「乖離」考

乖離経営と人事理想と現実心を安定させる言葉気 の緩み仕事と高い志事実と理論成績と投票数子供の心の成長偽りの自分眞子さま結婚延期 報道世間と自分の意見家庭内の世代間組織開発組織変革経営の針路組織 はなぜ潰れるティール組織製造不祥事の教訓環境変化 の組織影響力経営施策の課題組織開発プロセス自治体の仕事を変える精神論 が企業進化を阻む社会ニーズと大学入試改革国民意識と政治教育論と 社会アメリカ中間選挙成熟社会の意思決定社会の認識企業社会の構造と現況東京五輪エンブレム「若い」侮蔑語秋葉原通り魔事件現実と非現実のあいだ日本ファッション新普通主義思考停止社会死刑廃止宣言理想と現実次の一手憲法と現実ソーシャルメディアと現実トランプ現象に見る米国政治本音と建前日本の対中観高齢社会対策自民党と民進党政治 のフレーム自衛隊は違憲かインターネットとアメリカ政治メディアと大喧嘩カネの問題は政治の優先課題勝ち過ぎた自公与党命と政治若者の政治離れ徳島青年会議所ワシントン政治独裁国家を目指す日本重く暗い2009年中国の中央と地方憲法と現状の 問題国家公務員制度と実態政府予算と決算経済成長率と失業率危機管理と公益国益グローバリゼーション理念と現実国基研日本のFTA戦略国民の幸福度日本の共産主義礼賛福祉国家の構造と政治体制国共済年金総理と世論 の改憲意識歴史の公民教科書グローバル化文献現実との乖離演出文化の違い研究者と現場性器認識文化が必要地方創生の問題と課題地方創生の目的と目標相撲協会の対応大人と若者理系と文系の議論MeTooとドヌーブ顧客中心主義時代の成功イタリアデザインバラ色の携帯電話マクドナルド再建策理想世界と現実世界シャープの文化禅は宗教か宗教の寛容と多様性日本人の宗教観日本における宗教日本の仏教・・・
 

雑学の世界・補考

「乖離」

「乖離」 1
そむきはなれること。はなればなれになること。違う方向にそむき離れること。
「乖離」 2
そむきはなれること。結びつきがはなれること。もともと1つであるべきものや、本来近い関係のものが離れてしまうことです。 「乖」は「背く(そむく)」という意味なので、「そむき離れる」という意味になる。
語源は「人間の背中に見える背骨の図」。その背骨から左右に肉が流れる様子から、「離れていく=そむく」となった。
「そむく」は「人の意志にしたがわない」や「属していたものから離れる」という意味。元々は引っ付いていた、関連していたのが、完全に離れたことを意味します。
男女の心や政治と民心など、人の心に関して使われることが多いです。
「乖離」 3
そむき離れること、離れ離れになること。
特に難解で馴染みのない「乖(かい)」という字は、訓読みすると「そむく」や「さからう」となり、離れてしまうことを意味します。また「そむく」という意味のため、元から一つだったものが分かれてしまうことを意味するのではなく、別々のものがさらに離れていった場合に用いられます。
よくある間違いに、「乖離する」と書くべきところを、「解離する」としてしまっていることがあります。読み方は同じ「かいり」ですが、前述した通り、少し意味合いが変わってしまいますので注意が必要です。「乖離する」が、別々だったものがさらに大きく離れてしまうことを指すのに対し、「解離する」は、元々一つだったものが分かれることを指しますので混同しないよう注意しましょう。
「乖離」 4
○意味
そむき離れること、結びつきが離れること
本来1つであるものや、関係のあった物事が離れてしまうことです。
「乖」は訓読みで「そむく」と読み、よく使われる「背く」と同じです。
「そむく」は「人や物事に背中を向ける姿勢・態度をとる」ことです。
また「反抗する」という意味も持ちます。
そのため、「乖離」にはただ離れるだけでなく、本来1つのものであったことから離れること、また関係するものが離れることを意味します。
○使い方
「乖離」にはは「人や物事に背中を向ける姿勢・態度をとる」といった意味があります。
そのため、人間関係や政治など人の心や理想・理念に関することに多く使われます。
そして、1つのものや隣接しているものが離れるといった意味から、数値などに差ができることを「乖離」と呼ぶことがあります。
「乖離」の「乖」の字は「常用漢字表」に掲載されいていない漢字であるため「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送・学校教育」では一般的に用いられていません。
絶対的義務ではありませんが社会全体がなるべく漢字使用をその範囲内で収まるようにとしているので、「乖離」は「かい離」と表記するか別の言葉に置き換えられることが多くあります。
○「解離」との違い
同じ読み方を持ち、どちらも「離」という字がつくことから「乖離」と混同されやすい「解離」ですが、別の意味を持ちます。
「解離」は、漢字のまま「解け離れること」の意味を持ち、分子が可逆的に分解することなどを指します。
そして、心理学において「解離」では無意識的防衛規制の一つとして定義されています。
「意識・記憶・感覚・思考」などが本来は「個々の体験」「人生」として統合されているはずのものが隔離してしまいバラバラになってしまっている状態のことです。
「解離」は誰にでも普通にある正常な範囲のものから障害として判断されるものがあり、その障害を「解離性障害」と呼びます。
このように、「乖離」とは全く別の意味を持ちます。
「乖離」は「人や物事が反抗をしたり、意思と反するものにそむく」といった意味を持ちますが
「解離」は「何らかにより、本来1つのものもしくは統合されていたものが解れ離れる」ことを意味します。
○例文
「お金のことしか考えていない経営者と身を粉にして働く従業員の想いが乖離する」
「国会議員の支離滅裂な言動により国民の関心は日に日に乖離している」
「日本は首相公選制ではないため、就任した首相が国民の意思と乖離する可能性がある」
「彼の音楽的欲求とグループの方向性が乖離している」
「高校の授業内容は大学入試を目的とした勉強に偏っていて、本来の知識をつけ教養を高める勉強から大きく乖離している」
○類語・対義語
類語
「離反」 従っていたものや属していたものから離れそむくここと
「疎遠」 遠ざかって関係が薄いこと
「離別」
「隔絶」
対義語
「結束」 志を同じくするものが団結すること
「同調」 他と同じ意見・態度になること
「密接」 関係が非常に深い様子
「乖離」と「差異」
「差異」には、「他のものとの違い、他と比較しての違い、相違」という意味があり、2つ以上のものを比べた時の違いを表す語となります。
そして、この語と「乖離」の使い方を比較すると以下のようになります。
「差異」:「理想と現実の差異が大きい」(理想と現実の違いが大きい)
「乖離」:「理想と現実との乖離」(もともと一つであった理想と現実が離れ離れになる)
上記の例文では、つまるところは、どちらも「理想と現実に隔たりがある状態」であることを言っているものとなりますが、両者のニュアンスは異なります。
まず「差異」は「2つ以上のものを比較した時のその間にある相違」のことを表す語であるため、この例文であれば、理想と現実を比べた時に「その両者には異なるところが大きい」ということを述べています。
それに対して「乖離」は、「(本来つながりのある物事の間に)隔たりができる、離れ離れになっていること」を表すため、例文であれば、「もともとは重なり合っていた理想と現実が離れた状態、つながりがない状態になっている」ことを述べていることになります。  
 
 

 


「経営と人事の乖離」が日本企業を潰す

 

日本企業再興のカギは「人事改革」にある──。だが、それは単に人事制度の変更ではなく、事業・組織そのものを再設計する大規模な変革の入口だ。“企業変革請負人”ことエッグフォワードの徳谷智史代表と、元ハイアールアジアCEOであり、プロ経営者として数社の企業再生を実践してきた伊藤嘉明氏。両氏が語る、企業変革の本質とは何か。(2017/7)
日本企業だけの“奇妙な特性”
──お二人に共通する課題意識である今回のテーマ、日本企業の「経営と人事の乖離」とは一体どういうことでしょうか。
伊藤:ハイアールを退任して、長期海外に行って帰国してから特にヤバイと感じているんですが、日本で働くビジネスパーソンから覇気が感じられない。電車に乗っているサラリーマンたちの目、死んでいますからね。
その原因は、日本の大企業の人事部門、その本質的な問題点に起因すると思っています。
徳谷:同感です。日本企業の停滞の原因を辿っていけば、人事に行き着くことが多いですね。
その理由として、「経営視点に立ちながら、事業側と人材側を連動して考えられる機能」が根本的に足りていない会社が多いんです。
あえて誤解を恐れずにいうと、人事部門に、経営や事業をわかっている人がほぼいない。
会社や事業として何を目指しているのかを本質的に理解されないまま人事が営まれ、長い年月をかけて人と組織の硬直化が進んできたというのが、多くの大企業の現状です。
伊藤:確かに。経営や事業をわかってない人間が、人事部門のヘッドとして人を育てる、人を配置する。それが上手くいくわけがないですよ。
僕がすごく違和感を感じているのは、日本の会社って人事のヘッドが組織内のエグゼクティブコミッティー(EC)に入っていないでしょう。
外資系の本社では、人事部門のヘッドは当然のように経営陣に入っています。人事・戦略・営業・マーケのヘッドが顔を揃えて、常に社内外のトピックを共有する。この集団がECです。
その連携のなかで、今後必要なのはどんな人材かという各部門のニーズが出てくる。それに応じて、人事は各部門とクロスファンクショナルで動くわけです。
日本企業にはその連動がまったくない。人事部長さんは発言力も権限も強くない。
一応、慣例で人事担当役員は置いていますが、実質的にはいくつもある間接部隊のうちのひとつという扱いですよ。
これは日本企業だけの奇妙な特性ですね。たとえばGEなんか見ると、人事グループが強烈なパワーを持っていて、むしろメインストリームのような存在ですから。
徳谷:本当にそう思います。見方を変えると、会社としての「縦軸」が存在しないということがいえると思います。
縦軸というのは、「経営—事業—組織—人事」の一貫性のことです。
今後の経営や事業で必要なのはどんな組織体で、どんな人材か。その縦軸がない。
ベンチャーであれば経営も人も一体ですが、規模が拡大するにつれて、事業側に強い人、管理や組織に強い人という風に人材が細分化されていく。経営層さえも、出身領域以外には詳しくないことも少なくない。
だから、自分の会社がうまくいっていないのは、事業戦略が悪いのか、組織や人が悪いのか、それとも両方悪いのか因果関係を判断できない。
全体感をもって組織を把握できる人がいないため、各部門が個別最適で動いてしまう。これが大企業病の本質です。
伊藤:その通りですね。部門が自分たちのKPIだけを追いかける個別最適に走ると、本当にロクなことにならない。
「配属リスク」という悪夢の原因
徳谷:加えて、人事の「横軸」が断絶しているケースも顕著です。横軸とは、「採用—配置—育成—評価」の時系列で見たつながりのこと。
事業戦略・組織戦略に合わせて採用は進んでいるのか、トレーニングができているのか、配置や評価はどうかという風に連動して考えるべきです。
もちろん人事部門の方々も、個別の担当領域においては一生懸命に取り組んでいます。
しかし、例えば採用担当者のKPIは「採用人数」になり、採った人材が中長期で本当に活躍できているか、といった質的な成果まではトレースされていない。
配属でも、将来的な事業の方向性や、本人のありたい姿からどんな機会提供をするべきかという視点に欠ける。だから「配属リスク」という言葉が存在するわけです。
育成は現場でOJTを頑張ってください。研修は単発で何の課題を埋めているかわからない。全部バラバラなんです。
伊藤:その通りですね。日本企業は新卒を大量採用して、型にはめるトレーニングをしますね。それからどこに配置するかを考える。そして一回でも転んだらアウト。
結局、失敗をしなかった人が、年功序列でどんどん出世していく仕組みですよ。特に製造業系では顕著ですが、まず事業ありき、人がサブセット的なものでしかない。
これがイノベーションを殺してしまう。
戦略連動のクロスファンクション人事
──お二人がここまで“人事”にこだわる理由はなんでしょうか?
伊藤:企業を変革するには、人事制度を改革するしかないからです。
僕がトップをやった企業を含め、潰れそうな企業のなかでも、実は事業が完全にダメで衰退しているケースって多くはないですよ。
ハイアールアジアの代表に就任したときも、最初に手を付けたのは人事改革でした。開発工程においても、例えば通常は洗濯機の開発に60人で36カ月を費やしていたところを、3人のチームで半年で開発するように指示したのです。
結果的に、それが世界最小のハンディ洗濯機のヒットにつながり、会社の危機を救った。
徳谷:素晴らしい。
伊藤:硬直した体制をぶっ壊して、大勢のつまらない意見で原石を潰させないようにする。チャレンジさせ、うまくいったら評価する。失敗しても挑戦したことを評価する。
既存の人事制度がイノベーションを殺しているわけですから、まずはそれを壊すこと。評価制度を変え、トレーニングを変え、組織構造を変える。それは、突き詰めれば「個人」を覚醒させる仕組みをつくることです。
僕のことを「イノベーター」という人がいますが、それは違う。僕は「イノベーションをつくる場をつくった」だけ。それこそが人事制度改革なのです。
徳谷:人事が変われば組織が変わり、事業が変わる。逆もしかりですが、連動しています。企業が変革するためには、縦と横をつなぐ、「クロスファンクション人事」が不可欠です。
事業戦略だけを描いてもその先が進まないし、逆に、目先の組織改革や小手先の人材育成だけをゴールにすると部分最適で終わってしまう。
ただ、いきなり評価制度や組織設計だけを変えようとしても現場は変わりたがらないし、会社の方向性ともずれるしで、うまくいきません。
伊藤さんのようなトップがいれば話は早いですが(笑)、そういうケースばかりでもないので、会社全体にとってベストなアプローチを設計し、変革の推進をサポートしていくのがわれわれのアプローチですね。
ミドルが変われば会社は変わる
伊藤:エッグフォワードの場合、手法としてはどういうものが多いのですか?
徳谷:基本的には、事業戦略の見直しと、組織人事制度改革を連動させるケースが多いですが、その前にまずトップの自己否定から始まることも少なくありません。
場合によっては、「適切なトップを人選するモニタリングの仕組みをどう創るか」というテーマを設けることもあります。
ある超大手サービス業の改革を手掛けたときは、肥大化した組織を細分化することで、トップの数を増やす組織体系に組み替えました。
重ねて、将来的な核になる人材に、戦略的に集中した機会提供をさせる仕組みを創り、選抜やモニタリングの仕組みを創ります。
これらは従来の人事畑一筋の方が設計するのはなく、人事の知見プラス事業側の視点も入れながら設計します。
伊藤:トップの選出は人事の本質的な“裏テーマ”ですね。
徳谷:一方で、ボトムアップでミドルからのアプローチを重ねることも多いです。目指す事業の方向性を踏まえて、ミドルの役割を具体的に定義する。
それが発揮される場を設計し、実践できていれば評価、そうでなければ淘汰・退場する仕組みを創る。マネジメントスキルの持続的なブラッシュアップの場を創るといった感じです。
大事なのは事業の形態によって求められる組織や人材は異なると言うことですね。
ボトムアップでの改革こそ理想像
伊藤:ただ実際、外から来た人間が改革をやろうとすると、ものすごく反対されますよね。いわゆるヒエラルキーの頂点にいる副社長たちが、実は一番の抵抗勢力になります。
僕の場合、直近はトップから改革を進めましたけど、そこに就くまでのキャリアでは、一担当者レベルで「この会社を変えなきゃだめだよ」と言って、組織の超マイノリティーの側で必死にジタバタやってきましたね。
永遠に変わりそうもない会社でも、密かに危機感を持って「なんとかしなければ」と考えている人は、案外どこの会社にもいる。
そういう改革派の人たちを味方に付けて、“波”を起こすことはポジションに関係なくできるのです。
トップダウンはひとつの方法ですが、社長が代われば元の木阿弥。でも、社員が自ら形成した文化が定着すれば、環境が変わっても簡単には揺らがない。
徳谷:改革を持続的にしていくためには、やはり短期で一回だけ入って、「後はよろしく」というアプローチだけだと難しいですね。
理想は、私たちがいなくなっても真っ当なトップが就き続ける仕組み、突破力のある人が生まれるような育成や制度がブラッシュアップしながら回り続ける状態です。
あくまで、私たちは、変革の機会や場を生み出していく存在。最終的には社内だけでやれるようにするのがゴールですね。
伊藤:組織改革そのものを目標にすると、改革は永遠に終わりませんよね。組織は生き物ですから、アメーバのように環境に合わせてつねに変化し続ける文化の醸成しかゴールはない。
そこで何が大事かというと、新しいことをする、以前のことを否定するのを良しとする文化、あるいはそういう人間を持ち上げる文化をつくることが一番大事だと僕は思っていて。
例えばインターネットには1日8億ページの新しい情報が出てくるわけです。その中には新しいビジネスモデルとかアプローチとかっていう情報も全部入っている。それが毎日ですよ。
でもビジネスや人の評価の仕方はまったく変わらない。こんな馬鹿げた話はないわけで。なぜ人事評価が1年に1回しかないのか。人間の成長は年に1回しか評価できないのか、そんなことはないだろうと思っていて。
組織発表によくある、内々定出して、内定出して、それで4月1日付発布みたいなことは何の意味もない。effective nowですよ。“今”ですよ。常に変わり続けなければいけないのですよ。
徳谷:その点、弊社の支援している中でもリクルートグループさんのように、元々そうしたカルチャーがあってそれを一層強くしようとしている会社もあれば、大手コンサルやメガバンク、グローバルトップメーカーなど、旧態依然としたやり方から一線を画して変わろうとする機運がここ1〜2年で増えてきていると感じますね。
改革には「個人の覚醒」が不可欠
──人事がすべてに連動する変革の第一歩であるとすれば、変革の本質とはなんでしょうか?
伊藤:組織は結局のところ、個人の集団ですよね。つまり「組織変革=個人の変革」なのです。
新卒のころは志を持っていたピュアな若者が日本企業の仕組みの中に取り込まれ、かつての意気込みを見失っている。となるとめざすのは「個人の覚醒」、これしかありません。
僕は大学やビジネススクールで講演する機会が多いのですが、「社会人になって最初の数年は会社の締めつけが厳しいけれど、そこで自分のコア(核となる部分)を見失うな」と学生に伝えています。
そしてうまくいかないことがあっても「失敗だと思うな」とアドバイスしています。
徳谷:企業変革とは、会社にとって都合の良い人材を大量生産するということでは断じてありません。
会社組織の持続的成長と、個人のポテンシャルの最大化を同時に実現していくことこそが大切だと思います。
個人がありたい姿を描き、所属する場を通して実現していけるようにしていくということ。
そのためにもチャレンジは欠かせない。失敗がどうこういっていたら、新しい価値なんて絶対に生み出せないですからね。
失敗なんて、成功に至るまでのただのプロセスだ、と。無理矢理にでもそう思うことがスタートです。
実はエッグフォワードは、企業だけではなく、学校改革の支援も行っていこうとしています。
最終的には、私たちの生み出した全く新しい価値や機会によって、個人が本来のポテンシャルを発揮できる社会づくりに貢献することを目指しています。
伊藤:いいですね。「出る杭は打たれる」とよく言いますが、打たれたら反対側に飛び出せばいい。要は物事を「他責」とするか、「自責」とするかという主観の問題です。
誰かが組織を変えてくれる日をぼんやり待っている場合じゃない。若い人には時代の流れもうまく活用して自己覚醒せよ、と発破をかけたいですね。  
 
理想と現実の乖離を見つめて

 

急速に変化し続ける中国社会に潜む違和感を、映画のように構成された写真作品でとらえる陳維(チェン・ウェイ)。西洋の静物画や映画のような質感と構図による写真作品で、急変を遂げる中国社会に対して鋭敏な視線を投げかける作品を制作しています。2015年10月17日〜11月28日、オオタファインアーツ(東京)にて開催した日本での初個展「ナイト・パリ」では、近年関心を寄せる「夜の都市空間」をテーマとした新作2点を含む6点を発表。個展を機に来日した作家に、作品制作の裏側や現代の中国について話を聞きました。 (2016/1)
現代社会の形骸化した希望の行く末を静かに照射する
陳維(チェン・ウェイ)は1980年、中国の浙江省に生まれ、現在は北京において主に写真を用いた作品を発表している。中国の一人っ子政策、改革開放政策以後に生まれた「80後」世代を代表する作家のひとりである。
薄暗く光るネオン、床にはミラーボールが転がり、カウンターの周囲には酒瓶が乱雑に置かれている。監視カメラは深い霧に包まれていて、本来の役割を果たしているか疑わしい。それぞれの作品は極めて具体的な状況を示しながら、どこか現実離れした印象を観客に与える。その理由の一端は被写体のすべてが、チェン自身がスタジオにつくった精巧なモデルだということにあるだろう。
展覧会そのもののタイトルともなっている《ナイト・パリ》は10年以上前に建てられたカラオケ店という設定だが、いまやそこに集まる人々の姿は見えない。本来鮮やかな都市生活を象徴するはずのものが、ただ憂鬱に、物悲しく、打ち捨てられている。
「北京ではよく、お店にパリやマンハッタンといった海外の都市の名前がついています。中国での生活は過酷なので、そこから逃げ出したいという思いが込められているのだと思います。しかしこの作品では、 その思いはすでに失われてしまっているのです」。
一方、今回展示されている作品の構想のもととなった《フューチャー・アンド・モダン》は、対照的に人々の希望の始まりを示している。
「夜遅くにスタジオから車で 帰っている途中に、ちょうどあの作品と同じような感じの建物を見かけたことから始まりました。真新しくてまだ誰も住んでいないマンションの屋上に、未来への期待が込められたネオンが光っていた。しかしそれがあまりにも現実の生活を無視したもののように感じて、まるでゴーストタウンというか、中身のない見せかけの世界のように思えて、非常にがっかりした気持ちになったのです」。
そうした形骸化した希望の行く 末を示しているのが人気(ひとけ)のないカラオケ店であり、その現実に失望した人々が再び求めるのが《フュ ーチャー・アンド・モダン》の掲げる「未来 現代 新城」なので ある。両者は繰り返し現れて、どちらが先ということはない。チェンは現代の中国に蔓延する、「ここではないどこか」を求める人々の空気とその現実を、実に見事に描き出している。
「10年ほど前までテレビ局でニュースの取材の仕事をしていました。それが真実を確かめられる方法だと思っていたので。しかし実際はまったく違っていました。 中国では報道の内容はかなり規制されています。ですから、テレビ局での取材の仕事では、真実に触れることはできないのです。そういった状況はとても悲惨ですよね。今でもニュースを見ますが、当然ながらすべてを信じることはできません」。
理想から乖離した現実を距離を保ち見つめる
こうした経験を通じて、表面的に示されていることの裏で本当に語られていることについて探求しようとする現在の作品スタイルが生まれたと言えるだろう。その過程でチェンがもっとも重視しているのは「距離を保つこと」だという。チェンにとって、現れた風景を即座に撮影するのではなく、リサーチに基づきモデルを作成し撮影するという制作のプロセスは、 目の前の事象と一定の距離をとりながら、真実を模索するための方法論なのだろう。
実際の制作の方法については次のように語ってくれた。「制作においては、詳細な脚本などがあるわけではありません。基本的には撮る前にほぼ完璧なイメージが頭の中にあるので、それをスケッチに書き、アシスタントとリサーチをして、何ができて何ができないかを話し合い、撮影を行います。
例えば、《フューチャー・ アンド・モダン》のネオンは、中国の建物の中でどのような単語がもっとも使われているかというリサーチをした上でつくっていま す。実際には、作品と同じ名前のビルは存在しませんが、自分でつくってしまったほうが言いたいことをより正確に伝えられるし、憧れを象徴した3単語を合わせることによって、さらに誇張した表現ができると考えました」。
現在は、自分の生活から見えてくるものから作品を生み出すことが重要であると語るチェン。最後に、アーティストとして中国に身を置くことについて尋ねてみた。「中国にいることは私にとって重要なことです。いまの中国には本当に様々な問題があります。特に深刻なのは人々の心のなかに幸福感や安心感、満足感が存在していないということです。それについて政府は何もしてくれません。具体的な問題と不安は自分で解決するしかないのです。
アーティストの仕事は作品を通じて、見る人が社会にはこういう問題がある、こういう側面もあると気づき、考えることにあると思っています。ですから中国に住む中国人の私が、自国の問題を扱う作家だと思われることは仕方がありませんが、それらの問題は同時に日本や他の国々でもあると思うのです」。
物心ついた頃には激動の時代はすでに終わり、すべてが揃っていて自身の生活以外には興味のないわがままな世代、とされていた「80後」。しかし、だからこそチェンは市民として、また個人としての自身の有り様を客観的にとらえ、「距離を保つ」。自らの身を置く国の現状を、より大きな社会の一部として、内部から鋭く観察する視点を保持することができるのだろう。
 
心を安定させる言葉

 

人に嫌われるのがどのくらい怖いかとか、低く評価されるのがどのくらい恐ろしいかとか言うことはその人の自我の確立の程度にかかっている。その恐怖と不安が大きければ大きいほど自我は未確立である。私は若い頃「八風吹けども動ぜず天辺の月」などと言う格言をノートに書いて、それを生きる目的にしていた時があった。とにかく心の動揺を抑えようとしていた。生きる目的としては間違っていなかったのだと思っている。しかし自我が未確立でどんなに「八風吹けども動ぜず天辺の月」と自分に言い聞かせても、些細なことで心は動揺してしまう。一口で言えば、自我が未確立な人は他者に負けている。他者に飲み込まれている。他者に圧倒されている。批判されれば激怒する。激怒しないときには落ち込む。神経症的傾向の強い人や、ナルシシストや、深刻な劣等感のある人などは、得意になったり、落ち込んだりという心の揺れが激しい。「自分を見失うこと」は、さらに進むと気分沈下と恍惚の両極端へと行き過ぎる。
アドラーは生きるのに望ましくない性格の一つとして異常敏感性と言うことを上げている。
マスローは同様のことを、相手に重心が行ってしまっているとのべている。
カレン・ホルナイは神経症者にとって他者に認められることは生命的に重要であると述べている。
心を安定させるためには、心を安定させる生き方を考えることは大切である。しかしそれ以上に大切なことは心が安定しない原因を突き止めて、それを解決することを考えることである。何も原因がなくて木は枯れない。陽があたらないから枯れる。
「何で私はこんなに心が不安定なのだろう?」と、考えて行けばいい。その原因は必ず分かる。例えば小さい頃からストレスの強い環境にあったとか等々が色々と分かってくる。ただそこで「私は心の安定していない人間だ、だから駄目だ」と自己否定してしまったら生まれてきた意味がない。過去に囚われて、未来を失ってはいけない。
心の安定してない人は、ずるい人や卑怯な人などそんな人の態度など無視すれば良いのに、無視できないで、心が大きく揺れ動く。今かかわった人の態度が、引き金になって、昔の屈辱感が蘇ってくる。そして心がかき乱される。フロム・ライヒマンが言う様に、小さい頃母親から愛されなかった人は、対象無差別に人から愛されたい。つまり対象無差別に人から心を乱される。元々分かってもらえない人から、分かってもらおうとする。そのことで感情が揺れ動いてしまう。悔しい気持ちになる。悔しがることではないのに悔しくなるのは、小さい頃から、気持ちを理解してもらっていないからである。小さい頃、誰からも気持ちを理解してもらえないで、悔しい気持ちを抑えていた。それが根雪のように心の底に積み重なっている。その積年の恨みに、関係のない人の一言で、火がつく。不愉快になることではないのに、不愉快になる。八風吹けども動ぜず天辺の月の正反対である。小さい頃に一生懸命努力した。しかしそれを認めてもらえなかった。兄弟の中でいつも不公平な扱いを受けていた。それも我慢した。何もかもが我慢、我慢で成長して、大人になった。心の底には計り知れないほどの悔しい気持ちが抑圧されている。小さい頃から、自分の努力や貢献にふさわしい扱いを受けなかった。不公平な扱いを我慢して成長してきた。心の底には計り知れないほどの怒りが抑圧されている。単純化して言えば、小さい頃から苛められて生きて来た。屈辱の上に屈辱が重なり、その重荷で心は倒れそうになっている。そのことに気がつかないで、長年にわたって生きて来た。意識の上では心は屈辱を忘れている。しかし無意識の領域ではちゃんとそのことは刻まれている。今のかき乱される感情は、小さい頃に闘うべき時に闘わなかったツケのようなものである。闘わないで我慢して、怒りを抑圧して生きて来た「つけ」である。小さい頃から軽く扱われてきた。悔しかった。その悔しさを抑圧して、「良い子」を演じてきた。周囲の人にとって苛めやすい人になった。幼児の頃から欲求不満な人の感情の掃きだめになった。小さい頃苛められた子は、苛められやすい子になって、会社に入っても苛められている。余りの屈辱に、心は屈辱に麻痺していながら、大人になるまで孤独の中で怯えて生きて来た。その悔しさを誰も理解してくれなかった。そうして大人になって、怒りで心をかき乱されるほどのことでもない事柄に、心はかき乱される。感情的に振り回されるようになったのは、それだけ解放されてきたと言う事でもある。無意識にあるものが、火山の噴火のように動き出したのである。しかし孤独だから、怒りながらも恐れも大きい。怒りながらも、何か大変な事になるのではないかと怯えている。
「幸せの心理学」の中に、幸せな人はinternal controlがあると言う主張がある。internal controlとは意識と無意識の乖離がないことである。意識と無意識の乖離があり、無意識の必要性があれば、内的なコントロールはあり得ない。意識と無意識の乖離があれば、幸せではありえない。「人に嫌われるのを怖れるな!」と自分に言い聞かせることも良いが、意識と無意識の乖離があるということをしっかりと意識することが先決である。先ず自分の人格が統合化されていないことを理解することである意識と無意識の乖離があるから不幸なのに、お金がないから不幸と考える人が居る。お金があるかないかは、生活が快適か快適でないかとは深く関係している。食べるものがあるかないかに関係している。それは生存の問題であって、実存の問題ではない。もし本気で幸せになりたいなら、意識と無意識の乖離をなくすことである。人に嫌われることを怖れて、心の安定していない人は、生活に問題を抱えて居るよりも、心に問題を抱えて居る場合が多い。
ハーヴァード大学の心理学教授であったオルポートが反ユダヤの女子学生を研究したところ、表面的には良く適応しているように見えると言う。礼儀正しく、道徳的で、両親や友達にも良く尽くしているという。しかしもっと深く調べてみると、激しい不安、両親への埋もれた憎しみ、そして破壊的で残酷な衝動が潜んでいたという。「頑固なパーソナリティーを研究した圧倒的な成果は意識と無意識の間に鋭い亀裂があるということを発見したことのようである」。頑なな人がいる。些細な失敗にいつまでも拘る。些細なことなのに「これだけは譲れない」とか「これだけは許せない」と言い張る。どうでも良いようなことを「絶対にゆるせない」という。そういう人な深い依存の欲求を無意識に持っていることが多い。その無意識にある深い依存の欲求が、「これだけは許せない」とか言う様な、些細なことに拘ることに変装して表れてくる。
感情が動揺している時には、重大な感情を自分に隠している。意識と無意識の乖離がある。「人はしばしばその重大な経験の記憶を欠いています」。今の自分の心の安定を破壊している原因は必ずある。その原因を見つけることである。ところがその原因となって居る「重大な経験」を思い出すことには困難が伴う。重大な経験の記憶を無意識に抑えたのは、その人の恐怖感であり不安である。心の安定を得られない人は、今でもその恐怖感や不安がある。「人は決して自分が自分を破壊しているのだとは完全にはわかないでしょう。」
だから心が乱されたときには「これは不愉快な事件ではなく、自分にはまだ気がついていないことを教えてくれた事件だ」と考える。そうした意味で、これは良かったこと。誰でも悩む。しかし悩み方は人によって違う。生産的に悩む人は「このことは自分に何を教えているのか」を常に考える。
 
気が緩んだころにやってくる心の危機

 

無理ができることは強いことではない
日経ビジネスオンラインの読者の皆様、こんにちは。臨床心理士の玉川真里です。このコラムは、業務を円滑に回すために日々激務にさらされている読者の皆様に、とっておきの心の危機回避法をお伝えすることを目的としています。
最初ですので、簡単に自己紹介をさせていただきます。コラムのタイトルに「女性元自衛官」とあるように、私は高校卒業後、陸上自衛隊に入隊しました。当初は、その駐屯地で女性初の大砲部隊野外通信手として勤務していました。
その後、臨床心理士を取得、陸上自衛隊としては初の現場臨床心理士として、自衛隊の自殺予防対策を任されました。自衛隊にいたときには年間2000件以上の相談を受けており、相談室には行列ができるほどでした。
自衛隊というと、どのようなイメージを持つでしょうか。屈強な体格を持った隊員が、日々厳しいトレーニングの中で心身ともに鍛えられ、そして災害時などにおいては、普段のトレーニングの成果を発揮し、国民を危機から救う。一般的にはそんなイメージでしょう。
これは正しい姿です。自衛隊のトレーニングによって、厳しく鍛えられることは間違いありません。ただし、過酷な業務がゆえに、心の病にかかってしまう隊員が少なくないのも事実です。特に、東日本大震災後には、その復旧作業にあたった隊員、中でも自身も被災している隊員の多くに心の不調が生じたのです。
と言っても、このようなことは、自衛隊特有のことではありません。日々、オフィスで激務を行っている皆様にも、起こり得ることなのです。私から見れば、日々が実践である皆様こそ、激務の中で神経をすり減らしているのではないかと思います。
私は、元自衛官として、心に病や不調を抱えた自衛隊員を、毎日目の当たりにし、そしてこのような緊急事態に対するストレス・マネジメントを研究してきました。そんな経験を基に、決して心の病に至らない、秘訣をお伝えしていこうと思っています。主には、私が経験した事例を紹介し、その事例を通じて何が重要だったか、その根本をお伝えしていきます。
大きな死亡事故に機敏に対応した後エリート
では、1回目の事例を紹介しましょう。
その方とは、上司が心配したことから、お会いすることになりました。30代後半で、とても聡明な方でしたが、元気がなく、これから勤務を続けていく自信を失っているようでした。話を聞くと、頭痛、めまい、気力の低下、自信の低下、集中力の低下、睡眠障害などに困っており、うつ状態に陥っているようにも見えました。
有名大学を出た自衛隊の中でもエリートで、また、同期の中でも出世頭でした。そんな彼が、突然、心の危機に陥ったのです。私は、今現在だけではなく、組織に入ってから現在までの軌跡について、しっかりとお聞きしました。
彼の話はこうでした。
8年前に某国の領事として勤務していたときのことです。日本人旅行客が事故に巻き込まれて、全員が亡くなるという凄惨な出来事がその国でありました。このような場合、邦人の遺族対応を行うのは、その国の日本領事館です。彼は、メディア対応、遺族への説明や治療費の支払い手配、国家同士の補償に関する調整役など、困難で機転が必要な業務を一手に背負っていました。大きな事故であったため、その業務は長期にわたり、最終的に終了したのは、事故から3年後でした。
彼は、最後の報告書を提出した瞬間に、過労で倒れ込みました。実は、この後から、頭痛・めまいなどが始まっていたのですが、どこの病院で検査しても異常がなく、そのまま経過を見るだけの日々を送っていたのです。
事故から4年目に入り、日本への勤務に異動となり、そこでも多くの難しい案件を遂行していました。その間、若干の不調は感じつつも、それほど落ち込むこともなかったと言います。そして、事故から7年が経過し、その業務も離れ、比較的穏やかな人材育成の勤務に変わりました。そこから半年後のことでした。
新しい訓練体制が組まれ、その計画を一手に担う任務を担っていたときのこと、そこで、隊員が怪我をする事故が起きたのです。その事故は、彼の計画に落ち度があったのではなく、隊員の少しの気の緩みから生じたものでした。
誰が見ても、某国の大事故から比べれば、たいした事故ではない、と思うかもしれません。ところが、彼にとっては、とてもショックな出来事だったのです。自分の計画に不備があったから生じたのではないか、もっと効率的な人員運用ができたのではないか――などと後悔と無力感を強く感じるようになり、体に不調を感じたのです。
私がお会いしたのは、それから2カ月後のことでした。そのときには、頭痛とめまいがひどく、嘔吐で勤務に支障があるほどでした。胃腸の具合も悪く、風邪も長引くといいます。
また、食欲はあったものの、美味しいと感じることはなく、砂をかんでいるかの感触だったといいます。疲れきっているのに、眠るのに1時間以上もかかり、さらに熟睡できないのですが寝過ごすのが怖くて早起きをして、何とか気持ちを奮い立たせてから出勤する毎日でした。本音を言えば出勤したくないとずっと思っており、そんな自分はこの仕事を辞めるべきではないかと悩んでいました。
1日を振り返って症状を把握する
私は、これらの経過や今の状態を聞き、バーンアウト(頑張りすぎて燃え尽きること)ではないかと思いました。それを彼に説明したところ、自分は人より劣っていたので、人の倍の努力をしなくては人並みになれないと思い、これまで努力してきたと言うのです。
私が彼にお願いしたのは、毎日日々の振り返りをしてもらうことでした。業務の出来具合、考えたこと、感じたこと、気づいたこと、葛藤したこと、それと共に1日1個以上、よかったことも探してもらうようにしたのです。1週間ほどは、特に変わらないとのコメントでしたが、私から見れば、どのタイミングで不調になるかがよく分かりました。彼は、職場においては凛としていなければならないとの思いから不調に気づきにくいのですが、一転して家族との団欒やゆっくりできる時間に、不調を感じることが分かったのです。
これは、ランナーズハイのように、過酷な状況や無理をしないといけない状況になったときに、一時的に身体を動かせるために脳内麻薬が出ている状態です。自宅でゆっくりする時にはそのような脳内麻薬が必要でないために、感覚の麻痺がなくなり、本来の苦しみがきちんと感じられたわけです。
2週間後には、職場では気が張っていること、そして自宅では不調をきちんと感じられていることを、振り返れるようになっていました。そして3週間後に大きな気づきを得たのです。それは、「人並みって何だろう? 人並みなんてそもそもないのではないか」というものです。
私たちは、多くの場合、人と比べてできているとかできていないとか考えてしまうのです。これは、親からのしつけからくる場合もありますし、子供時代のいじめなど辛い記憶から来る場合もあります。知らず知らずのうちに、他人の尺度で自分の能力を測る癖がついているのです。
この気づきをきっかけに、彼の症状は、実感とともに体のサインとして受け取ることができるようになったのです。このため、休養を取るなどの対処へと移せるようになりました。1カ月後には、相談回数が減少し、逆に部下の不調を心配して相談しにくるなど、相談関係からカウンターパートナーへと変化していきました。
忙しいときほど生活リズムは崩さない
この事例から、何が見えてくるでしょうか。まず第1に、心の危機は過渡期ではなく、過渡期が終わって、気が緩んだころにやってくるということです。
読者の皆様も、業務が過酷なときには何とかやり過ごしたのだけれども、休日に寝込んでしまうという経験がないでしょうか。ランナーズハイのような脳内麻薬に気づかず、ついついオーバーワークになってしまっているのです。過労は本来ある能力を低下させます。
これに対処するためには、難しい業務を行うときこそ、生活リズムを崩さない、無理をしないということです。過労は、漏電のようなものです。不要なエネルギーを使ってしまい、普段よりも効率が落ちてしまうのです。ですから、適切な生活リズムで省エネにしておくことが重要なのです。残業は、かえって能力を落としてしまうことを覚えておいてください。
2つ目に重要なことは、他人の基準や評価に振り回されないことです。自分にできることを確実にやり遂げる。これが一番大切なことなのです。普段の皆様はできているはずです。しかし難しい業務やプロジェクトを達成しなければならない時に限って、不安が生じ、その不安を他者評価で補いたいという無意識の欲求から、他者の基準を持ち込むようになってしまうのです。ですから、難しい業務やプロジェクトを行う時こそ、マイペースで自分らしく1つひとつ確実に行うように心掛けてください。
今回の事例から学べること、それは、心が強いということは、無理ができることでも、能力が無限にあるということでもないということです。「自分」という有限の存在、「自分」の限界、日頃の「自分」、すなわち「自分らしさ」をしっかり自覚できることが、心が強いことなのです。
リーダーとは孤独で一番厳しい立ち位置だと思います。だからこそ、日々弱い自分も含めてしっかりと向き合い心を鍛えておくことをお薦めします。そうすることで、「ここぞ」という時に能力が発揮でき、進むべきか、後退すべきか、正しい判断ができるようになります。
 
仕事で感動を与えるには 高い志を受け継ぐこと

 

先日、マレーシアで開催されるセミナーに出席するため、シンガポールへでかけた。そのとき、飛行機に乗り込んだ私は、機内での食事を終え、目の前にあった機内映画の番組案内の冊子を手に取っていた。ページをめくる私の目に飛び込んで来たのが、「孤高のメス」という堤真一主演の映画タイトルだった。外科医が登場するドラマや映画は好んでよく見ていたが、近頃は“現実はこんなもんじゃない”と思うことも多くあった。ところが、このときばかりは“孤高”という言葉が妙に私の想像をかきたて、ストーリー解説を読んでいるうちに、さらに想像が膨らみ、映画に強い興味を持った。機内食のトレーを客室乗務員が下げてくれた後、私は慌てるようにバタバタとイヤホンのプラグを差し込み、右手に持ったコントローラーで画面を進め、「孤高のメス」のスタートボタンを押した。
映像が始まる。古めかしい病院、医局場面、そして手術場映像が飛び込んでくる。血管が破れ、血液が額へ飛ぶ、吸引管から引かれる大量の血液が吸引瓶にどんどん溜まりだす。怒鳴り合う外科医、黙々とガーゼをカウントする看護師、と展開する。ストーリーが進み、別の手術場面へ。大きな音で流される音楽、淡々と手術を進める主人公。主人公の口から「ピッツバーグ留学」「肝移植」といった言葉が飛びだす。映画を見ている私は、かつての職場の記憶がよみがえり、映像が頭の中で重なり合う。
外来診察を終え、医局に戻った私に「先生、例のピッツバーグ大学での肝移植の留学、教授から返事が帰ってきて、6月から研修に行くことになったよ」と私の上司であるS先生の言葉。「え〜。本当ですか。先生何ヶ月行かれるのですか。でもその間、肝外科の手術は……」と戸惑う私に、「先生が来る前は、I部長と二人でやっていたんだから、何とかなるよ、大丈夫」とS先生の言葉でさえぎられてしまった。
その頃の私は肝臓外科を本格的に始めてまだ2年たらずで、これは大変なことになったなと改めて自分の立場を考えた。当時Sセンターは、日本の肝臓外科の黎明期の一翼を担っていた。欧米に比べ日本ではウイルス性肝炎が蔓延し、肝臓ガンが多発していた。当然、肝ガンの治療法は欧米より進んでいたが、一方で、日本では脳死が認められていなかったため肝移植が行えず、その手術手法は海外に大きく後れをとっていた。
当時、日本でも肝移植の技術はこれから必要であるということは、肝臓外科医であれば誰もが気づいていた。肝外科の最先端技術を取得するための留学はS先生の新たな使命であったのだ。一方、私の使命はといえばS先生不在のなか、肝外科の診療や臨床研究を滞りなく行うことであった。
映画は、脳死肝移植へと展開してゆく。記者会見シーン、脳死判定問題。またまた、私の体験と重なる。
日本では脳死判定の法整備が進まないなか、1989年生体肝移植が実施され、脳死肝移植が開始された1999年当時、私が新人研修として勤めた救命救急センターもドナー手術の施設としてテレビ中継された。
「ただいま、救命センターでは脳死判定後のドナーの臓器摘出手術が終了しました。これより記者会見を行います」という現場アナウンサーの声とともに映像に映し出されてのは、O所長だった。
職場の上司先生方がテレビに映し出されていた当時の記憶の断片映像と、映画の中の登場人物とが重なり、交錯し、やがてつながり始める。
目の前の患者を救うために、淡々と手術をする映画の主人公・堤真一は、結果を恐れず常にベストを尽くす外科医であり、私利私欲で動くのではなく、使命を全うしようと死力を尽くす。外科医である私は、今までにない感動を覚えた。そして、かつて指導いただいた先輩外科医の姿と重なりあった。
当時、われわれ新米外科医たちは、ただただ先輩外科医の技術や知識を学ぶことで精一杯で、それ以外の何かを考える余裕などまったくなかったと記憶している。手術はベストを尽くして当たり前であり、外科医としての当事者には感動という感覚とはまったく異なる、「戦い」にも似た別の感覚があった。
海外出張を終えた私は、その後も、飛行機内で観た映画の感動と外科医としての思いの乖離が心に引っかかっていた。また“孤高”というタイトルの言葉が頭から離れず、改めてその意味を確かめることにした。インターネットで“孤高”という意味を検索してみると、そこには次のように書かれていた。
「俗世間から離れて、ひとり自分の志を守ること。またそのさま」
医療現場は人の生き死にがいつも隣り合わせにある。だからこそ、その現場にいる人たちにしかわからない緊張感がその場を支配している。結果として俗世間と感覚がどこかかけ離れてしまうような気がする。だからなのか、映画にあった「ひとり自分の志を守る」というフレーズが心に残る。
映画の主人公に当てはめて考えてみると、自分の志を持つまでに、きっと何がしかのプロセスがあったに違いない。そこには志の高い人々の指導を得たり、その人たちの生き様に感銘を受けた経験が想像できる。主人公は志の高い上司や先輩の仕事に感動を覚え、外科医としてその志を受け継いだのだろう。
鉄は熱いうちに打てとか、新人研修はしっかりといった言葉を耳にする。しかし、職種を問わず“仕事で感動”を与えることができる人は“高い志”を受け継いでいるように思う。  
 
観察事実と理論の乖離について / 抵抗の頑強性

 

はじめに――抵抗という生得的特性
抵抗という概念を基盤とした私の心理療法
幸福否定という概念が生まれてから、2016年12月現在で既に30年ほどが経過しているのですが、それなりに経験を積んだはずの私でも、今なお驚かされることがあります。そのほとんどは、抵抗の力がいかに強いものであるかを示す実例を目の当たりにした時です。日常的に抵抗という現象に直面し続けてきた私ですら、いまだに驚き入ってしまうほど強い抵抗の観察されることが、時としてあるということです。したがって、現段階では、抵抗という内心に潜むいわば悪魔の本態を十分に把握できたと言える状況には、まだ到達していないことになります。
私の心理療法は、あらゆる点で他の方法とは根本から異なりますが、通所期間という点でも大幅に違っています。長く通って来られるかたがほとんどで、平均で10年ほど、最長のかたで35年ほどになるのです。長いかたは、治療というよりは、もっと上のものを目指しているわけで、時間をかけているだけではなく、小さな家なら十分建てられるほどの料金を支払ってもいます。幸福否定という現象の本質を知りたいとして、79歳の時から歩けなくなるまで、10年間も通って来られた著名な心理学者もいます。自分の生涯にとって、それほど重要なことだと考える人たちが、おそらくごく少数ながら存在するということです。このような施設は、修道場のようなところを除けば、世界中を探してもほとんどないはずです。
宗教などのように、単に教義に従っていればすむようなものではなく、特に心理療法のセッション中は、大半の時間、大なり小なり抵抗に直面する作業を続けることになるわけですから、多くの場合、意識の上では非常に苦痛です。とはいえ、もちろん、苦痛しかないわけではありません。トンネルを掘り続けている状態の時にはいつも同じ光景しか見えませんが、ひと休みしてうしろを振り返ると、それまで掘り進んできた隧道が見えるわけですが、それと同じようなことが起こるのは確かです。それによって、それなりの達成感が起こり、自分の好転を多少なりとも実感することができるのです。
幸福に対する抵抗が内在するということは、理の当然として、好転に対する抵抗も避けられないということです。したがって、真の意味での好転と、それを否定するために無意識のうちに作り出された苦痛を切り離すことはできないことになります[註1]。20代前半のある女性は、好転の否定の際の苦痛を、失恋した時の苦痛よりもはるかに大きいと訴え、「よくなることがこんなに苦しいのなら、もうよくならなくていいです」とまで言いました。無意識のうちにしても、自分の幸福を否定するために自分で作り出した苦痛のほうが、自然に発生する苦痛よりも、時としてはるかに大きいためです。ただし、それを乗り越えた時には、いわば胸突き八丁を越えて峠に辿り着いた時と同じで、急速に楽になるとともに視界が大きく開けるのです。
今から20年近く前のことですが、いわゆる自己啓発セミナーの “はしご” をしていたという男性が来室したことがありました。そのクライアントの話は、非常に興味深いものでした。この男性は、最初のセミナーを受けた後、自分が完全に変身した感じがしたそうです。自信に満ちあふれ、人前でも堂々とした態度がとれるようになり、何でもできるような感じになったというのです。ところが、その状態は長続きしませんでした。2週間ほどすると、すっかり元の自分に戻ってしまったのだそうです。その経過は、私が直接に見た知人の事例と全く同じでした。
私の知人は、職場の指示でその種のセミナーを受講しました。その後は、それまでとは打って変わって、たくさんの聴衆を前にして話す時にも、堂々とした態度をとるようになったのです。私も、その場面を実際に見たことがあるのですが、確かにそれまでの本人とはまさに別人でした。人前で小さくなっていた人が、自信に満ちあふれた態度を見せるようになったわけです。そればかりか、「自分は変わった。自己啓発セミナーには確かに効果がある」と、あちこちで喧伝するようなことまでしていたのです。ところがことはそう簡単ではなく、しばらくするとその元気が失せてきて、やはり2週間ほどすると、何ごともなかったかのように、完全に元の本人に戻ってしまったのでした。
一方、私のもとを訪れたクライアントは、自分が変身した時のことが忘れられず、その後も、同種のセミナーを次々と受講したのだそうです。上のクラスになるにつれて、受講料もふくれあがっていったということです。にもかかわらず、それと反比例するかのごとく、好転したように見える期間も徐々に短縮してゆきました。その持続時間は、1週間、2、3日と次第に短くなり、最後には、受講後も全く変わらなくなってしまったそうです。そこではたと我に返り、それ以上の受講をあきらめたということでした。
それに対して、私の心理療法では、苦痛に耐えながら抵抗に直面することを通じて、後戻りすることのない好転が起こる[註2]のですが、自分が好転したという自覚は、先述のように散発的に起こる好転の自覚を除けば、例外なく、大なり小なり乏しいという特徴があります。逆に言えば、自分が変わったと思っているうちは、まだそれほど大きな変化は起こっていないということです。たとえば、家族と一緒に心理療法を受けているなどの場合には、互いに相手の変化はわかるのですが、自分の変化はあまりよくわかりません。そのため、相手はよくなっているのに、自分はよくなっていないと、互いに言い合うことになるわけです。
抵抗という概念の重要性
ストレスやトラウマという考えかたを基盤とした通常の心理療法では、原因が必然的に本人の周囲にあることになるため、多くの場合、家族の側の治療を重視することになるようです。それに対して、幸福否定という考えかたでは、本人が自分の幸福を否定するために自分で症状を作り出していることになるので、原則として本人の治療に終始します。ところが興味深いことに、本人が好転するにつれて、一度も来室したことのない同居家族も前向きに変化するという現象が、ごくふつうに起こるのです。場合によっては、大幅に変化することもありますし、その結果として、好転の否定のような状態にまでなることもあります。
その仕組みははっきりしませんが、家族に起こる変化は、次第に前向きになってゆく本人と接した結果であるのはまちがいないでしょう。そうした現象はごくふつうに見られるので、それ以外の要因は考えられないからです。その場合、クライアントは、まず家族の変化に気づきます。にもかかわらず、自分の変化にはほとんど気づかないのです。また、それと指摘されても正しく認めることはほとんどありません。この場合にも、例外というものが事実上存在しないのです。
既に10年以上前のことですが、それまで15年以上にわたって、毎週、私の心理療法を受けていた女性がいました。この女性は、精神分析の著名な専門家の弟子に当たるのですが、このクライアントに、「抵抗の意味が本当にわかるまでに、15年かかりました」と言われたのです。この女性は、精神分析で言う抵抗とは逆の概念であることはもちろん承知していましたし、理論的にも経験的にも、私の言う抵抗が実在することはよくわかっているつもりだったそうです。ところが、「これだ」と実感できるまでに、15年もの歳月を要したというのです。
この女性は、年に50回として15年では 750 回のセッションを重ねたことになり、1回の面接が1時間半ですから、総計で 1125 時間という長大な時間を費やしたことになります。ただし、それは心理療法の時間だけであって、毎回、宿題として感情の演技の課題が出されるためもあり、それ以外にも相当の時間をかけていたはずです。時間的にも経済的にもそこまでの負担を重ねて、抵抗の意味や重要性が初めて実感できたというのです。
「紙一重の差」という言葉があるように、わかってみれば、どうして今までわからなかったのかという疑問が湧き上がるほどのことなのですが、その差は小さいようでいて、実は非常に大きいものなのでしょう。
この出来事は、私を一驚させたばかりか、私の眼を開かせることにもなりました。私は、目の前で日常的に観察し続けてきたことから、抵抗の強さをよく知っているつもりでいました。ところが、そうではなかったのでした。それまでにも何度か経験していたことなのですが、この時にも、自分を基準にしてものごとを測ったのでは正確な把握はできないことを痛感させられたわけです。
幸福否定という心の動きがわずかであってもわかる者には、わからない者がどのようにわからないのかがほとんど理解できない(そのため、往々にして、言葉を尽くせば説得が可能だと思い込んでしまう)ものです[註3]が、それと同じことが、抵抗の強さの把握についても言えるということなのでした。
本稿では、ほとんど経験的にしか把握できない、この抵抗の頑強性という側面から、観察事実とその説明になるはずの理論との間の乖離という現象を眺めることにします(そのため、多くの人に対しては、いわゆる説得力に欠けることになります)。そのような事情のため、本稿は(実は本稿に限らず、当サイトのページのほとんどに同じことが言えるのですが)、あくまで解説であって、説得を目指したものではありません。また、本稿は、位置づけとしては、先に公開した「執筆予定の本に関連して」の補遺に当たります。
抵抗という言葉自体は一般的なものですが、それは悪いことに対する心理的姿勢や対応という意味に決まっており、それ以外の意味はほとんどありません。一方、私の言う抵抗は、通常とは正反対の、幸福に対する抵抗ということです。ただそれだけであれば、さすがのフロイトも、実例を通じて承知していました。とはいえ、それは、個人的な性向や異常ということ(したがって、生後の経験に由来するとされるもの)なのであって、人間が生まれながらにもっている属性ということではありません。
それに対して、幸福否定理論では、幸福に対する抵抗が人類全体にあまねく存在することを想定しています。ここで想定という言葉を使うのは、これまでの経験では特に例外がないことから、人類全体に内在するとしか思われないとはいえ、事実上、例外がないことの確認が不可能なためです。
このふたつの考えかたには、天と地ほどの違いがあります。ひとつには、前者は従来的な人間観と深刻な齟齬をきたすことはないのに対して、後者は、それを完全に逸脱するものだからです。幸福否定という考えかたは、これまで知られているあらゆる理論と根本から相容れないのです。
ところが、経験という側面に目を転ずると、必ずしもそうではありません。経験的に知られている現象の中には、幸福否定という心の動きが一般に存在することを教えてくれる実例が、少なからずあるからです。実際にもいくつかのことわざや警句として残されています。以下、若干のことわざや警句をもとに、それぞれが教えてくれる重要な現象について検討します。それらは、時間と愛情という、人間にとって最も重要な側面に関係するものです。  
観察事実と “科学的” 説明の乖離の実例 1
  小人閑居して不善をなす

 

専門家であっても、重要な観察事実を手にしているにもかかわらず、それを適切に説明しようとしないという問題が時おり起こります。そうした観察所見を、旧来の理論や枠組みの中で強引に説明しようとするということです。その結果、その “解釈” が歪んでしまうわけです。ここに、真理に対する科学者の強い抵抗を見ることができるでしょう(Barber, 1961)。したがって、その結果として生み出された説明自体には抵抗がないため、受け入れられやすい形になりますが、それだけのことで、理論としてはまるで意味がなくなってしまうのです。
そればかりではありません。根本的に新しい理論を構築できるせっかくのチャンスが、しかも目の前に到来しているにもかかわらず、それを棒にふることになるのみならず、現実問題として適切な対応をとることも、当然のことながらできなくなるのです。抵抗のためとはいえ、このような結末に堕してしまうのは、控えめな言いかたをしても、きわめて残念なことなのではないでしょうか。
身近な実例としては、たとえば、振り込め詐欺の被害が減るどころか増え続けているという、きわめて深刻な問題があげられるでしょう。既に知らない者などいないほどの状況になっているにもかかわらず、説得や教育といった、もはや効果がないことが明白なはずの手段を使って阻止しようとするだけで、それ以上の対応はいっこうにとろうとしないのです。これは、実に不思議なことと言わざるをえません。
振り込め詐欺の被害に遭う人たちの場合、現状況では、主として「愛情の否定」と「権威に対する盲目的従属」という、幸福否定に由来するふたつの心の動きに基づいた行動をとっていると考えるべきなのですが、そのような見かたをする人は誰もいないようです[註4]。そして、専門家も、「中高齢者の意思決定は加齢により自動化していくが、このことが詐欺に対する高齢者の脆弱性の原因となっている」(永岑他、2009年、177ページ)などというありきたりの説明で片づけているのです。
そして、その結論として、 “神経科学的研究” を通じて得られたデータからすると、老齢によって意志決定能力が低下するのは避けられず、したがって振り込め詐欺に遭うことも避けられないので、そのことを踏まえた対応を金融機関側が率先してとるべきだというのです。これでは、振り込め詐欺への対応は難しいと言っているだけですから、専門家の研究とはとうてい言えません。「振り込め詐欺への神経科学的アプローチ」では、この程度の陳腐な結論を引き出すことしかできず、理論として無意味なものになるばかりか、何の実効性もないことは、これまでの経緯からも既に明らかでしょう。
これが、現行の科学知識の枠内で得られた結論と、現実に起こっている現象との乖離が、どうしようもないほど大きいことを示すひとつの例証です。逆に見れば、このようなところに、現行の科学知識体系を変革するための重要な手がかりが隠されているということです。
時間の余裕という問題
先日、あるクライアントから、セルフ・ハンディキャッピング self-handicapping という言葉の存在を教えられました。調べてみると、1978 年に初めて唱えられたものなので、既に40年も前から存在している概念なのでした。これは、たとえば、翌日に試験があるにもかかわらず、時間のむだ使いをして、その準備がほとんどできないまま終わってしまうなどの、周知の現象を指す言葉です。
このセルフ・ハンディキャッピングという概念も、観察事実と理論の間の乖離の大きさを教えてくれる絶好の実例と言えるでしょう。かくして、幸福否定という心の動きを教えてくれる現象群に、せっかく着目するところまで行きながら、従来的な概念を使って(この場合は、当人が自らの自尊心を保つための手段として、試験の成績がふるわなかったのは十分な用意ができなかったためだという言い訳が成立する余地を残そうとしているとして)、実証性がないことを完全に無視したうえ、むりにむりを重ねて解釈しているわけです。
現時点の世界で、このように牽強付会な解釈が何の問題もなく通用してしまうのは、なぜなのでしょうか。それは、専門家も非専門家も、真理を明らかにすることに対する抵抗を共有しているため、そうした “解釈” で、無意識のうちにいわば手を打ってしまう結果なのでしょう[註5]。私は、これを共同妄想と呼んでいます(笠原、2004年、第7章参照)。この、観察事実と理論の間に見られる断絶の存在が、まさに本稿での検討の対象となっているわけです。
この現象については、1978 年以来、欧米では既にたくさんの研究が(事実上、何の進展もないまま)行なわれています(専門書としては、たとえば、Raymond, Snyder & Berglas, 1990/2014 が出版されています)が、わが国ではほとんど関心をもたれることなく現在に至っているようです(数少ない研究としては、たとえば、足立、庄賀、坂元、1999年;伊藤、1992、1994年;西尾、橋本、2004年;村山、及川、2004年)。このたいへん興味深い概念については、機会を改めて、抵抗という角度から詳しく検討したいと思っています。
「人間は怠惰なものだ」とか、「人間は、時間があり余ると、ろくなことをしない」、「自宅で勉強や仕事をしようとすると、時間つぶしにふけりやすい」といった、時間的な余裕がある状況に置かれると、人間は一般に怠惰に陥りやすいという事実は、昔からよく知られています(念のため再説すると、セルフ・ハンディキャッピングという概念は、主としてこれらの現象を対象にしたものです)。重症の場合には、それが “堕落” にすらつながりかねないことも周知の事実です。「小人閑居して不善をなす」という警句は、この現象を端的に言い表わしたものでしょう。
これは、自由に使える時間があると、自分の本当にしたいことができる状態になるために、あるいは、時間的な余裕がある時に自分の進歩につながることをしようとした時に、それを避けようとして起こす現象ということができます。人間は、一般に、
   自分が本当にしたいことを
   時間の余裕がある時に
   自発的にする
という3条件がそろった時に、最も強い抵抗を示します。これは、純粋に経験的に突き止められた観察事実であって、単なる推定でもなければ、従来的な心理学理論を積み上げて導き出した演繹的結論でもありません。既存の理論からすれば、むしろ正反対とも言える結論でしょう。これらの条件がひとつでも欠ければ、行動は比較的容易になります。つまり、自分の本意にそれほど沿わないことであれば、あるいは時間の制限がある時であれば、さらには、他者の要請に従って行なうという条件であれば、多かれ少なかれ容易にできるものなのです。これは、実際に比較してみれば、すぐにわかることでしょう。
平日には、自分のしたいことが少しずつできたとしても、時間の余裕がある休日になると、なかなか起きられず、ようやく起きられたとしても、何もする気になれないまま、気がついたら夕方になっていた、あるいは、ようやく起きたらもう夕方になっていた、などという人も少なからずいるはずです。
ところが、そのような人であっても、ゲームをしたりテレビを見たりなどの娯楽的な行動であれば簡単にできるのがふつうですし、用事があって外出する時には、それまでとは打って変わって、簡単に動けるばかりか、その用事をこなすことも難なくできるのです。「現実逃避」などと批判されて、あるいは揶揄されて片づけられることが多いようですが、その裏には、人間の本質を教えてくれる、とてつもなく重要な仕組みが隠されているのです。
では、このように対比が際だつ形になるのはなぜなのでしょうか。それは、自分がしたいことや、しなければならないことは、自分の進歩や幸福につながるものであるのに対して、自分を楽しませるだけの娯楽的な行為は自分の進歩につながるものではないことを、心底で熟知しているためです。そして、自分の進歩につながる行動や幸福につながる行動は、自分にとって非常に苦痛なものであることを示す証拠を作り、それを意識に突きつけるという明確な目的をもって、双方の行動の難易に断絶的な差をつけることになるわけです。
このことは、単なる憶測ではなく、反応という客観的指標を使って、長い年月の間、日常的に確認されてきているのです[註6]。いずれにせよ、この現象は、自由な時間を自分のために有効に使うことが、多くの人にとっていかに難しいかを教えてくれる格好の実例と言えるでしょう。
ことの重大性を実感することの難しさ
危機状況となると話は別ですが、それなりに重要な時に、このような行動しかとれないとすれば、それは、かなり深刻な問題のはずなのですが、そうした自覚をきちんともてる人は、おそらくそう多くはないでしょう。小学生の頃から、あるいはそれ以前から、「自発性」の大切さを教えられてきたこともあって、頭ではわかっているに違いないのですが、実感としてわかるのは非常に難しいのです。逆に、ことの重大性がきちんと自覚できれば――つまり、そのことが自分の人生にとって深刻な問題になっていることが十分に実感できれば――人間は、自然に前向きな行動をとるようになります。
そのような視点から振り返ると(別の視点から見ても同じようなことが言えるのですが)、そのことの深刻さが自覚できないのは、意識が内心(幸福否定理論の中核概念で、幸福否定を起こす無意識の層)にコントロールされているためなのではないかという推定が生まれます。そして、この推定はどうやら事実らしいことが、さまざまな角度からやはり繰り返し確認されているのです。ここに、抵抗のいわば手の内を、つまりは幸福否定の舞台裏をかいま見ることができます。
それらと比べると、深刻なことが本人にわかりやすいはずのものもあります。それは、たとえば、何らかの理由で暇をもて余している人たちの一部が引き起こす、過剰な消費や濫買、ギャンブルやアルコールへの耽溺、暴力や違法行為などのさまざまな問題です(それ以外の要因でも同種の問題が発生することは言うまでもありませんが、ここでは時間的余裕という角度から検討しているので、それらは対象に含まれていません)。定年退職後に年金暮らしをするようになって時間があり余った人たちの中にも、同じ問題を起こす人たちがいます。
このことも、現象としては既に専門家の間でも知られていて、「定年症候群」という “診断名” がつけられているそうです。現に、この問題を扱った『定年性依存症――「定年退職」で崩れる人々』(岩崎、2009年)という、数多くの実例が掲載された、依存症を専門とする精神科医の執筆になる本も出版されています。現代の先進諸国の専業主婦に起こりやすいとされる “キッチン・ドランカー” も、昔と比べると家事労働が非常に簡単になったおかげで、時間的余裕のある状況に置かれていることを考えると、同質の要因が関係している可能性が高そうです[註7]。
無期囚として刑務所に収監されている人たちは、時間的余裕がないため終始活動的にならざるをえない死刑囚とは対照的に、重度のうつ状態に陥ったり、痴呆状態(昨今の言葉では、認知症)に陥ったりすることが知られています(加賀、1980年;小木、1974年)。これらも、同じ仕組みで発症するものと考えるべきでしょう。
では、それはどのような仕組みなのでしょうか。時間的な余裕があると、さらには経済的な余裕があればなおのこと、自分のしたいことが自由にできる状態になります。そうすると、先の3条件からわかるように、抵抗もその分だけ強くなります。その結果として、自らが幸福の方向に向かうのを何としてでも阻止しようとして、多種多様な問題を、誘惑に負ける形で引き起こしやすくなるということです。極端な場合には、「会津磐梯山」という民謡に登場する小原庄助さんのように、浮かれた生活が止まらなくなり、身を滅ぼすことにもなりかねません。
かつての貴族など、生来、時間の余裕に恵まれていた人たちは、おそらく経験に学んで、自滅を避けるため、儀式や祭礼や遊芸といった、なるべく無難な形で時間を費やせるさまざまな方法を編み出していたのでしょう。ところが、にわか貴族になってしまった現代のわれわれは、貴族と違ってそうした手段が継承されているわけではないため、個人個人がその場その場で対応してゆくしかありません。とはいえ、時間つぶし的な行動にふけって身をもち崩してしまうようであれば、時間を自分の自由に使える時代を待ち望んでいたはずのわれわれの先人たちに対して、申し訳が立たないのではないでしょうか。
ついでながらふれておくと、定年後、毎日が日曜日という状況になった時、自分が本当にしたいことをするのを避けて、趣味や娯楽に逃げたり、さらには快楽や自傷行為にふけったりする程度ですむ人たちは、まだましなのかもしれません。趣味がもてず娯楽にも関心がないため、逃げる手段がない人たちの場合には、それこそ悲惨なことになりかねないと思われるからです。
その場合に、いわば自分の頭の働きを無意識のうちに止めるような対応をすることがあるように思います。先ほどの無期囚がその実例だと思いますが、それこそが、すべてとは言わないまでも、ある種のぼけ(認知症)の始まりなのではないかと私は推測しています[註8]。昔から、時間とお金があって趣味がない人がぼけやすいと言われているのは、そのことを指しているのではないかと考えられるためです。
もしそうであれば、自分が本当にしたいことを、そこまで忌避していることになるわけですが、人間は本当にそのようなことまでするものなのでしょうか。そこには、動機という要因もさることながら、それほどの能力を本当にもっているのかどうかという大問題がからんできます。幸福否定という考えかたの重要性は、このような重大な疑問を浮かび上がらせてくれるところにこそあるのです。  
観察事実と “科学的” 説明の乖離の実例 2
  かわいさ余って憎さが百倍

