実態を知る必要があります。まず人体の神秘からみてみましょう。
人間の体は50兆個の細胞でできているといわれます。細胞の大きさは10ミクロンです。人体のどの器官をとってみても、それは共通です。心臓の細胞も皮膚の細胞も、大きさはすべて同じ、10ミクロンなのです。10ミクロンは1oの100分の1です。
その10ミクロンの細胞が50兆集まってできたもの、それが人間の体です。人間だけではありません。ネズミも猫も犬も象も、同じように10ミクロンの細胞で作られています。象は大きいから細胞も大きいということはなく、すべての動物の細胞の大きさは10ミクロンです。
すべての動物の体が、人間と同じ細胞でできているのです。その形はどの動物も同じで、違うのは中に入っている遺伝子情報だけなのです。それもその筈です。すべての生物の祖先は、皆同じなのですから。
すべての生物の祖先は海で生まれ、魚類から枝分かれして、両生類、は虫類、鳥類、そしてほ乳類へと分化してきたのです。進化の過程で遺伝子が少しずつ書き換えられ、あるものは陸に上がり、あるものは羽根を得て鳥になったのです。
結果として地球上には様々な種類の生物がいるわけですが、その体を構成している細胞は同じです。地球上の生物はすべて共通の材質を持っているというわけです。
どんな動物も、始まりは1個の受精卵です。なぜ生き物によって成体の大きさが違うかというと、細胞の数が違うからです。なぜ数が違うかというと、細胞分裂の回数が違うからです。
その動物によって分裂の回数が決められているから、象は象の大きさになり、ネズミはネズミの大きさになるのです。
初め1個の受精卵が倍々に細胞分裂を繰り返すと、10回で1024個、20回で約100万個、30回で10億個、40回で1兆個になります。1辺の長さが10ミクロンの細胞は立方体ですから、体積は3乗になります。
1個の大きさが10ミクロン、つまり0、01oの細胞が10回分裂したら、その1辺の長さは10倍の0,1oになります。100万個で1o、10億個で1pになります。
10億個となった細胞の大きさは、すなわち1㎤、水なら1tです。1tの水の重さは1gですから、1㎤の細胞の重さも1gに相当します。
10億個の細胞の重さが1gなら、1兆個の細胞の重さは1sになりますね。中肉中背の人の体重は50キロですから、50キロの人間は50兆個の細胞でできているということになります。(南雲吉則先生の著書を参考にさせていただきました)
人間の体は、人類悠久の遺伝子情報を今に伝えています。そのDNAの設計図に従って一個の受精卵が50兆個まで分裂し、頭の先から足の先まで、五臓六腑の五体を見事に形成するという事実を考えてみてください。
人は奇跡を感じてこそ感謝の念が持てます。それは、あり得ないこと、「有り難い」ことが起こったからです。人間に生まれたということは、まさに奇跡であり有難いことではありませんか。 いくら前世からの宿善の因縁とはいえ、人間に生まれてきた事実を奇跡と受けとめれば、自分の人生こそ実に掛け替えのない尊いものだと思えるのです。そして感謝の気持ちがもてるのです。感謝なくして人生に幸福はありません。 

■苦諦 老苦3 天寿への道
人間に与えられた天寿はいったいどのくらいのものでしょうか。そして、長寿の秘訣はあるのでしょうか。今回は寿命のメカニズムと養生について考えてみました。
前回、人間の体はたった一個の10ミクロン、つまり0,01oの細胞から始まっていることを紹介しました。たった一個の受精卵が倍々にめまぐるしい勢いで細胞分裂を行い、人体を形作っていくのです。
そして、10ヶ月ほどして生まれ出てから細胞の「新陳代謝」が始まります。それは、古い細胞が日々死んで、新たに細胞が生まれることです。乳児期、幼児期、少年期と十数年をかけて、体はぐんぐん大きくなり続けるのです。
そして、死ぬ細胞よりも生まれる細胞が多い内が成長期です。やがて思春期になって、死ぬ細胞と生まれる細胞との数が一致するのがすなわち成長期の終わりです。もうこの若者はこれ以上身長が伸びることもなく、細胞の量は一定数のまま、生成と死滅を繰り返すのです。
そして、新陳代謝が衰え、新たな細胞を作り出さなくなってきた人体は、だんだんみずみずしさを失い、しおれた様子を見せ始めます。これが老化であり、そして、最後に、すべての細胞が分裂を停止したときが生命の終わりです。これがすなわち「寿命」なのです。
細胞が分裂を停止するときが寿命だとして、ではなぜ細胞分裂には限界があるのでしょうか。南雲博士によりますと、それを決めるのが「テロメア」という、遺伝子DNAの端にある結び目だそうです。
そのテロメアは細胞が分裂する度に短くすり減っていき、限界に到ったとき分裂を停止するのです。全ての細胞が停止するのが自然死であり、寿命なのです。動物にはそれぞれの天寿があるのです。
では、人間に与えられた天寿はどの位なのでしょうか。最近の人類120歳の天寿説の元となっている京都大学の故森毅教授の唱えた「2乗の仮説」を紹介しましょう。それによりますと、人類の寿命は11段階あって、その限界は121歳だというのです。
第1段階  1の2乗=1歳まで(乳児期)
 2〃   2の2乗=4歳まで(幼児期)
 3〃   3の2乗=9歳まで(小児期)
 4〃   4の2乗=16歳まで(思春期)
 5〃   5の2乗=25歳まで(青年期)
 6〃   6の2乗=36歳まで(若年期)
 7〃   7の2乗=49歳まで(中年前期)
 8〃   8の2乗=64歳まで(中年後期)
 9〃   9の2乗=81歳まで(老年期)
10〃  10の2乗=100歳まで(長寿期)
11〃  11の2乗=121歳まで(天寿・絶対寿命)
では、なぜ現在のほとんどの人は、その本来の天寿を全うできないのでしょうか。それは、遺伝子DNAのテロメアを短くしてしまう生き方をしているからです。人間を取り巻く環境にはテロメアを短くする因子がたくさんあるのです。
環境汚染、過食、偏食、飲酒、喫煙、ストレス等々、悪い生活習慣によって体は傷つき、テロメアはどんどんすり減っていくのです。生活習慣と環境の悪化により老化が加速するのです。その条件は個々によって違います。だから、テロメアの減り方は一様ではなく、寿命は個々に違ってくるのです。
以上の理屈からいえば、個人の寿命とは食事環境、肉体環境、精神環境、生活環境、それに遺伝子条件等に左右されていることになります。と言うことは、これらの環境をすべて整えさえすれば人は本来の天寿である絶対寿命に限りなく近づくことができるということになります。
70歳を古希、77歳を喜寿、80歳を傘寿、88歳を米寿、99歳を白寿などと言って祝いますが、平均寿命が80歳を越えた現代からは昔在の感があります。今や長寿時代といわれ、百歳を越える日本人は昨年(20012年)で5万1376人にもなったそうです。
調査を始めた50年前にはたった153人だったそうです。男性の長寿世界一としてギネス認定されていた京都の木村次郎右衛門さんが今月の6日に亡くなりましたが、116歳の長寿でした。絶対寿命といわれる121歳までもう少しのところでしたが、絶対寿命への夢と可能性を与えてくれました。
縄文時代の日本人の平均寿命はわずか15歳だったそうです。鎌倉時代には24歳、江戸時代に40歳、明治時代に43歳くらいで、50歳になったのは昭和に入ってからだそうです。そして昭和46年に70歳(古希)を越えたのです。
その後も長寿がすすみ、今年20013年の発表では男性79,59歳、女性 86,35歳にもなりました。この調子でいけば1960年以降に生まれた日本人(現在50歳)の平均寿命は100歳を越えるだろうといわれています。つまり、50年後の日本人の半分は100歳まで生きられるということです。
拙僧は、人間にとって長寿こそ最高の幸福だといいました。たしかに長命こそ「寿」であり喜びであることに間違いはありませんが、それは健康でこその話です。長生きするなら最後まで健康でなければ意味がありません。
現代では、医科学の発展と生活環境の改善により人の寿命は飛躍的に延びました。しかし、問題は健康寿命です。いくら長生きしたところで寝たきで人生の最後の日々を長々と生きるのは本人にとってまさに「老苦」そのものでしかないのです。
以上のことから、人間本来の天寿120歳説を信じるとして、その天寿に限りなく近づくためには誰でも自分自身の遺伝子のテロメアをできるだけ消耗しないような生活習慣を心がけることです。
大切な細胞遺伝子テロメアを大事にする生活習慣にこそ真のアンチエイジングがあり、天寿への道があると思うのですが、如何でしょうか。
そのための「養生訓」の一部をご紹介しましょう。「養生訓」といえば、江戸時代に貝原益軒が著したものですが、その書き出しは、次のように始まっています。
「ひとの身体は父母を本とし、天地を初めとしてなったものであって、天地・父母の恵みを受けて育った身体であるから、それは私自身のもののようであるが、しかし私のみによって存在するものではない。つまり天地の賜物であり、父母の残して下さった身体であるから、慎んで大切にして天寿をたもつようにこころがけなければならない。」
「人の命はもとより天から受けた生まれつきのものであるが、養生をよくすれば長命となり、不摂生であれば短命となる。つまり長命か短命かは、われわれの心次第である。健康で長命に生まれついた人でも、養生の術にかなわなければ早世するし、生まれつき虚弱で短命にみえる人も、保養ひとつで長生きできる。」
益軒は今から380年ほど前の江戸時代の人ですが、当時の平均寿命が40歳といわれた時代、彼自身85歳まで生きた人です。当時としては相当な長寿でした。
彼は天寿は百歳を上限とすると言っていますが、それを短くしているのは、それぞれの個々の日常生活での養生が悪いためであることを看破していたのです。
つまり、天寿には、人類に備わった終極の限界寿命としての天寿と、各個人が様々な条件のもとで最終的に享受する個人の天寿とされるものがあるわけです。
この個人の天寿がどの時点で到来するのか、自分の寿命はどのくらいなのか、それはわかりません、が、誰でも己自身の生活習慣を鑑みれば大凡予測はつくはずです。
人は生きている以上「老苦」からは逃れられません。しかし、いくらでも減らすことはできます。それは、天寿を目指した長寿にかなった生き方を心がけることです。
さいごに、益軒の「養生の七養」をご紹介しましょう。
1.言葉を少なくして内気を養うこと。
2.色欲を戒めて精気を養うこと。
3.味の濃いものを食べないで血気を養うこと。
4.唾液をのんで臓気を養うこと。
5.怒りを制して肝気を養うこと。
6.飲食を節制して胃気を養うこと。
7.心配ごとを少なくして心気を養うこと。
「養生訓」には現代でも通じる、否現代こそ必要な養生の術が説かれています。 

■苦諦 病苦 病は気から
天寿をまっとうすることこそ人生最高の幸福だとして、その最大の障害の一つが病気かも知れません。確かに病気さえなければ、人は絶対寿命といわれる120歳の天寿をまっとうできるかもしれないのですから、病気さえなかったら人生万々歳といえるでしょう。
しかし、人にとって病気は避けられないものであり、「老苦」もさることながら「病苦」こそ、人生「四苦八苦」中最大級のものと言えるかもしれません。自殺の原因のトップが健康問題だとされていることからも病苦による苦悩苦痛が人にとって如何ほどのものかがわかります。
確かに、どんなにお金があっても、地位や名誉があっても、どんなにしあわせな家族に囲まれていても、病気であっては決して幸福とはいえません。命の不安と先の見通せない絶望感にさいなまれ悶々とした日々を送ることほど不幸はありません。
病気とは、体に生理的、精神的異常が発生し、心身が正常な機能を営めず諸種の苦痛を訴える現象のことです。では、病気の数は一体どのくらい有るのでしょうか。よく「万病に効く」とか「風邪は万病のもと」などと言いますが、その数は「万」程にもなるのでしょうか。
18世紀ころにはその数およそ2400とされていましたが、20世紀にはいり、WHOの調査では3500種類がカウントされたそうです。その後アレルギーやエイズなどの出現で病気の数は増え続け、今ではおよそ一万にもなるそうです。
万病の「万」には「よろず」や「たくさん」といった強調の意味があるのでしょうが、昔のことわざが今や文字通り現実のものになってしまいました。昔認識できなかった病も勿論あったのでしょうが、人類の抱える病気は現代において確実に増え続けているのです。
では、人はなぜ病気になるのでしょうか。病気は、「気の病」といわれるように、まず心の環境に原因があるようです。
そこで、病気をつくるという「マイナスエネルギー説」をご紹介します。この説から改めてわかるのは、人間の体はまさに「心身一体」のものであるということです。
人は、心の中が悲観的、否定的になっているときは、身体も悲観的、否定的になります。そのようなときは、体の中にさまざまな「悲観的物質・否定的物質」が形成され、それがDNA遺伝子を傷つけ、細胞の働きを弱めます。そして、免疫力も低下し、その結果病気になります。
また、何十年も続けてきた悪い習慣、心の葛藤や苦しみ、心にため込んだ憎しみ・悲しみ、それが積み重なってくると、マイナスエネルギーが体に蓄積されていきます。そのような見えないものが重なり積もって、体が耐えきれなくなったとき警鐘を鳴らします。それが病気だと言えるのです。
確かに、何かに深く悩んだりして、それが続くと胃がいたくなり、胃潰瘍になったりします。精神的ショックが大きいと、一晩で、髪が真っ白になる人もいます。人間の精神状態は、それほど体に影響を及ぼすのです。
長年、心の中にため込んだ「憎しみや怒り、不満、妬み、劣等感、そして不安感など」のマイナスエネルギーが同じように自分の体を痛み付けて、それが病気となって現れてきたとしても、なんら不思議ではありません。
中でも「憎悪」は、いちばん破壊的な力が強く、そのエネルギーは体内で毒素を作り出し、体や精神に大きな害を及ぼすといわれます。憎悪の毒素が積もりに積もると、自分の病気どころか殺人まで犯してしますことにもなりかねません。
その顕著な例が、最近起こった山口県周南の住民五人の惨殺、放火事件かもしれません。小さな集落の中で、孤立と精神的軋轢の中で憎悪を募らせていった結果が、人として考えられない残虐な事件が起こってしまったのです。
まさに憎悪による毒素が心を狂わせた結果と言えるでしょう。人の行為は、良いことも悪いこともすべて心次第なのです。ですから、そんな心を守るためにあるのがまさに宗教なのです。
信仰とは毎日の祈りの中で心の状態を整えることなのです。神仏が、心の中をスキャンし、毒素を見つけ出し、マイナスエネルギーを排除してくれるのです。彼に何かまともな宗教でもあったなら、きっと結果は違っていたかもしれません。
このように、マイナスエネルギーが心に及ぼすことは計り知れません。その意味で、犯罪も病気もマイナスエネルギーが大きく拘わっているのです。では、そのマイナスをプラスに変えるにはどうしたら良いのでしょうか。
心で思うことは体の細胞へと伝わることであり、それはDNA遺伝子に影響を与えているということであり、ネガティブな思いは、自分の体に大きなダメージを与えるということであれば、「ポジティブな思い」を持つことです。
私たちの体は60兆個の細胞からなり、1秒間に50万個の細胞が生まれ変わっていると言われます。皮膚の細胞は四週間で、胃の内膜は五日で、肝臓の細胞は六週間で、骨格の細胞は三ヶ月ですべて入れ替わっているというのです。
心の環境が体に影響を与えるならば、毎瞬毎瞬、自分が思ったり、感じたりしていることが、新しい細胞に影響を与えているということになり、思考の一つ一つが心の環境を作り上げ、肉体に影響を与えているということます。
であれば、多くの場合、病気は自分で作っていることが多いのであり(先天的病気や子供の病気などは例外)、例え、どんな病気であっても、心の持ちようで明るい希望がもてるということにもなります。
つまり、健康を保つためには、まず心の健康です。そして、それに必要なことが、「ポジティブな思い」です。その思いは「感謝」と「笑顔」からです。
自分の体は自分のモノであって自分のモノではありません。先月の「養生訓」にもあるように、「ひとの身体は天地・父母の恵みを受けて育ったものであるから、私のみによって存在するものではない。天地の賜物をいただいているのだ」という認識が大事なのです。
私たちの体は、起きているときも、寝ているときも心臓を動かし、血液を運び、食べ物を消化してエネルギーを作り、片時も休まず働いてくれています。考えてみれば、実にありがた〜いことではありませんか。
生まれてこのかた、思えば、心の欲するまま、好きな物を飲み喰いし、勝手し放題に体を酷使してきました。どんな姿勢でいても、何をやっても、体は休むことなく働き続け、命を支えてくれています。
「いつも、いつも、ありがとう」「今まで何一つ文句も言わずに、あらゆる思いと行いを全部受けとめてくれて、ほんとうにありがとう」と。もし、そのような感謝ができれば、「ポジティブな思い」が一つ一つの細胞に伝わって、免疫エネルギーを高めるでしょう。
「感謝の心」があれば「笑顔」になれます。実際、笑うことで免疫力が高まり、癌が抑制されるというのは今や医学界の常識になっています。「笑う門には福来たる」はどうも本当のようですね。 
 
四諦 2
  苦諦 病苦 病気にならない生き方 

 

■生き方1
8月のメイン行事はなんと言ってもお盆です。ふだんご無沙汰しているご先祖さまへの想いを新たにする時期です。
当山でも毎年8月に入ると、5日のお施餓鬼会から13日から15日までの棚経、そして24日の地蔵供養会まで多忙を極めます。特に今年は例年にない猛暑が続き大変な"難行苦行"を強いられました。まさに「ほとけ極楽、坊主地獄」でした。
でも、これからやっと我等坊さんの"お盆休み"となるわけで、正直今が一番ホットする時期かもしれません。ただ拙僧の場合、この「法話8月分」のノルマを終らせないうちはその楽しみは"お預け"といったところです。あと一踏ん張り、かんばりま〜す。
さて、お盆を迎えますと、仏教徒はみな一様にご先祖さまへの敬虔な想いに浸ります。どんな人でもご先祖さまに心からの敬意と報恩感謝の念を抱き、素直な心でお仏壇に向います。合掌すれば誰でも即身成仏の仏さまになれるのです。
迎え火を焚き、提灯に火を灯し家族でお墓参りをする時に怒りながら行く人はいません。貪欲の気持ちで行く人もいません。妬み嫉みの気持ちで行く人もいません。どんな人でも素直な心、仏心にたち返るのです。お盆にはそんな功徳が頂けるのです。
このお盆にお寺にお参りに見えたあるおばあさんのお話です。「うちの外孫でよく遊びにきますが、来ると必ずお仏壇に行ってお線香をあげてくれるんですよ。玄関入ると先ずお仏壇に向かいお線香を立てて鐘を叩いて手を合わせるんです。帰る時も必ず同じように仏壇に挨拶してから帰るんですよ。」
そう嬉しそうに話すのを聞いて拙僧はなぜか大変感激してしまいました。中学三年生の男の子だそうですが、誰が教えた訳でもないとのこと。率先してお墓参りもするそうです。まさに本人の感性であり、実に尊く有難いことだと感銘しました。
その"習慣"は彼のおじいさんが亡くなった時以来もう五年も続いているとのこと。おばあさんはうれしくてその度毎お小遣いのつもりで五百円をこっそり貯金箱に貯めているとのこと。そのお金がもうすでに10万円程にもなっていて、何かのお祝いで彼にあげるつもりでいるとのこと。
実に微笑ましい話ではないでしょうか。そんなちょっとしたエピソードに拙僧かなり感激してしまいました。以上、真心には真心が返ってくるという、まさに現世利益ならぬ"現金利益"とも言える、ほんのささやかな功徳の実例でした。
さて、本題の「病」に話を移しましょう。前回、病気は人生最大の苦悩であり幸福への最大の障害であるといいました。たしかに病気さえなければ人生万々歳だと言っても過言ではありません。そこで今回からその「病気にならない生き方」について学んでみたいと思います。
ここに一冊の本があります。そのタイトルは、ものズバリの「病気にならない生き方」です。2005年に刊行されミリオンセラーとなり、大きな話題を呼びました。その著者こそ、米国ナンバーワンの胃腸内視鏡外科医でありこの分野の世界的権威、新谷弘美(しんやひろみ)医師です。
世界で初めて、新谷式と呼ばれる大腸内視鏡手術を開発し、日米でおよそ30万例以上の検査と9万例以上のポリープ切除を行ってきたまさに胃腸内視鏡学のパイオニアであり権威です。現在アルバート、アインシュタイン医科大学外科教授およびベス・イスラエル病院内視鏡部長としてご活躍中です。
これから、その先生の提唱される、35年間に亘る膨大な臨床結果に基づいた健康学の数々をご紹介したいと思います。
先生の信条は、「この世のすべてを包んでいる自然の摂理に反すると人間は病気になる」というものです。私たち人間も自然の一部です。その"自然の一部"が健康に生きるには、自然の摂理に身をゆだねなければならないというのです。
自然の摂理に身をゆだねるというのは、自らに備わった「命のシナリオ」に耳を傾けるということです。病気になるのは、命のシナリオを無視しているからです。自然の摂理に立ち返り、命のシナリオに耳を傾け、自らに備わった自然治癒力を目覚めさせ、命を養っていく生き方こそ"病気にならない生き方"なのです。
たとえば、野生の動物たちには、生活習慣病といえるような病気はほとんど見あたりません。それは彼らが自然の摂理に則った生活を送っているからです。命というのは本来、健康に寿命をまっとうできるような仕組みをもっているのです。
初めから病気になることが運命づけられている命などないのです。不幸にして先天的な疾患をもって生まれてくる命もありますが、それは命の発生段階において、遺伝的もしくは環境的に何らかの悪影響があったためと考えられます。
この世に原因のない結果は存在しません。原因不明の先天的疾患も原因がないのではなく原因がまだわかっていないというだけのことです。命は健康に生きるために必要な「シナリオ」をもって生まれてくるのです。動物たちは、その「命のシナリオ」を本能的に知っていて、それに従って生きているだけなのです。
たとえば、肉食動物の歯と草食動物の歯が違うのは、あなたたちの食べ物はこうゆうものですよ、という自然の摂理の表れにほかなりません。私たち人間の歯並びにも、そうした自然の摂理はちゃんと組み込まれているのです。
人間もちゃんとそんな「命のシナリオ」をもっているのです。ところが、万物の霊長といわれる人間は知恵を活かし、豊かな知識もとによりよい生活を求め続けたのです。「よりよい生活」、それこそ欲に根ざしたものです。
これまで人間が培ってきた文化は、ある意味「欲」の文化にほかなりません。もっと便利に、もっと豊に、もっと美味しいものをという欲望は、添加物や農薬を作り出し、環境破壊をしてきました。すべては人間の「欲」からです。
欲望は人間を傲慢な存在に仕立て上げました。ほかのどの動物よりも自分たちは高等な生き物だと思い込み、人間を取り巻くすべての存在は人間のためにあると思い込み、神より与えられた恩寵を取り違え、「自然の摂理」の範疇を越えてしまったのです。
「人間も自然の一部」だと言いました。自然の摂理に反した生き方の中に健康は存在しません。それを無視した結果が人間特有の病気を招いてしまっているのです。今の人間社会は、そうした自分たちの拡大させ続けてきた「欲」と「便利さ」の代償を、まさに病気というかたちで支払っているとも言えるのです。
おいしければいい、楽しければいい、ラクならいい、そんな刹那的な生き方の一つひとつが貴重な「命のシナリオ」に反したものになっているのです。健康に生きる術は全て、私たち一人ひとりの「命のシナリオ」に則ったものでなければならないのです。
自然の摂理を見れば、今の私たちに何が必要で何が余分な物かがわかります。自然の摂理を謙虚に受けとめず、「命のシナリオ」に逆らった生活から生まれたのがまさに「生活習慣病」です。
健康に良くないことと知りながら止められない人、良いことと知っていても実行に移せない人、そんな人の多くが罹る病が生活習慣病です。新谷先生はあえて厳しい表現で、それを「自己管理欠陥病」と呼んでいます。
大切なことは先ず正しいことを知って、そして行動にうつすことです。そんな先生の提唱する、健康にとって正しいこと、「病気にならない生き方」について更に学んでみましょう。 

■生き方2
九月はお彼岸ですね。彼岸とは、彼の岸、すなわち悟りの岸に向かって精進しましょうという、いわば"修行週間"ともいうべきものです。
修行というと一寸大げさかもしれませんが、仏教の教えに一層帰依しましょうということです。一般人にとって平たく言えば、普段の生活習慣を見直しましょうということです。寒暖の差のない爽やかなこの時期、ご仏前に到り静かに自己を見つめ、反省し自問自答しながら更なる生活習慣の改善を目指そうということです。
ところで、毎年のように秋のお彼岸にご先祖供養をたのまれるお宅があります。子供たちは都会に住んでいる独居のおばあさんのお宅です。今年も御仏壇にご供養をたのまれ早朝に卒塔婆をもって伺いました。
簡素ながらも、いつも掃除と後片付けが行き届き整然とされているお宅です。その日も庭は手入れがされていて、まだ早朝の空気のなかに清々しさが残っていました。帰り際、拙僧が「いつもきれいにされていますね。雑草がひとつもないじゃないですか。」と言いました。
すると、おばあさんがいいました。「草取りが好きなんです。雑草を取っていると気持ちが落ちつきますし、いいですね。雑草とることで雑念もとれるというのはほんとうですね。」
拙僧ドッキリして、「すごいことを知っていますね。」というと、「ヤーダ、いつか方丈さんから聞いたことですよ。草取りするのと坐禅するのは一緒だと言っていましたよ。」
拙僧またドッキリ。「そうでしたか。」と言いつつほとんど記憶にない自分に呆れながらお宅を後にしましたが、何かとても爽やかな気分でした。一方、翻って我が寺庭を見ると結構雑草だらけで、拙僧自身雑念の多い理由を改めて自覚した次第です。未だ彼岸の内、「坊主の不信心」と言われないように"反省"したいと思います。
さて本題に入りましょう。前回より、「病気にならない生き方」について学んでいますが、新谷先生が、40年以上もの間、のべ35万人の胃腸を観察しながら集めた臨床データから得た結論は、人の健康を司っているものは「エンザイム」だったのです。
先生の健康学は、エンザイムを理解することこそまさに健康とアンチエイジングへの道だとする理論です。そこで、今回はまずエンザイムとは一体どんな物なのかについて学んでみたいと思います。
エンザイム(enzyme)とは、「酵素」のことであり、植物や微生物や生物の体内で作られるタンパク質性の触媒の総称で、植物でも動物でも、生命があるところには必ずエンザイムが存在しているのです。
物質の合成や分解、輸送、排出、解毒、エネルギー供給など、生命を維持するために必要な活動にはすべてエンザイムが関与しているという、その酵素の働きによって、生物は生きるために行うありとあらゆる行為を可能にしているのです。
生物はまさにエンザイムがなければ、生命を維持することができない存在なのです。ですから、「人は、エンザイムの働きなくして一秒たりとも生きてはいけない」というのが先生の持論です。
その人間の体内で働いているエンザイムは、五千種以上あると言われています。なぜこれほど多くの種類のエンザイムがあるかというと、一つのエンザイムは特定の一つの働きしかしないという特徴があるからです。
たとえば、同じ消化酵素のエンザイムでも唾液に含まれる「アミラーゼ」は、でんぷんにしか反応しませんし、胃液に含まれる「ペプシン」はタンパク質に、膵臓の「リパーゼ」は脂肪にしか反応しません。
エンザイムには体内で作られるものと、食物として外部からとるものの二種類があります。体内で作られるエンザイムの生成方法は大きく分けて二つあります。一つは細胞内での生成であり、もう一つは体内の常在菌による生成です。
まず細胞内でのエンザイムの生成をスムーズにするためには、その原料となる「エンザイムをたくさん含んだ食物」を摂ることが必要です。そして、体内の常在菌による生成を増やすためには、腸内環境をよくすることが必要なのです。
その腸内環境をつかさどるものこそ腸内細菌です。私たちの体の中で大量のエンザイムを生成しているのが腸内細菌だからです。もし腸内細菌がいなくなったら、人は健康に生きていくことはできません。私たち人間にとって腸内細菌は、健康に生きていくためには必要不可欠なパートナーなのです。
腸内細菌は、およそ三千種類ものエンザイムを作っているといわれています。有益なエンザイムを生み出す腸内細菌を、一般的に「善玉菌」と呼び、他方「毒素」を生み出すものを「悪玉菌」と呼んでいます。
さらには、腸内細菌と体細胞は互いに自分たちの情報を出し合い、コミュニケーションを重ね、そのときの状況にもっともふさわしいエンザイムの情報を遺伝子に送っていたのです。
「生命を維持するために必要な活動にはすべてエンザイムが関与している」といいましたが、実は遺伝子にも大きく関わっていたのです。
私たちの体を構成している約六十兆個の細胞は、すべて同じ遺伝子をもっています。でも、実際には、骨や筋肉、皮膚、爪、髪の毛など、部位によってまったく違った個性を発現しています。
それは、同じ遺伝子をもつ細胞が、遺伝子の情報を切り替えしそれぞれの部位に発現させるからです。その情報の切り替えにもエンザイムが関わっていたのです。さらに、その遺伝子のもっている情報を読み出すためにも、エンザイムが必要なのです。
つまり、エンザイムを作るには遺伝子の情報が必要であり、遺伝子から情報を引き出すためにはエンザイムが必要であり、遺伝子のスイッチを切り替えるのにもエンザイムが使われていたのです。
これら、遺伝子、エンザイム、微生物の間で交わされるこの「トライアングル・コミュニケーション」こそが、私たちの健康をつかさどっているもっとも根幹の部分ではないかということが最近わかってきたのです。
それは、この三者のコミュニケーションがスムーズに行われることによって免疫システムが完璧に機能したとき、健康は保たれるからです。従って、その健康のカギを握っているのは、まさにエンザイムの体内保有量ということになります。
エンザイムの体内保有量が多ければ、新陳代謝が正常に行われるのはもちろん、体内の解毒作用や免疫システムも正常に働き病気を防ぐことができるのです。
つまり、健康で長生きするためには、体内のエンザイムを増やし、活性化させることが必要なのです。 

■生き方3
この時期、どこでも柿がきれいです。個人的には赤く熟した鈴なりの柿の木を見るのが好きです。たわわに実った赤い柿が、静閑な枯れた田園のなかで映し出すコントラストは実に風流です。
晩秋の秩父もそんな風情豊かな郷でした。柿の木が特に多く、行く先々で柿の実の成す造形の美しさに見入ってしまいました。今年は夏の高温のせいで例年ほどの紅葉ではないということでしたが、秋の風情を充分満喫できるものでした。
そんな風光明媚な秩父の郷に、この月末一泊二日の札所巡りをしてきました。千葉県第12教区主催の住職4名、壇信徒29名のツアーでしたが、爽秋に相応しい実りある旅でした。
実は、今回昨年に続いて二回目の旅でした。札所は全部で34ヶ所あり、3年掛けて全所お詣りしようという企画で、昨年が第一回目だったのです。昨年12ヶ所を巡り、今年11ヶ所、そして来年11ヶ所で結願の予定です。
それぞれの札所に着いたら、先ず全員で記念写真を撮り、続いて、般若心経、延命十句観音経三遍のお経を挙げます。回向は、東日本壇震災被災地早期復興、国家昌平、万民富楽と、大震災物故者、会員各家先祖代々精霊のご供養です。
今年は2回目でしたが、参加者みなさんのうち殆どが昨年に続いての参加でした。昨年は初めてのことでもあり、みなさん慣れないお経に着いていくのがやっとでしたが、今回は大分修得されかなり"斉唱"できるようになりました。
中には殆ど諳んじて誦経できる人もいたようです。おそらく相当練習されたか、普段から仏様にご供養のお勤めをされているのでしょう。
よく、我々坊さんがお経を諳んじることで感心されたりすることがありますが、お経を諳んじることは、実はそれほど難しいことではありません。
毎日繰り返し読むことで、誰にでもできるのです。暗記の努力ではなく復唱の努力で自然と身につくのです。身につくということは体が覚えるということです。何ごとも「体が覚える」ことでなければ修得できません。
芸事でもスポーツでも、さまざまな特殊技能の世界でも同じことが言えるのです。ピアニストに指先を動かしている意識はありません。サッカーの選手に足を蹴っている意識はありません。神の手を持つ外科医に手術中手を使っている意識はありません。
ピアニストはピアノと一体になっているからです。サッカー選手はボールと一体に、外科医は手術器具と一体になっているからこそ見事な仕事ができるのです。何ごとも"自己"と"使うもの"とが一体になる世界こそ極め付きなのです。
お経の功徳も、まさにお経と一体になることで得られるのです。昨年、今年と札所巡りをした人達も、だいぶお経の世界に入ってまいりました。あと十一ヶ所、来年巡礼を終える頃には、一層の功徳が得られている筈です。また元気にお会いして巡礼の功徳を分かち合いたいものです。
その巡礼の功徳こそ、心身ともに健康になれることです。元気に霊場巡りをすることで、元気が元気を呼ぶのです。まさに「病気にならない生き方」の一つに違いありません。ガッテンして頂きましたでしょうか。
さて、本題に入りましょう。スペースが少なくなってしまった関係で、今回は、エンザイムの敵である毒素とフリーラジカル(活性酸素)について述べてみましょう。
現在エンザイムは、健康をつかさどるカギとして世界的に注目を集め、研究が進みつつあります。免疫力、生命力、そして細胞を修復・再生させる働きを担っているのは、さまざまなエンザイムですが、さらに、心が生み出す心の毒である、ストレス、不満、愚痴、哀しみ、嫉妬、怒り、といったマイナス感情にも反応することが分かってきたのです。
ですから、体内にエンザイムが豊富にあれば、生命エネルギーも免疫力も高いといえるのです。まさに生命活動のすべてはエンザイムによって支えられていると言っても過言ではありません。
エンザイムはさまざまな生命活動に使われますが、もっとも多くのエンザイムを消費するのは体内に悪い物が入ってきたときに行われる「解毒」作用においてです。
アルコール、たばこに含まれる科学物質、食品添加物、カフェイン、タンニン、病気の原因となるウイルスや病原菌、環境ホルモン、活性酸素、電磁波、ストレス等々、これらはすべて体の中に入ると、解毒するために大量のエンザイムが使われます。
そのため、解毒しなければならない要素が多い人ほどエンザイムの消耗が激しく、その結果、健康維持に必要なエンザイムが不足し、病気になりやすくなると考えられるのです。つまり、体内のエンザイムの消耗を抑え、いかに充分な状態に保っておくかが、まさに健康状態を決定するのです。
生物が生きていくために必要不可欠なエンザイムですが、人間自身が作ることのできる量は決まっているといわれています。体からエンザイムがなくなったとき、人の命も終わってしまいます。その大切なエンザイムをもっとも消耗させるのが、フリーラジカルです。
フリーラジカルとは、活性酸素のことで、普通の酸素の数十倍ともいわれている強い酸化力(ものを錆させる力)をもったもので、細胞内の遺伝子を壊し、ガンの原因をつくるなど、さまざまな健康被害をもたらすことで知られています。
フリーラジカルは、呼吸をしているだけでも発生しています。人間は酸素を吸って細胞内の糖分や脂肪を燃やしてエネルギーを作り出していますが、このときに体内に取り込んだ酸素の二%がフリーラジカルになるといわれています。
悪者扱いされることの多いフリーラジカルですが、じつは体内に入り込んだウイルス、細菌、カビなどを退治し感染症を防ぐという、体にとって欠かせない働きもしているのです。
ただ、それが一定量以上に増えてしまうと、正常な細胞の細胞膜やDNAを壊してしまうということです。私たちの体には、フリーラジカルが増えすぎてしまったときのために、フリーラジカルを中和する働きをもつ抗酸化物質であるSODと呼ばれるエンザイムが存在します。
ところがSODは、四十歳を過ぎると急激に減少してしまいます。生活習慣病の発病が四十歳を過ぎたころから多くなるのは、このエンザイムが減少するためではないかとも言われています。
現代社会は、ただでさえフリーラジカルが発生しやすい環境にあります。ストレス、大気汚染、紫外線、電磁波、細菌やウイルスの感染、レントゲンや放射線などを浴びたときもフリーラジカルは発生します。
しかし、フリーラジカルの発生原因のなかには、こうした外的要因のほかに、自分の意志で防ごうと思えば防げるものもたくさんあります。たとえば、飲酒やたばこの習慣、食品添加物の摂取、酸化した食物の摂取、薬品の摂取などはその代表的なものです。
生活習慣病は文字通り生活習慣にあるということを心に銘じたいものです。 

■生き方4
今月平成23年度の国民医療費が発表されました。なんと38.8兆円にもなったそうです。一人当たりに換算すると30万1,900円にもなるとか。さらに毎年数パーセントずつ増え続けていくというのですから、大変な問題です。
22年度の対GDP(国内総生産)比では、7.81%、対 NI(国民所得)比は 10.71%にもなっています。国民医療費の約25%が国の一般財源でまかなわれていますので、国の財政を圧迫しているのは確かです。
医療費の急激な増加の理由としては、まず高齢化が進んでいることが挙げられます。高齢者は若者の5倍の医療費がかかるといわれています。しかし、問題は単に高齢化だけではないのです。
米国ナンバーワンの胃腸内視鏡外科医の新谷先生は、「高齢になれば、健康な人でも体の機能は低下します。しかし、機能が低下するということと、病気になるということはまったく別のことです。元気に生活している百歳の人と、寝たきりの百歳の人、その違いを生んだのは、年齢ではありません。両者の違いは、それまでの百年間をどのように積み重ねてきたのかによって生じるのです。ひとことでいえば、健康でいられるか否かは、その人の食事、生活習慣しだいだということです。食事、水の補給、嗜好品の有無、運動、睡眠、仕事、ストレスといった日々の積み重ねが、その人の健康状態を決定しているのです。」と述べています。
先生の著書の中からアメリカの例を紹介します。1977年、アメリカで食と健康に関する非常に興味深いレポートが発表されました。そのレポートは、発表した上院議員ジョージ・S・マクガバン氏の名を取って「マクガバン・レポート」と呼ばれています。
当時、このレポートがまとめられた背景には、アメリカの国家財政を圧迫するほどの巨額にふくれ上がった医療費の問題がありました。今の日本がまさに直面している問題を36年前のアメリカが抱えていたのです。
医学が進歩しているにもかかわらず、ガンや心臓病をはじめとする病気にかかる人の数は年々増え続け、それに伴い国家が負担する医療費も増え続け、ついには国家財政そのものをおびやかすところまで迫っていたのです。
なんとかしてアメリカ国民が病気になる原因を解明し、根本的な対策を立てなければ、アメリカは病気によって破産してしまうかもしれない。そんな危機感から、上院に「国民栄養問題アメリカ上院特別委員会」が設立されたのです。マクガバン氏はその委員長でした。
委員会のメンバーは、世界中から食と健康に関する資料を集め、当時最高レベルの医学・栄養学の専門家らとともに「病気が増える原因」を研究・調査しました。その結果をまとめたのが、五千ページにもおよぶ「マクガバン・レポート」です。
このレポートの公表は、アメリカ国民に大きな選択を迫ることになりました。なぜならそこには、多くの病気の原因がこれまでの「間違った食生活」にあると結論づけられていたからです。そして、いまの食生活を改めないかぎり、アメリカ人が健康になる方法はないと断言していたのです。
当時アメリカでは、分厚いステーキのような高タンパク・高脂肪の食事が食卓の主役でした。タンパク質は体を構成するもっとも基本的な物質ですから、体をつくるうえでとても大切な栄養素だといえます。
そのため、動物性タンパクをたくさん含んだ食事をとることが、成長期の若者はもちろん、体の弱い人やお年寄りにもよいとされていました。日本で根強い「肉こそ活力の源」という考えは、このころのアメリカ栄養学の影響といえるでしょう。
ところが「マクガバン・レポート」は、こうした当時の食の常識を真っ向から否定しました。そして、もっとも理想的な食事と定義したのは、なんと元禄時代以前の日本の食事でした。
元禄時代以前の食事というのは、精白しない穀類を主食に、おかずは季節の野菜や海草類、動物性タンパク質は小さな魚介類を少量といったものです。近年、日本食が健康食として世界的な注目を集めるようになったのは、じつはこれがきっかけなのです。
たしかに、肉を食べなければ筋肉が育たないとか、体が大きくならないというのは真っ赤なウソです。ただし、動物性タンパクをたくさん食べると人間の成長が速くなるということは事実です。最近の子供たちの成長スピードが速いのは、動物性タンパクの摂取量が増えたためと考えられます。
しかし、ここにも危険な落とし穴があります。それは、「成長」はある年齢を超えた時点で「老化」と呼ばれる現象に替わるということです。つまり、成長を速める動物食は、別の言い方をすれば、老化を速める食事ということになるのです。
60年代に入り高度成長期を迎えた日本は、アメリカに追いつき追い越せとばかりにあらゆるものをアメリカにならいました。一方アメリカでは、1977年の「マクガバン・レポート」を機に、国家をあげて食事改善が進められてきました。
その結果は両国民の「腸相」に表れていると胃腸外科の世界的権威である新谷先生は言っています。きれいだった日本人の腸相は、食生活の変化とともに年々悪化し、いまではすっかり肉食を常食としているアメリカ人の腸相に似てしまったと指摘しています。
それに対し、アメリカ人の中でも真剣に自分の健康を考え、高タンパク・高脂肪食を改善した人たちの腸相は、みごとに改善されてきて、大腸ガンやポリープの発症率も低下しているそうです。これは食生活を改善することによって、腸相をよくできるという良い証拠と言えるでしょう。
新谷先生は、胃と腸こそ健康のバロメーターだと述べています。人間の顔に人相の善し悪しがあるように、胃腸にも「胃相」と「腸相」の善し悪しがあるといいます。人相にはその人の性格が表れるといいますが、胃相・腸相にはその人の健康状態が表れるというのです。
腸相の悪化は、大腸ガン、大腸ポリープ、憩室炎などさまざまな大腸の病気を起こすだけにとどまらず、子宮筋腫、高血圧、動脈硬化、心臓病、肥満、前立腺ガン、糖尿病などのいわゆる生活習慣病を発病していると先生は指摘しています。
さらに、「本来、人間の体というのは、病気にならないように、何重もの防御システムや免疫システムに守られています。ですから、先天的な問題がなく、過度に不自然なことさえしなければ、多少のことがあっても病気にならないはずなのです。
その、本来病気にならないようになっている私たちの体を、病気にしてしまっている最大の原因は、長期にわたって少しずつ蓄積された『不自然な食事』と『不自然な生活習慣』にあります。多くの人は、人間にとって何が良い食べ物で、何が良くない食べ物なのかを知らないために病気になってしまっている。」と述べています。
特に若いうちから健康への意識を高め、しっかりとした食生活と生活習慣を立て、注意と努力次第で病気は確実に減らすことができるのです。このことをしっかりと銘記すべきです。言うまでもなく、健康抜きの幸福なんてあり得ません。 

