曹洞宗 [道元] 法話

西光寺法話 / 時々の法話法話1法6法11法16法21法26法31・・・一切皆苦極楽浄土因縁こころ十大弟子十三仏四諦1四諦2病気にならない生き方四諦3不慳法財戒おもてなし日本人の宗教観太平洋戦争の真実仏遺教経観音様観音経・・・
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寶慶記 / 雕寶慶記序記21記41・・・
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正法眼藏辨道話 / 問1問6問11問16・・・
 

雑学の世界・補考

西光寺法話

   「四苦八苦」を調べていて
   偶然 この法話集に辿り着く
   めぐり合せ もったいない これも縁 ゆっくり読む
曹洞宗正木山西光寺住職 無玄邦光
ご挨拶
はじめに御本尊様へご挨拶をいたします。般若心経をお唱えし、仏教の興隆、社会安寧、世界平和と人類の幸福を祈念いたします。「祈り」は人類だけに与えられた最高の「慈悲」行為です。ご一緒に般若心経をお唱え下さい。
はじめに・・・
仏教ってなんでしょう。お寺ってなんでしょう。坊さんってなんでしょう。普段なんとなくわかっているようで、実はよくわかっていないのではないでしょうか。
お寺はお葬式や法事を行う所であり、それを執り行う人が住職であり坊さんであるというのが一般的な印象ではないでしょうか。つまり、多くの人たちにとっては普段ほとんど用の無いところがお寺であり、お坊さんであり、そしてお坊さんの唱えるお経であるのです。
だとすると、お寺や坊さんは普段用の無い存在であり、もっと辛らつな言い方をするとあまりかかわらないほうが人生幸せということにもなりかねません。現に「お寺はさみしいところ」だとか「怖いところ」だという言い方をする人も少なくありません。はっきり申し上げて、そのような印象をお持ちの方は大変な誤解をされています。
実に残念なことです。では、どうしてそのような印象が定着してしまったのでしょう。それは「仏教」が正しく伝わっていないからです。「葬式仏教」とか「葬式坊主」などと揶揄されるのは、あたかも仏教とは葬儀のためにあるような印象を受けます。
その仏教に携わる坊さんは当然「葬式坊主」になってしまいますよね。では「仏教」とはなんでしょう。何かと問われればいろいろな説明ができますが、私なりに一言で言わせていただければ、仏教とは「人がしあわせに生きるためのおしえ」だということです。
せっかくのこのすばらしい人生のテキストがあるのになぜもっと活用しないのでしょうか。問題はそこにあります。仏教の本当の良さすばらしさを少しでも多くの人たちに解かっていただければとの思いもありこのサイトを起ち上げました。
縁あって只今このサイトを見ていただいているあなたにも少しでも 仏教により深い興味を持っていただければうれしい次第です。どうぞさいごまで見てください。
仏教とは・・・
お釈迦様が二千五百年ほど前に宇宙の成り立ちを発見されました。「発見」ですから、これは「真理」を見極められたということです。これを「お悟り」といいます。このお悟りを基にお釈迦様は仏教を確立され布教されました。
仏教の目的とは、一言で申せば、人が幸せになるための教えだということです。お釈迦様は真理と道理に遵った生き方をすれば必ず幸せになれると説かれました。つまり、幸せになるためには真理に沿った生き方が必要なのです。
真理を「法」といいます。人の作った「法」は都合でいくらでも変えられますが、真理の法は絶対であり、万物に平等なのです。これを「仏法」と言います。法律に反すると罰があるように、仏法に反するとやはり罰があります。その罰は「因果の法則」により百パーセント実証されます。
仏教の根本教義は「縁起論」とも言われています。宇宙の森羅万象はすべて縁起によって流されています。だからこそ仏教は「修善奉行・諸悪莫作」と説いています。善いことをしなさい。善いことをすれば良い結果が生まれ、悪いことをすれば悪い結果が生まれると力説しているのです。
実に明快な理論です。このように仏教はしごく当然のことを教えているのです。当然のことが大人になるほど難しくなるのはなぜでしょう。人が幸せになるためには、まず「善いこと」をすることです。
死んですべてが終わることにはなりません。先に述べたように、生死一如ですから死後も因縁の流れに逆らうことはできないのです。昨今の世相は、詐欺、暴力、殺人など犯罪のニュースばかり。どんどん人が悪くなっているように思えてなりません。
「因縁」を信じない人が悪いことをするのです。来世を信じない人は決して幸せな来世には往けません。仏の世界を信じない人が仏の世界に往ける訳がありません。子供達にとっても大変な受難の時代です。いつ、どこで犯罪に巻き込まれるかわかりません。子供がダメになったら人類は終わりです。
テロや戦争も増えています。社会環境のみならず自然環境も悪化の一途です。自然のしっぺ返しか、自然災害も増えています。果たしてこの先人類はどうなってしまうのでしょう。
繰り返しになりますが、仏教は人が幸せになるための教えなのです。今こそ、お釈迦様の正しい教えに目を向ける時です。正しい生き方、正しい生活にこそ幸せと平和があるのです。家族が、社会が、世界が平和になるための教えなのです。  
 
時々の法話

 

 
 

 

■諸行無常
よく聞く言葉です。お釈迦様のお悟りの内容を表す言葉のひとつです。この宇宙に存在する全ての物は、瞬時瞬時に変化しているということで、変化しない物は何一つ存在しないということです。
時間の最小単位を「刹那」と言います。約75分の1秒だと言われています。つまりこのアッと言う間の一刹那の間に全ての物が変化していると言うのです。一刹那の連続が過去から現在に至りそして未来に連なっているのです。
我々は時間と共に歳をとっていることは理論的にはわかっています。しかし実感はどうでしょうか。我々は数年経っていつの間にか歳をとった自分に気がついたりします。しかし1年位だとよくわかりません。
でも1年ごとに確実に老化しているのです。1年で変化しているということは1日ごとに変化しているわけです。1日で変化しているということは1時間、1分、1秒ごと、一刹那ごとに変化しているわけです。逆に言えば一刹那の連続が1年10年そして一生になるのです。
時間はイコール命なのです。刹那刹那に命が失われているのです。つまり時間を無駄にすることは命を無駄にすることになるのです。
自分の命はあとどのくらい残っているか考えてみたことはありますか。確かに寿命は人によりまちまちで先のことはまったくわかりません。だからこそ今を大切に生きようということです。よかったといえる人生のために時間を大切にしましょう。

■餓鬼って何?誰?
たいていのお寺では宗派に関係なく施餓鬼(せがき)会(え)あるいは施食会(せじきえ)と言った行事を行っています。各お寺にとっての年中行事の中の最大の行事となっています。うちのお寺でも勿論やっていますが、お施餓鬼を中心に一年が動いていると言っても過言ではありません。
お寺の本堂のことを「道場」と申します。それは仏道の修行の場という意味です。よく道場と言うと、剣道や柔道などの武道の道場を意味しますが、その由来は仏教の本堂が本家なのです。
今日のような施食会のほかに、お正月やお盆、お彼岸などにもお寺にお参りされますね。特に本堂は仏道の場だけに普段とは違ったやや緊張した敬虔な気持ちになるものです。それはご本尊さまをはじめ多くの仏様に見つめられているという気持ちからでしょう。
ですから皆様は本堂にお入りになって法要行事に参加された以上是非何かを持ち帰って下さい。「何か」と言っても形のあるものはダメですよ。本堂には色いろ高価なものがありますので形のあるものはダメです…冗談ですよ。「何か」といっても、それは精神です。形のない精神、つまり仏教の教えを是非何か一つでも持ち帰って頂きたいのです。
帰る時には教えの何かをお持ち帰りになる。でも来るときは別ですよ。来るときは「形のあるもの」をお忘れになりませんように。そう、言わなくても分かりますね。重いモノよりも軽いモノの方が有り難いのですね…冗談ですよ。
冗談はさしおいて、では、形のない餓鬼についてのお話をしましょう。ご承知のとおり地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の世界を六道と言います。仏界に至らない迷いの世界のことです。その中の餓鬼道は下から2番目の世界で、特に欲得に溺れた者が堕ちている世界とされています。
本堂の正面に供養棚を設置し多くの僧侶の読経の下、飢渇の餓鬼達を集め、種々無量の食べ物を与えその飢えを満たせてあげます。陀羅尼のお経があってはじめて食べ物が飢渇の喉を通るのです。われわれの目には見えないけれどそこには無数の餓鬼が集まっているとされるのです。貪欲、渇愛に溺れ成仏できない有縁無縁の餓鬼達に、気の毒に…可哀そうに…との思いも俄かに湧いてくる気さえしてまいります。目に見えない哀れな餓鬼ども…。
しかし、そこには目に見えないそれら多くの餓鬼の他に実は多くの目に見える餓鬼が集まっているのですよ。それは一体誰でしょうか?それはそこに集まっているすべての施主の人達のことなのです。まちがいなくあなた方もそのうちの一人なのです!
どうです、驚きでしょう。ショックですか?
まさかねえー。自分が餓鬼などとはこれまで思ったことも無かったし、言われたこともありません。しかしちょっと失礼千万だよねえ…
などと思っておられるかも知れませんね。でも、実際に本当の餓鬼があなたの心の中に住んでいるのです。いや間違いなく全ての人の心の中に住んでいると言ってもいいでしょう。ただ人によって餓鬼の程度もまちまちで、比較的おとなしい餓鬼から、ひどい餓鬼になるとその人自身の破滅をもたらすこともよくあるのです。
餓鬼の正体、それは、物欲や名誉欲からくるところの欲そのものなのです。欲の無い人っていませんものねえ。ただ問題はその程度なのです。小欲のうちはよろしいが油断するととんでもない貪欲・渇愛に満ちた立派?な餓鬼になるのです。そのせいで大きな問題を起こしたり、事件を起こしたりすることにもなりなねません。
(一時世界一の大金持ちになったそうですが、その欲得がとどまるところ知らず、今拘置所に入っている人がいますね。文字通り餓鬼道に堕ちてしまっているのです。)
ではどうすればその貪欲餓鬼を諌めることができるのでしょうか。それにはただ一つ「布施」をすることです。布施とは見返りを一切求めない純粋な慈愛の行為のことです。苦しんでいる者や有縁無縁の餓鬼に布施することが自分の中の餓鬼心を仏心に変えていく最も効果的な行為とされています。お寺の施餓鬼会法要に参加するということは、つまり施食棚の餓鬼に「布施」することであり、同時に自分の中の餓鬼にも供養していることになるのです。
餓鬼も修羅も畜生もそして地獄も仏も全て我がこの身の内に宿っていることを自覚することが肝心なのです。まさに、「仏道をならふというは、自己をならふなり」です。
その布施の功徳をご先祖さまに向けるから「回向」と言います。「回向」とは回して向けると書きますね。つまり仏様に向けた功徳がまた巡り巡って自分に返ってくることにもなるということです。そのための法要が「施餓鬼会」なのです。
今では「施食」と言うようになってしまいましたが、法要の意味は餓鬼に施すことであり、餓鬼とは欲に飢えて迷っている者のことであり、特に人間である以上、誰でも心のなかには、地獄から仏様までが宿っていることを自覚することがだいじです。
誤解のないように最後にもう一度申しあげますが、ご先祖様が餓鬼ではなく、餓鬼道に堕ちている救われない者を布施する功徳を皆さま方のそれぞれのご先祖様に回向するのが施餓鬼会の意味なのです。
毎年同じように修行される施食会の法要ですが、毎年飽きないのはなぜでしょうか。それは宗教行事だからです。毎朝お仏壇のご先祖様にお灯明やお線香を手向けることが飽きないのと同じです。
大震災に遭われた子供が言っていました。毎日普通に当たり前だと思っていたものこそ幸せだったことがわかりましたと。毎朝仏様ご先祖様にごあいさつできることこそがほんとうは最高の幸せだったのです。
毎年この日当山でも施食会に参加できることが幸せなのです。年中行事で日にちが決まっています。そんな報恩感謝の施食会に参加できないことは何か特別なことが起きたことになります。それが悪いことであってはなりません。
来年のことをいうと鬼が笑うと言いますが、良いことをいうと仏が笑うのです。来年の施食には又是非お会いしましょう。「お会いする」と言ってあの施食棚の上からではダメですよ。是非健康に気を付けてお過ごしください。

■唯我独尊
その昔お釈迦様はルンビニー園の花園の中で生母摩耶夫人のお腹から生まれるなり、七歩あゆみて右手で天を指し、左手で地面を指し、「天上天下唯我独尊」と申されたとはあまりに有名なお話しです。
人の子が産まれてすぐ歩いて言葉を発するなどとは常識では考えられないことであります。おそらく後々の神格化により「神話」として生まれ伝えられてきたお話でしょう。いずれにしろその真偽についてはどうでもいいことであり、問題はその言葉の意味合いであります。今日はこの言葉について考えてみたいと思います。
「天上天下唯我独尊」・・・この地上においても天上においても唯我ひとり尊し・・・これはお釈迦様自身のことであるのは間違いありませんが、その真意は我々ひとりひとりの人間こそお釈迦様と同格であるということを表しているのです。このことばこそ仏教の心髄に関するキーワードのひとつと言ってもいいでしょう。
我こそ宇宙、宇宙こそ我なり、我無くして宇宙無く、宇宙無くして我なし。宇宙の中心が我であり、我こそ絶対の存在である。我無くして宇宙無し。我即宇宙、宇宙即我となるとこの自己こそ宇宙本質その物であり、宇宙の本質はこの自己であるということになます。
つまりそこは生死を越えた世界であり、自己は永遠不滅であるということになります。これこそ涅槃の世界であり、極楽の世界なのです。自己とは何か。その自己を求めて釈尊以来あまたの発心者が命がけで追い求めてきました。その絶対の存在である自己の追求こそが仏道なのであります。
「仏道をならう」は「自己をならう」ことなのです。「自己こそ全て」なのであり「全ては自己の中にある」のです。悟りとはその自己の発見であります。また修証一如であるから、修行そのものでもあります。
他方、本来の自己から遊離・離脱し、「自分を見失う」状態はやがて妄我妄執の状態に陥いり、良識の判断をなくしてしまいます。その最たるものを「地獄」といいます。餓鬼界も畜生界もそれに準じた世界であります。
すすんで餓鬼界や地獄界に堕ちる人なんているわけありません。しかし、現実この世においてはあまりにも多くの人たちが苦しんでいます。もちろん避けようのない被害による苦しみもありますが、実は己自身の身から出た苦しみの方がたくさんあるのです。
それは多くの苦しみや不幸は避けることが出来ることを意味しています。多くの苦しみや不幸は、条件次第ではそれを受けずに済むのです。その方法と心がけを教えてくれているのが仏教なのです。われわれは普段から己自身を守るべく心がけと努力をすべきではないでしょうか。
世はまさに健康ブームで、体に良い食べ物、体に良いサプリメント、体に良い運動、体に良いダイエット等等。体には気を遣っていますが、こころの健康の方がなおざりにされているようでなりません。そろそろ「こころのダイエット」を考えてみませんか。
現代人のこころの環境はあまりにも悪化しています。こころの健康には正しい信仰を持つことです。かけがえのない自分自身のしあわせのためのみならず、さらには家族やみんなのためにも是非仏教を学んでほしいものです。
健康で長生きしたい欲望は尽きません。肉体は偏った栄養や運動不足は不健康だとよく判っています。それはそれで上等なことですが、もっと考えて欲しいのは心の健康なのです。心が病むとたちまち肉体にも影響が及びます。
近来こころの病が途方もない勢いで増えています。こころの病はひどくなると命とりになります。今一番必要とされているのはこころのサプリメントであり、こころのケアーです。こころの栄養は「物」を与えることではありません。
逆に余分な「物」を取り除くことなのです。重病なストレス症候群や心身症などには専門医のカウンセリングが必要でしょう。そうならないためにも日頃自己を鍛錬しておく必要があるのです。

■諸法無我
三法印のうちの言葉です。お釈迦様のお悟りの世界を示された一つの表現です。この世界のすべての存在や現象はすべて因縁果の流れによるものだということです。すべての存在や現象には「我」というものはありません。
別々個々の存在や現象はただただ因縁果によるものであり、それは差別の無い完全無欠な存在であるのです。はじめから随分難しい話になってしまいましたが、私なりにやさしく説明してみたいと思います。
以前、「諸行無常」について述べましたが、ほとけの世界を「縦の形」で表したものが諸行無常であるとすると、諸法無我とは「横の形」で表したものと言ったら良いでしょうか。つまりほとけの世界を縦に見た場合と横に見た場合の違いだと思えばいいでしょう。
ではその意味はどういうことでしょう。一言で言えば、この世界に存在するものはすべて完全平等であるということです。不平等なものは何一つなく、それは同時に完全無欠なものであるということです。しかし、現実人間はほとんどすべてのものに様々な「程度」や「質」の基準を設け、すべてをそれに当てはめ価値の序列をつけてしまっています。
もちろんそのことで社会生活に目的意識と達成感が生まれ、人間社会は機能的に動いているといえます。実に有効な人間の知恵と言ってもまちがいありません。文化文明の発展の礎とも言えましょう。
しかし、現実そのことですべてが必ずしも上手く行ってはいないのです。ひとはどうしても価値あるものを求めます。財産、地位、権力、体力、知力等々。なぜでしょう。それは価値あるものこそ幸福のバロメーターだと思い込んでいるからです。
誰でも幸福になりたいのですからそれはよくわかります。しかし、その「競争」により必ず格差が生まれます。その格差が「差別」を生み出しているのです。「負け組み」「勝ち組」が生まれているのです。
ここで問題にしたいのは、誤った価値観から生まれてくる「差別観」なのです。真の価値観がわからないためにそこに差別観が生まれているのです。真の価値観とは何か、ここで少し考えてみましょう。人間社会においては、鉄一貫目と金一貫目の価値は、当然金にありますね。
社会通念上その認識は当たり前のことです。そしてこの観念はその他全てのものに対してもそうなのです。お金持と貧乏人。社長と社員。大学卒と高校卒。成績優秀者と成績劣等者。頭の良い者と悪い者。
体力の強い者と弱い者。運動能力の高い者と低い者。
歌の上手い者と下手な者。背の高い者と低い者。足の長い者と短い者。美人とそうでない者。長男と三男。既婚者と未婚者。嫡子と非嫡子。男と女。若者と老人。
健常者とハンディキャップ者。等々挙げればキリがありません。しかし、結論から言って、これらは全くの妄想なのです。
無いものを「有る」と思い込んでいるだけなんです。諸法無我とは存在する全てのものや現象は完全に平等だと言っているのです。男も女も、老人も若者も、健康人も病人も、その本質から全く優劣が無いのです。お釈迦様は宇宙の真理を発見されました。その真理が「法」なのです。
「一切皆空、悉有仏性」と看破されました。この世もあの世も区別とか差別とか元来全く無いのです。実際区別と差別の世界で生きているのは人間だけなのです。その区別と差別意識という妄想により自らを四苦八苦の世界に落とし入れているのです。
早くその妄想から眼を覚ましなさいと仏様が訴えています。世間虚化唯仏是真とは聖徳太子のお言葉ですが、真実を教えてくれているのが仏教なのです。

■お盆
八月に入りました。毎日暑い日が続いていますが八月といえばやはりお盆でしょう。今日はこのお盆について考えてみましょう。
このお盆こそ仏教での先祖供養の原点であるように思われるのです。お盆といえば目連尊者のお話になるわけですが、不思議と何度聞いても煩わしくない思いがあります。それはなぜでしょうか。
それは多分そのお話しを聞くこと自体が「宗教行事」になっているからでしょう。宗教行事は飽きないものなのです。何でもそうですが、飽きたら縁が切れた時なのです。どうか飽きないで聞いてください。
お釈迦様の十大弟子のうちの一人、目連様があるとき亡きお母さんを神通力で捜していました。神通力とは目に見えないところを見通せる力のことです。いわゆる超能力で宇宙の果てからあの世まで見通せる力のことです。
おかあさんは仏様として極楽往生されているとすっかり思い込んでいた目連さまは、お母さんが成仏しておらず、餓鬼道に堕ちて逆さ吊りの罰を受けて苦しんでいることを知りました。驚きとショックを受けた目連様はお釈迦様に相談されました。
「目連よ、おまえのお母さんはおまえにとっては優しいすばらしいお母さんだったのだよ。しかしただお母さんが生前お前を育てることで他人に迷惑をかけたことがままあったのだ。その罪による罰を今受けているんだよ。こんど七月十五日に
お坊さんたちの修行が終わるので、その日お坊さんたちに供養しなさい。そしてお母さんの供養をお願いしなさい。お母さんはきっと餓鬼道から救われるでしょう。」と、さとされました。
その結果目連様のお母さんは餓鬼道から救われたのです。その故事来歴により、普段からご先祖様を供養しなかった一般の人たちに、自分たちのご先祖様の中にも目連様のお母様のように成仏出来ずに苦しんでいる方がいるかも知れない、せめて年に一度の先祖供養の日を設けることにしてはどうかということになりました。
目連様のお母さんが逆さ吊りから救われたことで、「逆さ吊り供養祭」にしたらどうか。逆さ吊りをインドの言葉でウラバーナと言います。ウラバーナを漢字に当てて「盂蘭盆」になったのです。
お盆は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)と言います。以来2500年以上もの間今日まで先祖供養として盂蘭盆会の行事は続いているのです。人として最も大切なことは亡き人への感謝と報恩です。自分がこの世に生まれたことはご先祖様からの因縁の流れがあったからなのです。
ご先祖様への感謝と報恩を思い、これからの自分の人生をより充実させていく気持ちをご先祖様に報告することがお盆の意味ではないでしょうか。また、とくに、今年新盆を迎える方にとっては、故人への追慕、追悼のお気持ちは特に深いものがあると思います。
はじめてのお盆を新盆(しんぼん)又は、にいぼんとかあらぼんなどといいますね。旧で申せば、八月一日に灯篭や精霊棚を設け、早めに仏様をお迎えします。適当な日に法要を行い懇ろに供養いたします。故人にとってはいわばはじめての里帰りです。特にゆっくりして頂き、遅くお送りします。
この辺では、八月二十四日に送る場合が多いようです。二十四日はお地蔵様の縁日ですので、それに合わせてのことでしょうか。はじめての道をお帰りになるわけですので道に迷わないように、修羅道や餓鬼道に迷い込まないように
お地蔵様のお導きに寄ろうとしたものかも知れません。
お盆の供養を受けられた仏様が喜んでいるお姿と供養させていただいた人々が喜んでいる姿が踊りとなったのが盆踊りと言われています。各地において様々な盆行事がとり行われますが、どれも心を和ませてくれるものですね。盆休みは先祖供養のためのお休みなのです。
このごろでは、盆休みこそビッグレジャーだといって海外旅行や海や山に大勢出かけて行きますが、お盆には出かけるものではありません。お盆は帰るのです。仏様がお帰りになるのでから、外に出ている子や孫、家族皆が家に帰って集まってご先祖仏様に感謝するのがお盆なのです。
これが仏教徒のお務めではないでしょうか。毎年毎年同じお盆はやってきません。今年のお盆は去年のお盆とも一昨年のお盆とも違います。そして今年のお盆は二度とやってきません。いいお盆を迎えてください。
 

 

■追善供養 亡くなった人をほとけ様といいますね。
そのほとけ様への供養を追善供養と言います。また何度も法事を行ったりして供養を致しますが、何故でしょうか。今回はその「追善供養」の意味について考えてみましょう。
人は一人では決して生きてはゆけません。個人を取り巻くすべての人達や物や環境などのお陰で生きていると言えます。生きていくために限りない多くの恩恵をいただいていますし、ただ生きているだけでも多くの迷惑をかけているのが実態なのです。
このように人は生きていくために例外なく一生の間相当な「お陰」という「借り」を受けて生きているのです。例えば、卑近な例として食べ物について考えてみましょう。人は何かを食べずには生きて行けません。
豚肉を食すればそれは豚の命をいただくことになります。牛肉をいただけば牛の命を、魚をいただけば魚の命をいただいているのです。イヤ自分は菜食主義者だからといっても野菜の命をいただいているのです。一日にお米何粒食べているでしょう。お米も籾のまま撒けば芽がでてきます。生きているからです。
一生を考えると数え切れないほどのお米の命をいただいています。このようにどんな食べ物であれその物の命を頂いて我が身の命を養っているわけです。イヤ自分はお金を払っているから何の世話にもなっていないと言う人がいるかもしれませんが、そんなものではないのです。
宗教的にはすべて「頂いている」のです。ですから、食事をするときには「いただきます」と合掌していただきますね。それは「わたしの命を養うために
仕方なくあなた様の命を頂だかせていただきます。」との感謝の気持ちを表したものなのです。仏教徒として当然の作法です。
しかし、最近ではそんな躾も難しくなってしまいました。家庭ばかりではありません。学校でも食事は食器を持たず、箸を使わず、「いただきます」も無く、先生の「ピーイ」という笛の合図で一斉に食べ始めると聞いたことがありますが本当でしょうか。食事作法の崩壊から食文化や躾までおかしくなってしまいました。
話は元に戻りますが、このようにわれわれは例外なく一生の内をあらゆる「お陰様」のお陰で生きているのです。ですから、そんな自分が亡くなってお坊さんにいい戒名を付けて頂いたのでもう立派な仏様になりました。それで終わりだという訳にはいきません。
生前の計り知れない多くのそれらの「借り」は一体誰が返すのでしょうか。故人となってしまった本人はどうすることもできないのです。その故人の「借り」を消却する方法が遺族、親族、縁者による「追善」なのです。故人へ向けて「善」を送るのです。
この「追善」をもって故人の「借り」を相殺し消却していくわけです。これがそもそもの追善供養の意味といってもいいでしょう。しかし、膨大な「借り」は一度や二度の供養では及びがつかないのです。だから人は亡くなって仏の世界へ入られてもすぐには完全成仏できないのです。完全成仏は故人の「借り」が完全消却した時点なのです。
そのためには33年間の追善供養が必要とされているのです。仏様にとって亡くなってから一周忌はいわば一歳の誕生日なんです。三回忌は三歳、七回忌は七歳の誕生日でもあるのです。そして仏様としての33回忌が「成人式」であり清浄本然忌と言うように完全無垢の奇麗な仏様に成るということです。
このように、新仏にとっての33年間は「垢おとし」の修行の期間でもあるのです。その間遺族縁者はその修行の応援として追善を施すわけです。その節目とされているのが年回供養法要なのです。33回忌を弔い上げなどとも言いますが、その後は報恩供養として37回忌、50回忌と続いていきます。
われわれは親や御先祖有っての自分であり今日があるのです。考えてみればわれわれみんな親に七五三を祝っていただきました。三回忌と七回忌はいわば親への七五三としての恩返しなのです。報恩感謝の教えこそ仏教なのです。

■合掌
仏様を供養するのにいろいろな形があります。お灯明をあげる。お線香をあげる。お供物をあげる。そして、お塔婆やお経をあげる。このようないろいろな形がありますが、いつでも、どこでも、何も無くても出来るのが「合掌」ですね。今日はこの一番簡単な、合掌について考えてみましょう。
人はほんとうに心からお願いしたり、お詫びをしたりしようとすると自然と「合掌」してしまいますね。また、相手に合掌されて何かを頼まれたり詫びられたりすると無碍にはできません。つい相手の気持ちを受け入れたりしてしまいます。また、逆にすなおな気持ちを表そうとすると自然と合掌の姿をしてしまいます。
なぜでしょう。それは、合掌に「まごころの姿」が表れるからなんです。合掌することにより純粋な自分になれるからなんです。純粋の心こそ仏心なんです。仏心の表れが合掌であり、合掌の姿で人は仏様になれるんです。このように両手を合わせると10本の指が一体になりますね。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏と10界ありますね。この10の世界がちょうど10指だとすると、10界が一つになった形が合掌なのです。10界が一つになるということは、一切の差別や区別が無くなるということです。自他の分別が無くなり、自分が宇宙であり、宇宙が自分であり、この世があの世であり、あの世がこの世であり、自分が仏であり、仏が自分であるという涅槃の世界が出現するのです。
仏様を拝むということは自分が仏様と一体になるということです。仏様と自分、あるいは自分と他人、自分と全ての対象物が自他の領域を越えて一体に成る。ご開山様道元禅師はこれを「同事」という言葉で示されています。「自にも不違なり、他にも不違なり」です。
ところで、こんな詩を作ってみました。
どなたでも 合掌すればほとけさま あなたがほとけ わたしがほとけ
あなたでも 合掌すればほとけさま あなたがわたし わたしがあなた
わたしでも 合掌すればほとけさま わたしがあなた あなたがわたし
ところで、普段みなさんはどの位合掌しているでしょうか。ほとんどしていないのではないでしょうか。せめて家にお仏壇がある人は少しは合掌しているかもしれませんが、それでも朝晩のお仏壇詣りは特定の人におまかせでそれ以外の人たちはほとんど「拝むこと」のない生活ではないでしょうか。
よくクリスチャンは日曜日ごとに教会に行ってミサに参加し牧師のお話を聞くことが日曜日の務めだとされています。仏教徒は日曜日ごとに菩提寺にお詣りしていますか。していないと思います。仏教徒はそれだけ信仰心が無いのでしょうか。
イヤそうではありません。仏教徒は毎日お寺にお詣り出来ない代わりに自分の家の中にお寺を持ち込んでしまったのです。お仏壇は菩提寺の本堂と同じものなんです。いわばミニ本堂なんです。我らがご先祖様が毎日毎日仏様をお詣り出来るようにとの想いを形にした結果なんです。
ところが現状はどうでしょう。折角のグットアイデアによる伝統が失われかけようとしています。合掌する習慣もほとんど無くなってしまいました。よく、分家した方が「うちはまだ先祖がいないから仏壇はありません」とか言うのをきくことがありますが、先祖のいない人が居る筈がありません。
自分が独立したら、家にお仏壇とご本尊様とご先祖様をお祀りして供養をするのが本来の仏教徒の務めなんです。新しく家を建てたりすると「家移り念仏」をしますね。仏教徒の家には必ず仏様がお住まいなんです。我々は仏様と一緒に住んでいるんです。
朝に夕にお参りして、仏様ご先祖様に供養し感謝することこそが肝腎なんです。子や孫はその姿を見て成長します。おじいちゃんやおばあちゃんの後ろ姿から文化が伝えられるんです。核家族の時代と言われ、文化や躾の伝承もままならない状態です。昨今の社会の乱れや子供達の不安は当然のことのような気がします。
こんなときだからこそ仏教徒はもっと信仰の自覚をもってお仏壇に手を合わせましょう。合掌すれば心が安定します。安定はストレスを除きます。現代の多くの病気の一番の原因はストレスだと言われています。ストレスの無い状態こそが健康で一番のしあわせなんです。色々申しましたが、結論としては、やはりほとけ様を拝めばしあわせで長生き出来るということです。
どなたでも 合掌すればほとけさま わたしがほとけ あなたがほとけ
報恩感謝の教えこそ仏教なのです。

■成道会(じょうどうえ) 釈迦如来誕生の日
12月8日はお釈迦様がおさとりを開かれた日としての特別の日であります。お釈迦様がお悟りを開かれたことを成道(じょうどう)と申します。今回は予定でありました一切皆苦(その2)を来月に廻しまして、この成道会(じょうどうえ)についてお話させて頂くことにしました。
その昔、お釈迦様は菩提樹の下禅定6年の修行の結果12月8日暁の明星を見て活然と大悟徹底されました。その瞬間一切皆苦の衆生を済度すべく応身仏としての釈迦如来が誕生されたのです。爾来2500年に亘ってその真如の仏法が伝わってまいりました。
真如の仏法、その宝珠を得んがためにお釈迦様以来あまたの修行僧が命がけで修行してまいりました。仏の教え仏法にはそんな命を掛けるだけの価値が実際あるのです。ただ残念なのは今の時代命がけで法を求める真の求道者が見あたらなくなったことでしょうか。
そのお釈迦様のお悟りにあやかりまして、禅宗の修行寺院においては12月1日の早朝より8日の早朝までまる7日間最も厳しい坐禅の修行に入ります。これを臘八接心(ろうはつせっしん)と言います。12月を臘月(ろうげつ)と言いその8日をとって臘八(ろうはつ)と言います。接心(せっしん)とは坐禅の集中修行のことです。そして、この時期になると私がいつも思い出すのは初めて坐禅をした時のことです。
18才の時でまだ得度出家する前のことでした。縁有りまして東京品川にあります東照寺というお寺の寮に入ることになりました。御指導頂いたのは御住職でありました故伴鉄牛(ばんてつぎゅう)老師であります。前夜坐禅の仕方を教わり、「明朝4時起床。接心に入る」という言葉を聞きました。坐禅のことも接心の意味も分からずその場にぶち込まれたのでした。
チリンチリンという鈴(れい)を合図に参禅者達が先を争って独参(どくさん)に向かいます。独参とは指導者である御老師の丈室に入り一対一で直接禅の指導を受けることです。老師の振る鈴の合図を受けて喚鐘(かんしょう)という小さな鐘を三声して部屋に伺うのです。
三拝をしてから正座して御老師の膝元まで進みます。合掌して、教わった通りの言葉で「数息感(すうそくかん)に参じています。」と申し上げました。御老師の鋭い視線を受けながら何を言われるのだろうと思っていました。
ちょうどその時でした。お寺の玄関先に居た犬がワンワンと吠えました。御老師はおもむろに口を開き、「今犬が啼いたがあの犬は何処で啼いたのか」と尋ねられました。
わたしは当たり前に「玄関先で啼きました。」と応えました。すると御老師は手元の鈴を取りチリンチリンと振られました。次の人と交替ということです。なんのことかまったく解らず退室しました。初めての坐禅での初めての独参でのことです。今でも鮮明に覚えています。
当たり前の答えがまったくの的はずれという禅の世界へはじめて一歩を踏み入れた時のことです。その意図する処とは一体何なのか。あのお寺の玄関先で啼いた犬は一体「どこ」で啼いたのか?
やがて「無字(むじ)の公案(こうあん)」を頂き、明けても暮れても無字、無字ただ「無字」の単提(たんてい)でした。何ヶ月もムームーと唱えたものでした。
伴鉄牛老師は原田祖岳老師の直弟子であり、その指導の厳しさは並大抵なものではありませんでした。次回からの接心は情け容赦無いと思われるほどの警策(きょうさく)を戴きました。一回の接心は五日間でしたが、何本もの警策が折れたものでした。
今では懐かしい思い出となっていますが、10代という若い時に夢中で取り組めた因縁に今では心から感謝しています。その時の経験のお陰で今があると思っておりますし、その経験が無ければこのホームページも無かったのは確かだと思います。
禅は人を分別妄想虚構の世界から真実の世界に導いてくれる手法なのです。本物と偽物の区別がつかない迷いの世界から本物の見分け方を教えてくれるのが禅です。真実本物の宝珠の一端にでも触れてみたいと思いませんか。 

■涅槃会(ねはんえ) お釈迦さまは久遠のほとけさま
お釈迦さまの亡くなった日が2月15日です。仏教寺院では毎年この日お釈迦さまの入滅を記念しての法要が厳粛に修行されます。この法要を涅槃会といいます。降誕会、成道会、そしてこの涅槃会を三仏忌(さんぶっき)と申します。
これら三仏忌こそ仏弟子仏教徒にとっては最も大切にしている報恩感謝の法事なのです。その回向には「波羅蜜の妙徳を修証し上み法乳の慈恩に報いんために・・・」と謳われ、お釈迦さまの大恩慈悲の御恩に報いるためのわれわれの心構えが提唱されています。今回は今年も間もなく迎えるこの涅槃会に因み、「涅槃」をテーマにしてみました。
涅槃とはお釈迦さまの入滅を意味している言葉です。入滅とは文字通り「滅に入ること」であり肉体の滅却であり「死」を意味します。まずそのお釈迦さまの入滅の様子から伺ってみましょう。お釈迦さまは35歳でお悟りを開かれて以来45年間人類衆生済度のため全国を説法行脚されました。
しかしお釈迦さまも肉体を持った人間です。80歳になってからはとみに老いが進まれました。それでも渾身の力を振り絞られ最後の説法の旅に出られました。そしてやがてクシナガーラ城外の河畔にたどりついた時にはもう老いと疲れで歩くことも出来ず沙羅双樹の下に頭を北に右わきを下に横たわっていました。
お釈迦さまはご自分の入滅を悟り、弟子や人々を集めて最後の説法をされました。それが「遺教経」に説かれています。お釈迦さまのまわりに弟子ばかりではなく天竜や動物や鬼畜までもが集まって泣き叫んだと言われています。お釈迦さまはその悲嘆にくれる弟子達に向かって、これを慰め、常に精進することを諭され静かに目を閉じられ涅槃に入られたのです。
涅槃図にはその様子が細かく描かれています。その最後の説法である「遺教経」はお釈迦さまの教えが集約されている聖典であり禅宗では特に大切にされている教典の一つとなっています。本ホームページでもそのうち「仏教講座」のなかで是非とりあげていきたいと思っております。
さて、「涅槃」とはサンスクリット語で「ニルヴァーナ」と言います。「吹き消すこと」の意味と言われ一切の煩悩がふき消された悟りの境地を意味するそうです。また、原始仏教では貪欲の滅尽、瞋恚の滅尽、愚痴の滅尽つまり三毒がなくなった状態を涅槃と定義されているそうです。
そして涅槃には二段階ありお釈迦様が成道されてから入滅されるまでの肉体の存在する上での涅槃を有余涅槃、肉体が消滅してからの涅槃を無余涅槃と言っているようです。大乗仏教では人間にもともとそなわっている仏性をさして自性清浄涅槃、生死と涅槃を超えての涅槃を無住処涅槃と申すそうです。以上が学問的御託ですがこのような講釈は実におもしろくないものです。
そもそも「涅槃」にいろいろ区別や段階があるわけがないのです。仏さまにいろいろ段階が無いように涅槃は涅槃であって一つなのですから。そこで、まずお釈迦さまの死はなぜ単なる「死」とは言わず「涅槃」と言うのでしょう。それは、お釈迦さまは「死んでも死なない」死を超越した存在になられたということなのです。
「死んでも死なない」などと言いますと宗教の非合理的理論の押しつけのように思われるかもしれませんが、この理屈を私なりの浅智恵の範囲でなんとか論理的に論じてみたいと思います。これもまず御託から入りますがどうか聞いてください。
仏さまには、法身仏、報身仏、そして応身仏の3身があるとされています。法身仏とはこの全宇宙そのものが仏さまのカラダそれ自体だという考えです。つまり全宇宙の真理(法)の実態そのものを具現した仏さまなのです。
その仏さまが毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)と言われる仏さまです。奈良東大寺の「大仏さま」が有名です。(密教の方で申しますと大日如来がそれに相当します。)
毘廬舎那仏は沈黙の仏さまといわれ自らは説法しません。その法を説くのは毘廬舎那仏の毛孔から宇宙の隅々まで派遣された無数の仏さまなのです。その仏さまこそが釈迦牟尼仏であり「応身仏」と申します。全宇宙の百千億の国々に出現されるというのです。わがこの地球上にも2600年程昔インドに出世されました。
法身仏である毘廬舎那仏の「化身」として人類衆生済度のためこの地上に降誕されたので化身仏とも申します。報身仏とは、修行の結果悟りを開き覚者となった仏さまということです。つまり釈迦牟尼仏は、法身(ほっしん)、報身(ほうじん)、応身(おうじん)のすべてを具えた仏さまなのです。
このようにお釈迦さまの本質はもともと法身仏という全宇宙の本体そのものであるということです。従ってお釈迦さまの「死」は単なる肉体の「死」を超越し本来の本質に戻られたということなのです。
つまりお釈迦さまは人間としての肉体は滅びたとしても、その本質は本来本法性の永遠不滅の「久遠仏」(くおんぶつ)なのです。その本質こそが「涅槃」であり、涅槃そのものが宇宙実相の法身仏であるのです。
峰の色谷のひびきも皆ながら我が釈迦牟尼の声と姿と(道元禅師)
このように入滅されてもなお涅槃のお釈迦さまが而今に亘って我々を説法し続けているのです。どうですか。「死んでも死なない」お釈迦さまの存在がわかりましたか。しかし折角のそのお姿も生半可には拝見できません。
そのお釈迦さまに相見するためにはそれ相当の修行があっての結果なのです。相見はなかなか難しいかもしれませんが「修行」と「悟り」は別のものではないのです。「修証一如」を励みに精進しましょう。 

■日々是好日「今」がすべて
「日日是好日」(にちにちこれこうにち) 今回はこの有名な禅語をとりあげてみました。このことばの書かれた掛け軸などを床の間や茶室などでよく見かけます。この意味するところは、日というものに良し悪しは無いということです。
毎日毎日が好い日であるということです。実に明解なことばですね。しかし一見明解なものほど奥が深いのですよ。 「日」によって特段違いはありませんがまずよく言われるのがお天気との関係です。
大抵の場合晴れて「好い日」とされています。確かに折角予定された行事が雨天のために延期や中止になることはよくあることです。折角の予定が狂ったり、何をするにしても不便を感じますので、「雨天は好くない日」と言うのもわかります。
しかし、ここでちょっと気になることがあります。「あなたの普段の行いが善いから今日は晴れて好い日になりましたね」とかよく言ったりしますね。社交辞令や相手の徳を持ち上げたりする気持ちから出る言葉です。
確かに個人的な気安い会話の中でのことばとしてはご愛嬌でよろしいのですが、大衆を面前にした公的な挨拶などの場合いささか疑問に思うのです。それは、その日たまたま晴れたからといっても、問題はそのことばを聞いた人の中には過去において大切な行事を大雨に見舞われたという人もきっといる筈なのです。
その人にとっては「あのときの大雨はあなたのせいだ」と間接的に言われているようなものです。確かにどんな行事を行うにしても一般的にも晴れた方が喜ばれますね。それは大抵の場合都合が良いからです。
でも都合は人によってそれぞれ違いますので晴れて喜ぶ人もいれば、中には雨で喜ぶ人もいるということを知るべきです。お天気はその人のその日の都合次第で好い日にもなり悪い日にもなるということです。余談ですが、よく「晴れ男」とか「雨男」とか言いますが、一生の内での確率はほぼ50パーセントだそうです。
また、もし毎日毎日お天道さまが出ていたら砂漠になってしまいますし、また、毎日毎日雨ばっかりだったら物は腐るし土砂崩れや洪水などの災害も起きてきます。雨の日、晴れの日、風の日などがあってバランスが保たれているのです。地球は自分の環境のバランスを保つために気候や天候を変えているのです。地球も生きているのですから。
要は、晴れて好し。雨で好し。風で好し。その日その日はそれ自体完璧な現状だということです。天候状態に優劣はありません。因果の法則に従ってただただ変化しているだけのことです。
それにしても最近の地球は環境悪化のせいか異常気象が見られるようです。とくに世界的に砂漠化が進んでいるとか。実際日本でも平均年間降雨率も年々下がってきているそうです。雨も恵みの雨だと思うとありがたく感じられるものです。
その「天候」は目に見えるものですが、目に見えないもので「その日」を区別するものもあります。まず日本には「六曜」(ろくよう)というものがあります。その日の吉凶を表すものとされています。
「今日は仏滅だから」とか「明日は大安だから」などと言って行事の判断にしたりします。とくに仏教に関するものに仏滅と友引がありますが、実はこのふたつとも元々は仏教に関係なかったそうです。
「物滅」であったものが「仏滅」になり、また友引は「吉と凶が勝負し共に引き分け」といった意味だそうです。今日では「友引」は「あの世に友を引く」というような意味合いから友引には葬儀は致しません。
元の意味がどうであれそれが現在の社会通念となってしまっている以上、それに従うことが文化なのです。その「文化」の基になっているのが「暦」です。その暦に従ってすべての年中行事が決まります。
お正月、節分、立春、ひなまつり、端午、立夏、入梅、七夕、お盆、立秋、十五夜、彼岸、七五三などなど、あげれば切りがありません。それらは生活の指針として無くてはならないものです。人が生活の中に「けじめの意味づけ」として編み出した知恵なのです。
暦だけではありません。1日24時間の「時間」も同じように「けじめの意味づけ」のために人が発明したものです。発見ではありません発明です。念のため。
ちょっと想像してみてください。仮にあなたが現在何月の何日の何時であるのか認識できない状態のまま何日も過ごすとしたらどうなると思いますか。意識のない昏睡の状態でない限り多分あなたは情緒不安になり、それが長時間続けばストレスとなり精神に異変を来すかもしれません。
季節や雑節、年中行事や月日、時間の認識で日常生活に「けじめの意味づけ」がなされ、気持ちが安定するのです。これを「文化的生活」といいます。犬や猫に季節や曜日、時間の認識はありません。
それは彼らには「文化」が無いからです。 (しかしこのごろ中には人間様と同じような贅沢な「文化的生活」をしている犬や猫が沢山います。将来「文化」を身につけ時間を気にする犬や猫が出てくるかもしれませんね・・・冗談ですけど)
さて、ここで私が何が言いたいかと申しますと、人はすべてに於いてさまざまな「尺度」の中で生きているということです。先にあげた暦も行事も時間も全て文化的生活を送るための「尺度」なのです。人は生活の全てに於いてさまざまな尺度に従い尺度を通して生活にけじめをつけ、気持ちをコントロールすることで「安心」できるのです。
尺度がなければ人間生活は成り立たないと云ってもよいでしょう。尺度こそ人類が合理的に生きていくために編み出した最高の叡智であり「文化」なのです。そして次に私が言いたいことは、実はこの「尺度」こそ要注意だということです。
尺度とはすべて人が便宜上作った「発明品」だからです。発見ではなく発明です。(ここでも念のため) 春夏秋冬の季節も、元旦、お盆、大晦日などの雑節も、大安、仏滅、先勝などの「六曜」も、月曜、火曜、水曜などの曜日もすべて「尺度」です。
「何時何分」という時間も尺度です。その尺度の「本質」をしっかり理解することが大事なのです。その尺度に実態は無いのです。有るのは「今」だけです。これを「而今」(にこん)と言います。どんな日であれどんな時間であれ、有るのは「今」だけでその本質は「虚空」なのです。
「日日是好日」 この言葉は禅の古則「碧巖録」(へきがんろく)第六則にある公案(問答)なのです。その「今」の本質を悟ることがこの公案(問答)のねらいなのです。
[本則] 
挙す、雲門垂語して云く、「十五日已前は汝に問わず、十五日已後、一句を道い将ち来られ」 自ら代わって云く、「日日是好日」
雲門は公案を挙げて、教示していう。「今までの十五日間のことは問うまい。これからの十五日間で一番大切だと考えたことを一言でいえ」 雲門自らがいう。 「日日是好日」
「これからの十五日間の修行で一番大事だと考えることを云え」との問いに雲門自らが答えます。一番大切な事は「今の今」だというのです。今という時間は今しか無い。人は今に生きているのだ。
今という時間と自分は別物ではない。今が自分であり、自分が今なのだ。今の本質は自分であり、自分の本質は今である。つまり時間と自分は別のものではないということ。道元禅師は正法眼蔵「有時」(うじ)の巻で、こう云っております。
「あらゆる世界のあらゆる存在は、連続する時々である。山も時である。海も時である。時にあらざれば、山も海もあることはできない。山や海の『いま』に時はないと思ってはならぬ。時がもしなくなれば、山海もなくなる」 「ある草木も、ある現象も、みな時である。そして、それぞれの時に、すべての存在、すべての世界がこめられているのである」
つまりここでは、存在と時間は一体のものであると云っています。あなたは「時間は万物に対して常に一定の速度で流れている」といった観念をもっていませんか? 禅師はそうではないと云っているのです。
「松も時であり、竹も時である。時は飛び去るとのみ心得てはならない。飛び去るのが時の性質とのみ学んではならない」と云っております。
さらに「尽力経歴する」と云っています。その意味は、存在するその物にはそれぞれのエネルギーがあり、エネルギーが使われるところに「時」が進むと云うのです。 以上、存在(空間)と時間は一体のものであり、エネルギーによって時間の速度が違うということは空間は一定では無いということになります。
このことから思いつくのはまさにアインシュタインの相対性理論です。正直わたしは素人でよくわかりませんがひょっとして全く同じ理論ではないでしょうか。実に驚くべきことです。もし専門家の方がいましたら是非ご意見をたまわりたいと存じます。
どうですか。仏法はやはり私の持論とするところの「超科学」ではないでしょうか。今回は少し難しい内容になってしまいましたが、結論としてはつまり「日日是好日」とは、「今」が「あなた自身」であるから「今」こそ全てであり、「今」ほど大切なものは無いということなのです。 
 

 

■隻手音声(せきしゅおんじょう) 分別を断ち切れ
先月に続いて公案(問答)をとりあげました。
拍手するように両手を打つとポンと音がします。その片手だけの音声を聞けという公案です。片手だけの音を聞けというのは常識的な思慮分別ではまったく理解できません。それにしても何故こんな公案があるのでしょう。その意図するところはなんでしょうか。それが今回のテーマです。
前回は「尺度」について講釈しました。尺度は人が人として合理的文化的生活を送るために「発明」したすばらしいものですが、それがあまりにも常識的であるためにその「分別」の範疇から抜け出せないのです。その尺度と並んで同じように人が惑わされているもう一つのものがあります。
それが「差別」です。ここで言う差別とは物に対しての区別意識、つまり「対立観念」を意味します。この差別観も尺度観と同じで人が当たり前に持っている大事な分別です。申すまでもなく、「分別」とは善悪や道理をわきまえるのに人が持つべき最も大切な理性です。
人が人として生きていく上での絶対不可欠のものであり、この分別があってこそ人間社会は成り立っているのです。分別が無くなったらそれこそ動物や虫けらの世界と同じになってしまいます。しかし、しかしですよ。禅はそんな最も大切とされる「分別意識」こそ問題だと捉えるのです。
それはすなわち人が便宜上作り上げた「架空のもの」だからです。架空のものには実体がありません。実体の無いものに尺度や差別をつけて「分別」にしているのです。人は常識であればあるほど、その「実体の無い観念」に捕らわれ雁字搦めに縛られ、振り回されているのです。
そこに「こだわり」の意識が生じ悩んだり苦しんだりするのです。これを「迷い」と言います。禅の目的は只一つこの「迷い」の元を断つことにあるのです。その「迷い」の元こそ「分別」なのです。実体の無いものは「妄想」なのです。
その「分別妄想」を打ち破り真実の世界を悟るために考案されたのが、この「公案」という手法なのです。公案の目的はただ一つその「分別妄想」からの解放なのです。その公案には古則公案と現成公案の二種類があります。
古則公案は参禅して老師から与えられる「問題」であり、約一千七百則と言われています。その出所は「景徳伝灯録」や祖録と言われる「無門関」「碧巖録」「従容録」などです。一方「現成公案」とはまさに現実世界の存在と現象そのまますべてを「公案」だと捉えるものです。
仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。「正法眼蔵(現成公案)」
道元禅師のあまりにも有名な言葉ですが、後ろの方の「万法に証せらるる」とは「悟る」ということです。それには「自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」と申されています。「自己の身心」とは自分自身であり、「他己の身心」とは自分以外のすべての「存在」を指します。
すなわち「悟り」とは「自分と自分以外のすべての存在から一切の『分別』を捨て去ることだ」と明言されているのです。臨済宗の看話禅とか曹洞宗の黙照禅とか区別されていますが、そもそも禅の本質に違いはないのです。
黙照禅はただボーと坐っているのが只管打坐(しかんたざ)ではありません。「現成公案」に向き合うことでなければ意味がないのです。禅は公案を命題とすべきなのです。
さて、また能書きが長くなりましたが、本題の「隻手の音声」の公案に戻りましょう。この公案を創唱したのは日本の臨済宗中興の祖とされる白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師です。白隠は江戸中期の人で禅を独創的に発展大衆化させた方と言われています。
片手の音声を聞けというのは、それまで当然と思っていた思慮分別を根本から疑わせて、理屈や言葉を超えたものと対峙することになります。その対峙の中から、これまでの思考や想念や感覚を払い去って、忽然として大自由を感得し、すべての迷いから解放されることにあるのです。この公案は中国の禅匠たちのそれと比べても遜色はありません。
白隠は、この「隻手音声」の公案は、「無」字や「本来の面目」といった公案を突きつけるよりも、はるかに効果があると述べています。ではこの「片手だけの音」はどうすれば聞くことができるのでしょう。それを私なりの浅見識で述べてみましょう。(真剣ですよ)
公案のねらいはズバリ「迷い」の根元である「分別」を断ち切ることにあると言いましたね。故伴鉄牛老師がよく提唱で申されていました。「凡夫は皆『分別』という色眼鏡で物を見ているから分からないのだ」と。この言葉が忘れられません。
般若心経にあります、不生不滅。不垢不浄。不増不減。無眼耳鼻舌身意。の意味は一切の対立観念の無い完全無分別の世界を言っているのです。物を見るのは「眼」で、音を聞くのは「耳」で、臭いを嗅ぐのは「鼻」で、味覚は「舌」で、暑いとか寒いとかは「身」で感じるといったこの常識観念はすべて「分別妄想」なのです。
この公案のキーは、まず「片手の音」という「分別」に有ります。凡夫は「物」を見るのは「眼」で、「音」を聞くのは「耳」だと思い込んでいるのです。いいですか。この「思い込み」が「妄想」なのです。
「手」と「音」を区別しているからです。「手」と「音」の区別は一体何処にありますか?説明はそれで十分です。本来公案を「説明」するなんてナンセンスなのです。公案は体現するものなのですから。
では今一度自分で両手を打ってみてください。次にこんどは片手だけを打ってみてください。どうですか。聞こえましたか?両手と片手を差別しなければ「音」ははっきり聞こえるはずです。 

■「無字」の公案
お陰様で、この3月で当山のホームページもまる2年を迎えることになりました。今後ともよろしくお願い致します。
その2周年を記念して(大げさですね)今回は「無字」の公案をとり上げました。私事ですが、十代のころ品川東照寺の故伴鉄牛老師に御指導を受けましたが、その中でも最も印象に残っている思い出深い公案です。
趙州和尚、因みに僧問う、「狗子(くし)に環(かえ)って仏性有りや也(ま)た無しや。」州云く、「無。」
この「無字」の公案こそ公案を代表したものと言えるでしょう。趙州和尚とは中国禅界での大物中の大物です。南泉禅師の弟子で120歳まで生きたという傑僧古仏です。
その趙州に、ある時、一僧が、「狗子(犬)に仏性が有るのか無いのか」と問います。趙州はにべもなく、「無」と答えました。「一切衆生悉有仏性」(一切のものには仏の性質がある)が常識であるとされている中での質問です。
その分かり切ったところをあえてその僧は問いたのです。多分「有」という答を期待したのかもしれません。ところが趙州和尚は意外にも、只「無」と言い放ったのです。犬にも仏性が有る筈なのに何故趙州は「無」と答えたのでしょうか。
その「無」とは何なのか、何を意味しているのか、というのがこの公案のねらいです。この公案は「無門関」の第一則「趙州狗子」です。祖録「無門関」は中国杭州の無門慧開禅師によって編纂された「公案集」です。その無門自身趙州無字の公案によって大悟し印可を得たといわれています。
禅宗、特に看話禅では修行者の第一関門としてまず課せられるのがこの公案です。無門慧開禅師がこの公案を無門関四十八則の初めに置かれた意味は、公案は全てこの無字に始まって無字に終わるといった意味合いを含めたものだからでしょう。以下はその無門禅師の言葉です。
「禅の実践的探究には、まず禅の祖師方によって設けられた関門を透過せねばならない。絶妙の悟りに至るには普通の心意識情といわれるものを完全に滅してしまわなければならない。もしそのような関門を透った体験もなく、普通の意識を滅した経験もなしに、禅を「ああだこうだ」と評判するとすれば、その人たちはいわば藪や草むらに住み着く幽霊のようなものである。
さて言ってみるがよい。この関門とはいったいどんなものであろうか。ほかでもない本則でいわれた趙州の「無」の一字、これが禅宗の第一の関門であり、これを「禅宗無門関」と称するのである。
もし人あってこの関門を透ることができれば、その人は親しく趙州におめにかかることができるばかりでなく、達磨をはじめとする歴代の祖師たちと、手と手をとって歩き、たがいの眉毛が結びあわさって祖師たちの見たその眼ですべてを見ることができるし、同じ耳ですべてを聞くことができる。
それこそまことにすばらしく快いことではないか。さあみなのもの、この関門を透過しようではないか。それには、三百六十の骨節、八万四千の毛孔といわれる全身全霊をあげて、疑問のかたまりとなり、この「無とは何であろう」ということに集中してみるがよい。日夜この問題をとって工夫してみるがよい。
しかしながらこの「無」をたんに老荘の説く「虚無」と理解してはいけないし、また「有る」とか「無い」とかの「無」と解してもいけない。一度このようにしてこの「無」を問題にしはじめると、ちょうど熱い鉄丸を呑み込んでしまって吐くこともできず、呑み込むこともできないようなもので、このようにして今まで学んできた役に立たない才覚や、まちがった悟り等、それらをすっかり洗い落としてしまうがよい。
そのように長く持続して時機が熟すると、自然に「外と内」(意識と対象)との隔たりがとれ、完全に合一の状態に入る。その体験は、ちょうど唖が夢見たことを人に語れぬごとくに、自分自身にははっきりしているが、他人にはどのようにも語れない。
突如そのような別体験が働きだしてくると、それこそ驚天動地の働きで、ちょうど蜀の劉備の臣で天下に豪勇を轟かした関羽からその得意の大刀を奪いとっておのれの武器としたごとくに、「無」の一字の別体験こそは、釈迦に逢うては釈迦を殺し、達磨に逢うては達磨を斬って捨てるのであり、そのとき、君たちは生死無常の現世に在りながら、無生死の大自在を手に入れ、六道や四生の世界に在りながら、すでに平和と真実の世界に遊んでいる。
それでは、どのようにこの「無」の一字に全霊を集中させたものであろうか。それこそ君たちの平生の精神力をつくしてこの「無」に集中せねばならない。そうして間断なく休止することがなければ、君たちの心中に仏法の灯り(悟りの光)がパッと一時につくといった境地になることであろう。」
このように無門禅師は提唱されています。この「無」の「門」を打開してこそ涅槃妙心の世界が開けるのです。そしてこの第一関門を透ればあとの公案はみなその応用問題といってもよいでしょう。それはこの公案をいい加減に理解しても後々の公案は全く透らないということにもなるのです。ですから、懇切な指導者程その吟味検証に厳しい判断をされるのです。
さて、本題に戻りましょう。犬にも仏性があることはわかっているのです。それなのに趙州が「無」と言ったのは何故でしょう。
頌(じゅ)に曰(いわく)狗子仏性(くしぶっしょう) 全提正令(ぜんていしょうれい)纔渉有無(わずかにうむにわたれば) 喪身失命(そうしんしつみょうせん)
〔犬! 仏性!仏祖の全ての命題がズバット提出されたのだ。少しでも有無相対の 考えに堕すればただちに息絶えるだろう。〕

この「無」とは、有るとか無いとかの「無」ではないのです。虚無の「無」でもありません。強いて言えば絶対の無です。それは如何せん言葉では説明が出来ないのです。
ある料理の味を知らない他人にいくら説明してもその味を理解させることは不可能です。それは本人が食べてみないことにはほんとうには分からないからです。それと同じで「無」の「味」も体験してこそ分かるのです。
趙州はこの無の一字によって、仏性の絶対性、普遍性を明瞭に吐露されたのです。史上あまたの祖師方をはじめ、無門自身も、白隠も皆この無字によって大死一番大活現成されたのです。まさにこの無字が一大経蔵であり、大宇宙であるのです。
どうですか、「無」とは何か追求してみては。あなたが宇宙、宇宙があなた、あなたが仏、仏があなたになれる最も合理的な方法ですよ。
まず「無」の字に囚われてはだめです。「む」でもいいし、「ム」でいいし、「Mu」でもいいのです。更に言えば、「む」でもないし「ム」でもないし「Mu」でもないのです。只全身全霊の「無―!」です。そこには「無」以外何も無い世界が出現するのです。 

■五観の偈
(八月は多くの寺院で施食法要が修行されます。今回は"セガキ"の法話から「五観の偈」をとりあげてみました。)
みなさんこんにちは。それにしても毎日猛暑で大変ですね。特に今年は異常な暑さで、私等坊さんは、お盆中はホント、「ほとけ極楽坊主地獄」でしたよ。でもなんとかサバイバルできてホットしています。
今日も猛暑の中このように大勢のみなさんのお参りを戴き実に有り難い限りでございます。ところで、毎年この日、このように暑い中菩提寺におセガキ参りして、飽きませんか?もちろん飽きないですよね。
なぜ飽きないのでしょうか。それは宗教行事だからです。毎朝お仏壇にお線香を上げるのが飽きないのと同じです。 そして年齢を重ねるごとに仏様が身近に感じられていくものです。お盆の棚経中、80歳を超えられたあるお爺さんが言っておられました。「この歳になるとお医者さんより仏さまですよ」と。実に含蓄のある一言だと思いませんか。
ところで、日本人女性の寿命が85.99歳で、なんと23年間世界第一位を独占しているとのことですが、たいしたものです。こんな川柳がありました。「あの世にて待てど暮らせど来ぬ女房」 女性のみなさん。どうせいつかは往くところです。女房のありがたさを知らしめるためにもできるだけゆっくり往ってください。
とは言え、日本の男性も平均寿命は79.19歳で世界第3位とのことですから、たいしたものですよ。ただ最近100歳を超える高齢者が相当数行方知れずになっているようですね。なんと坂本龍馬と同級生がまだ生きていたそうですよ。もちろん戸籍上だけですけど。百歳に近い方、どうか迷子にならないよう気を付けましょう。
さて、長生きは大変ありがたいことですが、病気では困ります。こんな川柳もありました「病院の待合室は同窓会」どうですか、病院でいつもお会いする人いませんか。
こんなコントがありました。病院の待合い室での会話です。「このごろ○○さん見えませんがどうしたんでしょうかね」とある人が聞いたそうです。するとある人が言いました。「なんでも病気になったらしいよ」と。このコントの意味が??の人は隠れ脳梗塞に要注意。
さて、前置きが長くなりましたが、本日はお手元にお配りしてあります、「五観の偈」について話させて戴きたいとおもいます。これは坊さん方が修行のなかで食事を戴く時にお唱えするお経の一部です。
本山にお参りした方であれば、食事の時に必ずお唱えしますから覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。
食事に対する心得のお経ですが、この「五観の偈」にこそ健康と幸せの秘訣が説かれていると私は思うのです。では見ていってみましょう。
「一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。」これから食べるこの食事はいかに多くの人のお陰でここにあるかを考えて、感謝をして頂きましょう。自分のお金で買ったんだから当然だとか、当たり前だとかいう考えは間違いです。いくらお金があっても人はお金を食べて生きてはいけません。お金と食べ物はまったく関係ないことです。
「二つには己が徳行の、全欠をはかって供に応ず。」この食事をいただくにあたり、人々や社会のための行いや功徳が自分にあるかどうかを考えていただきましょう。
達磨さんより9代目の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という95歳まで生きられた禅師様のエピソードです。ご高齢にも拘わらず毎日若い修行僧と同じように修行と作務をされていました。その健康を心配されたお弟子さん方が、なんとか禅師に楽をしていただこうと考え、禅師が仕事をしないようにとの配慮から道具の一切を隠してしまったのです。
すると、その日の夕食時禅師はまったく食事に手を付けようとしませんでした。あるお弟子さんが「何故食べられないのですか」と尋ねると、答えられました。「一日なさざるは、一日食らわず」・・・一日の務めをしないことは一日の食事の資格はないということです。この戒めは禅宗では金言となって今に伝わっています。悪い言葉でいえば、タダ飯を食べるなということです。
「三つには心を防ぎ過を離るることは、貧等を宗とす。」正しい心を護りましょう。それには過ちを犯さない、貪(むさぼり)やねたみなどの気持ちを持たないことを心に念じましょう。
人が犯す犯罪のほとんどは「貪り」と「ねたみ」の心から起こるのです。特に「むさぼり」の心こそ大敵です。本日のこのおセガキの意味も、一人一人の己の心の中に潜む餓鬼の心を鎮めることが本来の目的なのです。
「四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。」食事は単に空腹を満たすためではなく、私たちの身と心の弱まりを治す良薬であり、正しい目的をもっていただきましょう。
この部分こそ正に現世利益を説いた内容だと思います。食事は体を護るいわば薬であるということです。この認識が極めて大事です。薬は適量でなければいけません。みなさんよく利く薬だからといって余計に沢山呑んだりしますか。利く薬ほど量を間違えると危険です。食事はそれとまったく同じで適量でなければならないという認識が大事なのです。
食欲という本能は理性で制御しなければいくらでも食べられます。美味しく楽しく食べることがあたりまえの文化になってしまいました。毎日のテレビをみても何と料理番組の多いこと。その中でも問題は大食い競争です。まさに食べ物に対する冒涜ですよ。食べ物を粗末にすると罰が当たり健康を害しますよ。
そんな現代人が被っているのが食べ過ぎや、偏食からなる病気です。特に三大病といわれるガン、心筋梗塞、脳梗塞などの原因の多くは塩分、脂肪、糖分という"余分三兄弟"の摂りすぎからです。
今栄養失調で亡くなる人などほとんどいません。好きなものを好きなだけ食べられる豊かな時代になりましたが、そんな食生活が招いているのが生活習慣病です。その最たるものが糖尿病です。患者とその疑いのある人は平成19年度の調査ではなんと全国に2,210万人いると推定されています。生活習慣病の蔓延している社会が果たして「豊か」で「幸福」な社会と言えるでしょうか。
一方食べる糧が多いということは出る残飯も多いということです。日本で一日に53、000トンの生ゴミが出るそうです。1200万人分の食事に当たる糧だそうです。東京都民の食事に匹敵する食糧が日本では毎日残飯となって捨てられているのですから、実にもったいない話です。
今世界の人口は68億人といわれています。その中でおよそ10億人が飢えに苦しんでいるといわれています。七人に1人の割合です。その中で毎日およそ3万人の人が飢餓で死んでいるといわれています。一年間でなんと1000万人以上になります。日本人は食生活について今こそ反省が必要だと言えるでしょう。
「食事は薬」だと言いました。今日私が色々話したことはどうせすぐ忘れてしまうでしょうけど、せめてこの一言は忘れないで持ち帰ってください。この一言だけでも今日ここに来た価値はありますよ。
腹八分医者要らずと言う言葉もありますね。私は個人的には腹六分が良いと思っています。人間は動物です。動物はほんらい獲物を捕って生きています。だからいつも少し空腹感があったほうがモティべーションが上がるのです。全くの持論ですけどね。
あと、余談ですが、健康のために一番良い、取って置きの食物をご紹介しましょう。 何だと思いますか。それは納豆ですよ。脳梗塞、心筋梗塞の原因は血栓ですね。その血栓を溶かすのが納豆キナーゼという酵素なのです。血栓の予防となる食物は幾つもありますが、すでに出来てしまった血栓を溶かすことができるのは今のところ食べ物では世界で納豆キナーゼという酵素しかないそうです。
老人性認知症の60パーセントは血栓が原因だそうです。あとビタミンk2が豊富で特に骨粗鬆性の予防になるとか。ビタミンEも多量にあって抗酸化作用があるとか。とにかくこんな素晴らしい安くて優れた食材は他にはありません。 3パックたった100円程ですよ。一日ワンパックで十分です。
ところで今日ここに納豆屋さんいませんか?いないようですね。もしいたら後で3パックでも届くかもしれませんね。
今年の新盆に52歳で亡くなったお父さんがいました。あんなに元気闊達だった人がまさかという思いでした。油断大敵です。申すまでもなく、人の幸福は何が何でも先ず健康です。どんなに財産やお金があっても健康でなければ意味がありません。どんなに地位や名誉があっても健康でなければ幸せとはいえません。
健康には運動も大事ですが、まず基本は食生活です。食べ物が体を作るからです。かけがえの無い体と命は健康でなければまっとうできません。健康こそ親孝行であり、子供孝行、家族孝行、しいては社会孝行なのです。それには自己責任が大部分なのですから強いて努めるべきです。
「五つには成道の為の故に、今この食を受く。」この食事は仏道修行のためにいただきます。「いただく」のは「他の命」ですから余分には頂けません。そして「修行」のために頂くのです。その精進と感謝のこころを忘れてはなりません。
今日の一番大事なところを最後にもう一度言います。「食事は薬だと思っていただくこと。健康には納豆をたべること。」これで来年の新盆の数は幾らか減るかもしれません。  

■心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます
3月11日、東日本に大震災が起こりました。東北太平洋沖に発生した巨大地震によって引き起こされた巨大津波の直撃を受け海岸地帯はまさに壊滅状態です。その惨状に言葉がありません。予想だに出来なかったまさに未曾有の大震災です。
発生から数週間が過ぎましたが死者行方不明者の数は日を追って増え続け三万人に達するかもしれない状況です。その犠牲となった方々のご冥福を心からお祈り申し上げますと共に被災され二十幾万人の方々に心からお見舞いを申し上げます。
「自分は助かったけど、家族が居なくなって、生きていてよかったのかどうかわからない」と言っていた方が何人もいました。実につらい現実です。家族や家や財産を失ってしまった人たちの絶望感極まる心痛如何ばかりか、ほんとうに言葉がありません。
「天災は忘れた頃にやって来る」とはいいますが、地震国に暮らす我々日本人は日頃決して忘れているわけではありません。特に今回の東北太平洋側の人々は普段から地震と津波に対する防災意識は相当高かったようです。にも関わらず想定し得なかった巨大津波に為す術がなかったのです。
連日の報道から日毎その惨状が明らかになっていますが、何よりも急を要するのは被災され苦しんでいる人たちの救済です。何よりも辛いのは飢えと寒さです。一刻も早く少しでも楽になるよう日本中が支えるしかありません。
実際日本全国から支援のうねりは日毎大きくなっています。義援金活動も活発で過去に比を見ないほどの勢いです。海外からも多くの救援隊が駆けつけてくれていますし、多くの支援物質や相当額の義援金も届いているようです。実に有難いことです。
支援活動はどんどん増え続くでしょうが、これで十分だと言えることは決して有りません。無事な人たちがその辛さを今こそ共有すべき時なのです。当分は物質的支援が中心になりますが、その後は精神的支援が大きな問題になるでしょう。特に心的外傷によるストレス障害(PTSD)の問題です。
家族を失い家も財産もすべて失った人の絶望感たるや私にはとても想像できません。これから時間が経つにつれて目に見える環境はどんどん回復に向かうでしょうが、目に見えない心の傷は地獄の記憶をフラッシバックさせるのです。
そんなショックと悲しみの中、さらに原発の問題が被災者を襲っています。地震国だけにあらゆる想定の元に造りあげた盤石の原発だった筈です。それが破損し制御不能という、まさかの想定外が起こってしまったのです。連日その情報が伝えられてはいますが実際のところ私にはよくわかりません。ただ分かるのは、終息に向かっているとはとても言えない現実です。
すでに放射能汚染が農産物や畜産物に現れています。風評被害も拡散しています。海外からの観光客は激減、国内でも各地の観光やイベントも自粛され、さらに計画停電によるダメージで日本はさらなる疲弊に追い込まれています。先行きの見えない日本、一体どうなってしまうのでしょうか。
しかし、思い起こしてください。戦後のあの焼け野原から立ち上がった日本です。65年目に迎えた今回の国難ですが、日本国民が心を一つにして、この500年に一度とも1000年に一度とも言われる試練に立ち向かっていくしかありません。
「和をもって貴しと為す」の「和」の国日本です。和の心とは「おもいやり」から始まります。「うばいあったら足りなくなる。分け合ったら余る」という思い遣りの心がすさまじい勢いで日本中から寄せられています。支援中のアメリカ軍兵士が、被災者の礼儀正しさに感銘したとの報道がありましたが、「礼儀」こそ「おもいやり」の表れなのです。
「自分に何ができるのか考えたらここに来るしかないと思った」というボランティアの若者がいました。そんな多くの若者が被災地に赴き親身になって支援活動に邁進しています。そんな"菩薩"が多くいるかぎり日本は"無縁社会"ではありません。必ず復興します。
しかし、それにしても天災は実に不条理です。地球よりも重いという人命を何万と奪い去ってしまうのですから。何の罪もない人から命だけではなく家も財産も一瞬のうちに奪い去ってしまうのですから。亜鼻地獄に落とされた悲しみと絶望感を一体どこにぶつければよいのでしょう。天災は仕方ないと言ってしまうにはあまりにも理不尽です。
しかし、やはり、今となっては仕方のないことかもしれません。「仕方ない」とは何もしないことではなく、過去を受け入れ心を共有するということです。心を共有するということは自分にできることは何かを考え実行するということです。
そしてあとは祈るだけです。犠牲者の冥福を祈り、生き残った命を大事に、回復を祈り、健康を祈り、無事息災を祈るのです。そして日本の未来を祈るのです。 

■「生苦(しょうく)」を考える  
シェイクスピアの四大悲劇の一つである『リア王』に、「人間は泣いて生まれる」という象徴的な表現があると聞いたことがあります。
正確には、生まれて泣くのですが、生まれて泣かない時は大変です。それで生まれてくる赤ちゃんや母親に何らかのトラブルやリスクが予想される時、私たち小児科医が出産に立ち会うことがよくあります。産声が無いと急いで吸引したり刺激を繰り返したりします。産声を上げたら一安心です。母体内で胎盤を介して母親の血液から酸素を供給していた胎児循環が、自らの呼吸で酸素を供給する自立した血液循環に切り替わり機能しだした奇跡の瞬間です。
一般的には、生まれることはめでたいことです。しかし四苦八苦(生苦・老苦・病苦・死苦で、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)と言う、釈尊の教えには生苦があります。生苦とは生きる苦しみではなく、生まれる苦しみですが、なぜ生まれることは苦しみなのでしょうか。
苦の本来の意味は、思い通りにならないということのようですが、老苦・病苦・死苦はよくわかります。今までは何事もなく生きてきたけれど、老いが次第に現実となり、病になり健康がそこなわれ、死を垣間見たとき、それは思い通りにならない苦として迫ってきます。この苦を取り除くため、老病死をなんとか解決しなければならないと私たちは考えるわけです。老いをのばして長生きをはかり、病院で何とか病気を治してもらい、死にうち勝ちたいと努力します。
では生苦とは何でしょうか。長いこと生苦がはっきりせず、ああでもないこうでもないと考えてきました。
生まれる時、お母さんの狭い産道を通ってくるから苦しい。それが生苦でしょうか。あるいはとても居心地のよい子宮から、冷たい世間に無理に押し出されるから苦しい。それが生苦でしょうか。私たちは、どの時代に、どこの国に、どの人種に、どの両親から、男なのか女なのか、こういう選べない業を背負って生まれてきます。この世に何も条件なしにまっさらで生まれてくるわけではないのです。これが生苦でしょうか。
しかし私は現在、この世に「エゴ」という業を背負って生まれること、つまり「エゴの私」の誕生が生苦の意味だと理解しています。それが普遍的に万人の誕生を言い当てているように思えるからです。
エゴをもって生まれるということは、本来の一如の世界を見失ってしまうということです。生まれてくる赤ちゃんの泣声は、自分のふるさとを見失った叫びのようにも聞こえます。分別で苦悩するエゴの人生の始まりです。これが私たちの苦しみの源なのです。このことを釈尊は「一切皆苦」と言われたのでしょう。
何故、エゴはこの一如の世界を見失うのでしょうか。
エゴは分別し対象化してしか物を見ません。一如の世界は対象化できない無分別の世界です。その一如の世界を自分の都合で切り刻むのがエゴのはたらきです。ですからエゴが分別し対象化した瞬間に一如の世界は視野から消えてしまいます。一如の世界を見失うのがエゴの本質です。
私を誕生せしめた根源的な一如の世界を見失い孤児になるだけでなく、一如の世界に背を向ける反逆児(誹謗正法)として誕生するということです。
仏教の眼目はこの四苦八苦を超えていくことです。どんなに努力しても老いて病み、一〇〇% 死にます。老病死をこえる試みは、世間道では最終的にはこえられず敗北です。この世間道の問題点は、「私」をぬいて問題を考えていることにあります。これは仏教の視点ではありません。生苦・老苦・病苦・死苦は、「私」の生苦・老苦・病苦・死苦です。その「私」が問題なのです。生・老・病・死は事実そのものです。つまりその事実を受け取れない「エゴの私」が問題なのです。仏道とは、この「エゴの私」を超える道に他ならないでしょう。
エゴのつくりだした妄念妄想の世界を現実だと主張し、本来私を生かしめている一如のいのち(無量寿)を自分の命だと私物化します。しかし、エゴが私物化した小さな命では、私たちは生ききれません、死にきれません。エゴが握り締めた命は腐る以外にありません。だから苦しく不安なのです。本来のありようから外れている私たちは、自然の道理として元の一如に帰れ(南無阿弥陀仏)と呼びかけられている存在です。 
 

 

■「生苦」生きる苦しみ
生苦(しょうく)という「生きる苦しみ」についてでも触れていきます。四苦八苦のうちの四苦「生老病死」の最初の苦しみがこの生苦です。生苦とは、生きる苦しみのことを意味しますが、基本的には「生存本能にただやらされているだけ」というのが「生苦」・「生きる苦しみ」です。
これから「四苦八苦シリーズ」としてあらゆる苦しみについて、四苦八苦の全てに中心にして一度ずつは触れておきつつ、全てが揃ったらまとめようと思います。ということで第一弾は生きる苦しみ「生苦」です。
一切行苦(一切皆苦)の時に少しだけ触れましたが、内容的に少しだったので、まずはこの生苦からもう少し詳しく哲学的に考えていきます。
「生きることは苦しみである」というフレーズ自体は、四苦八苦のすべてを通じて理解することができるような抽象的な概念になります。生苦も「生きることは苦しみである」というものにはなりますが「生は苦である」とか「生きているからこそ苦しみが生ずる」というもののうち、特に生命活動としての生きる苦しみを中心として取り扱っていきます。
生苦の「苦」
「苦」の持つ意味については一切行苦でさんざん書いたので、概要だけの再掲にしておきますが、ここで言う「苦」は日常の苦しみとは少しニュアンスが異なり、不完全、不満足、「思い通りにならない」という感じのことを指します。苦痛を含め、もちろん苦しく感じることは全て「苦」の範疇ですが、基本は「やっているようでやらされている。そして、それは思い通りにならない」といった「心で受け取る苦しみ」のことを意味します。
ということで生苦とは「生きるためにやらされている事による苦しみ」という感じです。もちろん生まれてきたことそのものが苦しみだというような側面もあります。
生きること自体の目的が何なのかはわからない上に、仮に目的があろうがなぜそんなものに強制的に付き合わさせられているのか、というような面も見逃すことはできません。
ただ、生まれたからには「生きる」という方向性から逸れるものに対しては苦痛が与えられるようになっています。単純には生存本能です。
「環境が体にとって都合が悪い」ということであれば、身体的な苦痛を与えてきます。暑ければ暑い、寒ければ寒いといった感じです。
生きるためにやらされ続ける毎日
食べる必要がなければ食べ物を探す必要もありません。そんな中「生きるために食べろ」ということで、ずっと食べずにいれば体は空腹の苦痛を与えてきます。
息をしなければすぐに苦しさを与えてきます。呼吸すらずっと止めることを許されないという感じです。
喉が渇かなければ水分を取る必要はありません。水分を取るために行動を取る必要もありません。
「なぜ生きるのか?」
ということがはっきり示されないまま、生命維持に必要なことをやらないと即座に苦痛を与えてきます。
一方、体的に都合の良いことであれば報酬を与えてきます。
栄養価が高いというような感じで美味しいものを食べれば、気分まで嬉しい気分になるというような形でです。
その割にうまいものばかり食べていると、急に腹が壊れることがあります。
普段は苦痛を与える割に、体にいいもの判定、悪いもの判定、何かが足りない判定、摂りすぎ判定を正確に下すことはあまりしてくれません。「気分的に嬉しい」を指針として、栄養を摂ったのに、腹の激痛で仕返しをしてくるという感じです。
自分の都合など聞いてはくれません。あくまで体は言語を使わず苦痛などを利用して命令ばかりしてきます。
今日本においては飽食の時代ですが、物資が少なかった頃など自分ではどうしようもないような時であっても空腹の苦痛を与え、低品質のものしか手に入らない状況であって、それを仕方なく食べたりすれば、時に腹痛を起こしたりもしてくるという感じです。
「生きることは素晴らしい」
という感想を持つのはいいですが、生きるために常に何かを求められ、やらされているという構造は、常に同時に満足のすぐ後に不満足の状態になるという構造をも持っているということになります。
いつまで経っても満たされることはなく、生きている限り不満足や欲はつきまとい、同時に苦痛や怒りなどがどこまでも追いかけてくるということにもなります。
この体は、「心地よさ」と「苦痛」というコントラストをもって、何かの行動を促し、何かの行動を制限してきます。
ただ静かにいることすら許されず、体の都合、生命維持の都合のために毎日毎日奴隷のように何かをやらされ続けてしまうという感じになります。
毎度は思い通りにはならない日々の行動
その上、体からの苦痛を避けるために、または体が提案してきた心地よさのためにせっせと行動を起こしても、そこには不確定要素があります。毎度毎度思い通りになるわけではない、というような側面すら持っています。
喉が渇いて水を飲み行くという行動一つとっても、転んで怪我をして痛みが生じるとか、コップを落としてガラスの破片が飛び散って怪我をして痛みを感じた上に掃除までしなければまた怪我をする危険性があるとかそうした可能性が少なからずあるという感じです。
さらによくよく考えてみると、毎日思い通りになったところで、単なる流れ作業、単純作業になります。
「それをこなしたところで一体何になるのか?」
という感じがしてしまいます。
家族を含め社会に求められることをこなしたところで、生活を守ったところで、「で?」という感じがしてこないでしょうか。
「思い描いた社会的成功」が実現したところで、「で?何ですか?」という感じになってしまいます。
社会的な評価をもらったり、自分で好きなことを実現したという満足のようなものは「報酬」として心地よく感じるかもしれませんが、「それがどうしたんだ?」と深く考えれば、「これは何だったんだろう?」と思ってしまうはずです。
もちろん合間合間では想定外のことが起こったりもします。嫌な感情が起こることもあるでしょう。途中様々なところで「思い通りにはならない」という苦痛が起こるということになります。
その上で何かを達成したところで、「で?」という感想を持ったりはしないでしょうか。
人との比較の上での価値のようなものではなく、自分自身のこととして「それで?」という感じがしてこないでしょうか?
まず、「なぜそれを達成したいと思ったのか?」というところからが不明です。
といっても、もちろんその間で見えた様々な景色は映画を観るようで楽しかったかもしれません。
しかしながら、それが「満足」を求めてやったことなのであれば、確実に「不満足」を発端として「やらされたこと」になります。
一切行苦からみる生苦
一切行苦は「一切の形成されたものは苦しみである」という感じですが、その形成されたものには動機や感情すらも含まれており、客観的な物理現象である物に限定されるようなものではなく、虚像たる「我」の内側も含める必要があります。
例えば「宇宙」と言うと銀河系とかそうした宇宙を想起してしまいますが、今のこの目の前も宇宙であることには変わりありません。それと同じように「形成されたもの」は自分が認識する外界の現象だけではないという感じで捉えておきましょう。
そこで、ここでは、根本的に「なぜ形成されてしまうのか?」というところについてもう少し深く考えてみましょう。
形成されたものは、もちろん形成されたからそこに状態として成り立っているという感じになります。それが実体や実在として「ある」ということではありませんが、そのように心が受け取るというような感じで情報の状態としては今そうあるという感じになります。
そして、自我の視点においてその形成には、何かに触れることやそれが何かを統合して把握すること、記憶を引っ張ってきて判断することといった素因が必要になります。
そういうわけで、素因が無くなれば、形成されません。しかし、いくらまぶたを閉じたところで瞼の裏側を見ることになってしまいます。
「この目さえ光を知らなければ見なくていいものがあったよ」
という感じですが、このあたりは五蘊盛苦(五盛陰苦/五取蘊苦)でまた詳しく触れることにしてここでは割愛します。
生む苦しみを捉える
「生苦」は、「生きる苦しみ」であり、生きているからこそ起こる苦しみを意味しますが、稀に字面だけ読んで生苦を「生む苦しみ」だと考えてしまう人もいます。
「生きることが苦しいことであるはずがなく、おそらく生苦とは子ども生む時の苦しみのことだろう」
といった具合です。アイツこと自我にとって都合の悪いことは、こうしたように見るべきものを見えなくし、見たいようにしか見ないように働いたりするという感じです。
「生まれてきたことが苦しみである」という表現
また輪廻的な話から「生まれてきたことが苦しみである」ということを言いたがる人もいます。
「生まれてくると生きるために何かとやらされたりする苦しみがあるのに生まれてきてしまった」
という感じです。
これら全てを生苦は含んでいますが、生苦はそうした具体的な事柄だけではありません。
「生む苦しみ」「生まれてきた苦しみ」を含む「生苦」
そういうわけで、これらを仏教的にそして哲学的に「一切行苦」として統合して考えてみましょう。
一切行苦や生苦から考えると、「生む苦しみ」「生まれてきた苦しみ」というものすら、「形成されたもの」を「形成する働き」による「苦しみ」だということになります。
因縁により生命としての活動が始まったこと、それがきっかけとなって、「一切のものが生み出されてしまう」ということが始まりました。そしてそれら形成されたものは執著を生み、苦しみを与えてきます。
だから生苦を「生む苦しみ」だと捉えるのであれば、「子どもを生む苦しみ」といった具体的な何かではなく、「生きているからこそ、様々な不足や不満を生んでしまう」という感じで苦しみを捉えてみましょう。
そして、「生まれてきた苦しみ」と捉えるのであれば、生まれてきたからこそ「認識する働き」としての心が生じ、生命としての衝動からは逃れられないという構造の中に入り込んでしまった、という感じで捉えてみましょう。
生苦の基本は「生きていなければ起こりえない渇望」を常に与えられてしまうというところにあります。それが体的なものであれ、精神から起こったものであれ全てです。
「生きているから喉が渇く」ということに生苦の根幹があります。喉が渇くから苦しく、喉が渇くからそれを解消するために動かなければならない、という構造から逃れられないというのが生苦です。
そしてその現象は「生きているからこそ起こった」ということになりますし、「生まれてきたからこそ起こった」ということでもあります。そして、「生きているからこそそれを生み出す」ということですらあるという感じで生苦を捉えておきましょう。
生きるエネルギーと生存本能
さて、生きるエネルギーとは、端的に欲や怒りなどであり、またトートロジー的になりますが「生存本能」です。そして生きるエネルギーがあるからこそ欲があり怒りがあるという感じにもなります。心底「以降の変化のない満足」をすれば、欲や怒りは無くなります。しかしながらどうあがいても全ては変化を避けることはできません。
「生きたい」という生きるエネルギーは、一般的には良いものとして扱われたりもしていますが、それがあるからこそ生苦が生まれ、欲や怒りといった煩悩に苛まれることにもなるという感じになります。
「死にたい」は生きるエネルギーの逆噴射
かといって「生きたい」ということの逆である「死にたい」であれば済むのかと言われればそれでは済みません。そうした二元論で短絡的に答えが出せるような感じではありません。
あくまで「死にたい」などと言っていても、それは怒りを発端としており(なお、悲しみも一種の怒りです)、「現状が嫌だ」という一種の生きるエネルギーが逆噴射しただけような現象だからです。
「絶望した」ということを理由にしようが、それはあくまで分離を前提とし、外側に「期待」を寄せていて、それが叶わないと思考が判断し、不快な感情が起こっていることに起因しており、生きたいというエネルギーが「無くなった」のではなく、生きたいというエネルギーが逆向きに作用しているという感じになります。
なぜなら、それが死にたいということであっても、すべての行動にはエネルギーが必要であり、エネルギーが無くなったのなら行動すら取らないはずだからです。欲か怒り(根本は同じです)がないと動機すら生まれません。そして欲や怒りは生存本能がその正体です。
仮に今すぐ全てが期待通りに行ったとすれば、そんな感情もなくなり、そんな思考も沈下するというのが何よりもの証拠という感じです。
生存本能と同化した視点
ただしそうした生存本能と同化した視点で観るか、対岸からその様子を観察するかによって、内側で囚われるかどうかが変わってきます。
よくよく観察してみると、この体、この体が与える生存本能からの衝動・不足感は、他の誰でもない自分の体からのものではありますが、一方でこの体は自分が作り出したものでもありません。
いわば体も生存本能も、他人事といえば他人事なのです。
もちろん直接的に体から心地よさや不快な感覚を与えられたりはしますが、そうしたものを与えてくるのはある意味自分ではないのです。
生きている事自体が苦しみの原因とはなりますが、苦しみが苦しみであることになるためには、因が縁の上で形成される必要があります。となれば、どこかしらで成り立たなくなれば、それは形成が完了せず、結果も現れなくなります。
「ただやらされているだけ」の生きる苦しみ
しかし、のどが渇いたり空腹が訪れるということは体的には避けられないという感じになり、そこには苦しみがあります。水分を取ることで喉の渇きが潤ったというような感じで、それを叶えたところで束の間の満足、そして、時にそれが思った通りには叶わないということも起こります。そして生きている限りそれから逃れることはできません。
そこには基本的に不満足しか無く、諸行無常ゆえに満足してもまた不満足になるという構造しかありません。
見渡す限り「ただやらされているだけ」という感じです。
生存本能が命令するまま、苦痛を基本として何かの行動を促してきながら、その行動を取ったところで束の間の満足しか与えず、またすぐに不足を提示してくるという構造です。
それが生苦、生きる苦しみということになりましょう。

体の側面から考えるとわかりやすいですが、そのレベルを超えて生存欲求が様々な形に変化し、不満足を与えてきて振り回されたりもします。
それが叶ったところで、「で?」となるにもかかわらずです。
まだまだ派生して考えられるような分野になりますが、四苦八苦の他の苦の方がより深く考えられるような感じなので、生苦についてはひとまずこれくらいにしておきましょう。

■生老病死とは
生老病死とは|仏教の四苦八苦の四苦
生老病死とは実は仏教由来の言葉です。
生老病死は、ただ「生きる、老いる、病む、死ぬ」ではなく、
生苦:生きる苦しみ
老苦:老いる苦しみ
病苦:病む苦しみ
死苦:死ぬ苦しみ
4つの人生で避けることができない根源的な苦しみのことを意味する言葉です。
四苦八苦という四字熟語を聞いたことがあると思いますが、実はこの四苦に当たるのが「生老病死」です。
生老病死の読み方は「しょうろうびょうし」
生老病死では、生を「しょう」と読みます。
ここからは、生老病死という人生の苦しみを乗り越えるためにはどうすればよいのか、その答えを悟ったお釈迦様の言葉や、生老病死の意味についてさらに詳しく見ていきます。
生老病死の意味(お釈迦様の見解)
生老病死の意味は、先ほど見た通り、生苦(しょうく)、老苦(ろうく)、病苦(びょうく)、死苦(しく)の4つの苦しみのことです。
生老病死の苦しみを含み、仏教の苦しみと言うのは「思い通りにならないこと」「自由でない境地にいること」を意味します。
老いることや、病気にかかる苦しみ、また人はだれでも死ぬという究極的な苦しみは、どれだけ頑張っても今の科学では乗り越えられない、「思い通りにならない」ことの代表ともいえます。
老化防止、病気の予防などなどどれだけ徹底しても、老病死を避けることはできません。そして、自分が醜くなること、病気で苦しむこと、死が迫ることに対する苦しみにどんな人も少なからず苦しむのではないでしょうか。
では「生きる苦しみ」とはどういう意味なのかについて詳しく見ていきます。
生老病死の生|生きる苦しみとは
仏教では、一切皆苦(いっさいかいく)とも言いますが、この世のすべては苦しみなのだという考えからスタートします。
仏教では生きること自体苦しみだというのです。
もちろん楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこと、それらが存在しないと言っているわけではありません。
ただ、それらの楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことはいつまでも続くわけではなく、さらにそれらポジティブな感情が大きければ大きいほどネガティブな感情、つまり苦しみを生み出すと考えます。
例えば、とても気の合う友達や恋人、好きなことを想像してみてください。
その友達といると(好きなことをしていると)、いつも楽しく、最高の気持ちだと思います。もしそんな友達や恋人、好きなものが突然この世から失われるとしたらあなたはどう感じるでしょうか。
最高の気持ちは一転、最悪の感情を生むと思います。
好きな気持ち、楽しい気持ちが強ければ強いほど、苦しみが大きくなるのです。
これは一つの例ですが、大なり小なり、私たちの生活のあらゆる感情は苦しみに通じていると考えられます。
そして、老病死という人間として生きていると絶対に避けては通れない苦しみとも私たちは直面します。
このような苦しみばかりの世の中であるのなら、「生きること」それ自体がもはや苦しみなのだというのが、生の苦しみということです。
四苦八苦|生老病死を含む仏教の教える苦しみ
四苦八苦の四苦が「生老病死」となりますが、それ以外に仏教では4つの苦を入れて、全部で8つの避けられない苦を挙げます。
四苦八苦は、12の苦しみではなく、全部で8の苦しみということなのですが、残りの4つの苦しみについてもご紹介いたします。
愛別離苦(あいべつりく)
愛別離苦とは、先ほど好きな友達や恋人との別れの苦しみという例もありましたが、「愛する人と離れることの苦しみ」を意味します。
人に限らず、ペットでも、モノでもあらゆる愛着の湧いた対象との別れはつらいものです。
愛別離苦についてはこちらで詳しく解説しています。
愛別離苦とは|意味や読み方,お釈迦様が説く乗り越える方法を解説
怨憎会苦(おんぞうえく)
怨憎会苦とは「憎い人、腹が立つ人と会うことの苦しみ」を意味します。
人はよほどのことがない限り、社会の中で生きていて、他人と関わり合いながら生きていきます。
会社の上司や部下、学校の腹立たしい人という同じコミュニティで、そのような出会いたくもない人間と出会ったり、買い物先の店員、道端の人、いたるところで嫌な思いをさせるような人と出会うことがあります。
それらは避けようと思っても、突然やってきて「憎い、腹立たしい」という感情を生み私たちを苦しめます。
求不得苦(ぐふとくく)
求不得苦とは「求めたものを手に入れることができないことの苦しみ」を意味します。
努力しても手に入れられなかったモノ、栄冠、地位、財産などなど、私たちの生活で求めて努力をしても、それが手に入るとは限りません。
強く欲しいと求めたものを手に入れられなかった時、強い気持ちがあればあるほどその苦しみは大きくなります。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)
五蘊盛苦とは「私たちの心と体は苦しみ、この世の一切のものは苦しみ」ということを意味します。
五蘊(ごうん)という言葉が少し難しく感じると思いますが、これは簡単に言うと、心と体のことです。
この理解について、経典では「五蘊という心と体はすべて無常(消えていくもの)であり、無常ということは苦しみということ」と説かれています。
「私たちの心と体である五蘊が苦しみなのだ」と言われても、意味が理解しにくいと思いますので、少しかみ砕いて解説しますと、
「私たちのもの」と考えている私たちの心と体という存在は、私たちの思い通りには動きません。
老いること、病にかかること、死ぬこと、どれも私たちの体が私たちの思った通りではありません。むしろ望みとは反対に変化していきます。
全ては変化していくということを諸行無常と仏教では言いますが、思い通りにならない心と体も実は苦しみ、苦しみを生むものなんだということなのです。
生老病死と仏教の捉え方
生老病死という避けられない苦しみを乗り越えるために、仏教は教え(=お釈迦様の教え)を説いています。
まずはお釈迦様が実際に言ったであろう言葉に近いと考えられる初期のころの経典でのお釈迦様の言葉をご紹介します。
生老病死とお釈迦様の言葉
生老病死に関係することについては一言でまとめられないほど、お釈迦様はたくさんの言葉を残しています。
これらは修行者(出家をした人)に向けられた言葉であり、それを聞いて全ての人の生老病死の苦から解放するような魔法の言葉ではありませんが、ふと自分の生活を見直すきっかけになるのではと思います。
『「われらは、この世において死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。−この断りを他の人々は知っていない。しかし、人々がこのことを知れば、争いはしずまる。』(Dnp.6) よく生きることと、よく死ぬこととは、表裏の関係にあるのである。
当たり前のことではあるのですが、普段生きていると”いつか”死ぬということは、何となく理解していても、その”いつか”が今日、明日かもしれないと意識することはありません。
健康であれば十年後かもしれないし、二十年後なのかもしれないし、いつになるかわからないとは言っても、死は遠い先のことに感じてしまっているのではないでしょうか。
死を忘れ、近くにある幸せな人達との人生を楽しんでいるときに、覚悟をしていない死や病が突然やってきて「なんて苦しい人生なんだ」と感じてしまうのではと思います。
だからこそ、「人は死ぬはずだ」と知って、覚悟をしようとおっしゃいます。
『学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、彼の知慧は増えない。』(Dhp. 152)
ただし、お釈迦様は生老病死の苦しみ以外にも苦しみばかりだと思って何もしないで諦めることが良いのではなく、その苦しみの世界の中で、苦しみから逃れる努力、知慧をつける努力をしなさいとおっしゃいます。
お釈迦様が説く生老病死を乗り越える知慧とは
仏教の教えと言うのは、詰まるところ、生老病死を含む様々な苦しみから逃れる知慧とはなにか、そしてそれを得るためにはどうするべきかというものです。
生老病死の捉え方、死生観と言ったものとは違い、この世の真理を知り、どのようにこの世を眺めるのか、そしてそのために正しい努力をするという考え方が説かれています。
ここで書くと長くなるので、どんな教えがあるのかについて簡単にご紹介いたします。
気になる方は、それらの教えについて解説したページをご覧ください。
仏教の教えを3つ、もしくは4つの言葉でまとめた三法印(四法印)
(一切皆苦)
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
一切皆苦を除いた3つを三法印、それを入れると四法印と言います。
この世は苦しみばかりであり、その苦しみをなくすためには私たちの欲望(煩悩)をなくせば良い、など仏教の基本の4つの教え
四諦 
苦しみをなくすための実践すべきこと
八正道
六波羅蜜 

■ジャーナリスト・後藤健二さんの犠牲が意味するものとは
日本中を震撼させた過激派組織ISによる人質事件は最悪の結果に終わりました。危険な地域に、勝手に足を踏み入れたのだから、人質となった本人が悪いとする、いわゆる「自己責任論」が噴出しました。だが、ほんとうにそれだけで片づけてしまっていいのでしょうか。
後藤健二さんは、ジャーナリストとしてのキャリアの多くを紛争地域の子供たちの苦難を世界に伝えるために費やしてきた人道主義者であり、不運な湯川さんを救出しようとする必死の試みでシリアに向かったといわれます。
湯川さんは、'14年4月にISとは別の反政府勢力・自由シリア軍に拘束された際、偶然現地にいた後藤さんが、「湯川さんは普通の市民」と説明し、解放されたことがあったそうです。
湯川さんは、これを機に中東での行動のノウハウを後藤さんから学び始め、自ら後藤さんの助手と公言するほど後藤さんを慕っていたそうです。湯川さんは、シリアにも慣れたと感じたのか、8月に再び単身シリアに渡航し、結果ISに拘束されたのです。
後藤さんは、結果的に自らがシリアに導く形になってしまった湯川さんを案じ、相当な責任を感じたのでしょう。外務省幹部の再三の引き留めにも拘わらず、「何が起ころうと自分自身の責任です」と言ってイスラム国に足を踏み入れたのです。相当な覚悟のほどが窺われます。
後藤さんと交友のある戦場ジャーナリスト・安田純平さんは、普段の後藤さんなら決してそんな無理はしなかったといいます。「極めて慎重な人で、シリアの別の武装勢力から『取材許可証』をもらったのに、危険だと判断しそのまま帰ってきたことがあったくらいです。」
さらに人柄について、「同業者同士で話をすると、たいてい、戦場に入って酷い目に遭ったとか、どんな手法でネタを手に入れたかが話題になります。ところが後藤さんは、そうした話にはほとんど興味を示しませんでした。関心を持っていたのは、そこに生きている人々の『表情』でした。後藤さんは口癖のように、『テロリスト』という記号でくくられてしまうが、一人一人が表情を持っているのだ」と話をしていました。
'14年10月末に拘束されたと見られている後藤さんは、約3ケ月間耐え続けたのです。妻や幼い二人の子どもたちを想い、そして、テロリストも人間だと自分に言い聞かせながら、死の恐怖と戦うことなど、誰にでもできることではありません。
自己責任論を唱える人でも、あるいは戦場に向かった後藤さんの動機を疑問視する人でも、その胆力には、『よく頑張った』と言わざるを得ないのではないか。
普段から極めて慎重な人であった後藤さんが、今回は、危険を知っていてなお、ISの中心部に向かったことを、『無謀』と切る捨てることは簡単です。だが、友情からにしろ、義務感からにしろ、他人のために命を賭して死地に踏み込む勇気が私たちにあるだろうか。」と雑誌で述べられています。
また、ネット上では、「勇敢なジャーナリスト」、「日本人魂に敬服」、「武士道精神」などの言葉をはじめ、米メディアは「普通の日本国民ではなかった」とか、中国メディアでさえ、「戦争に見舞われている国で子供たちに寄り添った人柄」などと紹介しています。
後藤さんへの評価は今のところ日本国内よりも外国の方が高いようですが、あなた自身はどう思われるでしょうか。
それにしても、イラクでは今年に入ってISの暴虐で120万人が住む場所を追われたとか、IS絡みの戦闘で、半年で市民9347人が死亡したとか。見せしめ公開処刑、性奴隷制度復活…そんな残虐悲惨な現実社会に比べ、日本は実に平和でありがたいことではありませんか。イヤ、しかしこれから先はわかりませんよ。
それは、ISが、「これからはすべての日本人を標的にする」と明言したからです。これからは日本でもテロの起こる可能性がより現実味を増してきたということです。
先日のNHKクローズアップ現代に出演されていたゲストも「今まで紛争地域において日の丸を掲げていればそれが中立の象徴であり、身の安全が確保されていました。しかし、最近では日本人ジャーナリストへの見方が変わってきていると感じる」と言っていました。
ISとアメリカの戦争は、もはや現地の戦場だけのことではなく、世界中に影響を与えています。多くの国でISを支持する若者が生まれ、実際に義勇兵としてISに合流しようとしたり、あるいはISと敵対する国でテロを起こそうとしたりする動きがどんどん広がっています。
すでに世界80か国から外国人義勇兵がISに参加しているとか。ISの兵力は3万数千人程度とみられ、うち半分近い1万5千人がシリア・イラク両国以外の出身者とか。大半は近隣アラブ諸国の出身者だが、欧米国籍者も3千人ほどいて、日本人もいるらしい。
そもそも今回の人質事件の発端には、安倍総理がISと戦う国々に対して2億ドルの支援を約束したことで、それがISに口実を与えてしまったとする見方が有力です。
安倍総理が唱える「積極的平和主義」は、日本政府が長年、国際舞台で自国を中立な立場の国として演出してきたものを、これからの日本の立場を戦争のできる明確な方向へ突き動かそうとするものです。
今回の後藤さんの犠牲が意味するものは、今までの平和主義憲法に根差してきた日本の外交政策が分水嶺を超え、戦争のできる国家としての立場を明確にしたということです。そう考えると、後藤さんはまさに「積極的平和主義」の犠牲者と言えるのかもしれません。
しかし、後藤さんの犠牲でいたずらに感情論や報復論が助長されると、それこそ「積極的平和主義者」にとっては思う壺です。安倍総理は、さっそく人質なった国民を助けるための自衛隊の海外派遣を検討し始めたとか。
安倍総理にしては今こそ追い風と思っているかもしれません。悲願である憲法9条の廃止に向けて、来年までに、遅くとも再来年までには国民投票まで持っていくという決意です。
しかし、9条廃止はおそらく不可能でしょう。極めて平和主義の日本国民がほぼ間違いなくそのような修正は否決するからです。 

■お盆のぶっちゃけ
言うまでもなく坊さんにとってお盆は一年を通し最も多忙な時期です。なかでも酷暑の中お檀家さんを回る棚経はとても過酷で、この三日間はまさに"ホトケ極楽ボウズ地獄"といったところです。
とは言え檀家さんが待ってくれているのだという想いがモティベーションになっているから頑張れるのです。実際棚経をうっかりミスで抜かしたりすると、問い合わせや苦情がきたりします。当てにされていることは実にありがたいことです。
今年も特に猛暑の中汗だくになって回りました。軒数が多いのでスケジュールは分刻みです。まさに時間との戦いですからゆっくりお茶を頂いている余裕はありません。ですから"ぶっちゃけ"お茶を出されない方が助かるのです。
そんな"ぶっちゃけ"が今年のお盆前のテレビ「ぶっちゃけ寺」で放映されたせいか、今年は持ち帰り用のペットボトルを頂くことが多かったようです。仏壇前の椅子もありがたいですね。特に長時間の正座で疲れた足がほんとうに休まります。ぶっちゃけ、その分お経が丁寧になること請け合いです。
扇風機もありがたいのですが、風で灯明が消えてしまったりすると、ちょっとイラッとしますので、あらかじめ無難な風向にセッティングしておいてくれると助かります。坊さんもちょっとした心遣いが嬉しいものです。
あと、特に困るのが、吠える犬のいるお宅です。静かな犬なら全く問題はありませんが、中には玄関を入るなり吠えながら突進してくる犬がいたりします。家主が隔離しても吠え続け、読経にとってコラボどころか、妨害でしかありません。正直モティベーションは最悪です。
弟子から犬が怖くて入れないお宅があるというので今年は拙僧自身が出向きました。確かに大型犬が移動式に繋がれていて、当方に気付くなり狂ったように猛進してきたのです。その状況に家人が気付くのを期待したのですが、家人は現れません。ヤッテラレナイと思い帰りました。
拙僧自身むかし犬に咬まれたことがありますので少しトラウマもあります。例年伺う時間帯は大体決まっているのですから、"歓迎する気があれば"それなりの気遣いがあって然るべきだと思うのですが・・・
拙僧宅も雑種の中型犬を飼っていましたので、飼い主としてのマナーには配慮したつもりです。そのカレも天寿を全うしてこのお盆を前に死にました。15年間も番犬として尽くしてくれたことに只感謝です。
坊さんといえどもやはり人の子、"ぶっちゃけ"、心遣いや心地よさによってお経も丁寧になったり長めになったりするものです。子や孫共々一家揃って畏まってお経を聞いてくださるお宅などでは、つい説法をしたり話し込んだりしてしまいます。
それにしても、毎年お盆のお宅訪問で感じることは、急激な高齢化の実態です。昔は、どこでも子どもがいてその親御さんも若く元気でした。しかしあれから40年、子供たちは居なくなりその後の親御さんたちも今や"立派"な高齢者です。
昔は子供の里帰りに一緒だった孫たちも今や成人して里帰りには付き合えなくなってしまったのでしょうか、お盆に見かける顔も少なくなりました。老夫婦や独居老人が、猛暑の中クーラーもなしで過ごしているお宅がありますが、熱中症に十分気を付けるようにと言いながらもやるせない気持ちになります。
今や独居は老人だけに限りません。独居の独身者も増えています。統計によると、30代後半男性の3割強(35.6%)、女性では2割強(23.1%)が未婚だとか。男性の生涯未婚率は30年前の10倍にもなるそうです。そんな少子・未婚・高齢化社会がものすごい勢いで進んでいます。
核家族化が始まって40年、自律が難しくなった高齢者が若い人達と一緒に暮らせる環境はありません。やむなく"疎開"せざるを得なくなったのが介護施設です。拙僧自身、実母を施設にお願いした経験者ですが、その仕方なさと有難さはよく理解できます。
戦後70年、日本の社会も大きく変わりました。その中で最も顕著になったのが少子・未婚・高齢化問題でしょう。特にバブル崩壊以降、日本の経済は疲弊し人々のモティベーションはすっかり委縮してしまいました。
そんな委縮感が日本を覆い人々の考え方や価値観は大きく変わりました。その結果現れてきたのが、直葬や家族葬といったものです。文字通り家族だけで葬儀を行うということですが、これには一考を要します。
言うまでもなく、葬儀とは、故人の冥福を祈り、遺族縁者が哀悼の誠を捧げ、感謝と惜別の気持ちを全うすることです。人は葬送儀礼を通してこそ故人の逝去を受け入れることができるのです。葬儀はその「気持ちの意味付け」となる実に大切なものです。
ですから、真っ当な人間にとって葬儀は必要不可欠なものです。ただ、家族葬で懸念されるのが、社交儀礼と故人の意志です。葬儀は告別式ともいいます。それは惜別の意味と同時に故人にとっての辞世の場でもあるからです。
人は誰でも、送りそしていつか送られる存在です。送り送られる双方にとって謂わば最後の挨拶の場が告別式なのです。故人が生前お世話になったのは肉親や家族だけとは限りません。故人にお世話になった"他人"も大勢いるかもしれないのです。
ですから遺言があれば別として、喪主は告別の場を設けることが社会通念上からも望ましいのです。たとえささやかなものだとしても規模の問題ではありません。確かに喪主の都合もあるかもしれませんが、葬儀の主役はあくまでも故人であることを慮って欲しいのです。
住職をしていると様々な価値観の人に出会います。父親を葬儀もしないまま納骨し、墓誌に俗名だけを刻んで済ませてしまった人。墓地がお寺ではなかったので後からその事実を知りましたが、喪主の人格が理解できません。喪主は某科の医師ですから経済的な理由ではなかったと思います。
母親の遺骨を二人だけでお寺に持参し、葬儀納骨を済ませ帰ってから一切の連絡が取れなくなった人。当然その後の墓参もないので墓地は荒れ始めています。故人は生前お寺には丁寧なお付き合いをして下さった方だけに、さぞ無念でしょう。
そんな、墓地がありながら連絡が途絶える人がいますが、葬儀後連絡のつかなくなる理由の一つに相続問題があるようです。それは相続の話合いが拗(こじ)れ家族関係が破綻してしまい、結果墓地が見捨てられてしまうのです。
幼いころからあんなに仲の良かった兄弟・姉妹が、なぜこんなになってしまったのか。それを誰よりも一番悲しんでいるのは他でもない故人となられた両親やご先祖様でしょう。こんな親不孝はありません。
他方、お盆には兄弟、姉妹が集い高齢の親御さんをみんなで労う家族がいます。そんなお宅だけに棚経に伺っても歓迎されているという心地良さを感じます。そんな雰囲気や心遣いに励まされ、坊さんもやる気、元気のテンションアップが得られるのです。"ぶっちゃけ"そんなお宅にこそ、心からのご多幸を願わずにはいられません。
お盆にはご先祖様がお帰りになります。それは今ある私たちの幸せを見届け、エールを送るためでもあるのです。そんなご先祖様に安心して頂けるような人生にしましょう。 

■テロリズムの正体とは ほんとうの幸福とは 輪廻からの脱却
12月8日はご存知釈尊のお悟りを讃える成道会(じょうどうえ)です。降誕会(4月8日)、涅槃会(2月15日)と並び「三仏忌」の一つで、仏教寺院ではどこでもそのご遺徳に酬いる報恩供養をいたします。
仏教とは文字通り、仏陀のみ教えであり、その教えは仏陀の成仏得道(成道)から生まれ、その敷衍が仏教であることはいうまでもありません。その仏教の目指すところは、言うまでもなく人の真の幸福にほかなりません。
釈尊はお悟りにより「如来」となりました。これは「真如来人」の略で、「真如(真理)から来た人」という意味です。その如来が説かれた真理の一つが人生「一切皆苦」という真実です。つまり、「人生はすべて苦である」ということです。
では、人にとってほんとうの楽はあるのでしょうか。仏教の言う「大安心」とは一体何のことでしょうか。どうすれば「ほんとうの幸福」を得ることができるのでしょうか…当然の疑問です。
成道会に因み今回はそれにお答えしましょう。結論から言えばそれは「輪廻」からの脱却です。インドでは元来一般的な考えで、生命あるものは生まれて死ぬ、そしてまた生まれるという、生まれ変わりを延々と繰り返すという輪廻思想がありました。
仏教もこの思想を取り入れています。この生まれ変わりを繰り返す世界こそ、苦の世界であり迷いの世界である輪廻の世界なのです。そしてその実態がすなわち三界六道なのです。
三界六道の世界がすなわち「一切皆苦」の世界なのです。ですからこの「輪廻」からの脱却が同時に三界六道からの脱却であり、まさに仏教の目指すところの「大安心」であり「ほんとうの幸福」なのです。
ところで三界とは、輪廻の世界を精神的境地の視点から欲界、色界、無色界の三つに区分したものであり、欲界とは感覚的な欲望の世界であり、色界とは欲望のない物質の世界であり、無色界とは純粋に精神だけの世界のことです。
六道とは、いうまでもなく、天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄の世界をいいます。そのうちでも地獄、餓鬼、畜生の三つは極めて苦が大きいので三悪趣、もしくは三悪道といわれます。また三途ともいわれ「三途の川」の由来となっています。
これに対して阿修羅、人間、天を総称して三善趣とか三善道といいます。以上、これら三界六道のうちで生まれることと死ぬことを延々と繰り返すことがすなわち輪廻です。
人間界は天上界とともに古来「人天の楽果」といわれ、楽の多い優れた世界であるというのが普通の認識です。「人生は苦である」といわれても「結構楽もあるじゃないか」「人生苦があるからこそ楽がある、仏教は妙なことをいうものだ」と思われる方も少なくないと思います。
しかし輪廻の世界での「楽」は大いなる錯誤なのです。それは、本能的、官能的なまやかしだからです。真の楽とは絶対安心(あんじん)でなければなりません。その世界をすなわち「極楽」というのです。
天上界は、苦は少なく寿命も長く膨大な楽に満ちた世界とされます。しかしそこは五衰も寿命もあるれっきとした苦と迷いの世界なのです。「寅さんシリーズ」で有名な葛飾柴又の帝釈天や毘沙門天、弁財天など天がつくのはすべて天上界の住人であるインドの神のことです。
六道の中で最高に優れた者の世界とはいえ、そこはまだ解脱していない者の輪廻の世界ですから、業によって六道のうちのいずれかに生まれ変わることになります。つまるところさまざまな苦の世界の繰り返しにほかなりません。
そんな輪廻のサイクルからの脱却がすなわち解脱です。人類で初めて解脱された人、それが釈尊であり、解脱によって仏陀となられました。仏陀となれば二度と三界六道に堕ちることはありません。
つまり仏陀こそ「ほんとうの幸福」ということになります。したがって仏教では、この苦と迷いのスパイラルから脱却することこそが最大の命題であり、全ての人は仏道に精進し「ほんとうの幸福」の仏陀を目指せ、というのが仏教の基本的理念なのです。
一切の苦悩から解放された絶対安楽な世界、それはまさに六道輪廻のない涅槃であり極楽浄土なのです。しかし涅槃とか極楽というと一般的には死後や来世をイメージしてしまいます。しかしそれこそ大いなる誤解です。
真如涅槃の世界は般若心経にもあるように生も死も超越した「不生不滅」の世界ですから、そこには今生も来世もありません。涅槃には輪廻が無いからです。三界六道はすべて「迷いの身にある」のです。(法話平成18年5月分参考)
12月8日は、仏教徒にとってまさに「法乳の慈恩に酬いる」特別な日です。しかし、奇しくも70年前のこの日、日本は太平洋戦争に突入したのです。日本人戦没者だけでも約310万人に上りました。何という因果でしょう。
「すべての者は暴力におびえる。すべての者は死を恐れる。自分に引き寄せて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(法句経)との教えに従って、我々仏教徒に限らず今日を生きる日本人は皆あらためて強い不戦の決意を持つべきです。
12月9日には作家野坂昭如さんが85歳で逝去されました。彼が最後まで言い続けたのが、「戦争をしてはいけない。巻き込まれてはならない。戦争は何も残さず悲しみだけが残るんだ。」という言葉でした。
常に時代の寵児だった野坂さんだけに、晩年身を削って訴え続けた「戦争反対」の声は特別の重みがありました。「生命、財産、文化、伝統を守っていくのは軍事力ではない。どんな戦争も自衛のためと言って始まる。そして苦しむのは世間一般の人々なのだ。騙されるな。このままでは70年間の犠牲者たちへ顔向けできない」と叫ばれていました。
自らの戦争体験を基に書かれた小説「火垂るの墓」はまさに戦争の悲惨さと不条理さを謳った実に悲しい物語です。終戦直後の混乱の中で必死で生き抜こうとする親を亡くした14歳と4歳の兄妹の餓死までを描いた物語ですが実に感動ものです。
すでに世界中で多くの人に読まれていて不朽の名作との評価を得ています。拙僧も最近ユーチューブでそのアニメと映画をはじめて見ました。個人的感想としては、アニメでありながら描かれている少女のなんともいたいけな表情と仕草に特に感動しました…歳甲斐もなく涙が止まりませんでした。
戦後70年、あれだけの悲惨な犠牲を経験したにも拘わらず「戦争アレルギー」も厭戦の気持ちもかなり風化してしまっているように感じます。世界でISによるテロ行為が頻発しています。中国、北朝鮮の脅威も確かに問題です。
日本政府は防衛の名の下に戦争準備を着々と進めています。集団的自衛権に対する賛成派も反対派も、どちらも思いは同じ戦争抑止なのですが、問題は方法論に対する見解の相違なのです。
その賛否に対して今「どちらとも言えない」という中間派が増えています。迷っている人が増えてきているということでしょう。「目には目、歯には歯」と、とかく人は感情論に流され勝ちですが、冷静に仏教に鑑みて判断すれば自ずと正しい答えは出てくる筈です。
「どんな戦争も自衛のためと言って始まる。騙されるな。」という野坂昭如さんの言葉をもう一度噛み締めたいものです。 
 

 

■テロリズムの正体とは 菩提心のすすめ
新年おめでとうございます。先ずは本ページをご覧頂いている方々のこれからの一年がつつがない歳でありますことを心より祈念申し上げます。
新年をHappy New Year と言いますが、希望に胸を膨らませている人もいれば問題や心配を抱え不安いっぱいで新年を迎えた人もあまたいることでしょう。
たとえ今が順風満帆であったとしても明日のことは分からないのが人生です。軽井沢のスキーツアーバス転落事故で15人もの尊い若者の命が奪われました。将来を夢見ていた掛け替えのない人生を奪われたその無念さはとても計り知れません。
何の罪もない人の命が突如奪われることほどの理不尽はありません。過失も自己責任もないそんな不条理の現実に直面したとき人はほんとうに苦悩します。何でうちの家族が、何で大切なあの人が、何で…何で…只々お悔やみと同情を禁じ得ません。
そんな突然の不幸は事故だけには限りません。これからはテロに巻き込まれるという理不尽極まりないことも心配されるのです。何の罪もない不特定の人を狙った無差別テロほど残虐で許されないものはありません。
悲しいかなとても人間の仕業とは思えません。それがテロです。そんな尋常では到底理解できないISによるテロが今世界で頻発しています。ISはさらにテロ活動を進めると言っています。日本もその標的になっている以上、その心配は一層現実味を増しています。
どんな人にも人としての当たり前の良識も情もある筈だと思うと、何故ISのような集団が生まれてしまったのでしょうか。理解に苦しみます。人の心を持った真っ当な人間にそんな極悪非道はできる筈はないと思うのですが。
彼らにもはや人の心は無いのでしょうか。今回は、そんなISがなぜ生まれたのか、なぜ残虐なテロが行えるのか、そんな彼らへの対処はあるのか考えてみました。
人類は原始時代以来利権と覇権をめぐってサバイバルを繰り返してきました。人類の歴史はまさに部族間、民族間そして国家間の戦いの歴史だったと言えるのです。そんなあまたの歴史に学びながら人類はあらゆる民族、国家が共存共栄できる国際社会を目指してきました。
そんな人類が選んだ結論が民主主義と資本主義だったのです。ところが、「自由」と「平等」という人類の至宝はいくら経っても一向に担保されません。逆に個人から民族、国家単位に至るまで富と人権の格差は広がる一方です。
世界は産業革命以来アメリカを中心とした資本主義が世界を席巻してきました。先進国はグローバル経済をリードするアメリカンスタンダードが当たり前でそれが世界の基準だと思ってやってきました。
アメリカを頂点にした金が金を生む金融資本主義が格差を一層広げていきました。トリクルダウン(豊かな人々がもっと豊かになれば、やがてその豊かさが下にも落ちてきて貧しい人々も豊かになれるという議論)なんて大ウソでした。
同じ中東でありながら湾岸産油国の豊かな人達と貧しいイスラム社会との格差は極度のアイデンティティークライシスを生み、1700万人もの抑圧されたイスラムの人達が生まれました。貧しいイスラム社会は混沌から秩序の崩壊へと向かったのです。その結果が100万人の難民です。
世界の富の半分をたった1パーセントの人間が握っているとか。世界人口の半数の人達が一日2ドル以下の生活費で命をつないでいるとか。そんな不条理からの反発がグローバリスムの中で「混沌と秩序の崩壊」となって表れたとしても不思議ではありません。
世界の現実は理想とは真逆な方向に進み大きな矛盾と歪に陥ってしまったのです。「勝ち組」には優越感が生まれ「負け組」を見下す奢りが生まれるものです。そんな不条理の中で生まれてきたのがまさにISだったのです。ISが何故生まれたかと言えば、「生まれるべくして生まれた」まさに因果というべきものかもしれません。
ISには世界各国からおよそ3万人もの志願兵がいるとか。その彼らの多くが移民であり、貧困、差別、いじめ、そして疎外感と絶望感から極度のアイデンティティークライシスに陥り、ニヒリズム(虚無感)の中から彼らは唯一ISに「居場所」を見付けたのです。
「自分は意味のない存在」であったのが「ISで自分の存在の意義を知った」というのです。彼らはもはやこの世に期待など持っていません。持っているのは只一つ「この楽園とアラーの神のために死にたい」という願望だけです。ISにとって自分たち以外はすべて敵なのです。
この世の不条理を怨み、アラーのご神託がジハードだと狂信している彼らにとって自爆テロなど怖くはありません。そんな人がまだまだ世界中からISへ流れているのです。いくら空爆したところでそんな彼らの勢いを止めることはできません。
ではこのような事態にどう対処したらよいのでしょうか。テロとの戦い、テロに屈しない、といった言葉はよく聞きますが、しかし、これだけ広がってしまっては残念ながら有効な方策はまったく見えません。
いまにして思えば、かつてタリバンやアルカイダが標的であるとされ、オサマ・ビン・ラディンを捕らえればことが収まるように考えられた時期もありました。あの時点ではテロとの戦いには圧倒的な支持があり日本も大変協力的でした。
しかし、ほんとうの敵の正体をつかんではいなかったのです。敵は武力の前に屈するような代物ではなかったのです。単にテロリストを追いかけるばかりで、テロリズムの本質に迫ろうとする努力に欠けていたのです。
ここにこそ今の混迷の源があったのです。テロリストをいくらやっつけてもテロリズムが消滅するとはまったく思われません。先ずはテロリズムのほんとうの正体を見定めていくしかないのです。
元米大統領ビル・クリトン氏は、「テロリズムを終息させるのは国家を超えた共通の人類意識であり、経済的に苦しむ国々に援助の手をさしのべない限り、米国は永遠にテロリズムと戦い続けることになる。
先進国の人は、グローバル経済やテクノロジーが当たり前だと浮かれているが、実際には世界の大半の人々にとってそのような恩恵は届いておらず、発展途上国では経済破綻や医療制度の不備が起き、人々は絶望の中で生きている。
世界人口の半数の人にとっては一日の生活費が2ドル未満しかなく、1億人の人がエイズウイルスに感染する恐怖に苦しんでいるというのが実際の状況であり、これがテロ組織を生む温床になっている。」と指摘しています。
クリントン氏は、テロリズム対策として、発展途上国再建プランが必要だとして、最貧国に対する債務免除、小規模ビジネス向けの資金援助、発展途上国での医療インフラの整備などを挙げています。
日本も他人事ではありません。労働人口のおよそ4割が非正規労働者だといわれます。格差の実態は確実に広がっています。疎外感、絶望感からISに傾倒していく若者が日本でもこれから増えていくことが心配されるのです。
今こそ世界は真の「グローバリズム愛」を必要としています。闘争に明け暮れお互いの存在を認めないユダヤ、キリスト教やイスラム教にはもはや期待できません。一神教の彼らにとっての「愛」は「偏愛」だからです。
それに対して仏教の「慈悲」は、民族、宗教を超えた「普遍愛」なのです。ですから特に多神教文化の日本こそ異宗教間の取持ちができるのです。「おもい遣り」と「助け合い」の心無くして人類に未来はありません。
その「慈悲」が「グローバリズム愛」として世界に広がれば人類はまだ未来に希望が持てます。その教えが「自未得度先度他の心」であり即ち「菩提心」(法話20年8月分参考)なのです。日本仏教界が「菩提心」を宝の持ち腐れにしないことを只々願っています。 

■熊本地震 お見舞い申し上げます 和の心こそ日本の誇り
九州熊本県を中心にまたまた大地震が発生しました。 今月14日に発生した地震は、震度7が2度もあり、27日の今日まで震度1以上が950回も続いているとか。これは一日に平均してなんと73回にもなるとんでもない事態です。
このような規模の地震が広域的に長く続発するのは過去に例がなく、これからの余震の収束の予測すら極めて困難だと気象庁は言っています。 発生して2週間経ちますが、今なお3万6千人もの人達が、言いしれない余震の不安とライフラインを断ち切られた不自由な生活を余儀なくされています。
あの東日本大震災からまだ5年しか経っていないというのになんたる試練でしょう。 地震国日本の宿命とはいえあまりにも不条理です。 日本を愛したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、「この国には永遠のものがほとんどない、絶え間ない災害による破壊で日本人の根気や忍耐力が培われた」と記しています。
フランスの元駐日大使ポール・クローデル氏は、日本人は絶えず身震いする巨人の上で暮らしているようなものだと言っています。 まさに巨人の体の上に置かれた日本列島、その一部の九州中央部が身震いしたのです。 人間をあざ笑う地下の巨人に、人はあまりにも小さく無力です。
しかし、考えてみれば日本は地震大国だけではなく、津波大国や台風大国でもあります。日本人は太古よりそんな揺れ動く大地や自然災害に鍛えられてきたのです。 だから日本人は日頃からお天道様やよろずの神々に感謝し無事を願ってきたのです。
そのようにして日本人は、「お蔭さま」「お互いさま」「ありがとう」と言って感謝し労い合い、隣人愛ともいえる「和の心」を養ってきたのです。 相手を思いやり、他人に迷惑がかかる行いは極力しないように努める。 だから日本人は災害時には途方もない自制力や忍耐力、協力心を発揮するのです。
その「和の心」の根底にあるのが日本独特の多神教文化なのです。 多神教文化は他の文明を巧みに取り入れそれらを適応させてきました。 だから日本人は他国の文化に寛容であるし、織田信長や豊臣秀吉などもキリスト教に興味を持ちました。
しかし、現代においてキリスト教をはじめとしたイスラム教などの宗教は日本社会では意外と広まっていません。何故かといえば、それはそれらが一神教だからです。 日本人の多神教文化が「和の心」を生んだといいました。「和の心」が相手を尊重し同じ目線に立ち受け入れてきたのです。
ところが織田信長によってキリスト教が容認されたころ、キリスト教の宣教師たちは日本の神社仏閣を破壊したのです。他宗教を認めず、両立や共存を許さないのが一神教ですから、それは当然のことだったのかもしれません。 結果、多神教文化の日本人にとって一神教とはシンクロできなかったのです。
日本に初めて仏教が入ってきたとき、天皇は神道を受け継ぎながら、仏教徒となり、寺院を建立しています。仏教は一神教ではないため天皇も人民も仏教には初めから寛容的だったのです。
神道と仏教は宗教としては明らかに別のものです。しかし、そのことに疑問を持ったり悩んだりする日本人はいません。 確かに歴史上廃仏毀釈などの時期もありましたが、それは政治的なものだったのです。
そんな多神教文化が理解できないのがすなわち一神教文化の人達なのです。 一神教の立場からすれば、他宗教に対して譲歩も寛容もありません。 他宗教を認めることは自分の神を裏切ることになるからです。 教祖や教義が違えば別派となり全ての相手と対峙することになります。
そもそも一神教の教義からすれば神と人との関係は全て「契約」で成り立っているのです。「契約」ですから、その神のみを信じることで自分は救われ、信仰を止めてしまえば見放されてしまう存在にあるのです。だから「契約」は絶対であり、その神に代わる指導者の声は絶対であるから、自爆テロさえ厭わないのです。
宗教や派が違うことで戦争や紛争、テロを起こすことなど日本人には到底理解できませんが、ユダヤ、キリスト教、イスラム教は元はといえば同じ神なのです。 それが、教義が違うことから相互が認め合わないのです。相互が常に敵意を抱いているのはそういった理由からです。
ついでに申せば、日本の宗教界にも一神教の原理と酷似している宗教が幾つかありますが、その代表格が創価学会でしょうか。 彼らは仏教を主唱してはいますが、自分たち以外の他宗教のみならず、他派さえ一切認めていません。
よく「学会」の噂を耳にすることがありますが、その内容は日本の宗教界の中ではかなり異質なものです。親戚や近所の葬儀、法事から町内会の祭礼や地鎮祭などにも参加しないという。お題目の「南無妙法蓮華経」以外仏教でもなければ宗教でもないという立場はまさに一神教そのものと重なります。
余談で恐縮な話ですが、拙僧が町内会長を務めた時には鳥居建設の責任者もやり祭礼の神事にも参列し神官からお祓いも受けました。 そのことで檀家や地元の皆さんから抗議を受けたり不信感を抱かれたりしたことは一切ありません。むしろ住職なのにと感謝されたくらいです。
個人的には正直多少違和感もありましたが、地元人として「お互いさま」だと割り切り、まさに「和」の精神で責任を果たした次第です。
拙僧が十代のころ読んだ古い記憶ですが、ユダヤ人でイザヤ・ベンダソンという作家が「日本人が神社、寺院、クリスチャン教会を差別もせず疑問も持たずに生活できるのは、その全体が即ち『日本教』という『宗教』を形成しているからだ」と書いてあったのを覚えています。今にしてもまったくその通りだと思います。
日本の大地の下にはいつ「身震いする」かもしれない巨人が眠っています。ですから山の神から海の神まで八百万の神々に日本人は無事を願い感謝してきたのです。 よく「日本人は無宗教で宗教や宗派など、どうでも構わないと思っている」などということを聞きますがそれはまったくの誤解です。
「どうでも構わない」のではなく、八百万の神々や諸仏諸菩薩に差別なく頼り切っているからこそ差別観念がないのです。つまり差別意識を必要としないほど「日本教」という宗教の中に溶け込んでいるのです。 それこそ「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の「和」の精神が原点です。
相手の方から拒否されない限り、何であれ誰であれ受け入れるこの寛容な「和の心」。 今日本の「おもてなし文化」に魅了されて諸外国から実に大勢の観光客が来日しています。その「おもてなし」こそ「和」の精神文化なのです。 まさに日本人が世界に誇れる文化であり、益々大切にしていかなければなりません。
その「和」が「絆」となって、阪神淡路の大震災から東日本大震災、そして今回の熊本地震の被災地への共感となっています。 何かできないか、できることがあれば何でも、という気持ちを持った多くの共感者がボランティアとして向かっています。その人達こそまさに菩薩様です。
本音では自分のところでなくて良かったと思う人もいるかもしれませんが、明日のことが分からないのが人生です。 あなたの下に住んでいる巨人はいつ「身震い」してもおかしくない存在ですから、決して他人事とは思わずに被災地の人達に想いを致すべきでしょう。
「あたりまえのことがほんとうは幸せだったことが分かった」という素晴らしい内容の投稿文を見付けましたのでご紹介します。 東京都昭島市のまだ若干13歳の中学生冨高明香里さんの文章です。
「熊本県をはじめとする九州地方で大きな地震が起きた。テレビでは死亡した人数や崩壊した建物が映し出されている。 私はテレビを見ながらふと、被災された方の、地震が起きる前の様子について考えた。友達と楽しく話したり、一生懸命仕事をしたり、私たちと同じような生活を送っていたと思う。しかしこの地震で平和な生活は奪われてしまった。 私たちの身にいつ何が起こるか分からない。もしかしたら、明日死んでしまうかもしれないし、百歳まで生きるかもしれない。 私は急に人生の終わりが来たとしても、後悔しないように生きていきたい。そのためには、今まで当たり前と思っていたことを幸せなことと考えたい。そうすれば、いつも通りの一日も丁寧に大切に生きていけるのではないだろうか。もし毎日を大切に生きたら、絶対に後悔はしないはずだ。 そして、今回被災して亡くなられた方のご冥福をお祈りします。」
道元禅師は、「たとえ七歳の女流なりともすなわち四衆の導師なり」と示されています。 他人を慮る菩提心があれば、老若男女に関係なく、たとえ七歳の女子であってもその者こそあらゆる人達にとっての「人生の先生」だという意味です。
他方、「あの地震が今の時期で良かった」などと発言した大馬鹿国会議員がいました。 次の総選挙の時期のことを考えての発言だったというのですが、普段から私利私欲を大優先にしている本音が吐露されたことに間違いないでしょう。
日本には2000以上の活断層があり、未知も活断層も多数あるといわれます。 いつどこで地震が起こるか分からない地震大国日本なのです。 今回の地震の収束の見通しもなく、南海トラフを誘発するかもしれないという心配もある中、政府はなぜ鹿児島の川内原発を停止させないのでしょうか。
地震の巣である日本列島にある原発はやはり考え直すべきです。 福島原発の炉心のデブリを除去するのは本当は不可能だそうです。毎日400トンの地下水が流入していることも止められない。たとえ廃炉しても無害化には10万年も要すると言われます。使用済み核燃料の安全貯蔵の場所すら決まっていません。
安倍政権は福島原発事故の原点に立ち返り、原発に依存しないエネルギー政策の再構築に取り組む必要があります。 こんなことを言ったところで、所詮我利我利亡者の政治家連中にはまさにカエルの面にションベンかもしれませんけどね。 

■夏休みあれこれ 自然と平和に感謝
八月は日本人にとって俄かに忙しい月です。夏休み、帰省、お祭り、花火大会そしてお盆等の行事などが目白押しです。さらには広島、長崎の原爆の日、終戦記念日もあり国民にとっては多種多様な行事を迎えます。
それにしても一般人にとって一番楽しいのはやはり「夏休み」ではないでしょうか。拙僧も子供の頃は夏休みが楽しみでたまりませんでした。拙僧が育ったのは外房の漁師町で、夏は毎日といっていいほど海で遊んでいました。遊ぶといっても天草などを採って売って小遣い銭を稼いでいたのです。
その小遣いでお祭りを楽しむことが更なる大きな楽しみでした。今では鴨川市になってしまいましたが、拙僧が育ったのは旧天津小湊町です。その町の人は特に祭り好きで、祭りはなんと三日三晩続き、町の人口も何倍にもなりました。
各町内にそれぞれの屋台があり、拙僧も地元の屋台の太鼓を叩くのが一番の楽しみでした。町に只一の神輿がありますが、これがまた凄い神輿なのです。でっかくて兎に角カッコいいのです。見ているだけで血が騒ぎ、心が踊るのです。
この歳になっても不思議とその感動は変わりません。神輿と屋台を見てお囃子を聞くと今でも心が高鳴ります。どこのお祭りのどんな神輿と比べても、心の中で天津の神輿は日本一だと思ってしまいます…バカですね。それは十分自覚しています。
つまり言いたいことは、こどもの頃の経験や感動は幾つになっても忘れないということ。だから子供の時こそいろいろな良い経験をすることが大事だということです。安っぽい言訳ですかね。でも興味のある方は是非「鴨川市天津祭礼」で検索してみてください。
ところで、この夏休み明け近くなると子供の自殺率が特にあがるということがテレビで報道されていました。拙僧もそうでしたが夏休みが終わりに近づいてくるほど気持ちが落ち込んできたものです。でも自殺するにはよほどのイヤなことを抱えているのでしょう。
拙僧は特に何もありませんでしたが、登校するという「義務感」が嫌でしたね。当時は不登校のこどもはほとんどいませんでしたが、いまは、全国でなんと17万6千人ものこども(国公立、小、中、高校だけで)が学校に行けてないとか。
その原因としては、無気力(30,8%)、不安・情緒的混乱(18%)、あそび・非行(10,4%)、そして四番目に、いじめ・友人関係(8,3%)となっています。我々団塊の世代にはこんなことはありませんでした。一学年300人位いたと思いますが、不登校の子供が一人でもいたという記憶がありません。
まだ戦後間もない頃でしたが、当時子供心に「戦後」という感覚はまったくありませんでした。向こう二軒両隣には同級がいました。男の子は学校が終わると徒党をなして野原を遊び回っていました。夕方暗くなるまで遊んでいてよく親が迎えにきたものです。
子供たちはいつもお腹が減らせていたこともあり、子供たちにとって野山にある柿やあけび、木イチゴ、野イチゴ、茱萸(グミ)、桑の実など、食べられるものを漁るのも遊びの大きな要素でした。
時には枇杷や栗を求めて他人様の領地を侵したりして追いかけられもしました。足や手には生傷が絶えませんでした。以前にも触れましたが、当時の子供たちは大自然の精のなかでたくましく育ったのです。実家の前には川があってすぐ先の海に注いでいました。猫の額のような地域で周りは山に囲まれていました。
そんな環境だったので、昨日は川で、今日は山、明日は海でと、ガキ大将の気分しだいで様々な場所で遊んだものです。魚釣りはもちろん、うなぎや川エビや藻屑蟹などを捕ったりしたものです。ですから今でも木登りも泳ぎにも自信はあります。
そんな子供の頃の記憶は楽しかったことばかりです。ただ一つあるとすればそれは将来に対する不安でした。高校への進学率が急激に高まっていた時代で進路に対する葛藤は今でも忘れません。
いまの子供たちの素質が昔の子供たちの素質と違ってしまったとは考えられません。昔なかったアトピーやアレルギーが増えたのは、子供たちの生活環境が自然の摂理にそぐわなくなってしまった結果なのです。このことは以前から指摘してきました。
不登校だけに留まらず、大人になっても閉じこもりになるのは、人が人らしく生きられる環境ではないということです。人間以外の動物には閉じこもりなどありません。動物が動物として当たり前の環境のなかで生きているからです。
人も動物だと考えると、人はもっと昔のように動物的に生きるべきではないでしょうか。動物的になれば、無気力も不安も情緒混乱、非行、いじめなど起こりません。人は霊長類で動物の進化の先端にいるという奢りの中で環境が異常になってしまったことに気が付かないのです。
人も動物である以上、おかしな環境にいれば病気になるのは当たり前です。食生活環境が悪いから生活習慣病になるのです。心の環境が悪いからいじめや引きこもりが起こるのです。大自然の動物には生活習慣病も引きこもりもありません。動物は大自然の摂理の中で生きているからです。人もまさに動物だという自覚が大事です。
さて、あと8月と言えば原爆の日と終戦記念日です。毎年やってくる記念の日ですが、戦後71年目を迎えアメリカの現職大統領として初めてオバマ大統領が被爆地広島を訪問しました。
核兵器廃絶へ向けた歴史的一歩として歓迎する声は日本の内外にあがりましたが、その一方で、日米の様々な立場の人たちが、謝罪すべき、謝罪すべきではないといった議論もありました。
原爆投下の正当性に関する両国民の世論については、アメリカの調査機関が同時に行った最近の意識調査があります。日本人で原爆投下が「正当化される」と回答した人は14パーセントだったのに対して、アメリカ人では56パーセントと半数を超えていました。
しかし、「正当化される」と回答したアメリカ人の割合は確実に減ってきています。1945年のギャラップ社調査では85パーセントが「正当化される」だったのに対して、91年の調査では63パーセントに落ちました。この先さらにこの割合は低下するだろうと思われます。
それにしても日本人の回答者の14パーセントが「正当化される」と回答したのには驚きます。どこの社会にも一割は「変わり者」がいるそうですから、割合から言えばそんなものかもしれません。
広島が14万人、長崎が7万人というのが日本で広く引用されている死者数ですが、広島のこれまでの原爆が原因による死没者は、2008年8月6日現在で25万8310人とされています。しかし実際には現在でも正確な数はつかめていないそうです。
それにしても、いくら戦争だからといっても核兵器だけは使ってはいけません。原爆の威力、恐ろしさを知っていて使ったとしたら如何なる言訳も許されません。ドイツがユダヤ人虐殺を認めたからドイツはヨーロッパから許されたとして、日本も南京虐殺を認め戦争犯罪を認め謝罪しろと執拗に迫る隣国がありますが、アメリカの原爆と東京大空襲こそ大虐殺ではないでしょうか。
オバマ大統領の広島演説はまだ自国の国民感情に配慮した内容になってしまいましたが、近い未来アメリカは必ず日本に謝罪する日がやってくると拙僧は信じます。
八月十五日は終戦記念日であると同時にお盆です。十二月八日は開戦日であると同時にお釈迦さまの成道会です。日本国民にとってまさに国教ともいえる仏教の開祖お釈迦さまがお悟りを開かれたその記念の日に日本は真珠湾攻撃をして開戦したのです。
結果310万もの日本人が犠牲となりました。なんという因果か、拙僧は毎年この両日を迎えるたびに、お釈迦さまが戦争だけは二度とするなと言っているような気がします。イヤ全国民が戦争の反省と平和への誓いをあらたにする日にすべきです。  

■御征忌焼香師報告 両個の月
私事ですが、去る10月13日、本年度大本山総持寺御征忌法会に焼香師として、上山してまいりました。「御征忌」とは、御開山瑩山(けいざん)禅師御命日供養を中心として、二代様以下各禅師さま方の報恩供養法要のことで、毎年十月に四日間に亘って修行される一大行事のことです。
焼香師の御案内を頂いたとき、正直あまり気が乗りませんでした。それは、自身にそれに足る素養と資格があるか自信がなかったからです。しかし、思えば今こうして一介の住職を務められているのも大本山総持寺での修行から始まったものであり、その御恩は計り知れません。
曲がりなりにも宗侶としてこれまでやって来られたのもまさに大本山をはじめ曹洞宗、宗門のお蔭様なのです。そう考えたとき、今回の御縁は恐らく今後二度とない報恩の好機とも言えるものです。そこでこの縁由に我が師先代住職の報恩忌を併せて修行させていただくことで決心いたしました。
さて、日本曹洞宗は、言うまでもなく鎌倉時代に永平寺御開山道元禅師によって南宗から日本に齎されたものです。その曹洞宗が今日までに日本全国に凡そ一万四千五百ケ寺院を擁する日本最大の仏教教団に成長したその礎は道元禅師から四代目の大本山総持寺御開山瑩山禅師に始まっているのです。
曹洞宗ではお釈迦さまを御本尊として、永平寺御開山道元禅師と総持寺御開山瑩山禅師のお二方を「両祖」と仰ぎ、「一仏両祖」として仏壇にお祀りしています。ですから、曹洞宗には永平寺と総持寺を「大本山」として同格に位置付けているため、所謂「総本山」というものはありません。
道元禅師から懐弉禅師、義介禅師そして瑩山禅師に受け継がれた仏法は、遡れば南宗の如浄禅師を経て慧能禅師に行き、さらにそこから達磨大師を経てお釈迦さまに至るまさに正伝の仏法です。
その瑩山禅師の教えを受け継ぎ、今日の曹洞宗の基盤を形成する偉大な功績を遺されたお方が、総持寺第二代峨山韶碩(がさんじょうせき)禅師なのです。瑩山禅師下には、峨山禅師と並んで二神足と尊称された明峰素哲禅師がおられます。
この両禅師の会下より傑出したお弟子方が多く育ち、全国各地に布教の拠点を築きました。峨山禅師のもとからは特に「五哲」、または「二十五哲」と称せられる優れた門弟子が育ち、さらにそれぞれのもとより多くの弟子が全国に進出し今日の一大仏教教団曹洞宗が形成されるに至ったのです。
此度の御征忌のなかで拙僧の務めた法要がその「五院二十五哲献供諷経」でした。恥ずかしながら愚僧の拙い香語を紹介致します。
両箇月圓諸嶽山 (両箇の月圓かなり諸嶽山)
須知月落不離天 (須ず知るべし月落ちて天を離れず)
賛仰廿五哲功勲 (賛仰す廿五哲の功勲)
一炷心香奉真前 (一炷の心香真前に奉ず)
ある夜、師瑩山禅師は弟子の峨山に問いかけました。「汝(峨山禅師)、月に両箇あるを知るや。」そのように尋ねられても、眼に映る月を唯一の存在だとしか理解できない峨山は言葉の意味を理解することができませんでした。
瑩山禅師は、「月に両箇あることを知らざれば、宗門の仏法を嗣ぐ者にはなれない」と 峨山に一層の弁道精進を指示されました。 「両箇の月」つまり二つの月とはどうゆう意味なのでしょうか。まさに一大公案です。
峨山を優れた法器と高く評価していた瑩山禅師は一層厳しく指導されました。 すでに三年の月日が過ぎようとしていたある夜、寒気の中で、冷たく冴え渡った中で、月の光を浴びて峨山は坐禅をしていました。
彼の心境一段と深まったことを看取された瑩山禅師は、静かに傍に寄り、彼の耳元で指をはじかれたのです。その弾指は大音響となって峨山の心に響きました。
この様子について、諸伝は、「心身湛寂、物我俱忘」と記しています。 その意味は、精神・肉体などすべての執着を離れて、差別のない自由自在の境地に達したということです。
つまり、月と自己、師瑩山禅師と自己という、相対した観念の世界を脱し、あらゆる存在が自己と一体になったまさに対立観念の無くなった悟りの境地を著したものです。
しかし、これは悟境ではあっても、「色即是空」という一面にすぎません。峨山は師の弾指の一喝によって、「空即是色」という現実の世界に回帰されたのです。すなわち、「色即是空」が一箇の月だとすれば、「空即是色」がもう一箇の月だったのです。
お釈迦さまは菩提樹の下で正覚されました。それこそ「色即是空」の大覚醒でしたが、次には樹下の坐を立たれ教導の道に踏み出されました。この心がすなわち「空即是色」だったのです。悟りの世界、すなわち「空」の世界と、現実の世界、すなわち「色」の世界がまさに一体にならなければ真の悟りではないのです。
どんな深遠な悟りであっても、それが日常生活の場で実際の菩提心として機能しない限り、悟りの真価を発揮したことにはなりません。ですから道元禅師は、坐禅のみならず、洗面、洗浄、食事、作務に限らずあらゆる所作に己の全人格を露呈するのが「修行」だと示されています。
師瑩山禅師の示された「両箇の月」の「公案」、その答えはまさに「悟りの月」と、「菩提心の月」だったのです。「両箇月圓諸嶽山」 その両箇がまんまるく諸嶽山総持寺の上に輝いている。「須知月落不離天」 やがて月はお隠れになっても無くなるわけでもなく、菩提心の月はいつでも天に輝いていることを悟らなければならない。「賛仰廿五哲功勲」 その法燈を今日にお伝えされた廿五哲の功勲を仰ぎ敬います。「一炷心香奉真前」 今ここに祖師様方に心をこめてお線香を手向けます。
自己の真源を了得した峨山は、師瑩山禅師より印可証明を受けられた後も、何ら変わることなく修行を続けられました。
やがて峨山禅師の名声の下に全国から多くの修行僧が集まりました。峨山禅師は師の遺された「瑩山清規」(けいざんしんぎ)を基盤として総持寺の発展に尽くされ総持寺は叢林として次第に充実した体制を整えられたのです。
総持寺の第三代には太源宗真禅師が就かれ、その伝燈は廿五哲と尊ばれる祖師方を経て現在に至り、今日の曹洞宗が築かれたのです。しかるに二祖峨山韶碩禅師とその弟子廿五哲と称せられる祖師方の功績は実に計り知れません。
現今の世相の混迷は、人々が「心」を置き去りにして、物の豊かさだけをひたすら追求してきた結果だとも言えるのです。人々が心豊かに幸せに生きるための原点が何度も言うように「菩提心」です。
そのお釈迦さまからのまさに正伝の仏法を今日まで伝え広められた峨山韶碩禅師と廿五哲の祖師様方に対して改めて報恩感謝を申し上げます。 

■年頭所感 トランプ占い
新年おめでとうございます。皆様方のご多幸を祈念申し上げます。お蔭様で当山のホームページも13年目に入りました。本年もよろしくお願い致します。
それにしても今年はどんな年になるのでしょうか。新年早々アメリカではトランプ氏が大統領に就任しました。しかし、就任式から世界各地では数百万人もの反トランプデモが起きました。こんなことは過去に例のないまさに異常な事態です。
「アメリカ第一主義」を掲げ、「協調より国益」を主張して憚らない、実に傲慢で過激なまさに暴君的な人物です。就任から一週間で早速14もの大統領令を出しましたがどれも尋常なものではありません。常識派からすれば黙っていられないところでしょう。まさにアメリカ社会が"分断"しまった感じです。
就任早々の大統領令はどれも非常識的なもので、"トランプ旋風"となって世界中に衝撃を与え戸惑いと不安を引き起こしています。"トランプ旋風"が世界を翻弄する台風の目となり、予測のつかないような荒天が予想されます。
アメリカは、建国以来自由と民主主義を掲げてきた移民に寛大な多民族国家であり、多様性と寛容性が保たれてきた、文字通り「合衆国」なのです。ニューヨークにある世界遺産「自由の女神」には次のような詩が刻まれています。
疲れ果て、貧しさにあえぎ、自由の息吹を求める群衆を、私に与えたまえ。人生の高波に揉まれ、拒まれ続ける哀れな人々を、戻る祖国もなく、動乱に弄ばれた人々を、私のもとに送りたまえ。私は希望の灯りを掲げて照らそう。自由の国はここなのだと。
民主主義国家の象徴的存在として常に世界をリードしてきた筈のそんなアメリカが、今回何故そんな"暴君"を大統領に選んでしまったのでしょうか。確かにロシアのサイバー介入とか、フェイクニュースなどが飛び交ったりして大統領選が「操作」されたという情報もあります。
選挙の投票数の実数ではクリントン氏の方が133万票程上回っていたとか。選挙制度の結果から仕方ないにしても、多くの常識派にとっては受け入れられないところでしょう。彼を大統領として認めないという人も多く、支持率も過去最低の40%台だというのもその表れでしょう。
"分断"の体をなしているアメリカですが、問題はトランプ氏を支持しているその4割の人達の本音こそ今のアメリカが抱えている問題を表しているのではないでしょうか。また、グローバル社会である以上これは単にアメリカだけに止まらない問題だとも言えるのです。
その問題こそ、ズバリ「格差」問題、貧困問題です。アメリカでは、中流層がどんどん消えていて、上か下かに分かれる社会になってきているのです。
その理由は富裕層が猛烈なスピードで収入や資産を増やし、貧困層はそのまま置いてけぼりにされているのです。アメリカの一流企業の経営者の平均所得と、ごく普通の労働者の平均所得の格差はすでに343倍の開きになっているとか。
アメリカの経営者の収入は主に株式で提供される収入です。弱肉強食の資本主義は、「株式至上主義」になってしまっているので、株を持っている者といない者との差が凄まじい勢いで「格差」を広げているのです。
貧困層は、リーマンショック以前よりも増えていて、リーマンショックを乗り越えたのは企業と富裕層だけで、アメリカは「1%の富裕層と99%の貧困層の国」だといわれています。上位1%が持つ資産は、下位90%が持つ資産の総量よりも多いのだとか。
日本でも「子供の貧困」が問題になっていますが、アメリカの「子供の貧困」は日本の比ではなく、アメリカの6歳以下の子供の約60万人がホームレスだとか。親がワーキングプア層で病気や事故で働けなくなると、途端に子供を抱えて路頭に迷うことになるのです。
そしてアメリカは日本以上の学歴社会と化しつつあるので、貧困の子供は貧困であるがゆえに高収入に最初から辿り着けなくなっているのです。貧困は遺伝するので伸し上がれない。アメリカはすでにそんな社会になってしまっているのです。
だから、どの国もグローバル化の中に存続している以上、アメリカで起きていることが、そっくりそのままどの国にでも起こり得るのです。アメリカの現象は着実に全世界を覆い尽くしていくでしょう。
現にイギリスでもフランスでもアメリカとまったく同じ格差問題が起きているのです。イギリスでは2000万人が貧困状態であり、子供の5人に1人がホームレスだとか。若者の失業率も高く、やはり金銭的な問題で大学進学もできない家庭も多く、アメリカと全く同じ問題が起こっているのです。
当然日本も例外ではありません。日本でもすでに6人に1人が貧困という事態になっています。当然子供の貧困も同じです。生活保護の受給世帯数は毎年最多を更新しており、貧困層は着実に増えており、止まることなく、激しい勢いで超格差の容赦ない現実が進んでいます。
働いても働いても這い上がれない非正規雇用。低賃金で結婚もできない。一流会社であっても過労死。希望などもてない、疲れて死んでしまいたいと思うような社会。日本もこれまで以上に苛烈な社会になろうとしているのです。
国際貧困支援NGO「オックスファム」はこの1月15日、世界で最も裕福な8人が保有する資産は、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分に当たる約36億人が保有する資産とほぼ同じだったとする報告書を発表しました。
世界の総資産額ランキングのトップは、言わずと知れたマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏で、その資産は約9兆1千億円だとか。ランキング上位の殆どをアメリカ人が占めています。ちなみに日本人のトップは世界ランキング41位でユニクロ柳井正社長で、総資産額約2兆3千億円だとか。
同じ人間でありながらなんとも比べようもないほどの格差です。産業革命以来世界の経済と富を牽引してきたアメリカが、今では格差社会の"先駆け"となってしまいました。アメリカはこれから先どう舵を切るのでしょうか。
そんなアメリカが今求めているのは「変革」です。只の変革では意味がありません。よほどの変革でなければ何も変わらないことを国民はわかっています。そんな中出現した"暴君"トランプ氏に多くの人が期待を寄せたとしても不思議ではありません。「背に腹は代えられぬ」…自由と民主主義の旗頭としての誇りはもう要らない。今のアメリカはそこまで追い詰められてしまったのでしょうか。
「衣食足りて礼節を知る」ということわざが日本にあります。人は生活の安定があってこそ礼儀や道徳心を弁えることができるということですが、貧困がグローバル化するなかで、世界から正義や礼節が失われていくのでしょうか。
国家国民の運命はその国の為政者に託されます。トランプ氏が「自由の女神」の精神を知らないとは思えません。問題はトランプ氏ではなく、彼を選んだアメリカ社会に問題があるということです。
ただ言えることは、人であれ国家であれ、独り善がりでは絶対に良い結果にはなりません。トランプ氏にも国民にもアメリカの誇り「自由の女神」の精神をもう一度考えてみて欲しい。
さらに、その謳われている精神こそ、仏教精神「慈悲の精神」まさに「菩提心」と一致していることを、すべての国の人に知って欲しいものです。 
 

 

■反菩提心 自分ファースト
相変わらずアメリカを中心にトランプ旋風が吹き乱れています。アメリカの分断は一層深まっています。日本にとっても他人事ではありません。もう少し「トランプ占い」をしてみましょう。
トランプ大統領の就任演説は、従来の大統領の演説に比べて、型破りのものでした。アメリカの理想を語らず、民主主義の大切さにも触れず、「アメリカ・ファースト」を連呼したからです。
もちろんアメリカの大統領ですから、アメリカを大事に思うのは当然ですが、よその国はどうでもいいという感じがありありの演説でした。自国(アメリカ)さえ良ければ、他はどうでもいいという「アメリカ・ファースト」。
自分を支持する人だけがアメリカ人であり、自分にとって不利になるものはすべて排除するというのは「自分ファースト」であり、まさに「利己主義」です。
前回、アメリカの「自由の女神」の精神は、仏教の「慈悲の精神」である「菩提心」に通じていると述べました。「菩提心を発(おこ)すというは、己未だ度(わた)らざる前(さき)に、一切衆生を度さんと発願し栄(いとな)むなり」(道元禅師)
ひとことで言えば「自分よりも先ず他人のために」というのがすなわち「菩提心」です。その精神から言えば「利己主義」はまさに「反菩提心」と言えるのです。
トランプ氏の言動はまさに「反菩提心」です。 世界一強大な権力を手にし、客観性を欠く発想で、人種、国籍、宗教などさまざまな立場によるレッテルで、人権を制限する命令を発しています。
しかも入国を制限した7カ国は彼のビジネスが展開されていない国ばかりとなれば、何をか言わんやです。国内はもちろん世界中から反発を浴びるのは当然です。まさに「利己主義」そのものです。
大統領就任式では、最高裁判所長官の言う通りの宣誓の文章を読み上げます。宣誓の最後は「神の御加護を」の言葉で終わります。アメリカはキリスト教の国として建国されたからです。アメリカの紙幣には「私たちは神を信じる」と書いてあるほどです。アメリカ大統領にはそんな矜持が求められるのです。
トランプ氏の「アメリカ・ファースト」は、その実「自分ファースト」なのです。人の話を聞こうとしない、真実に目を向けようとしない、自分さえ良ければいい、他人は後回しというのは「利己主義」であり「我欲」以外の何物でもありません。
「我欲」は煩悩の中の三悪道、貪・瞋・痴の貧(とん)に値します。「貧」についてはこれまで何度も触れてきたことですが、人が不幸になる最大級の「悪業」「悪徳」なのです。
そんな我欲に満ちた「自分ファースト」ですから公私混同なんのその、トランプタワーに住むメラニア夫人や家族の警備に、ニューヨーク市当局は一日50万ドル(約550万円)もの経費を負担しているとか。
就任約一ヵ月でフロリダの別荘に3週間滞在した経費が約一千万ドル(約11億円)とか。トランプ氏の一家の警備などにそんな巨額の公費が投じられたのです。その中には安倍総理が仲良くゴルフをして過ごした経費も入っています。
歴代大統領が利用してきたワシントン近郊の大統領山荘キャンプデービットや周辺のゴルフ場を使うべきでしょう。国民の税金を少しでも無駄に使わないというのが「アメリカ・ファースト」ではないでしょうか。
トランプ氏の「自分ファースト」から出てくるものはどれも今までアメリカが築き上げてきた民主主義の精神に反するものばかりです。連邦裁判所の判断を批判したり、前オバマ大統領が目指した反軍拡や非核の方向とは真逆の方向に進もうとしています。
最近なんと核戦力増強論まで唱え始めました。さらに、年間軍事費を540億ドル(6兆円)規模増額しようとしています。その額日本の年間防衛費の額とほぼ同じだとか。そのために福祉や補助金が削られたら「格差」は一層進むだけです。
常識人であるほど良識があります。ましてや世界をリードするアメリカの大統領ほど高い良識と見識が求められる地位はありません。アメリカの「良識」が、トランプ氏の得意とする「You are fired!」(おまえは首だ)と彼に引導を渡すのはいつになるのでしょうか。
仏教の因果の教えを知らなくとも「悪い事をすれば悪い結果が返ってくる」というのは論外の常識です。そんな常識のない大統領と馬が合う安倍総理も同じような「自分ファースト」で「利己主義者」なのかもしれません。
大歓迎され「ドナルド、シンゾウ」などと呼び合う程親密な間柄になったと自慢して帰ってきましたが、同じ「自分ファースト」でも相手は格が違います。トランプ氏からみたら、日本の総理など煽てて利用することしか考えていません。親密になるほど相手からの要求は断れなくなるのです。
衆議院議員の亀井静香氏も「トランプ氏が『「米国中心』の主張を変えたら大統領でいられなくなる。安倍総理がゴルフで仲良くするのはいいが、トランプ氏が日本に対して手を緩めることはない。『米国を受け入れてもらい感謝する』と言ったが、それなら『この際基地や日米地位協定の問題を解決しよう』と突っ込んでいかなきゃいかん。それが交渉術というものだ。『トランプさんのおっしゃることは全部ありがたい』というのはばかげている。」と言っています。
トランプ氏は「フェイクニュース」、つまりウソのニュースで大統領選に勝ったようなものです。その手法は大統領になってからも衰えません。ウソを平然とつき矛盾を指摘され、多くのマスコミを敵にしても憚りません。
ウソは本人が一番自覚しているのです。仏教の戒律に「不妄語戒」があります。ウソは四番目に重いという戒律です。ウソはドロボウと始まりとも言いますが、ウソを平然とつける人は確信犯的な悪人です。
それに似たウソを平然と主張する為政者は日本にもいます。トランプ氏の子分になった安倍総理です。安倍総理は「テロ等準備罪」がなければ東京五輪を開けないと主張していますが、野党は、いまある法律でも対処できると反論しています。日本弁護士連合会も、「テロ対策は既に十分国内法上の手当てはなされており、共謀罪の新設は必要がない」と主張しています。
「テロ等準備罪」というネーミングになっていますが、それは過去3度も廃案になった「共謀罪」というまさに天下の悪法の焼き直し版なのです。安倍総理はまさに“4度目の正直”を目指しているのです。
政府は東京五輪テロ対策と言っていますが、それは、国家による国民の監視や盗聴の強化が目的であり、憲法で保障する表現の自由など基本的人権をないがしろにする実に恐ろしい悪法なのです。
安倍さんの目指すのは戦前の体制と同じような国家主義です。国民は国家のためにあるというのが国家主義で、それはまさに立憲主義とは真逆にあるものです。国民を「人間の盾」にし「人柱」にするのが「国家主義」です。
そういえば、太平洋戦争で戦死した兵士に国から与えられた戒名の多くに「国柱院〜」が付けられていますが、「国の柱」の意味が皮肉にも「人柱」だと解釈されてもおかしくありません。そう思うと亡くなった兵士はとても哀れで浮かばれません。
安倍政権は、「安保法制」や「特定秘密保護法」を次から次へと数の力で押し切ってきましたが、その目的はまさに戦争をし易くするためです。「共謀罪」はその「総仕上げ」になるのです。
「共謀罪」は日本が法治国家でなくなる危険性をはらんでいるのです。絶対に阻止しなければならないのです。 誰が、いつ、どこで何をたくらむのか。四六時中、網を張り巡らせて国民を監視するための法律です。
国民は見えない壁に囲まれつつあるのです。見えていないから国民は抵抗しません。この忌わしい壁が見えるようになるのは、実際に紛争や戦争が起きた時なのです。その時はもう完全に手遅れなのです。我々国民は今こそ平和ボケしている暇ではないのです。 

■諸行無常 桜から学ぶ人生観
当山のさくらも駆け足で過ぎ去り、今や藤がその後を継いでいます。さくらから藤やサツキへとまさに「諸行無常」が引き継がれています。
四月に入って、東京地方から桜の情報が続々伝わってきたのに、どうしたわけか今年に限ってここ房州館山のソメイヨシノは開花が遅くまだ2〜3分咲きといったところでした。
桜花のこの時期日本中が桜の話題で溢れかえります。桜前線や花見情報が毎日のようにニュースになるのも、妙に心がウキウキしてくるのも日本人だからでしょうか。
桜は日本人に最も愛されている花と言っても過言ではありません。しかし今では桜の人気は世界的になっています。敢えてこの時期日本の桜を見にわざわざやって来る外国の観光客は年々増えているそうです。
今月の初め、ある檀家さんご夫妻から誘いがあって東京の新宿御苑までわざわざ花見に出かけてきました。新宿御苑といえば、拙僧の記憶からすれば東京にいた学生時代に行ったことがあるきりで、それ以来だとすればおよそ45年振りのことでした。
どんな場所だったかほとんど覚えていませんでしたが、改めて見る広大な庭園の様々な景観と草木の調和のとれた美しさに心が癒されるおもいでした。特にソメイヨシノは丁度満開でその絢爛な美しさには改めて感心させられました。
一部ではすでに散り始めていましたが、さくらの種類も色々と沢山あるので、さくらの旬はまだまだ続くようでした。言うまでもなく、特にソメイヨシノの人気は高く、桜といえばソメイヨシノといった感があります。
桜に見とれながら何故それほど人気があるのかをちょっと考えてみました。絢爛な美しさは勿論ですが、その花の命の短さに魅力があるのかもしれません。パット咲きパット散り往くその潔さに人は人生観を重ねるのでしょうか。
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」(親鸞聖人) 今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない。
人の命を桜の花に喩え、「明日自分の命があるかどうかの保障などない、一夜のうちに何が起こるかもわからないのが人生。だからこそ今を精一杯に生きなければ」との思いが込められています。
私たちは当然のように自分には明日が有り、明後日も、そして10年先、20年先もあるように思っていますが、その保障は無いのです。人生「一寸先は闇」なのですから、今を大切にすべきなのです。
ごく最近のことですが、檀家さんで自宅で倒れ急に亡くなった方がいます。しかもなんと3件も続いたのです。それぞれ50代、70代、80代の方ですが、ご家族のショックは大変なものでした。誰よりも驚いたのは当の本人かもしれません。お別れや感謝の一言も交わせずいきなり黄泉の国に旅立ったのですから、こんな不幸はありません。
死因は後で分かるのですが、その多くが生活習慣病です。病気にはどれも「未病」の段階があるわけですから、自分の健康状況を普段から把握しておくことが如何に大事かということです。
健康と病気の関係も当然因果応報の理(ことわり)ですから、健康に対する意識を高め、「病気にならない生き方」を学ぶことで、「未病」の段階のうちであれば突然死はかなり避けられると思います。何度も言うように、健康なくして幸福はありえません。
確かに人に与えられた命の時間には限りがあります。いつかは必ず死ぬわけですが、気を付けるかどうかで寿命は大きく違ってきます。「諸行無常」の中で自分の命を如何に大切にするかは本人次第なのです。
「諸行無常」の理を知ることで自分の命と真剣に向き合うことができます。「いろは歌」は見事に諸行無常の人生観を謳っています。
いろはにほへど ちりぬるを
わがよたれぞ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみじ ゑひもせず
(さくらの花は今を盛りと咲き出しているが、やがて散ってしまう。それと同じで、この世に誰がつねに変わらずありつづける者があろうか。この有為の奥山を今日こそのり越えて、彼方の理想の世界に行こう。そこではもはや、浅はかな夢を見ることもなく、酔いしれることもない)

昨日まであんなに綺麗に咲き誇っていた桜が今日はもう散り始めている・・・ この今絢爛に咲いている桜もあと何日もつのだろうか・・・桜花の寿命は大変短いけれど、見事に命を全うさせている・・・人の命は長いようだけれども、自分の生き様はどうだろうか・・・
浅はかな夢を持つのをやめて有為の奥山(諸行無常)を悟り理想の世界を目指そう・・・桜花は僅か数日間でパッと咲いてパッと散ることで「有為の奥山」を見事に「越えて」いるではないか・・・桜花の一生は人の一生からみればほんの一瞬でしかありません。しかし短い生涯の中で見事に「諸行無常」の真如を示しているのです。
桜は、誰かに見せたいとか見て欲しいなどと思って咲いているわけではありません。その場で、ただ与えられた命を精一杯「あるがまま」生きて命を全うしているのです。だから人は皆その美しさと潔よさに感動するのでしょう。
私事ですが、自分もこの4月16日で古希を迎えました。これまでの人生を振り返ってみたとき、どれ程のものだったのだろうか・・・今日までを顧みると、様々なことが走馬灯のように脳裏を駆け巡りました。
あれから45年、まさに夢の如し。あとそう長くもない人生をどう生き、そしてどう散るのだろうか・・・他人には「諸行無常」をえらそうに説いているが、自分の「無為の奥山」はこれでいいのだろうか・・・
綺麗な桜を眺めながらゆっくり流れる時間のなかでしばしそんな感慨に浸っていました。多忙に追われている日々の中で、ゆっくり花見などした記憶がないことに改めて気付ました。
さて、新宿御苑の魅力は絢爛さばかりではありません。日本庭園の魅力は季節が織りなす「わび」「さび」の景観です。諸行無常を表した「わび」「さび」は茶道の茶庭からきたものです。
「わび」「さび」の感覚とその魅力は日本人にしかわからないなどという時代ではもはやありません。新宿御苑にも実に多くの外国人客が見えていましたが、その凡そ7〜8割方は外国人のようでした。日本庭園を見る外国人の眼差しが日本人よりも真剣なのに驚きました。
日本庭園の美、わび、さびの魅力は異文化を越えて確実に世界に広まっているようです。日本人にとって当たり前のものが外国人からみたらすごく魅力的に感じるものが沢山あるようです。
多くの外国人が日本に来て驚くことに「親切」や「安全」があります。それも文化だと捉えると、その基本となっているのが「神仏を敬う」宗教観からきているような気がします。
よく言う「おもてなし」文化も、神仏を敬いもてなす精神が「お客様」に向かったと考えられます。どんな国であれ民族であれ、その文化の基礎は宗教が母体になっているのですから、その国の文化を知るにはその国の宗教を理解することが大事です。
一神教文化の国からきた人には日本人が神社や仏閣に差別なくお参りすることが理解できないようです。それは日本が多神教文化だということを理解しないからです。
日本人が一神教文化を理解できないのも全く同じ理屈からです。なぜ日に何度も聖地に向かって礼拝するのか、なぜ派閥抗争で自爆テロや紛争が絶えないのか、なぜ酒を飲まないのか、豚肉を食べないのか。なぜ戒律が絶対的なのか。
宗教に優劣はありません。大事なことは異宗教を尊重し異文化を理解し合う心です。異宗教間のテロや紛争などを無くすには相互に理解し合うことしかありません。それには日本文化が大きな参考や手本になれると拙僧は思うのですが。 

■施食会 三界萬霊供養とは
毎年のことながら、7月に入ると新盆家の法事や組寺院の施食会法要の随喜などに追われ、いよいよ多忙な“夏”が始まります。そしてピークの8月の棚経が終わり24日の地蔵盆が終ってやっとようやく自分(坊さん方)の“お盆休み”といったところでしょうか。
さて、浄土真宗以外宗派を問わず住職のいるお寺では大抵施食会(せじきえ)法要が修行されていますが、特に夏のお盆前後に集中しています。当山も毎年8月5日で猛暑のなか大変です。しかし、拙僧がこの寺に来て以来凡そ50年一度も雨に見舞われてないのだけはチョト自慢です。
菩提寺を持つ方なら誰でもその施食法要に出席されたことがあるでしょう。本堂に施食棚が設けられ様々な山海の野菜や乾物が供えられ、三界萬霊に供養します。
三界萬霊といっても供養する相手は主に餓鬼であることから「施餓鬼会」ともいいますが、曹洞宗では、施すものと施されるものの間に尊卑尊賎があってはならないとして1988年の行持規範より「施食会」としています。
三界萬霊の三界とは、欲界、色界、無色界のことです。欲界とは性欲、食欲、睡眠欲など本能的欲望の世界です。色界とは欲界を離れた上にある世界で、物質と形あるものの世界です。
無色界とは色界の上にあり、欲望も物質的な面も超越した精神的な要素のみからなる高度な世界です。そこは心の状態から四段階の「天」に分けられます。その一番上の段階が「有頂天」であり、喜びや得意の絶頂にいて、我を忘れている状態を表す言葉としても有名です。
無色界の上、つまり三界を超越したところに仏様の世界が存在します。三界は、仏界に至らない世界ですから、「解脱」しない限り永遠に六道の中で生まれ変わりを繰り返すのです。これを即ち六道輪廻と言います。
三界はつまり六道輪廻の世界ですから、三界萬霊とはすなわち未だ成仏できていないもの達のことになります。この点の理解が重要です。
だから仏陀は六道輪廻を「解脱」して仏界に入ることを説くのです。六道とは、言うまでもなく三悪趣(三悪道)の地獄、餓鬼、畜生と三善趣(三善道)の修羅、人間、天上のことです。
人間界も天上界も六道ですから即ち迷いの世界です。有情非情の三界の萬霊、それは譬えればガンジス河の砂粒の数ほどもある限りない飢え苦しむものの類であり、それらを雲集鬼神招請陀羅尼の力で施食棚に集め、無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼の力で供養するのです。
では、施食会の因縁について考えてみましょう。釈尊の弟子、阿難(アーナンダ)はある夜静処で坐禅していると、突如恐ろしい形相の鬼が現れました。痩せて咽は針のごとく細く、頭髪は乱れ、爪は牙のごとく長く、口から火を吐く、それは焔口鬼という餓鬼でした。
その餓鬼は、阿難に向かって「お前は三日のうちに死ぬだろう」を告げました。阿難は恐れおののき、釈尊にどうすればよいか尋ねました。
すると、釈尊は、「沢山の食べ物を用意し、三界の命あるものに平等に食事を与え供養することで餓鬼も救われお前の命も救われるだろう」と「施食の法」を示されたのです。(救抜焔口餓鬼陀羅尼経)
施食会には甘露門というお経を唱えますが、その中に施食の意味合いが述べられています。「発心して、あまねく、十方、窮尽虚空、周遍法界、微塵刹中、所有国土の一切の餓鬼に施す、先亡久遠、山川地主、乃至曠野の諸鬼神等、請う来って此に集まれ」われ(阿難)は今決心した。三界萬霊の一切の餓鬼に食を施しますから汝らここに集まりなさい。
「我今悲愍して、あまねく汝に食を施す、願わくは汝各各、我が此の食を受けて、転じ持って尽虚空界の諸仏及聖、一切の有情に供養して・・・」 我今あわれみを以って汝等にこの食を施す。それぞれがこの食を受け、その功徳を一切の諸仏と三界萬霊に回向しなさい。
「あまねく皆飽満せんことを」 三界萬霊のすべてのものが飢餓から解かれ満腹になることを願って。
「亦願わくは汝が身、この呪食に乗じて、苦を離れて解脱し、天に生じて、楽を受け、十方の浄土も、意に随って遊往し、菩提心を発し、菩提道を行じ、当来に作仏して・・・」 汝がこの食を受けて、苦から救われ、天に生まれ楽を受けられればどの浄土にも自由に行くことができる。菩提心を持ち修行すれば来世こそ仏になれるだろう。
「所生の功徳、あまねく以って法界の有情に廻施して、もろもろの有情と、平等共有ならん、もろもろの有情と共に、同じく此の福を以って、ことごとくもって真如法界、無上菩提、一切智智に回向して、願わくは速やかに成仏して・・・」この功徳が三界萬霊のすべてのものに平等に行き渡ることを、この福を以って真如悟りの世界の諸仏諸菩薩に回向となって汝が速やかに成仏することを願って・・・」
「オン サンマヤ サトバン」三界萬霊の命が仏陀と平等になることを願って。
普段でも宗侶が食事の前にお経を唱えますが、読経中箸で5〜6粒程のご飯を取って卓上にお供えします。これを「生飯」(さば)といいますが、これも施食法に由来した所作です。
生飯之偈(さばのげ)
汝等鬼神衆 我今施汝供 此食偏十方 一切鬼神共 (じてんきじんしゅう ごきんすじきゅう すじへんじほう いしきじんきゅう)
ついでに申せば、食事の最後に折水之偈(せっすいのげ)という偈文を唱えます。食事が終わると、鉢(食器)に白湯(さゆ)を注いでもらい、使った全ての食器をその白湯で洗い、洗い終わったその白湯の半分を飲みます。
そして、最後に残り半分の白湯を桶に空けますが、その所作を「折水」(せっすい)と言います。その時に唱えるのがこの偈文です。
我此洗鉢水 如天甘露味 施与鬼神衆 悉令得飽満 (がしせんぱすい にょてんかんろみ せよきじんしゅう しつりょうとくぼうまん オンマクラサイソワカ)
どれも意味は説明するまでもなく語感から察知できると思います。修行の食事はまさに施食の精神を以って頂くのです。施食会の回向文に、「無尽法界一切の群類に回向す。法味に飽満し、正智開発し、広く衆生を度して、同じく種智を円にせんことを・・・」とあります。
この功徳を一切の群類に回向する。この上ない仏法の醍醐味、ご馳走の味わいが飽き足りるほど満ちあふれて、これを満喫し、それによって、それぞれが本来もっている正しい真理の智慧を開き発こさんことを願って・・・
「無量の煩悩、皆解脱を得、隠顕利益し、同じく種智を円にせんことを・・・」 貪・瞋・痴の三毒をはじめ、傲慢・疑い・邪見などの、一切の煩悩から解きほぐされ、解脱し、今生きているものも既に亡くなってしまったものにもそのご利益が及び、仏の智慧が全てのものに行き渡らんことを願って・・・
仏法という、この上ない、ご馳走を飽くまで満喫することによって、誰もがみな正しい智慧を開き起こし、量り知れない煩悩による心の穢れが、解きほぐされて、今は亡きものも、この世にあるものも、幸せに恵まれて、同じように仏の一切の智慧を円にそなえられて、成仏できますように・・・これがまさに施食会の精神です。 

■大本山永平寺の旅所感
11月4日から大本山永平寺に2泊3日の団参に行ってまいりました。4日早朝にバスで館山を出発して一路永平寺を目指し、4時前に入山し、DVD視聴や法話での研修、翌朝は3時起床で坐禅と拝観、大本堂での先祖供養の法要等を終え、団員29名一同霊験あらたかな気持ちで下山しました。
次のお参りは伊勢神宮です。伊勢鳥羽までは長距離でしたが、本山での“修行“の解放感からか、バスの中では早速盛り上がり、まさに宴会状態になりました。お伊勢さまをお参りしてホテルに到着、その夜の宴会もさらに盛り上がり、これも本山での研修の“御利益”なのかと思いました。
若い修行僧のキビキビした動作を目の当たりにし、厳しい修行の現実を体感し、法話や実際の坐禅体験や質素な食事や作法を通して、たった一泊での研修でしたが、「良い経験をさせていただきました」という正直な言葉を何度も聞きました。
一年ほど前から計画した旅でしたが、当初は参加者もなかなか集まらず中止も考えた程ですが、総代さん達の励ましでなんとか実行できたことに感謝いたします。
バスの中で拙僧自身の修行時代のエピソードなどを話しましたので、それを少し綴ってみたいと思います。本山は朝が早く行事に追われ、緊張感から一日がとても長く感じられるのです。若い時の経験は忘れないものです。厳しかったことや悔しかったことはいろいろありますが、その中で感じたことの一つに、人間の体の対応能力があります。
朝食は粥と胡麻塩とたくあんのみです。昼食は粥がご飯になり、みそ汁と野菜の料理が一品、いわゆる一汁一菜です。夕食になると一菜が二菜になるだけです。団員の皆さんは出された料理の質素さに驚きますが、実はそれでも修行僧の食事と比べたら大変な“ご馳走”なのです。
修行で上山する前に言われたことは「脚気になるけど気にするな、必ず治るから」でした。確かに間もなく脚気の症状が現れました。脛を押すと、ペコット凹むのです。しかし、他に体に特に異常を感じることはありませんでした。
ただ、質素な食事のためか、何時も空腹感がありました。カロリー不足からでしょう。食事は、粥やご飯はおかわりできますが、2回までです。全員が一斉に食べ始め、終わるのも同時でなければなりませんので、遅れないように必死で食べました。
本山では基本的には自分の居場所は僧堂のなかの畳一畳だけです。そこで坐禅をし、食事をし、そして寝るのです。普段行事の合間は看読寮という大部屋に控えています。そこでの居場所は序列が決まっています。それは上山した順です。年齢も学歴もまったく関係のない縦の世界です。
そんな環境の中で、自分一人になる場所などありませんが、一つだけあります。それは東司(トイレ)です。ある時何かのことで、個人的に差し入れに羊羹をいただいたことがありました。しかし、大部屋のなかで自分だけが何かを食べることなんてとてもできません。
ですから、もし何かをこっそり一人で食べるには場所はトイレしかないのです。普段から空腹感があるといいましたが、一本の羊羹をまさにバナナのように食べられました。今では羊羹など一切れ食べるのがやっとですが、当時は普段からそれほどカロリー不足だったのでしょう。
話しついでにもう一つお話ししますと、看読寮の修行僧には日替わりの配役がありますが、その中で直堂(じきどう)という、いわば学校でいう日直のような当番があります。その直堂には当番と加番と毎日2人づつ日替わりで当てられます。
全員が法堂(はっとう)に朝の勤行に行っている間、留守番と各部屋の掃除をします。そんな中、ある役寮さんの部屋を掃除していたら、一つの壺が目に留まりました。興味本位に蓋を開けてみると、白い塊のような物が入っています。
悪いことだと思いながらそれをちょっと舐めてみたら、なんと砂糖だったのです。とっさにその塊の数個を口に頬張ってしまいました。あとでその行為がバレはしないか心配しましたが、何もなくホットしました。
一度きりのことですが忘れもしません。それだけ低血糖で飢えていたのでしょう。でも、多分その部屋の役寮さん自身も普段の空腹感に備えてのモノだったのではないのかと、あとあとそう思いました。
さて、話は戻りますが、しばらくしたら言われた通り脚気の症状が無くなりました。考えてみるに、人の体というものは、食べた物の量が少なければそれなりにそれを最大限に活用する能力があるのだろうということです。
何かの本で読んだ記憶がありますが、禅僧の修行道場での食事の内容について某大学がその栄養価について調査した結果、栄養学的にはとても不足していて、栄養失調にならないのが不思議だといった記事がありましたが、まさに人の体には学問的な理屈を越えた潜在的な能力があるのではないでしょうか。
以前、法話のなかで、「人類は十数万年もの間、飢えと寒さへの対応能力を身に着けてきたが、その反対に食べ過ぎに対する能力は身に着けられなかった。人が満足に食べられるようになったのは極最近のここ100年程のことである。そんなことから起こる現代病の代表格が糖尿病である」といったことを述べたことがあります。
全くの私見ですが、本山や修行道場での食事が栄養不足といわれるなか、空腹感に苛まれながらも、脚気の症状がなくなったり、栄養失調症にならずに修行に耐えられるのも、そんな人類が太古から身に着けてきた対応能力によるものではないでしょうか。
「ここは娑婆じゃないんだ」という言葉を何度聞いたことか。全てが理屈抜きの世界であり、先輩から言われたことは「命令」であり、「上官の命令は天皇陛下の命令」だという、日本軍隊に似た感じがありました。
ある役寮さんから聞いた話で今でも覚えていますが、明治時代日本が欧米の列強国に劣らない軍隊を作るのにモデルにしたのが禅宗の修行道場の制度だったというのです。なるほど、そういえば先輩の修行僧のことを「古参」と言いますが、軍隊でも先輩のことを「古参兵」と呼んでいます。
永平寺にはこれまで常に200人もの修行僧がいたそうですが、このごろではその数も減り130人程だそうです。これも少子化によるものだとのことです。普段から多忙な上に修行僧が少ないということは、一人一人に課せられる任務や負担が増すので修行僧も大変です。
確かに日本の少子高齢社会の影響は坊さんの世界にまで及んでいるのが実態です。事実、後継者のいない寺院が増えたり寺院の合併や解散も進んでいます。これは他人事ではなく、拙僧自身後継者不足で悩んでいます。どなたか道心のある方がいたら自他薦を問わずご紹介ください。
ところで、他方修行道場には外国籍の修行僧が増えているのも実態です。宗教には国境がありませんし、宗教は人を選びません。確かに仏教の開祖の仏陀も、禅の達磨大師もインド人です。仏教・禅も日本人の特権ではないことを時代の流れは表しています。
仏教・禅を求めて日本に入ってくる人も増えていますが、その逆に日本から諸外国への布教の波も実は拡散しているのです。この現象は全ての宗派にいえることですが、曹洞宗も、海外特別寺院や布教センターが、ハワイに10ヶ所、北アメリカ52カ所、南アメリカ14ヶ所そしてヨーロッパには45ヶ所、都合120ヶ所ほどにもなるのです。
そんな中の一つ、ブラジル・サンパウロ市にある曹洞宗両大本山南米別院仏心寺から先日寺報が届きました。その仏心寺住職采川道昭(さいかわどうしょう)老師の挨拶文の中の「禅の二元論」がとても分かりやすいと思いました。 

■廓然無聖 対立観念のない世界
前回、ブラジル・サンパウロ市にある曹洞宗両大本山南米別院仏心寺から届いた寺報の中で、御住職采川道昭老師が説明されている「禅の二元論」がとても分かりやすいと述べました。そのご紹介から始めましょう。
「ある日の夜坐(夜の坐禅)の後に、達磨廓然(だるまかくねん)の話(わ)について女性が質問に来ました。彼女は多くの坐禅参加者と同じく、まだ独参(どくさん)に来る機会がなかったので今がチャンスと私を呼び止めたのです。
彼女は『廓然無聖』(かくねんむしょう)について納得がいかないというのです。この身体(からだ)や世界は聖なるものであるのになぜにそれを否定するかと言うのです。それに対して私は、その聖なるものであるというのは、人間であるあなたの頭が作りだした観念でしかないと答えたのですが納得がいかなかったようでした。
それで、『世界は人間の好悪や善悪などの意見をつける以前が根本にあるのではないですか。頭のはたらきが作り出した二元対立以前が根本にありますよ。言葉は二元対立の中にあるので「無聖」という表現で聖を否定する方法で説いていますが、本当は聖の反対(凡)も否定しており、更には無聖も否定しています。
つまり二元のどちらかを取る人間の頭のはたらきを超えた世界を表しているのです。生まれた赤子には対立は無いのに、名前を呼ばれながら成長するということは対立概念を植え付けられるということであり、やがて人々はこの対立の中でしか考えを進められなくなってしまっています。
つまり幻の自他、内外、主客などが疑うべからざる確たるものとして存在していると信じてしまっているし、社会もその上に成り立っています。しかし、世界は、宇宙は対立を飲み込んでいるのが実相ではないですか。』と言うと、ああ解った!と満面の笑みを浮かべて喜びを表しました。周囲にいた彼女の友人もそうだそうだと相槌を打って、実相は頭のはたらき以前の世界にある(実相無相)ことを確信して喜んでいる様子でした。
後で解ったことですが、傍にいた友人の女性は哲学科専攻の修士課程で学んでいる人でした。哲学は言葉や観念を重んじる学問ですから哲学をする人は一般の人々と同じく二元対立の中にどっぷりと浸かっているのだろうと思っていたのですがそうでもありませんでした。
天国と地獄、神と悪魔、善と悪、そして我(自己)と他などを揺るぎないものとして存在していると信じている二元対立の最たるものであるキリスト教世界にあっても、二元を超えた世界、実相に目覚めるという救いの道があることに気が付いている人々が増加していることを感じ、坐禅のすばらしい効力をさらに認識し大いに嬉しくなったものです。合掌」
「頭のはたらきが作り出した二元対立」・・・この「二元対立」を拙僧は自身の法話のなかでは「対立観念」として縷々説明してきたところですが、この采川老師の「二元論」とまったく意を同くするものだと思います。
あと、「独参」をされていることにも興味を持ちました。曹洞宗では普通独参はしないからです。独参とは、参禅者が師家と直接対面し公案を通して指導を受けることです。主として看話禅(公案)を旨とした臨済宗系が行っているものですが、ご老師の独参の内容にいささか関心のあるところです。
釈尊のお悟りを三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)で表しますが、その中の「諸法無我」を説いたのが「非二元論」といえるでしょう。人間は自我意識のお蔭で二元論という対立観念を抱えてしまっているのです。この対立観念のない世界こそが「諸法無我」なのです。 (拙ホームページ法話の「諸法無我」(平成17年7月)を参考にしていただければと思います。)
「達磨廓然」とは、禅宗の祖録「碧巌録」と「従容録」の中にある公案で、達磨大師と武帝との問答を著した話(わ)ですが、この公案はまさに「諸法無我」の実相を主題にしたものです。武帝とは、中国の南北朝時代にあった梁という国の仏教に大変帰依していた王様のことです。
武帝は、「自分は即位以来、多くの寺を建立し、多くの僧侶を育て、自らも持戒清浄につとめ仏法修行に精進しているが、はたしてどんな功徳があるのか」と達磨に問いかけます。ところが、達磨はそっけなく「無功徳」、つまり「何の功徳もありません」と答えたのです。
武帝は、心のうちに何らかの善果を求めて精進されたのでしょうが、それを「無功徳」だと言われたのです。常識的には理不尽で理解できません。言うまでもなく、仏教は善因善果、悪因悪果の因果応報の教えであり、「修善奉行」(善業を修めなさい)「諸悪莫作」(悪い事はするな)に精進せよと説いているからです。
仏教の大帰依者でもある武帝にしてみれば達磨の言った真意がまったく解りません。称賛の言葉を期待していた武帝にとってさぞショックだったでしょう。増上慢の鼻先をへし折られましたが、さすがは武帝改めてお尋ねします。
「では、佛教の真義、仏法の根本とは一体何であるか」と質問したのです。この世の実相は、からりと晴れた青空のようなもので聖とか梵の分別は無く、からりと晴れわたった虚空のごとく、聖と名づけられるものなどないというのです。
武帝はこれ又その意味が理解できません。「無聖」を「聖者無し」ととらえたのでしょうか。それでは「朕に対する者は誰そ」(私の前にいるあなたは一体誰ですか。)
この質問に対する答えが「不識(ふしき)」です。不識とは単なる「知らない」という意味ではありません。不識の不は、不思量・非思量の不であり、「思量できる存在ではない」という意味です。「思量すること不可能」これをすなわち「不思議」と言います。
「廓然無聖」と「不識」とは、まさに異語同意なのです。ここがこの公案の核心です。この二つが解れば「無功徳」もしかり。「廓然無聖」のなかに功徳なんてものはありません。だから達磨は武帝の“善業”を「無功徳」と喝破されたのです。武帝にはまだそこまでの力量がなかったということでしょう。
そもそも果報や見返りを期待して行う行為だったら、厳しい言い方かもしれませんが、偽善行為に他なりません。人や社会の為に尽くし、善人だと思われたいと思う心があったらそれは単なる「名誉欲」に過ぎません。名誉欲こそ煩悩の最たるものです。
どんな善業でも「見返りとしての功徳」を“意識”したら、それはただの煩悩です。如何なる行為も須べからく「布施」でなくてはなりません。一切の見返りを求めない心にこそ「功徳」があるのです。
が、しかしですよ、達磨はその功徳さえ否定しています。「廓然無聖」だからです。廓然無聖の中には「真の功徳」などというものさえないのです。ここが実に難しいところですが、この公案を透過できるかどうかはまさにここが勝負です。己さえ悟れば良いとするのが小乗仏教(上座部仏教)ですが、真の悟りには菩提心がなければならないとして仏教は小乗から大乗に進化しました。その菩提心、その心を持つ者を菩薩といいます。
今年8月105歳で亡くなられた日野原重明先生の生き様に菩提心を感じます。先生は、ある時から「これからは人のために生きようと決心した」そうです。きれいごとを言う人はいくらでもいるものですが、先生のそれは本物だと感じました。
昭和45年赤軍派によるよど号ハイジャック事件に巻き込まれ、一時は死を覚悟しながらも生還できたことでまさに人生観が変わったとのこと。「自分は一度死んだ人間」だと思ったとき、「これからの人生は人のために使おう」と決心されたそうです。その思いで生涯現役医師を貫かれたのでしょう。
禅語に「大死一番大活現成」という言葉があります。死を乗り越えて臨んだ修行にこそ、本物の命を悟ることができるという意味です。死を覚悟したことで先生は命の尊さと価値ある生き方を悟られたのでしょう。
繰り返しになりますが、見返りを求めない生き方が菩薩行であり、人のために生きられる人を菩薩といいます。菩薩は心がけ次第で誰にでもなれるのです。そのお手本を見事に示されたのが日野原先生ではないでしょうか。  
 

 

■師の遷化によせて 善知識に感謝と哀悼
秋もいよいよ深まり秋の風情と秋の味覚を楽しめる時期となりました。当山庫裏先の庭に何本かの甘柿の木があり、今年も多くの実が成りました。柿好きの拙僧自身が30年程前植えたものでこの時期毎日何個か食べています。
そんな柿に小鳥もご相伴にあずかりにやってきますが、ちょっと感心することがあります。それは、自分が啄んで食べる柿を限定していることです。小鳥ですから、一個の柿を一度には食べ切れません。毎日少しづつ食べに来るのですが、前回食べ残した同じものを食べています。
つまり、手当たり次第口を付けるのではなく、自分が食べている柿を最後まで食べてから別のものに手を付けているという、他愛もないことですが、そんな小鳥に妙な「マナー?」を感じますが、小鳥自身はどう思っているのでしょうか。
話ついでに申せば、柿は栄養が大変豊富で健康に良いそうです。「柿が赤くなれば、医者が青くなる」と言われるほどの健康食品としての優れた果物だそうです。
ビタミンCは柿一個で一日の必要量がほぼ賄えるとか。その他各種ビタミン類からカロテン、ミネラルまで、様々な栄養、抗酸化物質が含まれていて、腸内環境の調整から、ガン予防、老化防止などなど、この時期食べないと損するようなものです。
特に二日酔いには効果が高いとか、酒好きの方(拙僧自身も含め)は是非意識して食べた方が良いのではないでしょうか。ただ気を付けることは、身体を冷やす効果があることや、特に干し柿になると高カロリーなので、糖尿病傾向の方などは注意が必要だそうです。
何か、「病気にならない生き方」の内容になってしまいましたが、体に良いものだからといってそればかり食べていたのではむしろ「偏食」になってしまいます。仏教の中道の精神と同じで、食事もバランスが大事です。偏らない食事にこだわることが必要です。
さて、拙僧が若い時から禅の指導を受け懇意にさせて頂いていた“恩師”ともいえる鴨川市龍泉寺住職(東堂)三浦良憲老師が去る10月1日八十七歳にて遷化されました。11日に本葬儀が修行されました。はからずも拙僧奠茶師の命を賜り、感謝と哀悼を捧げさせていただきました。
因みに、今回はご老師との縁と自分自身の昔に想いを巡らしてみました。ご老師との縁は、拙僧がまだ得度する前の十代の頃に遡ります。これから坊さんとして得度する前、坐禅の経験が必要だと言われ、師匠によって東京品川区豊町にある東照寺という寺の寮に入ることになりました。
その寮の名は「同愛寮」と言って、寮費も安価なことから一般社会人もいましたが、主に地方から出てきた大学生で占められていました。お寺は参禅道場でもありますから、寮生は当然毎朝坊さんと同じような坐禅とお勤めが必須です。4時起床、体操、坐禅、勤行、作務(そうじ)、そして食事になります。
何よりも大変だったのは、春、夏、冬の年三度の接心会(せっしんえ)です。接心とは五日間(本来は七日間)坐禅を集中して行う行事のことです。拙僧が入寮したのは四月の春の接心会の前日でした。
その日の夕方、先輩より坐禅の仕方を教わり、食後の席で一人の若い坊さんから、「明朝4時振鈴、接心に入る」と、厳しい口調で告げられました。その若い坊さんこそ、三浦良憲老師だったのです。自信のない拙僧など怖くて近寄れないような存在でした。
坐禅の「ざ」の字も知らない自分にとって、接心とは何か当然分かりません。翌朝から始まった坐禅は段々厳しい雰囲気になっていきました。しかし当初は坐禅にやる気もなく仕方なく座っていたというのが正直なところです。
当時三浦老師はまだ三十代前半で単頭職(坐禅の指導者)にあり、若くて実直な青年僧だったので厳しさは半端ではありませんでした。独参(どくさん)のため廊下に正座して順番待ちしている間でも容赦ない警策(きょうさく)を受けました。
因みに、「独参」とは師家(しけ)の部屋に一人で赴き直接対峙し指導を受けることです。「師家」とは、坐禅と仏法を教授する特別な資格を持った指導者のことです。東照寺では住職の伴鉄牛老師が師家として剛腕を振るわれていました。
「警策」とは、いうまでもなく坐禅中に肩を叩く棒のことです。東照寺は曹洞宗ですが、臨済宗系の公案を採り入れた流儀(いわゆる看話禅)だったので、頂いた公案を一心に単提します。
その公案の答えを求めて独参するのですが、答えが解っても解らなくても何度も繰り返し独参するのです。師家はいろいろな方法でヒントをくれますが、決して答えはくれません。公案はあくまで自分自身で悟らなければ意味がないからです。
師家伴鉄牛老師は原田祖岳系曹洞宗と呼ばれる会下(えか)にありましたので、ここで原田祖岳老師についてお話しておきましょう。原田老師は、7歳の時に曹洞宗の寺院に小僧として入り、20歳のときに自ら臨済宗正眼寺で修行、その後曹洞宗、臨済宗の双方の高僧を歴参されました。
臨済宗系の修行で見性(さとり)された老師だけに、禅の修行は公案禅を基本とするのが最も合理的だと認識されその流儀を貫かれたのです。「坐禅をしている姿がそのまま仏である」という、いわゆる「只管打坐」を標榜する曹洞宗本山や宗門の大学研究者に当時真っ向から対抗したので、異端的存在と見なされましたが、駒沢大学(曹洞宗立)仏教学部の教授を12間勤められました。 
仏教の本来の眼目は「見性(けんしょう)」であると主張する原田老師は、時として永平寺に対抗しました。例えば、「道元禅師は独参をしていた。永平寺には当時の『独参』の単牌がある筈だ」と主張しましたが、永平寺からは無回答だったそうです。 単牌とは修行内容を伝える「告示板」のことです。
福井県小浜の発心寺二十七世として晋住、専門僧堂を開単。ほかに五カ寺(宮津市智源寺など)を歴住し、そして東京品川に東照寺を開山されたのです。非常に厳格な人柄で、生涯独身を通され92歳で遷化されました。
そのような異色の高僧の弟子の一人が伴鉄牛老師ですから同じように指導が厳しかったのは、師に倣って当然だったのかもしれません。またその厳しさを更に受け継いだのが三浦良憲老師でした。
「原田祖岳系」と言いましたが、臨済宗との違いは、ただ公案を透過するのが目的ではなく、先ず「無字」の公案の徹底で「見性」を目指すのです。その関門が、文字通り祖録「無門関」の第一則「趙州狗子」(じょうしゅうくし)の「無字」の公案です。
「犬に仏性が有るのか」の質問に対して、「無」と答えたが、その真意は何かという公案です。無門関の著者・無門慧開禅師自身がこの「無字」の一字で大悟されたことから、この公案が第一則になっているのは理に叶ったものと理解できます。
「無門関」という名のとおり、もともと門など無いところに、我々凡夫は分別妄想により実体のない門を築いてしまっているのです。何としても、一度これら人間の妄想が作り上げた理屈の門を破壊して、真の「無門」の実体を見る必要があるのです。これを見性(けんしょう)と言います。(当山法話「17年12月成道会」、「19年3月無字の公案」乞参照)
拙僧30歳過ぎてから、更に公案を透過したいという思いから、当時の三浦良憲老師の参禅道場を訪ね参禅しました。老師の提唱を聞いていると、師の伴鉄牛老師の仕草に妙に似てきていることに子弟愛を感じた印象があります。
未熟な拙僧にも拘わらず単頭の位を頂きながら、何の恩返しもできなかったことを今更ながら恥ずかしく思います。拙僧自身の晋山式の助化師、本師の本葬儀の秉炬師(導師)などをお勤めいただいた恩もございます
東照寺、伴鉄牛老師、そして三浦良憲老師との縁がなければ、少なくても今のこのホームページは無かったのは確かだと思います。改めて老師への感謝と哀悼の意を捧げます。ありがとうございました。 

■台風災害の教訓 温暖化の責任を問う
台風15号が甚大な被害をもたらしてからもうすでに3週間が過ぎましたが、日を追うごとに被害の大きさが明らかになってきました。農産物の被害に限ればあの東日本大震災の被害額を越えたとか。いまだに瓦礫の後片付けやブルーシート張りに追われている人達がいます。
当山も本堂の瓦が多く吹き飛ばされ堂内はひどい雨漏りに襲われました。漆喰の壁が崩れ落ちたり、その泥や瓦の跡片付けや掃除に何日も追われました。これから畳の搬送もしなければならないし、問題は山積です。
屋根の修理は何年も先になるようですから、とりあえずはブルーシートで凌ぐしかありません。しかし頼める人がいないのです。特に本堂の屋根は高く勾配がきつく素人には無理です。大工さんも瓦屋さんも手が回らないと断られまさにお手上げ状態です。
何とか自分達でシートは張ったものの所詮素人仕事。その後雨が降る度に漏水に悩まされています。堂内にシートを敷きバケツを何十箇も並べて対処していますが頼みの綱もなく当面は仕方ありません。
90歳になろうというあるお年寄りが、「この歳まで生きてきて、こんな災害は初めてだ」と言っていましたが、死者10万人以上の犠牲者を出した関東大震災から今年で96年目になりますから、房州にとってはそれ以来の災害かもしれません。
房州は近年大きな災害がなく恵まれた地域だという思いが正直ありました。人って案外楽観論者なのです。「そろそろ大地震がくるかもしれない・・・でもまだ大丈夫だろう」とか「今度来る台風も避けるかもしれないし、たいしたことはないだろう」とか、高を括るのが一般人の心情ではないでしょうか。
だから災害はいつでも「想定外」なのです。ここ房州も「房州に限って」などという神話はありません。「今のところ」は恵まれていたに過ぎなかったのです。大自然の営みには贔屓やそんたくなどまったくないのです。特に災害大国日本である以上常に「想定内」を心掛けるべきです。
よく災害直後は誰でも備えの重要性を感じて防災用具や避難対策に大きな関心を持ちますが、時間が経つにつれて危機意識は薄らいでいくものです。折角用意された非常用グッズなどもいつの間にか存在感をなくし忘れられていきます。
さて、これまで東日本大震災・大津波、原発事故をはじめ、熊本地震や全国各地には多くの災害が発生し、長期にわたる避難生活を余儀なくされた方々や、復旧が遅れている地区の方々がいまだにいます。
今回のこの地域でも住み続けることができない程の被害を被った人達もいます。そんな人達と比べるというのもどうかと思いますが、個人的にはこの程度の被害で収まったと考えれば苦労もさほど厭いません。
当山の場合、4日間電気はありませんでしたが、水道とガスは大丈夫だったのでさして食事には困りませんでした。ただ猛暑のなか冷蔵庫とエアコンのないのには参りました。それでも車に行けばエアコンもテレビもあるのでその点は幸いでした。
久しぶりに夜はロウソクの下で過ごしました。昔子供のころは台風がくれば停電はしょっちゅうだったので慣れたものでした。当時はまだ冷蔵庫も洗濯機も炊飯器も無かったので、停電で困ったのは照明くらいのものでした。(まだ蛍光灯などなく裸電球の時代)
電気製品と言えばラジオくらいのものでした。エアコンなど当然ありません。夏はせいぜい扇風機だけでしたが、それでも暑さはなんとか凌げました。当時熱中症という言葉など聞かれませんでした。
冬は炬燵(こたつ)が暖房の主役でした。石油ストーブが出てきたのはもっと後のことです。やがて木炭や豆炭の炬燵が「電気炬燵」になり、ご飯釜が「電気釜」に、洗濯桶が「電気洗濯機」に、箒が「電気掃除機」にとみんな“電気仕掛け”に進化したのです。
子どもながら、「電気洗濯機」と聞いたとき、電気がどのようにして洗濯するのか不思議に思ったものです。やがて白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器」が人々の生活を飛躍的に豊かにしていきました。
あれから60年、電気は人々の生活に革命的な豊かさを齎しました。世はまさに「オール電化」の時代になったと言っても過言ではありません。今や電気がなければ一日たりとも、否一時たりとも生活はままならないのです。
人々はそんな「極楽生活」を享受してきましたが、その実態が主に化石燃料によるものであることを考えると、「極楽生活」は本物ではありません。それは、かけがえのない環境を犠牲にしてきたからです。
化石燃料を使い放題使い、二酸化炭素で大気を汚染し、プラスチックで海洋を汚染し続けてきました。その代償として今人類が直面しているのが生態系の破壊と地球温暖化です。まさに因果応報、異常気象は起こるべきして起きたのです。
人々は「極楽生活」が、地球は人類のものだというエゴによるものだったと反省していますが遅きに失しました。反省の割には1997年の京都議定書、2015年のパリ協定から遅々として温暖化対策は進んでいません。
温暖化は人類自らが招いた自業自得の結果として受け止めるべきですが、誰もどの国も自国の利益ばかりを優先して建前論ばかりで具体的な対策が示されません。国連の指導者達が本気で向き合っているとは思えません。
そんな大人達に大カツを入れたのが、スウェーデンの若干16歳の少女グレタ・トウンベリさんです。23日、国連本部で開かれた「気候行動サミット」に登壇した彼女は、温暖化対策に対し、具体的な対策が進まないことへの苛立ちを露わにし、涙ながらに訴えたのです。
「30年以上前から科学ははっきり示していました。生態系は崩壊しつつあり、私たちは絶滅の始まりにいるのにあなたたちが議論しているのはお金や経済成長というおとぎ話ばかり。よく言えたものですね。許せない。
あなたたちは目を背け続け解決策が少しも見えないのに、ここにきて『十分やってきた』とよく言えますね。私たちの声を聞き『切迫していることも理解している』と言う。この状況を理解しておきながら行動を起こさないのならあなたたちは『悪そのもの』です。
私はそれを信じたくないのです。何らかの技術で問題解決できるフリ≠よくできるものですね。今日この場で数値に沿った解決策や計画は一切示されることはない。
それは、ありのままを伝えられるほどあなたたちは大人になっていないから。あなたたちは私たちを裏切っているのです。未来の世代の目はあなたたちに向けられています。
裏切るなら私は言います。『あなたたちを絶対に許さない』あなたたちが好まなくても世界は目を覚まし変化が訪れています。」
一方、日本の新環境大臣小泉進次郎氏は22日、訪問先のニューヨークで海外メディアと記者会見し、独特の「小泉語」で地球温暖化対策への意気込みを語りました。「気候変動のような大きな問題は、面白く、クールでセクシーでなければならない」と。
野党が「意味不明」などと批判していますが、誰にとってもまったくの意味不明です。日本のこれからの若い政治家のホープとして期待されていますが、親の七光りと人気は抜群ですが政治家としての資質が問われます。
16歳の少女グレタ・トウンベリさんに「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と大カツを入れてもらいたいものです。(トランプ大統領と共に) 

■ボランティアにみる菩提心 善人のススメ
台風15号で終わりではありませんでした。ひと月も経たないうちに巨大な19号がほぼ同じコースをたどり追い打ちをかけました。更にその後25日に記録的豪雨が襲い、関東甲信、東北地方にかけて未曾有の被害をもたらしました。
昨年の西日本豪雨に続き今年は東日本で甚大な被害が起きました。特にひどかったのは豪雨による水害です。なんと71河川170ヶ所で氾濫が起こりました。そのあまりにも酷い被害状況に言葉がありません。
破壊された道路や家屋、水没した家や車や田畑、土砂崩れなど想像を絶する酷い光景をマスコミは連日伝えています。災害規模ではあの東日本大震災を上回るものになるとか。大自然の猛威を改めて見せつけられました。
ここ館山でも15号による被害のあと立て続けにきた19号とさらなる豪雨により被害は一層拡がってしまいました。館山市だけでも被害を受けた住宅は7,000戸を超え、業者不足のため修理は早くて半年以上先になるとか。
当山も三連発の襲撃を受け、ブルーシートもなくなり本堂屋根の雨漏りはひどくなる一方です。床にブルーシートを敷き80個のバケツで雨漏りを受けていますが大雨になると対処できません。業者は頼んでありますが先は見通せません。
それでも、もっと酷い状況下にある人たちのことを考えれば当山はまだまだまだ良いほうです。現にあるお寺さんは本堂の屋根がすっかり飛ばされ堂内の仏具も全部駄目になったそうです。
この一連の災害で家や住む場所を失った人、工場やお店を失ったり田畑や農園が破壊されたりして生活の基盤を失った人、先の目途の立たない人のなかには店を畳んだり廃業を考えている人も多くいるとか。そんな人達の気持ちは察するに余りあります。
一方、そんな被災地にとっていつも助け励まされるのが自衛隊やボランティアです。ここ館山でも全国各地から派遣された「災害派遣」の幕を掲げた自衛隊車両を多く見かけます。特設風呂や炊き出し、ブルーシートの指導など実に自衛隊サマサマです。
そしていつも被災地に必ず現れ助けてくれるのがボランティアです。被災者に寄り添い懸命に復旧作業を手伝う姿に被災民は励まされ勇気をもらいます。自分にはできないだけに彼らにはいつも頭が下がります。
言うまでもなくボランティアは、無償の奉仕活動です。人の為にとか、社会の為にとか、博愛だとか絆だとか口で言うのは簡単ですが、ボランティアは大きな自己犠牲精神がなければできないたいへん勇気ある行為です。
そんな打算のない見返りのない奉仕活動こそ、仏教でいうところの菩提心から発せられた布施行です。今回は、そんなボランティアの「布施行」から、「善人」とは何かについて考えてみましょう。
では、「善人」の概念とは何でしょうか。ちなみに広辞苑をみると「善良な人」とだけ記されています。もっと論理的な説明はないのでしょうか。拙僧の持論から言えば、それは「ひとのために尽くせる人」であり、仏教的に言えば菩提心を持った「布施行のできる人」のことです。
ではそんな「善人」とは具体的にはどんな人のことでしょうか。布施行の一つボランティア活動から考えてみましょう。ボランティアといえば、今や「スーパーボランティア」ですっかり有名になった尾畠春夫さんです。彼の生き様に「善人」を見ることができるのではないでしょうか。
そもそも、尾畠さんはなぜボランティアを始めたのでしょうか。そのきっかけは四国のお遍路だったそうです。「私はよく旅をしました。そんな中で四国のお遍路道を歩きました。そこで受けたおせったいが忘れられなかったのです。」おせったいとは寝床や食べ物を無償で提供するなど、善意による様々なおもてなしのことです。
「知らない人からいろいろな物をもらいました。親切にしてくれた人にあとでお礼をしたいので、電話番号や住所を聞いても、『お遍路さん、ここでは何かをあげたからって恩には着せない。もらったからって恩に感じなくていい』と言われました。」
その無償の精神に感銘を受け、65歳で魚屋を畳んでからは残りの人生をひとの為に尽くそうと思い、身体が健康で車の運転ができる限りは、被災地行ってボランティアをしていこうと決心したといいます。
見返りや損得勘定をする人や妬みや嫉みなどの強い人にはとてもボランティアは務まりません。他人を慮る心のある人、困った人を見過ごせない人、他人の身になり寄り添える人、これこそボランティアの資格ではないでしょうか。
尾畠さんは大好きなお酒について聞かれました。「酒はやめています。私はもともと大酒飲みでした。飲むというか、浴びていました。ただ東日本大震災で我慢しながら仮設住宅に住む人たちを目の当たりにして、酒は我慢することにしました。仮設住宅の人が全員外に出るその日まで、酒は飲まないと決めています。」
被災者によりそい、その人達が全員仮設住宅から出るまで、自分の嗜好を我慢するというその「願かけ」こそ菩提心(自未得度先度他の心)ではないでしょうか。「菩提心」とは、つまり自分がいまだ度(わた)らない前に他の人を渡して(助けて)あげようとする心根のことです。自分より他の人を優先するという思い遣りの心はなかなか持てるものではありません。
そして大事なことは、善人が布施行をするのではなく、布施行するのが善人になるという理屈です。布施行は善人の“特権”ではなく「善人になる」修行なのです。仏教の眼目はなんといっても「善人になる」ことですから。
「その形陋(かたちいや)しというとも、この心を発(おこせば、すでに一切衆生の導師なり)(道元禅師) 「その形」というのは、その風貌あるいは容姿というような意味です。悪業の果報としての地獄道とか餓鬼道、ないし畜生道というような悪趣におちた者は、醜悪な姿をしています。
しかし、たとえ、そのような陋(いや)しい容姿をさらしている者であっても、「この心」すなわち菩提心を発こすならば、その醜いすがたかたちのままで、一切衆生の導師たりうるというのです。菩提心を起こすということが、どれほど尊いものであるか、ということが示されています。
「此(この)心を発(おこ)せば、巳(すで)に一切衆生の導師なり、設(たと)い七歳の女流(にょりゅう)なりとも即(すなわ)四衆(ししゅ)の導師なり、衆生の慈父(じふ)なり、男女(なんにょ)を論ずること勿れ、此れ佛道極妙の法則なり」(道元禅師)
たとえ僅か七歳の童女であっても、もし菩提心を起こすならば、「四衆導師」とも「衆生の慈父」ともいうべきものであるという。また男女の別などあえて論ずるところではない、これが、「佛道極妙の法則」だというのです。
「極妙」の「妙」は、すぐれた、深遠な、という意味ですから「最高に優れた」法則(真理)だということです。菩提心によって老若男女、年齢や地位を問わず誰でも導師(善人)になれるのです。
善人は全てに感謝しますが、善人になれない人は全てに不満をもちます。善人は他人の幸福を喜びますが、善人になれない人は他人の幸福を妬みます。善人は他人に寄り添えますが、善人になれない人は自己中に徹します。善人は自分を幸せだと思いますが、善人になれない人は自分を不幸だと思います。
善人は好かれますが、善人になれない人は嫌われます。二度とない人生、あなたはどちらの人生を選びますか。 

■中村哲先生にみる菩提心 馬鹿は善人になれない
12月4日、アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた「ペシャワール会」代表で医師の中村哲さんが、現地で銃撃され亡くなりました。享年73、志半ばでの非業の死でした。
中村先生のご遺体がアフガンの空港を出発するとき、ガニ大統領自身が棺をかつぎ、成田空港に到着したとき多くの在日アフガン人が「感謝と謝罪の気持ちを伝えたい」と花束や先生の写真を手に集まり、死を悼みました。11日の葬儀には1300人以上の人達が参列しました。
モハバット大使は、「守れなくて、こういう結果になって残念で、お悔やみ申し上げます。アフガン人はみんな中村先生のことを愛していたのでみんな泣いている。アフガン人それぞれの心に英雄として永遠に残るでしょう」と話していました。
マスコミがこぞってその悲報と業績を報道する度に改めて凄い人だったんだということがわかります。 2008年に同じように現地でペシャワール会のメンバーとして働いていた伊藤和也さん(31歳)が撃たれて亡くなったとき(法話平成20年8月「菩提心」参考)に語った中村先生の言葉です。
「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓う」 異国アフガニスタンのために尽くしたのに、なぜアフガニスタンの地で殺されなければいけないのか、そんな伊藤和也さんの理不尽な出来事があっても、中村先生の視線は常に前を向いていました。
先生は、戦乱と干ばつで荒れたアフガンの地で「100の診療所より1本の用水路」といって現地の人々と共に用水路建設に取り組みました。 2010年には全長約25キロメートルの用水路が完成しガンベリ砂漠は1万6,500ヘクタールの緑の大地に生まれ変わりました。
水路は多くの農地と水の恵みをもたらし、これによって65万人もの難民たちが用水路の流域に帰農し、定住するようになったのです。想像を絶する途方もない努力があったのです。こうしたリダーシップと功績から多くのアフガン人から信頼され慕われていたのです。
異国の地で、先生はなぜこれほどまで必要とされ情熱を傾けられたのでしょうか。それは、中村先生が語った言葉に表れています。ある講演で、何十年も活動を続けられる原動力について聞かれた時に次のように答えています。
「ここで自分がやめると何十万人が困るという現実は非常に重たい。また、多くの人が私の仕事に対して希望を持って何十億円という寄付をしてくれている。その期待を裏切れない。何よりも現地の人たちに『みんな頑張れば、きちんと故郷で1日3回ご飯が食べられる』という約束を反故にすることになる。日本では首相までが無責任なことをいう時代だが、十数万人の命を預かっているという重圧は、とても個人の思いで済まされるものではない。みなが喜ぶと嬉しいもので、それに向けて努力することが原動力だと思う」
「泥棒に入る人だって強盗に入る人だって、別に遊び金が欲しいわけじゃないんですね。家族を食わせるために人のものに手をだしたり、米軍の傭兵になったり、あるいはタリバン派の傭兵になったりして、やむを得ずそうするけども、決して誰も望んでいない。とにかく平和に家族がみんな一緒にいて、安心して食べていけること。診療所を100個作るよりも用水路を1本作ったほうが、どれだけみんなの健康に役立つのかわからないと医者として思う」

こうした中村先生の人柄について、ノンフィクションライターの石戸諭氏は、「中村さんはクリスチャンで、基本的な姿勢は“天命”という考え方に近いと思う。 アフガニスタンで医療支援をしているうちに、人びとの命を守る医者として活動するとともに、アフガニスタンには“パンと水”の問題が重要だと言っていたことを思い出します」と述べています。
人の困るのを見て放っておけない、自分がしなければならないという使命感を「天命」と感じたのでしょうか。11年前伊藤和也さんが殺害されたとき多くの日本人スタッフが引き揚げたなか、中村先生は残って復興活動に取り組んでいました。
危険を顧みず、現地の人々のためにという固い決意があだとなったようで、残念でなりません。先生はクリスチャンだそうですが、仏教的にいえば先生こそ「菩提心」に満ちたまさに「菩薩」だったと言えるでしょう。
「約束を反故にしてはならない。日本では首相までが無責任なことをいう時代だが、十数万人の命を預かっているという重圧は、とても個人の思いで済まされるものではない」という中村先生のことばを1億3千万人という国民の命を預かっている安倍総理はどう聞いたのでしょうか。
「桜を見る会」から露呈した税金の私物化や公職選挙法違反の疑惑などの問題にも検証するための名簿や公文書が廃棄され一切残っていないとか。サーバーに残っていたバックアップデーターについて、行政文書ではないとの認識だというのですから、まさに確信犯的所業です。
安倍一強がもたらした政権内の腐敗が如実に現われた結果といえるでしょう。安倍政権、行政官僚までが安倍に阿(おもね)て、黒を黒だと言えない、まさに「大馬鹿」になってしまいました。
新聞のコラムに「馬鹿」の語源とその意味が分かり易く載っていましたので紹介します。今の安倍政権がまさに馬鹿の巣窟だということが良く分かります。
「ばか」はサンスクリット語に由来するというが、「馬鹿」の字があてられたのは「史記」にある中国の故事からという。秦の2代皇帝、胡亥(こがい)に丞相(じょうしょう)の趙高(ちょうこう)が「これは馬です」と言って鹿を献じた話である。
胡亥は「これは鹿ではないか」と左右の群臣に問うたが、多くは趙高におもねって「馬です」という。奸臣(かんしん)の趙高の狙いは群臣の自分への忠誠度を試すことで、この時に「鹿です」と言った物は後に彼によって粛清されることになった。
指鹿為馬(しろくいば)という次第だが、趙高の陰謀によって帝位についた胡亥もばかにされたものである。だが「公文書のバックアップデーターは公文書にあらず」と官房長官に言われた国民もかなりばかにされていないか。
首相の「桜を見る会」の招待者名簿を廃棄したと政府が答弁した5月、実はバックアップデーターがあったというのだ。国会が提出を求めた文書にこんな強弁を用いられては、公文書による行政の公正の担保も何もあったものではない。
そもそも功労者を遇する会の招待者名簿を、秘匿すべき個人情報だというが「指鹿為馬」でないか。首相の公私混同や怪しい招待者が注目される桜を見る会だか、真相をたどると公文書管理の問題に行き着くおなじみのパターンだ。
秦と異なり、居並ぶ役人からも、丞相を出した朋党(ほうとう)からも「これは鹿だ」の声が上がらぬ令和日本である。公文書で真実を検証できない世を放置していては、次世代から「馬鹿」のそしりを受けかねない。

信義も矜持も良心の咎めも捨てて、権力者におもねて、真実を曲げ、ウソを徹底することを「馬鹿」と言うのです。そんな馬鹿の蠢く政府、官僚の世界と比べると中村先生の魂は遥かに気高く崇高です。
毎年ゴマンの叙勲が連発されますが、真に功績のあった人達にもっと目を向けるべきです。伊藤和也さんのときにも言いましたが、中村哲先生は日本人の誇りです。日本に、世界からこれだけの尊敬と感謝を受けている人がいたのです。
世界中で偏狭な自国第一主義が広がる中で、手放しで尊敬するしかない方です。ノーベル平和賞が与えられて当然の人物だったといえるでしょう。日本政府は今からでも遅くはありません。先生に「国民栄誉賞」を贈られたらどうでしょう。少しは「馬鹿」のつぐないになるかもしれません。 
 
一切皆苦

 

 
■1 苦海の中の魚
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静を三法印といいますが、これに「一切皆苦」を加えて四法印といいます。今回は仏教の根幹教理でもあるこの「一切皆苦」について考えてみましょう。
まず、「人生は一切皆苦」であるとの意味とその本質をしっかり認識することによって様々な苦しみから解放されようとするのが今回のテーマなんです。認識と自覚の無いところに対応は無いのですから。「人生はすべて苦から成り立っている」「人生は苦そのものである」という理論をあなたはどう思われますか。多分よく理解できない人が多いと思います。
「毎日案外楽しいし、このまま自然に歳とって何時かは死んでいくだろう。そう大きな好い事も無いけどそう悪い事も無かったし、これからもこの調子で過ぎて行くだろうし、多分そうなるだろう。まあまあの人生かな。」と高をくくっているのではないでしょうか。今そのように思えるあなたは本当にラッキーでした。
ラッキーだったという意味は単に運が良かったということなんです。皮肉に聞こえるでしょうか。皮肉ではなく私の言わんとするところは、今までが例え安泰であったとしてもこれから先は分からないということです。今まで本当に辛かったこと、悲しかったことが無かっただけなんです。
将来のこと、来年のことのみならず明日のことさえ分からないのが人生なんです。一寸先が闇と言われるように、一瞬の間に大きく人生が変わってしまった人を私は何人も見てきました。それも良い方向に変わった例はほとんど無く、大きな不幸に見舞われた例の方が断然に多いのです。
世間には大変な苦しみや悲しみを受けている人が今のこの今数え切れない程います。毎日が地獄のような生活を送っている人が世界中にはゴマンといるのです。そんなことは知っていても「他人事」と思っているだけなんです。しかし、けっして他人事ではないのです。何時自分の身に降りかかってくるかも知れないのです。
大きな不幸もあれば小さな不幸もあります。色々な苦しみがあるのが人生なのです。残念ですが人生そのものが「苦」の本質であるという実態をまず認識して欲しいのです。人が見舞われる様々な「苦」、それをまとめて「四苦八苦」と言います。生老病死という四大苦に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つを加えて「四苦八苦」です。
生…生きていること自体肉体的精神的苦痛が伴います。
老…老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなります。
病…様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされます。
死…死ぬことへの恐怖、その先の不安。
愛別離苦(あいべつりく)…愛するものとの別れ。
怨憎会苦(おんぞうえく)…怨みや憎しみを持った者と会うこと。
求不得苦(ぐふとっく)…求めても得られないこと。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)…人間の五官(眼・耳・鼻・舌・身)で感じる五感から生れる苦しみ。
全ての人は人である以上この四苦八苦が付いてまわるのです。程度の差こそあれ人生そのものが四苦八苦なのです。これを「一切皆苦」と言うのです。もう少し「人間」と「苦」との関係について説明してみましょう。例えて言えば、人は「苦」という海の中を泳いでいる魚だと思ってください。
魚である以上、その「海」から出ることは出来ません。その環境から決して逃れられないのです。ここが一番の問題なんです。その環境である「海」を変えることが出来ないとすれば、ではどうすればいいのでしょう。
人生はすべて苦であるという点につきましては認識をもって頂いたでしょうか。認識と自覚の無いところに対応はありません。次にその対応について考えてみましょう。実はその「苦の海」の中にあって幸福に生きられるれっきとした方法が存在するのです。さすが仏教です。  

■2 苦海こそ法海
お釈迦さまの亡くなった日が2月15日です。仏教寺院では毎年この日お釈迦さまの入滅を記念しての法要が厳粛に修行されます。この法要を涅槃会といいます。降誕会、成道会、そしてこの涅槃会を三仏忌(さんぶっき)と申します。
これら三仏忌こそ仏弟子仏教徒にとっては最も大切にしている報恩感謝の法事なのです。その回向には「波羅蜜の妙徳を修証し上み法乳の慈恩に報いんために・・・」と謳われ、お釈迦さまの大恩慈悲の御恩に報いるためのわれわれの心構えが提唱されています。今回は今年も間もなく迎えるこの涅槃会に因み、「涅槃」をテーマにしてみました。
涅槃とはお釈迦さまの入滅を意味している言葉です。入滅とは文字通り「滅に入ること」であり肉体の滅却であり「死」を意味します。まずそのお釈迦さまの入滅の様子から伺ってみましょう。お釈迦さまは35歳でお悟りを開かれて以来45年間人類衆生済度のため全国を説法行脚されました。
しかしお釈迦さまも肉体を持った人間です。80歳になってからはとみに老いが進まれました。それでも渾身の力を振り絞られ最後の説法の旅に出られました。そしてやがてクシナガーラ城外の河畔にたどりついた時にはもう老いと疲れで歩くことも出来ず沙羅双樹の下に頭を北に右わきを下に横たわっていました。
お釈迦さまはご自分の入滅を悟り、弟子や人々を集めて最後の説法をされました。それが「遺教経」に説かれています。お釈迦さまのまわりに弟子ばかりではなく天竜や動物や鬼畜までもが集まって泣き叫んだと言われています。お釈迦さまはその悲嘆にくれる弟子達に向かって、これを慰め、常に精進することを諭され静かに目を閉じられ涅槃に入られたのです。
涅槃図にはその様子が細かく描かれています。その最後の説法である「遺教経」はお釈迦さまの教えが集約されている聖典であり禅宗では特に大切にされている教典の一つとなっています。本ホームページでもそのうち「仏教講座」のなかで是非とりあげていきたいと思っております。
さて、「涅槃」とはサンスクリット語で「ニルヴァーナ」と言います。「吹き消すこと」の意味と言われ一切の煩悩がふき消された悟りの境地を意味するそうです。また、原始仏教では貪欲の滅尽、瞋恚の滅尽、愚痴の滅尽つまり三毒がなくなった状態を涅槃と定義されているそうです。
そして涅槃には二段階ありお釈迦様が成道されてから入滅されるまでの肉体の存在する上での涅槃を有余涅槃、肉体が消滅してからの涅槃を無余涅槃と言っているようです。大乗仏教では人間にもともとそなわっている仏性をさして自性清浄涅槃、生死と涅槃を超えての涅槃を無住処涅槃と申すそうです。以上が学問的御託ですがこのような講釈は実におもしろくないものです。
そもそも「涅槃」にいろいろ区別や段階があるわけがないのです。仏さまにいろいろ段階が無いように涅槃は涅槃であって一つなのですから。そこで、まずお釈迦さまの死はなぜ単なる「死」とは言わず「涅槃」と言うのでしょう。それは、お釈迦さまは「死んでも死なない」死を超越した存在になられたということなのです。
「死んでも死なない」などと言いますと宗教の非合理的理論の押しつけのように思われるかもしれませんが、この理屈を私なりの浅智恵の範囲でなんとか論理的に論じてみたいと思います。これもまず御託から入りますがどうか聞いてください。
仏さまには、法身仏、報身仏、そして応身仏の3身があるとされています。法身仏とはこの全宇宙そのものが仏さまのカラダそれ自体だという考えです。つまり全宇宙の真理(法)の実態そのものを具現した仏さまなのです。
その仏さまが毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)と言われる仏さまです。奈良東大寺の「大仏さま」が有名です。(密教の方で申しますと大日如来がそれに相当します。)
毘廬舎那仏は沈黙の仏さまといわれ自らは説法しません。その法を説くのは毘廬舎那仏の毛孔から宇宙の隅々まで派遣された無数の仏さまなのです。その仏さまこそが釈迦牟尼仏であり「応身仏」と申します。全宇宙の百千億の国々に出現されるというのです。わがこの地球上にも2600年程昔インドに出世されました。
法身仏である毘廬舎那仏の「化身」として人類衆生済度のためこの地上に降誕されたので化身仏とも申します。報身仏とは、修行の結果悟りを開き覚者となった仏さまということです。つまり釈迦牟尼仏は、法身(ほっしん)、報身(ほうじん)、応身(おうじん)のすべてを具えた仏さまなのです。
このようにお釈迦さまの本質はもともと法身仏という全宇宙の本体そのものであるということです。従ってお釈迦さまの「死」は単なる肉体の「死」を超越し本来の本質に戻られたということなのです。
つまりお釈迦さまは人間としての肉体は滅びたとしても、その本質は本来本法性の永遠不滅の「久遠仏」(くおんぶつ)なのです。その本質こそが「涅槃」であり、涅槃そのものが宇宙実相の法身仏であるのです。
峰の色谷のひびきも皆ながら我が釈迦牟尼の声と姿と(道元禅師)
このように入滅されてもなお涅槃のお釈迦さまが而今に亘って我々を説法し続けているのです。どうですか。「死んでも死なない」お釈迦さまの存在がわかりましたか。しかし折角のそのお姿も生半可には拝見できません。
そのお釈迦さまに相見するためにはそれ相当の修行があっての結果なのです。相見はなかなか難しいかもしれませんが「修行」と「悟り」は別のものではないのです。「修証一如」を励みに精進しましょう。
新年明けましておめでとうございます。昨年3月にこのホームページを起ち上げて以来アクセスをいただいた数は4500を超えました。一人でも多くの人の参考になればと願っております。本年もよろしくお願いいたします。本年も引き続きましてこの「法話」のページを重ねていきたいと思います。
今回は「一切皆苦」(その2)をお届け致します。前回、喩えて言えば、人は「苦」という海の中を泳いでいる魚だと言いました。苦という海に生きている以上その「海」から逃れることはできないのです。四苦八苦の海が人生そのものだからです。
では一生その海の中で苦しまなければならないのでしょうか。だとしたら本当につらいことです。ではどうすればいいのでしょう。実はその苦海にあって苦から逃れる方法があるのです。
それが仏教というすばらしい宗教なのです。苦海を法海に変えていくのです。まず、魚である自分を変えていくことなのです。海自体は決して変わるものではありません。ではどのようにするのでしょう。
それは「魚」である自分をその「海」と一体化させるということです。そのために自分自身を変えていくことなのです。つまり「魚」という「自分」が「苦」という「海」に同化することなのです。ちょっと難しい話になりましたね、別の喩えで聴いてください。
例えば、「火」は熱いものですね。あたりまえに思っていますね。なぜでしょう。それは火と自分が対立しているからなのです。火それ自体は実は決して熱いものではないのです。(この点が難しいかな?)
火と対立しているから「熱い」のであって火それ自体は熱くも冷たくもないものなのです。火自体は自分が「熱いもの」とは思っていません。(擬人的に)火が熱いものなのだという観念は、火に対しての対立観念なのです。ここのポイントが大変重要なところなのです。ここをよ〜く考えてみてください。
戦国時代、武田信玄の菩提寺山梨県恵林寺が織田信長の攻撃を受けました。時の住職であった快川和尚の遺偈「安禅不必須山水滅却心頭火自涼」は特に有名な詩ですが、この句にその意味するところが実に良く表現されています。
完全に禅定の世界に入ることによって心も体も区別が無くなる。心と体の区別が無くなった時限でそれは火との区別も無くなることになる。そこで全てが一体になる。全てが一体になることはつまり火と一体になることである。火自体は熱くも冷たくもないであるから、特に山の水を使わなくとも快適な涼しい世界に入ることができるのだ。
という火との対立観念の無くなった世界・「空」の世界「涅槃」の世界を表したものです。実に禅僧らしい境涯と言っていいでしょう。そこで、その「火」を「苦」に置き換えてみてください。全ての「苦」は対立観念から発生しているのであるからその苦と一体になることでその苦から解放されるということになるのです
苦海が法海に変わるのです。それは自分が苦海に飲み込まれてしまうというのではありません。自分と苦海が同時に成仏するのです。イヤ、もともとお互いは成仏していたのでが、それが解らなかっただけなのです。(ちょっと難しくなってしまったかな?)でも私はこれを単なる理論として言っているのではありません。空論でもありません。事実を言っているのです。事実・真実を「仏法」と言います。いま私はその「仏法」を論じているのです。すべての対立観念が無くなった時点で「苦」が消滅するのです
そこに現れた世界を「法界」と言います。涅槃の世界、安楽の世界、極楽の世界が出現するのです。それが仏の世界なのです
幾万と悩める衆生をその仏の世界に入らしめんがために我が世尊釈迦牟尼仏は2500年来而今(にこん)に亘ってなお説法し続けているのです。なんと尊いことでしょう。それに応えることが「只管打坐(-しかんたざ-ただ坐禅すること)」であり、「一心称名」であるのです
あなたの仏様・・・お釈迦様であれ、観音様であれ、阿弥陀様であれ、お地蔵さまであれ、大日如来さまであれ、法蓮華経であれ、あなたの信ずるところの「ほとけさま」をお称えするのです。「一心称名」が絶対条件だと説くのが観音経です。是非あなたの仏様を信じてください。まちがいなくあなたはその仏様に救われます。これが私の結論です。  
 
極楽浄土

 

 
■1 極楽ってどんなところ
昨年の3月にこのホームページを開設してまもなく一年になりますが、お陰様で六千件のアクセスをいただきました。これからもよろしくお願い致します。
さて、極楽ってよく聞きますがどこにあるのでしょう。正式名称は「西方極楽浄土」といい西方十万億土を経た所にあるといわれています。そしてそこは、阿弥陀如来が支配している仏国土とされています。では極楽ってどんなところでしょうか。それが今回のテーマです。
極楽の極はきわみ、最高ということ。その究極の楽の世界――それが極楽なのです。そこは苦患の全くない安楽の世界と言われています。まさに理想郷であるのです。そんな理想の世界とは一体どんなところでしょう。まずみなさまは極楽をどの様にご想像されているのでしょうか。
辺りには宮殿や楼閣がそびえ建ち、仏を讃える雅楽声明が穏やかに響き渡り、辺り一面には馥郁たる香が漂っている。 人々のマイホームは全て豪華な宮殿造り。家のあらゆるところは四宝(金・銀・瑠璃・水晶)で飾られ、庭園には七宝(四宝にシャコ貝、珊瑚、瑪瑙を加えたもの)の池、その池の中には大きな蓮華の花が華麗に咲き乱れている。
人々はあらゆる装身具で身を美しく飾りたてている。食卓には各人の好みに応じた山海の珍味がふんだんに盛られいつでも鱈腹食べられる。どこを見ても美男美女しかいない。人々は自由を謳歌し、享楽と官能的快感に酔いしれている。
食欲、性欲、睡眠欲はいつでも完全に満たされている。言葉ではとうてい語り尽くせぬほどのただただおもしろおかしい楽園の世界――― もしそのような世界を想像していたとしたらそれこそ大変な間違いです。犯罪的誤解と言ってもいいかもしれませんよ。(そんな言葉ありませんか。)
「ただただおもしろおかしい楽園」とは単なる本能と欲望に満たされた快楽の世界に外ならないのです。快楽は麻薬のようなもので更なる快楽を喚び求めるため更なる欲望の世界に引きずり込まれていくのです。
快楽に溺れ退廃の先にあるのが畜生、修羅、餓鬼、地獄の世界なのです。快楽と安楽はまったく別のものです。先にも申しましたが安楽とは仏の世界を意味します。安楽の極致が「極楽」なのですから。
では本当の極楽ってどんなところでしょうか。そこは全てが揃っているので欲しい物は何も無い。いやなこと、いやなものは何もない。いやな人間も一人もいない。不満がないから詐欺、暴力、強盗、殺人、テロ、戦争などまったく起こらない。
人々は全てにおいて満ち足りていてストレスも無く心もからだもいたって健康。病気にもならない。年もとらない。もちろん死ぬこともない。不都合は全く無い安楽の世界―――― それが真の極楽なのです。
どうですか。快楽と安楽の違いがわかりますか。ここのところが最重要ポイントなのでここをどうか混同しないでしっかり把握してください。<全てが揃っているので欲しい物は何も無い>ということは、知足(ちそく)の世界だということです。
徒に欲望のない世界だということです。満ち足りているということです。貪欲や渇愛の結果飢渇にあえぐことになるのです。「汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、当に知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり。」 (遺教経) このようにお釈迦様もさいごの説法で力説していらっしゃいます。
<病気にもならない。年もとらない。もちろん死ぬこともない。>とは人々の永遠の願いですね。先月の「涅槃会」の中でも申しましたが、涅槃の世界には「死」がありません。<不都合は全く無い>とは「諸法無我」の世界であり、涅槃の世界だということです。
まだよくわからない人のために更に申し上げましょう。つまり安楽の世界には人間社会に有る「四苦八苦」が無いということなのです。「人生は一切皆苦」であると1月の法話のなかでも申しあげてきました。一切皆苦の中身が四苦八苦だといいました。この四苦八苦から解放されることが安楽なのです。
安楽の安は「安心」(あんじん)の安です。不安や迷いの無い「不動の境地」であり、それは同時に一切の「苦」の無くなった境地に外なりません。このように「快楽」と「安楽」の世界は似て非なるまったくの異質の世界なのです。「苦」から解放されることが真の「楽」なのです。
それが安楽であり、その極致が極楽なのです。なんだかまだよく分からないと思っている方の為にもう一つ卑近な例で申し上げましょう。特に何かで一度でも大変なつらい、苦しいことを経験された人ならわかるとおもいます。
ほんとうにつらい苦しいことから解放された時のことを思い返してみてください。「何も無いこと」がどれほど楽か。「何も無いこと」がこれほど楽だったとつくづく思いませんでしたか。思い当たる節はありますか。そこなんです。
無事がなにより。無事が一番。無事が最高なのです。無事で安心。無事が安楽なのです。そんなエラそうなことを言っている私自身にも経験があるから言っているのです。無事こそ息災なんです。そんな「無事で安心の境地」、これが安楽であり極楽へ通じているのです。
禅語にもあります。「無事是貴人」(ぶじこれきにん) 人間はもともと何も持たない存在であるから、余分な事や物を持たない境涯こそ貴人(ほとけ)である。
以上、今回のテーマ、極楽の様子については少しは理解していただけたと思います。「一切の煩悩から解放された安楽の世界」が「極楽」だという。ではその極楽という「理想郷」はなぜ西方十万億土も経た所にあるというのでしょうか。
西方十万億土とはあの世のことでしょうか。ではあの世とはどこにあるのでしょうか。 

■2 極楽ってどこ?
理想の世界、極楽浄土の様子については先月申し上げました。そこの実態がほんとうに理解できればその場所も自ずから解ってくる筈なのですが・・・ 今回はその極楽浄土のある場所について考えてみましょう。
まず極楽浄土ってほんとうに在るのでしょうか。結論から言いますと、ほんとうに在るのです。まちがいなく在ります。建前論ではなくほんとうに在るのです。そのことを私なりの持論、独論、珍論?で論理的に述べてみたいと思います。
お釈迦さまは阿弥陀経のなかで、西方十万億土にあって阿弥陀仏の住む極楽浄土がいかにすばらしいところか、どうすればそのすばらしい浄土に往生できるかを説いています。
お釈迦さまの説かれたお経ですから絶対にウソや間違いはありません。まずそのことを信じてください。宗教は信じることから始まるのです。では、ほんとうに在るというその極楽浄土の旅にこれからご案内致しましょう。
そのお釈迦さまの教え、その説法とはただただ大宇宙悠久の真理という「法」を説くことにあったのですが、お釈迦さまは相手によってその人に適った仕方で説法をされたといいます。これを対機説法といいます。
子供には子供なりの老人には老人なりの、その人となりを見極められて説法されたのです。 その手段として使われたのが「方便」です。お釈迦さまの説法の中には実に多くの比喩や方便が取り入れられています。ですからこの「方便」を抜きにお釈迦さまの説法やお経は語れないのです。
法華経にある「火宅の比喩」はとくに有名です。大邸宅にあって、子どもたちが嬉々として遊びたわむれています。その大邸宅が火事で燃えているのに全く気がついていないのです。子ども達の父は自分が大邸宅の外に出てみて火事に気がついたのです。
そして「早く出ておいで・・・」と声をかけるのですがこども達は遊びに夢中で父親の呼びかけに応じようとしません。そこで父親は、うまい方便(工夫)でもってこども達を誘い出して救うのです。それが「火宅の比喩」です。
救おうとする父親とはお釈迦さまであり、こども達とは迷える衆生のことを指しているのです。救うことを第一に考えると比喩や方便がどうしても必要だったのです。現代では言い訳に方便を使ったり、ウソを正当化させるために「ウソも方便」などと言ったりしますが、正しい使われ方ではありません。
「方便の家元」であるお釈迦さまが悲しまれます。本来の意味合いをしっかり心得てほしいものです。さて、ここであえて「方便」をとり挙げたのは、持論ですが、わたしは「他力門」の教えこそ方便だと考えるからです。
当時お釈迦さまのお弟子や信者の中には厳しい修行に依って悟ることのできない人達も当然大勢居たわけです。自力に頼れる人以外に悟りの道は開かれないとしたらそれはとても理不尽なことです。どんな人でも悟りを求める以上そこには道が開かれていなければなりません。
一切衆生を救うこと、それがお釈迦さまの本願ですから、お釈迦さまが修行の苦手な人達のために編み出した手法がこの「他力門」の教えであったとしてもしごく当然ではないでしょうか。その代表的教典が「無量寿経」などの阿弥陀三部経といわれるものです。
阿弥陀経の中には、「心から阿弥陀仏を念じることでどんな人でも極楽に往生できる」と説かれています。浄土宗の提唱する「浄土思想」の教えの根拠はこの阿弥陀経に由来していると考えられます。
阿弥陀仏の救いを信じ、専心念仏で極楽浄土に成仏できる・・・・実に分かりやすい教えですね。特に現世に失望している人たちにとって「来世の浄土」は絶対の魅力です。安心して臨終を迎えることができるのです。
むずかしい仏教理論を知らなくても、身を粉にして修行をしなくとも、ただ「南無阿弥陀仏」とお称えさえすればいいのです。実に単純明解な教えですね。まさに大乗仏教の精神がここにあると言ってもいいでしょう。
多分もうお分かりでしょう。つまり他力門の教えが方便であるとしたら即ち「阿弥陀経」の教えも方便であるということです。極楽浄土は十万億土も離れたとこに在るとのことですが、十万億土とは具体的にどの位の距離を言っているのでしょう。
正直私にはわかりませんが、随分と遠い宇宙の遙か彼方のことでしょう。そして「往生」とはまさに「あの世に行く」ことなのでしょう。このイメージこそが仏教は死んだ人をあの世に送ってあげる宗教であるかのようなイメージをつくりあげてしまっていると言ってもよいかもしれません。
現に仏教イコール葬式・法事をやる宗教だと思っている人がほとんどです。実は、もともと仏教は葬式・法事とはまったく無関係だったのです。実際、お釈迦さまにしても、最澄、空海、法然、道元、日蓮、親鸞といった各宗の祖師方におかれてもその一生の間にご自分の弟子や信者のための葬式をしたことはないのですよ。
どうです。驚きでしょう。江戸時代以降、お寺が檀家制度を取り入れてからその維持経営と檀家把握の手段として仏教が葬式を扱うようになったのです。以後葬式儀礼としての仏教が主流となってしまったのです。
むかしのお寺をよく見てください。実際、東大寺、薬師寺、法隆寺などに墓地や霊園などはまったくありません。むかしは、お寺とは今で言う大学みたいなもので仏教という学問を学ぶための文字通り殿堂だったのです。
本来の仏教寺院は生きている人たちに対しての「生き方」や「真理探求」の学問教授の所だったのです。否、今でもこれからでもそれが本題だということをここであらためて強調したいわけですが、現在の実態を考えると本来の仏教やお寺に戻れる可能性は果たしてあるのでしょうか。
あるようにはとても思えません。イヤハヤほんとうに末法なのでしょうかね。とは言うものの、今現にお寺から葬式が無くなってしまったらわれわれお坊さんはあがったりです。
信者だけのお布施だけでやっていけるお寺さんが果たしてどの位あるでしょうか。わたしも本音を申せばまったく自信がありません。随分えらそうなことを言っている割にはだらしない坊さんだと重々自覚しておりますので。
脱線が長くなりました。さて本論に戻りましょう。先にも申しましたように、わたしの持論は阿弥陀経の教えもお釈迦さまの巧みな方便を駆使した絶妙の説法であったということです。 わたしも阿弥陀経を読んでみましたが、「死んでから」とか「あの世」とかの具体的表現はどこにも見当たりません。
確かにあの世を彷彿とさせる内容ですが、例えば観音経の解釈に事訳と理訳があるように、阿弥陀経にも事訳と理訳があると思うのです。たしかに一般的に「往生」と言うと「死ぬこと」と解釈されていますが、それは極楽浄土をあの世と解釈するからなのです。
「往生」とはつまり悟りを得て涅槃に「往く」ことなのです。遠い極楽浄土に生まれかわるとは、理訳でいえば悟って涅槃の世界に入るということなのです。
さて、今回の極楽浄土への旅もまだ道半ばですが大分近づいてまいりました。 

■3 極楽ってここですよ
阿弥陀経の意味するところは方便を取り入れた他力門の教えだと申しました。お釈迦さまが方便を駆使したお説教の達人であったことを考えると当然のことです。ここでちょっと「方便」について私なりの考えを独論的に述べてみたいと思います。
方便とは仏教に限らずどの宗教にも宗教である以上その教えの中には必然的にその要素がとり入れられていると思うのです。方便の要素こそ宗教の本質に欠かせないものであると思うからです。そこで注意したいことは、「方便」の解釈を誤ったり過信したりすると「盲信」になるということです。
たしかに宗教である以上現世利益が求められるのは当然なことです。現世利益があってこそ宗教なのですから。しかし、方便が歪曲されてしまったり方便の範疇を逸脱したりしてしまうとそこにあるのは盲信や迷信の罠です。
例えば、拝めば病気が治る。拝めばお金が入る。信心が足りないから不幸が続くのだとか、そんな悪意の手口にはまるととんでもない災難や不幸に見舞われることにもなるのです。霊感商法などの詐欺行為に遭ったり、変な宗教にマインドコントロールされたりするのは盲信の結果なのです。
その極端な事例があのオウム真理教の事件と言ったらよいでしょう。大変な殺人事件を起こした者の多くはもとはといえば純粋な若者たちだったのです。多分最初から殺人鬼の集団と知って入信した人はまずいないと思います。盲信の結果殺人鬼に仕立て上げられてしまったのです。これを狂信と言います。
変な宗教に引っ掛からないためにも普段から正しい信仰を持っておくことが大切なのです。正しい信仰とは正しい信条をもった宗教に帰依するということです。正しい信仰は邪教に対する免疫力にもなり抵抗力にもなるのです。
宗教は「阿片」ですからマインドコントロールされない眼力を養う必要があるのです。それには何よりときどきこのホームページを見ることです。いつもご覧の方はまず心配ないでしょう。わたしがいつもこのページに「正しい気」を吹き込んでいますので安心してください。(これはマインドコントロールではありませよ、念のためここでアピール)
「あの世の極楽浄土へ往生できる」とはつまり方便だと申しましたが、そこでそれは方便だから事実ではない「ウソ」だろうと決めつけてしまってはそれこそ元も子も無くなってしまいます。方便は迷信ともごまかしとも違います。方便とはつまり「事実の比喩」なのです。だから「真実」なのです。そのまま真実として信じてください。
念仏こそ悟りへの他力門であると申しましたね。ただただ阿弥陀仏を一心に称名することで阿弥陀さまに救って頂けるということ。そのねらいはまさに「一心称名観世音菩薩」と同じであるのです。
一心に念仏することで無心に成りきり、それはそのまま無相無碍の阿弥陀仏の世界に取り込まれるというシナリオなのです。どうですか。このように方便の中に真実があるのがわかりますね。ちっとも難しくないでしょう。
「念仏」という実践がそのまま悟りであるという、修と証が一如であるという(修行と悟りは一体であるということ)お釈迦さまの意図が正にここに有るのです。自力門も他力門も入り口だけが別なだけでそのゴールは全く同じ極楽浄土であったのです。
お釈迦さまの狙いは只一つ涅槃の世界へ人々を導くことにあるのですから、如何に人々を彼岸の世界・浄土の世界へ導くかにあるのです。方便がその大きな手法の一つであるのがわかりますね。
さて、「極楽浄土」への旅もいよいよ佳境へとやってきました。煩悩があるから悟りがあるのです。穢土があるから浄土があるのです。此岸があるから彼岸があるのです。
此岸での迷いが深いほど彼岸の距離は遠いのです。彼岸への距離は迷いの程度に比例しているのです。迷いの深い娑婆世界に居るからこそ、極楽浄土は遠い遠い遙か彼方に存在するのです。その想像もつかないほどの遠い距離を「十万億土」という言葉で表しているのです。
これこそ方便であるのですが、同時に真実なのですよ。ほんとうにたいしたもんだと思いますお釈迦さまは。ひとによってそれぞれ極楽浄土への距離はちがうのです。どうでしょうか、あなたの極楽浄土はどの位のところにありますか。とても想像つかないですって?イヤイヤそれが普通なのですよ。
でも、もし少しでもその距離を縮めたいと思ったら修行することです。当山の坐禅会に来てみてはどうですか?えっ?自力門は大変だから他力門にするって?「方便」を要領に使われるのはどうかと思いますね。まあいずれにしろ阿弥陀さまはすべてをお見通しですから好きにしてください。
「毫釐(ごうり)も差あれば天地はるかに隔(へだ)たる。」(普勧坐禅儀・道元禅師)悟ってみれば全宇宙は一つであり、己自身が宇宙そのものだと分かるのです。そこには十万億土の距離なんて全くありません。自分と極楽の間には「毫釐の差」も無いのです。
天地輿我同根 萬物輿我一体「天地と我と同根、万物と我と一体」(碧巌録) 宇宙の全てが我が身の中に存在するのです。「ここ」こそ涅槃、「ここ」こそ浄土、「ここ」こそ毘廬舎那仏の本体なのです。「阿弥陀さまは西方浄土にいらっしゃるが、地獄とはどちらの方角にあるんですか」ある人が一休禅師に訊ねました。
「地獄か。きまっているではないか。南の方角だよ」「地獄は南方にあるんですか。証拠でもあるんですか」「証拠はおまえさん自身だよ。みんなみにある」「みんな身にあるんだよ。地獄はみんなわが身にあるんだよ」
仏教に「六道」という言葉がありますね。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界です。一般的にはこれらは死後の世界だろうと思っているようです。おそらくあなた自身そう思っていませんか。半分当っていると言えます。
なぜ半分かといいますと真如の世界には生前と死後の区別が無いのです。般若心経の「不生不滅」の意味はそのことを言っているのです。あの世とこの世の区別が無いということは地獄や極楽はあの世にもこの世にも在るということです。
この世に生きている私たち自身の今のそのままの心が、地獄から最高は極楽浄土まで行ったり来たりしているのです。地獄も極楽もすべてこの身の内にあるのです。
お釈迦さまは開悟したときに思わず叫びました。「人間はもとより禽獣虫魚も山川草木もみな成仏して、それぞれに大光明を放っており、昨日まで穢土(えど)と思っていたこの娑婆世界が、そのまま極楽浄土であることに気が付いた。このように開悟すれば娑婆即浄土であり、大調和の世界である。」と。
どうですか。遠い遠いと思って旅してきました極楽への旅は「ここ」こそ極楽だったのです。今あなたが住んでいるその場がいつでも極楽浄土にもなれば地獄にもなるという、極楽も地獄もすべてはあなたのこころ次第で決まるという・・・・これが結論です。 
 

 

 
■1 四恩
仏教では、人は生まれながらにして四つの恩を戴いているとされています。これを四恩(しおん)と申しまして、国王(国家)、衆生、三宝そして父母の四つの恩です。恩という字は心の上に因という字が乗っています。因は「もとづく」とか「うけつぐ」という意味です。
「心」の上に「受け継いでいるもの」を乗せているのが「恩」なのです。「受け継いでいるもの」とは「お陰」です。私たちは様々な「お陰さま」を受けて生きているのです。その四つの大きなお蔭さまが「四恩」です。
四恩を自覚することが「恩義」であり、人が他の生き物と一番違うのはこの恩義を持っているということです。これは間違いありません。この恩義に感謝することが報恩への道なのです。
しかし、どうでしょう。世の中特に最近ではこの恩義を感じない人が増えてきてはいないでしょうか。恩義を感じないと人は利己的になったり、自己中心的になるのです。当然「おもいやり」の気持ちはありません。思いやりが無いから、いじめや暴力が生まれるのです。
毎日のニュースをみてください。親の子殺し、子供の親殺し、詐欺、ストーカー、強姦、放火、殺人、などなど凶悪犯罪が後を絶ちません。今や日本も犯罪大国になってしまいました。犯罪はすべて「おもいやり」の無い自己中心的、短絡的思考の結果なのです。
子供の犯罪も増えています。躾がどうの教育がどうのという次元を超えてしまっているようです。今ほど心の教育が求められている時代はありません。心の教育・・・それが「四恩」の教育なのです。はじめに申しましたように、人が人として受け継いでいる四つの恩を心に刻んで欲しいのです。
本宗の本尊上供という法要の中に「四恩すべて報じ・・・」という回向文があります。人は人である以上これら四つの恩を自覚し、それに報いるべく努めることが仏教徒としての務めであると謳われています。
先ず国王の恩ですが、国王とは国家社会の指導者です。有史以来それぞれの民族は自衛と繁栄のために国家を建設し、その中心にいたのが国王であり君主であったのです。民主主義社会の現代では国の指導者や国家それ自体がそれに相当すると言ってよいでしょう。今でもこれからも国民の一人一人は国家社会の庇護と恩恵を受けていることを忘れてはいけません。
次に衆生の恩ですが、衆生とは生きとし生ける一切の命ある生き物のことです。人はこの一切衆生との関わり合いの中で生かされているのです。また衆生とは広い意味では生物無生物を問わず環境の全てと解釈すべきだと思います。
次に三宝です。これは仏・法・僧のことです。申すまでもなく仏教徒にとってこの三宝が原点であり信仰の拠り所となっています。仏は仏陀であり本師です。法は仏陀の真理の教えであり、僧はその教えの修行者であり同時にリーダーなのです。
最後が「父母の恩」です。人は父母を縁として人はこの世に生を受けたのです。「願生此娑婆国土しきたれり」(修証義)この世に生まれたいという願いを両親が叶えてくれたのです。これこそ絶対の「恩」なのです。
その父母もそのまた父母の恩を戴いているのです。つまり父母の恩の連鎖が御先祖の恩なのです。まず親や御先祖の「こころ」を知ることです。そのこころを自分の心に乗せて受け継ぐことが「恩」なのです。そしてその恩をさらに子々孫々に伝えていくことが「報恩」であるのです。
この夏ある若者(女性・20代)が叔父という人と二人でうちのお寺にやってきました。彼女は父親の遺骨を持参しました。自然葬をしたいとのことでした。話を伺うと、自分たち3兄妹がまだ幼い頃両親は離婚をしてしまったそうです。以来自分たちは母親のもとで育てられたとのこと。だから父親の「存在」は記憶にも気持ちの中にもまったく無かったそうです。
そんな父親が最近あるアパートで孤独死をしてしまったそうです。警察からの連絡で戸籍上身元引き受け人となり火葬までは済ませたとのことでした。兄妹の話し合いの結果「特にお世話になった人でもないので自然葬で海に流そう」ということになったというのです。そこで自然葬の相談にうちのお寺にやってきたという次第です。
私は「自然葬も今では業者がいくつもありますから可能ですよ。でも自然葬も葬儀ですから葬儀をすることになりますよ」と申しました。そしてインターネットで検索した業者のコピーを渡しました。「ではまた話し合ってみます」と言って彼女は遺骨を置いて帰られました。
それから数日後長男という方が見えて「お骨を頂きに来ました。やはり海に撒くことにしました」とのことでした。結局彼らは葬儀も一切の供養もせずにある外房の海に遺骨を流してしまったのです。ただ娘さんだけは反対したそうですが二人の兄(一人は弟?)には逆らえなかったそうです。
自分たちでハンマーで砕骨し、海に行って撒いたそうです。一切の宗教的儀礼も無く。これが「自然葬」になりますか?浮かばれますか?捨てただけのことです。「自分達は何の世話にもなっていない人だから・・」と言った言葉が忘れられません。彼らに「父親の恩」は無かったのです。 

■2 父母の恩・知恩
「善男子、善女人よ。わたしたちは、父親にいつくしみ(慈)の恩を、母親にあわれみ(悲)の恩をうけている。なぜなら、人間がこの世に生まれてくるには、前世に自分が蒔いた善悪の種子(たね)を直接原因とし、父と母とを間接条件としているからだ。父がなければ、わたしたちはこの世に生まれてこないし、母がなければ育つことができない。(父母恩重経:ぶもおんじゅうきょう)
父母恩重経のはじめの方のことばですが、申すまでもなくあなたはあなたの両親がいてこそ今のあなたが存在するのです。今のあなたの「存在」は絶対のものですね。そう認識できますか? だとするとそれは同時にあなたの両親も絶対の存在ということになります。
例えあなたの両親が今健在であろうと故人であろうとその「存在」の意味は変わりません。はじめから少し難しくなってしまいましたが、ここでは先ずその「存在」の意味を考えてみましょう。
その「存在」が絶対ということは永遠ということです。あなたもあなたの両親も永遠の存在なのです。これはすなわちあなたも両親もそしてご先祖様も同じ永遠の存在だということになります。その「永遠の存在」とは言い換えれば「永遠の命」ということです。つまり今のあなたは「永遠の命」という「恩」を戴いているのです。
その恩は「絶対の恩」です。絶対とは不変ということです。不変とは実質が変わらないということです。増減が無いということです。死んでもう何十年も経ったからといってその恩が薄れることはないのです。
この人間世界の常識ではすべてのものが時間と共に確実に薄らいでゆきます。しかしこの絶対の恩は「絶対」だから決して薄らぐことはないのです。もう何年もお中元とお歳暮を贈ったから大体恩はお返し出来ただろうというような世間の恩義とは別時限のものなのです。
時間が経って薄らぐのは人の記憶と気持ちと器量だけです。イヤ「罪」も確実に薄れていくとされています。余談ですが、わたしが納得できないものに「時効」というものがあります。どんな罪を犯したとしても時間がくれば罪を問われないという摩訶不思議な制度です。罪が問われないということは無罪と同じです。一定の時間が過ぎれば免罪になるというのはおかしな理屈です。
宗教的には罪は罪であってどんなに時間が過ぎようがその罪が薄らぐことはないのです。ちょうど今日のニュースにありました。若い小学校の先生を殺害した犯人が時効が過ぎて自首したそうです。その後の民事裁判の内容が報じられていましたが、民事においても時効が成立していたため、たいした賠償金も無いそうです。
そんな僅かな賠償金をめぐってなお犯人は最高裁まで争うとか言っていたそうです。そんな犯人ですからいまだに謝罪も無いそうです。マスコミも時効が成立していると言うのならその犯人の顔をはっきり出したらどうでしょうか。遺族が「怒りと悲しみに時効はありません。」と言っていましたが、まったく気の毒です。
これもちょうど今日のニュースでした。奈良の女児誘拐殺人事件の一審で死刑を告げられた小林薫被告は自ら死刑を望み、遺族に対して悪びれた様子もなく何の謝罪も無かったそうです。どちらもまったく理不尽なことです。しかしですよ、例えこの世で裁かれなくとも必ず来世が待っているのです。
わたしの口癖ですが、極楽浄土は仏を信じる人しか往けません。しかし、地獄は別です。信じなくとも往ける世界なのです。たしかに人である以上どんな人でも過ちや間違いを起こすことはあり得ます。それが人間というものかもしれません。ですからそのために仏教には「懺悔」(さんげ)があるのです。
懺悔とは心から悔い改めることを言います。「滅罪」の方法は心からの懺悔しか無いのです。親鸞聖人の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」の悪人正機説はあまりにも有名なことばですが誤解をしないでください。この真意は心からの懺悔を前提としての理論なのです。
何の懺悔も無く、罪が問われないとか悪人が救われるなどということは絶対にありませんから。いいですか。もし悪人殿がこのページをみていたらこのことをしっかりと肝に銘じてください。え?悪人はこのようなページなど見ないですって? なるほど。分かるような気がします。このようなページを見てくださるのはあなたのような善人だけなのでしょうね。
間違いなくあなたは善人です。自信を持ってください。これからも善人で居続けることを願っていますよ。余談ですが、お陰様でこのホームページもアクセス数が先日一万件を超えました。多くの善人に励まされているのですね。これからもガンバリます。よろしくお願いします。
さて、本論に戻りましょう。我々は親を通して「永遠の命」という「恩」を戴いていると申しました。その恩を「絶対の恩」と言い決して薄れることのないものであるという・・・ その恩を知るにはまず親の恩を知ることから始まります。ここで父母の恩の「十種の恩徳」を紹介しておきましょう。
「父母の恩の重きこと、まさに天に限りないのと同じである。善男子・善女人よ、この父母の恩を詳しく説くならば、十種の恩徳となる。
第一に、懐妊中、母が子を守護してくれた恩。
第二に、出産の折、母が苦しみに耐えてくれた恩。
第三に、子どもが生まれたとたん、母がそれまでのすべての苦しみを忘れてくれた恩。
第四に、乳をのませ、養育してくれた恩。
第五に、子のために乾いた場所をゆずり、みずからは湿ったとことに寝てくれた恩。
第六に、子の不浄物を、洗い濯いでくれた恩。
第七に、子に食物を与えるとき、口にふくんで、苦きものはみずから呑みこみ、甘きを吐きて子に与えてくれた恩。
第八に、子のために、あえてみずからは悪業をすすんでつくってくれた恩。
第九に、子が遠くに行ったとき、子の安否を気遣ってくれた恩。
第十に、最初から最後まで、ひたすら子に慈愛をかけてくれた恩。
父母の恩の重きこと、天に限りがないのと同じである。善男子、善女人よ、ではわれわれはこのような父母の恩に、いかにすれば報いることができるであろうか。(父母恩重経)

お釈迦さまは、天に限りの無いのと同じくらい大きな父母の恩に報いるにはどうすればよいかと問われ、それには先ず「知恩」だと申されています。 恩に報いるには先ずその恩というものを知らなければなりません。これを「知恩」といいます。
恩を知ることで人は感謝をします。恩を知ることで人は優しくなれます。恩を知ることで人は全てを許します。恩を知ることで人は命の大切さや知ります。恩を知ることで人は真実に目覚めます。
どうですか。恩を知ることでいじめや暴力などの芽が育つ余地など無くなります。そればかりかあらゆる犯罪が無くなりますよ。わたしの持論ですが、こどもや世の中がこうも悪くなったのは核家族化が最大の原因だと言ってもよいでしょう。
その最大の問題点は、子ども達がお爺ちゃんお婆ちゃんから引き離されてしまったということです。それは同時に仏壇や神棚が無いところで子どもが育ったということです。古来子どもたちはお爺ちゃんお婆ちゃんから様々なもの、形有るもの形無いものを沢山教わり授かりました。
お爺ちゃんお婆ちゃんは御先祖様や仏さま神さまから沢山の「受け継ぐもの」を持っていたからです。それが今では「宝の持ち腐れ」同然です。「受け継ぐべきもの」を乗せている「心」が恩だと言いましたね。恩を知るという「知恩」の環境がすっかり損なわれてしまったのです。
最近の子どもは悪くなったと言いますが、子どもには責任はありません。子どもこそ被害者なのです。それも分からず少年法の適用年齢をどんどん下げようとしていますが、本末転倒です。問題は家庭だ、イヤ学校だ、やれ社会だ、などとそれぞれが勝手な議論をしているだけで的を射ているものは有りません。
エライ学者先生達も随分議論していますがとんちんかんな烏合の衆でしかありません。だいたい今「恩」を話題にしたり問題にしたりする人が一人でもいますか? 世の大人は早くその核心に気がつかなければなりません。
そんな中ちょっとだけ気になるニュースがありました。昨日阿倍新内閣が発足致しましたが、教育基本法の改正を最重要課題にしているそうです。愛国心についても取り上げられているとか。そのことでの賛否両論があるようですが、愛国心を否定する人の考えが私には理解できません。
教育は国家百年の計ともいわれています。犯罪の年少化、教員の不祥事等を考えると教育改革に問題意識を持たれた阿倍さんをおおいに評価したいと思います。是非大鉈を振って欲しいと思います。
ただ私の意見を言わせていただければ、対症療法では駄目だということです。ただ徒に規則、罰則を厳しくするだけでは決して問題の根本的解決にはなりません。人が決まるのはすべて「こころ」です。だから本当に必要なのは心の教育なのです。「心の教育」とは、すなわち「恩」の教育です。
「愛国心」もその一つです。四恩の内の「国王の恩」と同じです。誤解しないでください。真の愛国心とはファシズムともナショナリズムとも違います。国家の恩を知ることで感謝の心が育ちます。
それは人として国民として誇りと勇気と自信を育みます。それは優しさと思いやりの心を育て命の大切さを知ることになります。世界平和の基はまず人造りからです。今回は大分話が大きくなってしまいましたが、ともかく阿倍新総理に期待しましょう。
しかしどうもわたくし的には宗教性のない政策にはどうも実効性があるようには思えません。やはり宗教ですよ。もはや人造りは宗教教育を通して「恩」を教えることでしか無いと私は思うのです。 