 

幼児虐待の実態
このところ、マスコミ報道でもわかるように、幼児虐待の報告件数が増加の一途を辿っています。しばらく前までは、幼児虐待などは、欧米では起こっても、子どもを大切にするわが国ではほとんどないはずだと考えられていたふしがありますが、実数はアメリカと比べると少ないとしても、実際にはそうではありませんでした。
そうした報道を通じて、幼児虐待を起こすのは実母が圧倒的に多いという事実が、一般にもようやく知られるようになりました。下の表は、児童相談所に寄せられた相談から集計された結果を、厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課が発表したもので、一部はデータから作成されています(拙著『加害者と被害者の “トラウマ” 』65ページより再掲)。実の親と義理の関係にある親などが分けて集計されているので、誰が子どもを虐待しているのかがはっきりわかります。なお、表中の「その他」は、祖父母や、おじ、おばなどを指しています。
この表は少々古く、平成20年度までの統計しか掲載されていませんが、傾向としては現在も同じでしょう。それまでは、虐待者として義理の関係にある継母などが疑われることが多かったのではないかと思いますが、この集計表を見ると、実際には、いつも実母が6割前後を占めていることがはっきりします。それと比べると、実父の比率は25パーセント前後と、実母と比べるとかなり低いことがわかります。
単純に見ると、義理の父親や母親の虐待率はかなり低くなっていますが、それは全体の虐待件数の中での比率なので、義理の親の中でのそれぞれの比率はわかりません。このデータでわかるのは、実父以外の父親的存在による虐待のほうが、実母以外の母親的存在による虐待よりもはるかに多いということだけです。それはおそらく、離婚した場合、子どもを引きとるのは母親が圧倒的に多いため、さらには、シングル・マザーという場合もあることから、「実父以外」と分類される存在のほうが、「実母以外」よりも実数として格段に多いことが関係しているのでしょう。
また、子どもを連れた母親が新しいパートナーと同居する場合と、子どもを連れた父親が新しいパートナーと同居する場合とでは、相手の位置づけが大なり小なり異なることが多いでしょうから、単純な比較は難しいはずです。
特に、虐待の結果、子どもを死なせてしまう場合には、父親的な位置づけにある男性も半数ほどが関与している(東京工業大学大学院・犯罪精神医学研究チームが、1994年から2004年までの11年間に、新聞報道を通じて明らかになった児童虐待死の発生件数を集計した調査による。「読売新聞」2006年9月17日号参照)ようなので、この問題を論ずるためにはもう少しデータが必要です。ここで重要なのは、幼児の虐待者には、あくまで実母が圧倒的に多いという事実です。
家族関係がわが国よりもはるかに複雑なアメリカでも、基本的には似通った結果が得られています。わが国とは分類法が異なるうえに家族関係が複雑なので、直接の比較はできませんが、実の親がやはり圧倒的に多いという点では共通しているのです(右の表参照)。この表では両親の性別が不明ですが、虐待者全体の比率は、女性が68 パーセント、男性が48 パーセントとなっています(Sedlak et al., 2010, p. 14)。合計が100 パーセントを超えるのは、双方から虐待を受けた事例が含まれるためです。
実母の比率が高いことは、児童虐待の最も激しい形態とされる代理ミュンヒハウゼン症候群(子どもを傷つけて病院に受診させるもの)を見るとさらにはっきりします。1987 年に発表された海外の総説論文(Rosenberg, 1987)では、虐待者の 98 パーセント(実数= 97)が実母、残りの2パーセントが継母になっています。その後に発表された総説論文(Sheridan, 2003)では、実母の比率は 76.5 パーセントに下がっていますが、依然として高率であるのはまちがいありません。この症候群については、わが国でも似たような結果が得られています(Fujiwara et al., 2008)。
虐待行動の動機の従来的解釈
虐待する親は、虐待される子どもをいつも虐待しているわけではありません。虐待する時と、そうではない時とがあるのです。つまり、疫学的調査によってわかった傾向とは別に、個々の虐待行動にはいちいちの動機があるということです。ところが、これまでの研究では、統計的なものが中心になっていて、それ以上のことはほとんど追究されてきませんでした。この点は、心因性疾患の心理的原因の場合と全く同じです。それは直接的には、臨床場面で詳細な観察をしていないためです。
心理的原因については、例によって科学的根拠もなくそれをストレスと決めつけたうえ、それらしきものが見つかると、それを原因と推断ないし断定することですまされてきました。その点は、虐待行動の場合も同じで、ストレスや嫌悪感のような、悪いことがその動因になって起こると、暗黙の裡に断定されています。それ以外の原因や要因は、最初から完全に無視されていると言ってもまちがいではないでしょう。そのため、従来的な研究では、主として虐待する側に問題があるとして、その理由を疫学的方法を使って統計的に探り出そうとしてきたわけです。その当然の帰結として、親の側にストレスを生ぜしめる要因を探し出そうとする研究も行なわれています。
ところが、そうした疫学的研究によって、仮に貧困状態や心理的に未熟な母親という要因が関係していることがわかったとしても、それは両者の間に相関があるということにすぎず、それが原因であることの保証など全くないのです。実際に、貧困家庭のほうが幼児虐待が起こりやすいという調査結果が得られたとしても、そうした家庭のほうが、いくつかの理由から問題が発覚しやすいからにすぎないという指摘もあります(White et al., 1987, p. 95)。裕福な家庭では、問題が露呈しにくいだけなのかもしれないわけです。
複数の子どもがいる家庭でも、たいていの場合、虐待されるのはそのうちのひとりです(たとえば、Friedrich & Boriskin, 1976, p. 587)。そのこともあって、子どもの側にも虐待の要因があるという観点からの研究が、これまでいくつか行なわれています。それらの疫学的研究によれば、未熟児で生まれた子どもや、知的障害のある子ども、身体的な障害をもつ子どもや病弱な子ども、生まれた時から変わっている子ども、親から見て変わった子ども(Friedrich & Boriskin, 1976)、双生児のいる家庭(Robarge, Reynolds & Groothuis, 1982)などが虐待の対象や条件になりやすいそうです。とはいえ、それらは、あくまで表層的な相関関係にすぎず、それ以上のものではないことは、もはや言うまでもないでしょう。
とはいえ、虐待される子どもは複数のうちのひとりの場合が圧倒的に多いという観察事実が、虐待行動の原因を探るための重要なヒントになることはまちがいありません。大規模な調査をもとにわが国で実施された調査(Tanimura, Matsui & Kobayashi, 1990)は、この点で参考になるかもしれません。それは、全国 505 箇所の小児科の病院や医院を対象にして、1986年に行なわれたものです。その結果、114 の病院で総計 231 例の虐待や育児放棄の事例が見つかりました。そのうちの23例(10パーセント)が、多胎児(22例が双生児、1例が三つ子)でした。わが国での多胎児の出現率は0.6パーセントほどだそうですから、虐待や育児放棄が多胎児で起こりやすいのは確かなようです。なお、虐待者は、23例中19例(83パーセント)で実母でした。
この研究でも、虐待されたのはほとんどが多胎児の一方だけで、ふたりとも虐待されていたのは20組中の4組にすぎなかったのです。そして、一方しか虐待されていなかった群(第1群)と、双方とも虐待されていた群(第2群)に分けて検討したところ、両群間には顕著な違いが見られました。虐待された子どもは、7歳未満で、出生時の体重が 2500 グラムに満たなかった(未熟児で生まれた)という点では両群でほぼ共通しているのですが、第1群では、硬膜下血腫、肛門閉鎖、脳性麻痺、心身の発達障害、発育不全、幽門狭窄、下血、発達遅滞などの障害のある事例や、病院や祖父母宅で養育されていた経歴をもつ事例が94パーセントにものぼることが判明したのです。それに対して、双方が虐待を受けていた第2群では、子どもの側にそのような問題は見られず、経済的問題や夫婦間の不和など、むしろ家庭内に深刻な問題のあることがわかったのでした。
そこまでは、調査の結果として得られた、いちおう客観的なデータなのですが、問題はその “解釈” です。この研究者たちも、例によって従来的な解釈に終始しています。つまり、「双生児の世話をすることや障害をもつ子どもの面倒を見ることによるストレス」のため、その怒りを子どもに向ける結果となり、子どもに気概を加えることになったのではないかと述べているのです(ibid., p. 1299)。
では、虐待者である親は、その対象となる子どもに、ふだんの時にはどのように接していたのでしょうか。ところが、そのような角度で行なわれた研究はほとんど存在しないようなのです。ここには、控えめな言いかたをしても、大きな偏りがあると考えざるをえないでしょう。
実際にはどのようなことが起こっているか――虐待の動機となるもの
子どもの虐待者で最も多いのが他ならぬ実母であることは、これまで見て来たように、わが国でもアメリカでも、統計的に明確に裏づけられています。その一方で、母性本能という言葉があるように、実母は、子どもに最も強い愛情をもっているはずです。その実母が、それとは正反対に見える行動をとるわけです。そのため、母性本能が壊れていると考える専門家もいるようです(日高、1992年参照)が、実際のところはどうなっているのでしょうか。
幼児虐待の世代間連鎖という概念があることから推測されるように、わが子を虐待する母親も、やはり幼児期に親から虐待を受けている場合が多いと言われています。話が複雑になるのでここでは詳述しませんが、幼児虐待とされる事例には、実際に虐待がその時点で確認される群と、成長してから、心身の不調の原因を自らが幼児期に虐待されたことによるトラウマにあると主張する群という、おそらく全く異質な2種類があるのです。世代間連鎖という考えかたが強調されるのは、そのうちの後者の場合にほぼ限られるようですが、ここで検討の対象にしているのは、前者のほうなのです。ここで後者を含めてしまうと、虐待の実態がよくわからなくなってしまいます。この問題に関心のある方は、拙著『本心と抵抗』(第7章および8章)および『加害者と被害者の “トラウマ” 』(第2章)を参照してください。
類人猿を筆頭とする高等動物では、乳児期から人間に育てられたため、出産や育児について経験的に学ぶ機会がなかった場合には、自分が生み落とした子どもを怖がって、その子どもに暴力をふるったり、育児を放棄したりなど、まさに人間の幼児虐待と同じような行動を起こすことが多いようです。では、人間の場合にも、親に虐待されてそうした機会を失った結果として、自分の子どもを虐待するようになるのかといえば、ここでもことはそう簡単ではありません。子どもの虐待をする母親でも、それ以外の時には、あるいは他の子どもに対しては、比較的ふつうの対応をしているからです。
自分の子どもを殺害してしまったある女性は、「憎くて殺したのではない。私はあの子が生まれた時、今までの人生の中で一番大きな幸せを感じたし、あの子のことを心から愛していました」と語ったそうです(田口、2005 年、69 ページ)。この言葉にうそはないとすると、ここでは、言葉と行動の間に大幅な開きがあります。虐待する時には、ふだんとは正反対に、激情に駆られて暴力的になるのです。では、このような矛盾に満ちたことが起こるのは、いったいなぜなのでしょうか。
そのいわば謎を解くカギのひとつは、「目の中に入れても痛くない」という表現が昔から使われていることです。この強い思いは、特に、障害をもって生まれたり、未熟児として生まれたり、その結果として、あるいは他の理由から病院やどこかにしばらく預けられたりしたことで、不憫と感ずる子どもに対して、より強く起こる感情です。ところが、これらの条件は、先ほど紹介した研究を含め、これまでの研究で虐待される条件として確認されているものと、どうやら同じなのです。
このような母親の場合、猫かわいがりにする側面と虐待する側面が見られることが多いようです。これは、別の脈絡で、アメとムチを使い分けているとして説明されてきたことです。そうすると、手のかかる子どもの世話をしなければならないことでストレスを感ずるために虐待に走るという従来的な可能性の他に、このような感情を強く抱く相手だからこそ、その否定の結果として虐待が発生するという可能性が浮かび上がります。従来は前者の可能性しか考慮されていませんでしたが、こうなると、後者の可能性も検討しなければならないことがわかるでしょう。
心理的距離の遠い祖父母であれば、このように不憫に感ずる子どもを素直にかわいがることが難なくできるのは周知の事実ですが、心理的距離の近い母親の場合には、必ずしもそうではありません。まさに昔から「かわいさ余って憎さが百倍」と言い習わされてきた通りの現象が起こってしまうことが少なくないのです。愛情が強いあまりに(その否定の結果として)意識の上では嫌悪感や憎しみが強く起こり、容赦なく虐待に走ってしまうということです。
他人と違って遠慮がないことが、特に母親対娘の場合には同性のゆえの親近感もあって、虐待行為にさらに拍車がかかることが多いように思います。そのためでしょうが、最近、「毒親」などと言って母親を非難する本を書いて話題になったのは、ほとんどが女性のようです。では、背景としてはそうであったとしても、実際に虐待が起こるのはどのような時なのでしょうか。
それは、現実の虐待の場面を詳細に観察するとはっきりします。たとえば、拙著『幸せを拒む病』にも紹介しておいた事例です。この事例では、長男が初めて立ち上がった場面を、たまたま夫がビデオカメラで撮影していました。妻はその場面を見ていなかったので、夫は妻にその録画を見るように勧めたのですが、まさにその直後に、母親は、「何かよくわからないまま、怒りが急に湧き上がり、大声でどなりつけたり叩いたりしたくな」り、その感情を「そのまま実行に移して」しまったのでした。長男の成長を本当は素直に喜んでいたということです。
実際に、この母親は、ふだんは長男を猫かわいがりにしていて、大きな車を買ったのも、子どもを乗せて遠出をしたいためだというのです。また、虐待をした後でも冷静になると、「息子がかわいそうだという気持ち」も起こるのでした(笠原、2016年、154-155ページ)。
もうひとつ興味深いのは、やはり同書で紹介しておいた女性の証言です。たまたま母の日の翌日にあった心理療法で聞いたもので、この女性は、小学4年生の娘から、母の日のプレゼントとしてカーネーションを初めてもらったのだそうです。すると、いきなり怒りがこみあげて、「何でこんなむだ遣いするの」とどなりつけたのです。当然のことながら、娘は泣き出しました。反応を使って確認したところでは、この女性は、娘がそこまで成長し、愛情を素直に表現してくれたことがうれしかったのでした(同書、156ページ)。
わが国でも有名になったアメリカのデイヴ・ペルザーさんのように、虐待されていた子どもの側による詳細な証言を見ても、虐待が同じような経緯で起こっていることがわかります。ペルザーさんが母親から激しい虐待を受けたのは、学校での成績が上がったり、担任にほめられたりしたことを母親が知った直後だったのです(たとえば、ペルザー、1998年、158-159ページ)。そのうちのひとつの虐待事件の最中から、ペルザーさんは it と呼ばれるようになったのでした。
虐待者に実母が圧倒的に多いという事実もそうですが、このように、虐待が、子どもの成長や進歩に気づかされた直後に発生することは、子どもに対する愛情の否定から起こることの有力な裏づけになるはずです[註9]。
一般に母親は、少々心理的距離の遠い父親とは違って、子どもの幸せがそのまま自分の幸せになるようです。ペルザーさんの母親は、劣悪な環境に置かれているにもかかわらず、ペルザーさんががんばって先生に評価されるまでになったのを知り、本心では素直に喜び、ペルザーさんを心からいとおしいと思ったのでしょう。ところが、内心の監視体制は万全なので、そうなると瞬時に幸福否定がじゃまに入るのです。
その結果として、その子がかわいくないことを自分の意識に言い聞かせるという明確な目的をもって、意識の上では何もわからないまま、正反対の行動すなわち虐待に走らざるをえなくなるわけです。内心の力はとてつもなく強いので、これにあらがうのは非常に難しいのです。それは、通常の方法としては、がまんする以上のことがほとんどできないためです。逆に、その抵抗が弱くなれば、その子をふつうにかわいがることが自然にできるようになります。
私のこれまでの経験では、このように、個々の虐待行動の原因は、子どもの成長や愛情がわかったことなどによる、自らの幸福感の否定ということでした(笠原、2010年、第7章参照)。したがって、幼児虐待は、一種の自虐行動と考えることもできるでしょう。現に、幼児虐待をする母親は、子どもの虐待と並行して自傷行為に走ることも少ないないようです。
また、虐待する親は、子どもたちに対して対比的な行動をとることも多いようです。つまり、虐待する子ども以外の子どもがいる場合、その子(たち)に対しては、虐待しないだけでなく、必要以上にかわいがるといった行動をとりやすいということです。一般には、これは昔から、兄弟間の差別として知られてきた現象です。このように、虐待行動の仕組み自体はこれまで把握されていなかったにしても、いくつかの成分は、曲がりなりにも昔から知られていることなのです。
ところが、たとえばペルザーさんの著書が世界的なベストセラーになり、虐待が起こるまでの詳細な経過に目を通したとしても、専門家であれ一般読者であれ、肝心な点に注目することは、絶対にと言ってよいほどありません。これがまさに本稿のテーマなのですが、それは、幸福否定という、人間に遍く存在する心の動きが、専門家にも一般読者にもあるためだと、私は考えているわけです。
そのため、専門家も一般読者も、悪いことが原因に決まっているという前提でしかものごとを見ることができなくなっていますから、せっかくペルザーさんが詳細な経過を提示したとしても、そのことの重大性がわからないまま、「かわいそうに」という私情に支配される形になり、母親から受けた被害に注目することに終始してしまうのです。ベルクソンはこの種の抵抗を、本能的なほど強いものと考えたのでした。
しかしながらペルザーさんは、かつての自分の対応を反省して、次のように述べているのです。「僕は母を止めるために何ひとつしなかった。責められても反論せず、言いたいことも言わず、部屋から逃げようともしなかった。自分を守ろうともせず、ただ一言、『違う』と言って母を思いとどまらせることもしなかった」(ペルザー、2003年、108-109ページ)。専門家は、虐待される側の問題点を明確に教えてくれる、この重要な発言を軽視ないし無視し、これを虐待の再現などと説明してすませようとしてきたのです[註10]。それに対して、当の “被害者” であるペルザーさんは、主体的な視線で自らの対応の不適切さを厳しく振り返っているのです。
このように、ペルザーさんが一連の著書を書いた真意は、一般読者からも専門家からも、ほとんど無視されて現在に至っています。これは実に驚くべきことと言わなければなりません。だめな自分との対決から逃げているようなら、せっかくの好機を、母親の隠された愛情とともに、むざむざ放棄することになってしまうわけですが、ペルザーさんは、この問題について次のように述べています。
「 問題を見つけたら、それが消えてしまうのを願って無視するのでなく、真正面から取り組もうとする。同時に、その問題が二度と起こらないよう、できる限りの手を打つように努める。ぼくから見れば、問題を隠してばかりいる人たちは、自分を欺いているのだ。〔中略〕  何があったとしても、命を奪われずにすんだのなら、そのできごとは人をより強くするだけ。(ペルザー、2003年、211、361ページ) 」
これは、自分が受けた虐待の被害を強調している人たちに向けた厳しい批判であるとともに、虐待問題の肝心な点を直視するよう専門家に注意を促す発言にもなっているのです。  
観察事実と “科学的” 説明の乖離の実例 3
  亭主は達者で留守がいい

 

文化的現象か普遍的現象か
夫の定年退職を恐れている女性はかなりいるようです。実際に、それが動機になって私の心理療法を受けるようになった女性は、これまでに3人ほどいます。夫の側は、むしろ定年後に妻とゆっくり過ごしたいと思っていることのほうが多いのですが、妻の側は、それとは正反対に、夫が自宅に一日中いるようになる状況を恐れていて、しかも、その嫌悪感や恐怖心をかなり強く示す場合が多いのです。現実に、双方の間に介在するこのずれが、大きな問題を生むことになるわけです。
うかつにもごく最近まで知らなかったのですが、既に30年ほど前に、夫が退職した後、妻に起こるさまざまな症状を扱った Retired husband syndrome(退職後亭主症候群)と題した解説論文が、アメリカで発表されています。これは、アイダホ州の開業医が医学雑誌に投稿したものですが、退職後に夫が自宅にずっといるようになったことによる “ストレス” のおかげで、妻たちが、緊張性頭痛やうつ状態、心身の不調、動悸、腹部の膨満感、筋痛などを訴えるようになったというものです(Johnson, 1984, p. 542)。
その8年後の1992年に、わが国でもそれとは別個に、心療内科医である黒川順夫(のぶお)らが、この現象を「主人在宅ストレス症候群」と名づけて、学会の地方会で口頭発表しています(黒川他、1992年)。そして、英国のBBCは、東京特派員の報告として、この症候群を、黒川医師の発見によるものとして紹介し、同医師の解釈に従ってわが国特有の封建主義的文化に起因するものであるかのように解説しているのです(Retired husband syndrome 参照)。そのほうが、視聴者受けするのかもしれませんが、それは明らかに誤りです。
先の解説論文が既に存在していることからわかるように、黒川医師が発見したことではありませんし、この記事に対するコメント欄に、さまざまな国の妻たちが、同じような経験を書いていることからもわかりますが、わが国特有の現象でもないからです。また、わが国のデータに基づいた英文の報告(Bertoni & Brunello, 2014)も出ていますが、それは、検討の対象となる信頼性の高いデータが他の国では得られていないためであって、この現象がわが国特有のものであるということではありません。
この現象が、内容的にもわが国特有のものではないことは、先述の心身症状を見ても、先のアメリカの論文を見てもはっきりします。そこに書かれた内容をかいつまんで紹介すると、おおよそ次のようになります。
結婚当初は、一緒に食事や映画や買い物に出かけたりなど、ともに過ごす時間も長く、仲むつまじい生活を送るものですが、夫は、いずれ会社で地歩を固めるようになり責任も重くなります。そうすると、妻のために時間を割くことも少なくなり、以前なら楽しみにしていたはずのことにも次第に関心を失ってきます。
一方の妻は、友人同士で出かけたり、庭いじりをしたり、スポーツやボランティア活動をしたりすることで、余暇を自分なりに過ごすようになります。相前後して子どもも生まれるので、家事をこなしながら子育てに追われたりといった生活になるわけですが、夫は仕事で忙しくしているため、子育てはほとんど妻に任せきりになっています。何日も出張して自宅にいなかったり、朝早く出勤して夜遅く帰宅したりといったことも少なからずあります。
夫は、帰宅すればしたで、仕事のことで頭がいっぱいになっているため、口もきかずにいるか、さもなければ、ろくなことをしていないなどと妻に不満をぶつけます。そのように夫になじられても、何とかがまんできるのは、夫が家にいる時間が短いからにほかなりません。
子どもたちが独立すると、がらんとした家の中で夫婦ふたりだけの生活になります。妻は、あり余った時間をつぶすために、また友人を見つけて楽しい時間を過ごすようになるのですが、そこで夫が定年を迎えると、ふたりの生活は一変します。それまで35年以上の結婚生活の中で、妻は、夫の性格をよく知らないまま来てしまったのですが、夫がずっと自宅にいるようになると、夫が鼻もちならない性格であることに気づきます。「こんな人とは思わなかった」というわけです。
夫は、ますます支配的になる一方で、依存的にもなり、その結果、それまで妻が自由に過ごしていた時間が奪われてしまいます。夫が家にいるおかげで、部屋を片づけてまわったり、灰皿の掃除をしたり、ビール瓶を始末したりで、前よりも雑用がはるかに多くなってしまうからです。
そのため、妻たちは、「私のほうには、定年はないんですよ」とか、「主人はいつも私にくっついて離れないんです」、「夫のせいで頭がおかしくなりそうです」、「もう叫び出したくなるんです」、「いらいらします」、「おかげで眠れなくなりました」などと訴えるわけです。食料品の買い出しに行こうとしても、トイレに行こうとしても、夫はついて来たがります。また、調理をしたいというのでさせれば、食材をむだにしたり、黒焦げにしてしまったり、汚れた鍋や皿を山積みにしたまま放置したりするため、不経済なうえに後始末も大変です。それらも、妻からすれば大変なストレスになるというわけです。
このように、アメリカの妻たちも、定年退職後の夫に対する不満について、さらには夫がいることに起因する心身の不調について、わが国の妻たちとほとんど同じ言葉で語っているのがわかるでしょう。わが国の妻たちが、それぞれの夫に対して、「金魚のふん」とか「濡れ落ち葉」とか「粗大ごみ」と言って嫌っているのと同じことを、アメリカの妻たちも、まさに異口同音に語っているのです。そこに文化的な差があるとしても、わずかなものにすぎないでしょう。また、この論文には、倦怠期という時期のあることが書かれていませんが、その点でもわが国と何ら違いはありません(たとえば、フィッシャー、1993年、第5章参照)。
こうした側面でも、洋の東西を問わず、夫婦の間には同じような問題が発生するということです。そうすると、こうした問題についても、文化的な原因ではなく、洋の東西を問わない普遍的な原因を考えなければならないことになります。その場合、それがストレスによるものなのかどうかが最大の問題です。
妻たちが夫の定年退職後を嫌ったり恐れたりするのはなぜか
「主人在宅ストレス症候群」という名称に端的に表現されているように、夫が自宅にいるようになった結果として妻に起こる一連の症状群は、妻たちの告発をそのままとり入れる形で、専門家の間でも、ストレスによるものと断定されています。この場合も、それ以外の原因は最初から完全に無視されているのです。
これは、私の言う、幸福否定の結果として起こる心身症状にほかならないのですが、専門家も非専門家も、やはり旧来的な解釈で満足しているということです。夫の定年退職後は、夫婦が一緒に過ごさなければならない時間が圧倒的に多くなるのはまちがいありません。妻たちは、そのことを意識の上で恐れたり、不安に思ったり、嫌ったりしているわけですが、素直な気持ちとしてはどうなのかということが、ここでもやはり問題になるはずです。
この問題は、実は、当ホームページの「恋愛感情と愛情」の中の「夫が定年を迎えた後の夫婦」という項で既に扱っているのですが、興味深いことに、他のページ同様、このページもほとんど無視されています[註11]。そのページを見ていただくとわかりますが、その中では、恋愛結婚であれば、恋愛感情と呼ばれる一種の憧れは次第に失せて、3,4年もすると倦怠期と呼ばれる段階に入り、そこに離婚の大きな危機があること、いわゆる仲むつまじくはなくなることのほうが、数の上ではごくふつうであるのに対して、結婚後、いつまでも恋愛関係のような状態が続いている場合のほうが、実際には問題が大きいこと、また、愛情の否定がなければ、問題が起こらないどころか、真の意味で幸福な関係が続くことなどについて、実例を交えながら詳しく書かれているのです。
ところが、このような記述は、一般読者はもとより、専門家からもほとんど無視されてしまうのです。一般読者であれば、どのように考えてくださっても、それはその個人の意見であって自由なのですが、専門家の場合には、根本から事情が異なります。従来とは全く違う切り口で周知の現象を記述しているのみならず、ほとんどの場合その記述には裏づけがあることに加えて、反応を使って確認している場合には、さらに客観的な裏打ちも得られているわけです。したがって、真理の探究を本分としている限り、この方面の専門家がそれを無視することはできないはずなのです。そして、仮に結果的に否定する形になるとしても、客観的な指標を使って厳密に検討する必要があるということです。そうでなければ、科学の真の発展などあるはずもありません。
その問題は後ほど扱うことにして、ここでは、本稿のテーマに沿って、具体的な事例をもとに検討することにします。ここでとりあげるのは、先の「恋愛感情と愛情」に引用しておいた40代の男性から聞いた実例です。非常に興味深いので、丹念に読んでみてください。
「 母親は、特に父親の定年後には、毎日毎日、うらみごとを父親にぶつけていて、父親はそれを、いつも下を向いて、反論もせずに黙って聞いていたそうです。息子から見ても、母親の言葉は聞き苦しいものでした。ところが、ある時、父親が脳溢血で倒れたのです。その結果、父親に半身不随と失語症が残ったため、ふたりだけの夫婦の生活は、根本から変更を余儀なくされました。 その時点から母親の態度は一変します。現在の介護認定基準では、要介護度Vという、最悪の段階と判定されているそうですが、母親は、私が長男からこの話を聞くまでの少なくとも8年間は、父親を施設に入所させることなく、在宅のままずっと介護し続けてきたのだそうです。ヘルパーの力を借り、デイサービスを利用しているとはいえ、要介護度Vの老人を、自らも年老いている母親が、8年間も自力で介護し続けるのは、並たいていのことではないのです。  」
この場合、夫にもしものことがあると自分が経済的に困るために在宅介護を続けたという説明は成立しません。それだけなら、施設に入所させて、時どき施設に面会に行けばすむことで、ここまで大変な思いをしながら介護を続ける必要はないからです。倒れるまで夫に小言を言い続けたことの罪滅ぼしのためとか、世間にいい顔をしたいとかという可能性も、もちろん考えられません。その場合は、がまんを続けることになるわけですが、その程度の表面的な理由では限界があるからです。したがって、愛情のたまものとしか考えられないことになります。
では、夫が倒れるまで、連日のように夫に向かって小言を言い続けていたのはなぜなのでしょうか。これも、先の「かわいさ余って憎さが百倍」ということであって、愛情の(正確には、幸福否定に基づく愛情否定の)なせるわざなのです。この点は理解しにくいかもしれませんが、妻からすれば、遠慮なく不平不満をぶつけて甘えられる相手は、自分の夫しかいないという事実を考えれば、少しはわかりやすいのではないでしょうか。
夫からの愛情が感じられるからこそ、それによって起こる自分の幸福心を(もちろん無意識的に)否定するために、夫に対するうらみを作りあげるということなので、このうらみは逆うらみということになります。そして、それを夫にぶつけるという自分の行動を見ることによって、夫に愛情など抱いていないことを、自分の意識に証明しようとしていたということです。
ここでも、現行の科学知識の枠内で、推定に基づいて導き出された結論と、現実の中で起こっている現象とが、どうしようもないほど乖離していることがわかります。Retired husband syndrome(退職後亭主症候群)と命名された現象を丹念に観察すれば、たとえば、夫が目の前にいる時には頭痛などの症状が出ていたとしても、夫の姿が見えなくなると、その瞬間(つまり、1、2秒後)に、その頭痛はすっかり消えてしまうことがわかるはずです。それは他の症状の場合も同じなのですが、そのような観察がされることは、あるいは観察されるところまで行ったとしても、実際問題としてその点が注目されることは、絶対にと言ってもよいほどありません。では、それはなぜなのでしょうか。
そうした経過がほぼ例外なく起こることがはっきりすると、それは、現行の科学知識体系では明らかに説明できない現象ということになります。その場合にこそ、科学的探究が真剣に行なわれるべきなのですが、そこで強い抵抗が働いてしまうのです。逆に言えば、幸福否定という心の動きの実在を教えてくれる現象があると、そこに意識の光が向くことのないように、内心がぬかりなく監視しているということです。抵抗という現象に40年以上にわたって日常的に直面してきた私でも、内心の監視体制が万全であることには、いつも驚かされているほどなのです。  
おわりに――観察事実を優先することこそ科学の本道

 

他の分野で観察される同種の現象の一例
本稿では、主として時間と愛情という人間にとってきわめて重要な側面に関係する現象をとりあげて説明しました。他に、幸福否定に直接関係する現象で、世間でもよく知られているものとしては、しばらく前まで話題になっていた「青木まりこ現象」があげられます。これは、私の言う反応に名前がつけられた世にも珍しい現象なのですが、わが国の専門家は、このとてつもなく重要な現象を真剣にとりあげることをついにしませんでした。
これまで見てきたように、現行の科学知識体系から離れ、現実の世界で起こっている事実を虚心坦懐に眺めれば、この知識体系が根本からまちがっていることを、もう少し控えめな言いかたをすれば、大幅にそれていることを教えてくれる現象は、身のまわりにたくさんあることがわかります。他の分野でも同じような問題が、人知れず発生している可能性はきわめて高いということです。
広い意味での幸福否定(私の言う中級者クラス)が関係する現象は、人間が関与する限り、あらゆる領域に存在するはずなのですが、ここでは、参考までに、たまたま少し調べた、侵略生態学 Invation ecology という生物学の一分野で観察される現象をとりあげることにします。侵略生態学という分野は、著名な生物学者だった今西錦司さんが高く評価していた英国の生態学者、チャールズ・エルトンさんが、今から60年近く前の1958年に創始したものです。その後、分野としては大きく発展して現在に至っています(Richardson, 2011 参照)。
興味深いのは、たとえばイチョウという、昔から私たちの周辺にたくさんある樹種の分布のしかたです。植物地理学的な意味での分布であれば、日本全土ということになりますが、では、どこにでも生育しているかと言えば、誰でもわかるように、そうではありません。「一つの種は〔中略〕分布地域内に一様に分布しているのではない。それは、その生活の場の見いだされるところにだけ、分布している」(今西、1949 年、104 ページ)として今西さんが提唱した縮尺度論を使って表現すれば、大梯尺的には、日本全土に分布していることになりますが、小梯尺的には、その分布は並木道、社寺の境内、公園、庭園などに限られるということになるでしょう。しかも、それらは植栽されたものばかりであり、野山には1本たりとも自生していないのです。
1922 年から東北帝国大学植物学科の初代教授を務めていた、著名な植物学者、ハンス・モーリッシュさんは、この現象に関心を抱きました。ちなみに、モーリッシュさんの生家は、遺伝学の創始者として有名なグレゴール・メンデルさんの修道院の隣にあり、モーリッシュさんが植物学者になったのはメンデルさんの影響によるものだそうです(片岡、2009年、2ページ)。
「 大昔の地質時代には、この木はたいへん広範囲に分布していたのであり、化石もひんぱんに発見されているのだから、植樹しか見あたらないというのは奇妙である。私は日本国中ずいぶんと歩きまわったが、森の中で銀杏[イチョウ]に出会ったことは一度もなかった。しかし、この木が果実を大量に実らせることを考えると、これはいっそう奇妙なことに思われる。秋になると雌銀杏の木の下は、黄色い実でいっぱいになるのだから、発芽の可能性はきわめて高いといえる。なるほど日本では、実を大量に集めて炒って食べる習慣があるが、それでも多くの実はカラスや他の動物たちによってよそに運ばれる。それなのにどうして、野生の銀杏の木が見つからないのだろう。(モーリッシュ、2003 年、345 ページ) 」
モーリッシュさんほどの植物学の泰斗にとっても、この分布様式は謎なのでした。イチョウは、ヨーロッパでも、17 世紀末に日本から輸入され(クレイン、2014年、42ページ)、公園や庭園などに植栽されていますが、やはり野生化しているわけではありません。わが国に渡来して既に 700 年(堀、2003年)から1000 年(長田、2014年、342ページ)という長年月が経過しているにもかかわらず、外来の植物で問題となる、そこここに繁茂するという状態にはなっていないのです。モーリッシュさんはその原因を、ネズミなどの小動物が種子(つまり、銀杏)を食べ尽くしてしまうためなのではないかと考えました(モーリッシュ、2003年、345ページ)。
任期を終えて帰国し、ウィーン大学総長に就任したモーリッシュさんは、1937 年にアレロパティー Allelopathie という概念を提唱します。これは、異種の植物同士が遠隔的に影響を及ぼし合う現象を指す言葉で、わが国では他感作用と訳されています(沼田、1977年、412ページ)。そこには、化学物質の介在が想定されているのですが、この概念を用いても、イチョウが植栽されたものしか存在しない事実を説明することはできません。イチョウの実は発芽しやすいことが知られているにもかかわらず、また、イチョウを作物として畑で栽培することも昔から行なわれて来たにもかかわらず、原産地である中国南部の限局された地域(クレイン、2014年、21ページ)を除いては、野生状態のイチョウを見ることはないのです。
唯一の例外のように見えるのは、百年近く前に造成された、明治神宮の森という世界屈指の人工林です。ここでは、最初からイチョウを植えていた(上原、2009年、56ページ)ため、それがそのまま成長し、現在では巨樹となって銀杏を地面に大量に落としています。のみならず、それらの種子はいっせいに発芽するのです。残念ながら、これらのイチョウは、私たちが立ち入ることを許されていない森の奥にあるのですが、種子がいっせいに芽吹いた写真は、明治神宮の監修になる『明治神宮 祈りの森』(2010年、平凡社刊)などに掲載されています。この事実をモーリッシュさんが知ったら、さぞかし驚くことでしょう。ところが、ふしぎなことに、これらの実生(苗木)は1年ですべて枯死してしまうのです(栗田、2009年)。
したがって、天然更新という現象は起こらないため、現在のイチョウがいずれ枯死すると、明治神宮のイチョウは完全に姿を消してしまうわけです(それは、やはり外来種である、現在の優勢種のクスの場合も同じです)。ここに、人工林と、人手が多少なりとも加わるにしても基本的には自然の側に任せた林(二次林)との違いがあるのです(奥富、2014年)。しかし、その違いが起こる理由については、どう考えればよいのでしょうか。少なくとも、現在の科学知識で説明できないことは確かです。
エルトンさんは、1958 年に出版した自著『The Ecology of Invasions by Animals and Plants 侵略の生態学』(エルトン、1971年)の中で、この、外来植物は既存の植物社会に入り込めないという現象に注目しました。モーリッシュさんの経験からもわかるように、この種の現象自体は、かなり昔から知られていたようです(Watson, 1835, pp. 38-42. また、Chew & Hamilton, 2011;エルトン、1971 年、148-149 ページ参照)。エルトンさんは、この現象について、次のように述べています。
「 オドリコソウ Lamium album〔シソ科〕は道ばたや耕地のへりや荒れ地にはたくさん生えるが、しかしそこはいつも土着種の作る群集の外なのであって、タンスリー〔=タンズレー Arthur G. Tansley〕の『イギリスの植生』〔Vegetation of the British Islands〕の中でもあまりふれられていない。しかし原産地のコーカサスでは、これは、他の種とともに豊かな群集を構成する森林性の植物である。それがイングランドにあっては、森に入るものとはみとめられずに、もう何百年も経てきたのだ。(エルトン、1971 年、149 ページ。かぎ括弧内は引用者の補足) 」
エルトンさんは、この現象を “生態的抵抗 ecological resistance” と名づけました(Elton, 1958, p. 117)。既存の生態系(生物社会)が新参者の侵入に抵抗して起こす現象ということです。著名な植物生態学者である宮脇昭さんも、「外国から入ってくる新しい帰化植物は、その土地本来の、自然植生の発達している自然林内への侵入は不可能」(宮脇、1970 年、184 ページ)とまで明言し、それを、「森のシステム」の機能と考えたのです(宮脇,板橋,2000 年,139 ページ)。では、生態的抵抗にしても森のシステムにしても、その本質はどのようなものなのでしょうか。このように追及してゆくと、暗示という概念と同じで、それらは単なる名称にすぎないことがはっきりしてきます。
ところで、同じく外来植物であるニセアカシアがわが国に導入されたのは1873年なので、イチョウと比べるとはるかに新しいのですが、にもかかわらず、ニセアカシアは、川原や海岸などに広く自生するようになっていて、生態系を脅かす侵略的外来種と位置づけられるまでになっているのです。では、イチョウにも、かつて同じような問題が発生した時代があったのでしょうか。しかしながら、イチョウが導入されてまだ日の浅いヨーロッパを見る限り、そのようなことはないようです。
このように、同じ外来植物といっても、両者のありかたは全く異なっているわけです。したがって、その違いを説明する必要は確かにあるのですが、林や森の中に入り込むことがないという点では、両者は完全に共通しているのです[註12]。そして、この点が最も重要なのですが、その理由は依然として不明だということです。
ついでながら、もうひとつだけ重要なことにふれておくと、モーリッシュさんは、「植物というのはどれもみな(同じことは動物にもあてはまるが)、人間が育てるとやがて多かれ少なかれ変異しはじめる」という事実も認めています(モーリッシュ、2003 年、332 ページ)。これは、既に1858年にチャールズ・ダーウィンさんが『種の起源』の冒頭に明記しているように、昔から知られてきた観察事実でもあります。ダーウィンさんは、この事実をもとに、自然選択説という理論に基づく進化論を構築したのですが、自然界では変異が起こりにくいとすると、ダーウィンさんの論拠が崩れてしまう可能性が高そうです。
現代の正統派進化論者は、長大な時間をかけさえすればそれが実現されるはずだという楽観論に立っているわけですが、本当にそうなるかどうかは、実際には全くわかりません。要するに、人間を含めた生物はすべて偶然によって生まれたと考えているということですから、確率論的な観点からは、その可能性はかなり低いのではないでしょうか。ひとことで言えば、希望的観測にすぎないということです。換言すれば、現行の主流進化論は、そうした願望にひたすらすがりながら、そのことを全く自覚していないという重大な欠陥を内包していることになります。
もうひとつ、ダーウィンさんの着想で疑問になるのは、種としての新参者の侵入を許さない生物社会(今西さんの昆虫学教室時代の後輩に当たる小田柿進二さんの言葉では “複合社会”[註13])というものを考えた場合、同じく種社会も、個体として新参者の侵入を許さない可能性が高いでしょうから、個体の変異がはたして「社会的存在としての種」に到達することがあるのかどうかという問題です。今西さんもそうでしたが、小田柿さんも、個体は、その帰属社会である種から強い規制を受けているため、それは原則としてありえないと考えました(小田柿,1985 年,177-179ページ)。種が変化するためには、種社会全体の、いわば同意が必要だということです[註14]。
話を戻すと、こうした育種条件下での易変異性という現象は、その後も相変わらず観察され続けているわけですが、これについても科学的根拠に基づく説明ができているわけではありません。多くは、栄養状態を含めた環境の違いに起因するといった、説明のための説明に見えるものにすぎないようです。それと比べると、たとえば、「野生状態では必要とされずに隠されてきた能力が、飼育状態にある動物にはしばしば発現する」(Hurford, 2011, p. 482.傍点= 引用者)という説明のほうが、まだはるかにましなのではないでしょうか。この説明では、隠された能力はどこから来たのかという大問題が発生するという点で、まだ発展性がありますが、この説明にしても、客観的な根拠を欠いた推量の域を出るわけではないのです。
ことの重大性の認識がきわめて重要であること
本稿では、現実の世界の中で起こっている現象を虚心坦懐に観察して得られた所見と、現行の科学知識体系の間の断絶があまりに大きいことを、人間に先天的に内在する抵抗のために起こる現象として説明してきました。これは、もとより納得していただくためのものではなく、現時点では、私としてはそう考えるという以上のものではありませんが、反応という客観的指標を使って確認してきた範囲では、その可能性が高そうだということだけは、ここに明記しておきたいと思います。
本稿のテーマは、このように、両者の間に乖離を引き起こしている原因に、幸福否定にもとづく抵抗が関与しているのではないかということでしたが、それに関連して、最後にあらためて指摘しておきたいことがあります。この仮説の妥当性を検証するためには、何よりも自然界の中で起こっている現象を中立公正な立場から精密に観察する必要があることは言うまでもありませんが、その際に、既存の科学知識に依拠して、観察そのものを歪めてはならないということです。その誘惑に負けると、科学の作法に反することになってしまうからです。このような、言わずもがなのことを言わなければならないのは、こうした違反が、抵抗の強い領域ではごくふつうに、しかも平然と行なわれているからです。
ここで、もうひとつ肝心なことがあります。それは、既存の科学知識体系を無視してはならないということです。
このふたつの要請は矛盾しているように見えるかもしれませんが、そうではありません。既存の科学知識体系は、たとえそれが幸福否定の産物であり、現実の世界を説明する近似値にすぎないとしても、経験的に導き出されたものには違いなく、現実の世界の中でそれなりの実用性をもっています。そうした既存の科学知識体系を最初から無意味なものとして無視してしまうと、いわば足元が不安定になるため、その体系の変更を迫る現象の意味や重大性が、かえって不明瞭になってしまうのです。もっともらしいものになるとしても、どこか空想的な論考に成り下がってしまうということです。ベルクソンは、1913年5月にロンドンで行なった講演の最後に、この問題をとりあげ、その講演を次の言葉でしめくくっています。
「 直接精神のことに向かう科学が〔物理科学よりも先に〕存在したとすれば、どんなに進んでいても、不確実でばく然としたものだったことでしょう。おそらくその科学には、単にもっともらしいものと、決定的に受けいれるべきものとを区別することが、決してできなかったことでしょう。(ベルクソン、1965年、100ページ。かぎ括弧内は引用者の補足) 」
抵抗の結果として、数学や物理科学が先に興った(笠原、1995年、序論)のだとしても、それは順番としては適切だったということなのでしょう。物理科学の知識体系を築いたその方法論――厳密な観察と実験を中心にした科学的方法論――がなければ、心の客観的研究もできないでしょうし、現行の科学知識体系――私の考えでは、幸福否定に基づく抵抗の産物――をきちんと認めなければ、抵抗の大きさという “ことの重大性” が本当にはわからず、軽佻浮薄な考察しかできないでしょう[註15]。したがって、真理の探究など、とうていおぼつかないはずなのです。この点はとてつもなく重要なので、最後にそのことをあらためて強調しておきたいと思います。  

 

[註1]私は、人間の重要な特性を、修行のように、自らを苦しめることまでして進歩しようとするところにあると考えています。こうした性向は、精神分析のような快楽原則を基盤とする理論では説明できないことなのですが、ふしぎなのは、このような指摘がこれまでほとんど行なわれてこなかったことです。
[註2]「後戻りすることのない好転」と明言できるのは、単なる推定に基づくものではなく、少なくとも数年、長い場合には20年、30年の単位で観察、確認しているためです。
[註3]双方とも相手の実態どころか存在すら知らないため、そもそも対話が成立しないのですが、説得しようとする側は、それを、通常の説得力が足りないためと思い込んでしまうのです。これも、幸福否定の結果です。その状態で相手を説得しようとすると、相手が意識でわかるようにするために、相手に合わせて自分の主張を譲ることになり、その結果、幸福否定理論が抵抗の弱い方向へ変容してしまいます。幸福否定という現象がわからない相手に向かって説得するのは、比喩的に言えば、与野党連立政権で野党側が提出した法案を通過させたいあまり、与党側の主張をずるずる受け入れてしまうのと同じようなもので、理論がいわゆる骨抜きになってしまう可能性がきわめて高いということです。
[註4]この現象については、「振り込め詐欺の心理学――特に “オレオレ詐欺” について」で詳細に検討しているので、関心のある方はご覧ください。ちなみに、このページは、2012年3月に公開された後、やはりほとんど無視されたまま現在に至っているのですが、一度だけ、1日に3千回近く閲覧されたことがあるのです。それは、ふだんの全ページの総計閲覧数が 250 程度の頃です(現在は、100 前後にまで減少してしまっています)。他にこのようなことが起こったことは後にも先にもありません。ほぼ1日だけということを考えると、どこかのブログなどに紹介されたということではなく、何らかの関係者が、誰かの指示でいっせいに閲覧したのではないかと思われます。
[註5]このような主張は、主流派からすれば、逆に牽強付会な “解釈” と断定されてしまいます。しかし、ここでふたつのことを考える必要があります。ひとつは、心理的現象を対象にした場合、従来は “より適切な解釈” を探し求める以上のことはできるはずがないと、暗黙の裡に即断されていたわけですが、私の方法では、反応という客観的指標を使って、ひとつひとつの着想をいちいち確認しているということです。もうひとつは、新しい発見があるということは、それまでは真理が存在していても、人間の意識には隠されていたということです。
[註6]人間は、こうした弁別をきわめて的確にしているということです。そうした判断のもとに、幸福を否定する方向へ行動を起こすわけですから、キリストが「狭い門から入りなさい」(「マタイによる福音書」第7章13節)と忠言したように、幸福へ至る道は、多かれ少なかれ必ず苦痛を伴うものなのです。逆に言えば、いつもそうした選択をしていれば、絶えず成長を続けることができることになります。その仕組みを経験的に学びとり、「不断の精進」と言って実践している人たちも一部にいます。真の意味での修行者や一流のスポーツ選手などが、その実例に当たるでしょう。
[註7]生活保護を受けている方々の中にも、ギャンブルにのめり込んだり、朝から飲酒したりするという問題を抱えている人たちが少なからずいることは、私の経験からしても確かなようです。その大きな要因のひとつに、時間があり余っている(その結果として、時間を有効に使うためには、より強い主体性が要求される)という状況が考えられるように思います。そうなると、現在の生活保護のありかたが、構造的欠陥を内包していることがはっきりしてきます。この問題は、自立支援という観点から見ても非常に重要なので、機会をみて考察したいと思っています。 ついでながらふれておくと、それなりの収入が得られるようになったため、生活保護が打ち切られると、医療費や所得税や各種保険料などがかかるようになり、一挙に収入が激減してしまうという大問題もあります(私の心理療法を受けていた受給者が計算したところでは、医療費などを含めた実際の支給額は、名目支給額の2倍近くになっていたそうです)。現行の制度では、その点でも、生活保護から抜け出すのが非常に難しくなっているのです。
[註8]脳の異変以外に原因はないと断定する従来的な立場からすると、これはナンセンスな考えかたになります。しかしながら、医療関係者の間では、昔から「中治り(なかなおり)」(英語では、last rally)と呼ばれる現象のあることが知られています。これは、末期状態にある患者が、場合によっては長いあいだ意識のなかった患者が、消える直前に明るくなるロウソクの火のように、急に元気をとり戻し、ふつうに話したり飲食したりするようになる現象のことです。その後まもなく亡くなるのですが、現行の医学知識で説明できないのは、統合失調症やアルツハイマー病、重度の脳障害をもつ患者でも、同じような現象が観察されることです。欧米の医学雑誌には、250年も前から(特に、19世紀のドイツ語圏と英語圏で)そうした現象が散発的に報告されていたのですが、進化に関係する未解明の問題などに幅広い関心をもつ、フライブルクの樹木生物学者、ミヒャエル・ナームが、最近あらためて発掘し、terminal lucidity(終末期の明晰)と名づけたことから研究が始められました(Nahm, 2009; Nahm & Greyson, 2009; Nahm, Greyson, Kelly & Haraldsson, 2012)。ここでも、非専門家(しろうと)の視点がきわ立っていることがわかります。最近は、海馬こそ記憶の座などと断定されて、記憶についてはそれで決着がついたように考えられているようですが、そう簡単なものではないことが、これによってもわかるでしょう。近いうちに、それらの研究を簡単に紹介したいと思っています。
[註9]ついでながらふれておくと、最近は「歩きスマホ」という現象が社会問題になっています。それだけでも十分に危険なのですが、もっと危険なのは、子どもを自転車に乗せている母親が、スマートフォンを操作しながら片手運転をしていることです。私は、そうした場面を2回目撃したことがあります。一度は狭い歩道ですれ違う形になったものであり、もう一度は、片側一車線の直線道路で、かなりのスピードで走るそのうしろを、やはり自転車の私がしばらく追う形になったものです。私が見ていただけでも2,3分以上はあったでしょう。もちろん、車も走っていました。あまりに危険なので、注意しようと思ったのですが、スピードが速くて追いつけませんでした。むりをすれば追いつけましたが、それではかえって危険なのであきらめました。 ふたりの母親が、スマートフォンで何をしていたのかはわかりませんが、仮にそれが重要なことであったとしても、自転車を停めてからすればよいことです。実際には、ゲームではないにしても、友人と連絡をとりあう程度のことしかしていなかったのではないかと思います。いずれにせよこの状態では、不意の出来事が起こった場合、適切に対応することなどとてもできません。その時には、母親よりも、むしろ子どものほうが相当な危険にさらされることになります。死亡事故になったとしてもふしぎではないでしょう。何を優先しているかという側面から考えると、これも幼児虐待に近縁の行動ではないかと思います。そうとでも考えない限り理解できない行為だからです。いずれ大事故が起こって社会問題にでも発展しない限り、こうした行為をなくすのは難しいのではないでしょうか。
[註10]もう10年近く前のことですが、昼食をとるため、あるレストランに入った時のことです。私がペルザーさんの著書を席で読んでいると、初対面であるにもかかわらず。そこの店員が珍しく話しかけてきて、「その本、私も読んだんですけど、かわいそうですよね」と言ったのです。その時、初めて私は、ペルザーさんの意図が全く伝わらない人がいるという事実を知って非常に驚いたのでした。それがヒントになって、専門家も同じ読みかたをしているらしいことが、次第にわかるようになったわけです。これも、私にとって非常に貴重な体験でした。
[註11]恋愛感情と愛情はどのように違うのかとい問題に対しては、世間の関心は強いようです。現に、「恋愛感情」と「愛情」というキーワードをグーグルで検索すると、たくさんのページが表示されます。そして、「恋愛感情と愛情」というキーワードで検索すると、当サイトのページが2番目にランクされるのです。しばらく前まではトップだったのですが、にもかかわらず、このページをブログやツイッターなどに引用した人は、これまでのところひとりもいないようです。その一方で、SNSでは、常識的な推測をもとにした議論が、井戸端会議のようにそれがおもしろいのかもしれませんが、何の進展もないまま延々と続けられているのです。
[註12]ところが、きわめて興味深いことに、最近ではどうも様子が違ってきているようなのです。たとえば、東京近辺を例にとると、港区白金台にある国立科学博物館附属自然教育園の自然林内には、明治神宮と違ってかなり古い自然林であるにもかかわらず、国内由来外来種であるシュロや、中国原産の外来種であるトウネズミモチが、しばらく前から相当に入り込んでいるばかりか増殖を続けているという事実があるのです(たとえば、萩原、1977年;伊藤、藤原、2007年)。その点については、明治神宮の森も同じようです。それに対して、私が住んでいる神奈川県大和市にある「泉の森」という二次林では、まだ周辺部に入り込み始めた段階のようです。これは、野生動物の側が人間に接近してきたことも含めて、何か大きな変化が起こっていることを示す目印なのでしょうか。
[註13]同じ言葉を使っていても、今西さんの複合社会と小田柿さんの複合社会は、その構成員という点で全く違うものです。関心のある方は、小田柿さんの名著『文明の中の生物社会』(1985年、NHKブックス)を参照してください。
[註14]このあたりは、論理が飛躍して見えてしまうので、関心のある方は、小田柿進二著『文明の中の生物社会』(1985年、NHKブックス)を参照してください。また、今西さんの第二期の一番弟子であった伊谷純一郎さんの同級生でもあり、国際発生生物学会会長も務めたこともある岡田節人(ときんど)さんの “細胞社会” による規制についての記述(岡田、1983年、40-41ページ)も参照してください。岡田さんはそこで、細胞社会では、個々の細胞の「潜在能力がでたらめに発揮されないような制約が働いている」と述べています。
[註15]イアン・スティーヴンソン先生は、1989年にロンドンの心霊研究協会で行なった会長講演の中で、近年、大きな心霊現象が起こらなくなったのは、科学知識が進展し、哲学的な意味での唯物論が確たる地位を占めた結果なのではないかと述べています(Stevenson, 1990, p. 149)。唯物論的な科学知識体系が盲信(というよりは妄信)されるようになるにつれて、超常的なものに対する抵抗が強まり、出現率が激減するに至ったのではないかという意味ですから、この発言も、この推定の裏づけになるでしょう。
 
成績と投票数の乖離が大きいセリーグ
  オールスター中間発表に見る“迷い”。 2015

 

オールスターゲームのファン投票は、極端なことを言ってしまえば人気投票のようなもので、実力を確実に反映しているとは言えない。6月22日に発表されたファン投票の中間発表最終回を見てもそう思う。
セ・リーグ三塁手の1、2位はバルディリス(DeNA)、梵英心(広島)だが、バルディリスの打撃成績は16位(打率.260)、梵は規定打席未到達で打率.274という中途半端な成績だ。ここは打率.326で打撃成績2位の川端慎吾(ヤクルト)が1位で選出されるのが普通の感覚だと思う。
二塁手部門に目を移すと1、2位にいるのは菊池涼介(広島)と片岡治大(巨人)である。菊池は打撃成績14位(打率.267)、片岡にいたっては規定打席未到達で打率.233という低空飛行ぶりで、打撃成績7位(打率.295)の山田哲人(ヤクルト)が後塵を拝するのは納得できない。
外野手部門でも打率.242の丸佳浩(広島)が2位に居座り、打率.302の平田良介(中日)が4位に甘んじている。遊撃手は打率.258の鳥谷敬(阪神)と打率.292の田中広輔(広島)が激しいつば競り合いを演じ、捕手部門では原辰徳・巨人監督が「捕手復帰は99パーセントない」と断言した阿部慎之助(規定打席未到達)が、広島の會澤翼に肉薄する2位につけている現状も首をかしげざるを得ない。
ファン投票が知名度のある選手に集まるのは毎年恒例。
パ・リーグにも似たような投票はあって、遊撃手部門を独走するソフトバンク・今宮健太は守備が天下一品と言っても打率.200は低すぎる。ここは日本ハムのチャンスメーカーとして活躍する中島卓也(打率.287、打撃成績12位)の選出が順当だし、外野部門3位のオリックス・糸井嘉男(打率.236、打撃成績26位)がソフトバンク・内川聖一(打率.310、打撃成績8位)の上にいるのも違和感がある。
こういう現状は毎年のことで、目くじらを立てるほうが大人げないのだろう。プロ野球の現状に精通していないファンが知名度の高い人気選手に1票を投じるのは、コアな野球ファンになるための第一歩かもしれない。交流戦に入るまでセ・リーグの首位をひた走ったDeNAや、球場を真っ赤に染めるほどの人気を獲得している広島の選手が実力以上の票を得るのは、野球がエンターテイメントとして成り立っている以上、受け入れなければならない現実である。
DeNAと広島の観客動員の伸び率が凄い。
むしろ、最終中間発表で1位に1人しか選出されなかった巨人(中継ぎ投手部門=山口鉄也)、阪神(遊撃手部門=鳥谷)や、1人も選出されなかった中日、ヤクルト、ロッテが危機感を持たなければいけないのだろう。
ヤクルト野手陣は川端、山田以外でも、18本塁打、48打点で二冠トップに君臨する畠山和洋が一塁手部門で4位に甘んじている。畠山は個性的な風貌と打撃フォームで人気者になる要素を備えているが、“何となく人気がない”チームの現状に足を引っ張られている。
中日も、チームの不振が選手の人気に影を落としている。外野手の平田以外でも、先発部門の大野雄大はリーグトップの7勝を挙げながらファン投票は4位、現在首位打者のルナにいたっては三塁手で5位の得票にとどまっている。
巨人、中日、阪神、ヤクルトといえば'90年以降の過去25年間、セ・リーグの上位に君臨してきた球団である。それが今年に限っては、広島、DeNAにファン投票で後れを取っている。
6月16日現在のセ・リーグ観客動員の1試合平均は1位巨人4万1520人、2位阪神3万9150人、3位広島2万9212人、4位中日2万7857人、5位DeNA2万4670人、6位ヤクルト1万9645人と上位に伝統球団が並んでいるが、前年比の伸びはDeNAの+27パーセント、広島の+19.2パーセントが圧倒的である(3番目に高いのは+3.9パーセントのヤクルト)。セ・リーグに人気逆転の波がひたひたと押し寄せてきているようではないか。
巨人、阪神は若手の野手が育っていない?
DeNA、広島と巨人、阪神をくらべてわかるのは、野手陣の顔ぶれの違いだ。DeNAは筒香嘉智、梶谷隆幸という活きのいい若手がチームを引っ張り、広島は今季不調だが、菊池、丸がリーグを代表するチャンスメーカーになっている。
それに対して巨人、阪神のレギュラー野手には年齢的な若さも活きのよさもない。巨人はこれまでチームを引っ張ってきた阿部、村田修一、高橋由伸が明らかに後退期に入り、脂が乗っているはずの中堅、長野久義、坂本勇人には覇気が感じられない。
阪神はさらに厳しい。チーム打率.232はリーグ最下位である。野手は毎日試合に出場することが可能なポジションで、投手以上に球団の人気度を左右すると言われている。それが打撃成績には福留孝介、ゴメス、鳥谷、マートンが17〜20位、上本博紀が22位とベテラン・中堅が下位に名をつらねている。チーム順位が2位と言っても、交流戦でセが44勝61敗と大負けした中で唯一10勝8敗と2つ勝ち越したことによる順位の繰り上がりで、チームとしての勢いがあるとはいい難い。
DeNA梶谷「パ・リーグの投手のほうが球が速かった」
話をオールスターのファン投票に戻すと、最終中間発表でセがパ以上に納得のできない結果になったのは、ファンに迷いがあったからではないのか。捕手部門は知名度の高い阿部、谷繁元信(中日)が2、3位、一塁手部門は新井貴浩(広島)、井端弘和(巨人)が1、2位を占めている。成績上位でも名前を聞いたことがない若手より、知名度の高いベテラン選手に投票して球宴を楽しみたい――つまりセ・リーグの現状に“妥協”した結果と言えないだろうか。
最近話を聞く機会があったDeNAの梶谷にセとパの違いを聞くと「パ・リーグの投手のほうが球の速いピッチャーが多かった」と断言した。
また、好球必打の姿勢にもパとセの差はある。私は5月中旬以降、ストライクを見逃すことが少ないチームの勝率が高い、という仮説をもとに試合を見ている。それによるとプロは5勝2敗(.714)、アマは29勝12敗(.707)と見逃しの少ないチームの勝率が圧倒的に高い。私が見た交流戦6試合ではパの好球必打ぶりが目立ち、この傾向を西武の中村剛也に聞くと、「それはあるかもしれないですね」と話してくれた。
セの野球は「緻密」か「地味」か。
投手のボールの速さも打者の好球必打も、ファン(観客、TVの視聴者)が簡単に見分けることのできる価値基準である。そういう野球のわかりやすさで、パはセの上を行っている。セの野球は緻密と言われるが、「緻密」という評価は勝ってこそ初めて価値の出るもので、パに交流戦、日本シリーズで負けることの多い現状では、「地味」とか「暗い」というネガティブなイメージに直結してしまう。オールスター最終中間発表の首をかしげる投票結果は、ファンのセ・リーグに対する迷いを表していると言っていいと思う。
今年のオールスターゲームは7月17日が東京ドーム、18日が広島の本拠地、MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島で開催される。ここでセ・リーグには交流戦で大敗した悔しさをぶつけてほしい。
 