■生き方5
人は普段当たり前だと思っているものが失われた時ほどショックを受けます。当たり前に存在しているもの・・・それは、肉親家族であり、財産であり、地位名誉であり、そして自身の健康であったりするのです。
そのどれも失われた時に改めてその重大さを痛感するのです。例年、この時期になると年間の重大ニュースが発表されますが、良いニュースもあれば悲惨なニュースもあります。災害などのような不可抗力のものもあれば、自己責任によるものもあります。
その自己責任といえば、今年の最たるものが、猪瀬東京都知事の五千万円問題でしょう。あれ程の人が、欲に目が眩み人生最大の墓穴を掘ってしまったのです。おそらく本人は「なぜ、どうしてこんなことに」と、自身を責め苦に追い込んでいることでしょう。
信頼、名誉、地位、・・・失ったものはあまりにも大きすぎました。しかし、自己責任である以上誰も同情などしてくれません。あるのは侮蔑と哀れみの眼差しだけです。自尊心の強い人だけに更に哀れです。
地位や名誉、実績などそれ自体まったく「人格」の担保にはならなかったのです。どんなに知恵や見識があっても欲望の罠にかかると一瞬のうちに奈落の底です。彼の得意な「見識」の中に、もし「因果必然」という仏法の道理の弁えが少しでもあったらこんなことにはならなかったのかもしれません。実に残念です。
人生にはさまざまな不幸事がありますが、それが自己責任によるものであれば、人は日頃の精進から十分それらを避けることができるのです。その一つがまさに「生活習慣病」と言えるのです。
さて、前回から、健康であるためには先ず、正しい生活習慣が大事であることを繰り返してきましたが、その一つが食生活です。
英語に、〈You are what you eat.〉という格言があります。これは、日本語に訳すと「あなたはあなたが何を食べているかで決まる」となります。私たちの体は、日々の食事によって養われています。つまり、健康も病気も日々の食事の積み重ねの結果であるということです。
日本でも1996年、厚生省は、ガン、心臓病、肝臓病、糖尿病、脳血管疾患、高血圧、高脂血症など、それまで「成人病」と言っていたものを「生活習慣病」と改称することに決めました。
これは、前回とりあげたアメリカの「マクガバン・レポート」などから始まった食と病気の関係の見直しによって、これらの病気が「年齢」ではなく「生活習慣」に由来するものであることが明らかになったからです。
新谷先生は述べられています。「いま、私たちのまわりには多種多様な食物があふれています。その数多くの食物のなかから、日々何を選ぶかによってあなたの健康は決まります。健康で長生きしたいと思うなら、たんにおいしいから、好きだからということだけで食べ物を選んではいけません。
どんな人でも、若いときからたばこを吸って、毎日お酒を飲み、食事は肉中心で野菜果物はほとんど食べない、そして牛乳やヨーグルト、バターなどの乳製品を食べていたら、だいたい六十歳ぐらいには間違いなく生活習慣病になります。
遺伝的に動脈血管が弱い人は高血圧や動脈硬化、心臓病などになるし、膵臓の弱い人は糖尿病になるかもしれません。女性なら子宮筋腫や卵巣膿腫、乳腺症からこれらのガンに進行することもありますし、男性なら前立腺ガンになったり、肺ガン、大腸ポリープ、変形性関節炎を発症することもあります。
どのような病気になるかは、その人の遺伝的要因や環境によっても異なるので明言はできませんが、何らかの病気を発症することは間違いありません。ガン患者の食歴を調べていくと、動物食(肉や魚、卵や牛乳など動物性の食物)をたくさんとっていたことがわかりました。」
さて、ここで驚くべきことは、先生は、なんと、牛乳やヨーグルト、バターなどの乳製品が体に悪いということを明言されていることです。拙僧もいささか驚いたわけですが、ここからは先生が体に悪いと言われるその「牛乳」についての主張をご紹介します。多分納得されると思いますよ。
「加工する前の生乳の中にはたしかにいろいろな『良い』成分が含まれています。炭水化物である乳糖を分解するエンザイムやリパーゼという脂肪を分解するエンザイム、プロテアーゼというタンパク質を分解するエンザイムなどさまざまなエンザイムもたくさん含まれています。抗酸化作用、抗炎症作用、抗ウイルス作用、免疫調整作用などの効果があるラクトフェリンも入っています。
しかし市販の牛乳では、そうした『良いもの』は、加工される過程ですべて失われてしまっているのです。
市販の牛乳が作られる過程は、だいたい次のようなものです。まず牛のオッパイに吸引機を取り付けて搾乳し、それをいったんタンクにためます。そうやって各農家で集めた生乳をさらに大きなタンクに移し、かき回してホモゲナイズします。
ホモゲナイズというのは「均等化」という意味です。では何を均等化するのかというと、生乳に含まれる脂肪の粒です。生乳には約四%近い脂肪が含まれていますが、生乳をそのままにしておくと脂肪分だけがクリームの層となって浮上してしまいます。
こうしたことを防ぐために、現在はホモゲナイザーという機械を用い、脂肪球を機械的に細かく砕いているのです。こうして作られたのが「ホモ牛乳」と呼ばれるものです。
ところが、ホモゲナイズすることにより、生乳に含まれていた乳脂肪は酸素と結びつき、「過酸化脂質」に変化してしまいます。過酸化脂質というのは、文字通り酸化しすぎた脂肪ということですが、別の言い方をすれば「ひどく錆びた脂」ということになります。
さらに、ホモゲナイズされた牛乳は、さまざまな雑菌の繁殖を防ぐために加熱殺菌されることが義務づけられています。世界の主流は七十二度の高温短時間殺菌法ですが、日本の主流は百二十から百三十度という超高温短時間殺菌法です。
何度もいいますが、エンザイムというのは熱に弱く、四十八度から破壊を起こし、百十五度で完全に壊れてしまいます。
また、超高温にされることによって、過酸化脂質の量はさらに増加します。そしてさらに問題なのが、タンパク質が熱性変質するということです。卵をゆでると黄身がボロボロになるのと同じように、牛乳のタンパク質も同じようになり、ラクトフェリンも失われてしまうのです。 こうして日本の市販牛乳は、健康を阻害する食物になってしまっているのです。
臨床データによれば、牛乳や乳製品の摂取はアレルギー体質をつくる可能性が高いことが明らかになっています。これは妊娠中の母親が牛乳を飲むと、子供にアトピーが出やすくなるという最近のアレルギー研究の結果とも一致しています。」
過酸化脂質と化した牛乳は「ひどく錆びた脂」であり、動脈硬化をはじめさまざまな生活習慣病の元凶の一つだったのです。 まだまだ牛乳についての問題点がありますが次回に回したいと思います。 
 

 

■生き方6
新年おめでとうございます。みな様各位の一層のご繁栄を祈念いたします。おかげさまで、当山ホームページもちょうど10年目の新年を迎えることができました。これも「法話」を見ていただける方々の励ましによるものと感謝申し上げます。
さて、これからの一年間あなたにとって、それぞれの人にとって、果たしてどんな一年になることでしょう。一瞬先が闇だと言われる人生、何が起こるかわかりません。しかし、どのような事態であれ、すべては因縁の果報であることを肝に銘じて日々精進したいものです。
「日々精進」こそ、生活習慣の確立と「健康」のみなもとなのです。その健康にとって、市販の牛乳がいかに良くないものであるかについて前回から新谷先生の説を紹介させていただいておりますが、さらに続けてみたいと思います。
日本では学校給食で、子供たちに強制的に牛乳を飲ませています。栄養豊富な牛乳は育ち盛りの子供によいとされているからです。しかし、牛乳と人間の母乳は、その「質」において全然違うものなのです。
牛乳に含まれるタンパク質の約八割を占めるのは「カゼイン」と呼ばれるものですが、これは人間の胃腸にとってとても消化しにくいものです。免疫機能を高める抗酸化物質「ラクトフェリン」の含有量は、母乳には0.15%含まれていのですが、牛乳にはわずか0.01%しか含まれていません。
また、ラクトフェリンは胃酸に弱い酵素であるため、生後間もない胃が未発達で胃酸の分泌が少ない子供にこそ有用なのであって、胃酸の多い成長した大人が飲むには不適当なのです。
たとえ新鮮な生乳であったとしても、牛乳は人間が食物とするにはふさわしくないということです。その「あまりよくない食物」である生乳を、さらにホモゲナイズし、高温殺菌し、過酸化脂質という「ひどく錆びた脂」にして子供たちに与えているのです。
もう一つ問題なのは、日本人には、乳糖を分解する「ラクターゼ」というエンザイム(酵素)を充分にもっている人が少ないということです。この酵素は、腸の粘膜にあり、赤ちゃんのときにはほとんどの人が充分な量をもっていますが、年齢を重ねるごとに減ってくるのです。
牛乳を飲むとおなかがゴゴゴロしたり、下痢をしたりする人がよくいますが、これはこのエンザイムが不足して乳糖を分解できないために起きる症状であり、「乳糖不耐症」とよばれています。それに当たる人は日本人の場合、約85%にも及ぶそうです。拙僧自身がそうであり長年の疑問がようやく解けました。
乳糖は、哺乳類の「乳」の中だけに存在する「糖」です。本来「乳」というのは、生まれたばかりの子供だけが飲むものです。ラクターゼが不足している人が多い日本人でも、新生児のときはみな充分なラクターゼを持っています。
しかし、乳糖を多く含む母乳を飲むことができる人間が、成長してそのエンザイムを失うということは、やはり成長したら「乳」は飲むものではないというのが自然の摂理なのではないでしょうか。
そもそも牛乳というのは、子牛が飲むためのものです。したがって、そこに含まれている成分は、子牛の成長に適したものです。子牛の成長に必要なものが、人間にも有用だとは限りません。
第一、自然界を見ればわかりますが、どのような動物でも「乳」を飲むのは、生まれて間もない「こども」だけです。自然界で、大人になっても「乳」を飲む動物など一つも存在しません。それが自然の摂理というものです。
人間だけが、種の異なる動物の乳をわざわざ加工し酸化させ、ある意味最悪の食物にして飲んでいるのです。その証拠に、市販の牛乳を母牛のお乳の代わりに子牛に飲ませると、その子牛は四、五日で死んでしまうそうです。エンザイムのない食物では命を養うことはできないのです。
まさに、自然の摂理に反したことをしているのです。私たち人間は自然の一部である以上、自然の摂理に身を委ねなければ健康には生きられないということは以前から指摘のとおりです。
次に、牛乳とアトピー性皮膚炎の関係についてです。新谷先生は、子供のアトピー性皮膚炎は潰瘍性大腸炎が関わっていることをつきとめられました。そして潰瘍性大腸炎はちょうど授乳を打ち切り、牛乳を与えるようになった時期と一致していたのです。
先生は子供たちの潰瘍性大腸炎が食事の内容にあると考え、すぐに食事から、牛乳と乳製品をすべてカットしました。その結果、血便も下痢も、アトピーすらピタリと治まったのです。
そして、多くの臨床データの結果から、牛乳や乳製品の摂取がアレルギー体質をつくる可能性が高いことが明らかにされたのです。これは妊娠中の母親が牛乳を飲むと、その子供にアトピーが出やすくなるという最近のアレルギー研究の結果とも一致しているのです。
日本ではここ三十年ぐらいのあいだに、アトピーや花粉症の患者が驚くべきスピードで急増しました。その数はいまや五人に一人とも言われるほどです。なぜこれほどアレルギーを起こす人が急増したのか、さまざまな説がいわれていますが、先生は、その第一の原因は、1960年代初めに始められた学校給食の牛乳にあると考えているのです。
「加工」された市販牛乳は過酸化脂質を多く含み、腸内環境を悪化させ、悪玉菌を増やし、腸内細菌のバランスを崩します。その結果、腸内には活性酸素、硫化水素、アンモニアなどの毒素が発生します。
悪化した腸内環境は潰瘍性大腸炎のみならず、子供が白血病や糖尿病などシリアスな病気を発生する原因となっているという研究論文がいくつも出ているそうです。
さらに驚くべき事は、牛乳の飲み過ぎから「骨粗鬆症」を招くというのです。人間の血中カルシウム濃度は、通常9〜10ミリグラム(100cc中)と一定していますが、牛乳を飲むと、血中カルシウム濃度は急激に上昇するのです。
ところが、急激にカルシウム濃度が上がると、体はなんとか通常値に戻そうと恒常性コントロールが働き、血中余剰カルシウムを腎臓から尿に排泄してしまうというのです。 カルシウムをとるために飲んだ牛乳のカルシウムが、かえって体内のカルシウム量を減らしてしまうという皮肉な結果を招いているのです。
牛乳をたくさん飲んでいる世界四大酪農国であるアメリカ、スウエ―デン、デンマーク、フィンランドの各国で、股関節骨折と骨粗鬆症が多いのはこのためではないかといわれています。
これに対して、日本人が昔からカルシウム源としてきた小魚や海草類に含まれるカルシウムは、血中カルシウム濃度を高めるほど急激に吸収されることはないようです。小エビや小魚、海草類は腸内で消化された後、体に必要なカルシウムとミネラル分を吸収するので、体の仕組みに即したよい食物といえるようです。
ところで、今回のこのような内容に対して、拙僧自身はなはだ心苦しいところがあるのです。それは、お檀家さんの中にも酪農家がいるからです。もし当事者やその関係者がこの内容を知ったら敵対意識を持たれるかもしれませんね。拙僧としては、新谷先生の説だと申し上げてただただ謝るしかございません。
そして、どうしても牛乳の味が好きだという人には、できるだけ生乳を酪農家から直接買って飲むことをおすすめします。生産者の生乳は市販のものとは違って変質されていない分ず〜っと体に良いからです。 

■生き方7
今年も明けてすでに2ヶ月になろうとしています。時間の経つのは実に早いものです。そのように時間を意識しない毎日を送れる人はしあわせです。それは、その人が今現在健康で順風満帆な生活を送っているという証しだからです。
他方重病に罹り余命あと数ヶ月などと宣告された人にとって、突如として残酷な人生を突き付けられたことになります。残された時間とどう向き合うか、どう最期をむかえるか、不条理な宿命を恨み途方に暮れます。その心中如何ばかりか。
そんなご家族のショックも計り知れません。ご本人にどう寄り添い、残りの時間をどう共有したらよいのか、限られた時間の中で少しでも有意義なことを求めて葛藤しなければなりません。人生最大の苦しみここに極まれりです。
そんな、残された時間と対峙しなければならない人生とはあまりにも残酷です。そのような患者さんが当山のお檀家さんの中にも何人かいらっしゃいます。いずれもガン患者さんでご本人から直接明かされたわけですが、ただただ同情を禁じ得ません。
ただ、住職として正直申し訳ないと思うのは、自信をもって励ます言葉が見当らないことです。只ただ心安らかにご家族と過ごせる時間が少しでも長引くことを祈るしかないのです。今までにもそんな状況に陥った方が何人もいましたが、こちら側がいつも恐縮させられるのはその気丈さです。淡々と話されるしっかりした態度に感銘してしまうのです。
そして、そんな重病な方々が、たいてい口にされるのは、それぞれの過去の食生活や生活習慣に対しての反省の弁です。食事の内容や飲酒、喫煙などの生活習慣にほとんど頓着してこなかったことを心から後悔されるのです。
まさに「後悔先に立たず」です。余命を宣告される苦しみ、それは決して他人事ではないのです。そんなことがあなたの身に起こるのは明日かもしれません。そうならない前にしっかりした生活習慣を身につけましょう。
前々回、英語の、〈You are what you eat.〉という格言をご紹介しました。直訳しますと、「あなたとは、あなたが食べたそのものからできている」ということになります。くどいようですが、健康であるためには先ず、正しい知識に基づいた正しい食べ物を食べるということです。これが鉄則でありこれが全てです。
そんなことで、前回牛乳につて述べさせていただきましたが、今回はヨーグルト、マーガリンなどについての新谷先生の説をご紹介しましょう。
牛乳と並んで同じように身体に良い物とされているのがヨーグルトです。「カスピ海ヨーグルト」「アロエヨーグルト」など、各種のヨーグルトのイメージは極めて健康的です。
しかし、先生は著書のなかで、「ヨーグルトを常食としていると腸内環境と腸相は確実に悪くなる。これは35万例の臨床結果から得た結論として自信をもって言える」と述べられています。
ヨーグルトを食べている人から、「胃腸の調子が良くなった」「便秘が治った」というようなことをよく聞きますが、先生は、これは「乳糖」を分解するエンザイム(酵素)「ラクターゼ」が不足することによって起こされる消化不良によるものだといわれます。
つまり、ヨーグルトを食べると、軽い下痢を起こし、それまで腸内に停滞していた便が排出されたのを「乳酸菌のおかげで便秘が治った」「胃腸がすっきりした」などと勘違いしてしまっているというのです。
ヨーグルトの原料は牛乳ですから、ヨーグルトの成分にも当然「乳糖」が含まれています。乳糖が成人の体にとって良くないことは前回述べたとおりですが、繰り返せば、「乳糖」を分解する酵素である「ラクターゼ」は成人すると体内から減少してしまいます。
その理由は、大人になれば乳を飲む必要がなくなるからです。ヨーグルトも牛乳と同じ成分からできているのですから、ヨーグルトにしても同じことが言えるのです。前回も言いましたが、そもそも「乳」を飲むのは本来赤ちゃんだけです。それが「自然の摂理」というものです。
このように、成人して分解酵素「ラクターゼ」が無くなったにもかかわらず「乳糖」を摂ることで当然胃腸に消化不良が起きるのです。「胃腸の調子が良くなった」「便秘が治った」と思うのは、実は消化不良による「現象」で、「乳酸菌のおかげ」だと思うのはまったくの思い違いだったのです。
そもそも人間の腸にはもともと乳酸菌が常在菌としているのです。そして外から入ってくる菌やウイルスに対するセキュリティシステムができあがっているのです。たとえそれが体によい乳酸菌であったとしても、常在菌でないものは、このセキュリティシステムに引っかかり殺菌されてしまうのです。
まず最初に働くのが「胃酸」です。ヨーグルトの乳酸菌は、胃に入った時点でほとんどが胃酸によって殺されます。この頃「腸まで届く乳酸菌」も登場していますが、シャーレの中の実験の結果がそのまま常在菌のいる実際の腸の中では通用するとは限りません。
同じ牛乳から作られるものに「バター」があります。生乳から生クリームを取り出し、それに振動を与えると脂肪球の幕が壊れ、脂肪が固まりバターができるのです。
牛乳の成分が凝縮された大変おいしいものですが、乳脂肪という動物性脂肪が凝固したものであることからあまりお奨めできる食品とはいえません。常温で固まった脂は人間の体内に入ると動脈硬化の原因となるからです。
そのバターよりもさらに体に悪いとされているのが、実は「マーガリン」なのです。動物性脂肪の「バター」よりも植物性の油で作られたマーガリンのほうがコレステロールも少なく、体に良いと信じている人が多いと思いますが、実はこれは大きな間違いなのです。
マーガリンは、大豆などの植物油に水素を添加してバターのような風味に調整した脂肪酸です。この脂肪酸とは「トランス型脂肪酸」と呼ばれ、自然界には存在しないものです。
トランス脂肪酸は人工的に作り出された飽和脂肪酸であり、悪玉コレステロールを増やし、善玉コレステロールを減らすほか、ガン、高血圧、心臓疾患の原因になるなど、さまざまな健康被害をもたらす元凶の一つなのです。
もともと植物油というのは常温下では液体となっています。これは植物油には不飽和脂肪酸が多く含まれているからです。同じ油でも動物性の脂肪が常温で固体であるのは、飽和脂肪酸を多く含んでいるからです。
ところがどうですか、マーガリンは植物油であるにもかかわらず固まっています。それは、水素を添加し、不飽和脂肪酸を飽和脂肪酸に人工的に変化させているからなのです。つまり、マーガリンはトランス脂肪酸を含んだ、これ以上ないという悪い油になっているのです。
「トランス脂肪酸」とはもともと自然界に存在しなかったものです。いわば、それは人間の欲望が生み出した、まさに「自然の摂理」に叶わない産物なのです。「人間は自然の一部であり、自然の摂理に反すると人間は病気になる」というのが新谷先生の信条です。食物に限らず自然の摂理に則った生き方にこそ健康も幸福も存在するのです。 

■生き方8
この時期、お彼岸ということでどこのお寺や霊園でも普段にも増してお参り客が目立ちます。また、お墓参りやご先祖供養、彼岸会などの法要もこの時期多く修行されますが、このような習俗は、インドや中国にはない日本独特のものです。これは日本の風土と敬虔な日本人が生み出した世界に誇れる文化といえるでしょう。
その「お彼岸」には、春分や秋分という気候の一番穏やかな時期に、仏さまに供養し、改めて自分自身を見つめ直そうという意味があるのです。いわば年に二度あるところの生活習慣改善のための精進旬間なのです。
人は宇宙絶対の摂理のもとに生かされており、その道理を守ることで護られるのです。その道理と実践的生き方を説いたのが仏法であり、それに則った生き方をして悟りの岸である「彼岸」を目指すのです。彼岸こそ仏の世界なのですから。
ちなみに、「仏の世界」というと死後の世界、あの世の世界だと思いこんでいる人が多いようですがそれは明らかな誤解です。仏の世界に死後と生前の区別はないからです。要は悟りの世界がすなわち仏の世界であり、涅槃、浄土、極楽であり、そして彼岸なのです。
つまり、その彼岸に向かって精進しましょうというのが「お彼岸」です。彼岸に渡ろうという「至彼岸」をインドの言葉で「パーラミッタ」と言います。これが漢字に音訳されて「波羅蜜多」となったのです。ちなみに、般若心経の「般若」は「パーニャ」という「悟り」の意味の音訳です。
ですから、お彼岸には仏さまに供養して、仏の世界、つまり悟りの世界に辿り着けることを願うのです。そこで、素直に生活習慣を見直し、その反省から改善に向かうことができれば、それがまさにお彼岸の「御利益」なのです。御利益も功徳も精進なしには得られません。
さて、そこであなたもこの時期、特に食生活の習慣を見直されたらいかがでしょうか。今のあなたの健康状態のすべては大自然、大宇宙の摂理に則った縁起の結果なのです。だからこそ、健康を掌る食品に対する関心とそれを見極める力が大切なのです。
新谷先生は、「日本人が知らないトランス脂肪酸の恐怖」をうったえています。前回、マーガリンの油は加工されて酸化されたトランス脂肪酸という腐れきった油であるということを紹介させていただきましたが、このトランス脂肪酸が如何に体に良くないものであるかを更に学んでみたいと思います。
2005年2月、アメリカの大手ハンバーガーチェーン「マクドナルド」は、フライドポテトなど揚げ物に使用する油を、従来のものから健康に配慮したものに切り替えると発表していながら、期日までに実施せず、訴訟を起こされ、和解金850万ドル(約9億円)支払うことで和解しました。
その「従来の油」というのが、「トランス脂肪酸」の油です。欧米では動脈硬化、心臓疾患、糖尿病、ガンなど様々な健康被害がとりざたされているものです。現在欧米では、食品の成分表示において、トランス脂肪酸の含有量表示が義務づけられているうえ、ある一体量以上のトランス脂肪酸を含む食品は販売が禁止されています。
しかし日本では、トランス脂肪酸の害についてほとんど認知されておらず、表示義務もありません。それどころか日本では、今でも大部分の加工食品や外食産業でトランス脂肪酸がごく当たり前のように使われています。
市販されているマーガリンやショートニングは完全なトランス脂肪酸ですし、パンやお菓子類、サラダのドレッシングにもトランス脂肪酸が使われているのです。それだけではありません。植物オイルのほとんどもそうです。
現在市販されている植物オイルの多くは、原材料にヘキサンという化学溶剤を入れ、煮溶かすことで油を抽出するというやり方で作られています。この製造過程で不安定な不飽和脂肪酸は、安定した飽和脂肪酸(つまり酸化しきった)トランス脂肪酸に姿を変えるのです。
ヘキサンというのは、灯油やガソリンに多く含まれているメタン系炭化水素の総称です。このヘキサンに含まれる「水素」成分が不安定なシス脂肪酸に結合することによって、安定したトランス脂肪酸となるのです。
つまり、トランス脂肪酸が酸化しないのは、それ自体がすでに過酸化脂質と同じ構造になってしまっているからです。過酸化脂質が体内に入れば、大量の活性酸素が生み出され、その解毒に膨大な量のエンザイム酵素が消耗されるのです。
そもそもアメリカでトランス脂肪酸の有毒性が問題視されるようになったのは、1990年代の前半です。パン、製菓、揚げ物、そしてマーガリンやショートニングなどの食品製造や外食業界で広くトランス脂肪酸のオイルが常用されていて、その有害性が指摘されていたのです。
トランス脂肪酸は人間の体に必要な善玉コレステロールを低下させると同時に、悪玉コレステロールを増やすことはもはやはっきりとした事実なのです。最近では、トランス脂肪酸は、脳の血管にも悪影響を与え、アルツハイマー病やパーキンソン病などを誘発するという報告もなされているのです。
1994年、アメリカの消費者擁護科学センターなどが、その使用の有無を食品ラベルに表示するよう訴え、1999年、多くの研究結果がでそろったところで、アメリカのFDA(食品医薬局)はついに含有量の表示を義務づけたのです。こうした動きは、ほぼ時を同じくしてヨーロッパでも起きています。
取り残されているのは、発展途上国と日本だけです。薬害エイズの場合もそうでしたが、日本の厚生労働省も当然こうした海外での動きは知っている筈です。にも拘わらず改善しようとしないのは一体なぜでしょうか。
それは国民から声が上がらないからです。日本のお役所は、国民の健康よりも便宜的、効率的、経済的効果の方を優先させているとしか思えません。
では、どうしたらいいのでしょうか。それには、日本人自ら声を上げ、国に改善を訴えることでしょう。そして同時に、トランス脂肪酸の入っていない製品を選んで使用することです。
現在トランス脂肪酸のリスクがもっとも軽減されているのは、ヘキサンなどの水素添加溶剤を使用しない方法で抽出された「キャノラー油(菜種油)」「大豆油」、そしてオリーブ油」などです。
欧米ではトランス脂肪酸を含まない新製法のマーガリンが販売されていますが、日本にはそうしたものはまだないようなので、トランス脂肪酸を含んでいる製品の使用は極力避けることをお勧めします。
また、ビタミンEの摂取がトランス脂肪酸の害を防ぐことも分かってきています。ビタミンEはサプリメントで摂ってもいいのですが、メーカーによっては薬剤を使っての抽出があるものもあるので注意が必要だそうです。
サプリメントに限らずとも、緑黄色野菜や胡麻、アーモンドやピーナッツなどナッツ類、豆類にはナチュラルなビタミンEが豊富に含まれているので、意識されて摂るのもいいようです。
そもそも、トランス脂肪酸とは自然界に存在しない、いわば「反自然食材」なのです。まさに人間の欲望から生み出されたまさに自然の摂理反した食材なのです。
「人は自然の摂理に逆らっては生きて行けない」という新谷先生の言葉を再度思い出していただきたいと思います。 

■生き方9
この時期、さくら前線が日本列島を北上中です。日本人にもっとも人気のある花といえばやはりさくらでしょうか。国花でもある桜、なかでもソメイヨシノの人気は抜群で、あの艶やかで絶妙な美しさは満点です。
特に開花生命の短いソメイヨシノはその散り際の美しさと相まって一層愛おしく感じられます。日本人のそんなさくらに対する想いから「花見」の文化が生まれたのでしょうか。満開なさくらの下で人は不思議とハイテンションになれるのです。
一方、病気などで余命を覚悟した人などがよく口にするのが、「あと何回桜が見られるだろうか」とか「来年の桜を見ることができるだろうか」ということばです。悲壮感漂うことばですが、真に命の尊さと愛おしさを知った人の率直な言葉として感動です。
今咲いているさくらは今年限りのものです。来年のさくらは同じように見えてもまったく別のものです。二度と同じさくらが咲くことはありません。また、さくらはその短い開花生命のなかで満開に咲き誇って後腐れ無くパット散っていきます。
その"生き様"から見えてくるのはまさに一期一会の人生観です。「一期」とは「一生涯」のことであり、「一会」は「一度きり」ということです。人生何ごとも生涯で一度だけ、今回限りとだという真実、まさに諸行無常の無常観を表したことばです。
明日有りと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは(親鸞聖人)
今日の命は今日しかない、今日の命に明日の保証はありません。命に限らず何ごとにせよ「今しかない」という、まさに「今でしょう」という「一期一会」の精神をさくらは象徴しているように思えます。
「明日有りと思う心」こそ要注意、油断から病気や不幸を招くことにもなります。健康に関してもそうです。少しでも良いとわかったことは、明日からなどと言わずに今から即実行してほしいものです。
さて、前回トランス脂肪酸という人が作り出した反自然食品を紹介しましたが、現代では、そのような人体にとって有害な反自然食品が他にも多く出回っています。新谷先生は、そのような有害食品の一種として「白い食品」は体によくない食品と考えよと述べられています。
今回はそのキーワード「白い食品」について先生の持論をご紹介したいと思います。本来自然界には「白い食品」というものは存在しません。たとえば、自然界にある糖も塩も穀物も、もともと皆自然の色がついています。それが人の手によって加工され、精製糖、精製塩、精白米などのきれいな"白い食品"になるのです。
精製することによって、食品はナチュラルな品質を失います。つまり、自然食品が精製や加工によって反自然食品に変質してしまうのです。これは、その食材のもつ「自然の命」を失うことにほかなりません。
砂糖は成分表を見るまでもなく、色の濃いもののほうが、微量栄養素が豊富に含まれています。塩も海のミネラルやマグネシュウムのせいで色がついています。玄米もしかりです。玄米は白米になることで栄養素は四分の一になってしまうのです。
多くの人は、白く、見た目の美しい食品を好みます。そのため、ちょっと鮮度の落ちたもの、酸化して色が濃くなったもの、さらにはナチュラルなままでは見た目が悪いものなどわざわざ漂白までして売られているのが実態です。
市販されている、かんぴようやこんにゃく、かまぼこ、はんぺん、タケノコなどを見て下さい。ほんらいは真っ白ではないのに薬品によって漂白されているのです。漂白剤は化学薬品です。体に入って良い筈はありません。新谷先生の言われる、「白い食品は体によくない」という意味がよくわかります。
真っ白な上白糖は料理の色がきれいに仕上がり、クセもなく甘味料としては絶対の人気を持っています。また、値段的もリーズナブルで、万人に重宝されているまさに優良食品といえるでしょう。
ところが、です。先生は「"白い"砂糖は人間の身も心もむしばむ恐ろしい食品だ」といわれるのです。ひとくちに「砂糖」といっても、実際にはいろいろな種類があります。原料のサトウキビをしぼって加熱しただけのものが「黒砂糖」。それをさらに結晶とミツに分離し、精製して結晶の純度を高めたものが「精製糖」です。
精製糖はさらに、「車糖」「ざらめ糖」「加工糖」に分かれます。私たちが普段使っている「上白糖(白砂糖)」は車糖に含まれます。ざらめ糖には「グラニュー糖」や「白ざら」、加工糖には「角砂糖、氷砂糖、粉砂糖」などが含まれます。
多くの人は、こうしたさまざまな砂糖の成分の違いをほとんど意識しませんが、成分を比べてみると実は大きな違いがあることがわかります。
よく、「甘い物を食べ過ぎると骨が溶ける」ということを聞きますが、実はこれは本当だそうです。白い砂糖を摂りすぎると、体内のカルシウムが失われてしまうのです。それは、白砂糖が酸性の食品だからです。加工される前の黒砂糖は、弱アルカリ性の食品ですが、精製過程でビタミンやミネラルなどの栄養素を失って酸性になってしまうのです。
人間の体は、基本的には弱アルカリ性です。そのため酸性の食品が大量に体内に入ると、中和するために体内のミネラル分が使われ、多くのカルシウムが消費されるのです。白砂糖の場合、カルシウムがほとんど含まれていないので、必要なカルシウムは体内の骨や歯を溶かして供給されるのです。
これが、甘いものを摂ると虫歯になったり、骨が弱くなるメカニズムです。人間の体の中には、体重の約2%のカルシウムがありますが、その99%は骨や歯の中にあります。残りの1%が血液や細胞内にあるのですが、それがほんの少しでも不足すると、イライラしたり心の不安定を引き起こすのです。
また、白砂糖は糖分の吸収がとても速いので、血糖値が急激に上昇します。そのためインシュリンが大量に分泌され、低血糖を引き起こしやすくなります。それが続くと、今度は血糖値を上げようとしてアドレナリンが放出されます。
アドレナリンは神経伝達物質の一つで、興奮したときに大量に血液中に放出されるホルモンです。出過ぎると脳のコントロールがきかなくなり、「キレる」原因となります。最近の子供たちは「キレやすい」といわれますが、その原因の一つは精製糖の過剰摂取にあると、先生は考えています。
アメリカでは、子供たちにキヤンディーなど甘いものをあげすぎると、「シュガーハイになる」といいます。それは白砂糖を多く含む菓子類をたくさん食べる子供は、集中力がなく、思考力も減退し、短気でイライラしやすくなるということであり、これはほぼ常識となっているそうです。
さらに、糖類は体内で分解されるときに、ビタミンB1を消費しますが、白砂糖にはビタミンがほとんど含まれていません。そのため、ビタミンBの摂取量が少ないと欠乏症を起こし、過労やめまい、貧血、うつ、短気、記憶障害といった、さまざまなトラブルも招いてしまいます。
砂糖はお菓子類や日々の料理に使われるだけではなく、市販のペットボトル飲料にも多く使われています。500ミリリットルのペットボトルのジュースや炭酸飲料一本に含まれる砂糖の量は約30グラムもあります。
健康的な食事における一日の砂糖の摂取量の目安とされているのは20グラムです。先生は、できれば白砂糖の使用をできるだけひかえ、それに代わるものとして、黒砂糖や蜂蜜、天然のメープルシロップなどを勧められています。これらは天然のミラクルを多く含んだとてもよい食材だそうです。 

■生き方10 平和ボケ症を考える1
平和ボケとは、一言でいえば「平和の尊さ」が分からないことをいいます。今のこの日本の平和があの悲惨な戦争の代償の上に成り立っているという想いが無くなってしまったとしたら、まさに「平和ボケ症」です。平和ボケ症が病気だとしたら早くその自覚を持つことです。自覚無くして"治療"は難しいからです。
戦後70年、日本は戦争の惨禍を忘れるようにしてひたすら経済発展に邁進してきました。世界からも「奇跡の復興」と称えられ経済大国となりました。今では信頼のおける平和主義国家として尊敬され模範とされるまでになりました。これもすべて「戦争放棄」「不戦国家」として認められてきたからです。
しかし、そんな平和大国も70年という歳月が経ち世代交代も進み、戦争の記憶も反省も確実に"風化"の波にさらされていたのです。多くの日本人にとってあの戦争は何だったのか、もはや過去の歴史の1ページになってしまったのでしょうか。
しかし、人間は「歴史に学ぶ」ことが大事です。あの第二次世界大戦は人類にとって大きな反省と教訓になった筈です。それを活かすには歴史に学ぶことで同じ過ちを犯さないことです。歴史が教える平和の"代償"がどんなものだったのか今一度振り返る必要があります。
日本は230万人の兵士と80万人の市民が犠牲となりました。ちなみにドイツ550万人、ソ連2000万人、中国1000万人、ポーランド600万人、イタリア78万人、イギリス50万人、アメリカ40万人、フランス34万人となっています。全世界ではなんと約6000万人もの尊い人命が奪われたのです。
戦争の目的は只一つ、敵という名の"人"を殺すことです。殺すか殺されるかが戦争です。そのためには手段を選びません。戦争は人から"人の心"を奪い殺人鬼にしてしまいます。殺人鬼に罪悪感はありません。殺し殺される報復の泥沼地獄に落ち込むのです。
今月23日、沖縄は慰霊の日を迎えました。「本土防衛の捨て石」となった沖縄の悲劇を後世に伝え、平和を誓う日です。「鉄の暴風」と表現される米軍の猛烈な艦砲射撃や空襲。沖縄戦は住民を巻き込んだ地獄でした。犠牲者は日米合わせて20万人を越えました。
沖縄戦を戦った元日本兵の記事を紹介します。三重県に住む近藤一さん(94才)のお話です。大陸の各地を転戦し、'44年8月に沖縄に送りこまれました。
当時25歳、連日の白兵戦で負傷し、夜間に撤退する際、米軍が打ち上げた照明弾によって辺りが照らしだされると、一面に散乱した住民の死体が浮かび上がりました。「兵隊さん、連れて行ってください」と手を差し出す女性。
母を失った赤ん坊の泣き声。南へ南へといざなって行く両足を失った負傷兵・・・。私が中国で見てきた惨状が沖縄で起きていました。米軍の戦車の火災放射で火だるまになって死んだ戦友も多数いました。
「こんな無意味な戦争で死ぬのは耐えられない。だが命令だから行くしかない。さらばだ、近藤」同年兵はそう言い残して米軍に切り込んでいきました。照明弾に照らされた目に涙が光っていてね。私の頭から消え去らない・・・。何度語っても涙があふれます。私も死を覚悟し銃剣を振りかざして突撃しました。が、失敗。捕虜になりました。
近藤さんは住民への日本軍の残虐行為を知りました。なんと"守ってくれるはず"の日本軍が住民から食糧を奪い、泣きやまない乳幼児の殺害や集団自決による肉親同士の「殺し合い」を強要。軍の機密がもれるのを恐れ、軍命令により方言を話す人をスパイ視し、虐殺しました。
沖縄守備軍(第32軍)はもともと中国で残虐の限りを尽くした部隊が主力でした。県民に対し「軍官民共生共死の一体化」を指示。「一木一草トイヘドモ戦力化スベシ」として住民を根こそぎ動員しました。県下の中等学校の生徒を鉄血勤皇隊や従軍看護隊として各部隊に配属したのです。
近藤さんは、中国での加害を語らなければ、戦争の本質は伝わらないと気づきました。3年8ヶ月従軍した中国大陸。近藤さんは数々の戦闘に参加し、食糧の略奪や家屋の放火、無抵抗の捕虜殺害を重ねました。女性への性的暴行に関わったことも。
入隊半年後に巡回した処刑場には、その日殺した生々しい死体、頭髪が半分ほど残っている死体、腐乱した死体、白骨化した死体がうずたかく積まれていました。
紙一重の生死を背に毎日を過ごすうちに、私ら兵士は血で汚され、死に怯え、人間喪失に陥り、殺人鬼になっていたのです。再び日本の若者を"殺人鬼"にしてはなりません。
そんな状況をつくらないのが政治のはず。何があっても戦争するような国家になってはだめです。戦争になれば、米軍基地がある沖縄はまた戦場になってしまう。隣国との危機回避は話し合いでできます。憲法9条をきちっと守り、世界中から信頼される日本になってほしい。
戦争の地獄を経験してきたまさに生き証人のお話だけに実に説得力があります。戦後70年、日本人の中で戦場へのリアルな想像力が衰弱してしまいました。日本人が体験した直近の戦争は太平洋戦争でしたが、その実態がいかに無惨なものであったか、そうした実相が忘れられたことが想像力の衰えでしょう。
軍人軍属戦死者230万のうち、6割が餓死やマラリアなどの感染症で死んだのです。日露戦争の戦死者は約6万人ですから、先の大戦ではいかに多くの人が無駄死にしたか、戦争のむごさがきちんと継承されていません。これを平和ボケと言わず何というのでしょう。
その代表格がまさに安倍総理はじめとした今の政治家なのです。政界では後藤田正晴氏や梶山静六氏ら「戦争への痛覚」を持った人達がいなくなり、ウオーゲーム感覚でしか戦闘、戦場をイメージできない政治家ばかりになってしまったのです。
安倍総理は29年生まれの60歳、真っ赤な「戦後派」です。育ち盛りに流行ったのがインベーダゲームです。彼を取り巻く政治家の多くが同世代の人達です。戦争を起こすのはいつも一握りの指導者なのです。その民族、その国民の運命がその者達に左右されるということに言い知れない不条理を感じます。
25日ついに公明党も「集団的自衛権大筋で合意」と新聞が伝えました。「限定的」であれ「必要最小限」であれ、すべてまやかしです。「集団的」の意味することは「戦地に自衛隊を派兵する」という以外の何ものでもないのです。これは憲法9条のもとで専守防衛に徹してきた日本の安全保障政策の大転換なのです。
それにしても、日本の宗教界はこの一大事をどう捉えているのでしょうか。国民の幸福と国家の平和をリードする筈の宗教界、どこからも声が聞こえてきません。特にわが曹洞宗はどのように対応されているのか、またこの問題に対するスタンスはどうなのか。気になって電話で伺ってみました。
広報担当というS氏によりますと、今のところ集団的自衛権に対する特にスタンスはなく今後の対応も分からないとのこと。今のところ仏教界で反対を明確にされているのは東本願寺派さんだけとのこと。正直唖然としました。「国土安穏、万邦和楽、海衆安祥・・・」を毎日祈願している筈のわが宗門の"総本山"に今の日本の平和危機に対する自覚がなかったのです。
毎日のご祈祷はまさに「空念仏」だったのでしょうか。かの故内山愚童老師が悲しんでおられます。宗門にはいまだ歴史を学び平和をリードする気概がないのか・・・と 
 

 

■生き方11 平和ボケ症2
前回、「平和ボケ」とは「平和の尊さが分からないこと」だといいましたが、さらに言えば、「戦争の危険性を見抜けないこと」だとも言えるのです。今、日本国民に問われているのはまさにこの点です。
どんな民族であれ国民であれ、真に平和を望まない人なんていません。問題はどうすることが一番の戦争抑止力になるのか、平和維持になるのかの判断が難しいことです。此度の日本の場合、集団的自衛権か専守防衛か、そのどちらが平和維持にとって正しい選択なのかの見極めがまさに求められているのです。
7月1日、安倍政権はついに「集団的自衛権」を閣議決定しました。安倍総理の言う「積極的平和主義」とは、同盟国との関係を強化し軍事力を高めることこそ戦争抑止力になるという論理です。が、ほんとうにそうでしょうか。
たしかに日本を取り巻く周辺国との信頼関係は最悪です。しかし、その軋轢と軍事的緊張を徒に高めてきたのはアベさん自身なのです。ならず者国家を相手に確かに軍事的強化は抑止力になるというのも感情的にはわかります。が、それははっきり言って間違いです。
なぜならそれは感情論からの発想だからです。人は感情的になると理性的でなくなります。感情論と理性論は相反するものです。持論ですが、その論理からすれば今回の"騒動"は感情論と理性論の対決とも言えるのです。どちらが正しいかは明白です。
人は理性的でない状況からは決して信頼を構築することはできません。したがって、まずは対話です。対話に徹すれば必ず心は理性的になります。人間にとって何より大切なものは理性なのですから。
対話に重きをおき、理性に立ちかえり共生の道をさぐることこそが、平和をもたらすのです。それは人類の歴史が教えています。
仏教精神からしても、対話こそ不信を取り除くための手段です。不信が双方を敵・味方にするのです。不信が敵意となれば武力が一番の抑止力に思えてくるのです。感情論からすれば当然です。結果武力には武力しか返ってきません。まさに因果必然のことわりではありませんか。
集団的自衛権賛成の人達は、こうした考えは理想主義だとか現実離れしていると言うかもしれませんが、人間が「理想」を捨て「真実」を無視したところに地獄が出現するのです。
人間が地獄に落ちる道理のすべては「貪、瞋、痴」にあるのです。戦争という地獄もまったく同じです。ただただ相手憎しという感情から生まれるのが「瞋(怒り)」です。怒りの感情が武力に頼り、あとは報復の連鎖です。現在のイスラエル、パレスチナを見て下さい。ウクライナ、ロシアを見てください。結果は歴然です。
事ほど左様に、安倍さんの論理はまさに感情論からの出発であり、脅威、威嚇こそが抑止力になるという実に短絡的で危険な考え方なのです。
そもそも安倍さんのやろうとしていることは国家権力の強化と民主主義の否定なのです。「集団的自衛権」はまさに氷山の一角にすぎません。何よりも怖いのはそんなアベさんの持つ本当の「危険」が国民に分かっていないことです。
いうまでもなく、日本は立憲主義国家です。主権在民の立憲主義国であるということは、憲法を変える変えないかを決めるのは主権者である国民なのです。政府をはじめ行政や司法に携わる権力側の人達は、憲法を守り、憲法に従う義務があるのです。
分かりやすく言えば、憲法は国民が守るべき法ではありません。国民が国家に守らせるべき法なのです。国家が国民の人権を不当に侵害してトンデモナイことをやらかさないように、予め歯止めをかけておくのです。それが憲法なのです。
このことをどこかに置き忘れ、総理個人の悲願だからといって、解釈改憲を自ら率先して行おうとすることは、まさに政治の私物化です。法治国家としてとるべき憲法改正の手続きを省き、結論ありきの内閣の議論で押し切ったことはまさに憲法違反ともいうべき暴挙なのです。(憲法研究所所長 伊藤真氏)
憲法98条に「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と定められています。従って、「集団的自衛権の行使も許される」とする内閣決定は解釈の限界を超え、違憲で、無効である。(弁護士 大森典子氏)
安倍政権が集団的自衛権にこだわる背景に「湾岸トラウマ」があるといわれます。湾岸戦争でアメリカなどから「カネしかださないのか」と批判を浴びたためだというのです。
そんなアメリカのご機嫌をとるために憲法の命ともいわれる九条を無理遣り解釈で変更しアメリカと一緒に戦争のできる体制にしようとしているのです。アベさんは「国民の命と平和な暮らしを守る」などと言っていますが、本心はアメリカにおもねているとしたら、彼はいったいどこの国の総理なのか。
「日本を取り戻す」などと言っていますが、その実アメリカの属国にしようとしているとしたらまさに売国奴です。国民を守ることを大義名分に掲げ、安倍さんは安全保障に関わる情報や権限を一手に握る仕組みを作っているのです。
政権に都合の悪い情報を隠すための特定秘密保護法、武器輸出を解禁する防衛装備移転三原則、外国軍への支援を認めるODAの見直しなど、アベさんの目指すところはまさに戦争のできる国家体制なのです。
評論家の内橋克人さんによれば、その統治戦略は、マネーとメディアとマインドコントロールの3Mだそうです。マネーは「アベノミックス」です。株価景気を利用して国民をマインドコントロールすることです。
メディアでは、NHKトップの籾井会長を抱き込み、政権寄りの報道をさせ国民をマインドコントロールすることだそうです。そんな安倍政権が持つ強権主義の一例がある週刊誌に載っていました。
7月3日に生放送されたNHK「クローズアップ現代」においての出来事です。この日のタイトルは、菅官房長官をスタジオに招き、「日朝関係」と「集団的自衛権行使容認」について詳しく聞くというものでした。
集団的自衛権行使の話題のなかで、キャスターの国谷裕子氏は、「他国の戦争に巻き込まれるのでは」、「憲法の解釈を簡単に変えていいのか」などと菅氏に対して鋭く切り込んでいきました。官房長官が相手でも物怖じしない国谷氏の姿勢はさすがでした。
番組は滞りなく終了しましたが、直後に異変は起こりました。近くに待機していた秘書官が内容にクレームをつけたというのです。それは、国谷氏が菅氏の発言をさえぎって「しかしですね」「ほんとうでしょうか」と食い下がったことが気に食わなかったというのです。
その数時間後、再び官邸サイドから抗議がはいり、籾井会長ら局上層部は「クロ現」制作部署に対して「誰が中心になってこんな番組作りをしたのか」「誰が国谷にこんな質問をしろと指示を出したのか」などという犯人捜しまで始まったというのです。
番組スタッフの話によると、この日、国谷さんは居室に戻ると人目もはばからずに涙を流したそうです。国谷さんは、ただただ、「すみません」と言うばかりで、涙のワケを語らなかったそうですが、理由は明白でした。
7月17日、「ニュースウオッチ9」の大越健介キャスターが「在日コリアン一世の方たちというのは、強制的に連れてこられたり、職を求めて移り住んできた人達で・・・」 と発言したことに対して、NHKの経営委員で作家の百田尚樹氏が理事ら執行部にかみついたというのです。
「強制連行は間違いではないか」「NHKとして検証したのか」などと問いただしたというのです。執行部側は「強制連行もあれば、自分の意志で来日した人もいるという趣旨だった。個別の番組への意見や注文なら問題になる」と言ったら百田氏は発言をやめたという。
百田氏の「永遠のゼロ」は拙僧も読みましたが、たいへん感動的な小説で2回も読んでしまいました。太平洋戦争の経緯もよく分かるし、人間とは、戦争とは何なのかを痛切に考えさせられる素晴らしい小説です。
その中で彼が訴えているのは反戦の意味だとばっかり思っていましたが、その実像はさすがのアベさんの御めがねに叶うだけの人物でした。
放送法は第3条で『放送番組は(中略)何人からも干渉され、又は規律されることがない』と定めた上で、第32条で経営委員の権限について『委員は、個別の放送番組の編集について、第3条の規定に抵触する行為をしてはならない』と定めている。
発言が事実なら明白な放送法違反です。「職責の自覚がなく、適正を疑う。任命した首相や同意した国会の責任も問われる。」(法政大学名誉教授・須藤春夫氏)
メディア論が専門の上智大学・碓井広義教授は「籾井氏が会長に就任して以降のNHKの報道姿勢には、疑問を持たざるをえない」と指摘しています。NHKは政府の広報機関化しているのではないのかと心配になります。
世論調査では過半数の日本人が集団的自衛権行使に反対ですが、その一方「特に関心がない」「どちらともいえない」と言われる人がまだまだ大勢います。国民全体が立憲主義の意味を真に理解し、安倍政権の実態を知り、"平和ボケ症"から回復し、早く"日本を取り戻しましょう"。 