■3 不知恩の戒め
前回は、人は恩を知ることで感謝を知り、おもいやりの心が育つのだと言いました。「恩」を知らないところに虐待やいじめの心が芽生えるのだ・・・と。なぜか今月に入り特に子どもの虐待、いじめによる自殺などのニュースが目立ちます。虐待、いじめなどは人間の尊厳を否定する行為です。
この非人間性の行為が今日本中の家庭、学校を襲っています。この現象は明らかに宗教教育の衰退がもたらした結果だとわたしは思っています。「恩」の教えが無くなってしまったのです。そこで今回は「恩」を失った「不知恩の戒め」ということで考えてみたいと思います。
つい最近の福岡での中2男子生徒のいじめによる自殺は、その発端が元担任教師によるものだったことから俄然社会の関心を集め、メディアはこぞって連日その成り行きをニュースで伝えています。この件では、母親からの相談内容を教師が同級生に漏らしたことからいじめが始まったとのこと。
学校側はそんな事実をなんとか隠し通そうとしていたようですが「遺書」の存在が明らかになり仕方なく「いじめ」を認め雁首そろえて生徒宅に謝罪に訪れていました。父親が特に激しい口調で「あの笑顔を返せよ!」と怒鳴っていたのにはおもわず共感と憤りを覚えました。学校と教育委員会のいじめ隠蔽体質の実態が暴露された映像だけに大変なインパクトがありました。
ついそのちょっと前には北海道滝川市での小学6年生の女子児童のいじめによる自殺のニュースがあったばかりです。「私が死んだらよんでください」と書かれたものを"遺書"とは言わずあえて"手紙"と言っていた教育委員会のそらぞらしい態度にも思わず腹立たしさを覚えました。
遺族の悲痛な訴えと周りからの批難と抗議によって一年以上も経ってからやっと教育委員会は「いじめによる自殺」と認めたというのです。この理不尽な事件を機に学校や教育委員会の隠蔽体質に対してマスコミの攻撃的取材が始まったようです。
このほかにも福島では中一女子生徒がいじめを受け、柔道の練習と称して男子生徒から集団で投げ飛ばされ脳挫傷となり8時間もの手術を受けたにも拘わらず、3年も経った現在でも意識不明の重態が続いているという。
PTA臨時総会が開かれたそうですが、学校側は「休憩中に倒れた」として「学校に一切責任はない」とし、さらに保護者会では「もともと脳に障害があった」とさえ言い切ったとか。その学校の校長はいまだにマスコミの取材を一切拒否しているそうです。
いじめは1980年代に社会問題化し、すでに20年以上も経っているのに実態はまったく変わっていなかったのです。イヤ実態はむしろ悪化し深く潜行していたと言って良いでしょう。それがこのところの相次ぐ「事件」の発覚で全国でのいじめの実態が続々明らかにされてきているというのです。
マスコミによれば小・中・高生のいじめは年間2万〜3万件もあるそうです。自殺は年間100人〜160人にも上るとのことです。その全てがいじめによるものとは言えないかもしれませんが、子どもが借金や病気を苦に自殺をするでしょうか。ところが文部科学省の発表するデータによると、いじめによる自殺者は過去七年間毎年ゼロであるというからまったくの驚きです。
このギャップは一体何でしょう。その理由は学校と教育委員会の「体面」と「保身」のための「責任回避」に他ならないのです。「いじめ」を認めたら裁判に勝てないという思惑がすべての隠蔽工作に繋がっているのです。
保身と責任回避を優先させるところには必ず嘘と隠蔽の体質が発生するのです。ウソと隠蔽は"犯罪"です。これが行政組織の「体質」になっているとすれば、はっきり言って北朝鮮とかわらないではないですか。
学校も教育委員会も腐りきってしまったのでしょうか。誤解の無いように申しあげますが、日本のすべての学校、全ての教師がそうだと言っているのではありません。勿論真面目に一生懸命に子どものためにがんばっている先生も沢山いるのです。
これも今日のニュースでした。23才の若い小学校の女性教諭が心の病で自殺をしてしまったそうです。せっかく崇高な夢を持って教師になったばかりでした。ご両親は労災の申請をしたとのことです。
学校の環境がかなり悪化しているのでしょう。心の病にかかる教師も急増していてこの十年間で3倍にもなっているそうです。教師にも学校にも異変が起こっているのです。
また、なんと虐待の多いことでしょう。京都での三歳児が虐待によって餓死したニュースが報じられていました。しつけと称してほとんど食事を与えなかったそうです。たかが三歳児ですよ。何の罪もありません。そんなバカ親の元に生まれてきたことを恨んでいるでしょう。その無念を思わずにはいられません。
マスコミによりますと、昨年だけでも3万4千件以上の虐待が報告されているそうです。報告されたものだけですから実態はもっと深刻な筈です。そしてなんと毎年50人前後の子どもが虐待死しているそうです。虐待白書によると、虐待の相談件数はこの10年間で15、4倍になっているとか。虐待は実母によるものが59%、実父によるものが24%、両親あわせて83%であるという。
家庭にも大きな異変が起こっているのです。このように家庭も教師も学校も行政もみんな明らかにおかしくなっているのです。今まで何度も言ってきましたが、子どもにはまったく罪も責任もありません。子どもは宝です。未来です。夢です。子どもが駄目になったら未来はありません。
「美しい国・日本」などと悠長なことを言ってはおれません。早くなんとかしなければなりません。責任はすべて大人社会にあることをしっかりと認識すべきです。
安倍総理はタイミングよろしく教育再生会議なるものを立ち上げました。メンバーは各界から選りすぐられた十七人の有識者で構成されているそうです。期待感も高いようで是非注目したいところです。
しかしですよ。各界の有識者とは言いますが、宗教関係者が一人も入っていないところが気になります。いささか疑問ですね。これは今の宗教界が当てにされていないということなのでしょうか。或いは教育に宗教の必要性が認められていないということなのでしょうか。私はその両方だと思うのです。
確かに今まで宗教界は積極的に宗教教育をアピールしてこなかったということは言えるかも知れません。でもこれはアピールしてこなかったというよりはアピールできる"人"が居なかったのだと私は思うのです。残念ながら宗教界はまったくの"人材"不足なのです。
そこで持論を言いたいのですが、現在の倫理観や道徳観がこうも衰退し乱れてしまったその責任の大半は宗教界にあると私は思うのです。一般的にその社会の倫理道徳観はその社会の文化通念に基づいているのです。その社会の文化通念の多くは宗教に基づいているのです。
これは日本文化の大半が仏教思想や仏教文化に基づいているという事実をみても明らかなことです。つまり日本の教育がおかしいということは日本の社会がおかしいということであり、その社会がおかしいということは即ち宗教界に責任があるということです。
学校だけがおかしいとか、家庭だけがおかしいとか別個に切り離せる問題ではないのです。おかしくなった枝葉末節だけを捕らえ、議論してみてもほんとうの根本を理解しなければ意味はありません。
そこでわたしが主張したいのは、教育の退廃は宗教教育の退廃にあると認識すべきだということです。宗教教育にもっと眼を向けるべきだと言いたいのです。人が人らしく生きるための指針と指標を教えてくれるのが宗教だからです。
その基本の一つが「知恩」の教えなのです。自分が生まれてきたのも、今生きているのも、様々な「恩」を受けているお陰だと知ることです。くどいようですが、人は恩を知れば必ず感謝の心が生まれます。
感謝の有るところには必ずおもいやりの心が育ちます。おもいやりの世界には決して虐待もいじめもありません。おもいやりの心とは即ち菩薩の心、「自未得度先度他のこころ」(道元禅師・修証義)です。
エライ先生方、どうか今一度「仏教」に眼を向けてはいただけないでしょうか。聖徳太子は申されました、「世間虚仮、唯仏是真」と。太子が命がけで仏教を国教に採り入れたからこそ大和国家が栄えたのです。「美しい国・日本」が生まれたのです。
今の日本が美しいと思いますか?美しさとは風景ではないのです。心の景色を言うのです。もう猶予は有りません。是非一人でも多くの大人に真剣になって欲しいものです。
理由を聞かれて「からかいやすかったから」と応えたあの教師。47才といえば教師として人間として最も分別の有る年代の筈です。それが何の罪意識も持たずにからかっていたのです。あえて彼の側から少し弁護するとすれば、彼もまた「恩」の教育を受けてこなかった"かわいそう"な一人だったと言えるのかもしれません。
しかし、事の結果責任は重大です。「一生掛けて償っていく」と言っていましたが、彼は今人生最大の屈辱と苦しみを味わっているに違い有りません。しかたのないことです。因果応報としてこの際しっかり受け留めてもらいたいと思います。この因果応報の理論も仏教の重要な教理の一つです。
今回発覚した北海道や福岡の件は氷山の一角といわれています。今なお必死で責任回避を模索している例の福岡の校長先生や教育委員会。未だに事実を認めようとしない福島の先生方をはじめその他多くの隠蔽を続けるセンセイ方にもやがて必ず因果応報の"その日"がやってくるでしょう。
因果応報に"個人の勝手"は一切通用しません。真実は必ず証明されるという因果応報の法則を知るべきです。 

■4 いまこそ徳育
毎日毎日虐待といじめのニュースばかりです。いじめによる自殺の連鎖が止まりません。子どもに止まらず教師や校長先生が自殺をするという事態までも起こっています。
特に先般いじめによる自殺予告の手紙が文部科学大臣宛に届いてからその種の「予告」が相次いでいます。この11月19日現在でなんと27通にもなっているとのことです。
先生、教育委員会、文化省など教育関係者は恐々としていることでしょう。今やメディアの中心はいじめと自殺の問題となってしまいました。テレビ番組も連日教育問題をとりあげ教育評論家やコメンテーター、それにタレントが加わり様々な議論を交えています。
新聞からいくつかの意見を拾ってみました。「子供からのサインを絶対に見逃さないための努力と、事実を受け止め、きちんとした対応をとる」(某有識者)「いじめられる子の逃げ場を作る。」(某中学校長)
「いじめを疑ったら学校組織で徹底糾明する。加害生徒の親にも改善要求を突きつける。教育委員会や警察、地域もアンテナの感度を高めて学校の中を注視する」「校長を孤立させない。」(某新聞社説) 「いじめっ子のために死ぬなんてばかばかしいよ。相談においで。一緒に解決しよう。」(某氏)
「いじめられる子供には今は苦しいが、この経験は自分自身を変える種になるかもしれないという視点を持たせ、いじめる側には、いじめしかすることがないのかと思わせるようにする。」(某教育評論家)「いじめに負けない強い精神と心を鍛える。」(某タレント)
どの意見もごもっとものように思われます。しかし、残念ながら的を射たものとはいえません。それらはどれもみな対症療法にすぎないからです。 病気と同じです。症状だけを診て手当を施してもその病根を治療しなければ善くはならないのです。
確かに今現在虐待やいじめで一刻の猶予もままならない子供が不特定大勢います。当面はその子ども達に対する緊急の対応が必要でしょう。それと私が言いたいのは同時に長期的普遍的な解決を目指した方策が必要だということです。
恒久的な指導対策が確立されなければ真の解決とはならないからです。どんな問題であれ問題の解決にはまず原因の究明と、その的確な対応を講ずることにあるのですから。
さて、初めから考えてみましょう。まず「教育」って何でしょう。それは誰もが知っているとおり、知育・徳育・体育でしょう。現在そのバランスが完全に崩れ去ってしまっているのです。はっきり言うと徳育がなおざりにされて知育偏重になってしまっているのです。
ではなぜ知育偏重になってしまったのでしょうか。それは経済主義と物質主義がもたらした結果なのです。戦後日本は貧しさから抜け出すために必死でした。幸い日本人には元々は労働に対する強い美徳観が有りました。
寝食を忘れたように一生懸命働きました。戦後60年、結果日本は奇蹟の経済復興を遂げ世界ナンバー2の経済大国になりその豊かさを享受したのでした。
しかし、それも束の間、豊かさを求めて突っ走ってきて、今立ち止まってみたら手元には"物"しか見当たりません。心の中に優しさやおもいやりの"情"が見当たらないのです。実に"情けない"状況です。
「形のある物にこそ価値がある」とするのが物質主義です。これに対して「こころの豊かさこそ真の豊かさ」であるとするのが精神主義です。知育・徳育・体育とは看板だけであって、本音は勉強さえできればいいという、その心は知育第一主義だったのです。
これを知育偏重と言うのです。その結果が、良い学校、良い大学、良い資格、良い仕事、そして最後に良い収入であったのです。こうして経済力が豊かさの象徴であるという価値観が戦後定着したのです。
そして、地位も名誉もすべてお金次第であるというこの偏った価値観が定着し、ついに「物質主義」が"完成"されたのです。そこには当然優しさとおもいやりのある精神主義が追いやられてしまっていたのです。物質主義にかぶれると人は餓鬼道に堕ちます。
餓鬼道とは欲望により善悪の判断を無くしついには地獄に堕ちてしまうという世界です。知育偏重による偏った価値観にはそういった恐ろしい餓鬼道も待ち構えているのです。ついでに申し上げるならば、そこで見落としてはならないことは、その偏った価値観はさまざまな差別感を生んでいるということです。
知育偏重が学歴偏重や職業偏重の感覚を生み出し、人を学歴や職業で決めつけるといった実に危うい感覚を生みだしているのです。学歴や職業で人を決めつけるというのはまさに差別です。更にその知育偏重の結果生じたものに例の高校での履修ごまかし問題があります。
受験科目だけが贔屓(ひいき)され、皆でやれば怖くないごまかし授業が黙々と行われていたのです。指導要領とは一応学校教育のバランスを図っての国の指導基準です。その法的な指導要領を無視してまで進学一辺倒の"予備校"授業がほぼ日本中の高校で行われていたのです。
その教科偏重により、必修教科の「歴史」は切り捨てられてしまったのです。歴史は人間にとって大変重要なものです。過去を知ることで現在が分かりそして未来が見えてくるのです。歴史を個人のレベルで考えてみましょう。
もし仮にあなたが今自分自身の過去を失ってしまったとしたらどうでしょう。丁度一切の記憶を無くしてしまった状況を想像してみてください。自分の家族や親、先祖や出身地のことが全く分からなくなったらどんな心理状態になると思いますか。多分自己確信ができず不安によるストレスで自信も希望も失ってしまうでしょう。
人は犬や猫と違うのです。人は自分の過去を認識することで自己確信をします。先祖を知りルーツを知ることで父母の恩、祖先の恩、衆生の恩そして国の恩を知るのです。
郷土や国の歴史も同じです。自国の歴史を知ることで民族の伝統や文化に誇りを持ち、未来に希望と責任感が持てるのです。歴史を重んじないところには何の発展もありません。家族愛も人類愛も愛国心もありません。あるのは国家の衰亡だけでしょう。
歴史の教科書を買わせるだけ買わせて埃をかぶらせていたのですから実に情けない話です。どうですか。歴史教育こそ「徳育」の宝庫と知るべきです。この知育偏重の風潮は高校だけではありませんでした。義務制の学校にも見られたのです。
これもつい最近のことです。東京都足立区教育委員会は区内の小・中学校を学力テストの結果から四段階にランク付けをし、そのランクに応じて特別補助金を分配するという案を出しました。教育委員会は「やり甲斐と目的意識を持たせた妙案」として大層な自信でしたが、予想外の批判に結局この案は撤回されました。
しかしまったく教育というものの何たるかを分かっちゃいないのが教育委員会のオエライ方達です。ダイタイですね、今大問題のいじめ、自殺の問題にしろ、戦後の日本の教育がこれほどおかしくなってしまったその責任の大半は教育委員会にこそあるのですよ。そんな当事者としての自覚や反省を果たして感じているのでしょうかね。とても感じているようには思えません。そんな組織無くともいいんじゃないですか。
今回のいじめ問題で世間もようやく教育委員会の実態に気付きはじめたようです。教育再生会議からも教育委員会不要論が出てきています。大賛成です。だいたい教育委員会も叙勲待ち組の天下り組織のようなもんじゃないですか。これって言い過ぎでしょうか。
しかし、日本の教育の真の再生を考えたとき問題は教育委員会不要論とか組織体制論とかの時限ではないのです。本当の問題はいわば「知育偏重教」という邪教にかぶれてしまっているこの日本人の頭からまず知育偏重の"呪縛"を解くことなのです。これら"邪教"によるマインドコントロールから解放されない限り日本にこれからも健全な教育は戻ってはこないでしょう。以上、知育偏重の原因とその"弊害"について縷々述べてきましたが、そのことから私が最も言いたいことは「徳育」の必要性なのです。徳育というものが知育偏重の陰に追いやられ、なおざりにされた結果がズバリ「いじめ」の問題となっているからです。
いじめ問題は昨日今日の突然変異で出現したのではありません。戦後60年間の物質主義による知育偏重の陰に追いやられた徳育不在の結果なのです。その付けが今大きなうねりとなって日本中の家庭、学校、社会を襲っているのです。
いいですか。「因果必然」の言葉を思い出してください。原因の無い結果はありません。結果の無い原因もありません。これは大宇宙の絶対の法則なのです。
次に徳育欠如の教育こそいじめの原因というそのメカニズムについて述べてみたいと思います。今回はちょっと話が長くなってしまい恐縮ですが、どうか聞いてください。これからが重要なのです。
子どもは小学校に入学以来全てにおいて勉強の成績で評価されてきました。まさに知育偏重によるものです。教師も親もそしてこども達自身も成績こそ一番重要だと信じ込んでしまったのです。そこから成績の良いのが「良い子」だという成績至上主義が形成されました。
これは裏を返せば、成績の良くない子は"ダメな子"だという表と裏の論理構造になるわけです。成績イコール人間評価というとんでもない価値観が植え付けられてしまったのです。どこにも成績のトップは一人しかいません。残りの全ての子供にとって自分より上位がいるのです。
そこで生まれてくるのは比較による競争意識と劣等感です。その競争意識のストレスと劣等感の反動から現れたのが弱者への抑圧なのです。比較され被差別感を持った子供はその劣等感と鬱憤(うっぷん)の吐口を弱者に向けたのです。性格的或いは体型的特徴のある子供などが特にターゲットにされたのです。
徳育とは一言で言えば「人は皆等しく尊いのだ」という教えです。それを論理的にも感情的にも教え伝え、人としての理性と情けを身につけさせるのが徳育なのです。そうでしょう?教育委員会殿。分かっていましたか?
「いじめ」は人としての理性と情が動物的弱肉強弱の本能に負けてしまった結果起こるのです。いじめだけではありません。どんなに優秀な人間であっても生育の課程で適切な徳育を欠くと歪んだ性癖を持ってしまうことにもなるのです。
徳育に裏打ちされた教養でなければちょっとした誘惑にも勝てないのです。スカートの下を手鏡で覗きたいという小さな欲望にも勝てない"人格者"が育ってしまうのです。
わが子虐待殺人事件を起こした最近の進藤美香の事件や例の畠山鈴香の事件にしろ、その二人はほぼ同じような生育環境にあったといわれます。その共通点はまず弱者としてターゲトにされたことでした。二人とも小・中・高時代を通して大変いじめられたそうです。その疎外感から受けた深い心の傷が元で心がすっかり歪んでしまったのでしょう。
歪んだ精神は我が子を虐待し、ついには殺害するという非人間性の行為に及んでしまったのです。虐待が虐待を生むという虐待の世代間連鎖が定説となっていますが、この点から言えることはいじめも虐待も本質は同じなのです。自分が受けたいじめが我が子虐待という形で現れたのでしょう。
この理論から言えば、いじめられる側もいじめる側も被害者なのです。いじめは単にいじめる側が悪いとしていじめた子どもを罰すれば済むと言うのはまったくのオンチのお門違いです。いじめる側も被害者なのです。被害者を犯人扱いするようなものです。
ちょうど今日のニュースでした。ある人気の有名な教育評論家(教育再生会議メンバー)が「いじめをしている側に厳しい対応を」と言っていましたが、いじめる側の子供を"悪"と決めつけるのではなく、なぜその子供の"心の叫び"を聞こうとしないのでしょうか。
いじめる子供の心にこそ解決の糸口があるのです。いじめる子供の心を集めてみてください。その心を紐解いてみてください。その中に必ず解決の答えが有るはずです。
"いじめる心"にこそいじめられる心の叫びがあるのです。そこまで分かっている有識者が果たして一人でもいるのでしょうか。とにかく、"いじめる心"をターゲットにしてみてください。
そしたらきっと見付かるでしょう。これもあれもすべては徳育不在の偏重教育によってもたらされた心の貧困から生まれた「愛情不足」であったことを。今こそ徳育に眼を向け、その実践について鳩首凝議すべきなのです。 

■5 徳育は信仰から
つい最近、ある民放の番組であるジャーナリストが、ノーベル平和賞受賞者であり現在の世界仏教界のリーダーといわれるチベット仏教の最高指導者14世ダライ・ラマ法王に尋ねていました。「日本では今大変ないじめの問題が起こっていますが何が原因でそうなったのでしょうか。またどうすればよろしいのでしょうか。」と。
これに法王は、「日本は世界で有数な先進国でありますが、その発展のためにすべて知識優先の教育をしてきた結果子供達に十分な愛情が与えられなかったのです。子ども達は愛情の不足により優しさとおもいやりの心が欠けてしまったのです。」と語っておられました。いじめは愛情の不足が原因だと明言されているのです。
わたしも前回の法話の終わりに、「優しさとおもいやりの心」が日本人の心から欠けてしまったのは徳育不在の教育によってもたらされた心の貧困から生まれた「愛情不足」であったと申しました。そして「今こそ徳育に眼を向け、その実践について鳩首凝議すべきなのです。」と提言いたしました。
それを受け今回は徳育とは何か、そしてその実践とは何かについて考えてみました。はじめに徳育の欠如についておさらいしておきましょう。 戦前のそれまでの道徳教育がすべて否定されてしまったことで、家庭も学校も子供に対する躾の"規範"を失ってしまいました。その戦後教育の走りがいわゆる団塊の世代でした。
実は私自身団塊の世代なのです。ちょっと当時を偲んでみました。どこにでもガキ大将がいて徒党を組んでよく野原を走り廻りました。よく遊んだという記憶の一方いつも腹を空かしていたような気がします。
遊びの中でもいつも食べられる物を探していたような気がします。柿や栗、枇杷、蜜柑など野生のものもそうでないものも結構漁りにいったものです。こどもながら何が食べられるかよく知っていました。今思うにそれだけ食べ物が少なかったのだと思います。
今の子供がその辺に生っている柿とか蜜柑とかを採って食べるということはまずありません。 家には物が溢れ慢性飽食状態になっているのです。家にある果物さえあまり手を出しません。
昔は食べ物は粗末で少なかったけど家族は皆集まって楽しく食卓を囲んだものです。サツマイモが蒸けたといってはお隣さん配ったりお裾分けしたりしたものです。 当時はみんなが貧しかったせいか特にひもじかったという思いはありません。子供はみんな外で遊び、子供が子供らしかったと思います。
しかし、そんな楽しい時代は小学校までで、中学校に入ると高校進学のための厳しい受験勉強が待っていたのです。「できたら高校に行きたい」と誰もが希望するようになり一気に高校進学率が高まりました。その波はやがて大学進学熱となりいよいよ高学歴社会が始まったのです。
みんな物の豊かさを目指しました。三種の神器と所得倍増をキャッチフレーズに物質主義が加速されていったのです。子ども達はその物質主義がもたらした知育偏重教育にどっぷりと浸されたのです。その結果は前回までに縷々述べたとおりの徳育欠如の教育でした。
徳育が失われたさらにもう一つの原因が「宗教の欠如」です。これこそ一番の問題なのです。それは核家族化がもたらしたものでした。これについても何度も言ってきました。
人は経済的に裕福になると個人主義になります。個人主義は人との関わり合いを避けます。これは家族や肉親の間でも例外ではありません。家庭に個室が急速に普及したのもこれによるものです。
「家付きカー付き婆抜き」などというイヤな言葉が流行りましたが、これは若者の心がいかに身勝手な個人主義志向になっていたかを良くあらわしたものです。戦後の団塊の世代に始まった物質主義は同時に個人主義を助長させたのです。その団塊世代の子供、つまり団塊ジュニアが今の親になって核家族社会は"完成"されたのです。
みてください。そこには仏壇も神棚もありません。親が神棚に向かって柏手(かしわで)を打つことや仏壇の先祖に灯明や線香を手向け合掌する姿を今の子ども達は知りません。当然お爺ちゃんやお婆ちゃんに連れられてお寺に行くこともないのでお寺のことも知りません。
ちょっと余談になりますが去る10月の終わり頃、近隣のある小学校の3年生と4年生37名の児童が3人の先生に引率されて当山にやってきました。当山のホームページを見て「体験坐禅」に見えたのです。
最後に質問の時間を設けたのですが色々ありました。その質問内容から感じたのは彼らが如何に日頃神仏から離れたところで生活をしているかということです。
さて、日本には古来よりの神道や仏教があります。それらを心の拠り所として日本人は文化と伝統を築いてきたのです。家に神棚や仏壇が無いということは神仏に対する畏敬の念や、祖先や父母に対する敬慕の念が希薄になってしまうということです。
世界のどんな民族にも必ず宗教があります。イヤ世界中の民族の中で宗教を持っていない民族は皆無なのです。多くの民族が命がけで自分達の宗教を護っているのです。
つまり、人間には宗教が必要なのです。というより宗教の中で生きているのが人間だと言うべきでしょう。ですから、まず人間には絶対に宗教は必要だという認識を持って欲しいのです。
その絶対であり拠り所である宗教を持っていない人がいるとしたら果たしてどのような人でしょう。おかしな宗教にかぶれておかしな精神になっている人を考えますと宗教の"効果"は決して侮れません。このことからも人には正しい宗教が如何に必要であるかが分かります。
「あなたに宗教はありますか。」と聞かれて、「ハイ」と自信をもって言える人が今の日本人にどの位いるでしょうか。あなたはどうですか?自信ありますか?はっきり言って、今の一般的日本人には宗教認識があまりありません。これを「宗教の欠如」と言うのです。
そのことを認識した上で次に進みましょう。次のテーマは宗教と徳育の問題です。宗教が如何に徳育に拘わっているかということを知ってもらいたいのです。まず、宗教とは何でしょう。
世界宗教といわれる宗教はどれも皆その基本教理は「愛と感謝」なのです。これが仏教では「慈悲」と「報恩」になるのです。ここでは仏教を通して考えてみます。仏教でいう慈悲とは元々人に具わっている仏心のことです。
この仏心は信仰によってのみ開花するのです。開花された仏心には慈悲心が表れるのです。慈悲心とはすなわち優しさとおもいやりの心のことです。
仏教の命題に「修善奉行・諸悪莫作」があります。文字と通り善行を為し悪を為してはならないという教えです。「善い事をせよ。悪いことはするな」とは七歳の子供でも分かることです。でもそれがともすると70歳の老人でも難しいことなのです。
なぜでしょう。それは仏心が未開発だからです。人は信仰のなかで仏心を開発し慈悲心を感得します。その慈悲心の下で「修善奉行・諸悪莫作」が実践されるのです。
「善いことだからする」とか「悪いことだからしてはならない」というのは理屈です。慈悲心には「理屈」がありません。慈悲心いは「善いことしかできない」という理屈を超えた観念しかありません。「善いことしかできない」ということは「悪いことはできない」ということです。
犯罪を犯す人のそのほとんどは悪いことと知っていてするのです。詐欺や泥棒や強盗などが悪いことと知らない人はまずいません。みんな重々承知して行う"確信犯"なのです。
これは善行に対しても言えることです。困っている人を助けることや、奉仕活動は善いことだと誰もが分かっています。しかしそれを実行するとなるとなかなか難しいのです。なぜ難しいのでしょう。
それは損得勘定という理屈が働くからです。慈悲心には一切の理屈が無いと言いました。理屈を超越した慈悲心だからこそ「善いことしかできない」「悪いことはできない」という境涯に達するのです。「善いことしかできない」という思考観念、これが慈悲心なのです。
信仰によって感得された慈悲心には一切の理屈はありません。あるのは「善行」だけなのです。つまり宗教とは人に本来具わっている仏心を開発し慈悲心を感得することです。その結果理屈抜きに「修善奉行・諸悪莫作」が身に付くのです。
子どもの心を育てるのが「徳育」でありその基本にあるのが宗教であるというのが分かっていただけたでしょうか。ダライ・ラマ法王の仰せられた「愛情の不足」とは宗教の欠如によるものだったのです。正しい宗教の下では決していじめや虐待は起こりません。そのためにも正しい信仰を持つことです。
最後にその実践についてちょっと触れておきましょう。まず信仰を持つことだと言っても、信仰は強制されて出来るものではありません。ではどのようにしたらよいでしょうか。信仰は理屈ではないと申しました。それはつべこべ考えるなということです。理屈抜きに「形から」入ればいいのです。
まずあなたの家の仏壇に手を合わせるのです。もし仏壇が無ければ用意してください。当然のことです。そして仏様ご先祖様を崇拝し感謝を申し上げるのです。初めはなんてことはありません。信仰は継続からです。少しずつ確実にあなたの心は変化していきます。
必ず子供と一緒に行うのです。宗教は学校で教えるものではありません。家庭で躾るものですから。だからまず親です。親が率先して信仰の姿を子供に示しそして共に実践するのです。
そんなあなたの姿を通しこどもはご先祖さまや親に対しての敬慕の念を感得する筈です。そしてやがて理屈を超えた「恩」と「感謝」の念が芽生えてきます。感謝の先にあるのは「優しさとおもいやりの心」です。 
 

 

■6 恩義
恩という字は心の上に「因」が乗っています。因は「基づくもの」、「受け継ぐもの」という意味です。人はみんなさまざまな"もの"を受け継いでいるのです。それをしっかり"心"の上に乗せているのが"恩"です。これは以前にも申し上げました。
これまで幾度も四恩(父母の恩、国王の恩、衆生の恩、三宝の恩)についても触れてきましたが、今回はその"お陰"である「恩義」について考えてみました。
じぶんが生まれてきたのは父母やご先祖のお陰です。(父母の恩) じぶんの今があるのはあらゆる環境のお陰です。(衆生の恩) じぶんの命と生活が護られているのは国家社会のお陰です。(国王の恩) じぶんの永遠の命が保証されるのは大宇宙の因縁のお陰です。(三宝の恩)
しかし、どうでしょう。今や日本の家庭、学校、社会にこの恩義が感じられません。父母の恩を感じないから、虐待やいじめ暴力、兄弟殺人が起こるのです。衆生の恩を感じないから、自然破壊、環境破壊が起こるのです。
欠陥ガス器、欠陥自動車、細菌入りお菓子、捏造テレビ番組が平気で作られるのです。国家の恩を感じないから、賄賂、不正談合、脱税、子どもの給食費逃れが起こるのです。三宝の恩を感じないから、健康や命が粗末に扱われるのです。
四恩といってもそれぞれが別個のものではありません。父母の恩だけが有って他の恩は持って無いとか。三宝の恩だけ有ってほかの恩は持って無いとかはありえません。恩はみんな根元は一つのもので全てが繋がっているのです。
その恩義の欠落によって人は利己的、利欲的、貪欲的、短絡的、自堕落的になってしまうのです。それはともすると動物にも劣りかねません。
畜類なお恩を報ず、人類いかでか恩を知らざらん。(道元禅師)
人の悲しい行為や犯罪の原因の多くにこの恩義の欠落があるといっても過言ではありません。人は恩義を感じることで感謝し切磋琢磨し他人に優しくなれるのです。
その恩義を教え育てるところが家庭であり学校であり政治であるのです。しかし残念ながら今の日本には誇れる躾も教育も政治もありません。親も教師も政治家もすっかり自信を無くしてしまっています。
教育方針は政治行政によって決められます。つい先日「教育再生会議の第一次報告最終案」が出ました。残念ですが、斬新的なもの、画期的なものはありません。
(1)ゆとり教育を見直し、学力を向上する。ゆとり教育が何故だめなのか。ゆとりがないから子どもがおかしくなっているのです。ほんとうの"ゆとり"の意味がわかっていないのです。学力も確かに大切です。ですが学力至上主義の方向に偏ると弊害が起こるのです。
誤解しないでください。私の言いたいことは、本当のゆとりとは人にとって大切な智慧を教えることだということです。智慧とは哲学と情緒と愛です。これこそ人が豊かに平和に送れる人類不変の原理ではないでしょうか。
(2)出席停止制度の活用、立ち入り支援、警察との連携。子供の鑑は大人です。こどもを悪くさせている張本人は大人自身であることが全然分かっていません。悪いと決めつけて出席を停止させてしまうのは教育の放棄です。
難しい子供こそ親身になってその心を理解しようと努めるべきなのです。悪いと決めつけて警察にまかせるとはまったくあきれてしまいます。子供の心はどんどん離れていってしまうだけです。
(3)魅力的で尊敬できる先生を育てる。メリハリある給与体系、教員免許更新制導入。給与や免許更新制度と先生の質の問題はあまり関係ないと思います。先生に必要なものは哲学と愛情です。
問題教師に良い給料をあげても免許更新しても資質と素質は変わりません。資質のある先生を育てるには、子供の教育とまったく同じではじめから哲学と愛情でしっかり育てる以外にはないでしょう。
(4)すべての子どもに規範意識を教え、社会人としての基本を徹底する。(2)と同じで、鑑としての大人が問題なのです。規範意識の無いのはむしろ大人社会です。純粋な子供に必要なのはしっかりとした大人社会の模範なのです。子供自身に責任転嫁するのは問題です。
(5)反社会的行動を取る子供に対する毅然たる指導のための通知等の見直し。何度も言いますが、最初から悪い子供なんていません。子供は百パーセント環境で育つのです。その環境とは大人社会のことです。なぜそれに気が付かないのでしょうか。毅然たる指導は大人社会にこそ必要なのです。
どうですか?どれもみな押しつけ、排除、強制の理論で一貫しています。哲学が有りません。情が有りません。なぜ今の子供がこうも問題になったのか、その根本が論議されていないのです。私は情と哲学が子供に与えられなかったからだと思うのです。情と哲学とはすなわち"恩義"の教えです。
恩義が無くなったから子供の心は荒みいじめや暴力が先行するようになってしまったのです。排除や強制では絶対に恩義は育ちません。
何度も言いますが子供に罪は無いのです。子供は庇護されるものなのです。すべて責任は大人社会にあるということを認識すべきです。
その教育の元はと言えば政治です。その政治が教育と同じようにすっかり疲弊してしまっています。"芯"に哲学が無いから毅然とした「まつりごと」ができないのです。
政治も教育と一蓮托生ですから、教育が悪くても政治は良いとか、政治が悪くても教育が良いなどということはありません。ついでに申し上げれば家庭も社会もそうです。
みな同じ世界の同じ環境の中の有象無象なのです。世は末法だから仕方がない、などと言うのは無責任です。一蓮托生だからこそ他人事ではないのです。
そして大切なことは、恩義とは一方的なものではないということです。子供は親に恩義がありますが、同時に親は子供に恩義があるのです。生徒は先生に恩義がありますが、同時に先生は生徒に恩義があるのです。家庭は学校に恩義がありますが、同時に学校は家庭に恩義があるのです。国民は国に恩義がありますが、同時に国は国民に恩義があるのです。
この理屈難しいでしょうか? でもこれは仏教の当然の理論なのです。一蓮托生とはそういうことです。この理論からすると、子供は国に恩義がありますが、同時に国は子供に恩義があるということになります。
難しく考えなくとも、国は未来を子供にお願いするのだから当然でしょう。政治は子供に恩義があるということです。常にこの観点に立った行政がなされれば良い教育ができると思うのですが。どうでしょうか?
しかし、その政治も今右往左往しています。今の日本は大変な格差社会にあると言われます。マスコミもその政治責任を連日とりあげています。阿倍政権の不人気もこのせいだと言われています。
同じように働いても報酬に倍程の差があればこれは不条理と言わざるを得ません。人がもっとも辛く苦しく感じるのは"不条理"です。不条理とは本人の責任ではどうすることもできないことを言います。この不条理の気持ちが蓄積すると国家や社会に対する不信、不満が高まります。
当然国家社会に対する恩義の情もなくなります。恩義が無くなると感謝の心は失せて心が荒んできます。その結果増えるのは犯罪です。美しい国どころではありません。情けない国になってしまいます。
犯罪の原因としては先にあげた利己的、利欲的、貪欲的、短絡的、自堕落的な気持ちになる他に、あとはこの不条理から生まれた絶望的、自虐的、闘争的、復讐的な気持ちに陥ることにあります。ですから、こういった不条理を無くすことこそ政治の大きな責任と言えるでしょう。政治が国民に恩義があるということはそういうことです。
以上述べてきましたように、教育も政治もその基本に恩義の精神が無ければ情の有る教育も政治もできません。これからの教育と政治の再生を図るならば恩義の教育が是非とも必要であると私は思うのです。
確かに政教分離もよく分かります。特定の宗教を公立学校で教えるのも難しいでしょう。私が言いたいのは個々の宗教がもっともっと自然に堂々と主張できる環境の推進に政治が力を入れるべきだということです。
それにはまだまだ宗教に対する誤解や偏見もあるようです。「宗教」と口にしただけで迷惑顔をされるのが今の日本の社会です。外国のように堂々と宗教が語れる社会こそ"正常"だと思うのですが、いかがでしょうか?
ともあれ、まずは家庭からです。信仰は家族相互の敬慕の情を高めてくれます。感謝の元に家族がまとまります。それこそ「恩義」のお陰です。 

■7 報恩
これまで恩についていろいろ述べてきましたが、ではその恩に報いることとは一体どうすることでしょう。それが今回のテーマです。
恩を"返す"というと、自分が他人から受けた恩や義理をなんらかの形でお返しするといった感覚を持ちます。それはそれで人として当然なことです。また、恩を与えたと思っている側の人もその見返りとして何らかの期待感を持つことも普通のことかもしれません。
ただ、この両者間に発生した恩義の感覚がずれたりすると、「恩に着せる」「恩を売る」「恩を知らない」「恩を仇で返す」などと言った感情が生まれ、遺恨問題にもなりかねません。つい先日もある大物歌手とある大物作詞家がそのようなトラブルを起こし、ワイドショーの話題になっていました。
そういったトラブルの元はすべて"こだわり"にあるのです。「してやった」「してあげた」という「こだわり」の気持ちが心のどこかにあるからちょっとした恩義に反するようなことがあると「恩をしらない」「恩を仇で返す」という思いになってしまうのです。
でも人である以上どうしても心のどこかで恩の貸し借りの感情を持ってしまうのも仕方のないことかもしれません。しかし、本来恩とは「着せたり」「売ったり」するものではないのです。ではどうすればよいのでしょう。
以前「布施」について講釈したことがありますが、ちょうど同じようなものです。人に何かをして"あげる"ときは布施の精神ですれば良いのです。布施の心ですれば絶対に「こだわり」や「わだかまり」は生じません。人に何かをしてあげるとき「布施」だと思えばよいのです。
布施とは喜捨(きしゃ)ですから、捨てる気持ちになることです。捨てた"もの"には一切頓着しませんね。あとに"こだわり"の心が残りませんからね。何でも「してあげた」という想いが有って、それを自慢や誇りにしているのを「寄付」とか「寄進」と言います。
「誰が」「何を」上げたかはっきり公表しないと本人が満足しないのが「寄付」行為なのです。凡夫とはそういうものです。凡夫だから仕方がないというのではなく、仏教の諭すところは"脱凡夫"なのです。脱凡夫の"こころ"とは布施の精神になれということです。
このように恩義に関してトラブルやわだかまりを避けるには「布施」の精神に立ち返ることが一番です。よく「掛けた恩は水に流し、受けた恩は石に刻め」ともいいますが、その"水に流す心"が必要なのです。
問題は次の恩を受けた側です。どんな小さな恩でも、受けた側はその恩を「石に刻み」決して忘れてはいけません。 「当然だ」とか「感謝の必要はない」とか思ったらとんでもないことです。それこそ地獄行きです。
以上一般的な恩義に関しての双方の心がけについて述べてきました。さていよいよ最大のテーマでもあるところのその報恩の在り方について考えてみましょう。これまで何度も触れてきましたように、仏教では「四恩すべて報じ・・・」と諭されています。
国王の恩、三宝の恩、衆生の恩、父母の恩というこの四つの恩に報いることこそ仏教徒にとっての最大の務めであるというその報恩の在り方とはどのようなものでしょう。
国王や国家に対する報恩とは、国のために働くことでしょうか。税金をしっかり納めることでしょうか。外敵から国を護ることでしょうか。三宝に対しての報恩とは、仏様に供養したり、仏教の戒律や教えを守ったり、坊さんに布施したりすることでしょうか。
父母に対する報恩とは、親に豊かな暮らしをさせたりする親孝行のことでしょうか 衆生に対する報恩とは、社会の全ての人達に親切に優しくしてあげることでしょうか。ここでちょっとご注目いただきたいのは例えば「父母の恩」です。
生きている内の親孝行はわかりますが、亡くなってしまった親に対しての孝行とはどうすればよいのでしょう。これは多分多くの人が思っていることだと思います。仏壇や遺影にご馳走を上げても食べてくれません。
すてきな着物や暖かい布団もお墓に掛けてあげることもできません。では感謝とご冥福をひたすら祈ることが親や先祖に対しての報恩なのでしょうか。それらも決して間違いではありませんが、仏教の目指すほんとうの報恩の形はもっと深いところにあるのです。これこそ本ページを見た人の得といえるでしょう。(勿体付けてすみません)
まず、報恩には直接的なものと間接的なものとがあるということです。まず直接的な親孝行とは、生前から親に優しく、心配かけないことでしょう。これは誰にでも分かりますね。
次の間接的な孝行とは亡くなっている親や先祖に対しての報恩行為をいいます。実は仏教でいう報恩行為とはこの間接的な形こそ中心になっているのです。ちょっと難しくなりますがこれからが本題です。
宗祖道元禅師は報恩とは行持(ぎょうじ)だと示されています。修証義「行持報恩」の中からそれを検証してみましょう。まず「恩」の実体について考えてみます。四恩をはじめとして恩にはさまざまな恩がありますが、それらは一見それぞれ皆別個のように思われますがその実体は一つだということです。
まずこの認識を持っていただきたいと思うのです。あなたが今生かされているのは紛れもなく大宇宙の法則によるものなのです。この大宇宙の法則が大宇宙の実体であり、これを法身仏といいます。つまり法身仏とは大宇宙の真理そのものであり、これこそ無始無終の永遠の生命体であるところの毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)とも申します。
ですからわれわれの実体は即ちこの法身仏になります。つまり、われわれ自身が「法」であり、法がわれわれ自身であるということです。更に言い換えれば、「法」が「法身仏」であるから、「法」が「恩」であり、恩の実体が法であるという論理になるのです。
この辺ちょっと難しいかもしれませんが、ここが最も肝腎なところですからここをしっかり認識してください。いずれにしろ、「恩」イコール「法」だということです。この恩のことを御開山道元禅師は「正法眼蔵無上大法の大恩」(修証義)と示されています。
この場合の「正法眼蔵」とは仏陀所説の法という意味で、仏陀が説き示されたところの、最大、最尊、最上の「正しい法」ということです。ですから四恩を辿ってみるとすべて「法恩」に帰結するのです。すなわち「恩」とは「法恩」であるという論理なのです。このことを念頭において次に進みましょう。
では、その「正法眼蔵無上大法の大恩」に報いるにはどうすればよいのでしょう。
「その報謝は、余外(よげ)の法は中(あた)るべからず。唯まさに日日(にちにち)の行持、その報謝の正道(しょうどう)なるべし。いわゆるの道理は、日日の生命を等閑(なおざり)にせず、私に費さざらんと行持するなり。」(修証義)
と道元禅師は示されています。
無上大法の大恩に対しての報恩と、その道は如何にあるべきかを説いたのがこの一節です。「余外の法は中るべからず」とは「その道以外に真の報謝に的中するものはない」と言う意味です。
次の「唯まさに日日の行持、その報謝の正道なるべし。」というこの一句こそまさに今回のテーマの結論と言ってもよいでしょう。禅師は、われわれの「日日の行持」こそが、仏恩報謝への正しい道であると明言されているのです。
「行持」の行は修行の行であり、持は護持あるいは持続の意味です。すなわち毎日の仏道を修行持続することこそが報恩感謝の正しい道であるという意味になるのです。
国王(国家)の恩に報いることとは日々の修行である。衆生の恩に報いることとは日々の修行である。三宝の恩に報いることとは日々の修行である。父母の恩に報いることとは日々の修行である。
日々の修行が報恩感謝であり、報恩感謝とは日日の正しい修行そのものであると申されているのです。先に「法」が「恩」であると言いました。なんとなればその法の実践を行持することこそ報恩になるという理屈になりますね。日々の修行が報恩になる意味がもうお分かりですね。
真理こそ「善」です。宇宙の真理を仏法と言います。だから仏法こそ絶対の「善」です。社会の法律に背くことは「悪」であるように宇宙絶対の真理に背くことは「悪」なのです。
ですから、仏法と言う絶対の法則に基づいた生活をすることこそ恩に報いることになるのです。すなわち「行持」こそが国王の恩、衆生の恩、三宝の恩そして父母の恩に報いる正道なのです。
禅師はさらに、「いわゆるの道理は、日日の生命を等閑にせず、私に費さざらんと行持するなり。」と示されています。
「なおざりにせず」とはおろそかにしないということです。時間も命もおろそかにしてはならないということです。「私に費さざらん」とは我欲を張らないということです。利欲的な生活に堕ちこんで自堕落にならないということです。「行持するなり」とは「これこそ行持である」との強調です。
仏道修行こそ報恩行持であり浄土の世界に通じるのです。これまで幾度も申してきましたが報恩感謝の生活こそ仏教の目指すところなのです。 仏法の精神に基づいた日常生活、それがそのまま報恩行であるという・・・これが結論です。 
 
因縁

 

 
■1 理論は仏道で智慧となる
「因縁」・・・だれでも知っている言葉ですね。しかしこの「因縁」こそ仏教の最も基本となる仏説なのです。因縁とはすべての現象が相互に、瞬時に、多次元に連鎖する、無常のありさまを説いたものです。この世のほんとうの姿を説いたものであり、因果とも縁起ともいいます。
「この世の中で、因果関係で説明できないものは何一つない。だからすべてのことは因縁を理解しなければならない」というのが仏教の考え方なのです。ですから因縁説を理解することが仏教を学ぶことになるのです。
阿難尊者はお釈迦さまの侍者としてもっとも身近に仕えた方です。記憶力抜群でお釈迦さまの説法を全て覚えていたとも言われた方です。その阿難尊者があるときお釈迦さまに言いました。「因縁の教えがむずかしいのは確かですが、自分にはむずかしくありません。」と。
それに対してお釈迦さまは「あなたはまだそういうことは言ってはいけない。因縁説は悟りの智慧ですから、簡単だなんて言ってはいけません。」と諭されたそうです。それはその時点では阿難尊者はまだお悟りを開かれていなかったからです。阿難尊者は因縁をただ「理論」として理解していたからつい簡単だと思ったのでしょう。
お釈迦さまはさらに、「因縁説は悟りの智慧だからほんとうに理解するのは簡単ではない。因縁がわからないからこそ、人間は輪廻の中で生まれたり死んだりして、無限にいろいろな苦しみを味わっているのだ。輪廻の中で無限に苦しむのは、因縁を悟りの体験として理解していないからなのだ」と述べられています。
ここで注目したいのは「因縁を悟りの体験として理解していないから」という言葉です。お釈迦さまは「因縁」は悟りの体験があってはじめて「理論」を超えて「智慧」になるのだと申されているのです。というわけで、今回はこの「因縁」について「理論」を超えた悟りの「智慧」にするにはどうすべきかを考えてみました。
「因縁」つまり「原因があって結果がある」という理論は理論としては大変わかりやすいものです。この理論には、基本になる四つの方程式があります。AがあるからBがある。AがないからBもない。Aが生まれるとBが生まれる。AがなくなるとBもなくなる。
つまり、何事も「原因があって結果がある」ということです。「原因の無い結果はない」し「結果の無い原因はない」ということです。そして原因と結果の間をとりもつのが「縁」です。
その例でよく言われるのが、「種」(因)と「実」(果)の関係です。どんな種でも水や太陽や肥やしが無くては花が咲き実が生りません。その結実までに必要な条件を「縁」といいます。いたって単純明快な理論ですね。
しかしこの一見単純明快な理論が実はなかなか難しいのです。たしかに「原因があり縁をとおして結果がある」という理屈はだれにでも容易に理解できます。しかし、お釈迦さまは「因縁」をほんとうに理解するには、すべての煩悩を捨て去ったときに現れる悟りの智慧が必要であるというのです。理論上の理解と悟りの智慧からの理解とではそこに海と山ほどの差があるというのです。
もう少し噛み砕いてみましょう。「人は善い事をすれば善い結果に恵まれ、悪いことをすれば悪い結果に見舞われる。だから人は皆善い事をすべきである」というのは実に分かり易い因果説の一例でよく言われることです。
しかし、これは「理論」なのです。理論は理論である以上決して理論の域を出ません。「理論」には、「必ずしもそうとは限らない」という懐疑の余地があるのです。さらに、自分の都合や欲で理論の解釈はいくらでも変わってしまうのです。みてください。 世の中の悪事の原因のすべては自分勝手の理屈の結果なのです。「自分に限ってバレルことはない。絶対大丈夫だ。」と高をくくってしまうのです。
つまり「理論」である以上それは「ひとごと」であり「自分のこと」ではないのです。さらに理論である以上それを信じても信じなくとも個人の自由なのです。しかし、「智慧」となると違います。「信じるしかない」のです。なぜならそれは宇宙絶対の法則であり「真理」だと確信するからです。そこに疑念の余地はありません。確信が信念になり信仰になるのです。
さらに言えば「理論」とは「絵に描いた餅」です。絵に描いた餅の味は想像することしかできませんし、絶対に本物の味を味わうことはできません。本物の味は本物を食べるしかないのです。
これと同じように、ほんとうの因縁の味は悟りの智慧があってこそほんとうに味わえるのです。つまり理論上の理解と智慧による理解には雲泥の差があるというわけです。
お釈迦さまが、「因縁がわからないからこそ、人間は輪廻の中で生まれたり死んだりして、無限にいろいろな苦しみを味わっているのだ。」と申されていることは、ほんとうの「因縁」が理解されない限り「一切皆苦」というこの世の現実から解放されることはないということです。
確かに、仏教はお釈迦さまのお悟りの智慧から生まれた理論であり、それは人々が幸福になるための叡智が詰まった人類最高のテキストなのです。でもテキストである以上やはり理論の時限なのです。ですからこれらを「智慧の時限」にしなければならないのです。ではどうしたらよいのでしょうか。
幸福になる秘訣が説かれているテキストですから見るだけでも眺めるだけでもよいかもしれません。そして興味や関心を持ってもらえればそれだけでもかなりな効果と言えるでしょう。しかしお釈迦さまの本願は人々がその理論の実践を通してほんとうの智慧を身に付けるところにこそあるのです。
その仏教の理論を実践することが「修行」であり、これを「仏道」といいます。つまり仏道修行こそがほんとうの智慧を得るための正道なのです。その正道こそ坐禅なのです。
坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり、不染汗の修証なり。「正法眼蔵(坐禅儀)」 (坐禅は禅定を修することではない。それは大安楽の法門であり、絶対の修行なのである)
ここで「坐禅」について大切なことなので触れておきたいことがあります。禅宗だから坐禅にこだわるのではありません。禅師が述べられているように、坐禅が大安楽の法門であり、それ自体が絶対の修行だからです。
「仏法におおくの門がある。それなのに、なにゆえ一途に坐禅をすすめるのか。それは坐禅が仏法の正門であるからである。ではなにゆえにひとり坐禅をもって正門となすか。
大師釈尊は、あきらかに仏道をさとるすばらしい方法を正伝したもうたのであり、また、三世の如来たちは、いずれもみな坐禅によって仏道を悟ったのである。だからして、これを仏法の正道であるとするのである。それのみではない。西の方天竺、東の方中国のもろもろの祖師たちも、みな坐禅によって仏道をさとったのである。だからして、いまその正門を人々に示すのである。」「正法眼蔵(弁道話)」

さらに注目すべきことは、道元禅師は「禅宗」という呼称を激しく否定されています。
「かの時においても、まったく禅宗と称するものはなく、また禅宗と称すべきいわれも存しないのである。」・・・・・「仏祖正伝の大道を、禅宗と称してはならない」「正法眼蔵(仏道)」
更に、「雲門・法眼・臨済・曹洞など、いろいろ家風のわかちがあるというが、そんなのは仏法ではない、祖師道でもない。」「正法眼蔵(仏道)」、と天童如浄禅師のことばを引用されてもいます。
「仏法をまなぶ正しい道には、宗の称などを見聞すべきではない。仏より仏、祖より祖へと付属し正伝するものは、ただ正法眼蔵であり、最高の智慧である。仏祖が所有するところのものは、すべてそこに付属してきたのであって、そのほかに別になにかがあるわけではないのである。そこの道理が、とりもなおさず、仏法・仏道の骨髄というものである。」「正法眼蔵(仏道)」
あらためて道元禅師のスケールの大きさを教えられます。因果の道理という理論を智慧として会得するにはやはり坐禅なのです。 

■2 すべては現象であり無常である
前回は、何事も原因があって結果があるのであり、「原因の無い結果はない」し、「結果の無い原因はない」ということを述べましたが、今回はその因縁の実体について考えてみました。
この世の中に存在するもので、原因が無くて存在するものは何一つ無いのであって、あの山、この川、あのビル、この家、あの木、この花、あの人、この人、そしてあなた自身を含め、全ての"もの"には存在する原因があるから存在しているのです。
いや、「存在しているから原因が有る」といた方がよいかも知れません。例えばここに一つの蜜柑があります。その存在の原因は、誰かがここに持ってきたという原因があるわけです。さらにその原因にはその人がその蜜柑を手に入れたという原因があり、その先には誰かがそれを育てたという原因があり、更にその先には誰かがその種を蒔いたという原因があるのです。
結果も同じことです。「存在しているから結果が有る」のです。例えばこの蜜柑が誰かに食べられました。その結果その種が捨てられ土に埋もれました。その結果やがて芽が出て実が生りました。その種がまた土に埋もれました。また実が生りました。
つまり、「存在」とは即ちそれ自体が「原因」と「結果」であるということです。そして、原因を辿ればその原因がその先に無限にあるのです。結果も同様で、結果の結果がその先に無限に続いているのです。先に言いましたように、「存在」とは、あの山、この川、あのビル、この家、あの木、この花、あの人、この人、そしてあなた自身を含めこの宇宙に存在するすべてのものを指します。
ではその「存在」の実体とはなんでしょうか。その実体とは「現象」なのです。この宇宙にあるものはあなた自身を含め全て「現象」なのです。般若心経にある色(しき)とは「存在」を意味します。空(くう)とは現象を意味します。「色即是空」すなわち存在は現象であるということです。
「かくて五つの智慧がある。明らかに見ることがすなわち智慧である。その主旨とするところを説いたのが、色即是空であり、空即是色である。色とは色であり、空とは空である。百草がそうであり、よろずが現象である。」「正法眼蔵(摩訶般若波羅蜜)」
また、この宇宙に存在する全ての"もの"を森羅万象といいますが、それを「諸行」と言います。諸行の「行」はパーリ語でsankhara(サンカーラ)と言って「つくられたもの、できあがったもの」という意味です。
現代語で言えば「現象」といいます。ですから「諸行」とは「森羅万象の現象」という意味になります。現象は「瞬間の状況」という意味ですから、現象には「固定」とか「本来」はありません。
いつでも生まれたり壊れたりして変化し続けているだけのものなのです。現象は瞬時に変化する一時的なものであるから「無常」なのです。これを「諸行無常」と言います。この智慧こそ仏教の最も大事な三大支柱として「三法印」といわれるのです。
例えばここに一個の電球の光があります。その光は「存在」として認識できますね。この光は電子が猛烈に活動しているから「存在」として安定しているのです。しかし、その電子の動きが一瞬でも止まってしまえば同時に光は消えてしまいます。光の実体が現象であることがわかります。
これと同じことが存在するすべてのものに言えるのです。以上、森羅万象という一切の「存在」は「現象」であるから「無常」であるという理論を認識していただけたでしょうか。
その存在の全てのものと言えば、繰り返しになりますが、勿論あなた自身も含まれます。しかし、自分自身も現象であり無常であるというこの事実が悟りの智慧として認識ができないから人は「苦」から解放されないのです。
一切の存在は現象であるから無常であるという真実。そしてその無常とはただ漠然とでたらめに「無常」ではないのです。そこには絶対の法則があるのです。その法則こそ「因縁」なのです。
その因縁の法則に従って一切の存在は無常なのです。その流れは無限の過去にさかのぼり、永遠の未来へと流れているのです。 

■3 輪廻転生
前回はみかんを例に原因と結果の流れについて述べましたが、その原因と結果の間にあるものが「縁」です。しかし、実際にはその縁は複雑多岐に入り混んでいて決して単純なものではありません。それは人の説明など人知の及ばない妙たるものなのです。
例えばみかんの「種」は全てが育つわけではありませんし、実際には育たない種の方が多いと言えるでしょう。種が種として育たずに腐ってしまう方がずうっと多いのです。一個の種が育つ確率はほんのわずかなものなのです。
ここで何が言いたいかと申しますと、それぞれの種が育つかどうかはすべて「縁」次第なのですが、種が途中で腐ってしまったからといってその本質が消滅してしまうわけではないということです。種が種としての機能が無くなってもその本質は別なエネルギーとなって新たな次の物を形成していくのです。
種としての機能は無くなってもその実体は「現象」ですから質量に変わりはありません。ただ因縁によって次の形態をとるのです。ちょうど酸化と還元の繰り返しのようなものといったらよいでしょう。ここまでは理論的にも容易に理解できると思いますが、そこで問題なのは人の場合です。
人には「魂」というものがあります。死んだらその魂はどうなってしまうのでしょう。これこそ人類最大のテーマなのです。このテーマのために人類には宗教があると言っても過言ではないのです。
ほとんどの宗教はその魂の鎮魂のため冥福のために存在していると言ってもいいでしょう。宗教には現世利益も勿論ありますが、多くはあの世の冥福を信じるから入信するのです。中東では毎日のように自爆テロが起きていますが、神の下で救われると信じるからこそ決行できるのです。その認識の賛否は別としてその実態は魂のありようを示しているのです。
では仏教では魂をどう捉えているのでしょう。これまで私は、人も「存在」であるから現象であり無常であると申してきました。では自分も死んだら雲散霧消のごとくただ消滅してしまうのでしょうか。だとしたら、なんとはかない、さびしい、つまらないことではないでしょうか。
それは大きな誤解です。あなたは永遠の命を持っているのです。「えっ? だって現象である以上消えて無くなるのではないの?」という疑問も当然です。その疑問に答えるのが今回のテーマですから、これからが大事です。
では「永遠の命」って何でしょう。それが「仏性」なのです。
「一切衆生、悉有仏性」 「悉有は仏性であって、その悉有の一つのありようを衆生というのである。衆生はその内も外もそのまま仏性の悉有である。」「正法眼蔵(仏性)」
一切衆生、悉有仏性であるということは、人は死んでも仏性はそのままであり、永遠であるということです。これがすなわち「永遠の命」です。人の魂を仏性と捉えたならば、その命は永遠ということが理解できます。
どうですか。あなたは死んでも死なない命を持っているのです。そして今自分がここに存在しているという事実が過去の自分の「存在」と未来の自分の「存在」を証明しているのです。
難しいですか? つまり、今自分がここに居るという事実はそれを結果としたら、過去にさかのぼって自分がいたということの証(あかし)であり、同時に未来に自分が存在するという証でもあるということです。
その「存在」の流れを「輪廻転生」というのです。ふつう輪廻転生というと霊魂が単に次々と生まれ変わりをすることだと理解する人が多いようですが、この場合の「魂」とはいわゆる霊魂不滅説による解釈です。
しかしこの解釈ははっきり言って誤解です。霊魂の本質を知らないでただ不滅の存在であるととらえるのは妄想です。霊魂の本質が仏性だと認識し、このことが悟りの智慧として理解できたら、霊魂は不滅であり永遠に輪廻転生するというほんとうの意味が分かってきます。
すべての「存在」の本質は仏性であり、それはただただ因縁の流れに従って形態を変えていく永遠の流れであるという・・・これを輪廻転生というのです。 

■4 一大事の因縁
前回は輪廻転生について述べました。おさらいすると、存在するすべての本質が仏性であり、それはただただ因縁に従って永遠に無常であり続けるのです。その実態を「輪廻転生」と云うのです。
すなわち仏性こそ永遠の「命」であり、その命はただただ因縁の流れに従っているのです。イヤ仏性自体が因縁と云ってもいいでしょう。仏性と因縁とは別個のものではないのです。
「仏性の義を知らんと欲せば、当(まさ)に時節の因縁を観ずべし。時節もし至れば、仏性現前す」「正法眼蔵(仏性)」
仏性の意味を知るには因縁の意味を知ることであり、因縁を悟ることが仏性を悟ることであると道元禅師は示されています。かねてから申しているように、やはり仏教とはすなわち因縁の教えであるということです。
その教えがまとめられているのが「修証義」の一章です。「総序」として総括されていますが、その論旨はまさに「因縁」です。「因縁」を悟りの智慧として会得してこそ人は幸せになれると明示されています。この章抜きに因縁は語れないと云っても過言ではないでしょう。よってこれよりしばらくはこの章の中から「因縁」について学んでみましょう。
生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり。生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし。ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭(いと)うべきもなく、涅槃として欣(ねご)うべきもなし。この時はじめて生死を離るる分あり。ただ一大事因縁と究尽(ぐうじん)すべし。「修証義一章(第一節)」
「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり。」まずこの言葉から始まっていますが、生死の問題を徹底的に明らかにすることこそ仏教の最も肝腎とするところの究極の目的であるというのです。
仏教とは申すまでもなく、教主釈尊自らが、生老病死という人生最大の問題を解決すべく道を求めて出家修行され覚者となられその道を説き示されたものです。すなわち生死解脱こそ仏教の究極の目的なのです。「修証義」の冒頭にまずこの一句が示されているのはまさに当然と言えるでしょう。
「生死の中に仏があれば、生死はない。生死の中に仏がなければ、生死に迷うこともない。生死をはなれたいと思う人々は、まさしくその意味するところを明らかにしるがよろしい。」「正法眼蔵(生死)」
正に公案といってもいい句です。「生死の中に仏があれば」とはどうゆうことでしょうか。まず「生死」について御開山は次のように示されています。
「そもそも、生と死のありようは、生から死に移るのだと思うのは、まったくの誤りである。生とは、それがすでに一時(ひととき)のありようであって、そこにはちゃんと初めがあり、また終りがある。
だからして、仏法においては、生はすなわち不生であるという。滅もまた、それがすでに一時のありようであって、生というときには、生よりほかにはなんにもないのであり、滅というときには、滅よりほかにはなんにもないのである。
だからして、生がきたならば、それはただ生のみであり、滅がくれば、それはもう滅のみであって、ただひたむきにそれにむかって仕えるがよいのである。厭うこともなく、また願うこともないがよろしい。」「正法眼蔵(生死)」

要約すると、生は生であり死は死である。生から死に移るということではないし、生は生でしかなく、死は死でしかないのである。生は生で、死は死でそれ自体が満点であるから生と死とを区別して善いとか悪いとかの問題ではない。
この中のポイントは「ただひたむきにそれにむかって仕えるがよいのである。」というところです。生は生で満点であり、死は死で満点であるから生死にこだわる必要はなく、生は生で、死は死で「一生懸命」であればよいというのです。
「生死の中に仏があれば生死なし。」 生も死もその本質が仏性であるから、いずれもそれ自体が真如実相の世界であるということです。そこにはもはや「生死」の区別などありません。それを「生死の中に仏があれば生死なし」と表現されているのです。
では眼蔵の中の次の一句、「生死の中に仏がなければ、生死に迷うこともない。」とはどうゆうことでしょう。これは前文に対しての反語による強調です。「仏がなければ」とは「仏性」にこだわらないということです。生死を超えた次元にはそれ自体「仏性」という認識もこだわりも無いのです。
仏性、仏性、仏性・・・というのはこだわりです。こだわりは分別であり妄想です。そのこだわりを超えたところにほんとうの悟りがあるのです。そこにはすでに「生死の迷い」などありません。そういうことです。
「ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭(いと)うべきもなく、涅槃として欣(ねご)うべきもなし。この時はじめて生死を離るる分あり。」「正法眼蔵(生死)」
生と死の両方がすなわち涅槃であることを知るべきであり、死を涅槃と解釈して求めたり、また涅槃は死だと解釈して忌み嫌ったりすることは間違いなのです。「生死」を解脱してこそほんとうの「涅槃」の意味がわかるのです。
「この時はじめて生死を離るる分あり。」 涅槃を悟ってこそ生死という分別から解放されるのです。
「ただ一大事因縁と究尽(ぐうじん)すべし。」 この節の結語です。生と死の真実を見極め、涅槃を悟ることこそ仏教徒、修行者にとっての最大の眼目なのです。 

■5 最勝の善身
「人身(にんしん)得(う)ること難し、仏法値(あ)うこと希なり。今われら宿善(しゅくぜん)の助くるに依りて、すでに受け難き人身を受けたるのみに非ず、遭(あ)い難き仏法に値(あ)いたてまつれり。生死の中の善生、最勝の生なるべし。最勝の善身を徒らにして、露命を無常の風にまかすることなかれ。」(修証義)
まず人間として生まれてきたこと、さらには仏教の教えに遇えたことは正に奇蹟の因縁によるものであることを銘記し、さらに、その因縁は前世の善根によるものであると示されています。そしてこの人間という最尊最上の命を無意味な無常の風にさらし無駄な人生を送ってはならないと諭されています。
「爪上(そうじょう)の土」という譬(たと)えの話があります。お釈迦さまがあるとき、左の手のひらに土を山盛りにして、それを、弟子の阿難尊者の面前にさし出され申されました。
「阿難よ、お前は、大地の土の分量と、この手のひらの上の土の分量と、どちらが多いと思うか」 もちろん阿難は、掌の上の土の分量は、大地のそれとは比べようもないほど微量ですと答えました。
するとお釈迦さまは、「阿難よ、まことにその通りである。丁度そのように、この世の中に生きとし生けるすべてのものと、人間として生まれたものとを比べてみると、それは大地の土の分量と、この手の平の上の土の分量のごとく、人間の生を受けるものの数は実に少ないのだ」と説き示されました。
まことに「人身得ること難し」です。人として生まれる確率はまさに奇蹟の確率と言って良いでしょう。するとお釈迦さまは今度は、手の平の土をごく少量つまんで、左の拇指の"爪"の上に載せられ、ふたたび阿難尊者に訊ねられました。
「阿難よ、この爪の上の土の分量と掌の上のそれといずれが多いか」と。阿難尊者は、「それはもちろん爪上の土の方が、これまた比べようもないほど微量であります」と答えました。するとお釈迦さまは、「阿難よ、まさにその通りである。この世に生きとし生けるすべてのものの数と、人間の数とを比べてみると、それは大地の土の分量と掌の上のそれの如く、まったく比べるすべもない程であるが、さらに、たとえ人間として生まれてきても、覚者(仏陀)の教えに値うことのできる者は、この爪の上の土の分量のごとく、それは実に少ないのだ」と諭されました。
まことに「仏法値うこと希なり」です。同じ人でありながら仏法に出会うことの出来る確率が奇跡的であることを示されています。開経偈は「無上甚深微妙法。百千万劫難遭遇。我今見聞受持。願解如来真実義。」と説いています。 (※開経偈とは読経や、説法を拝聴する前にお唱えする偈文です)
「この上もなく妙(すぐれ)た法(おしえ)としてのこの仏法は、百千万劫を経るあいだにも容易にあいたてまつることはできない」というのがこの偈文の大意です。一生のあいだに仏教の正しいおしえに会えるのは難値難遇(なんちなんぐう)の因縁だというのです。いまあなたが仏教に関心を持ち、このサイトを見て仏教の教えに触れているのも実は大変な因縁があってのことなのです。
「今われら宿善の助くるに依りて、すでに受け難き人身を受けたるのみに非ず、遇い難き仏法に値いたてまつれり。生死の中の善生最勝の生なるべし」(修証義)
「宿善」は「宿殖善根」の略語です。このばあいの宿は宿世すなわち前世のことです。「宿善の助くるに依りて」は、前世に善根を植えつけておいたその功徳力に依って、という意味です。
得ることの難しい人身(命)を得た上に、遇うことも希れなる仏法に値いたてまつることができたというのは、決して偶然なことではなく、それはひとえに宿殖善根の功徳力という因縁によるものであるというのです。
「生死の中の善生最勝の生なるべし」このなかの「生死」とは六道流転の生死のことです。仏教では、迷いの衆生は六道、すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの世界を輪廻流転すると説かれています。
その中で人間は「善生であり最勝」であるというのです。まさに「人間」という最もすばらしい生命を授かった因縁を自覚すべきなのです。「最勝の善身を徒らにして、露命を無常の風にまかすることなかれ」 その最高の人生を無駄に送ることによって、はかなくも尊い命を無意味な時間にさらしてはならない、という意味です。
人間とは最高の存在なのです。その最上で最高のせっかくの人生を無駄に送っている人がなんと多いことでしょう。今日のニュースにも実に痛ましいものがありました。
30才台の男三人が何の関係もない女性を金目的で拉致し、ハンマーで殺害。犯人の一人が死刑が怖くて通報したことで犯人達はすぐ捕まりましたが、彼らはたった七万円で若い女性を惨殺し尊い命を奪ったのです。なんたる理不尽極まる極悪非道残忍な事件でしょう。
また、あるスーパーの女性店員による同僚殺害事件もありました。犯人の女性は元恋人がその被害者女性と結婚したことに嫉妬したのです。嫉妬心もひどくなると人を狂わせてしまうのです。その犯人は自分自身の人生をも棒に振ってしまいました。
このような事件は正に゛浜の真砂゛のように尽きません。なぜでしょう。それは真実を見失うからです。真実以外すべて迷いであり煩悩なのです。人は迷いの存在なのです。だからこそ真実を求めて絶えず精進しなければ、いつ何処で迷いから地獄に堕ち込むか知れないのです。
残念ながら、今の世の中どんどん確実に悪くなっています。世の中が悪いということは人の心が悪くなっていることにほかなりません。
ひとつの例ですが、昔は保育料や給食費を払えるのに払わないなどという人はほとんどいませんでした。それが今何ですか。平成17年度だけでも総額22億円の給食費が未納だとか。それもその多くが払えるのに払わない保護者だとか。督促に逆ギレする者もいるとか。
そんなモラルや常識のない親に育てられた子供こそ不憫です。将来どんな大人になるのでしょうか。推して知るべきです。因果論を身につけることで悪道に堕ちることから救われるのです。
持論ですが、人が幸せに生きる方法を教えてくれているのが仏教です。その基本が「因縁の教え」なのです。その因縁の智慧を身に付ける方法、それが仏法なのです。仏法を学び、その法に従って生きることで人は確実に幸福になれます。 
 

 

■6 己れに随い行くのは善悪業等のみ
「無常たのみ難し。知らず露命(ろめい)いかなる道の草にか落ちん、身すでに私に非(あら)ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し。紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡(しょうせき)なし。つらつら観ずるところに、往事の再び逢うべからざる多し。無常忽(たちま)ちに至るときは、国王、大臣、親じつ、従僕、妻子、珍宝たすくるなし。ただ独り黄泉に赴くのみなり。己れに随い行くは、ただこれ善悪業等のみなり。」
この第三節では主に無常観が説かれています。そして結論として、その無常の流れの中で己が積み重ねた"業"のみが来世に随(つ)いていくという"因縁"が示されています。言葉の意味としては比較的分かり易い内容だと思いますが、大切なことは言葉の解釈ではなくその真意を信ずるところにあるのです。
ご承知のように、仏教の三大眼目である三法印の第一義が「諸行無常」です。宇宙のありとあらゆるすべての"もの"は一刻一刻、刹那ごとに生滅変化を続けているという真理の"法"を示したものです。本節では道元禅師のその無常観が如実に示されていると言えるでしょう。
「無常たのみ難し」人生は無常なものであり、まったく頼みの当てにはならないということです。「無常」に対しては、人はどうしようもできないということです。
「知らず露命いかなる道の草にか落ちん」人の命というものは実にはかないものです。今元気でも明日も元気だという保証はどこにもありません。それはちょうど道ばたの草の葉先に玉状となって止まっている露の状態によく似ています。
いつ何時、その露の命はぽろっとこぼれ落ち消え去るかもしれないのです。われわれの命というものは丁度そのようにまことに頼りない不安定で保証のないものなのです。
「あすありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」という古歌がありますが、明日どころか、一時間先、イヤ一分一秒先がわからないのが人生です。まさに一寸先は闇なのです。
「身すでに私に非ず」「身」とは「体」のことです。「私に非ず」とは「自分のものではない」ということです。ふつう自分の髪の毛一本から足の爪の垢まで自分の"もの"だと思っていますね。だれでも自分の目、鼻、耳、口から心臓、腎臓、肝臓などの内臓から全て完全に自分のものだと思い込んでいるのが当たり前です。
しかし果たしてそうでしょうか。自分のものであれば自分が自由にできるはずです。ところが、髪の毛一本すらわれわれは自由にできません。若い時は全く意識すらしていなかったそのゆたかな髪もやがて加齢とともに薄くなったり白くなったりしてきます。
哀愁のもと、育毛剤や養毛剤を必死に使ってみても遅かれ早かれ結果は同じことです。抜け出す髪の毛一本すらわれわれはコントロールできないのが現実なのです。一本の毛すらコントロールできないものが五臓六腑などコントロールできる筈もないのです。
完全に自分のものだと思い込んでいるこの"身"は実は自分の自由になるものではないというのが「身すでに私に非ず」ということです。「すでに」とは「もともと」というほどの意味です。
お彼岸の今日、折しもお参りに見えたある方のお話です。数年ほど前脳梗塞を患い、大手術の末九死に一生を得たそうですが、視力が大変落ちてしまい車の運転も出来なくなってしまったそうです。
そのことから大変落ち込んでしまい鬱病になってしまったそうです。ようやく立ち直り今日お墓参りに来られたとのことでした。自分の体でありながら自分の体でないことを悟ったそうです。
「命は光陰に移されて暫くも停め難し」「光陰」とは「時間」のことです。命と時間は一体のものです。一瞬たりとも止まってはいません。
「紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし」 少年時代の瑞々しいあの紅顔はいつの間にか何処かへ消え失せてしまいました。何処へいってしまったのかその形跡すらどこにもみあたりません。今このしわくちゃの老顔、重い足腰、記憶力、気力の低下という現実にさらされて"無常の理(ことわり)"を実感します。
「つらつら観ずるところに、往事の再び逢うべからざる多し」 ひとたび過ぎ去った時間は絶対に二度と再び戻ってはきません。宇宙に存在する一切の"もの"は瞬時に流れているのです。例え外見は同じように見えてもその実体は現象でありとどまることはありません。諸行無常なのです。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず。淀みに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまる例(ためし)なし」(方丈記)
きのうの一日も今日の一日も、今の一刹那も次の一刹那もなんら変わることのないもののように思えても、昨日の一日は昨日の一日であり、今日の一日は今日の一日であり未来永劫再び戻ってくることはあり得ないのです。これを「一期一会」と言います。このように、「諸行」は永遠に流れ続けてやむことのない「時」の流れの上に乗っているのです。
「無常忽ちに至るときは、国王、大臣、親じつ、従僕、妻子、珍宝たすくるなし」ひとたび無常の風に誘われたら、例え国王であれ、大臣であれ、親族であれ、友人であれ、使用人であれ、妻子であれ、お金や財産であれ、それらによって無常の風の流れを差し止めることはできないのです。
つまり死ぬ時がきたら、例えどんな威力であれ、権力であれ、忠義であれ、愛情であれ、金銀財宝であれ、それらを以て延命に役立てることなどできないということです。例えどこかの国の将軍様といえども"その時"がきたならばどんな権力や財力も全く役に立たないのです。命をコントロールできるものなど絶対に無いのです。
「ただ独り黄泉に赴くのみなり」結局はただ独りであの世に行くだけなのです。どんな権力者であろうとどんな金持ちであろうと、所詮死ぬときは独りであるのです。
「己れに随い行くは、ただこれ善悪業等のみなり」しかし、あの世の先まで随いていくものがあります。それは只一つ、自分が生前に積み重ねた善と悪の業(ごう)なのです。人は死ぬことで肉体を失いますが「業」だけは絶対に失いません。この「業」を因とし縁として「来世」に赴くのです。
今の世の中、どんどん悪くなっているような気がしてなりません。毎日のニュースをみてください。悪いニュースばかりです。この業の道理を信じない人がどんどん増えているなによりの証拠と言えるでしょう。
「業」を信じない人は来世を信じません。来世を信じない人は自分を大切にしません。自分を大切にしない人が悪事を働くのです。来世は厳然として有るのです。お釈迦さまのお悟りがそれを証明しています。
業を信じ来世を信じてこそ人は自分を大切にできるのです。"諸縁吉祥"はまず業の道理を信ずる人にこそ訪れることを知るべきです。 

■7 因果の道理歴然たり
「今の世に因果を知らず、業報(ごっぽう)を明(あきら)めず、三世を知らず、善悪をわきまえざる邪見のともがらには群すべからず。おおよそ因果の道理歴然(れきねん)として私なし。造悪の者は堕ち、修善の者は陞(のぼ)る、豪釐(ごうり)もたがわざるなり。祖師の西来(せいらい)あるべからず。」
この第四節では、因果の道理はまことに歴然たるものであり、昧(くら)ますことなど絶対にできないものであるという、因果必然の理法が示されています。
「今の世に」とは、「いつの時代のいつであれ」ということです。「因果を知らず」とは、この宇宙に存在するすべてのものは因果必然の道理の下にあるという真理の法を知らずして、ということです。
「業報を明めず」とは、「業には応報があるという理法を知らずして」ということです。「業」という字を辞典で調べてみると、「わざ」とか「なりわい」とかいう意味のほかに、「すでに」と読んで、「すでに為しおわったこと」という意味があります。梵語では「カルマ」と訳されていますが、この「為したこと」という意味が重要です。
ここで少し「業」について"持論"を述べてみます。まず「業」とは何でしょう。それは人の「為したこと」によって生まれるエネルギーのことです。エネルギーとは総じては目には見えないものです。万有引力や磁気などの例をみてもわかるようにそのエネルギーは見えませんね。従って「業」も目に見えない"エネルギー"なのです。
まず食べ物のエネルギーを例に考えてみましょう。人が物を食べるという行為は食べ物のエネルギーを体に取り込むことです。そしてそのエネルギーは代謝によって体力と気力として消費されるわけですが、そのエネルギーはまず一旦体に栄養として蓄積され、必要に応じて代謝、消費されるわけです。
さらに言えば、その代謝の仕方にはいろいろあります。ある食べた物のエネルギーが一日で消化されることもあれば、10日かかることもあれば、半年以上かかることもあります。さまざまです。それは消費には体内環境が拘わっているからです。その環境条件に従って蓄積されたエネルギーは徐々に代謝、消化されるからです。この理論は誰にでも容易に理解できることです。
次に、その「食べた物」を「業」に置き換えてみましょう。人の「為したこと」が「業」であるから、人のあらゆる行為には業というエネルギーが伴うのです。そして、食物のエネルギーと同じように業のエネルギーも一旦体に蓄積されます。これを「宿業」(しゅくごう)と言います。
その宿業のエネルギーは同じように体内環境に従って代謝、消費されます。その代謝、消費される時間は一様ではありません。短ければ刹那に消費されるでしょうし、長ければ何年にも亘ることもあれば、場合によっては来世に及ぶこともあるのです。
一つ一つの業のエネルギーの消費の時間はすべて異なるのです。それは一つ一つの業の条件が異なっているからです。その"条件"に相当するのが「縁」です。つまり縁にしたがって業は確実に消費され応報という結果を迎えるのです。
このように宿業の一つ一つのエネルギーは縁に従って100パーセント消費され応報という結果となるのです。つまり業とは応報という結果を宿したエネルギーといえるのです。(我ながら上手い例えだと思いますが・・・いかがでしょうか?)
さて、次の「三世をしらず」とは、「因果は過去、現在、未来の三世にわたるものであることを知らずして」ということです。今我々は「現在」に生きています。現在があるということは過去があったからです。ご先祖様という「過去」があったからこそ自分という「現在」が存在するのです。自分の過去を辿ればそれこそ宇宙誕生まで遡ることになります。
これは未来に対しても同じです。今の現在が「現在」であり、明日の現在が「未来」なのですから、未来があるということは厳然としています。この理屈分かりますね? つまり未来を否定する人は過去も現在も否定することになるのです。未来とは勿論来世も含みます。未来も来世も否定する人のことを「三世をしらず」というのです。
「善悪をわきまえざる邪見のともがらには群すべからず」 「善悪をわきまえない」とは、善悪の区別が出来ないということです。「邪見」とは、業報の道理を信じようとしないことをいいます。
「ともがら」とは、「輩(やから)」とか仲間という意味です。「群すべからず」とは、仲間に入ってはだめだということです。「類は友を呼ぶ」といいますから自分自身を高めなければなりません。それには仏法を学ぶことです。
「おおよそ因果の道理、歴然(れきねん)として私なし」 「おおよそ」とは「実に」とかの強調でしょうか。善因善果、悪因悪果という宇宙絶対の真理は「歴然として私なし」なのです。「歴然」は、(れきねん)と濁りません。「はっきりしていること」「明白なこと」という意味です。
「私なし」・・・公平無私ということです。これが大切です。真理の法は人の身分や権力の有る無しにかかわることなく万物万人に対して絶対平等です。この絶対不偏の平等のことを「私なし」というのです。
しかし、人の世には不公平なことがあまりにも多すぎます。それは国の秩序や法律を決めているのが権力者だからです。その最たる者が独裁者です。自己中心の悪中の悪、悪の権化です。どこかの国の将軍様が背負っている悪業の量が見えるものなら見てみたい気がしてなりません。悪い好奇心でしょうか?
とはいえ、民主主義でさえその政治や経済を牛耳っているのが権力者であることを考えると、過去にも未来にもそういった人達が自分たちに都合の良いようにするのが人の世かもしれません。理不尽ですがこれが人間界の宿命なのです。
しかしですよ、真理の法の下ではどんな権力者であれ平民であり絶対平等なのです。悪事には悪報の裁きが待っているのです。業報は正に「私なし」にやってきます。その例が次の句です。
「造悪の者は堕ち、修善の者は陞(のぼ)る、豪釐(ごうり)もたがわざるなり」 文字通りに、悪いことをする者は堕ちて、善いことをする者は陞る、ということです。堕ちる処と言えば地獄、餓鬼、畜生や修羅界のことであり、陞ると言えば声門、縁覚、菩薩、仏の世界のことです。地獄も極楽も過去、現在、未来の三世に亘ってれっきとして存在するのです。
「豪釐(ごうり)もたがわざるなり」 豪釐の豪は毛筋のことであり、釐は厘と同じで、一銭の十分の一をあらわす単位です。「豪釐」とはウサギなどの極細の、毛先の見えない位の太さのことで、極めて僅かという意味です。「たがわざるなり」とは「違いがない」とか「狂いがない」という意味です。
悪いことをする者は餓鬼道や地獄道に堕ち、善いことをする者は仏界や極楽に陞るという、この因果業報は、極細の毛筋ほどの狂いもなく間違いなくやってくるということです。しかしその「法」を知ろうともせずに悪事を働く者は浜の真砂のように尽きません。
オレオレ詐欺も一向に減りません。私事ですが、つい数日前、家族がオレオレ詐欺に遭いかけました。義母が孫を装った詐欺グループにだまされかけたのです。その途中で私にも家族から連絡が入ったのですが、私もはじめは信じてしまったくらいです。有り難いことにすんでの所で助かりました。今まで自分に限ってはと思っていましたが、甘かったと思いました。みなさんもどうかくれぐれも気を付けてください。
さて毎日のニュースをみても、己の欲望に負け因果業報も信じない人が悪事を働くのです。このところ餅菓子メーカー「赤福」、比内地鶏の偽装事件などが連日報道されています。ちょっと前に白い恋人や不二屋の偽装事件が大きく騒がれたにもかかわらず、なんの警鐘にもなっていません。
悪事は重ねる毎に鈍感になり罪意識も薄らいでいきます。そして高を括るようになり、発覚するなど思いもよらなくなってしまうから恐ろしいのです。しかし、因果業報は"歴然"としています。今日は例の北海道のミートホープ社の元社長らがついに逮捕されました。己の手錠の姿など夢にも思わなかったことでしょう。
まさに有頂天から急転直下奈落の底へ堕ちてしまいました。(有頂天とは仏界のうちの形のある最上の世界のことであり、奈落とは梵語で地獄の意味です。) 間違いなく「造悪の者は堕ち」るのです。そしてつくづく失った地位や名誉、誇りの大きさに気付くのです。哀れとは正にこのことです。
このほか訪問介護事業者による介護報酬の不正請求の事件などがありました。どれもこれらもみんな貪欲の毒にかぶれ善悪の判断ができなくなった結果です。"邪見のともがらに群する"とそのような犯罪組織に引き込まれるのです。そんな我利我亡者を待っているのが悪業報なのです。世の中には表に現れない組織犯罪はゴマンとあります。気をつけましょう。
この他には、前防衛事務次官の問題や、亀田一家の問題がありました。彼らの特徴は世間を見下した傲慢横柄なキャラクターと倫理観の欠如です。天皇とまで呼ばれすっかり成上がり者になってしまった守屋氏。高慢ちきで非常識なそんな男が日本の防衛の長だったとは日本の恥です。彼もまたこれからじっくり煉獄の業火に炙られることでしょう。
もう一方の成上がり者の亀田一家。馬鹿なパフォーマンスにマスコミもすっかり乗せられてしまいました。人を喰った無礼な態度も"絶好調"でした。しかし世の中そんなに甘くはありませんでした。こちらも有頂天から奈落の世界に真っ逆さま。「私なし」の法は身勝手な彼らにとっては非情でした。でも若い彼らです。業報の道理を学んで出直してもらいたいものです。
あとマスコミに言いたいのは、あのくだらないパフォーマンスを初めは是認しておきながら今では手の平を返したように一斉にバッシングの嵐です。自分たちの責任は感じていないのでしょうか。はっきり言って卑怯です。
「若し因果亡じて虚(むな)しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来(せいらい)あるべからず」 もし万が一にも因果の理法が虚妄な、あやふやなものであるならば、諸仏もこの世に出現される必要はなかったし、達磨大師が西天(インド)から、はるばる支那へと仏法を伝えに来る筈もなかったということです。つまり、因果の理法が仮にデタラメなものであるならば、お釈迦さまの悟りもなく、仏教などという宗教も生まれなかったということです。
善因善果、悪因悪果の理法の万古不易なることをあらためて肝に銘じたいものです。 

■8 三時の業報
「善悪の報(ほう)に三時(さんじ)あり。一つには順現報受(じゅんげんほうじゅ)、二つには順次生受(じゅんじしょうじゅ)、三つには順後次受(じゅんごじゅじ)、これを三時という。
仏祖の道を修習するには、その最初よりこの三時の業報の理をならいあきらむるなり。しかあらざれば多く錯(あやま)りて邪見(じゃけん)に堕(お)つるなり。ただ邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。」
「善悪の報(ほう)に三時(さんじ)あり」 善業にせよ悪業にせよ、その業に対する果報には時間的に3通りあるというのです。その第一が「順現報受」(じゅんげんほうじゅ)です。その第二が「順次生受(じゅんじしょうじゅ)」です。その第三が「順後次受」(じゅんごじじゅ)です。
「仏祖の道を修習する」というのは、仏道を修行するということです。「その最初より」とは、仏道修行の出発点こそ大切だということです。「ならいあきらむる」とは、十分に修行し究めるということです。
「しかあらざれば、多く錯(あやま)りて邪見に堕(お)つるなり」この三時の業報の道理を十分究めないととんでもない間違った方向、誤った認識の我見や我執にとらわれ、「邪見」に堕ってしまうというのです。
「ただ邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。」それも、ただ単に邪見に堕ちるだけではなく、その邪見が元となって、やがては三悪道(地獄・餓鬼・畜生)といわれるような、抜き差しならぬ苦しみの世界に堕ち、いつ果てるとも知れぬ長い「苦の果報」を受けることにもなるというのです。
以上がこの第五節のあらましですが、三時の業報の道理をしっかり究めつくすことこそ仏道であるということ。そして、もしこの道理を無視したり否定したりすると、とんでもない誤った認識、邪見を持つばかりではなく、三悪道に堕ちて長い苦しみを受けることになると諭されています。
前節において、「おおよそ因果の道理歴然として私なし。造悪の者は堕ち、修善の者は陞る、豪釐もたがわざるなり。」と説いていました。善因善果、悪因悪果の理法は、断じていささかの狂いもなく果報として現れることを説いたものですが、しかし、世間の現実を見ると、果たしてそうかと思われるようなことが沢山あります。
それは、どうみても善人なのに、その身の上に痛ましいことや不幸なことが立て続けに起きたり、それとは逆に、どうみても悪人と思われる人が順調に富み栄えている例などいくらでもあります。
善因善果、悪因悪果の道理とはいえ、おおいに疑問の念が起こるところです。その理不尽、不条理の思いに応えているのが正にこの「三時の業報」の理法なのです。この理法に照らして見ると、善因善果、悪因悪果の道理というものが、いささかの例外も目こぼれもあり得ないのだということがわかります。今回のテーマはここにあります。
善業であれ悪業であれ、私たちの行為による業には、時間的に三通りの果報があるというのです。それがこの、順現報受・順次生受・順後次受という「三時の業報」なのです。「順」は「したがう」という意味です。善業は善業に"したがって"、悪業は悪業に"したがって"、さらに悪業も善業もそれぞれ軽い、重いがあって、その軽重に"したがって"果報があるというので、"順"という字が使われているのです。
まず、第一の「順現報受」をみてみましょう。わたしたちが善悪の行為をした場合、その報を現世、つまり今の世で受けることをいいます。
「いはく、人ありて、あるひは善にもあれ、あるひは悪にもあれ、この生(しょう)に(業を)つくりて、すなはちこの生にその報をうくるを、順現報受業といふ」(正法眼蔵・三時業)
第二の「順次生受」とは、今生、つまり今の世で行った行為の報いを次の世、つまり来世で受けることをいいます。
「いはく、人ありて、この生に五無間業(むけんごう)をつくれる、かならず順次生に地獄におつるなり。順次生とは、このつぎの生なり。また第二生ともこれをいふなり」(正法眼蔵・三時業)
第三の「順後次受」とは、今生で行った行為が、次の次の生、またはその先の世でその報いを受けることをいいます。「後次受」の「後」とは、限りない次の世ということであり、私たちの行為は業のエネルギーとなって、その果報を受けるまで永久に続くのです。
「いはく、人ありて、この生にあるひは善にもあれ、あるひは悪にもあれ、造作しをはれりといへども、あるひは第三生、あるひは第四生、乃至、百千生のあひだにも、善悪の業を感ずるを順後次受業となづく」(正法眼蔵・三時業)
私たちの行為によって生まれる業のエネルギーは、たとえ三つの時節に分かれてはいますが、必ずその結果を招かずにはおかないという、これを三時の業報の道理というのです。
道元禅師はさらに、「深く因果を信ずべきこと、僧侶の中でも因果の道理に暗い人がいる」とか、「因果の法則を知らない人は、仏法を説いてはいけない」とか、「因なし果なしというは外道なり」とか、「仏祖の洪恩を報ずべくは、すみやかに諸因諸果をあきらむべし」(正法眼蔵・深信因果)と示されています。
「因果の法則」を抜きにして、仏法を説くことはできません。その因果の法則を時間の関係から説かれたのがこの「三時の業報」です。要するに、善業にせよ悪業にせよ一旦造られた「業」が、その果報を招かずに終わるということは、絶対にありえないのです。
あなたの行った行為は善であれ悪であれ、時間的な差があっても必ずその結果は現れるのです。しかし、世の人々の中には、この因果の理法、三時の業報というものを信じることもなく短絡的に生きている人がなんと多いことでしょう。
毎日のニュースはその有様を示しています。詐欺、ストーカー、殺人、偽装、賄賂汚職等々。あんな善い人が、こんな事件を起こすなんて信じられない、といったことをよく聞きます。どんな人でも油断をすると悪道に堕ちる可能性を持っているのです。だからこそこの「理法」を身に付けて欲しいのです。
さて、ここでさらに大事なことを申し上げましょう。それは、この因果の理法、三時の業報の理法を、単に悪道に堕ちないために信じるということでは不十分だということです。どうゆうことかと言うと、それは、悪い事は悪い結果となるから「してはならない」とか、善いことは善い結果を生むから「しなさい」というのは単なる利得的発想だからです。
ちょっと難しいかもしれませんが、「行為」というものに、意図的なものがあったらたちまち利欲的な個人的なものになってしまうからです。義務感覚での段階は低次元だということです。
悪い事は、「悪いからしない」ではなく、「悪いことは出来ない」ということでなければなりません。 善い事は、「善いことだからする」のではなく、「善いことしか出来ない」ということでなければ本物ではありません。
因果の理法、三時の業報の理法を真に究めるということはその境涯まで求められるのです。悪いことすると罰が当たる、善いことをすると善い見返りがある、というのは単なる賞罰論であり、道徳論の域を出ません。
仏教は道徳ではありません。宗教です。宗教は理屈を超えた崇高な精神の世界です。ただ「悪いことは出来ない」、「善いことしか出来ない」菩提心の世界です。
だからこそ祈るのです。懺悔するのです。それにより報恩感謝の生活、仏作仏行の生活が送れるのです。 

■9 因果を活かす
三朝祈四海五福 一切群生明晃晃
「当(まさ)に知るべし、今生の我が身、二つなし三つなし。徒らに邪見に堕ちて虚(むなし)く悪業を感得(かんとく)せん、惜しからざらめや。悪を作りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟(じゃしゆい)するに依りて、悪の報(ほう)を感得せざるには非ず。」
「当(まさ)に知るべし、今生の我が身、二つなし三つなし。」まさに読んで字の如く、いま生きているところのこの身、この命はたった一つきりのものであり、二つも三つも掛け替えのあるものではありません。
「徒らに邪見に堕ちて虚(むなし)く悪業を感得(かんとく)せん、惜しからざらめや。」「邪見」というのは、前にも述べましたように、因果の必然の理法を否定する見解のことです。そのような無意味な邪見に堕ちると無駄な悪の果報を受けることになるというのです。「惜しからざらめや。」まことに惜しいことではないか、ということです。
「悪を作りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟(じゃしゆい)するに依りて、悪の報(ほう)を感得せざるには非ず。」悪業を悪業とも思わず、また、たとえ悪業を造ったところで、悪の報いなどあるものかと自分勝手なよこしまな考え方をしたとしても、悪業に対しての悪報を受けずに済むということは絶対に無いというのです。
以上が第一章の最後、第六節の説明ですが、ここでの論旨は「免れえぬ因果の道理」ということです。「一たび人身を失えば万劫に還り難し」(梵網経)とありますように、ひとたび人間の身を失えば、再度人間に還るということは永久に訪れないということです。人生は二度は絶対にないことを智慧として知るべきだということです。
だからこそ、尊い人の世に生を受けた今生のわが身と、さらに値い難き仏法に遭い奉った因縁に感謝し精進することこそ三悪道に堕ちいらない術なのです。因果の業報は絶対に免れることはできないことを肝に銘じるべきだということです。
しかし、人は誰でも過ちを犯すものです。そしてそれなりの業報を受けますが、大切なことは、その後の懺悔と、その"因果を活かす"ことです。「因果を活かす」ことこそ真の智恵なのですから。
ところで、今年も12月8日がやって参りました。言わずもがな"成道会"(じょうどうえ)です。お釈迦さまがお悟りを開かれた日としての聖日であり、私たち仏教徒は皆お釈迦さまへの報恩感謝の意味を込めて特に供養を捧げる日です。
しかし他方、12月8日と言えば多くの日本人は過去の日米開戦を回顧するでしょう。62年前のその日、旧日本帝国はアメリカハワイ真珠湾に奇襲攻撃を決行し太平洋戦争が勃発したのです。お釈迦さまが人類を救わんとするお悟りを開かれたその聖日に、日本は戦争を始めたのです。よりによって成道会の日に開戦したところに大変な因果を感じるのはわたしだけではないでしょう。
結果、日本は230万人の兵士と80万人の市民が犠牲となりました。原子爆弾投下という人類史上絶対に許されない被害も被ったのです。何という因果でしょうか。 因果の業報は個人のレベルだけのものではありません。民族や国家という単位でも起こるのです。
一民族、一国家の指導者のエゴが悪業となり悪報となるのです。ちなみに第二次世界大戦の犠牲者をみてみますと、ドイツ550万人、ソ連2000万人、中国1000万人、ポーランド600万人、イタリア78万人、イギリス50万人、アメリカ40万人、フランス34万人となっています。
さらにドイツでは600万人といわれるユダヤ人が強制収容所で虐殺されたり、中国南京での日本軍による10万〜20万人の虐殺(中国は30万を主張)。広島原爆14万人、長崎原爆7万人、東京空襲爆撃10万人、沖縄戦線では12万人というそれぞれ大変な犠牲者が出ました。
その他、シベリア抑留約60万人、朝鮮から70万人、中国から4万人の日本への強制連行、従軍慰安婦問題、等々計り知れない非人道行的為が行われました。この大戦でヨーロッパでは約4000万人、アジアで約2000万人、全世界で約6000万人もの尊い人命が奪われたのです。
戦争を起こすのは一握りの指導者かもしれませんが、その民族、その国民の運命がその者達に左右されるということに言い知れぬ不条理を感じます。
戦争は人の理性を奪い心を鬼にします。殺人と破壊という人類最悪の行為です。それぞれが勝手な大義名分を主張し、それなりの理由があるとされていますが、戦争によって生まれるものは何もありません。救われる人は誰もいません。"忠義報国"とか"聖戦"とか、欺瞞の言葉でしかありません。
平和な社会にあっては、殺人行為は日本であればその刑罰は死刑が相当です。それが、同じ殺人行為であっても戦争では一切罪が問われません。むしろ敵を多く殺した者程英雄扱いされるのです。こんな理不尽はありません。 戦争だから当たり前と言う人がいるでしょう。しかしこれは真理の智慧から見たら途轍もなく異常なことなのです。
そこで思い出されるのは、私がかつて高校の教員をしていた時のことです。ある時、ある教頭と"命"についての議論になりました。
その教頭が言うに、戦争での命と平和の時の命とでは重さが違うというのです。戦争での命は軽いと言ったのです。それに対して、私が、命の重さはどんな状況であっても変わりはない。戦争での命は軽いというのはまったくの間違った認識だと主張したのです。
負けず嫌いのその教頭は猶も言い張るので、私が、「ではそれを公の場で言えますか?」と言ったら、その一言で、彼はその議論から逃げていきました。これはその教頭一人の問題ではありません。実は多くの人たちがそのような認識を持っているのです。
命というものは、人種、民族、階級、貧富、能力、性別に関係なく、みんな絶対平等だということを"知識"としてはみんなしっかり知っています。しかし、人の心は実に弱く不確実なものです。戦争は人々を集団パニックに陥れ、当たり前である筈の常識や認識はそのパニックですっかり狂ってしまうのです。それが"戦争"という狂気なのです。
パニックはその民族、国民から正常な思考力、判断力、自制心を奪ってしまいます。人々は一部狂った指導者達に自分達運命のすべてを託してしまうのです。一度勢づいたその殺人と破壊のエネルギーは途中で止まることは決してありません。行き着くところまで行ってしまうのです。前述の第二次世界大戦での犠牲がそれを如実に証明しています。
過去は仕方のないものとしましょう。問題はこれからです。絶対に戦争は起こさないという盤石の備えこそ必要なのです。どんな賢人や学識者、聖職者、宗教家、僧侶であれ、一旦戦争になればその波に呑みこまれてしまい為す術はありません。
ではどうしたらよいでしょう。それは病気と同じです。普段から健康に注意して、絶えず健康検診を怠らず、もし危険な兆候が少しでも現れたら即治療を施すということが必要なのです。病気も戦争も普段が大事です。それこそ普段の生き方を指導する賢人や学識者、宗教家、聖職者、僧侶の存在が問われるのです。
戦後62年、人の記憶も反省も風化の一途を辿っています。しかし、12月8日こそ、成道の日としてお釈迦さまへの一層の帰依と同時に、あらためて戦争への懺悔とこれからの平和への誓いをあらたにし、過ちは決して繰り返さないための真の智慧を身に着けることです。"因果を活かす"とはそういうことです。 

■10 縁は選択できる
三朝祈四海五福  一切群生明晃晃
新年おめでとうございます。年頭にあたり、正法興隆、国土安穏、万邦和楽、諸縁吉祥と皆様のご多幸を祈念致します。本年もこの「法話」をどうぞよろしくお願い致します。
「因果」つまり原因と結果の間にあるのが「縁」です。原因は縁によって結果となるという、因果の道理についてはこれまで幾度も述べてきましたが、今回はこの「縁」について、『「縁」は選べる』という持論を紹介したいと思います。
まず縁とはどのようなものでしょうか。一言で言えば、万物の潤滑油のようなものです。諸行無常といって万物は一瞬一瞬変化していますがその「変化」の動向や実態はその「縁」によるのです。変化は全て「縁」次第という、いわば「変化」の潤滑油に当たるのが"縁"といったらよいでしょう。
そのことを念頭においてまずその「変化」について考えてみます。「変化」とは何か。「変化」はどのようにして起こるのかを考えてみます。
変化とは万物の一つ一つに具わったエネルギーの移動によるものです。以前「もの」には全てそのものに具わったエネルギーがあるということを述べましたが、「ある」というより、その「もの」自体がエネルギーと言った方がよいかもしれません。つまり存在=エネルギーということです。
例えば、変化として分かり易いのが「老化」です。人は時間と共に老化しますが、老化という「変化」を考えた時に、それは新陳代謝によるエネルギーの損失による変化です。そしてやがて全てのエネルギーが尽きた時にその「存在」も無くなります。存在=エネルギーですから。それがすなわち「死」です。
なるほど、人や生物の場合はそれでなんとなくわかりますが、では無生物の場合の変化はどうでしょう。一つの岩を例に考えてみましょう。岩は無生物ですから当然新陳代謝をしてはいません。
しかし、存在=エネルギーという理論(持論)からすると当然岩にもエネルギーがあることになりますが。そうです。その岩もれっきとしたエネルギーの塊(かたまり)なのです。
岩がエネルギーの塊だって?一体なんのことでしょうか。「風化」ということを我々は知っています。風化はれっきとした「変化」ですが、この場合の変化は岩が外から受けるエネルギーによるものだと考えるのが常識です。でも持論から言いますと、それは岩それ自体の退化エネルギーによるものなのです。
つまり、「生育」も「老化」も「退化」も「風化」もみんなそれ自体のエネルギーによる「変化」なのです。すなわちエネルギーの移動により存在が形を変えるのです。これが「変化」です。生物、無生物を問わず、存在する「もの」にはすべてエネルギーがあり、そのエネルギーの移動が変化となって、その流れは永遠に止むことはないのです。これがすなわち諸行無常の姿です。
何年、何十年経っても変化していないように見える岩でも百年経てば目に見える変化が現れてきます。百年経って変化しているということは、一年一年で変化しているということです。一年一年で変化しているということは、一日一日で変化しているということです。一日一日で変化しているということは、一分一分で変化しているということです。一分一分で変化しているということは、一秒一秒で変化しているということです。つまり、刹那ごとに変化しているのです。生物、無生物を問わず、万物はそれ自体瞬間瞬間に変化し続けているのです。
では次にその「変化」のメカニズムについて考えてみましょう。「変化」にはルールがあるのです。すべての「変化」はそのルールに則っているのです。そのルールこそ「因果の法則」であり、その素因が"縁"という潤滑油なのです。
では「縁」とはどんなものでしょう。一つの「もの」が時間の流れに流されている状態を水の流れに例えてみます。水は万有引力の法則に従ってただただ低い方へ低い方へと流れていきます。その流れは一定ではありません。速度を変え、速くなったり遅くなったり、急カーブしたりしながら流れて行きます。それは流れの中にさまざまな障害があるからです。
流れにとって自分の都合で流れの速さや方向を変えることはできません。都合の良い石もあれば悪い石もあるでしょう。イヤな石にぶつかったり岩に乗り上げたり、土を削ったり、澄んだり濁ったりしながら流れていくのです。その流れの中にある障害のすべては環境である以上必然のものです。必然ですからそれは"縁"であり受け止めるしかないのです。
つまり"縁"とは"必然"であり避けられないものだということがわかります。これと同じで、万物の一つ一つにはそれぞれの流れがあってその環境のすべてが"縁"であるのです。
人の人生もこれとまったく同じだと考えられます。人それぞれにはそれぞれの環境という必然があるのです。その環境のすべてが「縁」であると考えたときに、その縁といかに向き合っていくかが人生にとって大切なのです。
今私は、縁は必然であり、その縁と如何に向き合っていくかが問題だということを申しましたが、実は人の場合「縁は選択できる」のです。これこそ人に与えられた「特権」なのです。
出会う「縁」は必然であり、仕方のないものとしましょう。しかし、「縁」が選択できるというのならそれをしっかり認識してそれを人生に活かすべきなのです。
人の出会いの縁からその「選択」について考えてみましょう。友人を選ぶということは一つの選択ですが、良い友人を持つのと悪い友人を持つのとでは人生にとってその影響は実に大きいものがあります。
さらにそれ以上に人生にとって重大な縁と言えば結婚でしょう。結婚は出会いの中でも最大級の「選択」であり、その決断は人生を左右するものと言っても過言ではありません。
そこで、極最近ある若い女性から直接聞いた話をご紹介します。数年前のこと、縁あってある男性と約一年間の交際を経て結婚することになったそうです。お相手は家柄も良く社会的経済的にもまったく申し分のない青年だったそうです。結納も済み、式場を決めようとしていた矢先のことだったそうです。
その彼からなぜか突然彼の家のお墓参りに誘われたそうです。ご先祖様へのご報告として当然のことだと思いながら、そのお墓に案内されたそうです。ところがそこには彼女にとって大変な"結果"が待っていたのです。
そのお墓に行って唖然としたというのです。そこにはなんと卒塔婆でもない板切れが数本立っているだけでそれ以外何も無かったというのです。「ええ・・・! これがお墓?」「墓石も何も無いのに何を拝むの?」 「この家の人達は一体先祖やお墓のことをどう考えているのだろう?」 「こんなお墓に連れてきた彼のその神経が理解できない・・・・・」しばし呆然。
この瞬間から、彼との結婚への想いは急激に冷めてしまったそうです。結局破談となり当然その理由を聞かれたそうですが、お相手方にその本当の理由はすぐには言えなかったそうです。「突然決まったあのお墓参り・・・あれはきっと私のご先祖様、特にお爺ちゃんの示唆によるものではなかったかと今にして思われます。」と彼女はいみじくも語っていました。
出会いという「縁」から結婚という「選択」があるわけですが、彼女の場合実にドラスティックな"選択"があったわけです。それはまさにご先祖さまからの"ご神託"であったとも捉えることもできますが、私には何よりも彼女にご先祖様に対しての報恩感謝と畏敬の「感性」があったからこその結果だったと思えるのです。
私は彼女のそんな感性に感動を受けましたが、その感性こそご先祖様から受け継がれた「因縁」によるものなのです。優れた感性が正しい縁の選択をするのです。今の時代に最も求められているのはそんな「感性」ではないでしょうか。
「縁は選択できる」ということの一例を述べましたが、これは特段に考えることではありません。誰でも毎日の当り前の生活の中に有るちょっとした「選択」をちょっとだけ真剣に考えてくれればよいのです。
例えば、朝早く起きるか、遅く起きるかということで検証してみましょう。例えば早く起きることを選択すれば、余裕ができます。余裕ができればしっかりした食事がとれます。家族の会話ができます。学校や会社に遅れる心配もありません。ストレスもたまりません。
他方、ぎりぎりまで寝ていることを選択すれば、あわてて起きなければなりません。結果、満足に食事もとれません。家族の会話もできません。あわてて事故にぶつかる可能性も高くなります。すべてに余裕がなくなればストレスも重なります。双方の結果は歴然です。
朝起きなければならないという事態は必然の「縁」ですが、起き方の選択の違いでその結果は大きく違ってきます。これが習慣となればやがて大きな結果となって現れてくるでしょう。
このように、われわれの毎日は選択の連続なのです。良い選択は幸福に向かいます。悪い選択は不幸に向かいます。犯罪を犯す人は間違いなく「選択」を誤ってしまうのです。これこそ因果の法則です。
毎日の生活は縁の選択の連続だとしたら、人生は縁の選択で決まってしまいます。だとしたら選択の判断を間違えない方法があったら良いですね。実はあるのです。 
 

 

■11  縁は心で決まる
前回、「縁」は必然であり、その縁と如何に向き合っていくかが問題だということを述べました。さらに縁を選択できるということは人に与えられた「特権」だとも述べました。果たしてほんとうにそうでしょうか。その点についてもう少し考えてみたいと思います。
まず「必然の縁」とは"与えられた縁"であるということです。川の流れの中でぶつかる岩は必然の出会いです。生まれてきた親の下も必然の縁です。「必然」の縁だから子供にとって親は選べません。
一方の「選択できる縁」とは、必然の後の「対応の縁」を意味します。対応の縁とはこれから"どう向き合うかという縁"のことです。
例えば、ある会社員が転勤命令を受けました。その場合転勤命令は受け止めなければならない必然の縁です。しかし、その「命令」に対して人はどうするか選択できます。これが「対応の縁」です。つまり、人が受け止める縁は必然ですが、対応で縁を選択できるのです。
人生は縁の選択の連続だとすると、良い人生も、悪い人生もそれぞれの選択の積み重ねの結果だということがわかります。ですから"縁に流されて"しまうのではなく、しっかり向き合うべきなのです。そして、普通「縁」というと何か特別の出会いや出来事を思い浮かべる人も多いかと思いますが、実は毎日の生活のすべてが縁だということを認識して欲しいのです。
今食べていることも、話していることも、歩いていることも、車に乗っていることも、働いていることも、即ち朝起きてから寝るまでの一挙手一投足の行動の全てが「縁」との「対応」と「結果」なのです。結果が次の必然であり、その必然との対応が次の結果をもたらすという、人生は縁の展開なのです。
そこで考えなければならないことは、必然の縁には当然好ましい縁もあれば好ましくない縁もあります。しかし、好ましい縁であっても扱いによっては悪い結果となりますし、悪い縁であっても扱いによっては良い結果をもたらすことを自覚すべきです。
また、良い縁だけが与えられる人生なんて絶対にありませんし、また悪い縁だけが与えられるということも絶対にありません。どんな人の人生もさまざまな縁のぶつかり合いなのです。
ですから、人はどんな縁に対しても"選択"で勝負をしなければなりません。しかしその勝負にいつも勝てるとは限りません。なぜでしょう。それは人の人たるゆえんです。
そのゆえんとは「こころ」です。人の行動のすべては、意識的にしろ無意識的にしろ、「心」によるものだからです。ですから、どんな縁でもそれを好転させるかどうかはその人の心に掛かっているのです。ということは、人生を決めるのは縁ではなく、その縁をコントロールする「心」だということになりますね。つまり「こころ」こそ縁の「よるべ」なのです。
ですから仏教は「心」を第一番の問題と捉えているのです。仏教は「仏陀の教え」ですが、一言で言えば心のあり方の教えです。お釈迦さまは真理を悟られて、人にとって心こそ最大の問題だと認識されました。
つまり、人は心を豊かにすれば幸せになれるし、心を貧しくすれば不幸に陥るという極めて単純明快な教えなのです。しかし、お釈迦さまの教理はお悟りから生まれた深遠で妙たるものなので人々には大変難しかったのです。悟りの世界のことは悟りを体験せずには理解はできなかったからです。
どんな体験でもそうですが、その内容を言葉だけで100パーセント人に理解させることは無理です。それと同じことで、悟りの智慧は悟ってこそ初めて理解できるのです。だからこそ、お釈迦さま以来あまたの修行者が命がけで修行をしてきたのです。悟りの智慧とはそれほど価値のある凄いものなのです。
その仏教も初めは「学問」だったと考えられるのです。科学、物理学、医学などと同じような「哲学」でした。普通「〜学」という学問であれば案外簡単に証明ができますから誰にでも容易に理解できます。
科学も物理学も医学もみんな"証明"や"立証"ができる「学問」なのです。では仏教はなぜ宗教になってしまったのでしょうか。その理由を持論で述べてみたいと思います。
特にインド文化においては哲学を教える先生などは仙人のような扱いを受けたそうです。先生の教えを頂くときにはまずお線香を立てて礼をしてからという習慣があったそうです。仏教が"宗教"になってしまった要因にはそうした環境も考えられますが、私は一番の理由は一言で言えば仏教の持つ「凄さ」だったと思うのです。
仏教は小乗から大乗に至りました。その大乗の中でさらに顕教から密教に進化しました。特に密教は理論で理解できない世界です。理論で理解出来ないことを「不思議」といいます。不思議とは「思議すること不可能」ということであり、人の考えや思いの及びのつかない世界のことを言います。
先に、仏教は悟りの智慧から出た教えであり、その体験無くして真に理解できないということを述べましたが、それは即ち証明や立証のできない世界だということになります。証明、立証ができないものは「学問」の範疇ではなくなります。
証明や検証ができないものは「不思議」なものであり、その「不思議」な感覚、感情を与えるものをカリスマと言います。そのカリスマに人は惹かれ興味や憧れを持つのです。その畏敬の心が「宗教心」になるのです。
お釈迦さまにはその凄いカリスマがあったのです。私の言う仏教の「凄さ」とはそういうことです。不思議な人、不思議な世界に人は惹きつけらます。そこは理屈無しに信じられる世界になるのです。理屈を超えて信じる世界、それが「宗教」です。
ただし、いつも言うように宗教にはいろいろあるので気をつけなければなりません。宗教といわれるものはみな一様に「幸せになる」ための教えを謳っていますが、盲信は絶対ダメです。実体を見極めないと「邪教」や「外道」に陥る結果にもなりかねません。
おかしな宗教によって不幸になったり人生を狂わせられたりしたケースはいくらでも有りますし、これから将来も人類が続く限りそういったことが無くなることは絶対にありません。それは人間とは宗教的生き物だからです。気をつけましょう。
以上、仏教と宗教との関係について述べてみましたが、要するに、仏教とはただただ「心の教え」だということです。どうやって悩みを無くすか。どうやって苦しみを無くすか。どうやって完成された人格をつくるか。つまり、どうやって「心」を豊かにするかについての教えが仏教なのです。
我々は、見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、体で感じたり、考えたり、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、楽しんだり、嫉妬したり、憎んだり、愛したりしますが、これらはすべて「心」の働きによるものです。
心の働きと言いましたが、これほど科学や医学が進歩した現代においても心の実体が解明されたわけではないのです。いくらレントゲンをかけてもMRIで解析しても体のどこにも「心」の実体が確認できません。その形も場所もわかっていないのが現実なのです。
辞書には「人間の精神作用のもとになるもの。またその作用。知識、感情、意志の総体。」などと定義されていますがきわめて抽象的です。では、仏教はその「心」をどう捉えているのでしょうか。
御開山道元禅師は「よろずの存在がそのまま心である。三界はただ心である。」「正法眼蔵(心不可得)」と示されています。この意味は、「存在のそれ自体が心である」ということです。
さらに、「心とは、一心一切法、一切法一心である。」「正法眼蔵(即心是仏)」と示されています。この意味は、「心が即ち一切の存在であり、一切の存在が即ち心である」という意味です。
これらは一体どの様に理解すればよいのでしょうか。これからその「こころ」についてさらに考えてみたいと思います。 

■12 公案「百丈野狐」【前編】
境内の彼岸桜ちょうど今お彼岸で、境内では彼岸桜が満開です。おもわず写真に撮りました。いよいよ春本番です。春は希望に満ちていていいですね。
しかし、チベットではこのところ大変な状況が続いています。人民による暴動ばかりが伝わってきますが、その原因ははっきりしません。が、ただ一つ言えることは、いつの時代でもどこでも正義は人民にこそあるということです。
何の原因もなく何百何千の人々が暴動を起こすなどということはありえません。そこにはそれ相当の原因があってのことです。恐らく追い詰められた人民の不満が爆発したのでしょう。
チベットはもともと独特の仏教文化の穏やかな独立国でした。それが、1949に中国に突然侵略されて以来、国家としての独自性を奪われたのです。強引な統制により自然環境さえ破壊され続けているというのです。
チベット人民の堪忍袋は限界を超えたのでしょう。暴動は中国政府の不条理に対する抵抗なのです。チベット人民にとってダライ・ラマ法王は宗教・文化・民族の象徴であり誇りであるのです。
その象徴や人権や文化を認めようとしない国はとても民主主義国家とは言えません。中国は共和国〞の筈です。君主でも独裁でもなく、主権が人民にあるというのが"共和国"の意味です。でもそう言えば北朝鮮も確か"共和国"でした。中国も国の看板が偽装だったのでしょうか。偽装は犯罪です。
どうか北朝鮮と同じような犯罪国家にはならないでください。中国自身かつて日本に占領され大変辛い経験をした国の筈です。今世界が注目をしています。中国政府は今すぐにでもダライ・ラマ法王と会って謙虚に話し合うべきです。オリンピックどころではありません。
あと、日本の平和ボケのニュースコメンテーターなる者に一言。「政治とスポーツとを一緒にして欲しくない」というコメントをこのところまま耳にしますが、それはまったくの現実知らずの「他人事の言い方」です。命や生活を脅かされている人たちにとって「何がスポーツだ」と言いたいのです。
どうか平和ぼけした馬鹿な意見やコメントを言わないでください。同じ日本人として恥ずかしい限りです。以上本論に入る前に一僧侶として一言言わせていただきました。
さて、当山ホームページもこの3月でまる3年を迎えることができました。2万件以上のアクセスをいただきました。感謝申し上げますとともに、これからもよろしくお願い致します。三周年の節目ということで特に今回は公案無門関第二則「百丈野狐」(ひゃくじょうやこ)をとりあげました。(前回からの「こころ」は先に延ばさせていただきます。)
さて、「因縁シリーズ」の中で「因果」を論じるときやはりこの公案を避けて通ることはできないと思いながらも実は少々躊躇していました。それはこの公案の本則が長いからです。長いということは説明が大変だという実にイイカゲンな理由からです。(これは言う必要無いですかね)
というわけで今回から前・中・後三回に分けて公案「百丈野狐」をお届けいたします。特に公案に興味ある方は最後まで看ていただければうれしい次第です。祖録の公案は原則として本則(公案の本題)だけは全部暗記することが建前になっていますので、それが案外大変なのです。
この公案は第二則ですから、第一則「趙州狗子」の「無字」を許されてからの最初の公案になります。「無字」を透るだけでも個人差にもよりますが、何ヶ月から何年もかかるのです。それだけに「無字」を透ってほっとして感慨にふけっているときに、次のこの長い本則は正直面倒だと思います。実際この本則は「無門関」の中で最長のものです。
本則の本文は長いし、内容も作り話のようなウソみたいな話で、公案の狙いもはっきりわからないし、はじめはモティベーションが上がりませんでした。そんなことも有ってか、この公案にも数ケ月掛かりました。そんな印象がこの公案にはあります。
しかし今、改めてこの公案を看返してみると、無門禅師が「無門関」の第二則にこの公案を持ってきた理由がわかるような気がします。それは第一則での「無字」の検証になっていると思えるからです。
どういうことかといいますと、第一則の「無字」の見性(けんしょう)を更に確かなものにする必要があるということです。見性が二次元留まりであってはダメなのです。三次元の見性でなければ本物ではありません。難しい言い方かもしれません。別な言い方をしてみましょう。
「色即是空」だけの理解では二次元の理解でしかありません。その翻りの「空即是色」の理解があってこそ「色即是空」が真に理解されるのです。二次元の理解を「平面」とすると、三次元の理解で「立体」になるのです。"立体"が三法印の姿だからです。この持論我ながら言い得て妙とでも申しましょうか。(うぬぼれですかね)
つまり「無字」の見性の程度がこの第二則で試されるということです。それだけにかなり手強いものになっているのです。前置きが随分長くなりましたが、ではこの公案の主旨に入りましょうか。仏さまは果たして因果の支配は受けるのか、あるいは因果の支配を受けないのか、そのどちらなのかというのがこの公案の主題です。
登場人物についても紹介しておきましょう。百丈とは百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師のことで、達磨さまから九代目の人で馬祖道一の弟子です。南泉普願とは兄弟弟子になります。黄檗(おうばく)は百丈の弟子で黄檗希運のことで臨済義玄の師匠になられるお方です。
百丈禅師と言えば禅宗の憲法とも言える「百丈清規」を定めた人でもあり、「一日作さざれば一日食わず」という提唱でも有名です。なんとその時代に九十四歳まで生きられたという大古仏です。以上のことを念頭に置いて本則を看ていきましょう。
本則
百丈和尚が説法するときに、いつでも一人の老人が他の僧たちと一緒に法を聞くためにその場にいた。僧たちがその場を去ると、その老人もまたその場を去った。ところがある日、その老人だけがその場に残った。そこで、百丈がその老人に、「お前さんいったい誰なのか」と尋ねた。その老人は答えて言った。
「はい、実は私は人間ではありません。ずっと昔、過去仏である迦葉仏(かしょうぶつ)の時代に私はこの山で住職をしておりました。あるとき修行者が私に、一体悟りを得た人は因果の鎖の世界に落ちるのでしょうかと尋ねたので、私は因果に落ちないと答えました。そのため私は、五百回も野狐に生まれかわってしまいました。今どうかお願いしたいのは、私に代わって一転語(いってんご)を答えていただき、私を野狐の身から解放していただきたいのです」と。(一転語とは、迷いを転じて悟りに導く一句の法語)
そこで、その老人が改めて百丈に問いた。「悟った人は因果の支配に落ちるでしょうか」と。百丈は「誰人も因果の支配を消し昧(くら)ますことはできない」と答えた。その一転語によって老人はたちまち悟りを開いた。そして礼拝して言った。「私はおかげでやっと野狐の身を脱することができました。更に百丈禅師様にお願いがあります。どうか私の葬儀を僧侶の作法で執り行ってください」と。
それを受けて百丈は一山の綱紀を取り扱う維那(いのう)という役僧をよび、白槌(びゃくつい)の合図をして僧たちに告げた。「昼食後、亡僧のための葬式を行う」と。一山の僧たちはいろいろと取り沙汰して言い合った。
「われわれは皆健康であるし、涅槃堂(病僧が養生するための施設)にも別に誰も居ないのにこの知らせは何なのか?」と言って不思議がった。昼食の後、百丈は一連の僧を連れて裏山にのぼり、岩の下から杖で一匹の狐の死骸を引き出して、亡僧の儀礼で火葬に付した。
その日の夕方、百丈は法座台上に登ってこの話を僧たちに聞かせた。すると弟子の黄檗が言った。「その老人は錯(あやま)って一転語を答えたばかりに、五百回も野狐の身に生まれかわったとのことですが、もし、その一転語が間違っていなかったとしたら、いったい何に生まれかわる定めだったでしょうか」と。
すると百丈は、「こっちへ来なさい、お前のために言って聞かせよう」と言った。それを受けて、黄檗は進み出るやいなや、百丈の横面に平手打ちをくらわせた。それを百丈は大笑いし手を叩いて言った。「赤鬚(あかひげ)の達磨はわしだけじゃと思っていたのに、ここにまたもう一人の赤鬚の達磨がおったわい」と。

以上が本則の内容ですが、この公案の狙いは、「不落因果」と「不昧因果」という言葉を通して「因果」の実体を知ることにあるのです。「因果」というその本当のすがた、本質を知るのがこの公案の狙いなのです。このことを忘れないでください。
そのための問題提起が「不落因果」「不昧因果」なのです。「不落因果」とは因果に落ちないということであり、「不昧因果」とは因果をくらますことはできないということです。まずあなた自身はどう思われるでしょうか?
仏様になったら因果の支配から免れると思いますか?それとも因果の支配を免れないと思いますか?この答えは"何"でしょう。(「どちら」ではなく「何」というのがヒント) ここに登場した一老人は昔「因果の支配から逃れられる」と答えたのですが、その答えが間違っていたためなんと五百回も野狐に生まれかわったというのです。
その悔いから彼は百丈禅師に正しい答えを求めたのです。百丈は、「例え仏であろうが誰であろうが因果の支配から逃れることはできない」と答えたのです。その答えが正しかったのでその老人はたちまち悟りを得て野狐の身から解放されたのです。
では「不落因果」と答えたその老人の答えは"なぜ"間違っていたのでしょう。そして「不昧因果」と答えた百丈の答えは"なぜ"正しかったのでしょう。この"なぜ"が正にこの公案の答えなのです。この答えは次回にまわすとして、折角ですからヒントを言っておきましょう。
先にもちょっと触れましたが、「色即是空」は同時に「空即是色」であることが証明できてはじめて「色即是空」がほんとうに理解できたことになるということ。さらに言えば、「不落」が「色」であり、「不昧」が「空」であるということ。最高のヒントですよ。 

■13 公案「百丈野狐」【中編】
今朝オリンピック聖火が長野市内を走りました。警察官100人の壁に護られて走るという異様な光景でした。平和の象徴である筈の聖火が中国に対する抗議の煽りをうけて風前の灯火となっています。
一体なんのための聖火リレーなのかわからなくなりましたが、一つの考え方として言えることは、聖火リレーが開催国の民主主義の程度を示すバロメーターと受け止めれば納得できることかもしれません。
聖火と共に吹き出したチベット問題を中国政府はオリンピアの神からのご神託と受け止めて真摯に向かい合うべきでしょう。つい先ほど中国政府がどうやらダライ・ラマ法王との話し合いに応じると報じられていましたが、それが結果的に単なるポーズに終わらないことを願いたいと思います。
これからの世界の平和と安定を考えたとき、世界人口の5分の1を占めるという超大国中国の存在は極めて大きいのです。これから将来必ずや世界のリーダーになるのですから、何としても真の開かれた民主主義社会を確立して欲しいものです。「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」という孔子の格言に学んで、変な欲得など捨ててチベットを解放し"人権国家"を宣言されたらどうでしょうか。
さて本論に入ることとしましょう。先月からの宿題は「なぜ」でした。老人が五百回も野狐に生まれ変わったというその原因が「不落因果」の一言であったわけですが、それが"なぜ"間違っていたのか。そして、百丈が言った「不昧因果」の一言が"なぜ"正しかったのか。この公案を解く鍵がここにあると言ってもよいでしょう。
では「不落因果」がなぜ間違っていたのでしょう。それはかの老人が「対立観念」という分別意識から「不落因果」と答えたからです。いうまでもなく対立観念というのは分別妄想にほかならないのです。妄想から出た答えは迷いですから即ち「間違い」なのです。
他方、「不昧因果」が正しかったのは、悟りから出た答えだからです。悟りとは一切の対立観念の無い境地を言います。悟りの境地から出た答えは真理ですから即ち「正しい」のです。
つまり答えが間違いか正しいかは悟っているかどうかに掛かっているということです。「不落因果」がなぜ間違いで、「不昧因果」がなぜ正いかったかという、その「なぜ」の答えがこれで分かったかと思います。わかってみれば答えは簡単なものです。
さらに確認ですが、「不落因果」が間違いで、「不昧因果」が正しいと言う判断は言葉の意味ではなく、それを使う人が悟っているかどうかに依るということです。この認識が極めて重要なポイントです。
例えば、百丈の答えた「不昧因果」が正しいからと言って、それをかの老人が答えたとしてもそれは正しい答えにはなりません。逆に、百丈がかの老人の「不落因果」の答えを言ったとしたら、それが正しい答えになってしまうということです。そういう意味になりますね。
つまり「不落」も「不昧」も答える人が悟っているかどうかでそれが正しいかどうかが決まるということです。ですから単に言葉の意味に囚われてしまっていては公案の狙いが分かりません。公案の"言葉"に惑わされないことが肝腎です。
これは全ての公案に言えることですが、公案の狙いを読み取るためにはまず一切の対立観念を捨て去ることです。今回の「不落」と「不昧」というこの二つの認識はまさに対立観念にほかならないわけですからまずこの"分別"を断ち切ってこそ公案の意図が見えてくるのです。
かの老人が五百生に亘って野狐の身に堕ちたのは因果の実体を知らなかったからです。因果の実体には「不落」も「不昧」も無かったのです。分別という迷いに縛られていた結果、彼の答えはすべて"迷いの答え"に過ぎなかったのです。
彼はその迷いからさらに、「人間」が「善」であり、「狐」が「悪」だという差別観念に陥ってしまったのです。「善」と「悪」という差別観念はすべて対立観念から来るのです。つまり彼が野狐の身に堕ちてしまったのはまさに彼自身の差別観念という迷いによるものに他ならなかったのです。これこそ自業自得と言う"因果"でしょうか。
ですから彼が野狐の身から脱するにはまずこの「人間」と「狐」という対立観念から脱却するしか無かったのです。そこで百丈の言った「不昧因果」の一言はこの間違った観念を打ち破る正に"一転語"であったのです。その瞬間その老人は「人間」と「狐」という分別妄想から開放され豁然として因果の実体を悟ったのです。
このように、この公案の狙いはまさにこの「因果の実体」を悟ることにあったのです。どうですか?お分かりいただけましたか。そしたらさらに、その老人がたちまち野狐から解放されたという、その「解放」の意味も自ずと分かる筈です。つまり、彼は悟ったことで、野狐であった己は元々成仏していた存在だと分かったわけですから、そのことで彼は野狐であった自分自身に納得できたのです。「納得できたこと」がすなわち「解放された」という意味になるわけです。
黄檗が「それならば間違わぬ法を説いたら一体何に生まれ変わっていたのでしょうか」と問いましたね。その意味は、「野狐は野狐でそれ以外の何ものでもないでしょう。」「野狐は野狐で完璧でしょう。」という意味です。黄檗がまさに百丈の意図を見抜いていた一言と言えるでしょう。
そして、百丈が黄檗に「もっと近くへ寄れ、教えてやろう」と言いました。それなら聞かせて貰いましょうと、黄檗は師匠に近づくなり師匠の横面にピシャリと一撃を与えたのです。それに対して百丈は「わしこそ赤鬚の達磨だと思っていたらここにもう一人の赤鬚の達磨がいたわい」といって手を叩いて大喜びしたのです。
百丈は黄檗がどの程度理解しているか試そうと思い、多分百丈の方から黄檗の横面をひっぱたき、「野狐以外に何があるかー!」と教えるつもりだったのでしょう。ところがどっこい、逆に黄檗の方が一枚上手だったのです。「そんな事くらいとっくに分かっていますよ」といって逆に師匠の横面を先にひっぱたいてしまったという次第です。百丈は黄檗のその力量を認め、自分以外にも同じ悟った仏がここにおったわいと言って喜んで黄檗の悟りを証明したのです。
結論としては、「因果」に「不落」と「不昧」があると思っていたのはまったくの妄想だったのです。妄想はすべて対立観念という分別から起こるのです。だから一切の対立観念を捨てきったときに因果の実体が明らかになるのです。
その「因果の実体」について、さらに次回の「提唱」と「頌」で明らかにしましょう。それとあと、この公案の内容、つまり老人も野狐も実話のことなのかどうかという疑問です。 

■14 公案「百丈野狐」【後編】
無門禅師は提唱しています。
「不落因果、なんとしてか野狐に堕す。不昧因果、なんとしてか野狐を脱す。若し者裏(しゃり)に向かって、一隻眼を著得(じゃくとく)せば、便ち前百丈、かち得て風流五百生なることを知得せん。」
「不落因果、なんとしてか野狐に堕す。不昧因果、なんとしてか野狐を脱す。」 この"なんとしてか"にこの公案の意味が込められています。「不落因果」でどうして野狐に堕ちたのか。そして「不昧因果」でどうして野狐から脱することができたのか、と無門禅師は問いかけています。つまり、不落因果と不昧因果との違いは何ですか?と言うことです。
「野狐に堕ちた」のと「野狐から脱した」のとの「差」はどこにありますか? もっとはっきり言えば、本当に「堕ちた」のですか?また本当に「脱した」のですか? 更に言えば、何を以って「堕ちた」と言い、また「脱した」と言うのですか?
「一隻眼」とは成仏して得ることのできるいわば"一眼レフ"の「眼」と言ってよいでしょう。普通の眼のことを「双眼」と言い凡夫の眼、迷いの眼を意味します。 双眼ですから、その眼からみると全ては相対に見えるのです。右と左、表と裏、東と西、北と南、煩悩と菩提、生と死・・・この見方こそ対立観念なのです。
「一隻眼」は一切の対立観念の無い真如を見る眼ですから、「真実」の姿しか見えません。だから、右と左の区別も無い。表と裏の区別もない。東も西も、北も南も、上も下も、大も小も、重いも軽いも、長いも短いも、浄も不浄も一切の区別が無いのです。
つまり煩悩と菩提、生と死の区別が無いのです。生は生で絶対、死は死で絶対、絶対だからそこには他のものは一切入る余地は無いのです。この絶対無差別の世界こそまさに、生死一如、煩悩即菩提の世界なのです。「一隻眼」という悟りの世界から観ると、「不落」も「不昧」も無いのです。「不落」も「不昧」も妄想であり、その実体はまさに一如の世界なのですから。
次に「若し者裏(しゃり)に向かって、一隻眼を著得(じゃくとく)せば、便ち前百丈、かち得て風流五百生なることを知得せん。」とあります。これは「もしその老人が一隻眼という悟りの眼を開くことができれば彼は五百生という野狐の生涯が決して厭なものではなく、飛切りの風流に満ちた楽しい「人生」だったと知ることができるだろう」という意味です。
それは、悟ってみれば狐の生涯もそれ自体実に完璧な風流に満ちた楽しい"生涯"ではないかということです。なんともはや素晴らしい境涯ではないでしょうか。あなたにも是非この公案を透ってこの境地を堪能して頂きたいものです。
野狐で何がいけないの?野狐は野狐で満点ではないか。迷っていたから仏と野狐が天地の差程隔たっていたのです。迷っていたから狐に差別感を持っていたのです。すべては対立観念という迷いから起こっていたのです。因果の実体を悟れば一切の迷いから解放されほんとうの"風流"が味わえるのです。
無門はさらに「頌」に示しています。不落不昧。両采一賽(りょうさいいっさい)。不昧不落。千錯万錯(せんしゃくばんしゃく)。不落不昧。両采一賽。・・・不落も不昧も一つのサイコロである。まったく別のものではないということです。
だから、不落即不昧であり、不昧即不落であるというのです。つまり、サイコロの采の目は違う二面であってもサイコロの中では一つのものである。それと同じで、不落と不昧という別のものに見える二面もその実体は一つのものだということです。
不昧不落。千錯万錯。・・・不昧と不落とが別々のうちは何千回何万回も間違いを繰り返すだけのことであるということです。正に策励の一句と言えるでしょう。
まとめに入ります。あの老人が、「不昧因果」の一言で悟って野狐の身から脱したと言われていますが、それは悟ってみたら野狐は野狐で完璧だったことが分かったということです。
「野狐の身から脱した」という意味は悟ったことによって野狐であることに心から納得できたということです。迷っている限り「野狐」は「野狐」なのです。野狐の身から離れることは絶対にできません。「野狐禅」という言葉はここからきているのです。
老人にとって野狐になったことが不幸ではなく、因果を超えた世界を妄想し、野狐を越えようとしてあがいたことで五百生という長い長い迷いのトンネルに迷い込んだのです。百丈によって「不昧因果」と喝破されて、野狐は野狐のまま絶対であり、天上天下唯我独尊であると悟ったのです。それをもって彼は五百生の野狐の妄想から解脱できたのです。
「不落因果」も「不昧因果」もそれは迷っている限りまったく別の「もの」です。見性成仏してこそ「不落」も「不昧」も別のものではなく一体のものだと分かるのです。先月のヒントでも触れたように、不落が色であり、不昧が空であると考えれば分かり易いかと思います。
つまり、色即是空とは不落即不昧であり、空即是色が不昧即不落であるのです。「不落」も「不昧」も対立観念という妄想によるただの理屈だったのです。どうですか?これで因果の実体がご理解いただけたと思います。もうこれ以上の説明はできません。
もしまだ合点できなければまだ分別妄想の境涯にいるということになりますので、あとは御自身の一層の単提を願います。以上で本論を終えますが、多分他には見られない内容だと思いますよ。(うぬぼれですかね)
あと、この物語が事実に基づいたものなのかという点にこだわる方のために、さいごにこの事についてお答えしておきましょう。ここに登場する老人は、迦葉仏の時代に前百丈山の住職であったという。迦葉仏とは過去七仏の第六人目の仏さまでお釈迦さまのお師匠さまに当たる架空の仏さまであるので、時は三千年から五千年以上も昔のことになるのです。
そのような昔に百丈山があったということ自体おかしいことですし、五百生の間野狐だったとか、人間の姿で説法を聴きに来ていたとか、大変おかしな話です。ちょうど狐といえば騙す代名詞のように思われていますが、実際のところまず作り話と言って良いでしょう。
おそらく百丈禅師が何かの用で裏山に登った折りに一匹の狐の死骸に出くわしたことから弟子達のために想像力を駆使して創作された"傑作"の一つでしょう。ですから、この公案にとって内容が事実かどうかは問題ではありません。
歴史的詮索も地理的詮索も意味がありません。要は公案の意図する精神の問題です。公案は"方便"ですから、百丈禅師の「傑作」だと思っておけばそれでよろしいのです。 

■15 天災の因果
中国四川省で巨大地震が発生しました。想像を絶する被害です。4500万人が被災し、1500万人が避難民となり、死者、行方不明者は8万人以上にもなるそうです。犠牲者には心よりご冥福をお祈り致します。
その凄まじい実態が日ごと明らかになっています。肉親家族を失い、家を失い、怪我を負って食べ物も無いまさに絶望のどん底に落とされてしまった被災者の気持ちいかばかりでしょう。慮(おもんばか)る言葉がありません。阪神淡路の時もそうでしたが、天災の非情さと怖さを改めて思い知らされました。
これほど科学や文明が発達した現代でも天変地異に対して人はまったく無力だということです。今回の地震に対してもまったく予知はできませんでした。カエルの大移動や動物の異常行動の方に関心があったのでは「科学アカデミー」も立場がありません。
では天災に対して人はどのように対応したらよいのでしょう。今回は特に四川の大地震に鑑み(予定であった「百丈野狐の後編」は次回に廻しまして)、この天災という因果について考えてみたいと思います。
天災といえば、地震、台風、サイクロン、竜巻、干ばつ、水害、山火事・・・などがありますが、自然現象である以上仕方のないものでしょうか。だとすると人は天災には逆らえない運命にあるのでしょうか。天災が運命だとしたら避けられないのか。あるいは避けられるのか。天災とはどのような因果なのか。そして術はあるのか。それが今回のテーマです。
結論から言えば、天災は運命ですから避けられません。でも術はあるのです。天災はすべてを呑みこんでしいますのでそこから逃れることはできません。それが運命というものです。あと私の言う「運命」とは「宿命」ではありませんので、その点誤解の無いようにおねがいします。
因みに「宿命」とは因果に関係なく決まってしまっている「結果」を意味します。これは仏教の因果の法則から言ってもあり得ない理論なのです。この認識は重要です。
しかし運命には因果において避けられない部分と避けられる部分があるのです。それは「川の流れの例」で以前にも説明したとおりです。どういうことかと言いますと、因果は個々によって違うのです。だから当然被災の程度にも差が出るのです。
一緒にいても助かる人もいれば助からない人もいるのはその因果によるのです。理不尽かもしれませんがそれが真理であり真実です。百人百様の人生があるということは百人百様の因果があるということです。
そこで考えなければならないのは天災の中の人災です。そこにサバイバルがあるからです。特に「人災」は人為によるものだとすると避けられる確率は百パーセントに限りないということになります。ここを見極めなければなりません。
とくに近年地球温暖化による災害が増えてきていますが、温暖化が人為によるものだとすると、天災の中に人災の部分がかなりあると見るべきです。では次にその天災と人災の関係について考えてみましょう。
人間はいつでも自分たち人間が中心でした。人間こそ第一優先だとするそのエゴは止まるところを知りません。化石燃料は無制限に消費され地球の温暖化は一挙に進んだのです。その温暖化が叫ばれて久しく、誰でも温暖化と異常気象の関係は知っていたにも拘わらず真剣に考えるようになったのはごく最近のことです。
異常気象により様々な二次的被害三次的被害が出ています。これこそ人災による人災です。干ばつにより穀物の不作から食糧争奪の暴動が起こりました。ガソリンや食料品や生活用品全般に高騰の波が押し寄せています。
それはさらに、富は富を呼び、貧は貧を呼ぶという不条理のスパイラル現象を生み、格差社会を益々増長させています。その末端にいるのがいつも弱者です。まさに不条理な人災です。
人間はこれまで自然も地球も自分たちのものであり水も空気もタダ(無料)が当然だとして好き勝手にやってきました。その結果の温暖化なのです。ようやく自然も地球上も有限であることに気がついたようですが、遅きに失した感があります。
しかしアメリカなどは巨大サイクロンにより甚大な被害を被ったにもかかわらず未だに温暖化対策に消極的です。今年もシーズンがやってきます。同じようなことが起こる確率は極めて大きいのです。アメリカは環境犯罪国家と言われる前に真っ先に緊急最重要課題として取り組むべきです。地球上の"もの"はすべて一連託生なのですから。
自然がなおざりにされ多くの生物や動物が絶滅に追いやられました。現在でも絶滅に瀕している種は限りなく多いそうです。しかし皮肉なことは、その主な原因である自然の形態を損ねてきたのは他でもない人間なのですが、その人間自身が今環境変化によって追い込まれているということです。
しかし理不尽なことは、温暖化に"貢献"していない発展途上国ほどその被害を被っているということです。干ばつで食糧も無くなり飢えに苦しんでいる人々や、海面上昇により住まいを追われ耕地を失ってしまった人々の苦しみは計り知れません。まさに犯罪的人災と言えるでしょう。先進国はこの現実を真摯に受け止め誠意も持って援助すべきです。
環境あっての命です。 このままいくと人類はそう長くないかもしれません。人類の歴史は原人から数えてもたかが100万年です。恐竜は地球上で1億6500万年もの間生き続けました。その恐竜に比べたら人類は線香花火のようにパッと光ってあっという間に消え失せてしまう運命なのでしょうか。人間は恐竜よりも智恵はある筈です。智慧を使うのは今のうちです。
自然や環境には国境はありません。人類を護ることと地球を護ることとは同事です。それにはまず人間至上主義のエゴを捨て去ることです。大自然から離れて人間は存在できません。それを肝に銘じて"人災"を減らす智恵を働かせるべきです。
今回の中国四川の未曾有の大地震の中にも人災の部分があった筈です。天災は同時に"人災"をもたらしますが、その矢面に立たされているのはいつも貧しい人々や弱い人々です。特に学校の崩壊が際立ちました。生徒と教師の六千五百人以上が犠牲になったそうです。痛ましい限りです。
なぜ学校ばかりが。なぜ子供たちばかりが。なぜ救助が遅いのか。なぜ自分たちばかりが。親御さんの気持ちは筆舌に尽くせません。手抜き工事の疑いも言われています。それにさらに疑問に感じるのは、なぜもっと早く海外からの救助を受け入れなかったのかということです。
その″なぜ″に答えるのが情報公開です。何でもそうですが開かれなければ真実は見えません。被災者の「なぜ」の疑問に答えられない以上"人災"という誹りは免れません。特に政治は開かれてこそ民主主義であり国民の信頼を得られるのですから。
中国政府はようやく海外からの援助を受け入れましたが、なぜはじめ日本からの緊急救助隊を断ったのでしょうか。そこにも疑問が残ります。もしかしたら幾つも救われた命があったかもしれません。核関連施設の情報もまだ不十分です。情報の公開も無く人民の命と生活を後回しにして永く保った政権はありません。歴史が証明するところです。
ミャンマーもそうです。先のサイクロンでは200万人が家を失い10万人が死亡したと伝えられますが、国連人道問題調整事務所の推計では犠牲者はなんと32万人にもなるそうです。ほんとうのところは一体どうなっているのでしょう。
軍事政権はほとんど情報も公開せず救護対策も怠り外国からの援助さえも断り続けました。(最近ようやく国際的非難に屈して外国の援助を受け入れました。) これこそ人災と言わず何と言うのでしょう。"人災"は故意であれば許されない犯罪です。
中国はチベット問題に続き今回の大地震と散々でした。しかし中国は1976年、史上最大級の地震を経験しています。河北省・唐山地震です。なんと死者24万2千人という地震史上最大の犠牲者が出ました。その犠牲者の数が明らかにされたのは地震発生から3年も経ってからのことです。
当時はもっと閉ざされた国だっただけに情報公開もなく国際援助も無かったのでしょう。それにしても、たかが32年前のことです。天災の部分は仕方ないものとしても、その教訓がもっと生かされていたのであれば、人災の部分はもっと少なかったかもしれません。
中国政府は今国民と国際社会から注視されています。民主主義社会をアピールするなら情報公開です。オリンピックが成功するためには信頼と協力が不可欠なのですから。
言うまでもなく日本も決して他人事ではありません。特に日本は超地震大国です。近い将来百パーセント大地震はやってきます。予知も難しいでしょう。人は"天の下"と"地の上"に生きている以上"天変地異"という因果は避けられません。これが運命です。
天災も人災も運命ですが、災難は因果次第であると申しました。しかし、その因果には「縁」が有ることを忘れてはいけません。以前、「生活のすべてが因果」だということを申しました。それはどんな小さな結果にもすべて「縁」が関わっているということです。だからこそ「縁」における自己責任の認識が重大なのです。
天災であれ人災であれ、どんな状況下であっても「縁」が働くのです。そしてどんな状況下であっても結果を決めるのは「縁」です。因果を信じるということは縁を信じることです。縁を信じることとは縁を大事にすることです。縁を大事にすることとは精進することです。精進することで真実が見えてきます。真実の中に智慧があります。そこに災難に対応する術があるのです。 
 
こころ

 

 
■1 仏教は心の教え
またまた八王子で無差別殺人事件が起こりました。つい一月ほど前秋葉原で七人が殺害されるという大変な通り魔殺人事件があったばかりです。このような通り魔殺傷事件は今年に入ってすでに八件目になるとか。その理由の多くが、世の中がイヤになって、誰でもいいから殺したかったというまったく身勝手なものです。
子供による凶悪事件もどんどん増えています。中学生の女子が寝ていた父親を刺殺してしまった事件がありました。中学生男子によるバスジャック事件や無職少年が高校生を殴って殺してしまった事件。無職少年による強盗殺人事件等々。今の子供の心に何が起こっているのでしょう。
確かなことは多発する通り魔事件も子供による凶悪事件もみんな「心」がおかしくなってしまった結果です。昔は通り魔事件などありませんでした。子供が親を殺すとかバスジャックするとかそのような事件もまずありませんでした。
人間はすべて心に従って行動します。ですから良いことも悪いこともすべて心で決まるのです。犯罪率が高まり理解できないおかしな犯罪がどんどん増えています。人の心がどんどんおかしくなってきているということです。だとしたら心を正すしかないのです。
しかし人にとって心ほど厄介なものはないのです。「心こそ、心まよわす心なれ。心に心、心ゆるすな。」(沢庵禅師)
持論ですが、人は誰でも幸福になるためにこの世に生まれてきたのです。前世からの因縁によって人として幸福になる資格を得たから生まれて来れたのです。初めから不幸になるために生まれてくる人なんていないのです。しかし幸も不幸も生まれてからの「心」で決まってくるのです。だから仏教は心を最大のテーマにしているのです。
人は心があるから夢も希望もあるのです。しかし夢と希望があるということは同時にその裏側には苦悩と絶望もあるということです。希望も絶望もそれらはまさに表裏一体のものです。希望が表に出れば幸福となり、絶望が表に出れば不幸となるのです。
それを決めるのはすべて心の中の煩悩です。煩悩というと「良からぬもの」と捉えている人があるかと思いますが、それは誤解です。煩悩とは悪い意味ではありません。煩悩とは即ち心それ自体のことです。だから煩悩を否定することは心を否定することになってしまうのです。
仏教は心をテーマにしていると言いましたが、それは即ち煩悩をテーマにしているのと同意です。「煩悩即菩提」と言いますね。その意味は煩悩と悟りは表裏一体だということです。つまり人は煩悩の実体を理解し真実に従って生きることが幸福への道だということです。ですから「心の教え」である仏教は、煩悩と如何に向き合っていくかということを説いているのです。
煩悩がコントロールされないところに苦悩と絶望が生まれるのです。その苦悩と絶望に負けてしまうと犯罪や自殺に繋がるのです。ですから犯罪も自殺もそれは心を持った人間だけの不幸だと言えるのです。
因みに動物には心がありません。「心」の無いところには煩悩が無いから苦悩も絶望もありません。だから犬や猫は絶対に犯罪を犯しませんし自殺もしません。動物の世界の弱肉強食は罪ではありません。生きるためのただの本能なのです。
頻発する通り魔事件も子供や肉親による家庭内事件も心の中の煩悩が渇愛となって生まれた苦悩と絶望から起こったものです。渇愛とは愛情に飢えた心のことです。その鬱積した不満が外に向かえば通り魔事件となり、内に向かえば家族殺害事件となるのです。まさに親への当て付けと社会への逆恨みの表れなのです。
渇愛による偏愛は狂気となって、本人は勿論のこと被害者やその家族ばかりではなく自分自身の親や家族の人生までめちゃくちゃにしてしまうのです。これ以上の不幸はありません。その原因はすべて家庭にあるのです。今の日本の家庭環境が改善されない限りこれからも通り魔事件や子供や肉親による殺害事件が減ることはないでしょう。
そして、もっとも残念なことは自殺です。人にとってこれ以上の不幸はありません。毎年三万人を超えています。死を選ぶにはそれ相当の苦悩があってのことですが、その死によってさらに悲しみや苦しみを受ける家族や関係者が大勢出ることを考えると自殺こそ無くしたいものです。
その自殺の原因も心から生まれる苦悩と絶望によるものです。命ある生き物の中で自ら命を絶つのは唯一人間だけです。それは人間には心があるからです。因みに心の無い犬や猫は自殺しません。人には心があるから苦悩があるのです。経済苦、病気苦、失恋苦、対人苦などいろいろありますが、そのどれも人間の世界にしかないものです。
その「苦」が堪忍の臨界を超えると自殺となるのです。それは決して他人事ではありません。人である以上誰でもその可能性を持っているのです。 人間にしかない苦と、人間しかしない自殺。言い換えれば人間だからこそある苦と自殺だと言えるのです。
動物には心がありませんから苦悩がありません。でもそれは羨ましいことではありません。「心」が無いということは「楽」も無いということです。人には心があるからこそ楽があり幸福感が味わえるのです。苦も楽も表裏一体のものです。だから仏教は常に楽が表になるような生き方を説いているのです。
そのためには如何に煩悩をコントロールするかです。欲望は煩悩から生まれるものですが、問題はコントロール不能となった欲望です。人には欲望があってこそ希望があり夢があり喜びがあるのです。ですから仏教は欲望を否定しているわけではないのです。正しい欲望の在り方を説いているのです。
連日報道されている大分県の教員採用汚職事件もそうです。お金と地位と名誉という欲望がコントロールを失った結果です。悪しき慣例に呑みこまれ極々当たり前の良識が麻痺してしまっていたのです。地位も名誉も何千万円という退職金も一瞬のうちに吹っ飛んでしまいました。刑事罰も受けなければなりません。
さらにまだ発覚を畏れて恐々としている職員がほかにもいるかもしれません。点数偽造に使われたパソコンが警察から戻されたそうです。不正を承知で合格した先生にとっては辛い毎日でしょう。聖職といわれる先生も、欲望に聖域は無かったのです。
振り込め詐欺も今年は過去最悪でその被害額は300億円にもなるとか。一日約一億円のお金が騙し盗られているそうです。騙しのテクニックが驚くほど巧妙化しているのです。狂った欲望に歯止めはできません。悪事は必ず報いがあることを知って欲しいものです。
32歳にもなるバカ息子に金をせがまれてなんと六億円もの公金を横領した女がいました。牛肉やうなぎやフグやアンコウの産地偽造も続々と出てきました。尿の検査で癌が分かるというウソの試薬品で3億円も荒稼ぎしていた30代の女が捕まりました。霊感商法による被害も倍増しているとか。どれもこれもコントロールを失った欲望の結果です。
人は家庭に生まれ家庭で育つのです。心と体は一つのものですが、体だけが成長して心が取り残されてしまっているのが今の日本の家庭です。ではなぜ心が育たないのでしょうか。それは宗教です。今日本の家庭には宗教がほとんど無くなってしまったのです。
宗教は愛と真実とを教えてくれます。愛と真実から感謝と報恩が生まれるのです。感謝と報恩の心があれば苦悩も絶望も生まれません。だから犯罪もなくなります。自殺もしません。幸福の原点は感謝と報恩です。
仏教とは人が幸せになるための教えです。これまでにも何度も申してきた言葉です。心についてさらに学んでみようではありませんか。 

■2 菩提心
仏教は心の教えだと申しました。どうしたら人は心の悩みや苦しみを無くすことができるのか。どうしたら心豊かな完成された人格を身に付けられるのか・・・それを仏教は教えているのです。
人の価値は正に心の有り様で決まると言っても過言ではありません。ですから仏教はどうしたら心を豊かにすることができるのか、その実践的な方法を教えてくれているのです。
その教えについてこれからいくつか学んでみたいと思います。その教えが最も分かり易く説かれているのが曹洞宗の教典・修証義の中の「発願利生」(ほつがんりしょう)です。
「菩提心を発(おこ)すというは、己(おの)れ未(いま)だ度(わた)らざるさきに、一切衆生を度さんと発願し営むなり。たとい在家にもあれ、たとい出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ、苦にありというとも楽にありというとも、早く自未得度先度他の心を発すべし。たとい在家にもあれ、たとい出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ、苦にありというとも、楽にありというとも、早く自未得度先度他の心を発すべし。」(修証義第十八節)
「発願利生」の「利生」とは利益衆生(りやくしゅじょう)を切り詰めたものです。利益は利済(りさい)とか済度(さいど)という意味です。つまり衆生を済度するということです。
「衆生を済度する」というとあまりにも高尚なことのように思われますが、それは決して大それたことではなく仏教徒であるならば当然求められることなのです。平たく言えば、「人の為に尽くす」ということです。この心を即ち「菩提心」といいます。
その心とは、自分のためよりも先ず他人のためを考える心のことです。人はふつう自分のことを先ず第一に考えます。自分にとって自分以上に大事なものはありません。自分こそ最も尊い存在なのですから、この感情は人として当たり前のものです。
しかし、菩提心は違います。いつも自分のことより他人のことを心配しているのです。この心を起こすことを発菩提心(ほつぼだいしん)とか発心(ほっしん)と言います。
「菩提心を発(おこ)すというは、己れ未だ度らざるさきに、一切衆生を度さんと発願し営むなり」 菩提心を起こすこととは、自分のためよりも先ず他人のため、たとえ自分は彼岸に度らずとも、まず一切の他人を度さずには自分自身は決して度らないという利他の心こそ菩提心だということです。
「済度」とは、迷いの「此の岸」から悟りの「彼の岸」へ衆生を「わたす」ということです。「わたす」とか「わたる」という場合には、「渡」という字を書くのが普通ですが、度も渡も同じ「わたす」という意味で使われます。
「発願し営むなり」の「営む」とは、「実際に行ずる」という意味です。どんな立派な決心でも実行がなければ絵に描いた餅です。
「たとい在家にもあれ、たとい出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ、苦にありというとも、楽にありというとも、早く自未得度先度他の心を発すべし。」 この一段は前段の補足といってもよいでしょう。
「たとい在家にもあれ、たとい出家にもあれ、」とは、在家、出家を問わずということであり、「或は天上にもあれ、或は人間にもあれ、」とは、天上界、人間界を問わずという意味です。
「苦にありというとも、楽にありというとも、」とは、悪業の果報として、地獄界、餓鬼界というがごとき苦界に居ても、あるいは善業の果報を受け天上界という楽界に居てもという意味です。要するに業の果報によって今現在如何なる身の上にあろうともということです。
「早く自未得度先度他の心を発すべし。」 文字どおりに読み下せば、「少しでも早く、自らは未だ度ることを得ざる先に、他を度さんとする心を発するべきである」ということです。それにしても、楽界に居る者はともかく、地獄・餓鬼・畜生・修羅・というが如き苦界の衆生が果たして「自未得度先度他の心」という律儀な心を起こすことができるのでしょうか。自己中心の我利我利亡者故にその業報により苦界に堕ちた輩に菩提心という高尚なものを期待すること自体所詮無理なことではないでしょうか。
いやいやそうではありません。ここにこそ菩提心の奥義があるのです。今現在、楽界にいる衆生は余裕があるからとか、苦界にいる衆生は余裕が無いからとかの問題ではないのです。楽界や苦界に居ることと菩提心を持つことに資格や差別はないのです。
いや、むしろ苦界にいる者こそ功徳は大きいとも言えるのです。地獄・餓鬼・畜生・修羅などの悪趣の世界にこそ仏陀は救いの手を差し延べているのです。苦界に堕ちている者こそ救われなければなりません。その彼らが救われる道は只一つ彼ら自身が菩提心を持つことです。
「菩提心」は善人だけのものではありません。悪人には持つ資格はないなどというものでは決してありません。例え善人であれ悪人であれ、或いは裕福にあっても貧困にあっても、どんな境遇にあっても「菩提心」を持つことに一切の資格も制限もないのです。菩提心を持つことで苦界から救われるという、そこに仏陀は大慈悲心をもって復活の道を開いているのです。
ですから菩提心を持った者はみな「菩薩」となって自ら救われるのです。過去はどうであれ今ここで菩提心を持つことで誰でも「菩薩」になれるのです。
普通「菩薩」と言えば娑婆世界の衆生を済度するためにわざわざ仏界から降りてきて働き回る仏さまのことを言います。ご承知のように観音菩薩、虚空蔵菩薩、日光菩薩、月光菩薩、弥勒菩薩そして地蔵菩薩などなどいろいろな菩薩がおります。でもそのような有名な菩薩だけが菩薩ではありません。
繰り返しになりますが、菩薩とは菩提心を持った者であれば悪人・善人の区別なく菩薩になれるのです。我が身を顧みずにただただ苦境にある人達を救おうという一大決心をした人が即ち観音菩薩であり地蔵菩薩であるのです。
ところで、史上最大規模と言われた北京オリンピックも終わりました。どの国の選手も国の期待を一心に背負って一生懸命頑張りました。その中で日本人のメダリストの中には、家族のため、応援してくれた人達のため、さらに自分自身のために頑張ったという人もいました。
金メダルが300万円、銀が200万、銅が100万という報奨金では少なすぎるという意見もありました。国家プロジェクトとして選手育成にもっと多くのお金をつぎ込むべきだという意見もありました。オリンピックで勝つことが国の名誉と威信になると思えるからでしょう。
中国もメダルの数こそが最高の名誉だと捉え、まさに国家の威信をかけてオリンピックに莫大なお金を投じました。大成功だったと自画自賛しているようですが、数々の人権問題を隠蔽してしまった事実を見逃してはいけません。人権を棚上げして置いて名誉も威信もありえないのです。
それにしてもほんとうにメダルの数が国家の名誉と威信を表しているのでしょうか。私は何もスポーツに偏見も持っているつもりはありませんが、ただメダルの数が国家の名誉と威信だと捉える感覚はおかしいと思うのです。
私は、真の名誉とはメダルも報奨金も無い中で一生懸命人道援助に尽くしているボランティアの人達こそ名誉だと思うのです。アフガニスタンで農業支援活動をしていたNGOの伊藤和也さんがアルカイダの標的となって非業の死を遂げました。
「自分はアフガニスタンの土になる」という思いで活動を続けていましたが志なかば31歳の若さで夢を断たれました。その無念さを思うとたまりません。伊藤さんのお父さんは、「和也は家族の誇り、胸を張って言えます」と話していましたが、彼は家族の誇りだけではなく日本の誇りだと私は思います。
メダルや報奨金のため、或いは家族や自分のために頑張ることも名誉かもしれません。金メダル獲得者に国民栄誉賞の呼び声も上がりました。しかし、人道援助に命をかけた人こそ国民栄誉賞にふさわしいのではないでしょうか。自分のことよりも困窮に苦しんでいる人達を助けることこそ人としての最高の道であり、そこにこそほんとうの名誉があるのではないでしょうか。
さらに、ほんとうの国家威信とは人権が保証され、格差の無い安全で平和な社会であることを伊藤さんは身を以て教えてくれました。彼と同じ志で活躍されている日本人がまだまだ大勢いることも知りました。彼らには今後も怯むことなく活動を通して人としての真の名誉とは何かを世界に示してくれることを願ってやみません。
さらに言わせていただければ、日本政府はオリンピックに国家プロジェクトとしての大幅な予算アップを考えるとしたら、その前にメダルも報奨金も無いなかで頑張っているNGOやボランティアの若者にこそ目を掛けるべきでしょう。日本政府がこれからメダルの数を国家威信に結びつけていくとしたらレベルは中国と同じです。人権も尊重されない中国と同じレベルの日本政府だったらこれから先期待は持てません。
私は伊藤さんの中に「菩薩」を感じました。それは彼が「自未得度先度他の心」という「菩提心」を持っていたからです。そんな菩薩がまだ日本人の中にいたことを私はほんとうに誇りに思います。そして、日本政府も国民も彼の生き様から真の名誉と国家威信というものを学びとって欲しいものです。 

■3 我欲心
「その形(かたち)陋(いや)しというとも、この心を発(おこ)せば、すでに一切衆生の導師なり。たとい七歳の女流(にょりゅう)なりとも、即ち四衆(ししゅ)の導師なり、衆生の慈父なり。男女(なんにょ)を論ずることなかれ。これ仏道極妙の法則なり。」(修証義・発願利生)
前回、最も尊いことは菩提心を発すことだと述べました。出家とか在家とか、今現在苦境にあっても無くとも、更には善人とか悪人とかを問わず、己のことよりもまず他人を先に心配する心こそ「菩提心」であり、その心を持つことで菩薩になるということを申しました。
菩提心とは仏陀の心です。しかもそれは一切衆生のすべてが持ち合わせている心なのです。「その形(かたち)陋(いや)しというとも、この心を発(おこ)せば、すでに一切衆生の導師なり。」 「その形」とは容姿風貌のことです。「陋し」とは「みすぼらしい」とか「醜い」ということです。
人の風貌は様々です。風貌は個性であり百人百様です。格好良い人もいればそうでもない人もいます。人は誰でも美男美女を望むのが当たり前の心情かもしれません。見た目で嗜好を判断してしまうのが人の常かもしれません。
しかし、格好の善し悪しは主観であり、本質の善し悪しとは全く関係無いのです。人の価値は決して格好の良し悪しではありません。人の価値を決めるのは只一つ、「菩提心」なのです。さらに言えば、悪業の果報によって地獄、餓鬼、畜生などの悪趣の世界にいる者はそれなりの風貌をしています。それは環境と心が風貌をつくるからです。
でも、たとえそのような悪趣の世界にいる者であっても、その「菩提心」を起こせば一切衆生の導師に成り得るというのです。「導師」とは仏道の指導者のことです。つまり菩提心において風貌はまったく関係がないということです。
「たとい七歳の女流(にょりゅう)なりとも、即ち四衆(ししゅ)の導師なり、衆生の慈父なり。」 例えわずか七歳の童女であろうとも、菩提心を発こすならば、すなわち「四衆の導師」にも「衆生の慈父」にも成り得るというのです。「女流」とは女性の意味です。「四衆」とは、比丘・比丘尼・優婆塞(在家の信士)・優婆夷(信女)の総称です。
「男女(なんにょ)を論ずることなかれ。これ仏道極妙の法則なり。」 仏教における男女両性観は、男尊女卑的であるといわれていますが、道元禅師は法の上から、修と証の上からも男女を全く平等に見られています。
「唐の国にも愚かな僧があって、『生々世々(しょうじょうせせ)ながく女人を見ず』と願を立てたことがある。その願はいったいなんの道理によるものであろうか。世間の道理によるのか、仏法の道理によるのか、外道の道理によるのか、それとも天魔の理(ことわり)によるのであろうか。女人になんの咎があるか。男子になんの徳があるか。悪人は男子にもあり、善人は女人にもある。・・・惑いを断ち、理を証するも、また男女によってなんの差別もないのである。」(正法眼蔵・礼拝得随)
「男性なるが故に貴く、女性なるが故に貴からずというのではなく、敬重に値するかどうかは、真に仏道を体得しているかどうかという、唯その一点にある」と禅師は明示されています。仏道修行のための導師は、「男女等の相にあらず」、つまり仏道修行のための指導者は男女の問題ではないというのです。
菩提心を発こして菩薩道を行じることで、風貌など関係なく、たとえ七歳の女子であっても「四衆の導師」となり、「衆生の慈父」となると示され、さらにこの道理こそ仏道究極の法則だと喝破されているのです。なんという力量底の人でしょう。これこそ真実を悟った人の言葉だと私は思うのです。
しかし誰でも持ってはいる菩提心ですが、悲しいかな、人によっては菩提心に恵まれない人もいるのです。菩提心の邪魔をしているのが「我欲心」です。この心こそ最も悲しい心です。しかも残念ながらこの心も「人」であれば誰でも持っているのです。今回は菩提心の対極にあるこの「我欲心」について考えてみたいと思います。
「我欲心」は英語でエゴイズム(EGOISM)と言います。その心を持っている人をエゴイストといいます。利己主義者、我欲者、うぬぼれ者のことです。真実の見えない人、真実を見ようとしない人、真実を放棄した人がエゴイストになるのです。その輩の多い社会ほど不幸な社会です。それは犯罪のほとんどがこのエゴイストによるからです。
自分さえ良ければ他人はどうでもかまわないといった、そのような我欲心の持ち主が自己のみならず他人やまわりの人々まで不幸に陥れるのです。その我欲心による事件が毎日のように今の日本の社会では起こっています。
人はどうすればここまで残忍非道になれるのかと思わせられたのが去年の8月に起こった愛知女性拉致殺害事件です。闇サイトで知り合った3人の男が何の関係もない行きずりの31歳の女性を拉致し惨殺放棄した事件です。
彼らは最初から金を奪い殺害することを決めていました。命だけは助けてと懇願する彼女をハンマーでめった打ちにして殺害したのです。3人は捕まりましたが未だに謝罪も反省もまったくありません。彼らの弁護士は裁判では殺害方法で争うつもりだとか言っていましたが、いくら弁護士でも良識を疑います。私心ですが、彼らに「弁護」が必要とは思えません。
被害者のお母さんが極刑を求めて15万人の署名を裁判所に提出しました。仏教では悪人こそ救われると説かれていますが、それは心からの懺悔があってのことです。懺悔のない悪人が救われることは絶対にありません。それが因果応報という真実です。
止めどなく起こる偽装や詐欺事件、最近での汚染米流通事件にしろ、メラミン混入事件にしろ、みんな「我欲心」から起こった事件です。何の関係もない実に多くの人たちが甚大な被害を被っています。特に中国から起こったメラミン事件は全世界に広がりつつあり、その被害の実態は計り知れません。
日本の汚染米被害も日本全国に拡大しています。特に問題なのは農林水産省による関与の疑念です。平成15年から現在まで7400トンの事故米を売却していたというのですが、状況からして食用として転売されていたことを知らない筈はないのです。行政ぐるみの犯罪と疑られても仕方ありません。事実が解明され責任がとられない限り国民の怒りは治まりません。
日本はよく議員内閣制ではなく官僚内閣制だといわれています。その意味は日本が官僚による独裁国家だということです。高齢者医療問題や年金問題、道路特定財源問題、先にあげた農水省指導による汚染米問題等々、それらの原因のすべては官僚独裁行政の「我欲心」から生まれたものです。
官僚独裁者達は自分たちの利権の棲家として全国に4696もの特別法人をつくり、2万6千人以上もの天下りを送り、年間12兆6千億円以上もの税金が使われているという。民間のある調査によるとこの12兆6千億円も無駄をなくせば3兆円で済むとか。これらの情報は毎日のようにテレビで、みのもんた氏が言っていることですから、みなさんもよく御存知でしょう。
もちろん官僚の全てが悪いわけではありません。戦後の日本の発展は官僚なしには実現できなかったことも事実でしょう。しかし、どんなに優秀な組織も自浄性がないと病原菌が蔓延るのです。現代の官僚組織はまさに無秩序に増殖するガン細胞によって健康の部分までも癌化させられてしまったのです。その結果自らの身の破滅を招くことは自明の理です。国の借金は800兆円を超えると言われますが、まさにその結果の表れの一つだと思います。
もう猶予はありません。日本が救われるには官僚による独裁から解放され以外にはないのです。行政改革をいくら叫んでみても霞ヶ関の官僚伏魔殿が有る限り真の民主主義行政は実現されないでしょう。それには中央官僚が抱え込んでいる膨大な利権を地方に分散するしかないのです。そのために考えられているのが道州制だといわれています。
それに応えるのが政治家です。政治家に一番求められるのが菩提心です。我欲心があったらダメです。十分見極めて政治家を選ぶしかありません。その政治家を選ぶ選挙がまもなくやってきます。 

■4 菩薩の行願
「若(も)し菩提心を発して後、六趣四生(ろくしゅししょう)に輪転(りんてん)すといえども、その輪転の因縁、みな菩提の行願となるなり。然(しか)あれば従来の光陰は、たとい空く過ごすというとも、今生(こんじょう)の未だ過ぎざるあいだに急ぎて発願すべし。
たとい仏に成るべき功徳、熟して円満すべしというとも、なお廻(めぐ)らして衆生の成仏得道に回向するなり。或いは無量劫(むりょうこう)行いて、衆生を先に度して自らは終に仏に成らず、但し衆生を度たし衆生を利益するもあり。」(修証義・発願利生)
「若し菩提心を発して後、六趣四生に輪転すといえども、その輪転の因縁、みな菩提の行願となるなり。」 「六趣四生」の六趣は六道のことです。「六趣」の趣はそれぞれの業報によって趣き住む処という意味です。「四生」は、この世に生きとし生けるあらゆる生物をその生まれ方の上から、胎生・卵生・湿生・化生の四つに分類したものです。これはいわば仏教における生物の発生学的分類とでもいうべきものです。
人間のような高等動物からウジ虫のような下等生物にいたるまで、おおよそ生物は、この四生のうちの何れかに属しているのです。つまり「四生」とはありとあらゆる生き物という意味です。「輪転」は「輪廻転生」を二字に切り詰めたものです。人はあたかも車輪の廻転するが如く生と死を幾度となく繰り返し続けるという意味です。
この句を解りやすく書き直してみましょう。「もし、菩提心を発こした後であれば、たとえ六道の何れの世界に生まれ変わろうとも、また四生の何れのものに生まれ変わろうとも、その者には衆生済度の誓願と実行が営まれるであろう。」ということです。
つまり、菩薩道を行く者は、地獄道であろうが餓鬼道であろうと、どんな世界であろうとも衆生済度の誓願を携えている限り、その者は菩薩の立場にあるのです。「自未得度先度他」を行願とする菩薩となったからには、たとえ地獄や餓鬼道へ往生しようとも、それは迷いの輪廻転生ではなく、衆生済度のための転生というべきものなのです。
「然あれば従来の光陰は、たとい空く過ごすというとも、今生の未だ過ぎざるあいだに、急ぎて発願すべし。」「然あれば」というのは、「発菩提心には、以上述べてきたような深妙不可思議の大功徳があるのだから」という意味です。
「従来の光陰は、たとい空く過ごすというとも」とは、「これまでの人生のうち、欲望の虜となり、いたずらに空しい日々を過ごしてきたとしても、」という意味です。「今生の未だ過ぎざるあいだに、急ぎて発願すべし。」とは、「今の人生の命のあるあいだに急いで発心を決心しなければならない。」という意味です。
「たとい仏に成るべき功徳、熟して円満すべしというとも、なお廻(めぐ)らして衆生の成仏得道に回向するなり。或いは無量劫(むりょうこう)行いて、衆生を先に度して自らは終に仏に成らず、但し衆生を度たし衆生を利益するもあり。」
「仏に成るべき功徳、熟して円満すべしというとも」というのは、「仏教の最高目的としての成仏の域に到達するために、それ相当の修行を重ね、功徳を積みあげてきて、その「功徳」が熟しきって、すぐにでも成仏できるその時に至ってもなお」という意味です。
「なお廻(めぐ)らして衆生の成仏得道に回向するなり。」 さらに己の成仏は後にまわして、衆生の成仏を先にするために己の「功徳」を衆生の方に振り向ける(回向)ことであるというのです。
「或いは無量劫(むりょうこう)行いて、衆生を先に度して自らは終に仏に成らず、但し衆生を度たし衆生を利益するもあり。」 「無量劫」の「劫」とは時間の単位ですが、千年とか万年とかいう程度のものではなく、計算仕様もないほどの遠大な時間のことです。ここで「劫」について説明しておきましょう。
その説として「盤石劫」(ばんじゃくごう)と、「芥子劫」(けしごう)というものがあります。「盤石劫」とは、四十里立方の石があり、天女が百年に一回舞い降りてきて、その羽衣の袖で一度その石を撫でて、ついにその石が摩滅してしまうまでの時間を一劫というのです。
「芥子劫」とは、四十里立方の倉の中に一杯詰めてある芥子の実を、天女が百年ごとに舞い降りてきて一粒ずつ持ち去り続けて、倉一杯のその芥子の粒がすっかり無くなったときが「一劫」だというのです。
まことに気の遠くなるほどのスケールの話ですが、「無量劫」となると、その一劫が無量倍ということになるのです。まあ結局は限りない永遠の時間とも言うべきものでしょう。因みに、教典によく出てくる「阿僧祇劫」(あそうぎこう)の「阿僧祇」も「無数」という意味であり、「無量劫」と同じ意味です。
ついでに申し上げると、億劫と書いて「おっくう」と読みます。劫が億もあったらその時間の長さを考えただけですっかり「やる気も気力も無くなってしまう」のです。「無量劫行いて、」とは、「自未得度先度他の心」を心とする「菩提の行願」を、「無量劫のあいだ行じ続けて」、という意味です。「衆生を先に度して自らは終に仏に成らず」とは、「己以外の衆生を先に度(わた)らせて、己自身は迷える衆生が尽きない限り、永遠に成仏しない」という意味です。
「但し衆生を度たし衆生を利益するもあり。」但しは「ただひとすじ」という意味です。「衆生を度たし衆生を利益するもあり。」「度す」とは何度も言っているように「成仏」させることです。「利益」(りやく)とは利益(りえき)を与えるという意味ですが、精神的に安心立命させることです。
ここでいうところの「利益は」とはお金が儲かるとか、病気が治るとかの浅はかな現世利益のこととは違います。ここを是非誤解しないでいただきたいと思います。真のご利益(ごりやく)とは、仏教の教えである仏法の智慧を身に付けることで、心身ともに「安心」(あんじん)することなのです。
さて、本節の説明も随分長くなりましたが、ここでまとめに入ります。菩薩の「行願」とは、永劫に亘って、この世の一切衆生を最後の一人まで、ただひたすらに救わんとするものであり、その悲願が達成されないうちは決して己から成仏することはないとする、その「心」のことです。
すなわち一切衆生をことごとく成仏させるまで永劫に六道輪廻をされているのが 「菩薩」であるという、この菩薩の「行願」の心こそ仏教の奥義なのです。仏教がなぜ素晴らしい宗教かを一言で表すとすれば、私はこの「菩薩の行願」に尽きると思っています。
人間には地獄の心、餓鬼、修羅、畜生の心があると同時に菩薩の心があるのです。現在社会の混迷はこの菩薩の心が失われた結果なのです。止むことのない虐待、いじめ、詐欺、自殺、殺人。それらは教育や医療、年金制度の政治に対する不信と広がる一方の格差社会のなかの不平不満と無縁では無い筈です。さらにサブプライム、リーマンからはじまった経済不況が追い打ちをかけ、あらゆる分野で大切なものが崩壊しつつあります。中でも最も大切な「人のこころ」が崩壊しています。
奇跡の星に生まれ、素晴らしい可能性を持ちながら、欲望と怒りと愚かさという悪趣に取り憑かれて傷つき、傷つけ合う人類。この状況は人類そのものの「終わりのはじまり」かも知れません。心の貧困と迷いを早くなんとかしなければなりません。それには「菩薩の行願」を涵養するしかありません。 

■5 心眼
言うまでもなく仏教とは「心眼」つまり真実を見極める心の教えです。今回はその「心眼」を持って命を賭して布教と民衆の幸福を追求した一人の若き僧侶の話です。その方とは、明治四十四年、36歳にして冤罪により刑死した曹洞宗の僧侶こと、箱根・林泉寺二十世・内山愚童(うちやまぐどう)住職です。
人は「心眼」を持たないと真実を見失います。真実の見えないところに過ちや不幸が生まれるのです。それは個人に限らずどんな団体であれ国家であれ有り得る事なのです。当時の明治政府もその例外ではありませんでした。世界の列強に後れをとるまいと軍事力の強化を図り、ひたすら軍国主義に突き進んでいたのです。
軍国主義とは戦争を念頭に国家威力の発現に努めることです。それは国家による侵略の欲望そのものです。そこには道義も正義も平和もありません。明治政府は、思想・言論・出版の自由を厳しく制限し、民衆の声や運動を封じ込め、特に反政府思想や活動に対して厳しい監視や弾圧を行いました。
そんな時代、内山愚童師は二十二歳で出家得度し、その後の修行を経て二十九歳で箱根大平台の林泉寺に入山したのです。愚童師が僧侶となった動機は明確でした。立身出世のための便宜的手段でもなければ大寺院の住職を得るためでもなかったのです。「人類幸福主義のため、苦痛を救済するの必要」というのが発心の動機でした。
愚童師は入山当初から地域の児童を対象に「寺子屋学級」を立ち上げ、さらに「青年組合」を組織し地域の活動に取り組みました。どれも貧困による不就学や青年たちの修養を目的としたものです。
箱根山は"天下の嶮"の急斜面、火山灰土の土地は痩せていて水田や畑作にはとても不利な土地柄でした。そんな大平台の人々の生活はとても厳しいものでした。当地に限らず国民の多くが貧困に疲弊していた時代です。愚童師はそんな民衆と共に苦しみ、その根源を洞察して、抑圧者やその体制に立ち向かうのが宗教者の使命であると考えたのです。
国民を顧みることのない理不尽な国家に対する愚童師の想いは社会主義思想へと傾倒して行きました。愚童師の社会主義思想は、終始一貫、仏教者としての自覚をベースに民衆への想いから起こったものですが、秘密出版『無政府共産』の中で天皇制とその神格化の否定、非戦および小作人解放を訴えたのです。
「秘密出版」とは思想・言論・出版の自由が無い中で政府や警察の弾圧を回避するために印刷・出版・配布のすべてを秘密裏に行うことです。そんな愚童師に対して明治政府と宗門は、「大逆徒」というレッテルを貼り付け、無政府共産主義者・革命僧というイメージを植え付け、果ては天皇と皇太子を暗殺して国家転覆を計画したと決めつけたのです。
宿代としてたまたま預かっていたダイナマイト(当時箱根では鉄道工事に多くのダイナマイトが使われていた)を口実に、出版法・爆発物取締罰則違反で逮捕され、そしてその後「大逆罪」という罪名で追起訴され国家反逆者として処刑されたのです。
愚童師の社会主義思想は、暴力革命を志向するものではなく、穏健で啓発主義的な傾向が基本でした。獄中で書かれた『平凡の自覚』と『遺稿』の中では、自由と幸福を実現するために、民衆・労働者自身が「理性」に従って物事を観察し、思考して行動することの重要性を、さまざまな例をあげながら繰り返し主張しています。
「個人の自覚」の中では、独立自活と相互扶助、人類の終局的目標として、自由・平等・博愛の実現を訴えています。「女性の自覚」の中では、女性の自立を、「家庭の自覚」の中では、封建的な家父長権威を否定し、「村民の自覚」や「市町村の自覚」の中では、今日的な福祉行政問題などに通じる諸提言をしています。
さらに生存権・平等権・自由権が万民当然の権利であることを訴え、国民はいかなる困難があっても個々の「理性」に従って、能力の及ぶ限り、理想の実現をめざして行動すべきであると訴えています。同時代の社会主義の同志たちが愚童師に一目も二目も置いていたのも、愚童師の宗教信念に裏付けられた独自性にあったといわれています。
愚童師は正真正銘の仏教者でした。「その土地で死ぬつもりでなければその土地の人を救うことは出来ぬと思います。」 「折角因縁あって住職した今の地が、三百年来、曹洞宗の信仰の下にあり乍ら、高祖道元の性格は勿論、その名も知らぬという気の毒な人ばかりであるから、之を見捨てて去る時は、千万劫この地に仏種を植ゆる事は出来ぬ。」と信条を述べています。
愚童師再評価と復権へ向けての動きは戦後民主主義がはじまって後でもしばらくは表に出ることはありませんでした。しかし、愚童師が埋葬されていた林泉寺では、「内山愚童を偲ぶ会」によって追悼法要や懇談会が行われたり、現代史研究家や法律家らによって、愚童師の思想と行動が評価されていたのです。
そんな愚童師の評価が世に出るきっかけとなったのは、平成四年に林泉寺住職から宗門に提出された「名誉回復について」の嘆願書でした。それまで、宗門では「逆徒愚童」の汚名を濯ぐことはありませんでした。宗門にはいつでも"エライ"お坊さんは大勢いらっしゃいますが、「心眼」を持ったお方は一人もいらっしゃらなかったのでしょうか。「エライ」って一体何なんでしょうか。
因みに「エライ」という愚僧の持論の定義は「心眼」をもって「菩薩の行願に努める人」でしょうか。そんなエラそうなことを言っている自分こそどうかと問われれば自信ありませんがね。
「心眼」を失う者は個人に限らず団体にも国家にもあり得ると言いましたが、仏教伝道の一大教団である「曹洞宗」もその例に漏れなかったのは実に残念です。道元禅師の禅を標榜し「正伝の仏法」を自負する曹洞宗が一宗門僧侶の「心眼」と「菩薩の行願」を見抜けなかったのです。どんな時代背景にあったにせよこの結果は実に情けない話であります。
平成五年、宗門はようやく愚童師の冤罪を認め、教団永久追放・僧籍剥奪・履歴抹消の処分を撤回し、宗門僧侶としての名誉の回復を宣言いたしました。さらに愚童師の仏教者としての遺徳をたたえ、宗門としての罪過を懺謝(さんじゃ)したのですが、なんと八十有余年の歳月が過ぎ去っていました。
「宗門も時の国家体制に追随し、信仰の自由と平和を希求する良心をも放棄し、仏教者の誓願に背き、教学を歪曲してまで、積極的に戦時体制に協力しました。」(曹洞宗) 「戦争は総て罪悪也」「人類の終局目的は独立自活・相互扶助にある」「女子は男子の付属物ではない」と主張した愚童師の言葉を肝に銘じ、おおいに反省すべきでしょう。
日本近代史上例を見ない暗黒裁判によって、内山愚童師をはじめ12人の社会主義者、仏教僧侶が死刑になりましたが、そのほとんどは当時の刑法に照らしても無実によるものでした。明治の国家権力が社会主義運動を壊滅させるために仕組んだ国家的犯罪だったのです。悪質な冤罪事件でありながらも、「再審請求」に対して、昭和42年7月、最高裁判所は「抗告棄却」の決定を下したのです。
弁護側が提出した新証拠資料の精査はまったく行われなかったのです。この決定によって、法的には冤罪事件としての解明の方途は事実上断たれてしまったのです。我々一般人は民主主義社会において、「司法」こそ正義の拠り所であると信じてきましたが、司法も只の権力団体に過ぎなかったのです。例え司法であろうとも、そこに「心眼」が無ければ真実は保証されないということです。
ある宗教団体の使途不明金にしろ、社保庁の組織ぐるみの年金改ざん問題にしろ、どんな団体であれ、行政であれ、そこに「心眼」が欠如している限り不幸は絶えません。人の世で人が幸せに暮らせるために必要なものは「心眼」であることを愚童師は身を以て教えてくれました。
処刑場に向かう愚童師は最後まで僧侶としての誇りを失わず、理想世界を冀(こいねが)い、泰然として死に臨んだといわれています。そんな愚童師の遺徳に報いるためにはわれわれ自身が「心眼」を自覚し「菩薩の行願」に努めることです。
先月宗務所研修旅行で箱根大平台の林泉寺へお参りする機会を得ることができました。内山愚童師のご冥福をお祈りすると共に、曹洞宗にもそんな坊さんがいたということを是非皆さんにも知って欲しいと思いました。 
 

 

■6 安心(あんじん)
12月8日は成道会(じょうどうえ)です。御存知お釈迦さまが人類ではじめてお悟りを開かれた記念の日です。「悟り」にはいろいろな表現がありますが、その一つが「大安心」(だいあんじん)です。「成道」とはつまり「大安心」を成し遂げられたという意味です。
お釈迦さまは自らが体得した「大安心」を人類に教示せんと発心されました。現身仏としてのお釈迦さまは2500年前に入滅されましたが、爾来法身仏として而今においてなお説法されているのです。我々が毎日礼拝するのは単なる偶像崇拝からではありません。お釈迦さまは法身仏として現存されていると考えるからです。
そのお釈迦さまの大恩に報いるためにわれわれ一人一人が志しを新たにする日が成道会です。お釈迦さまの願はただ一つ衆生済度です。それは一切衆生に「安心」を与え苦しんでいる人を一人残らず救済せんとする大誓願です。
しかしその大誓願はお釈迦さまの大慈悲心をもっても尚お一人では手が足りません。そこで多くの仏に意を託されました。その代表格が「菩薩」です。菩薩の使命は菩提心の宣揚と実行です。これまで何度も触れてきましたが、菩提心とは自分より先に他の人々を"救う"ことです。
「救う」とはすなわち「安心」を与えることです。「安心」がないところに心配や、悩みや、苦悩や、苦痛といった「不幸」が生まれます。「安心」こそ幸福の証(あかし)なのです。
人にとって「安心」が一番です。しかし、どうでしょう。今ほど「安心」の失われてしまった時代はありません。世界は百年来ともいわれる大不況の嵐に襲われています。日本でも多くの人達が職を失い途方に暮れています。毎日のニュースを見ていると明日は我が身かもしれないという"不安"に襲われます。
不安は生活苦に限ったことではありません。富のある人やエライ人達にも不安はあります。今天皇陛下は極度のストレスによって体調を崩されているとか。天皇陛下でさえ精神的苦痛に見舞われるのです。どんな富や地位や名誉も「安心」の担保にはならないということです。
これまで人類は驚異の発展をしてきました。しかし、2500年昔のお釈迦さまの時代から人の心の「不安」は減ってはいません。むしろ増えているのかも知れません。それは、社会が高度化され機密化されるに従って「心」が疎外されてきたからです。
増え続ける虐待、いじめ、詐欺、テロ、殺人、自殺などはみなその結果の表れなのです。特に象徴的なものがインターネットです。便利さに紛れて裏サイト、闇サイトが暗躍し、いじめ、自殺、詐欺、殺人など陰湿卑劣な犯罪の温床になっています。
さらに今大問題になっている年金問題から医療、福祉そして雇用問題などもみな人の心がもたらした結果です。政治が悪い、社会が悪いと言ってもその指導者を生み出してきたのは我々自身なのです。会社にしろ、行政にしろ、組織集団はみな人の心の寄せ集まりなのですから、問題は一人一人の心にあるということです。
その原因を辿れば、それは間違いなく我々一人一人に菩提心が欠如していたということです。一人一人が「己のことよりまず他人のこと」という気持ちを持っていれば少なくとも、社会はこれ程悪くなっていなかった筈です。自業自得です。
世界には実に様々な宗教がありますが、どれもみな目指すところは「幸福」なのです。仏教も正に人の「幸福」を追求した宗教なのです。仏教とは「心の教え」だと言いましたが、それはつまり心の「安心」を目指したものだからです。
その旗頭が仏教寺院である筈です。しかし現実はどうでしょうか。下記は最近の朝日新聞の「声」の欄に載った記事です。
「昨今、心を痛める問題が多すぎる。とりわけ、この年の瀬に派遣社員の方が即刻解雇され、即刻社員寮を追い出されるという問題は、本当に胸が痛む。一体、日本はどうなったのか、どうなっていくのか、実に不安に駆られる。ニュースで、解雇された若者がわずかな荷物を抱え寮を出て、公園で一夜を明かす姿があった。(一部省略) それにしても日本の仏教界はこの現実をどう見ているのだろう。ニューヨークなどでは教会が率先してホームレスに食事を提供しているではないか。日本でお寺が早々と困っている人たちに炊きだしをしたとか、境内にテントを張って避難場所を提供したという話を聞いたことがない。葬式仏教になり、お寺と人々の関係が疎遠になったこともあるが、ここらでお寺が困っている人たちに手を差し伸べ、仏教の志を示して欲しい。お釈迦様は衆生を救うためにこの世に生まれたのではなかったのか。」(東京都女性77歳)
なんとも耳の痛い話ですが、反論は難しいようです。日本全国には仏教系寺院が約7万7千ヶ寺余ありますが、ほんとうの意味での「駆け込み寺」になっているお寺が果して幾つあるでしょうか。
お寺は布教の道場であって福祉施設ではない。福祉は行政が行うべきであるとの考えがあるようです。が、私は非常時には寺院はそれなりの対応があっても良いのではないかと思います。寺院と言ってもピンキリですから当然実状に応じての話です。全国には格式的にも規模的にも立派なお寺は沢山あるのです。
仏教の本願は衆生済度です。しかし残念ながら、上部組織や包括団体からの具体的指示はほとんどありません。それは各寺院の自発的裁量に任かされているということでしょう。しかし、仏教離れ、寺院離れが叫ばれている今こそエライ組織のエライ坊さん方から率先して「菩提心」のお手本を示されたらどうでしょうか。
先月とりあげた内山愚童師がもし現存されていたらどうされただろうかと、ふと考えてみました。この寒空に放り出され途方に暮れている人たちを見過ごせず、恐らく自ら跳んで出て行かれたかもしれません。このホームページでえらそうなことを言っているだけの愚僧とは雲泥の差です。恥ずかしい限りです。
先日のテレビで、放り出された人に一人ずつ声を掛け親身に相談に乗っていた女性がいました。絶望の人たちにとっては「地獄に仏」に思えたかもしれませんが、その仏役を務めるのは本来坊さんでなければなりません。僧侶が施すのは法施だと言われますが、苦しんでいる人たちの身になって共に道を求めることも「法施」なのです。
そこで愚僧から一つの提案です。本山僧堂や地方僧堂から若い修行僧の一団を救援活動に向かわされたらどうでしょう。現場に赴き、最寄の寺院の境内を借りてテントを張り炊き出しをするのです。全国にはコンビニの凡そ二倍の数の寺院が津々浦々にあるのです。本山での坐禅や托鉢、作務だけが修行ではありません。修行とは菩提心を学ぶことです。菩提心の実施訓練です。もちろんパフォーマンスになっては絶対だめです。
菩薩の行持とは常に悩める衆生と共にあるのです。それが大乗仏教の本旨です。行持が本物かどうかは見れば誰にでも分かるのです。自信が無いことは無い筈です。で、その経費?それはもちろん宗務庁が全国の末派寺院から集めている賦課金から捻出すれば良いのです。多分活きた使われ方だと言う人の方が多いと思いますが、いかがでしょうか。
今真っ先に弱者が切り捨てられています。日本は最低の社会になってしまいました。菩提心が無くなり我欲心が蔓延した結果ですが、もはやその原因と責任を問うている時ではありません。とにかく、政府は勿論それぞれの組織団体は出来ることをすぐにでも行動すべきです。で、仏教界はどうするのでしょうか。曹洞宗はどうするのでしょうか。 

■7 安心本尊
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
新年が明けることが何故「おめでたい」のでしょう。それは新たにもう一年「生かされた」ことに感謝するからです。「寿」は「命長し」という意味です。長生きこそが人にとって一番おめでたいことなのです。今年もその命を大切にしっかり生きて行きましょう。
その命に最も欠かせないものが「安心」です。安心こそ長寿の秘訣なのですから。そして安心といえば、お正月早々エチオピアで医療支援活動中武装集団に誘拐されていた赤羽桂子さんが108日振りに解放されました。「安心感でいっぱい」と語っていましたが、ほんとうによかったと思います。彼女は今心から「安心感」と「しあわせ感」に浸っていることでしょう。
人にとっていつ殺されるか分からないという状況でのストレスは想像を絶するものです。そんな3ヶ月半にも及ぶ極限状況によく耐えました。命にとって最大の敵はストレスです。恐らく心身共にボロボロの筈です。まず心と体をゆっくり休め、それから再出発をしてください。
新年は明けても世界から不安は一向に減りません。戦争、紛争、テロの拡大、温暖化、環境破壊、経済格差と貧困の拡大等。世界の飢餓人口はおよそ10億人といわれ、毎日2万5千人の人が飢えで亡くなっていると言われています。
戦争や紛争の多くは一部の人間の貪欲と無責任から生まれるのです。テロの多くは差別と貧困がもたらすのです。人間社会に差別や格差がある限り戦争や紛争そしてテロは絶対に無くなりません。特にテロは非人道的で絶対に許されるべき行為ではありませんが、その根底にある言い知れぬ不条理の想いを推して知るべきです。
アメリカではオバマ新大統領が誕生しました。アメリカ国民のオバマ新政権に対する期待は凄まじいものがあります。それは彼が直接"民意"で選ばれた大統領だからでしょう。それだけに国民が政府に関心と信頼を持つのは当然なことです。
それに比べ今の日本の政治は惨憺たるものです。"民意"が問われない政府に対する不信不満はピークに達しています。景気、雇用、福祉、医療、年金等、どれ一つ安心できるものはありません。今問題の定額給付金など誰がみても行政史上最大の愚策です。それをぬけぬけと詭弁を弄して懸命に言い繕っている政府与党。末期症状の足掻きにしか見えません。政治家としての大儀と信念を捨て去った情けない政治家ばかりです。
そんな中、一人敢えて政党の殻を破り信念を貫いたのが渡辺喜美代議士です。早速四人の仲間で「国民運動体」を組織しました。「永田町の常識ではなく、国民の常識が通用する国政の実現に向けて・・・」の表明に期待します。
よく人の命は平等だと言われますが現実は決してそうではありません。お金が無ければ病院には行けません。それは助かる命であってもお金が無ければ助からないということです。命もお金次第だというそんな不条理が許されていたら日本国内にも暴動やテロが起きてもおかしくはありません。
我々国民は財産と生命の「安心」は政治に頼らざるを得ません。その意味からすると、国民にとって政府はまさに「他力本願」なのです。その"ご本尊さま"が頼りにならなくなったら国民に"御利益"(ごりやく)はありません。御利益どころか、もたらされるものは不幸ばかりです。
国民にとって必要なものはしっかりした頼れる「安心本尊」としての「政府」です。それは「他力」の"ご本尊さま"ですが、それを決めるのは国民の「自力」です。すなわち国民の"民意"です。その威力を発揮するのが選挙です。選挙を通してしっかりした「安心本尊」を決めるしかないのです。
しかし、それだけに「自力」の質が問われるのが選挙です。「自力」が"ブレ"ていたんではまたまたおかしなご本尊が出現するだけです。国民の一人一人が正しい価値観と判断力を身に付けない限り真の御利益のあるご本尊さまは出現されないでしょう。
その正しい価値観と判断力を養うのが「宗教」です。仏教では特に四諦(したい)八正道(はっしょうどう)の実践を通して真理の智慧を身に付けます。四諦八正道については後日また勉強したいと思っていますが、それは一言でいえば、貪・瞋・痴という三毒に冒されない正しい強い心のことです。
いくらお金や財産があっても、いくら地位や名誉があっても心が三毒に冒されていたら人は絶対に幸福にはなれません。逆にどんなに貧しくとも心が正しければその人は豊で幸福なのです。
人の心とは実に弱いものです。心が"弱い"とは、気が小さいとか、臆病だとか、勇気が無いとかの問題ではありません。人は誰でも、貪・瞋・痴という三毒に冒され易いことを言うのです。
自分の心は「強い」と思っているのは思い込みです。あなたも、どんな人も、人である以上程度の差こそあれ必ず貪・瞋・痴という三毒を心の内に秘めているのです。いつ何時その毒素が暴れ出すか分からないのです。
人である以上これは宿命なのです。
ですから、「弱い心」は護らなければなりません。そのためにあるのが「宗教」です。この認識が大事です。この認識があれば誰でも「宗教」の存在とその持つ意味が分かるはずです。正しい宗教の正しい信仰によって正しい心、つまり「強い心」が養われるのです。そのためにはまず正しい「本尊」が必要です。
それを「護り本尊」と言います。その本尊をこころから信仰できたときに、その「本尊」はやがて「安心本尊」になります。しかし、自分から精進しない限りその「本尊」には巡り遇えません。それが「信仰」というものです。 まずは自分自身の護り本尊を選ぶのです。阿弥陀仏や大日如来、釈迦如来や薬師如来、観音菩薩や地蔵菩薩、そのほかさまざまな仏さまがいらっしゃいます。まさに選り取り見取りです。独断で構いません。あなたに合った、あなた好みの仏さまを選びます。
「護り本尊」を心から信仰できたときに、それは「安心本尊」となり、やがてしっかりあなたを護ってくださいます。「安心本尊」を持つ人こそ幸福です。 

■8 達磨安心
今回は公案、無門関第四十一則「達磨安心」(だるまあんじん)をとりあげました。
「心を安心させてください」という願いに対して、「その"心"をもってこい」という公案です。達磨大師の「面壁九年」は有名ですが、この話(わ)はその間に起こった二祖(慧可大師)との問答であり禅宗史上特に有名な公案の一つです。
本則
達磨面壁す、二祖雪に立ち、臂を断つて云く、弟子、心未だ安んぜず、乞う師安心せしめたまえ。磨云く、心を将(も)ち来たれ、汝が為に安ぜん。祖云く。心をもとむるに了(つ)いに不可得なり。磨云く、汝が為に安心せしめ。竟(おわ)んぬ。
達磨は少林寺に留まって日々面壁坐禅をしていました。そこへ修行中の二祖がやってきました。彼は雪降る中に長く立ち、自ら臂を切断し、達磨に差し出して言いました。「私は、心が未だ不安であります。どうか私のために安心させてください。」と。すると達磨は、「それではおまえさんの心をここへ持ってきなさい。安心させてあげるから。」と答えました。二祖は、「その心を探しているのですが、とんと見つかりません。」と言いました。達磨は「さあ、もうちゃんと安心させてあげたよ。」と言いました。
達磨は梁の武帝との会見に失望し、揚子江を渡って北魏に入り、崇山の少林寺に留まり、日々坐禅をしていました。そこへ神光がやってきました。後の二祖慧可です。神光は儒教や道教に関する深い研鑽を積んでいたのですが、その教えにあきたらず、四十歳にして達磨大師が少林寺におられることを聞いてやってきたのです。
神光は教えを仰いだのですが、達磨は面壁端坐して一向に何の言葉もくれません。その日、十二月九日の夜は大雪となりましたが、神光はその中庭に立ち続けました。二祖は思いました。昔人は道を求むるのに命がけで向かわれたのだから自分もその覚悟を要するのだと。
積雪は膝を越す位になったとき、達磨はやっと口を開いて問いました。「汝は久しく雪中にいるが、一体何をもとめているのか」と。神光はこの言葉を聞いて感激の涙にしたりつつ、「和尚、大慈悲をもって甘露の法門を開いて、御導きください」と懇請したのです。
達磨は応えました。「諸仏の無上の妙道は、精進行じ難きをよく行じ、忍び難きを忍ばねばならぬ。ささいな徳や智慧、軽心や慢心をもって、真実の教えに向かってもそれは徒に苦労するだけである」と。
神光はこの言葉を聞いて、にわかに刀を取り出して自らの左臂を断って達磨の前に置いたといわれています。達磨はこの神光の覚悟の程を受け、改めて入門を許し、名を「慧可」と改めました。その後の修行の中での出来事が今回の問答なのです。この問答の前には次のような問答があったとされています。
慧可曰く、「諸仏の法印、得て聞く可しや」 (仏さまの悟りについて教えて頂けましょうか。) 達磨曰く、「諸仏の法印、人に従って得るにあらず」 (悟りは他人によっては得られない)このあとに「本則」がくるのですが、再度その要点を看てみましょう。
二祖「弟子の私は、心が安らかではありません。どうか老師、私を"安心"させてください」
達磨「ではその"心"を持ってこい。おまえのために"安心"させてあげよう」
二祖「"心"を求めましたが、まったく得ることはできませんでした」
達磨「おまえのためにちゃんと"安心"させてやったぞ」
主題は「安心」(あんじん)です。「安心」とは、言うまでもなく「悟り」によって得られる一切の迷いから解放された大自由の心、これを「安心」というのです。この公案の狙いはその「安心」の"実体"を悟ることにあるのです。
さて、ではこの公案はどう看ればよいのでしょう。達磨が「その"心"をここに持って来い」と言ったのに対して、二祖が「心不可得」(心が見付けられませんでした)と言いました。その「心不可得」の一言にこの公案の答えが秘められています。
では、その一言をどう解釈すればよいのでしょう。「心不可得」を単に言葉の意味の上から理解しようとしてもまったくダメです。公案はすべてそうですが言葉に囚われないことです。一切の分別と理屈を超えたところの"もの"を見付けるのです。
その「もの」とは、「心不可得」という言葉"そのもの"です。「言葉そのもの」とは、その言葉自体の「実体」を意味します。"そこ"が分かるかどうかが勝負です。分別や理屈で考えていたのでは公案は絶対に分かりません。
ではその「心不可得」"そのもの"の「実体」とは一体何でしょう。それは「無心」です。無心とは心が無いと書きますが、文字通り「心」を無くした境地のことです。「心不可得」(心が得られません)と一心に成りきって言葉に出して言うとき、言葉の意味を考えながら言う人はいません。言っている瞬間は「無心」の筈です。"そこ"です。「そこ」に答えがあるのです。
実を言えば、「そこ」とか「無心」とか、本来公案を"説明"することは邪道なのです。なぜかと言えば、「説明」はそれ自体が分別や理屈になるからです。言うまでもなく「禅」に理屈や分別は通用しません。師家の室に入れば「説明」は一蹴されてしまいます。独参ではただ「事実」のみが問われるからです。
とは言え、ある程度の言葉がなければ「事実」は伝わりません。そのために師家は「提唱」するのです。提唱は解説ではありません。講話でも法話でもありません。「提唱」は特に高い見識と実力を認められた「師家」だけに与えられたものです。それだけに「提唱」の言葉には仏祖の代弁者としての重みがあるのです。
全国にお師家さまは大勢いらっしゃいます。是非"本物"の「提唱」を拝聴する機会を得られたら如何でしょうか。但し、本物かどうかを見極めるにはそれなりの「説明」を見極める見識が必要でしょう。
私は師家ではありませんし一介の愚僧ですから私の"説明"は単なる「説明」に過ぎません。しかし、敢えて私見を言わせてもらえば、巷に溢れる公案の解説書の多くは「説明」にもなっていません。単なる知識の羅列だけでは「説明」にもならないということです。言い過ぎましたらごめんなさい。
さて、言い訳したところで愚僧の"説明"をもう少し続けましょうか。「心不可得」という一言を慧可は「無心」で言ったのです。その「無心」こそ「心の実体」なのです。だから、そこに間髪入れず「そーら安心しただろう」と達磨が言ったのです。
それが一転語となって慧可は「心不可得」それ自体が元々「心可得」だったと気付いたのです。つまり言葉「それ自体」が「心」だったと悟ったのです。「心不可得」が「心」であれば、それは同時に「心可得」も同じことです。こうして慧可は「心」の「実体」を悟り本物の「安心」を了得したのです。
まだ難しい方のためにさらに説明するとすれば、「心不可得」それ自体を無字の公案の「無」と捉えるのです。「心不可得」を「無」に置き換えることができれば即座に「無心」が出現します。イヤ「出現」すると言うより元々「無心」だったことが分かるのです。
では、最後に"説明"抜きで敢えてこの公案の答えを私なりに体現してみましょう。「心不可得」(心が得られませーん)←無心で特に大声で←この部分は"説明" どうですか?みごとに「心の実体」が体現されていますね。(←厳密に言えば文字を通しているので"本物"ではありません。念のため。) 愚僧のこれまでのクドクドした"説明"など吹っ飛んでしまったでしょう。
さて、この公案とちょうど同じような話が徳山禅師の「三世心不可得」です。参考までに紹介しておきましょう。徳山は四川省から旅立って途中ある餅屋に立ち寄ります。そこでの老婆との問答です。徳山は実に優秀な金剛経の大家でしたがその時はまだ開眼してはいませんでした。徳山はその老婆の餅屋で点心(おやつ)にしようとしたのです。
老婆「そのかついできたものは何ですか」
徳山「金剛経の注釈書です」
老婆「わしに質問がある。もし貴僧が答えることができれば、ただで餅を差し上げましょう。もし、答えられなければ、よそへ行きなされ」
徳山「どうぞ質問してください」
老婆「金剛経に『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』とあるが、あなたは一体どの心で餅を食べるのか」
徳山 ・・・無言
徳山は餅を売る老婆にぐうの音も出なかったというエピソードです。徳山は「心」という文字に「心」を奪われてしまったのです。心で餅を食べるとでも思ったのでしょうか。餅は口で食べるに決まっています。彼には心が何か分かっていなかったのです。心の「実体」が分かっていれば、彼は黙って餅をつまんで食べ、ただ「ああ旨い」と言ったでしょう。
この公案の狙いもまったく同じ「心の実体」です。「心の実体」が分かれば「餅の実体」が分かります。同時にそれらは別々の「もの」ではなく、元来一つの「もの」だったことが分かるのです。「三界唯一心」という言葉がありますね。 真実は極めて単純明解です。禅はそれを教えてくれます。 

■9 平常心是道
前回に続いて公案をとりあげました。無門関第十九則「平常是道」(びょうじょうぜどう)です。
「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)という言葉は特に有名ですが、この公案から出ている禅語です。この意味は「ふだんの心が悟りである」ということです。では、その「ふだんの心」とは一体何でしょう。それが今回の主題です。
本則
南泉、因みに趙州問う、如何なるか是れ道。泉云く、平常心是れ道。州云く、環って趣向すべきや否や。泉云く、向かわんと擬すれば即ち乖く。州云く、擬せずんば争でか是れ道なるを知らん。泉云く、道は知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不擬の道に達せば、猶大虚の廓然として洞豁なるが如し、豈に強いて是非す可けんや。州云く、言下に頓悟す。
南泉は趙州が、「道とはどんなものですか」と尋ねたので、「ふだんの心が道である」と答えた。趙州は問うた、「それをめざして修行してよろしいのでしょうか」 南泉は答えた、「めざそうとすると、すぐにそむく」 趙州、「めざさなかったら、どうしてそれが道だと知れましょう」 南泉、「道は知るとか、知らぬとかいうことに関わらない。知るというのは妄覚だ、知らぬというのは、無記だ。もしほんとに『めざすことのない道』に達したら、ちょうど虚空のようで、からりとして空である。そこを無理にああだこうだと云うことなどできない」 趙州は言下に悟った。
趙州禅師といえば第一則の"無字の公案"でも有名ですが、その悟境の透徹さと行持の清高さから、禅宗史上その存在感は別格です。趙州は十八才にして開悟されたといわれています。それからさらに二十年の修行をされ、六十才で出家され、この公案で徹底されたといわれています。この時七十三、四才だったとのことです。120歳まで生きられたといわれるまさに傑僧です。
ある時、趙州は師の南泉禅師に「(悟りの)道とは何ですか」と尋ねました。南泉はそれに対して「平常心是道」(ふだんの心が悟りへの道だ)と答えました。趙州はさらに「ではそれをめざして修行すればよろしいでしょうか」と尋ねました。すると南泉は「めざそうとすると、すぐそむく」(そむくとは外れるということ)と答えました。趙州はそれに対して「そんなことをおっしゃっても、それを目指して修行しなかったら、どうしてそれが道だと解るのでしょう」と尋ねました。なるほど当然の疑問です。
「悟り」という目標を目指して修行するのでなければ悟れないのではないかというのが趙州の疑問です。それに対して南泉は、道(悟り)は知るとか、知らぬとかいうことではない。知るというのは妄覚だと答えました。妄覚とは煩悩妄想のことです。
つまり、悟りを「知る」(認識する)こと自体煩悩妄想だというのです。ここが一番大事なところです。まさにここがこの公案の勝負どころと言ってもよいでしょう。それはその認識できない"ところ"がこの公案の答えだからです。そこを「無記」と言っているのです。
南泉はさらに説明しています。「もし、真に疑いようのない道に達してみると、それは虚空のごとくああのこうの云うことのできない一切の分別の無いカラットしたところである」
「疑う余地のない道」とは、思慮分別、自我意識のまったく無い無我無心の"ところ"であり、「廓然として洞豁」、つまり「虚空のごとくああだこうだと説明のできない一切の分別の無いカラットしたところ」だと言うのです。
さらに、そこは「豈に強いて是非す可けんや。」(ああだこうだというものは何も無いところ)だと言ったのです。 趙州はこの一言で悟ったのです。
さすが天才趙州です。師南泉の「虚空のごとくああだこうだと説明のできない一切の分別の無いカラットしたところ」「そこはああだこうだというものは何も無い」と言う言葉で即座に悟ってしまったのです。それには恐らく南泉自身も驚いたことでしょう。
しかしいくら悟ったとはいえまだまだ悟りには深さがあるのです。無門禅師は提唱の中で評しています。「趙州、たとい悟り去るも、更に参ずること三十年して始めて得てん。」 悟りと言ってもまだまだ本物ではあるまい。本物の悟りを得るにはもっともっと修行してあと三十年は掛かるだろうと言っています。
では趙州の悟ったものは一体何だったのでしょうか。それは「無心」です。「ああだこうだというものは何も無い」とは「一点の曇りもない心」であり、それはすなわち「無心」のことです。「無心」については、前回の「達磨安心」でクドクド"説明"した通りです。ですからすでにお分かりのように、この公案の狙いもまさに「無心」の実体を悟ることにあるのです。
では「無心」の実体とは何でしょう。それは「あるがまま」です。因みに敢えてやぼな"説明"をしてみましょう。例えば、おかしい時には笑いますが、普通はあるがまま笑いますよね。悲しい時にはあるがまま悲しいですね。腹が立つ時はあるがまま怒り、楽しい時は"あるがまま"楽しいですね。
笑っているときに、何故笑っているのか考えません。悲しいときに、「今自分は悲しんでいるな」とか思いません。腹が立っているとき、「今ここに腹を立てている自分がいる」などと考えません。「ただ可笑しい」「ただ悲しい」「ただ腹が立ち」「ただ楽しい」・・・それが「あるがまま」です。
「悲しい」のも「可笑しい」のも「楽しい」のも、「ぼ〜と」しているのも、更には眠っているのも、どんな心の状態であれ、それが「平常心」なのです。そしてその実体が"無心"だとすれば「平常心」そのままが「道」(さとり)だと悟れるのです。
ですから「道」(さとり)は「あるがまま」の「そのもの」です。「そのもの」ですから、"それ"を意識すれば即座に"分別"になってしまい、すなわち「道」(さとり)から外れてしまうのです。実体を悟るとは「そのもの」に成り切るということです。
敢えて"説明"すればそういうことです。しかし、説明での理解は想像の域を出ません。「想像」はいわゆる絵に描いた餅です。絵の餅は食べられませんから本当の"味"は分かりません。本物の餅を食べるには一切の分別や理屈を全部捨て切って、"あるがまま"の"それ自体"を味わうしかないのです。無門禅師は頌で提唱しています。

春に百花有り秋に月有り。夏に涼風有り冬に雪有り。若し閑事(かんじ)の心頭に挂(かか)る無くんば。便ち是れ人間の好時節。

「春には様々な花が咲き、秋は月、夏の涼風、冬の雪。もしつまらぬ事柄を心にかけることがなければ、それこそその人の生活はまさに幸せの日々である。」という意味です。閑事(かんじ)とは「むだごと」とか「妄想」のことです。好時節とは「幸せの日々」ということです。つまり、妄想を捨て去った人はそれこそ幸せの日々であるというのです。
ここで思い起こされるのが道元禅師の詩「春は花夏ほととぎす秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」です。この詩は単なる和歌ではありません。諸法実相が詠われているのです。「諸法実相」とはまさに「あるがまま」ということです。
更に言えば、「あるがまま」は「心」に限りません。「大自然」もまったく同じなのです。 ここが特に重大なところです。人の心と大自然の間には本来何の差別もないのです。花もほととぎすも月も雪もみんなあなたの心と一つなのです。
春が来れば間違いなく草木は萌え花々はみごとに咲き誇ります。夏にはホトトギスが大空を飛び交い、秋には月が鮮やかに天空に浮かび、冬には雪が降り積もって清々しい。まさに大自然の"あるがまま"です。
人の「心」も「大自然」も真実は同じ"あるがまま"です。一切の分別妄想の無い「諸法実相」こそ「法身仏」であり「如来の姿」なのです。峰の色谷のひびきも皆ながら我が釈迦牟尼の声と姿と(道元禅師)
分別妄想のまったく無い状態がまさに「あるがまま」です。ですから無門禅師はさいごに「妄想を捨て去った人はそれこそ幸せの日々である」と提唱されているのです。
「あるがまま」に「分別」が付着することで「妄想」となるのです。妄想は欲望の根源です。欲望は油断するとつぎつぎと発展して尽きることはありません。確かに人類は欲望のお陰で未曾有の発展と豊かな生活を手にしました。しかし現実を鑑みると生活の豊かさがそのまま心の豊さになったとは決して言えません。
むしろ人類は生活の豊かさに追われ欲望の餌食になったと言えるでしょう。その結果が地球の環境破壊、格差社会、そして戦争、テロの拡大です。すべては生活の豊かさという名の欲望に取り憑かれた結果なのです。このまま行けば人類は明らかに滅亡の方向を辿るかも知れません。今こそその道を断たねばなりません。
そのためには真実を知ることです。真実を知ることで「心」の実体が分かります。心の実体が「無心」だと分かれば諸悪の根源である「欲望」も「無心」であり「空」であることが分かります。つまり心の実体が「空」だと悟ることで人は欲望から解放され本当の幸福を得るのです。 それがすなわち「悟り」です。 

■10 非風非幡非心
無門関第二十九則 「非風非幡」(ひふうひばん) 動いているのは幡(はた)でも風でもなく、それを見ている人の心だという、前回に引き続き"心の実体"に挑む公案です。
本則
六祖、因(ちなみ)に風刹幡(せっぱん)をあぐ。二僧有り対論す。一(ひとり)は云く、幡動くと、一は云く、風動くと。往復して曾(かっ)て未だ理に契(かな)わず。祖云く、是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、仁者が心動くのみ。二僧悚然(しょうぜん)たり。
「六祖」とは達磨大師を初祖としてその第六番目の祖師という意味であり、大鑑慧能(だいかんえのう)禅師のことです。唐の時代、禅宗の黄金時代を築いた第一人者であり、まさに禅宗の中興の祖とも云うべきお方です。
刹幡(せっぱん)とは、寺で説法をする印に掲げる旗のことです。その幡を風が吹き上げていました。これを見ていた二人の若い僧が議論を始めました。一人は「幡が動いている」と言い、もう一人は「イヤ風が動いているのだ」と言って互いに譲りません。その遣り取りを見かねた六祖は「幡が動くのでも、風が動くのでもない。お前さん方の心が動くのだ。」と言い放しました。その若い二人の坊さんは身震いしました。
以上が本則の内容ですが、常識から言えば風が動くから幡が動くのであり、それを己の心が動いているから幡も風も動くのだという、その真意とは一体何でしょう。
結論を言ってしまえば、幡と風と心の実体が"一つのもの"だということです。しかしそれは机上の理論であり、机上の理論では答えにはなりません。以前から言っているように理論上の理解は絵に描いた餅です。本物を味わうには理論を超えた"実物"を会得するしかないのです。そのために必要なのが"証明"です。公案の意味合いはまさにここにこそあるのです。
公案はすべてそうですが、狙いは「三界唯一心」「心外無別法」という理論の"証明"です。宇宙の真理も仏法も、理論は単なる知識です。知識は分別です。分別は妄像ですから、その一切の分別妄想を断ち切るための証明が必要なのです
今回の公案で言えば、幡と風と心の実体は一如であるということの証明です。すなわちこの三者間にある一切の対立観念を完全に払拭するための証明です。室に於いては「作用」を以て証明しますが、さあ、あなたならこの公案をどう作用しますか? 作用の仕方は「達磨安心」のところで私が示した通りです。ヒントはそれで十分でしょう。無門禅師は提唱しています。
拈提
無門曰く、是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、是れ心の動くにあらず、甚(なん)の処にか祖師を見ん。若し者裏(しゃり)に向かって見得して親切ならば、方(まさ)に知る二僧鉄を買って金を得たり。祖師忍俊(にんしゅん)不禁(ふきん)して、一場の漏逗(ろうとう)なることを。

六祖は「風が動くのではない、幡が動くのでもない。あなた方の心が動くのだ」と言われるが、かと言って、心が動くのでもない。さあ、どこに祖師の面目を見るか。もしここでそれがばっちりと看て取れたら、二人の僧はくだらない問答をしたお陰で、大変な法(真理)を聞くことができたのである。それはいわば鉄を買って金を得たということになるのである。六祖は二人の愚かさを見ておられず、飛び出したことで大きな失敗と恥をかいたことを知るであろう。
なんと、驚くなかれ、無門禅師は「心が動くのでもない」と明言しているのです。くだらない論議をしていた二人の僧だが、彼らがもしその「心不動」の真意を理解できたら、彼らは鉄を買ったつもりが実は金を得たということになるというのです。となれば六祖はつい口を滑らせたことで大きな失敗と恥をかいたことになるというのです。
「鉄を買ったつもりが実は金を得た」という意味は、「おかげで"更に深い悟り"を会得することになるだろう」ということです。つまり、六祖の言った「あなた方の心が動くのだ」という一言でその若い二僧が見性しさらに悟境を深めたら「心不動」という世界を徹底するだろう。そしたら、六祖の一言はその格下に見られるだろうということです。
因みに、「六祖はつい口を滑らせたことで大きな失敗と恥をかいた」という表現はなにも六祖を批判しているのではありません。これは言貶意揚(ごんべんいよう)と言って口ではけなして心では褒めているのです。この手法は禅門の特徴であり無門禅師の提唱では特に顕著です。
さて、では、その「心動かず」の真意とは何でしょう。無門禅師は更に「頌」において提唱しています。

風幡心動、一状領過す。只口を開くことを知って、話堕(わだ)することを覚えず。

「風幡心が動く、などとは、二僧と六祖の三人は皆同罪である。ただ議論することは知ってはいるが言い損なったことに気が付いていない。」という意味です。「一状」とは、一通の判決状という意味で、三者の罪状は一通で間に合うという意味です。例によって言貶意揚の表現で無門禅師は六祖をばっさり切り捨てていますが、その本意は六祖の悟境を讃えたものです。
では「風・幡・心が動く」と「風・幡・心は動かず」との違いは何でしょう。語意からすればまったく相反する表現です。しかし、ここがこの公案の見所なのです。この公案の意図はまさにここにあるのです。
それはつまり「心が動く」と「心動かず」に"差"があったら「事実」は見抜けないということです。すなわち、「動く」が真に分かれば、同時に「動かず」が分かるのです。「動く」を観念として理解していたら絶対に分かりません。ちょっとでも差別観念が働いたらたちまち「真実」は"天地遙かに隔たって"しまうのです。
「物我一如」(もつがいちにょ)という観念は確かに仏法を表した言葉ですが、その観念に囚われている限り「分別」なのです。分別は妄想であり「事実」ではありません。だから「分別」を超越したところにある「事実」を捉えるのが公案です。
風・幡・心が真に不二一体のものならば、一体という認識も、不二という概念も、「動く」「動かない」という観念も、更に言えば「悟り」という観念もそこにはありません。あるのはただ「あるがまま」の「まるだし」だけです。
「ただまるだし」の世界には一切の分別はありませんから、無門禅師の言う「動くもの」など何もないのです。一切の対立観念もないから幡も風も心も無く「物我一如」なのです。すなわち「まるだし」が「事実」なのです。あえてやぼな"説明"をすればそういうことです。
と言われて「まるだし」とか「事実」を"想像"しているうちは絶対ダメです。「想像」こそ正真正銘の妄想です。だから室に於いてはただ「まるだしの事実」を"作用"すれば良いのです。最高のヒントですよ。さあ、ではその「事実」を証明してみてください。 
 

 

■11 即心即仏(前編)
無門関第三十則 「即心即仏」(そくしんそくぶつ) 「仏とは何ですか」という問いに、「心が仏だ」という、前回に引き続き"心の実体"に挑む公案です。
本則
馬祖、因みに大梅問う、如何なるか是れ仏。祖云く、即心即仏。
馬祖道一(ばそどういつ)禅師は六祖慧能禅師の孫弟子になるお方であり、特に禅宗五家七宗の基礎を築いたといわれる偉大な禅匠です。その弟子には南泉、百丈、金牛、鳥臼などそうそうたる老古仏がおられます。大梅もその内の一人であり大梅法常(だいばいほうじょう)禅師のことです。
その大梅が師の馬祖に質問します。「いかなるかこれ仏」(仏とはなんですか) これに対して馬祖は、「即心即仏」だと答えました。「即」とは「そのまま」という意味ですから、つまり「そういうお前の心がそのまま仏だ」と言ったのです。大梅はその一言で悟ったのです。
「いかなるかこれ仏!・・・」 これは今でも修行中の若い坊さんが問答に使う最も一般的な一句です。今回の公案もこれまでの「達磨安心」「平常是道」「非風非幡」などとまったく同じ「心の実体」を掴むための公案です。入りくみが違うだけであってその狙いと答えはみな同じであって、どれでも一つ徹底すればあとはみな応用問題です。
若い大梅にとって全身全霊の突撃でした。大梅は幼少から出家し、有数の大寺で修行を積み、仏教の根本問題を真っ向から提げ師の馬祖に迫ったのです。
問答はすべてそうですが、全身全霊で臨むものです。特に室(しつ)にあっては師弟双方とも真剣勝負です。師弟とはいえ問答に於いて上下関係はありませんからそこには一切の手加減も妥協もありません。それだけに弟子は不惜身命の思いで立ち向かうのです。
故原田祖岳老師は独参に来る者の足音からその者の気概を感じ取り、やる気のない者には途中で鈴(れい)を振られたこともあったとか。ながい修行によって培われ研ぎ澄まされた感性のなせる業と言ったらよいのでしょうか。
実際拙僧もまだ若い十代の頃の経験です。故伴鉄牛老師の室に独参に向かいました。室に入るなり一言もなしに鈴を振られたことが幾度かありました。鈴を振られれば次の者と交替ですから即座に三拝をして退室しなければなりません。独参の室は緊張感で満ちていましたが、いつでも最高の香が焚かれていたことを思い出します。
この「即心即仏」も語意はいたって単純明瞭です。しかしいつも言うように公案の答えは語意ほど単純なものではありません。「心そのものが仏」だという、その「こころ」の実体をほんとうに会得するには並大抵のことでは叶わないのです。馬祖でも南嶽のもとで十年の修行を積み、大梅も幾十年かの悟後の修行を徹底されたのです。
大梅は馬祖の下を辞して後、悟後の修行のため暫し山中に隠遁したのです。その間たまたま馬祖の法嗣の僧が道に迷い大梅の庵に至り、大梅の消息が馬祖の知れるところとなりました。その評判を聴いた馬祖は大梅の悟りの円熟度を知ろうとして一僧を遣わせたのです。
その僧が大梅を訪ねたときの問答です。「和尚はかつて馬大師に参じられ大悟されたと聴きますが、どんな見識でここに住まわれているのですか。」
大梅はこたえました。「かつて馬大師は私の問いに『即心是仏』と答えられました。そのことで今この山に住んでおる。」
その僧はさらに言いました。「それが近頃は馬大師の説法は違います。『即心即仏』ではなく『非心非仏』と言われています。」
それを聞いた大梅は言いました。「老漢(おやじ)はまだそんなことを言って人をたぶらかしているのか。老漢が何と言おうと、私はただただ『即心即仏』だ。」
この話を聞いて、馬祖は言われました。「そうか。そんなことを言ったか。"梅"の実は熟したな。」 大梅の"梅"という字にことよせて馬祖が大梅へ印可証明を与えたのです。
馬祖は大梅の悟境を試そうとあえて遣いの僧に「非心非仏」と言わせたのですが、大梅はそんな馬祖の魂胆をとんとお見通しでした。「即心即仏」の境涯で応戦したのです。では馬祖に「梅の実は熟したな」と言わしめたものとは一体何だったのでしょうか。
実にこれも一大公案です。因みに無門関第三十三則が「非心非仏」です。同じ馬祖の説法であり、この「即心即仏」に対応した公案です。これら両則は表裏一体のものですから、一方が分かればもう一方も同時に分かるというものです。したがって次の公案はこの「非心非仏」にしたいと考えております。
さて本題に戻りましょうか。「心」がすなわち「仏」だというその"心"とは何でしょう。これまでの公案をちょっと振り返ってみましょう。
「達磨安心」では「みつかりません」という"言葉それ自体"が「心」でした。「平常是道」では「人の心と大自然」の"あるがまま"が「心」でした。「非風非幡」では「動いている幡」"それ自体"が「心」でした。
「心とは、山河大地であり、日月星辰である」(正法眼蔵・即心是仏) 永平御開山は乾坤大地がすなわち"心"だと示されています。つまり宇宙の森羅万象そのものが「心」だというのです。
「心のほかに何があるかい。乾坤大地ただこの一心じゃ。そうすれば朝から晩まで、寝るから起きるまで、見るもの聞くもの、ことごとく一心じゃ。また貧瞋痴と動こうが、食べたいと動こうが、憎い可愛いと動こうが、さては見るもの、見られるもの、きくもの、聞かれるもの、みな自己本来の一心だ。山は高く水は長いのも、柳は緑、花は紅も、鳥飛ぶ、蝶舞う、風吹くに至るまで、わがこの一心でないものはない。みなことごとく自己本来の一心三昧ならざるはないのである。」(原田祖岳老師提唱)
星も月も、山河大地も、大自然それ自体が「心」であり「仏」であるという。問題は人の「心」です。人は朝起きてから寝るまでさまざまな心を持って暮らしています。楽しい、悲しい、辛い、憎い、愛しいなど、みな人の「心」です。
順境には喜び、逆境にふさぎ込むのが人の「心」です。そのような心には良い心もあれば悪い心もありますが、悪い心も果たして「即心即仏」と言えるのでしょうか。禅はその心も即ち仏だと主張しています。禅は決してでたらめなことは言いません。ではそれはどう解釈したらよいのでしょうか。 

■12 即心即仏(後編)
無門関第三十則 「即心即仏」(そくしんそくぶつ) 前回の「本則」の後の「拈提」と「頌」を看ていきます。
拈提
無門曰く、若(も)し能(よ)く直下(じきげ)に領略(りょうりゃく)し得(え)去(さ)らば、仏衣を著(つ)け、仏飯を喫し、仏話を説き、仏行を行ず、即ち是れ仏ならん。然も、是(か)くの如くなりと雖(いえど)も、大梅多少の人を引いて、錯(あやま)って定盤星(じょうばんぜい)を認めしむ。争(いか)でか知らん、箇(こ)の仏の字を説くも、三日口を漱(そそ)ぐと道(い)うことを。若し是れ箇の漢ならば、即心是仏と説くを見ば、耳を掩(おお)うて便ち走らん。
「拈提」(ねんてい)とは「本則」に対してのいわゆる「提唱」です。その後の「頌」(じゅ)とともに著者である無門禅師の悟りの境涯が述べられているものです。要するに「本則」の解説ということです。したがって「公案」は「拈提」と「頌」の理解があって了得されたことになるのです。
領略(りょうりゃく)は領得と同じで、よく分かること、はっきり受け取ることです。「仏衣を著け、仏飯を喫し、仏話を説き、仏行を行ず、即ち是れ仏ならん」とは、悟ったその人が衣服をつければそれが仏の衣であり、その人がご飯を食べればそれが仏の飯であり、その人が話す言葉が仏語であり、その人の行為のすべてがそのまま仏の行となるということです。「即ち是れ仏ならん。」そういう人こそ仏と云うべきだということです。
「然も、是くの如くなりと雖も、」とは「ところが、そういうことではあるが」ということです。「大梅多少の人を引いて、錯(あやま)って定盤星(じょうばんぜい)を認めしむ。」定盤星とは動かないいわゆる秤(はかり)になっている星のことです。「即心即仏」という語句を鵜呑みにすることは、秤の目盛りが絶対であるという観念に囚われることになり、それは多くの人をして仏の真相を見誤ることになるというのです。
「なるほどそうか、即心が是れ即仏か、何を苦しんで修行をして悟りを目指す必要があったのか」などという誤りを与えることになるのです。それこそとんでもない邪見です。"心のすべてがそのまま仏"だと信じることは悟りの心も煩悩の心も同じ心だと信じ切ってしまう恐れもあるのです。つまり汚い言葉で言えば糞味噌一緒ということになるのです。
大梅が徹底して「即心即仏」と言っているが、その言葉を鵜呑みにしてしまうとそれこそ多くの人を「定盤星」の誤った認識に陥らせることになるというのです。「多少の人」の多少は助字であり、つまり多くの人という意味です。
「争(いか)でか知らん、」とは、「どうして知っていようか」ということです。「箇(こ)の仏の字を説くも、三日口を漱(そそ)ぐと道(い)うことを。」 「"仏"という言葉を口にする時、その仏という言葉それ自体はいわば煩悩という汚れであるから、その臭いと汚れも落とすには三日間も口をそそがねばならないということを彼は知っているのだろうか?」というのです。
「若し是れ箇の漢ならば、即心是仏と説くを見ば、耳を掩(おお)うて便ち走らん。」 「"こいつは"といわれる程の悟りを徹底している男ならば『心がそのまま仏だ』という言葉を聞いたら、そんなことを聞くのは耳の穢れだと言って、即刻耳を塞いで逃げ出してしまうだろう」というのです。
迷いや煩悩をいわば体についた汚れのようなものに例えれば、「悟り」はそれを落とす石鹸のようなものです。しかし、その石鹸で脂や汚れが落ちても後に"石鹸"の臭いが少しでも残っていたのではダメなのです。悟りに悟り臭さがあったら糞悟りです。ここが極めて重要なところです。
無門禅師は大梅の「即心即仏」の主張が杓子定規になっていればそれはもはや本物の悟りではないと言って「即心即仏」を抑えつけて言ったのです。ところがこれも無門禅師の言貶意揚であって、大梅の「即心即仏」が馬祖の「非心非仏」と少しの違いもないことを暗に言っているのであり、同時に大梅の悟境を讃えているのです。ここの見極めも重要です。

晴天白日。切に忌む尋覓(じんみゃく)することを。更に如何と問わば、臟(ぞう)を抱いて屈(くつ)と叫ぶ。
「晴天白日」は「即心即仏」を受けて、それはまさに天が晴れて日が輝いている如くはっきりしたものであるというのです。尋覓は探し求めることであり、「即心即仏」などと言って今更仏がどうのこうのと探し求めることは実に慎むべきことであるというのです。
「更に如何と問わば、」とは、「さらにそれは何かと問うことは」ということです。臟(ぞう)とは盗んだ品物のことで、屈(くつ)は屈辱のことで、屈を叫ぶとは無実を叫ぶということです。盗人が盗んだ物を両手に抱えていながら、自分は他人の物を盗ってはいないと言い張っているのと同じだというのです。
つまり、「即心即仏」とはなんだかんだと説明するものではないというのです。そのままでいいのです。つまり、あるがままです。"そこ"を求めたらたちまち妄想になってしまうのです。いつも言っているように"説明"や"認識"はそれ自体分別妄想なのですから。
「心」を理屈で理解することは論外でありまさに迷いそれ自体に外ならないのです。あるがままの世界とは理屈の要らない世界です。そこを「晴天白日」と言うのです。そんな理屈の要らない世界にあえて理屈を求めることはまさに盗人が盗品を持っていながら無実を叫んでいるのと同じだというのです。
何も求めない"ところ"に一切の迷いはありません。"求めること"がすべて迷なのですから。すなわち何も求めない"こころ"こそ悟りだという、この頌の本旨はまさにそこにあるのです。
「求め心さえ絶対になければそれでよいのだ。悟りたい悟りたいなどと物乞い根性をちょっとでも起こしたらもうダメだ。ただ単提だ。ただ忠実に「無!」 無! ム! ム!・・・と成り切り、生り切ったというものも無い単提だ。」(原田祖岳老師提唱) 無字の公案で「無とは何か」と考えたらもうダメなんです。
「無」と言ったらただそれだけです。理屈も解説も要りません。「無」と言ったら「無」で完全です。それ以外はすべて余分なものです。"余分のもの"をすなわち妄想、妄念と言います。この"余分のもの"のゾーンを透過した先にあるものこそ"悟り"なのです。この公案の主旨はまさにここにあるのです。
さて、そこで大きな疑問がまだ残っています。前回、心がそのまま仏だと言いました。心が仏だとしたらどんな心でも仏なのかという疑問です。悪いことをするその悪い心も仏の心なのでしょうか。結論からいえば「イエス」です。
悪い心は心でないということは絶対にありません。「貧瞋痴と動こうが、食べたいと動こうが、憎い可愛いと動こうが、さては見るもの、見られるもの、きくもの、聞かれるもの、みな自己本来の一心だ。」(原田祖岳老師) どんな心も自己本来の心です。
さて、ではそこをどう理解したら良いのでしょうか。その答えが「煩悩即菩提」です。煩悩とは悪い心だけを言うのではありません。良い心も悪い心もその全てが心である以上心のすべてをひっくるめて"煩悩"と言うのです。すなわち煩悩とは心それ自体を指しているのです。
ですから「煩悩即菩提」とは「心即菩提」です。「菩提」とは「仏」のことですから、「煩悩即菩提」とは「どんな心でもそのまま仏」ということになるのです。このように良い心も悪い心もその実体は仏なのです。
しかしですよ。 これからが実に大事です。実体を悟らない限り悪い心は悪い心のままなのです。悪い心がそのまま悟りになる筈などありません。悪い心がそのまま救われることなど絶対に有り得ません。ですからここをどうか誤解しないでください。
御開山道元禅師が「本来本法性、天然自性身」の一言に大疑問を抱かれたのは有名ですが、この「本覚論(ほんがくろん)」の中にこそその"正解"があります。「人の身体はもともと仏の身体であり、人は誰でも生まれながらに『仏の性質』を具えている」というものです。
「もし、わたしたちが、仏の体と心と同じように、もともと悟っているのものなら、これまで、この世にあらわれた仏祖の方々は、どうして、その上まだ、仏を求め修行をつまれたのか・・・」という疑問ですが、考えてみれば当然の疑問です。
禅師が比叡山にのぼられ五年も経った、まだ18歳にも至らない時のことですが、この疑問に答えられる者は誰一人いなかったのです。失望のもとやがて叡山を去りますが、禅師が入宋の一大決心をされたのはまさにこの疑問に対する思いからだったのです。
正師如浄禅師の下、徹底修行の結果、やがて禅師は「身心脱落」されその大疑問をみごと晴らされたのです。宋にわたってから二年あまり、二十六歳の時のことです。 なんたる天才でしょう。「人の心はそのまま仏である」というその真意は"修行そのもの"だったのです。すなわち「修証一如」です。
「即心是仏とは世の常情に染まぬ即心是仏であり、諸仏とは人の煩悩に汚れぬ諸仏である。詮ずるところ、即心是仏とは、発心・修行・正覚・涅槃の諸仏にほかならない。いまだ発心・修行・正覚・涅槃せざるには、即心是仏ではない。」(正法眼蔵・即心是仏)
御開山は修行もしない心が「是仏」だなどとはあり得ないと示されています。つまり修行する心こそ「即心是仏」なのだという、「修証一如」の真理から言ってもその意味は当然わかります。ですから菩提心の「心」こそ「即心即仏」の「心」なのです。これがこの公案の結論です。
人は心の実体が「畢竟空」だと悟ることで自己の尊厳、万物の尊厳を知るのです。畢竟空の境地こそ自己の本質であり宇宙の実体なのですから。 

■13 非心非仏
無門関第三十三則 「非心非仏」(ひしんひぶつ)
本則
馬祖、因に僧問う、如何なるか是れ仏。祖曰く、非心非仏。
馬祖にある僧が問います。「仏とはどんなものですか」 馬祖が答えました。「仏とは心でもなければ仏でもない」
この公案も前回の公案「即心即仏」も同じ馬祖の説法でありますが、語意からするとまったく相反する内容です。 「即心即仏」では心が仏であると明言したばかりです。それが今度は、仏とは心ではないと断言しているのです。はたまた一体どうことでしょう。
「自分はあくまで『即心即仏だ』」と言って譲らなかった大梅に「梅の実は熟したな」と言って印可を与えたのは師でもある馬祖自身でした。その馬祖が今度は「非心非仏」と主張しているのです。その真意は何でしょう。
結論から言ってしまえば「即心即仏」も「非心非仏」も"同じもの"なのです。言葉としてはまったく矛盾していますが、「即心即仏」が本当に理解できれば「非心非仏」も同時に理解できるのです。何故ならば両者は表裏一体だからです。
大梅は「即心即仏」で悟りを徹底され、すべての迷い、無明を晴らしたのです。だから「即心即仏」のそれ以外必要なものは何もないのです。当然「非心非仏」など関係ないのです。馬祖は大梅のその"完熟"を認めたからこそ印可を与えたのです。
何も求めない"心"こそ悟りだという、前回の「即心即仏」の"答"を思い出してください。その何も求めない"ところ"を「非心」と表現しているのです。つまり表現が違うだけで意味している中身は正に同じ畢竟空の"実体"そのものなのです。
前回から言っているように、心の実体は畢竟空なのです。ですから畢竟空を悟れば、それを「心」と言おうが「非心」と言おうが違いはないのです。繰り返しになりますが、何も求めない「心」に「心」の意識はありません。有るのは畢竟空の"そのもの"だけです。"そこ"が即ち「非心」なのです。
公案はすべて言葉を超えたところの真実、事実だけを示唆しています。ただただ真実を問うのが公案なのですから。
拈提
無門曰く、若し者裏(しゃり)に向かって見得(けんとく)せば、参学(さんがく)の事(じ)畢(おわ)んぬ。

「者裏」とは、「このなか」ということであり、「非心非仏」のこの公案のことです。「見得せば」とは、「親しくわがものにしたならば」ということです。「参学の事畢んぬ。」とは、「参禅学道の目的は達せられた」ということです。つまり、この公案を透過したならば修行の目的は達せられるだろうと言っているのです。実に簡潔明瞭ですが、言うまでもなくどの公案にも当てはまる拈提です。 公案の答えは全て一つだということです。

路(みち)に剣客(けんかく)に逢わば須(すべか)らく呈すべし、詩人に遇わずんば献ずること莫(なか)れ。人に逢うては且(しば)らく三分(さんぷん)を説け、未だ全く一片を施すべからず。

「路に剣客に逢わば須らく呈すべし」 剣の達人に出逢ったら剣を差し出せというのです。「詩人に遇わずんば献ずること莫れ。」 詩人に出逢ったら剣を差し出してはならないというのです。この意味は、剣客でない者に剣を与えたら大怪我のもとになるということです。詩人でない者に詩を与えても単なる紙屑にしかならないということです。
これは何の喩えでしょうか。「即心即仏」がほんとうに理解できた者ならば「即心即仏」で十分だということです。「非心非仏」がほんとうに理解できた者ならば「非心非仏」で十分だということです。つまり、「即心即仏」がほんとうに理解できていない者に「非心非仏」だと言ったらそれは徒に惑うだけであり、その者は確実に魔道に陥ってしまうことになるのです。
馬祖が「即心即仏」と説くのも「非心非仏」と説くのも、それは説く相手を視てのことです。つまり剣客か詩人かを見分けて説いているだけのことです。剣を使おうが詩を使おうがその狙いは一つなのです。
「人に逢うては且らく三分を説け、未だ全く一片を施すべからず。」 一片とは全部ということです。三分とは三割ということです。つまり、人に説法するときには、初めから全部を言ってしまうのではなく、三割程度に抑えておくのが良いというのです。
馬祖が「即心即仏」と説くのも「非心非仏」と説くのも、それは初めから一片(全部)を与えてしまっていて、親切過ぎるというのです。十のものならば、まずその三割程度を説いて後りの七割は本人自身の修行に任せるべきだと評しているのです。
一見馬祖に対する批判のようにも思えますが、これも勿論言貶意揚(ごんべんいよう)であって、馬祖の悟境を讃えると共に修行者に対して策励を与えているのです。優れた指導ははじめから手取足取りの指導はしません。駿馬の喩えにもあります。優れた修行者は鞭影を見て走り出すのです。
現代の教育はどうでしょうか。鞭影どころか、鞭そのものを見ても動かない者、さらに鞭で叩いてみてもなかなか動こうとはしない駄馬が多いようです。手取足取りの親心が返って仇になっているのではないでしょうか。
教育とはただ食事を与え成長させることではありません。知育・徳育・体育と言いますが、この三つは決して別個のものではありません。すべて一つに結びついているものです。そのこころはまさに"心"です。
今の世の中がこれほどおかしくなってしまったのはまさしく人の心がおかしくなってしまったからに他ありません。人の行動の全ては心で決まるのですから。しっかりした教育のないところに安心も平和もありません。
しっかりした教育の元になるのはしっかりした宗教です。日本人の多くが無宗教を自認しているようですが、信条や理念の無い人が多いのはその辺に原因があるのかもしれません。宗教というものをもう一度考えてみて欲しいものです。 

■14 帰崇心
8月は何と言ってもやはりお盆です。昔から盆・正月と言いますが、それは日本人にとっての大きな生活の節目だからです。満員列車の混雑や何十キロもの車の渋滞に耐えても帰省するのは帰巣心からなのでしょうか。
いやいやそこには理屈を超えた心の癒しがあるからなのです。生まれ育ったところには言い表せない愛おしさと懐かしさを感じるのが人の常ですが、特にお盆には不思議と心が故郷に向かいます。それは久し振りに家族の温もりに触れると同時に、共にご先祖様にご供養のご挨拶を申し上げるところに一層の癒しと安らぎを感じるからなのです。
特にお盆には何よりも仏さまとご先祖様への報恩感謝の気持ちが深くなります。この心こそ「帰崇心」(きそうしん)に因るものです。その帰崇心を一層高めてくれる行事が盂蘭盆会であり施餓鬼会なのです。
当山でも毎年8月5日に恒期の施餓鬼会(せがきえ)が修行されます。毎回230名からのお詣りを頂き、お寺にとっての最大行事となっています。特に本年は併せて客殿落慶式を厳修致しました。
客殿建設につきましては檀信徒皆様の絶大なる篤志に心より感謝申し上げます。お陰さまで予定通りの立派な客殿が完成致しました。特に現今の未曾有の不況の下で枉げてご協力を頂いたことに衷心より敬意を表する次第であります。
これも偏に檀信徒各位の檀那寺に対する深甚なる帰依の心と、ご先祖さまへの報恩敬慕の心に因るものと存じます。その心こそ「帰崇心」であります。その功徳を集め近隣諸山の諸老師の御随喜の下落慶法要が無事円成致しましたことに改めて感謝申し上げます。
以下は御導師をおつとめいただきました龍泉寺御住職三浦良憲老師の香語です。お許しを頂きましたのでここに御紹介させて頂きます。
夏本番 猛暑自から冷かなり 人をして刮目せしむ正木山の風光 時代の脚光に古格を改め 斬新なる客殿天空に聳ゆ
山門是日
客殿落慶の吉辰
虔んで大恩教主本師釈迦牟尼仏及び尽十方一切の三宝に奉覲し無上仏果菩提を荘厳恭く惟れば 仏日燦然と輝きを増し 常に如是経を転ずること百万巻なり 大光明裏の善男善女人 等しく法悦の白蓮花開く 堂頭老師因みに野衲をして箇の朽木を焚かしむ 下情感激の至りに堪えず 専ら祈る
山門鎮静 中外咸安 火盗雙除 檀信帰崇 十方檀那 福寿長久 万難消滅 諸縁吉祥
任他
黒漆の崑崙夜裏に走る底 忽ち一強茎草を拈じて梵刹を建立し竟る宜なる哉 仏祖共に手を携え 眉毛相結んで讃嘆随喜 破顔微笑 拍手喝采ならん 団々珠めぐり玉珊々 即今無上菩提荘厳の那一著 又且如何
喝 
暑中もし涼を得んと欲せば 暫く客殿の人となり 親しく冷暖自知すべし 世の中は今より他になかりけり 波のまにまに行こうじゃないか 伏惟れば 珍重
御老師の深邃なる境涯の一端を頂き誠に痛み入りました。三浦老師は私が十代の頃品川東照寺で伴老師のご指導を受けていた時の単頭老師です。その時以来のご縁で今日まで何かとご指導を頂いております。平成11年には愚僧の晋山式の助化師をお願いした大恩師でもあります。 

■15 三心(喜心)
道元禅師は「典座教訓」(てんぞきょうくん)の中で三つの心得を提唱されました。「喜心、老心、大心」の三心(さんしん)です。典座(てんぞ)とは、修行僧たちの食事を司る役職のことであり、いわば修行道場の炊事係りのことです。その役職における訓誡を著したものが「典座教訓」です。
道元禅師は"典座"を通して、真の弁道(修行)とは、坐禅や祖録公案だけではなく、むしろ日常生活のあらゆる場面が修行そのものであることを学んだのです。それは同時にどんな役職や仕事においても貴賤や優劣は無いということの証明でもあったのです。
一切の分け隔てのない世界が禅の世界ですから、人の世界も役職や職種において分け隔てがあろう筈はないのです。禅師はその禅の一大宗乗を"典座"の中から悟ったのです。今回からその経緯と三つの心得、「三心」について学んでみたいと思います。
禅というと何か特別なものであって一般人には近い寄り難いような印象があるかも知れませんが、禅の目指すところは実は「あたりまえ」のことなのです。「あたりまえ」とは言うまでもなく特別でも非凡でもありません。
「あたりまえ」とは「日常生活のあらゆる場面」のことであり、その中にこそ「真理」があり「法」があるのです。ですから禅はこの万物万民に不偏平等の「あたりまえ」にこそ「悟り」があると捉えるのです。
だから「修行」が「日常生活のあらゆる場面」から乖離していたらそこには決して仏法も悟りも無いのです。つまり「修行」とは「日常生活のあらゆる場面」そのものだということになります。
若き道元禅師にとって当初修行とはあくまで坐禅や公案、祖録に専念することであって、それ以外のものが修行の対象だとは思ってもみませんでした。ましてや炊事など単なる雑用に過ぎないという観念でしかなかったのです。
宋に渡った弱冠二十四歳の禅師にとってそれは無理もないところだったのかもしれません。日常生活のあらゆる現場が修行であるという、その宗乗にはじめて気付かせてくれたのが二人の老典座との出逢でした。
炊事に対して全身全霊で向き合っている二人の老和尚との問答から若き禅師は深い感動を覚えると同時に修行の何たるかを思い知らされたのです。
この二人の老典座との出逢いの話は何度読んでも感動をおぼえるところです。その場面を菅原昭英氏監修の「口語訳典座教訓」より見てまいります。まず寧波(にんぽう)の港での最初の老典座との出逢いです。
私が宋の寧波の港に停泊中の船にとどまっていた頃のことです。日宋貿易船の船長と話しをしているところへ一人の老僧がやってきました。年の頃は六十くらいです。
まっすぐ船内に入って来て日本の商人から椎茸を買ったのです。そこで、私はその老僧を招き入れてお茶を差し上げました。どちらの方かと尋ねると、阿育王山広利寺の典座とのことでした。
さらに老僧はこう言いました。「私は中国奥地の四川省のうまれ、故郷を離れて四十年経ち、年は六十一になりました。先年、孤雲道権師が住持をされているさなか、阿育王山を訪ねる機会があり、僧堂に正式に居を構え修行することを許されたのです。それ以後漫然と過ごしていたところ、昨年、夏の集中修行期間が明けると、阿育王山の典座職に任命されたのです。
明日は五月五日、端午の節句だから、修行僧たちになにかご馳走をつくってあげたいと思うのですが、適当なものがありません。そこで、汁入りの麺でもつくろうとしましたが、あいにくだしに使う椎茸がありません。私がわざわざこの船までやってきたのは、椎茸を買って帰り、修行僧たちに食べさせてあげようというわけです。」
私は老僧に尋ねました。「お寺を出られたのは何時頃ですか。」 老僧は「昼をすませてからです」と答えました。私がさらに「阿育王山からここまでどのくらいの距離がありますか」と問うと、「さあ、二十キロメートルたらずですかな」との答えです。
私が「それで、お寺には何時頃お戻りになるつもりですか」と言うと、老僧は「たった今、椎茸を買ったので、これからすぐ帰るつもりです」と答えました。私は、「今日、思いがけなく典座さまにお会いし、船内でお話をしました。これはたいへんよいご縁ではないでしょうか。ぜひ、お食事を差し上げたいのですが」と言いました。
すると、老僧は「それは無理です。自分が仕切らないと、明日の食事が整わないから」と言いました。そこで私は言いました。「お寺には同じ仕事をなさる方がおられるでしょうから、食事をつくる人はほかにもおられるでしょうに。典座さまがおられなくとも、お食事の用意ができないわけでもないでしょう」
すると、老僧はこう答えました。「私は年を取ってから典座職を仰せつかった。つまり老いらくの修行だから、この仕事を他人に譲るわけにはいかないのです。それに、ここへでかけるとき、外泊の許可をもらってこなかったしね。」
私はさらに言いました。「そのようなご高齢の身では、ひたすら坐禅修行に専念され、古人の公案などを勉強しておられればよいのに、どうしてわざわざ面倒な典座職に就かれ、厨房のお仕事に精出しておられるのですか。それでなにかよいことがありますか。」
すると、老典座は大笑いをして、こう言いました。「外国から来られた好青年よ、まだ修行というものがおわかりでないようですな。文字というものをご存知ない。」 それを聞いて私ははっと驚くとともに恥ずかしくなりました。
そこですぐさま老典座に問い返しました。「それでは文字とはどういうもので、仏道修行とはどういうものでしょうか。」 老典座は「その点を見逃さずに質問したのはまさに仏道修行にふさわしい人になれる証拠です」と答えました。
私はそのとき、その意味がわかりませんでした。すると、典座が言われました。「まだよくおわかりでないようなら、後日、阿育王山に私を訪ねていらっしゃい。ひとつ、文字がいかなるものか、大いに議論してみようではありませんか。」 そして、典座は立ち上がり、「もう日が暮れる。急いで帰るとしよう」と言い残して、立ち去られました。
同じ年の七月、私は天童山景徳寺で修行をすることになりました。ある日、例の阿育王山の老典座が来られ、再会しました。典座は「夏の修行期間が終了したら故郷に帰ることにしたのだが、たまたま同じ仲間から、あなたがこちらにおられると聞き、どうしてもお会いしたくなりましてね」と言いました。
私はそれを聞いて大喜び、たいへん感激しました。さっそく典座を招き入れて話を交わしているうちに、過日、船内で会ったときに問題になった文字と仏道修行に話が及びました。典座が「文字を学ぶ者は文字のなんたるかを知り、仏道を修行する者は仏道修行とはなにかを理解することが大事です」と言いました。
そこで、私は「文字とはなんですか」ときくと、典座は「一、二、三、四、五、これが文字です」と答え、「では仏道修行とはどのようなことですか」と問うと、「われわれの住むこの世界が、どこでもありのままに見えることですよ」と答えました。
ほかにもいろいろ議論しましたが、ここでは省略します。私が少しばかり文字のなんたるかを知り、仏道修行のなんたるかを理解したのはまさしくこの老典座のおかげです。これまでのいきさつを私の師である故明全和尚さまにお話したところ、和尚さまはたいそうお喜びになりました。
後に、私は雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)禅師が修行僧向けに書いた次のような詩文を読むことがありました。
「一、七、三、五、これが文字である。世の森羅万象を説明してきたが、それだけでは頼りにならない。夜が更けて月はこうこうと照り輝き、大海原に降りそそぐ。黒龍の顎下(あごした)にあるという得がたい宝玉が、なんと一面いたるところに見られるではないか。」
これは、かつて阿育王山の老典座が話したことと一致するではありませんか。私はあの老典座こそ真の仏道修行者だという思いをいよいよ強くしました。
この老典座との出逢いが若き道元禅師にとって真の弁道(修行)との初めての出逢いだったと言っても過言ではないでしょう。文字とは、一、二、三、であり、仏道修行とは、われわれの住むこの世界が、どこでもありのままに見えることだという、つまり、「あたりまえ」のことなのです。
「夜が更けて月はこうこうと照り輝き、大海原に降りそそぐ。」とは、天地宇宙の"ありのまま"の姿を言っているのであり、「得がたい宝玉」とは、「悟り」のことであり、「なんと一面いたるところに見られるではないか。」とは、森羅万象のすべてが悟りそれ自体だということです。
「ありのまま」と「あたりまえ」が修行であることが説かれています。「あたりまえ」がわかれば、文字はなぜ一、二、三、なのか。一、二、三、がなぜ文字なのかがわかります。「ありのまま」が修行であることが分かれば即ち、坐禅も典座もまったく"同じもの"だとわかります。
そのことを悟った道元禅師は「山僧、聊(いささ)か文字を知り弁道を了ずるは、乃(すなわ)ち彼の典座の大恩なり。」と深く敬意と感謝の言葉を述べられています。
どんな仕事であろうとも坐禅と同じ弁道(修行)であるという思いがあれば喜びの心をもって仕事ができるのです。それが即ち「喜心」ではないでしょうか。
この心こそ現代人に最も欠けている一つかもしれません。現代人が喜びの心を失ってしまった最大の原因は報恩感謝の心を失ってしまったことです。ではどうしたらよいのでしょうか。
それにはまず仏法僧の三宝に帰依することです。禅師は「教訓」の中で示されています。「万法の中、最尊貴なる者は三宝なり。」 (あらゆるものの中で最も尊いもの、最もすぐれたもの、それが三宝です。)
「此の三宝受用の食を作ること、豈に大因縁に非ざらん耶。尤も以って悦喜すべき者なり。」 (この最高最良の三宝に召し上がっていただく食事を作ることができるのは、なんとありがたいめぐり合わせだろうと喜ぶべきです。)
「能く千万生の身をして、良縁を結ばしめんが為なり。此の如き観達の心、乃ち喜心なり。」 (千回万回生まれ変わるはずのわが身に、この良いめぐり合わせが結実するように努力するのです。このように深い心で見ることが、すなわち喜心です。)
三宝に帰依することで必ず報恩感謝の心が育ちます。ご本尊さまご先祖さまに毎朝手を合わせることで「喜心」が生まれます。「喜心」こそ幸福の証なのです。 
 

 

■16 三心(老心)
『ここに言う老心とは父母の心です。親がわが子を思う気持ちで三宝としての修行僧を思うべきです。貧しい者も苦しんでいる者も、一心にわが子を愛し育てます。そういう親の心とはどういうものか、その身にならないとわからない。
自分が父の身となり母の身となって考えてこそわかるのです。自分が貧しいとか裕福であるとかに関係なく、ひたすらわが子の成長を願う。わが身の寒さ暑さをかえりみず、わが子をかばい、守る。これは、親ならばこその切なる思いです。
このような気持ちをもったことのある者には老心というものがわかるのです。常に親心をもち続けている者なら老心が身についています。ですから、典座は水やお米を見るにつけても、わが子を養う慈しみ愛す気持ちをもって調理すべきではないでしょうか。
お釈迦さまは、まだ二十年の寿命があるのに、後世の私たちのために残してくださいました。それはどういう意味をもつでしょうか。子を思う親心を示されたのです。お釈迦さまはその見返りを期待したわけではなく、富や名声を求めたわけではありません。』(菅原昭英氏監修「口語訳典座教訓」より)

要約しますと、「老心」とはすなわち親心であり、その心をもって仏法僧の三宝を心にかけないさい。だから炊事職にある者にとって、水や穀物はわが子の如きものであるので、慈しみねんごろにあつかう心を持つべきであると示されています。
お釈迦さまは、八十歳で入滅されたわけですが、本来百歳あったとされる自らの寿命の内から二十年の寿命を後世の私たちに遺贈されたわけですが、その意味を考えなさいということです。それはただただ薄福小徳の一切衆生を哀れんでのことであり、お釈迦さまはそれに対する果報など一切の見返りなどは期待もされませんでした。
そのお釈迦さまの清浄無垢の御心こそがすなわち「親心」であり「老心」なのです。われわれはみな子々孫々においてこのお釈迦さまの「二十年の遺恩」の恩恵を知るべきであり、その大慈恩に報いることとはただただ仏法僧の三宝に帰依することなのです。
さらに禅師は、「万法の中、最尊貴なる者は三宝なり」(あらゆるものの中で最も尊く優れたものが三宝であり)、それゆえに、「三宝を存念すること一子を念(おも)うが如くせよ」(親が子を思うが如く三宝を思いなさい)と教示されているのです。
その三宝とはすなわち仏法僧のことですが、大事なことは仏・法・僧の三つはそれぞれが別個のものではないということです。つまりこの三つは正に一体のものであるということです。すなわち仏に帰依することは法に帰依することであり、法に帰依することは僧に帰依することであり、僧に帰依することは仏に帰依することになるのです。
ですから食事を作ることはすなわち三宝に召しあがっていただくことになるのです。この認識が特に大事です。禅師は「教訓」のなかで僧について次のように述べられています。
「『禅苑清規(ぜんねんしんぎ)』にも言われるとおり、『この世でもっとも尊く、俗世間から超脱してゆったりと落ち着いており、清らかで何ものにもとらわれない境地にあるものは、修行僧をおいてほかにない』のです。いま、自分が幸いにも人間に生まれて、この最高最良の三宝に召しあがっていただく食事をつくることができるのは、なんとありがたいめぐり合わせだろうと喜ぶべきです。」(典座教訓)
その最高最良の三宝に召しあがっていただく食事を作る人こそ典座なのです。
「朝食でも昼食でも、作法どおりに出来上がったら、飯台の上に置き、典座は袈裟をかけ、坐具を敷いて、まず坐禅堂の方向へ向かってお香を焚き、九回礼をします。この礼拝が終わってから食事を運ぶのです。」(典座教訓)
この作法は「僧食九拝(そうじききゅうはい)」といって現在でも修行僧堂で行われている行事です。食事ができあがり、食事を僧堂に運ぶとき、典座和尚はお袈裟をつけ、僧堂の方向に向かって九回お拝をするのです。それは同時に心を込めて作った料理に向かってお拝をするかたちにもなっているのです。また浄人(給仕係)達も典座と共に合掌立拝するのです。
この様子は僧堂に修行している者にしか見ることはできませんが、その荘厳な光景は実に心引き締まるものです。ここで大事なことは、『この世でもっとも尊く、俗世間から超脱してゆったりと落ち着いており、清らかで何ものにもとらわれない境地にあるものは、修行僧をおいてほかにない』というその意味です。
典座和尚や浄人が僧堂に向かって九拝するのは確かに修行僧を尊んでのことですが、その真意は、修行僧はただの僧だけの存在ではないということです。つまり先にも述べたように仏法僧の三宝は三位一体であるから、「僧」はすなわち「仏」であり「法」であると捉えるのです。
その意味で食事を作った典座和尚はじめ浄人達の九拝はすなわち三宝に対してのお拝いなのです。さらには食事その物さえも仏身と捉えるのです。この認識が無ければ僧堂での一大行事は理解できないでしょう。
また、それだけに食事をいただく側の雲水たちにも実に厳粛な作法があるのです。坐禅を組みながら、読経をし、細かい作法に従っていただくのです。特に応量器(食器)のご飯を盛る器は「頭鉢」と言って、お釈迦さまの頭と見なされ特に大切に扱うことが求められます。
特に若い新到(しんとう)和尚(新米雲水)はまずこの食事作法でしごかれます。合掌の仕方に始まり、返事の仕方、器の並べ方、眼の位置、姿勢など、文字通り箸の上げ下ろしから食べ方まで、詳細にわたってたたき込まれます。
展鉢(食事作法)は新到和尚にとって最初の試練の一つですが、やがてこの行事作法に慣れてくると、今こうして生かされ修行できる尊さが徐々に感じられるようになるのです。そして、やがて仏祖をはじめさまざまな人達との縁のおかげで今日があるという感謝の念が少しずつ湧いてくるのですが、その気持ちも厳しい修行のお陰なのです。
曹洞宗では「威儀即仏法」といい、特に行事作法には厳しいのです。それは心と行動は一体のものであるから、厳格な行事規範によってこそ心が鍛えられると考えるからです。様々な宗派の中でも曹洞宗が特に作法に厳しいといわれる由縁です。そろそろまとめに入りましょう。
「一本の野菜でも仏さまのからだとしてたいせつに扱い、仏さまのからだを一本の野菜にこめて、これをたいせつに生かすのです。それは典座の霊妙なはたらきと自在な工夫であり、仏道修行であり、すべての修行者の利益となるのです。」(典座教訓)
一粒のお米から一本の野菜から、すべてのものに仏性がある。だからその一つ一つを大切に生かすことが仏法僧の三宝に帰依することであり、それは自己に限らず同時にすべての修行者のためになるというのです。
厳しい修行も炊事もすべては三宝に帰依するためのものです。三宝と自分が一体のものであるという、つまり、食事を作る人も、それを食べる人も同じ仏さまだという、そのことが分かるのが悟りなのです。その悟りに少しでも近づくためにはすべてのものに無償の愛情すなわち親心を持って臨むことです。この心をすなわち「老心」と言うのです。 

■17 三心(大心)
「いわゆる大心とは、大山のような高く大きな心、大海のような広く深い心をもち、一方に偏った考えをせず、ひとつの思いに固執することのない、おおらかな心を言います。」(典座教訓)
今回は三心の内のさいごの心「大心」がテーマです。それは今までの「喜心」「老心」を併せた大覚の心といったらよいでしょう。偏りのない、固執のない、おおらかな心・・・「大心」
それは道元禅師が宋に渡り二人の典座和尚から学んだ融通無碍なる心であったのです。天童山如浄禅師の下での猛修行の結果「身心脱落」の大悟徹底されたその基になった心であり、同時にそれはすべての人にとっての修行の心であり悟りの心であるのです。
一人目の典座和尚との出逢いは寧波(にんぽう)の港に椎茸を買いに来た阿育王寺の老典座でした。その時の様子は前々回ご紹介しました。彼からは文字とは何か修行とは何かを学びました。禅師は「自分がいささか文字を知って仏道修行の何たるかを理解できたのは「乃(すなわ)ち彼の典座の大恩なり」(典座教訓)と述懐されています。
二人目の典座和尚との出逢いは天童山での修行中のことでした。彼からは「他は是れ吾に非ず(他人は自分ではない)」「更にいずれの時をか待たん(今やらなければいつやるのか)」というまさに修行の原点を学ばれたのです。そのときの様子がつぶさに「教訓」に述べられていますので紹介しましょう。
「私がかつて宋の天童山景徳寺で修行していた頃のことです。地元寧波出身の用(ゆう)という名の老僧が典座職に就いていました。私が昼食をすませ、東側の廊下を通って超然齋(ちょうねんさい)という建物に向かう途中、この老僧が仏殿前の庭で茸を干しているところに出会いました。
老僧は竹の杖を突き、頭に笠さえかぶっていない。強い日差しが照りつけ、庭の敷瓦は焼けつくような熱さです。老僧はしたたり落ちる汗をぬぐおうともせず、一心にきのこ干しの仕事をしている。いかにも辛そうに見えます。背中は曲がり、長い眉は真っ白です。
私は老典座に近づいて、お年を尋ねました。典座は『六十八です』と答えました。そこで、私が『どうして、見習い僧か下働きの人を使わないのですか』と言ったところ、老僧は『他人にやってもらったら、わたしがやったことにはならないではないですか』と言いました。
私は、『たしかにご老僧のおっしゃるとおりです。しかし、こんなに日差しの強い時にどうしてそこまでなさるのですか』と尋ねました。すると、老僧はこう答えたのです。
『いまやらなければ、いつやるというのですか』と。私はなにも言えなくなりました。廊下を歩きながら、典座という職のたいせつさを思い知らされた次第です。」(典座教訓・菅原昭英口語訳より)
真の仏法を求めて命がけで宋に渡った若き道元禅師にとって二人の典座和尚から学んだものはまさに修行の原点、否仏道そのものであったのです。やがて禅師は悟りによって二人の老典座の教えが本物であったことを認識され、いよいよ典座老宗師への感謝の念を深められたのです。
「典座」は禅師にとってまさに大恩の「人」であり「職」であったのです。その想いから「典座教訓」が著されたと言っても過言ではないでしょう。そこでさらに肝腎なことは、典座という職務が何も特別だということではないということです。
「典座」は一つの例であって、どんな役職であれそれ自体かけがえのない修行の実践なのです。また仕事の大小に拘わらず同じ大事≠ネものであるという、つまりどんな仕事であれそれ自体が修行であると同時に悟りであるという、禅者はそこに「修証一如」の大宗乗があることを見逃してはなりません。この認識が極めて大事です。
「そもそも、修と証とが別のことであると思っているのは、とりもなおさず外道の考え方である。仏教では、修と証とはまったくおなじものである。いうまでも証のうえの修なのであるから、初心の学道がそのままもとから証のすべてである。」(正法眼蔵・弁道話)
「また、大宋国においてまのあたりに見たところによれば、諸方の禅院には、すべて坐禅堂があって、五百六百から千人二千人におよぶ僧を収容して、日夜坐禅をすすめていた。その主席には、仏の心印を伝える師匠があって、つねに仏法の大意をくわしく聞くのであるから、修と証とが別のものではないことがよく理解されていた。」(正法眼蔵・弁道話)
言うまでもなく、「修」は修行のことであり、「証」は悟りのことです。「初心の学道がそのままもとから証のすべてである」とは、ひたすら修行することそれ自体がそのまま悟りの姿であるということです。だから「仏法の大意は修と証とが別のものではないこと」になるのです。
入宋当初の若き道元禅師にとって、修行とは坐禅することであり、古則公案に対峙することであり、それ以外のことは修行とは関係のないものだったのです。寧波の港で出逢った典座に対して言った禅師の言葉がそれを如実に表しています。
「座、尊年、何ぞ坐禅弁道し、古人の話頭を看せずして、煩わしく典座に充てられて、只管に作務す。甚んの好事か有る。」 (そのようなご高齢の身で、ひたすら坐禅修行に専念されたり、古人の公案などを勉強されておられればよろしいのに、どうしてわざわざ面倒な典座職に就かれ、炊事のお仕事に精を出されておられるのですか。それでなにかよいことがありますか。)
それに対して典座が大笑して言いました。「外国の好人、未だ弁道を了得せず、未だ文字を知得せざること在り。」 (外国から来られた好青年よ、まだ修行というものがおわかりでないようですな。文字というものをご存知ない。)
「山僧便ち休す。」(自分は何も言えなくなった。)「潜かに此の職の機要たることを覚えゆ。」(典座という職務の大事さを思い知らされた。)
禅師にとってこの時の心の衝撃は相当のものであったことが伺われます。「修証一如」というまさに正伝の仏法に出逢った瞬間でもあったのです。曹洞宗の経本「修証義」はまさにこの教義をタイトルとして編纂されたものなのです。
大覚の心・・・大心 大山のような心と、大海のような寛容な心と、一切の偏見の無いおおらかな心を持つことなどなかなか容易にできることではありません。確かにわれわれ小人は些細なことにこだわり自分自身を見失い失敗を繰り返している存在なのかもしれません。
だからこそ「修証一如」の精神を信じ実践すべきなのです。一般的には「修」を「努力」に例えれば、「証」は「成果」ということになります。努力無くして成果は絶対にありませんが、とかく成果にこだわるのが凡夫です。凡夫の不幸は成果にこだわり囚われることから起こるのです。
成果にこだわらない心こそ大山のような心であり、大海のような寛容な心であり、一切の偏見の無いおおらかな心なのです。修証一如から悟った境地・・・それが「大心」です。
付録
今から七百七十年も前の鎌倉時代に、調理にかけがえのない価値を認めその中に真の仏道修行のあり方を示された道元禅師の見識には改めて驚歎いたします。少し前までは「男子厨房に入るべからず」などと言っていたのが同じ国民だったことが信じられません。
現在では国内外を問わず、この「典座教訓」に出逢い料理人としてのアイデンティーと誇りを持って「三心」を文字通り教訓に掲げたりしている人も多く見られるとも言われています。まさに現代社会に「典座教訓」の精神が生きているのです。その心得の幾つかご紹介しておきましょう。
「およそ食材や調理器具などを取り揃える際には、ありきたりな見方をしてはいけないし、ありきたりの心で考えてはいけません。一本の草からお釈迦さまの大伽藍を建て、一粒の砂ほどの場所から仏道を説く気構えを持つことがたいせつです。」
「寺の常備品は、人の目玉と同じくらい特別たいせつにしなさい。ですから、お茶や野菜などを、この上なく高貴なお方に差し上げるお食事用のように丁重に扱わなければなりません。生のままでも煮炊きしたものでも、同じ心がけで臨むことです。」
「お米をとぎ、お惣菜を準備するとき、典座は自分の手で直接作業をし、よく気を配り、一瞬たりとも気をゆるめず真剣に取り組み、あることには注意をするが別のことには注意を怠るというようなことがあってはなりません。」
「功徳を積むためには、大海のほんの一滴ともいうべき些細なことでも、他人まかせにはできません。また善根を積むためには、大山がひとつひとつの塵の積み重ねであるように、こつこつと努力を積み重ねる心がけが必要です。」
「苦い、酸っぱい、甘い、辛い、塩辛い、淡いという六味のバランスが取れ、あっさりして軟らかい、きれいで衛生的である、正しい調理法に従って丁寧につくられているという三徳が備わっていなければ、典座が修行僧たちに食事を提供したことにならない。」
「お米を洗う際には砂が混じっていないかどうか、砂を捨てる際にはお米が混じっていないかどうか、よく確かめ。細かいところまでけっしておろそかにせず、注意を払って、よく見ることです。そうすれば、おのずから六味が整い、三徳が満たされることでしょう。」
「とぎ水といっしょにお米を流してしまうことがないように、昔から濾(こ)し袋が用意してあるのです。つぎに、お粥をつくるためにお米と水の分量を量ります。鍋に入れ終わったら、ネズミが入り込んだり、だれか外部者が中をのぞいたりすることがないように気を付けて、特別たいせつにしておかなければなりません。」
「翌朝のお粥のおかずを準備したら、次にさきほどの昼食のご飯のお櫃やお吸い物の桶、調理器具類を取りまとめ、真心をこめて丁寧に洗い清め、高い所に置くべき物は高い所へ、低い所へ置くべき物は低い所へ、きちんと片づけておきます。」
「高い所では高い所なりに、低い所では低い所なりにそれぞれ安定するように整理整頓するのです。菜箸やしゃもじなど、道具類いっさいを同じく慎重に扱い、細心に点検して、そっと取りそっと置くようにします。」
「その後で、翌日の昼食の支度をします。まず、お米の中に虫が入っていないか確かめ、ごみや異物をていねいに取り除きます。お米や野菜などをきれいに選り分けるあいだ、典座の下働きをする見習い僧はかまどの守り神にお経を唱え、礼拝します。」
「それから、おかずとお吸い物の材料を選び、取り揃えます。庫裏の役職者から受け取った材料について、量が多いとか少ないとか、粗末とか上等とか、不平を言わずに、ひたすら食材準備に専念します。」
「材料が多すぎるとか少なすぎるとかの不満を表情に表したり、口に出して言うことはげんに慎まねばなりません。典座たるもの、一日中、食材と調理器具に心を傾注し、物と心が通い合い一体となって仏道修行に励まねばなりません。」
「お米を水に漬けておくあいだ、典座は流しの辺りから離れることなく、お米をといだら、鍋に入れて火を焚き、ご飯をつくります。 昔の人は言いました、『ご飯を炊くときは鍋を自分の頭と思い、お米をとぐときは水を命と思え』と。」
「使う食材のよしあしを気にして、気持ちが動くようではいけません。物によって気分が変わり、相手の人によって言葉や態度を変えるようでは、仏道修行に取り組む者とは言えません。典座は、ひたすら仏道に専念し、誠心誠意自分の職務を果たせば、先輩たちが成し遂げた立派な仕事にも劣らぬ、心の行き届いた仕事ができるでしょう。」
以上、このように道元禅師の典座の意義と心得についてさまざまな教示を紹介しましたが、参考になるものも多いと思います。 