子供の「心の成長」のために
  規範意識や情操の涵養と学校規律の確立

 

子供たちが、社会のルールを守り、家族を愛し、弱い者をいたわる気持ちを持ち、相手の立場になって考えることができるなど「心の成長」を遂げていくためには、学校のみならず、家庭、地域の企業や行政といった子供を取り巻くステークホルダーが一致協力して行動するとともに、経済・産業界やマスコミを含めた社会全体が、自らの活動の子供に与える影響を深く再考し、我が国の未来を託す人間性豊かな人材を育てるべく取り組んでいくことが極めて重要である。
また、子供たちがこのような成長を遂げていく場である「学校」においては、読書や芸術・文化の学習、奉仕活動や体験活動などを通じて規律・規範意識の確立を図るべきである。そして、人間としての感性や想像力を養い、信頼関係を築く力なども育むようにすべきである。
一方、地域社会の関係性の希薄化が叫ばれる現在、地域の将来を担う子供たちが集う学校を中心にした地域(コミュニティー)の再生を図り、社会全体で子供の「知・徳・体」向上のための環境づくりを進める必要がある。そのためには、企業としても働き方を見直し、ワーク・ライフ・バランスの取り組みを推進することも必要ではないか。
これらのことが十分でない現状を早急に改めるため、第一次報告に向けて、以下のような具体的検討を行う必要があると考える。
1 物語の読書や風土・歴史・伝統などの学習の充実により徳目を身に付けさせる
子供たちには、社会や他人への奉仕の精神、愛、優しさ、友情、勇気、親孝行、尊敬、誠実さ、嘘をついてはいけない、「挨拶」や「時間を守る」、などの徳目を身に付けさせる必要がある。学校において、例えば次のような場で、これらの徳目を子供たちに身に付けさせる。家庭でもこのような取組みを進める。
(具体策)
【読書や学習を通じて会得する徳目】
1 読書を通じて、社会や他人への奉仕の精神、愛、優しさ、友情、勇気、親孝行などを会得させる。
2 地域に伝えられる神話・おとぎ話や、古きよき伝統や言い伝えを歌った童謡などを教えることを通じて、子供たちの情操や、国・地域の伝統を尊重する心を養う。
3 郷土の偉人や古の賢人の言葉に直接触れる機会を学校教育の中に組み込むことで、生徒の意識を高める。
【理由なしに教え込む徳目】
4 嘘をついてはいけないという善悪の判断など。
【日々の習慣を通じて会得する徳目】
5 「挨拶」や「時間を守る」ことなど。
2 自然体験活動、ボランティア活動等を通じて規範意識を育てる
「五感」を通じた体験の不足から,子供たちの感性の育ちが阻まれている。人間は,自然体験の中で,命の大切さ,自然への畏怖・謙虚さを培ってきた。また,社会体験を通して,他人と共存するためのルール,思いやり,困難に立ち向かう忍耐,さらには,親への恩,感謝,働くことの尊さを学んできた。学校を中心に、家庭・地域とも連携し、子供たちに感動を与える自然体験,ボランティア体験等の社会体験活動の機会を充実し,次代を担う子供たちの規範意識を醸成する。
(具体策)
1 自然体験活動を充実する。
・小学校や中学校の生徒に、親元を離れて農家で寝泊りして農村体験をすることで子供の心を生き生きと輝かせる。
・学校教育活動で山間部,臨海部での宿泊自然体験活動を行うなど,子供たちが自然と触れ合う機会の充実を図る
2 清掃活動を振興する。
・「門掃き」など,自宅前,学校周辺の清掃活動を家庭,学校で行い,子供たちに美化意識を培う。
・教職員等が,子供たちや親・地域に参加を呼びかけ,共同で学校の便所掃除を行うことにより,子供たちに感謝の心,謙虚な心を培うとともに学校を核としたコミュニティーづくりを行う。
3 経済教育プログラムを導入して,働くことの意味,消費者としてのルールを培う〜学びと実社会との乖離を解消する
・小学校高学年や中学生が社会や経済の仕組みを学ぶ体験型学習等を実施し、働くことの意味、消費者としてのルールを学ぶ機会を設ける。
4 青年海外協力隊員に、帰国後、学校でその体験を還元させることにより、少年・少女に開発途上国の実情やボランティアの重要性を教える。
5 ボーイスカウト・ガールスカウトを初めとする青少年活動・育成団体との連携を深める。
3 芸術・文化活動やスポーツ活動を通じて、子供の心を豊かにする
芸術・文化活動やスポーツ活動を通じて、子供の心を豊かで健やかなものとする。
(具体策)
1音楽活動を通じた教育
「コーラスの指導」をするのが良い。コーラスを学ぶ、ということは「ハーモニーを学ぶ」ことである。ハーモニーを教わることで、子供たちには自ずから「調和」に対する意識が出てくる。コーラスにおいては、それぞれのパートが他のパートを意識しながら、正確な音程を取ることによって、ひとつの音楽として成立する。子供たちの調和感覚養成についても高い効果が得られる。
また、コーラス曲の中には「自然の美しさ」「魂の美しさ」「愛情の深さ」などのテーマが歌いこまれた歌詞の曲が多くある。名曲の中から、このような曲を選び出して教えることによって、子供たちの心にモラル教育を行うことにもなる。
2絵画を通じた教育
自然の中に行って写生することを重点的な課題にするのが良い。写生をすることによって、自然に親しむ。自然の美しさに触れ、それを描く作業は、子供たちの感受性育成に大きな効果をもたらす。「放課後子どもプラン」と連携すれば、さらに充実することができる。
3体育の中で例えば次のような活動を行う。
○30人31脚
スタート時の目の輝きとみなぎる集中力は、心が100%無になっている。特になにも用意しなくても、誰でも何人でもできる。全員が心を一つにしないと前に進まないことから、助け合い、人とあわせて協力しあうことを学ぶことができる。
こういう競技を通して勝負させるべきである。勝つという目標があるからこそ、力を合わせ、頑張る。人は必死に頑張って頑張りぬいて、自分の限界に達することができたとき、「無」の状態になり、自然に「生きている」実感を喜び、周りへの感謝というのがあふれてくる。
目標を持たせ、すべてを注いで必死にさせる。たとえ勝てなくても、頑張った経過の大切さと喜びを学んでくれるに違いない。
また、大縄跳びなど、クラス全員で取り組める競技も大切である。
○ノルディックウォーキング
ストックを持って歩くため、全身運動になり、背筋も伸びできる。
背筋を伸ばすことで心も1 本筋が通り、シャンとなる。ストックを使うことでスピードアップし、爽快感も得られ、また、歩くのに対し早いので、ただダラダラ歩くよりも風の息吹を感じられる。
4 学校の規律を乱した子供に対してルールを守ることの大切さを教える
(具体策)
1 問題行動や反社会的な行動をとる子供には、排斥したり、締め出したりするのではなく、関係する保護者や地域の住民など協力者も入れて、充分に話し合い、理解したうえで、指導を行う。
2 問題行動や反社会的な行動をとる子供に対する指導・懲戒の基準を明確にし、明文で子供にも提示し、理解させる。指導にかかわらず、違反を繰り返す子供に対しては、規律を確保するため、社会奉仕、個別指導や別室での教育などを行う。この点については、学校長がリーダーシップを発揮してマネジメントしていく。また、子供に対する教員や学校の指導や懲戒について厳しく制限している法務庁通知の見直しも検討する。
3 上記のような指導や懲戒にも関わらず違反を繰り返し、学校における指導や懲戒では他の子供の教育環境を守ることができないような問題行動や反社会的な行動をとる子供に対しては、出席停止を含め、厳しい対応をとる。またこれらの子供の教育に対しては、関係機関が協力してサポート体制をとるなど、適切な対応を行う。
※なお、LD、ADHDやアスペルガー症候群等の子供などの行動は、問題行動や反社会的行動と誤解されることが多く、上記の対応の際には、個々の行動の背景に十分留意することが必要。
4 学校教育において、権利に対する国民としての義務や責任(納税の義務等)、自由で公正な社会の担い手としての意識、社会におけるルールを守ることの大切さを教える。
5 「家族の日」について
例えば、「正月」と「盆」、及び春秋の「彼岸」を活用し、年4回の「家族の日」を設定する。4回の祭事の日には、国民的に影響のある人々や国民的知名度が高い人々が各自の家族とともに率先して「家族の日」の範を示す。
このような「家族の日」を作ることにより、両親、子供、親族をはじめ、自分の周りにいる多くの人に感謝の気持ちを表す。
「家族の日」は、何らかの文化、伝統、生活習慣に根ざす既存のものに立脚するのがよい。家族に関わる伝統的な祭事は今日でも少なくない。家族が集まり先祖の霊を迎えて思いを交わし、一族の平安と繁栄を祈念する正月や盆はその典型であり、仏事としての春秋の「彼岸」も同様である。子供に関わるものとしては、「桃の節句」や「端午の節句」が、また近年「母の日」、「父の日」なども加わってきている。これらをインフラとして活用して、伝統的行事への「追加的な意味付与」、あるいは「本来の意義の再確認」という形で、「新たな使命」を付加的に加える。
また、このような「家族の日」とともに、両親、子供、祖父母や親類まで含めた広い意味での「家族」が集い、かけがいのない子や孫の成長を喜び、また、かけがえのない家族の暖かさやありがたさを知り、さらに、子育てや介護などに関する「知恵」の共有を図り、家族の絆を深めることを狙いとする「家族の日」を設定する。
(具体策)
1 家族を考えるイベントを開催する。
2 様々なメディアを通じて、「家族」の絆の重要性をアピールする。
3 経済・産業界の協力により、前後1週間の残業ゼロを徹底し、家族そろって夕食を食べることを呼びかける。
家族そろって楽しめる文化、スポーツイベントなどの情報を収集・提供する。
6 食育について国民運動を展開する
食育の重要性を広く周知徹底し、生活習慣の改善を図る。
(具体策)
1 早寝早起き朝ごはん運動を国民運動として官公庁・企業などの協力を得てさらに徹底する。
2 「いただきます。ごちそうさま。」といった基本的な挨拶を学校・家庭を問わず必ず実施するようにする。
3 学校給食について地産地消を進め、身近な食への関心を高める。
7 ワーク・ライフ・バランスの取組を進める
まず、前提として、社会全体で「子供は社会の宝である」という共通認識をもって、「どのような社会を目指すのか」「人生をどのように考えるのか」「働くということは」「企業のあるべき姿は」といった根源的なことについて国民一人ひとりが考えていく必要がある。
これからの企業は、生産性を高めると同時に地域や社会に貢献できる、多様かつ柔軟な働き方を見出していかなければならない。
その観点から、「ワーク・ライフ・バランス」(仕事と家庭・個人の生活の両立)の実現は、個人の問題のみならず企業にとっての責務でもあり、家庭での育児・保育・教育なども充足される働き方を工夫すべきである。それは、企業にとっても優秀な人材の確保や時間管理能力の向上、愛社精神の定着など多くのメリットをもたらすものである。
具体的な行動としては、経済的支援や働き方改革、国民運動による意識改革が不可欠である。学校を中心とする地域コミュニティーを構築し、地域社会のみんなで教育をサポートできるようにしなければならない。
その意味においても、企業は経済界としての取り組みの意思表示として、保育・育児・教育に対する支援だけでなく、社員の「仕事人間」的な働き方を見直し、積極的に地域活動、社会活動に参加できるような仕組みを確立してバックアップしていくべきである。
国民一人ひとりが参画し、地域と社会全体で子供の成長を支援する、という国民運動の広がりを、企業としても後押ししていく必要がある。
(具体策)
1ワーク・ライフ・バランスの実現のためには、トップの率先垂範が重要。「教育休暇制度」など制度の創設に加えて、「運用」を促すための取り組みが必要。
2企業や自治体等からワーク・ライフ・バランスの好事例を継続的に集め、発信していく(どこが主体となって行っていくか)
3企業や自治体等にワーク・ライフ・バランスの専用窓口を設け、制度の利用希望者の相談を受け付ける。都市と地方、大企業と中小企業に差が生じないよう、行政が後押しする。
8 有害情報から子供を守り、健やかな人格形成を図る
携帯電話のフィルタリングの促進等の有害情報対策を強力に推進したり、国民が子供に悪影響を与える番組を通報できる手段を積極的に活用する。
(具体策)
1学校の有する全てのパソコンはもちろん、家庭のパソコンについても、子供が使用することを想定して、有害情報にアクセスできないようフィルタリングを容易にかける初期設定とする。
2子供の健全な育成を妨げる恐れのある情報・番組について、業界の自主的な規制のみに任せず、家庭自身これらの情報・番組に子供が接しないようチェックする。
3子供に悪影響を与える番組を通報する窓口組織を広く国民に周知し、積極的な活用を図る。
今後の課題については、これまでの審議を踏まえた議論を更に深める。また、次のような論点についても、今後検討する。
1. 子供の「心の成長」のために、次のような点についても取り組むことを今後検討する。
「ふるさと学」(仮称)を地域ぐるみでおこすことを検討する。
子供が、生まれた地、育った地、現に生活している地に、愛着をもち、誇りをもつことは、その地域の人々が子供に注いだ地域の誇りと愛情の反映である。地域についての誇りや愛着は、その地域の風土・伝統・文化・産業などの知識に裏打ちされなければならない。地域のよさを地域住民が知っていることが、子供に注ぐ愛情を確かなものにする。
そのために「ふるさと学」(仮称)を地域ぐるみでおこす。
また、将来的には、学寮制的な学校の創設も検討してみる。ここでは、学期外と週末をのぞき、教師と学生とが学期中は生活をともにする学寮制の構築を検討する。
テレビ、テレビゲーム、メール、携帯電話の使用を制限し、人間同士の触れ合いにより社会性を養う。
2. 問題をおこす子供への対応に関連して、次のような点についても取り組むことを検討する
(1) 生徒に対して、ルールを守ることの大切さを教えるため、
ア. 科学的根拠のある予防的なプログラムの導入
イ. 規範意識は集団の健全な活動から醸成されるということを共通理解にし、安全で安心で公平で公正なクラス集団をマネジメントするため、子供の発達を視野に入れた科学的な根拠のあるマネジメント方法の導入
ウ. 自己理解とセルフ・エスティームを育てるための指導方法の導入
(2) 生徒にルールを教えるため、エビデンスのあるコンフリクト・レゾリューション、アンガーマネジメント・トレーニング、対人関係能力、コミュニケーションスキルなどといったプログラムの導入。
 
心の答えが聞けない処が「本来の自分」と「偽りの自分」の乖離ポイント

 

ワークショップ参加者の方からメールでこんな質問をいただきました。

心は、核心をついた質問にはめっちゃ答えにくそうにしますが、そういうものですか?
自分が嫌な感じの(邪魔されている)質問には、心のガードが硬くて聞こえないし教えてくれない。
簡単なことはメチャメチャ早いのに、自分が聞くのが怖い質問には答えにつながらず、答えを得ても不安感があり、本当に無意識に繋がっているのか疑ってしまいます。
まるで、自分が答えが分からないから答えられないように思ってしまいます。
ほんとうに無意識に繋がってるのかな〜って首をかしげます。
すべては悩ネットワークからの邪魔なんでしょうか?
自分でも難しい質問には邪魔も大いにあるようなものですか?

とのことです〜! おーこの感じ、ちゃんと聞けている人ならではの疑問ですね。
核心を突いた質問とは?
この「核心を突く」という言葉は非常に言い得て妙です。つまり、そのことについて、本当のことを知ったら「自由になってしまう」という質問なんですね。
それがわかっているから、「核心を突いた質問」という言葉になるし、聞きにくい、ということなんです。
このコミュニケーションを通じて、この人は自由へ近づく、と心がわかっている時、私たちはそこに自動的にストップをかけるように条件づけられています。(これも邪魔です)
たとえば、直接的に自分のことじゃない質問だったとしても、自分に答えられない質問を心がスムーズに返してくれたら「心ってすごい!心を信じて生きていこう!」と思っちゃいますよね。そうするとその人は支配者じゃなくて心を信じて生きて行くことになっちゃうので、邪魔が入りやすいと推測されます。(推測なので心に各自で聞いてみてください)
「ちょっとまって、聞きたくない。」「答えがわからないんだから聞けるはずない。」「返事がないけどこれは邪魔じゃない感じがする。」こんな感じかな?
心にはガードというものはありません
ガードが硬い人っていうのがいますけど、あれは自分を守ろうとしているんですよね。
心には、それはないんです。
なぜなら心には善・悪も敵・味方もないからです。そこにあるのは「すべて」なので、「何か」から身を守る必要がないんです。
心は、常に開かれています。
閉じたり開いたりするわけじゃなんですね。心にきいてみてください。「心よ!心が私に対して、閉じたり開いたりすることはあるの?」と。(ちなみに私の心は「いつでも、あなたを助ける。」と返してくれました。)
無意識とは、つねに一体なんです。
でも、ガードが硬い感じがするときありますよね。
なんで、ガードが硬い感じがするのか?それは心とのつながりの間に邪魔があるからです。
そうなんです、やっぱり邪魔なんです。
これらは脳のネットワークから流し込まれている
質問文にあったこのような言葉が象徴的です。
• 答えを得ても不安感がある
• 本当に無意識に繋がっているのか疑ってしまう
• 自分が答えが分からないから答えられないように思ってしまう(≒答えてるのは心じゃなくて自作自演だ)
• ほんとうに無意識に繋がってるのかな〜って首をかしげます。
このあたりの「思考」が全部、邪魔です。
答えを得ても不安感がある時は、安心するまで心に助けを求めてみてください。
• 心よ、先ほどの答えは本当に心ですか?
• 心よ、この不安感は私ものなんですか?
• 心よ、この不安感はどこからくる何なんですか?
• 心よ、私は今本当に無意識とつながっていますか?
• 心よ、私には分からない!という気持ちはどこから来ますか?
そして、何度でもこのやりとりを繰り返します。
• 心よ、私と心の間に邪魔がありますか?
• 心よその邪魔を排除してください。
それを続けていくと、「あれ〜不安じゃない!」となることでしょう。
面倒ですよね
その面倒くささが、自由へのハードルです。邪魔は「え〜面倒臭い…」と思って心とのやりとりを放棄させることが目的です。つまり、邪魔が入る時ほど、心とのやりとりを「してほしくない」時です。
逆に言えば邪魔が入るところほど、心がつながりを欲しているところ。(なおさら、ガードが固くなることなんて、ありえない!) そこが「本来の自分」と「意識の自分・偽りの自分」の乖離ポイントなんです。
だから必死に邪魔してくるわけなんですね。あなたに「やりたくないことをさせる」ための、暗示が解けてしまうからです。
でもどうしても面倒なんだけど!
だったらもちろん聞かなくてもいいです!
簡単なことを心にきくと、答えがめちゃめちゃ早いなら、簡単なやりとりだけをずーっと続けていても構いません!
心は無理強いをしません。
「自由になりたいなら私に聞きなさい!」と心に命令されることはないんです。私が心に何か無理強いをされたことは、一度たりともありません。
なぜなら、心には「あれはオッケー、これはダメ」というのが存在しないから。意識では「悩んじゃだめ」「間違っちゃダメ」「つねに良くあらねば」と思って生きてきた。けれど、心(本来の自分)には、そんなタブーは存在しないのです。
でも自由になりたいから、心に聞きたい!
そうですよね!その気持ちもすっごくわかります。そのために、個人セッションがあるんです!
「核心を突いた質問」を、腰を据えて一緒に聞く。本当に聞きたかったこと、本当に解放されたいことについて、聞くのです。それがあなたの「悩み」や「気になること」という形を取っているから。
普段1人で聞こうとしても、うまくキャッチできないことが、みなさん、するりんと、聞けます。
邪魔が入っても、一緒に根気強く取り除きますし、私とやると、するりと邪魔が取れることが多いです。
私の心も一緒に教えてくるから、聞けなくても私から、それをお伝えします。
やはり、たとえば恋愛のこととか、家族のこと仕事のこと、「そこが聞きたいんだよ!」ってことほど、主観や邪魔や、意識での願望が強すぎて、うまく聞けないことが多いんですね。
でも、それに向き合うためにとった時間で、一緒に深く心とつながっていくと、本当に不思議なくらい、思ってもみなかった方向に、心が導いてくれます。ぜひ体験してみてください。
心に聞き続けてみて…
とにかく、難しく考えなくてかまわないんです。軽い気持ちで、お遊び感覚でかまわないんです。
そうすると、いつのまにか心が、あなたに新しい世界を見せてくれます。本当に「心にきく」は、おすすめで〜す。
 
眞子さま結婚延期めぐる新聞・テレビと週刊誌報道の乖離 2018

 

異常としか思えないのが、眞子さま結婚延期をめぐる報道だ。新聞・テレビと週刊誌報道が著しく乖離しているのだ。そもそも新聞・テレビは2月6日の宮内庁会見以降、その公式発表以上の報道を行っていない。宮内庁発表以上のことはほとんど報じないというこのあり方も疑問なのだが、その一方で週刊誌報道はますますエスカレートしている。もはや結婚延期どころか、破談へ向けて着々と事態は動いているという報道だ。皇室報道が歪であることは以前から指摘されてきたが、今回はまさにそうだ。
この問題については、私は既に記事を2本書いているが、その後の経過も書いておこう。
『女性自身』2月27日号「結婚延期の真相と宮内庁の大失態!」では匿名の宮内庁関係者が「実は今回の決定は宮内庁では“破談の序曲”として認識されているのです」と語っている。
また『週刊女性』2月27日号「『結婚延期』の文言に隠された“本当の意味”!」では匿名の宮内庁幹部がこう証言している。「当初、おふたりの結婚は“無期延期になる”と聞いていたので、期限つきの延期という発表に驚きました。再来年としたのは、小室さん側に対する配慮を含めた表現だったのだと思います。
そもそも、陛下の“了承”が出ている事案を、皇室側から覆すのは好ましくありません。“無期延期”や“破棄”という言葉も非常に強い表現なので、小室さん側からの“辞退”を待つかたちでいったん、2年後に結婚するという発表にしたのではないでしょうか」 『週刊新潮』2月22日号「眞子さまサヨナラの胸の内」も「裏では“ご破算”へのシナリオがひそかに、かつ着実に進行しつつある」とリードに書いている。ここでも匿名の関係者が「宮内庁側としては、小室さん側から辞退を申し出てくれる方向に持っていくのが理想ですが」と述べた後、そうならない場合は弁護士を入れた話しあいになる可能性もあると指摘している。
個々の記事の真偽は不明だが、年末から週刊誌で続いた小室家の内情についての報道は、秋篠宮家や周辺皇族に予想以上に深刻に受け止められたらしい。一方、ネタ元となった小室圭さんの母親の元婚約者男性はその後、あちこちの週刊誌の取材に応じて、いまだに「ご結婚延期は私の生活には無関係で、ただお金を返してほしい」と語っているという。記事では男性の関係者の証言などと書かれているのだが、これは情報源秘匿のための手法だろう。
○エスカレートする一方の週刊誌報道
その後も週刊誌報道はやむことなく続いている。しかも『週刊新潮』3月1日号など、「延期とは名ばかりの穏やかな破談に向けて台本が綴られ始めた」などと、もう破談は確定的という書き方だ。
記事中にはこんな具体的な記述もある。
「宮内庁は婚約解消に向けたシナリオを着々と進めているところだ。『喫緊のテーマは、発表の『Xデー』はいつかということ。取り沙汰されているのは11月30日、秋篠宮殿下の誕生日会見のタイミングです』」
破談説もこれだけ報じられると、どうも単なる憶測ではなさそうだと受け止められつつある。例えば『週刊文春』3月1日号のコラムで林真理子さんは「このままだと眞子さまが泣くことになる。そのことだけは避けてほしい」と書いている。
不思議なのは、バッシングを受けている小室家側からの情報がほとんど出てこないことだ。
わずかに『週刊新潮』3月1日号には小室家の親族という匿名の証言がこう書かれている。「延期が発表された後、圭君から電話をもらいまして、“報道されているようなことではないんです”と話していました。要するに、破談ではない、少なくとも当人2人は結婚する気満々だ……そう伝えたかったのだと思います」
逆風の中で、週刊誌の報じるような破談になるのを避ける方途があるとしたら、それは当事者2人の愛情しかないのは確かだが、『女性セブン』3月8日号に宮内庁関係者のこんな証言が載っている。
「それでも眞子さまの“小室さんと一緒になりたい”という思いは揺らいではいないそうです」
しかし同じ記事に「小室さんと眞子さまのウエディングロードは白紙状態に戻ったといいます」という別の宮内庁関係者の証言も載っている。
○問題は当事者2人の意思がどうなのかだ
『週刊現代』3月10日号は「『私、絶対に結婚するから!』一途な眞子さまに秋篠宮夫妻が下した決断」では、匿名の関係者が「『結婚を考え直す』という考えは、眞子さまにはまったくない」と語っている。そしてこの記事では、そういう眞子さまの一途な信念に、秋篠宮夫妻も結婚を認める方向に変わってきている、と書かれている。
ちなみにもうひとつ気になるのは、小室圭さんの母親の元婚約者が週刊誌に次々と小室母子の個人情報を流出させていることだ。この『週刊現代』では圭さんからのプライベートなメールや写真を公開している。この男性のやっていることもちょっと限度を超えているような気がしないでもない。
今回の一連の騒動が異様なのは、前述したように、新聞・テレビと週刊誌の報道が極端に乖離していることだ。週刊誌をあまり読まない人は、宮内庁が発表した通りに、結婚は延期されただけで決して破談ではないと思いこんでいるに違いない。そして週刊誌をよく読んでいる人は、これだけ破談説があふれていれば、それを信じないわけにはいかないだろう。
この歪な構造は、皇室報道をめぐっては実はよくあることではある。新聞・テレビは基本的に宮内庁発表しか報じない。「菊のカーテン」という言葉があるように、発表以外の情報は宮内庁は基本的に話さない。情報公開という点から言えば、極端に遅れた役所なのだ。発表された以外の情報を新聞などは基本的に書かないのだが、それゆえに裏の情報が週刊誌などに流れることになる。
今回の報道で驚くのは匿名の宮内庁関係者のコメントが週刊誌にあふれていることだ。そのコメントがどのくらい正確なのかはわからないが、「菊のカーテン」の隙間から情報が洩れること自体は悪いことではない。新聞・テレビが公式発表しか報じない状況では、それは貴重なことかもしれない。
ただ気になるのは、そうやって漏れている匿名コメントの大半が、これは実質上破談なのだという見解だ。気になるというのは、それらが破談を既成事実化していくことに明らかに寄与している印象を受けることだ。何やら意図的なリークが行われている印象さえ感じられる。
○あまりにも歪な一連の皇室報道
それにしてもこの皇室報道のあまりにも歪な構造は、もう少し何とかならないものかと思う。
もちろん皇室報道が歪んでいるのは、皇室という存在そのものが矛盾を抱えていることの現れだろう。「開かれた皇室」という言葉がよく語られるが、時代の流れに沿って皇室は一方で情報をある程度公開していかねばならないのだが、あまり開きすぎると存在基盤そのものが崩壊しかねないという自家撞着を抱えている。
そうした構造に押しつぶされ、適応障害という精神的苦悩に追い込まれたのが雅子妃だが、眞子さまももしかすると個人の恋愛感情が皇室という構造の中でおしつぶされるという悲劇を味わうことになるのかもしれない。当事者2人の一途な愛情が両親を動かしつつあるという『週刊現代』の報道が本当であることを祈るしかない。
 
世間と自分の意見の乖離  2006

 

世論調査の結果と私の意見が違うことは本当に多い。また、世論調査の選択肢にも違和感を感じることが多い。
昨日の日経新聞に掲載されていた調査結果から思ったことを書く。
「女性・女系天皇を認めるか」という設問について、賛成が63%、反対が21%とあった。皇族に男性がいなければ女性天皇だけでなく女系天皇容認もやむを得ないだろうと思うので、私はこんな設問にはあまり興味がない。私が気になるのは「第一子優先主義」を取るかことについてである。
私は、せめてイギリスのように男子優先にすべきではないかと思う。何故かというと、結婚したら基本的に男の姓を名乗るという一般国民の伝統との相違が生じるように思うからである。仮に第二子の長男が第一子の長女と結婚することになった場合、一般国民は後者の姓を名乗る可能性は低いのであろうが、天皇家だけ第一子の長女が天皇になるのだとしたら変な話であるように思うのだ。もちろん、基本的に男の姓を名乗るという部分が半々ぐらいに是正される、もしくは夫婦別姓を認めていくのであるならばその限りではない。
アメリカ産牛肉の輸入再開の件では、「再開を急ぐべきだ」が7%、「安全性確認に時間をかけるべきだ」が79%だった。これは設問のワーディングがおかしいと思う。私の意見は、「十分に安全性確認をするべきだが、再開はできるだけ急ぐべきだ」という意見であり、また、これと同じ考えを持つ人は多いように思うからだ。また、高年齢層ほど「輸入再開後もアメリカ産牛肉を買わない」と言っているらしいが、彼らは買わなくてよろしい。私は断固買う。
この問題について「日本はアメリカに舐められている、バカにされている」という一般論から入ろうとする人は、生産者はともかく、日本人の消費者に利便性をもたらし続けたのは一貫してアメリカの外圧であったことを思い起こしてみると良いとも思う。
自民党の堀江氏応援についての責任については、「責任がある」が48%で、「責任はない」が40%だった。まあ20代では58%が責任はないとし、50代以上では逆だという。でも、女性は45%なのに、意外にも男性では53%が責任があるという。
私の意見は、「不適切な人間を選ぼうとしたことに対する結果責任は多少あろうが、誰も知らなかったことなので、責任があると言い切るのは酷すぎるであろう」ということになる。あと、この件についてはむしろ褒められるべき面もある。当時からライブドアへの捜査は進められていたというのに自民党に何一つ情報が漏れていなかったということに対する捜査の健全性についてはもっとクローズアップされてしかるべきだと思う。
先日、真相を良くわかっていないうちに東横インの記事を書いて、それが意外に多くの方に読まれて戸惑ったが、ようやく真相が色々とわかってきた…。ところで、昨日、西田憲正社長の2度目の会見があった。1度目の会見におけるマスコミ対策の下手くそさぶりも酷かったが、2度目の会見の酷さも相当なものだった。私はワンマン社長は嫌いだし、社員から搾取しまくる会社も嫌いだし、何より、前にも書いたとおり、私自身が法令違反を何よりも怖がる人間である。
しかし、私がこの件でもっと強く思ったことは以下の2つであったりする…。
一つ目はマスコミへの違和感である。たまたま見たワイドショーでは本音で反省しているかについて心理分析までやっていたが、これについては「なんてゲスなことをするんだろう」と心底思った。自分のことを「上等な人間」と勘違いして、こんなことをうれしそうにやるマスコミの態度には毎回ながら呆れる。
もう一つは、「弱者」への違和感である。また、私は、身体障害者を保護することは大切だと思うものの、彼らの過剰な自己主張には毎回違和感を感じる狭量な人間である。これまでろくに東横インを使っていなかったのに、東横インの前でこれ見よがしにデモをする「弱者」を見て強い違和感を覚えるのは私が狭量な健常者だからなのだろう…。しかしながら、税金を多く払う東横インではなく、税金を使い込む「弱者」が最も強者である世の中は、本当にあたたかく良い世の中だと心の底から思う。
 
家庭内における世代間の乖離

 

家庭における重要な問題の1つは、ジェネレーションギャップ、つまり世代の差です。現代の若者は、過去の世代の人々が持っていなかった新たな文明の利器に囲まれ、新しい知識を身につけています。さらに、過去の時代のように伝統的な慣習や家庭は、もはや社会的な生活に触れる唯一の手段ではなくなっており、周りの環境からの情報やバーチャル空間によるコミュニケーションも、社会性を身につける条件の一部を占めています。こうした手段は、家庭や伝統の影響をも薄れさせるほど強い力を見せ付けています。
一方、現代の世界は消費志向や広告宣伝と結びついています。経済的な利益を追求する思想は、消費を奨励する宣伝や流行、過剰な欲望や快楽主義など様々な手段を通して、社会関係に影響を与え、過去には例のない新たな欲望を生み出しているのです。
新しい世代も、自らの年齢や完璧を求める考え方にまかせて、こうした新たな欲求にかられ、自らの欲求が満たされない場合、彼らの不満は次第に増大します。こうして、若い世代とその親の世代の間には、行動面の矛盾が生じてくることになります。
時折、両親は、自分たちの若いころの時代と子供たちの世界との違いに気づかず、子供を将来の生活に役立つようには教育しません。親たちの教育の基準は、過去の時代のものです。彼らは、自分たちの模範により、子供を育てようとしますが、この場合、子供の年齢にそった要求が無視されてしまうことになります。
しかし、過去の世代の経験や指導が不要だということではありません。新しい世代が、親から行動や考え方についてサポートされない場合、彼らは現実を前に、何の経験もないままひとりで放任され、これにより道を踏み外す可能性があります。
大人は、若者たちが社会を形成し、社会の発展や健全が彼らの活動や成功にかかっている、という現実を受け入れる必要があります。生活の経験は、若者たちに伝えられ、活用されて、若者に何かが新しく加わって初めて、価値あるものとなるのです。
こうした現象に論理的に対処するために、親は柔軟性がある対話、折り合いの文化を学び、それにより物事への論理的な理解を示す必要があります。世代の差は、危機を生み出す脅威的な要素です。世代の差により、2つの世代の価値観や慣習は完全に異なったものとなり、最終的には互いに交流が途切れてしまうことになります。
家庭は、時代や社会の状況を把握し、人としての道に沿った基本的な価値観や原則を維持した上で、子供に活動の許可を与える必要があります。倫理的な教えが注目されない場合、時代の経過とともに子供に必要な教育や見識が伝えられず、彼らが家族や社会との交流の際に問題を抱え、文化的な断絶に遭遇する可能性があります。
子供を持つ親はまた、常に最新技術や新しい情報に対する見識を高めることで、子供を助け、また距離を置いて見守る役割を果たす必要があります。現在の世代のニーズや、IT時代の変化を把握することは、親が子供の置かれた状況やニーズを知る上での助けとなります。
家庭が疎遠になるのに大きな影響を及ぼす要素の1つは、インターネットなどの過剰な使用です。各種のメディアは次第に、対面によるコミュニケーションに代わっているのです。
理想的な家庭とは、親と子供が、愛情あふれる心のこもった相互の適切なコミュニケーションをとっている家庭を意味します。大学などの教育機関やマスメディアも、思考の分野における新しい発想と、人類の進歩を認識した上で、世代の差を緩和する調整役として、重要な役割を果たすことが可能なのです。
 
組織開発

 

1.組織開発とは
「組織開発」というキーワードに、人事領域で改めて注目が集まっています。
この言葉は英語では”Organization Devleopment”、略してODと呼ばれ、1950年代からアメリカを中心に発展してきた概念です。
では、なぜ今あらためて「組織開発」に注目が集まっているのでしょうか?
その背景には、終身雇用や年功序列など、従来一般的であった日本人の働き方の変化があります。
従来の日本企業では新卒として入社した企業でキャリアの大部分を過ごすことが一般的であり、また男性中心の組織であったことから、社員の同質性が高く、価値観のずれなどは発生しにくい環境にありました。
それに比べると、現代の職場では社員の雇用形態や入社のタイミングはより多様化していますし、上司が年下、女性、あるいは外国人と言ったケースも稀ではありません。 また高度経済成長の時代とは異なり、個人間で仕事に対するモチベーションの源泉も様々です。
またメールに代表されるIT活用が企業内で進んだことで、従来のように相手と面と向かって話したり、直接議論する機会が減っていることから、個人間でのすれ違いが発生しやすい環境になっているのです。
こうした変化を背景に、個人間の関係性に着目し、組織全体として世の中の変化に対応しながら、健全に昨日するためにはどう変革すべきか?という「組織開発」のアプローチに注目が集まっていると言えます。
2. 「組織開発」の歴史
欧米での組織開発は、心理学や行動科学の研究をベースに1950年ごろから発展し、1960年代以降、各社が組織開発コンサルタントを社内に置き、内部から組織変革を進める形で発展しました。
組織開発が注目を浴びる一つのきっかけになったのが、ディジタル・イクイップメント(DEC)社の創業者、ケン・オルセンの事例といわれています。
オルセン氏は、マサチューセッツ工科大学(MIT)で修士号を獲得したのち、トランジスタを使ったコンピュータの研究を行っていました。
その技術を生かし1957年にDECを創業しましたが、エンジニア出身であったため経営についての助言を組織開発の第一人者、エドガー・H・シャイン氏に求めます。
心理学者でもあり、組織文化、キャリア開発の専門家でもあったシャイン氏の助言のもと、DEC社は組織開発の手法を取り入れ、事業を成功させていきます。
より具体的には、創業社長であるオルセン氏のトップダウンになりがちだった社内での議論に対し、組織開発の手法を取り入れ、現場の技術者の声を製品開発に活かしたことが成長に繋がったと言われています。
組織開発におけるアプローチの特徴
もともと組織開発が発展した米国は個人主義の国だと言われ、自分の仕事はきっちりこなす一方、他の人の仕事には干渉しない国民性があります。
また多民族国家であるため、そもそも同質性を基盤として「組織」を機能させることが困難でした。
そのため個人間の関係性に働きかけることによって、組織全体をうまく機能させようとする組織開発の考え方が発達したと言われています。
組織開発におけるアプローチを語るときに引き合いに出される、初期の事例として心理学者であったクルト・レヴィンの実験があります。
当時、レバーや肝油を好んで食べる習慣の無かったアメリカ人に対し、健康のために食生活を変えてもらおうという狙いで、3つの異なるアプローチが試されました。
1つめのアプローチは参加者一人一人に対する説得、2つめのアプローチは、参加者全員に対するレクチャーによる説得。そして3つめが参加者を6人ずつのグループに分け、話し合ってもらったうえで、最後に食生活を変えようと申し合わせをしてもらうというものです。
結果的に最も食生活を変える効果が認められたのは、3つめの「自分たちで議論して決めてもらう」というアプローチだったのです。
この実験に見られるように、組織を構成する個々人に対して働きかけることで行動を変えてもらおうとするのではなく、メンバー間のコミュニケーションに対して外部から働きかける(介入する)ことで気づきを与え、その働き方をやめた後も持続する変化をもたらそうとするのが、組織開発のアプローチの特徴です。
3.人材開発と組織開発の違いとは?
長い間、日本企業は人材を新卒時代から長期間かけて育成することで業績を伸ばしてきました。
組織の側を変えるのでは無く、組織の文化や仕事の進め方に合致した個人を、長期間かけて育成することで力を発揮させようとするアプローチが主流だったのです。
このような、組織の側に個人を合わせるアプローチは組織が置かれた環境に変化が少なく、組織そのものが自ら変革する必要性に迫られていない時代には有効でした。
しかし現代の多くの組織は、周囲の環境変化に合わせて先を読みながら変革し、異なった状況でも強みを発揮し続けることが求められています。
組織に属する個々人の能力に着目し、それを伸ばそうとするアプローチを「人材開発」(Talent Development)と呼びます。
人材開発そのものは現代でも有効なアプローチですが、組織開発とは着目点が異なっており、両者を組み合わせることが必要であると考えられています。
その従来の手法と、組織開発の違いはどこにあるのでしょう?
人材開発と組織開発の違いの具体例
たとえば、ある会社の営業部になかなか結果が出ない若手社員がいたとします。
人材開発のアプローチでは、「この社員自身に足りていないスキルなどがあるのでは無いか?」と考え、個人を対象に、研修などの形でスキルを改善する取り組みを行います。
一方の組織開発のアプローチでは、若手社員個人ではなく、彼と上司や周囲の社員との「関係性」に着目します。
例えば、彼個人が考える自分の役割と、周囲が期待する役割に認識のズレが有るのではないか?
あるいは本人が成長課題だと考え、改善しようとしているポイントと、周囲のとらえ方にギャップがあるのではないか?
こうした形で、個人間のコミュニケーションやお互いの認識についての問題を可視化し、相互の関係性に働きかけていくことで改善を図ろうとするのが組織開発のアプローチです。
4.「組織開発」の目的
組織開発のアプローチでは、人事に求められる役割が従来の業務とは大きく異なります。
従来の人事の役割は、「社員を研修の場に呼び出してトレーニングを行う」といった、人事側の領域に社員に来てもらう形式が中心でした。
これに対して組織開発では、実際に業務が行われている現場に飛び込み、組織内の会議体など、事業側のリアルなコミュニケーションの場で人事が存在感を発揮し、変化をもたらすことが求められます。
これまでの人事の進め方で大きな問題が発生しなかった企業の経営者や現場の社員にとっても、組織開発のアプローチは「そこまで人事が入り込んでくるのか?」という驚きや、場合によっては拒否反応を持って受け取られるものかもしれません。
しかし、食習慣の変革を目的とした実験の例で見たように、当事者間のコミュニケーションに対して適切な働きかけを行い、当事者に自ら気づき、納得してもらうことは、トップダウンのコミュニケーションとは違った効果が期待できることも確かです。
目的は組織に「健全性」を取り戻すこと
組織開発の目的を一言で表すならば、「組織が環境に適合しながら変革し、健全に、効果的に機能するようにすること」ことであると言えます。
現代のオフィスでは同じプロジェクトに関わる当事者がめったに顔を合わせないというケースも多く、ちょっとしたボタンの掛け違いが大きな問題に発展することや、業務の大幅な遅延に繋がることも少なくありません。
では当事者だけで徹底的に議論を尽くせば解決するかというと、逆に当事者だからこそ見えづらいことも多く、当事者間のコミュニケーションを客観的に観察・分析し、問題点を指摘してくれる第三者の介入があった方が解決に繋がることも少なくないのです。
常に組織内のコミュニケーションに組織開発の専門家が関与することがゴールではなく、一時的に働きかけを行って本来あるべき状態を取り戻すことで、それ以降は自走できる組織へと変革を促すことが目的なのです。
組織内での他社との関係性の善し悪しは、個々人のモチベーション、組織に対するエンゲージメント(愛着)にも大きな影響を与えます。
「個人としては優秀なはずの人材が能力を発揮できていない」 あるいは「十分な待遇をしているはずなのに、組織へのエンゲージメントが低く、離職のリスクがある」
そのようなケースはないでしょうか? そんなとき、目を向けてみるべきは個々のメンバーでは無く、組織全体なのかもしれません。
5.「組織開発」を実践するには?
組織開発の実践方法の例をご紹介します。
「組織開発」一般的な進め方
1967年に組織開発ネットワークを開始した、「組織開発」のパイオニアともいえるリチャード・ベッカードの定義によると、組織開発とは以下の7項目を実践していくこととされています。
1.計画に基づき
2.組織全体にかかわる努力であり
3.トップ主導でマネージされ
4.組織の有効性・健康を高め
5.行動科学の知識を活用して
6.組織のいろんなプロセスにおける
7.計画的介入・計画的ゆさぶり
実践項目としては少々わかりづらいので、簡単な具体例を紹介します。
組織開発に必要なのは、組織の革新力、ということをヒントにするならば、「組織開発」には組織そのもので学習する「組織学習」が重要です。
組織学習の在り方としては何か問題が起こった時に個人間のディスカッションにおいて間違いを突き止め、これを修正していくことになります。
○(1)計画に基づき
ビジネス目標においては漫然としたものではなく、「何を、いつまでに、どのような状態にしたいのか」を明確にしていくことです。詳細な目標設定は効果を予測しやすく、ビジョンとしてとらえやすいため、大きな成果を生み出す第一歩です。
○(2)組織全体にかかわる努力であり
組織開発は、いきなり組織全体で起こそうとしても無理があります。特定の部署から初めて徐々に全体に波及するほうが効果的です。部署を決める指標としては、ある程度意欲的に変化を受け入れる集団を選ぶとより効率的になります。
○(3)トップ主導でマネジメント・(4)組織の有効性・健康を高める
組織のトップである経営者が組織開発にコミットして、メッセージを発信していきます。発信メッセージには企業理念や、会社としての目標などを織り込み、組織全体で共有していきます。
また、発信を通して下部組織と積極的に関わることで、必要としている支援も見え、経営者としての行動も起こしやすくなります。
○(5)行動科学の知識を活用して
組織開発の長期的な継続の間には変革に対する強い志を持った利害関係者(ステークホルダー)の協力が欠かせません。
実践現場での変革への動機づけや方向性、具体的な取り組みについての意見交換や積極的に組織に関与してもらうことで組織開発が進みます。
○(6)組織のいろんなプロセスにおける
組織開発は長期的な取り組みが必要です。その過程の中で効果の測定や、再評価が必要になります。目標との乖離が大きいことが分かった場合、その判断理由をまず分析、新たな目標目的の再設定や指標の設定を行います。
○(7)計画的介入・計画的ゆさぶり
すべての事業においてフィードバックが必要なように、組織開発においても結果の共有は重要になります。
フィードバックの際には、成果が出ている事例を具体的に示しストーリーとして語ることで、「これから自分の属する組織が向上する」イメージや「仕事そのものが楽しくなる」実感を持たせることができます。
これらのことを長期的に行うことが組織開発の成功に結び付きますが、短期的で目先を重視する取り組みになると構成員は急変についていけず組織開発自体が失敗してしまいます。
また、組織開発は「一貫した思想」を心掛けなければ「信頼」に結び付かないため、組織開発を進めようとする経営者は覚悟と経営に対する確固たるビジョンを持つ必要があります。
組織開発で何を開発するのか?
「開発」という言葉が入っているので、「組織開発」は組織を利用して新しい有用性のあるものを生み出す行為であることが分かります。
組織開発の取り組みを通じて開発しようとしているのは、一体何なのでしょうか?
企業内での組織開発で生み出されるものはたくさんあります。主なものとしては以下の7つです。
• 働く人の気力・活力
• 経営や職場への信頼やコミットメント
• 継続的な人材育成やリーダーの創出
• 企業内での文化・価値観の共有
• 変化に対する準備、柔軟性
• グループ内での協働・協調
• 知識の創造
創造性や、変化への対応は現代の企業を取り巻く環境を振り返れば重要項目です。
さらに新規の事業やイノベーションに対してのスピードアップも期待できますので、組織開発の必要性がより理解できます。
6.「組織開発」を取り入れている日本企業の事例
それでは組織開発を実際に取り入れ、成果を上げている日本企業の例を紹介しましょう。
ヤフー株式会社
○本間浩輔氏が行った2012年以降の変革について
本間氏は2012年ピープル・デベロップメント本部長としてヤフーの人事のトップに就任以降、社員がお互いのパフォーマンスについてフィードバックを行う文化を創出、組織開発を専門に行う部署を新設しました。
ました。現在は執行役員 ピープル・デベロップメント統括本部長として組織開発も含めて様々な人事の取り組みを行っています。
ヤフーほどの企業になぜ組織開発が必要であったか、導入の背景と意義を紹介します。
○「組織開発」とは「組織をより機能させるプロセス」
2012年、宮坂学氏が前任者の井上氏から社長を引き継ぎました。
宮坂氏は社長就任のスピーチで「脱皮しない蛇は死ぬ」というニーチェの名言を用いて新規戦略の必要性を訴えました。
当時のヤフーは、業績自体は安定していましたが、大きく業績を伸ばす新規サービスが出せていない時期でしたので、本格的な改変と「第二の創業」につながる改革が必要だったのです。
宮坂氏の経営理念を意識して、人事のトップである本間氏が行った改革の一つが組織開発です。
コミュニケーションの改善の中で組織開発の必要性が見えてきた事例をご紹介します。
○最初の取り組みの一つ・コミュニケーションの改善
ヤフーが行ったコミュニケーションの改善の重要ポイントは、上司と部下「上下のコミュニケーション」でした。
インターネット業界のようにスピードが業績に直結する業界では、強力なトップのトップダウンではどうしても時間がかかりすぎます。
これまで部下であった人たちが「小さなリーダーシップ」を発揮して上司とつながることが重要と考えました。
実際に行ったのは「1on1」と呼ばれる、上司と部下が週に一度行う1対1のミーティングです。
「1on1」では、日本の会議にありがちな、グループ内で上司の意思や方針を部下に伝えるのではなく、部下の話を上司が聞くことがポイントになります。
部下はミーティングの準備として自分の業務の内省と考察、意思決定が必要になり、上司には傾聴、コーチングの手法が必要になりました。
5000人の従業員を抱えるヤフーでは週に2500時間が必要になりましたが、「1on1」の地道な活動によって従業員一人ひとりが指示を待つのではなく、自らリーダーシップを発揮することができれば、重要な変革につながると考えています。
社員にも負担を強いることになりますが、そこで重要になったのが社長から従業員へのメッセージ発信です。趣旨と重要性を社員に直接伝えることで、社内での導入がスムーズにいきました。
○「小さなリーダーシップ」実現のための意思決定プロセスの改善
「小さなリーダーシップ」を実現させるために、意思決定のプロセスも大きく変えていきました。
組織のダウンサイズと、現場への権限移譲を徹底させます。
これにより、現場の自由裁量度は上がりますが、現場に混乱が起きないように行動規範を策定、徹底させていきます。
さらに上司にはすぐに介入するのではなく、観察し部下が本当に困った時にだけ助けるということを伝えるような取り組みを進めました。
○改革1年後に「組織開発」チームを発足
大きな改革の中には個別の課題が発生します。そのため1年後に組織開発のコンサルティングチームを作りました。
このチームでは、組織で発生した課題に対してその組織内のトップからコミットメントをとり、組織内で変革チームを作成します。
徐々に組織内の活動を進め、効果の検証を行った後、コンサルティングチームはフェードアウトしていきます。これにより問題解決能力の援助ができます。
本間氏は組織開発について、「万能な処方箋はない」といいます。
必要なのは、「その組織の何を良くしたいのかという意思と、その実現のために機能させるべきポイントを明確にすること」を考えて地道に行うことです。
トヨタ自動車株式会社
2012年にトヨタ名古屋教育センターで行われた、CAF(コーチアプローチファシリテーション) 研修と、その後の社内での取り組みをご紹介します。
○CFAとは
「コーチアプローチファシリテーション (CAF) は「自分の価値観を脇に置き、他人の考えを素直に聴くこと。
これにより互いに理解し合える新しい発想が生まれ、互いの信頼を深め、自分もまわりも幸福になることを体得し実践する、人間力をベースとしたグローバル時代のマネジメントスキル」と定義されます。
ファシリテーションとは、組織が目標を達成させるために支援や援助を行うことです。そこには学習や問題解決の促進のための介入も含まれます。
CAF のコーチングでは、聴く、相手を承認するというコミュニケーションの基本をもとに、コーチングの技術とファシリテーションを一体化させるためそれぞれに相乗効果が生まれます。従来のマネジメントのように「部下やメンバーを自由に操るためのスキル」ではなくメンバーの可性を信じ、組織内のすべての人たちと一緒に成長していくことを喜ぶことが目的になるのです。
○CAFを利用した組織活性化
トヨタではCAFを利用して組織活性に取り組みました。
まずは、 「個人同士の信頼関係作り」を行います。ごく単純なことですが、リーダーや上司から挨拶することで信頼関係を作っていきます。
さらに、 チームとしての信頼関係を構築すれば、職場では「何を言っても大丈夫」というようなムードが生まれました。この安心感の「場」を作るのが一番重要なことです。
「安心できる場」で行われた意思決定は、「チームで納得できる合意形成」としてチームに受け入れられます。合意・納得を得た決定事項はチームへの貢献、 仕事のやる気に繋がります。
その次に必要になるのが「個人の目標達成のためのコーチング」です。チームで決めた個人の役割分担や個人目標をどのように達成するのか上司が、コーチングをしていきます。
上司には部下に提案をするのではなく、部下に対して「あなたならどうするか?」の問いかけ型のコミュニケーションを実施してもらいます。
これは上司に必要なコーチングの技術になりますが、コーチングスキルが低い人でも比較的実施しやすい方法です。
さらに、個人その役割の中で活動を行うと、当初の目標との「ずれ」が生じますが、そこで再度ファシリテーションを行い全体の意思確認を再共有し、解決策を皆で考えながら、チームで決めたことを再び個人の行動に結び付けるというスパイラル状に展開していきます。
CFAでは、個人と組織両方の成長が可能となり組織が活性化実現できます。これら応用した研修をトヨタでは社内で行いました。
○CFA研修の効果
CFAを通して社内で起きた変化は、まず相手の話をよく聴ようになったといいます。
さらに、グループのリーダーが CAF のミーティングの方法を取り入れることで、それを見た部下が自ら発言したり、リーダー的な役割を果たしたりする効果も表れました。
その結果、以前なら長くなりがちだった会議で、メンバー全員意見を出し合い早く結論に至り、行動に移るタイミングが早くなりました。また、会議に対してメンバーが前向きになったことも大きな成果と言えます。
7.まとめ
組織開発の成功事例といわれる企業を見ると、組織開発の担当者は必ずしも人事出身者ばかりでは無く、事業側の出身者であることが少なくありません。
事業サイドのメンバーの抱える課題を深く理解し、組織内でのコミュニケーションに適切な介入を行って改善をもたらすためには、ビジネスモデルに対する理解や、事業担当者が背負っている目標数値に対する感覚が求められることがその理由でしょう。
こうした、従来の職種の壁を越えた人材のアサインメントを行い、組織内からの異論に向き合いながら組織開発を進めていくためには、組織に環境適応能力を持たせるために「組織開発」を導入しようとする、トップの確固たる意思が必要です。
「組織開発」そのものの推進、そして組織が共有すべきミッション、ビジョンを発信し続けるのはトップの役割。その一方、目指すところは従業員一人一人が自ら主体的に考え、スピード感を持って行動する組織なのです。  
 
「組織変革」

 

第1節 「人を動かすにはどうしたらよいか?」
まずは上記キーワードに対して、メンバー皆で思い浮かぶことを口々に列挙していく。
手法という観点ではなく、要素という意味合い。
「人が動くときはどういう時なのか?」という点も加味して考えた方が、理解しやすいかもしれない。ちなみに個人的なベストワードは、『愛』だ。
なんだろう、とても素敵な言葉である。だが、残念ながら、組織で愛を持ちだしたら特定宗教法人のお話になるのでこちらは神棚に飾っておこう。合掌。
以下に、興味深いキーワードをいくつか列挙する。
『モチベーション』
仕事におけるパフォーマンスを左右する不滅のスタメンワード。要はモチベーションを高い状態にしておけば、人は動き人財になるというお話。逆も然りで、モチベーションが低いとあらゆるパフォーマンスが低下して人罪に堕ちる。故に相手の状況を認識して、上手く高いモチベーションを保持している状態に誘導出来るのが理想である(が、ここが一番難しい)。
『きれいごと』
一般的には蔑んだ意味合いで使われる言葉であるが、組織の『きれいごと』は、それとは意味合いが違うように思える。個人のきれいごとは、その結果は個人に帰すだけであるが、組織のきれいごとは信用に関わる問題である。その影響力の大きさや、実現性、有益性など、言葉と実状が乖離している点が多々あり面白い点ではないだろうか?
ちなみに私見ではあるが、私は「きれいごと=建前」という認識を抱いており、建前をないがしろにする人間は信用に値しないと考えている。建前があるから我々は自分の権利を声高に主張し、為政者の不実を弾劾できるのだ。
そのほか、類似したもので大義名分もあげられた。間違っていないとお墨付きを貰えれば人間はなんとも大胆なことも出来るものである。正しいという思い込みでない限りはこちらも大変有用であると考える。
『強迫観念』
言葉は黒いが、要は心理的な要素ということである。
例えば「責任感」。組織において責任ある配置につければ、つけられた当人は責任を全うするために否応なく動かざるをえなくなる。責任を果たさなければ評価は下がり、無能の誹りを免れないという強迫観念が生まれるからだ。
もしくは、「返報性」。人からなにかしてもらったら、自分もなにか返さなくてはいけないという心理だ。どこぞの王侯貴族様で、尽くされるのが当たり前であるという身分でないなら、大小の差はあれ、誰しもが何かしらで体感しているものだろう。もう少し分かりやすく噛み砕くと、「借りは返さなければいけない」という強迫観念が人を動かすということだ。
『欲求』
承認欲求であれ、貢献欲求であれ、求めているものを鼻先に餌をぶら下げれば、対象を動かすことが出来るというお話。どのような形であれ、人間というものは欲求には抗えないように出来ているからである(抵抗は出来る。ただそれすらも欲求ではないかという罠)。
相手の求めるところを知り、しかるべき餌さえ用意できれば、人を導くことは決して難しいことではない。
『影響力』
単純に権限という観点でもよいし、相手との関係性を築けているという点でもよいかと考えられる。自分の影響力をきっちりと認識して、誤らずに使うことが出来れば人を動かすには最適であると考えられる。
私見だが、世にいう出世している人間というのはここをきっちりと抑えられている人間であると考えられる(逆を言えば、自らの影響力を把握していないと、手痛い目にあうのではないかと考えられる)。
第2節 「マージナルマン(Marginal Man)の重要性について」
上記の内容「人を動かすにはどうしたらよいか?」というお題について話す中で、さらに興味深い話が出てきた。
マージナルマンについてである。
一般的な意味は、検索すると以下の通りである。
『マージナルマン・・・互いに異質な二つの社会・文化集団の境界に位置し、その両方の影響を受けながら、いずれにも完全に帰属できない人間のこと。社会的には被差別者、思想においては創造的人間となりうる。境界人』
が、組織におけるマージナルマンとは少し、意味合いが違う使い方をする。
組織におけるマージナルマンとは価値観層や段階的組織構造(ヒエラルキー)において、断絶されている層同士をつなぐ役割を持ったキーマン(触媒者)といった意味合いであるという。
では、具体的にこの「つなぐ」ということはどういうことか?
1 価値観層とは世代ごとに持つ価値観の層である。
(例)10代の価値観、20代の価値観、30代の価値観〜
この層は横型断層になっており基本的に交わらないと考える。
2 その価値観層が営利組織等に適用されると、縦の階層が出来上がることとなる。
(例)上層部(社長、部長)中間管理職(課長、係長)主任、平社員〜
3 結果、以下のような図が会社組織における価値観として出来上がると考えられる。
上記のような図式で行くと問題となるのが、断層を隔てることによるお互いの認識のずれ、この場合は互いの階層を理解していない無理解の状態が生まれるということである。
組織を動かす(変革的な意味合いも含め)上で、重要になるのは「お互いの理解」である。
ここでは価値観層という形で表しているが、その価値観層が末端(現場)と上層部(経営層)で見えていない状況は、人を動かす上で致命的な齟齬を生み出す要因であると考えるのだ。
(図Cの影響力は理解を促すものではない点に注意。影響力は組織内の強制力(命令権)の強弱を表したものであり、基本的には上から下への(無理解状態での)一方通行である。極端な一例を上げると、『20代一般社員は、60代上層部の一方的な価値観による経営方針により、よく分からない仕事をただただ実行しているだけ』という構図が発生する)
そこで、重要な役割を果たす存在こそが、「マージナルマン」であるというのだ。
このマージナルマンとは具体的にいうと、階層の中層、中間管理職に位置する30代後半から40代前半あたりの人々のこと指すのだという。
会社組織は砂の城であると考えるとわかりやすいかもしれない。砂の城が崩れないようにするために必要なことは何か?
それは、適度な水(=情報)を与えてその強度を保持することだ。
この役割の難しいところは、水(=情報)を与え過ぎてもいけないし、与えなさ過ぎてもいけないという点だろう。多くても、少なくても城が崩れてしまうからだ。
舞台の主役は「マージナルマン」。
そう、マージナルマンが馬車馬のごとく、上と下を行き来し、主体となって会社組織に絶えず適量の水(=情報)を流し続けているという話なのだ。
彼らの重要性は上記述べた通り、層と層、つまり、上層と下層をつなぐという点であり、組織における階層間の無理解状態を解消し、相互理解を促し、組織の潤滑油的存在を担う点であるという。
つまり、彼らの働き如何で組織全体が上下する、いや、瓦解するといっても過言ではないだろう。組織においてその影響力は無視しえないものであるということなのだ。
実に興味深い話であった。
第3節 「我が身を振り返る」
組織変革という言葉に、現在、私が所属する会社は非常に敏感になっている。理由はただ一つ、私の会社も組織変革を断行中であるからである。
具体的に述べると、弊社は事業計画の失敗から大きく業績を落とし、現在は事業再建を急務としなければいけない状況に陥っている。
そこで会社が掲げた手段は
○全国展開している同系会社との経営統合
○新人事制度導入
○早期退職制度の提示
以上の3つである。
上層部が遂に決断に踏み切ったのである。
劇薬である。患部を治癒する代わりに、他に激烈な代償を要求する劇薬であると断言してよいだろう。
その証拠に激烈な抵抗が社内では発生している。
以下に抵抗勢力の派閥を記載しよう。
○早期退職制度の対象であり、いわいる『リストラ』の対象とされた一派
○早期退職制度の対象外であるが、人事制度の適用により、職位と給与が脅かされている一派
○組織改革による内部の不安定化により、会社への信頼を失い、会社自体からの離反を模索している一派
変革における抵抗は上層部も想定済みであることから、無論、無策というわけではない。1に対しては退職金の明確な水増し、2に対してはいくばくかの内々での約束など、小賢しいといっては失礼にあたるだろうが、少々の手練手管は使っている様子である。
だが、あえて言わせていただこう。
「小賢しい」と。
上層部は抵抗勢力への危機意識が薄すぎた。抵抗勢力を甘く見積もり、小手先の皮算用が過ぎ、リスクマネジメントが疎かだったのである。
まず、1への対策が不十分過ぎる。1の対象者に関してはすでに語る言葉はない。大なり小なり恨みを買うことは確実なのだから。
問題は1の対象者を出したことにより、その他へ不信の種が蒔かれたことである。対象者以外の胸にあるのは「明日は我が身」である。水がなければ育たない?今の状況がなにもしなくても立派に育ててくれる。1の対象者も率先して周囲の機運を育ててくれることであろう。
次に2への対策。これも失敗している。諸々の情報開示が一切行われていないのである。個々に対していくばくかの言葉は語っているようだが、所詮は公式に出された言葉ではない以上、「後でそんなことは言っていない」といえばそれまでの話である。1で育まれた不振の芽が芽吹き、花を咲かせるのを促進しているようにしか見えない。
この状況下で「君だけは特別だ」なんて言葉を信じられる人間は、底抜けにお人好しか、頭の中が一面お花畑のお目出度い輩であるだろう。
最後に、上記二つを目の当たりにする3の胸中はいかがなものだろうか?
答えるのもばかばかしい限りである。会社組織を腐らせ、殺す。そう、死に至る病の『不信』が最後に生まれ落ちるのだ。
今回、上層部が怠ったのはなにか?
あらゆるコミュニケーションである。言葉であれ、意志であれ、惜しむべきものでないものを惜しんだのだ。
抵抗を克服するための手段がいくら存在しようと、基盤となる大前提を無理解にないがしろにしたのである。
私は、「話せば理解し合える」などと青臭いことをいうつもりはない。
理解し合えない人間は明確に存在するし、有限な人生の中でそんな相手と理解し合うために貴重な人生の時間を費やすことが、どれほど愚かしいことか重々理解している。
だからこそ、上層部を糾弾したい。
「人を動かすのはなにか?」ということを何故、理解し得ず、手段を誤ったのかと。
変革は人を動かすことである。人が動かねば変革など成しえないのだ。
恐らく、近い将来、弊社はその『ツケ』を払わされることになるだろう。
残るも地獄、出るも地獄、頭の痛い日々である・・・。
第4節 【振り返り】
今回の議題は大いに身につまされるものであった。
そして、私は自分の会社において、何が問題であったのかを考えた。
第3節で上層部の軽率な変革を少々(?)なじりはしたが、私は基本的に上層部の判断が誤っていたとは考えていない。
「おい、コラ」なんて突っ込みがありそうだが、私は変革のプロセスのずさんさに腹立が立っただけなのである。
何故なら、業績の悪化は隠されてはいなかったからである。会社は社内において、業績を明確に掲示していた。つまり、会社の財務状況を我々社員は容易に知ることが出来たということである。そう、変革が必要であることは、冷静な目で会社を見ることが出来ていれば、避けられない事態であったのは明白であったのだ。
ならば、『現在の状況の責任は誰にあるのか?』という問いがあるとすれば、『鏡の前に立って目を開ければ分かる』としか言いようがないのが事実である。辛辣なこと言わせてもらえば、会社全体が自体を軽んじ、何の根拠もない会社の安寧を幻想していたのだ。
それでは、我々に足りなかったのはなにか?
現実を現実として直視すること。
そして、今回の話の中でいうならば文句無しに「マージナルマン」の存在であるだろう。第2節で語ったマージナルマンという存在は、決して容易に存在するものではない。マージナルマンという存在は『稀有』なのである。理由は簡単、マージナルマンとなる人材は忙しいからだ。
マージナルマンの役割、もしくは、必須条件とは経営層と現場、両者の意思と理解を明確に把握し、なおかつ、両者に互いの意思と理解を過たず伝達させられる能力である。
そんな人材が会社にゴロゴロいるだろうか?いるとしたら第一線で働いている有能で多忙な人材であるが、そんな人材がそう暇なわけがない。
ただでさえ忙しい中、そんな役割をこなしているなんていう人間は少数なのである。だが、忙しいからといって、その役割を担う「マージナルマン」を欠くとどうなるか。
それが、おそらく今回、弊社で起きていることのおおよその原因だ。
上と下をつなぐものがおらず、お互いへの無配慮と無理解が変革を阻害し、会社の未来に影を差す。
会社は意図して「マージナルマン」を生み出さなければならなかったのである。ゆえに私は、「マージナルマンになること」を今後の目標としようと思う。
同じ失敗を今後繰り返さないために。
今回のレポートを終え、頭に思い浮かんだ言葉があったのでここに記載しておこうと思う。
山本五十六氏の有名な言葉である。
『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』
『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず』
『やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず』  
 