■生き方12 平和ボケ症3
8月といえばお盆です。昔からこの時期多くの人達が故郷に帰ります。家族が揃ってご先祖様に報恩感謝の供養を捧げ、家族一統の幸福をお願いするのです。日本人にとって、お盆はお正月と並んでまさに国民的文化行事なのです。
江戸時代、お正月とお盆には奉公人が休みをいただき実家に帰ることができました。これを「藪入り(やぶいり」と称しました。その語源は「奥深い田舎に帰る」といった意味だそうです。主人たちも様々な手土産を持たせ奉公人を送り出したとか。
よく「盆と正月が一緒にきたようだ」とかいいますが、それはうれしいことや楽しいことが重なること、また、非常に忙しいことのたとえに使われますが、それは年に二度故郷の家族のもとに帰れる「藪入り」に始まったのです。
戦後、労働基準法により労働スタイルが変化し、日曜日を休日とするようになったことで「藪入り」はすたれましたが、そんな伝統は正月とお盆の帰省として残りました。お盆とお正月には妙に心が躍るのはそんな「藪入DNA」のせいなのかもしれません。
ちなみに、古代から新年最初の満月の日(旧暦1月15日)と、半年後の満月の日(旧暦7月15日)の2回、祖霊を祀る風習があり、やがて1月の方は年神を祀る小正月へと変化し、7月の方は先祖を祀る行事として仏教のお盆と習合されたと考えられます。
また、お正月の方を「藪入り」と言い、お盆の方を「後の藪入り」と言って区別する場合もあります。よく、お盆の16日には「地獄の釜の蓋が開く」と言いますが、これも藪入りに無関係ではなさそうです。
地獄には罪人を呵責するための釜があるそうです。ちなみに釜には、火焔の釜、膿と血の湯釜、蛆虫の水釜などというものがあるとか。地獄では閻魔大王のお裁きを受けた罪人たちが鬼たちによって次々と釜の中に放り込まれています。浜の真砂のごとく罪人の数は尽きません。さすがの冷酷無慈悲の鬼達にとっても大変な労務作業です。
そんな鬼達を労うために年に一度だけ休みが与えられました。それがお盆の16日です。すなわち、地獄の"釜の蓋を開ける"休日になったのです。一方の罪人達にとってもこの日だけは呵責を免除される"休日"でもあります。
ということで、地獄でさえ休みになるというこの時期に誰でも皆休みをとって家に帰ろうというのが、すなわち「後の藪入り」の由来になったのかもしれません。
地獄の釜の蓋が開いているということは、ひょっとして、罪人達もその日一日だけは釜から出ることが許されるかもしれません。閻魔大王は地蔵菩薩の化身とされています。地蔵菩薩は慈悲の仏さまです。地獄に落ちたどんな悪人でも年に一度の里帰りのチャンスが与えられたとは考えられないでしょうか。(私見ですが)
他方、地獄の釜の蓋は7月1日に開いて7月30日に閉まるという説もあります。旧暦7月はまるまる1ヶ月間お盆月(盆月)とされ、この期間は祖霊があの世とこの世を自由に行き来するというのです。
ちなみに、7月7日は七夕ですが、お盆の準備として精霊棚に供養の幡を安置する日だったため、棚幡が七夕になったという説もあります。盂蘭盆経にある目連尊者のお母さんが餓鬼道から救われたのも7月15日です。7月24日が地蔵盆であることなど、旧暦の7月は確かに盆月と言えるでしょう。
極楽往生されているご先祖様のみならず、餓鬼道や地獄道に落ちている罪人までも、お盆には「里帰り」が許されると考えられないでしょうか。つまり、生きている人達も亡くなった人達も、すべての者が「藪入り」を享受するのが即ちお盆なのです。
そんなお盆の8月15日がちょうど終戦日になったことに因果を感じるのは拙僧だけではないでしょう。過去の大戦で亡くなった230万もの英霊もお盆にはそれぞれの実家に帰りますが、その英霊に捧げる真の供養とは何でしょうか。
戦後69年も経ったとはいえ、祖国日本のために命を落とされた英霊たちへの恩義は薄らぐことはありません。年と共に薄れるのは、我々生きている人間の「記憶」と「気持ち」と「器量」の方です。これをうつろいゆく3Kといいます。(持論ですが)どんなに年が経っても決して薄れることのないのが恩義であることを知るべきです。
そんな69年前の戦没者の思いに心を馳せたとき、英霊たちが戦争を肯定しているとはとても思えません。それらを鑑みたとき英霊に捧げる真の供養とは、まさに戦争放棄、不戦の決意こそが英霊の恩義に報いることではないでしょうか。
毎年8月に入ると挙ったようにマスコミが過去の大戦への反省と検証をテーマにした関連番組を放送します。7月10日の東京大空襲にはじまり、8月6日の広島原爆、9日の長崎原爆、今年はなかでもNHKが特番として放送した「忘れられた戦争『ペリリュー島の戦い』」は実に凄惨なものでした。
NPO法人主催の映画「ひろしま」も見ましたが、戦争は、ただただ敵を殺すことです。エスカレートしていくと虐殺行為さえ躊躇しなくなってしまうのです。それが人間の性なのかもしれません。東京大空襲、広島、長崎原爆では7万〜10万人以上の人間が一瞬のうちに虐殺されたのです。
平和な時代には一人でも殺せば殺人罪です。戦争ではそれが何人殺しても罪になりません。こんな不条理はありません。東京大空襲を指揮したアメリカの軍人カーチス・エマーソン・ルメイ大将に戦後第一次佐藤内閣は、自衛隊育成に協力があったという理由でなんと勲一等旭日大綬章を与えているのです。
戦後、ルメイは「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女子供を殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することはーふざけるな」と語ったのです。
また、日本爆撃に道徳的な考慮はと質問され、「当時日本人を殺すことについてたいして悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった。もし戦争に敗れていたら私が戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことに我々は勝者になった。軍人は誰でも自分の行為の道徳的側面を多少は考えるものだ。だが、戦争は全て道徳に反するものだ」と答えています。
戦争では敵という人間を殺せば殺すほど英雄になります。本人に罪の意識はありません。その実態はまさに鬼畜であり悪魔です。何という理不尽でしょう。そんな不条理な戦争を起こすことだけは絶対に避けなければなりません。
集団的自衛権賛成の人達の主張は、他国から攻撃された時は友好国の助けを得るのに、逆のばあいは憲法9条を盾に助けることを拒否するのは身勝手であり卑怯だというのです。たしかに、信頼関係にある友好国や同盟国の関係からすれば道義的にも当然な理屈かもしれません。
しかし、戦争を起こす同盟国側にいつも大義があるとは限らないのです。たとえばイラク戦争をみてください。大量破壊兵器があると信じて多くの国がアメリカに追随しましたが、結果はアメリカに躍らされただけでした。今では大義のない不毛の戦争だったとして参戦した国々はおおいに反省しています。
このように、一旦集団的自衛権が認められてしまうと、その戦争に大義が有ろうと無かろうと道義的に同盟国のために参戦せざるを得なってしまうのです。敵対する国が一国とは限りません。その場合同時に多くの国さえ敵にまわすことにもなるのです。
憲法9条は決して自分よがりのものではありません。それぞれの国が、軍備は最大限保障に留め、「専守防衛」に徹すれば戦争の確率は極めて少なくなる筈です。日本こそがその先駆けになれるのです。 

■生き方13 平和ボケ症4
彼岸とは、文字通り「向こう岸」のことです。こちらの岸を此岸(しがん)という煩悩や迷いの岸ととらえ、対岸を悟りや涅槃の岸と譬えたものです。語源は、サンスクリットのパーラミターに由来します。
パーラが「彼岸」、ミターが「到る」で「到彼岸」の意味です。悟りや涅槃に到るために越えるべき迷いや煩悩を川に譬え(三途の川とは無関係)、その向こう岸に到るというものです。パーラミターを漢字にしたのがすなわち「波羅蜜多」です。ちなみに智慧がパーニャで般若となりました。
お彼岸の風習はインドや中国にはない日本独特のものです。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが彼岸のはじまりだといわれています。
極楽浄土は西方浄土ともいわれ、生を終えた後の極楽浄土を思い描き、浄土に生まれ変われることを願ったのが浄土思想です。生を終えていった先祖を供養すると同時に自らも極楽往生にあやかろうとして定着したのが「お彼岸」なのです。
いつの時代であれ、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じです。死後を考えない人はいません。それは人には心があるからです。心があるからこそ宗教心がある、心と宗教は同事・・・これは拙僧が予てより言ってきた非常に重要な概念です。
ですから人は自らの信仰によって生へのモティベーションが決まるのです。これが宗教のもつ意味合いであり、その最大のものが生死観です。人の幸福観はその生死観に左右されると言っても過言ではありません。
一心にただ阿弥陀仏を念ずれば例え悪人でも極楽浄土へと往生できると説かれたのが浄土思想です。その思想のなかで守護大名に反抗して勃発したのが一向一揆です。数十万という本願寺門徒(一向宗)によって加賀の城は陥落し、なんと「一向宗の国」が誕生してしまったとか。
その勢力は織田信長によって滅ぼされるまで、約百年間続きました。「南無阿弥陀仏」と唱えながら死をも怖れずに攻撃してくる一向宗の軍団は、覇王たる織田の軍勢にとっても恐るべき相手でした。
織田軍は捕らえた門徒は全て惨殺するという苛烈さで、その時期に殺された一向門徒は十万人を越えたといわれています。それは広島・長崎に落とされた原爆の死者に匹敵するもので、日本史上における最大規模の虐殺であったことは事実です。浄土思想への信仰力と宗教のもつ脅威が示された事実として考えさせられます。
そんな時代を超えて、今中東に「イスラム国」とやらがイスラム過激組織によって建国されようとしています。一向一揆の「一向宗国」などとは比較になりませんが、どちらも宗教教団が主導していることを考えると、宗教を理解することが実に大事です。
イスラム教では、死後はアラーによってのみ天国か地獄かが決まります。アラーのために死ぬことができれば、天国に行くことができるというのがジハード(聖戦)です。死はアラーのみぞ知るところであり、ジハードで倒れた殉教者は、神の元で恵みを受け永遠の命を送ることができるとされています。
自殺は禁止されていますが、殉教は最高の行いとされています。ただ、殺人は罪とされているイスラム教において、ジハードにおいての殺人はなぜよいのであろうか。よくわからない点ですが、理屈では理解できないのが宗教です。
信者にとって、信仰こそすなわち正義なのです。ですから、妄信の彼らにとって自爆テロも殺人もすべて正義なのです。そこには躊躇も罪悪感もありません。あるのは使命感だけです。
かのオウム真理教によるテロも数々の犯罪行為もまさに教祖への帰依の証しこそが「正義」だったのです。元来純粋だった筈の若者たちが狂信の結果殺人鬼に仕立て上げられてしまったのです。邪教に正義などある筈がありません。宗教にはそんな落とし穴があるのです。
心がある以上宗教心があるといいました。だからこそ邪教の穴に陥らない正義を見極める力が必要なのです。そのためにあるのが仏教の四諦八正道なのです。それこそ真理の道理、般若の智慧、すなわち彼岸の教えなのです。
今欧州、特にフランス、イギリスでは「イスラム国」の兵士に加わるためにシリアに向かう若者が増えているとか。妄信の若者がイスラム国になびいている実態はまさにオウムに酷似しています。こうした諸国の当局者らは、これら若者たちが本国に戻ってテロ行為を主導しかねないと懸念しています。
そんなイスラム国での虐殺行為の実態がネット上から伺えます。首を切断された幾つもの遺体、体中串刺しにされた遺体など、あまりにも凄惨で見るに堪えません。人はこれ程までに残酷になれるものかと、実にショックです。
言うまでもなく戦争は地獄です。あらゆる残虐行為があたりまえに行われるのです。人は心を棄てて鬼や悪魔にならなければ耐えられません。まさに殺人と報復の連鎖による地獄です。それが今のシリア、イラクの現実なのです。
日本は戦後70年になろうとしていますが、70年間も戦争をしていない国は世界の歴史上ないといわれます。それは憲法9条があるからです。テロや紛争、宗教対立が横行し、紛争が絶えない国際社会のなかでまさに世界に誇るべき日本の宝なのです。
日本の国際協力・人道支援NGOの日本国際ボランティアセンターの前代表、熊岡路矢さんは、「日本国憲法の平和主義こそが、世界のどの地でも、私たちの命を大枠で守ってくれたと実感してきました。」と誌上で述べられています。
ここからは、熊岡さんの30年間のNGO活動を通しての率直な思いを抜粋ながら紹介させていただきました。
「どうやってNGOは安全を守るのかとよく聞かれますが、紛争地では武器を持たないことが身を守るカギのひとつなのです。NGOは名前のとおり非政府組織で、政府や軍隊とは一線を画して人道支援を行います。
現地で、私たちは人道支援活動をしていること、中立・公正・公平を旨として働く組織であることを説明します。武器を持つ選択はありません。安全確保でもっとも大切なのは現地住民と深く付き合い、彼らから信頼されることです。
万一、武装勢力に誘拐されるような場合でも、交渉や説得以外の方法はありません。中立的立場で人道支援活動をしていること、軍隊的なものと無縁であることを主張し、現地の人々にも証言してもらう。それで解放されたケースがあります。高遠菜穂子さんの場合もそうでした。
もし現地に自衛隊がいて、NGOが「駆けつけ警護」を要請したら、かえって武装組織からの危険が及ぶこと必至です。私が自衛隊を呼べる、また呼びたいと思った状況は一度もありません。安倍総理の主張は現場を知らない議論なのです。
中東では日本の評価は欧米と異なり、高かったのです。日本はこの地域を侵略したことはない。アメリカに原爆を落とされたが報復せず、戦後は平和憲法の下、平和政策をとってきたというのです。
安倍政権がこのまま集団的自衛権を行使し、「米国と肩を並べて戦う国」への道を進めば、今米英に向けられている憎しみが今度は日本にも向かうでしょう。今まで想像もしなかったような破壊活動が国内で起こる可能性もあります。
安倍政権は、中国などに「力対力」の対抗を進めているようですが、国際情勢を考えれば軍事力で問題は解決しません。あの「最強」の米国でさえ、目的を達成できないのですから。一番大切なのが外交力です。
日本は憲法9条をもとに平和主義国家として世界の紛争の調停を行い、外交解決を促進する役割をはたせる国です。それこそ他国にない強みであり、ほんとうの『積極的平和主義』ではないでしょうか。」
「彼岸に渡る」こととは、本当の智慧を知ることです。本当の智慧を知らないで本当の正義を知ることはできません。秘密保護法や集団的自衛権が本当に正義と言えるのでしょうか。イヤ、それらは断じて間違っていると言えることこそ正義です。 

■生き方14 平和ボケ症5 坊さんこそ平和ボケ
もう、そろそろこのテーマもいい加減にしたいところですが、今の日本の仏教界の現状を鑑みますと、多くの僧侶自身が平和ボケ症に陥っているのではないかという疑念に駈られます。で、今回この点を考えてみました。
前回、真の正義とは仏教の四諦八正道に則ったものでなければならないと申しましたが、残念ながら今の日本の仏教界にはその確信が持てません。とりわけ仏教の僧侶たる者、その務めは何よりも人々を正義へ誘う導師でなければなりません。
いうまでもなく「導師」とはなにも葬儀など法要・儀式上だけのものではありません。大恩教主釈迦牟尼世尊の名代として、人々の幸福と社会の安寧を希求する正義の旗頭としての「三界の大導師」でなければなりません。僧侶にはそんな現世に生きる仏陀の名代としての責務があるのです。
しかし今の日本が直面している様々な危機に対して日本の仏教界は極めて消極的です。集団的自衛権の問題にしても、キリスト教の団体は一斉に抗議や反対の声を上げたのに対し、仏教界からは殆どアクションがありません。
伝統仏教59宗派などが加わる全日本仏教会は理事長談話として「深い憂慮と危惧の念」を表明しました。しかし、それは"談話"である以上、個人的見解であって謂わば世間話し程度という意味にすぎないのです。日本の平和と安全に関する重大な問題に対して、これが今の日本仏教界の現実だとしたら実に情けないことです。
集団的自衛権にハッキリ反対を明らかにした宗派は、真宗大谷派、日蓮宗、臨済宗妙心寺派などくらいなものです。宗派の多くは中枢にいる人物が極めて保守的だったり、個人の歴史観やイデオロギーに直結する問題だとして、多様な意見を取り纏めることが難しく、それが足並みの揃わない原因だといわれます。
そこで拙僧は言いたい。僧侶たる者、仏教の絶対真理である般若の智慧こそ主観であるべきです。般若の智慧に「個人の歴史観やイデオロギー」などの余地はありません。僧侶にとっての"イデオロギー"が有るとすれば、それは般若の智慧に則ったもの以外にはないのです。それがまさに「三界の大導師」たる条件です。
何度も言うように、真の正義とは般若の智慧・四諦八正道に則ったものでなければなりません。その原理的・教義的観点から論ずるまでもなく、明らかに戦争は人権を否定した殺戮行為であり、絶対に避けなければなりません。その旗頭こそ「三界の大導師」なのです。
しかし、近代日本の歴史を振り返ってみるとき、戊辰戦争から太平洋戦争まで、仏教勢力のほとんどは戦争に協力してきたという歴史的事実が存在します。戦争を行う国家に対し資金や人材、物資を提供し、従軍僧を派遣して布教や慰問に努め、戦争の正当性を僧侶が説いて回ったのです。
ほとんどの宗教団体は戦前・戦中に、国家神道にからめとられました。本願寺派では、親鸞聖人の聖典の一部を削除したほか、阿弥陀仏と天皇を重ね合わせたような戦時教学まで現れたとか。まさに外道、非道の為せる業です。
日本の宗教団体の大半が戦争に協力した経過を持ち、いずれもが戦後この過ちを深く反省しました。1962年、日本宗教者平和協議会が発足し、全国的な平和運動が発展し、キリスト教、仏教、新興宗教などの教団は平和の表明を次々と発し、80年代以降は宗教教団の戦争協力への反省が大きな流れになりました。
87年、真宗大谷派(東本願寺)は、全戦没者追弔法会を行い、宗務総長が「私たちは単に、『過ち』といって通り過ぎるにはあまりにも大きな罪を犯してしまいました」と、伝統仏教教団としてはじめて懺悔を発表しました。
続いて浄土真宗本願寺派、曹洞宗、臨済宗妙心寺派などの各宗教教団も戦争責任懺悔と平和声明を発表しています。それが後に憲法改正反対運動へと発展していきました。
とくに、2001年9月の同時多発テロとイラク戦争以後、日本宗教連盟、日本キリスト教協議会、全日本仏教会、新日本宗教団体連合会などの平和声明が相次ぎ、今日の宗教界での憲法9条擁護の声となって広がったのです。
そのように、過去の戦争の反省と平和憲法の尊さを自覚した日本仏教界だった筈ですが、戦後70年、世代交代や世論の"風化"によって再び「個人の歴史観やイデオロギー」が先行し、仏教界は再び戦争を黙認しかねない風潮に晒されているのです。
戦争になるとき、まず秘密とウソが先行します。知る権利と自由が奪われ、国民はやがて目も耳も口も封じられるのです。情報操作や報道規制から"先軍政治"が始まります。その準備としての「特定秘密保護法」が昨年12月強行可決されました。
そんななか、日本仏教界から唯一、真宗大谷派だけが気骨を示しています。昨年11月27日真宗大谷派は宗務総長名で安倍総理に対して要望書を送っています。模範として、また平和ボケ仏教界への喝の意味を込め、以下その全文をご紹介します。
「私たち真宗大谷派は、かつて戦争に協力した罪責を深く懺悔するとともに、仏教の教えに立ち、戦争を許さない、豊で平和な国際社会の建設に向けて歩むことを誓いとしております。その教団を代表するものとして、「特定秘密保護法案」に対して深い懸念を表明いたします。
本法案は、すでに各方面より指摘されているように、防衛・外交等に関する事柄についての国民の知る権利を著しく制限するものであるだけでなく、情報を得ようとした者の処罰まで規定されており、国民が知ろうとすることも制限するものとなっています。したがって、該当する事柄について、政府・行政が現在何を行っているのかを知ることができないばかりか、速やかな事後の検証も困難となってしまうことが予想されます。
先の大戦において多くの情報が国民に秘匿された歴史、また今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故において多くの情報が公開されなかったことに鑑みると、政府・行政の動きに関する重要な情報が秘匿されることをできる限り制限し、国民の知る権利を守ることが重要でありましょう。したがって、本法案は国及び国民の安全の確保を目的とするとされていますが、それと引き換えに、私たち国民が不信と不安の中に暮らさねばならない状況を生み出すものと考えます。それが真に豊かで平和な社会であるとは思われません。
私たち浄土真宗の門徒が願う阿弥陀仏の国土は、あらゆる存在をひとしくおさめとり、安らぎを与え、養う世界であると考えられています。その願いに背いて戦争に協力した教団の歴史への反省に立つとき、この法案が、現在そして未来にわたって、人々の安らぎを奪うに違いないことを深く憂慮せざるをえません。
現在、震災及び原発の問題や経済・国際問題など、国民の多くは大きな不安を抱えながら生活しています。国は、公明正大に国民の信頼にこたえ、人々の不信や不安を除くことを責務とするべきであります。本法案は、その責務に背くものであり、深い懸念を表明するとともに、速やかに廃案されるよう強く要望いたします。
2013年11月27日 真宗大谷派宗務総長 里雄康意
内閣総理大臣 安倍晋三 殿

天下の悪法、「特定秘密保護法」は、この12月10日より施行されようとしています。平和ボケにある各宗各僧侶、特に"風見鶏"にスタンスを決め込んでいるわが曹洞宗、一刻も早く覚醒し、「三界の大導師」の自覚を取り戻してしてください。
一末派寺院として只願うことは、どうか道元禅師・瑩山禅師の名誉と誇りを失わないで欲しいということです。 

■生き方15 依存症
精神疾患の一つに「依存症」があります。油断すると誰でも罹ってしまう恐ろしい病の一つ、それが依存症です。決して他人事ではありません。すでにあなた自身にも何らかの依存症の危険があるかもしれないのですから。是非、しっかりとした知識と強い意志を身につけ、ガードしたいものです。
依存症は、とことん行き着けば生命に関わります。アルコールや薬物などの物質嗜好はいうまでもありませんが、過程嗜好だって、例えばギャンブルで借金がかさんで命を絶つ。失踪などで社会的存在を自ら末梢するなどの不幸な結果に到ることが実に多いのです。
ガードするには、まずそのメカニズムを知る必要があります。人にとって「快感」こそ最高のしあわせです。快感に浸っているトキほどの幸福感はほかにありません。しかし、実はその快感こそ問題なのです。
人間の脳は、快感を感じた時にドーパミンという脳内物質を分泌します。脳は、このドーパミンが分泌された行動を繰り返すように指令を出します。この作用は、うまく働けばやる気や行動力に繋がりますが、悪く作用すると依存症のきっかけになってしまうのです。
たとえば、ギャンブルで勝つ→快感・幸福感→ドーパミンが分泌→脳が同じ行動をするよう指令→ギャンブル。この繰り返しがギャンブル依存症になるメカニズムです。
一度味わった快感は脳にしっかり刻み込まれます。その快感は忘れられない幸福感となって何よりも優先的にその行為を求め繰り返してしまうのです。のめり込んだ結果、正しい判断も、常識ある行動も出来なくなってしまいます。
知ってのとおり依存症には実にいろいろあります。ギャンブルのほかに、アルコール、薬物、危険ドラッグ、インターネット、ゲーム、買い物、過食、ダイエット、セックス、占い・・・等々。依存症としてのメカニズムはどれもほぼ同じだということで、今回は特に「ギャンブル依存症」にスポットを当ててみました。
依存症の人が反省するとき、あるいはその家族が語るとき、よく、「意志が弱い」「自分に甘い」と言うといわれます。しかし、ある体験者に言わせますと、「意志を強く持って、何かを頑張った分、バランスがとれなくなって違う何かで気を紛らわさずにはいられなくなった」というのです。
また、「完璧主義」「自分に厳しい」「もっと頑張らなくちゃ」と自分自身を追い込んでしまい、ストレスを抱えきれず嗜好に逃げ込んだ結果だという人もいます。また、依存症になる人は、けっして「ダメな人間」ではなく、むしろダメ人間にならないように頑張った人も多いということです。
人の心は思っている以上に弱いものです。この事実をしっかりと脳に刻み込んで自戒し自衛するしかありません。まさに「君子危うきに近寄らず」です。不幸にしてすでに依存症に罹ってしまった人、またその心配のある人は一刻も早く治療すべきです。病である以上早期発見早期治療が鉄則です。
さて、日本には、戦後のどさくさの中で特例法で解禁された競馬、競輪などの公営賭博があります。また、パチンコ、パチスロも、賭博ではなく「遊技」という扱いで、世界に例がないほどの日常的な賭博場となっています。国立病院機構久里浜医療センターの樋口進院長は「パチンコやスロットなどが身近で、日本は世界の中で病的賭博の割合が最も高い国の一つ」と言われます。
ギャンブル依存症の疑いがある人が推計で536万人に上ることが、厚生労働省研究班の調査でわかりました。日本人は、なんと年間5兆6000億円を賭博で負けるという、日本は世界最大のギャンブル大国なのです。
ギャンブル依存症の有病率は成人男性で9.6%、女性1.6%(08年の厚生労働省委託研究結果)と世界でもずば抜けて高い割合なのです。人口に換算すれば560万人が依存症という衝撃的な実態です。日本は世界でも最悪のギャンブル依存症大国だったのです。
安倍総理自身が言うとおり、国民の生命・財産を守ることがまさに政治の大義です。だとすれば、政治家は国民をあらゆる災難から守り、危険から遠ざけることが務めの筈です。ところが、安倍総理は成長戦略の目玉とかいってカジノを合法化しようとしています。国民をこれ以上ギャンブル依存症にしてもよいとでも思っているのでしょうか。
2020年のオリンピック開催までに1〜3カ所、最終的には国内に10カ所程度カジノを開設するとのもくろみだそうです。日本弁護士会が開いたカジノ問題を考える集会で、静岡大学の鳥畑与一教授は講演で、依存症治療や中毒者の対策に必要な社会的コストが、カジノから得られる「利益」をはるかに上回る可能性があると指摘しています。
カジノ議連の思惑は外国観光客を当て込んでいるようですが、日本に進出を狙う米国、ラスベガスなどのカジノ資本のターゲットは、日本人の1600兆円にのぼる個人金融資産だそうです。喰うか喰われるか、だがこれは日本に利がない文字通りの"バクチ行為"にほかなりません。それが分からない政治家はバカとしかいえません。
このまま安倍総理に任せていたのでは、日本という国家自体がギャンブル依存症になりかねません。だいたいギャンブルで稼ぐという発想自体姑息で不健全で不道徳です。個人にとって良くないものが国家に対して良い筈もありません。
各種世論調査ではカジノ解禁に「賛成」が3割、「反対」が6割だそうです。良識を持った日本人のマジョリティに誇りを感じます。良識のない安倍総理はじめ超党派で構成する200人以上のカジノ議連の人達は是非考え直すべきです。国民のマジョリティに従った政治でなければ必ず失敗します。
今回の総選挙で問われるのは、民主主義の立憲主義や平和主義などへの評価です。約70年におよぶ戦後体制のあり方を問い、未来を決める一大選挙です。多くのメディアはアベノミクスの評価を問う選挙と位置づけていますが、経済政策に隠された民主主義が問われているのです。
政府が国民のためにあるのか、国民が政府のためにあるのかです。また、個人の尊厳に立って基本的人権を尊重し、国民の権利を充実させていくのか。それとも国家の権利を拡大して基本的人権を制限していくのか。
なんでも、自民党案では「基本的人権は永久の権利である」と宣言する現憲法の条項が削除されたとか。これが本当のことならとんでもないことです。これが事実として、なお安倍政権を支持する人がいるとしたらまったくどうかしています。
今の阿倍政権が目指しているのはまさに国家権力で国民を縛ることです。国威を発揚し戦争のできる体制にすることです。時代錯誤も甚だしいかぎりです。しかし、国民はバカではありません。拙僧は良識ある日本人のマジョリティを信じます。
「政教分離」とは、宗教家は政治に参加するなということであり、口を出すなということではありません。しがらみに囚われず、声を上げて正しい道を説くことこそ宗教家のつとめです。お釈迦様だったら、道元禅師だったら多分そうするでしょう。
それにしても我関せずの仏教界。自らの存在意義を問うてみてください。お布施を頂くことだけが仕事ではないのです。仏教を心から信じ釈尊に心から帰依する僧侶なら何をなすべきかに迷いはないはずです。 
 

 

■生き方16 アレルギー1
最低投票率の衆院選は自民・公明の大勝で終わりました。ただ、言っておきたいことは、4割の得票で8割の議席を取るという選挙制度の下での結果です。過半数の国民が全てを白紙委任したわけではないことを知るべきです。
とは言え、悲願の改憲に向けて安倍さんは大きな一歩を踏み出しました。この先待ち受けているのは国民投票という国を二分するまさに天下分け目の戦いです。大げさに言えば戦争か平和かの戦いです。無関心は許されません。
「愛の反対は無関心」だと言っていたのは高倉健さんでした。「政治の役割は二つ。一つは、国民を飢えさせないこと。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと」と言っていたのは菅原文太さんでした。
さまざまな生き様を演じた役者人生の中で到達した哲学ではないでしょうか。役者はその役自身になりきることでさまざまな人格を経験するといわれます。その大役者のお二人が極めた処こそ「人間愛」だったのではないでしょうか。
今の政治に欠けているのはその「人間愛」です。基本的人権よりも国家権力を優先させようとする政治に人間愛はありません。第三次安倍内閣が発足し、安倍さんは自民党議員の前で「強い日本を取り戻す」と強調しました。いよいよ安倍政権の暴走が始まろうとしています。
秘密保護法も集団的自衛権も憲法改正もすべては戦争準備のためのものです。政府は今「武器輸出三原則」を廃し、新たに「防衛装備移転三原則」なんていうとんでもない法律を作ろうとしています。
それは、これまでの武器・兵器及び関連技術の輸出を「原則全面禁止」としてきた従来の立場をやめて、全く真逆の方向に舵を切り、米国やイスラエルへの武器・兵器の輸出や技術協力を解禁するというものです。
それは、これらの国々が今後も行うだろう戦争犯罪に、日本も積極的に加担するということを意味します。イスラム国の格好の餌食になること請け合いです。口実を与え日本国内にテロが起こる可能性は一挙に高まります。
原発や武器を売ることが人間愛でしょうか。人間愛があるところに戦争なんてありません。そんな人間愛のない政治家に日本の運命を任せてしまって良いのでしょうか。日本の未来がまさに問われていると言っても過言ではありません。
つい前置きが長くなってしまいました。さて、本題に入りましょう。今、日本人の約30%がアトピー性皮膚炎や気管支ぜんそく、花粉症、食物アレルギーなどアレルギー性の病気を持っていると言われます。アレルギー病は、ここ40〜50年で急激に増えてきたまさに現代病です。
拙僧の子どもの頃には花粉症やアトピーなど、アレルギーというものはほとんどありませんでした。アレルギーが始まったのはおよそ50年前からだということですが、この50年の間に人類に一体何が起こったのでしょう。
日本の腸内研究の第一人者として知られる藤田紘一郎(東京医科歯科大学名誉教授)先生によりますと、アレルギーが起こる仕組みは、実は全部同じだそうです。例えるなら、お茶のようなものです。お茶の木そのものは一種類で、その葉っぱが製法によって、緑茶になったり、紅茶になったり、烏龍茶になったりします。
植物分類学的に「緑茶の木」とか「紅茶の木」といった木はありません。それと同じで、アレルギーにはいろいろな種類・症状がありますが、「人間の体内で起こっていること」自体は同じなのだそうです。
では近来なぜ、これほどまでにアレルギーが増えてしまったのでしょうか。私たち人間の体は、一万年前とまったく変わっていませんし、体を構成する細胞は同じだし、体に備わっている免疫システムも同じ筈です。
藤田先生は、その大きな原因として、人間が文明の下に追及してきた、よりキレイで快適な環境を作ってしまったことにあるといわれます。
一万年前、人類は、裸・裸足でジャングルや草原を走り回っていました。自然とともに、体をめいっぱい動かして、元気に生きていたのです。元々自然の中で土や雑菌にまみれ動物に近い生き方をしてきた人類は文明発展のなかでどんどんキレイで快適な生活環境をつくりあげてきました。
とりわけ、ここ50〜60年の変化は凄まじいものがあります。それは、ちょうど長い間山奥で原始的生活を続けていた人間が、急にキレイな都会に出てきて雑菌のない快適なマンション生活に浸ってしまったようなものです。
食べ物は、化学肥料や農薬で形良く育ったキレイな野菜や、防腐剤や着色料、人工甘味料をふんだんに使った口当たりの良いファストフード中心ばかりのものになってしまいました。
問題は、生物としての人間が急激な環境の変化に体がついていけないことでした。人は自然と切り離されて、身の回りにあった筈の菌を退治した"キレイすぎる社会"に、体はそう簡単に馴染むことができなかったのです。
キレイ社会というのは言い換えれば、「異物を排除することを良し」とする社会です。人間がひたすらキレイ社会を求める過程で、寄生虫も細菌もウイルスもほとんど体内に侵入することがなくなりました。
時と場合により、人間に悪さをする菌を排除することは大事ですが、何も悪さをせずに一万年の昔から人間と共生し、免疫力としてアレルギー抑制に貢献してくれた菌まで悪者扱いするのは問題です。
抗菌とか除菌、消臭といった言葉に踊らされていると、体は抵抗力を失うばかりです。その結果、それまで体内で活躍していた、さまざまな免疫細胞が"失業"してしまったことでアレルギー病が起こったと考えられるのです。
人間社会でも、職もなくぶらぶらしている暇な人間というのは、何かと問題を起こしたります。それと同じで、各種免疫細胞たちはあまりにヒマになったものだから、従来は相手にもしなかった異物に反応して、抗体をつくるようになってしまったのです。
このように、寄生虫や細菌などのいろいろな微生物に対応していた免疫担当細胞が失業してしまった結果、花粉やダニなど反応しなくてよいものに過剰反応して起こるのがすなわちアレルギー性疾患なのです。アレルギー疾患とはキレイ社会が生み出したまさに副産物ともいえるのです。
昨年八月の「法話」の中で、「人間は自然に逆らっては生きてはいけない」という、胃腸外科医の世界的権威、新谷弘美先生のお話を紹介しました。
「人間も自然の一部である。自然の摂理に反すると人は健康に生きられない。それを無視した結果が人間特有の病気を招いている。生活習慣病はその最たるものだ」という先生の言葉が思い出されます。
その言葉通り、人類がひたすら求めてきた「キレイ社会」は、結果的に自然に反する行為だったと言えるのです。そう考えると、アレルギー疾患は、まさに生活習慣病と同じカテゴリーにあるのです。
人がアレルギー戦争から解放されるには、「自然の摂理に従った生活習慣」を取り戻すしかありません。一万年も昔から共存共栄してきた細菌やウイルスを強制的に排除することをやめて、極端な清潔信仰と決別するべきでしょう。
アレルギーは、「戦争アレルギー」だけで十分です。 

■生き方17 アレルギー2
新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。本ホームページご覧の善男善女人各位の一層のご多幸を祈念いたします。言わずもがな、健康無くしてしあわせはありません。先ずは健康に対して関心と知識を持つことが大事です。更に一緒に学んでみましょう。
前回、アレルギー疾患とはキレイ社会が生み出したまさに副産物ともいえるものだというお話をさせていただきました。環境が清潔すぎることで起こるという、この「衛生仮説」は既に2004年ドイツを中心とする医科学チームの研究により裏付けられていたそうです。
藤田紘一郎先生は、インドネシアに感染症の調査に行かれた時にさまざまな体験を通してその「衛生仮説」を実感されたそうです。以下その体験談をご紹介させていただきます。
「インドネシアはお世辞にも清潔な国ではなく、賄賂が当たり前でドロボウも多かったのですが、そこに住む人々はおおらかで人間味があり、自然と融和していてとても人間らしい生き方をしていました。
インドネシアでは、子どもたちはウンコの流れる川で平気で遊んでいました。 私は『こんなきたない川で遊んでいると病気になるよ』と何度も注意しましたが、子どもたちは私の意見などまったく聞こうとせず、平気で毎日、川の中で遊び続けていました。
しかし、その子どもたちを観察していると日本の子どもたちよりずっと元気であることに気が付きました。アトピーやぜん息などのアレルギー疾患にだれも罹っていないことがわかったのです。
ウンコが浮いている川の水で洗濯している女の人たちも、とても元気でいきいきしていました。うつ病など心の病気に罹っている人もいません。子どもたちの間にはいじめはありませんでしたし、理由もなく見知らぬ人を傷つけるなどといった、日本で起こっているような若者の事件は見られませんでした。
インドネシア人に比べて日本人は、便利で快適な文明社会で管理されながら生きていることに気が付きました。キレイな環境が良いという考えが行き過ぎて、身の回りにいる私たちを守っている常在菌までを排除するようになったのです。
それが結果的にアトピーなどのアレルギー性疾患やうつ病などの心の病気を生むようになったのだと私は思っています。これらの病気は自然に触れて生きている人には起こらず、『家畜化』された人たちにのみ発生することが、インドネシアでの調査で明らかにされたのです。
私は、身体と心の病気の原因が、日本の大学で習ってきたこととまったく異なるように思えてきました。私は、『キレイとは何だろうか、きたないとは何だろうか』と考え込んでしまったのです。
なぜ、きたないとされる川の水に接して生活している人々の心身がとてもキレイなのだろうか、私は考え込んでしまったのです。そして、頭の中で考えていた『キレイがよい』が実は間違っていたことを実感したのです。
自然と融和して、野生の生き物のような生活をしているインドネシアの人たちと一緒に生活しているうちに、私自身が少しずつ変化していくのがわかりました。日本で身につけてきた『家畜化』の度合いが次第に薄れていくことを感じていました。
私はインドネシアで何度もドロボウに遭いました。そのたびに私の持ち物はお金と引き替えに私の手元に戻ってきました。しかし、そのお金はドロボウたちが独り占めしているのではなく、地域住民が分けていたのです。
インドネシアではお金を持っている人が、持っていない人に分配するのが当たり前のことだからです。私は、インドネシアでのこうした体験を通じて、インドネシアでは『喜捨』の精神が行き渡っていることを感じたのです。私は何度もドロボウ事件に巻き込まれましたが、『喜捨』の意味に気づいてから腹が立たなくなりました。
そんな私に決定的な出来事がありました。孤島で木材を伐採している日本人を健康調査するためブル島という島を訪れたときのことです。私がそこを訪れた直後、台風の影響で日本からの船が1ケ月以上来られなくなったのです。
私たちの食糧は底をつき、海に魚釣りに行ったり、山でタロイモを掘ったりして食材を集めました。こうした状況では、医者や木材伐採者という役職や立場などまったく問題ではありません。全員が生きるための食料集めに必死になっていたのです。
私たちはもはや『家畜』ではなく、大自然の中で食べ物を必死に探す『野生動物』になっていたのです。頭だけで考える小賢しいことなど通用しない、『自分をさらけ出し、腹で考え、裸のつきあいをする』しかなかったのです。
それまでの私は、他人の目ばかり気にしていました。教授が研究室に残っていると、用もないのに私も研究室にいました。他人の目を気にする一方で、自分のやりたいことはどんなことでもするという、とてもわがままな人間でした。
しかし、私はインドネシアの生活で『あるがまま生きる』ことを学んだのです。インドネシアでの生活を続けるにつれ、私は家畜のように飼いならされた人間ではなくなってきました。
自分自身で問題を解決すること、自分自身のあるがままを感じ、そのあるがままを率直に受け入れることが必要であることを実感したのです。そして、『わがまま』とは他人の『あるがまま』を受け入れようとしないことだと気づいたのでした。
インドネシアの若者の目はみな輝いており、好奇心に満ちていました。彼らと接しているうちに、私は日本のウサギ小屋での偏った食べ物の生活から脱出しなければならないと思ったのです。日本での家畜のような生活によって失われてしまった感性を取り戻さなければ、と思ったのでした。」

藤田先生は、さらに日本の男性がいわゆる「草食系」になった理由の一つとして、「キレイ社会」がもたらした、行き過ぎた清潔志向が大きく関わっているというのです。目に見えない細菌に怯え、排除しようとする超清潔社会に住んでいると、セックスのような獣っぽい行為が不潔で気持ち悪くなってしまうというのです。
その結果、衛生管理の行き届いた狭い獣舎で、目の前に出された餌を食べるだけの「家畜」のような存在になり、生物としての野生性を忘れてしまったというのです。
貧困家庭の多少汚い環境で育った男性は、野生的でセックスへの意欲が高く、反対に、裕福で教育環境の整った家庭で育った男性は、大脳皮質ばかりに刺激が行き、性にガツガツできなくなってしまうというのです。
先生の言われる「あるがまま生きる」とは、「自然の摂理に則った生き方をする」ということではないでしょうか。
そういえば、禅の世界でも「あるがまま」が悟りの姿でした。  