■18 「不是心仏(ふぜしんぶつ)」
無門関第二十七則 「不是心仏」(ふぜしんぶつ)
本則
南泉和尚、因に僧問うて云く、還(かえ)って人の与(ため)に説かざる底の法有りや。泉云く、有り。僧云く、如何なるか是れ人の与に説かざる底の法。泉云く、不是心(ふぜしん)、不是仏(ふぜぶつ)、不是物(ふぜもつ)。

南泉和尚にある僧が尋ねました。「いままでに説かれたことのない法というものがありますか」 すると南泉和尚は、「ある」と答えました。そこで僧が、「では、説かれたことのない法とはどういうものですか」と尋ねると、南泉和尚は、「心でなく、仏でなく、物でもないもの」と答えました。
お釈迦さまから南泉和尚まで、直系の歴代が三十七代、お釈迦さまの説法だけでも三百余会、結集され創作された大乗教典をはじめ律や論部など合わせた大蔵経の巻数は五千四十余巻ともいわれます。
このなかに仏教の教義や仏性論すなわち仏法のすべては説かれ尽くされていると考えるのが常識でしょう。ところが南泉和尚は、「今までに説かれたことの無い"法"がある」と云うのです。
そしてそれは心でもない。仏でもない。物でもないというのです。それは一体何でしょう。今回も心と仏の実体を掴むための公案です。
さて、この公案を解くためには二つのポイントがあると考えます。その一つ目が「今まで一度も説かれたことがない法」の真意です。まずこれをどう解釈するかです。「説かれたことがない」という意味は、つまり「説くことができなかった」ということです。
これまでにも拙僧がクドクド講釈してきたように、"説明"での理解は想像の域を出ません。リンゴを食べたことのない人に何千何万回の"説明"をしたところでその本当の味を理解させることは絶対に不可能です。
この理屈と同じで、「真如」という"リンゴの味"は何千何万巻のお経をもって説かれたとしてもそれは所詮理論上の"想像の味"にすぎないのです。「真如」という"リンゴの味"を真に味わうにはやはり自ら本物のリンゴを食べるしかないのです。
つまり「一度も説かれたことがなかった」とは、「説かれることができなかった」という意味です。「体験」をいくら"説いても"「理解されない」という意味から「説かれない」という表現になっているのです。この認識が極めて重要であり、この点が分からなければこの公案は透過できないでしょう。
次のポイントは「心でない。仏でない。物でもない」という真意です。これまでの「即心即仏」と「非心非仏」と「非風非幡」の公案を振り返ってみてください。その中にも答えは有ります。これらの公案が分かればもう何の説明も要りません。
「心」の実体は何でしたか。「仏」の実体は何でしたか。「物」の実体は何でしたか。そしてそれは"説明"できるものですか・・・最高のヒントですね。
南泉禅師の言われた「心ではない」とはつまり"説明された"「心」ではないということです。「仏ではない」とは"説明された"「仏」ではないということであり、「物」も「説明された物」ではないということです。
「心」を言葉で説明した途端にそれは「観念上の心」になってしまうのです。仏も物も森羅万象もその実体はそれを言葉に代えた瞬間に「観念」になってしまうのです。観念こそ分別妄想の実体なのですから。
「ただし、観念は観念程度の価値はある。すなわち本物に導きく程度の価値はある。すなわち本物に導く宣伝ビラ程度の役割をする意味において価値はたしかにあるのだが、この観念をつかまえてもって仏法の真の事実、真の我と思ったら絶対に違う。」 (原田祖岳老師提唱より)
そもそも公案とは観念から脱却して仏の実体を悟るための手段なのです。実体を知るには「体験」しかないのです。体験があれば何の説明も要りません。一切の観念を捨てさせ真如を体験させるためにあるのが公案です。
八万四千の法門も"説明"である以上それはすべて"観念"の法門にすぎません。何百何千の教典も言葉で説かれている以上それはすべて机上の観念仏法でしかないのです。かけがえのない尊い教典も真如を"体験"してこそその真髄を理解できるというものです。
「観念仏法の講釈の大部分は嘘を教えることだ。何としても体験でなければ我がものにはならない。ではどうすればよいか。正師の指導の下に、一切の分別妄想を徹底的に殺し尽くせばよいのだ。」(原田祖岳老師提唱より)
南泉禅師が示されたこの公案の主旨はまさに観念仏法からの脱却です。そのためには、「心」も「仏」も「物」もそれ自体から"一切の分別妄想を徹底的に殺し尽くせば"よいのです。そこに豁然と真如の姿、すなわち「あるがまま」の世界が現成するのです。
南泉禅師が示された「心でもない。仏でもない。物でもない」の一句は、一切の観念を徹底的に排除するための口宣だったのです。釈尊さえも五十年のご説法の終わりに「我一字不説」と示されました。御自身のこれまでのすべての説法をしても真如を"説く"ことができなかったという、"説明"では絶対に理解できない世界・・・それが「真如」なのです。
ですから"体験"するしかないのです。そしてその入り口が坐禅なのです。熱心な仏教信者も大勢いますが、いくら解説書を読んで学んでみても所詮それは想像での真如に過ぎません。
仏教は大安楽の世界に入るための教えです。しかし大安楽の世界が想像で終わってしまってはまさに絵に描いた餅、イヤ絵に描いた極楽にすぎません。本物の極楽に安住するには本物を体験するしかないのです。
今年も12月8日の成道会(じょうどうえ)がやってまいりました。釈尊のご遺徳を称え多くの寺院で坐禅会や接心が修行されたことでしょう。当山でも月一の坐禅会を行っておりますが、なかなか続けられる人は多くありません。
数回坐っただけで多分「こんなものか」と見限ってしまうのでしょう。2〜3回の経験ですぐ何かが掴めるとか自分が変えられるとか、そのような安易なものではありません。また、ときどき体験目的などと言って見える方がいますが正直感心しません。仏教を真剣に学ぶ決意の人こそ参禅すべきなのです。
なぜなら坐禅こそが仏教の正門だからです。「大師釈尊は、あきらかに仏道を悟るすばらしい方法を正伝したもうたのであり、また、三世の如来たちは、いずれもみな坐禅によって仏道を悟ったのである。だからして、これを仏法の正道であるとするのである。」(正法眼蔵・弁道話)
坐禅は仏道を"生活する"ことなのです。食事をするのも仕事をするのも社交も、入浴もトイレも寝るのも、生活のすべてを"仏道"に従って生きるその基本が坐禅なのです。ですから坐禅こそ仏道の正門なのです。
言うまでもなく仏道の目的は「大安楽」という幸福を得るためのものです。「坐禅とは、禅定を修することではない。それは大安楽の法門であり、絶対の修行なのである。」(正法眼蔵・坐禅儀) 

■19 「以心伝心」
新年明けましておめでとうございます。お陰様で本ホームページも5年目の正月を迎えることができました。本年もよろしくお願い致します。
「以心伝心」(いしんでんしん)・・・ 心をもって心に伝えること。無言のうちに思っていることを相手に分からせること。言葉にしなくとも心意が相手に通じること・・・ 誰でも知っている有名な言葉ですが、本来は、「文字や教典によらずに、師と弟子が向かい合って心から心に仏法の真意が伝わる」という意味の禅語です。
心といっても世俗的な喜怒哀楽の心ではなく「仏心」のことですからつまり、心から心へ「仏心」が伝わるということです。今回はこの「以心伝心」の曰くになっている公案「世尊拈花」(せそんねんげ)からそのほんとうの意味を検証してみたいと思います。
無門関第六則 世尊拈花
本則
世尊昔霊山会上(りょうぜんえじょう)に在りて、花を拈(ねん)じて衆に示す。是の時衆皆黙然たり。惟迦葉尊者のみ、破顔微笑す。世尊云く、吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門、不立文字、 教外別伝有り、摩訶迦葉(まかかしょう)に付属す。

「霊山」(りょうぜん)とは霊鷲山(りょうじゅせん)の略で、マカダ国の王舎の近くにあった山で、その形が鷲に似ているところからその名前が付いたとされています。お釈迦さまが説法をされるときのいわばホーム道場がこのお山にあったのです。
ある日大梵天王が金婆羅華(こんぱらげ)という金色の美しい花を一輪お釈迦さまに献じて御説法をお願い致しました。するとお釈迦さまは獅子座に登られ、これから御説法を拝聴しようと静まりかえった大衆に向かって、何も仰せにならず、す〜とその一輪の花を提示されたのです。
この時、誰もがお釈迦さまの所作の意味が見てとれずただ黙っているだけでした。すると、そのなかで唯一人摩訶迦葉尊者だけがこれを見て微笑されたのです。
それを見たお釈迦さまは宣言されました。「わたしに正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門、不立文字、教外別伝の法が有りますが、それを今そっくり摩訶迦葉に伝えましたぞ。」と。
つまり、お釈迦さまは一枝の花を手にされ、じ〜と提示されました。それを見た迦葉尊者がにっこり微笑まれました。それに対してお釈迦さまは「只今私の仏心を迦葉尊者に伝えました。」と申されたのです。
まさに大衆の面前で開けっ放しで「仏心」が受け渡されたのです。一言一句のやりとりもなく"以心伝心"を以って印可証明が行われたのです。ここに一体何があったのでしょう。
聴衆の中には智慧第一の舎利弗も、雄弁第一の富楼那も、神通第一の目連も、その他大勢の尊者達や弟子達が居た筈です。しかしその真意を理解できた者は他には誰もいなかったということです。
「正法眼」とは、正しい法の眼、すなわち真理が見える心眼のこと。「蔵」とは、それを納めておく蔵のこと。「涅槃」とは、不生不滅なる安楽円寂の世界。「妙心」とはその心。「実相無相」の実相とは、ありのままの姿のことであり、その実体は無相であるということ。
「微妙の法門」の「微妙」とは言葉で説明尽くせない境涯のこと。「不立文字、教外別伝」とは、文字通り文字にも言葉にも表現できない境地のこと。つまり「微妙の法門」は正に不立文字、教外別伝だからこそ、"心を以って心に伝える"以外にはなかったのです。
では斯様に"以心伝心"されたその「微妙の法門」とは一体何だったのでしょうか。摩訶迦葉だけに理解されたという「微妙の法門」、その実体を解くのがこの公案の狙いなのです。
ヒントを言えば、キーワードはズバリ「不立文字、教外別伝」です。不立文字、教外別伝とはつまり"説明出来ない"ということですね。これは拙僧がこれまでもクドクド講釈してきた通りのことで、真如という「微妙の法門」は"説明"では絶対に分からないということを言っているのです。
だからこそお釈迦さまは一輪の花を手に取って黙って大衆に示しただけなのです。ここにこそ答えがあるのです。お釈迦さまが手に取って示したたった一輪の花、そこに真如の全て、すなわち「正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門」がすべて露堂々と現れているのです。ここが分かるかどうかが全てです。
お釈迦さまが、もしそこで手にした花を"説明"したら、即今それは理論上の「観念仏法」「観念真如」になってしまうのです。何度も言うように観念は妄想です。 だからお釈迦さまは一言も申されずに「真如」そのものをズバリお示しになったということです。
説法といえば口でごちゃごちゃ喋って説明してくださるものだとしか思っていなかった大衆にとって、この時のお釈迦さまの所作は当然理解できませんでした。言葉を超えた方法で説法されたのですが、迦葉尊者だけがその真意を理解し「破顔微笑」されたという次第です。
これは案外お釈迦さまにとって想定済みの演出だったのかもと拙僧は思うのですが、いずれにしろ、お釈迦さまのお悟りの「心」がそっくりそのまま二世の迦葉尊者に"以心伝心"されたというこの話は仏教史上最も有名な説法になっています。
さあ、もうこの公案の答えは分かりましたね。一輪の花それ自体が「正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門」だということです。敢えて"説明"したように、その一輪の花こそが真如の実体だということです。すなわちその一輪の花自体が正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相という微妙の法門そのものだということです。
つまりその一輪の花の中に大宇宙の実体が存在するということであり、自分自身も含めた森羅万象のすべてがその花一輪の世界と一如だということです。花一輪の中に有る大宇宙の実体、その真如を見極めるのがこの公案の狙いなのです。
露堂々ありのままの一輪の花こそ真如それ自体だと悟ることです。何度も言うように真如そのものを説くことはできません。だからこそお釈迦さまは何の一言も無く「そのもの」を提示されたのです。
真如は絶対説明できない「不立文字、教外別伝」であるからこそ、体験で悟るしかないことをこの公案は明示しているのです。これ以上の"説明"は止めましょう。無駄なことです。
では、室においてこの公案はどう解くのでしょう。ただ「体現」すればよいのです。分かってみれば答えは極めて単純明解です。 

■20 「三界唯一心」
前回、仏心は文字や言葉によって伝えることのできない「不立文字、教外別伝」であるから悟りの境涯によってのみ理解できるものだと述べました。さらに誤解のないように申せば、それは観念に囚われてはならないということであり、けっして経や教典が劣っているというものでは全くありません。
道元禅師は正法眼蔵(仏教の巻)の中で、とくに「経」に対する態度について強く教示されています。「諸仏の道現成、これ仏教なり。」(もろもろの仏のことばの実現したるもの、それが仏教にほかならない)と冒頭で示されています。ここでいう「仏教」とは「もろもろの仏のことば」すなわち「経」の意味だととらえてください。
そして「教外別伝の謬(あやま)った説を信じて、仏の教えをあやまってはならない」と明言されております。教外別伝の「教」とは「経」のことであり、それは同時に「仏心」そのものです。「別伝」ということばに惑わされると「経」と「仏心」が別物だと謬ってしまうのです。ここに禅師は釘を刺されているのです。
「その正伝した一心を教外別伝という。それは三乗十二分教、すなわちもろもろの経典の語るところとは、まったく別のものである、と。また、その一心こそ最上のものであるから、直指人心、見性成仏と説くのである、という。 そのいい方は、けっして仏教のものではない。そこには自由にいたる活路もなく、全身にそなわる修行の輝きもない。そんな男は、たとい数百年数千年の先輩であろうとも、そんなことを言うようでは、仏法も仏道もまだ分かってはいない、通じてはいないのだと知るがよい。」(正法眼蔵・仏教 増谷文雄氏訳)
道元禅師は「教典の他にも法がある」「教典は戯れである」「一心と教典は別のものである」「一心こそ最高のものでありそれを感知した者でなければ成仏できない」などという解釈はまったくの謬(あやま)りであり仏法でも仏道でもないと批判されているのです。
さらに、「仏の教えが一心であることも知らず、一心がすなわち仏の教えであることも学ばないから、一心のほかに仏の教えがあるなどという。その汝がいう一心は、まだ一心ではあるまい。また仏の教えのほかに一心があるなどという、その汝がいう仏の教えとは、けっして仏の教えではない。」(正法眼蔵・仏教)
禅師は、「一心」と「教典」を区別して「教外別伝」を解釈することはまったくの誤りである。「仏の教えが一心であり、一心がすなわち仏の教えである」と繰り返し主唱されているのです。
「かくて、知るがよい。仏心というのは、仏の眼睛である。破木杓(はもくしゃく)である、もろもろの存在である、三界であるがゆえに、山海国土・日月星辰である。つまり、仏教というのは森羅万象である。」(正法眼蔵・仏教)
「仏心」とは、仏の眼であり、壊れて役に立たない物であり、山海国土であり、月や星である。つまり三界に存在する森羅万象が仏心であり仏教であるというのです。
破木杓(はもくしゃく)とは、こわれた柄杓とか底の抜けた桶とかのことで、なんの用も立たない物の例えです。
三界とは、「三界六道」といわれる輪廻転生の世界を欲界(よっかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)の三つに区分した世界のことです。
三界も六道も同じ輪廻の世界のことですが三界は精神面からの区分であり、六道は苦楽のありさまからの区分であるのです。六道はご存知のように地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つですが、では三界とはどんな世界なのでしょうか。
欲界とは、地獄界から人間界までの欲望の世界のことです。色界とは、その欲望のない物質だけの世界のことです。般若心経の「色即是空」の「色」つまり「物質」の世界だと解釈すればよいでしょう。従って、無色界とは、その物質の存在を超えた世界ですから「空」の世界だと理解したらよいでしょう。
禅師は正法眼蔵「三界唯心」の冒頭でつぎのようにも示されています。「釈迦牟尼仏は仰せられた。『三界とはただ一つの心である。心のほかにまた別の法はない。心といい、仏といい、衆生というもこの三つは別のものではない』 この一句の表現は、如来一代の総力をあげてなれるものである・・・「三界唯心」とは、如来のさとりのすべてである。一代のすべてがこの一句に結晶しているのである。」
「華厳経」の中の「三界唯一心 心外無別法 心仏及衆生 是三無差別」を引用されたものであり、「三界は一心である」「衆生も一心である」「一心以外のものはない」「三界は一心であり如来の悟りのすべてである」と明示されているのです。
そこで注意すべきは、そうか、仏教は結局は「唯心論」か、などと思ってはなりません。禅師はそんな誤解のないように「三界はすなわち心といふにあらず」と言われています。これは唯心論に陥らないようにという意味のことばですから誤解のないように願います。仏教は唯心論とはまったく別次元のものです。
禅師はさらに法華経・譬喩品のなかの句をあげられて仏と三界の関係について説かれています。「このゆえに、釈迦大師道、『今此三界、皆是我有、其中衆生、悉是我子』」 (また釈迦牟尼仏はおおせられた。『今この三界は、みなこれ我がものなり。そのなかの衆生は、ことごとくこれわが子である』)「正法眼蔵・三界唯心」
お釈迦さまは申されました。「今この三界はすべてわたしのものであり、衆生もすべてわたしの子どもである」と。このことばこそ仏教の真骨頂だと拙僧は思うのですが、いかがでしょう。
お釈迦さまのこの「教(経)」こそ大慈悲心であり、それを信じきった者こそ救われるのです。それを確信するためにはこの「今」と「我」と「子ども」についてしっかりとした理解が必要なのです。
この「今」とは、過去・現在・未来のすべてが含まれている「今」なのです。仏法でいう「今」には過去も現在も未来もありません。言い換えれば過去も現在も未来も「今」に集約されてしまっているのです。
だからお釈迦さまは過去の仏さまではなく今でも生きておられるのです。だからわれわれはみな「今」お釈迦さまの「こども」なのです。「こども」といっても親子に上下関係はありません。「惟一心」を持った親子ですからその関係はまったく平等なのです。
お釈迦さまの申される「我」とは、応身仏・化身仏・法身仏のことであり、それはお釈迦さま自身であり同時に森羅万象それ自体であるのです。だからお釈迦さまと「わたし」とは久遠の仏親子なのです。
「三界唯一心」・・・わたし自身かけがえのない存在であり、わたし自身が久遠の仏であることを教えてくれているのです。 
 
十大弟子

 

 
■阿難尊者 悪魔
仏教とは一言で言えば、「智慧と慈悲」の教えです。拙僧が口癖にしております「人がしあわせになるための教え、社会が平和になるための教えである」という、まさに「至福の寄辺」と言えるものです。
その意味からも仏教はまさしく人類の至宝と言っても過言ではありません。お釈迦さま入滅後、その教えを後世に伝えることこそ至上命題となりました。十大弟子を中心に多くの弟子が集まり、教え賜った「法」を整理検証され膨大な経典ができ上がりました。
爾来現在まで2500年に亘ってその法灯は人類に光明を放されているのです。今回よりその嗣法に携われた釈迦十大弟子についてご紹介しましょう。第一回目は阿難尊者(アーナンダ)、テーマは「悪魔」です。
阿難尊者は、お釈迦さまの実のいとこで、侍者(おそばつき)として25年もの間ひたすら随従された方で十大弟子の一人に数えられます。弟子1250人の中で常にお釈迦さまの説法を間近で聴聞され、よく質問され、その記憶力が抜群だったことから「多聞第一」と称されました。
お釈迦さま滅後に第一結集という教典編纂のための会議が開催されることになりましたが、阿難はまだ悟りが開けておらず、出席資格である阿羅漢(修行を修了した者)ではありませんでした。
しかし会議には記憶力のずば抜けた多聞第一と言われる阿難の出席は是が非でも欠かせません。ついに彼は頑張って阿羅漢の悟りを開き、会議の場では説法回想を担当されて余人の及ばない貢献をされたのです。教典の多くの冒頭は「如是我聞」とか「我聞如是」から始まっていますが、この「我」とは阿難のことだと伝えられています。
阿難はお釈迦さまの従兄弟であるといいました。お釈迦さまが成道(おさとり)された日の未明に叔父である斛飯に第二子が誕生されたのです。
お釈迦さまの父君の浄飯王は「めでたい」という意味の「アーナンダ」(阿難)という名を付けさせたのです。「名は体を表す」とはよく言いますが、彼は生まれつき美男子であり、誰からも「愛でられる」存在でした。特に女性の心を虜にさせるほどでした。お釈迦さまをして阿難に限って肌の露出を少なくするように指導されたとか。
彼はまたイケメン色男であるばかりではなく情にも厚かったのです。お釈迦さまの養母の願いを聴き入れて、お釈迦さまに懇願して当時まだ許されていなかった女性の出家(比丘尼)の道を開いた功労者とも伝えられています。教団の中でも阿難に対しての信奉はかなりのものでした。後々の仏教教団は、阿難を師と仰ぐ人達によって大きく発展したといわれています。
お釈迦さまが80歳の夏安居(げあんご)のとき、諸国を飢饉が襲いました。このような時に教団が一箇所に固まっていたのでは共倒れになってしまうということで、お釈迦さまは一時的に解散命令を出し、ご自身は阿難と二人で過ごすことになりました。そんなときの会話の一つをご紹介します。テーマは「悪魔」です。
阿難「世尊よ、悪魔とはいったいどのようなものでしょうか。」
世尊「確かにこの世の中には恐ろしい姿をして襲ってくるものがいる。しかし、怪獣だとか妖怪だとか、さらには鬼や幽霊などといったものなどほんとうにはこの世に存在しないのだよ。」
阿難「世尊よ、それでも人は悪魔の存在を信じ怖がっているように思えるのですが、それはどういう訳でしょうか。」
世尊「人間にとって恐ろしいものといえば、地震・雷・嵐・洪水・干ばつ・火事といたものがあるが、こういった天災は人間の生命を奪うことはできても人間の心を奪うことはできないのだよ。人間にとって何よりも恐ろしいことは心を失うことなのだ。例えば戦争・内乱・紛争などからとても多くの人間の生命が犠牲になってきたのだが、それらはみんな心を失った人間自身によって引き起こされた結果なのだよ。殺人や暴力などもしかり、人としての心を奪ってしまうものこそ悪魔なのだ。」
阿難「世尊よ、ますますわからなくなってきました。人間の心を奪ってしまう悪魔とは一体どういうものなのですか。どんな姿をしているものなのですか。」
世尊「阿難よ、悪魔はお前の中にも住んでいるし、かつてわたしの中にも住んでいたのだ。この世の真理を悟ろうと修行をして、あの菩提樹の下で静かに坐禅をしていた時、わたしの中にいた悪魔がひそかにわたしにささやいた。『なんのためにそんな苦労をするのかね。さっさと城に戻るがよい。美しい妻や可愛い一人息子が待っているよ』と。このように悪魔というのは、一人一人の心の中に住んでいるのだよ。誰も心の中に善と悪との両面を持っているが、善をしようと努力する人間を妨げている心の悪の面を悪魔と呼んでいるだけなのだ。」
阿難「世尊よ、それでは、妻子を捨て、出家することが善で、在家のままでいるのは、悪魔に負けたことになってしまうのですか。」
世尊「よく訊いてくれた阿難よ。実はそのことでどんなに苦しんだことか。わたしが出家したことで、祖国カピラヴアスツは後継者を失い、父も妻も子も嘆き悲しんだのは事実だ。だからこそ私の心が、城に戻れ、と叫んでいたのだろう。しかしながら、あのとき城に戻ってしまっていたとしたならば、今こうして多くの人々にほんとうの幸せを与えることはできなかったであろう。菩提樹の下に坐り続けているときに、もし私が悪魔のささやきに負けていたとしたらわたしは悟りをひらき『仏』になれなかったであろう。しかし、平凡な人間にとって、家庭を持って生活し続けることこそ大事であり、出家しないことが必ずしも悪魔に負けることにはならないのだ。一人一人の心の中にある二つの面の、どちらが善でどちらが悪であるかをよく判断することである。ある人にとっては善であることが、ある人にとっては必ずしも善ではないことだってあるのだ。そういったことがわかるためには、わたしが説いた教えをじっくり味わうことが大事なのだ。」
阿難「世尊よ。だんだんわかってきました。人それぞれに歩く道があるということですね。一人でも多くの人々の幸福のためになることをするのが善で、その反対になるようなことをするのが悪だということになるのですね。」
世尊「悪い行為をする心こそ悪魔だということだ。だからだれの心の中にも悪魔は宿っているといえるのだよ。残念ながら、そのような悪魔を追い払うことは、まことに難しいことなのだ。しかし、大切なことは、『自分の心の中に悪魔が住みついている』ことがわかる人とわからない人とでは毎日の生き方がまったくちがってくることを知るべきなのだ。その自覚がない人は知らず知らずのうちに悪魔にむしばまれて、やがて身も心も滅ぼされてしまうだろう。」
阿難「わかりました。その正体こそ『欲望』なのですね。」
お釈迦さまの弟子としても阿難尊者は最高の生き証人だったと言えるでしょう。そんな彼も最期は教化の情熱を失い、悲しいかなガンジス河の真ん中で自ら神通力で起こした炎に身を投じてしまったのです。 実に波乱万丈の人でしたが、多分これからも人間ドラマの主役として永遠に生き続ける人でもあるでしょう。 

■舍利弗尊者 四諦
今回は舍利弗尊者(サーリプッタ)のお話です。
智慧第一と称され釈尊が特に信頼をよせていたといわれます。「般若心経」の中には釈尊の説法の相手となり「舎利子」として登場されています。また「阿弥陀経」の中で釈尊は阿弥陀仏と極楽浄土の様子について語るなかで「舍利弗よ」と三十七回も語りかけています。
彼は裕福なバラモンの家系の生まれであり、目連尊者とは幼友達でした。あるとき目連と二人で祭り見物にでかけました。そこで祭りに酔いしれ狂喜乱舞する人たちをみて、この人たちもやがて100年もしないうちに皆この世にいないであろうと思うと、言い知れない無常観におそわれたのです。
その思いを親友の目連に打ち明けると彼もまた同じことを感じていたのです。このことがきっかけで二人は出家することになったのです。
二人とも、はじめは、六師外道のひとりである懐疑論者サンジャヤのもとで修行していましたが、どうしても満足の安心を得られません。二人は日頃真の師に出会ったらお互いに知らせあう約束をしていました。
あるとき、舍利弗は街で一人の修行僧に出会いました。その清清しい立ち居振る舞いに感動して思わず尋ねました。「あなたの師はだれですか。その師の教えはどのようなものですか?」と。
するとその僧は答えました。「私の師は釈尊です。」と言って、「諸法は因縁より生じ、如来はその因を説き給う。」という偈文を述べました。
それを聞いた舍利弗はたちどころにその教義の偉大さを理解しました。さすが智慧第一と称された人物です。彼は急いで目連のもとに行き、探し求めていた正師が見つかったことを知らせたのです。
目連も舍利弗から偈文を聞き二人は早速釈尊の弟子になることを決意したのです。釈尊の教えに感銘を受けて舍利弗はサンジャヤの弟子250人を連れて釈尊に弟子入りしたと言われています。
やがて彼は阿羅漢(悟りを得て修行を終えた位の人)を得て教団内において、釈尊をして「私の次の席を得ることのできる智慧と徳を兼ね備えた第一の尊者だ」と言わしめる存在になったのです。
ただ残念なことは釈尊よりも早く入滅されたことです。その舍利弗尊者が修行中に釈尊に問訊された「四諦」(したい)についてご紹介しましょう。
舍利弗「世尊の説かれた教えの中で、もっとも基本的なものの一つに、四諦(したい)と呼ばれる四つの真理がございますが、これについてご説明いただけないでしょうか。」
世尊「四諦というのは、苦・集・滅・道という四つの真理のことで、それぞれを苦諦(くたい)・集諦(じつたい)・滅諦(めつたい)・道諦(どうたい)と呼んでいる。苦諦というのは、『この世は苦に満たされているという真理』、集諦というのは、『この世が苦である原因は人間の執着心にあるという真理』、滅諦というのは、『そのような執着心を断ち切るという真理』であり、最後の道諦というのは、『そのような執着心を断ち切るための方法という真理』なのだ。」
舍利弗「そして最後の道諦の内容を述べたものが、確か、まとめて『八正道』と呼ばれるものだったのではないでしょうか」
世尊「その通りだよ、舍利弗。八正道というのは、正しいものの見方、正しいものの考え方、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念(おもい)、正しい心の統一という八つの実践徳目ということになるのだ」
舍利弗「はじめの苦諦ですが、人間が苦しまなければならないその原因の多くは自分自身に起因しているのでしょうか。例えば欲望とか執着を断ち切れないでいることが苦の原因を作りだし、その苦しみによってあらたな苦の原因を作り出していることを意味しているのでしょうか。」
世尊「もちろんそういった意味もあるが、それ以外にも例えば八苦の中の『愛別離苦』(あいべつりく)を考えても自分自身の愛の執着にあることがわかる。例え別離していてもその人が愛着の対象でなかったならば苦しむことはないことになる。したがって、欲望とか執着を断ち切ってしまいさえすれば、もはや苦しむ必要はない。それが『滅諦』である。」その方法としてあるのが八正道なのだよ。」
舍利弗「『八正道』とはどのようなものなのでしょうか。」
世尊「人の行為は身・口・意の三種類の行動が全てなのだ。すなわち、身体でなす行為、口でなす行為、そして心でなす行為が、人のすべての行為ということになる。人は誰でも修行することで、これらのすべての行為を正しい行為にすることができるというのが『八正道』の教えなのだよ。」
舍利弗「八正道のそれぞれについて、もう少し詳しく説明していただけないでしょうか。」
世尊「『正見』と言って、因果の道理を信じて正しいものの見方をすること。『正思惟』と言って、正しいものの考え方をすること。『正語』と言って、嘘や無駄口や悪口など言わないこと。『正業』と言って、殺生や盗みや邪淫などよこしまな行為をしないこと。『正命』と言って、恥ずかしくない生活をすること。『正精進』と言って、怠惰のない正しい修行を行うこと。『正念』と言って、正しい志と信念を持つこと。『正定』と言って、心を正しく静め統一すること。」
舍利弗「なんだか多くて混乱してきました。正しいというのは、一体なにを基準にしているのでしょうか。それに、出家している人にとってはどれも専念することができるかもしれませんが、在家の信者にとっては難しいように感じられるのですが。」
世尊「『正しい』というのは、それが『悟り』に向かっているかどうかです。出家者であれ在家者であれ、この四諦八正道こそ悟りに向かった真実の教えであることを信じて実践することです。」
舍利弗「なるほどよくわかりました。難しいことかもしれませんがその実践こそが真の修行であるのですね。」
今回の結論としては、どんなに優れた教えであっても実践がなければ意味がないということです。すなわち、人の本当の幸せは、四諦八正道という「教えの実践にある」ということです。 

■阿那律尊者 三学
今回は阿那律尊者(アヌルッダ)のお話です。
アヌルッダは釈尊と同じ釈迦族の出身で釈尊の従弟だといわれています。ある日釈尊が祇園精舎で説法されている最中に彼はつい居眠りをしまいました。釈尊に「あなたは道を求めて出家したのではありませんか。それなのに説法中に居眠りをするとは、一体出家の決意はどうしたのですか」と、叱責されてしまいました。
それ以後彼は釈尊の前では決して眠らないことを誓い不眠不臥の修行をしました。その厳しい修行のせいかは分かりませんが失明してしまたんです。釈尊は眠ることをすすめたのですが固辞したのです。彼はそのかわり肉眼では見えないものを見通す力、即ち「天眼」(智慧の眼)を得、「天眼第一」と称せられるようになりました。
こんな逸話が残されています。ある日阿那律尊者が衣のほころびを繕おうとして、針に糸を通そうとするのですが、どうしても通りません。彼は「どなたか私のために針に糸を通してくださいませんか」とお願いしました。すると、「私が功徳を積ませていただきましょう」と釈尊ご自身が申し出られたのです。その阿那律尊者がある日釈尊に修行について質問されました。
阿那律「世尊よ、修行にはどのような心得が大事でしょうか」
世尊「修行の実践には三つの基本があるのだ。それは三学といって戒(かい)・定(じょう)・慧(え)である。つまり三種類の実践行をいうのだ」
阿那律「その戒・定・慧についてご説明願えないでしょうか」
世尊「戒とは戒律のことであり、仏教徒たるものが日常生活の中で守るべき規則として私が定めたものだ。もっとも出家と在家、男性と女性、大人と子どもといった違いがあるので立場によって戒律の数は違っているが、基本的なものはかわらない」
阿那律「それでは、それらの戒律の中で、すべての弟子に共通しているものはなんですか」
世尊「まず主なものが五戒である。殺してはならない、不殺生戒。姦淫してはならない、という不邪淫戒。盗んではならない、という不偸盗戒(ふちゅとうかい)。嘘をついてはならない、という不妄語戒(ふもうごかい)。酒を口にしてはならない、という不飲酒戒」
阿那律「前の四つの戒はよくわかるのですが、どうして酒はいけないのでしょうか」
世尊「酒そのものが悪いのではない。問題は酒によって理性が歪められるからである。言うまでも無く人は理性の欠如によって過ちを犯すからである」
阿那律「世尊よ、それでは飲みすぎさえしなければよいのではないでしょうか」
世尊「いったいだれがその量を決められるであろうか。少しだから良いとなれば自分の勝手に判断して歯止めを失うのが人間なのだ。だから特に酒は量の多少に関わらずダメだと知るべきなのだ」
阿那律「人間の欲望に限度が無い以上、戒律で縛らない限り、なかなか守られないということですね。では、二つ目の『定』というのはどのような実践修行なのですか」
世尊「定とは禅定(ぜんじょう)のことで、精神の統一と集中を意味しているのだ。悟りは精神の統一の中にあり、その姿が坐禅なのだ。また、日常生活の中で何をする場合にも精神を集中することこそ大事でありその基本が禅定なのだ」
阿那律「例えば食べるときは食べることに、歩くときには歩くことに、作務をするときには作務に集中すれば、それが禅定ということになるのですね」
世尊「その通りだよ。ただし、忘れてならないことは、戒律によって禁じられていることに心を集中したのではなんにもならない、ということだ」
阿那律「ところで世尊、三学の最後の『慧』というのは、智慧のことだと思いますが、どうして智慧が実践修行になるのですか」
世尊「その疑問こそ大事なのだ。言うまでもなく智慧とは『さとり』のことである。しかし『さとり』は単なる目的ではないということである。ふつう『目的』は達成すればその時点で終わりになる。だから、さとりが目的になれば、さとった時点で修行が必要でなくなるということになる。さとりに終わりがあっては決してならないのである。なぜなら、人間は生きている以上生活に終わりがないからである。つまり、終わりのない『さとり』の実践がなければ意味がないのだ。その『終わりのないさとり』の実践こそ『智慧』と言うのである。だからこそ私自身も、私の弟子達も毎日修行を重ねているのである。悟りだけを法とは言わない。法とはさとりの実践、つまり智慧を言うのである。私が説く法こそ智慧である。田を耕す者が秋に収穫を得るために、まず春のうちに田を耕し、種をまき、水をやり、雑草を取り除き、日々に大切に育てるように、真の悟りを求める者は、必ずこの三学を学ばなければならない」
阿那律「戒律・禅定・智慧の三学は、別々のものではないということがよくわかりました。悟りと言う種を必死で守り育て上げるということは、自分自身がさとりの種であることをしっかり自覚することですね」
真の悟りを智慧と言い、その智慧を「天眼」と言う。阿那律尊者は視力を失ったが、肉眼では見えないものを見通す「天眼」を得たのです。天眼は一つの例かもしれませんが、人間には途轍もない才能があるものです。
最近もっとも感動した人は、全盲の天才ピアニスト、辻井伸行さんです。昨年アメリカで開催されたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝していきなり時の人となりました。弱冠まだ21歳です。
全盲であれば当然楽譜は読めません。しかしすべて耳で聴いてどんなクラシック曲でも自分のものにしてしまうのです。私は音楽に疎い人間ですが、その凄さにただただ驚くしかありません。
彼の凄いところはその技術だけではありません。眼で見えない情景だけではなく、人の心情さえ読み取って音楽(ピアノ)で表現してしまうのです。
天才と言ってしまえば、すんでしまうことかも知れませんが、彼はまさに「天眼・心眼」の持ち主であるということが言えるのかもしれません。人にはそれぞれが持っている才能があり、それを信じて前向きに生きる勇気を教えてくれています。 

■迦旃延尊者 三法印
今回は迦旃延(カセンネン)尊者のお話です。
対論や哲学的論議を多くされていることから「論議第一」と称せられました。彼は婆羅門家の出であり、西インドのアヴァンティー国出身とか、南インド地方出身とかの説がありますがはっきりしたものはありません。
大変聡明な少年であった彼は、博学な兄のバラモン教の聖典の講義を一度聞いただけでその内容をすべて暗記してしまうほどでした。その才能に嫉妬した兄はやがて迦旃延少年を憎むようになりました。
兄の嫉妬はひどくなる一方で、彼の身に危険を感じた父親は彼をアシタ仙人に預けることにしました。アシタ仙人とは釈尊がまだシッダルタ太子と呼ばれていた子供の頃に、「この少年は将来仏陀になる人だ」と預言した人物だといわれています。
アシタ仙人のもとで弟子としてバラモンの教えを学んでいましたが、ある日どうしても解けない偈文に出くわしました。それを知ったアシタ仙人は彼に釈尊を紹介することにしました。釈尊は懇切丁寧にその偈文の意味をお答えになりました。この出来事が契機となって、迦旃延は釈尊の弟子となったのです。
ある日、彼は自分の出身国の王様から、「釈尊の教えを直に受けたいので来ていただけるように頼んでほしい」ということの依頼をうけました。実はそれまでにも何人かの家来がすでに釈尊にそのお願いに行っていたのですが、そのうちの誰一人戻ってきてはいなかったのです。
その理由はなんと、釈尊にお会いしてその教えに感動してみんな弟子になってしまったからなのです。修行がすすみ立派な弟子となっていた彼はあらためて釈尊に自国に巡錫(じゅんしゃく)して欲しい旨お願いしました。
すると、釈尊は自分に代わって迦旃延自身が帰国するように申されたのです。彼はその釈尊のお言葉を命として帰郷し国王はもとより自国の津々浦々布教されたのです。やがて仏教がインドに広く広まったのはそれが大きな要因だったとも言われています。ある日、迦旃延は世尊に悟りの根本教義とされる三法印について尋ねられました。
迦旃延「三法印とはどんなものなのでしょうか」
世尊「第一は『諸行無常』、第二は『諸法無我』、第三は『涅槃寂静』、これに『一切皆苦』を加えて四法印とすることもある。『諸行無常』とは、一切の存在は故に常に変転していて一瞬たりとも同じ状態にとどまってはいないということだ。なぜならば、一切の存在は現象だからだ」
迦旃延「よく分かりませんが、現象とは流動しているものだと考えれば少しはわかる気がします」
世尊「現象に実体がないことが分かれば、そこに『我』は無いということになる。これがすなわち『諸法無我』の意味なのだ。つまり、一切の存在には『我』がないということなのである。 」
迦旃延「あらゆる存在には実体と呼べるようなものはないということですね。でも、「わたし」という人間には、少なくとも『わたし』という『我』がどうしても存在しているように思えるのですが。もし、我という実体がないとするならば、私がこの世に生まれる以前にも死んだあとにも何もないということになるのですね。わたしにはそれが納得できません」
世尊「婆羅門教においては、個々の存在に我と呼ばれる実体があることを認め、梵(ぼん)と一体になると説いているが、私の教え(仏教)はこのような立場を否定したところから出発しているのだ」
迦旃延「もしこの世が無常であり、我と呼ばれる実体がないとするならば、私たちは何を目的として生きていったらよいのでしょうか」
世尊「その答えこそが第三の涅槃寂静なのだ。つまり、そのような無常にして無我なる存在にとらわれることなく、あらゆる欲望の火を吹き消した状態こそがニルバーナ(涅槃)なのだ。涅槃に達すればそこはまさに静かな寂静の世界である。そこはもはや世の中の存在や現象にわずらわされることのない境地なのだ。この境地に到達したものこそ仏陀なのだ」
迦旃延「まだよくわからないようですが、どうして一切皆苦を加えて四法印とする場合があるのですか」
世尊「無常なるものを常であるかのように錯覚し、無我なるものを有我と錯覚することで、人間の心に執着が生まれるのだ。一切の苦悩の原因はその執着の心なのだ。名誉も財産も愛も肉体も健康も、そして命すらも、すべては無常なのだが、それを認めないところに人の苦悩があるのだ。つまり生きている以上、否、生きていること自体所詮『苦』それ自体であるということだ」
迦旃延「生きていること自体が苦である・・・つまりそれが『一切皆苦』ということですね。では、その「苦」から人は解放されないものでしょうか」
世尊「その疑問こそ大事なのだ。その疑問に答えるために仏教があり、仏教こそその答えを持っていると言えるだろう」
迦旃延「その答えをお示しください」
世尊「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の実体は『無我』と『無常』であるということは話したとおりである。この無我と無常という実体がわかれば、名誉も財産も愛も肉体も健康も、そして命すらも、すべて同じ無我であり、無常であることが分かる筈である。その無我と無常の実体が『仏性』だと解れば『苦』は『楽』に蘇るのである。つまり『一切皆苦』が『一切皆楽』になった瞬間である。これがまさに悟りである。そこを極楽というのである。だから、死んで極楽に往くのではなく、生きているうちに極楽に往くことに意味があるのだ。そのためには三法印を信じ、悟りのための修行にひたすら精進するより仕方ないのである」
警視庁が発表した昨年の自殺者は3万2845人でなんと12年連続で3万人を超えています。最も多い原因は健康問題であり、次いで生活苦となっています。人の心が脆くなってしまっているのでしょうか。他人ごとではありません。
絶望の淵に追いやられている人に、人生「一切皆苦」と説得することはできません。どんな真実も心にゆとりがなければ受け入れることはできないからです。だから人は心のゆとりこそ大事なのです。
心のゆとりは普段の生活から生まれるのです。その普段の生活を安定させてくれるのが宗教です。仏教は宗教ですが真実の道理が説かれている意味から言えばまさに「哲学」です。
真実の道理を知り心を豊にするのが仏教です。心を護るために是非この正しい信仰を持つべきです。人生はまさに心次第なのですから。 

■須菩提尊者 空
今回は須菩提(スブーティ)尊者のお話です。
須菩提(しゅぼだい)は北インド、コーサラ国の首都サーバティ(舎衛城)のバラモン家系の大長者の家に生まれました。「祇園精舎」を寄進したといわれるかの有名な須達多(スダッタ)長者は彼の叔父にあたります。
幼少より天才的頭脳を発揮し神童といわれるほどでした。十歳をこえる頃には諸学を修め学ぶものが無くなったとのこと。しかしその慢心からやがて他人を見下すようになり、世の中さえも蔑視するようになってしまったのです。
甚だしい虚無主義と、その性行からついに両親からも見放され、突然家を出てしまったのです。数年間の放浪の末、幸いにも祇園精舎に至りました。そこで釈尊の説法を聞き深く感銘し、ついに釈尊の弟子になったのです。
そして数年の修行と釈尊の教導の下、無諍(むそう)第一といわれるようになりました。「無諍」とは「言い争わない」という意味です。かつてのあの横柄傲慢な人がまさに悟りを得て生まれ変わったのでした。その穏和な性格から教団内では勿論のこと、在家の人々からも広く慕われたといわれます。
あるとき、釈尊が亡き母・麻耶夫人のための説法を終えたとき、「須菩提は空を感じ私の法身を拝謁した」と言われたそうです。その「空観」の悟りから「解空第一」と称せられ、諸弟子の中でも特に尊厳を集めたといわれます。「解空」の「空」とは「色即是空」の「空」のことです。つまり「空」を理解した人ということです。
ある日須菩提尊者は釈尊に「空」について教示を求めました。
須菩提「世尊の説かれます法の中でもっとも難解なものの一つが『空』だと思いますが、これを説明していただけるでしょうか。また『無我』とはどのような違いがあるのでしょうか」
世尊「『無我』も『空』もまったく同じものだ。その意味するところは『存在するものにはすべて実体は無い』ということである」
須菩提「たとえば、わたくしという人間は、少なくとも生まれた瞬間から現在に至るまで存在し続けてきているという現実があります。その現実は『わたし』無しには存在しないと思われるのです。その『わたし』の実体が無いことが納得できません」
世尊「その『わたし』を考えてみよう。昨日の自分と今日の自分とは何の違いもないように思えることが問題なのだ。 昨日の自分と今日の自分、そして明日の自分とは同じ自分ではないのだ。なぜなら『諸行無常』であるからである。つまり、存在する一切のものは一瞬たりとも同じ状態でとどまってはいないということだ。つまり、『わたし』という存在は、一瞬一瞬違った存在として生きているのであるから固定的、不変的な『我』と呼べるような実体は無いのである」
須菩提「では、生まれてから死ぬまでの間に存在し続く『わたし』というのは、一体何なのでしょうか」
世尊「それを『仮我』(けが)というのだ。実在するように見えてもその実体は仮の存在に過ぎないということだ。『わたし』の存在もすべての存在もあえて言葉で説明するならば、『色即是空・空即是色』であり『色不異空・空不異色』だということだ。つまり、色とは形のことであり、空とは形の実体のことである。同時にその色と空とは同事だということだ」
須菩提「『空』の実体とは具体的にはどんなことでしょうか」
世尊「『形あるもの』の実体は『現象』だということだ。現象とは、つまり地・水・火・風という素元素の融合離散の姿に他ならない。だからその実体の本質を表しているのがすなわち『空』なのである」
須菩提「なるほど少しわかりかけてきました。形あるものの実体は空であるから無常なのですね。そのすべてが現象である以上、永遠に不変なものや不滅なものなど無いことがわかってきました。『空』の意味がわかって、はじめて『諸行無常』と『諸法無我』の意味がわかてきました」
世尊「その『空』の実体を表した言葉が諸行無常、諸法無我、涅槃寂静である。これを三法印と言うが、これこそわたしの説く『空論』である。だから三法印を理解することが『空』を悟ることであり、『空』の姿が三法印だということである。さらに言えば、『空』をさとることで同時にわかることが『縁起』である。『縁起論』こそわたしの説く無上菩提である」
須菩提「『空』と『縁起』の関係がよくわかってきました。因果必然の道理はまさに『空』そのものだったのですね。わたしはこれから益々精進して『空』を学び縁起論の布教に務めたいとおもいます」
拙僧の論法で言えば「空」とは「からっぽ」の中に「すべてが在る」ということ。これが「空即是色」です。その逆、「すべてが在る」のは「からっぽ」の中、というのが「色即是空」です。これが机上の空論≠ナあるうちは絶対に「空論」は理解できないでしょう。
「色」と「空」が「同事」だと分かることが命題だと般若心経は説いています。己自身が「空」の存在だと分かることで、己こそ「久遠仏」だと分かるのです。久遠の命を悟ることで人生観が変わります。 
 

 

■富楼那尊者 方便
今回は富楼那(プンナ)尊者のお話です。
釈尊とは生年月が同じで十大弟子中では最古参でした。特に弁舌に秀でていて"説法第一"と謳われています。
出身には異説あるようです。一つには、インド西海岸の港町に生まれで、海洋貿易の大商人だった父親が女中に生ませた子だったということから無一文で生家を出て、薪や香木を売って生計を立て、やがて父親ゆずりの商才のお陰で大商人に成りあがりました。
ある日商人達がお釈迦さまの教えを唱えたり歌にして歌っているのを聞いて大変興味を持ち、是非一度釈尊に会いたいという願望を持ちました。祇園精舎を寄進したという須達多(スダッタ)長者に頼んで面会が叶い、お釈迦さまの教えに感銘しそのまま出家してしまったとのこと。
もう一つの説です。コーサラ国のカピラ城近郊のバラモン種族の生まれで、父はカピラ城主浄飯王(釈尊の実父)の国師で大富豪だったとか。母は釈尊の最初の弟子(五比丘)の一人である阿若憍陳如(アニャキョウチンジャ)の妹だったとのこと。幼い内から聡明で釈尊の成道の噂を聞き鹿野苑へ赴き釈尊の弟子になったとか。
彼は優秀で舎利弗から徳風を慕われ、よく問答を行い、その見識をお互いに認め合ったとか。また阿難は彼の弁才を比丘の新人教育の手本にしたとか。特に弁舌にすぐれていたといわれますが、迦栴延が哲学的な議論を得意とする学者タイプの"論議第一"だったのに対し、富楼那は人情味のある大衆向き説法を得意とした庶民派タイプの"説法第一"だったのです。
また彼は特に殉教的精神の持ち主だったことでも有名です。ある時彼は遠い未開の土地に布教に赴く決心をしました。釈尊が「その国の人々は凶暴であるから、もし汝に辱めをしたらどうするか?」と聞かれたのに対して、彼は「もし私を辱めたとしても命までは奪わないから彼等を善良な民と考えます」と答えました。
釈尊がさらに「では、もし彼等が汝の命を奪おうとしたら?」と聞かれたのに対して、「世の中には自ら命を絶つ者もいます。だからこの老朽の身に殉死を与えてくれる人は善良であると考えます」と答えました。釈尊は「よいであろう。行くがよい。行って彼の地の人々を教化救済するがよい」と申され、彼を賞賛されたといわれます。
彼は阿羅漢果を得てさらにその天与の弁才と布教の信念のもと、遂には9万9千人の人々を教化したと伝えられています。
富楼那「世尊よ、『方便』についてお訊き致します。いったい方便とはどういう意味でしょうか」
世尊「『近づく』とか『到達する』といった意味である。近づくものとは、『正しい目的』であり、正しい目的とは『悟り』である。悟りに導くための正しい手段をすなわち「方便」と言うのである。それにはまず相手を思い遣る配慮の心がなくてはならない」
富楼那「その場合、相手を思い遣っての結果嘘をついてもよいものでしょうか。"嘘も方便"として許されるでしょうか」
世尊「嘘と方便はまったく異質である。方便は決して嘘ではない。正しいことをいっても嘘は嘘である。わたしが言う方便とは悟りへの"比喩"といったらよいであろうか。"方便"の意味のわかる話を紹介しよう。
キサー・ゴーマミーという名の女がおった。彼女は何よりも大切な一人息子を病気で亡くしてしまったのだ。なんとしてでも息子を生き返えらせたいとの想いから、あちこちの祈祷師や魔術師、医者や行者を訪ねて頼み込んだが、もちろん死んだ者の命を蘇えらせることなどできる筈はなかった。
ついに私の噂を聞きつけて私のもとを尋ねてきたのだ。そして言った。『世尊よ、あなたはこの世で苦しんでいるすべてのものにあわれみをかけてお救いくださるとのことです。どうぞ私の息子の命を取り戻してください。そのためなら自分の命さえ惜しみません』
そういって嘆き悲しんでいる母親に向かってわたしは次のように言ったのだ。『よかろう、お前さんの息子を救ってあげよう。それには条件がある。どこかで少しばかりの芥子の種をもらっておいで。ただし、普通の家からではダメだ。今まで一人の死人も出したことのない家の芥子の種でなければダメだ。さあお行きなさい。
『わかりました。なんとかそんな家の芥子の種をもらってまいります』と言って、息子の遺体をそこにおいて外に飛んで出ていたのだ。彼女は必死になって村中の家を訪れ『こちらさんでは今までにどなたか死んだ方はおられないでしょうか?』と尋ね歩いたのだが、今までに死人が出なかった家などどこにもなかたのだ。
一軒残らず村中を回った彼女は、はじめてわたしの言葉の意味に気が付いたのだ。つまり、生まれたものはいつかは必ず死ぬ運命にあるここと、一度死んでしまった命は絶対に呼び戻せないものだという真実を悟ったのだ。
わたしのところへ戻ってきた彼女は静かに息子の亡骸を葬って、わたしの弟子になったのだ。
富楼那「なるほど、このような場合に、ほんとうはあり得ないことでもいかにもあり得るように説きながら、相手に自然に自ら分からせるように導くことこそが『方便』であるのですね。よくわかりました」
世尊「そういうことになるであろう。あり得ないことをあり得ると仮定させて真実の姿を本人に気づかせる手段、すなわち、正しい目的へ導くための良い手段、これを真実方便というのである。人それぞれであるからして、その人、その場、その状況に応じた方法で導く術なのだ」
富楼那「『方便』とは、仏・菩薩が衆生済度のため、真実に導くための「はたらき」という手段であり、我々修行者はその術こそ研鑽しなければならないことがよくわかりました」
法華経二十八品の内の第二が「方便品」(ほうべんぼん)です。品(ぼん)とは章の意味であり、法華経は四要品から構成されていて、方便品は「教」を、安楽品は「行」を、寿量品は「体」を普門品は「用」について説かれているといわれます。「教」とは文字通り、釈尊の悟りです。
方便品の冒頭にあるのが次の経文です。「仏の智慧は、声聞や縁覚など独りで悟った小乗の徒には、まったく知ることができないほど深遠なものであるという。これを人々にわからせるためには、相手の能力に応じたもっともよい方法で、深い教えを説くことが必要となる。」
方便品は法華経二十八品のなかでも重要な教えだと言われています。それは世尊の教えの目的が明らかにされているからです。ただ「教え」を聞く衆生の気根には浅深があるから、種々の"方便"を設けてこれを教え導いているというのです。 

■優波離 身・口・意
今回は「持律第一」と言われた優波離(ウパーリ)尊者のお話です。
優波離はインドのカーストでも下層のシュードラの出身でした。釈尊がまだ悉多(シッダルタ)といわれた太子の頃カピラ城で釈迦族のもとで、なんと阿那律の奴隷として仕えていた理髪師だったのです。主人である阿那律や釈尊の実子の羅睺羅や金比羅など六人が釈尊の弟子になるということになりその一行に付き添って行かれたのです。
阿那律は出家するときに所有物を全部優波離に与えましたが、優波離は釈尊の教えの方が偉大だと言ってそれを断り、自ら出家を切望したのです。主人である阿那律が釈尊に「世尊よ、願わくば理髪師優波離を本日受戒の最初としてください」と申し出て、釈尊は優波離を最初の受戒者とされたのです。
釈尊は、「出家以前において身分の違い、地位の高低など種々あるが、出家後はすべてその差別はない」と常に述べられていました。仏教教団(サンガ)ではすべての者は平等でしたが、ただ一つ序列がありました。それは出家順位です。身分や年齢に関係なく先に出家した者が先輩であり兄弟子になるのです。
その儀礼に従い阿那律達も優波離に礼拝したのです。これを見て釈尊は「釈迦族の高慢な心をよくぞ打ち破った」と賛嘆せられたとのこと。「本来人間に階級などない」という当時としては革命的な釈尊の教えが示された事例の一つです。
優波離が「持律第一」と言われたのは戒律に精通しそれをよく守ったからです。サンガでの修行は厳しいものでした。とくに釈迦族から集団で出家した阿那律や羅睺羅達貴族出身の若きボンボンにとってサンガでの質素貧窮の生活はさぞ大変なことだったでしょう。
その点奴隷出身であった優波離は、体は丈夫で貧しい暮らしにもよく慣れていたので、きつい修行や厳しい戒律も彼にとっては案外容易なものでした。それに加え彼はたいへん律儀な性格の持ち主であり戒律に精通し、よく守ったことから、後に阿羅漢果(悟り)を得て、「持律第一」と称せられるようになりました。
釈迦サンガにおける規律は彼によって設けられたものが多く、釈迦入滅後、仏典のための第1回の結集では、彼は戒律の編纂の責任者として活躍したのです。
優波離「世尊よ、わたくしどもが日常行っている行為を『身・口・意』と呼んでいますがどんな意味があるのでしょうか」
世尊「身体で行う行為、口で行う行為、そして心で行う行為という三種類の行為を意味しているのだ。人はそれらの行為で自らの業をつくっているのであるからこそこの『身・口・意』を清らかなものにしなければならないのだ」
優波離「身体の行為は行動であり、口の行為は言葉であることが容易にわかりますが、心の『意』の行為とはどのように捉えたらよいのでしょうか」
世尊「身体や口で行う行為はすべて行動と言葉になって外にあらわれるのであるが、心だけは見えない。行動は心の作用によるものであるが、行動のすべてが心の表れだとは言えない。それは、人は心に反した行為を行うことがあるからである。一見正しい行為も邪心によるものかも知れないし、またその逆であるかもしれない。だから心こそ大事にすべきなのだ」
優波離「確かに人は本心と行動と矛盾することがあります。建前としては立派な行為をしていても本音のところではまったく違ったことを考えていたりします。どんなに立派な行為であってもそれが心と一緒でなければ正しい行為とは言えないわけですね。」
世尊「どんな立派な行為であっても、そこに邪心や下心があったのではそれは即座に悪行になってしまうのである。どんな行為であれ、行為のすべては心次第で善か悪かが決まってしまうのだ。『身・口・意の業』のすべてはすなわち心次第ということである」
優波離「では、正しい心を持つためにはどうしたら良いのでしょうか」
世尊「日常生活の中でわたしが制定した戒律を守ることがすなわち"正しい心"である。すべての生活の中で決められた戒律を身・口・意にわたって守ることだ。常にこの三つの行いを清めることのためにあるのが戒律なのだから」
優波離「まず基本となる戒律をお示しください」
世尊「では基本の十戒をしめそう。(1)生き物の命を奪わない。(2)他人の物を盗まない。(3)姦淫をしない。以上は身体で行ってはならない三つである。次に(4)嘘をつかない。(5)二枚舌をつかわない。(6)悪口をいわない。(7)無駄口をたたなない。以上が口で言ってはならない四つの行為である。次に(8)むさぼらない。(9)怒らない。(10)邪な思想を持たない。以上は心が持ってはならない行為である。特に最後の三つは人間が持っている最悪の愚かな心である。すべての戒律はこの三毒「貧慾・瞋恚・愚痴」の心を諫めるためにあると言っても過言ではないのだ」
優波離「世尊の示された戒律は、すべて"心の三毒"を除去するための手段であるということでしょうか」
世尊「戒律の目的は単に三毒を鎮めるためだけのものでもない。あえて言えばそれは智慧を得るためのものである。智慧とはすなわち悟りである。悟り無くして心の安心は得られないからだ」
優波離「世尊よ、戒律を守ることが無明からの解放であり、仏道であることがよくわかりました。解脱を求めて益々精進いたします」
釈尊の十戒は戒律というよりも人間としての基本道徳であり、宗教の壁を越えた人としての根本理念であり正義であるのです。今人類が滅亡の危機に瀕しているとして、その原因を質すとしたら、間違いなくこの十戒の欠如にほかならないのです。
犯罪のそのほとんどは貧慾・瞋恚・愚痴から起こるのです。個人にもならず者がいるように、国家にもならず者がいます。おのれの欲望(貧慾)に溺れ近隣の諸国を恫喝(瞋恚)し侵略(愚痴)を画策しているアジアの某超大国などはまさにその最たるものです。
釈尊の十戒は人間社会の最低限の"きまり"です。それが守れない個人や社会、国家に幸福は絶対やってきません。個人も国家もそのことを肝に命じるべきです。 

■羅睺羅尊者 四苦
今回は羅睺羅(ラゴラ)尊者のお話です。
羅睺羅(ラゴラ、あるいはラーフラ)は、釈尊の実子であり、密行第一と称されました。釈尊は16歳で結婚されましたが、なかなか子宝に恵まれず、27歳になったとき妻のヤショーダラ姫との間にようやく授かったのが一人息子、羅睺羅でした。
釈尊が出家する2年前のことでした。おそらく釈尊はこれで釈迦族の跡継ぎができたと安心されたのかもしれません。しかしこれには異説があり、妃が身ごもられたのを知ってすぐに出家されたという説もあります。
また、羅睺羅が生まれたのはお釈迦さまがお悟りを開かれた日だったという説もあります。そうだとすると羅睺羅は六年もの間、母の胎内にいたということになります。「羅睺羅は顔は似ていないしお釈迦さまの息子ではない」などという不名誉な噂まで出たようです。実際彼の顔は釈尊に似ておらずかなり不細工だったようです。
そんな噂を聞いた羅睺羅は「顔は不細工でも私の心は仏である」と言って胸を開けて見せたという。この話は彼が信仰の対象として人気があった中国唐の時代の逸話だと言われていますが、十六羅漢信仰はその時代に生まれたものであり、十大弟子の中で只一人羅睺羅だけが十六羅漢に選ばれたことからも彼の中国での人気の程が窺われます。
出生の次第はともかく、釈尊自身が否定しているわけでもありませんから羅睺羅は間違いなく釈尊の実子なのです。彼は父親のいないカピラ城で王子として何不自由なく素直に育てられました。
羅睺羅が九歳になった時のことです。釈尊が久しぶりに帰城することになったのです。それを知った城の重臣たちが、幼い羅睺羅に入れ智慧をしたのです。
「お父上に頼んで、お城や財宝を息子に譲るという証文を書いてもらいなさい」という内容でした。それは、カピラ城主の権利は事実上釈尊にあったことから教団に城を乗っ取られるのではないかと重臣達が心配したのです。
「わたしは王になろうと思います。どうぞ財産を下さい。お宝をお与えください。」と言いながらすがりつく幼い羅睺羅に釈尊はびっくりしてしまいました。
ことの重大さを知った釈尊は、舎利弗と目蓮を呼んで羅睺羅をニグローダの林に連れてゆき、羅睺羅を出家させてしまったのです。「お前には金銀財宝ではなく、私が修行をして得た真理の仏法という財産を継がせてあげよう」と釈尊は申されたのです。
年少のころは釈尊の実子ということもあり、特別扱いを受け慢心が強く、釈尊より戒められたこともあったようです。 20歳で具足戒を受け比丘になってからは舎利弗に就いて修行を重ね不言実行を以て密行を全うし、ついには密行第一と称せられるようになったのです。
密行とは戒律を遵守し特に密教での修行を徹底することです。そんな厳しい修行に耐え、ついに彼は阿羅漢果を得えたのです。十六羅漢に選ばれたことなどを考えれば実に人間味あふれるドラマチックな人生を送った人だったようです。
羅睺羅「世尊よ、四苦とはどんなことをいうのでしょうか」
世尊「四苦とは、生・老・病・死の四つの苦しみのことである。人間として生まれた者ならば誰しもが味わねばならない苦しみの基本であるのだ」
羅睺羅「世尊よ、確かに老・病・死は苦しみであることは理解できるのですが、どうして『生』(しょう)が苦しみなのでしょうか。ふつう、生まれることは目出度いことであっても、特には苦しみと感じられないのですが?」
世尊「確かに、生まれることは目出度いことであり、極上の慶びである。目出度いことや慶びが"苦"であるということは矛盾した論理であるが、問題はその本質にあるのである。生まれるということはその瞬間から五蘊(ごうん)を得ることになる。その五蘊の本質が即ち"苦"の実体だということである」
羅睺羅「五蘊についてお示しください」
世尊「五蘊とは五つの集まりで色・受・想・行・識を言う。「色」とは形あるもの。あとの「受・想・行・識」は「心」の世界を意味し、「受」は、感覚とか知覚などの感受作用。「想」は、「受」で受けたものを心の中で思うこと。「行」は、思いを意志にすること。「識」は、判断である」
羅睺羅「つまり、肉体と魂という存在自体が"苦"だということですね。世尊が提唱されております『五蘊皆空度一切苦厄』(般若心経)の意味がやっとわかりました。肉体も魂も一切が皆『空』であるということを悟ってはじめて『苦』から解放されるわけですね」
世尊「その通りだ。人間として生まれた以上自己が『一切皆苦』の存在だと認識し、その『苦』から解放されるために我々は修行をするのである。その修行が萬行に至った時に苦から解脱できるのである。解脱の世界が涅槃であり、極楽浄土なのである」
羅睺羅「よくわかりました。では、世尊が初めて"苦"を意識されたいきさつをお話頂けますでしょうか」
世尊「実は、わたしが出家の道を選んだ根本的理由はこれら『四苦』にあったのだ。わたしが生まれてわずか七日目に母マーヤーは亡くなってしまったということを叔母より聞いて『人はなぜ死ななければならないのだろう』という大きな疑問にぶつかったのだ」
羅睺羅「後に『四門出遊』という形でお述べになっておられますね。東門から出て老人に遭い、南門から出て病人に遭い、西門から出て死人に出遭ってショックを受けられたお話ですね」
世尊「そうだ。最後に北の城門から出たときに出遭ったのが一人の修行者だった。着ている服はぼろぼろだし、身は痩せ細ってはいたが、顔は生き生きとしていた。わたしのように恵まれている者が苦しんでいるのに、貧しいあの者が何故あのように希望に満ちているのだろうと思ったのだ。 『あなたは何をする人か』と尋ねたら、『修行者で、衆生に慈悲を施す者です』と答えられたのだ。それ以来"修行者≠ニいうことが頭を離れなくなってしまい、ついに出家を決断した次第なのだ」
羅睺羅「つまり"四苦≠フ疑問の答えを求め出家されたわけですね」
世尊「その他に『愛別離苦』(愛する者と別れる苦しみ)、『怨憎会苦』(いやなものと付き合う苦しみ)、『求不得苦』(欲しいものが手に入らない苦しみ)、『五蘊盛苦』(体と心の不調の苦しみ)の四つを加えて『四苦八苦』と言う」
羅睺羅「人の幸せはまさにこれらの苦しみをいかに克服するかに掛かっているのですね。その道筋を世尊は八万四千の法門で教示されているわけですね」
「四門出遊」(しもんしゅつゆう)の話は有名ですが、むろん、これは伝説です。若き王子ゴータマ・シッダールタの苦悩を象徴的に表現したものと言えるでしょう。
幼いころから王子として贅の限りをつくした環境の中で名誉と冨と権力を自在にできたのです。しかしどんなに享楽と贅沢の限りを尽くしても彼の心は満たされなかったのです。
それは、どんな権力・名誉・富であろうと生・老・病・死の四つの苦しみから逃れることができないことを知ったからです。その答えを求めて出家を決断し城門を出たのです。時に王子29歳のことでした。
難行、苦行を経て、ついに悟りを開かれ「四苦」の実体を解明され、一切の「苦」から解放されたのです。その表現が「極楽」であり「大安心」なのです。ですから「極楽」は実在するのです。
「極楽」は死んでからだけの世界ではありません。生きている内にこそ意味があるのです。なぜなら仏教は決して死後の教えではないからです。
今現在から死ぬまでの間、もちろん死後も含めて、「安心」して生きて行くための「教え」を釈尊は残されたのです。 

■目連尊者 極楽浄土
今回は目連(モッガーラーナ)尊者のお話です。目連は、幼い頃より舎利弗(サリープッタ)とは大の仲良しの間柄でした。祭りに興じている人々を見て無常を感じ、二人して出家を決意したいきさつは舎利弗尊者の紹介(四月)の中で話したとおりです。
二人は幼なじみで、ほんとうに仲の良い親友同士でした。性格こそ対照的な二人でしたがいつも一緒で、亡くなったのもほぼ同じ頃で、師の釈尊よりも短命だったのです。十大弟子の中でも最も早くに弟子となり、力を合わせて初期の教団をまとめていかれたのです。
釈尊もそんな二人をたいへん頼りにされておりました。先月の「羅睺羅尊者」の中でもふれたように釈尊の実子羅睺羅を出家させ、その後の指導の専任をまかされた程二人に対する信頼が深かったのです。「智慧第一」と称せられた舎利弗に対して、目連は「神通第一」と称せられました。「神通」とは一種の超能力のことで、肉眼では見えない処を見抜く力のことです。
こんな逸話が残されています。釈尊がある法座に臨まれました。しかし、いつまで経っても説法が始まりません。侍者の阿難尊者が、「世尊よ、夜も更けましたので、どうかお始めください」と申されますと、釈尊は、「この法座の中に不浄の者がいるので、法を説くことはできない」と申されました。そこで目連尊者が他心通という神通力をもって不浄な比丘を見つけ、その法座から追放し、改めて釈尊に説法を願ったということです。
あと、なんとも有名なお話が「盂蘭盆会」のいきさつでしょう。ある日、目連尊者が父母の恩に報いるために修行で得た神通力で亡き両親を探していました。
すると仏界に居るはずと思っていた母がなんと餓鬼界に堕ちていたのです。骨と皮ばかりに痩せ細って逆さ吊りにされていたのです。 それを見た目連は食べ物を鉢に入れて母に差し出すのですが、母が食べようとするとその食べ物はたちまち火に変わってしまい食べることが出来ません。
目連は悲嘆のあまり号泣し、釈尊のところに行かれ、ことの実情を説明し救済を求めたのです。釈尊の示されたところによりますと、目連の母が餓鬼界に堕ちたのは過去世の罪過によるものであり、それを救うには多くの出家者に百味の飲食(おんじき)を供養することでした。
7月15日の萬行のあと多くの僧侶の供養を受けて目連の母は救われたのです。「もし、後の世の人々がこのような行事をすれば、たとえ地獄にあろう者でも救われるでしょうか」と尋ねた目連に、釈尊は「もし孝順心をもってこの行事を行うならば必ずや善きことがおこるであろう」と答えられました。
お盆(盂蘭盆会)の起源はこの曰く因縁によるものであり、お盆こそまさに「先祖供養」の原点なのです。仏教徒にとって、孝順心によるご先祖供養こそ報恩感謝の証なのです。
さて、目連は又教団のボディガード的存在でもあったのです。釈尊の説法を守るために異教徒にはことさら厳しい対応をされていました。 そのせいもあってか異教徒からはとくに憎まれる存在になっていたのです。
目連の最期は悲惨でした。彼を憎む異教徒達に襲われ惨殺されてしまったのです。瀕死の目連のもとにかけつけたのは親友の舎利弗でした。「神通力第一の君がどうしてこんな目に・・・」と嘆く舎利弗に、目連は釈尊への最後のお別れの言葉を託して息を引きとりました。
その後間もなくして舎利弗も病のため亡くなってしまいました。釈尊にとって舎利弗と目連の二人はまさに二大弟子だったのです。二人の高弟を一度に失った釈尊の嘆きは如何ばかりだったでしょうか。その目連尊者がある日世尊に「極楽浄土」について問われました。
目連 「悟りの世界のことを"浄土"といわれますが、その浄土とはどのような世界を言うのでしょうか?」
世尊 「浄土とは悟りの世界の一つの表現である。他に『涅槃』や『彼岸』そして『極楽』なども皆同じ悟りの世界を意味したものだ。 悟れる者とは仏陀のことであり、その者たちの住む世界を浄土と言い、阿弥陀仏の住む国土を『極楽』と言うのである」
目連 「世尊が説かれています『阿弥陀経』にはその極楽の様子が子細に述べられているのはよく承知いたしております。極楽国土に住む者には何の苦しみもなく、只々いろいろな楽しみだけが有ると説かれています。国土は四宝(金・銀・瑠璃・水晶)で出来てきており、天上にはつねに美しい音楽が奏でられ、池の蓮の花は様々な光の色を放ち、大地は黄金で覆われ、昼夜綺麗な曼荼羅の花が降りそそぎ、さまざまな鳥たちは優雅にさえずり、人々の寿命は限りなく長く、病も悩み苦しみもなく、一切の罪過も無く、みな阿羅漢の悟りを得ているという。その極楽浄土に住むためには一切の欲望から解放され、阿羅漢の悟りを得なければならないとされますが、"極楽"の意味とは一体何でしょうか?つまり、極楽という言葉を文字通り解釈すると、『きわめて楽しい』ということになりますが、もし一切の欲望の無い世界だとしたら、はっきり言って、少しも楽しくはないのではありませんか。その点疑問を感じますが」
世尊 「確かに極楽の中には実際人間の欲望を満足させる多くの対象が有るように感じさせるし、人間を喜ばせるようなものがたくさん出てくるのも事実だ。極楽という世界がどんな世界であるかということを説いているのは、すでに悟りを開いた仏たちに対してではなく、まだ悟りを開いていない者たちに対してであって、極楽はこんな素晴らしい世界だということを示すためなのだ。それによって迷える者たちは、ぜひともそんな素晴らしい世界に往生したいという願望を起こすのだ。 いってみれば、まだ煩悩に満たされている者たちを極楽へ導くための"方便"なのである」
目連 「すると世尊よ、極楽には金銀財宝や金色の蓮の花などまったく無いということでしょうか?」
世尊 「そんなことはない。まちがいなく極楽は黄金の国土である。 『方便』とは真実を伝えるための手段であることを間違えないでほしい」
目連 「それでは、欲望も煩悩もない仏たちにとって、極楽に金銀財宝がある意味は何でしょうか?いくら高価で美しいものに囲まれていたにせよ、それらに対してなんの欲望も感じない者にとって、それらはなんの価値もないのではありませんか? 娑婆世界でしか意味のないような宝物が極楽に存在する必要は無いのではありませんか?」
世尊 「そこが煩悩の世界に生きる者の理解の限界なのだ。金銀財宝のほんとうの意味がわかっていないからそのような矛盾が起こるのだ。どんな金銀財宝も"煩悩の対象ではない"というところをよ〜く考える必要がある。一切の煩悩のない仏たちにとってどんな金銀財宝も美しいものも、それらは何の価値もないのだ。"何の価値もない"ということは、金銀財宝はただの金銀財宝であって"ただの物"でしかないということだ。『ただの物』とは、いわば無価値である。しかしこの無価値こそ"絶対の価値"であり最高の価値である。これをすなわち『黄金』というのである。つまり、どんな場所でも煩悩から離れた世界は絶対無価値の世界になる。それは同時にそこに存在するあらゆる物すべてが"黄金"になるということだ。ここに"極楽"のほんとうの意味があるが、理解できる者は極めて少ない」
目連 「わかりました。どんな場所でもどんな物でも、煩悩の対象で無ければ、その場所が極楽浄土であると同時に存在するあらゆる物が金銀財宝になるのですね」
世尊 「その通りだ、目連。わたしが説く西方極楽浄土の真意は、一切の煩悩から離れた処こそすなわち極楽であり、同時にそこに存在するあらゆる物が金銀財宝の存在になるということだ」
目連 「解りました。極楽浄土が実際にあることが大変よく解りました。 ところで浄土と呼ばれる世界はどのくらいあるのでしょうか」
世尊 「仏国土と呼ばれるように、十方にいる仏たちの一人一人が自分の浄土を持っているのだ。それこそ無数といってもよいくらい存在するのだ。阿弥陀仏の西方極楽浄土のほかに、主なものでは薬師如来の東方浄瑠璃世界、阿閦(あしゅく)如来の東方妙善世界、弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)、観音菩薩の普陀落山などが挙げられよう」
さて、今年も12月8日の成道会を迎えました。およそ2500年前釈尊が転迷開悟され極楽浄土に往生され如来になられた記念の日です。拙僧が何度も言うように、極楽浄土は決して死後の世界ではないのです。もちろん涅槃という「生死一如」の意味から言えば死後の世界も当然極楽浄土と言えるわけですが、大事なことは生きているうちに今いる自分のところを極楽浄土に変えることです。
釈尊は一切の煩悩から離れた世界がすなわち極楽浄土だと説かれています。すべての欲望と煩悩から離れたときに、即今その場所が極楽浄土に変貌するのです。同時にあなたの持っているものはすべて『黄金』になるのです。それを信じて修行をし、少しでも極楽浄土に近付ける生き方をしたいものです。極楽浄土は実際に存在するのですから。 

■迦葉尊者 無財施
新年おめでとうございます。おかげさまで70回目の「法話」を迎えることができました。今後いつまで続けられるかわかりませんが、まずは今年一年間を目標に精進したいと思います。よろしくお願い致します。
さて、"十代弟子"も今回で最後となりますが、そのトリは迦葉(かしょう)尊者です。釈尊の滅後、二世となって教団を率いたのはこの迦葉尊者でした。彼もまたバラモンの出身でした。裕福な家柄の良い家に生まれました。癇症で欲の無い子供でした。特に潔癖に症が付くほどの性格からか、結婚は望まず出家を望んでいたのです。
なにぶん名家でもあることから両親が必死で結婚を説得して、やっと妻を迎えたのです。しかしそれから出家するまでの十二年間、妻とは一度も床を共にすることはなかったといわれます。
やがて両親も亡くなり希望通り出家が叶い釈尊の弟子となったのです。ある日釈尊と托鉢に出た途中、釈尊が木陰で休もうとしたとき、彼は自分の衣を脱いで畳んで釈尊の座布団にしたのです。
師の喜ばれているお顔を見て迦葉尊者はその衣を献上致しました。それに対して釈尊も自分の袈裟を迦葉尊者に与えたといわれます。彼は生涯そのお袈裟を何よりも大切にされました。これが「伝衣」の始まりとなったのでしょうか。
迦葉尊者で有名なのは「拈華微笑」(ねんげみしょう)の故事です。釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)での説法の折、金婆羅華の花を一輪手にして大衆に拈じ示したところ、誰もその意味がわからない中、迦葉尊者だけがニコリと微笑されたのです。
それを見て取った釈尊は、「わたしの仏法を今迦葉尊者にそっくり伝えた」と宣言されたのです。釈尊から迦葉へと仏法が"以心伝心"された瞬間でした。「伝衣」とこの「伝法」から釈尊の後継者は事実上迦葉尊者に決まったと言えるでしょう。
釈尊が故郷に向かう旅先の途中で亡くなったとき、迦葉尊者は別の旅先で訃報を受けました。迦葉尊者は釈尊のもとへ急ぎました。それまでの間、阿難尊者が荼毘に付すために棺に火をつけようとしますが、何度やっても火がつきません。
ところが迦葉尊者が拝んだあとで、パーッと燃え出したというのです。まるで迦葉尊者の帰りを待っていたかのようでした。釈尊の葬儀の導師を務めたことにより迦葉尊者が教団の二世となったのです。
釈尊が入滅されておよそ3ヶ月後、迦葉尊者は第一回目の「結集」(けつじゅう)を開きました。結集とは、世尊亡きあと、その「法」を検証整理して後世に伝えるための「経典編纂会議」のことです。迦葉尊者の呼びかけに王舎城郊外の石窟、七葉窟に499人の阿羅漢が集結しました。
もちろん阿難尊者もかけつけたのですが、ところが彼はまだ悟りを開いていなかったため阿羅漢の資格が無く入場できなかったのです。しかし、釈尊の侍者として25年間いつもおそばに仕え、全ての説法の内容を知っている記憶力抜群の人だったといわれます。それだけに彼抜きに経典の編纂はできないことは誰もが認めるところでした。
しかし潔癖で厳格な迦葉尊者は頑として阿難尊者を中に入れなかったのです。それを受けて阿難はその晩死に物狂いで坐禅をしたのです。結果ついに悟りを手に入れ、すぐさま迦葉尊者のもとに急ぎました。
迦葉尊者は阿難の悟りを認め結集(けつじゅう)に加えたのです。そして500人の阿羅漢の中から阿難尊者を司会進行役に抜擢したのです。記憶力の良い阿難尊者は「如是我聞」(わたしはこのように聞きました)と言って、とくとくと語り出し、こうして初めての経典編纂会議は粛々と進んだのです。
迦葉尊者の入滅は劇的でした。第一回の結集からおよそ20年後、百歳になった迦葉尊者は三世に阿難尊者を指名し後を託されひとり山に入り禅定に入りました。そこに三つの山が押し寄せ彼を飲み込んでしまったのです。まさに壮絶な即身成仏でした。
「頭陀(ずだ)第一」とは「はげみ第一」ということです。三衣一鉢というのが出家者にとっての全財産です。その粗衣粗食に耐え修行を徹底される姿に釈尊は「頭陀」の模範だと称えました。
禅宗寺院に多く祀られている釈迦三尊仏は、向かって右脇に迦葉尊者、左脇に阿難尊者が脇侍となっていますが、舍利弗尊者と目連尊者の亡きあと、釈尊とその教えを護るのは自分たちだという決意が表れていて壮観です。
"十大弟子"とは、すべての人間が持ち合わせている人間性を代表した尊者達と言えるのかも知れません。自分は彼等の何れに近いのかを考えてみるのも自分自身の内面を知る一助になるかもしれません。ある日頭陀第一の迦葉尊者が『無財施』(むざいせ)について世尊に尋ねられました。
迦葉「布施行のなかに、『無財施』がありますが、それはどんな内容なのでしょうか」
世尊「まとめて無財の七施(しちせ)と言う。一には身施(しんせ) 二には心施(しんせ) 三には眼施(げんせ) 四には和顔施(わげんせ) 五には言施(ごんせ) 六には牀座施(しょうざせ)そして、七には房舎施(ぼうしゃせ)ということになる」
迦葉「文字の意味から有る程度その内容を推測できますが、それぞれの具体的な内容についてお示し頂けるでしょうか」
世尊「まず『身施』だが、これは肉体による奉仕なのだ。なかでも捨身行は、自らの生命を犠牲にすることだが、これこそ最高の布施行と言えよう」
迦葉「しかし世尊よ、自らの命を失ってしまっては、自らの修行が不可能になってしまいますが」
世尊「他の命を救うため、自己の命を捧げたり、あるいは正しい教えを伝えるために犠牲になる命は、その功徳によって本人は最高の悟りに達することができるのだ」
迦葉「わかりました。では次の『心施』についてお願いいたします」
世尊「慈悲の心ということだ。慈悲とは『与楽』と『抜苦』を合わせたものだ。 他の人の心に喜びを与え、同じく苦しみを抜き去る行いのことだ」
迦葉「第三の『眼施』と『和顔施』というのは、やさしい眼つきとおだやかな笑顔ということでしょうか」
世尊「その通りだ。人というものは、つい自分の感情を外に出してしまう存在だからいつもやさしい眼つきとおだやかな笑顔をたやさないことだ」
迦葉「『言施』というのは言葉による施しということで、思いやりのこもった暖かい言葉をかけてあげるということでしょうか」
世尊「その通りだ。日常生活のなかで、何気なく使っている言葉が、なによりの施しになることに気付かねばならない。 どんな些細な言葉でも言葉には心情が籠もることを忘れてはならない」
迦葉「第六の『牀座施』とはどんな施しなのでしょうか」
世尊「一言で言えば『席を譲ること』だ。自分よりもか弱い子供や老人、または目上の先輩など尊敬すべき人に対しての思いやりの行為をいうのだ」
迦葉「さいごの『房舎施』というのはどんな施しでしょうか」
世尊「わが家に泊めてあげることを『房舎施』というのだ。事情があって宿をとれない人に対しての宿泊を提供する布施行のことをいうのだ」
迦葉「このように財産やお金がなくとも出来る施しこそ布施の基本なのですね。『無財の七施』をいつも心して一層の精進をしてまいります。 ありがとうございました」
布施とは、物やお金だけではないということです。 人のためになることであるならば、自分の体の全てで布施行ができるというのが無財施の意味なのです。 人は眼、耳、鼻、口、手、足など、どれを使っても人に対して慈悲行為、すなわち『与楽』と『抜苦』の一助の施しができるのです。
仏陀の教え、仏教とは突き詰めればこの慈悲行為の勧奨に尽きるのです。 その教師が阿弥陀仏であり、観音菩薩であり、地蔵菩薩、そして無限に存在する菩薩さま方なのです。
布施行が即ち菩薩行に通じ、菩薩行を行う人が菩薩さまとなり、菩薩さまの住む世界が安心極楽の世界となるのです。 そんな浄土の世界とはあまりにもかけ離れているのが人間社会の現実です。 自己中心の我利我利亡者の渦巻いている餓鬼、畜生、修羅の世界に他なりません。 拙僧自らも「無財施」の精神を少しでも心に留めていけたらと願っているところであります。 
 
十三仏

 

 
■不動明王 降伏(ごうぶく)の仏
一口に「仏さま」と言っても実際には数多くの仏さまがいらっしゃいます。
大きく分けると「如来・菩薩・明王・天・声聞」になります。
「如来」・・・ 釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来など。
「菩薩」・・・ 観音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、虚空菩薩、など。
「明王」・・・ 不動明王、愛染明王、孔雀明王、烏枢沙摩明王など。
「天」・・・・ 大黒天、帝釈天、毘沙門天、梵天、多聞天など。
「声聞」・・・ 阿羅漢や悟りを開いた高僧、比丘、比丘尼など。
一切皆苦という娑婆世界の大海の波間で苦悩し、もがき生き続けるのがわれわれ人間の宿命なのです。人に八万四千の煩悩があるかぎり、同じ数だけの苦悩が存在するのです。
そんな我々人間にとって、何よりも必要なことが抜苦と与楽です。その問題解決のためにわれわれ仏教徒が常に拠り所としているのが様々な「仏さま」です。その諸仏の代表格「十三仏」から学んでみたいと思います。
「不動明王」【初七日】・・・・降伏
「釈迦如来」【二七日】・・・・悟
「文殊菩薩」【三七日】・・・・智慧
「普賢菩薩」【四七日】・・・・知徳
「地蔵菩薩」【五七日】・・・・抜苦、与楽
「弥勒菩薩」【六七日】・・・・久遠仏
「薬師如来」【七七日】・・・・健康
「観音菩薩」【百ヶ日】・・・・抜苦、与楽
「姿勢菩薩」【一周忌】・・・・法導
「阿弥陀如来」【三回忌】・・・冥福
「阿しゅく如来」【七回忌】・・忘悪
「大日如来」【十三回忌】・・・清浄
「虚空蔵菩薩」【三十三回忌】・智慧
広大無辺な慈悲と、法力をもって抜苦と幸福を招いてくださる諸仏です。初回は「不動明王」です。大日如来の化身ともいわれ十三仏では初七日の導師をつとめます。酉年生まれの守り本尊でもあります。
不動明王は空海(弘法大師)により唐より密教とともに日本に伝えられたといわれます。また大日如来の化身でもあり、不動明王を祀り御本尊とされているのはほとんどが真言宗系寺院となっています。
明王の「明」とは、「真言」を意味しており、真言(マントラ)の力を体現した仏さまなのです。その真言は「ノウマクサンマンダ バザラダン カン」です。最後の「カン」は「不動心」の意味で、不動心と不動堅固の行によって、煩悩の深い者を大空三昧(さとり)へ導いてくださる明王です。
また「不動」の意味としては、釈尊が悟りを求め菩提樹の下に座し「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心された「不動心」ともいわれます。そのとき、世界中の魔王が釈尊を挫折させようと押しかけたのですが、釈尊は穏やかに降摩の印を結び摩王の群れを降伏させたといわれます。そのときの釈尊の心印が「不動明王」だといわれていますが、しつこい魔王たちを降伏させたのが「忿怒」だと考えると実に納得できます。
右手に宝剣左手に羂索(けんさく)という縄を持ち、猛火の火炎を背にした実に恐ろしい忿怒の相をした姿はすでにおなじみの通りです。背後の炎は迦楼羅焔(カルラエン)といいます。迦楼羅とは、毒を持った動物を好んで食べるという伝説上の鳥のことです。この鳥のように毒を焼き尽くす炎ということから「迦楼羅焔」と言うのです。
その火焔の如く烈火の怒りの形相で人の心の内に迫ってきます。右手に持った剣は宝剣です。宝剣とは正しい仏教の智慧からできている利剣のことです。その利剣で迷いや邪悪の心を一刀両断にしてしまうのです。
また左手の羂索は智慧の縄です。悪事を働く者を縛束し、その悪い心を智慧の心に変えてしまうのです。一見恐ろしい憤怒のお姿はまさに邪心を智慧に変えるための怒り(叱り)にほかならないのです。
あらゆる悪魔を降伏(ごうぶく)し、すべての障害を打ち砕き、仏道に従わない者を無理矢理にでも導き済度するためなのですが、その姿が釈尊の心印だと思うと改めて親しみを感じます。
不動明王の信仰が特に広まったきっかけは平安時代の平将門の乱だったといわれます。将門を調伏させるために京都高尾山神護寺の不動明王像を借りて千葉の成田の地で調伏の護摩行を修行した結果その願いが叶ったのです。
手に負えない将門に勝ったことで「新勝寺」が創建され、その不動明王がそのままご本尊さまになったそうです。また一説には、その不動明王自身が「自分はこの地に留まって関東の守護尊になると申されたとか。
その後特に鎌倉時代の元寇(げんこう)では全国各地で蒙古軍撃退の祈祷が行われましたがその主役を勤めたのが不動明王でした。その御利益が"神風"となって現れみごと敵軍を壊滅させたのです。こうして不動明王信仰がいよいよ盛んになっていったのです。
現代でも全国各地の霊場には多くの不動明王がご本尊として祀られています。厄難回避から心願成就まであらゆる願い事に対する庶民信仰として大変な人気です。中でも特に病気平癒の御利益があるとして薬師如来とともに親しまれています。
観音様のような慈愛に満ちた慈悲もあれば、一方このような厳しい怒りの慈悲もあるのです。怒りの慈悲とはすなわち不条理に対する怒りです。救いがたい私たちが犯すのが不条理という大罪です。
それにしても不条理に満ちあふれているのがこの人の世です。同じ人間なのに理不尽な差別にさいなまれ、不幸に陥っている人がなんと多いことでしょう。そんな不条理の元を忿怒の宝剣で断ち切ってくれる仏こそ不動明王なのです。
"不条理"を人間社会から無くすことは不可能かもしれません。例えば「民主主義」も理想の金科玉条でしかありません。ほんとうの自由平等を実現している国家社会など世界中どこにもありません。どんな国家社会であれ、権力者を中心に権力と富が渦巻き不条理な社会が形成されているのが現実です。
貧困層の上に富裕層がのし上がり、その頂点に独裁者が君臨し、下から富を吸い上げまくるまさにピラミッド形社会を形成しているのです。ピラミド形だけにその"構造"は極めて強靱ですが、一見安定感のあるピラミッドも長年の風化を免れることはできません。あのエジプトも長年の不条理という"風化"によってついにピラミッド政権は崩壊してしまいました。
国民8200万人の頂点に立ち30年間の独裁と悪政の元なんと5兆8千億円もの巨万の隠し資産をため込んだというムバラク前大統領。平均的国民一人当たりが1日2ドル以下で生活しているなかで、なんという人間でしょう。
人間にも"程"があります。食うか食わずの極貧の国民を抱えていながら、国政の責任者としてこれ程まで貪欲非情になれるものでしょうか。ついに悪政非道の運も尽きたとはいえ、国家・国民を犠牲にしてきたその大罪は万死に値するものです。国民の勇気を結集させたインターネットの力こそ現代の迦楼羅焔かも知れません。
その火の粉が飛び火となって今中東が大荒れになっています。特に今リビアが大変な情況になっています。カダフィも時間の問題でしょう。その火焔こそまさに不動明王の怒りと言えるのかもしれません。否アラーの神の怒りと言った方がよいでしょう。
世界にはまだまだ〜大統領、〜国王、〜将軍など極悪非道の独裁者が多く存在します。中東から上がった忿怒の火の手がもっともっと飛び火して世界中の悪政独裁者を業火によって焼き尽くして欲しいものです。
とはいえ日本も決して他人事ではありません。内閣支持率がついに20パーセントを切ってしまいました。庶民の味方だと思って期待した民主党にもすっかり裏切られました。「権力」を手にした結果やはり利権主義者の化けの皮が剥がれたのです。そんな連中の理不尽な愚策に国民は騙されません。
政局闘争に明け暮れ内政もダメ外交もダメ、理不尽の権化であるあの中国、北朝鮮、ロシアからもすっかり舐められてしまいました。拉致問題や北方領土は一体どうなってしまうのでしょう。実に情けない限りです。
アーアー不動明王よ。願わくばその怒りの宝剣で制裁を下してください。 

■釈迦牟尼仏1
大震災から一ヶ月が経ちましたが、依然被災された方々の心痛と困窮と不安は計り知れません。一刻も早く復興に向けての展望が進み、被災された方々の心労が少しでも和らげますことをただただ祈るばかりです。
地震国日本列島にとって地震・津波は逃れることのできない運命なのかもしれません。先祖伝来の国土を見限ったり出来る筈もなく、只ただその現実を受けとめ一層の備えをしていくしかありません。掛け替えのない祖国、この「美しい国・日本」を再び築いていきましょう。
それと、まだまだ先の見えない原発の問題が一番の心配事ですが、今責任論や原発賛否論を言い合っている場合ではありません。勿論政府や東電の責任は重大です。「想定外」が絶対にあってはならないのが原発であるべきだかです。
ただ、原発反対を日頃訴え続けてきたわけでもない人が、今まで原発の電気の恩恵に与ってきておきながら、事ここに至って責任論を最優先にするのはほどほどにすべきでしょう。これまで電気の恩恵に"湯水の如く"浴してきた国民一人一人にも普遍の責任の一端は有ると思うからです。
停電の不便さを知り、ようやく節電の気運も高まってきたところです。被災地の不便さを思えばいくらでも節電できる筈です。被災者の気持ちを共有してこそ「日本は一つ」になれるのです。
「共有の心」が「思い遣りの心」であり「和の心」です。人類史上希に見るこの大震災をどう乗り切るか世界中が注目しています。日本は大きな和の国「大和」(やまと)の国です。「大きな和の心」で必ずや復興・再生します。ガンバレ大和の国・日本!
さて、本題に入りましょう。仏教の開祖、本家本元のお釈迦さまを知らない人はいない筈ですが、今回は13仏の二番目ということで改めて釈迦牟尼仏をテーマと致しました。知っているようで知らない面もあるかと思います。一緒におさらいしてみましょう。
我々は普通に「お釈迦さま」と呼称しますが、「釈迦」は部族名または国名なのです。そのため「聖者」「修行者」という意味の「牟尼」をつけて「釈迦牟尼仏」と呼称するのです。それに世尊や如来という称号を加え、釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼如来ともいいます。さらに称号だけを残し、世尊、仏陀、ブッダ、如来とも称します。いずれにせよ日本では一般的には「お釈迦様」で通じていますからそれはそれで良いかと思います。
誕生
およそ2500年昔、現在のネパール国境付近のカピラバースト国という小さな共和国に生誕されました。国城主シュッドーダナを父とし、妃マーヤーを母として誕生されゴータマ・シュダールタと名付けられました。
「ゴータマ」は「最上の牛」を意味し、「シュダールタ」は「目的を達した者」という意味だそうです。ゴータマは母親がお産のために実家に里帰りする途中、ルンビニの花園で休んでいたときに誕生されました。
ゴータマは生まれたとたん、七歩歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話したという、誰でも知っている話です。また、ゴータマはマーヤ夫人の右脇から生まれたという説もありますが、生まれた直後歩ける人間なんている筈もなく、これらは釈尊を崇める過程でできあがった伝説にすぎないと捉えて結構でしょう。
しかし問題は事実かどうかではなく精神です。人間ゴータマがお悟りを開らかれ如来となられ一切衆生を済度されたその意味合いがこの言葉に集約されていると考えられるからです。
「全世界で私が一番尊い」というその言葉の意味は誰にでもわかります。しかしその真意を理解できないととんだ誤解をすることになるのです。例えば暴走族などが特攻服などに「天上天下唯我独尊」などと刺繍してあるのは単なる「傍若無人」「自己中心」の粋がりの意味にすぎないのは言うまでもありません。
道元禅師が示されています「仏道をならうというは自己をならうなり・・・」の言葉通り、「自己」の答えこそまさに「天上天下唯我独尊」であることを悟るべきなのです。自己の実体を悟ることで「天上天下唯我独尊」(全世界で私が一番尊い)という極意が会得できるのです。
さて、話を戻しましょう。ゴータマの生後七日目に母マーヤーは亡くなってしまいます。その後は母の妹マハープラジャパティーによって育てられたそうです。当時は姉妹婚の風習があったことから、彼女もシュッドーダナの妃だった可能性もあるようです。
ゴータマは一族の期待を一身に集め、二つの専用宮殿の中で贅沢三昧に育てられ、教養と体力をしっかり身につけた聡明な立派な青年に成長しました。16歳で母方の従妹のヤショーダラと結婚し、一児をもうけラフーラと名付けました。
出家
よく知られた出家の動機として四門出遊の故事があります。ある時、ゴータマがカピラバースト城の東門から出た時に老人に会い、南門から出た時に病人に会い、西門を出た時に死者に会い生老病死の無常を感じたという。そして北門から出た時に一人の出家僧に出会い、世俗から離れた清廉な姿に感銘を受け出家の意志を持つようになったと伝えられています。
29歳になった12月8日夜半、かねてよりの念願であった出家の志を実行します。バッカバ仙人からアーラーラ・カーラーマ、ウッダカラーマ・ブッダの三人の師を訪ねたのですがすべて真の悟りを得る道ではないことを覚りウルヴェーラの林に入りました。
そこに父シュッドーダナはゴータマの警護も兼ねて五人の沙門(修行僧)を同行させたのです。いわゆる五比丘です。それから共に6年(7年の説もあり)間の修行と苦行を積み重ねたのですが、心身を極度に消耗するだけで一向に悟りの気配を窺うことはできませんでした。
ゴータマはこのままでは人生の苦悩を根本的に解決することはできないと悟って難行苦行での修行を捨ててしまったのです。共に修行をしていた五比丘たちはゴータマは苦行に耐えられず修行を放棄したと判断し、ゴータマの元を去りムリガーバ(鹿野苑)へ去ってしまったのです。
成道
それからゴータマは独りネーランジャナー(尼連禅河)で沐浴し、村娘スジャータの施した乳粥を戴き気力体力の回復を図り、ガヤー村の菩提樹の下で49日間の瞑想に入りました。そしてついに12月8日、暁の明星を見て大悟徹底されたのです。これを「成道」と言い、爾来ガヤー村は仏陀の悟った場所という意味のブッダガヤと呼ばれるようになったのです。
仏陀(覚者)となられたお釈迦さまは暫しお悟りの喜びに浸っていました。悟り・・・それは別名「涅槃」と言い、言葉では説明できない素晴らしい世界だったのです。それだけに「このまま無余涅槃に至ろう」と思われたのです。つまりこのまま3ヶ月の禅定を続けそのまま死を迎えるということです。
それを知った梵天と帝釈天は驚きます。折角仏陀となられたお釈迦さまがそのまま居なくなったら人類を救う人が居なくなってしまいます。そこで梵天と帝釈天はその「真理の法」を迷える衆生の為に説くよう勧められたのです。いわゆる「梵天勧請」です。三度の説得の末にお釈迦さまはついに衆生済度の決心をされたのでした。
そして、まず初めに共に苦行をした元の五人の仲間に自らの正しい悟りを伝えるべく鹿野苑に向かったのです。はじめ五人の比丘はお釈迦さまに対して、苦行から逃れた人として蔑んでいましたが、説法を聞くうちに心から帰依していったのです。これを初転法輪(しょてんぼうりん)といいます。つまり初めての説法をされたのです。 

■釈迦牟尼仏2 教団誕生
まだまだ大震災の収束に見通しがつきません。いまだ8500人以上の人が行方不明となっています。亡くなった人たちの無念さとご遺族の心中を思うとほんとうにこの世の不条理を恨むばかりです。
特に原発による被害は天災というより人災の思いが強く、人為を恨む心境が日毎に増してきます。ましてや、実態を正直に公表していない政府・東電には怒り心頭です。ただ、現場で日夜まさに命がけで働いている作業員こそほんとうに気の毒です。その人たちには感謝はもちろん、ただその無事を祈るばかりです。
伝道の旅
釈尊は成道後鹿野苑で五人の旧友に対して初めての説法をしました。これを初転法輪といいます。その内容は、主に「四諦八正道」の教えだったということです。かつての仲間たちはその教えに感銘し最初の弟子になりました。こうして仏教教団の第一歩がはじまったのです。
釈尊とその弟子五人の比丘は広く教えを伝えるための旅にでます。これより教団が発展していく過程を十大弟子の入信の経緯などを交えて見てまいりましょう。
釈尊はバーラーナシーに向かう途中ヤサという青年に出会いました。裕福な商人の息子であったのですがむなしい生活に悩んでいました。釈尊から三論・四諦を説かれ、その教えに感銘しヤサはその場で出家を決心しました。
その事実を告げられたヤサの両親は釈尊の言葉に感銘し、在家信者になりました。教団初めての優婆塞(うばそく)優婆夷(うばい)の誕生になったのです。
ヤサの出家は町の人々に衝撃を与えました。けがれのない新しい生き方を求めて次々と若者が出家したのです。ヤサの友人だけでも54人が出家したと言われています。出家者たちはわずかの間に次々と覚りを開き、60人の阿羅漢が誕生したのです。
釈尊は弟子たちにそれぞれが伝道の旅に出るように告げると、御自身はマガタ国へ向かわれました。 そこにはカッサパ三兄弟が住んでいました。彼等はバラモンで長男のバルバーラには500人の弟子が、次男のナディには300人、三男のガヤーには200人の弟子がいたといわれます。
釈尊は先ず長男のバルバーラの庵を訪れ説得を試みますがなかなか釈尊の説法を認めようとしませんでした。最後に釈尊は神通力で川面を渡るなどなんと3500もの奇跡を起こしたといわれます。
ついに釈尊の偉大さを認め、慢心を恥じたバルバーラは、大地にひれ伏して釈尊への帰依を誓い弟子になったのです。すると、彼の500人の弟子達も一緒に釈尊の弟子になったのです。このあと次男のナディと三男のガヤーもそれぞれの弟子を引き連れて釈尊の弟子になったのです。
釈尊が悟りを得てからこの間わずか半年で教団は1000人以上に増え、特定の集団を表すサンガ(僧伽)という言葉が使われるようになったのです。サンガは、修行と教えを説く出家者(比丘・比丘尼)と、戒律を守って寄進や布施をする在家信者(優婆塞・優婆夷)に大きく分けられます。
1000人の弟子を率いた釈尊は、マガタ国の首都王舎城に入りました。人々は尊敬を集めてきたカッサパ三兄弟が付き従っている釈尊を見て不思議に思いました。そんな彼等に、長男バルバーラは「釈尊こそわが師」と言って釈尊の足に礼拝し釈尊の偉大さを知らしめたのです。
釈尊の来訪を知ったビンビラーサ王は飛び上がらんばかりに喜び迎えました。それは、王はかつて、出家したばかりのシッダッタ太子(釈尊)に出会っていたのです。その時、悟りを開いたら必ず再会し、自分と国民のために説法をすることを約束し合っていたからです。
そして今、その約束通り釈尊が帰ってきたのです。王の喜びは大変なものでした。王は、12万の民と共に釈尊の元を訪ね、教えを受けたのです。その中のカランダカ長者という豪商が自身の所有する竹林園の寄進を申し出たのです。
それを受けてビンビラーサ王は、城から適当な距離に精舎(僧院)を建てる決心をしたのです。これが竹林精舎と呼ばれる仏教最初の寺院となったのです。
ラージャグリハというところにサンジャヤというバラモンがいて多くの弟子を持っていました。その中にいたのがサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)です。
二人は幼なじみの親友で共に出家し、サンジャヤの弟子になっていたのですが、日頃からサンジャヤの教えには満足していませんでした。ある日のこと、サーリプッタは町で釈尊の弟子アッサジに出会います。その威厳のある姿に魅せられて声をかけた結果、釈尊の説く縁起論に感銘し、親友モッガラーナ(目連)のもとに急ぎました。
二人は釈尊に帰依する決心をして、250人のサンジャヤの弟子を引き連れて竹林精舎へと向かったのです。その後、釈尊のもとで修行し悟りを開いた二人は、やがて智慧第一の舎利弗尊者と、神通第一の目連尊者として、教団の指導的重大な役割を担うことになるのです。
そして又ある日、釈尊は一人菩提樹の下で坐禅をしていました。そこにカッサパが通りかかったのです。彼こそ後の大迦葉尊者です。裕福なバラモンの家に生まれたのですが、早くから出家を望んでいました。
両親の死後妻と一緒に出家しました。(両親の死後離縁の説も有り)そんな彼がある日禅定の釈尊の前を通りかかったのです。
釈尊は静かに「カッサパよ」と声をかけました。カッサパはすぐに偉大な人だと気づき説法を聞きました。すぐに釈尊に帰依し、八日後には悟りを開いたのです。舎利弗尊者や目連尊者が亡くなって後、十大弟子の筆頭として釈尊の後継者になったのです。
コーサラ国の首都シラーバスティ(舎衛城)に、スダッタ(須達多)という豪商がいました。スダッタはマカダ国で釈尊の教えを聞き、深く帰依しました。そこでスダッタは、釈尊に「教団のために精舎を寄進いたしますので、コーサラ国へ来て教えを説いてください」とお願いしたところ快諾を得ました。
自国に戻ったスダッタは精舎を建てる土地を求め、祇陀太子の所有する園林の購入を申し入れたところ「たとえその土地に金貨を敷き詰めても売れない」と断られたのです。
それならばと、彼は実際にその地面に金貨を敷き詰め始めたのです。しかしいくら富豪の彼といえども全ての私財を投げうっても叶う現実ではありませんでした。
しかし彼の熱意に心を打たれた祇陀太子は一部を自分が寄進することで遂に園林を提供したのです。スダッタはそこに精舎を建て釈尊に寄進したのです。 これが祇園精舎です。京都をはじめ、日本各地にある「祇園」の地名は、この故事に由来しているのです。
マガダ国王、コーサラ国王、その王族や家臣たちが多く釈尊に帰依したという評判は釈尊の故郷カピラ国スッドーダナ王の耳にも届きました。その仏陀の勇姿を見たいと願った父王は九人の使者を送って、釈尊の帰郷を願ったのですが、みな釈尊のもとで出家してしまい戻ってきませんでした。
釈尊の太子時代の友人を10人目の使者として送り出した結果、ようやく仏陀釈尊の帰郷が叶ったのです。釈尊が悟りを開いてから六年目のことでした。
父王をはじめカピラ城の人々は釈尊を温かく迎えました。教えを聞いた父王は釈尊に帰依し、「わがサーキャ族は各家庭から一人以上の出家者を出す」という規則まで作ってしまったのです。
このことから、釈尊の実子ラーフラ(後のラゴラ尊者)、従兄弟アーナンダ(後の阿難尊者)やアヌルッダ、理髪師のウパーリ(後の優離波尊者)などなど、500人以上のサーキャ族が出家したのです。中でも阿難は釈尊が55歳の頃に侍者になって以来、釈尊のお側付きとして、秘書として釈尊が入滅するまでの25年間努めたのです。 

■釈迦牟尼仏3 教団興隆
3ヶ月以上経っても原発の被害はひどくなる一方です。メルトダウンどころか、実態はメルトスルーになって、核燃料が地中まで浸透しているという。いまさら水をかけても意味がない段階まできているとか。これから先一体どうなっていくのか、心配と怒りで一杯です。
「党のメンツはどうでもよい。菅おろしなどどうでもよい。10万人が風呂に入れるようにしてくれ」という声に早く応えてほしい。いつの時代でも国民は支配者に翻弄されるものです。例え民主主義社会といえども、権力の下に犠牲になるのは一般国民です。
今回の大震災による原発事故も、政府と電力独占企業の権力と奢りによってもたらされた結果と言えるでしょう。それは因果必然の理による当然の結果だということです。一民間企業が10兆円もの賠償を負うという、歴史に残る前代未聞の大失態に、情状酌量の余地はありません。
拙僧がなぜこんな厳しいことを言うかというと、それは政府、東電が、原発の事故の実態を正直に公表してこなかった対応にこそ、その腐った体質と本性が表れているからです。
津波直後、冷却システムが不能となってから間もなくメルトダウンは始まっていたという事実は識者、関係者の間では端から判っていたことだという。事態を正直に指摘した中村審議官が会見直後に飛ばされてしまったことなどまさに事実を隠蔽しようとした証拠です。
さらに、NHKをはじめ大手マスコミメディアまでも、こぞって、政府の発表以外の情報を国民に知らせようとしなかった事も分かりました。日本のメディアには政府贔屓の風潮があることも分かりました。
ほんとうのことは、政府としがらみのない一部のジャーナリストや海外メディアからの情報でしか伝えられなかったというのですから唖然です。日本のメディアに権力に阿る体質があるとしたら実に裏切られた思いです。NHKや新聞に高い金を払っているのが馬鹿らしくなってきました。
国民に真実が伝わらない社会はもはや民主主義社会とはいえません。愚かな政府と傲慢な電力独占企業に対してのガバナンスを無くしてしまったところにこそ、まさに今回の原発事故の原因があったと気づくべきです。国民はもっと怒るべきです。
弟子達の台頭と危機
釈尊の父スッドーダナ王の帰依と庇護により教団はいよいよ巨大化していきました。特にサーキャ族(釈迦族)からは、釈尊の実子ラーフラ(後のラゴラ尊者)をはじめ、従兄弟のアーナンダ(後の阿難尊者)とアヌルッダ(後の阿那律尊者)と、理髪師のウパーリ(後の優離波尊者)などが続々と出家し釈尊の弟子になったことは前回述べました。
祇園精舎の土地を寄進したのが給孤(ぎつこ)長者ですが、その甥に当たるのがスブーティ(後の須菩提尊者)です。常日頃伯父から釈尊のことを聞かされていたスブーティはある日祇園精舎に釈尊がお見えになると聞き、説法を伺いに行った結果その偉大さに魅せられて出家してしまいました。
これまで十代弟子の内八人について触れました。あと二人がプンナ(富楼那尊者)とカチャーヤナ(迦栴延尊者)です。二人とも弁舌に優れていましたが、プンナは主に庶民を相手に説法をして大衆から尊敬され「説法第一」と称えられました。
カチャーヤナは主に国王や貴族を相手に主に知識層の人たちといわゆるディベート≠通して布教されたのです。「論議第一」と称えられました。以上十大弟子の他にあと特異の弟子を三人紹介しましょう。その内の一人が「殺人鬼アングリマーラ」です。
コーサラ国の首都シラーバステにいたアングリマーラは、師に師の妻との関係を疑われ、「千人を殺し、その指を首飾りにして持ってこなければ許さない」といわれたのです。
彼は99人の殺人を重ね、あと一人で千人となった時、彼はなんと自分の母親に襲いかかったのです。そこへ釈尊が現れ、諄々と教え諭したのです。自分の罪深さに目覚め、仏弟子となったのです。それからの彼は別人のようにひたすら修行を重ね、ついに悟りを得たのです。
しばらくして、殺人鬼を捕まえようとバセーナデ王が500人の兵を従えてやってきました。事情を知った釈尊は言いました。「もし殺人鬼が私のもとで修行し、悟りを開いていたらどうしますか」
それに対して王は「捕える代わりに供養します。でもそんなことはありえません」と答えたのです。そして、仏陀・釈尊の指さした先には、静かに禅定にいるかつての殺人鬼アングリマーラがいました。その崇高な姿を見た王と兵士達は思わず手を合わせたといいます。
二人目の特異の弟子は、「最も愚かな弟子」と言われたチューラパンタカです。彼は、短い経文を4ヶ月かけても覚えることが出来ずにいました。同じように出家した兄からは「とても悟りは開けないだろう。諦めて家に帰った方がよい」といわれたのです。
それを知った釈尊は、彼に一枚の布を渡し、「これからは、毎日やってきた人の衣や履き物の埃をこの布切れで払ってあげなさい。その時『塵を払え、垢をとれ』と唱えなさいと申しつけられたのです。
来る日も来る日も、チューラパンタカは釈尊の教えの通りを実行したのです。そして何年か経ったある日、彼は突如悟ったのです。それは、『塵を払え、垢をとれ』とひたすら唱えたことで、彼の心の中の塵と垢である一切の煩悩が払拭されてしまったのです。
拙僧この話を知って私的に納得できるのは、『塵を払え、垢をとれ』の一句は当に「無字の公案」であったということです。公案はすべからく一切の煩悩からの解脱の手段ですから、まさに徹底単提の結果、本来の面目に遭遇されたということです。
多くの弟子の中には様々な弟子がいるものですが、最後に最悪と言われた三人目の弟子の話を紹介しましょう。アーナンダ(阿難)の兄弟のデーバダッタ(堤婆達多)です。アーナンダは釈尊の従兄弟ですから、彼もまた釈尊の従兄弟ということになります。
彼は釈尊の元で出家し、早い時期から頭角をあらわしました。しかし、釈尊の晩年、巨大化した教団の統制を図るため、教団内に厳しい五つの戒律を提案したのです。
ところが、釈尊にその戒律は厳しすぎると認められず、さらに極端な行動を戒められたのです。それに腹を立てたデーバダッタは、賛同する500人を引き連れ、釈尊のもとを去ったのです。
さらに彼は教団の乗っ取りを謀り、なんと釈尊の暗殺を企ててしまったのです。刺客を何人も放って暗殺を謀りました。しかし、みな釈尊に教化されて失敗してしまいました。
霊鷲山の上から、下にいる釈尊目がけて石を転がしたり、巨像に大量の酒を飲ませ、托鉢中の釈尊を襲わせたりしたのですが、どれも失敗してしまいます。最後に、デーバダッタは、自分の爪の間に毒を塗り釈尊を傷つけ毒殺しようとしたのです。ところが、指先の小さな傷から毒が回り、自分の命を落としてしまったのです。
教団にはいくつもの危機があったのですが、拙僧が思うに、その最大のことは、釈尊が最も信頼していた二人の高弟の死だったのではないでしょうか。サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)との死別です。
二人は幼なじみの親友で共に出家し、初期の教団をまとめあげました。特にサーリプッタ(舎利弗)は、般若心経の中に見られるように、釈尊より「舎利弗よ」と呼びかけられるほどの存在感のある立場だったのです。
目連は盂蘭盆の故事で有名ですが、彼は異教徒に対しては特に厳しく、釈尊のボディーガード役となって師・釈尊を護りました。過度の排斥行動から異教徒の恨みを買って最後は撲殺されるという悲惨な運命でした。
二人の死後間もなく、釈尊は弟子達を見回して申されました。「今ここに二人がいないことは大きな損失だ。しかし悲しんではいけない。すべてのものは無常である。大樹の葉が繁るとまず先に大きな枝が折れるのと同様に、二人は先にこの世を去ったのだ」
そして、釈尊はサーリプッタの遺骨を右手に乗せ言いました。 「いま一度、わが子の遺骨を見よ」アーナンダ(阿難)は号泣しました。 

■釈迦牟尼仏4 釈迦族滅亡
今月は、なでしこジャッパンの活躍に久しぶりに日本中が沸きました。体格に勝るドイツやアメリカの選手を相手に物怖じせず果敢に立ち向かい、優勝した結果はまさに奇跡の感があります。
しかし、今回の勝利は偶然に得られたものでは決してありません。それは、笑顔の監督の下、勝利を信じ、お互いがお互いを信じ切って、最後まであきらめない気持から幾つもの奇跡のゴールが生まれたといえるでしょう。
大型選手を振り切り、交わし、伸び伸びプレーする姿は、「柔よく剛を制す」の諺通り、判官贔屓の日本人にはたまらない興奮を与えてくれました。決勝戦では、アメリカよりも日本を応援してくれた国が多かったとか。判官贔屓の感情は世界共通のものかもしれませんね。
しかし、人生にもスポーツにも奇跡なんてありません。大事なことは、勝利を信じ仲間が一体となって、さいごまであきらめないで戦うフェアプレー精神です。そうすればそこに奇跡とも言える結果が生まれるのです。
結果はすべて原因と縁で決まるのです。今回なでしこジャパンがそれを証明してくれました。今後世界が「やまとなでしこ魂」を研究し始めるかもしれませんよ。
せっかく咲いたなでしこです。つぎは国民が守ってあげる番かもしれません。今朝の新聞に載っていた川柳です。
「咲かすより枯らさぬ努力なでしこを」
その隣にありました。「あと二つ民主党にもメドコール」
その近くにありました。「事故車両埋めて世界の開いた口」
不安と不人気の日本の政府ですが、中国の非人道的闇政権よりはましかもしれません。政治家こそフェアプレー精神を身につけて欲しいものです。
仏の顔も三度
釈尊の出身サーキャ族(釈迦族)は実は釈尊存命中に滅亡したのです。今回はその経緯についてお話しましょう。
当時のインドはコーサラ国とマガダ国の二強が覇権を争っている時代でした。釈迦族のカピラバットウ国はコーサラ国の属国だったのです。
コーサラ国の前王バセナーディ王が特に釈尊を崇拝し深く仏教に帰依していた縁もあって、現国王は、妃を娶るにあたり、釈尊出身の地である釈迦族から妃を迎えたいと願い、使者を釈迦族に遣わせたのです。
ところが、この使者が問題でした。属国の釈迦族が妃を差し出すのは名誉なことだし、当然だという横柄な態度に釈迦族の人たちはすっかり臍を曲げてしまったのです。
長年コーサラ国の属国として隷属に甘んじていた釈迦族にとって好ましい縁談ではなとして、ある王族とその召使いとの間に生まれた娘を王族の嫡子と偽って嫁がせてしまったのです。これがすべての悲劇の始まりでした。
何も知らないコーサラ国王は、その見目麗しい娘を第一夫人として寵愛したのです。やがて男の子が誕生し、バドーダバと名付けられました。その王子が八歳になったとき、弓術を習うため母の故郷カピラバットウ国に留学することになったのです。
その母の故郷で知らされたのはなんと母の出生の秘密でした。バドーダバ王子は下女の子という理由からひどい屈辱を受けたのです。若い王子が受けた心の傷は相当のものでした。やがて成長し国王となってもその怨念は収まることはなく、ついに釈迦族を滅ぼそうと決心するに至ったのです。
コーサラ国王となったバドーダバは大軍を率いてカピラバットウに出兵します。事態を知った釈尊は、母国を想うあまりなんとか侵攻を止めさせようとして、コーサラ軍の通る道端の枯れ木の下で坐禅をされたのです。
そこに通り掛かったバドーダバ王は釈尊に訳を尋ねました。「お釈迦様、他に繁った木があるのに、なぜ枯れた木の下にお座りですか」 釈尊は答えました。「枯れ木でも親族の木陰は涼しいものです」と、滅び行く一族を枯れ木に例え暗に撤退を願ったのです。
その思いを汲み取ったバドーダバ王は、そこから軍を取って返したのです。しかし、怒りの収まらない国王は、やがて再び進軍を始めます。そして、その時も同じ場所に釈尊は坐禅をされていたのです。偉大な釈尊の前を素通りすることも出来ず、軍は再び折り返したのです。
その後さらに三度目の侵攻があり、同じように釈尊の禅定のお姿にコーサラ軍は進軍を諦め引き返したのです。
そして、やがて四度目の侵攻が始まりました。しかし、その時には、もはやそこに釈尊のお姿は有りませんでした。釈尊は、「滅びゆくものは滅び行くにまかせるしかない・・・」と申され、遠くからコーサラの進軍を見送ったのです。
「仏の顔も三度まで」・・・でした。釈尊の故郷、サーキャ族(釈迦族)の小国カピラバットウ国はこうして大国コーサラ国の大軍に為す術もなく滅亡したのです。
宗道者は政治とは無縁でなければならないと政治不介入を貫いた釈尊が、その生涯において唯一政治に関与された出来事でした。
弟子の目連尊者がその神通力を使って釈迦族の救済を申し出たのですが、釈尊は、「釈迦族は今日、宿縁がすでに熟した。今まさに報いを受くべし」『増阿含経』と申され、目連の申し出を断り、すべては因果必然の業報だと教示されたのです。
釈迦族の滅亡への因果の流れは、世尊お釈迦さまにしてさえ、どうすることも出来なかったのです。その「因果業報」は、個人のみならず、団体、社会そして国家、さらには地球全体にも及んでいる道理なのです。
今日本が直面している最大の問題は原発事故ですが、その因果の悪影響が日本中のあらゆる個人、家族、会社、団体、地方、国家のみならず、諸外国までも巻き込んでしまっています。
原子炉から流れ出た核燃料がコントロールできないように、一端流れ出た因果の流れは途中で止めることは絶対にできません。人生に想定外はつきものですが、人は自己責任による不幸だけは避けなければならないことを釈尊は示されたのです。
すべての個人、会社、団体、そして国家が、「修善奉行」「諸悪莫作」の教えを今一度肝に銘じるべきでしょう。 
 

 

■釈迦牟尼仏5 七つの法
「当たり前」のありがたさ
ごく最近、一人のおじいさんが当山を訪れました。聞くところによれば、福島県の双葉町からこの館山で避難生活をされている家族で、自分は81歳になるとのこと。
放射線で、自宅の仏壇にも檀那寺にもお参りできないことで気持ちが落ち着かず、お盆が過ぎた今、居ても立っても居られず、同じ曹洞宗のお寺を探してこちらへお参りに来たとのことです。
本堂にご案内し、ご本尊さまにお線香を手向けられたら「これでやっとほっとしました」といって安心されていました。暫し、福島の悲惨な現状を伺いましたが、返す言葉に窮しました。
今回の大震災と原発事故から、"当たり前"の生活がどれほど"有難かった"か、思い知らされました。「当たり前」を「当然」として受けとめてきた多くの日本人は、今こそその認識を改めるべきでしょう。
「当たり前」が「当たり前」でなかったと気づいたとき、人ははじめて感謝の気持ちになれるのです。すなわち、「有ること難(がた)し」の「ありがとう」になるのです。人はみんな"有り難し"の中で生かされているからです。
水も空気も、大地も海も空も、大自然は人間にとって決して当たり前の"私物"ではないのです。古来、人は大自然を敬い、その恵みに感謝し神殿を祀り絶えず報恩の気持ちを捧げてきました。それが近来、科学の発展に伴い万事人間優先の便宜至上主義の結果大自然をないがしろにしてしまいました。
その奢りの最先端にあったのがまさに原子力でしょう。もし大自然を敬う心があれば、原発をこれほどまで過信することは無かったでしょう。多分会社にも発電所にも自然を敬い安全を祈願する大神宮様や守護神様は祀られてはいなかったでしょう。(これは想像です。間違っていたらごめんなさい)
これまで、われわれは豊かさの限度を忘れて、空気も水も食糧も、電気も石油も「当たり前」のこととして浪費してきました。ところが、空気も水も食料も、電気も石油も実は「当たり前」のものではなかったと気づかされたのです。
人は「当たり前」でないと分かったときに「ありがとう」の気持ちになれると言いましたが、実はそれに加え自分自身の存在も、置かれている環境の全てもまさに「有り難い」存在なのです。だから、人は絶えず神仏に感謝することを怠ってはいけないのです。報恩感謝の心無くして神仏のご加護と幸福は得られません。
七つの法
釈尊はネパールのルンビニーで生誕され、悟りを開かれた後、各地を巡錫されましたが、その活動の場は主にガンジス川の中流域でした。釈尊がラージギルの霊鷲山において説法をしていた頃のことでした。
当時この辺りで最も強国であったのがマカダ国でした。そのマカダ国からガンジス川を隔てて繁栄していたのがヴァッジ族でした。共和制が敷かれ商工業が栄え非常に裕福な部族でした。
マカダ国の王はその隣国を疎ましく思い攻め滅ぼそうと考えたのです。そこで、マカダ国王は釈尊のもとに使者の大臣を遣わして、その是非を尋ねました。釈尊は直接大臣にはお答えにならず、弟子のアーナンダを介してヴァッジ族が繁栄している理由を七つ挙げて質問をされたのです。
1. ヴァッジ族の人々はよく集会を開き、正しいことを論じているか
2. 君主と臣下が協力し、身分の上下を弁えお互いに尊敬し合っているか
3. 法律を遵守し、礼節を重んじているか
4. 父母に孝行を尽くして目上のものを敬っているか
5. 部族の霊域を敬い、祖先の供養をよくしているか
6. 男女間の礼節をよく守っているか
7. 尊敬されるべき出家者たちに正当な保護と支持を与えているか
これらの質問に対して、特派の大臣はすべて、「はい、その通りです」と答えたのです。これを受けて釈尊は「ヴァッジ族がこの7つの法を守っているあいだは、彼等はいっそう繁栄し衰えることはないだろう」と言い、暗にヴァッジ族を滅ぼすことは許されないことだと説かれたのです。
おそらくは、釈尊にはコーサラ国によって無念にも滅ぼされたわが愛しの釈迦族の因果を鑑みての強い思いがあったに違いありません。ヴァッジ族はまさに釈尊の威光と見識によって救われたのでした。この7つの法をあらためて見てみると今の時代にもそっくりそのまま適用する実に大事な道理だということがわかります。今一度これら7つの意味を吟味してみる価値はありそうです。
1. ヴァッジ族の人々はよく集会を開き、正しいことを論じているか人の集団の中で正しいことが論じられなければ民主主義社会ではありません。 しかし、当時から2500年経た現代でさえ民主主義は難しいのです。 エジプト、リビアなどやっと民主化されましたが、まだまだ非人道的独裁国家は存在するのです。
2. 君主と臣下が協力し、身分の上下を弁えお互いに尊敬し合っているかどんな国家社会でも指導者がいて、指導される民がいるのです。 大事なことは基本的人権が尊重されているかどうかです。
3. 法律を遵守し、礼節を重んじているか法律や義務は社会秩序のためには絶対必要不可欠のものです。 さらに礼節は道徳文化の規範であり、個々の尊厳と民族の誇りを表すものです。 倫理と誇りを失った社会こそ犯罪社会なのです。
4. 父母に孝行を尽くして目上の者を敬っているか父母への敬意と孝行こそ倫理道徳の原点です。 かつての日本は三世代家族が当り前でしが、現代は核家族が普通になってしまいました。 子や孫に孝行の場が無くなってしまったことが、虐待社会の要因になってしまったのです。
5. 部族の霊域を敬い、祖先の供養をよくしているか部族伝来の土地に守護神を祀り、祖先への報恩感謝を怠らない心です。 信仰心を持つということです。自然や神を崇めない人は魂の拠り所のない人です。 信仰こそ心の拠り所なのですから。
6. 男女間の礼節をよく守っているかこの礼節なくして一家の幸福も一族の繁栄もありません。 現代社会、特に今の日本にこそ一番求められる礼節ではないでしょうか。
7. 尊敬されるべき出家者たちに正当な保護と支持を与えているか出家求道者が尊敬保護される社会こそ安心社会なのです。 特に仏教では三宝といって、仏、法、僧に先ず帰依することから始まります。 なぜならば、文字通りこの"三宝"こそ人々の救いの拠り所となっているからです。 しかし、この三宝を真に理解し、布教できる人が居ない現代こそ悲しい限りです。 

■釈迦牟尼仏6 最後の教え
真の「絆」とは
千年に一度と言われる大地震による大津波。その天災によって引き起こされた原発事故という大人災。
天災は仕方ないという気持ちにもなりますが、人災は絶対に許されないという気持ちになります。そしてその責任をとってもらわない以上絶対に納得できません。
では、今回のその責任の所在はどこにあるのでしょう。国策として推進してきた原発事業である以上、その責任はまず、政府にあると言えるでしょう。次に、その政治家を選んだのが一般国民である以上、一般国民にも間接的責任があり、国民は加害者、被害者双方の当事者だとも言えるでしょう。
しかし、なんといっても一番の加害者は東電であることに間違いはありません。本日の新聞には、その当面の賠償額の見積が4兆5400億円だと載っていました。しかし、お金で済む問題では決してありません。大事なことは誠意です。
ところが、ほとんど塗りつぶした事故報告書だとか、やたら難しい補償請求書の内容だとか、追加請求しないという一方的合意書の要求だとか、あまりにも被災者をバカにした態度に、東電に反省の様子はまったく認められません。
そのおごりから推して知るべきです。電力独占巨大企業の長年のおごりがもたらした、起こるべくして起こった、まさに因果と言われても仕方ありません。今回たまたま東電が「一番籤」だったというだけのことであり、東電でなくとも、いつか必ずや他の電力会社に起こることだったと認識すべきでしょう。
野田総理は原発の安全を最高水準にもっていくと言っていました。それで安全が保障されるならば、是非東京に作ったらどうでしょうか。原発はすぐには無くせないという人が多いようですが、それならば、その人達は自分のところに持ってきてもよいと認めてのことでしょうか。
自分さえよければと、考えている人は、東電の無責任の輩(もちろん中には良心的な人もいますが)と同等ではないでしょうか。原発賛成、反対は、まず自分の立場を当事者、被災者の中に入れてからの判断です。真の「絆」とは、相手の立場が理解できてはじめて生まれるものです。
自灯明・法灯明
王舎城の霊鷲山に住されていた釈尊は80歳を迎えようとされていました。
大悟成道されて以来40余年の歳月が流れていました。多くの人々を教え導いて来られ、もはやその尊い役目も終わりに近づいてきていることを感じられたのでしょうか。
ご自身の身体の衰えを「私の体はちょうど古い車が革紐の助けを借りてやっと動いているようなものだ」(大般涅槃経)と表現されています。身体の衰えとともにご自身の入滅の近いことを悟られた釈尊は、生まれ故郷のカピラドットウに向かって旅に出る決心をします。
侍者のアーナンダと数人の弟子を従えた、およそ350キロもの長旅です。ご高齢の釈尊にとって最後の旅立ちとなったのです。その様子が記されているのが大般涅槃経です。
王舎城を出た一行は、まずアンバラティカーに行き、そこの王の園林に逗留し、次にナーランダー村に行きました。ナーランダーは五世紀になって仏教の大寺院が建立されましたが、当時は広々とした農村地帯でした。
釈尊はマンゴー林に止住され多くの修行者に説法されました。ナーランダーは5〜12世紀には仏教教学の一大中心地として栄え、玄奘三蔵や義浄もここで学んでいました。当地で研究された仏教哲学は法相宗として日本に伝わりました。
次に釈尊はバータリー村に行きました。ここは当時はガンジス川南岸の船着き場としての小さな寒村でしたが、後にバータリプトラと呼ばれる大都市になりアショカ王の都城として栄えました。
釈尊はここからガンジス川を渡り、対岸のヴァッジー国に入りました。対岸にあった村はコーティ村と言い、そこから更にナーディカ村を通ってヴァーサリー市に至りました。
釈尊は通る村々において、集まった村人達や随行の弟子達にそれぞれに適した法話をなされ、人々を励まし、鼓舞し、歓喜されたのです。
やがて釈尊一行は商業都市ヴェーサリーにやってきました。そこには遊女アンバパーリーの園林がありました。当時、修行者は土地の所有者に断り無く立ち入ることができました。彼女は釈尊が自分の園林に止住されることを知り大変喜びました。
彼女は釈尊に対して心を込め敬礼しました。釈尊は法話を説かれ、訓戒し、鼓舞し、彼女の心を満足させました。彼女は釈尊に食事の供養を申し出ました。釈尊は快諾しました。
そして、貴族の若者達が大勢で訪れ、釈尊を食事に招きましたが、先約があると言ってそれを断わりました。身分制度の厳しいインドにおいて、遊女アンバパーリーの接待を優先されたのです。供養を終え、喜びに溢れた彼女は自分の園林を教団に献じました。
一行が次の村、竹林村に到着した時に雨期が始まりました。インドでは雨期が四ヶ月間続きます。毎日スコール性の強い雨が降ります。それゆえ、釈尊はこの雨期の三ヶ月間、一ヶ所に止住してそこで修行をする「安居」(あんご)の制度を設けられていました。
この時も雨期が始まりましたので、弟子達にそれぞれ縁故者を頼って宿所を見つけ、三ヶ月の雨安居に入るよう命じられました。教団は一ヶ所に留まらない遊行生活が基本でしたので、生活はとても不便で苦しいものでした。
しかし、このような苦しい生活に堪えて巡錫することが修行であり目的であったのです。竹林村にて釈尊もいつものように雨安居の生活を始めておられたある日のこと。釈尊はひどい腹痛に襲われました。釈尊は三昧に入りなんとか堪えておりました。やがてその病気は治まり回復してゆきました。
侍者のアーナンダは釈尊の様子をみて、「仏陀よ、ご機嫌うるわしくお見受けいたしますが、師のご病気が心配で私は方角も道理もわからなくなりました。師が修行僧の教団に関して、何も言い残さないで涅槃に入られることはないであろうか、と考えて大変不安になりました。」
釈尊は申されました。「それでは修行僧の教団は私に対して何を期待するのか。私は内外の隔てなく教えを説いてきた。アーナンダよ、如来の法には、何ものかを弟子に隠すような教団の握拳(秘密の教え)は無い。
アーナンダよ、今や私は老い、衰え、人生の終わりに達した。例えば、古い車が革紐で修理されて動くように、私の身体も、いわば革紐の助けによっているのだ。」
そして、弟子達が釈尊のみを頼りとしていることの非を諭されました。「自己を島として住し、自己を帰依処として住せよ。他を帰依処とせざれ。法を島として住し、法を帰依処として住せよ。他を帰依処とせざれ。」と述べられたのです。これが即ち、釈尊の最後の教え「自灯明・法灯明」です。
「自己を拠りところとし」の真意は、修行こそ自己実現であるということ。真の自己に目覚めることが仏陀であり、それが即ち極楽浄土の「唯我独尊」の主だということ。
「法を拠りところとせよ」とは、「法」は釈尊の教えであると同時に釈尊自身であるということ。この認識が大事です。「法」は永久不変の真理であるから、釈尊自身も久遠の存在になるということ。すなわち「久遠仏」となって説法されているということ。
人はすべて「心」によって決まります。心がすべてである以上、自己を拠りところにするしかないのです。「良い心」も「悪い心」も、それはあなた(自己)次第です。 

■釈迦牟尼仏7 チュンダの功徳
真の「おもいやり」とは
原発への過信から、とんでもない事故が起こり、国家、国民に与えた損害は甚大なものです。一民間企業の事例としては史上最悪のものになるかもしれません。このとんでもない賠償責任に果たして東電だけが負えるものでしょうか。
その責任を考えた時に、原発という巨大利権に群がってきた関連企業101社からなる日本原子力産業協会にも当然その賠償責任は及ぶべきでしょう。あるマスコミによれば、その協会の埋蔵金は80兆円にもなるそうです。東電ばかりにおっかぶせるのではなく、仲間としての責任と「おもいやり」を示して欲しいものです。
他人に危害や損害を与えた場合、それを償うことが、人間社会の責務であり常識です。故意であれ、過失であれ、その責任は免れません。その幅は罰金から死刑にまで及んでいて、人の命を危めた場合など、大変な償いを求められます。
あなたは、自分の命の価値をどの位に思っているのでしょうか。少なくとも生命保険の死亡保証金の額では納得していない筈です。もし、仮に過失であれ、あなたの命が奪われたら、相手にどのような賠償を求めるのでしょうか。ご存知のように、お釈迦さまは、誤って毒茸を食べさせられたことがもとでお亡くなりになりました。その「過失」に対して、お釈迦さまは、相手に何の非難も賠償要求もしませんでした。それどころか、「私に最後の食事を供養してくれた最高の功徳者」だと称えたのです。
その御心は我々凡夫にはなかなか計り知れない境地ではありますが、その境涯こそ仏陀の大慈悲心に他なりません。その仏陀の徳に少しでもあやかり、真の「おもいやり」とは何か考えてみたいものです。前回に続いて大般涅槃経から学んでみましょう。
チュンダの供養
雨安居を終え、弟子とともにヴァーサリー市を出発した釈尊は故郷カピラドットウを目指し、さらに北に向かって歩き始めました。
いくつかの村を通過し、パーバー村につきました。そして、鍛冶工チュンダの所有するマンゴー林に滞在することになりました。
これを知ったチュンダは大変喜んで早速釈尊を尋ね恭しく敬礼しました。釈尊は法話され、チュンダは深く諭され、鼓舞され、喜びました。
そして、「尊い師よ、どうか明朝わたしの家で食事の供養を受けてください」と申し上げました。釈尊は沈黙をもって、この申し出をお受けになったのです。
チュンダは、夜も明けないうちから様々な美味しい料理を作りはじめました。用意ができたことを受け、釈尊は弟子とともに鍛冶工チュンダの家に行き、食卓につかれました。
釈尊はおっしゃいました。「チュンダよ、汝の用意した茸は私に供養しなさい。そして、残りの柔らかい食べ物、かたい食べ物を修行僧に供養しなさい」チュンダは指示に従って、料理をそれぞれに供されました。
そして、釈尊は更にチュンダに言われました。「チュンダよ、残った茸はすべて穴に埋めなさい。この茸を消化できる人は、如来以外に、天人の世界にも人間の世界にもいない」
チュンダは言われた通りに、残った茸をすべて穴に埋めました。その後で、チュンダは釈尊に近づき、敬礼し、一方に座しました。座したチュンダに対して、釈尊は法話をし、彼をさとし、鼓舞し、喜ばしめました。そして、座より立って去りました。
このとき鍛冶工チュンダが供養した「茸」は、原語では「スーカラ・マッダヴァ」と言います。漢訳では「栴檀樹耳」とか「柔らかい豚の干し肉」と訳されますが、日本では「毒茸」説が一般的です。
ところが、チュンダの家から帰る途中、釈尊は突然激しい痛みを感じ、下痢による出血が止まらなくなりました。その苦痛に耐えながら、阿難に言われました。「さあ阿難よ、クシナガラへ行こう」 「かしこまりました」と阿難は答えました。
釈尊は病をおして、バーヴァーからクシナガラへの道を歩いておられました。やがてお疲れになったので、一樹の下で休まれることになりました。そして阿難に言われました。
「阿難よ、私のために上衣を四重にして敷きなさい。私は疲れた。坐ろう」ここで言う「上衣」とは、「僧伽梨衣」(そうぎゃりえ)と言って、二メートル四方位の大きな布のことで、体に巻き付けて「袈裟」として着ているものです。
上衣でできた床に、釈尊は坐して、阿難に言われました。「水が飲みたいから、水を持ってきてほしい」しかし、近くの小川の水は濁っていてとても飲めたものではなかったので、阿難は、「この先のカクッター河まで、辛抱なさいませ」と申し上げました。
しかし、釈尊の喉の渇きはひどく、三度も所望されました。ついに阿難は「かしこまりました」といって、濁った小川に行きました。そしたら不思議なことに、その小川の水は綺麗に澄んで流れていたのです。阿難は、釈尊の神通力によるものだと感嘆しました。そして鉢に水を汲み、釈尊に差し上げたのです。
そのとき、ブックサという商人が通りかけました。彼は、一樹の下で心静かに休んでおられる釈尊を見て深く心を打たれました。彼は釈尊の威光に深く感銘し、信者になりました。そして、釈尊と阿難に柔らかい一対の金色の絹衣を献上しました。
阿難が釈尊にその金色の美しい衣をお着せしました。すると、不思議なことに、釈尊の皮膚の色が金色に輝き出したのです。
すると、釈尊は申されました。「阿難よ、如来は二度皮膚の色を金色に輝かせる。この二つの時間に、如来の皮膚の色はきわめて清らかに、美しくなるのである。一度目は、無上の仏陀の悟りを得た夜であり、二度目は、無余依涅槃界に入る夜である。
阿難よ、今夜の夜の終わる最後に、クシナガラのマッラー族の林の沙羅双樹の間で、余は般涅槃に入るであろう。さあ阿難よ、河へ行こう」
ブックサが持ってきた柔らかい金色に輝く一対の絹衣によって釈尊の体は金色に輝いたという、現代の仏像が一般的に金色に輝いているのは、この故事に来歴していたのですね。
釈尊は修行僧とともに、カクッター河へ行きました。そして水に浸り、水浴し、水を飲み、対岸に渡ってマンゴーの林へ行きました。そこで釈尊は鍛冶工チュンダに後悔の念の起こらないようにと説法されました。
「阿難よ、チュンダの後悔の念は、次のように排除されるべきである。『汝の差し上げた最後の供養の食べ物をおあがりになって、般涅槃されたのであるから、汝は利益があり、大なる功徳がある』と、チュンダに伝えてほしい。
無上の供養に二つあり、一つは、如来が仏陀の悟りを得られた時の、その供養の食べ物であり、もう一つは、如来が無余依涅槃界に入られる時の、その供養の食である。 この二つの供養の食べ物は、等しい功徳があり、等しい利益がある。
鍛冶工チュンダは寿命を延ばす業を積んだ。鍛冶工チュンダは容色を増す業を積んだ。鍛冶工チュンダは安楽に導く業を積んだ。鍛冶工チュンダは名声を増す業を積んだ。鍛冶工チュンダは天界に生まれる業を積んだ。鍛冶工チュンダは王権を得る業を積んだ。阿難よ、このように鍛冶工チュンダの後悔の念は排除されるべきである。」
チュンダの後悔の念を取り除こうという、釈尊の深い思いやりの心が伝わってきます。 

■釈迦牟尼仏8 入滅にのぞみ
永遠の命とは
死んだらどうなってしまうのだろうか。地獄や極楽は本当にあるのだろうか。自分は一体何処へ行くのだろうか。誰もが抱いている大疑問です。人はその答えが解らないから苦しいのです。
人類で初めてその答えを見付けた人、それが釈尊です。釈尊は、その答えを"発見"し、大安心(だいあんじん)を得られました。その一切の苦悩がない世界を、すなわち"極楽"といいます。
"発見"した世界ですから、極楽はまさに"実在"するのです。釈尊は、この「一切皆苦」の現世で苦しんでいる一切衆生に、なんとか「安心」を得させんとされて、その「方法」を説かれました。これが即ち「仏法」です。
「仏法」は一切の苦悩から解放されて安心を得るための正に人生のテキストとなのです。しかしですよ。"テキスト"である以上、単なる方法論であって、そこから安心そのものが直接得られるわけではありません。つまり、テキストに書かれた「安心」は、いわば"絵に描いた餅"であって、"本物の安心餅"ではないのです。では、本物の安心餅を味わうにはどうすればよいのでしょうか。
それには、仏法を"実践"することです。それを「仏道」と言います。仏道の実践なくして本物の"安心餅"を食べることはできないのです。それが「一切皆苦」から解放される唯一の道なのですから。
もしあなたが、仏教に興味を持ち、多くの仏教書を当たり勉強していたとしたら、実に尊く素晴らしいことでしょう。しかし、どんなに知識を詰め込んでも、それが画餅の域を出ないものだとしたら、実に勿体ないことです。
さて、釈尊は、ご自身の死を目前に、泰然自若として法を説かれました。そこには一点の迷いも、不安も、嘆きもありません。それは正に解脱を得、「生」と「死」の一如の世界に安住されていたからに外ありません。
生死一如の世界にもはや大安心以外のものはありません。そこがすなわち、彼岸、涅槃、浄土、極楽の世界であり、"永遠の命"を得た久遠仏の世界なのです。釈尊は横臥され、今まさに黄金色に輝き、尊厳に満ちた如来の姿で久遠仏として入滅されんとしています。前回に引き続き大般涅槃経からその様子をみてまいりましょう。
阿難の嘆き
釈尊がチュンダの供養受けられたのが正午前でした。出家者の食事は、正午以後には許されないからです。チュンダの家を出発された釈尊は、病気に苦しみながら、クシナガラに通じる大道を進んでいました。
ようやくクシナガラにたどりついた釈尊は、マッラ族の住むウパバッタナ村の林に入りました。釈尊は阿難に言われました。「さあ、アーナンダよ、汝は私のために、沙羅双樹の間に、頭を北に向けて床を用意しなさい。私は疲れた。横臥しよう」
「かしこまりました。尊い師よ」と阿難は答えて、二本の沙羅双樹の間に床を敷きました。そして、釈尊は右足の上に左足を重ね、獅子臥をなし、思惟を正しく保ち、しっかりした自覚をもって、休まれました。
このように、釈尊が沙羅双樹の間に横たわられますと、その時、ときならざるに沙羅双樹の花が咲きはじめ、すべての花は満開になりました。花は釈尊を供養するために咲き、そして花びらが釈尊に降りそそぎ、あたり一面を花びらが散り敷きました。
林が真っ白い花で一杯になったので、これを「鶴林」とか「つるの林」などと言われます。「涅槃経」には「沙羅の林が白く変じて、白鶴のようであった」と述べられていて、それに由来しているそうです。
奇瑞はそれだけではありません。涅槃経によりますと、天上から花や香が釈尊の体の上に降り注ぎ、さらに空中に音楽が奏でられ、天人達が釈尊を供養したというのです。
しかし、釈尊は阿難に告げられました。「このように花や香、音楽などによる供養は真の供養ではない。真の供養とは、法に従って正しく実践することであり、如来を敬い、尊び、最上の供養を施すことである。アーナンダよ、このように学ぶべきである」と説かれました。
また、阿難は釈尊の葬式について質問します。「世尊よ、私たちは世尊の舎利(遺骸)を、どのように処理したらよいでしょうか」
「アーナンダよ、汝らは如来の舎利の供養にかかずらうな。いざ、汝らは、真実の目的のために精進せよ。正しい目的のために、放逸せず、熱心に精進せよ。如来に信心をもつ王族の賢者たちや、バラモンの賢者たち、居士の賢者たちが如来の供養をするであろう」
釈尊はこのように答えられて、出家の弟子たちに、自分の葬儀に関係したり、遺骨の礼拝や供養をすることを禁止されたのです。そして、信心ある在家の賢者たちが自分の葬儀に関わるであろうと申されたのです。ゆえに、釈尊が亡くなられて葬儀をしたのは、マッカラー人達でした。そして、火葬のあと、舎利を集めて、塔を建てたのも在家信者たちでありました。
釈尊が最後の説法をされている間に、阿難は釈尊が涅槃に入られるのを悲しんで、すすり泣きをしていました。「世尊が涅槃に入られるのは、何と早いことであろう。わたしはまだ修行が完成していない。まだ修行中であるのに、それなのに、わたしを捨てて般涅槃されてしまう」と言って嘆き悲しんでいました。
そこで釈尊は阿難に言われました。「やめよ、アーナンダよ、悲しんではならない。嘆くのをやめよ。かつて私は汝に言わなかったか、『すべて愛するもの、好めるものといえども、生別し、死別し、死後には境界を異にする』と。
アーナンダよ、すべて生じたもの、存在するもの、つくられたもの、破壊すべき性質のものを、それを破壊しないようにということが、どうしてあり得ようか。 そのような道理はあり得ない。
アーナンダよ、汝は長い間、慈悲のある、利益のある、純一な、はかり知れない言葉と行為と心とによって、私に仕えてくれた。アーナンダよ、汝は功徳をなした。努め励め。遠からず煩悩を尽くして、悟りを得るであろう」と言って阿難を慰めました。
そしてさらに修行者たちに言われました。「アーナンダは賢者である。四つの不思議にして、珍しい能力がある。その四つと言うのは何であるか。もし、修行僧たちが、アーナンダに近づくならば、会っただけで、彼等は喜びを感ずる。もし、アーナンダが説法すれば、それを聞いた者は喜びを感ずる。もし、修行僧たちが満足すれば、そのときアーナンダは沈黙する。もし、修行尼の集団、在家者の集団、在家信女の集団がアーナンダに近づくときもまったく同じである」
このとき阿難は釈尊に申し上げました。「世尊よ、世尊はクシナガラのような小さな町で般涅槃にお入りになるべきではありません。他の大きな都城、たとえばチャンバー、王舎城、舎衛城、サーケータなど、そこには多くの裕福な王族やバラモン、居士たちの大きな会堂があり、世尊にふさわしい舎利供養が施されるでしょう」
これに対して釈尊は、「アーナンダよ、そのように言ってはならない」と阿難の言葉を制止されました。そして、阿難に、ご自身が般涅槃されることをクシナガラの住民に知らしめるよう命じられました。
これは、「釈尊が生きておられるうちに、もう一度お目にかかった」と、人々が後悔しないように配慮されたからです。「アーナンダよ、行きなさい。クシナガラのマッラー族に告げなさい。今夜の最後に如来の般涅槃があるでしょう、と」 

■釈迦牟尼仏9 最後の弟子
命の尊厳
故人にとって人生最期の"舞台"、それが通夜、葬儀です。"舞台"などとは不適切な表現かもしれませんが、敢えて申せば、それが故人にとっての最後の"主役"の場だからです。
「人生、百人百様、同じようなものなど二つとないのが人の人生です。その唯一無比の"主役"が、今ご自分の一生に満足し、肉親、縁者のみなさまに感謝し、従容として浄土に旅立たれんとされています。その心境が穏やかなお顔立ちになって表れています・・・」たいていの通夜で拙僧が述べる言葉です。
臨場の肉親、縁者は故人に感謝し、徳を称え、哀悼を捧げ、"主役"の冥福を祈ります。人生終焉の"舞台"はしめやかに"終演"を迎えようとしています。まさに尊厳ある"旅立ち"といってよいでしょう。
拙僧、住職になって以来多くの葬儀をつとめてまいりました。そのほとんどはそのようなしめやかな尊厳に満ちたものでした。そんな"演出"が人として当たり前の最期だと思っていました。いや、今でもそう思っています。人の命ほど尊厳あるものはないと思うからです。
しかしそれが、今年、とんでもない災害が東日本を襲い、何万人もの罪もない人達の尊い命が一瞬にして奪い去られてしまいました。しかも人としての尊厳さえも打ち砕くようなあまりにも無惨なかたちで・・・
「さようなら」「ありがとう」の一言も言えずに、亡くなった人の無念さを思うとたまりません。残されたご遺族の気持ち、未だ行方不明の方のご家族の気持ちは如何ばかりか、そのうえ家や財産など一切を失った絶望感は想像を絶するものです。いくら自然災害とはいえ、あまりにも不条理です。
人には人としての尊厳があります。その"さいごの舞台"が葬儀です。その、人としての"しめやかな、当たり前"の葬儀、告別が"演出"出来なかった、犠牲者と遺族の無念さと悲しみは察するに余りあります。その多くの御霊(みたま)にただただ心からの哀悼の意を捧げます。
今年、平成23年はそんな本当に残念、無念の歳でした。この悲劇を忘れずに、多くの人々の犠牲が無駄にならないよう復興に向けて、頑張るしかありません。どうか、新年は穏やかな歳になりますように・・・
わが世尊、釈迦牟尼仏は、まさに入滅にされんとする中、忌わの際まで衆生済度につとめられ、そして最後の弟子をつくりました。世尊は最期まで尊厳に満ちておられました。
最後の弟子スバドラ
「遺教経」の初めに「釈迦牟尼仏、初め法輪を転じて、阿若僑陳如(あなきょうじんにょ)を度し、最後の説法に須跋陀羅(スバドラ)を度す」とあります。
その最後の弟子「スバドラ」のお話です。「今夜、お釈迦さまが般涅槃されるであろう」と聞いたスバドラは、「今私に生じている疑問を解いてくれることができるのはお釈迦さまだけだ」として、彼はサーラ林に出かけて行きました。
そして、阿難尊者に頼みました。「如来であり、阿羅漢であり、完全に悟った仏陀は、きわめてまれにしかこの世にあらわれない。しかるに私には、いま疑問が生じています。お釈迦さまはきっと私の疑問を解いてくださると思います。どうかお釈迦さまに会わせてください」
阿難尊者は言いました。 「おやめなさい、スバドラさん。世尊は疲れています。世尊を悩ませてはいけません」スバドラは二度、三度、同じことを述べ、阿難尊者に頼みました。それに対して、阿難尊者も同じ言葉で三度断りました。
そのやりとりをお聞きされた釈尊は、「やめよ、阿難よ、サバドラをさえぎってはならない。阿難よ、スバドラに如来を見ることを許しなさい。彼は私を悩まそうと思って質問するのではない。私は何の質問にも答えるし、彼はそれを理解できる」と答えられました。
そこで阿難は、スバドラに「おいきなさい、スバドラさん。世尊はあなたに許可を与えられました」スバドラは釈尊のところに近づいて、ていねいに挨拶をし、一方に座しました。
スバドラは初めに、「六師外道」に関する質問をしました。時間を持たない釈尊は、それを見当違いの質問だとして、「その問題は捨てなさい。私はあなたに法を説きましょう。よく注意して聞きなさい」と諭されました。
「かしこまりました」とスバドラはお釈迦さまに同意しました。そして、釈尊は、「世間には多くの宗教家がいるが、その教えの中に『八正道の教』が無いものは、修行も悟りも阿羅漢も認められないし、真実の果報も決して得られない」と諭されました。
そしてさらに、「しかるにスバドラよ、私の説く教理と戒律には、聖なる八正道が見いだされる。ゆえにこの教理と戒律とによって修行する者には、真実の悟りを得ることが出来、この世はむなしくないであろう。
スバドラよ、私は齢29歳にして、善とは何かを求めて出家した。スバドラよ、私が出家してから50年余となった。正理と正法の地を歩んできた。 これより以外に、真実の修行者は存在しない。」
釈尊の説法を聞いて、スバドラは心から心服し、次のように申し上げました。「世尊よ、すばらしいことです。世尊よ、実にすばらしいことです。たとえば倒れたものを起こすがごとく、覆われたものを露(あら)わすがごとく、迷った者に道を示すがごとく、暗闇に灯火をかかげるがごとく、世尊は種々の方法によって法をあきらかにされました。
私は、世尊に帰依します。そして完全な修行僧になる戒律を得たいと思います。正規の修行僧になるには、試験期間が四ヶ月あるとのことですが、私には四ヶ月ではなしに四年間の試験期間を過ごさせてください。そして、教団の許可がありましたら、どうか私に修行僧になる許可を与えてください。」
そこで釈尊は阿難尊者に言われました。「それでは阿難よ、このスバドラを出家せしめなさい。」 阿難尊者は、「かしこまりました。」と答えて、スバドラを出家させました。
スバドラは修行僧としての戒律を具えたあとで、独りで、怠らず熱心に修行し、やがて無上の悟りを得、そして、ついに清らかな阿羅漢になりました。釈尊最後の直弟子、それがスバドラでした。 
 

 

■釈迦牟尼仏10 遺言
新年おめでとうございます。昨年は千年に一度といわれる大震災に見舞われました。それに人類史上最悪の原発事故も加わり、今年も大変な試練が続きそうです。まだまだ先の見えない年になりそうですが、少しでも早く復興が進むことを願わずにはいられません。
遺偈・・・
禅院では、僧侶は本来毎年年頭にあたって、自己の現在の境涯を詩偈にして、これから一年間の、言わば"辞世の句"とする慣わしがあります。(もっとも今日の禅僧の多くは必ずしもやっているようには思えませんが)これを「遺偈」(ゆいげ)と言います。
遺偈は、遺誡偈頌(ゆいかいげじゅ)の略で、歴代の高僧碩徳が入滅に際して、後人のために自己の境涯を示した漢詩です。いろいろな形があるようですが四言古詩の形が一番多いようです。これは一句が四字で、それを四つかさねたもので、詩としては一番短いものです。
まずは、天童如浄禅師の遺偈をご紹介しましょう。
六十六年 六十六年
罪犯彌天 ざいぼんみてん
打箇孛跳 箇のぼっちょうをたして(本来「孛」は足偏があります)
活陥黄泉 いきながらこうせんにおつ
六十六年の生涯、仏天を汚したが、個体(肉体)を飛び出して、生きたままあの世に参る(愚僧訳)
ご自身の「天童」から謙遜して「罪犯彌天」を表しているのではないか。「活きながら」とは、不生不死の仏陀の実体を示したもので、自分は仏陀として永遠に生き続けるという自負をあらわしたものです。
次に、永平道元禅師の遺偈です。
五十四年 五十四年
照第一天 第一天を照らす
打箇孛跳 箇のぼっちょうをたして
觸破大千 大千をそくはす
五十四年の生涯、仏天を照らす、個体(肉体)を飛び出して、三千大千世界を突き破る(愚僧訳)
「第一天」 の「天」とは、「仏天」の「天」と、師である如浄禅師の「天童」の「天」を掛け合わせたもので、「照らす」は、「仰ぎ見る」と訳くしてはどうでしょうか。
「箇のぼっちょうをたして」は、あえて如浄禅師と同じ句を使っています。「三千大千世界を突き破る」とは、仏陀となり三千大千世界の主として永遠に生き続けるといった意味で、あえて自己の境涯を如浄禅師の詩に重ね合わせたようで、道元禅師の師に対する並々ならぬ想いが感じられます。
遺言・・・
では、開祖釈尊は入滅に際してどんな遺偈を残されたのでしょうか。もちろんインドには漢詩などありませんから、それは遺言と言ったほうがよいかもしれません。
釈尊は、臨終に際して、弟子から「これから何を拠り所にして生きていけばよいのですか」問われ、「拠り所は二つある。一つはお前たち自身、もう一つは私の教えである」と言われました。いわゆる「自灯明、法灯明」の教えです。
釈尊は、絶対者を信仰して、「そこに救いを求めよ」とは言いませんでした。誰か跡継ぎを指名し、「その者の言うとおりに生きよ」とも言いませんでした。つまり、誰かに導いてもらえるとは思うなということです。
「悟りへの道順は教えておくから、それを頼りに自分で進んでいきなさい」ということです。「立派な教え」と「たゆまぬ自己精進」、この両者が対になってはじめて釈尊の遺言は実を結ぶのです。
四つの遺言・・・
釈尊はさらに臨終に際して、四つのことを遺言されました。
第一は、「教法と戒律を師とすること」です。釈尊は自分が涅槃に入ってもそれで自分の活動が終わるわけではないと言われました。すなわち、今後は法と律とを師として修行をなすよう言われたのです。
第二は、「長幼の序、上下の秩序を尊重すること」です。このあと、釈尊が亡くなり、弟子たちだけになったら、「釈尊の弟子」という点では同じであっても、そこには必ず上下の順序があり、お互いを尊重し合わなければならないということ。
その基本は、まず先に出家した者が先輩であり、1日でも出家が遅ければ後輩になるということ。生まれた年の順序ではなしに、修行僧になる戒律を受けた日時が、先輩・後輩を区別する基準になることです。
深い悟りを得た者や、学問のある人などは、それなりに尊敬されますが、しかし教団における長幼の順序は、出家した日時で決まるのであって、後輩は先輩に対して、無条件の尊敬を捧げるのです。
第三は、「小小戒の廃止」です。修行僧には二百五十戒というほどの沢山の戒律がありましたが、釈尊は、自分の滅後には、もし修行僧の教団が希望するならば、小小戒(しょうしょうかい)は廃止してもよいと申されました。
しかし、中でも殺人・性交・盗み・嘘の四条は、波羅夷罪(はらざい)といって、最も重い罪で、これらの罪を犯した者は即教団から追放されることに変わりはありませんでした。
第四は、チャンナ比丘に梵檀罰を与えることでした。これだけが個人的なものです。チャンナは、釈尊が王宮から出城し、出家するときの従僕であったことを自慢し、他人を軽蔑し、粗暴の行為があったのです。
釈尊は、その愛弟子のことを心配され、彼に梵檀罰を与えることで折伏させようとしたのです。チャンナはその時、中インドの西コーサンビーにいて、あとから阿難尊者からこのことを聞き、悲しみと驚きで失神したといいます。
その後、すっかり改心したチャンナは、熱心に修行し、ついに阿羅漢の一人になったということです。忌わの際、愛弟子の一人を心配され、折伏させるための遺言を残されたことに、"仏陀釈尊"の中に、"人間釈尊"の愛情を感じさせられます。
釈尊は、いよいよ般涅槃される直前にも、弟子たちのことを思われ、「疑問があればいまのうちに何でも聞きなさい」と三度も繰り返し問われ、「友だちに問うよう気軽に問いなさい。どんな疑問も残さないように」と逆に気付かわれたのです。
そして最後に釈尊は申されました。「いざ、修行僧たちよ、汝らに告げよう。もろもろの存在は変化する性質のものである。諸行は無常である。怠らず修行せよ」
これが釈尊の最後の言葉でした。そして、瞑想に入れ、八十年のご生涯を終えました。釈尊が涅槃に入られたとき、大きな地震が起こり、天の太鼓(雷鳴)が轟いたといわれます。 

■文殊菩薩 知恵に智慧なければ煩悩にすぎず
今回の主人公は「三人寄れば文殊の知恵」で有名な文殊菩薩です。「三七忌」の導師で智慧の菩薩といわれます。文殊は文殊師利(もんじゅしゅり)の略称で、妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)ともいいます。真言は「オン・アラハシャノウ」です。
釈迦三尊・・・
釈迦三尊とは、釈迦如来を中尊とし、脇侍(きょうじ、わきじ)として左に文殊菩薩、右に普賢菩薩を配置する仏像安置の形式の一つです。両脇侍として薬王菩薩と薬上菩薩、観音菩薩と虚空蔵菩薩や、梵天と帝釈天を配する例もあります)
文殊菩薩の造形はほぼ一定していて、獅子の背に蓮華座に座しています。右手に智慧を象徴する宝剣を持ち、左手に経典を乗せた蓮華を持っています。文殊菩薩が登場するのは初期の大乗教典、般若経です。ここでは釈尊に代わって般若の「空」を説いています。
文殊菩薩の徳性は、悟りへ至る最も重要な要素である智慧です。智慧は般若を意味し悟りを意味するものです。その「智慧」が「知恵」の象徴となって、「文殊の知恵」ということわざが生まれたのです。
維摩経には、維摩居士に問答でかなう者がいなかった時、居士の病床を釈尊の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記されています。
では、文殊菩薩は実在した人物だったのでしょうか。実は文殊菩薩が実在したという事実はありません。しかし観世音菩薩などとは異なり、そのモデルとされた人物が教団内に存在したのではないかと考えられています。
聖僧・・・
智慧と般若(さとり)の徳性を兼備されていることから、特に禅宗においては、修行僧の理想を表す聖僧(しょうそう)として、僧堂の中央に安置されています。
坐禅中、修行者の肩ないし背中を打つ棒がありますが、これを警策と言います。(曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と読みます) 警策は、「警覚策励」(けいかくさくれい)の略で、修行者に対して集中力を高めるための文殊菩薩の手の代わりと言われます。
通常警策はそのように使用されるものですが、時として「罰策」(ばっさく)として用いられることがあります。「罰警」(ばっけい)とも言われ、雲水(修行僧)が規矩を破ってしまった際、文字通り「罰」として警策で打たれることをいいます。
拙僧も本山で、矢鱈打たれて肩が腫れて仰向けに寝れなかったことを思い出します。特に旦過寮や攝心中には厳しく、策励の音が鳴り響いていることに今でも変わりはありません。
警策は文殊菩薩からあずかるものですから「打つ」とか「叩く」とは言いません。それは、「与える」ものであり「いただく」ものですから、与える者もいただく者も合掌に始まり合掌に終わります。
ただ、時として僧堂の威を借りて新参者に行き過ぎた警策が振り舞われることがあります。修行に厳しさは当然ですが、そこに私的な差別感情などがあったならば、たちまちいじめや暴力になってしまいます。自重心なくして僧堂の威厳はありえません。
もんじゅ・・・
ところで、「もんじゅ」と言えば、福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉です。名前の由来は、若狭湾に面する天橋立南側にある智恩寺の本尊・文殊菩薩から来ているといわれますが、果たして文殊菩薩のご加護とご利益はあったのでしょうか。
高速増殖炉は約20年前まで、ウラン燃料の有効利用促進のため米国、フランス、ロシア、イギリス、ドイツ、日本などが積極的な開発をすすめてきた原子炉の一種で、ウラン資源を事実上数十倍にできるまさに「夢の原子炉」と言われるものです。
しかし、開発中の高速増殖炉の多くが何らかの事故を起こし、安全性への疑問が多く、将来の経済性までも含めて政治的判断によって開発を断念する国がほとんどで、日本でも「もんじゅ」はナトリウム漏れ火災事故(2010年)以来運転が中止されています。
すでに多くの国が高速増殖炉の開発を中止しましたが、今なお、フランスをはじめ日本、ロシア、中国、インドなどが開発を行っています。しかし、実用化は2030〜40年頃になるとされていますが、それも確証などありません。
運転停止中の「もんじゅ」の開発に総額約1兆811億円が支出されたとか。このうち約830億円を掛けて建設された関連施設は全く利用されていないとか。今のところ文殊菩薩のご利益は全くありませんが、勝手に名前を使われた文殊菩薩こそ迷惑千万。ご自身には責任は一切ありません。有るとするとその命名者でしょうか。
また、「もんじゅ」がある同じ福井県敦賀市には「ふげん」という新型転換炉がありましたが、2003年に廃炉になりました。その高レベル放射性廃棄物の恒久処理に数千年から数万年かかると言われています。さらに、その廃炉コストに約2千億円かかると言われています。
福井県には曹洞宗大本山永平寺があります。布教部長の西田正法老師の話によりますと、新型転換炉「ふげん」と、高速増殖炉「もんじゅ」の命名にお寺(永平寺)が関わったとのこと。
「いずれも菩薩の名前に由来したものだが、福島第1原発事故を踏まえて、事故の影響は子々孫々に及ぶ取り返しのつかないものであり、原発は仏教の教えに相反するものだとして、これまでの認識不足への反省と、私たちの責任は重く、懺悔(さんげ)することから始めたい」と自戒されているとか。
「もんじゅ」も「ふげん」も、全ては国民のため良かれと思って科学の粋を集めて巨額のお金を投資して行ったまさに国家的プロジェクトでした。文殊菩薩が智慧の象徴であるならば、科学の"知恵"はまだまだ悟りの"智慧"には遠く及ばなかったということでしょうか。
普賢菩薩が理知の象徴であるならば、人の"思慮"はまだまだ仏の"理知"には遠く及ばなかったということでしょうか。先にもふれたように、文殊菩薩も普賢菩薩も、その御利益は何も無かったということでしょうか。
いやいや拙僧はそうではないと思いますよ。科学万能を信じ、生活の豊かさが人の幸福の証だと信じて突き進んできたその認識こそが厄であって、仏の"智慧"にこそ真の幸福があると気付かされたのであれば、これこそ真の御利益と言えるのではないでしょうか。
曹洞宗大本山永平寺が命名に関与された結果、文殊菩薩と普賢菩薩による御利益があったと考えれば、反省や懺悔などせず、現場に菩薩像を建ててその御利益の程をアピールされたらどうでしょうか。(居直りではありませんよ) 曹洞宗はもっと自信を持ちましょう。 

■普賢菩薩 慈悲の実行仏
今回は普賢菩薩のお話です。前回の文殊菩薩とともに釈迦三尊の脇侍として有名です。白象の背に坐している姿が一般的ですが、五仏がついている冠を戴せていたり、左手に宝剣を立てた蓮茎を持つ姿や、右手に如意や教典を持つ姿などその姿にバリエーションがあるのが特徴と言えるでしょう。
「四七忌」の導師で真言は、「オン サンマヤ サトバン」です。この真言を唱えれば、災いを避け、寿命が延びるといわれます。梵名は「サマンタバドラ」と言い、「サマンタ」は「普く」、「バドラ」は「賢い」を意味します。文字通りの「普賢菩薩」ということです。
智慧の文殊に対し、普賢菩薩は慈悲の実行を象徴する仏として釈迦如来の脇侍を努めます。法華経「普賢菩薩勧発品」では六牙の白象に乗った普賢菩薩が修行者を守護し、理・定・行をつかさどるとされており、白象が進とき、それを妨げるものはないという。
つまり、象は徹底した「行」の象徴であり、白は衆生済度の「自利利他」の象徴であり、六本の牙は「六波羅蜜」の象徴であるといわれます。六波羅蜜のうち、心の安定を修する行の禅定をつかさどり、一切にわたる最もすぐれた善を説く菩薩で、密教の金剛サッタと同体異名ともいわれます。
さらに、この菩薩が発展して密教の仏として表現されたのが普賢延命菩薩です。この菩薩の場合は、一身四頭(三頭)の白象に騎乗され、その名のとおり、寿命を延ばす御利益と福徳を与える仏とされることから普賢信仰が広まりました。
日本では平安中期以降、女性の救済を説く法華経の普及によって、主に貴婦人たちから信仰を集めたといわれます。また、絵画・彫刻などの作例も多く、特に平安時代後期の普賢菩薩騎象像(国宝・東京国立博物館)などその代表作と言えるでしょう。
法華経では、はじめの方の主役は「智慧」の文殊菩薩であり、中程においては「慈悲」の弥勒菩薩であり、さいごの結びにおいては「行」の普賢菩薩であるという設定になっています。
つまり法華経の意味するところは、まず諸法実相の智慧を知り、次に久遠実成の慈悲に生かされ、さいごに仏陀の教えを実行することが仏道であるということです。
釈尊は普賢菩薩の問いに対して、次の四つの事柄を成就すれば、如来(釈尊)滅後においても「法華経」の真義をつかみ、その功徳を得ることができると説いています。
これを「四法成就」といいます。
第一に、諸仏に護念されているという堅い信念を持つこと。
第二に、怠りなく日常生活に善行を積むこと。
第三に、正しい教えを奉ずる仲間に入ること。
第四に、世の中のすべての人々を救おうという心を持つこと。
この教えを受けて普賢菩薩は四つのはたらきをします。
1.「法華経」の教えを自ら実行する。
2.「法華経」の教えをあらゆる迫害から守護する。
3.「法華経」の教えを実行するものが自ら招く功徳と、迫害するものが自ら招く罰とを証明する。
4.「法華経」の教えに背いたものも、懺悔することによって罪から解放されることを証明する。
次に普賢菩薩の導きです。
1.法に基づいて悟った真理が誤りでないことを証明します。
2.実際において真理をどのように当てはめ、実行すればよいのか指導します。
3.道を誤り失敗したら、その失敗を取り返す方策を教えてくれます。
次に人の世が悪くなる五つの汚濁です。
1. 劫濁・・・マンネリ化して、活性化できなくなった世の中2. 煩悩濁・・・他人を省みない欲望や行動によって、正常に機能しなくなった世の中3. 衆生濁・・・一人一人の性質の違いから生じる調和のとれなく世の中4. 見濁・・・一人一人のものの見方が、よこしまの見方になったために起こる争いの世の中5. 命濁・・・年をとるとともに一人一人の残された命を不安に感じたり、時代を経て弱まる組織や国家において、人々が焦りを感じ不安になる世の中
普賢菩薩が教える智者の条件です。
1.ものごとの是非善悪をよくわきまえている人
2.自分のすることがどのような結果を生み、他にどのような影響を及ぼすかをあらかじめ見極めることのできる人
3.自分がこの世でどのような位置を占めているか、どのような役目を持っているのかがよくわかっている人
4.人を愛し、人と調和することの高貴な喜びを知っている人
5.どのような生き方が人間らしい意義のある生き方であるのかよくわかり、世の中全体をもよくする道を知り、考え出すことのできる人
さて、東北大震災から一年が経ちましたが、未だ復興は遅々として進んでいません。その最大の原因はがれき処理問題だとか。今朝の新聞で見た川柳です。「絆には加えてもらえぬ県三つ」
絆、絆という割には痛みを分かち合おうという気持ちがあまり感じられません。野田総理も業を煮やし「国民性が問われている」と訴えています。確かに放射能の汚染を心配されるのはわかりますが、広域処理には万全を期しているということが信じられないのでしょうか。
確かに、これまでの政府の対応には信じられないことばかりです。東電は原発事故の反省はおろか未だ真相の公表を拒んでいます。そんな東電になんの指導もできない今の政府をどこまで信頼したらよいのでしょうか。
ただ、世論調査(朝日新聞)では瓦礫受け入れに賛成64%、反対24%とのこと。地域別では、関東、東海地域が70%で、中国、四国地域では56%、九州では49%と東高西底のばらつきがあるようで、遠いほど絆が薄くなるということでしょうか。
明治維新は長州、土佐、薩摩などの武士達の活躍によって達成されました。高杉や桂をはじめ大久保や西郷隆盛、国民に圧倒的人気の坂本龍馬など、そのほとんどが西日本出身の武士たちでした。今彼等が生きていたら日本のこの現状をどう思うでしょうか。
日本の維新に命を賭した彼等にすれば、おそらく「痛みを分かち合うことが絆である。絆なくして復興はあり得ん。維新魂を受け継ぐ者は率先して模範を示せ」と訓辞されるかも知れません。
政治はつねに国家国民の大局的見地に立って判断し実行すべきものです。国民の過半数の総意をうけているのであれば、一刻も早く政治的決断をもって瓦礫の処理を進めるべきでしょう。それこそ民主主義というものです。
反対の人達も、放射線の実態を検証し安全の担保が確認できたら、是非客観的情状的見地に立って判断してみてください。自分さえ良ければという自己本位からは絆も復興も期待できません。
他己へ思いを寄せ痛みを分かち合う心、一切の見返りを期待しない助け合い・・・それが布施であり慈悲心であるのです。その心は誰にでもあるものです。466億円を超えた義援金や数多くのボランティアや支援活動はまさに慈悲心の証に他なりません。
震災復興だけではありません。今の日本は様々な難局に直面し、まさに国家的危機状態にあると言えます。今ほど法華経の智慧と普賢菩薩の実行力が求められている時はありません。
すべての国民に是非学んで欲しいものが先に挙げた「四法成就」と「五濁の戒」と「五つの智者条件」です。特に政治家には「五濁の戒」を銘として国民のための真の政治を実行して欲しいものです。 

■地蔵菩薩 大地の命の蔵
今回は十三仏の五七忌の導師、地蔵菩薩のお話です。 一般的に「お地蔵さま」と呼ばれていて、観音さまなどと並んで特に親しまれている有名な仏さまです。それにしてもなぜ「地蔵」というお名前なのでしょうか。
地蔵菩薩の意味・・・
地蔵菩薩は、サンスクリット語でクシティ・ガルバと言います。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」とか「子宮」の意味とのこと。真言は、「オン カカカビサンマエイ ソワカ」です。
大地が全ての命を育む力を蔵(かく)し、また、人々の苦悩を無限の大慈悲心で包み蔵し込んでしまう所から名付けられたとされます。その地蔵菩薩の対になるのが虚空蔵菩薩でが、地蔵菩薩の独自性により今日では対で祀られることは無いようです。
釈迦牟尼仏の入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が出世されるとされていますが、その間仏陀の名代として六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を済度する菩薩といわれています。
故事として伝わるのがその昔インドにいた2人の慈悲深い王の話です。1人は自らが仏になることで衆生済度しようと考えました。もう1人の王は自らの意志で地獄に堕ちて迷える衆生を済度しようと考えました。この後者が地蔵菩薩だといわれます。
「一切衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意で六道に自らの足で行脚し、救われない魂を救い続けるのが「地蔵菩薩」なのです。
申すまでもなく、菩薩とは仏の地位にありながら、あえて衆生世界に身を堕として六道世界で苦悩する衆生済度を本願として奔走する正に大慈大悲の仏さまです。
衆生を済度する第一人者として、その霊験は膨大で、実に多岐に及んでおりその人気の程がわかります。少例を挙げてみると、延命地蔵、白寿地蔵、開運地蔵、勝利地蔵、無尽地蔵、ぽっくり地蔵、首つぎ地蔵、とげぬき地蔵、釘抜き地蔵、波きり地蔵、身代わり地蔵、子安地蔵、腹帯地蔵、子育地蔵・・・
水子地蔵菩薩・・・
幼子が親より先に世を去ると、親を悲しませた親不孝の罪により三途の川を渡れず成仏できないとか。賽の河原でただ石を積み重ね石塔を作り、只々親の供養をするしかないのです。
しかし折角作った石塔も鬼によって蹴散らされてしまうのです。その鬼のいじめから救ってくださるのが地蔵菩薩です。経文を聞かせて徳を与え成仏への道を開いてやるのは有名な話です。古来より水子地蔵信仰は絶大で今も変わりません。
六地蔵菩薩・・・
また、よく霊園や墓地などの入り口に六体並べて祀ってあるのが六地蔵菩薩です。これは仏教の六道輪廻の思想に基づき、六道のそれぞれの世界に堕ちた者を地蔵が救うとされる説から生まれたものです。
六地蔵個々の尊称については一定していないようですが、例をあげれば、地獄道から順に法性地蔵、陀羅尼地蔵、宝陵地蔵、宝印地蔵、鶏兜地蔵、地持地蔵となっていたり、或いは檀陀地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、地持地蔵、除蓋障地蔵、日光地蔵となっていたり諸説あるようです。
様相は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持ち物としていますが、これも必ずしも統一されていないようです。
地蔵盆・・・
地蔵菩薩の縁日が毎月24日であり、旧暦の7月24日は盂蘭盆(お盆)期間中であり、24日までの三日間を地蔵盆と呼ばれるようになりました。地蔵盆は全国的な風習ですが、特に近畿地方を中心とする地域で盛んですが、近年では新暦の8月24日に地蔵祭が行われるのが一般的になっています。
地蔵祭では、町内の人々が地蔵の像を洗い清めて新しい前垂れを着せ、灯籠を立てたり供え物をしたりして飾り付けます。京都などでは子供が生まれると、その子の名前を書いた提灯を奉納する風習があるそうです。
地蔵菩薩は中近世以降子供の守り神として信仰されるようになったことに由来することから、地蔵祭においては特に子供のお詣りが多く、子供たちのためのお菓子や手料理などが振る舞われたり、子供向けのイベントなども行われ、今日では子供のための祭りとも言るようです。
しかし地蔵盆は、なぜか関東地方には定着しなかったようです。一説には地蔵信仰の歴史に違いによるもののようです。特に子供を守り育てるという大きな意義をもつ地蔵盆もしのびよる少子化問題で寂しくなる一方かも知れません。
特に少子高齢化が急激に進んでいる日本の将来を思うと暗澹たる気持ちになります。これから日本の人口は年々約74万人減少するそうです。これは静岡市規模の都市が毎年一つずつ減っていくようなものだそうです。
子供は国の宝です。未来を託すのは子供だからです。なんとか少子化が少しでも止められるようなお地蔵さまの御利益をたまわりたいものです。しかし、どんな御利益も何もしないで得られるものでは決してありません。それ相応の善因縁を構築するしかないのですから・・・・
さいごに「地蔵菩薩功徳経」からその御利益をご紹介しましょう。もし地蔵菩薩のお姿を見たり、この経を聞いたり読誦したり、香や華、飲食、衣服、珍宝などを布施し、供養礼拝を行えば28種の功徳が得られるとあります。
1.天龍が守ってくれる / 2.善果が日毎増す / 3.勝れた因が集まる / 4.菩提が退くことがない / 5.衣食に豊で不足しない / 6.病気にかからない / 7.水の難、火の難に遭わない / 8.盗賊の被害に遭わない / 9.人から敬われる / 10.鬼神が助けとなる / 11.女が男に転じる / 12.王の女性大臣となる / 13.容姿端麗で相がよくなる / 14.何度も天界に生まれ変わる / 15.或いは帝王になれる / 16.前世に得た智慧によって将来を知ることができる / 17.求める者は皆、従う / 18.眷属が歓び楽しむ / 19.全ての不道理を消滅させる / 20.苦楽の報いの善悪の業を永久に取り除く / 21.苦しみに通じるところが滅びる / 22.夜の夢見が安らかになる / 23.先祖が苦しみから離れられる / 24.前世の福を受け、生まれる / 25.全ての聖者がほめたたえる / 26.素質や能力がすぐれる / 27.哀れみ、慈しむ心を与える / 28.絶対的な悟りを得ることができる 

■弥勒菩薩 人類の未来を占う
今回は十三仏の六七忌の導師、弥勒菩薩のお話です。五仏の付いている冠をかぶり、手に宝剣を持っている姿が一般的です。像としては京都広隆寺の国宝弥勒菩薩半跏思惟像は世界的に有名で、右手の薬指を頬にあてて物思いにふける表情からは抒情的、神秘的な感動を受けます。
サンスクリット語でマイトレーヤと言い、「慈氏」を表し、菩薩でありながら未来に必ず成仏することから「未来仏」とも言われ、弥勒如来とか弥勒仏とか呼ばれることもあります。
菩薩や如来の殆どが過去仏であるのに対して、未來に出現するのは弥勒菩薩だけです。その点から格別の仏といってよいでしょう。真言は、「オン マイタレイヤ ソワカ」です。
現在兜卒天で修行中であり、釈尊入滅から56億7千万年後に釈尊の後継者として出世され衆生済度されるといわれます。兜卒天とは釈尊がこの世に生まれる前にいたとされる世界です。
それにしても56億7千万年後とは途方もない遠い未来ですが、これは太陽系の余命とほぼ同じだそうです。地球が生まれて46億年ですが、地球の寿命はあと約10億年だそうですから、合わせると56億年となります。
ちょうど地球と太陽系の寿命が尽きたころに弥勒菩薩が出世する計算になりますが、その時まで人類は存在可能なのでしょうか。そしてその場所は一体何処になるのでしょうか。それとも新たなヒト属が出現することになるのでしょうか。残念ながら現在の人類の拙い叡智ではとても推し量れません。
ただそんな遠い未來に弥勒仏が出世するということは、そこに人類が存在するという大前提があってのことです。われわれはその予言を信じるとしたら、未来や来世に向かってどのようにモティベーションをあげていったらよいのでしょうか。
仏性は永遠ですから、輪廻転生が尽きることはありません。宇宙が続く限りあなたの命も続くということです。途方もない遙か未来の弥勒仏の世界に再び人としての命を戴くためにはそれ相応の宿業を積み重ねなければなりません。
そこで今回は、われわれ人類が未来に向かって少しでも長く生き続け、弥勒仏の世界に再生できる為には一体何をどうすべきかを考えてみました。しかし、今の人類の生き方を考えたとき、弥勒仏の世界に往生できる人間が果たしているのでしょうか。
人類は600万年〜700万年前にチンパンジーの祖先から別れヒトへと進化し今日に至ったと言われます。生物のほとんどは環境に応じて進化すると言われていますが、どんな生物にも種としての寿命があるとも言われます。その理論からすると人類も例外ではなく進化と同時に寿命があるのです。例えばヒト属のネアンデルタール人はおよそ3万年前に絶滅しました。その後現われたのが我々現生ホモサピエンスです。
その我々人類もすでに15〜20万年経っているとのことですが、人類はこれから先どのくらい存続できるのか、それともすでに寿命が来ていて、いつでも滅亡を迎えてもよい状態にあるのか、果たしてそのどちらなのか、「進化」と「環境」をテーマに考えてみましょう。
まずヒトの「進化」について考えてみましょう。ヒトはこれからも進化し、眼も鼻も口も耳も鋭敏になり、足は速く、やがて空を飛べるようになるのでしょうか。脳は発達し、精神力や感情がもっと豊になるのでしょうか。否、まちがいなくヒトの身体も心も退化していくと言わざるを得ません。
例えば、ヒトは毛皮や衣服を身につけたことで体毛が無くなりました。これは暗闇の洞窟に住み着いている魚の眼が退化して無くなってしまったのと同じ"進化"による"退化"なのです。つまり進化も退化も同事なのです。
すべての生物は環境により刻々と"進化"しています。ヒトも例外ではありません。乗り物に頼り歩かなくなれば足は退化します。会話をメールで済ませていれば声帯は退化します。騒音の中にいれば難聴になり聴力は退化します。パソコン仕事に詰めれば近視になり眼は退化します。
夜昼の区別のつかない生活をしていれば体内時計が狂い、快適な冷暖房の中にいれば寒暖に対する対応力が不調になり、自律神経が退化します。電子機器に囲まれ電磁波を浴び続け、多くの環境ホルモンにさらされて遺伝子は損傷します。
特に現代社会はストレスに溢れています。ストレスほど厄介なものはありません。五感の機能を弱め、食欲、性欲を減退させます。当然生殖遺伝子は弱まります。実際現代人の男性の精子の数はかなり減少しているそうです。男性のY染色体遺伝子が減少していて、将来は女性だけになってしまうなどという説もあります。
ストレスに対する防御反応で心は鈍感になり、心の機能はどんどん退化し、やがて感情も人格も無い生物に"進化"してしまうでしょう。心のない本能のまま生きるだけの"進化"の行く先は、喰口と排泄口だけをもったミミズのような生物です。ヒトからミミズへと進化するシミュレーションもあるのです。
事ほど左様に、人類の進化における未来は暗雲立ちこめた極めて暗い状態にあると言わざるを得ません。このまま行けば人類は明らかに滅亡への一途をたどるだけです。あとどの位もつのかわかりませんが、56億7千万後の弥勒仏の世界なんてとんでもない絵空事に過ぎないということになるのでしょうか。
次に「環境」について考えてみましょう。ヒトが生きられる環境がダメになれば人類はそこで滅亡となります。人類はこれまでもっぱら科学文明の発展を最優先にして幸福を追求してきました。その結果が環境破壊でした。わずかこの百年で地球環境は瀕死の状態です。しかも改善の見込みはまたくありません。
これから先、最も懸念されるのが原発です。福島の原発事故で未曾有の環境破壊が起こりました。放射能は永久的に消えることがない物質なのです。線量計が下がったと言っても単に拡散されたに過ぎないのです。
さらに、今一番心配されているのが4号機だと言われています。米国の原子力技術の権威者アーニー・ガンダーセン博士によりますと、こんど大きな地震か何かで使用済核燃料のプールが壊れ水が無くなれば、そこから発する放射能は使用前の10億倍になるとか。そうなると更に4千万人の避難が必要になるという、まさに史上最悪のシナリオが懸念されているのです。
そんな心配もよそに今大飯原発が再稼働されようとしています。そうなればその他の原発の追随は必至でしょう。核技術は人類にとってまだまだ未完成の技術なのです。プルサーマル(もんじゅ)なんて夢のまた夢の技術なのです。それを認めないバカ知恵の科学者と我利我利亡者の政治家によって更に環境が破壊されようとしています。
天然資源を使い放題使い、汚染を垂れ流し続けてきた人類、その結果が温暖化です。世界の人口も今や70億にも達し、自然環境は更に悪化の一途を辿っています。地球の環境はまさに汚染スパイラルに陥っているのです。
地上のみならず今や宇宙までもが"ゴミの山"とか。大きさが10センチ以上のものが2万2千個も漂っていて、今も増え続け衛星の居場所がなくなる恐れがあるとか。ゴミと衛星の衝突が破壊の連鎖となり、宇宙が使えなくなる「ケスラー・シンドロウム」現象が現実味を帯びてきているとか。
このさき人類は、「進化」にも「環境」にもまったく自信が持てない状態です。このまま行ったら人類に未来がないことは火を見るよりも明らかです。さあ、一体どうしたらよいのでしょうか。
しかしです。考えてみてください。70億人のすべての人間が同じように生きているわけではありません。なかには、清廉を旨として心穏やかに慎ましく環境に優しい生活をしている人も多くいるはずです。
確かに地球上多くの生物がこれまで栄えては絶滅してきました。しかし、愚かな人類ですが知恵はあります。バカ知恵ですがそれを悟りの智慧に変え、人間本来の誇りを取り戻せばまだまだサバイバルできるかも知れません。
ただし弥勒仏の世界は異次元の世界です。おそらくは2500年も昔、釈尊は末法の世に備え弥勒菩薩を据えられたのではないでしょうか。その教えは、「ヒトとよ、早く正気に戻れ」ということです。これを結論としましょうか。
さて、さいごに一冊の絵本をご紹介しましょう。「サルと人と森」という絵本です。今から102年も前に石川啄木によって書かれた原書「林中の譚」によるものです。便利さと豊かさだけが幸福だと思いこんで何の反省もないエゴに満ちた人類は退化と自滅への一途を突き進んでいるという、人の真の幸せとは何かを示唆した実に含蓄のある一冊です。
ある日森に入った一人のヒトとサルとの間で交わされるやりとりから人間の愚かさを風刺した寓話です。そのサルからヒトへの苦言の一部をご紹介しましょう。
「人間はなんてかわいそうな生き物なんだろう。人間はすでに過去を忘れてしまったのだな。今ここにこうして生きているのは、おれたちと同じ祖先がいたからではないか。過去を忘れた者には未来はないだろう。今がいちばん素晴らしく、人間がいちばん賢いと思い上がっていると、これからの人間には進歩も、幸せもないだろう。かわいそうな人間たちだ。人間滅亡のときが近いうちにやってくるだろう。」
「人間の手足も、その身体つきを見ると、昔はおれたちと同じ働きをしていたに違いない。だけど、今はその働きができないではないか。人間の手足の歴史は退歩の歴史なのだ。いつの日か、何の役にも立たない時代が来るだろう。これはつまり人間たちが怠けていた結果ではないか。」
「人間にとって怠慢の歴史だけが日々に進歩している。ほら、人間が自慢する文明の機械というものは、結局、人間をますます怠け者にする悪魔の手ではないか。」
「この世界で人間ほど退歩した者はないだろう。人間の祖先であるおれたちを見ろ、おれたちは地面の上を自由に動くことができると同時に、上にも下にも自由に動くことができる。 だが人間は地面の上しか動くことができない。人間もずっと昔は木の上に住んでいたのに―しかし人間はヘビやカエルの仲間になり、地上に降りていった。これを堕落と言わずに何と言うのだろう。深く考えてみてくれ、人間が立っている地平線と、おれたちがいる木の上と、どちらが天国に近く、どちらが地獄に近いか―」
「人間はいつの時代も木を倒し、山を削り、川を埋めて、平らな道路を作って来た。だが、その道は天国に通ずる道ではなくて、地獄の門に行く道なのだ。人間はすでに祖先を忘れ、自然にそむいている。ああ、人間ほどこの世にのろわれるものはないだろう。」

歌人として有名な石川啄木は実は素晴らしい哲学者であり思想家であったのです。百年昔といえばまだまだ豊かな自然が一杯の時代でした。そんな時にすでに人類が直面している深刻な問題を提起されていたのですから、まさに天才です。  
 

 

■薬師如来 無病息災は安心から
今回は七七忌の導師、薬師如来のお話です。
薬師如来は、正式には東方薬師瑠璃光如来といいます。阿弥陀如来が西方極楽浄土の教主であるのに対して、薬師如来は東方浄瑠璃界の教主なのです。西の阿弥陀さま、東の薬師さまともいわれます。
西方浄土が来世であるのに対して、東方瑠璃界は現世であるのです。つまり阿弥陀如来が来世での安らぎを約束されるのに対して、薬師如来は現世での安らぎを聞きとどけてくださるという点が特徴といえるでしょう。
薬師如来のそのお体は清浄にして瑠璃の如く輝いているといわれます。瑠璃は七宝の一つで紫がかった青色の宝石です。その光明は太陽や月よりも明るくその無量の光明で世界を照らし、十二の大願を発してすべての衆生を迷いや苦しみから救ってくださるという。
その光明の象徴として日光菩薩と月光(がっこう)菩薩が脇侍として祀られているのが薬師三尊です。薬師如来は、その名の示すとおり医薬を司る仏であり、左手に薬壺を持ち、病気を治す仏さまとして有名です。薬壺の中には、身体の病、心の病、社会の病など、病という名のものはどんなものでも治してしまう霊薬が入っているのです。
真言は、「オン コロコロ センダマリ マトウギ ソワカ」です。真言(マントラ)とは、仏に守護を願い、直接呼びかける、謂わば「パワーコール」なのです。ですから特に訳す必要はありません。その言葉自体に意味があるのです。
日光菩薩の真言は、「オン ロボジュタ ハラバヤ ソワカ」この真言を唱えれば、病根が焼かれるとのこと。月光菩薩の真言は、「オン センダラ ハラバヤ ソワカ」この真言を唱えれば、苦熱が除かれるとのこと。
薬師如来のまたの名を医王如来ともいい、医薬兼備の仏さまです。人間にとって一番恐ろしいのが死を招く病気です。病気には体の病気から心の病気までいろいろあります。欲が深くて、不正直で、疑い深くて、腹が立ち、不平不満の愚痴ばかり、これらも実は皆病気なのです。
薬師如来は応病与楽の法薬で、苦を抜き楽を与えてくださる抜苦与楽の仏さまです。サンスクリット語で思い通りにいかないことを「苦」といいます。その四苦八苦のなかで「病」ほど大きな苦はありません。どんなに地位名誉や財産があっても病に苦しんでいたら幸せとはとてもいえません。
人類にとって健康は永遠のテーマであり、幸福の担保はまさに健康にあると言っても過言ではありません。どんな宗教にも多くの御利益が謳われていますが、「無病息災」こそ万人がこぞって求める最大の御利益だといえるでしょう。
健康こそ幸福の証だという、今回はその健康について考えてみました。まず体の健康ですが、栄養のバランスと適度の運動だとよくいわれます。確かに栄養が不足すれば病気になりますが、現代の病気の多くは食べ過ぎによる生活習慣病が殆どと言ってよいでしょう。
言うまでもなく体は食事でつくられますが、問題はその質と量のバランスです。食欲という本能はコントロールが難しく食べる気になったらいくらでも食べられるものです。子供のうちはしっかり食べても、大人になったらコントロールが必要になるのです。
要は「食事は薬」だと思っていただくことです。ある薬が効くからといって多く服用する人はいませんね。効く薬ほど量を誤ったら危険です。このことについては一昨年の8月の法話「五観の偈」でくどくど話したとおりです。この意識さえあれば、しっかりとした健康が得られる筈なのです。
最近ナグモクリニック南雲吉則医師の「空腹が人を健康にする」という本を読んで、いかに食事が大事であるか改めて知りました。すでにご承知の方も多いと思いますが、最近「長寿遺伝子」なるものが発見されました。正式名を「サーチュイン遺伝子」と言います。
動物の体が空腹であればあるほど生命力が活性化するという仮説のもと、アカゲザルやモルモットなど、多くの動物実験が行われ、その結果証明されたのです。飽食のアカゲザルは老化が早く、40%食餌制限したサルは明らかに毛並みも良く皺もなく若さを維持していたのです。
とくに日本のことを言えば戦後の焼け野原から復興して以降一般庶民はお腹一杯食べられることこそ最高の幸せだと思い込み、国民はみな、お腹一杯食べられることを目指してきました。しかし、皮肉にもその結果は糖尿病を始めとする様々な形の生活習慣病をかかえる羽目になってしまったのです。
南雲先生は、食事の量を減らし、余分な内臓脂肪を減らし、サーチュイン遺伝子を目覚めさせて健康で若々しい肉体を維持できると言っています。サーチュイン遺伝子は空腹状態におかれたとき、人間の体内に存在している50兆の細胞の中にある遺伝子をすべてスキャンして、壊れたり傷ついたりしている遺伝子を修理してくれるというのです。
これまで仏教やヨガの「断食」やイスラム教の「ラマダン」などにみられる小食の結果が人の長寿に繋がっていることが経験的に分かっていたのですが、それはサーチュイン遺伝子の活性化によるものだったのです。
かつて僧侶は粗食に生き長寿の模範とされましたが、今では一般の人と平均寿命においてそう差はなくなってしまったようです。豊かな食生活が坊さんの世界にも普及しているということでしょうか。
「腹八分目」とはよく言われますが、特に年齢を重ね基礎代謝が低くなってきた人にとって小食が一番です。拙僧的には「腹六分目」を心がけています。さらに毎日30分の散歩でおかげでいたって健康に過ごしています。
さて、前回は人類の未来について「環境」と「進化」をテーマに人類の未来は"退化という進化"を続けていて大変暗いものだと申しましたが、実は人の健康にも環境による"進化"があったのです。
人類17万年の歴史はつねに飢餓との闘いであったと言っても過言ではありません。その長い飢餓の時代を生き抜いてきた進化のなかで少ない食べ物の中から、出来るだけ多くの栄養を吸収しようとして身につけたのが「飢餓遺伝子」といわれます。
わずかの食物から最大のエネルギーを蓄えることができるという長寿遺伝子・サーチュイン遺伝子ですが、さらに、これは健康だけでなく、同時に老化や病気をくい止める働きにも関与しているという。私たちの祖先は、過酷な環境を生き抜く長い進化の過程でこのようなサバイバル遺伝子を獲得してきたのです。
しかし飢餓に対する強い体質を進化させてきた一方、我々の体質は肥満に対して無防備という"退化"をしていたのです。人間が日に三食、食べられるようになったのはわずかにここ百年といわれています。十分食べられることの幸せが皮肉にも生活習慣病という結果を招いたのです。
次に体と同時に大事なものが「心」です。仏教では「心身一如」と言って、心の状態が体に大きな影響を与えるとされます。不安やストレスは体に活性酸素を発生させ免疫力を低下させる最悪のものと言われています。
病気の多くは免疫力の低下が原因とされていますので、体にとってストレスこそ最大の敵なのです。それだけに「心の健康」が不可欠なのです。しかし、快適な文明社会を作ってきたはずが、あまりにも高速緻密化された環境に人の心が追いつけずストレスが蔓延しているのが現代社会です。
人が仕事をするのではなく、仕事に人が使われ、時間に追い立てられています。仕事優先の環境に人の心はストレスに冒され人間関係もおかしくなっています。なんでも新入社員の4割が3年以内に離職しているとか。ひきこもりやウツ病という心の病が確実に増えているのです。
「ストレス」の反対が「安心」です。拙僧はこれまで幾度となく「安心」こそが「幸福の証」だと申してきましたが、心の健康とはまさに「安心」にほかなりません。
欲深く、不真面目で、疑い深くて、短気で、不平不満の愚痴ばかり・・・これらも皆病気だと申しましたが、それは「安心」でない状態にあるからです。 (法話20年12月「安心(あんじん)」と21年1月の「安心本尊」を参考にしていただければと思います。)
薬師如来に無病息災という御利益をお願いするなら、只祈るのではなく、まず自己の心を省みて、怒りや貪り、愚痴などが起こらない心の精進が必要なのです。つまり他力本願ではなく自力本願が求められているのです。
これまで何度も言ってきましたが、仏教は「心の教え」です。健康も幸福も基本は心にあります。つまり無病息災の御利益は「安心」にこそあるということです。 

■観音菩薩 いじめは心の病
十三仏の八番目は観世音菩薩です。観音さまについては仏教講座「観音さま」のページをみていただければよろしいかと思いますが、観音菩薩にも"兄弟分"にあたるお方がいますので、その幾つかをご紹介したいと思います。
観音菩薩は、梵語(サンスクリット)では、「アヴァロキティシュバラ」と言います。アヴァ(遍く)ロキティ(観る)シュバラ(自在者)という語の合成語との説が有力です。
玄奘三蔵による訳が「観自在菩薩」で、鳩摩羅什の訳が「観世音菩薩」となっていますが、その意味するところは「遍く世間を仏の智慧をもって自在に導く菩薩」ということです。
阿弥陀三尊の脇侍として勢至菩薩と共に安置されているのが基本形でしたが、観音経の信仰もあってか今日では観音菩薩単独で祀られることの方が多くなっています。地蔵菩薩と並んで抜苦与楽の現世利益の信仰からその人気は絶大です。
ところで観音さまは男性でしょうか、女性でしょうか。「慈母観音」という言葉からは女性のように思えますし、「観音大士」という言葉からは男性のようにも思えます。しかし、顔つきや体型から女性的な印象の方が強い気がします。
観音経の中には、「應以長者。居士。宰官。婆羅門。婦女身得度者。即現婦女身而為説法」とありますように、観音さまは三十三身に身を現じて説法されると説かれています。つまり観音さまは女性でも男性でもないのです。まさに変幻自在の存在であり、「念彼観音力」と乞われればどんな身にもなって、いつでもどんな所にでも救済に赴くとされるのです。
聖観音(しょうかんのん)
観音菩薩の基本形です。宝冠に「化仏」と呼ばれる阿弥陀如来像を戴いているのが特徴です。持物としては左手に蓮の花を持っていることが多いようです。水瓶(すいびょう)という浄瓶をもっているのが滴水(てきすい)聖観音で、無限の功徳水を注いでくださるという。
私事ですが、ごく最近偶然ある石材店に展示されているこの観音像に出会いました。そのお顔立ちとお姿にインパクトを受け一目惚れしてしまいました。身の丈およそ2メートルの滴水聖観音さまです。さっそく購入の交渉を済ませました。近い内に当山にやって参ります。その時には写真でご紹介したいと思います。
十一面観音
文字通り、顔が十一面あるのがなによりの特徴です。造形的には、聖観音の頭の周りに冠状に9面(又は10面)の小さめの面相を付けているのが一般的です。正面の3面が菩薩面で、衆生に対する慈悲の心を表します。左の3面が忿怒面で、悪人の衆生を叱り、戒める相をしています。
右の3面が狗牙出面といい、白い牙をむき出した顔です。良いことをしている衆生を励ましている相とされます。後ろの1面は大笑の相で、浅ましい衆生をあざ笑うことで自らの醜さを悟らせる相とされます。頭頂部が如来面で仏道を説く相とされます。
千手観音
正式には千手千眼観世音菩薩といいます。一人でも多くの衆生を救うために、千の手を持ち、その千の手に千の眼を付けたとされる観音さまです。強力な救いの力を具現化しようとしたもので、その迫力はまさに圧巻で頼もしいかぎりの菩薩として信仰されました。
「千手」といっても千の手を実際に付けるのは造形上難しく一般的には40本の手で千手を象徴するようになったそうです。でも「本当に千手あります」という作例があるそうで、奈良・唐招提寺の立像や大阪・葛井寺などの坐像などがそうです。
馬頭観音
菩薩と呼ばれながら、まるで明王像のように忿怒相をしているのが馬頭観音です。インドの伝説の駿馬だとか、ビシュヌ神が馬に変化した姿だとか、さまざまな説がありますが、馬が神格化された菩薩とされます。
馬が草を食い尽くすように、煩悩を食い尽くす功徳として、馬をはじめ畜生類の護り仏とされます。また交通の安全を守ってくれる仏として辻などに祀られたり、最近では競馬場に祀られたりもしているようです。その場合は、馬の安全なのか、馬券の御利益なのか、或いは煩悩の抑制なのか、イヤそのすべてなのかも知れませんね。
如意輪観音
如意は如意宝珠、輪は法輪の意味で、如意宝珠と法輪を持つ菩薩です。如意とは意のままになるという意味です。富や徳など意のままもたらせるという宝珠で、「擬宝珠」と言います。神社や欄干にある「ぎぼし」はこの「擬宝珠」からきたものです。宝輪は、車輪状の形をした武器が法具に例えられ、その"武器"の力によって煩悩や邪念が祓われるとされたことからその象徴として「宝輪」が生まれたのです。つまり、如意輪観音とは宝珠と法輪によって、煩悩を祓い、衆生に幸せをもたらす菩薩なのです。
以上のほかに准胝観音を加えたものを「六観音」と称します。そのほかにも「〜観音」を言われるものは幾つもあるようですが、そもそも観音さまとは、衆生の悩みを聞き分けたり、願い事を叶えたりしてくれる「抜苦与楽」の仏さまなのです。
さて、今いじめ問題で日本中が大騒ぎになっています。この問題は今に始まったことではなく、数年ごとに繰り返されている日本の"社会現象"と言っても良いでしょう。丁度6年前にも福岡で、いわゆる「葬式ごっこいじめ」で中学2年生男子が自殺し、学校と教育委員会の隠蔽が問題となり、メディアがこぞって「報復」を囃し立て大変な"社会現象"になりました。
当山ホームページでもその問題を取り上げ、いじめや虐待の原因は宗教教育の退廃によるものだとの見解を述べましたが、またまた同じような問題が繰り返されています。人間とはなんと愚かなものかとつくづく思います。
評論家などは、教員の資質や教育委員会制度を問題にしたり、監視制度の導入や厳罰化を主張しています。メディアは、有識者によるいじめ対策論や有名人によるいじめ体験談を紹介したりして方策論を競っていますが、そのどれもこれも人ごとによる単なる対症療法論に過ぎません。この問題は病気と同じです。病根を治さない限り病気は治らないのです。
前回の「薬師如来」の中でも申しましたように、「欲深く、不真面目で、疑い深くて、短気で、思い遣りもなく、不平不満の愚痴ばかり・・・これらはみな病気」なのです。虐待もいじめもみな心が病んでいる「病気」なのです。
しかも、その"ウイルス"が日本中に蔓延しているのです。特にネット上では、加害者少年とその家族の写真と実名、親の職業や住所、その家の写真までもが暴かれている始末です。まさに公開処刑による報復の嵐と言っても過言ではないでしょう。
いじめウイルスが日本中を集団パニックに陥れているのです。熱病と同じで、このパニック症候群は「報復エネルギー」が完全に発散されるまで収まりません。そのエネルギー自体「いじめウイルス」の正体なのです。加害者達は今、皮肉にも自ら放ったウイルスの反撃によって地獄の苦しみを味わっているとも言えるのです。因果応報とはいえ実に哀れなことです。
今、「地獄絵図」の絵本がかなり売れているそうです。子供もかなり興味を示しているとか。しかし因果論を脅かしで教えるのであってはいけません。「おどかし」は「いじめ」と同じ範疇のものだからです。これは大事なことです。
「地獄絵図」の意図するところは、決して脅かしではなく、「自未得度先度他の心」の涵養なのです。つまり人にとって「おもいやりの心」にこそ正しい「因果応報」の理(ことわり)があることを教えているのです。
オトナがしっかりとした手本となってこそ、子供は「大人の鑑」として光を放すのです。今こそ「地獄絵図」をよ〜く見て己の生き方を反省すべきは他ならぬオトナたちなのですから。
「いじめウイルス」に対処するには報復では決して解決しません。報復は復讐という欲望心を満たすかもしれませんが、それは単にいじめウイルスを増殖させ蔓延させるに過ぎません。「報復」も「恨み」もみな同じ「いじめウイルス」によるものだからです。今加害者に集中攻撃をしている人達も、己自身がそのウイルスに冒されていることを知るべきでしょう。
その点からも自分達の保身しか考えなかった学校や教育委員会もまったく同じ病気に冒されていたのです。いじめ問題はすべてオトナの問題でありオトナの責任なのです。「おもいやり」は理屈では誰にでも分かっていることですが、それができないのは理屈を超えたところのものだからです。その領域こそ「宗教」なのです。真の心の涵養は宗教に頼るしかないのです。
現代医学では絶対に治せない病気がこの「いじめウイルス病」という難病なのです。では、一体どうしたらよいのでしょうか。心の病とはいわゆる「貧・瞋・痴」の三毒に心が冒されることです。その防護と対応に当たるのがまさに宗教なのです。
仏教ではそのために如来や応供の仏さま方が存在されているのです。その代表格が薬師如来であり地蔵菩薩であり、そして観音菩薩なのです。悩める衆生はなぜもっとこれらの「抜苦与楽」の仏さまを活用しないのでしょうか。
但し、抜苦与楽とは言え、求めなければ応えてくださらないのが如来や観音さま方なのです。観音さまは、誠心に「南無観世音菩薩」と一心唱名する人にこそ飛んで来てくださるのです。その「貧・瞋・痴」の三毒を諫め「四苦八苦」から解放してくれる妙薬がまさに「唱名」であり「真言」なのです。 

■勢至菩薩 智慧とは
今回は13仏の九番目の勢至菩薩のお話です。勢至菩薩は、サンスクリット語では「マハースターマプラープタ」と言い、「偉大な威力を獲得した者」を意味するそうです。八大菩薩のお一人で、衆生の無知を救う仏の智慧を表します。
一周忌の導師で、真言は、オン サン ザンサク ソワカ です。この真言を唱えれば、煩悩が去り、悟るための智慧が得られるといいます。
勢至菩薩は観音菩薩と並んで阿弥陀三尊を形成します。その右脇侍として有名ですが、観音の慈悲に対して、勢至菩薩は仏の智慧の光を象徴しており、あまねく一切を照らし、往生する衆生が地獄・餓鬼界へ落ちないようにまもり極楽浄土に導いてくれます。
観無量寿経の中には、「知恵を持って遍く一切を照らし、三途を離れしめて、無上の力を得せしむ故、『大勢至』と名ずく」とあり、迷いの世界の苦しみから智慧を以て救い、亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせる菩薩とされます。
今回は勢至菩薩が司る「智慧」をテーマにしました。これまでも「智慧」については幾度も触れてきましたが、改めてその「智慧」について考えてみたいと思います。
まず、「知恵」と「智慧」との違いから考えてみましょう。私たちの日常生活では、知恵という言葉は「知識があって賢いこと」だと理解されているようです。
では、知識とは何でしょう。これも幾度となく言ってきたことですが、人が便宜上作った人間社会共通の約束事なのです。あらゆるものに尺度や理論をつけ差別化をしたものがすなわち「知識」なのです。
確かに知識は人が社会生活を送るうえに絶対に欠くことのできない分別としての大事なものです。知識を生かすことで人は合理的で豊かな生活を手にすることができました。あらゆる分野においてどんな知識も有るにこしたことはありません。しかし、知識を積み知恵をつけた人が果たして"賢人"でしょうか。
それは、「知恵」には「浅知恵」とか「悪知恵」があるように、中には知識を悪用する人もいるからです。オレオレ詐欺の例にもあるように、現代の犯罪の多くは知識をフルに活用した知能犯が主流を占めています。
つまり、「賢人」の定義が「立派な人」だとすれば、「知恵ある人」が即ち「賢人」とは限らないということです。これは、人の作った知識は人の独断や偏見に呑み込まれてしまうということであり、どんな豊かな知恵であっても必ずしも賢人の担保ではないということです。
仏教で言うところのほんとうの賢人とは、知恵ではなくその先にある「さとりの智慧」を会得した人のことをいいます。その人こそ「真理に目覚めた人」即ち仏陀なのです。
釈尊は三十五歳のとき、菩提樹の下でさとりを開かれ仏陀となりました。この後、釈尊によって説かれた教えのすべては、このさとりの智慧の体験を世の人々に伝えようとされたものに外なりません。
「華厳経」には、このときの釈尊の目覚めの体験が次のように記されています。「なんという不思議なことであろうか。欠けることのない仏の智慧は、すべての人の中にすでに届けられているのに、どうしてそれに気づかなかったのだろう。私はこれから、あらゆる生きとし生けるものに正しい道を教え、永く誤ったものの見方から解放されて、仏の智慧がその身の内にあることに目覚めさせるようにしよう。」
智慧が知恵と違うところは、智慧は人の良識や分別を超えた道理だということです。それは、宇宙絶対の真理なのです。それは人の独断も偏見も通用しない絶対の法則です。釈尊のこの"発見"を「おさとり」と言い、仏陀の法則として「仏法」と言います。すなわち智慧とは仏法のことに他なりません。
世間ではよく、宗教とは教祖や何かの象徴を信じることだと理解されることが多いようです。ユダヤ教やキリスト教、イスラム教のような天地創造の主としての神や、日本伝統の神道の八百万(よおろず)の神を信じることなどが挙げられるでしょう。
では、仏教も同じような意味で象徴としての釈尊を崇拝する宗教なのでしょうか。確かにまず仏陀(目覚めた人)として釈尊の人格を信頼することから始まりますが、特に大事なことは、その仏陀が説かれた教え、すなわち「法」です。
釈尊は入滅に際して、「自らを灯明とし、自らをたよりとして他をたよりとせず、法を灯明とし、法をたよりとして他のものをたよりとせず生きよ」(涅槃経)と語られました。いわゆる「自灯明、法灯明」の教えです。
この教示からも解るように、仏教が目指しているのは、単なる個人崇拝や人間を超えた何かをやみくもに信じるということではなく、真理に目覚めた人の教えを学び、その目覚めの内容に私たちも目覚めていこうということであり、その目覚めの内容を指して「智慧」というのです。
「もろもろの仏たちが世に出られるわけは、すべてのものを仏の智慧に入らしめるためである」(妙法蓮華経)
多くの人の中には、仏教を学んでいけば知らないうちに「仏教」という一つの思想に偏るのではないかと感じている人もいるかも知れませんが、それは大きな心得違いです。「智慧」は人間の思考の範疇にある「思想」とはちがいます。
釈尊はさとりの体験から人々がすでに持っている偏見と独断の見識を改め、その束縛から解放されて、ものごとの真実のすがたをありのままに見ることを諭されているのです。その"ありのままの真実"を見ること、それが「智慧」なのです。
「ありのままの真実を見ること」と言われても多くの人は「いったいどういうことなのか」という思いでしょう。極々分かり易い例で言いましょう。
「あの人はいい人だ」というときは、たいてい「自分にとって都合のいい人」であり、「あの人はダメな人だ」というときは、たいてい「自分に利益をもたらさない人」という場合が多いのではないでしょうか。
同じように、「好き」と「きらい」、「可愛い」と「憎らしい」、「きれい」と「きたない」など、ものごとや人を差別したり、仕分けたりするのも、結局は自分というモノサシで計っているのです。
仏教はこの自分のモノサシこそあらゆる苦悩を生み出す元であるとされるのです。仏の智慧は、そのような偏見分別のモノサシを超えて、ものの価値を絶対平等に見る心の眼を開くことにあるのです。これを「無分別智」といいます。
釈尊は教示されています。「ものに、意味のないものと意味のあるものとの二つがあるのではなく、善いものと悪いものとの二つがあるのでもない。二つに分けるのは人のはからいである。はからいを離れた智慧をもって照らせば、すべてはみな尊い意味をもつものになる」
「心の眼を開き、智慧を進める」ことによって、この世に存在するすべてのものは、互いに因となり縁となって大きなつながりの中に存在しているのであって、そこに価値の上下はないのだ、という世界があらわれてくるのです。
どうでしょうか。そもそも「智慧」とは即ち「仏教そのもの」だということがお分かりいただけたでしょうか。仏教とは釈尊が悟りを開きその悟りに基づいた教えであり、その悟りそのものが即ち「智慧」そのものだったのです。
阿弥陀さまも観音さまも、地蔵菩薩も虚空蔵菩薩も、そして今回の勢至菩薩もみな釈尊によって編み出された架空の仏さまですが、なぜ釈尊はかくもあまたの如来や菩薩を"創造"されたのでしょうか。それは只ひとえに悟りの「智慧」を一切衆生に知らしめんがために他なりません。
人に仏の智慧さえあれば、愚かな行為は一切無くなる筈です。もちろん、いじめも虐待も、すべての悪行はなくなり、そこに現れるのはまさに浄土の世界なのです。 

■阿弥陀如来 来世利益の仏さま
今回は13仏の10番目の仏さまで阿弥陀如来のお話です。阿弥陀さまを知らない日本人はいません。そんな有名な仏さまです。大乗仏教における諸仏の中で、もっとも代表的な仏さまのおひとりと言えるでしょう。
三回忌を努める導師で、真言は、「オン アミリタ テイセイ カラウン」で、「威光の無量光明の如来よ、永遠の命を与えたまえ」という意味だそうです。
「アミダ」は、サンスクリット語で「アミターユス」と表現されていたものが中国に伝えられ「阿弥陀」と音写されました。「アミターユス」は、「無限の寿命をもつ者」「無限の光明をもつ者」という意味だそうです。
阿弥陀仏の支配する世界を「極楽浄土」と言いますが、「極楽」は、サンスクリット語では「スカーバティー」と言って、「幸福のあるところ」という意味だそうです。「浄土」とは、清らかな苦しみのない幸せに満ちた「仏国土」ということです。
仏さまにはそれぞれが担当する浄土があるといわれ、その数なんと百千億といわれます。その中で例えば、薬師如来が治める「東方浄瑠璃の世界」や、大日如来が治める「密厳浄土」などが有名です。
ちなみに、釈迦牟尼仏の治める世界を「娑婆世界」といいます。娑婆世界といえば、我々が今住んでいるこの現世の世界のことです。すなわち「四苦八苦」、「一切皆苦」の世界のことであり、「忍土」や「穢土」(えど)とも呼ばれています。
その穢土(えど)となっている娑婆世界を本来の浄土にすべく毘盧舎那仏(法身仏)の仏身より遣わされたのが釈迦牟尼仏(応身仏)なのです。ちなみに、法身仏(ほっしん)とは、宇宙真如そのものを表す仏さまであり、応身仏とは、この世に実在された仏さまのことで、化身仏とも言われます。
ちなみに阿弥陀如来は報身(ほうじん)仏といわれます。「報身仏」には諸説がありますが、拙僧の持論を言わせていただければ、「法身仏」を「理の象徴」と捉え、「報身仏」を「情の象徴」と捉えたらどうでしょうか。観音さまや地蔵菩薩など、お釈迦さまが"創造"された諸仏がそれに当たりますが、そのまさに代表格が阿弥陀さまなのです。
娑婆世界とは、本来は「浄土」であるべきなのです。その「穢土」と化してしまっているこの現世の娑婆世界に出世され今なお説法されているのが釈迦牟尼仏なのです。法華経「如来寿量品」には、「大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏である」と説かれています。
斯様にお釈迦さまにとって娑婆世界は、まさに「我が国土」なのです。我々人間にとっては、この現世こそ掛け替えのない仏国土なのです。この世の「穢土」を本来の「浄土」に化するというのが釈迦如来の本願なのです。
ですから釈迦牟尼仏を本尊とする禅宗の立場は、自ら発心して、この世で救われなければならないとする、いわゆる「自力本願」なのです。この世で救われることこそ「現世利益」とする考えです。
これに対して、現世で救われない者は誰でも阿弥陀仏にすがれば必ずや来世で救われるとするのが浄土門の立場です。来世で救われることこそ「来世利益」なのです。
浄土真宗の宗祖親鸞上人は、歎異抄の中で、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という有名な「悪人正機説」を唱えられました。
また、「善人は自己の能力で悟りを開こうとし、仏に頼ろうとする気持ちが薄いが、煩悩にとらわれた凡夫(悪人)は、仏の救済に頼るしかないとの気持ちが強いため、阿弥陀仏に救われる」と説かれています。
極楽往生には厳しい戒律生活や修行などは要求されません。阿弥陀如来の本願を信じて、ただひたすら阿弥陀さまを念仏すれば、どんな人でも確実に極楽浄土に往生できるというのです。この「他力本願」の信仰はたちまち多くの人々の帰信するところとなりました。
阿弥陀仏の浄土に往生して悟りを得る教えを「浄土門」と称します。極楽浄土に往生し、悟りを得るという阿弥陀信仰を説いた主要教典が、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の三巻です。法然はそれらを「浄土三部経」と位置づけ、親鸞もそれらを根本聖典としました。
このなかでも「阿弥陀経」は最も浄土の思想が説かれたお経といわれています。極楽往生を願う者は、阿弥陀の名号を、一日ないし七日間念ずれば往生できると説かれています。その大意の一部をご紹介しますので、"極楽浄土"を味わってみてください。
仏説阿弥陀経
私(阿難)は次のように聞いた。ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎に、1,250人の僧たちと居られた。彼らは皆、理想的な修行者として知られていた。
上座の長老である舎利弗、摩訶迦葉、摩訶迦旃延、などの偉大な弟子たち、ならびに多くの菩薩様である、文殊菩薩、阿逸多菩薩、乾陀訶提菩薩、常精進菩薩などの偉大な菩薩の方々と、帝釈天等の数えきれない大勢の神々と大衆がいた。
その時、釈迦は長老の舎利弗に次のように語った。ここから西方に十万億の仏国土を過ぎると極楽世界がある。そこに阿弥陀仏がおられ、現在教えを説いている。
舎利弗よ、その世界を極楽と呼ぶのは、そこの人々には苦しみがなく、楽しみだけを受けるために極楽と呼ばれる。また舎利弗よ、極楽国土には七重の欄干や七重の珠飾りの網や、並木があり、これらすべてが四種の宝物で取り巻かれているために、この国土を極楽という。また舎利弗よ、極楽には七宝の池があり、そこには八つの功徳のある水が充満している。池の底には金の砂が敷き詰められ、池の四方の階段は金銀瑠璃などで飾られている。
池の中には車輪のような大きな蓮華が咲き、青蓮華は青く、黄蓮華は黄色く、赤蓮華は赤く、白蓮華は白く輝いて微妙な香りが漂っている。舎利弗よ、極楽国土にはこのような徳をそなえた装いが備わっている。
また舎利弗よ、その国土では常に天の音楽が奏でられ、地面は黄金であり、昼夜六回にわたって曼荼羅の花が降る。そこの人々は、朝には器に美しい花を盛って十万億もの他の国土の仏に供養する。食事には本国に戻り、食事をし散歩をする。舎利弗よ、極楽国土にはこのような徳をそなえた装いが備わっている。
また、次に舎利弗よ、その国には色々珍しい色の白鳥、孔雀、鸚鵡、百舌鳥、迦陵頻伽、共命之鳥などの鳥がおり、これらの鳥は昼夜六回美しい声でさえずる。その音色は五根五力、七菩提分、八聖道分などの教えを説いている。そこの人々は、この鳥の声を聞き終わると、誰もが仏や教えや僧を念じはじめる。
舎利弗よ、この鳥が罪の報いによって生まれ変わったものと考えてはいけない。それは仏国土では、地獄・餓鬼・畜生の世界は存在しないのである。
舎利弗よ、仏国土にはこうした悪道の名前すらないので、その実がないのである。これらの鳥はみな、阿弥陀仏が教えを説くために鳥の姿に変化したものである。
舎利弗よ、その仏国土にはさわやかな風が吹きわたり、さまざまな宝の並木および宝の綱飾りを吹きゆるがせて、妙なる音楽を作り出している。それは百千種もの楽器が同時に奏でられているようであり、この音色を聞く者は、誰でも自ら仏を念じ、法を念じ、僧を念じる心を生ずるのである。
舎利弗よ、極楽国土はこのように麗しく飾り立たてられている。舎利弗よ、そなたはどう思うか。なぜその仏を阿弥陀と申しあげるのであろうか。舎利弗よ、その仏の光明には限りがなく、十方の国々を照らして何ものにも障げられない。それで「アミダ」と申し上げるのである。
また舎利弗よ、その仏の寿命およびその国の人々の寿命も、ともに限りなく、実にはかり知れないほど長い。それで「アミダ」と申し上げるのである。舎利弗よ、阿弥陀仏が仏に成られてから今日まで、すでに十劫という長い時が過ぎている。
また舎利弗よ、その仏のもとには数限りない声聞の弟子がいて、みな阿羅漢のさとりを得ている。その数の多いことは、とても数え尽くすことができない。さまざまな菩薩たちの数も、またまたそのように多いのである。舎利弗よ、極楽国土は、このように麗しく飾りたてられている。
・・・中略・・・
しかし舎利弗よ、わずかな功徳を積むだけでは、とてもその国に生まれることはできない。舎利弗よ、もし善良な者が阿弥陀仏の名号を聞いて、その名号を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日、一心に思いを乱さないなら、その人が命を終えようとするとき、阿弥陀仏が多くの生者たちとともにその前に現れてくださるのである。
するとその人がいよいよ命を終える時、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽国土に生まれることができる。舎利弗よ、わたしはこのような利益を見ているが故に、このことを説くのである。もし人々がこの教えを聞いたなら、ぜひともその国に生まれたいと願うがよい。
・・・中略・・・
舎利弗よ、もし善良な者たちが、このように仏方がお説きになる阿弥陀仏の名とこの経の名を聞くなら、これらのものはみな、すべての仏方に護られて、この上ないさとりに向かって退くことのない位に至ることができる。
だから舎利弗よ、そなたたちはみな、わたしの説くこの教えと、仏方のお説きになることを深く信じて心にとどめるがよい。
舎利弗よ、もしすでに願いをおこした者、また今おこしつつある者、あるいはこれから願いをおこすであろう者がいて、かの阿弥陀仏の国に生まれようとするならば、みなこの上ないさとりに向かって退くことのない位に至り、その国にすでに生まれ、または生まれつつあり、あるいはこれから生まれるであろう。
だから舎利弗よ、善良な者たちで、もし信心がある者は、ぜひともその国に生まれたいと願うべきである。
・・・中略・・・
尊がこの教えを説き終わられると、舎利弗をはじめ、多くの修行僧たちも、すべての世界の天人や人々も、阿修羅などもみな、この釈尊の説法を聞いて、喜びにあふれ、深く心にとどめ、うやうやしく礼拝して立ち去ったのである。
仏説阿弥陀経

以上、想像するに極楽浄土はまさに夢の世界ですね。お釈迦さまは、誰でも願えば極楽浄土に往生できると説かれているのです。これは決して"うそ"ではありません。なぜなら、「極楽浄土」はまさに「情の象徴」だからです。 

■阿閦(あしゅく)如来 不動、堅固の仏さま
今回は13仏の11番目の仏さまで阿閦如来のお話です。「あしゅく」とは、梵名アクショービヤと言って、「揺るぎない」という意味があり、悟りを求める誓願と菩提心が金剛(ダイヤモンド)のように堅固であることを示しているといわれます。
七回忌を努める導師で、真言は、「オン アキシュビア ウン」で、不動の菩提心と三毒(貪・瞋・痴)の心を鎮めてくれるといわれます。
その由来は、東方の千仏刹(千におよぶ仏国土)を越えたところに阿比羅堤(あびらだい)世界があり、その浄土で一人の比丘がさとり求める菩提心を発し、瞋恚(怒り)を断ち、淫欲に溺れないことを誓って精進し、ついにさとりを得て成仏しました。
師の大日如来よりその誓願と精進の堅個さを称えられ、その比丘は阿閦(あしゅく)の名号を授かったといわれます。爾来阿しゅく如来は今も、その浄土において説法を続けておられるといわれます。
その容姿は黄色(又は青色)にして左手を金剛拳にして臍に安置して膝に置いて、右手を垂れ指頭を以って地を押しています。すなわち阿閦觸地の印相を結んでいるのが特徴と言えるでしょう。
密教では、金剛界において五智如来(大日、阿閦、宝生、阿弥陀、不空成就)の一人とされています。東方にあって、「大円鏡智」の徳を備え諸悪の煩悩を破壊し、菩提心を顕現する仏とされます。
「大円鏡智」とは、森羅万象の真実の全てを映し出す悟りと智慧の鏡という意味です。禅宗では卒塔婆の頭によくこの句を書き入れています。
前回の阿弥陀如来とは対象的に、阿しゅく如来はあまりよく知られていない地味な存在といってよいでしょう。しかし、瞋恚を鎮め悟りを求める不動心を持つとされるこの仏さまの精神こそ、特に現代人に求められる心ではないでしょうか。
仏教では、人間の諸悪・苦しみの根源は貪・瞋・痴にあるとし、これらを三毒と言います。煩悩を毒に例え、三毒こそ煩悩の最たるものとされています。
貪は、貪欲のことであり、むさぼり求める心のことです。瞋は、瞋恚(しんい・しんに)は「いかり」「にくしみ」の心のことです。痴は、愚痴ともいい、真理や真実に対する無知の心、「おろかさ」をいいます。
人間の不幸のほとんどはこの三毒に冒されることから始まると言ってよいでしょう。その一つである瞋恚(怒り)こそ最も心のコントロールが必要なのです。
怒りは、他人の心だけでなく自分自身の心までもダメにしてしまうのです。あの一言で友人関係がおかしくなったとか、あの一言がいまだに心の棘となっているとか、過去に負った心の傷がいまだ癒されていない想いは誰にでもあるものです。
一瞬の怒りが人生を狂わせてしまった事例はいくらでもあります。一生取り返しのつかない事件を起こした人が一様に言うことは「あの瞬間に戻れるのなら戻りたいと、どれほど思ったことか」という後悔の言葉です。
時間は絶対に戻りません。それっきりです。いくら後悔しても後の祭りです。 それもまさに「一期一会」なのです。人生腹の立つことは日常茶飯事です。それだけに怒りの心を如何に抑えるかが如何に大事であるか肝に銘ずべきです。
では、腹が立ったらどうしたらよいでしょうか。いろいろ民間療法はあると思いますが、何よりも仏さまに頼ることでしょう。今回の阿閦如来さまを心に念じ、「オン アキシュビア ウン」と真言を唱えるのです。たちどころに怒りの心は鎮まってくるはずです。
もちろん仏さまであれば他のどの仏さまでもかまいません。心から気持ちを込めて真言をお唱えするのです。真言でなくても、「南無地蔵菩薩」でも、「南無阿弥陀仏」でも、「南無釈迦牟尼仏」でも、「南無観世音菩薩」でもかまいません。まずは一度試してみてください。絶対に効果がありますから。
滴水観世音菩薩
さて、七月の「法話」で観音さまのお話をしました。そのなかで、拙僧が一目惚れをした滴水観世音菩薩が近日中に当山にやってくるという話をしましたが、過日遂にご到着されました。拙僧これまで多くの観音石像をみてきましたが、その観音さまは、お顔立ちから容姿まで最高だと思います。なんと瞳があり、拝顔すると視線が合うんです。自分を見つめてくれているようで癒されます。是非一度お参りください。 
 

 

■大日如来 密教の仏さま
今回は13仏の12番目の仏さまで大日如来のお話です。
13回忌の導師で、真言は、「オン バザラダト バン」です。「大日」とは、サンスクリット語で「マハーバイローチャナ」と言って「偉大な輝くもの」という意味です。
大日如来の名前は、太陽である「日」に「大」を加えて「大日」と名付けられたといわれます。太陽を中心とする宇宙そのものが大日如来の身体であるという考えです。宇宙に存在するものは全て大日如来そのものであり、すべての諸仏諸菩薩は大日如来から派遣されたものと捉えます。
真言密教の根本教典である「大日経」と「金剛頂経」には、衆生の救済者として諸仏諸菩薩をはじめ諸神が説かれていますが、これらの全ては大日如来より出生し、大日如来の徳をそれぞれが分担し、衆生済度に当たられると説かれています。
根本教典である両経には、大日如来の徳の現れ方を、多くの諸仏との関係において説かれていますが、その関係を図式したものが曼荼羅です。宇宙に存在する一切のものは大日如来に胎蔵されるもの(胎蔵界曼荼羅)であり、また一切のものは何ものにも侵されない堅個な智慧の顕現(金剛界曼荼羅)であると考えるのです。
つまり、密教において、大日如来はそのものが宇宙の実体であり真理なのです。大日如来はいわば宇宙そのものを神格化したものと捉えることができます。ですから曼荼羅の中では、大日如来は中心に鎮座されまさに宇宙の一切を統治されていて、その功徳によって私たち人間はすべて即身成仏ができると説きます。
また別名を毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)とも、遍照如来(へんじょうにょらい)とも言います。その光明が宇宙全体を遍く照らし、常に法を説いているとしています。その説法の言葉はあまりにも深遠であるために我々凡夫には秘密とされていることから、「密教」といいます。
また、有名な奈良の大仏も同じ毘廬舎那仏ですが、奈良の大仏(東大寺)は華厳宗で、「遮」を「舎」と表して差別化を図っています。陽光である毘廬舎那仏の智慧の光は、すべての衆生を照らして、衆生は光に満ち、同時に毘廬舎那仏の宇宙は衆生で満たされているとされます。
さて、大日如来といえば弘法大師空海の存在を抜きには語れません。日本に本格的な密教を伝え真言宗の開祖となったのが言わずと知れた空海です。子供のころから密教の「大日経」に強い興味をもち、奈良の諸寺で多くの教義を学び、31歳の若さで遣唐使に選出された秀才でした。
長安の都で修学し、「遍照金剛」の名号を得て、正統密教の後継者に指名されました。膨大な教典や法具を携え日本に帰国した空海は、嵯峨天皇に見いだされ、当時の仏教界の重鎮、比叡山の最澄にその密教を指導したと言われます。
高野山・金剛峯寺(こんごうぶじ)を開創し、密教の根本道場とし、宇宙の真理を体現する大日如来と神秘体験をもって成仏を目指すという真言密教の新しい悟りの形態は急速に信仰を広めました。
さらに空海は、唐から最新の学問、医学、土木技術なども持ち帰り、満濃池(まんのういけ)を築いたり、私立の教育施設「綜芸種智院」(しゅげいしゅちいん)などを開設し、仏教のみならず、儒教、医学、土木、音楽などの普及に貢献されたのです。
承和2年(832)8月、空海は高野山においてその62年の生涯を閉じました。後世に起こった入定身信仰に基づき、空海の死を「入定」と称しています。「入定」とは「死」ではなく「禅定」に入るということであり、真言宗では高野山の奥の院御廟で今も生き続けていると信じ、現在も食事と衣服が供えられています。
醍醐天皇より「弘法大師」の諡号(死後天皇より贈られる称号)が贈られ、千年の時を越え、「お大師さん」として崇敬されています。歴史上、天皇から下賜された「大師号」は全27名に及びますが、一般的に「大師」といえば「弘法大師」を指すようになっています。
四国には日本一有名で人気の高い空海ゆかりの八十八箇所霊場がありますね。その巡礼に赴くお遍路さんは年間30万人にもなるそうですが、今も弘法大師空海が同行してくれるという「同行二人」が信じられています。
空海によって開かれた日本仏教の一大聖地・高野山は、空海入定千年の時を越え、後を継いだ僧侶や信者によって人々の信仰と崇敬を集めて発展してきました。そして、平成16年7月には「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
弘法大師にまつわる伝説は日本各地に多く残されています。大師が杖を突くと泉が湧き、井戸や池になったといった伝承をもつ場所は日本全国で千数百件にのぼるといわれています。
大師が発見したとされる温泉は、北は山形県のあつみ温泉から、西は長崎県の波佐見温泉まで、おおよそ26ヶ所にものぼります。ただ中には、温泉を探り当てた際に、宗祖たる空海の名を借用したものもあるようです。
弘法大師が由来とされる伝説や伝承も実に多く存在します。その一部を記しますと、ひらがな、いろは歌、灸、讃岐うどん、手こね寿司、九条葱、曜日、水銀鉱脈の発見などなど。有名がことわざや慣用句なども多くありますが、その中から二つほど有名なものをあげてみました。
「弘法も筆の誤り」 空海は天皇から勅使を受けて、大内裏応天門の額を書くことになったのですが、「応」の一番上の点を書き忘れてしまいました。空海は掲げられた額に向けて筆を投げつけて直したといわれます。
「護摩の灰」 弘法大師大師が焚いた護摩の灰と称し、御利益があるといって売りつけた旅の詐欺師がいたそうです。そのことが転じて旅人の懐を狙う泥棒全般を指すようになったそうです。
大日如来という大きな宇宙的思想を体感し、国とか民族を越えて、人間や人類に共通する原理を会得した人・・・ インドで何百年もかけて成熟してきた純粋密教を7年間の修行のもとに、インドにも中国にもなかった独自の理論体系を築き真言密教を完成させた人・・・宗教界に留まらず、現実社会でもパワフルに活躍し、一人の人生とはとても想像もつかない数々の功績を残した人・・・人並みはずれた知力、感性、そして才能に恵まれていたまさに傑出の天才でした。
そのような指導の天才が今のこのどうしようもない日本には必要です。まもなく衆議院の選挙が始まります。多くの新党が乱立し耳障りの良いことを並べ立てていますが、一体どの党の誰を信じたらよいか一般の国民にはまったく分かりません。
願わくは、真の指導者が出現され、少しでも国家国民を良い方向に導いて欲しいものです。末法といわれる今の世を正してくれる現代の「お大師さま」はいないものでしょうか。 

■虚空蔵菩薩 智慧に安楽あり
今回は13仏最後の仏さまで虚空蔵菩薩のお話です。
33回忌の導師で、真言は、「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」です。この真言を唱えることで大宇宙の智慧にあやかれるのです。
虚空蔵菩薩は地蔵菩薩の対的存在と考えられる仏さまです。地蔵菩薩が「大地」の「蔵」を象徴しているのに対して、虚空蔵菩薩は「虚空」の「蔵」を象徴しているからです。
大地の「蔵」がすべての「命」の源であり、慈悲心の象徴であるのに対して、虚空の「蔵」は大宇宙の理(ことわり)を象徴しています。虚空に蔵(かく)されているもの、それがすなわち「智慧」なのです。
虚空蔵菩薩とは、大日如来の働きのうち、「虚空の智慧」の徳性をもって派遣された、まさに「智慧」の仏さまといえるでしょう。その智慧によってすべての人々に安楽と福徳の御利益がもたらされるといわれます。
「智慧」については、これまでに幾度となくとりあげてきました。「知恵と智慧の違いについて」、「智慧のない知恵は煩悩にすぎないこと」「智慧こそ悟りの本質」等々・・・ その「智慧」についてもう少し学んでみたいと思います。
智慧を説いた理(ことわり)が、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三法印です。慈悲を説いた情(なさけ)が、「一切皆苦」の一法印です。(一切皆苦含めて四法印とも言います)
宇宙には絶対の「理」に対して衆生の命が存在しています。命とは、それ自体が「一切皆苦」ですから、そこには「情」が存在するのです。その情を司るのが「慈悲」です。
ですから慈悲をもって「抜苦与楽」を説いているのが地蔵菩薩であり、観世音菩薩なのです。ですから、智慧の虚空蔵菩薩に対して、慈悲の地蔵菩薩がいらっしゃるのです。
「絶対の智慧」に「絶対の慈悲」が重なり合っているという、このように仏教は智慧と慈悲が表裏一体なのです。ですから智慧を会得することがすなわち、同時に慈悲をいただくことになるのです。
その慈悲の世界を謳ったものが極楽浄土です。極楽浄土は何も来世に限った世界ではなく、慈悲を会得することで現世に居ながら極楽浄土が体験できるのです。これこそが果報であり、現世利益なのです。
智慧がないことを迷いと言いますが、迷っているからこそ、この世が「一切皆苦」なのです。つまり、智慧により煩悩を打ち破り慈悲を得ることで、その「苦」が安楽に替わるのです。
確かに、人は人間として生まれた以上、「四苦八苦」「一切皆苦」という宿命から絶対に逃れることはできません。しかし、実はその「苦」を「楽」に変えることができる妙術があったのです。その妙術こそ「安楽の法門」といわれる「智慧」なのです。
人類で初めてそれを証明された人、そのお方こそ我等が世尊、釈迦牟尼仏です。釈尊は大宇宙の智慧を悟られ、「一切皆苦」から解放されたのです。これを解脱と言い、釈尊は智慧を会得することで誰でも「安楽」の法門に入れることを証明されたのです。
智慧と慈悲は両輪です。智慧がなければ慈悲がありません。慈悲がなければ安楽がありません。安楽がなければ人は救われません。つまり、人は智慧があってこそ救われるのです。
さて、人類は奇跡的進化をとげその「知恵」の恩恵によって様々な科学文明の利器を生み出し、快適にして最高の生活を手にしました。現代人はまさに幸福の絶頂に達したかに思われます。が、果たしてそうでしょうか。
どんなに権力を手に入れても、どんなに知恵を身につけ裕福になっても、人は一向に「四苦八苦」から解放されていないのです。つまり人は、「知恵」から富裕な生活を手に入れることはできても、「智慧」無しでほんとうの幸福を手にすることは出来なかったのです。
幸福とは、敢えて一言で言えば、「安心」「安楽」です。どんなに貧しくとも、どんなに非才浅学でも、安心にこそ安楽があるのです。その「安楽の法門」に入る術、それが智慧なのです。仏教の目的を敢えて一言で言えば、「安楽」なのですから。
例えばその安楽の法門の一つに「知足」があります。ここでその「知足」についてちょっと考えてみましょう。釈尊は入滅に臨み「知足」について諄々と口宣されました。
「汝等比丘、若(も)し諸々の苦悩を脱せんと欲せば、当(まさ)に知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すと雖(いえど)も、猶(な)お安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処すと雖も亦た意(こころ)に称(かな)わず。」(遺教経)
人類は知恵により原子力を発明しました。まさに夢のエネルギーとして人々はその恩恵に与り富楽を享受してきました。しかし、原発事故が起こり、日本人はエネルギー問題の対応に迫られました。
今回の衆議院選挙の結果でも分かるように、その選択は「経済最優先」でした。原発が無ければ経済も生活も立ち行かなくなるとして、日本人の大多数が選らんだのは、原発はイヤだけど仕方ないという、あやふやな結論でした。
これは、日本人の心が、まだまだ富楽をあきらめきれずに、「もっと、もっと(ほしい)」という「不知足心」の表れでしょうか。先のことは考えず今が大事、今さえ良ければという、刹那主義的欲望心にとらわれているとしたら、日本の未来にほんとうの幸せは望めないかもしれません。
原子力は人類にとってまだまだ未完成の代物なのです。膨大な原発廃棄物の最終処分の方法も場所も分からないまま、その量は膨らむばかりです。将来にこれ以上の負の遺産を残さないためにも、「知足心」に基づいた生活を考え直さなければ、未来に幸福は望めません。
持つ程に増すのが欲望心と言われます。だから、必要以上の物欲にとらわれなければ欲望心は減ってくるものです。その基本が「知足心」です。知足心によって満たされた心にこそ、安楽はやってくるのです。
日常の生活エネルギーと、食物エネルギーを減らすことで、さらに、心身ともに健康になれるというまさにおまけつきです。
「安楽の伝授というて外になし、ただ足ることを知るまでのこと」(一休宗純禅師)  
 
四諦 1

 

■法灯明
新年明けましておめでとうございます。当山のホームページを御覧いただいております諸兄善男善女各位のご多幸を祈念申し上げます。
お陰様で、当山のホームページも早9年目を迎えることができました。まずは今年一年を頑張って参りたいと思っています。よろしくお願い致します。
さて、前回で「13仏シリーズ」を終えた訳ですが、拙僧の持論・愚論を通して諸仏の役割について些かなりとも学んで頂けたでしょうか。これからは仏教の基本理念となっている「四諦」(したい)について学んでいきたいと思います。
仏教の最大の特徴はなんといってもその絶対的理念の「法」にあります。その基本こそ「四諦」ですが、その前にまず釈尊にとって「法」の位置づけはどこあったのか、釈尊と法の関係とはどんなものかについて考えてみましょう。
宗教といえば、一般的にはなにか神や偉いカリスマ教祖を崇め奉り、その力にすがったりするもののように考えられていますが、実は仏教はそうではなかったのです。仏教は釈尊を個人崇拝する宗教ではなかったのです。
イヤ、確かに、現代の日本の仏教といえば仏さまを神格化したような現世利益を祈願とした信仰が主流を占めていると言えます。その現実は否めません。しかし、釈尊の教えを改めて検証してみると実はそうではなかったことが分かります。
それを今回は「自灯明、法灯明」の中から検証してみましょう。釈尊は仏教の教祖ではありますが、自分(釈尊)を依りどころにすべきではないと明言されています。その意味はきわめて重要であり、ここに釈尊の真意が窺われます。
釈尊晩年のことです。釈尊は重い病気にかかり、病苦を忍び、やがて回復されました。弟子の阿難は釈尊の回復をたいそう喜びましたが、これから先いつか釈尊が入滅されてもおかしくないことを悟り心配されました。
「世尊よ、よくなられてほんとうによろしゅうございました。世尊の病が重く、お体もやつれたもう時には、私は四方が暗くなったように思われました。だが、世尊は、まだ僧伽(教団)のことについてなにか御遺言のないうちは、亡くなられるはずはない。と思ったとき、ふと安堵することができました。」
阿難は、世尊が、その死に先だって、この教団の後嗣を指名するであろうことを含め期待したのですが、釈尊は、その期待があやまりであることを伝えました。
「阿難よ、その期待は間違っている。私はすでにあらゆる角度から法を説きつくした。わたしの教えには、弟子に隠して握りしめているような秘密はない。
また、阿難よ、わたしは、わたしがこの教団の指導者であるとか、比丘たちはみんなわたしに頼っているとか、思ってはいない。だから、わたしがこの教団のあとつぎなどを指名するはずはないではないか。
だから阿難よ、汝らは、ただ、自らを洲(しま)とし、自らを拠りどころとして、他人を拠りどころとすることなく、法を洲とし、法を拠りどころとして、他を依りどころとすることなかれというのである。他を依りどころとすることなき者こそ、わが教団のなかにおいて最高処にあるものである。」
釈尊は「わたしの教えには、弟子に隠して握りしめているような秘密はない。」と述べられましたが、この意味は重要です。
世間にはよく、師匠が最後まで秘密にしている大切な部分があったり、気に入った弟子のみに伝授するいわば奥義なるものがあったりしますが、釈尊はそれをまったく否定されたのです。
そして、「自分自身を拠りどころとして、他人を拠りどころとすることなく、法を拠りどころとして、他を依りどころとすることなかれ」と教示されたのです。
この言葉にこそ釈尊の実直な思いが込められていると拙僧は考えるのです。何千人という弟子と何万人という信者を抱えた一大宗教の教祖である釈尊が、「わたしを頼ってはならない」「頼るのは己自身と法だけで、他のものは一切頼ってはならない」と明言されたのです。
この「自帰依」「法帰依」の教えは特に釈尊晩年には繰り返えされたようです。そのもう一つをご紹介しましょう。
舎利弗と目連といえば釈尊が最も頼りにしていた弟子のうちの2人です。しばしば教典には「一双の上首」(いっそうのじょうしゅ)と称せられていますが、その二人が師に先立って相次いで逝かれてしまいました。
晩年の釈尊にとって、このうえない痛手でした。ある夕べのこと、布薩の儀式に出席されました。「比丘たちよ、サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)が逝ってからこのかた、この集会は、わたしにはまるで空虚になってしまった。あの二人の顔が見えない集会は、わたしには淋しくてたまらない。
・・・中略・・・
だが、比丘たちよ、この世に存するものは、なに一つとして、たれ一人として、いつまでも移ろわぬものとては、あり得ないのが道理であった。
・・・中略・・・
かの二人は、わたしに先だっていった。この世に、うつろわざるものは、あり得ないからである。
・・・中略・・・
されば、比丘たちよ、わたしは汝らに言う。『みずからを洲とし、みずからを依りどころとして、他人を依りどころとしてはならぬ。法を洲とし、法を依りどころとして、他を依りどころとしてはならぬ』」と。
弟子達にしてみれば、釈尊あっての教団であり仏教なのです。それを頼るなと言われ、さらに、教団の後継者を指名することもしないということは一体どういうことでしょうか。教団には相当な戸惑いと困惑が走ったことでしょう。
しかしその意図は、敢えて教団を突き放すことで釈尊は仏教の本道を守ろうとされたのだろうと考えるのです。つまり、仏教の本道が絶対の「法」であり、決して個人崇拝に陥ってならないことを示されたのです。
確かに釈尊は仏教の開祖ですが、御自身にしてみれば、自分は宇宙の真理の「法」の発見者に過ぎず、「法」の仲介者に過ぎないという自覚と、その正法を後世に伝えていく強い使命感からの発露だったのでしょう。
個人崇拝は個人を絶対の存在に祀りあげます。人は「祀られる」ことで不合理の存在となります。それはつまり神を意味します。神は実体のない存在であり、人が神になること自体不合理なことです。だから人は神にはなれないのです。
しかし、仏は違います。仏には実体があります。それを「仏性」といいます。仏性こそ仏の実体です。「一切衆生、悉有仏性」だから人は仏になれるのです。「悉有仏性」とは没個性の存在ですから、個人崇拝になってはならないのです。
釈尊が個人崇拝を否定されたのは、仏陀は神ではないことを示されたのです。釈尊は、人はみな「本来本法性、天然自性身」だから、悟れば誰でも仏になれることを証明されたのです。この事実こそ仏教の根本教理なのです。
仏教で仏陀を崇拝するのは、それは神としてではなく、自分自身の理想像として、自分も仏になれることを願って崇拝するのです。これが仏教の本筋なのです。この処がちょっと難しいかもしれませんが、この認識こそがあってこそ釈尊が後継者という「人」(個人)にこだわらなかったことが理解できるのです。
つまり、仏教の崇める対象は「個人」ではなく「仏・法・僧」なのです。仏・法・僧を三宝と言いますが、文字通りこれらはまさに三つの「宝」であり、三位一体なのです。だから仏教徒はまず初めに三宝に帰依することから始まるのです。
釈尊は「自灯明、法灯明」をとおして、仏教が決して個人崇拝に陥ってはならないこと、「法」こそ絶対の依りどころであることを示されたのです。
宗教というと、とかく無条件で教祖を奉りその教えを受け入れる節がありますが、釈尊はそれらを「外道」(げどう)と呼んでおられます。しばらく前にも拙僧は述べましたが、仏教は真理に即した「超科学」の教えなのです。  

■苦諦 釈尊の苦悩
なぜ、仏教はさとり、解脱、涅槃というものをめざすのでしょうか。それは、仏教の問題認識が、この世を「苦」だと見ているからです。これは今まで何度も言ってきたことです。(法話「一切皆苦」―苦海の中の魚―平成17・18年参考)
この現実認識をとらえ、仏教は苦からの脱出、苦の解決のため、さとり、解脱、涅槃をめざすにほかなりません。まさしく、釈尊が出家した原因も釈尊自身の「人生は苦である」という悩みにあったのです。
現代では超人のように思われている釈尊ですが、決して超人ではありません。前回「法灯明」でもとりあげたように、釈尊は、「わたしを頼ってはならない」と言われました。その真意は、釈尊自ら自分は超人でも神でもないという宣言だったのです。
釈尊は、神から啓示を受けたり、生まれながらに特殊な能力をいただいていたわけでも特別な存在だったわけでもありません。あったのは私たちと同じような心の感性です。
釈尊は幼い頃から非常に感性が豊かで、何不自由のない王宮殿の贅沢な生活の中にも多くの疑問を持ち続けたのです。人生や世の不条理に対する思いは日増しに強くなりました。その想いが有名な「四門出遊」の伝説となりました。
ある日、王子が城外の園に遊びに行こうとした折の話です。城の東門から出ようとすると、杖にすがった老人に出会いました。王子は、従者から全ての人はやがてあのような老人の姿になることを諭され、いたたまれなく外出をやめて城に引き返されました。
気を取り直して後日、やはり園へ行こうとされ、南門から出ると、こんどは病で倒れて苦しんでいる人に出会いました。従者から人はみんな同じように病に冒され苦しむことを聞かされました。王子はいたたまれず城に引き返されました。
また、幾日か後、気を取り直してこんどは西門から出て行くと、葬送の列に出会いました。家族や縁者が悲しみながら棺を運んでいきます。死は誰にでも必ずおとずれる不幸であると知り大変なショックをうけ、いたたまれずやはり城に引き返されました。
さらに何日が経ち、王子は四度目に北門から外出されました。すると、そこには一人の出家者が歩いていました。その姿に何か神々しくすがすがしさを感じとられたのです。
その者に王子は「あなたは一体何者であるか?」と尋ねました。出家者は、自分は解脱を求める修行者であると答えました。これを聞いた王子は、これこそわたしが歩む道であると決心されました。
むろん、これは伝説ですが、王子が持ち続けていた「苦悩」を象徴的に表現したものといえるでしょう。しかし、世の不条理に苦悩し、ついに苦の解決を求めて王子の位をうち捨て、二十九歳にして出家し、人生の全てをかけたのです。
しかし、私たちの一般的な見方から言えば、釈尊は王侯に生まれ何不自由のない贅沢三昧の生活の中で、一体何が不足で「人生は苦である」などという悩みを持ったのか。いくら感性が豊かであるにしろ、常識では理解しがたい、ずいぶんな変人か我儘お坊ちゃまの印象すら持ってしまいます。
しかし、だれでもが正直に自分自身の人生を見つめてみると、今まで悩みのなかった人など誰一人いません。又、今現在悩みのない人もいない筈です。今この文章を見ているあなたも、この文章を書いている拙僧も同じです。生きている限り悩みの尽きないのが人の宿命なのです。
お金がない。病気で苦しい。人間関係で悩んでいる。パワハラ、セクハラ、近所付き合い、体力の衰え、老化、不眠症、不妊症、花粉症、対人恐怖症、介護、通院、家事、育児、仕事、責任、ノルマ、借金、ローン、失業、交通事故、離婚、子供の将来、進学、就職、性格、嫉妬心・・・等々。
人生はまさに取るに足らないものから死に追い詰められるものまで大小様々な苦しみの中に存在します。苦悩の極みが自殺ですが、日本では年間3万人以上とか。一日平均8〜9人の人が尊い命を断たれているという悲惨な現実です。自殺は不幸の極みですが、その原因のすべては心の問題にあると言えるのです。
当山ホームページ「かけこみ寺」にも、ときどき「死にたい」と悲痛な気持ちを伝えてくる人がいます。「がんばれ」「命を無駄にするな」「生まれてきた意味を考えろ」などと言ってしまえるほど簡単な問題ではないのです。
本人は悩みに悩み、追い詰められてしまっているのです。「がんばる」ことは分かっているし、十分がんばってきたのです。「死にたい」とは言っていますが、本心は「死んではだめだ」と自分に言い聞かせ、"死にもの狂い"で葛藤しているのです。
年間3万人と言いますが、死の淵から辛うじて"生還"した人の数はおそらくその何倍にもなる筈です。自殺願望に追い込まれる心中は如何ばかりか。人生は実に過酷です。今日人ごとでも、明日は我が身かもしれないのです。あんな幸せだった人が・・・なぜ。という事例はいくらでもあります。
仏教でいう「人生は苦である」というのは特段哲学的な高尚なことを言っているのではありません。冷静に現実を見つめるならば、大小様々な苦悩が日常茶飯事に私たちの身の上には起こるのです。人であれば必ず直面する様々な苦悩がまさに人生の実態にほかなりません。
その事実に対して若き釈尊は正直な心の叫びを発したのです。そして、解脱を求めた修行者の中に問題解決の大きなヒントがあることを確信したのです。
私たちと同じ人間であったゴータマ・シッダールタ(釈尊の本名)が、同じ人間として、同じ目線で、同じような苦しみを感じ、そこから立ち上がり、そして解脱し「苦」の問題を解決されたのがまさに仏教にほかなりません。
私たちが言う世間一般的幸福とは、健康であることや富、地位、名誉のあること、あるいは家族が愛情で満ち足りていることを言います。しかし、これらが完全に揃うことはなく、たとえ揃って手に入れたとしても、それは一時のことです。
いかなる権力をもち栄華を誇った王侯貴族や富豪でも所詮私たち一般人と同じです。いくら権力や富の力があるからといっても、老いないわけでも、病にならないわけでも、寿命がおまけに追加されるわけでもありません。幸福を保証する担保など微塵たりとも存在しません。老・病・死は万人に縁に従って平等に訪れるのです。
権力、地位、名誉、健康、繁栄などが真の幸福ではないことをさとった若き釈尊は、苦の実態とその解決を求めたのです。そして、六年間の修行の結果、釈尊はついに解脱されたのです。「解脱」とは、さとりによって大自由を得ることです。
大自由こそ大安楽であり、そこには一切の苦も存在しません。安楽は苦の対極にあるのではなく、苦そのものが消滅した後に出現するものです。つまり安楽は苦によって覆い隠されているのであるから、苦を取り除くことで人は幸福になれるのです。まさに苦からの"脱皮"こそ"解脱"なのです。
釈尊は解脱により苦の原因がすべて心の問題であることを突き止めました。その理論こそ「四諦」であり「八正道」なのです。すべてが心の問題である以上、人は誰でも心次第で幸福にも不幸にもなるのです。だからこそ心を鍛え幸せになりなさいという教え・・・それが仏教なのです。 

■苦諦 出生の苦
四諦(したい)の諦とはサトヤ(satya)の訳で真理という意味です。 つまり「四諦」とは四つの真理という意味です。
この四つを苦諦・集諦・滅諦・道諦といいます。般若心経の中に出てくる「苦集滅道」のことです。釈尊は、「空」を悟ることは同時に「四諦」を悟ることだと説法されています。
前回学んだように釈尊の出発の原点は「苦悩」でした。人はだれでも生きている以上一切皆苦の中にいるのだという現実に直面し、その問題の解決を求めて出家されたのです。
そして、ついに悟りを得て解脱されました。解脱とは全ての迷いと苦しみから脱したということです。解脱されたことから、釈尊は苦に対する四つの真理すなわち「四諦」を説かれたのです。
まず問題提起し、分析し、認識し、そしてその解決策を説いているのが四諦なのです。その最初にあるのが苦諦ですが、これは、「人生は苦である」という真理です。生・老・病・死の四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四苦を合わせて「四苦八苦」といいます。
前置きが長くなりましたが、今回は四苦八苦の最初の「生苦」(しょうく)です。これは、文字通り「生まれる苦しみ」ということです。生きていることの苦しみではありません。「生まれ出る」苦しみということです。いったい「生まれ出る苦しみ」とは何か・・・それが今回のテーマです。
常識からすれば人間に生まれることこそ最高のしあわせです。にも拘わらず、生まれることが「苦」であるとはいささか理解し難いことです。しかし、人間の苦の原点は「生まれること」にあるとするのが仏教の真理なのです。
それは、人間に生まれるということは輪廻の世界である三界流転の世界に生まれるという事実からです。では三界流転の輪廻の世界とは何なのか、まずはそのことから学んでみましょう。
三界とは、この世を精神的レベルから「欲界」、「色界」、「無色界」の三段階に分けた世界のことです。
欲界とは、最も欲望にとらわれた世界のことです。色界とは、欲望を離れた物質の世界のことです。無色界とは、欲界と色界を離れた無我の世界のことです。しかし、無我という禅定にいながら涅槃に到らないため輪廻の世界に留まっているのです。
三界六道を生まれ変わり死にかわりながらさまよい続けることを三界流転とか輪廻転生と言います。迷いの世界である三界に留まる以上永遠に安まることはないのです。
釈尊は「三界は安きことなし、なおし火宅のごとし」と語られています。三界で生きることは火のついた家に住んでいるようなものだ。火に焼かれ苦しむ世界であるからそこには安息は無いということです。
では真の安息はどこにあるのでしょうか。結論から言えば、その世界こそまさに涅槃にほかなりません。その真の安息の世界・涅槃を目指す教えがまさに仏教なのです。
涅槃というと、死後の世界を想像する人が多いかも知れませんが、それはまったくの認識不足によるものです。涅槃とは、絶対無比、完全無欠な「空」の世界のことです。それは解脱し仏陀となられた者だけが入れる世界です。
人類史上その最初の人こそほかならぬ釈尊です。つまり、生きながらに仏になること、生きながらに涅槃の世界に入る教え・・・これこそ仏教の目指すところであり、言い換えれば「生き仏造り」が仏教なのです。
それには先ず六道から解脱をしなければなりません。六道とは、苦楽の位置づけで地獄から天上まで六つに分かれた世界のことです。程度の差こそあれ苦の世界なのです。
地獄とは、時間と空間ともに常に苦に満ちている最下位の世界です。餓鬼とは、いつも空腹や渇きといった苦が止むことのない世界です。絶えず飢餓感に襲われている世界です。
畜生とは、動物や魚から命ある生物の世界です。比較的自由で空腹に悩まされることはありませんが、絶えず弱肉強食の運命にある世界です。
修羅とは、戦いに明け暮れる神の一種です。いつも帝釈天に敵意と憎悪をたぎらせて戦争をしかけるのです。戦争や紛争に駆り立てられ安らぎのない世界です。そのため阿修羅は神でありながら人間よりランクが下になっているのです。
人間とは、四苦八苦の世界です。ただし精進次第で六道から解脱し涅槃に入ることができるのは唯一人間だけです。この認識がきわめて大事です。
天上とは、六道のなかでも最上の世界です。例えば寅さんで有名な葛飾柴又の帝釈天、毘沙門天、弁財天といった「天」のつく神々の世界のことです。これらの諸天は本来インドの神々でした。
仏教はこれらの神々を仏教の守護神としてとりいれたことで天上界が存在するのです。一応神の位ですが、解脱をしていないので輪廻の世界に留まっているのです。
輪廻の世界である以上天人といえども死もあれば「五衰」もあるのです。五衰とは、老化による五つの体の衰えのことです。仏典により異なりますが、体臭、脇汗、油垢、抜け毛、視力低下などのことです。
さて、以上で三界、六道、輪廻等の説明を終える訳ですが、大事なことは人間界こそ三界流転の世界であり、四苦八苦の世界だという認識です。すなわち人間に生まれることは、「苦の世界に生まれる」ことなのです。
たしかに、一般的感覚からすれば、「人生は苦だ」とは申せ、「苦もあるだろうけど、結構楽もあるじゃないか」「仏教は妙なことを言うものだ」と思われる節も多いかもしれません。
しかし、それは大きな錯誤であり、一見楽に思えるものでも実はその本質は苦と一体なのです。楽とは精神的、肉体的心地よさ、楽しさ、満足感にほかなりません。永遠に続く楽など絶対にありません。楽はわずか一時のものにすぎず、必ず終わりがあるのです。
ちょうど登り坂の向こうには必ず下り坂があるように、世界には上り坂と下り坂の数は同じだけあるのです。それと同じように、生があるから死があるのです。生と死は同事なのです。つまり生まれることは死ぬことなのです。
ただ、先にも触れたように、人によって受ける苦の質と量の違いに不条理を感じるのも当然かもしれませんが、その問題についても釈尊は業と縁起論で条理を説かれています。いずれそれについても学んでいきたいと思います。
以上人間に生まれることは、四苦八苦の世界に生まれることだという実態と、「生苦」の意味について、持論を含めながら説かせていただきました。そして何よりも大事なことは、人間こそ精進次第で六道輪廻の因果から解脱できる存在だということです。
それを信じるからこそ、われわれは仏教に精進できるのです。 