経営の針路

 

日本企業の経営は、世界からどのように乖離してきたか?
平野氏がコンサルタントとプライベートエクイティファンド経営者としての経験を通じて学んだ、過去30年の間に日本企業の経営が世界からどう乖離してきたかという歴史と今後の処方箋が丁寧且つ論理的に語られている。
本書のポイントを短くまとめると、今、企業経営における世界の最前線は、日本人がステレオタイプに抱きがちな「株主価値至上主義」の先を行っており、資本市場と企業との関係について言えば、最早、経営の規律の拠り所を株主価値には求めておらず、自らのビジョンと理念に基づいた経営で業績を高め、新たな価値観を提示することで人材を引きつける、次の段階に移行しているということである。
日本ではいまだに多くの企業で「いい会社(good company)であり続けること」が目標にされているのに対して、グーグル、フェイスブック、アマゾン、テスラ、アリババなどの新興企業はもちろん、GEやジョンソン&ジョンソンなどの伝統企業も含めて、今やグローバル企業が目指すのは、"great"か"beyond great"かという比較であり、いずれも「実現したい世界」とか「世界を変える」という明確なビジョンを掲げている。
株主との関係で言えば、例えばグーグルやフェイスブックは、一般株主の議決権を制限することで資本市場からの介入を遮断した経営をしており、アマゾンも短期的な利益確保よりも長期的な事業の成長とイノベーションの実現を優先している。それは、たとえ短期的な収益に繋がらなくても、社会をより良い方向に変えるような巨大なイノベーションに注力したいからである。
にも関わらず、これらの企業の株価が高いのは、その成長性と経営手腕が評価されているからであり、最早、形式的なガバナンスや経営者の報酬インセンティブなどは株主の重要な関心事ではなくなっている。経営者は株主の期待を遥かに超えたところを目指しており、配当もせず、議決権も渡さず、自分達はもっと先の未来を見ているんだというスタンスである。
戦後の日本企業の特徴は、「供給力最大化」の経営にあった。戦前は株主の権利が強く、利益重視の経営が主流であったが、第二次世界大戦中の国家総動員体制下における生産機関という役割を与えられ、企業の株主の権利は厳しく制限された。供給力を最大化するために、利益を求める株主の影響力を遮断し、労働力を囲い込み、技術開発優先の体質を作り上げる必要があったからである。
この体質は終戦後もアメリカの占領政策によって維持され、日本の企業は、国や冷戦体制下の米国のニーズに応えるため、供給力を最大化することで成長するという特殊な発展を遂げてきた。
同じ資金調達であっても、投資家から調達するエクイティ(資本)と金融機関から借り入れをするデット(負債)とではお金の性格が異なり、前者を意識した積極的な経営スタイルをエクイティ文化、後者を重視した慎重な経営をデット文化と言うが、日本ではこうした供給体制を維持するために、株主への還元が必要な直接金融(エクィティファイナンス)より、銀行から借り入れる間接金融(デットファイナンス)の方が好都合であったため、デット文化が深く根付いてきたのである。
このような経緯から、日本では利子が払えてデフォルトさえしなければ良いという経営者の意識が強く、「大成功するより潰れないことが大事」といった「企業存続」が経営の目的になってしまい、リスクを取って次の成長を狙いに行こうという意欲が極めて低い。
株主の影響力を排除して長期経営をやってきたと思ったら、却って経営が緩んでしまい、今になって、市場や当局からもっと株主の方を向いた経営をしろと要求されている。これに対して、いまだに日本の経営者には「株主の要求ばかりを意識していると、長期的な成長ができない」といった認識が残っているが、世界の企業は、むしろ株主の影響力を排除してまで、長期視点で果敢なイノベーションに挑んでいるという別のステージにいるのである。
現在、世界では、短期業績志向、頻繁なリストラ、過剰な税回避、経営者の高額報酬など株主価値経営に対する批判が高まっている。英米の企業は過剰な株主価値を追求した挙げ句、自分達の足元の社会を疲弊させ、結果として社会からの信頼を失ってしまった。英国のエコノミスト誌では、企業は社会格差をつくり出すエージェント"agent of inequality"とまで書かれている。
ここまで企業が社会から遊離して、信用を失ってしまっていることを自覚することが自律的な改革の出発点になるはずだが、周回遅れの日本企業はこれから英米型ガバナンスの流儀を追随しようとしているという段階であり、英米の企業と日本企業では、ガバナンスの課題認識において位相が逆転してしまっているのである。
株式会社の原点に立ち返れば、企業に求められるものはシンプルで、事業の成長力と収益力の積極的な追求、それから時間と資本の二つのコスト意識の徹底である。株式会社という制度は、企業という存在が、他では取れないリスクを取って事業を創造し、規律を持った経営を行うために編み出された仕組みであり、人類の最も偉大なイノベーションのひとつなのである。
足元、グローバルに見劣りする利益率や資本の効率性など、日本企業のパフォーマンスが低いことばかりが指摘されているが、本当は、日本企業が単に存続の論理にとらわれていて真に長期志向の戦略的な経営になっていないことや、旧態依然とした組織運営になっていて改革に出遅れていることの方が、より問題視されているのである。
単に表面的な成長にとらわれる余り、日本企業の美徳とされている長期志向経営とは裏腹に、実は意図せざる短期数字志向の経営体質になっているのである。日本企業の経営が強い予算管理志向であるための弊害は顕著で、その結果、日本企業のガバナンスは、経営に甘く現場に厳しいものになっている。あり得ないような東芝の不正会計事件も、予算達成への圧力に現場が屈して、ついに数字操作に手を染めてしまったものなのだろう。
著者によれば、日本企業が人を大切にすると言われるのは大間違いで、人材教育にかける投資額は他の先進国に較べて格段に低く、実際には優秀な人を飼い殺しにしているだけで、社員を採用したら適当にローテーションし、社内の評判とちょっとした業績とを合わせて役員候補にして、最後に慌ててリーダー教育をするという様を見ていると、日本ほど人を大切にしていない経営はないのではないかと言う。
また、日本企業は組織開発への投資もしていない。組織は単なる人を入れる箱で、それを定期的にいじって、こっちの箱の人をこっちに移すとか、二つの箱を一緒にするだけ。組織を革新することで働き方を変え、人事評価の仕方を変えて、企業がどうやって競争力を高めていくのかをリデザインすることが組織改革と経営の根幹だが、日本の企業はその意識が非常に低く、単なる部の統廃合としか考えていない。
現在、企業行動の規範となっているのは、株主価値創造という経済的規範と法令遵守(コンプライアンス)という法的規範の二つだが、世界的に富の格差が広がり資本主義や市場主義の問題が露呈し、同時に巨大企業がグローバル化して超国家的な存在になっている中、これからの企業には倫理的であることが求められている。
倫理的であるというのは数字で測定できないし、ルールを守ってさえいれば良いということでもない。誰かに決めてもらうものでもなく、自分達はこうした理念でこういう価値観なのだと自ら決めるものである。そのためにも、人材教育や組織改革を通して、その理念や価値観、この会社にいる意味は何なのか、自分達は社会に対して何をすべきかということを共有していく組織や経営になっていくべきである。
ガバナンスの本質が、組織内の人々に望ましい判断や行動の規律や規範を与えることだとすると、それを数値管理や規則によって強制するのではなく、規範性のある企業理念や行動基準を掲げて、それを人々に深く共鳴させることによって実現する必要がある。
このようなガバナンスの根底には人への信頼が必要だが、それはいわゆる日本的で家族主義的な分別を欠いた信頼ではなく、多面的でタフな人材評価、多様な教育プログラムの実施を通して選抜育成された人々が獲得する信頼である。
著者の提唱するこうした方向性は、経営者の忠実義務と倫理を強調する東京大学の岩井克人名誉教授や、経営者の良心に基づく企業統治を唱える一橋大学の田中一弘教授の考えとも軌を一にする。
岩井教授は『経済学の宇宙』の中で、近代社会の物質的な基礎には資本主義があるが、その資本主義の中心には会社があり、その会社を実際に動かす経営者は、忠実義務という倫理的義務に縛られるとして、単純な株主主権論の過ちを指摘している。
また、田中教授は『「良心」から企業経営を考える』の中で、今のコーポレートガバナンス改革の議論の根底には、「人間は元来利己的な存在である」という経済学が想定する人間像と経営者に対する性悪説と、経営者の利己心に訴えて賞罰を明確にすることでなすべきことをさせようとするスタンスがあるとして、形式的なガバナンスのあり方に警鐘を鳴らしている。
その上で、本書において著者が提示する結論は、こうした過去の反省を踏まえ、今、日本企業が世界で競争力を回復するために求められるのが、1戦略思考の徹底、2組織革新の断行、3人を中心とする経営の確立という三つであり、日本企業にはまだその力が残されているはずだというのが著者の見立てである。
そして、その中心になるのは、日本企業に固有のソフトキャピタル(ハードキャピタルである金融資本に対する、独自技術やオペレーションのノウハウなどの多様な無形資産の集合である非金融資本のこと)と、日本人のソーシャルキャピタルなのだと言う。
つまり、日本人の調和を重視する価値観、社会への奉仕の精神、高い勤労倫理などのソーシャルキャピタルと、それを体現している日本的経営は、今日の行き過ぎた資本主義や株主価値経営に対して、本来独自の価値を有するものであり、社会との調和や倫理が求められるこれからの企業経営においては、世界から再評価され、弱点を再び強みに転換できる可能性があるというのである。
今、日本企業に必要なのは、経営の規律を正し、組織改革を断行すると同時に、経済合理性一辺倒ではない企業経営、即ち、金銭的報酬だけで動機付けされない労働観を持ち、多くのステークホルダーに配慮した調和のとれた発展を心掛け、顧客や社会の問題に真摯に向き合い、その解決に粘り強く取り組むという奉仕の精神を反映した企業経営を実践することなのである。 
 
組織はなぜ潰れるのか

 

スタートアップの成長を阻む“成長の壁”の正体
スタートアップには「成長の壁」が存在する。事業の成長、そして組織の拡大に伴い出現するその壁は、これまでに多くのスタートアップの成長を妨げてきた。「成長の壁」はなぜ生まれるのか、またなぜスタートアップはその壁を打ち破ることができないのか。株式会社フロムスクラッチ Corporate Strategy 執行役員の三浦に話を聞いた。
スタートアップの行く手を阻む「成長の壁」とは何か
組織の悩みは尽きることはありません。そして、その悩みは企業の成長ステージによって大きく様変わりしていきます。とりわけ、スタートアップの顕著な組織の悩みに「成長の壁」というものがあります。この「成長の壁」は、一般的に従業員数が「30人」、「50人」、「100人」を迎える前後で出現すると言われています。
「成長の壁」とは、「組織人員数の拡大に伴って発生する“組織課題”であり、予防策や対応方法を間違えると、一気に組織が崩れてしまうリスクをはらんでいるもの」と説明できます。スタートアップにとって最も貴重な経営資源の1つがヒト=従業員です。素晴らしい人材が、自身に相応しいロールを全うできれば、企業の成長に多大なる貢献を果たします。 しかし、この「成長の壁」は、そんな最大の経営資源であるヒトを機能不全にする“魔力”を持っているのです。
では、具体的にどういったものなのか、説明していきます。
なお、この手の問題は“どの切り口から論じるか”によって内容や主張も大きく変わります。例えば、行動科学マネジメントの観点から整理することもできれば、バイアス論やマネジメント/リーダーシップ論の観点からも言及できます。それらをすべて一様にフォローすると、何が言いたいのかわからないまとまりのない内容になってしまうため、以下、少し極端に言い切っていくこともありますが、背景を理解したうえでご容赦いただければ幸いです。
「成長の壁」の正体、まずはどう30人の壁を超えるか
最初に結論から言ってしまうと、「成長の壁」と呼ばれる問題は、以下のようなステップで私たちの行く手を阻んでいきます。
○成長に伴い組織人員数が増える
○採用チャネルの複数化により、多様な価値観を持ったメンバーも増える
○コミュニケーションパスが複雑化する&滞り出す
○適切に情報が流れないor誤って伝わる
○問題の発見が遅れ、軌道修正をスピーディにできない
上記がどういうことか、「人数別」に説明をしていきます。
まず「30人の壁」から。一般的にアーリーステージと呼ばれるこの時期に、1〜2回目の資金調達を行うスタートアップが多い印象です。この段階でのポイントはずばり「経営陣の業務・工数分散」です。これまでスーパースター人材であった経営陣(≒創業メンバー)には業務が偏りがちです。その偏った業務を“どれだけ分散させていける”かが成長の鍵を握ります。
業務の分散がうまくいくと、企業は初めて「組織化」することに成功します。特定の部署が特定のミッションを遂行する「組織の骨格」が出来上がるのです。
そして、経営陣から業務をひっぺがし、代わりにミッションを遂行するのは経営メンバーが「リファラル採用」で採用した縁故者が多い印象です。価値観もある程度理解しており、仕事のスタイルやスキルセットも把握しているため、うまいこと業務分散・権限移譲が進んでいきます。
極端にまとめてしまうと、「30人の壁」は事業成長に伴って、(リファラル)採用がうまく進むかどうかが大きなポイントになります。 なぜリファラル採用かというと、成長初期にあるスタートアップは、知名度・イメージともに相対的に見劣りすることが多いため、接点のまったくないところからの人材採用がうまくいかないことが多くあります。そのため、経営メンバーが採用にコミットメントを移し、実際に充てる時間を増やしていくことが、縁故メンバーの採用につながります。そしてそれは、企業の成長にダイレクトにつながっていきます。
第二の難関「50人の壁」を攻略する
次に「50人の壁」です。ここから徐々に組織の問題が表面化してくるケースが多いようです。組織規模が50人程度に達するのは、1〜2回目の資金調達をしてから、だいたい半年〜1年後くらいで迎える企業が多いでしょうか。うまく権限移譲が進み、それぞれの部門で“組織長”が生まれつつある組織に、新たに追加で数十人の新規入社者が加わるのがこの時期です。
ここで顕著な事象が
○新規接触による採用が急激に増える(=縁故採用中心でなくなる)
○組織内のコミュニケーションの階層が深くなり、複雑化する
前者は、これまで縁故採用が中心であった採用から、エージェントやダイレクトリクルーティング、直接応募などの採用手法によって、新規接点の候補者の入社が増えることを意味します。ここでやってしまいがちなのが「前職ブランド」や「スキルセット・経歴」のみを重視し過ぎてしまい、“えいや!”で採用してしまうことです。このような採用を繰り返していくことで、徐々に “異文化な人材”が組織に入っていくようになります。これが、いずれ「価値観のズレ」や「行動指針のズレ」、そして「意思決定軸のズレ」を生み出し、最悪の場合は内部分裂にまで発生します。なぜそうなってしまうのかについては後程また説明しますのでここでは割愛します。
後者は、徐々に経営陣(創業メンバー)と現場とのコミュニケーションが希薄化していくことを意味します。一般的に言われていますが、1人がマネジメント(≒コミュニケーション)できる人員数は20〜30名が限界と言われています。すると、経営陣が把握していないところで、現場同士のコミュニケーションが一気に増えていきます。このこと自体は悪いことではないのですが、時に誤った(ネガティブな)情報が伝播されていったり歪んだ解釈のコミュニケーションが行われたりすると、一気に“組織の悪性ウィルス”が蔓延するきっかけになります。タバコ部屋や飲みの場などで、一気に愚痴や批判的意見が増えるのはこのころです。
このときの処方箋としては、ミドルマネジメントの強化が挙げられます。経営陣と現場 をつなぐコミュニケーションパスとして機能するミドルマネジメントが、常に適切な情報・文化・価値観・業務ミッションを伝達し続けることで、組織に新鮮な血流が絶えず流れ続けます。成長期に差しかった企業によく見られる「拡大への疑問」、「やりがいの喪失」、「売上成長の否定、顧客満足重視」、「ビジョンと日常業務との乖離で生じる疑問」なども、ミドルマネジメント層がいればすぐさま察知して、“正していく”ことができます。信頼できるミドルマネジメントを、どれだけ早期から育成しておくことができるかがポイントになります。 (画像著作者: Vive La Palestina)
最大の難関「100人の壁」。実力者の逆襲を防ぐ
30人、50人の壁を乗り越えていくと、いよいよ最大の難問、「100人の壁」が我々の前に立ちふさがります。ラスボス感が漂うこの壁は本当に強敵で、これまでに幾多のスタートアップを潰してきた魔王的存在です。
この時期は、事業の成長を加速させていくタイミングです。言い方を変えれば、人員不足がボトルネックとなってしまい事業成長が鈍化しないよう採用も加速させていく時期です。このフェーズに入ると、「50人の壁」のときに紹介をした
○新規接触による採用が急激に増える(=縁故採用中心でなくなる)
○組織内のコミュニケーションの階層が深くなり、複雑化する
に加え、
○成長を牽引してきたコアメンバーの離脱
という破壊力抜群なイベントが起こります。どういうことが、それぞれ詳しく説明します。
接点のないメンバーの採用は前述した通りです。事業の成長に合わせるべく、経験者採用を加速させていくわけですが、“力のある方の採用”というのは時に諸刃の剣と化します。実力者と呼ばれる方々は、幾多の死線をかいくぐり実績を出してきた方々です。当然、自分の仕事にこだわりやポリシーがあります。これが厄介の種になることがあるのです。例えば、自分の方針と異なる決定がされた場合や、前所属会社で当たり前のように行われていたことが実施されなかったりすると「普通は・・・」、「常識的に考えて・・・」、「あの決定は違う・・・」などのネガティブな解釈・発言を定常的に行うようになります。自身のやり方や過去の成功に引っ張られすぎて(俗に言う「成功の復讐」というやつです)、新しい組織にフィットできなかったりもします。これが一番危険なのです。
結局、考え方ややり方をお互いチューニングすることができず、嫌な別れ方をしてしまうことも少なくありません。だけどスキルはある方なので、メンバーからの信頼も厚かったりします。そうなると近くにいた部下やメンバーもずるずる引きずられて・・・といった最悪の事態も起きがちです。
だからこそ、採用時にはスキルや実績があるという要素だけではなく、文化やビジョンマッチング、柔軟性・順応性(素直さ)という要素も重要なのです。採用で妥協してはいけないとよく言われますが、それはこのような事態を防ぐためでもあるのです。
また、社員数が増えると組織内のコミュニケーションが複雑化することは自明です。そして、このコミュニケーションの複雑化は、前述した「実力者の逆襲」とも密接に関係します。
例えば、コミュニケーションのハブとなるミドルマネジメント層に、考え方やポリシーの合わない実力者が配置されれば、思いもよらぬところでマイナス・ネガティブな情報や解釈を現場とやり取りされる恐れがあります。そして、これが知らず知らずのうちに組織を腐らすきっかけになるのです。    
コアメンバーの離脱が引き起こす組織崩壊
そして、最も危険かつ避けがたい事象が「成長を牽引してきたコアメンバーの離脱」です。離脱する理由としては、もちろん経営方針や組織観の不一致によるものも当然あるでしょう。一方で、初期の成長を牽引してきたメンバーは、客観的に見ても非常にスキルフルで、市場価値の高い方々です。そうしたメンバーには、様々な企業から絶えず魅力的なオファーが届くものです。加えて、優秀な方というものは、自身の将来に対する強い意思や想いも持っており、機が熟せば積極的に新たな挑戦を選択する方も多いのが実情です。 
ちょうど従業員数が100人に達する時は、初期の成長を牽引してきたメンバーが入社してから2年〜3年を迎える時期だったりもします。そうした時期的な要因も相まって、他社に引っ張られてしまったり、自らの意思で起業(新たな挑戦)を選択するといったイベントが徐々に増え始めます。もちろん、こうしたメンバーが離脱せず、ずーっと一緒に仕事ができたら幸せですが、そうも言っていられません。
この問題に対する処方箋は「依存度の希薄化」を推し進めることです。スーパースター人材1人に重要な業務が集中しすぎていると、その人が抜けたときのインパクトは想像を絶します。そうではなく、個人への依存度を極力低め、誰が抜けても組織が回る状態をつくることを常に目指すのです。 
「今、誰が抜けたらダメージが大きいですか?」といった質問に対して、「誰が抜けても大丈夫です」と胸を張って答えられる状態をつくることが、このとき一番大切なポイントです。
「成長の壁」を乗り越えていくために
30人、50人、100人と一気に成長の壁について説明をしてきました。もちろん、私が挙げたことは、事象のいち側面でしかないですし、取り上げた課題も真因ではないかもしれません。加えて、組織は生き物であり、100社あれば100通りの問題と解決方法があります。なので、「参考にする」くらいの軽い気持ちで、理解していただければ幸いです。
また、種々の組織課題を発生させないために最も効果のある処方箋は「採用≒エントリーマネジメントの徹底強化」と「経営陣の組織づくりへのコミットメント」であることは、言わずもがなです。 
多様性あふれる組織づくりを尊重する一方で、「ここだけは譲れない」というビジョンや組織共感を妥協せずに仲間づくりができるかがポイントになるのでしょう。同根異才という言葉を良く使いますが、多様性ある組織づくりの肝はこの言葉に凝集されていると思います。
同根=ビジョン共感があり、かつ異才を放つ=多様なスキル・価値観を尊重する組織を目指したいものです。 
 
ティール組織とは?

 

ティール組織は、上司やマネージャーを必要としない次世代型組織マネジメントの概念です。日本では国をあげて働き方改革が提唱されており、ティール組織はこの改革における組織づくりにも活かせます。ここでは、自己組織化の新しいモデルになるであろうティール組織について解説します。
ティール組織とは何か?
ティール組織とは、1960年代後半にケン・ウィルバーのインテグラル理論の中で提唱された組織ステージレベルの一つです。これは、経営層や上司という立場である人材が、マネジメントを行わなくても組織としてきちんとした仕組みができており、かつそれぞれがクリエイティブに活動している組織のことです。
現在このティール組織を導入しようとする企業が増えており、書籍の『ティール組織』はマネジメント部門で圧倒的1位を獲得するほどに注目を集めています。本記事では、ティール組織の詳細や導入企業の事例を紹介し、導入実現のポイントを解説します。
上司やマネージャーを必要としない
これまでの組織体系には上司やマネジメントは当然とされてきましたが、このティール組織では上司やマネージャーを必要としません。
上司からの指示をもとに行動を起こすのではなく、自らで組織の達成すべき目標や目的に合わせて、それぞれが考えて行動することが重要とされています。そのためには、これまでのマネジメントの概念を撤廃し、セルフマネジメントが必要不可欠になります。
ティール組織の「3つのブレイクスルー」
ティール組織には、以下の3つのブレイクスルーがあります。
(1)Wholeness(ホールネス):個人として全体性を発揮
ひとり一人が持っている人間的な潜在能力をすべて発揮できる環境を整えること
(2)Evolutionary(エボリューショナリー):進化する組織の目的
創業者が決めたビジョンではなく、組織の存在目的を意識して変化する方向性のこと
(3)Self Management(セルフマネジメント):自己管理能力
誰かの指示を待たず、ひとり一人が意思決定すること
ティール組織に至るまでの4つの過程
組織の特徴は色で表現されることが多く、ティールとは青と緑の中間の色のことをさします。ティール組織に至るまでの過程には、以下の4つの組織が存在しています。それぞれの色の特徴を持つ組織が、会社でいうとどのようなタイプの組織であるかを簡単に解説します。
○レッド組織:ワンマン経営者の個人の力によって運営している組織
○琥珀(コハク)組織:軍隊のように上下関係が厳しく徹底されている組織
○オレンジ組織:役職という形でポジションを与えながら結果を出した人材はしっかりと評価し、出世させていくという運営方針の組織
○グリーン組織:個人の主体性を重要視し、個人の多様性を尊重する組織
ティール組織に取り組む前に知っておくべきこと
ティール組織に取り組む前に知っておくべきことについて紹介します。以下で紹介する内容を理解しておかなければ、組織作りに失敗してしまう恐れがあるため、事前におさえておくようにしましょう。
ティール組織はパラダイムであり手法ではない
前述どおり、組織のタイプというのは色分けして表現されるため、ティールも同様に一般的な組織の枠組みの一つとして考えられがちですが、実はそうではありません。ティールは、これまでの組織論とは異なった新しいパラダイムであり、手法ではないため、ほかの組織論のように決まった形のモデルがないのが特徴です。
ティール組織は必ずしもベストではない
ティールには、「〇〇であるべき」というやり方や決まった条件があるわけではないので、それぞれの会社によって違うやり方で導入されるのが一般的です。そのため、ティールは必ずしもベストではなく、変化するものであることを理解しておくことが重要です。それは、ベストであると納得してしまうと、そこで満足することによって思考が止まり、変化に対応できないことになるからです。
ティール組織は、達成型組織の副作用を打破する
現在の日本のほとんどの会社は達成型組織と言われるマネジメントのあり方で運営されています。この達成型組織では、自分たちが出す結果によって会社が成り立っているという意識を強く持たせられます。そのため、「自分が頑張らないと倒産してしまう」や「結果が出なければ上司に怒られるのではないか」という「恐れのマネジメント」のもと運用されています。しかし、ティール組織は達成型組織にあるこれらのような副作用を打破するものなのです。
ティール組織が目指す未来
ティール組織が目指す未来について紹介します。なかなかティール組織自体が何か?という実態を掴めない方が多い中、ティール組織になることでどのような未来を目指しているのかを解説します。
社員が会社の存在意義を考え貢献する
ティール組織になることによって、社員自身が会社の存在意義を考え、それに対して自分は何か貢献できているか?を考えられるようになります。そうすることによって、個人が主体性を持って働けるようになり、何が会社にとって有益かということを意識できるようになります。
助言をベースとしたプロセス
上司から与えられた仕事に対して、それをこなす形で業務に取り掛かるのではなく、メンバー同士で交流して進めていく中で、何をすべきかを判断し、仕事を進めていけるようになります。その中で、最適なリーダーを見つけ、関わるメンバーで助言し合いながら進めていくため、上司の役割はマネジメントではなく、業務に対する助言になるのです。
職場の自分と本当の自分の乖離をなくす
組織に個性を縛られて、自分らしさを閉じ込めてしまうような環境では、圧倒的な結果を出すことは困難です。ティール組織では、職場の自分と本当の自分の乖離をなくす環境づくりがされるため、ありのままの自分を発揮でき、圧倒的な個人のパワーを引き出すことができるようになります。
ティール組織を導入実践する企業の事例
実際にティール組織として運営されているオランダの非営利在宅ケア組織 Buutzorg(ビュートゾルフ)の例を紹介します。Buutzorg(ビュートゾルフ)は、オランダ国内で全850チーム、10,000人が活躍する組織であるにも関わらず、チームリーダーとなる存在はいません。1チーム最大12名まで限定することでそれぞれのチームを独立した組織とさせ、定期的にメンバー同士でミーティングをして進捗や仕事内容を確認するという形で運営されています。
ティール組織を目指してマネジメントの常識を変えよう
組織作りというのは10社あれば、10社すべて違うやり方なのは当然のことです。そのため、必ずしも正解というのは存在するわけではありませんが、マネジメントの方法を変えることによって社員の意識を変えることはできます。
こちらの記事では人間の5大欲求を利用したマネジメント手法を紹介しています。
○マズローの欲求5段階説 / 人間の自己実現理論として有名なマズローの欲求5段階説について、心理学における動機づけや、モチベーションに関する理論・・・.
プロジェクトマネジメントの考え方も参考にしてみてください。
○プロジェクトマネジメントとは? / プロジェクトマネジメントとは何かプロジェクトマネジメントとは、与えられた目標を成し遂げるために、人材配置・資金調達・・・
もし、これから自社の組織作りに一手加えたいと考えているのであれば、ぜひこれを機会にティール組織を目指し、新しいマネジメントでの組織作りをしてみてはいかがでしょうか。
マズローの欲求5段階説
マズローの欲求5段階説とは
マズローの欲求5段階説とは、アメリカの心理学者アブハム(アブラハム)・マズローが提唱した理論であり、人間の欲求を5つの階層で段階的に表したものです。
自己実現理論とも呼ばれ、マズローはこの理論で「人間は自己実現に向かって段階的に成長する」と仮定しました。
理論自体には諸々の批判はありますが、今では心理学の世界だけではなくビジネスやコーチングなどの分野でも広く受け入れられている考え方です。
マズローとは
マズローはアメリカでユダヤ系ロシア人移民の家庭に生まれました。
1937年にニューヨーク市立大学ブルックリン校に教授として着任し、1967年からはアメリカ心理学会会長も務めた人物です。
マズローは人間性心理学の第一人者として非常に有名です。
欲求5段階説をはじめとする人間の自己実現を中心に、それまでの心理学では避けてきたような人間的な要素の研究の道を拓いたことが評価されています。
マズローの「人間の欲求はピラミッド状の階層を成し、徐々に高い次元に成長していく」という理論は、それまでの心理学の動機付けに関する考え方に哲学的な視点を与えた点で、多くの心理学者に衝撃を与えました。
ヒューマニスティック心理学
マズローが欲求段階説を唱えた当時の心理学界は、これまでのフロイトの精神分析学とワトソンやスキナーといった心理学者によって発展した行動主義が流行していました。
しかし、この頃からこれらに代わる新しい理論としてヒューマニスティック心理学が登場しました。
ヒューマニスティック心理学の基本的な考え方は、これまで主流だった生物学的な欲求および刺激に反応する人間を解釈することではなく、ありのままの人間に対する本質的な理解を重視することでした。
マズローはその中で、人間の動機づけにおける「自己実現」をもっとも重要なテーマとして掲げました。
動機付けとは
欲求5段階説を理解する鍵となる、多くの心理学者がさまざまな理論を発表してきた人間の「動機づけ」とは、本来どういうものでしょうか?
動機づけとは、簡単にいえば私たち人間をはじめとした生物の行動理由にあたり、そのもっとも基本となる大原則として「不快な状態を避け、快を得ようとする」という考えがあります。
この考え方は今でも基本的に変わっていないのですが、動機づけに対する説明は、心理学の発展とともに大きな変化を遂げてきたといえます。
本能
初期の心理学においては、人間の行動は本能によって決まるとされていました。
つまり、生得的に生物に備わっている生きるという目的のための内部的な推進力で説明できるとされていたわけです。
たとえば、怒りや未知のものへの恐怖、愛情といった本能によって、行動の動機づけが決まるという考え方です。
しかし、この考え方だけでは、人間の謙虚さや虚栄心、嫉妬といった生得的とは言い難いものについての説明が上手くできませんでした。
どこまでが本能による動機づけで、どこからが学習された行動によるものなのかが明らかではなかったわけです。
欲求および動因
このように本能による動機づけの説明が力を失うにつれて、行動主義と呼ばれる心理学が勢いを増してきました。
人間の空腹や喉の渇き、あるいは眠いといった欠乏状態を欲求といい、それが満たされていない人間の内的な状態を動因といいます。
行動主義心理学者たちは、動機づけはこの動因を減らそうとする力であると定義しました。
たとえば、空腹という動因は何かを食べるという行動を引き起こしますが、食物が十分に食べられれば、この空腹動因がなくなるということです。
こういった生理的欲求を満たす動因のほかに、学習と経験によって発達する動因もあります。
たとえば子供が学校の成績が上がったときに、親から褒められたことをきっかけに、さらに勉強を頑張ろうという動因がこれにあたります。
目標および誘因
そして1950年代あたりから、動機づけに関して、さらに認知の役割が重視されるようになってきました。これは簡単にいえば、動機づけを目標と誘因という観点から説明しようとするものです。
心理学的には、動機づけられた行動の対象を目標といい、目標がもっている魅力を誘因といいます。
たとえば、優秀な成績をとることは、周囲からの賞賛という高い誘因があるため、多くの学生が勉強して高成績を目指すことが説明できるでしょう。
こういった動機づけに関するさまざまな理論を、肯定的あるいは否定的に取り入れることで、マズローは欲求段階説を提唱するに至ったわけです。
欲求の5段階とは
それでは、マズローの提唱した欲求5段階説のそれぞれの欲求について、具体的に解説していきましょう。
彼は心理学の世界において、理論化されてきた人間の欲求について、優先順位を備えたピラミッド型の階層として概念化を行いました。
この階層はピラミッドの下にあるものほど根源的で優先されることを意味しています。
下の階層から順に説明すると、以下のようになります。
生理的欲求
生理的欲求は、人間の生存に必要となる基本的かつ本能的な欲求です。人間にとってこれを満たすことが、上層にあるどの欲求よりも優先され、食欲や睡眠欲などが当てはまります。
この欲求が満たされなければ人間は命を永らえることができませんし、他の生物にとっても必須の欲求です。
ただし、一般的な動物がこの欲求レベルを超えることはないのに比べ、人間がこの欲求レベルに留まり続けることは、ほとんどないといっていいでしょう。
安全の欲求
生存のために安全な「場」を求める欲求です。人間でいえば、身体的な安全性や経済的安定性、よい健康状態や人間らしい生活水準の維持など、予測可能で秩序ある生活状態を獲得しようとする欲求といえるでしょう。
上述の生理的欲求と安全欲求は、これらを合わせて人間の生存と安全を守るための基本的な欲求をいうことができます。
社会的欲求
社会的欲求は所属と愛情の欲求などといわれ、家族や友人、周囲の人々から受け入れられたいという欲求のことです。
一定の集団に帰属して、そこから愛情を得たいという欲求であり、生理的欲求と安全欲求が満たされてはじめて現れる欲求であるといわれます。
これが満たされない状態が続いてしまうと、人間は不安になったり、孤独感を感じたりするようになります。
承認の欲求
承認の欲求は自尊心の欲求ということもできます。所属する集団から価値のある人間だと認められ、尊重されたいという欲求であり、いわゆる出世やステータスを追求するような行動の源がこの欲求といえます。
ちなみに、この承認欲求には低いレベルと高いレベルの2種類があるとマズローは説明しています。
前者は地位や名声などを得ることによって満たすことができるとしており、後者は自己肯定感や自己信頼感を得ることや、(心理的に)自立することによって得られるとしています。
マズローによると、低いレベルの承認欲求に留まることは危険だと唱えています。
高いレベルでの承認欲求を満たすことが望まれるのであり、この欲求が満たされないと無力感や劣等感を覚えるとされています。
自己実現の欲求
これまで説明してきた欲求がすべて満たされると、自己実現に至る欲求が現れます。
自己実現とは、自己の可能性を実現したいという欲求で、自身のもつ才能や技能を最大限に発揮し、それを具現化したいということです。
それによって「本当に自分がなりたいものになる」ための欲求ということができるでしょう。人間は自己実現欲求にしたがって創造性を発揮したり、自己啓発的な行動をしたりするようになります。
マズローも、精神的に健康で自身の可能性を十分に発揮することを実現している人を「自己実現的人間」と呼んでおり、そういう人の特徴として、思慮深い哲学的なユーモアのセンスがあるといった説明をしています。
欲求の5段階を理解するためのポイント
次に、この欲求5段階説を理解するために重要となるポイントについて解説しましょう。
種類ではなく段階
欲求5段階説で重要なのは、一つひとつの欲求は、たんなる種類ではなく「段階」であるということです。
すでに説明したように、人間の欲求はピラミッド構造になっています。生理的欲求や安全欲求のような基本的な欲求から、上の階層に向かって順番に満たしていくことによって、最終的に自己実現に至るというのがマズローの考え方です。
そういう意味では、下位欲求で満足してしまうことは、人間としてまだ成熟の余地があるということです。最終的に自己実現を目指すような動機づけをしていくことが、正しいモチベーション管理の方法ということになるでしょう。
人間は主体的存在
マズローはそれまでの心理学の常識でもあった、人間の心の問題が無意識に関わると考える精神分析学や、それが学習されたものの結果であると捉える行動療法とは違う考え方を提示しました。
すなわち、人間とは自己成長や自己実現を目指す主体的な存在であると考え、人間の心の問題を人間性全体の問題として捉えなおしたわけです。
この考え方はカウンセリングなどの分野に広がり、今でも欲求5段階説がビジネスやコーチングなどの場で参考にされています。
自己超越階層
マズローは後に、これまで提唱してきた5段階の欲求階層に加えて、さらにもう一段階上の階層があると発表しました。
これが「自己超越(Self-transcendence)」と呼ばれる階層で、統合された意識をもちながら高みを目指し、自我を放棄して目的に没頭する状態を指します。
マズローによると、この状態に至ることのできる人間は人口の2%ほどであり、ほとんどの人間はこの階層に至ることはないとしています。
トランスパーソナル心理学
マズローがこういった自己超越階層を提示するに至った背景としては、上述のヒューマニスティック心理学の研究の発展があります。至高体験や神秘体験といった超越的な体験が、人間の心の成長につながるという臨床的なデータが観察されはじめたのです。
そこで彼は、これまでの心理学の枠組みで捉えることのできない、より高度で深い意識体験があることや、個人の力を超えたより大きな力が存在することを認めました。
そして、そういった領域を探求するトランスパーソナル心理学を創設しました。
これは、神秘体験や超越体験といった超常体験を取り上げながら、そういった体験がおこる心的領域を含んだより包括的な心の構造モデルを提示することを目的としたものです。
科学的見地からの批判はありますが、現在の心理学の世界でも、一定の立場を確立している分野です。
マズローの欲求5段階説の活用
最後に、現在マズローの欲求5段階説が活用されている分野について、簡単に説明をしておきましょう。
組織のマネジメント分野
組織の効果的なマネジメントのために、経営者や管理職が欲求5段階説を活用するケースは多くあります。
現代のほとんどの組織では、下位層の生理的欲求や安全欲求は満たされていますから、そこからさらにスタッフの欲求水準に合わせた効果的なマネジメントをしていくことが必要となります。
たとえば社会的欲求を満たす段階にあるスタッフには、基本的な作業が行えるような教育を施すなどして、チームの戦力として役立っていることを自覚させるといった施策が有効となるでしょう。
そして承認欲求の段階にあるスタッフには、比較的難易度の高い作業を行わせ、その結果を褒めるといったやり方が効果的なはずです。
このように、欲求段階説を参考に、部下の欲求レベルがどの段階にあるかを見計らいながら効果的なマネジメントをしている管理職はたくさんいます。
マーケティング分野
企業のマーケティング分野でも、同理論が活用されるケースは少なくありません。
たとえばターゲット層がどの欲求レベルにいるケースが多いのかを知ることができれば、その欲求を満たすようなセールスレターをリリースできるでしょう。
逆に新商品のプロモーションなどでは、5段階欲求のうち、どこにフォーカスを当てるべきかといった観点から戦略を立てることができるようになります。
顧客のニーズやウォンツを知るうえでの指標となるのも、この理論の特徴といえるでしょう。
モチベーション維持・コーチングなどの分野
マズローの欲求5段階説は人間の動機づけやモチベーションに関する理論なので、当然、企業スタッフのモチベーション管理や、コーチングといった分野で積極的に活用されています。
コーチングで扱うテーマの多くは自己実現欲求に関するものです。
しかし、当の本人がそれ以前の階層の欲求を放置したまま自己実現を目指そうとして、結局はモチベーションにつながらないというケースが少なくありません。
そこで欲求段階説に照らして現在の欲求段階を明らかにし、まずはそのレベルを満たすことによって、最終的に自己実現に向かうようにアドバイスをすることができます。汎用性のある考え方であるため、さまざまなカウンセリングの場で応用することができるのです。
欲求5段階説を自己のモチベーション維持につなげる
マズローの欲求5段階説について、その心理学的な背景から現代の応用分野にいたるまで、解説してきました。
この理論はさまざまな分野で参考にされていますが、実証的な検証の難しさもあって、理論構造に関する批判も多くあります。いかなるケースにも絶対に当てはまるというわけではないので、そのあたりは注意が必要でしょう。
しかしそれでも、人間の動機づけに関して汎用性の高い説得力のある考え方を提示してくれていることは事実です。私たち自身も実体験として、この階層のとおりに自己実現に向かっていることを感じることが多いはずです。
ぜひ欲求5段階説について理解し、自社のマネジメントや自己実現に活かしてみてください。
プロジェクトマネジメント
プロジェクトマネジメントとは何か
プロジェクトマネジメントとは、与えられた目標を成し遂げるために、人材配置・資金調達・設備・スケジュールなど、プロジェクト全体を管理する手法のことです。このプロジェクトマネジメントを行う役割のことを、プロジェクトマネージャー(PM、プロマネ)と呼びます。
会社の業績を上げるためには、プロジェクトマネジメントを適切に行うことが不可欠です。
ちなみに、システム開発などの現場で使われることが多い用語であるためIT業界専門の言葉と思っている方もいるかもしれません。しかし、プロジェクトマネジメントは仕事からプライベートまであらゆる場所で使える考え方。例えば、旅行の計画を遂行することも、立派なプロジェクトマネジメントなのです。
プロジェクトマネジメントの知識体系
現在プロジェクトマネジメントの知識を体系的に学ぶためには、「PMBOK(ピンボック)」というフレームワークが一般的です。
PMBOKとは、アメリカの非営利団体・プロジェクトマネジメント協会がまとめたもので、世界中で使われています。具体的にPMBOKは、知識やノウハウを以下の10個の知識体系で整理しています。
○プロジェクト統合マネジメント
○プロジェクト・スコープ・マネジメント
○プロジェクト・タイム・マネジメント
○プロジェクト・コスト・マネジメント
○プロジェクト品質マネジメント
○プロジェクト人的資源マネジメント
○プロジェクト・コミュニケーション・マネジメント
○プロジェクト・リスクマネジメント
○プロジェクト調達マネジメント
○プロジェクト・ステークホルダー・マネジメント
※ちなみに、プロジェクトマネジメント協会は「PMP」というプロジェクトマネジメントに関する国際資格の認定も行っています。プロジェクトマネジメントスキルを磨いたり、キャリアアップを目指している人は試験を受けても良いかもしれません。
プロジェクトマネジメントの手法
プロジェクトをどのように進めていくかは、時代によってさまざまな手法が取られています。中でも一般的なのが「ウォーターフォール」と「アジャイル」という2つの進行方法です。特に、最近注目を集めているのが「アジャイル」型のプロジェクトマネジメントです。
プロジェクトの規模や内容にもよりますが、一般的にはこのどちらかの流れに沿ってプロジェクトを進行していくことが多いです。
それぞれの特徴と、違いを把握していきましょう。
ウォーターフロー型プロジェクトマネジメント
「水が流れる」という言葉の意味どおり、時系列に順番にプロジェクトを進行していく手法です。
システム開発などの分野では、昔から使用されていた考え方です。
例えば、
要件定義→設計→開発→テスト→運用
と工程をあらかじめ定めていて、それを順番にすすめていきます。一度進むと、前の段階には戻りません。
全体の進行状況の把握はやりやすいですが、途中で方針が変更されたら、すべてやり直しせざるを得ないというデメリットもあります。
アジャイル型プロジェクトマネジメント
「アジャイル」とは”すばやい”という意味で、「イテレーション」と呼ばれる短い開発期間を繰り返し、完成を目指す手法です。
イテレーションの1サイクルの中で、
計画→設計→実装→テスト→リリース
という一通りの工程を含めてしまいます。
つまり、ある程度の段階でリリースして、その後顧客の意見も取り入れつつ、さらに改善して最終目標を目指すことになります。
この方法でしたら、実際に動いたテスト版を見て新たな要望が生まれる場合など、プロジェクト途中に変更が生じても、問題なく取り入れられるのが一番のメリットです。
ただ、プロジェクト全体の進行具合が見えにくいというのが管理上のデメリット。ですから、短期間で完成するような単発のプロジェクトの場合は向いているかもしれませんが、長期にわたるプロジェクトにはあまり適さない手法と言えます。
プロジェクトマネジメントの理論や手法を学んで業務に活かそう
プロジェクトマネジメントは経験や勘に沿って行うのではなく、きちんと理論を学び、ノウハウに沿って行うことが大切です。プロジェクトマネジメントはビジネススキルの一環ですから、今後のキャリアプランを考えて勉強するのも良いでしょう。
また、プロジェクトマネジメントに正解があるわけではなく、時代によっても変わります。実際に管理する側に立ったら、プロジェクトの内容やメンバーの様子などを柔軟に捉えて、枠組みにとらわれずに、自分ならではのプロジェクトマネジメントの手法を確立することが、今後のプロジェクトマネージャーには欠かせないスキルかもしれません。  
 
製造不祥事から学ぶ教訓

 

(前編)
1 調査報告書で開示されている原因と再発防止策
昨年(2017年)の企業不祥事を振り返りますと、品質データの改ざんや偽装検査など製造に関する不祥事が最も印象に残った方が多いのではないでしょうか。
ここ3年の製造関連の不正といえば、2015年の大手タイヤメーカーの建物の免震ゴムの性能データ改ざん、準大手ゼネコンと建設会社等による共同住宅(マンション)の杭打ちデータ改ざんに始まり、2016年には、海洋土木大手企業による東京国際空港地盤改良工事における施工データ改ざん、自動車メーカーによる軽自動車の燃費データ改ざんがあり、2017年に入って大手自動車メーカーの検査偽装や鉄鋼・非鉄大手企業の品質データ改ざん(以降、総称して「一連の製造不祥事」といいます)、それに続く同類の不祥事が発生しました。
このように、製造関連の不正が相次ぎましたが、従来からあった「技術やデータに関する事項は専門家がしっかりやっている」という日本企業のモノ造りへの信頼が大きく揺らいだ年であったような気がします。
【製造関連の不正に関する「一連の製造不祥事」】
1 大手タイヤメーカーの建物の免震ゴムの性能データ改ざん(2015年)
2 準大手ゼネコンと建設会社等による共同住宅(マンション)の杭打ちデータ改ざん(2015年)
3 海洋土木大手企業による東京国際空港地盤改良工事における施工データ改ざん(2016年)
4 自動車メーカーによる軽自動車の燃費データ改ざん(2016年)
5 大手自動車メーカーの検査偽装(2017年)
6 鉄鋼・非鉄大手企業の品質データ改ざん(2017年)
しかも公表されている調査報告書を見ますと、これらの事例には、1現場の従業員が長年にわたって不正行為を継続した、2長期間にわたって経営陣はその事実を知らず、それゆえ是正されなかった、というほぼ共通の事象があります。
これら2つの事象について、企業にとっての最大の問題は、長期間にわたる不正行為が、株価の下落や信用の失墜による収益の低下、リコールや損害賠償等の企業価値の毀損を招いてしまったこと、そして、経営者がこれらの現場の不正行為を監視する仕組みを保持していなかった(それゆえ、その点を改善しなければ現場での他の不正行為が再発し得るという)ことです。
なぜこのような不祥事が起きてしまうのか、どうすれば防止できるのか、調査報告書で開示されている原因と再発防止策は下記の図のようになっているのですが、本稿では、それらをさらに深堀りして、企業として行うべきことを提言してみたいと思います。
【一連の製造不祥事(6事例)の発生原因と再発防止策(調査報告書より)】
図の中の「閉鎖的な組織の弊害(タコツボ現象)については「第2回 製造不祥事から学ぶ教訓、問題の本質と対応策の提言(後編)」で述べますが、「一連の製造不祥事」でほぼ共通の事象として見られたのが「目標達成への強いプレッシャー」と「風通しの悪い組織風土」です。
2 「目標達成のプレッシャー」と「組織風土」から発生する不正
2-1目標達成への強いプレッシャー
まず「目標達成への強いプレッシャー」ですが、「最高の燃費を目指して、他社に負けるな」とのトップからの発言を受けた開発担当幹部が「何としてでも目標を達成しろ。やり方はお前らで考えろ」とのプレッシャーを現場にかけ続けていた上記4の2016年の自動車会社の事例1、「他社に追いつけ追い越せ。自社で開発した新工法なので成功させないといけない」というトップの発言を受けた支店長が「失敗は許されない」というプレッシャーを現場にかけて引き起こされた上記3の海洋土木大手企業の事例2など、トップの思いをくみ、幹部や管理職が実績を残そうとして、現場がそれらの重圧に負けて企業不祥事となったという構図が見られます。
2-2風通しの悪い組織風土
また、「一連の製造不祥事」では、トップが社内で起こった不祥事を知るに至るまで長い年月がかかっている点が大きな問題です。前記2-1の「目標達成へのプレッシャー」が組織の上から下への問題であるのに対して、「無理だ」と声をあげてもトップに届かない、あるいは現場の本音がトップに伝わらないという、組織の下から上への風通しの悪さは「組織風土」の問題です。
『上層部からの理不尽とも思われる指示に、現場や管理職が「無理だ」と言えない、あるいは目標の達成というトップの意向に沿うために、社内のルールに反するような行為を現場の判断で行うことを余儀なくされるような状況』こそが企業不祥事の問題の本質だとすれば、それは彼らの道徳意識というより、むしろ組織風土の問題、すなわち、ガバナンスの領域です。前記2の図の発生原因に挙げた「従業員のコンプライアンス意識の欠如」を生じさせたのは、ガバナンスの欠陥であるという見方をすべきではないでしょうか。
○目標の達成というトップの意向に沿うために、社内のルールに反するような行為を現場の判断で行うことを余儀なくされるような状況は、ガバナンスの領域の問題
『「目標達成への強いプレッシャー」があり、かつ「風通しの悪い組織風土」があると不正が発生する』、これが「一連の製造不祥事」から学ぶ1つ目の教訓です。では、この2つの問題はどのようにしたら解決できるのかを見ていきます。
3 企業の対応策
3-1目標達成のプレッシャーのかけ方
「利益なくして経営なし」。これはその通りなのですが、目標を設定する際、生産量や生産効率等については、人員や設備、技術上の能力の面から妥当性のある数値目標を、事業部門のコンセンサスのもとに設定することを経て、目標の妥当性を確保することが肝要です。なぜならば、それは「このような実現性のない目標を達成しろというのならば数字を創るしかない」という現場の不正の正当化を排除し、現場に対して健全で合理的なプレッシャーを与えることとなるからです。
製造業については、さらに以下を実践することが収益の確保、すなわち企業価値の向上に大きく寄与します。
1 財務的な指標は、生産効率の向上やコスト削減のツールとなる原価計算、原価管理に紐付けされたものとする。
2 財務的な指標だけではなく、品質(工程能力、不適合品発生率等)、顧客満足度、技術開発等の視点を加えた目標や指標を設定する。
3 目標管理(目標の達成度合いの予実分析・管理 )を行う。
目標管理は、問題発見時に必要な対応策を講じることに繋がりますからまさに経営改善の手法となります。
3-2健全な価値観の共有
一般的に、どの上場会社も企業倫理や行動規範等の行動準則(コード・オブ・コンダクト)を定めています。組織風土に問題があるとすれば、それらの趣旨や精神を尊重する企業文化・精神が醸成されていないこととなりますから、取締役会による行動準則のレビューを求めているコーポレートガバナンス・コードの補充原則2-21への対応の問題となります。
【コーポレートガバナンス・コード 補充原則2-21】
取締役会は、行動準則が広く実践されているか否かについて、適宜または定期的にレビューを行うべきである。その際には、実質的に行動準則の趣旨・精神を尊重する企業文化・風土が存在するか否かに重点を置くべきであり、形式的な遵守確認に終始すべきではない。
コーポレートガバナンス・コードへの実務対応としては、単なるコンプライアンスアンケートに留まらない、組織風土の現状を測定する従業員サーベイ(調査)を実施するのが具体策となります。測定するのは、たとえば、以下のような事項となります。
1 行動準則の認識・理解度や順守状況
2 品質よりも納期を優先するなど社内ルールに矛盾するような事態は発生していないか
3 各所管部署の業務(営業、購買、生産など)について不合理と思われる社内ルールはないか
4 内部通報制度は活用出来るか、活用できないと思われる場合は、なぜそう思うのか
5 社内の風通しの良さの度合い
6 企業価値向上に向けての社内の空気と自分の気持ち
など
無記名方式で声なき声を吸い上げ、結果を取締役会に報告し、対応を審議する。このような従業員サーベイは、通常、企業価値向上にむけて従業員に心を寄せる経営者のメッセージが付されることとなりますから、役職員の士気が上がり、組織の風通しも良くなり、価値観を共有する手段となるでしょう。
(後編)
1 不正行為が発覚しない根本的原因 -「組織風土」と「経営と現場の乖離」
『「風通しの悪い組織風土」の中で「経営と現場の乖離」があると不正が発覚しない』。これが「一連の製造不祥事」から学ぶ2つ目の教訓です。
【製造関連の不正に関する「一連の製造不祥事」】
1 大手タイヤメーカーの建物の免震ゴムの性能データ改ざん(2015年)
2 準大手ゼネコンと建設会社等による共同住宅(マンション)の杭打ちデータ改ざん(2015年)
3 海洋土木大手企業による東京国際空港地盤改良工事における施工データ改ざん(2016年)
4 自動車メーカーによる軽自動車の燃費データ改ざん(2016年)
5 大手自動車メーカーの検査偽装(2017年)
6 鉄鋼・非鉄大手企業の品質データ改ざん(2017年)
調査報告書にて「取締役会等の重要な会議においても、杭事業に関する提案・報告が非常に少なく、杭事業に対する関心が低かった」1とされた2015年の準大手ゼネコンと建設会社等による共同住宅(マンション)の杭打ちデータ改ざんの事例(上記2)、経営陣は「現場への関心が低く、開発の状況や開発現場の事業環境について踏み込んで理解し、対処しようとする姿勢が欠けていた」、「経営陣は、商品開発プロジェクトに関する会議の場で、専ら事業性の観点から競合車に勝つための燃費達成を求めるばかりで、技術的観点からの燃費目標の実現可能性について積極的に議論を行ったといえるような形跡は見当たらない」2とされた2016年の自動車メーカーによる軽自動車の燃費データ改ざんの事例(上記4)など、現場の「無理だ」という声がトップに届かないという「風通しの悪い組織風土」の中で、経営陣が自ら現場の状況を知ろうとしない、あるいは現場の状況を適切に監視する仕組みを保持しないという「経営と現場の乖離」があると不正の事実がトップに発覚することは非常に難しくなります。
2 「経営判断を間違えないための条件」の喪失
コーポレートガバナンス・コードの原則4-2では、下記のような記載があります。
【コーポレートガバナンス・コード 原則4-2の取締役会の役割・責務(2)】
取締役会は、経営陣幹部による適切なリスクテイクを支える環境整備を行うことを主要な役割・責務の一つと捉え、経営陣からの健全な企業家精神に基づく提案を歓迎しつつ、説明責任の確保に向けて、そうした提案について独立した客観的な立場において多角的かつ十分な検討を行うとともに、承認した提案が実行される際には、経営陣幹部の迅速・果断な意思決定を支援すべきである。(後略)
経営陣は企業価値の向上にむけて果敢なリスクテイクを行っており、そのリスクテイクを「経営判断の原則」が支えているわけです。
その意味で、現場の従業員が行った不正行為を長期間にわたって経営陣は知らず、それゆえ不正行為が是正されなかったことについての問題の本質は、「経営陣が業務執行の現場の事実・実態を把握している」という「経営判断を間違えないための条件」の喪失にあります。事実に基づく情報があれば、経営陣の判断はおのずとしかるべきものとなるはずであり、経営陣が現場の事実・実態を知らないことは、まさに、経営陣が経営判断を正しく行うという前提条件を失っている状況であり、経営に致命傷を与えかねません。
3 ガバナンス主導の内部統制の敷設の必要性
(前編)で、「一連の製造不祥事」では、『社内のルールに反するような行為を現場の判断で行うことを余儀なくされるような状況が報告されている』と述べました。社内のルール=内部統制であり、その構築義務は取締役会にあります。穿った見方をすれば、経営者が「不正・不祥事を起こすな」と掛け声だけかけて内部統制の自治的な対策検討や意思決定を現場の管理職等に丸投げしていると言えなくもありません。
コーポレートガバナンス・コードの原則4-3の抜粋となりますが、「取締役会は、内部統制やリスク管理体制を適切に整備すべきである。」とあります3。細かいテクニカルな内部統制の敷設は担当部署に任せるにしても、取締役会への報告事項を再整備するなど、経営上のリスクについて何か問題が発生した場合は取締役会にその情報が速やかに上がってくるような仕組みを造ることが経営判断を間違えないための条件となります。
その結果、新しいリスクを察知した場合は、取締役会として経営陣に対して必要な措置を採ることを促すなど、企業として適切に対応できるような体制が必要です。(もしもそのような仕組みはあるがそれが報告されないということであれば、それは組織風土の問題に帰結します。)
ここで、企業としての具体的な対応策について論じる前に、「一連の製造不祥事」にほぼ共通してみられた3つ目の事象、「閉鎖的な組織の弊害(タコツボ現象)」について触れさせてください。
4 閉鎖的な組織の弊害(タコツボ現象)
「一連の製造不祥事」の場合、ほぼ共通して「閉鎖的な組織の弊害(タコツボ現象)」がみられるのですが、それが「経営と現場の乖離」を増長させた形となりました。経営効率の観点から、組織の細分化、専門化は不可欠です。ただし、それは権限移譲の仕方によっては、次のような危険性を伴います。
○ 細分化、専門化された各組織内の従業員が、それぞれ自分の組織以外で何が起きているのか知らず、また、知ろうともしなくなる。
○ 自分たちの文化やルールが当然なものに思えてしまうため、それらについての適切性やビジネス環境の変化等に伴う見直しの必要性などについてあらためて考える努力をしなくなる。
○ 組織としての部分最適を求める傾向となりがちになり、企業としての全体最適を追い求める視野を失う。
○ 組織が過度に硬直化し、危険なまでに強固に根を張ると、リスクが見逃され、また、魅力的なビジネスチャンスも見えなくなってしまう。
これらが、タコツボ現象と呼ばれる、閉鎖的な組織の弊害です。実際、2017年に発覚した鉄鋼・非鉄大手企業の品質データ改ざん問題(上記6)の調査報告書4では、経営のスピードと効率化を図るため、下位の組織の自律的運営を促進した結果、組織の規律は各組織の「自己統制力」に依存する状況となった旨の記述があります。
経営効率の観点から不可欠な組織の細分化、専門化を進めつつも、上述したような組織の閉鎖性に伴う危険性の問題をいかに克服してゆくかが経営陣の重要な課題となります。
【組織の閉鎖性(タコツボ現象)への対応例】
1 大規模な組織においては、部門の境界を柔軟で流動的にしておく。社員の移動や他部門との絆を深められる場所や制度を設ける
2 各部門が情報を抱え込み過ぎるとリスクが蓄積される。全員がより多くのデータを共有し必要に応じて活用できるようにする
3 組織体系や分類を定期的に見直す。それらについて、時代の変化に即した、社員の視野が広がる、イノベーションが生まれるような見直しを行う
4 大規模ではない組織においては、期間限定の目的達成型の組織横断的なプロジェクトチームの編成を行う(製品開発、市場調査、業務提携、M&Aなど)
5 報酬制度やインセンティブについて、組織同士が社内で競争関係に陥らないよう、組織同士が協力し合うことを促すような協調重視の制度を考慮する
5 ガバナンス主導の内部統制の敷設
「経営と現場の乖離」を生じさせないための企業の対応策の例を列挙すると以下の通りとなります。
○ 取締役会への報告事項を再整備する(前記4)
○ 経営陣が現場の状況を知るために、フォアフロント・ミーティング(経営陣と現場社員の懇談会)を行う
○ 役員会での議論を活性化させるなどにより経営者の現場状況の把握を促進する
○ 従業員サーベイ(調査)による定期的な組織風土の把握を行う(前編参照)
○ 内部監査を活用する
○ 取締役会の機能を強化する
○ 監査役の機能を強化する  
 
環境変化が組織にもたらす影響力

 