■生き方18 アレルギー3 戦争アレルギー
昨年12月の法話で、「アレルギーは『戦争アレルギー』だけで十分です」と締め括りましたが、人類の幸福と平和にとって真の「戦争アレルギー」ほど大事なものはないと拙僧は考えます。以下その持論を述べてみたいと思います。
毎年この時期、日本人が特に忘れてはならないものが3月10日の「東京大空襲」です。今年で70周年を迎え、その記憶は時の流れに晒されて歴史の1ページにさせられようとしています。まだ総括も謝罪もされていないこの大惨事を風化させるわけにはいきません。そう思うのは拙僧だけでしょうか。
東京大空襲から各地で市街地空襲が本格化し、全国約530市町村でその犠牲者は約20万3千人(原爆被害を除く)にものぼりました。非業の死を遂げた罪なき人々の無念に想いを致し、その菩提を弔うためにも、日本のこれからの平和のためにも、改めてこの事実に向き合い戦争とは何かを考えることが必要です。
米軍は、М69とやらの焼夷弾を開発し、わざわざテキサスの砂漠に日本の家屋を建ててその威力を実験したのです。上空で爆発するとゼリー状のガソリンが飛散し建物も人も忽ち火だるまにしてしまうというまさに無差別殺戮のための恐ろしい特殊爆弾です。日本の20都市に対してその有効性が検討されていたのです。
周到に計画された「東京大空襲」は、効果をあげるため特に強風の日が選ばれたのです。それが3月10日でした。その日、279機ものB29が30万発を超す1,665トンの焼夷弾を2時間半で集中投下したのです。さらに効果をあげるため、隅田川や荒川堤防沿いに焼夷弾を集中投下し炎の壁を作り、逃げ惑う人々の退路を遮断し、多くの民間人を焼殺したのです。
戦後生まれの拙僧などには想像もできない、まさに想像を絶する凄惨な地獄図となったのです。一夜にして10万人ですよ。ネットで写真を見られます。とんでもない光景です。それだけの人が劫火に焼かれ、川に飛び込み、もがき苦しみ死んだのです。
空襲としては史上最大規模の大量殺戮といわれます。しかもわざわざ民間人を標的とした計画的無差別爆撃だったのです。これをテロと言わずに何というのでしょう。
イヤ、日本も「重慶無差別爆撃」を初め「南京虐殺」など数々の無差別殺戮をやってきたではないか。そもそも理不尽な侵略戦争を始めた日本にすべての原因がある。東京大空襲も、原爆も、結果的に百万のアメリカ兵の命を救ったのだ。というのがアメリカの言い分です。
しかし、当時から非戦闘員の殺戮は明らかに戦時国際法違反だったのです。この事実をまず受け止めていただきたい。とはいえ、ヨーロッパでも、ドレスデン、ゲルニカ、アウシュビッツなどの例もあるように、一旦戦争になれば人は誰でも正気を失い、無差別殺戮というテロ行為を平然と実行できる殺人鬼に変貌するのです。
戦場に「道」「非道」の理論はありません。ましてや「慈悲」や「人権」などありません。有るのはただ極悪非道無慈悲の世界だけ。それが戦争というものです。つまり、戦争の実態はテロ行為そのものであり、兵士はみなテロリストに仕立て上げられるということです。
つい最近千葉で、高校の先生が子猫を生き埋めしたことが大問題となり大きく報道されました。日本には「愛護動物をみだりに殺したり傷つけた者は、2年以下の懲役または200万円以下の罰金」という法律があります。
そんな平和国家の日本人にとってISの実態はまさに異次元の世界であり、当然理解できません。しかし、戦時下にいる彼らにとって、テロリストとしての当然の任務を果たしているのです。だとすると、これから最も懸念されるのが核兵器の使用です。彼らに宣戦布告された国はいつでもその覚悟が必要です。残念ながら今や日本も含まれます。
東日本大震災では15,889人が亡くなり、不明者2,594人を数えます。皆、そのことを忘れないと口をそろえます。だが、大震災で亡くなった人も東京大空襲で亡くなった人も、同じ無辜(むこ)の同房です。ただ大きな違いは、天災と違って戦争はまったくの人災だということです。
人災である以上そこには必ず罪が存在します。一夜にして10万もの人間が用意周到の上惨殺されたのです。この罪の大きさは計り知れません。しかし、あれから70年も経ったのに未だその総括がなされておりません。その罪と責任は一体どこに行ってしまったのでしょうか。
いつも聞こえてくるのは、「戦争だから仕方なかった」「二度と過ちをおかしません」という反省にもならないあやふやな言葉だけです。当事者である日本とアメリカの双方に納得できる検証と総括が無い以上納得できません。
確かな総括があれば必ず謝罪がある筈です。たとえ戦争とはいえあれだけの残虐行為に罪意識がないとしたら人間ではありません。加害者に贖いがあってこそ人間です。そうでなければ犠牲者は決して浮かばれませんし、人はまた必ずや同じ過ちを犯すでしょう。
第二次世界大戦では、アジアで2,000万、ヨーロッパで4,000万、世界で6,000万人もの膨大な犠牲者を出しました。日本も230万の将兵と80万の民間人の犠牲を出しました。そのトラウマから生まれたのが「戦争アレルギー」です。
ともあれ、日本があの焼野原から奇跡の復興を遂げ、比類ない平和な経済大国に成長できたのは、「戦争アレルギー」のお蔭だと言っても過言ではないでしょう。又、そのお蔭で日本は戦後今日まで戦争せずにやってこられたし、憲法九条も守られてきたのです。
ところがどうでしょう。戦後70年の歳月によって、その「戦争アレルギー」にもハッキリと陰りが見えてきたのです。とくに安倍政権の発足以来眼に見えて「戦争なんて怖くない」という「抗体」が急速に増殖してきたようです。
「戦争アレルギー」は、健全で良識のある人が持っているものです。これがなくなると人は「戦争がしたい病」「戦争なんて怖くない病」になるのです。もし、一国の指導者がこの病に罹ってしまったらどうでしょう。
でも、問題は一部国家の指導者ではなく国民の総意です。それは国民の総意が国の指導者を決めるからです。良識ある国家指導者を得るには、先ず国民のマジョリティーが良識でなければなりません。それがこれから試されるのです。
そこで是非必要なのが本物の「戦争アレルギー」なのです。そのためには、東京大空襲のみならず、原爆や、重慶爆撃、南京虐殺、そして真珠湾攻撃に至るまでそれぞれのテロ行為に対して正しい総括をすることです。
日本もアメリカもそれぞれのテロ行為に対して真摯に総括をして、心からの反省とお詫びをすることです。それができてこそ、初めて犠牲者が浮かばれ、東京大空襲も原爆も歴史の1ページになることができるのです。 

■生き方19 アレルギー4 戦争アレルギー2
戦後70年にあたり、天皇、皇后両陛下は、太平洋戦争の激戦地・パラオ共和国に慰霊の訪問をされました。かねてよりの強い希望であったとのこと。80歳を超えたご老体(失礼)をおしてのご訪問、何が両陛下をそこまで駆り立てるのでしょうか。
渡辺允(まこと)・前侍従長は「戦争を知らない世代が増え、次第に戦争が忘れられていく。陛下には焦りにも近い気持ちがおありになるのでは」と話されました。確かにその通りかも知れませんが、拙僧的には、天皇こそ「戦争アレルギー」を抱えている第一人者だと思うのです。
天皇は今年の年頭のごあいさつで「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。‥‥‥中略‥‥‥この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」と述べられています。
特に「今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」という一節は極めて重要な意味を持ちます。それは、この言葉のニュアンスに、「このままではだめですよ」という明白なメッセージが込められているからです。
象徴天皇として決して政治的な言動を行使することはできないお立場にあって、慎重にお言葉を選びながら、あえて最大限踏み込んでのお言葉だったと思うのです。そこには昭和天皇から引き継がれた先の大戦への慚愧の念に満ちた想いがあってのことではないでしょうか。
「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいったあまたの将兵に想いを致すとき、天皇ご自身の心中の辛さは如何ばかりのものだったか。「天皇の戦争責任論」が論議された時期もありました。そのご心痛とご苦労は我々凡人にはとても計り知れません。天皇陛下ご自身まさに生き地獄を経験されてきたのです。
その想いが強烈な「戦争アレルギー」となって今の天皇に受け継がれているのはまず間違いないでしょう。拙僧はそう思います。然るに、そのお言葉と行動力のなかに天皇陛下の優しさと「絶対に戦争を繰り返してはならない」という痛切なメッセージを感じ心から感服いたします。
側近によりますと、天皇陛下は即位してから何度となく、第二次大戦の激戦地となって多くの犠牲を生んだ旧南洋諸島の国々を訪問したいとの希望を口にしていたといわれます。
戦後60年の節目にはサイパンの地を踏み、「バンザイクリフ」で黙とうし、70年の節目が今回の満を持してのパラオ訪問でした。日本兵12,000人のうち僅か34人しか生き残らなかったという激戦地ペリリュー島への慰霊。日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」に供花し、さらに「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」にも献花されました。
「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」出発の際に天皇陛下が語った言葉は、戦後を生きるすべての人に向けられたメッセージと受け止めるべきでしょう。
イヤ、天皇陛下の思いはむしろ安倍総理に向けてのメッセージだったのかもしれません。しかし、臨場で直接お言葉を聞かれた当のご本人は正に馬耳東風、馬の耳に念仏だったようです。拙僧的にはそう思われますが、どうでしょうか。
天皇陛下ご自身、過去の反省はもちろんのこと、今の日本の危機を痛く感じ取られているのです。戦後70年の節目に合わせての平和メッセージと渾身の思いのパラオ訪問、等。そんな天皇陛下の想いとは真逆の方向に安倍政権は暴走を始めました。
安倍政権の発足から2年半。日本の安保政策の転換が急ピッチで進められています。この27日、日米両政府は日米防衛指針を18年ぶりに改定し、日本が集団的自衛権を使うことを盛り込み、米軍への後方支援の地理的制限をなくしたのです。自衛隊の米軍への協力を地球規模に拡大する内容で、自衛隊のあり方が根本から変わるのです。
これはとんでもないことです。国会や国民の議論もなしにアメリカと一緒に戦争ができるということです。戦場に「後方支援」なんて"特別区"なんてありません。敵から見れば一緒です。憲法九条がまさに踏みにじられているのです。これがまかり通れば、日本はもはや立憲国ではありませんし、日本人は皆「平和ボケ」ならぬ正真正銘の「平和バカ」にほかなりません。
作家の森村誠一さんも投稿文の中で怒っています。
「安倍政権の暴走は加速の一途をたどっている。憲法9条を無視して、自衛隊を事実上の『日本軍』にしようとしている。いつでも、地球上のどこでも戦場の時空を拡大して『戦争自由国家』に改造したいようだ。
この方針には、憲法のために国があるのではないという考えが透けて見える。 9条がなぜ生まれたのかを思い起こしたい。多数の国民を失い、国民ひとりひとりの人生を破壊し、日本全土を焦土と化した戦争を二度と繰り返さない決意が、9条を生んだのだ。
それを、あろうことか一内閣が、他国の軍事的脅威に対応するためと称して国家の最高法規を解釈憲法で変えようとしている。それは当然、日本がかつて侵略した国家に不信感を生む。潜在的な仮想敵国の日本への敵意をあおる。
軍国主義国家として悪名高かった日本が永久不戦を世界に宣言した事実を立法府も忘れ、国民の反対を押し切って、最高法規である憲法に平然と違反することをしようとしている。今の政権は、大量殺人を犯そうとしている。」

国際社会で日本の軍事的な関与が強まれば、それだけテロの危険も高まるでしょう。近年は、警備の手薄な「ソフトターゲット」が攻撃されるようになりました。外交官やNGO関係者ら日本人対象のテロを、より切実な問題として国内外で想定しなければなりません。
これから、過激派組織ISとの戦いで自衛隊が米軍の後方支援に派遣される可能性も出てきました。南シナ海では、すでに米軍が警戒監視などの肩代わりを自衛隊に求め始めているとか。
政府が急いで特定秘密保護法の整備を進めてきたのも、政府全体で秘密を共有し、対米協力を進めるためだったのです。国内の合意もないまま米国に手形を切り、一足飛びに安保政策の転換をはかるのは、あまりにも強引すぎます。
ノンフィクション作家の梯久美子氏は「戦争は、突然くるのではない。じわじわじわじわくる。そしてある日戻れなくなる」と言っています。米国に手形を切ってしまった以上、空手形は許されません。「ある日戻れなくなる」という「実感」がわかります。
戦後70年の節目、それはまさに平和か戦争かの節目なのです。それには国民が「戦争アレルギー」をもっと"発症"させて、「日本を取り戻す」しかないのです。 

■生き方20 アレルギー5 Tレグ細胞
アレルギーは1960年代より急増し、今や日本人の3人に1人が何らかのアレルギーに罹っているといわれます。その病原のアレルゲンは1000種にも上り患者も増加の一途とか。人類はこの大敵にどう立向かったらよいのでしょうか。
一度発症したら一生治らない病気なのでしょうか。そんな印象がアレルギーにはありますが、そもそも病気の正体が分からないとしたら、その予防法も治療法も分からないのは当然のことです。
ところが、最近放送されたNHKスペシャル「新アレルギー治療」のなかで、まさにアレルギーの根本的治療になるのではないかと紹介されたものがあります。それが「制御性T細胞」すなわち「Tレグ」といわれるものです。
この細胞を発見したのはなんと日本人で、大阪大学教授の坂口志文先生です。先生はこの細胞をすでに20年も前に発見されていたのです。その功績によりノーベル賞の登竜門といわれるガードナー国際賞の受賞がきまりました。先生は、このTレグのコントロール次第で人は将来アレルギーから解放されるかもしれないと明言されました。ノーベル賞候補者の発言だけにこれは凄い朗報です。では、そんなに凄いTレグとは一体どんな細胞なのでしょうか。
そもそも免疫とは、体に入ってきた異物に対してさまざまな種類の攻撃細胞がチームプレイで攻撃し体を防御する仕組みです。そのなかで体内に侵入した異物に対して、それが無害にも拘わらず攻撃細胞が執拗に攻撃することでアレルギーは発症します。
坂口先生は、免疫細胞の中に特別な役割をもつ細胞を発見したのです。その細胞は、体内に侵入した異物が体に害が有るか無いかを判断し、無害だとわかった場合、攻撃細胞に対して攻撃を止める指示を出すのです。それがTレグなのです。
これはまさに画期的大発見です。つまりアレルギーはTレグが攻撃細胞を抑え込めないことで起こる病気だということが分かったわけですから、Tレグのコントロール次第で確かにアレルギーを抑え込めるという理屈になります。
ではその"人類の救世主"たるTレグをコントロールする方法はいったいあるのでしょうか。今年2月、世界中のアレルギー研究の専門家が集まるアメリカアレルギー学会で発表された「ピーナッツアレルギーの仕組み」についての報告の中にそのヒントがありました。
ロンドン大学のギオン・ラック博士の研究の報告によりますと、ピーナッツアレルギーを未然に防ぐには、子どもたちは非常に早い段階からあえてピーナッツを食べた方が良いというものでした。
生後6〜11ヶ月の赤ちゃん600人を対象に2つのグループに分け、片方にはピーナッツを与え、他方にはまったく与えなかったのです。その結果、5歳の時点でのピーナッツアレルギー発症率は前者が3.2%、後者が17.3%というものでした。
このことから、とくに幼児期ピーナッツを食べることでピーナッツ専用のTレグが作られることが確認されたのです。そして卵には卵専門のTレグが、小麦には小麦専門のTレグがそれぞれ作られるという、そうした結果が実験で得られたのです。
次に、アレルギー発症のメカニズムについての報告です。イギリスの大学生ポール・ジョーンズさんは重度のピーナッツアレルギーに苦しんでいました。ギデオン博士が調査に当たった結果、生後8か月のとき乳児湿疹に罹り、そのスキンケアに使っていたクリームの中にピーナッツオイルが入っていたことが判明したのです。
3歳のころには湿疹は治まったのですが、同時になんとピーナッツアレルギーを発症してしまったのです。当時ピーナッツアレルギーを発症した49の子ども追跡調査したところ、実に91%が赤ちゃんの時ピーナッツ入りのスキンクリームを使っていた事実がわかったのです。
博士は、炎症などで皮膚や粘膜のバリアーが壊れ、その場所から食物などの異物が繰り返し侵入することで体はこれを寄生虫のような外敵と勘違いしてしまい、抑え込めるTレグが弱い場合、攻撃細胞はより攻撃的になりアレルギーを発症してしまうという研究結果を発表しました。これがまさに食物アレルギーの基本的メカニズムだったのです。
花粉アレルギーも同様のメカニズムだとすると、皮膚や粘膜を通して侵入する花粉に対して、それに対抗できるだけの花粉専門のTレグが元々不足していたことが原因となるわけです。ではなぜ1960年代以降花粉症の人が急増したのでしょうか。
ミュンヘン大学のムティウス博士は、田舎に暮らす人たちの方が都会に暮らす人たちよりもアレルギーが少ないことを知りその原因を調べました。その結果、特に家畜と触れ合って生活している人たちはTレグの量がそうでない人よりも35%も多いことがわかったのです。
家畜に触れ合う人ほどアレルギーが少ないことは以前から別の研究でも言われていたことですが、その理由がTレグだったのです。坂口先生によれば、子どもの頃に家畜が出す細菌を吸い込むことで免疫が刺激されてTレグが増えてくるのではないかということです。
ムティウス博士によれば、特に幼児期、食物のタンパク質が定期的に体内にさらされることで、それぞれの食物ごとに専門のTレグが作られるというのです。ですから、離乳食はできるだけ色んなものを幼児期早い段階から食べさせて、食物ごとの専門のTレグを作ることが大事だということです。
その理屈からいえば、花粉症も幼児の早い時期に体内に花粉を多く取入れることで専門のTレグが作られれば花粉症は防げることになります。特に1960年代以降、「キレイ社会」に生まれ育った多くの人たちは、幼児期スギに限らず自然の様々な植物や動物、家畜に触れる機会が極端に少なくなったのです。
その結果、人が本来持つ筈のTレグが体内に生産されなかったと考えられます。つまり、人は自然から隔離されると、本来備わっている免疫システムが使われないことで退化してしまうのです。たとえば無菌室で育ったマウスは自然に放されると忽ち病気になってしまいます。
いわば人にとっての「キレイ社会」はまさに「無菌室」状態ともいえるのです。それを避けるには、特に幼児期から自然の中で出来るだけさまざまな動物や植物に触れ、できるだけさまざまな自然食を食べることでさまざまなTレグを体内に所有することです。
「NHKスペシャル」のさいごに花粉アレルギーの治療方法として紹介されたのが「舌下免疫療法」と「花粉症治療米」です。前者は、舌下から少しずつ花粉の成分を体内に入れて少しずつTレグ抗体を増やすという方法です。
後者は、花粉の成分を操作しTレグのタンパク質をお米の中に組み込こみ、抗体を増やすというものです。現段階において根治療法と考えられています。これまで50人が臨床試験に参加し2か月後花粉の攻撃細胞が平均で50%も減少していたそうです。
さて、かねてから拙僧も「キレイ過ぎる社会」を問題視してきたわけですが、やはり人にとって「キレイ過ぎる社会」とはまさに「不自然な社会」「不適切な環境」だったわけです。アレルギーのすべての原因がそこにあったのです。やはり人は自然の一部であり、「自然の摂理に則った生活」こそ健康の基だということが改めてわかりました。  
 

 

■生き方21 アレルギー6
人間はこの地球上にあって、「元々自然の一部であるが故に自然の摂理に則った生き方こそ大事である」・・・これまで何度も繰り返してきた言葉です。それは、人は類人猿以来何万年に亘り自然のなかで動物として培われてきた免疫力によって守られてきたからです。
言うまでもなく病気のほとんどの原因は免疫力の低下や不足によるものです。その免疫力が環境の変化に適応しきれないことで発生するというのがこれまで紹介してきたところのアレルギー論です。
そのアレルギー論から推考されるのは、人が動物としての「自然の摂理から逸脱」してしまったところに警告を与えているのがまさにアレルギーの正体だということです。つまり、アレルギーは人にとって本来的には存在し得ないものだといえるのです。
その本来的に存在しない筈だったアレルギーを"出世"させた張本人こそ「自然の摂理から逸脱」したところの「キレイ過ぎ社会」だったのかも知れません。
その「キレイ社会」が目指した一つに「虫」の排除があります。特に近現代、急速に発展した西洋医学ではバイ菌と共に「寄生虫」を病原因子と捉え、「排除すべき敵」として扱ってきました。
しかし藤田紘一郎先生は、「人は太古からずっと、『虫持ち』だったのです。回虫やギョウ虫をはじめとする寄生虫を体内に"飼って≠「たのです。 その虫たちが人間に悪さをしなかったのはバランスのとれた共存共栄の関係にあり、宿主の免疫バランスを保つなどの役割を担ってきたから」と言われます。
特に日本人は古来、体に棲みつく寄生虫も身体の一部だと捉えてヒトと切り離して扱うことはしませんでした。体内の寄生虫を自分の"分身≠ニし、その虫たちが病気を引き起こしたり、意識や感情を呼び起こしたりすると考えていました。
それが証拠に、日本語には「虫」のつく慣用句がたくさんあります。「自分では気が付かなかったけど、虫が教えてくれた(虫の知らせ)」 「私は納得しているけど、虫が嫌がっている(虫が好かない)」
「虫が納まらない」「虫が付く」「虫がいい」「虫の居所が悪い」「虫も殺さない」「虫をわずらう」「虫をころす」「泣き虫」「弱虫」「怒り虫」「浮気の虫」・・・挙げれば切がないくらい日本人にとっては古来、虫は"無視"できない大切な分身であったのです。
また病気については、「お腹の虫が増えて悪さをする(虫を患う)」などと考えていました。全国に「虫封じ」のお寺や神社がある背景には、こういう日本人の病気に対する考え方があるようにも思われます。
そんな、虫と共存共栄の"虫持ち"だった日本人ですが、現在では寄生虫の感染率はほぼゼロになっています。特に戦後米軍の進駐軍が日本に駐留するようになってから徹底した回虫駆除が行われ、日本人の体内にはもはや、回虫はほぼいないと見られます。
戦後、各市町村に「寄生虫予防会」が組織され、小中学校を中心に「回虫駆除デー」が設けられました。きっかけは、アメリカ人が日本に進駐したとき、生野菜を食べたら回虫だらけでビックリしたことでした。
西洋では日本と違って肥料に人糞を使わなかったので、野菜を生のサラダにして食べる習慣があったのです。当時日本に駐留したアメリカ人は、免疫のないまま一気に大量の寄生虫が体内に入ったため、お腹をこわして相当苦しんだようです。
駐留したアメリカ人が、日本の生野菜に閉口したので、マッカーサーが直々に吉田首相に「この不潔さを何とかしなさい」と苦言を呈して設けられたのが「回虫駆除デー」だったのです。
拙僧自身団塊世代ですが、子どもの頃時々学校からの指示で全員が虫下しの薬を飲まされていた記憶があります。回虫が出てきたらそれを何かの入れ物で学校に持って行ったような気がします。回虫はだいたいが野菜から体内に侵入します。当時は野菜を育てる肥料はほぼ人糞でしたから日本人は回虫保持者が普通だったのです。
人糞はそのままでは使えませんから保存し発酵させて使っていたのです。その発酵させるためにあったのが、大きな壺の肥溜(こえだめ)です。当時化学肥料など無かったので肥溜は農家にとって大事な財産だったのです。
余談ですが、昔の子どもは皆元気に野原で走り回っていましたから、そんな中よくその肥溜に落ちたものです。よくある"事故"でしたが、落ちた時の衝撃は相当なものです。ショックの上にさらに周りからからかわれるのですから、あの"敗北感"と惨めさは何とも言いようがありませんでした。
ただ、拙僧もいまだアレルギーや花粉症にならないのも、そんな昔の"貴重"な経験の賜物かも知れません。当時の子供たちは皆自然の中で泥や花粉にまみれながら元気いっぱいでした。擦り傷や生傷も絶えませんでしたが、お蔭で様々なTレグを身に着けていたのです。
現代は、青鼻汁(あおっぱな)を垂らす"野蛮"な子どもなどまったく見かけないほどのキレイ社会になりました。そのキレイ志向は一向に衰えません。その象徴的なものに空気洗浄器や布団ダニクリーナーそして温水便座などが有ります。
昔から人は自然のなかでダニと共存していたのです。布団の中にダニがいるのは当たり前でした。だから昔の子どもは幼児期のうちにダニの死骸をたっぷり吸いこんで体内にダニのTレグ免疫を確立させていたのです。
クリーナーなどでキレイすぎ環境のなかで育った子供にはダニのTレグが形成されませんから、免疫のない子どもにはやがてダニアレルギーが発生するのは当然です。そんなメカニズムも、前回の大阪大学坂口先生のTレグ論を学べば容易に理解できることです。
もう一つの例が温水洗浄便座です。そのマイナス"効果"として現れだしたのが肛門周辺の炎症です。ウオシュレット世代にとって、抵抗力を失った肛門付近の皮膚が、かぶれ、ただれなどを起こしやすいのです。それは、過度に洗い流すことで、お尻を守ってくれている皮膚常在菌を洗い流してしまい皮膚が過敏症になってしまった結果と言えるのです。
「時と場合により、人間に悪さをする菌を排除することは大事ですが、何も悪さをせず何万年の昔から人間と共生している菌まで悪者扱いするのは問題だ」と藤田先生は主張されています。
昔は、アレルギーは元より引きこもりや不登校の子供もほとんどいませんでした。陰湿ないじめもありませんでした。それは子どもが自然と調和することで心身共に「自然の摂理」に守られていたからではないでしょうか。
引きこもりやいじめが急増し始めたのは丁度アレルギーの時期と同じ1960年代からです。引きこもりやいじめが心の「病」だとすると、そのメカニズムもアレルギーの場合と同じように考えられないでしょうか。
核家族化、少子化により幼児期より子どもが過保護による「キレイ社会」ならぬ「大事すぎ社会」に隔離された結果、社会性免疫力を身に着けられなかったという推論です。まったくの拙僧の持論ですが、「不自然な環境」の中で心が自然に適用する力、いわば心の「社会性Tレグ」なるものが身に着けられなかったという仮説です。
「人は元々自然の一部であるが故に自然の摂理に則った生き方こそ大事である」・・・やはりこれが結論でしょうか。  

■生き方22 アレルギー7 戦争アレルギー3
「法治国 裸の王のいる怖さ」・・・新聞に載っていた川柳です。自分が裸だとは気づかない。周囲の人もそのことを指摘しない、できない。指摘する人を置かない、自分にとって為になる苦言など言ってくれる人がいない、ほんと〜に困った人。
そんな困った総理大臣に今日本中が翻弄されています。そもそも安倍さんを「裸の王様」にしたのは、彼自身の「おじいちゃんコンプレックス」であり、彼を取り巻くイエスマンの与党議員たちです。
尊敬してやまないおじいちゃん、岸信介元総理の悲願であった憲法改正への想いを引き継ぎ、日本の尊厳を取り戻すなどという妄想にかられ、その主役こそ自分だという思い上がりが「裸の王様」のモティベーションになっているのです。
大多数の憲法学者や国民から安保法案は違憲だという烙印を押され、極めて重大な疑義が突き付けられているのに、自民党、公明党の内部の議員から、「裸の総理」に上申できる者がいないのです。実に情けない限りです。
まさに異常事態です。特に、公明党には失望しました。「平和の党」という看板は完全に失われました。自民党にべったり。そもそも公明党の支持母体の創価学会は、仏教徒じゃないんですか?公明党の党員や支持者は、本心では大多数が法案に反対だそうです。法案の意味を理解しようと思っても、意味がわからないからです。
元公明党副委員長二見伸明さんは、「山口代表が1990年に初当選したあと、私の議員事務所に来て、集団的自衛権について、彼は『集団的自衛権の行使は、長い間にわたって政府が違憲と判断してきた。それを解釈改憲で認めることはできない』と話していました。弁護士らしく、筋の通った話でしたよ。それがなぜ、安倍政権の解釈改憲に賛成するのか。いつ変節してしまったのか。まったく理解できません。今回の安保法案は、116時間もかけたのに、安倍総理からはまともな回答は一つもなかった。それに協力した公明党の行動は万死に値します。」と語っています。
おじいちゃんの亡霊に取りつかれ暴走する安倍総理、それを止められない与党議員のテイタラク。「朝まで生テレビ」の出演をやめさせたり、報道番組「NEWS23」で自民党議員402人に対するアンケートの回答を止めさせたり、もはや与党議員は皆独裁者「裸の総理」の僕に成り下がってしまったようです。
そういえば、衆議院本会議採決の時に一斉に起立しましたが、その全員の表情には高揚感も喜びもなく、まるで魂を抜かれた幽霊のようでした。議員一人一人に存在感が無いのです。これが国民の意志を代弁する国会ですか?
早大の長谷部恭男教授は、それを的確に表現しています。「結局、今の政府・与党は、多数決で勝つということでしか自らの正しさを主張できない。確かに『多数決は正しい答えを出す』という定理はあります。ただし、この定理が成り立つには、各人が自らの判断に基づき、自律的に投票することが前提です。しかし、自民党も公明党も、執行部が右と言えば右を向き、議員個人が自律的に投票しているわけではない以上、与党議員が何人投票しようと、実質的な投票総数は『1』。定理が成り立つ前提を欠いており、多数決の結果だから正しいとは言えません」
党首討論で、安倍首相は「法案の説明はまったく正しい。私が総理だから」と言い放ちました。さらに、「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にありえない」とまで断言したのです。「憲法学者の責任と私たちの責任は違う」、「自衛隊のリスクは増えないしテロの心配などもない。」などと、誰が考えても筋が通らない独断的理屈を平然と述べる。まさに確信犯的為政者です。
その高慢ちきな上から目線の態度に、主権者は国民であるという、国民目線はまったく感じられません。目付きと言動はまさに独裁者です。真摯に反論を聞いたり、説明したりする気などまったくなく、結論ありきの結論をただ押し付けることを、安倍さんは「説明」と言っているのです。
「法整備によって、抑止力は確実に高まります。国の安全、国民のリスクは下がります。自衛隊員の危険性はむしろ減ります」などと、誰の眼にも黒だとわかるものを「絶対に白」だと言い切っているのです。
何よりも、テロリストに対して「抑止力」は意味をなさないのです。たとえば、イラク戦争にイギリスやスペインが有志軍として参加しましたが、その後、マドリードで列車が爆破されて191人がなくなり、ロンドンで地下鉄とバスが爆破され56人が死亡しました。これらは全部イラク戦争の報復だったのです。
日本が今後、集団的自衛権で中東での戦争に参加することになれば、日本でテロが起きる可能性は格段に上がります。イスラム過激派から敵と見なされたら、新幹線でも、スカイツリーでも、東京マラソンでも、観光地でも人の集まる安全と言える場所はなくなります。
特に欧米人に人気のある、渋谷スクランブル交差点など格好の標的になるかもしれません。年間二千万人に達しようという外国からの観光客は一気にいなくなります。自衛隊員のリスクが増えるどころか、リスクが増えるのは国民全体になるのです。
確かに国際情勢をみると、武力紛争やテロは頻発しています。北朝鮮、中国などの脅威も否定することはできません。「武力こそ戦争の抑止力」だというのが安保賛成派の理論ですが、ならばなぜ世界から戦争がなくならないのか。
そこには武力には武力で報復するという人間の性(サガ)があるのです。その負の連鎖を断ち切るには、まず自分からは攻撃しないという専守防衛の理念こそが抑止力になるのです。すべての国がそれに徹すれば理論的には戦争はなくなります。
日本が真の国際的リーダーになろうとするならば、外交努力を重ねて、軍事力に頼らない幅広い支援をすべきです。それができるのは憲法9条のある日本だけなのです。世界から認められ自負できる平和主義国家・日本なのですから。
世界は今、日本の動向を注視しています。特に、昨年以来「憲法9条を保持する日本国民」をノーベル平和賞候補に推薦しているノルウェー・ノーベル委員会の注目度は半端ではないと思います。
もし安保法制案が廃案になり、改めて日本が平和主義国家だと認定されれば、日本国民にノーベル平和賞が授与されるのは間違いないでしょう。その場合皮肉にも"陰"の最大の功労者は安倍総理ということになります。
彼が悲願とするところの歴史に名を残すという栄誉に与ることになるのですから、「転んでもただは起きぬ」の、まさに強運の持ち主ということになります。
法案への理解が進むにつれて皮肉にもその反対の声は増しています。連日国会周辺では、様々な団体の訴えが響き渡っています。政治活動とは無縁そうな若者たちや子連れのママさん方が目立ちます。彼らの呼びかけは同世代を動かし、各地に波及しています。良識ある国民の声は確実に高まっています。
27日参議院での攻防が始まりました。参院軽視ともいえる60日ルールを見据えた安倍さんのシナリオはとっくに出来上がっています。彼の得意なハグラカセ応答で時間を稼ぎ時間切れに持ち込む作戦でしょう。しかし、そんなバカにされたままの参院であっては「良識の府」どころかその誇りも存在価値もありません。このまま安倍政権に日本の運命を任せておくわけにはいきません。
それにしても人の道の良識を説くべき宗教界こそもっと声を上げるべきです。なかでも仏教界は真宗大谷派の毅然としたスタンスを見習うべきです。宗務総長は「立憲精神を蹂躙する行為、絶対に認めるわけにはまいりません」と正面切って安倍政権を糾弾しています。
仏教精神に立ち返って冷静に判断するまでもなく、安保法制は明らかに戦争法案なのですから。とりわけわが曹洞宗は何を躊躇しているのでしょう。宗報や公報から何も聞こえてきません。風見鶏の如く後出しジャンケンを狙っているのでしょうか。情けないかぎりです。

■生き方23 アレルギー8 戦争アレルギー4
ついに「安保法成立」・・・日本中に衝撃が走りました。実に残念ですが、ほんとうの戦いはこれからです。「戦争アレルギー」をさらに発症させ、間違った平和ボケを覚醒させ、「日本の良識」が「日本を取り戻す」までがんばるしかありません。
日本は70年に亘り平和主義を貫き世界から羨望と尊敬を集めてきた国です。ところが「雇われ人」が「ご主人様」の信条に逆らい、勝手に「家訓」を破り平和主義から戦争主義へと強引に舵を切ったのです。これはまさに「ご主人様」に対する裏切りであり、れっきとした謀反です。
明らかに憲法を無視し立憲主義を踏みにじった、為政者による主権者たる国民に対するクーデターであり、まさに国家反逆罪です。謀反人は断罪されるべきです。
下剋上は戦国時代の定番であり、歴史的次元に限られたものだと思っていましたが、今回起こったのは紛れもないその現代版だったのです。「歴史は繰り返す」?そんな悠長なものではありません。
事は重大です。「ご主人様」がこれからは謀反人の敬愛する「親分」の手下となり、命令に従って世界中どこでも武器をもって出掛けねばなりません。「ご主人様」の命が明らかに危険に晒されることになってしまったのですから。
大量破壊兵器があるとウソから始まったイラク戦争では、10万人が殺され、この戦争の結果から生まれたのがIS(イスラム国)という異常な集団であり、戦乱は拡大の一途です。日本はアメリカを支援した以上結果に責任があるのです。
シリアではなんと国民の半数以上が難民となっているのです。その数国内に留まっているのが760万人、外国へ逃れたのが409万人とか。そのうちの34万人が今欧州に押し寄せているのです。
まさに異常事態、とんでもないことが中東から欧州で起こっているのです。各国の難民の受け入れの割り当てがはじまりました。アメリカは10万人の受け入れを決めましたが、難民嫌いで有名な日本とて知らんふりは許されません。
アメリカのブッシュもイギリスのブレアもその後イラク戦争の誤りを認めましたが、追随した日本は未だ誤りを認めていません。そんなイラク戦争の検証も反省もないまま更にアメリカ軍に加担するための法案が通ってしまったのです。
安倍政権とその支持者は、これで強い親分、アメリカの庇護が一層強まり、戦争の抑止力がさらに強まったと思っているのでしょう。が、果たしてそうでしょうか。現実はそう甘くはありません。アメリカにとって日本は日本が思っているほど相思相愛の相手ではないのです。日本が「片思い」でアメリカは「肩重い」なのです。
アメリカは、ベトナム戦争以来アフガン、イラクなど長い間いろいろな戦争に関わり国力も民意も疲弊しています。自分(アメリカ)にとって少しでも戦争を肩代わりしてくれる戦友、イヤ子分が是非欲しいのです。
そんなアメリカにとって、日本は安倍のおじいちゃん岸信介以来恰好の子分だから、顕示欲と名誉欲の強い安倍を煽てれば自分(アメリカ)の軍事的、経済的負担がかなり減らせると目論んだのは当然でしょう。そんな目論見にまんまと乗せられ安倍さんはアメリカ議会で大見栄を切ったのです。
民主主義を絶対視するアメリカ人の眼に、自国の憲法を蔑ろにする日本の総理大臣はどう映ったのでしょう。拍手喝采の裏に隠された彼らの本心は、「なんとバカな総理だろう、こんな人間を総理にしてしまった日本国民はじつに哀れだ。」と思ったに違いありません。
国会の議論も決議もないまま、集団的自衛権というお土産を携えアメリカ議会の壇上で得意満面でアメリカに諂う彼をみて多くの日本人が唖然とさせられました。日本の民主主義の尊厳がかなぐり捨てられたのですから、こんな屈辱はありません。
昨年の女性セブンの調査で日本女性に嫌われている男の第一位に輝いたのはなんと安倍晋三さんだったのです。貧相な男が、お店で「さすがシャチョー」とか、「お兄さんイケメンね」などとおだてられてうかつに喜んでいると、大体あとから法外な代金を請求されるのです。
安倍さんはすでに嬉々としてお店に入り、オバマや米議会のもてなしを受けてしまったのです。その対価は何なのか。これから何が起こるのか予見できない男。安倍さんをそんな貧相な男だと見抜いたのはさすが大和撫子です。
アメリカに追随さえすれば大丈夫という強迫観念が安保法の本質です。しかし、日本にとって同盟関係が強化されたといってもいざという時にアメリカがほんとうに助けてくれるのでしょうか。
だいたい親分子分の関係でどこかとケンカが始まったら、まず先鋒に立つのは子分じゃないですか。どんな戦いでも先陣を切るのは一兵卒です。将校は命令するだけでいつも前線からはなれて傍観です。日米同盟関係の実態が親分子分である以上、その図式は同じです。
では、一番懸念される日本有事の場合はどうでしょう。日本は親分の命令に従って世界中どこでもケンカをしに行くことになった訳ですが、親分から見て遠いアジアの、まして日本近海の自分の事であれば、親分は、俺は後から行くから先に自分でやってみろ、と言ってせいぜい「後方支援」でしょう。
中国共産党機関紙、人民日報は早速反応を示し、「中国ができることはただ一つ、軍事面で自らをさらに大きくし、日本の妨害を乗り越えることしかない」と伝えています。ISも「日本人はアメリカ人と同等と見なし、殺害の対象とする」と声明を出しました。
日本を「一国平和主義」と批判する人もいますが、日本はこれまで世界のすべての国と安定した関係を保ってきたのです。どの国とも仲良くやるのが日本の立ち位置だったのです。イヤ、「だった」にしたらダメなのです。
これからは海外に派遣された自衛隊には武器を使わなければいけない任務が与えられ、躊躇なく引き金を引くことが求められます。そこには必ず民間人への誤射が発生し、そこから憎しみの連鎖が始まるのです。火を見るより明らかなことです。
自衛隊は「戦争をしない」「人を殺さない」からこそ、諸国の国民から支持を得てきたのです。日の丸は世界からみたら信頼と安全の象徴だったのです。そんなお墨付きだった日の丸がこれからは星条旗と並んで敵の標的になるのです。
これからはアメリカが「敵」とする相手は、すべて日本の敵になるのです。祖国日本のためならば、という大義名分もない、国民の理解も負託もない、そんな安保法によって自衛隊に命をかけさせる。そんな不条理はありません。
そもそも常識からして明らかに憲法違反だとわかる、そんなデタラメな法案に賛成する人の良識を疑います。特に与党議員の中には、個人的信条から法案には不本意な者も相当いた筈です。己の信念と誇りと魂を投げ捨てても恥を感じない輩です。
そんな中にあって只一人最後まで信念を貫いて造反した自民党議員がいます。愛媛県出身の村上誠一衆議院議員です。なんでも村上水軍の末裔とか、ご先祖様はさぞ「村上」の名誉が守られたと喜んでいるでしょう。そんな、国民の主権を踏みにじった輩と、造反した村上氏と、後世の歴史がどちらを評価するかは言うまでもありません。
SEALDsの大学生の奥田愛基さんは、国会の公聴会の場で堂々と意見を訴えられ、「連休が明けたら忘れるだろうなどと、国民をバカにしないでください。まさに、『義を見てせざるは勇なきなり』です」と、自己保身しか考えない確信犯的与党議員に対して、痛烈に批判されました。一大学生に国会議員たちが"説教"されるという、何というお粗末でしょう。
いま、政治がおかしい、自分たちの未来を守ろうと、高校生をはじめとした若者たちが、ママさんたちが、一般市民が、平和ボケから覚醒した「日本の良識」が立ち上がりはじめました。抗議の声は国会前から日常へと舞台を移し、「安保反対第2章」が始まったのです。

■生き方24 腸内フローラ 腸内細菌の驚異
腸内研究の第一人者、藤田紘一郎先生によりますと、私たちが健康に生きるためは「腸内細菌」こそ最も気を遣うべき相手だといわれます。今回は、その藤田先生の著書より、その腸内細菌と健康の関係について学んでみたいと思います。
腸を鍛え、そこに棲む細菌たちを元気にしてあげれば、宿主である人間も元気になれるという。腸内細菌とは、たくさんのしあわせを授けてくれる愛すべき存在だという。そんな愛しき腸内細菌たちが、私たちのお腹には棲んでいるのです。
では、なぜ腸内細菌が元気なら私たちも健康で幸せに暮らせるのでしょうか。人が病気にならないために体内では免疫が常に機能していますが、その免疫の働きのおよそ70%を腸内細菌が築いているといわれるのです。
腸内細菌は、病原菌を排除し、食物を消化し、ビタミンを合成しています。腸内細菌のバランスが乱れて腸が不調になれば、免疫がうまく働かずに万病が引き寄せられるのです。腸が原因と考えられる病気は、脳から内蔵、関節そして心まで、体のあらゆる部位に及ぶとされていて、まさに腸内細菌の働きが免疫に深く関与していたのです。
人が幸福感を覚えるとき、脳内はドーパミンやセロトニンといった「幸せ物質」が分泌されますが、その前駆物資を合成して脳に送っているのも腸内細菌なのです。ですから、腸内細菌がバランスよく多量に存在しないと私たちは健康でいられませんし幸せな気分にはなれません。まさに「幸せ」を作っているのは腸内細菌だったのです。
一口に腸内細菌と言っても、驚くほどの種類と数があります。詳細な研究によりますと、大腸には500種類以上、100兆個以上の細菌が棲息していて、一つひとつの細胞の重さは限りなく0に近いけれども、総重量は約1,5kgにも達するといいます。
腸管は、広げればテニスコート一面分もの面積を持つといわれます。その腸の中では、多種多様な100兆個以上もの腸内細菌が集合体を作って生息していて、その眺めが、まるでお花畑(フローラ)のように美しいのです。そこから、腸内細菌の集合体は、"腸内フローラ"と命名されました。
腸は単なる栄養摂取のチューブなのではなく、複雑な生態機能をつかさどる重要な器官であることがわかってきました。腸こそ人体で最大の免疫組織であって、腸内細菌がその免疫組織を活性化していて、腸内細菌がいなければ、免疫組織は働くことができないのです。
腸内細菌は、体に悪さをする菌が侵入してくると、侵入者を排除するために攻撃を繰り返します。食べ物も病原菌も体内に吸収されるのは腸からであり、腸内フローラがしっかり働いているから人は病気にならず健康でいられるのです。
よく「腸は第二の脳」といわれますが、藤田先生に言わせれば、腸の思考力は脳より上で、腸は脳よりはるかに賢いそうです。腸には大脳に匹敵するほどの神経細胞があり、それは腸こそ脳の祖先だったことに起因しているそうです。
地球上に最初の生命が生まれたのは、今から約40億年も前のことですが、生物が最初に持った臓器は脳でも心臓でもなく腸だったのです。脳ができたのは約5億年前と推定されていますので、生物は歴史上8〜9割の期間を脳を持たずに生きてきたのです。
その悠久の時は、地上の生物が腸を中心に進化を遂げてきた歴史とも言い換えられます。生物の進化を見てみると、最初に神経系ができたのは脳ではなく腸だったのです。生物の始まりは腔腸生物であり、人類もまさにそこから進化してきたのです。
現代でも脳のない腔腸動物はたくさんいますが、彼らはどこから指令を受けて行動しているのかといえば、それは腸なのです。腔腸動物から進化してきた人間も腸にたくさんの神経叢が集中していて、まさに腸こそ健康にとっての司令塔だったのです。
例えば脳は食べた物が安全かどうかは判断できませんが、腸にはそれができるのです。食中毒菌が混入した食物でも、脳は食べなさいとシグナルを出しますが、腸は毒物が入るとそれを的確に判断し激しい拒絶反応を示します。食べた物が安全かそうでないかは脳ではなく腸の神経細胞が判断していたのです。
安全でないものはすぐ吐き出したり下痢を起こしたりして、なるべく早く"ご主人様"の身体を中毒させないように反応を起こすのです。このように脳から指令がなくとも、独自のネットワークによって命令を発信する機能を持っているのは、臓器の中でも腸だけなのです。
これは、ほかの臓器には見られない特徴で、腸はまさに脳の本家であったわけで、藤田先生が腸は脳よりはるかに賢いと言われる所以もなるほど納得です。腸は「第二の脳」どころか「第一の脳」と呼ばれても良い存在だったのです。
最近藤田先生は、腸内環境の悪化がうつ病や不安神経症を促している可能性を示唆す研究結果を発表されました。腸の健康は心の健康であると同時に、心の健康は腸の健康であると考えられるのです。つまり腸と脳の健康は連動していることがわかったのです。
日本語には「腸(はらのわた)が煮えくり返る」とか「腹が立つ」「腹が据わる」「腹におさめる」「腹を決める」「腹を探る」など、「腹」のつく表現がたくさんあります。それも、脳(心)と腸(腹)とが繋がっていることの表れでしょう。
だから、人は強いストレスを受けると、心にダメージを受けると同時に、お腹の具合も悪くなるのです。過敏性腸症候群とか機能性便秘といった腸障害を起こします。腸にはセロトニンの90%が存在していて、そのセロトニンの働きが身体と心の健康に重要な影響を与えていることがわかりました。
身体がストレスを受けると、腸は不安を打ち消すためにセロトニンを分泌します。セロトニンが急激に増えると腸が不規則な収縮を繰り返し、男性は下痢になったり、女性は便秘になったりします。
腸内に危険な物質が入ってくると、腸内のセロトニンが働いて脳に危険な物質を胃から吐き出せと命令を出させると同時に、脳を介せず下痢という手段で体内から危険な物質を排泄しようとするのです。
人が幸せを感じるとき、脳内ではドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質が分泌されますが、ドーパミンは気持ちのモチベーションを高め、セロトニンは歓喜や快楽を伝える物質です。
これらの「幸せ物質」が不足すると、うつ病や気分の不安定化が起こりやすくなります。特にうつ病との関係が深いとされるのがセロトニンです。ストレスが腸内細菌のバランスを崩すことで幸せ物質であるドーパミンやセロトニンが不足し、イライラしたりうつ状態になったりするのです。
今、実に日本人の3〜7%がうつ病ともいわれます。特に30〜50代の働きざかりの人のうつ病がとても多くなっています。現代社会は実にさまざまな抑制、抑圧が渦巻くまさにストレス社会です。
そんなストレス社会にあって心の病に打ち勝つには、しっかりとした"腸内フローラ"を構築することがまず大事だと藤田先生は言われます。それには腸内細菌の餌となる食物繊維を多く摂り入れ、腸内を絶えず"美しいお花畑"にしておくことです。
先生は、腸内の"畑"の状態が美しいか汚いかは糞便の質量でわかるといいます。大便の量が大きければ腸内は良好であり、小さければ悪玉菌の温床だといいます。「大便」は文字通り、腸からの「大きな便り」だったのですね。  