■苦諦 老苦1
人生四苦八苦、前回はその最初の「生苦」について学びました。今回はその次の「老苦」です。
老苦とは文字通り老いる苦しみです。時々刻々と老いているのが生き物の宿命であり、人間もまた例外ではないことは、誰でも当たり前のこととして受けとめています。
釈尊ですら、晩年ご自身の衰えを「私の体はちょうど古い車が革紐の助けを借りてやっと動いているようなものだ」(大般涅槃経)と述べられています。人間である以上、必ずやってくる老化による様々な苦しみ、その避けて通ることができない苦しみをいかに克服するかが今回のテーマです。
人は誰でも歳はとりたくない、老いたくないという願望をもっています。それは歳をとるにつれて、体力、精神力はどんどん衰え、老醜になるからです。あの天上界にさえ老化による「五衰」(前回参考)があるのです。五衰こそまさに老醜なのです。
美しく老いるとか言う言葉を聞いたりしますが、老いが美しく望ましいものであろうはずがないのです。できたら少しでも歳を取りたくない、老けたくないというのが本音の筈です。本音抜きに問題の実態は見えてきません。
若き釈尊ゴータマも「四門出遊」で出会った老人の老醜にショックを覚え、自分も何れあのような姿になるであろうと思い、老いは醜い、若い方がよい、自分はああはなりたくはないと感じて深く苦悩したのです。
「四門出遊」が伝説の域を出ない以上、実際に釈尊が老化に対してどれ程の思いを持っていたのか本当のところは分かりません。ただ人にとって老苦の存在が厳然たる事実である以上、人はそこから解放されなければならないのが仏教の立場なのです。
何度も言ってきたことですが、仏教の目指すところはあらゆる苦悩からの解放です。解放無くして真の安楽はありません。それには先ず老化の実態を学び、その実体を悟ることで解放を目指すというのが今回のシナリオです。
ですから、本論で述べていることは、決して老人を蔑視したり軽視しているのではありません。老人を大切にし尊重すべきであることは言うまでもありません。ただ礼儀や倫理上の考え方と、一大宗乗の問題としての解決を目指す仏教の立場は分けて認識する必要があるのです。
古くなることには、くたびれたもの、間に合わないものという通念がありますように老化もその実態は老醜なのです。しかし、そのすべては長い年月を通して人生の風雪に耐えてきた結果なのであり、"老醜"には人生の尊い重みがあることを知るべきです。
老化の中でも先ず端的に現れるのが容姿、容貌の衰えでしょう。男女を問わず誰にでもあるのが、いつまでも若く格好良くいたい、もてたいという願望です。しかし「無常たのみ難し」です。どんな若さも美貌も"無常の風"による"風化作用"から逃れることはできません。
人にとってその風化作用こそ"老化"と言うべきものです。それは丁度「酸化」の原理に似て、人も歳をとることで体のあらゆる部分を"酸化"させているのです。ですから体にも当然"耐用年数"があるのです。人はそれを"寿命"と呼んでいます。
若い時には気にもならなかったことが、齢を重ねる毎に老化として現れてきます。腹は出る、歯は無くなる、老眼は進む、加齢臭は出る、足腰は弱まるわ、頭は禿げるわで、あれほど男前だった風貌もかなり褪せてきます。
俗に言う「ハメマラ」の衰えで"男の方"の自信も失せたころ、しっかり「老苦」を実感するのです。心身一如ですから、精神力も同時に弱まります。思考力、記憶力、判断力も衰え、痴呆や交通事故のリスクも格段に高くなります。
女性も同じです。顔にはシミ、皺が増え、化粧のノリも悪く、首は太く、肩から尻まで寸胴、(失礼、勿論例外はあります)あの瑞々しいくびれた曲線美は何処へやら。昔は振り向いてくれた人もいたのに、あ〜ぁ"あれから40年"とはこのことか、と人ごとでなかったことに気づくことで、老化の現実を実感するのです。
「紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし。つらつら観ずるところに、往事の再び逢うべからざる多し」(修証義)あの紅顔の美少年は何処に行ってしまったのでしょう。あの瑞々しかった"永遠"の美少女は何処に消えてしまったのでしょうか。何処を探しても何の跡形もありません。
「白髪三千丈、愁いに縁りてかくのごとく長し。知らず明鏡のうち、何れの処にか秋霜を得たる」(李白) 鏡に映る我が姿を見て、あらためて「いったいどこでこんなに老けてしまったのだろう」というそのショックたるやまさに"三千丈"です。
拙僧自身、その都度ショックを受けるのが車の免許更新時です。その時に撮った写真と前回のものとつい比べてしまいます。その都度その老け具合いに驚くのです。写真は正直です。たかが5年とはいえ老化の程度を歴然と証明してくれるのですから。
また、写真は過去の若き日の初々しい姿も証明してくれます。自分も昔はこれだけ若かった、弾けていたと主張できるのです。しかし、それも哀れな話。"あれから40年"の今の現実を誰が想像できたでしょうか。過去は幻、昔の話や、同じ話を繰り返すようになったら間違いなく「老害」です。
以上、老苦の厳然たる実態を受けとめていただいたと思います。"実態"を味わったところで、次にその「実体」について学んでみましょう。
苦悩の実体、それは事実を認めたくないという心の葛藤なのです。誰でも歳をとれば当たり前のことだと分かっていながら、本音のところではその事実を認めたくない自分がいます。「苦悩」は、事実に対してそうあって欲しくないという反動の感情から生まれる不安感なのです。
では釈尊はそれらの苦悩をどうやって解決されたのでしょうか。般若心経の冒頭に、「行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」とありますように、「深く智慧の世界に至り、自分の全てを空だと悟ったとき、全ての苦悩から解放された」のです。
釈尊はお悟りにより大自由を得られ一切の苦から解放されたのです。「色即是空」の色は形あるものを指し、それを現象と捉えます。現象は時々刻々と変化するものです。その現象が「行」ですから、世の中の全てはうつろい行くものという意味で、「諸行無常」と言います。
「色即是空」とは、この世の存在の全てを「色」とし、その実体は「空」であるというのです。「色」は「現象」であるが故に「無常」なのです。だから人間も現象であるが故に刻一刻と老化しているのです。諸行の実体は空だと悟ることで、一切の現実を"あるがまま"受け入れます。
「あるがまま」の現実を「あるがまま」受け入れることを「諦め」といいます。「諦め」はギブアップではなく、明らかに納得するという意味です。つまり存在する全てはまさに縁に随った完璧なものだと悟ることです。
涅槃の世界は完璧な世界です。余分なものも不足したものも全くありません。老化それ自体が"完璧"なのです。ですから「老化」に対して"こだわる"という迷いなど一切ありません。これが悟りであり即ち「苦悩」からの解放なのです。
曹洞宗大本山永平寺に「不老閣」という建物があります。そこにお住まいのお方こそ大本山の住職、不老閣禅師です。その名の示すとおり、まさに「不老」の境涯にあるお方がおわします処という意味です。 

■苦諦 老苦2 天寿への道理
「不老長寿」・・・それはまさに人類永遠の願いといえるでしょう。 実は、仏教こそ不老長寿の教えなのです。それは、人生順風満帆にいけば長寿につながるからです。言うまでもなく、仏教は人生を順風満帆に送るための教えなのですから。
仏教に限らず全ての宗教の目指すところは同じかも知れません。家内安全も交通安全も、商売繁盛や心願成就も、病気平癒や健康増進などもみな行き着くところは「不老長寿」といえるのです。
目出たいことを「寿」といいますが、「寿」は、「命長し」という意味です。それは、世の中で一番目出度いことは「長生きすること」だということです。すなわち長寿こそ人生最高の幸せなのです。
確かに、いつまでも若く、元気で人生を楽しみたいという欲望は人として当然のことです。できるだけ楽しく長く生きて、そして寿命が尽きてパッと死ぬこと。これこそ万人の願うところかもしれません。
寿命が尽きることを天寿全うと言います。その天寿を全うするには人生に立ちはだかる七難八苦に打ち勝たねばなりません。心身にまつわるあらゆる厄難を排除し幸福になる教えが仏教です。ですから、仏教の目指すところは、「天寿全う」なのです。
折角の掛け替えのない人生です。仏教の御利益に与りなんとか天寿を全うしたいものです。ただし、タダではその御利益に与れません。タダとは何の努力も精進もしないということです。どんな御利益もそれ相当の精進あっての果報なのですから。
その精進とは、天地宇宙の道理にかなった生き方をすることです。人間も宇宙の一部である以上、その道理の下に生かされているのであり、その道理に則った生き方こそ万難を排し、長寿に繋がっているのです。是非その道理を学び、心身ともに健康で幸福な人生を全うしようではありませんか。
さて、その道理を学ぶには、宗教の二面性を理解しなければなりません。宗教には非合理的道理と合理的道理の二面があるからです。「鰯の頭も信心から」の理論が非合理的道理です。十円や百円のお賽銭で受験合格を願ったり、お札やご祈祷で商売繁盛を願ったりするのは明らかに非合理的道理です。
又、お経の解釈に意訳と理訳があるように、文意そのままを信じることが非合理的解釈であり、文意に隠された真意を理解することが合理的解釈です。例えば、観音経や、阿弥陀経のように観音さまや阿弥陀さまに只おすがりすれば救われるとするのが非合理的道理です。他方、経文の意訳の裏にある真意を理解し自ら悟ることで救われるとするのが合理的道理です。
非合理的道理だけのものは単なる迷信です。特に仏教にはこの非合理性と合理性が相まっているのです。また、他力本願の教えを非合理的道理と捉え、自力本願の方を合理的道理と捉えることもできます。
更にいえば、前回"講釈"した「不老」の意味についていえば、文字通り「肉体的に不老」と解釈するのは非合理的道理です。実際生き物が老化しない筈はないのですから。それに対して「不老」の意味を「仏性」と捉えるのが合理的道理です。
どういうことかと言えば、人の本質は仏性であり、それは永遠の存在であるから「死」とは捉えません。そこをすなわち「不老」と言っているのです。拙僧的持論で言えば、すなわち「超科学」なのです。
仏教は、その超科学の合理的道理から人の生き方を説いた教えです。ですから、ほんとうの不老長寿という御利益は仏教の合理的道理に生きた人に与えられるものです。
さて、実際問題、天寿こそ最高の幸せだとして、われわれ人間は一体どのくらいの寿命を持っているのでしょうか。それを探るためには、人間という己自身の実態を知る必要があります。まず人体の神秘からみてみましょう。
人間の体は50兆個の細胞でできているといわれます。細胞の大きさは10ミクロンです。人体のどの器官をとってみても、それは共通です。心臓の細胞も皮膚の細胞も、大きさはすべて同じ、10ミクロンなのです。10ミクロンは1oの100分の1です。
その10ミクロンの細胞が50兆集まってできたもの、それが人間の体です。人間だけではありません。ネズミも猫も犬も象も、同じように10ミクロンの細胞で作られています。象は大きいから細胞も大きいということはなく、すべての動物の細胞の大きさは10ミクロンです。
すべての動物の体が、人間と同じ細胞でできているのです。その形はどの動物も同じで、違うのは中に入っている遺伝子情報だけなのです。それもその筈です。すべての生物の祖先は、皆同じなのですから。
すべての生物の祖先は海で生まれ、魚類から枝分かれして、両生類、は虫類、鳥類、そしてほ乳類へと分化してきたのです。進化の過程で遺伝子が少しずつ書き換えられ、あるものは陸に上がり、あるものは羽根を得て鳥になったのです。
結果として地球上には様々な種類の生物がいるわけですが、その体を構成している細胞は同じです。地球上の生物はすべて共通の材質を持っているというわけです。
どんな動物も、始まりは1個の受精卵です。なぜ生き物によって成体の大きさが違うかというと、細胞の数が違うからです。なぜ数が違うかというと、細胞分裂の回数が違うからです。
その動物によって分裂の回数が決められているから、象は象の大きさになり、ネズミはネズミの大きさになるのです。
初め1個の受精卵が倍々に細胞分裂を繰り返すと、10回で1024個、20回で約100万個、30回で10億個、40回で1兆個になります。1辺の長さが10ミクロンの細胞は立方体ですから、体積は3乗になります。
1個の大きさが10ミクロン、つまり0、01oの細胞が10回分裂したら、その1辺の長さは10倍の0,1oになります。100万個で1o、10億個で1pになります。
10億個となった細胞の大きさは、すなわち1㎤、水なら1tです。1tの水の重さは1gですから、1㎤の細胞の重さも1gに相当します。
10億個の細胞の重さが1gなら、1兆個の細胞の重さは1sになりますね。中肉中背の人の体重は50キロですから、50キロの人間は50兆個の細胞でできているということになります。(南雲吉則先生の著書を参考にさせていただきました)
人間の体は、人類悠久の遺伝子情報を今に伝えています。そのDNAの設計図に従って一個の受精卵が50兆個まで分裂し、頭の先から足の先まで、五臓六腑の五体を見事に形成するという事実を考えてみてください。
人は奇跡を感じてこそ感謝の念が持てます。それは、あり得ないこと、「有り難い」ことが起こったからです。人間に生まれたということは、まさに奇跡であり有難いことではありませんか。 いくら前世からの宿善の因縁とはいえ、人間に生まれてきた事実を奇跡と受けとめれば、自分の人生こそ実に掛け替えのない尊いものだと思えるのです。そして感謝の気持ちがもてるのです。感謝なくして人生に幸福はありません。 

■苦諦 老苦3 天寿への道
人間に与えられた天寿はいったいどのくらいのものでしょうか。そして、長寿の秘訣はあるのでしょうか。今回は寿命のメカニズムと養生について考えてみました。
前回、人間の体はたった一個の10ミクロン、つまり0,01oの細胞から始まっていることを紹介しました。たった一個の受精卵が倍々にめまぐるしい勢いで細胞分裂を行い、人体を形作っていくのです。
そして、10ヶ月ほどして生まれ出てから細胞の「新陳代謝」が始まります。それは、古い細胞が日々死んで、新たに細胞が生まれることです。乳児期、幼児期、少年期と十数年をかけて、体はぐんぐん大きくなり続けるのです。
そして、死ぬ細胞よりも生まれる細胞が多い内が成長期です。やがて思春期になって、死ぬ細胞と生まれる細胞との数が一致するのがすなわち成長期の終わりです。もうこの若者はこれ以上身長が伸びることもなく、細胞の量は一定数のまま、生成と死滅を繰り返すのです。
そして、新陳代謝が衰え、新たな細胞を作り出さなくなってきた人体は、だんだんみずみずしさを失い、しおれた様子を見せ始めます。これが老化であり、そして、最後に、すべての細胞が分裂を停止したときが生命の終わりです。これがすなわち「寿命」なのです。
細胞が分裂を停止するときが寿命だとして、ではなぜ細胞分裂には限界があるのでしょうか。南雲博士によりますと、それを決めるのが「テロメア」という、遺伝子DNAの端にある結び目だそうです。
そのテロメアは細胞が分裂する度に短くすり減っていき、限界に到ったとき分裂を停止するのです。全ての細胞が停止するのが自然死であり、寿命なのです。動物にはそれぞれの天寿があるのです。
では、人間に与えられた天寿はどの位なのでしょうか。最近の人類120歳の天寿説の元となっている京都大学の故森毅教授の唱えた「2乗の仮説」を紹介しましょう。それによりますと、人類の寿命は11段階あって、その限界は121歳だというのです。
第1段階  1の2乗=1歳まで(乳児期)
 2〃   2の2乗=4歳まで(幼児期)
 3〃   3の2乗=9歳まで(小児期)
 4〃   4の2乗=16歳まで(思春期)
 5〃   5の2乗=25歳まで(青年期)
 6〃   6の2乗=36歳まで(若年期)
 7〃   7の2乗=49歳まで(中年前期)
 8〃   8の2乗=64歳まで(中年後期)
 9〃   9の2乗=81歳まで(老年期)
10〃  10の2乗=100歳まで(長寿期)
11〃  11の2乗=121歳まで(天寿・絶対寿命)
では、なぜ現在のほとんどの人は、その本来の天寿を全うできないのでしょうか。それは、遺伝子DNAのテロメアを短くしてしまう生き方をしているからです。人間を取り巻く環境にはテロメアを短くする因子がたくさんあるのです。
環境汚染、過食、偏食、飲酒、喫煙、ストレス等々、悪い生活習慣によって体は傷つき、テロメアはどんどんすり減っていくのです。生活習慣と環境の悪化により老化が加速するのです。その条件は個々によって違います。だから、テロメアの減り方は一様ではなく、寿命は個々に違ってくるのです。
以上の理屈からいえば、個人の寿命とは食事環境、肉体環境、精神環境、生活環境、それに遺伝子条件等に左右されていることになります。と言うことは、これらの環境をすべて整えさえすれば人は本来の天寿である絶対寿命に限りなく近づくことができるということになります。
70歳を古希、77歳を喜寿、80歳を傘寿、88歳を米寿、99歳を白寿などと言って祝いますが、平均寿命が80歳を越えた現代からは昔在の感があります。今や長寿時代といわれ、百歳を越える日本人は昨年(20012年)で5万1376人にもなったそうです。
調査を始めた50年前にはたった153人だったそうです。男性の長寿世界一としてギネス認定されていた京都の木村次郎右衛門さんが今月の6日に亡くなりましたが、116歳の長寿でした。絶対寿命といわれる121歳までもう少しのところでしたが、絶対寿命への夢と可能性を与えてくれました。
縄文時代の日本人の平均寿命はわずか15歳だったそうです。鎌倉時代には24歳、江戸時代に40歳、明治時代に43歳くらいで、50歳になったのは昭和に入ってからだそうです。そして昭和46年に70歳(古希)を越えたのです。
その後も長寿がすすみ、今年20013年の発表では男性79,59歳、女性 86,35歳にもなりました。この調子でいけば1960年以降に生まれた日本人(現在50歳)の平均寿命は100歳を越えるだろうといわれています。つまり、50年後の日本人の半分は100歳まで生きられるということです。
拙僧は、人間にとって長寿こそ最高の幸福だといいました。たしかに長命こそ「寿」であり喜びであることに間違いはありませんが、それは健康でこその話です。長生きするなら最後まで健康でなければ意味がありません。
現代では、医科学の発展と生活環境の改善により人の寿命は飛躍的に延びました。しかし、問題は健康寿命です。いくら長生きしたところで寝たきで人生の最後の日々を長々と生きるのは本人にとってまさに「老苦」そのものでしかないのです。
以上のことから、人間本来の天寿120歳説を信じるとして、その天寿に限りなく近づくためには誰でも自分自身の遺伝子のテロメアをできるだけ消耗しないような生活習慣を心がけることです。
大切な細胞遺伝子テロメアを大事にする生活習慣にこそ真のアンチエイジングがあり、天寿への道があると思うのですが、如何でしょうか。
そのための「養生訓」の一部をご紹介しましょう。「養生訓」といえば、江戸時代に貝原益軒が著したものですが、その書き出しは、次のように始まっています。
「ひとの身体は父母を本とし、天地を初めとしてなったものであって、天地・父母の恵みを受けて育った身体であるから、それは私自身のもののようであるが、しかし私のみによって存在するものではない。つまり天地の賜物であり、父母の残して下さった身体であるから、慎んで大切にして天寿をたもつようにこころがけなければならない。」
「人の命はもとより天から受けた生まれつきのものであるが、養生をよくすれば長命となり、不摂生であれば短命となる。つまり長命か短命かは、われわれの心次第である。健康で長命に生まれついた人でも、養生の術にかなわなければ早世するし、生まれつき虚弱で短命にみえる人も、保養ひとつで長生きできる。」
益軒は今から380年ほど前の江戸時代の人ですが、当時の平均寿命が40歳といわれた時代、彼自身85歳まで生きた人です。当時としては相当な長寿でした。
彼は天寿は百歳を上限とすると言っていますが、それを短くしているのは、それぞれの個々の日常生活での養生が悪いためであることを看破していたのです。
つまり、天寿には、人類に備わった終極の限界寿命としての天寿と、各個人が様々な条件のもとで最終的に享受する個人の天寿とされるものがあるわけです。
この個人の天寿がどの時点で到来するのか、自分の寿命はどのくらいなのか、それはわかりません、が、誰でも己自身の生活習慣を鑑みれば大凡予測はつくはずです。
人は生きている以上「老苦」からは逃れられません。しかし、いくらでも減らすことはできます。それは、天寿を目指した長寿にかなった生き方を心がけることです。
さいごに、益軒の「養生の七養」をご紹介しましょう。
1.言葉を少なくして内気を養うこと。
2.色欲を戒めて精気を養うこと。
3.味の濃いものを食べないで血気を養うこと。
4.唾液をのんで臓気を養うこと。
5.怒りを制して肝気を養うこと。
6.飲食を節制して胃気を養うこと。
7.心配ごとを少なくして心気を養うこと。
「養生訓」には現代でも通じる、否現代こそ必要な養生の術が説かれています。 

■苦諦 病苦 病は気から
天寿をまっとうすることこそ人生最高の幸福だとして、その最大の障害の一つが病気かも知れません。確かに病気さえなければ、人は絶対寿命といわれる120歳の天寿をまっとうできるかもしれないのですから、病気さえなかったら人生万々歳といえるでしょう。
しかし、人にとって病気は避けられないものであり、「老苦」もさることながら「病苦」こそ、人生「四苦八苦」中最大級のものと言えるかもしれません。自殺の原因のトップが健康問題だとされていることからも病苦による苦悩苦痛が人にとって如何ほどのものかがわかります。
確かに、どんなにお金があっても、地位や名誉があっても、どんなにしあわせな家族に囲まれていても、病気であっては決して幸福とはいえません。命の不安と先の見通せない絶望感にさいなまれ悶々とした日々を送ることほど不幸はありません。
病気とは、体に生理的、精神的異常が発生し、心身が正常な機能を営めず諸種の苦痛を訴える現象のことです。では、病気の数は一体どのくらい有るのでしょうか。よく「万病に効く」とか「風邪は万病のもと」などと言いますが、その数は「万」程にもなるのでしょうか。
18世紀ころにはその数およそ2400とされていましたが、20世紀にはいり、WHOの調査では3500種類がカウントされたそうです。その後アレルギーやエイズなどの出現で病気の数は増え続け、今ではおよそ一万にもなるそうです。
万病の「万」には「よろず」や「たくさん」といった強調の意味があるのでしょうが、昔のことわざが今や文字通り現実のものになってしまいました。昔認識できなかった病も勿論あったのでしょうが、人類の抱える病気は現代において確実に増え続けているのです。
では、人はなぜ病気になるのでしょうか。病気は、「気の病」といわれるように、まず心の環境に原因があるようです。
そこで、病気をつくるという「マイナスエネルギー説」をご紹介します。この説から改めてわかるのは、人間の体はまさに「心身一体」のものであるということです。
人は、心の中が悲観的、否定的になっているときは、身体も悲観的、否定的になります。そのようなときは、体の中にさまざまな「悲観的物質・否定的物質」が形成され、それがDNA遺伝子を傷つけ、細胞の働きを弱めます。そして、免疫力も低下し、その結果病気になります。
また、何十年も続けてきた悪い習慣、心の葛藤や苦しみ、心にため込んだ憎しみ・悲しみ、それが積み重なってくると、マイナスエネルギーが体に蓄積されていきます。そのような見えないものが重なり積もって、体が耐えきれなくなったとき警鐘を鳴らします。それが病気だと言えるのです。
確かに、何かに深く悩んだりして、それが続くと胃がいたくなり、胃潰瘍になったりします。精神的ショックが大きいと、一晩で、髪が真っ白になる人もいます。人間の精神状態は、それほど体に影響を及ぼすのです。
長年、心の中にため込んだ「憎しみや怒り、不満、妬み、劣等感、そして不安感など」のマイナスエネルギーが同じように自分の体を痛み付けて、それが病気となって現れてきたとしても、なんら不思議ではありません。
中でも「憎悪」は、いちばん破壊的な力が強く、そのエネルギーは体内で毒素を作り出し、体や精神に大きな害を及ぼすといわれます。憎悪の毒素が積もりに積もると、自分の病気どころか殺人まで犯してしますことにもなりかねません。
その顕著な例が、最近起こった山口県周南の住民五人の惨殺、放火事件かもしれません。小さな集落の中で、孤立と精神的軋轢の中で憎悪を募らせていった結果が、人として考えられない残虐な事件が起こってしまったのです。
まさに憎悪による毒素が心を狂わせた結果と言えるでしょう。人の行為は、良いことも悪いこともすべて心次第なのです。ですから、そんな心を守るためにあるのがまさに宗教なのです。
信仰とは毎日の祈りの中で心の状態を整えることなのです。神仏が、心の中をスキャンし、毒素を見つけ出し、マイナスエネルギーを排除してくれるのです。彼に何かまともな宗教でもあったなら、きっと結果は違っていたかもしれません。
このように、マイナスエネルギーが心に及ぼすことは計り知れません。その意味で、犯罪も病気もマイナスエネルギーが大きく拘わっているのです。では、そのマイナスをプラスに変えるにはどうしたら良いのでしょうか。
心で思うことは体の細胞へと伝わることであり、それはDNA遺伝子に影響を与えているということであり、ネガティブな思いは、自分の体に大きなダメージを与えるということであれば、「ポジティブな思い」を持つことです。
私たちの体は60兆個の細胞からなり、1秒間に50万個の細胞が生まれ変わっていると言われます。皮膚の細胞は四週間で、胃の内膜は五日で、肝臓の細胞は六週間で、骨格の細胞は三ヶ月ですべて入れ替わっているというのです。
心の環境が体に影響を与えるならば、毎瞬毎瞬、自分が思ったり、感じたりしていることが、新しい細胞に影響を与えているということになり、思考の一つ一つが心の環境を作り上げ、肉体に影響を与えているということます。
であれば、多くの場合、病気は自分で作っていることが多いのであり(先天的病気や子供の病気などは例外)、例え、どんな病気であっても、心の持ちようで明るい希望がもてるということにもなります。
つまり、健康を保つためには、まず心の健康です。そして、それに必要なことが、「ポジティブな思い」です。その思いは「感謝」と「笑顔」からです。
自分の体は自分のモノであって自分のモノではありません。先月の「養生訓」にもあるように、「ひとの身体は天地・父母の恵みを受けて育ったものであるから、私のみによって存在するものではない。天地の賜物をいただいているのだ」という認識が大事なのです。
私たちの体は、起きているときも、寝ているときも心臓を動かし、血液を運び、食べ物を消化してエネルギーを作り、片時も休まず働いてくれています。考えてみれば、実にありがた〜いことではありませんか。
生まれてこのかた、思えば、心の欲するまま、好きな物を飲み喰いし、勝手し放題に体を酷使してきました。どんな姿勢でいても、何をやっても、体は休むことなく働き続け、命を支えてくれています。
「いつも、いつも、ありがとう」「今まで何一つ文句も言わずに、あらゆる思いと行いを全部受けとめてくれて、ほんとうにありがとう」と。もし、そのような感謝ができれば、「ポジティブな思い」が一つ一つの細胞に伝わって、免疫エネルギーを高めるでしょう。
「感謝の心」があれば「笑顔」になれます。実際、笑うことで免疫力が高まり、癌が抑制されるというのは今や医学界の常識になっています。「笑う門には福来たる」はどうも本当のようですね。 
 
四諦 2
  苦諦 病苦 病気にならない生き方 

 

■生き方1
8月のメイン行事はなんと言ってもお盆です。ふだんご無沙汰しているご先祖さまへの想いを新たにする時期です。
当山でも毎年8月に入ると、5日のお施餓鬼会から13日から15日までの棚経、そして24日の地蔵供養会まで多忙を極めます。特に今年は例年にない猛暑が続き大変な"難行苦行"を強いられました。まさに「ほとけ極楽、坊主地獄」でした。
でも、これからやっと我等坊さんの"お盆休み"となるわけで、正直今が一番ホットする時期かもしれません。ただ拙僧の場合、この「法話8月分」のノルマを終らせないうちはその楽しみは"お預け"といったところです。あと一踏ん張り、かんばりま〜す。
さて、お盆を迎えますと、仏教徒はみな一様にご先祖さまへの敬虔な想いに浸ります。どんな人でもご先祖さまに心からの敬意と報恩感謝の念を抱き、素直な心でお仏壇に向います。合掌すれば誰でも即身成仏の仏さまになれるのです。
迎え火を焚き、提灯に火を灯し家族でお墓参りをする時に怒りながら行く人はいません。貪欲の気持ちで行く人もいません。妬み嫉みの気持ちで行く人もいません。どんな人でも素直な心、仏心にたち返るのです。お盆にはそんな功徳が頂けるのです。
このお盆にお寺にお参りに見えたあるおばあさんのお話です。「うちの外孫でよく遊びにきますが、来ると必ずお仏壇に行ってお線香をあげてくれるんですよ。玄関入ると先ずお仏壇に向かいお線香を立てて鐘を叩いて手を合わせるんです。帰る時も必ず同じように仏壇に挨拶してから帰るんですよ。」
そう嬉しそうに話すのを聞いて拙僧はなぜか大変感激してしまいました。中学三年生の男の子だそうですが、誰が教えた訳でもないとのこと。率先してお墓参りもするそうです。まさに本人の感性であり、実に尊く有難いことだと感銘しました。
その"習慣"は彼のおじいさんが亡くなった時以来もう五年も続いているとのこと。おばあさんはうれしくてその度毎お小遣いのつもりで五百円をこっそり貯金箱に貯めているとのこと。そのお金がもうすでに10万円程にもなっていて、何かのお祝いで彼にあげるつもりでいるとのこと。
実に微笑ましい話ではないでしょうか。そんなちょっとしたエピソードに拙僧かなり感激してしまいました。以上、真心には真心が返ってくるという、まさに現世利益ならぬ"現金利益"とも言える、ほんのささやかな功徳の実例でした。
さて、本題の「病」に話を移しましょう。前回、病気は人生最大の苦悩であり幸福への最大の障害であるといいました。たしかに病気さえなければ人生万々歳だと言っても過言ではありません。そこで今回からその「病気にならない生き方」について学んでみたいと思います。
ここに一冊の本があります。そのタイトルは、ものズバリの「病気にならない生き方」です。2005年に刊行されミリオンセラーとなり、大きな話題を呼びました。その著者こそ、米国ナンバーワンの胃腸内視鏡外科医でありこの分野の世界的権威、新谷弘美(しんやひろみ)医師です。
世界で初めて、新谷式と呼ばれる大腸内視鏡手術を開発し、日米でおよそ30万例以上の検査と9万例以上のポリープ切除を行ってきたまさに胃腸内視鏡学のパイオニアであり権威です。現在アルバート、アインシュタイン医科大学外科教授およびベス・イスラエル病院内視鏡部長としてご活躍中です。
これから、その先生の提唱される、35年間に亘る膨大な臨床結果に基づいた健康学の数々をご紹介したいと思います。
先生の信条は、「この世のすべてを包んでいる自然の摂理に反すると人間は病気になる」というものです。私たち人間も自然の一部です。その"自然の一部"が健康に生きるには、自然の摂理に身をゆだねなければならないというのです。
自然の摂理に身をゆだねるというのは、自らに備わった「命のシナリオ」に耳を傾けるということです。病気になるのは、命のシナリオを無視しているからです。自然の摂理に立ち返り、命のシナリオに耳を傾け、自らに備わった自然治癒力を目覚めさせ、命を養っていく生き方こそ"病気にならない生き方"なのです。
たとえば、野生の動物たちには、生活習慣病といえるような病気はほとんど見あたりません。それは彼らが自然の摂理に則った生活を送っているからです。命というのは本来、健康に寿命をまっとうできるような仕組みをもっているのです。
初めから病気になることが運命づけられている命などないのです。不幸にして先天的な疾患をもって生まれてくる命もありますが、それは命の発生段階において、遺伝的もしくは環境的に何らかの悪影響があったためと考えられます。
この世に原因のない結果は存在しません。原因不明の先天的疾患も原因がないのではなく原因がまだわかっていないというだけのことです。命は健康に生きるために必要な「シナリオ」をもって生まれてくるのです。動物たちは、その「命のシナリオ」を本能的に知っていて、それに従って生きているだけなのです。
たとえば、肉食動物の歯と草食動物の歯が違うのは、あなたたちの食べ物はこうゆうものですよ、という自然の摂理の表れにほかなりません。私たち人間の歯並びにも、そうした自然の摂理はちゃんと組み込まれているのです。
人間もちゃんとそんな「命のシナリオ」をもっているのです。ところが、万物の霊長といわれる人間は知恵を活かし、豊かな知識もとによりよい生活を求め続けたのです。「よりよい生活」、それこそ欲に根ざしたものです。
これまで人間が培ってきた文化は、ある意味「欲」の文化にほかなりません。もっと便利に、もっと豊に、もっと美味しいものをという欲望は、添加物や農薬を作り出し、環境破壊をしてきました。すべては人間の「欲」からです。
欲望は人間を傲慢な存在に仕立て上げました。ほかのどの動物よりも自分たちは高等な生き物だと思い込み、人間を取り巻くすべての存在は人間のためにあると思い込み、神より与えられた恩寵を取り違え、「自然の摂理」の範疇を越えてしまったのです。
「人間も自然の一部」だと言いました。自然の摂理に反した生き方の中に健康は存在しません。それを無視した結果が人間特有の病気を招いてしまっているのです。今の人間社会は、そうした自分たちの拡大させ続けてきた「欲」と「便利さ」の代償を、まさに病気というかたちで支払っているとも言えるのです。
おいしければいい、楽しければいい、ラクならいい、そんな刹那的な生き方の一つひとつが貴重な「命のシナリオ」に反したものになっているのです。健康に生きる術は全て、私たち一人ひとりの「命のシナリオ」に則ったものでなければならないのです。
自然の摂理を見れば、今の私たちに何が必要で何が余分な物かがわかります。自然の摂理を謙虚に受けとめず、「命のシナリオ」に逆らった生活から生まれたのがまさに「生活習慣病」です。
健康に良くないことと知りながら止められない人、良いことと知っていても実行に移せない人、そんな人の多くが罹る病が生活習慣病です。新谷先生はあえて厳しい表現で、それを「自己管理欠陥病」と呼んでいます。
大切なことは先ず正しいことを知って、そして行動にうつすことです。そんな先生の提唱する、健康にとって正しいこと、「病気にならない生き方」について更に学んでみましょう。 

■生き方2
九月はお彼岸ですね。彼岸とは、彼の岸、すなわち悟りの岸に向かって精進しましょうという、いわば"修行週間"ともいうべきものです。
修行というと一寸大げさかもしれませんが、仏教の教えに一層帰依しましょうということです。一般人にとって平たく言えば、普段の生活習慣を見直しましょうということです。寒暖の差のない爽やかなこの時期、ご仏前に到り静かに自己を見つめ、反省し自問自答しながら更なる生活習慣の改善を目指そうということです。
ところで、毎年のように秋のお彼岸にご先祖供養をたのまれるお宅があります。子供たちは都会に住んでいる独居のおばあさんのお宅です。今年も御仏壇にご供養をたのまれ早朝に卒塔婆をもって伺いました。
簡素ながらも、いつも掃除と後片付けが行き届き整然とされているお宅です。その日も庭は手入れがされていて、まだ早朝の空気のなかに清々しさが残っていました。帰り際、拙僧が「いつもきれいにされていますね。雑草がひとつもないじゃないですか。」と言いました。
すると、おばあさんがいいました。「草取りが好きなんです。雑草を取っていると気持ちが落ちつきますし、いいですね。雑草とることで雑念もとれるというのはほんとうですね。」
拙僧ドッキリして、「すごいことを知っていますね。」というと、「ヤーダ、いつか方丈さんから聞いたことですよ。草取りするのと坐禅するのは一緒だと言っていましたよ。」
拙僧またドッキリ。「そうでしたか。」と言いつつほとんど記憶にない自分に呆れながらお宅を後にしましたが、何かとても爽やかな気分でした。一方、翻って我が寺庭を見ると結構雑草だらけで、拙僧自身雑念の多い理由を改めて自覚した次第です。未だ彼岸の内、「坊主の不信心」と言われないように"反省"したいと思います。
さて本題に入りましょう。前回より、「病気にならない生き方」について学んでいますが、新谷先生が、40年以上もの間、のべ35万人の胃腸を観察しながら集めた臨床データから得た結論は、人の健康を司っているものは「エンザイム」だったのです。
先生の健康学は、エンザイムを理解することこそまさに健康とアンチエイジングへの道だとする理論です。そこで、今回はまずエンザイムとは一体どんな物なのかについて学んでみたいと思います。
エンザイム(enzyme)とは、「酵素」のことであり、植物や微生物や生物の体内で作られるタンパク質性の触媒の総称で、植物でも動物でも、生命があるところには必ずエンザイムが存在しているのです。
物質の合成や分解、輸送、排出、解毒、エネルギー供給など、生命を維持するために必要な活動にはすべてエンザイムが関与しているという、その酵素の働きによって、生物は生きるために行うありとあらゆる行為を可能にしているのです。
生物はまさにエンザイムがなければ、生命を維持することができない存在なのです。ですから、「人は、エンザイムの働きなくして一秒たりとも生きてはいけない」というのが先生の持論です。
その人間の体内で働いているエンザイムは、五千種以上あると言われています。なぜこれほど多くの種類のエンザイムがあるかというと、一つのエンザイムは特定の一つの働きしかしないという特徴があるからです。
たとえば、同じ消化酵素のエンザイムでも唾液に含まれる「アミラーゼ」は、でんぷんにしか反応しませんし、胃液に含まれる「ペプシン」はタンパク質に、膵臓の「リパーゼ」は脂肪にしか反応しません。
エンザイムには体内で作られるものと、食物として外部からとるものの二種類があります。体内で作られるエンザイムの生成方法は大きく分けて二つあります。一つは細胞内での生成であり、もう一つは体内の常在菌による生成です。
まず細胞内でのエンザイムの生成をスムーズにするためには、その原料となる「エンザイムをたくさん含んだ食物」を摂ることが必要です。そして、体内の常在菌による生成を増やすためには、腸内環境をよくすることが必要なのです。
その腸内環境をつかさどるものこそ腸内細菌です。私たちの体の中で大量のエンザイムを生成しているのが腸内細菌だからです。もし腸内細菌がいなくなったら、人は健康に生きていくことはできません。私たち人間にとって腸内細菌は、健康に生きていくためには必要不可欠なパートナーなのです。
腸内細菌は、およそ三千種類ものエンザイムを作っているといわれています。有益なエンザイムを生み出す腸内細菌を、一般的に「善玉菌」と呼び、他方「毒素」を生み出すものを「悪玉菌」と呼んでいます。
さらには、腸内細菌と体細胞は互いに自分たちの情報を出し合い、コミュニケーションを重ね、そのときの状況にもっともふさわしいエンザイムの情報を遺伝子に送っていたのです。
「生命を維持するために必要な活動にはすべてエンザイムが関与している」といいましたが、実は遺伝子にも大きく関わっていたのです。
私たちの体を構成している約六十兆個の細胞は、すべて同じ遺伝子をもっています。でも、実際には、骨や筋肉、皮膚、爪、髪の毛など、部位によってまったく違った個性を発現しています。
それは、同じ遺伝子をもつ細胞が、遺伝子の情報を切り替えしそれぞれの部位に発現させるからです。その情報の切り替えにもエンザイムが関わっていたのです。さらに、その遺伝子のもっている情報を読み出すためにも、エンザイムが必要なのです。
つまり、エンザイムを作るには遺伝子の情報が必要であり、遺伝子から情報を引き出すためにはエンザイムが必要であり、遺伝子のスイッチを切り替えるのにもエンザイムが使われていたのです。
これら、遺伝子、エンザイム、微生物の間で交わされるこの「トライアングル・コミュニケーション」こそが、私たちの健康をつかさどっているもっとも根幹の部分ではないかということが最近わかってきたのです。
それは、この三者のコミュニケーションがスムーズに行われることによって免疫システムが完璧に機能したとき、健康は保たれるからです。従って、その健康のカギを握っているのは、まさにエンザイムの体内保有量ということになります。
エンザイムの体内保有量が多ければ、新陳代謝が正常に行われるのはもちろん、体内の解毒作用や免疫システムも正常に働き病気を防ぐことができるのです。
つまり、健康で長生きするためには、体内のエンザイムを増やし、活性化させることが必要なのです。 

■生き方3
この時期、どこでも柿がきれいです。個人的には赤く熟した鈴なりの柿の木を見るのが好きです。たわわに実った赤い柿が、静閑な枯れた田園のなかで映し出すコントラストは実に風流です。
晩秋の秩父もそんな風情豊かな郷でした。柿の木が特に多く、行く先々で柿の実の成す造形の美しさに見入ってしまいました。今年は夏の高温のせいで例年ほどの紅葉ではないということでしたが、秋の風情を充分満喫できるものでした。
そんな風光明媚な秩父の郷に、この月末一泊二日の札所巡りをしてきました。千葉県第12教区主催の住職4名、壇信徒29名のツアーでしたが、爽秋に相応しい実りある旅でした。
実は、今回昨年に続いて二回目の旅でした。札所は全部で34ヶ所あり、3年掛けて全所お詣りしようという企画で、昨年が第一回目だったのです。昨年12ヶ所を巡り、今年11ヶ所、そして来年11ヶ所で結願の予定です。
それぞれの札所に着いたら、先ず全員で記念写真を撮り、続いて、般若心経、延命十句観音経三遍のお経を挙げます。回向は、東日本壇震災被災地早期復興、国家昌平、万民富楽と、大震災物故者、会員各家先祖代々精霊のご供養です。
今年は2回目でしたが、参加者みなさんのうち殆どが昨年に続いての参加でした。昨年は初めてのことでもあり、みなさん慣れないお経に着いていくのがやっとでしたが、今回は大分修得されかなり"斉唱"できるようになりました。
中には殆ど諳んじて誦経できる人もいたようです。おそらく相当練習されたか、普段から仏様にご供養のお勤めをされているのでしょう。
よく、我々坊さんがお経を諳んじることで感心されたりすることがありますが、お経を諳んじることは、実はそれほど難しいことではありません。
毎日繰り返し読むことで、誰にでもできるのです。暗記の努力ではなく復唱の努力で自然と身につくのです。身につくということは体が覚えるということです。何ごとも「体が覚える」ことでなければ修得できません。
芸事でもスポーツでも、さまざまな特殊技能の世界でも同じことが言えるのです。ピアニストに指先を動かしている意識はありません。サッカーの選手に足を蹴っている意識はありません。神の手を持つ外科医に手術中手を使っている意識はありません。
ピアニストはピアノと一体になっているからです。サッカー選手はボールと一体に、外科医は手術器具と一体になっているからこそ見事な仕事ができるのです。何ごとも"自己"と"使うもの"とが一体になる世界こそ極め付きなのです。
お経の功徳も、まさにお経と一体になることで得られるのです。昨年、今年と札所巡りをした人達も、だいぶお経の世界に入ってまいりました。あと十一ヶ所、来年巡礼を終える頃には、一層の功徳が得られている筈です。また元気にお会いして巡礼の功徳を分かち合いたいものです。
その巡礼の功徳こそ、心身ともに健康になれることです。元気に霊場巡りをすることで、元気が元気を呼ぶのです。まさに「病気にならない生き方」の一つに違いありません。ガッテンして頂きましたでしょうか。
さて、本題に入りましょう。スペースが少なくなってしまった関係で、今回は、エンザイムの敵である毒素とフリーラジカル(活性酸素)について述べてみましょう。
現在エンザイムは、健康をつかさどるカギとして世界的に注目を集め、研究が進みつつあります。免疫力、生命力、そして細胞を修復・再生させる働きを担っているのは、さまざまなエンザイムですが、さらに、心が生み出す心の毒である、ストレス、不満、愚痴、哀しみ、嫉妬、怒り、といったマイナス感情にも反応することが分かってきたのです。
ですから、体内にエンザイムが豊富にあれば、生命エネルギーも免疫力も高いといえるのです。まさに生命活動のすべてはエンザイムによって支えられていると言っても過言ではありません。
エンザイムはさまざまな生命活動に使われますが、もっとも多くのエンザイムを消費するのは体内に悪い物が入ってきたときに行われる「解毒」作用においてです。
アルコール、たばこに含まれる科学物質、食品添加物、カフェイン、タンニン、病気の原因となるウイルスや病原菌、環境ホルモン、活性酸素、電磁波、ストレス等々、これらはすべて体の中に入ると、解毒するために大量のエンザイムが使われます。
そのため、解毒しなければならない要素が多い人ほどエンザイムの消耗が激しく、その結果、健康維持に必要なエンザイムが不足し、病気になりやすくなると考えられるのです。つまり、体内のエンザイムの消耗を抑え、いかに充分な状態に保っておくかが、まさに健康状態を決定するのです。
生物が生きていくために必要不可欠なエンザイムですが、人間自身が作ることのできる量は決まっているといわれています。体からエンザイムがなくなったとき、人の命も終わってしまいます。その大切なエンザイムをもっとも消耗させるのが、フリーラジカルです。
フリーラジカルとは、活性酸素のことで、普通の酸素の数十倍ともいわれている強い酸化力(ものを錆させる力)をもったもので、細胞内の遺伝子を壊し、ガンの原因をつくるなど、さまざまな健康被害をもたらすことで知られています。
フリーラジカルは、呼吸をしているだけでも発生しています。人間は酸素を吸って細胞内の糖分や脂肪を燃やしてエネルギーを作り出していますが、このときに体内に取り込んだ酸素の二%がフリーラジカルになるといわれています。
悪者扱いされることの多いフリーラジカルですが、じつは体内に入り込んだウイルス、細菌、カビなどを退治し感染症を防ぐという、体にとって欠かせない働きもしているのです。
ただ、それが一定量以上に増えてしまうと、正常な細胞の細胞膜やDNAを壊してしまうということです。私たちの体には、フリーラジカルが増えすぎてしまったときのために、フリーラジカルを中和する働きをもつ抗酸化物質であるSODと呼ばれるエンザイムが存在します。
ところがSODは、四十歳を過ぎると急激に減少してしまいます。生活習慣病の発病が四十歳を過ぎたころから多くなるのは、このエンザイムが減少するためではないかとも言われています。
現代社会は、ただでさえフリーラジカルが発生しやすい環境にあります。ストレス、大気汚染、紫外線、電磁波、細菌やウイルスの感染、レントゲンや放射線などを浴びたときもフリーラジカルは発生します。
しかし、フリーラジカルの発生原因のなかには、こうした外的要因のほかに、自分の意志で防ごうと思えば防げるものもたくさんあります。たとえば、飲酒やたばこの習慣、食品添加物の摂取、酸化した食物の摂取、薬品の摂取などはその代表的なものです。
生活習慣病は文字通り生活習慣にあるということを心に銘じたいものです。 

■生き方4
今月平成23年度の国民医療費が発表されました。なんと38.8兆円にもなったそうです。一人当たりに換算すると30万1,900円にもなるとか。さらに毎年数パーセントずつ増え続けていくというのですから、大変な問題です。
22年度の対GDP(国内総生産)比では、7.81%、対 NI(国民所得)比は 10.71%にもなっています。国民医療費の約25%が国の一般財源でまかなわれていますので、国の財政を圧迫しているのは確かです。
医療費の急激な増加の理由としては、まず高齢化が進んでいることが挙げられます。高齢者は若者の5倍の医療費がかかるといわれています。しかし、問題は単に高齢化だけではないのです。
米国ナンバーワンの胃腸内視鏡外科医の新谷先生は、「高齢になれば、健康な人でも体の機能は低下します。しかし、機能が低下するということと、病気になるということはまったく別のことです。元気に生活している百歳の人と、寝たきりの百歳の人、その違いを生んだのは、年齢ではありません。両者の違いは、それまでの百年間をどのように積み重ねてきたのかによって生じるのです。ひとことでいえば、健康でいられるか否かは、その人の食事、生活習慣しだいだということです。食事、水の補給、嗜好品の有無、運動、睡眠、仕事、ストレスといった日々の積み重ねが、その人の健康状態を決定しているのです。」と述べています。
先生の著書の中からアメリカの例を紹介します。1977年、アメリカで食と健康に関する非常に興味深いレポートが発表されました。そのレポートは、発表した上院議員ジョージ・S・マクガバン氏の名を取って「マクガバン・レポート」と呼ばれています。
当時、このレポートがまとめられた背景には、アメリカの国家財政を圧迫するほどの巨額にふくれ上がった医療費の問題がありました。今の日本がまさに直面している問題を36年前のアメリカが抱えていたのです。
医学が進歩しているにもかかわらず、ガンや心臓病をはじめとする病気にかかる人の数は年々増え続け、それに伴い国家が負担する医療費も増え続け、ついには国家財政そのものをおびやかすところまで迫っていたのです。
なんとかしてアメリカ国民が病気になる原因を解明し、根本的な対策を立てなければ、アメリカは病気によって破産してしまうかもしれない。そんな危機感から、上院に「国民栄養問題アメリカ上院特別委員会」が設立されたのです。マクガバン氏はその委員長でした。
委員会のメンバーは、世界中から食と健康に関する資料を集め、当時最高レベルの医学・栄養学の専門家らとともに「病気が増える原因」を研究・調査しました。その結果をまとめたのが、五千ページにもおよぶ「マクガバン・レポート」です。
このレポートの公表は、アメリカ国民に大きな選択を迫ることになりました。なぜならそこには、多くの病気の原因がこれまでの「間違った食生活」にあると結論づけられていたからです。そして、いまの食生活を改めないかぎり、アメリカ人が健康になる方法はないと断言していたのです。
当時アメリカでは、分厚いステーキのような高タンパク・高脂肪の食事が食卓の主役でした。タンパク質は体を構成するもっとも基本的な物質ですから、体をつくるうえでとても大切な栄養素だといえます。
そのため、動物性タンパクをたくさん含んだ食事をとることが、成長期の若者はもちろん、体の弱い人やお年寄りにもよいとされていました。日本で根強い「肉こそ活力の源」という考えは、このころのアメリカ栄養学の影響といえるでしょう。
ところが「マクガバン・レポート」は、こうした当時の食の常識を真っ向から否定しました。そして、もっとも理想的な食事と定義したのは、なんと元禄時代以前の日本の食事でした。
元禄時代以前の食事というのは、精白しない穀類を主食に、おかずは季節の野菜や海草類、動物性タンパク質は小さな魚介類を少量といったものです。近年、日本食が健康食として世界的な注目を集めるようになったのは、じつはこれがきっかけなのです。
たしかに、肉を食べなければ筋肉が育たないとか、体が大きくならないというのは真っ赤なウソです。ただし、動物性タンパクをたくさん食べると人間の成長が速くなるということは事実です。最近の子供たちの成長スピードが速いのは、動物性タンパクの摂取量が増えたためと考えられます。
しかし、ここにも危険な落とし穴があります。それは、「成長」はある年齢を超えた時点で「老化」と呼ばれる現象に替わるということです。つまり、成長を速める動物食は、別の言い方をすれば、老化を速める食事ということになるのです。
60年代に入り高度成長期を迎えた日本は、アメリカに追いつき追い越せとばかりにあらゆるものをアメリカにならいました。一方アメリカでは、1977年の「マクガバン・レポート」を機に、国家をあげて食事改善が進められてきました。
その結果は両国民の「腸相」に表れていると胃腸外科の世界的権威である新谷先生は言っています。きれいだった日本人の腸相は、食生活の変化とともに年々悪化し、いまではすっかり肉食を常食としているアメリカ人の腸相に似てしまったと指摘しています。
それに対し、アメリカ人の中でも真剣に自分の健康を考え、高タンパク・高脂肪食を改善した人たちの腸相は、みごとに改善されてきて、大腸ガンやポリープの発症率も低下しているそうです。これは食生活を改善することによって、腸相をよくできるという良い証拠と言えるでしょう。
新谷先生は、胃と腸こそ健康のバロメーターだと述べています。人間の顔に人相の善し悪しがあるように、胃腸にも「胃相」と「腸相」の善し悪しがあるといいます。人相にはその人の性格が表れるといいますが、胃相・腸相にはその人の健康状態が表れるというのです。
腸相の悪化は、大腸ガン、大腸ポリープ、憩室炎などさまざまな大腸の病気を起こすだけにとどまらず、子宮筋腫、高血圧、動脈硬化、心臓病、肥満、前立腺ガン、糖尿病などのいわゆる生活習慣病を発病していると先生は指摘しています。
さらに、「本来、人間の体というのは、病気にならないように、何重もの防御システムや免疫システムに守られています。ですから、先天的な問題がなく、過度に不自然なことさえしなければ、多少のことがあっても病気にならないはずなのです。
その、本来病気にならないようになっている私たちの体を、病気にしてしまっている最大の原因は、長期にわたって少しずつ蓄積された『不自然な食事』と『不自然な生活習慣』にあります。多くの人は、人間にとって何が良い食べ物で、何が良くない食べ物なのかを知らないために病気になってしまっている。」と述べています。
特に若いうちから健康への意識を高め、しっかりとした食生活と生活習慣を立て、注意と努力次第で病気は確実に減らすことができるのです。このことをしっかりと銘記すべきです。言うまでもなく、健康抜きの幸福なんてあり得ません。 

■生き方5
人は普段当たり前だと思っているものが失われた時ほどショックを受けます。当たり前に存在しているもの・・・それは、肉親家族であり、財産であり、地位名誉であり、そして自身の健康であったりするのです。
そのどれも失われた時に改めてその重大さを痛感するのです。例年、この時期になると年間の重大ニュースが発表されますが、良いニュースもあれば悲惨なニュースもあります。災害などのような不可抗力のものもあれば、自己責任によるものもあります。
その自己責任といえば、今年の最たるものが、猪瀬東京都知事の五千万円問題でしょう。あれ程の人が、欲に目が眩み人生最大の墓穴を掘ってしまったのです。おそらく本人は「なぜ、どうしてこんなことに」と、自身を責め苦に追い込んでいることでしょう。
信頼、名誉、地位、・・・失ったものはあまりにも大きすぎました。しかし、自己責任である以上誰も同情などしてくれません。あるのは侮蔑と哀れみの眼差しだけです。自尊心の強い人だけに更に哀れです。
地位や名誉、実績などそれ自体まったく「人格」の担保にはならなかったのです。どんなに知恵や見識があっても欲望の罠にかかると一瞬のうちに奈落の底です。彼の得意な「見識」の中に、もし「因果必然」という仏法の道理の弁えが少しでもあったらこんなことにはならなかったのかもしれません。実に残念です。
人生にはさまざまな不幸事がありますが、それが自己責任によるものであれば、人は日頃の精進から十分それらを避けることができるのです。その一つがまさに「生活習慣病」と言えるのです。
さて、前回から、健康であるためには先ず、正しい生活習慣が大事であることを繰り返してきましたが、その一つが食生活です。
英語に、〈You are what you eat.〉という格言があります。これは、日本語に訳すと「あなたはあなたが何を食べているかで決まる」となります。私たちの体は、日々の食事によって養われています。つまり、健康も病気も日々の食事の積み重ねの結果であるということです。
日本でも1996年、厚生省は、ガン、心臓病、肝臓病、糖尿病、脳血管疾患、高血圧、高脂血症など、それまで「成人病」と言っていたものを「生活習慣病」と改称することに決めました。
これは、前回とりあげたアメリカの「マクガバン・レポート」などから始まった食と病気の関係の見直しによって、これらの病気が「年齢」ではなく「生活習慣」に由来するものであることが明らかになったからです。
新谷先生は述べられています。「いま、私たちのまわりには多種多様な食物があふれています。その数多くの食物のなかから、日々何を選ぶかによってあなたの健康は決まります。健康で長生きしたいと思うなら、たんにおいしいから、好きだからということだけで食べ物を選んではいけません。
どんな人でも、若いときからたばこを吸って、毎日お酒を飲み、食事は肉中心で野菜果物はほとんど食べない、そして牛乳やヨーグルト、バターなどの乳製品を食べていたら、だいたい六十歳ぐらいには間違いなく生活習慣病になります。
遺伝的に動脈血管が弱い人は高血圧や動脈硬化、心臓病などになるし、膵臓の弱い人は糖尿病になるかもしれません。女性なら子宮筋腫や卵巣膿腫、乳腺症からこれらのガンに進行することもありますし、男性なら前立腺ガンになったり、肺ガン、大腸ポリープ、変形性関節炎を発症することもあります。
どのような病気になるかは、その人の遺伝的要因や環境によっても異なるので明言はできませんが、何らかの病気を発症することは間違いありません。ガン患者の食歴を調べていくと、動物食(肉や魚、卵や牛乳など動物性の食物)をたくさんとっていたことがわかりました。」
さて、ここで驚くべきことは、先生は、なんと、牛乳やヨーグルト、バターなどの乳製品が体に悪いということを明言されていることです。拙僧もいささか驚いたわけですが、ここからは先生が体に悪いと言われるその「牛乳」についての主張をご紹介します。多分納得されると思いますよ。
「加工する前の生乳の中にはたしかにいろいろな『良い』成分が含まれています。炭水化物である乳糖を分解するエンザイムやリパーゼという脂肪を分解するエンザイム、プロテアーゼというタンパク質を分解するエンザイムなどさまざまなエンザイムもたくさん含まれています。抗酸化作用、抗炎症作用、抗ウイルス作用、免疫調整作用などの効果があるラクトフェリンも入っています。
しかし市販の牛乳では、そうした『良いもの』は、加工される過程ですべて失われてしまっているのです。
市販の牛乳が作られる過程は、だいたい次のようなものです。まず牛のオッパイに吸引機を取り付けて搾乳し、それをいったんタンクにためます。そうやって各農家で集めた生乳をさらに大きなタンクに移し、かき回してホモゲナイズします。
ホモゲナイズというのは「均等化」という意味です。では何を均等化するのかというと、生乳に含まれる脂肪の粒です。生乳には約四%近い脂肪が含まれていますが、生乳をそのままにしておくと脂肪分だけがクリームの層となって浮上してしまいます。
こうしたことを防ぐために、現在はホモゲナイザーという機械を用い、脂肪球を機械的に細かく砕いているのです。こうして作られたのが「ホモ牛乳」と呼ばれるものです。
ところが、ホモゲナイズすることにより、生乳に含まれていた乳脂肪は酸素と結びつき、「過酸化脂質」に変化してしまいます。過酸化脂質というのは、文字通り酸化しすぎた脂肪ということですが、別の言い方をすれば「ひどく錆びた脂」ということになります。
さらに、ホモゲナイズされた牛乳は、さまざまな雑菌の繁殖を防ぐために加熱殺菌されることが義務づけられています。世界の主流は七十二度の高温短時間殺菌法ですが、日本の主流は百二十から百三十度という超高温短時間殺菌法です。
何度もいいますが、エンザイムというのは熱に弱く、四十八度から破壊を起こし、百十五度で完全に壊れてしまいます。
また、超高温にされることによって、過酸化脂質の量はさらに増加します。そしてさらに問題なのが、タンパク質が熱性変質するということです。卵をゆでると黄身がボロボロになるのと同じように、牛乳のタンパク質も同じようになり、ラクトフェリンも失われてしまうのです。 こうして日本の市販牛乳は、健康を阻害する食物になってしまっているのです。
臨床データによれば、牛乳や乳製品の摂取はアレルギー体質をつくる可能性が高いことが明らかになっています。これは妊娠中の母親が牛乳を飲むと、子供にアトピーが出やすくなるという最近のアレルギー研究の結果とも一致しています。」
過酸化脂質と化した牛乳は「ひどく錆びた脂」であり、動脈硬化をはじめさまざまな生活習慣病の元凶の一つだったのです。 まだまだ牛乳についての問題点がありますが次回に回したいと思います。 
 

 

■生き方6
新年おめでとうございます。みな様各位の一層のご繁栄を祈念いたします。おかげさまで、当山ホームページもちょうど10年目の新年を迎えることができました。これも「法話」を見ていただける方々の励ましによるものと感謝申し上げます。
さて、これからの一年間あなたにとって、それぞれの人にとって、果たしてどんな一年になることでしょう。一瞬先が闇だと言われる人生、何が起こるかわかりません。しかし、どのような事態であれ、すべては因縁の果報であることを肝に銘じて日々精進したいものです。
「日々精進」こそ、生活習慣の確立と「健康」のみなもとなのです。その健康にとって、市販の牛乳がいかに良くないものであるかについて前回から新谷先生の説を紹介させていただいておりますが、さらに続けてみたいと思います。
日本では学校給食で、子供たちに強制的に牛乳を飲ませています。栄養豊富な牛乳は育ち盛りの子供によいとされているからです。しかし、牛乳と人間の母乳は、その「質」において全然違うものなのです。
牛乳に含まれるタンパク質の約八割を占めるのは「カゼイン」と呼ばれるものですが、これは人間の胃腸にとってとても消化しにくいものです。免疫機能を高める抗酸化物質「ラクトフェリン」の含有量は、母乳には0.15%含まれていのですが、牛乳にはわずか0.01%しか含まれていません。
また、ラクトフェリンは胃酸に弱い酵素であるため、生後間もない胃が未発達で胃酸の分泌が少ない子供にこそ有用なのであって、胃酸の多い成長した大人が飲むには不適当なのです。
たとえ新鮮な生乳であったとしても、牛乳は人間が食物とするにはふさわしくないということです。その「あまりよくない食物」である生乳を、さらにホモゲナイズし、高温殺菌し、過酸化脂質という「ひどく錆びた脂」にして子供たちに与えているのです。
もう一つ問題なのは、日本人には、乳糖を分解する「ラクターゼ」というエンザイム(酵素)を充分にもっている人が少ないということです。この酵素は、腸の粘膜にあり、赤ちゃんのときにはほとんどの人が充分な量をもっていますが、年齢を重ねるごとに減ってくるのです。
牛乳を飲むとおなかがゴゴゴロしたり、下痢をしたりする人がよくいますが、これはこのエンザイムが不足して乳糖を分解できないために起きる症状であり、「乳糖不耐症」とよばれています。それに当たる人は日本人の場合、約85%にも及ぶそうです。拙僧自身がそうであり長年の疑問がようやく解けました。
乳糖は、哺乳類の「乳」の中だけに存在する「糖」です。本来「乳」というのは、生まれたばかりの子供だけが飲むものです。ラクターゼが不足している人が多い日本人でも、新生児のときはみな充分なラクターゼを持っています。
しかし、乳糖を多く含む母乳を飲むことができる人間が、成長してそのエンザイムを失うということは、やはり成長したら「乳」は飲むものではないというのが自然の摂理なのではないでしょうか。
そもそも牛乳というのは、子牛が飲むためのものです。したがって、そこに含まれている成分は、子牛の成長に適したものです。子牛の成長に必要なものが、人間にも有用だとは限りません。
第一、自然界を見ればわかりますが、どのような動物でも「乳」を飲むのは、生まれて間もない「こども」だけです。自然界で、大人になっても「乳」を飲む動物など一つも存在しません。それが自然の摂理というものです。
人間だけが、種の異なる動物の乳をわざわざ加工し酸化させ、ある意味最悪の食物にして飲んでいるのです。その証拠に、市販の牛乳を母牛のお乳の代わりに子牛に飲ませると、その子牛は四、五日で死んでしまうそうです。エンザイムのない食物では命を養うことはできないのです。
まさに、自然の摂理に反したことをしているのです。私たち人間は自然の一部である以上、自然の摂理に身を委ねなければ健康には生きられないということは以前から指摘のとおりです。
次に、牛乳とアトピー性皮膚炎の関係についてです。新谷先生は、子供のアトピー性皮膚炎は潰瘍性大腸炎が関わっていることをつきとめられました。そして潰瘍性大腸炎はちょうど授乳を打ち切り、牛乳を与えるようになった時期と一致していたのです。
先生は子供たちの潰瘍性大腸炎が食事の内容にあると考え、すぐに食事から、牛乳と乳製品をすべてカットしました。その結果、血便も下痢も、アトピーすらピタリと治まったのです。
そして、多くの臨床データの結果から、牛乳や乳製品の摂取がアレルギー体質をつくる可能性が高いことが明らかにされたのです。これは妊娠中の母親が牛乳を飲むと、その子供にアトピーが出やすくなるという最近のアレルギー研究の結果とも一致しているのです。
日本ではここ三十年ぐらいのあいだに、アトピーや花粉症の患者が驚くべきスピードで急増しました。その数はいまや五人に一人とも言われるほどです。なぜこれほどアレルギーを起こす人が急増したのか、さまざまな説がいわれていますが、先生は、その第一の原因は、1960年代初めに始められた学校給食の牛乳にあると考えているのです。
「加工」された市販牛乳は過酸化脂質を多く含み、腸内環境を悪化させ、悪玉菌を増やし、腸内細菌のバランスを崩します。その結果、腸内には活性酸素、硫化水素、アンモニアなどの毒素が発生します。
悪化した腸内環境は潰瘍性大腸炎のみならず、子供が白血病や糖尿病などシリアスな病気を発生する原因となっているという研究論文がいくつも出ているそうです。
さらに驚くべき事は、牛乳の飲み過ぎから「骨粗鬆症」を招くというのです。人間の血中カルシウム濃度は、通常9〜10ミリグラム(100cc中)と一定していますが、牛乳を飲むと、血中カルシウム濃度は急激に上昇するのです。
ところが、急激にカルシウム濃度が上がると、体はなんとか通常値に戻そうと恒常性コントロールが働き、血中余剰カルシウムを腎臓から尿に排泄してしまうというのです。 カルシウムをとるために飲んだ牛乳のカルシウムが、かえって体内のカルシウム量を減らしてしまうという皮肉な結果を招いているのです。
牛乳をたくさん飲んでいる世界四大酪農国であるアメリカ、スウエ―デン、デンマーク、フィンランドの各国で、股関節骨折と骨粗鬆症が多いのはこのためではないかといわれています。
これに対して、日本人が昔からカルシウム源としてきた小魚や海草類に含まれるカルシウムは、血中カルシウム濃度を高めるほど急激に吸収されることはないようです。小エビや小魚、海草類は腸内で消化された後、体に必要なカルシウムとミネラル分を吸収するので、体の仕組みに即したよい食物といえるようです。
ところで、今回のこのような内容に対して、拙僧自身はなはだ心苦しいところがあるのです。それは、お檀家さんの中にも酪農家がいるからです。もし当事者やその関係者がこの内容を知ったら敵対意識を持たれるかもしれませんね。拙僧としては、新谷先生の説だと申し上げてただただ謝るしかございません。
そして、どうしても牛乳の味が好きだという人には、できるだけ生乳を酪農家から直接買って飲むことをおすすめします。生産者の生乳は市販のものとは違って変質されていない分ず〜っと体に良いからです。 

■生き方7
今年も明けてすでに2ヶ月になろうとしています。時間の経つのは実に早いものです。そのように時間を意識しない毎日を送れる人はしあわせです。それは、その人が今現在健康で順風満帆な生活を送っているという証しだからです。
他方重病に罹り余命あと数ヶ月などと宣告された人にとって、突如として残酷な人生を突き付けられたことになります。残された時間とどう向き合うか、どう最期をむかえるか、不条理な宿命を恨み途方に暮れます。その心中如何ばかりか。
そんなご家族のショックも計り知れません。ご本人にどう寄り添い、残りの時間をどう共有したらよいのか、限られた時間の中で少しでも有意義なことを求めて葛藤しなければなりません。人生最大の苦しみここに極まれりです。
そんな、残された時間と対峙しなければならない人生とはあまりにも残酷です。そのような患者さんが当山のお檀家さんの中にも何人かいらっしゃいます。いずれもガン患者さんでご本人から直接明かされたわけですが、ただただ同情を禁じ得ません。
ただ、住職として正直申し訳ないと思うのは、自信をもって励ます言葉が見当らないことです。只ただ心安らかにご家族と過ごせる時間が少しでも長引くことを祈るしかないのです。今までにもそんな状況に陥った方が何人もいましたが、こちら側がいつも恐縮させられるのはその気丈さです。淡々と話されるしっかりした態度に感銘してしまうのです。
そして、そんな重病な方々が、たいてい口にされるのは、それぞれの過去の食生活や生活習慣に対しての反省の弁です。食事の内容や飲酒、喫煙などの生活習慣にほとんど頓着してこなかったことを心から後悔されるのです。
まさに「後悔先に立たず」です。余命を宣告される苦しみ、それは決して他人事ではないのです。そんなことがあなたの身に起こるのは明日かもしれません。そうならない前にしっかりした生活習慣を身につけましょう。
前々回、英語の、〈You are what you eat.〉という格言をご紹介しました。直訳しますと、「あなたとは、あなたが食べたそのものからできている」ということになります。くどいようですが、健康であるためには先ず、正しい知識に基づいた正しい食べ物を食べるということです。これが鉄則でありこれが全てです。
そんなことで、前回牛乳につて述べさせていただきましたが、今回はヨーグルト、マーガリンなどについての新谷先生の説をご紹介しましょう。
牛乳と並んで同じように身体に良い物とされているのがヨーグルトです。「カスピ海ヨーグルト」「アロエヨーグルト」など、各種のヨーグルトのイメージは極めて健康的です。
しかし、先生は著書のなかで、「ヨーグルトを常食としていると腸内環境と腸相は確実に悪くなる。これは35万例の臨床結果から得た結論として自信をもって言える」と述べられています。
ヨーグルトを食べている人から、「胃腸の調子が良くなった」「便秘が治った」というようなことをよく聞きますが、先生は、これは「乳糖」を分解するエンザイム(酵素)「ラクターゼ」が不足することによって起こされる消化不良によるものだといわれます。
つまり、ヨーグルトを食べると、軽い下痢を起こし、それまで腸内に停滞していた便が排出されたのを「乳酸菌のおかげで便秘が治った」「胃腸がすっきりした」などと勘違いしてしまっているというのです。
ヨーグルトの原料は牛乳ですから、ヨーグルトの成分にも当然「乳糖」が含まれています。乳糖が成人の体にとって良くないことは前回述べたとおりですが、繰り返せば、「乳糖」を分解する酵素である「ラクターゼ」は成人すると体内から減少してしまいます。
その理由は、大人になれば乳を飲む必要がなくなるからです。ヨーグルトも牛乳と同じ成分からできているのですから、ヨーグルトにしても同じことが言えるのです。前回も言いましたが、そもそも「乳」を飲むのは本来赤ちゃんだけです。それが「自然の摂理」というものです。
このように、成人して分解酵素「ラクターゼ」が無くなったにもかかわらず「乳糖」を摂ることで当然胃腸に消化不良が起きるのです。「胃腸の調子が良くなった」「便秘が治った」と思うのは、実は消化不良による「現象」で、「乳酸菌のおかげ」だと思うのはまったくの思い違いだったのです。
そもそも人間の腸にはもともと乳酸菌が常在菌としているのです。そして外から入ってくる菌やウイルスに対するセキュリティシステムができあがっているのです。たとえそれが体によい乳酸菌であったとしても、常在菌でないものは、このセキュリティシステムに引っかかり殺菌されてしまうのです。
まず最初に働くのが「胃酸」です。ヨーグルトの乳酸菌は、胃に入った時点でほとんどが胃酸によって殺されます。この頃「腸まで届く乳酸菌」も登場していますが、シャーレの中の実験の結果がそのまま常在菌のいる実際の腸の中では通用するとは限りません。
同じ牛乳から作られるものに「バター」があります。生乳から生クリームを取り出し、それに振動を与えると脂肪球の幕が壊れ、脂肪が固まりバターができるのです。
牛乳の成分が凝縮された大変おいしいものですが、乳脂肪という動物性脂肪が凝固したものであることからあまりお奨めできる食品とはいえません。常温で固まった脂は人間の体内に入ると動脈硬化の原因となるからです。
そのバターよりもさらに体に悪いとされているのが、実は「マーガリン」なのです。動物性脂肪の「バター」よりも植物性の油で作られたマーガリンのほうがコレステロールも少なく、体に良いと信じている人が多いと思いますが、実はこれは大きな間違いなのです。
マーガリンは、大豆などの植物油に水素を添加してバターのような風味に調整した脂肪酸です。この脂肪酸とは「トランス型脂肪酸」と呼ばれ、自然界には存在しないものです。
トランス脂肪酸は人工的に作り出された飽和脂肪酸であり、悪玉コレステロールを増やし、善玉コレステロールを減らすほか、ガン、高血圧、心臓疾患の原因になるなど、さまざまな健康被害をもたらす元凶の一つなのです。
もともと植物油というのは常温下では液体となっています。これは植物油には不飽和脂肪酸が多く含まれているからです。同じ油でも動物性の脂肪が常温で固体であるのは、飽和脂肪酸を多く含んでいるからです。
ところがどうですか、マーガリンは植物油であるにもかかわらず固まっています。それは、水素を添加し、不飽和脂肪酸を飽和脂肪酸に人工的に変化させているからなのです。つまり、マーガリンはトランス脂肪酸を含んだ、これ以上ないという悪い油になっているのです。
「トランス脂肪酸」とはもともと自然界に存在しなかったものです。いわば、それは人間の欲望が生み出した、まさに「自然の摂理」に叶わない産物なのです。「人間は自然の一部であり、自然の摂理に反すると人間は病気になる」というのが新谷先生の信条です。食物に限らず自然の摂理に則った生き方にこそ健康も幸福も存在するのです。 

■生き方8
この時期、お彼岸ということでどこのお寺や霊園でも普段にも増してお参り客が目立ちます。また、お墓参りやご先祖供養、彼岸会などの法要もこの時期多く修行されますが、このような習俗は、インドや中国にはない日本独特のものです。これは日本の風土と敬虔な日本人が生み出した世界に誇れる文化といえるでしょう。
その「お彼岸」には、春分や秋分という気候の一番穏やかな時期に、仏さまに供養し、改めて自分自身を見つめ直そうという意味があるのです。いわば年に二度あるところの生活習慣改善のための精進旬間なのです。
人は宇宙絶対の摂理のもとに生かされており、その道理を守ることで護られるのです。その道理と実践的生き方を説いたのが仏法であり、それに則った生き方をして悟りの岸である「彼岸」を目指すのです。彼岸こそ仏の世界なのですから。
ちなみに、「仏の世界」というと死後の世界、あの世の世界だと思いこんでいる人が多いようですがそれは明らかな誤解です。仏の世界に死後と生前の区別はないからです。要は悟りの世界がすなわち仏の世界であり、涅槃、浄土、極楽であり、そして彼岸なのです。
つまり、その彼岸に向かって精進しましょうというのが「お彼岸」です。彼岸に渡ろうという「至彼岸」をインドの言葉で「パーラミッタ」と言います。これが漢字に音訳されて「波羅蜜多」となったのです。ちなみに、般若心経の「般若」は「パーニャ」という「悟り」の意味の音訳です。
ですから、お彼岸には仏さまに供養して、仏の世界、つまり悟りの世界に辿り着けることを願うのです。そこで、素直に生活習慣を見直し、その反省から改善に向かうことができれば、それがまさにお彼岸の「御利益」なのです。御利益も功徳も精進なしには得られません。
さて、そこであなたもこの時期、特に食生活の習慣を見直されたらいかがでしょうか。今のあなたの健康状態のすべては大自然、大宇宙の摂理に則った縁起の結果なのです。だからこそ、健康を掌る食品に対する関心とそれを見極める力が大切なのです。
新谷先生は、「日本人が知らないトランス脂肪酸の恐怖」をうったえています。前回、マーガリンの油は加工されて酸化されたトランス脂肪酸という腐れきった油であるということを紹介させていただきましたが、このトランス脂肪酸が如何に体に良くないものであるかを更に学んでみたいと思います。
2005年2月、アメリカの大手ハンバーガーチェーン「マクドナルド」は、フライドポテトなど揚げ物に使用する油を、従来のものから健康に配慮したものに切り替えると発表していながら、期日までに実施せず、訴訟を起こされ、和解金850万ドル(約9億円)支払うことで和解しました。
その「従来の油」というのが、「トランス脂肪酸」の油です。欧米では動脈硬化、心臓疾患、糖尿病、ガンなど様々な健康被害がとりざたされているものです。現在欧米では、食品の成分表示において、トランス脂肪酸の含有量表示が義務づけられているうえ、ある一体量以上のトランス脂肪酸を含む食品は販売が禁止されています。
しかし日本では、トランス脂肪酸の害についてほとんど認知されておらず、表示義務もありません。それどころか日本では、今でも大部分の加工食品や外食産業でトランス脂肪酸がごく当たり前のように使われています。
市販されているマーガリンやショートニングは完全なトランス脂肪酸ですし、パンやお菓子類、サラダのドレッシングにもトランス脂肪酸が使われているのです。それだけではありません。植物オイルのほとんどもそうです。
現在市販されている植物オイルの多くは、原材料にヘキサンという化学溶剤を入れ、煮溶かすことで油を抽出するというやり方で作られています。この製造過程で不安定な不飽和脂肪酸は、安定した飽和脂肪酸(つまり酸化しきった)トランス脂肪酸に姿を変えるのです。
ヘキサンというのは、灯油やガソリンに多く含まれているメタン系炭化水素の総称です。このヘキサンに含まれる「水素」成分が不安定なシス脂肪酸に結合することによって、安定したトランス脂肪酸となるのです。
つまり、トランス脂肪酸が酸化しないのは、それ自体がすでに過酸化脂質と同じ構造になってしまっているからです。過酸化脂質が体内に入れば、大量の活性酸素が生み出され、その解毒に膨大な量のエンザイム酵素が消耗されるのです。
そもそもアメリカでトランス脂肪酸の有毒性が問題視されるようになったのは、1990年代の前半です。パン、製菓、揚げ物、そしてマーガリンやショートニングなどの食品製造や外食業界で広くトランス脂肪酸のオイルが常用されていて、その有害性が指摘されていたのです。
トランス脂肪酸は人間の体に必要な善玉コレステロールを低下させると同時に、悪玉コレステロールを増やすことはもはやはっきりとした事実なのです。最近では、トランス脂肪酸は、脳の血管にも悪影響を与え、アルツハイマー病やパーキンソン病などを誘発するという報告もなされているのです。
1994年、アメリカの消費者擁護科学センターなどが、その使用の有無を食品ラベルに表示するよう訴え、1999年、多くの研究結果がでそろったところで、アメリカのFDA(食品医薬局)はついに含有量の表示を義務づけたのです。こうした動きは、ほぼ時を同じくしてヨーロッパでも起きています。
取り残されているのは、発展途上国と日本だけです。薬害エイズの場合もそうでしたが、日本の厚生労働省も当然こうした海外での動きは知っている筈です。にも拘わらず改善しようとしないのは一体なぜでしょうか。
それは国民から声が上がらないからです。日本のお役所は、国民の健康よりも便宜的、効率的、経済的効果の方を優先させているとしか思えません。
では、どうしたらいいのでしょうか。それには、日本人自ら声を上げ、国に改善を訴えることでしょう。そして同時に、トランス脂肪酸の入っていない製品を選んで使用することです。
現在トランス脂肪酸のリスクがもっとも軽減されているのは、ヘキサンなどの水素添加溶剤を使用しない方法で抽出された「キャノラー油(菜種油)」「大豆油」、そしてオリーブ油」などです。
欧米ではトランス脂肪酸を含まない新製法のマーガリンが販売されていますが、日本にはそうしたものはまだないようなので、トランス脂肪酸を含んでいる製品の使用は極力避けることをお勧めします。
また、ビタミンEの摂取がトランス脂肪酸の害を防ぐことも分かってきています。ビタミンEはサプリメントで摂ってもいいのですが、メーカーによっては薬剤を使っての抽出があるものもあるので注意が必要だそうです。
サプリメントに限らずとも、緑黄色野菜や胡麻、アーモンドやピーナッツなどナッツ類、豆類にはナチュラルなビタミンEが豊富に含まれているので、意識されて摂るのもいいようです。
そもそも、トランス脂肪酸とは自然界に存在しない、いわば「反自然食材」なのです。まさに人間の欲望から生み出されたまさに自然の摂理反した食材なのです。
「人は自然の摂理に逆らっては生きて行けない」という新谷先生の言葉を再度思い出していただきたいと思います。 

■生き方9
この時期、さくら前線が日本列島を北上中です。日本人にもっとも人気のある花といえばやはりさくらでしょうか。国花でもある桜、なかでもソメイヨシノの人気は抜群で、あの艶やかで絶妙な美しさは満点です。
特に開花生命の短いソメイヨシノはその散り際の美しさと相まって一層愛おしく感じられます。日本人のそんなさくらに対する想いから「花見」の文化が生まれたのでしょうか。満開なさくらの下で人は不思議とハイテンションになれるのです。
一方、病気などで余命を覚悟した人などがよく口にするのが、「あと何回桜が見られるだろうか」とか「来年の桜を見ることができるだろうか」ということばです。悲壮感漂うことばですが、真に命の尊さと愛おしさを知った人の率直な言葉として感動です。
今咲いているさくらは今年限りのものです。来年のさくらは同じように見えてもまったく別のものです。二度と同じさくらが咲くことはありません。また、さくらはその短い開花生命のなかで満開に咲き誇って後腐れ無くパット散っていきます。
その"生き様"から見えてくるのはまさに一期一会の人生観です。「一期」とは「一生涯」のことであり、「一会」は「一度きり」ということです。人生何ごとも生涯で一度だけ、今回限りとだという真実、まさに諸行無常の無常観を表したことばです。
明日有りと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは(親鸞聖人)
今日の命は今日しかない、今日の命に明日の保証はありません。命に限らず何ごとにせよ「今しかない」という、まさに「今でしょう」という「一期一会」の精神をさくらは象徴しているように思えます。
「明日有りと思う心」こそ要注意、油断から病気や不幸を招くことにもなります。健康に関してもそうです。少しでも良いとわかったことは、明日からなどと言わずに今から即実行してほしいものです。
さて、前回トランス脂肪酸という人が作り出した反自然食品を紹介しましたが、現代では、そのような人体にとって有害な反自然食品が他にも多く出回っています。新谷先生は、そのような有害食品の一種として「白い食品」は体によくない食品と考えよと述べられています。
今回はそのキーワード「白い食品」について先生の持論をご紹介したいと思います。本来自然界には「白い食品」というものは存在しません。たとえば、自然界にある糖も塩も穀物も、もともと皆自然の色がついています。それが人の手によって加工され、精製糖、精製塩、精白米などのきれいな"白い食品"になるのです。
精製することによって、食品はナチュラルな品質を失います。つまり、自然食品が精製や加工によって反自然食品に変質してしまうのです。これは、その食材のもつ「自然の命」を失うことにほかなりません。
砂糖は成分表を見るまでもなく、色の濃いもののほうが、微量栄養素が豊富に含まれています。塩も海のミネラルやマグネシュウムのせいで色がついています。玄米もしかりです。玄米は白米になることで栄養素は四分の一になってしまうのです。
多くの人は、白く、見た目の美しい食品を好みます。そのため、ちょっと鮮度の落ちたもの、酸化して色が濃くなったもの、さらにはナチュラルなままでは見た目が悪いものなどわざわざ漂白までして売られているのが実態です。
市販されている、かんぴようやこんにゃく、かまぼこ、はんぺん、タケノコなどを見て下さい。ほんらいは真っ白ではないのに薬品によって漂白されているのです。漂白剤は化学薬品です。体に入って良い筈はありません。新谷先生の言われる、「白い食品は体によくない」という意味がよくわかります。
真っ白な上白糖は料理の色がきれいに仕上がり、クセもなく甘味料としては絶対の人気を持っています。また、値段的もリーズナブルで、万人に重宝されているまさに優良食品といえるでしょう。
ところが、です。先生は「"白い"砂糖は人間の身も心もむしばむ恐ろしい食品だ」といわれるのです。ひとくちに「砂糖」といっても、実際にはいろいろな種類があります。原料のサトウキビをしぼって加熱しただけのものが「黒砂糖」。それをさらに結晶とミツに分離し、精製して結晶の純度を高めたものが「精製糖」です。
精製糖はさらに、「車糖」「ざらめ糖」「加工糖」に分かれます。私たちが普段使っている「上白糖(白砂糖)」は車糖に含まれます。ざらめ糖には「グラニュー糖」や「白ざら」、加工糖には「角砂糖、氷砂糖、粉砂糖」などが含まれます。
多くの人は、こうしたさまざまな砂糖の成分の違いをほとんど意識しませんが、成分を比べてみると実は大きな違いがあることがわかります。
よく、「甘い物を食べ過ぎると骨が溶ける」ということを聞きますが、実はこれは本当だそうです。白い砂糖を摂りすぎると、体内のカルシウムが失われてしまうのです。それは、白砂糖が酸性の食品だからです。加工される前の黒砂糖は、弱アルカリ性の食品ですが、精製過程でビタミンやミネラルなどの栄養素を失って酸性になってしまうのです。
人間の体は、基本的には弱アルカリ性です。そのため酸性の食品が大量に体内に入ると、中和するために体内のミネラル分が使われ、多くのカルシウムが消費されるのです。白砂糖の場合、カルシウムがほとんど含まれていないので、必要なカルシウムは体内の骨や歯を溶かして供給されるのです。
これが、甘いものを摂ると虫歯になったり、骨が弱くなるメカニズムです。人間の体の中には、体重の約2%のカルシウムがありますが、その99%は骨や歯の中にあります。残りの1%が血液や細胞内にあるのですが、それがほんの少しでも不足すると、イライラしたり心の不安定を引き起こすのです。
また、白砂糖は糖分の吸収がとても速いので、血糖値が急激に上昇します。そのためインシュリンが大量に分泌され、低血糖を引き起こしやすくなります。それが続くと、今度は血糖値を上げようとしてアドレナリンが放出されます。
アドレナリンは神経伝達物質の一つで、興奮したときに大量に血液中に放出されるホルモンです。出過ぎると脳のコントロールがきかなくなり、「キレる」原因となります。最近の子供たちは「キレやすい」といわれますが、その原因の一つは精製糖の過剰摂取にあると、先生は考えています。
アメリカでは、子供たちにキヤンディーなど甘いものをあげすぎると、「シュガーハイになる」といいます。それは白砂糖を多く含む菓子類をたくさん食べる子供は、集中力がなく、思考力も減退し、短気でイライラしやすくなるということであり、これはほぼ常識となっているそうです。
さらに、糖類は体内で分解されるときに、ビタミンB1を消費しますが、白砂糖にはビタミンがほとんど含まれていません。そのため、ビタミンBの摂取量が少ないと欠乏症を起こし、過労やめまい、貧血、うつ、短気、記憶障害といった、さまざまなトラブルも招いてしまいます。
砂糖はお菓子類や日々の料理に使われるだけではなく、市販のペットボトル飲料にも多く使われています。500ミリリットルのペットボトルのジュースや炭酸飲料一本に含まれる砂糖の量は約30グラムもあります。
健康的な食事における一日の砂糖の摂取量の目安とされているのは20グラムです。先生は、できれば白砂糖の使用をできるだけひかえ、それに代わるものとして、黒砂糖や蜂蜜、天然のメープルシロップなどを勧められています。これらは天然のミラクルを多く含んだとてもよい食材だそうです。 

■生き方10 平和ボケ症を考える1
平和ボケとは、一言でいえば「平和の尊さ」が分からないことをいいます。今のこの日本の平和があの悲惨な戦争の代償の上に成り立っているという想いが無くなってしまったとしたら、まさに「平和ボケ症」です。平和ボケ症が病気だとしたら早くその自覚を持つことです。自覚無くして"治療"は難しいからです。
戦後70年、日本は戦争の惨禍を忘れるようにしてひたすら経済発展に邁進してきました。世界からも「奇跡の復興」と称えられ経済大国となりました。今では信頼のおける平和主義国家として尊敬され模範とされるまでになりました。これもすべて「戦争放棄」「不戦国家」として認められてきたからです。
しかし、そんな平和大国も70年という歳月が経ち世代交代も進み、戦争の記憶も反省も確実に"風化"の波にさらされていたのです。多くの日本人にとってあの戦争は何だったのか、もはや過去の歴史の1ページになってしまったのでしょうか。
しかし、人間は「歴史に学ぶ」ことが大事です。あの第二次世界大戦は人類にとって大きな反省と教訓になった筈です。それを活かすには歴史に学ぶことで同じ過ちを犯さないことです。歴史が教える平和の"代償"がどんなものだったのか今一度振り返る必要があります。
日本は230万人の兵士と80万人の市民が犠牲となりました。ちなみにドイツ550万人、ソ連2000万人、中国1000万人、ポーランド600万人、イタリア78万人、イギリス50万人、アメリカ40万人、フランス34万人となっています。全世界ではなんと約6000万人もの尊い人命が奪われたのです。
戦争の目的は只一つ、敵という名の"人"を殺すことです。殺すか殺されるかが戦争です。そのためには手段を選びません。戦争は人から"人の心"を奪い殺人鬼にしてしまいます。殺人鬼に罪悪感はありません。殺し殺される報復の泥沼地獄に落ち込むのです。
今月23日、沖縄は慰霊の日を迎えました。「本土防衛の捨て石」となった沖縄の悲劇を後世に伝え、平和を誓う日です。「鉄の暴風」と表現される米軍の猛烈な艦砲射撃や空襲。沖縄戦は住民を巻き込んだ地獄でした。犠牲者は日米合わせて20万人を越えました。
沖縄戦を戦った元日本兵の記事を紹介します。三重県に住む近藤一さん(94才)のお話です。大陸の各地を転戦し、'44年8月に沖縄に送りこまれました。
当時25歳、連日の白兵戦で負傷し、夜間に撤退する際、米軍が打ち上げた照明弾によって辺りが照らしだされると、一面に散乱した住民の死体が浮かび上がりました。「兵隊さん、連れて行ってください」と手を差し出す女性。
母を失った赤ん坊の泣き声。南へ南へといざなって行く両足を失った負傷兵・・・。私が中国で見てきた惨状が沖縄で起きていました。米軍の戦車の火災放射で火だるまになって死んだ戦友も多数いました。
「こんな無意味な戦争で死ぬのは耐えられない。だが命令だから行くしかない。さらばだ、近藤」同年兵はそう言い残して米軍に切り込んでいきました。照明弾に照らされた目に涙が光っていてね。私の頭から消え去らない・・・。何度語っても涙があふれます。私も死を覚悟し銃剣を振りかざして突撃しました。が、失敗。捕虜になりました。
近藤さんは住民への日本軍の残虐行為を知りました。なんと"守ってくれるはず"の日本軍が住民から食糧を奪い、泣きやまない乳幼児の殺害や集団自決による肉親同士の「殺し合い」を強要。軍の機密がもれるのを恐れ、軍命令により方言を話す人をスパイ視し、虐殺しました。
沖縄守備軍(第32軍)はもともと中国で残虐の限りを尽くした部隊が主力でした。県民に対し「軍官民共生共死の一体化」を指示。「一木一草トイヘドモ戦力化スベシ」として住民を根こそぎ動員しました。県下の中等学校の生徒を鉄血勤皇隊や従軍看護隊として各部隊に配属したのです。
近藤さんは、中国での加害を語らなければ、戦争の本質は伝わらないと気づきました。3年8ヶ月従軍した中国大陸。近藤さんは数々の戦闘に参加し、食糧の略奪や家屋の放火、無抵抗の捕虜殺害を重ねました。女性への性的暴行に関わったことも。
入隊半年後に巡回した処刑場には、その日殺した生々しい死体、頭髪が半分ほど残っている死体、腐乱した死体、白骨化した死体がうずたかく積まれていました。
紙一重の生死を背に毎日を過ごすうちに、私ら兵士は血で汚され、死に怯え、人間喪失に陥り、殺人鬼になっていたのです。再び日本の若者を"殺人鬼"にしてはなりません。
そんな状況をつくらないのが政治のはず。何があっても戦争するような国家になってはだめです。戦争になれば、米軍基地がある沖縄はまた戦場になってしまう。隣国との危機回避は話し合いでできます。憲法9条をきちっと守り、世界中から信頼される日本になってほしい。
戦争の地獄を経験してきたまさに生き証人のお話だけに実に説得力があります。戦後70年、日本人の中で戦場へのリアルな想像力が衰弱してしまいました。日本人が体験した直近の戦争は太平洋戦争でしたが、その実態がいかに無惨なものであったか、そうした実相が忘れられたことが想像力の衰えでしょう。
軍人軍属戦死者230万のうち、6割が餓死やマラリアなどの感染症で死んだのです。日露戦争の戦死者は約6万人ですから、先の大戦ではいかに多くの人が無駄死にしたか、戦争のむごさがきちんと継承されていません。これを平和ボケと言わず何というのでしょう。
その代表格がまさに安倍総理はじめとした今の政治家なのです。政界では後藤田正晴氏や梶山静六氏ら「戦争への痛覚」を持った人達がいなくなり、ウオーゲーム感覚でしか戦闘、戦場をイメージできない政治家ばかりになってしまったのです。
安倍総理は29年生まれの60歳、真っ赤な「戦後派」です。育ち盛りに流行ったのがインベーダゲームです。彼を取り巻く政治家の多くが同世代の人達です。戦争を起こすのはいつも一握りの指導者なのです。その民族、その国民の運命がその者達に左右されるということに言い知れない不条理を感じます。
25日ついに公明党も「集団的自衛権大筋で合意」と新聞が伝えました。「限定的」であれ「必要最小限」であれ、すべてまやかしです。「集団的」の意味することは「戦地に自衛隊を派兵する」という以外の何ものでもないのです。これは憲法9条のもとで専守防衛に徹してきた日本の安全保障政策の大転換なのです。
それにしても、日本の宗教界はこの一大事をどう捉えているのでしょうか。国民の幸福と国家の平和をリードする筈の宗教界、どこからも声が聞こえてきません。特にわが曹洞宗はどのように対応されているのか、またこの問題に対するスタンスはどうなのか。気になって電話で伺ってみました。
広報担当というS氏によりますと、今のところ集団的自衛権に対する特にスタンスはなく今後の対応も分からないとのこと。今のところ仏教界で反対を明確にされているのは東本願寺派さんだけとのこと。正直唖然としました。「国土安穏、万邦和楽、海衆安祥・・・」を毎日祈願している筈のわが宗門の"総本山"に今の日本の平和危機に対する自覚がなかったのです。
毎日のご祈祷はまさに「空念仏」だったのでしょうか。かの故内山愚童老師が悲しんでおられます。宗門にはいまだ歴史を学び平和をリードする気概がないのか・・・と 
 

 

■生き方11 平和ボケ症2
前回、「平和ボケ」とは「平和の尊さが分からないこと」だといいましたが、さらに言えば、「戦争の危険性を見抜けないこと」だとも言えるのです。今、日本国民に問われているのはまさにこの点です。
どんな民族であれ国民であれ、真に平和を望まない人なんていません。問題はどうすることが一番の戦争抑止力になるのか、平和維持になるのかの判断が難しいことです。此度の日本の場合、集団的自衛権か専守防衛か、そのどちらが平和維持にとって正しい選択なのかの見極めがまさに求められているのです。
7月1日、安倍政権はついに「集団的自衛権」を閣議決定しました。安倍総理の言う「積極的平和主義」とは、同盟国との関係を強化し軍事力を高めることこそ戦争抑止力になるという論理です。が、ほんとうにそうでしょうか。
たしかに日本を取り巻く周辺国との信頼関係は最悪です。しかし、その軋轢と軍事的緊張を徒に高めてきたのはアベさん自身なのです。ならず者国家を相手に確かに軍事的強化は抑止力になるというのも感情的にはわかります。が、それははっきり言って間違いです。
なぜならそれは感情論からの発想だからです。人は感情的になると理性的でなくなります。感情論と理性論は相反するものです。持論ですが、その論理からすれば今回の"騒動"は感情論と理性論の対決とも言えるのです。どちらが正しいかは明白です。
人は理性的でない状況からは決して信頼を構築することはできません。したがって、まずは対話です。対話に徹すれば必ず心は理性的になります。人間にとって何より大切なものは理性なのですから。
対話に重きをおき、理性に立ちかえり共生の道をさぐることこそが、平和をもたらすのです。それは人類の歴史が教えています。
仏教精神からしても、対話こそ不信を取り除くための手段です。不信が双方を敵・味方にするのです。不信が敵意となれば武力が一番の抑止力に思えてくるのです。感情論からすれば当然です。結果武力には武力しか返ってきません。まさに因果必然のことわりではありませんか。
集団的自衛権賛成の人達は、こうした考えは理想主義だとか現実離れしていると言うかもしれませんが、人間が「理想」を捨て「真実」を無視したところに地獄が出現するのです。
人間が地獄に落ちる道理のすべては「貪、瞋、痴」にあるのです。戦争という地獄もまったく同じです。ただただ相手憎しという感情から生まれるのが「瞋(怒り)」です。怒りの感情が武力に頼り、あとは報復の連鎖です。現在のイスラエル、パレスチナを見て下さい。ウクライナ、ロシアを見てください。結果は歴然です。
事ほど左様に、安倍さんの論理はまさに感情論からの出発であり、脅威、威嚇こそが抑止力になるという実に短絡的で危険な考え方なのです。
そもそも安倍さんのやろうとしていることは国家権力の強化と民主主義の否定なのです。「集団的自衛権」はまさに氷山の一角にすぎません。何よりも怖いのはそんなアベさんの持つ本当の「危険」が国民に分かっていないことです。
いうまでもなく、日本は立憲主義国家です。主権在民の立憲主義国であるということは、憲法を変える変えないかを決めるのは主権者である国民なのです。政府をはじめ行政や司法に携わる権力側の人達は、憲法を守り、憲法に従う義務があるのです。
分かりやすく言えば、憲法は国民が守るべき法ではありません。国民が国家に守らせるべき法なのです。国家が国民の人権を不当に侵害してトンデモナイことをやらかさないように、予め歯止めをかけておくのです。それが憲法なのです。
このことをどこかに置き忘れ、総理個人の悲願だからといって、解釈改憲を自ら率先して行おうとすることは、まさに政治の私物化です。法治国家としてとるべき憲法改正の手続きを省き、結論ありきの内閣の議論で押し切ったことはまさに憲法違反ともいうべき暴挙なのです。(憲法研究所所長 伊藤真氏)
憲法98条に「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と定められています。従って、「集団的自衛権の行使も許される」とする内閣決定は解釈の限界を超え、違憲で、無効である。(弁護士 大森典子氏)
安倍政権が集団的自衛権にこだわる背景に「湾岸トラウマ」があるといわれます。湾岸戦争でアメリカなどから「カネしかださないのか」と批判を浴びたためだというのです。
そんなアメリカのご機嫌をとるために憲法の命ともいわれる九条を無理遣り解釈で変更しアメリカと一緒に戦争のできる体制にしようとしているのです。アベさんは「国民の命と平和な暮らしを守る」などと言っていますが、本心はアメリカにおもねているとしたら、彼はいったいどこの国の総理なのか。
「日本を取り戻す」などと言っていますが、その実アメリカの属国にしようとしているとしたらまさに売国奴です。国民を守ることを大義名分に掲げ、安倍さんは安全保障に関わる情報や権限を一手に握る仕組みを作っているのです。
政権に都合の悪い情報を隠すための特定秘密保護法、武器輸出を解禁する防衛装備移転三原則、外国軍への支援を認めるODAの見直しなど、アベさんの目指すところはまさに戦争のできる国家体制なのです。
評論家の内橋克人さんによれば、その統治戦略は、マネーとメディアとマインドコントロールの3Mだそうです。マネーは「アベノミックス」です。株価景気を利用して国民をマインドコントロールすることです。
メディアでは、NHKトップの籾井会長を抱き込み、政権寄りの報道をさせ国民をマインドコントロールすることだそうです。そんな安倍政権が持つ強権主義の一例がある週刊誌に載っていました。
7月3日に生放送されたNHK「クローズアップ現代」においての出来事です。この日のタイトルは、菅官房長官をスタジオに招き、「日朝関係」と「集団的自衛権行使容認」について詳しく聞くというものでした。
集団的自衛権行使の話題のなかで、キャスターの国谷裕子氏は、「他国の戦争に巻き込まれるのでは」、「憲法の解釈を簡単に変えていいのか」などと菅氏に対して鋭く切り込んでいきました。官房長官が相手でも物怖じしない国谷氏の姿勢はさすがでした。
番組は滞りなく終了しましたが、直後に異変は起こりました。近くに待機していた秘書官が内容にクレームをつけたというのです。それは、国谷氏が菅氏の発言をさえぎって「しかしですね」「ほんとうでしょうか」と食い下がったことが気に食わなかったというのです。
その数時間後、再び官邸サイドから抗議がはいり、籾井会長ら局上層部は「クロ現」制作部署に対して「誰が中心になってこんな番組作りをしたのか」「誰が国谷にこんな質問をしろと指示を出したのか」などという犯人捜しまで始まったというのです。
番組スタッフの話によると、この日、国谷さんは居室に戻ると人目もはばからずに涙を流したそうです。国谷さんは、ただただ、「すみません」と言うばかりで、涙のワケを語らなかったそうですが、理由は明白でした。
7月17日、「ニュースウオッチ9」の大越健介キャスターが「在日コリアン一世の方たちというのは、強制的に連れてこられたり、職を求めて移り住んできた人達で・・・」 と発言したことに対して、NHKの経営委員で作家の百田尚樹氏が理事ら執行部にかみついたというのです。
「強制連行は間違いではないか」「NHKとして検証したのか」などと問いただしたというのです。執行部側は「強制連行もあれば、自分の意志で来日した人もいるという趣旨だった。個別の番組への意見や注文なら問題になる」と言ったら百田氏は発言をやめたという。
百田氏の「永遠のゼロ」は拙僧も読みましたが、たいへん感動的な小説で2回も読んでしまいました。太平洋戦争の経緯もよく分かるし、人間とは、戦争とは何なのかを痛切に考えさせられる素晴らしい小説です。
その中で彼が訴えているのは反戦の意味だとばっかり思っていましたが、その実像はさすがのアベさんの御めがねに叶うだけの人物でした。
放送法は第3条で『放送番組は(中略)何人からも干渉され、又は規律されることがない』と定めた上で、第32条で経営委員の権限について『委員は、個別の放送番組の編集について、第3条の規定に抵触する行為をしてはならない』と定めている。
発言が事実なら明白な放送法違反です。「職責の自覚がなく、適正を疑う。任命した首相や同意した国会の責任も問われる。」(法政大学名誉教授・須藤春夫氏)
メディア論が専門の上智大学・碓井広義教授は「籾井氏が会長に就任して以降のNHKの報道姿勢には、疑問を持たざるをえない」と指摘しています。NHKは政府の広報機関化しているのではないのかと心配になります。
世論調査では過半数の日本人が集団的自衛権行使に反対ですが、その一方「特に関心がない」「どちらともいえない」と言われる人がまだまだ大勢います。国民全体が立憲主義の意味を真に理解し、安倍政権の実態を知り、"平和ボケ症"から回復し、早く"日本を取り戻しましょう"。 

■生き方12 平和ボケ症3
8月といえばお盆です。昔からこの時期多くの人達が故郷に帰ります。家族が揃ってご先祖様に報恩感謝の供養を捧げ、家族一統の幸福をお願いするのです。日本人にとって、お盆はお正月と並んでまさに国民的文化行事なのです。
江戸時代、お正月とお盆には奉公人が休みをいただき実家に帰ることができました。これを「藪入り(やぶいり」と称しました。その語源は「奥深い田舎に帰る」といった意味だそうです。主人たちも様々な手土産を持たせ奉公人を送り出したとか。
よく「盆と正月が一緒にきたようだ」とかいいますが、それはうれしいことや楽しいことが重なること、また、非常に忙しいことのたとえに使われますが、それは年に二度故郷の家族のもとに帰れる「藪入り」に始まったのです。
戦後、労働基準法により労働スタイルが変化し、日曜日を休日とするようになったことで「藪入り」はすたれましたが、そんな伝統は正月とお盆の帰省として残りました。お盆とお正月には妙に心が躍るのはそんな「藪入DNA」のせいなのかもしれません。
ちなみに、古代から新年最初の満月の日(旧暦1月15日)と、半年後の満月の日(旧暦7月15日)の2回、祖霊を祀る風習があり、やがて1月の方は年神を祀る小正月へと変化し、7月の方は先祖を祀る行事として仏教のお盆と習合されたと考えられます。
また、お正月の方を「藪入り」と言い、お盆の方を「後の藪入り」と言って区別する場合もあります。よく、お盆の16日には「地獄の釜の蓋が開く」と言いますが、これも藪入りに無関係ではなさそうです。
地獄には罪人を呵責するための釜があるそうです。ちなみに釜には、火焔の釜、膿と血の湯釜、蛆虫の水釜などというものがあるとか。地獄では閻魔大王のお裁きを受けた罪人たちが鬼たちによって次々と釜の中に放り込まれています。浜の真砂のごとく罪人の数は尽きません。さすがの冷酷無慈悲の鬼達にとっても大変な労務作業です。
そんな鬼達を労うために年に一度だけ休みが与えられました。それがお盆の16日です。すなわち、地獄の"釜の蓋を開ける"休日になったのです。一方の罪人達にとってもこの日だけは呵責を免除される"休日"でもあります。
ということで、地獄でさえ休みになるというこの時期に誰でも皆休みをとって家に帰ろうというのが、すなわち「後の藪入り」の由来になったのかもしれません。
地獄の釜の蓋が開いているということは、ひょっとして、罪人達もその日一日だけは釜から出ることが許されるかもしれません。閻魔大王は地蔵菩薩の化身とされています。地蔵菩薩は慈悲の仏さまです。地獄に落ちたどんな悪人でも年に一度の里帰りのチャンスが与えられたとは考えられないでしょうか。(私見ですが)
他方、地獄の釜の蓋は7月1日に開いて7月30日に閉まるという説もあります。旧暦7月はまるまる1ヶ月間お盆月(盆月)とされ、この期間は祖霊があの世とこの世を自由に行き来するというのです。
ちなみに、7月7日は七夕ですが、お盆の準備として精霊棚に供養の幡を安置する日だったため、棚幡が七夕になったという説もあります。盂蘭盆経にある目連尊者のお母さんが餓鬼道から救われたのも7月15日です。7月24日が地蔵盆であることなど、旧暦の7月は確かに盆月と言えるでしょう。
極楽往生されているご先祖様のみならず、餓鬼道や地獄道に落ちている罪人までも、お盆には「里帰り」が許されると考えられないでしょうか。つまり、生きている人達も亡くなった人達も、すべての者が「藪入り」を享受するのが即ちお盆なのです。
そんなお盆の8月15日がちょうど終戦日になったことに因果を感じるのは拙僧だけではないでしょう。過去の大戦で亡くなった230万もの英霊もお盆にはそれぞれの実家に帰りますが、その英霊に捧げる真の供養とは何でしょうか。
戦後69年も経ったとはいえ、祖国日本のために命を落とされた英霊たちへの恩義は薄らぐことはありません。年と共に薄れるのは、我々生きている人間の「記憶」と「気持ち」と「器量」の方です。これをうつろいゆく3Kといいます。(持論ですが)どんなに年が経っても決して薄れることのないのが恩義であることを知るべきです。
そんな69年前の戦没者の思いに心を馳せたとき、英霊たちが戦争を肯定しているとはとても思えません。それらを鑑みたとき英霊に捧げる真の供養とは、まさに戦争放棄、不戦の決意こそが英霊の恩義に報いることではないでしょうか。
毎年8月に入ると挙ったようにマスコミが過去の大戦への反省と検証をテーマにした関連番組を放送します。7月10日の東京大空襲にはじまり、8月6日の広島原爆、9日の長崎原爆、今年はなかでもNHKが特番として放送した「忘れられた戦争『ペリリュー島の戦い』」は実に凄惨なものでした。
NPO法人主催の映画「ひろしま」も見ましたが、戦争は、ただただ敵を殺すことです。エスカレートしていくと虐殺行為さえ躊躇しなくなってしまうのです。それが人間の性なのかもしれません。東京大空襲、広島、長崎原爆では7万〜10万人以上の人間が一瞬のうちに虐殺されたのです。
平和な時代には一人でも殺せば殺人罪です。戦争ではそれが何人殺しても罪になりません。こんな不条理はありません。東京大空襲を指揮したアメリカの軍人カーチス・エマーソン・ルメイ大将に戦後第一次佐藤内閣は、自衛隊育成に協力があったという理由でなんと勲一等旭日大綬章を与えているのです。
戦後、ルメイは「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女子供を殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することはーふざけるな」と語ったのです。
また、日本爆撃に道徳的な考慮はと質問され、「当時日本人を殺すことについてたいして悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった。もし戦争に敗れていたら私が戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことに我々は勝者になった。軍人は誰でも自分の行為の道徳的側面を多少は考えるものだ。だが、戦争は全て道徳に反するものだ」と答えています。
戦争では敵という人間を殺せば殺すほど英雄になります。本人に罪の意識はありません。その実態はまさに鬼畜であり悪魔です。何という理不尽でしょう。そんな不条理な戦争を起こすことだけは絶対に避けなければなりません。
集団的自衛権賛成の人達の主張は、他国から攻撃された時は友好国の助けを得るのに、逆のばあいは憲法9条を盾に助けることを拒否するのは身勝手であり卑怯だというのです。たしかに、信頼関係にある友好国や同盟国の関係からすれば道義的にも当然な理屈かもしれません。
しかし、戦争を起こす同盟国側にいつも大義があるとは限らないのです。たとえばイラク戦争をみてください。大量破壊兵器があると信じて多くの国がアメリカに追随しましたが、結果はアメリカに躍らされただけでした。今では大義のない不毛の戦争だったとして参戦した国々はおおいに反省しています。
このように、一旦集団的自衛権が認められてしまうと、その戦争に大義が有ろうと無かろうと道義的に同盟国のために参戦せざるを得なってしまうのです。敵対する国が一国とは限りません。その場合同時に多くの国さえ敵にまわすことにもなるのです。
憲法9条は決して自分よがりのものではありません。それぞれの国が、軍備は最大限保障に留め、「専守防衛」に徹すれば戦争の確率は極めて少なくなる筈です。日本こそがその先駆けになれるのです。 

■生き方13 平和ボケ症4
彼岸とは、文字通り「向こう岸」のことです。こちらの岸を此岸(しがん)という煩悩や迷いの岸ととらえ、対岸を悟りや涅槃の岸と譬えたものです。語源は、サンスクリットのパーラミターに由来します。
パーラが「彼岸」、ミターが「到る」で「到彼岸」の意味です。悟りや涅槃に到るために越えるべき迷いや煩悩を川に譬え(三途の川とは無関係)、その向こう岸に到るというものです。パーラミターを漢字にしたのがすなわち「波羅蜜多」です。ちなみに智慧がパーニャで般若となりました。
お彼岸の風習はインドや中国にはない日本独特のものです。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが彼岸のはじまりだといわれています。
極楽浄土は西方浄土ともいわれ、生を終えた後の極楽浄土を思い描き、浄土に生まれ変われることを願ったのが浄土思想です。生を終えていった先祖を供養すると同時に自らも極楽往生にあやかろうとして定着したのが「お彼岸」なのです。
いつの時代であれ、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じです。死後を考えない人はいません。それは人には心があるからです。心があるからこそ宗教心がある、心と宗教は同事・・・これは拙僧が予てより言ってきた非常に重要な概念です。
ですから人は自らの信仰によって生へのモティベーションが決まるのです。これが宗教のもつ意味合いであり、その最大のものが生死観です。人の幸福観はその生死観に左右されると言っても過言ではありません。
一心にただ阿弥陀仏を念ずれば例え悪人でも極楽浄土へと往生できると説かれたのが浄土思想です。その思想のなかで守護大名に反抗して勃発したのが一向一揆です。数十万という本願寺門徒(一向宗)によって加賀の城は陥落し、なんと「一向宗の国」が誕生してしまったとか。
その勢力は織田信長によって滅ぼされるまで、約百年間続きました。「南無阿弥陀仏」と唱えながら死をも怖れずに攻撃してくる一向宗の軍団は、覇王たる織田の軍勢にとっても恐るべき相手でした。
織田軍は捕らえた門徒は全て惨殺するという苛烈さで、その時期に殺された一向門徒は十万人を越えたといわれています。それは広島・長崎に落とされた原爆の死者に匹敵するもので、日本史上における最大規模の虐殺であったことは事実です。浄土思想への信仰力と宗教のもつ脅威が示された事実として考えさせられます。
そんな時代を超えて、今中東に「イスラム国」とやらがイスラム過激組織によって建国されようとしています。一向一揆の「一向宗国」などとは比較になりませんが、どちらも宗教教団が主導していることを考えると、宗教を理解することが実に大事です。
イスラム教では、死後はアラーによってのみ天国か地獄かが決まります。アラーのために死ぬことができれば、天国に行くことができるというのがジハード(聖戦)です。死はアラーのみぞ知るところであり、ジハードで倒れた殉教者は、神の元で恵みを受け永遠の命を送ることができるとされています。
自殺は禁止されていますが、殉教は最高の行いとされています。ただ、殺人は罪とされているイスラム教において、ジハードにおいての殺人はなぜよいのであろうか。よくわからない点ですが、理屈では理解できないのが宗教です。
信者にとって、信仰こそすなわち正義なのです。ですから、妄信の彼らにとって自爆テロも殺人もすべて正義なのです。そこには躊躇も罪悪感もありません。あるのは使命感だけです。
かのオウム真理教によるテロも数々の犯罪行為もまさに教祖への帰依の証しこそが「正義」だったのです。元来純粋だった筈の若者たちが狂信の結果殺人鬼に仕立て上げられてしまったのです。邪教に正義などある筈がありません。宗教にはそんな落とし穴があるのです。
心がある以上宗教心があるといいました。だからこそ邪教の穴に陥らない正義を見極める力が必要なのです。そのためにあるのが仏教の四諦八正道なのです。それこそ真理の道理、般若の智慧、すなわち彼岸の教えなのです。
今欧州、特にフランス、イギリスでは「イスラム国」の兵士に加わるためにシリアに向かう若者が増えているとか。妄信の若者がイスラム国になびいている実態はまさにオウムに酷似しています。こうした諸国の当局者らは、これら若者たちが本国に戻ってテロ行為を主導しかねないと懸念しています。
そんなイスラム国での虐殺行為の実態がネット上から伺えます。首を切断された幾つもの遺体、体中串刺しにされた遺体など、あまりにも凄惨で見るに堪えません。人はこれ程までに残酷になれるものかと、実にショックです。
言うまでもなく戦争は地獄です。あらゆる残虐行為があたりまえに行われるのです。人は心を棄てて鬼や悪魔にならなければ耐えられません。まさに殺人と報復の連鎖による地獄です。それが今のシリア、イラクの現実なのです。
日本は戦後70年になろうとしていますが、70年間も戦争をしていない国は世界の歴史上ないといわれます。それは憲法9条があるからです。テロや紛争、宗教対立が横行し、紛争が絶えない国際社会のなかでまさに世界に誇るべき日本の宝なのです。
日本の国際協力・人道支援NGOの日本国際ボランティアセンターの前代表、熊岡路矢さんは、「日本国憲法の平和主義こそが、世界のどの地でも、私たちの命を大枠で守ってくれたと実感してきました。」と誌上で述べられています。
ここからは、熊岡さんの30年間のNGO活動を通しての率直な思いを抜粋ながら紹介させていただきました。
「どうやってNGOは安全を守るのかとよく聞かれますが、紛争地では武器を持たないことが身を守るカギのひとつなのです。NGOは名前のとおり非政府組織で、政府や軍隊とは一線を画して人道支援を行います。
現地で、私たちは人道支援活動をしていること、中立・公正・公平を旨として働く組織であることを説明します。武器を持つ選択はありません。安全確保でもっとも大切なのは現地住民と深く付き合い、彼らから信頼されることです。
万一、武装勢力に誘拐されるような場合でも、交渉や説得以外の方法はありません。中立的立場で人道支援活動をしていること、軍隊的なものと無縁であることを主張し、現地の人々にも証言してもらう。それで解放されたケースがあります。高遠菜穂子さんの場合もそうでした。
もし現地に自衛隊がいて、NGOが「駆けつけ警護」を要請したら、かえって武装組織からの危険が及ぶこと必至です。私が自衛隊を呼べる、また呼びたいと思った状況は一度もありません。安倍総理の主張は現場を知らない議論なのです。
中東では日本の評価は欧米と異なり、高かったのです。日本はこの地域を侵略したことはない。アメリカに原爆を落とされたが報復せず、戦後は平和憲法の下、平和政策をとってきたというのです。
安倍政権がこのまま集団的自衛権を行使し、「米国と肩を並べて戦う国」への道を進めば、今米英に向けられている憎しみが今度は日本にも向かうでしょう。今まで想像もしなかったような破壊活動が国内で起こる可能性もあります。
安倍政権は、中国などに「力対力」の対抗を進めているようですが、国際情勢を考えれば軍事力で問題は解決しません。あの「最強」の米国でさえ、目的を達成できないのですから。一番大切なのが外交力です。
日本は憲法9条をもとに平和主義国家として世界の紛争の調停を行い、外交解決を促進する役割をはたせる国です。それこそ他国にない強みであり、ほんとうの『積極的平和主義』ではないでしょうか。」
「彼岸に渡る」こととは、本当の智慧を知ることです。本当の智慧を知らないで本当の正義を知ることはできません。秘密保護法や集団的自衛権が本当に正義と言えるのでしょうか。イヤ、それらは断じて間違っていると言えることこそ正義です。 

■生き方14 平和ボケ症5 坊さんこそ平和ボケ
もう、そろそろこのテーマもいい加減にしたいところですが、今の日本の仏教界の現状を鑑みますと、多くの僧侶自身が平和ボケ症に陥っているのではないかという疑念に駈られます。で、今回この点を考えてみました。
前回、真の正義とは仏教の四諦八正道に則ったものでなければならないと申しましたが、残念ながら今の日本の仏教界にはその確信が持てません。とりわけ仏教の僧侶たる者、その務めは何よりも人々を正義へ誘う導師でなければなりません。
いうまでもなく「導師」とはなにも葬儀など法要・儀式上だけのものではありません。大恩教主釈迦牟尼世尊の名代として、人々の幸福と社会の安寧を希求する正義の旗頭としての「三界の大導師」でなければなりません。僧侶にはそんな現世に生きる仏陀の名代としての責務があるのです。
しかし今の日本が直面している様々な危機に対して日本の仏教界は極めて消極的です。集団的自衛権の問題にしても、キリスト教の団体は一斉に抗議や反対の声を上げたのに対し、仏教界からは殆どアクションがありません。
伝統仏教59宗派などが加わる全日本仏教会は理事長談話として「深い憂慮と危惧の念」を表明しました。しかし、それは"談話"である以上、個人的見解であって謂わば世間話し程度という意味にすぎないのです。日本の平和と安全に関する重大な問題に対して、これが今の日本仏教界の現実だとしたら実に情けないことです。
集団的自衛権にハッキリ反対を明らかにした宗派は、真宗大谷派、日蓮宗、臨済宗妙心寺派などくらいなものです。宗派の多くは中枢にいる人物が極めて保守的だったり、個人の歴史観やイデオロギーに直結する問題だとして、多様な意見を取り纏めることが難しく、それが足並みの揃わない原因だといわれます。
そこで拙僧は言いたい。僧侶たる者、仏教の絶対真理である般若の智慧こそ主観であるべきです。般若の智慧に「個人の歴史観やイデオロギー」などの余地はありません。僧侶にとっての"イデオロギー"が有るとすれば、それは般若の智慧に則ったもの以外にはないのです。それがまさに「三界の大導師」たる条件です。
何度も言うように、真の正義とは般若の智慧・四諦八正道に則ったものでなければなりません。その原理的・教義的観点から論ずるまでもなく、明らかに戦争は人権を否定した殺戮行為であり、絶対に避けなければなりません。その旗頭こそ「三界の大導師」なのです。
しかし、近代日本の歴史を振り返ってみるとき、戊辰戦争から太平洋戦争まで、仏教勢力のほとんどは戦争に協力してきたという歴史的事実が存在します。戦争を行う国家に対し資金や人材、物資を提供し、従軍僧を派遣して布教や慰問に努め、戦争の正当性を僧侶が説いて回ったのです。
ほとんどの宗教団体は戦前・戦中に、国家神道にからめとられました。本願寺派では、親鸞聖人の聖典の一部を削除したほか、阿弥陀仏と天皇を重ね合わせたような戦時教学まで現れたとか。まさに外道、非道の為せる業です。
日本の宗教団体の大半が戦争に協力した経過を持ち、いずれもが戦後この過ちを深く反省しました。1962年、日本宗教者平和協議会が発足し、全国的な平和運動が発展し、キリスト教、仏教、新興宗教などの教団は平和の表明を次々と発し、80年代以降は宗教教団の戦争協力への反省が大きな流れになりました。
87年、真宗大谷派(東本願寺)は、全戦没者追弔法会を行い、宗務総長が「私たちは単に、『過ち』といって通り過ぎるにはあまりにも大きな罪を犯してしまいました」と、伝統仏教教団としてはじめて懺悔を発表しました。
続いて浄土真宗本願寺派、曹洞宗、臨済宗妙心寺派などの各宗教教団も戦争責任懺悔と平和声明を発表しています。それが後に憲法改正反対運動へと発展していきました。
とくに、2001年9月の同時多発テロとイラク戦争以後、日本宗教連盟、日本キリスト教協議会、全日本仏教会、新日本宗教団体連合会などの平和声明が相次ぎ、今日の宗教界での憲法9条擁護の声となって広がったのです。
そのように、過去の戦争の反省と平和憲法の尊さを自覚した日本仏教界だった筈ですが、戦後70年、世代交代や世論の"風化"によって再び「個人の歴史観やイデオロギー」が先行し、仏教界は再び戦争を黙認しかねない風潮に晒されているのです。
戦争になるとき、まず秘密とウソが先行します。知る権利と自由が奪われ、国民はやがて目も耳も口も封じられるのです。情報操作や報道規制から"先軍政治"が始まります。その準備としての「特定秘密保護法」が昨年12月強行可決されました。
そんななか、日本仏教界から唯一、真宗大谷派だけが気骨を示しています。昨年11月27日真宗大谷派は宗務総長名で安倍総理に対して要望書を送っています。模範として、また平和ボケ仏教界への喝の意味を込め、以下その全文をご紹介します。
「私たち真宗大谷派は、かつて戦争に協力した罪責を深く懺悔するとともに、仏教の教えに立ち、戦争を許さない、豊で平和な国際社会の建設に向けて歩むことを誓いとしております。その教団を代表するものとして、「特定秘密保護法案」に対して深い懸念を表明いたします。
本法案は、すでに各方面より指摘されているように、防衛・外交等に関する事柄についての国民の知る権利を著しく制限するものであるだけでなく、情報を得ようとした者の処罰まで規定されており、国民が知ろうとすることも制限するものとなっています。したがって、該当する事柄について、政府・行政が現在何を行っているのかを知ることができないばかりか、速やかな事後の検証も困難となってしまうことが予想されます。
先の大戦において多くの情報が国民に秘匿された歴史、また今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故において多くの情報が公開されなかったことに鑑みると、政府・行政の動きに関する重要な情報が秘匿されることをできる限り制限し、国民の知る権利を守ることが重要でありましょう。したがって、本法案は国及び国民の安全の確保を目的とするとされていますが、それと引き換えに、私たち国民が不信と不安の中に暮らさねばならない状況を生み出すものと考えます。それが真に豊かで平和な社会であるとは思われません。
私たち浄土真宗の門徒が願う阿弥陀仏の国土は、あらゆる存在をひとしくおさめとり、安らぎを与え、養う世界であると考えられています。その願いに背いて戦争に協力した教団の歴史への反省に立つとき、この法案が、現在そして未来にわたって、人々の安らぎを奪うに違いないことを深く憂慮せざるをえません。
現在、震災及び原発の問題や経済・国際問題など、国民の多くは大きな不安を抱えながら生活しています。国は、公明正大に国民の信頼にこたえ、人々の不信や不安を除くことを責務とするべきであります。本法案は、その責務に背くものであり、深い懸念を表明するとともに、速やかに廃案されるよう強く要望いたします。
2013年11月27日 真宗大谷派宗務総長 里雄康意
内閣総理大臣 安倍晋三 殿

天下の悪法、「特定秘密保護法」は、この12月10日より施行されようとしています。平和ボケにある各宗各僧侶、特に"風見鶏"にスタンスを決め込んでいるわが曹洞宗、一刻も早く覚醒し、「三界の大導師」の自覚を取り戻してしてください。
一末派寺院として只願うことは、どうか道元禅師・瑩山禅師の名誉と誇りを失わないで欲しいということです。 

■生き方15 依存症
精神疾患の一つに「依存症」があります。油断すると誰でも罹ってしまう恐ろしい病の一つ、それが依存症です。決して他人事ではありません。すでにあなた自身にも何らかの依存症の危険があるかもしれないのですから。是非、しっかりとした知識と強い意志を身につけ、ガードしたいものです。
依存症は、とことん行き着けば生命に関わります。アルコールや薬物などの物質嗜好はいうまでもありませんが、過程嗜好だって、例えばギャンブルで借金がかさんで命を絶つ。失踪などで社会的存在を自ら末梢するなどの不幸な結果に到ることが実に多いのです。
ガードするには、まずそのメカニズムを知る必要があります。人にとって「快感」こそ最高のしあわせです。快感に浸っているトキほどの幸福感はほかにありません。しかし、実はその快感こそ問題なのです。
人間の脳は、快感を感じた時にドーパミンという脳内物質を分泌します。脳は、このドーパミンが分泌された行動を繰り返すように指令を出します。この作用は、うまく働けばやる気や行動力に繋がりますが、悪く作用すると依存症のきっかけになってしまうのです。
たとえば、ギャンブルで勝つ→快感・幸福感→ドーパミンが分泌→脳が同じ行動をするよう指令→ギャンブル。この繰り返しがギャンブル依存症になるメカニズムです。
一度味わった快感は脳にしっかり刻み込まれます。その快感は忘れられない幸福感となって何よりも優先的にその行為を求め繰り返してしまうのです。のめり込んだ結果、正しい判断も、常識ある行動も出来なくなってしまいます。
知ってのとおり依存症には実にいろいろあります。ギャンブルのほかに、アルコール、薬物、危険ドラッグ、インターネット、ゲーム、買い物、過食、ダイエット、セックス、占い・・・等々。依存症としてのメカニズムはどれもほぼ同じだということで、今回は特に「ギャンブル依存症」にスポットを当ててみました。
依存症の人が反省するとき、あるいはその家族が語るとき、よく、「意志が弱い」「自分に甘い」と言うといわれます。しかし、ある体験者に言わせますと、「意志を強く持って、何かを頑張った分、バランスがとれなくなって違う何かで気を紛らわさずにはいられなくなった」というのです。
また、「完璧主義」「自分に厳しい」「もっと頑張らなくちゃ」と自分自身を追い込んでしまい、ストレスを抱えきれず嗜好に逃げ込んだ結果だという人もいます。また、依存症になる人は、けっして「ダメな人間」ではなく、むしろダメ人間にならないように頑張った人も多いということです。
人の心は思っている以上に弱いものです。この事実をしっかりと脳に刻み込んで自戒し自衛するしかありません。まさに「君子危うきに近寄らず」です。不幸にしてすでに依存症に罹ってしまった人、またその心配のある人は一刻も早く治療すべきです。病である以上早期発見早期治療が鉄則です。
さて、日本には、戦後のどさくさの中で特例法で解禁された競馬、競輪などの公営賭博があります。また、パチンコ、パチスロも、賭博ではなく「遊技」という扱いで、世界に例がないほどの日常的な賭博場となっています。国立病院機構久里浜医療センターの樋口進院長は「パチンコやスロットなどが身近で、日本は世界の中で病的賭博の割合が最も高い国の一つ」と言われます。
ギャンブル依存症の疑いがある人が推計で536万人に上ることが、厚生労働省研究班の調査でわかりました。日本人は、なんと年間5兆6000億円を賭博で負けるという、日本は世界最大のギャンブル大国なのです。
ギャンブル依存症の有病率は成人男性で9.6%、女性1.6%(08年の厚生労働省委託研究結果)と世界でもずば抜けて高い割合なのです。人口に換算すれば560万人が依存症という衝撃的な実態です。日本は世界でも最悪のギャンブル依存症大国だったのです。
安倍総理自身が言うとおり、国民の生命・財産を守ることがまさに政治の大義です。だとすれば、政治家は国民をあらゆる災難から守り、危険から遠ざけることが務めの筈です。ところが、安倍総理は成長戦略の目玉とかいってカジノを合法化しようとしています。国民をこれ以上ギャンブル依存症にしてもよいとでも思っているのでしょうか。
2020年のオリンピック開催までに1〜3カ所、最終的には国内に10カ所程度カジノを開設するとのもくろみだそうです。日本弁護士会が開いたカジノ問題を考える集会で、静岡大学の鳥畑与一教授は講演で、依存症治療や中毒者の対策に必要な社会的コストが、カジノから得られる「利益」をはるかに上回る可能性があると指摘しています。
カジノ議連の思惑は外国観光客を当て込んでいるようですが、日本に進出を狙う米国、ラスベガスなどのカジノ資本のターゲットは、日本人の1600兆円にのぼる個人金融資産だそうです。喰うか喰われるか、だがこれは日本に利がない文字通りの"バクチ行為"にほかなりません。それが分からない政治家はバカとしかいえません。
このまま安倍総理に任せていたのでは、日本という国家自体がギャンブル依存症になりかねません。だいたいギャンブルで稼ぐという発想自体姑息で不健全で不道徳です。個人にとって良くないものが国家に対して良い筈もありません。
各種世論調査ではカジノ解禁に「賛成」が3割、「反対」が6割だそうです。良識を持った日本人のマジョリティに誇りを感じます。良識のない安倍総理はじめ超党派で構成する200人以上のカジノ議連の人達は是非考え直すべきです。国民のマジョリティに従った政治でなければ必ず失敗します。
今回の総選挙で問われるのは、民主主義の立憲主義や平和主義などへの評価です。約70年におよぶ戦後体制のあり方を問い、未来を決める一大選挙です。多くのメディアはアベノミクスの評価を問う選挙と位置づけていますが、経済政策に隠された民主主義が問われているのです。
政府が国民のためにあるのか、国民が政府のためにあるのかです。また、個人の尊厳に立って基本的人権を尊重し、国民の権利を充実させていくのか。それとも国家の権利を拡大して基本的人権を制限していくのか。
なんでも、自民党案では「基本的人権は永久の権利である」と宣言する現憲法の条項が削除されたとか。これが本当のことならとんでもないことです。これが事実として、なお安倍政権を支持する人がいるとしたらまったくどうかしています。
今の阿倍政権が目指しているのはまさに国家権力で国民を縛ることです。国威を発揚し戦争のできる体制にすることです。時代錯誤も甚だしいかぎりです。しかし、国民はバカではありません。拙僧は良識ある日本人のマジョリティを信じます。
「政教分離」とは、宗教家は政治に参加するなということであり、口を出すなということではありません。しがらみに囚われず、声を上げて正しい道を説くことこそ宗教家のつとめです。お釈迦様だったら、道元禅師だったら多分そうするでしょう。
それにしても我関せずの仏教界。自らの存在意義を問うてみてください。お布施を頂くことだけが仕事ではないのです。仏教を心から信じ釈尊に心から帰依する僧侶なら何をなすべきかに迷いはないはずです。 
 

 

■生き方16 アレルギー1
最低投票率の衆院選は自民・公明の大勝で終わりました。ただ、言っておきたいことは、4割の得票で8割の議席を取るという選挙制度の下での結果です。過半数の国民が全てを白紙委任したわけではないことを知るべきです。
とは言え、悲願の改憲に向けて安倍さんは大きな一歩を踏み出しました。この先待ち受けているのは国民投票という国を二分するまさに天下分け目の戦いです。大げさに言えば戦争か平和かの戦いです。無関心は許されません。
「愛の反対は無関心」だと言っていたのは高倉健さんでした。「政治の役割は二つ。一つは、国民を飢えさせないこと。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと」と言っていたのは菅原文太さんでした。
さまざまな生き様を演じた役者人生の中で到達した哲学ではないでしょうか。役者はその役自身になりきることでさまざまな人格を経験するといわれます。その大役者のお二人が極めた処こそ「人間愛」だったのではないでしょうか。
今の政治に欠けているのはその「人間愛」です。基本的人権よりも国家権力を優先させようとする政治に人間愛はありません。第三次安倍内閣が発足し、安倍さんは自民党議員の前で「強い日本を取り戻す」と強調しました。いよいよ安倍政権の暴走が始まろうとしています。
秘密保護法も集団的自衛権も憲法改正もすべては戦争準備のためのものです。政府は今「武器輸出三原則」を廃し、新たに「防衛装備移転三原則」なんていうとんでもない法律を作ろうとしています。
それは、これまでの武器・兵器及び関連技術の輸出を「原則全面禁止」としてきた従来の立場をやめて、全く真逆の方向に舵を切り、米国やイスラエルへの武器・兵器の輸出や技術協力を解禁するというものです。
それは、これらの国々が今後も行うだろう戦争犯罪に、日本も積極的に加担するということを意味します。イスラム国の格好の餌食になること請け合いです。口実を与え日本国内にテロが起こる可能性は一挙に高まります。
原発や武器を売ることが人間愛でしょうか。人間愛があるところに戦争なんてありません。そんな人間愛のない政治家に日本の運命を任せてしまって良いのでしょうか。日本の未来がまさに問われていると言っても過言ではありません。
つい前置きが長くなってしまいました。さて、本題に入りましょう。今、日本人の約30%がアトピー性皮膚炎や気管支ぜんそく、花粉症、食物アレルギーなどアレルギー性の病気を持っていると言われます。アレルギー病は、ここ40〜50年で急激に増えてきたまさに現代病です。
拙僧の子どもの頃には花粉症やアトピーなど、アレルギーというものはほとんどありませんでした。アレルギーが始まったのはおよそ50年前からだということですが、この50年の間に人類に一体何が起こったのでしょう。
日本の腸内研究の第一人者として知られる藤田紘一郎(東京医科歯科大学名誉教授)先生によりますと、アレルギーが起こる仕組みは、実は全部同じだそうです。例えるなら、お茶のようなものです。お茶の木そのものは一種類で、その葉っぱが製法によって、緑茶になったり、紅茶になったり、烏龍茶になったりします。
植物分類学的に「緑茶の木」とか「紅茶の木」といった木はありません。それと同じで、アレルギーにはいろいろな種類・症状がありますが、「人間の体内で起こっていること」自体は同じなのだそうです。
では近来なぜ、これほどまでにアレルギーが増えてしまったのでしょうか。私たち人間の体は、一万年前とまったく変わっていませんし、体を構成する細胞は同じだし、体に備わっている免疫システムも同じ筈です。
藤田先生は、その大きな原因として、人間が文明の下に追及してきた、よりキレイで快適な環境を作ってしまったことにあるといわれます。
一万年前、人類は、裸・裸足でジャングルや草原を走り回っていました。自然とともに、体をめいっぱい動かして、元気に生きていたのです。元々自然の中で土や雑菌にまみれ動物に近い生き方をしてきた人類は文明発展のなかでどんどんキレイで快適な生活環境をつくりあげてきました。
とりわけ、ここ50〜60年の変化は凄まじいものがあります。それは、ちょうど長い間山奥で原始的生活を続けていた人間が、急にキレイな都会に出てきて雑菌のない快適なマンション生活に浸ってしまったようなものです。
食べ物は、化学肥料や農薬で形良く育ったキレイな野菜や、防腐剤や着色料、人工甘味料をふんだんに使った口当たりの良いファストフード中心ばかりのものになってしまいました。
問題は、生物としての人間が急激な環境の変化に体がついていけないことでした。人は自然と切り離されて、身の回りにあった筈の菌を退治した"キレイすぎる社会"に、体はそう簡単に馴染むことができなかったのです。
キレイ社会というのは言い換えれば、「異物を排除することを良し」とする社会です。人間がひたすらキレイ社会を求める過程で、寄生虫も細菌もウイルスもほとんど体内に侵入することがなくなりました。
時と場合により、人間に悪さをする菌を排除することは大事ですが、何も悪さをせずに一万年の昔から人間と共生し、免疫力としてアレルギー抑制に貢献してくれた菌まで悪者扱いするのは問題です。
抗菌とか除菌、消臭といった言葉に踊らされていると、体は抵抗力を失うばかりです。その結果、それまで体内で活躍していた、さまざまな免疫細胞が"失業"してしまったことでアレルギー病が起こったと考えられるのです。
人間社会でも、職もなくぶらぶらしている暇な人間というのは、何かと問題を起こしたります。それと同じで、各種免疫細胞たちはあまりにヒマになったものだから、従来は相手にもしなかった異物に反応して、抗体をつくるようになってしまったのです。
このように、寄生虫や細菌などのいろいろな微生物に対応していた免疫担当細胞が失業してしまった結果、花粉やダニなど反応しなくてよいものに過剰反応して起こるのがすなわちアレルギー性疾患なのです。アレルギー疾患とはキレイ社会が生み出したまさに副産物ともいえるのです。
昨年八月の「法話」の中で、「人間は自然に逆らっては生きてはいけない」という、胃腸外科医の世界的権威、新谷弘美先生のお話を紹介しました。
「人間も自然の一部である。自然の摂理に反すると人は健康に生きられない。それを無視した結果が人間特有の病気を招いている。生活習慣病はその最たるものだ」という先生の言葉が思い出されます。
その言葉通り、人類がひたすら求めてきた「キレイ社会」は、結果的に自然に反する行為だったと言えるのです。そう考えると、アレルギー疾患は、まさに生活習慣病と同じカテゴリーにあるのです。
人がアレルギー戦争から解放されるには、「自然の摂理に従った生活習慣」を取り戻すしかありません。一万年も昔から共存共栄してきた細菌やウイルスを強制的に排除することをやめて、極端な清潔信仰と決別するべきでしょう。
アレルギーは、「戦争アレルギー」だけで十分です。 

■生き方17 アレルギー2
新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。本ホームページご覧の善男善女人各位の一層のご多幸を祈念いたします。言わずもがな、健康無くしてしあわせはありません。先ずは健康に対して関心と知識を持つことが大事です。更に一緒に学んでみましょう。
前回、アレルギー疾患とはキレイ社会が生み出したまさに副産物ともいえるものだというお話をさせていただきました。環境が清潔すぎることで起こるという、この「衛生仮説」は既に2004年ドイツを中心とする医科学チームの研究により裏付けられていたそうです。
藤田紘一郎先生は、インドネシアに感染症の調査に行かれた時にさまざまな体験を通してその「衛生仮説」を実感されたそうです。以下その体験談をご紹介させていただきます。
「インドネシアはお世辞にも清潔な国ではなく、賄賂が当たり前でドロボウも多かったのですが、そこに住む人々はおおらかで人間味があり、自然と融和していてとても人間らしい生き方をしていました。
インドネシアでは、子どもたちはウンコの流れる川で平気で遊んでいました。 私は『こんなきたない川で遊んでいると病気になるよ』と何度も注意しましたが、子どもたちは私の意見などまったく聞こうとせず、平気で毎日、川の中で遊び続けていました。
しかし、その子どもたちを観察していると日本の子どもたちよりずっと元気であることに気が付きました。アトピーやぜん息などのアレルギー疾患にだれも罹っていないことがわかったのです。
ウンコが浮いている川の水で洗濯している女の人たちも、とても元気でいきいきしていました。うつ病など心の病気に罹っている人もいません。子どもたちの間にはいじめはありませんでしたし、理由もなく見知らぬ人を傷つけるなどといった、日本で起こっているような若者の事件は見られませんでした。
インドネシア人に比べて日本人は、便利で快適な文明社会で管理されながら生きていることに気が付きました。キレイな環境が良いという考えが行き過ぎて、身の回りにいる私たちを守っている常在菌までを排除するようになったのです。
それが結果的にアトピーなどのアレルギー性疾患やうつ病などの心の病気を生むようになったのだと私は思っています。これらの病気は自然に触れて生きている人には起こらず、『家畜化』された人たちにのみ発生することが、インドネシアでの調査で明らかにされたのです。
私は、身体と心の病気の原因が、日本の大学で習ってきたこととまったく異なるように思えてきました。私は、『キレイとは何だろうか、きたないとは何だろうか』と考え込んでしまったのです。
なぜ、きたないとされる川の水に接して生活している人々の心身がとてもキレイなのだろうか、私は考え込んでしまったのです。そして、頭の中で考えていた『キレイがよい』が実は間違っていたことを実感したのです。
自然と融和して、野生の生き物のような生活をしているインドネシアの人たちと一緒に生活しているうちに、私自身が少しずつ変化していくのがわかりました。日本で身につけてきた『家畜化』の度合いが次第に薄れていくことを感じていました。
私はインドネシアで何度もドロボウに遭いました。そのたびに私の持ち物はお金と引き替えに私の手元に戻ってきました。しかし、そのお金はドロボウたちが独り占めしているのではなく、地域住民が分けていたのです。
インドネシアではお金を持っている人が、持っていない人に分配するのが当たり前のことだからです。私は、インドネシアでのこうした体験を通じて、インドネシアでは『喜捨』の精神が行き渡っていることを感じたのです。私は何度もドロボウ事件に巻き込まれましたが、『喜捨』の意味に気づいてから腹が立たなくなりました。
そんな私に決定的な出来事がありました。孤島で木材を伐採している日本人を健康調査するためブル島という島を訪れたときのことです。私がそこを訪れた直後、台風の影響で日本からの船が1ケ月以上来られなくなったのです。
私たちの食糧は底をつき、海に魚釣りに行ったり、山でタロイモを掘ったりして食材を集めました。こうした状況では、医者や木材伐採者という役職や立場などまったく問題ではありません。全員が生きるための食料集めに必死になっていたのです。
私たちはもはや『家畜』ではなく、大自然の中で食べ物を必死に探す『野生動物』になっていたのです。頭だけで考える小賢しいことなど通用しない、『自分をさらけ出し、腹で考え、裸のつきあいをする』しかなかったのです。
それまでの私は、他人の目ばかり気にしていました。教授が研究室に残っていると、用もないのに私も研究室にいました。他人の目を気にする一方で、自分のやりたいことはどんなことでもするという、とてもわがままな人間でした。
しかし、私はインドネシアの生活で『あるがまま生きる』ことを学んだのです。インドネシアでの生活を続けるにつれ、私は家畜のように飼いならされた人間ではなくなってきました。
自分自身で問題を解決すること、自分自身のあるがままを感じ、そのあるがままを率直に受け入れることが必要であることを実感したのです。そして、『わがまま』とは他人の『あるがまま』を受け入れようとしないことだと気づいたのでした。
インドネシアの若者の目はみな輝いており、好奇心に満ちていました。彼らと接しているうちに、私は日本のウサギ小屋での偏った食べ物の生活から脱出しなければならないと思ったのです。日本での家畜のような生活によって失われてしまった感性を取り戻さなければ、と思ったのでした。」

藤田先生は、さらに日本の男性がいわゆる「草食系」になった理由の一つとして、「キレイ社会」がもたらした、行き過ぎた清潔志向が大きく関わっているというのです。目に見えない細菌に怯え、排除しようとする超清潔社会に住んでいると、セックスのような獣っぽい行為が不潔で気持ち悪くなってしまうというのです。
その結果、衛生管理の行き届いた狭い獣舎で、目の前に出された餌を食べるだけの「家畜」のような存在になり、生物としての野生性を忘れてしまったというのです。
貧困家庭の多少汚い環境で育った男性は、野生的でセックスへの意欲が高く、反対に、裕福で教育環境の整った家庭で育った男性は、大脳皮質ばかりに刺激が行き、性にガツガツできなくなってしまうというのです。
先生の言われる「あるがまま生きる」とは、「自然の摂理に則った生き方をする」ということではないでしょうか。
そういえば、禅の世界でも「あるがまま」が悟りの姿でした。  

■生き方18 アレルギー3 戦争アレルギー
昨年12月の法話で、「アレルギーは『戦争アレルギー』だけで十分です」と締め括りましたが、人類の幸福と平和にとって真の「戦争アレルギー」ほど大事なものはないと拙僧は考えます。以下その持論を述べてみたいと思います。
毎年この時期、日本人が特に忘れてはならないものが3月10日の「東京大空襲」です。今年で70周年を迎え、その記憶は時の流れに晒されて歴史の1ページにさせられようとしています。まだ総括も謝罪もされていないこの大惨事を風化させるわけにはいきません。そう思うのは拙僧だけでしょうか。
東京大空襲から各地で市街地空襲が本格化し、全国約530市町村でその犠牲者は約20万3千人(原爆被害を除く)にものぼりました。非業の死を遂げた罪なき人々の無念に想いを致し、その菩提を弔うためにも、日本のこれからの平和のためにも、改めてこの事実に向き合い戦争とは何かを考えることが必要です。
米軍は、М69とやらの焼夷弾を開発し、わざわざテキサスの砂漠に日本の家屋を建ててその威力を実験したのです。上空で爆発するとゼリー状のガソリンが飛散し建物も人も忽ち火だるまにしてしまうというまさに無差別殺戮のための恐ろしい特殊爆弾です。日本の20都市に対してその有効性が検討されていたのです。
周到に計画された「東京大空襲」は、効果をあげるため特に強風の日が選ばれたのです。それが3月10日でした。その日、279機ものB29が30万発を超す1,665トンの焼夷弾を2時間半で集中投下したのです。さらに効果をあげるため、隅田川や荒川堤防沿いに焼夷弾を集中投下し炎の壁を作り、逃げ惑う人々の退路を遮断し、多くの民間人を焼殺したのです。
戦後生まれの拙僧などには想像もできない、まさに想像を絶する凄惨な地獄図となったのです。一夜にして10万人ですよ。ネットで写真を見られます。とんでもない光景です。それだけの人が劫火に焼かれ、川に飛び込み、もがき苦しみ死んだのです。
空襲としては史上最大規模の大量殺戮といわれます。しかもわざわざ民間人を標的とした計画的無差別爆撃だったのです。これをテロと言わずに何というのでしょう。
イヤ、日本も「重慶無差別爆撃」を初め「南京虐殺」など数々の無差別殺戮をやってきたではないか。そもそも理不尽な侵略戦争を始めた日本にすべての原因がある。東京大空襲も、原爆も、結果的に百万のアメリカ兵の命を救ったのだ。というのがアメリカの言い分です。
しかし、当時から非戦闘員の殺戮は明らかに戦時国際法違反だったのです。この事実をまず受け止めていただきたい。とはいえ、ヨーロッパでも、ドレスデン、ゲルニカ、アウシュビッツなどの例もあるように、一旦戦争になれば人は誰でも正気を失い、無差別殺戮というテロ行為を平然と実行できる殺人鬼に変貌するのです。
戦場に「道」「非道」の理論はありません。ましてや「慈悲」や「人権」などありません。有るのはただ極悪非道無慈悲の世界だけ。それが戦争というものです。つまり、戦争の実態はテロ行為そのものであり、兵士はみなテロリストに仕立て上げられるということです。
つい最近千葉で、高校の先生が子猫を生き埋めしたことが大問題となり大きく報道されました。日本には「愛護動物をみだりに殺したり傷つけた者は、2年以下の懲役または200万円以下の罰金」という法律があります。
そんな平和国家の日本人にとってISの実態はまさに異次元の世界であり、当然理解できません。しかし、戦時下にいる彼らにとって、テロリストとしての当然の任務を果たしているのです。だとすると、これから最も懸念されるのが核兵器の使用です。彼らに宣戦布告された国はいつでもその覚悟が必要です。残念ながら今や日本も含まれます。
東日本大震災では15,889人が亡くなり、不明者2,594人を数えます。皆、そのことを忘れないと口をそろえます。だが、大震災で亡くなった人も東京大空襲で亡くなった人も、同じ無辜(むこ)の同房です。ただ大きな違いは、天災と違って戦争はまったくの人災だということです。
人災である以上そこには必ず罪が存在します。一夜にして10万もの人間が用意周到の上惨殺されたのです。この罪の大きさは計り知れません。しかし、あれから70年も経ったのに未だその総括がなされておりません。その罪と責任は一体どこに行ってしまったのでしょうか。
いつも聞こえてくるのは、「戦争だから仕方なかった」「二度と過ちをおかしません」という反省にもならないあやふやな言葉だけです。当事者である日本とアメリカの双方に納得できる検証と総括が無い以上納得できません。
確かな総括があれば必ず謝罪がある筈です。たとえ戦争とはいえあれだけの残虐行為に罪意識がないとしたら人間ではありません。加害者に贖いがあってこそ人間です。そうでなければ犠牲者は決して浮かばれませんし、人はまた必ずや同じ過ちを犯すでしょう。
第二次世界大戦では、アジアで2,000万、ヨーロッパで4,000万、世界で6,000万人もの膨大な犠牲者を出しました。日本も230万の将兵と80万の民間人の犠牲を出しました。そのトラウマから生まれたのが「戦争アレルギー」です。
ともあれ、日本があの焼野原から奇跡の復興を遂げ、比類ない平和な経済大国に成長できたのは、「戦争アレルギー」のお蔭だと言っても過言ではないでしょう。又、そのお蔭で日本は戦後今日まで戦争せずにやってこられたし、憲法九条も守られてきたのです。
ところがどうでしょう。戦後70年の歳月によって、その「戦争アレルギー」にもハッキリと陰りが見えてきたのです。とくに安倍政権の発足以来眼に見えて「戦争なんて怖くない」という「抗体」が急速に増殖してきたようです。
「戦争アレルギー」は、健全で良識のある人が持っているものです。これがなくなると人は「戦争がしたい病」「戦争なんて怖くない病」になるのです。もし、一国の指導者がこの病に罹ってしまったらどうでしょう。
でも、問題は一部国家の指導者ではなく国民の総意です。それは国民の総意が国の指導者を決めるからです。良識ある国家指導者を得るには、先ず国民のマジョリティーが良識でなければなりません。それがこれから試されるのです。
そこで是非必要なのが本物の「戦争アレルギー」なのです。そのためには、東京大空襲のみならず、原爆や、重慶爆撃、南京虐殺、そして真珠湾攻撃に至るまでそれぞれのテロ行為に対して正しい総括をすることです。
日本もアメリカもそれぞれのテロ行為に対して真摯に総括をして、心からの反省とお詫びをすることです。それができてこそ、初めて犠牲者が浮かばれ、東京大空襲も原爆も歴史の1ページになることができるのです。 

■生き方19 アレルギー4 戦争アレルギー2
戦後70年にあたり、天皇、皇后両陛下は、太平洋戦争の激戦地・パラオ共和国に慰霊の訪問をされました。かねてよりの強い希望であったとのこと。80歳を超えたご老体(失礼)をおしてのご訪問、何が両陛下をそこまで駆り立てるのでしょうか。
渡辺允(まこと)・前侍従長は「戦争を知らない世代が増え、次第に戦争が忘れられていく。陛下には焦りにも近い気持ちがおありになるのでは」と話されました。確かにその通りかも知れませんが、拙僧的には、天皇こそ「戦争アレルギー」を抱えている第一人者だと思うのです。
天皇は今年の年頭のごあいさつで「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。‥‥‥中略‥‥‥この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」と述べられています。
特に「今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」という一節は極めて重要な意味を持ちます。それは、この言葉のニュアンスに、「このままではだめですよ」という明白なメッセージが込められているからです。
象徴天皇として決して政治的な言動を行使することはできないお立場にあって、慎重にお言葉を選びながら、あえて最大限踏み込んでのお言葉だったと思うのです。そこには昭和天皇から引き継がれた先の大戦への慚愧の念に満ちた想いがあってのことではないでしょうか。
「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいったあまたの将兵に想いを致すとき、天皇ご自身の心中の辛さは如何ばかりのものだったか。「天皇の戦争責任論」が論議された時期もありました。そのご心痛とご苦労は我々凡人にはとても計り知れません。天皇陛下ご自身まさに生き地獄を経験されてきたのです。
その想いが強烈な「戦争アレルギー」となって今の天皇に受け継がれているのはまず間違いないでしょう。拙僧はそう思います。然るに、そのお言葉と行動力のなかに天皇陛下の優しさと「絶対に戦争を繰り返してはならない」という痛切なメッセージを感じ心から感服いたします。
側近によりますと、天皇陛下は即位してから何度となく、第二次大戦の激戦地となって多くの犠牲を生んだ旧南洋諸島の国々を訪問したいとの希望を口にしていたといわれます。
戦後60年の節目にはサイパンの地を踏み、「バンザイクリフ」で黙とうし、70年の節目が今回の満を持してのパラオ訪問でした。日本兵12,000人のうち僅か34人しか生き残らなかったという激戦地ペリリュー島への慰霊。日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」に供花し、さらに「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」にも献花されました。
「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」出発の際に天皇陛下が語った言葉は、戦後を生きるすべての人に向けられたメッセージと受け止めるべきでしょう。
イヤ、天皇陛下の思いはむしろ安倍総理に向けてのメッセージだったのかもしれません。しかし、臨場で直接お言葉を聞かれた当のご本人は正に馬耳東風、馬の耳に念仏だったようです。拙僧的にはそう思われますが、どうでしょうか。
天皇陛下ご自身、過去の反省はもちろんのこと、今の日本の危機を痛く感じ取られているのです。戦後70年の節目に合わせての平和メッセージと渾身の思いのパラオ訪問、等。そんな天皇陛下の想いとは真逆の方向に安倍政権は暴走を始めました。
安倍政権の発足から2年半。日本の安保政策の転換が急ピッチで進められています。この27日、日米両政府は日米防衛指針を18年ぶりに改定し、日本が集団的自衛権を使うことを盛り込み、米軍への後方支援の地理的制限をなくしたのです。自衛隊の米軍への協力を地球規模に拡大する内容で、自衛隊のあり方が根本から変わるのです。
これはとんでもないことです。国会や国民の議論もなしにアメリカと一緒に戦争ができるということです。戦場に「後方支援」なんて"特別区"なんてありません。敵から見れば一緒です。憲法九条がまさに踏みにじられているのです。これがまかり通れば、日本はもはや立憲国ではありませんし、日本人は皆「平和ボケ」ならぬ正真正銘の「平和バカ」にほかなりません。
作家の森村誠一さんも投稿文の中で怒っています。
「安倍政権の暴走は加速の一途をたどっている。憲法9条を無視して、自衛隊を事実上の『日本軍』にしようとしている。いつでも、地球上のどこでも戦場の時空を拡大して『戦争自由国家』に改造したいようだ。
この方針には、憲法のために国があるのではないという考えが透けて見える。 9条がなぜ生まれたのかを思い起こしたい。多数の国民を失い、国民ひとりひとりの人生を破壊し、日本全土を焦土と化した戦争を二度と繰り返さない決意が、9条を生んだのだ。
それを、あろうことか一内閣が、他国の軍事的脅威に対応するためと称して国家の最高法規を解釈憲法で変えようとしている。それは当然、日本がかつて侵略した国家に不信感を生む。潜在的な仮想敵国の日本への敵意をあおる。
軍国主義国家として悪名高かった日本が永久不戦を世界に宣言した事実を立法府も忘れ、国民の反対を押し切って、最高法規である憲法に平然と違反することをしようとしている。今の政権は、大量殺人を犯そうとしている。」

国際社会で日本の軍事的な関与が強まれば、それだけテロの危険も高まるでしょう。近年は、警備の手薄な「ソフトターゲット」が攻撃されるようになりました。外交官やNGO関係者ら日本人対象のテロを、より切実な問題として国内外で想定しなければなりません。
これから、過激派組織ISとの戦いで自衛隊が米軍の後方支援に派遣される可能性も出てきました。南シナ海では、すでに米軍が警戒監視などの肩代わりを自衛隊に求め始めているとか。
政府が急いで特定秘密保護法の整備を進めてきたのも、政府全体で秘密を共有し、対米協力を進めるためだったのです。国内の合意もないまま米国に手形を切り、一足飛びに安保政策の転換をはかるのは、あまりにも強引すぎます。
ノンフィクション作家の梯久美子氏は「戦争は、突然くるのではない。じわじわじわじわくる。そしてある日戻れなくなる」と言っています。米国に手形を切ってしまった以上、空手形は許されません。「ある日戻れなくなる」という「実感」がわかります。
戦後70年の節目、それはまさに平和か戦争かの節目なのです。それには国民が「戦争アレルギー」をもっと"発症"させて、「日本を取り戻す」しかないのです。 

■生き方20 アレルギー5 Tレグ細胞
アレルギーは1960年代より急増し、今や日本人の3人に1人が何らかのアレルギーに罹っているといわれます。その病原のアレルゲンは1000種にも上り患者も増加の一途とか。人類はこの大敵にどう立向かったらよいのでしょうか。
一度発症したら一生治らない病気なのでしょうか。そんな印象がアレルギーにはありますが、そもそも病気の正体が分からないとしたら、その予防法も治療法も分からないのは当然のことです。
ところが、最近放送されたNHKスペシャル「新アレルギー治療」のなかで、まさにアレルギーの根本的治療になるのではないかと紹介されたものがあります。それが「制御性T細胞」すなわち「Tレグ」といわれるものです。
この細胞を発見したのはなんと日本人で、大阪大学教授の坂口志文先生です。先生はこの細胞をすでに20年も前に発見されていたのです。その功績によりノーベル賞の登竜門といわれるガードナー国際賞の受賞がきまりました。先生は、このTレグのコントロール次第で人は将来アレルギーから解放されるかもしれないと明言されました。ノーベル賞候補者の発言だけにこれは凄い朗報です。では、そんなに凄いTレグとは一体どんな細胞なのでしょうか。
そもそも免疫とは、体に入ってきた異物に対してさまざまな種類の攻撃細胞がチームプレイで攻撃し体を防御する仕組みです。そのなかで体内に侵入した異物に対して、それが無害にも拘わらず攻撃細胞が執拗に攻撃することでアレルギーは発症します。
坂口先生は、免疫細胞の中に特別な役割をもつ細胞を発見したのです。その細胞は、体内に侵入した異物が体に害が有るか無いかを判断し、無害だとわかった場合、攻撃細胞に対して攻撃を止める指示を出すのです。それがTレグなのです。
これはまさに画期的大発見です。つまりアレルギーはTレグが攻撃細胞を抑え込めないことで起こる病気だということが分かったわけですから、Tレグのコントロール次第で確かにアレルギーを抑え込めるという理屈になります。
ではその"人類の救世主"たるTレグをコントロールする方法はいったいあるのでしょうか。今年2月、世界中のアレルギー研究の専門家が集まるアメリカアレルギー学会で発表された「ピーナッツアレルギーの仕組み」についての報告の中にそのヒントがありました。
ロンドン大学のギオン・ラック博士の研究の報告によりますと、ピーナッツアレルギーを未然に防ぐには、子どもたちは非常に早い段階からあえてピーナッツを食べた方が良いというものでした。
生後6〜11ヶ月の赤ちゃん600人を対象に2つのグループに分け、片方にはピーナッツを与え、他方にはまったく与えなかったのです。その結果、5歳の時点でのピーナッツアレルギー発症率は前者が3.2%、後者が17.3%というものでした。
このことから、とくに幼児期ピーナッツを食べることでピーナッツ専用のTレグが作られることが確認されたのです。そして卵には卵専門のTレグが、小麦には小麦専門のTレグがそれぞれ作られるという、そうした結果が実験で得られたのです。
次に、アレルギー発症のメカニズムについての報告です。イギリスの大学生ポール・ジョーンズさんは重度のピーナッツアレルギーに苦しんでいました。ギデオン博士が調査に当たった結果、生後8か月のとき乳児湿疹に罹り、そのスキンケアに使っていたクリームの中にピーナッツオイルが入っていたことが判明したのです。
3歳のころには湿疹は治まったのですが、同時になんとピーナッツアレルギーを発症してしまったのです。当時ピーナッツアレルギーを発症した49の子ども追跡調査したところ、実に91%が赤ちゃんの時ピーナッツ入りのスキンクリームを使っていた事実がわかったのです。
博士は、炎症などで皮膚や粘膜のバリアーが壊れ、その場所から食物などの異物が繰り返し侵入することで体はこれを寄生虫のような外敵と勘違いしてしまい、抑え込めるTレグが弱い場合、攻撃細胞はより攻撃的になりアレルギーを発症してしまうという研究結果を発表しました。これがまさに食物アレルギーの基本的メカニズムだったのです。
花粉アレルギーも同様のメカニズムだとすると、皮膚や粘膜を通して侵入する花粉に対して、それに対抗できるだけの花粉専門のTレグが元々不足していたことが原因となるわけです。ではなぜ1960年代以降花粉症の人が急増したのでしょうか。
ミュンヘン大学のムティウス博士は、田舎に暮らす人たちの方が都会に暮らす人たちよりもアレルギーが少ないことを知りその原因を調べました。その結果、特に家畜と触れ合って生活している人たちはTレグの量がそうでない人よりも35%も多いことがわかったのです。
家畜に触れ合う人ほどアレルギーが少ないことは以前から別の研究でも言われていたことですが、その理由がTレグだったのです。坂口先生によれば、子どもの頃に家畜が出す細菌を吸い込むことで免疫が刺激されてTレグが増えてくるのではないかということです。
ムティウス博士によれば、特に幼児期、食物のタンパク質が定期的に体内にさらされることで、それぞれの食物ごとに専門のTレグが作られるというのです。ですから、離乳食はできるだけ色んなものを幼児期早い段階から食べさせて、食物ごとの専門のTレグを作ることが大事だということです。
その理屈からいえば、花粉症も幼児の早い時期に体内に花粉を多く取入れることで専門のTレグが作られれば花粉症は防げることになります。特に1960年代以降、「キレイ社会」に生まれ育った多くの人たちは、幼児期スギに限らず自然の様々な植物や動物、家畜に触れる機会が極端に少なくなったのです。
その結果、人が本来持つ筈のTレグが体内に生産されなかったと考えられます。つまり、人は自然から隔離されると、本来備わっている免疫システムが使われないことで退化してしまうのです。たとえば無菌室で育ったマウスは自然に放されると忽ち病気になってしまいます。
いわば人にとっての「キレイ社会」はまさに「無菌室」状態ともいえるのです。それを避けるには、特に幼児期から自然の中で出来るだけさまざまな動物や植物に触れ、できるだけさまざまな自然食を食べることでさまざまなTレグを体内に所有することです。
「NHKスペシャル」のさいごに花粉アレルギーの治療方法として紹介されたのが「舌下免疫療法」と「花粉症治療米」です。前者は、舌下から少しずつ花粉の成分を体内に入れて少しずつTレグ抗体を増やすという方法です。
後者は、花粉の成分を操作しTレグのタンパク質をお米の中に組み込こみ、抗体を増やすというものです。現段階において根治療法と考えられています。これまで50人が臨床試験に参加し2か月後花粉の攻撃細胞が平均で50%も減少していたそうです。
さて、かねてから拙僧も「キレイ過ぎる社会」を問題視してきたわけですが、やはり人にとって「キレイ過ぎる社会」とはまさに「不自然な社会」「不適切な環境」だったわけです。アレルギーのすべての原因がそこにあったのです。やはり人は自然の一部であり、「自然の摂理に則った生活」こそ健康の基だということが改めてわかりました。  
 

 

■生き方21 アレルギー6
人間はこの地球上にあって、「元々自然の一部であるが故に自然の摂理に則った生き方こそ大事である」・・・これまで何度も繰り返してきた言葉です。それは、人は類人猿以来何万年に亘り自然のなかで動物として培われてきた免疫力によって守られてきたからです。
言うまでもなく病気のほとんどの原因は免疫力の低下や不足によるものです。その免疫力が環境の変化に適応しきれないことで発生するというのがこれまで紹介してきたところのアレルギー論です。
そのアレルギー論から推考されるのは、人が動物としての「自然の摂理から逸脱」してしまったところに警告を与えているのがまさにアレルギーの正体だということです。つまり、アレルギーは人にとって本来的には存在し得ないものだといえるのです。
その本来的に存在しない筈だったアレルギーを"出世"させた張本人こそ「自然の摂理から逸脱」したところの「キレイ過ぎ社会」だったのかも知れません。
その「キレイ社会」が目指した一つに「虫」の排除があります。特に近現代、急速に発展した西洋医学ではバイ菌と共に「寄生虫」を病原因子と捉え、「排除すべき敵」として扱ってきました。
しかし藤田紘一郎先生は、「人は太古からずっと、『虫持ち』だったのです。回虫やギョウ虫をはじめとする寄生虫を体内に"飼って≠「たのです。 その虫たちが人間に悪さをしなかったのはバランスのとれた共存共栄の関係にあり、宿主の免疫バランスを保つなどの役割を担ってきたから」と言われます。
特に日本人は古来、体に棲みつく寄生虫も身体の一部だと捉えてヒトと切り離して扱うことはしませんでした。体内の寄生虫を自分の"分身≠ニし、その虫たちが病気を引き起こしたり、意識や感情を呼び起こしたりすると考えていました。
それが証拠に、日本語には「虫」のつく慣用句がたくさんあります。「自分では気が付かなかったけど、虫が教えてくれた(虫の知らせ)」 「私は納得しているけど、虫が嫌がっている(虫が好かない)」
「虫が納まらない」「虫が付く」「虫がいい」「虫の居所が悪い」「虫も殺さない」「虫をわずらう」「虫をころす」「泣き虫」「弱虫」「怒り虫」「浮気の虫」・・・挙げれば切がないくらい日本人にとっては古来、虫は"無視"できない大切な分身であったのです。
また病気については、「お腹の虫が増えて悪さをする(虫を患う)」などと考えていました。全国に「虫封じ」のお寺や神社がある背景には、こういう日本人の病気に対する考え方があるようにも思われます。
そんな、虫と共存共栄の"虫持ち"だった日本人ですが、現在では寄生虫の感染率はほぼゼロになっています。特に戦後米軍の進駐軍が日本に駐留するようになってから徹底した回虫駆除が行われ、日本人の体内にはもはや、回虫はほぼいないと見られます。
戦後、各市町村に「寄生虫予防会」が組織され、小中学校を中心に「回虫駆除デー」が設けられました。きっかけは、アメリカ人が日本に進駐したとき、生野菜を食べたら回虫だらけでビックリしたことでした。
西洋では日本と違って肥料に人糞を使わなかったので、野菜を生のサラダにして食べる習慣があったのです。当時日本に駐留したアメリカ人は、免疫のないまま一気に大量の寄生虫が体内に入ったため、お腹をこわして相当苦しんだようです。
駐留したアメリカ人が、日本の生野菜に閉口したので、マッカーサーが直々に吉田首相に「この不潔さを何とかしなさい」と苦言を呈して設けられたのが「回虫駆除デー」だったのです。
拙僧自身団塊世代ですが、子どもの頃時々学校からの指示で全員が虫下しの薬を飲まされていた記憶があります。回虫が出てきたらそれを何かの入れ物で学校に持って行ったような気がします。回虫はだいたいが野菜から体内に侵入します。当時は野菜を育てる肥料はほぼ人糞でしたから日本人は回虫保持者が普通だったのです。
人糞はそのままでは使えませんから保存し発酵させて使っていたのです。その発酵させるためにあったのが、大きな壺の肥溜(こえだめ)です。当時化学肥料など無かったので肥溜は農家にとって大事な財産だったのです。
余談ですが、昔の子どもは皆元気に野原で走り回っていましたから、そんな中よくその肥溜に落ちたものです。よくある"事故"でしたが、落ちた時の衝撃は相当なものです。ショックの上にさらに周りからからかわれるのですから、あの"敗北感"と惨めさは何とも言いようがありませんでした。
ただ、拙僧もいまだアレルギーや花粉症にならないのも、そんな昔の"貴重"な経験の賜物かも知れません。当時の子供たちは皆自然の中で泥や花粉にまみれながら元気いっぱいでした。擦り傷や生傷も絶えませんでしたが、お蔭で様々なTレグを身に着けていたのです。
現代は、青鼻汁(あおっぱな)を垂らす"野蛮"な子どもなどまったく見かけないほどのキレイ社会になりました。そのキレイ志向は一向に衰えません。その象徴的なものに空気洗浄器や布団ダニクリーナーそして温水便座などが有ります。
昔から人は自然のなかでダニと共存していたのです。布団の中にダニがいるのは当たり前でした。だから昔の子どもは幼児期のうちにダニの死骸をたっぷり吸いこんで体内にダニのTレグ免疫を確立させていたのです。
クリーナーなどでキレイすぎ環境のなかで育った子供にはダニのTレグが形成されませんから、免疫のない子どもにはやがてダニアレルギーが発生するのは当然です。そんなメカニズムも、前回の大阪大学坂口先生のTレグ論を学べば容易に理解できることです。
もう一つの例が温水洗浄便座です。そのマイナス"効果"として現れだしたのが肛門周辺の炎症です。ウオシュレット世代にとって、抵抗力を失った肛門付近の皮膚が、かぶれ、ただれなどを起こしやすいのです。それは、過度に洗い流すことで、お尻を守ってくれている皮膚常在菌を洗い流してしまい皮膚が過敏症になってしまった結果と言えるのです。
「時と場合により、人間に悪さをする菌を排除することは大事ですが、何も悪さをせず何万年の昔から人間と共生している菌まで悪者扱いするのは問題だ」と藤田先生は主張されています。
昔は、アレルギーは元より引きこもりや不登校の子供もほとんどいませんでした。陰湿ないじめもありませんでした。それは子どもが自然と調和することで心身共に「自然の摂理」に守られていたからではないでしょうか。
引きこもりやいじめが急増し始めたのは丁度アレルギーの時期と同じ1960年代からです。引きこもりやいじめが心の「病」だとすると、そのメカニズムもアレルギーの場合と同じように考えられないでしょうか。
核家族化、少子化により幼児期より子どもが過保護による「キレイ社会」ならぬ「大事すぎ社会」に隔離された結果、社会性免疫力を身に着けられなかったという推論です。まったくの拙僧の持論ですが、「不自然な環境」の中で心が自然に適用する力、いわば心の「社会性Tレグ」なるものが身に着けられなかったという仮説です。
「人は元々自然の一部であるが故に自然の摂理に則った生き方こそ大事である」・・・やはりこれが結論でしょうか。  

■生き方22 アレルギー7 戦争アレルギー3
「法治国 裸の王のいる怖さ」・・・新聞に載っていた川柳です。自分が裸だとは気づかない。周囲の人もそのことを指摘しない、できない。指摘する人を置かない、自分にとって為になる苦言など言ってくれる人がいない、ほんと〜に困った人。
そんな困った総理大臣に今日本中が翻弄されています。そもそも安倍さんを「裸の王様」にしたのは、彼自身の「おじいちゃんコンプレックス」であり、彼を取り巻くイエスマンの与党議員たちです。
尊敬してやまないおじいちゃん、岸信介元総理の悲願であった憲法改正への想いを引き継ぎ、日本の尊厳を取り戻すなどという妄想にかられ、その主役こそ自分だという思い上がりが「裸の王様」のモティベーションになっているのです。
大多数の憲法学者や国民から安保法案は違憲だという烙印を押され、極めて重大な疑義が突き付けられているのに、自民党、公明党の内部の議員から、「裸の総理」に上申できる者がいないのです。実に情けない限りです。
まさに異常事態です。特に、公明党には失望しました。「平和の党」という看板は完全に失われました。自民党にべったり。そもそも公明党の支持母体の創価学会は、仏教徒じゃないんですか?公明党の党員や支持者は、本心では大多数が法案に反対だそうです。法案の意味を理解しようと思っても、意味がわからないからです。
元公明党副委員長二見伸明さんは、「山口代表が1990年に初当選したあと、私の議員事務所に来て、集団的自衛権について、彼は『集団的自衛権の行使は、長い間にわたって政府が違憲と判断してきた。それを解釈改憲で認めることはできない』と話していました。弁護士らしく、筋の通った話でしたよ。それがなぜ、安倍政権の解釈改憲に賛成するのか。いつ変節してしまったのか。まったく理解できません。今回の安保法案は、116時間もかけたのに、安倍総理からはまともな回答は一つもなかった。それに協力した公明党の行動は万死に値します。」と語っています。
おじいちゃんの亡霊に取りつかれ暴走する安倍総理、それを止められない与党議員のテイタラク。「朝まで生テレビ」の出演をやめさせたり、報道番組「NEWS23」で自民党議員402人に対するアンケートの回答を止めさせたり、もはや与党議員は皆独裁者「裸の総理」の僕に成り下がってしまったようです。
そういえば、衆議院本会議採決の時に一斉に起立しましたが、その全員の表情には高揚感も喜びもなく、まるで魂を抜かれた幽霊のようでした。議員一人一人に存在感が無いのです。これが国民の意志を代弁する国会ですか?
早大の長谷部恭男教授は、それを的確に表現しています。「結局、今の政府・与党は、多数決で勝つということでしか自らの正しさを主張できない。確かに『多数決は正しい答えを出す』という定理はあります。ただし、この定理が成り立つには、各人が自らの判断に基づき、自律的に投票することが前提です。しかし、自民党も公明党も、執行部が右と言えば右を向き、議員個人が自律的に投票しているわけではない以上、与党議員が何人投票しようと、実質的な投票総数は『1』。定理が成り立つ前提を欠いており、多数決の結果だから正しいとは言えません」
党首討論で、安倍首相は「法案の説明はまったく正しい。私が総理だから」と言い放ちました。さらに、「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にありえない」とまで断言したのです。「憲法学者の責任と私たちの責任は違う」、「自衛隊のリスクは増えないしテロの心配などもない。」などと、誰が考えても筋が通らない独断的理屈を平然と述べる。まさに確信犯的為政者です。
その高慢ちきな上から目線の態度に、主権者は国民であるという、国民目線はまったく感じられません。目付きと言動はまさに独裁者です。真摯に反論を聞いたり、説明したりする気などまったくなく、結論ありきの結論をただ押し付けることを、安倍さんは「説明」と言っているのです。
「法整備によって、抑止力は確実に高まります。国の安全、国民のリスクは下がります。自衛隊員の危険性はむしろ減ります」などと、誰の眼にも黒だとわかるものを「絶対に白」だと言い切っているのです。
何よりも、テロリストに対して「抑止力」は意味をなさないのです。たとえば、イラク戦争にイギリスやスペインが有志軍として参加しましたが、その後、マドリードで列車が爆破されて191人がなくなり、ロンドンで地下鉄とバスが爆破され56人が死亡しました。これらは全部イラク戦争の報復だったのです。
日本が今後、集団的自衛権で中東での戦争に参加することになれば、日本でテロが起きる可能性は格段に上がります。イスラム過激派から敵と見なされたら、新幹線でも、スカイツリーでも、東京マラソンでも、観光地でも人の集まる安全と言える場所はなくなります。
特に欧米人に人気のある、渋谷スクランブル交差点など格好の標的になるかもしれません。年間二千万人に達しようという外国からの観光客は一気にいなくなります。自衛隊員のリスクが増えるどころか、リスクが増えるのは国民全体になるのです。
確かに国際情勢をみると、武力紛争やテロは頻発しています。北朝鮮、中国などの脅威も否定することはできません。「武力こそ戦争の抑止力」だというのが安保賛成派の理論ですが、ならばなぜ世界から戦争がなくならないのか。
そこには武力には武力で報復するという人間の性(サガ)があるのです。その負の連鎖を断ち切るには、まず自分からは攻撃しないという専守防衛の理念こそが抑止力になるのです。すべての国がそれに徹すれば理論的には戦争はなくなります。
日本が真の国際的リーダーになろうとするならば、外交努力を重ねて、軍事力に頼らない幅広い支援をすべきです。それができるのは憲法9条のある日本だけなのです。世界から認められ自負できる平和主義国家・日本なのですから。
世界は今、日本の動向を注視しています。特に、昨年以来「憲法9条を保持する日本国民」をノーベル平和賞候補に推薦しているノルウェー・ノーベル委員会の注目度は半端ではないと思います。
もし安保法制案が廃案になり、改めて日本が平和主義国家だと認定されれば、日本国民にノーベル平和賞が授与されるのは間違いないでしょう。その場合皮肉にも"陰"の最大の功労者は安倍総理ということになります。
彼が悲願とするところの歴史に名を残すという栄誉に与ることになるのですから、「転んでもただは起きぬ」の、まさに強運の持ち主ということになります。
法案への理解が進むにつれて皮肉にもその反対の声は増しています。連日国会周辺では、様々な団体の訴えが響き渡っています。政治活動とは無縁そうな若者たちや子連れのママさん方が目立ちます。彼らの呼びかけは同世代を動かし、各地に波及しています。良識ある国民の声は確実に高まっています。
27日参議院での攻防が始まりました。参院軽視ともいえる60日ルールを見据えた安倍さんのシナリオはとっくに出来上がっています。彼の得意なハグラカセ応答で時間を稼ぎ時間切れに持ち込む作戦でしょう。しかし、そんなバカにされたままの参院であっては「良識の府」どころかその誇りも存在価値もありません。このまま安倍政権に日本の運命を任せておくわけにはいきません。
それにしても人の道の良識を説くべき宗教界こそもっと声を上げるべきです。なかでも仏教界は真宗大谷派の毅然としたスタンスを見習うべきです。宗務総長は「立憲精神を蹂躙する行為、絶対に認めるわけにはまいりません」と正面切って安倍政権を糾弾しています。
仏教精神に立ち返って冷静に判断するまでもなく、安保法制は明らかに戦争法案なのですから。とりわけわが曹洞宗は何を躊躇しているのでしょう。宗報や公報から何も聞こえてきません。風見鶏の如く後出しジャンケンを狙っているのでしょうか。情けないかぎりです。

■生き方23 アレルギー8 戦争アレルギー4
ついに「安保法成立」・・・日本中に衝撃が走りました。実に残念ですが、ほんとうの戦いはこれからです。「戦争アレルギー」をさらに発症させ、間違った平和ボケを覚醒させ、「日本の良識」が「日本を取り戻す」までがんばるしかありません。
日本は70年に亘り平和主義を貫き世界から羨望と尊敬を集めてきた国です。ところが「雇われ人」が「ご主人様」の信条に逆らい、勝手に「家訓」を破り平和主義から戦争主義へと強引に舵を切ったのです。これはまさに「ご主人様」に対する裏切りであり、れっきとした謀反です。
明らかに憲法を無視し立憲主義を踏みにじった、為政者による主権者たる国民に対するクーデターであり、まさに国家反逆罪です。謀反人は断罪されるべきです。
下剋上は戦国時代の定番であり、歴史的次元に限られたものだと思っていましたが、今回起こったのは紛れもないその現代版だったのです。「歴史は繰り返す」?そんな悠長なものではありません。
事は重大です。「ご主人様」がこれからは謀反人の敬愛する「親分」の手下となり、命令に従って世界中どこでも武器をもって出掛けねばなりません。「ご主人様」の命が明らかに危険に晒されることになってしまったのですから。
大量破壊兵器があるとウソから始まったイラク戦争では、10万人が殺され、この戦争の結果から生まれたのがIS(イスラム国)という異常な集団であり、戦乱は拡大の一途です。日本はアメリカを支援した以上結果に責任があるのです。
シリアではなんと国民の半数以上が難民となっているのです。その数国内に留まっているのが760万人、外国へ逃れたのが409万人とか。そのうちの34万人が今欧州に押し寄せているのです。
まさに異常事態、とんでもないことが中東から欧州で起こっているのです。各国の難民の受け入れの割り当てがはじまりました。アメリカは10万人の受け入れを決めましたが、難民嫌いで有名な日本とて知らんふりは許されません。
アメリカのブッシュもイギリスのブレアもその後イラク戦争の誤りを認めましたが、追随した日本は未だ誤りを認めていません。そんなイラク戦争の検証も反省もないまま更にアメリカ軍に加担するための法案が通ってしまったのです。
安倍政権とその支持者は、これで強い親分、アメリカの庇護が一層強まり、戦争の抑止力がさらに強まったと思っているのでしょう。が、果たしてそうでしょうか。現実はそう甘くはありません。アメリカにとって日本は日本が思っているほど相思相愛の相手ではないのです。日本が「片思い」でアメリカは「肩重い」なのです。
アメリカは、ベトナム戦争以来アフガン、イラクなど長い間いろいろな戦争に関わり国力も民意も疲弊しています。自分(アメリカ)にとって少しでも戦争を肩代わりしてくれる戦友、イヤ子分が是非欲しいのです。
そんなアメリカにとって、日本は安倍のおじいちゃん岸信介以来恰好の子分だから、顕示欲と名誉欲の強い安倍を煽てれば自分(アメリカ)の軍事的、経済的負担がかなり減らせると目論んだのは当然でしょう。そんな目論見にまんまと乗せられ安倍さんはアメリカ議会で大見栄を切ったのです。
民主主義を絶対視するアメリカ人の眼に、自国の憲法を蔑ろにする日本の総理大臣はどう映ったのでしょう。拍手喝采の裏に隠された彼らの本心は、「なんとバカな総理だろう、こんな人間を総理にしてしまった日本国民はじつに哀れだ。」と思ったに違いありません。
国会の議論も決議もないまま、集団的自衛権というお土産を携えアメリカ議会の壇上で得意満面でアメリカに諂う彼をみて多くの日本人が唖然とさせられました。日本の民主主義の尊厳がかなぐり捨てられたのですから、こんな屈辱はありません。
昨年の女性セブンの調査で日本女性に嫌われている男の第一位に輝いたのはなんと安倍晋三さんだったのです。貧相な男が、お店で「さすがシャチョー」とか、「お兄さんイケメンね」などとおだてられてうかつに喜んでいると、大体あとから法外な代金を請求されるのです。
安倍さんはすでに嬉々としてお店に入り、オバマや米議会のもてなしを受けてしまったのです。その対価は何なのか。これから何が起こるのか予見できない男。安倍さんをそんな貧相な男だと見抜いたのはさすが大和撫子です。
アメリカに追随さえすれば大丈夫という強迫観念が安保法の本質です。しかし、日本にとって同盟関係が強化されたといってもいざという時にアメリカがほんとうに助けてくれるのでしょうか。
だいたい親分子分の関係でどこかとケンカが始まったら、まず先鋒に立つのは子分じゃないですか。どんな戦いでも先陣を切るのは一兵卒です。将校は命令するだけでいつも前線からはなれて傍観です。日米同盟関係の実態が親分子分である以上、その図式は同じです。
では、一番懸念される日本有事の場合はどうでしょう。日本は親分の命令に従って世界中どこでもケンカをしに行くことになった訳ですが、親分から見て遠いアジアの、まして日本近海の自分の事であれば、親分は、俺は後から行くから先に自分でやってみろ、と言ってせいぜい「後方支援」でしょう。
中国共産党機関紙、人民日報は早速反応を示し、「中国ができることはただ一つ、軍事面で自らをさらに大きくし、日本の妨害を乗り越えることしかない」と伝えています。ISも「日本人はアメリカ人と同等と見なし、殺害の対象とする」と声明を出しました。
日本を「一国平和主義」と批判する人もいますが、日本はこれまで世界のすべての国と安定した関係を保ってきたのです。どの国とも仲良くやるのが日本の立ち位置だったのです。イヤ、「だった」にしたらダメなのです。
これからは海外に派遣された自衛隊には武器を使わなければいけない任務が与えられ、躊躇なく引き金を引くことが求められます。そこには必ず民間人への誤射が発生し、そこから憎しみの連鎖が始まるのです。火を見るより明らかなことです。
自衛隊は「戦争をしない」「人を殺さない」からこそ、諸国の国民から支持を得てきたのです。日の丸は世界からみたら信頼と安全の象徴だったのです。そんなお墨付きだった日の丸がこれからは星条旗と並んで敵の標的になるのです。
これからはアメリカが「敵」とする相手は、すべて日本の敵になるのです。祖国日本のためならば、という大義名分もない、国民の理解も負託もない、そんな安保法によって自衛隊に命をかけさせる。そんな不条理はありません。
そもそも常識からして明らかに憲法違反だとわかる、そんなデタラメな法案に賛成する人の良識を疑います。特に与党議員の中には、個人的信条から法案には不本意な者も相当いた筈です。己の信念と誇りと魂を投げ捨てても恥を感じない輩です。
そんな中にあって只一人最後まで信念を貫いて造反した自民党議員がいます。愛媛県出身の村上誠一衆議院議員です。なんでも村上水軍の末裔とか、ご先祖様はさぞ「村上」の名誉が守られたと喜んでいるでしょう。そんな、国民の主権を踏みにじった輩と、造反した村上氏と、後世の歴史がどちらを評価するかは言うまでもありません。
SEALDsの大学生の奥田愛基さんは、国会の公聴会の場で堂々と意見を訴えられ、「連休が明けたら忘れるだろうなどと、国民をバカにしないでください。まさに、『義を見てせざるは勇なきなり』です」と、自己保身しか考えない確信犯的与党議員に対して、痛烈に批判されました。一大学生に国会議員たちが"説教"されるという、何というお粗末でしょう。
いま、政治がおかしい、自分たちの未来を守ろうと、高校生をはじめとした若者たちが、ママさんたちが、一般市民が、平和ボケから覚醒した「日本の良識」が立ち上がりはじめました。抗議の声は国会前から日常へと舞台を移し、「安保反対第2章」が始まったのです。

■生き方24 腸内フローラ 腸内細菌の驚異
腸内研究の第一人者、藤田紘一郎先生によりますと、私たちが健康に生きるためは「腸内細菌」こそ最も気を遣うべき相手だといわれます。今回は、その藤田先生の著書より、その腸内細菌と健康の関係について学んでみたいと思います。
腸を鍛え、そこに棲む細菌たちを元気にしてあげれば、宿主である人間も元気になれるという。腸内細菌とは、たくさんのしあわせを授けてくれる愛すべき存在だという。そんな愛しき腸内細菌たちが、私たちのお腹には棲んでいるのです。
では、なぜ腸内細菌が元気なら私たちも健康で幸せに暮らせるのでしょうか。人が病気にならないために体内では免疫が常に機能していますが、その免疫の働きのおよそ70%を腸内細菌が築いているといわれるのです。
腸内細菌は、病原菌を排除し、食物を消化し、ビタミンを合成しています。腸内細菌のバランスが乱れて腸が不調になれば、免疫がうまく働かずに万病が引き寄せられるのです。腸が原因と考えられる病気は、脳から内蔵、関節そして心まで、体のあらゆる部位に及ぶとされていて、まさに腸内細菌の働きが免疫に深く関与していたのです。
人が幸福感を覚えるとき、脳内はドーパミンやセロトニンといった「幸せ物質」が分泌されますが、その前駆物資を合成して脳に送っているのも腸内細菌なのです。ですから、腸内細菌がバランスよく多量に存在しないと私たちは健康でいられませんし幸せな気分にはなれません。まさに「幸せ」を作っているのは腸内細菌だったのです。
一口に腸内細菌と言っても、驚くほどの種類と数があります。詳細な研究によりますと、大腸には500種類以上、100兆個以上の細菌が棲息していて、一つひとつの細胞の重さは限りなく0に近いけれども、総重量は約1,5kgにも達するといいます。
腸管は、広げればテニスコート一面分もの面積を持つといわれます。その腸の中では、多種多様な100兆個以上もの腸内細菌が集合体を作って生息していて、その眺めが、まるでお花畑(フローラ)のように美しいのです。そこから、腸内細菌の集合体は、"腸内フローラ"と命名されました。
腸は単なる栄養摂取のチューブなのではなく、複雑な生態機能をつかさどる重要な器官であることがわかってきました。腸こそ人体で最大の免疫組織であって、腸内細菌がその免疫組織を活性化していて、腸内細菌がいなければ、免疫組織は働くことができないのです。
腸内細菌は、体に悪さをする菌が侵入してくると、侵入者を排除するために攻撃を繰り返します。食べ物も病原菌も体内に吸収されるのは腸からであり、腸内フローラがしっかり働いているから人は病気にならず健康でいられるのです。
よく「腸は第二の脳」といわれますが、藤田先生に言わせれば、腸の思考力は脳より上で、腸は脳よりはるかに賢いそうです。腸には大脳に匹敵するほどの神経細胞があり、それは腸こそ脳の祖先だったことに起因しているそうです。
地球上に最初の生命が生まれたのは、今から約40億年も前のことですが、生物が最初に持った臓器は脳でも心臓でもなく腸だったのです。脳ができたのは約5億年前と推定されていますので、生物は歴史上8〜9割の期間を脳を持たずに生きてきたのです。
その悠久の時は、地上の生物が腸を中心に進化を遂げてきた歴史とも言い換えられます。生物の進化を見てみると、最初に神経系ができたのは脳ではなく腸だったのです。生物の始まりは腔腸生物であり、人類もまさにそこから進化してきたのです。
現代でも脳のない腔腸動物はたくさんいますが、彼らはどこから指令を受けて行動しているのかといえば、それは腸なのです。腔腸動物から進化してきた人間も腸にたくさんの神経叢が集中していて、まさに腸こそ健康にとっての司令塔だったのです。
例えば脳は食べた物が安全かどうかは判断できませんが、腸にはそれができるのです。食中毒菌が混入した食物でも、脳は食べなさいとシグナルを出しますが、腸は毒物が入るとそれを的確に判断し激しい拒絶反応を示します。食べた物が安全かそうでないかは脳ではなく腸の神経細胞が判断していたのです。
安全でないものはすぐ吐き出したり下痢を起こしたりして、なるべく早く"ご主人様"の身体を中毒させないように反応を起こすのです。このように脳から指令がなくとも、独自のネットワークによって命令を発信する機能を持っているのは、臓器の中でも腸だけなのです。
これは、ほかの臓器には見られない特徴で、腸はまさに脳の本家であったわけで、藤田先生が腸は脳よりはるかに賢いと言われる所以もなるほど納得です。腸は「第二の脳」どころか「第一の脳」と呼ばれても良い存在だったのです。
最近藤田先生は、腸内環境の悪化がうつ病や不安神経症を促している可能性を示唆す研究結果を発表されました。腸の健康は心の健康であると同時に、心の健康は腸の健康であると考えられるのです。つまり腸と脳の健康は連動していることがわかったのです。
日本語には「腸(はらのわた)が煮えくり返る」とか「腹が立つ」「腹が据わる」「腹におさめる」「腹を決める」「腹を探る」など、「腹」のつく表現がたくさんあります。それも、脳(心)と腸(腹)とが繋がっていることの表れでしょう。
だから、人は強いストレスを受けると、心にダメージを受けると同時に、お腹の具合も悪くなるのです。過敏性腸症候群とか機能性便秘といった腸障害を起こします。腸にはセロトニンの90%が存在していて、そのセロトニンの働きが身体と心の健康に重要な影響を与えていることがわかりました。
身体がストレスを受けると、腸は不安を打ち消すためにセロトニンを分泌します。セロトニンが急激に増えると腸が不規則な収縮を繰り返し、男性は下痢になったり、女性は便秘になったりします。
腸内に危険な物質が入ってくると、腸内のセロトニンが働いて脳に危険な物質を胃から吐き出せと命令を出させると同時に、脳を介せず下痢という手段で体内から危険な物質を排泄しようとするのです。
人が幸せを感じるとき、脳内ではドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質が分泌されますが、ドーパミンは気持ちのモチベーションを高め、セロトニンは歓喜や快楽を伝える物質です。
これらの「幸せ物質」が不足すると、うつ病や気分の不安定化が起こりやすくなります。特にうつ病との関係が深いとされるのがセロトニンです。ストレスが腸内細菌のバランスを崩すことで幸せ物質であるドーパミンやセロトニンが不足し、イライラしたりうつ状態になったりするのです。
今、実に日本人の3〜7%がうつ病ともいわれます。特に30〜50代の働きざかりの人のうつ病がとても多くなっています。現代社会は実にさまざまな抑制、抑圧が渦巻くまさにストレス社会です。
そんなストレス社会にあって心の病に打ち勝つには、しっかりとした"腸内フローラ"を構築することがまず大事だと藤田先生は言われます。それには腸内細菌の餌となる食物繊維を多く摂り入れ、腸内を絶えず"美しいお花畑"にしておくことです。
先生は、腸内の"畑"の状態が美しいか汚いかは糞便の質量でわかるといいます。大便の量が大きければ腸内は良好であり、小さければ悪玉菌の温床だといいます。「大便」は文字通り、腸からの「大きな便り」だったのですね。  

■生き方25 腸内フローラ 腸内細菌の驚異2
「腸内フローラ」…だいぶ聞きなれてきた言葉ですが、人の健康にとって切っても切れない関係と言われる腸内細菌について、今回は「NHKスペシャル」で放送された「腸内フローラ・驚異のパワー」の中からご紹介したいと思います。
腸内フローラの研究が進み、腸内細菌の実態がわかってきたのはここわずか5〜6年のことで、世界中で次々と国家プロジェクトが始動、最先端の遺伝子解析によって新しい菌の発見が相次いでいます。
ガン、糖尿病、肥満、アレルギーなど、これまで考えもしなかった病気が腸内細菌と関わっていたことが分かり、すでに30以上の病気で腸内フローラとの関係が見つかっています。
そして腸内細菌の影響は何と脳にまで、性格や感情などをも変えるというのです。さらに美容にも、腸内細菌が出すある物質の力でお肌の皺が減少することも分かりました。どこまでいくか予想もつきませんが、腸内細菌の研究は医学を大きく進歩させることは間違いありません。
熱い注目を集め始めた腸内細菌の世界ですが、その生態系を調べることで医療の大転換になるのではないかと、遺伝子解析の第一人者、東京大学の服部正平教授は述べています。
5〜6年ほど前から腸内細菌の全体像が分かるようになりリストアップできるようになってきました。腸内細菌は人それぞれ違っていて、人は一生涯それぞれその人の腸内フローラのタイプを持っていて、少しずつ変化するがあっても大きく変わることはないそうです。
腸内フローラのタイプでその人の健康や性格が決められているとして、もしその腸内フローラがコントロールできるとしたら、人の病気や健康や性格などは改善できるということになります。だとしたら、これは人類にとってまさに画期的なことではないでしょうか。
腸内細菌が全身に影響を与える・・・それを世界に知らしめたのは、肥満に関するある研究でした。発表したのは腸内細菌の研究で世界のトップを走る科学者で、ジェフリー・ゴートン博士(ワシントン大学医師・生物学者)です。
博士は大胆な実験を行いました。完全に無菌状態の中で、あることをして特別なマウスをつくりました。肥満の人と痩せている人の腸内細菌をそれぞれのマウスに移植し、人間の腸内細菌を持ったマウスをつくったのです。餌や運動量など同じ条件で育てました。 すると驚きの結果が現れました。
痩せた人の菌を与えたマウスは脂肪の量が変化なし。ところが肥満の人の腸内細菌を与えたマウスはどんどん脂肪が増え太ってしまったのです。何度やっても結果は同じでした。
肥満の人の腸内細菌をもらったマウスは太ったのです。肥満の人の腸内ではある種の細菌が少ないことがわかりました。それがバクテロイデスという菌で、その菌が出す短鎖脂肪酸に肥満を防ぐ働きがあったのです。
その仕組みです。もともと肥満は脂肪細胞が脂肪を取り込むことで起こります。血管を流れる脂肪を取り込みつづけどんどん巨大化することで太ってしまうのです。バクテロイデスが出す短鎖脂肪酸は腸から吸収され血液中に入ります。
短鎖脂肪酸は全身に張り巡らされた血管を通して体の隅積みまで運ばれていきます。その短鎖脂肪酸が脂肪細胞に働きかけると脂肪の取り込みが止まります。つまり短鎖脂肪酸が余分な脂肪の蓄積を抑え、肥満を防ぐことが分かったのです。
短鎖脂肪酸にはもう一つ別な役割がありました。それは筋肉などに作用し脂肪を燃やす働きです。脂肪の蓄積を減らし、脂肪の消費を増やすという全身のエネルギーのコントロールをバクテロイデスという腸内細菌が行っていたのです。
これは一つの例ですが、腸内フローラの研究がまさにこれからの医学に革命を起こそうとしているのです。すでに腸内フローラの秘められたパワーが実際の治療に生かされ始めています。アメリカ政府が支援するベンチャー企業では腸内フローラで糖尿病を治すというまったく新しいタイプの薬を開発しています。
糖尿病は血糖値の調節に欠かせないインスリンが出にくくなる病気です。その原因として腸内細菌がつくる短鎖脂肪酸が関係していることがわかってきました。短鎖脂肪酸の量が減ると、インスリンの量も減ってしまうのです。
では短鎖脂肪酸を増やすにはどうすればよいのか。この企業では短鎖脂肪酸を作る細菌を増やそうと考えました。そして菌を増やす効果がある食物繊維などの成分を配合してある薬を開発しました。
糖尿病の研究でアメリカをリードする医師の一人、フランク・グリーンウエイ博士(ルイジアナ州立大学)は、患者にこの薬を飲んでもらい腸の中で短鎖脂肪酸を作る菌を増やし、二週間後食事の後のインスリン量の変化をみました。結果、その薬を飲んだ人は食後のインスリンが出やすくなっていました。
腸内フローラの力を利用して糖尿病が改善できることがわかったのです。グリーン博士は、「医学は進歩してきましたが、未だに糖尿病を克服するには至っていませんが、腸内フローラを変えるというまったく新しい方法を見つけたことで、糖尿病治療は大きく進歩することでしょう」と語っています。
さらに人類の大敵ガンの予防に役立てようとする取り組みも始まっています。癌研究会有明病院では患者や健康診断にきた人から便を集め、腸内フローラを調べるプロジェクトを始めました。
リーダーの原英二医師はガンを引き起こす菌を見付けました。遺伝子解析の結果新種であることがわかり、アリアケ菌と名付けました。アリアケ菌が出す物質DCA、これがガンの原因となっています。DCAは人の細胞に作用して細胞老化を引き起こします。
老化した細胞は発ガン物質をまき散らし、周囲にガンを作るのです。この研究は科学雑誌サイエンスで年間の最重要項目の一つにも取り上げられ、世界中の注目を集めました。
さらに原医師は、肥満になるとアリアケ菌が大幅に増えることも突き止めました。肥満がガンに関係していることを示す重要な発見でした。「腸内細菌をコントロールすることでガン予防がかなりの部分で可能になってくるのではないかと期待しています」と原先生は語っています。
これまでも肥満がガンと関係があるのではないかと言われていましたが、なぜ肥満がガンを誘発するのかその原因がわかっていなかったのですが、腸内細菌・アリアケ菌の発見でその原因の一つがはっきりしてきたのです。
人の幸福にとっての最大の敵は病気です。健康無くして幸せはありません。お金で健康は買えませんが、「腸内フローラ医療革命」によって人類は大きな恩恵を得られるかもしれません。
人にとって許される「貪欲」があるとすれば、それは唯一健康に対する欲望と言えるかもしれません。その欲望の強い人ほど幸せになれるとしたら、人は誰でも「病気にならない生き方」に関心を持つべきでしょう。健康は決して当たり前ではないのですから。 
 

 

■生き方26 腸内フローラ  腸内細菌の驚異3
人の幸福にとって最大の敵は病気です。健康無くして幸せはありません。お金で健康は買えませんが、「腸内フローラ医療革命」によって人類は大きな恩恵を得られるかもしれません・・・前回の締め括りの言葉です。
ならば、我々は皆この腸内フローラの実態を学び、その知識を実践に生かして行くことこそ大事ではないでしょうか。今最も注目されているこの腸内細菌のパワーについてさらに学んでみましょう。
前回からガン、糖尿病、肥満、アレルギーなど、30以上もの病気に腸内フローラの関与が明らかになってきたという、さらに腸内細菌の影響は何と脳まで、性格や感情などをも変えるという驚くべき研究報告を紹介してきました。
不安や恐怖、幸せや喜び、このような感情は脳で生まれていますが、脳で生まれる感情が腸内細菌によって操られている可能性があるという、まさに人の性格までも腸内細菌が関与しているという。
そんな腸内細菌が脳を操るという実に驚くべき事実が明らかにされたのです。それを明らかにしたのはカナダの医師プレミシル・ベルチック博士です。博士はマウスの性格に関する研究で衝撃的な実験を行ったのです。
活発マウスと臆病マウス、二種類のマウスの性格の違いは、もともと持っている遺伝子の違いによるものだと考えられてきました。しかし、ベルチック博士は腸内フローラにも違いがあることを発見したのです。そこで腸内細菌が性格に関係しているのではないかと考えました。
博士は、活発マウスの腸内フローラを臆病マウスに移植し、反対に臆病マウスの腸内フローラを活発マウスに移植する実験を試みたのです。その結果は、臆病マウスの警戒心が下がり、反対に活発マウスの警戒心が高まったのです。
この実験を何度繰り返しても結果は同じでした。つまりマウスの腸内フローラを交換することでそのマウスの性格まで変わってしまったことが実証されたのです。
性格が変わるということは、コミュニケーションの能力にも影響します。マウスは人には聞こえない超音波でお互い呼びかけを行っていますが、オスがメスに対する求愛行動におけるコミュニケーション能力についての実験が行われました。
カリフォルニア工科大学イレイン・シャオ博士は、コミュニケーション能力の低いマウスの血液中である物質が増加していることを突き止めました。その物質とは、腸内細菌が作り出す4EPSという物質です。
この物質が脳に悪影響を与えていると考え、4EPSを取り除く薬を飲ませました。するとそのオスのマウスがメスへ呼びかける回数が大幅に増加したのです。つまりそのマウスのコミュニケーション能力が改善したのです。
腸内細菌は人の脳にも影響を与えるのでしょうか。シャオ博士は、脳と腸内細菌に関する研究は今もっとも熱い分野だと語っています。人の脳は一千億個もの神経細胞が作るネットワークで出来ていて電気信号をやりとりしています。
神経ネットワークは脳の外にもつながり全身に広がっています。ネットワークが集中する場所が脳の外にもうひとつあります。それが腸です。腸を覆う神経細胞の数はおよそ一億個、人体で脳に次いで二番目に多く、腸管神経系と呼ばれています。
実は腸内細菌が作る物質の中には神経細胞を刺激するものが数多くあることがわかってきました。こうした刺激によって電気信号が生まれ、それが脳に伝わり感情などに影響を与えると考えられているのです。
すでに腸内細菌をうつ病の治療に使う研究が始まっています。マウスの性格を入れ替えて世界を驚かせたマクマスター大学プレミシル・ベルチック博士は去年から臨床試験を始めました。
脳に影響を与える可能性のある菌を患者に飲んでもらい、不安や恐怖をつかさどる脳の領域がどう変化するか調べています。腸内フローラを変えることで鬱の症状は改善するのか、今データの解析がすすめられています。
うつ病の患者の中には腸内フローラを変えるだけで心の不調が治ってしまう人がいる筈です。博士は「今後心の病の治療にはきっと腸内フローラが使われることになるでしょう。」と明言されています。
腸内フローラには個性すなわちタイプがあり固定されていることが解っています。では私たちは共に生きる腸内細菌をどうやって選ぶのでしょうか。もともとお母さんのお腹のなかにいる胎児はまったく菌がいない状態に保たれています。
細菌と初めて出会うのは誕生の瞬間、その後口や鼻から入った菌が腸へ辿り着き少しずつ棲み付いていきます。しかし、入ってきた菌が全て棲み付けるわけではありません。
人と腸内細菌が共に生きる仕組みを研究しているシドニア・ファガラサン博士は、人間の腸の中で分泌されるIgA抗体という物質に特別な役割があることを発見しました。
博士はIgA抗体に選ばれた細菌だけが粘液層に入れることを発見したのです。IgA抗体は私たち人間に必要な菌だけを選んで腸に棲み付かせているのです。腸内フローラのタイプはまさにIgA抗体によって形成されていたのです。
腸内細菌は、まさに身体の一部であり人の心身の健康にとって欠かせない存在であることがわかりました。そこでここ2〜3年で急速に研究が進んできたのが「便微生物移植」治療法です。ベルチック博士のマウスの実験の結果からも分かるように、健康な人の腸内フローラを病気の人の腸にそのまま移植するという治療法です。
現段階ではまだ潰瘍性大腸炎の治療に限られているそうですが、人類がさまざまな病気において「腸内フローラ移植医療」の恩恵を受けられるのは近い将来間違いないでしょう。
私たち人間は細菌と共に長い進化の歴史を過ごしてきました。人と腸内細菌は何百万年もの時をかけ、共に生きる仕組みを築き上げてきました。その過程で互いに助け合う仕組みを発達させてきた掛け替えのないパートナーだったのです。
腸内細菌がこれ程までに人に対して生理作用を持っていることがわかってきたのはここ僅か5年位のことです。私たちは腸内細菌と共に生きることの本当の意味にようやく気付きました。
しかし、薬の使用や食生活の変化や乱れによって、その奇跡のバランスが崩れかけているのではないかとも言われています。私たちは腸内細菌と一緒になってはじめて一つの生命体なのです。腸内細菌と共に生きていることの本当の意味を知るべきです。
ここまで学んできたことは、健康は腸内フローラが大いに関係していること、その腸内フローラは食べた物によって形成されているということです。であるならば、人は誰でも食べ物を選ぶことで様々な病気から距離を置くことができる筈です。
英語の格言「You are what you eat」(あなた自身は食べた物で出来ている)をあらためて噛みしめたいものです。 

■生き方27 信仰に学ぶ生活習慣
前回「You are what you eat」(あなた自身は食べた物で出来ている)という格言を紹介しました。確かに言われてみれば、人間に限らず全ての生物は食べ物から全ての必要な栄養を摂取して肉体と命を維持していることが改めてわかります。
人の体はおよそ60兆個の細胞からできていて、全ての細胞は絶えず新陳代謝を繰り返しています。そして一秒間に凡そ50万個の細胞が生まれ変わっているとか。皮膚の細胞は一週間で、肝臓は6週間、骨格は3ケ月、筋肉は4ケ月で半分が、そして体の中の細胞は凡そ3年間で全てが入れ替わってしまうとか。
ただ脳細胞だけは、生まれ変わることがなく只一方的に死滅していくだけだとか。人の脳細胞は、約150億個の数があり、毎日11万個の脳細胞が死んでいるとか。でも人の絶対寿命と言われる128歳生きたとしてもまだ100億個は残るそうです。
しかし、毎日10万個以上の脳細胞が死滅しているとなれば、確かに高齢になればボケや痴呆になるのも仕方ないのかもしれません。脳に限らず老化とともに体のすべての組織は衰退していくのが生物としての宿命です。
60兆個の細胞から成り立っている人の体は、その60兆個が絶妙に調和しているからこそ健康でいられるのであり、人はまさに奇跡の存在なのです。その調和が壊れるのが病気であり、その調和の維持が難しくなるのが老化です。
だから老化が進むに従って様々な病気に罹りやすくなるのは自然の成り行きです。ただ問題は、その進度です。もちろん先天的なDNAに依るところは大きいのですが、後天的な問題の方がはるかに大きいのです。
その後天的な問題こそ「生活習慣」です。DNAは生まれ持った「宿命」ですが、生後の健康に大きな影響を与えるのが何よりも「生活習慣」です。特に偏食、運動不足、喫煙、飲みすぎなどの悪い習慣はすべて自己責任によるからです。
そんな自己責任から起こる病状が、高血圧、脂質異常、糖尿病そして肥満などのいわゆる「死の四重奏」と呼ばれるものです。あえて厳しく言えばこれらは皆身から出た錆び、まさに因果応報と言うべきものです。
いくら人権は平等だといっても健康と寿命には歴然とした格差があるのが人間界の不条理です。しかし、その不条理も「自己責任」のなかでいくらでも対抗できるのです。
生活習慣病から距離を置くことができればその分健康寿命は延びます。どんな素晴らしいDNAに恵まれていても無謀な生活習慣を続けている限り間違いなく病魔の餌食となり寿命は確実に縮まるということになります。
確かに煙草もやらない人が肺ガンになったり、ヘビースモーカーであっても肺ガンにならなかったりするケースなどいくらでもあります。理不尽と思われるかもしれませんが、ガンになるか否かは結果論であり、大事なことは自己責任においての対応です。
例え肺ガンに罹らなくともタバコの弊害は動脈硬化をはじめ体中のあらゆる組織に損傷を与えます。まさに「百害あって一利なし」というのが常識です。生活習慣病の主な原因の中でもタバコはその最たるものだと言われています。
最近肺ガンで亡くなった方がお2人います。タバコが原因でした。ご本人から病気を打ち明けられた時は返す言葉もありませんでした。肺ガンに罹ればまず生還は無理です。それだけに闘病生活は実に壮絶なものでした。
そんなリスクを重々承知しながらそれでもタバコを止められない人の気が知れません。タバコは個人の自由だ、人に迷惑を掛けているわけではない、などと居直る人がいますが、そんな「自由」が認められるなら覚醒剤もアリということになってしまいます。
さすが「覚醒剤」は極論として、タバコは少なからず他人や環境に悪影響を及ぼします。個人の嗜好の範囲を逸脱していることは間違いありません。最近拙僧の勧めで病院の禁煙外来に通い始めた方がいます。35年間のタバコを断つ決心は大変なことですが、必勝を信じています。
タバコは一例ですが、飲酒や偏食、運動不足にしても同様です。如何に生活習慣に向き合ったかは、因果となって如実に現れます。「健康意識」と「死の四重奏」はまさに反比例の相関にあります。
その「死の四重奏」といわれる高血圧、脂質異常、糖尿病そして肥満に加え、さらに悪いとされるのがストレスです。「脳と腸内細菌」の中でも触れましたが、ストレスによって悪玉腸内細菌が増えることで腸内での病原性が高まり一気に「死の四重奏」が進むのです。
ストレスの場合どこまでが自己責任と言えるかわかりませんが、生活環境の中で起こるストレスであればそれを避ける工夫はいくらでもある筈です。例えば体調がおかしくなるような職場だったら思い切って仕事を変えることです。
ストレスこそ幸福にとっての最大の敵です。心身共に破壊していきます。他方幸福にとっての最大の味方は喜びです。癒しは心身共に健康にしてくれます。笑いがドーパミンを増やしガンさえも抑制する効果があるというのは今や定説です。生活習慣と環境をコントロールして如何に楽しく過ごせるかが勝負です。
ところで、気になるデーターがあります。厚労省の「国民健康、栄養調査」で浮き彫りになったことは、所得の低い人ほど、肥満率、喫煙率が高く、歯の数が少なく運動不足気味だということです。
さらに偏食が多く、栄養バランスが偏っていて、野菜や肉類が少なく、麺類が多いそうです。麺類は特にインスタントでリーズナブルだからでしょう。炭水化物や糖質の摂取が多く運動不足となれば当然糖尿病のリスクは上がります。
さらに健康診断の受診率が低いということですから当然有病率は上がります。経済的負担が理由かもしれませんが、発病してからでは負担はその何倍にもなってしまいます。ひょっとして自分は未病かもしれないという意識を持つことです。
あと、宝くじの購買率が高いことがあります。よく夢を買うといいますが、文字通りほぼ100%夢に終わるのが現実です。一攫千金を夢見る気持ちもわかりますが、拙僧的には金をドブに捨てるようなものだと思っています。
以上から言えることは、貧しい人達ほど生活習慣に問題を抱え健康に対する意識が低く刹那的な日常生活を送っている人が多いということです。貧富の差が健康にも差を生んでいるということが事実だとしたら理不尽なことです。
しかし、「自己責任論」からすれば健康格差を経済的格差のせいにするのは責任転嫁ではないでしょうか。問題の本質は本人の甘えと認識不足にあると拙僧は考えます。例えば、お釈迦さまは2500年も昔、80歳まで生きられました。あの時代の80歳は現代であれが120歳くらいに相当するかもしれません。
経済的にはお釈迦さまはまさに極貧でした。特に食生活は100%布施と乞食によるものでしたから栄養学的には問題だらけだった筈です。にも拘わらずお釈迦や昔の僧侶はみな結構健康で長寿でした。なぜでしょう。
それは、質素清貧の中で信仰に生き心が満たされていたからではないでしょうか。仏教の目指すところは欲望を捨て不安やストレスから解放され、悟りという「安心」(あんじん)を得ることです。
「安心」こそ人の健康と幸福にとって最も大事なことです。ほんとうの幸福は経済格差に関係ないことを信仰は教えてくれています。 

■生き方28 口内フローラ
前回、仏教の戒律「不妄語戒」について触れました。人は己の我欲を通うそうとして理性に負けたときなどにウソをつきます。それによって他人が貶められたり、不利益を被ったりすればそれはまさしく犯罪です。
他方、ウソのなかにも相手を慮っての善意のウソもあります。それを「方便」だと捉えることもできますが、「方便」とは元来お釈迦さまが衆生を「導かれるための手段」という意味からきている言葉であって「ウソ」ではないのです。
励ましたり安心させたり相手を慮ってのウソでしたら、それはウソではなく「愛語」になります。愛語であれば立派な「布施」の一業ですから大歓迎です。また他愛もない煽てやお世辞などは社交辞令の範疇であれば御愛嬌としてよろしいのではないでしょうか。
ところでここ連日マスコミが挙って報じているのが言わずと知れた森友学園問題と、豊洲市場問題、さらに自衛隊文書問題などですが、どれもウソから出たものです。国民を欺くものであり権力者のウソほど罪深く許せません。
特に森友学園問題では、「事実は小説よりも奇なり」と籠池氏ご本人が言っていたように、「主役」は誰か、「悪役」は誰か、どんなエンディングが待っているのか、まだまだ先が読めません。国民はその「籠池劇場」の行方に目が離せません。
フィクションや小説でしたらハッピーエンドが定番ですが、ノンフィクションになると真相が分かるとは限りませんし、勧善懲悪で終わるとも限りません。しかし、そこは仏教の「因果応報」で幕引きになることを是非願っています。
さて、前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。「病気にならない生き方」シリーズのテーマから逸れて丁度一年間が経ちました。何度も繰り返してきた言葉ですが、人にとっての幸福は「安心」に尽きます。その基本の一つはなんといっても「健康」です。
ということで、今回より再びそのテーマに戻ってみたいと思います。健康長寿で人生を全うすること。その願望のため医科学は驚異的な進歩を遂げてきました。人の「絶対寿命」は120歳とも言われています。それを目標に人類は更に飽くなき兆戦を続けることでしょう。まさに人類永遠のテーマなのです。
さて、日本人の平均寿命は世界一と言われ、男性80.21歳、女性86.61歳(平成25年厚労省)を誇っていますが、問題は「健康寿命」です。統計によりますと、男性で約9年、女性で約12年もの間、健康を害し自立できない生活を送っているのが実態なのです。
人生を楽しみながら長生きするためには、少しでも健康長寿を延す必要があります。健康寿命を縮め、寝たきりや介護が必要な状態を招く大きな原因として挙げられるのが、糖尿病やガン、高血圧をはじめとした生活習慣病です。また、加齢に伴う身体機能や認知機能の低下も健康寿命を脅かしています。
これまで、当ホームページでも、生活習慣病、アレルギー問題から腸内細菌(腸内フローラ)健康食品など様々なことを取り上げてきましたが、幸福であるためにはその原点である「健康」にこそ何よりも関心を寄せるべきなのです。
健康への関心度と罹患率の相関は100%反比例なのですから。先ず健康を意識した食事の質と量、適度な運動、そしてストレスのない環境等。現代病の主流は「生活習慣」からです。「生活習慣」が原因である以上その責任の大半はまさに自己責任です。何度も繰り返してきた言葉です。
ある大臣が医療費のことで、「好き勝手し放題な生活をして病気になった人を何故国がそこまで面倒みなくちゃいけないんだ」と言っていましたが、一理も二理もあると思います。勿論好きで病気になる人なんて一人もいませんが、例えば、暴飲暴食、喫煙、肥満、偏食など、健康には悪いと自覚しつつも止められない人。運動など良いと思ってもできない人など、そんな人はまさに我儘で困った人です。
人の体は60兆個(最近の新説では37兆個とも)の細胞がバランスをもって生きているから健康が維持できるのです。人の体には誰でも毎日4,000から5,000のガン細胞が発生しているといわれます。それを免疫力が抑えているから発ガンしないのです。
免疫力を維持しているのがまさに良い生活習慣です。ですから、乱れた生活習慣から免疫力が低下すれば様々な病気に罹るということは当たり前に理解できます。勿論病気には先天的遺伝的な要素もありますが、それさえ生活習慣でカバーできる部分も大きいのです。
英語の格言、「You are what you eat」(あなた自身は食べたものからできている)にもあるように先ず食べる物が大事です。アレルギー物は論外として、好き嫌いなくバランスよく量を量って何でも食べなければならないことは言うまでもありません。
私事で恐縮ですが、食事内容には結構気を遣っています。運動として基本的に一日間隔で8,5キロ散歩しています。もう6年以上続けていて、そのトータル距離は先月で7,000キロを越えました。
何事も習慣付くと止められなくなるものです。是非悪い習慣は止めて、良い習慣を身に付けたいものです。拙僧的には、お蔭様で血圧、血中脂質、肝機能、血糖等全く心配ありません。しかし、実はガンマGTPの値が少し高めなのです。原因は「般若湯」だと分かっているので気を付けていますが、偉そうなことは言えませんね。
ところで、拙僧最近大変興味深い本に出合いました。もちろん健康に関しての本です。読んでみて納得尽くめなのです。
地元の「房日新聞」にその本の紹介記事が出ていて、そのタイトルに大変興味を持ち早速本屋さんに向かった次第です。「病気にならない生き方」に関心のある方に是非その本を紹介したいと思います。
その著者は、この館山市の隣の鋸南町で歯科医師をされている森永宏喜先生です。先生は、地元の安房高校から東北大学歯学部を卒業され、東京医科歯科大学に勤務、総合病院歯科を経て、現在出身地の鋸南町で開業されています。
最近すっかり有名になった「腸内フローラ」ですが、実は、人の口の中にも悪玉菌と善玉菌、日和見菌からなる700種類もの細菌が棲みついており、「口内フローラ」を形成しているのだそうです。
この「口内フローラ」のバランスが崩れると、歯周病や虫歯などの病気だけでなく、糖尿病や早産、動脈硬化や心筋梗塞のリスクが高まることが最近明らかになったのです。
人や動物は、病気や怪我をしたときに外からやってくる細菌だけでなく、普段から体内に沢山の菌を持っていて、細菌とうまく共生しながら生活しています。人の細胞の数よりも、人の体に普段から住みついている細菌の数のほうが多いのです。
体に住みついている細菌は常在菌と呼ばれ、特に大腸に多く、およそ400種類・100兆個ほどですが、同じように口の中にもおよそ700種類・約1000億個もの細菌が住んでいるのだそうです。
森永先生は、「口の中の健康をキープすることは、あなたを生活習慣病や老化から守り、健康寿命を延してくれることになるのです」と明言されています。 

■生き方29 国の健康を考える 国会フローラ
人の健康に大事なものが「腸内フローラ」や「口内フローラ」だとすると、国が平和であるためには、政治が健全でなければなりません。国民の安心、安全をつかさどるのが国政だとすると、「国会フローラ」なるものが大事ではないでしょうか。
今の日本の国政の健康状況は果たして「健康」だと言えるでしょうか。人の体の健康は、「腸内フローラ」や「口内フローラ」の悪玉菌と善玉菌、日和見菌の割合によって決まります。
今の国会をそれになぞらえてみると、どうも悪玉菌の割合が多くなりすぎているようです。日和見菌も当てにできず日本の国の健康はかなり心配になってきました。今月は、「口内フローラ」について学ぶ予定でしたが、国の健康が脅かされている現状でもあり、あえて「国会フローラ」をテーマにしてみました。
先月、国際NGO「国境なき記者団」から世界180ヶ国の「報道の自由度ランキング」が公開されました。日本は昨年の61位から72位と一気に下がりました。7年前の民主党政権時の11位が最高で、その後どんどん下がり続け、今ではG7のなかでは最下位です。民主国家としてはかなり不名誉なことです。
ちなみにトップ3は、フィンランド、オランダ、ノルウエーとなっています。最下位は言うまでもなく北朝鮮です。民主主義国家の基本的条件が「言論の自由」であることからすると、日本はこれからどんどん北朝鮮に近づいていくのでしょうか。
日本への評価が低いのは、福島の事故の透明性がないこと、特に大きいのは、「安倍政権のメディア敵視と圧力」、及び「メディア自身の自己検閲と権力への忖度」だそうです。
また、特定秘密保護法、安保関連法の成立が大きく響いているといわれます。そしてもうすぐ組織犯罪処罰法「共謀罪」が制定されれば、さらにランキングは急降下するでしょう。
安倍政権は、党則を変え全省庁の幹部人事権を総裁が一手に握られるように内閣人事局を設置し、「安倍一強」を築いたのです。一人の人物への極端な権力の集中は、独裁国家への門戸を開く危険性があるのです。
おじいちゃん(岸信介)コンプレックスから、憲法9条を改正することこそ彼の悲願に他なりません。数の力に物を言わせ国会の中で強引に横車を押している安倍総理。その実態はまさに国政の私物化です。
安倍さんは、森友学園問題では、「私や妻が関与していたら、首相も議員も辞める」と明言しました。加計学園問題では、前事務次官の前川氏が「総理のご意向」として「行政がゆがめられた」「黒を白にはできない」と証言しました。
森友学園問題でも加計学園問題でも、安倍総理が関与していることはほぼ間違いない事実だとわかっているにも拘わらず、証人喚問もできない国会、まったく国民を舐めているとしか思えません。特に与党議員らには、国民から負託をうけた政治家としての信条も矜持もないのでしょうか。まさに恥知らずです。
しかし、そんな政治家を選んだのは国民自身だから自業自得と言ってしまえばそれまでですが、自由も平和も人任せでは手に入らないのです。表現の自由もこれからどんどん脅かされて、自由にものが言えない監視社会になってしまうでしょう。
政官一体となって政権側の不都合な真実が隠され、権力者にとって気に入らない者は易々と逮捕、投獄されるようになるのです。そうなっても、自業自得だから仕方ありませんか・・・ほんとうにそれで良いのでしょうか。
ちなみに、「世界の幸せ度国別ランキング」では、日本は157ヶ国中53位で、これも過去最低だそうです。最低賃金の基準も先進国の中では最悪だとか。
日本は自殺大国といわれます。WHOは2014年の世界172ヶ国の自殺率を公表しました。1位韓国、2位リトアニア、3位ロシア、そして4位が日本でした。日本は先進国の中ダントツ自殺率の多い国なのです。
毎年3万人を超える自殺者ですが、特徴としては、15〜24歳の自殺率が90年以降ずっと上がり続けているとのこと。格差社会、若者の貧困が拡大している社会に若者は夢を持てません。そんな国の幸福度が上がる筈はありません。
民主主義国家とは、言うまでもなく「国民ファースト」である筈です。今の安倍政権は、その真逆に突き進んでいるのです。安倍さんの頭の中にあるのは国民の幸福ではなく、戦後レジュームから脱却し国家主義政権の確立なのです。
さすが気の合った友人のアメリカトランプ大統領の横暴ぶりと遜色ありません。しかし、アメリカではロシアとの癒着疑惑でトランプ氏弾劾の動きが広がっているというのは、流石民主主義を大事にしている国だけのことはあります。
あの韓国でさえ、民衆は朴槿恵大統領の悪事を許さず弾劾裁判で吊し上げてしまったのに、日本では、これだけの疑惑があるのにも拘わらず「証人喚問」さえできない。これが韓国だったら国民は黙っていないでしょう。暴動が起こりますよ。
憲法が疎んじられ、立憲主義が崩壊しようとしているというのに、日本の国民はなぜこんなにもおとなしいのでしょうか。「黒いものを白だ」と平然とウソをつく、ウソ八百を主張し自責の念すらまったく感じない安倍総理。
そんな人が日本国の総理大臣だということが納得できません。そんな人に追随する政治家や役人も同罪です。それを支持する人も信用できません。
さらに、権力のトップやその代弁者が、公的な場で特定個人を人格攻撃したり、恫喝したりしているのは、ただ事ではありません。もはや民主主義国家の体をなしていません。
さらに深刻なのは、政策や行政のプロセスに関する文書をどんどん破棄していることです。文書の破棄は、後世において政策の意思決定過程を検証するのを不可能にしてしまいます。まさに歴史に対する、国家国民に対する犯罪行為なのです。
共謀罪が成立したら、もはや国の主権は実質的に国家権力者になるのです。拙僧がホームページでこんなことを言えるのも今のうちかもしれません。そのうち「共謀罪」か、何かの言いがかりをつけられ警察に呼び出され、拘束されてしまう日がくるかもしれません。そんな方向に確実に向かっているのが今の日本なのです。
国会の悪玉菌を減らし、日和見菌を善玉菌に変え、どんどん善玉菌を増やさない限り、日本の健康(平和)は望めません。健全な「国会フローラ」なるものを作り上げるその責任は、国民一人一人の認識と行動力に掛かっていることを今一度考えてみる必要があります。

■生き方30 国の健康を考える 国会フローラ2
前回、国民の安心、安全をつかさどるのが国政だとすると、「国会フローラ」なるものが大事だと述べました。しかし、すっかり悪玉菌が蔓延ってしまっているのが今の国会です。そんな政治家を選んだのは国民自身だから自業自得と言ってしまえばそれまでだとも言いました。
しかし、仕方がないなどと諦めていては国民としての責務は果たせません。なんとかならないものかと思っていた矢先、ここにきて、俄かに情勢に変化が起こり始めました。安倍一強の奢りと緩みからか、新たな大臣や取巻きたちの常識では考えられない失言や失態が相次いで露呈しました。
反安倍政権にとっては思いもよらない政権サイドの「オウンゴール」が続いたのです。これまでの報道番組は一連の「安倍疑惑」に関するものが主でしたが、加えて次々に安倍政権サイドの与党議員の失態が相次いでいます。バラエティー番組の格好の材料となっていますが、笑い転げているだけでは許されません。
どれも安倍首相の強権主義と依怙贔屓(えこひいき)が招いた当然の結果と言えるものです。自らの考えに近い人物を重用したり、マスコミを選別したりする偏った姿勢は見ていてありありです。
国民はバカではありません。このままでは良い筈はない。国民はもう惑わされない。安倍首相の資質、安倍政権の本性がようやくわかってきました。国民が思い込まされている「空気」が、実は偽りの現実なのだと気づかされたときに安倍政権は一気に終焉をむかえるでしょう。
国連人権理事会の対日調査報告によりますと、日本の報道が特定秘密保護法などで委縮していると指摘しています。安富渉・東大教授は、日本のメディアはタブーに怯えているとし「メディアのそんたくぶりは、一層ひどくなっている」と酷評しています。
我々一般国民は国の大事な情報は有力メディアに頼るしかないのですから、ジャーナリストはその矜持を失わないで欲しいものです。そんな中、唯一頑張っているのが、政権にしがらみのないネットユーチューブや週刊誌です。
昨日も週間文春が安倍さんの側近中の側近だという下村博文元文科大臣の加計からの不正献金疑惑を暴きました。下村氏は早速言訳会見を開きましたが、疑惑は晴れません。時を同じくして稲田防衛大臣の超アウト演説にも、安倍さんは動きません。
大手新聞の購読料は月3,400円程ですが、文春などの週刊誌は一冊370円から450円ですから、週刊誌を毎週2冊ずつ買っても新聞代よりも安いかトントンです。新聞は広告ばかりで読むところ、必要なところは実に少ないと思います。確かに週刊誌は興味本位ファーストですが、新聞に無い本音や真実性があり実利感があります。
確かにニュースはネットでいつでも見られるし、即時性もあり、あえて新聞を必要としない、無くてもよい時代になってきたという気はします。新聞離れが言われていますが、これも時代の流れではないでしょうか。それだけに尚更有力紙は真実と正義を伝えてこそ信頼を「買って」もらえるのです。
安倍さんは、かつて「美しい国」を標榜していましたが、これも今になってみればまったくの空言だったようです。権力者にとって都合のよくないことは、権力の圧力で闇に葬ろうとしているのが見え見えです。まさに民主主義、立憲主義を無視している張本人こそ安倍総理です。
「美しい国」に始まり共謀罪法まで、安倍さんのしてきたことはすべてウソの上塗りでした。まさに虚言癖のある利己主義者。こんな人の周りに群がる人こそ同じ穴のムジナに他ありません。
先ず許せないのが4年前の東京五輪招致演説で、福島の原発事故の汚染水問題について「状況はコントロールされている」と平然とウソ発言したことです。文科省から出た確かな文書を「怪文書」などと平然と白を切る菅官房長官も、立派な同じ穴のムジナでした。
「東京は安全な都市」とアピールしながら「共謀罪」法がなければテロは防げないと言いだし、国民に向けて丁寧な説明がないまま期限ありきで強行採決。森友・加計学園問題で支持率が36%に落ち、慌てて記者会見を開きながらここでも「丁寧な説明をしていきます」と、言訳にもならない言訳に終始・・・まさに虚言癖の人。あの説明で国民が納得すると本気で思っていたとしたら完全な脳天気です。
野党の攻勢に「印象操作」と反論していますが、前川前文科事務次官への「辞めた過去の人」「なぜ今ごろ出すのか」「いかがわしい場所に出入りするような人間の言うことに耳を貸すな」などと、「印象操作」による人格攻撃を必死でやっているのは、内閣官房長官サイドではないでしょか。
国連の特別報告者ケナタッチ氏は「共謀罪法は、人権、表現の自由、プライバシイーを損なう懸念がある」と明言しました。これに対して安倍氏サイドは「それは個人の意見で、国連の総意を反映するものではない」とか、「問題ない」「その指摘はあたらない」などと勝手な反論を繰り返しています。ここでも理屈の通らない「印象操作」が行われました。
今や国民の大多数が内閣に不信感を持っているのですから、正々堂々と説明責任を果たすべきです。証人喚問もすべきです。憲法第53条には、衆参いずれかの総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は臨時国会の召集を決定しなければならないとあります。
2015年の秋に安倍政権は、この憲法の規定を無視して国会を召集しませんでした。今回も野党からの請求に対して、菅官房長官は「政府は召集義務を負うが、憲法上期日の規定はない」といって要求を拒否しています。
今や、首相、官邸、与党に対する国民の不信感は、パンパンに膨れ上がった状態です。こんなアホウ連中が日本の政治を牛耳って「私物化」しているのをいつまで許すのでしょう。そんな暴走を止められない与党議員も同じ穴のムジナです。間もなく都議会議員選挙です。結果が楽しみです。
最後に今月25日、毎日新聞に載った読者の「オピニオン」記事を紹介しましょう。福島市在住の男性74歳の方の「前川前次官の証人喚問を」というタイトルです。
「7年ほど前から『福島に公立夜間中学をつくる会』に加わり、自主夜間中学運営に協力してきた。今年1月、前川喜平前文部科学事務次官に夜間中学の必要性について講演していただいた。その後、前川氏は文科省をやめられたが、講演をきっかけに前川氏は週1回ボランティア講演を続け、通ってくる姿を我らはうれしく迎えていた。
前川氏は『学びたいとい人たちのお役に立ちたい』という。自分にとっては何の得にもならない。しかし、あったことをなかったことにはできないと国民に実情を話された前川氏は、まさに『公務員』の姿を見せてくれた。
それをあしざまに人格攻撃し、論点をそらそうとした菅義偉官房長官らは、前川氏に国民の前で謝ったのだろうか。その姿が見たい。謝罪の気持ちを表す具体的な方法は、前川氏の証人喚問である。加計問題を解明するのは安倍内閣の責務。証人としての役割を終え、再び福島に来てくれる前川氏に会いたい。」
 

 

■生き方31 口内フローラ 歯周病
今や内閣は腐りきっています。そんな政府を正すことができないのは、国会自体が悪玉菌の蔓延によって「国会フローラ」なるものが害されているからです。前回から指摘の通りです。
そんな悪玉菌の主役こそ言うまでもなく安倍総理大臣。秘密保護法やら安保関連法やら共謀罪法やらを、多数の横暴によって、まともな説明もなく姑息で狡猾な手法を使って強行採決してきました。
内閣府人事局はまさに安倍総理私物化による依怙贔屓、寵愛人事の本丸に他なりません。森友問題も加計問題もそんな総理の忖度から生まれた問題であることは状況証拠からほぼ間違いありません。
加計グループが設置する際に投じられたこれまでの補助金・助成金などの税金は、判明分だけでも500億円以上に及ぶそうです。その全てが適正だったのかさえ怪しいものです。国会へ証人喚問された籠池氏に対し加計氏からの説明は一切ありません。疚しいことがなければ正々堂々と姿を現し説明すべきでしょう。
籠池夫妻は逮捕されましたが、森友学園の土地8億円値引問題も是非はっきりさせてもらわないと国民は納得できません。籠池氏の言う「トカゲの尻尾切り」に終わらせられたんでは、もはや法治国家とはいえません。
自衛隊日報隠蔽問題で平然とウソをつき通し、自衛隊員の生命がかかる問題を起こしながら稲田防衛大臣を首にもしない。まさに寵愛人事による秘蔵子だからでしょう。北朝鮮からいつミサイルが飛んで来るかもしれない事態なのに、安倍さんは一体何を考えているのか。
「丁寧な説明」など口先だけで、その弁解は、すればするほど信用できない。こんな人がまだ総理大臣を続けていること自体呆れ果ててしまいます。最早安倍さんには総理の資質はないのですから。
これまでの公私混同、私利私欲による国の損害は計り知れません。この国の傷を癒すには、気の遠くなる時間と代償を費やさなければなりません。即刻安倍内閣が総辞職しても、この負の遺産、恐怖の種を取り去る過程が待っているかと思うと、安倍氏の推し進めてきたことの罪深さは筆舌に尽くし難いところです。
さて、政治の話はもういい加減にしましょう。この辺で本題に移ります。最近ようやく腸内フローラが知れ渡ってきましたが、実は、人の口の中にも悪玉菌と善玉菌、日和見菌からなる700種類もの細菌が棲みついており、「口内フローラ」が形成されていることがわかりました。
この「口内フローラ」のバランスが崩れると、虫歯や歯周病などの病気だけでなく、糖尿病や早産、動脈硬化から脳梗塞、心筋梗塞のリスクが高まることが明らかになってきました。
そこで今回から「病気にならない生き方」を学ぶにあたって「口の中の健康」について3月に紹介しました、歯科医師森永宏喜先生著「全ての病気は『口の中』から!」を参考に学んでみたいと思います。
口内細菌の悪玉菌の中には、虫歯を引き起こす「う蝕病原菌」と、歯周病を引き起こす「歯周病原菌」の2グループがあります。歯のケアを怠ったり、口腔環境が悪くなったりすることで、悪玉菌ばかりが繁殖するとまず虫歯や歯周病などになります。
歯周病菌などの菌が作った物質は、慢性炎症の歯茎を通じて血管など体の組織の内側に入り込むことで重大な病気の原因となるのです。歯周病との関連が強い病気の代表が、糖尿病だといわれます。
歯周病から「炎症性サイトカイン」と呼ばれるたんぱく質が作り出されることで、糖の代謝に関わるインスリンの作用を低下させてしまうのです。それが原因で血糖値のコントロールが悪くなり糖尿病が悪化してしまうのです。
血液中に入り込んだ歯周病は、血管を刺激して動脈硬化の原因となる物質を増やしてしまいます。ほかにも、肥満や腎臓疾患、関節炎など、歯周病菌によって引き起こされたり、悪化したりする病気がいくつもあることがわかってきました。
歯周病は「もの言わぬ病」といわれます。初期の段階では、自分で見てもわかりにくく、自覚症状もほとんどありません。そして、自覚症状が出てきたときには、病気はかなり進行していて、治療が非常に難しくなっていることが多いのです。
歯周病はいわゆる歯周ポケットから細菌が侵入し、歯を支えている骨(歯槽骨)を溶かし、最終的に歯が抜けてしまう「歯肉と骨の感染症」なのです。
歯周病は、今や成人の約8割がかかっているとされる「国民病」なのです。にもかかわらず、歯周病を「病気」と思っていない人が少なくありません。たとえ歯周病と診断されたとしても、歯のことだから大したことはない・・・ などとタカをくくってしまっている人が多いのではないでしょうか。これは、まさに大きな落とし穴と言えるのです。
早い人では、10代から歯肉炎・歯周病の初期症状が始まり、40代、50代で患者数が最も多くなります。これを放っておいて、やがて歯が減り噛みにくくなっても、歳をとったのだから歯が少なくなるのは当たり前と、まだ事の重大さに気が付かないことが多いのです。
食べ物が噛みにくければ、栄養の摂取に問題が出てきて、全身の健康に影響してくることはいまでもありません。さらに怖いことには、口内の不健康は万病のモトになります。特に、歯周病がいろいろな生活習慣病の原因となっていることがわかってきました。
気づかないうちに、あなたを蝕んでいる歯周病。そのとき、あなたの口の中では、一体何が起こっているのでしょうか。ふだんの歯磨きで落としきれなかった汚れや食べカスは、歯の表面や歯間、歯と歯ぐきとの間などに付着して、歯垢が作られます。
歯垢は、単なる食べカスではなく、実は私たちが食べた物などを栄養にして繁殖した細菌の塊なのです。1グラムの歯垢には、なんと1億個もの細菌がいるといわれます。歯垢は、いわば細菌の巣窟なのです。
これは、歯と歯ぐきの間のミゾである歯周ポケットの中にも多く付着します。歯周ポケットに入り込んだ歯垢は、歯を磨いてもブラシが届きにくく、歯はさらに増殖していきます。
最近は、歯垢のことをバイオフィルムとも呼びますが、特にリーダー格の悪い菌を中心にして何百種類もの菌が集まり、塊を形成しています。この塊は、唾液でも溶けにくい物質で覆われていて、うがいくらいではとてもとれません。
恐ろしいことに、そのバイオフィルムから放出される毒素は、口内の歯周病の病巣に開いた血管を経由して全身に散らばっていきます。LPS(リポポリサッカライド)と呼ばれるこの毒素が血管の内部や神経組織などに炎症を引き起こすことがわかっています。
たとえば、20本の歯に中程度(5ミリ)以上の病的な歯周ポケットがあるとすると、口の中には大体72㎤、つまり手のひら1個分ほどの潰瘍があることになります。潰瘍は組織が傷ついている状態で、炎症のモトになります。
口の中の病気だから大丈夫などと安易に考えていると、歯周病は、その進行とともに全身に慢性的な炎症をもたらします。この炎症こそ、重篤な病気の引き金となる恐ろしい症状であると、今注目されているのです。  

■生き方32 口内フローラ 全ての病気は口から侵入
国会が突如解散しました。「国会フローラ」の解体です。安倍総理は、8月に内閣を改造したばかりです。「仕事人内閣」と自画自賛しながら、首相の所信表明演説や代表質問も一切行われませんでした。
解散権をもつ総理の独断で行われたのですが、大義がないというのが大方の見解です。内閣の都合や判断で一方的に衆院を解散するのは解散権の乱用でしょう。選挙に700億円もの税金をかけ、なぜ今なのか、まさに異例の解散です。
解散には名前が付けられますが、今回はさしずめ「もりかけ解散」でしょうか。数々の疑惑について、「丁寧な説明をいたします」といったにも拘わらず、国会の召集の要求も無視。御自分では「国難突破解散」と銘打っていますが、その実、「疑惑隠し解散」「逃亡解散」と言われても仕方ありません。
安倍さんは、「信がなければ大胆な改革も外交も進められない」と強調しました。しかし、まず必要なのは加計問題などで招いた不信を“丁寧な説明”によって解消することからでしょう。
選挙で勝ちさえすれば信任を得られるというのは、順番が逆です。野党が準備不足の今なら勝てると見たのでしょう。己が延命のために解散するという、まさに「エゴイズム解散」でもあり、国会の私物化にほかなりません。
安倍さんが再登板してから5年近く、「安倍1強」のおごりやひずみが見えてきた中で、さらに4年続くことの是非が問われる選挙です。憲法や安保、経済、財政、社会保障など、さまざまな重要課題をどうしていくのか。
民進党も「名を捨て実をとる」として事実上の解党をし、安保法制に賛成でなければ入党できないとする小池「希望の党」の元にあえて駆け込みました。政治家もやはり人の子、保身ファーストで「実」を取らなければならないのでしょうか。日本の岐路を決めるのは国民です。美しい「国会フローラ」をつくるため国民には賢明な選択をしてもらいたいものです。
以上、またまた、政治の話になってしまい恐縮です。「法話」に政治の話はふさわしくないという節もありますが、拙僧の真意は仏教の「諸善奉行・諸悪莫作」の教えに基づいた「平和ファースト」の考えからだとご理解下さい。
さて、本題に移ります。前回に引き続き森永宏喜先生の著書を中心に学んでまいります。雑誌「PRESIDENNT」の調査で、こんな興味深い結果が出ていました。アンケート「健康で一番後悔していること」のトップ10です。
1.歯の定期診断を受ければよかった。
2.スポーツなどで体を鍛えればよかった。
3.日頃からよく歩けばよかった。
4.腹八分目を守り、暴飲暴食をしなければよかった。
5.間食を控えればよかった。
6.頭髪の手入れをすればよかった。
7.タバコをやめればよかった。
8.ストレスの解消法を見付けておけばよかった。
9.よく笑い、くよくよ悩まず過ごせばよかった。
10.不規則な生活をしなければよかった。
55歳〜74歳の男女1,000人へのアンケートで「スポーツ」や「ウォーキング」を抑え、堂々トップに挙げられたのが「歯の定期診断を受ければよかった」なのです。それほど、晩年になってから、特に歯を失うようになってから、歯の大切さを痛感している人が多いことがわかります。
ですから、今からでも歯のケアをしっかりしておけば、このような後悔や悩みが少ない晩年を送ることができるのです。そして何より、命を守る最後の砦が「食べること」です。食べられないと、命を維持するための栄養が十分摂れなくなくなります。歯をケアすることは、しっかり食べること、命を守ることでもあるのです。
森永先生は、口の中で全身の健康状態がわかるといわれます。まさに、口は健康のバロメーター。それも、とびきり鋭敏で感度のよいバロメーターだそうです。
歯ぐきや口腔粘膜はターンオーバーが速く、敏感で変化が現れやすいからです。ターンオーバーは細胞の入れ替わり、つまり新陳代謝のことですが、これが皮膚の6倍のスピードで行われます。
皮膚のターンオーバーの周期が28日だそうです。骨では200日もかかるそうです。それが、歯ぐきは、たった5日で細胞が入れ替わるといのですから驚きです。
口の中は、外部からのいろいろな刺激が入ってくる場所のため、早めに細胞を入れ替えて、抵抗力をキープできるしくみになっているのです。ちなみに口腔以上にスピードが速いのは小腸の粘膜で、2日ほどで入れ替わるそうです。
常に外部からの異物にさらされ、これらを排除しなければいけない場所では、いつも細胞をリフレッシュする必要があるのです。そんなわけで、口の中はさまざまな変化に対応すべく感度の良いバロメーターとなっているのです。
先生は、「あらゆる病気は口から侵入する」といわれます。飲んだり食べたり、呼吸をしたりするたびに、口には体の外からいろいろなものが入ってきます。
水や栄養分のように有益なものもあれば、細菌のように有害なものも否応なく入り込んできます。体に異常をもたらす病原体のうち、経口感染、飛沫感染、空気感染・・・さまざまな形で、口から侵入してくるものがたくさんあります。口はまさにあらゆる病気の入口でもあるのです。
ということは、そうした病気の感染を防ぐためには、口の中、とりわけ口腔粘膜の健康が非常に大事なキーポイントになるということです。なぜなら、粘膜は、病原体の侵入を防いで体を守るバリアの役割を果たしているからです。
口腔粘膜の特徴は、表面を粘液(唾液)でカバーされています。このネバネバの粘液が、病原体をブロックする働きをしています。ネバネバのモトは、ムチンというタンパク質の一種で、それが病原体を排除する機能を果たしています。
それと、リゾチームやラクトフェリンという強い抗酸化作用のある物質も含んでおり、腸内細菌によい影響を与えています。 口の中をよい状態に保つことは、あらゆる病気を予防することにつながっているのです。
つまり、歯を中心に口の中の状態がよければ、さまざまな病気の予防や健康が維持できるということです。元気な高齢者が増えれば、今後ますます重要な国の課題でもある医療費の削減にもつながります。口の中の健康は最高のアンチエイジングと言えるのです。 

■生き方33 口内フローラ 全ての病気は口から侵入2
またまた政治の話からで恐縮です。選挙の結果は与党の圧勝でした。安倍政権を批判してきた手前もあり感想を述べさせていただきます。
内閣支持率が低いのに、何故国民は自民党を選んだのでしょうか。安倍首相には不満があるが、政権選択というのなら、消極的ながら自公政権に託すしかない・・・そう考えた有権者が多かった結果ではないでしょうか。
日本人は、右が3割、左が2割、中道5割といわれています。右3割は自公の固定票、左2割は広義のリベラル、中道5割は無党派層となります。日本の有権者は約1億人。これに当て嵌めると、自公が3千万票、野党が2千万票、無党派層が5千万票ということになります。
そして大抵の投票率は50%台だとすると、中道5割の多くは棄権していることになります。この状況だと、リベラル(2割)は必ず自公(3割)に負けることになります。 野党が乱立すればなおさらです。
自民党は小選挙区で4分の3の議席を占めましたが、一つの選挙区から一人だけが当選するこの制度は、第1党が得票率に比べて多くの議席を獲得するのが当然という、いわゆる「死票」の多いひずみのある制度なのです。
自民党の今回の小選挙区での議席占有率は75%にもなりますが、全有権者(1億609万人)に占める絶対得票率は25.2%にすぎません。今回の「勝利」を絶対得票率から見ると、自民党を支持する民意が小選挙区制で増幅された結果だと見て取れます。
自民党は有権者の圧倒的支持を受けたと思い上がってはいけません。安倍政権の5年間に不満や疑問を持つ国民は多く、選挙後でも「安倍さんに今後も首相を続けて欲しい」は34%、「そうは思わない」は51%です。
国会で自民党だけが強い勢力を持つ状況が「よくない」が73%、「よい」は15%。おごりと緩みが見える「一強政治」ではなく、与野党の均衡ある政治を求める、そんな民意が読み取れるのに、なぜ今回の選挙で自民は圧勝したのでしょうか。
安倍晋三首相は各地の街頭で、真っ先に「北朝鮮の脅威」を訴えました。麻生財務相は、自民大勝の結果に「明らかに北朝鮮のお蔭もある」と吐露しています。今回の解散を「国難突破解散」と名付けた真意はそこにあったのかもしれません。
戦争へのメカニズムとして「敵の脅威」は欠かせません。戦争の遂行には国民の支持や協力が欠かせません。そこで、しばしば「脅威」が誇張され、ねつ造され、大量破壊兵器があるといったり、敵の攻撃をでっちあげたりします。
ナチス・ドイツの国家元帥、ゲーリングは、「『我々は攻撃されている』と訴え、『国を危険に晒している』と平和主義者を避難すれば、人々は意のままになる。このやり方は、どんな国でも有効だ」と言っていました。
今日の自由な社会でも、狂気の指導者がいなくても、人々を不安に働きかける手法は通用します。世界に「自国ファースト」、「白人至上主義」、「異教徒排除」、「移民反対」などの自己中心政治が広がっています。
日本も似たようなものになろうとしています。こんな時こそ、多数派か少数派かに拘わらず、一人ひとりの自由、人権を大切に守らなければなりません。不安に煽られ、大切なものを手放さないようにしなければなりません。
それらを重んじるのが「リベラル」という立場です。護憲か改憲か、保守か革新かといった線引きを越え、何が正しいのかを見極めた是々非々が大事です。
「上からのトップダウン型の政治か、下からの草の根民主主義か」、立憲民主の枝野幸男代表が訴えた個人尊重と手続き重視の民主主義のあり方は、安倍政権との明確な対立軸になりえるでしょう。
そもそも民主主義における選挙は、勝者への白紙委任を意味しません。改憲をめぐる民意も多様です。主権者である国民の理解を得つつ、十分な議論の積み上げが求められます。
憲法論議の前にまず、なすべきことは、森友・加計問題をめぐる国会での真相究明です。首相の「丁寧が説明」は果たされていません。行政の公正・公平が問われています。政権のおごりと緩みを首相みずから率先して正すことが、まず求められているのです。
さて、本題に入りましょう。森永先生は、アンチエイジング医学を意識するようになって、日本抗加齢医学会の抗加齢医学専門医の資格を取得しました。そして、よりコアな国内外の情報を求め、世界最大で最も歴史のあるアメリカ抗加齢医学会(A4M)で研修を受け、日本の歯科医としては初の認定医となったのです。
特に、毎年12月にアメリカ・ラスベガスで開かれる総会に出席され、最新の情報を入手したり、この分野の権威の貴重な意見など聞いたりして研修を積まれてきました。こうして学んできたことを日々の診察や治療に生かそうと努められておられます。
生活習慣病は、その名の通り、日頃の生活習慣が病気の発症や進行に深くかかわっています。偏った食事、運動不足、過度のストレスなどなどからいつしか健康が損なわれていきます。
病気はいきなり発症するように思われますが、それには原因となる生活習慣が長く続いていた結果なのです。ただ、本人がそれにほとんど気が付いていないだけなのです。病気のスタート地点に立つまでに、とても長い助走期間があるのです。
スタート地点の一歩手前、いわば「未病」の状態が大きなポインになるのです。何となくおかしい、ちょっと普段とは違う、というようにわずかに異常を感じる状態がある筈です。
それは、僅かであっても、病気に限りなく近い状態なのです。これを放置しておくと、徐々に病気が進行し、やがて重症化することになります。発病して、メタボリック・ドミノの最初の一枚が倒れてしまうと、その流れを途中でストップさせるのは難しいのです。
そんなドミノの最初の一枚を握っているのが歯科といったら、驚く人もいるかもしれませんが、森永先生は、虫歯や歯周病は、このドミノの最上流に位置しているといわれます。
口の中に不調が現れたときに、全身の健康を意識することで、様々な病気の発病や進行を防げることもあるのです。その自覚さえあれば、病気は上流ほど対処しやすいものです。
それなのに、これまでの医療では、病気になってからでないと対処しませんでした。病気が生じてからの治療、つまり下流にながれてからの後追いというのが普通でした。その点、歯科では、より上流で対応できることになります。
比較的元気なうちに、未病のうちに、口腔歯科の健康を意識することで、「ドミノ」を倒さずにすむことにもなるのです。ですから、歯科は「健康のゲートキーパー」として最適の位置にいるのです。
口の中が良好な状態の人は、いろいろな慢性疾患にかかっていないことが多く、それだけ免疫力が強く病気にかかりにくいといえるのです。
健康を維持し、病気を予防するということは、最高のアンチエイジングといえます。そこに、歯の健康は深くかかわっているのです。歯を守ること、歯周病などを予防して口の中を健康に保つことは、生活習慣病から身を守ることであり、健康寿命を延すことになるのです。

■生き方34 口内フローラ 口は禍の元
新年明けましておめでとうございます。各位にとりまして佳き年になるよう祈念申し上げます。
よく、歳をとると共に一年経つのが早く感じると言われますが、正月などは特にそれが感じられます。若い人にとって未来は希望と期待に満ちた「上り坂」ですから「新年おめでとう」の実感があり喜ばしい限りです。
しかし、人生「下り坂」にある高齢者にとっての新年はまた一歩来世に近づいた感も否めません。齢を重ねる毎に、体力、知力、精神力などが確実に衰えて行くばかりでなく、経済的、健康的な心配も現実味を増してくるからです。
とは言え先ずは今年一年をサバイバルしてまた来年を迎えられるよう頑張りましょう。人生を「坂」に例えましたが、その「坂」の状況は百人百様であって、勾配も長さも内容も違います。
「知らず知らず歩いてきた細く長いこの道、振り返ればはるか遠くふるさとが見える。でこぼこ道や曲がりくねった道。地図さえないそれもまた人生、ああ川の流れのように・・・」
御存知美空ひばりの「川の流れのように」の歌詞です。人生は又、川の流れに例えられるかもしれません。全く先行きが見えません。希望通りにいきませんし、後悔も尽きません。今一度あの時に戻れたら、やり直せたらと思うことはいくらでもあります。
人生それぞれですが、その人の幸、不幸が決まるのは「生き様」であり、最後の「人生全う」や「大往生」も、その評価が決まるのもまさに「下り坂」の晩年です。日本人の寿命も延びてきて人生100歳の時代がやってきます。
ある統計によれば50年後の日本人の100歳の人口は64万人にもなるとか。65歳でリタイヤしたとしても、まだ20年から30年もの余生が待っています。長寿になるほど長い「下り坂」人生が待っているのです。
やがて平均寿命は100歳になるとも言われているそんな超長寿時代に対応するには兎にも角にも先ず健康でなければなりません。人生は「下り坂」がメインです。「下り坂」(拙僧を含め)のみなさん。幸も不幸もこれからが勝負です。
仏教の第一義は人の幸福です。その幸福を担保してくれるものこそ健康です。本ホームページが健康のタイトルにこだわっている理由です。そんなことで「病気にならない生き方」も今回で早35回にもなりました。
不老長寿はまさに人類の飽くなき欲望です。医科学もそれをモティベーションに日進月歩の発展を続けています。遺伝子解析やiPS細胞による再生医療によって、やがて癌をはじめ、様々な病気が克服されるでしょう。百歳人生は夢ではありません。
しかし、それらが現実になるのはしばし先のことでしょう。今の我々がその恩恵を受けるには間に合いません。当面は、自分の健康は自己責任のもとで、自己管理していくしかありません。
さて、前々回より歯科医師、森永宏喜先生の「全ての病気は『口の中』から」の著書より、その内容をご紹介させていただいておりますが、今回もその中から一緒に学んでみたいと思います。
実は、昨年11月19日(日)、森永先生の講演会(無料)が館山市文化ホールで開催されそれに参加させて頂きました。講演会のことを地元新聞で知り早速参加を申し込んだ次第ですが、それが7回目の講演会だったことに驚きました。
先生は、口の中の状態が如何に生活習慣病に影響を与えているか、そしてその予防が如何に大事かについてスライドやゲームを取り入れて丁寧に教示くださいました。先生の著書から予備知識は持っていましたが、改めて納得のいく「授業」でした。
誰でも歳をとれば歯が無くなるのは至極当然だと思っていたことが全くの間違いだったこと。生活習慣病など多くの病、特に認知症などにも歯周病菌が大きく関わっていることなど、更に「目から鱗が何枚も」落ちました。
講演が終わり帰り際、先生に挨拶をして著書を拝読させていただいたこと。その内容を拙僧のホームページに引用させて頂いていることのご了解を頂き名刺を交換させていただきました。全くのボランティアでの講演や啓蒙活動を医院職員が一丸となって定期に実行されていることに心から敬意を表します。
先生は、「噛める」ことは生命維持の基本と言われます。平成元年に、当時の厚生省と日本歯科医師会が中心になって「8020(はちまるにいまる)運動」がスタートしました。「80歳になっても、自分の歯を20本以上保とう!」と、広く呼びかけました。
歯が上下合わせて20本あれば、大体の食品を容易に噛めて、食生活に満足できます。そして、この「噛める」ということは、生命維持の最も基本的な条件の一つということがわかってきたからです。
「8020運動」を進めている財団は、噛むことの8大効用を挙げ、その頭文字から“ひみこの歯がいーぜ”というフレーズを謳っています。つまり「肥満防止、味覚の発達、言葉がはっきり、脳の発達、歯の病気を防ぐ、ガンの予防、胃腸の働きの促進、全身の体力向上と全力投球」の8つです。
最後の全力投球というのは、歯を食いしばると力がわいてくる、ということです。さらに言えば、「ひと口30」という勧めもあります。ひと口食べたら、30回は噛むようにしようということです。
よく噛むと、唾液の分泌が盛んになります。虫歯や歯周病を予防するのはもちろん、唾液に含まれている殺菌作用を有効に使うためにも、またセロトニンなどホルモンの分泌を促すという。
この30回噛むことは、日米共通のようで米国抗加齢医学会でも奨励しています。唾液分泌の活発はいろいろなホルモンの分泌も盛んにします。さらに、唾液に含まれるアミラーゼが、デンプンやグリコーゲンといった多糖類の消化を促進します。
神経年齢についても、口の中の状態とのかかわりがあることがわかっています。65歳以上の日本人を対象に、4年間追跡した調査によれば、歯がほとんどなくて、かつ義歯を使っていない人は、20本以上の歯がある人と比べて、認知症の発症リスクが1.85倍も高いという結果が出ています。
それに対し、歯がなくても義歯を使用している人の場合は、歯がある人と発症リスクに差は認められなかったそうです。噛むことは中枢神経を刺激し、脳細胞の減少を抑制するといわれています。中枢神経と「噛める」機能との深い関わりを示しているといえます。
よく噛むことで、唾液の分泌を活発にします。唾液には、免疫グロブリンAや、抗菌作用のあるゾチーム、ラクトフェリンなどが含まれていて、これらは、飲食や呼吸などで口から侵入してくる病原菌をブロックするのに欠かせない存在なのです。
口の中が良好な状態の人は、いろいろな慢性疾患にかかってないことが多く、それだけ免疫力が強く病気にかかりにくいと言えます。寝たきりや認知症の状態でずっと長生きするよりは、自分の事は自分でできて、社会参加もできるという老後でなければなりません。
超高齢化社会に向かって健康寿命が一層大事になってきています。「口は禍いの元」であることを肝に銘じたいものです。  

■生き方35 口内フローラ 口は禍の元2
2月15日は釈迦さまの命日涅槃会(ねはんえ)です。お釈迦さまが亡くなったことを「涅槃」と言いますが、改めてその意味について考えてみましょう。
サンスクリットのニルバーナの訳であり、原義は「吹き消すこと」、また「消えた状態」。転じて煩悩の火が消え、智慧が完成する悟りの境地をいいます。漢訳では、滅度、寂滅、円寂などがあります。
お釈迦さまの死を「入滅」と言いますが、人間としての80年の寿命を終えられたと同時に「涅槃」に遷(うつ)られたのです。
涅槃とは、煩悩のない真実の世界、完全無欠の一切の悩みや苦しみから脱した、円満、大安楽の境地であり、仏教で理想とする世界のことです。涅槃とはすなわち仏の世界そのものを指します。
お釈迦さまは「入滅」されたと同時に涅槃の世界に居場所を“遷(うつ)”され、そこで更に衆生“教化”に務められているので、それを遷化(せんげ)と申します。つまり涅槃の世界から引き続き娑婆世界を見守られているのです。
「峰の色谷のひびきも皆ながら我が釈迦牟尼の声と姿と」(道元禅師)お釈迦さまは過去の仏さまではなく今でも三身仏(法身・報身・応身仏)として生きておられるのです。我々(仏教徒)は皆お釈迦さまの子(みこ)なのです。
「今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是我子」(法華経・譬喩品) 「また釈迦牟尼はおおせられた『今この三界は、みなこれ我がものなり。そのなかの衆生は、ことごとくこれ我が子である。』」(正法眼蔵・三界唯心)
涅槃とは仏の世界だといいましたが、仏の世界というと、普通極楽浄土を連想しますが、極楽浄土は西方十万億土はるか彼方にある来世の世界であり、そこを治められているのが阿弥陀如来です。
お釈迦さまの担当される世界はこの我々の生きている娑婆世界ですから、遷化されて尚この娑婆世界に留まり我々を教化されていると考えるのが釈迦牟尼を本尊とする宗派の捉え方なのです。
阿弥陀信仰は来世の極楽往生のご利益を願い、釈迦如来信仰は現世のご利益を願ったものと言えるでしょう。そういった意味から、阿弥陀さまとお釈迦さまは比して大変対照的な仏さまといえるのです。
死ぬことを「お陀仏」といいますが、阿弥陀仏のところに往生することから来ているといわれます。では壊れたり使えなくなったりすることを「おしゃかになる」といいますがそれはどうゆうことでしょうか。
諸説あるなか最有力説では、江戸時代に鋳物師が阿弥陀仏を鋳造したところ失敗して「光背」を無くしてしまい、光背のない仏様と言えば釈迦牟尼仏なので、そのことから、失敗してダメになることを「おしゃかになる」と言ったとか。
またその失敗の原因が「火が強かった」というのです。江戸っ子は「ひ」を「し」と発音することから「しがつよかった」→「四月八日」=お釈迦さまの降誕会(ごうたんえ)なのでそれに引っ掛けて「おしゃかになる」というようになったとか。
まるで都市伝説のようですが信じるかどうかはあなた次第です。何れにしろ、人は誰でもやがていつかは「お陀仏」や「おしゃか」を迎えるわけですが、「人生全う」し「大往生」したいものです。それにはいつも言うように先ず健康です。
さて、前回に続き森永先生の著書から学んでみたいと思います。「口は禍の元」と言いましたが、特に昨今大きく注目されているのが認知症です。それに歯周病が大きく関わっているというのですから驚きです。
認知症のなかでも、特にアルツハイマー型認知症(AD)は、「アミロイドベータ―」と言う特殊のタンパク質が脳内に増えることが原因だと言われているのは案外皆さんご存知ですが、そもそも認知症は「脳の炎症」なのだそうです。
脳にアミロイドベータ―が溜まることで脳が炎症を引き起こし、炎症が更なる炎症を引き起こすのです。その炎症は、激しい急性の炎症ではなく、むしろ「長く続く慢性の小さな炎症」なのだそうです。
歯周病は口の中で起こる小さな慢性炎症ですが、驚くべきことに、アルツハイマーで亡くなった人の脳を調べたところ、歯周病菌の毒素が高頻度で検出されたそうです。
これに対して、アルツハイマーを発症していない人の脳からは、この歯周病菌の毒素は検出されなかったそうです。研究のリーダー名古屋市立大学・道川誠教授は「歯周病治療で、認知症の進行を遅らせられる可能性が出てきた」といわれます。
歯周病は、重症化しない限り強い症状はありません。自覚症状は少なく、中等度までは自分で見つけることが困難な病気です。その原因は細菌感染ですが、その原因菌は口の中だけでなく、血管を通して全身に拡散して悪さをしているのです。
厚労省の調査によると、50代後半から60代前半にかけて歯周病がある人の割合は、8割を超えています。また若い世代でも、歯周病にかかっている人は少なくありません。口臭の強い人、歯茎から出血する人は罹患していると疑った方がよいでしょう。
つまり日本人の多くに歯周病という慢性炎症があるということです。その小さな慢性の炎症が年齢とともに重症化していき、徐々に脳の炎症を悪化させていくというストーリーがあるのです。
アルツハイマー病の罹患率は、70代から急激に増加します。その病の原因となる脳内物質アミロイドベータ―の蓄積は、発症する15年ほど前から始まるといわれますが、まさに歯周病罹患のピークの年代と重なっているのです。
歯周病のような慢性炎症が、がん、糖尿病、高血圧などの生活習慣病の悪化に大きく影響するということが、アメリカでは10年以上も前から話題となっていたのに対し、日本ではようやく最近一部の専門家が気づき始めたのが現状だとのこと。
「日本ではまだ、歯周病の全身への影響の認識が十分ではないなかで、それにいち早く気付いていた超一流の先生がいらっしゃいます。その先生こそ、天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀された順天堂大学の天野篤教授です。
天野先生はエッセイのなかで、『厄介なことに口腔内の細菌は血液中に入り込みやすい傾向があるようです。(中略)たとえば歯周病で歯茎に炎症があると(中略)その免疫の連鎖反応が血管内にも飛び火します。その結果、起こるのが動脈硬化の悪化。(中略) 実際、歯周病の人は心筋梗塞になるリスクが高い報告があります』
そしてエッセイの最後は、『まさに口は病の元。下手をすると命取りになりますから、くれぐれもご用心を』と結んでいます。7200例以上の圧倒的な手術の実績を評価されて宮内庁からオファーを受けた、日本で右に出る者のない心臓外科医師だからこそ辿り着いたご見識ではないでしょうか。」と森永先生は評されています。
今や日本は押しも押されぬ長寿国ですが、2012年時点の認知症患者は約462万人、その予備軍は約400万人と言われています。3〜4人に1人は認知症になるといわれ、その約半数はアルツハイマー型といわれています。
歳をとれば誰でも歯は抜け、歯周病になったり認知症になったりするのは当たり前だと思っていましたが、認識を持ってケアに努めれば十分対峙できるのです。健康はまさに自己責任にあるということを改めて肝に銘じるべきです。  
 
四諦 3

 

■八正道 正見1 中道こそ正義
今まさに桜の花見シーズンクライマックスを迎えています。日本の桜の魅力もすっかり世界的になり、今年も多くの外国人がわざわざこの時期来日し、日本の花見文化を楽しんでいる様子が報道されています。
ここ館山に里見氏ゆかりの館山城がありますが、その城山公園もちょっとした桜の名所になっています。拙僧も先日ちょっと出掛けてきましたが、土日でないにも拘わらず多くの人出で賑わっていました。ネット情報社会のせいか県外からの車も多く見られました。
今年の花見による経済効果は試算によると6517億円にもなるとか。今年は好天に恵まれ春の嵐の心配もないようなので、経済効果も予想以上に伸びるかも知れません。いよいよ春本番です。
その昔、うららかな春の日差しの降り注ぐ中、お釈迦さまは何人かのお弟子さんと共に、野中の道を歩いておられました。冬の眠りから醒めた草木が、とりどりの花を咲かせている丘で、お釈迦さまは、足元を指して、「ここにお寺を建てるといいね」と申されました。
お弟子さん達に混じって御伴をしていた帝釈天が、一本の草をお釈迦さまの指さされたところに挿(さ)され、「お寺が建ちました」と申しあげました。すると、お釈迦さまは満足げにニッコリと微笑まれました。
「挙す、世尊、衆と行く次いで、手を以って地を指して云く、此の処宜しく梵刹を建つべし。帝釈、一茎草を将って地上に挿んで云く、梵刹を建つること已に竟んぬ。 世尊微笑す。」
この話は「従容録」という禅宗の祖録の第四則「世尊指地」の本則ですが、穏やかな春の日の一瞬のできごとのこのやりとりの公案の意味するものは一体何でしょうか。
宏智正覚禅師はその頌で、「百草頭上無辺の春 手に信(まか)せ拈じ来たり用い得て親しし」と示されています。春は地上にあるすべてのものの上に平等に訪れ、春の命が全く平等に注がれている。
その春の命はまさに佛性でありその陽光はまさに慈悲である。そこには人の分別や凡夫の物差しなどまったく入る余地はない。あるがままの春の如く、我々も全身全霊でその場、その時に臨まなければならない。
修行は普通お寺という道場で行いますが、本来修行というものは時も場所も選びません。即時、即座が修行なのです。大伽藍の中と麗らかな野原とで本質的な差などないのです。例えここが野原であれ、ここがお寺だと思えばそこがお寺になるのです。
まさに「却下照顧」、つまり「足もとだよ」ということです。「人生の生き方は歩々是道場」であるから、この場こそまさにお寺(道場)ですよ、という意味で帝釈天が一草を地面に挿して釈尊に示したのです。
本物の道場とは、いつ、どこであっても、「今、ここ」でしかなく、本物の修行とは、「今、ここ」に命をかけることです。「寺という道場はいつでもどこでもその場その場が道場である」という、帝釈天の反応に釈尊は感心して微笑されたのです。
法華経・神力品に次のような言葉があります。「もしは園中においても、もしは林中においても、もしは樹下においても、もしは僧房においても、もしは白衣の舎にても、もしは殿堂にありても、もしは千谷広野にても、是の中に皆まさに塔を起てて供養すべし。ゆえはいかん。 まさに知るべし。是の処は即ちこれ道場なり。」
どの一刻も「今」でない時はなく、「ここ」でない場所はない。食事をしている「今、ここ」、お手洗いで用をたしている「今、ここ」、仕事している「今、ここ」であろうとも、どんな一瞬も「即ちこれ道場なり」です。
人生の旅路の中には喜びの日も悲しみの日も、怒りや苦しい、逃げ出したい日など、いろいろあるでしょう。人生は喜怒哀楽の様々な現実との向き合いです。いかなる「今、ここ」に対しても前向きにあきらめずに真摯な姿勢で取り組むことが「自分の寺を建てる」ことなのです。
春がすべての上に平等に働きかけるように、仏の働きはいつでも、どこでも一切のものをつつみ込み、生かしてくださっているのです。何の分け隔てなく万民平等に見守ってくださっている、それが仏の慈悲であり、それに感謝し応えるのが供養です。
「降る雨は同じであっても受ける草木によって異なる」(薬草喩品)しかしながら、すべての人々を、子のように慈しむ仏の慈悲は平等であるが、人びとの性質の異なるのに応じて、その救いの手段には相違があるというのです。
「降る雨」とは恵みの雨であり、それはすべてに等しく降り注ぐ如来の慈悲の譬えのことですが、その恵みは受ける人すべてに平等ではないというのです。それは何故でしょうか。それはズバリ「縁」による格差です。
仏教の教え、釈尊の教えを一言で言うならば「因縁」の教えに尽きます。つまり「因と縁と果の法則」であり、良き因と縁によって良き果がもたらされるという誰もが知る極めて合理的な因縁論に他なりません。
すべての命は、ご縁によって「生かされている命」ですから、その自覚を持って生活している者とそうでない者とでは、当然そこに結果としての差が生じるのです。ただし、たとえ因が同じでも縁を変えれば果は変わる。だから仏教は「よき縁を」と強調するのです。
何よりも「良き縁」をつくること。その教えこそが「四諦八正道」なのです。四諦とは苦諦、集諦(じったい)、滅諦、道諦の四つで「諦」は「真実、真理」を意味します。
苦しみという結果が出た。それには必ず原因がある。これが苦諦と集諦で、滅諦はその苦しみが転じて安らぎとなった世界であり、道諦はその安らぎの世界への実践道で、その中味が八正道として説かれているのです。
この世はすべて歴然たる因、縁、果の世界なのですから。その縁を良くするも悪くするもすべては本人の自覚次第です。その自覚を正すのが八正道、まさに文字通り「八つの正しい道」なのです。
正という字は、単に正しいということではなく、「真ん中、中央」という意味です。つまり偏らないということです。偏りとは、たとえば偏見、偏食、偏執といった言葉がある通り、心に偏りがあるということです。
仏教は中道の教えといわれるのは、つまり偏りを正す教えだからです。ものごとに固執して偏った考え方や行動からすべての不幸や苦しみが生じるのです。たとえば、体によくないと分かりつつも暴飲暴食を続けたり、不規則な生活を繰り返したりしていたら健康を損ない病気になるのは当たり前です。
つまり、自業自得という道理が分からないか、或いは分かっていても実行できないという「縁」によってもたらされる不幸なのです。だからその悪い「縁」を断ち切り、よき「縁」に導くための教えが八正道なのです。
何よりもそんな偏りのない中道を歩まなければならない人こそ国政の指導者でしょう。今の安倍政権とその与党の政治家にそんな矜持がまったく感じられません。森友学園問題や加計学園問題など、疑惑は一層深まったままです。
まさに安倍一強による悪因の結果であり、これは国政の私物化であり犯罪行為にほかなりません。これが許されるとしたら最早民主主義ではありません。今まさに日本人の資質が問われています。 