企業経営の3要素
企業経営は、「事業における、1環境、2戦略、3組織の一貫性を維持し続けること」だといえる。「一貫性の維持」とは、環境の変化に伴い、戦略を適合させ、その戦略に組織を適合させることである。「一貫性が維持できない」には、(1) 環境の変化に戦略の最適化が追いついていない、(2) 環境の変化に伴い、戦略は最適化するも、その戦略に組織の最適化が追随できていない、の二つのケースが存在する。
環境、戦略、組織における変化の現れ
事業環境は変化したか?
事業環境は変化している。環境変化として、商品のライフサイクルの短命化、ビジネスモデルの陳腐化、の二つを紹介する。
(1) ヒット商品のライフサイクル短命化
中小企業白書(2005年版)では、ヒット商品のライフサイクルが1970年代以前では5年超が過半数であったものが、2000年代では1〜2年未満に3割が占めることを示し、ヒット商品のライフサイクル短命化を指摘している。
(2) ビジネスモデルの陳腐化
経産省「産業構造ビジョン2010」では、複数の製品を事例とし、世界シェアの急激な下落傾向から、「特定の製品や特定の企業の問題や、単なる一企業の誤った経営判断ではなく、多くの日本企業のビジネスモデルに共通する課題」を指摘している。
戦略は最適化されたか
環境変化に適応すべく、戦略は最適化に向かっている。環境変化に適応できなかった場合、他企業に先を越され、収益が低下する。現在存続する企業は、柔軟に環境適応し続けてきた企業といえる。
環境適応の方法には、従来からの事業に加え、自社のコア・コンピタンスをベースにした事業の幅出しや変革などがある。
組織は最適化されたか
日本企業は、組織の最適化に苦戦している。日本企業は、欧米企業と比較して、戦略の変更に対して組織の最適化が遅れがちである。欧米的経営の企業は、環境の変化に適応すべく、戦略を最適化する。戦略の最適化に伴って、事業の入れ替えが発生した場合、撤退する事業の要員は退出し、新規事業に適した人財を雇用する。すなわち、戦略と組織の整合性は担保しやすい。この場合、環境、戦略、組織における全体の一貫性において「戦略」の重要度が高いといえる。
一方、日本企業は終身雇用性が崩れたとはいえ、現在も雇用継続を前提とした経営を行っている。このため、戦略をドラスティックに変更した場合、組織、特にソフト面の人財の最適化が遅れがちである。また、戦略と組織において乖離が発生するという潜在リスクがある。この場合、環境、戦略、組織における全体の一貫性において「組織」が重要となる。
まとめ
環境、戦略、組織の一貫性を継続的に維持することが重要である。環境変化の度合いが従来に比べて大きくなったことにより、戦略、組織の整合性を合わせに行く段階で、潜在リスクが顕在化し、競争力に影響を与えている。
日本企業は、人財の雇用維持を前提としている面から、戦略と組織の間においてタイムラグが発生しやすい。また、人財に関する潜在リスクがあるため、その他の要因で補完することが必要である。そのひとつの方法として、組織形態の再設計が考えられる。
組織視点からの環境変化
各企業において、先の「中小企業白書(2005年版)」、「産業構造ビジョン2010」の指摘に対して、どのような対応を実施されてきたであろうか。その対応は成功したであろうか。ここでは、環境変化の一つの解釈を紹介する。
組織最適化の3レイヤ
組織のハード面での最適化を、1事業領域、2事業構造、3製品・サービス、の三つのレイヤで考える。1事業領域レイヤでは、どの領域を対象とする事業を営むかを明確にする。2事業構造レイヤでは、どのような事業の仕組み(提供価値、収益モデル、差別化)で事業を実施するかを明確にする。3製品/サービスレイヤでは、どのような製品・サービスを提供するかを明確にする。
環境変化の組織へのインパクト
二つの環境変化の組織へのインパクトを、組織最適化の3レイヤに基づいて考察する。
2005年の「ヒット商品のライフサイクルの短命化」は、3製品/サービスレイヤにはインパクトをもたらすものであったが、1事業領域および2事業構造への影響力は限定的であった。主に従来からの業界内の同業他社との競争になり、業界外からの脅威はまだ大きくない。
一方、2010年の「ビジネスモデルの陳腐化」は、3レイヤのいずれにも影響を及ぼすものであり、従来からの業界内の同業他社にとどまらず、新規参入や川上、川下の業界との競争も発生する。ボーダレス化に伴う事業領域の見直しや新たなビジネスモデルの構築を余儀なくされる。結果的に、組織の抜本的な見直しは避けられず、組織形態の再設計が必要とされる。
組織形態の設計
組織設計の枠組み:バリューチェーン
ポーターは「モノの流れ」に着目して企業の活動を1主活動、2支援活動に分け、それにマージン(利益)を加え、全体の付加価値をバリューチェーンとして表現した。1主活動は、部品や原材料などの購買、製造、出荷物流、販売・マーケティング、アフターサービスなどのマージンを創出する活動であり、主に直接部門が担う。2支援活動は、主活動を支える人事、経理や技術開発などの活動であり、主に間接部門が担う。
組織形態へのインパクト
(1) 従来の組織形態
従来の組織形態は、事業環境として市場拡大、市場内シェアなどの製品/サービスレイヤでの競争時代に構築されたものが多く、組織の目的は「成長」であった。
組織形態は、「成長」視点でのパフォーマンスを最大化すべく、バリューチェーンをベースに、主活動に該当する組織をプロフィットセンター、支援活動に該当する組織をコストセンターと位置づけ、構築された。既存のビジネスモデル、事業構造が有効であったため、「変革」の実施頻度は少なく、その活動は非日常活動と位置づけられた。たまに発生する「変革」は、変革プロジェクト、変革推進チームで都度対応として実施された。
例えば、カルロス・ゴーンによる日産の改革のCFT(クロス・ファンクショナル・チーム)での実施は有名である。「変革」に関しては、活動内容(業務)、資産(特に知識)は、担当した個人にとどまり、組織として蓄積、管理されることは少なかった。
(2) あるべき組織形態
2010年に指摘された「ビジネスモデルの陳腐化」の対応は「変革」であり、「成長」をベースにした組織形態では最適化が十分でない。
今後、ビジネスモデルの陳腐化などの環境変化が一般的になるとするならば、日常的な戦略オプションの一つとして「変革」を組み入れる必要がある。変革を前提にした組織形態ならば、主活動がプロフィットセンター、支援活動がコストセンターという従来の捉え方を見直さなければならない。
つまり、主活動は「現在のプロフィットを生み出す活動」、支援活動は「未来のプロフィットを生み出す活動」という視点に立ち、間接部門が積極的に変革を取り入れていかなければならない。
さらには、支援活動が主導した変革を主活動に還流させ、変革を日常活動として定着させていくことが求められる。
(3) あるべき組織形態実現に向けた課題
組織形態において「変革」がいまだ非日常活動のままの企業が多い。マネジメントが「変革」の必要性を指摘しても、現場は動かない、または動いても活動が遅いなどの課題が顕在化している。
実現に向けた課題は、1業務の不在、2組織の不在、3資産の不在、という三つである。「1業務の不在」は、何を実施するか、どのように管理するか、具体的な業務を明確にすることである。「2組織の不在」は、どの部門が担当するか、具体的な部門を明確にすることである。「3資産の不在」は、自社としてどのような人財を育成/確保し、知識を蓄積するか、社内外を含めどのように情報流を利活用するか、明確にすることである。これらに関するマネジメントの仕組みも最適化する必要がある。
(4) あるべき組織形態実現に向けた要諦
これからのマネジメントは、事業構造までを定常マネジメントの領域とすることが求められる。
「変革」へ適応するための組織形態とは、「変革」に対する戦略オプションを検討し、事業を最適化することを目的とした、1業務、2組織、3資産(人財、知識、情報流など)を明確にした組織である。
従来の製品/サービスレイヤの競争を前提にした主活動、支援活動という意識を超えて、組織の機能全体から事業構造レイヤまでを競争領域とした場合の組織の最適化を実施することが有効であるといえよう。 
 
経営施策の浸透やその実効を妨げる本質的な課題
  「作る側」と「実行する側」の乖離にある

 

1.経営施策、即ち、経営方針、戦略や制度、仕組み等を作り出すプロセス
まずひとつの問題は、経営方針でも戦略でも制度でも、経営施策類を考え出す人達は、1「その手のものをきちんと作れば、整備すれば、組織の成果が上がるはず」「組織全体のパフォーマンスが向上するはず」という前提に立っている。
そのために、実効が上がらないと、成果が出ないと「ウチの現場は駄目だ」「やる気の問題」「実行力が弱い」と実行部隊を責める。
しかし本来経営施策、例えば戦略でも制度でも仕組みでも、将来や先行きに向けての絵にしかすぎない。それは、未来のガイドラインではあったとしても未来を規定するものではない。何の検証もない論理や理屈の世界の話なのである。
そのため、実行段階になるとその通りには運ばないというのが一般的である。
従って、作り出すプロセスというのは、「立案→修正→実行までの一連の流れを包含したプロセスである」と定義しなければならない。
2そもそも経営方針や戦略・制度を作れば、後は実施するだけという方針や戦略、制度・仕組み等はそもそもあり得ないということである。
2.経営施策、即ち、経営方針、戦略や制度、仕組み等を実行する側である現場側に理解させるプロセス
経営方針や戦略の実行段階になると、「現場は何度説明してもわからない」「管理者が下にやらせきれない」といった問題が必ず提起される。
そこには「戦略=トップや本社の仕事」「実行=現場の仕事」という見方が厳として存在し、「トップや本社の言っていることは正しいのだから、現場はそれをきちんと理解して実行しなさい」という前提がある。
そのくせ、現場が言われた通りにやると、「言われた通りのことしかできない」と文句も出たりする。
一方で、現場に説明すると、「わかった、わかりました」とは言うが、実際には「わかっていない」こともどれほど多いことか。
多くの人間と新しいものを共有する場合、特に経営施策を作るというプロセスに関わってない現場の人達に理解してもらうためには、相手に理解して欲しいことを何度も何度も繰り返して言う、繰り返し訴える。
もうひとつ、人間には、みんな感情があって、それが行動に大きく影響を及ぼすことは理屈ではなく現実なのである。
「何故、営業のやり方を変えなければならないのか」、「何故、これだけコストを削減する必要があるのか」等といった問いに、「これはこうである」と論理的に説明することは可能である。極端に言えば、論理的な説明や理由等はいくらでも作ることが出来る。
然しながら、実行する現場の人達は本当にそれを欲しいのだろうか?「腑に落ちる」ということは、必ずしも論理が素晴らしいのではなく、作り手や説明者側の気持ちがわかるということである。「納得する」というのは気持ち・感情によるところがとても大きい。
例えば、聞いている側から「もっと詳細に説明してほしい」「納得いかない」といった意見が出る場合、その背景には、表現こそ変えてはいるものの、「私は、あなたのことを信用していない」と言っているに等しい。このような場合、どんなことを説明してもなかなか納得してもらえないであろう。
大切なことは、100%合意は出来なくても、ひとつの方向でやってみようと関係する人達が「納得」できるかどうかである。
そのためには、作り手や説明者側と実行する側の人達との間に、きちんと「意味の共有」がなされるということが最も重要なのである。
「意味の共有」がなされるためには、次の3つの小さいことが大切になってくる。
(1) 説明する側が手間をかけること
効率的に伝えようとすると、電子掲示板、メール、DVDを配布、VTR或いはTV会議やコンファレンスコール(電話会議)等という形になる。
これは、情報は伝わるが、「意味の共有化」に関しては何の保証も無い。
何故ならば、「意味を共有」するためには言葉以上のものが必要となる。
例えば、言葉の意味というのは何通りにも解釈できるからである。「緊急」という言葉でも、人によって理解は様々である。
会議や打ち合わせ等コミュニケーションに時間がとられて仕事が出来ないといった話をするビジネスマンが現実、非常に多い。
そうすると、出来るだけコミュニケーションを効率化しようという発想となり、指示はメール、全国に散らばる営業マン会議も集まる回数を極力減らす。そのため、「意味の共有」のところがすっ飛ばされて、即「各論」から入り、話が噛み合わず、論点があっちへ行ったりこっちへ行ったりして会議が迷走する場合も多い。
こうした考え方の前提には、[ コミュニケーションの効果 / コミュニケーションコスト ]
要は、分母であるコストが下がれば下がるほど効率的であるという発想。
本来は分子の効果こそ上げなければならないのに、分母のコストばかりを下げようとするので、結果として分子も下がってしまい、実は何も変わらない。場合によっては以前より悪くなってしまっている場合も多い。
例えば、セブンイレブンが2週間に一度、フィールドにいるカウンセラー2000人をわざわざ集めて全体会議をするのは、それだけコストと手間暇をかけないとなかなか「意味の共有」が出来ないということをわかっているからである。
本部の指示が個店(現場)レベルで実施される比率は、セブンが他のコンビニや流通チェーンに比べると格段に高いといわれている。こう考えると、セブンイレブンが莫大なコストをかけてコミュニケーションの場を作っている理由も容易に理解出来る。
結局、「意味を共有する」ためのコミュニケーションは、そんなに効率的にはいかない、出来ないということである。
もうひとつ、説明する側が注意しなければならないことに、「知識の呪い」と言われるものがある。
説明する側は、その説明する施策に関しての背景や様々な知識等を良く知っているために、無意識に説明を受ける相手側もそういうことは知っているだろう、わかっているだろうという前提で話をしたり説明したりしがちである。よくいわれる温度差とは、こうした「知識の呪い」からくるものである。
だからこそもう少し手間をかけて、そうした背景まで伝えていかないといけない。
情報流しただけで会議を開いて説明しただけで相手が理解したつもりにならないことである。
(2) もう少し聞くこと
本当に意味を共有するためには、相手側の考え方や状況を知らなければならない。
例えば、実行する現場の人達が、その案件に対して意見を言う機会があり、作り手側にきちんと聞いてもらえたと実感すれば、結果としてその意見が通らなくても納得し、最終決定に従いやすいのである。
人間というのは、自分の意見が通らず、むしろ自分が反対している意見が最終的に取り上げられたとしても、自分がその議論に参加していた場合と、参加していなかった場合を比較すると、議論に参加している方がより最終案に対して一生懸命取り組むものであるということは、いろいろな研究でも実証されている。
また、人の上に立つ人間は「全て自分の責任であると思うこと」が必須の資質である。
わかっていないと現場を非難することは簡単であるが、「相手がわかるように本当に話しているだろうか」と自問することである。
会話しているといいながらも、実際は自分達の価値観を相手に押し付けているだけの場合が多い。意見を聞くのは、相手のことを理解するためではなく、相手に反論しているだけというケースも多い。
(3) 小さな行動は大きな言葉よりも能弁であること
経営施策を作る側は、言葉でどんな素晴らしいことを言っても行動が伴わなければ意味が無い。要は、言行が一致しないことである。
大事なことは、作る側・説明する側が新しい施策や戦略に則った言行をとっているかどうかということである。
3.経営施策、即ち、経営方針、戦略や制度、仕組み等を実行する部下達に理解、納得させる現場の管理者のマネジメント
新しい施策や戦略を現場のリーダーや管理者がどう受け止めているのか。その受けとめ方、つまり乗り気かどうかということが浸透・実行上の大事なポイントになる。トップの方針や指示は理解出来たとしても行動が伴わず「総論賛成、各論反対」という状況が非常に多い。
メンバーや部下というのは、経営トップの姿勢や、やる気よりも、直属の上司の考え方や真剣度等にかなり影響される。もし、上司が乗り気でないと感じると部下達は、決して新しいことへの取り組みに積極的にはならない。
もうひとつ、管理者が任せぱっなしというのも駄目。リーダーや管理者が「やらなくてはならないんだ」ということをきちんと伝え、「100%合意は出来ていないけれど、決まったことをみんなで実行していこう」ということを部下に理解させるようなマネジメントが非常に重要になってくる。
4.企業風土や組織体質
『企業は環境に生かされる生き物である』。企業が『環境に生かされる生き物』であるとすれば、企業はその環境に適応する戦略を持っていなければならない。
環境に適応するための戦略を駆使する中で、企業は様々な成功や失敗を繰り返すが、その経験を通じて"我々の事業はこれが大事、これが重要"といったものが次第に組織や社員の間に出来上がり、やがてそれが「組織としての」、或いは「社員の人達の」ものの見方・考え方、そして行動パターン等に結実し企業風土と化していく。
昨今のように企業を取り巻く環境が大きく変わる中では、当然のことではあるが、企業は、これまでの戦略を捨てて、その環境に適応するための新しい戦略を作り上げていかなければならない。
然しながら、戦略だけを変えても、組織体制を変えても、風土や体質さらには社員の意識や考え方が変わらなければ、新しい戦略は決して有効には機能せず、逆に不整合を生じさせるのである。
繰り返すが、戦略が変わり、それを支える制度やシステムがいかに立派に構築されても、それに関わる人々の意識が変わらなければ、いわゆる『仏作って魂入れず』という状況に堕すことになる。
そこで、新しい施策や戦略を駆使して成果につなげるためには、戦略、組織、制度等と共に企業風土、社員の意識・考え方等をワンセットとして捉えて変革に向けた手を打つということが非常に重要となってくる。
また、新しい施策や戦略等が浸透しない組織には、以下の様に共通する体質がある。
(1) プロセスよりも結果が全てという体質
例えば、新しい戦略を遂行して目標達成が難しい状況になってくると、旧来の手なれたやり方で数字が上げそれで良しとしてしまう。要は、やり方よりも結果が全てという風土・体質が存在すると、新しい経営施策は次第に霧散霧消していく。
(2) 結果をきちんと公表せず秘密裏にする体質
結果と計画を比較して何が出来て何が出来なかったか、そしてそれは何故かということをきちんとレビューして組織全体に公開しないような体質。また、風通しのいい組織ほど不具合やミス等が全体に公表され共有化されている。
5.経営施策や戦略と評価の整合性
実行に向けての行動を促進するために、評価と新しい経営施策や戦略との連動である。成果や結果はさておき、新しい経営施策や戦略の方向性にのっとって仕事をした組織や人間を積極的に評価する。
反対に、これまでのやり方で成果を上げても評価しない。このようなマネジメントをしないと新しい施策や戦略は組織の中で地につかず決して浸透しない。
6.PDCAの徹底
PDCAが経営レベルで機能しているケースが非常に少ない。HBRの論文でも、「前年の戦略プランと実際を比較・検討して次に生かしている企業は15%にも満たない」という報告がある。
ほとんどの場合、PLANは作っているし、勿論DOはしなくてはいけない。結局、最後のCheckとActionが出来ていないのである。
つまり、どのような効果が何故出たのか、何故、うまくいかなかったのかということをきちんと検証することなく、毎年毎年新しい計画を一生懸命作っている会社が大変多い。
そして、多くの企業が一年を単位として計画を立てているため、期中に生じる突発的な重要案件が戦略や計画と何らの整合性もない形で意思決定されていたりする。
大事なことは、意思決定は一年単位での見直しでは長すぎて駄目で、継続的な見直し、例えば2か月、3カ月単位の見直しが必要である。
ここまで、我々が感じている6つの問題を簡単にご案内しましたが、この背景にある本質的な課題として
(1) 経営施策、方針や戦略、そして制度、仕組み等を考え出すことは重要で難しい、且つ考え出す側は能力が高く優秀、その一方で、それを実行する現場側は、意欲ややる気が大事といった一種の身分格差が存在すること。
(2) 経営施策を考えだす側が、実行を管理・評価する立場にあり、一方で降りてきた施策、方針や戦略等を実行し成果に結実させなければならい現場側は管理され、評価される立場にあるというある種の矛盾が存在すること。
その結果、多くの企業で経営施策の浸透、実行が上がらない。
一言でいえば「経営施策即ち戦略、制度等を作る側と実行する側が分離している」ことにより生じている課題である。我々は、ここに非常に大きな本質的な問題があると感じている。
その最たるものが、多くの企業で絵に描いた餅となってしまっている中期経営計画ではないだろうか。日経新聞においても、「中期経営計画を達成できていない、守れていない一部、二部上場企業は半数近くにのぼる」という調査が発表されている。 
 
組織開発目的と実践するのに必要な7つのプロセス

 

組織開発とは?
人事領域において「組織開発」というキーワードに注目が集まりつつあります。
この言葉は”Organization Devleopment”、略してODと呼ばれており、1950年代からアメリカを中心に発展してきた概念です。
近年の環境変化の激しい状況の中、企業は生産性の高い機動的な組織の構築が求められています。
経営者は持続的に成長できる「組織力」をどう作り上げるか、という事に大きな問題意識をもっています。
組織開発に注目が集まる背景には、働き方が変化したことにあります。
従来の日本企業では一度新入社員として入社すると、その企業だけでキャリアを過ごす事となるため、社員の同質性が高く価値観がずれるなどは発生しにくい環境にありました。
いわゆる「同じ釜の飯」を食べる、家族に近い組織で構成されていました。
しかし、現代においては社員の多様化が進み、転職してくるもの、上司が年下や女性、あるいは外国人が同じ組織に所属している、というケースも珍しくありません。
こうした環境の変化を背景として、個人ではなく、個人と個人の関係性に着目し、組織全体の変化に対応するにはどう変革すべきか、というアプローチが組織開発です。
組織開発と人材開発の違い
人材開発が着目するのは「その人」「個人」であるのに対して、組織開発が対象とするのは人と人との「関係性」になります。
この関係性の変化が組織を変化させていくという考え方になります。
具体的な例を見ていきたいと思います。
「営業マネジメント力の強化」という課題があったとします。
人材開発のアプローチでは、マネジメントする立場の社員本人に問題があると捉えます。
そのため、本人に対して「マネジメント研修」や「モチベーション研修」といったような施策を講じるのが一般的です。
これに対して組織開発のアプローチでは、本人とその職場メンバーとの「関係性」に問題があると捉えます。
そして、その関係性の改善を図ります。
マネージャーと部下の間で協力関係が築けていなかったり、期待する目標や課題認識にずれがあったりすることが多いためです。
施策としては個人に対する研修等ではなく、本人と組織メンバー全員参加のワークショップを通して、ファシリテーションして問題点を浮き彫りにしたり、組織の間でコミュニケーションを活発化させるようにコーディネートしたりします。
関係性に良い変化を起こそうとすることが、組織開発型のアプローチです。
組織開発の目的
組織開発の目的とは、「組織が環境に適合しながら変化し、健全に、効果的に機能すること」といえます。
現代においては同じプロジェクトメンバーだからといっても滅多に顔を合わせないことも多く、ちょっとした意見の相違や勘違いが業務上の大問題へと発展することも少なくありません。
当事者だけで議論を尽くせば解決するかというと、内部からだけでは見えにくい事も多く、第三者が外から客観的的に観察し分析をすることで、問題が解決できることも少なくありません。
今までの人材開発のアプローチは研修の場をセッティング・企画して、その社員に対してトレーニングを行うといった形式が一般的でした。
つまり、社員が人事の領域へ来てもらう方向になります。
これに対して組織開発のアプローチでは、実際の業務が行われている現場に人事の方から飛び込み、組織内の会議体に積極的に参加したり、業務上の課題などを把握したり、人事が存在感を示す事で変化をもたらす事が求められます。
例えば、「個人としてはすごい優秀な社員のはずなのに組織上でその能力が発揮できていない」というケースや、「十分な処遇をしているはずなのに、組織へのコミッションが低く、離職のリスクがある」というようなケースがあるのではないでしょうか。
そのような時には、個人へのアプローチではなく組織全体へのアプローチが必要なのかもしれません。
組織開発を実践するに必要な7つのプロセス
組織開発のパイオニアともいえるリチャード・ベッカードの定義によると、組織開発とは以下の7項目を実践していくこととされています。
 1)計画に基づき
 2)組織全体にかかわる努力であり
 3)トップ主導でマネージされ
 4)組織の有効性・健康を高め
 5)行動科学の知識を活用して
 6)組織のいろんなプロセスにおける
 7)計画的介入・計画的ゆさぶり
それでは具体的に7項目を個々に見ていきたいと思います。
○ 1)計画に基づき
目標としたものは漠然としたものではなく、「何を、いつまでに、どのような状態にしたいのか」を明確にしなければなりません。詳細な目標設定はその効果を予想しやすく、ビジョンとしてもとらえやすいため、大きな成果を生み出します。
○ 2)組織全体にかかわる努力であり
いきなり組織全体で組織開発をしようとするのは無理が生じます。特定の部署から徐々に始めて、組織全体に波及させるほうが効果的とされています。その時、特定の部署を設定する際は、ある程度意欲的に変化を受入れる組織を選ぶと効果的です。
○ 3)トップ主導でマネージされ 4)組織の有効性・健康を高め
組織のトップである経営者が組織開発にコミットして、メッセージを発信していきます。この際のメッセージは、組織全体に同じ方向を向いてもらうために、企業理念や会社としての目標などを織り込み共有します。トップが積極的に下部組織と関わることで、必要としている支援も見え、経営者としての行動も起こしやすくなります。
○ 5)行動科学の知識を活用して
組織開発はすぐに結果が出るようなものではありません。長期的な継続の間、変革に対する強い志を持った関係者の協力が欠かせません。現場での変革に対する動機づけや方向性、具体的な取り組みについての意見交換や、組織への積極的な関与が必要です。
○ 6)組織のいろいろプロセスにおける
組織開発の長期的な取り組みの過程において、その効果の測定や再評価が必要となります。目標との乖離が大きいことが分かった場合、その乖離の理由を分析して目標の再設定や指標の変更を行います。
○ 7)計画的介入・計画的ゆさぶり
組織開発においても、目標に対する結果の共有が重要となります。フィードバックの際には、成果が出ている具体例を示すことで、自分の組織が変革していく、仕事が楽しくなる、といった実感を持ってもらうことが出来ます。
これらのことを長期的に行うことが組織開発の成功に結び付きますが、短期的で目先を重視した取り組みになると、構成員はついていけず組織開発自体が失敗してしまいます。
また、組織開発は「一貫した思想」を心掛けなければ「信頼」に結び付かないため、組織開発を進めようとする経営者は覚悟と経営に対する確固たるビジョンを持つ必要があります。
おわりに
「組織開発」とは個人と個人の関係性に着目した組織改革のアプローチです。現代の環境変化が激しい状況にも耐え、社員の多様化にも着目した組織つくりが必要となります。
組織改革は短期でその効果が表れることはありません。
これまでの組織風土や個人への意識改革を伴うため長期的に、そして着実に実施していくことが重要です。
経営者は組織に対してどのような組織にしたいのか、常に「一貫した組織への思想」を持って組織開発を実践していきましょう。 
 
自治体の仕事を変える

 

1.解決すべき課題
各自治体では、税収や交付税が減少するなか、行財政改革の一環として職員定数の削減を行ってきました。その実現のために、長期間にわたり新規採用の抑制による自然減が行われた結果、職員の働く現場では次のような状況が見受けられるようになりました。
○ i.職員構成に占める若年層比率が減少し、中堅層以上が増大した。
○ ii.事務事業の廃止や民間部門への移管など、大規模なリストラクチャリングを伴わずに、職員数のみが徐々に減少した所属では、慢性的にリソース不足が発生している。
○ iii.リソース不足の結果として、ベテラン職員の超過勤務の日常化や、臨時職員の雇用の常態化が見られるようになった。社会保険の対象とならない臨時職員の増大は、官製ワーキングプアへとつながる。
自治体の業務スタイルは、業務を機能単位に分解・分担するのではなく、事務事業単位に分掌する特徴があると言えます。具体的には、個々の事業や業務毎に「担当」職員を決め、その事務に係わる一連の業務を担当職員が執り行います。
また、業務内容については、多様な社会のニーズに対応するため、専門化、複雑化しているものが多くあります。このため、同じ所属の中でも、担当が異なる場合、お互いどのように業務を行っているかわからないというようなことも起こります。
このような自治体業務の特徴は、前述のような職員数減少下の自治体においては、次のような問題を引き起こします。
○ i.業務が機能単位で整理されていないため、臨時職員等に任せる業務が明確にし難い。このため、ベテラン職員が定型的な単純作業をも自ら処理することになり、多忙感は増すが、コスト的な生産性は下がり続ける。
○ ii.職員数の減少により、1つの事務を複数の職員で担務することが困難になり、実質的に1人の職員だけが担務する場合が増える。このような業務では、人事異動で担当が変わると、非常に短い期間で引き継ぎを行わなければならない。結局わからない部分は、一から自分で調べながら、実際の業務をこなしていかなければならず、中堅職員といえども生産性は低下する。また、基本的に3年程度で人事異動となるため、業務に精通し、業務の問題点や改善すべきテーマが見えてきたころで、異動となってしまい、折角の知見が生かされない。
このような問題の発生を回避するため、取り組むべき課題は、チームとしての生産性向上と業務ノウハウの確実な継承であり、そのために組織の業務スタイルの変革を行うことと考えます。
現状においては、「能力・成果主義」によって個々の職員のモチベーション向上を図ることよりも、組織全体のポテンシャルを引き上げることが優先性の高い課題であると思われます。
2.課題解決方策の提案
具体的な課題解決策を検討する前に、まず現状を可視化する必要があります。
そのために適用するのが以下のアセスメント手法です。対象の組織に対して、業務の量、難易度、個別スキルの要求度と、人的リソースの量、職種・職位、経験量を可視化します。これらを比較することによって、現場で発生している問題を明らかにします。
【アセスメントの準備】
アセスメントを行うにあたり、まず関係者への簡単なインタビュー等を行いながら、以下の準備作業を行います。
(1)業務の調査
対象とする組織の業務を洗い出します。基本的には、職務分掌事項等をベースに、各「担当」の業務内容、業務機能がイメージできるレベルまで細分化します。
(2)人的リソースの調査
対象組織の構成職員について、職員の種別や、職位別に整理します。
【調査の実施】
対象組織の所属長やリーダーの方に対し、以下の調査を実施します。
(目的)業務の難易度レベルと必要な固有スキルの評価
(内容)各業務について、以下のような内容について評価していただきます。
• 業務実施に求められる判断力と知識について、5段階程度で評価(特定の業務スキルは考慮せず、平均的な職員像に照らし合わせた場合のレベル)
• 業務実施に必要な固有のスキルや専門知識のレベルについて、習得までのおおよその期間をベースに評価
次に、対象組織の職員全員に対して、以下のアンケート調査を行います。
(目的)業務の量や、職員の経験年数の把握
(内容)各業務に、実際に職員がどの程度の時間をかけているかを調査します。
また、その業務の担当としての経験年数、業務の分担体制についても調査します。
【可視化の観点】
(1)組織のコスト的なパフォーマンスの可視化
組織全体として、業務の難易度レベル毎の業務量と、職位別の人的リソース量の間の乖離状況を把握します。【図1】は、それぞれのレベル毎に業務とリソースの乖離状況をグラフ化したものです。パフォーマンスの指標としては、レベル毎にコスト的な加重をした業務量とリソース量の総量比を用います。
   【図1】難易度毎の業務とリソースの乖離状況
(2)業務に必要な固有スキルの習得状況の可視化
実施にあたって、固有のスキルが求められる業務について、業務を実施する職員の経験年数と、一般的な習得期間を比較し、経験年数が不足している業務時間を抽出し、集計します。指標としては、この集計値と、組織全体の業務量との比を用います。
(3)固有スキルの継承に関するリスクの可視化
実施にあたって、固有のスキルが求められる業務について、実質的に1人の職員が行っている業務の時間を抽出し、集計します。指標としては、この集計値と、組織全体の業務量との比を用います。
3.アセスメント結果の活用
アセスメントで明らかになった現状の姿をもとに、組織として最適な業務の実施方法や体制を検討し、生産性の向上と業務ノウハウの継承を図る施策を立案していきます。
具体的には以下のようなポイントを中心に検討を行います。
(1)組織としてのパフォーマンスが低い場合
難易度が低い業務の量が多く、対応する人的リソースのレベルが高いため、高コスト構造になっています。業務の性質的に外部化が可能でコスト効果が見込める場合、業務そのものを外部委託や指定管理者制へ移行することも考える必要があります。また、臨時職員等を導入することで、人的リソースコストを下げることも考えられますが、業務プロセスを見直して業務機能単位で集約するなど、臨時職員を十分に活用できる環境の整備を行う必要があります。
(2)業務に必要な固有スキルが未修得の業務量の割合が多い場合
定期的な人事異動がある以上、この値を0にすることは困難です。
   【図2】業務とリソースのアンマッチ
しかし、組織の特性として、固有スキルが必要な業務の割合が非常に多い場合、人事ローテーションのあり方を見直すことも必要です。
それが実現困難な場合、固有スキルの獲得期間を短縮する方法を検討します。具体的にはケース事例のデータベース化や、OJTメニューをプログラム化して集中的に実施するなどの方法が考えられます。
(3)固有スキルが継承されない恐れのある業務の割合が多い場合
固有スキルの要求度の高い業務について、その業務の担当者が1一人しかいない場合、最優先で体制の見直しを行う必要があります。
基本的には担当者が1人しかいない業務は、固有スキルの有無に係わらず非常にリスクが高いといわざるを得ません。このような状態に陥っている業務が多い場合、業務の実施体制を見直し、チームで業務を実施できるような改善を図る必要があります。
これからの自治体は、法改正により頻繁に変わる業務内容に対し、常にぎりぎりの要員数で対応していかなければなりません。それには、組織をタイムリーにマネジメントする機能が非常に重要になります。
ここでご紹介したアセスメント手法は、現状の問題点を可視化して改善策を検討するツールであるとともに、自治体の現場で組織のマネジメントをされる方々が継続的に業務とリソースの状態をチェックし、適切な組織運営を行うための管理手法としても活用いただけると考えます。 
 
精神論にもとづくマネジメントが企業進化を阻む

 

「タテマエ」とは、大上段に振りかざされることによって、組織における人間の動きを“戒律的に規制する”役割を担うようになる正論。
官僚的な組織といえば、“非人間的で硬直した組織”というイメージがまとわりついています。
しかし、本来の近代的な官僚組織は、その設計思想上からもきわめて機能的かつ効率的な組織なのです。
それはつまり、組織を効率的に動かす機械論的な組織原理を備えている、ということを意味します。
具体的には、権限の明確化、組織の階層化、組織の専門化などという総論で成り立っているのが、その原理です。戦後日本の高度成長を支えてきた国の根幹を形成している組織、たとえば警察であるとか国税庁などの官庁、さらには重厚長大企業など、すべてがこの近代的な官僚的組織の系譜上にあるのです。
この官僚的組織を動かしているのは人間です。それに属する人間もまた、正確に繰り返し同じことができないと官僚的組織は成り立ちません。そのためには“指示命令には従う”といった約束事だけではなく、組織の中で働く人間の思考や判断をきちんとした“枠”の中に納めることが必要です。
その役割を果たしているのがタテマエなのです。
しかし、近代の官僚的組織が、事実・実態と向き合うことを置き去りにしがちなタテマエを中心に回っていることが、今日さまざまな矛盾をもたらしています。日本的な組織風土の根源的な問題はここから発しているのです。
現状をこのように見立てることから、日本の組織風土改革はスタートします。問題の本質をわかりやすく捉えることができれば、解決への筋道の描き方が見えてくるからです。
理屈としては正しくても「現実」に対応できない「タテマエ」
一般に「タテマエ」という言葉は、本音との対比で使われています。しかし、本来は「基本の方針・原則」というのがその意味です。
たとえば、上司から「明日までにこの資料を用意しなさい」と言われた時、実務を担う現場の感覚からすれば「無理だろう」と思いながらも「わかりました」と返事をする、というのはよく見られるシーンです。タテマエ的な行動とはこういう反応を言います。“上司の命令には従う”という「基本の原則」が無意識のうちに頭の中で作動しているのです。
このように、無意識にタテマエで行動してしまうことが実態との乖離をもたらす、という現象はタテマエ中心に回っている会社ほどよく起こることです。つまり、タテマエを「事実・実態」と対比させることで、事の本質が明確に見えてくるのです。
私たちは「タテマエ」をこうした本来の意味を念頭に置いて使っています。その中身を少し詳しく見てみましょう。
タテマエの本来の意味は、前に書いたように「基本の方針・原則」です。そして、官僚的組織におけるタテマエの役割は、組織を本来の設計通り効率的に動かすため、機械のごとく正確に組織を運営し続けるために、人間の思考や行動に枠をはめて“揺らがせないようにする”ことです。
この性格上、タテマエは、使われ方によっては「戒律」のように機能してしまいます。誰にとっても、論理的に筋が通っていて理屈上の正しさを持つがゆえに、ゆるがせにできないものとなって宿る、という意味での「戒律」です。
とはいえ、理屈上いくら正しくても、それが現実そのものなのかと言われると、そうではありません。常に変化しているのが現実の世界ですから、揺らぐことのない理屈上の正しさだけを押し通すと、変化のある現実との乖離が必然的に生まれます。
正しい指示も、精神論で押し付けると中身を失う
右肩上がりの先が読みやすい時代ならまだしも、変化の激しくなった今のような時代になると、戒律化したタテマエに枠をはめられた人間も組織も、進化から取り残された過去の遺物と化していくのは当たり前です。ビジネスにおいても、その問題は深刻です。
たとえば、営業担当者は「売る」のが使命です。ですから、「売らねばならない」という上司の指示は、どこから見ても間違ってはいません。しかし、上司がこの指示を上からの圧力として繰り返すだけで売れたのは、高度成長の時代です。頑張るだけで結果が出た時代とは違い、今はさまざまな角度から知恵を引き出さないと売れなくなっています。大上段に振りかざし圧力をかけ続けることが、「売らねばならない」というごく当たり前の指示を、中身の伴わない単なるタテマエにしてしまうのが今の時代なのです。
にもかかわらず、こういう正論、つまりタテマエを振りかざす上司が今なお後を絶たないのが日本の現状です。
組織に根付いた過去の成功体験と、組織の中で働く人間に深く根付いたタテマエから生まれる精神論が、こうした時代遅れのマネジメントを許容しているのです。
タテマエが、より一層ネガティブな役割を果たすのは、それが精神論と化してしまう時です。タテマエも、無理に押し付けられることがなければ、必ずしも大きな副作用をもたらすことはありません。一面では、組織を円滑に回す役割を果たしているからです。
しかし、タテマエが「こうあらねばならない」「こうあるべき」といった精神論として無理に押し付けられる時には、性格上、揺らぐことのできないその硬さが、現実との乖離を引き起こしていくのです。
問題が隠れ、失敗が繰り返されるのはなぜか
たとえば、組織の中にイレギュラーな事態を引き起こす「失敗」について、タテマエ中心に回っている組織がどのように対応しているのか、を考えてみます。
失敗は、言うまでもなく起こしてはならないものです。起こさないよう、万全の手立てを尽くすことが求められます。とはいえ、「失敗はしてはならない」というタテマエを精神論として繰り返す、もしくは強要するだけで失敗がなくなるかといえば、そんなことはありません。それどころか、結果として、かえって大きな失敗を引き起こす可能性が増大するのです。
通常、大きなトラブルの前には、小さな予兆としての問題がいくつも出てきます。その予兆をしっかりと捕まえて原因を分析し、対策をとることが大きな失敗を未然に防ぐためには不可欠です。予兆をしっかりと押さえ、原因を見極めることができれば、大きな失敗を未然に防ぐ可能性は限りなく大になるのです。
この小さな予兆を顕在化するには、かかわっている人を責めるのではなく「なぜ失敗したのか」を真摯に問い続ける姿勢が必要です。
というのも、頭ごなしに「失敗をしてはならない」と圧力をかけ、どんな小さなトラブルでも起こしてしまった人を罰する、といった強圧的な管理を繰り返していると、問題が表には出てきにくくなります。人間は誰しも叱られたくはありませんから、隠せるような小さな失敗は隠すのが当たり前になってしまうのです。その結果、表向きはそうした小さな失敗がなくなります。しかし、小さな失敗から学ぶことができる貴重な機会や経験もなくなるのです。
人も組織も、失敗から学べないと成長しなくなります。つまり、タテマエが過剰に作用する組織には、進化が望めなくなるのです。
「タテマエに縛られている実態」に気づくことが改革の第一歩
ここまで重厚長大企業を例にとって説明してきましたが、こうした問題は、一部の組織で起こっている現象ではありません。タテマエのもたらす精神論が現実との乖離を生んでいるのは、中小企業も含め、指示命令で動くほとんどの組織で多かれ少なかれ起こっている現象です。
そんなこともあって、組織風土を変えていくことの必要性を感じている人は、間違いなく増えてきています。必要性を感じるだけではなく、努力をしている会社や人も今や少なくありません。しかし、残念なことに、努力のわりに「望ましい風土」という結果がもたらされている例は多くありません。というのも、たいていの場合、そもそも何に向けて努力をすればいいのか、何から手をつけていいのか、がわからないままだからです。
そういう意味では、「タテマエ」にみんなの関心を集中させることで対象が明確になり、組織風土改革の最初の一歩は踏み出しやすくなります。「自分たちの組織は、どういうタテマエに縛られているだろうか」という話し合いを始めるだけでも、“事実・実態を大切にしなくては”という意識は芽生えていきます。同じ過ちを繰り返さないために、失敗から学ぶ必要性を共有していくことも可能なのです。こうした“事実・実態を大切にする”経験の積み重ねが議論の質を上げ、戒律的なタテマエの「枠」もしだいに外れていきます。
無意識のうちに「事実・実態」よりも「タテマエ」を優先してしまっている自分たちの実態に気づくことから、最初の一歩は踏み出せるのです。 
 
社会のニーズから乖離していく大学入試改革

 

ゆとり教育は理想はともかく、結果的には単に学力低下を招いてしまったという失敗の反省から、小中高校のカリキュラムが学力強化に変わりました。
教育改革により、「算数ができない大学生」などとも言われるように、元々日本が得意としていた基礎力、正確に物事を行う能力が損なわれて行ったわけです。
私が企業から東大に移ったのは2007年で、15年ぶりに東大に戻ると、学生の学力の低下に驚いたものでした(今では慣れました)。
正確に言うと、東大生の中でも優秀な学生は、以前と同様に優秀です。問題なのは、生徒による学力のばらつきが大きくなり、平均レベルも落ちていると感じました。
私の場合は大学院を修了した後は企業に居たので、大学に移った際には、先輩の先生方から、「東大であっても昔とは学生が違うので、自分が学生の時とは全く違う指導をしないといけないよ」と注意されたものでした。
さて、このような学力低下への反省から、ようやくまともな教育に戻るかと思った矢先に、また教育改革です。
「一点を競う試験」から「人物重視」の入試、現在のAO入試のようなものに大学入試を変えようとしているようです。
なぜ、ここまで現実離れした政策が行われるのでしょうか。
社会の誰がこのような教育を望んでいるのでしょうか?
教育の現場を知らない政策担当者が「頭でっかち」「理念優先」で改革を推進しようとしているのでしょうか。
ゆとり教育の二の舞にならないのか、心配です。
現実の社会を見てみましょう。
受験の制度だけで全てを同様に評価することは乱暴ですが、例えば企業の採用でも「AO入試合格者」や付属校からエスカレーター式に大学に進学した学生は基礎的な学力が不足しているのではないか、と警戒されていることは良く知られているところです。
こうした学生は採用しない企業まであるようです。
また、STAP細胞事件でも不正の当事者がAO入試で大学に入学していて、「やはり」と思われた方も多かったのではないでしょうか。
社会のニーズも変わってきています、しかも、政策とは正反対の方向に。
少子化にもかかわらず過熱する中学受験。
公立も中高一貫校が出てきていますので、「しっかりした教育を早くから受けさせたい」という親のニーズを中高一貫校が満たしているのでしょう。
しかも、人気を集める学校は驚くほど変わっています。たとえば、こちらが偏差値の例です。
私自身も中学受験をしましたが、この表を見ると、
・ものすごく偏差値が高い渋谷幕張、西大和って何だ?
・聖光や駒場東邦はこんなに偏差値高くなったのか
・武蔵はどこに行ってしまったんだろう
・名門私大の付属校は何でこんなに下がったのだろう
などと驚きました。
もはや「御三家」は死語となり、自由放任の学校が地盤沈下し、口の悪い人は予備校のようだと言うような、面倒見が良く、勉強させる学校が上位になっています。
大学の付属校の人気が落ちているのは、付属校からエスカレーター式に大学に進学すると学力がつかないだけでなく、就職の時にも企業から敬遠されることを心配して、「大学受験はさせる」というご家庭が増えているようです。
「【1962年〜2014年】過去53年の東大合格者ランキングベスト10」を見ればわかるように、「面倒見がよい」と言われ、人気を集めている(偏差値が高い)学校が、大学合格実績を上げていることがわかります。
今年の東大の前期入試の結果はこちら(速報!2015年 東大・京大・難関大学合格者ランキング)です。
大昔に入試をした私のような世代では、この学校知らない、というところもあって驚かれるのではないでしょうか。
京大では合格者数が昨年まで24年連続トップだった洛南が落ちて、新興の西大和がトップになったことが話題になっているようです。
さて、このように社会のニーズがむしろ、「ちゃんと勉強させる」方向に向かっているのに、なぜ、国の政策だけ正反対の方向に向かうのでしょうか。
おそらく政策を決めている方は、アメリカや欧州の大学の入試制度を参考にしているのではないかと思います。
私自身も現在の政策が目指しているような、エッセーや面接で入試を行う本場?の、スタンフォード大学のMBAの受験を経験しました。
あまり日本では知られてないかもしれませんが、欧米大学の入試では面接に残るためには、大学の成績(GPA)やペーパーテスト(GMAT)で非常に高い点数をとる必要があります。
つまり、高い学力で足切りをした後に、「人物重視の試験」を行っており、決して「学力軽視」ではないのです。
日本の大学改革では、果たしてどれだけ学力を重視するのでしょうか?、とても不安なところです。
現在のセンター入試では簡単すぎて、トップ大学での学力の評価には使えないでしょう。
私自身は「技術で勝って経営で負ける」という日本企業の状況に危機感を感じ、技術者だけでいることに限界を感じてMBAに行きました。
ですから、「大学改革」をされようとしている方の問題意識も良くわかります。おそらく、「大学改革」を推進する「有識者」の方は、ご自身も欧米のような教育を受けたかったと思われているのでしょう。
しかし、大切なのは日本の強みを捨て去るのではなく、日本の元々持っている力+欧米のような教育を行うことです。
表現力や経営力も、しっかりした基礎的な力があってこそです。
海外のトップ大学で学んだ方はわかると思いますが、国によって得意な部分はどうしてもある。
日本が欧米を真似したところで、2流、3流の劣化コピーができるだけでしょう。
日本人ならではの平均的な能力の高さ、精密さ、勤勉さを捨ててどうするのか。
すでに若い世代を見れば、40代以上のおじさん世代とはずいぶん違います。プレゼンやコミュニケーションが上手になった反面、内容がわかっていない「口だけ、はったりだけ」の人が増えました。
私達日本人が元々持っていた強みを生かすために、新しい取り組みを行うことは大賛成ですが、益々強みを無くしてしまいかねない政策変更はとても心配しています。
さて、「人物重視」の入試に変わると入試はどうなるのか。
いわゆる人気がある中高一貫校が新しい入試でも強いまま、むしろ更に強くなるでしょう。
トップクラスの中高一貫校では、一つの問題をじっくり解かせるような、物事の本質を深く理解するような教育を元々やっていますし、理科の実験や演習も充実しています(その反面、授業料が高いですが)。
また、高校受験がないため、中学2,3年や高校1年で海外に留学するところも多く、早くから「グローバル教育」も行っています(これも、かなりのお金がかかる)。
こうした経験は、「人物重視」の入試で行われるエッセー(作文)や面接で、「普通の学生と差別化できる経験」としてアピールできるでしょう。
こういった中高一貫校の充実した実習、海外研修などは、高校受験がないゆえの、「中だるみ防止」という側面もあるようですが、改革後の「人物重視」の入試にとっても、メリットになるでしょう。
結局のところ、入試改革で損をするのは、周囲の環境や経済的理由で中高一貫校などに行けないけれども、試験になれば抜群の成績を叩き出す、隠れた才能を持った人なのでしょう。
色々言われますが、現在の東大などの入試は、ペーパーテストだけで極めて平等。環境がどうあれ、実力がある者には、のし上がるチャンスがあるのです。
社会は入試改革を本当に望んでいるのでしょうか?
改革を先導する一部の人ではなく、社会一般の人の集合知の中にこそ、正解があるのではないでしょうか。
ところで、こうした政策を推進する方は、ご子弟にどんな教育を受けさせているのでしょう。
私が個人的に知る限りでは、自分自身の子供のことになると、小学校から進学塾に通わせ、「点数重視」の入試対策をして、ガッチリ勉強させる、中高一貫校に行かせようとする方が多いのではないでしょうかね。
それが社会の本当のニーズですよ。 
 
国民意識と乖離した政治の軌道回復を 2000/6

 

小渕前総理大臣の突然の退陣により、サミット後とみられていた衆議院選挙が6月25日に行われる運びとなった。金融システムの破綻と経済危機の回避を至上命題として成立した小渕前政権は、減税と公共事業の拡大を柱とする従来型の財政拡大政策と巨額の公的資金投入を断行した。その結果、「日本発の世界金融恐慌」は回避し得たものの、経済・金融の安定が達成された現在でも、政府の行動は旧態依然とした政治手法と政治文化から脱却できず、政治と国民意識との距離は開く一方である。
第1に、政府は、大盤振る舞いともいえる財政出動が、将来に対する国民の不安を増幅している点を軽視し、一部地域・住民への利益誘導を狙った従来型の施策に終始している。バラマキ型公共事業以外では介護保険のケースが典型的であり、急速な少子化と高齢化、女性の社会進出や単身所帯の増加等、介護の社会化が求められる趨勢の下で、国民は適切なサービス水準に見合う負担であれば容認する意識に転じつつあったにもかかわらず、政治の独断により、保険料の徴収延期が唐突に打ち出された。その結果、地方自治体や実施機関のみならず、裨益(ひえき)すべき利用者の間にも大きな混乱を招き、厚生行政に対する国民の信頼感が著しく損われた。いったん決定した政策を、その背景や政策決定の経緯等を無視して安易に見直す動きは、ペイオフの解禁延期においても同様である。さらに、選挙を目前にした現在、政府は確たる財源なしに基礎年金国庫負担率の引き上げを打ち出すなど、大衆迎合的な「バラマキ」施策に依拠する傾向を強めているが、野党も国民の反発を恐れ、批判を控える傾向にあるため、将来の不安解消を待望する国民が政権を委ねるべき「頼りになる政党」は存在しない。
第2に、政府は情報公開や、行政手続きの遵守(due process)、説明責任の遂行など、政治・行政の正統性を担保する諸ルールを軽視し、国民の要求に応えていない。近年、国民の公益への関心や納税者意識は著しく向上し、「官」に対する監視の目は厳しさを増している。公費の使途を問う住民監査請求が地方で頻発しているのはその表れであるが、国政に携わる政治家の多くは草の根的な動きに無関心で、国民の要求水準の高まりについていけない状況である。越智前金融監督庁長官の裁量行政を容認する発言や、青木総理大臣臨時代理および森総理大臣の不透明な選任過程はこの典型例であり、国民の批判に対する政府の対応の遅さや不十分な釈明ぶりに、両者の意識の乖離のほどがうかがえる。
第3に、政府は年金・医療などの社会保障改革や規制緩和など、既得権益層が多いため反対や軋轢の大きい分野の改革をすべて先送りし、代わりに21世紀の日本社会の将来像や、教育や司法制度など経済以外の分野での大上段な議論で世論を引きつけようとする姿勢がうかがえる。現在、年金や医療・保険制度の見直しはじめ国民の痛みを伴う様々な改革が求められているが、政府はそうした改革について国民のコンセンサスを得る努力をいとい、俗耳になじみやすい代わりに具体性・実効性の疑わしい極論を打ち出すという安易な対応に走りがちである。教育問題を例にとれば、精神的な大枠規定である教育基本法の見直しや戦前の再評価などで、教育の荒廃を解消可能とする主張は非現実的であり、不登校や学級崩壊等の問題現象について、具体的な処方箋と早急な対応を求める教育現場の声とかけ離れている。一方、野党は、政府の不備を指摘し、政策課題・論点の発掘と設定に努めるべきであるが、敢えて困難な道を選択して国民を説得しようとする気概に欠ける。
今や、政治および政党と一般国民、社会との意識の乖離は広がりつつあるが、この点について、政治指導者の意識は極めて低調である。たとえば、制度設計や方針の急激な変更が引き起こす混乱やコスト、あるいは政治家の不用意な発言が国の内外に及ぼす影響の大きさ等について、政府・与党の感度の低下と想像力の欠如は危機的な水準に達している。従来、政府・与党の政策が具体性を欠く理由として、広範な支持基盤を獲得するために利害対立を呼ぶ具体策を避けている、と解説されてきたが、最近の動向をみると、政府・与党が国民の声を受け止めて具体策を形成し、党内の対立を統制して実行できるか否か、疑問を抱かざるを得ない。一方、野党に目を転じると、政府・与党と国民の意識のずれを衝いて魅力的な政策体系を示す絶好の機会を生かせておらず、その無力ぶりも深刻である。このように、国民と政党の間で意思疎通や相互理解に深刻な障害が生じていては、複数政党が国民の意向を汲んで政策論争を行い、主権者に政権選択を求めるという、代議制システムの機能停止すら危ぶまれる。
代議制システムの危機を回避するため、今回の選挙を機に、国民と政治の距離を解消するよう、努力を尽くさなければならない。まず政府・与党には、一般国民とのギャップを虚心に点検し、自らの常識に固執せず想像力や感度を磨き、その結果を具体的な政策に反映させる努力が強く求められる。一方、これに対峙する野党の存在もきわめて重要である。野党は政府・与党の見過ごしがちな国民の要望や意識を丁寧にすくい取り、政策化して与党に突きつけ、支持を争うことを通じて、政府・与党のセンサーが及ばない国民の声を政治過程に乗せる役割を担う。政府側の失言や手続きの不備をあげつらうばかりでは、野党は国民の失望を買い、政権の受け皿となることはできない。
このような政党側の努力に対し、国民の側でも相応の振る舞いが求められる。政府や政治家の国民・社会に対する想像力の欠如や感度の低下には、国民の政治に対する冷笑主義(cynicism)にも一半の責任がある。政治を「汚い」と断じて忌避したり、政策論議を揶揄しがちな国民のスタンスが、政党や政治家を一部の支持の獲得に奔走させる一因であることを忘れてはならない。国民は選挙戦における論争に関心を抱き、政治家の主張に耳を傾け、情報を収集したうえ、主体的な判断を下すことが求められる。近年、公約や政治姿勢を政治家に問うアンケート調査や、選挙区の候補者を一堂に集めた公開討論会など、市民主導の地道な動きが散見されており、このような意識の広がりが望まれる。
現在、わが国社会は648兆円にのぼる巨額の政府債務、年金や医療改革など肥大化する社会保障制度の再設計、警察不祥事や犯罪の低年齢化・凶悪化にみられる荒廃した社会秩序の再建等、重要な課題が山積している。政党は国民の声に耳を傾けながら、これらの課題について豊富な選択肢の提示と活発な論争を行い、国民は論争に参加し、評価し、それを投票行動に結びつけて明確な意思表示を行うプロセスが極めて重要である。21世紀のわが国を担う代議士を選ぶ今回の選挙における真の課題とは、国民と政治の間に対話と信頼を回復し、充実させることに他ならない。  
 
優しい「教育論」と厳しい「社会」の乖離

 

勉強ができなかったために親に厳しくされ辛い思いをしたという人が、親への恨み節と共に、「『勉強しなさい』という言葉は、ある種の子どもにとっては暴力と知ってください」とネット上で訴えていた。
現代的な教育および臨床心理学的な方法論において、「受容」「寛容」「傾聴」が大切だといわれているし、また、昔はあまり取りだたされなかった「パワハラ」「モラハラ」「毒親」の概念も根付いてきている。
しかし、子育てをする身で思うのは、そういった教育論と現実社会との大きすぎる乖離だ。
たとえば不登校の子を温かく見守り、決して無理強いをせずに、本人がいずれ、「学校に行きたいと思えるまで待つ」というプロセスがある。その子がいずれ乗り越え、学校に通えるようになったり、学校には通わなかったが大検を通して大学進学、就職あるいは起業し、きちんと生きて行かれるかどうか、定かではない。
教育者や保護者は、意識の持ち方によって子の変容を「待つことが出来る」けれども、その子にとっての人生の時間は「待ってはくれない」のだ。
もしかすると、子に恨まれようが、親は引きずってでも愛しい我が子を学校に通わせる方が、あるいは、学校に行く方がマシだと思う環境を用意する方が、「効果的」かも知れないということに思い当たる。
愛しい我が子の先行きを思えば、恨まれるくらいで済むなら、きっと、ほとんどの親は、いくらでも泥をかぶれる。ただ、我が子がその過程で、自尊心を損ない、生きていく希望を奪われ、立ち直れないほどに歪んでしまったり、自死したりするリスクを思うと「子の自発的な成長を待つしかない」という、非常に消極的な意味での結論になる。
もちろん、厳しい社会で生き抜くために、幼少期から厳しい家庭教育や学校教育にさらされ、鍛えなくてはならない、などとは思わない。教育上、発達のプロセスが、必ずしも最終目的と一致しなくても良く、いったん、あるがままを受け止めて、温かさの内に寄り添い、励まし、伸ばしていけたなら理想的だ。
しかし、本当に子どものペースに任せていて「間に合う」のだろうか。少し自覚を促して、急げたなら得られるチャンスを逸しないだろうか。いくらでもお金があり、いつまでも我が子を養って守ってやれ、死んだ後にまで十分な遺産を残せるようなら、まぁ、のんびりしていて大丈夫かも知れない。でも、私は残念ながら、そうじゃない。
今、どう甘く見積もろうとしても社会は間違いなく、「過程」でなく「結果」を問う。競争はますます激化し、非正規やブラックの雇用や貧困は社会問題化している。
学校に通えない子は守られても、会社に通えない大人は切り捨てられる。勉強の出来ない子は悪くなくても、仕事で人並み以下の成果しか見込めない大人は見放される。もちろん、社会の多数の尺度とは異なったところで、本人が特別なリソースを持ち、それを生かせたなら、これほど喜ばしいことはない。
しかし、そのような者は稀少だ。まだ選択肢のある若い子ども時代、そんな一握りの可能性に人生を賭けるのは危うい。だから我が子に厳しくもなる。心が擦り切れそうになるほど、心配することもある。親が元気で我が子が力を蓄えるためのお金を十分に使えるうちに、年齢的にチャンスの大きなうちに、受験や就職などの機会としてのタイムリミットに、どうか間に合ってほしいと思う。
我が子を、このろくでもない社会に、いずれ放たなくてはならない。厳しさに打ちのめされることなく、落ちぶれて犯罪を犯すことなく、どうか、しなやかに、幸福に、彼らの力で生き抜いて。
「もっと真剣に、結果を出すような勉強をしなさい」とやる気が甘く、信じがたいほど勉強の出来ない我が子に、たびたび言い、時に厳しく、付き添って教える私。自己満足や、ストレス発散などでない。けっこう、親もきついのだ。どうにか我が子が、社会に出て、人並みに生きて行かれるように、がんばれ、お願い、どうにか。切実にそんな思いで、親は親なりに必死にやっているのだ。  
 
2014年アメリカ中間選挙 / 国民世論から乖離が進む両翼の急進派

 

前回のエッセイで指摘したように、2014年中間選挙では、同性愛結婚などの社会的争点で共和党が守勢に回り、民主・共和両党の攻守逆転が特徴となっている*1。背景にあるのは、共和党を支える保守派のイデオロギーが急進化して、穏健な世論からの乖離が深刻になってきたことが指摘されるが、その実態を米国の主要な学問的社会調査であるAmerican National Election Studies(ANES) で歴史的に探ってみた。
表は「人工妊娠中絶」、「同性愛問題」という社会的争点に加えて、軍事・外交問題から「軍への感情温度」、大きな政府と小さな政府の関連から「政府による雇用保証」という4つの争点を取り上げ、最保守派から最リベラル派にいたる各イデオロギー・グループの意識動向を数十年間追いかけたものだ。
このグラフにおいて最保守派とは、最も保守派に好感情を抱きリベラル派に悪感情を持った上位10%の有権者で、最リベラル派はその逆である。両派への好感情に差がない人々は中道派とし、最保守(リベラル)派と中道派の間は、穏健保守(リベラル)派と名付けた。グラフに示したのは、こうしてイデオロギー別に5分類した有権者グループごとに、4つの争点に対する態度の平均値を求めたものだ。争点態度の数値は高いほど保守的な態度を示し、かつ標準化してあるので、全有権者平均は常にゼロである。従って、それぞれのイデオロギー・グループの平均値がゼロから離れていけば、そのグループは平均的な国民世論から乖離していったことを示している。
早くから社会的争点の中核となった「人工妊娠中絶」に関して見てみよう。1970年代に国民世論から乖離していたのは、もっぱらリベラル派である。最リベラル派だけでなく穏健リベラル派もかなり平均的な世論から乖離しているのが鮮明だ。これに対して、保守派の方は、最保守派でさえも1972年は平均的な国民世論とほぼ同じ意識を持ち、1980年代になっても大きな乖離は見られない。この時代の宗教右派グループが、リベラル派に対して中絶問題で激しく攻撃することが可能だったのは、こうした意識動向が背景にある。宗教右派は、急進的な右派であっても当時の国民世論からそれほどずれていなかったのである。
だが、1990年代に宗教右派運動が過激化していくと、彼らも世論からの乖離が深刻になってきた。もっとも最リベラル派の方が国民世論に近づいたわけではないので、両翼のイデオロギー分裂の過激化が2000年以降の特徴だ。
「同性愛問題」は、すでにイデオロギー的な分裂が進んでいた1984年からの統計しかないため、最初から保守、リベラル両翼のイデオロギー対立が激しい。これ以来の30年間で同性愛者に対する国民的な理解が進んでいったため、実数では、すべてのグループでゲイに対する好感情が右肩上がりに高まっているが、標準化してみると、両翼の急進派は世論から乖離したまま変化がほとんどなかったことがわかる。
一方、「軍への感情温度」で明らかになるのは、1970年代に生まれた反戦リベラリズムの動静である。ベトナム戦争激化まで、アメリカ国民はイデオロギーに関係なく軍に対して強い尊敬の念を抱いていた。だが、1970年代にリベラル派が強い反戦リベラリズムを抱くようになると、最リベラル派だけでなく穏健リベラル派も国民世論から乖離を始めた。これに対して、保守派の方は最保守派も含めて世論からの乖離は激しくない。社会的争点と同じく、この時期に世論から乖離していたのはもっぱらリベラル派だったのである。
だが、2000年代の対テロ戦争、イラク戦争の時代になると、最保守派の意識も世論とのずれが激しくなる。一方で、国民の中に厭戦気分が広がった2008年には、最リベラル派の反戦リベラリズムと平均的な世論の乖離は急速に縮まっていった。同年の大統領選挙でオバマ当選に大きく寄与した反戦リベラル派の運動は、決して国民世論から飛び跳ねた運動ではなかったのである。
最後に掲げた「政府雇用保証」というのは、「政府は国民の雇用と生活レベルを保証すべき」という意見から「政府は国民の自助努力に任せるべき」という意見まで7段階で回答者の意見を聞く質問で、イデオロギー対立の中核にある「大きな政府」と「小さな政府」に関する意識を問う最もスタンダードな質問とされている。
政党対立の一丁目一番地とも言える争点だけに、1970年代から保守とリベラルの意識対立は平行線を保ったままで、歩み寄る気配はない。だが、よく見ると1970年代には最リベラル派が国民世論から激しく乖離していたのに対して、1980年代後半からは明らかに保守派の方の乖離が激しくなってきた。経済競争の敗者を無慈悲に切り捨てようとする茶会系急進保守派の意識は、2012年には国民世論から明らかに乖離してしまったのである。
このように各グループの意識の変遷をたどっていくと、予備選プロセスなどを通して、最保守派の意識から大きな影響を受ける共和党が、社会的争点で守勢に回った背景もある程度説明が可能であろう。保守派は1970年代ごろには国民世論に寄り添っており、そこから乖離したリベラル派を攻撃することで政治的得点を得ることができた。だが、宗教右派運動が過激化した1990年代、茶会運動が吹き荒れた2010年代になると、保守派の意識も明確に国民世論からかけ離れてしまったのである。
だからと言って、リベラル派が国民世論に近づいていったわけではないことを、一連のグラフは示している。1970年代からの40年間、急進リベラルはインテリなどを中心に常に一定の支持を受けてきたが、決して広い国民階層に受容されたわけではない。民主党は、同性婚をめぐる世論の急激な変化を背景に、今回の中間選挙で保守派への攻撃を強めているが、最リベラル派の動向に引きずられて急進的な立ち位置に先祖返りすれば、しっぺ返しを食う可能性もあるだろう。
もっとも、今回示したグラフは2012年で終わっている。すでに述べたように、同性愛結婚に関する最高裁判決をきっかけに社会的争点に関する世論は大きな変動が起きており、直近の調査に言及できていない以上の分析には大きな限界があることを指摘しておく必要がある。  
 
成熟社会の意思決定とは / 危険な「専門知」と「市民知」の乖離

 

前回の本欄で、2020年東京オリンピック・パラリンピックの新国立競技場建設を巡る混乱の大きな理由は、巨額の税金を使うにもかかわらず意思決定プロセスが不透明で、国民に対する説明が不十分だからではないかと書いた。
日本社会が成熟するためには、専門家の知見「専門知」を尊重しながら、一般市民の声「市民知」を取り入れた国民不在にならない意思決定プロセスが何よりも重要だ。
今、五輪エンブレムのデザインの類似性を巡る問題が浮上している。新デザインの発表の日、私はワクワクしながらテレビを見ていた。
巨大なベールが剥がされ、現れたデザインを見てがっかりした。なぜなら、そこにオリンピックやスポーツの持つ躍動感と日本らしさをほとんど感じなかったからだ。招致活動時に使われた桜の花びらをモチーフにしたロゴの方がずっと好感が持てた。
私の個人的感想などは取るに足らないものだが、その後のネット上にはさまざまな賛否のコメントが寄せられていた。
オリンピックに対する国民の支持率の向上が不可欠な時代には、もう少し丁寧なデザイン選定のプロセスが必要ではなかったのか。そうすれば、他国の劇場のロゴとの類似性を指摘されるような事態も招かなかったように思う。
新国立競技場とエンブレム問題には、意思決定における情報開示の不十分さや業界の閉鎖性がある。それは今日の日本社会に共通する課題だ。
建築家やデザイナーなど閉鎖的な専門家集団の中で、粛々と重要事項が決まる。新エンブレムのデザインコンペの応募条件には、主要コンペ2回以上の受賞歴が必要とあったため、前述の招致ロゴをデザインした若手デザイナーは応募さえできなかったという。
最近、原子力規制委員会は原発の再稼動に向けた新たな安全基準を示し、川内原発の再稼働が決まった。しかし、NHKの世論調査結果をみると、「賛成」17%、「反対」48%、「どちらとも言えない」28%となっている。
専門家による技術的検討をいくら重ねても、福島原発の事故原因が完全に解明されず、廃炉に向けて多くの課題が残されている現状では、多くの国民が再稼動に納得できないのは当然だ。政策決定プロセスにも、専門家の「専門知」と一般市民の「市民知」には大きな乖離があるのだろう。
成熟社会とは、社会の重要事項の意思決定に双方の“知”が協働するプロセスが組み込まれた社会を意味するのではないか。成熟社会には専門家と市民が互いに自律的に考えることが不可欠である。
協働には想像を超える時間と労力が必要になるだろうが、社会が成熟するとは、そのようなプロセスを我慢強く確実に歩んでゆくことではないだろうか。  
 