■生き方25 腸内フローラ 腸内細菌の驚異2
「腸内フローラ」…だいぶ聞きなれてきた言葉ですが、人の健康にとって切っても切れない関係と言われる腸内細菌について、今回は「NHKスペシャル」で放送された「腸内フローラ・驚異のパワー」の中からご紹介したいと思います。
腸内フローラの研究が進み、腸内細菌の実態がわかってきたのはここわずか5〜6年のことで、世界中で次々と国家プロジェクトが始動、最先端の遺伝子解析によって新しい菌の発見が相次いでいます。
ガン、糖尿病、肥満、アレルギーなど、これまで考えもしなかった病気が腸内細菌と関わっていたことが分かり、すでに30以上の病気で腸内フローラとの関係が見つかっています。
そして腸内細菌の影響は何と脳にまで、性格や感情などをも変えるというのです。さらに美容にも、腸内細菌が出すある物質の力でお肌の皺が減少することも分かりました。どこまでいくか予想もつきませんが、腸内細菌の研究は医学を大きく進歩させることは間違いありません。
熱い注目を集め始めた腸内細菌の世界ですが、その生態系を調べることで医療の大転換になるのではないかと、遺伝子解析の第一人者、東京大学の服部正平教授は述べています。
5〜6年ほど前から腸内細菌の全体像が分かるようになりリストアップできるようになってきました。腸内細菌は人それぞれ違っていて、人は一生涯それぞれその人の腸内フローラのタイプを持っていて、少しずつ変化するがあっても大きく変わることはないそうです。
腸内フローラのタイプでその人の健康や性格が決められているとして、もしその腸内フローラがコントロールできるとしたら、人の病気や健康や性格などは改善できるということになります。だとしたら、これは人類にとってまさに画期的なことではないでしょうか。
腸内細菌が全身に影響を与える・・・それを世界に知らしめたのは、肥満に関するある研究でした。発表したのは腸内細菌の研究で世界のトップを走る科学者で、ジェフリー・ゴートン博士(ワシントン大学医師・生物学者)です。
博士は大胆な実験を行いました。完全に無菌状態の中で、あることをして特別なマウスをつくりました。肥満の人と痩せている人の腸内細菌をそれぞれのマウスに移植し、人間の腸内細菌を持ったマウスをつくったのです。餌や運動量など同じ条件で育てました。 すると驚きの結果が現れました。
痩せた人の菌を与えたマウスは脂肪の量が変化なし。ところが肥満の人の腸内細菌を与えたマウスはどんどん脂肪が増え太ってしまったのです。何度やっても結果は同じでした。
肥満の人の腸内細菌をもらったマウスは太ったのです。肥満の人の腸内ではある種の細菌が少ないことがわかりました。それがバクテロイデスという菌で、その菌が出す短鎖脂肪酸に肥満を防ぐ働きがあったのです。
その仕組みです。もともと肥満は脂肪細胞が脂肪を取り込むことで起こります。血管を流れる脂肪を取り込みつづけどんどん巨大化することで太ってしまうのです。バクテロイデスが出す短鎖脂肪酸は腸から吸収され血液中に入ります。
短鎖脂肪酸は全身に張り巡らされた血管を通して体の隅積みまで運ばれていきます。その短鎖脂肪酸が脂肪細胞に働きかけると脂肪の取り込みが止まります。つまり短鎖脂肪酸が余分な脂肪の蓄積を抑え、肥満を防ぐことが分かったのです。
短鎖脂肪酸にはもう一つ別な役割がありました。それは筋肉などに作用し脂肪を燃やす働きです。脂肪の蓄積を減らし、脂肪の消費を増やすという全身のエネルギーのコントロールをバクテロイデスという腸内細菌が行っていたのです。
これは一つの例ですが、腸内フローラの研究がまさにこれからの医学に革命を起こそうとしているのです。すでに腸内フローラの秘められたパワーが実際の治療に生かされ始めています。アメリカ政府が支援するベンチャー企業では腸内フローラで糖尿病を治すというまったく新しいタイプの薬を開発しています。
糖尿病は血糖値の調節に欠かせないインスリンが出にくくなる病気です。その原因として腸内細菌がつくる短鎖脂肪酸が関係していることがわかってきました。短鎖脂肪酸の量が減ると、インスリンの量も減ってしまうのです。
では短鎖脂肪酸を増やすにはどうすればよいのか。この企業では短鎖脂肪酸を作る細菌を増やそうと考えました。そして菌を増やす効果がある食物繊維などの成分を配合してある薬を開発しました。
糖尿病の研究でアメリカをリードする医師の一人、フランク・グリーンウエイ博士(ルイジアナ州立大学)は、患者にこの薬を飲んでもらい腸の中で短鎖脂肪酸を作る菌を増やし、二週間後食事の後のインスリン量の変化をみました。結果、その薬を飲んだ人は食後のインスリンが出やすくなっていました。
腸内フローラの力を利用して糖尿病が改善できることがわかったのです。グリーン博士は、「医学は進歩してきましたが、未だに糖尿病を克服するには至っていませんが、腸内フローラを変えるというまったく新しい方法を見つけたことで、糖尿病治療は大きく進歩することでしょう」と語っています。
さらに人類の大敵ガンの予防に役立てようとする取り組みも始まっています。癌研究会有明病院では患者や健康診断にきた人から便を集め、腸内フローラを調べるプロジェクトを始めました。
リーダーの原英二医師はガンを引き起こす菌を見付けました。遺伝子解析の結果新種であることがわかり、アリアケ菌と名付けました。アリアケ菌が出す物質DCA、これがガンの原因となっています。DCAは人の細胞に作用して細胞老化を引き起こします。
老化した細胞は発ガン物質をまき散らし、周囲にガンを作るのです。この研究は科学雑誌サイエンスで年間の最重要項目の一つにも取り上げられ、世界中の注目を集めました。
さらに原医師は、肥満になるとアリアケ菌が大幅に増えることも突き止めました。肥満がガンに関係していることを示す重要な発見でした。「腸内細菌をコントロールすることでガン予防がかなりの部分で可能になってくるのではないかと期待しています」と原先生は語っています。
これまでも肥満がガンと関係があるのではないかと言われていましたが、なぜ肥満がガンを誘発するのかその原因がわかっていなかったのですが、腸内細菌・アリアケ菌の発見でその原因の一つがはっきりしてきたのです。
人の幸福にとっての最大の敵は病気です。健康無くして幸せはありません。お金で健康は買えませんが、「腸内フローラ医療革命」によって人類は大きな恩恵を得られるかもしれません。
人にとって許される「貪欲」があるとすれば、それは唯一健康に対する欲望と言えるかもしれません。その欲望の強い人ほど幸せになれるとしたら、人は誰でも「病気にならない生き方」に関心を持つべきでしょう。健康は決して当たり前ではないのですから。 
 

 

■生き方26 腸内フローラ  腸内細菌の驚異3
人の幸福にとって最大の敵は病気です。健康無くして幸せはありません。お金で健康は買えませんが、「腸内フローラ医療革命」によって人類は大きな恩恵を得られるかもしれません・・・前回の締め括りの言葉です。
ならば、我々は皆この腸内フローラの実態を学び、その知識を実践に生かして行くことこそ大事ではないでしょうか。今最も注目されているこの腸内細菌のパワーについてさらに学んでみましょう。
前回からガン、糖尿病、肥満、アレルギーなど、30以上もの病気に腸内フローラの関与が明らかになってきたという、さらに腸内細菌の影響は何と脳まで、性格や感情などをも変えるという驚くべき研究報告を紹介してきました。
不安や恐怖、幸せや喜び、このような感情は脳で生まれていますが、脳で生まれる感情が腸内細菌によって操られている可能性があるという、まさに人の性格までも腸内細菌が関与しているという。
そんな腸内細菌が脳を操るという実に驚くべき事実が明らかにされたのです。それを明らかにしたのはカナダの医師プレミシル・ベルチック博士です。博士はマウスの性格に関する研究で衝撃的な実験を行ったのです。
活発マウスと臆病マウス、二種類のマウスの性格の違いは、もともと持っている遺伝子の違いによるものだと考えられてきました。しかし、ベルチック博士は腸内フローラにも違いがあることを発見したのです。そこで腸内細菌が性格に関係しているのではないかと考えました。
博士は、活発マウスの腸内フローラを臆病マウスに移植し、反対に臆病マウスの腸内フローラを活発マウスに移植する実験を試みたのです。その結果は、臆病マウスの警戒心が下がり、反対に活発マウスの警戒心が高まったのです。
この実験を何度繰り返しても結果は同じでした。つまりマウスの腸内フローラを交換することでそのマウスの性格まで変わってしまったことが実証されたのです。
性格が変わるということは、コミュニケーションの能力にも影響します。マウスは人には聞こえない超音波でお互い呼びかけを行っていますが、オスがメスに対する求愛行動におけるコミュニケーション能力についての実験が行われました。
カリフォルニア工科大学イレイン・シャオ博士は、コミュニケーション能力の低いマウスの血液中である物質が増加していることを突き止めました。その物質とは、腸内細菌が作り出す4EPSという物質です。
この物質が脳に悪影響を与えていると考え、4EPSを取り除く薬を飲ませました。するとそのオスのマウスがメスへ呼びかける回数が大幅に増加したのです。つまりそのマウスのコミュニケーション能力が改善したのです。
腸内細菌は人の脳にも影響を与えるのでしょうか。シャオ博士は、脳と腸内細菌に関する研究は今もっとも熱い分野だと語っています。人の脳は一千億個もの神経細胞が作るネットワークで出来ていて電気信号をやりとりしています。
神経ネットワークは脳の外にもつながり全身に広がっています。ネットワークが集中する場所が脳の外にもうひとつあります。それが腸です。腸を覆う神経細胞の数はおよそ一億個、人体で脳に次いで二番目に多く、腸管神経系と呼ばれています。
実は腸内細菌が作る物質の中には神経細胞を刺激するものが数多くあることがわかってきました。こうした刺激によって電気信号が生まれ、それが脳に伝わり感情などに影響を与えると考えられているのです。
すでに腸内細菌をうつ病の治療に使う研究が始まっています。マウスの性格を入れ替えて世界を驚かせたマクマスター大学プレミシル・ベルチック博士は去年から臨床試験を始めました。
脳に影響を与える可能性のある菌を患者に飲んでもらい、不安や恐怖をつかさどる脳の領域がどう変化するか調べています。腸内フローラを変えることで鬱の症状は改善するのか、今データの解析がすすめられています。
うつ病の患者の中には腸内フローラを変えるだけで心の不調が治ってしまう人がいる筈です。博士は「今後心の病の治療にはきっと腸内フローラが使われることになるでしょう。」と明言されています。
腸内フローラには個性すなわちタイプがあり固定されていることが解っています。では私たちは共に生きる腸内細菌をどうやって選ぶのでしょうか。もともとお母さんのお腹のなかにいる胎児はまったく菌がいない状態に保たれています。
細菌と初めて出会うのは誕生の瞬間、その後口や鼻から入った菌が腸へ辿り着き少しずつ棲み付いていきます。しかし、入ってきた菌が全て棲み付けるわけではありません。
人と腸内細菌が共に生きる仕組みを研究しているシドニア・ファガラサン博士は、人間の腸の中で分泌されるIgA抗体という物質に特別な役割があることを発見しました。
博士はIgA抗体に選ばれた細菌だけが粘液層に入れることを発見したのです。IgA抗体は私たち人間に必要な菌だけを選んで腸に棲み付かせているのです。腸内フローラのタイプはまさにIgA抗体によって形成されていたのです。
腸内細菌は、まさに身体の一部であり人の心身の健康にとって欠かせない存在であることがわかりました。そこでここ2〜3年で急速に研究が進んできたのが「便微生物移植」治療法です。ベルチック博士のマウスの実験の結果からも分かるように、健康な人の腸内フローラを病気の人の腸にそのまま移植するという治療法です。
現段階ではまだ潰瘍性大腸炎の治療に限られているそうですが、人類がさまざまな病気において「腸内フローラ移植医療」の恩恵を受けられるのは近い将来間違いないでしょう。
私たち人間は細菌と共に長い進化の歴史を過ごしてきました。人と腸内細菌は何百万年もの時をかけ、共に生きる仕組みを築き上げてきました。その過程で互いに助け合う仕組みを発達させてきた掛け替えのないパートナーだったのです。
腸内細菌がこれ程までに人に対して生理作用を持っていることがわかってきたのはここ僅か5年位のことです。私たちは腸内細菌と共に生きることの本当の意味にようやく気付きました。
しかし、薬の使用や食生活の変化や乱れによって、その奇跡のバランスが崩れかけているのではないかとも言われています。私たちは腸内細菌と一緒になってはじめて一つの生命体なのです。腸内細菌と共に生きていることの本当の意味を知るべきです。
ここまで学んできたことは、健康は腸内フローラが大いに関係していること、その腸内フローラは食べた物によって形成されているということです。であるならば、人は誰でも食べ物を選ぶことで様々な病気から距離を置くことができる筈です。
英語の格言「You are what you eat」(あなた自身は食べた物で出来ている)をあらためて噛みしめたいものです。 

■生き方27 信仰に学ぶ生活習慣
前回「You are what you eat」(あなた自身は食べた物で出来ている)という格言を紹介しました。確かに言われてみれば、人間に限らず全ての生物は食べ物から全ての必要な栄養を摂取して肉体と命を維持していることが改めてわかります。
人の体はおよそ60兆個の細胞からできていて、全ての細胞は絶えず新陳代謝を繰り返しています。そして一秒間に凡そ50万個の細胞が生まれ変わっているとか。皮膚の細胞は一週間で、肝臓は6週間、骨格は3ケ月、筋肉は4ケ月で半分が、そして体の中の細胞は凡そ3年間で全てが入れ替わってしまうとか。
ただ脳細胞だけは、生まれ変わることがなく只一方的に死滅していくだけだとか。人の脳細胞は、約150億個の数があり、毎日11万個の脳細胞が死んでいるとか。でも人の絶対寿命と言われる128歳生きたとしてもまだ100億個は残るそうです。
しかし、毎日10万個以上の脳細胞が死滅しているとなれば、確かに高齢になればボケや痴呆になるのも仕方ないのかもしれません。脳に限らず老化とともに体のすべての組織は衰退していくのが生物としての宿命です。
60兆個の細胞から成り立っている人の体は、その60兆個が絶妙に調和しているからこそ健康でいられるのであり、人はまさに奇跡の存在なのです。その調和が壊れるのが病気であり、その調和の維持が難しくなるのが老化です。
だから老化が進むに従って様々な病気に罹りやすくなるのは自然の成り行きです。ただ問題は、その進度です。もちろん先天的なDNAに依るところは大きいのですが、後天的な問題の方がはるかに大きいのです。
その後天的な問題こそ「生活習慣」です。DNAは生まれ持った「宿命」ですが、生後の健康に大きな影響を与えるのが何よりも「生活習慣」です。特に偏食、運動不足、喫煙、飲みすぎなどの悪い習慣はすべて自己責任によるからです。
そんな自己責任から起こる病状が、高血圧、脂質異常、糖尿病そして肥満などのいわゆる「死の四重奏」と呼ばれるものです。あえて厳しく言えばこれらは皆身から出た錆び、まさに因果応報と言うべきものです。
いくら人権は平等だといっても健康と寿命には歴然とした格差があるのが人間界の不条理です。しかし、その不条理も「自己責任」のなかでいくらでも対抗できるのです。
生活習慣病から距離を置くことができればその分健康寿命は延びます。どんな素晴らしいDNAに恵まれていても無謀な生活習慣を続けている限り間違いなく病魔の餌食となり寿命は確実に縮まるということになります。
確かに煙草もやらない人が肺ガンになったり、ヘビースモーカーであっても肺ガンにならなかったりするケースなどいくらでもあります。理不尽と思われるかもしれませんが、ガンになるか否かは結果論であり、大事なことは自己責任においての対応です。
例え肺ガンに罹らなくともタバコの弊害は動脈硬化をはじめ体中のあらゆる組織に損傷を与えます。まさに「百害あって一利なし」というのが常識です。生活習慣病の主な原因の中でもタバコはその最たるものだと言われています。
最近肺ガンで亡くなった方がお2人います。タバコが原因でした。ご本人から病気を打ち明けられた時は返す言葉もありませんでした。肺ガンに罹ればまず生還は無理です。それだけに闘病生活は実に壮絶なものでした。
そんなリスクを重々承知しながらそれでもタバコを止められない人の気が知れません。タバコは個人の自由だ、人に迷惑を掛けているわけではない、などと居直る人がいますが、そんな「自由」が認められるなら覚醒剤もアリということになってしまいます。
さすが「覚醒剤」は極論として、タバコは少なからず他人や環境に悪影響を及ぼします。個人の嗜好の範囲を逸脱していることは間違いありません。最近拙僧の勧めで病院の禁煙外来に通い始めた方がいます。35年間のタバコを断つ決心は大変なことですが、必勝を信じています。
タバコは一例ですが、飲酒や偏食、運動不足にしても同様です。如何に生活習慣に向き合ったかは、因果となって如実に現れます。「健康意識」と「死の四重奏」はまさに反比例の相関にあります。
その「死の四重奏」といわれる高血圧、脂質異常、糖尿病そして肥満に加え、さらに悪いとされるのがストレスです。「脳と腸内細菌」の中でも触れましたが、ストレスによって悪玉腸内細菌が増えることで腸内での病原性が高まり一気に「死の四重奏」が進むのです。
ストレスの場合どこまでが自己責任と言えるかわかりませんが、生活環境の中で起こるストレスであればそれを避ける工夫はいくらでもある筈です。例えば体調がおかしくなるような職場だったら思い切って仕事を変えることです。
ストレスこそ幸福にとっての最大の敵です。心身共に破壊していきます。他方幸福にとっての最大の味方は喜びです。癒しは心身共に健康にしてくれます。笑いがドーパミンを増やしガンさえも抑制する効果があるというのは今や定説です。生活習慣と環境をコントロールして如何に楽しく過ごせるかが勝負です。
ところで、気になるデーターがあります。厚労省の「国民健康、栄養調査」で浮き彫りになったことは、所得の低い人ほど、肥満率、喫煙率が高く、歯の数が少なく運動不足気味だということです。
さらに偏食が多く、栄養バランスが偏っていて、野菜や肉類が少なく、麺類が多いそうです。麺類は特にインスタントでリーズナブルだからでしょう。炭水化物や糖質の摂取が多く運動不足となれば当然糖尿病のリスクは上がります。
さらに健康診断の受診率が低いということですから当然有病率は上がります。経済的負担が理由かもしれませんが、発病してからでは負担はその何倍にもなってしまいます。ひょっとして自分は未病かもしれないという意識を持つことです。
あと、宝くじの購買率が高いことがあります。よく夢を買うといいますが、文字通りほぼ100%夢に終わるのが現実です。一攫千金を夢見る気持ちもわかりますが、拙僧的には金をドブに捨てるようなものだと思っています。
以上から言えることは、貧しい人達ほど生活習慣に問題を抱え健康に対する意識が低く刹那的な日常生活を送っている人が多いということです。貧富の差が健康にも差を生んでいるということが事実だとしたら理不尽なことです。
しかし、「自己責任論」からすれば健康格差を経済的格差のせいにするのは責任転嫁ではないでしょうか。問題の本質は本人の甘えと認識不足にあると拙僧は考えます。例えば、お釈迦さまは2500年も昔、80歳まで生きられました。あの時代の80歳は現代であれが120歳くらいに相当するかもしれません。
経済的にはお釈迦さまはまさに極貧でした。特に食生活は100%布施と乞食によるものでしたから栄養学的には問題だらけだった筈です。にも拘わらずお釈迦や昔の僧侶はみな結構健康で長寿でした。なぜでしょう。
それは、質素清貧の中で信仰に生き心が満たされていたからではないでしょうか。仏教の目指すところは欲望を捨て不安やストレスから解放され、悟りという「安心」(あんじん)を得ることです。
「安心」こそ人の健康と幸福にとって最も大事なことです。ほんとうの幸福は経済格差に関係ないことを信仰は教えてくれています。 

■生き方28 口内フローラ
前回、仏教の戒律「不妄語戒」について触れました。人は己の我欲を通うそうとして理性に負けたときなどにウソをつきます。それによって他人が貶められたり、不利益を被ったりすればそれはまさしく犯罪です。
他方、ウソのなかにも相手を慮っての善意のウソもあります。それを「方便」だと捉えることもできますが、「方便」とは元来お釈迦さまが衆生を「導かれるための手段」という意味からきている言葉であって「ウソ」ではないのです。
励ましたり安心させたり相手を慮ってのウソでしたら、それはウソではなく「愛語」になります。愛語であれば立派な「布施」の一業ですから大歓迎です。また他愛もない煽てやお世辞などは社交辞令の範疇であれば御愛嬌としてよろしいのではないでしょうか。
ところでここ連日マスコミが挙って報じているのが言わずと知れた森友学園問題と、豊洲市場問題、さらに自衛隊文書問題などですが、どれもウソから出たものです。国民を欺くものであり権力者のウソほど罪深く許せません。
特に森友学園問題では、「事実は小説よりも奇なり」と籠池氏ご本人が言っていたように、「主役」は誰か、「悪役」は誰か、どんなエンディングが待っているのか、まだまだ先が読めません。国民はその「籠池劇場」の行方に目が離せません。
フィクションや小説でしたらハッピーエンドが定番ですが、ノンフィクションになると真相が分かるとは限りませんし、勧善懲悪で終わるとも限りません。しかし、そこは仏教の「因果応報」で幕引きになることを是非願っています。
さて、前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。「病気にならない生き方」シリーズのテーマから逸れて丁度一年間が経ちました。何度も繰り返してきた言葉ですが、人にとっての幸福は「安心」に尽きます。その基本の一つはなんといっても「健康」です。
ということで、今回より再びそのテーマに戻ってみたいと思います。健康長寿で人生を全うすること。その願望のため医科学は驚異的な進歩を遂げてきました。人の「絶対寿命」は120歳とも言われています。それを目標に人類は更に飽くなき兆戦を続けることでしょう。まさに人類永遠のテーマなのです。
さて、日本人の平均寿命は世界一と言われ、男性80.21歳、女性86.61歳(平成25年厚労省)を誇っていますが、問題は「健康寿命」です。統計によりますと、男性で約9年、女性で約12年もの間、健康を害し自立できない生活を送っているのが実態なのです。
人生を楽しみながら長生きするためには、少しでも健康長寿を延す必要があります。健康寿命を縮め、寝たきりや介護が必要な状態を招く大きな原因として挙げられるのが、糖尿病やガン、高血圧をはじめとした生活習慣病です。また、加齢に伴う身体機能や認知機能の低下も健康寿命を脅かしています。
これまで、当ホームページでも、生活習慣病、アレルギー問題から腸内細菌(腸内フローラ)健康食品など様々なことを取り上げてきましたが、幸福であるためにはその原点である「健康」にこそ何よりも関心を寄せるべきなのです。
健康への関心度と罹患率の相関は100%反比例なのですから。先ず健康を意識した食事の質と量、適度な運動、そしてストレスのない環境等。現代病の主流は「生活習慣」からです。「生活習慣」が原因である以上その責任の大半はまさに自己責任です。何度も繰り返してきた言葉です。
ある大臣が医療費のことで、「好き勝手し放題な生活をして病気になった人を何故国がそこまで面倒みなくちゃいけないんだ」と言っていましたが、一理も二理もあると思います。勿論好きで病気になる人なんて一人もいませんが、例えば、暴飲暴食、喫煙、肥満、偏食など、健康には悪いと自覚しつつも止められない人。運動など良いと思ってもできない人など、そんな人はまさに我儘で困った人です。
人の体は60兆個(最近の新説では37兆個とも)の細胞がバランスをもって生きているから健康が維持できるのです。人の体には誰でも毎日4,000から5,000のガン細胞が発生しているといわれます。それを免疫力が抑えているから発ガンしないのです。
免疫力を維持しているのがまさに良い生活習慣です。ですから、乱れた生活習慣から免疫力が低下すれば様々な病気に罹るということは当たり前に理解できます。勿論病気には先天的遺伝的な要素もありますが、それさえ生活習慣でカバーできる部分も大きいのです。
英語の格言、「You are what you eat」(あなた自身は食べたものからできている)にもあるように先ず食べる物が大事です。アレルギー物は論外として、好き嫌いなくバランスよく量を量って何でも食べなければならないことは言うまでもありません。
私事で恐縮ですが、食事内容には結構気を遣っています。運動として基本的に一日間隔で8,5キロ散歩しています。もう6年以上続けていて、そのトータル距離は先月で7,000キロを越えました。
何事も習慣付くと止められなくなるものです。是非悪い習慣は止めて、良い習慣を身に付けたいものです。拙僧的には、お蔭様で血圧、血中脂質、肝機能、血糖等全く心配ありません。しかし、実はガンマGTPの値が少し高めなのです。原因は「般若湯」だと分かっているので気を付けていますが、偉そうなことは言えませんね。
ところで、拙僧最近大変興味深い本に出合いました。もちろん健康に関しての本です。読んでみて納得尽くめなのです。
地元の「房日新聞」にその本の紹介記事が出ていて、そのタイトルに大変興味を持ち早速本屋さんに向かった次第です。「病気にならない生き方」に関心のある方に是非その本を紹介したいと思います。
その著者は、この館山市の隣の鋸南町で歯科医師をされている森永宏喜先生です。先生は、地元の安房高校から東北大学歯学部を卒業され、東京医科歯科大学に勤務、総合病院歯科を経て、現在出身地の鋸南町で開業されています。
最近すっかり有名になった「腸内フローラ」ですが、実は、人の口の中にも悪玉菌と善玉菌、日和見菌からなる700種類もの細菌が棲みついており、「口内フローラ」を形成しているのだそうです。
この「口内フローラ」のバランスが崩れると、歯周病や虫歯などの病気だけでなく、糖尿病や早産、動脈硬化や心筋梗塞のリスクが高まることが最近明らかになったのです。
人や動物は、病気や怪我をしたときに外からやってくる細菌だけでなく、普段から体内に沢山の菌を持っていて、細菌とうまく共生しながら生活しています。人の細胞の数よりも、人の体に普段から住みついている細菌の数のほうが多いのです。
体に住みついている細菌は常在菌と呼ばれ、特に大腸に多く、およそ400種類・100兆個ほどですが、同じように口の中にもおよそ700種類・約1000億個もの細菌が住んでいるのだそうです。
森永先生は、「口の中の健康をキープすることは、あなたを生活習慣病や老化から守り、健康寿命を延してくれることになるのです」と明言されています。 

■生き方29 国の健康を考える 国会フローラ
人の健康に大事なものが「腸内フローラ」や「口内フローラ」だとすると、国が平和であるためには、政治が健全でなければなりません。国民の安心、安全をつかさどるのが国政だとすると、「国会フローラ」なるものが大事ではないでしょうか。
今の日本の国政の健康状況は果たして「健康」だと言えるでしょうか。人の体の健康は、「腸内フローラ」や「口内フローラ」の悪玉菌と善玉菌、日和見菌の割合によって決まります。
今の国会をそれになぞらえてみると、どうも悪玉菌の割合が多くなりすぎているようです。日和見菌も当てにできず日本の国の健康はかなり心配になってきました。今月は、「口内フローラ」について学ぶ予定でしたが、国の健康が脅かされている現状でもあり、あえて「国会フローラ」をテーマにしてみました。
先月、国際NGO「国境なき記者団」から世界180ヶ国の「報道の自由度ランキング」が公開されました。日本は昨年の61位から72位と一気に下がりました。7年前の民主党政権時の11位が最高で、その後どんどん下がり続け、今ではG7のなかでは最下位です。民主国家としてはかなり不名誉なことです。
ちなみにトップ3は、フィンランド、オランダ、ノルウエーとなっています。最下位は言うまでもなく北朝鮮です。民主主義国家の基本的条件が「言論の自由」であることからすると、日本はこれからどんどん北朝鮮に近づいていくのでしょうか。
日本への評価が低いのは、福島の事故の透明性がないこと、特に大きいのは、「安倍政権のメディア敵視と圧力」、及び「メディア自身の自己検閲と権力への忖度」だそうです。
また、特定秘密保護法、安保関連法の成立が大きく響いているといわれます。そしてもうすぐ組織犯罪処罰法「共謀罪」が制定されれば、さらにランキングは急降下するでしょう。
安倍政権は、党則を変え全省庁の幹部人事権を総裁が一手に握られるように内閣人事局を設置し、「安倍一強」を築いたのです。一人の人物への極端な権力の集中は、独裁国家への門戸を開く危険性があるのです。
おじいちゃん(岸信介)コンプレックスから、憲法9条を改正することこそ彼の悲願に他なりません。数の力に物を言わせ国会の中で強引に横車を押している安倍総理。その実態はまさに国政の私物化です。
安倍さんは、森友学園問題では、「私や妻が関与していたら、首相も議員も辞める」と明言しました。加計学園問題では、前事務次官の前川氏が「総理のご意向」として「行政がゆがめられた」「黒を白にはできない」と証言しました。
森友学園問題でも加計学園問題でも、安倍総理が関与していることはほぼ間違いない事実だとわかっているにも拘わらず、証人喚問もできない国会、まったく国民を舐めているとしか思えません。特に与党議員らには、国民から負託をうけた政治家としての信条も矜持もないのでしょうか。まさに恥知らずです。
しかし、そんな政治家を選んだのは国民自身だから自業自得と言ってしまえばそれまでですが、自由も平和も人任せでは手に入らないのです。表現の自由もこれからどんどん脅かされて、自由にものが言えない監視社会になってしまうでしょう。
政官一体となって政権側の不都合な真実が隠され、権力者にとって気に入らない者は易々と逮捕、投獄されるようになるのです。そうなっても、自業自得だから仕方ありませんか・・・ほんとうにそれで良いのでしょうか。
ちなみに、「世界の幸せ度国別ランキング」では、日本は157ヶ国中53位で、これも過去最低だそうです。最低賃金の基準も先進国の中では最悪だとか。
日本は自殺大国といわれます。WHOは2014年の世界172ヶ国の自殺率を公表しました。1位韓国、2位リトアニア、3位ロシア、そして4位が日本でした。日本は先進国の中ダントツ自殺率の多い国なのです。
毎年3万人を超える自殺者ですが、特徴としては、15〜24歳の自殺率が90年以降ずっと上がり続けているとのこと。格差社会、若者の貧困が拡大している社会に若者は夢を持てません。そんな国の幸福度が上がる筈はありません。
民主主義国家とは、言うまでもなく「国民ファースト」である筈です。今の安倍政権は、その真逆に突き進んでいるのです。安倍さんの頭の中にあるのは国民の幸福ではなく、戦後レジュームから脱却し国家主義政権の確立なのです。
さすが気の合った友人のアメリカトランプ大統領の横暴ぶりと遜色ありません。しかし、アメリカではロシアとの癒着疑惑でトランプ氏弾劾の動きが広がっているというのは、流石民主主義を大事にしている国だけのことはあります。
あの韓国でさえ、民衆は朴槿恵大統領の悪事を許さず弾劾裁判で吊し上げてしまったのに、日本では、これだけの疑惑があるのにも拘わらず「証人喚問」さえできない。これが韓国だったら国民は黙っていないでしょう。暴動が起こりますよ。
憲法が疎んじられ、立憲主義が崩壊しようとしているというのに、日本の国民はなぜこんなにもおとなしいのでしょうか。「黒いものを白だ」と平然とウソをつく、ウソ八百を主張し自責の念すらまったく感じない安倍総理。
そんな人が日本国の総理大臣だということが納得できません。そんな人に追随する政治家や役人も同罪です。それを支持する人も信用できません。
さらに、権力のトップやその代弁者が、公的な場で特定個人を人格攻撃したり、恫喝したりしているのは、ただ事ではありません。もはや民主主義国家の体をなしていません。
さらに深刻なのは、政策や行政のプロセスに関する文書をどんどん破棄していることです。文書の破棄は、後世において政策の意思決定過程を検証するのを不可能にしてしまいます。まさに歴史に対する、国家国民に対する犯罪行為なのです。
共謀罪が成立したら、もはや国の主権は実質的に国家権力者になるのです。拙僧がホームページでこんなことを言えるのも今のうちかもしれません。そのうち「共謀罪」か、何かの言いがかりをつけられ警察に呼び出され、拘束されてしまう日がくるかもしれません。そんな方向に確実に向かっているのが今の日本なのです。
国会の悪玉菌を減らし、日和見菌を善玉菌に変え、どんどん善玉菌を増やさない限り、日本の健康(平和)は望めません。健全な「国会フローラ」なるものを作り上げるその責任は、国民一人一人の認識と行動力に掛かっていることを今一度考えてみる必要があります。

■生き方30 国の健康を考える 国会フローラ2
前回、国民の安心、安全をつかさどるのが国政だとすると、「国会フローラ」なるものが大事だと述べました。しかし、すっかり悪玉菌が蔓延ってしまっているのが今の国会です。そんな政治家を選んだのは国民自身だから自業自得と言ってしまえばそれまでだとも言いました。
しかし、仕方がないなどと諦めていては国民としての責務は果たせません。なんとかならないものかと思っていた矢先、ここにきて、俄かに情勢に変化が起こり始めました。安倍一強の奢りと緩みからか、新たな大臣や取巻きたちの常識では考えられない失言や失態が相次いで露呈しました。
反安倍政権にとっては思いもよらない政権サイドの「オウンゴール」が続いたのです。これまでの報道番組は一連の「安倍疑惑」に関するものが主でしたが、加えて次々に安倍政権サイドの与党議員の失態が相次いでいます。バラエティー番組の格好の材料となっていますが、笑い転げているだけでは許されません。
どれも安倍首相の強権主義と依怙贔屓(えこひいき)が招いた当然の結果と言えるものです。自らの考えに近い人物を重用したり、マスコミを選別したりする偏った姿勢は見ていてありありです。
国民はバカではありません。このままでは良い筈はない。国民はもう惑わされない。安倍首相の資質、安倍政権の本性がようやくわかってきました。国民が思い込まされている「空気」が、実は偽りの現実なのだと気づかされたときに安倍政権は一気に終焉をむかえるでしょう。
国連人権理事会の対日調査報告によりますと、日本の報道が特定秘密保護法などで委縮していると指摘しています。安富渉・東大教授は、日本のメディアはタブーに怯えているとし「メディアのそんたくぶりは、一層ひどくなっている」と酷評しています。
我々一般国民は国の大事な情報は有力メディアに頼るしかないのですから、ジャーナリストはその矜持を失わないで欲しいものです。そんな中、唯一頑張っているのが、政権にしがらみのないネットユーチューブや週刊誌です。
昨日も週間文春が安倍さんの側近中の側近だという下村博文元文科大臣の加計からの不正献金疑惑を暴きました。下村氏は早速言訳会見を開きましたが、疑惑は晴れません。時を同じくして稲田防衛大臣の超アウト演説にも、安倍さんは動きません。
大手新聞の購読料は月3,400円程ですが、文春などの週刊誌は一冊370円から450円ですから、週刊誌を毎週2冊ずつ買っても新聞代よりも安いかトントンです。新聞は広告ばかりで読むところ、必要なところは実に少ないと思います。確かに週刊誌は興味本位ファーストですが、新聞に無い本音や真実性があり実利感があります。
確かにニュースはネットでいつでも見られるし、即時性もあり、あえて新聞を必要としない、無くてもよい時代になってきたという気はします。新聞離れが言われていますが、これも時代の流れではないでしょうか。それだけに尚更有力紙は真実と正義を伝えてこそ信頼を「買って」もらえるのです。
安倍さんは、かつて「美しい国」を標榜していましたが、これも今になってみればまったくの空言だったようです。権力者にとって都合のよくないことは、権力の圧力で闇に葬ろうとしているのが見え見えです。まさに民主主義、立憲主義を無視している張本人こそ安倍総理です。
「美しい国」に始まり共謀罪法まで、安倍さんのしてきたことはすべてウソの上塗りでした。まさに虚言癖のある利己主義者。こんな人の周りに群がる人こそ同じ穴のムジナに他ありません。
先ず許せないのが4年前の東京五輪招致演説で、福島の原発事故の汚染水問題について「状況はコントロールされている」と平然とウソ発言したことです。文科省から出た確かな文書を「怪文書」などと平然と白を切る菅官房長官も、立派な同じ穴のムジナでした。
「東京は安全な都市」とアピールしながら「共謀罪」法がなければテロは防げないと言いだし、国民に向けて丁寧な説明がないまま期限ありきで強行採決。森友・加計学園問題で支持率が36%に落ち、慌てて記者会見を開きながらここでも「丁寧な説明をしていきます」と、言訳にもならない言訳に終始・・・まさに虚言癖の人。あの説明で国民が納得すると本気で思っていたとしたら完全な脳天気です。
野党の攻勢に「印象操作」と反論していますが、前川前文科事務次官への「辞めた過去の人」「なぜ今ごろ出すのか」「いかがわしい場所に出入りするような人間の言うことに耳を貸すな」などと、「印象操作」による人格攻撃を必死でやっているのは、内閣官房長官サイドではないでしょか。
国連の特別報告者ケナタッチ氏は「共謀罪法は、人権、表現の自由、プライバシイーを損なう懸念がある」と明言しました。これに対して安倍氏サイドは「それは個人の意見で、国連の総意を反映するものではない」とか、「問題ない」「その指摘はあたらない」などと勝手な反論を繰り返しています。ここでも理屈の通らない「印象操作」が行われました。
今や国民の大多数が内閣に不信感を持っているのですから、正々堂々と説明責任を果たすべきです。証人喚問もすべきです。憲法第53条には、衆参いずれかの総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は臨時国会の召集を決定しなければならないとあります。
2015年の秋に安倍政権は、この憲法の規定を無視して国会を召集しませんでした。今回も野党からの請求に対して、菅官房長官は「政府は召集義務を負うが、憲法上期日の規定はない」といって要求を拒否しています。
今や、首相、官邸、与党に対する国民の不信感は、パンパンに膨れ上がった状態です。こんなアホウ連中が日本の政治を牛耳って「私物化」しているのをいつまで許すのでしょう。そんな暴走を止められない与党議員も同じ穴のムジナです。間もなく都議会議員選挙です。結果が楽しみです。
最後に今月25日、毎日新聞に載った読者の「オピニオン」記事を紹介しましょう。福島市在住の男性74歳の方の「前川前次官の証人喚問を」というタイトルです。
「7年ほど前から『福島に公立夜間中学をつくる会』に加わり、自主夜間中学運営に協力してきた。今年1月、前川喜平前文部科学事務次官に夜間中学の必要性について講演していただいた。その後、前川氏は文科省をやめられたが、講演をきっかけに前川氏は週1回ボランティア講演を続け、通ってくる姿を我らはうれしく迎えていた。
前川氏は『学びたいとい人たちのお役に立ちたい』という。自分にとっては何の得にもならない。しかし、あったことをなかったことにはできないと国民に実情を話された前川氏は、まさに『公務員』の姿を見せてくれた。
それをあしざまに人格攻撃し、論点をそらそうとした菅義偉官房長官らは、前川氏に国民の前で謝ったのだろうか。その姿が見たい。謝罪の気持ちを表す具体的な方法は、前川氏の証人喚問である。加計問題を解明するのは安倍内閣の責務。証人としての役割を終え、再び福島に来てくれる前川氏に会いたい。」
 

 

■生き方31 口内フローラ 歯周病
今や内閣は腐りきっています。そんな政府を正すことができないのは、国会自体が悪玉菌の蔓延によって「国会フローラ」なるものが害されているからです。前回から指摘の通りです。
そんな悪玉菌の主役こそ言うまでもなく安倍総理大臣。秘密保護法やら安保関連法やら共謀罪法やらを、多数の横暴によって、まともな説明もなく姑息で狡猾な手法を使って強行採決してきました。
内閣府人事局はまさに安倍総理私物化による依怙贔屓、寵愛人事の本丸に他なりません。森友問題も加計問題もそんな総理の忖度から生まれた問題であることは状況証拠からほぼ間違いありません。
加計グループが設置する際に投じられたこれまでの補助金・助成金などの税金は、判明分だけでも500億円以上に及ぶそうです。その全てが適正だったのかさえ怪しいものです。国会へ証人喚問された籠池氏に対し加計氏からの説明は一切ありません。疚しいことがなければ正々堂々と姿を現し説明すべきでしょう。
籠池夫妻は逮捕されましたが、森友学園の土地8億円値引問題も是非はっきりさせてもらわないと国民は納得できません。籠池氏の言う「トカゲの尻尾切り」に終わらせられたんでは、もはや法治国家とはいえません。
自衛隊日報隠蔽問題で平然とウソをつき通し、自衛隊員の生命がかかる問題を起こしながら稲田防衛大臣を首にもしない。まさに寵愛人事による秘蔵子だからでしょう。北朝鮮からいつミサイルが飛んで来るかもしれない事態なのに、安倍さんは一体何を考えているのか。
「丁寧な説明」など口先だけで、その弁解は、すればするほど信用できない。こんな人がまだ総理大臣を続けていること自体呆れ果ててしまいます。最早安倍さんには総理の資質はないのですから。
これまでの公私混同、私利私欲による国の損害は計り知れません。この国の傷を癒すには、気の遠くなる時間と代償を費やさなければなりません。即刻安倍内閣が総辞職しても、この負の遺産、恐怖の種を取り去る過程が待っているかと思うと、安倍氏の推し進めてきたことの罪深さは筆舌に尽くし難いところです。
さて、政治の話はもういい加減にしましょう。この辺で本題に移ります。最近ようやく腸内フローラが知れ渡ってきましたが、実は、人の口の中にも悪玉菌と善玉菌、日和見菌からなる700種類もの細菌が棲みついており、「口内フローラ」が形成されていることがわかりました。
この「口内フローラ」のバランスが崩れると、虫歯や歯周病などの病気だけでなく、糖尿病や早産、動脈硬化から脳梗塞、心筋梗塞のリスクが高まることが明らかになってきました。
そこで今回から「病気にならない生き方」を学ぶにあたって「口の中の健康」について3月に紹介しました、歯科医師森永宏喜先生著「全ての病気は『口の中』から!」を参考に学んでみたいと思います。
口内細菌の悪玉菌の中には、虫歯を引き起こす「う蝕病原菌」と、歯周病を引き起こす「歯周病原菌」の2グループがあります。歯のケアを怠ったり、口腔環境が悪くなったりすることで、悪玉菌ばかりが繁殖するとまず虫歯や歯周病などになります。
歯周病菌などの菌が作った物質は、慢性炎症の歯茎を通じて血管など体の組織の内側に入り込むことで重大な病気の原因となるのです。歯周病との関連が強い病気の代表が、糖尿病だといわれます。
歯周病から「炎症性サイトカイン」と呼ばれるたんぱく質が作り出されることで、糖の代謝に関わるインスリンの作用を低下させてしまうのです。それが原因で血糖値のコントロールが悪くなり糖尿病が悪化してしまうのです。
血液中に入り込んだ歯周病は、血管を刺激して動脈硬化の原因となる物質を増やしてしまいます。ほかにも、肥満や腎臓疾患、関節炎など、歯周病菌によって引き起こされたり、悪化したりする病気がいくつもあることがわかってきました。
歯周病は「もの言わぬ病」といわれます。初期の段階では、自分で見てもわかりにくく、自覚症状もほとんどありません。そして、自覚症状が出てきたときには、病気はかなり進行していて、治療が非常に難しくなっていることが多いのです。
歯周病はいわゆる歯周ポケットから細菌が侵入し、歯を支えている骨(歯槽骨)を溶かし、最終的に歯が抜けてしまう「歯肉と骨の感染症」なのです。
歯周病は、今や成人の約8割がかかっているとされる「国民病」なのです。にもかかわらず、歯周病を「病気」と思っていない人が少なくありません。たとえ歯周病と診断されたとしても、歯のことだから大したことはない・・・ などとタカをくくってしまっている人が多いのではないでしょうか。これは、まさに大きな落とし穴と言えるのです。
早い人では、10代から歯肉炎・歯周病の初期症状が始まり、40代、50代で患者数が最も多くなります。これを放っておいて、やがて歯が減り噛みにくくなっても、歳をとったのだから歯が少なくなるのは当たり前と、まだ事の重大さに気が付かないことが多いのです。
食べ物が噛みにくければ、栄養の摂取に問題が出てきて、全身の健康に影響してくることはいまでもありません。さらに怖いことには、口内の不健康は万病のモトになります。特に、歯周病がいろいろな生活習慣病の原因となっていることがわかってきました。
気づかないうちに、あなたを蝕んでいる歯周病。そのとき、あなたの口の中では、一体何が起こっているのでしょうか。ふだんの歯磨きで落としきれなかった汚れや食べカスは、歯の表面や歯間、歯と歯ぐきとの間などに付着して、歯垢が作られます。
歯垢は、単なる食べカスではなく、実は私たちが食べた物などを栄養にして繁殖した細菌の塊なのです。1グラムの歯垢には、なんと1億個もの細菌がいるといわれます。歯垢は、いわば細菌の巣窟なのです。
これは、歯と歯ぐきの間のミゾである歯周ポケットの中にも多く付着します。歯周ポケットに入り込んだ歯垢は、歯を磨いてもブラシが届きにくく、歯はさらに増殖していきます。
最近は、歯垢のことをバイオフィルムとも呼びますが、特にリーダー格の悪い菌を中心にして何百種類もの菌が集まり、塊を形成しています。この塊は、唾液でも溶けにくい物質で覆われていて、うがいくらいではとてもとれません。
恐ろしいことに、そのバイオフィルムから放出される毒素は、口内の歯周病の病巣に開いた血管を経由して全身に散らばっていきます。LPS(リポポリサッカライド)と呼ばれるこの毒素が血管の内部や神経組織などに炎症を引き起こすことがわかっています。
たとえば、20本の歯に中程度(5ミリ)以上の病的な歯周ポケットがあるとすると、口の中には大体72㎤、つまり手のひら1個分ほどの潰瘍があることになります。潰瘍は組織が傷ついている状態で、炎症のモトになります。
口の中の病気だから大丈夫などと安易に考えていると、歯周病は、その進行とともに全身に慢性的な炎症をもたらします。この炎症こそ、重篤な病気の引き金となる恐ろしい症状であると、今注目されているのです。  