■八正道 正見2 唯我独尊
4月8日は御存知お釈迦さまの御生誕を祝う花まつりの日です。降誕会と言いますが、それは兜率天という天界におられたお釈迦さまが、娑婆世界の悩める一切衆生を救わんがために下界に“降りて”こられたという意味から「降誕」といいます。
伝説では、お生まれになってすぐに七歩進み、右手で天を、左手で地を指差して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言されたといわれています。その時、天に九頭の龍が現れ甘露の雨を注いで祝福されたとのこと。
お釈迦さまのお母さまマーヤ夫人は出産のため里帰りの途中休息したルンビニーの花園でのことでした。花御堂を造り、これをルンビニーの花園として見立てて甘茶を灌(そそ)いでお祝いすることで、花まつりと言われます。
お釈迦さまの誕生仏に甘茶を灌ぐことから正式には灌仏会(かんぶつえ)といいます。その他、仏生会(ぶっしょうえ)浴仏会(よくぶつえ)龍華会(りゅうげえ)花会式(はなえしき)などとも呼ばれます。
七歩進まれたといわれますが、ある説によれば、7というのは、6プラス1です。その6というのは、六道輪廻の世界、つまり迷い苦しみの世界のことであり、その六道から離れ悟りの世界へ晋むもう一本の道の意味が7歩だというのです。
それにしても、「天上天下唯我独尊」とは、「天の上にも天の下にも、私ひとりこそ尊い」という意味ですが、普通の人の言葉としたら傲慢以外の何ものでもありません。が、釈尊の言葉として受け止めるとき、そこに仏教の大事な精神があることは容易に推測できます。
では、その仏教精神とは何なのでしょうか。一つのエピソードからその意味を考えてみたいと思います。釈尊が御在世の頃のことです。コ―サラ国のハシノク王は、ある日王妃のマッリカー夫人にたずねました。
王「妃よ、世の中で、自分より愛しいと思うものがあるか」 妃「王よ、私には、この世に自分より愛しいと思われるものはありません」 王「そうか。私もそうとしか思えない」
日頃釈尊の教えを深く聞いていればこそ、この「誰よりも自分が愛しい」という、本能ともいうべき「我愛」の姿に気づいた王夫妻は、慈悲を説かれる釈尊の教えに背くような気がして、二人は釈尊を訪ね、そのことを申し上げました。
二人の言葉に耳を傾け、深くうなずかれた釈尊は、次の言葉をもって示されました。人の想いはいずこへもゆくことができる。されど、いずこへおもむこうとも、人は、おのれより愛しいものを見出すことはできぬ。それと同じく、他の人々も己はこの上もなく愛しい。されば、己の愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ。
「自分よりあなたを愛する」「自分より家族を愛する」といいますが、ぎりぎりのところに追い詰められたとき、誰もがまず自分を先とします。これが偽らぬ人間の姿ではないでしょうか。
釈尊は、理屈抜きに、生きる本能ともいうべきこの「我愛」の姿をごまかさず凝視せよ、とおおせられました。さらに一歩進めて、そのわが身かわいい想いが満たされなかった時の悲しみ、無視され、傷つけられたときの苦しみ。
思うようにゆくとのぼせあがり、思うようにゆかないと七転八倒し、あるいは落ち込み、あるいは他人を怨んだり、ときには仕返しをしてやろうとする悍ましささえ持ち合わせているのが人間の心です。
そんな痛み苦しみを、ごまかさず、眼をそらさずしっかり受け止め、その苦しみのどん底で眼を他に転ぜよ、とおおせられたのです。
私がこんなに自分がかわいいように、あの人もこの人も自分がかわいいのだ。私がこんなに認められたい、傷つけられたくないように、あの人もこの人も認められたいんだ、傷つけられたくないんだ。
私がこんなに無視されて悲しく苦しいように、あの人もこの人も悲しいんだと、わが身にひき比べて、他の悲しみ苦しみを我がことと受け止めよ、と示されたのです。これが「他の人々とも自己はこの上もなく愛しい」の第二句目の心です。
結びとして「されば、おのれの愛しいことを知るものは、他の者を害してはならぬ」と説かれています。本能ともいうべき「我愛」が百八十度みごと方向転換したものが「慈悲」の心だということがわかります。悲しみ苦しみが、求道の扉を開く鍵だと言われる所以です。
「肉眼は他の非が見える。仏眼は自己の非に目覚める」といわれます。自分では自分の姿は見えない。仏の御眼に照らされ、真実の教えの光に照らされてはじめて我が非に気付かせていただくことができるのです。
「正見」によって我が非に気付かせていただき、歩むべき方向づけができる。偏りのない天地の道理をしっかり「正見」することで「慈悲」が生まれるのです。ハシノク王夫妻は「我愛」を転じてほんとうの「慈悲」の意味を知ったのです。「慈悲」の教えこそまさに仏教なのです。
「天上天下唯我独尊」、「天の上にも天の下にも、私ひとりこそ尊い」の意味するところは、自己が尊いのは、すべての人それぞれも同じであり、自己へのほんとうの「愛しさ」を知ることで、他己も同等であることが分るのです。自己への「愛しさ」が正見できたときそれを「慈悲」に昇華できるのです。
釈尊の「唯我独尊」はまさに正見に基づくものであったことがわかります。「正」という文字は「一以って止まる」、つまり「一」と「止まる」から構成されているといわれます。
易経では「一は天を指し、二は地を指す」といい、老子は「一は道であり、善である」と説いています。良寛さんは「人間の是非一夢の中」と詠じておられます。
人間世界の是非善悪は実に中途半端なものです。それは、時の流れや立場が変わることで是非が容易に逆転するからです。都合や事情で変わる是非善悪は決して本物ではありません。
それは、いついかなるときも天地の道理に照らしてみることで検証できます。前回仏教は中道の教えだと言いましたが、その基準、視点が八正道で示されているのです。天地の道理に照らし「正見」を見極めずして幸福はありえません。
この因果は個人でも社会でも、国家レベルでも同じことです。国の指導者が、我見、我執に負けて我欲に捕らわれたら国家、国民が被る不幸は甚大なものです。
その最たるものこそ今世界中が最も注目している北朝鮮でしょう。この27日、独裁者正恩委員長は韓国文大統領との歴史的会談に踏み出したわけですが、この後の米トランプ大統領との会談で彼の非核化の本気度がある程度わかるでしょう。
しかし、彼は世界で最も信頼のおけない独裁者です。これまでの彼の人間性と核に対する固執から考えて、易々と核を完全廃棄するとは拙僧には思われません。この懸念が結果的に間違いになることを願いつつ本日はこの辺にしたいと思います。  

■八正道 正見3 極妙の法則
前回、良寛さんの「人間の是非一夢の中」という句を紹介しましたが、この句は、「半夜」という七言絶句の中の句であり、この前に「回首五十有余年」首(こうべ)を回(めぐら)す五十有余年という起句があります。
良寛さんはしんしんと降る雨の夜、寝付かれなかったか眼を覚まされたなか、ご自分の五十有余年の人生を振り返ってこの詩を詠まれたといわれます。「人間」は「にんげん」とも「じんかん」とも読まれます。
人間世界での是や非、善や悪、優劣など、それらはみんないい加減な夢のようなものだというのです。なぜならば、人間が間違いないと思い込んでいる価値判断は所詮人間のつくった「モノサシ」での判断であり、その目盛りの中心はいつも「わたし」にあるからです。
前回の「天上天下唯我独尊」という言葉も人間のモノサシだったら傲慢以外のなにものでもありません。お釈迦さまの言葉として、宇宙絶対の真理というモノサシによるものだからこそまさに「正見」なのです。
「正見」の反対が「我見」「邪見」です。因果の道理も業報の道理も信じない自己中心的なよこしまな考えが「邪見」です。立場や都合によって逆転するような善悪こそまさに邪見です。どこまでも天地の道理に則った「是非」でなければなりません。
伝教大師最澄は、「発(おこ)し難くして忘れ易きはこれ善心なり」と語っておられます。この「善心」こそ「正見」から生まれた「私心」のないものです。主観的モノサシに捕われるのが「私心」です。
天地の道理に背むき自ら招く苦しみ、そんな苦しみや不幸に陥らないために「私心のない善心」を正見は説いています。その実践は極めて単純明解、只「悪いことはするな、善いことをせよ」です。
「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」これは「七仏通誡の偈」(しちぶつつうかいのげ)と呼ばれるもので鳥窠道林禅師(八二四年寂)が、白楽天(八四六年寂)の問いに答えたと言われる有名な句です。
仏教史上特に有名なエピソードの一つとして伝わっています。白楽天が道林禅師に「いかなるか仏法の大意」(仏教の基本は何ですか)と問われました。それに対し禅師は、「悪い事はするな、善いことをせよ」と答えたのです。
それに対し白楽天は、「そんなことは三歳の子供でも知っている」と返されたのです。それに禅師は、「三歳の子供でも知っていることを、八十の老翁が実行することはできない」と叱咤され、白楽天は拝謝して去ったといわれます。
道元禅師は、「早く自未得度先度佗(じみとくどせんどた)の心を發(おこ)すべし。その形陋(いや)しというとも、此心を發(おこ)せば、巳(すで)に一切衆生の導師なり、設(たと)い七歳の女流なりともすなわち四衆の導師なり、衆生の慈父なり、男女を論ずること勿(なか)れ。これ仏道極妙の法則なり」と垂示されています。
「私心のない菩提心を持った人であれば、たとえ僅か七歳ばかりの童女であろうとも、四衆の導師であり、慈父ともいうべきものである。そこに男女の差別などまったくない。これは仏道極妙の法則である」と喝破されています。
「四衆」とは、比丘、比丘尼、優婆塞(在家の信士)、優婆夷(信女)のことです。「男女を論ずることなかれ」という文句について一言言わせていただければ、わが宗祖道元禅師の女性観を如実に語られているということです。
仏教における男女両性観は、いわば男尊女卑的でありますが、禅師は法の上から、さらにいうならば修行と悟りの上から、男女を全く平等に観られています。禅師の女性観ともいうべきものは、「正法眼蔵礼拝得髄」の巻を通じて十二分に窺うことができます。
菩提心を發した者は、老若男女、年齢に関係なく仏道修行の導師である。これは「仏道極妙の法則」であると断言されています。今からおよそ750年も昔(鎌倉時代)に禅師はすでに老若男女に何の優劣もないという真実を見極められていたのです。
真実は時代によって変わるものではありません。立場や都合によって変わるものでもありません。よく、「時代が違うから」とか、「立場上」から“持論”を主張される人がいますが、それらは「正見」とはいえません。
正見は「仏道極妙の法則」が担保になっているのです。  人間界は御存知六道輪廻のうちの一つです。即ち迷いの世界であり否応なしに四苦八苦の宿命に見舞われている世界なのです。
ですからどんな人でも、人間として生まれてきた以上四苦八苦から逃れることはできません。ただ言えることはその四苦八苦の有様には個人差があるということです。たとえば「病苦」です。その実態は実に百人百様です。
ピンピンコロリの人から半生も寝たきりの人まで様々です。拙僧も多くの人の終末を見てきましが、その実態はまさに百人百様です。幸福な人生を全うするには健康が欠かせません。ですから拙僧は「病気にならない生き方」にこだわっているのです。
人の幸福を左右するのはそんな体の健康だけではありません。仏教が最も問題視しているのが「心の健康」即ち「貪・瞋・痴」との関わりです。人が起こす悪事の源の殆どがこの三悪趣に因るからです。
この悪趣の実態もまさに百人百様です。警察沙汰もスピード違反程度だけで終わる人もいれば、人生の殆どを牢獄の中で送る人までいます。この三悪趣の根源をいかにコントロールするかに人生の幸福が掛かっていると言っても過言ではありません。
掛けがえない人生とはよく言ったものです。そんな大事な人生を少しでも善いものにしたいというのが万人当然の願いです。そのためのテキストが八正道だとしたらそれを活用しない手はありません。
有史以来人の生活と科学は目覚ましい進歩を遂げました。人類が続く限りその流れは決して止まることはないでしょう。しかしながら、人の心に翻ってみると、その進歩は科学に比例して豊かになっているようには思えません。否、むしろ心は退化傾向にあるようにさえ思えてしまいます。
実際、地位や名誉や富、教養がある人でも全てが善人であるとは限りません。善人であるための担保は只ひとつ善心です。善悪の有象無象が蠢く人間界、三歳の童女が知っている良識が八十歳の老翁にも難しいという、そんな教訓の一つが只今炎上中の日大アメフト問題でしょう。
加害者の宮川選手は「つぐないの一歩として、真実を話さないと、顔と実名を公表してこそ真の謝罪」と勇気をもって会見に臨みました。その誠意ある若者の態度にむしろ感動してしまいました。
それに比べ“立派な大人”の監督やコーチは言い逃れとウソに徹しました。自浄能力のない大学の組織。長年蓄積された悪趣の膿が出るべきして出たのです。まさに「因果の道理歴然として私なし」(道元禅師)です。貪瞋痴による業報に容赦はありません。
そんなウミの“最大級”のモデルこそ森友、加計問題でしょう。隠蔽、改ざん、虚偽の証拠を次々に突き付けられてもなお反証もなしに否定するだけの厚顔無恥の安倍さん。そんな人が総理を続けていること自体全く理解できません。
安倍さんの権力の私物化をこれ以上許しておいて良いのでしょうか。事実を正し理不尽な悪事を許さない。そこには与党も野党もありません。与党議員は安倍さんに阿る前に、国民から選ばれた国会議員であり国民の負託を担っている立場であることを自戒し、その矜持を示して欲しいものです。
さて、残念ながら毎日新聞特別編集委員の岸井成格さんが亡くなりました。「戦後レジームからの脱却」を主張し、日本の立憲主義を危うくさせる数々の法案に対して容赦ない批判をしてきました。
戦後日本が築き上げてきた保守の崩壊に並々ならぬ危機感を感じていました。分り易い解説と温厚な人柄の中にも強い正義感を持った人でした。そんな優れたジャーナリストがまた一人いなくなりました。心よりご冥福をお祈りいたします。  

■八正道 正思惟1 仏は無相
四諦の「諦」は「真実、真理」を意味し、道諦はその安らぎの世界、即ち悟りへの実践の方法を示す道であり、その中味が八つあることから八正道といいます。正しいとは右でも左でもない真ん中、つまりかたよりのない中道ということです。
人は偏よった考え方に立つことで偏見、偏執を持ち、ものごとが正しく認識できなくなります。誤った考え方から悩みや苦しみが生じます。だからこそ人は常に八正道に心がけなければなりません。
正見(かたよらないものの見方)
正思惟(かたよらない考え方)
正語(かたよらない言葉づかい)
正業(かたよりのない行い)
正命(かたよらないせいかつ)
正精進(かたよらない営み)
正念(かたよらない心もち)
正定(かたよらなき落ち着き)
「正見」については前回までに述べてきましが、今回は二つ目の「正思惟」(しょうしゆい)について考えてみましょう。これは「かたよりのない考え方」ということです。
経典には、相反する二つのうち、一方を取ってそれに捉われるならば、それは誤りであると説かれています。私たちはともすると、善と悪にとらわれ、邪と正にとらわれ、美しいものとそうでないものにとらわれて、安心したり、不安になったり、喜んだり、悲しんだりします。
釈尊は、人間の苦しみ、迷いの根源を「執着」と洞察し、善も悪も、正も邪も、美も醜も、長も短も、重も軽も本来固定的、実体的なものではなく、すべて執着、固執による偏見からきている認識だと言われます。
つまり善悪の判断が「執着」から生まれる偏見によるものであれば、その認識は誤っているのです。偏見、偏執がすべての迷いや悩み苦しみの根源なのです。それは前回指摘したように、間違った「モノサシ」のせいなのです。
偏りのないモノサシで考えなければ正しい判断にはなりません。正しいモノサシでものごとを考える・・・これが正思惟です。その基本は、先入観や思い込みや主観などにとらわれないということです。
そして「ありのまま」の意味を考えてみることです。ものごとをありのままに見るのが、さとりであるということは、これまでも触れてきましたが、如実知見・・・まさに「実のごとくにものごとを見る」ということです。
ある僧が、「曲がりくねったこの松をまっすぐ見た者には褒美をとらす」と木片に書いたという。どこから見てもまっすぐ見られない。相談をうけたある僧が、「簡単なことだ。ずいぶん曲がった松だと言えばよい」と答えたそうです。
これは一休禅師と蓮如上人のエピソードとして伝えられています。「まっすぐ」とは「ありのまま」ということです。曲がったものを「ありのまま」見られないという凡夫のこころを見事に突いています。
禅問答のような話ですが、松の木が「曲がって」いるという事実を「そのまま見る」ことが「まっすぐ見る」ことです。「ありのまま」という事実以上の真実はありません。人は「ありのまま」を「有相」という色眼鏡で見ているのです。
仏法には有相(うそう)と無相(むそう)という二つの考え方があります。有相とはものごとを実態的にとらえる考え方であり、無相とはすべての存在が空(くう)なるもの、つまり無我なるものと捉える考え方です。
人は、どんなものでも実態にこだわります。どんな形か、どんな色か、どんな大きさか、どんな重さか、どんな質か。その実態に応じてそれぞれ勝手な基準で価値判断がなされています。
格好や色の違いや大小でそのものの価値に歴然とした格差をつけます。たとえば、スーパーで売られているキュウリ一本にしても、曲がったものはまっすぐなものより劣っているとされ値段は安くなります。
キュウリそのものの実体(中味)は変わらないのに形で優劣が付けられてしまうのです。同じ種から育ったキュウリなら質は同じ筈なのに見た目で格差をつけるのが人のモノサシです。
トマトもかぼちゃもしかりです。イヤ、野菜や果物だけならいざ知らず、まさに人に対しても同様なことが起こっているのです。同じ人間なのに「人種」ということばがあります。その言葉は人をまっすぐ見られないモノサシになっています。
つまり人のモノサシは所詮人のかたよったモノサシなのです。そんなモノサシの世界が「有相」の世界であり、そんなモノサシのない世界が「無相」の世界と言ったらよいでしょう。前者が迷いの世界であり、後者が悟りの世界です。
ですからわれわれは、そんなモノサシのない正思惟を心掛けなければなりません。形に限定されるとそれだけのものになってしまいます。真実は形を超越した無相です。形あるものの実体は無相なのです。無相が真実であり、それが仏の姿なのです。
さて、ここで疑問になるのが、「無相が仏の形」であるならば、では仏像とは何か。仏像は形でありまさに有相ではないかという疑問です。確かに我々の周りには沢山の仏像があり礼拝し供養しています。まさに当然の疑問です。
「歎異抄」には、阿弥陀仏のお姿が経典に説かれているが、それは方便の姿であると示されています。「方便」・・・つまり真実の仏を認識させるための「手段」であるということです。「この一如(真理)よりかたちをあらわして方便法身となのりたまいて」(親鸞聖人)
仏、仏身という真理を悟った存在と仏像といったものは違うものであり、真理そのものは「法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり」(親鸞聖人)
その色なきもの、形なき真理を具体的に示し、人びとの認識の対象とする手立てとして「方便形像」が生まれたのです。それが方便法身のお姿であり、真理そのものではなく方便法身は真理の具体的顕現であり、この形を通して、真理そのもの(法身仏)に出会うのです。
仏像の意味、それは法身仏を顕した「方便仏」だといわれるのです。以前から拙僧も指摘してきたことですが、仏教は本来「偶像崇拝」の教えではないということがこのことからも分かるかと思います。
「すべての存在は空、無相であるという立場に立ち、「有無の邪見を破(は)すべしと世尊はかねてときたもう」(親鸞聖人)
「仏祖はいかにして成るか、それはあるがままの相(すがた)を究め尽してなるのである」正法眼蔵(道元禅師)
「あるがままの相」こそ「偏りなき」「こだわりなき」「捉われなき」実相であり、その実体は無相なのです。それを空と言い、真如と言い、そして仏と呼ぶのです。 

■八正道 正思惟2 人災
前回、仏像は真実の仏を認識させるための「手段」であると述べました。繰り返しになりますが、仏という真理を悟った存在と仏像といったものは違うものであり、真理を具体的に示し、人びとの認識の対象とする手立てとして「方便形像」が生まれたのです。
仏像は方便法身のお姿であり、真理そのものではなく方便法身は真理の具体的顕現であり、この形を通して、真理そのもの(法身仏)に出会うのです。仏像は、すなわち仏を顕した「方便仏」だったのです。
その真意を示した公案を紹介しましょう。「真佛坐屋裏」(しんぶつおくりにざす)[碧巌録] 趙州、衆に示して云く、金仏炉を渡らず、木仏火を渡らず、泥仏水を渡らず。 此の三転語を挙示し了って、末後、却って云く、真佛屋裏に坐す。
仏像といえば、尊く、お堂の奥の仏壇に奉られ、拝まれる有難いものです。金属でできていたり、木でできていたり、石や泥でできていたり様々です。人々はみなそれらが仏様だとして拝んでいます。
しかし、真の仏さまは「金剛不壊」といって決して壊れたりしないものです。ところが、金属の仏は炉に入れれば溶けてしまい、木造の仏は火に入れれば燃えてしまい、石や泥の仏は水に溶けたり落とせば壊れたりしてしまいます。
では本物の仏とは一体何なのかというのがこの公案です。大衆に疑問を投げかけて、趙州(じょうしゅう)禅師自らが答えて示したのが、「真佛坐屋裏」です。
屋裏とは家の中という意味ではなく「わが身」「わが肉体のなか」という意味です。生まれながらの我がこの肉体にこそ真佛が宿っているという意味です。真佛は塑像ではないので、絶対に燃えない、溶けない、壊れない。
真佛は拝む対象としてあちら側にあるのではなく、この我が身の中にこそあるのであって、まさに「衆生本来仏なり」という、自己の仏性に目覚めさせるための公案です。
もう一つ、中国・唐の時代、慧林寺の丹霞天然禅師の焼仏の話が有名です。冬厳しい寒波の中、丹霞は仏殿から仏像を持ち出してきて、それを燃やして暖をとろうとしていました。
住職はその暴挙を見て、なぜそんな無謀なことをするのかと詰りました。丹霞は平気な顔で、燃え盛る仏像を探りながら、「舎利を探しているのだ」とこたえました。
舎利とは仏舎利のことでお釈迦さまの遺骨のことです。住職は「木像に仏舎利があるわけがないじゃないか」とカンカンになって怒りました。丹霞は「舎利のない仏像ならただの薪と同じではないか」と言って平然と暖をとったというのです。
真仏を求めず、ただ仏像という形に捉われていてはならないというまさに戒めの逸話といえるでしょう。一切の固定観念をすて、思い込みや偏見による主観から脱却したところにいるのが真仏です。「脚下照顧」まさに「真佛屋裏に坐す」です。
さて、連日猛暑、酷暑が続いています。「命に関わる危険な暑さ」とマスコミも一番に熱中症の注意を呼び掛けています。24日ついに埼玉県熊谷市で41,1℃という国内観測史上最高を記録しました。
気象庁はこの猛暑を命の危険のある「災害」だと認識するとのコメントを出しました。熱中症患者も続出ですが、この「災害」は対応次第で避けられるものです。東京オリンピックまであと丁度2年だとしてマスコミはカウントダウンを始めましたが、問題はこの時期の暑さです。
明らかに熱波による「災害」の危険のなかで実施されるオリンピックはまったく馬鹿げています。アホかと主催者側の良識を疑います。米国のプロスポーツや欧州のサッカーなどと競合しIOCの収入が減るためとかいわれますが、4年に一度の世界一の平和の祭典であるオリンピックこそ最優先にすべきでしょう。
海外からも懸念と時期の見直し論のニュースが急増しています。世界ナンバーワンの平和の祭典が失敗に終わらないためにも、今からでも遅くはありません。関係者の再考と勇気ある決断を願います。
さて、出来るだけ外出を控えたいこの暑さの中、去る22日拙僧が兼務するお寺の境内草刈り掃除が行われました。三方山を受けている場所だけに範囲が広いのです。毎年この時期お盆に向けての檀家さんによる恒例の奉仕作業ですが、今年も例年通り実施されました。
拙僧も一緒に作業しましたが、やはり暑さは半端ではありませんでした。汗だくのまさにサウナ状態での作業はほんとうに大変でした。それでも例年のように30名もの方々が参加して下さり、すっかりきれいになりました。良いお盆が迎えられそうです。只々感謝です。 なんとか熱中症もなく無事に終わりホットしましたが、お寺の掃除行事等における怪我や事故等への対応の保険には入っていますが、これからは保険にも「熱中症対応」を加える必要があるかもしれません。
我々が子どものころといえば、夏どんなに暑くともせいぜい扇風機さえあればなんとか過ごせたものです。熱中症という言葉もあまり聞かなかったような気がします。昔は当然クーラーなんてありませんでした。それがこの頃ではクーラーなしでは生きて行けない状況になってしまいました。
まさに温暖化による異常気象なのでしょう。日本は東日本大震災から熊本大地震と今回の西日本豪雨大災害と想定外の天災に見舞われました。観測予報の技術が進歩したとはいえ天災はまだまだ人智の及ばない非情で不条理な世界です。
しかし、異常気象に関しては、その原因が人間による環境破壊だとしたら、それは天災ではなくまさに「人災」というべきものでしょう。人災だとしたら人智で防げるものです。今それに対応しなければ人類に未来はありません。
環境異変は、特に貧困や飢餓に苦しむ地域に一層の被害をもたらすと考えられます。温暖化により多くの国の重要なインフラや領土に及ぼす影響は、国家安全保障問題に発展する恐れもあり、紛争や内戦、戦争のリスクを増加させる可能性も高いのです。
地球規模で相次ぐ異変。環境に国境はありません。まさにボーダーレスです。その環境に対する巨悪の第一人者と言えばアメリカのトランプ大統領でしょう。パリ協定から離脱し地球温暖化を否定し、横車を押している暴君です。
まさに「正思惟」のない独善的な変人。最近北朝鮮金委員長と波長が合ってきているようです。そんな人間を大統領に選んだアメリカこそ災難です。ロシアによる選挙介入があったにせよ、彼こそまさに「人災」の模範であり、その災難は世界に拡散しつつあります。
日本にとっても対岸の火事ではありません。日本にもリトルトランプがいます。安倍さんの総裁三選が濃厚となりました。日本も「人災」が“佳境”に向かっています。現在それを防ぐ手立てはありません。国民はあきらめるしかないのでしょうか。
しかし、立憲主義を危うくするような我利我利亡者に国を乗っ取られてもよいのでしょうか。主権は国民にあるのですから国民は「正思惟」のある政治家を選ぶべきです。国の政治責任は国民自身にあることを自覚すべきです。 
 

 

■八正道 正思惟3 バカ知恵
八月も終わりだというのに、猛暑がぶり返してきました。何十年か後の気候のシュミレーションをテレビでやっていましたが、地球の環境は人間が生きて行ける状況ではないそうです。
過去これまで地球上あまたもの生物が繁栄と絶滅を繰り返してきましたが、人類はもはや“絶滅危惧種”になってしまうのでしょうか。その原因が自ら招いた環境破壊だとしたらまさに自業自得です。
あの恐竜さえも2億年も栄えたというのに、今の人類はその足元にも及ばないことになります。恐竜絶滅は巨大隕石による環境破壊だったといわれていますが、それは“天災”であり、人類の自業自得による“人災”とは大きく異なるものです。なんという因果でしょう。
温暖化による海面上昇による国土の破壊。熱波による疾病や死亡。干ばつによる食料不足問題。生態系の変化等々・・・地球は悲鳴をあげています。そのしっぺ返しの一つが前回指摘した異常気象です。
新人類(クロマニヨン人)が出現してから20万年、今の人間の人口が爆発的に増えたのはここ100年足らずのことです。地球上の人口は現在約73億人です。2050年までには97億人になるとの予測です。地球上で食料を賄えるのは80億人が限界だとの説があります。
地球を我が物顔で私物化し環境破壊を続けている人間。73億人が出す様々なゴミによって地球上がまさにゴミ捨て場なっています。人間の「バカ知恵」が生んだアスベストや核廃棄物など、有害で分解されないゴミは今や宇宙にまで拡散しています。
最近プラスティックやビニール製品などがクジラや魚の体内から出てきて、ようやく問題意識が高まってきましたが、ストローをマカロニや麦わらに替える程度ではなんの効果もありません。全地球的規模の意識改革が必要です。
人口増加と環境悪化、食料不足などから人類の未来は暗雲に覆われています。人類の“寿命”はあとどのくらいなのか。地球寿命のスパンからいえば人類の寿命はあと数秒かもしれません。人間は自業自得の因果により確実に自滅に向かっています。
そんな人間の「バカ知恵」が抱える問題はほかにもあります。第一次産業革命以来、人類は便利至上主義のもと猛烈な勢いで科学技術を発展させ豊かな生活を手にしました。
人間の欲望には限界がありません。今や第四次産業革命時代ともいわれ、その中心にあるのがまさにAI(人工知能)です。人間のIQを越え、将棋も囲碁のプロさえ敵いません。もはやAIが先生になってしまいました。
車の自動運転やドローンのような無人飛行体の可能性も計り知れません。空飛ぶ自動車が二年後の東京オリンピックの開会式デビューを目指しているというニュースがありましたが、その時にはもはや“サプライズ”とは言えないものになっているでしょう。それほどAI技術の進歩の勢いは凄まじいのです。
AI技術があらゆる分野において人間にとって代わっています。それはまさにAIによって人間自身が追い遣られているということです。更にAIは人間の仕事を奪ってしまう心配以上に恐ろしい可能性を秘めているのです。
家事や介護ロボットから、人間では近づけない危険な場所での困難な作業用ロボットなど平和的利用のものなら大歓迎ですが、問題は戦争用に開発され無人殺傷兵器にまで及んでいるという事実です。宇宙科学者池内了氏が発している懸念と警告を以下紹介します。
自我を持たず人間の命令に従って行動する「弱いAI」ではなく、自我を持ち自分で判断して自分の行動を自律的に決めていくという「強いAI」が出現した場合、AIロボットは単なる人間の模倣ではなく、人間を越えて自分の意志で行動する新しい「生物体?」になりかねないことです。
自らの意志で行動できる「強いAI」が戦争に動員される事態になれば、戦争の形態や戦術・戦略が大きく変化し、戦争は悲惨でより恐ろしい事態を招くことになってしまうでしょう。この3月に亡くなった英国の物理学者ホーキンズは自律型AIは人類を絶滅させるかもしれない、と警告していました。
ようやくAIの軍事利用問題があちこちで議論されはじめました。2017年(昨年)11月に日米欧中ロなど約90カ国が「自立型致死兵器システムについて」と題する政治専門家会議を開催しました。
しかし、ここでの議論は、各国が軍事利用へのAI兵器の拡大を警戒して規制を強くしなければならないが、民生分野の技術開発にもブレーキがかからないようにしなければならないという、危険と儲けの二股かけた議論に終始したようです。
どの国も率先して軍事利用を止めようということを主張せず、曖昧なままに終始したのです。こんな状態を続けていれば、低コストでAI兵器を量産する国が出てくるかもしれません。
手塚治虫が「火の鳥」で、電子頭脳の命令で核戦争が勃発し人類が滅亡する未来を描いたのは50年前でしたが、手塚の想像力のすばらしさに感心するとともに、今やそれが現実となるかもしれない心配がでてきました。
(以上宇宙科学者池内了氏)

独自の適切な判断で行動してくれるロボットほど便利なものはないでしょう。それを目指してロボット技術の開発は凄まじい勢いで進んでいます。人類は明らかに、限りなく人間に近いロボット、アンドロイドの完成を目指しているのは確かです。
そして人類が最終的に目指すゴールは、間違いなく「心を持ったロボット」でしょう。それはかなり遠い未来のことかもしれませんが、心を持つということは、適切な善悪判断ができるという理性が担保されなければなりません。
しかし、もし彼ら(ロボット)が自己主張や自己保身を優先し、理性の利かない存在になったら、もはや人間の手で彼らを制御できなくなる可能性があります。厄介なモンスターになって人類に襲いかかりかねないのが未来のAIロボットです。
拙僧の陳腐な仮説ですが、やがて超高度に“進化”したロボットは、自らの手でロボットを生産する時代がきます。IQは当然はるか人間以上に進化していますから、人間はもはや彼らに太刀打ちできません。
彼らが「ロボット権」を主張し人間に反旗を翻したその時、ついにロボットが人間を支配することになります。人間はロボットに管理され追い遣られ、やがて人類はフェードアウトし絶滅に至るというシュミレーションです。
人類にとっての暗雲は環境破壊にかぎりません。やがておとずれるそんなロボット時代こそ問題です。人類の後地球上の主がロボットになるかもしれません。まさに「ロボットの惑星」です。どれもこれも人間自らの「バカ知恵」が招いた因果です。
ことのついでにもう一つ言わせていただくと、スマホ問題です。先日所用で東京に行きましたが、どこもかしこもスマホ人間だらけでした。拙僧もスマホは持っていますが、自分的にはほとんど使いこなせていないレベルです。歳のせいか敢えて使いこなそうという興味も気力もありません。
ながらスマホで自転車運転の女子大生が歩行中の女性にぶつかり死亡させた事故がありましたが、自転車であっても法律上は自動車と同じで、3千万円から8千万円もの賠償を負うことになるそうです。
もはや無くてはならない便利なスマホですが、これも人間の「バカ知恵」が作った代物の一つです。なぜバカかと言えば、それは肉体的にも精神的にも人間本来の感性と社会性を損ねているものだからです。
厚労省がスマホ依存症者数を発表しましたが、その数全国でなんと250万人以上にもなるとのこと。スマホはまさに「スマアホ」人間をつくっています。
以上、人間は自らの「バカ知恵」によって未来を危うくさせているという趣旨を論じてきましたが、要するに、どんな優れた「知恵」でも、「正思惟」がなければタダノ「バカ知恵」にすぎないということです。
折角の人類のこれまで築き上げてきた素晴らしい知恵が“バカ”にならないためには人間はもっと賢くならなければなりません。そのための教えが仏教の智慧です。人類が未来に少しでも長く“生存”するためには、その智慧が絶対に必要なのです。 
 
不慳法財戒

 

 
■惜しむことなかれ1
仏教では、貪瞋痴(とんじんち)を三悪道といって最も卑劣非道だと位置付けています。幾度も触れてきたことですが、改めて申せば、「貪」は貪欲のこと、「瞋」は怒り、「痴」は無知のことです。
人が自ら起こす不幸の原因のほとんどはこの三悪道すなわち貪瞋痴が原因だと言っても過言ではありません。まさに身から出た錆び。ですからこの貪瞋痴さえ無くせば人は誰でも自から起こす不幸はなくせるということになります。
そんな不幸に陥らないためにあるのが戒律です。そのなかに十重禁戒がありますが、その第八番目が不慳法財戒(ふけんほうざいかい)です。法と財とを慳(おし)むことなかれ、という意味の戒法です。
慳は慳貪(けんどん)という熟語のあることでもわかるように、貪欲心から他人に対してものおしみをするという意味です。「法財」の法は教法(仏道)のことで、財は金銭や財物のことです。
われわれが他人に施し与えるものとしては、無形の精神的なものと、有形の物質的なものとの二つがあります。その前者を法といい、後者を財と呼んでいるのです。その何れをも他人に施し与えることを惜しんではならないというのです。
その真意はまさに「布施」と同義です。おしむ心、ケチる心があったなら布施行はできません。布施行なくして菩薩にも仏にもなれません。そのための基本的戒律の一つがまさにこの不慳法財戒だと言えるでしょう。
御開山道元禅師は「真実求道の人の一人もあらん時は、我が知るところの仏祖の法を説かざることあるべからず。たとい我れを殺さんとしたる人なりとも、真実の道を聴かんとて誠の心を以て問はば、怨心(おんしん)をわすれ、是が為に説くべきなり」(正法眼蔵随聞記)と示されています。
かつては自分に怨みをいだき、自分を殺そうとしたほどの人であろうとも、真に仏道の話を聞こうという気持ちを起こし、誠の心を以て道を問わば、過去の怨みなど忘れて、その人のために、自分の知る限りの法を説き聞かせるべきであるというのです。実に徹底した説示です。
「おしみ」はまさに貪の芽ですから、芽のうちに摘み取っておく必要があります。貪は制御しないと、もっともっと欲しいという留まるところを知らない貪欲になります。まさにガン細胞の如く無秩序に増殖し続け遂には自分自身を破滅に導いてしまうのです。
そんな"恰好な見本"が今回の舛添東京都知事の一件でしょう。政治資金の私的流用疑惑に関する釈明会見を行いましたが、あまりにも見え透いた言い逃れに終始する姿に呆れてしまいました。
不正を指摘されて、訂正したので問題ではないと釈明するのは、万引き犯が「払えばいいんだろう」と開き直るのと同じです。元東京大学教授で政治学者だといえば頭脳は優秀な筈です。そんな"立派"な筈の人がなんとしたことでしょう。
前猪瀬都知事が金銭問題で辞職に追い込まれ、交代してからまだたったの二年程です。前知事辞任の経緯を十分知っていた筈にも拘わらずまったく同じような墓穴を掘ってしまったのですから、これをバカと言わず何というのでしょう。
人はどんなに頭脳が優秀であれ、貪欲の猛毒に侵されると見境がなくなり、因果に則り奈落の底に真っ逆さまです。経歴や地位、名誉などまったく担保にはなりません。まさに「大凡因果の道理歴然として私なし」(修証義)です。
どんなに知識、経験があっても智慧がなければただの「知」にすぎません。「知」が病に侵されたのが「痴」ですから、舛添氏はまさに文字通りそれを実証されたのです。後悔先に立たず、只々不甲斐ない自分の「痴」に恥じ入るしかありません。
今世界から日本に来る観光客は激増しています。その魅力は日本の特有の文化と美しい自然、おいしい食べ物と人の素晴らしさです。ようやく日本特有の素晴らしさが世界に知れ渡ってきたのでしょう。
政府も日本の魅力をもっともっと売り出して、東京オリンピック、パラリンピックに向けてモティベーションを上げようとしている矢先でした。東京は日本の首都、その都知事はまさに東京の顔です。
日本の魅力は文化や自然だけではありません。人の魅力です。勤勉で正直で、親切だという評価は、日本は世界一安全な国だという評価にもなっているのです。特に反日教育を徹底している中国からきた観光客の中にも、日本に来てみてイメージがまったく変わってしまったという人も少なくありません。
そんな日本を代表するような立場の都知事が、こんな情けない人間だと世界中に知れ渡ってしまったのですから日本にとってそのダメージは計り知れません。経済的損失効果は如何ばかりか。彼によって日本は顔に泥を塗られたも同然、まさに万死に値しますよ。
僅かの汚職で免職になり、数千万円の退職金をフイにした公務員みたいなものです。地位の高い人ほど侮蔑と哀れみの眼差しに晒されるのです。猪瀬氏同様彼の失ったものはあまりにも大きすぎます。全ては目先の欲に負け良識の判断に欠けた結果です。まさに自業自得です。
それほど「貪」の毒は恐ろしいのです。その貪の反対が「知足」です。それは「満足」であり「安心」です。前々回の「法話」のなかで、人はどんなにお金持ちでも安心がなければけっして幸福ではないといったことを述べました。
その昔お釈迦さまや高僧たちが長生きされたのは質素清貧の中で信仰に生き心が満たされ「安心」されていたからです。信仰生活の中で欲望を捨て去ることで不安やストレスから解放され、結果「悟り」という「安心」を得たのです。
人は「足ることを知らない」と欲望が欲望を呼び尽きることを知らなくなります。それが餓鬼です。満足も感謝も知らない不安一杯の生き物のことです。どんなに富めても、とどまることを知らない欲望、食欲に狂おしいばかりにさい悩まされ続けるそんな餓鬼が世界中にはあまた蠢いています。
そんな餓鬼の実態を暴露したのが「パナマ文書」なるものです。世界の富裕層が陰で行っていた課税逃れの実態が赤裸々に晒け出されました。世界には大金持ちがいるものです。金持ちは概して税金が嫌いです。合法的に納税額が減らせる仕組みがあれば飛びつきます。
そんな合法的に節税できる仕組みを備えた地域や国が「タックス・ヘイブン」です。世界にはおよそ30ヶ所もあるとか。そんな国パナマで、世界の富裕層の資産を「守って」きたある法律事務所が40年分、1,150万件の機密データーを白日のもとに晒したのですから世界は驚きました。
これにより世界中の富裕層や大企業、公的組織の隠し持つ資産規模、資金洗浄や税金回避の実態が浮かび上がったのです。タックス・ヘイブンの利用で失われた推定税収額は、全世界で年間約10兆円〜25兆円とされます。
習近平からプーチン、キャメロン、ポロシェンコ、サルマン国王、アサドから世界の首脳の名前が続々でてきたとか。指導者として国民から血税を取り立てながら一方プライベートでは巨額な裏金を国外に蓄えていたとしたら道義的にとても許せません。
習近平の隠し資産が数兆円とか、プーチンが2千億円とか。汚職大国の中国で自ら汚職撲滅キャンペーンを行い政敵を悉く追放しておきながら自分ではとんでもない隠し資産を持っていることが分かったのですから、習近平という男やはりとんでもない男、イヤ餓鬼でした。
舛添氏が餓鬼だとしても、餓鬼にもレベルがあるもので習近平やプーチンなどはまさに別格です。小餓鬼の舛添氏が糾弾され、巨大餓鬼の習近平やプーチンがお咎めなしだとしたら理不尽でしょうね?
その点も舛添氏本人に訊いてみたいものですが、やはり得意な「厳しい第三者の目から判断してもらいたい」と言われるのでしょうか。 

■惜しむことなかれ2
ようやく舛添さんもギブアップしました。しかし往生際の悪さも相当なものでした。辞任の挨拶も見送りもなく憮然と都庁を去る姿は実に悲哀なものでした。「せこい」が世界を駆け巡って有名なニホンゴの一つに加えられましたが、それは間違いなく彼の「功績」でしょう。皮肉にしてはちょっと「せこすぎ」ですか?
それにしても因果応報の理法を侮ってはいけません。自他ともに万人が自重しなければならないことを改めて教えられました。仏教という釈尊の教えを一言で言うならば「因と縁と果の法則」すなわち「因果の業報」だと言えるのです。仏教は何も特別難しいことを教えているわけではありません。
諸悪莫作(しょあくまくさ)もろもろの悪いことはするな
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)つとめて善いことをせよ
自浄其意(じじょうごい)自ら心を浄めよ
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)これが諸仏の教えである
これは「七仏通誡偈」(しちぶつつうかいげ)と呼ばれるもので鳥窠道林(ちょうかどうりん)禅師(八二四年寂)が白楽天(八四六年寂)の「いかなるか仏法の大意」の問いに答えた言葉だと言われています。
「悪いことはするな、善いことはせよ」というのです。「そんなことは三歳の子供でも知っている」という白楽天に対し、道林禅師は「三歳の子供でも知っていることを、八十の老翁が実行することはできない」と叱咤され、白楽天は拝謝して去ったと伝えられています。
仏教はどこまでも自業自得を説きます。いかなる事態が起きようと責任を他に転嫁しない。自分の責任としてどう刈りとるか。その刈り取り方が次の種まきとなる。よき教えに導かれてよき因(たね)を撒き続けなさいという、まさにこれが即ち仏教の骨子なのです。
前回から指摘しているように、人が悪いことをするのは、貪、瞋、痴の「三毒」によるものがほとんどです。だから仏教は自業自得を説くのです。三歳の子供でも知っていることが、「いい大人」にできないことの難しさ。だから仏教は因果必然による自業自得を説くのです。
今回も前回からのテーマ「貪」をとりあげています。貪欲から生まれるのが、せこさ、おしみ、詐欺、窃盗です。窃盗や強盗は最悪の場合殺人まで引き起こします。
確かに、人には生きていく上で必要な欲というものがあります。それは基本的な生存欲であり、人生のモティベーションを保つためには欠かせないものです。生物としての食欲、性欲、睡眠欲、そして人としての名誉欲や向上心があるから達成感や幸福感を味わえるのです。
問題はそれらが健全な範疇でなければならないということです。「貪」が問題となるのは度を超し自制が利かなくなることです。貪欲に溺れるのが餓鬼であり、前回はその餓鬼の実態について述べました。しかしそんなにお金を持っていて一体何に使うのかといつも不思議でなりません。
人にはある程度のお金や財産があれば不幸でない筈なのに、何十億や何百、何千億もの使い切れないほどのお金を持つ必要があるのでしょうか。どんなに美味いものを食べても、どんな豪邸に住んでも、どんないい車に乗っても所詮個人が消費するには限界があります。
世界には30億人もの貧困者がいるという。世界の五人に一人が一日1.25米ドルで生活しているという。その一方世界で最も裕福な85人が人類の貧しい半分の35億人と同量の資産を握っているという。同じ時代、同じ地球に生まれながら、生まれた場所が少し違うだけで人生が全く違ってしまうというのはなんとも言えない人間界の不条理です。
ある雑誌によれば、タックス・ヘイブンの利用で失われる全世界の年間推定税収金10兆円〜25兆円といわれ、その推定貯蓄高は数千兆円にもなるという。なんと「数千兆円」ですよ。これを世界の貧困改善や格差是正に役立たせることができるとしたら人類はどんなにかスッキリするでしょう。
各国の税務・捜査当局は、租税回避地を利用する実質的な所有者の特定や違法性の有無などの捜査に着手しており、パナマ文書データーから更に実態解明を進めるという。パナマ文書は、タックス・ヘイブンのごく一端を明るみに出したにすぎず、新たな内部告発が報道機関に寄せられる可能性は高いという。
G20(主要20ケ国・財務相・中央銀行総裁会議)は「税務に関する自動的な金融口座情報交換のための基準」を発表。米国も世界金融機関に対して「外国口座税務コンプライアンス法」を施行。タックス・ヘイブンに対する包囲網は狭まりつつあるとのこと。
日本の国税当局も、スイスとの租税条約を改正して情報交換規定を新設。さらに香港、マカオ、英領ケイマン諸島、BVIなど、日本の企業や投資家が頻繁に利用するタックス・ヘイブンと相次いで租税条約を結んでいて、海外の税務当局からもたらされる情報は着実に増えているとか。
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」これはウルグアイ第四十代大統領ホセ・ムヒカ氏のことばです。
2012年ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連会議で彼が聴衆に向けて語りかけた言葉です。188カ国から首脳と閣僚級や政府関係者などが参加し、自然と調和した人間社会の発展や貧困問題が話し合われたこの会議で、彼の約八分間のスピーチが終わると、静まりかえっていた会場は一転して、大きいな拍手に包まれたとか。
この日の演説をきっかけに一躍時の人となったムヒカ氏は、質素な暮らしぶりでも注目され、「世界一貧しい大統領」と呼ばれました。大統領の時期は、公邸には住まず首都モンテビデオ郊外の古びた平屋に妻のルシア・トポランスキ上院議員と二人暮らしを貫かれました。
1987年製(30年も前)のフォルクスワーゲンを自ら運転し、公用車に乗る時も、決して運転手にドアの開け閉めをさせない。給与の9割を寄付し、月千ドル(約10万円)で生活したという。個人資産はくだんのワーゲンと自宅と農地とトラクター。
現在は大統領を辞し、一国会議員となりましたが、暮らしぶりはずっと変わらないという。とあるアラブの族長から「ワーゲン」を100万ドル(約1億1600万円)で買うといわれたとき、「車は友人からの贈り物、売れば友人を傷つけることになる」といって断ったとか。
質素な生活が注目されていることについて聞かれたムヒカ氏は「多くの人は、大統領は豪華な生活をしないといけないと思い込んでいるのでしょう。けれど私はそう思わない。大統領も国民のひとりにすぎない。指導者は国民の平均的なレベル以上の生活をしてはならない。大統領が一握りの金持ちと同じ生活をしていたら、国で何が起こっているかわからなくなる。国民の生活レベルが上がれば、私の生活レベルも上がるだろう。それがいいんだ。人気が欲しくてこんなことを言っているわけではない。何度も考え抜いた末の結論なんだ」
世界にうじゃうじゃいる餓鬼どもに、とりわけ政治家たちにムヒカ氏の爪の垢を煎じて飲ませたいものです。彼は今年4月に来日され、日本人に向けたメッセージがあまりにも素晴らしいと称賛され話題になりました。
ムヒカ氏の傍らで19年間取材をしてきたという、ジャーナリストのことばです。「いま、どこの世界を見てもあれだけのメッセージを発する政治家はいない。人々はやはり何かを信じたい。他の世界的なリーダーのメッセージを聞いても魅力的には感じないけれども、彼のメッセージの中には惹きつけられる何かがある。」
中でも、注目したいのは「彼のメッセージはもともと日本が持っていた哲学的な概念と通じています。」の部分です。ムヒカ氏ご本人も「日本から学ぶべきことは多い」としながらも今の日本の現状に対する率直な想いと苦言も述べられています。 

■惜しむことなかれ3
前ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカ氏は今年80歳になるという。1935年、スペイン系の父とイタリア系の母の間に生まれ、その人生はまさに波乱万丈とも言えるものです。
7歳の時に父親が亡くなり、家庭は裕福ではありませんでした。家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら、社会運動に目覚め、極左武装組織に参加。独裁政権下でゲリラ活動に従事。
ゲリラ活動中には六発の銃弾を受け、四度の逮捕を経験。最後の逮捕では、1985年に釈放されるまで約13年間の過酷な獄中生活を送ったという。ウルグアイの民主化とともに恩赦で釈放。その後、左派政治団体を結成し、1994年に下院議員選挙で初当選。2010年、大統領に就任。
前回、ムヒカ氏が来日した際「日本人から学ぶべきことは多い」と言ったことを紹介しました。また長年取材してきた記者が「彼のメッセージはもともと日本が持っていた哲学的な概念と通じています」と言ったことも紹介しました。今回は、そんな氏の語った実に含蓄のあるお話をご紹介しましょう。
「読書を通じて日本の歴史を勉強するうちに、日本の開国にアメリカが大きな影響を及ぼしたということを知った。鎖国をしていた江戸幕府をアメリカのペリーが開国させたことだ。それから日本は西洋の影響を受け、一気に西洋化が進んだということも知った。
面白いと思ったのは、明治維新だよ。幕府の将軍や藩主たちも、西洋諸国と戦っても意味がない、開国をした方がいいという決定をしたね。これこそが政治家の決断だ。それは非常に賢い選択だった。
その決断から半世紀の間に、日本は近代化を成し遂げた。その変遷が大変興味深い。当時の政治家の意思決定は感心に値するよ。
来日前から日本人は非常に勤勉でよく働く人だと思っていた。そして規律を大切にする国民だ。来日直後の記者会見に集まった記者たちを見ても、母国のジャーナリストと比較してそう感じた。
道行く人を見ても、警官の態度やドライバーの運転の仕方を見てもそう思う。ゴミを捨てる人もいないし、日本社会は成熟しているし、社会で決めた規則はみんなが守る。そういった意味で、世界の人々は、日本からいろいろ学ぶべき点が多い。
いまの日本は、技術大国という印象がある。大国だからこそ、今後、先進技術が人々の生活にどのような影響を及ぼしていくのか、そこをじっくり考えて欲しい。
たとえばいま、ロボット工学は日進月歩の勢いだ。その技術が、いずれ大衆化して広まっていった時に、労働者の代わりをロボットがするようになる。ロボットが存在感を増していく時代に、いろんな変化が起こるだろう。
そして、日本も他の経済大国からどんどん追い立てられる。コストを削減していくためにはさらに日本はロボットを使うしかなくなる。人の意志の問題ではなく経済がそうゆう状況を作ってしまった。
日本は一種のフロントランナーだ。今後、先ほど述べたような技術革新が起きるし、時代の流れは止められない。それをちゃんと直視して、自分の頭で考えることが重要だ。
私は日本の人にしてみたい質問がたくさんある。人類はどこへ向かおうとしているのか。世界の将来はどこへ向かっているのか。日本で起こることは、その後、必ず世界で起こる。
だからこそ、日本に問いたい。いま、どのような夢を見たいかを考えなければ、将来、私たち人類に明るい未来はやって来ないのではないかと。
私たちは非常に多くの矛盾をはらんだ時代に生きている。こういう時代にあって、自らに問わねばならないのは、『私たちは幸せに生きているのか』ということだ。
経済の進歩は、一面では非常にすばらしい効果をもたらした。150年前に比べれば、寿命は40年延びた。その一方で、私たちは軍事費に毎分200万ドルを使っている。また、人類の富の半分を100人ほどの裕福層が持っている。私たちはこうした富の不均衡を生み出す社会をつくってしまった。
私は日本の皆さんに言いたい。次の世代を担う若い人たちには、このような愚かな過ちを繰り返さないで欲しいと。人生にとって、命ほど大切なものはない。この星に生まれたすべての人の人生が大切なのだ。
世界について考える時も、人生についても、仕事について考える時も、どうすれば幸せになるかから考えなくてはいけない。
例えば、鳥の世界を考えてみて欲しい。鳥は、毎朝起きるたびにさえずっている。目が覚めたときに、喜びでさえずりだすような世界、喜びが湧きあがるような世界を若い人達に目指して欲しい。
誤解しないで欲しいのは、貧しく生きるべきだとか、修道士のような厳格な生活をしろと言っているわけではないということだ。私が言いたいのは、富に執着するあまり絶望に駆られてしまうような生き方をして欲しくないということだ。
人生とは、些細なことでもそれが大切な意味をもつことがある。例えば、愛情を育むこと、子供を育てること、友人をもつこと。そうゆう本当に大切なことに、人生という限られた時間を使って欲しいと思う。
生きていること自体が、奇蹟なのだ。この世界が天国になるのも地獄になるのも、私たち次第なのだ。ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどのくらい残るのでしょうか。
西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を、世界の70億〜80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。可能ですか。なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか。つまり私たちが、間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作ってきたのです。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか。グロ―バリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか。このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、『みんなで世界を良くしていこう』といった共存共栄な議論はできるのでしょうか。
どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか。我々の前に立つ巨大な危機問題は、環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を通り過ぎてしまいます。命より高価なものは存在しません。」

なぜ多くの日本人がムヒカ氏の言葉に惹き付けられるのかという質問に対して、氏は照れくさそうな顔をして肩をすくめ、感想をのべました。
「私の考え方は、日本の昔から引き継がれてきた文化の根底と、通じるものがあるのかもしれない。だからこそ、日本人に訴えるのではないだろうか。しかし、その日本の良い文化というのが、西洋化された消費文化によって埋没されてしまって、今は見えなくなってしまった。
経済を成長させていくことに躍起になり、かつての良さを見失っているようにも見える。そもそも日本人の心の底に流れているものがあり、私のメッセージが偶然、かつての良さを取り戻したいと考える日本の心情に響いているのかもしれない。
私が目指した世界は、ネクタイを強制されない世界です。したい人はすればよいし、したくない人はしなくてよい。質素な暮らしをすることで、本当に自分がしたいことをする時間が増える。これこそ、自由だ。」
リオ会議の演説は、子供向けの絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」として2014年に出版され日本でベストセラーになりました。 さらに、ムヒカ氏は13、14年とノーベル平和賞候補となりました。 
 
おもてなし

 

 
■1 仏道と茶道に学ぶおもてなし
「おもてなし」…今では世界的にもすっかり有名な日本語になってしまいました。その「おもてなし」に魅了されて日本を訪れる外国からの観光客はうなぎ登りに増え、昨年は1,973万人にも達したとか。
「おもてなし」は日本の魅力をアピールするまさに恰好の「文化」といえるでしょう。日本政府は四年後の東京オリンピックに向かってモティベーションを高め外国人観光客の年間見込み数をなんと3千万人から4千万人まで視野に入れているそうです。
東京オリンピック招致スピーチで紹介されて以来、今や日本人のなかでも改めてその意識が高まってきた「おもてなし」…そこで今回は、その日本文化を代表するこの「おもてなし」の意味とルーツについて考えてみましょう。
広辞苑によると、その語源は、とりなし、つくろい、たしなみ、ふるまい、挙動、態度、待遇、馳走、饗応とあります。「もてなし」に丁寧語の「お」を付けた言葉であり、その語源は「モノを持って成し遂げる」という意味だそうです。
また、「おもてなし」は言葉通り「表裏なし」、つまり、表裏のない「心」でお客様をお迎えすることでもあるという俗説もありますが、これはまさに論外中の俗説でしょう。
「おもてなし」は特に平安、室町時代に発祥した「茶の湯」から始まったと言われます。茶道とは貴人や客人や大切な人への気遣いや心配りの心を養うものであり、その精神は実は仏教に由来していたのです。
では、その「仏教精神」とは何なのでしょう。それはズバリ言って「菩提心」の実践です。道元禅師は、「菩提心を発(おこ)すというは、己(おのれ)未だ度(わた)らざる前(さき)に一切衆生を度さんと発願し営むなり」と示されています。
つまり「自分が渡るまえに他の人達を渡してあげること」だというのです。「度」と「渡」は同義で、「悟りの世界へ導く」という意味です。そしてさらに、この「菩提心」こそ「仏道極妙の法則なり」と明示されています。
菩提心とは「衆生を利益(りやく)すること」であり、衆生とはすべての「他人様」のことです。その他人様に差別することなく、己よりも先に利益(りえき)を与えること、その尊い心を「菩提心」と呼ぶのです。
「菩提心」とはつまり仏教の根本的教理だということがわかります。その仏教精神を芸道の一つとして確立したのが「茶道」です。つまり茶の湯を通して「菩提心」を修行するのがまさに「茶道」なのです。
では、なぜ「お茶」なのでしょうか。お茶は、日本が中国の進んだ制度や文化を学び、取り入れようとしていた奈良・平安時代に、遣唐使や留学僧によってもたらされたと推定されます。そのころお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族階級などの限られた人々だけが口にすることができました。
また鎌倉時代、日本臨済宗開祖栄西禅師が宗からお茶を持ち帰り、その効用から製法などについて「喫茶養生記」を著しました。これは、わが国最初の本格的なお茶関連の書といわれます。「吾妻鏡」には、栄西が深酒癖のある将軍源実朝に本書を献上したと記されているそうです。
そのように、お茶には薬としての効能もあり貴重なものとして扱われたため、特に高貴な方やお客様をもてなす際の「おもてなし」にふるまわれるようになったのです。
寺院にとって最高に高貴なお方といえば御本尊さまや祖師さまです。特に我が曹洞宗においては、仏祖の法要の初めには必ず蜜湯とお菓子とお茶が具えられます。特に開山忌など重要な法要の場合に具えられるお茶を「特為茶(どくいちゃ)」と言いますが、それには文字通り特別なお茶であり最高のお供物という意味があります。
拙僧の持論ですが、今の日本のお茶のおもてなしの原点はここにあると思います。寺院の仏祖に対するお茶のおもてなしの流儀がやがて武士や平民社会に取り入れられ、お客様のおもてなしとなってお菓子とお茶を出すという文化が形成されていったのです。
足利義光(1358-1408)は、宇治茶に特別の庇護を与え、これは豊臣秀吉にも受け継がれていきました。村田珠光(1423-1502)は侘茶(わびちゃ)を創出し、これを受け継いだ武野紹鴎(たけのじょうおう)から千利休らによって「茶の湯」が完成し、豪商や武士たちに浸透していきました。
現代の茶道の原型を完成させたのが千利休であり、その茶道の心得を表した言葉が有名な「和敬清寂」です。実は拙僧、学生時代茶道部に在籍していたこともありチョトだけ茶道の経験があります。
その拙い経験から少し能書きを言わせていただければ、その「和敬清寂」の精神こそ「おもてなし」の心なのです。ちなみに、和…お互い仲良くすること。敬…お互い敬いあうこと。清…心を清らかに保つこと。寂…悟りの世界を求めること…まさに仏教精神です。
仏教が顕す浄土の世界、その縮図が茶室や茶庭という設定なのです。つまり、茶道は単なる芸道ではなく、仏教の説く大宇宙の摂理の演出と体感であり、「菩提心」を学ぶ場なのです。
仏教の説く大宇宙の摂理とはすなわち諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三宝印の世界であり、それを悟るための修行が「菩提心」にあるのです。その心得を表した言葉が「和敬清寂」です。
因みにその他の掛け軸の中でよく見られるのが、一期一会とか日々是好日、本来無一物、水和明月流そして喫茶去などです。が、これらは皆禅宗の祖録の中にある公案、いわゆる問答集からの引用句なのです。茶室がまさに仏道修行の場である所以です。
茶道の家元は代々禅宗臨済宗の本山で参禅修行し得度して坊さんの資格を得ています。それは茶道がまさに仏道の道場であり、その指導者たる者こそ僧侶の位にあるべきだという立場からでしょう。
又、茶道を芸道と考えるとき、思想と趣向、衣装と道具、所作と型が演出される舞台でなければなりません。これらの要素が統合され世俗的な日常世界を脱却することで、亭主と客が織りなす「和敬清寂」の世界が出現するのです。
ですからそこには、娑婆世界の身分や地位や貧富による差別があってはなりません。茶室の入口を躙り口(にじりぐち)といいます。なぜあんなに狭いのかというと、茶室は娑婆世界とは別であるということです。
躙り口を通ることでけがれを落とし、地位や身分の高い人でも頭を下げ同格にならなければなりません。ですから秀吉も刀を差したままでは入れませんでした。そこにあるのはお互いに敬い合う心、清らかな我のない心の世界なのです。
お茶を点てもてなす者を亭主(ていしゅ)といいます。「亭主」という言葉は、首楞厳経(しゅりょうごんきょう)というお経に出てくる言葉で、「客をもてなす一家の主人」という意味で、鎌倉時代から一般に使われるようになり、茶席で茶を点じて客を接待する人という意味からはじまり今日まで続いています。
茶道で表現される「侘び寂の心」とは、表に出過ぎない控えめな心であり、お客をお迎えするに当たり、心をこめて準備をし、目に見えない心を目に見えるものにして表すのが気配りであり心配りです。
そのための努力や舞台裏は微塵も表に出さず、主張せず、もてなす相手に余計な気遣いをさせない…それが「おもてなし」の本質です。 

■2 見返りを求めない心こそおもてなし
今回はネット、ユーチューブの中で見つけた感動のエピソードをそのままご紹介します。タイトルは「一輪の花から始まった絆」です。
大東亜戦争(太平洋戦争)の終結からわずか5年後、昭和25年(1905)9月のことです。まだ戦争の傷跡が残る日本に、一人のアメリカ人がやってきました。
アメリカ海軍の提督、アーレイ・バークです。バークは駆逐艦乗りです。巨大な戦艦を追い回す駆逐艦乗りには日米とも猛将といわれた人が多くいました。バークもその一人です。
バークは太平洋戦争の中でも、日米合わせて9万人以上もの犠牲を出した激戦地「ソロモン海戦」で日本軍の脅威となった男です。そのバークが、敗戦国日本を支配する占領軍の海軍副長として、アメリカから派遣されたのです。
それは、「朝鮮戦争」勃発の直後でした。バークが東京の帝国ホテルにチェックインした時のことです。「バーク様、お荷物をお持ちいたします」 「やめてくれ、最低限のこと以外は、私に関わるな!」
実は、バークは筋金入りの日本人嫌いでした。親友を日本軍の真珠湾攻撃によって失い、血みどろの戦いで多くの仲間や部下を失っていたからです。戦争中、バークの心には、敵である日本人への激しい憎悪が燃えていました。
「日本人を一人でも多く殺すことなら重要だ。日本人を殺さないことならそれは重要ではない」という訓令を出したほどでした。また、公の場で日本人を「ジャップ」「イエローモンキー」と差別的に呼び、露骨に日本人を蔑みました。
したがって、どれだけ日本人の従業員が話しかけても無視しました。「腹立たしい限りだ! 黄色い猿どもめ!」
日本に来てから1ケ月ほどしたある日のこと。「なんて殺風景な部屋なんだ」ベッドと鏡台と椅子だけの部屋を見て、せめてもの慰みにと、バークは一輪の花を買ってきてコップに差しました。このあと、この花が以外な展開をたどることになります。
翌日、バークが夜勤から戻ってみると、コップに差した花が、花瓶に移されていたのです。バークはフロントに行き、苦情を言いました。「なぜ、余計なことをした。誰が花を花瓶に移せと言った?」 「恐れ入りますが、ホテルではそのような指示は出しておりません」 「何だって?」
この時は誰が花瓶に移したのか分からなかったのです。さらに数日後・・・。何と花瓶には昨日まではなかった新しい花が生けられていました。「一体誰がこんなことを・・・」 花はその後も増え続け、部屋を華やかにしていきました。
バークは再びフロントへ行きました。「私の部屋に花を飾っているのが誰なのか、探してくれ」 調べた結果、花を飾っていた人物が分かりました。
それは、バークの部屋を担当していた女性従業員でした。彼女は自分の乏しい給料の中から花を買い、バークの部屋に飾っていたのです。それを知ったバークは、彼女を問い詰めました。
「君は、なぜこんなことをしたのだ?」 「花がお好きだと思いまして」 「そうか。ならば、君のしたことにお金を払わなければならない。受け取りたまえ」と、彼女にお金を渡そうとするバーク。
ところが彼女は・・・「お金は受け取れません。私はお客様にただ居心地よく過ごしていただきたいと思っただけなんです」 「どういうことだ?」
アメリカではサービスに対して謝礼(チップ)を払うのは当たり前のことです。しかし、彼女はお金を受け取りません。
このあと、彼女の身の上を聞いたバークは驚きました。彼女は戦争未亡人で、夫はアメリカとの戦いで命を落としていたのです。しかも、彼女の亡き夫も駆逐艦の艦長で、ソロモン海戦で乗艦と運命を共にしたのでした。
それを聞いたバークは、「御主人を殺したのは、私かもしれない」と彼女に謝りました。ところが、彼女は毅然としてこう言ったのです。「提督、提督と夫が戦い、提督が何もしなかったら提督が戦死していたでしょう。誰も悪いわけではありません」
バークは考え込みました。「自分は日本人を毛嫌いしているというのに、彼女はできる限りのもてなしをしている。この違いは、いったい何なんだ・・・」
のちに、バークは次のように言っています。「彼女の行動から日本人の心意気と礼儀を知った。日本人の中には、自分の立場から離れ、公平に物事を見られる人々がいること。また、親切に対して金で感謝するのは日本の礼儀に反すること。親切には親切で返すしかないことを学んだ。そして、自分の日本人嫌いが正当なものか考えるようになった」
こうして、バークの日本人に対する見方は一変したのです。折しも朝鮮戦争は激しさを増していました。バークは一刻も早くアメリカ軍の日本占領を終わらせ、日本の独立を回復するようにアメリカ政府に働きかけるようになりました。
加えて、日本の独立と東アジアの平和を維持するために、日本海軍の再建を説きました。まだ終戦5年後ですから、アメリカ人の大多数が反日感情を持っている中です。バークは根気強く説いてまわり、ついに海上自衛隊を作ることに成功したのでした。
その後、バークはアメリカ海軍のトップである作戦部長に就任します。3期6年間も作戦部長を務めたのは海軍史上でバークだけです。バークは、最新鋭の哨戒機P2Vを16機、小型哨戒機S2F−1を60機も海上自衛隊に無償で供給しました。
1961年、海上自衛隊の創設に力を尽くした功で、バークは日本から勲一等旭日大綬章(最高の勲章)を贈られました。1991年、バークは96歳で亡くなります。
各国から多くの勲章を授与されたバークですが、葬儀の時に胸に付けられた勲章は、日本の勲章ただ一つ。それは本人の遺言でした。そのため、ワシントンの海軍博物館にあるバーク大将の展示には、日本の勲章だけが抜けたままになっています。
以上、原文そのままを載させていただきました。見返りを求めない「おもてなし」・・・まさに布施の精神そのものです。道元禅師は、「一銭一草の財をも布施すべし、此世佗世の善根を兆す」と示されています。この「一草」の意味を如実に顕したのがまさに今回のエピソードだと言えるでしょう。たとえわずか「花一輪」であっても、真心は人の心を変えさせることができるのです。
今世界は紛争やテロで苦しんでいます。仏教の「菩提心」こそこれからの世界を変えていけるのではないでしょうか。 

■3 菩提心の発揚
以前、「おもてなし」とは大切な人への気遣いや心配りの心であり、その精神は実は仏教に由来していると述べました。その「仏教精神」とはズバリ言って「菩提心」の実践であるとも述べました。
菩提心とは「衆生を利益(りやく)すること」であり、衆生とはすべての「他人様」のことです。その他人様に差別することなく、己よりも先に利益(りやく)を与えること、その尊い心を「菩提心」と呼ぶのです。
以上は9月分法話「おもてなし(その1)」の中で述べてきたことの繰り返しですが、今回はその「菩提心」の模範とも言えるエピソードをご紹介しましょう。やはりネット、ユーチューブの中で見つけた感動のお話です。
2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生した時の話です。東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波により引き起こされた未曾有の大災害は今なお深い爪痕を残していることは言うまでもありません。
この話はその大震災直後福島県に派遣された一人の警察官のレポートです。彼は在日ベトナム人の両親のもと日本に生まれ、人の為に働きたいと思い帰化して警察官になりました。
その彼が派遣された場所は福島第一原発から25q離れたある被災地でした。震災と原発事故の最も過酷な状況の中で治安確保のための派遣だったのです。しかし、治安は安定しており住民の見回りも機能し、彼は被害者の埋葬と食料分配の手伝いを多忙な職員に代わって行っていました。
被害者と向き合った初日こそ涙を流したものの、余りに酷い惨状に泣くことさえ忘れ、ただ唖然と仕事をこなす毎日となりました。
中国のグローバル、ニューズという新聞のバン・ヘイ・バン記者が3月17日に取材のため彼に一日同行しました。倒壊した建物を通ったとき、数千万円の紙幣が濡れて広い敷地内に散乱していましたが、誰も拾おうとしていませんでした。
バン・ヘイ・バン氏は「50年後、中国の経済レベルは世界一になるかも知らないが、今の日本人のような意識や国民的な高いマナーのレベルに達せられるだろうか・・・」と話したという。
そして、忘れもしない3月16日の夜のことでした。被災者に食料を配る手伝いのため向かった学校で、彼は9歳だという男の子と出会いました。寒い夜でした。なのに男の子は短パンにTシャツ姿のままで食料分配の列の一番最後に並んでいました。
気になった彼が話しかけました。長い列の一番最後にいた少年に夕食が渡るのか心配になったからです。少年は警察官の彼にポツリポツリ話始めました。
少年は学校で体育の時間に地震と津波にあったのです。近くで仕事をしていた父が学校に駆けつけようとしたというのです。しかし、少年の口からは想像を絶する悲しい出来事が語られたのです。
「父が車ごと津波に飲まれるのを学校の窓から見た。海岸に近い自宅にいた母や妹、弟も助かっていないと思う」と話したのです。家族の話をする少年は不安を振り払うかのように顔を振り、にじむ涙を拭いながら声を震わせていました。悔しさと心細さと寒さで・・・
彼は自分の着ていた警察コートを脱いで少年の体にそっと掛けてあげました。そして持ってきていた食料パックを男の子に手渡しました。遠慮なく食べてくれるだろうと思っていた彼が目にしたものは、受け取った食料パックを配給用の箱に置きに行った少年の姿だったのです。
唖然とした彼の眼差しを見つめ返して少年はこう言ったのです。「ほかの多くの人が僕よりもっとおなかがすいているだろうから・・・」警察官の彼はおもわず少年から顔をそらしました。忘れかけていた熱いものがふと湧きあがってきたからです。少年に涙を見られないように・・・
それにしても・・・曲りなりにも大学卒で博士号を持ち、髪にも白いものが目立つほどに人生を歩んできた自分が恥ずかしくなるような、人としての道を小さな男の子に考えされるとは。
9歳の男の子、しかも両親をはじめ家族が行方不明で心細いだろう一人の少年が困難に耐え、他人のために想いやれる。少年の時から他人のために自分が犠牲になることができる日本人は偉大な民族であり、必ずや強く再生するに違いない。
自分の胸の中だけにしまっておくにはあまりにももったいない話でした。イヤ、誰かと自分の感動を分かち合いたかった。彼は、ベトナム人の友人に自分の体験した話を打ち明けました。
ベトナムの友人も感動して祖国の新聞記者に伝えたのです。ベトナム紙の記者は次のような記事を載せて少年と日本を称賛しました。「彼がベトナムの友人に伝えた日本人の人情と強固な意志を象徴する小さな男の子の話に我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった。」
「我が国にこんな子がいるだろうか」と・・・ この記事が大変な反響を呼びました。 決して裕福とはいえないがベトナム国民からの義援金が殺到したという。
そして、我々も・・・悲劇と苦難のもとでも失わなかったけなげな日本人の美質と負けない力を少年の小さな行為から教えられました。ほんとうにありがとう。でも・・・気がかりなのは9歳の男の子のこと。
奇跡が起きて生還した家族と暮らしていることを心から願っている。もし不幸にもそれが叶わなかったとしても懸命に生きている君に、叱られるかもしれないが一言いわせて欲しい。強く生きて欲しい。と・・・ほんとうにありがとう。
ところが、そんな感動的な話とは対照的な残念なニュースが最近日本中を駆け巡りました。福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学生の男子生徒が、転入先の学校でいじめを受けて不登校になったのです。
彼はその辛い思いをつづった手記を公表しました。「いままでなんかいも死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」
福島から今でも2万人もの子供たちが日本の各地で避難生活しているといわれます。そんな子供たちに対しての差別やいじめは多いという。何故、辛い悲しい筆舌に尽くし難い経験をした上に避難先までもいじめを受けなければならないのでしょうか。理不尽この上ありません。
あの福島の9歳の男の子が教えてくれたのは、仏教の最高の教え「菩提心」でした。その「心」は日本人の中に普遍的に存在している日本人の「心」だと拙僧は信じています。そんな日本人の優しさが世界に認識されてきたからこそ、日本は素晴らしい国だという評価をいま世界中から受けているのです。
しかし、子どもの世界でのいじめの実態は旧態依然だといえます。子どもは大人社会の鏡です。いじめを受けた福島からの子どもの教師さえ、なんと「ばいきん」の「キン君」と呼んでいたとか。大人社会こそまず反省すべきでしょう。
あの福島の9歳の少年の示した「菩提心」を、日本人のすべての人がもう一度心に刻んで欲しいものです。 
 
日本人の宗教観

 

■1 神仏習合
9月は秋彼岸です。今年も多くの人たちがお墓参りに見えました。この時期、当山の地元では毎年恒例の祭礼が行われます。ひと昔前まではお祭りはお彼岸を避けた日に固定されていたのですが、人の減少から少しでも参加しやすい為として今日では日曜や祭日に当てられるようになりました。
私事ですが、もう何年も前のことです。町内会長をしていた際、祭礼がお彼岸と重なり大変な思いをしたことがありました。この地元では、例え住職であっても町内会での付き合いは同等なのです。拙僧も町内会長として宮殿に上り神事に参列しお祓いを受けお神酒も頂きました。
地元の檀家の皆さんは神社の氏子であり、当山の総代は氏子総代を兼ねているというそんな関係でもあります。お寺の住職が神事に参加したからといって、誰一人「おかしい」と思う人はいません。むしろ感謝されるか普通のこととしか思われません。
しかし、これはちょっと考えてみると不思議なことです。仏教と神道とは明らかに別の宗教です。誰もそれは分かっていることですが、僧侶と神主が並んでいても「変だ」と思う人はいません。それもその筈、実際、戸々の家には大抵仏壇と神棚が並んでいるではないですか。
特に田舎では、家を新築すると「家移り(やうつり)念仏」という先祖供養をします。それは日本の家にはご先祖様を祀っている仏壇があるからです。ご先祖様に新しい家に引っ越しをしてもらう意味の法要が「家移り念仏」なのです。
仏壇と並んで神棚がありますので、同じように神主さんもお呼びして神棚にも神事を施します。多くはありませんが、これまで何度も「家移り」の席で神主さんとご一緒させていただいたことがあります。これは、日本人の意識の中に神と仏を同等に扱うという気持ちがあるからでしょう。
このホームページをご覧頂いている方は自分を仏教徒だと認識している方が多いと思いますが、神仏に対しては同じような感覚をお持ちではないでしょうか。そんな日本人に、「あなたの宗教は?」と質問すると、なんと62%が無宗教だと答えるそうです。
宗教が生活の核になっている外国人からみて「無宗教」という言葉は驚きなのです。しかし、日本人が自らを「無宗教」という時、それは「特定の宗教の信者ではない」という意味であって、キリスト教徒やイスラム教徒が思い浮かべるような「無神論者」とはまったく別なのです。
今回は、そんな日本人の不思議?な宗教観について考えてみました。確かに、結婚式は神社やキリスト教会で行なったり、葬儀は仏式で行なったり、お正月の初詣はお寺でも神社でも特にこだわりは持ちません。クリスマスを祝ったり、お釈迦さまの花まつりを祝ったり、一神教を主とした外国人からみればまさに日本人の信仰上のアイデンティティーは理解できないでしょう。
お盆やお彼岸は仏教行事です。神社の祭礼は神道行事です。が、日本人は七五三や雛祭り節句といった文化行事と同等の感覚でしか捉えていません。外国人からみれば、日本人の宗教感覚はまさに異質であり理解できません。
なぜそうなのかといえば、日本はまさに多神教文化の社会だからです。自然界の諸事物に霊魂や精霊が宿っているという考え方、これをアニミズムといいますが、そんな八百万(やおろず)の神々がおわしますのが日本なのです。
特に、日本人の心に一番根付いているのは神道(しんとう)です。神道ではあらゆるものを「神」との結びつきと見なします。まず自然崇拝から始まり、自然と融和しながら諸々の神を崇め、謙遜とあいまさと共存共栄を尊ぶという神道精神が生まれました。
つまり、日本の文化は、神道の自然信仰がその基盤であり、更に、死者の霊を神様として崇める御霊信仰と、民族の統治者を敬う皇祖霊信仰が派生してきたと考えられます。
古事記も日本書紀も、神話の記述がそのまま歴史の記述へとつながっています。天皇家の由来を神話時代から語り始め、やがて実在した天皇へつながっていて、初代神武天皇が即位したのは紀元前660年のことです。
神道は、古来あった神々への信仰が、仏教、儒教などの影響を受けて展開してきたと考えられます。神道には最初から明確な教義があったわけではなく、古来の伝統的な信仰や儀礼が「神道」として認識されるようになったのは、仏教伝来以降のことと考えられます。
538年、百済の聖明王の使いで訪れた使者が、欽明天皇(29代)に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上したことが仏教伝来のはじまりといわれています。日本に初めて仏教が入ってきたとき、天皇は神道を受け継ぎながら、仏教徒となりました。
初の女帝推古天皇(33代)は仏教を保護し国教に位置付けました。「仏教興隆の詔(みことのり)」を出され各地で寺院建設が始まりました。そして聖徳太子を摂政に任命されたのです。
聖徳太子も仏教に深く帰依され、十七条憲法の中の第二条は「三宝を深く尊敬し、尊び、礼をつくしなさい」となっています。三宝とは仏・法・僧のことであり、仏教徒が諸仏事の最初に先ずお唱えするのがこの「帰依三宝」の偈文です。
平安時代初期、そんな仏教隆盛の流れの中から現れたのが本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)です。それは、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現(神)であるとする説です。
そして平安中期には「神仏習合」が確立したのです。その象徴ともいえる仏像は、その後、法隆寺の百済観音をはじめとして沢山つくられるようになりました。ここに日本人の宗教観の原点があるように思われます。
日本人は、仏教というと、インドで生まれ、中国を経て日本にやってきたものだと考えていますが、仏教は、ただ外国から伝えられただけのものではなく、日本において神道と重なることによって独特な「日本の仏教」へと開花したのです。
日本人にはもともと神道の生活様式、神道の宗教感覚が根付いていました。この神道は、いわば日本民族という共同体のための宗教です。そこに外国から仏教がもたらされたのです。
神仏習合によって、日本人が本来的にもっていた心が、さらに深みをもって表現されるようになり、万葉集やそれ以後の日本の文学、能や狂言、茶道などの芸道は、まさに神仏習合によって生み出されたと言っても過言ではありません。
昔から、一つの集落には必ず一つの神社と寺院がありました。今でも多くの寺と神社が隣り合わせで存在している事実からもわかります。文科省の調査によると、日本の全国各地に、神社は約8万5千、お寺は約7万7千、合わせると計約16万2千もの寺社が存在するのです。
神仏習合は、神仏混淆(こんこう)ともいい、仏教伝来から明治維新まで概ね千四百年も続きました。そしてその文化は美しい日本の国土と人心を育んできました。とくに仏教に影響を受けた文化的、精神的諸要素は計り知れません。
実は明治維新まで、天皇家は仏教徒だったのです。事実、飛鳥、奈良の昔から江戸時代最後の孝明天皇(1867年)までずっと天皇の葬儀は仏式で行われていたのです。天皇家の菩提寺は、泉湧寺(京都市東山区)だったのです。
それが一転、明治新政府は王政復古による祭政一致の立場から、古代以来の神仏習合を禁じて、神道を国教とする方針を打ち出したのです。そして廃仏毀釈の嵐が吹き荒れることになるのです。 

■2 廃仏毀釈
明治元年、明治新政府は、王政復古による祭政一致の立場から古来以来の神仏習合を禁じて神道を国教とする方針を打ち出しました。「神仏分離令」の布告です。
革命政権である明治政府は、天皇を支柱とする国家を目指したのです。天皇の絶対性の存在意義を皇室の宗廟たる伊勢神宮を最高にした神道に求めたのです。そのために新政府は国教を仏教から国家神道に変えたのです。
太古より江戸時代まで、仏教と神道は神仏習合・神仏混淆でした。どちらが上かと言えば仏教(寺)であり、神社の中にお寺がありました。大きな神社の名前も例えば、鎌倉八幡は「鎌倉八幡宮寺」であり、京都の石清水八幡も「石清水八幡宮寺」と“宮寺”でした。
この意味するところは神社の中に寺院が勧請(かんじょう)されていたということです。「勧請」とは、「神仏などの来臨を勧め請い願うこと」であり、霊を分霊して他の場所に移して祀ることを意味します。
神様の本来の境地、すなわち「本地」は仏様であり、人びとを救うために仏様が神様に姿を変えているという考え方が本地垂迹説です。ですから、神社が仏さまを勧請されていたので神社は「宮寺」を名乗ったのです。
例えば、伊勢神宮の本地仏は廬舎那仏、熱田は大日如来、春日は各殿があり、釈迦、弥勒、十一面観世音、厳島は大日如来と観世音、出雲は至勢菩薩等々・・・ 全ての神社には本地としての仏様が祀られていたのです。それが神仏習合の実態なのです。
これは、神様が仏様を守る立場であり、神様は従属の立場であるということです。本地垂迹(ほんちすいじゃく)は、神仏が同等の立場としてではなかったのです。本地垂迹に基づいて、たくさんの神様は仏様と関連付けられました。
八幡様は神社ですが、菩薩と結びつけられたのが八幡大菩薩です。〇〇権現と呼ばれる名称もそうです。権現とは、日本の神々を仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする神号なのです。
「権現」の「権」という文字は「臨時の」「仮の」という意味です。たとえば人の場合「権大納言」だとか、僧侶であれば「権大僧正」とか「権大教師」とかの呼称がそれにあたります。
仏が「仮に」神の形を取って「現れた」のが「権現」であり、これは、日本の神々を仏・菩薩の権(仮り)の現れとして位置づけ、神は仏を守護する役割になっていたということです。例えば熊野権現や山王権現、白山権現などがそうです。
権現を祀るところを権社といい、神様を祀るところを実社といいます。ちなみに、徳川家康の東照大権現や、藤原鎌足の談山権現は神仏とは異なり、家康は御水尾天皇から、鎌足は醍醐天皇から賜った諡号(しごう)です。
本地垂迹説は、日本の神々を仏・菩薩の権(かり)の現れとして位置づけ、仏が本体であり、神は仏を守護する役割にされています。このような神仏習合は、明治維新政府が天皇を支柱にする政策からよろしくありません。
天照大神―神武天皇―大和天皇(古事記、日本書紀記述)からの明治天皇の存立は現人神であることが絶対必要だと考えました。この考え方は江戸時代の本居宣長や平田篤胤などの国学者が提唱しており、この思想に政府が乗ったのです。
そこで、維新政府は仏教の神道より上位を打ち壊すため、神社内の仏教的な要素を取り除くことにしたのです。それが「神仏分離令」(1868年)です。しかし、この布告は「神仏分離」に止まらず「廃仏毀釈運動」に発展してしまいます。
神仏分離令は、仏教排斥を意図したものではなかったのですが、江戸時代の厳しい寺請制度で、汚職の温床となっていた寺院に反感を持っていた庶民や、神道の復古を目指した一部の神職が中心になって全国各地で仏教排斥が始まったのです。
寺請制度とは、江戸時代にキリスト教を排除する目的で、すべての人は寺院の檀家となり、寺院から寺請証文を受け取ることを強要した制度で汚職などが蔓延したのです。現在ある檀家制度は当時の寺請制度に始まったものです。
寺の管理下にあった神社は、これまでの寺へのうっ憤から過激な行動に出て、仏堂、仏像、仏具等を焼き捨てる神社が出てきました。日吉神社、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮、金毘羅大権現等です。更に影響は各地で廃寺が進み、特に鹿児島、水戸、佐渡、富山、信州などが激しかったようです。
これは当時の国学者や神道家の影響もあるのですが、寺院が幕府の宗教制度の一翼を担った中で、その反発が出てきたものとも言えます。壊滅的な被害にあった有名な寺としては奈良の興福寺です。中世の頃は最大の荘園を持ち、東大寺よりも大きく、伽藍、堂舎の規模は日本最大級でした。金堂(本堂)が二つあったのは興福寺だけです。
仏像、仏具の類も他を圧する量と質と言われ文化財の宝庫でした。しかし、伽藍は五重塔以外はほとんどすべて壊されてしまいました。その五重塔も焼かれるところでしたが、類焼を恐れた住民の反対でそのまま残されたそうです。よかったですね。今では国宝ですよ。
興福寺はその後復興しましたが、今日の規模に昔の面影はありません。もし廃仏毀釈運動がなかったら、どれほどの国宝が現存していたことでしょう。
薩摩藩では廃仏毀釈が徹底され、1616寺とも言われる寺院が廃寺となり、僧侶は還俗し、兵士になったものも多く、没収された財産や人員は、軍を強化するために回されたといわれます。
美濃国では、苗木藩の寺院、仏像、仏壇はすべて破壊され、藩主の菩提寺も廃寺となりました。地方の神官や国学者が扇動し、寺請制度に反感を持った民衆がこれに加わり、歴史的、文化的に価値のある多くの文物が失われたのです。
仏教伝来から既に1400年近く経っていた明治維新といわれるこの時点に於いて、仏教という宗教及びその影響を受けた文化的、精神的諸要素は、既にこの美しい日本の風土と文化を創り上げ、人びとの心に浸み込んでいたのです。
その意味では、薩長新政権が起こした「廃仏毀釈」は、歴史上例をみない醜い日本文化の破壊活動であったのです。これによって、日本全国で奈良朝以来のおびただしい数の貴重な仏像、仏具、寺院が破壊されたのです。
明治政府は、その後「神仏分離」は廃仏ではないと布告しましたが、廃仏毀釈運動による被害は地域によっては凄まじいものでした。まさに中国の文化大革命、イスラム原理主義勢力タリバーンやイスラム国による破壊活動と似ています。
ところで、この「神仏分離」は、天皇家にはどのような影響を及ぼしたのでしょうか。内裏には歴代天皇、皇后の位牌が納められた仏堂がありました。祖霊神を祀る神殿もあり、天皇家は神仏併せて信仰されていたのです。しかし、「神仏分離」でお位牌は京都の泉湧寺に預けられました。
泉湧寺には歴代天皇の陵墓がありますが、天皇家は仏教の信仰をお止めになり、信仰は伊勢神宮の神様だけになりました。それまで仏式だった天皇家の葬儀は明治天皇以来神式となりました。戦後国家神道はなくなりましたが天皇家はそのまま神道です。
しかし、1400年も続いた神仏習合の文化はそう簡単になくなることはありませんでした。寺院と神社は物理的には分離されましたが、日本の家には今でもしっかり神棚と仏壇が祀られています。結論的には、日本人の宗教観の原点はすなわち「神仏習合」にあるといえるでしょう。 

■3 まつり
平成最後の年の瀬の23日、天皇陛下は85歳の誕生日を迎えられました。一般参賀には過去最多の8万人以上もの人たちが皇居を訪れたそうです。陛下から最後の誕生日記者会見があり、象徴天皇として歩まれた60年の想いを切々と丁寧に感慨深く語られました。
戦没者への想い、平和への願い、災害被災者への寄り添い、そして外国人労働者まで心を配われました。これまで支持してくれた国民への感謝と、後半には皇后陛下への労いを熱く語られ、後を託す皇太子、秋篠宮さまへの期待で締め括られました。
中でも、「天皇としての旅を終えようとしている今」とか「象徴としての私の立場を受け入れ、私を支えてくれた多くの国民に衷心より感謝」とか「自らも国民の一人であった皇后が、私の人生に加わり60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を心から労いたい」と言った表現に天皇のお人柄を感じ、分り易いお言葉のなかに文学的感性を感じ感動しました。
江戸時代まで天皇が一般国民の前に御姿を現すことなどありませんでした。ましてや直接言葉を交わすなど出来ないまさに現人神だったのです。それが戦後、昭和天皇による自らの「神格否定」(人間宣言)から今の明仁天皇は即位以来、象徴天皇のあり方を日々模索されてこられました。
その中で導き出された平成の天皇像を、戦没者慰霊や被災地訪問などを通して体現されてきました。世論調査では、国民の8割が今の象徴天皇を支持しているそうです。国民に寄り添い、苦楽を共にしようという姿に胸を打たれる人が多いのだと思います。
「日本人の宗教観」を考えたとき、日本人にとって天皇は特別な存在となっています。神代の昔、天照大神によって国が生まれ、その流れは神武天皇(初代)から今の天皇に繋がっています。日本はそんな神代から始まった神国であると信じられてきました。
天照大神は、八百万の神の中で最も尊い神であり、太陽を司る太陽神、天皇の祖神、そして伊勢神宮の祭神でもあるのです。八百万の神は、山・海・風・雷といった自然の様々なところに宿っています。
八百万とは無限を意味し、それは日本の国土のどこにでも氏神様がおわしますということです。北方領土にも小笠原諸島にも日本人がいたところには必ず社がありました。それは日本人には八百万の神と共にあるという思いがあるからです。
日本はまさに八百万の神々に守られている神国といっても過言ではありません。その神々の元締めが天照大神です。お名前の如く太陽のように周りを照らす慈愛によって国民の安寧を見守っているのです。
その申し子が初代神武天皇であり、爾来その流れを125代絶えることなく受け継いできたのが今の天皇なのです。天皇は天照大神を祀り、宮中三殿にて年間20回以上の祭祀を執り行い、国民の繁栄と国の平和を祈願しているそうです。
多くの国事行為のほか署名や押印などその数年間で約1000件にもなるそうです。天皇はまさに激務の務めをされていたのです。85歳といえば普通隠居され悠々自適な生活を送られていて当然です。改めて感謝と労をねぎらいたいと思います。
さて、神道には最初から明確な教義があったわけではありませんが、八百万の神は慈悲深く寛容的な風習と儀礼の文化が育まれてきました。そんな神道が仏教を受け入れ神仏習合の文化が生まれたのは仏教の慈悲の精神がまさに神道の精神と一致していたからではないでしょうか。
推古天皇は自ら仏教徒になり、仏教を保護し国教に位置づけ、「仏教興隆の詔(みことのり)」が出され各地で寺院建設が始まりました。こうして神社約8万5千と寺院約7万7千もの社寺が日本各地に建設され共存共栄してきたのです。
明治新政府によって政治的に神仏分離が行われましたが、1400年続いた神仏習合の文化を無くすことはできませんでした。そもそも文化は政治や権力者の都合によって易々変えられる次元のものではないのです。
どんな国の文化も基礎になっているのはその国の風土や風習や宗教です。日本も神代の昔からあった神道に仏教が結びついた神仏習合という宗教が日本特有の文化を育んできたのです。
そんな日本文化の代表格が「まつり」です。「まつり」は、超自然的存在への様式された行為です。祈願、感謝、崇敬、帰依、服従の意思を伝え、意義を確認するために行われるのが際祀であり、年中行事や通過儀礼と関係して定期的に行われています。
「まつり」や「まつる」という言葉は漢字の流入により「祭り」「奉り」「祀り」「纏り」「政り」などの文字が充てられました。日本は古代において、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した体制であったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼ぶのです。
八百万の神の下、祭祀は神道において根幹をなすものですが、神仏混淆の宗教文化のなか寺院においても、神を祀りながら、死者の霊、仏像、仏塔、曼荼羅などに対して儀礼が行われてきました。それはまさに仏式祭祀といえるものです。
仏教には元来、祭祀の対象となるものは存在していなかったのですが、日本に伝来して以来神道の祭祀の文化と混合し、寺院でも祈祷、法要、供養などの行事が行われるようになりました。地鎮祭などは神事のイメージがありますが、仏式で行うこともあります。実際拙僧自身何回も地鎮祭を行っています。
「祭り」は、北島三郎の歌にもありますように、五穀豊穣を願う豊年祭りや、子孫繁栄を願う大漁祭りなど全国各地には30万以上もの祭りがあるといわれます。ちなみに、日本の五大祭りは、神田明神、京都祇園、青森ねぶた、阿波踊り、そして岸和田だんじりだそうです。
この館山に那古寺(なごじ)という坂東三十三番観音巡礼の結願寺として古刹の真言宗のお寺があります。毎年7月に大きな町内祭礼が行われますが、この祭礼は神社の祭礼ではなく那古寺の「寺祭り」なのです。境内に何基もの山車や神輿が集結して盛大に行われますが、お囃子などは普通の神社の祭礼のものと確か同じです。
日本のお祭りは神道系の神社が中心になる祭礼が殆どですが、日本各地を見ると寺を中心とした祭礼は実はいくつも存在します。千葉県ではこの那古寺のほかに成田山新勝寺が知られています。
祭りは宗教行事ですが、参加者に特に信仰心があるというわけではありません。神への感謝の意味は感じていますが、大事なことは連帯感です。祭りの掛け声で一般的なのが、「ワッショイ」や「セイヤー」「ソイヤー」などですが、「ワッショイ」には「和を背負う」という意味が込められているという説もあります。
花まつり、桜まつり、梅まつり、もみじまつり、菊まつり、七夕まつりなどから、狸まつり、ラーメンまつり、裸まつりなどなど、最近では〜フェスタと呼ばれるものまで出てきて、日本文化は何でも楽しいものは「まつり」に結びつけてしまう文化なのです。
ちなみに「後の祭り」という言葉がありますが、「後悔の念を抱いてもすでに手遅れである」「後で騒いでも仕方がない。間に合わない」という意味で使われます。この語源には2つの説があるといわれます。
一つ目は京都の祇園祭りに由来しているという説です。山鉾巡業という最も盛り上がる「前の祭り」に対し、華やかさのない還車を送る後行事を「あとの祭り」と呼んでいます。そんな祭りを見ても楽しくない、意味がないということから派生したという説です。
二つ目は「故人」にまつわる語源です。人が亡くなった後「葬式」や「法事」などを行いますが、「他界した人に対して盛大な儀式を執り行っても仕方がない」という後悔の念から派生したという説です。
思えば人生はまさに「まつりごと」です。後の祭りにならないような人生を送りたいものです。 

■4 天皇1
新年あけましておめでとうございます。当山のページを見て頂いている方々にとって本年が佳き年になるようご祈念申し上げます。平成最後のお正月であり、その「平成」もあと僅かで、5月1日より新元号に代わるわけですが、果たしてどんな元号になるのでしょうか。
ところで、元号があるのは今世界で日本だけだそうです。飛鳥時代の「大化」に始まり、「平成」まで日本の歴史は実に247の元号と共に歩んできました。特に今回は憲政史上初の退位による改元だそうです。
現在の今上天皇は初代神武天皇から数えて125代目にあたります。今の天皇家は世界一長く続いている王家としてギネスにも載っているそうです。日本は天照大神によって創建された神代からの国であるという国民の崇敬の想いが今日まで天皇家を支えてきたといえるかもしれません。
歴代天皇はまさに現人神として崇められ、天皇も国家国民の安寧を願ってこられた相思相愛関係にあり、まさに日本人の倫理観、宗教観の礎となっていると言えます。現人神は、どんな政変があっても決して粛清されることなどない絶対的存在なのです。
日本での最初の元号は645年の「大化」が初めとされています。西暦645年の「大化」にはじまり「平成」にいたるまで247の元号があります。今の天皇が125代目とすると、昔は一代のうちに改元が何度も行われていたということになります。
明治憲法下で、天皇一代に元号ひとつとする「一世一元」が導入されましたが、元号は天皇が決めるという伝統は維持されました。改元は天皇の御代替わりの際にしか行わないようにしたのです。元号を天皇の権威を示す記号として付けるためです。
元号は、「天皇個人がその権威の象徴として、臣下に対して、自分の望む年の呼び方を強制する」という政治的が意味を強めるものでもありました。大日本帝国憲法下での元号とは、最高権力者である天皇による権威を示すイベントだったのです。
ところが、戦後に元号はその法的根拠を失い、GHQにより元号そのものについてまったく明文化されなくなってしまいました。政府は「事実たる慣習」としてなんとか元号を存続させた上で、ようやく1979年に「元号法」の制度にこぎつけたのです。
同法では、「元号は、政令で定める」とあります。政令とは、端的に言えば、内閣による命令です。ですから現代では、元号を決めるのは天皇ではなく内閣総理大臣なのです。そんなわけで平成以降の元号はすべて首相が決めるということになりました。
そもそも「元号」の原点は中国だそうです。漢の武帝の時代(紀元前140年)に「建元」と号したのが最古とされ、辛亥革命(1911年)清王朝が滅亡するまでのおよそ2千年ものあいだ元号は続きました。
中国の他に朝鮮やベトナムなどにかつて元号があったそうですが現在はありません。では、なぜ日本だけが今も元号を使用し続けるのでしょうか。その理由として、「積極的に廃止するほどの理由ときっかけがない」ためだとの分析があるようですが、拙僧的には、日本という国は、天皇を頂点とする八百万の神の国だからだと思います。
「キリスト教は、日本では昔も今もあまり普及していない。それはなぜか。まず言えることは、日本人にキリスト教は必要ではなかったことだ。なぜなら、キリスト教以上のものを、日本人はすでに持っていたからである。それは『天皇』である。」
こう主張されるのは、今日本仏教界で一躍注目を浴びている異色のドイツ人僧侶、ネルケ無方師です。師の著書を拝読させて頂き、キリスト教文化からみた日本仏教文化との違いから比較宗教論まで拙僧自身大変勉強になりましたので、これから縷々師の諸説と御意見を紹介していきたいと思います。
先ず、師のご紹介をしましょう。師は、ドイツ人で、幼くして洗礼を受けたクリスチャンでした。その少年が神の存在に疑問を抱き、16歳で坐禅と出会い、京都大学に留学、様々な“修行”を経て、現在は兵庫県の山奥にある曹洞宗安泰寺の住職をしているというまさに異色の僧侶です。
さて、「日本人にキリスト教は必要でなかったのは、日本には天皇がいたからである」といいましたが、それはどういうことでしょうか。師の著書の中からその答えを探してみたいと思います。
日本でのキリスト教徒の数は、世界的に見て大変少ないのです。日本の人口に対して、国内のキリスト教徒は、たった1%弱といわれます。これはアジアの国々の中でも格段に低い数字です。韓国では約30%、中国でも5〜7%くらいのキリスト教徒がいると予測されています。
日本にはもともと神道がありました。そこに全く異質な仏教がやってきたのですが、日本はすんなりそれを受け入れ、しかも仏教を国教に位置付けてしまったのですからまさに驚きです。
では、仏教に対してかくも寛容だった日本にキリスト教が根付かなかったのは何故でしょう。その理由を知るには先ずキリスト教文化について知らなければなりません。ネルケ無方師によると、日本人がキリスト教に違和感を覚えてしまう理由の一つは、「親子関係」に起因しているといわれます。
欧米では、父と息子は、ライバルのような、敵同士のような意識を持っている関係だそうです。欧米の家庭には、親と子の間に、越えてはならない一線があり、親の世界に子供は絶対に入れないのだという。
日本には、欧米のような親子の境界線はない。日本の家庭は、子供にとって家中どこでも自由に出入りできるし、親の寝室にも入れる。それに対して、欧米では親のベットルームに子供が無断で入ることは絶対に許されないという。
欧米のこの厳しい家庭環境は、基本的にはキリスト教が下地となっていると言われます。神と人類の絶対越えられない境界線を、家庭内に持ち込んでいるのだという。つまり欧米の親子関係は神と人間の関係の如くであり、子供にとって、親は恐ろしい神のような存在であるということです。
一方、日本の親は、「わが子は自分とつながっていて、まるで自分の分身のような存在」だと思っていると言われます。だから自殺するときに、子供を連れて無理心中をしようとする親がいるのです。欧米人には、そのような感覚はないそうです。
日本人には、クリスチャンが家のリビングに、十字架に吊るされ死んでいるイエスを飾る神経が理解できないし、聖書の神は厳格で、すぐ人類を殲滅させるとか、親と子、兄と弟がお互いを裏切るような残酷な話ばかり出てきます。
日本の昔話にも、恐ろしい話がありますが、聖書や欧米の童話のようなグロテスクさは感じられません。こういったことも、キリスト教が日本人の肌に合わない原因であろうとネルケ無方師は分析されています。
日本人がキリスト教に馴染まない、もうひとつの理由に「隣人愛」があると言われます。キリスト教徒は、隣人愛を説くが、なぜ彼らは戦争ばかりしているのか。本当に相手を想う心があるならば、争い事などないはずではないか。もっともな疑問です。
問題は、「キリスト教徒が、なぜ隣人愛を説き続けなければならないか」である。それは、誤解を恐れずに言えば、彼らの中に愛がないからだ。愛にあふれていれば、他人に向かって愛を説く必要はない。それがないからこそ、あえて「敵を愛せよ!」と説くわけだ。とネルケ師は力説しています。
欧米人が、“I love You”と何度も何度も言わずにいられないのは、「愛している」とお互いに確認していないと不安だからだ。愛を感じていないからこそ、“I love You. Do You love Me?”と聞いてしまうのです。 

■5 天皇2
「日本人の宗教観」を考えたとき、日本人にとって天皇は特別な存在となっています。神代の昔、天照大神によって国が生まれ、その流れは神武天皇(初代)から今の天皇に繋がっています。日本はそんな神国であると信じられてきたからです。
「古事記」によりますと、神武天皇以前を「神代(かみよ)」と言い、以後を「人世(ひとよ)」と呼んでいます。ですから、天皇という存在は、太陽(天照大神)を中心とした「神々」と、我々(人間)の間に存在し、その2つの世界をつなぐ存在だといえるのです。
「神」とは即ち「自然」であると言い換えると分かり易いかと思います。つまり、神武天皇は、自然界から派生した、まさに人間の代表のような位置づけであり、人間は自然と対立する関係ではなく、自然の一部の存在になるのです。
キリスト教やイスラム教などの一神教がいうところの「神」は、万物の生みの親である「創造主」を意味しますが、「天皇は神だ」という場合の「神」とは、まさに「自然」を指しているのです。
ですから、日本人にとっての神は、太陽も、山や海も、空も水も火も皆「神」の姿であるのです。このイデオロギーは、まさに仏教の教義と一致します。
仏教もまた、太陽も、山や海も、空も水も火も皆「仏」の姿であると説きます。まさに神=仏ということになります。「峰の色 谷の響きも 皆ながら 吾が釈迦牟尼の 声と姿と」(道元禅師)
538年、日本に仏教が伝来し神仏習合(神仏混淆)の文化が生まれたのは極めて自然のことだったと言えるでしょう。本地垂迹説こそまさに多神教の証です。明治になり政治的に神仏は分離されましたが、1400年続いた信仰の文化はそう易々と変えられるものではなかったのです。
余談ですが、日立市にある御岩神社が今日本最大級のパワースポットだとして話題になっています。188柱もの神々を祀りながら様々な仏さまや仁王門まであります。神仏習合の形を今に留めています。特に三本杉がパワースポットの象徴として有名になり注目を集めています。
日本中には沢山のパワースポットなるものがありますが、この「パワースポット」という言葉こそ「自然は神である」という日本人の宗教観を如実に表しています。日本人はどこでも何でも奇異な自然や物に対して畏敬の念を持つとそれを神霊と捉えるのです。その感性こそ日本人の持つ宗教観です。
自然そのものが神の権現であるという、神仏習合の証を如実に今に伝えるまさに象徴的な神社の一つがその御岩神社と言えるでしょう。是非検索してみてください。
さて、戦後、天皇は「現人神」でないことこそ宣言されましたが、国民にとって崇敬と誇りの対象として今日に至っています。天皇は日本人にとってまさに「日本統合の象徴」なのです。
そんな天皇に対しての韓国国会議長の発言が冷え込んだ日韓関係をさらに険悪な状況にしています。「戦争犯罪人の息子」とか「天皇自ら謝罪しろ」とか、「日本統合の象徴」を侮辱されたことは日本人として黙っていられません。
日本の抗議に対して居直り、さらに「盗人猛々しい」などと発言したことに、日本人は皆怒りを覚えていますが、昨今の韓国の日本に対する一連の嫌がらせに対して、私は怒りを通り越し彼らに哀れ味さえ感じます。
それは、彼らが日本を侮辱すればするほど、実は韓国という自分達の国の恥を世界中に晒していることになるからです。謙虚さや感謝、反省や客観性に欠ける国民性に哀れみを感じるのです。
利己主義と欺瞞と傲慢が国の体質となって民主主義、報道の自由、三権分立も名ばかりで体をなしていません。なので、当然自浄能力もありません。実に嘆かわしい限りです。
特に日本に対しては異常ともいえる敵対心を燃やします。中国と並んで徹底した反日教育をしていることは周知の通りですが、歴史を歪曲し事実認識に欠けているのは彼らの方です。イヤ認識に欠けているのではなく、事実を承知の上で行っている「確信犯」ですから実に困ったものです。
実は、世界で植民地化された国家の中で、韓国と台湾ほど発展した国家はないのです。「韓国併合」と言われるものの本質は、日本の朝鮮植民地化ではなく、日韓の「合併」だったのです。合併とは支配ではなく同化です。
戦後の朝鮮人はよく、「日帝の植民地略奪」を強調し、朝鮮では台湾以上に過酷な統治が行われたといいますが、事実はまったくその逆だったのです。「合併」の意図するところは、朝鮮を日本と同じような国家に発展させることでした。
朝鮮では台湾よりも地租が安く、産米も逆ザヤ制度が取られ、地下資源の経営も中央政府からの補填で支えられ、資本投資も行われインフラも格段に整備され、それまで糞尿だらけで世界一不潔な都市といわれていた京城(現ソウル)など、美しい近代的な街に変貌していったのです。
普通の近代国家なら、国民が国防費を賄うのが義務であり常識ですが、朝鮮人からは一銭たりとも徴収しないという特別待遇だったのです。二十世紀の人類史において、当時の朝鮮人ほど過保護を受けて幸福に暮らした民族はないのです。
実際、韓国の経済発展のため日本は金銭的技術的支援を行ない、ハングル教育を奨励したり、朝鮮人を一等国民として扱ったのです。台湾と同じように統治したにも拘わらず、台湾とは真逆な大反日国家となってしまったのです。何という因果でしょう。
「日本の朝鮮統治を検証する」という本を二人のアメリカ人が出しました。あくまでも史実に基づき、可能な限り客観的にこれを検証したのです。日本の統治政策が「当時としては驚くほど現実的、穏健かつ公平で、日韓双方の手を携えた発展を意図した」ものであると記されています。
朝鮮の近代化に貢献し、戦後韓国の奇跡的な発展に繋がったことを明らかにしています。今のナショナリズムに偏した一面的な歴史認識に180度の修正を迫る第一級の研究書だと紹介されています。
もう一冊、「日本統治時代を肯定的に理解する」というタイトルの韓国の一知識人の回想録本です。京城(現ソウル)で生まれ、終生韓国の民主化を追求し続けた一人の知識人が、20歳で終戦を迎えるまでの日本統治下での青春の日々を回想したものです。
開明的な祖父や学生時代の恩師の思い出とともに、創氏改名、独立運動の実際を、驚くほど率直、公正な筆で綴っています。そこから浮かび上がってくるのは、現代化し始めた京城の、おっとりした街の佇まいのなかで営まれる穏やかな日常です。
それは「虐政を施された植民地朝鮮」という一般通念から想起される光景とはかけ離れたものです。戦後教育によってつくられた、日韓合併に対する一面的な見方を克服し、肯定的側面を直視することこそ、真の日韓親善に繋がると信じて書き遺された渾身の一冊です。
日本は韓国から恩義こそ受けても怨みを受ける筋合いはないのです。ましてや「日本統合の象徴」である天皇を侮辱されるということは、国民にとって日本の尊厳が傷つけられた思いになります。
寛容な日本人にも限界があります。日本に対して理不尽な嫌がらせを続けることは自らの首を絞めることになります。韓国には是非良識ある理念と矜持を持ってもらいたいものです。 
 

 

■6 お彼岸
お彼岸中、ここ館山でも城山公園の桜(ソメイヨシノ)の開花が発表されました。約400本のソメイヨシノが植栽されている同公園は今年も多くの花見客で賑わいそうです。いよいよ春のときめきを感じます。
また、桜とともに人々の心を穏やかにさせるのがこの時期のお彼岸です。お彼岸といえば、お墓参りしたりして御先祖様に感謝と供養を手向ける日であるというイメージを持っている人も多いでしょう。しかし、実はこの習慣は仏教国の中でも日本独特のものなのです。
そこで、お彼岸について改めて考えてみたいと思います。「彼岸」とは「彼の岸」つまり向こう岸ということであり、それは浄土の世界、仏様の世界を指しています。対して、こちら側を此の岸、此岸(しがん)と言い、迷いや煩悩の世界を意味します。
浄土の世界とか、仏の世界と言うと、多くの人は死後の世界、冥途の世界を連想しますが、それこそ大きな誤解です。そもそも仏教の眼目を一言で言うならば、「悟りを開いて仏になること」です。
すなわち「成仏」こそ、仏教の究極の命題なのです。悟りを開いた人を「覚者」と言い、同時に仏陀と言います。ですから仏陀の第一号がすなわちお釈迦さまということになります。
そもそもお釈迦さまの教えからすれば、成仏は本来生前にするものです。そのためにあまたの弟子達が命をかけて修行に精進し仏陀を目指したのです。その仏陀になるための教えがすなわち仏教なのです。
ではそもそも覚者とは、一体何を悟った人のことでしょうか。それは、ズバリ「般若の智慧」を悟った人のことです。では、「般若」とは何でしょうか。
般若とは、サンスクリット語の「パーラ」の音訳であり、その漢訳語が「智慧」です。智慧は知恵と違います。知恵は人間が作り上げた知識の域を出ませんが、智慧は宇宙絶対の真理、法則のことです。その法則に則っていないもの全てを煩悩と言います。
煩悩とは、人の勝手な都合や主観などを指します。絶対の真理は絶対の正義です。だから人はその正義の下で生きてこそ幸せになれると説くのが仏教です。
煩悩の全く存在しない世界を仏の世界、浄土の世界、涅槃の世界、そして「彼岸」といいます。まさに仏教の目指すところこそ「彼岸」と言えるのです。ですからお釈迦さまの教えは、まさにその「彼岸に渡る」ための教えなのです。
宇宙の真理の智慧をサンスクリット語で「パーニャ」といいます。それが当て字になって「般若」になりました。「彼岸」をサンスクリット語では「パーラー」と言い、その当て字が「波羅」であり、「至る」が「ミター」で、当て字が「蜜多」です。
すなわち「智慧の彼岸に至る経」が「般若波羅蜜多心経」なのです。余談になりますが、般若といえば「般若の面」を連想する人が多いかもしれませんが、一説には、般若坊という僧侶が作ったところから名がついたといわれます。
また、源氏物語の葵の上が六条御息所の嫉妬心に悩まされ、その怨霊にとりつかれた時、般若経を読んで退治したことからその怨霊に対峙するための形相だとか、能面の世界では、「嫉妬や恨みのこもる女性」という意味で使われるようでが、本来の般若の意味からはかなり異なったものと言えるでしょう。
ちなみに般若心経の正式名は、「摩訶般若波羅蜜多心経」です。「摩訶」は、摩訶不思議などと使われますが、語源は、サンスクリット語mahaの音写であり、「大いなる」「優れた」「人知を超えた素晴らしさ」などを意味します。
「心経」の「心」とは、「大般若経」600巻の精要という意味です。「般若心経」の大元は600巻という膨大な大般若経であり、その中心の道理を僅か262文字に集約したのが即ち般若心経です。
大般若経は、西遊記で知られる玄奘三蔵がインドから中国へ伝えたものであり、その膨大な経典の中の「空」の教えを鳩摩羅什が「心経」に翻訳したものが般若心経です。大宇宙の真理は「空」であるという、まさに真理と正義を説いたお経なのです。
般若心経は、日本で最も知られているお経ですが、聖徳太子が派遣した遣隋使である小野妹子が持ち帰ったといわれます。日本には多くの宗派がありますが、特に真言宗、天台宗、臨済宗、曹洞宗などは重要な経典として位置づけています。
しかし、一部の宗派、日蓮宗や浄土宗、浄土真宗系は通読していません。日蓮宗は、法華経が全てであるとして、法華経以外重視しません。ですからお題目「南無妙法蓮華経」を繰り返します。
浄土思想を基本とする浄土宗、真宗の考えでは、成仏とは死んでからの極楽往生を意味します。往生とは、死ぬことであり極楽浄土に生まれ変わることを意味します。そのためには只々阿弥陀如来を念仏することでそれが叶うのです。
浄土思想からすれば、彼岸とはこの世ではなく来世の極楽浄土にあるのです。ですから、この世よりもあの世、来世にこそ仏の世界だと信じます。その教義からすると、この世とあの世を一体と考える般若心経の主旨には合いません。ですから浄土系では般若心経はお唱えしないのです。
日本には多くの宗派がありますが、同じ仏教系でも一番特異性を感じるのが真宗でしょうか。誤解を恐れずに譬えれば、キリスト教徒が死後神の元に召されるという考えに似ているように思います。
葬儀で神の元に召されたのであれば、改めて供養なるものは必要無いという考えです。浄土真宗でも、死後阿弥陀仏の元に往生するのであれば、既に成仏している以上あえて追善の必要がないというふうに考えます。
お盆には御先祖様が帰ってくるという気持ちでお盆を迎えるのが一般的日本人だと思いますが、浄土真宗では、お盆のとき「ご先祖様が帰ってくる」とは決して言わないそうです。
それもそのはず、死者が極楽浄土に往けたのは阿弥陀様を信じたからこそであり、亡くなってから、功徳を死者に回向することは、阿弥陀さまの他力本願を疑うことになるからだそうです。
いずれにせよ、お彼岸の期間には、日本では宗派を問わず各寺院では、「彼岸会(ひがんえ)」の法要が行われます。この彼岸会は、平安時代の中頃に始まったとされています。
また、彼岸会法要は浄土教(浄土思想)の影響を強く受けられていると言われます。浄土思想では、極楽浄土は西方はるか10万億土の彼方にあると考えられているため、太陽が真東から昇って真西に沈んで行くこの春分の日と秋分の日は、我々の世界である此岸と、仏様の世界である彼岸が、最も近くになる時期であると理解されるようになりました。
従って、この時期にご先祖様の供養を行えば、ご先祖様だけではなく、自分自身も極楽浄土(悟りの世界)に到達することができ、ご先祖様への思いも最も通じやくなるのではないかという思いが、お彼岸にはご先祖様の供養のためお墓参りをするという行事になったようです。 

■7 天皇3
新元号「令和」が発表されました。万葉集の「梅花の歌」よりの引用だとか。「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように」との意味だそうです。
いよいよ平成が終わり令和の時代が始まります。今上天皇から徳仁天皇へ、美知子皇后から雅子皇后へと引き継がれるわけですが、言うまでもなく、天皇は日本国の象徴です。
その象徴が新たになり、元号が改まれば国民の気持ちも新たになるのは当然かもしれません。そして新天皇の性格、振る舞い、それを国民がどう受け止めるかで、国の雰囲気にも影響を与えることになりますから、天皇の責任は重大です。
天皇の責任と言えば、昭和天皇の戦争責任です。一時国内に於いてもその「戦争責任論」が議論されたことがありました。また最近では韓国の国会議長が、現天皇を、「戦争犯罪の主犯の息子ではないか」などの非礼極まりない暴論まで飛び出しました。
日本国民としては黙ってはいられません。昭和天皇御自身がその「戦争責任」にどう向き合っておられたのか、その真実を窺い知る貴重な文書をネットユーチューブで発見しましたので、以下そのままを紹介させて頂きます。
昭和天皇と日本の先行きを決めるマッカーサー元帥との会見についてご紹介します。終戦時において天皇陛下に対する占領軍としての“料理”の仕方は、幾つかありました。
一つは、共産党をおだてあげ、人民裁判の名においてこれを血祭にあげる。二つ目は、中国に亡命させて中国で殺す。三つ目は、闇から闇へ一服もることによって陛下を葬り去ることでありました。
いずれにしても、陛下は殺される運命にあったのです。天皇は馬鹿か、気狂いか、偉大な聖者か、いつでも捕まえられる。かつては18,000人の近衛師団に守られたかもしれないが、今や全くの護衛を持たずして二重橋の向こうにいる。
陛下の割腹自刃の計画は三度ありました。貞明(皇太后)様は、(侍従に)陛下から目を離さないよう命じました。実は一番悩まれたのは、陛下でありました。
そして運命のときがやってきました。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーとの会見に向かわれるときの様子を同行した通訳は、こう回想されています。
皇居を出発した昭和天皇の表情は、「非常に厳しいお顔だった」と・・・ まず側近は、生きて帰れるかどうか心配したんですね。陛下は、決死の覚悟で乗り込んだわけです。日本の運命と自分自身、皇族の運命がかかっていましたから。
そして、緊迫した会見・・・9月27日、陛下がただ一人の通訳を連れて、マッカーサーの前に立たれたことは、皆様方もよくご承知の通りであります。
ついに天皇を捕まえるべき時がきた。マッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じました。マッカーサーは、陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえ、ソファーから立とうともしませんでした。
陛下は直立不動のままで、国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行われました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられてもいつでも応ずるだけの覚悟はあります」
弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか・・・ しかし陛下は続けました。
「しかしながら、罪なき8,000万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。 温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」
天皇は、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いという中で一切の責任はこの私にあります。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても・・・と淡々として申された。このような態度を見せられたのは、われらが天皇ただ一人であったのです。
陛下は我々を裏切らなかった。その時の気持ちをマッカーサーは回想記でこう記しています。「私は、大きい感動でゆすぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする。
この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても、日本の最上の紳士である事を感じ取ったのである」
そして、後に側近のフェラーズ代将には、「私は天皇にキスしてやりたいほどだった。あんな誠実な人間をかつて見たことがない」と語ったといいます。(当時外務大臣であった重光葵氏が、1956年9月2日、ニューヨークでマッカーサー元帥を尋ねた時の談話による)
「一言も助けてくれと言わない天皇に、マッカーサーも驚いた。彼の人間常識では計算されない奥深いものを感じたのだ」 そして、陛下のお言葉にマッカーサーは驚いて、すくっと立ち上がり、今度は陛下を抱くようにして座らせました。
そして部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と、マッカーサーは今度は一臣下のごとく、直立不動で陛下の前に立ち、「天皇とはこのようなものでありましたか! 天皇とはこのようなものでありましたか! 私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけください」と。
陛下は、再びスクッと立たれ、涙をポロポロと流し、「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と。
その後マッカーサーは、陛下を玄関(ホール)まで伴い、見送ったのです。皆様方、日本は8,000万人と言いましたが、どう計算しても8,000万はいなかったでしょう。いかがです?
一億の民から朝鮮半島と台湾、樺太をはじめ、すべてを差し引いて、どうして八千万でしょうか。実は6,600万人しかいなかったのです。それをあえて、マッカーサーは、8,000万として食料をごまかして取ってくれました。
つまりマッカーサーは、いわゆる、陛下のご人徳にふれたのです。米国大統領からは、日本に1,000万の餓死者を出すべしと、マッカーサーに命令が来ておったのです。
ただ一言、マッカーサーは、「陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた」と言いました。彼は陛下のために、食糧放出を8,000万人の計算で出してくれました。それがあとでばれてしまいます。彼が解任された最大の理由はそれであったというのが事の真相です。
あの戦争は昭和天皇でさえ止められない程、巨大な力がうごめいていました。天皇陛下は、1977年夏、初めて戦後の思い出を語りました。しかし、マッカーサーの初会見で、何を話したかについては、言えないと答えました。
「マッカーサー司令官と、はっきり、これはどこにもいわないと、約束を交わしたことですから。男子の一言の如きは、守らなければならない」と。1989年1月、昭和天皇は亡くなるまで、ついにマッカーサーとの会見の内容について語ることはありませんでした。
戦後の日本が存在出来たのは素晴らしい御心を持っておられた天皇陛下とマッカーサーに他ならないと思います。これぞ日本人の象徴であられる御精神です。 

■8 天皇4
5月1日、新天皇が第126代の皇位を継承されました。そして同時に元号は新たに「令和」となりました。まさに時代が、そして歴史が変わった瞬間です。日本中が新たな時代を迎え新たな気持ちにさせられました。
日本人の宗教観を鑑みたとき、天皇の存在は格別であると言いましたが、それは、日本人にとって天皇はまさに「宗教的存在」になっているからです。そもそも宗教とは、人の心や意識をプラス思考に変え、生きるためのモティベーションを高めるものです。
天皇陛下は宮中三殿において、常に国の安泰と国民の幸福を祈っておられるのです。国事行為であれ、私的行事であれ、太古の昔から天皇は常に国民に寄り添い想いを致してこられたのです。だからこそ国民は天皇に感謝し崇敬するのです。
神武天皇以来2600年以上もの長きに亘り、天皇と国民はまさに相思相愛の関係にありました。戦後は現人神としてではなく日本国の象徴としての位置付けになりましたが、国民の想いとその威厳はまったく衰えていません。
日本には精神的主柱である天皇がおり、日本人に生まれたことで天皇が庇護する日本国の一員であるという誇りと自負が芽生えます。そこに自ずと天皇崇拝の想いが生まれるのは自然なことであり、それはまさに“信仰心”に他なりません。何となればこれこそ「宗教」ではないでしょうか。
以上のことを踏まえて、前回に続いて昭和天皇が戦後とられた行動とエピソードを紹介したいと思います。
戦後間もない、まだ新憲法も公布されてもいない、「象徴天皇」という言葉もまだないなか、日本人が普通に生活できるようにしなくてはならないという想いから天皇が選択されたのが、全国行幸だったのです。
天皇巡幸は昭和21年2月から29年にかけて全国を巡幸され、全行程は3万3千キロ。東京、ロサンゼルス間を2往復する勘定になります。敗戦によるショック、虚脱状態にあった国民を慰め、励まされるための旅でした。
未曾有の戦災を被った日本を不法な闇市を通さなくても十分に食料が分配できるようにするためには何が必要か。陛下が選択されたのは全国民の真心を喚起するということだったのです。国民一人一人が、炭鉱で、農村で、役場で、学校で、会社で、あるいは工場で、真心をもって生産に勤しむ。
ひとりひとりの国民が復興のために、未来の建設のために立ち上がること。そのために陛下は、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ち上がるための勇気を与えようと全国を巡られたのです。
陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないなか、無防備のまま巡られたのです。普通の国であれば、平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされるものです。
それでも暗殺される王様や大統領だっています。それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇陛下が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡り、国民を慰める・・・なんという命知らずの大胆なやりかたであろうか。いつどこで殺されるかもしれない・・・
「ヒロヒトのおかげで、父親や夫が戦争で殺されたという恨みを考えれば、旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。ヒロヒトが40才を過ぎた猫背の小男ということ、神様じゃなくて人間だということを日本人に知らしめてやる必要がある」と、占領軍総司令部の高官たちの間では、こんな会話が交わされていました。
しかし、その結果は高官たちの“期待”を裏切るものでした。驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って「天皇陛下万歳」と叫んで陛下を慰めている。なんと美しい国の元首と国民の親しみ、心と心の結び、これは日本以外どこにも見られないことでした。
イギリスの新聞は、この驚きを次のように率直に述べています。「日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。」
ローマ帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ滅びています。神の如く慕われていたヒトラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいます。
それが、日本に限ってまったく違った現象が起こったのです。外国人が驚愕したのも頷けますね。このような国は他にはありません。戦後日本が焼野原から急成長を果たしていったのも天皇陛下と日本国民の心の結びつきが非常に強かったからこそだといえるでしょう。
しかし、国民のマジョリティーはそうだとしても、中には当然マイノリティーも存在します。実際、共産主義に感化された一部の人々の中には、そうした陛下を亡き者にしようとか、あるいは陛下を吊し上げようと、各地で待ち受けていた輩もいたのです。
そんな中で、実際の陛下の行幸で何があったのかを佐賀のケースで見てみましょう。佐賀県に因通寺というお寺があります。この寺には、戦争罹災児救護教養の、洗心寮が設置されていました。
洗心寮には、44名の引き揚げ孤児と、戦災孤児がいました。この寺の住職、調寛雅(しらべかんが)氏と昭和天皇はあるご縁がありました。そのご縁もあって、九州行幸には「行くなら、調の寺に行きたい」との昭和天皇のご意向から、因通寺のご訪問が決定しました。
この地域は、共産主義者がたくさんいる地域で、特に敗戦後ですので暴動が起きる可能性がかなりありました。因通寺のある町では、陛下の行幸を歓迎する人と反対する人で対立が起きました。歓迎するのにも命がけの雰囲気です。反対派から何をされるか分りません。
5月24日、いよいよ因通寺に昭和天皇の御料車が向かわれます。いろいろな想いの群衆から、「天皇陛下万歳、天皇陛下万歳」の声が自然と上がりました。それは、地響きのようでした。
陛下は、群衆に帽子を振って応えられました。そして、陛下は門前から洗心寮に入られました。子ども達は、それぞれの部屋でお待ちしていました。陛下はそれぞれの部屋で丁寧に足を止められました。
そして一番最後の部屋の「禅定の間」に進まれました。陛下は二つの位牌を持つ一人の女の子へお顔を近づけられ、「お父さん、お母さん?」とお尋ねになりました。
女の子が「はい、父はソ満国境で名誉の戦死をしました。母は、引き揚げの途中で、病気で亡くなりました」と返事をしました。
「お淋しい?」「いいえ、淋しいことはありません。私は仏の子どもです。仏の子どもは亡くなったお父さんとも、お母さんとも、お浄土に参ったら、きっともう一度会うことが出来るのです。お父さんに会いたいと思うとき、お母さんに会いたいと思うとき、私は御仏さまの前に座ります。
そして、そっとお父さんの名前を呼びます。そっとお母さんの名前を呼びます。 するとお父さんも、お母さんも、私のそばにやってきて、私をそっと抱いてくれるのです。私は淋しいことはありません。私は仏の子どもです。」
陛下と女の子は、じっと見つめ合っていました。さらに陛下は右の手に持っていた帽子を左に持ち替えられ、右手を女の子の頭において、撫でられたのです。
陛下は、「仏の子どもはお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」と申され大粒の涙をハラハラと流されました。
すると、女の子は「お父さん」と呼ぶのです。多くの人達は、言葉なく佇みました。新聞記者までが、言葉を無くし一緒に涙を流したのです。
孤児院から出られるとき、子ども達が陛下の袖を持ち、「またきてね、お父さん」と言いました。陛下は、流れる涙を隠そうともせず「うん、うん」と頷かれました。
そして後に、陛下から因通寺に一首の歌が届けられました。「みほとけの教へまもりてすくすくと生い育つべき子らに幸あれ」
調住職はこのお言葉をみなに響き聞かせようと、この御製を寺の梵鐘に鋳込ませました。今でも因通寺に行くとこの梵鐘の響きがあたり一帯に響き渡るそうです。
洗心寮を出られたあと陛下は待ち構えていた共産主義に感化された青年達と対峙しますがそれは来月に回しましょう。 

■9 天皇5
洗心寮を出られたあと、長い坂の下でたくさんの人々が陛下を出迎えました。陛下は遺族などと一人一人お話になり、進まれました。その中に若い青年と思われる数十人が一団となって陛下をお待ちしていました。
シベリア抑留の時に徹底的に洗脳され、共産主義国家樹立のために共産党に入党した者達でした。すごい形相で、筵(むしろ)旗を立てて待ち構えていたのです。恐れていた事態が起こる気配でした。
周りの者が陛下をお守りしなければと駆けつける前に、陛下はその者達に近付かれ、なんと、陛下はその者たちに深々と頭を下げられ、声を掛けられたのです。
「長い間、遠い外国でいろいろ苦労して深く苦しんで大変であっただろうと思うとき、私の胸は痛むだけではなく、このような戦争があったことに対し、深く苦しみを共にするものであります。」
「皆さんは、外国においていろいろと築き上げたものを全部失ってしまったことであるが、日本という国がある限り、再び戦争のない平和な国として、新しい方向に進むことを、希望しています。皆さんと共に手を携えて、新しい道を築き上げたいと思います。」
非常に長いお言葉を述べられました。陛下の表情は慈愛に溢れるものでした。陛下は、彼らの企てをご存知ない。
すると、陛下の前に、一人の引き揚げ者がにじり寄りました。「天皇陛下さま、ありがとうございました。今頂いたお言葉で、私の胸の中は晴れました。
引き揚げてきたときは、着の身着のままでした。外地で、相当の財をなし、相当の生活をしておったのに、戦争に負けて帰ってみれば、まるで丸裸。最低の生活に落ち込みました。
ああ、戦争さえなかったら、こんなことにはならなかったと思ったことも何度もありました。そして、天皇陛下さまを、恨みました。しかし、苦しんでいるのは、私だけではなかったのです。
天皇陛下さまも、苦しんでいらっしゃることが、今わかりました。今日から、決して、世の中を呪いません。人を恨みません。天皇陛下さまと一緒に、私も頑張ります。」と言いました。
その時、筵旗を持ってすごい形相の男が不意に地面に手をつき泣き伏しました。「こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。俺が間違っておった。俺が誤っておった。」と号泣したのです。その男の懐には短剣が忍ばせていたのです。泣きじゃくる男に、他の者たちも号泣しました。
じっと、皆を見詰めて動こうとされない陛下。陛下の眼差しは深い慈愛に溢れ、お優しい目で見詰められていました。三谷侍従長が、ようやく陛下のおそばに来て促され、陛下は歩みを進められたのです。
陛下が涙を流されたとき、人びとは知りました。陛下も苦しまれ、悲しまれ、お一人ですべてを抱え込んでいらしたことを。このように、陛下はあえて危険を顧みず全国を巡幸され続けられたのです。
そのお姿に、国民は「一丸となって、共に頑張ろう」と思うのでした。奇跡といわれた戦後のめざましい復興のエネルギーはここから生まれたと言ってもよいでしょう。
話は変わって、昭和22年12月7日、昭和天皇は被爆地、広島市に入られました。宮島口から市内に向かう途中、五日市で広島戦災児育成所に立ち寄られました。ここには家族を原爆で失った84人の孤児が天皇をお迎えしました。
その先頭に墨染の衣をまとった5人の少年僧がいました。最年少は小学生の朝倉義脩(現真宗大谷派大谷祖廟事務所長)でした。
朝倉は、20年4月、広島市から8キロ離れた寺に学童疎開をしていました。「8月6日朝、体操が終わってしばらくすると、広島市の方が光って、間もなくドーンというものすごい音がしました。夕方には焼けただれた避難民がやってきた」
終戦。子ども達は迎えに来た家族や親せきに連れられ帰っていきましたが、朝倉少年を迎えに来る者は誰もいませんでした。父は前年に亡くなり、母と妹の住む自宅は爆心地に近く、絶望でした。
育成所はこうした孤児を見かねた真宗本願寺派の僧侶、山下義信(故人、元参議院議員)が私費を投じて開設された施設でした。
子どもたちは夜になると泣いた。「お父さんに会いたい。お母さんに会いたい。」中には「どうすれば会えるの」と涙をためて山下に詰め寄る年長の子どももいました。山下は、「お経をあげれば会える。坊さんになって修行しなさい。」と諭しました。
朝倉少年らは21年11月に得度して僧になりました。新聞は、「原爆少年僧」と呼びました。この話を知った天皇が「広島市に入る前にぜひ声をかけたい」と立ち寄られたのです。
陛下は、整列する子どもたちの前に進まれました。山下が原爆で頭髪が抜けた子供を抱えるようにして陛下にお見せしました。陛下はその子の頭をなで、目頭を押さえられました。
さらに、少年僧らを「しっかり勉強して頑張ってください」と激励されました。側近や多くの報道関係者がいましたが、水を打ったように静まり返りました。
「陛下に励まされたわけですから、正しい道を歩まなくては、と思ってやってきました。」と朝倉は振り返ります。朝倉ら得度した子供たちのみならす、施設の子ども達は大きな勇気を頂きました。
天皇は広島市に入り、約七万人が集まった護国神社跡地の歓迎場にお着きになりました。平和の鐘が鳴り響き、君が代の合掌の中、お立ち台に上がられました。市民からは万歳の声があがりました。正面には原爆ドームが見えます。
陛下は終戦以来、初めてマイクで直接市民に語りかけられました。「広島は特別な災害を受けて誠に気の毒に思う。われわれはこの犠牲を無駄にすることなく、世界平和に貢献しなければならない」
この様子を見て恐怖心を抱いた米国人がいました。“目付役”として随行していたケントというGHQの民政局員でした。侍従としてお供していた徳川義寛は「ケントという変な男がついてきてあれこれ探っていた」と証言しています。
広島の会場をそれまで「奉迎場」から「歓迎場」と名称を改めさせたのもケントらでした。「原爆が投下された広島市民は天皇を恨んでいなければならないとケントは思っていました。
しかし、市民は熱狂して天皇を迎え、涙を流して万歳を叫ぶ。天皇制廃止論者のケントは怖くなりました。このまま巡幸を続けると、天皇制はますます確固不動になる。巡幸をやめさせねばならないとケントは考えました。
ケントら民政局は巡幸の中止を政府に働きかけることにしました。問題にしたのが、日の丸事件です。GHQは占領以来、日の丸の掲揚を禁止していましたが、巡幸の先々で日の丸が振られていたのです。
民政局はその都度、宮内庁に抗議しましたが、宮内庁は、「国民が日の丸を振ることを禁止する権限は宮内庁にはない」とかわしていましたが、GHQは納得せず、宮内庁の責任だと強行姿勢に出ました。
後の東宮大夫、当時、侍従の鈴木菊男も「民政局はご巡幸で天皇の権威が復活するのを恐れていた」と証言しています。
22年12月、中国地方の巡幸が終わると、GHQは政府に宮内庁の機構改革と首脳の更迭を指示。当時芦田内閣は何の抵抗もなく従い、この結果、宮内庁長官、侍従長、宮内府次長の3人が辞職。そして巡幸は中止になったのです。
その後、九州、四国を中心に全国からGHQ、政府、宮内府に巡幸復活の嘆願書が寄せられ、陛下も直接マッカーサーに復活を願われたそうです。結果、24年5月に巡幸は復活し29年まで続きました。 

■10 天皇6
巡幸は、沖縄を残して29年の北海道を最後に終わりました。まさに“巡礼”であり、“行脚”でした。天皇は側近に、「戦前からこうして国民と直接話ができたらいいと考えていた」と語られたそうです。
晩年、天皇は病床で「もう、駄目か」と言われました。医師たちは、ご自分の命のことかと思いましたが、実は「沖縄訪問はもう駄目か」と問われたのです。崩御される最後まで沖縄への巡幸を気にかけておられたのです。
最後の最後まで、国民に心を寄せられた陛下でした。その昭和天皇の御心は、平成5年に今上天皇によって果たされます。今上天皇による歴代天皇初の沖縄訪問でした。
その時、原稿なしで遺族を前に5分間にわたって、御心のこもったお言葉で語られました。そのお言葉に、険しい表情であった遺族も、「『長い間ご苦労様でした』、というお言葉を頂き満足しています。お言葉には戦没者への労りが感じられました。陛下のお言葉で、また一生懸命やろうという気持ちが湧いてきました。」
「なぜか泣けて言葉にならなかった。沖縄のことを愛しているのだろうという気持ちがこみ上げてきた。」とある遺族は語っていました。昭和天皇の遺志は今上天皇によって果たされ、昭和天皇が始められた御巡幸は、45年もの月日を経て一区切りがついたのです。
終戦翌年の昭和21年から29年にかけての全国巡幸は全行程3万3千キロにも及び、一日平均200キロの強行軍でした。敗戦によるショック、虚脱状態にあった国民を慰め、励まそうとされた旅でした。
国民はそれまでの現人神(あらひとがみ)とされていた天皇の姿に直接触れ、国家再建の道を歩むことに大きな励ましと勇気を与えられました。そのご恩に報いんとして、日本国民は一丸となって戦後の復興に邁進してきました。
日本人が特に重んじているのが礼節と恩義とそして感謝です。それらは古来より神仏習合の宗教文化のなかで醸成されてきた、まさに日本人の倫理道徳観の根幹ともいえるものです。
そのお手本を見事に体現されたのが昭和天皇でした。その例を、昭和天皇ご訪米のエピソードからご紹介しましょう。
当時(昭和50年頃)、天皇陛下に対するアメリカ国民の反応は冷ややかなものでした。しかし、この時期に天皇陛下が訪米、その時に語られたお言葉により、その態度が一変したというエピソードです。
昭和50年、天皇皇后両陛下がご訪米された時のことです。このご訪米までのアメリカ国民の反応は、「冷淡」「無関心」というものが多く、ご訪米が1ヶ月後に迫っても、アメリカのジャーナリズムでは天皇陛下の訪米は殆ど話題にはなりませんでした。
まして一般のアメリカ人はほとんど知らないし、関心も持っていませんでした。アメリカ国民の日本に対する関心は経済面に集中しており、それ以外の事にはほとんど関心がないし、知りません。
ところが、天皇が訪米されてからその様相は一変します。それまで「ニューヨーク・タイムズ」には、日米首脳会談のニュースでさえ一面に掲載されたことはありませんでした。
ところが、陛下がご訪米されてから、新聞は6日間連続トップ記事で、それも写真入りで掲載したのです。陛下を目の当たりにし、全米では日を追って訪米歓迎の空気が盛り上がったのです。
なぜ、このように、訪米以前と180度違う対応になったのでしょう。実は、アメリカ国民が心から感動し、天皇陛下を尊敬するきっかけがあったのです。それは、ホワイトハウスでの公式歓迎晩餐会における天皇のお言葉でした。
「私は多年、貴国訪問を念願しておりましたが、もしそのことがかなえられた時には次のことをぜひ貴国民にお伝えしたいと思っておりました。と申しますのは、私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争の直後、貴国がわが国の再建のために、温かい好意と援助の手を差し伸べられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました。当時を知らない新しい世代が、今日、日米それぞれの社会において過半数を占めようとしております。 しかし、たとえ今後、時代は移り変わろうとも、この貴国民の寛容と善意とは、日本国民の間に、永く語り継がれていくものと信じます。」
敗戦後の日本が直面した大きな問題のひとつは、なんといっても食料難でした。昭和20年の米の収穫量は平年の6割という明治38年以来の不作でした。それに加えて、外地からの引き揚げ者、復員軍人などの人口増加で食料難は悪化するばかりでした。
国民の窮状を心配された天皇陛下は、このように言われました。「皇室の御物の中には国際的価値のあるものが相当あるとのことだから、これを代償としてアメリカに渡し、食糧に代えて国民の飢餓を一日でもしのぐようにしたい。」
このように言われて、侍従に御物目録を作らせました。しかし、この話を聞いたアメリカ側からは、御物を求められるどころか、無償で食糧を提供されたのです。
「御物を取り上げて、その代償として食糧を提供するなど、自分とアメリカの面目にかけてもできない。」 陛下の考えに感激した連合軍最高司令官マッカーサー元帥はこのように言われ、アメリカ本国に食糧緊急援助を要請し、これが実って日本の食糧危機は大幅に緩和されたのでした。
また、天皇陛下ご訪米当時、アメリカ人は国際政治や外交に自信をなくしていました。この半年前に、世界史上に残る大きな屈辱となったベトナム戦争の敗北を経験していたからです。
第二次世界大戦後、アメリカは西欧や日本、そしてアジアに多くの援助を行ってきました。ところが中には感謝の言葉どころか、反米運動さえ起こっている国もあったのです。
そのような時期に天皇陛下が訪問し、今までの援助に感謝を表明され、しかも日本国民の間に永く語り継がれていくと述べられたことは、アメリカ国民には救いと大きな喜びを与えたのです。
恩を恩として感じ、いつまでも忘れない、そういう天皇陛下のお心が米国人を感動させたのです。人から受けた恩を感じて、長年にわたって感謝し続けることはなかなかできることではありません。
ましてや、戦争をした相手国です。普通であれば心の中で様々な葛藤があるのは容易に想像できます。しかし、そのような素振りも全くなく、心から感謝の気持ちを述べられる陛下のお姿に多くのアメリカ人は感動したのでしょう。
昭和天皇は、日本人が重んじる礼節、恩義、感謝の教範を見事に示されました。天皇自らが国民の教範であり統合の象徴であるという観点からも、日本人にとって天皇はまさに宗教的存在となっているのです。 
 
太平洋戦争の真実

 

 
■朝鮮統治1
8月15日はお盆ですが、同時に終戦記念日でもあります。戦後74年になりますが、日本人にとって310万人もの犠牲者を出した太平洋戦争は歴史上最大のトラウマになっています。
毎年この時期になるとマスメディアは大戦の惨禍を大々的に報じることが年次行事になっています。しかし、あの戦争は何だったのか、何を反省するのか。様々な意見や見解があるものの、なかなか納得のいく総括はありません。
特に戦争における勝者と敗者の間にはそれぞれの立場から被害者意識、加害者意識に相当な齟齬があります。それは、史実はとかく立場による主観や都合によって多々歪曲やねつ造されることがあるからです。
特にあの太平洋戦争についても我々の知らないことが多すぎます。隠蔽や歪曲された史実もあるでしょう。我々には正しい歴史を知る権利があります。人は正しい歴史認識を持ってこそ未来志向になれるのです。
今、日韓関係は最悪の状態です。その原因は歴史認識の違いからだと言われます。慰安婦問題も徴用工問題も全て被害者意識と加害者意識の違いから生まれたものです。日韓双方が意地の張り合いとなってまさに日韓同盟は破綻の危機を迎えています。
しかし、「認識」は真実を意図的に歪曲したりねつ造したりすることによっていくらでも変えられるものです。私見ですが、韓国の被害者意識こそフェイク情報の操作による洗脳の結果ではないでしょうか。
どんなウソも100遍言えばホントウになると言います。子どものころからウソを徹底的に叩き込まれれば、どんな子どもでも確実に洗脳されます。真実を知り親日になった韓国人の中には、日本に来るまで本当に日本人は鬼だと思っていたそうです。決して誇張の話ではありません。
特に戦後そんなプロパガンダで国民を誘導してきたのが韓国の“恨の歴史”です。日本人の御人好しに付け込んでこれまでどれ程のたかりや横車を押してきたでしょうか。今の文在寅政権がその極みであり集大成だと言っても過言ではありません。
日本の国旗を燃やしたり、安倍総理の写真に泥を塗ったり、日本製品ボイコット運動に憎悪むき出しで声高にアピールする人々の光景はまさに異様です。例え立場が逆だとして日本人には到底できる所業ではありません。民族性でしょうか。日本人としては嫌悪感と憐れみだけしか覚えません。
植民地時代朝鮮半島の全てを搾取し、蛮行の限りを尽くし、財産も名誉も奪われた。日本はいくら謝っても謝り切れない。反日は永遠に「恨日」(ハンニチ)だ、と言うのが彼らの主張です。「反日無罪」という言葉まであります。「反日」のためなら何をやっても許されるというのですから、何をか言わんやです。
日本は韓国(朝鮮半島)に対して本当にそれほどの悪いことをしたのでしょうか。ネット社会の現代どんな情報もネットから得ることができます。もちろん中にはフェイクも混在していますが、私なりに信憑性のある記事を見付けましたので紹介しましょう。
崔基鎬(チェ・ギホ)加耶大学客員教授の証言をそのままをお伝えします。
私は88歳です。もう真実を話したいと思います
私は1923年生まれです。もう韓国のためにも、日本のためにも、事実を言いたい。それはかなりの覚悟が必要です。命の危険も覚悟しています。しかし、これは私の使命なのです。
私はソウルに住んでいました。そして、時には平壌や東京に行きました。その当時の韓国人は日本人以上の日本人でした。劇場に行くと映画の前に戦争のニュースがありました。例えばニューギニアで日本が勝った映像が流れると、拍手と万歳の嵐です。
私は映画が好きで、東京にも行きましたが、日本人は冷静でした。しかし、韓国人は全員が狂ったように喜んでいました。それが普通の姿でした。だから親日派という言葉は使用できません。その使用できない言葉を使って、先祖まで批判しています。
親切で優しい日本人という印象を必死に消すために反日を指導者は扇動しました。韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%歪曲というと、韓国は90%歪曲です。朝鮮末期の異常な政治腐敗を教えず、日本が関与していない場合は、独立をすることができていたかのように書かれています。
日韓併合によって「教育」「医療」「工業」「社会インフラ」が整備されました。近代国家の基礎が築かれたことは明らかな事実です。その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物である!」と糾弾する韓国はとんでもない。
更に「日帝が民族産業を停滞させた!」という主張にはコメントする気持ちもなくなります。民族産業を殺したのは朝鮮王朝です。近代化を主張する先進的な思想家は反逆者として親族も処刑されました。
韓国人は「日帝の虐待!性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。歴史の真実を知っているからです。朝鮮語でキウン(地獄)でした。それは大韓帝国時代になっても同じでした。
1904年、日本は朝鮮の惨状を救うため、財政支援を決断します。例えば、1907年、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上でした。その差額は日本が負担しています。1908年にはさらに増加し、3100円を支出しています。現在88歳の老人の叫びです。どう思いますか?

閔憙植(ミン・ヒシク) 漢陽大学名誉教授
日本に感謝しています
Q 閔さんの記憶で、日本統治時代一番良かったことは何ですか?
A 良かったことは、歳を取った人やインテリは日本が韓国を占領したのを幸いに思っているんです。なぜかと言えば、あの時(日露戦争で)ロシアが勝っていたら、韓国はロシアの属国に入るんですね。韓国人でも勉強している人は、ロシアがもし入ってきたらどうなるかというと、みんな捕まってシベリアに連れていかれて、ロシアが韓国を盗る訳なんですね。そうなると韓国人はものすごく惨めなんです。日本が統治した場合とは比べられないほど惨めな状況になる。それをインテリは感じますね。あの(日本統治)時代には反日なんてまったくありませんでした。 (反日は)まったくないですね。差別なんかなかったですね。米ができたらちゃんと皆と同じく分けてくれたんですね。韓国人とかそういった区別がなかったんですね。そういう区別がなかったので生活にはあまり困らなかったですね
Q 日本統治時代の記憶で印象に残っているエピソードは?
A 日本人の生徒とケンカして謝りにいったら「お前も日本人だ」とほめられました。教育がもっと優れていました。先生は日本人でものすごく真面目に教えてくれました。あの時はちっとも差別なんかなかった、今でも同窓会をしています。それが(日本統治時代の)事実なんです。恨みなんかなかったですね。みんな(日本統治時代を)懐かしがっています。
Q 戦後の教育で反日教育が始まったと聞いていますが。
A  (戦後の韓国の)反日教育は酷かったですね。私個人としては(日本統治時代には)ちゃんとした教育をうけたんですね。勉強も自由にできました。それが戦後には酷い目にあったんですね。ものすごく乱れていました。教育がなっていない。
Q 日本統治時代について肯定的な発言をしたりすると、社会からかなりバッシングをうけるんですよね。
A 韓国人は昔の文化が日本よりも優れていたというプライドがあるんです。それで日本にやられたということが悔しいという思いがあるんですよね。 (韓国が)日本に文化を伝えたと、仏教も伝えたし、いろいろなものがあるにも拘わらず軽蔑されるのがたまらないんですね。
Q いつごろから反日が盛り上がってきたと感じますか。
A 戦後に反日になったんですね。戦後からずっとです。「日本に支配されたから日本人をやっつけたら自分は偉い」という、そういう妄想というか、そういうものを持っているんですね。竹島(独島)の問題も命がけで行って日本の悪口を言ってテレビに出る人がいますが、そういう人が愛国者なんですね。テレビに出たら英雄になるんですね。頭の中は賄賂をもらうことしかないですよ。
Q 賄賂を与えている人はどういう人達なんですか。
A 一般的には野党が多いですね。そっちの方が不満が多いんです。だからそういう人がたくさんいるからみんな反日のように見えるんですよ。日本に対していい感情を持っている人の方が多いんですよ実際は。韓国でも日本と仲良くした方が未来があると思っている人の方が多いんです。
Q 閔さんが思う日本による一番の功績は何だと思いますか。
A 日本人の一番偉いところは、植民地を解放したことです。韓国は例外かもしれないけど、インドとかインドネシアの南の方にとっては(日本)は恩人です。世界的に感謝されるべきものなんです。西洋人に支配されているときに、日本なしでは(独立は)不可能だったと思います。それは非常に感謝すべきことだと思います。日本が負けても精神的に国を愛する気持ちとか団結力とか、そういうものは世界的だから日本は滅びないという感じがしますね。日本が滅びることはないと思いますよ。

■朝鮮統治2
日韓関係は過去最悪の状況だといわれています。特に韓国人の反日感情には凄まじいものを感じます。韓国からの観光客は65,5%も激減し、日本製品の不買運動もまさに国家行事のように徹底しています。
「加害者と被害者の立場は、千年の歴史が流れても変わらない」と前パク・クネ大統領が述べたように、今の文在寅政権もそれ以上に日本を目の敵にしています。その怨念の原因のすべては日本の統治時代に起因しているというのです。
ほんとうに日韓併合時代は千年も恨まれるような暗黒の時代だったのでしょうか。日韓併合時代とは、1910(明治43)年〜1945(昭和20)年のおよそ35年間、日本が欧米諸国の支持のもと条約に基づいて大韓帝国を併合した時代を指します。
ネット社会の今、韓国に関する様々な記事を見ることができます。その中から「真実」を知る手がかりになるような記事をいくつか紹介してみたいと思います。
日韓併合時代に日本が行ったこと
(1)多額の財政投入
日韓併合後、日本は朝鮮半島を「植民地」ではなく、日本国の一部として考えていた。欧米の「植民地」支配とは異なり、そこに搾取はなかった。
近現代史研究家の水間政憲氏は、こう指摘する。「日本が朝鮮を搾取していたのか、と言えば、むしろ日本から朝鮮半島に血税が投入されていた。35年間で朝鮮に財政補填がなかったのは、昭和8年のたった一年だけです。
昭和10年代、日本が日支事変以降、経済的に困窮し、耐乏生活に追い込まれていったわけじゃないですか。ところが、驚いたことに、韓国では多数の学校が建設され、5千キロ以上の鉄道もつくられていたんです」
(2)インフラの整備・所得増加政策
日本が朝鮮半島の社会的基盤を整えたのは事実だ。東亜大学教授・広島大学名誉教授の萑吉城(チェ・キルソン)氏は、「日本は朝鮮に近代的なインフラを整備し、建物等を数多く建築し、所得を上げる政策を実施しました。
稲の品種改良によって寒冷地でも稲作農業ができるようにし、その結果、北部でもおいしい米がたくさんとれるようになったのです」
日本の統治以前の李氏朝鮮において、教育を受けられたのは「両班(やんばん)」といわれる支配階級の子弟のみであり、識字率は20%以下であった。この点についても、チェ氏は日本統治について肯定的な評価を下している。
「学校教育では日本語で朝鮮語を抹殺したように言われていますが、日本の教育政策で朝鮮半島が近代的な教育システムになってきたことは事実であり、高く評価されてもいいと思います」
さらに、台湾出身で評論家の黄文雄氏は、別の観点から日本の朝鮮統治に高い評価を与えている。「日本の当時の朝鮮総督府はそれまでの制度を変えて『万民平等』を実現し、近代法に基づく社会を作りました。
李朝時代の階級制度をすべて撤廃したこと、これはたいしたものですね。リンカーン以上です。リンカーンの奴隷解放以上の仕事をしていますよ」 また、朝鮮の人々の名前を奪った、と批判を受けることもある「創氏改名」については、「もともと奴隷階級には苗字がなかったんです。また女性でも名前もなかった。
名前を奪ったのではなく、むしろ名前を与えたんですね。朝鮮の長い歴史のなかで最大の貢献であると思います」と、この施策にも通説とは異なる肯定的な評価を与えた。
以上見てきたような日本の統治政策は、台湾でも施行されました。しかし、台湾では韓国のような感情的な反発は見られません。むしろ近代化を推し進めたものとして肯定的に評価されています。その評価はまさに真逆的です。
植民地研究の第一人者、アレン・アイルランド氏は、日本の朝鮮統治を次のように評価しています。「今日の朝鮮は李王朝時代とは比べ物にならないくらい良く統治されており、また他の多くの独立国と比較してもその統治は優れている。政府の行政手腕のみならず、民衆の文化的経済的発展においても優れているのである」
日本人の多くは、韓国は隣国として大事な国だから出来たら穏便に仲良くやって行けたらいいと思っている筈です。そのためには、先ず韓国が正しい歴史認識を持つ必要があるでしょう。反日をやめ「真実」に向き合わない限り信頼関係は築けません。
韓国人の女性で、呉善花(オ・ソンファ)さんという方がいます。日韓関係についてたくさんの本を書いている方ですが、彼女は小さい頃、親の世代から「日本人はとても親切な人たちだった」と聞かされていました。
ところが、学校に入学すると、先生から、「日本人は韓国人に酷いことをした」と教わって、すさまじいばかりの反日教育を受けたのです。それでいつしか、学校で教えられるままに、「日本人は韓国人にひどいことをした」という認識が、彼女の中で常識となっていました。
彼女はその後日本に渡って、日本で生活するようになりました。すると、かつて親から教えられた「日本人はとても親切な人たちだった」という言葉が、再びよみがえってきたのです。
それで彼女は、日本と韓国の歴史について、もう一度勉強し直しました。やがて彼女は、韓国で受けた反日教育というものが、非常に偏った、間違いだらけのものであることを知るようになりました。そして、反日主義から抜け出したのです。
今日、韓国の学校教育では、「日帝は、全国いたるところで韓民族に対する徹底的な弾圧と搾取を行い、支配体制の確立に力を注いだ」「日帝の弾圧に苦しめられたわが韓民族は、光復(戦後の解放)を得るまでの間、植民地政策に対して自主救国運動を展開した」等と教えられています。
このようなことを教えられると、日本人はまるで朝鮮でヤクザのようにふるまい、日本人は朝鮮人を虐待し、両者は至るところで非常に仲が悪かったような感じです。しかし、実際に朝鮮における日本統治時代を体験した人々に聞くと、まったく違う様子だったのです。
たとえば、生まれも育ちも朝鮮の新義州(今の北朝鮮北部)という林健一さんも、こう語っています。
「日本人による朝鮮人差別ということは、まったくありませんでした。学校で生徒同士は完全に対等で、上級生の朝鮮人が下級生の日本人を呼び寄せて、『お前は服装がなっていない』とか説教することなんかたびたびありましたね。朝鮮を出て、日本の内地に行きたいとも思いませんでした。朝鮮の人々はよかったですし、私も居心地がよかったですから、骨をどこに埋めるかと聞かれれば、『朝鮮』 と答えたものです」
また、日本統治下のソウルで青春時代を過ごした吉田多江さんは、こう語っています。
「近所の子ども達ともよく遊びました。何の区別もなく付き合っていました。中のよかった思い出がいっぱいで、朝鮮人と日本人の間でいじめたりいじめられたりといったことは、本当に見たことも聞いたこともありませんでした。朝鮮はとても治安がよくて、日本人を襲う泥棒や強盗の話など聞いたこともありません。創氏改名を強制的にさせたとも言われますが、私のまわりの朝鮮人はみな終戦までずっと朝鮮名のままでした。戦後の韓国で言われてきた歴史には、あまりにも嘘が多いと思います。私はソウルで生まれ、成年になるまでソウルで生きてきましたが、日本人と韓国人が基本的に仲良く生きてきたことは、双方の民族にとって誇るべきことだと思っています」
このあとも体験談は続きますが、次回に回します。  
 
仏遺教経

 

遺教経(ゆいきょうぎょう)とは、仏陀釈尊が入滅に際して弟子たちに遺した最後の説法を伝える経典のことをいう。正式名称は「仏垂般涅槃略説教誡教(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)」といい、「仏遺教経」や「遺経」とも通称される。いわば仏陀釈尊の遺言であり、中国を経て日本へも普及した。サンスクリット語の原典、チベット語訳は欠本しており、現存しているのは漢訳のみ。日本の禅宗では仏祖三教として特に尊重されてきた。現代では書き下し文に訳された経典が一般的。般若心経のおよそ十倍の分量で、「八大人覚(はちだいにんがく)」という教えを中心に説かれている。八大人覚とは人が覚知すべき教えのことで、小欲・知足・楽寂静・勤精進・不忘念・修禅定・修智慧・不戯論の八種類があり、これらを守ることで悟りの境地に達することを説いている。日本に禅をもたらした道元禅師もこの訓戒を大変重視しており、現代でも曹洞宗では葬儀の場において必ず読まれるなど、経典として広く普及している。  
 

 

■はじめに
「遺教経」(ゆいきょうぎょう)は正式には「仏垂般涅槃略説教誡教」(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)といいますが、「仏遺教経」とか、単に「遺経」とも通称されています。
「仏遺教経」は、その名の示すとおり、釈尊が八十年のご生涯を終えられるにあたって、さいごに示された、いわば遺言とも言うべき教典なのです。
釈尊のご入滅が近いことを伝え聞いたお弟子達は、急遽クシナガラの釈尊のもとへ向いました。釈尊はすでに沙羅双樹の下に北枕に右わきを下にして、西に向かって静かに横になられておりました。入滅を目前に、集まった多くの弟子達に、「これがわたしのさいごの説法だぞ」と諄々と法をお説きはじめられたのです。
この時、紀元前四百八十六年二月十五日、満月の夜のことでした。およそ今から二千五百年前、日本の歴史に当てはめてみるとなんと縄文時代です。そんな大昔にインドに出世された一人の沙門の説かれた教えがはるか時代を越え広くアジアから日本のみならず世界宗教となって今なお多くの人々の心の支えになっているのです。
それは釈尊が宇宙の真理をさとり、その道理に適った生き方こそ幸福への道だったからです。その仏法は、あらゆる存在は一切皆空であるが故に無常で無我であるという厳然たる事実から出発しています。そして、人が避けて通れない四苦八苦の現実も八正道の実践によって必ずや安楽への道に通じていると説かれているのです。
釈尊は49年間におよぶ伝導布教の中で五千四十余巻の経と八万四千の法門を説かれましたが、その悲願は惟ひとつ人類の幸福に他ならないのです。そしてその最後の結論がこの「遺教経」に集約されていると言えるのです。まさに釈尊が人類のために遺されたさいごの教誡です。
この教典は漢文で二千五百字ほどで「般若心経」の約十倍ほどですが、今日日本では書き下し文に訳された教典が一般的で案外理解し易い内容となっています。その経文の中心的教誡が「八大人覚」(はちだいにんがく)、つまり大人が覚知すべき八種の法門の教えです。
古来禅門では鳩摩羅什(くまらじゅう)の訳である「遺教経」を大変重んじてきました。道元禅師や瑩山禅師も「遺教経」を大変大切にされていました。とりわけ道元禅師は、大著「正法眼蔵」の最後に「八大人覚」の巻を著されましたが、このなかでも中心的に説かれているのが「遺教経」からの「八大人覚」の教誡なのです。
病床にあった道元禅師が、示寂を目前に「八大人覚」を執筆されたのは、禅師にとって「八大人覚」は釈尊とまったく同じ境涯からの「遺訓」であったからでしょうか。 「もろもろの仏は、とりもなおさず大人である。大人のさとり知るところであるから、これを八大人覚と称するのである。このことをよくさとり知るのが、涅槃のもととなるのである」(正法眼蔵・八大人覚)
「これを学ばず、これを知らなかったならば、それは仏弟子ではない。これこそ如来の正法眼蔵であり、涅槃妙心である」・・・「われらは、いまや、生々これを習学して成長せしめ、かならず最高のさとりに到達し、さらに、これを衆生のために説くこと、釈迦牟尼仏にひとしくしなければならないであろう」         (正法眼蔵・八大人覚)
道元禅師の遺弟永平寺二世懐弉禅師は、この「八大人覚」の巻の奥書に次のように記されています。「もし、かの先師(道元禅師)をお慕い申すならば、せめて、必ずこの巻を書写して、これを護持されるがよろしい。けだし、この巻は、釈尊の最後の御教えであるとともに、また、先師の最後の遺教でもあるからである」
前置きが長くなりましたが、これより拙僧のつたない解説を始めさせていただきます。
尚、文訳は故山田無文禅師(妙心寺派管長)、松原泰道老師(龍源寺住職)、上田祖峯先生(駒沢女子大学)、安藤嘉則先生(駒沢女子大学)の書籍を参考にさせていただきました。
仏遺教経 (1)
釈迦牟尼仏、初めに法輪を転じて、阿若憍陳如を度し、最後の説法に須跋陀羅を度したもう。応に度すべき所の者は、皆已に度し訖って、沙羅双樹の間に於いて、将に涅槃に入りたまわんとす。是の時中夜寂然として声無し、諸の弟子の為に略して法要を説きたもう。
「初めに法輪を転じて」とは、「はじめての説法において」という意味です。
「阿若憍陳如」(あにゃきょうちんじゃ)と「須跋陀羅」(しゅばつだら)は、人の名前です。
「度す」とは「済度」のことで、「迷いから救済する」という意味です。
お釈迦さまは初めての説法においてアニャキョウチンジャを済度し、最後の説法でシュバツダラを済度しました。「応(まさ)に度すべき所の者は、皆已(すで)に度し訖(おわ)って」済度しなければならない者達はすべて済度し終えて、「沙羅双樹の間に於いて、将(まさ)に涅槃に入りたまわんとす。」沙羅双樹の下でこれからまさに入滅されようとしていました。「是の時中夜(ちゅうや)寂然(じゃくねん)として声無し」もうすでに夜も更けて、あたりは物音一つしないように静まりかえっており、釈尊のおかくれになるショックで誰一人言葉を発する者はいませんでした。「諸の弟子の為に略して法要を説きたもう。」その弟子達のために、釈尊はあらためて仏法の大意を説きはじめられたのです。最初の一文では、お釈迦さまがはじめて済度されたお弟子がアニャキョウチンジャであり、入滅される直前に最後に済度されたお弟子がシュバツダラであったという、その二人のお弟子の名前を直接あげて、四十九年もの長い間にいかに多くの人々を済度されたかを伝えています。
釈尊は迦毘羅(カピラ)国で御生誕され、16歳で結婚、29歳で出家、6年間の厳しい修行の結果35歳で摩掲陀(マカダ)国にて成道されました。 そして婆羅奈(ハラナ)国の鹿野苑(ろくやおん)でその深遠なる仏法を最初に説き示されたのです。
実はそのとき阿若憍陳如(アニャキョウチンジャ)を含め、そこには五人の比丘(修行者)がいたのです。彼等はかつてお釈迦さまと共に苦行をされていたのですが、お釈迦さまが、「苦行は合理的修行ではない」と苦行に見切りをつけ、修行の方法を中道(ちゅうどう)に変えられたのです。その時彼等は、「釈尊は脱落した」と誤解して、釈尊のもとを去って行った修行仲間だったのです。
一人残された釈尊は菩提樹の下でひたすら坐禅の修行をされたのです。そしてついに6年目の12月8日、暁の明星を見て、活然と大悟され、叫ばれたのです。「奇なる哉、奇なる哉、一切の衆生悉く皆如来の智慧徳相を具有す」と。
これを訳すのはヤボの骨頂ですが、愚僧があえて訳せば、「なんと、なんと不思議なことよ、一切の衆生それ自体がまさに仏陀と同じ存在であったとは!」
こうして真如に目覚めた人「仏陀」・釈迦牟尼如来が誕生されたのです。ところが、釈尊は、この深遠な悟りは他人に話しても、とても理解されないだろうと思われ、「この真如の法は自らの心の中にしまっておいて、他の者には語るまい」とされたのです。
それを知った梵天が、折角の仏法もこのまま釈尊の心の中だけに止まってしまっては、やがて釈尊の死とともに消え去ってしまうだろう。そうなったら何の意味もないことだとして、どうか人々のために広くその法を説き示すよう嘆願されたというのです。これを梵天勧請(ぼんてんかんじょう)といいますが、釈尊への畏敬の思いから神話化されたものといえるでしょう。
それならばと、釈尊はさらに八日間菩提樹の下で禅定に入られ伝導のための悟りの内容と説法の手法をまとめられたのです。そしてまずはあの苦行を共にした五人の比丘たちに会ってこの仏法を伝えようと考え、彼等のいるベナレスの鹿野苑へ向いました。
五人の比丘たちは、苦行から脱落した釈尊がこちらにやってくるのを見て、最初は無視するつもりでいました。ところが、仏陀となられて近づいてくる神々しい姿と威厳に圧倒され、合掌して迎えてしまったのです。
こうして最初の説法がなされたのです。これを「初転法輪」といいます。その五人の比丘のうち最初に済度されたのがアニャキョウチンジャだったのです。こうして最初の仏教教団はたった六人の僧伽(そうぎゃ)から出発したのです。
それから四十九年間、釈尊はインドの各地を巡錫されたのです。そして八十歳になったとき釈尊はさいごの伝導の旅に出ました。その目指すところは生まれ育ったなつかしい故郷カピラ国でした。
しかしその途中、クシナガラという町に滞在中、チュンダという鍛冶屋の布施した食事を食べたところ、腹痛を起こされ床に臥されてしまったのです。
そのとき、シュバツダラという年老いた信者が、釈尊の噂を聞きつけて訪ねてきました。侍者のアーナンダは、「世尊はお疲れである」と面会を断ったのですが、その様子を知った釈尊は、「会って質問を聞いてあげよう」といわれ、アーナンダを押しとどめ、親しくシュバツダラに説法されたのです。
その釈尊の説法を聴いてシュバツダラは直ちに弟子になったのです。すなわち釈尊が最後に済度した比丘になったという次第です。こうして、「度すべき所の者は、皆已(すで)に度し訖(おわ)った」のです。そして、今まさに入滅なされようとしているとき、さいごの説法が始まったのです。  

■2
汝等比丘、我が滅後において、当に波羅提木叉を尊重し、珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れは則ち是れ汝が大師なり。若し我れ世に住するとも、此れに異なることなけん。淨戒を持たん者は、販売貿易し、田宅を安置し、人民奴婢畜生を畜養することを得ざれ。一切の種植及び諸の財宝、皆当に遠離すること火坑を避くるが如くすべし。草木を斬伐し、土を墾し地を掘り、湯薬を合和し、吉凶を占相し、星宿を仰観し、盈虚を推歩し、暦数算計することを得ざれ。皆な、応ぜざる所なり。身を節し、時に食して、清浄に自活せよ。
「汝等(なんだち)比丘、我が滅後において、当(まさ)に波羅提木叉(はらだいもくしゃ)を尊重し、珍敬(ちんぎょう)すべし。」「波羅提木叉」というのはインドの言葉で、戒律、道徳の意味です。「珍敬」は大事にすること。
(訳)我が弟子達よ、私が死んだ後は、私が残した戒律を私自身だと思って大事にしなさい。「闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れは則ち是れ汝が大師なり。」(訳)これらの戒律はまさに闇夜の中の灯火であり、貧しい人がいっぺんに宝物を頂いたようなものだ。すなわち戒律はまさに汝たちの大師なのである。「若し我れ世に住するとも、此れに異なることなけん。」(訳)これから先、たとえ私がこの世に生きていたとしても、この戒律以上の教えは無い。
戒律は大きく分けて、善を進めるためのものと、悪を防ぐためのものから成り立ています。三学(戒→定→慧)が仏教ですから、その初めにあるのがこの戒律です。仏教の目的は言わずもがな、慧(さとり)です。その最初の条件としてあるのがまず心身や生活を整えるための戒律なのです。
釈尊が悟ってから十二年間ほどは、戒律がなかったといわれます。しかし、修行者が問題を起こすたびに戒律が定められ、ついに比丘では二百五十、比丘尼では三百四十八という膨大な条項数の戒律になったといわれます。それにしても女性の方が百も多いというのはどういう訳でしょうか。
戒律の内容が全てわからない以上本当のところ拙僧には分かりません。単純に女性の方が男性よりも煩悩が多かったためなどという人もいますが、そんな筈はなく、拙僧の考えるところ、それは古代インドの文化、風習により、特に女性に求められていたセンスによるものではなかったかということです。「淨戒を持(たも)たん者は、販売貿易(ぼんまいむやく)し、田宅(でんたく)を安置し、人民奴婢(ぬひ)畜生を畜養(ちくよう)することを得ざれ。」「淨戒を持たん者」とは、出家者のこと。「販売貿易」とは、物を売買したり、物々交換したりすること。「田宅」とは田畑や家屋などの財産のこと。「安置」とは所有すること。「人民奴婢」とは、下男や下女やら、小作人など抱え込んでいる人のこと。「畜生を畜養」とは、家畜を飼うこと。「得ざれ。」とは「してはならない」ということ。 (訳)出家者は、物を売ったり買ったり、或いは物々交換したり、或いは下男下女を雇ったり、家畜などを飼ったりして、田畑や家屋など財産を所持してはならない。何もかも捨てなきゃだめだ。お釈迦さまの時代はまだ小乗仏教が主流でした。小乗仏教とは出家を対象にした教えだと言ったらよいでしょう。特にお釈迦さまが涅槃に入られるその時にあっては、出家者達(比丘、比丘尼)にその基本となる心得を説かれたのです。「一切の種植(しゅじき)及び諸の財宝、皆当(まさ)に遠離(おんり)すること火坑(かきょう)を避くるが如くすべし。」「種植」とは、土地を持って、材木になる木を植えたり、果物になる木を植えたりすること。これらもみな財産を求める行為です。「火坑」とは、火山の火口のこと。財宝はみな火山の燃えている火口であるからして、誰でもそこを避けなければならない。火事を避けるように一切の財産や宝物は避けなさいということです。「草木を斬伐(ざんばつ)し、土(ど)を墾し地を掘り、湯薬を合和し、吉凶を占相(せんそう)し、星宿(せいしゅく)を仰観(ぎょうかん)し、盈虚(えいこ)を推歩し、暦数算計(りゃくしゅさんけ)することを得ざれ。」「草木を斬伐し、土を墾し地を掘り」とは、自然を開墾すること。これらも皆財産を所有するための行為です。
「湯薬を合和し」とは、薬草や、秘伝の煎薬などで病気の人に薬を与えること。
「吉凶を占相し」とは、易や占いをすること。
「星宿を仰観し」とは、空の星をみて占いをすること。
「盈虚を推歩し」とは、商売が繁盛するかどうかを予見すること。
「暦数算計する」とは、運命を占うこと。「皆な、応ぜざる所なり。」(訳)以上のものに応じてはならない。「身を節し、時に食して、清浄に自活せよ。」(訳)節度ある行動と、節制ある食事を堅持し、質素清廉な生活を送りなさい。
今回のこの段における世尊の結論はまさにこの一句に尽きると言えるでしょう。修行とは三学(戒→定→慧)のことです。戒(戒律)により心身が整えられますと、次に定(じょう)、つまり禅定(瞑想)に入ります。そのあと慧(悟り)がやってきます。この一連のすべてを"修行"といいます。
その最初の戒を守るのに必要とされるのが質素清廉な環境です。清貧な生活を送るためにはまず慾を捨てなければなりません。そのためにはまず全ての生産活動から遠ざかるのです。釈尊は生産活動の例を挙げて全ての慾を捨てるよう諭されました。
その具体例として挙がっているのが、物を売買したり、物々交換したりしないこと。田畑や家屋などの財産を所有しないこと。下男、下女やら小作人など抱え込まないこと。家畜を飼わないこと。さらに、開墾したり、薬草の生産をしないこと。易や占いで人の運命を予見してもならない、とまで諭されているのです。
どれもみな人が生活していく上での当たり前の営みですが、出家には必要ないものです。どれも皆生産活動だからです。つまり生産活動や収益活動こそ欲望の対象と捉えるからです。出家者にとって修行の一番の障害は欲望ですから、それを押さえるためには一切の財産を持たないことだと釈尊は示されているのです。
だから修行者は"出家"するのです。文字通り家を出ることで一切の所属品を捨てるのです。お金の額や物の量の問題ではありません。例え少額のお金、少量の財産であっても"自分のもの"だという思いがあると、そこには必ず"もっと欲しい"という欲望が強まるのです。
食べ物も同じことです。余り物を次の食事に残しておけば合理的だと考えるのが当然です。明日あさっての食事を確保しておきたいと思うのが当たり前の感覚です。しかし、釈尊は例え一食分の食事でも確保することから欲望が増長すると考えたのです。だからまず欲望の排除に徹底されたのです。
その象徴が托鉢です。「出家は労働しないのだから世間の余り物を頂き感謝をして修行する」というのが釈尊の指導でした。鉄鉢を保ち、朝食の済んだ頃合いに、一軒一軒まわったり、門に立ったりして食事の余りを頂いたのです。ところが、下さる方になりますと、折角修行をして立派な悟りを目指している僧たちに、さすが余り物は差し上げられませんから、お初を布施したのです。
一切の財産を所有しない出家にとって、一食たりとも蓄えがあってはならないという、人の欲望を極限まで追い遣ろうとした釈尊の偉大な決意が覗われます。托鉢行は修行のなかでも最も尊い行(ぎょう)だと言われる所以です。
「清浄に自活せよ」・・・質素清廉な生活を送りなさい。清貧こそ欲望を遠ざける最も重要な条件だと言いました。その清貧生活の象徴が「托鉢」であり、もう一つが「袈裟」です。次にその袈裟について考えてみましょう。
御開山道元禅師は「学道の人、衣食を貪(むさぼ)ることなかれ」(随聞記)と説かれ、つぎのように示されています。「学道の人は、すべからく貧なるべし。財多ければ必ずその志を失う。・・・僧は三衣一鉢の外は財宝をもたず、居処を思はず、衣食を貪らず間、一向に学道すれば分分にみな得益あるなり。その故は貧なるが道に親しきなり。」(訳)修行者は、まず第一に貧乏でなければならぬ。多くの財産をもったまま修行しようとしても、結局その目的を達成することは難しい。・・・出家は三枚の衣と一つの食器のほかには、まったくの無一物であるから、財宝への執着もなければ、在宅への執着もなく、ただ専心に修道することができるのである。それは清貧を求める心によるものだ。さらに、「出家は三枚の衣と一つの食器のほかには、まったくの無一物である」と明言され、「そもそも袈裟は、三世十方の諸仏が正伝していまだ断絶せず、三世十方の諸仏・菩薩・声聞・縁覚がひとしく護持し来ったものなのである。」(眼蔵・袈裟功徳)
また、禅師の理想は釈尊の推奨された糞掃衣(ふんぞうえ)に最もよくあらわれています。糞掃衣とは、ゴミ溜や道端、墓場などに捨てられた布切れを拾い集め、きれいに洗って縫い合わせ袈裟に仕立てたものです。日本語の「袈裟」はパーリ語のカーサーヤ、サンスクリット語のカーシャーヤからきています。その意味は、「汚れ」「悪くなった色」というような意味です。
布は古くなったり汚れたりすると最後は黄茶色になります。もうこれ以上変わらない汚れの色です。その色の象徴が木蘭(もくらん)です。木蘭の袈裟はまさに清貧の象徴であるのです。  ですから今でもインド、タイ、スリランカなどではどんなに偉い僧侶でもみんな同じ木蘭の袈裟です。
「袈裟のもっとも清らかな衣材(えざい)は糞掃衣である。・・・これを着用するのは、そのまま三世の諸仏の皮肉骨髄を正伝することであり、正法の眼蔵をまさしく相承したてまつることである。・・・袈裟こそ仏弟子たることのしるしである。・・・これを頭のうえに頂いて拝し、合掌してつぎのような偈を誦するのである。
大いなるかな、解脱の服 無相にして福田の衣なり 如来の教えを披き奉じてひろくもろもろの衆生を度せん」 (眼蔵・袈裟功徳)

しかし当時の道元禅師の時代にはすでに糞掃衣の精神は薄らいでしまっていたようです。「今日本国かくの如くの糞掃衣なし。たとひ求めんとすとも、逢ふべからず、辺地小国悲しむべし。ただ檀那所施の浄財これを用ひるべし。人天の布施するところの浄財、これを用ひるべし。」(眼蔵・袈裟功徳)
墨染めの衣と木蘭の袈裟で通された道元禅師は釈尊の糞掃衣の精神を心から敬ったからでしょう。正法眼蔵・袈裟功徳の巻には禅師の袈裟に対する並々ならない想いが説かれていて感銘です。今日でも仏弟子にとって何よりも大切に扱っている袈裟はまさしく釈尊の遺物(ゆいもつ)の象徴として受け止められているからです。
しかしその一方、緋がどうの黄色がどうの、紫が最上だなどと衣の色で僧侶の階位を決めているのも日本です。清貧の象徴である筈の袈裟が現代では金襴になっていると知ったら釈尊も道元禅師は仰天されるかもしれません。また、金襴の袈裟をインドなどに持って行ったらチンドン屋と間違えられるかもしれません。(インドにチンドン屋などないですかね)

■3
世事に参預し、使命を通知し、呪術し仙薬し、好みを貴人に結び、親厚媟慢することを得ざれ。皆な作に応ぜず、当に自ら端心正念にして度を求むべし。瑕疵を包蔵し、異を顕わし衆を惑わすことを得ざれ。四供養に於て、量を知り足ることを知り、趣かに供事を得て応に畜積すべからず。此れ則ち略して持戒の相を説く。
世事(せじ)に参預し、使命(しみょう)を通知し、呪術(じゅじゅつ)し仙薬(せんやく)し、好(よし)みを貴人に結び、親厚媟慢(しんこうせつまん)することを得ざれ。皆な作(さ)に応ぜず、当(まさ)に自ら端心(たんしん)正念にして度(ど)を求むべし。
「世事(せじ)に参預し」世事とは世間の事、とくに政治経済のことであり、参預とは関わりのこと。政治経済活動に参加すること。「使命を通知し」使命とは権力者に関わる務めのことであり、通知とは達振る舞うこと。権力者の間に立って斡旋口利きなどすること。「呪術し仙薬し」呪術とはまじないのこと。仙薬とは不老長寿をうたった霊薬のこと。「好みを貴人に結び」貴族や権力者などに積極的に近づくこと。「親厚媟慢」親交を結び贈与の交換などして得意気になれなれしくなること。「皆な作に応ぜず」どれも応じるべきでなく皆つっぱねなさい。「当に自ら端心正念にして度を求むべし。」「度」は「渡」と同じで「わたる」こと、彼岸という悟りの向こう岸に渡ること。まさに自ら心を端(ただ)し、雑念のない真心をもって悟りに向かって精進すること。
一般世間の政治や社会の仕組み事に関係したり、貴族階級や高官などの権力者に積極的に近づき、親しげに立ち回り、贈与の交換や斡旋口利きをしたり、馴れ馴れしくしてはならない。呪いや占いごとをしたり得体の知れない妙薬などを売り歩いて金儲けなどしてはならない。それらはみな仏道修行者のする作努ではないからだ。修行者たるものは、つねに心を正しく保ち、悟りを求めることに励むべきである。
前回に続いて、釈尊は入滅に臨んで、特に出家仏弟子を対象にした説教であるため内容的には小乗仏教の立場からの訓戒といえるので、在家一般の人々を対象にしたいわゆる大乗仏教の立場からみると、たいへん厳しい非現実的な内容といえるでしょう。
しかし大事なことは、小乗、大乗に拘わらず仏教の主旨は一貫していなければなりません。一般在家の信者であろうと、出家仏弟子と同じ気持ちでこの釈尊の説かれる戒律の真意を受け取り出来ることを実践することが肝腎です。
この釈尊の教戒を特に信奉し如実に実践され方こそ御開山道元禅師です。禅師は永平寺に隠棲してから五年目、四十八歳の時、時の執権北条時頼の懇請によって、鎌倉に遊化しました。道元禅師に傾倒した時頼は、禅師のために寺院を創建してその住持になることを乞うたのです。しかし、禅師はその請を断って永平寺に帰山してしまいます。禅師にとって、政治の権力に近づくことなど仏道者として最も恥ずべきことだったからです。
禅師が宋に渡り如浄禅師の下で宗乗の第一義を悟り、いよいよ中国を引き揚げて帰国することになった時、師の如浄禅師がはなむけた教訓は、「城邑(じょうゆう)聚落に住することなかれ、国王大臣に近づくことなかれ、ただ深山幽谷に居して、一個半個を説得して、わが宗をして断絶を致さしむることなかれ」(建撕記)というものでした。
平安の時代から多くの宗派が開創されましたが、その多くは時の政権に与することを目指したのです。それは権門に迎合することで利権や援助を得て宗門が発展することを願ったからです。
「真理という立場からすれば、鎌倉に行くことは無意味であると思う。権門の物質的援助のもとに禅林を経営しようなどとは、修道者の最も嫌悪すべきことである」として、禅師は鎌倉移駐には絶対に反対したのです。道元禅師が、あえて都や幕府から遠い越前の地に永平寺を創建されたのもまさに権門からの隠栖だったのです。
同じ禅宗でも、日本の臨済宗とでは権門に対する意識はまったく異なっていました。たとえば京都にしろ、鎌倉にしろ、臨済宗寺院の多くは町中のいわゆる"一等地"にあります。対照的に曹洞宗寺院の多くはあえて人里離れた山間部など、いわゆる"山寺"が多いのも、道元禅師の心思を如実に表したものといえるでしょう。
さらに、禅師は釈尊が名利を弊履(へいり)のごとくに投げ捨てて修道に徹された点に最も心を引かれていました。権門に近づかないということは、同時に名利からの隔絶でもあったのです。禅師が越前に下向し隠棲した理由は、何よりも名利の欲望を捨て去ることが仏道修行だとの思いがあてのことでした。
禅師が北条時頼の懇請を断って永平寺に帰るとき、時頼は越前国六条堡の土地を永平寺に寄進しようとしましたが、禅師はこれを断ります。ところが禅師より遅れて鎌倉から戻った弟子の玄明が、時頼からの寄進状を持ち帰ったのです。
よろこんで得意気に帰ってきた玄明に禅師は、「この喜悦の意きたなし」と言って玄明を永平寺から追放してしまったのです。さらに彼が坐禅をしていた禅堂の床まで切り取って捨てさせたとか。常に名利に近づくことを厳しく禁じていた禅師にとって許されない所業だったのです。
瑕疵(けし)を包蔵(ほうぞう)し、異を顕わし衆を惑わすことを得ざれ。四供養(しくよう)に於て、量を知り足ることを知り、趣(わず)かに供事(くじ)を得て応(まさ)に畜積(ちくしゃく)すべからず。此(こ)れ則ち略して持戒の相を説く。
「瑕疵(けし)を包蔵(ほうぞう)し、」「瑕疵」は過ち、罪過。「包蔵」はつつみ隠すこと。「異を顕わし衆を惑わすことを得ざれ。」常識を越えた神懸かり的なことや奇跡的な異論で人心を惑わすことなどしてはならないということ。「四供養に於て、量を知り足ることを知り、趣かに供事を得て応に畜積すべからず。」「四供養」は修行者が頂く四つの布施品のことで、衣、食、寝具、医薬品のこと。「量を知り足ることを知り」は仏道修行に最低限必要な分量を自覚しなさいということ。「趣(わず)かに供事を得て応に畜積すべからず。」「趣か」とは、「たまたま」とか「わずか」とかのことで、「供事を得て」は供養を受けることで、わずかの供養を受けてもその中で少しだけなら余分にでもという気持ちを起こして貯めてはならないということ。
「此(こ)れ則ち略して持戒(じかい)の相を説く。」「此れ」は、「以上で」というほどの意味。「略して」は、説法の初の「略して法要を説きたもう」と同じように「あらまし」ということ。「相」は、様相とか、姿、形、有様から、そのものの実相とか本質という意味。「私は以上で戒律を守ることのあらましを説き終わりました」ということ。「自分の罪過や間違いを隠したりせず、正直でなければならない。常識を越えた奇跡的な言動で人を惑わしたりしてはならない。」 故意の有無にかかわらず人は誰でも間違いをします。大事なことは正直な心で率直に懺悔することです。「懺悔滅罪」という仏陀の慈愛を信ずべきなのです。
宗教の中で最も危険なことは、良からぬ輩の術中に填りマインドコトロールされてしまうことです。奇術や魔術のトリックに騙されたり、神懸かり的な迷信を信じて盲信に陥ることです。どれも人を不幸に陥れる罠でしかないのです。この手の詐欺は人類が続く以上絶対に無くならないでしょう。正しい宗教で正しい見識を養うことです。
「徒らに所逼を怖れて山神鬼神等に帰依し、或いは外道の制多に帰依することなかれ、彼は其の帰依によりて衆苦を解脱することなし」(修証義)
仏教は因果必然の道理を悟り実践する宗教です。何の根拠も無く金が儲かる、病気が治る、試験に受かる、出世するなどといった道理などある筈はないのです。あと誤解のないように申すとすれば、「祈祷」は真如実相の因縁を正すための祈りですから、仏心の行事であり、人にだけ与えられたまさに宗教の一大事業なのです。
「四供養においては、自分の量を知り、足ることを知るべきである。余分に供養物を得て蓄えたりするような卑しいことは慎むようにしなさい。以上でわたしの持戒についてのあらましを説き終わります。」
特に出家仏弟子は、四供養(衣服、飲食、寝具、医薬)を人々から托鉢や布施によっていただき生活しています。この四供養においても、修行者は修行に最低限必要な分量だけの供養を受け、余分にいただくようなことがあってはなりません。
意図的に少しなら蓄えても良いだろうなどと考えることは執着心を助長することになるからです。特に教団においては、物に対しての執着心こそ最大の敵なのです。その執着心を起こさないためにも一切の労働と生産を禁じたのです。
生活物資のすべてを托鉢と布施供養に依ったのもすべて欲望を抑えるためでした。そのためには「量を知り足ることを知るべし」と釈尊は示されたのです。
心の健康も体の健康も食事はその人に合った量が大事です。これを「応量」と言います。曹洞宗の修行道場では、食事は「応量器」という「器」でいただきます。その人のその時の体調に合った分だけをいただきます。食べ過ぎず、残さず綺麗にいただくことが求められます。
ある日、釈尊の下で説法を熱心に拝聴するコーサラ国のパセナーディ王がいました。王は美食家で体格もよく、その日もふうふうと息をはずませながら汗を拭き拭き釈尊の教えに聞き入っていました。釈尊は王のその様子を見て「パセナーディ王のために」と、一篇の詩を与えたのです。
人は自ら懸念して 量を知って食をとるべし  さすれば苦しみ少なく 老ゆること遅かるべし
以来王はその詩の意味をかみしめて食事をしたのです。やがて食事の量も減り、肥満していた体も次第に痩せて、健康体になると供に、容貌も端正になりました。王は自分の体を撫でながら歓喜に満ちた声で、遙か釈尊のおわす方に向いて礼を述べました。 「松原泰道老師著『遺教経に学ぶ』より」
最近NHKの番組「ためしてガッテン」で見たことですが、なんでも「長寿遺伝子」なるものが発見されたそうです。人はその遺伝子をONにすることで健康で長生きできるとのこと。OFFになることで病気になったり短命になったりするとのこと。その「遺伝子」をONにする秘訣はただ摂取カロリーをある数値まで制限することだそうです。
そういえば、生活習慣病のほとんどは、食べ過ぎ、飲み過ぎ、偏食などが原因です。健康は宝です。その宝を護るのも食事の質と量が「応量」であることが大事なのです。2500年も昔、80歳の長寿を全うされた釈尊の「量を知り足ることを知るべし」の戒語だけに一層の尊さを覚えます。あと、その「量」の意味は後の三供養(衣服、寝具、医薬)の場合もまったく同じだということを忘れないでください。  

■4
戒は是れ正順解脱の本なり。故に波羅提木叉と名く。此の戒に依因すれば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。是の故に、比丘当に浄戒を持して毀欠せしむること勿かるべし。若し人能く浄戒を持すれば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒なければ、諸善功徳、皆な生ずることを得ず。是れを以て当に知るべし、戒を第一安穏功徳の所住処と為すことを。
「戒は是れ正順(しょうじゅん)解脱の本(もと)なり。」(戒律とは、まさに正しい順序にしたがって悟りの本(もと)になるものである。)「故に波羅提木叉(はらだいもくしゃ)と名付く。」「波羅提木叉」は、すでに学んだように、戒律とか道徳の意味です。原語パーリ語の発音を漢字にあてたものです。「此の戒に依因(えいん)すれば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得(う)。」(この戒律を守って正しい修行をすれば、各種の禅定(心の安心)を得られ、同時に苦悩から脱する智慧を得ることができる。)「是の故に、比丘当(まさ)に浄戒を持して毀欠(きけつ)せしむること勿(な)かるべし。」(だから、修行者達は、この清らかな戒律を守って、戒律を破ったり、誹たりしてはならない。)「若(も)し人能(よ)く浄戒を持すれば、是れ則ち能く善法有り。」(もし、この戒律をよく守る人であれば、その人は必ず安心と智慧の功徳を得られるであろう。)「若し浄戒なければ、諸善功徳、皆な生ずることを得ず。」(しかし、戒律を守らなければ、その人は様々な安心と智慧を得ることはできないであろう。)「是れを以て当に知るべし、戒を第一安穏(あんのん)功徳の所住処(しょじゅしょ)と為すことを。」(以上のことを確認し、戒律こそ身心安楽のための最も確かな拠り所であることを知りなさい。)
戒律は、仏法に正しくしたがい、苦悩から脱して悟りを得る本である。ゆえに、波羅提木叉(はらだいもくしゃ)と名付ける。この戒律の示すとおりに修行するなら、各種の禅定や、苦をととのえる智慧を得ることができる。
身心が安らぐ禅定や、多くの苦悩を脱する智慧を得ることができるのであるから、修行者たちは、この浄らかな戒律を守って、戒律を破ったり、戒を欠かすことのないようにせよ。もし、この戒律をよく守り実行するなら、その人は必ずや禅定と智慧の善法が得られであろう。
しかし、戒律を守らないなら、禅定も智慧も得ることはできないであろう。以上のことを心して、戒律こそ身心安楽のためのもっとも確かな拠り所であることを知りなさい。
仏道の大義は言うまでもなく「悟り」です。その基本となるのが、戒・定・慧です。まず「戒律」を守ることで、心が迷わなくなり、そこから心の安定の「禅定」が生まれ、その禅定から悟りの「智慧」が生まれてくるのです。これを戒・定・慧の三学と申します。
この三学の実践こそ仏道修行者の努めなのです。本段では、まず「戒」について、その重要性を説き、戒律こそ悟りへの不可欠の拠り所だと示されているのです。
修行者はまず自分の行動を正し慎まなければなりません。そのためには釈尊から直に戒を授かり、戒名を授かり仏弟子となることから始まります。出家の場合は得度式を経て比丘、比丘尼となりますが、基本的には在家も出家も戒名を頂くことで正式に仏弟子となるのです。
ちなみに、日本では戒名というと死んでから頂くものだと思っている人が多いようですが、本来は生きているうちに授かるものです。生前に仏弟子になることにこそ意味があるからです。自分の戒名も知らないであの世に参ることに疑問を持たない人がなんと多いことでしょうか。
ではここでちょっと「戒」の意味について考えてみましょう。「戒」には、「つつしみ、いましめ、おしえ、そなえ、きまり」などの意味がありますが、それらを綜合すると「身心を調える」ということになります。つまり、「身の振る舞い、ものの言い方、ものの考え方」の三業(さんごう)を調えるということです。
三業とは三つの行為、すなわち「身と口と心」の行為を指します。人の行動はすべてこの三業による行為であり、その内容次第で善行が悪行かの全てが決まるのです。ですから、人はまさにその三業を"調える"必要があるのです。「身(振る舞い)、語(ことば)、意(こころ)に悪を作(な)すことなく、この三つの処に心ととのうるもの」(法句経)
釈尊のことを「調御丈夫」(ちょうごじょうぶ)とも尊称します。それは荒れた人々を調御(ちょうぎょ)するお方という意味です。「戒」とは、まさに人の三業(身・口・意)を調えるためのものです。生きている限り煩悩を無くすことはできませんが、"調え"次第で煩悩を減らし、禅定に安穏し、悟りの智慧を受け入れる環境が作られるのです。
ではその主だった戒律を見てまいりましょう。道元禅師は多くの戒律を十六浄戒にまとめて説かれています。
その基本がまず「三帰戒」(さんきかい)です。
三帰戒(仏・法・僧の三宝に帰依すること)「帰依」とは、すぐれた者に帰投し、依伏し、尊敬し、信仰することです。
「帰依仏」仏(釈尊)は、「大恩教主本師」であり、師として仰ぐ最高の人格者であり、指導者であるから帰依します。
「帰依法」心の病である煩悩を取り除き悟りに目覚めさせてくれる真理の教え、仏法に帰依します。
「帰依僧」悟りを目指し戒律を共有し仏法を学ぶ優れた仲間たちと、僧迦に帰依します。
三聚浄戒(さんじゅじょうかい)世の為に尽くす三つの固い誓い
「摂律儀戒」(しょうりつぎかい) 世のため人のためにしてはならないすべてのことは、絶対に行わない。
「摂善法戒」(しょうぜんぼうかい)世のため人のためにしなければならないすべてのよいことは、必ず実行します。
「摂衆生戒」(しょうしゅじょうかい)世のため人のためになるすべてのことは、必ず実践します。
十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)
「第一 不殺生戒」殺生しない。無益の殺生をしない。存在するすべてのものの生命を積極的に尊重します。
「第二 不偸盗戒」(ふちゅうとうかい)盗みをしない。不正な利益や所得を望まない。物でも心でも、与えられるすべてのものを育てていく。
「第三 不邪淫戒」男女の交わりを乱さない。異性の交際で誤りを犯さない。身と心の純潔を保つ。
「第四 不妄語戒」(ふもうごかい)嘘を言わない。言葉を慎み真実のみを正しい言葉で言う。
「第五 不酷酒戒」(ふこしゅかい)酒は判断を危めるので飲まない。
「第六 不説過戒」(ふせっかかい)他人の過ちを告げ口しない。他人の過失や欠点を人に言わしめない。
「第七 不自讃毀他戒」(ふじさんきたかい)自分のことを自慢したり、他人の悪口を言わない。
「第八 不慳法財戒」(ふけんほうざいかい)物でも心でも惜しまない。他人に施すことを惜しまない。
「第九 不瞋恚戒」(ふしんいかい)腹をたてない。怒らないであらゆる困難を耐え忍ぶことです。
「第十 不謗三宝戒」(ふぼうさんぼうかい)仏法僧の三宝を誹ったり批難しない。
以上の十六浄戒は、釈尊の教える戒律を道元禅師がまとめられたものです。釈尊から歴代祖師方によって護持されてきた仏戒は、仏弟子はいうまでもなく、一般の人達の信仰生活にとっての基本的重要な規範なのです。
私たち人間社会は、他人に迷惑をかけないための様々な「規律」によって秩序と調和が保たれています。同じく修行者の世界も多くの「戒律」によって秩序と調和が保たれています。しかし、戒律が規則と違うところは、戒律は信仰心に基づいた自己抑制と自己改革と自己犠牲を伴っているところです。
仏教に限らず、宗教には必ず自己抑制、自己改革、自己犠牲が求められるのです。これらはみんな信仰上必然的な帰依心ですが、もし間違った邪教にのめり込んでしまったらとんでもない犠牲を払うことにもなりかねません。宗教には大変な危険性もあるのです。そのためにも仏教の「十六浄戒」を学び正しい見識を養うことが必要でしょう。
「若(も)し人能(よ)く浄戒を持すれば、是れ則ち能く善法有り。」 (もし、この戒律をよく守る人であれば、その人は必ず安心と智慧の功徳を得られるであろう。)
もし人それぞれが本能や欲望の赴くままの社会だとしたら、そこには必ず差別と不信と、妬み、裏切り、怨恨などが蔓延り、争い事の絶えない不安と絶望だけの社会になってしまうでしょう。それこそ修羅、餓鬼、畜生の世界です。
人にとっての最大の敵は抑制の効かなくなった煩悩です。それを制御するためにあるのが規則であり戒律であるのです。特に崇高な悟りを目指す僧伽社会にあって、お互いが安心して修行に専念できなければ悟りの智慧を得ることなど絶対にできません。
だからこそ釈尊は安心の拠り所となるべき「戒」を最初に挙げて、その大事を説かれているのです。「是れを以て当に知るべし、戒を第一安穏功徳の所住処と為すことを。」 (以上のことを確認し、戒律こそ身心安楽のための最も確かな拠り所であることを知りなさい。)
そして、釈尊は「戒」と「悟り」を同格に位置づけ、「戒」を受けることが即ち「悟り」であることを強調されています。つまり戒律生活を実践する人は仏そのものであるということです。「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位大覚に同じうし己る。真に是れ諸仏の子なり。」(梵網経)
そして最初の一句こそまさに結論といってもよいでしょう。「戒は是れ正順解脱の本なり。」 (戒律とは、まさに正しい順序にしたがって悟りの本(もと)になるものである。)  

■5
汝等比丘、已に能く戒に住す。当に五根を制して、放逸にして五欲に入らしむること勿るべし。譬えば牧牛の人の杖を執りて之を視し、縦逸にして人の苗稼を犯さしめざるが如し。若し五根を縦にすれば、唯五欲の将に崖畔無して制すべからざるのみにあらず、亦た悪馬の轡を以て制せざれば、当に人を牽いて坑陥に墜さんとするが如し。劫害を被るが如きは苦一世に止まる。五根の賊禍は殃累世に及ぶ、害を為すこと甚だ重し。慎まずんばあるべからず。是の故に智者は制して而も隨わず。之を持すること賊の如くにして縦逸ならしめざれ。假令之を縦にするとも、皆な亦た久しからずして其の磨滅を見ん。
「汝等(なんだち)比丘、已(すで)に能(よ)く戒に住す。当(まさ)に五根を制して、放逸(ほういつ)にして五欲に入らしむること勿(なか)るべし。」「すでに能く戒に住す」とは、これまで話してきた戒律の意味とその大切さを十分理解されたと思うということ。「まさに五根を制して」の五根とは、眼・耳・鼻・舌・身の五官(五感)であり、それを正しく制御して、ということ。「放逸にして五欲に入らしむること勿るべし。」 五欲とは、五感から生じる色欲、声欲、香欲、味欲、触欲のことで、野放図にその欲に耽ってはならないということ。
「譬(たと)」えば牧牛(ぼくご)の人の杖(つえ)を執りて之を視(しめ)し、縦逸(じゅういつ)にして人の苗稼(みょうけ)を犯さしめざるが如し。」「牧牛の人」とは、牛飼いのこと。「杖を執りて之をしめし」とは、杖をつかってそれを見せながら、ということ。「縦逸にして人の苗稼を犯さしめざるが如し。」「縦逸」とは、放逸と同じで、勝手気ままにすること。「苗稼」とは、田畑の作物のこと。
「若し五根を縦(ほしいまま)にすれば、唯五欲の将(まさ)に崖畔無(がいはんのう)して制すべからざるのみにあらず、亦た悪馬(あくめ)の轡(くつわずら)を以て制せざれば、当に人を牽いて坑陥(こうかん)に墜(おと)さんとするが如し。」「若し五根を縦にすれば」、もし五感をしたい放題にさせれば。「ただ五欲のまさに崖畔無して制すべからざるのみにあらず、」「崖畔無し」とは、果てしのないということ。「制すべからざるのみにあらず、」とは、制御することができないだけではなく。「亦た悪馬の轡を以て制せざれば」悪馬とは暴れ馬のこと。轡(くつわ)をしっかり持って抑えておかなければ。「当に人を牽いて坑陥(こうかん)に墜(おと)さんとするが如し。」坑陥は穴のこと。暴れ馬に人は牽かれて穴に落ちこんでしまうようなものだ。
「劫害(こうがい)を被るが如きは苦一世に止まる。」劫害とは、脅かされ被害を受けることで、賊の被害は自分一代だけで収まるということ。
「五根の賊禍(ぞくか)は殃(わざわい)累世に及ぶ、害を為すこと甚だ重し。慎まずんばあるべからず。」五根という賊による禍は自分だけではなく子孫累代にも及ぶ。その被害は甚大であり、慎む上にさらに慎まなければならない。
「是の故に智者は制して而(しか)も隨(したが)わず。之を持(じ)すること賊の如くにして縦逸ならしめざれ。假令(たとい)之(これ)を縦(ほしいまま)にするとも、皆な亦た久しからずして其の磨滅を見ん。」「是の故に智者は制して而も隨わず。」だから、智慧のある者は五根の欲望を制御して、さらにその誘いに自分からついていくことはない。「之を持すること賊の如くにして縦逸ならしめざれ。」それはちょうど害を与える賊をしっかり捉えて勝手気ままな振る舞いをさせないようなものだ。「假令之を縦にするとも、皆な亦た久しからずして其の磨滅を見ん。」たとえ、五官である眼、耳、鼻、舌、身による五欲のしたい放題にさせても決して長続きするものではない。第一肝腎の身体自体やがて滅んでしまうのだから。
本段では、釈尊は前段までの戒律生活の意味をふまえ、人はとにかく「まさに五根を制すべし」だと力説されています。本段の主旨はまさにこの一言に尽きるでしょう。あとはその「説明」です。
五根とは、眼、耳、鼻、舌、身のことであり、環境の物事を感知する「五感」であり、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚などの刺激を受ける「五官」です。この五官の刺激を通して人はみな「五欲」を起こすとされます。
この肉体の「五根」に心の「意」すなわち「意識」を加えたものを六根といいます。「六根清浄お山は晴天」などといって山登りをしますが、大自然の中で六根をきれいにして、人間が生まれた時から持っている清らかな仏心に立ち返り山頂を目指すというものです。
釈尊はここで六根と言わずになぜ「五根を制す」と言われているのでしょか。それは「五根」によって生まれる「五欲」をまず問題だと捉えるからです。五欲とは、すなわち色欲、食欲、睡欲、財欲、名欲の五つで、「意」はあとから付いてくるものです。
このうちの色欲、食欲、睡欲の3つは動物としての本能と言えるでしょう。あとの財欲と名欲の2つは人間界特有のもので動物にはない、人間だからこそ所有するところの欲望と言えるでしょう。いずれにせよ、これらの欲望を制御することが最大の問題なのです。
たしかに、欲望は生きるためには必要なものであり、これを全面否定することはできません。ただ、人の迷いや不幸の多くは欲望に起因しているのです。その欲望のすべては五根(官)に始まり、五欲の暴走が不幸の始まりであることを学ぶのです。
人の幸せはまさに五欲を制御し、煩悩を鎮め、人が本来持っている仏心(本心、真心)を如何に働かせるかに掛かっているのです。釈尊は、「人間は皆生まれた時から清くきれいな仏心を持っている」ことを悟られました。その「仏心」に目覚めるためには、まず戒律を守り、「五根を制して」五欲に溺れてはならないと比丘たちに力説されているのです。
たとえば、牧畜をする人はいつも杖を使って、牛が脇見をしないよう、まっすぐ目的地に行くように注意指導していますが、仏道を修行する者も、決して他人の田や畑に入って作物を荒らすことのないように、悟りの道に向かって脇目もしないでまっすぐ精進しなければならないと諭されています。
もし、この五根を勝手気まま好き放題に振る舞わせておくと、財欲、色欲、食欲、名欲、睡欲は限りなく起こって、制御することができなくなり、まさに暴れ馬のように手が付けられなくなたり、しっかりとくつわずらをつけて制御しておかないと、その暴れ馬に牽かれて落とし穴や谷底へもろとも転落させられたりしてしまうことになるのです。
泥棒などの被害によって引き起こされる苦痛は、どのような大きな被害であってもその人一代で終わりになりますが、五根や五欲に溺れて招いた罪過や禍いは、自分一代にとどまらず、次の世代に及んで、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に輪廻するのです。
人間の欲望は、欲しいままに任せたらその禍は未来永劫に続くのです。五根という賊による禍は自分だけではなく子孫累代にも及ぶ。その被害は甚大であり、慎む上にさらに慎まなければならない。それほど五根を放逸させておくことは危険なことであり、絶対に慎まなければならないことです。
だから、まことの智慧のある者は五根の欲望をしっかり制御していて、その誘いに自分からついていって五欲に溺れることなどあってはなりません。それはちょうど害を及ぼす盗人をしっかり取り捉えて勝手気ままな振る舞いをさせないように、人は五根をしっかりと制御して清らかな仏心を保持しなければなりません。
かりに、五官である眼、耳、鼻、舌、身の五欲にふけったところで所詮諸行無常の定めによってわれわれ人間は皆いつかは死んでいくのであるから、一瞬の快楽に身をゆだねて、永遠に続く尊い命を粗末にしてはなりません。今生の務めとはただただ五根を制御することに精進しなければなりません。以上が今段の趣旨ですが、あらためて五欲について考えてみましょう。
色欲・・・
性欲は健康であれば誰でも持っている美しい欲望です。しかし、世の中には畜生にも劣る卑劣な人間がいるものです。最近では女児を脅かしバックに入れて連れ去ろうとした事件や、剣道日本一の警察官がネットを通して女子に猥褻行為をしたり、柔道金メダリストによる事件などもありました。ちなみに平成21年に発生したわいせつ事件はなんと2357件で1626人が検挙されたとか。
動物と同じだといったら動物に失礼です。なぜなら、どんな動物も同類に対して犯罪は起こしません。"畜生にも劣る行為"とはまさに人間社会の「変態」にほかなりません。それも高度文明化された社会ほど多いのです。知能や知識、学歴や地位などが必ずしも理性の歯止めにはなっていないのはなんとも悲しい人間の性です。
食欲・・・
体を維持する大切な欲望です。確かに食べることは快感です。必要程度の栄養を摂ればいいものをつい食べ過ぎてしまうのがこの性です。食文化を堪能できるのは人間の特権かも知れません。しかし、美食の快感が必ずしも健康のためになっていないことを人はもっと知るべきです。生活習慣病になって初めて食べ過ぎに気づき後悔する人がなんと多いことでしょう。
前々回でも触れました。人類が永い飢餓の歴史のなかで身につけてきた体質は飢餓対用であって対飽食用ではなかったのです。それ故豊かな食生活を送る人ほど生活習慣病の危険が高いのです。飽食大国日本の現状も異常です。生活習慣病が医療費全体の三割を占めていて、その年間医療費は実に10,4兆円にもなるとか。
2500年も前、すでに釈尊は飽食に対して警鐘されています。「人は自ら懸念して、量を知って食をとるべし。さすれば苦しみ少なく、老ゆること遅かるべし。」と、まさに金言です。人は食事の適量を心がけるべきで、それが健康を保ち老化を防ぐと元だと明言されているのです。
食欲という本能は実に抑制が難しいのです。しかし、人間にはそれに負けない知恵と理性がある筈です。それが生かし切れないのはただの甘えにすぎません。喫煙も同じです。分かっていながら止められないのは単なる我が儘です。
そんな人は、やがておとずれる因果応報の後悔を待つだけの人生になってしまいます。健康は自己責任であり、健康にこそ幸福の基本があることは誰にでも分かっている筈ですから。
睡眠欲・・・
肉体と健康を保持する大切な本能です。動物にとって食欲と並んで最も基本的な本能と言えるでしょう。眠気は快感です。特に微睡(まどろみ)の中の快感は格別です。ただその快感に負けて怠け癖が付かないためには自制力も必要でしょう。
他方、眠るべきときにはしっかり寝て疲れを取ることが睡眠欲を制御することでもあります。少し前になりますが、大型ツアーバスの運転手が居眠り運転で大事故を起こし大勢の人が亡くなった事故などがありました。睡魔に負けて不幸にならないために必要なものは基本的生活習慣です。
それにしても、若い時にはいくらでも寝ていられたものです。それが歳と共にだんだん寝ていられなくなったのも老化による自然現象かも知れません。このごろ安眠の有りがたさをつくづく感じる歳になりました。いずれにせよ安心、安眠が幸せの証であることは確かです。
財欲・・・
人間特有の欲望だと言いました。確かに犬や猫が財産やお金を欲しがることはありません。本能欲ではありませんが、実に抑制が難しい欲望なのです。この欲望の対応如何で人は幸福にもなるし不幸にもなります。まさに人格の程度が決まるといってよいでしょう。
財産やお金に対するこだわりには実に個人差があります。お金や財産こそ幸福の証だと信じる人ほどその欲望は強いようです。その執着によって自らを墓穴に陥れて不幸になる人がなんと多いことか。拙僧も職業柄、遺産をめぐる骨肉の争いを幾つも目にしてきましたが、なんとも哀れなのは亡くなった親やご先祖です。なんたる親不孝かを恥じるべきです。
名誉欲・・・
この名誉欲も人間特有の欲望です。お金や財産に余裕ができると地位欲や名誉欲が頭をもたげてくるのです。この欲こそ個人の人格に関わるところが大きいようです。偉く思われたい、立派だと言われたい。歴史に名を残したいなどと思う人はいくらでもいます。
アメリカ、中国、韓国そして日本が今政権交代の時期にあり政権闘争が活発になっています。特に天下国家の政権こそ最高の地位であり名誉です。その一番エライ人を目指す人、その恩恵を目論む取り巻きの有象無象こそ名誉欲に駆られたコバンザメです。
純粋に天下国家のために私心を捨てている政治家が果たしてどの位いるでしょうか。人の本心を窺い知ることはなかなか難しいことですが、一般国民が最も知りたいところはその点かも知れません。週刊誌などは当落議員の予想を立てたり、果ては落選させるべき議員の序列まで"発表"してその好奇心を煽っています。
折しも本日、橋下大阪市長による日本維新の会の結党が宣言されました。彼は今、日本の政界で最も注目されているまさに時代の寵児と言われています。政治がまったくの信頼を失ってしまった今、橋下氏に対する期待はたいへんなものがあるようです。
維新八策など子供の戯言だと言っている現職の義員も多いようですが、自らの給与、定数、歳費削減も実行できない彼等こそ、名誉欲、財欲の権化にほかなりません。国民の45,3%が支持政党なしということは、国民の半分から愛想を尽かされてしまっているという恥を知るべきです。
そんなバカは、なにも政治家に留まりません。坊さんの世界にも僧階というのがあって、それにこだわる人も結構いるのです。エライかどうかは肩書きや自分が決めるのではなく、他人や社会が判断するということを弁えるべきでしょう。
その人がほんとうにエライ人かどうかを決めるのは、本人ではなく社会だという点において、政治家も坊さんも似たような立場にあります。人の価値を決めるのは肩書きや地位や財産などではないことを社会の人は見抜いています。そして、人のほんとうの価値を決めるのは、「私心のない心」だということを。
又、これは勿論政治家や僧侶に限ったことではありません。人にとって最も美しい心は「私心のない心」です。これを仏教的にはすなわち「布施のこころ」といいます。
その布施の心に基づけば、「五欲の心」はすべて浄化されて「仏心」にすることができるのです。人が本物かどうかを決める基準は、只一つ「布施心」に尽きるということです。  
 

 

■6
此の五根は、心を其の主と為す。是の故に汝等当に好く心を制すべし。心の畏る可きこと、毒蛇・悪獣・怨賊よりも甚し。大火の越逸なるも未だ喩とするに足らず。譬えば一人の手に蜜器を執りて、動転軽躁し、但だ蜜のみを観て深坑を見ざるが如し。譬えば狂象の鈎なく、猿猴の樹を得て、騰躍跳躑して、禁制す可きこと難きが如し。当に急に之を挫いで放逸ならしむることなかるべし。此の心を縦にすれば、人の善事を喪う。之を一処に制すれば、事として弁ぜざることなし。是の故に比丘、まさに勤めて精進して汝が心を折伏すべし。
「此(こ)の五根は、心を其の主と為す。是の故に汝等当(まさ)に好く心を制すべし。」五根のはたらきはすべて心次第である。だから五根の主である心を制することこそ大事である。「心の畏(おそ)る可(べ)きこと、毒蛇・悪獣・怨賊(おんぞく)よりも甚(はなはだ)し。大火の越逸(おついつ)なるも未だ喩(たとえ)とするに足らず。」乱れたり間違った心ほど恐ろしいものはない。五欲に溺れた心は毒蛇、猛獣や強盗よりも恐ろしいものである。風に煽られ燃え広がっていく大火の恐ろしさの譬えに比べても、それ以上に恐ろしいものである。「譬(たと)えば一人の手に蜜器を執りて、動転軽躁し、但だ蜜のみを観て深坑を見ざるが如し。」たとえば、蜂蜜の入った器を手に入れて、うれしさのあまり大変慌てて、その蜂蜜に気をとられ、深い落とし穴に気づかず、その中に落ちて命を失う結果を招いてしまうことにもなる。「譬えば狂象(おうぞう)の鈎(かぎ)なく、猿猴(えんこう)の樹を得て、騰躍跳躑(とうやくちょうちゃく)して、禁制す可(すべ)きこと難きが如し。たとえば、凶暴化した象を制御するための鈎を無くしたり、飼っていた猿が逃げ出して木から木へ自由自在に躍り跳び出してしまったら、捕らえようにも手の施し用も無いようなものである。「当に急に之を挫(とりひし)いで放逸ならしむることなかるべし。」だから早急にこれらの野性的、動物的煩悩を挫(くじ)き、心を制御することを怠らないことである。「此の心を縦(ほしいまま)にすれば、人の善事を喪(うしの)う。」五欲の心を勝手気ままに働かせると、人としての良識や善行を失ってしまうであろう。「之を一処に制すれば、事として弁ぜざることなし。」心を本来あるべき仏心に制御できれば、目的や仕事は立派に完成するであろう。「是の故に比丘、まさに勤めて精進して汝が心を折伏(しゃくぶく)すべし。」このように、弟子達よ、さらにつとめて仏道修行に邁進し、己が心を正法に服従させよ。前回は、五根を勝手気ままにさせておくと、限りなく発展してしまって、どうすることもできなくなってしまうので、五根は制御しなければならないというのが主旨でした。
しかし、五根は人間が生きていく以上最も重要なはたらきをする器官です。五根が備わっているからこそ生物としての感覚のもとに毎日の生活をエンジョイできるのです。
その五根を制御するとは言うものの、実は悪いことをしたりするのは、眼や耳や口などの器官それ自体ではありません。問題はそれらを司る心です。五根のはたらきはすべて心の命令によって活動しているからです。
「六根清浄」といっても、眼・耳・鼻・舌・身の五根そのものは本来清浄なのです。問題はその主である心が汚れることで五根も汚れてしまうのです。容易に分かる理屈です。
そのことを釈尊は、「五根のはたらきはすべて心次第である。だから五根の主である心を制することこそ大事である。」と教えているのです。
心が六根目の「意」になります。人間の意識こそ五根を使いこなす主人公です。だからこそ、意(心)を制御することが五根を制御することだと説いているのです。つまり、心こそ五根の根本であるからまず心を制御することで五欲に溺れたり、道に迷ったりすることが無くなるというのです。
釈尊は心の用(はたら)きの恐ろしさは、「毒蛇・悪獣・怨賊・大火以上」であると述べられています。本段の主旨はまさにここにあると言えるでしょう。人間の心は、一度狂い出すとまさに毒蛇や猛獣、盗賊や大火事よりも恐ろしいものになるというのです。
その譬え話として、蜂蜜と象と猿の話が出てきます。その最初の蜂蜜の話です。たとえば、蜂蜜の入った器を手に入れて、うれしさのあまり、その蜂蜜に気をとられてしまうと、そこにある深い落とし穴に気づかず、とんでもない結果を招いてしまうというのです。
当時のインドでも蜂蜜は貴重な甘味として重宝されてきました。その蜂蜜を手に入ることで人々は大変喜びました。人は誰でも貴重なものが手に入った時には喜ぶものです。ただ、喜びはしゃぎすぎると足下にある危険な落とし穴にさえ気が付かなくなるという譬えです。
蜜器とは、甘い蜂蜜の入った器のことで、それは甘い話や、欲望をそそる儲け話などを喩えたものです。甘い話に刺激され、その欲望にとって自制心を失うと、話の裏に潜んでいる大きな落とし穴に気付くことが出来なくなってしまうのです。「深坑」とは、その不幸の落とし穴のことです。
現代ほど甘い話をでっち上げた詐欺の横行している時代はありません。拙僧宅にもよくおかしな電話やダイレクトメールなどがきます。ある会社の株を探していて高く買い取るだの、あなたが株主に選ばれた人だの、どれも一見詐欺だとわかるようなものばかりです。
しかし人間の欲望は甘い誘惑に弱いのです。油断するとつい甘い話に唆されてしまうのです。最近では、MRI投資ファンド事件がありました。8,700人から1,300億円を集め、その殆どが消失してしまったとか。平均一人1500万円もの被害になります。
昭和60年に豊田商事事件がありました。被害者数万人、被害総額は2000億円という巨大詐欺事件でした。被害者の会を立ち上げ弁護団を組織したところでお金が返ってくるものでもありません。人の欲望を逆手にとったこの手の詐欺事件は後を絶ちません。
しかし、この手の被害はお金のない人から見れば皮肉にもブルジョア階級の特権なのです。それはお金のない人にとって投資は無縁の話だからです。確かに、被害者のなかには虎の子の蓄えや退職金を注ぎ込んだ庶民もいるでしょうが、その特権にあやかろうとした出来心こそあさましき欲望であり、すべては自己責任なのです。
人はある程度お金を持つと、もっと欲しいという金銭欲が鎌首をもたげるのです。この欲望はなにも庶民に留まりません。清貧を旨とする僧侶の世界さえ例外ではないのです。1200年の歴史を誇る日本の仏教の聖地真言宗高野山でさえ甘い投資の罠にはまり15億円騙し取られたというニュースがありました。
ある週刊誌は、「きびしい修行に耐えて高位の聖職者になったとしても、金銭欲の煩悩からは逃れられなかった。証券会社の営業マンが社会的地位の高い傲慢な客ほど簡単に騙せることを知っていたからだ。高野山の高僧は、人間のあさましさと愚かさと傲慢さを身をもって教えてくれたのだ」と、かなり手厳しく扱っています。
話を元に戻しましょう。次に「象」の例が出てきます。象と牛は、インドでは聖獸として大切にされています。特に象は文殊菩薩と白象の関係のように宗教的役割も大きいのです。それはインドでは古来、野生の象を飼い慣らして、人や物の運搬や家畜として深く関わってきたというのが文化だからです。
野生の象を調教するには棒の先に鈎(かぎ)をつけ、その鈎を使って制御したのです。野生の象に鈎が必要であるように、本能や欲望だけで動こうとする人間の心も、しっかりとした戒律という鈎が必要なのです。
また、よく飼い慣らしたはずの猿であっても、いったん逃げ出して木の上に登ってしまったら、捕らえようとしても手の施しようがなくなってしまうのです。自由自在に飼い慣らした筈の我が心であっても、一端たがが外れると五欲の世界を勝手気ままに飛び廻ってしまいます。
このように、わたしたちの心は、ほんらい野性的、動物的なのです。だからこそ早急にこれらの煩悩を挫(くじ)き、心を制御することを怠らないことが大事なのです。どんなに鍛えたと思っていても、ちょっとした妄念や油断で簡単に崩れてしまうのがわたしたちの心なのです。
五欲によって心が崩れてしまうと、人間としての良識は失われ、終止がつかなくなりまさに本能のまま動き回る野生の動物になり下がってしまうというのが象と猿の譬えなのです。心こそ本来あるべき仏心に制御させておかなければなりません。この心がひとたび狂いだすと人間としての徳や名誉に留まらず、財産や健康、命まで失いかねないのです。
人間としての心を失うということは、かけがえのない一生を台無しにするという恐ろしい結果を招くことにもなるのです。本来あるべき仏心に裏付けられた心をもって日常を送らなければなりません。さすれば、目的に向かって有意義な幸せな生活が送れること必至なのです。
「是の故に比丘、まさに勤めて精進して汝が心を折伏(しゃくぶく)すべし。」このように、弟子達よ、さらにつとめて仏道修行に邁進し、己が心を正法に服従させよ。
精進とは、大いなる発奮をもって間断なき修行を続けることです。よく「精進」を「一生懸命努力する」という意味で使われることがありますが、「努力」と「精進」は違います。本来「精進」を使うときは、「仏道を求めて」というニュアンスがあるべきなのです。
精進の「精」はお米が青く澄みきっているという意味です。お米をついてしらげることでお米は純白なものになります。心や魂も仏道によって念入りに「しらげる」ことで本来の純粋な仏心に磨かれるのです。そのために精を出すことが即ち「精進」です。
最近では、剣道、柔道などの「道」のつく類でよく使われています。特に、相撲の横綱などが「相撲道に精進します」などと言っているのを耳にしますが、仏道にあやかったものだと言えるでしょう。
折伏とは、間違った教えをくじいて正法に従い服させることです。一般に折伏といいますと、相手を説き伏せて従わせるというような意味に使われますが、釈尊は、「相手」ではなく、「汝が心」と言っておられます。
人間の心は実に我が儘なものです。そのような自分の心を元来の仏心をもって折伏せよと言っておられるのです。自分の弱い心を早く折伏して元来備わっている仏心に通わせよと教示されているのです。
仏心・・・それこそ悟りのこころです。悟りと言うとついつい難しく考えてしまうから難しいのです。
では、易しく考えたらどうでしょう。拙僧的にそれを一言で言うとしたら・・・「無心」でしょうか。
それは、何も考えないこころです。自分がまわりの全てと一体になるこころです。
そこには、我も欲も、一切のこだわりもない世界が出現するのです。絶対安定、絶対安心の世界です。それが、涅槃であり、極楽浄土なのです。・・・やはり難しくなってしまいましたか。  

■7
汝等比丘、諸の飲食を受けては、当に薬を服するが如くすべし。好きに於いても悪しきに於いても、増減を生ずること勿れ。趣に身を支うることを得て以て飢渇を除け。蜂の花を採るに、但だ其の味いのみを取って、色香を損ぜざるが如し。比丘も亦た爾なり。人の供養を受けて、趣に自ら悩を除け。多く求めて其の善心を壊ることを得ること無かれ。譬えば智者の牛力の堪うる所の多少を籌量して、分に過して以て其の力を竭さしめざるが如し。
「汝等比丘、諸(もろもろ)の飲食(おんじき)を受けては、当に薬を服するが如くすべし。」修行者たちよ、おんみらは食事をいただくときは、薬を飲む心で食事をするがよい。「好きに於いても悪しきに於いても、増減を生ずること勿れ。」おいしいからとか、好物だからといってたくさん食べたり、あるいはまずいから、嫌いだからといって少ししか食べないとか、好みによって食事に差をつけてはいけない。「趣(わずか)に身を支うることを得て以て飢渇(きかつ)を除け。蜂の花を採るに、但(た)だ其の味いのみを取って、色香を損ぜざるが如し。」自分の体の健康保持のために最小限度の量をとって、飢えや渇きを満たすがよい。ミツバチが花から蜜を得ても、花の色や香りを傷つけることをしないようにしなければならない。「比丘も亦(ま)た爾(しか)なり。人の供養を受けて、趣(わずか)に自ら悩を除け。多く求めて其の善心を壊(え)することを得ること無かれ。」修行者もまた同じで、他からの供養をいただくのだから飢渇の苦悩を除ければいいので、欲深い心を起こして他の人の善心を傷つけないようにしなければならない。「譬えば智者の牛力の堪うる所の多少を籌量(ちょうりょう)して、分に過(すご)して以て其の力を竭(つく)さしめざるが如し。」たとえば、智慧のある者は、牛の持つ力をよく理解してそれに応じて積み荷の量を量り、決してそれ以上の重荷を背負わせて牛を苦しめたりしないであろう。以上、本段においては、釈尊は、出家仏弟子たちに特に食事に対する戒めを示されています。人が生きていく上で食事は最も大事なことです。それだけに、仏道修行に精進する者として特に心得ておくことがあるのです。
釈尊は、まず、出家仏弟子においては、「飲食(おんじき)を受けては、当に薬を服するが如くすべし。好きに於いても悪しきに於いても、増減を生ずること勿れ。」と訓戒されています。第一に食事は大切な身体を養う「良薬」であると思って頂きなさい。薬であると思えば適量でなければなりません。良い薬ほど量を間違えると体にとって毒になるからです。
美味しいからといって余計にいただいたり、まずいからといって少しにしたり、頂かなかったりしてはなりません。食事という生命をいただいて生きている私たちは、嗜好や貪欲まかせの食事であってはなりません。食生活の乱れは、即ち人間生活そのものの乱れになります。なにごとも節制の無いところに苦しみの種が生まれるのですから。
「趣(わずか)に身を支うることを得て以て飢渇(きかつ)を除け。蜂の花を採るに、但(た)だ其の味いのみを取って、色香を損ぜざるが如し。比丘も亦(ま)た爾(しか)なり。人の供養を受けて、趣(わずか)に自ら悩を除け。多く求めて其の善心を壊(え)することを得ること無かれ。」
食事の量は、飢えや渇きのない心身の健康が維持できる程度におさえなさい。たとえば、ミツバチはいろいろな花に集まってその蜜を採るけれども、その花自体の色や匂いは決して侵したり損ねたりしません。
この譬えは、出家仏弟子に対して托鉢(たくはつ)の心得を述べられているのです。釈尊の時代、比丘の食事はすべて托鉢することで得ていました。托鉢は、くださる方のお気持ちだけを頂くのであって、自分から求めたり選り好みをしたり、必要以上のものを求めたりして施主の気持ちを傷つけてはならないというのです。
どんな物でも鉢(食事の器)の中に入れてくださる物をいただくのです。布施されるものは相手次第ですから、時には肉や魚が入ってくることもあります。でもそれらもすべて頂くのです。よく、僧侶は動物性のものは食べないとされていますが、それは原則であって、当時一切の経済活動をしていない立場にある僧がそんな"贅沢"は言ってはおれなかったのです。
生産活動のない僧にとって、衣食住のすべては人々からの布施によって賄わなければなりません。仏の教えを人々に施すかわりに財や食の施しを受けるのです。そのための「行」が「托鉢」であり、「乞食」(こつじき)ともいいます。ちなみに仏の教えもなく、ただ食を乞うのを乞食(こじき)といいますが、まったく異なったものです。
「譬えば智者の牛力の堪うる所の多少を籌量(ちょうりょう)して、分に過(すご)して以て其の力を竭(つく)さしめざるが如し。」たとえば智慧のあるものはその牛の力量を斟酌して、応分の荷物を背負させ、決して牛に負担をかけ過ぎたり苦しめたりすることはしません。そのような心得を持って出家仏弟子たる者は、布施してくださる者の気持ちを害したりしてはなりません。
ある日のこと、釈尊はいつものように乞食をされていました。ある貧しい家で、「たいへんよいお話を聞き、生きる希望が湧いてきました。しかし、ご覧のとおり、貧乏で差し上げる物は何もありません。このような物でもよければ」といって差し出された物は、赤ん坊のおしめに使っていた布切れでした。
釈尊は、それをありがたく頂き洗って袈裟の一部にされたのです。インドでは、サリーという布を肩から掛け身体に纏って服装にしています。釈尊は、捨てられた布切れなどを拾い集め洗って継ぎ接ぎしてサリーにして纏ったのです。これが「お袈裟」のはじまりです。
使い古され捨てられた布切れは最後には黄土色になります。梵語で黄土色や混濁食を「カシャーヤ」と言います。これが音訳されて「袈裟」となったのです。袈裟や絡子(らくす)の布が格子状になっていますが、それは、継ぎ接ぎの意味であり、袈裟はまさに布施の象徴なのです。ちなみに「布施」って、「布を施す」と書きますね。すなわち布施の起源がここにあるのです。
禅宗では食前に「五観の偈」という五カ条からなる次の偈文を唱えてから箸をとりますが、この教えこそ遠く遺教経にあると思われます。(法話:22年8月分参考)
一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。二つには己が徳行の全欠を計って供に応ず。三つには心を防ぎ過を離るるは貧等を宗とす。四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。五つには成道の為の故に今この食を受く。一口為断一切悪、二口為修一切善、三口為度衆生、皆共成仏道
「一つには功の多少を計り、彼の来処(らいしょ)を量る」目の前に並べられた食事ができるまでに、どれだけの人の努力があったかを推し量り、その好意によっていただけることに感謝します。「二つには己が徳行の全欠(ぜんけつ)を計って供に応ず」仏弟子、修行者として、この食事を頂くにふさわしい行いをしたかどうかを反省し、感謝していただきます。「三つには心を防ぎ過(とが)を離るる事は貧等(とんとう)を宗とす」心をすこやかにして、過ちを起こさないためには、むさぼりの心を無くすことにあり、三毒(貧瞋痴)を克服し修行するために、この食事をいただきます。「四つには正に良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり」この食事は、身体が痩せ衰えるないためのまさに良薬としていただきます。「五つには成道の為の故に今この食を受く」修行し悟り、成仏を目指すために今この食事をいただきます。「一口為断一切悪、二口為修一切善、三口為度諸衆生、皆共成仏道」(いっくいだんいっさいあく、にくいしゅいっさいぜん、さんくいどしょしゅじょう、かいぐじょうぶつどう)一口食べることで一切の悪を断ちます。二口食べることで一切の善行をします。三口食べることで衆生共々成仏を目指します。このお経は、修行者、仏弟子に向けた教えですが、現代の一般の人々にも、まったくそのまま通用する教えといえるでしょう。食事は、自分の人格形成のために感謝を込めていただくものだからです。人間が人間として正しく生きてゆく基本は「感謝」です。
たとえば、食事に対して感謝をもってのぞむことができないならば、ほかのすべての生活場面においても感謝のもてない生活になってしまうでしょう。食事によって感謝の基本を学ぶのです。
道元禅師は「典座教訓」を著し、食事についてその意義を説かれました。ここには、人の食事に対する根本的な心得として、それを調理するに当たっても、それをいただくにしても、食べ物に感謝し、その生命と自分の生命を尊重することの大きな意味が説かれています。
そのなかで特に「三心」(喜心、老心、大心)を説かれています。どんな仕事も仏の行事であるから「喜心」で臨むこと、どんなものにも仏性があるので慈しみの親心「老心」で接すること、修行と悟りは一体のものであるから偏見のない「大心」で臨むことを示されています。(法話:21年9月〜11月参考)
世の中一般では、食事は空腹を満たして栄養を補充し体力をつけるために採るとされていますが、特に現代では食事の行為そのものが大きな楽しみであり「娯楽」にもなってしまいました。昨年日本の和食が世界文化遺産にも登録され、益々食の芸術、文化が享受されようとしています。
しかし、世界的には、およそ10億人の人が飢えで苦しんでいるといわれます。これは総人口7人に1人の割合です。食を楽しむのも結構ですが、人として大事なことは食事の本当の意味を認識し、量を量って、感謝していただくことではないでしょうか。さすれば、健康と幸せは必然的にやってくる筈です。ちなみに、当山の「法話」のページ「病気にならない生き方」を参考にされてください。  

■8
汝等比丘、昼は則ち勤心に善法を修習して時を失せしむること無かれ。初夜にも後夜にも亦た廃すること有る勿れ。中夜には経を誦して以て自ら消息せよ。睡眠の因縁を以て、一生空しく過ごして、所得無からしむること無かれ。当に無常の火の諸の世間を焼くことを念じて、早く自度を求むべし。睡眠すること勿れ。諸の煩悩の賊、常に伺って人を殺すことは怨家よりも、甚し。安んぞ睡眠して自ら警寤せざる可けんや。
「汝等比丘、昼は則ち勤心(ごんしん)に善法を修習して時を失せしむること無かれ。」修行者たちよ、昼間は仏法を学び修行することに励み、時間を無駄にしてはならない。「初夜(しょや)にも後夜(ごや)にも亦た廃すること有る勿れ。」初夜(18時〜22時まで)でも、後夜(2時〜6時)でも、仏道の修行を怠ってはならない。「中夜(ちゅうや)には経を誦して以て自ら消息せよ。睡眠の因縁を以て、一生空しく過ごして、所得無からしむること無かれ。」中夜(22時〜翌朝2時)には、とくに眠気を催す時間であるから読経するもよし、休息するもよし。 ただ、睡眠は五大欲望の因縁の一つだと心して、惰眠を慎み人生を無駄にすることがあってはならない。「当(まさ)に無常の火の諸の世間を焼くことを念じて、早く自度を求むべし。」無常というものはまさに火のごとく一切のものを焼き尽くすものであるから、それを肝に銘じ、早く自らを解脱せしめなければならない。「睡眠すること勿れ。諸の煩悩の賊、常に伺って人を殺すことは怨家よりも、甚(はなはだ)し。安(いずく)んぞ睡眠して自ら警寤(きょうご)せざる可(べ)けんや。」惰眠すべからず。三毒はじめ諸々の煩悩という賊は、つねに人の命を奪おうとしている。その力は復讐の怨念よりも強いものである。惰眠して自ら警戒することを怠ってはならない。この段で釈尊が主唱していることをまとめますと、世は諸行無常であるから時間を無駄にしてはならないということ。惰眠こそ時間の無駄であり修行の妨げであり煩悩の温床にもなる。不幸の元凶である煩悩を断つためには、時間を惜しみ修行に励み一刻も早く悟りを開くことである。キーワードは、無常、惰眠、煩悩、修行そして悟りです。まさに仏教の目指すところの釈尊の思いが凝縮されていると言っても良いでしょう。禅宗ではどこの寺院にも木版(諸行事に撞木で叩かれる木の版)がありますが、そこに必ず書かれているのが次の句です。
白大衆(だいしゅにもうす) 生死事大(しょうじじだい) 無常迅速(むじょうじんそく) 各宜醒覚(おのおのよろしくかくすいすべし) 慎勿放逸(つつしんでほういつなることなかれ)
釈尊は、まず人間には誰でも五欲があると説かれています。財欲、色欲、食欲、名欲、睡欲です。なかでも睡眠欲は、本来、身体や精神の休養のためにあるのですが、限度を越えてしまうと怠け心に変わってしまいます。人はとかく睡眠の煩悩に負けると、かけがえのない尊い時間を無駄にしてしまいます。
釈尊は、無為に日々を暮らすことを「惰眠」(だみん)として戒めています。惰眠は、(なまけて眠ること、のらくらして働かないこと、活気のないこと)と辞典は教えていますが、怠けて眠っていることも、怠けて為すべきことをしないことも怠惰です。これを放逸(ほういつ)といって戒めています。
釈尊の十大弟子の一人に釈尊の従弟にあたる方でアヌルッダ(阿那律尊者)という弟子がいました。ある日彼は釈尊の説法の最中に居眠りをしてしまいました。説法が終わると釈尊は、彼の心のゆるみは、惰眠がそうさせたのだ、と厳しく叱りました。
アヌルッダは、釈尊の叱責を聞くと、姿勢を調えて懺悔して、「今日より以後、私は睡眠を断ちます」と誓い、常坐不臥(じょうざふが)、といって常に坐禅をしたまま決して横になって寝ない不眠の修行を決意します。
それを続けた結果、彼はついに重い眼病に罹ってしまったのです。釈尊は、医師のジーヴァカにアヌルッダの眼の治療を命じました。ジーヴァカは、彼が不眠の難行を止めない限り治療は不可能である旨を釈尊に報じました。
これを知った釈尊は、アヌルッダを諭されました。「一切のものは、食によって活きるのだ。耳は声を食とし、鼻は香りを食とし、舌は味を、眼は眠りを食としている。さらに悟りは不放逸を食としている。アヌルッダよ、刻苦に過ぎることはよいことではない。懈怠(げたい)は避けねばならないが、刻苦もまた避けねばならない。中道こそ、また汝の道でなければならない」と。
しかし一徹なアヌルッダは自分の信念をつらぬき、ついに両眼とも失明してしまいます。彼は、釈尊の諭しに従わないことが教えに背くと知りつつも、それ以上に自分の失態への懺悔から発心求道への信念を貫かれたのです。
そして、ついにアヌルッダは悟りを得たのです。肉眼は失明しましたが、心の眼が開かれたのです。経典はこの事実を「アヌルッダは天眼を得た」と伝えています。
天眼とは、諸仏が具える五眼の一つといわれるもので、三界を見通せる力であり、特に人間の生死の相を見通せる能力といわれます。五眼には、肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼の五つがあります。かくしてアヌルッダは、「天眼第一」と称され十大弟子の一人になりました。
「まさに無常の火の諸の世間を焼くことを念じて、早く自度を求むべし。」 釈尊は、無常の火が世間をことごとく焼き尽くしてしまうことを念頭において、早く解脱の道を求めなさいと説いています。そのための最大の障害が惰眠なのです。
ご開山道元禅師は、26歳のとき、中国の天童山で修行をしていました。その坐禅中に道友の一人が居眠りをして師の如浄禅師に厳しく叱咤される声を聞いて、道元禅師は大悟されたといわれます。道元禅師自身まさに師の一喝により惰眠から眼が覚めたのです。
最勝の善身を徒にして露命を無常の風に任すこと勿れ。無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん。身すでに私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し、紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし・・・(道元禅師)
無常のこの世の中にあって、万物は絶え間なく流転して止みません。身も心も一刻一刻と生滅変化してゆくのです。無常の存在である自分自身を心に念じて、早く悟りを開き救われなければなりません。救われることとは、煩悩や執着から解放されることです。
「諸の煩悩の賊、常に伺って人を殺すことは怨家よりも、甚(はなはだ)し」 煩悩という名の賊は、常に隙をみてわれわれを殺そうと狙っているのです。その想いは恨みをはらそうとする怨念よりも怖いものだというのです。
実際人間が犯すさまざまな罪の根源は、まさに煩悩によるものと言わざるをえません。人間のさまざまな不幸の多くはその煩悩によっても引き起こされるのであるから、人は幸福であるためには先ず煩悩を克服すべきなのです。
世の中詐欺、傷害、放火、殺人など日常茶飯事です。実際その原因のすべては人の心の煩悩から生まれた、妬み、怨恨、欲望そして無智によるものです。まさに「煩悩の賊」の仕業であり、その怖さは復讐心よりも恐ろしいのです。
青酸連続殺害事件、川崎中一生徒殺害事件、淡路島5人惨殺事件、大阪連続放火事件、巡査による女性殺害、28歳女性の交際男性殺害・・・等々、最近だけでも極悪非道の事件は枚挙に遑がありません。どれもこれもみな煩悩から生まれた怨みや欲望心の結果なのです。
彼らにとって待っているのは贖いのための惨めな人生でしかありません。場合によっては死刑の恐怖に怯え続ける毎日です。まさに地獄の日々が待ち受けているのです。そんな例はごくごく限られた人だと侮ってはいけません。どんな人でも煩悩がある限り油断大敵なのです。
すべては煩悩という賊をコントロールできなかった結果です。ですから、幸せになるか不幸になるかはコントロール次第といえるのです。そのコントロールの力を養うことこそ修行なのです。
修行とは、釈尊が説かれた四諦八正道や十二因縁などの教えをよく学び、これを身につけるための実践行動がすなわち修行なのです。そして「早く自度を求むべし」と言われます。つまり、「早く自らを解脱せしめ、悟りなさい」ということです。
確かに釈尊は、一刻も早く悟りを開くべきだと言われますが、ここで大事なことは、修行と悟りは別物ではないという認識です。つまり修(修行)と証(さとり)は表裏一体なのです。ちなみにその主旨がタイトルとなっているのが曹洞宗の経典「修証義」なのです。
釈尊が涅槃の臨場で教示されたのは、まさに修行の意義であったのです。つまり、何よりも大事なことは、真摯に修行することこそ悟りであるということです。これが今回の結論です。

■9
煩悩の毒蛇、睡りて汝が心に在り。譬えば黒蚖の汝が室に在って睡るが如し。当に持戒の鉤を以て早く之を屏除すべし。睡蛇既に出でなば、乃ち安眠すべし。出でざるに而も眠るは是れ無慚の人なり。慚恥の服は諸の荘厳に於て、最も第一なりとす。慚は鉄鉤の如く、能く人の非法を制す。是の故に比丘、常に当に慚恥すべし。暫くも替つること得ること勿れ。若し慚恥を離るれば、則ち諸の功徳を失う。有愧の人は、則ち善法あり。若し無愧の者は、諸の禽獣と相異ること無けん。
「煩悩の毒蛇、睡(ねむ)りて汝が心に在り。」人の心の中には煩悩という恐ろしい毒蛇が宿っている。その惰眠の毒蛇が汝の心に睡っているのだ。「譬(たと)えば黒蚖(こくがん)の汝が室に在って睡るが如し。」それは譬えていえば、黒い蚖(マムシ)があなたの部屋にいて眠っていうようなものだ。「黒蚖」とは、黒いまむしのこと。その毒蛇が自分の部屋にいて隙を狙っているのに、どうして安心して眠ることができるであろうか。「当に持戒の鉤(かぎ)を以て早く之を屏除(びょうじょ)すべし。」まさに戒律を守っていくための鉄の鉤をもって、この毒蛇たちを一刻も早く払いのけなければならない。「持戒の鉤」とは、持戒は戒律であり、鉤は先の折れ曲がった金属製の器具をさしています。「屏除」とは、退ける、とか除くという意味です。「睡蛇(すいじゃ)既(すで)に出でなば、乃ち安眠すべし。」惰眠という恐ろしい蛇が人の心の中から出て行ってくれて、初めて安らかに眠ることができるのだ。心の中にある惰眠という欲望は煩悩であり毒蛇のように恐ろしいのです。「出でざるに而(しか)も眠るは是れ無慚(むざん)の人なり。」そんな蛇が心の中にいながら、なお惰眠するのは恥を知らない人である。「無慚の人」とは、恥知らずの人のことです。「慚恥(ざんち)の服は諸(もろもろ)の荘厳に於て、最も第一なりとす。」どんなにきれいで立派な服装よりも大事な服装は「恥ずかしい」という着物なのである。「慚」も「恥」も同じ「ハズル」という意味です。「もろもろの荘厳」とは、人が身に着けるきれいな服装にはいろいろあるということです。「荘厳」とは、飾り装うこと、荘装厳飾の意味で、一般的には仏身、仏徳を現す美しい装飾品を指します。又は、仏堂、仏像などを美しく飾ること、またはその飾りをいいます。慚恥(恥を知る)の服は、人間が着飾る服装のうちで最高の服であるという。人間は裸でいることを恥ずかしいと思うから、服装で纏っているけれども何よりも大事な着物は、「恥ずかしいという着物」なのです。心の中に恥ずかしいという心を持つことが、どんな美しい服装で着飾るよりも、人の心を飾っていく、心の醜さを隠していく一番大事な着物だということです。「慚は鉄鉤(てっこう)の如く、能く人の非法を制す。」「恥じる」ということは、鉄製のカギのように人の悪行を抑え込む力がある。人には煩悩があり、誰でも油断すると欲望にまけて良からぬことをしたり、我儘の心を制することが難しくなったりします。しかし、たとえ人が見ていようがいまいが、こんなことをしたら恥ずかしいという気持ちがあればこそ己の煩悩に負けない、悪いことのできない人になれるのです。己の欲望のままに生きたいという、利己的、短絡的な心を制するのは、「恥ずかしい」という良心があってこそです。「是の故に比丘、常に当に慚恥すべし。暫(しばら)くも替(す)つること得ること勿(なか)れ。」だから、修行者たる者、いつもこの恥を知る心こそ忘れてはならない。僅かの間でも恥じる心を止めてしまってはならない。寝ても起きても、立っても座っても、歩いても、人様が見ていても見ていなくても、心の中に、こんなことをしたら恥ずかしいという心を忘れてはいけません。「若し慚恥を離るれば、則ち諸の功徳を失う。」もし恥を忘れると、それまで積んできた多くの善い功徳さえもすべて失われてしまう。今までの折角の良い功績に留まらずに罪さえ作ってしまうことにもなるのです。「有愧の人は、則ち善法あり。若し無愧の者は、諸の禽獣と相異ること無けん。」恥を知る人こそ善行を心掛けるようになる。恥を知らない人はもろもろの動物と少しも変わらない存在になってしまう。「有愧の人」とは「恥を知る人」という意味であり、「無愧の者」とは「恥を知らない人間」という意味であり、「禽獣」とは人間でありながら道理や恩をわきまえない畜生のことを指します。以上、本段では、先段に続いて惰眠がもたらす害をとりあげ、釈尊は、比喩をもって教示されています。私たちの心の中には、煩悩という恐ろしい毒蛇が宿り惰眠を貪ろうとしているのです。隙さえ見せれば、いつ噛みついてくるかわかりません。決して油断できないのです。
ですから、戒律という鉤をもって、この恐ろしい黒い毒マムシを退治して追い払わないことには、夜も安心して寝られないのです。仏道修行を妨げる恐ろしい惰眠という毒蛇が心の中から出て行って、私たちははじめて落ち着いて真に安眠できるのです。
その恐ろしい毒蛇を追い出すこともしないで惰眠をむさぼるのは、まったく恥を知らない人です。恥を知ることを服に例えれば、人にとってどんなきれいな服よりも大事な服であり荘厳なのです。
人は、恥ずかしいという気持ちがあるからこそ、誰も見ていなくとも、悪いことをしないのです。煩悩に負けないで悪いことを制御できるのも、恥ずかしいという心の服を着ているからです。だから人にとって恥という装いこそ最高に美しい着物であり、その「恥の心」を決して忘れてはなりません。
恥ずかしいという良心を失うと、今まで積み重ねてきた善行を台無しにしてしまい人格まで失ってしまいます。私たちは恥じを知る心を持つことで善良な行動ができるのです。人間が動物と違って優れているのは、恥の心を持っているからです。だから、人は誰でもその心を失うことになればただの動物に成り下がってしまうのです。
本段の主題はズバリ「恥を知れ」ということです。「恥」とは、「過失や失敗をして面目を失うこと。名誉を汚されること。」と広辞苑にはあります。人は自己の面目や名誉が保たれることで誇り(プライド)を持って生きられるのです。
人が動物と違うのは人には誇りという尊厳があり、その尊厳が汚されることで「恥」となるのです。しかしその感覚には個人差があります。例えば、同じ過ちを犯してもそれを恥と感じる程度には個人差があります。同じように「善行」に対してもそれを名誉と思う程度にも個人差があります。
そういった感覚の差はなぜ起こるのかというと、それは価値観によるものと考えられます。人は価値観に基づいて信義、信念を持ち、それが人生観となります。ですから人にとって価値観こそ大事です。正しい価値観であれ歪んだ価値観であれ、それなりの人生観が形成されるからです。
つまり「恥」と「名誉」の認識はまさに価値観に基づいて決まるのです。たとえば、ヤクザの世界では盃によって序列が決められたり、入れ墨が威厳の象徴だったり、親分の罪を肩代わりすることが最高の名誉だったりすることが彼らの世界での価値観です。
そんな歪んだ価値観の世界だからこそ、親分のタマ(命)を取られることが最高の恥であり、敵の親分のタマを取ることが最高の名誉なのです。最近日本最大の暴力団山口組みの分裂騒動がありましたが、彼らなりの価値観から起こったことです。
暴力団の存在意義を極限まで突き詰めれば、意に沿わない人間は殺すという一点です。離脱組が新団体を設立するなら、メンツにかけて制裁し、殺戮し、つぶさねばならないのが彼らの世界の常識であり、それに叶うことが「名誉」であり、叶わないことが「恥」となるのです。
人の価値観は、生来の性格に躾、教育、経験などが加わり培われるものです。価値観は人生観となり人格が形成されますが、ひとたび形成された人生観を変えることは大変難しいのです。
ですからよほどのことが無い限り「人生観が変わる」ことはありません。しかし余談ですが、先日テレビで「世界キテレツ人生」なる番組があり、そのなかで前科6犯のヤクザが務所の中で目にした聖書の一文「神は悪人を殺さない」という言葉によって改心し、出所後神学校に入りついに牧師の資格を得て、私設の教会を設立し、今では多くの信者に慕われているというのがありましたが、これぞまさに「よほどのこと」だったと言えるでしょう。
そんなよほどのことが無い限り、ヤクザにはヤクザの人生観があり、政治家には政治家の、警察官には警察官の、ドロボウにはドロボウの、金持ちには金持ちの、ホームレスにはホームレスの、牧師には牧師の、もちろん坊さんにも、それぞれに"立派"な人生観があるのです。
しかし、娑婆世界の"立派"が正しいとは限りません。人は自分を取り巻く環境からそれなりの常識や倫理、信念を身に着け人生観を確立しますが、歪んだ人生観からは歪んだ信義、信条しか生まれません。しかも、歪んでいることに自からはなかなか気が付かないのです。
そんな歪んだ信念の持ち主が国政に携わっていたら、国民にとってはまさに因果なことです。憲法の理念と国民の意思を無視して強引に国家の安全体制のあり方を変えた人。絶対である憲法を蔑ろにしてまで貫こうとするそんな歪んだ信念の人に国の運命を託してしまってよいのでしょうか。それこそ「恥を知れ」です。
釈尊が言う「恥を知れ」というのは正しい信念を持ちなさいということです。間違った信念のもとには幸福も平和も決して訪れません。正しい信念とは宇宙絶対の真理である四諦八正道の教えに則ったものです。
仏教の目指すところは、まさに真理に目覚め「正しい信念」を持つことに他なりません。幸福は正しい信念のもとにこそ現れる…それを信じることです。  

■10
汝等比丘、若し人有りて来りて、節々に支解するとも、当に自ら心を摂めて、瞋恨せしむることなかるべし。
亦た当に口を護りて苦言を出すこと勿るべし。若し恚心を縦にすれば、則ち自ら道を妨げ、功徳の利を失す。
忍の徳たること、持戒苦行も及ぶ能わざる所なり。能く忍を行ずる者は、乃ち名けて有力の大人と為す可し。
若し其れ悪罵の毒を歓喜し忍受して、甘露を飲むが如くすること能わざる者は、入道智慧の人と名けず。所以は何んとなれば、瞋恚の害は則ち諸の善法を破り、好名聞を壊す。
今世後世、人の見んことを憙わず。当に知るべし、瞋心は猛火よりも甚だし。常に当に防護して入ることを得せしむること勿るべし。功徳を劫むるの賊は瞋恚に過ぎたるは無し。
白衣は受欲非行道の人なり。法として自ら制する無きは、瞋も猶お恕すべし。出家行道、無欲の人にして、而も瞋恚を懐くは甚だ不可なり。 譬えば、清冷の雲の中に霹靂火を起すは所応に非ざるが如し。
「汝等比丘、若(も)し人有りて来りて、節々(せつせつ)に支解(しげ)するとも、当(まさ)に自ら心を摂(おさ)めて、瞋恨(しんこん)せしむることなかるべし。」もし強盗がやって来て、刀で手を切り足を切り、身体をバラバラにしてしまうような恐ろしい目にあっても、腹を立ててはいけない。「亦た当に口を護りて苦言を出すこと勿(なか)るべし。若し恚心(いしん)を縦(ほしいまま)にすれば、則ち自ら道を妨げ、功徳の利を失す。」また、腹を立てても、口で悪口を言ってもいけない。もし、腹を立てることになれば長い間築いてきた徳も失い自ら信頼を失うことになる。「忍の徳たること、持戒苦行も及ぶ能わざる所なり。能(よ)く忍を行ずる者は、乃ち名けて有力(うりき)の大人(だいにん)と為す可し。」堪忍できることは、戒律を守ることよりも、一生懸命修行することよりも徳のあることである。 どんな苦労にも耐え忍び、どんな腹の立つことがあっても耐え忍ぶことのできる方こそ、修行の出来た立派な菩薩といえるのである。「若し其れ悪罵(おめ)の毒を歓喜(かんぎ)し忍受して、甘露を飲むが如くすること能わざる者は、入道智慧の人と名けず。所以は何んとなれば、瞋恚の害は則ち諸の善法を破り、好名聞を壊(え)す。」悪罵(おめ)とは、癖の悪い馬という意味で、すぐ怒ったり罵ったり悪口をいう人のことで、もし、そんな輩から被る毒を美味しい蜜湯をいただく思いで歓んで受け止めることができるような人こそ悟りの智慧を持った人だといえる。怒りの害は様々な約束事や本人の名聞をも壊してしまう。「今世後世、人の見んことを憙(ねが)わず。当に知るべし、瞋心は猛火よりも甚だし。常に当に防護して入ることを得せしむること勿るべし。功徳を劫(かす)むるの賊は瞋恚に過ぎたるは無し。」癇癪を起してしまうと、この世のみならず後の世まで他人から嫌われてしまう。心に刻むべきは、癇癪の怒りは、猛火の如くそれ以上に恐ろしいものである。怒りは、これまで築いてきた功徳を奪い去っていく大泥棒である。「白衣は受欲非行道の人なり。法として自ら制する無きは、瞋も猶お恕(じょ)すべし。出家行道、無欲の人にして、而も瞋恚を懐くは甚だ不可なり。譬えば、清冷の雲の中に霹靂火を起すは所応に非ざるが如し。」白衣(一般の人)は特に修行をしている人達ではないが、この法は在家の人であても同じであり、怒ることは自制すべきことである。 いわんや出家して菩提心を起こした者にとっては、無欲にして怒りを起こさないことは当然のことである。出家が腹を立てることは、例えば、秋晴れのきれいな、雲一つない青空に中に、にわかに雷が鳴り、稲妻が光ったようなもので実に不相応この上ないことである。仏教では、煩悩のなかで貧、瞋、痴(とんじんち)を三悪道といって、もっとも恐ろしいものだと捉えています。貧とは、有っても有っても限りなく欲しいという物欲、金欲などの欲望のことです。瞋とは、怒りの心、腹を立てることです。痴とは、正しいことが理解できない心のことです。
釈尊は、特にここでは「瞋」(怒り)について厳しく戒めています。仮に、強盗がやって来て、刀で手を切り、足を切り、身体をバラバラにされるようなことがあっても、仏弟子は自分の仏心をしっかり持って、決して腹をたてたり怨みや憎しみを起こして、悪口を言ったりしてはならない。
どんな悪口にも堪えられる人こそ修行のできた菩薩であり、悪口のお蔭で自分の罪や欲が正されるので、悪口を頂くことはまさに智慧の蜜をいただくことだと思える人こそ真の悟りの智慧を得た人である。
一度でも腹を立て癇癪を起してしまうと、これまで築き上げてきたどんな功績も徳も吹っ飛んでしまう。癇癪の怒りは燃え上がった火の如く、いやそれ以上に恐ろしいもので来世にまでも引きずって行くことになる。
このことは在家の人にとっても同じことであり、特に出家した仏弟子にとって無欲のことは勿論であるが、特に腹を立てることは澄み切った青空にいきなり稲妻が走り雷鳴が轟くようなもので実に不似合なものである。
以上が意訳ですが、この節での趣旨のすべては堪忍の重要性について述べられているのです。しかし、例えば「四肢五体を切り裂かれても腹を立てたり、恨み憎んだりしてはならない」ところなどは、普通ではとても受け入れられない「堪忍論」だと言えるでしょう。
確かに癇癪を起こし怒ったら色々なものをぶち壊してしまいます。理屈ではよくわかります。しかし、修行を積んだ傑物であってもなかなかそこまでの境地には至れません。自分が殺害されるような場に直面したら人は誰でも正当防衛として防御や抵抗をするのが当たり前だと思っていますが、釈尊はそれらを一切否定しています。
しかし、釈尊は決して建前で言っているのではありません。釈尊の教えは悟りに基づいたものですからそこには建前や手加減などありません。真理に手加減や手心があったらそれはもはや真理ではなくなってしまいます。
真理とは建前でも本音でもなくまさに「あるがまま」でしかないのです。この節の最も難しい点ですが、この真意を見落としたら遺教経の真価を見落としてしまうと言われても過言ではありません。
「自分にはできない」のではなく、できることを目指すことが「修行」です。逆にいえば「修行」とは、それが「できるように目指すこと」なのです。まさに「堪忍」の極致を突き付けられた思いですが、修行と悟りには妥協がないことを改めて思い知らされます。
悟りは「無心」であり「無我」です。釈尊は、腹を立てたり憎んだりするのは自分に我があるからだといわれます。我があるから腹を立てる。欲も膨らむ。だから無我にならなければならないのです。無我になれば例えどんな事にでも腹を立てなくなれる筈ですから。
腹を立てれば、それは報復を生み、報復は相手と同じ行為になるのです。恨みに対して恨みで返すことは相手と同罪です。だから「悟り」「無我」になれれば、例え自分が殺されてもなお相手を恨むことのない世界が開けるのです。そう、「悟り」はまさに究極の境涯たる所以です。
「まこと、恨み心はいかなるすべをもつとも、恨みを懐くその日まで、ひとの世にはやみがたし。 恨みなきによりてのみ、恨みはついに消ゆるべし。こは易(かわ)らざる真理なり。」(法句経)
恨みに恨みを以ってすることは、永遠に恨みが無くなることはないのです。それが真理なのです。「悟り」「無我」の中には私情はありません。私情こそ煩悩なのです。人は誰もが生まれたときは、きれいな鏡のような心をいだいていたのに、煩悩という「痴」によって「貧」と「瞋」が成長してしまうのです。
「災難の時は災難に会うがよろしく候。病む時は病むがよろしく候。死ぬ時は死ぬがよろしく候。」と、良寛さんも言われています。どのような災難であっても受け入れてしまえば、何一つ腹が立つことはなくなるのです。これと同じ意味が、御開山道元禅師の「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という一句です。まさに達観の一句です。
仏教では、この世の中を「娑婆」といいます。「サーバ」が語源で忍土、堪忍土、忍界と訳されています。この世界に住む我々人間には、内面にはさまざまな煩悩があります。八万四千だとか、百八つだといいますが、その数字は人の煩悩の数は無限だということを表しています。
さらに外面には、地震、風雨災害、雷、火事、交通事故等さまざまな災難があります。だから釈尊は、娑婆世界こそまさに「四苦八苦」「一切皆苦」だと説かれているのです。そんな堪忍しなければ生きてゆけないそんな宿命の世界にわれわれは生きているのです。
だから、堪忍できるということは、戒律を守ることよりも、夜も寝ないで坐禅することよりもずうっと功徳があり尊いことなのです。それをマスターできた人を「有人の大人」つまり菩薩というのです。
しかし、怒りでも、悪を正す怒りもなくてはなりません。どんな悪い事に対しても怒らず、何もしない、出来ないとしたらこんな理不尽はありません。釈尊がここで指摘される「怒り」は、もちろん我欲や非道から生まれる怒りについてのことです。
悪に対して怒ってくれる、そのためにおられるのが「不動明王」です。釈尊が悟りを求めて修行をしている最中に挫折させようと押しかけてきた魔王達を降魔の印で降伏させたという、その心印が「不動明王」だといわれています。
愚かな悪魔どもを撃退したのが、あの忿怒の形相であり、右手に持つ宝剣です。その怒りの凄さを表しているのが背後に燃える迦桜羅焔(カルラエン)です。左手に持つ縄は、悪党どもを縛り上げる智慧の縄であり、右手に持つ宝剣は悪党どもの邪悪な心を一刀両断にしてしまうための智慧の太刀なのです。
一見恐ろしい憤怒のお姿はまさに人々の邪心に対する怒りであるのです。短気で怒りっぽい人や欲望に振り回されやすい人こそ「お不動さま」におすがりすることをお勧めします。腹が立ったとき、一息つくと冷静になれます。お不動さまはそれを教えてくれます。 
 

 

■11
汝等比丘、当に自ら頭を摩づべし。已に飾好を捨て壊色の衣を著し、応器を執持して乞を以って自活す。自ら見るに是の如し。
若し憍慢起らば当に疾く之を滅すべし。憍慢を増長するは、尚、世俗白衣の宜しき所に非ず。何に況んや出家入道の人、解脱の為めの故に自ら其の身を降して而も乞を行ずるをや。
汝等比丘、諂曲の心は道と相違す。是の故に宜しく応に其の心を質直にすべし。当に知るべし、諂曲はただ欺おうを為すことを。入道の人は則ち是の処りなし。是の故に汝等宜しく端心にして質直を以って本となすべし。
汝等比丘、当に自ら頭(こうべ)を摩(な)づべし。已に飾好(じきこう)を捨て壊色(えじき)の衣を著し、応器を執持して乞を以って自活す。自ら見るに是の如し。わたしの弟子であるおんみらは、時に頭髪を剃った自分の頭を撫でて自分は出家した身であるとの自覚を持つことです。すでに身体の飾りを捨てて正色でない間色の衣をまとい、定められた食器を捧げて、托鉢を以って清浄な生活をしているのです。その自覚が大事である。若(も)し憍慢(きょうまん)起らば当に疾(はや)く之を滅すべし。憍慢を増長するは、尚、世俗白衣の宜しき所に非ず。何(いか)に況(いわ)んや出家入道の人、解脱の為めの故に自ら其の身を降(くだ)して而(しか)も乞を行ずるをや。それでも驕慢の心が起きたら、速やかにその心を取り除くよう努めなさい。おごりたかぶる思い上がる心を盛んにするのは、一般世間の人びとでさえ慎むところ。まして出家し仏道にいそしみ、解脱を求めて食を乞う生活を営むべき修行者が、おごりたかぶる心を起こしてどうする。深く心すべきである。汝等比丘、諂曲(てんごく)の心は道と相違す。是の故に宜しく応に其の心を質直(しつじき)にすべし。当に知るべし、諂曲はただ欺おうを為すことを。入道の人は則ち是の処(ことわ)りなし。是の故に汝等宜しく端心(たんしん)にして質直を以って本と為(な)すべし。おんみらよ、他の歓心を買おうとするへつらい心は、仏道にそむく。そうであるから、おんみらは心を素直にすべきである。おんみらは知るがよい。へつらい心は、ただ他をだまし欺くだけで、仏道修行者は、かりそめにもへつらい心を起こしてはならない。故におんみらは常に心を正しくして、正直で、素直であることを旨とせよ。ここで釈尊は、仏弟子に向かって先ず「自分の頭をなでてみなさい」と説いています。そして、何のために頭をまるめ「坊主頭」になったのかを仏弟子に問いながら、見事に驕慢の戒めを述べられています。
髪の毛は大自然と両親から頂いた大切なもの、それを敢えて剃り落とす意味は何でしょうか。拙僧自身若い頃には、何故坊さんは坊主頭でなければならないのか疑問に思った時もありましたし、時に人から「坊さんはなぜ坊主頭なんですか」と聞かれたりしました。
それに対して、「髪の毛は切っても切っても生えてくる、それはまさに人の煩悩の如くである。だから、その煩悩を自ら律する意味で頭を丸めているのです」と答えていました。ある先輩僧のお話からの借用でしたが、遺経のこの一文を知って無学な自分を恥じました。
煩悩論説にも説得力もあり、間違いとまでは言えないかも知れませんが、本来は釈尊の「飾好を捨てよ」ということが論拠だったのです。「飾好を捨てよ」とは、在家の人のような衣裳や髪飾りなどの装飾は一切捨てて、自分を飾ることはやめなさいという意味です。
現代でもファッション以上に薄毛で悩む人が多いといわれ、育毛剤とカツラの市場規模は4414億円にもなっているとか。40歳でカツラを付け始めると生涯経費は2000万円にもなるとか。確かにカツラや育毛剤などのコマーシャルはコマーシャル界を席巻している感があります。
拙僧などは、剃髪してから久しいので、それに慣れてしまって、今では髪が一センチでも伸びたらウザッタクていけません。剃髪後の爽快感はたまりません。頭髪を剃り落とし頭を丸めた姿は出家の象徴です。禅宗の坊さんの中にも稀に長髪の方がいますが、“プロ”としての自覚が欲しいものです。
飾好(しきこう)は頭髪、衣裳などだけではありません。勿論個人差はありますが、自分を美しくカッコ良く見せたいという願望は誰にでもあるものです。女性は化粧し、整形する人までいます。財力のある人は、高級な衣裳を纏ったり宝石や高級車、さらには豪邸、クルーザーなどで自分をひけらかせます。
飾好は頭髪、衣裳などの目に見える装飾品だけに限りません。あえて言えば、身分、地位、学歴も世を渡る上での飾好です。学歴や地位をひけらかすことで自分を偉ぶる人もいます。学歴や地位、富などは人格の本質にはまったく関係ないものです。
そんな一切の飾好を捨て去った象徴が坊主頭であり壊色(えじき)の衣なのです。修行僧は、ごみ溜めや墓場などに捨てられていたボロ切れを拾い集めて、よく洗い、それらを綴って衣にして身に纏ったのです。だからその布を糞掃衣(ふんぞうえ)と言います。糞掃とは、ボロ切れ・捨てられた物という意味です。
古代インドの人の服装は、一般の在家人は、赤、青、紫、黄、白、黒などの衣類を身に着けていました。 これらの色を正色(しょうしょく)といいます。それに対して出家者は、茶褐色、あるいは土色の目立たない色彩の衣を用います。これらの色を間色(かんしょく)、あるいは壊色というのです。
捨てられ、土などの汚れで染まった布は、どんなに洗っても最後は茶褐色になります。壊色とは文字通り「こわれた色」、色の抜けた色ということになります。そんな茶褐色の布切れを綴り布にして衣にしたのです。その色を象徴しているのが木欄の袈裟なのです。
僧侶はすべての装飾へのこだわりを捨て、黄土色のお袈裟を身に着けて、応器という食器を持って一軒一軒食べ物を頂いて暮らすのです。「乞を以って自活す」とは、仏弟子は飲食財貨すべてを蓄積できないため乞食(こつじき)するのです。すでに出家した以上食生活は托鉢で頂いたもの、頂けるものしか食べません。当然食べ物は選べません。それが乞食です。
禅の修行者の持つ食器を応量器といいます。お釈迦さまの時代鉄製の鉄鉢と木製の木鉢がありました。その応器を持って托鉢し、施されたものはどんなものでもその器に受けていただきます。煮炊きが必要な物は、そのまま鉄鉢を火にかけます。鍋と御碗が一緒になった便利な器です。
“乞を以って自活する”以上出家の財産はまさに袈裟と応器(食器)だけです。出家は社会の人々のお蔭で生きているのですから、乞食の身であることを忘れて、少しでも驕慢の心を起こしてはなりません。社会の皆さんの布施のお蔭で生きて修行ができるという自覚があれば人様を蔑む心も起こらない筈です。これらは出家に限らず在家の信者にも言えることです。
諂曲(てんごく)とはへつらい、おべっかのことです。「諂曲の心は道と相違す」とは、そうした媚びへつらう気持ちを抱くことはまさに修行道に背くことであるという戒めのお言葉です。諂曲の煩悩がひとたび起きると、その人は「修羅」に落ちるといいます。
人をたぶらかすには、まず自分をたぶらかさなければなりません。どんな悪いことをしたとしても、自分をたぶらかしてしまうので反省も後悔の念も起こりません。悪いことに慣れてしまうと自責の念も無くなり奈落(地獄)の底に落ちてしまうのです。
お釈迦さまは、そうした驕慢や諂曲に負けないためには、心を真っすぐ保ち、飾りのない本性を基本にしなさいと述べています。生まれた時に持っていた真っすぐな心、それが仏心です。仏心の別名をまた「柔軟心(にゅうなんしん)と呼びます。それは、真理をあるがままに知るしなやかな心のことです。
自分の心を曲げて、わざわざおべっかやお世辞を言うことは、心のなかに良からぬ下心があるからです。正直、実直でウソのない交わりでなければなりません。しかし、相手への思い遣りの言葉は「愛語」になります。
「愛語というは、衆生を見るに、慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり、慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり」(修証義・道元禅師) 愛語はまさに言葉による布施です。おべっかなどとは違い慮る言葉は相手を救い信頼関係を築きます。
一方、おべっかどころか逆に最近の若者はろくに挨拶もできないなどともいわれます。日本人は先ず挨拶でお互いに敬意を確認するのです。日本文化にとって人間関係の基本はまず挨拶からです。特に日本文化には「長幼の序」といって、年長者や先輩を敬うという道徳観念があります。ですから、先輩や年輩者には先ず自分の方から挨拶をします。ですから新入社員などは、先ず挨拶の仕方から徹底的に教育されます。
挨拶はお世辞でもおべっかでもなく、儀礼、応対のことばや動作であり、日本文化の基本なのです。「挨拶」は禅宗の「一挨一拶」からきたことばです。「挨」も「拶」も、「押す」、「開く」とか「迫る」という意味であり、禅僧が問答を交わして相手の悟りの力量を測るための「攻め込み」のことばが「挨拶」なのです。
因みにその場所が「玄関」です。「玄」は、「奥の深い悟りの境地」という意味であり、「関」は、入口という意味です。文字通り「玄妙な道に入る関門」が「玄関」なのです。禅寺の出入口がそう呼ばれていたのを公家や武家が屋敷の出入口に取り入れたのです。
そして、江戸時代以後、身分制度が廃止されると、格式の高さを表すシンボルとして庶民の家にも「玄関」が登場し始めたのです。玄関は単なる出入り口ではなかったのです。玄関に入るとその家の匂いや様子が分ります。家の顔だともいえる玄関です。気配りをしましょう。
「端心」とは、まっすぐな心です。率直な心で毎日を送りなさいとお釈迦さまは弟子たちにおっしゃっています。「本と為すべし」とは、「本とせよ」との意味で、「旨とせよ」、「根本とせよ」ということです。平素、多くの弟子たちの欠点をご覧になって、そのつど、静かに注意し、教えになっていたことが浮かんでまいります。
さて、遺教経はここで一段落となります。その結びの旨とすべきことは、「端心と質直」です。両方とも「きれいな心」のことです。それがすなわち仏心(本心、真心)です。それを表す姿が坐禅であり、坐禅が仏心の姿なのです。  
 