社会の認識の乖離と向き合う姿勢 2017/1

 

特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案、いわゆるカジノ解禁法案が衆参本会議で可決された。この問題に対する社会の関心は高く、一般マスコミは特にギャンブル依存問題を懸念する報道を連日のように流している。
日本国内にカジノはあってもいいというのが筆者の率直な考えだが、一方でカジノを含めた統合型リゾート施設が経営的に成り立ちうるのか、あるいはどのように成り立たせるのかについては疑問を持っている。
統合型リゾート施設は、カジノの収益でもって施設全体の経営を成り立たせるのが前提である。当初は訪日外国人旅行客を増やすための観光戦略の一環だったと記憶しているが、今ではそのような考え方を聞くことは少なくなった。カジノ目当ての訪日外国人旅行客がどれだけいるのかを冷静に分析した結果かもしれないし、実は当初から内国人を対象とした経済戦略だったのかもしれない。
近年の成功例として引き合いに出されるマカオやシンガポール、その他の東南アジア諸国のカジノの多くは、経済が好調だった中国からの観光客に支えられたことは周知の通りだ。我が国におけるカジノも、つい数年前までは中国人旅行客を主たる顧客として想定していたと思うが、法案成立に手間取っている間に中国経済が失速気味になり、中国人観光客の爆買いも控えめになったのは周知の通りである。
それでもカジノを作るというのであれば、経営を成り立たせるために国内の人に足を運んでもらわなければならない。そうなると、やはり「依存症対策」が大きなポイントになる。国会でも一般マスコミでも、厚生労働省が以前発表した例の「五百三十六万人」を取り上げ、当たり前のようにそこにパチンコ・パチスロをまぜ混んで議論するスタイルが定着している。
業界としてはギャンブル依存の問題だけはなく、カジノ経営の成否にパチンコ・パチスロが巻き込まれる可能性も懸念しなければならない。カジノの競合相手として想定される産業は公営ギャンブルだけではなく、社会ではパチンコ・パチスロも含めている。カジノ経営が上手く行かなかった場合、我が国にはパチンコ・パチスロが存在するという環境に原因を押し付けてくることは、大いに考えられる。
遊技業界はこうした議論が沸き起こった時に口をつぐむ傾向が強い。パチンコ・パチスロが法的には娯楽であるものの、一般社会からはギャンブルであるという認識を持たれているという現実に、正面から向き合っていない。
いずれにしてもカジノ推進法の次は実施法であり、議論はまだまだ終わらない。ここでは再度、依存問題と並んで民間賭博を法的にどう認めるのかが課題になってくる可能性が高い。業界はここでも、説明が言い訳に聞こえてしまうことを懸念したり、説明する材料自体に不足して、これまで通り沈黙を続けるのだろうか。
例えば、法務省は数年前、刑法が賭博を犯罪として規定している趣旨や法案に対する省としての立場を文書で説明している。社会安全研究財団とお茶の水女子大では、「パチンコ依存」について全国標準サンプリングに基づいた調査を行い、実態を把握する考えを示している。こうした、業界をきちんと説明するための客観的事実を積み上げ、社会に対して説明する姿勢やその説明で社会の多くが納得してくれる実態づくりを急ぎたい。 
 
企業社会の構造と現況 2001

 

第1節 問題の所在
わが国の経済的・社会的な特徴、その構造的・制度的な特質を表現する言葉として、しばしば「企業社会」という用語が用いられる。しかし、この企業社会という言葉が何を意味するかは必ずしも明らかではない。実際には、それを用いる論者の問題意識や関心対象に応じて多様な意味内容を付与されることが多い。むしろ、企業社会という表現を通じて、一定の問題意識を共有するための抽象的ないし補助的な概念として用いられることが多い。しかし、わが国の経済や社会のありように対して、あえて企業社会という表現を用いる場合、そこには企業の圧倒的な影響力のゆえに生じるさまざまな問題に着目しようとする視点が背景にあることはいうまでもない。その視点には、およそつぎのような2つの次元の問題が含まれていると考えられる。
第1は、企業と社会との関係に関わる問題である。企業社会をそれ以外の社会とは区別された、あるいは切り離された独特の社会として把握し、企業内で形成され、共有された固有の価値観や思考様式、行動パターンや慣習といったものが、それ以外の社会、つまり一般社会とは乖離している状況と、そのことがもたらすさまざまな社会的・経済的な影響ないし弊害、とくに企業の反社会的行為や違法行為に焦点を当てようとする視点である。例えば、90年代の企業をめぐるさまざまな事件や不祥事の原因を会社内に固有の思考様式や伝統的な慣習に求める議論、そのなかで「会社の常識は社会の非常識」と糾弾し、企業の倫理と社会の倫理とのズレを指摘する議論などは、こうした視点と軌を一にするものといえる1)。
第2は、企業と個人との関係に関わる問題である。そこには、われわれの社会がそこに生活する一人ひとりの人間ではなく、まさに企業が中心となって形成された社会であることを明示しようとする視点を見出すことができる。すなわち、自然人に対する法人の優位性を強調する視点であり、そのような優位性によって惹起されるさまざまな問題に注意を喚起しようとする意図が含まれている。企業中心社会や会社本位主義、あるいは法人資本主義、法人優遇社会といった表現は、まさに個々の人間が社会の中心から遠ざけられ、企業に比して冷遇されている状況、あるいは個人の生活が企業のなかに埋没している状況を示唆するものといえるだろう2)。企業に対する個人、あるいは法人に対する自然人という構図のなかに問題の所在を求める視点である。
企業社会を論じる文献の多くは、この両者の問題ないし視点を中心に議論を展開しているといってよい。いずれにせよ、企業社会という表現には否定的な意味合いを込めて語られることが多い。もちろん、このような分類は分析的な観点に基づくものであり、相互に密接な関連を持つことはいうまでもない。ここでは、上記のような2つの視点を手掛かりとして、わが国の企業社会をめぐる問題状況を整理・検討することにしたい。
第2節 企業社会の存立構造
前項で示したように、わが国の企業社会をめぐる諸問題は、基本的に企業と社会との関係、企業と個人との関係、この2つの次元の問題に集約することができる。そして、その関係性にみられるいくつかの特徴が、日本型ないし日本的と呼ばれる企業社会あるいは企業システムのあり方を規定しているといってよい。ここでは前者の問題を、戦後の成長経済に対応した企業システム、すなわち成長依存型企業システムの形成・発展との関わりを中心に、そして後者の問題を、企業システムと密接な関わりを持ち続けてきた生活のあり方、すなわち企業依存型生活システムの態様を考察しながら、日本型企業社会の存立構造を考えることにしたい。
1 成長依存型企業システム
企業社会という表現からただちに想起するのは、企業内部で形成された価値基準と行動様式、すなわち企業の論理が広く一般社会の領域にまで及び、むしろ社会全体の支配的な論理として蔓延し、一般社会のあり方に対しても無視し得ない影響を及ぼすような状況であろう。経済の領域だけでなく、政治、文化、法制度、生活など、あらゆる領域にわたって企業の論理が貫徹する社会といってよい。そして、その一般社会とは異なる企業論理の蔓延という状況こそが、企業によるさまざまな反社会的行動や違法行為の温床と考えられるのである。
もちろん、会社の常識は社会の非常識という状況が許されるわけではない。問題はむしろ、企業の論理が社会全体をも覆うほどに蔓延している状況において、これを牽制ないし改善するための機能が不十分にしか働かず、他方でこれを社会全体が受容してきたという事実にある。企業の存在が経済社会全体に対して支配的な位置を占め、他のどのような側面よりも企業の役割が重視され、優先される社会とは、いかなる要因ないし背景によって生み出されてきたのであろうか。
いうまでもなく、わが国企業社会の構造は、戦後日本経済の成長・発展の過程と密接不可分の関係にある。もはや戦後は終わったとされる1950年代半ば以降、わが国は平均10%程度のきわめて高い成長率を10年以上にわたって実現する高度経済成長期を経て、70年代半ば以後、成長率は半減したものの、平均4%前後の経済成長率をやはり15年近くにわたって実現してきた。このような意味で、わが国の戦後半世紀とは、経済大国へと邁進した成長の時代として把握することができる。そして、成長経済の歴史はその主要な原動力としての企業の成長・発展、企業中心社会の形成と軌を一にしていたことはいうまでもない。
したがって、バブル崩壊後にマイナス成長を含む低成長経済へと転換した90年代において、企業システムや企業社会のあり方があらためて問われ始めたのは決して偶然ではない。経済大国化は、同時に企業大国化のプロセスでもあり、わが国の企業システムは戦後の成長経済を補完・強化する構造として形成され、経済システムと同様に成長型ないし成長依存型のシステムとして存立してきた。しかし、成長を前提としたシステムが成長期待の喪失という現実に直面すれば、そのシステムが機能不全に陥ることは言を要しない3)。バブル崩壊後の長期不況下において、日本型と呼ばれる経済システムや企業システムの改革、再構築が声高に叫ばれるのは、景気回復の一手段である以上に、従来のシステム・制度・慣行の多くが現実的に成長を前提として成立していたからにほかならない。
わが国の企業社会は、戦後の先進経済諸国へのキャッチアップ過程、高度経済成長期における経済規模の拡大を目指す成長至上主義、国際競争力の強化、企業規模・市場シェアの拡大志向、そして石油ショックや円高を克服するための省資源・省力化、徹底した効率化や合理化による生産性の向上という時代的課題のなかで形成された。企業社会は、いうまでもなくあらゆる側面において企業が中心となる社会であり、わが国の場合、その中核を成す企業システムは、経済成長と企業規模・市場シェアの拡大を前提とした企業システム、すなわち成長依存型企業システムとしての特質を有していた。
それはまた、戦後日本の成長経済を支えた主要なシステムとして機能すると同時に、日本型企業社会の存立基盤を成すものであった。日本型と呼ばれる経済システムや企業システムの主要な特徴として、長期雇用、年功序列型賃金を中心とする雇用慣行や日本的労使関係、企業間取引にみられる長期継続的な関係、株式相互保有や人的結合関係を伴ったメインバンク制、さらに金融行政のおける護送船団方式、規制・指導等を通じた政府・監督官庁と企業・業界との結びつき(いわゆる政・官・財の鉄のトライアングル)などがある。これらの関係は、いずれも当事者双方に配分されるパイが順調に拡大していくこと、すなわち持続的な成長・拡大による利益・権益の増大が期待され、実現されていくことによってはじめて成立しうる関係にほかならない。
しかしながら、戦後の日本経済は多少の変動を伴いながらも、平均10%程度の高成長を約15年間、さらに他の先進諸国を上回る平均4%程度の成長を20年近くも実現し続けてきたのである。成長は単なる仮定や期待ではなく、現実そのものであった。いや、現実とすることこそが日本経済の至上命題であり、企業社会の存立基盤をいっそう強固にしたのである。その強固に形成された企業社会は、その固有の論理によって一般社会の領域をも侵食し、それを飲み込むような存在にまで膨張してきたのである。それはまた、戦後日本経済の持続的な成長・発展が、企業中心の経済大国、企業大国へと辿り着いたことの1つの帰結でもある。
成長に向けてすべての努力が注がれ、高成長の実現が期待される状況において、やがてそれが現実化するだけでなく、高水準の経済成長が数十年にもわたって実現されることによって、成長とはたんなる期待や追求すべき目標ではなく、あらゆる行動様式や組織設計、思考パターンの当然の前提となってしまい、さらには成長それ自体に依存したシステム、制度、慣行を生み出してしまう。そして90年代以降、わが国企業社会は成長期待の喪失という現実に直面することによって、いくつかの固有の症状を顕在化させることになる。成長依存型企業システムを主要な存立基盤とする企業社会は、成長依存型の社会構造を形成すると同時に、「成長依存症候群」ともいうべき病を生み出すことになる。
現代の企業社会が抱えている諸問題とその性質、重要性については次節以下で論じるが、ここでは日本型企業社会の主要な存立基盤が戦後の成長経済のなかで形成された成長依存型の企業システムであることを確認しておきたい。そして、その強固に構築された企業社会は、一般社会をも包含するほどに拡大し、政治、経済、文化、法制度、生活など、あらゆる領域に決定的な影響力を与え続けてきたのである。そしてもう一点重要なことは、その決定的な影響力の下にあり、成長依存型の企業システムを、したがって日本の企業社会を根底の部分で支えていたのは企業を構成する個々の労働者であり、その家計を中心とする生活そのものにほかならないということである。つぎに、企業社会における企業と個人との関係について考えてみよう。
2 企業依存型生活システム
ある社会において生活する個々の人間は、本来、多面的な存在である。すなわち、地域住民、納税者、生産者、消費者、労働者といったさまざまな役割ないし立場を担った多面的な存在である4)。しかし、消費者としての役割を含む労働者、とりわけ企業に雇用された労働者としての役割が支配的な位置を占めることによって、他の役割ないし立場が制限され、その人の生活全体のありようが企業との関係によって決定的に規定されているとすれば、そのような生活を企業依存型生活システムと呼ぶことができるだろう。そして、わが国の企業社会は、このような生活システムによって支えられてきたといってよい。
成長経済を支える企業システムはまた、企業に依存した生活と労働者の存在によってはじめて存立可能であった。このような関係は、終身雇用制や年功序列制といった雇用慣行と密接に関わることはいうまでもない。その生活の実態に関しては、日本型企業社会の特徴のなかに見出すことができる。二宮氏が、日本型企業社会を「個人に対する企業の拘束性が異常に強く、社会全体の動きが企業のリズムを中心に振り回される状況」、「企業本位社会であるということと、企業内に一つの社会が形成され、そのいわば磁場が中心となって動く社会」、すなわち「企業内社会中心の社会」と説明するとき5)、そこでの個人生活の実態は容易に想像することができる。
国民生活審議会は、企業中心社会を、「企業をはじめとする組織の存在が拡大しすぎ、その目的や行動原理が、個人や社会のそれに優先し、個人生活の自由度が制約された社会」と規定し、それにかわるべき個人生活優先社会を、「人間として多面的な側面を持つ個人が、各々の価値観に応じて自己実現を試み、多様なライフサイクルを志向する社会」と規定している6)。このような説明自体が、企業社会における個人生活の実態を端的に表現するものといえよう。それは、会社人間や企業戦士、経営家族主義や運命共同体、働きバチ、長時間労働、サービス残業、休日出勤、さらに有給休暇の未消化、単身赴任、そして過労死まで、これらの多分に日本的な状況をきわめて包括的・抽象的に表現したものにほかならない7)。
しかし、個々の労働者にとって企業こそが最大のセーフティ・ネットであったことも事実である8)。終身雇用と年功序列のなかで、企業の成長・発展は個々の従業員にとって昇進・昇給機会の増大とほぼ同義であり、社宅や住居手当、保養施設等の充実した福利厚生、退職金、そして再就職の斡旋と、企業に依存せざるを得ない状況が形成されてきた。そのような状況で企業社会が要請する人間像とは、企業に対する最大限の忠誠心を発揮する滅私奉公型の人間であり、家庭や自由時間を顧みない従順な会社人間であった。また成長依存型の企業システムに対しては、大量消費を担う飽くなき消費欲と、企業以外の世界に対する無関心、とりわけ政治的無関心と説明を求めない資金提供者を醸成してきたといってよい。
このような状況のなかで、個人生活は企業システムを補完し、日本型企業社会の重要な存立基盤を提供してきたのである。しかし、成長依存型の企業システムと同様に、企業に依存した生活システムもまた、成長期待の喪失によってその負の側面を顕在化することになる。すなわち、企業システムを補完し、企業社会に埋没した生活のなかで失われてきたこと、生活の豊かさや人権尊重の意義といった問題に多くの人々の関心を呼び起こすことになるのである。
戦後日本の社会経済システムは、経済大国、企業大国への発展過程の中で形成され、経済成長の中核を担った企業中心の社会経済システム、すなわち企業社会へと変貌を遂げた。それはまた、成長依存型の企業システムと企業依存型の生活システムという2つのサブシステムを支柱とする強固な法人大国、日本型企業社会を構築してきた。しかし、90年のバブル崩壊は、成長依存型企業システムに対してさまざまな動揺を与えると同時に、根本的な変革を要請するものであった。われわれはさらに、経済大国に対する生活小国、法人に対する自然人の意味をあらためて問い直す必要に迫られている。
第3節 成長依存型社会の崩壊
成長依存型企業システムと企業依存型生活システムとの強固な補完構造をもつわが国の企業社会は、それが強固であればあるほど、新たな社会経済システムへの変革に対する重大な障害になることはいうまでもない。その障害を克服するための課題は多岐にわたるが、ここでは成長を目標とするシステムではなく成長を前提としたシステム、すなわち成長依存型システムが、その内部に醸成してきた諸問題と、成長期待の喪失によって顕在化する諸問題を成長依存症候群と呼び、その基本的な性格を考察し、わが国企業社会の問題状況を明らかにしたい。
1 成長依存症候群
経済成長は、生活水準の向上を図るための最も有効な手段の1つである。将来に対する成長期待は人々に活力と希望を与える。しかし、成長が長期間にわたって実現されると、成長それ自体を前提とするような行動パターン、思考様式が一般化する。成長こそが最も有効な問題解決の方法であり、明日は必ず今日よりも良くなるものと観念する。そのため、成長は永遠であるという幻想からの覚醒が困難になる。このような状況は、薬やアルコールに対する依存症と同様、成長に対する依存症という病にあると診断することができる。
 その主な症状として、以下の5つをあげておきたい。第1に、成長の論理はしばしば解決すべき諸問題を先送りするための論理に転化する。本格的な改革が必要な場合や他の重要な問題が発生している場合でさえ、それが成長によって顕在化しない限り、問題は先送りされることになる9)。また、成長のみが問題解決のための主要な手段であるという認識から、さらに成長それ自体が目的に転化する。いわゆる目的と手段の転倒である。そのために環境変化への対応が遅れ、問題はさらに深刻化することになるが、そのような問題認識そのものを希薄化させるのも成長の論理といえるかもしれない。
第2に、持続的な成長という状況は、経済主体間の長期的関係の形成とその安定性を促進すると同時に、関係主体間の固定性、閉鎖性を生み出すことになる。それはまた、第三者に対する不透明性や曖昧さにも結びつくことになる。固定性と安定性、不透明性と曖昧さを伴った関係は、その前提としての成長期待の喪失によって破綻を余儀なくされるが、それに伴う負の影響はしばしば一部に人々に、とくに相対的な経済的弱者のグループに一方的かつ集中的に及ぶ可能性が高い10)。この意味において、成長依存型社会の崩壊は社会全般に対する混乱と同時に、経済力の一層の格差拡大を生み出す可能性が高い。
第3は、すでに繰り返し述べてきた点であるが、成長の原動力としての企業に対する期待・依存が高い社会、すなわち企業中心社会では、個人、消費者、生活者の立場を成長促進装置としての企業に対する補完的・従属的な立場に追いやることになる。しかし成長の実現による昇進・昇給等の可能性が高い限り、そのような状況が組織・制度・システムを維持するための障害となるような不平・不満を顕在化させることは少ない。問題はむしろ、そのような状況を甘受することによって、個人、消費者、生活者としての立場、権利に対する認識ないし感覚を希薄化させるという点にある。この点については、後に詳しく論じることにしたい。
第4に、成長を前提とする社会は、基本的にリスクや不確実性に対する感覚を麻痺させる傾向をもつ。したがって、経済・社会に関わるさまざまな環境変化を的確かつ迅速に読み取るような能力は不当に低い評価を与えられることになり、したがってこの種の能力を育成・強化するような制度・システムも不十分にならざるを得ない。安定的な成長社会においては、大きなリスクや不確実性の発生はむしろ例外的な事象であり、このような社会状況の中で変化に対する迅速かつ的確な対応能力を期待することは本来的に困難であるといわざるをえない。それはまた、人々から創造性や変革能力、生活スタイルを選択する能力を奪い取る過程でもあるとはいえないだろうか。
第5に、成長依存型社会では成長以外の目標や価値が二次的・従属的な地位に置かれることによって、成長以外の多様な価値観を許容・尊重し、これを正当に評価するための視点・態度が脆弱化することになる。そのような状況で成長に対する価値観が揺らぎ始めると、明確な規範の喪失によって、社会的な混乱や不安、モラルの低下に結びつくことになる。多様性を異質性や特異性として排除する画一的・形式的思考ではなく、多様な生活、労働、教育の可能性の拡大として読み込む視点が求められることになる。
成長依存型社会の崩壊は、90年代に見られた長期不況や失業率の上昇といった経済的な困難をもたらしただけではない。それは成長依存型社会が醸成してきた潜在的な諸問題を成長依存症候群という病として顕在化させ、新しい社会経済システムを構想するための創造力をも弱体化させていたことを明らかにした。そのことはまた、現在のシステム・制度・慣行に対する改革の必要性が高まれば高まるほど、人々に一層の不安を醸成することになる。
2 不安の源泉
成長依存型社会の崩壊に直面して、われわれに問われていることは、新しい社会を構想する確固とした視座であり、将来を見据えた豊かな創造力であろう。しかし、成長依存型社会は、まさにそのような視座、能力をこそ奪ってきたとはいえないだろうか。われわれの生活様式から雇用のあり方、そして大方の人生設計さえ規定していた成長依存型社会の崩壊は、新たな社会経済システムを構想する明確なビジョンがなければ、いたずらに人々を不安に陥れるだけである。
戦後の成長依存型社会は、その中枢を成長依存型の企業システムが占め、それを補完する企業依存型の生活システムによって成立していた。したがって、成長依存型社会の崩壊は企業システムの再構築を要請すると同時に、企業を最大のセーフティネットとしてきた労働者の生活システムにも再設計を迫ることになった。もちろん、こうした再設計には、年金や医療、介護を中心とする社会保障制度の行方や、預金者保護に対する金融システムのあり方、雇用対策や生活保護、教育・再訓練の可能性など、多様な問題群が含まれることになるだろう。こうした問題に加えて、公共機関・施設に対する信頼性や安全性、政治・政策に対する不信など、さまざまな要因が人々の不安の源泉であることは否めない。
しかし、現在の最も基本的な不安要因とは、これまでの企業社会の中で軽視されてきた生活システムそのもののあり方に関わる問題であろう。すなわち、企業社会の中に埋没した生活ではなく、また企業システムの補完的・従属的な位置としての生活ではなく、企業に対する個人、法人に対する自然人、そして一人ひとりの人間が主役となるような生活システムとは何かという問いである。この問いに対して明確な回答を見出していくこと、それを実現していくことの可能性に対する不安である。
生活システムの再設計という作業は、企業社会の解体と再構築というマクロ的な課題を抜きに語ることはできないが、まず企業社会の中で等閑視されてきた基本的人権とは何か、生活者の権利とは何か、こうした基本的な論点を問い直すことから始める必要があるだろう。こうしたアプローチこそが、企業社会の呪縛を解き放つための基本的な戦略になると考えられる。なぜなら、われわれの抱く不安とは、それが一人ひとりの営む日常生活と密接な関わりをもつときに、そしてその生活の基盤が脅かされるときに、最も大きくなるからである。その生活の基盤とは、個人の基本的人権あるいは生活権といっていいだろう。それはまた、個人の選択の自由が保障され、その個人の選択が社会的に尊重され認められること、したがって、個人の自由かつ多様な生き方や働き方が社会的に保障され尊重される社会ということであろう。
こうした生活システムの再設計は、「経済大国」日本があらためて「生活大国」日本の構想を掲げなければならないわが国の現状からみれば、実感を伴った真の豊かさを追求するための不可避の課題であり、生活の豊かさを実現するための基本的な課題でもあるといえるだろう。そこで次節では、生活システムの視点から、わが国企業社会の問題点を再検討しながら、企業システムと生活システムとの関係、生活の豊かさを追求するための基本的な課題について考えることにしよう。
第4節 生活の豊かさと企業社会
これまで生活システムという表現を用いてきた理由は、第1に、生活というものが本来的に持っている多面性・多様性を強調し、その全体像を視野に入れることを意図したからである。第2は、企業システムとの関係を相対的な観点から捉え直すという点にある。すなわち、企業システムのあり方が生活に対してどのような影響を与えているかという企業側からの視点ではなく、生活そのものから企業システムを照射することにねらいがある。このような生活を起点とした分析視点から、生活システムにおける企業と労働の相対的な位置と意味を再検討し、企業社会をめぐる基本問題の諸相を明らかにしたい。
1 生活システムの視点
そもそも生活とは何か。辞書には、生きること、活動すること、暮らし、あるいは、何かを考え、行動すること、などとある。いずれにせよ、生活は生きること、人の存在そのものと同義であり、具体的には、消費、睡眠、排泄、学習、家事・炊事、家族との団欒、親戚・友人・知人との付き合い、近所・地域社会での交流、趣味・娯楽を楽しむ時間、一人瞑想に浸る時間、政治的・文化的活動、ボランティア活動など、きわめて多様な行為ないし要素から成り立っている。そして、これらの多様な要素が一定のバランスを保ちながら有機的に結びつき、一人の人間の生活全体を構成する。このような多様な生活時間、生活空間のすべてが、一人ひとりの生活を構成する要素であり、それらの結びつきの総体を1つのシステムとして、すなわち生活システムとして捉えることができる。
生活システムを構成する主要な要素は、前述のように生活する人々がさまざまな局面で演じるいくつかの役割ないし立場の観点から見れば、住民、労働者、消費者、納税者、あるいは生産者といった側面が浮かび上がる。例えばサラリーマンであっても、かれは労働者としての役割を担うと同時に、家族とともにある地域で生活する住民としての役割、消費者としての役割、そして納税者としての役割を同時に担う存在でもある。システムとしての生活とは、こうした多様な役割を同時に担う人々の存在を前提としている。
また、時間の観点から見れば、1日の生活は、1働く時間、2睡眠・食事などの生理的に必要な時間、3文化的・社会的時間、の3つに区分することができる11)。この3つの時間の組み合わせ、バランスが、生活システムのあり方を決定づけることになる。さらに時間視野を人生の時間に引き伸ばした場合でも、同様に人生における多様な時間の過ごし方とその配分のあり方は、その人の人生に一定の意味合いを与えることになる。いずれにしても、1日24時間、1年8,760時間、人生80年として約70万時間という絶対的な制約があることを前提とすれば、生活システムを構成する多様な要素のそれぞれの相対的なウェイトが、まず問われなければならないだろう。
もちろん、生活を構成する諸要素のバランスやその望ましいバランスのあり方は各人によって異なるであろうし、そもそも望ましい組み合わせを定義することは本来的に不可能に近い。問題はむしろ、さまざまな役割と時間を構成要素とする生活というシステムにおいて、ある特定の要素が支配的な位置を占めることによって、自由な選択の可能性、生活の多様性が制約されるという状況である。
システムとしての生活という視点に基づけば、例えば労働に費やされる時間が増えることは他の要素ないし行為に費やす時間を減らすことであり、さらに労働時間が圧倒的な位置を占めるということは、必然的に生活時間の中から他の要素に費やす時間を奪い取ること、すなわち生活システムにおける多様性の喪失を意味する。また労働者としての役割が生活システム全体の支配的部分を占めるとき、他の多様な役割を演じる可能性を犠牲にするだけでなく、生活システム全体を労働者としての役割に従属した形に変質させる可能性がある。
とくに時間の観点から生活を考えることの重要性は、時間そのものが経済的な概念にほかならないからである。1日の時間にせよ、一生の時間にせよ、人に与えられる時間は希少かつ有限の資源であり、その資源を多様な生活時間にどのように配分するかが、その人の生活の豊かさを大きく左右することになる。さらに重要な点は、配分され、費消された時間という資源は、いかなる方法をもってしても将来の時間によっては取り戻すことができないという性質を持つという点にある。時間が本来的に持っているこうした性質を、ここではあえて異時点間の代替不可能性と呼ぶことにしたい。なぜなら、生活システムにおける時間配分の問題は、代替不可能な時間が他のシステムに対する補完的・従属的な時間に費やされる可能性の問題でもあるからである。
そして、わが国企業社会の最も重要な問題とは、まさに生活システムに修正の余地すら与えないような状況であり、生活システムそのものが企業システムに取り込まれ、多様な選択の可能性、生活の多様性が失われているという状況である。すなわち生活の豊かさを追求するための前提条件そのものが不十分であることを、生活システムという視点は教えているのである。
これまで見てきたように、生活の豊かさと企業社会の現況とはきわめて対照的な様相を示している。ここで豊かさの定義を論じることはしないが、少なくとも個人の選択の自由が保障され、多様な考え方、生き方、働き方が認められる社会であることは基本的な前提といってよい。そのように考えれば、生活システムにおける空間的・時間的な多様性が著しく制約されている状況で豊かさを追求することは不可能であり、両者は基本的に矛盾した関係にある。そこで次節では、終身雇用制度、年功型賃金制度を柱とする日本型雇用システムを取り上げ、時間を中心とした生活システムの観点から検討を加え、わが国企業社会の現況と生活の豊かさとの関係について論じることにしよう。
2 日本型雇用システムの意味
わが国企業社会の骨格は、長期雇用と年功型賃金を柱とする日本型雇用システムにあるといってよい。その特徴や功罪については多くの研究が蓄積されているが、その理論的な説明を簡単に要約すると次のようになる12)。すなわち、長期雇用と年功型賃金については、その賃金プロファイルと限界生産性との乖離が、同一企業への長期就業のインセンティブを強めると同時に、人質(hostage)としての若年期の賃金未払い分は、その還付金の大きさが個々の労働者の昇進と企業全体の業績に大きく依存するため、昇進をめぐる労働者間の競争インセンティブと、企業成長へのインセンティブを強めることが理論的に明らかにされている。また、このような長期雇用下では労働者間の情報の交換・共有・蓄積が可能となり、企業側も企業固有の特殊技能の形成など人的資本への投資が可能となり、企業の効率性、成長性、技術革新への寄与などの面でいくつかのメリットをもったシステムとして説明されている。
以上の説明を簡略化して示したのが図1である。すなわち、t’(賃金曲線と限界生産性曲線の交点)までの労働の限界生産性と賃金との差の面積(賃金の過少支払い)をWy、t’からT(定年)までの賃金(退職金を含む)と限界生産性との差の面積(賃金の過大支払い)をWeとした場合、Wy≦We、すなわち少なくともWyとWeが等しいか、We がWyを上回ると期待できる場合に、企業内の昇進競争のインセンティブは強まり、また同一企業への定着率を高めることによって、種々のメリットが生み出されると考えるのである。
このような賃金構造の特徴は、労働者の努力水準や企業成長へのインセンティブとして、あるいは「賃金の先送り」、同一企業への定着と最大限の貢献を引き出すための「人質」として捉えられるが、それらはいずれもWyとWeが代替可能なものと想定されていることに着目する必要がある。少なくともt’期までに受け取る賃金とそれ以降T期までに受け取る賃金とは、その多寡以外に何の区別もない。
ここで、前述した時間の性質、異時点間の代替不可能性について考えてみよう。以上のような賃金プロファイルでは、若年期の過少支払い分は高年期(t’期以降)の過大支払い分によって回収可能であり、ある場合にはそれ以上に回収できるかもしれない。しかしながら、t’期までの時間そのものをそれ以降のT期までの時間によって回収することはできない。過去と未来はけっして代替可能ではない。そればかりではない。このような賃金プロファイルでは、t’からTまでの賃金と退職金が「人質」とされることによって、t’期までの限界生産性と賃金との差は「見えざる出資」として半ば強制的に企業に貯蓄され、同時にt’期までの時間をも貯蓄させられているのである。それはまた、T期まで同一の企業に留まらない限り賃金の過少支払い分を回収できないという意味で、t’からT期までの時間をも拘束することになる。
近年の企業システムに関する研究成果による理解とは別に、わが国企業の賃金プロファイルと限界生産性との関係について以上のような解釈を与えることは、いささか検討違いといえなくもない。しかしそれは、あえて分析の視座を人生における時間の意味、生活システムに置き換えることによって、はじめて見えてくる論点なのである。実際、入社からt’期までの期間は、一般に20歳代から30代歳後半ないし40歳代までの時期に相当し、その期間がそれ以降の昇進や賃金水準、生涯所得の多くの部分を左右すると考えれば、t’期までの働き方や生活全体のなかで企業と関わりをもつ肉体的・精神的な時間の意味は、それ以降の時間と同様であるとはいえないだろう。それはまた、t’期までの労働がT期になってはじめて意味をもつため、生涯設計における時間配分の自由があらかじめ制約されている状況といえるだろう。そうした時間配分の自由に対する制約は、生活システムの多様性に対する制約をも意味する。
以上の考察から明らかなように、従来の日本型雇用システムに関する説明においては、時間こそがあらゆる人々にとって希少かつ有限の経済的資源であること、そして異時点間の代替不可能性という時間の基本的な性質について考慮されることはほとんどなかった。それはまた、勤続年数や賃金制度を含む雇用システムのあり方が、労働者の生活それ自体とは切り離された形で扱われてきたことを意味している。すなわち、生活システムにおける他の多様な側面、人間の多面性を捨象し、労働者の役割と時間のみを切り取るという方法が用いられてきたのである。企業社会において生活システムが抱える問題点や雇用システムと生活の豊かさとの関係といった論点を、こうした視点から探り出すことはできない。
企業システムに埋没した生活の常態化は、人間や生活が本来持っている多様性とその価値に対する認識を希薄化させてきただけでなく、企業や雇用システムを分析する視点そのものにも、労働者を全人格的な存在として捉える総体的視点が見失われていたように思われる。もちろん、分析の視点・方法がその目的に対応して限定的であることはいうまでもないが、企業社会に内在する諸問題を考察しようとする場合、生活の実態から人権に対する視点をも含んだ総体的・多角的な視座こそが必要であると考える。
第5節 企業社会を超えて
戦後日本の企業社会は、経済成長と企業規模の拡大、所得水準の上昇を前提とした成長依存型のシステムによって支えられてきた。それはまた、成長と生産に直接寄与しない分野が無視ないし軽視されてきたことと表裏一体の関係にある。その最も典型的な分野である個人の生活は、企業依存型という歪んだ構造を強いられてきた。その生活は企業システムを補完するサブ・システムとして位置づけられてきたが、多様な生活の可能性を前提とする限り、それは企業システムに対する「強いられた補完性」ともいうべき性格を持たざるをえない。そのような性格は、生活そのものを企業システムに従属した存在に変え、個人の主体的・自律的な選択の可能性、生活の多様性を奪い取ることになる。
しかし、成長依存型社会に取り込まれた生活の矛盾は、まさに成長によるパイの拡大によって糊塗されてきた。60年代後半にはアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に、そして80年代後半には1人当たりGDPも世界第1位の水準にまで到達した。しかし、成長経済の終焉は企業社会の存立構造を崩壊させると同時に、内在していた矛盾を表面化させ、日本型の経済・企業システムを改革すべしとの論調を生み出す一方で、既得権益の確保と改革の痛みを回避するための先送りが横行するという混乱した状況をも生み出している。
戦後日本経済の歴史のなかで、高度経済成長が終わった70年代には低成長経済への対応が、円高経済に突入した80年代半ば以降は国際社会において相応の責任を担う国際国家への転換が、それぞれ時代の課題として叫ばれてきた。さらにバブル崩壊後の90年代には日本型システムの功罪が問われ、政治・行政、企業・雇用システム、年金・医療を中心とする社会保障制度、税制、教育システムなど、多方面にわたって改革が叫ばれている。しかし、いずれの時期にも根本的な改革は先送りされ、企業社会の基本構造は温存されてきたように思われる。
しかし、より重要な問題は、戦後50年余の中でわが国のほとんどの人々に蔓延していた成長依存症候群ともいうべき病が、人間の持っている貴重な能力を奪ってきたということである。それは、人間らしく生きる方法を自らの責任と判断に基づいて考え、試行し、経験するという能力である。そうした能力を発揮することこそが人間らしく生きることの不可欠の条件ではないだろうか。そのような意味で、企業社会とはすべての国民が本来的に持つべき能力と権利の大部分を犠牲にすることで成り立っていた社会とはいえないだろうか。
わが国の経済水準、生活水準は他の多くの国々と比較すれば、すでに十分豊かであることは事実であろう。しかしその豊かさは、今後も維持されるという保障はない。むしろ、成長は永遠に続くという観念は幻想に過ぎないことが明らかになったとき、新しい途を選択する能力こそが問われることになる。われわれは、企業社会を超えて、どのような社会を、そのような生活を、そしてどのような未来を目指すのであろうか。これまでわが国の国民は、このような根本的な問いかけを発したことがあったのだろうか。そしてまた、このような問いかけに対する回答として、今日のような社会を選択してきたのだろうか。
新しい社会を模索する視点として、ここでは生活システムという考え方を用いた。このような視点が問題のすべてを明らかにするとは思わないが、少なくとも企業や法人ではなく、生活する人々の総体を見据えた人間中心の社会を構想することの重要性を強調してきた。それはまた、経済的・物的な豊かさのみを志向する姿勢ではなく、充実した空間と豊かな時間を伴った生活システムを再構築していくことでもある。
生活システムの再構築、生活の豊かさを実現するための課題は多方面にわたるが、とりわけ企業中心社会の構造を解体・再構成する試みは容易な作業ではないだろう。既存のシステムを基盤としていた人々の意識と行動様式にも少なからず変容と痛みとをもたらすことになるだろう。しかし、企業・生産者・法人を中心とする社会から、生活者、消費者・自然人を中心とする社会への転換は、豊かさ、生活、人権とは何かという真剣な問いかけから生み出される必然的な要請といってよい。われわれにいま必要なことは、新しい社会経済システムを構想する豊かな創造力と、既成の秩序・慣行・ルールのすべてを問い直す勇気と決断ではなかろうか。

1) コーポレート・ガバナンスの観点から企業社会を論じた筆者の考察として、つぎの文献を参照されたい。拙稿「コーポレート・ガバナンスと日本の企業社会」(村上・水谷内・瀬谷・鈴木・井形『コーポレート・ガバナンスの多角的研究』同文舘、1999年)。
2) 森岡孝二『企業中心社会の時間構造―生活摩擦の時間構造―』(青木書店、1995年)、基礎経済科学研究所編『日本型企業社会の構造』(労働旬報社、1992年)、奥村宏『会社本位主義は崩れるか』(岩波書店、1992年)、同『法人資本主義』(御茶の水書房、1983年)、安土敏「さらば法人優遇社会」(『中央公論』1992年10月号、30−45ページ)、鈴木良始『日本的生産システムと企業社会』(北海道大学図書出版会、1994年)を参照。 なお、本稿の主題、問題意識は、以下の拙稿と重複する部分があり、いくつかの点で参照したことをご了承願いたい。拙稿「企業システムと生活システム」(『京都学園大学経営学部論集』7−2、1997年12月、1−23ページ)、拙稿「不安の構造―90年代の日本経済と成長依存症候群―」(『追手門経済論集』34−2、1999年9月、41−65ページ)。
3) 平成11年度経済白書は、90年の「バブル崩壊」によって、「戦後体制」が確立した1955年頃から35年間にわたって存在した「成長神話」、すなわち「土地神話」、「消費神話」、「完全雇用神話」が、いずれも崩壊したことを表明している。経済企画庁編『平成11年版経済白書』(大蔵省印刷局、1999年)。
4) 萩原清子・須田美也子編著『生活者からみた経済学』(文眞堂、1997年)、3ページ。
5) 二宮厚美「企業社会の扉をひらく」(基礎経済科学研究所編『日本型企業社会の構造』労働旬報社、1992年)、17−8ページ。
6) 経済企画庁国民生活局編『個人生活優先社会をめざして』(大蔵省印刷局、1991年)。
7) サービス残業とは、もちろん無給の労働をさすが、その形態は「ふろしき残業」から「フロッピー残業」、「Eメール残業」と呼称を変えて存続している。
8) 竹中平蔵『ソフト・パワー経済 21世紀・日本の見取り図』(PHP研究所、1999年)、100−117ページ、同『21世紀型民富論(NHK人間講座)』(日本放送協会、1999年)、58−72ページ。
9) バブル崩壊後の調整過程が緩慢であったことは、同様にバブルの発生と崩壊を経験したアメリカ、イギリス、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドの5カ国との就業者数、失業者数、設備投資の動向に関する比較によって明らかにされている。経済企画庁編『平成11年版経済白書』(大蔵省印刷局、1999年)、120−1ページ。
10) わが国の企業間関係の特質と問題点については、拙稿「日本型企業間システムの政策課題―継続的取引の評価を中心としてー」(『京都学園大学経営学部論集』4−3、1995年3月、9−44ページ)を参照されたい。
11) 暉峻淑子『豊かさとは何か』(岩波書店、1989年)、150−1ページ。
12) 雇用システムに関する理論的な説明については、主として以下の文献を参照した。青木昌彦・奥野正寛編著『経済システムの比較制度分析』(東京大学出版会、1996年)、加護野忠男・小林孝雄「資源拠出と退出障壁」(今井賢一・小宮隆太郎編『日本の企業』東京大学出版会、1989年)、73−92ページ、島田晴雄『日本の雇用―21世紀の再設計』(筑摩書房、1994年)、162−5ページ、鶴光太郎『日本的市場経済システム―強みと弱みの検証』(講談社、1994年)、吉田和男『日本的経営システムの改革』(読売新聞社、1995年)。  
 
東京五輪エンブレム炎上騒動から見る広告人と一般社会の乖離 2015/8

 

東京五輪のエンブレムにおける「パクリ騒動」。デザイナーの佐野研二郎さんはパクリを明確に否定しました。ここではパクリかオリジナルかの議論はしないでおきます。今回私が非常に感じたのが広告人と一般社会の意識差についてです。
広告人といっても、新聞チラシの求人情報とかスーパーのチラシの世界の話ではありません。年間数百億円規模の広告予算を握っている日本有数のクライアントや、国・自治体系の巨大プロジェクトにかかわる広告人のことです。こうしたプロジェクトには大手広告代理店が入り、スタッフには著名クリエーター(社員・フリー両方)が参画します。フリーのクリエーターは元々は大手広告代理店にいて、目覚ましい活躍を遂げた末に自分の事務所を立ち上げ、さらに活動の範囲を広げていきます。通常の仕事は、クライアントや大手広告代理店から御指名で「○○さんにやっていただきたい!」と三顧の礼で迎え入れられます。
当然広告代理店もエース級の営業を揃え、しばし「ドリームチーム」が結成されます。フリーになった著名クリエーターは、腕だけでなく人望もあり、様々な趣味を持ち、知り合いも大勢いて多くの人から慕われる存在です。大きな仕事をしつつも、お金にならない文化的活動やボランティア的仕事もし、ますます人格者としての地位を高めていきます。クリエイティブ系を目指す学生からすれば、本当に憧れの存在で、芸能人と比較できぬほど尊敬しております。
今回、佐野さんに対し、ネット上ではバッシングの嵐でした。ほとんどは匿名の方々で、途中なぜか佐野さんを在日韓国人扱いし、勝手に「朴某」という本名があるとされ、五輪全体が在日に乗っ取られたイベントであるかのような扱いになっていくのでした。ネット特有の「ネガティブな話はなんでも在日のせいにしておけ」的法則が発動されてしまったのでした。嫌韓系のまとめサイトでも当件は多数取り上げられ、かなりのPVを稼いだことでしょう。
ここで立ちあがったのが同業者の方々です。著名クリエーターも含め、ツイッターやフェイスブックで多くの人が佐野さんを擁護したのですが、これが結果火に油を注ぐ結果となりました。基本的な擁護の内容は、「サノケンほどの実績ある人間がそんなことをする理由がない」「普段の佐野さんの仕事ぶりをしっているだけに考えにくい」「デザイナーという仕事はミリ単位の緻密な作業でオリジナルを作る。佐野さんもそうやっただけだ」といったところでしょうか。
佐野さんの普段のお人柄を知っていれば当然のコメントでしょう。しかし、これはネットという荒くれ世界では多分通用しないんですよ。一旦サイバーカスケード(一方向の叩く論調になること)状態となってしまうと、一撃で黙らすだけの証拠を提示しない限りは「燃料投下」になってしまうんですよね。擁護した結果、あまりにもバッシングをくらい、「ツイッターやめます」宣言をする方も出ました。
今回の件で、本人が否定している以上、佐野さんが業界関係者及びクライアントからの信頼を失ったとは思えません。過去の実績というのはそこまで信用をもたらしてくれるものですから。
性善説でネット民に接していた広告業界
今回ツイッター上で指摘があり、納得したのがネットに「佐野研二郎」と書かれると叩きで、「サノケン」と愛称で書かれると擁護である、というものです。業界関係者からは「何も分かってない連中を見返してやれ」みたいな意見も出ました。そうなんですよ。この「身内感」「上から目線感」というものが、ネットでは極度に嫌われます。それは特に、普段から上流階級的生活をしている人が一致団結し、匿名の愚民どもに呆れかえっている様子をネット上で見せられてしまうと、むしろさらに反発したくなってしまう。
普段、広告業界ではネット民との「エンゲージ」を求めたいと考えます。「エンゲージメント」は「婚約」のことで、「エンゲージ」といえば「強い繋がり」といったところでしょうか。しかし、ネットユーザーが企業と付き合いたい時は、「何か無料でもらえる」「何かトクする」「とにかく面白い」程度です。企業の側の片思いなワケです。
広告業界人はどことなくネット民に対して性善説で接していたところがあります。それは、恐らく苛烈なる炎上を経験したことがなく、業界内でまったりと交流し、著名クリエーターであれば、ツイッターのフォロワーが数千〜1万台いて、心地良いコメントのシャワーを浴びていたからでしょう。仲間と一緒に高級店でおいしいワインを飲み、ムール貝やレバーのパテを食べる姿をSNSで披露し「おいしそー!」と言われたり、業界トレンドについて有益な情報収集していたため、一般社会からは隔離され、上品なサロンがそこでは展開されていた。プライベートから離れ、キャンペーンの仕事でSNSを活用する場合でも基本的にはプレゼントやモニター等「何かをあげる」企画なわけだから「ありがとうございます!」みたいなコメントが多数寄せられる結果となります。
しかし、ネットってのはもっとえげつない世界であり、これまでが温室過ぎた。後は、著名クリエーターが援軍を出してしまうと、匿名のネット民にとっては「また叩けるおもちゃがやってきたぞw」となり、もはや収拾不能になり、傷つく人が増えてしまう事態となります。前出の佐野さんを擁護した業界人に対してはバッシングと共に業界関係者からの温かい激励のコメントも多数寄せられ、その方は感謝していました。しかし、このやり取りでさえ、ネット民からすると「またハイソな連中が傷をなめ合いやがってる」「また上から目線で特権階級ごっこをしやがってる」という感想を抱きます。
仲間なのであれば、大勢の敵の中に突撃していく必要はない。
今回、業界人は佐野さんをネット上で優しく擁護するものの、押し寄せるアンチとはケンカをしない、というスタンスで情報発信をしました。そして傷ついたら身内に慰めてもらう。このあまりに紳士的振る舞いが普段のネットの風景とは異なり、私の目からは「広告人と一般社会の乖離」を感じる結果となりました。
だったら今回業界人はどう振る舞えばよかったのか。多分ネットでは特に情報発信はせず、知り合いなんだったらメールで慰めるとか、食事に誘うとかする程度で良かったような気がします。
我々のようなネット業界で仕事をしている人間は、広告業界人とは比較にならぬほど、頻繁に炎上します。しかし、「○○さんは本当にいい人なので、そんな意図はなかったはず!」ってな感じで業界内からの擁護は来ません。それは、「炎上状態の時に何を擁護してもムダ」ということを経験則上分かっているからです。味方からの擁護が結果的に足を引っ張ることは理解しているからこそ、そっと傍観し、次に顔を合わせた時に「○○さん、大変でしたねw」程度の冗談めかした慰めをしておく。
いわゆる「一流企業」とされる会社がそれほどネットでは愛されず、ガリガリ君の赤城乳業や、ペヤングのまるか食品といったB級感のある会社が愛されるのは、彼らが一般社会の目線に立ってネット民とコミュニケーションを取っているからです。
私も博報堂出身ですが、「生活者発想を持て」と常に言われていました。でも、タクシーに乗るのは当たり前。新入社員の頃から山手線内のオートロック付きマンションに住むのもフツーのこと、といった感覚を味わっていただけに、「生活者」のことなんて分かっていなかったんだな、としみじみ今回の騒動を見て思うのでした。  
 
「若い」ことが侮蔑語となる、日本社会の今 2018/2

 

私が一年半ほど前からブログを書いているのは、『集団的自衛権の思想史』という本を書いてみて、少しは普通の日本人の方向けの話ができるかな、と思ったからである。ようやく幾分かの反応をいただいているが、その内容を見ると、複雑な思いにかられざるをえない。
現在、『平和構築人材育成事業』研修をやっているので、連日にわたり朝から夕方まで、世界中から集まってきている25名の研修員たちと、南スーダンやらマリやらの話を題材にした英語で議論をしている。ほとんどが海外から呼んでいる国連職員など30名弱の方々をファシリテーターとして数週間にわたって運営する研修で、多様なシミュレーションの筋書きなども私が責任を持っているため、けっこう夜中まで頭を悩ませたりしている。
それでも少し合間を見て、息抜きにブログの様子などを見ることは見る。そうすると、自分がいかに日本社会から乖離したところに暮らしているかを感じて、複雑な思いになってしまう。世界の現実から、日本はあまりに乖離している。もっとも、それでも日本という社会はなんとか成立はしてはいる。人口を減少させ、国力を停滞させながらも、なんとか日本社会は維持されてはいる。
だが本当にこのままでいいのか。このままでも、本当に日本の未来は、大丈夫なのか。
前回のブログの後、弁護士の早川忠孝氏が、私の文章についていろいろと反応していただいていたのに、ようやく気付いた。正直、早川氏は、私の著作はおろか、ブログレベルの文章についても真面目には読んでいないようなので、早川氏が書いていることについては、最早あまり関心がわかない。だが、印象に残ったのは、次の表現である。
「それにしても、篠田さんはお若い。面白いことを言われる方ではある。」
実は私は49歳なので、「若い」と言われるのは冗談にもならない。少子高齢化社会の日本の現実をふまえたブラック・ジョークではあるかもしれないが、真面目な描写ではない。だがそれにもかかわらず「篠田は若い」と言ってみることに、いったい何の意味があるのか。
「戦前の復活」「ナチスの再来」「軍国主義へのいつか来た道」・・・・半世紀以上にわたって使い古されてきた陳腐な表現でしか他人を批判できないのは、ちょっと問題ではないか、と憲法学者らを批判しているのが、私である。その私に対して、憲法学者の方々は、あえて「三流蓑田胸喜」「ホロコースト否定論者」といった正面突破の言葉を投げかける。
私は「面倒なことは存在していないことにしよう」という価値観を振り回すのは、大人の姿勢でも何でもない、既得権益の維持だけを狙った単なる思考停止ではないか、と主張している。その私に対して、「若いな」という正面突破の言葉で否定してみせようという人がいる。正直、暗澹たる気持ちになる。
若いとか、年寄りとか、そんなことは関係がない。護憲派とか、改憲派とか、そんなことは関係がない。リベラルとか、保守とか、そんなことは関係がない。親米派とか、反米派とか、そんなことは本質的な問題ではない。
自分が生きている社会を、もう少しだけでもいいので、良いものにしたい。そのために、相手の人格を尊重し、意見を受け止め、真摯な気持ちで対応しながら、頭を悩ませて、自分の意見を顧みながらも、他者の意見についても検討する。そういう素直で普通の生き方が、なぜ現代日本では、簡単にはできないのだろうか。
 
秋葉原通り魔事件が浮き彫りにした社会認識の乖離

 

編集部から「無差別凶悪犯罪」とインターネットの関連について原稿を寄せる よう依頼があった。「無差別凶悪犯罪」というのは、今年にはいってから各地で発生している若者による通り魔殺人事件を指すと思われるが、やはりその中で世 論に最も衝撃を与え、そしておそらく編集部の方々も念頭に置いているのは、6月8日、秋葉原の歩行者天国で発生した無差別通り魔事件(以後、「秋葉原通り魔事件」と呼ぶ)であろう。インターネット上でも、若者による無差別凶悪犯罪の中で秋葉原通り魔事件が最も大きな反応を引き起こしていたと思う。そこで、本稿では秋葉原通り魔事件とインターネットの関係を中心に述べていきたい。
マスコミの報道によれば、容疑者Kは幼い頃に教育熱心な両親に虐待とも捉え られかねない厳しいしつけを受け、両親との間に確執が存在していたという。さ らに、地元有数の進学校の高校に入学したものの学校では成績が伸び悩み、高校 卒業後、両親から逃れるように故郷から遠く離れた技術系短大に入学している。 短大での成績は優秀で、一流自動車メーカーへの入社も決まっていたようだが、Kは四年制大学への編入を希望し、就職を辞退し、二級自動車整備士の実技試験 免除に必要な実習科目の受講も怠っている。しかし、四年制大学への編入に失敗し、派遣社員として各地の工場を転々とする生活を送るようになる。(一時期は運送会社に正社員として勤務していたこともある)事件直前には、Kは携帯サイ トの掲示板に独り言のような書き込みをおこなっているが、そこで彼がこだわっ ているのは自分が負け組であることと、容姿が醜く、恋人がいないということだ った。
両親との確執・進学の失敗・容姿へのコンプレックスなど、Kの犯罪の引き金になったと推測される要素は多様である。しかし、事件後、なぜかマスコミでは、派遣社員として彼が搾取され、悲惨な生活に追いやられていたこと(鎌田慧はKら派遣社員の待遇は『自動車絶望工場』に登場する1970年代の期間工以下の待 遇であったと事件後にコメントしている)
(1)が犯罪の要因として強調された。政府もこの事件を期に、日雇い派遣の禁止に乗り出す動きを見せている。Kは凶悪犯罪者から一転して、格差社会の被害者の代弁者となった。
このようなKの地位の変化はなぜ起きたのか。インターネット文化に造詣の深い森川嘉一郎(明治大学准教授)は、当初、Kがオタクとして報道されたことに反発した2ちゃんねるなどのインターネット掲示板の利用者がK=格差社会の被 害者という構図をつくりあげたのだろうと推測している。そして、2ちゃんねる を見た新聞記者がこの構図にあてはまるように報道を変化させていったのだろう という。
(2)私はこの見方に懐疑的である。私の記憶では事件発生直後には既に、イ ンターネット掲示板では「Kは格差社会のひずみの被害者」・「抑圧されてき た派遣社員がついに行動を起こした」などというKに対する同情の声が次々と書き込まれており、K=オタクという報道がなされてからKが格差社会の被害者とインターネット上で強調されたわけではない。それに、インターネット掲示 板では格差社会に対する怒りは事件以前から激しく渦巻いていた。森川はKが勤務していた自動車会社の親会社の社長(経団連名誉会長)を思わせる人物が事件後に2ちゃんねるで「ブルジョワジーの象徴のごとく戯画された」
(3)などと書いているが、経団連名誉会長を思わせる人物の戯画はかなり以 前から2ちゃんねるに存在している。日本共産党の志井和夫委員長が格差問題について国会で質問したとき、「志井GJ(Good Jobの略)」の書き込みが2ちゃんねる内であふれたこともあるように、インターネット掲示板利用者の格 差問題への関心は高く、その是正を求める声はかなり以前から存在していたの である。インターネット掲示板利用者が秋葉原通り魔事件の原因を格差問題に すり替えたのではなく、格差社会に対する関心が従来から高かったがゆえに、 事件直後、Kが派遣社員であるという事実がインターネット利用者の関心を呼んだのである。インターネット掲示板利用者はKが派遣社員であるという報道を聞いて、「格差社会に対する怒りを体現する人間がついに現れた」という気持ちを持ったのではないだろうか。
ただ、Kの過去が次第に明らかになってくるに従って、インターネット上にお けるKに対する支持は薄れていった。派遣社員であること以外にもKは数多くのコ ンプレックスを抱えていたことから、Kを格差社員の被害者とは必ずしも言えな くなったことや、インターネット掲示板利用者も次第に冷静さを取り戻したことで、「格差社会を告発するためとは言え、大量殺人を肯定することは出来ない」という思いにとらわれていったためと思われる。
むしろ、気になるのが、インターネット掲示板が冷静さを取り戻す一方で、マスコミの報道が過熱していったことである。私は、K=格差社会の被害者という構図はインターネット掲示板ではなく、新聞やテレビといった既成マスコミが作り上げたのではないかと考えている。インターネット掲示板利用者によるK賛美が短期間で終了し、秋葉原通り魔事件に対する関心をも利用者はすぐに失ったのに対し、秋葉原通り魔事件と格差社会を結び付ける報道の方は今日に至るまで断続的におこなわれているからである。
この背景には、今年あたりから顕在化しはじめている格差是正を求めるグループとあくまでも規制緩和をさらにすすめようというグループのマスコミ内での対立があるように思われる。
今年2月、私は政府の審議会会長などを歴任されながらあくまでも派遣自由化に反対し続けた高梨昌先生(信州大学名誉教授)の講演をうかがう機会を得た。そのときに、私は昨今の規制緩和礼賛一辺倒のマスコミ報道について質問したのだが、先生は「新聞社内でも規制緩和推進派と格差是正派に二分されており、自分に意見を求めに来る記者も多い」という内容のお答えをされた。現に、今年にはいったあたりから、規制緩和一辺倒だった新聞紙上に格差社会の悲惨さを追及する記事や格差是正を求める論考がぽつぽつと掲載されるようになっている。そんな中、発生した秋葉原通り魔事件はマスコミ内の格差是正派にとって追い風と なるという感触を、記者たちは2ちゃんねるなどインターネット掲示板を通して得たのではないだろうか。(森川は知人の新聞記者が皆、事件直後に2ちゃんねるを見ていたと書いている)現に政府は派遣問題に対する取り組みをようやく始めた。「Kのおかげでみんな、格差問題に関心を持つようになったし、政府も重い腰をあげた」と評価する者はインターネット上にも私の周囲にも現に数多く存在する。
一方で、『週刊新潮』が「2ちゃんねるではKが『神』として崇められている」という記事を掲載するなど、格差社会に不満を持つ者をKにシンパシーを感じる者として、批判する動きもある。
(4)これは規制緩和推進派が巻き返しを狙ったものであろうか。
私自身は、秋葉原通り魔事件を利用して、世間に格差社会の見直しを迫るとい う最近のマスコミの報道傾向を肯定しない。そのような報道の仕方は容疑者を英雄にし、被害者を貶めるものであるからである。だから、私はKを単なる大量殺人鬼としか見ないし、Kが起こした事件に何の意義も見出さない。
しかし、秋葉原通り魔事件が起きなければ、ここまで格差社会に対する関心が高まることはなかったであろうということもまた事実である。毎年3万人以上もの自殺者を出し、地方経済は壊滅し、ロストジェネレーションと呼ばれる30代を中心とする世代が正規の職業に就けず、家庭も持てない状況に追い込まれている。にもかかわらず、日本中の耳目を集める秋葉原で罪もない人々が7人も殺されるまで危機感を持たなかった政府と一部のマスコミの感覚の鈍さにも私は戦慄を覚えざるを得ないのである。
事件発生直後のインターネット上の熱狂やその後のマスコミの報道を見ると、もしも第二・第三のKが今度は格差社会に対する告発として政界や財界の要人を襲ったときに、世論はテロを容認するのではないかという印象を受ける。特に、インターネット掲示板利用者は今度こそ「自分たちの代弁者が出現した」と歓迎するではないか。事態はそこまで切迫しているのである。
しかし、事件発生から約4ヶ月。政府も一部のマスコミも秋葉原通り魔事件直後に抱いていた緊張感を忘れ始めているように見える。このまま格差是正を怠って、社会の鬱屈した空気をそのままに放置すれば、次は自分たちが標的となるかもしれないという自覚を為政者たちは持っているのだろうか。 
 
現実と非現実のあいだ
  ネットワークコミュニケーションにおける相互理解の問題

 