■生き方32 口内フローラ 全ての病気は口から侵入
国会が突如解散しました。「国会フローラ」の解体です。安倍総理は、8月に内閣を改造したばかりです。「仕事人内閣」と自画自賛しながら、首相の所信表明演説や代表質問も一切行われませんでした。
解散権をもつ総理の独断で行われたのですが、大義がないというのが大方の見解です。内閣の都合や判断で一方的に衆院を解散するのは解散権の乱用でしょう。選挙に700億円もの税金をかけ、なぜ今なのか、まさに異例の解散です。
解散には名前が付けられますが、今回はさしずめ「もりかけ解散」でしょうか。数々の疑惑について、「丁寧な説明をいたします」といったにも拘わらず、国会の召集の要求も無視。御自分では「国難突破解散」と銘打っていますが、その実、「疑惑隠し解散」「逃亡解散」と言われても仕方ありません。
安倍さんは、「信がなければ大胆な改革も外交も進められない」と強調しました。しかし、まず必要なのは加計問題などで招いた不信を“丁寧な説明”によって解消することからでしょう。
選挙で勝ちさえすれば信任を得られるというのは、順番が逆です。野党が準備不足の今なら勝てると見たのでしょう。己が延命のために解散するという、まさに「エゴイズム解散」でもあり、国会の私物化にほかなりません。
安倍さんが再登板してから5年近く、「安倍1強」のおごりやひずみが見えてきた中で、さらに4年続くことの是非が問われる選挙です。憲法や安保、経済、財政、社会保障など、さまざまな重要課題をどうしていくのか。
民進党も「名を捨て実をとる」として事実上の解党をし、安保法制に賛成でなければ入党できないとする小池「希望の党」の元にあえて駆け込みました。政治家もやはり人の子、保身ファーストで「実」を取らなければならないのでしょうか。日本の岐路を決めるのは国民です。美しい「国会フローラ」をつくるため国民には賢明な選択をしてもらいたいものです。
以上、またまた、政治の話になってしまい恐縮です。「法話」に政治の話はふさわしくないという節もありますが、拙僧の真意は仏教の「諸善奉行・諸悪莫作」の教えに基づいた「平和ファースト」の考えからだとご理解下さい。
さて、本題に移ります。前回に引き続き森永宏喜先生の著書を中心に学んでまいります。雑誌「PRESIDENNT」の調査で、こんな興味深い結果が出ていました。アンケート「健康で一番後悔していること」のトップ10です。
1.歯の定期診断を受ければよかった。
2.スポーツなどで体を鍛えればよかった。
3.日頃からよく歩けばよかった。
4.腹八分目を守り、暴飲暴食をしなければよかった。
5.間食を控えればよかった。
6.頭髪の手入れをすればよかった。
7.タバコをやめればよかった。
8.ストレスの解消法を見付けておけばよかった。
9.よく笑い、くよくよ悩まず過ごせばよかった。
10.不規則な生活をしなければよかった。
55歳〜74歳の男女1,000人へのアンケートで「スポーツ」や「ウォーキング」を抑え、堂々トップに挙げられたのが「歯の定期診断を受ければよかった」なのです。それほど、晩年になってから、特に歯を失うようになってから、歯の大切さを痛感している人が多いことがわかります。
ですから、今からでも歯のケアをしっかりしておけば、このような後悔や悩みが少ない晩年を送ることができるのです。そして何より、命を守る最後の砦が「食べること」です。食べられないと、命を維持するための栄養が十分摂れなくなくなります。歯をケアすることは、しっかり食べること、命を守ることでもあるのです。
森永先生は、口の中で全身の健康状態がわかるといわれます。まさに、口は健康のバロメーター。それも、とびきり鋭敏で感度のよいバロメーターだそうです。
歯ぐきや口腔粘膜はターンオーバーが速く、敏感で変化が現れやすいからです。ターンオーバーは細胞の入れ替わり、つまり新陳代謝のことですが、これが皮膚の6倍のスピードで行われます。
皮膚のターンオーバーの周期が28日だそうです。骨では200日もかかるそうです。それが、歯ぐきは、たった5日で細胞が入れ替わるといのですから驚きです。
口の中は、外部からのいろいろな刺激が入ってくる場所のため、早めに細胞を入れ替えて、抵抗力をキープできるしくみになっているのです。ちなみに口腔以上にスピードが速いのは小腸の粘膜で、2日ほどで入れ替わるそうです。
常に外部からの異物にさらされ、これらを排除しなければいけない場所では、いつも細胞をリフレッシュする必要があるのです。そんなわけで、口の中はさまざまな変化に対応すべく感度の良いバロメーターとなっているのです。
先生は、「あらゆる病気は口から侵入する」といわれます。飲んだり食べたり、呼吸をしたりするたびに、口には体の外からいろいろなものが入ってきます。
水や栄養分のように有益なものもあれば、細菌のように有害なものも否応なく入り込んできます。体に異常をもたらす病原体のうち、経口感染、飛沫感染、空気感染・・・さまざまな形で、口から侵入してくるものがたくさんあります。口はまさにあらゆる病気の入口でもあるのです。
ということは、そうした病気の感染を防ぐためには、口の中、とりわけ口腔粘膜の健康が非常に大事なキーポイントになるということです。なぜなら、粘膜は、病原体の侵入を防いで体を守るバリアの役割を果たしているからです。
口腔粘膜の特徴は、表面を粘液(唾液)でカバーされています。このネバネバの粘液が、病原体をブロックする働きをしています。ネバネバのモトは、ムチンというタンパク質の一種で、それが病原体を排除する機能を果たしています。
それと、リゾチームやラクトフェリンという強い抗酸化作用のある物質も含んでおり、腸内細菌によい影響を与えています。 口の中をよい状態に保つことは、あらゆる病気を予防することにつながっているのです。
つまり、歯を中心に口の中の状態がよければ、さまざまな病気の予防や健康が維持できるということです。元気な高齢者が増えれば、今後ますます重要な国の課題でもある医療費の削減にもつながります。口の中の健康は最高のアンチエイジングと言えるのです。 

■生き方33 口内フローラ 全ての病気は口から侵入2
またまた政治の話からで恐縮です。選挙の結果は与党の圧勝でした。安倍政権を批判してきた手前もあり感想を述べさせていただきます。
内閣支持率が低いのに、何故国民は自民党を選んだのでしょうか。安倍首相には不満があるが、政権選択というのなら、消極的ながら自公政権に託すしかない・・・そう考えた有権者が多かった結果ではないでしょうか。
日本人は、右が3割、左が2割、中道5割といわれています。右3割は自公の固定票、左2割は広義のリベラル、中道5割は無党派層となります。日本の有権者は約1億人。これに当て嵌めると、自公が3千万票、野党が2千万票、無党派層が5千万票ということになります。
そして大抵の投票率は50%台だとすると、中道5割の多くは棄権していることになります。この状況だと、リベラル(2割)は必ず自公(3割)に負けることになります。 野党が乱立すればなおさらです。
自民党は小選挙区で4分の3の議席を占めましたが、一つの選挙区から一人だけが当選するこの制度は、第1党が得票率に比べて多くの議席を獲得するのが当然という、いわゆる「死票」の多いひずみのある制度なのです。
自民党の今回の小選挙区での議席占有率は75%にもなりますが、全有権者(1億609万人)に占める絶対得票率は25.2%にすぎません。今回の「勝利」を絶対得票率から見ると、自民党を支持する民意が小選挙区制で増幅された結果だと見て取れます。
自民党は有権者の圧倒的支持を受けたと思い上がってはいけません。安倍政権の5年間に不満や疑問を持つ国民は多く、選挙後でも「安倍さんに今後も首相を続けて欲しい」は34%、「そうは思わない」は51%です。
国会で自民党だけが強い勢力を持つ状況が「よくない」が73%、「よい」は15%。おごりと緩みが見える「一強政治」ではなく、与野党の均衡ある政治を求める、そんな民意が読み取れるのに、なぜ今回の選挙で自民は圧勝したのでしょうか。
安倍晋三首相は各地の街頭で、真っ先に「北朝鮮の脅威」を訴えました。麻生財務相は、自民大勝の結果に「明らかに北朝鮮のお蔭もある」と吐露しています。今回の解散を「国難突破解散」と名付けた真意はそこにあったのかもしれません。
戦争へのメカニズムとして「敵の脅威」は欠かせません。戦争の遂行には国民の支持や協力が欠かせません。そこで、しばしば「脅威」が誇張され、ねつ造され、大量破壊兵器があるといったり、敵の攻撃をでっちあげたりします。
ナチス・ドイツの国家元帥、ゲーリングは、「『我々は攻撃されている』と訴え、『国を危険に晒している』と平和主義者を避難すれば、人々は意のままになる。このやり方は、どんな国でも有効だ」と言っていました。
今日の自由な社会でも、狂気の指導者がいなくても、人々を不安に働きかける手法は通用します。世界に「自国ファースト」、「白人至上主義」、「異教徒排除」、「移民反対」などの自己中心政治が広がっています。
日本も似たようなものになろうとしています。こんな時こそ、多数派か少数派かに拘わらず、一人ひとりの自由、人権を大切に守らなければなりません。不安に煽られ、大切なものを手放さないようにしなければなりません。
それらを重んじるのが「リベラル」という立場です。護憲か改憲か、保守か革新かといった線引きを越え、何が正しいのかを見極めた是々非々が大事です。
「上からのトップダウン型の政治か、下からの草の根民主主義か」、立憲民主の枝野幸男代表が訴えた個人尊重と手続き重視の民主主義のあり方は、安倍政権との明確な対立軸になりえるでしょう。
そもそも民主主義における選挙は、勝者への白紙委任を意味しません。改憲をめぐる民意も多様です。主権者である国民の理解を得つつ、十分な議論の積み上げが求められます。
憲法論議の前にまず、なすべきことは、森友・加計問題をめぐる国会での真相究明です。首相の「丁寧が説明」は果たされていません。行政の公正・公平が問われています。政権のおごりと緩みを首相みずから率先して正すことが、まず求められているのです。
さて、本題に入りましょう。森永先生は、アンチエイジング医学を意識するようになって、日本抗加齢医学会の抗加齢医学専門医の資格を取得しました。そして、よりコアな国内外の情報を求め、世界最大で最も歴史のあるアメリカ抗加齢医学会(A4M)で研修を受け、日本の歯科医としては初の認定医となったのです。
特に、毎年12月にアメリカ・ラスベガスで開かれる総会に出席され、最新の情報を入手したり、この分野の権威の貴重な意見など聞いたりして研修を積まれてきました。こうして学んできたことを日々の診察や治療に生かそうと努められておられます。
生活習慣病は、その名の通り、日頃の生活習慣が病気の発症や進行に深くかかわっています。偏った食事、運動不足、過度のストレスなどなどからいつしか健康が損なわれていきます。
病気はいきなり発症するように思われますが、それには原因となる生活習慣が長く続いていた結果なのです。ただ、本人がそれにほとんど気が付いていないだけなのです。病気のスタート地点に立つまでに、とても長い助走期間があるのです。
スタート地点の一歩手前、いわば「未病」の状態が大きなポインになるのです。何となくおかしい、ちょっと普段とは違う、というようにわずかに異常を感じる状態がある筈です。
それは、僅かであっても、病気に限りなく近い状態なのです。これを放置しておくと、徐々に病気が進行し、やがて重症化することになります。発病して、メタボリック・ドミノの最初の一枚が倒れてしまうと、その流れを途中でストップさせるのは難しいのです。
そんなドミノの最初の一枚を握っているのが歯科といったら、驚く人もいるかもしれませんが、森永先生は、虫歯や歯周病は、このドミノの最上流に位置しているといわれます。
口の中に不調が現れたときに、全身の健康を意識することで、様々な病気の発病や進行を防げることもあるのです。その自覚さえあれば、病気は上流ほど対処しやすいものです。
それなのに、これまでの医療では、病気になってからでないと対処しませんでした。病気が生じてからの治療、つまり下流にながれてからの後追いというのが普通でした。その点、歯科では、より上流で対応できることになります。
比較的元気なうちに、未病のうちに、口腔歯科の健康を意識することで、「ドミノ」を倒さずにすむことにもなるのです。ですから、歯科は「健康のゲートキーパー」として最適の位置にいるのです。
口の中が良好な状態の人は、いろいろな慢性疾患にかかっていないことが多く、それだけ免疫力が強く病気にかかりにくいといえるのです。
健康を維持し、病気を予防するということは、最高のアンチエイジングといえます。そこに、歯の健康は深くかかわっているのです。歯を守ること、歯周病などを予防して口の中を健康に保つことは、生活習慣病から身を守ることであり、健康寿命を延すことになるのです。

■生き方34 口内フローラ 口は禍の元
新年明けましておめでとうございます。各位にとりまして佳き年になるよう祈念申し上げます。
よく、歳をとると共に一年経つのが早く感じると言われますが、正月などは特にそれが感じられます。若い人にとって未来は希望と期待に満ちた「上り坂」ですから「新年おめでとう」の実感があり喜ばしい限りです。
しかし、人生「下り坂」にある高齢者にとっての新年はまた一歩来世に近づいた感も否めません。齢を重ねる毎に、体力、知力、精神力などが確実に衰えて行くばかりでなく、経済的、健康的な心配も現実味を増してくるからです。
とは言え先ずは今年一年をサバイバルしてまた来年を迎えられるよう頑張りましょう。人生を「坂」に例えましたが、その「坂」の状況は百人百様であって、勾配も長さも内容も違います。
「知らず知らず歩いてきた細く長いこの道、振り返ればはるか遠くふるさとが見える。でこぼこ道や曲がりくねった道。地図さえないそれもまた人生、ああ川の流れのように・・・」
御存知美空ひばりの「川の流れのように」の歌詞です。人生は又、川の流れに例えられるかもしれません。全く先行きが見えません。希望通りにいきませんし、後悔も尽きません。今一度あの時に戻れたら、やり直せたらと思うことはいくらでもあります。
人生それぞれですが、その人の幸、不幸が決まるのは「生き様」であり、最後の「人生全う」や「大往生」も、その評価が決まるのもまさに「下り坂」の晩年です。日本人の寿命も延びてきて人生100歳の時代がやってきます。
ある統計によれば50年後の日本人の100歳の人口は64万人にもなるとか。65歳でリタイヤしたとしても、まだ20年から30年もの余生が待っています。長寿になるほど長い「下り坂」人生が待っているのです。
やがて平均寿命は100歳になるとも言われているそんな超長寿時代に対応するには兎にも角にも先ず健康でなければなりません。人生は「下り坂」がメインです。「下り坂」(拙僧を含め)のみなさん。幸も不幸もこれからが勝負です。
仏教の第一義は人の幸福です。その幸福を担保してくれるものこそ健康です。本ホームページが健康のタイトルにこだわっている理由です。そんなことで「病気にならない生き方」も今回で早35回にもなりました。
不老長寿はまさに人類の飽くなき欲望です。医科学もそれをモティベーションに日進月歩の発展を続けています。遺伝子解析やiPS細胞による再生医療によって、やがて癌をはじめ、様々な病気が克服されるでしょう。百歳人生は夢ではありません。
しかし、それらが現実になるのはしばし先のことでしょう。今の我々がその恩恵を受けるには間に合いません。当面は、自分の健康は自己責任のもとで、自己管理していくしかありません。
さて、前々回より歯科医師、森永宏喜先生の「全ての病気は『口の中』から」の著書より、その内容をご紹介させていただいておりますが、今回もその中から一緒に学んでみたいと思います。
実は、昨年11月19日(日)、森永先生の講演会(無料)が館山市文化ホールで開催されそれに参加させて頂きました。講演会のことを地元新聞で知り早速参加を申し込んだ次第ですが、それが7回目の講演会だったことに驚きました。
先生は、口の中の状態が如何に生活習慣病に影響を与えているか、そしてその予防が如何に大事かについてスライドやゲームを取り入れて丁寧に教示くださいました。先生の著書から予備知識は持っていましたが、改めて納得のいく「授業」でした。
誰でも歳をとれば歯が無くなるのは至極当然だと思っていたことが全くの間違いだったこと。生活習慣病など多くの病、特に認知症などにも歯周病菌が大きく関わっていることなど、更に「目から鱗が何枚も」落ちました。
講演が終わり帰り際、先生に挨拶をして著書を拝読させていただいたこと。その内容を拙僧のホームページに引用させて頂いていることのご了解を頂き名刺を交換させていただきました。全くのボランティアでの講演や啓蒙活動を医院職員が一丸となって定期に実行されていることに心から敬意を表します。
先生は、「噛める」ことは生命維持の基本と言われます。平成元年に、当時の厚生省と日本歯科医師会が中心になって「8020(はちまるにいまる)運動」がスタートしました。「80歳になっても、自分の歯を20本以上保とう!」と、広く呼びかけました。
歯が上下合わせて20本あれば、大体の食品を容易に噛めて、食生活に満足できます。そして、この「噛める」ということは、生命維持の最も基本的な条件の一つということがわかってきたからです。
「8020運動」を進めている財団は、噛むことの8大効用を挙げ、その頭文字から“ひみこの歯がいーぜ”というフレーズを謳っています。つまり「肥満防止、味覚の発達、言葉がはっきり、脳の発達、歯の病気を防ぐ、ガンの予防、胃腸の働きの促進、全身の体力向上と全力投球」の8つです。
最後の全力投球というのは、歯を食いしばると力がわいてくる、ということです。さらに言えば、「ひと口30」という勧めもあります。ひと口食べたら、30回は噛むようにしようということです。
よく噛むと、唾液の分泌が盛んになります。虫歯や歯周病を予防するのはもちろん、唾液に含まれている殺菌作用を有効に使うためにも、またセロトニンなどホルモンの分泌を促すという。
この30回噛むことは、日米共通のようで米国抗加齢医学会でも奨励しています。唾液分泌の活発はいろいろなホルモンの分泌も盛んにします。さらに、唾液に含まれるアミラーゼが、デンプンやグリコーゲンといった多糖類の消化を促進します。
神経年齢についても、口の中の状態とのかかわりがあることがわかっています。65歳以上の日本人を対象に、4年間追跡した調査によれば、歯がほとんどなくて、かつ義歯を使っていない人は、20本以上の歯がある人と比べて、認知症の発症リスクが1.85倍も高いという結果が出ています。
それに対し、歯がなくても義歯を使用している人の場合は、歯がある人と発症リスクに差は認められなかったそうです。噛むことは中枢神経を刺激し、脳細胞の減少を抑制するといわれています。中枢神経と「噛める」機能との深い関わりを示しているといえます。
よく噛むことで、唾液の分泌を活発にします。唾液には、免疫グロブリンAや、抗菌作用のあるゾチーム、ラクトフェリンなどが含まれていて、これらは、飲食や呼吸などで口から侵入してくる病原菌をブロックするのに欠かせない存在なのです。
口の中が良好な状態の人は、いろいろな慢性疾患にかかってないことが多く、それだけ免疫力が強く病気にかかりにくいと言えます。寝たきりや認知症の状態でずっと長生きするよりは、自分の事は自分でできて、社会参加もできるという老後でなければなりません。
超高齢化社会に向かって健康寿命が一層大事になってきています。「口は禍いの元」であることを肝に銘じたいものです。  

■生き方35 口内フローラ 口は禍の元2
2月15日は釈迦さまの命日涅槃会(ねはんえ)です。お釈迦さまが亡くなったことを「涅槃」と言いますが、改めてその意味について考えてみましょう。
サンスクリットのニルバーナの訳であり、原義は「吹き消すこと」、また「消えた状態」。転じて煩悩の火が消え、智慧が完成する悟りの境地をいいます。漢訳では、滅度、寂滅、円寂などがあります。
お釈迦さまの死を「入滅」と言いますが、人間としての80年の寿命を終えられたと同時に「涅槃」に遷(うつ)られたのです。
涅槃とは、煩悩のない真実の世界、完全無欠の一切の悩みや苦しみから脱した、円満、大安楽の境地であり、仏教で理想とする世界のことです。涅槃とはすなわち仏の世界そのものを指します。
お釈迦さまは「入滅」されたと同時に涅槃の世界に居場所を“遷(うつ)”され、そこで更に衆生“教化”に務められているので、それを遷化(せんげ)と申します。つまり涅槃の世界から引き続き娑婆世界を見守られているのです。
「峰の色谷のひびきも皆ながら我が釈迦牟尼の声と姿と」(道元禅師)お釈迦さまは過去の仏さまではなく今でも三身仏(法身・報身・応身仏)として生きておられるのです。我々(仏教徒)は皆お釈迦さまの子(みこ)なのです。
「今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是我子」(法華経・譬喩品) 「また釈迦牟尼はおおせられた『今この三界は、みなこれ我がものなり。そのなかの衆生は、ことごとくこれ我が子である。』」(正法眼蔵・三界唯心)
涅槃とは仏の世界だといいましたが、仏の世界というと、普通極楽浄土を連想しますが、極楽浄土は西方十万億土はるか彼方にある来世の世界であり、そこを治められているのが阿弥陀如来です。
お釈迦さまの担当される世界はこの我々の生きている娑婆世界ですから、遷化されて尚この娑婆世界に留まり我々を教化されていると考えるのが釈迦牟尼を本尊とする宗派の捉え方なのです。
阿弥陀信仰は来世の極楽往生のご利益を願い、釈迦如来信仰は現世のご利益を願ったものと言えるでしょう。そういった意味から、阿弥陀さまとお釈迦さまは比して大変対照的な仏さまといえるのです。
死ぬことを「お陀仏」といいますが、阿弥陀仏のところに往生することから来ているといわれます。では壊れたり使えなくなったりすることを「おしゃかになる」といいますがそれはどうゆうことでしょうか。
諸説あるなか最有力説では、江戸時代に鋳物師が阿弥陀仏を鋳造したところ失敗して「光背」を無くしてしまい、光背のない仏様と言えば釈迦牟尼仏なので、そのことから、失敗してダメになることを「おしゃかになる」と言ったとか。
またその失敗の原因が「火が強かった」というのです。江戸っ子は「ひ」を「し」と発音することから「しがつよかった」→「四月八日」=お釈迦さまの降誕会(ごうたんえ)なのでそれに引っ掛けて「おしゃかになる」というようになったとか。
まるで都市伝説のようですが信じるかどうかはあなた次第です。何れにしろ、人は誰でもやがていつかは「お陀仏」や「おしゃか」を迎えるわけですが、「人生全う」し「大往生」したいものです。それにはいつも言うように先ず健康です。
さて、前回に続き森永先生の著書から学んでみたいと思います。「口は禍の元」と言いましたが、特に昨今大きく注目されているのが認知症です。それに歯周病が大きく関わっているというのですから驚きです。
認知症のなかでも、特にアルツハイマー型認知症(AD)は、「アミロイドベータ―」と言う特殊のタンパク質が脳内に増えることが原因だと言われているのは案外皆さんご存知ですが、そもそも認知症は「脳の炎症」なのだそうです。
脳にアミロイドベータ―が溜まることで脳が炎症を引き起こし、炎症が更なる炎症を引き起こすのです。その炎症は、激しい急性の炎症ではなく、むしろ「長く続く慢性の小さな炎症」なのだそうです。
歯周病は口の中で起こる小さな慢性炎症ですが、驚くべきことに、アルツハイマーで亡くなった人の脳を調べたところ、歯周病菌の毒素が高頻度で検出されたそうです。
これに対して、アルツハイマーを発症していない人の脳からは、この歯周病菌の毒素は検出されなかったそうです。研究のリーダー名古屋市立大学・道川誠教授は「歯周病治療で、認知症の進行を遅らせられる可能性が出てきた」といわれます。
歯周病は、重症化しない限り強い症状はありません。自覚症状は少なく、中等度までは自分で見つけることが困難な病気です。その原因は細菌感染ですが、その原因菌は口の中だけでなく、血管を通して全身に拡散して悪さをしているのです。
厚労省の調査によると、50代後半から60代前半にかけて歯周病がある人の割合は、8割を超えています。また若い世代でも、歯周病にかかっている人は少なくありません。口臭の強い人、歯茎から出血する人は罹患していると疑った方がよいでしょう。
つまり日本人の多くに歯周病という慢性炎症があるということです。その小さな慢性の炎症が年齢とともに重症化していき、徐々に脳の炎症を悪化させていくというストーリーがあるのです。
アルツハイマー病の罹患率は、70代から急激に増加します。その病の原因となる脳内物質アミロイドベータ―の蓄積は、発症する15年ほど前から始まるといわれますが、まさに歯周病罹患のピークの年代と重なっているのです。
歯周病のような慢性炎症が、がん、糖尿病、高血圧などの生活習慣病の悪化に大きく影響するということが、アメリカでは10年以上も前から話題となっていたのに対し、日本ではようやく最近一部の専門家が気づき始めたのが現状だとのこと。
「日本ではまだ、歯周病の全身への影響の認識が十分ではないなかで、それにいち早く気付いていた超一流の先生がいらっしゃいます。その先生こそ、天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀された順天堂大学の天野篤教授です。
天野先生はエッセイのなかで、『厄介なことに口腔内の細菌は血液中に入り込みやすい傾向があるようです。(中略)たとえば歯周病で歯茎に炎症があると(中略)その免疫の連鎖反応が血管内にも飛び火します。その結果、起こるのが動脈硬化の悪化。(中略) 実際、歯周病の人は心筋梗塞になるリスクが高い報告があります』
そしてエッセイの最後は、『まさに口は病の元。下手をすると命取りになりますから、くれぐれもご用心を』と結んでいます。7200例以上の圧倒的な手術の実績を評価されて宮内庁からオファーを受けた、日本で右に出る者のない心臓外科医師だからこそ辿り着いたご見識ではないでしょうか。」と森永先生は評されています。
今や日本は押しも押されぬ長寿国ですが、2012年時点の認知症患者は約462万人、その予備軍は約400万人と言われています。3〜4人に1人は認知症になるといわれ、その約半数はアルツハイマー型といわれています。
歳をとれば誰でも歯は抜け、歯周病になったり認知症になったりするのは当たり前だと思っていましたが、認識を持ってケアに努めれば十分対峙できるのです。健康はまさに自己責任にあるということを改めて肝に銘じるべきです。  
 
四諦 3

 

■八正道 正見1 中道こそ正義
今まさに桜の花見シーズンクライマックスを迎えています。日本の桜の魅力もすっかり世界的になり、今年も多くの外国人がわざわざこの時期来日し、日本の花見文化を楽しんでいる様子が報道されています。
ここ館山に里見氏ゆかりの館山城がありますが、その城山公園もちょっとした桜の名所になっています。拙僧も先日ちょっと出掛けてきましたが、土日でないにも拘わらず多くの人出で賑わっていました。ネット情報社会のせいか県外からの車も多く見られました。
今年の花見による経済効果は試算によると6517億円にもなるとか。今年は好天に恵まれ春の嵐の心配もないようなので、経済効果も予想以上に伸びるかも知れません。いよいよ春本番です。
その昔、うららかな春の日差しの降り注ぐ中、お釈迦さまは何人かのお弟子さんと共に、野中の道を歩いておられました。冬の眠りから醒めた草木が、とりどりの花を咲かせている丘で、お釈迦さまは、足元を指して、「ここにお寺を建てるといいね」と申されました。
お弟子さん達に混じって御伴をしていた帝釈天が、一本の草をお釈迦さまの指さされたところに挿(さ)され、「お寺が建ちました」と申しあげました。すると、お釈迦さまは満足げにニッコリと微笑まれました。
「挙す、世尊、衆と行く次いで、手を以って地を指して云く、此の処宜しく梵刹を建つべし。帝釈、一茎草を将って地上に挿んで云く、梵刹を建つること已に竟んぬ。 世尊微笑す。」
この話は「従容録」という禅宗の祖録の第四則「世尊指地」の本則ですが、穏やかな春の日の一瞬のできごとのこのやりとりの公案の意味するものは一体何でしょうか。
宏智正覚禅師はその頌で、「百草頭上無辺の春 手に信(まか)せ拈じ来たり用い得て親しし」と示されています。春は地上にあるすべてのものの上に平等に訪れ、春の命が全く平等に注がれている。
その春の命はまさに佛性でありその陽光はまさに慈悲である。そこには人の分別や凡夫の物差しなどまったく入る余地はない。あるがままの春の如く、我々も全身全霊でその場、その時に臨まなければならない。
修行は普通お寺という道場で行いますが、本来修行というものは時も場所も選びません。即時、即座が修行なのです。大伽藍の中と麗らかな野原とで本質的な差などないのです。例えここが野原であれ、ここがお寺だと思えばそこがお寺になるのです。
まさに「却下照顧」、つまり「足もとだよ」ということです。「人生の生き方は歩々是道場」であるから、この場こそまさにお寺(道場)ですよ、という意味で帝釈天が一草を地面に挿して釈尊に示したのです。
本物の道場とは、いつ、どこであっても、「今、ここ」でしかなく、本物の修行とは、「今、ここ」に命をかけることです。「寺という道場はいつでもどこでもその場その場が道場である」という、帝釈天の反応に釈尊は感心して微笑されたのです。
法華経・神力品に次のような言葉があります。「もしは園中においても、もしは林中においても、もしは樹下においても、もしは僧房においても、もしは白衣の舎にても、もしは殿堂にありても、もしは千谷広野にても、是の中に皆まさに塔を起てて供養すべし。ゆえはいかん。 まさに知るべし。是の処は即ちこれ道場なり。」
どの一刻も「今」でない時はなく、「ここ」でない場所はない。食事をしている「今、ここ」、お手洗いで用をたしている「今、ここ」、仕事している「今、ここ」であろうとも、どんな一瞬も「即ちこれ道場なり」です。
人生の旅路の中には喜びの日も悲しみの日も、怒りや苦しい、逃げ出したい日など、いろいろあるでしょう。人生は喜怒哀楽の様々な現実との向き合いです。いかなる「今、ここ」に対しても前向きにあきらめずに真摯な姿勢で取り組むことが「自分の寺を建てる」ことなのです。
春がすべての上に平等に働きかけるように、仏の働きはいつでも、どこでも一切のものをつつみ込み、生かしてくださっているのです。何の分け隔てなく万民平等に見守ってくださっている、それが仏の慈悲であり、それに感謝し応えるのが供養です。
「降る雨は同じであっても受ける草木によって異なる」(薬草喩品)しかしながら、すべての人々を、子のように慈しむ仏の慈悲は平等であるが、人びとの性質の異なるのに応じて、その救いの手段には相違があるというのです。
「降る雨」とは恵みの雨であり、それはすべてに等しく降り注ぐ如来の慈悲の譬えのことですが、その恵みは受ける人すべてに平等ではないというのです。それは何故でしょうか。それはズバリ「縁」による格差です。
仏教の教え、釈尊の教えを一言で言うならば「因縁」の教えに尽きます。つまり「因と縁と果の法則」であり、良き因と縁によって良き果がもたらされるという誰もが知る極めて合理的な因縁論に他なりません。
すべての命は、ご縁によって「生かされている命」ですから、その自覚を持って生活している者とそうでない者とでは、当然そこに結果としての差が生じるのです。ただし、たとえ因が同じでも縁を変えれば果は変わる。だから仏教は「よき縁を」と強調するのです。
何よりも「良き縁」をつくること。その教えこそが「四諦八正道」なのです。四諦とは苦諦、集諦(じったい)、滅諦、道諦の四つで「諦」は「真実、真理」を意味します。
苦しみという結果が出た。それには必ず原因がある。これが苦諦と集諦で、滅諦はその苦しみが転じて安らぎとなった世界であり、道諦はその安らぎの世界への実践道で、その中味が八正道として説かれているのです。
この世はすべて歴然たる因、縁、果の世界なのですから。その縁を良くするも悪くするもすべては本人の自覚次第です。その自覚を正すのが八正道、まさに文字通り「八つの正しい道」なのです。
正という字は、単に正しいということではなく、「真ん中、中央」という意味です。つまり偏らないということです。偏りとは、たとえば偏見、偏食、偏執といった言葉がある通り、心に偏りがあるということです。
仏教は中道の教えといわれるのは、つまり偏りを正す教えだからです。ものごとに固執して偏った考え方や行動からすべての不幸や苦しみが生じるのです。たとえば、体によくないと分かりつつも暴飲暴食を続けたり、不規則な生活を繰り返したりしていたら健康を損ない病気になるのは当たり前です。
つまり、自業自得という道理が分からないか、或いは分かっていても実行できないという「縁」によってもたらされる不幸なのです。だからその悪い「縁」を断ち切り、よき「縁」に導くための教えが八正道なのです。
何よりもそんな偏りのない中道を歩まなければならない人こそ国政の指導者でしょう。今の安倍政権とその与党の政治家にそんな矜持がまったく感じられません。森友学園問題や加計学園問題など、疑惑は一層深まったままです。
まさに安倍一強による悪因の結果であり、これは国政の私物化であり犯罪行為にほかなりません。これが許されるとしたら最早民主主義ではありません。今まさに日本人の資質が問われています。 

■八正道 正見2 唯我独尊
4月8日は御存知お釈迦さまの御生誕を祝う花まつりの日です。降誕会と言いますが、それは兜率天という天界におられたお釈迦さまが、娑婆世界の悩める一切衆生を救わんがために下界に“降りて”こられたという意味から「降誕」といいます。
伝説では、お生まれになってすぐに七歩進み、右手で天を、左手で地を指差して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言されたといわれています。その時、天に九頭の龍が現れ甘露の雨を注いで祝福されたとのこと。
お釈迦さまのお母さまマーヤ夫人は出産のため里帰りの途中休息したルンビニーの花園でのことでした。花御堂を造り、これをルンビニーの花園として見立てて甘茶を灌(そそ)いでお祝いすることで、花まつりと言われます。
お釈迦さまの誕生仏に甘茶を灌ぐことから正式には灌仏会(かんぶつえ)といいます。その他、仏生会(ぶっしょうえ)浴仏会(よくぶつえ)龍華会(りゅうげえ)花会式(はなえしき)などとも呼ばれます。
七歩進まれたといわれますが、ある説によれば、7というのは、6プラス1です。その6というのは、六道輪廻の世界、つまり迷い苦しみの世界のことであり、その六道から離れ悟りの世界へ晋むもう一本の道の意味が7歩だというのです。
それにしても、「天上天下唯我独尊」とは、「天の上にも天の下にも、私ひとりこそ尊い」という意味ですが、普通の人の言葉としたら傲慢以外の何ものでもありません。が、釈尊の言葉として受け止めるとき、そこに仏教の大事な精神があることは容易に推測できます。
では、その仏教精神とは何なのでしょうか。一つのエピソードからその意味を考えてみたいと思います。釈尊が御在世の頃のことです。コ―サラ国のハシノク王は、ある日王妃のマッリカー夫人にたずねました。
王「妃よ、世の中で、自分より愛しいと思うものがあるか」 妃「王よ、私には、この世に自分より愛しいと思われるものはありません」 王「そうか。私もそうとしか思えない」
日頃釈尊の教えを深く聞いていればこそ、この「誰よりも自分が愛しい」という、本能ともいうべき「我愛」の姿に気づいた王夫妻は、慈悲を説かれる釈尊の教えに背くような気がして、二人は釈尊を訪ね、そのことを申し上げました。
二人の言葉に耳を傾け、深くうなずかれた釈尊は、次の言葉をもって示されました。人の想いはいずこへもゆくことができる。されど、いずこへおもむこうとも、人は、おのれより愛しいものを見出すことはできぬ。それと同じく、他の人々も己はこの上もなく愛しい。されば、己の愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ。
「自分よりあなたを愛する」「自分より家族を愛する」といいますが、ぎりぎりのところに追い詰められたとき、誰もがまず自分を先とします。これが偽らぬ人間の姿ではないでしょうか。
釈尊は、理屈抜きに、生きる本能ともいうべきこの「我愛」の姿をごまかさず凝視せよ、とおおせられました。さらに一歩進めて、そのわが身かわいい想いが満たされなかった時の悲しみ、無視され、傷つけられたときの苦しみ。
思うようにゆくとのぼせあがり、思うようにゆかないと七転八倒し、あるいは落ち込み、あるいは他人を怨んだり、ときには仕返しをしてやろうとする悍ましささえ持ち合わせているのが人間の心です。
そんな痛み苦しみを、ごまかさず、眼をそらさずしっかり受け止め、その苦しみのどん底で眼を他に転ぜよ、とおおせられたのです。
私がこんなに自分がかわいいように、あの人もこの人も自分がかわいいのだ。私がこんなに認められたい、傷つけられたくないように、あの人もこの人も認められたいんだ、傷つけられたくないんだ。
私がこんなに無視されて悲しく苦しいように、あの人もこの人も悲しいんだと、わが身にひき比べて、他の悲しみ苦しみを我がことと受け止めよ、と示されたのです。これが「他の人々とも自己はこの上もなく愛しい」の第二句目の心です。
結びとして「されば、おのれの愛しいことを知るものは、他の者を害してはならぬ」と説かれています。本能ともいうべき「我愛」が百八十度みごと方向転換したものが「慈悲」の心だということがわかります。悲しみ苦しみが、求道の扉を開く鍵だと言われる所以です。
「肉眼は他の非が見える。仏眼は自己の非に目覚める」といわれます。自分では自分の姿は見えない。仏の御眼に照らされ、真実の教えの光に照らされてはじめて我が非に気付かせていただくことができるのです。
「正見」によって我が非に気付かせていただき、歩むべき方向づけができる。偏りのない天地の道理をしっかり「正見」することで「慈悲」が生まれるのです。ハシノク王夫妻は「我愛」を転じてほんとうの「慈悲」の意味を知ったのです。「慈悲」の教えこそまさに仏教なのです。
「天上天下唯我独尊」、「天の上にも天の下にも、私ひとりこそ尊い」の意味するところは、自己が尊いのは、すべての人それぞれも同じであり、自己へのほんとうの「愛しさ」を知ることで、他己も同等であることが分るのです。自己への「愛しさ」が正見できたときそれを「慈悲」に昇華できるのです。
釈尊の「唯我独尊」はまさに正見に基づくものであったことがわかります。「正」という文字は「一以って止まる」、つまり「一」と「止まる」から構成されているといわれます。
易経では「一は天を指し、二は地を指す」といい、老子は「一は道であり、善である」と説いています。良寛さんは「人間の是非一夢の中」と詠じておられます。
人間世界の是非善悪は実に中途半端なものです。それは、時の流れや立場が変わることで是非が容易に逆転するからです。都合や事情で変わる是非善悪は決して本物ではありません。
それは、いついかなるときも天地の道理に照らしてみることで検証できます。前回仏教は中道の教えだと言いましたが、その基準、視点が八正道で示されているのです。天地の道理に照らし「正見」を見極めずして幸福はありえません。
この因果は個人でも社会でも、国家レベルでも同じことです。国の指導者が、我見、我執に負けて我欲に捕らわれたら国家、国民が被る不幸は甚大なものです。
その最たるものこそ今世界中が最も注目している北朝鮮でしょう。この27日、独裁者正恩委員長は韓国文大統領との歴史的会談に踏み出したわけですが、この後の米トランプ大統領との会談で彼の非核化の本気度がある程度わかるでしょう。
しかし、彼は世界で最も信頼のおけない独裁者です。これまでの彼の人間性と核に対する固執から考えて、易々と核を完全廃棄するとは拙僧には思われません。この懸念が結果的に間違いになることを願いつつ本日はこの辺にしたいと思います。  

■八正道 正見3 極妙の法則
前回、良寛さんの「人間の是非一夢の中」という句を紹介しましたが、この句は、「半夜」という七言絶句の中の句であり、この前に「回首五十有余年」首(こうべ)を回(めぐら)す五十有余年という起句があります。
良寛さんはしんしんと降る雨の夜、寝付かれなかったか眼を覚まされたなか、ご自分の五十有余年の人生を振り返ってこの詩を詠まれたといわれます。「人間」は「にんげん」とも「じんかん」とも読まれます。
人間世界での是や非、善や悪、優劣など、それらはみんないい加減な夢のようなものだというのです。なぜならば、人間が間違いないと思い込んでいる価値判断は所詮人間のつくった「モノサシ」での判断であり、その目盛りの中心はいつも「わたし」にあるからです。
前回の「天上天下唯我独尊」という言葉も人間のモノサシだったら傲慢以外のなにものでもありません。お釈迦さまの言葉として、宇宙絶対の真理というモノサシによるものだからこそまさに「正見」なのです。
「正見」の反対が「我見」「邪見」です。因果の道理も業報の道理も信じない自己中心的なよこしまな考えが「邪見」です。立場や都合によって逆転するような善悪こそまさに邪見です。どこまでも天地の道理に則った「是非」でなければなりません。
伝教大師最澄は、「発(おこ)し難くして忘れ易きはこれ善心なり」と語っておられます。この「善心」こそ「正見」から生まれた「私心」のないものです。主観的モノサシに捕われるのが「私心」です。
天地の道理に背むき自ら招く苦しみ、そんな苦しみや不幸に陥らないために「私心のない善心」を正見は説いています。その実践は極めて単純明解、只「悪いことはするな、善いことをせよ」です。
「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」これは「七仏通誡の偈」(しちぶつつうかいのげ)と呼ばれるもので鳥窠道林禅師(八二四年寂)が、白楽天(八四六年寂)の問いに答えたと言われる有名な句です。
仏教史上特に有名なエピソードの一つとして伝わっています。白楽天が道林禅師に「いかなるか仏法の大意」(仏教の基本は何ですか)と問われました。それに対し禅師は、「悪い事はするな、善いことをせよ」と答えたのです。
それに対し白楽天は、「そんなことは三歳の子供でも知っている」と返されたのです。それに禅師は、「三歳の子供でも知っていることを、八十の老翁が実行することはできない」と叱咤され、白楽天は拝謝して去ったといわれます。
道元禅師は、「早く自未得度先度佗(じみとくどせんどた)の心を發(おこ)すべし。その形陋(いや)しというとも、此心を發(おこ)せば、巳(すで)に一切衆生の導師なり、設(たと)い七歳の女流なりともすなわち四衆の導師なり、衆生の慈父なり、男女を論ずること勿(なか)れ。これ仏道極妙の法則なり」と垂示されています。
「私心のない菩提心を持った人であれば、たとえ僅か七歳ばかりの童女であろうとも、四衆の導師であり、慈父ともいうべきものである。そこに男女の差別などまったくない。これは仏道極妙の法則である」と喝破されています。
「四衆」とは、比丘、比丘尼、優婆塞(在家の信士)、優婆夷(信女)のことです。「男女を論ずることなかれ」という文句について一言言わせていただければ、わが宗祖道元禅師の女性観を如実に語られているということです。
仏教における男女両性観は、いわば男尊女卑的でありますが、禅師は法の上から、さらにいうならば修行と悟りの上から、男女を全く平等に観られています。禅師の女性観ともいうべきものは、「正法眼蔵礼拝得髄」の巻を通じて十二分に窺うことができます。
菩提心を發した者は、老若男女、年齢に関係なく仏道修行の導師である。これは「仏道極妙の法則」であると断言されています。今からおよそ750年も昔(鎌倉時代)に禅師はすでに老若男女に何の優劣もないという真実を見極められていたのです。
真実は時代によって変わるものではありません。立場や都合によって変わるものでもありません。よく、「時代が違うから」とか、「立場上」から“持論”を主張される人がいますが、それらは「正見」とはいえません。
正見は「仏道極妙の法則」が担保になっているのです。  人間界は御存知六道輪廻のうちの一つです。即ち迷いの世界であり否応なしに四苦八苦の宿命に見舞われている世界なのです。
ですからどんな人でも、人間として生まれてきた以上四苦八苦から逃れることはできません。ただ言えることはその四苦八苦の有様には個人差があるということです。たとえば「病苦」です。その実態は実に百人百様です。
ピンピンコロリの人から半生も寝たきりの人まで様々です。拙僧も多くの人の終末を見てきましが、その実態はまさに百人百様です。幸福な人生を全うするには健康が欠かせません。ですから拙僧は「病気にならない生き方」にこだわっているのです。
人の幸福を左右するのはそんな体の健康だけではありません。仏教が最も問題視しているのが「心の健康」即ち「貪・瞋・痴」との関わりです。人が起こす悪事の源の殆どがこの三悪趣に因るからです。
この悪趣の実態もまさに百人百様です。警察沙汰もスピード違反程度だけで終わる人もいれば、人生の殆どを牢獄の中で送る人までいます。この三悪趣の根源をいかにコントロールするかに人生の幸福が掛かっていると言っても過言ではありません。
掛けがえない人生とはよく言ったものです。そんな大事な人生を少しでも善いものにしたいというのが万人当然の願いです。そのためのテキストが八正道だとしたらそれを活用しない手はありません。
有史以来人の生活と科学は目覚ましい進歩を遂げました。人類が続く限りその流れは決して止まることはないでしょう。しかしながら、人の心に翻ってみると、その進歩は科学に比例して豊かになっているようには思えません。否、むしろ心は退化傾向にあるようにさえ思えてしまいます。
実際、地位や名誉や富、教養がある人でも全てが善人であるとは限りません。善人であるための担保は只ひとつ善心です。善悪の有象無象が蠢く人間界、三歳の童女が知っている良識が八十歳の老翁にも難しいという、そんな教訓の一つが只今炎上中の日大アメフト問題でしょう。
加害者の宮川選手は「つぐないの一歩として、真実を話さないと、顔と実名を公表してこそ真の謝罪」と勇気をもって会見に臨みました。その誠意ある若者の態度にむしろ感動してしまいました。
それに比べ“立派な大人”の監督やコーチは言い逃れとウソに徹しました。自浄能力のない大学の組織。長年蓄積された悪趣の膿が出るべきして出たのです。まさに「因果の道理歴然として私なし」(道元禅師)です。貪瞋痴による業報に容赦はありません。
そんなウミの“最大級”のモデルこそ森友、加計問題でしょう。隠蔽、改ざん、虚偽の証拠を次々に突き付けられてもなお反証もなしに否定するだけの厚顔無恥の安倍さん。そんな人が総理を続けていること自体全く理解できません。
安倍さんの権力の私物化をこれ以上許しておいて良いのでしょうか。事実を正し理不尽な悪事を許さない。そこには与党も野党もありません。与党議員は安倍さんに阿る前に、国民から選ばれた国会議員であり国民の負託を担っている立場であることを自戒し、その矜持を示して欲しいものです。
さて、残念ながら毎日新聞特別編集委員の岸井成格さんが亡くなりました。「戦後レジームからの脱却」を主張し、日本の立憲主義を危うくさせる数々の法案に対して容赦ない批判をしてきました。
戦後日本が築き上げてきた保守の崩壊に並々ならぬ危機感を感じていました。分り易い解説と温厚な人柄の中にも強い正義感を持った人でした。そんな優れたジャーナリストがまた一人いなくなりました。心よりご冥福をお祈りいたします。  