観音様

 

観音様は観世音菩薩ともいいます。
「観」はみる、ただ見るのではなく、よく観るのです。「世」は世間の世であり、世の中の意味です。「音」は衆生の悩みや苦しみの声とか救いの音声であり、世間の私たち衆生の苦しみや救いの声を聞きつけて馳せ参じてくださる菩薩様ということです。
観音様は無相であり、無我であるから宇宙のあらゆるところに縦横無尽、円融無碍(えんゆうむげ)に現れることができます。心に障碍、執着、わだかまりがないから自由自在。そこで観自在菩薩ともいわれるわけです。観音様には、聖観音、千手観音、十一面観音、如意輪観音様などがいらっしゃいますが、容姿がたいへん美しく、その端麗なお姿を見ているだけで心の中まで洗われるような気がしてまいります。
あらゆる人々を救ってくださるその慈愛に満ちたお姿から女性の菩薩ではないかと思っている人もいるようですが、実は観音様は女性でも男性でもないのです。といって中性という表現も当てはまらないように思います。必要に応じて刹那刹那にあらゆる姿に変化される「かたよりのない存在」とでも申しましょうか。
その象徴があの気品と慈愛に満ちたお姿になっているのでしょう。観音様はもとは「正法明如来」という如来様であったと言われています。それが、高い位の如来であると低い段階にいるわれわれ衆生を救うことができないというので、わざわざ一段位の下がった菩薩となって一切衆生を救おうとされているのです。
この観世音菩薩のことを述べたお経が「観音経」で、法華経のなかの第二十五章に相当するお経です。正式には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」といいます。ところで、この妙法蓮華経というお経の題目の意味を少し考えてみましょう。法華経は大乗経典のなかでも、もっとも有名なお経で、「諸経の王」「経王」などと言われています。
妙法とは「諸法実相」ということで、宇宙に存在する全てのものの「ありのままのすがた」ということです。すべてのものの有り様が「妙法」なのです。あたりまえのすがたそのまま、それが、道元禅師の「眼横鼻直」であり、禅語の「柳は緑、花は紅」であるのです。
この世に存在するすべてのものの、森羅万象のありのままのすがたが妙法であり、如来のすがたであるのです。
峰の色谷のひびきも皆ながら我が釈迦牟尼の声と姿と (道元禅師)
「蓮華」は蓮のことであり、蓮は泥池でなければ美しい花を咲かせない。その美しい花は泥の中からこそ咲き誇ります。 そこに蓮の特徴があります。泥池が衆生であり、蓮華が仏であるのです。
泥池があるから蓮華がある。衆生があるから仏があるのです。つまり、泥池=蓮華、衆生=仏なのです。
衆生本来仏なり、水と氷のごとくにて、水をはなれて氷なく、衆生の外に仏なし。衆生こそ仏にほかならない。われわれ凡夫は仏を遠くに求めたりしますが、自己自身が仏にほかならないということです。
仏教とは「自らが仏になる教え」であり、観音経は「自らが観音様になるおしえ」だと言えるでしょう。しかし、誤解されてはいけません。ただ、何もせずに仏や観音様になれる筈などありません。

観音様のお経「観世音菩薩普門品」と言いますが、この「普門」という意味は「普(あまね)く衆生を済度するための入り口」という意味です。「あまねく入れる門」とは、いつでもどこでも誰でも入れる門ということです。前回、観音経とは「自らが観音様になる教え」だといいました。
しかし、「ただ何もせずに観音様になれる筈などありません。」ともいいましたが、実はその答えとも言うべき解答が、この「普門」という門に入ることなんです。誰でも観音様になるためにはこの門に入りさえすればいいのです。では、この門に入るにはどうしたらいいのでしょう。
観音経は「一心称名」だと説いています。「一心」に「南無観世音菩薩」と至誠をもってお称えすればいいというのです。ただ形式的ではなく心から純一無雑にお称えしなければならないのです。実に簡単なことのようですが、実はこれが大変難しいのです。
試しに何も考えずに「南無観世音菩薩」と称えてみてください。無心になりきって何回できますか。最初から出来ないのは当然なんです。鍛錬よりも何よりも、その前にまず信じる気持ちが必要なんです。観音様を「信じる」かどうかなんです。まず「信じる心」が無ければ何事もはじまらないのです。
宗教は信じることから始まります。信じなければ何も始まりません。「信じる」ことが絶対条件なんです。「信じる」次が「行ずる」ことです。「信じて行ずる」ことで「無心」「無我」になれます。
「観音様」と一体になれた瞬間です。その時こそ観音様が自分の中に入り込んだ瞬間なんです。無心無我こそ無碍の心であり観音様の心なのです。何にもとらわれない、何にも執着しない、何にもこだわらない世界が「無一物」の世界であり「無尽蔵」の世界なのです。
何も無いが同時に全てのものが手に入るという涅槃の世界が出現するのです。分別妄想の価値観の世界ではなく無相の絶対価値観の世界が出現するのです。現在の人間世界は正に分別妄想の虚構の世界の中で苦しんでいます。われわれ凡夫の心は貪り、瞋り(怒り)、痴(愚かさ)の三毒をはじめ八万四千の煩悩によって乱れに乱れています。
人類が出現して数百万年、人間の歴史が始まってからすでに五・六千年にもなります。文化文明・科学は想像を超えて進歩してきました。しかし、人間は道徳的には全く進歩していない気がしてなりません。知識はどんどん増えていますが、智慧はどんどん無くなっています。
世界中での詐欺、暴力、自殺、殺人、テロ 、戦争が益々増えている現実がそれを証明しています。なるほど人間界が六道の内の修羅界の次の世界にあるのも頷ける気がします。人類がこのまま下の修羅道と入れ替わって、畜生界、餓鬼界へと下方に落ち続け地獄界に向かい続けるのでしょうか。
世界60億の人間は果たしてどこへ行くのでしょう。イヤ、まだまだ人間はすてたものではないのです。2500年前わが世尊釈迦牟尼仏が出世されました。その意味は人類衆生の救済なのです。もういいかげんに世尊の教えに眼を向ける時なのです。  
 
観音経

 

■はじめに
日本人に最もよく知られ、親しく読まれているのは、言うまでもなく「般若心経」とこの「観音経」でしょう。実はこの二つとも「観音様」のお経なのです。同じ観音様のお経なんですが、全く対照的な教典なのです。
「般若心経」は仏教の深遠な哲理を述べた哲学的な教典と言えるでしょう。それとは対照的にこの「観音経」は大変情緒的即応的な内容になっています。どんな困難や苦難に直面しても、「南無観世音菩薩」と一心に称名すれば、たちまち観音様が現れて救ってくださるという。その喩えとしての「奇蹟」の例が幾つも説かれています。即物的でありまさに「現世利益」を説いたお経といわれる所以です。
確かにお経の語意をそのままを受け止めるだけだとしたらこれほど分かり易いお経は無いかもしれません。しかし、この観音経はほんとうにそんな単純な解釈で良いものでしょうか。いやいや、一見単純とも思えるこのお経には実は深い理釈があるのです。「理釈」とは語意の奥を読み取るということです。その意味するところこそこのお経のアイデンティティなのです。
まず、このお経のポイントを申し上げましょう。それはまさに「疑問」にあるということです。
(1) 観音さまはほんとうにいらっしゃるのかということ。
(2) そして、ほんとうに奇蹟を起こして救ってくださるのかということ。
この二つの"疑問"がこのお経のキー(鍵)になっています。ですから、この鍵が開かれてこそこのお経がほんとうに理解できるのです。言い換えれば、この観音経はこの"疑問"を透過することで「観音さま」と「奇蹟」の実体が解明されるのです。
その「解明」こそ「悟り」によるものです。つまり結論から申せばこの観音経は決して現世利益を説いたものではなくまさに「悟り」を目指したお経だと言えるのです。ですから、悟ることにより「観音さま」と「奇蹟」が証明されズバリすべての「疑問」が解けるのです。
そこでお釈迦さまは巧みな方便を駆使して"観音劇場"を仕組まれたのです。この劇場は、衆生の一人一人が、つまりあなた自身が"観音さま"になるための"劇場"なのです。そしてあなた自身が観音さまだと認識できた時に、この劇場が劇場ではなく現実の世界だとわかるのです。まさに「奇蹟」が起こった瞬間です。
これら愚僧の解説は他に見られない持論、(珍論、愚論?)と言われるかも知れませんが、わたしにとっては正論だと認識し自負しております。どうかご用とお急ぎでない方には是非この講座を看ていただき、ほんとうの観音さまの実体を知っていただきたいと思います。そしたらきっと新しい世界が開ける筈です。それではこれから22回に亘って「観音劇場」を開演致します。乞うご期待。
妙法蓮華経観世音菩薩普門品 第二十五
爾時。無尽意菩薩。即従座起。偏袒右肩。合掌向仏而作是言。世尊。観世音菩薩。以何因縁。名観世音。仏告無尽意菩薩。善男子若有無量。百千万億衆生。受諸苦悩。聞是観世音菩薩。一心称名。観世音菩薩。即時観其音声。皆得解脱。
爾(そ)の時に、無尽意菩薩即ち座より起ちて、偏(ひとえ)に右の肩を袒(はだぬ)ぎ、合掌して仏に向かって是の言(ことば)を作(な)す。「世尊よ、観世音菩薩は何の因縁を以て観世音と名づくるや」と。仏、無尽意菩薩に告げて曰く、「善 男子、もし無量百千万億の衆生あって、諸々の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて、一心に称名せば、観世音菩薩、即時に其の音声を観じて、皆解脱することを得ん」と。

「そのときに」、のその時とはお釈迦様の在世の時の、これから説法を行うとする「その時」であり、同時に今のあなたが応身仏であるところのお釈迦様に対してこれから質問に立とうとしているまさに「今、現在」ということです。無尽意菩薩とは修行中のあなた方を代表している菩薩ということです。無尽意菩薩とは、「衆生を済度しようとする尽きることのない強い意志を持った菩薩」ということです。
「無尽意菩薩は即ち座より起ちて、偏に右の肩を袒ぎ、合掌して仏に向かって是の言葉を作す。」 「偏に右の肩を袒(はだぬ)ぎ」とは、インドの礼儀作法を表すもので最高の敬礼なのです。尊いお方の御前での敬意の作法なのです。左の肩は「定(じょう)」をあらわし、右肩は「智慧(ちえ)」を表すとされます。僧が袈裟をかける時右の肩をあらわすのはこの慣わしによるものです。
あなた方を代表する無尽意菩薩は合掌してお釈迦様に向かい奉り質問します。「世尊よ、観世音菩薩は何の因縁を以てか観世音と名ずくや」 無尽意菩薩はもとより分かっていたのですが、大衆に代わり質問したのです。
「仏、無尽意菩薩に告げて曰く、」世尊は無尽意菩薩に申しました。「善男子、もし無量百千万億の衆生あって、諸々の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて、一心に称名せば、観世音菩薩、即時に其の音声を観じて、皆解脱することを得ん。」
無量百千万億の衆生とはあらゆる全ての生けとし生けるもの、命あるものを指します。その衆生、とりわけ人間ですが色々な苦悩を受けています。「一切皆苦」が人生そのものですから当たり前の現実なのです。そんな中、特に現実の苦しみから救われたいと願うならば、心から自己の全存在をかけて至誠にその御名を称えなさいということです。観世音菩薩はその声を観じて、その衆生を助けに来て下さるのであるとお釈迦さまは申されました。
私はこの観音経の主旨はここに集約されていると思うのです。至誠に称えるということは、まず完全信服でなければなりません。完全に信ずるということが絶対条件なんです。全身全霊命を投げ出して称名すれば必ず観世音菩薩が現れてくるのです。
一心称名し感応道交すれば間違いなく観世音菩薩が「即時に」あなたの前に現れます。イヤ、あなたの前ではなくあなた自身の中に入り込みます。観世音菩薩とあなたが一体になった瞬間です。それが「解脱することを得ん」なのです。
救われるということは、あなた自身が化身仏の観音菩薩になりきった時なのです。この観音経の主旨が初めに明示されていると言って良いでしょう。  

■2
若有持是観世音菩薩名者。設入大火。火不能焼。由是菩薩威神力故。若為大水所漂。称其名号。即得浅処。
若し是(こ)の観世音菩薩のみ名を持する者あらば、設(たと)い大火(たいか)に入るとも、火も焼くこと能(あた)わず、是の菩薩の威神力(いじんりき)によるが故に。若し大水のために漂(ただよ)わされんに、其の名号を称えれば、即ち浅き処を得ん
この段より七難が説かれています。百千万億の衆生が受ける七つの災難とは、
(1)火難 / (2)水難 / (3)風難 / (4)剣難 / (5)悪鬼難 / (6)枷鎖難(囚難) / (7)怨賊難
を言います。 この節ではこのうちの火難、水難の二つが説かれています。
(1)火難とは言うまでもなく火災による災難です。地震や戦争や事故や犯罪による火災によってこれまでどれほどの人命が犠牲になったでしょうか。火災の恐ろしさは言うまでもありません。「そんな恐ろしい火の中に陥ったとしても、もし観世音菩薩の御名を一心に称えることができればその観音様の威神力で火によって決して焼かれることはない。」というのが初めの文章の意味です。
これを理訳で考えてみましょう。火難の「火」とは人の心の中の「怒り」のことです。怒りは「瞋り」とも書きます。三悪趣の貪(とん)、瞋(じん)、  痴(ち)のうちの一つでもあります。人は怒りに理性を失うと何をしでかすかわかりません。
制御が利かなくなった怒りの心は一気に燃え上がる炎と同じです。一気に燃え広がりあらゆる物を消滅させます。そのように怒りの心は破壊につながります。文字通り放火や殺人、傷害、暴力となって襲ってゆきます。犯罪のほとんどはこの「火難」という「怒り」によるものと言っていいでしょう。
このところ子供の災難不幸が続いています。先日も塾の教師による小学生女児の殺害事件がありました。とても信じられない犯行の計画性、残虐性が報道されています。憎んでも憎みきれないこの23才の若い男ですが、今までに少しでも観音様の「縁」があったらとつくづく悔やまれます。
人によって堪忍袋の大きさは違うようですが誰でも持っているものです。決して他人事ではありません。腹が立ったら観音様の御名を称えて下さい。そうすれば必ず心が静まってくるのです。
観音様は必ず怒りの「炎」を鎮火してくださいます。それにしてもちょっとしたことで腹を立てる人が時々いますが実につまらないことです。 是非修行してほしいものです。つぎに「若し大水のために漂(ただよ)わされんに、其の名号を称えれば、即ち浅き処を得ん」とあります。
(2)水難について説かれています。もし大水に流され川でも海でも漂っているとき、観音様の御名をお称えすればたちまち観音様のお導きで浅いところに辿り着くことができ救われるというのです。
これを理釈で考えてみましょう。 まず「水難」とは何でしょう。よく映画かなんかで八卦見が「あなたには水難の相が出ておりますな」などと言っているシーンが思い起こされますが、それは「溺れる」ことであるのです。人の精神は実に弱いものなのです。じきに何かにおぼれるようになっているのです。
金におぼれる。女におぼれる。酒におぼれる。権力におぼれる。名誉におぼれる。おぼれるものはたくさんあります。なぜでしょう。 それは人には「欲」があるからです。生きている以上欲はあります。しかし必要以上の欲は「貧(とん)」になります。「むさぼり」になるのです。
性欲、金欲、名誉欲、権力欲など、どの欲でも羽目を外すと果ては犯罪になります。毎日の犯罪のニュースを見てください。「怒り」と同じように「貪り」が犯罪の直接の原因になっているものばかりじゃないですか。愛欲におぼれ不倫の果てに相手を殺害したり、異常な性欲のはけ口が幼女誘拐、暴行殺害を起こします。
金欲におぼれ良識の判断を無くし耐震構造偽造の殺人マンションを平気で造ってしまったり、権力欲や名誉欲から汚職や暗殺、果てはテロや戦争の報復応酬の繰り返しは歴史を見ての通りです。 これらは現在進行形です。イヤ未来進行形でしょうか。「溺れ」は執着からきます。執着は「こだわり」なんです。
「執着するな、執着するな」「こだわるな」「こだわるな」と説いているのが般若心経であり観音経なのです。  

■3
若有百千万億衆生。為求金銀瑠璃瑪瑙。珊瑚琥珀真珠等宝。入於大海。仮使黒風。吹其船舫。飄堕羅刹鬼国。其中若有乃至一人称観世音菩薩名者。是諸人等。皆得解脱羅刹之難。以是因縁。名観世音。
若し百千万億の衆生ありて、金銀(こんごん)、瑠璃(るり)、(しゃこ)、瑪瑙(めのう)、珊瑚(さんご)、琥珀(こはく)、真珠等の宝を求めんが為に大海に入らんに、仮(たとい)使黒風其(そ)の船舫(せんぼう)を吹いて、羅刹鬼国(らせつきこく)に漂(ただよ)い堕(おち)んにも、其の中若し乃至一人(ないしいちにん)も、観世音菩薩のみ名を称える者あらば、是の諸人等(しょにんとう)、皆羅刹(みならせつ)の難を解脱することを得ん。是の因縁を以て観世音と名づく。
ありとあらゆる衆生、つまりすべての人間にとって金銀など七種の財宝を求めて大海に船出して行ったとします。途中で黒風という嵐に襲われました。船は羅刹鬼国(らせつきこく)というところに漂着しました。その国とは喰人鬼の住む国であったのです。
そのとき、その中の一人でも観音様の御名をお称えする者がいればその他の人たちも共に食人鬼からの難を逃れることができるのです。この因縁によって観世音と名付けられたのです。以上が事訳ですが、これを意訳で考えてみましょう。
ここでは(3)風難について説かれています。風難とは何でしょう。風難とは吹きまくる欲望のことです。その欲望の対象が七つの財宝なのです。どんな人でも財宝には特別な思いを持っています。七つの財宝に対する思いは有って当然なのです。適量の財宝は人を心身ともに豊かにしてくれます。
ここでは財宝を否定しているわけではありません。問題は過剰の欲望です。先の分からない大海に乗り出してまで求めようとするその欲望が問題なのです。大海に乗り出す程の欲望は妄我妄執としか言えません。
金銀、瑠璃、等々の七宝を求めて大海に船出して一体何が有るというのか。そこに有るのは大嵐だけなのです。その大嵐の正体こそ欲望なのです。その貧欲が大嵐となって我が身自身のみならず一緒にいる仲間たちおも襲って来るのです。
しかもその欲望という大風は悪い方向にしか吹きません。その悪い方向に在るのが当然人喰い鬼の住む国なのです。結果その人喰い鬼の餌食になって一巻の終わりということです。しかしここでよく考えてみてください。
財宝を求めて船出したのも自分の欲から。大風に吹かれたのも自分の欲から。その結果破滅の島に漂着し、まさに鬼に喰われようとしているのも自分の欲からです。そこから分かるのは人喰い鬼の国もその鬼も全て自分が作り出したものなのです。その実どこにも喰人鬼なんか居ないのです。居るのは自分自身の中にこそなのです。
「全ての敵は己自身に在り」ということです。早く貪欲に陥った自分に気付くべきなのです。それに気付かせてくれて悟りを与えてくれるのが一心称名の「念彼観音力」のなのです。まさにその時観音様の御名を称えることによってその欲望の嵐は即時に悟りに変わるというのがその理釈なのです。
その欲が悟りに転換するとき、その七つの欲財が七つの清浄財に変わるというのです。清浄財とは悟るための精神財なのです。 正に煩悩即菩提とはこのことですね。それが、
1,信財(証、さとり) / 2,進財(精進) / 3,聞財(聞くこと) / 4,慙財(恥を知ること) / 5,戒財(戒めをもつこと) / 6,捨財(施すこと) / 7,定慧(禅定と智慧)
の七つなのです。
羅刹鬼国とは喰人鬼の住む国であると言いましたが、実はそれこそ我々の住むこの世界のことであったのです。ありとあらゆる欲望のうずまいているのが現実のこの世界なのです。鬼が人を喰うのではなく、人が人を喰っているのがこの娑婆世界なのです。人の形をした鬼がそこかしこにうじゃうじゃいます。気をつけましょう。
羅刹鬼国に住む人喰い鬼やその餌食にならないために自覚が必要なのです。それには観音菩薩の威神力を信じ「南無観世音菩薩」と心から念じることです。繰り返しになりますが、一心称名とは無我に成り切って至誠に「観音様」をお称えすることなのです。悟りを願う心こそ人間の持つ本来の最大の欲望なのです。
そして「一人ありて」という、たった一人であっても真実の叫びには観音様は応えてくださるという広大無辺の大慈悲心を感じざるを得ません。たとえ自分ひとりであっても勇気を持って臨めば他の人たちも共に救われると説いています。大乗仏教の教えですね。  

■4
若復有人。臨当被害。称観世音菩薩名者。彼所執刀杖。尋段々壊。而得解脱。
若(も)し復(ま)た人あり、当(まさ)に害せらるべきに臨んで、観世音菩薩の名を称せば、彼(か)の執(と)る所の刀杖、尋(つ)いて段々に壊(お)れて、解脱することを得ん。
若三千大千国土満中。夜叉羅刹。欲来悩人。聞其称観世音菩薩名者。是諸悪鬼。尚不能以。悪眼視之。況復加害。
若し三千大千国土の中に満つる、夜叉(やしゃ)・羅刹(らせつ)・来りて人を悩まさんと欲するも、其の観世音菩薩の名を称する者を聞かば、是(こ)の諸々の悪鬼、尚悪眼(あくげん)を以て之を視ること能(あた)わず、況(いわん)や復た害を加えんをや。
設復有人。若有罪。若無罪。忸械枷鎖。検繋其身。称観世音菩薩名者。皆悉断壊。即得解脱。
設(たと)い復(ま)た人あり、若しくは罪あり、若しくは罪なきも、忸械枷鎖(ちゅうかいかさ)に其の身を検繋(けんげ)せられんに、観世音菩薩の名(みな)を称せば、皆悉く断壊(だんえ)して、即ち解脱することを得ん。
最初の句は七難の内の4番目の剣難を説いたものです。ここは表現としては案外判り易いと思います。「もし人が刀杖によって殺害されようとしたその場合においても、観音様のみ名を一心に称えるならば、その刀杖は折れてしまうだろう。」と、まさに奇蹟としか思われない観音様のお力が説かれています。
古来中国においては深く観音信仰にあった者が無実にも拘わらず斬首の刑に遭い観音様の威神力によって救われたという話が幾つも伝わっているようです。この日本においても日蓮聖人の「竜の口の奇蹟」は有名であります。
念仏謗法のために、竜ノ口の刑場において依智三郎直重によってまさに斬られようとしたそのとき、海より煌煌たる光が直重の眼を射て、彼はついに日蓮聖人を斬ることができなかったという。正に法華経の行者であった日蓮聖人に起こった奇蹟として伝えられています。(最近の説ではこの「奇蹟の伝説」を否定する学者も多くなっていると聞いてもいますが、ここではその真偽は問いません。ただ、当時鎌倉時代においてはどんな権力者であろうとも絶対神聖性を認められていた僧侶の首を刎ねるということは考えられなかったということです。)
では、刀で斬ることができないとは一体どういうことでしょうか。事訳では、「正に斬られようとしているその時心から成りきって観音様のみ名をお称えすることによってその刀は折れてしまい斬られることはない。」と言っています。
これを、理訳で考えてみましょう。理釈に「奇蹟」はありえませんので、ここをしっかり理解できるかどうかが勝負です。お釈迦様の真意をどこまで伝えられるかに私の力量が問われていると言ってもいいでしょう。(ちっと気負いすぎでしょうか。)以下がその私の愚論ですが、多分ほかのどの学者先生や解説書にも見あたらない解釈だと思いますよ。
一心に観音様を称えるということで無心になります。無心は無我です。観音様の無相と一致する世界です。そこで観音様と一体になれるのです。無相は無為でその本質は実体の無い空の世界です。空の世界が涅槃の世界でありこの全宇宙が完全一体となった瞬間です。
一心に観音様を称名すればその世界に入れるのです。が、実は元々我々の本性は観音様と同体なのです。ただそれに気づいていないだけなのです。それに気が付いた時を見性と言います。見性成仏です。
自分が宇宙と一体になったそこには観音様もあなたもそしてあなたを斬ろうとする刀もその他何も無い世界が出現するのです。対立観念のない絶対一如の世界、その世界があなた自身になるのです。それを「解脱」と言っているのです。
すなわち、あなた自身が観音様であり同時にあなた自身が刀になるのですからあなたは絶対にその刀に斬られることはないのです。ちょっと難しくなってしまいましたかね。難しいかも知れませんがこれが「真実」なのです。比喩でも誇張でもまやかしでも空想でも願望でもそして慰めでもないのです。
事釈で見ると「奇跡」にしか思われませんが、理釈で言えば真実を説いているのです。お経はすべて「真実」を説いたものに他ならないのですから・・・。観音経は単なる現世利益のお経ではないのです。強いて私の持論を言わせて頂ければ導入に方便を透しての「解脱」を説いたお経と申したら良いかも知れません。
次に「若し三千大千国土〜復た害を加えんをや」までを考えてみましょう。「この世界中に一杯いる夜叉や羅刹のような鬼がやって来て、我々を悩まそうとしても、観世音菩薩の御名を称えるならば、彼らは悪眼をもって我々を見ることや、危害を加えることができなくなる。」という、ここでは七難のうちの五番目の悪鬼難を説いたものです。
「三千大千国土」とはこの全宇宙を指します。仏教の世界観に須弥山(しゅみせん)説があります。これは仏の宇宙観を説明したものですが中心に須称山という高い山があり、そのまわりに四大州という世界があり、この一つの世界が千個集まって小千世界と言います。この小千世界が千個集まって中千世界と言い、その中千世界がさらに千個集まって大千世界となります。
その大千世界がさらに三つ集まったのが三千大千世界なのです。(三千×千という説もあります。) とにかくなんとも膨大な世界ですが、これで驚いてはだめです。何故ならこれは阿弥陀仏一仏の教化する範囲の世界に過ぎないのです。阿弥陀仏の他に薬師仏やその他の仏のそれぞれの統括する世界があるのですから。要はつまり無限の宇宙を表したものなのです。
仏教のステージは単に地球上に止まらないのです。その教えは宇宙の果てまで見据えているのです。地動説や天道説など論外なのです。たとえば五十億光年彼方のある星で誰かが(生物?)お釈迦様と同じ悟りを開いているかもしれないのです。この真如の教えが実に2500年以上もの昔にお釈迦様によって始まったという事実にただただ驚嘆せざるを得ません。
この三千大千世界には悪鬼であり食人鬼である夜叉や羅刹が一杯に充満していると言っています。夜叉は悪鬼であり、羅刹は人を殺しその肉を喰う悪鬼のことです。ではこの夜叉や羅刹の正体とは一体何でしょう。現代の人間社会を見てください。
例えば親の勝手での子供の堕胎や虐待などが減ることなく増えているのが現状です。「外面如菩薩、内心如夜叉」(げめんにょぼさつ、ないしんにょやしゃ)が沢山います。外見は人間の姿をしていても、心は夜叉、悪魔にほかならないのです。われわれのこころの内部にはいつでも悪魔と夜叉がいて、隙あらば人間をけだものにしようと狙っているのです。
観音様の御名を一心に称えるならば、それらの悪鬼や夜叉の悪眼や危害などからも逃れることが出来るのだというのです。さて理訳で考えてみましょう。その悪鬼と夜叉は実は我々自身の中にいるのです。外でもない我々自身の心の中にこそその悪眼を持った悪鬼と夜叉はいるのです。
そしてその悪眼の本質は抑制の利かなくなったエゴなのです。そのエゴが自己本位や自分さえ良ければという利己主義を生んでいるのです。その悪鬼や夜叉の悪眼の元のエゴこそ断たなければならないのです。そのエゴを断ち切り本来の善眼に目覚めさせてくれるのもまた一心称名の「念彼観音力」なのです。
次が六番目の枷鎖難です。囚難とも言われ、罪を受け捕らえられ、あるいは無実の罪のために刑具に繋がれることです。その刑具が忸械枷鎖です。忸は手かせ、械は足かせ、枷は頸かせをいいます。いずれも罪人をしばる木製の道具のことです。「若は罪あり、若は罪なきも」とあります。罪有る人も罪の無い人も心から観音様の御名を称えれば同じように救われ、そして解脱できるというのです。理訳で考えてみましょう。我々を縛っている忸械枷鎖とは何でしょう。それこそ煩悩なのです。我々人間は無尽の煩悩という枷鎖にがんじがらめに縛られ繋がれているのです。忸は愚痴、械は怠惰、枷は執着と考えてもいいでしょう。
制御の利かない煩悩によって放縦な無気力な無責任な人間が多くなると、その社会の荒廃は進むばかりです。貪瞋痴の三毒の増大した人間社会は餓鬼、畜生がはびこり、文字通り修羅場の世界になってしまうのです。
残念ですが現実にそのような修羅場の現場や社会が毎日のようにニュースで報道されています。只今ちょうどテレビでホリエモンが逮捕されたというニュースが大々的に報じられているところです。こころが失われた現代を象徴している事件だと思います。
「観世音菩薩の名(みな)を称せば、皆悉く断壊(だんえ)して、即ち解脱することを得ん。」 観世音菩薩の御名を心から称えればたちどころに枷鎖は解けて解脱することができるというのです。われわれ人間は眼に見えない煩悩という枷鎖にがんじがらめに縛られ悶え苦しんでいます。その自分を縛っているものが他でもない自分自身の煩悩・自分勝手のエゴに他ならないことを自覚している人が少ないのです。少しでも早くその事実に自ら気付くことです。
そして観音様を信じて一心に観音様をお称えするのです。誠心からの称名で観音様と同体になれるのです。その「同体」から文字通り己を縛っているものから解き放されるのです。観音様と同じ無相になることで「解脱」できるのです。
さて、それにしてもここでちょっと引っ掛かるのは「罪有る人も」のところです。「罪無き人が救われるのは当然だが、罪有る人までも救われるというのはおかしい・・・」ということになりそうですね。
しかし観音様の慈悲は大悲です。どんな人でも過去を問いません。今が本物の「一心称名」でありさえすればどんな人でも観音様の大悲に中にとり込まれるのです。親鸞聖人の「悪人正機」の理論がここにあるような気がします。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」のことばは実に有名ですね。
どうです。観音様の慈悲心の偉大さが解りますか。くどいようですが、「一心称名観世音菩薩」で自分が観音様と一体になります。そこに本来の自己が現れてくるのです。これを真如実相と言い、また涅槃と言います。これが解脱であり真の自己解放なのです。  

■5
若三千大千国土。満中怨賊。有一商主。将諸商人齎持重宝。経過険路。其中一人。作是唱言。諸善男子。勿得恐怖。汝等応当。一心称観世音菩薩名号。是菩薩。能以無畏施於衆生。汝等若称名者。於此怨賊。当得解脱。衆商人聞。倶発声言。南無観世音菩薩。称其名故。即得解脱。無尽意。観世音菩薩。摩訶薩。威神之力。巍巍如是。
若(も)し三千国土の中に満つる怨賊(おんぞく)あらんに、一人の商主(しょうしゅう)有りて、諸々の商人を将(ひき)いて、重宝を齎持(さいじ)して、険路を経過(きょうか)せんに、其の中に一人、是の唱言(しょうごん)を作(な)さん。諸々の善男子、恐怖を得ること勿れ。汝等応当(まさに)に一心に観世音菩薩の名号を称すべし。是の菩薩は能(よ)く無畏(むい)を以て衆生に施したまう。汝等若しみ名を称せば、此の怨賊に於いて当に解脱を得べし。衆の商人聞きて倶(とも)に声を発して、南無観世音菩薩と云わん。其のみ名を称するが故に即ち解脱することを得ん。無尽意、観世音菩薩は威神の力巍巍(ぎぎ)たること是(か)くの如し。
この三千国土の中は怨賊で一杯である。ある一人の商人の頭(かしら)が多くの商人を連れて財宝を持ってある険しい山道を通って行く時、みな盗賊への恐怖心に襲われた。そのとき一人の商人が話はじめた。「みなさん、何も恐れることはありません。一緒に心から観世音菩薩の名号をお称えしましょう。そうすれば観音さまは私たちの恐怖心を取り除いてくれます。一心に称名すれば盗賊もろとも解脱を得ることができます。」商人たちはこれを聞いて共に声を出して「南無観世音菩薩」と称えた。
その名号をお称えすることでその一同はただちに解脱することができたのである。お釈迦様は申されました。「無尽意菩薩よ、観世音菩薩摩訶薩の威力・神力のすばらしさはこのように巍巍(ぎぎ)たるものなんだよ。」と。
理釈で考えてみましょう。この章に出てくる話は商人の話です。当時のインドから中央アジアを経て中国に交易したいわばキャラバンを例にしたものと考えたらよいでしょう。ここでは七難のうちの最後の怨賊難について述べられています。ポイントは、険路、怨賊、畏れの三つです。このポイントを頭に置いておいてください。
三千国土とは無限の宇宙のことであり、全宇宙ということです。この宇宙には怨賊が満ち満ちているというのです。なぜいきなり三千世界かというと、人一人でも、猫一匹でも、蟻一匹でもそれ自体が三千世界の本質だからなのです。
蟻の世界と人間の世界、地球上とアンドロメダ星雲の世界とは異質ではないのです。全くの同体なのです。一切の存在は三千世界そのものなのですから。すなわち一匹の蟻それ自体が三千世界であるということです。(ちょっと難しいでしょうか)
商主も商人も我々一般の人間のことです。重宝とは財宝のことであり、その中身は財産、名誉、権力、そしてその恩恵から受ける欲望を満たす為の酒や女や豪奢な生活のことです。これらは人が人で有る以上普通にしかも当たり前に執着するものです。
それらを夢や目標として持つことは一見当然なことです。しかしその「執着心」が度を超えることが問題なのです。歯止めの利かなくなった執着心、それはただデタラメに増殖し続ける癌細胞によく似ています。とどまるところを知らないその執着心は己れの体を蝕んでゆきやがて己自身をも滅ぼしてしまいます。
そんな「度を超えない」ことが必要なのです。すなわち「足(たる)を知ること」なのです。人にはそれぞれ応分というものがあります。そんな知足を知らない妄執の虜になった我利我利亡者に待っているのがすなわち「険路」なのです。
その不知足がもたらす険路には「五欲の罠」を持った「怨賊」が待ちかまえているのです。人々を隙あらば誘惑してその罠に陥れようと虎視眈々と狙っているのです。その誘惑に取り憑かれると普段考えられない短絡的、衝動的悪魔の行動をしてしまうのです。これを一般的に「魔が差す」などと言っているようです。
ここで誘惑の「五欲の罠」について少し説明しておきましょう。その罠とは殺・盗・淫・妄・酒の五つをいいます。
「殺」とは殺すことです。殺すとは人や生き物の命を盗ることだけではありません。「物の命」も含まれるのです。物の命とは即ち「物の価値」のことです。現代人はあらゆる物の価値を損ねています。無駄が何と多いことでしょう。
「もったいない」という言葉がちょっと叫ばれはじめたと思ったのですがどうも立ち消えしてしまったのでしょうか。消費の勢いは止まりません。人間様中心の生活は地球上の環境を悉く破壊し続けています。それにも飽きたらず宇宙にまでゴミをまき散らしている始末です。やがてくる因果を思うと末恐ろしいことです。
「盗」とは盗むことです。詐欺、泥棒、強奪などの財産などを盗むことだけではないのです。他人の時間や気持ちや精神的なものまで盗って自己を正当化することを言うのです。自分の都合だけで他人の時間のことを考えない人がいます。
他人の大切な時間を搾取して気が付かない人がなんと多いことでしょう。時間はイコール寿命なのですから。気持ちを盗むとは他人の気持ちを弄んだり誤解を与えたり嘘の期待を抱かせたりすることです。精神的損害を与えることをいいます。
「淫」とは淫事のことです。人生における罠のなかで淫の誘惑は非常に強いものです。現代社会は淫の誘惑で溢れきっています。やらなっきゃ損みたいな、不倫に対する罪悪感などほとんど無くなってしまっています。
不倫は文化だと言った馬鹿がいましたね。そんなタレントを持てはやしているテレビ界の良識を疑います。視聴率主義のせいでおかしな番組が実に多いようです。子供が悪くなるのも当然かもしれません。全て大人社会の責任です。
淫の誘惑に負けて仕事も名誉も棒に振る人が後を絶ちません。つい数日前ですか、73才にもなる僧侶が少女買春で逮捕されたというニュースが報じられていました。唖然でしたね。
少し前には牧師が大勢の少女に猥褻行為を行ったことでの裁判のニュースもありました。この欲望だけは年齢、見識、地位や名誉などが必ずしも抑止力にはなっていないようです。くわばらくわばら。
「妄」とは「いつわり」のことです。現代社会は人を陥れるための嘘がなんと多いことでしょう。今でも振り込め詐欺に引っ掛かっる人が後を絶ちません。昨年だけでも240億円もの被害があったとか。
ウソの建物耐震構造、ウソの証券取引、ウソの遺伝子組み替え、ウソのホリエモンメールなど、ウソによる事件ばかり。犯罪のほとんどはウソで始まります。
「酒」とはもちろんアルコールのことです。仏教には「お酒は飲んではならない」という戒律があります。少しはいいのでは、と思っている人が多いようですが実はそれは間違いなのです。本当は少しでもダメなのです。「般若湯」などは詭弁のための造語なのです。
お酒は人の理性を狂わせる誘惑の最大なるものといわれています。実際にお酒で失敗する人も実に後を絶ちませんね。飲酒は一切の戒を破るという「酒は起罪の因縁なり」と「梵網経」に書かれています。お酒の好きな方は要注意(私を含め)。以上五欲の罠についての説明でした。
このように険路には怨賊がいて出会えば五欲の罠に陥れようとしているのです。その恐怖、それが「畏れ」なのです。人々は絶えずそんな怨賊と罠の畏れに怯えているのです。その畏れから解放させてくれるのが観音さまなのです。
観音さまのことを「施無畏者」(せむいしゃ)ともいいます。無畏という「恐れのない心」を施してくださるのです。畏(おそ)れの無いこころとは、どんな人生の逆境に立ったときでも「生きる勇気を与えてくれるこころ」のことなのです。
一心に観世音菩薩をお称えすることで無相の観音さまに抱かれるわけです。そこはすべてを放下し真理に目覚め煩悩や悩みや一切の畏れの無くなった無畏の世界なのです。ひとりの商人が叫びました。「みなさん畏れずに一緒に観世音菩薩の名号を称えましょう。恐ろしい気持ちから救われるだけでなく観音さまのお悟りを頂くこともできるのですよ。」と。
それを聞いた一同は直ちにそれに従い共に解脱し救われたのです。ここでもう一つ肝腎なことは、そのひとりの商人を疑う人が誰一人として居なかったということです。一心とは文字通りと全員の心が一つになることでもあるのです。
一同が一心に観音さまをお称えするということは、観音さまと同じ無相になることであり一切の煩悩から解脱し「無畏」の世界に入るということです。そしてそれは自分たちの解脱だけではなく、怨賊という悪魔さえも同時に解脱させてしまうというまさに一石二鳥の効果となって表れるのです。
なぜなら怨賊の正体こそ実は人々の心の中に居る執着という煩悩そのものだったからです。つまり、救って下さる観音さまも、地獄に陥れようとする怨賊も実はおのれ自身の中に居たのだということが解るのです。ここが最重要ポイントなのです。
ここを理解できるかどうかでほんとうに観音さまから守っていただけるかどうかの実感がつかめるのです。さとりという菩提と煩悩という怨賊が一体になる境地、これが「煩悩即菩提」であり「即心即仏」なのです。
「無尽意よ・・・」とお釈迦さまは無尽意菩薩に呼びかけ申されました。「観世音菩薩摩訶薩の威力、神力のすばらしさは、このように巍巍たるものなのだよ」と。巍巍たるとは、高く聳える山のように雄々しいさまを言っています。「摩訶薩」の摩訶とは偉大と言う意味で偉大なる菩薩という尊崇の表現です。
お釈迦さまから摩訶薩と尊称され讃えられた観音さまは現代においてもやはり人気ナンバーワンの菩薩さまなのですね。その威神力を信じみ名をお称えしましょう。「ナ〜ム観世音菩薩」 
 

 

■6
若有衆生。多於淫欲。常念恭敬。観世音菩薩。便得離欲。若多瞋恚。常念恭敬。観世音菩薩。便得離瞋。若多愚痴。常念恭敬。観世音菩薩。便得離痴。無尽意。観世音菩薩。有如是等。大威神力。多所饒益。是故衆生。常応心念。
若し衆生有りて、淫欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬(くぎょう)せば、便(すなわ)ち欲を離るることを得ん。若(も)し瞋恚(しんに)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち瞋(いか)りを離るることを得ん。若(も)し愚痴(ぐち)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち痴を離るることを得ん。無尽意よ、観世音菩薩は、是(か)くの如き等(とう)の大威神力ありて、饒益(にょうやく)する所多し。是の故に衆生、常に応(まさ)に心に念ずべし。
これまでの七難はわれわれの心を外部から損なうところのものでしたが、本段ではわれわれの心を内部から害する三種の悪について説かれています。
頓(淫)、瞋、痴を三悪といいますが、この三つを「毒」と呼ぶのもおもしろいことです。毒は人の体や心に苦痛を与えます。その苦痛にのたうち場合によっては死ぬこともあります。そのように頓(淫)、瞋、痴のはたらきはまさに毒と同じであるのです。よってこの三つの悪心を毒に例えて「三毒」と言うのです。
普通三毒といえば、貪欲、瞋恚、愚痴を言いますが、ここでは貪欲に代わり「淫欲」が説かれているのが大きな特徴です。本段のここであえて淫欲がとりあげられているのは人間にとって如何に性欲の問題が大きいかということです。2500年も昔にお釈迦さまはこの問題は人の幸福にとって最大級のテーマであると認識されたのでしょう。
それにしてもこれからも人類にとって永遠のテーマであることは間違いないようです。若し衆生有りて、淫欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬(くぎょう)せば、便(すなわ)ち欲を離るることを得ん。「もし、淫欲が沸き上がってきたらいつでも観世音菩薩を敬い念ずれば即座にその欲望から逃れることができる」と説かれています。
欲望の世界を「欲界」と言い、食欲、睡眠欲、性欲の三つを三大欲望と言います。言うまでもなく人間のみならず生物が生きていく上で必要欠くべからざる三大本能欲であります。この三つの欲望のなかでも食欲と睡眠欲は比較的容易に満たされます。これに対して性欲はさまざまな制約を伴います。
性欲は道徳的にも社会的にも最も制約を受ける本能的欲求と言ってよいでしょう。この点が他の生物と最も違うところであると言えましょう。この制約にけじめの無い世界を畜生道と言います。本能の赴くまま自分の欲望を満たそうとする世界、それが畜生道なのです。
最近、なんと十人以上の女性と同居し事実上一夫多妻の制度を勝手に作りあげて「もてる呪文」のお陰だとうそぶいていたとんでもないハーレムおやじがいましたね。彼など畜生道の最たるものでしょう。日本の法律では一夫一妻制度でなんとか男女の節度と社会秩序を維持しようとしておりますが、最近の世相を見ると淫欲による犯罪や悲劇、泥沼劇が至るところで繰り広げられています。さながら畜生界の様相です。
しかしここで重要なことは、何も性欲を否定していることではないということです。ほんらい性は美しいものなのです。男女のしあわせと円満な家庭生活には無くてはならない大切なものなのです。人が健康である以上性欲はあたりまえであり、男女あればそこには情欲があるのが当然なのです。人が生きる上での根本的エネルギーでもあるのです。
問題はコントロールのできなくなった節度の無い性欲にあるのです。前回の「五欲の罠」のなかでもふれましたが、性欲は節操を失なった時点で「淫欲」になります。人の不幸はこの性欲が淫欲に変わったところに始まります。不倫の果ての暴力や離婚、そして殺人や自殺、淫欲によるストーカーや痴漢行為、そして誘拐や強姦などなど、この淫欲に起因している不幸がなんと多いことでしょう。
特に現代は性の解放が著しく節度の境界がほんとうにイイカゲンになってしまいました。うっかりするとその「罠」にはまり地獄に陥ってしまいます。そのためにはしっかり自覚し心得てください。愛情の無い性欲を淫欲と言うのです。愛情があったとしてもエゴイズムがあったらダメです。
性欲も純粋な愛情であってこそ昇華されるのです。真の愛情とは相手を理解しいたわり許せる心のことをいいます。そして誰からも祝福されるものでなければなりません。淫欲が起こったならば「南無観世音菩薩」と念ずることです。
観音さまのお姿を思いうかべてみてください。観音さまのそのお姿を想像するだけでおかしな気持ちは萎えてきますよ。観音さまは無相です。自分も無相になれます。同じ無相の世界、それが淫欲煩悩からの脱却です。
第二の毒が瞋恚(しんい)、すなわち「怒り」です。若(も)し瞋恚(しんに)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち瞋(いか)りを離るることを得ん。「もし、怒りが込み上げてきたら、いつでも観世音菩薩を心から念ずれば即座に怒りのこころは消滅するであろう」
「瞋心(じんしん)は猛火よりも甚(はなは)だし」(遺教経)といわれるように、怒りがあらゆるものをだめにするのです。怒りについては、【観音経2】の中で火難として説明致しました。怒りは火の如く制御が利かなくなると一気に燃えあがりあらゆる物を焼き尽くします。
その最悪のケースが暴力、傷害、放火そして殺人などの凶悪犯罪にもなるのです。相手や他人だけではなく自らをも破壊する自滅行為でもあるのです。瞋恚(いかり)こそ間違いなく地獄の入り口なのです。それにしてもときどきキレやすい人がいますね。ほんとうに人格を疑います。
怒りで物事が好転することはまずありません。信頼関係など吹き飛んでしまいます。ホント短気は損気です。怒りは壊すだけであり生まれるものは何もありません。怒りが国家レベルになると戦争になるわけです。
現在竹島問題で日韓は大変な緊張状態にあります。今日も韓国の大統領が相当強硬な発言をしていたこ とがニュースになっていましたが、「キレ」て不測の事態になることだけは絶対にあってはなりません。両国の指導者には是非観音さまのこころを持って対処して欲しいものです。
もし、あなた自身が少しでも短気を自覚するとしたら、是非実行してください。観音さまのお姿を想像して「南無観世音菩薩」と心から念じてください。必ずしやあなたのこころに慈悲心が生じます。
三番目の毒が愚痴(おろかさ)です。若(も)し愚痴(ぐち)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち痴を離るることを得ん。「もし、おろかなこころに陥ったらいつでもこころから観世音菩薩と念ずれば即座におろかなこころから脱することができよう」
愚かであるということは、知識や教養が無いことではまったくありません。「智慧」が無いということです。事実知識や教養が無くとも人間として立派な人はたくさんいますし、その逆どんなに教養や地位、と名誉が があっても愚かな行為をしてしまう人もいますね。それは「智慧」が無いからです。
実際知識が犯罪に利用されたり、教養が必ずしも欲望や犯罪の抑止力になっていないこともありますね。オレオレ詐欺が劇場型に進化して成果?を上げているのも知識を振り絞って研究?している結果なのです。因果応報という「智慧」を心得ていれば決してできないことなのに・・・ですね。
大凡(おおよそ)因果の道理歴然として私なし(道元禅師) 因果の道理は地位や財産、名誉や権力に別なく万物万人に対して差別なく平等にやってくるのです。これは例え坊さんと謂えども決して例外ではありません。つい最近ですがある週刊誌によりますと、ごく最近ある宗派の元総長が30億円の使途不明金の件で検察から連絡を受け、「今回は徹底的に捜査をやりますよ」と言われた直後にあるホテルで首吊り自殺をしてしまったそうです。
総長といえば宗門の最高権力者です。信徒数全国一番と自負するその宗派の最高の地位にあったそんなエライ坊さんに一体何があったのでしょう。週刊誌の記事が事実としたらまったく恥ずかしく情けない話です。その宗派の住職は檀家さんからいろいろ質問をされたらさぞ答えに窮するでしょうね。
少なくともその宗務庁はいずれ真実が判り次第全てを内外に発表する義務があるのは確かです。何宗かって?それはつい最近の週刊誌FLASHをみてください。このように智慧が無いから貪欲の餓鬼道や地獄道に陥るのです。真にエライ人、立派な人とは単に教養や地位や名誉や財産があることとは無関係なのです。
「智慧」を持ちその智慧に基づいた行動のできる人をほんとうにエライ人、立派な人と言うのです。その智慧こそ言うまでもない宇宙悠久の真理法則のことであり別名「般若」とも言います。智慧がないから人は間違いをしでかしたり、悩み苦しむのです。仏教の目的とはただ一つこの智慧を人類に知らしめることにあると言ってもよいでしょう。
その智慧により一切衆生が「心から観世音菩薩を念じることで、愚痴という迷いの世界を離れ涅槃の世界へ入る」ことを仏陀は切に願っているのです。智慧を身につけかけがえのない人生を是非有意義なものにしたいものです。
「無尽意菩薩よ、このように観世音菩薩の力はすぐれたものであり、饒益(他人に利益を与えるところ)が大きいのだよ。だから、衆生は常に観世音菩薩を一心に念ずべきなのです」と、お釈迦さまはこのように仰せです。
以上この段では人間の内なる三毒、淫欲を慈悲心に、瞋恚を勇猛心に、愚痴を智慧にそれぞれ転換させてくれる観音さまの功徳を説いたものです。 

■7
若有女人。設欲求男。礼拝供養。観世音菩薩。便生福徳智慧之男。設欲求女。便生端正。有相之女。 宿植徳本。衆人愛敬。無尽意。観世音菩薩。有如是力。若有衆生。恭敬礼拝。観世音菩薩。福不唐捐。是故衆生。皆応受持。観世音菩薩名号。
若(も)し女人ありて、設(も)し男を求めんと欲して、観世音菩薩を礼拝供養せば、便(すなわ)ち福徳智慧の男を生まん。設し女を求めんと欲せば、便(すなわ)ち端生有相(たんしょううそう)の女を生まん。宿(むか)し徳本を植えて、衆人に愛敬(あいきょう)せらる。無尽意、観世音菩薩は是(かく)の如きの力あり、若し衆生ありて、観世音菩薩を恭敬礼拝せば、福、唐捐(とうえん)ならず、是の故に衆生、みな応に観世音菩薩の名号(みょうごう)を受持(じゅじ)すべし。
最初に「若し女人ありて・・・」とあるようにこの段の主役は女性です。女性のもっとも大きな願い、望みをかなえてくれることを説いているのが、この「二求章」(にぐしょう)なのです。最初の文は「女性がよき男の子を生もうと欲したならば観音さまを礼拝すれば福徳と智慧をそなえたりっぱな男の子を生むことができます」と、さらに「もし女の子を求めればすぐにでも端正な美しい女子が生まれるでしょう」と説いています。
そして「宿(むか)し徳本を植えて、衆人に愛敬(あいきょう)せらる」と説いています。そのような立派なこどもを授かったのは、母親の今までの人生とさらにその母親の両親、その又両親という先祖が培った徳本であるというのです。徳の積み重ねを「徳本を植える」というのです。その徳により多くの人々(衆人)に敬愛(愛敬)されてきたのだというのです。
お釈迦さまは無尽意菩薩に申されました。「無尽意菩薩よ、観世音菩薩にはこのような力があるのだよ」 観世音菩薩を恭敬礼拝すれば、その結果はけっして無駄(唐捐)にはならず、福が必ず具わるというのです。お釈迦さまはさいごに、「だからこそ衆生は観世音菩薩の名号を常に称えなさい」さらに「まさに受持すべし」と力説されています。
以上の内容を語訳から見ると単なる現世利益を説いたものにすぎません。しかし語意の中の理釈を観なければ凡夫の浅知恵の域を出ることにはならないのです。
ここでは女人、つまり女性が主役になっていますが、私の持論で女性のもつ母性愛と性(さが)について論じてみようとおもいます。さらに女性に対しての偏見や誤解について抉ってみました。
「女性がよき男の子を生もうと欲したならば観音さまを礼拝すればよい。福徳と智慧をそなえたりっぱな男の子を生むことができます」と、さらに「もし女の子を求めればすぐにでも容姿端正な美しい女子が生まれるでしょう」と説いています。実にわかり易い内容となっています。しかし一見分かり易い内容ほど実は奥が深いのです。
事実女性にとって最大のつとめは子供を生むことでしょう。良い子を生み立派に育てることが女性に課せられた天与の使命なのです。実に尊いことです。
その女性が願うことは、男子ならば福徳智慧を具えた子、女子ならば端生有相の容姿端麗の子なのです。母親としてあたりまえの願いです。一心に観音さまにお願いすれば必ずその願いは叶えられるというのです。
そこでまず言いたいことは、良い子を生むために特に女性に与えられたものが「母性本能」だということです。この母性本能なくして子供は生まれませんし、また育ちません。
人間に限らずすべての生物にはこの母性本能があります。生物が種族保存のために身につけた本能です。これこそ理屈抜きの「慈愛の本能」なのです。我が子のためならば何事も厭わないというその愛はまさに観音さまの慈悲心と同じです。
母性本能は子供が宿ってから身につくのではありません。女性に元々具わっているものなのです。母性本能が子供を求めるのです。子供を求めるその想いが純粋に一途であれば必ず観音さまに通じるのです。母親の心が観音さまの心となり願い通りの「良い子」が生まれるというシナリオです。
そこで気になる疑問は、ほんとうに希望通りの男の子、あるいは女の子が生まれるのかということです。もし男の子を希望していて女の子が生れたり、またその逆もあるでしょう。その場合希望が叶えられたということにはなりません。そんな疑問が解決されないかぎり多分あなたはこの観音経の教えを完全に信じることはできないかも知れません。
先ほどらい語釈ではなくて理釈でなければ本当の解釈にはならないと言いました。そこで私の持論でそんな疑問を払拭してみたいと思います。
例えばある母親が福徳を具えた賢い男の子を望んで一心に観音さまにお祈りしたとします。そこで観音さまはその両親や先祖の培った徳本や全ての全宇宙生命体の因縁に従った結果をお出しになるのです。
一心に観音さまを念ずることで母親の心は無心になり観音さまの無心と完全に一体になるのです。それは母親の心が観音さまの心になるということです。この理屈は私がこの講座のなかで繰り返し述べている持論なので多分お分かりになるかと思います。
つまり母親の心が観音さまの心と一緒ということは、生まれてくる子供は100パーセント観音さまの意志であるということになるのです。それは生まれた子が男の子であろうと女の子であろうと、容姿特徴がどうであろうと、その結果が観音さまの御心である以上、それは同時に母親の心でもあるということです。当然そこには何の不平不満もありません。
生まれた子はどんな子であろうと観音さまの御子であり完璧な我が子なのですから、母親にとってその全てが愛おしい「存在」なのです。母性愛と観音さまの慈悲心がみごとに一致した結果なのですから、ここに母親にとっては100パーセント希望通りになったという理屈があるのです。 如何ですか?この論理。これは決してこじつけではないのですよ。これを理釈というのです。
聖徳太子は「菩薩、物を化すること慈母の嬰児に就くが如し」と述べられています。女性は母性愛をもつことによって真の女性となり、母性愛とは「慈母」の愛であり、まさしく観音さまの姿であると申されています。
母性愛・・・それはちょうど観音さまが一切衆生に対して抱いている慈悲心であるように母親が我が子に対して抱いている慈愛の心なのです。それは観音さまが子供を生み育てあげるために女性だけに与えた特権とも言えるでしょう。
ただ観音さまの慈悲心と大きく違うところは、母性愛は我が子に限定されているということです。実はここがちょっと問題なのです。それはつまり「偏愛」だからです。
偏愛は自分の子供こそこの世で一番愛しく一番尊い存在だという想いです。その想いがさらに独占的になると盲目的愛情から、妄我妄執の独善的世界に陥ることにもなるのです。
鬼子母神の話をご存知でしょう。このお話は法華経の中に説かれているものです。
仏陀の時代、鬼子母神は五百人の子供を持ちながら夜な夜な他人の子をさらって食べていたという。お釈迦さまは見かねてその彼女の最愛の末子を神通力によって隠してしまいます。彼女は狂乱して探し廻りますが見当たらずついにお釈迦さまに相談します。
「五百人の子供のうち、たった一人居なくなっただけで、おまえはこのように嘆き悲しんでいる。たった数人のうちの一人の子供をさらわれた親の悲しみはどれほどであろうか。子供の愛おしさは人間も鬼神もかわりはないのだ」と諭されてから子供を返します。鬼子母神は改心し、それ以降鬼子母神は仏教と子供の守り神となったというのです。
まさに母性本能の極みと言えるものです。この話は極端な例であるかもしれませんが、私は母性本能には女性特有の性(さが)に依存していると考えるのです。これも私の持論ですが、次にそのことについて論じてみたいと思います。
女性特有の性(さが)・・・ これこそ「女性は罪深いもの」とさせている「張本人」なのです。
たしかに多くの経典には女人は罪深いと説かれているのも事実なのです。例えば出家した場合、比丘(男性の僧)は250戒律を守るのに対して、比丘尼(女性の僧)は350戒律を守らなければならないとされています。このことからも「女性は罪深い」とされる所以があるのは確かだと思います。
中国の唐代の南山律宗の開祖道宣(どうせん)は女人の七種の罪、科(とが)を説いています。
(1)女は男に愛欲を起こさせ、しかもそれを厭うことがない。
(2)他の女性に対して絶えず嫉妬心を抱き、口では親愛の情を言っても、心では相手を敵のように思っている。
(3)いつわり親しむこころがあるため、人を見るとき、物を言わないで先ず微笑む。口では相手のことをほんとうに思っているように言うが、心では恨みを抱く。
(4)女は怠惰であって、全身に美しい着物をきることばかり考え、顔や姿を美しく飾り、男に愛されようとする。
(5)偽りを宗としているため真のことばが少ない。人が不幸になることを願っている。
(6)欲の炎が身を焼いても恥じることがない。心がどんなに迷っても恐れることがない。たえず心が酔っぱらったような状態でいるから恥を知ることがない。
(7)身体は常に不浄で、虫血、月水を流している。
ではこのように昔から女性は男性よりも罪科(つみとが)が多いとされるその訳について考えてみましょう。
まず、人間には男と女がいますが、それは、男は男として、女は女としての役割があるからです。当然男は男の、女は女の身体的特徴があり同時に精神的特徴が有ります。
私が論じきたように、女性の一番の役割は子供を生み育てることです。子供を生むということはまさに「奇蹟」の行為です。それだけに女性にはその"大事業"を成し遂げるために自分自身を護る術があるのです。それが女性特有の"性(さが)"なのです。それはいわば難事業を果たすために特別に具わった防衛本能としての精神的特徴なのです。
先に挙げた女性の七つの罪科をもう一度よ〜く視てください。例えば1の「女は男に愛欲を起こさせ、しかもそれを厭うことがない」を考えてみてください。もし女性に男性に対し愛欲心を起こさせる性(さが)がなければ、絶対に子供はできません。
つまりここで私が言いたいのは、「七つの罪科」とされているものはどれも決して「罪科」ではなく子供を生み育てるための精神的特徴であり「特権」だということです。
これを「第二の母性本能」と言います。(学説ではありません。わたしの拙論です。念のため) どうですか。女性は罪深いという偏見は少しは解けたでしょうか。
さて、ここで女性のつとめは子供を生むことだなどと強調しすぎると今の時代「女性蔑視だ」などと言われかねません。しかし実際男性には子供は生めません。女性が子供を産まなくて誰が生むのでしょう。負担の無い生活や自分たちの自由奔放な生活を優先させることで、子供を生むも生まないも本人の勝手だなどと主張するとしたらそれは如何なものでしょうか。「母性本能」の発現こそ幸福の証だと私は思いますが、いかがでしょうか。
ちょうど今日テレビのニュースで流れていました。昨年の出生率が厚生労働省から発表され1,25人で過去最低を更新したとのことです。より実効性の高い少子化対策が求められているとか。しかしこの問題につては政界や学会のエライ先生方が随分前から熱心に議論していますが、これから先も妙案は無いと思いますよ。
少子化対策は子供手当などの目先の対症療法ではほとんど効果は見込めません。人間としての基本的な考え方と生き方を取り戻さない限りこの問題に明るさは見えてこないでしょう。今の日本人の価値観がそのまま現れているだけのことであり、自業自得以外の何物でもありません。
男女平等も結構ですが、男は男の、女は女としての役割があるのです。男女の役割がおかしくなるということは母性本能にも大きな影響がある筈です。
過去6年間(2002年〜2008年)で児童虐待はなんと40倍にもなっているのです。20年度の児童虐待死は67人にもなっています。なんでこんなにも親がおかしくなってしまったのでしょう。それにしても最近幼いこどもが犠牲になる事件が多すぎます。
犯罪の増加に現在の家庭と社会の実態が反映されているのは間違いありません。虐待も犯罪も増えているということは、人の心が劣化しているのでしょうか。子供にとって親と家庭がすべてなのです。子供に未来が無くなった時こそ人類の終わりです。人類はこれから先ほんとうに大丈夫なのでしょうか?
決して他人事では済ませられません。やはり宗教ですよ。せっかく仏教という素晴らしい宗教があるのです。宗教は倫理道徳の基本になるものです。何故もっともっと活かされないのでしょうかね。
さて、本論に戻りましょう。女性の性と罪説について論じてきましたが、この際さらに確認しておきたいのは、仏教における男尊女卑はないということです。
原始仏教においては男女を平等にあつかい、ともに仏弟子となれると説いています。道元禅師も説かれています。
設(たと)ひ七歳の女流なりとも、即ち四衆の導師なり、衆生の慈父なり、男女を論ずることなかれ、 此れ仏道極妙の法則なり。(修証義・発願利生)
昔から一般的に女性の地位は男性よりも低いものとされてきただけに、道元禅師はあえて「たとえ女性であっても・・」と表現され、さらに「仏道極妙の法則」とまで言わしめています。仏道修行にあたっての男女の差別は完全に否定されています。
現代でさえなかなか真の男女平等は難しい現実にありますが、真理の世界に昔も今も無いのです。真理に裏打ちされた「仏教」の理論はやはり時代を超えていつでも真ピカなのです。 

■8
無尽意。若有人。受持六十二億。恒河沙菩薩名字。復尽形供養。飲食衣服臥具医薬。於汝意云何。
是善男子善女人。功徳多不。無尽意言。甚多世尊。仏言。若復有人。受持観世音菩薩名号。乃至一時。礼拝供養。是二人福。正等無異。於百千万億効。不可窮尽。
無尽意。受持観世音菩薩名号。得如是無量無辺。福得之利。
無尽意、若(も)し人有りて、六十二億恒河沙(ごうがしゃ)の菩薩の名字を受持し、復(ま)た形を尽すまで、飲食、衣服、臥具(がぐ)、医薬を供養せん。汝が意に於いて云何(いかん)。
是の善男子善女人の功徳多しや否や。無尽意、言(もう)さく。甚(はなは)だ多し、世尊。仏言(のたま)わく、若し復(また)人ありて、観世音菩薩の名号を受持し、乃至(ないし)一時(ひととき)も礼拝供養せん。是の二人の福、正に等しうして異なること無し。百千万億劫に於ても、窮め尽すべからず。
無尽意、観世音菩薩の名号を受持せば、是くの如きの、無量無辺の福徳の利を得ん。
「無尽意菩薩よ、もしある人が数えることが出来ないほどの多くの菩薩の名号を称えて、さらに自分の寿命の有る限り飲食、衣服、臥具(がぐ)、医薬などを菩薩方に供養したならば、供養したその人に多くの功徳があるのだろうか」とお釈迦様は無尽意菩薩に質問しました。
「六十二億恒河沙の菩薩」とありますが、恒河沙とはガンジス河の砂のことです。そのガンジス河の砂の62億倍の数の菩薩ということになります。つまり無限の数の菩薩ということです。菩薩には地蔵、普賢、勢至、弥勒、文殊などが有名ですが、実は菩薩には他に名もない多くの菩薩がおられるのです。
そんなこれらの多くの菩薩の名号を称えるばかりではなく飲食や衣服などのいろいろな「物」を供養したならば大きな功徳があるのか。というのがお釈迦さまの問です。これに対して無尽意菩薩は「甚だ多し。世尊よ」 「それはそれは大きな功徳がありますよ、お釈迦さま」と答えられました。
するとさらにお釈迦さまは「若し復人ありて、観世音菩薩の御名を授持し、乃至一時も礼拝供養せん。是の二人の福、正に等しうして異なること無し。百千万億劫に於いても窮め尽くすべからず」と説かれました。
次にある人が観世音菩薩の名号を称えて、たとえ一時であっても礼拝したならば、その人の功徳は前者の人とまったく同じであって異なることは無いと断言されたのです。さらに「百千万億劫に於ても、窮め尽すべからず」と述べられています。
百千万億劫という未来永劫に観世音菩薩の名号をお称えしたとしても観音様の功徳は讃え尽くすことはできないと申されています。そしてお釈迦さまは「無尽意菩薩よ、観世音菩薩の名号をお称えすれば、そのような無限の福徳が得られるのだよ」と申されました。
さてこの段のテーマは功徳についてです。そしてその最大のポイントは、功徳には差が無いということです。観音さまを供養するのに一生のあいだ多くの物をお供えし名号をお称えし供養した人も、たった一時の礼拝供養をした人もその授かる功徳は同じだというのです。
時間的にも前者は寿命が尽きるまで、つまり一生をかけて供養するのに対して、後者はたった一時の礼拝供養であるのです。一生という時間と一時という時間の差も受ける功徳に差は無いというのです。
いかがですか? 納得されますか? 多分あなたはそんな理不尽はないと思っているでしょうね。なんと不公平なことでしょう。そう思うのがあたりまえですね。
多分あなたのこれまでの人生の中でも思いも依らない「理屈」ではないでしょうか。な〜んだ仏教なんてそんな不公平なものだったのかとガッカリしたかもしれませんね。しかし、ここで投げ出したらそれこそ元の木阿弥です。この一見理不尽と思われる教理のその心髄が分かった時こそ菩薩の心が理解できた時なのです。
決して人間界の常識は仏界においては非常識だということはありません。仏界の常識が正しく理解されていないだけなのです。たとえば人間界の常識では物や金の大小によってほとんどの価値が決まってしまいます。時間も同じことがいえます。
お釈迦さまはそんな人間界の常識は「妄想」だとして大鉈を降られたのです。そんな妄想に侵されている一つがこの「功徳」に対しての考えです。お迦様は決して功徳を否定してはいません。むしろ「はなはだ多し」と明言されています。功徳は大いに有るとおっしゃっているのです。
仏教とは一言でいえば修善奉行(善行のすすめ)、諸悪莫作(悪行の禁止)の教えです。その仏の教えを信じ精進することで与えられる果報が功徳です。仏教は「功徳の教え」であると言っても過言ではありません。
問題はその「功徳」が正しく理解されていないところにあるのです。「ほんとうの功徳」の意味をしっかり理解しなさいというのがお釈迦様の狙いなのです。「功徳」を広辞苑でみてみると、「善行の結果として与えられる神仏のめぐみ、ごりやく」となっています。
われわれは幼い頃から「善いことをすれば善い果報がある」「悪い事をすればそれが因果応報となって自分に返ってくる」そう教わりそう信じてきました。さらに、人は頑張れば頑張っただけ報われる。だから努力をすることが大事だとそう信じ子ども達にもそう教えてきました。
頑張った分の見返りや果報が有ると信ずるのが人間社会の「常識」「良識」ではないでしょうか。それを、お釈迦さまは仏様への供養において、一生の間それこそ文字通り一生懸命供養しても、他方それが一時の礼拝供養だとしてもその両者の間で受ける功徳に何ら差はないと申されているのです。
当然功徳が有るのはわかりますが、問題は何と言ってもその不公平感です。長い間頑張った人も少しの時間頑張った人も受け取る果報が同じだとはとても納得できません。かなりな難問ですね。
でもこの問題が解決できなければこのページの意味がありません。わたしの責任も重大です。でもその答えは歴然として有るのですよ。それを私なりにズバッと答えてみましょう。まず「功徳」について最もよく知られている達磨大師と梁の武帝の問答を紹介しましょう。
景徳伝灯録に載っている話(わ)です。菩提達磨といえば、インドから中国に禅を伝えた禅宗の初祖です。この達磨大師がはじめて中国へやってきたとき、国王でもある梁の武帝と問答を交わします。
武帝は達磨大師に向かって問いました。「朕は、即位してから今日まで、多くの寺院を造り、経を写し、多くの僧を育成してきました。これらの行為はどのような功徳がありますか?」 これに対して達磨大師は「無功徳」と答えました。
武帝はさらに「どうして功徳がないのか?」と訊きました。達磨大師はさらに答えました。「此れ但(ただ)人天(にんてん)の小果、有漏(うろ)の因にして、影の形に随ふが如し。有ると雖も実に非ずと。」
そんなものは、この迷いの世界におけるちょっとした因果の報いで、影が形につきまとっているようなものだ。幻のごときもので、実際にありはしない。と申されたのです。さらに武帝は訊ねます。 「では、真の功徳とはなにか?」 達磨大師曰く 「悟りの浄らかな智慧は、完全無欠なものであり、゛空゛である。真の功徳は、世間的な標準では捉えられない」
武帝は自分では善いことを沢山やってきたのでさぞ達磨大師からおほめの言葉がいただけると思ったのでしょう。しかしそんな鼻っ柱は完全に叩き折られたのです。ほんとうの功徳とは「完全無欠なものであり、゛空゛である」というのです。「空」であるというのは「とらわれない」「こだわらない」ということです。「とらわれ」や「こだわり」とは見返りや報酬を「意識」することです。
武帝が「どのような功徳があるのか?」と訊ねましたね。明らかに「お誉めの言葉」を意識したのです。名誉という報酬を期待しての質問だったのです。ところが、゛善行゛と思っていた行為は単なる「名誉欲」の裏返しにすぎなかったのです。だから達磨大師はすべて「無功徳」と切り捨てたのです。
武帝のそんな「見返りの意識」を見抜きその迷いを一刀両断にしたのです。しかし残念ながら武帝には最後までその真意は伝わらなかったようです。真の功徳には一切の「こだわり」や「とらわれ」が有ってはならないのだと言っているのです。どんなに゛善行゛と言われるものであってもそこに些かのこだわりがあったらそれはもはや善行でも布施でも功徳でもないのです。
真の善行とは一切の下心の無い行為を言うのです。真の善行が真の布施になるのです。真の布施の結果もたらせるものが真の功徳なのです。いいですか。ここが肝腎なところですよ。よ〜く心してください。
ほんとうの功徳を理解するにはほんとうの布施の意味を理解しなければなりません。ここでちょっと余談も交え布施についてもう少し深くお話しましょう。一般的に布施と言いますとまずお坊さんへ上げる金を思い出す人も多いでしょう。でもお坊さんも在家の人に対して布施をしているのですよ。ご承知のように法要や説法などの「法の布施」をしているのです。
お坊さんの務めが「法施」であり、そのお坊さんは在家から「財の布施」つまり「財施」を受けているのです。ただこの場合は「お」を付けて「お布施」と言って゛区別゛しているようです。布施は一切の「こだわり」や「とらわれ」の無い行為だと申しました。だから「お布施」には「定価」が無く、中身が問われないのです。
また見返りや商売ではないので、お坊さんはけっしてお礼は言いません。「ありがとう」という言葉は見返りに対して言う言葉だからです。 (余談ですが)愚僧もエラそうなことを言う割にはいまだに(ちょっとだけ?)お布施の中身が気になるのはまだまだ修行が足りないからでしょうかね。イヤハヤどうも恥ずかしいことです。
財の布施と法の布施、これを二施(にせ)といいます。そしてその布施は清浄でなければならないということでお坊さんはお布施を受けるときには次の偈文をお唱え致します。財法二施 功徳無量 檀波羅蜜 具足圓満 乃至法界 平等利益 (ざいほうにせ くどくむりょう だんばらーみつ ぐそくえんまん ないしほっかい びょうどうりやく)
布施はすべからく三輪清浄(さんりんしょうじょう)でなければならないということです。三輪とは、施す人と受ける人と施物の三つを言います。清浄とはその三つが空(くう)であり、無相であるということです。空であり無相であるということは一切の「こだわり」や「とらわれ」が無いということです。
「あの人に施してやった」「これだけのことをしてやった」という思いは「こだわり」であり、何らかの見返りや報酬を期待する気持ちなのです。布施とはすべからく「喜捨」でなければなりません。喜んで捨てる気持ちです。捨てる気持ちには後に何のこだわりも残りませんからね。
だから真の布施には「善行」という意識すら有ってもならないのです。「ああ今自分は善いことをしているな」というその意識がすでに「こだわり」だからです。このように三輪清浄という布施の精神はたいへん深遠なものですが、この価値観こそ精進する人が求めるべきものなのです。それがあってこそ浄土の世界が出現するのです。
さて、どうですか? もう大体お分かりでしょう。布施の結果として現れるのがほんとうの「功徳」だということが。さらに私の持論を言わせていただければ、「真の功徳」とは「無功徳」であるということです。一般的に無功徳とは文字通り功徳が無いものと理解されていますが、ほんとうの功徳とは無功徳そのものだということです。
つまり「功徳」を意識したとこがすでに「功徳の報酬」を意識したところなのです。だからその「功徳意識」のないところの功徳でなければならないのです。これを無功徳といいます。これこそ「真の功徳」と言うべきなのです。ちょっと難しいでしょうか。
つまり物の大小や時間の長短で価値を決め付けているのが人間社会の常識です。それは「功徳」に対しても同じことでありその内容の大小で価値されているということです。これこそ大変な迷いであると世尊は指摘されているのです。真如の世界は「空」であり「無相」であるのです。
「空」に実体はありません。実体の無い物に分別や価値が有る筈がありません。実体の無い物に量と時間という分別を付けているのです。だからその分別は妄想なのです。つまり真如の世界には「量」も「時間」も無いのです。すべて空ですから。即ち真の功徳には「量」も「時間」も無いということになるのです。これが答えです。
真如の世界、空の世界には「量」の概念が無いのです。ですから真の功徳には「量」は無いのです。真の功徳であればその量に関係無く全て平等ということになるのです。難しいでしょうか。
もうこれ以上は自分で分かっていただくしかありません。どうかくれぐれも誤解をしないでください。どんなに供養してもしなくとも同じであり、どんなに布施をしてもしなくても同じであるなどとは夢思わないでください。そのような短絡的な解釈は餓鬼道に通ずるものです。
くどいようですが、念のためさいごにまとめてみます。こだわりやとらわれのない無心の行為が真の善行であり、それが布施であるということ。その布施行の結果もたらされるものが功徳であるということ。分別の一切無い真如の世界は完全無欠で完全平等であるから「量」や「時間」の分別概念が無いということ。
よってすなわち「功徳」にも量と時間という分別概念が無いということになるのです。さらに、真の功徳とはつまり「功徳というこだわりの意識」を超えた「功徳」であるということ。だからこれを「無功徳」という。無功徳こそ「真の功徳」であるという。 これが結論です。
無功徳を積むことこそ最高の功徳であるとお釈迦さまは諭されているのです。ここに仏法最高の法門を観るおもいがしてまさに感激です。
今回はかなり高度な内容でした。すっかり長くなってしまい私も疲れました。見てくれた方もお疲れでしょう。ここまで見てくれた方に敬意と感謝を申し上げます。 

■9
無尽意菩薩。白仏言。世尊。観世音菩薩。云何遊此娑婆世界。云何而為衆生説法。方便之力。其事云河。
仏告無尽意菩薩。善男子。若有国土衆生。応以仏身。得度者。観世音菩薩。 即現仏身。而為説法。応以辟支仏身。得度者。即現辟支仏身。而為説法。応以声聞身。 得度者。即現声聞身。而為説法。
無尽意菩薩、仏に白(もう)して言(もう)さく。世尊、観世音菩薩は、云何(いかん)がして此の娑婆世界に遊び、云何がして衆生の為に法を説く。方便の力、其(そ)の事云何。
仏、無尽意菩薩に告げ給わく、善男子、若し国土の衆生ありて、応(まさ)に仏身を以て得度すべき者には、観世音菩薩、即ち仏身を現じて而(しか)も為に法を説き、応に辟支仏身(びゃくしぶっしん)を以て得度すべき者には、即ち辟支仏身を現じて而も為に法を説き、応に声聞身(しょうもんしん)を以って得度すべき者には、即ち声聞身を現じて而も為に法を説く。
本段は無尽意菩薩がお釈迦さまに「世尊よ、観世音菩薩は、いかにしてこの娑婆世界に遊び、いかにして衆生のために法を説くのか、方便の力そのものとは何なのですか」と質問することから始まっています。
ここでのポイントは3つです。「娑婆世界」と「遊ぶ」とそして「方便の力」の3つです。まず「観音さまはこの娑婆世界に遊び、どのように衆生のために法を説くのか」とありますが、まず娑婆世界とは何でしょう。
広辞苑によりますと「苦しみが多く、忍耐すべき世界の意。人間が現実に住んでいるこの世界。釈迦牟尼仏が教化する世界。自由を束縛されている軍隊・牢獄または遊郭などに対して、その外の自由な世界・俗世間。」などとなっていますがその通りでしょう。
あと個人的ですが、昔本山で修行中よく言われました「ここはシャバじゃねえんだ・・・」という言葉を思い出します。本山はシャバではないと言うのなら何処なのでしょう。極楽浄土だったのか牢獄だったのか。少なくとも居心地が良くなかったのは確かです。
「娑婆」とは梵語のサハーという音写語だということです。その意味は「忍ぶ」ということです。この人間世界は「忍ぶ世界」「堪忍世界」ということです。人間世界は基本的に「苦しみ」の世界なのです。だから堪える世界だということです。
たしかに人間世界は外的には地震、洪水、干魃(かんばつ)などの天災をはじめ、人為的には戦争、テロ、公害、犯罪などの被害があります。内的には人間関係、仕事関係、家族関係、金銭関係などの問題をはじめ、病気や老などのさまざまな苦しみがあります。
それらすべてに堪え忍んで行くのがこの人間界なのです。確かに文明や科学技術は想像を超えて進歩してきました。でもその恩恵といえば多少生活が「便利」になった位なもので、基本的には太古の昔から人の苦しみは減ってはいません。
戦争が減りましたか。テロが減りましたか。犯罪が減りましたか。貧困が減りましたか。心の悩み苦しみが減りましたか。高度化、多様化、複雑化された社会から人の苦しみはむしろ一層増えていると言ってよいでしょう。皮肉にも現代こそ最も娑婆世界と言うにふさわしいのかもしれません。
2500年も昔にお釈迦さまは人類の未来に「仏教」による浄土の世界を期待されていたのかもしれませんが、残念ながら2500年も掛けながら結果人間界は精神的にはちっとも進歩しなかったのです。「娑婆世界」はこれからもやはり娑婆世界なのでしょうか。
そんな娑婆世界に観音さまは「遊ばれる」というのですが、この「遊ぶ」という意味はなんでしょう。一般的には「遊ぶ」というと、趣味や娯楽に身と心を任せることを云います。広辞苑には「心身を解放し、別天地に身をゆだねる」とか「楽しいと思うことをして心を慰める。宴会・船遊び・遊戯などをする」さらに「酒色やばくちにふける」などとあります。
観音さまは遊び半分、浮かれた気持ちで衆生済度にお出ましになるのでしょうか? イヤイヤそんな筈はありません。では観音さまが「遊ぶ」という表現を使っているのは何故でしょう。
観音さまの衆生済度は趣味でも娯楽でもそしてまた仕事でもボランティアでもありません。仕事やボランティアには「義務」や「善意」の意識が付きまといます。それは「こだわり」の意識なのです。観音さまの行為はすべて無心ですから一切のとらわれやこだわりがないのです。
逆に言えばこだわりやとらわれがあったら観音さまの行為とは言えないのです。ですから観音さまには衆生済度をしているという意識すらないのです。この点が大変重要ですので是非理解して欲しいところです。
とらわれやこだわりが無いから自由自在なのです。自由無碍に飛び舞うことができるのです。これを「遊ぶ」と言うのです。一切のとらわれの無い大自由の境地、これを遊戯三昧(ゆげざんまい)と言います。
自受用三昧(最上なる仏境界)に遊戯するには端坐参禅を正門とせり。(正法眼蔵弁道話) (大自由の仏の世界に遊ぶには坐禅こそが正しい入り口である)
続いて無尽意菩薩は、「観音さまの方便のお力はどのようなものですか?」と尋ねられました。その「方便」とは何でしょう。方便とは手段です。例えば、「勉強すればお小遣いをあげるよ」と父親が言います。この場合、勉強が目的であり、お小遣いが方便なのです。
それと同じで、観音さまの目的は衆生済度であり、そのための方便(手段)が変身なのです。救うという目的のために変身という方便が使われるのです。方便の「力」とは変身の「技」ばかりではありません。大事なのはその「効果」です。その効果を理解することがこの段の最大のテーマと言ってよいでしょう。ではその方便の効果とは何でしょう。
この観音経の中で今まで「一心に観音さまを称名すれば即座に観音さまがやってきて救ってくれる」「一心称名で観音さまと自分が一体になれるから救われる」という観音さまが中心でした。しかしここで新たに説かれているのは、観音さまには実は変幻自在に身を変える妙力があるということです。
観音さまは求める人の求める姿に身を変じて法を説かれるというのです。「善男子よ、もし国土の衆生ありて、まさに仏の身をもって、度(すく)うことを得べき者には、観世音菩薩は、すなわち仏の身を現じて、しかも為に法を説く。」
まず観音さまは仏さまを求める人には仏さまとなってその人を救うというのです。ある人が、阿弥陀仏を求めていたら阿弥陀仏となり、ある人が薬師仏を求めていたら薬師仏となり、またある人が地蔵菩薩を求めていたら地蔵菩薩となって説法してくださるというのです。
次が辟支仏(びゃくしぶつ)です。「まさに辟支仏の身をもって、度(すく)うことを得べき者には、すなわち辟支仏の身を現じて、しかも為に法を説く。」
辟支仏とは「独覚」という意味で特に師匠とかを持たず独力で悟りを得た人のことをいいます。世俗から離れ山中一人で修行に励むような行者を指します。その悟った内容が十二縁起といわれることから「縁覚身」(えんがくしん)ともいわれます。十二縁起とは人間存在の構造を十二の項目に分けて人間の苦しみと悩みの因果関係を解き明かしたものです。
辟支仏は自分一人の力で真理を悟った人ですが、人にその教えを説こうとはしません。そのために多少自惚れのある独善仏でもあるのです。ただお悟りを開いている以上一応「覚者」ですから「仏」となってはいますが大乗仏教ではあまり評価はされていません。観音さまはそのような仏さまにも身を変じて来てくださるというのです。
次が「声聞身」(しょうもんしん)です。「まさに声聞の身をもって、度うことを得べき者には、すなわち声聞の身を現じて、しかも為に法を説く。」 声聞身とは仏の声を聞いて悟った人のことです。声とは仏の声であり、それを聞くことで「覚者」となったということで文字通り「声聞」と言います。その悟りの内容が四諦(したい)と言われています。
四諦とは四つの真理ということです。
1 苦諦(くたい)・・・生老病死の四苦をはじめ人生は苦であるということ。
2 集諦(じったい)・・・苦の原因は貪・瞋・痴の三毒を始めとするすべての煩悩であるということ。
3 滅諦(めったい)・・・煩悩の無くなった涅槃の境地。
4 道諦(どうたい)・・・煩悩を無くすための方法と手段である八正道(はっしょうどう)の実践。
前の縁覚身(辟支仏)とこの声聞身は、一応覚者といえども自利(自己主義)を主とするので菩薩の位ではありません。ちなみに菩薩とは他利(すべて他のためを優先する覚者)を主とする者をいいます。御存じ十界は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏となっていますが、縁覚と声聞は六道から上の世界ですが菩薩の世界には至っていませんね。
観音さまは求めに応じて自ら仏身となり、または声聞身となり、あるいは辟支仏となり四諦とか十二縁起を説かれるのです。以上が一応この段の語訳(説明)ですが、これを理訳で考えてみましょう。私がこれまでくどくどと述べてきました「一心称名観世音菩薩」の理論を思い出してください。
一心に観音さまのお名前を称えることによりまず自分自身が無我無心になります。それは同時に無相無碍の観音さまと同時限の世界に入るということになります。つまり同化するのです。同化するということはつまり自分自身が観音さまになるということです。自分自身が観音さまになることで完全に救われるという理屈です。
これと全く同じ理屈です。声聞身であれ、辟支仏であれ、希望するどんな仏さまでも、その仏さまを一心に称名することで自己が無心になり、同時にその仏さまと一体の世界に入るということです。
「唯仏与仏、乃能究尽、諸法実相」(ただ仏と仏とのみ、すなわちよく諸仏の実相を究尽す) 『法華経方便品』 「仏と仏同士だけが真実の仏の実体を表す」という意味です。
仏身や辟支仏身や声聞身に変身する観音さまも、それを求めている衆生もまた実体はまったく同じ「ほとけ」であるということです。みな同根の仏同士だから求めれば必ず救われるというのです。 (またこれは求めなければ救われないということですよ。念のため) 

■10
応以梵王身。得度者。即現梵王身。而為説法。応以帝釈身。得度者。即現帝釈身。而為説法。応為自在天身。得度者。即現自在天身。而為説法。応以大自在身。得度者。即現大自在天身。而為説法。応以天大将軍身。得度者。即現天大将軍身。而為説法。応以毘沙門身。得度者。即現毘沙門身。而為説法。
応(まさ)に梵王身(ぼんのうしん)を以て得度(とくど)すべき者には、即ち梵王身を現(げん)じて而(しか)も為に法を説き、応に帝釈身(たいしゃくしん)を以て得度すべき者には、即ち帝釈身を現じて而も為に法を説き、応に自在天身(じざいてんしん)を以て得度すべき者には、即ち自在天身を現じて而も為に法を説き、応に大自在天身を以て得度すべき者には、即ち大自在天身を現じて而も為に法を説き、応に天大将軍身を以て得度すべき者には、即ち天大将軍身を現じて而も為に法を説き、応に毘沙門身(びしゃもんしん)を以て得度すべき者には、即ち毘沙門身を現じて而も為に法を説く。
お釈迦さまが列挙されている観音さまの変化の姿は、三十三身あります。そのうちの初めの三聖身についてはすでに前回に述べました。ここから残りの三十身が一々説明されていきますが、はじめにここでまとめておきましょう。
三聖身・・・仏身、辟支仏身、声聞身
六種天身・・・梵王身、帝釈身、自在天身、大自在天身、天大将軍身、毘沙門身
五種人身・・・小王身、長者身、居士身、宰官身、婆羅門身
四衆身・・・比丘身、比丘尼身、優婆塞身、優婆夷身
四種婦女・・・長者婦女身、居士婦女身、宰官婦女身、婆羅門婦女身
童男童女二身・・・童男身、童女身
人非人八部身・・・天身、竜身、夜叉身、乾闥婆身、阿修羅身、迦楼羅身、緊那羅身、摩候羅迦身、執金剛一身
以上三十三身のこれらは観音さまが身を現じて衆生を救ってくださるという変身を代表したものです。つまり、観音さまはありとあらゆるものに身を現じて救ってくださるという例をこの三十三身にまとめたものだと捉えたらよいでしょう。
そこで問題となるのはこれらの中には、仏身、帝釈身のような貴い方もありますが、夜叉身、阿修羅身のような悪神もいるのです。仏身や梵王身、帝釈身に身を現じて衆生済度されるというのは分かりますが、そこに悪神である夜叉身や阿修羅身などが含まれているのです。
これは一体どういうことでしょうか。これが本段の最大のポイントです。この観音経の中でも特に難解なポイントですが、これが理解されなければ観音経を真に理解したとは言えません。この点を踏まえてしっかりと観ていきたいと思います。
本段では「六種の天身」が登場しています。六種の天身とは梵王身、帝釈身、自在天身、大自在天身、天大将軍身、そして毘沙門身の六身です。梵王とは「梵天」とも呼ばれ、もとはインドの神話に出てくる神さまで仏教にとりいれられて帝釈天と並ぶ仏教の護法神とされています。特に娑婆世界を監督する神です。
梵王とは欲界を離れた聖者と考えたらよいでしょう。欲界とは貪り、瞋(いか)り、痴(おろかさ)の 三毒に侵されている世界です。この欲望の世界から離れ清浄な世界に住んでいるとされる"聖者"が梵王なのです。
「応に梵王身を以て得度すべき者には、即ち梵王身を現じて而も為に法を説き、」とあります。「得度」とは「救う」ということです。その意味するところは、観音さまは求めに応じて清浄なる梵王身となって衆生を救うというのです。
我を忘れて欲望の追求に夢中になっている人が梵王身を念ずることで、そこに観音さまが梵王身となって現れるというのです。欲望に没頭邁進するところに浄らかな心が宿ることになるのです。
物欲、金欲、名誉欲、性欲・・・欲望は尽きませんが、梵王身を一心に念ずればそれらの欲望は鎮(しず)まってくるのです。すなわち"欲望の人"が清浄なる"梵王身"になることができるのです。観音さまが清浄身となって求める衆生を救われるということです。
次に「応に帝釈身を以て得度すべき者には、即ち帝釈身を現じて而も為に法を説き、」とあります。「帝釈」とは、インドの神話におけるインドラ神のことといわれます。仏教に採り入れられて梵天と共に仏教を守護する神とされました。
仏教の十善を護りその教えを広める神と思えばよろしいでしょう。観音さまはその帝釈天にも変身されて来てくださるというのです。「柴又の帝釈天」は有名です。
問題は次の自在天身と大自在天身です。これらは共に欲界の神だからです。初めの自在天とはバラモン教における世界創造神であったのが、仏教にとりいれられてからは欲界の頂に住し、悪を喜ぶ魔王となったのです。この魔王は人が善いことをしようとするとき邪魔する魔神です。観音さまは悪魔の化身である自在天にもなって衆生済度されるというのです。
次の「大自在天」は元々シバ神であったといわれます。仏教に採り入れられてからやはり欲界の魔王となりました。人は人である以上絶対に悪いことをしないという保証はないのです。人である限り魔がさすことから逃れられないのです。悪行のすべては「魔が入る」ことから始まります。その魔の正体こそこの悪神なのです。
自在とは「おもいのまま」という意味です。それに「大」が付いています。悪神の心がまさに変幻自在に衆生の心を操り、思いのまま人の心をコントロールするのです。人の悪行は全てこの悪魔の仕業だと考えたらよいでしょう。
次は「天大将軍身」です。天大将軍とは転輪聖王(てんりんじょうおう)のことで、インド神話における帝王の理想の姿であるとされます。正義の名の元に不退転の意思を持ち、勇猛精進する人のことをいいます。地上の正義の象徴といったらよいでしょう。
本段のさいごが「毘沙門身」です。毘沙門身とは多門天ともいい、四天王の一つです。仏教の宇宙観によりますと、世界の中心には須弥山という巨大な山があり、その頂上には帝釈天が住み、その中腹には東西南北の四方を守護する外将軍である四つの天王いるとされます。これがいわゆる四天王です。
東方・・・持国天
南方・・・増長天
西方・・・広目天
北方・・・多聞天
北方を守護する多聞天が毘沙門天の別名です。毘沙門天はまた財宝と福徳のほか子宝をも授けるとされ日本では七福神の一つにもなっています。
以上が本段における大体の説明ですが、本題はここからです。初めにも触れましたが、ポイントは観音さまは悪魔の化身ともなって衆生済度されるということです。観音さまが悪魔の姿になって説法するということは容易に理解できません。
観音さまは魔王である自在天や大自在天にも、福徳の神である毘沙門天にも、時と処を選ばずに、一切衆生の要請を請けて応現されるというのです。これは一体どういうことでしょうか。
善神のみならず悪神にさえ変身して衆生済度するというその真意とは一体何でしょうか。この点についてはっきり述べている解説書はなかなか見当たらない気がします。それだけに私の持論は必見ですよ。観音さまの出現されない世界はありません。どんな世界でもどんな人でも説法するのです。
そして善人だけを救おうとされません。善人を優先するということもありません。悪人こそ救おうとされるのです。イヤイヤ、善人も悪人も全く区別されないのです。観音さまには一切の差別意識がありません。これを大慈悲心というのです。
観音さまが善神にも悪神にも現じられるということは悪神も善神と同じに扱っているのです。つまり、観音さまが悪魔の化身になられるということは観音さまが悪魔自身になるということです。そうなるとどのような現象が起こりますか? どうですか、勘の良い人はもうお分かりですね。そうです。悪魔の方が観音さまになってしまうのです。
どんな悪神鬼神であれ観音さまに同化されてしまうのです。そこはもう観音さまの世界です。観音さましかいらっしゃいません。さらに申せば観音さまは元々悪の世界を認めていないのです。認めていないというより観音さまには「悪」というものは"元から無い"といったらよいでしょうか。
ここで誤解をしないでください。悪が無い世界とは観音さまを信じてこそ出現するのです。どんな処にも観音さまは出現されると言っても"信心"がなければ絶対に観音さまは来てくれません。
但し、"信じる人"も決して油断しないでください。悪神とは実はどんな人の心にも住んでいるのです。だからこそ観音さまを一心に念じることで「魔がさす」ことから悪神を封じるのです。
どうですか。一見難解とも思われる悪神変幻自在のからくりも実はいたって単純明解だったのです。観音さまは何処にでも赴かれるのです。常に極楽や平穏な世界におられるのではありません。イヤむしろ修羅界や餓鬼界や地獄界にこそ進んで遊戯されるのが観音さまなのです。そんなところからやはり観音さまはいつでも人気ナンバーワンなのでしょうね。 
 

 

■11
応以小王身。得度者。即現小王身。而為説法。応以長者身。得度者。即現長者身。而為説法。応以居士身。得度者。即現居士身。而為説法。応以宰官身。得度者。即現宰官身。而為説法。応以婆羅門身。得度者。即現婆羅門身。而為説法。
応(まさ)に小王身(しょうおうしん)を以て得度すべき者には、即(すなわち)小王身を現(げん)じて、而(しか)も為(ため)に法を説き、応に長者身を以て得度すべき者には、即ち長者身を現じて、而も為に法を説き、応に居士身を以て得度すべき者には、即ち居士身を現じて、而も為に法を説き、応に宰官身を以て得度すべき者には、即ち宰官身を現じて、而も為に法を説き、応に婆羅門身を以て得度すべき者には、即ち婆羅門身を現じて、而も為に法を説きたもう。
小王身とは人間界の王様のことです。「華厳経」には、「国家には君主がいてはじめてすべてのものは平安を得ることができる。したがって、王はすべての生きとし生けるものの幸福の根本である。在家・出家が精励するところの仏道は、正義を守る国家によって維持され、広められる。もし国王の力がなかったならば、宗教的実践は完成せず、真理の教えはあますところなく滅びてしまうであろう。だから、どうして人々を救済することができようか」とあります。
前段に出てきた梵王身、帝釈身、自在天、毘沙門天などが天上界の神であるのに対して小王身とは人間界の王様といったところの人です。具体的にはインドのアショカ王、中国梁の武帝、日本の聖徳太子、聖武天皇などがその小王に匹敵するところでしょうか。観音さまはこのような人王に姿を現じて説法してくださるというのです。
国王というと前時代的な感じがしますが、国家の安寧は国の指導者次第という意味ではいつの時代もかわりはありません。国の指導者が独裁者であまりにも非常識人間のため国家国民の大部分が地獄の苦しみを味わっているという国が日本のすぐ隣にありますね。北朝鮮というとんでもない犯罪国家、テロ国家です。最近では核保有を振りかざしています。
アメリカが最も恐れているのは核拡散によるアルカイダなどによる核のテロ攻撃です。そんなアメリカは足下を見られ、徐々に北朝鮮のいいなりになってきています。テロ支援国家の指定から外されたりしたら益々図に乗って拉致問題の解決も更に難しくなるかもしれません。
そんな先の見えない不安はまだまだ続くのでしょうか。でも、はっきりしていることは、間違いなくあの国は破滅の方向に向かっているということです。仏法による因果の証明の来る日は近いような気が私には感じられます。
長者とは、一般的には富豪、資産家を指しますね。ただし仏教で言う長者とは単に金持ちをいうのではありません。学問を身に付け知恵があり徳と品格があり人から尊敬される人のことです。特に仏教に帰依しているというところが必要不可欠です。
コーサラ国の舎衛城に祇園精舎を建立してお釈迦さまに寄進した長者がいました。須達(しゅだつ)長者です。彼は精舎を建てる土地を購入するために、その土地に黄金を敷き詰めて代金にしたそうです。お釈迦さまの時代からお寺という修行道場はすべて長者などによる寄進によって建立維持されてきたのです。
歴史上の立派な寺院仏閣はすべてそのような三宝に帰依した長者や居士達によってこそ成り立ってきたのです。仏教の普及にはそんな長者居士達の陰徳布施行が有ったことを忘れてはいけません。
今の時代なかなか本物の長者は見当たりません。お金持で裕福な人はいくらでもいます。しかしそのお金を世のため人のために使おうと考えている人はあまりいません。むしろお金持ちほどお金に執着し、お金万能主義に陥っている人が多いような気もします。私は、人はお金の使い方で人としての価値が決まってくると思っていますが、如何でしょう。
次が、居士身です。居士とは在家の男子のことであり、裕福な資産家であり熱心な仏教信者であるということは長者と同じです。ただ居士たる者は次の四徳をそなえ持つといわれています。(1)仕官を求めない。(2)寡欲(少欲)であること。(3)資産化家であること。(4)求道者であること。
ところで、仏教史上最も有名な居士と言えば維摩(ゆいま)居士でしょう。維摩は在俗の信者でありながら、専門家であるお釈迦さまの弟子達を手玉にとってしまうほどの仏教理論に精通していました。その天才ぶりはその悟りの境涯から維摩経というお経が説かれた程でした。
あと居士と言えば、宗門にとっての大偉人、大内青巒(せいらん)居士です。青巒居士は道元禅師の深い渇仰者であり、今日の「修証義」は彼の編纂から生まれたものです。当時の永平寺貫首日置黙仙禅師は、「青巒居士は明治の維摩居士として、僧と俗との架け橋となって、僧を鞭撻し俗を指導して、仏教界のために全身を投じたのである。居士身を現じて教界に尽くした人は他にない」と評されています。
よく「居士」とはどんな意味と聞かれることがありますが、真の居士とはそうゆうものです。今日、お戒名に「居士」を簡単に付与しますが、「大〜売り」の感がありますね。
宰官身とは、役人のことです。今でいう公務員です。いつの時代にも必要な人達です。公務員にも幅がありますね。大臣や官僚から警察官消防官そして役場の職員まで、幅広く様々な分野で国家国民のために働いてくれているわけです。観音さまはそんなどんな役人にも現じられるということです。
婆羅門身とはインドのカーストのなかの最高の僧侶階級を指しヒンズー教の祭祀をおこなうことを職業としている人です。ヒンズー教は仏教以外の宗教ですが、観音さまはそんな他宗教の司祭者にも現じて説法を行うというのです。
つまり、観音さまは仏教の内部だけではなく、宇宙に存在するありとあらゆるものに応現されるということが縷々述べられているのです。観音さまが宇宙に存在する一切のものに応現できるというその真意とは何でしょう。
その真意とは観音さまの実体は宇宙の働きそれ自体だと認識することです。その実体を認識するときこそあなたと観音さまが一体になれる瞬間なのです。その方法とはこれまで何度も言ってきました、唯唯一心称名「南無観世音菩薩」です。 

■12
応以比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷身。得度者。即現比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷身。而為説法。応以長者。居士。宰官。婆羅門婦女身。得度者。即現婦女身。而為説法。応以童男童女身。得度者。即現童男童女身。而為説法。
応(まさ)比丘(びく)、比丘尼(びくに)、優婆塞(うばそく)、優婆夷身(うばいしん)を以て得度すべき者には、即(すなわち)比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷身を現(げん)じて、而(しか)も為(ため)に法を説き、応に長者、居士、宰官、婆羅門の婦女身を以て得度すべき者には、即ち婦女身を現じて、而も為に法を説き、応に童男童女身を以て得度すべき者には、即ち童男童女身を現じて、而も為に法を説きたもう。
比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を四衆(ししゅう)、または、四部衆(しぶしゅう)ともいいます。四部衆とは仏教教団のなかには出家者と在家者をあわせて四種類の信者がいるということです。比丘は男僧、比丘尼は尼僧のことです。
優婆塞は在家の男の信者で、清信士(しょうしんじ)と訳され、優婆夷は在家の女の信者で、清信女と訳されます。現在の戒名で信士、信女はここからきているものです。観音さまはこれら四部衆に身を現じて説法なさるというのです。
次に「応に長者、居士、宰官、婆羅門の婦女身を以て得度すべき者には、即ち婦女身を現じて、而も為に法を説き」とあります。長者は徳をそなえた富者であり、居士は資産のある在家の仏教修行者であり、宰官は役人であり、婆羅門はヒンズー教の司祭者でありますが、これらの「婦女」とはそれらの妻のことです。これら婦女の身となって応現し説法されるということです。
最後が「応に童男童女身を以て得度すべき者には、即ち童男童女身を現じて、而も為に法を説きたもう。」とありますように、観音さまは童男童女身に応現して説法されると説かれています。以上この段では四部衆と婦女人と童男童女がとりあげられ、観音さまはこれらの身に現じられ済度されるというのですが、お釈迦さまのこの段での狙いは一体何でしょう。それを考えてみたときに私は「平等と区別の法則」だと思うのです。
仏法では法界は一切が「平等」であるとされていますが、実は平等の中にこそ「区別」があるのです。その一見矛盾すると思われるその平等と区別の関係を理解することが大切なのです。たとえば仏弟子である四部衆も女人も子供も皆仏弟子としては「平等」です。しかしその同じ仏弟子でありながらその立場と得道の程度において厳然とした「位」があるのです。
仏も菩薩も比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四部衆も男も女も大人も子供もすべてその本質は「仏性」であり皆平等の仏なのですが、その仏にも「位」があるのです。それが比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷としての位なのです。この「くらい」が「区別」なのです。これがつまり平等と区別の法則であり、そこには一切の矛盾はありません。
御開山道元禅師は「位」について次のように示されております。
「仏の弟子たちの位は、菩薩にもあれ、たとひ声聞にもあれ、第一比丘・第二比丘尼・第三優婆塞・第四優婆夷と、かくのごとし。この順位は、天上界のものも人間界のものもみな知っているところで、昔からかわりはない。とするならば、仏弟子の第二の位にある比丘尼は、転輪聖王にもすぐれ、帝釈天にもすぐれたものであろう。及ばないところはありえないのである。ましてや小国辺土の国王大臣の位など及びもつかない。」 「正法眼蔵(礼拝得髄)」
(仏弟子たちの順位は、大乗であろうと、小乗であろうと、第一は比丘、第二は比丘尼、第三は優婆塞、第四は優婆夷の順でなくてはならない。この順序はいかなる人も知っているところで昔から変わりはない。とするならば、仏弟子の第二位たる「比丘尼」は女人であっても転輪聖王や帝釈天にもすぐれたものであるし、及ばないところなどありえないのである。・・・ましてや小さな国の国王大臣の位など比丘尼のそれに及びもつかない。)
このように道元禅師の見識からすると、一番大切なものは仏法であり、出家得道しその仏法を求める者はいかなる権威よりも上位にくるという。地位や権力に対して畏敬や怖れをもつ世俗の観念は仏法から見るならばまったく無価値なものにすぎないものとされているのです。
更にここで注目すべきは、道元禅師は得道修行した比丘尼(尼僧)は、政治家や帝王よりも一段上であるとの見識をはっきり示されている点です。禅師の尼僧にたいする評価は常に一貫しています。
「得道はいずれも得道す、ただしいづれも得道を敬重(きょうじゅう)すべし、男女を論ずることなかれ。これ仏道極妙の法則なり。」「正法眼蔵(礼拝得髄)」 (男女とも修行すれば、どちらも得道することができる。ただ、いずれにあっても、得道せるものは敬重しなければならない。その観点からすれば男女の差別などまったく論ずる必要はない。これが仏道の絶対の法則である。)
つまり、仏法において男女間に一切の隔たりや差別は無いというのです。さらに童男童女にあってもしかりです。
「仏法を修行し、仏法を道取せんは、たとひ七歳の女流なりとも、すなはち四衆の導師なり、衆生の慈父なり。」「正法眼蔵(礼拝得髄)」 (仏法を修行しきたって仏法を語りうるならば、たとい七歳の女人であろうとも、よく四衆の導師であり、衆生の慈父なのである。)
仏道修行をしている者が真に尊いのでありそれがたとえば七歳の小娘であっても仏法を知っていれば比丘や比丘尼をはじめ仏教信者の正に導師であり一切衆生の慈父でもあると明言されています。つまり、仏法の世界には男であれ女であれ、大人であれ子供であれその間には優劣などの一切の差別は無いのです。
以上を整理しますと、仏教では仏道上の立場と得道の程度による"区別"だけがあるのです。その仏法上の区別観以外の区別観はすべて「差別観」なのです。言うまでもなく「差別」は本質を否定するものであり真理とは凡そかけ離れた妄想なのです。
人の価値が地位や身分や出身や裕福さで決まるというのは俗界の偏見であり妄想です。人のほんとうの価値は仏法という智慧をどれだけ会得しているかということにあるのです。これが仏教の基本的理念であり絶対の価値観なのです。これを以て今回の結論としましょう。ちなみに、仏教では「仏・法・僧」を三宝といいます。文字通り三つの宝です。
ほんとうに尊いからこそ"宝"と言うのです。だからこそ仏教はまずその三宝に帰依することから始まるのです。思うに、その三宝の一端を担っている「僧」の立場は極めて重大です。特に現代の僧侶には「住持三宝」の自覚が一層求められているのではないでしょうか。

■13
応以天。竜。夜叉、乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅、摩候羅迦。人非人等身。得度者。即皆現之。而為説法。応以執金剛神。得度者。即現執金剛神。而為説法。無尽意。是観世音菩薩。成就如是功徳。以種種形。遊諸国土。 度脱衆生。是故汝等。応当一心。供養観世音菩薩。
応(まさ)に天、竜、夜叉(やしゃ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、 緊那羅(きんなら)、摩候羅迦(まごらか)、人非人等身(にんぴにんとう)の身を以って得度すべき者には、即ち皆之を現じて、而(しか)も為に説法す。応に執金剛神(しゅうこんごうしん)を以って得度すべき者には、即ち執金剛神を現じて、而(しか)も為に説法す。無尽意よ、是の観世音菩薩は是(か)くの如き功徳を成就し、種々(しゅじゅ)の形を以って緒々(しょしょ)の国土に遊び、衆生を度脱(どだつ)したもう。是の故に汝等(なんじら)応当(まさ)に一心に観世音菩薩を供養すべし。
観音さまの三十三身のその最後の八身を説いたのが本段です。観音さまが八部衆及び執金剛神となって衆生を救われることが述べられています。八部衆とは仏法の守護神や鬼神のことで、(1)天(2)竜(3)夜叉(4)乾闥婆(5)阿修羅(6)迦楼羅(7)緊那羅(8)摩候羅迦をいいます。
「天」は超人的な鬼神、「竜」は竜王、竜神のこと。
「夜叉」は空中を飛行し、すべての善行を妨害する悪神のこと。
「乾闥婆」は天上の音楽師であり、「阿修羅」は闘争を好む悪神のこと。
「迦楼羅」は金翅鳥とも言い、竜を食べるという巨大な鳥のこと。
「緊那羅」は半人半獣の角をもつ歌神のこと。
「摩候羅迦」は大蛇、蛇神のことです。
そして最後が「執金剛神」です。大きな寺院などの入り口によく仁王門がありますが、その中に文字通り仁王立ちされている仁王さまがこの執金剛神です。金剛石とはダイヤモンドよりも硬いといわれますが、金剛とはそのような強固堅牢な意志を意味します。その金剛の杵(きね)を手に持って悪人どもが寺へ入るのを防いでいます。
非法の者に対してはこの金剛の杵で撃退します。そして、いつでも仏のそばにいて仏を護衛するのがおもな任務なのです。さらに人生の様々な困難や、いかなる状況に至っても決してくじけることのない堅固な知性と感情と意思を表しているのが「金剛」です。火をもっても焼くことができず、水をもっても溺らせることができない鋼鉄の意志こそ執金剛神をあらわしたものです。
以上のように観音さまは三十三身に身を現じられて説法されるということですが、では三十三身とは何のことでしょう。三十三身とは一切衆生のことです。ひるがえってその一切衆生を代表したものがこの三十三身ということになるのです。つまり観音さまは一切衆生に身を現じて衆生を済度されるということなのです。
とくに本段の八部衆の最後に「人非人」として八部衆を総括していますが、この人非人とは何のことでしょう。その意味は、姿は人に似ていて人でないということです。ただ仏の前に現れる時にだけ人の姿になるというのです。だから仏にもその外見からはまったく区別がつきません。
仏にとってその区別がつかなくとも一向にかまわないのです。それは、仏にとって善人と悪人とを差別する必要がないからです。この意味も非常に重要ですね。そうでしょう?これこそ慈悲というものです。さて、ではその「人非人等」とは何でしょう。
それはわれわれのこころの中に住んでいる諸天善神や鬼畜悪神などのことなのです。つまり八部衆の正体とは人非人等の諸天善神や鬼畜悪神そのものであるというのです。「人非人等の身を以て得度すべき者には、即ち皆之を現じて、而も為に説法す」とあるように、観音さまはそのような諸天善神や鬼畜悪神などのさまざまなものにも姿を変え身を現じて、われわれを救ってくださるということを説いているのです。
さてそこで問題なのは、これまで説いてきた三十三身のなかには、仏身、帝釈身のような貴い方もあれば、夜叉身、阿修羅身のような悪神もいるのです。八部衆の中にも善神や鬼畜悪神がいるのです。観音さまが善神に応現されて衆生済度されるのはよくわかりますが、悪神に応現されて衆生を救われるということは一体どういうことでしょうか。
当然の疑問ですね。観音さまが悪神に身を現じて済度されるというその真意は一体何でしょうか。このことは以前【観音経―その(10)】でも述べましたが、観音さまがその悪神に現じることで悪神自身を観音さまに同化してしまうというカラクリがそこにはあるのです。
申すまでもなく、仏教は善人のためにのみあるのではないのです。むしろ悪人程仏の慈悲を必要としているのです。一切衆生、悉有仏性だからこそ悪人こそ救われると考えるのです。 だからこそ仏会(ぶつえ)にはあらゆる衆生が集まるべきなのです。
「しかあるに在世の仏会(ぶつえ)に、みな比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷等の四衆あり、八部あり、三十七部あり、八万四千部あり。みなこれ仏界を結せることあらたなる仏会なり。いずれの会(え)が比丘尼なき、女人なき、八部なき。」 「正法眼蔵(礼拝得髄)」
如来在世の時代、法会が開かれるときには男僧・尼僧・在家の男子信者・女子信者である四衆が必ず参加しており、さらに八部衆をはじめとして、三十七部ないしは八万四千部のすべての者が参加して仏会を形づくっているのであって、仏界とはまさしくこのようなさまざまな人々、神々、天人などの集まりによって成り立っている。比丘尼や女人や八部もいない仏会は真の仏会ではないのである。と御開山道元禅師は示されています。
大事なのはさいごの「八部もいない仏会は真の仏会ではない」というお言葉です。普通の感覚からすれば、集会というものは善人や菩提心がある人だけが集まってこそ充実すると考えるのですが、仏会はそうではないというのです。ありとあらゆる人々をはじめ、天人、神々、動物だけでなく悪人や悪神などを含めた生きとし生けるものすべてが参加してはじめて集会(仏会)の意義があると明言されています。
観音さまは善神にも悪神にも応現されるということはすべての生きとし生けるものに観音さまの命が躍動しているということになるのです。われわれ人の心に住んでいるのは仏や菩薩だけではないのです。鬼も餓鬼も畜生も修羅も夜叉もあらゆるもの、つまり三十三身が住んでいるのです。
油断大敵です。われわれには八万四千の煩悩があるのです。一瞬魔がさす時、われわれの心は餓鬼や畜生や夜叉になり得るのです。今、国は年金問題で揺れています。社会保険庁の歴代の役人に責任感がほとんど無かった結果です。牛肉偽装を何十年も平気で行ってきた北海道の生肉業者がいました。
親の子殺し。子の親殺し。タクシー強盗殺人。婦女暴行殺人。元公安調査庁長官の詐欺事件。タレントの詐欺事件。毎日毎日ひどい事件が絶えません。どれもこれも「他人はどうでもいい。自分さえよければ」という自己中心の身勝手さや短絡的欲望などから起こった事件です。
悪神や鬼畜の餌食になって地獄に堕ちる前にその悪神自身を観音さまに変えなければなりません。そしてお釈迦さまは最後に無尽意菩薩に申されました。
「無尽意よ、是の観世音菩薩は是(か)くの如き功徳を成就し、種々(しゅじゅ)の形を以って緒々(しょしょ)の国土に遊び、衆生を度脱(どだつ)したもう。是の故に汝等(なんじら)応当(まさ)に一心に観世音菩薩を供養すべし。」
観音さまはあらゆる処にあらゆる姿で応現され皆をお救いくださるのだから、正に観音さまを供養しなさい。その方法はただただ「南無観世音菩薩」と至誠に称名することです。と。

■14
是観世音菩薩摩訶薩。於怖畏急難之中。能施無畏。是故此娑婆世界。皆号之為。施無畏者。無尽意菩薩。白仏言。世尊。我今当供養。観世音菩薩。即解頸衆宝珠瓔珞。価直百千両金。而以与此。作是言。 仁者。受此法施。珍宝瓔珞。時観世音菩薩。不肯受之。
是(こ)の観世音菩薩摩訶薩は、怖畏急難(ふいきゅうなん)の中(うち)に於いて、能(よ)く無畏(むい)を施したもう。是の故に此(こ)の娑婆世界、皆之(こ)れを号して施無畏者(せむいしゃ)と為(な)す。無尽意菩薩(むじんにぼさつ)、仏に白(もう)して言(もう)さく。世尊、我今当(まさ)に観世音菩薩を供養したてまつるべし。即ち頸の衆衆(もろもろ)の宝珠の瓔珞(ようらく)の価直(あたい)百千両金なるを解きて、而(しか)して以て之を与え、是の言(こと)を作(な)したまわく、仁者(にんしゃ)、此の法施(ほっせ)の珍宝(ちんぼう)の瓔珞を受けたまえと。時に観世音菩薩肯(あえ)て之を受けたまわず。
本段での内容を噛み砕いてみましょう。この観音さまは一切衆生が怖畏急難に陥った時、よく無畏を施されます。よって観音さまのことを「施無畏者」とお呼びするものです。すると無尽意菩薩が、お釈迦さまにおっしゃいました。自分はこのように施無畏者と呼ばれるすばらしい観音さまに供養してさしあげたい。
そこで無尽意菩薩は御自分の首にかけておられた美しい宝珠で作られた大変高価な首飾りをおとりになって、観音さまにさしあげようとされました。「あなた様、どうかこの法施の首飾りをお受け取りください。」と観音さまに申し上げました。ところが、観音さまはこれをお受けとりになりませんでした。
さて、この「観音経の講話」もいよいよ佳境へとやってまいりました。本段と次段がこの観音経の集約といってよいでしょう。それはこの観音経の結論が意図されているからです。しかしそれだけに難解です。
この段には3つのポイントがあります。1つは観音さまのことを「施無畏者」と名付けていること。1つは無尽意菩薩から観音さまへ瓔珞の布施が申し出されたこと、その意味が「法施」であったこと。そして最後に観音さまはこの布施をお受けになろうとしなかったこと等。これらの理由は一体何でしょう。
まず「無畏施」についてです。布施といえば財施と法施の2つがよく知れていますが、さらに加えて3つ目にあるのが無畏施です。無畏施とは字の如くさまざまな「畏れ」から「畏れの無い心」を布施するという意味です。
怖畏急難(ふいきゅうなん)というのは、恐怖や困難に遭うことです。日常生活のなかには様々な恐怖が存在します。特に現代という時代は思いがけない突然の事故や事件などの災厄に巻き込まれたりします。
全く関係のない人が突如として誘拐や通り魔に襲れたり、何が起こるかわかりません。まさに他人事ではありません。今や外出の際にはいちいち遺言書を書いておく必要があるといったことが冗談とも言えない世の中になってしまいました。
「畏れ」とはそのような直接的な恐怖だけではなく、悩みや苦しみも「畏れ」なのです。人間の住んでいるこの世のことを娑婆世界と言いますが、娑婆世界とは別名「忍土」、「忍界」とも言われています。
いわゆる四苦八苦の世界です。「忍土」というように、文字通りあらゆる苦悩に堪え忍んでゆかねばならないのです。たえず様々な畏れや災厄に遭うのが宿命となっているのが娑婆世界です。
このような忍土にいるからこそその悩みや恐怖から救くってくださる"もの"が必要なのです。それが「無畏の心」です。あらゆる畏れに対して「畏れの無い心」です。その「こころ」こそ我らが観音さまが与えてくださるのです。よって観音さまのことを「施無畏者」とお呼びするのです。
すると無尽意菩薩が、お釈迦さまに申されました。自分はこのように施無畏者と呼ばれるすばらしい観音さまに是非供養してさしあげたい。「供養」とは尊敬の気持ちをあらわすために物をさしあげることです。
無尽意菩薩は御自分の頸(くび)に掛けていた瓔珞をはずされてそれを観音さまにさしあげようとされたのです。瓔珞とは珠玉や宝石などを編んで作られた高価な装身具のことです。よく観音さまのお姿を像や絵画で見ると頸から胸にかかっていますね。あれと同じ物です。
無尽意菩薩は、「仁者、此の法施の珍宝の瓔珞を受けたまえ」と申されました。仁者とは相手を尊敬していう言葉で、「あなたさま」という意味です。「あなたさま、どうぞこの法施の瓔珞をお受けとりくださいませ」と申されたのです。これに対して観音さまは、あえてこの法施をお受けにならなかったのです。
以上がこの段の説明ですが、まず瓔珞ですが、高価な頸飾りというのですがその実体は何でしょう。常識からするとこの瓔珞は「物」です。だとするとそれは明らかに「財施」にあたります。財施とは申すまでもなく、お金や財物など形のある「もの」を布施することです。
ところが無尽意菩薩は「法施の瓔珞」と申しました。あえて「法施」という言葉を使ったのです。ここに大きな意味があります。この意味をしっかり把握しないと折角ここまで辿り着いた観音経もその真意から外れてしまいます。とは言っても、どうですか?かなりな難問ですね。
まず、瓔珞は宝石であり大変価値のある「価直百千両金」の"もの"ですから当然「財施」に当たります。しかし、その"もの"を無尽意菩薩は「法施」として差し出されたのです。法施とは法の布施ですから、その「法」の意味をここでしっかり認識する必要があります。
法とは真理です。真理の法からすれば瓔珞という宝石の実体は真如実相の"もの"ということになります。真如実相とは「ありのまま」ということであり、一切の分別価値観を超えた廓然無聖の世界のことです。その真如の世界にあって、瓔珞はそれ自体が真如実相の「法」そのものなのです。つまり無尽意菩薩は観音さまに真如の法を差し出されたのです。
ところが観音さまはこれをお断りになりました。なぜこの布施をお受けにならなかったのでしょう。ここに3つ目のポイントがあります。観音さまも見ての通り元々ご自分も立派な瓔珞を掛けておられます。だから「自分にあるから」お断りになったという説も多々あるようですが、私はそのような単純なことではないと思います。
持論ですが、観音さまはご自分で「受けるに値しない」と思われたからです。なぜそう思われたのでしょう。観音さまの任務は「無畏施」でしたね。観音さまは娑婆世界のあらゆるところのあらゆる人の求めに応じてその人の畏れの心を無くして下さるのが務めなのです。
今「任務」と言いましたが、観音さまは任務で無畏施の仕事をしているのではありません。今又、「仕事」とも言いましたが、観音さまは仕事として行っている訳でもないのです。観音さまは任務とも仕事とも意識をされていないのです。ただ自然に、求められるが儘に、ただ無意識に無碍に応じられているだけなのです。
布施を受けるからには布施を受けるだけの"自覚"がなければなりません。しかし観音さまには「特に自分にはそれだけの務めをしている」という自覚がまったく無いのです。任務とか仕事で行っているという自覚が無い以上「務め」という自覚すらないのです。ですから、ご自分は布施を受けるに値するとは思われなかったのです。どうでしょう。持論ですが、このような説を唱えるのは愚僧だけかもしれません。
では観音さまはなぜただ無心に、ただ無碍にそのような行動が執れるのでしょう。その答えは次段の中にあります。そしてそこで観音さまの真のお姿を見ることができれば、あなたはこの観音経の意図するところを会得したことになるのです。 

■15
無尽意。復白観世音菩薩言。仁者。愍我等故。受此瓔珞。爾時仏告。観世音菩薩。 当愍此無尽意菩薩。及四衆。天。竜。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩候羅迦。人非人等故。受是瓔珞。即時観世音菩薩。愍諸四衆。及於天。竜。人非人等。受其瓔珞。分作二分。一分奉釈迦牟尼仏。一分奉多宝仏塔。無尽意。観世音菩薩。有如是自在神力。遊於娑婆世界。
無尽意。復(ま)た観世音菩薩に白(もう)して言(もう)さく、仁者(にんしゃ)、我等を愍(あわれ)むが故(ゆえ)に、此(こ)の瓔珞を受けたまえと。爾(そ)の時に仏、観世音菩薩に告げ曰(たま)わく、当(まさ)に此の無尽意菩薩、及(およ)び四衆、天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩候羅迦、人非人等を愍むが故に是の瓔珞を受くべしと。即時(そのとき)に観世音菩薩、諸(もろもろ)の四衆、及び天、竜、人非人等を愍みて、其(そ)の瓔珞を受けて、分(わか)って二分(にぶん)と作(な)し、一分(いちぶん)を釈迦牟尼仏に奉(たてまつ)り、一分を多宝仏塔に奉る。無尽意よ、観世音菩薩は、是(かく)の如き自在神力(じざいじんりき)ありて、娑婆世界に遊びたもう。
無尽意菩薩はふたたび観音さまに「あなた様、どうかわれわれをあわれむと思し召しになって、この首飾りをお受けとりください」と懇願されたのです。するとその時、お釈迦さまが観音さまに申されました。「この無尽意菩薩、および四衆、天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩候羅迦、人非人などありとあらゆる一切衆生を愍(あわれ)むために、この首飾りを受けとってください。」
無尽意菩薩とは字の如く、上は無尽の諸仏の功徳を求め、下は無尽の衆生を救うことを本意とする菩薩です。人非人とは人に非ざる者であるが、仏のところにくる時だけは人間の姿をしている者です。
お釈迦さまは観音さまに、上は無尽意菩薩から、四部衆、仏法の守護神である八部衆やさらに下は人非人に至るまでの一切衆生を愍(あわれ)むがために、首飾りをお受けになられたらよいでしょう、と申されたのです。「愍(あわれ)む」とは「救うこと」「済度すること」という意味です。
観音さまとはいえお釈迦さまからの申し入れを断れる筈もありません。観音さまは考えをひるがえされて首飾りをお受けになったのです。観音さまは、「一切衆生を愍(あわれ)むがために」その首飾りをお受けになられたのです。
「分(わか)って二分(にぶん)と作(な)し、一分(いちぶん)を釈迦牟尼仏に奉(たてまつ)り、一分を多宝仏塔に奉る」すると観音さまは、その瓔珞(首飾り)を二つに分けて、一つを釈迦牟尼仏にたてまつり、他の一つを多宝仏塔にたてまつられました。これを見ていたお釈迦さまは、「無尽意菩薩よ、観世音菩薩はこのように自在の神力をもって娑婆世界を遊び回っているのだ」と申されました。
以上が説明ですが、本段でのポイントは次の三つです。一つは観音さまが「一切衆生を救うために」として「供養」を受けたことの意味。二つ目はその供養の品を二つに分けて一つはお釈迦さま、一つは多宝仏に「供養」したことの意味。そして三つ目が観音さまが"自在の神力で遊ばれる"という意味です。私は、この三つのポイントこそ観音経の結論であると思っています。勿論、奇論の持論でこの三点について解説して参りましょう。
まず一つ目の、「供養」と「あわれみ」についてです。観音さまは無尽意菩薩からの供養を一旦はお断りになりましたが、お釈迦さまからの「一切衆生をあわれみ、救う為に」というご助言でその"供養"を受け入れられました。その「供養」と「あわれみ」とは何でしょう。
「愍(あわれ)む」とは「済度(さいど)する」ことであり「救う」ことです。済度とは悟りの世界、仏の世界へ導くことです。仏の世界へ導くことが「救う」ことです。つまり観音さまはお釈迦さまからのお言葉もあり、供養を受けることが即ち「一切衆生を救うこと」だと認識されてその「供養」を受けられたのです。
では「供養」を受け入れることがなぜ「一切衆生を救うこと」になるのでしょうか。そこで「供養」の意味をあらためて考えてみます。供養とは尊敬する仏さまに"布施"することです。
布施についてはこれまでに何回も触れてきましたが、見返りや下心があったら布施にはなりません。下心の有るものは"わいろ"です。わいろはすべて貪欲(とんよく)から生まれるのです。貪欲は三毒の一つで人間にとって身を滅ぼす最も危険なものです。
布施によって、その貪欲を抑制し、物惜しみ心、ケチケチ心を捨てるのです。布施こそ己の欲望を抑制する"修行"なのです。ですから布施はすべて己のための修行なのです。布施はボランティアでも奉仕でも善行でもないのです。100パーセント己のための修行なのです。その布施の精神があってこそ本物の「供養」なのです。
では次にその供養を施すことでなぜ救われるのでしょう。それは供養する者と受ける者との"同化"です。観音さまに供養するということは観音さまに同化するということです。
観音さまに同化するということは観音さまに"なる"ことです。この「観音経講座」のはじめの方で、観音経の教えは「観音さまになるための教え」だということを述べましたが、その観音さまになることが「同化」なのです。観音さまに同化することで「成仏」し「救われる」のです。以上が観音さまが一切衆生を「救うために」その清浄なる「供養」を受けられたという意味ですが、いかがでしょうか。
次に二つ目のポイントですが、観音さまは受け取られたその供養の品を二つに分けて、一つはお釈迦さま、一つは多宝仏に供養されましたがその真意は何でしょう。これもなかなかの難問です。
まず多宝仏塔とは何でしょう。多宝仏塔というのは、法華経の「見宝塔品」に説かれている多宝塔のことで、この中には多宝如来が坐禅の姿で鎮座されてしているのです。多宝如来とは、法華経が説かれる説き、必ず姿を現して法華経が正しいことを証明される如来さまのことです。
一切が変化するこの娑婆世界にあって変化しないものが只一つだけあります。それは真理の教えである「法華経」なのです。真理は永遠であり、絶対に滅びることはありません。その「法華経」を証明することを託されたのが多宝仏なのです。真理こそ久遠の命であり、その化身が「多宝仏」なのです。ですから多宝仏は真理の仏であるとして「理仏」とも言われています。
これに対して釈迦牟尼仏は娑婆世界で活躍されている現存の仏さまです。娑婆世界はすべて「現象」の世界です。現象の世界で活動されている釈迦牟尼仏は、事象の仏ということで「事仏」とも言われています。
では本題に戻って、観音さまが無尽意菩薩から頂いた首飾りを二つに分けて、「事仏」釈迦牟尼仏と「理仏」多宝仏に"供養"されたことの意味は何でしょう。「理仏」「事仏」のこの「理」と「事」に意味があります。それは、正に「理事不二」という真理を説いているのが「法華経」だからです。
「理」と「事」、これを別な言い方をすれば、「空」と「色」です。即ち「理事不二」とは「色即是空」「空即是色」ということです。なんとなれば「色」が釈迦牟尼仏であり、「空」が多宝仏であるから、「釈迦牟尼仏即多宝仏」、「多宝仏即釈迦牟尼仏」ということになります。
これは、釈迦牟尼仏と多宝仏は実体は一つであるということです。そう理屈になりますがいかがでしょうか。つまり観音さまが釈迦牟尼仏と多宝仏とに等しく供養されたということは、宇宙は理と事で成り立っている一如の世界だということです。だから観音さまは方手落ちのないように供養されたということです。
あと参考までに、「理」と「事」を「体」(たい)と「相」(そう)とも表します。「体」とは理体、本体などというように個性のない実相をいいます。多宝如来はその真如実相の象徴です。これに対して、「相」とは個性を具えた人格を表しますので釈迦牟尼仏はまさに人格仏の象徴です。宇宙の実体をこの「体」と「相」で表すこともあります。
さて観音さまは釈迦牟尼仏と多宝仏とに等しく供養されたわけですが、その訳は無尽意菩薩が観音さまに供養されたのとまったく同じ理由によるものです。「供養」には供養する者と受ける者とが"一体になる"という業(わざ)があるのです。同時に供養する者と受ける者とが"同時に救われる"という業があるのです。
つまり観音さまに供養するということは供養する我々はもちろんのこと、それと同時に実は観音さまも救われているのです。観音さまが救われるとは意外だと思われるかもしれませんが、供養する者と受ける者とが一体になる訳ですから当然の理屈ですね。救うということは救われるということであり、救われるということは救うということです。
観音さまは「菩薩」ですね。言うまでもなく菩薩とは本来仏でありながらあえて娑婆世界に降りてきて衆生済度のため黙々と修行を続けておられるお方のことです。観音さまは釈迦牟尼仏と多宝仏に自らの修行として供養されたのです。そしてその功徳により観音さまは釈迦牟尼仏と多宝仏とに"同化"され"救われ"ました。
これは観音さまが無尽意菩薩から受けた供養を釈迦牟尼仏と多宝仏に供養された結果、無尽意菩薩も釈迦牟尼仏も多宝仏もそして観音さま自身も救われたということです。この理論こそこの観音経の精神なのです。
つまり、我々が観音さまに供養するということは、その供養が観音さまはもとより、お釈迦さまや多宝仏さまにも届くということです。お釈迦さまや多宝仏さまに届くということは、この宇宙の理仏、事仏に届くということです。それはまたこの宇宙の理体、相体つまり有情非情の全てが一つの供養で救われるということです。清浄無垢なる「供養」にはそんな妙力があるのです。
そしてお釈迦さまがさいごに申されました。「無尽意菩薩よ、観世音菩薩はこのように自由自在の神力をもって娑婆世界を遊び回っているのだ」と。この一句がこの観音経の結びとなっています。
「自在」は完全自由ということであり、「神力」は超能力であり、「遊ぶ」とは一切のこだわりも囚われもなく無碍無心に飛び回るということです。お釈迦さまはさいごに、「無尽意菩薩よ。これまで縷々言ってきたように観世音菩薩とはこの娑婆世界にあって衆生済度のために自由自在の超能力をもって飛び回っている斯くも素晴らしき菩薩なのですよ」と絶賛されたのです。
この娑婆世界にあっていつでもどこでも悩みや苦しみを持った人の要請があれば即座にその人の元に赴きその人の畏れの心を無くしてくださるというそのような超能力を持っている菩薩。それが観世音菩薩なのです。
繰返しになりますが、その観音さまにおすがりするには、ただただ一心に"南無観世音菩薩""南無観世音菩薩"とお称えするのです。布施することだけが供養ではなく、一心に称名することも立派な「供養」なのです。その至誠の称名に応えて観音さまは必ずやって来てくださいます。そして観音さまが自分の中に入り込み、自分が観音さまになるのです。
観音さまの大慈悲心に救われるということは「観音さまになること」なのです。その教えがこの観音経なのです。 
 

 

■16
爾時無尽意菩薩。以偈問曰。世尊妙相具。我今重問彼。仏子何因縁。名為観世音。具足妙相尊。偈答無尽意。汝聴観音行。善応諸方所。弘誓深如海。歴劫不思議。侍多千億仏。発大清浄願。
爾(そ)の時に無尽意菩薩、偈(げ)を以って問うて曰(いわ)く、世尊は妙相(みょうそう)を具(ぐ)したまう。我(われ)今重(かさ)ねて彼を問いたてまつる。仏子(ぶっし)、何の因縁をもってか名(なづ)けて観世音と為(な)す。妙相を具足(ぐそく)したまえる尊(そん)、偈をもって無尽意に答えたまわく。汝(なんじ)聴(き)け、観音の行(ぎょう)は、善(よ)く諸(もろもろ)の方所(ほうじょ)に応ず。弘誓(ぐぜい)の深きこと海の如く、歴劫(りゃくごう)にも思議(しぎ)せられず、多くの千億(せんのく)の仏に侍(つか)えて、大清浄の願(がん)を発(おこ)せり。
この「観音経」は文体上二つに分かれています。これまでは長行(じょうごう)と言って散文で説かれているのに対して、これより後半は偈頌(げじゅ)といって韻文で説かれています。この形式は大乗仏教の経典の特徴ともいえるもので、法華経のほとんどはこの形をとっています。
散文とは普通の文章であり、論理的に順序を追って教えを説いています。これに対して韻文は詩であるので芸実的な表現とともにその内容を直観的情緒的に把握できるのが特徴と言えるでしょう。
つまりこの段から「観音経」は偈頌(げじゅ)の形式になります。この段以下を「世尊妙相具・・・」から始まる「偈文」ということで一般的には「世尊偈」(せそんげ)と言っています。
「爾(そ)の時に無尽意菩薩、偈(げ)を以って問うて曰(いわ)く、」 無尽意菩薩が、偈頌(げじゅ)を以って世尊に質問されたという一文で始まっています。それに対して世尊もまた偈頌で答えているという形になっています。これは内容的には前半の散文の内容をもう一度偈文で説いているということです。
何だ、それなら同じことだからもう一度聴く必要はないではないかと思われてしまうかもしれませんが、それは早とちりというものです。何故わざわざ同じような内容が偈文で説かれているかということを理解する必要があります。
文は理屈で縷々説いてきたものです。それに対して韻文は詩ですから理屈を超えてさらに直感的、情緒的に理解できるのです。そういった効果的な意味もあって重ねて韻文で説く必要があったのでしょう。そう理解していただければと思います。
「爾(そ)の時に無尽意菩薩、偈(げ)を以って問うて曰(いわ)く、世尊は妙相(みょうそう)を具(ぐ)したまう。我(われ)今重(かさね」て彼を問いたてまつる。」 無尽意菩薩が世尊に対して重ねて観世音菩薩のことを質問されたのです。世尊とは勿論お釈迦さまのことであり、世に尊敬されるお方、世の中で最も尊い人という意味です。その世尊は妙相、すなわち優れた特相を具えているのです。
無尽意菩薩とは何度もふれてきましたが、無尽の誓願の心をもって、無尽の悩める衆生を済度しようと発願された菩薩のことです。この観音経ではこの無尽意菩薩が発起人となり、観音さまを主演として、演出をお釈迦さまがなさっていると考えたらどうでしょうか。
「我」とは無尽意菩薩、「彼」とは観世音菩薩をさします。その無尽意菩薩が世尊に対して重ねて観世音菩薩のことを質問されたのです。「何の因縁で観世音菩薩と名づけられたのですか?」 「仏子」は観音菩薩を指しています。ここに一人の仏子がおられますが、どういうわけでこの菩薩のことを観世音というのですか、とお釈迦さまに問われたのです。
菩薩にはそれぞれの働きによって様々な名前があるのです。菩薩には、弥勒菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、虚空蔵菩薩、勢至菩薩、地蔵菩薩などが有名です。
弥勒菩薩はおよそ56億7千万年後に現れ衆生を済度される未来仏です。文殊菩薩はバラモンに生まれた実在の人物で、釈迦十大弟子の一人で「智慧」の菩薩と言われます。普賢菩薩は文殊菩薩とともにお釈迦さまの脇侍菩薩として、また白象の背で胡坐している姿が一般的ですが慈悲と行の菩薩です。
虚空蔵菩薩は智慧と福徳の菩薩で、虚空蔵とは無限の宇宙を意味し、無限に内蔵されている智慧と福徳を施すとされています。勢至菩薩とは衆生の無知を救うための智慧の光とともに往生する衆生を極楽浄土に迎えます。
地蔵菩薩の地蔵とは大地と胎内という意味の合成語ともいわれています。大地が全ての命を育む力を蔵するように、人々の苦悩をその無限の大慈悲の心で包み込み、救わんとするところから名付けられたとされています。
「重ねて問う」という無尽意菩薩の質問に対して「妙相を具足したまえる尊、偈をもって無尽意に答えたまわく」とあるように世尊お釈迦さまは偈頌(げじゅ)でもって答えられたのです。
「妙相」とは世尊の特相を称えての言葉です。偉大な世尊は三十二相を具えていたといわれます。特相とは例えば、頭の形、額の形、眼の瞳、歯の色、歯並び、声の質、皮膚の滑らかさ、姿勢、手足の柔軟さ、等々、優れた偉人に自ずと現れる身体的な特徴を表したものです。
人の風体にはその人の程度、心の有り様が現れるのです。ですから私たちは毎日己の心を直視し、相好を正すような生活を努めるべきです。
特に人の顔にはその人の毎日毎日の精神生活が結果となって現れてくるのです。生後の顔は生後の生き様によって作られるのです。よく自分の顔には責任を持てと言われますね。顔はまさにこれまでの人生の"履歴書"なのであり、"人生の顔"と言えるのです。
通夜法要の後で私が決まってお話することの一つにお顔の話があります。亡くなった時のお顔こそその方の人生最後のお顔であり、人生の集大成がそのお顔に表れているのです。
更に故人の今現在のお気持ちが表れているとも言えるのです。「この穏やかなお顔から察するに、故人はご自分の人生に満足し、ご家族皆様とご縁者の皆様に感謝されていることがわかります。我々も皆最後は穏やかなお顔でお別れできるような人生にしたいものです。」と申し上げます。
観音菩薩とはどういうお方ですか、という無尽意菩薩の質問に対して妙相を具えられた世尊は「汝聴(なんじき)け、観音の行(ぎょう)は、善(よ)く諸(もろもろ)の方所(ほうじょ)に応ず。」とお答えになりました。
行(ぎょう)とは観音さまの用(はたらき)ということです。その(はたら)きは「善く諸の方所に応ず」とあります。「諸」とは全てのという意味であり、「方所」とは「場所」ということであり、「応ず」とは「行かれる」ということです。
つまりこの三千大千世界の宇宙のどんな場所であっても観音菩薩は赴かれるというのです。この「いかなる場所」というのが本段のポイントですが、なかなかそのポイントを真に理解することが難しいのです。それは「いかなる場所」のほんとうの「場所」を理解することこそ観音さまの妙力を理解することになるからです。
またちょっと難しくなってしまいましたが、例により「持論」で説明してみましょう。その「場所」とはこの全宇宙の森羅万象のすべてを指しているのです。新羅万象とは言い換えれば「存在」そのものですから、「いかなる場所」とは「すべての存在」そのものということになるのです。
つまり、観音さまの用(はたら)きは存在するすべての「もの」の中にあるということになるのであり、「観音さまでないものはない」という理屈になります。となれば、存在する全てのものはそれ自体「即仏、即観音さま」だということになります。極論と思われるかもしれませんが、これこそ観音経の結論であるのです。
「仏身は法界に充満し、普(あま)ねく一切群生(ぐんじょう)の前に現ず、」と回向文にあります。「仏身」とは観音さまだと思ってください。「法界」とは「全宇宙」を指します。
「一切群生」とは「一切の存在」の意味です。そうしますと、「観音さまは宇宙の隅々まであらゆる存在の中に充満している」という意味になりますね。衆生はすべて仏身そのものであるというのです。つまり、「一切衆生本来仏」なのです。
次に「弘誓(ぐぜい)の深きこと海の如く」とあります。弘誓とは誓願という意味で、大いなる願いということです。この場合の願いとは地位や名誉やお金が欲しいというような浅はかなものではありません。
それは仏教の願いでもあり目的でもある「四弘誓願」を言います。菩薩が一切衆生を救おうとして常にお持ちの四つの誓いのことです。
衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成
「弘誓(ぐぜい)の深きこと海の如く」 観音さまが迷える衆生を救おうしてお持ちのこの大誓願に対する決意の程はまさに海の深さのように深いというのです。
「歴劫(りゃくごう)にも思議せられず」 「歴劫」とは無限といわれる程の永遠の時間という意味です。「不思議」とは考えや思いをめぐらすことができないということです。つまり、その観音さまの誓願の深さは永遠という時間をもってしても理解し難いほど深いものであるということです。
「多くの千億の仏に侍(つか)えて、大清浄の願(がん)を発(おこ)せり」 「多くの千億」とは、千億が沢山あるということで、無限の数を指しています。「仏に侍(つか)えて」とは、仏の指導を得てということです。
無限の数の仏に仕え修行された観音さまはその妙力によって一切衆生を済度するために一大決心をされたのです。それが「大清浄の願(がん)」であり、四弘誓願なのです。あらためてその意味を確認したいと思います。
衆生無辺誓願度・・・ 衆生は無辺で無数であるが、済度することを誓願します。煩悩無尽誓願断・・・ 衆生は尽きることのない煩悩を持っていますが断滅することを誓願します。法門無量誓願学・・・ 仏の教えである法門の量は無限というほど有りますが、これを学ぶことを誓願します。仏道無上誓願成・・・ 悟りへの修行は無上ですが、達成することを誓願します。

■17
我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦 仮使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池 或漂流巨海 竜魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没
我、汝の為に略して説かん。名を聞き及び身を見、心に念じて空しく過さざれば、能く諸有の苦を滅せん。仮使(たと)ひ害意(がいい)を興(おこ)して、大火坑(だいかきょう)に推(お)し落されんにも、彼(か)の観音の力を念ずれば、火坑も変じて池となる。或いは巨海に漂流して、竜魚諸鬼の難あらんに、彼の観音の力を念ずれば、波浪も没すること能(あた)はず。
「我、汝の為に略して説かん」の「我」とはお釈迦さまであり、「汝」とは無尽意菩薩のことです。お釈迦さまは我々衆生を代表しての無尽意菩薩にこれまで縷々説明してきた観音菩薩についてこれから更にもう一度簡潔に説法くださるというのです。
「名を聞き、及び身を見、心に念じて空しく過さざれば、能く諸有の苦を滅せん」 観音菩薩の御名を聞いて、そのお姿を拝して、そして真剣に観音さまを心から念ずれば、必ずやあらゆる苦しみから逃れることができると説いています。諸有とはすべての存在のことであり一切衆生のことです。その「苦」とは一切衆生が生きていく中でのすべての苦しみのことです。
念ずるとは一心に成り切って観音さまをわがこころの中に思い浮かべることです。そして、そのお姿に合掌し同時に心から「南無観世音菩薩」と至誠にお唱えします。するとたちどころにあらゆる苦難は雲散霧消し、我心は浄化されるというのです。
本段ではそのあらゆる苦難の中から、まず火難と水難が説かれています。まず火難についてです。「仮使ひ害意を興して、大火坑に推し落されんにも、彼の観音の力を念ずれば、火坑も変じて池となる」もし人を殺害しようと思って、その人を火の燃えさかる穴の中に突き落とした時でも、その人が観音の力を念ずれば、その火の穴が変じて池となると説いています。
火坑とは火の燃えたぎる深い穴のことです。ちょうど火山の噴火口のようなものでしょうか。真っ赤な溶岩が煮えたぎっているそんな穴の中に落とされたら人間など一瞬のうちにどろどろに溶けてしまうでしょう。そんな火の穴に落とされたとしても、「南無観世音菩薩」と心から念ずればその火の穴はたちどころに池に変わってしまい救われるというのです。
続いて水難についてです。「或(あるい)は巨海(こかい)に漂流して、竜魚諸鬼の難あらんに、彼の観音の力を念ずれば、波浪も没すること能はず」 底知れぬ大海に漂流した時、竜魚や鬼におそわれ、海の底にひきこまれようとしても、観音の力を念ずるならば溺れ死ぬことはないと説かれています。
竜魚というのは、竜神のことで大蛇の形をした鬼神のことです。諸鬼とは餓鬼や夜叉、羅刹など凶暴な心を持った地獄の赤鬼や青鬼のことです。火難や水難に遭ってまさに命を落とすかも知れないその時に、心から観音さまにおすがりすれば観音さまが必ず救ってくださるというのがこの段の主旨です。
言葉の意味からの解釈ですとまさに奇蹟のできごととしか思えません。普通の感覚からすると、いくら宗教とはいえ、観音さまを拝むことで奇蹟が起きるなんて俄には信じられないことでしょう。観音経の教えとはそのような単純な非合理なものだったのでしょうか。
実際、観音経を学ぶ人の多くがこのような疑問にぶつかるのです。多分あなた自身もそうかも知れませんし、私自身も当初そうでしたからそれはよくわかるところです。
そして、仏教はこんなものかと見下してしまう人と、さらにこの疑問に立ち向かって行く人とに分かれるのです。あなたはどちらでしょうか。後者の方だとすると最後までこの講座をみてくれる筈です。いやいやつい思わせ振りを言ってしまいました。悪い癖です。
ということで今回は特にこの疑問をとりあげてみました。ここでこの観音経の主旨をもう一度確認したいと思います。それはどんな困難に遭っても観音さまを心から念ずればたちどころに観音さまが現れて救ってくださるということ。そのためには観音さまを信じてただ祈りなさいという。そうすればたちどころに救われるという。その例として次々と奇蹟の譬えが説かれています。
理屈は簡単です。しかし問題は果たしてほんとうに観音さまがいてほんとうに奇蹟を起こして救ってくださるのかということです。この疑問が重大です。それはこの疑問が解けないかぎりこの観音経を心から信じることはできないからです。
このお経の持つ意味はまさにこの疑問にあると言ってもよいでしょう。ですからおおいに疑問に思うことが大事です。疑問の先にはかならず答えがあるからです。その答えのためにお釈迦さまはわざわざ"疑問"を用意されたと考えべきです。その意図とはこの疑問に向かい修行してやがて疑問が解けることが「悟り」になるからです。ということでこれからその「疑問の真実」に迫ってみましょう。(おおげさですかね)
もう、結論はおわかりでしょう。この"疑問"の狙いはズバリ「悟り」なのです。一見単純な現世利益を説いているお経のように思えますが、実はこのお経の目指すところはまさに「悟り」にあるのです。その悟りに至る手段として設定されたのがこの"疑問"なのです。「疑問」にはかならず「解答」があるわけですから、その答である「悟り」を意図して「疑問」が設定されたと考えるのです。
この手法を「方便」といいます。ですから種を明かせば観音さまも奇蹟も「方便」なのです。つまり観音経とは観音さまと奇蹟という方便を通して人々を悟りへ導こうとされる釈迦さまの意図から成り立っているのです。
「な〜んだ。方便だったら観音さまも奇蹟もやはりウソだったのか。」などと早とちりしないでください。それこそ大変な誤解です。方便はウソではありません。ウソだと捉える人は方便のほんとうの意味が分かっていない人です。方便とはつまり、「ほんとうのことを比喩で表現すること」なのです。ですから方便とは本質的には"ほんとうのこと"なのです。この認識こそ最も重要なことですから覚えてください。
だとすると、観音さまも奇蹟も「ほんとうのこと」だということが証明されなければなりません。つまり、観音さまが実在されているということが証明されてこそ、奇蹟も証明されることになるからです。
さーて随分難しくなりましたがこれからが勝負です。そこでお釈迦さまが考案されたのが「観音劇場」です。観音さまを主演とし、無尽意菩薩と一切衆生を観客として「観音劇場」を開演されたのです。演出はお釈迦さまですから、「みなさん観音さまを心から信仰することで必ず救われますよ。それにはただただ「念彼観音力」ですよ。」と説かれたのです。
ではなぜ「念彼観音力」なのでしょうか。一心に無碍に観音さまを念ずることで絶対無我の世界に入ります。そこは一切の対立のない、主観も客観も無い一切皆空の世界です。そこが涅槃の世界だと認識できればそれが「悟り」なのです。「念彼観音力」はそのための手段なのです。
悟るということは涅槃に入ることです。涅槃とは一心の世界であり、一心の世界とは観音さまと呼べばすべてが観音さまになり、地蔵さまと呼べばすべてが地蔵さまになり、阿弥陀さまと呼べばすべてが阿弥陀さまになる世界です。
ですから「念彼観音力」で自分が観音さまになるのです。自分が観音さまになるのだから奇蹟は自分が起こすのです。自分が奇蹟になるわけですから、「奇蹟によって救われる」ことになります。
この理屈は決してこじつけなんかではありません。まさにお釈迦さまの意図なのです。この意図が会得できれば観音経は自分のものです。いつでもどこでも観音さまと一緒になれるのです。「南無観世音菩薩」と念ずることでその場が、常・楽・我・浄の涅槃極楽の世界になるのです。
どうですか? 観音さまも奇蹟もほんとうのことだということが理解されましたか。つまり、迷っている内は観音さまは単なる架空の仏さまなのです。悟ってこそ観音さまが実在に変わるのです。つまり、悟ってこそ観音さまのアイデンティティが成立するのです。
ですから、一心に無碍になって観音さまを念じてください。しかし簡単にすぐというわけにはいきません。悟りですからそれ相当の修行が必要なのです。このことも大事なことです。しかしやがて機が熟せば必ずそこに観音さまが現れ自分と一体になります。そしてあなたは歓喜の声を発するでしょう。「オオー、自分こそ観音さまだった!」と。それが「悟り」です。
観音経は決して現世利益のお経ではないのです。まさに悟りを得るためのお経なのです。現世利益"の域を出ないのは"論語読みの論語知らず"と言わざるをえません。どうも学者センセイ方の説にはそれが多いような気がします。繰り返しになりますが、観音経の真意は方便を通して人々を悟りの世界へ導くことにあることを知るべきです。更にわたしは「観音さま」も「奇蹟」もお釈迦さまが考案された「公案」だと考えるのです。
それは方便とは公案だと考えるからです。ですから観音経それ自体一大公案だと捉えるのです。これは持論ですが、通弊のセンセイ方からは愚論と言われるかもしれませんね。しかしこの愚論に、愚僧いささかの自信を持っています。
さいごになってしまいましたが火難と水難の意味について述べておきましょう。火難とは怒りのことです。「瞋(いか)り」とも書きます。火は制御できなくなるとすべて焼き尽くすまで燃え続けます。それと同じように、人の怒りも制御が利かなくなると心は理性を失いとんでもないことをしでかします。毎日のように起こる忌まわしい事件はすべて身勝手な怒りが引き起こすのです。
怒りの感情は程度の差こそあれどんな人でも持っているものです。ですから観音さまはそんな怒りが起こらないように、起こってもひどくならないように「念彼観音力」の「心」を説いているのです。
ところで"怒り"には善趣のものもあるのです。"善趣の怒り"とは、つまり正義の怒りのことです。世の中には正義の怒りもなくてはなりません。仏さまも常にやさしいだけでは片手落ちです。厳しく怒る仏さまも必要です。その象徴が不動明王です。不動さまは仏道の障害となる煩悩や悪鬼を追い払おうとして常にあのような憤怒のお顔で衆生を済度されているのです。
今の日本では家庭にも学校にも社会にも正義の怒りがなくなってしまいました。その逆に理不尽な怒りによる、虐待、いじめ、ストーカー、暴力が蔓延しています。政治もしかりです。年金問題から、道路特定財源問題、特別法人問題そして高齢者医療制度、さらに格差問題など、どれもこれもみんな理不尽なものばかりですがその怒りの遣り場が見当たりません。その怒りが鬱積してやがて暴動になんてことにならないような政治をしてください。政府殿。
今大変なチベット問題も中国政府の理不尽な統治に対する人民の怒りから始まったものです。その勢いは文字通り怒濤となり、今オリンピック聖火と共に世界中を駆け回っています。これは皮肉ではなくオリンピアの神の「怒り」だと捉えるべきでしょう。
それと、間もなく胡錦涛主席が日本にやってきます。日本政府もさぞ頭が痛いでしょう。頭の上の蠅も追われぬ日本政府のことです。胡錦涛さんに諌言する自信も余裕もないかもしれませんが、チベット問題で遠慮していたら足下をみられますよ。
隣の家の幼児が虐待されているのを見ても、それはよそ様の家の内情ですからと言って何の手だてもしないとしたら、それは人倫にもとることです。支持率低迷に喘ぐ福田さんです。勇気ある"一転語"を発して世界を見返えすくらいの気概を見せたらどうでしょう。
そしてさいごが水難です。水難とは貪欲で理性を失い悪事をはたらくことを言います。底知れぬ大海に漂流した時、竜魚や鬼におそわれ、海の底にひきこまれようとしても、観音の力を念ずるならば溺れ死ぬことはないと説かれています。
大海に漂う諸鬼とはわれわれの心に住み着いている疑心暗鬼の心のことです。その邪念から恨みつらみ、嫉(そねみ)妬(ねたみ)が生まれ人は貪欲になるのです。大海とは欲望の海のことです。人の欲望は貪欲になると海のごとく深く限りなく広がるのです。疑心暗鬼という鬼は常に隙あらば人をその貪欲の海中に引きずり込もうと狙っているのです。
貪欲の海に引き込まれと人は罪を犯すのです。事実犯罪のほとんどが怒りか貪欲によるものです。欲望も怒りも制御できなくなるととんでもない悪事を引き起こすことにもなるのです。ですから観音経は人がそんな火難(怒り)や水難(貪欲)に陥らないためにと、「念彼観音力」の「心」を説いているのです。 

■18
或在須弥峰 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住 或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛 或値怨賊遶 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心 或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊
或(あるい)須弥の峰に在りて、人の為に推(お)し堕(おと)されんに彼の観音の力を念ずれば、日の如くにして虚空に住せん。或は悪人に逐(お)われて、金剛山より堕落せんに、彼の観音の力を念ずれば、一毛をも損すること能(あた)わず。或は怨賊(おんぞく)の遶(かこ)みて、各(おのおの)刀を執りて害を加うるに値(あ)わんに、彼の観音の力を念ずれば、咸(ことごと)く即ち慈心(じしん)を起さん。或は王難の苦に遭いて、刑に臨み寿(いのち)終らんと欲せんに、彼の観音の力を念ずれば、刀(かたな)尋(つ)いで段段に壊(お)れん。
須弥とは須弥山のことで、仏教の宇宙観からつくられた山で、世界の中心に高くそびえる巨大な山のことです。その最高峰から突き落とされた時に、観音さまの力を念ずれば、ちょうど太陽が大空に定まっているように落ちることはないというのです。
また、悪人に追われて金剛山から堕ちることになっても、観音さまの力を念ずれば、毛の一本も損じることもないというのです。「金剛」とは極めて堅いという意味です。その堅さはあらゆるものを破りあらゆるものから護るという絶対堅固な物や心の象徴の意味で多く使われています。そのような雄大にして堅牢なる険しい山から蹴落とされたとしても、観音さまの力を念じれば髪の毛一本すら損することはないというのです。
また、盗賊におそわれて囲まれて、危害を加えられようとした時でも、観音さまの力を念ずればその盗賊たちに慈悲心を起こすであろうというのです。また、国王の命令によって斬首刑にされようとした時、観音さまの力を念ずれば、刀はばらばらに折れてその難を逃れることができるであろうというのです。
本段では、このように四つの危害について説かれていますが、そのどれも人が絶体絶命の状況に置かれたまさに極限状態にあると言えましょう。特に通り魔事件が日常茶飯事のように起きている現代において誰でもそのような被害に遭うことは十分有り得るのです。人はそのような時にどうすればよいのでしょう。観音経はそれに答えています。
これまでに観音さまの第一の使命は人々の畏(おそ)れる心を無くすことだと申しました。観音さまのことを「施無畏者」(せむいしゃ)とも言います。「無畏」を施し給う者ということです。その施無畏者である観音さまを一心不乱に称えることで、観音さまは必ず恐怖心という畏れから救ってくださるのです。
とくに本段での危害の例は人にとってまさに恐怖の極致と言ってよいでしょう。高い山の断崖絶壁から突き落とされようとしている時。或いは跳び降りなければならない時。盗賊に囲まれて危害を受けようとしている時。死の刑罰を受けまさに斬首刑に処せられる時。人の心を持った人にとってこれ以上の恐怖はありません。まさに絶望の瞬間です。
その極限状態の時、人は必ず祈ります。まず、助かることを心から祈るでしょう。次に助からないと覚悟をしたとしても必ず祈ります。祈るしかないからです。それが人というものです。そこには善人も悪人もありません。
深甚なる祈りには真心しかありません。どんな善人であれ、どんな悪人であれそこにあるのは真心だけです。最後の国王により斬首の刑に処せられるということですが、その人が悪人であれ、善人であれ、それはどうでもよいことなのです。真に観音さまを祈ることで人はみんな仏心を得るのです。
善人であれ、悪人であれ、どんな人であれほんとうに心から観音さまを信じさえすれば観音さまは一切分け隔てしないということです。それが観音さまの慈悲というものです。ですから誰でも一心不乱にただただ観音さまを信じて称名すれば必ず救われるというのがこの観音経の主旨です。
どうですか。あなたは納得できますか?信じられますか? その観音さまが救ってくださる理屈と道理については前回述べた通りですから、ここでは繰り返しません。ただその精神を信じることができるかどうかが真の仏教徒になれるかどうかということになりますのであとはあなた自身の心次第ということになります。
これまでにも何度も繰り返してきたことですが、この観音経のねらいは観音さまを心から信じることによって自らが観音さまになりきることで悟りを開くことだということです。悟りを得ることが救われることになるからです。その狙いの条件からすると、「心」が極限状態にある程効果的なのです。
人は極限状況にあるときほど真剣になれるからです。躊躇や疑いの余裕が無くなります。ただただ一心不乱に観音さまをお唱えしおすがりすることができるからです。その「一心」が「自我」を超えたときそこに観音さまが現れます。そして観音さまが自分の中に入った瞬間、それが悟りなのです。
観音さまが虚空となり、観音さまが金剛山となり、観音さまが盗賊になり、そして観音さまが刀になります。「一心」の世界には一切の対立観念がありません。虚空と自分、金剛山と自分、盗賊と自分、刀と自分が一体の世界が出現するのです。一心の世界に「死」はありません。だから救われるのです。
「一心」とは「精神」に限った世界のことではありません。ここで言う一心とは宇宙全体「そのもの」のことです。それは「仏性」であり「涅槃」のことなのです。その「一心」について御開山さまは次のように申されています。
「草木国土は心である。心であるから衆生であり、衆生であるから有仏性である。日月星辰は心である。 心であるから衆生であり、衆生であるから有仏性である。」(正法眼蔵・仏性)つまり、この宇宙に存在する全てのものが「心」であるというのです。
「十方の世界のことごとくは、すなわち自己の光明である。自己とは、父母もまだ生まれない以前の鼻の孔である。」「十方の世界のことごとくは、ただ一人とも自己ならざるものはない」(正法眼蔵・十方)その全てのものは「自己」であるというのです。
「自己とは、父母もまだ生まれない以前の鼻の孔である。」「十方の世界のことごとくは、ただ一人とも自己ならざるものはない」十方世界とはこの宇宙のことであり、その宇宙が自己であり、その自己とは両親が生まれていないそれ以前の鼻の孔であるというのです。
要するに、この宇宙のすべてのものは自己と一体のものであるということの意味ですが、まさに公案ですね。考案といえば、次の一句もまさに公案と言えるでしょう。「いま達磨の眼晴や、世尊の鼻の孔が、まるで露柱の胎(はら)のなかにあるようにいうのは、なんとしてであろうか。」(正法眼蔵・十方) 達磨さまの眼やお釈迦さまの鼻の孔が自己とは別のものであると思うのはお釈迦さまの鼻がそこらへんにある柱の中に有るのと同じ理解であるという、皮肉を込めた表現になっています。
「正法眼蔵」がよく難解だと言われますが、それは「眼蔵」それ自体が一大公案だからです。常識の解釈ではその意味がよくわからないことが沢山あります。その一つの例がこの「達磨の眼とお釈迦さまの鼻の孔」の喩えですが、まさに公案だと愚僧は捉えていますが、いかがでしょう。
前回にこの観音経もまさに一大公案だと言いましたが、公案の狙いはすべて「悟り」なのです。人は極限状況下にあってこそ悟れるのです。無我無心の境地こそ悟りの入り口だからです。ですから、「南無観世音菩薩」と一心に称えるのと「無・無・無」という無字の公案とまったく同じ理屈なのです。 

■19
或囚禁枷鎖 手足被忸械 念彼観音力 釈然得解脱 呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人 或遇悪羅刹 毒竜諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害 若悪獣囲繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無辺方
或は囚われて枷鎖に禁ぜられ、手足(しゅそく)忸械(ちゅうかい)せられんに、彼の観音の力を念ずれば、釈然として解脱することを得ん。呪詛(じゅそ)諸の毒薬、身を害せんと欲する所の者、彼の観音の力を念ずれば、還って本人に著かん。或は悪羅刹(あくらせつ)、毒竜、鬼等に遇わんに、彼の観音の力を念ずれば、時に悉(ことごと)く敢(あえ)て害せず。若し悪獣に囲繞(いにょう)せられ、利(するど)き牙爪(げそう)怖るべきも、彼の観音の力を念ずれば、疾(と)く無辺の方に走らん。
「或は囚われて枷鎖に禁ぜられ、手足忸械せられんに、彼の観音の力を念ずれば、釈然として解脱することを得ん。」「枷」は首枷(くびかせ)、「鎖」はくさり、「忸械」は手かせと足かせのことです。もし、首枷や手枷足枷で捕らえられた時、観音さまにおすがりすれば、その枷や鎖から忽然と解放されるというのです。「呪詛(のろい)と諸(もろもろ)の毒薬で、身を害せんと欲する所の者、彼の観音の力を念ずれば、還って本人に著かん。」もし、呪(のろい)や毒薬をもって、人を殺そうとした時、ひたすら観音さまにおすがりすれば、その呪いと毒薬は呪った本人に還っていくというのです。「或は悪羅刹、毒竜、鬼等に遇わんに、彼の観音の力を念ずれば、時に悉く敢て害せず。」「羅刹」とは神通力で人を喰うという鬼のことです。「竜」とは竜神、蛇神ともいわれる悪竜のことです。もし、これら悪鬼や悪竜に遭った時、観音さまにおすがりすればあえて害されることはないというのです。「若し悪獣に囲繞(いにょう)せられ、利(するど)き牙爪(げそう)怖るべきも、彼の観音の力を念ずれば、疾(と)く無辺の方に走らん。」もし、怖ろしい猛獣に囲まれて、鋭い牙や爪をたてられた時、観音さまにおすがりすれば猛獣どもは遠くの方へ走り去って行くというのです。以上、本段では枷鎖難、呪詛毒薬難、羅刹難そして獣難の四つの災難について説かれています。いつも申し上げていることですが、この観音経は文字の意味から理解する「事訳」と、文字を比喩と捉えて解釈する「理訳」とがあります。特にこのお経の精神を学ぶには理訳(又は理釈)の理解が不可欠だと言えるでしょう。
ではこれら四つの災難を「理訳」から考えてみましょう。初めの「枷鎖難」ですが、「もし、首枷や手枷足枷で捕らえられた時、観音さまにおすがりすれば、その枷や鎖から忽然と解放される」というのです。
首枷や手枷足枷とは、これらはみんな体の自由を奪う物です。動くことも逃げることもできません。それと同じようにわれわれを束縛する眼には見えない「もの」があります。それが「欲望」です。お金や財産、地位や名誉、などなど、各種の欲望が羽目を外し「貪欲」になると、たちまち眼に見えない首枷や手枷足枷に掛かるのです。

欲望は人として当たり前の感情であり、否定されるものではありません。問題は欲望が貪欲となることです。手枷足枷の実体は貪欲なのです。心と体は自由を奪われ、ひどくなると犯罪や己自身の破滅の事態にもなるのです。
最近では小室哲哉氏の事件が象徴的なものでした。最盛期には年収なんと20億円もあったとか。人にはそれぞれ生まれ持った「器量」というものがありますが、彼のその天与の「器」に対して誰もが羨望の域を超え敬意と驚嘆の念を持ったものです。
しかし、わからないものです。彼は自分の力量の「器」の域を超えてしまったのです。貪欲に翻弄され「分」をわきまえることができなかったのです。百億円とも言われた資産も底を尽き、なおも贅沢三昧に浸った生活レベルは落とせませんでした。挙げ句の果てに五億円の詐欺事件を起こしてしまったのです。
これほど極端な栄光と転落の人生は希有かもしれませんが、規模の大小にかかわらずこういった事例は我々の周りにはごろごろしているのです。「貪欲」はまったく眼に見えない手枷足枷です。貪欲にはまり分をわきまえないとその手枷足枷はどんどん堅く強く己自身を縛ることになるのです。「小欲知足」の金言を知るべきでしょう。
この眼に見えない首枷、手枷、足枷ですが、実は誰でもすでに大なり小なりの枷に掛かっていると理解すべきなのです。それは人には誰でも欲望があるからです。人の欲望にはそれぞれ程度の差があるので枷の程度も各々によって違っているのです。ただ欲望が貪欲となるとたちまち枷が始動するというのが枷のメカニズムです。
この比喩はけっして他人事ではありません。人である以上決して例外はないからです。自分にもすでに眼に見えない手枷足枷が掛けられていて、欲望が羽目を外すとたちまち自由が奪われてしまうという、この認識こそ大事です。「念彼観音力」で観音さまの心を獲得すれば欲望の枷から逃れることができるというのがこの段の趣旨です。
次にあるのが「呪詛毒薬難」です。多くの解説書には「もし、呪(のろい)や毒薬をもって、殺されそうになった時、ひたすら観音さまにおすがりすれば、その呪いと毒薬は呪った本人に還っていく」と訳されています。他人を呪ったり、殺害しようとする者は、結局その報いを自から受けることになるという、この報復論的な解釈には従来より異論のあるところです。
さらに、その解釈では「慈悲の精神」に馴染めないという意見もありますが、わたしはそうではなく、解釈自体が間違っていると思うのです。従ってここからは持論になります。それは、「身を害せんと欲する所の者」を、「自分が害されそうになった時」と訳すのではなく、「自分が人を害しようとした時」と訳すべきだと思うのです。それによって解釈は大きく異なります。つまり、観音さまにおすがりするのは被害者ではなく加害者だという解釈です。
呪いや害を被る者がその災難を避けようと観音さまにおすがりするのは当然のことです。しかし、ここでは立場を逆にして、人を呪ったり害したりする立場になった人の場合と理解すべきです。それは、人は誰でも加害者にも成り得るからです。つまり、人がまさに「悪人」になりさがろうとした時にこそ観音さまは救くってくださるというのがこの段の趣旨なのです。
観音さまはどんな人のどんな祈りも受けとめてくださいます。祈りの内容によって差別も区別もしないのが観音さまです。そしてその人を敵確な方向に導いてくださるのです。では観音さまはどのようにして「呪いの心」を救ってくださるのでしょう。
「呪い」は特定の人に対する憎悪から生まれた怨念の「心」であり、人に対して禍いや不幸を祈る行為です。ですから「呪い」も実は"立派な"「祈り」の一つなのです。
今観音さまはどんな祈りも差別しないと申しましたのは「呪い」の祈りもそのまま受け入れてくださるということです。一心に祈願するその憎しみの心は観音さまの心に飲み込まれ、観音さまの「心」と一つになるのです。ということはすなわち、その「呪い」の想いは観音さまの「慈悲心」によって完全に浄化されるという結果になるのです。
以上の解釈によれば、「還って本人に著かん」とは、浄化された「心」が「本人」に還って行くという解釈になり語意の辻褄がぴったり合うのです。この持論、奇論?愚論?かもしれませんが、わたし自身はこの解釈こそ正しいと思っています。
人生には様々な苦しみがありますが、人を呪ったり毒殺しようと思うことほど苦しく悲しい不幸はありません。このような不幸こそ救われなければなりません。この願いは「善」だから受け入れましょうとか。この願いは「悪」だから拒否しますとか。観音さまにはそのような差別は一切ありません。愛の願いも憎しみの願いもすべて受け入れてくださるのが観音さまの大慈悲心というものです。
次にあるのが「羅刹難」です。「羅刹」とは神通力で人を喰うという悪鬼や悪竜のことです。もし、これら悪鬼や悪竜に遭った時、観音さまにおすがりすればあえて害されることはないというのです。
理訳で言えば「毒竜」と「毒鬼」とは「色欲」と「名利欲」のことです。色欲は火の如く燃えさかると猛狂うものです。必ずしも年齢や学歴や見識といったものが理性の支えになるとは限りません。痴漢行為やストーカー行為、不倫や果ては暴行殺人事件などすべてこの「悪鬼」によって引き起こされるのです。
色欲は本能的なものであり、名利欲は非本能的なものですが、どちらも人が生きている限り持ち続ける根源的な欲望です。誰でも当たり前に持っているこの欲望ですが、この二つの欲望に歯止めが利かなくなるとたちまち悪鬼と悪竜に襲われるのです。
しかし、悪鬼や悪竜というのは、外にいてわれわれを狙っているのではなく、実はわれわれの心の中に巣くって、虎視眈々と狙っているのです。そんな悪鬼や悪竜の餌食にならないためには絶えず観音さまに見守られていることです。見守られるには「念彼観音力」とお唱えすることで観音さまと一心になることです。
最後が「悪獣難」です。もし、怖ろしい猛獣に囲まれて、鋭い牙や爪をたてられた時、観音さまにおすがりすれば猛獣どもは遠くの方へ走り去って行くというのです。
「悪獣」とは何のことでしょう。これもまたわれわれの心の中に巣くっているさまざま「煩悩」のことです。悪鬼や悪竜と同じようにわれわれの外にいて狙っているのではなく、その実体はわれわれ自身の煩悩とエゴにあるのです。それは貪欲であり、瞋(いかり)であり、愚痴(おそかさ)であり、虚栄心であり、無恥であるのです。
それらの煩悩もまた油断すると「悪獣」に豹変するのです。われわれの心の中には猛獣が棲みついていて絶えず蠢いていることを知るべきです。人はふと魔が差すことがあります。その「魔」こそ悪獣なのです。そんな悪獣の餌食にならないためにはいつも観音さまのお側に居ることが一番の安心です。その合い言葉もまた「念彼観音力」なのです。 

■20
蚖蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋声自回去 雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散 衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦 具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身 種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅
蚖蛇(がんじゃ)及(およ)び蝮蠍(ぶくかつ)、気毒煙火(けどくえんか)のごとく燃(も)ゆるも、彼の観音の力を念ずれば、声に尋(つ)いで自ずから回(かえ)り去らん。雲雷(くもいかずち)鼓(な)り掣電(いなびかり)し、雹(あられ)を降らし大雨(たいう)を澍(そそ)ぐも、彼の観音の力を念ずれば、時に応じて消散することを得ん。衆生困厄(こんやく)を被りて、無量の苦身(くみ)に逼(せま)るも、観音の妙智力は、能(よ)く世間の苦を救ひたまふ。神通力を具足(ぐそく)し、広く智の方便を修して十方諸(もろもろ)の国土に、刹(せつ)として身を現ぜざることなし。種種(しゅじゅ)諸の悪趣、地獄、鬼、畜生、生老病死の苦、漸(ようや)く悉(ことごと)く滅せしむ。
「蚖蛇及び蝮蠍、気毒煙火のごとく燃ゆるも、彼の観音の力を念ずれば、声に尋いで自ずから回り去らん。」 蚖は「とかげ」、蛇は「へび」、「蝮」は「まむし」、蠍は「さそり」のこと。その猛毒を持ったトカゲやサソリや蛇などが烈火の如く怒って立ち向かってきたときに、「南無観世音菩薩」と念じ観音さまのお力にすがれば、その声を聞いた猛毒の輩は向きを変えて立ち去って行くというのです。
とかげや蛇やさそりは小さな動物ですが、彼らは猛毒を持っています。もし刺されたり、噛まれたりしたら一命はありません。その小動物は何を表しているのでしょう。前段に出てくる悪鬼や悪獣は大きな形をしていて目立ちますが、さそりや蛇は小さくて目に付きにくいものです。
しかし、目に付きにくい小さなものでもその持っている毒は猛毒です。僅かな隙に隠れていて常に目立たないそれらの小動物ほど気を付けなければなりません。油断すると何時襲われるかわかりません。目に付きにくい猛毒を持った小さな生き物とは何を意味しているのでしょう。
それは心の"油断"を指しているのです。油断は常に心の隙に隠れているからです。小さな油断でも処理を誤れば致命的な痛手を被ります。どんな人にも油断があります。油断した時の対応こそが大事です。そんなときこそ、一息ついて、「南無観世音菩薩」とお唱えすることで冷静な心に立ち戻れるのです。そして観音さまが的確な判断を導いてくださるのです。
「雲雷(くもいかずち)鼓(な)り掣電(いなびかり)し、雹(あられ)を降らし大雨(たいう)を澍(そそ)ぐも、彼の観音の力を念ずれば、時に応じて消散することを得ん。」 雷雲が轟き、稲妻が走り、霰(あられ)が降り、大雨に遭っても、「南無観世音菩薩」と念じ観音さまのお力にすがれば、雷雨の難から逃れられるというのです。
お天気は無常です。晴朗の空が突然かき曇って、雷鳴轟き、稲妻が走り、霰や雹や大雨が降り出したりします。季節によっては暴風や大雪になったりします。まさに天気は生き物と言ってもよいでしょう。その天気はすべて空気の有り様で決まるのです。
ちょうど人の「心」も「天気」と同じです。心を天気に例えたらどうでしょう。人の心も常に変化する空の如くいつも晴天白日とは限りません。躁や鬱もあれば悲しみや喜びがあります。怒りもあれば苦しみもあります。気持ちの喜怒哀楽はすべては心の有り様で決まるのです。
例えば雷は人の「怒り」を表します。 怒りや癇癪は必ず破壊を伴います。物の破壊は目に見えますが人の心の破壊や傷は眼には見えません。コントロールできない「怒り」は人や物に危害を加えたり、最悪の場合命を奪ったりします。そのような事態を招く前に一刻も早く「南無観世音菩薩」とお唱えし心を鎮めます。観世音菩薩の偉尽力によって心が救われるのです。
「衆生困厄(こんやく)を被りて、無量の苦身(くみ)に逼(せま)るも、観音の妙智力は、能(よ)く世間の苦を救ひたまふ。」 衆生が被る苦しみ、悩み、災難は無量であるが、その困厄を受けて心身ともに逼迫している時、「南無観世音菩薩」と念じ観音さまのお力にすがれば、観音さまの偉尽力は世間のどんな苦しみも救ってくださるというのです。
この段はこれまでの数々の「苦難」の結論です。「困厄」とは、人生の苦しみ、悩み、災難のすべてを指します。人生に百人百様あるように、人の苦しみや困難も実に様々です。貧しい人には生活苦の悩みが、病気の人には病気の苦しみがあり、お金や財産のある人にも、地位や名誉のある人にもそれなりの悩みがあるものです。観音さまは、どんな人のどんな悩みにもそれぞれに応じて救ってくださるのです。
観音さまは差別や区別は致しません。貧者を優先することはありません。地位や名誉のある人を優先することもありません。貧者であろうが長者であろうが悩みや苦しみの「本質」にかわりはないからです。さらに言えば、善人であっても悪人であっても救われることに一切の条件や差別はないのです。これこそ観音さまの大慈悲心なのです。
「神通力を具足(ぐそく)し、広く智の方便を修して十方諸(もろもろ)の国土に、刹(せつ)として身を現ぜざることなし。」 観音さまは神通力をもって一瞬のうちにあらゆる世界に赴き、自在の叡智をもってその時その場に応じたお姿で現れるというのです。
「神通力」とはよく聞く言葉です。何でも見透せる能力というと、超能力を思いうかべますが、それは世俗的な「超能力」とは違います。参考までにちょっと触れておきましょう。
(1) 天耳通(てんにつう)仏界から地獄までのあらゆる世界の声が聞こえること。
(2) 天眼通(てんげんつう)仏界から地獄までのあらゆる世界が見通せること。
(3) 宿命通無限の過去から無限の未来までの輪廻転生のすがたが見通せること。
(4) 神境通何ものにも囚われない境地、大自由の心をもつこと。
(5) 他心通心のあるものの「心」をすべて見通せること。
(6) 漏尽通(ろじんつう)無明を超えた清浄なる本具の心をもつこと。
神通力を持った観音さまは十万億土彼方の世界であろうが、どんな世界であろうが、刹(一瞬)にして赴くことができるのです。浄土であれ穢土であれ、極楽であれ地獄であれ、餓鬼道であれ畜生道であれ、観音さまが相(おすがた)を現さない世界はないのです。勿論乞われてのことです。その言葉が「南無観世音菩薩」です。
「種種(しゅじゅ)諸の悪趣、地獄、鬼、畜生、生老病死の苦、漸(ようや)く悉(ことごと)く滅せしむ。」そして、地獄、鬼、畜生、修羅などの様々な悪の世界の苦しみと、生老病死という苦しみを少しずつながらも完全に無くしてくれるというのです。
悪趣(あくしゅ)とは主に六道の世界を言いますが、その中でも地獄、餓鬼、畜生は三悪趣と言って特に極悪の世界とされています。そのような世界に堕ちて苦しんでいる苦しみや、生老病死という、生きている以上避けることの出来ない「四苦八苦」の苦しみなどは、観音さまは妙智力をもって少しずつ無くしてくださるというのです。
「妙智力」とは観音さまの妙なる智の力です。それがすなわち神通力や偉尽力となって一切衆生を悩み苦しみから救ってくださるのです。それには観音さまを心から信じて、至誠におすがりすることだと繰り返し説かれています。
観音さまの存在は本当なのか。観音さまの奇蹟は本当なのか。本当に自分を救って下さるのか。そういった疑問があるうちには観音さまは絶対に出現されません。「出現」が先か「信じること」が先か、そこは大きな問題ですが、信ずれば必ず救われる・・・それが観音さまの真実です。 
 

 

■21
真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰 無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間 悲体戒雷震 慈意妙大雲 樹甘露法雨 滅除煩悩炎 諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散
真観清浄観、広大智慧観、悲観、及び慈観、常に願ひ常に瞻仰(せんごう)すべし。無垢清浄の光ありて慧日諸の闇を破り、よく災いの風火を伏せ、普く明かに世間を照らす。悲体の戒は雷の如く震い、慈意の妙は大なる雲の如し。甘露の法雨を注ぎて、煩悩の炎を滅除す。諍(あらそ)い訟えて官処を経、怖畏(ふい)なる軍陣の中にありても、彼の観音の力を念ずれば、(もろもろ)の怨(あだ)悉く退散せん。
観音さまの「観」の字は、真理を観(み)るという意味です。真観、清浄観、広大智慧観、悲観及慈観を観音さまの「五観」と言います。われわれが物事を対処する時、さまざまな見解や認識によって判断し行動します。その見解や認識が間違っていたら当然間違った判断による行動が伴うのです。どんな事物にも真理があります。その真理を間違えないために必要なものがこの「五観」なのです。
まず初めの「真観」とは、真理を透観する心の眼です。仏教の真理を表しているのが諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法印です。これに「一切皆苦」を加えて四法印とすることもありますが、これらはすなわちこの大宇宙の真理実相を示した言葉です。別名「法界」とも言いますが、法界は完全調和の完全無欠の世界です。これを"大円鏡智"と言い、よく○(大円)で表したりします。
次の「清浄観」とは、清らかな心の眼のことです。"清らかな心眼"とは偏見やわだかまりのない純粋無垢な心のことです。人の心はどうしても主観に左右されます。その主な原因は自己愛、肉親愛による偏愛です。自己や肉親に対する愛情は人として当たり前のことです。しかしそれこそ偏愛なのです。
今問題になっている政界の世襲制の問題も、まさに肉親に対する偏愛によるものです。神社仏閣など今日では子供が後継者として当たり前になっていますが、宗教法人である以上原則世襲制ではありません。偏愛が後継者を肉親に限ってしまっているのです。世襲といえばあの北朝鮮がいま後継者問題で世界に注目されていますが、なんでも長男の正男氏の暗殺未遂があったとか。独裁者の偏愛は兄弟親族ですら粛正してしまうのです。
小泉元総理のような"立派"な人でも、聖職者といわれる坊さんや神主さんでも、独裁者やテロリストでも、人である以上偏愛は当たり前のことなのかもしれません。しかし偏愛こそ私利私欲の根源なのです。そんな偏愛のまったくない心こそが「清浄観」なのです。
「広大智慧観」とは、文字通り広大な智慧のことです。"智慧"は"智恵"とは違います。智恵は人間の感性から見た正しい"道理"ですが、智慧は仏教の覚りから観た正しい"真理"のことです。人の「道理」と仏の「真理」との間には雲泥の開きがあります。広大とは大宇宙ということです。すなわち「智慧」とは三千大千世界の真骨頂のことです。
「悲観」とは、抜苦(ばっく)であり、人の苦しみを取り去ることです。「慈観」は与楽(よらく)であり、人に楽を与えることです。この「慈観」と「悲観」とが合わさって「慈悲」になります。よく観音さまは慈悲の仏さまとも言われますが、それはこの抜苦と与楽の願いを聴いてくださる仏さまだからです。
「常に願ひ常に瞻仰(せんごう)すべし。」 瞻仰(せんごう)の「瞻」(せん)という字は仰(あお)ぎ視(み)ることです。以上これらの五観を「常に願い、常に瞻仰すべし」とお釈迦さまは説いておられるのです。五観は観音さまが常にお持ちの"真実"ですが、それは観音さまだけの特権ではありません。観音さまを心から信仰することによって誰でも自らその五観の徳にあやかることができると説かれているのです。
次に「無垢清浄の光ありて、慧日諸の闇を破り、よく災いの風火を伏せ、普く明かに世間を照らす。」と続いています。これまでの観音さまの「五観」をほかの言葉で表したのが「無垢清浄の光」です。一切のとらわれのない心、智慧と慈悲に満ちた心、完全無欠の大円鏡智の心こそが「無垢清浄の光」となるのです。
「慧日諸の闇を破り、よく災いの風火を伏せ、普く明かに世間を照らす。」 「慧日」とは「智慧の太陽」のことです。その「太陽」から放された無垢清浄の光こそこの世のすべての闇を破るのです。闇とは人の世の煩悩であり迷いであるのです。この「闇」こそが人の世の苦悩や不幸の元になるのです。その厄難の元である「災いの風火」を鎮めるものが「慧日の光」なのです。「慧日」が観音さまのお姿といってもよいでしょう。
「悲体の戒は雷の如く震い、慈意の妙は大なる雲の如し。」 「悲体」とは観音さまの「体」のことです。「慈意」とは観音さまの「意」(こころ)のことです。前に慈悲の悲は「与楽」であり、慈は「抜苦」だと述べました。観音さまの実体は慈悲そのものであるということです。
「戒」は「いましめ」です。諸悪を防ぎ諸善を生ずるにはまず「戒」を守ることからです。人が苦しむとき、その多くの原因が破戒なのです。人に苦しみを与えないために、自分自身が苦しまないためにもまず仏戒を守る必要があるのです。戒の下にこそ本物の「楽」があるのです。われわれ悩める衆生は本物の楽を得るためにはまずこの「雷の如く震う」厳しい「戒」を守るべきなのです。
「甘露の法雨を注ぎて、煩悩の炎を滅除す。」 「慈意」は「抜苦」だといいました。観音さまの「こころ」は妙たる雲の潤いの如く広がって「甘露の法雨を注いで、煩悩の炎を滅除」してくださるのです。
「甘露」とは、もともとインドの神々が飲む霊薬のことだったそうです。その味は蜜のように甘く、苦悩をいやし、不病不老の滋養にもなったそうです。喉を潤わせる最高の滋味であったことから仏教にも採り入れられました。仏の教えを甘露の雨に喩え「法雨」といいます。観音さまの慈悲は雷の如く厳しくもあり、優しい甘露の法雨の如く我々悩める衆生に注がれるのです。
人に危害を加えそうになったとき、婦女子に対して邪淫の気持ちが湧いてきたとき、人の物を盗りたくなったとき、「南無観世音菩薩」と至心に称えれば、観音さまの法雨が注がれて一切のよこしまな気持ちは滅除されるのです。燃えさかった煩悩の焔はたちまち消滅し、観音さまは間違いなく慈悲の法雨を我々に注いでくださるのです。
「諍(あらそ)い訟えて官処(かんじょ)を経(へ)、怖畏(ふい)なる軍陣の中にありても、彼の観音の力を念ずれば、衆(もろもろ)の怨(あだ)悉く退散せん。」われわれ人の世に争い事は尽きません。兄弟喧嘩や夫婦喧嘩にはじまり、友人から隣人にいたるまで争い事は尽きません。それが民族や国家間の問題ともなれば紛争や戦争にもなりかねません。そうなれば間違いなく多くの犠牲者がでます。
争いは全て主張のぶつかり合いから生じます。それぞれが"義"を主張しますが、双方に譲歩や妥協がないと官処(裁判所)に訴えたりします。それでも治まりがつかないと憎悪の感情は増幅され、最悪の場合暴力や殺人、民族や国家間に至っては紛争や戦争にまで発展しかねないのです。
争いも民族や国家間の問題ともなれば真っ先に不幸を被るのは一般民衆や国民です。日本の隣国に北朝鮮という、ならず者国家があります。今のこの時代に考えられない恐怖国家が現実に存在するのです。その独裁者によって万民が地獄に陥っています。国民はほんとうに哀れ気の毒としか言えません。隣国はもとより世界中が困り果てています。
今核実験やミサイル発射で虚勢?を張っていますが、制裁決議に対して戦争も辞さないと怒っています。戦争は自滅行為だと十分わかっている筈ですが、常識など通用しない国だけに実際自暴自棄になったら何が起こっても不思議ではありません。それにしてもあの国の不幸は一体いつ終わるのでしょう。拉致問題はいつ解決するのでしょう。いずれにしろ体制の終焉もそう遠くないことだけは確かです。因果は必ず証明されるものですから。
しかしなにより残念なことはあの国には観音さまがいないことです。観音さまだけではありません。困窮に瀕している国民にとってイエスキリストもマホメットも縁がないのです。なぜなら独裁国家には一切の宗教がないからです。独裁者自身が神であり絶対の存在だからそれが当然なのです。
しかしそれは同時に独裁者自身にも神も仏も付いていないということです。独裁者が神になることも神のご加護を受けられることも絶対に有りません。神も仏も信じる心がなければ存在しないのです。いくら闇世を照らす万能の観音さまであっても"招聘"がなければ出向くことはできないのです。すべてお見通しの観音さまだけにさぞ忸怩(じくじ)たる思いでいらっしゃることでしょう。
この娑婆世界に争いはつきものです。とはいえ相手の存在を否定し抹殺しようとする怨みこそ最大の不幸です。戦争はその最たるものです。互いに殺すか殺されるかという戦争に大儀名分はありません。そんな最悪の事態にならないように、腹が立ったとき、相手を憎いと思ったときこそ、「南無観世音菩薩」と一心称名するのです。そうすれば間違いなく怨みの心は鎮まります。まさに観音さまの威神力です。 

■22
妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念 念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙 具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼 
爾時。持地菩薩。即従座起。前白仏言。世尊若有衆生。聞是観世音菩薩品。自在之業。普門示現神通力者。当知是人。功徳不少。仏説是普門品持。衆中八万四千衆生皆発無等等。阿耨多羅三藐三菩提心。
妙音観世音(みょうおんかんぜおん)、梵音海潮音(ぼんのんかいちょうおん)、彼の世間の音(こえ)に勝れり。是の故に須(すべか)らく常に念ずべし。念々、疑を生ずること勿(なか)れ、観世音は浄聖にして苦悩死厄(しやく)に於いて能く為に依怙(えこ)と作(な)れり。一切の功徳を具(ぐ)し、慈眼をもて衆生を視(み)、福聚の海無量なり。是の故に応(まさ)に頂礼(ちょうらい)すべし。爾(そ)の時に持地菩薩、即ち座より起ちて、前(すす)んで仏に白(もう)して言(もう)さく、世尊よ、若し衆生ありて是の観世音菩薩の自在の業(わざ)、普門示現神通の力を聞かん者は、当(まさ)に知るべし、是の人功徳少なからず。仏是の普門品を説きたまいし時、衆中八万四千の衆生は、皆無等等、阿耨多羅三藐三菩提心を発(おこ)せり。
さて、いよいよこの『観音経講話』も最終の段となりました。今回のテーマは観音さまの声です。否、「声」こそまさに観音経のキーワードと言ってもよいでしょう。最後にその観音さまの声とは一体どのようなものなのかを明らかにしてみたいと思います。そして同時に観音さまは何故「音を観(み)る」と書くのか、その理由も持論で述べてみたいと思っています。
はじめの「妙音観世音、梵音海潮音、勝彼世間音」ですが、多くの解釈書によりますと、「観音さまは絶えず説法されていて、その説法には五通りの声があり、すなわち妙音、観世音、梵音、海潮音、世間音の五音である。」などとしていますが、論理が成り立ちません。拙僧の解釈とはまったく違います。「妙音観世音」妙音の妙(みょう)とは言葉で言い尽くせない不思議なものという意味です。また大変美しい妙(たえ)なるものという意味でもあります。つぎの「観世音」を観音さまの音(こえ)と訳します。つまり「妙音」を受けて「観音さまの音(こえ)はたいへん美しく言葉では言い表せないほどのもの」という意味になります。「梵音海潮音」次の梵音の梵という字は林に風が吹くという意味です。海潮音とは文字通り海に広がる海鳴りの音のことです。つまり「梵音海潮音」とは陸地や海原、すなわち大自然が放つさまざまな音(おと)のことです。「勝彼世間音」(彼の世間の音(おと)に勝れり。) 梵音や海潮音などのそれら大自然の音こそ観音さまの妙音(ふしぎなこえ)であり、観音さまの説法であるから世間の音(おと)に勝っているのです。「世間の音」とは人の世の「人の声」であり「人の常識理論」のことです。つまり真実の音(梵音海潮音)は人の世の迷いの音(理論)に勝っているということです。「是故須常念」(是の故に須(すべか)らく常に念ずべし。)だからわれわれは常に観音さまを念ずるのです。常にとは、いつでもどこでも、ということです。「念念勿生疑」(念々、疑を生ずること勿(なか)れ、)常住不断に観音さまを念ずることができればそこには疑いなどまったく起こりません。「観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙」(観世音は浄聖にして苦悩死厄(しやく)に於いて能く為に依怙(えこ)と作(な)れり。)観音さまは清浄にして聖なる存在ですから、世間の音、つまり悩める衆生のあらゆる苦悩や死厄から救ってくださるとても依怙(たより)になるお方なのです。「具一切功徳 慈眼視衆生」(一切の功徳を具(ぐ)し、慈眼をもて衆生を視(み)、)観音さまにはあらゆる功徳が具わっています。その慈しみの眼でわれわれを見守ってくれています。あたかも母親が慈愛の眼でわが子を見守るように常にわれわれ衆生を見守っているのです。そしていつでもどこでも衆生の苦悩の声を聞きつけ、例え餓鬼界であれ地獄界であれその真只中に飛び込んできてくださるのです。「福聚海無量 是故応頂礼」(福聚の海無量なり。是の故に応(まさ)に頂礼(ちょうらい)すべし。)福聚とは幸福の集まりのことです。それが海のごとく洋々として無量にあるというのです。つまり福聚の海とは観音さまの無量なる功徳と慈悲のことです。その用(はたらき)はまさに広大無辺であるから帰命頂礼すべきなのです。以上でお釈迦さまによる観音菩薩の功徳に対する説法は終わりになるわけです。「爾時。持地菩薩。即従座起。前白仏言。」 (爾(そ)の時に持地菩薩、即ち座より起ちて、前(すす)んで仏に白(もう)して言(もう)さく、)そのときに持地菩薩が大衆の中から立ち上がってお釈迦さまの前に進んで申されました。
「世尊若有衆生。聞是観世音菩薩品。自在之業。普門示現神通力者。当知是人。功徳不少。」 (世尊よ、若し衆生ありて是の観世音菩薩の自在の業(わざ)、普門示現神通の力を聞かん者は、当(まさ)に知るべし、是の人功徳少なからず。) 世尊よ、よくわかりました。今、観世音菩薩の自由自在な衆生済度のはたらきを拝聴しましたが、その神通の力を聞かれた者の功徳たるや計り知れないものがあります。
「観世音菩薩品」とはこの『観音経』のことです。持地菩薩とは地蔵菩薩のことであり、最後に地蔵菩薩が大衆を代表されてこの『観音経』の大功徳を証明されたのです。拙僧はこの講話のはじめに、観音経は「観音劇場」だという表現をしました。すなわち主演が観音さまで、観客の代表が無尽意菩薩で、制作演出がお釈迦さまで、そして最後に観音さまの大功徳の証明者が地蔵菩薩という配役です。
「仏説是普門品持。衆中八万四千衆生皆発無等等。阿耨多羅三藐三菩提心。」 (仏是の普門品を説きたまいし時、衆中八万四千の衆生は、皆無等等、阿耨多羅三藐三菩提心を発(おこ)せり。)お釈迦さまがこの「普門品」をお説きになった時、八万四千の聴衆は、全員この上ない完全な悟り(皆無等等、阿耨多羅三藐三菩提心)に到りました。
「無等等」とは比べることができない、最高ということです。「阿耨多羅三藐三菩提」(あのくたらさんみゃくさんぼだい)とは、梵語のアヌッタラー・サミャク・サンボディーの音写語であり、無上正等正覚と訳します。さいごに「心」を付けて、その意味は「最高至上の悟りを求める心」ということになります。
観音経の冒頭が、「もし無量百千万億の衆生あって、諸々の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて、一心に称名せば、即時に其の音声を観じて、皆解脱することを得ん」に始まっていますが、このさいごの「衆中八万四千衆生皆発無等等。阿耨多羅三藐三菩提心。」の一文が見事に結語となっています。
お釈迦さまの説法に感応したことで全ての聴衆は真実の智慧、最高の悟りに触れ、それを求めて菩提心を起こすことができたのです。八万四千というこの数字は無量無限の衆生を意味しています。これから先人類がいつまで続くかわかりませんが、そのすべての人々が最高の悟りを求める心を持つようにとの願いが込められてこの観音経は終わっていると言えるでしょう。
さて、はじめに観音経のキーワードは観音さまの「声」だといいました。拙僧はこの観音経の狙いを一言で言えば観音さまの「真実の声を聞くこと」だと思っているからです。それは観音さまの真実の声を聞くことがすなわち悟りであるからです。ではその真実の声とは一体何でしょう。
先にも述べましたが、「観音」とは「音を観る」と書きますね。普通「音」は聞くものですが、何故「観(み)る」というのでしょうか。それは「真実の音」は耳から聞くだけではなく同時に「眼で観る」ことのできるものだからです。その「観る」ことにまさに大きな意味があります。それはこの観音経をほんとうに理解するには、「観音」の意味を悟ることにあるからです。これが拙僧の持論です。
「真実の音」とは即ち「梵音」や「海潮音」なのです。つまり大自然の音こそ観音さまの声だと悟ることで観音さまのお姿が「観えて」くるのです。「音」と「物」が同じ「もの」になれば、音こそ姿でありそれがまさに「観音さま」のお姿だと分かるのです。
白隠禅師は「観音菩薩と申すのは、音を観るとの事ぞかし。是は則ち隻手の音(こえ)じゃ。これを悟ると眼が覚める。御眼が覚めると、世界一面観音じゃ。」『寝惚之目覚』と言われています。つまり音と物との間に区別のない世界、それが観音さまの世界だというのです。公案「隻手音声」はいわばこの観音さまのお姿を悟るための公案と言ってもよいでしょう。
「音」と「物」が一つになった時こそ「音」が「観」(み)えるのです。つまりその観えた「音」が文字通り「観音さま」だという次第なのです。「梵音」や「海潮音」といった大自然そのままが即ち観音さまのお姿だということになるのです。ですから音が観えない凡夫にはそのお姿は絶対に見えません。この理屈わかりますね。
以前、拙僧はこの観音経の意味する真の現世利益(救われる)とは「悟ること」だといいました。真に「悟ること」とは観音さまと自分が一体になることだともいいました。その手段としてあるのが一心称名「観世音菩薩」だともいいました。それは一心称名で絶対無心の世界が出現するからです。
絶対無心の世界には一切の差別分別がありません。すなわち音と物の差別分別もありません。林の中を吹き抜ける「梵音」も、海原の「海潮音」も自分自身と一体です。その瞬間「音」(おと)が観音さまの妙なる「音」(こえ)になるのです。すなわち観音さまと自分が一体になって救われた瞬間なのです。
以上、この観音経のテーマが「声」だという意味をお分かり頂けたでしょうか。多分他には見られない奇論かもしれませんが、拙僧はこの持論こそ正論だと思っております。
「是故須常念」だからわれわれは常に観音さまを念ずるのであり、「念念勿生疑」念念疑を持ったらだめなのです。「観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙」 観音さまは清浄にして聖なる存在ですから、世間の音、つまり悩める衆生のあらゆる苦悩や死厄から救ってくださるとてもたよりになるお方なのです。
人生を生き抜くわれわれ人間にとって災難や苦悩は絶対に避けて通れません。これらの問題は人類にとってまさに永遠のテーマだと言っても過言ではありません。それらの問題に対してお釈迦さまは「観音劇場」を制作演出され、みごとにその対処法をお示しになったのです。
観音さまを信じ、心から観音さまの御名をお称えすれば必ず救われるという、この観音経の精神を信じてあなたも是非「南無観世音菩薩」とお称えしましょう。観音さまは実際にいらっしゃる訳ですから救われるためには人は必ずそうしなければなりません。観音さまの実在を証明しているもの・・・それがすなわち観音経なのです。 完 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
法話

 

 
 

 

■「仏さまのこと、ご先祖さまのこと」 1
仏さまというのは、どのような方のことを言うのでしょうか。
私たちの一番身近な仏さまは、お釈迦さまです。お釈迦さまは、今からおよそ2500年前にインドにおられた方です。
生、老、病、死という、私たち人間にまつわる苦しみを離れるために出家して坐禅修行されました。この身と心さえもいつかは滅びてしまう(諸行無常)から自分のものではなかった(諸法無我)、この身と心は自分というとらわれ無しに皆の幸福のために働かせることができるのだと観察され、教え、自ら実践されたのです。
總持寺の仏殿におられるお釈迦さまを拝みますと、そのようなお姿が目に浮かんでまいります。仏さまは、人間として生きるべき道を悟り、皆の幸福のために実践し、教えた方です。
私たちのご先祖さまがたも、同じような方々でした。生前には直接に私たちがどう生きるべきか優しく厳しく教えてくださいましたし、この世を去られてからも私たちが手を合わせるたびに、しっかり生きていこうという心を起こしてくださいます。
私たちの心の中に生きて、私たちの生きるべき道を示してくださいます。
ご先祖さまがたが示してくださる道を、私たちは手を合わせて正しく受けて実践し、また道を教えてくださったことに感謝して手を合わせるのです。私たちがご先祖さまがたの教えを素直に受ける心を持ってはじめて、ご先祖さまがたは仏さまとして道を示すことができます。
ご先祖さま教えてください、と私たちが思う時に、ご先祖さまは仏さまと成る、成仏されるのです。
ご先祖さまがたは仏さまです。新しいご先祖さまが生前中教えてくださったことをしっかりと受け継ぎましょう。古いご先祖さまがつないでくださった命の大切さも学びましょう。
ご先祖さまがたを、お釈迦さまや高祖(※道元禅師)さま、太祖(※瑩山禅師)さまと同じように先生として敬い、導いていただくことで、仏さまとして私たちの心の中に共に生きてくださるのです。
仏さまの世界は遠いあの世ではありません。もうすぐお彼岸、ご先祖さまへの気持ちを新たにしてお迎えしたいものです。 

■「峨山様の歩いた道」 2
平成27年の大本山総持寺二祖峨山禅師様650回大遠忌を記念して、本年5月15日一泊二日の日程で、「峨山道ウォークツアー」が実施されました。
「峨山道」というのは、石川県羽咋市の永光寺様と、輪島市門前町大本山總持寺祖院様を結ぶ、50キロを超える山道です。峨山禅師様がこの二つのお寺の住職を兼ねておられた時、その山道を行き来して、両寺をお守りしたので、峨山様の道と呼ばれるようになりました。
私も20年程前、祖院での修行中、三回、一泊二日をかけて全行程を歩きました。地元の自治体や、ボランティア、大本山總持寺祖院が協力して実施された催しに参加したのです。
50数キロの行程は、平地も有りますが、山あり、谷あり、雨風の中、炎天下とヘトヘトになって歩いたことを思い出します。
そんな時、何よりの励ましになりましたのは、行く先々での「お接待」でした。弁当、水筒、雨具などを担いで歩きますが、所々に休憩所があり、「お菓子、果物、飲み物」が用意されています。そしてもっとも疲れを癒してくれるのが、地元の方々の笑顔とお話でした。
二日目の後半、ある山中で休憩をとった時のことです。地元の中年の女性からこんな話を聞きました。「この村の、○○さんのお宅には、峨山様に、お茶をふるまった、お釜がまだ残っていますよ。」「隣村には、峨山様がお休みになった家の子孫の方がいますよ。」と、それは嬉しそうに話されるのです。聞いていて、こちらも何か楽しくなってきたのを覚えています。
相当昔のことですから、全てが事実とは、言えないかもしれませんが、まぎれもないことは、峨山様が、ここを歩かれ、その土地の人々と、ふれあい、そして教えを説かれたということです。歩くお姿そのままが教えであります。その「お徳」を慕い、大切な事として、伝えられてきたのです。この女性も、嫁いできてから伝え教えられたのです。
峨山様のことを多くの人々が、大切にして伝えてきたからこそ、650年後の今、聞かしていただける。伝えていく為には、伝えられてきたという尊さに気が付かねばなりません。大事に伝えてきてくださった、その思いを今度は、私達が伝える番です。峨山様の歩かれた道は、今の私達につながっているのです。私達もまた、未来につなげて行かなければならないのです。峨山様の道を歩いてまいりましょう。 

■「日々の行いと共に伝える」 3
本日は、「伝える」ということについてお話をさせていただきます。大切なことを伝えるということは、本当に難しいですね。
以前にこんな経験をしました。お檀徒のお宅で、ご法事まで時間がありましたので待っておりますと、半分開いたふすま越しに、隣の部屋にいるお檀徒のAさんと小学生のお孫さん、「おじいちゃん」と「ぼく」の会話が聞こえてきました。内容は良く分かりませんでしたが、何かあったのでしょう。「ぼく」が、突然「バカ!じいちゃん。」といったのです。腹立ちまぎれに、勢いで言ってしまった言葉かもしれません。すると「おじいちゃん」は、少し強い口調ながらゆっくりこう言いました。
「だめだ。バカなんて言っちゃだめだ。どうしてそんなことをいう。いけないんだよ、自分が言われたらどう思う、嫌だろう、だから人には言ってはいけないんだ。じいちゃんは、一度も言ったことが無いぞ、そうだろう。」
「ぼく」は、小さくうなずいて、黙ってしまいました。きっと分かったのだと思います。
聞いていて、なるほどと感じました。特に『じいちゃんは、一度も言ったことが無いぞ。』という言葉は、心に響きました。きっと「おじいちゃん」はそうして暮らしてきたのだと思います。そんな優しく、穏やかなお人柄です。「ぼく」もそれを見てきている、知っているから納得したのでしょう。
「じいちゃん」は、一度も言ったことが無い。だからこそ、いけないことはいけない、と、ハッキリと言切り伝えることができたのだと思います。普段からやっていればこそ伝わるのです。
明年は、大本山總持寺二祖峨山禅師様の650回大遠忌です。そしてそのメインテーマは『あい、承る』と書きます、「相承」です。
江川禅師様は、『「相承」とは、仏さまのみ教えを学び、受け継ぎ、そして実践を通して丁寧に伝える事。』とお示しくださっています。「伝える」とは、日々の実践、普段の行いの中で、ゆっくりと、しかしながら、確実に伝わっていきます。
「ぼく」は、また「バカ」と言ってしまうかもしれません。けれどすぐに「じいちゃん」のことを思い出して、やめようと心に誓うと思います。そしていつの日か、自分の子供や、孫に、周りの人々にきっと「大切なこと」を伝える日が来るでしょう。日々の行いと共に。 

■「人と上手につきあうコツ」 4
仏さまは、自分だけでなく他の人も、他の人だけでなく自分も、皆ともに平和な幸福(しあわせ)を育みましょう、と教えておられます。
他の人とのつきあい方は、なかなか難しいものですが、古くお釈迦さまの教えとして、布施、愛語、利行、同事という、四攝法(ししょうぼう)と呼ばれる四つ教えが大切にされてきました。これはそのまま、人と上手につきあうコツとなり得る教えです。
まずは、相手のかたが何をしているのか、何を求めているのか、理解することが大切ですね。相手の立場に身を置いて、相手になりきって、相手の心を知ることが第一です。これを「同事」と言います。
その心が分かったら、相手に必要な手助けを差し上げます。私が相手に与える、という気持ちではなく、自分の身体がケガすれば思わず自分の手を添え手当てするように、自然に相手と一体になって、分け隔てなく必要なものを差し上げます。これを「利行」と言います。
もし相手が、優しい言葉を求めていたり、知識や指導が必要な時には、相手の気持ちとひとつになって、慈しみに満ちた言葉を分け隔てなく差し上げます。これを「愛語」と言います。
あるいは、自分の持っているものであったり、平和な幸福の中で生きていく智慧が求められている時には、「これは自分のもの」と囲い込まずに、分け隔てなく差し上げます。これを「布施」と言います。
相手の気持ちになりきって、自分と他の人との境目をなくしていく「同事」の心で、相手とひとつになって行動していくということですね。でも、ここでご用心!相手になりきる、相手を察することもまた、相手がこちらに何かを求めてはじめて、できることなのです。求められていない相手にとっては、お節介になることもあるのです。
太祖瑩山禅師さまは坐禅の際の心がけとして、『坐禅用心記』の中で、「十たび言わんと欲して、九たび休し去り」と仰っておられます。
十回言おうと思っても、ぐっとこらえて九回言うのをやめる、そのくらいの自分の慎みで他の人たちと接していくこと。
坐禅に親しみこの姿勢を自分でしっかり保つことが、相手の気持ちになりきる、しっかり察することが出来ることへつながります。一方で、自分の身と心も正しく育むこととなるのです。 

■「めぐりあい」 5
越後の国の良寛さんが、玉島の円通寺というお寺で修行しているとき、そのお寺に仙桂さんという修行僧がおりました。仙桂さんは一言もしゃべらず、身なりをかまうことなく、そうかといってお経を唱えるでもなければ、坐禅することもなく、ただ毎日黙々と畑を耕し野菜を上手に作っては、寺に来る人達に施しているのでした。そのころ毎日修行に励む良寛さんには、同じお寺にいながらも仙桂さんのことが全く眼にはいりませんでした。そして時間がすぎ、師匠様から悟りの境涯をみとめられた良寛さんは、ふるさとの越後の国、出雲アへ帰るのですが、ある日、お経を読んでいるとき、ハッと突然、円通寺にいた仙桂さんの存在に気づくのです。「彼こそ、ひたすら自分のつとめを果たし、人の幸福を優先させ、黙々と大地に向かって修行していたのだ。」と悟るのです。「あのころ、毎日一緒にいながら、真に仏の道を志す仙桂さんに、なぜ気づかなかったのだろう。」と、良寛さんはめぐりあい≠ノ気づかなかったことを大変に後悔しました。
人生はめぐりあい≠フ連続だと言われます。「もしあのときあの人に出会っていなかったら・・・・」とか「あのときあんなことさえなかったら・・・・」というように、私たちの周りにはさまざまなめぐりあい≠ェあり、その不思議なめぐりあい≠フなかで生かされています。めぐりあい≠ヘ仏教でいう縁≠ナす。さまざまな縁≠ノよって生かされているはずの私たちなのに、誰の世話にもなっていないと、自分一人で生きていると思い込んでしまっては、一度かぎりの人生を、うかうかと過ごすことになりかねません。テレビや新聞書物の中にも、仕事や遊びの中にも、人との出会いの中にも、私たちを支え生かさせていただく縁≠ヘ無数です。知っている人、知らない人といった条件や、好き嫌いの区別を越え、善し悪しにかかわらず、その一つ一つのめぐりあい≠おろそかにせず、自分自身でうけとめ、そして大切にして行くこと、そんな日々の歩みこそお釈迦様の教える修行であり、人間としての生き方でありましょう。 

■「遅い春がさく」 6
私の住む東北山形の北部は大変に雪の深いところです。遅い春は4月に入ってもなかなか顔を見せてくれません。ようやく春の風が吹き渡る下旬、残雪の冬枯れの景色が一変するのです。うめ、水仙、こぶし、モクレン、さくら、椿などの花々がいっぺんに色付き、一気に咲きそろいます。雪国に住む者には、それはそれは待ち遠しくこころウキウキする季節なのです。
「百花、春至って誰がために開く」という言葉があります。咲きそろう花々は誰の為に咲くのでしょうか。私たちに「きれいだネ」と褒めてもらうためでしょうか。それとも蜂や蝶を集める為でしょうか。花は決して評価を期待したり、思惑をいだいて咲いてくれるのではありません。花はただ花本来が備わった本領、つまり本来の性質、力のままに、時節と因縁を待って開花するだけなのです。
瑩山禅師様は、「人には人それぞれに個性や才能が備わっている、それは他者のためのものではなく、その人それぞれに与えられたかけがえのない性質であり力であるから、その本来備わった性質、力を発揮する努力を怠ってはならない」と示されています。
日ごろ、私たちは何かにつまずけば、つまずいた原因を他者に押し付け、苦しくなると自分のことしか考えられなくなってしまいます。あれやこれやと考えれば考えるほど、視野がどんどん狭くなって苦悩に深く落ち込んでいきます。そっと満開の花を眺めてはどうでしょう。他者とくらべてばかりいる自分、思い悩んでいる自分が見えてくるはずです。自分に備わる本領は、きっと出口はいっぱいあることに気付かせてくれます。4月はスタートの月、思い悩む自分をリセットしてみてはどうでしょう。何の計らいも無く自然に咲き、ただ精一杯に咲きそろう花々のように、私たちも自分の本領を磨く日送りに心掛け、精進していきたいものです。 

■「輝くいのち」 7
東日本大震災がおきてから、三年の月日が経とうとしています。被災された方々が一日も早く安寧な生活に戻られることを心より願っております。
また、私たちは、大震災によって多くの事を学び、感じました。人と人の絆の強さ。人を思いやるやさしい心。礼節。勇気。義にあふれた自らの務めを全うした人々の姿。日本人として、心打たれました。そして、『死は理不尽であること』また、善悪や道理などの全くおよばない「なぜ、何故!?」という『ただただ非情なものである』という事をあらためて思いました。
修証義というお経には、
『いのちの儚さはまるで露のようで、いつ、どこの道の草に落ちるともかぎらない。ましてや、いのちは流れるときの中で一時もとどまることはない』
『過ぎ去った時は二度と帰らない。いのちの終わりはアッという間にやって来て権力も財産も家族や友人もそれを止めることはできない。ただ一人黄泉という亡くなった人の国へ行くだけです。』
と、説かれています。しかし、限りあるいのちが虚しいのではありません。
限りあるいのちだからこそ輝かしいものになるのです。
仏教はたった一つの大切ないのちを思い、すばらしいものにしていく為の教えなのです。
もうひとつ感じたことは『あたりまえの大切さ』です。
日々のくらしの中の小さなあたりまえ。大震災はそれも壊しつくしました。ふと交わすほほえみも、つないだ手の愛しさや子供たちの笑い声。まあいいか・・・。あとでいいか・・・。あたりまえだと信じているから言わなかったありがとうやごめんなさい。それらは本当に大切なかけがえのない宝ものです。
露のいのちがいつ落ちるか分からないのだから、過ぎ去った時は二度と帰らないのだから、目の前にあるあたりまえだと思っている小さな事をもう一度見つめなおして、大切にして下さい。
それは自分自身のまごころを伝える、ということに他なりません。そして、頂いたまごころにはまごころをもって応えてください。大切な人のために。
限りあるいのちを輝かせる生き方をして下さい。 

■「よき人に出会う」 8
ご本山には、毎日多くの人が散歩に来られます。時々、私はその人達と話をします。最初は朝の挨拶だけであった人なのに、顔なじみになった為、親しみを込めて自分の心の思いを語られた人がいらっしゃいました。
「私は姑のお陰で、今、とても幸福です。そして人は尊いものですね」と語られ次の様なお話をしてくれました。
私の姑は三年前に亡くなりました。私の夫は三人兄妹の次男です。そんな私は姑と同居をしました。
その後、三十年間、姑と一緒に生活しているうちに、高齢になった姑を介護するようになりました。そして介護しているうちに、気がつきました。私はこの人に育てられていたのだ、と。姑は私に対して事あるごとに「ありがとう。」と言って、いつも合掌をしてくれたのです。
吉田兼好の「徒然草」に「よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみじみと見ゆるぞかし」と言う文があります。
「よき人」とは「心の美しい人」のことです。よき人の住む家にさしこむ月の光は、ことのほか美しいものです。
この女性は、お姑さんと一緒に住んでいるうちに、折々の縁により、幼かった頃の自分が、親に深い愛情で育ててもらったことを思い出しました。今が、育ててもらった親に対して、その恩に報いる時だと思ったそうです。
相手を思いやる心から「愛語」が生まれます。「愛語」は自分と他の人との生き方を変えることができます。「ありがとう」と言って合掌してくれたお姑さんの言葉が「愛語」です。
この女性にとっては、お姑さんが「よき人」となり、自分の心に月の光がさしこんできたようなものです。そして、自分の中にもある、人としての尊さを自分で発見できたのだと思います。

■「静けさ」を承け継ぐ 9
皆様、年末の大掃除できちんと整理整頓し、すがすがしい新年をお迎えでしょうか。
私共布教教化部では、ご本山関連の幼稚園や保育園へ毎月一回、坐禅指導をしています。園児たちに坐禅を教える時、最初に苦労するのは言葉です。専門用語を使えば当然わかりませんので、出来るだけ単純な言葉使いをし、わかりやすいたとえで指導します。すると、思いがけず、それまでの一般向けの指導でいささか解りづらかったところが、いくつも浮き彫りになりました。
園児へ教えることで坐禅指導を整理整頓すること出来ました。お蔭で図らずも色々大切な気付きを得たのです。 
お釈迦様が最後に遺された八つの教えの一つに、遠離、つまり、世間のしがらみから遠く離れなさい、というみ教えがあります。そのために静かなところに一人住みなさい、と言い遺されたのです。道元禅師様はそのみ教えを承けさらに、静けさを願いなさい、と勧められました。
一人静かに出来る空間、皆様方お持ちでしょうか?例えば、ご自分のお部屋。好きなものに囲まれ落ち着く場所でもありましょう。お気に入りの品々。いつでも情報を伝えてくれるテレビやパソコン。しかしそれらは、自分のこだわりを助長させ、世間の雑踏を部屋に持ち込んでしまうものでもあるのです。
年末にお済ませのこととは思いますが、お部屋を今一度整理整頓し自分を縛りつけるものは遠ざける。そのような空間で、ご自身の日常に、「静けさ」を親しむ時間を設けてみてはいかがでしょう。整理整頓し静かに時を過ごせば、今まで見落としてきたことを見つけ、気付かなかったことに気付けるのではないでしょうか。
お釈迦様・道元禅師様に倣い、瑩山禅師様や峨山禅師様もまた「静けさ」の大切さを承け継がれました。そのご遺徳の結果として現在、大都会の喧騒の中にあって静寂を保つ稀有な修行道場が、この鶴見の地にあるのです。
承け継がれてきた「静けさ」を、どうか皆様方にも承け継いでいただきたい。
ご本山では一月から各種坐禅会を開催予定しております。お部屋の模様替えの参考にしていただく意味でも、足をお運びいただきたいと存じます。
まずは身近なお部屋から調えていただき、そして行く行くは赴かれる先々で「静けさ」を顕わしていただく皆様であって欲しい、とお祈り申し上げます。 

■「おもてなし」 10
肌寒い初冬のある日、御先祖様の供養に来山された家族がありました。親子四人でした。中学生の姉妹は真剣に、焼香をしていました。御経が終って法話をしていると、妹は、私を真直ぐ見ながら、話を聞いてくれました。聞きながら、少女は少し微笑み、うなづいてくれました。それは、「布施」についてのことでした。一つのケーキを二つに分け合って食べたら、もっと美味しくなるという話です。
貪りのない施し、見かえりを求めない施しについての話です。少女は、話が終り、帰る時に私を見ながら、にっこりと頬笑んでくれました。
現代人の求める宗教観は、理性に耐え得る宗教でなければなりません。それに一番近いのが、禅ではないでしょうか。
禅は奇跡めいたことは一切言わず、世界をただありのままに見よと言います。
ここに花が咲いている、よく見なさい。ただそれだけのことです。
目の前にある、この世界をそのまま、ありのままに見るということです。
自分の分別や欲望から存在を見るのではなく、存在そのものになって存在を見る。花を見るときには花になる。子どもと話すときは、子どもになる。いつでも、どこでも、そのものになりきることです。
先頃、オリンピック招致委員の滝川クリステルさんが、「おもてなし」の話をして、話題になりました。
これは、見返りを求めない心であり、「布施」の心であります。
見知らぬ人を招く時に、この布施行が、相手の存在を受け入れることであり、相手の「いのち」に触れることになると思います。
私は供養の時に微笑んでくれた少女に、この、「おもてなし」を感じました。 
 

 

■「観音さまの申し子」 11
十一月二十一日は「太祖降誕会」の日です。この日は、大本山總持寺をお開きになられた御開山・瑩山紹瑾禅師さまの誕生された記念日です。
太祖とは、太いと言う字に祖先の祖とお書きします。曹洞宗では、瑩山さまを尊称して申し上げる呼び名です。
瑩山さまは、文永元年西暦一二六四年の十月八日に出生されたと伝えられます。この日を太陽暦にしますと十一月二十一日にあたります。
誕生の地は、越前の国多祢邑といわれますが、これが何処にあたるのかについて昭和四四年ご本山は、当時の福井県武生市帆山町、現在の越前市帆山町として、そこに「瑩山禅師御誕生地顕彰碑」を建立しました。
私たちは瑩山さまをお慕いして観音さまの申し子と申し上げ、これはお母さまが大変熱心な観音信仰者だったからです。
お母さまが一八歳のときです。それまで七・八年生き別れになっていました実母に会いたいため、京都清水の観音さまに七日参りの願をかけておまいりをしていたところ、六日目の参拝の道ばたで十一面観音さまの頭部を見つけられました。
不思議なご縁を感じ、その観音さまに「もし願いが叶えられましたならばお体を補いいたします」と願をかけたところ、それが叶い実母と巡り会うことができました。よろこばれたお母さまは、お体を補修して一生の念持仏としたのです。
瑩山さまは、お母さまが三七歳のときの初産の子でした。この観音さまに願をかけたところ、朝日をのみこむ夢をご覧になられ身ごもったことを知らされたと伝えられます。
お母さまが観音さまに祈願して授かった子として申し子といわれる所以がここからきているのです。
観音信仰に生きたお母さまの念持仏十一面観音さまは、瑩山さまに護られ今も能登半島の羽咋市・永光寺内に奉られています。 

■「二祖峨山さま」 12
大本山總持寺では、毎年十月十二日から十五日まで御征忌の行持が執り行われます。これは、御開山・瑩山紹瑾禅師さまと二祖峨山韶碩禅師さまのお二方に対します報恩法会です。
特に平成二十七年には二祖峨山さまの六百五十回大遠忌をお迎えいたします。大遠忌は五十年に一度つとめられるおまいりです。
ご本山においては、開祖さまと二祖さまは別々のものではなく一体として崇め「瑩峨御両尊」と尊称申し上げます。平成三十六年には、開祖瑩山さまの七百回大遠忌もお迎えいたします。この勝縁にあたり、ご本山では相承―大いなる足音がきこえますか―をかかげて、この精神のもとに明年より總持寺大報恩法会を修行いたします。
二祖峨山さまは開祖瑩山さまのあとをつがれ、ご本山の発展と曹洞宗の教線拡充にその基礎をきづかれました。
九十一年のご生涯のうち、總持寺の住持職を約五十年に及びつとめられました。その間、人材育成をはかり多くの弟子を養成しました。その中で五院二十五哲と称されます優れた弟子が育ち、日本各地におもむき教線を敷き、今日の曹洞宗の発展に尽くしたのです。
ところで、禅の教えに「把住・放行」という言葉があります。把住とはつかんではなさず自由を許さないこと。放行とは逆にすべてをまかせてしまうことです。
これは、師が弟子の心境を常に観察しつつ必要に応じて軌道修正をしながら導いていくという禅の極意です。
二祖峨山さまは、お師匠さまから受け継いだこの宗風を如何なく発揮され、柔軟心をもって、ときには厳しく、ときには自由にまかせ一人ひとりの弟子を指導しました。
弟子たちも二祖峨山さまの心を受け継ぎ個々の状況に応じて人びとの指導対応にあたったからこそ、曹洞宗の教えはひろく受け入れられ全国に発展していったのです。 

■「かかわり合いの中に生かされて」 13
「和尚さん、物じゃなく心なんだよ。誰かとつながっていないと人は生きていけないでしょ」。
これは石巻のある仮設団地で自治会お世話役を一生懸命なさっている木村さんの言葉です。人の集まれるような行事を企画し、その都度一軒一軒声掛けして回る木村さんですが、実は震災前は地域の方とはほとんど交流が無かったそうです。
なぜ今そうなさっているのかお尋ねすると、「生かされた命だからやらなくてはと思うんです」。
津波にのまれながらも一本の木にしがみついて耐え、自分は民家の2階に救い上げてもらったが、回りを流されていく方々をどうすることも出来なかった。そうして紙一重で助かった我が身、自らの命のありがたみに気付いた言葉、それが「生かされた命だから」。
その生かされた命をどう生きるか?お考えになったのです。
そしてもうひとつ大きな出会いがありました。避難所に行ったものの、知らない人ばかりで不安に押しつぶされそうになる自分に「大丈夫ですか?木村さんですよね?」声を掛けてくださった方があったが一体どなたなのか分からなかった。その方は木村さんがお住まいの地域の町内会長さんだったそうです。どれだけ安堵しどれだけ励まされたことか。
自分はそれまで気にしていなかったのに向こうはしっかりと見ていてくださった。それがご縁でそのまま避難所も仮設住宅もその会長さんと共にお世話役に就いたと仰います。「あの時の自分と同じように不安に駆られている方々のお役に少しでも立てたなら」。木村さんが精力的に人のお世話をなさるのはそんな願いがおありなのです。自分のことは少し横に置きながら、人のためにと頑張っていらっしゃいます。
実際、遠くに住む弟さんから一緒に住もうと誘われたそうですが「まずはこの団地をどうにかしなければならない。やる事いっぱいあるからね。まあそれから考えますよ」。明るくいきいきとした表情で仰っていました。
人とかかわり合うことは時に束縛や不自由さを感じるかもしれません。でも私たちはそのかかわり合いの中で共に生かされているのです。
かかわり合うことは「喜びも悲しみも分かち合う布施の教え」の実践にほかなりません。自他共に心安らかに生きるためのほとけ様の教えです。人と人の関係が希薄になりつつある現代にあってかかわり合うことを大切にして参りたいものです。 

■「あなたの安らぎは私の安らぎ」 14
とても暑かった去年の夏、津波で被災した石巻、門脇小学校の前で一生懸命向日葵のお世話をする三十代の女性にお会いしました。「大きいですね!向日葵」「295センチあるんですよ」「よくここまで育てましたね、大変だったでしょう?」「いーえ、大丈夫ですよ」
そうおっしゃった彼女ですが実際はご苦労がおありでした。4月から会社帰りに毎日水やりに草取り、雨の日も風の日もかんかん照りの中もお世話を続けていらっしゃる。心ない方に柵を壊されることもあった。始めた当初は地元の方も怪訝そうに見る。それでも通っていたお子さん達がいつか校舎に来た時に、あまりにも目を覆いたくなるような光景だから、せめて向日葵が咲いていたなら少しでも心が安らぐんじゃないか、そんな思いで続けさせて頂いていますと教えて下さいました。
すると続けるうちに地元の方もご挨拶下さるようになったそうです。彼女のひたむきに謙虚に人のために尽くし続ける姿勢が皆さんに通じたのですね。
「最初は子どもたちのためと思っていたけど地域の方や遠くから見学に来る方みんなの向日葵になってきたんです」
「花を見て笑顔になってくれるのが私は嬉しいんです」と仰っていました。
花を見た方が心安らいでくださる。それがご自身の心の安らぎにもなっているのですね。
また、ご自身の根底には津波で家族を亡くし辛い思いをしているご友人に何もしてあげられないでいたことがあるとも教えて下さいました。
人の悲しみやつらさを自分のこととして受け止め、他の安らぎや幸せのために尽くしていく。そうしてみんなが心安らいだところに私たち一人一人の安らぎも共にある。『あなたの安らぎは私の安らぎ』です。誰もが幸せに生きていける仏さまの教えです。彼女の向日葵のように、人を笑顔にできる安らぎを与えられる、そんな花をご一緒に咲かせて行きたいですね。

■「ばあちゃんへ」 15
かれこれ十五年以上前。蝉の声がやけにうるさく感じた、暑い夏の午後。
当時私は二十三、四歳、祖母は七十に手が届くか届かないかだったと記憶している。年齢はあやふやだが、その日の祖母の言葉と、映像はやけに鮮明に覚えている。
大きなテーブルを挟んで、二人でスイカを食べていた。スイカの果実が赤から限りなく白に近いピンクにかわり、もう一すくいいけるかどうか悩んでいると、祖母は私に向かって言った。「あたしがあんたのこと、わからんようになったら、それはあんたの為だからなぁ」一瞬意味が理解できず、おそらく私はとんでもなく間延びした表情をしたと思う。ばぁちゃんは「あたしが病気で苦しんだら、それもあんたの為だ」と続けた。
ばぁちゃん、まさか認知症が…、ではなかった。
よくよく話を聞くと…
もし病気になったら、沢山沢山迷惑をかけるだろう。苦しみもする。しかしそれを見て、あんたは「もう苦しまなくていい」、「あの世に逝ってもいいよ」と思うだろう。そうすれば悲しみは少なくて済む。
これは昔からおばあちゃん子であった私を、思いやっての発言だった。ほっとしたのと同時に、少し腹が立ったのを覚えてる。
ばぁちゃんに関し、もう一つ忘れられない光景がある。
ばぁちゃんの孫、私にとっては妹。その妹が死んだ時だ。
火葬の日。あなたは子どものように駄々をこね、火葬の釜の扉が閉まらないよう必死で抵抗した。事実あの時あなたは子どもだった。その尋常じゃない様子に、支えなくちゃならないとその場にいた家族は誰もが思った。
今思うと、ばぁちゃんを世話し、暴れるのをとりおさえ、なだめざるを得ないことで、あなたの娘でもある、私の母は正気を保ったのだ。支えてるつもりが、実は支えられていた。
そして四年前。予告通り、病気になり、愚痴をこぼさず、旅立った。
今年もお盆の季節がやってくる。
ありがとう。
ばぁちゃんが家族に残してくれた慈しみと悲しみ。『慈悲』に包まれ、今、生かされてるよ。
今年も御馳走用意して、待っているから。 

■「幽霊の話」 16
先日お檀家から質問を受けました。「幽霊はいるの?」というものです。
この質問は、意外と多く、その度に私は幽霊を「確かに最近見かけることが多いですね。」とお答えいたしております。
全国各地のお寺には、幽霊が描かれた掛け軸が多数存在します。
ほどけたばさばさの長い髪、着崩れた服から両方の手を前にだらりとたらし、さみしげな表情をうかべ、今にも「怨めしや〜」と掛け軸から声が聞こえてきそうな、そんな風に書かれた絵です。皆様はお寺、もしくはテレビ等でご覧になられたことありますでしょうか?
以前、曹洞宗の先輩和尚様から聞いたお話です。
所謂幽霊の絵で描かれる長い髪、あれは『後ろ髪引かれる想い』という言葉があるように、過ぎ去ったもの、つまり過去に対していつまでも執着している心を表したものである。
また前にだらしなく出されている両手は『欲しい欲しいの手』といって、未だ来ぬもの、つまり今はまだおとずれてない未来ばっかりに気持ちが向いてしまっている、その欲望の気持ちを表している。過去にとらわれ、未来ばっかりに手をのばし、『今』をないがしろにしてしまっている状態。
幽霊にはもう一つ特徴があります。足が描かれていないというものです。そうです。『地に足がついていない』ということです。ふわふわしたなんとも頼りない生き方。『今』をしっかり『生きてない!』
ここに幽霊の完成です。
禅の言葉に「看脚下」というものがあります。自分自身の足元をしっかりと見なさい、という意味から、よくよく自分を見つめ、『今ここ』瞬間瞬間を生きなさいとの教えです。過ぎた『今』を過去と呼び、『今』の積み重ねが、未来となる。『今』をぼんやりと過ごしては、過去も未来も良いものとはなりませんね。
さて、ふと思えば、なるほど。禅宗の僧侶が、頭を丸め、また歩くときは、『叉手』といって胸の前でしっかりと手を組む姿は、〈今を生きる〉という姿勢を表しておるものでありましょう。幽霊とならぬよう、ご一緒に、怠らず精進致しましょう。 

■「よき出会いを求めて」 17
将来、看護師になることを夢見る一人の少女がおりました。
しかし、彼女は、「人を愛するということは、どういうことか。」という疑問にぶつかり、看護師の仕事に希望が持てなくなりました。
そんな時、ある病院の研修で、一人の看護師さんに出会いました。
その看護師さんは、足のけがで入院していた少年に、リハビリをするように勧めておりましたが、その少年はなかなかリハビリをしようとしません。
やがてその少年は、自分の手に持っていた積み木を、その看護師さん目がけて投げつけました。積み木は、看護師さんの額に当たり、そこから一筋の血が流れ出しました。
それを見た少年は、とっさにその場から逃げようとして、二・三歩よろよろと歩きかけました。
するとその看護師さんは、額から血を流しながら、「歩けてよかったねえ。」と言って、その少年を抱きしめました。
「人を愛するということは、こういうことか。」
少女は、その看護師さんとの出会いの中で、人を愛するということについて学んだといいます。
このように、その時の出会いが、その人の人生に大きな影響を及ぼすことがございます。ほとんど絶対的に、その人の人生を決めてしまうことさえあります。
ですから、誰と出会い、どういうものに巡り会うかということが、私たちの人生において最も重要な意味を持っているのです。
瑩山禅師様は、お若い頃に方々のお寺を訪ねられて、そこで色々なことを学ばれました。そうして、終には徹通義介禅師様との出会いの中で、大いなるお悟りをお開きになられました。それはまさしく、優れたお師匠様との出会いを求めた修行の旅であったのです。
自らの人生をより深く、より有意義に生きていくために、私たちもまた、よき出会いを求めていく努力を惜しんではなりません。
加えて、自分自身の存在が、他人にとってよき出会いとなれるように、お釈迦様や両祖様のみ教えを真摯に学びながら、日々の精進を重ねて参りましょう。 

■「尊い命を大切に生きよう」 18
四月八日はお釈迦様の誕生日・花まつりの日です。別の言い伝えでは、五月の満月の日が誕生日だという説もございますが、日本ではだいたい四月八日となっているようです。
地方によっては旧暦の四月八日に合わせて行われているところもございますが、各地で花祭りの行事が厳かに、また華やかに営まれております。
お釈迦様はお生まれになるとすぐに七歩歩まれ、一方の手で天を指さし、一方の手で地を指さしながら、「天上天下唯我独尊」とおっしゃったと言われています。これは「天にも地にも命は一つ」という、尊い命の宣言に他なりません。
私たちの命は、それがどんなに小さなものであっても、天にも地にもたった一つしかない、かけがえのない尊い命であり、その尊い命をお互いに大切にしていくことが、お釈迦様の誕生のお言葉に込められた願いでもあるのです。
このような尊い命を大切に生きるためにも、日々精進を重ねながら、より良い方向へと進んでいく努力を怠ってはなりません。それは単に財産を増やすとか、名誉栄達を得るということだけではなく、むしろ自分自身の内なる心の向上に努めるということです。
「玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。」という言葉がございますが、どんなに素晴らしい原石であったとしても、磨かなければ光を放つことはありません。それと同じように、人は日々精進を重ねることによって、はじめて人となるのです。
『法句経』の中に、
ひとの生を うくるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし 正法を 耳にするはかたく 諸仏の 世に出づるも ありがたし
という言葉がございます。
私たちは、そのありがたい命・受けがたい命を幸いにして受けることができました。その上、正しいみ教えに出会うこともできました。
そのことに喜びと感謝の心を抱きながら、お釈迦様、道元禅師・瑩山禅師の両祖様のみ教えにしたがい、尊い命をよりよいものにしていく努力をお互いに続けて参りましょう。 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
総源山海潮寺・法話

 

曹洞宗(禅宗) 山口県萩市北古萩
【本 尊】 聖観世音菩薩
【伽 藍】 本堂(明治7年の火災後、明倫館聖廟を移築、市指定文化財、平成5年改修)  山門(江戸時代中期、平成5年改修)  土蔵(江戸初期)  庫裏(明治7年の火災後、大内家菩提寺旧円政寺の書院を移築、平成7年改修)  禅堂(昭和2年建立)   客殿(昭和58年再建)  地蔵堂(昭和9年再建)  位牌堂(平成5年再建) 
【沿 革】 開創は応永15年(1408)、開山は不見明見。もと石見国温泉津(現、島根県邇摩郡温泉津町)に湯津山海蔵寺が建立されたことに始まる。のち毛利輝元の防長移封に際し、慶長12年(1607)、第12世大佐のとき萩に移り、山号・寺号を現在のものに改めた。その謂われが『総源山歴住伝譜』に「総源は見祖(開山明見)の流派を総括する本源の謂と為す」とあり、また「寺もと(観音)大士を安置す。乃ち(観音経の)海潮音の義を取ってなり」とある。江戸時代には長門・石見国内に11ケ寺の末寺を擁した。明治初年、末寺の保福寺、法蔵寺、及び江月庵を合併した。明治7年、火災に罹り、山門・土蔵を残して全焼。萩明倫館の聖廟を移築して本堂とし、同16年までに旧観に復した。
石州海蔵寺時代
当山に伝わる「開山不見和尚業譜」によりますと、当山は応永元年(1394)(一説に応永15年)、石州湯津(島根県温泉津町)に創建され、石州時代は湯津山海蔵寺と称し、約六百年の歴史を持つ古刊であります。
開山は、通幻寂霊禅師十哲のお一人、不見明見禅師であります。不見禅師は郷里(島根県仁多郡仁多町)に総光寺を開かれ、また、師匠の通幻禅師示叙の地(福井県武生市)に興禅寺を開かれて、応永十三年(1406)には能登の総待寺(現在、横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山総持寺)に十九世として晋住されました。当山二世唄庵義梵禅師も各地にお寺を開かれるとともに、正長元年(1428)に総持寺六十二世となられました。
降って、慶長八年(1603)に海蔵寺に晋住された当山十二世一天大佐和向は、翌、慶長九年(1604)に、温泉津の地に創建されて以来二百年も続いた海蔵寺を長州萩に移し、寺号も総源山海潮寺と改められました。当山が温泉津から萩に移ることになったのは、戦国の乱世が深くかかわっていました。
温泉津という所は、背後に大森銀由をひかえ、その上、自然の良港に恵まれていましたから、銀山を狙う戦国武将たちにとって、温泉津攻略はまさに垂挺の的でありました。ちょうど、銀山防衛の要である山吹城争奪戦が毛利と尾子の間で繰り広げられましたとき、山吹城主刺鹿長信はその戦に巻き込まれ、ニケ月の籠城の末、遂に城内兵士の命と引き替えに自から尼子の軍門に降り、片腕として働いた高富源四郎と共に永禄四年(1561)、海蔵寺の境内で腹かき切って見事な最後をとげました。その後、結局は、銀山と温泉津は毛利の支配下となり、毛利元就公は両武将を手厚く葬るとともに、海蔵寺にも何度となく宿泊したりもしました。このような因縁から、関ケ原の戦のあと元就公の孫、輝元公の懇請により、海蔵寺は萩に移されることになったのです。
長州萩海潮寺時代
かくして、当山十二世大佐和尚は慶長九年(1604)に温泉津を去って萩に移り、海潮寺の新しい歴史が始まりました。藩主のお膝元の地に移った当山は、正徳五年(1715)、二十世大癖本了和尚の代に関三刹(徳州家康が曹洞宗の僧録所として宗務を管領させた総寧寺・大中寺・竜穏寺の三大寺刹をいう。今日の宗務庁に当る)より不見一派の僧録に任ぜられました。このことは当山の『歴世伝』に山号の意味を説明して「総源は見祖(不見禅師)の流派を総括する本源の謂と為すなり」と言うのを文字通り現実のものとしたと言えるでしょう。
これに関連して特筆されるべきことは、当山は輪住制(住持職が短期間に交替し、門派の寺院が輪次に住持する制度)をとった大本山総持寺の直末(直接の末寺)及び輪番地として、当山の住職がしばしば本山に晋住し、本山を護持した点であります。
天正15年(1587)に全国に輪番地が設けられました以降でも、前後十一度、御開山以来ですと十五度も輪住したことになります。これは不見禅師一派の中で、特別に多い回数といえるでしょう。輪番地が設置されてから、最初に本山へ輪住しましたのは、寛永20年(1643)、当山十四世英山良鐘和尚でありました。そして、輪住制が廃止される明治3年までに、20年毎に11度も当山から本山に輪住したのであります。本山へ輪住する期間は1年間(任務は75日)でありますが、輪住のためには莫大な資金を要したようでありまして(千両とも伝えられます)、そのために請状は一年も前に発せられ、資料等を用意する期間がもうけられていたくらいです。
当山二十世大擬本了和尚と二十二世逆法良遂和尚とは共に住職在任期問が長く、お一人でそれぞれ2度も本山に輪住しておられます。共にすぐれた力量を発揮されたようで、二十世本了和尚については、先に関三刹より不見一派の僧録に任ぜられたことを述べましたが、二十二世良遂和尚については、当山の山門を建立されたことを述べておきたいと思います。
残念ながら、当山の『歴世伝』の記述は二十一世までですので、良遂和尚の詳細は知られませんが、山門建立について、良遂和尚に協力した馬屋原勝忠の御子孫、馬屋原範忠氏(北九州市在住)のお話では、秀吉の時代には、馬屋原家は毛利家と並ぶ家柄であり、勝忠自身も萩五代藩主毛利吉元公の御側という立場にあったため、それまで毛利公の菩提寺(大照院と東光寺)以外には許されなかった規模の山門を、当山に建立する計面を立てて、藩主に無許可で実行に移し、出来上ったところで、あの大きな山門全体に布をかけ、殿様を散歩にお連れして、「あれはなんだ」という質問を引き出し、「お叱りを受けるので申せません」とお答えし、「そのようなことはないから申せ」と仰しゃったところで、布の覆いを取り払い、「中々立派なものが出来たな」というお言葉で一件落着したというお話です。その山門は明治七年の火災に焼失を免れ、当山の伽藍中最古を誇っています。  
 
人生

 

 
 

 

■地獄と極楽の話    
「地獄と極楽」という話がありますが、法話によく使われますのでお聞きになった方も多いことと思います。既におききの方も少し我慢しておつきあい下さい。まず、地獄からお話ししましょう。地獄というのは、この世で悪い行いをした人が死んだ後行く所だとされ、そこは色々な苦しみが満ちあふれていると云われています。しかし、地獄の様子を見てきたという人の話によりますと、地獄にもすばらしいご馳走のお膳が並ぶときもあるのだそうです。そして、地獄の住人がそのお膳について整然とならんでいるのですが、かわいそうなことに誰もそのご馳走を食べる事が出来ないのだそうです。実は持っている箸が1メ−トルもあり、ご馳走をつまんでも箸が長すぎて食べる事が出来ないのだそうです。一方、極楽に行ってみると、ご馳走のお膳や1メ−トルもある箸は地獄と全く同じなのだそうですが、極楽の住人は長い箸でつまんだご馳走を自分の口に入れないで、自分の向かい側にいる人の口に入れて、お互いに食べさせあって、ニコニコ食事をしていたそうです。
この話は勿論作り話ではありましょうが、私達の日常生活を反省させる良い話だと思います。仏教では「智恵」ということを説きますが、この極楽の住人はまさにその智恵を持っていると言えるでしょう。仏教で言う智恵とは、自分のことばかり考えずに相手の為になることをしよう。そうすれば、相手だけでなく自分にも振り返り、結局、皆が明るく楽しく生きる事が出来るようになると教えています。そうは言っても、極楽の住人のようにはなかなかいかないわ、とお考えかも知れません。しかし、私達日本人は、宴会の席などでは自分の杯にはつがずに必ず相手の杯に酒をついで、極楽の住人と全く同じ事をしているではないですか。これをもっと日常生活にも広げていきさえすればよいのです。お互い頑張って明るい世界を開きましょう。(平成4年7月)

■あるアメリカ女性の話    
先日、山口県徳佐・船方農場の理事長さんと同席する機会がありました。船方農場というのはなかなかユニ−クな農場だそうで、経営よりも都会の人々に田舎を提供することを第一に考えているそうです。色々お話を伺っている内に、その農場で働いているアメリカの若い女性の話になりました。あるとき、三十名くらいの校長先生の団体研修会がその農場であったとき、その若いアメリカ女性に話をさせてみようということになったそうです。その時の彼女の話というのがなかなか面白いのです。彼女いわく、私が日本に来て感心したことは、日本の子供たちは小学校にあがるや最初の日から友達同士になり、家に帰るとお母さんに何々ちゃんの所へ遊びに行ってくると言うと、その友達の家が2キロ近く離れていても、お母さんはにこやかに行ってらっしゃいと手を振る。親と子が本当に信頼し合っているし、日本の治安も良いからでしょう。
こんな日本が好きだから私はきっと日本で結婚するでしょう。でも子供が中学校に入る頃にはアメリカに帰ろうと思う。なぜなら、子供が中学生くらいになると、日本の母親は急に目がつり上がり、勉強々々の世界に突入するからだと言うのです。これは日本のいじめや登校拒否の根本原因が何処にあるかを教えてくれているような話ではありませんか。龍谷大学教授で仏教カウンセリングの研究と実践を長年続けておられる西光義敞氏も、同氏の著書の中で、「子供が登校拒否をしたとき、どうしても行かせようとしたり、その理由を問いつめたり、学校が悪いからだと決めつけて改善を要求したりすることは、第一の解決策にはならないでしょう。そうではなくて、子供への敬意と信頼の情をこめて子供の心を聞いてやり、その感情を理解してやることこそ大切です。子供の心を無視し、ある行動を強制することは、子供を人形にすることに外なりません」(取意)と述べておられます。 (平成8年6月)

■阪神大震災    
1月17日午前5時46分、神戸市を中心に襲った大地震は、死者4936人、行方不明者175人(22日)という想像を絶する大震災となりました。この震災を伝えるテレビの画面に何度も出てきた、あの、高速道路に宙ぶらりんになったバスの映像。バスの運転手はどんな思いだったか、考えただけでもぞっとしますが、その運転手の証言が新聞に載りました。「(ブレ−キを踏んで)やっと止まったと思うと、眼前の路面がガガ−という大音響とともに崩れ、反対車線を走っていた白の乗用車が滑り台を落ちるように道路とともに一瞬に落下するのが見えた。自分も落ちたと思ったが、バスの前部が少しはみ出しただけで止まってくれた。…同僚に(乗客を)後部の非常口から降ろすように言い、私はバスが落ちないようにサイドブレ−キを引いて、ブレ−キを踏んでいた。乗客が降りたのを確認してから…歩いて一キロあまり戻って非常階段から地面に降りた後、じわじわと恐怖感がわいて来た」(1月23日『毎日新聞』)。
又、前日の同紙に掲載された細野徳治氏の「論説ノ−ト」にも、「惨状をテレビで見ていて…人々はあくまで冷静に、しかも落ち着いて行動しているように見えた。人々のゆったりとした関西弁の口調が、極限状態の緊張感を和らげていたようにも思う。…パニックは起きず…むしろ救援が遅れたために、地元の人々が自力で助け合う場面が目立ったという。…安否を気遣う親類や知人に対して…「元気だから心配しないで」と呼び掛け、周囲への心配りすら見せていた。何という精神的ゆとりだろう。…他国の(我を忘れて泣き叫び、取り乱す被災者の姿)と比べて日本での被災者の対応が、あまりにも違うことに、戸惑いと驚きを隠せないようにみえる。阪神大震災は、どうやら「日本人論」にも一石を投じたようだ」と。今回の被災者の態度が、わが身にも当てはまるかどうか。地震国に住む者としてよくよく心しておきたいと思う。(平成7年2月)

■文明より文化    
文明とは、「シビリゼーション」の訳語ですが、この語の前半の「シビル」は「都市民的な」という意味ですから、文明は都市に関係します。都市には、さまざまな地方からさまざまな人々が集まってきますから、そこには誰にも通用する普遍的な生き方の形式が発達し、それが文明だと言われます。例えば交通ルールがそうですし、西洋に端を発した科学は文明の代表です。作家の司馬遼太郎氏は、アメリカ生まれのジーパンを例に、誰もが「イカシテイル」というかすかな快感を伴うのが文明だと言われ、村上陽一郎氏は、文明には自然に手を加えて人間に都合よく変えていくという方向性があると述べられているように、文明は、人間の都合、即ち「誰もが持つ欲望」に基づくということによっても普遍性という性格が出てくるようです。
一方、文化は、「カルチャー」の訳語ですが、この語はもともと「耕作」という意味を持っていますから、農耕や土地に関係します。したがって、その土地独特の生き方の形式が文化だと言われます。例えば、日本の風土にぴったりの木造建築は日本の文化ですし、ご婦人が両ひざをついてふすまをあける開け方は決して普遍的ではなく、日本独自のものであり文化です。その姿は来客に秩序についての安堵感を与えると司馬遼太郎氏は言っておられます。すなわち文化とは、その土地の風土の中で、その生き方が最善だとしてまわりの環境世界が人々の心に刻み込んだものだと言うことになります。文明が人間の欲望の方から外部の環境世界を変えようとする方向と丁度反対の方向性を持つと言えます。人類は長い間、文化によって生きてきましたが、ここ一、二世紀の間に文明に鞍替えしました。確かに生活は便利になりましたが、欲望は際限なくふくらむために落ち着きません。それに反して、風土がつくる生き方は安定感があり、安らぎをもたらします。最近の世相を見るにつけ、文化としての生き方を取り戻したい思いで一杯です。 (平成11年1月)

■癌告知    
昭和63年2月に癌の告知を受けた一人の母親・平野恵子さんは約2ヵ年の闘病生活の末、子どもたちを残したまま41歳の若さで亡くなられました。その平野さんは『子どもたちよ、ありがとう』と題する手記を遺され,同名の本が平成2年に法蔵館から出版されています。今でもそうでしょうが、まして当時は癌告知の環境は整っていなかったと思われます。でも、平野さんは亡くなる直前に「病気にかかったというだけで、あらゆる優しさを一人占めしているのです。ありがたくて、どうしたらよいのか分からなくなります。でも、やっぱり今のお母さんに出来ることは、その優しさに目一杯甘えて喜ぶことだけなのです。」と書いておられます。どうしてこんなに安らかに死を受け入れられるのでしょうか。平野さんには三人のお子さんがおられましたが、お子さんがまだ二人だったとき、「重度の心身障害児」の娘さんをかかえ、三人で死ぬ機会をうかがっておられたそうです。ある日、男の子が障害のある妹(由紀乃ちゃん)のことを「お母さん、由紀乃ちゃんは、顔も、手も、足も、お腹も、全部きれいだね。由紀乃ちゃんは、お家のみんなの宝物だもんね」と言ったのだそうです。
我が子の言葉が電流のように身体に流れ込んだと平野さんは書いておられます。そして「幼いあなたの、この一言が、おかあさんの目を、心を覚ましてくれたのです」「気付いてみれば、由紀乃ちゃんの人生は、なんと満ち足りた安らぎに溢れていることでしょう。食べることも、歩くことも、何一つ自分ではできない身体をそのままに、絶対他力の掌中に抱き込まれ、一点の疑いもなくまかせきっている姿は、美しくまぶしいばかりでした。」とも述べておられます。平野さんは真宗のお寺の奥さんですが、日ごろ仏教の教えのある環境におられたためでしょう。仏教を癌告知を受け入れ得る下地にされていたご様子です。(平成10年8月)  
 

 

■生かされている世界    
私たちの世界は、「生きている世界」と「生かされている世界」という二重構造になっているように思います。「生きている世界」というのは、上は、人間として崇高な目標を持ち、その目標に向かって努力邁進する生き方から、下は欲望に流され度を過ごして犯罪まで犯してしまうような生き方まで、良くも悪くも、いわゆる人間的な生き方であり、「意識」の世界であります。一方、「生かされている世界」とは、あるがままの世界であり、この世に生まれ、少しずつ年を取り、その間に病気にもなり、やがて死んでいく世界、人間の「意識」とは無関係な世界です。「意識」以前の世界ですから、人間の「思うままにならない」世界であります。
私たちは、このあるがままであり、思うままにならない「生かされている世界」の中に生かされておりながら、「意識」(自我)によって「生きている世界」をつくりだし、それがすべてだと思って悪戦苦闘しているわけですが、ふと「生かされている世界」に気付くとき、大きなものに包み込まれた安心感に浸るのではないでしょうか。これが宗教の世界ではないかと思います。例えば最近のスポーツニュースを例に取りますと、近鉄の盛田投手は脳腫瘍(発覚当時直径五センチ)で選手生活が危ぶまれました。しかし、手術のあと、復帰したいの一念で二年間の厳しいリハビリに耐え、見事一軍昇格直前までこぎ着けました。そのときのインタビューに「やっとスタートラインに着くことができました。これからは楽しんで投げたいと思います。また、感謝して投げたいと思います。」と淡々と述べていました。復帰したい一念で二年間もの厳しいリハビリに耐えたのは「生きている世界」のことでしょうが、「感謝して投げたいと思います」ということばは、「生かされている世界」を感じ取った人のことばだと思います。人間が上手に生きるためには、この両方の世界のバランスをとることが肝心かと思います。(平成11年10月)

■今を生きる    
言葉というのは不思議ですね。皆様もよくご存じと思いますが、古代ギリシャの哲学者ゼノンは「アキレス(ギリシャ神話の英雄)は亀を追い越すことができない」と言いました。なぜなら、アキレスが亀のところに達する間に亀はその少し先へ進み、これを無限に繰り返すからというのです。現実には簡単に追い越すことができるでしょうが、言葉にすると、こういうことになります。言葉は人にものを伝えることができる大変便利な道具ですが、一方で、言葉で考える限り、現実のありのままをつかまえきれないことを知っておかなければなりません。言葉の世界に住んでおりますと、過去も未来も歴然と存在するかの如くですが、現実には「今」が連続しているだけだと思います。窓の外をじーっと眺めていますと、木の枝がやさしく揺れています。その 「今」の連続と比較できる過去があるかどうか、未来があるかどうかと考えてみますと、現実には無いというべきでしょう。あるのは言葉で考えた「過去」や「未来」があるだけです。
私たちが「苦しみ」を感じているとき、往々にしてこの言葉の世界にすぎない「過去」や「未来」に苦しめられていることが多いのではないでしょうか。現実にはそのような「過去」も「未来」もありません。あるのは今の連続だけであります。その「今」に徹する生き方こそ真の生き方というべきでありましょう。言葉による教えである「経典」に次のようにあります。「過ぎ去れるを追うことなかれ。いまだ来たらざるを念うことなかれ。過去、そはすでに捨てられたり。未来、そはいまだ到らざるなり。されば、ただ現在するところのものを、そのところにおいてよく観察すべし。揺らぐことなく、動ずることなく、そを見きわめ、そを実践すべし。ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。」(中部経典、一三一、増谷文雄訳) (平成11年9月)

■減速の美学
ドイツにBMWという自動車メーカーがあります。私はBMWに乗ったことはないのですが、五木寛之氏はその乗り心地について、「あの車は減速のタッチが素晴らしいのです。ブレーキを踏んだときに、まず、グウッーと後ろから襟首をつかまれるような心地よい快感があって、それから、ビロードの布の上をすべりながら徐々にスピードを落としていくような感じがします。この感覚が非常に素晴らしい。」とある本に書いておられます。車はアクセルだけだと危険きわまりないのでして、ブレーキがあってはじめて車の役をはたします。いわゆる「制御」です。原子力発電の制御棒、森林破壊・オゾン層破壊・大気温暖化などの制御等々、現代は制御の時代でもあります。お医者さんの世界では、人の一生がしばしば空の旅に例えられるようです。出産が離陸に、思春期までの成長が離陸後の上昇に、青年期・壮年期が水平飛行に、中年から初老期にかけてが着陸に向かって高度を下げ始める頃に例えられます。そして人生の最後が着陸だとすれば、誰もがスムーズでショックの少ない着陸を望むことと思います。パイロットの腕の見せどころです。普通は、このパイロットがお医者さんの例えになっていますが、私はむしろ死に行く人自身の例えにしたいと思います。
ところで、人生を、離陸から着陸までの飛行に例える考え方ですが、飛行機が最も安定しているのは水平飛行の時ではなくて、着陸している時です。その最も安定した着陸時をベースに人生が考えられているところが素晴らしいと思います。私たちは死を忌むべきものと考えていますが、それは死が墜落だと思っているからではないでしょうか。死こそ、自然に帰った最も安定した着陸状態に相当します。墜落か軟着陸かは、死すべき私たち自身の腕の見せどころといべきでしょう。そして、普通に死ぬときは臨終前に徐々に意識が無くなるわけですから、いずれも軟着陸のはずです。ただ、元気な時に自らの軟着陸の死を描ける「減速の美学」を持つ人にのみ安らかな死がおとずれるような気がします。(平成12年5月)

■ある宗教学者の死生観    
宗教学者である岸本英夫さんは、1954年、米国滞在中に余命半年という癌の告知を受け、以来、20数回の手術を伴う10年間の闘病生活の末、1964年に永眠されました。その間の記録を『死を見つめる心』(講談社文庫)という本に残しておられます。岸本さんは告知直後の死の恐怖を「まっくらな大きな暗闇のような死が、その口を大きくあけて迫ってくる前に、私はたっていた」と表現され、死によって、この「自分という意識」が無くなることが最も恐ろしいと述べておられます。そして、「その死に立ち向かう最も有力な武器」は、「死後の生命の存続」(「肉体を離れた霊魂の存在」)を信じることであろうけれども、「私の近代的な知性」はそのよなものを信じさせなかったと述べ、死の恐怖に勝つ道を「残された時間を、できるだけ充実して生きること」だと考え、「それからは、ただがむしゃらに、働いた」けれども、「やはり、私は、ひまがあれば、死というものは何か、と考えざるをえなかった。そしてこのことについて思いわずらっていたときに、」ふとした機会に、「死は、生命に対する『別れのとき』と考えるようになっ」てからは、死を、「恐怖」ではなく「悲しいこと」と考えるようになったと述懐しておれます。
この「恐怖」から「悲しいこと」への変化は重要な変化と言えましょう。「悲しいこと」は何とか耐えることができるからです。「恐怖」として捉えられる死は、自分という意識を飲み込もうと待ちかまえているものとして未来に想像されるものですが、死を「別れ」として捉え、「悲しいこと」と考えているときには、目は確かに見ることのできる「自分の生きてきた世界」に向けられているというはっきりした違いがあると言えましょう。そして、そのような世界からの別れ方について岸本さんは、普通の別れのときには、心の準備をすることによって悲しみに耐えてゆけるのだから、死という別れの場合にも、準備さえすれば耐えてゆけるのではないか。その準備とは、「今が最後かもしれないという心がまえを、始終もっているようにすることである」とされ、更に「心の準備ということに気づいて見ると、ずいぶん、心がおちついてきた」と述べておられます。また「死とは、(中略)すでに別れをつげた自分が、宇宙の霊にかえって、永遠の休息に入るだけである」とも述べておられ、「死」を「別れ」と気づかれてからの岸本さんには、ずいぶん心にゆとりが見られ、かすかに「霊」を認める変化まで見せておられます。 (平成13年12月)

■「人間」という言葉    
和辻哲郎さんは、『人間の学としての倫理学』という本の中で「人間」という言葉について次のような興味深い考察をされています。私たち日本人は、「人間」も「人」も共に人(man)の意味として使っています。すると「人間」の「間」は何を意味するのでしょうか。おそらく次のような答えが返ってくることでしょう。人は人々の間でもまれて始めて人となるから「人間」というのだよ、と。でも和辻さんはもっと厳密に考察しておられます。もともと漢字の「人間」は仏教用語で、輪廻転生する五つの世界(五道、阿修羅を加えると六道)である「地獄、餓鬼、畜生、人間、天上」の「人間」を意味するとされています。ところが、この五つは正確な漢訳では「地獄中、餓鬼中、畜生中、人間、天上」であり、それぞれについている「中」、「間」、「上」がいずれもloka(世界)の訳語であると指摘されています。したがって「人間」とは「人の世界」という意味で、「人間社会」を意味しても、個人としての「人」を意味することはないわけですが、通常の仏教用語としては「中」を省略して「地獄、餓鬼、…」のように二字に揃えるために、例えば「畜生」と「人間」とが並記されることとなり、「人間」という言葉が畜生(動物)に対する「人」を意味するようになったというわけです。
和辻さんの考察は更に続き、実は、純然たる日本語としての「ひと」という言葉の中に、そのような誤解を起こさせる要素があったことを指摘されています。すなわち「ひと」という言葉は、「ひとの物を取る」(他人の所有物を盗む)、「ひと聞きが悪い」(世間への聞こえをはばかる)、「ひとをばかにするな」(私をばかにするな)などと使われて、「ひと」という一つの言葉が「自」、「他」、「世間」の三つの意味を同時に持っているというのです。このような下地があったが故に、「人間」(人の世界)という全体性を表す言葉が、個々の「人」をも意味するようになったというのです。このような全体と部分を同じ言葉で表す例は、「兵隊」や「友達」、「女中」や「連中」にも見ることができます。そして和辻さんは、日本人は日常的に、全体の名で部分を呼び、部分に全体を見ている、と指摘しておられます。とすれば、全体性を表す「人間」という言葉で個の「人」を見ている日本人は、人は自分だけでは生きられず、他の人々に生かされ生かしつつ生きるのだという全体との関係を意識する智慧があったことになりますが、現代日本人もそうだと言えるかは問題でしょう。  (『海潮音』No.220 平成十四年三月)  
 

 

■還暦    
夏の行事がすべて終わった8月30日、坊さん仲間で湯本温泉のホテルに集まり、暑かった夏に別れを告げる飲み会がありました。坊さん仲間といえば、通常は仕事仲間ですが、このたびはそうではなく、県内の宗門寺院で今年還暦を迎える昭和22年生まれ(団塊世代のトップバッターたち)が集まった飲み会です。集まるべき該当者は県内に14、5名いるようでしたが、その内9名が集まりました。6割です。まあまあでしょう。飲み会での話題は別段これといったものはなく、通常のとりとめのない雑談でしたが、一次会の後、ホテルの外は大自然ですから出るわけにもいかず、ホテル内のカラオケスタジオなるものに入り、昔懐かしい歌を声がかれるまで歌いまくりました。そんな二次会がわって廊下に出るとあたりは真っ暗で、みんな寝静まった別世界でした。普通、坊さん仲間の集まりは老僧から若い者まで色々ですから、席順や言葉遣いに気を使いますが、同い年の坊さんが一堂に集まる経験は初めてでした。なかなか楽しいものでした。
世間では還暦は定年の年でもあります。団塊世代の定年は数の多さから「2007年問題」ともいわれ、社会問題化してもいるようです。われわれ坊さんは基本的に定年はありませんので枠外ですが、自分も還暦を迎えたとなると気になるところではあります。たまたまテレビを見ていましたら、NHKのトーク番組で玉村豊男さんが出ていました。われわれより二つ年上の方です。20数年前に東京を離れて信州で田舎暮らしを始められ、定年を迎える団塊世代に田舎暮らし希望者が結構多いのだそうで、そういった人たちにアドバイスもしておられるようです。番組では、「田舎暮らしができる人 できない人」というテーマについての会話もあり、玉村さんは、田舎暮らしにあった人というのは、自分で何かができる人、たとえば音楽で言えば、へたでも自分で楽器を弾ける人であり、自分では弾かないけれども一流の演奏家たちの演奏会に聞きにいくのが好きだという人は田舎暮らしは向かないといっておられました。田舎は自分流の生き方のできる所であり、都会は大衆の一人として生きる所だという指摘でしょう。なかなか鋭い指摘だと感心しました。大衆の一人としての生き方に飽きた都会の団塊世代の方々、是非田舎暮らしを検討してみて下さい。玉村さんには話題に出てきた「田舎暮らし…」と同名の本年出版の著書(集英社新書)もあります。まだまだ若い還暦定年者が、高齢化で苦しむ地方を救うことにもなりましょう。 (平成19年10月)

■人生いろいろ    
「人生いろいろ」といえば、まず第一に思い出されるのは、1987年、49歳の島倉千代子さんが歌った「人生いろいろ」でしょう。これは次の年にかけて130万枚のヒットを記録しています。歌詞の一節に「人生いろいろ 男もいろいろ 女だっていろいろ 咲き乱れるの」とありますから、人生は人によっていろいろだという意味かと思います。これを言葉として更に有名にしたのが小泉元首相の「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」です。
こちらは、2004年6月2日の衆院決算行政監視委員会において、民主党の岡田代表(当時)によって、「1969年の衆院選で落選後、勤務実態がないにもかかわらず、幽霊社員として厚生年金に不正加入していたこと」について追及されたときの小泉元首相の答弁です。岡田代表は「それが総理大臣の言う言葉か」と逆上して質問を止めて席に戻ったそうですが、その後、岡田代表は通産省の役人時代に父親が経営するジャスコの子会社の役員に名を連ねており、国家公務員法兼業規定に違反していたことを時効になるまで隠していた事が発覚したのだそうです。どうも小泉元首相の「社員もいろいろ」の意味はそういうことだったようです。これらは、いずれも、人生は人によっていろいろだということを意味しているでしょう。
ところで、私が申し上げたい「人生いろいろ」は、一人の人生の中にもいろいろな事があるという意味の「人生いろいろ」です。私が申し上げるまでもなく、島倉千代子さんは現在71歳で現役歌手を続けておられますが、それこそ波乱万丈の過去をお持ちです。小泉元首相も岡田元代表もいろいろな過去があるわけです。過去がいろいろであれば、未来もいろいろです。私たちも明日があるか知れない状態で生きています。「生きている」と言えば、自分の力で生きているように聞こえますが、明日が知れない身であれば、たまたま生きていると言った方が正確でしょう。生かされているといってもいいわけです。そのような状況の中で主体的に生きようとすれば、どうすればよいか。それは、今を真剣に生きるしかないでしょう。
経典にも次のように言っています。「過ぎ去れるを追うことなかれ。いまだ来たらざるを念うことなかれ。・・・ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。たれか明日死のあることを知らんや。」 自己の人生を切り開くには、一瞬の間も置くことなくやってくる「今」を捉えきって生きるしかないと思うのですが。 (平成二十一年八月)