「技術的進歩が可能であるからといって、常にその発展と使用が正当化されるものではない ... 科学の素晴らしい可能性とともに、その限界もまた考察されるべきなのである」1
インターネットを基盤として成立する仮想社会は、いまだかつて経験されたことのないコミュニケーションの場をもたらすように思われる。そこにおいては、相互了解の場として守られてきた「現実」と、そこから排除されてきた「非現実」が交錯するのである。この特異なコミュニケーション形態は、われわれの相互了解の可能性にも制約をあたえないわけにはゆかない。それは仮想世界の成立基盤であるディジタルデータならではの性質に起因する原理的制約なのである。仮想社会においてもこれまでと同じように相互信頼関係にもとづいたコミュニケーションを成立させるためには、われわれがいままさに出会いつつあるこの新たな社会形態の特異な地位を認識した上で、継続的な対話を続けてゆくことが必要なのではないだろうか。
1. 生活世界のネットワーク化と仮想社会の成立
ここ数年、われわれの生活世界は急速にインターネット化しているように思われる。ニュースや新聞、あるいは電車内の吊り広告などで、ホームページ、メールアドレス、URL、http といったキーワードを目にすることはもはや目新しいことではなくなった2。職場や学校、あるいは公共施設のコンピュータもインターネットに接続されるようになってきたし、各企業は競ってホームページを開設し自社広告にインターネットアドレスを公表している。いまや、何らかのかたちでインターネットに出会わず一日を過ごすことは難しいかもしれない。
インターネットとは、世界各国のネットワークを相互接続することによって構成される、最大規模のコンピュータネットワークである。当初の利用者は特定研究者が中心であったが、それがこのところ急速に一般に普及してきたのには原因がある。通信技術が安定してきたことはもちろんだが、利用する際の敷居が低くなってきたのである。情報技術の進歩は高性能コンピュータを個人でも入手可能にしたし、ソフトウェアも難しい操作を覚えなくともカラフルな絵(アイコン)によって直感的に操作できるようになった。通信回線も以前よりずっと安価に利用できるようになってきた。これらの好条件が今日の普及に拍車をかけたのである。もちろん単に条件が整っただけではない。インターネットは、空間時間の制約を超えたコミュニケーションを個人ベースでおこなえる魅力的なメディアである。電子メールを利用すれば瞬時に世界中とメッセージ交換ができるし、オンラインショッピングを利用すれば自宅にいながらにしてショッピングを楽しむこともできる。オンライン図書館を利用すれば遠くの図書館で調べものをする必要もなくなるし、インターネット上で電子マネーを利用すれば現金自動支払機の前で長蛇の列に並ぶ苦労もなくなる。インターネットを利用して自宅をオフィスにすれば新たなビジネスをはじめることもできそうだし、インターネットで在宅勤務ができれば長距離通勤で体力を消耗することもなくなるだろう。
このように生活世界のネットワーク化をすすめてゆけば、インターネットの中にもう一つの社会が実現されるという見方もでてくるだろう。コンピュータネットワークを基盤として成立する社会は、仮想社会(仮想共同体)などとよばれている3。仮想社会という言葉で意味されているものは論者によってさまざまであるが、遠藤薫氏はそれらは次の二通りのとらえ方に分類されるとしている4。すなわち、「社会の情報化が一段と進み、社会的機能の一部がコンピュータネットワーク上で果たされることが当然となるような世界」といったとらえ方か、もしくは「コンピュータネットワーク上に構成されるコミュニケーション空間で、現実世界とは異なる形ではあるが、人々が相互に交流し合いある種の連帯感で結ばれた世界」といったとらえ方である。前者が、現実社会の延長上に仮想社会があるという点にアクセントをおいているとすれば、後者は、現実社会と仮想社会が異なった身分にあるというニュアンスを含ませたものだといえるだろう。
しかしながら、前者でいわれるように、本当に仮想社会を単にこれまでの社会の延長ととらえてよいのであろうか。ネットワーク上の仮想のコミュニティは、従来の社会とさほどの違いをもってはいないのだろうか。しばしば指摘されるネットワークコミュニケーション上の問題点は、単に現実社会の延長として仮想社会をとらえることを許さないように思われる。例えば、ネットワークの世界に没入するあまり現実社会とネットワーク世界が乖離してしまい、一種の二重人格をもたらすとか、現実社会に適応できなくなるといった議論がしばしばされているし5、さまざまなコンピュータネットワーク犯罪(コンピュータウィルス、不法なコンピュータ侵入=ハッキング、著作権やプライバシーの侵害、ネットワークを用いた詐欺行為など)や、ネットワークにおける倫理(公的な場所での他者の誹謗・中傷、フレーミング問題6など)が現在大きな社会的問題になっていることは周知のとおりである。これらの問題には、何か仮想社会ならではの本質にもとづくものが起因してはいないだろうか。コンピュータを介したコミュニケーションが中心となっても、これまで通りうまく相互理解がおこなえるかどうかについては、いまだ確かめられてはいないのである7。
仮想社会においても、相互信頼や責任にもとづいた社会的コミュニケーションを可能にするためには、まず仮想社会がいったいどのような点で現実世界と異なっているかを明らかにしなければならない。だが、そもそもわれわれは何をもって、現実とそうではないものを区別しているのだろうか。現実や仮想という言葉で意味されているのは、いったいどのような事態なのであろうか。これまでおこなわれてきた仮想社会に関する多くの議論は、この点が不明確なまますすめられてはこなかっただろうか。われわれがいま出会おうとしている新たなコミュニティの本質を明らかにするためには、まず現実と仮想という概念を明らかにしておく必要があるだろう。
2. 共通の了解環境としての現実
2.1. 現実であるための条件は何か
われわれは現実という言葉で何を意味しようとしているのだろうか。この概念をめぐって長い哲学的論争がおこなわれてきたことを考えてみれば、ここで現実とは何かをただちに明らかにすることなど、断念するほかないのかもしれない。しかしながら、われわれはごく日常的に「それは現実的だ」とか「それは非現実的なことだ」といった判断をおこなっている。このような判断のうちには、われわれがすでに現実と非現実を区別する基準というものを、ある程度了解しているということが含まれているはずである。そうであれば、現実とは何かを問うことは難しくとも、われわれが何を基準にして現実と非現実を区別しているのかを問うことは不可能ではないだろう。現実と判断されるものと、非現実と判断されるものの違いはどこにあるのだろうか。
セルバンテスの描く、騎士ドン・キホーテを例にして考えてみよう8。われわれはドン・キホーテを非現実の世界に生きた人物の典型例だとみなしているが、それはなぜなのだろうか。彼を遍歴の騎士ドン・キホーテではなく、非現実の世界に生きる狂人アロンソ・キハーノであるとみなすというわれわれの判断のうちには、現実と非現実の境界はどこにあるのかという問題を考えるためのヒントが含まれているはずである。例えば、夢の世界に生きている人などとは違って、ドン・キホーテは他者たちと実際に言葉を交わしているが、にもかかわらず、われわれは、彼が非現実の世界に生きていると判断している。ということは、単に他者と言葉を交わせるというだけでは、現実の世界に生きているための条件には満たないということであろう。またドン・キホーテ自身は、自分自身の生きている世界が現実であることを寸分たりとも疑っていない。彼にとってみれば、間違いなく巨人や、立派な城は、現実に存在しているものなのである。にもかかわらず、われわれが彼を非現実の世界の人間であるとみなすということは、単に当の本人が現実感を持っているというだけでは、現実と判断されるには十分でないことを意味している。これらの条件は決して不要ではないにしても、他者たちと言葉を交わすだけでも、当の本人が現実感を持っているだけでも、ドン・キホーテが現実を生きていると見なされるには十分でないのである。
それでは、他にどのような条件が揃えば、ドン・キホーテが現実を生きていると見すことができるのだろうか。問題は、ドン・キホーテによって解釈されたさまざまの事象が、他者たちの解釈と食い違うという点にあるのではないだろうか。ドン・キホーテにとっては疑いもなく巨人と解釈される、まさにその同一のものは、人々には単なる風車と解釈される。城門を散策している美しい貴婦人は、人々にとっては宿屋をうろついている二人の節操のない浮気な女に過ぎない。騎士の到来を告げる小人のラッパは、角笛を吹く豚飼いである。ものの解釈がずれてしまうところに、ドン・キホーテの悲劇があるのだ。彼の生活世界においては、風車は誰にとっても風車でなければならなかった。われわれの社会において、あるものごとが現実と判断されるためには、解釈結果が人々の間で実質的に同一である必要があるのである。そうして、もしも解釈結果が人々と同一ではなければ、われわれはその解釈を非現実だと判断してきたのである。アルフレッド・シュッツが指摘したように、われわれは「あらゆる個別的な変異はあるにしても、同一の対象はわれわれ自身による経験と実質的に同一の仕方で、われわれの仲間たちによっても経験され、その逆もまた真であるという想定 ...かつまた、われわれと彼らの解釈図式は同一の類型的な関連性構造を示すという想定」9によって社会生活を送っている。同一の対象が、人によってコップや猫や机と解釈されるかもしれない、などと想定しなければならないなら、われわれの社会生活は、さぞ困難なものになってしまうだろう。
2.2. 「相互観点の一般定立」の想定
実際のところ、このような解釈の実質的同一性の想定は、われわれが社会生活を送ってゆくための基本的な条件なのである。シュッツはこのような想定を「相互観点(パースペクティヴ)の一般定立」とよんでいるが10、それは以下のようなことである。われわれは、たとえ同一の対象を見ている場合でも、厳密にいえば私と相手の間で異なった事態が意味されているだろうということを知っている。なぜなら、私と彼は異なった場所にいるから、事物の見える面が違うだろうし、私と彼は異なった生活史をもっているから、ものの見かたが違うだろうからである。しかしながら、このような観点の相違にもかかわらず、すくなくとも日常生活においては、われわれは、個人間の観点の相違を乗り越えて、同じ対象は他者にとっても実質的に同じものと解釈されているだろうと想定している。なぜなら、もし彼の「ここ」が私の「ここ」になるように場所を交換すれば、事物はほぼ同じように見えるだろうし、私と彼の生活史的な違いは、お互いの当面の実践的な目的にとっては無視できる程度であろう、という一種の理想化(理念化)を無意識のうちに遂行しているからである。シュッツは、前者を「立場の相互交換の理念化」、後者を「関連性体系の相応性の理念化」と名付けているが、われわれは、このような二つの理念化によって、つまり、お互いの観点が相互に交換可能であるということを理念的に思い描くことによって、社会的コミュニケーションをスムーズに成立させているのである(このような理念化は物質的基盤の存在が鍵となって成立していると思われるが、この点については後の章で論じる)。
このような「相互観点の一般定立」がうまくおこなえる場合、すなわち同一対象の解釈が他者にとっても実質的に同一である場合に、われわれはそれを現実であると認めているのである11。逆にいえば、「相互観点の一般定立」がうまくおこなえない場合、すなわち同一対象の解釈がずれてしまうような場合(そのようなずれは、相手に起因する場合もあれば、自分に起因する場合もあるが)に、われわれはそれを非現実であると判断するのである。現実と現実でないものの区別は、われわれの長い経験によって蓄積され、間主観的に十分検証が済まされた社会的知識のデータベースへの問い合わせによって判定されるといえるだろう12。
3. 交錯する現実と非現実 ─ 仮想社会の特異性
3.1. 仮想という概念とコンピュータ科学
それでは、一方の仮想という概念によって意味されているのはどのような事態なのであろうか。最近は、仮想美術館、仮想図書館、仮想商店街(ヴァーチャルモール)、仮想企業体(ヴァーチャルコーポレーション)、仮想工場、仮想研究室、仮想大学などというように、さまざまなところでこの仮想という概念が使われるようになってきているが、ある白書が報告しているように、このところ「ネットワークの世界では、仮想またはヴァーチャルという名称が、枕詞のように盛んに用いられている」といった状況なのである13。このような言葉の用法はどこからきているのだろうか。まずはこの仮想という言葉の由来から考えてみよう。
仮想の原語ヴァーチャルは、通常「事実上」とか「実質上」と訳されているが、上であげた仮想社会とか仮想美術館といった使い方に関していえば、直接的にはコンピュータ科学の用法に由来していると見るべきであろう14。そもそもこの概念は、すでに以前からコンピュータ科学の世界で日常的に使用されてきた概念であったからである。そのような例の一つに、コンピュータを効率的に利用するための「仮想記憶方式」がある。これは、コンピュータソフトウェア上の巧みな工夫によって15、物理的には一定の容量しかないコンピュータの主記憶装置(計算のための一時的な記憶場所で、この量が多いほど計算が速くできる)を、あたかも無限の容量があるかのように振る舞わせ、コンピュータの利用効率を上げるという方法である。これと同じような技術的アイディアは、一台のコンピュータ上で複数人の同時利用を可能にする「タイムシェアリングシステム」(この仕組みのおかげで、われわれは現金自動支払機で銀行のホストコンピュータから複数人同時に預金を引き下ろすことができるのである)をはじめ、コンピュータ技術のさまざまな場面で利用されていた。しかし近年はこれにとどまらず、この仮想という概念は、飛行訓練のためのフライトシミュレータ、医療用の手術シミュレーション、宇宙開発用の遠隔操作システム、コンピュータゲームなどのシミュレーション一般にも適用され、それらが「仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)」とよばれるようになってきた。そうして、上記の仮想美術館や仮想商店街のように、コンピュータによって現実の代用をおこなうような機能を果たすもの一般に対しても、仮想という言葉が使われるようになったのである。仮想社会という言葉も、このような流れを汲んでいるとみて間違いないだろう。
3.2. 相互作用がもたらす現実感
要するにこの仮想という技術の骨子は、何らかの工夫によって、実際にはないものをあたかもあるかのようにする、という点にある。それならば、現実そっくりに描かれた絵画や、写真、映画、テレビなども仮想的なのではないか、と反論されるかもしれない。確かに絵画や、写真、映画、テレビなど、非現実的なもの一般に対して仮想という言葉があてられている場合も見られる。しかしその場合でも、コンピュータを使った仮想は、それまでのものとは異なる次元だと認識されているのである16。
コンピュータを利用したものが、なぜ他に比べて特別なのだろうか。そもそもコンピュータ上での作業が、現実世界の仕事の代替作業をもともとの目的としていたという点では、コンピュータは一般に仮想的なものを提供しているとも考えられるのではあるが17、その中でもとりわけ重要なのは、コンピュータによって実現された仮想が、われわれとの間に相互作用(インタラクション)をもたらすという点なのである。例えばインターネットのホームページ上に建てられた仮想商店街は、三次元コンピュータグラフィクス技術によって作られた立体的な絵をコンピュータで操作することによって、コンピュータの中の商店街を歩きまわったり、ショーウィンドウの中を眺めてみたり、商品棚の中の商品を手近に取ってみてみたり、購入予定の品をショッピングバスケットの中に入れたりすることができる。画像は、こちらの操作にしたがって三次元的に見えかたが変化するように作られている。私が右に曲がれば画像もそれにしたがった見え方に変化するし、私が二階に上がれば上から見下ろした画像に変化するといった様子である。決して本物そっくりとはいえない画像でも、こちらの操作にしたがった視点の変化によって、われわれはあたかも商店街の中を実際に歩きまわっているような錯覚を覚えてしまう。この相互作用がわれわれに現実感を与えるのである。もちろん、仮想といわれるものに常にこのような凝った三次元コンピュータグラフィックスが備わっているというわけではない。しかし、たとえ文字情報を主体に構成された仮想の企業や学校であっても、映画やテレビのように一方的に情報が流れてくるのではなく、こちらからの情報が相手に流れ、それがもとになって相手からこちらに情報が流れてくる、という双方向の相互作用があるという点が、仮想として認められる上で重要な点なのである。絵画や映画、あるいはテレビの場合であれば、その中の対象と相互作用する余地はまったくない。しかし、コンピュータを用いて再現されたものならば、われわれはみずからの影響力を行使することができるのである。このような相互作用というしくみこそが、仮想という言葉で意味されるものの本質的な部分を構成しているのである18。
3.3. 現実と非現実のリンク
このような仮想的なものの領域においては、われわれの身体はさまざまな制約から解放されることになる。もはや私は、実際にある場所にゆくことができるかどうか、といった限界のうちには閉じ込められていないし、私の自由が物理的事物の抵抗によって阻まれることもない。たとえ地理的条件が私を阻もうとも、日常の仕事が私の時間を奪おうとも、仮想の美術館ならすぐにゆくことができる。たとえ今日がごみの集収日でなくとも、仮想のごみ箱なら、一瞬のうちにその中身を捨ててしまうことができる。たとえ近くに文房具店がなくとも、仮想のファイルなら一瞬のうちに何十冊でも作り出すことができる。あるいは、たとえ私が飛行機をもっていなくとも、フライトシミュレータなら、一瞬のうちに大空高く舞い上がることもできる。しかも、もし何らかの失敗をしても、すぐに元の状態に戻ってやり直すことも簡単である。あたかも現実であるかのような仮想の世界は、現実を忠実に再現することをはるかに越境して、現実では不可能な自由をわれわれに与えてくれるのである。
だが同時に、仮想的なものが現実と明確に袂を分かつのもこの点であろう。いくら相互作用が現実感をわれわれに与えようとも、まったく自由に場所を移動できると解釈したり、瞬時のうちにファイルを作ることができると解釈したり、いながらにして大空を飛行できると解釈したりすることは、私自身のこれまでの経験だけでなく、他者たちとの社会的コミュニケーションが教えることとは矛盾している。もちろん、たとえ仮想的なものではあってもそれが現実と銘打たれているからには、全面的にこれまでとは解釈が異なってしまうというわけではない。しかし仮想世界においては、まったく自由に場所を移動できたり、瞬時のうちにファイルを作ることができたり、いながらにして大空を飛行できたりするといった、われわれの社会的コミュニケーションにとっての基本的な想定(同一対象の解釈は他者にとっても実質的に同一であるという「相互観点の一般定立」の想定)に反する解釈が、しばしば生じるのである。そのような解釈によって、われわれがコミュニケーションを円滑におこなっていくことはきわめて困難であろう。「私は空を飛ぶことができます」などと真顔で友人に話せば、休暇を取って栄養のあるものでも食べなさい、というまことに親切なアドバイスを受けることになってしまうに違いない。仮想的なものの領域における解釈は、社会的相互理解のための前提条件に反することが多い、というわれわれの判断がある限りは、仮想的なものはいくら現実感を与えようとも、空想や夢の世界と同様に非現実的なものだと判断されなければならないのである。
ところが、その仮想的なものがインターネット上に構築される場合は少々事情が異なってくる。ホームページ上の仮想美術館や仮想商店街は、単純に非現実的なものだとはいえないのである。それらは仮想のごみ箱やフライトシミュレータと違って、現実と直接つながっているからである。われわれは、フライトシミュレータ上の過失に対しては責任を問われなくとも、仮想商店街での代価未払いに対しては、現実の行為としての責任を問われるだろう。いくらその仮想商店街が、仮想のごみ箱やファイルやフライトシミュレータの画面とさして変わらない外観をもっていようとも、それがインターネットにつながっていれば、もはや「元に戻す」ことのできない現実である。仮想社会の特異性は、非現実的なものの領域が、現実につながっているというまさにこの点にある。ホームページ上の文字(ハイパーテキスト)は、単に他のページにリンク(結合)されているだけでなく、現実世界にもリンクされているのだ。
インターネットコミュニケーションによって成立するこの新たな社会は、非現実とみなされてきたものを通して、現実を構築しようとする、歴史上はじめての試みだといえるのではないだろうか。仮想社会の成立は、われわれに非現実的なものとして分類されてきた仮想的なものを現実としてとらえ直すこと、すなわち現実/非現実の基準のシフトをわれわれに要求しているのである。
4. 仮想社会におけるコミュニケーションの問題
4.1. コミュニケーションと物質的基盤
しかしながら、仮想社会がわれわれにもたらすものを、そのまま現実であると見なすことができるほど、事は単純ではない。そこには一つの大きな困難が立ちはだかっているように思われる。われわれが先にみたとおり、そもそもある解釈が現実であると判断されるためには、同一対象の解釈は他者にとっても実質的に同一であるという想定が要求されるのであるが、この想定は物理的事物ならではの特質によって成立しているのである。ところが、仮想社会がその基盤を物理的諸事物ではなく、ディジタルデータにおくならば、この想定が困難になってくるのである。このことを、以下で見てみよう。
あらためていうまでもなく、われわれのコミュニケーションは、紙や空気などさまざまな物理的諸事物を変化させることによって成立している。それら物理的諸事物がコミュニケーションにとって重要なのは、物理的諸事物が「抵抗」をもっているという点にある。つまり、物理的諸事物が抵抗を持つことによって、恣意的な変更を加えられにくくなるという点が、解釈の社会的同一性の想定(「相互観点の一般定立」の想定)にとって重要なのである。このような例で考えてみよう。空想などの非現実的なものの領域ならば、瞬時のうちにリンゴのかたちを変えたり、いつのまにかそのリンゴの色が変わったりしても矛盾は生じないだろう。しかし、抵抗というものが存在する現実世界では、勝手に物理的諸事物の形状や色彩や性質を変更したり、いつのまにか変更されたりすることはあり得ない。物理的諸事物のもつそのような抵抗は、例えば手紙が相手によって読まれる前に、勝手に写真やボールやリンゴに変わってしまわないことを約束してくれる。そのような約束によって、それら物理的諸事物は、他者に対する情報伝達の媒介としての資格を持つことができるのである。そうしてそのような抵抗は、われわれの身体にも一定の硬さを分け与えるゆえに、われわれは同一対象に対する共通の経験、すなわち「相互観点の一般定立」を想定することができるのである。
もちろん、物理的諸事物さえあれば、ただちに「相互観点の一般定立」の想定が可能になるというわけではないが(事物の存在は認めても、解釈が全く異なってしまうこともある)、対象そのものが容易に形態を変えてしまうようなものであれば、他者との間で解釈の実質的同一性を想定することは、きわめて困難であろう。まずは物理的諸事物が安定した基盤として機能することによって、はじめてわれわれは「相互観点の一般定立」を想定するための理念化の作業をおこなうことが可能になるのである。
4.2. ディジタルデータと解釈の任意性
しかしながら、これまでの社会において物理的諸事物がわれわれに交わしてくれた約束が、仮想社会においては必ずしも存在しないことになってしまうのである。仮想社会のディジタル化された事物は、「相互観点の一般定立」を想定できるだけの物理的抵抗をもっていないのだ。例えば、ディジタルの写真ならば、コンピュータ上の操作によって、写真の人物と背景を恣意的に合成し、その写真の意味を変更することも可能である。これが現実の物理的事物を基盤とした写真の場合なら、コンピュータ上ほど操作は簡単ではない。物理的事物の持つ抵抗が、われわれの恣意的変更を阻むからである。仮想的な領域においては、まったく自由に場所を移動できると解釈したり、瞬時のうちにファイルを作り出すことができると解釈したり、いながらにして大空を飛行できるなどと解釈できるのは、抵抗を持つ物理的諸事物が基盤となっていないことからする帰結に他ならない。もちろん、ディジタル写真の例のように、仮想社会においては常に恣意的な変更がおこなわれるといいたいわけではない。重要なことは、仮想社会におけるディジタル化された事物においては、原理的にこのような恣意的変更が、比較的容易に可能であるという点なのである。
なぜディジタルデータの場合はそのような変更が可能なのだろうか。そもそもディジタルデータは、磁気や電気信号や記録媒体の凹凸の有無などを数字の「1」と「0」に見立てる(ディジタルデータはすべてこのような二種類の異なる数字のみで表現されている)ことによって表現された、単なる数字の羅列である。その数字の羅列に一定の意味が与えられた結果、それは単なるディジタルデータではなく、情報としての価値を有することになったのである。例えば「01100001」や「00111011」というディジタルデータは、それだけではただの数字の並びに過ぎない。しかし、これらの各桁が「昨日一緒に飲みにいった8 人の友人」に対応しており、最初のディジタルデータが「終電に間に合ったかどうか」をあらわし、次のディジタルデータが「今朝遅刻したかどうか」をあらわしているという意味を付与してやれば、それらは立派に意味を持った情報になる19。さらに、「両方の桁が1 のときだけ1 で、それ以外は0」という演算規則20を決めて、コンピュータで計算させてやれば、両者の演算結果「00100001」は、「終電に間に合ったのに、今朝遅刻した友人」を意味する情報になるのである。
ここで重要なことは、この数字と意味の間のつながりは、われわれが決めるものであり、しかもそれはかなり恣意的に決定可能だという点である。先の例のディジタルデータに対して、別の約束を決めれば、同一のディジタルデータがまったく異なった意味を持つことになるだろう。もちろん実際にディジタルデータを交換するときには、厳密な規則に則って数字を解釈するのだが、例えばディジタルデータをアルファベットや漢字の文字に対応させる規則(コード体系)をとってみても、現在のところは何通りもの異なるものが利用されている状態である21。ディジタルデータと意味とのつながりは、任意の部分が大きいのである。
そうしてそのようなディジタルデータの任意性による影響の波及は、このような数字レベルの意味付与だけにはとどまらない。例えば、同一のディジタルデータであっても、そのディジタルデータを見るための媒体であるソフトウェアをどれにするかという選択の任意性があるし、またソフトウェア上でそのデータにどのような外観(例えば文字であれば字体=フォント、写真であればその大きさや明るさなど)を与えるかを選択する任意性がある。さらには、どのような大きさや色彩を持つディスプレイを選択するかによってデータを自分の好みの見栄えにできるという任意性や、キーボードの配置やタッチしたときの堅さを選ぶことによって身体運動を選択できる任意性もある。ディジタル化されたデータは、たとえ同一のデータでもわれわれの好みによって任意にカスタマイズをおこなうことが容易なのである。むしろより正確にいえばこうなる。ディジタル化されたデータには、そもそも本来の姿というものが存在していないので、任意にカスタマイズせざるを得ないのである。例えばあるコード体系で、数字列「01100001」が文字「a」であると決めたとしても、その文字がいったいどのような大きさで、どのような字体で、どのような色であるかは何ら決定されていない。文字「a」には、現実の領域とは違って原型となる姿というものが、そもそも存在していないのである。われわれはその文字データを実際に目にするためには、文字の大きさ、字体、色などを、ソフトウェアを選択する(それは意識的になされることもあれば、無意識的になされることもあるが)ことによって決定してゆかなければならないのである。
4.3. 実現媒体の任意性がもたらすもの
このように、解釈の任意性をもったディジタルデータは、選択によってそのあらされる意味が大きくずれる可能性をもっている。もちろん、それらは通常ある程度一定の約束に則って解釈されるのだが、ここで問題にしたいことは、その約束そのものが現実世界の物理的基盤ほど「堅く」はない(厳密ではない)ということであり、かなりの部分で任意の選択がなされざるを得ないという点である。したがって、そのような任意の選択によって、コミュニケーションの送り手によってあらわされた意味が、暗黙のうちに、受け手においてずれてしまう可能性が大きいのであり、さらに重要なことは、もしそのつもりになれば、恣意的に意味をずらすこともかなり容易にできる、という点なのである。この変更可能性は、われわれの「相互観点の一般定立」の想定に対して決定的な制約を与えずにはおかない。
このような例で考えてみよう。従来の手紙や葉書は、差出人が目にした便箋、封筒、インク、字体が、そのまま受取人の目にする便箋、封筒、インク、字体であり、差出人と受取人の間で物質的基盤が共有されていた。現実社会においては、物質的事物の抵抗がわれわれの自由に制約を課するゆえに、コミュニケーション主体が相手と物質的基盤を共有せざるを得なかったのである。そうして、このような制約条件が、われわれ個人間の視点の相違を、「相互観点の一般定立」の想定によって理念的に乗り越えさせ、社会的コミュニケーションをスムーズに成立させているのである。ところが、仮想社会における手紙や葉書にあたる電子メールは、現実世界とは違って、受取人に対してそれが実現される媒体を制約しない。実現媒体はわれわれが任意に選択可能なのである。差出人がどのような字体、大きさ、色の文字を使って(意図して)いたのか、つまりは、その手紙が受取人にとってどのように見えるのかは、受取人が任意に選択したソフトウェア、フォント、ディスプレイなどに依存している。例えば、送信者側では適当な位置だと思って文中に挿入した改行文字22が、受信者側では、思ってもいなかった位置で改行がおこなわれていたという体験をされた方も多いのではないだろうか。これは送信者側の見ていたソフトウェアのウィンドウの大きさやフォントの形状、すなわち手紙の実現媒体が、受信者側のそれを制約しないために生じるものである。もっとも、この程度の「ずれ」であれば、さしたる問題とはならないであろう。しかし、明示的に意識されない暗黙の「ずれ」が、いつのまにかコミュニケーションそのものの「ずれ」となる可能性は、現実社会に比べてずっと大きいのではないだろうか。
しかも仮想社会における実現媒体の変更可能性は、このような非明示的な「ずれ」をもたらす可能性に尽きるのではない。実現媒体の容易な変更可能性は、ソフトウェアという自由に変更(設定)可能な実現媒体を通して、対人関係の恣意的な変更にまで波及させることも可能なのである。池田謙一氏らが「対人関係のカスタマイズ」という側面から取り上げている、電子メールによる自由な対人関係のコントロールの例は、これを示すものと考えられる23。電子メールは、カーボンコピー(CC)やブラインドカーボンコピー(BCC)といわれる、二通りのメール同時配信機能(本来の宛先と同時に他の宛先にも同内容のメールを配信する機能)を持っているが、これを使えば、現実社会よりも簡単に、対人関係をコントロールすることができる。前者のカーボンコピーは本来の相手に対して他の宛先にもメールを同時配信したことを明示的に知らせる機能を持つが、後者のブラインドカーボンコピーの方は他の宛先にメールを同時配信したことを知らせない機能を持っている。例えば、ここで課長X氏が係長Y氏を叱責するメールを出す場合を考えてみよう。課長X氏はそのメールを、カーボンコピー機能でY氏以外の他の係長たちに、ブラインドカーボンコピー機能で部長W氏に対して送信することによって、対人関係を現実世界よりもずっと簡単にコントロールすることが可能である。また、係長Y氏が課長X氏に抗議のメールを送る場合、部長W氏へのメール同時配信をカーボンコピーで指定する場合と、ブラインドカーボンコピーで指定する場合では、たとえ同一内容のメールであっても、それによって作り出される対人関係の意味はかなり異なっているはずである。
仮想社会における、対人関係の恣意的変更の可能性は、このような例にはとどまらない。例えば電子メールの受け取りに際しては、タイトルや差出人の情報で読むメールと読まないメールを自動的に判別することによって、付き合う相手を恣意的に変更することができるし、電子会議室(ニュースグループ)においては、一定の人間が発信したメッセージを決して受け取らないように受信者側で設定することによって、追放された人間は発言することはできるが、受信者側には読まれないので決して反応は得られない、という「手を汚さない村八分」で集団関係を恣意的に変更することも可能になる。さらには、ネットワークにおいては他者との付き合い方(一対一で付き合うか、一対他にするか、多対多にするか)、他者への見せ方(文字で付き合うか、写真を見せるか、ビデオ映像で見せるか、あるいは住所、氏名、年齢、肩書きなどの社会属性をどの程度見せるか)などをコントロールすることによって、他者から見た自己というものを恣意的に変更してゆくことも、現実世界に比べれば、ずっと容易になってくるだろう。
ここであげられたような対人関係の任意的変更の容易さは、実現媒体の変更可能性という、仮想社会の根本的な特質から起因している。それが暗黙のうちにおこなわれるものであるにせよ、恣意的におこなわれるものであるにせよ、さまざまな点で、任意の変更による「ずれ」が容易に生じる可能性を持つ仮想社会においては、われわれの「相互観点の一般定立」という想定、つまり同一対象は他者にとっても実質的に同一と解釈されるという想定は、現実社会にはない困難に直面せざるを得ない。そうである以上、仮想社会の成立がわれわれに要求する現実と/非現実の基準のとらえ直しは、決して単純に非現実から現実への移行ととらえることはできないはずである。仮想社会ならではのメリットは、情報の再利用や共有を容易にする、実現媒体の任意性にあるのだが、そのメリットが同時に「相互観点の一般定立」の想定を侵犯し、社会的コミュニケーションを変容する可能性をも持っているということも、われわれは認識しておかなければならない。
5. 認識に裏づけられた対話
現実と非現実のあいだに存在する空隙は、それほど容易に動かせるものではない。従来われわれは、他者との観点の違いを理念的に乗り越えることが容易ではない解釈に対して、夢の世界、空想の世界、芸術の世界といった特別なレッテルを貼り、それらを非現実的なもののうちに分類してきた。一定の、しかし相互了解がスムーズにおこなわれる領域のものとは異なった秩序を持つそれら各々の世界は、そのような分類によって相互了解の場たる現実という領域からは排除されてきたのである。たとえそれがいくら風変わりであってもその世界では許容される解釈なのだ、などというわれわれの判断のうちには、それによって相互了解の場所を守ると同時に、それから外れるものをその場所から抹殺するという二重の意味が含まれているのである。われわれはこのような仕組みによって、観点の相違を理念的に乗り越えることが可能な社会的現実を維持してきた。しかし、インターネットによって実現される仮想社会においては、スムーズな相互了解が可能な領域として守られてきた現実が、そこから排除されてきた非現実的な領域としての仮想的なものを通して形成されることになる。そのような特異な場においては、夢の世界、空想の世界、芸術の世界といった個別的で限定された領域でしか可能ではなかった解釈様式が、広範な現実の社会的コミュニケーションがおこなわれる領域の解釈様式と交錯することになってしまうのである。解釈様式のこのような交錯は、われわれの意識にも大きな影響を与えずにはおかない。現在問題になっているネットワーク上でのさまざまな犯罪や倫理的問題は、仮想世界における実現媒体の任意性にもとづいた解釈様式が、現実社会においてわれわれに課されていた物理的な制約条件にもとづく解釈様式を解放する(事物の恣意的コントロールを可能にする)ことによって、現実社会において課されていた意識の制約たる社会的倫理意識をも、同時に麻痺させてしまうことが遠因となって生じている混乱であるとは考えられないだろうか。
われわれは従来、お互いの観点の違いを、継続的な対話によって理念的に乗り越え、相互信頼にもとづいたコミュニケーションを成立させてきたはずである。そうであってみれば、仮想社会においても、同じように継続的な対話によって新たな方法を模索し、ネットワークコミュニケーションにおける「相互観点の一般定立」の想定を可能にしてゆかなければならないだろう。そのような対話においてまず求められるのは、従来の現実社会でのコミュニケーション以上に、相手の意図をできるだけ正確に理解し、相手に対してできるだけ正確に自分の意図を伝えようとする誠意であろう。しかもその誠意は、実現媒体の変更可能性ゆえの「ずれ」が生じているかもしれないという認識に裏付けられたものでなければならない。つまり、相手と私のうちで必ずしも実現媒体が共有されていないかもしれないという、現実社会では必要とされなかった認識に裏付けられた誠意でなければならないのである。加えて、そのような対話のためには、仮想社会の裏に隠された「からくり」を認識しておくことが必要となってくるのではないだろうか。どのような操作が手元のコンピュータ内部だけの処理で、どのような操作がネットワークで現実の他者に送信される処理なのか、アイコンをマウスでクリックするといったいコンピュータ内では何が生じているのか、ホームページはいかなる原理で表示されているのか、電子メールはどのようなしくみで配信されるのか、インターネットはどのような通信規約にもとづいているのか。求められるのは「コンピュータの脱神話化」であり、われわれはまずは仮想社会の基盤たる技術的原理を認識しておかないことには、対話のための前提そのものが、間違ってしまうことにもなりかねないのである。現代ではコンピュータに関する知識が、読み書き能力と同様の教養(リテラシー)だとされているが、そのリテラシーは、単にコンピュータの利用能力のみにつきるものであってはならないだろう。

1 (Amorós, 1997, p.13)
2 例えば、『朝日新聞』の紙面上に「インターネット」というキーワードが登場した回数は、1990 年から92 年の間は皆無、93 年にはわずか1 回といったものであったのが、94 年には92 回、95 年には638 回、96 年には2197 回と急速に増加し、今日に至っている(池田,1997, p.157)。
3 例えば(情報化白書, 1996, p.39)、(遠藤, 1994, p.124)、(遠藤, 1996, p.38, p.158)、(村上, 1997, p.165)、(田崎ほか、1997, p.137)などを参照。
4 (遠藤, 1996, p.43)
5 この点については(村上, 1997, pp.168-178)に簡潔なまとめがある。ただし、仮想世界と現実世界という二つの世界の間で、二重人格が生じると強調するのは行き過ぎであるという議論もある。例えば(池田, 1997, pp.156-171)は、大多数のネットワーク利用者は、現実と仮想世界の間でうまく時と場所をわきまえて行動しており、これは通常の社会生活と同様の事態であると論じている。しかし問題は、現在のところ使い分けがうまくいっているとしても、両者が(特に仮想現実技術の進歩によって)いつのまにか交錯してしまうという点にあるのではないだろうか。
6 直接対面状況では生じないようなネットワーク上での暴言・罵倒の応酬のことを「フレーミング」というが、近年パソコン通信の電子会議室上でのフレーミングが、実際に名誉毀損の民事訴訟裁判にまで発展したことが話題になった。(遠藤, 1996, p.160)を参照。
7 「(ディスプレイなどを媒介して得られる)表象ではなく、生きた顔が、責任感の第一の源泉であり、プライベートな身体間の直接的であたたかいつながり(リンク)になるのである。物理的身体としての他者と直接的に出会うのでなければ、われわれの倫理は衰えてしまう。対面コミュニケーションという肉体的な絆が、長期の親密さや忠誠を支え、義務感が生まれるが、これはコンピュータを介した共同体ではいまだ確かめられていない ... 顔が第一のインタフェースであり、これはどんな機械メディアを通したものよりも基本的である。物理的身体としての目が、信頼関係を築く窓(ウィンドウ)なのである。人間の顔を直接に経験するのでなければ、倫理的な注意力はしぼみ、不作法が幅を利かす ... このような不信の頂点にあるのがコンピュータ犯罪である」(Heim, 1993=1995,p.102=pp.155-156;翻訳は変更している)
8 "Don Quixote and the problem of reality"(Schutz, 1964, pp.135-158)を参照。ただし、本論での以下の議論は必ずしもシュッツのこの論文と同じというわけではない。
9 (Schutz, 1964, p.143)
10 (Schutz, 1962, pp.11-12)
11 ただし、本論での現実という語の使い方とは異なって、先に引用したシュッツの諸論文では、夢や空想など一般に非現実とみなされているものに対しても、現実という語があてられている。シュッツは、夢や空想であってもその世界に没入している主体にとってみればまぎれもない現実感を伴っている以上は、各々の世界は現実であると考えるからである。シュッツにとって現実という語は、他とは区別される一定の秩序をもった意味の領域(「限定的意味領域」とよばれる)という意味に過ぎない。したがって、シュッツにとっては現実とは多元的現実なのであり、各々の世界は、夢の世界の現実、空想の世界の現実などとよばれることになる。シュッツは本論でいう現実に対しては、「日常生活の現実」、身体的運動を伴った「労働の世界」、もしくは「至高の現実」などといった語をあてている。ただし本論では、このような現実という使い方は採用しておらず、シュッツの意味での現実に対しては「現実感」という語をあてている。
12 このように現実というものが間主観的な合意によって決定されているものだと考えれば、なぜある文化圏やある時代にとって現実的なものが、他の文化圏や別の時代にとっては非現実的なものとされるのかが理解される。例えば、われわれにとっては、現実に同じ人間が同じ時間に異なる二つの場所にいることはできない、ということは人間に課せられた根本的な存在論的条件であるように思われるが、文化人類学などが報告するように、別の文化圏にゆけば必ずしもそうではないのである。現実と非現実を分かつ基準は、真理性にあるというよりも、社会的コミュニケーションが成立するかどうかというところにある、と考えられるべきなのである。
13 (情報化白書, 1996, p.39)
14 (Heim, 1993=1995, p.132=p.204)を参照。なおハイムによれば、仮想という概念を溯ってゆくと、ヨーロッパ中世の神学者ドゥンス・スコトゥスにまでゆきつくという。
15 この工夫は以下のようなものである。コンピュータを動かすためには、プログラムを主記憶装置に読み込まなければならないが、大きなプログラムをすべて読み込んでしまうと、すぐに主記憶装置がいっぱいになってコンピュータをそれ以上動かせなくなってしまう。そこで、プログラムを小部分に分割して、必要になるたびにその小部分を主記憶装置に読み込み、不用になった部分を主記憶からハードディスクなどの外部記憶装置に追い出すようにしてやる。追い出された部分は、また必要になるたびに、主記憶装置に読み込めばよい。これによって、主記憶装置には必要最小限のプログラムしか読み込まれないようになり、実質的には主記憶装置の容量が増えたことになるのである。もちろんこのような方法には、プログラムの実行速度が遅くなるというデメリットがあるので、物理的に主記憶装置の容量が増えたのとまったく同じであるというわけにはゆかない。
16 例えば(村上. 1997, p.153, 情報化白書, 1996, p.39)など。
17 例えば安川一氏は、コンピュータによって「引き込まれ─没入する」ような領域のことを「コンピューティング時空」とよんで、現実と対比している(安川, 1994)。この論文においても、相互作用の問題が取り上げられている。
18 ハイムは、仮想的なものの特徴として、この相互作用のほかに、人工性、没入性、ネットワーク環境、遠隔実在感(テレプレゼンス)などをあげている(Heim, 1993=1995,pp.108-128=pp.165-197)
19 これは(久野, 1995, pp.13-15)の例によるものである。
20 これは、論理和を求める演算である。この規則をも含めて、コンピュータは最終的には比較的少数の演算のみによってすべての作業をこなしている。
21 現在インターネット上でよく利用される代表的なコード体系だけでも、JIS コード、SJIS コード、EUC コードの三つが存在する。送信者と受信者の間でこのコード体系が共有されていなければ、いくら正しくデータが送受信されても、その文字はまったく解読不能なものとなってしまう。
22 コンピュータのデータには、アルファベットや漢字など文字そのものをあらわすための文字コードのほかに、画面に文字を表示する場合や印刷する場合に、文字の表示位置や印刷の位置を整えたするための制御コードというものが存在する。改行文字はこの制御コードの一種で、文字列の一定位置で表示位置を変えることによって改行の効果をもたらすための文字である。
23 (池田, 1997, pp.19-21)を参照。ただし、ここで引用した例は若干変更してある。  
 
日本ファッションをめぐる、時代的-世代的な乖離と捻れ 2012/9

 

「FUTURE BEAUTY 日本ファッションの未来性」展
1970年代後半から、日本のファッションは世界に誇れるものだという自負が、徐々に芽生えはじめた。最初はケンゾーひとりだったパリで活躍するデザイナーも、80年代の半ばには両手では数えきれないほどになっていた。その頃からファッションは、建築や映画とならんで、日本を代表する現代文化として国内外に紹介されるようになった。ファッション・デザイナーたちの作品は、文化といえば江戸より前のものしかない神秘的な遅れた国と、無表情な労働者たちが安くて質のいい工業製品を世界中に売りさばくエコノミックアニマルの国という、日本のふたつのイメージのあいだを埋めてくれる貴重な存在になっていった。
この時期、日本のファッションが世界的に評価されるようになった背景には、様々な要因がある。まず、日本が経済力を持ち、消費社会が成熟したことがある。アジアやアフリカで多くの国々が独立し、多文化主義が肯定されたことも大きい。それに、そもそも世界的と言っても、欧米諸国、特にフランスでの評価であることを忘れてはならない。ヨーロッパが世界の中心であることを完全にやめ、それでもパリがモードの発信源であり続けるために、消費者だけでなく生産者の供給源としても、日本の社会を巻き込んでいったという事情もある。
しかし、この時期に、日本の社会が多彩な才能を得たということも、たしかにある。「FUTURE BEAUTY 日本ファッションの未来性」と名付けられた本展覧会においても、80年代の偉大な業績を振り返ることから展示がはじまっており、入り口からエスカレータを昇った先の最初の展示室では、まず、コム・デ・ギャルソンと山本耀司の作品が展示してある。横一列に並んだモノトーンの服のなかには、00年代から活躍しているマトフの服もあるが、それ以上に、ここは80年代に活躍した川久保玲と山本耀司の業績を称えるためにあるとでも言えそうで、「陰翳礼讃」とテーマが付けられているのも、当時パリで「黒の衝撃」と称された彼らのことを思い起こさせる。もちろん、本展覧会がロンドンやミュンヘンでの展示の凱旋展であり、諸外国に日本のファッションを紹介していく手続きとして、という構成上の理由も大いにあるのだろうが、それでも最初の展示室を見ると、80年代のインパクトが、いまだに絶大であることが良くわかる。
そのことは、最初の展示室から二つ目の展示室に続く長い廊下で、じっくりと時間を過ごせば更に実感する。ここでは、コム・デ・ギャルソンと山本耀司の手がけるY'sの83年のファッション・ショーの映像が流れている。映像をよく見ると、モデルが服のディテールが全く分からないほど早足で歩いていたり、客席を睨みつけていたりするのを発見するだろう。この時期のファッション・デザインに、有無を言わせないような勢いがあったことが伝わってくるにちがいない。この細長い廊下には、ショーの映像以外にも、コム・デ・ギャルソンが出していた雑誌『Six』や、イッセイミヤケのショーの招待状なども飾ってあり、80年代に、ファッションが中心となって、グラフィックやインテリアなど他のデザインの分野を引っ張っていったことが伝わってくる。
廊下の先には、明るく開けた二番目の展示室がある。ここは、「平面性」と「伝統と革新」という、ふたつのテーマフィールドから構成され、70年代のケンゾーから最近のアンリアレイジまで、ユニークな造形の衣服が並んでいる。マネキンと服で動線を作り出す会場構成は非常に良くできていて、特に鏡をうまく配置し、空間に奥行きを感じさせるとともに、服の裏側の細かい造りを見せるという実用的な機能も持たせている。彫刻を並べるような服の扱いは、着る服として眺める視線と、造形物として観る視線の、両方を満足させてくれる。服が、自分のイメージを作り出すための道具だけではなく、見て楽しい立体造形でもあることを思い出させてくれるだろう。
しかし、注目すべきなのは、実は最後の展示室だ。ここでは、最近のブランドの服が中心に展示されており、そこまでの展示が衣服の造形的な面白みを見せていたのにたいして、ファッションという「行為」の根本的な意味を問いかけるような構成になっている。90年代以降、アニメなどのサブカルチャーと急速に接近したファッションが、時代や人々といかに関わったかが映像などを交えて紹介されており、社会のなかでのファッションの担う役割が、世紀の転換期あたりから振り返られ、現在と未来に向けて、あらためて問われている。「日本ファッションの未来性」というテーマは、まさに、この展示室にあると言ってもいい。
以上のようにして、本展覧会は歴史を追体験する形で構成されているのだが、ある意味で、会場を構成する意図が一貫しておらず、途中で捻れがあると言えなくもない。すなわち、前半の、服はそこに置くだけで面白みが伝わるという前提と、最後の展示室の、服には置いただけでは決して伝わらない背景があるという前提との捻れである。しかしそれは、80年代から10年代までの30年に渡って、日本のファッションの作り手が少しずつ変化させてきた認識の捻れでもあろう。そういう意味では、世代が変わっていくなかでの認識の変化までをも再現した、見事な展示と言えるのかもしれない。
ただ、現実として、コム・デ・ギャルソンや山本耀司の衣服が、いくら造形的に独自性を持っているからといって、置くだけで面白みが伝わるという前提は崩れつつある。コム・デ・ギャルソンも山本耀司も、いまや説明されないと存在すら知らない鑑賞者は増えている。そこには、歴史化され同時代性を失っていくゆえに獲得してしまった読解の難解さがある。そして、新進のデザイナーたちが手がけるブランドは、少量生産を心がけることが多いため、商業施設ですら出会うことが少ない、一般に知名度の低いものばかりである。そこには、さまざまな情報や知識をあらかじめ持っていないと解らない難解さがある。
本展覧会の主催者でもある京都服飾文化研究財団(KCI)は、75年の『現代衣服の源流』展以来、実に充実したファッションの展覧会を数多く手がけてきた。それは、ちょうど、日本のファッション・デザイナーたちが台頭していく過程と歩を合わせていたわけでもあるが、本展覧会は、これから先どのように衣服を展示していけばいいのかという、ファッションの展覧会の未来性を問いかけるものともなった。  
 
新普通主義の台頭 2017

 

普通主義とは
普通とはみんなが同じということで、誰にも差がないということでもある。差別も無ければ格差もないという、ある意味理想的な主義でもある。便宜的にこのような考えを普通主義としておく。
現実的には人には何かしらの差はある。身体的特徴、性別、身体能力、思考能力、生まれた環境、育ってきた環境、持っている資産など様々である。「あるがままを受け入れる」という心の持ちようにおいてはどのような差があれ普通であるとみなすことも出来る。
本来はそういった誰であっても受け入れるという主義であるはずである。
現実との乖離
しかし現代は競争社会でもある。競争の結果、誰もが平等というのはあり得ず、また競争による結果が子供に受け継がれたりもしていく。そうやって人の間には様々な差が生まれていくことになる。
また本質的に普通の枠組みから外れている人もいる。時にはそれは才能と見なされたり、時には異質と見なされて排除されたりもする。
誰であっても普通であると受け入れるには社会のリソース的な限界がある。そして社会的な困窮が強まるとより受け入れられる限界は下がってしまう。
このような状況で生まれたのが新普通主義という考えである。
新普通主義とは
新普通主義を定義すると、それは「あるがままを受け入れる」のではなく「受け入れるために普通であることを要求する」という考え方である。つまり、普通に当てはまるものを自らで定義して他者に要求していくという主義主張である。
社会のリソースが減っていく、つまりは経済的な困窮状態において普通主義を維持するために自然発生的に出てきた考えとみなすことが出来る。
新普通主義の問題点
まず新普通主義の問題点としては過度に普通であることを他人に要求することである。そしてその「普通」という概念は極めて主観的なものである。また「普通」という言葉と並列して「常識」、「みんな」という言葉も用いられやすい。
誰かが普通という概念を主観に基づき規定する。それはその場の権力者だったり、マスメディアが大衆に向けて訴えかけるものだったりする。それを「普通」と受け取った者達がまた他の人に普通であることを要求することでますます広がっていく。
これは「空気の支配」などと言われるものと似ているが、人々が自らの意思で「普通」ということを要求しているためもっと強力なものとなっている。
強圧的な普通の押し付け
まず普通主義は理念的には誰であっても受け入れるというものであった。しかしその理念が強ければ強いほど普通という概念もまた強力なものとなってしまう。
新普通主義とはその普通の概念をあたかも武器のように用いて、他人に要求するものである。そして歯止めが効かなくなればそれは極めて暴力的なものとなっていく。
また、家庭、学校、職場、コミュニティなど場の支配にとってもそれは好都合となる。場にとって邪魔な存在は「あいつは普通ではない」として排除されることになる。また「普通」ということを盾に様々な要求を突き付けて屈服させるということも起こりうる。
そして「普通」という錦の御旗があるがために、それに逆らうことは非常に困難になっていってしまう。
解決策はあるのか
まず「普通」という武器・盾の両側面を持った概念に対処していく必要がある。また「普通」であることを良かれと思って要求してくる善良な人々もいる。もし概念を直接否定するような方法を取ると、その善良な人々もまた傷つけてしまうことになる。また場の概念的な支配であるため、仮に場の権力者が失脚しても概念の支配は生き残り続ける。
いまのところ解決策としては理念だった「あるがままに受け入れる」という普通主義の概念を取り戻すことくらいであろうか。
もし行き着くとこまで行くのなら、人々の排除が平然と行われるようになり社会の破壊的な局面に陥ることもある。その場合はもう理念も概念も無くなり弱肉強食の時代になっていくだけである。もしくは、優しい権力者が現れて新たな支配構造が誕生していくのだろうか。
終わりに
いくら理念が素晴らしくてもそれを強要してしまうと、それは理念に反する人を排除したりする道具となってしまうことがある。いろいろと生き難いこの時代、いま一度、社会のあり方を見直す必要があるのだと思う。  
 
思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本

 

コンプライアンス(法令遵守)が大きく取り上げられる契機となった、食の「偽装」、建物や構造物の建設をめぐる「偽装」「捏造」等の事件から10年近くがたちました。今では誰もがその重要性を疑わないコンプライアンスというものがどういうものだったのか。どのようにそれが日本に作用したのかを追求した力作です。(上記以外にも村上ファンド事件、年金記録改ざん問題、裁判員制度等についても言及しています)
コンプライアンスが常態化された今の日本に、これらの事件・事象は過去のものとなっているように思われるかもしれません。ですが、郷原さんが問いかけたことは少しも古びていません。それどころかますます重要性を増しているように思います。
郷原さんが問いかけたものは、「遵守」することによる怠惰=思考停止というものです。
一見正しいことのように思える「遵守」によってなぜこのような思考停止というものが起こるのでしょう。それは日本人特有の「法意識」と、さらにそれが歪められ、いたずらに拡大解釈されているからです。
この日本人特有の法意識とはどのようなものでしょうか。
──法令に対する日本人の姿勢は、「何も考えないで、そのまま守る」というものです。滅多に関わり合いにならないので、ごくたまに関わり合いになるときには、拝んで、そのまま守っていれば、通り過ぎていってくれる。これが今までの日本社会における、人間と法令の関係でした。
──法令が出てくると、水戸黄門の印籠に対するのと同様に、その場にひれ伏し、何も考えないで「遵守」するという姿勢を続けているのです。────
つまり日本では法は「お上(権力者≒政府)が押し付けるもの」というようにとらえられているのです。支配者が統治のために使うものと捉えられているのです。つまり、日本は「法治国家」ではなく近代以前の「人治国家」のままなのです。
──日本では、様々な分野について法が精密に作られていますが、それが実際に適用されることはほとんどなく、社会の中心部で問題を解決する機能を果たしてきたわけではありませんでした。法は象徴的に存在しているだけで、実際に社会内で起きたトラブルを解決するのは、慣行や話し合いなど法令や司法以外の様々な問題解決手段でした。──
解決手段となっているのが「社会的規範」と呼ばれるものです。「社会的規範」というのは、人々がその「価値を認め合って、大切に守っていこうという基本的合意」ができているもののことをいいます。
ところが最近では「経済構造改革の名の下に、経済活動や企業活動が大幅に自由化される一方、様々な分野で法令の強化・徹底」が図られました。
──そして、その頃から、頻繁に聞かれるようなった言葉が、「法令の遵守」を意味する「コンプライアンス」です。「法化社会」という言葉に象徴されるように、経済活動における法令の機能の強化が図られ、法令が社会の中心部分の至るところに存在するようになってきたのです。(略)しかし、明治以来日本人が百数十年以上も続けてきた法令に対する「遵守」の姿勢はなかなか変わりません。法令を目にすると、ただただ拝む、ひれ伏す、そのまま守るという姿勢のために、法令を「遵守」するという「思考停止」をもたらしているのです。──
思考停止をもたらすことになった背景には社会の多様性と変化があります。そもそも法令とはなにかといえば「ある時点での一定の範囲の社会事象を前提に定められた」のであり、社会の変化によっては、現実に発生する「社会事象との間でギャップ」が生じてくることも起きてきます。
ですから「社会的規範」が重要なのです。社会的規範というのは、法令と社会、経済の実態との乖離を埋め、法令の硬直性をカバーするということで、「法令遵守」の弊害を解消するものだったはずです。
ところが「遵守絶対視」の姿勢が「法令」をカバーする「社会的規範」にまで拡大されてきました。しかし「社会的規範」というのは、人々の間での「基本的合意」ですから、基本的に法令とは異なったもののはずでした。
──「社会的規範」がその本来の機能を果たすためには、それを無条件に守ることを強制する「遵守」の関係ではなく、「ルールとしてお互いに尊重する」という関係が必要なのです。「社会的規範」は、まず、法令を補充するもの、法令に柔軟性を与えるものとして位置づける必要があります。──
硬直化した「法令遵守」の不備を補うものである「社会的規範」も法令と同様に絶対視されるようになってきたのです。
──それらも「遵守」による思考停止状態の下で、単純な当てはめによって「不正行為」に対する一方的な非難につながると、逆に「法令遵守」以上に大きな弊害をもたらします。──
この「不正行為」のレッテル付けのケーススタディともなっているのがこの本です。ここではこのレッテル付けに加担したメディア、とりわけテレビの問題点が厳しく指摘されています。
このような「遵守絶対視社会」の思考停止状態から私たちはどのように脱すればよいのでしょうか。なにより法令の内容や運用が「市民生活や経済活動の実態」に適合しているかどうかを常に確認しなければなりません。そして「より適合するように法令を使いこなしていく」姿勢が肝心になります。それが郷原さんのいう「市民参加型の司法」というものです。
さらに郷原さんは「より良い社会を作る」ための要素として2つのことを取り上げています。
1.その行動が社会の要請に応えていくという方向をめざしていること。
2.個人の行動にとどまるのではなく、複数の人間の、組織内の、さらに社会内のコラボレーションの関係がつくれること。
「遵守」という名の下での怠惰(=思考停止)を脱するには、「遵守」にひそんでいるワナに陥らず、自分の足で立つ、そのことからすべてがはじまる、そんなことを考えさせてくれる1冊です。
 
死刑廃止宣言 国民感情と乖離している 2016/10

 

日本弁護士連合会が、「死刑制度の廃止を目指す」とする宣言案を採択した。死刑制度をめぐる議論の活発化を呼びかけてきた従来の姿勢から大きく踏み出した形だ。
日弁連は、宣言提起の理由のひとつに先進国の多くが死刑を廃止しているという「世界的潮流」をあげる。だが、まず考慮すべきは、日本国民の刑罰観や倫理観であろう。
内閣府が昨年1月に公表した世論調査では、「死刑もやむを得ない」の容認が80・3%で、「廃止すべきである」の否定は9・7%にとどまった。
圧倒的な大差であり、この傾向は長年変わっていない。多くの裁判員裁判でも、国民から選ばれた裁判員が難しい評議に苦しみながら死刑判断と向き合っている。
死刑は究極の刑罰であり、慎重な判断が求められるのは当然である。冤罪(えんざい)による執行など決してあってはならない。
しかし、通り魔事件や無差別テロ、逆恨みによる殺人などの凄惨(せいさん)な犯罪が現実に存在する。厳刑をもってしか償うことができない罪はある。被害者遺族の強い処罰感情に司法が十分応えることができなければ、国は成り立たない。
死刑制度の維持は、悲惨な犯罪を国、社会、国民が許さない、受け入れないという意志、決意の表れでもある。
廃止論者の多くは死刑を「国家による殺人」として糾弾する。
宣言採択に先立つシンポジウムでは作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言するビデオメッセージが流された。
これらに徹底的に欠落しているのは、死刑という究極の判断を導くもととなる、犯罪の冷酷さや深刻さ、被害者の苦しみ、社会に与えた損害と影響だ。
国と死刑囚の関係に過度に目を向ければ、犯罪被害者の存在や思いは軽視されることになる。
日弁連は全弁護士が加入を義務づけられ、脱退も認められないという強制加入団体である。宣言採択に際しては、犯罪被害者を支援する弁護士らが強く反対した。
それでもなお、3万7千人超の全会員の2%にすぎない、786人の参加者による採決で採択された。賛成546、反対96、棄権144人という、その方法と結果自体が、国民感情と乖離(かいり)しているといえないか。  
 
理想と現実の乖離を見つめて次の一手を繰り出す 2013/2

 

ここ最近、ずっとモヤモヤした感情を胸に抱いている。その原因が何で、どうすればモヤモヤが解消するのかはよく分からないのだけど、大方、自分の理想と現実の乖離に対する苛立ちの一種なのだと思う。
理想と現実の乖離
社会に出てそろそろ中堅どころになり、結婚して3年が経つ。年を重ねる毎にいろんな社会的責任を負うようになった。
仕事でも手応えは掴んでいるし、成果も出していると思う。自分のスタイルも確立しつつあり、辛いけどやり甲斐はある。
時折血を吐くんじゃないかってぐらい胃が痛くなることもあったし、めちゃくちゃ落ち込んだり悔しくて泣くこともあった 。でも、そういう日々が自分を鍛え、自信に変わった。
・・・だけど、何か釈然としない。
自分が思い描いていた30歳像にはほど遠い。本当に自分がやりたかったことに全力で打ち込めているかと言われると途端に自信が無くなっていく。
惰性で生きている・・もしくは、できることをやっている感覚。自分がやりたいことというより、ただ会社の中で自分が担うべき役割を担っているだけという感覚。
今感じている現実と理想の乖離に対するモヤモヤした感情は、今の延長で生きていくことに対する警鐘なのだと思っている。
未来を切り拓くための一手を考える
僕は人生を変えるとか、将来を変えるという言葉があまり好きではない。日々の生活は脈々と続くものであり、今有る自分はそれまでの積み重ねで形作られているものであり、それが突然変異を起こしてスーパーマンに生まれ変われるなんてことはあり得ない。
物の見方が変わるパラダイムシフトは確かにあるけれど、あくまでそれは見方・考え方の変革であって、本当に人生が変わるのはその先にある行動の結果でしかないからだ。
だから、僕は自分の人生を創っていくという言い方であったり、未来を切り拓くという言い方を好んで使う。
現実と理想のギャップをよくよく観察してみれば、自分がやるべき事が朧気ながらでも見えてくる。それこそが、未来を切り拓く一手となる。
・本当に自分がやりたいことはなにか?
・なりたいと思う自分と今の自分のどこが違うのか?
・どうすれば”やりたいこと”ができ、”なりたい自分”になれるか?
こういった自問は単純な分だけ力強い。恥ずかしさも、見栄も、どうせ無理だという固定観念も捨て去って真摯に自分と向きあって答えを紡ぐ必要がある。
自分の役割が持つ責任との兼ね合い
人は社会の中で生きている。社会との付き合い方は人それぞれだろうけど、確実なことは僕らは独りでは絶対に生きていけないということだ。
何か新しいことを始める場合、家族や友人の支えや理解、協力が得られない中で無理矢理押し通す事は良い結果を生まないだろう。
周囲の理解が得られるまで、真摯に向き合い対話を重ねたり、最短経路ではないルートを選ぶなど解決策を模索すべきだろう。
僕には”やりたいこと”がいくつか有るけれど、奥さんを悲しませたり、友人達と袂を別ったり、職場の恩義有る上司や先輩方に不義理を働くことは、”やりたいこと”と同じくらい”やりたくないこと”なのだ。
そんな社会的責任なんて考えてたら何も出来ないよ!
なんて反論も受けそうだし、そういう考え方も一理あると思う。大きな物を得る為にはリスクを取る必要があるだろうし、後ろを顧みないことも、しがらみを捨て去る冷酷さも必要だろう。
しかし、実際に何もできないなんてこともないと思っている。
一朝一夕にはいかない事の方が多い
日々の生活の中で、読書したり、プログラムや英語の勉強をすることで知識を得ることはできるだろうし、予備校や通信教育を活用したり、ブログでアウトプットすることで効果を高めることもできるだろう。
アプリを作ったり、絵を描いたり、音楽を演奏したり、ランニングをしたり・・と、自分の時間の中で自分がやりたいことのスキルを磨き、なりたい自分に一歩でも近づく努力を重ねることはできる。
むしろ、こういった類のアクションは、一朝一夕で結果が出る物ではないのだから、まずはコツコツと努力を積み重ねる必要がある。
また、仕事の中で新しいことにチャレンジしたり、いつもより多く仕事を引き受けてみるのも良いだろう。(余裕があればの話だけど)
正直なところを言えば「こんな仕事本当はやりたくない」という気持ちを僕自身も持ったこともあるし、今でも時々はそう思う。
でも、得意な仕事よりも嫌な仕事の方が実は得られるものは大きいし、自分の限界にぶち当たりながらもがき続けられる環境というのも同様に大きな成長の糧となる。
身体と精神が壊れるまで頑張らない方がいいと思うけど、それ以外の事は大抵自分にとってプラスになるんだと思えば、案外どんな仕事でも前向きに取り組める。
自分と周囲の最善解を見つけ実際に動き出すその日まで、まずはその環境でやれるだけのことはやっておくというのは、案外悪くはない生き方だと思う。
あれこれ悩みながら生きたって良いじゃないか
あれこれ考えつつ、思いつくままに書いてきた中で僕なりに落ち着いた答えの一つが
あれこれ悩みながら生きたって良いじゃないか、一度きりの人生だし。
というもの。なんじゃそりゃ、と思われるかも知れないけど、つまるところ、自分の人生について考えるんだから、むしろ悩んで然るべきだし、自分の思ったとおりに事が運ぶとは限らないなと。
多分、どこまでいっても理想と現実の乖離にモヤモヤするだろうし、その都度次の一手を考えて、周囲との兼ね合いの中で先の先の手まで思いを巡らしながらその一手を繰りだしていくことになると思う。
それはランニングや英語の勉強の様に歩をひとつひとつ前に進めていくことかもしれないし、職を変えたり海外に移住したりといった飛び道具かも知れない。
そうやって悩みながら少しずつ前に進んで行く生き方はスマートな物ではないけれど、なんだかいかにも自分らしいし、恐らくはこの生き方でしか僕は理想に近づけないのだろうなとも思う。  
 
憲法と現実との「乖離」甚だしく

 

立場が右であるか左であるかなど問題ではない。日本の政治、経済、教育、防衛、外交全般に言い知れぬ不安を感じない日本人はいるだろうか。胸騒ぎの原因を政治家やマスメディアのせいにして憂さ晴らしをする時期は、もう過ぎてしまったと思う。戦後日本が内外に問題を抱えて身動きできなくなっているとしか考えられない。60年余にわたり国家の心棒である日本国憲法の耐用年数期限が来ていると痛切に感じるのである。
誇れるアイデンティティーを
ごく最近、米議会関係者多数と会ってきた友人が、「彼らが一様に最も強く失笑と侮蔑を露(あら)わにしたのは、北朝鮮の金正恩でもイランの神権政治家に対してでもなく、『ハトヤマ』という名を口にするときであった。無定見・無責任・軽薄を極めた『ハトヤマ』的政治から日本が決別できねば、遠からず日本人全体が侮蔑と失笑の対象になるだろう」(国家基本問題研究所「今週の直言」)と書いている。むべなるかなと思う。
もちろん、鳩山由紀夫内閣から2代の内閣が続いているのだが、米側の嘲笑は政治家個人と同時に日本という国に向けられている。カタカナ4文字の受け取り方は人によってまちまちだろう。が、東日本大震災の際に日本人が発揮した個人的美徳に酔っていてはいけない。国際社会で日本人が胸を張れるアイデンティティーは何かを静かに考える時期が来ている。
戦後の一時期に吉田茂が考えた点だけを取り上げ、軽武装・経済大国の道を「吉田ドクトリン」などともっともらしく形容し、国民の少なからぬ人々がその神輿(みこし)を担いできたはずだ。経済大国日本は今、どこに消えてしまったのか。経済の低迷は冷戦終焉(しゅうえん)の直後から延々と続いている。ソ連崩壊後の「脅威」は日本経済、とばかり狙いを定めていた米国のパンチは空振りに終わった。すぐ隣に、「軽武装・経済大国」のなれの果てをせせら笑うかのように、「富国強兵」に邁進(まいしん)している国がある。与野党に今なお存在する「吉田ドクトリン」派の政治家はこの現実に正直に答えなければいけない。
米中関係に左右される国運
軍事大国と経済大国を兼ねるようになった中国に日本がどう対応するかは、今世紀の大きな課題だろう。経済的にはますます相互依存性が強まる世界で、軍事力を背景に外交を推し進める中国に、口先だけで毅然(きぜん)としても効き目のあるはずがない。日本が頼りにしてきた米国は対中政策の基本に関与政策を置いている。それがうまく機能しない事態には保険政策でいこうというのが米国の考え方だろう。保険政策の内容は軍事力と同盟、友好国関係の強化だ。残念ながら、自立の努力を怠った日本にとり米中関係の動向が国運を左右する結果を招いてしまった。
2005年に米側が「ステークホルダー」(利害共有者)になるよう呼びかけ、中国側は「平和的台頭」と応じたが、今、両国の呼吸は合っていない。国連など国際社会で中国は北朝鮮やイランなどの肩を持つ動きを示してきた。シリアのアサド大統領の反体制派弾圧にも正面切って反対しない。中国が海外に進出して影響力を増大させる動機を、資源獲得とか輸出市場拡大のためと見るのは誤りで民主、法治、人権といった普遍的価値観を共有する国際秩序が、一党独裁体制と相反することに気づいたがゆえの行動だとの分析が生まれている。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼していたら、日本はどうなるか護憲派の人々は答えてほしい。
大震災の有事にも対応できず
日本国民は東日本大震災と原発事故の凄(すさ)まじさを経験した。国家としてどう対応したか。先の大戦で敗北し、占領された状態の憲法が現在まで続いているのだから、国家の緊急事態に直面しても指導者が最重要決断を下し、それに従って組織が危機管理に一斉に動く体制はない。国家緊急事態宣言を発する条項が憲法になくても、指導者は気にならないのか。現行災害対策基本法の災害緊急事態布告も、今回の災害には適用されなかった。有事か平時かは、国際的常識に従えば、有事に決まっているにもかかわらず、一部私権の制限を政治家は本能的に恐れて、深刻な惨事を招来してしまった。
日本の内外で、憲法と現実が乖離(かいり)しすぎて辻(つじ)と褄(つま)が合わなくなっている事実を、日本人はお互いに認め合おうではないか。憲法の欺瞞(ぎまん)は国家の溶融を招く。あくまで報道ベースの話だが、沖縄県の財界、官界の有力者の中に、「沖縄にとって中国は親戚で日本は友人。親戚関係をもっと深めたい」とか、「次のステージは一国二制度だ」との発言も出ている。事実とすれば、国家は、遠心力が働いてとどまるところを知らず溶融するのではないか、と疑懼(ぎく)する。
独特の歴史、伝統、文化を続けてきた日本の戦後に幼児心理が作用していたのだ、と後世の人々が一笑に付せるように、憲法を反省するのは今を措(お)いてない。国家の正常化を「日本の軍事大国化だ」などと心配する国が出てくるとすれば、これほどの滑稽はない。
 