■八正道 正思惟1 仏は無相
四諦の「諦」は「真実、真理」を意味し、道諦はその安らぎの世界、即ち悟りへの実践の方法を示す道であり、その中味が八つあることから八正道といいます。正しいとは右でも左でもない真ん中、つまりかたよりのない中道ということです。
人は偏よった考え方に立つことで偏見、偏執を持ち、ものごとが正しく認識できなくなります。誤った考え方から悩みや苦しみが生じます。だからこそ人は常に八正道に心がけなければなりません。
正見(かたよらないものの見方)
正思惟(かたよらない考え方)
正語(かたよらない言葉づかい)
正業(かたよりのない行い)
正命(かたよらないせいかつ)
正精進(かたよらない営み)
正念(かたよらない心もち)
正定(かたよらなき落ち着き)
「正見」については前回までに述べてきましが、今回は二つ目の「正思惟」(しょうしゆい)について考えてみましょう。これは「かたよりのない考え方」ということです。
経典には、相反する二つのうち、一方を取ってそれに捉われるならば、それは誤りであると説かれています。私たちはともすると、善と悪にとらわれ、邪と正にとらわれ、美しいものとそうでないものにとらわれて、安心したり、不安になったり、喜んだり、悲しんだりします。
釈尊は、人間の苦しみ、迷いの根源を「執着」と洞察し、善も悪も、正も邪も、美も醜も、長も短も、重も軽も本来固定的、実体的なものではなく、すべて執着、固執による偏見からきている認識だと言われます。
つまり善悪の判断が「執着」から生まれる偏見によるものであれば、その認識は誤っているのです。偏見、偏執がすべての迷いや悩み苦しみの根源なのです。それは前回指摘したように、間違った「モノサシ」のせいなのです。
偏りのないモノサシで考えなければ正しい判断にはなりません。正しいモノサシでものごとを考える・・・これが正思惟です。その基本は、先入観や思い込みや主観などにとらわれないということです。
そして「ありのまま」の意味を考えてみることです。ものごとをありのままに見るのが、さとりであるということは、これまでも触れてきましたが、如実知見・・・まさに「実のごとくにものごとを見る」ということです。
ある僧が、「曲がりくねったこの松をまっすぐ見た者には褒美をとらす」と木片に書いたという。どこから見てもまっすぐ見られない。相談をうけたある僧が、「簡単なことだ。ずいぶん曲がった松だと言えばよい」と答えたそうです。
これは一休禅師と蓮如上人のエピソードとして伝えられています。「まっすぐ」とは「ありのまま」ということです。曲がったものを「ありのまま」見られないという凡夫のこころを見事に突いています。
禅問答のような話ですが、松の木が「曲がって」いるという事実を「そのまま見る」ことが「まっすぐ見る」ことです。「ありのまま」という事実以上の真実はありません。人は「ありのまま」を「有相」という色眼鏡で見ているのです。
仏法には有相(うそう)と無相(むそう)という二つの考え方があります。有相とはものごとを実態的にとらえる考え方であり、無相とはすべての存在が空(くう)なるもの、つまり無我なるものと捉える考え方です。
人は、どんなものでも実態にこだわります。どんな形か、どんな色か、どんな大きさか、どんな重さか、どんな質か。その実態に応じてそれぞれ勝手な基準で価値判断がなされています。
格好や色の違いや大小でそのものの価値に歴然とした格差をつけます。たとえば、スーパーで売られているキュウリ一本にしても、曲がったものはまっすぐなものより劣っているとされ値段は安くなります。
キュウリそのものの実体(中味)は変わらないのに形で優劣が付けられてしまうのです。同じ種から育ったキュウリなら質は同じ筈なのに見た目で格差をつけるのが人のモノサシです。
トマトもかぼちゃもしかりです。イヤ、野菜や果物だけならいざ知らず、まさに人に対しても同様なことが起こっているのです。同じ人間なのに「人種」ということばがあります。その言葉は人をまっすぐ見られないモノサシになっています。
つまり人のモノサシは所詮人のかたよったモノサシなのです。そんなモノサシの世界が「有相」の世界であり、そんなモノサシのない世界が「無相」の世界と言ったらよいでしょう。前者が迷いの世界であり、後者が悟りの世界です。
ですからわれわれは、そんなモノサシのない正思惟を心掛けなければなりません。形に限定されるとそれだけのものになってしまいます。真実は形を超越した無相です。形あるものの実体は無相なのです。無相が真実であり、それが仏の姿なのです。
さて、ここで疑問になるのが、「無相が仏の形」であるならば、では仏像とは何か。仏像は形でありまさに有相ではないかという疑問です。確かに我々の周りには沢山の仏像があり礼拝し供養しています。まさに当然の疑問です。
「歎異抄」には、阿弥陀仏のお姿が経典に説かれているが、それは方便の姿であると示されています。「方便」・・・つまり真実の仏を認識させるための「手段」であるということです。「この一如(真理)よりかたちをあらわして方便法身となのりたまいて」(親鸞聖人)
仏、仏身という真理を悟った存在と仏像といったものは違うものであり、真理そのものは「法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり」(親鸞聖人)
その色なきもの、形なき真理を具体的に示し、人びとの認識の対象とする手立てとして「方便形像」が生まれたのです。それが方便法身のお姿であり、真理そのものではなく方便法身は真理の具体的顕現であり、この形を通して、真理そのもの(法身仏)に出会うのです。
仏像の意味、それは法身仏を顕した「方便仏」だといわれるのです。以前から拙僧も指摘してきたことですが、仏教は本来「偶像崇拝」の教えではないということがこのことからも分かるかと思います。
「すべての存在は空、無相であるという立場に立ち、「有無の邪見を破(は)すべしと世尊はかねてときたもう」(親鸞聖人)
「仏祖はいかにして成るか、それはあるがままの相(すがた)を究め尽してなるのである」正法眼蔵(道元禅師)
「あるがままの相」こそ「偏りなき」「こだわりなき」「捉われなき」実相であり、その実体は無相なのです。それを空と言い、真如と言い、そして仏と呼ぶのです。 

■八正道 正思惟2 人災
前回、仏像は真実の仏を認識させるための「手段」であると述べました。繰り返しになりますが、仏という真理を悟った存在と仏像といったものは違うものであり、真理を具体的に示し、人びとの認識の対象とする手立てとして「方便形像」が生まれたのです。
仏像は方便法身のお姿であり、真理そのものではなく方便法身は真理の具体的顕現であり、この形を通して、真理そのもの(法身仏)に出会うのです。仏像は、すなわち仏を顕した「方便仏」だったのです。
その真意を示した公案を紹介しましょう。「真佛坐屋裏」(しんぶつおくりにざす)[碧巌録] 趙州、衆に示して云く、金仏炉を渡らず、木仏火を渡らず、泥仏水を渡らず。 此の三転語を挙示し了って、末後、却って云く、真佛屋裏に坐す。
仏像といえば、尊く、お堂の奥の仏壇に奉られ、拝まれる有難いものです。金属でできていたり、木でできていたり、石や泥でできていたり様々です。人々はみなそれらが仏様だとして拝んでいます。
しかし、真の仏さまは「金剛不壊」といって決して壊れたりしないものです。ところが、金属の仏は炉に入れれば溶けてしまい、木造の仏は火に入れれば燃えてしまい、石や泥の仏は水に溶けたり落とせば壊れたりしてしまいます。
では本物の仏とは一体何なのかというのがこの公案です。大衆に疑問を投げかけて、趙州(じょうしゅう)禅師自らが答えて示したのが、「真佛坐屋裏」です。
屋裏とは家の中という意味ではなく「わが身」「わが肉体のなか」という意味です。生まれながらの我がこの肉体にこそ真佛が宿っているという意味です。真佛は塑像ではないので、絶対に燃えない、溶けない、壊れない。
真佛は拝む対象としてあちら側にあるのではなく、この我が身の中にこそあるのであって、まさに「衆生本来仏なり」という、自己の仏性に目覚めさせるための公案です。
もう一つ、中国・唐の時代、慧林寺の丹霞天然禅師の焼仏の話が有名です。冬厳しい寒波の中、丹霞は仏殿から仏像を持ち出してきて、それを燃やして暖をとろうとしていました。
住職はその暴挙を見て、なぜそんな無謀なことをするのかと詰りました。丹霞は平気な顔で、燃え盛る仏像を探りながら、「舎利を探しているのだ」とこたえました。
舎利とは仏舎利のことでお釈迦さまの遺骨のことです。住職は「木像に仏舎利があるわけがないじゃないか」とカンカンになって怒りました。丹霞は「舎利のない仏像ならただの薪と同じではないか」と言って平然と暖をとったというのです。
真仏を求めず、ただ仏像という形に捉われていてはならないというまさに戒めの逸話といえるでしょう。一切の固定観念をすて、思い込みや偏見による主観から脱却したところにいるのが真仏です。「脚下照顧」まさに「真佛屋裏に坐す」です。
さて、連日猛暑、酷暑が続いています。「命に関わる危険な暑さ」とマスコミも一番に熱中症の注意を呼び掛けています。24日ついに埼玉県熊谷市で41,1℃という国内観測史上最高を記録しました。
気象庁はこの猛暑を命の危険のある「災害」だと認識するとのコメントを出しました。熱中症患者も続出ですが、この「災害」は対応次第で避けられるものです。東京オリンピックまであと丁度2年だとしてマスコミはカウントダウンを始めましたが、問題はこの時期の暑さです。
明らかに熱波による「災害」の危険のなかで実施されるオリンピックはまったく馬鹿げています。アホかと主催者側の良識を疑います。米国のプロスポーツや欧州のサッカーなどと競合しIOCの収入が減るためとかいわれますが、4年に一度の世界一の平和の祭典であるオリンピックこそ最優先にすべきでしょう。
海外からも懸念と時期の見直し論のニュースが急増しています。世界ナンバーワンの平和の祭典が失敗に終わらないためにも、今からでも遅くはありません。関係者の再考と勇気ある決断を願います。
さて、出来るだけ外出を控えたいこの暑さの中、去る22日拙僧が兼務するお寺の境内草刈り掃除が行われました。三方山を受けている場所だけに範囲が広いのです。毎年この時期お盆に向けての檀家さんによる恒例の奉仕作業ですが、今年も例年通り実施されました。
拙僧も一緒に作業しましたが、やはり暑さは半端ではありませんでした。汗だくのまさにサウナ状態での作業はほんとうに大変でした。それでも例年のように30名もの方々が参加して下さり、すっかりきれいになりました。良いお盆が迎えられそうです。只々感謝です。 なんとか熱中症もなく無事に終わりホットしましたが、お寺の掃除行事等における怪我や事故等への対応の保険には入っていますが、これからは保険にも「熱中症対応」を加える必要があるかもしれません。
我々が子どものころといえば、夏どんなに暑くともせいぜい扇風機さえあればなんとか過ごせたものです。熱中症という言葉もあまり聞かなかったような気がします。昔は当然クーラーなんてありませんでした。それがこの頃ではクーラーなしでは生きて行けない状況になってしまいました。
まさに温暖化による異常気象なのでしょう。日本は東日本大震災から熊本大地震と今回の西日本豪雨大災害と想定外の天災に見舞われました。観測予報の技術が進歩したとはいえ天災はまだまだ人智の及ばない非情で不条理な世界です。
しかし、異常気象に関しては、その原因が人間による環境破壊だとしたら、それは天災ではなくまさに「人災」というべきものでしょう。人災だとしたら人智で防げるものです。今それに対応しなければ人類に未来はありません。
環境異変は、特に貧困や飢餓に苦しむ地域に一層の被害をもたらすと考えられます。温暖化により多くの国の重要なインフラや領土に及ぼす影響は、国家安全保障問題に発展する恐れもあり、紛争や内戦、戦争のリスクを増加させる可能性も高いのです。
地球規模で相次ぐ異変。環境に国境はありません。まさにボーダーレスです。その環境に対する巨悪の第一人者と言えばアメリカのトランプ大統領でしょう。パリ協定から離脱し地球温暖化を否定し、横車を押している暴君です。
まさに「正思惟」のない独善的な変人。最近北朝鮮金委員長と波長が合ってきているようです。そんな人間を大統領に選んだアメリカこそ災難です。ロシアによる選挙介入があったにせよ、彼こそまさに「人災」の模範であり、その災難は世界に拡散しつつあります。
日本にとっても対岸の火事ではありません。日本にもリトルトランプがいます。安倍さんの総裁三選が濃厚となりました。日本も「人災」が“佳境”に向かっています。現在それを防ぐ手立てはありません。国民はあきらめるしかないのでしょうか。
しかし、立憲主義を危うくするような我利我利亡者に国を乗っ取られてもよいのでしょうか。主権は国民にあるのですから国民は「正思惟」のある政治家を選ぶべきです。国の政治責任は国民自身にあることを自覚すべきです。 
 

 

■八正道 正思惟3 バカ知恵
八月も終わりだというのに、猛暑がぶり返してきました。何十年か後の気候のシュミレーションをテレビでやっていましたが、地球の環境は人間が生きて行ける状況ではないそうです。
過去これまで地球上あまたもの生物が繁栄と絶滅を繰り返してきましたが、人類はもはや“絶滅危惧種”になってしまうのでしょうか。その原因が自ら招いた環境破壊だとしたらまさに自業自得です。
あの恐竜さえも2億年も栄えたというのに、今の人類はその足元にも及ばないことになります。恐竜絶滅は巨大隕石による環境破壊だったといわれていますが、それは“天災”であり、人類の自業自得による“人災”とは大きく異なるものです。なんという因果でしょう。
温暖化による海面上昇による国土の破壊。熱波による疾病や死亡。干ばつによる食料不足問題。生態系の変化等々・・・地球は悲鳴をあげています。そのしっぺ返しの一つが前回指摘した異常気象です。
新人類(クロマニヨン人)が出現してから20万年、今の人間の人口が爆発的に増えたのはここ100年足らずのことです。地球上の人口は現在約73億人です。2050年までには97億人になるとの予測です。地球上で食料を賄えるのは80億人が限界だとの説があります。
地球を我が物顔で私物化し環境破壊を続けている人間。73億人が出す様々なゴミによって地球上がまさにゴミ捨て場なっています。人間の「バカ知恵」が生んだアスベストや核廃棄物など、有害で分解されないゴミは今や宇宙にまで拡散しています。
最近プラスティックやビニール製品などがクジラや魚の体内から出てきて、ようやく問題意識が高まってきましたが、ストローをマカロニや麦わらに替える程度ではなんの効果もありません。全地球的規模の意識改革が必要です。
人口増加と環境悪化、食料不足などから人類の未来は暗雲に覆われています。人類の“寿命”はあとどのくらいなのか。地球寿命のスパンからいえば人類の寿命はあと数秒かもしれません。人間は自業自得の因果により確実に自滅に向かっています。
そんな人間の「バカ知恵」が抱える問題はほかにもあります。第一次産業革命以来、人類は便利至上主義のもと猛烈な勢いで科学技術を発展させ豊かな生活を手にしました。
人間の欲望には限界がありません。今や第四次産業革命時代ともいわれ、その中心にあるのがまさにAI(人工知能)です。人間のIQを越え、将棋も囲碁のプロさえ敵いません。もはやAIが先生になってしまいました。
車の自動運転やドローンのような無人飛行体の可能性も計り知れません。空飛ぶ自動車が二年後の東京オリンピックの開会式デビューを目指しているというニュースがありましたが、その時にはもはや“サプライズ”とは言えないものになっているでしょう。それほどAI技術の進歩の勢いは凄まじいのです。
AI技術があらゆる分野において人間にとって代わっています。それはまさにAIによって人間自身が追い遣られているということです。更にAIは人間の仕事を奪ってしまう心配以上に恐ろしい可能性を秘めているのです。
家事や介護ロボットから、人間では近づけない危険な場所での困難な作業用ロボットなど平和的利用のものなら大歓迎ですが、問題は戦争用に開発され無人殺傷兵器にまで及んでいるという事実です。宇宙科学者池内了氏が発している懸念と警告を以下紹介します。
自我を持たず人間の命令に従って行動する「弱いAI」ではなく、自我を持ち自分で判断して自分の行動を自律的に決めていくという「強いAI」が出現した場合、AIロボットは単なる人間の模倣ではなく、人間を越えて自分の意志で行動する新しい「生物体?」になりかねないことです。
自らの意志で行動できる「強いAI」が戦争に動員される事態になれば、戦争の形態や戦術・戦略が大きく変化し、戦争は悲惨でより恐ろしい事態を招くことになってしまうでしょう。この3月に亡くなった英国の物理学者ホーキンズは自律型AIは人類を絶滅させるかもしれない、と警告していました。
ようやくAIの軍事利用問題があちこちで議論されはじめました。2017年(昨年)11月に日米欧中ロなど約90カ国が「自立型致死兵器システムについて」と題する政治専門家会議を開催しました。
しかし、ここでの議論は、各国が軍事利用へのAI兵器の拡大を警戒して規制を強くしなければならないが、民生分野の技術開発にもブレーキがかからないようにしなければならないという、危険と儲けの二股かけた議論に終始したようです。
どの国も率先して軍事利用を止めようということを主張せず、曖昧なままに終始したのです。こんな状態を続けていれば、低コストでAI兵器を量産する国が出てくるかもしれません。
手塚治虫が「火の鳥」で、電子頭脳の命令で核戦争が勃発し人類が滅亡する未来を描いたのは50年前でしたが、手塚の想像力のすばらしさに感心するとともに、今やそれが現実となるかもしれない心配がでてきました。
(以上宇宙科学者池内了氏)

独自の適切な判断で行動してくれるロボットほど便利なものはないでしょう。それを目指してロボット技術の開発は凄まじい勢いで進んでいます。人類は明らかに、限りなく人間に近いロボット、アンドロイドの完成を目指しているのは確かです。
そして人類が最終的に目指すゴールは、間違いなく「心を持ったロボット」でしょう。それはかなり遠い未来のことかもしれませんが、心を持つということは、適切な善悪判断ができるという理性が担保されなければなりません。
しかし、もし彼ら(ロボット)が自己主張や自己保身を優先し、理性の利かない存在になったら、もはや人間の手で彼らを制御できなくなる可能性があります。厄介なモンスターになって人類に襲いかかりかねないのが未来のAIロボットです。
拙僧の陳腐な仮説ですが、やがて超高度に“進化”したロボットは、自らの手でロボットを生産する時代がきます。IQは当然はるか人間以上に進化していますから、人間はもはや彼らに太刀打ちできません。
彼らが「ロボット権」を主張し人間に反旗を翻したその時、ついにロボットが人間を支配することになります。人間はロボットに管理され追い遣られ、やがて人類はフェードアウトし絶滅に至るというシュミレーションです。
人類にとっての暗雲は環境破壊にかぎりません。やがておとずれるそんなロボット時代こそ問題です。人類の後地球上の主がロボットになるかもしれません。まさに「ロボットの惑星」です。どれもこれも人間自らの「バカ知恵」が招いた因果です。
ことのついでにもう一つ言わせていただくと、スマホ問題です。先日所用で東京に行きましたが、どこもかしこもスマホ人間だらけでした。拙僧もスマホは持っていますが、自分的にはほとんど使いこなせていないレベルです。歳のせいか敢えて使いこなそうという興味も気力もありません。
ながらスマホで自転車運転の女子大生が歩行中の女性にぶつかり死亡させた事故がありましたが、自転車であっても法律上は自動車と同じで、3千万円から8千万円もの賠償を負うことになるそうです。
もはや無くてはならない便利なスマホですが、これも人間の「バカ知恵」が作った代物の一つです。なぜバカかと言えば、それは肉体的にも精神的にも人間本来の感性と社会性を損ねているものだからです。
厚労省がスマホ依存症者数を発表しましたが、その数全国でなんと250万人以上にもなるとのこと。スマホはまさに「スマアホ」人間をつくっています。
以上、人間は自らの「バカ知恵」によって未来を危うくさせているという趣旨を論じてきましたが、要するに、どんな優れた「知恵」でも、「正思惟」がなければタダノ「バカ知恵」にすぎないということです。
折角の人類のこれまで築き上げてきた素晴らしい知恵が“バカ”にならないためには人間はもっと賢くならなければなりません。そのための教えが仏教の智慧です。人類が未来に少しでも長く“生存”するためには、その智慧が絶対に必要なのです。 
 
不慳法財戒

 

 
■惜しむことなかれ1
仏教では、貪瞋痴(とんじんち)を三悪道といって最も卑劣非道だと位置付けています。幾度も触れてきたことですが、改めて申せば、「貪」は貪欲のこと、「瞋」は怒り、「痴」は無知のことです。
人が自ら起こす不幸の原因のほとんどはこの三悪道すなわち貪瞋痴が原因だと言っても過言ではありません。まさに身から出た錆び。ですからこの貪瞋痴さえ無くせば人は誰でも自から起こす不幸はなくせるということになります。
そんな不幸に陥らないためにあるのが戒律です。そのなかに十重禁戒がありますが、その第八番目が不慳法財戒(ふけんほうざいかい)です。法と財とを慳(おし)むことなかれ、という意味の戒法です。
慳は慳貪(けんどん)という熟語のあることでもわかるように、貪欲心から他人に対してものおしみをするという意味です。「法財」の法は教法(仏道)のことで、財は金銭や財物のことです。
われわれが他人に施し与えるものとしては、無形の精神的なものと、有形の物質的なものとの二つがあります。その前者を法といい、後者を財と呼んでいるのです。その何れをも他人に施し与えることを惜しんではならないというのです。
その真意はまさに「布施」と同義です。おしむ心、ケチる心があったなら布施行はできません。布施行なくして菩薩にも仏にもなれません。そのための基本的戒律の一つがまさにこの不慳法財戒だと言えるでしょう。
御開山道元禅師は「真実求道の人の一人もあらん時は、我が知るところの仏祖の法を説かざることあるべからず。たとい我れを殺さんとしたる人なりとも、真実の道を聴かんとて誠の心を以て問はば、怨心(おんしん)をわすれ、是が為に説くべきなり」(正法眼蔵随聞記)と示されています。
かつては自分に怨みをいだき、自分を殺そうとしたほどの人であろうとも、真に仏道の話を聞こうという気持ちを起こし、誠の心を以て道を問わば、過去の怨みなど忘れて、その人のために、自分の知る限りの法を説き聞かせるべきであるというのです。実に徹底した説示です。
「おしみ」はまさに貪の芽ですから、芽のうちに摘み取っておく必要があります。貪は制御しないと、もっともっと欲しいという留まるところを知らない貪欲になります。まさにガン細胞の如く無秩序に増殖し続け遂には自分自身を破滅に導いてしまうのです。
そんな"恰好な見本"が今回の舛添東京都知事の一件でしょう。政治資金の私的流用疑惑に関する釈明会見を行いましたが、あまりにも見え透いた言い逃れに終始する姿に呆れてしまいました。
不正を指摘されて、訂正したので問題ではないと釈明するのは、万引き犯が「払えばいいんだろう」と開き直るのと同じです。元東京大学教授で政治学者だといえば頭脳は優秀な筈です。そんな"立派"な筈の人がなんとしたことでしょう。
前猪瀬都知事が金銭問題で辞職に追い込まれ、交代してからまだたったの二年程です。前知事辞任の経緯を十分知っていた筈にも拘わらずまったく同じような墓穴を掘ってしまったのですから、これをバカと言わず何というのでしょう。
人はどんなに頭脳が優秀であれ、貪欲の猛毒に侵されると見境がなくなり、因果に則り奈落の底に真っ逆さまです。経歴や地位、名誉などまったく担保にはなりません。まさに「大凡因果の道理歴然として私なし」(修証義)です。
どんなに知識、経験があっても智慧がなければただの「知」にすぎません。「知」が病に侵されたのが「痴」ですから、舛添氏はまさに文字通りそれを実証されたのです。後悔先に立たず、只々不甲斐ない自分の「痴」に恥じ入るしかありません。
今世界から日本に来る観光客は激増しています。その魅力は日本の特有の文化と美しい自然、おいしい食べ物と人の素晴らしさです。ようやく日本特有の素晴らしさが世界に知れ渡ってきたのでしょう。
政府も日本の魅力をもっともっと売り出して、東京オリンピック、パラリンピックに向けてモティベーションを上げようとしている矢先でした。東京は日本の首都、その都知事はまさに東京の顔です。
日本の魅力は文化や自然だけではありません。人の魅力です。勤勉で正直で、親切だという評価は、日本は世界一安全な国だという評価にもなっているのです。特に反日教育を徹底している中国からきた観光客の中にも、日本に来てみてイメージがまったく変わってしまったという人も少なくありません。
そんな日本を代表するような立場の都知事が、こんな情けない人間だと世界中に知れ渡ってしまったのですから日本にとってそのダメージは計り知れません。経済的損失効果は如何ばかりか。彼によって日本は顔に泥を塗られたも同然、まさに万死に値しますよ。
僅かの汚職で免職になり、数千万円の退職金をフイにした公務員みたいなものです。地位の高い人ほど侮蔑と哀れみの眼差しに晒されるのです。猪瀬氏同様彼の失ったものはあまりにも大きすぎます。全ては目先の欲に負け良識の判断に欠けた結果です。まさに自業自得です。
それほど「貪」の毒は恐ろしいのです。その貪の反対が「知足」です。それは「満足」であり「安心」です。前々回の「法話」のなかで、人はどんなにお金持ちでも安心がなければけっして幸福ではないといったことを述べました。
その昔お釈迦さまや高僧たちが長生きされたのは質素清貧の中で信仰に生き心が満たされ「安心」されていたからです。信仰生活の中で欲望を捨て去ることで不安やストレスから解放され、結果「悟り」という「安心」を得たのです。
人は「足ることを知らない」と欲望が欲望を呼び尽きることを知らなくなります。それが餓鬼です。満足も感謝も知らない不安一杯の生き物のことです。どんなに富めても、とどまることを知らない欲望、食欲に狂おしいばかりにさい悩まされ続けるそんな餓鬼が世界中にはあまた蠢いています。
そんな餓鬼の実態を暴露したのが「パナマ文書」なるものです。世界の富裕層が陰で行っていた課税逃れの実態が赤裸々に晒け出されました。世界には大金持ちがいるものです。金持ちは概して税金が嫌いです。合法的に納税額が減らせる仕組みがあれば飛びつきます。
そんな合法的に節税できる仕組みを備えた地域や国が「タックス・ヘイブン」です。世界にはおよそ30ヶ所もあるとか。そんな国パナマで、世界の富裕層の資産を「守って」きたある法律事務所が40年分、1,150万件の機密データーを白日のもとに晒したのですから世界は驚きました。
これにより世界中の富裕層や大企業、公的組織の隠し持つ資産規模、資金洗浄や税金回避の実態が浮かび上がったのです。タックス・ヘイブンの利用で失われた推定税収額は、全世界で年間約10兆円〜25兆円とされます。
習近平からプーチン、キャメロン、ポロシェンコ、サルマン国王、アサドから世界の首脳の名前が続々でてきたとか。指導者として国民から血税を取り立てながら一方プライベートでは巨額な裏金を国外に蓄えていたとしたら道義的にとても許せません。
習近平の隠し資産が数兆円とか、プーチンが2千億円とか。汚職大国の中国で自ら汚職撲滅キャンペーンを行い政敵を悉く追放しておきながら自分ではとんでもない隠し資産を持っていることが分かったのですから、習近平という男やはりとんでもない男、イヤ餓鬼でした。
舛添氏が餓鬼だとしても、餓鬼にもレベルがあるもので習近平やプーチンなどはまさに別格です。小餓鬼の舛添氏が糾弾され、巨大餓鬼の習近平やプーチンがお咎めなしだとしたら理不尽でしょうね?
その点も舛添氏本人に訊いてみたいものですが、やはり得意な「厳しい第三者の目から判断してもらいたい」と言われるのでしょうか。 

■惜しむことなかれ2
ようやく舛添さんもギブアップしました。しかし往生際の悪さも相当なものでした。辞任の挨拶も見送りもなく憮然と都庁を去る姿は実に悲哀なものでした。「せこい」が世界を駆け巡って有名なニホンゴの一つに加えられましたが、それは間違いなく彼の「功績」でしょう。皮肉にしてはちょっと「せこすぎ」ですか?
それにしても因果応報の理法を侮ってはいけません。自他ともに万人が自重しなければならないことを改めて教えられました。仏教という釈尊の教えを一言で言うならば「因と縁と果の法則」すなわち「因果の業報」だと言えるのです。仏教は何も特別難しいことを教えているわけではありません。
諸悪莫作(しょあくまくさ)もろもろの悪いことはするな
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)つとめて善いことをせよ
自浄其意(じじょうごい)自ら心を浄めよ
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)これが諸仏の教えである
これは「七仏通誡偈」(しちぶつつうかいげ)と呼ばれるもので鳥窠道林(ちょうかどうりん)禅師(八二四年寂)が白楽天(八四六年寂)の「いかなるか仏法の大意」の問いに答えた言葉だと言われています。
「悪いことはするな、善いことはせよ」というのです。「そんなことは三歳の子供でも知っている」という白楽天に対し、道林禅師は「三歳の子供でも知っていることを、八十の老翁が実行することはできない」と叱咤され、白楽天は拝謝して去ったと伝えられています。
仏教はどこまでも自業自得を説きます。いかなる事態が起きようと責任を他に転嫁しない。自分の責任としてどう刈りとるか。その刈り取り方が次の種まきとなる。よき教えに導かれてよき因(たね)を撒き続けなさいという、まさにこれが即ち仏教の骨子なのです。
前回から指摘しているように、人が悪いことをするのは、貪、瞋、痴の「三毒」によるものがほとんどです。だから仏教は自業自得を説くのです。三歳の子供でも知っていることが、「いい大人」にできないことの難しさ。だから仏教は因果必然による自業自得を説くのです。
今回も前回からのテーマ「貪」をとりあげています。貪欲から生まれるのが、せこさ、おしみ、詐欺、窃盗です。窃盗や強盗は最悪の場合殺人まで引き起こします。
確かに、人には生きていく上で必要な欲というものがあります。それは基本的な生存欲であり、人生のモティベーションを保つためには欠かせないものです。生物としての食欲、性欲、睡眠欲、そして人としての名誉欲や向上心があるから達成感や幸福感を味わえるのです。
問題はそれらが健全な範疇でなければならないということです。「貪」が問題となるのは度を超し自制が利かなくなることです。貪欲に溺れるのが餓鬼であり、前回はその餓鬼の実態について述べました。しかしそんなにお金を持っていて一体何に使うのかといつも不思議でなりません。
人にはある程度のお金や財産があれば不幸でない筈なのに、何十億や何百、何千億もの使い切れないほどのお金を持つ必要があるのでしょうか。どんなに美味いものを食べても、どんな豪邸に住んでも、どんないい車に乗っても所詮個人が消費するには限界があります。
世界には30億人もの貧困者がいるという。世界の五人に一人が一日1.25米ドルで生活しているという。その一方世界で最も裕福な85人が人類の貧しい半分の35億人と同量の資産を握っているという。同じ時代、同じ地球に生まれながら、生まれた場所が少し違うだけで人生が全く違ってしまうというのはなんとも言えない人間界の不条理です。
ある雑誌によれば、タックス・ヘイブンの利用で失われる全世界の年間推定税収金10兆円〜25兆円といわれ、その推定貯蓄高は数千兆円にもなるという。なんと「数千兆円」ですよ。これを世界の貧困改善や格差是正に役立たせることができるとしたら人類はどんなにかスッキリするでしょう。
各国の税務・捜査当局は、租税回避地を利用する実質的な所有者の特定や違法性の有無などの捜査に着手しており、パナマ文書データーから更に実態解明を進めるという。パナマ文書は、タックス・ヘイブンのごく一端を明るみに出したにすぎず、新たな内部告発が報道機関に寄せられる可能性は高いという。
G20(主要20ケ国・財務相・中央銀行総裁会議)は「税務に関する自動的な金融口座情報交換のための基準」を発表。米国も世界金融機関に対して「外国口座税務コンプライアンス法」を施行。タックス・ヘイブンに対する包囲網は狭まりつつあるとのこと。
日本の国税当局も、スイスとの租税条約を改正して情報交換規定を新設。さらに香港、マカオ、英領ケイマン諸島、BVIなど、日本の企業や投資家が頻繁に利用するタックス・ヘイブンと相次いで租税条約を結んでいて、海外の税務当局からもたらされる情報は着実に増えているとか。
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」これはウルグアイ第四十代大統領ホセ・ムヒカ氏のことばです。
2012年ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連会議で彼が聴衆に向けて語りかけた言葉です。188カ国から首脳と閣僚級や政府関係者などが参加し、自然と調和した人間社会の発展や貧困問題が話し合われたこの会議で、彼の約八分間のスピーチが終わると、静まりかえっていた会場は一転して、大きいな拍手に包まれたとか。
この日の演説をきっかけに一躍時の人となったムヒカ氏は、質素な暮らしぶりでも注目され、「世界一貧しい大統領」と呼ばれました。大統領の時期は、公邸には住まず首都モンテビデオ郊外の古びた平屋に妻のルシア・トポランスキ上院議員と二人暮らしを貫かれました。
1987年製(30年も前)のフォルクスワーゲンを自ら運転し、公用車に乗る時も、決して運転手にドアの開け閉めをさせない。給与の9割を寄付し、月千ドル(約10万円)で生活したという。個人資産はくだんのワーゲンと自宅と農地とトラクター。
現在は大統領を辞し、一国会議員となりましたが、暮らしぶりはずっと変わらないという。とあるアラブの族長から「ワーゲン」を100万ドル(約1億1600万円)で買うといわれたとき、「車は友人からの贈り物、売れば友人を傷つけることになる」といって断ったとか。
質素な生活が注目されていることについて聞かれたムヒカ氏は「多くの人は、大統領は豪華な生活をしないといけないと思い込んでいるのでしょう。けれど私はそう思わない。大統領も国民のひとりにすぎない。指導者は国民の平均的なレベル以上の生活をしてはならない。大統領が一握りの金持ちと同じ生活をしていたら、国で何が起こっているかわからなくなる。国民の生活レベルが上がれば、私の生活レベルも上がるだろう。それがいいんだ。人気が欲しくてこんなことを言っているわけではない。何度も考え抜いた末の結論なんだ」
世界にうじゃうじゃいる餓鬼どもに、とりわけ政治家たちにムヒカ氏の爪の垢を煎じて飲ませたいものです。彼は今年4月に来日され、日本人に向けたメッセージがあまりにも素晴らしいと称賛され話題になりました。
ムヒカ氏の傍らで19年間取材をしてきたという、ジャーナリストのことばです。「いま、どこの世界を見てもあれだけのメッセージを発する政治家はいない。人々はやはり何かを信じたい。他の世界的なリーダーのメッセージを聞いても魅力的には感じないけれども、彼のメッセージの中には惹きつけられる何かがある。」
中でも、注目したいのは「彼のメッセージはもともと日本が持っていた哲学的な概念と通じています。」の部分です。ムヒカ氏ご本人も「日本から学ぶべきことは多い」としながらも今の日本の現状に対する率直な想いと苦言も述べられています。 

■惜しむことなかれ3
前ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカ氏は今年80歳になるという。1935年、スペイン系の父とイタリア系の母の間に生まれ、その人生はまさに波乱万丈とも言えるものです。
7歳の時に父親が亡くなり、家庭は裕福ではありませんでした。家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら、社会運動に目覚め、極左武装組織に参加。独裁政権下でゲリラ活動に従事。
ゲリラ活動中には六発の銃弾を受け、四度の逮捕を経験。最後の逮捕では、1985年に釈放されるまで約13年間の過酷な獄中生活を送ったという。ウルグアイの民主化とともに恩赦で釈放。その後、左派政治団体を結成し、1994年に下院議員選挙で初当選。2010年、大統領に就任。
前回、ムヒカ氏が来日した際「日本人から学ぶべきことは多い」と言ったことを紹介しました。また長年取材してきた記者が「彼のメッセージはもともと日本が持っていた哲学的な概念と通じています」と言ったことも紹介しました。今回は、そんな氏の語った実に含蓄のあるお話をご紹介しましょう。
「読書を通じて日本の歴史を勉強するうちに、日本の開国にアメリカが大きな影響を及ぼしたということを知った。鎖国をしていた江戸幕府をアメリカのペリーが開国させたことだ。それから日本は西洋の影響を受け、一気に西洋化が進んだということも知った。
面白いと思ったのは、明治維新だよ。幕府の将軍や藩主たちも、西洋諸国と戦っても意味がない、開国をした方がいいという決定をしたね。これこそが政治家の決断だ。それは非常に賢い選択だった。
その決断から半世紀の間に、日本は近代化を成し遂げた。その変遷が大変興味深い。当時の政治家の意思決定は感心に値するよ。
来日前から日本人は非常に勤勉でよく働く人だと思っていた。そして規律を大切にする国民だ。来日直後の記者会見に集まった記者たちを見ても、母国のジャーナリストと比較してそう感じた。
道行く人を見ても、警官の態度やドライバーの運転の仕方を見てもそう思う。ゴミを捨てる人もいないし、日本社会は成熟しているし、社会で決めた規則はみんなが守る。そういった意味で、世界の人々は、日本からいろいろ学ぶべき点が多い。
いまの日本は、技術大国という印象がある。大国だからこそ、今後、先進技術が人々の生活にどのような影響を及ぼしていくのか、そこをじっくり考えて欲しい。
たとえばいま、ロボット工学は日進月歩の勢いだ。その技術が、いずれ大衆化して広まっていった時に、労働者の代わりをロボットがするようになる。ロボットが存在感を増していく時代に、いろんな変化が起こるだろう。
そして、日本も他の経済大国からどんどん追い立てられる。コストを削減していくためにはさらに日本はロボットを使うしかなくなる。人の意志の問題ではなく経済がそうゆう状況を作ってしまった。
日本は一種のフロントランナーだ。今後、先ほど述べたような技術革新が起きるし、時代の流れは止められない。それをちゃんと直視して、自分の頭で考えることが重要だ。
私は日本の人にしてみたい質問がたくさんある。人類はどこへ向かおうとしているのか。世界の将来はどこへ向かっているのか。日本で起こることは、その後、必ず世界で起こる。
だからこそ、日本に問いたい。いま、どのような夢を見たいかを考えなければ、将来、私たち人類に明るい未来はやって来ないのではないかと。
私たちは非常に多くの矛盾をはらんだ時代に生きている。こういう時代にあって、自らに問わねばならないのは、『私たちは幸せに生きているのか』ということだ。
経済の進歩は、一面では非常にすばらしい効果をもたらした。150年前に比べれば、寿命は40年延びた。その一方で、私たちは軍事費に毎分200万ドルを使っている。また、人類の富の半分を100人ほどの裕福層が持っている。私たちはこうした富の不均衡を生み出す社会をつくってしまった。
私は日本の皆さんに言いたい。次の世代を担う若い人たちには、このような愚かな過ちを繰り返さないで欲しいと。人生にとって、命ほど大切なものはない。この星に生まれたすべての人の人生が大切なのだ。
世界について考える時も、人生についても、仕事について考える時も、どうすれば幸せになるかから考えなくてはいけない。
例えば、鳥の世界を考えてみて欲しい。鳥は、毎朝起きるたびにさえずっている。目が覚めたときに、喜びでさえずりだすような世界、喜びが湧きあがるような世界を若い人達に目指して欲しい。
誤解しないで欲しいのは、貧しく生きるべきだとか、修道士のような厳格な生活をしろと言っているわけではないということだ。私が言いたいのは、富に執着するあまり絶望に駆られてしまうような生き方をして欲しくないということだ。
人生とは、些細なことでもそれが大切な意味をもつことがある。例えば、愛情を育むこと、子供を育てること、友人をもつこと。そうゆう本当に大切なことに、人生という限られた時間を使って欲しいと思う。
生きていること自体が、奇蹟なのだ。この世界が天国になるのも地獄になるのも、私たち次第なのだ。ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどのくらい残るのでしょうか。
西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を、世界の70億〜80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。可能ですか。なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか。つまり私たちが、間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作ってきたのです。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか。グロ―バリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか。このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、『みんなで世界を良くしていこう』といった共存共栄な議論はできるのでしょうか。
どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか。我々の前に立つ巨大な危機問題は、環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を通り過ぎてしまいます。命より高価なものは存在しません。」

なぜ多くの日本人がムヒカ氏の言葉に惹き付けられるのかという質問に対して、氏は照れくさそうな顔をして肩をすくめ、感想をのべました。
「私の考え方は、日本の昔から引き継がれてきた文化の根底と、通じるものがあるのかもしれない。だからこそ、日本人に訴えるのではないだろうか。しかし、その日本の良い文化というのが、西洋化された消費文化によって埋没されてしまって、今は見えなくなってしまった。
経済を成長させていくことに躍起になり、かつての良さを見失っているようにも見える。そもそも日本人の心の底に流れているものがあり、私のメッセージが偶然、かつての良さを取り戻したいと考える日本の心情に響いているのかもしれない。
私が目指した世界は、ネクタイを強制されない世界です。したい人はすればよいし、したくない人はしなくてよい。質素な暮らしをすることで、本当に自分がしたいことをする時間が増える。これこそ、自由だ。」
リオ会議の演説は、子供向けの絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」として2014年に出版され日本でベストセラーになりました。 さらに、ムヒカ氏は13、14年とノーベル平和賞候補となりました。 
 
おもてなし

 