■ある少女の選択    
「延命・ある少女の選択 生と死」と題するテレビ番組(NHK総合・クローズアップ現代、十二月八日)を見ました。延命治療を考えるよい事例と思い書き留めておく事にしました。医学の発達によって延命治療は格段に進みました。しかし、延命による命は人間的な命かという問題があります。番組では、心臓に重い病気を持って生まれ、八歳で心臓移植を受け、十五歳で人工呼吸器を付けて声を失い、必死で闘病生活を続けてきた田嶋華子さん(平成二十二年九月十四日没、享年十八歳)の記録を紹介していました。華子さんが声を失ってまで人工呼吸器を付けたのは背骨が曲がる病気で呼吸が困難になったからでした。番組を見た限りでは、三年前に在宅治療が可能となるまではずっと病院での闘病生活だったようです。華子さんは家族と一緒に当たり前の生活をすることを何よりも望んでいたらしく、次に何かあったときは、これ以上の延命治療は受けたくないと考えていたそうです。自分のそうした選択を伝えたいために、ありのままの姿を記録することを承諾してくれたのだそうです。
六月になってその何かが起きました。腎不全を発病し透析を受けなければ命に関わるとの診断でした。透析は在宅では難しく、入院が必要という説明を医師から受けましたが、華子さんは前から考えていたように、これ以上延命治療は受けず、家族と一緒にふつうに過ごすことを決断したのだそうです。ご両親は当然葛藤があったわけですが、本人の考えを尊重しようと必死にこらえておられた様子です。「死はこわくないの?」という取材者の質問に華子さんは筆談で「心があるからこわくない」と答えています。また取材者へのメールには「医療は全部受けたつもりだし穏やかに過ごしたいです」「命は長さじゃないよ。どう生きていくかだよ」とも答えています。七月、華子さんは診療所のスタッフに支えられ、ご両親と一緒に一番好きだった海辺に一泊二日の家族旅行に出かけました。旅行の後、助けてくれた人たちに次のような手紙を残しています。「華子です。大磯では、家族でゆっくりしたいという希望を叶えて下さって、ありがとうございました。大好きな海の傍まで行けたことがとても嬉しかったです。両親とたくさんの楽しい想い出を作ることができました。自然の風を感じたり、セミが鳴いていたり、トンボも窓ガラスに来て楽しかったです。緑の匂い、空気、木の匂い、海の匂い、優しい人たちのいい匂いを、私は忘れません。いっぱいいっぱい、ありがとうございました。華子より」

■舌切りスズメ
日本の昔話に「舌切りスズメ」というのがあります。どなたもご存じの話と存じます。私が住之江保育園に通う頃、もう六十五年も前のことですが、その保育園で園児たちが「舌切りスズメ」の劇をしました。こともあろうにおじいさん役を私がしたのです。どんな風にやったのかほとんど覚えておりませんが、ただ、その時の写真があったものですから、後年、その写真を見る機会があり、どうも自分がやったらしいと覚えているわけです。その頃の私は昔話一つ読んだ記憶もなく、外で近所の子供たちとかけずり回って遊んでばかりいました。自分の娘たちの子供時代を思い出したり、ただ今の孫たちを観察しますと、幼児期から本を与えられ、キチンと読書の習慣を持っているようですが、それに比べると、私の幼児期は何ともったいないことをしたものだと、今しきりに悔やんでいます。しかし、そんな遊び癖は生涯直る兆しはなく、時間を盗んでは今だに遊んでいます。ただ、遊びと言っても、所謂、大人の遊びではなく、自然を相手に遊んでいます。まだ隠居しているわけでもなく、出かけて本格的なアウトドアの遊びができるわけでもありません。家の庭で遊んでいるに過ぎません。どんな遊びかといいますと、スズメに餌をやる遊びです。ホームセンターをうろついておりますと、「野鳥の餌」と書かれた袋が目に入りまして、それを買って始めた遊びです。
スズメたちは一、二週間ですっかり馴れ、餌はまだかなあ、と生け垣のあちこちから顔だけ出して、待っているようになりました。夕方暗くなってアルミサッシを開け、庭に出ようとすると、頭上の軒差しから驚いたようにスズメが飛び出しました。あるいは軒差しをねぐらにしようとしていたのでしょうか。ある日、それまでの様子が逆転し、人気を感じると餌場で群がったスズメたちが蜘蛛の子を散らすように逃げるようになりました。余りの変化に何があったのかと思っていましたら、数日後、庭に出て発見したのは野良猫の鋭い目でした。人間である私もウッと思うほどです。なるほど、スズメが群がって餌を食べるのを見れば、野良猫の本性も当然あらわとなることでしょう。ひっくるめて自然であるわけです。その後、野良猫君には遠慮してもらいましたが、スズメたちの様子は以前程には戻りません。でも今は繁殖期で、ひな鳥を連れてやってくるスズメもおり、ひなに餌をやる姿も見ることができます。考えてみると、六十五年たった今、現実に「舌切りスズメ」の「おじいさん役」をやっていることになるのでしょうか。 (平成二十九年六月)

■雀と遊ぶ    
以前にも雀のことを書きましたが、今回も雀の話です。特別に雀に関心があるわけではないのですが、子供の頃から動物を飼うのは好きでした。昔は野良犬をよく見かけました。今はほとんどいないですね。野良犬がいれば、子犬もいるわけで、そんな子犬を見かけると連れて帰り、捨ててきなさいと親に叱られても、子犬の方が勝手にいたがるみたいな顔をして飼っていたように思います。その内、犬の放し飼いが禁止されると、動物を飼うということはしなくなりましたが、つい最近、といっても十年くらい前ですが、猫を飼いました。これも行きがかり上、飼う羽目になったに過ぎないのですが、この猫については以前、本紙でも書きましたので、ご記憶の方もあるかも知れません。こんな調子ですから、恐らく動物が好きなのでしょう。「自然の中に真理あり」をモットーとしておりますので、戯けたことをとお笑いにならないでください。
前置きが長くなりましたが、今回は雀の話です。前回、雀のことを書いた本紙を見ますと、平成二十九年六月とあります。飛んでくる雀に餌をやり始めて九ヶ月が経つようです。それにしては雀は馴れてくれないようですね。雀は集団で行動をするようです。餌を食べに来る雀も二十羽くらいでやって来ます。その中で食べずに見張りをする雀がいるらしいのです。ですから夢中になって、群がって、喧嘩をしながら食べているようで、少し近づくと一斉に逃げ去ります。無理して買ってきた餌をやっているにも拘わらず、薄情ですね。かと思うと、ガラス戸の薄カーテン越しに見ていると、軒下の露地は寒風を避けることができるからなのでしょうか、ガラス戸の直ぐ近くに寄ってきて、羽根の中に首を突っ込んで毛繕いをしています。こんな姿を見るのは確かに楽しいです。しかしこれも集団でいる時だけです。中に見張りをしている雀が何処かにいるのでしょうか。リラックスした様子なのに突然パッと逃げていきます。でも雀が人間に馴れて逃げなくなれば、絶滅危惧種に指定される時でありましょう。
ときどき「餌泥棒め!」と思うときもありますが、これは私の方が悪いのでして、それは十分承知しておる積もりです。そもそも雀が人間に近いところで生きているのも、人間の周りに餌があるからというだけでなく、人間のそばは天敵も少ないということがあるからのようです。それでも二十羽ちかく群がれば目立つのでしょうか。鳩くらいの薄茶色の鳥(猛禽類の長元坊?)が庭にいる雀めがけてスッと飛んできたことがありました。
 
宗教

 

 
 

 

■宗教とは何か    
宗教とは何かを考えるとき、宗教は人間だけが持っているものであり、人間以外の動物は宗教をもっていない、ということが大きなヒントになるでしょう。では動物はなぜ宗教を持っていないのでしょうか。それは動物が考える力というものをほとんど持っていないからだと思います。しかし、動物たちは考える力を持っていなくても立派に生きています。それは、彼らが自然の摂理に従って生きているからでしょう。自然の摂理に従って生きている限り、宗教というものは要らないのだと思います。それに反して人間は、考える力を持っていますから、単純に自然の摂理に従って生きようとはしません。考える力によって色々と工夫をして生きようとします。その結果、すべてはその考える力に委ねられてしまい、人間は考える力だけを頼りに生きていかねばならくなったと思います。そこに宗教の必要性が見えてくると思われます。
ところで、自然の摂理にしても、考える力にしても、車に例えればハンドルに当たり、エンジンではありません。エンジン、即ち、生きる原動力は何かといえば、それは欲望です。この欲望を自然の摂理ではなく、考える力によってコントロ―ルするということは並大抵のことではないでしょう。欲望に考える力が結びつくと、相乗効果でどこまでも膨らもうとするからです。ですから、仏教の開祖釈尊は欲望のコントロ―ルの仕方、すなわち「少欲知足」を繰り返し説かれました。つまり宗教とは、欲張りな自分を見つめて、限りない欲望をコントロ―ルしようとする原理である、といえると思います。無着成恭さんは、「あなたの宗教は何ですか」という質問は、「あなたは、限りない欲望を、お釈迦さまの教えでコントロ―ルしているのですか。それともキリストさんの教えでコントロ―ルしているのですか」という質問と同じことだと言っておられます。こういう意味での宗教は、今叫ばれている「環境問題」といったような問題の本質をつくものでもありましょう。

■「信じる」と「まかせる」    
キリスト教では「信じる者は救われる」と説かれます。どういうことでしょうか。例えば、病気になった人が、神を信じて病気が治るといことではありません。キリスト教で説く「神を信じる」とは、徹底的に信じることで、病気も神の恵みと信じることだと説かれます。それは、山登りのとき、途中の道が険しくて苦労が大きければ大きいほど、頂上での喜びも大きいように、神は決して悪いようにはされないと徹底的に信じれるとき、病気も神が与えて下さった人生途中の険しい道であり、険しければ険しいほど、喜びも大きいわけだから、病気に対していやだとか、早く治りたいとか思わなくなる。これが救いの状態だというのです。すなわち、「神を信じる」とは、「自分を神にまかせきる」ということだと思います。神におまかせした自分が病気になるのだから、病気はいやだ、早く治りたいと思う必要はなくなり、病気をそのまま受け入れられるから「救われている」ということになるのだとということでしょう。
仏教者にも同じような発言があります。愛知専門尼僧堂堂長の青山俊董さんはご自分が癌の疑いのある手術をされるとき「病気も仏さまからの授かり物と気付かせてもらった」と言っておられます。そして、首を除く全身麻痺の星野富弘さんという方が病床で語られた少年時代の思い出話を紹介しておられます。 少年が古里の渡良瀬川の浅瀬で水遊びをしていたら、深みに押し流され、あわてて元の岸に戻ろうとしたが溺れそうになり、そのとき、ふと気付いたことは、渡良瀬川は元々浅瀬の多いゆるやかな川だから、浅いところは他にもある。何もあそこに戻らなくてもいいと。そこで流れにまかせて泳いでいくうちに浅瀬で助かった。この少年時代の思い出と、いま全身麻痺の病気であえいでいる自分とを重ね合わせて、また気付いた。元に戻れない病気であれば、今できることは何か。ただほほえんでいることだ。そこから出発するんだと。 蛇足を加えます。健康体の自分にこだわらず、病気に身をまかせきるとき、おのずと救いの世界が開けてくる、ということでしょう。

■信仰と救い    
『観音経』というお経をご存じと思います。このお経は、観世音菩薩がさまざまな苦悩に苦しんでいる私たちを救って下さることを説いたお経です。このお経の始めの処に、なぜ「観世音」と言うのかという問がありまして、世間の苦悩する人々が一心に観世音菩薩のみ名を称えば、観世音菩薩はその世間の音声を観じて、彼らを救って下さるから観世音というと説かれています。すなわち、苦悩にあえぐ私たちが、南無観世音菩薩、南無観世音菩薩、・・・と一心にみ名を称えば(一心称名)、その音声を観じて、私たちを救ってくださる方が観音さまだというのです。そこで、一例をご紹介致しましょう。昭和62年、当時の三井物産・マニラ支店長の若王子信行さんが身代金目当てに誘拐され、金員支払後に137日間の監禁から無事解放された事件がありました。 帰国後、若王子さんは、苦しかった倉庫での監禁生活の様子を次のように述べておられます。「私は昔から浅草の観音さまによく行っていた。倉庫の片隅に観音さまがあると想像して毎日祈っていた」(朝日新聞)。
監禁中、若王子さんは137日で終わりだとは思ってはおられなかったでしょう。いつ果てるとも知れなかったはずです。そんな監禁生活を百数十日間も耐えることが出来たのは、それは観音さまに祈っておられたからにほかなりません。しかし、「昔から浅草の観音さまによく行っていた」と述べておられるように、災難に遭う前から観音さまを信仰しておられたのです。だから倉庫の中でも信仰を続けることができ、救われることにもなったのでしょう。『観音経』にはつづいて「若し是の観世音菩薩のみ名を持つこと有らば、たとい大火に入るとも火も焼くことあたわず」と説かれます。「み名を持つ」とありますから、常日頃、南無観世音菩薩と称えているという意味でしょう。救われるとは、常日頃、信仰することによって災難に負けない自分を用意しておくことではないでしょうか。

■観音様のお顔    
日本人が一番信仰している仏様といえば観音菩薩でしょう。その観音菩薩はどのような仏様なのでしょうか。まず「菩薩」とは、仏になろうとして修行している人間をいうのですが、観音菩薩の場合は既に仏の資格を持ちながら衆生への慈悲のあまり、安閑と仏の座に坐っておれず、一段下って菩薩の位で現世におりてきて衆生救済に励んでおられる仏様だといわれます。つぎに「観音」とは、「音を観る」と書きますが、音は聞くもので見るものではないのですが、観音経に、苦悩する衆生が一心に(観音菩薩の)名を称えるならば、観音菩薩は即時にその音声を観じて皆解脱せしむ、とありますから、観音菩薩は衆生の苦難の叫び声を聞くや、その本質を観て、すぐさま対策の手を打つ、というわけで「観音」なのですね。実行力ある慈悲心の持ち主であられるわけです。
ところで、仏像のお顔というものは、微笑みの顔のようにも、怒った顔のようにも見えます。拝む者の心によって、どちらにもなるように思われます。事実、観音菩薩の中に十一面観音という十一のお顔をもった仏様がおられて、正面の三つのお顔が慈悲相、左の三つが忿怒相、右の三つは白牙を出す相、背後の一面が暴悪相、そしてその上に如来面があり、優しい顔から怒った顔まで色々あるわけです。観音様の本質は慈悲ですが、かといって、いつもにこにこ人間の願いを聞いてばかりいるのではありません。悪いことをすれば怒りの相を示し、よいことをすればほめて下さいます。観音様を信仰される人は、きっと、その時どきで違って見える観音様のお顔を拝んでおられるにちがいないと思います。このような何か大きなものに対する畏敬の念をもつことは、現代人にはとても大切なことだと思います。今、子供たちが狂い始めているのも、大人たちが、このような畏敬の念を育てる場を彼らに与えていないからではないかと思うのですが。

■ミニ仏壇のすすめ    
暑い夏とともにお盆の季節がやって参りました。お寺ではこの季節が一番忙しい季節ですが、皆様方には、最もお寺に親しみを感じてもらえる季節ではないでしょうか。この季節に日本列島は大移動をします。都会での生活で巨大な魔物に毎日もまれてくたくたになった上に、さらに列島移動でくたくたになったのでは合わないのですが、それでも呼び続ける田舎の心に向かうのは、そこに日本人の原点があるからだと思います。宗教心というものは理屈ではないでしょう。理屈を聞いて納得して、そして入信するというのは、いかにも合理的なようですが、状況が変わると簡単に気も変わってしまうようです。あるオウムの信者はテレビのインタビュ−で言っていました。麻原教祖は自分を納得させてくれた、だから入信した。しかし、事情が変わって脱会したが、新しい所で心の満足を得ることが出来た、と。そんなに簡単に心の満足というものが得られるものなのかどうか。信者の側にも問題がありそうです。人間の宗教心というものは、物心がつく前から生活とともに養われるものなのではないでしょうか。おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんが家の仏壇で手を合わせる姿に接し、あるいは手を引かれてお寺に連れて行ってもらう、そんな日常生活を通して養われるものなのだと思います。家庭こそ宗教心を育てる最も大切な、いや、唯一の場のはずです。その家庭に、仏壇が無かったらどうでしょう。手を合わせる場所が無ければ宗教心は育ちようがありません。核家族の家庭が問題となるのです。 
 

 

■苦悩のない生活    
科学は私たちに非常な恩恵を与えてくれました。便利な世界、贅沢な世界、長生きのできる世界、などなどを与えてくれました。科学は私たちの欲望を何でもかなえてくれる玉手箱のようにさえ思えます。しかしながら、せっかく科学がかなえてくれたのに、かなえてくれるたびに、当たり前になってしまって、欲望の方は更にもっと便利に、贅沢に、長生きにと、留まるところを知りません。従っていつも不満状態から抜け出せません。それどころか、ものごとには限界というものがありますので、各分野で弊害が吹き出しつつあるのが現状です。科学万能主義にブレーキをかけるのは宗教であると前回述べましたが、宗教は救済を説きます。近頃の「何々教」が、こうすれば病気が治るとか、お金が儲かるとか、頭が良くなるとか、というのは救済ではありません。どす黒い欲望をそのまま認める点は科学と同じですが、「こうすれば」という根拠は頭を傾げざるを得ないのですから、宗教でないのは勿論、「えせ科学」とでもいうべきものかと思います。
仏教やキリスト教など真の宗教の説く救済は、「苦しみが無い」ということであります。それは、神とか仏とか教えというものを徹底的に信じる(あるいは、行じる)ことによって、神・仏・教えの方を立てて、自分を立てない(ここがみそ)ために、自分に与えられた現実を無条件に受け入れることができ、そのために、どんな現実に対しても「それを苦とする心を持たない」という状態となり、これが真の宗教の「救済」でありましょう。科学が欲望をそのままにして現実を好ましい状態に変えようとするのに対し、宗教は現実をそのままにして心を変革することにより、苦悩を無くすること(救済)を目指していると言えましょう。環境問題や人口問題を抱える小さくなった地球号で、これからの二千年代を生きていかなければならない私たちにとって、目指すべきは、更なる贅沢な生活ではなく、苦悩のない生活ではないでしょうか。

■苦しみの逃れ方    
以前、本紙に苦しみの解決策について書いたことがあります(平成十二年六月号、七月号など)。そこでは、「苦しみ」とは「ある対象(たとえば、病気)が思うままにならない(治したいが治らない)こと」と規定し、更に「ある対象と思うままにしたい心とが一致していない状態」とも書きました。この状態を解決するためには、両者を一致させればよいわけですから、対象を変えて心に一致させる方法と、心を変えて対象に一致させる方法の二つがあることになります。前者が普通のやり方で、例えば医療技術によって病気の状態を健康状態に変えて心に一致させる解決法を言います。この場合に注意すべきことは、病気というマイナス状態には、健康というゼロ状態の明確な目標がありますのでいいのですが、人間という動物には、健康なゼロ状態に於いても「苦しみ」はあり得るわけで、例えば、お金のないことを苦しみと感じている人は幾らお金があってもまだ欲しいと思い、苦しみは際限なく続くことになります。従って、対象を変えて心に一致させる解決法は完全な解決法ではないことになりましょう。一方、二番目の心を変えて対象に一致させる方法については、病気の方には手を出さず、健康でありたいという心の方を、「病気の状態でもよしという心」に変えることになるわけです。これも対象と心が一致し、苦しみは起こらないのですから立派な解決法と言えましょう。
仏教は苦の原因を対象側には求めず、心の側の妄執(渇愛)に求め、それをなくせと説きますから、二番目の解決法こそ仏教の解決法と言えましょう。これは仏教の方法と言うだけでなく、広く宗教(ただし高等宗教)の方法といえると思います。ところで、心を対象に一致させるやり方ですが、これは対象をそのまま頂くことでもあります。しかしどうしたらそれが可能となるか、そこが問題です。その具体的方法を最近読んだ本で見つけました。その本とはミッチ・アルボム著『モリー先生との火曜日』です。頁に次のようにあります。「何でもいい、(中略)私が今味わっているような死にいたる病による恐怖、苦痛でもいい。そういった感情に尻ごみしていると(中略)いつもこわがってばかりいることになる。(中略)ところが、そういった感情に自分を投げこむ、頭からどーんととびこんでしまう(中略)そのときはじめてこう言えるようになるんだ。『よし、自分はこの感情を経験した。その感情の何たるかがわかった。今度はしばらくそこから離れることが必要だ』」

■葬式を考え直す    
葬式というものを日本仏教史の上で考えるとどのようになるのでしょうか。日本への仏教公伝は欽明天皇七年(五三八)とされていますが、その後、一世紀半以上たった大宝元年(七〇一)に「僧尼令」という法が制定され、僧尼統制の法的根拠が示されました。それによると、当時の僧侶は官僚(国家公務員)として位置づけられ、国家から給料が支給されると同時に、さまざまな義務が課せられていました。僧侶になるには天皇の許可が必要であったり、民衆教化活動は禁止されていたりしました。このような官僚的僧侶のことを「官僧」といいます。それでは官僧たちは何をしていたのかといいますと、天皇・貴族を中心とした国家の安泰を祈ること(鎮護国家)を第一の勤めとしていました。ところで、当時の日本人は「穢れ」を極端に嫌う精神世界を構成していましたので、国家の安泰を祈ることを仕事とする官僧たちは清浄であることが求められました。そのため、穢れ、特に死穢を忌避することが重要な義務となっていたのです。
死穢とは死体に触れることによって生ずる穢れのことですが、その重さは、それに触れた人間が神事や参内を忌み慎む日数によって示されます。死穢の場合、三十日とされていましたから、死穢に触れた官僧は三十日間職務停止ということになります。従って、官僧たちは天皇や貴族の葬式を除いて葬式というものをしなかったのです。それでは庶民が亡くなったとき、誰が葬式をするのかというと誰も葬式をしてくれなかったのです。その上、穢れを極端に嫌う精神構造と相まって、死体の「野捨て」(死体遺棄)が盛んに行われました。これを救おうとしたのが鎌倉新仏教系(浄土宗・真宗・曹洞宗・臨済宗・日蓮宗など)の人びとでした。穢れの思想が定着している中で、それをものともせずに死者を救おうと、庶民の葬式をした行動は大変意義深い行動であったと思います。しかし旧仏教(官僧教団)からの圧力があり、ことは簡単ではなかったようです。そして、その行動が自由となったのは、室町幕府と共に旧仏教が衰退するきっかけとなった応仁の乱(一四六七年)以降であり、それは丁度、鎌倉新仏教系のお寺が続々建立された時期と重なります。すなわち、現在、日本にある大半の仏教寺院は庶民の葬式をするために建てられたお寺と考えられるということです。「葬式仏教」という言葉は日本仏教の堕落した状態を示すかの如く扱われていますが、「葬式」自体は決して堕落状態ではないはずです。じっくり考え直してみたいものと思っています。

■バラモン    
紀元前1500年頃、中央アジアにいたアーリア人はインド西北部に侵入しました。彼らはきわめて宗教的な人々だったようです。彼らによって、紀元前800年頃、バラモン教が成立し、同時にバラモン(僧侶)を最上とし、王族、庶民、隷民とつづく階級制度が成立しました。僧侶であるバラモンが最上階級というのも不思議ですが、彼らは呪力を使ったのです。王族(武士)たちが戦場に赴くとき、呪力を駆使するバラモンたちに戦勝祈願をしてもらいました。王族といえども人間の弱さがあったわけです。それにつけこんだのがバラモンです。規則どおりに儀式を執行すれば戦勝間違いなしですが、バラモンたちが故意に儀式を間違えると、戦場に赴いた王族たちの首が飛ぶということになったのです。
バラモンたちに正確に儀式を執行してもらうためにはどうしたらよいかといえば、沢山のお礼をすればよいわけです。こうしてバラモンたちは最上階級に居座っていたのです。そのころ、インドにも鉄器が伝わりました。これを使って王族たちは武器を作ると同時に斧を作り、インド東部の森林地帯に進出し、これを開墾して紀元前500年頃、稲作を可能とした結果、彼らは大いに栄えて、世は実力の世界となり、王族と庶民で世の中が回るようになったのです。そうなってくると、王族の上で君臨するバラモンは邪魔になりました。バラモンたちは自分たちを守るために階級は生まれによって決まるのであると言っていましたので、王族たちは、生まれによって決まるのではなく、自分の現世での行為(業、カルマ)によって、来世にそれにみあった階級に生まれるのであると主張したのです。要するに立派な行いをした者が来世に最上階級、すなわちバラモン階級に生まれるというわけです。
ここに、「業報」(行為の来世への影響力)と「輪廻転生」(死後に生まれ変わる)という考えが成立しました。ところが、バラモンたちはしたたかです。自分たちを危うくする業と輪廻の考えを逆手にとり、現世に下級階級に生まれているものは、過去世にそのように生まれるべき行為(業)をしたから下級階級に生まれたのだとしたのです。このようにして業・輪廻思想は階級制度の破壊を目指して主張されたにもかかわらず、逆に階級制度を維持する思想と化し、バラモンは最上階級でありつづけたのです。言葉というものは同じ言葉でも、強者が使うか、弱者が使うかで、まるで違った機能をするようです。肝に銘じておくべきかと思います。

■松陰先生の死生観    
松陰先生の死生観は妹千代に宛てた手紙の中で述べられている「死なぬ人々の仲間入り」をすることに尽きるのではないかと思います。同じ手紙の中で「死なぬ」を「釈迦の孔子のと申す御方々は今日まで生きて御座る故、人が尊みもすれば有難がりもする、おそれもする。果たして死なぬではないか。」と説明されていますから、肉体が死んでも人々に精神的に影響を与え続けることが「死なぬ」の意味となりましょう。従って、松陰先生においては肉体の死はさほど問題ではなく、精神が死なぬこと、生き続けることが重要な問題となっていることが知られます。このような死生観の理論的根拠について、松陰先生は朱子学や陽明学でいう理気の説を使い、ご自身の「七生説」と題する文の中で「天地が永遠であるのは理があるからであり、先祖子孫が綿々と続くのは気があるからである。人間がこの世に生まれると、理を心とし気を体として生まれる。体は私的な存在であるが、心は公的な存在であり、私的な体を公のために使う者を大人(すぐれた人)といい、公的であるべき心を私的に使う者を小人(つまらない人)という。」(筆写による現代文)と述べておられます。
ここに述べられている、私的な体を公(心=理=永遠なるもの)のために使う大人の生き方が、永遠なるものとして生きる生き方であり、「死なぬ人々の仲間入り」をすることとなるわけでしょう。しかしこれはあくまで理屈であり、この理屈を知っているからといって「死なぬ人」となるわけではありません。そうなるべき実践が必要です。松陰先生は処刑される年の江戸行きに当って、小田村伊之助(楫取素彦)に与えたものの中で「至誠にして動かざる者未だ之れ有らざるなり」という孟子の言葉を挙げ、自分は学問を二十年し、三十歳になったが、「未だ能く斯の一語を解する能はず」と述べられ、自分はまだ真に人を動かした経験がないから、江戸での幕府の尋問に対し「身を以て之れを験さん」(体を張って孟子の言葉の真偽をためそう)という意気込みで、「生死は度外に措きて唯だ言ふべきを言ふのみ」(高杉晋作宛の手紙)の如くに、誠を尽くして幕府の役人を説得され、更には死罪となるであろう二件(大原西下策と間部策)をも自首され、微塵の私も無く国を思う心のみの公に徹する大人の生き方を示され、従容として刑場に向かわれました。松陰先生の至誠の実践は幕府の役人を動かすことはできませんでしたが、その至誠の死は確かに門下生を動かし明治維新の原動力となったのでした。 
 

 

■先祖供養とは何か    
このような電話をもらうことがよくあります。「主人が具合が悪く、医者に行っても直らないので霊感者に見てもらったら、あなたの先祖で供養を受けていない方が大変苦しんでいるので供養をしてもらってくださいといわれました。その方の供養をお願いできますでしょうか」といったものです。恐らくその霊感者氏はいきなりそのように言うのではなく、色々と聞き出した後で、傍系先祖のどこかに、そう言えばその方への供養はしていないなと納得できるようなスキを見つけ、自信満々にそのように言うのでしょう。そのようなスキをつかれれば、もともとわらをもつかむ思いで霊感者氏を尋ねているのですから、ひとたまりもなく信じてしまうのでしょう。そのように言った霊感者氏が供養についても責任を持つのであれば問題はないと思うのですが、供養についてはお寺にお願いに行くようにと言っているらしいのです。
小生が住職をしているお寺には地蔵堂があり、そこに安置されている身代わり地蔵尊は江戸時代から庶民の信仰を集めている地蔵尊です。先ほどのような電話がかかると、「霊感者という人にそのように言われれば気になって仕方ないでしょう。でもそのようなことはないのですよ。でも私がそう言ったからといって、ああそうですかという具合にはいかないでしょうから、あなたの気になって仕方ないところをお地蔵様にお願いして取り除いてもらいましょう。ご主人様のこともお地蔵様にお願いして守ってもらいましょう」といって身代わり地蔵尊の前に来ていただき、合掌するその方の後ろからお経をあげることにしています。ご先祖様を供養するのは、ご先祖様が苦しんでいるからではないでしょう。ご先祖様があって今の自分があるのですから、感謝の気持を込めて供養するのだと思います。
一家の主婦がご仏壇をいつもきれいに掃除をし、朝、仏飯とお水を奉げ、お花も添え、お灯明も火をともし、線香をまっすぐに立て合掌し、それに習ってご主人が会社に行く前に仏壇に合掌し、子供たちも同じように合掌してから学校に行くという習慣がつけば、家庭の中に自ずと中心となる核ができるのではないでしょうか。ご先祖様へのご供養は「ご先祖様に」という心でするのではありますが、実はそのような日々の行いが家族の心の安らぎをもたらし、今生活をしている家族を守ることになるのではないでしょうか。先祖供養とはご先祖様のためにするのではありますが、今生活している家族全員のために行っているとも言えるでしょう。

■戒名とは何か    
「戒名」とはご仏壇におまつりしてあるお位牌に書かれているご先祖さまのお名前、あれがお戒名ですね。でも、本来の「戒名」は少し違っています。正式な仏教徒になるとき、仏教徒として護るべき戒を護ると誓いをたてる儀式を「受戒」(戒を受ける)といいます。この受戒の儀式を執行する側からは「授戒」(戒を授ける)といいますが、この受戒(授戒)の儀式のときにいただく仏教徒としての名前が「戒名」(戒を護ると誓ったときにもらう名前)です。したがって、この本来の「戒名」は、仏教徒として生きていこうと誓いをたてたときにもらうものですから、生前にもらう戒名ですが、普通にご先祖さまのお名前としてお位牌に書いてあるお戒名は、ご先祖さまが亡くなられて、お葬式をするときに付けてもらった「戒名」です。ですから、生前に仏教徒になるときに付けてもらう「戒名」と、人が亡くなったときに付けてもらう「戒名」と、戒名には二種類あることになりましょう。ただし、生前に受戒のときにもらった戒名は、その方が亡くなってお葬式をするときにもそのまま使われます。
実は、人が亡くなったときに付けてもらう普通のお戒名と思っているものも、本来の戒名と同じでして、生前に受戒をして正式な仏教徒となっていない人(当然、戒名もありません)が亡くなった場合、あわてて戒を授け、お戒名も付けて、正式な仏教徒になっていただき、その上でお葬式をすることになるわけです。外から見ると亡くなった人に付ける名前が戒名の如くですが、あくまでも仏教徒としての名前が戒名です。とはいいましても、現今にありましては、ご遺族が亡き人を偲ぶときに、この「お戒名」を通して偲ぶことになるわけで、「お戒名」とは、亡き人を偲ぶときにこそ登場するご先祖さまのお名前であるというのが一般的な理解かと思います。この「お戒名」を亡くなられたお檀家さんのために用意するのは私たちお寺の住職です。
お戒名を用意するに当って、故人のお人柄に相応しいものをと気を配って用意するわけですが、私はこれを用意するに当り、アンケート式の用紙を使ってご遺族にご記入いただき、ご遺族の目から見た故人のお人柄を尊重し、それをお戒名に反映したいと考え実行しています。たとえ住職の目から見たお人柄がより客観的なものであったにしても、故人を真に偲ぶべき人はご遺族なのですから、ご遺族の目から見た故人のお人柄こそ最も尊重されるべきものでありましょう。それをお戒名に反映することこそ住職の大切な仕事の一つかと思っています。

■イスラムの礼拝    
一月二十五日、エジプトで反政府デモが始まってから十八日目の二月十一日夜(日本時間十二日未明)、スレイマン副大統領は国営テレビで声明を発表し、ムバラク大統領(82)が大統領職を辞任し、全権限を軍に移譲したことを明らかにしました。中東での民主化を求める波が、「盟主」エジプトにも政権崩壊を引き起こしたということです。たまたま次女がカイロ大学に留学しており、一月二十八日、イスラムの祝日である金曜日の礼拝が終わった後に百万人デモがあるという話を娘から聞いておりましたが、何時でしたでしょうか、日本の真夜中(カイロ時間は七時間遅れ)に緊張した声で電話をしてきました。「今、アパートの前で銃撃戦があり、人が撃たれた。外には出れないし、インターネットは遮断されているし、一時帰国の航空券を日本からネットで予約してほしい」という内容でした。アパートには後輩の二人も居ましたので、三人分の予約をパリ経由のフランス航空で取りました。本来は航空会社からのメールを窓口で提出するのですが、今回はそれも不可能で、電話で伝えた予約番号を口頭で伝えるだけでOKだったようです。更にフランス航空では予約した便よりも前の便に空席があったために、そちらに回してくれ、できるだけ早くカイロ脱出ができるよう配慮してくれたようです。お陰で無事二月三日に成田に着いたと電話してきました。
娘から聞いたエジプトの様子を少しばかり申し上げます。無数のデモ隊が警官と対峙しているとき、イスラムの人たちが行っている一日五回の礼拝の時間がやってきました。現在はスピーカーで礼拝の時刻を知らせるそうですが、その知らせがあった時、誰かが「もう終わりだ、終わりだ」と大声で言ったのを合図に、デモの群衆は礼拝を始めたそうです。ところが、もう一方の警官たちも驚いたことに礼拝を始めたのだそうです。その礼拝は神に感謝する礼拝なのだそうです。神に何を感謝するのでしょうか。エジプトの若者は何らかのムバラク大統領との縁故がないと就職できないそうです。いくら大学で優秀であってもだめなのだそうです。そんな職にありつけない若者が中心のデモ隊が礼拝の時間が来ると、警官隊を前に礼拝をするというのです。そしてムバラク大統領との何らかの縁故のある警官隊も礼拝をするというのです。これが宗教というものなのでしょうか。私は宗教とは「自分という思い」をはずすことだと考えていますが、イスラムの礼拝は正にそういうことなのでしょうか。考えてみる必要がありそうです。

■ご先祖様
日本人は無宗教だといわれる場合があります。しかし、このときの「宗教」の意味が問題です。それは、私たち日本人が素朴な意味で宗教と感じている宗教ではなく、キリスト教やイスラム教、そして仏教といった世界宗教とされているものを意味しているように思われます。日本人の多くは形式的には仏教徒ということになりましょう。その教理は何かと聞かれたとき自信がなくなり、無宗教ということになってしまうのではないでしょうか。確かに日本人はスラスラ教理を説明できるような信者は少ないかと思います。しかし御盆の季節になると日本人が大移動するのを見ると、日本人が無宗教であるとは決して思われません。ちゃんとした宗教心を持っているのだと思います。それは恐らく「ご先祖様」という宗教心なのではないでしょうか。この「ご先祖様」という宗教心にはどのような意味があるのでしょうか。インドでは人が亡くなると火葬にして、その灰をガンジス川に流しますので、先祖を祀るということはしないようです。インドの仏教が中国に入り、そこで根付くために中国の宗教である儒教と習合して仏教的先祖供養が成立し、それが更に日本に入って日本的に定着したと考えられます。
儒教の専門家である加地伸行先生によりますと『礼記』(らいき)という書物に「身は父母の遺体なり」と書いてあるそうです。この「遺体」(いたい)という言葉の意味は「死体」という意味ではなく、文字通り「遺(のこ)した体」の意で、「私の身体は父母が遺した身体である」という意味になるそうです。すなわち、自分の体は自分のものではなく、親が遺してくれた体であると自覚するという意味が含まれているわけです。「親が遺した体が子としての自分の体である」という考え方は、命の連続を説くと同時に、その命は自分の命ではなく、太古から続いた命を、今、自分が担当して生かしてもらっているという意識を意味しているでしょう。そこには単なる感謝以上の意識を感じざるを得ないように思います。
「ご先祖様」という意識は、単に血のつながった昔の人という意識ではなく、今、自分として生きている命を過去において生きてきた人々という意識ということになりますから、簡単に言葉で表現できないような深い意味を感じます。そのような深い意味を持つ「ご先祖様」を核とする宗教心を私たち日本人は持っているのです。この意識は欧米人には簡単には解らないかも知れません。だからといって自分は無宗教なのだろうかと思う必要は全くありません。堂々と「ご先祖様」を大切にしたいものと思います。

■当山のお葬式
日本の仏教寺院の大半は江戸時代に開創されました。寛永八年(一六三一)に江戸幕府により新寺建立禁止令が出されたにもかかわらずです。なぜかといいますと、十年後の寛永十八年(一六四一)頃から、幕府がキリシタン根絶のために日本人全員に寺請証文の提出を義務付けたからです。寺請証文とは、寺院がその檀家の人をキリシタンではなく確かに自分の寺の檀家であることを保証した証明書のことです。民衆(檀家)側からすれば身分証明書を意味することになります。日常的に大切なこの証明書を発行してくれる寺院が自分の住む村にないのであればとても不便ですから、この頃から日本の津々浦々に寺院が建立されることとなりました。この寺院は同時に自分たちのお葬式も執り行ってくれる場所でもありました。これらの寺院が現在まで続いているわけです。現在では種々の証明書の発行は役所がしますが、お葬式の方は勿論、寺院の本堂で行うのが原則です。ところが近年、様子が変わってきました。お葬式を葬儀社の会館で行う傾向が強まったのです。主な理由は恐らく駐車場の問題でしょう。江戸時代から続く寺院に駐車場のスペースなどあるはずがありません。しかし人が亡くなり、死者と生者が人生最後のお別れをする厳粛な儀式に宗教的雰囲気の充ち満ちたお寺の本堂を使わない手はありません。
幸い当山では土地がありましたので駐車場を完備できました。また、現在の世情を考慮して本堂に百五十人分の椅子と大型エヤコンまで揃え、お檀家さんのお葬式はお寺の本堂で行うことを原則としています。その際、葬儀社の会館と比較して不満が出ないよう生花による祭壇花の飾り付けもお寺の費用で行っています。更には曹洞宗青年会の模擬葬儀をヒントに三十二個の灯明サービスも行っています。葬儀式の中身についても、最も大事なのはお戒名だと思っていますので、ご遺族がそのお戒名によって故人をありありと偲べるようなお戒名をと心がけています。そのためには、住職が考えた故人のお人柄をお戒名にするというのではなく、喪主を中心にご遺族に故人のお人柄を思い浮かべていただき、それを選択記入できるような「故人の生前のご様子」と題した用紙を準備し、それに記入してもらって、それを基にお戒名を用意しています。故人に対するご遺族の思いをお戒名とすることができるよう心がけているわけです。お通夜の最後にお戒名について説明し、それを刷ったものを喪主に差し上げてもいます。人生最後の儀式であるお葬式を大切にしたいものと思っています。 
 

 

■祈る
「祈」という漢字は「望むところに近づきたいと神にいのる」(『学研漢和大字典』)と説明されています。「望むところ」は色々でしょうが、現代ではその多くを神に祈るのではなく科学技術というものによって達成しているように思われます。ですから現代人は余り祈らなくて済むわけです。しかし、どうしても手の届かないところのことは祈るしかありません。たとえば、「死後の冥福」などは祈るしかないでしょう。「祈る」ことについては現代人よりも古代人の方が勝っていたように思われます。考古学者・芹沢長介さんがご自身のご著書『石器時代の日本』(築地書館、一九六〇年)の中で「日本の縄文土器は世界最古である」と主張されましたが(当時としては確かに世界最古であったそうです)、函館市南茅部地域の六五〇〇年前(縄文時代早期末)の垣ノ島A遺跡から出土した土器の中に「足形付土板」(子どもの足形を粘土板に写し取り焼いたもの)があります。これは阿部千春・函館市縄文文化交流センター館長によると「死んだ子どもの足形」なのだそうで、成人のお墓から出土しており、そのお墓は足形の子どもの親のお墓であろうと考えられているとのことです。
わが子の形見としてお祀りしていたのでしょう(安田喜憲『生命文明の世紀へ』)。縄文人の先立ったわが子への思いが伝わってくるようです。恐らく同じ趣旨のものと思いますが、当山の地蔵堂には千数百体の小さな木彫りのお地蔵様がお祀りしてあります。裏に書かれている日付(恐らく命日)は江戸時代から新しいもので昭和初期のものまであります。亡くなったわが子の冥福を祈ってお祀りされているのでしょう。お寺の過去帳を見ますと、昔は子どものお戒名が沢山目につきます。しかし戦後二十年近く経った頃から減り始め、ただ今では子どもの病死による葬儀というのはほとんどありません。医学進歩のお蔭なのでしょう。「祈る」ことが減った所以です。しかし、私はこの「祈る」ことを大切にしたいと思っています。「困ったときの神頼み」という言葉がありますが、困ったときだけでなく、日頃の祈りが大切だと思っています。進歩した現代文明にあっても、いつ病気になるか知れません。交通事故だってあります。飛行機が落ちるということも無いとは言い切れません。平穏な生活を踏み外す要因はいくらでもあります。日頃から「祈る」という習慣を持つということは、その「祈る」という行為によって、自らの生活態度を日々正すことにつながるように思うのです。

■仏壇の力
日本のご家庭には大抵のご家庭に仏壇があるとお考えかと思います。当山のお檀家さんにもすべて仏壇がございます。しかし、そのお檀家さんの後継者に当たられるお若い方のご家庭には、逆にその大半のご家庭に仏壇が無いというアンケート結果が出ています。親の家に仏壇はあるのだから必要ないではないかとお考えかも知れません。しかし、そうではないのです。なぜなら、そのお若い方のご家庭で赤ちゃんはお生まれになり成長されます。その時、そのご家庭に仏壇が無いとしたら、その赤ちゃんは仏壇に、そして御先祖様に手を合わせる日常的習慣なくして大人になられます。中には、孫がお盆などに帰省した折にはちゃんと仏壇に手を合わせていますよ、と仰る方もおられます。しかし、毎日の習慣がとても大事だと思うのです。幼児期にお母さんといっしょに仏壇に向かって手を合わせるという習慣があってこそ、本物の「御先祖様」、礼拝の対象としての「御先祖様」という意識を獲得することができるのではないでしょうか。
日本の仏教は本来の仏教であるインドの仏教とはだいぶ様子が異なります。道元禅師や親鸞聖人の説かれた仏教は本来の仏教的要素を色濃く保持していますが、江戸時代を通過した仏教は総じて先祖供養をその基盤としています。庶民的仏教はむしろ先祖供養で成り立っていますし、それによって日本人はまともな日本人としての生活をしてきました。人が亡くなれば四十九日までは包みものに「御霊前」と書くように霊的に扱われますが、四十九日を過ぎますと「御仏前」と書きます。これは四十九日を過ぎると「仏」として扱われている証拠です。亡くなった親を日本人は「仏」として礼拝します。これが日本人の庶民的宗教なのです。ところが、先に述べましたように核家族のご家庭には仏壇がないという現象により、この日本人の宗教的在り方が急速に失われつつあります。キリスト教やイスラム教といった一神教では絶対神を崇拝します。言い過ぎかも知れませんが、この絶対神に相当するものが庶民的日本人にとっては「仏」(御先祖様)です。この「仏」(御先祖様)に対する思いが日本人から無くなろうとしているのです。このことは日本人が本当に無宗教になってしまうことを意味するでしょう。テレビ等で毎日のように報道される凶悪事件は日本人が宗教を失いつつあることを示しているのではないでしょうか。簡単なものでいいのです。生まれくる赤ちゃんのために仏壇を備えて下さい。

■報恩
ご法事などの折にお檀家様とご一緒に『修証義』をお読みしておりますが、その『修証義』の第五章には「行持報恩」(ぎょうじほうおん)というタイトルがついています。「行持」とは語義としては「修行を持続すること」の意ですが、「悟りを開かれたお釈迦様の生きざま全体」といえましょうか。これがそのお弟子の摩訶迦葉尊者に伝えられ、代々伝えられて何十代か後に如淨禅師(にょじょうぜんじ)にまで伝えられ、この如淨禅師よりお釈迦様以来の仏法が道元禅師に伝えられたのであります。道元禅師はお釈迦様以来の仏法が多くのお祖師様方のご努力によって自分たちの時代にまで伝えられたことを「仏祖面面の行持より来れる慈恩なり」(仏や祖師方が弟子と共に行じる在り方で真実を伝えられた慈恩である)といわれています。そして又「(この)大恩これを報謝せざらんや」ともいわれています。この「大恩」、すなわち「慈恩」に「報謝」することが「行持報恩」の「報恩」ということになります。ところで、その慈恩にどのようにして報い(報謝し)たらよいのかが問題です。その点について道元禅師は「其報謝は余外の法は中るべからず。唯当に日日の行持、其報謝の正道なるべし」と説かれています。これによると「日日の行持」が「報謝の正道」であるということですから、自分たちの日々の修行を通じて慈恩に報いるのであるということになりましょう。
そのような修行とは、他ならぬ仏祖方がなされてきた「仏祖面面の行持」(仏や祖師方が弟子と共に行じる在り方)ということになるかと思います。仏教は基本的には出家主義ですから、師と弟子との間に血縁関係はありません。しかし、師と弟子とは「法」(仏法)で結ばれ、師から弟子へ法が流れているわけで、その法を自分に伝えてくださったお師匠様、その上のお師匠様、そしてそれはお釈迦様にまでつながっているわけで、その方々に報恩感謝の真を捧げるべきだと仰っているわけです。このことは特に私たち僧侶の側の問題ですが、お檀家の皆様方にとっては、「法を伝えてくださった仏祖」とは「命を伝えてくださった御先祖様」に相当するかと思います。その「命を伝えてくださった御先祖様」には当然のことながら報恩感謝の真を捧げねばなりません。ご法事のお勤めによって御先祖様を敬い感謝するだけでなく、亡くなった親というものは、我が子が元気に明るく過ごしてくれることを何よりも願っておられることと思います。この亡き父母の願を日々の生活を通して叶えて差し上げる、これにまさる報恩感謝の真はなかろうかと存じます。

■お孫さんに
日本人の多くは仏教徒だと言われています。御盆の季節には列島大移動が繰り返されますから、おそらく間違いないでしょう。しかし近年は少し様子が違ってきたように感じます。地方にいますと、さほどでもないのですが、都市部では葬儀が驚くほど簡略化されてきているようです。その簡略化も一切儀式をしないという簡略化も含まれますから驚きです。葬儀をしなければ法事もしないのでしょうから、先祖供養を放棄したということになるでしょう。これは単に先祖供養をしないというだけではありません。日本人が仏教徒であるという中身は、仏式の先祖供養をしているということですから、宗教そのものを放棄したということにもなるでしょう。これは恐ろしいことであります。世界に宗教を持たない民族はいないでしょうから、人類史上に例のないことを日本人は始めようとしているとも言えましょう。かなり以前に、たしか無着成恭さんだと思うのですが「あなたの宗教は何ですか。という質問は、あなたはどの宗教で自分をコントロールしているのですか、という質問と同じです」と何かに書かれていたのを思い出します。宗教を持たないと言うことは、自分をコントロールしないということと同じで、勝手放題のことをするということです。最近の報道には胸が痛くなる報道が多いのですが、無宗教化傾向と関連がないのか心配です。
日本人の宗教は先祖供養が主体になっています。私はそれで十分機能すると思っています。しかしそれを無くしてはなりません。宗教を身につけるのは幼児期です。その幼児期に宗教心を身につけるのを邪魔している最大の要因は核家族化ということだと思います。かってはおじいちゃん・おばあちゃんとお孫さんがいっしょに暮らしていました。今は別々です。だから仏壇のある家にお孫さんはいません。お孫さんのいる家には仏壇がありません。ですから幼児期に手を合わせて御先祖様を拝むということが身に付きません。しかし宗教心の芽生えはこんなところにあるのだと思います。この度、私も所属する山口県曹洞宗布教研究会で子供たち用の仏教パンフレットを作りました。一部同封いたしますので、お孫さんと一緒に御覧下さい。お孫さんが遠くの場合は送って下さるとうれしいです。お寺ではアパートの部屋でもお祀りできるミニ仏壇一式(五万円くらい)も用意しております。お孫さんに手を合わせる場を作ってあげて下さい。今、このようなことを勧めることこそ、私たちの仕事だと思っています。

■御法事とは
正月早々、御法事のお話です。お葬式の時、授戒という儀式によって、故人の「みたま」は仏の子となられます。亡くなられてから満一年が一周忌です。その後は数えで、満二年が三回忌、そして七回忌、十三回忌、十七回忌、二十五回忌と続き、弔いあげ(最終年忌)が三十三回忌です。これは民俗学的に言われる「みたま」が約三十年でカミになるという考えと重なっているようです。実際のところ、世代の差はほぼ三十年ですから、亡くなった親の三十三回忌を済ますと、亡くなった親と大体同じ年齢になり、今度は自分がされる側に回るということも関係しているかも知れません。ともあれ、仏教的には各年回忌でお経を読み、そのことによって積む功徳を故人の「みたま」に捧げ、年回忌を重ねるごとに徐々に仏の覚位に近づき、三十三回忌で遂にその覚位に到達し、仏の子が仏となられるという訳です。現在では三十三回忌のあと、五十回忌まで一般に行っています。仏教では読経の功徳を故人の「みたま」に捧げることを「回向」(えこう)といい、読経の後に必ず「回向文」をお唱えします。御法事の回向文の最後には「覚路に登らんことを」とありまして、仏の覚位に登りついて下さいという願いが込められている訳です。
いわゆる御法事とは、こんな風ですが、少しばかり付け加えてみたいと思っています。御先祖様となられた方々への私達の思いは、仏の子から覚位への願いだけでなく、命を伝えて下さったことへの感謝の気持ちも同時にありましょう。私は「願い」と「感謝」とを合わせて、御法事とは御先祖様へ「ご安心」を頂く法要だと思っています。願いの方は縷々述べました。感謝の方はどうでしょう。御先祖様はきっと命を授かった私達(遺族・親族)が元気で明るく過ごしてくれることを何よりも願っておられることと思います。その御先祖様の思いを日々の生活を通して叶えて差し上げることこそ、御先祖様にご安心をいただけるのではなかろうかと思っています。道元禅師様は仏法を伝えて下さったお祖師様方への感謝の仕方について、「その報謝は余外の法はあたるべからず」「ただまさに日日の行持、その報謝の正道なるべし」(『正法眼蔵』行持下)と述べておられます。この道元禅師様の述べられるお祖師様方への感謝とは、一般の人々にとっては、命を伝えて下さった御先祖様への感謝と捉え直すことができましょう。御法事のとき「御先祖様にご安心をいただける日々を過ごす」という思いを起こすことができれば、きっと真の御法事となるように思います。 
 
仏教

 

 
 

 

■子育てに悩む時に    
ある本を読んでおりましたら、『子どもを叱る前に読む本』に載っている話として次のような話が紹介されていました。それは小学校五年生の少女が、町の作文コンク−ル(題は「私のお母さん」)で発表したものなのだそうですが、早速ご紹介致します。
《(前文略)私のカァちゃん、バカ母ちゃん。私のカァちゃんはバカです。(また爆笑)野菜の煮物をしながら、洗濯物を干しに庭に出たら、煮物が吹きこぼれ、父ちゃんから「オイ、バカ、煮物が溢れてるぞ」と言われて、慌てて、洗濯物を竿ごと放り出して台所へ駆けこみました。洗濯物は泥だらけです。 「バカだなあ」と言われて、「ごめんね、父ちゃん、カンベンね」とおどける母ちゃんです。しかし、母ちゃんを叱るその父ちゃんも実はバカ父ちゃんです。ある朝、慌てて飛び起きて来て、「ご飯はいらん」と洋服に着替え、カバンを抱えて玄関から走り去りました。すると母ちゃんが、「バカだね。父ちゃん。きょうは日曜日なのにね。また寝ぼけちゃってまあ。」そういうバカ母ちゃんとバカ父ちゃんの間に生まれた私が、利口なはずありません。(大爆笑)弟もバカです。(笑い)家中みんなバカです。しかし・・・・・(場内シ−ン)私は大きくなったら、私のバカ母ちゃんのような女性になって、私のバカ父ちゃんのような人と結婚し、私と弟のようなバカ姉弟を産んで、家中みんなでアハハアハハと明るく笑って暮らしたいと思います。私の大好きなバカ母ちゃん。(一同、涙、涙)(以下略)》
私も思わず涙が出てきました。仏教とは、詰まるところ、この女の子のような心を持つべきことを教えているのではないでしょいうか。子育てに悩む母親にのみ意味のある話ではないように思います。

■救われるということ    
釈尊は非常に巧みな説法によって多くの人々を救われたと伝えられていますが、そんな説法の一つに次のようなものがあります。ある若い母親は、自分の赤ん坊が死んで、悲しみのあまり半狂乱になっていましたが、評判の高い釈尊の噂を聞いて、赤ん坊を生き返らせてくれるかもしれないと思い相談に行きました。釈尊の返事は「それはお気の毒だから、わたくしが赤ん坊を生き返らせてあげよう。村へ帰って、芥子の実を二、三粒もらってきなさい。」というものでした。芥子の実ならインドの農家にはいくらでもありましたから、その実で何かお呪いでもするのかと思い、その若い母親は急いで村に帰ろうとしました。そのとき、その背後から釈尊は声をかけました。「ただし、その芥子の実は、いままで死者を出したことのない家からもらってこなければならない。」 半狂乱の若い母親は釈尊の言葉の意味がよくわかりませんでした。こおどりして村にとって返した彼女に、村人たちは喜んで芥子の実を提供しようとするのですが、第二の条件に対しては、「とんでもない。うちでは両親の葬式も出したし、子供の葬式も出した。」という返事しか返ってきませんでした。家から家へかけめぐるうちに、その若い母親にも少しずつわかってきました。そして、ほとんど村中をまわり、釈尊のおられる森に帰ってくるころには、半狂乱もすっかり消え去り、すがすがしい気持ちになっていました。
この話で、釈尊は救う人であり、若い母親は救われた人であります。しかし、よく考えてみますと、この母親は釈尊に導かれながらも、自ら悟ることによって、半狂乱に陥った自分自身を救うことができたように思われます。救われ方には色々あるでしょう。しかし、最後のぎりぎりのところでは、この話のように、自分で自分を救うしかないように思われるのですが。 

■無常の哲学    
『涅槃経』に「諸行は無常なり、これ生滅の法なり。生滅滅し已りて、寂滅を楽と為す」という無常偈と呼ばれる短い偈文があります。「諸行は無常なり」とは、我々が感知している世界(諸行)は無常だということです。無常とは生滅のことだと説いてありますが、ある状態が生じてもやがて滅し、別の状態が生じて、それもやがては滅す。そのように生滅を繰り返し、状態が変わっていくことが無常ということです。ところが、まわりの世界は無常、即ち変化しているのに、我々の心はその変化について行こうとしないのです。たとえば、ここにガラスのコップがあります。これで尿の検査をしたとします。そのコップは汚れますが、洗剤で洗い、熱湯消毒もすれば、完全に清潔になります。しかし、そのコップでビ−ルをどうぞと言われても、なかなか飲めるものではありません。一旦汚れたコップに対しては、いくら洗っても汚れのイメ−ジをぬぐい去れないのが人間だからです。コップは不浄の状態から浄の状態に変わっているのに、我々の心はその変化に即して変わることができず、不浄の状態にこだわってしまっているのです。ここに「苦」というものが生じる理由がひそんでいます。
そこで経典には「(浄・不浄という状態の)生滅が滅し已りて、寂滅なるを楽と為す」とあります。浄・不浄のありのままを知って、それに心を合わせることができれば苦は起こらず、浄・不浄は静まっているも同然で楽である、という意味でしょう。早い話が、エレベ−タ−に乗ってしまえば、自分も一緒に動くわけですから、エレベ−タ−の上下の動きは分からないのと同じです。要は、不浄のものは不浄として、浄のものは浄として素直に受けとめて、そのように扱えばよいわけです。自分の両手を思い出して下さい。どんなに汚くなっても洗えばなめることだってできるではないですか。世間に対してもそんな調子で出来ればきっと素晴らしい世界が開けて来るでしょう。

■慈と悲    
「慈悲」とは、「慈」と「悲」の両語を併記した言葉で、「慈」は他者に安楽を与え(与楽)、「悲」は他者の苦に同情し、その苦を除こうとする(抜苦)ことと説明されています。この両語について、五木寛之さんは、最近出版された『他力』(講談社)の中で、「たとえば、オウム真理教に加入してしまった息子を、その教団から離脱させるために、会社に休職届を出して、息子の本棚にあった宗教関係のテキストを徹底的に読み、毎日くり返しくり返し息子と討論しつつ、何とか息子の信仰をやめさせようと努力したエリート商社マンの父親がいましたが、彼は、〈慈〉の心をもって息子に接していたと言えると思います。 (中略)ところが、なぜそんな教団に入ったか、そういうことをいっさい聞かずに、お前が地獄へ行くなら、自分も一緒について行きますよと、傷ついた息子の痛みを自分の傷のように感じ、その子の手のうえに自分の手を重ね、黙って涙を落としている母親は〈悲〉の心といえるでしょう」と述べておられます。
「悲」について、良寛さんにも同じような話があります。良寛さには馬之助という甥がいましたが、いい年をして遊んでばかりいるので、その母親から意見をしてくれるようにたのまれるのですが、良寛さんは人に意見をするというようなことがどうしてもできず、やっとのことで馬之助に旅支度のわらじを結んでくれるよう頼みます。そのとき馬之助は、良寛さんの目からこぼれた涙に気付き改心したというお話です。現代の医療現場に目を移すと、医学の力で患者さんの病気を治そうとする「キュア」(治療)が「慈」に当たり、既に治療不可能となり、死と向き合わざるを得ない末期のガン患者さんへの心の「ケア」(癒し)が「悲」に当たるかと思います。だとすれば、「ケア」というものは、患者さんのそばにあって、ことばはなくてもいいから、涙を流せるほどの「こころ」がなければならないことになりましょう。

■死を忘れた文化    
会報『人間』の編集者、藤井義正氏の発言をまずご紹介します。「現代人は、科学や医学が進歩し、私たちはその恩恵に浴しながら生きている。これはありがたいことである。ありがたいことだが、その代わり、苦しいことや危機に対する精神的肉体的耐性は、すっかり脆くなってしまった。暑ければ冷房、寒ければ暖房と、不快なことは科学が排除してくれた。病気になると医学が治してくれる。それが当然と思うようになった。 (中略)そういう人生観や価値観は病気の人を苦しめるものとなるのである。私は、病気の人が病気を受容し精神的な苦痛から解放されるためには、こういう現代の「死を忘れた文化」を土台にした人生観、価値観から解放されることがなにより必要だと思うのである。」
右の発言には、科学は不快なことを排除してくれるありがたい存在であるけれども、それを追い求めれば求める程に、それが当たり前という錯覚を生み、かなわない時の苦痛が倍増してしまうという矛盾が指摘されています。この矛盾を解消するためには、どのようにしたらよいのでしょうか。それは、科学の恩恵をありがたいと認めると同時に、それが当たり前という錯覚を生まないということでしょう。そのことのために、仏教の開祖、釈尊の説かれた「諸行無常」の教えが参考になると思います。「諸行無常」とは、すべてのものは常なるものは無いということですから、私たちの人生についていえば、いつかは終わり、すなわち「死」がやってくることを自覚すること、いわば「死を自覚する文化」に立つということです。世の無常を深く理解すれば、人生の終止符(死)も受け入れられるでしょう。そうすれば、今いきていることがありがたいと思えるし、それを支えてくれているすべてのものもありがたいと思えるでしょう。要は、眼を開いて「無常」という真理を感得できるかどうかにかかっていると思うのです。 
 

 

■現代生活での中道    
宗教学者の故岸本英夫氏は宗教を定義して「宗教とは、人間生活の究極的な意味をあきらかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわりをもつと、人々によって信じられているいとなみを中心とした文化現象である。」と述べておられます。そして、文中の「人間の問題」について、欲求(生活活動の原動力)の生起、充足、解消という流れが、なめらかに流れていれば人間の問題は生じることはなく、心は安定した状態にあるが、その流れがなめらかに流れなくなると人間の問題が生じて、心は緊張状態になる、と解説されています。ところで、世界の主な宗教は、欲求が解消し、心の安定した状態を求めるのに、欲求を充足するという方向ではなく、むしろ欲求を抑制するという方向で欲求・充足・解消の流れを流れや易くしているように思われます。即ち、キリスト教でもイスラム教でも「最後の審判」というものが説かれ、いつ起こるか判らない裁きとして、人間の現世的な生活を強く規制していますし、仏教においても、輪廻転生が説かれて、現世に悪をなせば来世に地獄に堕ちると説かれて、いずれも、来世というものによって現世の倫理の道の支えとし、心の安定をもたらそうとしています。
ただ、仏教の輪廻転生説はヒンドゥ−教の影響ですから、本来の教えではないでしょう。釈尊ご自身の教えは「中道」、即ち、欲求を野放しに充足し続けるのでもなく、かと言って抑圧してしまうのでもなく、丁度よい状態にコントロ−ルすることかと思います。しかし、その丁度よい状態というのが問題ですし、しかも現代人にとっての「丁度よさ」が問題です。それは、例えば、物をむやみに欲しがらず、かと言って何でも我慢してしまうのでもなく、求める時は気に入った物を求め、今度はそれを大切に愛着をもって長く使っていく、これが現代生活での「中道」になるのではないかと思っていますが、いかがでしょうか。

■断食    
インドには古代より修行形態として苦行と瞑想(ヨ−ガ)の二種類がありました。その内、瞑想の流れをくむものが坐禅ですが、仏教の坐禅は、単なる精神統一ではなくて、外界をありのままに見る智慧が働いている点が重要です。もう一つの苦行ですが、この代表的なものが断食です。釈尊もこの断食を大変熱心にされました。皆様方も有名な「釈迦苦行像」(ラホ−ル博物館蔵)(写真)の実物や写真をご覧になったことがあると思います。しかし、釈尊は結局、断食などの苦行を捨てられ、静かな坐禅の中で悟りを開かれました。紀元前1500年頃、中央アジアに居たア−リヤ人たちがインドに入ってきました。彼らは寒冷地である中央アジアに居る頃、ソ−マと言う幻覚剤を服用し高揚した状態で神秘世界との交流感を得ていましたが、暑いインドにやってくると幻覚剤ソ−マを造る材料となるベニテングダケ(北半球の寒冷地帯に広く分布)がありません。ところが、彼らは断食によって同じ効果が得られることを発見し、断食を神秘世界の感得に大いに利用したのです。
断食を体験された國學院大学教授・宮元啓一氏は「身心の清澄なること、余人の想像を絶するものがある」(『仏教誕生』ちくま新書)と述べておられますが、山口県立美術館でお会いした真言宗のあるご住職によると、断食をして二日目、三日目は猛烈に腹部が痛むが、四日目になると頭の中がパ−ッと明るくなり、すべての苦痛を感じなくなってしまうということでした。しかし、宮元教授によれば、断食も、それを止めて食を始めてしまえば元の黙阿弥、心も元の汚れた心になってしまうということです。釈尊が苦行を捨てられた理由もこの辺にあったように思います。つまり、仏教の核心は、瞑想による精神統一や、苦行という肉体いじめで得られる一時的精神状態ではなく、智慧を働かせて恒久的安らぎを得ようとする処にあると言うことです。

■同事について    
先般、曹洞宗の県下の住職が参加します現職研修会が、この萩で開催されました。講師は曹洞宗教化研修所の中野東禅先生で、講義の中で「同事」についてふれられました。私は「同事」については、自他の差別をしないで協調できる心、くらいに考えていましたが、中野先生は、同事について『修証義』には「人間の如来は人間に同ず」と説かれているのであるから、上の者から下の者への問題であり、社会に当てはめれば、専門家が一般の弱者に対して責任をもつことではないか、と解説されました。なるほどと思ったのですが、今の日本の社会を見渡すと、上の者ほど利己的で色々な問題をおこしているのを見るにつけ、これは「同事」ということをもっと大切にしなければいけないなと思った次第です。そのとき、学生時代の四年間を過ごした道憲寮での『寮訓』に「平等即差別」という言葉があったことを思い出しました。その意味は、上級生は下級生にたいして平等に、下級生は上級生に対して先輩という敬意を払うべし、ということだったと思います。
今の社会にはこの両方が欠けていると言えるかも知れません。また、嫁・姑を例にとって「同事」を説く佐藤俊明老師は、お嫁さんがお姑さんに落ち度なく仕えようとするかぎり、そこには対立があってうまくいかないけれども、お嫁さんが、ふとした事で、嫁ではなく娘になろうと気付いてからは大変うまくいくようになったという話とともに、次のような禅問答も紹介されています。 (問)「いかなるかこれ仏」、(答)「新婦驢に騎れば、阿家ひく」(花嫁が馬に乗って姑がひく)というものです。姑が馬に乗って嫁がそれをひくというのが世間で目にする姿ですが、嫁でなく娘だとすれば、その逆の姿もおかしくないでしょう。姑は嫁を娘と思い、嫁は姑を母と思えば対立なく、一如の世界が開けてきます。それが仏の世界だというのがこの禅問答の意味する処でしょう。味わい深い問答かと思います。

■悩み解決法    
悩みを抱えておられる方は多いことでしょう。これを解決する方法があればすばらしいですね。それを今回はご紹介いたしましょう。ただし、ご紹介できるのは理屈のみです。実際の解決には、それなりの努力(坐禅)が必要かと思います。その点はご了承下さい。さて、その方法とは、「心を空っぽにする」という方法です。そのためには坐禅の実践(禅 第7話 「身心脱落とは」など参照)が必要と思いますが、今回はその理屈のみ申し上げます。「悩み」とは「あることが自分の思うままにならない」ということで、これは更に分析的に言えば、「あること」と「思うままにしたい心」とが一致していない状態と言えましょう。これを解決するためには両者を一致させればよいわけで、その方法に二つあります。第一は「あること」の方を「思うままにしたい心」にかなうように変えるという方法、第二は「思うままにしたい心」の方を「あるもの」に合わせるという方法の二つです。
前者はよく見かける方法ですが、「思うままにしたい心」の方が簡単に膨らんでしまうものですから、いつまでたっても解決はあり得ないことになります。後者は、「思うままにしたい心」の方を「あるもの」に合わせるというのですから、解決にはならないように思われます。しかし、一致が解決であれば、立派な解決なのです。そして、実は、これが仏教のやり方なのです。
それでは、「思うままにしたい心」を「あるもの」に合わせるとはどういうことなのでしょう。それは「あるもの」をそのまま受け入れるということです。しかし、受け入れようと思っても、心の中に「ああしたい、こうしたい」が一杯つまっていますと、入りません。そこで心を空っぽにする必要があるわけです。心とは、中身が詰まっているべきではなくて、外側の「あるもの」を受け入れる「器」であるべきなのですね。例えば「あるもの」が「年をとること」であるとき、「若くありたい」なんていう心の中身を捨ててしまって、お年寄りがしわくちゃの顔で化粧もせずニコニコされておられるように、「年をとること」をそのまま受け入れればいいのだと思うのです。如何でしょうか。

■「同事」再考    
以前に「同事について」と題して書きましたが、もう一度、「同事」について書いておこうと思います。当山の婦人会にコーラス部があります。平成五年十一月七日の当山諸堂改修工事落慶法要の折りにお披露目をしていただきました。名前は「コール・サマーナ」といいます。命名したのは住職である筆者ですが、その「サマーナ」とは、「同事」の原語(サンスクリット語)である「サマーナ・アルタ」(samana-artha)の前半の言葉「サマーナ」(「同」の意)で、それを取って命名致しました。道元禅師はこの「同事」を「不違なり」と説明されています。「自と他を差別せず協調できる心」をいうものと思います。コーラスはハーモニー(調和・和合・一致)が第一でしょうから、常にハーモニーを大切にしていただきたいという願いを込めて命名したつもりです。
「同事」について道元禅師は更に「人間の如来は人間に同ず」と述べられますので、中野東禅さんが言われるように「同事とは、上の者から下の者への問題」と考えられます。似た言葉に「和光同塵」(『老子』第四章)というのがあります。才能(光)を和らげ隠し、下々の者(塵)に同じることを言いますが、この場合は、本当は自分には才能があるという意識が残っているように思われます。これに対して道元禅師は、「他をして自に同ぜしめて後に自をして他に同ぜしむる道理あるべし」と述べられます。他者(下の者)を自分と同じ高さまで引き上げておいて、その上で自分を他者に同ぜしめる、という意味かと思います。この場合は、自分の才能を隠して意識的に和合するのではなく、他者と自分が同じであり、寸分も異ならないと認識するが故に和合できるのだと思います。
上の者が下の者に対して、実は同じ人間であると認識するからこそ、真の和合が可能となると言えましょう。昨今の世情を見渡しますと、毎日のようにお偉い方が問題を起こしているようです。お偉い方が問題を起こすと言うより、お偉い方であるが故に起こせるような問題が起こっているように見えます。「同事」ということが、「上の者から下の者へ」について言っているのであれば、問題を起こしているお偉い方に是非勉強してもらったら、というご忠告を頂戴しそうですが、実のところ、心の中では誰しもが「自分が一番偉いのだ」と思っているのではないでしょうか。少なくとも、私などは反省すべきことしきりです。 
 

 

■布施    
布施(人に施す)・持戒(戒律を守る)・忍辱(苦難を耐え忍ぶ)・精進(仏道に励む)・禅定(心を統一する)・智慧(真理を悟る)の六つの修行法を六波羅蜜といいます。布施だけは他者にかかわる修行ですが、あとは大体、自己一身上の修行と言えましょう。六波羅蜜の他に、「四摂法」(ししょうぼう)という修行法もあります。こちらは、布施・愛語(人にやさしい言葉をかける)・利行(人のためになることをする)・同事(人と同調する)の四つで、いずれも対他的であり、人間関係上の修行法となっています。道元禅師は『正法眼蔵』の「菩提薩K四摂法」という巻に、この「四摂法」を詳しく解説しておられます。道元禅師は、永平寺という深山の道場で世間を離れて坐禅修行された方というイメージがありますが、実は、他者の救済ということを一生考え続けられたお方でもあります。そのことが対他的な修行法である「四摂法」の解説によく現れていると思います。禅師は四摂法の「布施」を、「布施といふは不貪なり。不貪といふは、むさぼらざるなり。むさぼらずといふは、よのなかにいふ、へつらはざるなり」と説明されています。すなわち、「布施」とは「不貪」であり「不諂」であるというのです。「布施」とは、具体的には人に物を施すことですが、物を施すという行為の本質は、自分の貪りの心をなくしていくところにある、という解釈だと思います。
一方、「不諂」については、「へつらわないこと」と「布施」とがどのように結びつくのか少し考えてしまいますが、「へつらう」という行為は、気に入られようと相手の機嫌をとることだ、と説明されますので、人の心を貪るのが「諂い」と考えれば、「不諂」も「不貪」と同じように考えることが出来ましょう。ところで、貪るとか諂うというような言葉は、票集めのためなら何でもするという悪徳政治家を連想してしまいますが、道元禅師は、そのような者のまねをしてはいけないと言っておられるのではないでしょう。考えてみると、「貪る」も「諂う」も共に自分をデンと据えて、その自分に物や心を必死に引きつけよとする行為です。そういう自分に引きつける行為を止めなさいというのが「不貪」であり、「不諂」であるのだと思います。そして、そのための具体的な行為が「布施」なのだと思います。だから「布施」とは、「人に物を施す」ことですが、「物を施す」ことよりも「人に」の方に力点があり、他者への行為によって自己を忘れていく、ということに意味があるのだと思います。

■利行    
「情けは人の為ならず」という諺があります。ある大学の先生が学生たちにその意味を、1「へたに情けをかけるとその人のためにならない」、2「人に情けをかけておけば、めぐりめぐって自分にも善い報いがくる」のどちらであるかと質問しました。学生たちの解答は、1が80%で、2が20%という結果だったそうです。「自己チュー」という言葉が流行る今の世相を反映しているようでもあります。ところで、右のことわざの正解は、勿論2であります。その点は『国語大辞典』(小学館)が保証しています。なぜこの諺を持ち出したかと言いますと、この諺は、人への情けは人のためだけではなく、自分のためでもあると教えていますが、道元禅師はまず「利行」について、「利益の善巧をめぐらすなり」(人々に利益となるような手だてをめぐらすこと)と説明されており、「利行」と「情け」とは意味するところがよく似ていますし、また「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」とも述べておられますから、「人のためだけでなく、自分のためでもある」に通じます。このように、道元禅師の「利行」と、右の諺とは意味がよく似ていますのでここに取り上げたわけです。しかし全同とは言えません。というのは「報謝をもとめず、ただひとへに利行にもよほさるるなり」と述べておられますので、利行とは、自分への報いは求めないで、一方的に他者を利する行いであるとされているからです。
他方、諺の方は「めぐりめぐって自分にも善い報いがくる」というのが「人の為ならず」の意味ですから、自分への報いを考えているのであり、道元禅師の利行とは異なります。それでは、道元禅師の言われる「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」の中の「自を利する」の部分はどのように考えればよいのでしょうか。私は、他者を一方的に利するという行為(修行)が、「自分を忘れること」をもたらしてくれる、というのが「自を利すること」(自利)に他ならないのではないかと思います。道元禅師は『正法眼蔵』現成公案の巻で、「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。」と述べておられます。ここに「自己をわするる」ということが仏道だと説かれていますから、「自分を忘れること」こそ、「大なる自利」(仏道)と言えましょう。そして、それは自分以外の他者(万法)によってもたらされるというのが禅師の立場であるように思われます。

■愛語について    
愛語について、道元禅師は「愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり」と述べられ、更に「慈念衆生、猶如赤子のおもひをたくはへて言語するは愛語なり」と述べられますから、愛語というのは、人々への慈愛の心に基づいた言葉であり、その慈愛の心とは、自分の赤ん坊に向けるような心、我が子が溺れそうになれば無条件で助けに飛び込むような心、そのような心による言葉が愛語と言えましょう。また禅師は「愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり」とも述べられます。ここに言う「廻天」とは、高橋賢陳氏によれば、禅師の『学道用心集』に「忠臣一言ヲ献ズレバ、シバシバ廻天の力アリ」の「廻天」であり、無益な工を起こそうとした唐の太宗を臣の張玄素がいさめて止めさせた一言が「天子の考えを変えさせる」力があったと解釈されています。ところで、そのような一言が何故に愛語なのでしょうか。高橋氏は「国民の実情を思う慈悲心から進言した」からだと解釈されていますが、それは「愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり」という道元禅師の言葉に基づいているわけです。
ところで、仏陀の十大弟子中、ナンバー1の大迦葉とナンバー2の阿難とは性格のかなり違う二人だったようです。大迦葉は厳しい修行に励んで頭陀第一と言われ、阿難は仏陀のいとこで常に仏陀に付き添い世話をしていたため仏陀の説法を聴く機会が一番多く多聞第一と言われました。仏陀亡きあとのある日、大迦葉は阿難を呼び、仏陀生前中の阿難の行為に五つの過失があったことをとがめ、阿難に懺悔するよう求めました。阿難は指摘された五つの過失のそれぞれについて、正当な理由があり、決して過失ではないと信じていましたが、まげて過失と認め懺悔したと伝えられています。阿難は何故に自分をまげてまで懺悔したのでしょうか。実は、教団の戒律規定に、疑念がもとで教団が分裂するかも知れないときは、疑いをかけた方も必要以上に追求してはいけないし、疑いをかけられた方も他を信じて自分の罪を認めるべきであるという趣旨の規定があったからです。阿難は教団を分裂させて修行者を悲しませたくないという慈悲心から愛語の懺悔をしたと言えそうです。このような阿難の行動を「長い物に巻かれろ」的な行動だと誤解しないで下さい。「巻かれろ」的行動には下心がありますが、阿難の行動には下心はありません。あるのは、自分よりも他の修行者を気にするやさしさでしょう。

■曹洞宗婦人会「会員の誓い」    
曹洞宗婦人会は昭和五十一年に結成され、その十年後の昭和六十一年に「会員の誓い」が作られました。
おしみない心で どうぞさしあげます (布施)  やさしい笑顔で どうぞしっかり (愛語)  幸せを祈って どうぞおさきに (利行)  手をとりあって どうぞごいっしょに (同事)  私は、今日も菩薩さまの願いに生きますというものです。例の「四摂法」の教えに基づく誓いの言葉となっています。
「四摂法」という教えは原始仏教以来説かれている教えですが、道元禅師はこの教えをとても大切にされ、『正法眼蔵』に「菩提薩T四摂法」(ぼだいさったししょうぼう)という巻を設けられて、詳しく説明されています。また、その『正法眼蔵』の中からなじみやすいお言葉を集めて明治二十三年に編纂された『修証義』では、第四章「発願利生」の中でこの「四摂法」が日常生活の中での実践項目として説かれています。ですから、婦人会の誓いの言葉としては大変ふさわしいものと言えましょう。勿論、道元禅師も「行願」という言葉を使っておられるように、誓い(誓願)だけではだめなのでして、実践(行)がなければ何もなりません。そこでどう実践するかが問題ですが、要は「同事」という言葉にありましょう。意味するところは、自と他が平等であり一如であるということかと思います。この同事の立場にたって布施・愛語・利行を実践することになる訳です。
布施とは人に「物をあげること」、愛語とは人に「やさしい言葉をあげること」、利行とは人に「助けとなる行為をあげること」、と解釈できましょう。そしてその根底に「やさしい心をあげること」があると理解できるように思います。道元禅師は「愛語」の説明の中で、「慈念衆生猶如赤子(じねんしゅじょうゆうにょしゃくし)の懐(おも)ひを貯へて言語するは愛語なり」と述べておられますから、「やさしい心」とは「わが子に向けるような心」と言えましょう。わが子とは自分の分身ですから自分と平等一如です。自分と平等一如であるものに対し人間は「やさしい心」を向けることができるようです。そこで他人に対して「やさしい心」を向けるためには、他人を自分と平等一如に感ずることが出来なければならない理屈です。どうしたらそれが出来るのでしょうか。そのためには「坐禅」という別の実践が必要でしょう。坐禅は自己と宇宙自然との一体感をもたらします。宇宙自然は他人をも含みますから、自他一如を意味する「同事」という基盤ができることとなり、他人に対しても「やさしい心」を向けることが出来るようになるのだと考えます。

■中道    
今から約2500年前、仏陀は菩提樹の下で悟りを開き、その後、修行を共にした五比丘に最初の説法をされました。その内容は「四諦八正道」の教えだったといわれています。その教えとは、人生は苦であり、苦には原因(煩悩)がある。原因を滅するならば悟りが開け、原因を滅する方法は八正道である、というものです。そして、その悟りを開く方法たる八正道は、苦行主義にも快楽主義にも片寄らない「不苦不楽の中道」だといわれます。この中道について仏典(『雑阿含経』九、他)は、仏陀とソーナ比丘との次のような話を伝えています。
「ソーナよ、琴をひくには、あんまり絃をつよく張っては、よい音がでぬのではないか。」  「さようでございます。」  「といって、絃の張り方が弱すぎたら、やはり、よい音はでないだろう。」  「そのとおりでございます。」  「では、どうすれば、よい音を出すことができるか。」  「それは、あまりに強からず、あまりに弱からず、調子にかなうように整えることが大事でありまして、そうでなくては、よい音をだ  すことはできません。」  「ソーナよ、仏道の修行も、まさに、それと同じであると承知するがよい。」 というものです。右の経典の「あまりに強からず、あまりに弱からず」が苦行主義と快楽主義の両極端のどちらにも片寄らないことをいうでしょう。しかし経典では「調子にかなうように整えることが大事であ」るとも言っています。これは両極端に片寄らないだけでなく、あるバランスのとれた一点に調律することを言っているようです。
この一点とは苦行と快楽の間を揺れる心の一点をいいますが、その一点を決めるのは、心とその対象とのバランスが決めることになるでしょう。例えば、「若くありたい」心に対して「しわくちゃの顔」という対象のとき、心と対象とは一致していませから苦が生じます。ところが、心が「しわくちゃの顔でいい」という心に変わったとき、即ち心がしわくちゃの顔をそのまま受け入れたとき、両者は一致して苦が生じません。この心と対象とが一致した点、従って苦が生じない点を強からず弱からずの線上に設定したとき、その点が「調子にかなうように整え」られた中道の点と言えましょう。このような「与えられた対象をニコニコ顔の心で受け入れること」が中道であるならば、中道とは日常生活レベルの話と言えましょう。 
 

 

■生死    
近年は癌の告知ということが問題となり、「死生観」という言葉をよく耳にします。道元禅師も『正法眼蔵』生死巻を書いておられますので、それによって禅師の死生観を窺ってみることに致しましょう。仏教で説く「生死」(しょうじ)という言葉は単純に生と死という意味ではなく、「サムサーラ」の訳語で「輪廻」とも訳され、「生まれ変わり死に変わる苦しみの世界」という意味です。仏教では「苦しみ」の原因を「迷い」としますので、苦しみの世界は迷いの世界でもあります。苦しみの最たるものは死の苦しみでしょうから、癌の告知を受け、あと半年の命ですと言われれば、苦しみのどん底に突き落とされたことになりましょう。道元禅師はそのような苦の世界である「生死」を離れる方法をこの「生死の巻」で説かれているのです。道元禅師は、苦の世界であり離れるべき世界である「生死」を「この生死は、即ち仏の御いのちなり」と述べておられます。これはまたどういうことでしょうか。更に続けて「これをいとひすてんとすれば、すなわち仏の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれば、これも仏のいのちをうしなふなり」と述べられます。「生死」をいやがっても、それにこだわっても、どちらも仏の御いのちを失うことになると言われるのです。
「生死」とは苦の世界かも知れませんが、私たちが生きている世界です。苦しいこともありますが楽しいこともあります。私たちは本能的にその世界にしがみつこうとします。しがみつきつつ、苦しい時はいやがり、楽しい時はこのままいたいとこだわります。道元禅師はそのような私たちの態度がいけないのだとしかっておられます。さずかった命は苦しかろうが楽しかろうが、「この生死は、即ち仏の御いのちなり」と心に決めて、そのままにいただき、ごちゃごちゃ言わず、いのちの在りようの通りに生きるとき、このようにあってほしい、あのようにあってほしいと思わないのですから「苦しみ」は起こりようがありません。私たちの心は平安そのものとなっているはずです。このようなことを道元禅師は「心を以てはかることなかれ、ことばをもつて、いふことなかれ。ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる」と述べておられます。この「わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて」とは坐禅の実践かと思います。

■迷い    
人が迷っているとき、その人は迷いから脱すべきでありましょう。そのためには、いま自分は迷っているということを自ら知らねばなりません。しかし、夢を見ている人が自分はいま夢を見ているということを自覚できないように、迷っている人が自分は迷っていると自覚するのはなかなか困難なように思われます。しかし、迷っている場合は、夢と違って、「あなたは今迷っていますよ」という迷いを知らせる何らかの兆候があるように思われます。それは「苦しみ」という兆候ではないかと思うのです。すなわち、迷っているときは苦しみを伴っていると思うのです。それではなぜ迷っているとき苦しみを伴うのでしょうか。たとえば「恋は苦しいもの」といわれます。恋は男が女を思い、女が男を思うのですが、相手の思いを確認して思うのではありません。そんなことをすればしらけてしまって恋は成り立たないでしょう。相手がどう思おうと一方的に思うのが恋というものです。一方的であれば思い通りにはならないに決まっています。だから「恋は苦しいもの」ということになるのでしょう。「苦」とは「自分の思うままにならないこと」という意味ですが、自分の対象をよく調べもせずに勝手にこあってほしいと思うために、思うままにならないという事態となり、それを「苦しい」と表現しているわけです。
「迷い」とは、相手(対象)を確認せずに一方的に思うときに「迷い」となります。迷いも夢も「自分からの一方的な思い」という点では似ていますが、迷いには現実の明確な相手(対象)があるという点が異なります。そのため、自分の思いと相手(対象)との食い違いから「苦しみ」が起こりますが、夢ではそのようなこと(現実の苦しみ)は起こらないのが普通でしょう。道元禅師はこの「迷い」について「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす」と述べられます。「自分の方から一方的に対象をこのようにしてやろうと思うのが迷いである」という意味かと思います。先ほど述べましたように、迷っているときは苦しみを伴うわけですから、苦しいと感じたときには、自分はいま迷っているなと気づくことが大切かと思います。そして次に迷いから脱する方法を考えるべきでしょう。「迷い」とは「自分の一方的な思い」が原因なのですから、いま問題となっている自分の対象をよく知ることです。 「よく知る」とは「ありのままに知る」(如実知見)でなくてはなりません。これが「智慧」といわれます。

■煩悩    
「迷い」は「自分の一方的な思い」がその原因であり、また「苦しみ」を伴うなどのことを前回お話しました。「一方的な思い」とは「勝手な思い」ともいえましょうが、もう少し詳しく掘り下げてみましょう。「一方的な」とか「勝手な」というのは、「目を閉じて対象を全く見もせずに」という意味ではありません。結構関心を向けて見ているのですが、その対象に対して「好ましい」「好ましくない」という判断を「一方的に」あるいは「勝手に」行っている場合をいうのです。たとえば、鏡で自分の顔をのぞきこみ、しわの増えたのを見てゾッとしたとします。そのようなとき、「老い」ということに「好ましくない」という判断を下したのだと考えられましょう。あるいは、可愛いお孫さんがいて、這い這いをし、立ち上がり、歩き始め、ことばをしゃべるようになったのを見て、思わずニッコリしたとしましょう。この場合は「好ましい」という判断がなされたと考えられます。子どもの変化は成長といい、中高年の変化は老化といいますが、同じ人間が生まれて死ぬまでにたどる変化に過ぎません。これを私たちは、ある場合は「好ましい」といい、ある場合は「好ましくない」といいます。このことが「一方的な」とか「勝手な」という意味です。
私たちは「好ましい」と思ったものや状態に対して、それを自分の方に引き寄せ、いつまでもこうあってほしいと思いますが、これが「むさぼり」(貪)という煩悩であります。また、「好ましくない」と思ったものや状態に対しては、それを払いのけようとします。払いのけようとしているのに、それが降りかかってきますと腹を立てます。これが「いかり」(瞋)という煩悩であります。そして、子どものうちは成長といい、年をとってからは老化といわれる人生における変化は、一刻たりとも止まることなく常に変化し続けます。にもかかわらず、私たちは若くてピチピチしているときを好み、あげくの果ては人生全体が若くてピチピチした状態でなくてはいやだとダダをこねたりします。これが「おろかさ」(癡)という煩悩です。これら貪・瞋・癡の三つを三毒(三大煩悩)といいます。貪と瞋とは方向の違う感情的煩悩ですが、癡は貪・瞋の二つの煩悩を発動させる知的煩悩です。たとえば「人生は常に変化する」という真実を分かろうとしない無知をいいます。この無知を克服し、真実が分かれば、貪・瞋の両煩悩は自然に起こらなくなるという構造を三大煩悩は持っています。この無知の克服が智慧(如実知見)の働きです。

■智慧    
迷いを脱するためには、迷いの原因である煩悩を克服する必要があります。煩悩は大別すると貪・瞋・癡の三つ(三毒)となります。貪(むさぼり)は好ましいと思ったものを引き寄せようとこだわる煩悩です。瞋(いかり)は好ましくないと思ったものを払いのけようとこだわる煩悩です。これら両煩悩は方向は異なるものの共にものにこだわる煩悩です。なぜこだわるのかといいますと、物事は常に変化している(無常である)にもかかわらず、そのように理解しようとしない癡(おろかさ)という煩悩があるからです。この癡という煩悩を克服して、「すべてのものは変化する(無常である)」と心のそこから分かれば、いかなる対象に対しても、それを好ましいとか好ましくないとか言ってこだわっている暇はないと理解するわけで、自ずから貪と瞋の両煩悩も克服されることになりましょう。この「すべてのものは変化する(無常である)」と心のそこから分からせるのが「智慧」であります。ですからこの智慧を獲得すれば、煩悩は克服され迷いから脱することになるわけですが、実は、この智慧の獲得は意外と困難であるようです。人が生まれて段々と大きくなり、次第に老化してやがては死んでいくという変化を理解するぐらいそんなに困難なことではないではないかと思われることでしょう。確かに自分以外のことについては、その通りだと思いますが、自分自身のことについては、そう簡単にはいきません。なぜなら、ものの変化を認識する認識主体そのものは変化せずにじっとしているというのが私たちの普通の考え方だからです。その認識主体たる自分自身が変化する(常住でなく無常である)と理解するのは甚だ困難であるといえましょう。
ですから道元禅師も「人、舟にのりてゆくに、目をめぐらしてきしをみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、舟のすすむをしるがごとく、身心を乱想して万法を辧肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。」(『正法眼蔵』現成公案)と注意しておられます。この岸(万法)と舟(自心)のたとえは、岸は不動(万法は常住)で舟は動く(自心は無常)と言いたいのではなく、万法の無常なることは当然とした上で、自心の無常なることを理解するのは容易でないということを言おうとした喩えと理解すべきでしょう。いずれにせよ、無常なるものを無常なりと理解するのが智慧ですが、その無常なるものの中に自分自身が含まれているために、智慧の獲得は意外と困難なものとなっているのです。

■悟り    
智慧の獲得とは、苦を起す原因である煩悩の克服を意味します。煩悩は大別すると貪・瞋・癡という三つです。貪は、好ましい状態の常住なることを求める煩悩であり、瞋は、好ましくない状態が常にないことを求める煩悩であり、そして癡は、無常(常住でないこと)を理解できない煩悩をいいます。貪と瞋とは表裏の関係にあり、ともに常住の性格を持っています。その両者の常住の性格を癡(無常を理解できない煩悩)が支えているという関係にあります。従って、癡という煩悩を克服すれば、貪と瞋の両煩悩も働かないことになります。要するに、全煩悩を攻撃しようとする場合、癡にねらいをつけて攻撃しさえすれば、煩悩全体が作動不能となるわけです。智慧とは、この癡という煩悩にねらいを定めた武器であるといえましょう。
そこで改めて智慧とは何かといえば、無常なるものを無常なりと心の底から理解することとなります。一方、癡という煩悩は、無常を理解できない煩悩のことですから、「智慧の獲得」は同時に「癡の克服」であり、更には「煩悩全体の克服」ということになります。智慧とは、無常なるものを無常なりと心の底から理解することですから、たとえば、赤ちゃんの肌はつるつるですが、年をとればしわくちゃの顔に変化する、と理解することであると一応はいえましょう。しかしこれは客観的事実を理解しているだけで、自分のことがぬけています。ですから道元禅師の「人、舟にのりてゆくに、目をめぐらしてきしをみれば、きしのうつるとあやまる。・・・身心を乱想して万法を辧肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。」という注意がなされることになります。客観的事実が無常だと解っても、見ている自分自身については常住なりと錯覚しているのが常であるという注意です。
中年のご婦人は次第に増えてきたしわを隠そうとお化粧に熱心です。でもおばあさんになるとある時からお化粧をされなくなる方が多いようです。しわだらけの顔でよしと受入れられたからでしょう。即ち、「つるつるの顔がいい」の心から「しわだらけの顔でよし」の心にご自身の心を変えられたからでしょう。これは無常を無常のままでよしと受入れることであり、無常を無常なりと知る智慧に他なりません。この智慧の獲得によって開ける世界が悟りであります。道元禅師の「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」という言葉を「無常なる現実(万法)を受入れて自分の心とするは悟りなり」と訳して味わってみてはいかがでしょうか。 
 

 

■愛語のむつかしさ    
観音さまは仏さまの慈悲の面を具象化した菩薩さまといわれています。ですから観音さまのお顔はとてもやさしいお顔をしておられます。でも、十一面観音は文字通り十一のお顔がある観音さまで、正面は慈悲面で、やさしいお顔をしておられますが、後方の隠れたところは暴悪大笑面(ぼうあくだいしょうめん)といわれ、これは恐ろしいお顔をしておられます。やさしいはずの観音さまが恐ろしい顔を後ろに隠しておられるというのはどういうことでしょうか。観音さまには色々な観音さまがおられます。慈母観音という観音さまがおられるように、観音さまには母親のイメージがあります。母親がわが子に向けるやさしさは、慈悲の心を代表するものといってもよいでしょう。でも、わが子が成長するにしたがって、やさしさ一点ばりではなくなります。叱るべきときには、誰よりも恐ろしい顔をして叱ります。これが母親の親心でありましょう。真の慈悲は一方的な慈悲ではなく、相手のことを考えての慈悲でありましょうから、相手が間違っていれば、恐ろしい顔をして正してやるのが真の慈悲と言えましょう。十一面観音の暴悪大笑面はそのような慈悲を意味しているものと思われます。
先日(七月十六日)、愛知県の東名高速上り線でバス乗っ取り事件が発生しました。監禁などの現行犯で逮捕されたのは、中学二年の少年(14)でした。取調べに対し「家族をめちゃくちゃにしたかった」などと供述しているとのことです。どうも親に叱られて思いついた犯行のようです。調べの中で男女の交友関係も浮かんでいるようですから、親もわが子のことを考えて叱ったものと思われます。一昨日(同十九日)の未明、今度は中学三年の少女(15)が父親を刺殺するという事件が起りました。調べに対して少女は「勉強しろと言われることが煩わしかった」と供述しているとのことです。バス乗っ取り事件と似たところがあるように思います。共に親心を推し量ることができずに、表面的に反抗し、重大事件を起してしまったようです。道元禅師さまは「愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり」とお示しです。可愛いわが子が中学生であれば、中学生らしく生活して欲しいと誰しも思うことでしょう。それが親としての慈愛の心でありましょう。その慈愛の心は場合によっては、恐ろしい顔で怒ることもあるでしょう。でもこの度の中学生の事件を思うと、「愛語」を口にするのも難しい世の中になったと感じないわけにはいきません。

■お盆    
八月はお盆の季節です。「お盆」は「盂蘭盆会」(うらぼんえ)という仏教行事を省略した呼び方とされていますが、日本古来の行事として、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れ交流するという行事があり、初春のものが正月の祭りとなり、初秋のものが盂蘭盆と習合してお盆という仏教行事となったとされています。盂蘭盆会は『盂蘭盆経』(仏教が中国に定着するために儒教思想を交えて作られた中国製の経典の一つ)に出てくる話に基づきます。その話とは、釈尊の十大弟子の一人である目連尊者は神通力にすぐれ、亡き母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのを見ました。釈尊に亡き母を救う手立てをうかがったところ、インドでは雨季(四月中旬から七月中旬)の三ヶ月間、托鉢をしながら遊行する野外での修行ができませんから、お寺の中で坐禅を中心とした厳しい修行期間が設けられています。その最後の日(七月十五日)に修行者たちに労をねぎらうご馳走を施せば、その大きな功徳の力によって亡き母も救われるであろうとの答でした。目連尊者はその通りに行ったところ亡き母を救うことができたということです。
お盆とは、インドの仏教が説く修行者への布施は大きな功徳があるという教えと、中国の儒教が説く親への孝を大切にする教えと、そして日本の祖先の霊が子孫のもとに年に二度帰ってくるのでそれを真心をもって迎えるという教えの三つが一つになり、日本人の心の底まで定着したものといえましょう。ところで、近年の地球温暖化現象のせいでしょうか、お盆が年ごとに暑くなってくるような気がしてなりません。今年も猛暑日のお盆でしたが、昨日無事に終わりました。ホッとしているところです。今日(十六日)は雨模様で久しぶりに真夏日(最高気温が摂氏三十度以上の日)から解放され、気分だけでなく、気温の上でもホッとするおまけがつきました。お盆には都会に出ている若者たちが帰省して、家族そろってにぎやかにお寺にお参りする姿が目に付きます。日中を避けて涼しくなった夜にお参りが多いので、お墓全体を照らす水銀灯が当山の自慢です。以前と違い最近はお盆の十三日にお参りが集中しているようです。まずご先祖様にご挨拶してからどこかに遊びに行くということなのでしょうか。お寺で行列ができるのは八月十三日ぐらいかも知れません。年に一度では情けなくもありますが、大切にしたいものとも思っています。

■三尊仏    
新しく仏壇を新調する場合、まず本尊様を用意しますが、わたくしたち曹洞宗では「三尊仏」をおまつりします。「曹洞宗宗憲」に「本宗は、釈迦牟尼仏を本尊とし、高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)及び太祖常済大師(たいそじょうさいだいし)を両祖とする」とあるからです。「三尊仏」のことを「一仏両祖」ともいいます。「釈迦牟尼仏」はお釈迦さまのことでお判りと思いますが、「高祖承陽大師」とは福井県の永平寺を開かれた道元禅師(承陽大師は明治天皇から賜った大師号)のことですし、「太祖常済大師」とは横浜鶴見の総持寺(もとは能登にあった)を開かれた瑩山禅師(常済大師は大正天皇から賜った大師号)のことであります。曹洞宗ではどのような理由で「三尊仏」(一仏両祖)をおまつりするのでありましょうか。お釈迦さまをご本尊としておまつりするのは、お釈迦さまが仏教を始められたからであり、これは当然でありましょう。このお釈迦さまが始められた「正伝の仏法」(坐禅の仏法)を摩訶迦葉尊者をはじめ歴代のお祖師さま方が師から弟子へと親しく伝えられ、中国は宋の時代の如浄禅師に伝えられたものを道元禅師が中国に渡り、如浄禅師から親しく受継がれ、その伝統を日本に植付けられました。その「正伝の仏法」は道元禅師の『正法眼蔵』をはじめとする多くの著作の中に見ることができます。しかし、宗教としての仏教は著作物の中にあるのではありません。この点は、道元禅師ご自身がやかましく注意された点であります。
人々が「仏法」を実践してこそ意味があることはいうまでもありません。ですが、道元禅師の時代はまだ機が熟していなかったようです。これを人々に弘め、曹洞宗という教団にまで育て、全国に一万五千ヵ寺という日本最多の寺院を有する教団となる礎を築かれたのは瑩山禅師であります。道元禅師の「正伝の仏法」は坐禅を中心とした純粋な仏教そのものであり、これがなければすべては始まりません。しかし、これを実践する人を育て、その実践する人から感化を受け、その故にその実践者を支えようとする多くの支持者を獲得できなければ、生きた宗教としての意味もありません。実践者が社会の人々に感化できるということは社会の求めているニーズをわきまえているということでありましょう。瑩山禅師はその点を押さえておられたものと思います。このような理由でわたくしたち曹洞宗では「三尊仏」(一仏両祖)をおまつり致します。静かに仏壇に向って座り、まず「三尊仏」に手を合わせ、それからご自分の家のご先祖様に手を合わせ、祈りを奉げましょう。

■位牌    
ご家庭の仏壇の前で静かに坐ってみてください。心が落ち着くのではないでしょうか。日本人は無宗教だといわれる場合もありますが、一方で、ほとんどのご家庭に仏壇があります(その裏で、核家族の家庭には仏壇がないという重大な問題がありますが)。海外のキリスト教徒が日本には家の中にチャペルがあるといって驚くという笑い話のような話もあるくらいです。日本人は基本的にはどの「家」も仏壇を持っている点からすれば、世界一宗教的な民族であるともいえましょう。これを「仏教」というと、「いえ、私は信仰していません」という話になる場合もあるようですが、とにかく、ご先祖さまに対するまごころはどなたにもあるのであって、世界一のまごころを持っているといってもいいと思います。この、私たちが大切にしていますご先祖さまを象徴しているのが「位牌」であります。
位牌の起源については二説あるようです。一つは、中国の儒教で先祖祭のときに用いた木主(ぼくしゅ)・神主(しんしゅ)に基づくという説です。この木主(神主)は先祖や両親の存命中の位官・姓名を四〇センチくらいの栗の木に書いたもので、宋の時代に禅僧が日本にもたらしたと考えられています。もう一つの説は、神道で用いた霊代(たましろ)が原形であるとする説で、こちらは民俗学者が主張する説のようです。恐らく両者の習合した産物でありましょう。ただ、現在、日本で行われている葬儀の仕方は中国の禅宗葬法(『禅苑清規』一一〇三年)に基づいていますから、儒教の木主(神主)の影響の方が強いといえましょう。いずれにせよ、このご先祖さまを象徴します位牌をご本尊さまの次の段におまつりします。
仏壇に向うとき、ご本尊さまよりご先祖さまの位牌に心は向うかも知れません。私はそれでよいと思っています。ときどき、ご先祖さまはどこにおられるのですか、お墓ですか、お位牌ですか、あの世ですか、といった質問をお受けする場合がありますが、そんな時、ご先祖さまはあなたの心の中におられます。亡きご両親の思い出があなたの心の中にしっかりとおありでしょう。ご両親はそこにおいでになるのではないでしょうか、とお答えします。そしてお位牌が窓口になるのだと思っています。私たちがお位牌に向うとき、亡きご先祖さまの思い出がありありと浮かんできます。これが日本人の宗教心でありましょう。次世代にも伝えなければなりません。お若いご夫婦が都会でお暮らしでしたら、是非、お位牌をおまつりする小さな仏壇を贈って下さりたく願っています。

■お墓    
「私のお墓の前で、泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません。」ご存知「千の風になって」の出だしです。この歌はアメリカ合衆国発祥とされ、新井満さんが日本語に訳して曲も付け、テノール歌手の秋川雅史さんが歌って一躍有名になった歌です。ヒット曲に文句を付けても野暮な話ですが、お墓の話をするからには触れずに通るわけにはいかないでしょう。この歌は日本語で歌われていますが、もとは英語であり、日本人の心を歌ったものではないことを決して忘れるべきではないと思います。私たち日本人の古代文化は大陸からの渡来人によってその多くが築かれました。更に仏教伝来によって中国的要素は二重三重に積み重なったことと思います。その古代の中国的要素とは儒教ですから、日本を含む東北アジアを儒教文化圏と呼ぶことがあります。
儒教文化圏に住む人々は死というものをどのように考えたのでしょうか。東北アジアは南アジアのインドとは違って温暖で住みやすいため、古代中国人もなるべく長くこの世にいたいと考え、たとえ死んでも、またこの世に帰ってくることができるように願い、その方向で死というものを考えました。儒教が、まだ儒(じゅ)と呼ばれる時代の話ですが、人々は人間の死を魂(こん、精神の主宰者)と魄(はく、肉体の主宰者)とが分離した状態と考えました。従って、分離した魂と魄とを一つにできれば、元通りというわけにはいきませんが、ある意味でこの世に帰ることができると考えました。分離した魂と魄とを一つにする儀礼を招魂儀礼(しょうこんぎれい)といいます。亡くなった親に招魂儀礼のお祭りをしてこの世に帰って来て頂く行為が子にとっての最高の「孝」であるとされています。
インドから中国に伝えられた仏教が中国で根づくためには、この招魂儀礼としての孝の教えを取り込む必要がありました。そうしてできたものが先祖供養であります。 招魂儀礼では故人の白骨化した頭蓋骨に魂と魄とが寄り付くことでこの世に帰ってくることができるとされています。天に上った魂を香りのよい香を焚いて呼び戻し、地下にもぐった魄を香りのよいお酒を地面にまいて呼び戻します。故人の白骨化した頭蓋骨の保管場所がやがてお墓となりました。そんな古代人の思いが私たち日本人の心の底にもあるのです。お墓にも故人の魂(たましい)が眠っていると考えて間違いないと思います。安心してお墓参りをして下さい。お墓でありし日のお話をして下さい。ご先祖さまがまっておられます。 
 

 

■ブッダという人   
今年四月十六日、珍島沖で韓国の客船セウォル号沈没事故が起こり、修学旅行の高校生ら295人が死亡し、9人が未だに行方不明のままです。この事故について光州地裁は約七ヶ月経った十一月十一日、乗組員15人全員に実刑判決を言い渡しました。死刑が求刑されていた船長イ・ジュンソク被告には、殺人罪ではなく遺棄致死罪などが適用され法廷最高刑の懲役36年の判決でした。検察は判決を不服として控訴する方針だそうですが、修学旅行中に犠牲となった高校生の親たち事故の遺族らは判決後、光州地裁前で記者会見し、「殺人なのは明らかだ」「(船長らは)私たちの子どもを海に残して逃げた。脱力感しかない」と怒りをあらわにしたとのことです(『朝日新聞』11月12日、朝刊)。私もほぼ真横に傾いたセウォル号から私服姿で救助される船長の映像を何回となく見ましたが、なぜ船長としての制服を着ていなかったのか、不思議でたまりません。もし船長の制服を着ていたならば、救助する人でありえても、救助される人ではありえなかったのではないでしょうか。もし船長が乗客になりすましたとしたら、当然、殺人罪を問うべきかと思います。この点について、私の知る限り、報道されていないような気がします。そして、私も遺族の方々のやりきれない思いに十分共感できるように思うのです。
そんな折、たまたま、五木寛之さんの『孤独の力』(東京書籍)を読んでいましたら、中村元先生が『大パリニッバーナ経』を和訳された『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)のある一節が次のように要約されて引用されていました。「ブッダは鍛冶工(の子)チュンダの供養したきのこ料理を食べ、激しい下痢をし、その何日か後に死ぬ。おそらく熱暑のために料理が傷んでいたのだろう。ブッダは料理を食べている途中で、料理に問題があることに気づき、残ったものをだれも食べないように土に埋めるようさりげなく指示している。しかし、これはよく語られることだが、ブッダはチュンダを赦し、自分が死んでもその行為を非難しないよう弟子に厳命し、それどころかチュンダをブッダに最後に供養した者として貴べとまで言っている。」という引用です。これを引き合いにセウォル号の船長を赦せといっているのではありません。ブッダは悪意のないチュンダが弟子達にひどい仕打ちをされないよう配慮はしても、自分の事はかけらも念頭にない様子です。一方の船長は自らの職務を放棄してまで自分の事しか考えていない様子ですから、犠牲者の親たちは極刑を以てしても心がおさまらないことでしょう。一体全体、自らの死をもたらすような行為にも一切自分を持ち出さないというブッダの態度はどこから出てくるのでしょうか。

■金木犀   
萩ではお檀家さんの月命日にご自宅にお伺いいたし仏壇で読経いたします。山口県内でもこのような風習を残しているところは余りないようです。毎月の命日の供養を月忌といいますが、月も一致する命日を祥月命日といいます。あるお檀家さんの御先祖様に十月十日が祥月命日の方がございます。そのお檀家さんの仏間から庭が見え、祥月命日の十月十日には必ず金木犀が満開なのです。そんなことで金木犀は十月十日頃咲くのだということが頭に残りました。決まってその頃花が咲くといえば、彼岸花ですね。見事にお彼岸の中日には彼岸花が満開です。自然の営みというのは本当に不思議ですね。私は子供の頃から思っていたような気がするのですが、「真理というのは自然の中にある」と今でも思っています。仏教ではこの真理というものを人間と対比した形で捉えているように思います。人間の特徴は「考える動物」といわれるところに顕れているでしょう。この「考える」を仏教では「分別」といいます。世間ではこの「分別」のことをよい意味にとって「あの人は分別がある」(あの人は思慮深い)などと使っています。ですから、若者に向かって年配者が「分別のないことをするな」と叱ったりします。しかしこの「分別のないこと」すなわち「無分別」を仏教では悟りの中身と考えています。勿論、若者の無軌道な行動を意味するわけではありません。文字通り「考えることが無いこと」を意味します。かといって失神状態をいうわけでもありません。
どんな風に無分別なのかといいますと、たとえば道元禅師は「花は愛惜に散り、草は棄嫌におふる」(花は私どもが惜しいなと思う中で散り、草は私どもが憎々しいと思う中で生い茂る)と述べられますが、この「惜しいという思い」「憎々しいという思い」が無いのが無分別でしょう。このような思いが無いということは、「花は散るもの」「草は生い茂るもの」とその「ありのまま」を受け入れることかと思います。その「ありのまま」が仏教のいう「真理」ではないかと勝手に思っています。そのような「真理」は「自然の中にある」といってもよいのではないでしょうか。一般には自然科学が解明するものを真理という傾向があるように思います。しかし人類はその真理らしきものを自分たちの思いを叶えることに利用しているだけではないでしょうか。人間の思いを自然に押しつける行為であり、ありのままを受け入れる仏教と逆行しています。これが自然破壊にも繋がっているように思うのですが。 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
諸嶽山總持寺・法話

 

諸嶽山總持寺 1 
大本山總持寺の開創
總持寺の正式名は、「諸嶽山總持寺」といいます。その開創は、700年余もの昔にさかのぼります。
日本海にマサカリのように突き出た能登半島の一角、櫛比庄(現在の石川県輪島市)に諸嶽観音堂という霊験あらたかな観音大士を祀った御堂がありました。そこの住職である定賢権律師が、ある夜に見た夢の物語から、總持寺のあゆみが始まります。
元亨元年(1321)4月18日の晩のこと、律師の夢枕に、僧形の観音様が現れ、「酒井の永光寺に瑩山という徳の高い僧がおる。すぐ呼んで、この寺を禅師に譲るべし」と告げて、姿を消されたというのです。
不思議な事に、その5日後の23日の明け方、やはり能登の永光寺室中(方丈の間)でいつも通り、坐禅をしていた瑩山禅師も同じような夢のお告げを聞きました。
諸嶽観音堂は、真言律宗の教院であり、瑩山禅師はかねてから禅院にしたいと念じていました。夢のお告げで、瑩山禅師は入山しようと観音堂の門前に進みます。すると門前に亭があり、禅師はそこの鐃鉢を打ち鳴らして、2つの屋根の楼門を仰ぎみます。山門の楼上には、「大般若経六百巻」が備えられ、手前には放光菩薩が安置されていました。すると、たくさんの僧侶たちと、律師自らが出迎え、歓迎しております。禅師は前に進み、この楼門をくぐります。おもわず、「總持の一門、八字に打開す(門を八の字のように打開する)」と唱えたのです。諸堂を巡り、その壮観さに驚きました。
このようにして瑩山禅師は、定賢権律師の入山の要請を快く受けいれて、諸嶽観音堂に入院します。
前述の『縁起』本文中に「入寺の後、30日を経てまた夢をみる云々」とあり、禅師の入寺は、元亨元年5月15日(夏安居)結制の日であったことが知られます。
禅師と律師は、ともに夢告が符合することに感応道交して、律師は霊夢によって一山を寄進し、禅師は快く拝受し、「感夢によって總持寺と号するはこの意なり」と述べられておられます。
寺号を仏法(真言)が満ち満ち保たれている総府として、「總持寺」と改名し山号は諸嶽観音堂の仏縁にちなんで「諸嶽山」と決定しました。
翌元亨2年(1322)、瑩山禅師59歳の時、後醍醐天皇は、臨済僧、孤峰覚明和尚を使者として、10種の勅問を下されました。これに対する禅師の奉答が深く帝の叡情にかなったので、同年8月28日、總持寺は「曹洞出世の道場に補任」されて、その住持は紫衣の法服着用を公に認められました。更に、この年、9月14日、藤原行房卿に命じられて「總持寺」の三字の書額を揮毫させ、これを賜りました。ここで、總持寺は官寺となり、一宗の大本山たることが認められ、勅定によって曹洞宗の教団であることを、宗の内外に公称するようになりました。
鶴見ヶ丘への御移転
瑩山禅師によって開創された大本山總持寺は、13000余ヶ寺の法系寺院を擁し宗門興隆と正法教化につとめ、能登に於いて570余年の歩みを進めてまいりました。
しかし、明治31年(1898)4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失してしまいました。
明治38年5月、本山貫首となられた石川素童禅師は焼失した伽藍の復興のみでなく、本山存立の意義と宗門の現代的使命の自覚にもとづいて、大決断をもって明治40年3月に官許を得、明治44年(1911)に寺基を現在の地に移されたのであります。
国際的な禅苑
現在の總持寺は横浜市の郊外、前に東京湾と房総半島を望み、後に富士の霊峰がそびえる景勝の地、鶴見ヶ丘に位置し、JR鶴見駅より徒歩わずか5分という交通の便の良さに加え、わが国の海の玄関・横浜に位置するところから、国際的な禅の根本道場として偉容を誇っています。このすばらしい地に15万坪の寺域を有し、鉄筋製の大伽藍をはじめの多くの諸堂が建てられ、能登總持寺の開創から数えて591年目の明治44年11月5日、盛大な遷祖式が執り行われました。
山内には、学校法人総持学園として、三松幼稚園、鶴見大学附属中学校・高等学校、鶴見大学、さらに社会福祉法人諸岳会として、總持寺保育園、精舍児童学園等を経営し、社会に貢献しております。
本山に於いても、各種教化事業を推進し、約200名に及ぶ役寮、大衆(修行僧)、寺務職員、パート職員が一丸となって、 寺門の興隆につとめております。 
諸嶽山總持寺 2 
神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目にある曹洞宗大本山の寺院である。1911年に石川県鳳至郡門前町から現在地に移転。山号は諸嶽山(しょがくさん。本尊は釈迦如来。寺紋は五七桐紋。
能登国櫛比庄(現在の石川県輪島市)の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、「總持寺」の前身である。1321年(元亨元年)曹洞宗4世の瑩山紹瑾は、「諸嶽観音堂」への入院を住職の定賢から請われる。また同年に定賢より「諸嶽観音堂」を寄進され、寺号を「總持寺」、山号は「諸嶽観音堂」にちなみ「諸嶽山」と改名し禅院とする。1322年(元亨2年)後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、大本山となり、曹洞宗を公称する。住職を5つの塔頭(普蔵院、妙高庵、洞川庵、伝法庵、如意庵)からの輪番制となる。1615年(元和元年)徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで大本山となる。栴崖奕堂以降独住制となる。1898年(明治31年)火災で焼失する。1911年(明治44年)、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目の現在地に移転。同年11月19日に開かれた国際オリムピック大会選手予選会では、10000m走のスタート地点となった。石川県輪島市門前町の旧地は總持寺祖院と改称された。  
諸嶽山總持寺 3 
総持寺は、神奈川県横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山で、正式名称を「諸嶽山 總持寺(しょがくさん そうじじ)」といいます。「諸嶽山」とは、山号つまり寺院の別称を表しています。
総持寺の前身は、かつて石川県輪島市にあった真言律宗の教院「諸嶽観音堂」と言われています。
1321年(元亨元年)、霊験あらたかな諸嶽観音堂の住職である定賢権律師は、あるとき夢で瑩山禅師という禅師を迎え入れるように観音様から言われました。そのとき瑩山禅師も同様に、諸嶽観音堂に行くよう夢でお告げがあり、そこで瑩山禅師が諸嶽観音堂に入院したことが総持寺のはじまりとされています。同年、諸嶽観音堂が現在の「諸嶽山 總持寺(総持寺)」という名前に改名され、その翌年には後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、大本山となり、曹洞宗を公称するようになりました。
しかし1898年(明治31年)、火事によってお寺の大部分が焼けてしまったため、1911年(明治44年)に現在の神奈川県横浜市鶴見区に移転されました。石川県輪島市の旧地は、もう一度建て直されて「総持寺祖院」と改称され、大本山總持寺の別院となりました。
総持寺は曹洞宗の大本山ですが、福井県吉田郡永平寺町にある「永平寺」も曹洞宗の大本山とされています。これは、永平寺を作った道元禅師が仏教の教えを中国から日本に伝え、総持寺の瑩山禅師がそれを全国に広めて、曹洞宗の礎を築いたからと言われています。そのため曹洞宗は、総持寺と永平寺の両院を大本山としています。 
 
 

 

■大切な供養とは
最近は、御朱印帳を書くご縁が続いています。今はブームになっており、遠方からはるばる来られる方が多くなりました。御朱印は巡礼者が、写経したお経を、お寺に納めた時に、お寺が授けた認め印でありました。だから「納経印」ともいわれます。御朱印は、大胆かつ繊細な筆遣いや個性的な押し印など、手作りの手間をかけた心の表れが、皆さんを引きつけているのだと思います。先日、幼い我が子を亡くされた、お母さんが子どもの供養の為に、写経をして、御朱印帳を持って来られました。「子どもの為に、これから、どんな供養をすると良いでしょうか?」と相談をされました。御朱印を書き、はさみ紙にお地蔵様を描き、「脚下照顧」と書いて差し上げました。日頃、私達は自分の事には、気が付かないことが、たくさんあります。ストレスを溜めていたり、家族のことや、他人のこと等、自分以外のことを気にしていることがあります。自分が自分の生き方を見失い、どんな生き方をしているか、気がつかなくなってしまいがちです。誰かが変わってくれればなどと、自分以外の外側に対して期待してしまうことがあります。本当に問題なのは、自分の中にあるのです。「脚もとを、顧みて、そこを照らしてみると、気付くことがあります。」 亡くなったお子さまに安心してもらうことです。その為には、生きている人が幸せになることではないのでしょうか?亡くなったお子さまはそれを望んでいると思います。亡くなった子どもの望み通りに生きることが供養として大切なことです。「お子さまを、安心させて下さい。」と、声をかけさせていただきました。

■衆生の恩
ご本山では、ほとんど毎朝四時に起床して坐禅を行じています。当番の日は、その一時間も前から起きて、色々な準備をしている修行僧もおります。みんな眠い目をこすりながら、一生懸命修行に励んでおります。ですから、時折、檀信徒の方から「ご本山は朝が早くて大変ですね。」などと声をかけていただくこともございます。しかし、先日、早朝の坐禅に向かう際、何気なく廊下を歩いておりますと、遠くの方から電車の走る音が聞こえて参りました。その時、私は「こんなに朝早くから仕事をなさっている方がおられるのだ。」と思いました。中には、その日の夜勤を終えて、帰宅される方も乗車しておられたことでしょう。つまり、朝が早いのは自分たちだけではないということです。仏教には「四恩」というみ教えがございます。私たちを支えてくださる四つのお陰様ということです。その一つに「衆生の恩」ということがございます。こうして毎日修行させていただくことができるのも、多くの方のお力添えがあればこそだということです。朝早くから起きて、或いは夜通し仕事をされながら、社会を支えて下さる方がおられるからこそ、私たちも安心して修行することができるのです。実際、ご本山は、全国の檀信徒のご協力によって支えられております。したがって、私たちが毎朝坐禅することができるのも、多くの檀信徒のお陰様であるのです。ところが、ややもしますと、そうしたお陰様の心を忘れて、あたかも自分は厳しい修行をしているのだなどという、ある種の「うぬぼれ」に陥ってしまうことがございます。瑩山禅師様は、『坐禅用心記』の中で「自らおごり高ぶって人を軽蔑したり、自分の修行を鼻にかけて、人をさげすむようなことがあってはならない。」とおっしゃっておられます。常に謙虚な心を忘れることのないよう、自分自身の足元をしっかりと見つめながら、間違いのない坐禅を行じて参りたいと思います。

■「精進」は夏バテに効く
今年はことさら酷暑の夏、食欲の湧かない夏バテ気味の日が続きます。かつて修行していたとある禅寺で、同様に暑い夏の日のこと。放っておけば境内の夏草が生い茂るので、総出で草刈りをしていました。その際、日陰の場所に自生していたみょうがを修行僧が数本持ってきました。思いがけない夏野菜の発見に驚きながらも「さて数も少ないし、どうして全員の口に入れようか」と考えたところ、夏バテ気味で食欲の湧かないところですし、細かく刻んで、精進ちらし寿司をつくることを思い立ちました。すぐさまお盆飾りの残りのきゅうりやナスを薄く切り塩揉みにし、冷蔵庫にあった油揚げの切れ端を軽くあぶりこれまたこまかく刻み、みじん切りのみょうがとともに酢飯に混ぜ合わせ、最後に上からゴマともみ海苔をちらし、精進ちらし寿司を完成させました。その食事が皆から好評だったことを今でも覚えています。当時を振り返れば「精進」なので「動物性のたんぱく質を使わず如何に工夫し調理するか」ということを意識していましたが、今なら「精進」という言葉の解釈が少し思い違いであることがわかります。それは、「精進」つまり「精にして雑ならず、進んで退かず」の通り、戴いた食材や食事をされる方たちに対し「雑にならず丁寧に、手抜きせずきちんと向き合う」調理姿勢があったからこそ好評を博したのだ、ということです。そういえば、丁寧にきちんと向き合って調理していた際、いつの間にか夏バテ気味の体調のことを忘れ没頭していたことも思い出します。暑い折りには何事もつい雑になったり手抜きをしたりするのが人情です。が、人にもイノチにも「丁寧に向き合う」精進の心がけは夏バテに効く、ということを皆さまも是非お試しください。

■「地蔵盆」におもう
私の郷里では8月24日に「地蔵盆」という行事がおこなわれます。「地蔵盆」とはお地蔵様つまり地蔵菩薩の年一度のご供養日で、地域に点在するお地蔵様全てがお祀りされ、それぞれご近所の方がたがお世話をします。涎かけを新調し、お花やお菓子のお供えがなされ、特徴的なのは、お参りに来る地域の人たち、主に子供たちに対して、お地蔵さま前に休憩所を設け、お接待をすることです。子供を守護する仏さまとして民間信仰の根強いお地蔵様ならではでしょう。お接待の内容は各所でそれぞれに異なりますが、主に袋詰めしたお菓子を渡したり、中には小豆ご飯にお漬け物などの軽食も振舞われる所もあります。私も小学生の頃、お参りの際にお地蔵様に納めるお賽銭やお米を自転車のカゴに入れ、地域のお地蔵さまを友達とともに駆け巡ったものです。終盤には自転車カゴがお菓子で一杯となり、今振り返っても楽しい思い出です。実は、私の頃と全く変わらない接待が今現在も地域でなされています。暑さ厳しい中、24日にはあいも変わらず自転車で元気に駆け巡る子供たちの姿が見られます。あるお接待する年配の方は、子供たちの笑顔を見るのが大好きで長年続けている、とおっしゃいます。一方子供たちは、お接待も楽しみですが、お地蔵様に志納し焼香し手を合わせることもまた楽しんでいるようです。お地蔵様の真言は「オン・カ−カ−カ・ビサンマーエイ・ソワカ」ですが、その「カーカーカ」は笑い声を意味します。お地蔵様はありとあらゆる世界でそこに住む者が楽しく「笑う」ことを願われているのです。残暑がきわめて厳しい日中でも尚、お互いがお互い楽しみ、笑顔で接する人の輪が広がっていることが、お地蔵さまへの何よりのご供養でありましょう。お互いが気遣い合い、お互いが笑い合う機会を私たち周辺でいかに見出せていけるだろうか、ということもまた改めておもったことです。顔をしかめるような炎天下でも人びとの笑顔で「仏国土」となる実例が8月24日にあるのですから。

■「未来への施し」
お彼岸まで続いた残暑も今はすっかり影をひそめ、冷たい風に揺れる葉の色合いも一段と秋の深まりを感じさせてくれます。それにしても、今年の夏ほど世界的な気候の変動を感じる夏はなかったように思えます。このまま何もしなければ、私たち人類は未来の子供たちに、夏には外で遊べないような過酷な環境を残してしまうことになるでしょう。地球温暖化に伴う気候変動の問題は、全人類が待ったなしで取り組まなければならない課題だと感じました。暑さで苦しい思いをしていた中、とてもほっとするニュースが話題になりました。山口県に家族で里帰りしていた2歳の男の子が、近くの山の中で行方不明になりました。警察をはじめ地元の方々150人が総出で探したにもかかわらず、三日目になっても発見されませんでした。2歳の子供ということもあり、無事発見を待ちわびていた家族には、本当に生きて会えるのかという不安も大きくなってきました。そんな時、大分県からボランティアでやってきた78歳の男性が、奇跡的に男の子を探し出し、無事に母親のもとにとどけたのでした。世間の人々は、探し始めてわずか30分で探し当てた男性の卓越した能力に感嘆しました。それにしても、遠くから手弁当でやってきて、全く見返りを求めずにこやかに去っていったその爽やかなふるまいに、皆が感動しました。仏教では菩薩行としての布施を説きます。布施とは見返りを求めない施しのことです。無償の施しによってのみ、人々の深い苦しみは癒されるのです。また施しには、物質的な施しもあれば、精神的な施しもあります。男性はボランティア精神と、慈悲あふれる笑顔の施しで、男の子の家族をはじめ、多くの人々の苦しみを癒してくれたのです。私は、地球温暖化の原因の一つは、世界中の人々が常にあくなき欲望を満たすための人生、言い換えれば見返りを求め続ける人生を選んでしまっていることにあるのではないかと思います。人類の英知を結集して、未来の子供たちにこれまでのような「楽しい暑さの夏」を残してあげることこそ、今のわたくしたちに課せられた未来への施しだと思います。 
 

 

■「無反省にならないように」
暑い夏の日のことでした。御本山ではトイレのことを東司と言いますが、シャツ一枚で部屋の中にいた私は、東司に行こうとして、衣紋掛けに掛けてあった着物を着て部屋を出ました。用を足して手洗い場の鏡を見ると、なんと着物を裏返しに着ているではありませんか。その時、私は「しまった」と思いました。というのも、その日は暑かったために、朝の諷経(お勤め)の時に着ていた着物が、汗でぐっしょり濡れてしまっていたのです。そこで、それを乾かすために、わざわざ裏返しにして衣紋掛けに掛けていたのでした。そのことをすっかり忘れていた私は、表と裏を確認することもなく、いつものように、そのまま着物を着て部屋を出ていったのです。東司に行くまでの間、何人かの修行僧と出会いましたが、誰も何も言わずに、そのまま通り過ぎていきました。彼らも気づかずにいたのか、それとも「おかしい」と思いながらも、そのまま素通りしていったのか分かりませんが、いずれにせよ、まことに恥ずかしい思いをいたしました。そこで思ったことは、自分の姿は、鏡にでも映さないかぎり、自分では見えないということです。また、いつものようにしていることを無反省にしていると、それがたとえ間違っていたとしても、なかなかそのことに気がつかないということです。これは姿や恰好といった外見だけを言うのではありません。自分の見方や考え方、あるいは毎日の習慣や、それまでの慣例といったことも、これと同じようなことがあるのです。だからこそ、いつも仏様のみ教えに照らし合わせながら、自分自身を点検していくことを怠ってはならないのです。「それは当然のことだから」とか「いつもしていることだから」という惰性的で無反省な生き方ではなくして、「本当にこれでいいのだろうか」とか「もう少し違う角度から見てみよう」という、柔軟で謙虚な生き方を、仏様のみ教えを通じて学んでまいりたいと思います。

■「コップの水」
早速ですが、質問があります。あなたの目の前に、透明なガラスのコップがあるとします。その中に、泥水を汲みます。中の水は、砂や泥で濁って何も見えません。では、その濁った水を透明にする方法は何でしょうか?ヒントは、道具を何も使わないということです。お気づきかと思いますが、揺らさず静かにしておけばいいんですね。そうすると、砂や泥が沈殿します。コップの上のほうが、少しずつ透明になります。実は、これが坐禅を表す一つの方法だよと教わったことがありました。例えば、コップがあなたとします。泥や砂があなたのイライラした気持ちや欲や愚痴とします。人は日常の生活の中で、心の中がかき乱れて、泥水のようになってしまうことが多々あります。しかし、身を調え、息を調え、心を調えて自分と向き合えば、自然と、透明な水のように調った素直な心が現れるのだと、ある方からアドバイスをいただきました。コップの水が透明になるとどうなるでしょうか。コップの向こう側がみえてきます。そのみえるという字ですが、ふつうのみえるは、表面的にみるという「見」という漢字を書きますが、もう一つのみるという字は、看病の「看」という字ですね。手を当ててみる。という字です。更に、もう一つみるという字がありますね。「観音」さまの「観」という字です。これは、相手の心の中までしっかりと見る。相手の心に寄り添ってみる。という意味です。観音さまはいつでも、どこでも、慈しみ深く、相手の悲しみにそっと寄り添える方です。その澄んだ心を調えるのが、坐禅です。純粋な心、素直な心、だから、他に求めるものがない。いま、ここにあることを大切に行う心。それが坐禅の心に繋がります。しかし、私たちは日常を様ざまな心で生きています。そうすると透明な水は、また、濁ってしまいます。ですから、ここ大本山では毎日坐禅をし、調え続けているのです。

■「おじいちゃんゆずり」
ある年の秋のお彼岸、その中日に可愛らしい男の子がおじいちゃんと一緒にお参りにやって来ました。ご丁寧に手土産まで持って。お寺と和尚さんのどこが気に入ったのか、その子はいつも、小さな包みのお土産を持って来てくれるのです。昨年、その子のおじいちゃんが雪降る季節に亡くなりました。私が枕経にうかがうと、亡くなったおじいちゃんがいつもそうしていたように、玄関あたりが丁寧に除雪されていました。それはまるで亡くなったご本人が、ご自分で雪かきしたかのようでした。何とよく見ると、雪ズボンをはいた当時幼稚園の年長さんだった男の子が、プラスチック製の可愛らしいスコップを持って、雪かきをしているではありませんか。私は、てっきり雪遊びをしているものだと思いました。しかし、枕経のあとに聞くと、何とその子は「何だか好きでやっているみたい。」というご家族の言葉に、驚くと同時に感心しました。私は「おじいちゃんゆずり」なのだとすぐに気が付きました。亡くなったおじいちゃんというお方も、生前私が、お盆・お正月のお参りにうかがうと、必ず何か季節のものを分けて下さいました。そして晩年、丹精込めて世話をしていた盆栽を「もう世話が出来なくなった。」と言い、行くたびに一鉢ずつ持たせて下さいました。現在、見事な盆栽だった松は、お寺の正面脇に地植えされ、堂々とした姿で、お参りの方々を迎えてくれております。「この松は、おじいちゃんが育てていたものだよ。」とお見送りしながら私が言うと、その子は、嬉しそうに恥ずかしそうに、ご家族の後ろに隠れました。「さしあげる喜び」は、おじいちゃんから確実に孫へと伝えられていたのでした。―こんにちの実践は、今は亡きお方の、在りし日の姿―受け継がれた行いの、何とあたたかな姿であることか。私たちも、こんな風に伝えてゆきたいものです。

■「涅槃会に想う」
月日の過ぎるのは早いもので二月に入りました。二月は仏教徒にとってとても大切な日があります。皆さんはおわかりですよね。二月十五日の涅槃会です。涅槃会とは、お悟りを開かれ、「仏陀」となられたお釈迦様がお亡くなりになられた日で、毎年、涅槃会として法要を修行しています。更に四月八日は、ご誕生された降誕会、十二月八日はお悟りを開かれた成道会があり、この三つの尊い日を合わせて三仏忌として法要が営まれて参りました。いま私達がその教えに出会い、学ぶとき家族皆が、心穏やかに感謝報恩の思いとなり仏道を歩むことが出来るのです。涅槃会法要を修行するお寺では、本堂内に大きな涅槃図を掛けて、前卓には浄らかな水、お花、お菓子やくだもの等が供えられ、特に涅槃団子といって、お釈迦様の舎利(骨)を模したもので、青、黄、赤、白、紫の五色のカラフルで可愛らしいお団子が沢山作られて供えられます。そして、法要終了後には、賑やかにお団子まきをするお寺もあって、お団子を食べると健康長寿になると言われ、それを楽しみに家族連れで参加されている方々もいる様です。是非一度、参加してみましょう。さて、お釈迦様の最後の説法は「仏遺教経」というお経に残されています。死を悟られたお釈迦様が、亡くなる前に弟子達を集めて、最後の説法をされたのです。「この世のすべては移り変わりゆく。怠ることなく精進するがよい」という言葉でした。仏教徒の私達が最も重く受け留めるべき言葉でしょう。「すべてのものは移り変わりゆく」は、諸行無常と漢訳されています。諸行とは、すべての存在、無常は変化し続けるという意味です。常に移り変わりゆく世の中に生かされている私たちであるからこそ、その場、その時を疎かにすることなく大切に精一杯に生きて行きましょうと教えています。

■「今」という時を真剣に生きる
禅の教えに「百不当の一老」という言葉がございます。これは、百回矢を射っても当たらなかったものが、百一回目で見事に的に命中したということです。この場合、的に当たらなかった百本の矢は、決して無駄であったというわけではなく、むしろ百回の失敗を積み重ねてきたからこそ、百一回目の成功があったのだということを意味します。ただし、大切なことは、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」というように、ただ闇雲に射った矢が、たまたま百一回目で当たったというような、そんな偶然的なものではなくって、たとえ失敗であったとしても、一本一本の矢を真剣に射ってきたからこその、百一回目の成功であったということです。「百不当の一当」、つまり「当たる」という字を使わずに、敢えて「一老」という、「老いる」という字を使うのは、そのためです。因みに、「百不当」とだけ書いて、「一老」の字がない掛け軸を目にすることがございます。この場合は、当たるとか当たらないということは、さほど問題ではない、むしろ一本一本の矢を、真剣に、一生懸命に射るということこそが重要なのだということが強調されています。仏道を修行するということから見れば、悟るとか悟らないということは、さほど問題ではない、一つ一つの修行を、真剣に、真面目に、ただひたすらに行じていくことこそが大切なのだということになります。そして、それは私たちの日常生活においても、また同じようなことが言えるように思うのです。成功するとかしないとか、幸せになるとかならないということだけが問題なのではなくして、成功や幸せの実現に向けて、その日一日を精一杯生きるということこそが、本当に大切なのだということです。「結果は後からついてくる」とか、「努力は人を裏切らない」などという言葉もございます。目先の結果に振り回されることなく、「今」という時を真剣に生きる、そんな実直な歩みを続けて参りたいと思います。 
 

 

■「好時節」
うららかな春の好時節となりました。「日本の春は黄色から始まる」ご本山でお世話になったご老師のお言葉通り、私たちの身の回りにはたくさんの黄色い花が咲き始めました。どこでも出会える黄色い花の代表はタンポポでしょう。タンポポの花言葉は「真実の愛」と「別離」です。タンポポの思い出 もう20年以上も前、春の盛りの暖かな夕方のことでした。私の前を小さな女の子とお母さんが歩いていました。「あ、タンポポだ」女の子の声に足元を見ると道路の塀のほんの小さなすき間にタンポポの花が咲いています。黄色い花と真っ白な綿毛。女の子がまん丸の綿毛を一本抜いて吹こうとすると、お母さんがそれを止めて言いました。「待って、ほら、あそこにしましょう」お母さんの指さす先には小さな空き地がありました。「たんぽぽ、いっぱい生えるといいわね」「うん、いっぱい咲け〜」女の子は元気よく綿毛を吹き始めました。風に乗って飛んでゆく白い綿毛…私は、何かうれしくなって、自分の足元の綿毛を一本抜いて、親子が楽しそうに立ち去った空き地にそっと吹いてみました。「いっぱい咲くといいな」と、思いながら…。季節が変わると空き地には小ぎれいな集合住宅が建ちました。女の子のタンポポは空き地には咲きませんでしたが、私の心にそのタンポポはしっかりと根付いて、今でもこの季節になると花を咲かせ続けています。自然が教えてくれるもの 「春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり。若し閑事の心頭に掛かる無くんば便ち人間の好時節」禅の教えを説いた古い書物の言葉です。春夏秋冬の姿は佛の教えを目の当たりに説いているのだから、そこに人間が自分勝手な思いや望みをさしはさまなければ、毎日が好時節、最高の日々の連続になる、という意味です。かたよりのない心で多くの事を感じ、日々の暮らしの中に活かしてゆく、そのことに気付かせてくれるのが自然の姿=佛の教え=に他ならないのです。今まさに好時節 春は新しい心で一歩を踏み出す季節、今まさに皆さんにとっての好時節です。タンポポの花言葉は「真実の愛」と「別離」でしたね。自然の教えてくれる佛法を通じて「自分さえよければいい」という心に別離して、「真実の心で生きる」という種子が皆さんの心に根付きますように。それを心より祈りつつ、「いっぱい咲け〜♪」

■「わたしを味わう」
先日、あるご老僧と静かな部屋でお茶をご一緒しました。外は風が強く吹いており、湯気立ち上るお茶がとても美味しかった。「うまいなぁ。」と私の口から思わず言葉がもれました。するとご老僧が私にニコっと微笑んでおっしゃいました。「今のその『うまいなぁ』を禅語で言ってみて下さい。」 『喫茶去』や總持寺をお開きになられた瑩山禅師様がおっしゃった『茶に逢うては茶を喫す』といった文句が浮かび、今の自分の気持ちに合う最適解を探して沈黙する私。その数秒の逡巡を見て、ご老僧がさらっと一言。「うまいなぁでしょ。それ以外ないよ。それが禅語でしょ。」そう言ってご老僧は美味しそうにお茶をすすりました。私はぐうの音も出ませんでした。仏道は広大無辺ですから、それを表す言葉もまた汲めども尽きません。喫茶去、照顧脚下と言い、そして日日是好日とも言う。沈黙さえも答えになる。いわゆる禅語は全部ずばり、仏道そのものを指し示しています。何かに例えて説いているのではありません。しかし大事なことは、どんな偉い人の的を射た言葉であっても、全部私の体験ではないということです。体験は常に私のものですが、それを他人の言葉に当てはめようとすれば、どうしたって私からズレてしまう。仏道とは自己なり。だからお茶をただ味わうだけでいい。うまいなぁと言葉にする必要さえ本来ないのです。坐禅もまた黙っていのちを味わう行為です。瑩山禅師様が坐禅についてお示しになられた坐禅用心記という著書の中で、坐禅は家に還ることと御示しです。それは自分の外に答えを探すのではなく、今息をする私をひたすらただ味わうということです。すると坐るその場所で、私といういのちが説明抜きで輝いていると知れるのです。ここ鶴見にございます大本山總持寺をはじめ、坐禅にふれられる所は全国に沢山ございます。ぜひご一緒に坐ってみませんか?

■「行」
お檀家より水槽で飼いきれなくなった大きいカメを頂いたので、境内の池に放してやりました。狭い水槽の中に閉じ込められているよりさぞや世界が広がり亀は喜んでいるに違いないと、時々甲羅干しをする姿を見ては、私自身、満足していました。ある日、カメの姿が見えなくなり境内を探し回りましたが行方不明。無事を案じていると、百メートル位離れた隣の家の人がお寺のカメが我が家にいたと言って持ってきてくれました。池は石で囲ってあったのですが、それを乗り越えて行ったのです。その後、カメは二度も脱走を繰り返しました。私は、絶対に乗り越えることが出来ないように石を更に高く積み上げ安心していたのですが、カメは池の水の中で産卵を始めたのです。両足を踏ん張り、涙を流しての産卵です。まさか卵を産むなどとは、考えてもいませんでした。カメは必死に池から出て、どこか産卵に適した安全な場所を探していたのでしょう。私は、飼育環境を造ることが、カメの為であると思っていましたが、その時、不自然と言う環境を造っていた自分本位の考えに気付かされました。ペットの飼育に限らず、日常生活の中で私たちは、周りの物事を正しく見、他の人に寄り添い、正しく理解しているでしょうか。真に理解すると言うことが如何に難しいか、時には、自分の都合に合わせた頭の中での理解になっていることがあります。本山では、大勢の僧侶が日夜修行に励んでいます。「自分本位」を離れるべく、起床から就寝まで日課に随い実践していくことが修行なのです。頭の中であれこれと考えず、まず『行』の中に自らを投げ込んでいく。坐禅、作務、お経を読む等、修行とは、環境や人と調和し和合する『行』の積み重ねによって、身心を調え気付かなかった自己を明らかにすること、なのです。日常生活において、「自分本位」を離れ、何かの為に誰かの為に、一歩踏み出し『行』じたいものです。

■「しっかりとした足場をきずく」
長年にわたる風雪や、カラスなどの鳥獣の被害により、ひどく傷ついた向唐門の修復工事が、本格的に始まりました。現在は、巨大な足場が門全体をすっぽりと覆っています。隣の駐車場に大型クレーンが入り、何本もの鉄骨が運び込まれて、かなり大がかりな足場が組まれましたが、安全に工事ができるように、また、一日も早く、確実に修復するためには、最も大切なものであると言えましょう。このように、立派な仕事をするために、しっかりとした足場をきずくということは、私たちの修行生活においても、そのまま通じるところがございます。今年の春に、はじめてご本山に修行にきた青年僧たちも、ようやく七月を迎えました。これまでの間、お経の読み方や法要の仕方、食事のとり方やお風呂の入り方、着物の着方や鐘の鳴らし方など、さまざまな作法やしきたりを学んでまいりましたが、それはまさに、しっかりとした足場をきずくことでありました。つまり、こうした一連の作法を身につけてから、本格的な修行が始まるのです。これまでは、先輩の指導のもと、言われたとおりにやっていればよかったわけですが、これからは、その都度自分で考えて判断し、自分自身を律しながら、日々の修行に向きあっていかなければなりません。一方、別の見方をすれば、足場をきずくという一つ一つの行いが、そのまま大切な修行そのものだとも言えます。「脚下照顧(足もとを見よ)」という禅の言葉が示すように、足場は修行をするための条件ではなくして、それ自体が立派な完成品だということです。七月は、お盆の棚経や施食法要、また恒例の盆踊りもございます。したがって、地域の方々や檀信徒の方々と、直接触れあう機会も増えてまいります。ご本山で修行をさせていただいているという責任と自覚をもち、しっかりとした足場をきずきながら、さらなる高みに向って、一歩一歩ひたむきに精進してまいりたいと思います。

■「未来にはばたけ」
大本山總持寺では子どもたちの夏休みに合わせて、毎年「子ども禅学林」を実施しています。小学校3年生から6年生の子供たちが、一泊で様々な修行に臨みます。子どもたちは、とても活発な子が多く、静かにしてもらうのにはとても苦労します。面倒を見ている雲水さんたちは、最初はかなり手を焼きながらも、徐々に子供たちと打ち解けていきます。子どもたちにとって、本物の修行僧とともに禅の生活をすることは、とても尊い経験となるに違いありません。そんな子供たちを見ていて、私はあることを思い出しました。私が30代の頃、強く願っていたことが叶わず、失望して心苦しい日々を送っていました。そんな時、わたしの小学校時代の音楽の先生が家に訪ねてきました。先生は大きな病を経験して、その平癒の報告に、かつて親交のあった私の両親のもとを訪れたのでした。私にとっても先生とは20数年ぶりの再会でした。先生は私たちとの会話の中で、私がすっかり忘れてしまっていた、小学校5年生の時のエピソードを話されました。当時、先生のご提案で、クラスの応援歌を作ることになりました。作詞作曲は先生が担当されましたが、曲のタイトルは私が付けることになりました。私は「未来にはばたけ」というタイトルをつけたのでした。20年以上たって、改めてそのタイトルを聞いた途端、私の心はとても晴れやかになりました。私の子ども時代の自由で前向きな姿が、今の落ち込んだ心を励まし、勇気づけてくれたように思えたのです。「未来にはばたけ」というタイトルは、時を超えて未来の自分へのメッセージとなったのでした。私は、参禅会に来る子どもたちを見ていて、いつも思うことがあります。子どもたちは、大人に比べて順応性や理解力は確かに劣ります。でも感受性については、はるかに敏感だと思います。感受性の強い子ども時代に、いろいろな経験をしておくことは、大人になって人生の壁にぶつかったときに、それを乗り越える力になってくれるのではないでしょうか。 
 

 

■「我逢人」ということ
四十数年前に私は住職となりました。その当時の客間の裏は笹竹藪。住職となった手始めに、その鬱蒼とした竹藪に池を掘り立派な庭にしようと思い、作庭を始めました。庭池の為に地面を掘り、掘り上げた土を盛り築山にしようと懸命に作業しました。こうした様子を興味深げに眺める二人の初老の方がいらっしゃいました。話かけられるでもなく、しかしどういうわけか日参されていました。今思えば、新しい住職の本気を探っていらっしゃったのかもしれません。その後三か月かけて、“心字池”風の築山がある庭へと仕上げました。私は縁側に腰かけしばらく悦に入っていましたら、お二人が初めて近寄り話しかけてくれました。ニコニコされながら「やあご住職、よくがんばった。いつ投げ出すかと見ていたが、よく掘り上げた、感服した。これまでの失礼をお詫びして、コンクリートで池の側面・底面工事と鳥海山の庭石を寄付したい」と申し出てくださいました。私は大変嬉しく、お二人に心より感謝の言葉を何度も申し上げました。そして住職として赴くまでまるで接点のなかったお二人から、思いもかけない縁の不思議さを実感したことでした。あれから四十数年の今、大本山總持寺・江川辰三禅師様は「我逢人」というお言葉を説かれます。禅師様は「人に逢うということは仏に逢うということなのだ」とお示しです。そのお言葉に触れる度、「かつて私なりに住職としてまた仏の御子として生き様を示したからこそ、“我逢人”のご縁をいただき“仏に逢う”が如くお二人に逢うことが出来たのだ」と思うのです。すでにお二人共黄泉に旅立たれてしまわれました。現在私は朝、目が覚めると「ああ今日も目が覚めた、ありがたい。今日はどんな“我逢人”が待っているのか、どんな縁があるのか」とお二人とのかけがえのない出逢いを振り返りつつ、改めて仏の御子としての生き様を心に定め、ゆっくりと起き上るのです。

■一喜一憂しない
数年前の秋、テレビの情報番組でインタビューを受けたことがあります。本山境内のある仏像についての紹介が目的でした。放送当日の午前中に境内某所で取材クルーと待ち合わせました。現れたのは数名の男性スタッフとマイクを持った女性レポーター。女性レポーターはテレビ映りを考慮した、目にも鮮やかな衣装とメイクの装い。レポーターの丁寧な挨拶ののち、すぐさま収録に入りました。テキパキと段取りをされる彼女の緻密で親切な働きは今でも印象に残っています。いざ本番、私とレポーターが横並びの状態でカメラがまわり無事収録は終わりました。帰り際、彼女からまたも丁寧な挨拶をされ一行は帰路に。その日の午後、秘かに楽しみにしながら実際の放送を視た時まず驚きました。画面一杯に私の上半身が大写し、非常にこそばゆさを感じながらあることに気づきました。それは、あれだけ甲斐甲斐しく動かれていた女性レポーターの姿が全く映っていなかったことに。インタビューの声すらカットされていました。テレビ用に容姿を整えられ誠実に務めを果たされていたのに、結局一度も映りませんでした。放送後何とも言えない申し訳なさを感じたことでした。レポーターをなりわいとしているとはいえ、テレビの世界は厳しいものだ、さぞ気分を損ねているだろう、と私なりに勝手に同情した覚えがあります。その後数年してとある記事が目に留まりました。それはそのレポーターがご結婚なさったという記事。そしてそれまで情報番組で主力レポーターとして確固たる地位を築かれていた、ということも紹介されていました。私がかつて勝手に同情していたことはお門違いであったことにそのとき気づきました。結果に一喜一憂し感情に流されることなく「ただひたすら」につとめられていたからこその評価であることがその記事の文字間から読み取れました。修行道場では、仏道修行とは「只管」つまり「ただひたすら」に打ち込むこと、と口酸っぱく注意されます。裏を返せば、油断するとたちまち「一喜一憂」の感情に流される私たちであるから。当時と同様の秋風に吹かれこうした思い出がふと甦りました。私自身「しっかり」と叱咤されているかのようでありました。

■ノーサイド
今年、ラグビーワールドカップが日本で開催されました。日本チームの大活躍もあって、国中の話題をさらいました。今回のワールドカップの一つの試みが、東日本大震災の被災地、釜石市での開催でした。釜石市はかつての実業団の強豪、新日鉄釜石の地元でもあり、ラグビーの町としても知られていました。今回の開催は、被災地に勇気を与えてくれるものとして大いに期待されていました。しかし、予定されていた二試合のうちの一試合は台風19号の影響で、中止となり、延期はしないという決定がなされました。ワールドカップ観戦を心待ちにしていた地元の方々の失望は計り知れないものでした。そんな中、カナダチームの選手たちは試合が中止になった次の日も地元に残り、台風被害のあとかたづけにチームプレイで汗を流したのでした。この行動は、ニュースにもなり地元の方だけでなく日本中の人の心をほっこりと温めてくれたのでした。ラグビーでは試合終了のことをエンド(end)と言わず、ノーサイド(no side)と言います。これは、「敵味方がなくなり同じ仲間同士に戻った」という意味です。ラグビーは、勝ち負け以上に、戦う相手への尊敬の気持ちを大事にするスポーツだといわれています。だからノーサイドという言葉がしっくりくるのです。本来すべてのスポーツがそういうものだったのかもしれません。カナダチームの行動は、他国とか地元とかいう垣根を取り払った、まさにノーサイドの行為だったのです。ところで本山では、僧侶同士が廊下ですれ違う時には、立場や年功の差にかかわらず、必ずお互いに合掌しあい軽く頭を下げ挨拶してから通り過ぎます。これは、お釈迦様の時代から続けられている行為で、相手のことを仏として敬う意味をもちます。本来仏教では、人びとすべてが仏であり、仲間であると教えます。人は、それぞれの我見によって垣根を作ってしまいます。しかし、その垣根を取り払って、真心をもって世界中の人びととお付き合いできれば、もっともっと平和で幸せな心になれるのではないでしょうか。

■「綿密なる宗風」の実践
毎年、お歳暮の時期を迎えますと、長野県で果樹園を営んでおられる檀信徒の方から、おいしいリンゴをいただきます。甘い蜜がたっぷり入ったリンゴを、段ボールでひと箱も贈ってくださるのです。今年は10月に来襲した台風の被害により、いつもの年より品質が悪いということでしたが、それでも立派に実ったリンゴを、いつものようにご本堂へお供えしてから、みんなでいただきました。ところで、数年前になりますが、ある方から、リンゴを仏さまにお供えする時、そのままお出しするのではなく、皮をむいて一口サイズに切ってから、それをお皿にのせて、楊枝をそえて差し上げるといったように、他人様に差し出すようにお供えする心くばりが大切であると教えられたことがございます。なるほど、自分たちがご馳走になる際には、時には丸かじりすることもございますが、ほとんどの場合は、ちゃんと皮をむいて、一口サイズに切ってからいただくことが多いように思います。仏さまにお供えをする時にも、そのような親切さを忘れてはならないということです。今年、百回御遠忌を迎えられた、本山獨住第四世・石川素童禅師さまは、そのご著書の中で、「曹洞宗の宗風如何と問えば、唯是れ綿密のみと答ふるのである」とおっしゃっておられます。そして、その「綿密」とは「如何なることでも、慎重に、丁寧に、大切にすることである」とお示しになっておられます。例えば、廊下の雑巾がけをする時も、庭の落ち葉掃きをする時も、いつも慎重に、丁寧に、大切に修行することを忘れず、決して気をぬいてはならないということです。仏さまにお供えする時のちょっとした心くばりも、この「綿密なる宗風」の実践に通ずるものがございます。日常生活の中で、いつもまごころを込めて行うということを通して、禅師さまのみ教えの実践に、ともに勤めてまいりたいと思います。

■「変わらぬ態度」
かつて学生の時分、大勢の学生が暮らす寮生活を4年間過ごしたことがあります。寮には恐らく定年後に職に就かれたと思しき年配の寮監さんがいらっしゃいました。外見は強面で近寄り難い雰囲気がありました。しかしいざ話をすると、若輩の私に対しても気さくに話しかけてくださる、また真っすぐ目を見ながら誠実に話される方でありました。ですので、私のみならず寮内生誰からも大変人気のある寮監さんでした。ある時、配達の人が寮に届け物に来られました。すると寮監さんは、私たちと接する時と変わらずやさしく声がけし、労いの言葉をかけつつ玄関先まで見送られていました。またある時、寮を運営する責任者がお見えになった際、やはり私たちと接する時と同様で気さくに談笑されている姿がありました。それからも寮に出入りされる方がたに対し、変わらぬ誠実な態度を示し続けられたことを今でも明確に記憶しております。しかし、当時はどうして相手構わず対応が変わらないでおられたのか十分に理解出来ませんでした。一方でそうした変わらぬ姿勢は「こうありたい」と思わせる模範でもありました。変わらぬ姿勢の大切さが理解できたのは、それから数年後に修行道場へ赴いてからです。道場では「威儀即仏法」の言葉通り、毎日の坐禅は勿論、お袈裟のかけ方ひとつ、食事の際の箸の上げ下ろしひとつ、寸分違わず行ずることを指導されました。慣れない修行道場での日常で、繰り返し行えば次第に慣れスムーズに出来るようになることを一つ一つ実感したことです。「修行」とはまさに「行いを修める」こと、繰り返し自覚的に行うからこそ初めて身につく。こうしたことを私は学びました。かつての寮監さんの変わらぬ態度も、そのことをご自身がお気づきになっておられたからだと思ったことでした。巷では、ある時は店員さんに声を荒げ、またある時には上司に猫なで声を使い分ける人もいるように、場面に応じ態度をコロコロ変える場合を見受けられます。しかし、人間という生き物、本質的に実は器用に使い分け出来ません。思いもかけない場面で、自分の意に沿わない態度が表れてしまうのが良い例です。変わらぬ態度で丁寧に行ずる本山の修行僧の立ち居振る舞いを間近で見て、かつての寮監さんを久しぶりに思い出したことでした。 
 

 

■「余韻を残す」
毎年本山では1月11日から31日まで恒例の寒行托鉢が実施されます。「ギャーテー ギャーテー ハーラーギャーテー ハラソーギャーテー ボージーソワカー」(般若心経)と唱えながら鶴見の街を本山の修行僧が托鉢で練り歩く様は古くから地元で認知された冬の風物詩です。十数名の托鉢姿の修行僧が街を往けば、期間中毎日のように浄財を喜捨してくださる方がたがあちこちにいらっしゃいます。それも、家の奥から駆け出さんばかりの勢いで。場合によっては駆けって追っかける方もいらっしゃいます。そうしたありがたい浄財を寒空の下「財法二施功徳無量…」と唱えながら頂戴します。そして本山の托鉢の特長は、最後尾の修行僧が手にゴミはさみを携え路上のゴミを片端から拾いながらついていくことです。これにより列の進むところ路上はキレイになる、ということですが担当者は延々拾うので骨の折れる作業、しかし黙々ときれいにしていく姿は尊いものです。托鉢の列が通り過ぎた後は、施す側のふるまいや施される側のおこないによって素敵な余韻を残すのです。「往ける者よ 往ける者よ 彼岸に往ける者よ 彼岸に全く往ける者よ さとりよ 幸あれ」(※中村元・紀野一義訳註・岩波文庫)が「ギャーテーギャーテー…」の日本語訳です。托鉢僧の往く先々を彼岸へと変える、とでもいえましょうか。ここでいう「彼岸」とは死した後赴くところではなく、今生に現成させ得る世界のことです。現成させるために為すことは人びとが共に善行を為し合うこと。善行とは理屈でいえば、自分のことはさておき他の為に、と為す行いですが、行いをいちいち論理的に判断するよりは、感性で捉えようとしたほうがわかりやすいのです。それこそ托鉢の通り過ぎた後の余韻。善い行いによって醸し出された余韻は、縮みあがる様な寒さの中でも、温かみと爽やかさをもって味わうことが出来るのです。いかなる場面においても善行の余韻を残す自身でありたいものです。  
 

 

 
 

 

 
 

 

 
總持寺・伝道標語

 

 
 

 


「行いも心のありようも仏道から離れたものにしたままではいけません。人にはそれぞれ仏になるべき種がそなわっています。そして毎日毎日がかけがえのない日なのですから」 昔、いかにも穏やかで明るい背景の前で、女優さんが飲み物を手にして「いい日だ…」と、言って素敵な笑顔を見せる、そんなコマーシャルがテレビで放映されていました。『日日是好日』という言葉からはそんなイメージがわいてきます。〈毎日が大安吉日である〉、〈本来楽しくない日などありはしない〉とも読めなくはない何かホッとするような、和やかな感じのある身近な言葉ですが、本来の意味は少しばかり違ったものなのです。自然の景色に目を向けてみましょう。ご本山の桜は今、みずみずしい若葉が芽吹いております。新緑はやがて豊かに生い茂り、涼しい木陰を作ります。葉は秋になると色づき、北風がそれを吹き散らす頃には寒々しい冬枯れの姿を見せますが、そんな中でもやがて来る春に見事な花を咲かせる準備をしています。私たちの思いや望みなどおかまいなしにとどまる事なく移ろいゆくその姿こそが仏のおしえに他なりません。
良い日とか悪い日とか、損した、得したなどという自己の考えや過ぎ去った日のことや未来のことなど私たちがとらわれ、惑わされるような事は仏のおしえの前には全く意味をなさないのです。だからこそ、一切えり好みなど出来るわけもない、かけがえのない一日のつみ重ねをしっかり心しなければなりません。『日日是好日』とは穏やかな外見の中に凛烈たる志気を感じさせる厳しい言葉なのです。その上で瑩山禅師さまは、人間にはおのずから仏になる素質がある、という事を『人人悉く道器なり』と言われました。その素質を植物の種に例えれば、それを芽吹かせて大切に育てる事こそ佛の道を歩む事と言えましょう。そのためには、暑さ寒さ、晴れや雨など様々な日がやってくる中で常になすべき事を丁寧に行わなければなりません。やがてたくさんの花が咲き実がなるでしょう。その実りを皆で分け合う、そんな日送りをしたいものです。『身心徒に放捨すること勿れ』……いつでも、どこでも自分自身の行いや心のありようが仏の道から離れたものにならないように心掛けてください。一日を振り返って素敵な笑顔で「いい日だった」と言えるように。


私たちは日常の中で、当たり前に繰り返されている事柄に、どれほどの有難味を感じているでしょうか?ともすれば、「呼吸」していることすら忘れ、「おはよう」を忘れ、「いただきます」を忘れ、「行ってきます」「行ってらっしゃい」を忘れ、日々の何気ないリズムの中に、かけがえのない一瞬という自覚を、言葉や行いに反映させているでしょうか?先ごろ四月、こちらご本山へ檀信徒の方々と共に訪れ、お参りをし、無事に帰り着いて安堵していたその夜、四月十四日、午後九時二十六分頃、熊本・大分を震源とした地震が発生致しました。 お参りの有難さを心に抱きつつも、またしても大変な境遇に身を置かれている方々の苦しみに、思いを寄せずにはいられなくなりました。近年頻発する自然災害、そこで失われた数限りない尊いお生命。そして、残されたご遺族の悲しみを測り知ることは出来ません。只々、亡きお方のご冥福と、現地の早期復興をお祈りするばかりです。平成二十三年三月十一日、午後二時四十六分、東日本大震災。あの日、仙台市内にいた私は、その後、友人の消息を心配した経験から、今日も定期的なかかわりに参加しております。震災から三年半を迎えた忌日に、その友人が副住職を勤めるお寺を訪れ、いつもの通り法要に参列致しました。当日お集りの皆様を前に、彼が挨拶をしました。「本日は、あの震災と大津波から三年半を迎える忌日です。あの日、お亡くなりになられた、お一人お一人にご供養させて頂きますと共に、先日、広島での土石流によって亡くなられた方々、更には、今年に入りましてから、数限りない自然災害によって亡くなられた、お一人お一人にご供養をさせて頂きました。」と。
私たちは、自分が苦しみもがいている時、私だけが地べたをのたうち回り、一人で暗黒の世界を彷徨っているように感じます。そんな中、瑩山さまの「探道の心を励ますなり」という語は心響きます。本来は無常の世であるからこそ寸暇を惜しみ真剣に坐禅にとりくみ「探道」すべきといった意味ですが、「探道」は昨今の私の心では「寄り添い」と受け取らせて頂いた次第です。言うなれば、悲しみを深く味わえば味わうほどに、同じ悲しみの中に居る誰かに、寄り添える心を磨いている、という風に。確かに、大切な人を失った時、大切な人を失った誰かの悲しみが、瞬時に自分のこととして飛び込んで参ります。同時に、嬉しさに身も心も包まれた時、誰かの嬉しさが、自分のこととして瞬時に飛び込んで参ります。その時、もう悲しみや歓びは、他人事ではなくなります。心動かされる体験を通じて、どんな時でも誰かと共にある私たち。「無常を観ずること忘るべからず、是れ探道の心を励ますなり」とは、「常に激動の中に身を委ねていることを忘れてはならない。しかし、あなたは一人ではありません。あなたの傍にはどんな時でも、同じ境遇にいる誰かが共にあります。更に、曽て同じ境遇にいた経験から、あなたに思いを寄せる誰かが共にあります。」という強いメッセージだと、私は受け止めております。瑩山さまが、元来坐禅の用心として示されたひと言は、今も私を励ましてくれております。 こうしたことも新たな気付きとして、誰かに寄り添い続けてゆきましょう。


「坐禅は、すぐにそのまま人に心のあり方を明らかにし、本当のあり方に安住させる。」 瑩山禅師が『坐禅用心記』の中で坐禅について語られる、一番最初のお言葉です。「本分」とは、ここでは「本当のあり方」のことですが、現代日常語では「教師の本分」というように、本来なすべきつとめのことを意味します。しかし、なすべき、という堅い意識が敬遠されたのか、今日あまり使われなくなってきたようです。「本分」の「分」とは対照的に、現代社会においてますます膨らみ続けている「分」があります。それは、「自分」です。「自分」という場合、普通は、私ひとりを指します。名前があり、思い出や記憶があり、人にも評価される、この「自分」です。「自分」に対して「他人」があり、「他人」よりも「自分」の分が多ければ多いほど、強ければ強いほど、評価が高ければ高いほど、良い。「自分」が取るか、「他人」に取られるか、という二者択一で、「自分」の分を増やそうと躍起になっています。ですが、そればかりが世のあり方ではない、ということには、多くの人が気付いてきています。その意味で「本分」といったら、「自分」の「本当のあり方」とも申せましょうか。
「本当の自分」とは、どのようなものでしょうか。そもそも「自分」とは、私ひとりのことといっても、実は曖昧なところがあります。普段何も気にせず自分の一部だと思っている髪の毛や爪は、切ってしまえばもう自分ではなく、捨ててしまっても構わない。どの時点で、自分でなくなってしまったのでしょうか。あるいは、日頃食べますヨーグルトの中の菌は、生きたままおなかに届くらしいのですが、その菌や大腸菌、その他の体の中にいる生きものは、自分なのでしょうか、自分でないのでしょうか。自分の範囲というものは、都合で勝手に決めてしまっているのではないでしょうか? 坐禅は、背筋をまっすぐに伸ばして自然に呼吸し、すべてをお休みします。その静寂の中では、誰も自分の名前を呼んだりしません。名前も記憶も、すべて必要なく、坐禅に善し悪しの評価もありません。すべてを捨ててしまってよいのです。思慮分別の心によって生み出されたすべての仮のものは姿を消し、この身でも心でもない「本分」があらわれてきます。「会社の同僚が、陰で私の悪口を言っているみたいで、不安で不安で夜も眠れません」という悩みの相談があります。人の評価や陰口で、「本当のあり方」が変わることは、まったくありません。まずは「心のあり方を明らかにし、本当のあり方に安住させ」てみましょう。「人間としての本分」は、皆が一緒に幸福になれるように、この身と心をどう活かすことができるか、にかかっています。


月遅れのお盆が過ぎますと、暑かった夏も、朝夕次第に秋の気配を感じるようになります。暑さに強い人、弱い人、感じ方に違いはあっても、生きていく限り互いに風雨寒暑をうまく乗り越えていかなければなりません。人生に於いても、それぞれの性格の違う者同士、さまざまな出会いと、ふれあいを通して生きているわけです。しかし、どうしても気の合わない嫌いな人との出会いがあります。その時は、大変苦痛を抱き、嫌いな人と出会わないよう「四苦八苦」します。 この「四苦八苦」という言葉、日常よく使われています。本来、お釈迦様が示されました人間の「苦」、避けたくても避けて通れない苦の現状を八個に分けて教えられたものです。 その中の一つに「怨憎会苦」つまり、怨み憎む人と会う苦しみがあるとされています。それは、生きている限り、大人も子供も同じ様に、その苦をかかえながら人生を送り続けることです。その事を一人一人が、充分踏まえていないと悩み苦しんでいる子供の気持ちも気づかず、見過ごしてしまうことになります。
「怨憎会苦」の延長にある痛ましい事件の報を聞くたび、何でも語り合い相談し合える家庭や地域社会など人と人との「絆」をより一層強めねば、と思うところです。この「怨憎会苦」は、生老病死のように総ての人が等しく受ける苦よりも、それぞれが持つ感受性により受け取り方が異なり、結果として個人差が生じがちです。瑩山禅師の著書『伝光録 大医禅師章』に「心空浄智しんくうじょうち、 邪正じゃせい 無し、箇裏こり知らず何をか縛脱ばくだつす。…心は空であり、浄らかな大智には邪も正もない。このところを知らないで、何に縛られ、何から解脱するというのか。」とあります。
私達は、悩み苦しみがあるといつまでも頭から離れず、こころを捉われてしまいます。 しかし、その苦しみの原因は、避けて通りたいと目をそむけるそれぞれ自分自身のこころより生じるものです。まずは「避けたい」とあたふたする自分自身の有様を静かに省みる機会をもつこと。爽やかな秋風にそよがれながら心静かに坐り、身とこころを調え、季節の変化や家族の心の機微を感じ取れる自分自身でありたいものです。


「人は皆、幸せになるためにこの世に生まれてきた」この言葉は南米パラグアイの元大統領「ホセ・ムヒカ」氏の国際会議の挨拶冒頭の一節です。これは人間誰でもが望む納得出来る言葉です。しかし、現実の世界はどうでしょう?この地球上の約七〇億の人々が果たして皆幸せを共有できているだろうか? 多くの人々は幸せの感じ方に偏りがあり、物の豊かさ、エネルギーの豊かさを幸せと感じ「物、金、力(エネルギー)」を一生懸命追い求めております。その結果どうなったでしょうか?大地は砂漠化が進み、放射能汚染の土地は益々増え続け、南極にはオゾンホールの大きな穴があく、強い紫外線が除去されないまま地表に届き、高いエネルギー状態の見えざる光、放射線が人類を危険に曝し、命の揺り籠である緑が凄まじいスピードで減っております。
私達は暮らしやすさを求めて、ふんだんにエアコンを使って温度湿度をコントロールし、目映いばかりの人工の光の中で暮らしております。先進国と言われる国々の大都市は上空四〇〇キロの宇宙船ステーションから見てもとても輝いていると言われます。そういった都市部では天の川銀河は見えません。蛍の飛び交う小川や畦もありません。うるさい程の蛙や虫の音、小鳥のさえずりで目覚める幸せもありません。我々はいつから都市の暮らしやすさと引き替えに、情緒ある自然とのふれあいの場を手放してしまったのでしょうか?あふれかえるほどの物の豊かさに溺れては居ないでしょうか?子供の頃、夜空を見上げ、星の瞬きに宇宙の大きさを感じ、その運行の正確さに何がこの動きを支配しているのだろうかと不思議を感じ、蛍のおしりが光るのを見ては不思議を感じたものです。その科学的なメカニズムは判らなくてもストンと腑に落ちた安らぎのある毎日でした。答えが無くても何となく心が満たされていた事を思い出します。人間の幸せとは必ずしも物の豊かさだけではないのではないかと時折思います。今一度、心の豊かさを尋ねてみては如何でしょう。
開祖瑩山禅師様は伝光録の中で「執れども手に満つることなく、探れども跡を得ることなし、即ち是れ諸仏の妙法なり」(〔形を変える水や様様に見える空のように〕取ろうとしても手に満ちることはなく、探ってみてもその跡を得ることはできない。すなわちこれが諸仏の妙法である。)とお示しになっておられます。宇宙の運行も蛍の瞬きも、皆人間の力を遙かに超えた大いなる者の力としか言いようがありませんが、是こそ我々人間が自然に触れて安心できる根源的な力であり仏の妙用なのです。自然に包まれて生きる。即ち仏の慈悲を一杯に浴びて生きている自分に気付く時、心は水に浸された海綿の如く幸福感で満たされてゆくのです。  

七百余年前鎌倉末期の「真実の義は論じるべきではないし、真実の論は義を帯びることはない」という本山開祖・瑩山紹瑾禅師の示教は、時空を経て価値観が多様で主義主張が先鋭化してきた今現代の国内外の世相を警醒する金言たり得ると感じます。特に秋深まる今時分、近年の健康ブームの影響か山登りをする方が増加しているそうです。都市部において週末に登山口を目指す電車は大勢の登山客でごった返します。また、山道を使ってのランニング「トレイルラン」も盛んになり、昨年能登の地において大本山總持寺二祖峨山韶碩禅師の御名を冠した「峨山道トレイルラン」が開催されたことも記憶に新しいところです。近年徒歩の登山者と駆け抜ける「トレイルラン」愛好者たちとの間で、しばしばトラブルが起こるケースがあるようです。従来の登山者と昨今の「トレイルラン」愛好者たちとでは、大きく歩みが違います。徒歩の登山者にとっては、「トレイルラン」愛好者たちは無謀なスピードで追い抜く脅威の存在であり、「トレイルラン」愛好者たちにとっては、従来の登山者は歩み遅く道上の障害の存在となってしまいます。徒歩の登山者は、細い山道を走ることの危険性を唱え、「トレイルラン」愛好者たちは、散策しながら道幅一杯に歩く登山者の不規則さを非難します。同じく山頂を目指す者同士ですが、それぞれが脅威≠ニ障害≠言い立てるのです。是非・可否をことさら声高に論じる昨今の風潮の縮図にも感じられます。
瑩山禅師のお言葉を借りるならば、「真実の義は論じるべきでない〜」ということでしょうか。山道の整備も登山者の増加に伴い各地で進んでいるようで、木の杭などを利用した階段も急こう配の難所などに設置されている場合が多く見受けられます。山道の歩き方のコツとしては、階段に合わせて大股で歩くのではなく自分の身長に合わせ無理なく小幅で歩くのが疲れずに済むようです。強引に階段の高さや幅に合わせるとそれだけ足の筋肉を使いより疲れが出やすくなる、とのこと。一歩で行けそうなところでも敢えて二歩三歩で登るのが熟練者の登り方だそうです。決められた大きさの階段に無理に合わせようとすると、たちまち疲労困憊となるのと同様に、正しいとされるものにいきなり合わせようとしても、それぞれ独自の価値観を持つ私たちは間尺に合わず疲弊してしまいます。禅師のお言葉の「〜真実の論は義を帯びることはない」に通ずるところでしょうか。「義」も「論」も、結局は自分にとって他者とは、といった関係性から導き出されます。「義」も「論」も、いかに正しいと思っていても、いかに理に適っているとしても、相対的な見解であり、そこに自分の優位性を見出そうとする限り、「真実」は失われてしまうのです。自分を先に立てるのではなく、周囲との調和・人びととの和合の中に答えがあるように思います。「真実」は、まずは調和し和合する自らの身心の調い≠ゥら生まれ出るものなのではないでしょうか。


「諸仏・諸祖師がひとすじに伝えてきたからこそ、正法は絶える耐えることなく今日に至っているのある。」と、本山開祖瑩山禅師様はお示しです。お釈迦さまは、仏法を人々に伝えながら、弟子達と共に修行をなされました。その教えを受けた弟子達は、また次の仏道の師となり、そしてまたその弟子達へと仏法は正しく伝えられ、親しく平成の現在へと受け継がれてまいりました。仏教が現在まで受け継がれてきたのは、師と弟子があたかも一杯のコップの水を漏らさず他のコップへ移すがごとく、その教えは綿々と受け継ぎ伝えられたからなのです。しかしながら人を教え導き、それを伝え続けていくということはそう簡単なことではありません。導く側である師にも受け止める弟子にも大きな使命と責務を担うことでしょう。師匠と弟子、現代で身近なことに置き換えるみると、職場の上司と部下、学校の教師と生徒、もっと身近な関係では親と子にも同じようなことが云えるのではないでしょうか。親子の間で受け継がれるものにもいろいろとありますが、その中でお寺にとって一番身近な先祖供養のお話をしたいと思います。近年、葬儀の時やその後、どうやって供養してよいか分からないとよく相談を受けます。ご供養は、その家の年長者に任せてしまっていて、その方が亡くなって初めて仏事に触れる方が増えておられるように感じます。
私のお守りしているお寺は熊本にありますが、先日千葉県在住のお檀家さんがお詣りに来られました。ご主人は残念ながら体調を崩されてお越しになりませんでしたが、奥さまと息子さんご夫婦と二人のお孫さんがお見えになられました。息子さんご家族とは初対面だったのですが、とても感じの良い方々で私も貴重な時間を過ごさせて頂きました。普段仕事で多忙な息子さんご家族が、一緒に来られたのには訳がありました。それはご両親の熱い想いと願いです。息子さん達に、「是非とも父の育った故郷や環境を観てもらい、兄弟親戚など人との繋がり、そして御法事とはどんなことをどうやって営むのか見せておきたかった。また菩提寺やお墓の事も知っておいてもらいたかった」と言われました。また秋のお彼岸会には、別の有り難い出会いがありました。あるお檀家さんの娘さんがお詣りしてくれました。まだ二十代前半です。「母が仕事で都合がつかないので、私が代わりに来ました」と話してくれました。このお宅には娘さんが三人おられるのですが、お母さんはお寺参りには小さな娘さんを連れて来られていました。最近は娘さんたちも大きくなりお母さん一人でお詣りされることが多くなっていましたが、今回は娘さんが一人です。「私お寺が好きなんです。気持ちが落ち着きます」と言われ嬉しくなりました。後日、お母さんにお会いする機会がありました。話題は娘さんのことになり、お母さんが嬉しそうに話してくれました。「今年はお盆の御霊膳を娘が作ってくれたんですよ。教えていないのに、ちゃんと見ているものなんですね」
わざわざ言葉にしなくても、わざわざ教えなくても伝わることがあります。「親の背を見て子は育つ」昔から聞きますが、親の姿勢を子供はきちんと見ているのです。『 仏々祖々ぶつぶつそそ、 単伝たんでんし 来きたりて、 正法断絶しようぼうだんぜつせず』の担い手は実は他ならぬ私たちです。私たちの身近な日常にも仏としての所作ふるまいは存在し、伝える方そして受け取る者、それぞれの想いと願いが正しく受け継がれていくものがあるのです。


現在シリアでは五年前から内戦状態にあり、人々の不安な心が容易に想像出来ます。そんなシリアには、一つの美しい伝統があります。それは、代々受け継がれてきた日本の有田焼のドンブリを、母親が嫁いでいく娘に花嫁道具として持たせることです。江戸時代初期に南蛮貿易が盛んな頃、色鮮やかな有田焼がこの地に受け入れられたようです。このドンブリの使い方は、大切な来客の際、ドンブリにおもてなしの料理などを出して振るまうことです。代々受け継がれるドンブリは、特に今のシリアの人にとっては、平和な生活の象徴であるのかもしれません。 シリアの諺に「才能ある人は、この器(ドンブリ)のようにどこをたたいても響く」とあります。確かに有田焼のドンブリをたたいた音色は、お仏壇のお鈴のように澄んだ美しい音がします。 シリアの人々にとって、この安らぎの音色を醸しだす、有田焼の美しいドンブリは、幸福な家庭生活を送る人としての成長を願う親からの掛替えのない贈り物として、受け継がれているのです。いつの時代も嫁いでいく娘には、不安も沢山あることでしょう。人生には幸福な時ばかりではありません。辛い時、苦しい時もきっとあります。そして悩みや苦しみの原因は自分自身の思いどおりにならない不安から生じるものです。その事が母親には経験上良く分かっているのです。母親が娘に伝えたい事は、美しい器を通して、誰かのために「おもてなし」ができる心を大切にしてほしいという事ではないでしょうか。 シリアに再び平和が訪れた時、戦乱で心縛られたままでなく心の平和を取り戻すためにも、母と娘に受け継がれる誰かのための「おもてなし」の伝統を何とかつないでいただきたいと祈るばかりです。
人は特殊な環境に左右されるだけでなく普段においても、自ら生き方に縛られるような「こだわり」を持ち、自分の思い通りにならない事に遭遇した途端、パニックとなるくらい不安を感じることがあります。そして不安な心をすぐにも解消しようと、他人に何とかして欲しいと思うもの。かの一休禅師の有名なとんち話に「屏風の虎退治」があります。一休さんは足利義持将軍に「屏風の虎が、夜に出歩いて、悪さをするか退治してくれないか?」と頼まれます。「分かりました。私は前で待ちますので、将軍様、虎を追い出して下さい。出て来たら、退治します。」と言って、将軍の難題を退けました。この話は、将軍自身の不安な心を虎に見たてているのです。いかなる権力者であれ、揺れ動く心と向きあうのは誰に頼るでもない結局自分自身である、との教示が物語の奥底に潜んでいます。本来、不安な心は突き詰めれば自分で解決しなければならない問題です。
冒頭の瑩山禅師さまのお言葉で「誰しも、何ものにも縛られてはいない。ならば、新たに抜け出ることなどあろうか。迷いや悟りはもとより無く、束縛や離脱からも離れているのである」と、心の不安は、本来実態のあるものでないと示されます。生きていく上で、どんな環境にさらされるかもしれません、どんなこだわりで自身を縛るかもしれません。しかし、その時に、不協和音生じさせることなく有田焼の美しい音色奏でる自身でありたいもの。そのためにも自分中心を離れ、「おもてなし」のように他者のために周囲のために今ここで何をなすべきか、日常底の点検が必要です。ひび割れていない自分であり続けるためにも、身心の調いの習慣は大切なのです。


「洞谷記」とは、鎌倉期にご活躍の瑩山禅師が晩年過ごされた今の石川県羽咋市永光寺で遷化直前までの数年間に著されたもので、特に冒頭の一説は中でも特に大切とされる「尽未来際置文」と称される書き置き≠フ一説です。意味としては「たとえ、極めて困難なことに遭遇したとしても、必ず和合し睦み合う思いを起こしなさい」です。瑩山禅師は五十歳の時に永光寺を開かれ、その間能登の總持寺を開かれ住持されましたが、晩年はその永光寺で過ごされ六十二歳にかの地で遷化されました。一節を含む「尽未来際置文」には、遺された弟子たちのために、未来永劫にわたって永光寺を護持するための心構えを記されたのです。
永光寺を護るために一番肝要なことはなにか、それは出家在家を問わず「一味同心」つまり永光寺を護らんとする出家者・在家の方全て皆が一致団結することである、と禅師はお示しです。そのためにいかなる困難が立塞がろうとも「和合和睦」つまりお互いに仲よくすることが大切と説かれます。昨年の11月13日に「第二回峨山道トレイルラン」が開催され、石川県輪島市の總持寺祖院から羽咋市の永光寺まで全長七十五キロの距離を三八一名のランナーが挑みました。私も参加し制限時間間際に何とかゴールすることが出来ました。すでに時刻は夜八時半にも関わらず、永光寺山門ゴール付近には大勢の地元の方が声援をされていました。永光寺の屋敷智乗老師も満面の笑みでランナー一人一人をゴール地点で出迎えておられました。そして疲労困憊で到着したランナーのケアのため、ボランティアスタッフが目まぐるしく動き回っておられました。さらに冷えた身体を温めるようにとご近所の有志による御汁の炊き出しもあり、普段は冷気漂うであろう境内もこの日ばかりは熱気と活気に溢れかえっていました。
そして共通していたのが、そこにいるどなたもにこにこと溢れんばかりの元気な笑顔をなさっていたということ。「尽未来際置文」の必ず和合和睦の思いを生ずべし≠フ言い伝えははるか古より時空を超え、今現在の永光寺に確かに受け継がれていたのです。現在プライバシーの保護が叫ばれる一方、「個」と「孤」の状況に陥りやすくその弊害も様ざまに取り沙汰されています。今の世の中だからこそ、瑩山禅師が遺言された和合和睦の思いを私たち一人一人がしっかりと受け止めるべきでありましょう。そして、そのためにもより多くの人びとがお互い笑顔で過ごせる機会をいかに創り出すか、そうした問いかけが今を生きる私たちに瑩山禅師によってなされているように思うのです。(終)


私の叔母が嫁いだ先のおばあちゃんは、満一〇二歳の天寿を全うされた方でした。大変な長寿であっただけでなく、亡くなる直前まで好奇心旺盛な方で、特に仏教については専門の書籍を読んでおられたほどでした。そのおばあちゃんが一〇〇歳になったばかりのころ、私は親しくひざを突き合わせて話し合う機会がありました。おばあちゃんのお話は、そのほとんどが苦労話でした。たくさんの職人さんのいる家に嫁いだこと、皆に気を配りながら寝る間も惜しんで子育てをしたこと、そして晩年、子供たちが独立してやっと自分の時間が持てたことなどを、独りとうとうと語ってくれました。そして最後に一〇〇年の半生を振り返って、穏やかにこう言われたのです。「一〇〇年本当にいろんなことがあったな。ほとんど苦労ばっかりだったけど、今思うと懐かしい。おかげさまで六〇歳過ぎてからは好きなことをさせていただいた。そしてとうとう一〇〇歳になってしまったけど、振り返って見るとあっという間だったよ。ところで、一〇〇歳になって初めて気づいたことがあるんだよ。それはね、人間は儚いな≠ニいうことだよ。つくづくそう思うよ。」その時のおばあちゃんの表情は、決してあきらめの表情ではなく、人生をいとおしむような、とても安らかな表情でした。
私は、この言葉を聞いてある衝撃を、受けました。そしてすぐさま仏教の「諸行無常」(一切は移ろいゆく)という言葉を思い出しました。私は仏教を学ぶひとりとして、幾たびもこの言葉に触れてきました。これまで頭では理解したつもりでいても、正直、心から腑に落ちたことはありません。むしろこの言葉とは裏腹に、漠然とこの人生が永遠に続くものと錯覚して、漫然と一日を過ごしてしまっているのが実情です。二月十五日はお釈迦様のご命日にあたる涅槃会です。大本山總持寺では大祖堂に、お釈迦様の入滅のお姿を描いた巨大な涅槃図が掲げられます。そして偉大なお釈迦様の恩徳をしのび、お釈迦様のご遺言を説いたとされる遺教経を読経し、ご命日の法要が営まれます。
お釈迦様は、二五〇〇年ほど前にお弟子たちに、自灯明・法灯明の教えを説かれ、静かに入滅なされたと伝えられています。お釈迦様の入滅は、大いなる安楽に入られたという意味で、大般涅槃とも言われます。この時、多くのお弟子たちは、お釈迦様が身をもって示された涅槃の意味が分からず、大いに嘆き悲しみました。永遠に存在されると思っていた、お釈迦様が入滅されてしまったからです。しかし、この入滅はお釈迦様がお弟子たちに、「諸行無常」を悟らすために、あえてなされたことであると伝えられています。『大般涅槃経』にはお弟子たちへの最後のお言葉として「すべてのものは滅びるものである、怠らずに務め精進せよ」と説かれています。お釈迦様の入滅後、師の真意を悟ったお弟子たちは、怠ることなく日々の修行に努め、お釈迦様の御教えである仏教を後世に伝えていくことになりました。表題のお言葉は、瑩山禅師が伝光録の中で説かれているお言葉です。瑩山禅師が「南無釋迦牟尼佛」とお書きになられた有名な条幅があります。この書を目の当たりにすると、禅師がいかにお釈迦様を心から信仰なされていたかがひしひしと伝わってきます。禅師の表題のお言葉は、心から信仰するお釈迦様の、お弟子たちに対する思いにぴたりと重なります。お言葉の意味は「時を大事にしなさい。時は人を待たず、あっという間に過ぎ去ってしまうものだ。今を無駄に過ごして、とつぜん訪れる死を待つような生き方をしてはいけない」ということです。「諸行無常」という言葉は、誰もが遠ざけたい言葉です。でもこの言葉から、人は我が命の尊さを知ることができるのです。  
 

 


「仏道は山の如く、登れば益々高く、(中略)山高く登り頂を極めて、始めて真の仏弟子といえるのである」 私の友人に「北極冒険家」という肩書を持つ方が居ます。彼は平成十一年、大学生時代にテレビでとある高名な冒険家の存在を知り、翌年この冒険家が企画した北極の旅に参加するのですが、それまでは冒険どころか登山もアウトドアの経験も無く、初めての海外旅行の地が北極となったわけです。何も無い北極で毎日同じような景色の中を歩き、テントを張って食べて寝て、起きてはまた歩くという単調な毎日の繰り返しの中で、それまでの物が溢れた豊かな日本社会では得られなかった人生の目標を得ることができたそうです。それ以来、十七年間、ほぼ毎年北極圏に足を運んでいるのですが、極地の旅は私には想像もつかない世界です。気温がとても低いのは言うまでもありませんが、突然の暴風雪や地吹雪が続いて何日も動けなかったり、激しく揺れ動いて割れ始める氷の真っ只中に取り残されそうになったり、薄い氷が割れて海に落ちたり、寝ているときにホッキョクグマにテントを揺り動かされて起きたこともあったそうです。死ぬことと生きることは紙一重で、特に北極では、どんなときも一瞬一瞬の自分自身の判断が生と死を分けるため余計なことに囚われている余裕はなく、人間と言うよりは生物としての本能に忠実になって、判断力、洞察力、行動力をフル活用して、唯「今を必死に生きる」ということに尽きるんだと語ってくれました。
私からすれば、そんな大変な経験をしてなぜ何度も同じ北極点に立とうとするのかが不可解なのですが、「チームで到達を果たせたら次は独りで… 犬ぞりで実現できたら次は徒歩で…」と終着点のない彼の冒険は次々と続いていきます。 そんな向上心あふれる彼は、今、北極点にたった独りで、途中一切の食料や身の回り品の補給を受けずに、荷物を全てソリに載せてそれを自分で引いて歩いて到達するという、今まで世界でも二人、日本人では未だ誰も成し遂げたことのない『北極点無補給単独徒歩到達』という難関に挑戦しています。「それを果たせたら次は何をするの?」という私の問いかけに、彼は「自然保護、地球温暖化、異常気象、命など…命懸けの経験の中から学び取ったことを次の世代の人達に伝えていく番かな、そのためには冒険は目標を達成して生きて帰って来ないと意味が無い」と答えてくれました。私たちには彼の如く過酷な生き方は極めて困難です。しかし、日頃の生活に於いて自分でゴールを決め後は胡坐をかく、ということでなく、その時その時の「今」なすべきことをなし、歩みを進め続けることこそ「生きる」ということなのだ、と気付かされるのです。


「伝光録」とは、お釈迦さまから脈々と伝わる仏法が、インドから中国・日本の祖師まで、代々のお師匠様からお弟子に伝えられる様子を修行者にわかりやすい言葉で示された書物です。瑩山禅師の著された「伝光録」は、道元禅師の「正法眼蔵」と共に、曹洞宗の中では根本聖典と位置付けられています。標題は、道元禅師のお師匠様である天童如浄禅師に、そのお師匠様である雪竇智鑑禅師から教えが伝えられた様子を記した章に示された言葉です。意味としては、「本当の仏法に専心して、今流行のやり方に迎合せず、進んで古くから伝わる仏法を学ばなければならない」ということです。
如浄禅師の時代にあっても、仏法を学ぶものがその時代に流行する考え方にのみとらわれてしまい、正しい仏法を見失ってしまうことがあったのでしょう。古くから伝わる教えをしっかり学びなさい、という戒めが示されています。古くから伝わることがらは、時代の流れの中でも消えずに残ってきたもの、と考えれば、その中には時代の流れに左右されない大切な教えが含まれているのだと考えて差し支えありません。それを学んでいくことは、私たちが生きていく上でとても大切なことを学んでいくことになるのです。日本人はよく新しいもの好きな国民だといわれます。振り返ってみると、特に時代の変わり目には、新しいものがよいこととされ、古いものは捨てる風潮が生まれました。その捨てられたものの中には、人々がより良く生活するにおいて大切な価値観や倫理観も含まれていたのではないでしょうか。そのため、現在の日本社会では、自分だけがよかったらそれでいいという風潮が広くいきわたってしまったように感じます。そして、残念なことに捨てられたものの中に生きた仏の教えも入っていたように思います。今では多くの人の印象として、仏教に関する全てが古臭くて時代に合わず役に立たないもの、としか捉えられていないのかもしれません。しかし、仏法はお釈迦様以来、二千五百年以上に渡って場所は違えどその時その場に適応し、人々の心を支え続け今まで途絶えずに伝わってきた教えなのです。
たとえば日本特有の仏教由来の行事にも人が生きていく上で大切な真理が示されています。皆さんは伝統的なお寺の法要や葬儀・法事、さらには授戒会や参禅会・摂心といった仏事に参加されたときにどのような感覚をもたれるでしょうか。いささか窮屈な空間と時間に感じるかもしれません。ただ視点を変えてみますと、仏事というのは慌ただしい日常を離れた貴重な空間と時間です。そのような貴重な機会で、仏様を介して、人としての生き方を示す教えをお経や法話・提唱などによって学んでいく。そのようなことが普段の日常生活の中にあるでしょうか。伝統的な仏事で仏法に触れていたから、ひとたび人生の苦境(病気や事故・災害あるいはリストラ等)となった場面で救われた、という方の話は意外とよく耳にします。仏事に参加するだけでも、今なお仏法は人々の支えになり得るのです。現代は自由の時代といわれますが、自由を持て余す人が多くいらっしゃるように思います。与えられた自由だけでは、何らかの足場すなわち支えになるものがなければ、たちまち不安定なものになってしまいます。仏法に触れるためにも古風の教えや行事を進んで学び体験してみる。そうすることで、自由だけれども不安定な時代においての足場となり、皆さんの生き方の道しるべとなるのではないでしょうか。


山口県萩市は、日本海に面した漁業が盛んな町です。豊かな漁場の萩沖からは、タイ、アジ、フグ、マグロをはじめとする二五〇種類もの魚が水揚げされています。地元の人たちは長らく豊富な海の幸の恩恵を浴してきました。その漁師町の一角に「魚鱗供養塔」と刻された巨大な石碑が建立されている寺院があります。碑前では年に一度、漁師さんたちが参列し供養の法要が営じられます。漁師さんにとって漁船の安全航行と豊漁祈願も大切ですが、生活を支える魚介類の“いのち”に対し、慰め感謝の念を捧げることも、大変大切にしてきました。また伝統的にクジラ漁が盛んだったお隣の長門市では、江戸期にはクジラ過去帳さえも作成され 懇ねんごろに供養されてきました。こうした魚介類への供養習俗は日本各地に見られ、供養碑だけでも一一〇〇基以上あるとされます。特に戦後は漁法・養殖技術の発展に伴って漁獲量が増えていった一方で、出荷・消費されずにやむなく処分される魚介類も増えました。だからこそ、私たち人間の生活を支えてくれるいのちあるものに対して、供養という形で感謝申し上げることは、大変意義深いといえるでしょう。
さて瑩山禅師は永光寺での修行規範を記した『瑩山和尚清規』に、標題で掲げましたとおり「すべてのものを平等にみる仏の大慈悲心は、区別することなく多くの生きものに恵みを与えて救済し、広大無辺な教化指導力は、どのような生きものもお救いされる」と示されます。そして「寺の田畑が耕作されたとき犠牲になった虫たち、檀信徒が飼育する家畜や、ありとあらゆる自然界でいのちを落とした生きものを供養しなさい」と説かれます。人間だけでなく陸水の動物はむろん、オケラ・アリ・カタツムリなど小さな虫たちにいたるまで、慈しみの心を注いで丁重に供養することで、すべてのものが仏縁を結び、悟りの智慧が円成する、と力強くおっしゃいます。宗教学の正木晃先生もかねてよりこの一節に注目され、自然との共生が必須の課題である二十一世紀の宗教にふさわしい思想として、高く評価されています。しかも十二月八日は釈尊がお悟りを開かれた成道会ですが、瑩山禅師はその前後は睡眠を惜しんで徹底した坐禅に打ち込み、その後は年末まで有縁無縁の御霊供養にひたすら専心するよう定めています。鑑みるに、釈尊は成道後に広大無辺の慈悲心により仏法を弘められましたが、瑩山禅師も坐禅の功徳力を、あらゆる衆生に対して慈しみの御心で向けられたのだと窺い知られます。
曹洞宗は道元禅師と瑩山禅師を両祖として敬いお慕いしています。恐れ多くも道元禅師を精緻を極めた智慧の象徴たる文殊菩薩に喩えるとするならば、瑩山禅師は一切衆生の救済を行願に掲げた慈悲の象徴たる普賢菩薩に喩えられるかも知れません。古来、文殊・普賢の両菩薩が脇侍として釈尊の智慧と慈悲を象徴してきたように、曹洞宗も両祖相揃ってこそ、正伝の仏法があまねく 敷衍ふえんされてきたといえましょう。混迷を深めつつある現代社会ですが、平成三十六年の瑩山禅師七〇〇回大遠忌を控え、あらゆる生きとし生けるもの、さらに亡くなっていったすべてのものにさえ等しく恵みのまなざしを向けられた瑩山禅師の行状に慈悲心の本質を学んでいくことが、これからの未来を担うべき私たちのつとめではないかと思っております。


現代において何事もあいまいにせず明確化にする風潮が主流となり、その代表格としては、「数値化」という言葉があげられます。この「数値化」は、よくよく見れば私たちの身の周りに溢れかえっているのが現代社会の実情です。時計も温度計も、数値表示が主流です。テレビ画面でその日の降水確率のチェックが日課となり、定期の健康診断の数値に一喜一憂し、飲食店の評価点でお店選びをする。着実に「数値化」は私たちの日常になくてはならない必要なものになっています。必要な情報が明確にわかることは大変便利なことです。一方で、学校では偏差値が学校選びの基準となり、普段の授業態度が内申点となります。会社では業績や社内の営業成績も数値で一目瞭然です。自ずと競争による発展が進みます。結果として「数値化」は、私たちに便利をもたらす半面、優位や利益を求められ窮屈な一面もあります。はっきりあらわれた数字こそ最も優れた価値観だとばかりに、「数値化」によっていつの間にか自身が翻弄されることもあるのです。
優位・利益のように明らかに見えるものではなく、それらを離れた見えないところにこそ尊いものがあることを、本山開祖瑩山禅師さまは著書『伝光録・迦那提婆尊者章』内でご指摘なさっています。お釈迦様を初祖と仰いで十五祖に数えられる迦那提婆尊者の地元南インドのとある地方にある時、その師匠である十四祖・龍樹尊者がお越しになり人びとに仏法を説かれました。聞いていた人びとは「利益を求めるのは世間で一番大事なこと。だが龍樹尊者はいたずらに仏性を説くが、誰が仏性を見ることが出来よう」と口ぐちに言いたてたといいます。その声に対し龍樹尊者は冒頭のお言葉で説得されたのです。曰く「(あなた達は)仏性を見たいと思うのか。それなら先ず己に執着した慢心(※我慢のこと)を除かなければならない」と。そのお言葉を皮切りに仏性について述べられ、お聞きになっていた迦那提婆尊者と師弟の縁を結ぶこととなったのです。数字で示されたものばかりでなく、見えないけれども大切なものがあることを、今現代に生きる私たちだからこそ、改めて一人一人が意識的に問いかける時代なのではないでしょうか。見えるもののいちばん身近なものが鏡に映る自分自身の姿だとしたら、見えないもののいちばん身近なものは、日常の自分自身のあり方でしょう。まずは「数値化」の浸透で優位や利益を求める自分・翻弄されている自分に気づくこと。そのためにも、目や耳などから飛び込んでくる情報はいったん遮断し、静かに己に向きあうひと時を大切にしたいものです。


私の祖母が存命だったころ、祖母はよく檀家さんの相談役になっていました。その相談も法事のことやら、供養の事やら様ざまでしたが、私の記憶だとその多くが、家族や他人への不満を聞いてもらいたいという相談でした。祖母は、どんな話でも嫌がらずに親身になって聞いていました。そして、一通り愚痴を聞いてもらえると、皆心落ち着くらしく、穏やかな表情になって帰っていくのが印象的でした。そんな中で、いつ来ても家族のことを褒めて帰るおばあちゃんがいました。「うちの亡くなった旦那は、よく働いて私たちのことを一生懸命に養ってくれたいい旦那だった。」「うちの嫁は、優しくて気の利くとてもいい嫁だ。」「うちの孫たちは、素直で年寄り想いのいい孫だ」等々、人を褒める言葉だけで、愚痴は一切聞いたことはありませんでした。実際そうであったとしても、なかなか褒め言葉は言えないものです。当時の私としては、「どうして人の愚痴を言わないのだろう」と不思議な思いをしていたくらいです。現在、このおばあちゃんのお孫さんたちは、それぞれ立派な大人となり、仕事も家庭も順風満帆な様子です。今考えると、おばあちゃんは、子供の良き教育に欠かせない家族の和合を大事にするために、あえて家族のことをみんなに褒め伝えていたのではないかとさえ思えます。今から二六〇〇年もの昔、お釈迦様によって仏教はこの世に誕生しました。そしてその後間もなく、修行僧たちが集まり自己研鑽に努める仏教のサンガ(僧伽)が造られました。いろいろな個性が集まるサンガでは、お釈迦様によって、修行環境を整えるための戒律が定められました。その中で特に尊ばれたのが和合僧としての姿でした。一方、サンガの和合を乱す行為が、戒律に最も反する行為とされたのです。そのことからも、仏教の精神は和合にあるといってもいいのではないかと思います。
大本山總持寺の御開山瑩山禅師は、観音様のような慈悲心をお持ちだったと伝えられています。その御心を慕って、多くのお弟子や檀信徒が禅師のもとを訪れました。禅師は晩年「大悲の御誓願」と言われるお誓いを立てられました。それは「この世に、迷い苦しみ悲しみ悩める衆生がいる限り、私は、未来永劫にわたって、最後の一人が成仏し救われるまで衆生を済度し続けるのだ」という大慈悲のお誓いです。禅師は六二歳でご遷化なさいましたが、私は、禅師はこの御誓願を果たさんがために總持寺を建立されたのだと考えています。ところで表題の言葉は瑩山禅師が記された『洞谷記』の中の一節です。「たとえどんな困難に直面しても和合和睦の思いを忘れてはいけません」という意味です。禅師は、寺院が未来永劫存続するために寺檀和合の尊さを常に説かれました。禅師が切に願った和合和睦の精神こそ、争いや憤りの心を静め、人と人との絆を強くし、寺院を守り続け、尊い仏の智慧と大慈悲の心を未来につなぐ原動力となるのです。今月は、私たちにとってはお盆の月です。古来お盆にはご先祖の御霊(みたま)が家に戻るとされています。ご先祖は子孫の仲良い和合の姿を望んでいるはずです。皆さまも、様ざまな困難を乗り越えて私たちに命をつないでくださったご先祖に感謝し、どうか皆様もまた和合和睦の心をもってお迎えください。  

本山をお開きになられた瑩山禅師様は「仏さまのお言葉を見るという事は、仏さまのお姿を見る事である。仏さまのお姿を見るという事は、仏さまのお諭しを実際に行ってゆく事である。」とお示しになられました。今月八月は月遅れのお盆があります。首都圏では七月にお盆の供養が勤められていますが、地方では八月に営まれるのが一般的です。毎年この時期、都会に暮らしている多くの方々がいっせいにそれぞれの故郷へ戻ってゆく様子はさながら民族大移動のようで、たくさんの人々で混雑を極める交通の状況はお盆の風物詩として報道されます。往復するのに大変な思いをするのですが、それでもお盆の期間は生まれ育った土地で過ごしたいというのが日本人の感覚でありましょう。懐かしい景色と懐かしい顔に囲まれて、今は亡き父母、祖父母、遠い御先祖様を偲ぶ時間は何ものにも代え難いものがあります。昨年、相次いで義父母を亡くした檀家のご主人が、こういう事を話してくれました。「早いもので、もう一周忌がやってきます。遠出をする用事がある度に、義父母を誘って一緒に行くようにしていました。二人が亡くなった後、共に巡った場所を再び訪ねると様々な事を思い出します、生きていた頃よりもより深く、より鮮やかに」と。亡くなったその老夫婦を私もよく知っているのですが、二人はずっと家業の商売に自分の時間を全て捧げてきた人でした。朝ご飯を済ませると直ぐに店に出掛け、夜閉店後に戸締りをしてから帰宅し、晩ご飯を食べ入浴を済ませ倒れ込むように床に就くという一日を繰り返し暮らしていました。息子に経営を譲ってからも、朝から晩まで店に立ち続け家には寝る為にだけ帰るという生活を、二人とも最後に入院するまで変える事はありませんでした。八十歳を過ぎても忙しく立ち働いていましたが、職場の仲間とお客さんに恵まれ、生涯を現役で過ごせた幸せな人生です。娘夫婦はそんな仕事一筋の老いた両親に息抜きをさせようと、機会を作っては連れ出すよう心掛けていたのです。
私達は残念ながら、人でも物でも失ってから初めて、その大切さ、ありがたさを知るという事が多多あります。親しい人がこの世を去って感じる悲しみの大きさは、気付かずに自分がその人から与えられていたものの大きさに他なりません。亡き人は遺してゆかなければならない気掛かりな方々の幸せを祈り、後を託して再び大きな命の流れの中へ戻ってゆきました。今を生きる私達は、亡き人から後を託されて幸せであれと祈られているのです。心配して見守ってくれている故人が安心できる生き方を私達が営む事が、何よりの供養となります。安心してもらえる生き方とは、調えられた生き方です。調えられた生き方とは、仏さまのような生き方、坐禅の生き方です。「身を調え、息を調え、心を調える。」 仏さまのお諭しの言葉は、仏さまの生き方そのもの。仏さまの生き方を知り得た私達は、実際に自らの生き方をそれに重ねて調えてゆく事がかなうはずです。一つ一つ調えて、一歩一歩仏さまの生き方を目指して、勤め励み続けるのが修行です。一瞬一瞬の積み重ねが、やがてその人の人生を形作ります。今、ここ、この瞬間を、全力を尽くして丁寧に調えながら精一杯生き抜く事を心掛けましょう。人生とは仏道修行そのものなのです。


今月の標語は、通幻寂霊禅師がご生涯を終えるにあたって残された言葉の一節です。上記の意味するところは、『心が執われるすべてのものを捨てなさい。最も大切なものは何なのか、という事をひたすらに究明し、文字や言句に迷わされて、歩むべき道を踏みはずしてはなりません』これは、言わば遺言ですから、最もお伝えになりたかったお心そのもの、と私は思っております。さて、通幻禅師とは、どのような和尚さまだったのでしょうか。通幻寂霊禅師は大本山總持寺第二祖・峨山韶碩禅師の高弟で五哲の一人に数えられ、能登・總持寺にあった五つの塔頭(五院)の一つ、妙高庵の開基です。通幻禅師は南北朝時代の和尚さまで、出身は諸説ありますが豊後の国(現在の大分県)であったことが有力です。本山二祖峨山禅師のおしえを嗣がれて、三度ご本山の住持を勤められたお方です。ご本山のさまざまな制度を定められ、ご本山発展の礎を築かれました。曹洞宗のおしえを全国に広め、たくさんのお弟子さま方の育成に尽力なされました。特に通幻十哲と呼ばれる十人の優れたお弟子が有名です。修行に対しては誠に厳しいお方で、その様子をうかがい知る故実に「活埋抗かつまいこう」と「文字点検」があります。「活埋抗」は文字通り、活き埋めの抗で、通幻さまのもとで修行を志す者は、この抗あなの前で激しい問答を受け、修行の覚悟や真剣さが足りない者は、この抗に蹴り落とされたという事です。活埋抗という関門をくぐれた者を待っているのが「文字点検」でした。通幻さまは、五日に一度、山内を点検され、雲水の持ち物の中に文字に関する物、書物や筆記用具を見つけては、没収して焼き捨てました。これは、仏道修行が文字や言葉の中ではなく、日々日常の中での実践に他ならないのだから、雲水たちが文字言句に執らわれて、本来なすべき修行に打ち込めなくなる事を慮おもんばかられるお心の現れです。
このように「文字点検」は、本当に大切なものは何なのか、という事に気付かせるための親切心であり、弟子を突き放し、目覚めさせ、自分の力で修行して自ら会得させようという通幻さまの切実なおもいであったのでしょう。「活埋抗」や「文字点検」は現代を生きる皆さんにとっては、全く非現実的な故実を思われるでしょう。この故実は私たちに一体何を教えてくれているのでしょうか。この世を生きる、という事は「活埋抗」の端を歩いてゆくようなものです。丁寧に、真剣に日々を過ごして、自ら落ちないように、心を見つめ直しましょう。また、あり余る情報に心を奪われ、流されやすい時代となりました。本当に大切なものは何なのか、自分がなすべき事は何なのか、自ら点検してそれを見失わないようにして下さい。自分自身の「活埋抗」を、「文字点検」を心に浮かべてみて下さい。忘れていた大切な事に気付くかもしれません。爽やかな秋の風情の中にきっと良い始まりがおとずれる事と思います。


「無常」とはいつの間にか季節が移ろい過ぎていくが如く、この私の命も含め、全ては少しもとどまることがないというお釈迦さまのお悟りです。瑩山禅師さまはこの無常を観ずれば、それが真っ直ぐ探道に繋がっているとお示しです。「探道」とは坐禅のことです。瑩山禅師さまもまた永平寺をお開きになられた道元禅師さまと同じく、御生涯を通して坐禅三昧のお方でございました。 瑩山禅師さまは『坐禅用心記』の中で、坐禅の功徳を生きとし生けるものに回らせなさいとお示しです。これは瑩山禅師さまにとって坐禅とは、とりもなおさず菩薩さまのお姿にあこがれる心、菩提心を抱き続けることであるからです。我が子を思うが如く他者を慈しみ、誰かの悲しみを我がことが如く悲しむ心。人々にかぎりなく寄り添う菩薩さまのお姿に近づきたいと願う心です。標題は「一大事である私の命も、大自然のそれのように、とどまらず過ぎ去ってしまうものであると心底観ずれば、自ずと他の幸せを願い、隣の人の悲しみに寄り添う菩薩行をせざるを得なくなる」と私は受け止めております。
昨年、私が敬愛するご住職が入院されたと聞き、お見舞いに伺いました。前もってご家族がご本人に連絡を取って下さったからなのか、突然の訪問に驚く様子もなく「よく来た」と目を細められました。そして私が想像した以上の、ゆっくりとした動きで、ベッドの上に体を起こされました。近年入退院を繰り返していた事をそこで初めて知り驚きました。病状を尋ねる私にご住職は、病院食が意外とおいしいという話や、病室の窓が駐車場に面しているので、動きがあって退屈しなくていいといった、たわいない話をしました。ご住職の体形は往時とそう変わり無く見えましたが、声の張りや以前と違って丸くなった背中から、あまりお加減が良くないのは言外に伝わってきました。長居をしてお身体に差し支えてはいけないと、そろそろ辞去しようかと思った時です。この病気になって分かったことがあるよ、とご住職は徐に言われました。「もしこの病気に誰かが罹らなければいけないと仮定したなら・・・、私にじゃなくて、連れ合いが罹ったとしたら、私はもっと苦しんだと思う。もしこの病気が子どもにいったと思ったら、それこそ想像を絶する苦しみだろう。では友人ならいいか、などとはやはり思えない。誰か知らない人に、自分の代わりに病気が罹ってくれたらと想像してみたが・・・、やはりそれもまた、どうしても願えなかった。」 そう言った後、少し間をおいて「いろいろ考えたが、この病気は自分がいただいていくのが一番楽な道だった。」と、本当に爽やかに微笑まれました。ここに至るまでの心の葛藤や悲しみは如何ほどであったのか。眠れない夜をどう越えられてきたのか。私にはどんなに想像してみても及ぶべくもありません。言葉の見つからない私にご住職は続けます。「もう人生最後だと思ったら、願うのは自分の幸せじゃなかったよ。」そう言って、私の手を両手でぎゅっと包み込みました。「あなたの幸せも心から願っているからね。」とご住職は言いました。自分の命に限りがある。そう心底感じたならば、あと願えたのは、大切な人、他の人の幸せだけだったというのです。そしてご住職は誰もがそうだというのです。これこそが私たちが仏様の種を持って生まれた証であると。ご住職のその手の力強さと、どこまでも優しい言葉の響き。私はその時、菩薩さまのお姿と出会いました。この時、瑩山禅師さまの教えが理屈抜きで、ストンと腹に落ちたのです。私たちは誰もが仏の種を持っている。だから大丈夫。仏様の姿にあこがれ続ける日々をともに過ごしてまいりましょう。


十一月になりますと、富士山の頂が粉砂糖をまぶすように日に日に白くなって参ります。日ごと白くなる富士山をお寺から眺めるのが、この時期の楽しみの一つでもあります。大本山總持寺をお開きになりました瑩山禅師様は、雪の白に例えて、禅の心をこう言いあらわしました。禅の心とは、例えて言うなら、雪に立つ鷺(しらさぎ)や鶿(うのとり)である。真っ白な羽をもつ鷺(しらさぎ)や鶿(うのとり)は、雪原に降り立つと、雪の白に溶け込んで見えなくなってしまう。しかし、雪と全く同じ色ではない。また例えて言うなら、月にそよぐ蘆(あし)の花である。秋の夜長、蘆(あし)の花は、ススキのように金色に輝き、夜風になびいている。その上を照らす月とは姿も形も違うのに、金色のまるい月とかさなると、同じ色になって、他に似るものがないほどである。色で例えた禅の心、禅問答のようですね。瑩山禅師様は、この言葉から何を表そうとしていたのでしょうか。これは、「調和」と「自己の働き」を色で例えたものだそうです。周囲に溶け込んでいるのに、同時に、自分らしさも存分に発揮している。相手の心も、自分の心も殺さない。禅の生き方とは、調和の生き方と言っても過言ではありません。世の中を見回してみますと、良い組織というのは、各自が自分の持ち場をきちんとこなしています。事務職の方は、事務の仕事に徹している。営業職であれば営業の、管理職であれば人員管理の責務をまっとうしている。与えられた仕事を、与えられたようにこなし、生き生きとしている。ここに、調和の姿が息づいているのです。
これがもし、「部長になるはずだったのに、いまだに課長のままだ。能力だって十分なはず、少しくらい部長らしく振る舞ってもいいだろう。」という方が出てきたらどうなるでしょう。一個人としては輝くかもしれません。しかし、組織としては乱れていきますね。どんなに能力があっても、与えられた職域を逸脱して働いては、組織に不協和音がこだますばかり。相手を活かしているとはいえません。会社という枠組みで言えば、与えられた職責の中で、自分の力を存分に発揮する。当たり前かに見えるこの光景こそ、禅における調和の姿なのです。瑩山禅師様は、お師匠様に「禅の極致をどう言い表すか」と問われ、「暗闇の中を黒い物が走ります。」と答えたそうです。「さらに言い換えるならば」との問いに、「茶に会うては茶を喫し、飯に会うては飯を喫す。」と示され、悟りの証を得たという逸話が残っております。与えられた境遇に徹しつつ、自らもいきいきと輝いている。その姿を説かれたのでしょう。この調和は、突き詰めていくと、相手のしてほしいことと、自分のしようとすることがぴたりと重なって、外からは自分というものがなくなったかのように見えます。「無我の境地」と表現いたしますが、自分がなくなったのではなく、調和しきった自分がここにあるだけ。その絶妙な違いを、瑩山禅師様は表題の一語に例えたのでありましょう。「鷺鶿雪ろじゆきに立たつ 同色どうしょくにあらず。」雪の大地に降り立った真っ白なしらさぎが、大きく羽を広げ踊っている。雪の白を邪魔せず、溶け込みながらも、しらさぎとしての命を存分に謳歌している。私たちは、会社や学校、ご近所つきあいなど、なんらかの色に属して日々を過ごしています。周囲の色となめらかに調和しながら、自分らしさを発揮して輝く。そこに、流麗として生きる、禅の生き方があるのです。


冒頭の一節を訳せば、聖とはお釈迦様のことで「お釈迦様が入滅なさってからどんどん時は遠くへ過ぎ去っているにもかかわらず、(己の)仏道修行は未だに完成していない。(無常の世に生きる己の)身体や命はいつまでも保ち難いもの。どうして(修行を今打ち込まずして)後日に期待することが出来ようか。」と、仏道に参ずる者それぞれに問いかける励ましにも受け取れる内容です。瑩山禅師の著された「伝光録・大鑑禅師章」には中国の第六祖・大鑑慧能禅師の半生も綴られています。慧能禅師は幼少のころ、金剛経の一文を耳にした時大いに感じるところがあり、その一文の意味を解き明かすべく、後の師匠となる中国第五祖・大満弘忍禅師のもとに参じます。弘忍禅師は若き慧能禅師の力量が並並ならぬことを見抜かれ、「仏の真実の教えは文字のみの理解の外にある」ことを知らしめるため、杵臼を使っての精米労働を命じられます。慧能禅師は、お経の指し示す真意究明のため、またお米を口にする皆の為の利他の修行とばかりに、ひたすらの精米労働に従事すること八か月に及んだと記されます。そして弘忍禅師は八か月過ぎたころ慧能禅師の力量がお釈迦様以来伝わるお袈裟を託すに相応しいと認められ、他の弟子たちの反感を買わないよう秘かにお袈裟を渡されました。入門してわずか八か月で慧能禅師は仏の衣鉢を継がれたのです。しかしそのことが発覚し、慧能禅師より先に弘忍禅師へ参じていた古株の修行僧たちによって、伝わったお袈裟を奪われそうになります。が、逆に奪いにきた者を諭し共に正しく仏の道を歩む勝友としたのでした。
諭された者は「冷暖自知」つまり冷たいも暖かいも結局自分で知るしかないことに気付き、己自身が仏であることを明らかにして行く、と誓ったとも紹介されています。瑩山禅師様はこうした慧能禅師のエピソードを表示され、冒頭の一節を注釈の一つとして加えられました。このエピソードのポイントは二点。ひとつは経典の文字にとらわれることなく、修行は己の身で実践すること。もうひとつは、慧能禅師の八か月間の精米労働ぶりより、修行は一刻一刻を大切に専一に為すこと。これらのポイントは、今現在ご本山の行持に反映されています。お釈迦様のお悟りを開かれた成道の故事になぞらえ、毎年十二月一日から日付の変わる八日零時頃まで坐禅を専一に行ずる「成道会攝心」が執り行われます。この期間はご本山全ての業務を休息し、ほとんど全ての者が大僧堂で坐禅を組むのです。他に何をするでもなく、ただひたすらに坐禅を組み己の身体で仏のすがたを現し続ける。そして、過去のことに囚われたり未来のことを思い悩んだりと時間を無駄にせず一呼吸一呼吸今のひと時を丁寧に行ずる。こうしたことを心掛けながら約一週間を過ごします。冒頭の一節、ことこのような攝心中においては、ことさら瑩山禅師からの親切な励ましとして身に沁みるところです。  
 

 


「新たなる思いを…」
新年あけましておめでとうございます。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。さて、事を新たにする時には、様々な決意や思いがあると思います。ここ大本山總持寺を開かれた瑩山禅師さまは、五十歳の時に、石川県羽咋市に永光寺を開かれました。その時、このお寺を未来永劫お守りするにあたって、後に続く方々に対して心構えを示されました。それが表題の一文です。「たとえ、どんなに難しい問題に出会ったとしても、僧侶や檀信徒が必ず「和合」して、睦み合う思いを起こせば、必ず問題をのり越えることが出来る。」という教えです。お寺を始めるにあたって、この「和合」という思いは、瑩山禅師さまの願いであったに違いありません。
「和合」
「和合」とは、決してお寺を守る事だけではなく、一般社会においても、同じではないでしょうか。和合に必要なことは、常に相手の存在を感じるという心です。しかし、人は、忙しかったり、苦しかったり、時間に追われてしまったり、欲が出てしまったら、ついつい、自分の事ばかり考えてしまい、相手の事を考えられなくなってしまう。そうすると、自分が気付かないうちに、相手を傷づけてしまうことがあります。では、どうするのか…。
「ありがとう」の文化
私の住む北海道留萌市は、人口二万四千人の日本海に面した港町で、昭和三十年ころまで、ニシン漁が盛んな街でした。お正月定番、数の子は、ニシンの魚卵です。夏は、どこまでも続く日本海とそこに沈む夕日がきれいな街ですが、冬になれば、前が見えなくなるほどの猛吹雪になる地域でもあります。そんな、地域に伝わる文化が「どーも」と「なんも」の文化です。先日、地元の漁師さんと話す機会がありました。「ニシン漁は、全てがチーム作業だ。」と言います。漁をする若い衆は、危険な荒波のなかで漁をします。そんな時に、大事なことは、「周囲を見渡し、仲間の動きや次の動きをとっさに判断して、相手の動きと自分の動きを同調させることだ」と言います。そして、「船の上は、自分も相手もない一つの世界だ。」と言います。そんな時に掛け合う言葉が「どーも」と「なんも」だそうです。仲間が、自分に何かをしてくれたとき「どうも(ありがとう)」と短く言い、それに対して「なんも」と相手を思い短い言葉で返します。「なんも」は、「そんなことないよ」「どういたしまして」「いいから、いいから」に相当する北海道弁です。その相手を思う心が厳しい自然で生きる留萌の人の心に残っているかもしれないな。と漁師さんは言います。
「愛語」の実践
仏教では、愛語という教えがあります。思いやりの言葉ですが、ただただ優しい言葉でもなく、相手と一つになって、相手が穏やかになり、相手を善くしようという言葉です。そして、その言葉は、必ず、人を動かす力があり、相手だけではなく、自分に対しても善いことになるとも示されています。
「和合の一年を」
どうぞ今年一年が瑩山禅師様の和合の心と愛語の行いで「あなたも私も一緒に幸せになる」一年でありますようにお祈りしています。もしも、苦しくなったり、周囲が見えなくなったら、是非とも總持寺にお参りください。ご一緒に和合の心を調えてまいりましょう。


花はなぜ美しいか
曼陀羅華とは、マンダラーヴァという天界の花です。お釈迦様が教えを説く時に、空から降ってくる花といわれています。天界の花というのは、最上の美しさをもった花であるということでしょう。花はなぜ美しいのでしょうか。紅や青、黄色や純白などの、きれいに色で咲いているからでしょうか。風に揺れる繊細な花弁や、美しい曲線を描くその形があるからでしょうか。それらは、花の美しさを成り立たせる大切な要素ではあるけれども、それだけでは足りないような思いがいたします。花はなぜ美しいか。それは、花は枯れていくものだからではないでしょうか。咲いている時だけが、花なのではありません。種から芽が出て、茎がすくすくと伸び、花を咲かせます。やがて、花はその色を失い、しぼみ、土に帰っていきます。その全体が花なのです。花は、そのいのちのひと時ひと時を、ただ自然に生きています。成長の時も、大輪の花を咲かせる時も、色を失い枯れていく時も、ただそのいのちを、自然に生きているのです。花は枯れていくから、言葉を換えれば、常に変わり続けるいのちだからこそ、美しいのではないでしょうか。天界の花マンダラーヴァもそうだと思います。お釈迦様のご生涯も、花のようであったのではないでしょうか。青春の時も、さとりを開かれた時も、伝道の時も、老いの時も、病を得死に臨む時も、お釈迦様は、常に変わり続けるご自身のいのち、自然に、丁寧に、心をこめて言い続けたのです。そのように生きたお釈迦様が、説法を行う時、天界の花マンダラーヴァが降ってくるのは、とても象徴的な光景でありましょう。
教えは雨のごとく
「曼陀羅華を 雨ふらして」というのは、マンダラーヴァが雨のように降りそそぐさまをあらわしています。お釈迦様の教えは、雨のようであると思います。雨は、ところを選ばず降ります。ここに降りたくないとか、降るのならここがいいといった選り好みをせずに、あまねくあらゆる場所に降りそそぎます。お釈迦様の教えも、あらゆる人々に、選り好みをせずに、あまねく伝わります。また雨は、乾ききった大地に潤いを与えてくれます。お釈迦様の教えも、乾ききった私たちの心にしみわたり、安らぎに導いてくれるのです。さらに、例えば、燃えさかる炎が大地を覆っている時、雨が強く降りそそいだならば、炎を消し止めてくれるでしょう。私たちの心が苦悩の炎に覆われている時、お釈迦様の教えが雨のように降りそそいで、その炎を消してくれるのです。雨のように降りそそぐマンダラーヴァは、「仏及び大衆」すなわち、私たちにだけでなく、お釈迦様にも降りかかっています。ご自身が説く教えに、ご自身も力を得ていることをあらわしているといえるでしょう。

曼陀羅華が雨のように降りそそぐ光景は、花のように生き、雨のような教えを説いたお釈迦様に、まことにふさわしい光景ではないでしょうか。


近年よくマスコミで取り上げられる話題に、寺離れがあります。家族が亡くなって弔いたいのだけど、僧侶を呼ばずに直葬にしたい。自分が亡くなったら、子供に迷惑が掛からないように散骨にしたい。先祖代々の墓があるのだけど、管理ができないので、墓じまいをしたい。などと、少し前だったら、大きな声で言えなかったような事案が、表立って語られるようになってきました。なぜそうなったのかといえば、時代が変わったからともいえるのでしょうが、深く考えると、寺と檀信徒との関係、つまり寺檀関係が大きく変化しているからなのだと思います。私が寺檀関係を強く意識したのは、住職就任式に当たる晋山式の時でした。寺に入山する前に、まず安下処で身支度を整え、そこから寺に出発します。安下処は、檀家総代長の家でした。出発前に、お仏壇の前で、数名の僧侶とともに先祖供養のお経をあげることになりました。正面にいた私が顔を上げると、お仏壇の中のあるお位牌が目に入りました。そこに書かれていたお戒名は、わたくしにとってとても懐かしい方のお戒名でした。その方は、先代の檀家総代長でした。私が幼い時、住職であった祖父が亡くなりました。その時私の父は、教職だったこともあって、寺に専念できない状態でした。そんな中、私たち家族を親身になって支え、必死でお寺のことを守ってくれたのが、先代の総代長でした。その戒名を目の当たりにした私は、幼いころのことを思い出し、胸が詰まって、お経があげられなくなってしまいました。そんな私の心には、亡き総代長が「よく来てくれたね、これからお寺の事よろしくお願いしますね」と笑顔で語りかけている姿が浮かんでいました。檀信徒の代々の信仰に守られてお寺が存続し、その寺がいつの時代にも、檀信徒の心の一番の支えとなってあり続ける。そんな寺檀関係がわが国では何百年も続いてきたのです。その関係が時代の風潮で色あせてしまうことは、とても残念で悲しいことだと思います。
表題は瑩山禅師のお言葉で、「お釈迦様はこう述べられた。『信心の厚い檀信徒を得たならば、仏法は決して途絶えることがないであろう。』」という意味です。禅師は、すべての衆生を未来永劫救い続けるというご誓願を立てられました。ご誓願を成し遂げるためにも、自ら創建された寺が永続することを切に願われました。寺が永続するためには、檀信徒の存在や支えが何よりも大切です。また、多くの人びとにとって寺という存在がなければ、お釈迦さまが残された尊い仏法を信仰し、人生の安寧を得る術はありません。我が国は何百年もの長い間、寺檀関係におけるお互いの信頼と絆を根幹にして、それぞれの時代の多くの困難を乗り越えてきたのです。今、我が国は、仏教の信仰において新たな時代に入りました。尊い仏法が廃れることがないように、寺と檀信徒が力を合わせ時代にふさわしい関係を築いていきたいものです。


三学とは戒・定(禅定)・慧(智慧)のことで、仏道を修行する者の必ず修めなくてはならない三つのもっとも基本的な修行の部類です。それぞれ、戒学は、悪をとどめ善を修すること。定学は、身心をしずかにして精神統一を行ない、雑念を払い思いが乱れないようにすること。慧学は、その静かになった心で正しく真実のすがたをみきわめること。この不即不離な三学の兼修が、仏道修行の完成をもたらすとされています。この三学を修することが、鎌倉期以前の伝統的な仏教教学に於いて常識ともいえる修行概念であります。その三学を引用して、瑩山禅師は踏み込んだ解釈をなさっています。「坐禅は、戒定慧(三学)に(教学上)関与しているというわけではないが、それでも(実質的に)この三学を修することを兼ねているのである。」 こうした慧眼な捉え方を、瑩山禅師様は坐禅の指南書『坐禅用心記』の中でお示しなのです。
『坐禅用心記』においては続けて、坐禅の戒は、単に防非止悪といった道徳・倫理的な戒にとどまらず相対的な観念を離れたこの上もない「心地無相戒」である、その定は、あらゆる束縛を離れ山や海のように雄大で落ち着き静かな「大定」である、その智慧は、一般には単に選びわかることを超え智慧の姿すらなくなる位大きな「大慧」である、とし、この上ない三学≠ナあると絶賛されています。何故、坐禅をこの上ない三学≠ニされているのかといえば、三学を、机上で字面だけを読んで解釈しようとするのではなく、血の通う息づいた三学≠ニして受け取るべき、という強いメッセージが含まれている故だと推察します。
この四月から新たに、本山ゆかりの保育園で年長組を対象に、坐禅指導をおこなっています。通常は廊下を走り回り、園の先生がたに手を焼かせているであろう園児たちも、いざ坐禅をさせれば、手を組み足を組み、まっすぐに坐った姿はまさに戒の姿。それまでおしゃべりで騒がしかった教室内も、始まればたちまちに静寂に包まれ定の空間。そして、気が散ってきょろきょろしている園児も、時間が進むにつれ、一人二人と自主的に取り組み始める様子は慧の雰囲気。思いがけず、こうした坐禅にまつわる現場で「三学を兼ねたり」の端諸をつかみかけたような気がしました。三学のみならず、膨大な経論に書かれた数かずの難解な仏教用語も、もともとは何気ない普段の日常に現成した真実から派生した文言なのではないか、とも今回のことで思うのです。日常にこそ大切な教えはある、とばかりに、まずはこの金言を吟味しながら坐禅は勿論、日日の起居動作も一つ一つ丁寧に取り組みたいものです。


ご本山の放光堂ほうこうどうというお堂の後ろに鶴翔寮かくしょうりょうという学生寮がございます。この鶴翔寮というのは、ご本山に隣接しております鶴見大学付属高等学校の仏教専修科に通う生徒さんが下宿しておられる寮ですが、そこにおられる学生さんは、例えば福島県や長野県、あるいは福井県などから来られたお寺さんのご子息さん達です。この寮における一日のスケジュールをご紹介しますと、朝六時起床・洗面、六時三十分から、ご本山の放光堂において朝のお勤め、七時朝食、七時三十分から朝清掃、八時十分に学校へ登校、午後六時三十分帰寮、その後、入浴・夕食を済ませ、七時三十分より勉強、夜の坐禅、そして十時消灯ということで、実に規則正しい生活をされております。
さて、数年前になりますが、私はその鶴翔寮のお風呂場をお借りして入浴させていただいたことがございました。夕方、時間を見計らってタオル持参で鶴翔寮へお邪魔しますと、風呂当番と思われます学生さんが三人ほどお風呂場の前におられました。そこで、「お風呂をいただいてもよろしいですか。」とお聞きしますと、「もう少しお待ち下さい。今から開浴かいよくを行います。」と言われました。「開浴」というのは「浴室を開く」ということで、入浴前の作法を行うということです。すると、三人の学生さんの中の一人が、浴室のところに祀ってあります仏様(跋陀婆羅菩薩ばっだばらぼさつ様)に対して、お風呂に入る時にお唱えをする偈文げもん(短いお経の言葉)をお唱えしながら、丁寧に礼拝を始めたのです。その学生さんは、その年に入学したばかりの一年生でありました。私には少々ぎこちない作法に見えましたが、二人の先輩に教わりながら、一生懸命礼拝する姿を目の当たりにした時、何かグッと胸に込み上げてくるものがありました。高校生とはいえ、まだまだ親元で甘えていたい年頃であろうと思いますが、その親元を離れて、不慣れな寮生活の中で、先輩に一つ一つ教わりながら、入浴の作法を純心に行うその素直な姿に、私は思わず手を合わせておりました。やがて礼拝を終えた学生さんは、「大変お待たせいたしました。どうぞお入り下さい。」と言って、私に入浴を勧めて下さいましたが、あまりにもったいなくって、とても入る気にはなれませんでした。結局、そのまま一番風呂をいただくことになりましたが、その日の入浴は、殊の外すがすがしいものとなりました。と同時に、私自身は、日ごろからあの学生さんのように、純真な気持ちで仏様を拝んでいるだろうかと考えさせられました。もしかしたら、つい慣れてしまって、その純粋性を見失っていたのかもしれません。
瑩山禅師様は、「自らの最初の発心を顧みて、仏道にかなっているところと、そうでないところをしっかりと見極めなさい。」とお示しになっておられます。私も三十年ほど前に、ご本山において修行させていただきましたが、おそらく最初のうちは、あの学生さんと同じように、多少ぎこちないところがありながらも、先輩の教えに忠実に従いながら、ただひたすらに仏様を拝んでいたと思います。この度、再びご本山において修行させていただくご縁を頂戴し、上山してから三か月になろうとしておりますが、これからも仏様を純粋な気持ちで礼拝するという信仰の真を決して忘れないように、初心に立ち返って、自己の行いを微細に点検しながら、日々の精進を重ねて参りたいと思います。  

「たとえお釈迦様がこの世にお出でになり、達磨大師が現在いらっしゃったとしても、(仏道修行に励む)各人は、(偉大な方がたの)他の力を借り(あてにしようとし)てはいけない。(誰かに頼るのではなく)ただ自らが納得し自ら証明するからこそ、(偉大な方がたと比べ)少しは相応の修行成果が得られるのである。」 自分自身の修行の道において、つい偉大な方や立派な方を前にすると、その方のご威光をいくばくかでも頂戴したくなるもの。しかし、尊んでも頼みにしてはならない、あくまで修行とは自分自身で決着するもの、といった仏道修行における厳格な姿勢を示したお言葉です。世間では「二世〜」とか「〜ジュニア」などと揶揄される方たちがいらっしゃいます。親御さんや親類縁者などが偉大な足跡を残し、その威光を傘に着ることを皮肉を込めそう称する場合もあります。 しかしよく観察すれば「二世〜」と称される方がたの中には、実は先代の威光を借りるどころかその名声を上回る方も多くいらっしゃるのも事実です。 そうした方がたに共通しているのは、その威光に甘んじることなく、先代を凌駕せんばかりに一層の学びの姿勢を示されていることです。お釈迦様の十大弟子の一人に羅睺羅らごら尊者という方がいらっしゃいます。この方はお釈迦様の実子です。十五歳の多感な時期に沙弥しゃみとして僧団に入った、と伝えられます。想像するにお釈迦様が在世時の僧団において、実子である自分がどういう立場かまた周囲からどう映るか、相当に自答され悩まれたことは容易に想像がつきます。そして、出された結果が、お釈迦様の実子としての事実を跳ね返すだけの修行を徹底すること、であったとことでしょう。
伝記によればその後、三千の威儀とも八万の細行ともいわれる僧団においての戒律を厳格に守り修行され、ついには綿密な修行を誰よりも徹底された、の意味で「密行第一」と尊称され、特に優れた十人のお弟子の一人として数えられるまでになられたのでした。お釈迦様の実子としての威光をふりかざすこととは正反対に、「どうぞ私の歩みをご照覧ください」とばかりに、あくまで一人の比丘としての生き様を示し続けられた羅睺羅らごら尊者の姿勢。その姿勢から、誰からも後ろ指を差されることのないほどに、世縁に煩うことなく、綿密にそしてただひたすら(只管)に歩むことの大切さを学びとることが出来るのです。 (終)


仏教ではお釈迦さま以前に六人の仏陀が存在されたと説き、お釈迦さまを含めて過去七仏と称されます。その七仏を通じて受け継がれた最も尊い教えが、七仏通誡偈です。「諸悪莫作しょあくまくさ 衆善奉行しゅぜんぶぎょう 自浄其意じじょうごい 是諸仏教ぜしょぶっきょう」と唱え、その意味は「もろもろの悪いことをせず、良いことを進んで行い、自らの心を清らかに保ちなさい。これが諸仏の教えである」となります。私は、この偈を初めて目にしたとき、正直物足りない気がしました。尊い七人もの仏陀がことさら大切に受け継いだ教えとしては、あまりにも“当たり前”に感じたからです。私の心に、「仏法というものは、簡単には理解できない深淵なものでなければならない」という先入観があったからなのかもしれません。しかし、本山に安居し禅を修行する中で、その考えはガラリと変わりました。禅の教えの道理は、実はきわめて簡素です。「当たり前のことを当たり前に行う」ことにつきると言っていいと思います。禅の祖師方はその道理を、眼横鼻直あるいは喫茶喫飯あるいは平常心是道などと説かれています。私も教えを聞く時にはわかったような気になっていました。しかし、これが本当に腑に落ちて、さらに実践に結び付いたかと言ったら、正直否定せざるを得ません。
「悪いことはするな。良いことをせよ。」ということは、当たり前のことです。意味だけなら幼児にも理解できるでしょう。しかし、これを実践するとなるときわめて困難だということに気がつきます。誰ひとり実践できないといっても過言ではありません。身近なことに例えれば、悪いこととは思いつつ、交通ルールを逸脱してしまうことは、往々にしてありがちなことです。また、手術のあとなどに、医者から酒やたばこを禁止されたのにもかかわらず、つい隠れてたしなんでしまうという話は多く耳にします。交通安全のためには、ルールを守らないことは悪いことであり、健康のために医者の忠告を忠実に守ることは良いことであるのは、当たり前のことであり、誰もがわかっていることです。でも素直に実践できる人はまれなのです。
曹洞宗の名称の由来ともなった祖師に洞山良价禅師がいます。禅師の撰述された『宝鏡三昧』は、曹洞宗の重要な経典の一つです。その一節に「潜行密用は愚のごとく魯のごとし、ただよく相続するを主中の主と名づく」とあります。「人知れず、当たり前のことを当たり前に行うことは、一見ばかばかしく思える。しかしこれを素直に成し続けられる人こそ、最上の中のさらに最上の人間なのだ」という意味です。このような禅の視点で、もう一度七仏通誡偈を見ると、「悪いことをするな、良いことをせよ」という誡めは、まさに諸仏の金言であることがわかるのです。ところで、表題は瑩山禅師のお言葉です。意味は「山にいたら山に住み、水あるところでは水に馴染み、寝るときは寝、起きるときは起きる」です。ごく当たり前のことではありますが、我心がなくあらゆる場面でそのものになりきる禅の境涯が示されたとても力強いお言葉です。私たちは、人生を急ぎ過ぎるあまり、今を生きることを忘れてしまっているようです。「日々是好日」と感じられるように、いつももう少し肩の力を抜いて、ありのままに生きてみたいものです。


古来より、参禅学道するには、正師を求むべきであると示されています。正師とは、真師すなわち真実の師のことであります。参徹とは、参究徹底のことであり、悟りにつながる正しい参禅学道のことであります。つまり、仏道修行は正しい指導者(正師)のもとでしっかり参禅学道をなせば、祖師様方以来の正しい仏法を明らかにすることが出来る、ということです。故にまずは、正師にいかにして出逢うかが、修行するにおいて重大な命題なのです。正師は年齢に関係ありません。しかし、その師は、正伝の仏法を明らかに把握し、安心を確立し、弟子の悟りが師匠の悟りにかなっており、仏祖の命脈に通じ、正師としての照明を受けた師でなければならないのです。そして、学問的理解のみを優先せず、世間の尺度に囚われず、悟りに通ずる資質を持ち迷・悟・凡・聖などの観念を超越した気概を持ち、自分の考えだけに囚われず、修行と学問、実践と理論が一致している師を正師とするのです。修行者は、名誉、利益など、エゴの心を捨てて、自分の全身全霊を投げ入れる「仏の家」の主人は、真実の正師でなければなりません。正師でなければ、仏の子を仏の子として、正しく導くことはできません。そうでなければ、仏法は正しく相承されません。世の中には、多種多様の職業があります。その 仕事をする人の中には、優れた仕事をする人がいます。しかし、誰でも最初から仕事をしっかり出きる人はいません。初めは何もわかりません。いろんなことを教えてもらい、勉強をして、先輩の真似をして、やがて、しっかりと仕事が出来るようになるのです。真似をすることは大切です。只、誰の真似をするかが大事になります。指導者の存在が重要です。どんな指導者に巡り合うかということです。例えば、スポーツをする人にとって、コーチや指導者の存在は大きいと言われます。
時代劇の映画やテレビドラマでは、お坊さんが登場する場面があります。その時に、網代傘に杖を持ち、手甲、脚絆で歩いています。その姿は、指導者を求めて歩いている場面でもあります。正師に会う為に諸国行脚をしていたのです。そんなお坊さんを雲水と呼びます。行雲流水を略して雲水といいます。古来は正師に会えたらそこに留まり修行に励みました。今の時代は雲水が先ず先にここと決めた道場へ赴きます。そこで、逢う様々な指導者によって修行の縁が出来ます。もちろん、修行者の求道の気持ちがその縁を結ばせるのです。時代が変わっても、修行の内容は変わりません。良い先生に巡り会うと、指導を受ける人はその人の長所が引き出されていき、すばらしいものが現れてきます。仏道においても、師匠の存在により、弟子の成長も変わってきます。正しい師匠に出会うことが、いつの世でも、どんな世界でも大切になってきます。良縁で良い先生・師匠に出逢えることを願っています。


数年前になりますが、かつて漫才ブームと言われた時代に、「春やすこ・けいこ」というコンビ名のもと、「漫才界のピンクレディー」と呼ばれるほどの人気を博した春やすこさんの講演をお聞きかせいただいたことがございます。春さんは、自らの体験をもとに、時折、持ち前のユーモアを交えながら、子育てについての様々なお話をされました。その中で、「他人の家の子どもと比べない」ということを心がけて子育てされたところ、たいへん気持ちが楽になったということをおっしゃいました。「となりの芝生は青い」ということわざがございますが、どうしても他人様の子どもさんと比べて、「自分の子どもは少し劣っている」とか、「あの子よりはまだましだ」などと、勝手な判断をしながら、かえって自分の悩みを大きくして、苦しみを作り出しているということに気づかれたというのです。この「他人(相手)と比べる」という心を、仏教では「慢心まんしん」と言い、もっとも根源的な煩悩の一つに数えられています。「煩悩」というのは、読んで字のごとく「煩わずらい悩なやむ」ということであり、自分の心の中からわき出でて、自分自身を煩わしく悩ませ、安らぎを妨げるという、たいへん厄介な心ですが、この煩悩の働きによって、私たちは随分と生き方に苦労しているのです。
その煩悩の一つに、先ほどの「慢心」という心があるわけですが、なぜ相手と比べるということが煩悩なのでしょうか。それは、その心の奥深いところに、常に「自分の方が相手よりも勝れている」「自分の方が優位だ」と思いたいという、身勝手な願望が潜んでいるからです。素直に現実を受け入れずに、いつも相手を見下して優越感に浸りながら、自分自身を満足させたいのです。そうした身勝手な願いのために、返って自分自身を悩ませるだけでなく、時には相手を激しく攻撃し傷つけることにもなります。冒頭に掲げました瑩山禅師様のお言葉の中にある「生死去来」とは、生と死の狭間はざまで右往左往している、いわゆる二元対立の世界(他と比べる世界)であり、「慮知分別」とは、その中で色々と思いめぐらしながら(慮知)、自分に都合のいいように勝手に選り分ける(分別)ことです。ですから、そのお言葉の趣旨は、「私たちの本来の姿、すなわち仏の御いのちは、相手と比べて、あれこれと思いめぐらして判断するものではない」ということです。時には、「あこがれの人」と言われるような、自らの目標となるべき人物との出会いによって、「私もあの人のようになりたい」という気持ちが、より良き自己を創造していく場合もございます。また、「好敵手」と言われるような、良きライバルを持つことによって、「あの人には絶対に負けたくない」という気持ちが、自らを奮い立たせ、ますます自己の技術向上に邁進していくという場合もございます。ですから「相手と比べる」ということは、一概に否定されるべきことではありません。しかし、人はそれぞれ取り換えることのできない、たった一つの尊い命を生きています。いたずらに「比べる」ということによって、本来の自分の姿を見失うようなことがあってはなりません。「脚下照顧きゃっかしょうこ(足元を見よ)」という禅の言葉がございます。自らの足元、つまりは自分自身としっかり向き合いながら、今という時を精一杯生き抜いていく、そうしたひたむきな生き方を心がけてまいりたいと思います。


言葉の意味 この言葉は、大本山總持寺をお開きになられました瑩山禅師様が誓願を立てられたときに言われた言葉です。生生世世(いついかなる時も)生きとし生けるすべての方々に仏教を広め、安心という悟りの心に至るまで多くの方々を救済します。という願いより強い深い思いが詰まった誓願という言葉です。お釈迦様の教えには『自らが救済される前に、まず他の人を救済し幸せに導こう( 自未得度先度他じみとくどせんどた)』という教えがあります。瑩山禅師さまは、このお釈迦さまから伝えられた教えをしっかりと受け止め、今に伝えてくれています。
いついかなる時も時は流れる 今年も十一月に入りました。ある人は「あっという間の一年だった」というかもしれませんし、またある人は「今年は、とても長かった一年だった」と思うかもしれません。北海道に住む私にとっては、今年一年は、あっという間でしたが、ある時は、とても長く感じてしまいました。
真っ暗になった北海道 9月6日早朝、北海道を震度7の大地震が襲いました。震源地は北海道南部の厚真町を中心とした地域です。死者四十一名、避難者一万三千百十一名、北海道内全域で停電二百九十五万戸(読売新聞一〇月一三日発表)の被害を出した「北海道胆振東部地震」です。多くの死傷者が出てしまいました。お亡くなりになられました方には、お悔やみを申し上げ、被災に会われました方々には、心からお見舞いを申し上げます。未だに多くの方々が不自由な生活を余儀なくされております。
キンジョの思いやり 地震後すぐに北海道内のほぼ全域が停電になる「ブラックアウト」という前代未聞の事態が発生してしまいました。私の住む北海道留萌市でも停電の影響で高台にある集合住宅に水が送れずに断水が発生し、市内の信号機は全て消え、不安な時間を過ごしました。停電になった2日目の夕方、徐々に日が暮れ始めると、周りが真っ暗になってきました。お寺にある大きなローソクを持って、近所を訪ね「大丈夫ですか?懐中電灯ありますか?もしもの時にローソクをもって来ましたよ。余震と火事に気を付けて使ってください」「大丈夫、大丈夫よ。でも、真っ暗で怖いね。心細くなるわ。」近所の年配の女性が言っていました。声がけをしながら近所を歩いて気付くのは、お互いの顔を見る安堵感と声を掛け合う安心感でした。お寺に戻ると近所の設備機器を営む檀信徒さんが「自家発電機を給湯器に繋げて、シャワーを使えるようにしたから、おいでよ。お子さん膚弱かったでしょ。」と言いに来てくれました。お年寄りと子供を優先に自宅のお風呂場を開放してシャワーを使える様にしてくれました。「自分たちは最後でいいの、まずは、お子さんからどうぞ」その言葉に溢れるほどの感謝を感じました。困った時はお互い様ではなくて、まずお先にどうぞ。その言葉と行動に近所の方々はどれだけ不安な心が晴れたかわかりません。災害に遭うと、まずは、自分を守る「自助」が大切です。次には、互いに助け合う「共助」が起こり、そして、公で助け合う「公助」が大切だと言われます。今回の地震は、それに加えて近くで助け合う「ご近『助』」の大切さを改めて気づかされました。
自未得度先度他 瑩山禅師様は、いつでも慈悲の心を忘れずにいる事を願っています。しかし、自分が大変な時はなかなか周りを見る事が出来なくなってしまいがちです。そんな中でも、一つの言葉が、一つの行動が、どれだけ、周りの方の安心感を生むことが出来るか。その安心した晴れた顔から自分を含めた周囲の方にどれだけの安堵感を生むことになるのか。その功徳は計り知れません。未だに大変な状況の中ですが、北海道は、全国の多くの方々から頂いている頑張れの声から、心から顔晴れる(がんばれる)北海道が生まれています。今年もあと二か月、お互いに素敵な日々でありますように…。  
 

 


標題の語は「外に仏を求めるのは仏行にはならない(自身に向き合うからこその仏行である)」という意味です。12月8日は「成道会(お釈迦さまがお悟りをお開きになられた日)」です。皇太子という位を捨てて、出家修行の生活に入られたお釈迦様は、それまでの苦行をやめて、菩提樹の下で静かに坐禅を修行されました。その時、このままではお釈迦様にお悟りを開かれてしまうということで、悪魔がいろいろな姿に身を変えて、お釈迦様を誘惑します。その時の様子を、中村元先生の『ブッダのことば』(岩波文庫)から引用させていただきますと、例えば、坐禅しているお釈迦様の耳元で、次のようにささやきます。「あなたは痩せていて、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。きみよ。生きよ。生きた方がよい。命あってこそ諸々の善行をなすこともできるのだ。」 「つとめはげんだところで、何になろうか。つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい。」 このように、修行をやめて、楽をして生きる方向へと、お釈迦様を誘いました。しかし、お釈迦様は毅然としてお答えになりました。「わたくしには信念があり、努力があり、また智慧がある。このように専心しているわたくしに、汝はどうして生命をたもつことを尋ねるのか。」 さらに、悪魔は様々な軍隊を差し向けて、お釈迦様を攻撃します。
第一の軍隊は「欲望」です。「あれもほしい・これもほしい」という飽くなき貪りの心です。第二の軍隊は「嫌悪けんお」です。これは嫌がること、つまり修行することを嫌がることです。第三の軍隊は「飢渇きかつ」です。これは飢えや渇きのことで、食べ物や飲み物に対する欲望です。第四の軍隊は「妄執もうしゅう」です。これはものごとに執着する心です。第五の軍隊は「ものうさ・睡眠」です。つまり怠け心です。第六の軍隊は「恐怖きょうふ(くふ)」です。これは恐れおののくこと。尻込みしてしまうことです。第七の軍隊は「疑惑ぎわく」です。これは疑い惑うこと。何でも疑い深くして、自らの進むべき方向性に迷いを生じることです。第八の軍隊は「みせかけと強情と、誤まって得られた利得と名声と尊敬と名誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑すること」です。こうした様々な悪魔の軍隊を一つ一つ退けられて、見事にお悟りの境地に至ったのです。これを「降魔成道ごうまじょうどう(悪魔を降伏させて道を成す)」と言います。この「悪魔の軍隊」というのは、実は外からやってくるものではなくして、自分の心の中からわき上がってくるもの、すなわち煩悩の心を指しています。「降魔成道」の教えは、お釈迦様ご自身の心の中の葛藤を表現したものであり、お釈迦様はご自分の煩悩に打ち克って、お悟りの境地へと到達されたのでした。お釈迦様はこのように自身の心と正面から向き合って境地へ達せられました。瑩山禅師様も、仏の道を歩むにはあくまで他に目を向けるのではなく「己時究明」に徹すべきである、とご指摘です。外の世事に振り回されず、自分の心の中から沸き起こってくる煩悩の誘惑に負けて道を踏み外すことのないよう、常に気をつけながら歩んでまいりたいと思います。


例年年明けの箱根駅伝の熱戦は、みる者全てに感動を与える新春の風物詩です。最近はとみに注目され、詳しく箱根駅伝を走る選手たちの分析や解説をするアマチュア評論家たちがこの季節急に増えるのも特徴です。また、毎年箱根駅伝が終わった直後から、にわかランナーがあちこちの公園や河川敷で増えるとのこと。箱根を走った選手の熱い想いがみる者の心を揺さぶる証でしょう。しかしながら、評論家もにわかランナーもしばらくすれば熱も冷め飽きてしまう、といった風に熱したり冷めたりを繰り返すが毎年のことです。模倣や評論といった傍観者の立場と、全身全霊で取り組む当事者とでは天と地ほどの差があるのは言わずもがなです。標記の文章は、「歴代の諸々の仏たる祖師方が道を成す(悟る)機縁を掴むことは、長い短いといった修行期間でもってはかられるものではない。(自己究明をいかに徹底したかによるものだ)」といった内容です。この文章は通称「六祖慧能」と呼ばれる中国六祖・大鑑慧能禅師を評したものです。大鑑慧能禅師は中国五祖弘忍禅師に参学され、弟子の内でもその順は日も浅く末席でした。
ある日、弘忍禅師は弟子たちに悟りの境地が如何なるものか問いかけました。その問いに高弟が「心は仏をきれいに映しこむ鏡台のようなものだからその時その時に磨くべき」と答えたところ、慧能禅師は「明鏡台に非ず(心は仏を映しこむ鏡台などではない)」と否定され、「心は仏を映しこむ鏡台などではなく、(心も含め)本来自分自身が仏になる存在である」との内容を答えられ衣鉢を継ぐ(法を継ぐ)ことになった、と故事で伝わります。瑩山禅師はその故事をふまえこの章のなかで「本来自身が仏であることを覚悟すべく、 ひたすらな精進が必要」ともお示しです。 その上で改めてこの文章の意味を噛みしめるならば、六祖慧能禅師や瑩山禅師からの叱咤が聞こえてきそうです。普段の日送りにおいて、本来は為すべきことを為さねばならぬ我が身なれど、知らず他人事のように傍観し、その時その時の励みぶりが時折・時たまの励みぶりへといつの間にか変わってしまう。胸に手を当て思い返せばそんなきらいがあるのではないでしょうか。
箱根駅伝のように速く走るといった特殊能力を発揮することは誰もが出来ることではありません。しかし箱根駅伝の選手のように当事者として、それぞれの日常行持においてその時その時より綿密に、一瞬一瞬の「今」を大切に扱うことは誰にでも出来得るのです。徹底して自己究明された結果たちまち大悟された慧能禅師に及ばずとも倣い、年新たに他ならぬ当事者として為すべきことを為す決意をされてみてはいかがでしょう。(終)


禅僧の中で大変有名な一休さんをご存知でしょうか?一休さんの生き方そのものを画いた絵本やアニメも大変人気で、幅広い世代に愛されてきました。そんな一休さんにこんな面白いお話があります。お金持ちのご主人が、亡くなって、一休さんはお通夜を頼まれて枕経に行きました。一休さんは、亡くなられたご主人の枕元にお座りになったまま、いっこうにお経を始めようとしません。後ろでお参りをしている家族が、しびれを切らして「一休様はいつになったらお経を始めてくれるだろうか」と言い出しました。その時、一休さんはみんなの方を向いて「亡くなったご主人が一生涯愛用していた小槌を持ってきてくれ」と仰いました。お通夜のお経を読むのに、なぜ小槌が必要なのだろうと思った家族ですが、一休様が持ってこいと仰ることですから、亡くなったご主人が愛用していた小槌を持ってきて、一休さんに差し出しました。すると一休さんはその小槌を受け取ると、亡くなったご主人の頭をコンと叩いたのです。みんながびっくり仰天しまして、「いくら一休様でも亡くなった主人の頭を叩くという法はないだろう」と怒りました。すると、「亡くなったご主人は、私に頭を叩かれて痛いと申したか、どうだ返事ができんだろう」と一休さんは仰いました。「仏の教えである経は、生きているうちに聞くもんじゃ。一生涯愛用していた小槌で自分の頭を叩かれても、痛いと言えなくなってからでは遅いのじゃ」と仰った、というお話が伝わっております。一休さんはこのことから、何事に対しても死んでしまってからでは遅い、人は生きているうちに学び、実践するべきであると教えています。
私たち曹洞宗の大本山である總持寺の御開山瑩山禅師様は、「仏語を見るは、仏身を見るなり、仏身を見るは仏舌を証するなり」とお示しです。これは仏様のお言葉を見るということは、仏様の姿をみていることと同じであり、仏様の姿をみているということは、仏様の教えを日々の生活の中で行じていくということなのです。では、どのようにして日々の生活の中で教えを行じていけばよいのでしょうか?それは何も難しい事ではありません。お寺に足を運ぶことです。大本山總持寺にはたくさんの修行僧が厳しい禅の修行をするため、全国各地より参ります。お寺の中では、午前四時ごろから始まる坐禅、大きなご本堂で行う朝のお勤めがあります。そこには自我を離れ、仏様の姿をした修行僧たちが背を正し、お経を唱えます。そのお経がご本堂いっぱいに響き渡るのです。つまり、仏様、瑩山禅師様の教えがご本堂に溢れるのです。そこに自分の身を置くとき、心と体で仏様の教えを感じ、自然と背が正され、自ずと手を合わせてしまいます。これが仏様の姿なのです。何かに悩んだり、苦しんだりできるのは生きているからこそできるものです。それらを解決出来るのも生きているからこそできるのです。そのために仏様の教えがあるのです。一度きりの人生、今ここをどう生きていくか。頭で考えるのではなく、心や体で考えてみてはいかがですか?(終)


早春三月、卒業から入学へと環境も新たに、別れと出逢いの季節となりました。新しい門出を迎える本人は勿論のこと、そこまで手助けをしていた周囲の方々にとっても、それまでの日々を振り返って、やり遂げたこと、やり残したことに思いを致し、過ぎゆく時の流れに、ハッと思いが込み上げて来ることでしょう。人生一代の卒業と言えば、それはこの世とのお別れを意味することもありますが、自分の課題を見つけ出し、常に前進しようと努力を重ねて来た方にとっての卒業とは、達成というよりは、途半ばとしか言いようのない思いがしているかもしれません。瑩山様は、辞世に際して次のようにお示し下さいました。今から六百九十四年前のことです。「自耕自作閑田地、幾度売来買去新。無限霊 苗種熟脱、法堂上見挿鍬人。」 「人の寄り付かないやせた土地に、自ら分け入って耕してきた。そうしているうちに、来る者・去る者との出逢いに恵まれ、日々を新鮮に生きることができた。ようやく蒔いた種が、芽吹きの時を迎えようとしている。私は旅立って逝くが、私の後に同じように耕す人の姿が見える。」私なりの愚釈です。 私は、瑩山様の素晴らしさを「霊苗種熟脱」の一言に見出します。瑩山様は、種が芽吹き茎を伸ばし、花を咲かせたとは言わない。その花が実を結んだとも言いません。ようやくこの種が熟脱の時を迎えたかもしれない。とおっしゃるのです。しかし、ご自身はそのご一代を終えられようとしています。
励めば励むほど、前へ前へと進めば進むほど、次から次へと課題が見つかって、また進まずにはいられない。そうした人生を生き抜いて来たからこそ、その一言が生まれたのだと私は感じています。問題は、今まさに人生の卒業を迎えようとしている方が後悔や、やりきれない葛藤の中にあっても、次に託す安心を抱いているかです。そして、結びの一句へと続きます。「法堂上見挿鍬人」「はっとうじょうに、くわをさしはさむひとをみる」これは、後世に向けて発せられた限りない願いと、心からの期待です。「私亡き後も、私がそうして来たように、鍬を振るう、つまり、法を説き人々と共に生きる人の姿が見える。」と私は受け止めています。このことを私たちの日常に照らして言えば、極身近な光景を現しています。「雪降る季節に雪かきをして、道をつける人の姿が見える。夏、草を刈り畑に水やりをする人の姿が見える。」もっと日常的な一コマに当てはめていうなら「朝起きておはようと言い、顔を洗って身支度を整え、朝ごはんの前に座り、いただきます。と掌を合わせる人の姿が見える。」です。それは、かつて私の身近にいた数多くの人々がしていた行いです。この瑩山様のお言葉は、私たち一人一人の家庭における先人の願いではないかと思います。そうした方々が私たちに期待をし、かけた願いとは、日常生活の中に、先人に頂戴した我が身をもって、先人がして来た行いを活かし続けていくこと。それがそのまま、先人の期待に応えていく姿であると信じます。今年五月、新たな元号がスタートします。五年後、その元号が六年目を刻む二〇二四年、瑩山様の七百回大遠忌が修行されます。改めて、私自身を顧みて、その願いと期待に応えているのか。問い続けているところです。


私がお預かりしているお寺では、四月八日お釈迦様の降誕会から、お悟りを開かれた日である一二月八日の成道会まで、毎朝五時過ぎになるとお檀家さんが数名来られます。そして朝の短いお勤めをし、そのまま本堂で四〇分程坐禅をします。東側の窓から差し込む朝の光が、本堂にうっすらと漂う線香の煙に反射します。何とも言えぬ穏やかな時間が流れていきます。瑩山禅師さまが記された『坐禅用心記』。その中に、「長息なれば即ち長に任せ、短息なれば即ち短に任せ」とございます。これは坐禅中における呼吸のあり方です。長い息の時は長い息、短い息の時は短い息をする。気合を入れて深く吸ったり吐いたりせず、呼吸はどこまでも自然体あることが肝要と説かれております。しかしこれは、なにも呼吸のことばかりではないと感じるようになりました。息とは自らの心と書きます。このお示しは心の事でもあるのだろうと、今受け止めております。今から十五年前のちょうど今頃、私は高校生の妹を事故で亡くしました。「いってきます。」というその背中を見送ったのは私でした。警察から電話が入り、そこからはまるでテレビの中の出来事のように現実感がありませんでした。お葬式ではなぜ真ん中に大きな写真になった妹が飾られているか不思議に感じたのを覚えております。現実を受け止めきれなかった私は、火葬場でも一人後ろの方に立っておりました。今思い返すと側に居てあげればよかったのですが、その時私は、私の悲しみだけを見ておりました。
この『私が一番悲しい』という、その思いが家族を思いやる力を奪いました。家族誰もが悲しいのですが、自分が一番悲しいという想いにとらわれると、今度は相手と自分の悲しみ方の違いに目が行き、それがだんだん態度を硬化させます。例えば妹の友人がお仏壇に手を合わせに来てくれた際、父と母はそれを笑顔で迎え、その子たちの話を楽しそうに聞いています。それが信じられませんでした。その子たちが大学進学や結婚報告などで家を訪ねてくれる度、大人になっていく姿を見るのはつらいものがありました。私の両親は平気なのだろうかと。こうした両親と私の態度の差異からくる、すれ違いを溶かしたのは坐禅でした。坐禅はこの「私が」という吾我を離れていく修行です。坐禅を行ずることで、自分中心の悲しみから離れられた時、苦しいのは私だけじゃない、皆苦しいのだと素直に思えました。そうしましたら、その苦しみ悲しみを共に受け生きる、隣の人を大切にしていきたいと、願うようになれました。結局私は事故以来の数年「私は悲しい」「私は苦しい」「私はつらい」という「私」で一杯になっていて、子を亡くした親の方が(勿論比べられることではないかもしれませんが)何倍も辛いだろうという、想像力さえ失ってしまっていました。両親が妹の友人を快く迎え入れるので、十五年経った今も、仏壇には毎年この時期色とりどりの春の花が咲いております。ただ胸の痛みが時間とともに消えてしまうことはないです。写真の中の人が齢をとらないように、強い悲しみもまた変化はすれども、色褪せていかないという事も知りました。でもそれでいい。私が亡き妹を想って苦しいのは、私にとって掛け替えのない大切な人だからでしょう。ならばむしろこの痛みは失くしちゃいけない。やっとそう思うようになりました。長い息の時は長い息のままに。短い息の時は短い息のままに。寂しいときは寂しく、悲しいときは悲しいままでいい。苦しいままでいい。そう腹が据わったら、苦しみは少し楽になったのです。  

今月の標語は、本山二祖峨山韶碩禅師さまの法語の中のお言葉です。峨山禅師さまは、ご本山を開かれた太祖瑩山禅師さまのおしえを継がれ、多くのお弟子さま方を輩出されて、全国におしえを広め、曹洞宗発展の礎を築かれた和尚さまです。
言葉の読み方と意味
萬法バンポウ本ヨリ全體ゼンタイアラハル (全ての生きとし生けるものは、本来ありのままの真実の姿をつつみかくさず目の前に現わしている。) 終ツイニ一法イッポウノ思議シギニワタルナシ (人間の思いや望み、判断によって現われたものなどひとつとして無い。)
青葉に思う
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」 江戸時代前期の俳人、山口素堂の句にあるような好時節となりました。ひと月ばかり前にご本山を彩っていた桜の木も今は若々しい青葉をみせています。程なくほととぎすもやって来る事でしょう。ご本山の初夏はたくさんの緑が美しい季節です。木の種類によって葉の伸び方も色もちがいますから、さまざまな木がそれぞれの青葉で、日々美しい緑の布を織りなすようです。みんなちがう一枚一枚の葉が、どれも等しく尊い存在なのだなぁ…と感じます。日々うつろうその姿を見る度に、自分もそうありたいと思います。伸びゆく青葉のように日々新しい心で生きたいものです。
自然が教えてくれるもの
私たちの身のまわりにある「あたりまえ」と思っているものや、そばにある「好ましいもの」は常に変わることなくそこに在り続けると思いがちですが、本当にそうでしょうか。青葉の山はやがて紅葉となり冬枯れの姿に変わります。海を渡ってやって来たほととぎすも時が来れば去ってゆきます。初鰹は戻り鰹となって帰って来ます。目で見て、耳で聞いて、身体で感じるすべてのものは常にとどまることなくうつろい変わってゆきます。昨日の失敗も、今日の楽しみも、日頃の自分をとりまく環境もみなとどまることなく時とともに変わり続けてゆきます。美しい花を愛でいつまでも咲いていてほしいと願ってもそれがかなわぬことは自然の姿が無言で教えてくれているのです。
峨山禅師さまは、師である瑩山禅師さまのお言葉を用いて以下のように説かれています。「立ツ所、居ル所ヲハ知レトモ、正二立時、居時ヲハ知サルナリ」、「我ニ義理ノ浮ムホトハ、全ク見性ハセラレマシキナリ」 現代社会に生きる皆さん方にあてはめて読んでみましょう。「私たちは日常の生活や仕事、立場上のことはよく知っているけれども、自分自身が生きている今、瞬間の大切さは理解していない」、「知識や外から常に入って来るさまざまな情報を自分の考えや思いだけで判断している限り、本当の真実は見きわめられない」となります。本当の真実そのものをありのままに示してくれている大自然の姿の前で、世の流れや社会の動向にまどわされることなく、今自分自身の生きているこの瞬間を見つめなおすことで、自身の本来あるべき姿を見つける事が出来る事でしょう。
青葉のように
峨山禅師さまは瑩山禅師さまとご一緒にご本山の大祖堂に御座おわしまして、今なおみ教えを説きつづけておいでになります。ご本山においでの折は、是非、お手を合わせてお参り下さい。そして、ご本山の豊かな自然の中でそっとご自身を振り返ってみてはいかがでしょうか。きっとよい心の再スタートの機会となることでしょう。伸びゆく青葉のように、いつまでも、どこでも、どんな時でも新しい心で生きてゆかれますように。


三十年にわたる「平成」の時代も終わりを告げ、新しい「令和」の時代を迎えてから、すでに一か月が経ちました。「令和」という元号は、『万葉集』の中にある「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す」という一文から引用されたそうですが、「人びとが美しく心寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味が込められているのだそうです。「平成」の時代は、戦争こそなかったものの、二度の大震災に代表されるように、毎年のように繰り返される自然災害に悩まされた時代でもありました。「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい」という願いを込めて「令和」に決定したという首相談話が新聞各紙に掲載されておりましたが、たとえどのような時代を迎えましょうとも、仏様のお示しくださいましたみ教えをしっかりと学びながら、真摯にその道を歩んでまいりたいと思います。
さて、ある辞書によりますと、「令和」の「令」という字の成り立ちには、「人を集めて従わせる」という意味があるそうです。また、「令」という字に「口」が付きますと「命」という字になります。この場合の「口」は「言葉」という意味ですから、「命」という字の成り立ちは「人に言いつけて従わせる」ということになります。「命令」という言葉がありますが、「令」も「命」も、その成 り立ちとしては、まさしく「人に命令して何かをさせる」という意が強いようです。ところで、「命」は「いのち」とも読みます。これは前述の使役の意から転じて、「天の支配するところ」ということから「いのち」を意味することになったそうですが、そうしますと、私たちの「いのち」は、「天から何か言いつけられたもの」ということになります。まさに「天命」ということになりましょうか。もしかしたら、私たちの「いのち」は、天から何か言いつけられて、この世に生まれてきた、つまり、一人ひとりがそれぞれ天から託された使命を帯びてこの世に誕生したのだと考えられていたのかもしれません。
冒頭に掲げました瑩山禅師様のお言葉は、正中二年の五月二十三日、瑩山禅師様がご遷化される三か月ほど前に発されたご誓願の中の一節です。このお言葉の中にある「女流済度(女性を救う)」というのは、お母さまの懐観大姉が瑩山禅師様に託された願いでありました。ですから、瑩山禅師様は、お母さまから託された「女流済度」の願いを、ご自分の誓願として実践修行されたのでした。誰も自分の意思で生まれてきたわけでない以上、「人はそれぞれ天から使命を帯びて生まれてきた」などと、安易には言えないかもしれません。そもそも、それを證明することは誰にもできません。しかし、逆に言えば、自分の意思で生まれてきたわけではないからこそ、自分の「いのち」に使命を感じ、その使命とは何かということを、自らに問いかけながら生きていくということも、また許されるのではないでしょうか。 お母さまの願いを、自らに託された願いとして生きられた瑩山禅師様のお姿に学びながら、私たちもまた、己の「いのち」に使命を感じ、誓願をもって生きていくということの意義を、お互いに考えてみたいと思います。


大本山總持寺の御開山瑩山禅師は、数え八歳の時に生まれ故郷を離れて、大本山永平寺で修行を始められました。青年になるまで修行を勤められ、その後宝慶寺でさらに研鑽を積まれることとなります。禅師は、この宝慶寺にて弥勒菩薩の御前で、参学の師寂円和尚をはじめ山内の皆に証明を受けながら、衆生済度のご誓願をたてられました。晩年、このことを回想されながら、新たに誓われたのが表題のお言葉です。意味を私なりに解釈すると、「生々流転し、いかなる世界に生まれ変わろうとも、常に衆生に対し、仏法をもって教化済度し、遥か未来に仏の身となるまで、ありとあらゆる衆生を煩悩の苦しみから救い続けていこう」となります。のちに「常済大師」と称される瑩山禅師にふさわしいお言葉だと思います。禅師のご生涯は、まさにこのご誓願のとおりのご生涯でした。最初に住職として赴任された阿波の城満寺では、授戒によって多くの檀信徒を得度され、仏とのご縁を結ばせました。その後もご生涯に渡って、数多くの檀信徒を教化得度され続けられました。また数多くのお弟子様を育成なされ、仏法が一人でも多くの人に伝わるように命がけでご指導なさいました。さらに言えば、私は、晩年に禅師がなされた總持寺の開創こそ、禅師のご誓願を未来永劫伝えんがための、御願いの結晶ではなかったかと思います。
ところで、この世を生きる私たちは、誰もがそれぞれの願いをもって生きていると思います。配偶者や家族を幸せにしたい。自分の生き方が、みんなに認められるようになりたい。など様々だと思います。中には、自分の身命を人類の幸福に注ぎたいと願う人がいるかもしれません。ただ、これが完全にかなえられることはまれです。現実には、日常の生活や業務に追われる中で、願いを心の奥に閉じ込めてしまったり、挫折してしまったりすることの方が実は多いと思います。だからと言って願いを持つことを決してあきらめてはいけません。誓願と言われるような強く大いなる願いは、人生のどんな荒波をも乗り越える力になってくれるはずだと思います。瑩山禅師が尊いご生涯を全うされたのは、やはり自らのご誓願に支えられたからだと思います。
私は、かつてテレビで感動的な場面を見たことがあります。そこにはダライラマ法王の講演の様子が映し出されていました。講演中、人間関係に傷つきどうしたらよいかわからないと、泣きながら質問する女性に対して、ダライラマ法王が駆け寄ってお言葉をかけられた場面がありました。ダライラマ法王は“心配しないで”と優しくお声をかけられて、泣いていた女性の心をほぐされた後、「本当につらい時には、身近な想いを離れて、人類の救済とか世界平和とかの大きな願いを持ってみなさい」と諭されたのです。その言葉を聞いた途端、こわばっていた女性の表情が、安堵の表情に変わっていくのが画面からもわかりました。女性は法王のお言葉によって、閉じこもっていた悲しみの殻を破ることができたのです。行く先の見えない不安が、目の前に横たわっているような今の時代にこそ、私たちそれぞれが、生きる支えとなるような、大いなる願いを持つ必要があるのではないでしょうか。


この言葉は瑩山禅師の法孫として仏法の相承として良く知られている言葉ですが、私は水と言う点から考えてみたいと思います。瑩山禅師は、師匠の義介禅師より道元禅師の教え・人となりを、毎日の義介禅師との修行の月日の中で良く教えられ、理解されておられたと思います。このお言葉から察するに、瑩山禅師は毎日の修行の中で仏法のあり様は勿論、組織としてのお寺の運営、衣食住の調達の方法など、具体的に伝えられていませんが常に心にとめておられたと考えられます。その中で嗣法に関することも正しく基本に則り行わなければならないと心がけられていたと思われます。
私は得度の時、授業師より洒水の意義・作法をしっかり覚えておくようにと、念を押され懇切に教えられました。師は『(仏道修行を積んだ者の)頭の頂上にはお釈迦様より代々伝えられた法性水がある、と伝えられる。そして、まず頭の頂上から器へ移す作法をなし器の中の水を法性水へと変える。その器の中の水こそ、お釈迦様から代々伝えられていた清浄な法性水、として扱われる。その法性水をいろいろな儀式に用いる。浄道場・授戒・点眼等でおこなわれる洒水作法の水はそうした法性水なのである。さて、儀式を終えた法性水は、器から師の頂点に戻す作法をなし、(使用後の法性水を粗末にしないために)器の中の水を普通の水に戻しておく。最後は必ず普通の水に戻すことを忘れたり省略してはならないぞ』などと事細かにお伝えいただきました。その師の教えを守り今も洒水の式を遺漏なきよう行じています(※)。
さて、瑩山禅師の祖師方の伝法を、後世に示すべく形づけられたのが五老峰です。嗣法・相承のあり様を永光寺に如浄禅師の語録・道元禅師の霊骨・懐奘禅師の血経・義介禅師の嗣書・瑩山禅師の嗣書を奉る塚「五老峰」を石川県羽咋市の永光寺境内に造ることにより、宗風を一滴もこぼすことないよう綿密に護持する宣言とされたのでした。「一器の水を一器に伝うるが如し」のたとえを私は便宜的に洒水作法の例をあげましたが、私の師が伝えるため弟子の私に面と向かって親切に教えてくださったこと。このことは歴代の祖師様方もまた当然心がけられ、それ故正伝の仏法は今日に伝えられてきたと私は考えます。相手に対し全霊をかけて丁寧に対することは、弟子のみならず世の人々に相対する際に大切な姿勢であります。相手に大事を伝えることは、日常生活においても同様の姿勢があればこそ。とかく昨今は通信伝達手段の発達ゆえか、直接相手と意思疎通することなくやりとりするきらいがあり、一方誤解・曲解も生じてしまいがちです。御釈迦様から伝わる仏法の相承をかくも大切になさってこられた祖師様方の姿勢は、今日に生きる私たちだからこそ学ぶ姿勢でもあるのです。   ※洒水作法は様々に伝わります。ここで紹介の作法はその一例です。


情報化社会が私たちにもたらしたものは圧倒的な便利さです。ナビゲーションシステムで知らない土地でも自在にたどり着けるようになりました。ウィキペディアに代表されるネット百科事典で「あれはなんだっけ?」といったふとした疑問もたちまちに解決できるようになりました。自分の思いも、記入電子掲示板などで不特定多数の大勢に伝えることも出来るようになりました。誰もが「万能」の自分を感じられる時代なのです。しかしそれら分不相応の能力には思わぬ落とし穴もあります。ナビゲーションシステム通りに進めば間違えた道を指示されたり、ネット百科事典では誤った知識が記されていたり、電子掲示板では「書き込み」によって思わぬ他者からの攻撃を受けたり「情報欄」で偽情報が拡散され冤罪を生んだり、とそれら特別な力に依存すると、とんだ痛い目に遭います。願う通りの便利な能力、つとめて運用を間違わないようにしたいものです。
標題の語は「いたずらに他人の門上に降りた霜ばかりに気をとられ、自分の家の内にある宝を忘れてはならない」という意味です。「伝光録」において、第二十一祖・婆修盤頭尊者ばしゅばんずそんじゃは若かりし頃大変優れた修行者であったことが記されています。弁論を得意とし数多ある学僧の中で抜きんでた存在であり、日常も一日一食で身を横たえて休むことなく日に六度仏の礼拝を欠かさない厳しい修行を自身に課していました。それ故学友からも絶大に信頼されていたといいます。しかしその姿を見ていた師匠にあたる闍夜多尊者しゃやたそんじゃ(第二十祖)は成仏を願う気持ちが過ぎ執着へと変貌し「切れんばかりに張りつめた弦」のような危うい身心の状態を察しました。そこで「心に願うことがないこと、これが仏道」と諭され、それを聞いた婆修盤頭尊者は大悟されたのでした。「願い」が強過ぎると自分でも気づかないところで他者の「門上の霜」に目を奪われ、そうした姿をかいつまみ頭の中で理想の自分の姿をつくりあげてしまいます。
私たちは「自分と他人」といった風に、とかく相対的に物事を判断しがちです。比べては理想の姿にある他者の姿を羨望し、「ああなりたい、こうなりたい」と自分の思う理想像を追い、それが過ぎれば自分のことしか目に入らず他を置き去りにする誤った道へと迷い込んでしまいがちです。そうした若き婆修盤頭尊者の危険性を闍夜多尊者は感じ取り正しい道へと導いたのでした。「ああなりたい、こうなりたい」と自分の願う理想形がいとも簡単に実現出来る(出来たかのように錯覚する)情報伝達社会に生きる私たちにとって特にこの語の含意は大切です。願うあまり理想にのみ憑りつかれ日常を辛いものとした婆修盤頭尊者が覚醒されたように、自己の願望満たす情報化社会の利便さに気持ち奪われることなく、周囲との調和和合のため日常為すべきことを、急ぐでも怠けるでもなく丁寧に行ずれば、本来持つ「自分の家の内にある宝」に気付きます。宝とは、婆修盤頭尊者を導いた闍夜多尊者のように他を利する「菩提心」のこと、決して自分のみが利する「願い」の達成ではないのです。  
 

 


本年は、大本山總持寺の中興の祖と言われる石川素童禅師が御遷化されて、百回忌の年に当たります。總持寺では、百回御遠忌として、十一月二日から五日にかけて本法要を厳修致します。 石川禅師は数え九歳の時、お父様に連れられて菩提寺の授戒会に参加いたしました。その時に出会った仏教の教えに感銘を受け、出家を決意されたと伝えられています。そして五年後に、名古屋の泰増寺にて得度され、正式に曹洞宗の僧侶となられたのでした。その後は全国の寺院で研鑽を積まれ、二十二歳の若さで泰増寺の住職に任ぜられました。その後のご活躍は目覚ましく、主だったところでは彦根の清凉寺、世田谷の豪コ寺、小田原の最乗寺と住職を歴任され、一九〇五年六十五歳にて大本山總持寺の貫首となられておられます。
ところで、石川禅師の次に貫首になられた新井石禅禅師は、禅師を、「政務上の見識、創業上の手腕、整理の才能、綿密の行持、いずれも一代に傑出しておる」と称されておられます。そしてそれら全ての根底に「一大道心力」が感じられたと述懐されておられます。石川禅師は、幼きながらにも仏道を求める道心があったからこそ、数え九歳の時に出会った仏法に感銘をうけ、出家を決意なされたのだと思います。その石川禅師が、未曽有の困難に直面なされたのが、明治三十一年五十八歳の時でした。能登にて六〇〇年の歴史を刻んできた大本山總持寺が、大火によって灰燼に帰してしまい、その姿を目の当たりにされたのです。その時は、呆然と立ち尽くして嗚咽するのみであられたそうです。しかし、その後貫首となられた禅師は一大決心をなされ、總持寺の復興の陣頭を取られることとなります。そして、總持寺の鶴見移転を英断されたのでした。
この御移転の大事業は困難を極めましたが、禅師の指揮のもと各界のご尽力もあって、新たな地で見事に大本山總持寺の復興は成し遂げられたのでした。この成功は、石川禅師の才覚もさることながら、「尊い仏法を絶え間なく歩む」という「道心」に支えられていたからこそ成し遂げられたに違いありません。總持寺三松閣大講堂に、「道高くして志に勤む」という、禅師の書を彫った扁額が掲げられています。私は、「道心高くして志に勤む」と読み替えたいと思います。禅師の高尚な道心があったからこそ、御移転という大いなる志を達成することができたのではないでしょうか。
表題は、大本山總持寺御開山瑩山禅師が撰述された『伝光録』のお言葉です。意味は、「禅を志し禅に参ずるのには、まず道心がなければならない。これがなければ、いくら理解して解ったようになっても、本当は何もわかっていないのだ。」と私は解釈いたします。世の中には、大きな業績を成し遂げたと称賛される人々がいます。そのような方がたが、必ずと言ってよいほど口にする言葉は、「みんなの幸福のために」という言葉です。「人類のために」という利他の思いが道心として根底にあるからこそ、どんな困難をも乗り越えて、志を達成することができるのです。


今年の五月に、TVのスポーツ番組の収録がありました。これは、日本で初めてというラグビーのワールドカップ開催を前に、国内では今一なじみのうすいラグビーという競技を、より多くの人びとに理解していただきながら、大会をより一層盛り上げていこうという意図 いと のもと、日本代表選手の方たちが、いろいろなことにチャレンジするという企画の一環でした。実際に日本代表の二名がご本山に来られて、坐禅を行じたり、写経をしたり雑巾がけをしたりと、禅の修行を通じて「メンタル(精神面)を強化する」という設定でした。特に一人の選手は、以前の国際試合において、ゴールをねらった大切なフリーキックを外してしまい、結局、その試合に負けてしまったという苦い経験から、どんな状況におかれても冷静にプレーできる、まさにメンタルを鍛きたえて良い状態に仕上げていきたいということでした。しかし、私はその時、「メンタルを鍛える(強化する)」という言葉に、なんとなく違和感を覚えました。確かに、スポーツの世界においては、厳しい練習に耐えながら、メンタルを鍛えるというのがあるのかもしれません。けれども、ご開山・瑩山禅師さまのみ教えの中には、メンタルを鍛えるために修行をするというお示しはどこにもありません。まして坐禅を行じてメンタルを鍛えるなどということは決してありません。むしろ坐禅を通じて何か特別な力を獲得したと錯覚することは、「念息不調の病なり(心や呼吸が調っていない病である)」とおしゃっておられます。また、そうした病が起きた時には、心を両ひざの上に置きなさいと、具体的にお示しになっておられます。
そこで、私は「メンタルというのは鍛えるものではなく、調ととのえるものだと思います」と申し上げました。そうして、まずは身体と呼吸をしっかりと調えることの重要性をお伝えしました。ところが、数日後に放送された番組を見ましたところ、「メンタル強化」という字幕が、画面右上に大きく掲示されておりました。番組制作の主旨からいえば仕方ないことかもしれませんが、せっかくご本山での修行をご紹介いただきながら、テレビをご覧の方々に、かえって誤ったメッセージを送ってしまったようで、ちょっと残念な気持ちになりました。
ご開山さまは、「心が落ち込んでいる時には心を髪際はっさい(眉毛の上約三寸のところ)や眉間みけん(両眉の間)に置きなさい。また心がざわついている時には、心を鼻端びたん(鼻の先)や丹田(へその下約一寸五分)のところ」に置きなさい」と、坐禅中における心の置きどころを、こと細かくお示しになっておられます。そうして、身を調え、息を調え、心を調えることの大切さを説いておられます。「調身ちょうしん・調息ちょうそく・調心ちょうしん」、これが曹洞宗の坐禅です。繰り返しになりますが、メンタルを鍛える(強化する)ということを一概に否定するのではありません。ただ、それが坐禅を行じることの目的ではないということです。何か新しい力を身に着けるということではなく、むしろ本来の自己に立ち返ることこそが坐禅の眼目であります。 ご開山さまの懇切丁寧なみ教えをしっかりと学びながら、まちがいのない坐禅を、ともに修行してまいりたいと思います。


「多くの教え・知識を聞くのみで満足してはならない。ただ、真っすぐ(仏としての自身の道を歩むため)勇猛果敢に精進すべきである。」 この言葉に触れるたび、かつて仏教系大学で仏教学の教授を勤められていたとある老師のエピソードを思い出します。それはまだ老師が教授在任の頃、論文執筆などで明け方まで机に向かわれることが多かったにもかかわらず、時間になれば住持されていたお寺の学僧たちと暁天坐禅や朝課、さらに応量器展鉢による朝食、と如法に勤められていました。ある時学僧の一人が「御無理なさらず朝のお勤めは免除されては」と申し出たところ老師は「論文執筆は私の好きでやっていること、お勤めこそ私の本分」と、それからも変わらず二足の草鞋を履きながら揺ぎなく学僧たちと共に行持を勤め続けられたのでした。一つでも多くの知識を得たい、また得たならばそれ相応の優越感を味わいたい、とつい思ってしまうのが人情でありましょう。しかし「多聞」であることよりも僧侶としてお釈迦様の法孫としてまずなにをなすべきかをお示しいただいたことでした。
この章に登場する阿難陀尊者は、お釈迦様のいとこにあたりお釈迦様が入滅されるまで侍者として約二十年も随身された方です。容姿端麗でお釈迦様の説教をだれよりも記憶し「多聞第一」と称された十大弟子の一人でも有名です。しかし、十大弟子の中でお釈迦様の生前中にお悟りを開かれなかった唯一の弟子としても有名なのです。『伝光録』ではお釈迦様の滅後、一番弟子で「頭陀第一」と称された摩訶・葉尊者の主催で頻婆羅(ヒッパラ)窟という洞窟にて結集(けつじゅう)というお釈迦様の遺された教えの編纂作業に入りました。その際、お悟りを開いた主なお弟子様たちを招集したのですが、お悟りを開いていない阿難陀尊者の入室を認められませんでした。大いに落胆しつつも決意し思惟され、そしてお悟りを開き、得られた神通力で体を小さくして洞窟の扉の鍵穴から入ったおかげで、結集での編纂作業に大きく貢献することが出来、その後さらに摩訶・葉尊者に約二十年師事したのち伝衣された、との伝説が記されています。
お悟りを開く以前の阿難陀尊者は「多聞」であることにかけて右に出る者はいないくらいでありました。しかし、他者より博学であることを誇るがあまり自己中心的となり驕慢我慢が大きくなっていたことが想像できます。しかしお釈迦様滅後の結集に参加できないショックがあったから改めて我が身を顧みる機会を得、そして知らず身についた驕慢我慢が「鍵穴に入るくらいに小さくなった」からこそ扉の向こうへ入ることが出来たのだ、と一見荒唐無稽な伝説は含意していると思います。知識を蓄え広く様ざまな分野を学ぶことは決して悪いことではありません。しかしそのことに引き摺られ為すべきことの初心・発菩提心を忘れてはならない、と阿難陀尊者は自身の失敗談を通し後世の私たちに披露されているかのようです。


新年を迎え、皆様方も心新たに、新しい一年の歩みを始められたことと存じます。古来、一年の計は元旦にありといわれますが、年の初めに今年一年の誓いをなさった方もきっといらっしゃると思います。私はといえば、新年を迎えるたびに、「今年こそはこれをやってみよう」と必ず誓うものの、「まだまだ今年も始まったばかりだ」と、なかなか手をつけることが出来ぬままに、いつの間にか年の瀬を迎えてしまうということが、すっかり恒例になってしまいました。それにしても、月日の経つのは早いものだと、年を重ねるごとに身に迫って実感しています。
江戸時代の儒学者に貝原益軒かいばらえきけんという人がいます。彼が八十三歳の時に著述した『養生訓』は、心身共に健康に長生きするための指南書として、当時としては大変なベストセラーになったと伝えられています。その『養生訓』に、「年をとると若い時に比べて、月日の経つのが十倍早くなるので、一日を十日、十日を百日、ひと月を一年と考えて、毎日を楽しみとして精いっぱい生き、一日も無駄に過ごすことの無いようにするべきである」との言葉があります。私はこの言葉には、年を取るごとに身につまされる思いがいたします。「仏道を歩むと誓った身の上でありながら、日々ボーッと惰性で生きてはいないだろうか・・・」といつも反省しています。
表題の言葉は、瑩山禅師が撰述された『伝光録』大鑑慧能禅師章のお言葉です。唐の禅僧である慧能禅師は六祖慧能禅師とも称され、禅師の祖録『六祖壇経』は禅宗祖録の白眉とも言われています。禅師は生涯「本来無一物」の禅風を徹底なされ、一方では、禅の中国全土への拡大にも大きな役割を果たされています。
ところで、表題の意味については、「自分の道として歩んできた仏道は、まだまだ修行の途中である。それにもかかわらず、この身命はいつ果てるかわからない。だから、あとでいつでも成し遂げられるから、とは考えずに、いつも“今日一日“と思って精一杯生きなければならない」といたします。御開山瑩山禅師のお言葉として、それぞれの道を歩む今日の私たちにも大変励みになるお言葉だと思います。奇しくも本年 令和二年(二〇二〇年)は東京オリンピック開催の年に当たります。オリンピックのモットーは「より速く、より高く、より強く」であるといわれています。オリンピックを目指す選手たちは今、最高の力が発揮できるよう、日々たゆまぬ努力を続けているところです。私たちも、オリンピック選手に負けないよう今年こそ、一年の計が遂行できるよう「より心を込めて」一日一日をしっかりと歩みたいものです。


「時間を惜しまなくてはならない。時は人を待ってはくれない。無駄に過ごして死を待つようなことではいけない」 各寺院には「木版」という木の板の鳴らし物があります。それには「生死事大、光陰可惜、無常迅速、時不待人」(生死事大なれば、光陰惜しむ可し、無常迅速にして、時は人を待たず)と書かれており、仏道修行に臨むにあたって、一瞬たりとも時間を無駄にすることが無いようにとの覚悟を示しています。「木版」は修行僧が修行に入る際に一番初めに鳴らす物でもあり、一日に何回も鳴らされるものであります。そのように目に付きやすい場所に書かれて、戒める必要があるほど、人はいたずらに時を過ごしてしまいがちであるのです。そして当たり前に続くと考えていた日常がいきなり終わってしまう可能性もゼロではありません。私自身、總持寺での修行中に病気になり自力で歩くことができない状態で緊急入院をした経験があります。当たり前に居ることができた場所を失い、死を近くに感じ恐怖を感じました。今は幸い回復いたしましたが、私がそうであったように誰でも等しく今の日常を失う可能性があることを自覚しなければいけません。
しかし、その様な経験があっても近頃私自身時間の使い方が下手であると感じることがあり、この「光陰惜しむべし。時は人を待たず。一朝眼光落地を待つこと莫れ。」という標語は身に染みる思いです。
私たちの生活しているこの現代では、スマホやパソコンなどを通して、様々な情報と常に隣合わせの環境が整っており、誰かと連絡をとる為になどなくてはならないものとなっています。しかしその為もありスマホなどはとくに手放せない物となり、特に用がなくても常に握っていたり、ゲームなどで遊んでいたりと依存に近い状態になりつつある事も伺えます。ですが、そんな便利な環境であるにも関わらず、自分のやりたいことが一向に手につかない状態に陥っている方を見受けることがよくあります。手軽で便利であるがゆえに、自分の持つ時間を簡単に費やす状況になっているといえます。今一度自分が何を行いたいかを改めて考える必要があるのではないでしょうか。休憩時間や休日などのちょっとした時間、体を休めるなり、趣味に使うなり、やろうと思えば様々なことが出来るにも関わらず、気づけば休日一日をずっとだらだらと無為に過ごすだけで終わってしまうこともあるかもしれません。
スマホなどを使うことを非難しているわけではありません。本当にやりたいことであり、するべきことであるなら大いに活用するべきです。ですが自分がスマホなどに依存しきり、支配されてはいけないのです。わかってはいてもなかなか実行することは難しい事ではありますが、自分の本当に求める物が何なのか、自らの行いを一度見直してみてはいかがでしょうか。 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
吉祥山永平寺

 

福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗の寺院。總持寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。山号を吉祥山と称し、寺紋は久我山竜胆紋(久我竜胆紋・久我竜胆車紋)である。開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。
歴史
道元の求法
曹洞宗の宗祖道元は正治2年(1200年)に生まれた。父は村上源氏の流れをくむ名門久我家の久我通親であるとするのが通説だが、これには異説もある。
幼時に父母を亡くした道元は仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に上り、仏門に入った。道元には「天台の教えでは、人は皆生まれながらにして、本来悟っている(本覚思想)はずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問があった。道元は日本臨済宗の宗祖である建仁寺の栄西に教えを請いたいと思ったが、栄西は道元が出家した2年後に、既に世を去っていた。
比叡山を下りた道元は、建保5年(1217年)建仁寺に入り、栄西の直弟子である明全に師事した。しかし、ここでも道元の疑問に対する答えは得られず、真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと道元は考えた。師の明全も同じ考えであり、彼ら2人は師弟ともども貞応2年(1223年)に渡宋する。
道元は天童山景徳寺の如浄に入門し、修行した。如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を強調したものであり、道元の思想もその影響を受けている。道元は如浄の法を嗣ぐことを許され、4年あまりの滞在を終えて帰国した。なお、一緒に渡宋した明全は渡航2年後に現地で病に倒れ、2度と日本の地を踏むことはできなかった。
日本へ戻った道元は初め建仁寺に住し、のちには深草(京都市伏見区)に興聖寺を建立して説法と著述に励んだが、旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭う。
越前下向
旧仏教側の迫害を避け新たな道場を築くため、道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の土豪・波多野義重の請いにより、興聖寺を去って、義重の領地のある越前国志比庄に向かうことになる。寛元元年(1243年)のことであった。
当初、義重は道元を吉峰寺へ招いた。この寺は白山信仰に関連する天台寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあり、道元はここでひと冬を過ごすが、翌寛元2年(1244年)には吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大佛寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立する。これが永平寺の開創であり、寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めている。
寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝のときの元号「永平」からであり、意味は「永久の和平」である。
道元以降
その後の永平寺は、2世孤雲懐奘、3世徹通義介のもとで整備が進められた。義介が三代相論で下山し4世義演の晋住後は外護者波多野氏の援助も弱まり寺勢は急激に衰えた。一時は廃寺同然まで衰微したが、5世義雲が再興し現在にいたる基礎を固めた。暦応3年(1340年)には兵火で伽藍が焼失、応仁の乱の最中の文明5年(1473年)でも焼失した。その後も火災に見舞われ、現存の諸堂は全て近世以降のものである。
応安5年(1372年)、後円融天皇より「日本曹洞第一道場」の勅額・綸旨を受ける。
天文8年(1539年)、後奈良天皇より「日本曹洞第一出世道場」の綸旨を受ける。
天正19年(1591年)、後陽成天皇より「日本曹洞の本寺並びに出世道場」の綸旨を受ける。
元和元年(1615年)、徳川幕府より法度が出され總持寺と並び大本山となる。
吉祥山永平寺の歴史 2
永平寺は、今から約760年前の寛元2年(1244)道元禅師によって開かれた座禅修行の道場である。 
永平寺を開かれた道元禅師は正治2年(1200)京都に生まれ、14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に上り、仏門に入った。道元には「天台の教えでは、人は皆生まれながらにして、本来悟っている(本覚思想)はずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問があった。
道元は日本臨済宗の宗祖である建仁寺の栄西に教えを請いたいと思ったが、栄西は道元が出家した2年後に、既に世を去っていた。比叡山を下りた道元は、建保5年(1217年)建仁寺に入り、栄西の直弟子である明全に師事した。しかし、ここでも道元の疑問に対する答えは得られず、真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと道元は考えた。師の明全も同じ考えであり、彼ら2人は師弟ともども貞応2年(1223年)に渡宋する。
道元は天童山景徳寺の如浄に入門し、修行した。如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を強調したものであり、道元の思想もその影響を受けている。道元は如浄の法を嗣ぐことを許され、4年あまりの滞在を終えて帰国した。
日本へ戻った道元は初め建仁寺に住し、のちには深草(京都市伏見区)に興聖寺を建立して説法と著述に励んだが、旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭う。
旧仏教側の迫害を避け新たな道場を築くため、道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の土豪・波多野義重の請いにより、興聖寺を去って、義重の領地のある越前国志比庄に向かうことになる。寛元元年(1243年)のことであった。
当初、義重は道元を吉峰寺へ招いた。この寺は白山信仰に関連する天台寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあり、道元はここでひと冬を過ごすが、翌寛元2年(1244年)には吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大佛寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立する。これが永平寺の開創であり、寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めている。
寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝のときの元号「永平」からであり、意味は「永久の和平」である。本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。
現在は曹洞宗の大本山として、僧侶の育成と壇信徒の信仰の源となっている。 
 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
『寶慶記』 (ほうきょうき)

 

曹洞宗の開祖道元が、宋で天童如浄の下で学んだ時の記録である。
道元が如浄禅師に就いて学んでいた頃の記録であり、道元が学道を進めていく過程で疑問に思ったことを如浄禅師に聞いたことを記したものである。特に、道元は日本に帰国してから『正法眼蔵』等を撰述したが、その内容と明らかに相違する内容が説かれているものもあれば、影響を受けているものもある。そこで、道元がどのような立場で自身の宗教を確立されたのかを知る絶好の資料とされていたが、現代では、これは参学時のノートではなく、道元が自身の考えをまとめたものであるとする説がある。その質問の内容は多岐にわたるが、ここでは、池田魯参の研究を踏襲する。
1.随時参問の許可 / 2.教外別伝 / 3.二生の惑果 / 4.自知即正覚 / 5.弁道功夫の種種 / 6.楞厳経と円覚経 / 7.業障 / 8.撥無因果 / 9.長髪長爪 / 10.仏祖の聖胎 / 11.裙袴の腰縧 / 12.緩歩の法 / 13.善悪の性 / 14.禅宗の呼称と仏祖の大道 / 15.祗管打坐 / 16.業障本来空 / 17.了義経 / 18.感応道交と教家の是非 / 19.文殊の結集 / 20.着襪の法 / 21.胡菰を食べるな / 22.風の当る処での坐禅 / 23.一息半趺の法 / 24.褊衫 / 25.法衣と糞掃衣 / 26.迦葉附属の袈裟 / 27.四箇の寺院 / 28.六蓋を除く / 29.法衣を著けぬ / 30.大悲を先とする坐禅 / 31.獅子形と蓮華蓋 / 32.風鈴頌 / 33.一切衆生は諸仏の子 / 34.閉目と開目の坐禅 / 35.大小二乗を超える坐禅 / 36.坐禅と吉瑞 / 37.今年六十五歳 / 38.正身端坐 / 39.経行直歩の伝統 / 40.心は左掌におく / 41.菩薩戒の臘 / 42.初心後心得道 / 後書 懐弉と義雲の奥書
このように、「坐禅時の注意点」「身心脱落の内容」「経行法」「経典の読み方」「威儀の基本」「礼拝偈」等々が記されている。なお、上記文献では、42問にしているが、古来からは50問といわれてきた。その数え方を行うものとして、『日本禅籍史論』では、問答28、慈誨22と数える。道元は、特に如浄禅師にお願いしてこうした質問をする許可を得たのであるが、その経緯が「宝慶寺本」等に記載されている。
流布・伝播
最も古い形態を保持していると考えられるのは、愛知県豊橋市全久院所蔵の懐弉禅師直筆とされるものである(「全久院本」)。さらに、福井県大野市宝慶寺所蔵の書写本も存する(「宝慶寺本」)。 一般に流布したのは、江戸時代の明和八年(1771年)に刊行されたものである(「明和本」)。『宝慶記』が現存するのは、懐弉が道元の遺著から発見し、書写されたことによる。したがって、宝慶寺に『宝慶記』が伝わっていたことは相違ない。宇井伯寿が訳注された岩波文庫本末尾には、宝慶寺から全久院に収納される経緯が示される。さらに、明峰素哲の法嗣である大智が、義尹が護持していた『宝慶記』を伝写したことが確認されている。  
 
 

 

■雕寶慶記序
積年の闇室、孤燈を点ずれば、則ち朗かに遍界の疑關、寸棙を撥して、忽ち闢く。黄面の月氏に利見し、碧眼の赤縣に來蘓する所以なり。熊耳隻履の後、月七百、人澆く法衰ふ。爾の時に當て、天童浄祖有って出現す。光前絶後、瑞、烏跋に媲ふ。我が承陽遠く、其の堂に升る。實に磁鐵の眞契なり。大法を面授して、火と火との如し。且つ親聞の繾綣手録して、以て兒孫に遺す。之に簽して寶慶記と云ふ。乃ち彼時の暦號を采れる。一一の疑問、條條の開拓、闇を十方に朗にして、疑を千歳に闢かずと云ふこと莫し。余、十有六歳、親教師前永平遼雲峰和尚、手書する所の本を以て、之を賜ひ、且つ告て謂く、此は是れ廣福大智禅師の手澤を謄すなり。我れ今、汝に授く。之を帯て永く學道の標準と爲せよと。爾れ從り以來、行脚に嚢藏し、住山に篋秘して、今に到て半百餘年。侍者と雖も、亦、許して視せ令めず。間に、他の類本を持するを看るに、倒寫亥承脱字、一ならず。或は時に、眉を皺む。因て憶ふ、者箇、實に佛祖慧命の係る所なり。秘して益無し。冀くは、天下の雲仍と、之を共にして、以て、滅後五百年の法乳に酬んとす。乃ち、薦福義雲和尚の本と考讎して、以て木王に鏤む。蓋し、物は多ければ棄て易く、少ければ則ち周からず。是の故に、都計一萬(弓一)を印して、板を破る。冀ふ所は、多れば則ち棄れ易きの罪を免んことを。伏して惟れば、承陽の傑雲英仍、之を肘後の符に充は、則ち行暗は本より、執炬の勇を得、臨關には必ず排闥の勢、有り。寛延第三仲春五日 遠孫第二十九葉若州永ゆス主 瑞方面山焚盥九拜謹題
■1
道元、幼年より菩提心を發し、本國に在て道を諸師に訪ひ、聊か因果の所由を識る。然も是の如くなりと雖も、未だ佛法僧の實歸を明らめず、徒に名相の懐幖に滞る。後に千光(栄西)禪師の室に入りて、初めて臨濟の宗風を聞く。今、全(明全)法師に随て炎宋に入る。航海萬里、幻身を波涛に任て、遂に和尚の法席に投ずることを得たり。蓋し是れ宿福の慶幸なり。和尚、大慈大悲、外國遠方の小人、願う所は、時候に拘わらず、威儀を具せず、頻頻に方丈に上て、愚懐を拜問せんと欲す。生死事大、無常迅速、時は人を待たず、聖を去て必らず悔む。本師堂上大和尚大禅師、大慈大悲、哀愍して道元が道を問ひ、法を問ふことを聴許したまへ。伏して冀くは慈照。小師道元百拝叩頭上覆。和尚示て云く、元子が參問、今自り已後、昼夜の時候に拘わず、著衣衩衣、而も方丈に來て道を問ふに妨げ無し。老僧は親父の子の無禮を恕すに一如す。大白某甲。
■2
寶慶元年七月初二日、方丈に參ず。道元、拜問す。諸方今、教外別傳と稱して、祖師西來の大意を看んと。其の意、如何。和尚示て云く、佛祖の大道、何ぞ内外に拘わらん。然るに教外別傳と稱ふは、唯摩謄等の所傳の外に、祖師西來親しく震旦に到りて、道を傳へ、業を授く。故に教外別傳と云ふなり。世界に二つの佛法有るべからず。祖師、未だ東土に來たらざる先に、東土に行李有りて、而して未だ主有らず。祖師既に東土に到る。譬ば民の王を得るが如し。爾の時に當て、國土國寶國民、皆な王に屬するなり。
■3
道元、拜問す。諸方古今の長老等云く、聞て聞かず、見て見ず、直下、一點の計較無き、乃ち佛祖の道なると。是を以て、拳を堅て、拂を擧し、喝を放ち、棒を行し、學者をして一も卜度すること無ら教む。遂に則ち、佛化の始終に同じからず、二生の感果を期すこと無し。是の如きの等類、佛祖の道、為るべきや。和尚示て云く、若し二生無きは實に是れ斷見外道なり。佛佛祖祖、人の爲に教を設くる。都の外道の言説無し。若し、二生乃ち無んば、今生も有るべからず。此の世、既に存す、何ぞ二生無し。我が黨、久く是れ佛子なり。何ぞ外道に等しからん。又、學人に第二點無しと教るが如きは、佛祖一方の善功方便なり。學人の爲めに、而も所得無きに非ず。若し所得無しと爲せば、善知識に參問すべからず。亦、諸佛も出世せず。唯、直下に見聞して便ち了すことを要して、更に、信及無く、更に、修證無くんば、則ち北洲、豈に佛化を得ざらんや。北洲、豈に見聞覺知無からんや。
■4
道元、拜問す。古今の善知識曰く、魚の水を飲んで、冷暖自知するが如く、此の自知即ち覺なり。之を以て菩提の悟りの爲とすと。道元、難じて云く、若し自知即ち正覺なら、一切衆生皆な自知有り。一切衆生、自知有るに依って、正覺の如來と爲るべしや。或る人の云く、然るべし、一切衆生、無始本有の如來なりと。又、或る人の云く、一切衆生、未だ必ずしも皆な是れ如來なるにあらずと。所以は何ん。若し自覺性智、即ち是れ覺なることを知る者は、即ち是れ如來なり。未だ知らざる者は不是なりと。是の如き等の説、是れ佛法なるべしや、否や。和尚示て云く、若し、一切衆生、本と是れ佛と言はば、還て自然外道に同じなり。我我所を以て、諸佛に比す、未得を得と謂ひ、未證を證と謂ふを免るるべからざるなり。
■5
道元、拜問す。學人、功夫辨道の時、應に須く修学の心意識、並びに行住坐臥有るべきや。和尚示誨して云く、祖師西來して佛法、震旦に入る。豈に佛法の身心無からんや。第一初心辨道功夫の時、長病すべからず、遠行すべからず、讀誦、多かるべからず、諫諍、多かるべからず、營務、多かるべからず、五辛を食ふべからず、肉を食ふべからず、多く乳を食すべからず、飲酒すべからず、諸の不淨食を食ふべからず、伎樂歌舞等を觀聽すべからず、諸の殘害を見るべからず、諸の卑醜の事(謂く男女の婬色等)を見るべからず、國王大臣に親近すべからず、諸の生硬物を食ふべからず、垢膩の衣を著くべからず、屠所を歴見すべからず、舊損せる山茶及び風病薬(天台山に在り)を喫すべからず、諸椹を喫すこと莫れ、多く乳餅蘇蜜等を喫すこと莫れ、名利の事を視聽すること莫れ、扇■(扌虒)、半茶迦等の類に親厚すること莫れ、多く梅子及び乾栗を喫すること莫れ、多く龍眼、茘枝、橄欖等を喫すること莫れ、多く沙糖霜糖等を喫すること莫れ、厚き綿襖を著すこと莫れ、綿を著すこと莫れ、兵軍食を喫すること莫れ、往きて、喧嘩の聲、車轟の聲、猪羊の群を觀ること莫れ、往きて、大魚、大海及び惡畫、傀儡等を觀ること莫れ。尋常應に青山谿水を觀ずべし。直に須く古教照心すべし。又、了義經を見るべし。坐禪辨道の衲僧は尋常、亦須く洗足すべし。身心悩亂の時は、直に須く菩薩戒の序を黙誦すべし。
道元、拜問して云く、菩薩戒の序とは何んぞや。和尚示て云く、今ま隆せし禪師の誦する所の戒の序なり。小人卑賤の輩に親近すること莫れ。
道元、拜問して云く、何に者か是れ小人なるや。和尚示て云く、貪欲多き人は便ち是れ小人なり。虎子象子等並びに猪、狗、猫、狸等を飼ふこと莫れ。今、諸山の長老等、猫兒を養ふ、眞箇不可なり。暗き者の所爲なり。凡そ十六の惡律儀は佛祖の制する所なり。慎んで放逸に慣習すること勿れ。
■6
拜問して云く、首楞厳經、圓覺經は在家の男女、之れを讀て、以爲(をもへらく)、西來祖道と。道元、兩經を披閲して、文の起盡を推尋するに、自餘の大乘諸經に同じからず。未だ其の意を審せず。諸經より劣るの言句有りと雖も、全く諸經より勝るの義勢無し。頗る六師等の見に同じきことも有り。畢竟、如何が決定せん。和尚示て云く、楞厳經は昔より疑ふ者有り。謂(をもへらく)、此の經は後人、構するかと。近代の祖師は未だ曽て經を見ず。近代、癡暗の輩、之れを讀み、之れを愛す。圓覺經も亦た然り、文相の起盡、頗る似たり。
■7
拜問す。煩惱障、異熟障、業障等の障、轉ずべきは、佛道の道處なりや。和尚示て云く、龍樹等の祖師の説の如きは、須く保任すべし。異途の説、有るべからず。但だ、業障に至ては慇懃に修行する時、必ず轉ずべし。
■8
拜問して云く、因果は必ず感ずべきや。和尚示て云く、因果を撥無すべからず。所以に、永嘉曰く、豁逹の空は因果を撥ふ。莾莾蕩蕩、殃禍を招くと。若し、撥無因果を言ふ者は佛法中に、斷善根の人なり。豈に是れ佛祖の兒孫ならんや。
■9
拜問す。今日、天下の長老、長髪長爪なる者は何の所據か、將に比丘と稱せんとすれば、頗る俗人に似たり。將に俗人と名すれば、又、禿兒の如し。西天東地、正法像法の間、佛祖の弟子、未だ嘗て斯の如くならず。如何ん。和尚示て云く、眞箇是れ畜生なり。佛法清淨海仲の死屍なり。 
■10
和尚、或る時、召して示て云く、儞は是れ後生と雖も、頗る古貌有り。直に須く深山幽谷に居して、佛祖の聖胎を長養すべし。必ず、古徳の證處に至らん。時に、道元、拜を起て和尚の足下に設く。和尚唱て云く、能禮所禮性空寂、感應道交難思議と。時に、和尚、廣く西天東地佛祖の行履を説く。時に、道元、感涙、襟を沾す。  
■11
堂頭和尚、大光明藏に於て示て云く、行李、衆に交るの時は、腰絛(こしおび)皆な強緊(つよくしめて)に、之れを結ぶなり。稍、多く時を経るも、更に力の勞無きなり。僧家、僧堂に寓す。功夫の最要は直に須く緩歩すべし。近代諸方の長老、知らざる人多し。知る者は極て少なし。緩歩は息を以て限りと爲して、足を運ぶなり。脚跟を觀ず、然して、躬(くぐまら)ず、仰(あをが)ず、歩を運ぶなり。傍觀して之を見るは、只だ一處に立つが如し。肩胸等、動揺して振るべからず。和尚、度度、大光明藏に歩して、東西に向て、道元をして見せ教しめ、更に示て云く、近日、緩歩を知る者、只だ老僧一人のみ(而己)。你、試に諸方の長老に問て看よ。必竟、他、未だ曽て知らざらむ。
■12
拜問す。佛法何を以て性と爲する。善性と惡性と無記性との中、何れぞや。堂頭和尚示て云く、佛法は三性を超越するのみ(而己)。
■13
拜問す。佛佛祖祖の大道、一隅に拘るべからず。何ぞ強ひて禪宗と稱するや。堂頭和尚示て云く、佛祖の大道を以て猥りに禪宗と稱すべからず。今、禪宗と稱す、頗る是れ澆運の妄稱なり。禿髪の小畜生の稱し來る所なり。古徳皆な知る所なり。往古の知る所なり。儞、曽て石門の林間録を看るや。道元曰く、未だ曽て録を看ず。和尚云く、儞、看ること一遍せば、則ち好し。彼の録に、説き得て是れなり。大凡そ、世尊の大法、摩訶迦葉に單傳す。嫡嫡相承し、二十八世、東土五傳して曹溪に至り、乃至今日、如淨は則ち佛法の總府なり。大千沙界、更に肩を齊すべき者無し。而今、三五本の經論を講し得て、以て各各の宗風を扇ぐの徒(ともがら)は、乃ち佛祖の眷屬なり。眷屬にして、而も内外親踈の高低有るなり。
道元、拜問して云く、既に佛祖の眷屬爲らば、則ち彼の輩も菩提心を發して、眞の善知識を訪ひ得る者なり。復た何ぞ、年來の所學を抛て、忽ち佛祖の叢席に投じて、晝夜辨道するや。堂頭和尚示て云く、西天東地、倶に積年の所學を抛て、進むは、譬ば、人間の丞相に上るの期は、諫議を兼ねざるが如し。然れども、其の子孫を教る日は、又、諫議の進退を施す者なり。佛祖の學道も亦復、是の如し。諫議等の清廉に因て、丞相に上ると雖も、丞相に上る日は諫議の儀を議すること無く、諫議に在るの日は丞相の儀を議せず。但し、學ぶ所は皆な是れ、冶國安民の忠節なり。丞相、諫議、是れ心を一にするなり、更に二つの心に非ず。
■14
道元、拜覆して云く、諸方の長老等は説く所、皆な非なり。未だ曽て佛祖の道を知らざるや、明しや。今、明に知る、佛祖は實に是れ世尊の嫡嗣、今日の法王なり。三千の調度、法界の縁邊、皆な是れ佛祖の主る所にして、更に二つの王有るべからず。堂頭和尚示て云く、汝が言ふ所の如し。須く知るべし、西天に未だ兩(ふたり)の付囑法藏を聞かず。東土も初祖より六祖に至るまで、兩の傳衣無し。所以に大千の佛道は佛祖を以て本と爲せり。
■15
堂頭和尚示て云く、參禪は身心脱落なり。燒香、禮拜、念佛、修懺、看經を用ひず、祇管打坐のみ。
拜問す。身心脱落とは何(いか)ん。堂頭和尚示て云く、身心脱落とは坐禪なり。祗管打坐の時、五欲を離れ、五蓋を除くなり。
拜問す。若し五欲を離れ、五蓋を除くは、乃ち教家の所談に同じ。即ち大小兩乘の行人たる者か。堂頭和尚示て云く、祖師の兒孫、強て大小兩乘の所説を嫌ふべからず。學者、若し如來の聖教に背かば、則ち何ぞ敢て佛祖の兒孫と稱する者ならん。
拜問す。近代、癡者云く、三毒即ち佛法、五欲即ち祖道と。若し彼れ等を除す、即ち是れ取捨なり。還て小乘に同じと、如何。堂頭和尚示て云く、若し三毒五欲等を除かざる者は瓶沙王の國、阿闍世王の國の諸の外道の輩に一如す。佛祖の兒孫は、若し一蓋一欲を除けば則ち巨益なり。佛祖と相見の時節なり。
■16
拜問す。長沙和尚、皓月供奉と、業障本來の道理を問論す。道元、疑て云く、若し業障空ならば、則ち餘二の異熟障、煩惱障も亦た應に空なるべきや。獨り業障の空、不空を論ずべからずや。況んや皓月問ふ、如何が是れ本來空と。長沙曰く、業障是れと。皓月云く、如何が是れ業障と。長沙曰く、本來空是れと。今、長沙の道ふ所、是れ爲せんや、他た、無や。佛法、若し長沙の道ふ所の如きならば、何ぞ諸佛の出世、祖師の西來有らんや。堂頭和尚示て云く、長沙の道ふ所、終に不是なり。長沙、未だ三時業を明らめず。
■17
拜問す。古今の善知識皆な曰く、須く了義經を看るべし、不了義經を看ること莫れと。如何が是れ了義經。堂頭和尚示て云く、了義經とは世尊の本事本生等を説く經なり。其の往古の因縁、或は名字を説きて、未だ其の姓を説かず。住處を説くと雖も、壽命を説かざるは、則ち未だ了義ならず。劫國壽命眷屬作業奴僕等を説き了はる。説かざる事無きを了義と名づくる。
拜問す。縦ひ一言半句と雖も、道理を説き了るを了義と名づくべし。如何ぞ唯だ廣説を以て了義と名づけん。縦ひ懸河の辯を説くも、若し未だ義理を明めざれば、須く不了義經を名づくべきや。堂頭和尚慈誨に云く、汝が言ふこと非なり。世尊の所説は廣略、倶に道理を盡す。縦ひ廣説も道理を究盡し、縦ひ略説も道理を究盡す。其の義理に於て究竟せざると云ふこと無し。乃至、聖黙聖説、皆な是れ佛事なり。所以に光明を佛事と爲し、飯食を佛事と爲す。生天、下天、出家、苦行、降魔、成道、分衛、涅槃、盡く是れ佛事なり。見聞の衆生倶に利益を得るなり。所以に須く知るべし、皆な了義なることを。其の法中に於て、其の事を説き了るを了義經と名づく。乃ち佛祖の法なり。
道元曰さく、誠に和尚の慈誨の如く、之れを保任す。乃ち佛法、祖道なり。諸方長老の説、並に日本國古來閑人の説は道理無し。道元、昔、知る所は不了義の上に於て了義を計す。今日、和尚の輪下に於て、始て了義經の向上に、更に了義經有て、分明なることを知る。謂つべし、億億萬劫、難値難遇なりと。
■18
拜問す。昨夜三更、和尚普説に云く、能禮所禮性空寂、感應道交難思議と。深意有りと雖も、解了すべきこと難し。淺識の及ぶ所に非ざれば、則ち疑ふ所無きに非ず。謂く、感應道交の道理は教家も亦た談ず。祖道に同ふすべき理有りや。堂頭和尚慈誨に云く、伱、須く感應道交の致(むね)とする所を知るべし。若し、感應道交に非ざれば、諸佛も出世せず、祖師も西來せず。又、經教を以て怨家と爲すべからず。若し、從來の教法を以て、非と爲す者は、圓衣方器を用ふべきか。未だ圓衣方器を用ひざれば、須く知るべし、必定の感應道交と云ふことを。
■19
拜問す。先日、育王山の長老大光に謁する時、聊か難問の次で、大光曰く、佛祖の道と教家の談とは水火なり。天地懸隔す。若し、教家の所談に同ぜば、永く祖師の家風に非ずと。今、大光の道處は是か非か。堂頭和尚慈誨に云く、唯だ、大光一人、妄談有るのみに非ず。諸方の長老も皆な亦た是の如し。諸方の長老、豈に教家の是非を明らめんや。那ぞ祖師の堂奥を知らんや。只だ是れ胡亂做來の長老のみ。
■20
拜問す。佛法、元と文殊結集、阿難結集の兩途有り。謂く、大乘諸經は則ち文殊結集、小乘諸経は則ち阿難結集と。而今、何ぞ摩訶迦葉、獨り付法藏の初祖なりや。文殊は付法藏の嫡嗣と作らざるや。何に況んや、文殊は乃ち釋尊等諸佛の師なり。那ぞ付法藏の初祖となるに足らざらんや。今、如來の正法眼蔵涅槃妙心と稱す。恐くは是れ小乘聲聞一途の法か、如何ん。堂頭和尚慈誨に云く、汝が言ふ所の如く、文殊は是れ諸佛の師なり。所以に、付法藏の嫡嗣に充てざるなり。若し是れ、弟子ならば必ず付法藏の仁に充てん。又、文殊結集と言ふは一意なり。常途の説には非ず。況んや、文殊、豈に小乘の教行人理を知らざらんや。又、阿難は唯だ是れ多聞の人なり。所以に如來一代の説を結集するのみ。阿難、已に大小二乘を結集せり。迦葉は乃ち一化の上座なり、最勝の祖なり。是の故に、法藏を付する者か。縦ひ文殊に付すと雖も、又、此の疑ひ有るべし。直に須く諸佛の法、斯の如しと信知すべし。彼、此の疑ひを致すべからず。  
 

 

■21
堂頭和尚、夜話に云く、元子、伱、椅子に在りて襪を著くるの法を知るや、也た無きや。道元、揖して白して云く、如何ぞ知ることを得ん。堂頭和尚慈誨に云く、僧堂坐禪の時、椅子に在りて、襪を著く法は、右袖を以て、足趺を掩ひて著くるなり。聖僧に無禮なるを免るる所以なり。
■22
堂頭和尚慈誨に云く、功夫辨道坐禪の時、胡椒を喫すること莫れ。胡椒は熱を發するなり。(胡椒を胡菰とする異本有り)
■23
堂頭和尚慈誨に云く、風に當るの處に在りて坐禪するべからず。
■24
堂頭和尚慈誨に云く、坐禪より起きて、歩する時は、須く一息半趺の法を行ずべし。歩を移すこと、半趺の量を過ぎず、足を移すこと、必ず一息の間なることを謂ふ。
■25
堂頭和尚慈誨に云く、上古の禪和子は皆な褊衫を著く。間に直綴を著くる者有り。近來は都て直綴を著く、乃ち澆風なり。伱、古風を慕はんと欲せば、則ち須く褊衫を著くべし。今日、内裏に參するの僧、必ず褊衫を著く。傳衣の時、菩薩戒を受る時も、亦た褊衫を著く。近來參禪の僧家、褊衫を著く、是れ律家の兄弟の服と謂ふ者は、乃ち非なり。古法を知らざる人なり。
■26
堂頭和尚慈誨に云く、如淨、住院以来、曽て斑(まだら)袈裟を著けず。近代諸方の非儀の長老、只管に法衣を著て、衆に随ふ實證無きが如し。所以に、如淨未だ曽て法衣を著けず。世尊一代、唯だ麤布の僧伽胝衣を著くるのみ。餘の美衣を著けず。又、強(あながち)、麤惡の衣を著くべからず。強(しい)て麤惡の衣を著くは、又是れ外道なり。欽婆羅子と稱すは乃ち是れなり。然らば則ち、佛祖の兒孫、著くべき衣を著くべし。一偏を執して、擔板なるべからず。又、美衣を營く者は小人なり。糞掃は古蹤なり。知るべし。
■27
香を炷して、拜問す。世尊、金襴の袈裟を摩訶迦葉に授く。是れ何の時ぞや。堂頭和尚慈誨に云く、伱、這箇の事を問ふ、最も好し。箇箇の人、這箇を問はず。所以に這箇を知らず。乃ち善知識の苦しむ所なり。我れ曽て、雪竇先師の處に在りて、這箇の事を參問す。先師、大いに悦へり。世尊最初に迦葉の來りて歸依するを見て、即ち佛法並びに金襴の袈裟を以て、摩訶迦葉に付囑す。第一祖と爲するなり。摩訶迦葉、衣法を頂受して晝夜頭陀し、未だ嘗て懈怠せず、未だ嘗て屍臥せず、常に佛衣を戴きて佛想塔想を作して、坐禪す。摩訶迦葉は古佛菩薩なり。世尊、摩訶迦葉の來るを見る毎に、便ち半座を分ちて坐せしめたり。迦葉尊者は三十相を具す。唯だ白毫、烏瑟を欠くのみ。所以に、佛と並びて一坐するに、乃ち人天の樂見する所なり。凡そ、~通智惠、一切の佛法、佛の付囑を受けて缺減する所無し。然れば則ち、迦葉は佛に見えるの最初に佛衣佛法を得る。
■28
拜問す。天下、四箇の寺院有り。謂く、禪院と教院と律院と徒弟院となり。禪院は佛祖の兒孫、嵩山の面壁を單傳して、功夫す。正法眼蔵涅槃妙心、留まりて、這裏に在り。誠に是れ、如來の嫡嗣にして佛法の總府なり。餘は、乃ち支離(えだわかれ)なり。更に、肩を齊して對論すべからざるか。教院は天台の教觀なり。智者禪師、獨り南岳思禪師の一子と爲りて、一心の三止三觀を稟承す。法華三昧施陀羅尼を得る。謂つ可し、或は從知識、宛か是れ、或は從經巻なりと。道元、徧く經論師の見解を觀るに、一代の經律論を解了するは、獨り智者禪師最も勝れたり。謂つ可し、光前絶後と。南岳の思大和尚は法を北齊の慧文に禀く。思大和尚發心して能く根本禪を發明す。慧文禪師は當初(そのかみ)、背手にして經を探り、龍樹の造る所の中觀論を得て、初て一心三觀を立す。爾し自り以來、天下の教院の宗とする所は、皆な是れ天台の教なり。慧文禪師、中論に依ると雖も、唯だ所造の論文を披て、未だ能造の龍樹に遇はず。亦、未だ曽て龍樹の印可を蒙らず。況や寺院の規矩、伽藍の屋舎、用否の處次、口訣、未だ備らず。今天下の教院、或は十六觀の室を構ふ。彼の十六觀は無量壽經に出づ。此の經、眞偽、未だ詳ならず。古今の學者の疑ふ所なり。天台の一心三觀、豈に西方の一十六觀に等しからんや。彼は帯權の教なり。此れは顯實の説なり。天地懸に隔たり水火、相ひ犯す。想に是れ、大宋の學者、未だ天台の教觀を明めず。猥に一十六觀の帯權を用ふか。明に知る、教院は、佛在世の寺儀を傳ふべかざることを。天台以前の諸寺は定て、摩騰竺蘭の所傳を傳ふか。律院は南山の濫觴なり。南山、未だ曽て西乾の大邦に入らず。纔に東漸の零文を披閲するのみ。設(たとひ)天人の傳説を聞くも、豈に賢聖の親訓に如んや。所以に、今、律院と稱して堂舎殿屋、鱗の如くに次で、櫛の如くに連るの結構、學者行人多く之を疑ふ。今、禪院と稱すは天下の甲刹、諸山の大寺なり。衆を容るること千餘、屋舎、百に餘る。前樓後閣、西廊東廡、宛も皇居の如し。此の儀は必ず是れ佛祖の面授口説なるべし。構ふべきを構へ、建つべきを建つ。實に豐屋を先と爲すべからず者か。朝參暮請も定て初祖の直指の爲たり。文に依り、義を解す輩に比すべからず。此の儀を以て正と爲すべきや。道元、信ずる所は我が佛世尊、世間に出現するに、必ず古佛の儀式に依る。所以に、世尊一日、阿難に告ぐ、須く七佛の儀式に依るべしと。然らは則ち、七佛の法、乃ち是れ釋迦牟尼佛の法なり。釋迦牟尼佛の法、乃ち是れ七佛の法なり。爾じ自り以降、二十八傳して菩提達磨尊者に至る。尊者親しく震旦に達(いた)り、正法を正傳して、迷情を救濟す。亦、傳へて曹溪の二~足に至る。青原、南岳の兒孫、今、善知識と稱して、代(かはるがはる)傳て、化を揚ぐ。其の所住の處、僧伽藍は佛法の正嫡、爲(たる)べし。更に、教律等の寺院に比論すべからず。譬ば、國に二王無きが如きか。幸いに乞ふ。慈照。 道元咨目百拜炷香上覆。堂頭和尚大禪師尊前
堂頭和尚慈誨して云く、元子が來書、甚だ説き得て是なり。往古、未だ教律禪の閑名を聞かず。今、三院と稱するは、便ち是れ末代の澆風なり。王臣、未だ佛法を知らず。亂に教僧、律僧、禪僧等と稱し、寺院の額を賜すの時も亦、律寺、教寺、禪寺等の字を書す。是の如く展轉して天下、今、五輩の僧を見る。所以に、律僧は南山の遠孫なり。教僧は天台の遠孫なり。瑜伽僧は不空等の遠孫なり。徒弟(つち)僧、師資未詳なり。禪僧は達磨の兒孫なり。怜れむべし、末代の邊地は是の如くの輩を見ることを。西天に五部有りと雖も、而も一佛法なり。東地の五僧、一佛法ならざるが如し。國、若し明王有れば、是の如くの違亂有るべからず。當に知るべし、今、禪院と稱する寺院の圖様儀式は、皆な是れ祖師の親訓、正嫡の直傳なり。所以に七佛の古儀は、唯だ是れ禪院のみ。禪院と稱すは亂に稱すと雖も、而今、行ふ所の寶儀は實に是れ佛祖の正傳なり。然れば乃ち、吾が宗は本府なり。律教は支離なり。所以に佛祖は是れ法王なり。國王、位に即て、天下に王たる時、一切皆な王に屬すればなり。
■29
堂頭和尚慈誨に云く、佛祖の兒孫は先ず五葢を除き、後に六葢を除くなり。五葢に無明葢を加へて、六葢と爲す。唯だ、無明葢を除けば、即ち五葢を除くなり。五葢、離ると雖も、而も無明未だ離れずば、則ち未だ佛祖の修證に致らず。道元、便ち拜謝して、叉手して白す。前來、未だ今日の和尚の指示の如きを聞かず。這裏箇箇の老宿耆年雲水の兄弟、都て知らず。又、未だ曽て説かず。今日、多幸、特に和尚の大慈大悲を蒙り、忽ち未曾聞の處を示すことを承る。宿殖の幸いなり。但、五葢六葢を除く、其の秘術有りや、也た無きや。堂頭和尚微笑して云く、伱が向來の作功夫は甚麼をか做す。這箇、便ち是れ六葢を離る法なり。佛佛祖祖、階級を待たず。直指單傳して五葢六葢を離れ、五欲等を呵するなり。祗管打坐の作功夫、身心脱落し來る。乃ち五葢五欲等を離るるの術なり。此の外、都て別事無し。渾て一箇の事無し。豈に二に落ち、三に落つる者有らんや。道元、感激作禮して退く。
■30
拜問す。和尚住院已来、曽て法衣を搭けず意旨、如何。堂頭和尚慈誨して云く、吾、長老と做て後、曽て法衣を著けず。蓋し乃ち儉約なり。佛、及び弟子、糞掃の衲衣を著しと欲し、糞掃の鉢盂を用ひんと欲すなり。道元、又白く、諸方に法衣を著くは、既に儉約に非ず。猶、少貪に滞る。但し、宏智古佛の法衣を著くが如きは、儉約に非ずと言ふべからず。堂頭和尚慈誨して云く、宏智古佛の法衣を著るは、乃ち儉約なり。又、是れ有道なり。伱が郷里日本國裏にては、伱、法衣を著くに妨げ無し。我が這裡、我れ法衣を著けず。是れ諸方の長老の衣を貪るの弊に同ふせざるが爲なり。 
■31
堂頭和尚、或る時示て云く、羅漢、支佛の坐禪は著味せずと雖も、大悲を闕く。故に佛祖の大悲を先きと爲して誓て、一切衆生を度するの坐禪と同じからず。西天外道も亦、坐禪せり。然りと雖も、外道の坐禪は必ず三の患有り。謂く著味、謂く邪見、謂く驕慢。所以に永く佛祖の坐禪に異なれり。又、聲聞中にも亦た坐禪有り。然りと雖も、聲聞は慈悲、乃ち薄し。諸法中に於て、利智を以て普く諸法の實相に通ぜず。獨り、自身を善くして、諸佛種を斷ず。所以に永く佛祖の坐禪に異なれり。謂く、佛祖の坐禪は初發心從り、願て、一切の諸の佛法を集む。故に坐禪の中に於て、衆生を忘れず、衆生を捨てず、乃至、(虫昆)蟲までも常に慈念を給し、誓て濟度せんと願ふ。所有の功徳、一切に回向す。是の故に佛祖は常に欲界に在りて、坐禪辨道す。欲界の中に於て、唯、瞻部洲のみ最勝の因縁にて、世世、諸の功徳を修し、心柔輭なることを得る。道元、拜して白く、作麼生か是れ心の柔輭なることを得ん。堂頭和尚慈誨に云く、佛佛祖祖の身心脱落を辨肯する、乃ち柔輭の心なり這箇を喚びて、佛祖の心印と作す。道元、禮拜九拜す。
■32
堂頭和尚慈誨に云く、法堂法座の南階の東西に、獅子形有り。各、階に向ふ、但し面を少く南に向ふ。其の色、白なり。全體、白なるべし。髪及び身、尾、皆な白なり。近代、白獅子を作ると雖も、頭上に青髪有り。其の獅子の髪以下、尾に至るまで、皆な白なることを知らざるなり。如し汝、法座上の葢を作らば、乃ち是れ蓮華葢なり。蓮華の地を覆ふが如し、乃ち八角なり。中に一面の鏡有り、八の幢幡有り。幡の端、角毎に鈴を懸く。華葉は五重、葉毎に鈴を懸く。當山の法座の葢に一如すべし。
■33
道元、咨目百拜して白く、適に、和尚の風鈴の頌を承る。末上の句云く、渾身、口に似て虚空に掛く。落句に云く、一等、他の與めに般若を談すと。謂ふ所の虚空とは、虚空色を謂ふべきや。癡者は必ず定めて、虚空色と謂ん。近代の學者、未だ佛法を暁せず。青天を認て、虚空と爲す。眞に可憐憫なり。
堂頭和尚慈誨に云く、虚空と謂ふは、般若なり。虚空色の虚空には非ず。謂ふ所は、虚空は有礙に非ず。無礙に非ず。所以に單空の空に非ず。偏眞の眞に非ず。諸方の長老は色法、尚ぞ未だ明らめざる。況んや能く空を暁んや。我が箇裡、大宋佛法の衰微、言ふべからず。
道元、拜稟す。和尚の風鈴の頌は最好中の最上なり。諸方の長老、縦ひ三祇劫を經るも、亦、及ぶこと能はず。雲水の兄弟、箇箇頂戴す。道元、遠方の邊土より出で來て、寡聞少見なりと雖も、今、で傳燈、廣燈、續燈、普燈、及び諸師の別録を披くに、未だ曽て、和尚風鈴の頌に似る有ることを得ず。道元、何の幸いぞ。今、見聞を得る。觀喜踊躍、感涙、衣を濕す。晝夜、叩頭して頂戴するなり。然る所以は、端直にして曲調有り。
堂頭和尚、將に轎に乘る時、笑を含みて示て云く、伱、道ひ得て深く抜群の氣宇有り。我れ清凉に在て、這箇の風鈴の頌を做す。諸方、讚歎すと雖も、未だ嘗て説き來て斯の如くならず。我れ天童老僧、伱に眼有ることを許す。伱、頌を做らんと要せば、須く恁地(かくのごとく)に做すべし。
■34
堂頭和尚、夜間、道元に示て云く、生死流轉の衆生、若し發心して佛を求むれば、即ち是れ佛祖の子なり。及び餘の一切衆生も亦、乃ち佛祖の子なり。然も是の如くと雖も、父子の最初を尋ぬること莫れ。
■35
堂頭和尚、道元に示て云く、坐禪の時、舌、上の齶に拄す。或ひは當門の板歯を括るも亦得たり。若し四五十年來(このかた)坐禪を慣習して、渾て曽て低頭瞌睡せざる者は眼目を閉じて、坐禪するも亦、妨げ無し。初學、未だ慣熟せざる者の如きは、常に眼目を開きて坐すべし。若し坐久くして、疲勞せば、右を改め、左を改むるも、亦、妨げ無し。此れ乃ち佛從り直下、僅かに五十世の正傳の證有り。
■36
拜問す。日本國並に本朝の疑ふ者云く、今禪院禪師の弘通する所の坐禪は、頗る小乘聲聞の法と。此の難、云何が遮せんや。堂頭和尚慈誨に云く、大宋、日本、疑ふ者の所難、實に未だ佛法を暁了せず。元子、須く知るべし、如來の正法は大小乘の表(ほか)に出過す。然りと雖も、古佛、慈悲落草して、遂に大乘小乘の授手方便を施す。元子、須く知るべし、大乘は七枚の菜餅なり。小乘は三枚の胡餅なり。況んや復た、佛祖本と、空拳の小兒を誑すこと無し。黄葉も黄金も宐に随て授手す。拈筋弄匙、空く光陰を度すこと無きなり。
■37
堂頭和尚慈誨に云く、吾、伱が僧堂の被位に在るを見るに、晝夜、眠らず坐禪す、甚だ好きことを得たり。儞、向後、必ず美妙の香氣の世間に比無き者を聞かん。此れは乃ち吉祥なり。或は、當面前に滴油の地に落るが如きを見る者は、吉瑞なり。若し種種の觸を發すも亦、乃ち吉瑞なり。直(ただ)、須く頭燃を救ひ坐禪辨道すべし。
■38
堂頭和尚示して云く、世尊言く、聞思は猶を門外に處するが如し。坐禪は直に乃ち歸家穩坐なり。所以に坐禪すること、乃至、一須臾一刹那も功徳無量なり。我れ三十餘年。時と功夫辨道して、未だ曽て退を生ぜず。今年六十五歳、老に至て彌よ堅し。伱も還て是の如く、辨道功夫せよ。宛も是れ、佛祖金口の記なり。
■39
堂頭和尚慈誨に云く、坐禪の時、壁及び屏風、禪椅等に椅(よりかかる)こと莫れ。若し、椅すれば人をして病を生ぜ教む。直に須く正身端坐、坐禪儀の如くすべし。慎て違背すること莫れ。
■40
堂頭和尚慈誨に云く、坐禪從り起きて、經行せんと欲せば、遶歩することを得ざれ。直に須く直歩すべし。若し、二三十許り歩して、廻らんと欲せば、必ず右に廻し、左に廻すること莫れ。歩を移さんと欲せば、先ず右足を移せ。左足は乃ち次ぐ。  
 

 

■41
堂頭和尚慈誨に云く、如來、坐禪從り起きて、經行したまふ跡、今、西天竺の鄔萇那國に現在す。淨名居士の室も猶今現在す。祇園精舎の礎石も未だ泯せず。是の如く、聖跡、若し人此に到て之を度量する時、或いは脩、或いは短、或いは延、或いは促、未だ其の定り有らず。乃ち佛法の閙聒聒なり。須く知るべし、今日東漸の鉢盂、袈裟、拳頭、鼻孔も亦、乃ち人の之を測度すべからざる者なり。道元、座を起きて速禮、頭を地に叩て歡喜落涙す。
■42
堂頭和尚慈誨に云く、大凡、坐禪の時、心を諸處に安ず。皆な定處有り。又、坐禪の時、心を左掌の上に安ずるは、乃ち佛祖正傳の法なり。
■43
堂頭和尚慈誨に云く、藥山の高沙彌、比丘の具足戒を具せざれども、他た、佛祖正傳の佛戒を受けざるには非ず。然して、僧伽梨衣を搭け、鉢多羅器を持す。是れ菩薩沙彌なり。排列の時も菩薩戒の臘に依りて、沙彌戒の臘に依らず。此れ乃ち、正傳の禀受なり。伱、求法の志操有り。吾が懽喜する所なり。洞宗の託する所の者、儞乃ち是れなり。
■44
道元、拜問す。參學は古今佛祖の勝躅なり。初心發明の時は、道に有るに似たりと雖も、衆を集めて法を聞く時は、佛法無きが如し。又、初發心の時、所悟無きに似たりと雖も、開法演道の時は、頗る古へに超える志氣有り。然らば則ち、初心を用て道を得んと爲さん。後心を用て道を得んと爲さんや。
■45
堂頭和尚慈誨に云く、儞が問ふ所、是れ世尊の在世に菩薩聲聞の、世尊に問ふの問なり。謂ふ所は、若し法、不増不減ならば云何ぞ、菩提を得ん。唯だ、佛のみ能く爾り、何ぞ菩薩に關せんと。是れ疑問なり。又、西天東地、古今正傳の指示、之れ有り。佛佛祖祖の正傳に云く、但だ初心のみならず、初心を離れざる、甚と爲めか恁麼なる。若し、但だ初心得道ならば、則ち菩薩の初發心、便ち應に是れ佛なるべし。是れ不可なり。若し、初心無ければ、云何ぞ得ん。第二第三の心、第二第三の法有ることを。然らば則ち、後は初を以て本と爲す。初は後を以て期と爲す。今、現喩を以て、此の初後に喩ん。譬ば燈の焦炷の如し。初に非ず、初を離れず、後に非ず、後を離れず。不退不轉、新に非ず、古に非ず、自に非ず、他に非ざる。燈は菩薩堂に喩へ、炷は無明焰に喩へ、恰も初心と相應との智慧の如し。佛祖、一行三昧を修習して、相應の智慧、無明の惑を焦(や)く。初に非ず、後に非ず、初後を離れず。乃ち佛祖正傳の宗旨なり。

建長五年十二月十日、越前吉祥山永平寺の方丈に在りて、之れを書寫す。右、先師遺書の中に於て、之れ在り。之れを草し始む。猶を餘殘有かのごとし。恨むらくは、功を終へざることを。悲涙、千萬端なり。 懐弉
正安元年巳亥十一月二十三日、越州大野の寶慶寺に於て、初めて之れを拝見す。開山の存日、之れを許すと雖も、今に延遅す。今、正に是の時なり。而今、聖王髻中の明珠を得たり。大幸中の大幸なり。懽喜千萬感涙、襟を濕すのみ。 義雲

尚、この面山本の「寶慶記全」の最初には「承陽祖彈虎像」があり、さらに「祖像因縁」が誌るされている。その「祖像因縁」には
「祖像因縁」  「案に永祖、昔、宋に在て獨り江西に往く。路に、猛虎の牙を鼓して逼るに値ふ。爾の勢、幾ど人を食んと欲るなり。祖、直に手杖を虎に(扌竄)向し、了て巖上に避て坐し、且つ、虎、瞋て杖尾を齧て飜然として失糞して、因に巖を下に丁て去を視る。之を視れば巖に非ずして杖頭の龍頭と化するなり。此の事、在世、知る者有ること無し。滅後寒巖尹公入宋して、彼の地の叢林處處、圖を画て崇稱するを視る。自ら畫を好くす。之を寫して帰東して以来(このかた)、普く知て傳て虎の彈す(とらはね)拄杖と謂ふ。今其の手澤一軸、現に江州の青龍寺に在り。寛延午の夏、瑞方親く青龍に到て之を寫して掲焉や。乃ち此の記は則ち在宋の消息なるを以てなり。」  
とある。更に、この「寶慶記全」の最後には次のように記されている。
「寶慶記誌」 「此の記、元と若州永bフ藏版なり。惟だ恨むは、地少しく幽僻の故を以て、或は流通に不便なり。予、是れより先き、永xV人、京師に侍せし日、之れを老人に請ひ、親しく此の版を承す。爾後、或は東、或は西と、京に復留せず。是に於て遂に版を三條高倉街島田氏の家に屬す。而して此の事を幹せしむ。蓋し京は天下の大都にして、其を方國の求に應じ易きしむなんらん。伏て請ふ、作家怪しむこと莫れ、是れ義璞なり。明和八年歳舎辛卯八月二十八日 奥州遠孫朴衒不肖義璞謹識」 
 
正法眼蔵 (しょうぼうげんぞう、正法眼藏)

 

主に禅僧である道元が執筆した仏教思想書を指す。正法眼蔵という言葉は、本来は仏法の端的な、すなわち肝心要の事柄を意味する。禅家はこれをもって教外別伝の心印となす。著者によって大別すると、次の3種類に分かれる。
1.『正法眼蔵』 - 3巻。大慧宗杲著
2.(仮字)『正法眼蔵』(仮名記述) - 75巻+12巻+拾遺4巻(現在の研究結果による)。道元著
3.(真字)『正法眼蔵』(漢文記述) - 300則の公案集。道元選(ただし道元による若干の変更あり)
ここでは、2番目の道元著(仮字)『正法眼蔵』について述べる。
日本曹洞宗の開祖である道元が、1231年から示寂する1253年まで生涯をかけて著した87巻(=75巻+12巻)に及ぶ大著であり、日本曹洞禅思想の神髄が説かれている。道元は、中国曹洞宗の如浄の法を継ぎ、さらに道元独自の思想深化発展がなされている。
真理を正しく伝えたいという考えから、日本語かつ仮名で著述している。当時(鎌倉時代)の仏教者の主著は、全て漢文で書かれていた(法然、親鸞『教行信証』、栄西、日蓮、…)。古い巻の記述を書き直し、新しい巻を追加して、全部で100巻にまで拡充するつもりであったが、87巻で病のため完成できなかった。その後、拾遺として4巻が発見され、追加されている。
(仮字)『正法眼蔵』は、道元の禅思想を表現するために、語録から特に公案で使われてきた重要な問答を取り出し、それに説明注釈する形で教えを述べている。その種本が(真字)『正法眼蔵』であり、10種類ぐらいの禅語録から、道元がみて重要な300則の禅問答を抜き出している。ただし、そのまま写したのではなく、(抜き出した段階で既に)道元の思想によって若干の変更が加えられていることが、研究の結果分かっている。
真筆と諸版
道元真筆とされるものは、正法眼蔵嗣書(しょうぼうげんぞうししょ、伊予西条藩松平家旧蔵→里見忠三郎旧蔵、現在は駒澤大学禅文化歴史博物館所蔵)、正法眼蔵「山水経」(愛知県全久院所蔵)など10数種が残っている。 また、道元の死後直後から、後継者らにより頻繁に書写され、各地に分散していく。現在では次の6系統が確認されている。
75巻本 / 12巻本(百八法明門がある) / 60巻本 / 卍山本 / 80巻本 / 95巻本
最後に開版(出版)された95巻本には、『正法眼蔵』とは呼べない文章も混入している。
大久保道舟などを先駆とする精緻な研究結果から、現在では、旧稿75巻+新稿12巻に整理され、これが学会で合意されている。
修證義
特に在家への布教を念頭において、正法眼蔵から重要な点を抜粋したものに修証義(しゅしょうぎ)がある。  
 
正法眼蔵随聞記  

 

■重刻正法眼藏隨聞記序
余歳念七、總の山王林に閲藏す。衆中に上毛(かふつけ)の東海慧命有り。、餘に長きことなり、幾と二十夏。然と雖も亦時、訪藏殿に訪て話す。因に謂く、曽て越の祖山に留錫して、古冩の正法眼藏隨聞記を拜讀す。印版する所の本と之を對考するに、大に差異有り。繕冩に暇無くして、今に到て慊慊たりと。自ら記持する所の差異を略話す。余、聞て歡喜する。頗る好き本なり。爾れ自り追慕止まず。到處、之を尋覓するに、亦、獲ず。後に加の大乘に寓す。時にu堂甫公、堂頭なり。復た向の如きの事を示す。後ち經十餘年を經て、空印に粥す。前席雪心和尚は是れ甫公の~足なり。此を以て之に語る。和尚謂く、我れ其の事を知り、且つ持の本を持すと。因て懇請して拜讀す。其の印版と差異する所の三豕、皆な前聞に符合す。然と雖も、住持事繁なり。淨冩に暇無し、此の菴に隱に泊して、此に從事すること、幾乎と周年。逐行較正して、漸く完全を得たり。私淑を欲さず、重刻して以て宇内に布す。因て首に凡例を擧し、讀者して差異の梗概を知らしむ。伏して冀くは、祖訓親密の諄諄、之を悠久に傳て、以て鼎鹵と磷かざらん者なり。寶暦八年戊寅二月吉旦   若州永jJ闢面山瑞方拜題
■凡例
一 案ずるにこの記、前版はェ文九年己酉の中秋に京五條室町小亀三左衞門と云書林印版す。寶暦七年丁丑より九十年許已前なり。
一 余、弱輩の時、ある老宿、話て云く、これはヘ家の古寺に冩本ありしをヘ僧讀て、作者は誰ともしらねども法理の殊勝なるゆへに利uの爲とて印版せられしなりと。
一 案ずるに右の人、本より禪家の事に疎きゆへか、言句のかなのつけ様一向に不案内なり。懷奘(クワイジヤウ)宏智(クワウチ)會(クワイ)禪師等のごとし。
一 前版を考するに音にてよむ字に、かなを附たり。續高僧傳(カウソウデン)などの如し。古本は全編始より末まで音によむ。文字には片かななし、亦訓によむ字にもかなを附たり。汝(ナンヂ)が崇(アガムル)むる處などの如し。古本はなんぢが崇るところと、皆かななり、眞字はなし。如是とあるも古本は此のごとし亦はかくのごとしとあり。メ(シテ)とかきて、してとよませたる所も、古本はみな、してとあり。メの字なし。也(ナリ)とある所も、古本は皆なりとかなにかきて、也の字なし。なくしてとある所も古本はみな、なふしてとあり。したがつてとある所も、古本はみな、したがふてとあり。(|モ)とかきてともとよませたる所も、古本はみなともとあり、(|モ)の字なし。
一 前版を印刻せし、ヘ僧の、我れが不知の所は、私案にて、直せし所もありと見ゆ。葉上を用とせしの類なり。
一 このヘ僧は、不才の人と察せらる。魯仲連は人の名なり。魯は氏なり、仲連は名なるを、魯を國の名とばかり知て、魯の中連とせしは、故事に暗し。文選の國爲一人興先賢爲後愚廢に十一宇を、かなにのべて國は一人の爲に先賢を興しと直せしは不才の證なり。
一 この外に前版には辭の加添もあり。減少もあり。文字の冩誤は、かぎりをしらず。大概をいわば、眼を根となし、攻てを改めてとなし、操を相とし、十を千とし、品を器とし、斟を勘とし、路を俗とし、寺を等とし、隋を隨とし、誇を跨とし、足を定とし、抔を杯とし、曠を廣とし、事々とあるを盡くとし、假名を借名とし、霧を露とし、有時を稱となして有時(アリトキ)とし、隣國の字を項窒ニ直し、雲峰を雪峰とし、考を姥とし、裝を奘とし、減を驗とし、遺を貴とし、澠を瑶とする等誤多し。今本と對考して是非をしるべし。
一 この記、前板には跋語なし。古冩本には跋語あれども作者の名をのせず。亦年號等もなし。然れども先師奘和尚とあれば徹通和尚か。いづれ奘祖の法嗣ならん。嘉禎年中の記録と跋にあれば、祖師の興聖寺に御在住の中なり。ゆへに越山の事見へず。考ふるに奘祖は文暦甲午年三十七にて、初て祖師に參ぜらる。この時祖師は三十五歳なり。三年ありて嘉禎二年丙申の冬、秉拂あらる。嘉禎は三年の丁酉に改暦す。嘉禎年中の記録とあれば隨侍より四年の間ほどの記録なり。奘祖は祖師より二年の年上なり。後に光明藏三昧を述せられしを拜讀すれば、顯密の學も祖師に劣るまじ。但佛祖正傳の訣、分明ならぬゆへに祖師に依隨せらるなるばし。この記の問難は、一一理極せり。祖師無師智の自在にあらずんば容易に答釋なりがたかるべし。實に祖師は日本の無上尊なり。
一 全編文字の左傍、處々に諺譯(ヒラコトバ)つけしは原本には無し。余が愚案の蛇足なり。
凡例尾  
正法眼藏隨聞記第一 (長円寺本・第二)   侍者懷奘編  

 

■1
一日示して云く、續高僧傳の中に、或る禪師の會下に一僧あり。金像の佛と亦佛舍利とをあがめ用ひて、衆寮等にありても常に燒香禮拜し、恭敬供養しき。有時禪師の云く、汝ぢが崇むる處の佛像舍利は、後には汝がために不是あらんと。其の僧うけがはず。師云く、是れ天魔波旬の作す處なり、早く是を棄つべし。其の僧憤然として出ぬれば、師すなはち僧の後へに云ひ懸て云く。汝箱を開いて是を見べしと。其の僧いかりながら是を開てみれば、毒蛇わだかまりて臥りと。是を以て思ふに、佛像舍利は如來の遺像遣骨なれば恭敬すべしと云へども、また偏に是を仰ひて得悟すべしと思はヾ、還て邪見なり。天魔毒蛇の所領となる因縁なり。佛説の功コは定まれる事なれば、人天のuェとなること生身と等しかるべし。總じて三寶の境界を恭敬供養すれば、罪滅び功コを得ん。また惡趣の業をも消し人天の果をも感ずることは實なり。是によりて法の悟りを得んと思ふは僻見なり。佛子と云は佛ヘに順じて直に佛位に到る爲なれば、只だヘに隨て工夫辨道すべきなり。共のヘに順ずる實の行と云は、即今の叢林の宗とする只管打坐なり。是を思ふべし。
■2
亦云く、戒行持齋を守護すべければとて、強て宗として是を修行に立て、是によりて得道すべしと思ふも、亦これ非なり。只だ是れ衲僧の行履、佛子の家風なれば、隨ひ行ふなり。是れを能事と云へばとて、必ずしも宗とする事なかれ。然あればとて破戒放エなれと云には非ず。若し亦かの如く執せば邪見なり、外道なり。只だ佛家の儀式、叢林の家風なれば隨順しゆくなり。是を宗とする事、宋土の寺院に寓せし時に、衆僧にも見へ來らず。實の得道にためには唯だ坐禪工夫、佛祖の相傳なり。是によりて一門の同學五眼房故葉上僧正の弟子が、唐土の禪院にて持齋をかたく守りて戒經を終日誦せしをば、ヘて捨てしめたりしなり。懷奘問て云く、叢林學道の儀式は百丈のC規を守るべきか。然あれば、彼れはじめに受戒護戒を以て先とすと見へたり。亦今の傳來相承は根本戒をさづくとみへたり。當家の口訣、面授にも、西來相傳の戒を學人にさづく。是れ便ち、今の菩薩戒なり。然あるに今の戒經に、日夜に是を誦せよと云へり。何ぞ是を誦するを捨てしむるや。師云く、しかなり。學人最とも百丈の規繩を守るべし。然あるに其の儀式は受戒護戒坐禪等なり。晝夜に戒經を誦し專ら戒を護持すと云は、古人の行履に隨て祇管打坐すべきなり。坐禪の時何れの戒か持たざる。何れの功コか來らざる。古人行じおける處の行履、皆深き心なり。私しの意樂を存ぜずして、衆に隨ひ古人の行履に任せて行じゆくべきなり。
■3
有時示して云く、佛照禪師の會下に一僧ありて、病患のとき肉食を思ふ。照、是を許して食せしむ。ある夜自ら延壽堂に行て見たまへば、燈火幽にして病僧亦肉を食す。時に、一鬼病僧の頭べの上にのりいて件の肉を食す。僧は我が口に入ると思へども、我は食せずして頭上の鬼が食するなり。然しより後は病僧の肉食を好むをば、鬼に領ぜられたりと知て是を許しきと。是につゐて思ふに、許すべきか許すべからざるか、斟酌(サシヒキ)あるべし。五祖演の會にも肉食のことあり。許すも制するも古人の心皆其意趣あるべきなり。
■4
一日示して云く、人其家に生れ其道に入らば、先づ其家業を修すべしと、知べきなり。我道にあらず己が分にあらざらんことを知り修するは即ち非なり。今も出家人として便ち佛家に入り僧侶とならば須く其業を習ふべし。其業を習ひ其儀を守ると云は、我執をすてヽ、知識のヘに隨ふなり。其大意は貪欲無きなり。貪欲なからんと思はヾ先づ須く吾我を離るべきなり。吾我を離るヽには、無常を觀ずる是れ第一の用心なり。世人多く、我はもとより人にもよしと云はれ思はれんと思ふなり。然あれども能も云はれ思はれざるなり。次第に我執を捨て知識の言に隨ひゆけば、艶iするなり。理をば心得たるやうに云て、さはさにあれども我は其事を捨ゑぬと云て、執し好み修するは、彌(イヨイヨ)よ沈淪するなり。禪僧の能くなる第一の用心は、只管打坐すべきなり。利鈍賢愚を論ぜず、坐禪すれば自然によくなるなり。
■5
示して云く廣學博覽はかなふべからざることなり。一向に思ひ切て止べし。唯一事につゐて用心故實をも習ひ先達の行履をも尋ねて、一行を專らはげみて、人師先達の氣色すまじきなり。
■6
或時、奘問て云く、如何是不昧因果底道理(如何か是れ不昧因果底の道理)。師云く、不動因果なり。云く、なんとしてか脱落せん。師云く、因果歴然なり。云く、かくの如くならば因果を引起すや、果因を引起すや。師云く、總てかくの如くならば、かの南泉の猫兒を斬るがごとき、大衆既に道ひ得ず、便ち猫兒を斬却しおはりぬ。後に趙州、頭に草鞋を戴きて出たりし、亦一段の儀式なり。亦云く、我れ若し南泉なりせば、即ち云べし、道ひ得たりとも便ち斬却せん、道ひ得ずとも便ち斬却せん、何人か猫兒をあらそふ、何人か猫兒を救ふと。大衆に代て云ん、既に道ひ得ず、和尚猫兒を斬却せよと。亦大衆に代て云ん、和尚只一刀兩段を知て一刀一段を知らずと。奘云く、如何是一刀一段。師云く、猫兒是。亦云く、大衆不對の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と、云て便ち猫兒を放下してまじ。古人の云く、大用現前して軌則を存ぜずと。亦云く、今の斬猫は是便ち佛法の大用現前なり、或は一轉語なり。若し一轉語にあらずば山河大地妙淨明心と云べからず。亦即心是佛とも云べからず。便ち此一轉語の言下にて猫兒即佛身と見よ。亦此詞を聽て學人も頓に悟入すべし。亦云く、此斬猫兒即是佛行なり。喚で何とか云べき。云く、喚で斬猫と云べし。奘云く、是れ罪相なりや否や。云く、罪相なり。奘云く、なにとしてか脱落せん。云く、別別無見なり。云く、別解脱戒とはかくの如を云か。云く、然り。亦云く、たヾしかくの如きの料簡、たとひ好事なるとも無らんにはしかじ。奘問て云く、犯戒の語は受戒己後の所犯を云か、唯亦未受己前の罪相をも犯戒と云べきか。如何ん。師答て云く、犯戒の名は受後の所犯を云べし。未受己前所作の罪相をば只罪相罪業と云て犯戒と云べからず。問て云く、四十八輕戒の中に未受戒の所犯を犯と名くと見ゆ。如何ん。答て云く、然らず。彼は未受戒の者、今ま受戒せんとする時、所造のつみを懺悔するに、今の戒にのぞめて、前に十戒等を授かりて犯し、後ち亦輕戒を犯ずるをも犯戒と云なり。以前所造の罪を犯戒と云にはあらず。問て云く、今受戒せんとする時、まへに造りし所の罪を懺悔せんが爲に、未受戒の者に十重四十八輕戒をヘへて讀誦せしむべしと見へたり。亦下の文に、未受戒の前にして説戒すべからずと。此の二處の相違如何。答て云く、受戒と誦戒とは別なり、懺悔のために戒經を誦するは猶是念經なり。故に末受者戒經を誦せんとす。彼が爲に經を説かんこと咎あるべからず。下の文に、利養の爲のゆゑに未受戒の前にして是を説ことを制するなり。今受戒の者に懺悔せしめん爲には最も是をヘゆべし。問て云く、受戒の時は七逆の受戒を許さず。先の戒の中には逆罪も懺悔すべしと見ゆ。如何ん。答て云く、實に懺悔すべし。受戒の時、許さヾることは、且く抑止門とて抑ゆる義なり。亦上の文は、破戒なりとも還得受せばC淨なるべし。懺悔すればC淨なり。未受に同からず。問て云く、七逆すでに懺悔を許さば、亦受戒すべきか。如何ん。答て云く、然あり。故僧正自ら所立の義なり。既に懺悔を許す、亦是受戒すべし。逆罪なりとも、くひて受戒せば授くべし。況や菩薩はたとひ自身は破戒の罪を受とも、他の爲には受戒せしむべきなり。
■7
夜話に云く、惡口を以て僧を呵嘖し毀呰すること莫れ。設ひ惡人不當なりとも左右なく惡くみ毀ることなかれ。先づいかにわるしと云とも、四人己上集會しぬればこれ僧體にて國の重寶なり、最も歸敬すべきものなり。若は住持長老にてもあれ、若は師匠知識にてもあれ、弟子不當ならば慈悲心老婆心にてヘ訓誘引すべし。其時設ひ打べきをば打ち、呵嘖すべきをば呵嘖すとも、毀讐謗言の心を發すべからず。先師天童淨和尚住持のとき、僧堂にて衆僧坐禪の時、眠りを誡しむるに、履を以て打ち謗言呵嘖せしかども、衆僧皆打たるヽを喜び讃歎しき。有時亦上堂の次でに云く、我れ既に老後、今は衆を辭し菴に住して老を扶けて居るべけれども、衆の知識として各の迷を破り道を授けんがために住持人たり。是に依て或は呵嘖の詞ばを出し、竹箆打擲等のことを行ず。是頗る怖れあり。然あれども、佛に代て化儀を揚る式なり。ゥ兄弟慈悲を以て是を許し給へと言ば、衆僧皆流涕しき。此の如きの心を以てこそ衆をも接し化をも宣べけれ。住持長老なればとて、亂に衆を領じ我が物に思ふて可嘖するは非なり。況や其人にあらずして人の短處を云ひ、他の非を謗るは非なり。能能用心すべきなり。他の非を見て惡しヽと思ふて慈悲を以て化せんと思はヾ、腹立まじきやうに方便して、傍ら事を云ふやうにて、こしらふべきなり。
■8
亦物語に云く、故鎌倉の右大將、始め兵衞佐(ひやうゑのすけ)にて有し時、内裡の邊に一日はれの會に出仕の時、一人の不當人ありき。其時の大納言おほせて云く、是を制すべしと。大將の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の將軍なりと。大納言の云く、近か近かなればなりと。大將の云く、其の人に非ずと。是れ美言なり。此の心にて後には世をも治められしなり。今の學人も其心あるべし。其人にあらずして人を呵すること莫れ。
■9
夜話に云く、昔魯仲連と云ふ將軍ありき。平原君が國に在て能く朝敵をたひらぐ。平原君賞して數多の金銀等を與へしかば、魯仲連辭して云く、只だ將軍のみちなれば敵を能く討のみなり、賞を得て物をとらん爲に非ずと云て、敢て取らずと云ふ。魯仲連が廉直とて名譽のことなり。俗猶を賢なるは我れ其の人として其の道の能をなすばかりなり。かはりを得んと思はず。學人の用心もかくの如くなるべし。佛道に入り佛法の爲にゥ事を行じて代に所得あらんと思ふべからず。内外のゥヘに皆無所得なれとのみ勸むるなり。
■10
法談の次に示して云く、設使(タトヒ)我れは道理を以て云ふに、人はひがみて僻事(ヒガゴト)を云を、理を攻て云ひ勝はあしきなり。亦我は現に道理と思へども、吾が非にこそと云てはやくまけてのくもあしばやなり。只人をも云ひ折らず、我が僻ことにも謂はず、無爲にして止みぬるが好きなり。耳に聽入れぬやうにして忘るれば、人も忘れて嗔(イカ)らざるなり。第一の用心なり。  
■11
示して云く、無常迅速なり。生死事大なり。且く存命の際だ、業を修し學を好まば、只佛道を行じ佛法を學すべきなり。文筆詩歌等其の詮なき事なれば捨べき道理なり。佛法を學し佛道を修するにも、猶を多般を兼學すべからず。況やヘ家の顯密の聖ヘ、一向にさしおくべきなり。佛祖の言語すら多般を好み學すべからず。一事を專らにせんすら、鈍根劣器の者はかなふべからず。況や多事を兼て心操をとヽのへざらんは不可なり。
■12
示して云く、昔し智覺禪師と云し人の發心出家のこと。此の師は初は官人なり。才幹に富み正直の賢人なり。國司たりし時官錢をぬすみて施行す。傍人是を帝に奏す。帝聞て大に驚怪す。ゥ臣も皆あやしむ。罪過すでに輕からず、死罪におこなはるべしと定まりぬ。爰に帝議して云く、此臣は才人なり、賢者なり。今ことさらに此罪を犯す、若し深き心あるか。頚を截んとき、悲み愁へたる氣色あらば速かに截べし。若し其の氣色なくんば定めて深き心あらん、截べからずと。敕使引去て截んとする時少も愁る氣色なし、還て喜ぶ氣色あり。自ら云く、今生の命は一切衆生に施すと。敕使驚き怪て帝に奏聞す。帝云く、然り定て深き心有ん。此事あるべしと兼て是を知と。依て其志を問。師云く、官を辭して命を捨て、施を行じて衆生に縁を結び、生を佛家に受て、一向に佛道を行ぜんと思ふと。帝是を感じて、許して出家せしむ。故に延壽と名を賜ふ。殺すべきをとヾむる故なり。今の衲子も是らほどの心を一度發すべきなり。命を輕じ衆生を憐む心深くして、身を佛制に任せんと思ふ心を發すべし。若し先きより此の心一念も有らば失なはじと保つべし。是れほどの心、一度おこさずして佛法を悟ることは有べからざるなり。
■13
夜話に云く、祖席に禪話をこヽろへる故實は、我が本より知り思ふ心、次第次第に知識の詞ばに隨ひて、改めもて行なり。假令(タトヒ)佛と云は、我が本より知たりつるやうは、相好光明具足し、説法利生のコありし釋迦弥陀等を佛と知たりとも、知識若し佛と云は、蝦蟆蚯蚓(ガマミミズ)ぞと云はば、蝦蟆蚯蚓を是ぞ佛と信じて、日比(ヒゴロ)の知解を捨つべきなり。此の蚯蚓の上に佛の相好光明、種種の佛の所具のコを求むるも、猶情見あらたまらざるなり。只當時の見ゆる處を佛と知なり。若し此の如く詞に隨て、情見本執をあらためもて行かば、自ら契ふ處ろあるべきなり。然あるに近代の學者、自らの情見を執し己見を本として、佛とはかふこそあるべけれと思ひ、亦吾が存ずるやうに差(たが)へば、さはあるまじい、なんどヽ云て、自らが情量に似たることやあらんと迷ひありくほどに、大方佛道の艶iなきなり。亦身を惜まずして百尺の竿頭に上りて、手足を放て一歩を進めよと云ふ時は、命ちありてこそ佛道も學すべけれと云て、眞實に知識に隨順せざるなり。能能思量すべきなり。
■14
夜話に云く、世間の人も衆事を兼學して、いづれも能くせざらんよりは、只一事を能くして、人前にしてもしつべきほどに學すべきなり。況や出世の佛法は、無始より以來修習せざる法なり。故に今もうとし。我性も拙なし。廣なる佛法に、ことの多般を兼ぬれば、一事をも成すべからず。一事を專にせんすら、本性昧劣の根器、今生に窮め難し。努力學人一事を專らにすべし 奘問て云く、若し然らば何ごといかなる行か、佛法に專ら好み修すべき。師云く、機に隨ひ根に順ふべしと云へども、今祖席に相傳して專らする處ろは坐禪なり。此の行、能く衆機を兼ね、上中下根ひとしく修し得べき法なり。我れ大宋天童先師の會下にして此道理を聞て後ち、晝夜に定坐して極熱極寒には發病しつべしとて、ゥ僧しばらく放下しき。我れ其の時自ら思はく、設ひ發病して死すべくとも、猶只是れを修すべし。病ひ無ひして修せず、此の身をいたはり用ひてなんの用ぞ。病ひして死せば本意なり。大宋國の善知識の會下にて修し死に、死してよき僧にさばくられたらんは、先づ勝縁なり。日本にて死せば、是れほどの人に、如法佛家の儀式にて沙汰すべからず。修行していまだ契悟せざらん先に死せば、結縁として生を佛家に受くべし。修行せずして身を久く持ても詮無きなり。なんの用ぞ。況や身を全ふし病ひ起らじと思はんほどに知らず、亦海にも入り死にもあはん時は、後悔いかん。此の如く案じつヾけて、思ひ切て晝夜端坐せしに、一切に病ひ發らず。今各も一向に思ひきりて修して見よ。十人は十人ながら得道すべきなり。先師天童の勸めかくの如し。
■15
示して云く、人は思ひ切て命をも棄て、身肉手足をも截ことは、中々せらるヽなり。然あれば世間の事を思ふに、名利執心の爲にも多くかくの如く思ひ切なり。只依り來る時に事に觸れ物に隨て、心品を調ふること難きなり。學者身命を捨ると思ふて、且くおしヽづめて、云ふべきことをも修すべきことをも、道理に順ずるが順ぜざるかと案じて、道理に順ぜば云ひ、若は行じもすべきなり。
■16
示して云く、學道の人衣糧を煩ふこと莫れ。只佛制を守て、世事を營むこと莫れ。佛の言く、衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。いづれの世にか此に二事の盡ること有ん。無常迅速なるを忘れて、徒らに世事に煩ふこと莫れ。露命の且(シバラ)く存ぜるあひだ、佛道を思て餘事をことヽすること莫れ。有人、問て云く、名利の二道は捨離し難しと云へども、行道の大なる礙りなれば、捨てずんばあるべからず。故へに是を捨つ。衣糧の二事は小縁なりと云へども、行者の大事なり。糞掃衣、常乞食は是れ上根の所行、亦是れ西天風流なり。~丹の叢林には常住物等あり。故に其煩ひ無し。我が國の寺院には常住物なし。乞食の儀も即ち絶て傳はらず。下根不堪の身、いかヾせん。然あらば予が如きは、檀信の信施を貪らんとするも、虚受の罪隨ひ來る。田商土工を營むは是れ邪命食なり。只天運に任せんとすれば、果報亦貧道なり。飢寒來らん時、是を愁ひとして行道を礙(サ)へつべし。或人諌めて云く、儞が行儀はなはだし、時を知らず、機をかへり見ざるに似たり。下根なり、末世なり。かくの如く修行せば、亦退轉の因縁となりぬべし。或は一檀那をも相かたらひ、若は一外護をもちぎりて、閑居靜處にして一身をたすけて、衣糧に煩ふこと無く、靜に佛道を行ずべし。是れ便ち財物等を貪るに非ず。暫時の活計を具して修行すべしと。此の詞を聞くと云へどもいまだ信用せず。かくの如きの用心いかん。答て云く、但夫れ衲子の行履、佛祖の家風を學ぶべし。三國ことなりといへども眞實學道の者いまだ此の如きの事あらず。只心を世事に執着すること莫れ。一向に道を學すべきなり。佛の言く、衣鉢の外は寸分も貯へざれ、乞食の餘分は飢たる衆生に施せ、設ひ受け來るとも寸分も貯ふべからず。況や馳走あらんや。外典に云く、朝に道を聞て夕べに死すとも可なりと。設ひ飢へ死に寒へ死すとも、一日一時なりとも佛ヘに隨ふべし。萬劫千生幾回か生じ幾度か死せん。皆な是れ世縁妄執の故へなり。今生一度佛制に隨て餓死せん、是れ永劫の安樂なるべし。いかに況や未だ一大藏ヘの中にも、三國傳來の佛祖、一人も飢へ死にし寒へ死にしたる人ありときかず。世間衣糧の資具は生得の命分ありて、求に依ても來らず、求ざれども來らざるにも非ず。只任運にして心に挾むこと莫れ。末法なりと謂ふて、今生に道心發ざずば、何れの生にか得道せん。設ひ空生迦葉の如くにあらずとも、只隨分に學道すべきなり。外典に云く、西施毛嬙(セイシマウシュウ)にあらざれども、色を好む者は色を好む、飛兎克ィに非ざれども、馬を好む者は馬を好む、龍肝鳳髓にあらざれども、味を好む者は味を好む。只隨分の賢を用るのみなり。俗なを此の儀あり。佛家亦かくの如くなるべし。況や亦佛二十年のuェを以て、未法の我らに施す。是に依て天下の叢林、人天の供養絶へず。如來~通のコ自在なるも、馬麥(カラムギ)を食して夏を過しましましき。未法の弟子、豈に是を慕はざらんや。問て云く、破戒にして虚く人天の供養を受け、無道心にして、徒に如來のuェを費やさんより、在家人に隨ふて在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんこと如何ん。答て云く、誰か云ひし破戒無道心なれと。只強て道心を發し佛法を行ずべきなり。いかに況や持戒破戒を論ぜず、初心後心を分かたず、齊しく如來のuェを與ふとは見へたれども、破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見へず。誰人か初めより道心ある。只かくの如く發し難きを發し、行じがたきを行ずれば、自然に攝iするなり。人々皆な佛性あり。徒づらに卑下すること莫れ。亦文選に云、一國爲一人興先賢爲後愚廢(一國は一人の爲に興る、先賢は後愚の爲に廢る)と。言ふこヽろは、國に賢者一人出來れば其の國興る、愚人ひとり出來れば先賢のあと廢るヽなり。是を思ふべし。
■17
雜話の次でに云く、世間の男女老少、多く交會婬色等の事を談ず。是を以心を慰むるとし興言とすることあり。一旦意をも遊戲し、徒然も慰むるに似たりと云ふとも、僧はもつとも禁斷すべきことなり。俗猶よき人、まことしき人の、禮儀をも存じげにげにしき談の時、出來らざることなり。只亂醉放エなる時の談なり。況や僧は專ら佛道を思ふべし。雜語は希有異體の亂僧の云ふことなり。宋土の寺院なんどには、キて雜談をせざれば、其やうなることをも云はざるなり。吾が國も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出來らず。滅後にも在世の時の門弟子等、少々殘りとヾまりたりし時は、一切に云はざりき。近ごろ此の七八年より以來、今ま出の若き人たち、時々談ずるなり。存外の次第なり。聖ヘの中にも、麁強惡業(ソガウノアクゴウ)令人覺悟無利言説能障正道とありて、只うち出して云處の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり。況やかくの如きの言語は、ことばに引れて、即ち心も起りつべし。最も用心すべきなり。故さらにかくなん云はじとせずとも、惡きことヽ知りなば、漸々に對治すべきなり。
■18
夜話に云く、世人多く善事を作す時は人に知られんと思ひ、惡事を作す時は人に知れじと思ふに依て、此の心冥衆の心に合はざるに依て、所作の善事には感應なく、密(ヒソカ)に作す所の惡事には罰あるなり。是に仍て還て自ら謂く、善事には驗しなし、佛法の利u(リヤク)すくなしと思へるなり。是れ即ち邪見なり。最も改むべし。人も知らざる時に密に善事をなし、惡事を錯りて、後には發露してとがを悔ふ。かくの如くすれば便ち密々になす處の善事には感應あり。露(アラハ)るヽ惡事は懺悔せられて罪み滅する故に、自然に現uもあるなり。當果をも亦知るべし。爰(ココ)に有る在家人來りて問て云く、近代在家人衆僧を供養し佛法を歸敬するに、多く不吉のこと出來るに依て、邪見起り三寶に歸せじと思ふ、いかんと。答て云く、是は衆僧佛法の咎にはあらず、便ち在家人自らの錯(アヤマリ)なり。其の故は、假令(タトヒ)人目ばかりに持戒持齋の僧をば貴び供養し、破戒無慚の飮酒食肉等するをば不當なりと思ふて供養せず、此の差別の心寔(マコト)とに佛意にそむけり。故に歸敬の功もむなしく感應もなきなり。戒の中にも處々に此の心を誡めたり。僧ならばコの有無を擇(エ)らまず只供養すべきなり。殊に其の外相を以て内コの有無を決定すべからず。末世の比丘いさヽか外相尋常ならぬ處見ゆれども、亦是れにまされる惡心も惡事もあるなり。然る間だ、よき僧あしき僧を差別し思ふこと無ふして、佛弟子なれば貴びて平等の心にて供養歸敬もせば、必ず佛意に契て利uもひろかるべし。亦冥機、冥應、顯機、顯應等の四句あることを思ふべし。亦現生後報等の三時業のこともあり。是らの道理能々學すべきなり。
■19
夜話に云く、若し人來て用事を云ふ中に、或ひは人にものをこひ、或は訴訟等のことをも云んとて、一通の状をも所望すること出て來ること有んに、其の時我は非人なり、遁世籠居の身なれば、在家等の人に非分のことを云んは非なりとて、眼前の人の所望をかなへずば、實に非人の法には似たれども、其の心中をさぐるに、猶我れは遁世非人なり、非分のことを人に云はヾ、人定めてわるく思ひてんと云ふ道理を思ふて、聽かずんば、なを是れ我執名聞なり。只其の時に望んで能々思量して、眼前の人の爲に一分の利uとなるべき事をば、人にあしく思はんことをも顧みずなすべきなり。此のこと非分なり、わるしとて、疎(ウト)みもし中をもたがわんも、かくの如くの不覺の知音(チイン)、中たがわん事何か苦るしかるべき。外には非分の僻事をすると人には見ゆるとも、内には我執を破り名聞を捨つる、第一の用心なり。佛菩薩は人の來て請ふときは身肉手足をも截れり、況や人來て一通の状をこはんに、名聞計りを思ふて其の事を聞かぬは是れ我執深きなり。人々ひじりならず、非分の事を云ふ人かなと、所詮なく思ふとも、我は名聞をすてヽ一分の人の利uとならば眞實の道に相應すべきなり。古人も其の義あるかと見ゆること多し。我も其の義を思ふて、少々檀那知音の思ひかけざる事を人に申傳へて給はれと云事をば、文み一通遣りて一分の利uを作すは易きことなり。奘問て云く、此こと寔に然り。たヾし善事にて人の利uとならんことを、人にも云ひ傳へんとは最ともなるべし。若し僻事を以て人の所帶を取んと思ひ、或ひは人の爲にあしき事を云んをば、云ひ傳ふべきや、如何ん。師云く、理非等のことは我が知るべきに非ず。只一通の状を乞へば與ふれども、理非に任せて沙汰あるべき由をこそ、人にも云ひ、状にも載すべけれ。請け取て沙汰せん人こそ、理非をば明らむべけれ。吾が分上にあらぬ此の如きのことを、理を柾(マゲ)てその人に云んことも亦非なり。亦現の僻事なれども、我を大事にも思ふ人にて、此の人の云んことは善惡たがへじと思ふほどの智音(チイン)ありて、檀那の處へひがごとを以て、不得心の所望をなさば、其れを只今その人より所望のことを一往聞くとも、彼の状には、去り難く申せば申すばかりなり、道理に任せて沙汰あるべしと書くべきなり。一切に是なれば彼れも是れも遺恨あるべからざるなり。此の如くのこと、人に對面をもし出來ることにつきて能々思量すべきなり。所詮は事に觸て名聞我執を捨つべきなり。
■20
夜話に云く、今ま世出世間の人、多分は善事をなしてはかまへて人に知られんと思ひ、惡事を作しては人に知られじと思ふ。是に依て内外不相應のこと出來たる。あいかまへて内外相應し、錯まりを悔ひ、實コをかくして外相をかざらず、好事をば他人にゆずり、惡事をば己れにむかふる志氣あるべきなり。問て云く、實コを藏し外相を飾らざらんこと、寔とに然るべし。但し佛菩薩は大悲利生を以て本とす。無智の道俗等、外相の不善を見て是を謗り難ぜば、謗僧の罪を感ぜん。實コを知らずとも外相を見て貴とび供養せば、一分のuェたるべし。是らの斟酌いかなるべきぞ。答て云く、外相を飾らずとて即ち放エならば亦是れ道理に差(タガ)ふ。實コを藏すと云ふて在家等の前にて惡行を現ぜん、亦是れ破戒の甚だしきなり。只希有の道心者、道者の由を人に知られんと思ひ、身にある失を人に知られじと思へども、ゥ天善~及び三寶の冥(ヒソカ)に知見する處なり。夫をば愧(ハヂ)ずして世人に貴とびられんと思ふ意ろを誡むるなり。只時にのぞみ事に觸て、興法の爲め利生の爲に、ゥ事を斟酌すべきなり。擬して後に云ひ思て後に行じて、卒暴なること莫れとなり。一切のことにのぞんで道理を案ずべきなり。念々止まらず、日々遷流(センル)して無常迅速なること、眼前の道理なり。知識經卷のヘへを待つべからず。只念々に明日を期することなく、當日當時ばかりを思ふて、後日は太だ不定なり。知り難ければ、只今日ばかり存命のほど佛道に隨はんと思ふべきなり。佛道に隨ふと云は興法利生の爲に身命を捨てヽゥ事を行じもてゆくなり。問て曰く、佛ヘのすヽめに隨はヾ乞食等を行ずべきか、如何ん。答ふ、然あるべし。たヾし是れは土凮(ドフウ)に隨て斟酌あるべし。なににても利生も廣く我が行もすヽまんかたにつくべきなり。是らの作法、道路不淨にして佛衣を着して經行せばけがれつべし。亦人民貧窮にして次第乞食もかなふべからず。行道も退きつべく利uも廣からざらんか。只土凮をまほり尋常に佛道を行じ居たらば、上下の輩がら自ら供養を作し、自行化他成就せん。此の如きの事も、時に望み事に觸て道理を思量して、人目を思はず自らのuを忘て、佛道利生の爲に能(ヨキ)やうに計らふべし。  
■21
示して云く、學道の人、世情を捨つべきについて、重々の用心あるべし。世をすて家をして身をすて心を捨つるなり。能々(ヨクヨク)思量すべきなり。世を遁(ノガレ)て山林に隱居すれども、吾が重代の家を絶やさず、家門親族のことを思ふもあり。亦世をものがれ家をもすてヽ、親族境界をも遠離すれども、我が身を思て苦るしからんことをばせじ、病ひ起るべからん事は佛道なりとも行ぜじと思ふも、いまだ身を捨ざるなり。亦身をも惜まず難行苦行すれども、心佛道に入らずして我が心に差ふことをば、佛道なれどもせじと思ふは、心を捨ざるなり。
正法眼藏隨聞記第二 (長円寺本・第三)    侍者懷奘編  

 

■1
示して云く、行者先づ心をだにも調伏しつれば、身をも世をも捨ることは易きなり。只言語につけ行儀につけて人目を思ひて、此の事は惡事なれば人あしく思ふべしとてなさず、我れ此の事をせんこそ佛法者と人は見んとて、事に觸て善きことをせんとするも、猶を世情なり。然あればとて亦恣(ホシ)ひまヽに我が心に任せて惡事をするは、一向の惡人なり。所詮惡心を忘れ我が身を忘れて、只一向に佛法の爲にすべきなり。向ひ來らんごとに隨て用心すべきなり。初心の行者は先づ世情なりとも、人情なりとも惡事をば心に制し、善事をば身に行ずるが、便ち身心を捨つるにて有なり。
■2 
示して云く、故僧正建仁寺におはせし時、獨りの貧人來りて云く、我が家貧ふして絶煙數日におよぶ。夫婦子息兩三人餓死しなんとす。慈悲を以て是れを救ひ給へと云ふ。其の時房中にキて衣食財物等無し。思慮をめぐらすに計略つきぬ。時に藥師の像を造らんとて光(クワウ)の料に打のべたる銅少分ありき。是れを取て自ら打をり、束ねまるめて彼の貧客にあたへて云く、是を以て食物にかへて餓をふさぐべしと。彼の俗よろこんで退出しぬ。時に門弟子等難じて云く、正しく是れ佛像の光なり。これを以て俗人に與ふ。佛物己用の罪如何ん。僧正の云く、誠に然り。但し佛意を思ふに佛は身肉手足を割きて衆生に施こせり。現に餓死すべき衆生には、設ひ佛の全體を以て與ふるとも佛意に合ふべし。亦云く、我れは此の罪に依て惡趣に墮すべくとも、只衆生の飢へを救ふべしと云云。先達の心中のたけ今の學人も思ふべし。忘るヽこと莫れ。亦有る時、僧正の門弟の僧等の云く、今の建仁寺の寺ら屋敷、川原に近し。後代に水難なりぬべしと。僧正の云く、我れ寺の後代の亡失、是れを思ふべからず。西天の祇園我qもいしずゑばかりとヾまれり。然あれども寺院建立の功コ失すべからず。亦當時一年半年の行道、其の功コ莫大なるべしと。今ま是れを思ふに、寺院の建立寔に一期の大事なれば未來際をも兼て難無きやうにとこそ思ふべけれども、さる心中にも亦此の如きの道理、存ぜられたる心のたけ、寔に是れを思ふべし。
■3
夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴(ギチヨウ)奏して云く、土民等帝を謗ずることありと。帝云く、寡人仁ありて人に謗ぜられば、愁ひとすべからず、仁無ふして人に讃ぜられば、是れを愁ふべしと。俗猶をかくの如し。僧は最も此の心あるべし。慈悲あり道心ありて愚癡人に誹謗せられんは、苦しかるべからず、無道心にて人に有道と思はれん、是れを能々津つヽしむべし。亦示して云く、隋の文帝の云く、密々にコを修して飽けるをまつ。言ふ心は、よき道コを修して、あけるをまちて民をいつくしうするとなり。僧猶を是に及ばずんばもつとも用心すべきなり。只内に道業を修すれば、自然に道コ外にあらはれて、人に知れんことを期せずのぞまずして、只もつぱら佛ヘにしたがひ祖道に隨がひゆけば、人自づから道コに歸するなり。こヽに學人の錯まり出で來るやうは、人にたつとばれ財寶いで來るを以て、道コのあらはれたると、自からも思ひ人も知り思ふなり。是れ即ち天魔波旬のつきたると心にしりて、最も思量すべし。ヘの中に是は魔の所爲と云なり。いまだ聞かず、三國の例、財寶にとみ愚人の歸敬をもつて道コとすべきことを。道心者と云ふは昔しより三國みな貧にして、身をくるしくし一切を省約して、慈あり道あるを、まことの行者と云ふなり。コのあらはるヽと云も、財寶にゆたかに供養にほこるを云にあらず。コの顯はるヽに三重あるべし。先づは其の人其の道を修するなりと知らるヽなり。次には其の道を慕ふ者いで來る。後には其の道をおなじく學し同じく行ずる、是を道コのあらはるヽと云ふなり。
■4
夜話に云く、學道の人は人情を棄べきなり。人情をすつると云は佛法に隨がひ行くなり。世人をほく小乘根性にて、善惡をわきまへ是非を分ちて是をとり非をすつるは、みな是れ小乘根性なり。只先づ世情をすてヽ佛道に入るべし。佛道に入には、我こヽろに善惡を分けてよしと思ひ、あしヽと思ふことをすてヽ、我が身よからん我が意ろなにとあらんと思ふ心をわすれて、善くもあれ惡くもあれ佛祖の言語行履(アンリ)に隨がひゆくなり。吾が心に善しと思ひ亦世人のよしと思ふこと、必らずしも善からず。然あれば人めもわすれ吾が意ろをもすてヽ、佛ヘに隨はひゆくなり。身もくるしく心も愁ふるとも、我が身心をば一向にすてたるものなればと思ふて、苦るしくうれへつべきことなりとも、佛祖先コの行履ならばなすべきなり。此の事はよきこと佛道にかなひたらめと思ふて、なしたく行じたくとも、もし佛祖の行履に無からん事はなすべからず。是れ必らず法門をもよくこヽろへたるにてあるなり。吾が心にも亦本より習ひ來たる法門の思量をば棄てヽ、只今見る所ろの祖師の言語行履に次第に心ろを移しもてゆくなり。かくのごとくすれば智慧もすヽみ悟りも開くるなり。本より學せし處ろのヘ家文字の功もすつべき道理あらば棄てヽ、今まの義につきて見るべきなり。法門を學する事は本より出離得道のためなり。我が所學多年の功つめり、なんぞたやすく捨てんと猶を心ろ深く思ふ、即ち此の心を生死繋縛(ケバク)の心と云ふなり。能々思量すべし。
■5
夜話に云く、故建仁寺僧正の傳をば顯兼(アキカネ)中納言入道の書れたるなり。其の時辭することばに云く、儒者に書かせらるべきなり。それゆへは、儒者はもとより身をわすれて幼なき時きより長となるなで學問を本とす。故にかき出したるものに誤なり無きなり。直(タダ)の人は身の出仕交衆を本として、かたはらことに學問をもするあひだ、自から好人あれども、文筆のみちにも誤まり出で來りなりと。是を思ふに昔しの人は外典の學問も身をわすれて學するなり。亦云く、故公胤(コウイン)僧正の云く、道心と云ふは一念三千の法門なんどを胸の中に學し入れてもちたるを道心と云ふなり。なにと無く笠を頚に懸て迷ひありくをば天狗魔縁の行と云ふなり。
■6
夜話に云く、故僧正の云く、衆僧各所用の衣糧等の事、予があたふると思ふ事なかれ。皆な是れゥ天に供(クウ)ずる所ろなり。吾れは取り次ぎ人にあたりたるばかりなり。亦各一期の命分具足す。奔走すること莫れ。吾が恩と思ふこと莫れと常にすヽめられける。是れ第一の美言とをぼゆるなり。亦大宋宏智(ワンシ)禪師の會下天童は常住物千人の用途なり。然あれば堂中七百人堂外三百人にて千人につもる常住物なるに、好き長老の住したる故へに、ゥ方の僧雲集して堂中千人なり。其外に五六百人あるなり。知事の人、宏智に訴たへて云く、常住物は千人の分なり、衆僧多く集まりて用途不足なり、柾げてはなたれんと申ししかば、宏智云く、人人みな口ちあり、汝ぢが事にあづからず、歎くこと莫れと云云。今ま是を思ふに、人人皆生得の衣食あり。思念によりても出で來らず、求めざれば來らざるにもあらず。在家人すらなを運に任かせて忠を思ひ孝を學す。いかに況や出家人はすべて他事を管ぜんや。釋尊遺付のuェあり、ゥ天應供の衣食あり、亦天然生得の命分あり。求めず思はずとも任運に命分あるべきなり。直饒(タト)ひ走り求めて寶らをもちたりとも、無常忽ちに來らん時如何ん。故へに學人は只須からく餘事を心ろにとヾめず、一向に學道すべきなり。亦ある人の云く、末世邊土の佛法興隆は、閑居靜處をかまへ衣食等の外護にわづらひなく、衣食具足して佛法修行せば、利uも廣かるべしと。今まこれを思ふに然らず。これに附ては、有相著我のゥ人あつまり學せんほどに、その中には一人も發心の人は出來るまじ。利養につき財欲にふけりて、縱ひ千萬人集りたらんも、一人無からんに猶おとるべし。惡道の業因のみ自ら積て、佛法の氣分なきゆへなり。もしC貧艱難にして、或ひは乞食し、あるひは果蓏(クワラ)等を食して、常に飢饉して學道せんに、是れを聞て若し一人も來り學せんと思ふ人あらんこそ、誠との道心者、佛法興隆ならめとおぼゆれ。艱難C貧によりてもし一人もなからんと、衣食ゆたかにしてゥ人あつまりて佛法の無からんとは、只八兩と半斤となり。亦云く、當世の人、多く造像起塔等の事を佛法興隆と思へり。是れ亦非なり。直饒ひ堂大觀玉をみがき金をのべたりとも、是れに依て得道の者あるべからず。只在家人の財寶を佛界に入れて善事をなすuェなり。亦小因大果を感ずることあれども、僧徒の此の事をいとなむは佛法興隆にはあらざるなり、たとひ草菴樹下にてもあれ、法門の一句をも思量し一と時の坐禪をも行ぜんこそ、誠の佛法興隆にてあらめ。今ま僧堂を立んとて勸進をもし隨分にいとなむ事は、必ずしも佛法興隆と思はず。只當時學道する人もなくいたづらに日月を送るあひだ、只あらんよりはと思ふて、迷徒の結縁ともなれかし、亦當時學道の徒(トモ)がらの坐禪の道場のためなり。亦思ひ始めたる事のならぬとても恨みあるべからず。只柱ら一本なりとも立てヽ置たらば、後來も、かく思ひくはだてたれども成らざりけりと見んも、苦るしかるべからずと思ふなり。
■7
亦ある人勸めて云く、佛法興隆にために關東に下向すべしと。答て云く、然らず。若し佛法に志しあらば、山川江海を渡りても來て學すべし。其の志ざし無らん人に往き向ふて勸むるとも、聞き入れんこと不定なり。只我が資縁のために人を誑惑せんか、亦財寶を貪らんがためか。其れは身の苦しみなれば、いかでもありなんと覺ゆるなり。
■8
亦云く、學道の人、ヘ家の書籍をよみ、外典等を學すべからず。見るべくんば語録等を見るべし。其の餘はしばらく是を置べし。近代の禪僧、頌を作くり法語を書かんがために文筆等をこのむ、是れ便ち非なり。頌につくらずとも心に思はんことを書出し、文筆とヽのはずとも法門をかくべきなり。是をわるしとて見ざらんほどの無道心の人は、よく文筆を調へていみじき秀句ありとも、只言語ばかりを翫あそんで理を得べからず。我れ本と幼少の時より好のみ學せしことなれば、今もやヽもすれば外典等の美言案ぜられ、文選等も見らるヽを、詮なき事と存ずれば、一向にすつべき由を思ふなり。
■9
一日示して云く、吾れ在宋の時禪院にして古人の語録を見し時、ある西川の僧道者にてありしが、我に問て云く、語録を見てなにの用ぞ。答て云く、古人の行李を知ん。僧の云く、何の用ぞ。云く、ク里にかへりて人を化せん。僧の云く、なにの用ぞ。云く、利生のためなり。僧の云く、畢竟じて何の用ぞと。予後に此の理を案ずるに、語録公案等を見て古人の行履をも知り、あるひは迷者のために説き聽かしめん、皆な是れ自行化他のために畢竟じて無用なり。只管打坐して大事をあきらめなば、後には一字を知らずとも、他に開示せんに用ひつくすべからず。故に彼の僧、畢竟じてなにの用ぞとは云ひける。是れ眞實の道理なりと思ひて、其の後語録等を見ることをやめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり。
■10
夜話に云く、眞實内コなふして人に貴びらるべからず。此の國の人は眞實の内コをば知らずして、外相を以て人を貴とぶほどに、無道心の學人は、即ち惡道にひきおとされて魔の眷屬となるなり。人に貴とびられんは安き事なり。中々身を捨て世をそむく由を以てなすは、外相ばかりの假令(ケリヤウ)なり。只なにともなく世間の人の様にて内心を調へもてゆくが、是れ實の道心者なり。然あれば古人の云く、内ち空しふして外したがふと。云心は、内心は我心なふして、外相は他に隨がひもてゆくなり。我が身我が心と云ふ事を一向に忘れて佛法に入て、佛法のおきてに任かせて行じもてゆけば、内外ともによく今も後もよきなり。佛法の中にもそヾろに身をすて世をすつればとて、棄つべからざる事をすつるは非なり。此の土の佛法者道心者を立る人の中にも、身をすつるとて、人はいかにも見よと思ひて、ゆへ無く身をわるくふるまひ、或は亦世を執せぬとて、雨にもぬれながら行きなんどするは、内外ともに無uなるを、世間の人はすなはち此らを、貴き人かな世を執せぬなんどヽ思へるなり。中に佛制を守りて戒律の儀をも存じ、自行化他佛制にまかせて行ずるをば、かへりて名聞利養げなるとて人も管ぜざるなり。夫れが却て吾がためには佛ヘにも隨ひ内外のコも成ずるなり。  
■11
夜話に云く、學道の人、世間の人に智者もの知りとしられては無用なり。眞實求道の人の一人もあらん時は、我が知る所の佛祖の法を説かざることあるべからず。直饒ひ我を殺ろさんとしたる人なりとも、眞實の道を聽んとて誠との心を以て問はヾ、怨心をわすれて是が爲に説べきなり。其外かヘ家の顯密及び内外の典籍等の事、知りたる氣色しては全く無用なり。人來りて此の如きの事を問はヾ、知らずと答へたらんに一切に苦るしかるべからざるなり。其れをもの知らぬはわるしと人も思ひ、愚人と自らも覺ゆる事を傷んで、ものを知らんとて博く内外典を學し、剩すさへ世間世俗の事をも知らんと思ふてゥ事を好み學し、あるひは人にも知りたる由をもてなすは、究めて僻事なり。學道のために眞實に無用なり。知りたるを知らざる氣色するも、むつかしくやうがましければ、却てあたる氣色にてあしきなり。本とより知らざらんは苦るしからざることなり。我れ幼少の時、外典等を好み學しき。夫れがのち入宋傳法するまでも、内外の書籍を開き方語を通ずるまでも、大切の用事、亦世間のためにも、尋常ならざる事なり。俗なんども尋常ならざる事に思ひたる、かたがたの用事にてありけれども、今ま熟つら思ふに、學道のさはりにてあるなり。只聖ヘを見るとも文に見ゆる所ろの理を次第に心ろ得てゆかば、其の道理を得つべきなり。然るに先づ文章を見、對句韻聲なんどを見て、よきぞあしきぞと心に思ふて、後に理をば心得るなり。然あれば中々知らずして、初めより道理を心ろえて行かばよかるべきなり。法語等を書くにも、文章におほせて書んとし、韻聲差へば礙(サ)へられなんどするは、知りたる咎なり。語言文章はいかにもあれ、思ふ儘の理を顆々と書きたらんは、後來も文はわろしと思ふとも、理だにも聞ゑたらば道のためには大切なり。餘の才學も此くの如し。傳へ聞く、故野の空阿彌陀佛は、本は顯密の碩コなりき。遁世の後ち念佛の門に入て後に、眞言師ありて來て密宗の法門を問けるに、彼の人答へて云く、皆わすれおはりぬ、一字もおぼへずとて、答へられざりけるなり。是らこそ道心の手本となるべけれ。などかは少々覺へではあるべき。然あれども無用なる事をば云はざりけるなり。一向念佛の日はさこそ有べけれと覺ゆるなり。今の學者も此の心あるべし。縱ひもとヘ家の才學等ありとも皆忘れたらんは好事なり。況や今ま學すること努々あるべからず。宗門の語録等、猶を眞實參學の道者は見るべからず。其の餘は是を以て知るべし。
■12
夜話に云く、今此國の人は、多分、或ひは行儀につけ、或ひは言語につけ、善惡是非世人の見聞識知を思ふて、其の事をなさば人惡しく思ひてん、其の事は人善しと思ひてんと、乃至向後までをも執するなり。是れ全く非なり。世間の人必ずしも善とすることあたはず。人はいかにも思はヾ思へ、狂人とも云へ、我が心に佛道に順じたらんことをばなし、佛法に順ぜずんば行ぜずして、一期をも過ごさば、世間の人はいかに思ふとも苦るしかるべからず。遁世と云は世人の情を心にかけざるなり。たヾ佛祖の行履菩薩の慈悲を學して、ゥ天善~の冥に照す所を慚スして、佛制に任せて行じもてゆかば、一切苦るしかるまじきなり。さればとて亦人の惡しヽと思ひ云んも苦るしかるべからずとて、放エにして惡事を行じて人を愧ざるは、是れ亦非なり。たヾ人目にはよらずして一向に佛法に依て行ずべきなり。佛法の中には亦然のごときの放エ無慚をば制するなり。
■13
亦云く、世俗の禮にも、人の見ざる處あるひは暗室の中なれども、衣服等をきかゆる時も、亦坐臥する時にも放エに隱處なんどをも藏くざず無禮なるをば、天に慚ぢず鬼に斷ぢずとてそしるなり。只だ人の見る時と同くかくすべき處をもかくし、はづべきことをもはづるなり。佛法の中も亦戒律かくのごとし。然あれば道者は内外を論ぜず、明暗を擇ばず、佛制を心に存じて人の見ず、知らざればとて惡事を行ずべからざるなり。
■14
一日學人問て云く、某甲なを學道を心にかけて年月を經るといへども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道は聡明靈利に依らず、有智明敏を用ひずと云ふ。然あれば我が身、下根劣器なればとて卑下すべきにもあらずときこへたり。若し故實用心を存ずべき様ありや、如何ん。示して云く、然あり、有智高才を用ひず、靈利聡明によらぬは、まことの學道なり。あやまりて盲聾癡人のごとくになれとすヽむるは非なり。學道は是れ全く多聞高才を用ひぬ故へに、下根劣器と嫌ふべからず。誠の學道はやすかるべきなり。然あれども大宋國の叢林にも、一師の會下の數百千人の中に、まことの得道得法の人はわずかに一人二人なり。然あれば故實用心もあるべきなり。今ま是を案ずるに志の至と至らざるとなり。眞實の志しを發して隨分に參學する人、得ずと云ふことなきなり。その用心の樣は、何事を專らにしその行を急にすべしと云ことは、次のことなり。先ず只欣求の志しの切なるべきなり。譬へば重き寶をぬすまんと思ひ、強き敵をうたんと思ひ、高き色にあはんと思ふ心あらん人は、行住坐臥、ことにふれおりに隨て、種種の事はかはり來るとも其れに隨て、隙を求め心に懸くるなり。この心あながちに切なるもの、とげずと云ふことなきなり。此の如く道を求る志し切になりなば、或は只管打坐の時、或は古人の公案に向はん時、若は知識に逢はん時、實の志しを以て行ずる時、高くとも射つべく深くとも釣りぬべし。是れほどの心ろ發らずして、佛道の一念に生死の輪廻をきる大事をば如何んが成ぜん。若し此の心あらん人は、下智劣根をも云はず、愚癡惡人をも論ぜず、必ず悟りを得べきなり。亦此の志しをおこす事は切に世間の無常を思ふべきなり。此の事は亦只假令の觀法なんどにすべきことにあらず。亦無きことをつくりて思ふべきことにもあらず。眞實に眼前の道理なり。人のおしへ、聖ヘの文、證道の理を待つべからず。朝に生じて夕ふべに死し、咋目みし人今目はなきこと、眼に遮ぎり耳にちかし。是は他のうへにて見聞することなり。我が身にひきあてヽ道理を思ふに、たとひ七旬八旬に命を期すべくとも、終に死ぬべき道理に依て死す。其の間の憂へ樂しみ、恩愛怨敵等を思ひとげばいかにでもすごしてん。只佛道を信じて涅槃の眞樂を求むべし。況や年長大せる人、半ばに過ぬる人は、餘年幾く計りなれば學道ゆるくすべきや。此の道理も猶のびたる事なり。眞實には、今日今時こそかくのごとく世間の事をも佛道の事をも思へ、今夜明日よりいかなる重病をも受て、東西をも辨へぬ重苦の身となり、亦いかなる鬼~の怨害をもうけて頓死をもし、いかなる賊難にもあひ怨敵も出來て殺害奪命せらるヽこともやあらんずらん。實に不定なり。然あれば是れほどにあだなる世に、極て不定なる死期をいつまで命ちながらゆべきとて、種種の活計を案じ、剩さへ他人のために惡をたくみ思て、いたづらに時光を過すこと、極めておろかなる事なり。此の道理眞實なればこそ、佛も是れを衆生の爲に説きたまひ、祖師の普説法語にも此の道理のみを説る。今の上堂請u等にも、無常迅速生死事大と云ふなり。返返(カヘスガヘス)も此の道理を心にわすれずして、只今日今時ばかりと思ふて時光をうしなはず、學道に心をいるべきなり。其の後は眞實にやすきなり。性の上下と根の利鈍は全く論ずべからざるなり。
■15
夜話に云く、人多く遁世せざることは、我が身をむさぼるに似て、我が身を思はざるなり。是れ便ち遠慮なきなり。亦是れ善知識にあはざるに依てなり。縱ひ利養を思ふとも常樂のuを得て龍天の供養を得んことを願ひ、名聞を思ふとも佛祖の名を得、古コの名を得ば後賢も是れを聞ては慕ふべきなり。
■16
夜話に云く、古人の云く、朝に道を聞て夕べに死すとも可なりと。いま學道の人も此の心あるべきなり。曠劫多生の間だ、いくたびか徒らに生じ徒らに死せしに、まれに人身を受けてたまたま佛法にあへる時、此の身を度せずんば、何れの生にか此身を度せん。縱ひ身を惜みたもちたりともかなふべからず。ついに捨てヽ行く命ちを一日片時なりとも佛法のために捨てたらんは、永劫の樂因なるべし。後のこと明目の活計を思ふて棄つべき世を捨てず、行ずべき道を行ぜずして、徒らに日夜を過すは、口惜きことなり。只思ひきりて、明日の活計なくば飢へ死にもせよ、寒ごへ死にもせよ、今日一日道を聞て佛意に隨て死せんと思ふ心を、まづ發すべきなり。然るときんば道を行じ得んこと一定(イチヂヤウ)なり。此の心なければ、世をそむき道を學する様なれども、猶しり足をふみて夏冬の衣服等のことをした心にかけて、明日猶明年の活命を思ふて佛法を學せんは、萬劫千生學すともかなふべしともおぼへず。亦さる人もやあらんずらん、存知の意趣、佛祖のヘへにはあるべしともおぼへざるなり。
■17
夜話に云く、學人は必ずしぬべきことを思ふべき道理は勿論なり。たとひ其のことをば思はずとも、暫く先づ光陰を徒らに過さじと思ひて、無用のことをなして徒らに時を過ざず、詮あることをなして時を過すべきなり。其のなすべきことの中にも、亦一切のこといづれか大切なると云ふに、佛祖の行履の外はみな無用なりと知るべし。
■18
或る時奘問て云く、衲子の行履、舊損の衲衣等を綴り補ふてすてざれば、ものを貪惜するに似たり。亦舊きをすてヽ新しきを隨て用れば、新しきを貪求する心あり。兩ながら答あり。畢竟じていかんが用心すべき。答て云く、貪惜貪求の二つをだにも離れなば、兩頭ともに失なからん。ただし、破たるを綴て久からしめて、新きをむさぼらずんば、可ならんか。
■19
夜話の次に、奘問て云く、父母の報恩等の事は作すべきや。示して云く、孝順は最用なる所なり。然あれども其の孝順に在家出家の別あり。在家は孝經等の説を守て生につかへ死につかふること、世人みな知れり。出家は恩をすてヽ無爲に入る故に、出家の作法は恩を報ずるに一人にかぎらず、一切衆生をひとしく父母のごとく恩深しと思ふて、なす處の善根を法界にめぐらす。別して今生一世の父母にかぎらば無爲の道にそむかん。日日の行道、時時の參學、只佛道に隨順しもてゆかば、其れを眞實の孝道とするなり。忌日の追善中陰の作善なんどは皆在家に用ふる所ろなり。衲子は父母の恩の深きことをば實の如くしるべし。餘の一切も亦かくの如しと知るべし。別して一日を占てことに善を修し、別して一人を分て廻向するは、佛意にあらざるか。戒經の父母兄弟死亡之日の文は、且く在家に蒙むらしむるか。大宋叢林の衆僧、師匠の忌日には其儀式あれども、父母の忌日は是を修したりとも見へざるなり。
■20
一日示して云く、人の利鈍と云ふは、志しの到らざる時のことなり。世間の人の馬より落る時、いまだ地におちつかざる間に種種の思ひ起る。身をも損じ命ちをも失するほどの大事出來る時は、誰人も才學念慮を廻すなり。其時は利根も鈍根も同くものを思ひ義を案ずるなり。然あれば今夜死に明目死ぬべしと思ひ、あさましきことに逢ふたる思ひを作して、切にはげまし志をすヽむるに、悟りをえずと云ふことなきなり。中々世智辯聡なるよりも鈍根なるやうにて切なる志しを發する人、速に悟りを得るなり。如來在世の周梨槃特のごときは、一偈を讀誦することも難かりしかども、根性切なるによりて一夏に證を取りき。只今ばかり我が命は存ずるなり。死なざる先きに悟を得んと切に思ふて佛法を學せんに、一人も得ざるはあるべからざるなり。  
■21
一夜示して云く、大宋の禪院に麥米等をそろへて、惡きをさけ善きをとりて等にすることあり。是れを或る禪師の云く、直饒ひ我が頭をうち破ること七分にすとも、米をそろふることなかれと。頌につくり戒めたり。此のこヽろは、僧は齋食等をとヽのへて食することなかれ、只有るにしたがひてよければよくて食し、惡きをもきらはずして食すべきなり。只檀那の信施、C淨なる常住食を以て、餓を除き命をさヽへて行道するばかりなり。味ひを以て善惡を擇ぶことなかれと謂ふなり。今ま我が會下の徒衆も此の心あるべし。
■22
因に問て云く、學人若し自己これ佛法なり、外に向て求むべからずとききて、深く此の言を信じて、向來の修行參學を放下して、本性に任せて善惡の業をなして一期を過さん、此の見解いかん。示して云く、此の見解、言と理と相違せり。外に向て求むべからずと云て、行を捨て學を放下せば、此の放下の行を以て所求ありときこへたり。これ覓(モト)めざるにはあらず。只行學もとより佛法なりと證して、無所求にして、世事惡業等は我が心になしたくともなさず、學道修行に懶(モノ)うきをもいとひかへりみず、此行を以て打成一片に修して、道成ずるも果を得るも我が心より求ることなふして行ずるをこそ、外に向て覓ることなかれと云道理にはかなふべけれ。南嶽の磚(セン)を磨して鏡となせしも、馬祖の作佛を求めしを戒めたり。坐禪を制するにはあらざるなり。坐はすなはち佛行なり、坐はすなはち不爲なり。是れ便ち自己の正體なり。此の外別に佛法の求むべき無きなり。
■23
一日請uの次でに云く、近代の僧侶、多く世俗に隨ふべしと云ふ。今思ふに然あらず。世間の賢すらなを、民俗にしたがふことをけがれたることと云ひて、屈原の如きんば世は擧て皆よへり、我は獨り醒たりとて、民俗に隨はずして、終に滄浪に沒す。況や佛法は事と事とみな世俗に違背せるなり。俗は髮を飾る、僧は髮を剃る。俗は多く食す、僧は一食す。皆そむけり。然して後に還て大安樂の人となるなり。故へに僧は一切世俗にそむけるなり。
■24
一日示して云く、治世の法は、上み天子より下も庶民に到るまで、各皆な其の官に居する者は其の業を修す。其の人にあらずして其の官に居するを亂天の事と云ふ。政道が天意に合(カナ)ふ時は世すみ民やすきなり。故へに帝は三更の三點に起させ給ひて、治世の時としましませり。たやすからざることなり。佛の法も只職のかはり、業の異なるばかりなり。國王は自ら思量を以て政道をはからひ、先規をかんがへ、有道の臣を覓めて、政ごと天意に相合ふ時、是を治世と云ふなり。若し是を怠れば、天に背き世亂れ民苦るしむなり。其れより以下、ゥの公卿大夫士庶民皆各の司どる所ろの業あり。其れに順ふを人とは云なり。其れに背くは天事を亂る故に、天の刑を蒙るなり。然あれば佛法の學人も、世を離れ家を出ればとて、徒らに身を安すんぜんと思ふこと、片時もあるべからず。初めは利あるに似たれども、後には大いに害あるなり。出家の作法に順て、全く其の職を治め、其の業を修すべきなり。世間の治世は先規有道をかんがへ求れども、先聖先達のたしかに相傳したる例なければ、自ら其の時の例に隨ふこともあれども、佛子はたしかなる先規ヘ文顯然なり。亦相承傳來の知識現在せり。我れに思量あり。四威儀の中において一一に先規を思ひ、先達に隨ひ、修行せんになじかは道を得ざるべき。俗は天意に合はんと思ひ、衲子は佛意に合はんと思ふ。修業ひとしくして得果すぐれたれば一得永得ならん。かくの如く大安樂の爲に、一世幻化の此身を苦しめて佛意に隨んは、唯行者の心にあるべし。然ありと云へども亦そヾろに身を苦しめ、なすべからざることをなせと、佛ヘには勸むることなきなり。戒行律儀に隨がひ以てゆけば、自然に身やすく行儀も尋常に人めもやすきなるほどに、只今案の我見の身の安樂を捨てヽ、一向に佛制に順ずべきなり。
■25
亦云く、我れ大宋天童禪院に寓居せし時、淨老宵には二更の三點まで坐禪し、曉は四更の二點三點よりおきて坐禪す。長老と共に僧堂裡に坐す。一夜も懈怠なし。其の間だ、衆僧多く眠る。長老巡り行て睡眠する僧をば或ひは拳を以て打ち、或ひは履をぬいで打ち、恥かしめ進めて眠りを醒す。猶を眠る時は照堂に行て鐘を打ち、行者を召し蝋燭をともしなんどして、卒時に普説して云く、僧堂裡に集り居て徒らに眠りて何の用ぞ。然あらば何ぞ出家して入叢林するや。見ずや、世間の帝王官人、何人か身をたやすくする。君は王道を治め臣は忠節を盡し、乃至庶民は田を開き鍬を取るまでも何人かたやすくして世を過す。是れをのがれて叢林に入て空(ムナシ)く時光を過して、畢竟じて何の用ぞ。生死事大なり、無常迅速なりとヘ家も禪家も同く勸む。今夕明旦如何なる死をか受け如何なる病をかうけん。且く存ずるほど、佛法を行ぜず、睡り臥して空く時を過すこと最も愚なり。かくの如くなる故に佛法は哀へ行くなり。ゥ方佛法の盛んなりし時は、叢林皆坐禪を專らにせしなり。近代ゥ方坐禪を勸めざれば佛法澆薄しゆくなりと。かくの如くの道理を以て衆僧をすヽめて坐禪せしめられしこと、まのあたり是れを見しなり。今の學人も彼の風を思ふべし。亦或る時き、近仕の侍者等云く、僧堂裡の衆僧、眠りつかれて或ひは病ひ起り退心も起りつべし、これ坐の久き故か、坐禪の時剋を縮められばやと申しければ、長老大に嗔りて云く、然あるべからず。無道心の者の假令に僧堂に居するは半時片時なりとも猶を眠るべし。道心ありて修行の志し有らんは、長からんにつけていよいよ喜び修せんずるなり。我れ弱(ワ)かヽりし時ゥ方の長老を歴觀せしに、ある長老此の如く勸めて云く、己前は眠る僧をば拳も缺なんとするほどに打ちたるが、今は老後になりてちからよはくなりて、つよくも打ち得ざるほどに、よき僧も出來らざるなり。ゥ方の長老も坐を緩く勸る故に佛法は衰微せるなり。我は彌よ打べきなり、とのみ示されしなり。
■26
亦云く、道を得ることは心を以て得るか、身を以て得るか。ヘ家等にも身心一如と云て、身を以て得るとは云へども、猶一如の故にと云ふ。しかあれば正く身の得ることはたしかならず。今我が家は身心ともに得るなり。其の中に心を以て佛法を計校する間は、萬劫千生得べからず。心を放下して知見解會を捨る時得るなり。見色明心聞聲悟道の如きも、猶を身の得るなり。然あれば心の念慮知見を一向に捨て只管打坐すれば道は親しみ得なり。然あれば道を得ることは正しく身を以て得るなり。是に依て坐を專らにすべしと覺へて勸むるなり。  
正法眼藏隨聞記第三 (長円寺本・第四)    侍者懷奘編  

 

■1
示して云く、學道の人、身心を放下して一向に佛法に入るべし。古人云く、百尺竿頭如何進歩と。然あれば百尺の竿頭にのぼりて、足をはなたば死ぬべしと思ふて、つよく取つく心のあるなり。其れを一歩を進めよと云ふは、よもあしからじと思ひ切て、身命を放下するやうに、度世の業よりはじめて一身の活計に到るまで、思ひすつべきなり。其れを捨てざらんほどは、いかに頭燃を拂ふて學道するやうなりとも、道を得ることはかなふべからざるなり。たヾ思ひ切て身心ともに放下すべきなり。
■2
有る時、さる比丘尼問て云く、世間の女房なんどだにも佛法とて勤學す。比丘尼の身には少少の不可ありとも、何ぞ佛法にかなはざるべきと覺ゆ、いかんと。示して云く、此の義、然あらず。在家の女人は其の身ながら佛法を學して得る事はありとも、出家の人、出家の心なからんは得べからず。佛法の人を擇ぶにはあらず、人の佛法に入らざればなり。出家在家の義、其の心ろ異なるべし。在家人の出家人の心あるは出離すべし。出家人の在家人の心あるは二重のひがことなり。用心大に異なるべきことなり。作すことの難きにはあらず、能くすることの難きなり。出離得道の行は人ごとに心にかけたるには似たれども、能くする人まれなればなり。生死事大なり、無常迅速なり。心を緩くすることなかれ。世を捨てば實とに世を捨つべきなり。假名(ケミヤウ)はいかにてもありなんとおぼゆるなり。
■3
夜話に云く、今時世人を見る中に、果報もよく家をも起す人は、皆心の正直に人の爲によき人なり。故に家をも保ち子孫までも昌ゆるなり。心に曲節ありて人の爲に惡き人は、設ひ一旦は果報もよく家を保てる様なれども、終にはあしきなり。設ひ亦一期は無事にして過す様なれども、子孫必ず衰微するなり。亦人のために善きことをして、其の人によしと思はれ喜びられんと思ふてするは、あしきに比すれば勝ぐれたるに似たれども、猶を是は自身を思ふて人のために眞によきにはあらざるなり。其の人には知られざれども、人のために好き事をなし、乃至未來までも誰れが爲と思はざれども、人の爲によからん事をしをきなんどするを誠との善人とは云ふなり。況や衲僧は是にこへたる心をもつべきなり。衆生を思ふ事親疎を分かたず、平等に濟度の心を存じ、世出世間の利uすべて自利を思はず、人にも知られず喜こびられずとも、只人の爲によきことを心の中に作して、我れはかくの如くの心もちたると人に知られざるなり。此の故實はまづ世を捨て身を捨つべきなり。我が身をだにも眞實に捨てぬれば、人によく思はれんと謂ふ心は無きなり。然あればとて亦人はなにとも思はヾ思へとて、惡しきことを行じ放エならんは、亦佛意に背くなり。只よき事を行じ人の爲に善事をなして、代りを得んと思ひ我が名を顯はさんと思はずして、眞實無所得にして、利生の事をなす。即ち吾我を離るヽ、第一の用心なり。此の心を存ぜんと思はヾまづ無常を思ふべし。一期は夢の如し、光陰は早く移る。露の命ちは消へ易し。時は人を待ざるならひなれば、只しばらく存じたるほど、聊かのことにつけても人の爲によく佛意に順はんと思ふべきなり。
■4
夜話に云く、學道の人は最も貧なるべし。世人を見るに財ある人は、まづ嗔恚恥辱の二つの難定めて來るなり。寶らあれば人是を奪ひ取らんと思ふ。我は取られじとする時、嗔恚たちまちに起る。或は是を論じて問答對決に及びつゐには闘諍合戰をいたす。かくの如くのあひだに、嗔恚も起り恥辱も來るなり。貧にして貪ぼらざる時は、先づ此の難を免れて安樂自在なり。證據眼前なり。ヘ文を待べからず。爾のみならず、古聖先賢是を謗りゥ天佛祖皆な是を恥かしむ。然あるに愚癡なる人は、財寶を貯へそこばくの嗔恚をいだくこと、恥辱の中の恥辱なり。貧しふして道を思ふは先賢古聖の仰ぐ所、ゥ佛ゥ祖の喜ぶ所ろなり。近來佛法の衰微しゆくこと眼前にあり。予始て建仁寺に入りし時見しと、後七八年過て見しと、次第にかはりゆくことは、寺の寮寮に塗籠をおき、各各器物を持し美服を好み財物を貯へ、放エの言語を好み、問訊禮拜等の衰微することを以て思ふに、餘所も推察せらるヽなり。佛法者は衣孟の外に財寶等を一切持べかざず。なにを置んが爲に塗籠をしつらふべきぞ。人にかくすほどの物をばもつべからざるなり。盜賊等を怖るヽ故にこそかくし置んと思へ。捨て持たざれば還てやすきなり。人をば殺すとも人には殺されじと思ふ時こそ、身も苦しく用心もせらるれ。人は我れを殺すとも我れは報を加へじと思ひ定めつれば、用心もせられず盜賊も愁へられざるなり。時として安樂ならずと云ふことなし。
■5
一日示して云く、宋土の海門禪師、天童の長老たりし時、會下に元首座と云僧ありき。この人は得法悟道の人にて、行持長老にも超たり。有時夜る方丈に參じて、燒香禮拜して云く、請ずらくは某甲に後堂首座を許せと。時に禪師、流涕して云く、我れ小僧たりし時より未だ此の如きの事を聞かず。汝坐禪僧として首座長老を所望すること、大ひなる錯なり。なんぢ既に悟道せること、我れにも越へたり。然あるに首座を望むこと、是れ昇進の爲か。許すことは前堂をも乃至長老をも許すべし。その心操卑劣なり。誠に是を以て餘の未悟の僧は推察せられたり。佛法の衰微せること、是を以て知ぬべしと云ふて、流涕悲泣す。是れに愧(ハヂ)て辭すといへども猶終に首座に請ず。其の後元首座、此の詞ばを記録して自らを愧しめて師の美言を顯はす。今ま是を案ずるに、昇進を望み物のかしらとなり長老とならんと思ふことをば、古人是を慙(ハ)ぢしむ。只道を悟らんとのみ思ふて、餘事あるべからず。
■6
有る夜示して云く、唐の太宗即位の後、故殿に栖み給へり。破損せる故へに濕氣あがり、風霧冷かにして玉體おかされつべし。臣下等造作すべき由を奏しければ、帝の言く、時き農節なり。民定めて愁ひあるべし。秋を待て造るべし。濕氣に侵さるは地にうけられず、風雨に侵さるは天に合はざるなり。天地に背かば身あるべからず、民を煩はさずんば自ら天地に合ふべし。天地に合はヾ身を侵すべからずと云ふて、終に新宮を作らず、故殿に栖み給へり。俗すら猶かくの如く民を思ふこと自身に超へたり。況や佛子は如來の家風を受て、一切衆生を一子の如くに憐むべし。我に屬する侍者、所從なればとて呵嘖し煩はすべからず。いかに況や同學等侶、耆年宿老(キネンシユクラウ)等をば恭敬(クギヤウ)すること、如來の如くすべしと、戒文分明なり。然あれば今の學人も、人には色にいでヽ知られずとも、心の内に上下親疎を分たず、人の爲によからんと思ふべきなり。大小の事につけて人を煩はして人の心を破ること有るべからざるなり。如來在世に外道多く如來を謗り惡みき。佛弟子問て云く、如來はもとより柔和を本とし慈悲を心とす、一切衆生ひとしく恭敬すべし、何が故にか此の如く隨はざる衆生あるや。佛の言く、吾れ昔し衆を領ぜし時、多く呵嘖羯磨(カシヤクコンマ)を以て弟子をいましめき、是れに依て今かくの如しと、律の中かに見へたり。然あれば即ち設ひ住持長老として衆を領じたりとも、弟子の非をたヾしいさめん時、呵嘖の詞ばを用ふるべからず。たヾ柔和の詞ばを以て誠め勸むとも隨ふべくんば隨ふべきなり。況や學人親族兄弟等の爲にあらき言ばを以て人を惡く呵噴することは、一向にやむべきなり。能々(ヨクヨク)意を用ふべし。
■7
亦示して云く、衲子の用心は佛祖の行履を守るべし。第一には、先づ財寶を貪ぼるべからず。其の故は如來の慈悲深重なること、喩へを以ても量り難し。然あるに彼の所爲行履、皆是れ衆生の爲なり。一微塵計りも衆生の爲に利uならざるべき事を行はせ給はず。其の故は、佛は是れ輪王太子にてましませば、即位し給ひて一天をも御意にまかさせたまひ、寶を以て弟子を憐れみ、所領を以て弟子をはごくみ給ふべきに、何に故に位を捨てヽ自ら乞食を行じ給ふや。是決定末世の衆生の爲にも、弟子の行道のためにも、利uとなる因縁あるべき故に、財寶を貯へず乞食を行じおき給へり。爾しよりこのかた、天竺漢土の祖師の、よきと人にも知られしは、みな貧窮乞食なさしめ給ふなり。況や我が門の祖師皆な財寶を貯ふべからずとのみ勸むるなり。ヘ家にも此宗を讃ずるには先づ貧をほめ、傳來の書録にも貧を記してほむるなり。いまだ財寶に富み豊かにして、佛法を行ずるとは聞かず。皆よき佛法者と云は、或は布納衣常乞食なり。禪門をよき宗と云ひ禪僧を他に異なりとする、初の興りは、むかしヘ院律院等に雜居せし時にも、身を捨てヽ貧人なるを以てなり。宗門の家風先づ此のことを存知すべし。聖ヘの文理を待べきにあらず。我身も田園等を持たる時もありき、亦財寶を領ぜし時もありき。彼の時の身心と此のころ貧ふして衣孟にともしき時とを比するに、當時(イマ)の心すぐれたりと覺ゆる、是れ現證なり。
■8
亦云く、古人の云く不似其人莫語其風(其の人に似しかずんば其の風を語ること莫れ)と。云心ろは其の人のコを學ばず知ずして、其の人の失あるを見て、其の人はよけれども其の事は惡しさよ、惡き事をよき人もするかなと思ふべからずとなり。只其の人のコを取て失を取ることなかれ。君子はコを取て失を取らずと云ふは、此の心ろなり。
■9
一日示して云く、人は必ず陰コを修すべし。陰コを修すれば必ず冥加顯uあるなり。設ひ泥木塑像の麁惡(ソアク)なりとも佛像をば敬ふべし。黄卷赤軸の荒品なりとも經ヘをば歸敬すべし。破戒無斷の僧侶なりとも僧體をば仰信すべし。内心に信心を以て敬禮すれば必ず顯b蒙るなり。破戒無懸の僧、疎相の佛、麁品(ソホン)の經なればとて、不信無禮なれば必ず罰を蒙るなり。然あるべき如來の遺法にて、人天のuェとなりたる佛像經卷僧侶なり。故に歸敬すれば必ずuあり。不信なれば罪を受るなり。いかに希有に淺猿(アサマシ)くとも三寶の境界をば歸敬すべきなり。禪僧は善を修せず功コを用ひずと云ふて、惡行を好むは究めたるひが事なり。先規いまだ惡行を好むことをきかず。丹霞天然禪師は木佛を燒く、是れらこそ惡事と見へたれども、一段の説法の施設なり。彼の師の行状の記を見るに、坐するに必ず儀あり、立するに必ず禮あり、常に貴き賓客に向へるが如し。暫時の坐にも必ず跏趺して叉手す。常住物を守ること眼睛の如くす。勤修するものあれば必ずこれを賀す。少善なれども是を重くす。常途の行状、ことに勝れたり。彼の記をとヾめて今の世までも叢林の亀鑑とするなり。爾のみならず、ゥろの有道の師、先規悟道の祖を見聞するに、皆戒行を守り威儀をとヽのへ、設ひ少善といへども是を重くす。いまだ悟道の師の善根を忽ゥ(コツシヨ)することを聽かず。故に學人祖道に隨はんと思はヾ、必ず善根を輕しめざれ。信仰を專らにすべし。佛祖の行道は必ず衆善の聚まる處なり。ゥ法皆佛法なりと通達しつる上は、惡は決定惡にして佛祖の道に遠ざかり、善は決定善にして佛道の縁となると知るべし。若しかくの如くならばなんぞ三寶の境界を重くせざらんや。
■10
亦云く、今ま佛祖の道を行ぜんと思はヾ、所期も無く所求も無く所得もなふして、無利に先聖の道を行じ、祖祖の行履を行ずべきなり。所求を斷じ佛果を望むべからざればとて、修行を止め、本の惡行に住まらば、却て是れ本の所求にとヾまり、本の窠臼に墮するなり。全く一分の所期を存ぜずして、只人天のuェとならんとて、僧の威儀を守り、濟度利生の行履を思ひ、衆善をこのみ修して、本の惡をすてヽ、今の善にとヾこほらずして、一期行しもてゆかば、是を古人も打破漆桶底(タハシツツウテイ)と云ふなり。佛祖の行履と云は此の如くなり。 
■11
一日僧來て學道の用心を問ふ次でに示して云く、學道の人は先須く貧なるべし。財おほければ必ず其の志を失ふ。在家學道のもの猶を財寶にまとはり、居處をむさぼり眷屬に交はれば、設ひ其の志しありと云へども、障道の因縁多し。古來俗人の參學する多けれども、其の中によしと云ふも猶を僧には及ばず。僧は三衣一鉢の外は財寶をもたず、居處を思はず、衣食を貪らざる間だ、一向に學道すれば分分に皆得uあるなり。其のゆへは貧なるが道に親きなり。龐公(ハウコウ)は俗人なれども僧におとらず、禪席に名をとヾめたるは、かの人參禪のはじめ、家の財寶を持ち出して海に沈めんとす。人是れを諌めて云く、人にも與へ佛事にも用ひらるべしと。時に他に對して云く、我己に冤(アタ)なりと思ひて是れを捨つ。冤としりて何ぞ人に與ふべき。寶らは身心を愁へしむるあたなりと云ひて、つゐに海に入れ了りぬ。然ふして後ち、活命の爲には笊をつくりて賣て過けるなり。俗なれどもかくの如く財寶を捨てヽこそ、善人とも云れけれ。いかに況や僧は一向にすつべきなり。
■12
僧の云く、唐土の寺院には定まりて僧祇物あり常住物等ありて置れたれば、僧の爲に行道の資縁となりて其の煩ひなし。此の國は其の義なければ、一向捨棄せられては、中中行道の違亂とやならん。かくの如くの衣食資縁を思ひあてヽあらばよしと覺ゆ、いかん。示して云く、然あらず。中中唐土よりは此の國の人は、無理に僧を供養じ非分に人に物を與ふることあるなり。先づ人は知らず、我れは此の事を行じて道理を得たるなり。一切一物も持たず、思ひあてがふことも無ふして、十餘年過ぎ了りぬ。一分も財を貯へんと思ふこそ大事なれ。僅の命をいくるほどのことは、いかにと思ひ貯へざれども、天然としてあるなり。人皆な生分あり、天地是れを授く。我れ走り求めざれども必ず有なり。況や佛子は如來遺囑のuェあり。不求自得なり。只一向にすてヽ道を行ぜば、天然これあるべし。是れ現證なり。
■13
亦云く、學道の人、多分云ふ、若し其のことをなさば世人是を謗ぜんかと。此の條太だ非なり。世間の人いかに謗ずるとも、佛祖の行履、聖ヘの道理にてだにもあらば依行すべし。設ひ世人擧つてほむるとも、聖ヘの道理ならず、祖師も行ぜざることならば、依行すべからず。其れ故に世人の親疎、我れをほめ我れを誹ればとて、彼の人の心ろに隨ひたりとも、我が命終の時、惡業にも引れ惡道へ落なん時、彼の人いかにも救ふべからず。亦設ひゥ人に謗ざられ惡まるヽとも、佛祖の道に依行せば、眞實に我れをたすけられんずれば、人の謗ずればとて道を行ぜざるべからず。亦かくの如く謗じ讃ずる人、必ずしも佛祖の行を通達し證得せるにあらず。なにとしてか佛祖の道を世の善惡を以て判ずべき。然あれば世人の情には順ふべからず。只佛道に依行すべき道理ならば一向に依行すべきなり。
■14
亦ある僧云く、某甲老母現在せり。我れは即ち一子なり。ひとへに某甲が扶持に依りて度世す。恩愛もことに深し。孝順の志しも深し。是れに依ていさヽか世に隨ひ人に隨ふて、他の恩力を以て母の衣糧にあつ。我れ若し遁世籠居せば母は一日の活命も存じ難し。是れに依て世間にありて一向佛道に入らざらんことも難事なり。若し猶も捨てヽ道に入るべき道理あらば其の旨いかなるべきぞ。示して云く、此こと難事なり。他人のはからひに非ず。たヾ自ら能々思惟して誠に佛道に志し有らば、いかなる支度方便をも案じて母儀の安堵活命をも支度して、佛道に入らば、兩方倶によき事なり。切に思ふことは必ずとぐるなり。強き敵、深き色、重き寶らなれども、切に思ふ心ふかければ、必ず方便も出來る様あるべし。是れ天地善~の冥加もありて必ず成ずるなり。曹溪の六祖は新州の樵人(セウジン)にて薪を賣て母を養ひき。一日市にして客の金剛經を誦するを聽て發心し、母を辭して黄梅に參ぜし時、銀子十兩を得て母儀の衣糧にあてたりと見ゑたり。是れも切に思ひける故に天の與へたりけるかと覺ゆ。能々思惟すべし。是れ最ともの道理なり。母儀の一期を待て、其の後障碍なく佛道に入らば、次第本意の如くにして~妙なり。しかあれども亦知らず、老少不定なれば、若し老母は久くとヾまりて、我は先に去ること出來らん時に、支度相違せば、我れは佛道に入らざることをくやみ、老母は是れを許さヾる罪に沈て、兩人倶にuなふして互に罪を得ん時いかん。若し今生を捨てヽ佛道に入りたらば、老母は設ひ餓死すとも、一子を放るして道に入らしめたる功コ、豈に得道の良縁にあらざらんや。尤も曠劫多生にも捨て難き恩愛なれども、今生人身を受て佛ヘにあへる時捨てたらば、眞實報恩者の道理なり。なんぞ佛意にかなはざらんや。一子出家すれば七世の父母得道すと見えたり。何ぞ一世の浮生の身を思ふて、永劫安樂の因を空く過さんやと云道理もあり。是らを能々自ら計らふべし。  
正法眼藏隨聞記第四 (長円寺本・第五)   侍者懷奘編  

 

■1
一日參學の次でに示して云く、學道の人は、自解を執することなかれ。設ひ會する所ろありとも、若し亦決定よからざる事もやあらん、亦是よりもよき義もやあらんと思ふて、廣く知識をも訪ひ、先人の言をも尋ぬべきなり。亦先人の言なりともかたく執する事なかれ。若し是もあしくもやあるらん、信ずるにつけてもと思て、次第にすぐれたる事あらば其れにつくべきなり。
■2
亦云く、南陽忠國師、問紫璘供奉甚處來奉云、城南來。師云、城南艸作何色。奉云、作黄色。師乃問童子、城南艸作何色。子云、作黄色。師云、祇這童子亦可簾前賜紫對御談玄。しかあれば童子も國皇の師として眞色を答ふべし。汝が見所常途に超へずとなり。後來有人の云く、供奉が常途に超へざる過、甚れの處にかある。童子も同く眞色を説く。是れこそ眞の知識たらめと云て、國師の義を用ひず。故に知ぬ、必しも古人の言ばを用ひず、只寔との道理を存ずべきなり。疑心はあしき事なれども、亦信ずまじきことをかたく執して、尋ぬべき義をも問はざるはあしきなり。(南陽の忠國師、紫璘供奉に問ふ、甚イズレノ處よりか來る。奉云く、城南より來る。師云く、城南の艸、何色か作す。奉云く、黄色を作す。師乃ち童子に問ふ、城南の艸、何色を作す。子云く、黄色を作す。師云く、祇タダ這の童子も亦た簾前に紫を賜ひて御と對して玄を談ずべしと。)
■3
亦示して云く、學人の第一の用心は、先づ我見を離るべし。我見を離るヽと云ふは、此の身を執すべからず。設ひ古人の語話を究め、常坐鐵石の如くなりとも、此の身に著して離れずんば、萬劫千生にも佛祖の道を得べからず。いかに況や、權實のヘ法、顯密の正ヘを悟り得たりと云とも、身を執するこヽろを離れずんば、徒らに他の寶を數て、自ら半錢の分なし。只請ふらくは學人靜坐して、道理を以て此の身の始終を尋ぬべし。身體髮膚は父母の二滴、一息とヾまりぬれば山野に離散して終に泥土となる。何を持てか身と執せん。況や法を以て見れば、十八界の聚散、いづれの法をか決定して我が身とせん。ヘ内ヘ外別なりとも、我が身の始終不可得なることを行道の用心とすること、是れ同じヽ。先づ此の道理に達すれば寔の佛道顯然なるものなり。
■4
一日示して云く、古人云く、親近善者如霧露中行難不濕衣時時有潤。謂ふ心は、善人になるれば覺ゑざるに善人となるなり。昔し倶胝(グテイ)和尚に仕へし一人の童子のごときは、いつ學しいつ修したりとも見へず覺へざれども、久參に近づいたる故に悟道す。坐禪も自然に久くせば、忽然として大事を發明して、坐禪の正門なることを知るべきなり。(善者に親近すれば、霧露の中に行くが如し、衣を濕さずと雖も時時に潤ひ有り。)
■5
嘉禎二年臘月除夜、始て懷奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小參の次で、初て秉拂を首座に請ふ。是れ興聖寺最初の首座なり。小參の趣きは、宗門の佛法傳來の事を擧揚するなり。初祖西來して、少林に居して機をまち、時を期して面壁して坐せしに、某の歳の窮臘に~光來參しき。初祖最上乘の器なりと知て接得して、衣法共に相承傳來して、兒孫天下に流布し、正法今日に弘通す。當寺始て首座を請じ、今日初て秉拂を行なはしむ。衆の少きを憂ふること莫れ。身の初心なるを顧みることなかれ。汾陽は僅に六七人、藥山は十衆に滿たざるなり。然あれども皆佛祖の道を行じき。是を叢林のさかんなると云き、見ずや、竹の聲に道を悟り、桃の花に心を明らむ。竹豈に利鈍あり迷悟あらんや。花何ぞ淺深あり賢愚あらん。花は年年に開くれども人みな得悟するに非ず。竹は時時に響けども聞く者盡く證道するにあらず。たヾ久參修持の功により、辦道勤勞の縁を得て、悟道明心するなり。是れ竹の聲の獨り利なるにあらず。亦花の色の殊に深きにあらず。竹の響き妙なりと云へども自ら鳴らず、瓦らの縁をまちて聲を起こす。花の色ろ美なりと云へども獨り開くるにあらず、春風を得て開るなり。學道の縁もまたかくの如し。此の道は人人具足なれども、道を得る事は衆縁による。人人利なれども、道を行ずることは衆力を以てす。ゆゑに今ま心をひとつにし志をもつぱらにして、參究尋覓(ジンミヤク)すべし。玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。いづれの玉か初より光りある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし。自ら卑下して學道をゆるくすることなかれ。古人の云く、光陰空くわたることなかれと。今問ふ、時光は惜むによりてとヾまるか。惜めどもとヾまらざるか。すべからくしるべし。時光は空くわたらず、人は空くわたることを。人も時光とおなじくいたづらに過すことなく、切に學道せよと云ふなり。かくのごとく參究を同心にすべし。我れ獨り擧揚するも容易にするにあらざれども、佛祖行道の儀、大概みなかくの如くなり。如來の開示に隨ひて得道するもの多けれども、亦阿難によりて悟道する人もありき。新首座非器なりと卑下することなかれ。洞山の麻三斤を擧揚して同衆に示すべしと云て、座を下て後ち再び鼓を鳴らして首座秉拂す。是れ興聖最初の秉拂なり。懷奘三十九の歳なり。
■6
一日示して云く、俗人の云く何人か好衣を望まざらん、誰人か重味を貪ぼらざらん。然あれども道を存ぜんと思ふ人は、山に入り雲に眠り寒むきをも忍び飢へをも忍ぶ。先人苦るしみなきに非ず、是れを忍びて道を守ればなり。後人是れを聽て道を慕ひコを仰ぐなり。俗すら賢なるは猶をかくの如し。佛道豈に然らざらんや。古人もみな金骨にはあらず。在世もことごとく上器にはあらず。大小の律藏によりてゥの比丘をかんがふるに、不可思議の不當の心を起すもありき。然あれども後には皆得道し羅漢となれりと見へたり。しかあれば我れらも賎く拙なしと云ふとも、發心修行せば決定得道すべしと知て、即ち發心するなり。古へも皆な苦を忍び寒にたゑて、愁ひながら修行せしなり。今の學者苦るしく愁るとも只しひて學道すべきなり。
■7
示して云く、學道の人、悟を得ざることは、即ちたヾ舊見を存ずるゆへなり。本より誰がおしへたりとも知らざれども、心と云は念慮知覺なりと思ひ、心は草木なりと云へば信ぜず、佛と云へば相好光明あらんずると思ふて、佛は瓦礫(グワリヤク)と説けば耳を驚かす。かくのごときの執見、父も相傳せず、母もヘ授せず、只無理自然に久く人のことばにつきて信じ來れることなり。然あれば今も佛祖決定の説なれば、あらためて心は艸木と云はば便、艸木を心と知り、佛は瓦礫といはヾ瓦礫を便ち佛なりと信じて、本執をあらため去らば、道を得べきなり。古人の云く、日月あきらかなれども浮雲是れをおほふ、叢蘭茂せんとすれども秋風吹て是れをやぶると。貞觀政要にこれを引て、賢王と惡臣とに喩ふ。今ま云く、浮雲おほふとも久しからず。秋風破ぶるとも亦開くべし。臣わるくとも王の賢強くんば轉ぜらるべからず。今ま佛道を存ぜんことも亦かくの如くなるべし。いかに惡心おこるとも、かたく守り久く保たば、浮雲もきえ秋風も止まるべきの道理なり。
■8
一日示して云く、學人初心のときは、道心ありても無ても、經論聖ヘ等を能々見るべし、まなぶべし。我れ始てまさに無常によりて聊か道心を發し、終に山門を辭して遍くゥ方を訪ひ道を修せしに、建仁寺に寓せし中間、正師にあはず善友なき故に、迷て邪念を起しき。ヘ道の師も、先づ學問先達にひとしくしてよき人と成り、國家にしられ天下に名譽せん事をヘ訓する故に、ヘ法等を學するにも、先づ此の國の上古の賢者にひとしからんことを思ひ、大師等にも同じからんと思ひき。因に高僧傳、續高僧傳等を披見して、大唐の高僧、佛法者の様子を見しに、今の師のおしへの如くにはあらず。亦我が起せるやうなる心は皆經論傳記等にはいとひにくみけりと思ひしより、やうやう道理をかんがふれば、名聞を思ふとも、當代下劣の人によしと思はれんよりも、只上古の賢者、向後の善人をはづべし。ひとしからんことを思ふとも、此國の人よりも、唐土天竺の先達高僧をはぢて、彼にひとしからんと思ふべし。乃至ゥ天冥衆ゥ佛菩薩等にひとしからんとこそ思ふべけれと。この道理を得て後には、此の國の大師等は土瓦の如くにおぼへて、從來の身心皆あらためき。佛の一期の行儀を見れば、王位をすてヽ山林に入り、成道の後も一期乞食すと見へたり。律に云く、知家非家捨家出家と云云。古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと。云こヽろは、共に慢心なり。高ふしても下らんことを忘るヽことなかれ。安すふしても危からん事を忘るヽことなかれ。今日存ずるとも明日もと思ふことなかれ。死の至てちかくあやふきこと脚下にあり。
■9
示して云く、愚癡なり人は其の詮なきことを思ひ云ふなり。此こにつかはるヽ老尼公ありけるが當時、いやしげにして在るをはづる顏にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る。たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覺へぬ。甚だ無用なりとおぼゆるなり。皆人の思はくは此の心あるかと覺ゆるなり。道心の無きほども知られたり。是れらの心を改ためて少し人には似るべきなり。亦有る入道の究て無道心なるあり。去て難き知音にてある故に、道心おこらんこと佛~に祈誓せよと云はんと思ふ。定て彼れ腹立して中をたがふことあらん。然あれども道心を發さヾらんには得意にてもたがひに詮なかるべし。
■10
示して云く、古へに三たび復(カヘ)さふして後に云へと。云ふ心は、凡そものを云はんとする時も、事を行ぜんとする時も、必ずみたび復さふして後に言行すべしとなり。先儒のおもはくは、三度び思ひかへりみるに、三度びながら善ならば云ひ行なへと云ふなり。宋土の賢人等の心ろは。三度び復さふずと云は、幾度も復せと謂ふ心なり。言(コト)ばよりさきに思ひ、行よりさきに思ひ、思ふたびごとにかならず善ならば言行すべきとなり。衲子も亦必ず然かあるべし。我が思ふことも言ふことも、あしきことあるべき故に、まづ佛道に合(カナ)ふや否やとかへりみ、自他の爲にuありやいなやと、能々思ひかへりみて後に、善なるべくんば行ひもし言ひもすべきなり。行者若しかくのごとく心を守らば、一期佛意に背かざるべし。予、昔年初て建仁寺に入りし時は、僧衆隨分に三業を守て、佛道の爲め利他にために惡きことをば、云はじせじと各各志ざせしなり。僧正のコの餘殘ありしほどは、かくの如くなりき。今時は其の儀なし。今の學者するべし。決定して自他の爲め。佛道の爲に詮あるべきことならば、身をわすれても言ひもしは行ひもすべきなり。其の詮なきことは言行すべからず。宿老耆年の言行する時は、末臘の人は言とばをまじゆべからず。是れ佛制なり。能々是れを思ふべし。身をわすれて道を思ふことは、俗なを此の心ろあり。むかし趙の藺相如(リンシヤウジヨ)と云ひし者は、下賤の人なりしかども、賢なるによりて趙王にめしつかはれて天下の事をおこなひき。趙王の使ひとして、趙璧と云玉を秦の國へつかはさしめたまふ。彼の璧を十五城にかへんと秦王の云し故に、相如にもたせてつかはすに、餘の臣下議して云く、是れぼどの寶を相如ごときの賤人に持たせてつかはすこと、國に人なきに似たり。餘臣にはぢなり。後代のそしりなるべし。みちにて此の相如を殺して璧を奪ひ取らんと議しけるを、ときの人ひそかに相如にかたりて、此のたびの使を辭して命を保つべしと云ひければ、相如云く、某がし敢て辭すべからず。相如王の使として璧を持て秦にむかふに、佞臣の爲に殺されたると後代に聞へんは、我ためによろこびなり。我が身は死すとも賢の名は殘るべしと云て、終にむかひぬ。餘臣も此の言ばを聽て、我れら此の人をうちうることあるべからずとて、とヾまりぬ。相如ついに秦王に見へて璧を秦王にあたふるに、秦王十五城をあたふまじき氣色見へたり。時に相如、はかりごとを以て秦王にかたりて云く、その璧にきずあり、我れ是れを示さんと云て、璧をこひ取て後に相如が云く、王の氣色を見るに十五城を惜める氣色あり、然あらば我が頭べを以て此の璧を銅柱にあてヽうちわりてんと云て、嗔れる眼を以て王を見て銅柱のもとによる氣色、まことに王をも犯しつべかりし。時に秦王の云く、汝ぢ璧をわることなかれ、十五城を與ふべし、あひはからはんほど汝ぢ璧を持べしと云しかば、相如ひそかに人をして璧を本國へかへしぬ。後に亦澠池と云ふ處にて趙王と秦王とあそびしに、趙王は琵琶の上手なり。秦王命じて彈ぜしむ。趙王相如にも云ひ合せずして即ち琵琶を彈じき。時に相如、趙王の秦王の命に隨へることを嗔(イカリ)て、我行て秦王に簫(セウ)を吹かしめんと云て、秦王につげて云く、王は簫の上手なり、趙王聞んことをねがふ、王吹たまふべしと云しかば、秦王是れを辭す。相如が云く、王若し辭せば王をうつべしと云ふ。時に秦の將軍、劍を以て近づきよる。相如これをにらむに兩目ほころびさけてげり。將軍恐て劍をぬかずして歸りしかば、秦王ついに簫を吹くと云へり。亦後に相如、大臣となりて天下の事を行ひし時に、かたはらの大臣、我れにまかさぬ事をそねみて相如をうたんと擬する時に、相如は處々ににげかくれ、わざと參内の時も參會せず、おぢおそれたる氣色なり。時に相如が家人いはく、かの大臣をうたんこと易きことなり、なんが故にかおぢかくれさせたまふと云ふ。相如が云く、我れ彼をおそるヽにあらず。我が眼を以て秦の將軍をも退け、秦の璧をも奪ひき。彼の大臣うつべきこと云ふにも足らず。然あれどもいくさを起しつは、ものを集むることは敵國を防ぐためなり。今ま左右の大臣として國を守るもの、若し二人なかをたがひて、いくさを起して一人死せば一方缺くべし。然あらば隣國喜びていくさを起すべし。かるがゆへに二人ともに全ふして國を守らんと思ふ故に、彼れといくさを起さずと云ふ。かの大臣、此のことばを聞てはぢて還て來り拜して、二人共に和して國をおさめしなり。相如身をわすれて道を存ずることかくの如し。今ま佛道を存ずることも彼の相如が心の如くなるべし。寧しろ道ありては死すとも道無ふしていくることなかれと云云  
■11
示して云く、善惡と云ふこと定め難し。世間の人は綾羅錦繍(リヨウラキンシウ)をきたるをよしと云ふ。麁布糞掃衣をわるしと云ふ。佛法には此れをよしとしCしとし、金銀錦綾をわるしとしけがれたりとす。かくの如く一切のことにわたりて皆然り。予が如きも聊か韻聲をとヽのへ文字をかきすぐるヽを俗人等は尋常ならぬことに云もあり。亦有人は、出家學道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり。いづれをか定めて善として取り惡としてすつべきぞ。文(モン)に云く、ほめて白品の中にあるを善と云ふ、そしりてK品の中におくを惡と云ふと。亦云く、苦を受くべきを惡と云ふ、樂をまねくべきを善と云ふと。かくの如く子細に分別して眞實の善を見て行じ、眞實の惡を見てすつべきなり。僧はC淨の中より來れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとし、きよきとするなり。
■12
示して云く、世間の人多分云く、學道のこヽろざしあれども世は末世なり、人は下劣なり、如法の修行にはたゆべからず、只隨分にやすきにつきて結縁を思ひ、他生に開悟を期すべしと。今ま云ふ、此の言は全く非なり。佛ヘに正像末を立ること暫く一途の方便なり。在世の比丘必ずしも皆すぐれたるにあらず。不可思議に希有にあさましく下根なるもありき。故に佛け種々の戒法等をまふけ玉ふこと、皆わるき衆生下根の爲なり。人人皆な佛法の器なり。かならず非器なりと思ふことなかれ。依行せば必ず證を得べきなり。既に心あれば善惡を分別しつべし。手あり足あり合掌歩行にかけたる事あるべからず。しかあれば佛法を行ずるには器をえらぶべきにあらず。人界の生は皆な是れ器量なり。餘の畜生等の生にてはかなふべからず。學道の人只明日を期することなかれ。今日今時ばかり佛法に隨て行じゆくべきなり。
■13
示して云く、俗の云く、城を傾むくることは、中にさヽやき言(ゴ)と出來るに依るなりと。亦云く、家に兩言ある時は針をも買ふことなし、家に兩言なき時は金をも買ふあたひありと。俗猶を家をたもち城を守るに、同心ならざれば終にほろぶと云へり。況や出家人は、一師に學して水乳の和合せるが如くすべし。亦六和敬の法あり。各の各の寮々をかまへて身をへだてヽ心ろ心ろに學道の用心することなかれ。一船にのりて海をわたるが如し。同心に威儀を同ふし、たがひに非を改め、是に隨て同く學道すべきなり。是れ佛在世より行じ來れる儀式なり。
■14
示して云く、楊岐山の會(エ)禪師はじめ住持の時、寺院舊損して僧のわづらひありし時、知事申して云く、修理あるべしと。會の云く、堂閣破ぶれたりとも露地樹下にはまさるべし。一方破ぶれてもらば、一方のもらぬ處に居して坐禪すべし。堂宇造作によりて僧衆悟りを得べくんば、金玉を以てもつくるべし。悟は居所の善惡にはよらず、只坐禪の功の多少にあるべしと。翌日の上堂に云く、楊岐乍住屋壁疎、滿床盡布雪眞珠、縮却項暗嗟吁、良久云翻憶古人樹下居と。たヾ佛道のみにあらず、政道も亦かくの如し。唐の太宗はいやをつくらず。龍牙云く、學道先須且學貧、學貧貧後道方親と云ふ。昔し釋尊より今に至るまで、眞實學道の人たからにゆたかなりとは聞かず見ざるなり。(楊岐たちまち住して屋壁、疎なり。滿床、盡く布く雪の眞珠。項を縮却して暗に嗟す。良久して云く、翻て憶ふ古人、樹下の居。) (龍牙云く、學道は先づ須く且く貧を學すべし。貧を學て貧にして後に道、方に親し。)
■15
一日有る客僧問て云く、近代遁世の法は各の各の齋料等のことをかまへ用意して、後のわづらひなきやうに支度す。是れ小事なりと云へども學道の資縁なり。かけぬればことの違亂出來る。今師の御様を承り及ぶには、一切共の支度なく只天運にまかすと。若し實にかくのごとくならば後時の違亂あらんか、いかん。答て云く、事皆な先證あり。敢て私曲を存ずるにあらず。西天東地の佛祖、皆かくの如し。白毫一分のbフ盡る期あるべからず。何ぞ私に活計をいたさん。亦明日の事はいかにすべしとも定め圖り難し。此の様は佛祖のみな行じ來れる所ろにて私なし。若し事と闕如して絶食せば、其の時にのぞんで方便をもめぐらさめ。兼て是を思ふべきことにはあらざるなり。
■16
示して云く、傳へ聞く實否は知らざれども、故持明院の中納言入道、あるとき祕藏の太刀を盜まれたりけるに、士(サムラ)ひの中に犯人ありけるを、餘の士ひ沙汰し出してまひらせたりしに、入道の云へらく、此れは我が太刀にあらず、ひがことなりとてかへされたり。決定(ケツヂヤウ)その太刀なれども、士ひの恥辱を思ふてかへされたりと、人皆な是を知りけれども、其の時は無爲にしてすぎけり。故に子孫も繁昌せり。俗なを心ろある人はかくの如し。いはんや出家人、必ずしも此の心あるべし。出家人はもとより身に財寶なければ、智慧功コを以てたからとす。他の無道心なるひがことなんどを、直に面てにあらはして非におとすべからず、方便を以て彼れの、はらたつまじき様に云ふべきなり。暴惡なるは其の法久しからずと云ふ。設ひ法を以て呵嘖するとも、あらき言葉なるは法も久しからざるなり。小人下器はいさヽかも人のあらき言ばに必ず即ちはらたち、恥辱を思ふなり。大人(ダイニン)上器には似るべからず。大人はしかあらず。設ひ打たるれども報を思はず。今我國には小人多し。つヽしまずんばあるべからざるなり。  
正法眼藏隨聞記第五 (長円寺本・第六)   侍者懷奘編  

 

■1
一日示して云く、佛法の爲には身命を惜むことなかれ。俗猶を道の爲には身命をすて、親族をかへりみず、忠を盡し節を守る。是を忠臣とも云ひ、賢者とも云ふなり。昔し漢の祖、隣國といくさを起す時、ある臣下の母、敵國にありき。官軍も二た心ろ有らんかと疑ひき。高祖もかれ若し母を思ひて敵國へさることもやあらんずらん、若しさあらば軍やぶるべしとてあやぶむ。爰に彼の母も、我が子もし我れによりて我が國へ來ることもやあらんかとおもひ、誡ていはく、われによりていくさの忠をゆるくすることなかれ、我れもしいきていたらば汝ぢ二た心ろもやあらんと云ひて、劍に身をなげてうせてげり。其の子本よりふた心ろなかりしかば、其のいくさに忠節を致す志し深かりけると云ふ。況や衲子の佛道を存ずるも、必しも二た心無き時、まことに佛道に契ふべし。佛道には慈悲智慧本よりそなはる人もあり。設ひ無きひとも學すれば得なり。只身心を倶に放下して、佛法の大海に廻向して、佛法のヘに任せて、私曲を存ずることなかれ。亦漢の高祖の時、ある賢臣の云く、政道の理亂はなは(縄)の結ぼふれるを解が如し。急にすべからず。能々むすびめを見てとくべしと。佛道も亦かくの如し。能々道理を心得て行ずべきなり。法門を能く心ろふる人は、必ず強き道心ある人よく心得なり。いかに利智聡明なる人も、無道心にして吾我をも離れえず、名利をも棄えぬ人は、道者ともならず、正理をも心ろ得ぬなり。
■2
示して云く、學道の人は吾我の爲に佛法を學することなかれ。只佛法の爲に佛法を學すべきなり。其の故實は我が身心を一物ものこざず放下して、佛法の大海に廻向すべきなり。其の後は一切の是非管ずることなく、我が心を存ずることなく、なし難く忍び難きことなりとも、佛法の爲につかはれて、しひて此れをなすべし。我が心に強てなしたきことなりとも、佛法の道理なるべからざる事は放捨すべきなり。穴な賢こ。佛道修行の功を以てかはりに善果を得んと思ふことなかれ。只一度佛道に廻向しつる上は再び自己をかへりみず、佛法のおきてに任せて行じゆひて、私曲を存ずることなかれ。先證皆かくの如し。心にねがひ求ることなければ即ち大安樂なり。世間の人も、他にまじはらず己れが家ばかりにて生長したる人は、心のまヽにふるまひ己が心を先として、人目をしらず、人の心を兼ざる人は、必ずしもあしきなり。學道の用心も亦かくのごとし。衆にまじはり師に順じて我見を立せず、心をあらためゆけば、たやすく道者となるなり。學道は先すべからく貧を學すべし。名をすて利をすて、一切諂らふことなく、萬事なげすつれば、必ずよき道人となるなり。大宋國によき僧と人にも知られたる人は、皆貧窮人なり。衣服もやぶれゥ縁も乏しきなり。往日天童山の書記、道如(ダウニヨ)上座と云し人は、官人宰相の子なり。しかれども親族をも遠離し世利を貪らざりしかば、衣服のやつれ破壞したること目もあてられざりしかども、道コ人に知られて名巒大寺の書記とも成られしなり。予あるとき如上座に問て云く、和尚は官人の子息にて富貴の種族なり、何ぞ身にちかづくる物皆下品にして貧窮なるや。如上座答て云く、僧となればなり。
■3
一日示して云く、俗人の云く、寶はよく身を害する怨(アタ)なり、昔も是れあり、今も是れ有りと。云ふこヽろは、昔し一人の俗人あり。一人の美女をもてり。時に威勢ある人是を請ふ。彼の夫是を惜む。終に兵を起して其家を圍めり。既に奪ひ取れんとする時、夫が云く、我れ汝が爲に命を失ふと。女が云く、我れも夫の爲に命を失はんと云て、高樓より落て死す。そののち彼の夫うちもらされて、後に物語りにせしとなり。亦云く、昔し一人の賢人、州吏として國政を行ふ。時に息男あり。官事によりて父を辭し、拜して去る。時に父一疋の縑(キヌ)を與ふ。息の云く、君は高亮なり、此の縑いづくよりか得たるや。父云く、俸祿のあまりなりと。息さりて皇帝に奉りまいらせてその由を奏す。帝太だ其の賢なることを感じたまふ。息男申さく、父は名をかくす、我れは名を顯はす、眞に父の賢勝れたりと。此の心は一疋の縑は是れ少分なれども、賢人は私用せざること聞へたり。亦寔の賢人は名をかくす。俸祿なれば使用するよしを云ふなり。俗人猶を然り。況や學道の衲子、私を存ずることなかれ。亦廷の道を好まば道者の名をかくすべきなり。亦云、仙人ありき。或人問て云く、如何がして仙を得ん。仙人の云く、仙を得んと思はヾ仙道を好むべしと。然れば學人も佛祖の道を得んと思はヾ、須く佛祖の道を好むべし。
■4
示して云く、昔し國王あり。國を治て後ちにゥの臣下に問ふ。我好く國を治む、よく賢なりやと。ゥ臣みな云く、帝甚だよく治む、太だ賢なりと。時に一臣ありて云く、帝は賢ならずと。帝の云く、故は如何。臣が云く、國を治て後ち、帝の弟に與へずして息に與ふと。帝の心にかなはずしてをひ立られて後、亦一臣に問、朕よく仁なりや。臣が云く、甚だ仁なり。帝の云く、其の故いかん。臣が云く、仁君には必ず忠臣あり。忠臣は直言あるなり。前きの臣太だ直言なり。是れ忠臣なり。仁君にあらずんば得じと。帝是を感じて即ち前きの臣をめしかへさるヽなり。亦云く、秦の始皇のとき、太子の花園をひろめんとの玉ふ。臣の云く、最もよし、花園ひろふして鳥獸多く集りたらば、鳥獸を以て隣國の軍を防ぐべしやと。是に依て其の事止まりぬ。亦宮殿を作り柱を漆にぬらんと言ふ。臣の云く、最も然るべし柱をぬりたらんには敵とヾまらんかと。然あれば其の事も止りぬ。儒ヘの心はかくのごとく、たくみに言を以て惡事をとヾめ、善事すヽめしなり。衲子の人を化する意巧も其の心有べきなり。
■5
一日僧問て云く、智者の無道心なると無智の有道心なると、始終いかん。答て云く、無智の有道心は終に退すること多し。智慧ある人は無道心なれども終には道心を起すなり。當世も現證是れ多し。然あれば先づ道心の有無を云はず、學道を勤むべきなり。道を學せば只だ貧なるべし。内外の書籍を見るに、貧ふして居所もなく、或は治浪の水に浮び、或は首陽の山にかくれ、或は樹下露地に端坐し、或は怺ヤ深山に卓菴する人もあり。亦富貴にして財多く、朱漆をぬり金玉をみがきて宮殿等を造るもあり。倶に典籍にのせたり。然といへども、後代をすヽむるには皆貧にして財なきを以て本とす。訕りて罪業を誡むるには、富て財多きを驕奢の者と云て誹れるなり。
■6
示して云く、出家人は必ず人の施を受て喜ぶことなかれ。亦受ざることなかれ。故僧正の云く、人の供養を得て喜ぶは佛制にたがふ。喜ばざるは檀越の心にたがふ。此の故實用心は、我に供養ずるに非ず、三寶に供養ずるなり。かるがゆへに彼の返事には、此の供養は三寶定て納受有るべしと言ふべきなり。
■7
示して云く、古へに謂ゆる君子の力は牛に勝れり。然あれども牛とあらそはずと。今の學人、我が智慧才學人に勝れたりと存ずるとも、人と諍論を好むことなかれ。亦惡口を以て人を呵嘖し、怒目を以て人を見ることなかれ。今時の人、多く財をあたへ恩を施せども、嗔恚を現じ惡口を以て謗言する故に、必ず逆心を起すなり。昔眞淨文和尚、衆に示して云く、我むかし雲峰とちぎりをむすんで學道せしとき、雲峰同學と法門を論じ、衆寮にてたがひに高聲に論談し、つゐには互に惡口に及び誼譁しき。諍論已にやんで雲峰我れに謂て云く、我と汝と同心同學なり、契約淺からず、何が故ぞ我れ人とあらそふに口入をせざるやと。我れそのとき揖して恐惶せるのみなり。其の後彼も一方の善知識たり、我れも今住持たり。往日おもへらく、雲峰の論談、畢竟無用なり。況や諍論は定りて僻事なり。諍ひて何の用ぞと思ひしかば、我は無言にして止りぬと云云。今の學人も最もこれを思ふべし。學道勤勞の志しあらば、時光を惜て學道すべし。何の暇まありてか人と諍論すべき。畢竟じて自他共に無uなり。法門すらしかなり。何かに況や世間の事において無uの論をなさんや。君子の力ら牛にも勝れりといへども、牛と諍そはず、我れ法を知れり、彼に勝れたりと思ふとも、論じて人を掠め難ずべからず。若し眞實の學道の人ありて法を問はヾ、法を惜むべからず。爲に開示すべし。然あれども猶それも三度問はれて一度答ふべし。多言閑語することなかれ。我れも此の眞淨の語を見しより後、尤も此咎は我身にもあり、是れ我をいさめらるヽと思ひし故に、以後終に他と法門の諍論せざるなり。
■8
示して云く、古人多くは云ふ、光陰空く度ること莫れ。亦云く、時光徒らに過すことなかれと。今學道の人須く寸陰を惜むべし。露命消やすし、時光速かにうつる、暫くも存ずる間だ、餘事を管ずることなかれ。唯須く道を學すべし。今時の人、或は父母の恩を捨て難しと云ひ、或は主君の命に背き難しと云ひ、或は妻子眷屬に離れ難しと云ひ、或は眷屬等の活命存じ難しと云ひ、或は世人誹謗しつべしと云ひ、或は貧ふして道具調ひ難しと云ひ、或は非器にして學道に堪がたしと云ふ。かくのごとく識情を廻らして、主君父母をも離れえず、妻子眷屬をもすてえず、世情に隨ひ財寶を貪ぼるほどに、一生空く過して、正しく命終の時に當ては後悔すべし。須く靜坐して道理を案じ、速かに道心を起さんことを決定すべし。主君父母も我に悟りを與ふべからず。妻子眷屬も我が苦みを救ふべからず。財寶も我が生死輪廻を截斷すべからず。世人も我をたすくべきにあらず。非器なりと云て修せずんば、何れの劫にか得道せんや。只須く萬事を放下して一向に學道すべし。後時を存ずることなかれ。
■9
示して云く、學道は須く吾我を離るべし。設ひ千經萬論を學し得たりとも、我執を離れずんば終に魔坑に落べし。古人の云く、若し佛法の身心なくんば、いづくんぞ佛となり祖と成らんと云云。我を離るヽと云は、我が身心を佛法の大海に抛向して、苦しく愁ふるとも佛法に隨て修行するなり。若し乞食をせば人是をわるし、みにくしと思はんずるなれど、かくのごとく思ふ間だはいかにしても佛法に入得ざるなり。世の情見をすべて忘れて、唯道理に任せて學道すべし。我身の器量を顧み、佛法に契ふまじなんど思ふも、我執を持たる故なり。人目を顧み人情を憚(ハバ)かるは、即ち我執の本なり。只佛法を學すべし。世情に隨ふことなかれ。
■10
一日奘問て云く、叢林勤學の行履と云は如何。示して云く、只管打坐なり。或は樓上、或は閣下に定を營み、人に交はりて雜談せず、聾者の如く瘂者の如くにして、常に獨坐を好むべきなり。 
■11
一日參の次に示して云く、泉大道の云く、風に向て坐し日に向て眠る。時の人の錦を被たるに勝りたりと云云。是の言は古人の語なりといへども、少し疑ひあり。時の人と云は世間貪利の人を云か。若し然らば敵對最の下れり。何ぞ云に足らん。若しは學道の人を云か。然らば何ぞ錦を被たるに勝れりと云ふや。此の心を察するに、猶を錦を重もんずる心有かと聞へり。聖人は然あらず。金玉と瓦礫と、齊く執することなし。故に釋迦如來、牧牛女が乳粥を得て食し、馬麥(カラムギ)を得て食す。いづれも等くす。法に輕重なし、人に淺深あり。當世金玉を人に與ふれば、重しとして取らず。亦木石などをば輕として是を受て愛す。金玉本とより土の中より得たり。木石も大地より生ぜり。何ぞ一つをば重しとて取らず、一つをば輕しとて愛せん。此の心を案ずるに、重きを得ては執する心あらんか。輕きを得ても愛する心あらば咎は等しかるべし。是れ學人の用心すべき事なり。
■12
示して云く、先師全和尚、入宋せんとせし時、本師叡山の明融阿闍梨重病起り、病床にしづみ既に死せんとす。其の時かの師云く、我既に老病起り死去せんこと近きにあり、今度暫く入宋をとヾまりたまひて、我が老病を扶けて、冥路を弔ひて、然して死去の後其の本意をとげらるべしと。時に先師、弟子法類等を集めて議評して云く、我れ幼少の時雙親の家を出て後より、此の師の養育を蒙ていま成長せり。其の養育の恩最も重し。亦出世の法門大小權實のヘ文、因果をわきまへ是非をしりて、同輩にもこえ名譽を得たること、亦佛法の道理を知て、今入宋求法の志しを起すまでも、偏に此の師の恩に非ずと云ことなし。然るに今年すでに老極して、重病の床に臥たまへり。餘命存じがたし。再會期すべきにあらず。故にあながちに是を留めたまふ。師の命もそむき難し、今ま身命を顧みず入宋求法するも、菩薩の大悲利生の爲なり。師の命を背て宋土に行ん道理有りや否や。各の思はるヽ處をのべらるべしと。時にゥ弟人人皆云く、今年の入宋は留まらるべし。師の老病死已に極れり。死去決定せり。今年ばかり留りて明年入宋あらば、師の命を背かず重恩をもわすれず、今ま一年半年入宋遲きとても何んの妨げかあらん。師弟の本意相違せず。入宋の本意も如意なるべしと。時に我れ末臘にて云く、佛法の悟り今はさてかふこそありなんと思召さるヽ儀ならば、御留り然あるべしと。先師の云く、然あるなり、佛法修行これほどにてありなん。始終かくにごとくならば、即ち出離得道たらんかと存ずと。我が云く、其の儀ならば御留りたまひてしかあるべしと。時にかくのごとく各の總評し了て、先師の云く、おのおのヽ評議、いづれもみな留まるべき道理ばかりなり。我れが所存は然あらず。今度留りたりとも、決定死ぬべき人ならば、其に依て命を保つべきにもあらず。亦われ留りて看病外護せしによりたりとて苦痛もやむべからず。亦最後に我あつかひすヽめしによりて、生死を離れらるべき道理にもあらず。只一旦命に隨て師の心を慰むるばかりなり。是れ即ち出離得道の爲には一切無用なり。錯て我が求法の志しをさえしめられば、罪業の因縁とも成ぬべし。然あるに若し入宋求法の志しをとげて、一分の悟りをも開きたらば、一人有漏の迷情に背くとも、多人得道の因縁と成りぬべし。此の功コもしすぐれば、すなはちこれ師の恩をも報じつべし。設ひ亦渡海の間に死して本意をとげずとも、求法の志しを以て死せば、生生の願つきるべからず。玄奘三藏のあとを思ふべし。一人の爲にうしなひやすき時を空く過さんこと、佛意に合なふべからず。故に今度の入宋一向に思切り畢りぬと云て、終に入宋せられき。先師にとりて眞實の道心と存ぜしこと、是らの道理なり。然あれば今の學人も、或は父母の爲、或は師匠の爲とて、無uの事を行じて徒らに時を失ひて、ゥ道にすぐれたる佛道をさしをきて、空く光陰を過すことなかれ 時に奘問て云く、眞實求法の爲には有爲の父母師匠の恩愛の障縁を一向にすつべき道理は、まことに然かあるべし。たヾし、父母師匠の恩愛等のかたは一向に捨離すとも、亦菩薩の行を存ぜん時は、自利をさしをきて利他を先とすべきか。然あるに老師重病切にして、亦他人のたすくべきもなく、幸に保護の我れ一人、其の仁に當りたるを、自らの修行ばかりを思ひて渠を扶けずんば、菩薩の行に背けるに似たるか。たヾ大土の善行をきらふべからず。縁に隨ひ事に觸れて佛法を存ずべきか。もしこれらの道理によらば、亦止りてたすくべきか。何ぞ獨り求法を思ひて老病の師を扶けざるや、いかん。示して云く、利他の行も、自利の行も、たヾ劣なる方を捨てヽ勝なる方をとらば、大土の善行なるべし。老病を扶けんとて水菽(スイシユク)の孝をいたすは、只今生暫時の妄愛迷情の喜びばかりなり。迷情の有爲に背いて無爲の道を學せんは、設ひ遺恨は蒙ることありとも、出世の勝縁と成べし。是を思へ、是を思へ。
■13
一日示して云く、世間の人多く云ふ、某し師の言ばを聞けども我が心に叶はずと。此の言は非なり。知らず其のこヽろいかん。若しは聖ヘ等の道理の我が心に違背して非なりと思か。これは一向の凡愚なり。亦は師の云へる言が我が心に契はざるか。若し然あらばなんぞはじめより師に問ふや。亦日來の情見を以て云か。もししかあらば是れは無始よりこのかたの妄念なり。學道の用心と云ふは、我が心にたがへども師の言ば聖ヘの言理ならば全く其に隨て、本の我見をすてヽあらためゆくべし。此の心が學道第一の故實なり。われ昔日、我が朋輩の中に我見を執して知識をとぶらひける者ありき。我が心に違するをば心得ずと云て、我見にあひかなふをば執して、一生空くすぎて佛法を會せざりけり。我れそれを見て智發してしりぬ、學道は然あるべからずと。かく思ひて師の言ばに隨て、全く道理を得て、其後看經の次でに、或る經に云く、佛法を學せんと思はヾ三世の心を相續することなかれと。誠に知ぬ、さきのゥ念舊見を記持せずして、次第にあらためゆくべきなりと云ことを。書に云く、忠言逆耳、いふこヽろは我爲に忠有べきことばは必ず耳に違するなり。違するとも強ひて隨ひ行ぜば畢竟じてu有べきなり。
■14
一日雜談の次でに示して云く、人の心本より善惡なし。善惡は縁に隨て起る。喩へば人發心して山林に入る時は、林下はよし人間は惡しとおぼゆ。亦退屈の心にて山林を出る時は、山林は惡しとおぼゆ。是れ即ち決定して心に定相なし。縁に隨て兎も角もなるなり。かるが故に善縁にあへば心よくなり、惡縁に近づけば心惡くなるなり。我が心本より惡しと思ふことなかれ。只善縁に隨ふべきなり。
■15
亦云く、人の心は決定人の言ばに隨ふと存ず。大論に云く、喩へば愚人の手に摩尼珠をもてるが如し。人是を見て、汝下劣なり、自ら手に物をもてり、と云を聞ておもはく、珠はおしヽ、名聞は深し、我は下劣ならんとおもふ。思ひ煩ふて、猶を只名聞にひかれ、人の言ばについて珠を捨て、他人にとらしめんと思ふほどに、終に珠を失ふと云云。人の心はかくのごとし。一定此の言ば我爲によしと思へども、名聞にさへられてそれに順はざるもあり。亦一定我爲にあしき事と思ひながらも、名聞の爲なれば先づ隨ふ人もあり。惡にも善にも隨ふときは、心は善惡につるヽなり。故にいかにもとより惡き心なりとも、善知識に隨ひ良人に馴るれば、自然に心もよくなるなり。惡人に近づけば、我心にも初は惡しと思へども、終にその人のこヽろに隨ひ、馴るほどにおぼへず、やがて實に惡く成なり。亦人の心ろ決定して他に物をとらせじと思へども、他人強てこひぬれば、にくしとおもひいやながらも與ふるなり。亦決定して與へんと思へども、便宜なく時すぎぬれば、亦やむ事も有なり。然あれば學人たとひ道心なくとも、良人に近づき善縁にあふて、同じ事をいくたびも聞見るべきなり。この言ば一度聞たらば重て聞べからずと思ふことなかれ。道心一度起したる人も、同じ事なれども聞たびごとに心みがヽれて、いよいよ艶iするなり。亦無道心の人も、一度二度こそつれなくとも、度度聞ぬれば、霧露の中に行が如く、いつぬるヽとも覺へざれども、自然に衣のうるほふが如くに、良人の言ばをいくたびも聞けば、自然にはづる心も起り、實の道心も起るなり。故に知たる上にも聖ヘをばいくたびも見るべし。師の言ばも聞たる上にも重て聞べし。いよいよふかき心有べきなり。學道の爲にさはりと成べき事をば重て是に近づくべからず。善友にはくるしくわびしくとも近づきて行道すべきなり。
■16
示して云く、大慧禪師、ある時尻に腫物出ぬれば、醫師此を見て大事の物なりと云ふ。慧の云く、大事の物ならば死ぬべきや否や。醫師云く、ほとんどあやふかるべし。慧の云く、若し死ぬべくんば彌よ坐禪すべしと云て、猶を強て坐しければ、其の腫物うみつぶれて別の事なかりき。古人の心かくのごとし。病をうけては彌よ坐禪せしなり。今の人病なふして坐禪ゆるくすべからず。病は心に隨て轉ずるかと覺ゆ。世間にしやくりする人に、虚言してわびつべき事を云つげぬれば、それをわびしつべき事に思ひ、心に入て陳ぜんとするほどに、忘れて其のしやくり留りぬ。我もそのかみ入宋の時、船中にて痢病せしに、惡風出來て船中さはぎける時、やまふ忘れて止りぬ。是を以て思ふに學道勤勞して他事を忘るれば、病も起るなじきかと覺るなり。
■17
示して云く、俗の野諺(ヤゲン)に云く、唖せず聾せざれば家公とならずと。云こヽろは、人の毀謗をきかず人の不可をいはざれば、よく我が事を成ずるなり。かくのごとくなる人を家の大人とするなりと。是れ野諺なりといへども、是を取て衲僧の行履に用ゆべし。他のそしりにとりあはず、他の恨みにとりあはず、他の是非をいはずして、如何んが道を行ぜん。徹骨徹髓の者は是を得べきなり。
■18
示して云く、大慧禪師の云く學道は須く人の千萬貫の錢を債(オ)ひけるが、一文をも持たざるに、乞責らるヽ時の心の如くすべし。若しこの心あれば、道を得ることやすしといへり。信心銘に云く、至道かたきことなし、唯だ揀擇(ケンジヤク)を嫌ふと。揀擇の心だに放下しぬれば、直下に承當するなり。揀擇の心を放下すると云は、我をはなるヽなり。佛道を行じて代りに利uを得ん爲に、佛法を學すと思ふことなかれ。只佛法の爲に佛法を修行すべきなり。縱ひ千經萬論を學し得て、坐禪の床を坐破するとも、此の心なくんば佛祖の道を得べからず。只すべからく身心を放下して、佛法の中に置て、他に隨ひて舊見なければ、即ち直下に承當するなり。
■19
示して云く、古人の云く、所有の庫司の財穀をば、因を知り果を知る知事に分付して、司を分ち局を列ねて是を司さどらしむと。いふこヽろは、主人は寺院の大小の事、キて管ぜず、只管工夫打坐して大衆を勸むべきゆへなり。亦云く、良田萬頃よりも薄藝身に隨んにはしかず、施恩は報をのぞまず、人に與へて悔る事なかれ。口を守ること鼻の如くすれば、萬禍も及ばずと云り。行高ければ人自ら重んじ、才多ければ人自ら歸伏するなり。深く耕して淺くうゆる、猶を天災あり。己を利して人を損ずる、豈に果報なからんや。學道の人話頭を見る時、目を近づけ力を盡して能々見るべし。
■20
示して云く、古人の云く、百尺の竿頭にさらに一歩をすヽむべしと。此の心は、十丈の竿のさきにのぼりて、なを手足をはなちて、すなはち身心を放下するが如くすべし。是に付て重々の事あり。今時の人は世をのがれ家を出ぬるに似たれども、其の行履をかんがふれば、なを實とに出家の遁世にてはなきなり。いはゆる出家と云ふは、第一まづ吾我名利を離るべきなり。是を離れずんば行道は頭燃を拂ひ、艶iは翹足(ゲウソク)をしるとも、只無理の勤苦のみにて出離にはあらざるなり。大宋國にも、離れ難き恩愛を離れ、捨て難き世財を捨て、叢林にまじはり祖席をふる人あれども、審細に此の故實を知らずして行ずる故に、道をも悟らず心をも明めずして、徒らに一期を空く過すもあり。その故は、人の心も初めは道心を起して、僧にもなり知識にも隨へども、佛となり祖とならん事をば思はずして、身の貴く我が寺の貴ときよしを、施主檀那にも知られ、親類眷屬にもいひきかせて、人にたふとびられ供養ぜられんと思ひ、剩(アマツサ)へ衆僧は皆な無當不善なれども、我れ獨り道心もあり、善人なる由を方便して云ひきかせ、思ひしらせんとする樣もあり。是れ等は云ふに足ざるもの、五闡提(ゴセンダイ)等の惡比丘のごとし。決定地獄に落る心ばへなり。これをものもしらぬ一向の在家人は、道心者貴き人なりと思へり。此れを少したちいでヽ施主檀那をも貪らず、父母妻子をも捨てはてヽ、叢林に交りて行道するもあれども、本性懶墮懈怠(ランダケダイ)なる者は、ありのまヽに懈怠する事も慙かしければ、長老首座等の見る時は相かまへて行道するよしをなして、見ざる時は事に觸れて怠り徒らにおくるもあり。是は在家にしてさのみ無當ならんよりはよけれども、猶を吾我名利を捨得ざるなり。亦總じて師の心もかねず首座兄弟の見るをも見ざるをも顧みず、常に思はく、佛道は人の爲ならず身の爲なりとて、我身心こそ佛となり祖とはならんと、眞實に勤め營む人もあり。是は以前の人人よりはまことの道者かと覺れども、これも猶を我が身よくならんと思ひて修する故に、なをいまだ吾我を離れず、亦ゥ佛菩薩に隨喜せられんことを思ひ、佛果苦提を成ぜんことを思ふも、我欲名利の心なをすて得ざる故なり。此等まではいまだ百尺の竿頭を離れず、とりつきたるが如し。只身心を佛法になげすてヽ、更に悟道得法までをも望む事なく修行するを以て、是を不汚染の行人とは云なり。有佛の處にもとヾまることをえず、無佛の處をも急に走過すと云ふは、此の心ろなり。 
■21
示して云く、衣食の事は兼てより思ひあてがふことなかれ。若し失食絶烟せば、其の時に臨で乞食せん。その人に用事いはんなど思ひ設けたるも、即ち物を貯る邪命食にて有なり。衲子は雲の如く定れる住所もなく、水の如くに流れゆきて、よる處もなきをこそ僧とは云ふなり。縱ひ衣鉢の外に一物も持たずとも、一人の檀那をもョみ一類の親族をもョむは、即ち自他ともに縛住せられて不淨食にてあるなり。かくのごとくの不淨食等を以てやしなひもちたる身心にて、ゥ佛C淨の大法を悟らんと思ふとも、とても契ふまじきなり。たとへば藍にそめたる物はく、檗(キハダ)にそめたる物は黄なるが如く、邪命食を以てそめたる身心は即ち邪命身なるべし。此の身心を以て佛法をのぞまば、沙を壓して油を求るが如し。只時にのぞみて兎も角も道理に契ふやうにはからふべきなり。かねてとかく思ひたくはふるは、皆たがふことなり。能々思量すべきなり。
■22
示して云く、學人各知るべし、人人大なる非あり、憍奢(ケウシヤ)是れ第一の非なり。内外の典籍に是を等しく戒めたり。外典に云く、貧ふして諂(ヘツ)らはざるはあれども、富で奢らざるはなしといひて、なを富を制して奢らざらん事を思ふなり。最もこれ大事なり。よくよくこれを思ふべし。我が身下賤にして高貴の人におとらじと思ひ、人に勝れんと思ふは、憍慢のはなはだしきものなり。しかあれど是は戒めやすし。亦世間に自體財寶に豊かにuェもある人は、眷屬も圍遶し人もゆるす。それを是とし憍るゆへに、傍らの賤き人はこれを見てうらやみいたむべし。人のいたみを自體富貴の人、いかやうにかつヽしむべきや。かくの如き人は戒めがたく、その身も愼むことならざるなり。亦心に憍心はなけれども、ありのまヽにふるまへば、傍らの賤き人はうらやみいたむべきなり。是をよくつヽしむを憍奢をつヽしむとは云ふなり。我身の富は果報にまかせて、貧賤の人見てうらやむをはヾからざるを、憍心と云なり。外典に云く、貧家の前を車に乘て過ることなかれと。しかあれば我が身朱車にのるべくとも、貧人のまへをばはヾかるべしと云云。内典も亦かくの如し。然あるに今の學人僧侶は、智慧法門を以て人に勝べきと思ふなり。必ずしも此を以て憍ることなかれ。我より劣れる人のうへの非義を云ひ、或は先人傍輩等の非義をしりていひ誹謗するは、是れ憍奢のはなはだしきなり。古人の云く、智者の邊にしてはまくるとも、愚者の邊にして勝べからずと云云。我れがよく知たる事を人の惡く心得たりとも、他の非を云ふは亦是れ我れが非なり。法門をいふとも先人先輩を誹らず、亦愚癡曚昧なる人のうらやみねたみつべきところにては、能々是を思惟すべし。予も建仁寺に寓せし時、人多く法門等を問ひき。その中には非義も過患も有しかども、此の儀をふかく存じて只ありのまヽに法のコを語りて、他の非をいはず無爲にしてやみにき。愚者の執見ふかきは、我が先コの非を云とて、かならず嗔恚を起すなり。智慧ある人の眞實なるは、佛法の道理をだにもこヽろへぬれば、人はいはざれども、我が非、及び我が先コの非をも、思ひしりてあらたむるなり。かくのごとき等の事よくよく思ひしるべし。
■23
示して云く學道の最要は坐禪これ第一なり。大宋の人多く得道することみな坐禪のちからなり。一問不通にて無才愚癡の人も、坐禪をもはらすればその禪定の功によりて、多年の久學聡明の人にも勝るヽなり。しかあれば學人は祇管打坐して、他を管ずることなかれ。佛祖の道は只坐禪なり。他事に順ずべからず。ときに奘問て云く、打坐と看讀と、ならべて此を學するに、語録公案等を見るには、百千に一つも聊か心得ることも出來るなり。坐禪にはそれほどのことの驗しもなし。然かあれども猶を坐禪を好むべきか。答て云く、公案話頭を見て聊か知覺有る様なりとも、それは佛祖の道にとをざかる因縁なり。無所得無所悟にて端坐して時を移さば、即祖道なるべし。古人も看語祇管坐禪ともに勸めたれども、猶を坐をもはらにすヽめしなり。亦話頭に依てさとりをひらきたる人あれども、其れも坐の功に依りてさとりのひらくる因縁なり。まさしき功は坐によるべし。  
正法眼藏隨聞記第六 (長円寺本・第一)    侍者懷奘編  

 

■1
示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし。予在宋の時、天童の淨和尚、侍者に請ずるにいはく、元子は外國人たりといへども器量人なりと云て請ず。予堅く此を辭す。其故は、和國に聞へん爲にも學道の稽古の爲にも大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外國人として大叢林の侍者たらんこと、大國に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、淨和尚聞て、國を重んじ人を愧ることを感じ、許して更に請じ玉はざりしなり。
■2
示して云く、或る人の云く、我は病者なり、非器なり、學道にはたえず、法門の最要を聞て獨住隱居して身をやしなひ病をたすけて、一生を終へんと思ふと。これは太だ非なり。先聖必ずしも金骨にあらず。古人豈に咸く皆上器ならんや。滅後を思へばいくばくならず。在世を考るに人人みな俊なるにあらず。善人もあり惡人もあり。比丘衆の中に不可思議の惡行なるもあり、最下品の器量もあり。しかあれども卑下しやめりなんと稱して道心をおこさず、非器なりと云て學道せざるはなし。今生に若し學道修行せずんば、何れの生にか器量の人となり、無病の者と成て學道せんや。只身命を顧りみず發心修行するこそ、學道の最要なれ。
■3
示して云く、學道の人、衣食を貪ることなかれ。人人皆食分あり、命分あり、非分の食命を求るとも得べからず。況や學佛道の人にはおのづから施主の供養あり。常乞食たゆべからず。亦常住物もこれあり、私の營みにあらず。果蓏と乞食と信心施との三種の食は、皆な是れC淨食なり。其の餘の田商士工の四種の食は、皆不淨の邪命食なり。出家人の食分にあらず。昔し一人の僧あり、死して冥途に行く。閻王の云く、此の人は命分いまだつきず、かへすべしと。冥官云く、命分つきずといへども食分ずでに盡く。王の云く、荷葉を食せしむべしと。しかりしより、その僧よみがへりて後ち、人中の食物食することをえず、只荷葉のみを食して殘命を保てり。しかあれば出家は學佛のちからによりて食分も盡べからず。白毫の一相、二十年の遺因、歴劫に受用すとも盡べきにあらず。たヾ行道を專らにして衣食を求むべきにはあらざるなり。身體血肉だによくもてば、心も隨てよくなると醫方等にも見へたり。いはんや學道の人、持戒梵行して佛祖の行履に任て、身を治むれば、心も隨て調ふなり。學道の人、言ばを發せんとする時は、三度顧て自利利他の爲に、利あるべくんば是を云べし。利なからん言語は止まるべし。かくのごときの事も一度にはゑかたし。心にかけて漸々に習ふべきなり。
■4
雜話の次でに示して云く、學道の人衣食にわづらふことなかれ。此の國は邊地小國なりといへども、昔も今も顯密の二ヘに名をゑ、後代にも人にも知られたる人おほし。或は詩歌管絃の家、文武學藝の才、其道を嗜む人もおほし。かくの如き人人未だ一人も衣食に豊かなりと云ことを聞かず。皆貧を忍び他事を忘れて、一向に其の道を好むゆへに、其の名をも得るなり。いはんや祖門學道の人は、渡世を捨てヽ一切名利に走らず、何としてか豊かなるべきぞ。大宋國の叢林には末代なりといへども、學道の人千萬人ある中に、或は遠方より來り、或はク土より出たるも有り。いづれも多分は貧なり。しかあれどもいまだ貧をうれへとせず。只悟道の未だしきことをのみ愁へて、或は樓上、或は閣下に坐して、考妣に喪するが如くにして、一向に佛道を修するなり。まのあたり見しことは、西川(セイセン)の僧、遠方より來れりし故に、所持の物なし。纔に墨二三丁もてり。そのあたひ兩三百文、此國の兩三十文にあたれるを持て、唐土の紙の下品なる極めて弱きを買ひとりて、襖ま或は袴などに作てきぬれば、起ち居に破るるおとして、あさましきをも顧みず、うれへざるなり。或る人の云く、汝ク里にかへりて道具裝束とヽのへよと。答て云く、ク里遠方なり、路次の間に光陰を空ふして、學道の時を失せんことを憂ふと云て、猶更に寒をも愁へずして學道せしなり。しかある故に大國にはよき人も出來るなり。
■5
示して云く、傳へ聞く、昔目雪峰山の開山の時は、寺貧窮にして、或は絶烟し、或は酷、をむして食して、日を送て學道せしかども、後には一千五百人の僧、常に斷へざるなり。昔しの人はかくのごとし。今もまたかくのごとくなるべし。僧の損ずることは多く富貴より起るなり。如來在世、調達(デウダツ)が嫉妬を起せしことも、日に五百車の供養より起れり。唯自らを損ずるのみに非ず、亦他をして惡をなさしむる因縁なり。實の學道の人、何としてか富貴なるべき。たとひ淨信の供養も多くつもらば、恩の思ひを作して報を思ふべし。此の國の人は亦我が爲に利を思ひて施をいたす。笑ひて向へる者によく與るは、さだまれる世の道理なり。只他の心にしたがはんとしてなさば、これ學道の障りなるべし。只飢を忍び寒を忍で、一向に學道すべきなり。
■6
一日示して云く、古人の云く、聞くべし、見るべし、得るべし。亦云く、得ずんば見るべし、見すんば聞べしと。云ふ心は、聞んよりは見るべし、見んよりは得るべし、未だ得ずんば見るべし、未だ見ずんば聞べしとなり。
■7
亦云く、學道の用心は只本執を放下すべし。まづ身の威儀をさきとしてあらたむれば心も隨ふて改まるなり。先づ律儀戒行を守れば心も隨ふて改まるべし。宋土には、俗人等の常の習ひに、父母に孝養の爲に宗廟にて各各衆會し泣まねをするほどに、終には實に泣なり。學道の人も、初めより道心なくとも、只しひて佛道を好み學せば、終には實の道心も起るべきなり。初心學道の人は、只衆に隨ふて行道すべきなり。はやく用心故實等を學し知らんと思ふことなかれ。用心故實等のことも、只獨り山にも入り市にもかくれて行ぜん時、あやまりなく能く知たるは好きことなり。衆に隨ふて行ぜば道を得べきなり。たとへば船にのりて行には、我は漕ゆくやうをも知ざれども、よき船師に任せてゆけば知たるも知ざるも彼の岸に至るが如し。善知識に隨て衆と共に行じて私しなければ自然に道人となるなり。學道の人、たとひ悟りを得ても、今は至極と思ふて行道をやむることなかれ。道は無窮なり。悟りても猶行道すべし。むかし良遂座主の麻谷(マヨク)に參ずる因縁を思ふべし。
■8
示して云く、學道の人は後日をまちて行道せんと思ふことなかれ。たヾ今日今時をすごさずして日日時時を勤むべきなり。爰にある在家人、長病せしが、去年の春のころ予にあひちぎりて云く、當時の病ひ療治せば、必定妻子を捨て寺の邊に庵室をかまへむすんで、一月兩度の布薩にあひ、日日行道法門談義を見聞して、隨分に戒行を守りて生涯を送らんと云ひき。その後種々に療治せしに依て少き減氣あり。しかれども亦再發ありて日月空くすごしき。今年正月より俄に大事になりて、苦痛次第にせむるほどに、日來支度する庵室の道具をはこびて作るほどのひまもなき故に、先づ人の庵室をかりて住せしが、わづかに一兩月の中に死し去りぬ。前夜に菩薩戒をうけ三寶に歸して臨終よくして終りぬれば、在家にて妻子に恩愛を惜み狂亂して死せんよりは尋常ならねども、去年思ひよりたりし時に、在家を離て寺にちかづき、僧になれて行道しておはりたらば、すぐれたらましと存ずるにつけても、佛道修行は後日を待まじき事と覺るなり。身の病者なれば病ひを治して後より修行せんと思は無道心のいたす處なり。四大和合の身は誰か病無からん。古人必ずしも金骨にあらず。只志しだに至りぬれば他事を忘れて行ずるなり。大事身の上に來れば必ず小事を忘るヽ習ひなり。佛道は一大事なれば、一生に窮めんと思ひて日日時時を空くすごさじと思ふべきなり。古人の云く、光陰虚く度ることなかれと云云。病を治せんと營むほどに除かずして據し、苦痛いよいよせめば、少しも痛のかるかりし時に、行道せんと思ふべし。強き痛みを受ては、尚を重くならざるさきにと思ふべし。重く成ては死せざるさきにと思ふべきなり。病を治するには減ずるもあり揩クるもあり。亦治せざれども減じ、治するに揩クるもあり。これを能能思ひ分くべきなり。行道の人、居所等を支度し衣鉢等を調へて、後に行道せんと思ふことなかれ。貧窮の人、衣鉢資具にともしくして調ふを待ほどに、次第に臨終ちかづきよるはいかん。ゆへに居所を待ち衣鉢を調へて後に行道せんと欲せば、一生空く過すべきなり。只衣鉢等はなけれども、在家も佛道は行ずるぞかしと思ひて行ずべきなり。亦衣鉢等は只有べき僧體のかざりなればなり。實の佛道行者はそれにもよらず、より來らば有るに任すべし。あながちに求ることなかれ。有ぬべきを持じとも思ふべからず。病も治しつべきを、わざと死せんと思ひて治せざるも外道の見なり。佛道の爲には命を惜むことなかれ。亦借まざることなかれ。より來らば灸治一所煎藥一種なんど用ひん事は、行道の障りともならじ。行道をさしおきて、病を治するをさきとして後に修行せんと思ふは非なり。
■9
示して云く、海中に龍門と云處ありて、洪波しきりにたつなり。ゥの魚ども彼の處を過ぬれば、必ず龍となるなり。故に龍門と云なり。いま思ふ、彼の處洪波も他所にことならず、水も同くしわはゆき水なり。然れども定まれる不思議にて、魚ども彼の處を渡れば必ず龍と成る。魚の鱗もあらたまらず、身も同じ身ながら、たちまちに龍となるなり。衲子の儀式も亦かくのごとし。處も他所にことならねども、叢林に入りぬれば必ずしも佛と成り祖となるなり。食も人と同く喫し、衣も同く服し、飢を除き寒を禦(フセ)ぐことも齊しけれども、只髮を剃り袈裟を着して食を齋粥にすれば、忽ちに衲子と成るなり。成佛作祖、遠く求むべきにあらず。只叢林に入と入ざるとは、彼の龍門を過ると過ざるとの別の如し。亦俗の云く、我れ金を賣れども人の買ふなしと。佛祖の道も亦かくのごとし。道を惜むにはあらず、常に與ふれども人の得ざるなり。道を得ることは根の利鈍にはよらず。人人皆法を悟るべきなり。艶iと懈怠とによりて得道の遲速あり。進怠の不同は志しの至ると至らざるとなり。志しの至らざることは無常を思はざる故なり。念念に死去す。畢竟じて且くも留まらず、暫く存ぜる間だ、時光を空くすごすことなかれ。古語に云ふ、倉にすむ鼠み食に飢へ、田を耕す牛草に飽かずと。云心は、食の中にありながら食にうえ、草の中に住しながら草に乏し。人もかくのごとし。佛道の中に有りながら道にかなはざるものなり。名利希求の心止まざれば、一生安樂ならざるなり。
■10
示して云く、道者の行は善行惡行につき皆おもはくあり。凡人の量る所にあらず。昔し慧心僧キ、一日庭前に草を食ふ鹿を、人をして打ち追はしむ。時に或る人問て云く、師慈悲なきに似り、草を惜みて畜生を惱ますか。僧キの云く、しかあらず、吾れ若し是を打ち追はずんば此の鹿ついに人になれて、惡人に近づかん時は必ず殺されん。この故にうちおふなりと。これ鹿を打追は、慈悲なきに似たれども内心は慈悲の深き道理、かくのごとし。  
■11
一日示して云く、人ありて法門を問ひ、或は修行の法要を問ことあらば、衲子はかならず實を以て是を答べし。若は他の非器を顧み、或は初心末學の人にて心得べからずとして、方便不實を以て答ふべからず。菩薩戒の心は、縱ひ小乘の器ありて、小乘の道を問ふとも、只大乘を以て答ふべきなり。如來一期の化儀も亦同じ。方便の權ヘは實に無uなり。只最後の實ヘのみ實にuあり。しかあれば他の得不得を論ぜず、只實を以て答ふべきなり。若し箇中の人を見ば、實コを以て是を見るべし。外相假コを以てこれを見るべからず。昔し孔子に、一人あり來て歸す。孔子問て云く、汝ぢ何を以てか來て我に歸するや。云く、君子參内の時此を見しに、顒々(ギヨウギヨウ)として威勢あり、故に歸す。ときに孔子弟子に命じて、乘物裝束金銀財物等を取出して此を與へて、汝は我に歸するにあらずと云てかへせり。亦云く、宇治の關白殿、ある時鼎殿に到て火を焚所を見玉へば、鼎殿是を見て云ふ、いかなる者ぞ案内なく御所の鼎殿へ入ると云て、追出されて後、關白殿先の惡き衣服等をぬぎかへて、顒々として裝束して出たまふ時、さきの鼎殿、はるかに見て恐れ入てにげにき。時に殿下、裝束を竿の先にかけ拜せられけり。人これを問ふ。答て云く、吾れ他人に貴びらるヽこと我がコにはあらず、只此の裝束ゆへなりと云へり。おろかなる者の人を貴ぶことかくのごとし。經ヘの文字等を貴ぶことも亦かくのごとくなり。古人の云く、言とば天下に滿れども口過なく、行(オコナヒ)天下に遍けれども怨害なしと。是れ即ち云べき所を云ひ、行ふべき事を行ふ故なり。是れは至コ要道の言行なり。世間の言行も私曲を以てはからひ行ふは、おそらくは過(トガ)のみあらん。衲子の言行は先證是れ定れり。私曲を存ずべからず。佛祖行じ來れる道なり。學道の人各各自ら己身を顧るべし。身を顧ると云は吾が此の身心いか様に持べきぞと顧るべし。然るに衲子はすでに是れ釋子なり。如來の風儀を慣ふべきなり。身口意の威儀は先佛行じ來れる作法あり。各各其の儀に隨ふべし。俗すら猶を服は法に應じ、言は行に隨ふべしと云へり。況や衲子は一切私を用ふべからず。
■12
示して云く、當世學道する人、多分法を聞く時、先づ能く領解する由を知られんと思ひ、答の言ばのよからん様を思ふほどに、聞くことばが耳を過すなり。總じて詮ずる處、道心なく吾我を存ずるゆへなり。只須く先づ吾我を忘れて、人の云はんことを能く聞得て、後に靜に案じて、難もあり不審もあらば追ても難じ、心得たらば重て師に呈すべし。當座に領ずる由を呈せんとするは法を能も聞得ざるなり。
■13
示して云く、唐の太宗の時、異國より千里の馬を獻ぜり。帝これを得て喜ばずして、自ら謂へらく、縱ひ我れ獨り千里の馬に乘て千里を行とも、隨ふ臣なくんば其の詮なきなりと。故に魏徴(ギチヨウ)を召して此を問ひ玉へば、徴云く、帝の心と同じと。依て彼の馬に金帛をおほせて返さしむ。世間の帝王だにも無用のものをば畜へたまはずしてかへせり。況や衲子は衣鉢の外は決定して無用なり。無用の物是を貯てなにヽかせん。俗すら猶を一道を專らに嗜むものは、田苑莊園等を持することを要とせず。只一切國土の人を百姓眷屬ともするなり。相法橋遺囑子息(相の法橋、子息に遺囑す)たヾすべからく當道をもつぱらはげますべしと云へり。況や佛子は萬事を捨て專ら一事を嗜むべし。是れ第一の用心なり。
■14
示して云く、學道の人、參師聞法の時に、能々極めて聞き重て聞て決定すべし。問ふべきを問はず、云ふべきを云ずして過じなば、必ず我れが損なるべし。師は必ず弟子の問を待て、言を發するなり。心得たることをも、いくたびも問て決定すべきなり。師も弟子に好く心得たるかと問て、云ひきかすべきなり。
■15
示して云く、道者の用心は常の人に異ることあり。故建仁寺の僧正在世の時に、寺中絶食することありき。時に一人の檀那、僧正を請じて絹一疋を施す。僧正歡喜して人にももたしめず、自ら取て懷中して寺に歸て、知事に與へて云く、明旦の淨粥等に作すべしと。然るに有る俗人の所より所望して云く、愧がましき事有て絹二三疋入用あり、少々にてもあらば給はるべき由を申す。僧正即ちさきつかたの絹を取返して、すなはちこれを與ふ。時に知事の僧も衆僧も思の外に不審するなり。後に僧正云く、各は僻事とこそ思はるらん。然れども吾が思はくは、衆僧は面々佛道の志し有て集れり。一日絶食して餓死するとも苦しかるべからず。世に交れる人のさしあたりて、事缺る苦惱を扶けたらんは、各の爲にも利uすぐれたるべしと云へり。まことに道者の案じ入たることかくの如し。
■16
示して云く、佛々祖々、皆な本は凡夫なり。凡夫の時は必しも惡業もあり、惡心もあり、鈍もあり、癡もあり。然あれども盡く改めて知識に隨て修行せしゆへに、皆佛祖と成しなり。今の人も然あるべし。我が身愚鈍なればとて卑下することなかれ。今生に發心せずんば何の時を待てか行道すべきや。今強て修せば必ずしも道を得べきなり。
■17
示して云く、帝道の故實の諺に云く、虚襟に非ざれば忠言をいれずと。云心は己見を存ぜずして、忠臣の言ばに隨て道理にまかせて帝道を行はるヽなり。衲子の學道の用心故實も亦かくのごとくなるべし。わずかも己見を存ぜば、師の言ば耳に入ざるなり。師の言ば耳に入ざれば、師の法を得ざるなり。只法門の異見を忘るヽのみにあらず、世事及び飢寒等を忘れて、一向に身心をCめて聞く時、親く聞得るなり。かくのごとく聞く時は、道理も不審も明らめらるヽなり。眞實の得道と云は、從來の身心を放下して、只直下に他に隨ひゆけば、即まことの道人となるなり。是れ第一の故實なり。
正法眼藏随聞記 了  
■跋語
先師永平奘和尚、學地に在りし日、學道の至要聞くに隨つて記録す。所以に隨聞と謂ふ。雲門室中の玄記、永平の寶慶記の如し。今六册を録集して卷を調べて、假字正法眼藏拾遺分の内に入る。六册倶に嘉禎年中の記録なり。(康暦二年五月初三日、寶慶寺浴主寮に於て書す焉。)  此の記は永祖、奘祖に訓ずる所の眞語實語にして遠孫、常に帶て甘熟す宜くの法味なり。但し册大にして衣嚢に盛り難く、故に細字に製して、行脚の衲子に便りす。冀ふ所は酬祖師法乳の涓滴に酬いん者なり。明和己丑仲秋廿八日    遠孫方面山謹記

豊後州大分郡大龍山永慶禪寺は、實に孤雲奘祖開創する所なり。初め奘祖、高祖に永平に侍する時、其の天童所受の釋迦瑞像を賚ふことを得る。因て、夢徴を感じ、宇を逖西に胥て、越より豐に徂き、乃て~助に斯に遇て勝概を得、伽藍を構造して、瑞像を安置し、居ること七百餘日、事を竣へて反て永平に侍すること故(モト)の如し。其の詳、舊誌に有て、具悉すと云う。云、爾後、奕葉遞代住持し、自古在昔、蓋し叢社望刹を以て稱す焉。國初天正の凶賊に経て、輙ち兵火に罹り、一ひ掃蕩す。尋ついて有志慨忼して再ひ中興し輓近、加修希古の際に當て、選に似祖に膺て事を主とる。首として法を永u和尚に傳へ、師資及び孫、三代相い繼て、嫡曽孫見住大津梁長老に至り、齊しく皆濟美任責す。永xa尚、此の祖訓に於て考校是正、一に皆、質實を得ること、序及ひ諸凡の言ふ所の如くにして、秘藏すること年有り。今年遂に出して流布に屬す。輙ち梁長老を諭して、事を幹せ俾しめ、版を永慶に藏して刊行するときは則ち淨信縁を贊て從曳して緒に就く。但し永慶、式微に屬するの久き。以て來胄を此の擧に光昭して、四方諒とせらること無き焉。因て將さに、和尚の緒言に文獻すること有んと欲し、僅に請すことを得て、溘焉として、化を戢む。長老、其の資斧を喪なふや。僧參甞て和尚の道顧を承け、繼述餘論の與かり聞くに及ふを以て、遽かに其の徒を价して、報するに縁由を以てして、代劉して其の後に識、參、乃ち舊誌譜牒を請て、讀むこと一過。巻を釋いて起敬して謂(ヲモヘラク)、尚いかな縁や。夫れ吾か祖宗傳東にして、而して後、本支百世、海内に蕃衍し、人境依正、辟(タトヘバ)則ち麟趾の繁き鵲巣の昌んなる基業埀統、誰そや居、一も奘祖に承け弗る者無して、而今永慶の棠蔭、諸れを永福の華冑に傳て、三世此(ココ)に住持相い繼き、乃ち加修希古の際に當て、此の擧を左右して、祖業を纂修する住持の底績、唯斯れを大なりと爲す。和尚其れ此れを以て命せり。恩に答しコに報する、何そ土木の拮据らんも云んや。斯の本の流布する、縁由を先聲して脛無して自ら至る。永慶の源委、置郵して命を傳ふるよりも速なるときは、吾れ尚、何をか言んや。祖訓の舊染を雪めたると、幹縁の歸處を得たると參。則ち兩ながら其の盛事に隨喜す。終いに匪分を以て解くことを得ず。舊誌を取裁して、需に應す乎爾。明和第六己丑冬日   嗣祖遠孫 洲菴僧參謹識  
「正法眼蔵随聞記」について
「正法眼蔵随聞記」は道元禅師の説示を、懐奘禅師が筆録したものであり、これはすべて嘉禎年間の三、四年間の記録である。「正法眼蔵随聞記」はその書写により「慶安本」、「宝暦本」、「明和本(流布本)」、「長円寺本」等とがあり、明和本(流布本)は慶安本を基に面山が校訂を加え刊行したもので全六巻より構成されている。又別に「大安寺本」が伝わっている。「長円寺本」は昭和十七年に大久保道舟が愛知県長円寺に江戸初期の随聞記を発見し発表した。「明和本(流布本)」と「長円寺本」は全六巻とも内容はほぼ同じだが「長円寺本」の一巻目が「明和本(流布本)」の六巻目となっていて、「明和本(流布本)」の一巻目が「長円寺本」の二巻目で、その他は一巻づつずれている。水野弥穂子訳「正法眼蔵随聞記」は長円寺本を基に書かれているが、その他の「正法眼蔵随聞記」は「流布本(面山本)」を参照し書かれたものが多い。    
 
正法眼藏辨道話

 

諸佛如來ともに妙法を單傳して、阿耨菩提を證するに、最上無爲の妙術あり。これただ、ほとけ佛にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。この三昧に遊化(戯)するに、端坐参禪を正門とせり。この法は、人々の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、證せざるにはうることなし。はなてばてにみてり、一多のきはならんや。かたればくちにみつ、縦横きはまりなし。諸佛のつねにこのなかに住持たる、各各の方面に知覺をのこさず、群生のとこしなへにこのなかに使用する、各各の知覺に方面あらはれず、いまをしふる功夫辨道は、證上に萬法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。その超關脱落のとき、この節目にかかはらんや。予、發心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき。ちなみに建仁の全公をみる。あひしたがふ霜華、すみやかに九廻をへたり。いささか臨濟の家風をきく。全公は祖師西和尚の上足として、ひとり無上の佛法を正傳せり。あへて餘輩のならぶべきにあらず。予、かさねて大宋國におもむき、知識を兩浙にとぶらひ、家風を五門にきく。つひに大白峰の淨禪師に參じて、一生參學の大事ここにをはりぬ。それよりのち大宋紹定のはじめ、本クにかへりし。すなはち弘法救生をおもひとせり、なほ重擔をかたにおけるがごとし。しかあるに弘通のこころを放下せん、激揚のときをまつゆゑに。しばらく雲遊萍寄(ウンユウヒヤウキ)して、まさに先哲の風をきこえんとす。ただしおのづから名利にかかはらず、道念をさきとせん、眞實の參學あらんか。いたづらに邪師にまどはされ、みだりに正解をおほひ、むなしく自狂にゑふて、ひさしく迷クにしづまん。なにによりてか般若の正種を長じ得道の時をえん。貧道はいま雲遊萍寄をこととすれば、いづれの山川をかとぶらはん。これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋國にして禪林の風規を見聞し、知識の玄旨を禀持(ボンヂ)せしをしるしあつめて、參學閑道の人にのこして、佛家の正法をしらしめんとす。これ眞訣ならんかも。いはく大師釋尊靈山會上にして、法を迦葉につけ、祖祖正傳して、菩提達磨尊者にいたる。尊者みづから~丹國におもむき、法を慧可大師につけき、これ東地の佛法傳來のはじめなり。かくのごとく單傳して、おのづから六祖大鑑禪師にいたる。ことき(このとき)眞實の佛法、まさに東漢に流演して、節目にかかはらぬむねあらはれき。ときに六祖に二位の~足ありき。南嶽の懷讓と青原の行思となり。ともに佛印を傳持して、おなじく人天の導師なり。その二派の流通するに、よく五門ひらけたり。いはゆる法眼宗、潙仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨濟宗なり。
見在大宋には、臨濟宗のみ天下にあまねし。五家ことなれども、ただ一佛心印なり。大宋國も後漢よりこのかた、ヘ籍あとをたれて、一天にしけりといへども、雌雄いまださだめざりき。祖師西來ののち、直に葛藤の根源をきり、純一の佛法ひろまれり。わがくにもまたしかあらんことをこひねがふべし。いはく、佛法を住持せし諸祖ならびに諸佛、ともに自受用三昧に端坐依行するをその開悟のまさしきみちとせり。西天東地さとりをえし人、その風にしたがへり。それ師資ひそかに妙術を正傳し、眞訣を禀持せしによりてなり。宗門の正傳にいはく、この單傳正直(眞)の佛法は、最上のなかに最上なり、參見知識のはじめよりさらに燒香禮拜念佛修懺看經をもちゐず、ただし打坐して身心脱落することを得よ。もし人一時なりといふとも、三業に佛印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな佛印となり、盡虚空ことごとくさとりとなる。ゆゑに諸佛如來をして本地の法樂をまし、覺道の莊嚴をあらたにす、および十方法界、三途六道の群類、みなともに一時に身心明淨にして、大解脱地を證し、本來面目現ずるとき、諸法みな正覺を證會し、萬物ともに佛身を使用して、すみやかに證會の邊際を一超して、覺樹王に端坐し、一時に無等等の大法輪を轉じ、究竟無爲の深般若を開演す。これらの等正覺、さらにかへりて、したしくあひ冥資するみちかよふがゆえに、この坐禪人、礭爾として、身心脱落し、從來雑穢の知見思量を截斷して、天眞の佛法に證會し、あまねく微塵際そこばくの諸佛如來の道場ごとに、佛事を助發し、ひろく佛向上の機にかうぶらしめて、よく佛向上の法を激揚す。このとき、十方法界の土地艸木、牆壁瓦礫、みな佛事をなすをもて、そのおこすところの風水の利益にあづかるともがら、みな甚妙不可思議の佛化に冥資せられて、ちかきさとりをあらはす。この水火を受用するたぐひ、みな本證の佛化を周旋するゆゑに。これらのたぐひと共住して同語するもの、またことごとくあひたがひに無窮の佛コそなはり、展轉廣作して、無盡無間斷、不可思議、不可稱量の佛法を、遍法界の内外に流通するものなり。しかあれども、このもろもろの當人の知覺に昏(混)せざらしむることは、靜中の無造作にして直(眞)證なるをもてなり。もし凡流のおもひのごとく、修證を兩段にあらせば、おのおのあひ覺知すべきなり。もし覺知にまじはるは、證則にあらず、證則には迷情およばざるがゆゑに。また心境ともに靜中の證入悟出あれども、自受用の境界なるをもて、一塵をうごかさず、一相をやぶらず、廣大の佛事、甚深微妙の佛化をなす。この化道のおよぶところの艸木土地、ともに大光明をはなち、深妙法をとくこときはまるときなし。艸木牆壁は、よく凡聖含靈のために宣揚し、凡聖含靈はかへつて艸木牆壁のために演暢す。自覺覺他の境界、もとより證相をそなへてかけたることなく、證則おこなはれて、おこたるときなからしむ。ここをもて、わづかに一人一時の坐禪なりといへども、諸法とあひ冥し、諸時とまどかに通ずるがゆゑに。無盡法界のなかに去來現に、常恒の佛化道事をなすなり。彼彼(ひひ)ともに一等の同修なり、同證なり。ただ坐上の修のみにあらず、空をうちてひびきをなすこと橦の前後に妙聲綿綿たるものなり。このきはのみにかぎらんや、百頭みな本面目に本修行をそなへて、はかりはかるべきにあらず。しるべしたとひ十方無量恒河沙數の諸佛ともにちからをはげまして、佛智慧をもて、一人坐禪の功コをはかりしりきはめんとすといふとも、敢てほとりをうる事あらじ。  
(十八問答・第一問)
いまこの坐禪の功コ高大なることをききをはりぬ。おろかならん人うたがふていはん、佛法におほくの門あり、なにをもてかひとへに坐禪をすすむるや。しめしていはく、これ佛法の正門なるをもてなり。
■(十八問答・第二問)
とふていはく、なんぞひとり正門とする。しめしていはく、大師釋尊、まさしく得道の妙術を正傳し、また三世の如來、ともに坐禪より得道せり。このゆゑに正門なることをあひつたへたるなり。しかのみにあらず、西天東地の諸祖、みな坐禪より得道せるなり、ゆゑにいま正門を人天にしめす。
■(十八問答・第三問)
とふていはく、あるひは如來の妙術を正傳し、または祖師のあとをたづぬるによらん、まことに凡慮のおよぶにあらず。しかはあれども、讀經念佛は、おのづからさとりの因縁となりぬべし。ただむなしく坐してなすところなからん、なにによりてかさとりをうるたよりとならん。しめしていはく、なんぢいま諸佛の三昧、無上の大法を、むなしく坐してなすところなしとおもはん、これを大乘を謗する人とす。まどひのいとふかき、大海のなかにゐながら、水なしといはんがごとし。すでにかたじけなく諸佛受用三昧に安坐せり。これ廣大の功コをなすにあらずや。あはれむべし、まなこいまだひらけず、こころなほゑひにあることを。おほよそ諸佛の境界は、不可思議なり。心識のおよぶべきにあらず。いはんや不信劣智のしることをえんや。ただ正信の大機のみよくいることをうるなり。不信の人はたとひをしふとも、うくべきことかたし。靈山になほ退亦佳矣(タイヤクケイ)のたぐひあり、おほよそ心に正信おこらば、修行し參學すべし。しかあらずば、しばらくやむべし、むかしより法のうるほひなきことをうらみよ。又讀經念佛等のつとめにうるところの功コを、なんぢしるやいなや。ただしたをうごかし、こゑをあぐるを佛事功コとおもへる、いとかなし。佛法に擬するにうたたとほく、いよいよはるかなり。又經書をひらくことは、ほとけ頓漸修行の儀則ををしへおけるをあきらめしり、ヘのごとく修行すれば、かならず證をとらしめんとなり。いたづらに思量念度(シリヤウネンタク)をつひやして、菩提をうる功コに擬せんとにはあらぬなり。おろかに千萬誦の口業(クゴフ)をしきりにして、佛道にいたらんとするは、尚これ、ながえをきたにして越にむかはんとおもはんがごとし。又圓孔(ヱンク)に方木をいれんとせんとおなじ。文をみながら、修するみちにくらき、それ醫方をみる人の合藥をわすれん、なにのuかあらん。口聲をひまなくせる、春の田のかへるの晝夜になくがごとし、つひに又uなし。いはんやふかく名利にまどはさるるやから、これらのことをすてがたし、それ利貪(貪利)のこころははなはだふかきゆゑに、むかしすでにありき、いまのよになからんや、もともあはれむべし。ただまさにしるべし、七佛の妙法は得道明心の宗匠(シウシヤウ)に、契心證會の學人あひしたがふて正傳すれば、的旨あらはれて禀持せらるるなり。文字習學の法師のしりおよぶべきにあらず。しかあればすなはちこの疑迷をやめて、正師のをしへにより、坐禪辨道して諸佛の自受用三昧を證得すべし。
■(十八問答・第四問)
とふていはく、いまわが朝につたはれるところの、法華宗、華嚴ヘ(宗)ともに大乘の究竟なり。(尚、ここで云う法華宗とは天台法華宗を指す。) いはんや眞言宗のごときは、毘廬遮那如來したしく金剛薩埵につたへて師資みだりならず。その談ずるむね卽心(身)是佛、是心(身)作佛といふて、多功の修行をふることなく、一座に五佛の正覺をとなふ、佛法の極妙といふべし。しかあるにいまいふところの修行、なにのすぐれたることあらば、かれらをさしおきてひとへにこれをすすむるや。しめしていはく、しるべし佛家にはヘの殊劣を對論することなく、法の淺深をえらばず。ただし修行の眞僞をしるべし。艸華山水にひかれて、佛道に流入することありき。土石沙礫をにぎりて、佛印を禀持することあり。いはんや廣大の文字は、萬象にあまりてなほゆたかなり。轉大法輪、また一塵にをさまれり。しかあればすなはち卽心(身)卽佛のことば、なほこれ水中の月なり。卽坐成佛(成道)のむね、さらにまたかがみのうちのかげなり。ことばのたくみにかかはるべからず。いま直(眞)證菩提の修行をすすむるに、佛祖單傳の妙道をしめして、眞實道人とならしめんとなり。又佛法を傳授することは、かならず證契の人をその宗師とすべし。文字をかぞふる學者をもてその導師とするにたらず。一盲の衆盲をひかんがごとし。いまこの佛祖正傳の門下には、みな得道證契の哲匠をうやまひて、佛法を住持せしむ。かるがゆゑに冥陽の~道もきたり歸依し、證果の羅漢もきたり問法するに、おのおの心地を開明する手をさずけずといふことなし。餘門にいまだきかざるところなり。ただ佛弟子は佛法をならふべし。又しるべし、われらはもとより無上菩提かけたるにあらず。とこしなへに受用すといへども、承當することをえざるゆゑに、みだりに知見をおこすことをならひとして、これを物とおふ(おもふ)によりて、大道いたずらに蹉過す。この知見によりて、空華まちまちなり。あるひは十二輪轉、二十五有の境界とおもひ、三乘五乘有佛無佛の見つくることなし、この知見をならふて佛法修行の正道とおもふべからず。しかあるをいまはまさしく佛印によりて、萬事を放下し、一向に坐禪するとき、迷悟情量のほとりをこえて凡聖のみちにかかはらず、すみやかに格外に逍遥し、大菩提を受用するなり。かの文字の筌罤(センテイ)にかかはるものの、かたをならぶるにおよばんや。
■(十八問答・第五問)
とふていはく、三學のなかに定學あり、六度のなかに禪度あり、ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ、利鈍をわかず修行す。いまの坐禪もそのひとつなるべし。なにによりてかこのなかに如來の正法あつめたりといふや。しめしていはく、いまこの如來一大事の、正法眼藏、無上の大法を、禪宗となづくるゆえに、この問きたれり。しるべしこの禪宗の號は、~丹以東におこれり、竺乾(チクゲン)にはきかず。はじめ達磨大師嵩山の少林寺にして、九年面壁のあひだ、道俗いまだ佛正法をしらず、婆羅門となづけき。のち代々の諸祖、みなつねに坐禪をもはらす。これをみるおろかなる俗家は實をしらず、ひたたけて坐禪宗といひき、いまのよには坐のことばを簡して、ただ禪宗といふなり。そのこころ諸祖の廣語にあきらかなり。六度および三學の禪定にならつていふべきにあらず。この佛法の相傳の嫡意なること一代にかくれなし。如來むかし靈山會上にして、正法眼藏、涅槃妙心、無上の大法をもて、ひとり迦葉尊者にのみ付法せし儀式は、現在して上界にある天衆、まのあたりみしもの存せり、うたがふべきにたらず。おほよそ佛法はかの天衆とこしなへに護持するものなり。その功いまだふりず。まさにしるべし、これは佛法の全道なり。ならべていふべき物なし。  
(十八問答・第六問)
とふていはく、佛家なにによりてか四儀のなかに、ただし坐にのみおほせて、禪定をすすめて證入をいふや。しめしていはく、むかしよりの諸佛、あひつぎて修行し證入せるみち、きはめしりがたし。ゆゑをたづねば、ただ佛家のもちゐるところをゆゑとしるべし。このほかにたづぬべからず。ただし祖師ほめていはく、坐禪はすなはち安樂の法門なり。はかりしりぬ四儀のなかに安樂なるゆゑか。いはんや一佛二佛の修行のみにあらず。諸佛諸祖にみなこのみちあり。
■(十八問答・第七問)
とふていはく、この坐禪の行は、いまだ佛法を證會せざらんものは、坐禪辨道してその證をとるべし。すでに佛正法をあきらめえん人は、坐禪なにのまつところかあらん。しめしていはく、癡人のまへにゆめをとかず、山子(サンス)の手には舟棹をあたへがたしといへどもさらに訓をたるべし。それ修證は一つにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。佛法には修證これ一等なり。いまも證上の修なるゆゑに、初心の辨道、すなはち本證の全體なり。かるがゆゑに修行の用心をさづくるにも、修のほかに證をまつおもひなかれとをしふ。直指の本證なるがゆゑなるべし。すでに修の證なれば、證にきはなく、證の修なれば、修にはじめなし。ここをもて釋迦如來、迦葉尊者、ともに證上の修に受用せられ、達磨大師、大鑑高祖、おなじく證上の修に引轉せらる。佛法住持のあとみなかくのごとし。すでに證をはなれぬ修あり。われらさいはひに一分の妙修を單傳せる初心の辨道、すなはち一分の本證を無爲の地にうるなり。しるべし修をはなれぬ證を染汚せざらしめんがために、佛祖しきりに修行のゆるくすべからざるとをしふ。妙修を放下すれば、本證手の中にみてり。本證を出身すれば、妙修通身におこなはる。又まのあたり大宋國にしてみしかば諸方の禪院、みな坐禪堂をかまえて、五百六百、および一二千僧を安じて、日夜に坐禪をすすめき、その席主とせる、傳佛心印の宗師に、佛法の大意をとぶらひしかば、修證の兩段にあらぬむねをきこえき。このゆゑに、門下の參學のみにあらず、求法の高流、佛法のなかに眞實をねがはん人、初心後人をえらばず、凡人聖人を論せず、佛祖のをしへにより、宗匠の道をおふて、坐禪辨道すべしとすすむ。きかずや、祖師のいはく、修證はすなはちなきにあらず、染汚することはえじ。又いはく、道をみるもの道を修すと。しるべし、得道のなかに修行すべしといふことを。
■(十八問答・第八問)
とふていはく、わが朝の先代にヘをひろめし諸師、ともにこれ入唐傳法せしとき、なんぞこのむねをさしおきて、ただヘをのみつたへし。しめしていはく、むかしの人師、この法をつたへざりしことは、時節のいまだいたらざりしゆゑなり。
■(十八問答・第九問)
とふていはく、かの上代の師、この法を會得せりや。しめしていはく、會せば通じてん。
■(十八問答・第十問)
とふていはく、あるがいはく、生死をなげくことなかれ、生死を出離するに、いとすみやかなるみちあり、いはゆる心性の常住なることはりをしるなり。そのむねたらく、この身體は、すでに生あれば、かならず滅にうつされゆくことありとも、この心性はあへて滅することなし。よく生滅にうつされぬ心性、わが身にあることをしりぬれば、これを本來の性とするがゆゑに、身はこれかりのすがたなり、死此生彼さだまりなし。心はこれ常住なり、去來現在はかるべからず。かくのごとくしるを生死をはなれたりとはいふなり。このむねをしるものは、從來の生死ながくたえて、この身をはるとき、性海にいる。性海に朝宗するとき、諸佛如來のごとく、妙コまさにそなはる。いまはたとひしるといへども、前世の妄業になされたる身體なるがゆゑに、諸聖とひとしからず。いまだこのむねをしらざるものは、ひさしく生死にめぐるべし。しかあればすなはちただいそぎて心性の常住なるむねを了知すべし。いたづらに閑坐して一生をすぐさん、なにのまつるところかあらん、かくのごとくいふむね、これはまことに諸佛祖の道にかなへりや、いかん。しめしていはく、いまいふところの見、またく佛法にあらず。先尼外道が見なり。いはく、かの外道の見は、わが身、うちにひとつの霊知あり。かの知すなはち縁にあふところに、よく好惡をわきまへ、是非をわきまふ。痛痒をしり、苦樂をしる。みなかの靈知のちからなり。しかあるにかの靈知は、この身の滅するとき、もぬけてかしこにうまるる、ゆゑにここに滅すとみゆれどもかしこの生あれば、ながく滅せずして常住なりといふなり。かの外道が見かくのごとし。しかあるを、この見をならふて佛法とせん、瓦礫をにぎりて金寶とおもはんよりもなほおろかなり。癡迷のはづべき、たとふるにものなし。大唐國の慧忠國師ふかくいましめたり。いま心常相滅の邪見を計して、諸佛の妙法にひとしめ、生死の本因をおこして、生死をはなれたりとおもはん、おろかなるにあらずや、もともあはれむべし。ただこれ外道の邪見なりしとしれ、みみにふるべからず。ことやむことをえず、いまなほあはれみをたれてなんぢが邪見をすくはは(はん)。しるべし佛法にはもとより身心一如にして、性相不二なりと談ずる、西天東地おなじくしれるところ、あへてたがふ(うたかふ)べからず。いはんや常住を談ずる門には、萬法みな常住なり。身と心とをわくことなし。寂滅を談ずる門には、諸法みな寂滅なり、性と相とをわくことなし。しかあるをなんぞ身滅心常といはん、正理にそむかざらんや。しかのみならず、生死はすなはち涅槃なりと覺了すべし、いまだ生死のほかに涅槃を談ずることなし。いはんや心は身をはなれて領解するをもて、生死をはなれたる佛智に妄計すといふとも、この領解知覺の心は、すなはちなほ生滅して、またく常住ならず。これはかなきにあらずや。甞觀すべし。身心一如のむねは、佛法のつねの談ずるところなり。しかあるになんぞこの身の生滅せんとき心ひとり身をはなれて生滅せざらん。もし一如なるときあり、一如ならぬときあらば、佛説おのづから虚妄にありぬべし。又生死はのぞくべき法ぞとおもへるは、佛法をいとふつみとなる、つつしまざらんや。しるべし佛法に心性大總相の法門といふは、一大法界をこめて、性相をわかず、生滅をいふことなし。菩提涅槃におよぶまで、心性にあらざるなし。一切諸法(諸佛)萬象森羅ともにただこれ一心にしてこめずかねざることなし。このもろもろの法門、みな平等一心なり、あへて異違なしと談ずる、これすなはち佛家の心性をしれる樣子なり。しかあるをこの一法に身と心とを分別し、生死と涅槃とをわくことあらんや。すでに佛子なり、外道の見をかたる狂人のしたのひびきをみみにふるることなかれ。  
(十八問答・第十一問)
とふていはく、この坐禪をもはらせん人、かならず戒律を嚴淨すべしや。しめしていはく、持戒梵行は、すなはち禪門の規矩なり、佛祖の家風なり、いまだ戒をうけず、又戒をやぶるもの、その分なきにあらず。
■(十八問答・第十二問)
とふていはく、この坐禪をつとめん人、さらに眞言止觀の行をかね修せん、さまたげあるべからずや。しめしていはく、在唐のとき、宗師の眞訣をききしちなみに、西天東地の古今に佛印を正傳せし諸祖、いづれもいまだしかのごときの行をかね修すときかずといひき。まことに一事をこととせざれば、一智に達することなし。
■(十八問答・第十三問)
とふていはく、この行は在俗の男女もつとむべしや、ひとり出家人のみ修するか。しめしていはく、祖師にいはく、佛法を會すること男女貴賤をえらふべからずときこゆ。
■(十八問答・第十四問)
とふていはく、出家人は、諸縁すみやかにはなれて、坐禪辨道にさはりなし、在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して、無爲の佛道にかなはん。しめしていはく、おほよそ佛祖あはれみのあまり、廣大の慈門をひらきおけり、これ一切衆生を證入せしめんがためなり。人天たれかいらざらんものや。ここをもてむかしいまをたづぬるに、この證これおほし、しばらく代宗順宗の帝位にして萬機いとしげかりし、坐禪辨道して佛祖の大道を會得す。李相國、防相國、ともに輔佐の臣位にはんべりて、一天の股肱(ココウ)たりし、坐禪辨道して、佛祖の大道に證入す。ただこれこころざしのありなしによるべし。身の在家出家にかかはらじ。又ふかくことの殊劣をわきまふる人、おのづから信ずることあり。いはんや世務は佛法をさゆとおもへるものは、ただ世中に佛法なしとのみしりて、佛中に世法なきことをいまだしらざるなり。ちかごろ大宋に馮相公(ヘウシヤウコウ)といふありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりてみづからをいふにいはく、公事餘喜坐禪、少曾將脇致牀眠、雖然現出宰官相、長老之名四海傳。(公事の餘、坐禪を喜む。曾て脇を將て牀に致て眠こと少しなり。然も宰官相に現出すと雖も。長老の名、四海に傳ふ。) これは官務にひまなかりし身なれども、佛法にこころざしふかければ、得道せるなり。佗をもわれをかへりみむかしをもていまをかがみるべし。大宋國には、いまのよの國王大臣士俗男女、ともに心を祖道にとどめずといふことなし。武門文家、いづれも參禪學道をこころざせり。こころざすものかならず心地を開明することおほし。これ世務の佛法をさまたげる、おのづからしられたり。國家に眞實の佛法弘通すれば、諸佛諸天ひまなく衛護するゆえに、王化太平なり。聖化太平なれば、佛法そのちからをうるものなり。又釈尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の會下には、獵者樵翁(レウシヤセウオウ)さとりをひらく、いはんやそのほかの人をや。ただ正師のヘ道をたづぬべし。
■(十八問答・第十五問)
とふていはく、この行は、いま末代惡世にも修行せば證をうべしや。しめしていはく、ヘ家に名相をこととせるに、なほ大乘實ヘには、正像末法をわくことなし、修すればみな得道すといふ。いはんやこの單傳の正法には、入法出身、おなじく自家の財珍を受用するなり。證の得否は、修せんものおのづからしらんこと、用水の人の冷煖をみづからわきまふるがごとし。  
(十八問答・第十六問)
とふていはく、あるがいはく、佛法には卽心是佛のむねを了達しぬるがごときは、くちに經典を誦せず、身に佛道を行ぜざれども、あへて佛法にかけたるところなし。ただ佛法はもとより自己にありとしる、これを得道の全圓とす。このほかさらに佗人にむかひてもとむべきにあらず、いはんや坐禪辨道をわずらはしくせんや。しめしていはく、このことばもともはかなし、もしなんぢがいふごとくならば、こころあらんもの、たれかこのむねををしへんにしることなからん。しるべし佛法はまさに自佗の見をやめて學するなり。もし自己卽佛としるをもて得道とせば、釋尊むかし化道にわづらはじ。しばらく古コの妙則をもて、これを證すべし。むかし則公監院といふ僧、法眼禪師の會中にありしに、法眼禪師といふていはく、則監寺なんぢわが會にありていくばくのときぞ。則公がいはく、われ師の會にはんべりてすでに三年をへたり。禪師のいはく、なんぢはこれ後生なり。なんぞつねにわれに佛法をとはざる。則公がいはく、それがし和尚をあざむくべからず。かつて峰禪師のところにありしとき、佛法におきて安樂のところを了達せり。禪師のいはく、なんぢいかななることばによりてかいることをえし。則公がいはく、それがしかつて峰にとひき、いかなるかこれ學人の自己なる。峰のいはく、丙丁童子來求火(ビヤウヂヤウドウジライグカ)。法眼のいはく、よきことばなり、ただしおそらくはなんぢ會せざらんことを。則公がいはく、丙丁は火に屬す、火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己を求むるににたりと會せり。禪師のいはく、まことにしりぬなんぢ會せざりけり。佛法もしかくのごとくならば、けふまでにつたはれじ。ここに則公燥悶(サウモン)して、すなはちなちぬ。中路にいたりておもひき、禪師はこれ天下の善知識、又五百人の大導師なり。わが非をいさむる、さだめて長處あらん。禪師のみもとにかへりて、懺悔禮謝してとふていはく、いかなるかこれ學人の自己なる。禪師のいはく、丙丁童子來求火と。則公このことばの下に、おほきに佛法をさとりき。あきらかにしりぬ、自己卽佛の領解をもて佛法をしれりといふにはあらずといふことを。もし自己卽佛の領解を佛法とせば禪師さきのことばをもてみちびかじ。又しかのごとくいましむべからず。ただまさにはじめ善知識をみんより、修行の儀則を諮問して、一向に坐禪辨道して、一知半解を心にとどむることなかれ。佛法の妙術それむなしからじ。
■(十八問答・第十七問)
とふていはく、乾唐(ケンタウ)の古今をきくに、あるひはたけのこのこゑをききて道をさとり、あるひははなのいろをみてこころをあきらむるものもあり。いはんや釋迦大師は、明星をみしとき道を證し、阿難尊者は刹竿のたふれしところに法をあきらめしのみならず、六代よりのち五家のあひだに、一言半句のしたに、心地をあきらむるものおほし。かれらかならずしもかつて坐禪辨道せるもののみならんや。しめしていはく、古今に見色明心し、聞聲悟道せし當人、ともに辨道に擬議量なく、直下に第二人なきことをしるべし。
■(十八問答・第十八問)
とふていはく、西天および~丹國は、人もとより質直なり。中華のしからしむるによりて、佛法をヘ化するにいとはやく會入す。我朝はむかしより人に仁智すくなくして、正種つもりがたし、番夷のしからしむるうらみざらんや。又このくにの出家人は大國の在家人にもおとれり。擧世おろかにして心量狹少なり。ふかく有爲の功を執して、事相の善をこのむ。かくのごとくのやから、たとひ坐禪すといふともたちまちに佛法を證得せんや。しめしていはく、いふがごとし。わがくにの人いまだ仁智あまねからず、人また迂曲なり。たとひ正直の法をしめすとも、甘露かへりて毒となりぬべし。名利にはおもむきやすく、惑執とらけがたし、しかはあれども佛法に證入すること、かならずしも人天の世智をもて出世の舟航とするにはあらず。佛在世にもてまりによりて四果を證し、袈裟をかけて大道をあきらめし、ともに愚暗のやから、癡狂の畜類なり。ただし正信のたすくるところ、まどひをはなるるみちあり。また癡老の比丘默坐せしをみて、説齋の信女さとりをひらきし。これ智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず、ただしこれ正信にたすけられたり。また釋ヘの三千界にひろまること、わづかに二千餘年の前後なり。刹土のしなじななる、かならずしも仁智のくににあらず。人またかならずしも利智聰明のみあらんや。しかあれども如來の正法、もとより不思議の大功コ力をそなへて、ときいたればその刹土にひろまる。人まさに正信修行すれば、利鈍をわかず、ひとしく得道するなり。わが朝は、仁智のくににあらず、人に知解おろかなりとして、佛法を會すべからずとおもふことなかれ。いはんや人みな般若の正種ゆたかなり。ただ承當することまれに、受用することいまだしきならし。

さきの問答往來し、賓主相交することみだりがはし。いくばくかはななきそらにはなをなさしむる。しかあれどもこのくに坐禪辨道におきて、いまだその宗旨つたはれず。しらんとこころざさんもの、かなしむべし。このゆゑにいささか異域の見聞をあつめ、明師の眞訣をしるしとどめて、參學のねがはんにきこえんとす。このほか叢林の規範、および寺院の格式、いましめすにいとまあらず。又草草にすべからず。おほよそ我朝は龍海の以東にところして、雲煙はるかなれども、欽明用明の前後より、秋方の佛法東漸する、すなはち人のさひはひなり。しかあるを名相事縁しげくみだれて、修行のところにわづらふ。いまは破衣綴盂(ハエトツウ)を生涯として、巖白石のほとりに茅(チガヤ)をむすんで、端坐修練するに、佛向上の事たちまちあらはれて、一生參學の大事、すみやかに究竟するものなり。これすなはち龍牙の誡勅なり。雞足の遺風なり。その坐禪の儀則は、すぎぬる嘉祿のころ撰集せし普勸坐禪儀に依行すべし。それ佛法を國中に弘通すること、王勅をまつべしといへども、ふたたび靈山の遺屬をおもへば、いま百萬億刹に現出せる、王公相將、みなともにかたじけなく佛勅をうけて夙生(シユクシヤウ)に佛法を護持する素懐をわすれず、生來せるものなり。その化をしくさかひ、いづれのところか、佛國土にあらざらん。このゆゑに佛祖の道を流通せん、かならずしもところをえらび、縁をまつべきにあらず。ただけふをはじめとおもはんや。しかあればすなはちこれをあつめて、佛法をねがはん哲匠、あはせて道をとぶらひ雲遊萍寄せん參學の眞流にのこす。ときに、    ェ喜辛卯中秋日   入宋傳法沙門道元記  

「正法眼藏辨道話」は単行本として発行されているものは少ない。ほとんどが「正法眼藏」の中に組み込まれていて、その最初に「正法眼藏辨道話」がある。ここで参照したのは主に「鈴木天山述 正法眼藏辨道話講話」である。尚、衛藤卽應著「正法眼藏序説(辨道話義解)」には一般的な「正法眼藏」には掲載されていない、正法寺本の「辨道話」が問答の一つに加えられていて、十九問答となっている。「正法眼藏序説(辨道話義解)」には第五問として、次の様に書かれている。
「問曰、法華、眞言、華厳教等は其の教主勝れたり、樹下の應身にあらず、説く所の法も亦すぐれたり、今云所は釋尊迦葉に對せり、是應身の佛け、聲聞に蒙らしむる處、先きの大乘教の宗に及ぶべきにあらず、如何、示曰、一翳眼に有れば空花亂れ墜つ、委しく顧るべし、況汝は云處の顯密の大乘教に釋迦の外に教主ありと知れる、己れが教主をも知らざるなり、此外に覓ば捨父逃逝の初めなるべし、迦葉は偏へに聲聞と思える、村人愚なるが、王宮の臣位の列排を定んが如し、佛法の大道を錯るのみにあらず、教家の旨にも暗し、汝は外道か、天魔か、暫く歸つて、己が宗師に語れ、再び來らば、汝が爲に説ん、我れ法を惜むべからず。」 
 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 

 

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