 
■1 仏道と茶道に学ぶおもてなし
「おもてなし」…今では世界的にもすっかり有名な日本語になってしまいました。その「おもてなし」に魅了されて日本を訪れる外国からの観光客はうなぎ登りに増え、昨年は1,973万人にも達したとか。
「おもてなし」は日本の魅力をアピールするまさに恰好の「文化」といえるでしょう。日本政府は四年後の東京オリンピックに向かってモティベーションを高め外国人観光客の年間見込み数をなんと3千万人から4千万人まで視野に入れているそうです。
東京オリンピック招致スピーチで紹介されて以来、今や日本人のなかでも改めてその意識が高まってきた「おもてなし」…そこで今回は、その日本文化を代表するこの「おもてなし」の意味とルーツについて考えてみましょう。
広辞苑によると、その語源は、とりなし、つくろい、たしなみ、ふるまい、挙動、態度、待遇、馳走、饗応とあります。「もてなし」に丁寧語の「お」を付けた言葉であり、その語源は「モノを持って成し遂げる」という意味だそうです。
また、「おもてなし」は言葉通り「表裏なし」、つまり、表裏のない「心」でお客様をお迎えすることでもあるという俗説もありますが、これはまさに論外中の俗説でしょう。
「おもてなし」は特に平安、室町時代に発祥した「茶の湯」から始まったと言われます。茶道とは貴人や客人や大切な人への気遣いや心配りの心を養うものであり、その精神は実は仏教に由来していたのです。
では、その「仏教精神」とは何なのでしょう。それはズバリ言って「菩提心」の実践です。道元禅師は、「菩提心を発(おこ)すというは、己(おのれ)未だ度(わた)らざる前(さき)に一切衆生を度さんと発願し営むなり」と示されています。
つまり「自分が渡るまえに他の人達を渡してあげること」だというのです。「度」と「渡」は同義で、「悟りの世界へ導く」という意味です。そしてさらに、この「菩提心」こそ「仏道極妙の法則なり」と明示されています。
菩提心とは「衆生を利益(りやく)すること」であり、衆生とはすべての「他人様」のことです。その他人様に差別することなく、己よりも先に利益(りえき)を与えること、その尊い心を「菩提心」と呼ぶのです。
「菩提心」とはつまり仏教の根本的教理だということがわかります。その仏教精神を芸道の一つとして確立したのが「茶道」です。つまり茶の湯を通して「菩提心」を修行するのがまさに「茶道」なのです。
では、なぜ「お茶」なのでしょうか。お茶は、日本が中国の進んだ制度や文化を学び、取り入れようとしていた奈良・平安時代に、遣唐使や留学僧によってもたらされたと推定されます。そのころお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族階級などの限られた人々だけが口にすることができました。
また鎌倉時代、日本臨済宗開祖栄西禅師が宗からお茶を持ち帰り、その効用から製法などについて「喫茶養生記」を著しました。これは、わが国最初の本格的なお茶関連の書といわれます。「吾妻鏡」には、栄西が深酒癖のある将軍源実朝に本書を献上したと記されているそうです。
そのように、お茶には薬としての効能もあり貴重なものとして扱われたため、特に高貴な方やお客様をもてなす際の「おもてなし」にふるまわれるようになったのです。
寺院にとって最高に高貴なお方といえば御本尊さまや祖師さまです。特に我が曹洞宗においては、仏祖の法要の初めには必ず蜜湯とお菓子とお茶が具えられます。特に開山忌など重要な法要の場合に具えられるお茶を「特為茶(どくいちゃ)」と言いますが、それには文字通り特別なお茶であり最高のお供物という意味があります。
拙僧の持論ですが、今の日本のお茶のおもてなしの原点はここにあると思います。寺院の仏祖に対するお茶のおもてなしの流儀がやがて武士や平民社会に取り入れられ、お客様のおもてなしとなってお菓子とお茶を出すという文化が形成されていったのです。
足利義光(1358-1408)は、宇治茶に特別の庇護を与え、これは豊臣秀吉にも受け継がれていきました。村田珠光(1423-1502)は侘茶(わびちゃ)を創出し、これを受け継いだ武野紹鴎(たけのじょうおう)から千利休らによって「茶の湯」が完成し、豪商や武士たちに浸透していきました。
現代の茶道の原型を完成させたのが千利休であり、その茶道の心得を表した言葉が有名な「和敬清寂」です。実は拙僧、学生時代茶道部に在籍していたこともありチョトだけ茶道の経験があります。
その拙い経験から少し能書きを言わせていただければ、その「和敬清寂」の精神こそ「おもてなし」の心なのです。ちなみに、和…お互い仲良くすること。敬…お互い敬いあうこと。清…心を清らかに保つこと。寂…悟りの世界を求めること…まさに仏教精神です。
仏教が顕す浄土の世界、その縮図が茶室や茶庭という設定なのです。つまり、茶道は単なる芸道ではなく、仏教の説く大宇宙の摂理の演出と体感であり、「菩提心」を学ぶ場なのです。
仏教の説く大宇宙の摂理とはすなわち諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三宝印の世界であり、それを悟るための修行が「菩提心」にあるのです。その心得を表した言葉が「和敬清寂」です。
因みにその他の掛け軸の中でよく見られるのが、一期一会とか日々是好日、本来無一物、水和明月流そして喫茶去などです。が、これらは皆禅宗の祖録の中にある公案、いわゆる問答集からの引用句なのです。茶室がまさに仏道修行の場である所以です。
茶道の家元は代々禅宗臨済宗の本山で参禅修行し得度して坊さんの資格を得ています。それは茶道がまさに仏道の道場であり、その指導者たる者こそ僧侶の位にあるべきだという立場からでしょう。
又、茶道を芸道と考えるとき、思想と趣向、衣装と道具、所作と型が演出される舞台でなければなりません。これらの要素が統合され世俗的な日常世界を脱却することで、亭主と客が織りなす「和敬清寂」の世界が出現するのです。
ですからそこには、娑婆世界の身分や地位や貧富による差別があってはなりません。茶室の入口を躙り口(にじりぐち)といいます。なぜあんなに狭いのかというと、茶室は娑婆世界とは別であるということです。
躙り口を通ることでけがれを落とし、地位や身分の高い人でも頭を下げ同格にならなければなりません。ですから秀吉も刀を差したままでは入れませんでした。そこにあるのはお互いに敬い合う心、清らかな我のない心の世界なのです。
お茶を点てもてなす者を亭主(ていしゅ)といいます。「亭主」という言葉は、首楞厳経(しゅりょうごんきょう)というお経に出てくる言葉で、「客をもてなす一家の主人」という意味で、鎌倉時代から一般に使われるようになり、茶席で茶を点じて客を接待する人という意味からはじまり今日まで続いています。
茶道で表現される「侘び寂の心」とは、表に出過ぎない控えめな心であり、お客をお迎えするに当たり、心をこめて準備をし、目に見えない心を目に見えるものにして表すのが気配りであり心配りです。
そのための努力や舞台裏は微塵も表に出さず、主張せず、もてなす相手に余計な気遣いをさせない…それが「おもてなし」の本質です。 

■2 見返りを求めない心こそおもてなし
今回はネット、ユーチューブの中で見つけた感動のエピソードをそのままご紹介します。タイトルは「一輪の花から始まった絆」です。
大東亜戦争(太平洋戦争)の終結からわずか5年後、昭和25年(1905)9月のことです。まだ戦争の傷跡が残る日本に、一人のアメリカ人がやってきました。
アメリカ海軍の提督、アーレイ・バークです。バークは駆逐艦乗りです。巨大な戦艦を追い回す駆逐艦乗りには日米とも猛将といわれた人が多くいました。バークもその一人です。
バークは太平洋戦争の中でも、日米合わせて9万人以上もの犠牲を出した激戦地「ソロモン海戦」で日本軍の脅威となった男です。そのバークが、敗戦国日本を支配する占領軍の海軍副長として、アメリカから派遣されたのです。
それは、「朝鮮戦争」勃発の直後でした。バークが東京の帝国ホテルにチェックインした時のことです。「バーク様、お荷物をお持ちいたします」 「やめてくれ、最低限のこと以外は、私に関わるな!」
実は、バークは筋金入りの日本人嫌いでした。親友を日本軍の真珠湾攻撃によって失い、血みどろの戦いで多くの仲間や部下を失っていたからです。戦争中、バークの心には、敵である日本人への激しい憎悪が燃えていました。
「日本人を一人でも多く殺すことなら重要だ。日本人を殺さないことならそれは重要ではない」という訓令を出したほどでした。また、公の場で日本人を「ジャップ」「イエローモンキー」と差別的に呼び、露骨に日本人を蔑みました。
したがって、どれだけ日本人の従業員が話しかけても無視しました。「腹立たしい限りだ! 黄色い猿どもめ!」
日本に来てから1ケ月ほどしたある日のこと。「なんて殺風景な部屋なんだ」ベッドと鏡台と椅子だけの部屋を見て、せめてもの慰みにと、バークは一輪の花を買ってきてコップに差しました。このあと、この花が以外な展開をたどることになります。
翌日、バークが夜勤から戻ってみると、コップに差した花が、花瓶に移されていたのです。バークはフロントに行き、苦情を言いました。「なぜ、余計なことをした。誰が花を花瓶に移せと言った?」 「恐れ入りますが、ホテルではそのような指示は出しておりません」 「何だって?」
この時は誰が花瓶に移したのか分からなかったのです。さらに数日後・・・。何と花瓶には昨日まではなかった新しい花が生けられていました。「一体誰がこんなことを・・・」 花はその後も増え続け、部屋を華やかにしていきました。
バークは再びフロントへ行きました。「私の部屋に花を飾っているのが誰なのか、探してくれ」 調べた結果、花を飾っていた人物が分かりました。
それは、バークの部屋を担当していた女性従業員でした。彼女は自分の乏しい給料の中から花を買い、バークの部屋に飾っていたのです。それを知ったバークは、彼女を問い詰めました。
「君は、なぜこんなことをしたのだ?」 「花がお好きだと思いまして」 「そうか。ならば、君のしたことにお金を払わなければならない。受け取りたまえ」と、彼女にお金を渡そうとするバーク。
ところが彼女は・・・「お金は受け取れません。私はお客様にただ居心地よく過ごしていただきたいと思っただけなんです」 「どういうことだ?」
アメリカではサービスに対して謝礼(チップ)を払うのは当たり前のことです。しかし、彼女はお金を受け取りません。
このあと、彼女の身の上を聞いたバークは驚きました。彼女は戦争未亡人で、夫はアメリカとの戦いで命を落としていたのです。しかも、彼女の亡き夫も駆逐艦の艦長で、ソロモン海戦で乗艦と運命を共にしたのでした。
それを聞いたバークは、「御主人を殺したのは、私かもしれない」と彼女に謝りました。ところが、彼女は毅然としてこう言ったのです。「提督、提督と夫が戦い、提督が何もしなかったら提督が戦死していたでしょう。誰も悪いわけではありません」
バークは考え込みました。「自分は日本人を毛嫌いしているというのに、彼女はできる限りのもてなしをしている。この違いは、いったい何なんだ・・・」
のちに、バークは次のように言っています。「彼女の行動から日本人の心意気と礼儀を知った。日本人の中には、自分の立場から離れ、公平に物事を見られる人々がいること。また、親切に対して金で感謝するのは日本の礼儀に反すること。親切には親切で返すしかないことを学んだ。そして、自分の日本人嫌いが正当なものか考えるようになった」
こうして、バークの日本人に対する見方は一変したのです。折しも朝鮮戦争は激しさを増していました。バークは一刻も早くアメリカ軍の日本占領を終わらせ、日本の独立を回復するようにアメリカ政府に働きかけるようになりました。
加えて、日本の独立と東アジアの平和を維持するために、日本海軍の再建を説きました。まだ終戦5年後ですから、アメリカ人の大多数が反日感情を持っている中です。バークは根気強く説いてまわり、ついに海上自衛隊を作ることに成功したのでした。
その後、バークはアメリカ海軍のトップである作戦部長に就任します。3期6年間も作戦部長を務めたのは海軍史上でバークだけです。バークは、最新鋭の哨戒機P2Vを16機、小型哨戒機S2F−1を60機も海上自衛隊に無償で供給しました。
1961年、海上自衛隊の創設に力を尽くした功で、バークは日本から勲一等旭日大綬章(最高の勲章)を贈られました。1991年、バークは96歳で亡くなります。
各国から多くの勲章を授与されたバークですが、葬儀の時に胸に付けられた勲章は、日本の勲章ただ一つ。それは本人の遺言でした。そのため、ワシントンの海軍博物館にあるバーク大将の展示には、日本の勲章だけが抜けたままになっています。
以上、原文そのままを載させていただきました。見返りを求めない「おもてなし」・・・まさに布施の精神そのものです。道元禅師は、「一銭一草の財をも布施すべし、此世佗世の善根を兆す」と示されています。この「一草」の意味を如実に顕したのがまさに今回のエピソードだと言えるでしょう。たとえわずか「花一輪」であっても、真心は人の心を変えさせることができるのです。
今世界は紛争やテロで苦しんでいます。仏教の「菩提心」こそこれからの世界を変えていけるのではないでしょうか。 

■3 菩提心の発揚
以前、「おもてなし」とは大切な人への気遣いや心配りの心であり、その精神は実は仏教に由来していると述べました。その「仏教精神」とはズバリ言って「菩提心」の実践であるとも述べました。
菩提心とは「衆生を利益(りやく)すること」であり、衆生とはすべての「他人様」のことです。その他人様に差別することなく、己よりも先に利益(りやく)を与えること、その尊い心を「菩提心」と呼ぶのです。
以上は9月分法話「おもてなし(その1)」の中で述べてきたことの繰り返しですが、今回はその「菩提心」の模範とも言えるエピソードをご紹介しましょう。やはりネット、ユーチューブの中で見つけた感動のお話です。
2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生した時の話です。東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波により引き起こされた未曾有の大災害は今なお深い爪痕を残していることは言うまでもありません。
この話はその大震災直後福島県に派遣された一人の警察官のレポートです。彼は在日ベトナム人の両親のもと日本に生まれ、人の為に働きたいと思い帰化して警察官になりました。
その彼が派遣された場所は福島第一原発から25q離れたある被災地でした。震災と原発事故の最も過酷な状況の中で治安確保のための派遣だったのです。しかし、治安は安定しており住民の見回りも機能し、彼は被害者の埋葬と食料分配の手伝いを多忙な職員に代わって行っていました。
被害者と向き合った初日こそ涙を流したものの、余りに酷い惨状に泣くことさえ忘れ、ただ唖然と仕事をこなす毎日となりました。
中国のグローバル、ニューズという新聞のバン・ヘイ・バン記者が3月17日に取材のため彼に一日同行しました。倒壊した建物を通ったとき、数千万円の紙幣が濡れて広い敷地内に散乱していましたが、誰も拾おうとしていませんでした。
バン・ヘイ・バン氏は「50年後、中国の経済レベルは世界一になるかも知らないが、今の日本人のような意識や国民的な高いマナーのレベルに達せられるだろうか・・・」と話したという。
そして、忘れもしない3月16日の夜のことでした。被災者に食料を配る手伝いのため向かった学校で、彼は9歳だという男の子と出会いました。寒い夜でした。なのに男の子は短パンにTシャツ姿のままで食料分配の列の一番最後に並んでいました。
気になった彼が話しかけました。長い列の一番最後にいた少年に夕食が渡るのか心配になったからです。少年は警察官の彼にポツリポツリ話始めました。
少年は学校で体育の時間に地震と津波にあったのです。近くで仕事をしていた父が学校に駆けつけようとしたというのです。しかし、少年の口からは想像を絶する悲しい出来事が語られたのです。
「父が車ごと津波に飲まれるのを学校の窓から見た。海岸に近い自宅にいた母や妹、弟も助かっていないと思う」と話したのです。家族の話をする少年は不安を振り払うかのように顔を振り、にじむ涙を拭いながら声を震わせていました。悔しさと心細さと寒さで・・・
彼は自分の着ていた警察コートを脱いで少年の体にそっと掛けてあげました。そして持ってきていた食料パックを男の子に手渡しました。遠慮なく食べてくれるだろうと思っていた彼が目にしたものは、受け取った食料パックを配給用の箱に置きに行った少年の姿だったのです。
唖然とした彼の眼差しを見つめ返して少年はこう言ったのです。「ほかの多くの人が僕よりもっとおなかがすいているだろうから・・・」警察官の彼はおもわず少年から顔をそらしました。忘れかけていた熱いものがふと湧きあがってきたからです。少年に涙を見られないように・・・
それにしても・・・曲りなりにも大学卒で博士号を持ち、髪にも白いものが目立つほどに人生を歩んできた自分が恥ずかしくなるような、人としての道を小さな男の子に考えされるとは。
9歳の男の子、しかも両親をはじめ家族が行方不明で心細いだろう一人の少年が困難に耐え、他人のために想いやれる。少年の時から他人のために自分が犠牲になることができる日本人は偉大な民族であり、必ずや強く再生するに違いない。
自分の胸の中だけにしまっておくにはあまりにももったいない話でした。イヤ、誰かと自分の感動を分かち合いたかった。彼は、ベトナム人の友人に自分の体験した話を打ち明けました。
ベトナムの友人も感動して祖国の新聞記者に伝えたのです。ベトナム紙の記者は次のような記事を載せて少年と日本を称賛しました。「彼がベトナムの友人に伝えた日本人の人情と強固な意志を象徴する小さな男の子の話に我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった。」
「我が国にこんな子がいるだろうか」と・・・ この記事が大変な反響を呼びました。 決して裕福とはいえないがベトナム国民からの義援金が殺到したという。
そして、我々も・・・悲劇と苦難のもとでも失わなかったけなげな日本人の美質と負けない力を少年の小さな行為から教えられました。ほんとうにありがとう。でも・・・気がかりなのは9歳の男の子のこと。
奇跡が起きて生還した家族と暮らしていることを心から願っている。もし不幸にもそれが叶わなかったとしても懸命に生きている君に、叱られるかもしれないが一言いわせて欲しい。強く生きて欲しい。と・・・ほんとうにありがとう。
ところが、そんな感動的な話とは対照的な残念なニュースが最近日本中を駆け巡りました。福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学生の男子生徒が、転入先の学校でいじめを受けて不登校になったのです。
彼はその辛い思いをつづった手記を公表しました。「いままでなんかいも死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」
福島から今でも2万人もの子供たちが日本の各地で避難生活しているといわれます。そんな子供たちに対しての差別やいじめは多いという。何故、辛い悲しい筆舌に尽くし難い経験をした上に避難先までもいじめを受けなければならないのでしょうか。理不尽この上ありません。
あの福島の9歳の男の子が教えてくれたのは、仏教の最高の教え「菩提心」でした。その「心」は日本人の中に普遍的に存在している日本人の「心」だと拙僧は信じています。そんな日本人の優しさが世界に認識されてきたからこそ、日本は素晴らしい国だという評価をいま世界中から受けているのです。
しかし、子どもの世界でのいじめの実態は旧態依然だといえます。子どもは大人社会の鏡です。いじめを受けた福島からの子どもの教師さえ、なんと「ばいきん」の「キン君」と呼んでいたとか。大人社会こそまず反省すべきでしょう。
あの福島の9歳の少年の示した「菩提心」を、日本人のすべての人がもう一度心に刻んで欲しいものです。 
 
日本人の宗教観

 

■1 神仏習合
9月は秋彼岸です。今年も多くの人たちがお墓参りに見えました。この時期、当山の地元では毎年恒例の祭礼が行われます。ひと昔前まではお祭りはお彼岸を避けた日に固定されていたのですが、人の減少から少しでも参加しやすい為として今日では日曜や祭日に当てられるようになりました。
私事ですが、もう何年も前のことです。町内会長をしていた際、祭礼がお彼岸と重なり大変な思いをしたことがありました。この地元では、例え住職であっても町内会での付き合いは同等なのです。拙僧も町内会長として宮殿に上り神事に参列しお祓いを受けお神酒も頂きました。
地元の檀家の皆さんは神社の氏子であり、当山の総代は氏子総代を兼ねているというそんな関係でもあります。お寺の住職が神事に参加したからといって、誰一人「おかしい」と思う人はいません。むしろ感謝されるか普通のこととしか思われません。
しかし、これはちょっと考えてみると不思議なことです。仏教と神道とは明らかに別の宗教です。誰もそれは分かっていることですが、僧侶と神主が並んでいても「変だ」と思う人はいません。それもその筈、実際、戸々の家には大抵仏壇と神棚が並んでいるではないですか。
特に田舎では、家を新築すると「家移り(やうつり)念仏」という先祖供養をします。それは日本の家にはご先祖様を祀っている仏壇があるからです。ご先祖様に新しい家に引っ越しをしてもらう意味の法要が「家移り念仏」なのです。
仏壇と並んで神棚がありますので、同じように神主さんもお呼びして神棚にも神事を施します。多くはありませんが、これまで何度も「家移り」の席で神主さんとご一緒させていただいたことがあります。これは、日本人の意識の中に神と仏を同等に扱うという気持ちがあるからでしょう。
このホームページをご覧頂いている方は自分を仏教徒だと認識している方が多いと思いますが、神仏に対しては同じような感覚をお持ちではないでしょうか。そんな日本人に、「あなたの宗教は?」と質問すると、なんと62%が無宗教だと答えるそうです。
宗教が生活の核になっている外国人からみて「無宗教」という言葉は驚きなのです。しかし、日本人が自らを「無宗教」という時、それは「特定の宗教の信者ではない」という意味であって、キリスト教徒やイスラム教徒が思い浮かべるような「無神論者」とはまったく別なのです。
今回は、そんな日本人の不思議?な宗教観について考えてみました。確かに、結婚式は神社やキリスト教会で行なったり、葬儀は仏式で行なったり、お正月の初詣はお寺でも神社でも特にこだわりは持ちません。クリスマスを祝ったり、お釈迦さまの花まつりを祝ったり、一神教を主とした外国人からみればまさに日本人の信仰上のアイデンティティーは理解できないでしょう。
お盆やお彼岸は仏教行事です。神社の祭礼は神道行事です。が、日本人は七五三や雛祭り節句といった文化行事と同等の感覚でしか捉えていません。外国人からみれば、日本人の宗教感覚はまさに異質であり理解できません。
なぜそうなのかといえば、日本はまさに多神教文化の社会だからです。自然界の諸事物に霊魂や精霊が宿っているという考え方、これをアニミズムといいますが、そんな八百万(やおろず)の神々がおわしますのが日本なのです。
特に、日本人の心に一番根付いているのは神道(しんとう)です。神道ではあらゆるものを「神」との結びつきと見なします。まず自然崇拝から始まり、自然と融和しながら諸々の神を崇め、謙遜とあいまさと共存共栄を尊ぶという神道精神が生まれました。
つまり、日本の文化は、神道の自然信仰がその基盤であり、更に、死者の霊を神様として崇める御霊信仰と、民族の統治者を敬う皇祖霊信仰が派生してきたと考えられます。
古事記も日本書紀も、神話の記述がそのまま歴史の記述へとつながっています。天皇家の由来を神話時代から語り始め、やがて実在した天皇へつながっていて、初代神武天皇が即位したのは紀元前660年のことです。
神道は、古来あった神々への信仰が、仏教、儒教などの影響を受けて展開してきたと考えられます。神道には最初から明確な教義があったわけではなく、古来の伝統的な信仰や儀礼が「神道」として認識されるようになったのは、仏教伝来以降のことと考えられます。
538年、百済の聖明王の使いで訪れた使者が、欽明天皇(29代)に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上したことが仏教伝来のはじまりといわれています。日本に初めて仏教が入ってきたとき、天皇は神道を受け継ぎながら、仏教徒となりました。
初の女帝推古天皇(33代)は仏教を保護し国教に位置付けました。「仏教興隆の詔(みことのり)」を出され各地で寺院建設が始まりました。そして聖徳太子を摂政に任命されたのです。
聖徳太子も仏教に深く帰依され、十七条憲法の中の第二条は「三宝を深く尊敬し、尊び、礼をつくしなさい」となっています。三宝とは仏・法・僧のことであり、仏教徒が諸仏事の最初に先ずお唱えするのがこの「帰依三宝」の偈文です。
平安時代初期、そんな仏教隆盛の流れの中から現れたのが本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)です。それは、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現(神)であるとする説です。
そして平安中期には「神仏習合」が確立したのです。その象徴ともいえる仏像は、その後、法隆寺の百済観音をはじめとして沢山つくられるようになりました。ここに日本人の宗教観の原点があるように思われます。
日本人は、仏教というと、インドで生まれ、中国を経て日本にやってきたものだと考えていますが、仏教は、ただ外国から伝えられただけのものではなく、日本において神道と重なることによって独特な「日本の仏教」へと開花したのです。
日本人にはもともと神道の生活様式、神道の宗教感覚が根付いていました。この神道は、いわば日本民族という共同体のための宗教です。そこに外国から仏教がもたらされたのです。
神仏習合によって、日本人が本来的にもっていた心が、さらに深みをもって表現されるようになり、万葉集やそれ以後の日本の文学、能や狂言、茶道などの芸道は、まさに神仏習合によって生み出されたと言っても過言ではありません。
昔から、一つの集落には必ず一つの神社と寺院がありました。今でも多くの寺と神社が隣り合わせで存在している事実からもわかります。文科省の調査によると、日本の全国各地に、神社は約8万5千、お寺は約7万7千、合わせると計約16万2千もの寺社が存在するのです。
神仏習合は、神仏混淆(こんこう)ともいい、仏教伝来から明治維新まで概ね千四百年も続きました。そしてその文化は美しい日本の国土と人心を育んできました。とくに仏教に影響を受けた文化的、精神的諸要素は計り知れません。
実は明治維新まで、天皇家は仏教徒だったのです。事実、飛鳥、奈良の昔から江戸時代最後の孝明天皇(1867年)までずっと天皇の葬儀は仏式で行われていたのです。天皇家の菩提寺は、泉湧寺(京都市東山区)だったのです。
それが一転、明治新政府は王政復古による祭政一致の立場から、古代以来の神仏習合を禁じて、神道を国教とする方針を打ち出したのです。そして廃仏毀釈の嵐が吹き荒れることになるのです。 

■2 廃仏毀釈
明治元年、明治新政府は、王政復古による祭政一致の立場から古来以来の神仏習合を禁じて神道を国教とする方針を打ち出しました。「神仏分離令」の布告です。
革命政権である明治政府は、天皇を支柱とする国家を目指したのです。天皇の絶対性の存在意義を皇室の宗廟たる伊勢神宮を最高にした神道に求めたのです。そのために新政府は国教を仏教から国家神道に変えたのです。
太古より江戸時代まで、仏教と神道は神仏習合・神仏混淆でした。どちらが上かと言えば仏教(寺)であり、神社の中にお寺がありました。大きな神社の名前も例えば、鎌倉八幡は「鎌倉八幡宮寺」であり、京都の石清水八幡も「石清水八幡宮寺」と“宮寺”でした。
この意味するところは神社の中に寺院が勧請(かんじょう)されていたということです。「勧請」とは、「神仏などの来臨を勧め請い願うこと」であり、霊を分霊して他の場所に移して祀ることを意味します。
神様の本来の境地、すなわち「本地」は仏様であり、人びとを救うために仏様が神様に姿を変えているという考え方が本地垂迹説です。ですから、神社が仏さまを勧請されていたので神社は「宮寺」を名乗ったのです。
例えば、伊勢神宮の本地仏は廬舎那仏、熱田は大日如来、春日は各殿があり、釈迦、弥勒、十一面観世音、厳島は大日如来と観世音、出雲は至勢菩薩等々・・・ 全ての神社には本地としての仏様が祀られていたのです。それが神仏習合の実態なのです。
これは、神様が仏様を守る立場であり、神様は従属の立場であるということです。本地垂迹(ほんちすいじゃく)は、神仏が同等の立場としてではなかったのです。本地垂迹に基づいて、たくさんの神様は仏様と関連付けられました。
八幡様は神社ですが、菩薩と結びつけられたのが八幡大菩薩です。〇〇権現と呼ばれる名称もそうです。権現とは、日本の神々を仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする神号なのです。
「権現」の「権」という文字は「臨時の」「仮の」という意味です。たとえば人の場合「権大納言」だとか、僧侶であれば「権大僧正」とか「権大教師」とかの呼称がそれにあたります。
仏が「仮に」神の形を取って「現れた」のが「権現」であり、これは、日本の神々を仏・菩薩の権(仮り)の現れとして位置づけ、神は仏を守護する役割になっていたということです。例えば熊野権現や山王権現、白山権現などがそうです。
権現を祀るところを権社といい、神様を祀るところを実社といいます。ちなみに、徳川家康の東照大権現や、藤原鎌足の談山権現は神仏とは異なり、家康は御水尾天皇から、鎌足は醍醐天皇から賜った諡号(しごう)です。
本地垂迹説は、日本の神々を仏・菩薩の権(かり)の現れとして位置づけ、仏が本体であり、神は仏を守護する役割にされています。このような神仏習合は、明治維新政府が天皇を支柱にする政策からよろしくありません。
天照大神―神武天皇―大和天皇(古事記、日本書紀記述)からの明治天皇の存立は現人神であることが絶対必要だと考えました。この考え方は江戸時代の本居宣長や平田篤胤などの国学者が提唱しており、この思想に政府が乗ったのです。
そこで、維新政府は仏教の神道より上位を打ち壊すため、神社内の仏教的な要素を取り除くことにしたのです。それが「神仏分離令」(1868年)です。しかし、この布告は「神仏分離」に止まらず「廃仏毀釈運動」に発展してしまいます。
神仏分離令は、仏教排斥を意図したものではなかったのですが、江戸時代の厳しい寺請制度で、汚職の温床となっていた寺院に反感を持っていた庶民や、神道の復古を目指した一部の神職が中心になって全国各地で仏教排斥が始まったのです。
寺請制度とは、江戸時代にキリスト教を排除する目的で、すべての人は寺院の檀家となり、寺院から寺請証文を受け取ることを強要した制度で汚職などが蔓延したのです。現在ある檀家制度は当時の寺請制度に始まったものです。
寺の管理下にあった神社は、これまでの寺へのうっ憤から過激な行動に出て、仏堂、仏像、仏具等を焼き捨てる神社が出てきました。日吉神社、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮、金毘羅大権現等です。更に影響は各地で廃寺が進み、特に鹿児島、水戸、佐渡、富山、信州などが激しかったようです。
これは当時の国学者や神道家の影響もあるのですが、寺院が幕府の宗教制度の一翼を担った中で、その反発が出てきたものとも言えます。壊滅的な被害にあった有名な寺としては奈良の興福寺です。中世の頃は最大の荘園を持ち、東大寺よりも大きく、伽藍、堂舎の規模は日本最大級でした。金堂(本堂)が二つあったのは興福寺だけです。
仏像、仏具の類も他を圧する量と質と言われ文化財の宝庫でした。しかし、伽藍は五重塔以外はほとんどすべて壊されてしまいました。その五重塔も焼かれるところでしたが、類焼を恐れた住民の反対でそのまま残されたそうです。よかったですね。今では国宝ですよ。
興福寺はその後復興しましたが、今日の規模に昔の面影はありません。もし廃仏毀釈運動がなかったら、どれほどの国宝が現存していたことでしょう。
薩摩藩では廃仏毀釈が徹底され、1616寺とも言われる寺院が廃寺となり、僧侶は還俗し、兵士になったものも多く、没収された財産や人員は、軍を強化するために回されたといわれます。
美濃国では、苗木藩の寺院、仏像、仏壇はすべて破壊され、藩主の菩提寺も廃寺となりました。地方の神官や国学者が扇動し、寺請制度に反感を持った民衆がこれに加わり、歴史的、文化的に価値のある多くの文物が失われたのです。
仏教伝来から既に1400年近く経っていた明治維新といわれるこの時点に於いて、仏教という宗教及びその影響を受けた文化的、精神的諸要素は、既にこの美しい日本の風土と文化を創り上げ、人びとの心に浸み込んでいたのです。
その意味では、薩長新政権が起こした「廃仏毀釈」は、歴史上例をみない醜い日本文化の破壊活動であったのです。これによって、日本全国で奈良朝以来のおびただしい数の貴重な仏像、仏具、寺院が破壊されたのです。
明治政府は、その後「神仏分離」は廃仏ではないと布告しましたが、廃仏毀釈運動による被害は地域によっては凄まじいものでした。まさに中国の文化大革命、イスラム原理主義勢力タリバーンやイスラム国による破壊活動と似ています。
ところで、この「神仏分離」は、天皇家にはどのような影響を及ぼしたのでしょうか。内裏には歴代天皇、皇后の位牌が納められた仏堂がありました。祖霊神を祀る神殿もあり、天皇家は神仏併せて信仰されていたのです。しかし、「神仏分離」でお位牌は京都の泉湧寺に預けられました。
泉湧寺には歴代天皇の陵墓がありますが、天皇家は仏教の信仰をお止めになり、信仰は伊勢神宮の神様だけになりました。それまで仏式だった天皇家の葬儀は明治天皇以来神式となりました。戦後国家神道はなくなりましたが天皇家はそのまま神道です。
しかし、1400年も続いた神仏習合の文化はそう簡単になくなることはありませんでした。寺院と神社は物理的には分離されましたが、日本の家には今でもしっかり神棚と仏壇が祀られています。結論的には、日本人の宗教観の原点はすなわち「神仏習合」にあるといえるでしょう。 

■3 まつり
平成最後の年の瀬の23日、天皇陛下は85歳の誕生日を迎えられました。一般参賀には過去最多の8万人以上もの人たちが皇居を訪れたそうです。陛下から最後の誕生日記者会見があり、象徴天皇として歩まれた60年の想いを切々と丁寧に感慨深く語られました。
戦没者への想い、平和への願い、災害被災者への寄り添い、そして外国人労働者まで心を配われました。これまで支持してくれた国民への感謝と、後半には皇后陛下への労いを熱く語られ、後を託す皇太子、秋篠宮さまへの期待で締め括られました。
中でも、「天皇としての旅を終えようとしている今」とか「象徴としての私の立場を受け入れ、私を支えてくれた多くの国民に衷心より感謝」とか「自らも国民の一人であった皇后が、私の人生に加わり60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を心から労いたい」と言った表現に天皇のお人柄を感じ、分り易いお言葉のなかに文学的感性を感じ感動しました。
江戸時代まで天皇が一般国民の前に御姿を現すことなどありませんでした。ましてや直接言葉を交わすなど出来ないまさに現人神だったのです。それが戦後、昭和天皇による自らの「神格否定」(人間宣言)から今の明仁天皇は即位以来、象徴天皇のあり方を日々模索されてこられました。
その中で導き出された平成の天皇像を、戦没者慰霊や被災地訪問などを通して体現されてきました。世論調査では、国民の8割が今の象徴天皇を支持しているそうです。国民に寄り添い、苦楽を共にしようという姿に胸を打たれる人が多いのだと思います。
「日本人の宗教観」を考えたとき、日本人にとって天皇は特別な存在となっています。神代の昔、天照大神によって国が生まれ、その流れは神武天皇(初代)から今の天皇に繋がっています。日本はそんな神代から始まった神国であると信じられてきました。
天照大神は、八百万の神の中で最も尊い神であり、太陽を司る太陽神、天皇の祖神、そして伊勢神宮の祭神でもあるのです。八百万の神は、山・海・風・雷といった自然の様々なところに宿っています。
八百万とは無限を意味し、それは日本の国土のどこにでも氏神様がおわしますということです。北方領土にも小笠原諸島にも日本人がいたところには必ず社がありました。それは日本人には八百万の神と共にあるという思いがあるからです。
日本はまさに八百万の神々に守られている神国といっても過言ではありません。その神々の元締めが天照大神です。お名前の如く太陽のように周りを照らす慈愛によって国民の安寧を見守っているのです。
その申し子が初代神武天皇であり、爾来その流れを125代絶えることなく受け継いできたのが今の天皇なのです。天皇は天照大神を祀り、宮中三殿にて年間20回以上の祭祀を執り行い、国民の繁栄と国の平和を祈願しているそうです。
多くの国事行為のほか署名や押印などその数年間で約1000件にもなるそうです。天皇はまさに激務の務めをされていたのです。85歳といえば普通隠居され悠々自適な生活を送られていて当然です。改めて感謝と労をねぎらいたいと思います。
さて、神道には最初から明確な教義があったわけではありませんが、八百万の神は慈悲深く寛容的な風習と儀礼の文化が育まれてきました。そんな神道が仏教を受け入れ神仏習合の文化が生まれたのは仏教の慈悲の精神がまさに神道の精神と一致していたからではないでしょうか。
推古天皇は自ら仏教徒になり、仏教を保護し国教に位置づけ、「仏教興隆の詔(みことのり)」が出され各地で寺院建設が始まりました。こうして神社約8万5千と寺院約7万7千もの社寺が日本各地に建設され共存共栄してきたのです。
明治新政府によって政治的に神仏分離が行われましたが、1400年続いた神仏習合の文化を無くすことはできませんでした。そもそも文化は政治や権力者の都合によって易々変えられる次元のものではないのです。
どんな国の文化も基礎になっているのはその国の風土や風習や宗教です。日本も神代の昔からあった神道に仏教が結びついた神仏習合という宗教が日本特有の文化を育んできたのです。
そんな日本文化の代表格が「まつり」です。「まつり」は、超自然的存在への様式された行為です。祈願、感謝、崇敬、帰依、服従の意思を伝え、意義を確認するために行われるのが際祀であり、年中行事や通過儀礼と関係して定期的に行われています。
「まつり」や「まつる」という言葉は漢字の流入により「祭り」「奉り」「祀り」「纏り」「政り」などの文字が充てられました。日本は古代において、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した体制であったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼ぶのです。
八百万の神の下、祭祀は神道において根幹をなすものですが、神仏混淆の宗教文化のなか寺院においても、神を祀りながら、死者の霊、仏像、仏塔、曼荼羅などに対して儀礼が行われてきました。それはまさに仏式祭祀といえるものです。
仏教には元来、祭祀の対象となるものは存在していなかったのですが、日本に伝来して以来神道の祭祀の文化と混合し、寺院でも祈祷、法要、供養などの行事が行われるようになりました。地鎮祭などは神事のイメージがありますが、仏式で行うこともあります。実際拙僧自身何回も地鎮祭を行っています。
「祭り」は、北島三郎の歌にもありますように、五穀豊穣を願う豊年祭りや、子孫繁栄を願う大漁祭りなど全国各地には30万以上もの祭りがあるといわれます。ちなみに、日本の五大祭りは、神田明神、京都祇園、青森ねぶた、阿波踊り、そして岸和田だんじりだそうです。
この館山に那古寺(なごじ)という坂東三十三番観音巡礼の結願寺として古刹の真言宗のお寺があります。毎年7月に大きな町内祭礼が行われますが、この祭礼は神社の祭礼ではなく那古寺の「寺祭り」なのです。境内に何基もの山車や神輿が集結して盛大に行われますが、お囃子などは普通の神社の祭礼のものと確か同じです。
日本のお祭りは神道系の神社が中心になる祭礼が殆どですが、日本各地を見ると寺を中心とした祭礼は実はいくつも存在します。千葉県ではこの那古寺のほかに成田山新勝寺が知られています。
祭りは宗教行事ですが、参加者に特に信仰心があるというわけではありません。神への感謝の意味は感じていますが、大事なことは連帯感です。祭りの掛け声で一般的なのが、「ワッショイ」や「セイヤー」「ソイヤー」などですが、「ワッショイ」には「和を背負う」という意味が込められているという説もあります。
花まつり、桜まつり、梅まつり、もみじまつり、菊まつり、七夕まつりなどから、狸まつり、ラーメンまつり、裸まつりなどなど、最近では〜フェスタと呼ばれるものまで出てきて、日本文化は何でも楽しいものは「まつり」に結びつけてしまう文化なのです。
ちなみに「後の祭り」という言葉がありますが、「後悔の念を抱いてもすでに手遅れである」「後で騒いでも仕方がない。間に合わない」という意味で使われます。この語源には2つの説があるといわれます。
一つ目は京都の祇園祭りに由来しているという説です。山鉾巡業という最も盛り上がる「前の祭り」に対し、華やかさのない還車を送る後行事を「あとの祭り」と呼んでいます。そんな祭りを見ても楽しくない、意味がないということから派生したという説です。
二つ目は「故人」にまつわる語源です。人が亡くなった後「葬式」や「法事」などを行いますが、「他界した人に対して盛大な儀式を執り行っても仕方がない」という後悔の念から派生したという説です。
思えば人生はまさに「まつりごと」です。後の祭りにならないような人生を送りたいものです。 

■4 天皇1
新年あけましておめでとうございます。当山のページを見て頂いている方々にとって本年が佳き年になるようご祈念申し上げます。平成最後のお正月であり、その「平成」もあと僅かで、5月1日より新元号に代わるわけですが、果たしてどんな元号になるのでしょうか。
ところで、元号があるのは今世界で日本だけだそうです。飛鳥時代の「大化」に始まり、「平成」まで日本の歴史は実に247の元号と共に歩んできました。特に今回は憲政史上初の退位による改元だそうです。
現在の今上天皇は初代神武天皇から数えて125代目にあたります。今の天皇家は世界一長く続いている王家としてギネスにも載っているそうです。日本は天照大神によって創建された神代からの国であるという国民の崇敬の想いが今日まで天皇家を支えてきたといえるかもしれません。
歴代天皇はまさに現人神として崇められ、天皇も国家国民の安寧を願ってこられた相思相愛関係にあり、まさに日本人の倫理観、宗教観の礎となっていると言えます。現人神は、どんな政変があっても決して粛清されることなどない絶対的存在なのです。
日本での最初の元号は645年の「大化」が初めとされています。西暦645年の「大化」にはじまり「平成」にいたるまで247の元号があります。今の天皇が125代目とすると、昔は一代のうちに改元が何度も行われていたということになります。
明治憲法下で、天皇一代に元号ひとつとする「一世一元」が導入されましたが、元号は天皇が決めるという伝統は維持されました。改元は天皇の御代替わりの際にしか行わないようにしたのです。元号を天皇の権威を示す記号として付けるためです。
元号は、「天皇個人がその権威の象徴として、臣下に対して、自分の望む年の呼び方を強制する」という政治的が意味を強めるものでもありました。大日本帝国憲法下での元号とは、最高権力者である天皇による権威を示すイベントだったのです。
ところが、戦後に元号はその法的根拠を失い、GHQにより元号そのものについてまったく明文化されなくなってしまいました。政府は「事実たる慣習」としてなんとか元号を存続させた上で、ようやく1979年に「元号法」の制度にこぎつけたのです。
同法では、「元号は、政令で定める」とあります。政令とは、端的に言えば、内閣による命令です。ですから現代では、元号を決めるのは天皇ではなく内閣総理大臣なのです。そんなわけで平成以降の元号はすべて首相が決めるということになりました。
そもそも「元号」の原点は中国だそうです。漢の武帝の時代(紀元前140年)に「建元」と号したのが最古とされ、辛亥革命(1911年)清王朝が滅亡するまでのおよそ2千年ものあいだ元号は続きました。
中国の他に朝鮮やベトナムなどにかつて元号があったそうですが現在はありません。では、なぜ日本だけが今も元号を使用し続けるのでしょうか。その理由として、「積極的に廃止するほどの理由ときっかけがない」ためだとの分析があるようですが、拙僧的には、日本という国は、天皇を頂点とする八百万の神の国だからだと思います。
「キリスト教は、日本では昔も今もあまり普及していない。それはなぜか。まず言えることは、日本人にキリスト教は必要ではなかったことだ。なぜなら、キリスト教以上のものを、日本人はすでに持っていたからである。それは『天皇』である。」
こう主張されるのは、今日本仏教界で一躍注目を浴びている異色のドイツ人僧侶、ネルケ無方師です。師の著書を拝読させて頂き、キリスト教文化からみた日本仏教文化との違いから比較宗教論まで拙僧自身大変勉強になりましたので、これから縷々師の諸説と御意見を紹介していきたいと思います。
先ず、師のご紹介をしましょう。師は、ドイツ人で、幼くして洗礼を受けたクリスチャンでした。その少年が神の存在に疑問を抱き、16歳で坐禅と出会い、京都大学に留学、様々な“修行”を経て、現在は兵庫県の山奥にある曹洞宗安泰寺の住職をしているというまさに異色の僧侶です。
さて、「日本人にキリスト教は必要でなかったのは、日本には天皇がいたからである」といいましたが、それはどういうことでしょうか。師の著書の中からその答えを探してみたいと思います。
日本でのキリスト教徒の数は、世界的に見て大変少ないのです。日本の人口に対して、国内のキリスト教徒は、たった1%弱といわれます。これはアジアの国々の中でも格段に低い数字です。韓国では約30%、中国でも5〜7%くらいのキリスト教徒がいると予測されています。
日本にはもともと神道がありました。そこに全く異質な仏教がやってきたのですが、日本はすんなりそれを受け入れ、しかも仏教を国教に位置付けてしまったのですからまさに驚きです。
では、仏教に対してかくも寛容だった日本にキリスト教が根付かなかったのは何故でしょう。その理由を知るには先ずキリスト教文化について知らなければなりません。ネルケ無方師によると、日本人がキリスト教に違和感を覚えてしまう理由の一つは、「親子関係」に起因しているといわれます。
欧米では、父と息子は、ライバルのような、敵同士のような意識を持っている関係だそうです。欧米の家庭には、親と子の間に、越えてはならない一線があり、親の世界に子供は絶対に入れないのだという。
日本には、欧米のような親子の境界線はない。日本の家庭は、子供にとって家中どこでも自由に出入りできるし、親の寝室にも入れる。それに対して、欧米では親のベットルームに子供が無断で入ることは絶対に許されないという。
欧米のこの厳しい家庭環境は、基本的にはキリスト教が下地となっていると言われます。神と人類の絶対越えられない境界線を、家庭内に持ち込んでいるのだという。つまり欧米の親子関係は神と人間の関係の如くであり、子供にとって、親は恐ろしい神のような存在であるということです。
一方、日本の親は、「わが子は自分とつながっていて、まるで自分の分身のような存在」だと思っていると言われます。だから自殺するときに、子供を連れて無理心中をしようとする親がいるのです。欧米人には、そのような感覚はないそうです。
日本人には、クリスチャンが家のリビングに、十字架に吊るされ死んでいるイエスを飾る神経が理解できないし、聖書の神は厳格で、すぐ人類を殲滅させるとか、親と子、兄と弟がお互いを裏切るような残酷な話ばかり出てきます。
日本の昔話にも、恐ろしい話がありますが、聖書や欧米の童話のようなグロテスクさは感じられません。こういったことも、キリスト教が日本人の肌に合わない原因であろうとネルケ無方師は分析されています。
日本人がキリスト教に馴染まない、もうひとつの理由に「隣人愛」があると言われます。キリスト教徒は、隣人愛を説くが、なぜ彼らは戦争ばかりしているのか。本当に相手を想う心があるならば、争い事などないはずではないか。もっともな疑問です。
問題は、「キリスト教徒が、なぜ隣人愛を説き続けなければならないか」である。それは、誤解を恐れずに言えば