ソーシャルメディアから見る現実との乖離が起きた理由 2016/12

 

前回の大統領選ではオバマ、ロムニー両候補ともソーシャルメディアを駆使したが、自らツイッターを使って有権者に発信した大統領候補は、トランプ次期大統領が初めてだ。
記者会見をしたりプレスリリースを発行したりすることなく、無料のツイッターで次々に物議を醸す発言をし、メディアに取り上げてもらう。「同氏はツイッターの使い方がうまく、当選したのはツイッターのおかげ」──などと言うツイッターの取締役もいるが、データ科学者の分析によるとトランプ氏は闇雲にツイートしていたわけでなく、トランプ氏以外にも同氏のアカウントからツイートしていた陣営スタッフがおり、すべてトランプ陣営のデジタルメディア戦略によるものだという。
トランプ陣営が駆使したのはツイッターだけではない。大統領選の最終時期、クリントン陣営がテレビ広告に2億ドル費やす一方、トランプ陣営が費やしたのは、その半分以下で、それよりもデジタル広告に力を入れていた。
Facebookでは、どのようなコンテンツにユーザーが「いいね」をクリックするかのテストを繰り返し、ユーザーとのエンゲージメント(絆作り)を最適化し、資金集めにも利用した。
○ユーザーの嗜好に合わせたFacebookのフィード
クリントン陣営・支持者は「Facebookでの嘘のニュースがトランプ氏勝利につながった」というが、Facebookのフィードでは、個々のユーザーの嗜好に合わせたコンテンツが表示されるようになっている。プロフィールでの政治的志向や過去の「いいね」「共有」の履歴を基に、そのユーザーが気に入るであろうコンテンツがパーソナライズされる。つまり、右派ユーザのフィードには右派のニュース、左派には左派のニュースが流れるのだ。
これはウォールストリート紙の実験でも証明されており、「D・トランプ」「H・クリントン」といったトピックに関して流れるコンテンツは、右派(赤)フィードと左派(青)フィードで驚くほど違っている。そのニュースのソースも非常に偏った新興メディアやオピニオンサイトが多く、両派とも「見たいものだけを見ている」のであり、嘘のニュースによって左派(クリントン支持者)が右派(トランプ支持者)に寝返ったわけではないのである。
Facebookの友達も、政治的志向が似通った人たちが集まるため、共有されるニュースも「やっぱりね」と自分たちの信じていることをさらに強固するものになりがちだ。自分の信条に反するコンテンツを共有すると友達登録を削除(unfriend)されるという事態は、選挙戦中、私の周りでもいくらでも起こっていた。「〇〇の支持者は私を今すぐ削除して」「△△に反対の人はフォローしてくれなくて結構」などという投稿をする人たちも珍しくなかった。
○情報源はソーシャルメディア、現実社会との分断
これはソーシャルメディアに限らず、主流メディアに関しても同じで、右派は主に右派メディア、左派は左派メディアから情報を入手するという政治的志向による消費コンテンツの分断、それによる社会的現実の分断(右派の現実、左派の現実)は、米国ではもう何年も前から続いている。大半が左派である米主流メディアがクリントン勝利を予測していたのも、左派の現実(と左派の願望)を映し出していたからだ。
今秋、米ギャラップ世論調査では「メディアを少なくともある程度、信じている人」は32%と過去最低の数字を記録した。右派(共和党支持者)で(大半が左派である)メディアを信じている人は、わずか14%である。
こうした既存メディアへの不信感も、有権者らが情報入手手段としてオンラインメディアに移行する傾向に拍車をかけている。アメリカ人の6割近くが今も「ニュースはテレビで見る」というが、「ニュースはオンラインで」という人も4割に達しており、とくに18〜29歳の若者の間では5割に達している。
オンライン、特にソーシャルメディアが主な情報収集ツールとなるにつれ、「見たいものだけを見る」という傾向は、今後さらに強まるだろう。そして、候補者はソーシャルメディアを駆使できるかが勝敗を左右する大きな鍵となるのだ。  
 
トランプ現象から伺える米国政治の「三つの乖離」 2016/5

 

米国大統領選挙のインディアナ州の予備戦(3日)の結果が出て以来、ずっと苦戦を強いられてきた共和党のクルーズ上院議員、ケーシック・オハイオ州知事(63)が相次いで選挙戦撤退、一部の共和党の著名人たちは党に「叛旗」を翻し、何人かはきっぱりと民主党のヒラリー・クリントンを支持すると表明しました。選挙は民意を基礎とするものですが、いまやこの状況はエリートたちが選挙民の要求を理解ようとしていないのか、それとも基盤選挙民とエリート間の反目と形容すべきなのかわかりません。米国政治とメディアとエリート層が普通の米国人の要求と多層面で懸け離れていることが2016年大統領選挙ではっきりとあらわにされたのでした。
第1レベルの乖離;エリート層が普通の米国人の暮らしの苦しさに痛みを感じない
米国の物語で最も世界を引き付けるのは当然、平民(移民の子孫を含む)でも大金持ちになれるというお話で、現にビル・ゲーツやソロス、グーグル創始者の一人のブーリン、投資の神様のバフェットがいます。かつて誰かが米国を「挿し木によって大木に育った国家である」と形容しました。米国が中産階級を中心にしたラグビーボール型の社会構造は中国人もそれを目標としたものです。
しかしこうしたことはすでに過去のものになっています。今年3月、わたしは「トランプ現象の背後に;米国中産階級の衰退」(heqinglian.net/..us-middle-class)を書いて、トランプがすくなからぬ共和党選挙民の支持を獲得できる主な理由は米国社会の階層に生まれている変化であり、中産階級の減少であると指摘しました。
20世紀の50年代始め、中産階級は米国人口の6割前後を占めていたのが2013年に至って半分に満たなくなっていたのです。さらにこの4月22日発表の米労働統計局のデータは、2015年、全米の8141万家庭で一家の誰もが働いていない家庭が1606万戸もあり、その比は19.7%にもなるという赤ランプを告げました。つまり米国の5家庭に1家庭は誰も働いていない、というのです。
これに対する民主党の対策はすなわち増税による福祉の供給拡大でありいわゆる「貧困との戦い」で、他方、共和党の伝統的な方法は減税と経済刺激による就職口の増加です。前者は「政治的に妥当」(ポリティカル・コレクトネス)と考えられており、民主党の票田はかくて多くの弱者のグループの集まるところとなりました。これは別に弱者グループの視野が狭いとは言えません。世界がすべて福祉主義の左派が比較的よく福祉基盤を整え、貧富の差をなくそうとしており、自由主義市場を支持する右派は経済発展のみを顧みて、貧乏人の生死など関知せず、と考えているという「認識の陥穽」にはまっているのですから。
しかし、この間、1964年の米国における「反貧困戦争」の開始以来、福祉関連支出はすごい勢いで増えたのに貧困率は下がらなかったことを米国の学者らは発見しています。ジニ係数は1964年の0.36から2010年の0.44に逆に上がってしまいました。この現実は一部の研究者に、社会のメンバーが社会福祉に依拠するようになると長期の貧困を生み出すことを認識させ、この「認識の陥穽」から脱出する試みがはじまったのでした。
オバマ大統領は最初の5年間に不断に福祉支出を増やし続けましたが、その結果、2013年には米国の貧富の差は拡大し続けたことを認めざるを得ませんでした。2015年11月の共和党大統領予備選挙の弁論の中で自由主義経済の熱烈な支持者であるランド・ポールは司会者に問われた時に、貧富の問題がさして関心を持たれていなかったのですが勇敢にも「当然注目に価する。どこが最も貧富の差が激しいか?民主党が握っている都市であり、民主党が政権をとっている州であり、民主党が政権をとっている国だ」と指摘しました。
米国は欧州ほど福祉主義の伝統は強くありませんし、人々は福祉に頼った結果のマイナスにも多少目覚めたので、貧困を減らす手段として共和党支持の7割以上の人々が「金持ちの肉を削って貧乏人に輸血する」方法に反対しました。これが予備選挙でトランプが福祉を増やさずにもっと多くの就職チャンスをつくりだすという約束によって多くの低収入労働者家庭層の支持を集めるにいたった理由です。
第2レベルの乖離;国際社会の責任と自国民に対する責任の間における迷走
第二次世界大戦以来、米国は世界の指導者としての重責を担って、金を使い、自国民の命も犠牲にして世界に「国際秩序」という「パブリックサービス」を提供しつづけ、全世界がその受益者でした。しかし米国の管理に対してその範囲が大きすぎると罵声を浴びせ続けたのは独裁国家群ばかりでなく、フランスやドイツなどの盟友国家でもありました。米国人はこれに対してはうんざりしており、最近ではますます多くの人々が米国政府は国外のことより国内のことをもっとちゃんとやるべきだ、と考えるようになりました。
ピュー・リサーチセンターが5月5日に発表した世論調査はトランプ支持者とヒラリー支持者のこの問題に対する考え方の違いをくっきりさせています。それによると57%の米国人が米国が自国の問題を解決することを願っています。そして他の国々は最大限に自分たちの問題は自分たちで解決すべきだと考えています。この見方をとる人々は共和党支持者では62%に対し民主党支持者では47%です。これに関連して、共和党支持者はシリアと中東難民は脅威だと考えており、民主党支持者は難民を歓迎すべきだと考えています。
ここで簡単に米国外交政策の歴史的な軌跡を振り返っておく必要があります。
米国は建国以来、初代大統領ワシントンの確立した孤立主義原則、すなわち「自分たちの貿易関係を拡大する時には、できるだけ外国との政治上のあれこれに巻き込まれないようにする」という原則を長期にわたって信奉してきました。第一次大戦の勃発後、第28代アメリカ合衆国大統領(民主党)のトーマス・ウッドロウ・ウィルソンはこの米国の孤立主義外交原則を変えようと努力して1918年に米国国会にかの有名な「ウィルソンの14か条」を提出し国際連盟を作ることによって国際協力と世界平和の保障を実現する構想を打ち出し、単独主義外交から多方面外交政策へ転換させようとしました。これは米国のモンロー主義と明らかに反対の、大多数の西側学者のいう「国際主義」でした。この後、米国の外交政策は国際的な方向に向かいました。国連、不戦条約、国連、冷戦と米国の国際的責任はすでに一種の伝統となってきました。しかし、この伝統は9.11事件後、米国国民の民意によって次第に疑いを持たれるようになってきたのでした。
ピュー・リサーチセンターの「2013年米国の世界地位に関する調査」が米国がはたす国際的な役割に対して疑問が増えていることをはっきり示しています。52%の米国人が「米国は国際的な余計なことにかかわらず、他の国々が自分の問題をうまく処理するようにさせるべきだ」と考えています。2004年には「米国が国際的な役割を担うのをやめるべきだ」という回答はたった20%だったのですが、9.11テロ事件後の2002年ではそれが30%となり、その後ずっと上昇をつづけ、2009年には41%になりました。今年5月5日に行われたばかりの調査ではその比率が2013年の52%からさらに5ポイント上がっています。
第3レベルの乖離;米国外交政策は国際的には望まれていても国民はそうではない
世界各国が米国の大統領選挙に対する注目度がこんなに高まったことはありません。トランプの大統領指名を阻もうとする人々の中にはもはや紳士的な観戦姿勢をとっておられず、直接論戦に参加し自分たちはヒラリー・クリントンを支持し、彼女の勝利を願い、かつ米国外交の安定性を維持することを希望し、彼女が国務長官時代にやっていた米国外交の方向を続けて欲しいと表明しています。
そしてトランプの移民やイスラム教徒、外交政策に関する発言は国内では政界、外交界から、国外ではEUや中国の朝野のから強烈な批判を受けており、もしトランプが当選するようなことがあれば、国際秩序は歴史的な災難に見舞われるだろうとみられています。英国首相のキャメロンのスポークスマンは「トランプ発言は分裂を作りさし、助けにはならず、根本的に間違っている」と同調しないとし、英国民の愛でには「トランプの英国訪問を拒絶する誓願書」まで国会に提出されました。
多くのイスラム国家もトランプの発言には反発し、エジプト、ばきスタンの宗教組織は次々に批判を発表。インドネシア外務省は反感をあらわにし、中国の政府系学者やメディアもはっきりとヒラリーが当選したほうが中米関係は安定すると表明。さらに極端な批判としては「トランプの支持率がおちないのは米国選挙政治の娯楽化によるものだ」というのもありました。
実は世界がこれほどまでに騒ぐのも米国に引き続き国際責任を果たし続けて欲しいからです。例えば強大な米国の軍事力があればこそEUなど西側国家は米国の車に便乗できて国防費支出を節約できます。たとえばドイツは平和的環境のなかで普段に福祉を向上させ世界中からうらやましがられていますが、その結果、軍備はたるんでドイツの戦闘機は老朽化し半数は飛行できないありさまです。
もっとも劇場的な光景をみせたのはパリ気候会議でした。これは195か国が2015年12月12日に国連気候サミットにおいて京都議定書に変わる地球温暖化防止へむけての気候協議でした。米国のオバマ大統領はこれを批准しサインもしていたのですが、その実行は次期大統領にまかされます。ヒラリーはこれを強化し実行することを認めているのですがトランプは強烈に反対していました。本来、サインの期限は一年間あったのですが、しかし2016年4月22日地球温暖化対策の新たな枠組み「パリ協定」の国連本部で行われた署名式では171国の国連加盟国がサインし、1日で最多の国家が署名する新記録をつくりました。各国がかくも署名に熱心に参加したのは既成事実をつくりあげてトランプにひっくりかえさせないようにするためでした。
しかしとエリート層や各国政府の考え方とは違い共和党支持の米国の選挙民は米国政府がより国内に注意を向けることを願っています。トランプはまさにその孤立主義、違法移民反対、実利外交を主張するので民主党からも、共和党内からさえも猛烈な反対を受けているわけですが、しかしまた、まさにこの点こそがトランプが今年の大統領選挙候補者で歓迎されている理由でもあるのです。
伝統メディアが世論を主導している次期ならば米国人民のこうした考え方は「ポリティカル・コレクトネス」に合致しないとしてメディアからは故意に無視されたでしょうし、おおっぴらな世論になどならなかったでしょう。しかし、2016年はこれまでとはちがい、2012年の大統領選挙では重要な選挙の補完的戦場だったグーグルやフェイスブック、ツィッターなどのSNSはもう選挙の主戦場として、大衆が選挙情報を得る重要なルートになっています。グーグルのデータによれば、今年各州の予備選がおこなわれる前にグーグル傘下のYouTubeの候補者関連のムービー視聴は1.1億時間以上となり、これはCNNやMSNBC、FoxNewsといった大型テレビニュースのネットの選挙関連報道の100倍にあたるのです。
最後に一つ、基本的問題に立ち返りましょう。米国の大統領選挙は米国国民が選び、米国政府も自国の納税者によって支えられています。米国人が自分たちの政府を選ぶのですから、それは畢竟、自国国民の利益が優先すべきか、それとも国際社会(難民受け入れ、違法移民、世界の救貧といった)を優先すべきかという問題です。現代の民主政治において政治的合法性の基礎は一人一人の国民の理性の認めるところにかかっています。「選挙の票は獲得するが、民心は獲得できない」という米国政治においてエリートの意志が選挙民の意志より上にあって、選挙民に「ポリティカル・コレクトネス」を受け入れるように強いるというこれまでのやり方は、2016年の大統領選挙の後ではたしかに真剣に再考すべき事態にたちいたっています。  
 
本音と建前の乖離性から見る日本人の思考回路 2016/8

 

[東朝鮮日報]
世間体ばかりを気にして、『良い人』を常に演じなければならない全体主義の日本では、本音と建前の乖離が激しい。凄まじい人の場合だと、本音と建前が完全に反比例しており、全くの別人と言わざるを得ない。いわゆる、二枚舌、あるいは、ダブルスタンダートと呼ばれているこの解離性は、人前でも堂々とウソを付いても良いというお墨付きのようなもの。
本音と建前の解離性が少ない、あるいは、ない人の場合は、特に問題はないのだが、この解離性が激しい人の場合は、ある種、二重人格とも言えるような病んでいる状態であるため、いつ何時、急にそのストレスが爆発するのかが分からない。
このような事柄を避けるためには、多様性を認め、話し合いによって、何でも許し合える社会を構築をする必要性があるのだが、多様性を全く認めない全体主義社会では、答えは常に1つしか存在せず、個人の自由や意思は完全に無視して、全て同じ思想の人間ばかりを強制的に量産している。
これらの事柄は、集団行動が否が応でも強要される、学校や職場等では特に端的に現れる。 人格形成を行う場である筈の学校では、いじめや判で押したような画一的な思想の押し付けがまかり通っており、例え、教師であったとしても、いじめの対象になり得るため、これら社会問題の根本的な解決には至ってはいない。
ブラック企業に代表される悪徳経営者らによる人権侵害が近年社会問題化しているが、そもそも、学校においても、他者を批難しないように骨の髄まで教育されているため、理不尽な経営方針に対して、疑問を抱きながらも、ついつい従ってしまう人間が多くなっている。
特にこのような場面では、本音と建前の解離性が進むのだが、ここで我慢せずに、ハッキリと本音を述べておけば、社会のためにもなるのだが、このようなことを平気で出来る人間は限られるため、そのような場合には、多少汚い建前、あるいは、より綺麗な本音を述べることをお勧めする。
本音と建前の解離性が進んだ社会では、本音を隠して生きなければならないため、その苦痛感から逃れるために、視点を完全にずらしたお花畑な話題ばかりが軒を連ねるのだが、そのような会話は全く持って意味を成さない。
人間の深層心理として、多数派に属している方が安心感が得られるのは理解出来るものの、おかしな集団に属して安心感を得るのは到底頂けない。 個人の思想を完全に無視して、他人を奴隷扱いして平気で居られるのは、封建時代の支配者だけであり、現代社会においては、思想の自由が保障されていなければ、先進国とは到底言えない。
画一的な思想から逃れる方法としては、常にアンテナを張り巡らせて情報収集をし、更に、良い人を演じることを止めて、本音だけで生きることが一番なのだが、急に本音で語り出すと、周囲に衝撃が走るため、徐々に小出しに本音を述べるのはどうであろうか?  
 
日本の対中観が現実と乖離する理由 2017/10

 

一昔前は「日中友好」、近年は「中国台頭」、そして今は「中国崩壊」。日本の書店に並ぶ中国関連本の顔触れはその時々の日本の対中観を映し出す。
そうした中国イメージの混乱を経て、親中でも反中でもない冷静な視点が現れ始めた。そうした論者の1人であり、中国人民解放軍と中国共産党の関係を研究する東北大学の阿南友亮(あなみ・ゆうすけ)教授に、本誌・深田政彦が聞いた。
――日本の対中観が現実と乖離し始めたのはいつ頃か。
戦前の日本にも、中国の革命や近代化に大きな期待を寄せる声があった。その一方で、軍官民問わず「支那通」と呼ばれる専門家が現地での経験に基づき、中国の近代化が一筋縄ではいかないという見解を示していた。
戦後の日本では、そういった中国の近代化に悲観的な見方(中国停滞論)が「対中侵略の正当化」につながったとして、それをタブー視する風潮が強まった。また、マルクス主義が言論界においてプレゼンスを強めていったなかで「社会主義国となった中国は資本主義の日本よりもずっと先を行く先進国だ」という認識まで出現した。
――実際には日本が高度成長を遂げる一方、中国では大躍進運動や文化大革命の混乱により悲惨な状況が続いた。
中国との交流が制限されていた当時の環境では、そうした悲惨な実態を覆い隠す中国共産党の巧妙なプロパガンダが日本人の対中認識に強い影響を及ぼしていた。そのプロパガンダと実態との間に大きなギャップがあるということが日本で広く認識されるようになるのは、70年代後半から80年代にかけてのこと。特に89年の天安門事件のインパクトは大きかった。
――それが日本の対中観が現実性を取り戻すチャンスだった。
ところがおかしなことに、その後日本社会は、これまた中国共産党のプロパガンダという要素を多分に含んだGDPの統計を安易にうのみにするようになり、そこから今度は中国台頭論が出てきた。確かにこの30年で都市部の景観は大きく変わったが、1人当たりのGDPを見ればようやく8000ドルを超えたところ(日本は3万8000ドル、アメリカは5万7000ドル)。数億人の貧しい農民を抱える農村部を見れば、日本の高度成長と似て非なるものなのは明らかだ。
――中国台頭論が盛んなのは日本だけではないのでは。
「中国が新たな超大国となり、アメリカを中心とする既存の世界秩序に挑戦するのは必然の成り行きだ」とする台頭論は、アメリカでも盛んに議論されている。そうした台頭論は、1+1=2というシンプルな論理に基づいている。つまり、「14億の人口」+「経済発展」=「アメリカに匹敵する大国」というロジックだ。
だが経済発展に伴うすさまじいまでの格差拡大とそれを原因とする社会不安の深刻化を考えれば、1+1は1.4くらいにとどまるかもしれず、0.8といったシナリオさえも否定できない。つまり、経済発展によって国内体制がかえって動揺することも十分あり得る。
――日本は今では崩壊論のほうが盛んかもしれない。
深刻な矛盾を抱える中国の現状を正確に反映していない台頭論が日本国内で流布した結果として中国脅威論が生まれ、その台頭・脅威論に対するアンチテーゼとして崩壊論が浮上した。崩壊論には2種類ある。1つは中国に対する過剰なまでの対抗心と反発が、中国を全否定する主張に転化しているパターン。もう1つは過度な台頭・脅威論を沈静化させるために、現代中国が抱える諸矛盾と脆弱性をあえて強調するパターンだ。
いずれにしても日本社会、特に言論界が、中国の社会主義神話が虚構であったという教訓をきちんと生かして、共産党の新たな神話、すなわち経済成長神話の中身を冷静に吟味していれば、非現実的な台頭論に対する感情的反発がここまで高まることはなかったのではないか。
――実際に崩壊はあるのか。
そもそも崩壊を論じる前に、現在の中国が近代国家としての要素を十分に兼ね備えていないという点に注目する必要がある。憲法を根幹とする法治主義に基づいて国家が国内民衆の人権を保障し、その民衆が選挙などを通じて国家の運営に参画するという形による近代的な国家と社会の一体化がいまだにほとんどできていない。
特に人口の大半が暮らす農村部では、国家に対する当事者意識が全般的に低い。政治参加よりも自分の最低限の生活が確保できればそれでいいと考える風潮が濃厚だ。政治に対する諦めムードも漂っている。土地改革や経済発展を成し遂げたにもかかわらず、農村の生活水準は依然として非常に低い水準にあり、劇的に改善する見込みはない。もちろん不満はいろいろあるが、共産党は民衆に銃口を向けることもいとわない人民解放軍や武装警察を抱えているため、人々は理不尽な現実でも受け入れるしかない。
大多数の民衆は、北京で盛り上がった民主化要求運動が共産党政権と正面衝突した際(天安門事件)、その事実を把握していなかった。現在でも天安門事件の存在すら知らない中国人は珍しくない。首都での異変が即国家体制の崩壊につながったソ連の例とは大違いだ。
――崩壊リスクはゼロ?
生存の危機に直面した民衆が国家権力に牙をむくという王朝交代劇が2000年間繰り返されてきた。そのサイクルを止めるために、国家が民衆の面倒をきちんと見て、国家と民衆の調和を達成するというのが中華人民共和国の当初の国是だった。ところが共産党は皇帝専制国家時代の貴族や官僚のように、権力を駆使して富を優先的に囲い込むようになり、民衆に対する社会保障、すなわち富の再分配をおざなりにしてきた。
そのような政権にとってリスクが高まるのは、最低限の生活すら保障されない民衆が大量に発生したときだ。中国では今でも台風、洪水、干ばつ、冷害、地震などといった自然災害の被災者が1年で億単位にも達する。経済の先行きがあまり芳しくないなかで、大規模な自然災害や環境破壊が続けば、既に相当深刻な社会不安に一層拍車が掛かることは容易に想像できる。そこに共産党内部での権力闘争の激化という状況が加われば、何が起きてもおかしくない。
――近著『中国はなぜ軍拡を続けるのか』では、そうした緊張をはらんだ中国を直視する視点を提供している。
中国国内の緊張が外交の硬直化をもたらし、それが多くの国との関係を不安定化させている。人権問題を含む中国内部の矛盾と緊張が緩和されることなくして、日中関係の安定化は望めない──そうした認識に立脚した対中政策を検討すべき時期に来ている。  
 
高齢社会対策の基本的在り方

 

はじめに
長寿社会の構築は、世界中において希求され、絶え間なく追求されてきたものである。我が国は、戦後の経済成長による国民の生活水準の向上や、医療体制の整備や医療技術の進歩、健康増進等により、平均寿命を延伸させ、長寿国のフロントランナーとなった。このことは、我が国の経済社会が成功した証であると同時に、我が国の誇りであり、次世代にも引き継ぐべき財産といえる。
2011 年3 月11 日、東日本大震災は、未曽有の被害をもたらした。この震災では日本人の多くが経験したことのない厳しい状況に直面した一方、秩序を乱さず、統制のとれた行動をする姿を通して、日本国内のみならず、世界において日本人の生き方が評価された。同時に震災は、日本人に地域における互助や絆の大切さなどを認識させる契機となった。こうした経験を活かし、超高齢社会をめぐる対策においても、被災者、被災地の住民のみならず、今を生きる国民全体が互助の大切さを認識しつつ、それぞれの役割を担っていくことが重要である。
こうしたなか、2012 年以降、我が国では、高学歴化、サラリーマン化、都市化といった戦後の変化の象徴であり、消費文化のなかで育った「団塊の世代」が65 歳に達し、高齢化が一層加速している。そこで、年齢によって一律に65歳以上の者を高齢者と位置づけ、「支えられる人」と捉える認識を改め、活躍している人や活躍したいと思っている人に誇りや尊厳を持って、超高齢社会の重要な支え手、担い手として活躍してもらうことが必要となる。同時に、支えが必要となった時も人間らしく生活できる尊厳のある生き方を実現させていくことが、今後の超高齢社会では求められている。長寿国となった我が国は、高齢者の生活の質を高め、全世代が参画した、豊かな人生を享受できる超高齢社会の実現を目指すことが重要である。
このため、高齢者像をめぐる認識と実態の乖離を解消すると同時に、長寿社会の構築を成し遂げた過程で生じた「人生90 年時代」への転換に必要な課題を解決し、超高齢社会に対する過度な不安感、負担感を払拭していくことも重要である。
また、世界の高齢化の進行に鑑みれば、アジアを中心とした、今後高齢化を迎える国々の先行モデルとなりうる、高齢者が尊厳を持って自立できる超高齢社会を構築する必要もあろう。
この検討会では、このような目的意識や考え方のもと、我が国の高齢者を取り巻く現状と課題を整理し、それらに対応する検討を行い、今後の我が国の超高齢社会に向けた基本的な考え方について提示する。  
1. 高齢社会の現状

 

(1)高齢化の現状
(高齢化率は世界最高水準)
我が国の平均寿命は延伸し続け、総人口に占める65歳以上の高齢者の割合は、2005 年には20.2%となり、他の先進諸国のイタリアが19.6%、ドイツが18.8%、スウェーデンが17.2%等と比較しても最も高い水準となった。高齢化率が7%を超えてからその倍の14%に達するまでの所要年数を比較すると、フランスが115年、スウェーデンが85 年、イギリスが47 年であるのに対し、我が国は24 年であり、前例のない速さで高齢化が進んだことがわかる。その後も一層の高齢化が進み、2010 年には高齢化率は23.0%となり、2055 年には、39.4%に達すると見込まれている。このように、我が国は、世界のどの国もこれまで経験したことのない高齢社会を迎えている。
一方で、アジア諸国を中心に世界各国において今後高齢化が進んでいくことが予想されている。
(総人口の減少と高齢化率の上昇の同時進行)
65 歳以上の者の人口が増加する一方で、64 歳以下人口の減少による総人口の減少が同時に進行することから、平成24 年1 月の推計(中位推計)では、1 人の65 歳以上の高齢者を、2020年には20〜64 歳の1.9 人で、2050 年には1.2 人で支える姿になると想定されている。
(団塊の世代の高齢化、大都市圏の高齢化が進行)
団塊の世代が2012 年から2014 年にかけて65 歳になる結果、毎年65 歳以上の高齢者人口が100 万人ずつ増加する見込みとなっている。また、「日本の都道府県別将来推計人口(平成19 年5 月推計)」によれば、2035 年には、ほぼ全ての都道府県で高齢化率は30%以上となる見通しである。他方で、2035 年の段階で65 歳以上の高齢者人口が多いのは、東京都、神奈川県、大阪府、埼玉県、愛知県、千葉県といった都市部であり、今後は都市部に居住する高齢者が大幅に増加すると予想されている。
(平均寿命の更なる延伸と社会保障給付費の伸びの増加)
高齢化の大きな要因の一つである平均寿命の延伸をみると、2015 年には女性が87.05 歳、男性が80.34 歳を超え、2050 年には女性が90.29 歳、男性が83.55歳を超えることが予想されている。少子化・高齢化の進行に伴い、社会保障給付費は大幅に増加することとなり、年金を含む給付費は、2011 年度は、108.1兆円であるのに対して、2025 年度には151.0 兆円まで増加する見込みとなっている1。
(要介護者の急増と介護の担い手の負担の増加)
高齢者人口が増加するのに伴い、要介護認定者及び認知症を有する65 歳以上の高齢者も急激に増加している。要介護認定率は、2009 年に16.2%であったものが、2055 年には約1.5 倍の25.3%まで増加すると予測されている。要介護度が重くなるにつれて日常生活のなかで繰り返し介護が必要な状態になりやすく、複数のサービスを組み合わせて提供する必要性が増大し、医療ニーズも高まる。介護の担い手の中心は、同居の親族であるが、介護者の高齢化も進んでおり、2010 年には、60 歳以上の同居の主な介護者の割合は62.1%となっている。要介護度が重いほど、家族介護者の介護時間は長くなり、家族に介護が必要になった場合に、自分自身の肉体的・精神的負担を心配している人が多い。実際に介護等を理由に離職・転職する人も増加する傾向にある。
(所得・資産格差の拡大)
65 歳以上の高齢者の経済的な状況をみると、2009 年では、高齢者世帯人員一人あたりの年間所得は197.9 万円であり、全世帯平均の207.3 万円との間に大きな差はみられない。しかし、10 年前と比較すると、65 歳以上の高齢者世帯は年間所得が約10%減少しており、減少幅が他の年代よりも大きいことがわかる。高齢者の所得格差の状況を、世帯員の年齢階級別の所得のジニ係数2 でみると、60 歳以上のジニ係数の水準は他の年齢階級と比べて高く、60 歳以上の人の間の所得の格差は他の年齢層に比べて大きい。
貧困の状況には男女で違いが見られ、高齢になると女性の貧困率が男性の貧困率を大きく上回るようになる。特に高齢単身女性などの貧困率が高い状況が見られる。年間収入は、男性で見ると、夫婦世帯より単身世帯の方が低く、単身世帯で見ると、男性より女性の方が低い。
また、生活保護を受けている65 歳以上の高齢者世帯は増加傾向にあり、高齢者世帯のうち生活保護を受けている世帯の割合は2010 年度で5.9%となっている。
   1 社会保障給付費には、基本的に地方単独事業を含んでいない。
   2 ジニ係数とは、分布の集中度あるいは不平等度を示す係数で、0 に近づくほど平等で、1 に近づくほど不平等となる。
(元気で働く意欲の高い高齢者の増加)
我が国は平均寿命が世界的にみて長いだけでなく、健康に生活できる期間も非常に長くなっている。また、健康についての高齢者の意識をみても、60 歳以上で自分を健康だと思っている人の割合は65.4%を占めており、韓国、アメリカ、ドイツ及びスウェーデンの4 か国と比較してみても、国際的にみて日本は「自分を健康だ」と思っている高齢者の割合が高い。
また、高齢者の就業についてみると、男性の場合、60 歳から64 歳の人で就業している人の割合は7 割を超え、65 歳を過ぎても就業している人の割合も3割弱いる。高齢者が働きたい理由で最も多いのが「経済上の理由」であり、その他に生きがいや健康維持のために、働けるうちはいつまでも働きたい60 歳から64歳の人の割合は26.5%、65 歳から69 歳の人の割合は33.3%となっている。
(高齢期に向けた準備のための時間が少ない)
若・中年者に目を向けると、仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)については、希望としては「仕事」だけではなく、「家庭生活」「地域・個人の生活」の時間も十分に確保したい人がほとんどであるが、現実には50%弱の人が「仕事」優先の生活を送っている。実際に、週60 時間以上働いている就業者の割合は、30 歳代、40 歳代の男性で20%弱と高い。このように、特に男性で、現役時代の労働時間が長く、仕事以外の家族との時間、趣味のための時間、地域活動の時間等が取りづらい状況となっており、第2の人生に向けた自己啓発等、高齢期への準備をする時間も少ない。
(日常生活の安心・安全が脅かされる高齢者の増加)
高齢者の生活環境の状況をみると、日常生活に不便を感じる高齢者や、事故・犯罪被害、虐待に遭う高齢者が増加している状況にある。
地域の不便な点として、「日常の買い物に不便」「医院や病院への通院に不便」「交通機関が高齢者には使いにくい」といった日常生活に不可欠な事柄に不便を感じる高齢者が存在している。
65 歳以上の交通事故件数は、上昇傾向にあり、2003 年では89,117 件であったが、2007 年には102,961 件まで高まり、2010 年には106,311 件にも上った。また、交通事故死者全体に占める65 歳以上高齢者の割合は年々増加し、2010 年には50.4%と過半数を超えている。
65 歳以上の高齢者は家庭内事故も多く、最も多い事故時の行動は「歩いていた(階段の昇降を含む)」となっている。
また、養護者による虐待を受けている65 歳以上の高齢者の76.5%は女性であり、虐待者は息子が42.6%と最多であり、続いて夫が16.9%、娘が15.6%を占めている。虐待者との同居・別居の状況をみると、同居が85.5%となっており、同居している身内の者から虐待を受けている高齢者が多い。
さらに、高齢者の消費者トラブル被害も増加している。振り込め詐欺の被害者の約半数が70 歳以上であり、全国消費者生活センターに寄せられた契約当事者が70 歳以上の相談件数も依然として10 万件を超えている状況である。 
2. 現行の高齢社会対策大綱の基で講じられた施策

 

現行の高齢社会対策大綱は、高齢社会対策の基本的分野として、(1)就業・所得、(2)健康・福祉、(3)学習・社会参加、(4)生活環境、(5)調査研究等の推進の5つの分野ごとに関係施策の中期にわたる指針を示している。現大綱の基で講じられた、各分野ごとの主な施策は以下の通り。
(1) 就業・所得
2004 年には、高年齢者雇用安定法が改正され、定年の引上げ、継続雇用制度の導入等による段階的な65 歳までの雇用確保により、少なくとも年金支給開始年齢までは働き続けることを可能にするとともに、中高年齢者の再就職の促進を図るための措置等が講じられた。その結果、2006 年には、希望者全員が65 歳まで働ける企業の割合は34%であったが、2011 年には47.9%になり、70 歳まで働ける企業の割合は、2006 年には11.6%であったが、2011 年には17.6%にまで高まっている。また、2005 年から2010 年までの変化を見ると、60〜64 歳層の就業率は、52.0%から57.1%へと上昇傾向にある。2010 年の65 歳から69 歳の就業率は、36.4%となっている。
高齢者の雇用・就業機会の確保は一層進んでおり、今後の高年齢者雇用に関する研究会において、希望者全員の65 歳までの雇用確保と生涯現役社会実現のための環境整備に向けて今後の施策の進め方が検討され、2011 年6 月に報告書がとりまとめられている。
2009 年6 月には、育児・介護休業法が改正され、介護のための短期休暇制度の創設等が行われた。また、募集・採用における年齢制限禁止の義務化を措置するため、2007 年には雇用対策法の改正が行われた。
公的年金制度については、2004 年改正において、長期的な給付と負担の均衡を確保するため、1保険料の上限を固定した上での保険料の引上げ、2財源の範囲内で給付水準を自動調整する仕組の導入、3積立金の活用、4基礎年金国庫負担割合の2 分の1 への引上げといった見直しを実施した。
4については、実際には、2007 年度にかけて、基礎年金国庫負担割合を従来の3 分の1 から段階的に36.5%に引き上げ、2009 年から2011 年度にかけては臨時財源を確保して2 分の1 を実現した。
私的年金については、2001 年に、確定給付企業年金法及び確定拠出年金法が制定され、企業の従業員の老後生活を支える企業年金制度の選択肢は拡がった。
(2)健康・福祉
2008 年5 月に、介護事業運営の適正化を図るため、介護サービス事業者に対する規制の在り方について見直すことを内容とした「介護保険法及び老人福祉法の一部を改正する法律」が成立した。また、近年の介護サービスを巡っては、介護従業者の離職率が高く、人材確保が困難であるといった状況にあるため、「介護従業者等の人材確保のための介護従業者の処遇改善に関する法律」が成立した。
2011 年6 月には、要介護度が重くなっても、介護を必要とする高齢者が住みなれた地域で自立して生活できるよう、日常生活圏域において、医療、介護、予防、住まい、生活支援サービスが切れ目なく、有機的かつ一体的に提供される「地域包括ケアシステム」の実現のためのさらなる取組を図ることを内容とした「介護サービスの基盤強化のための介護保険法等の一部を改正する法律」が成立した。
高齢者医療制度の改革については、2012 年2 月17 日に閣議決定された「社会保障・税一体改革大綱」において、「高齢者医療制度改革会議のとりまとめ等を踏まえ、高齢者医療制度の見直しを行う。」、「関係者の理解を得た上で、平成24 年通常国会に後期高齢者医療制度廃止に向けた見直しのための法案を提出する」とされている。
(3)学習・社会参加
生涯学習社会の形成については、2008 年2 月に、中央教育審議会において一人ひとりの生涯を通じた学習への支援等の具体的方策が提示され、新しい時代を切り開く生涯学習の振興方策についての答申を得て、同年7 月には生涯学習の実現を盛り込んだ教育振興基本計画が閣議決定された。
社会参加活動の推進については、2010 年には「新しい公共」円卓会議において、「新しい公共」の実現に向け、制度改革や運用方法の見直し等を提言した「新しい公共」宣言がまとめられた。2011 年には、特定非営利活動を促進するため、認定基準の緩和や仮認定制度の導入を柱とする特定非営利活動促進法の改正を行った。
(4)生活環境
2009 年には、高齢者の居住の安定確保に関する法律の改正が行われ、国土交通大臣と厚生労働大臣が共同して基本方針を定めることとされ、同方針に基づき都道府県は高齢者居住安定確保計画を策定できることとなった。さらに、2011年10 月に、高齢者の居住の安定確保に関する法律等の一部を改正する法律が施行され、介護・医療と連携して高齢者を支援するサービスを提供する「サービス付き高齢者向け住宅」の登録制度が創設された。
交通安全の確保と犯罪、災害等からの保護については、2007 年には高齢者標識表示義務づけや、認知機能検査の導入を目的とする道路交通法の改正が行われ、2009 年には高齢運転者等専用駐車区間制度の新設を目的とする道路交通法の改正が行われた。
2004 年には、振り込め詐欺等の対策として、預貯金通帳等の売買やその勧誘・誘引行為等の処罰を盛り込んだ金融機関等による顧客等の本人確認に関する法律(現行の「犯罪による収益の移転防止に関する法律」)の改正が行われた。2005年には、携帯電話の契約時の本人確認義務や携帯電話の無断譲渡の禁止等を規定する「携帯音声通信事業者による契約者等の本人確認等及び携帯音声通信役務の不正な利用の防止に関する法律」が制定されるなど、振り込め詐欺等の取締と被害防止を目的とする各種の法令の整備が行われた。さらに、2008 年には、振り込め詐欺撲滅アクションプランが制定され、振り込め詐欺の検挙やATM 周辺における対策の徹底、匿名の携帯電話と口座の一掃、被害予防活動の徹底のための対策が定められた。
(5)調査研究等
2011 年度から、次世代のがん医療の実現に向けて、革新的な基礎研究成果を戦略的に育成し、臨床応用を目指した研究を加速するための取組が推進されている。また、アルツハイマー型認知症に関しては、脳の画像解析等を進め、その発症前診断及び発症後の進行度評価を簡便に行うことのできる評価指標を開発しており、根本的治療薬開発の加速に資する形となっている。  
3. 超高齢社会における課題

 

このように、現大綱の基で、様々な取組や制度の見直し等が進められてきた。しかしながら、団塊の世代が65 歳を迎え始めており、高齢者の実態がさらに大きく変化していくなか、超高齢社会における課題を整理し、それに向けた対策を講じることが喫緊の課題である。特に、高齢者像をはじめ、高齢社会に対する認識を抜本的に見直し、超高齢社会に対応した構造転換をすることに向け解決すべき課題を以下で整理する。
(1)「高齢者」の実態と捉え方の乖離
1 団塊の世代による多様な高齢者像の形成
1947 年から1949 年に生まれた団塊の世代は総人口の5%程度を占めており、2012 年から65 歳になる。このため、2012 年から2014 年に65 歳以上の者の人口が毎年100 万人ずつ増加する見込みである。
団塊の世代は、多様な価値観とはっきりした権利意識を持ち、ものごとに対して意見を言うと同時に、戦後の経済成長のなかで豊かな生活を送ってきた人達であるものの、年齢を重ねるに伴い発信力が弱まったという指摘もある。しかしながら、高齢者を65 歳以上の者と捉えた場合、団塊の世代は高齢者層の大きな比重を占めることになり、社会に対して多大な影響を与えうる世代であることに変わりはないと考えられる。
この点に鑑みると、団塊の世代には、これまで社会の様々な分野の第一線で活躍してきた経験を活かし、今後の超高齢社会を先導する役割が期待されている。
2 「高齢者」の実態とこれまでの認識の乖離
1950 年代に国連が65 歳以上を「高齢者」と区分した頃は、我が国の平均寿命は、男性63.60 歳、女性67.75 歳(1955 年)であり、当時としては65 歳を支えられる人と捉えることに違和感は無かった。「高齢者」を65 歳以上の者とする捉え方は、当時の平均寿命であった「人生65 年」を前提としていたと考えられる。しかし、その後の60 年間に我が国の平均寿命が延伸を続けるなか、65 歳を超えても元気であると認識し、就労や社会参加活動を通じて現役として活躍している人たちが多くなっている。このため、60年前のように65歳という年齢で、高齢者を一律に区切って支えられる人と捉えることは実態にそぐわなくなってきていると考えられる。
また、健康維持や生きがいのため、社会とのつながりを持ちたいという意欲の高い高齢者が増えており、そうした高齢者のなかには、何らかの形で自己実現を果たしたいと考える者も存在する。
活躍している人や活躍したいと思っている人を年齢によって一律に「支えられている」人であると捉えることは、その人たちの誇りや尊厳を低下させかねないと考えられる。
さらに、このように実際に社会を「支える」役割を担っている65 歳以上の人が存在するのにもかかわらず、高齢者を一律に捉えることで、若・中年者の負担感や不安感を実態以上に高めている。同時に、若・中年者は、元気で働く意欲のある人も含めた65歳以上の者すべてを支えることが困難となってきている。
こうした現状に鑑みると、高齢者を65 歳以上の者として年齢で区切り、一律に支えが必要であるとする従来の「高齢者」に対する固定観念が、多様な存在である高齢者の意欲や能力を活かす上での阻害要因となっていると考えられる。
今後、高齢者の意欲を活かし、社会の各方面で活躍の場を広げていくとともに、若・中年者の不安感を実態以上に高めないためにも、65 歳以上の者に対する国民の意識を改革していくことが課題である。
(2)世代間格差・世代内格差の存在
現行の社会保障制度は、負担を将来世代へ先送りしている点が問題であると指摘されている。現在の社会保障給付の財源の多くが赤字公債、すなわち将来世代の負担で賄われている。これ以上、未来への投資である社会保障のコストを、将来世代に先送りすることは困難な状況になりつつある。世代間格差がこれ以上拡大しないようにするために、現在の高齢者と将来世代がともに納得した、不公平感のない「ヤング・オールド・バランス」の実現が課題となっている。
現在、そして将来の人口構成に鑑み、従来であれば支えられる側と一律に捉えられていた人々のなかでも意欲と能力のある65 歳以上の者には、その活躍を評価するなどして、できるだけ支えてもらい、世代間のバランスを確保して社会のバランスを保つ必要がある。
さらに、世代間格差のみならず、高齢者の間の所得格差、つまり世代内格差は、他の年齢層に比べて大きいうえに、拡大している。
とりわけ女性高齢者は、若・中年期に家事・育児並びに介護などのために就業の継続が困難であったり、非正規雇用の割合が 高いなどの就労環境等により、所得や貯蓄が十分でなく、平均寿命の長期化と相まって、経済的に困窮化している人もみられる。
これからは世代間のバランスを確保すると同時に、世代内でのバランスを確保するために、経済的な再分配のみならず、地域の人々による支え合いを通じた生活支援を可能とする、地域におけるつながりを作る仕掛けづくりが課題になる。
他方、社会保障制度は、働く人等から支えを必要とする人への所得の再分配機能等を通じて、全世代に安心を保障し、国民一人ひとりの安心感を高めていく制度である。年齢や性別に関係なく、全ての人が社会保障の支え手であると同時に、社会保障の受益者であることを実感できるようにしていくことが、これからの課題であると考える。
(3)高齢者の満たされない活躍意欲
定年退職した高齢者が引き続き働く環境は整備されつつある。しかし、必ずしも希望する全ての高齢者の能力や意欲が十分に発揮されているとはいえないため、生涯現役社会の実現を進めていくことが課題といえる。
意欲があっても活かせる場所を知らない、積極的に探すほどの意欲はなく腰が重いという状況もあると考えられる。また、これまで持っていた能力と新たに求められる能力がミスマッチを生じている場合も考えられる。
働き続けることやNPO等への参加を希望する理由には、収入のみならず、健康維持のため、生きがい、あるいは社会とのつながりを持つため等、様々である。こうした高齢者の意欲をいかにして満たしていくのかを考え、また、そうした意欲を阻む要因を取り除いていくことが課題である。
(4)地域力・仲間力の弱さと高齢者等の孤立化
高齢者は、家族や親族と力を合わせて自分の周りのことは自分で行うなど自分の可能性を最後まで追求するという自己責任を前提とした「自己力」を拡大させ、社会はそれを支える「社会の下支え」を強化することが必要である。さらに、今はそれらの中間の領域において、高齢者を支える力が弱く、地縁を中心とした「地域力」や今後の超高齢社会において高齢者の活気ある新しいライフスタイルを創造するために、地縁や血縁にとらわれない「仲間力」の増幅が課題であると言える。
また、都市における高齢化が進行し、生涯未婚率の上昇ともあいまって単身高齢世帯が増加している。単身世帯の高齢者は、他の世帯と比較して近所づきあいも少なく、65 歳以上の者の孤立死も年々増加している等、地域とのつながりが希薄なことによる、高齢者の社会的孤立化がみられる。
特に男性高齢者については、退職して会社組織とのつながりがなくなった後、自分の居場所が見つからず、居住地域のなかで活躍する術を知らず孤立化してしまう状況がみられる。その背景には、会社での立場や人間関係を重視してきたために、他のバックグラウンドを持つ人とのコミュニケーションが苦手であるといった男性高齢者特有の傾向もある。
高度経済成長をするなかで、都市でも地方でも地域社会が崩壊し、精神的には地域社会全体の地縁、物理的には地域で生活するインフラが失われた。このように、地域社会のなかでの人間関係を含め、地域力や仲間力が弱体化し、喪失するなかで、社会的孤立や孤立死の問題がでてきたといえる。
また、身体能力の低下に伴い日常的な外出を控えがちな高齢者は、社会とのつながりも希薄化する。さらに介護の面においては、要介護者が急増し、核家族化等の世帯構造の変化に伴い、家庭内での老老介護も増えており、介護者の負担感が増加している。家庭内だけの支える力には限界があるなか、そうした家族を支えるという点からも地域のつながりを構築することが課題である。
このような状況に鑑みると、多様な高齢者の現状やニーズを踏まえつつ、今後の超高齢社会に適合した地域社会における人々の新たなつながりをどのようにつくり出していくのかが、今後の課題としてあげられる。
(5)不便や不安を感じる高齢者の生活環境
1 高齢者が不便を感じる地域生活圏
心身の機能が低下した高齢者は、様々な場所に行きたいと考えていても、物理的に生活行動の範囲が限られており、その日常的な生活範囲は地域と不可分である。
買い物弱者が生じてきていることは地域で生活するインフラが失われつつあることを示しており、地域社会のなかでは日常品を買う店がなく、はるか遠くまで行かなければならない、または店までの移動手段が確保されていないといった点が問題となっている。
高齢者にとって地域の不便な点としては、日常の買い物、病院への通院、高齢者には使いにくい交通機関等があげられている。この点に鑑みても、地域での生活に支障が生じないような環境を整備しなければならない。
したがって、自分の住んでいる地域のなかで、満足な生活ができるようにする必要があるが、それを可能とするバリアフリー化が十分に進んでいるとは言い難い。その改善のためには、家族や親族といった範囲を超えて、地域が一体となって高齢者が生活しやすい環境を整備することが課題である。
2 高齢者が巻き込まれる事件・認知症高齢者の増加
全被害認知件数に占める高齢者被害認知件数の割合は増加傾向にある。また、振り込め詐欺については、被害者の約半数が70 歳以上の高齢者となっている。他方で、高齢期特有の心身上の問題、経済的不安や孤独感・孤立感を背景とした万引き等の高齢者による犯罪については、2007 年以降、犯罪者率(人口10万人当たりの検挙人員)でとらえると減少傾向にあるものの、2000 年の約2倍であるなど高い水準にあることに変わりはなく、情勢は依然として厳しい。
単身高齢世帯が増加し、地域社会におけるつながりが弱まっていることも、高齢者が事件・事故やトラブルに巻き込まれたり、それを引き起こす要因になっている。
家族や地域社会が変化するなかで、高齢者の安心、安全を確保する社会の仕組を構築する必要が高まっている。
さらに、高齢者数の増加に伴って、認知症になる65 歳以上の高齢者が増加しており、認知症は今後、より一層大きな問題になる。
一人暮らしの高齢者が増加していくことも考慮すると、認知症になっても住み慣れた地域で安心して暮らせるような仕組づくりが課題である。
(6)これまでの「人生65 年時代」のままの仕組や対応の限界
1 若年期からの高齢期に向けた準備不足
高齢期に向けて、健康の維持増進のために心がけていることとしては、「栄養のバランスのとれた食事をとる」が最も多く、以下「規則正しい生活を送る」、「休養や睡眠を十分とる」、「散歩やスポーツをする」等があげられている。
しかし、高齢期における健康維持増進に備える上での不満や問題点について聞いてみると、「仕事(家事)が忙しすぎる」、「健康診査を手軽に受けられない」等があげられている。
高齢期を健康に過ごすためには、若い頃からの健康管理、健康づくりへの取組が必要であるものの、実際の行動に結びついていない現実がある。
生涯学習の実施状況についてみてみると、「この1 年くらいしていない」と答えた人は20 代から50 代で約半数となっている状況である。この理由として最も多いのが、「仕事が忙しくて時間がない」であり、次いで「家事が忙しくて時間がない」、「きっかけがつかめない」となっている。
また、60 歳以上の人はNPO活動等への関心が高まっているものの、実際に活動している人は多くない。
高齢期になってから、急に新たなスキルを取得することは難しく、若年期からの準備不足が、第2の人生を支えるために必要な、働く場所や社会参加する機会を探すことを困難としているのが現実である。
一方、非正規労働者はOFF-JT 等を受ける機会が正社員と比べて少ないなど、教育訓練の機会が少ない状況にある。
こうした状況に鑑みると、現役時代から高齢期に備えて何かしら準備ができる時間、休日等を確保しながら働くということが課題になる。
2「人生65 年時代」のままの老後の経済設計や蓄積資産の未活用
現役世代が納得のいく働き方を選択し、仕事を通じて所得を得ながら計画的な貯蓄等の資産形成に努めることが重要である。しかし、特に非正規雇用の労働者にとっては、高齢期に向けた備えに不安があると考えられる。
また、20 世紀は高齢期への備えとして、居住用不動産に投資し、資産形成を行ってきた。それは、本来ならば、老後の所得保障や経済的な支えとして機能することが期待されてきた。しかし、人生65 年を前提として、30 年程度で住宅の建て直しが必要となっており、また、売却時における住宅価値の適正な評価や、流動化など、住宅市場の整備が課題となっており、住宅の備えとしての役割が十分に機能していない状態にあると考えられる。
これまでは「人生65 年時代」を前提として様々な対応や制度設計がなされてきた。しかし、平均寿命は、2050年には女性が90.29 歳、男性が83.55 歳を超えると予想されており、平均寿命が延び人生が長期化した現在、将来を見据えて、「人生90 年時代」への備えと世代循環を推進する必要がある。  
4.今後の超高齢社会に向けた基本的な考え方

 

ここで議論する超高齢社会は、高齢者だけが幸せに暮らせる社会を目指したものではない。人は誰しも歳をとるものであり、現在の子どもや若者までが将来老いた際に安心して幸せに暮らせる社会を目指しているのであって、いわば次の世代への対策でもある。
意欲と能力のある高齢者には、積極的に社会を支えてもらうと同時に、全ての世代が積極的に参画することが重要であると考えられる。65 歳以上の人のなかにも、自立した生活を送り、社会を支えている人がいるという認識は、その人の尊厳を保つことにつながる。こうした「自己力」による自分らしい生き方が可能となる社会を構築するためには、「高齢者」の捉え方の意識改革を通じて、高齢者パワーを積極的に発揮してもらう必要がある。
「自己力」を高める大前提として、共助や公助による老後の安心を確保できる制度の確立が必要である。その際、共助や公助の在り方は人生設計に影響を与えるので、長期的な視点での社会保障制度の設計が必要となる。
また、地域の人々、友人等との間の「顔の見える」助け合いにより行われるものである「互助」を再構築することで、お互いのニーズが把握でき、本当に支えが必要な人が真に何を求めているのかを理解することができる。そうすることで、いざ支えられる側になったとしても、尊厳のある生き方が可能になると考えられる。
若年期から高齢期に向けた準備としては、人生の前半は、人的資本や実物資本、金融資本の蓄積等に主眼をおき、人生の後半にこれらのストックを各人のライフスタイルに応じて活用することで、若年期から高齢期までの人生設計や経済的な循環を実現することが可能になる。
以下では、全ての高齢者が、尊厳のある生き方ができるよう、これまでの人生65 年を前提としてきた社会から脱却した、「人生90 年時代」に対応した超高齢社会における基本的な考え方を整理する。
(1)「高齢者」の捉え方の意識改革〜 65 歳は高齢者か 〜
超高齢社会においては、高齢者は、若・中年者と同じく充実感を持って生きるとともに、その能力を存分に発揮して社会を活性化することが求められる。
これまでみてきたように、「高齢者」といっても多様で、65 歳以上の者を年齢で一律に括るという捉え方には無理が生じている。「高齢者」は、支えが必要であるとする考え方や社会の在り様は、意欲と能力のある現役の65 歳以上の者の実態から乖離しており、高齢者の意欲と能力を活用する上で阻害要因ともなっている。
また、65 歳以上であっても社会の重要な支え手、担い手として活躍している人もいるなかで、これらの人を年齢によって一律に「支えられる人」と捉えることは、活躍している人や活躍したいと思っている人の誇りや尊厳を傷つけることにもなりかねない。
こうした認識と実態の乖離を解消し、社会の支え手となり続けるとともに、支えが必要となった時にも、周囲の支えにより可能な限り自立し、人間らしく生活できる尊厳のある生き方を実現させていくことが求められる。
さらに今後、団塊の世代が2012 年から65 歳に到達し、これまで作られてきた「高齢者」像に一層の変化が見込まれる。他方で、意欲と能力のある人も含めた65 歳以上の人を、一律に支えることができる若・中年世代の人口は減少してきている。
こうした点も踏まえると、高齢者の意欲や能力を最大限活かすためにも、「支えが必要な人」という高齢者像の固定観念を変え、意欲と能力のある65 歳以上の者には支える側にまわってもらう意識改革が必要である。また、高齢社会における過度な不安感や負担感も払拭していかねばならない。
意識改革にあたっては、意欲と能力のある65 歳以上の人の実像を全世代の者が再認識できるよう、65 歳以上の人を多様性を踏まえて捉えていく必要がある。また、これまで述べたとおり、65 歳以上を「高齢者」と区分したのは1950年代である。この区分は、国際比較や時系列比較を行う際には標準として有用なものであるが、その後、我が国の平均寿命は格段に伸びており、国民の「高齢者」に対する認識とこの統計区分としての「高齢者」の実像があわなくなってきている。
例えば、生産年齢人口は15〜64 歳、老年人口は65 歳以上と位置づけられることが多い。生産年齢人口と老年人口の比率から単純に支える人と支えられる人の関係を示した指標等は、現状を必ずしも反映していないとも考えられる。
このように「高齢者」は支えが必要な人と一律に捉えられがちななかで、高齢社会の負担感ばかりが増幅している。このため、国民が「高齢者」の捉え方を考え、その際には、年齢を一律に65 歳以上で区切った指標に加えて、多様な年齢の括り方をしたデータを提示していくことも重要である。
こうして、65 歳以上の者の捉え方に対する国民の意識変革が不可欠であり、それに向けた啓発が必要である。その際には、楽しく豊かで円熟した人生を送っているという、多様なロールモデルについての情報提供も重要である。
一方、社会保障制度をはじめとする既存の各制度における施策の趣旨及び現在の取扱を踏まえ、国民生活や将来設計の安心の確保等を考慮して、検討は多角的な観点からすべきであり、引き続き中長期的課題として国民的議論を深め、合意形成をしていく必要がある。
(2)老後の安心を確保するための社会保障制度の確立〜 支え支えられる安心社会 〜
社会保障制度を中心とする、公助と共助のあり方は、国民個人の人生設計に大きな影響を与えることから、人生設計の見直しを可能とする長期的な視点で制度改革を行うことが重要である。
総人口の減少と高齢化率の上昇により、1 人の高齢者を支える現役世代の人数は減少傾向にある。このような人口構成の面から考えると、誰を支える側と捉えて誰が支えられる側と捉えるかによって、支える側の負担感が大きく変わってくる。
社会保障制度は、国民の自立を支え、安心して生活ができる社会基盤を整備するという社会保障の原点に立ち返り、その本源的機能の復元と強化を図っていくことが求められている。格差の拡大等に対応し、所得の再分配機能の強化や未来世代を育てるための支出の拡大を通じて、全世代にわたる安心の確保を図り、かつ、国民一人ひとりの安心感を高めていくことが重要であり、「全世代対応型」の持続可能な社会保障制度を構築していくことが重要である。また、出産・子育てを含めた生き方や働き方に中立的な制度設計を目指すべきである。
(3)高齢者パワーへの期待〜 社会を支える頼もしい現役シニア 〜
1 柔軟な働き方の実現
65 歳以上の高齢者には、経済的理由から働きたいという希望がある人と同時に、定年・退職後もフルタイムで働きたいという人が多いため、高齢者の活力を十分に活用でき、年齢に関係なく働くことができる生涯現役社会を目指すことが重要である。
意欲と能力のある65 歳以上の現役であるシニアが、本人の希望に応じて働き続けることができる生涯現役社会を実現することは、それらの現役シニアの生活基盤となる所得はもとより、生きがいや健康をもたらすととともに、人口減少時代における労働力の確保にもつながる。ついては、希望する高齢者の65 歳までの雇用の継続のための環境づくりを進めると同時に、賃金制度や昇進・昇格等の人事管理の見直しを行うことが重要である。
また、高齢期における個々の労働者の意欲・体力等には個人差があり、家庭の状況等も異なることから、短時間・短日勤務を希望する高齢者もみられるなど、雇用就業形態や労働時間等のニーズが多様化している。
このような高齢者の多様な雇用・就業ニーズに応じた柔軟な働き方が可能となる環境整備を行うことにより、雇用・就業機会を確保する必要がある。
多様で柔軟な働き方の実現は、高齢者のみならず、子育て世代等にとっても働きやすい環境につながる。こうして、職業人生を通じて、子育て、介護など人生の様々なステージにおける仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)の実現を促進することが必要である。
仕事と生活の調和がとれた働き方は、生活面での充実感が仕事にも好影響を及ぼすと共に、長期的に心身共に健康な生活を送ることを可能とする。
また、高齢者の意欲を最大限に活かすことによって、企業の活力維持に不可欠である若い世代への円滑な技能伝承の実現が期待でき、若い世代の能力の向上も達成される。このような現役シニアの高い就労意欲と経験・技能をつなぐ組織の充実や、それらを活かす取組についての情報提供等を一層推進していくことが重要である。
2 さまざまな生き方を可能とする新しい活躍の場の創出
就労以外に、生きがいや自己実現を図ることができるようにするため、様々な生き方を可能とする新しい活躍の場の創出、意欲と活躍できる場のつながりの強化が必要である。
経済的な側面だけではなく、生きがいや社会参加を重視している高齢者も多い点等に着目して、雇用にこだわらない社会参加の機会を確保していくことも重要である。
高齢者の自主性を活かした社会参加を活性化するため、地域の特性を活かした、高齢者の「居場所」と「出番」をつくり、高齢者を含めた住民間の連携を促進することが重要である。
人々の支え合いと活気のある社会をつくるために、ボランティア組織やNPOの育成の支援を進めるとともに、市民、NPO、企業等が積極的に公共的な財やサービスの提供主体となることについても検討していくことが重要である。これにより、身近な分野において、助け合いの精神で活動する、協働の概念を最大限活かした、高齢者が意欲や能力を活かせる場の創出についても検討していくことが望まれる。
また、身近なところでボランティア活動探しを支援するため、仕事やボランティア活動を探す場所や手段の充実等も望まれる。
さらに、子育てに専念してきた主婦や、子育てをしながらパート等をしてきた主婦がそれまで蓄積してきた、生活者としての経験を活かし、高齢女性が地域において子育てに悩む若・中年層を支援するといった形での社会参加や就業に結びつけることも重要である。
なお、多様な評価基準を推奨し、有償ボランティア等の経済的な評価のみならず、時間を評価する「時間貯蓄」や金銭とは異なる評価基準である「ポイント制度」、さらには高齢者の功績を名誉という形で尊重する仕組についても検討されることが望まれる。
また、意欲はあるものの、これまでの様々な理由により高齢期に向けた十分な備えができていない高齢者についても、生涯学習や健康維持に向けた取組を積極的に進めていく必要がある。
3 シルバー市場の開拓と活性化
今後、高齢者パワーが最大限発揮されるためには、高齢者が活躍しやすい環境づくりが重要である。具体的には、高齢者に優しい機器やサービスの開発を支援し、身体機能が低下しても、その人が求める生活の質が保たれ、安心で快適で豊かな暮らしを送ることができるようにすることが重要である。
高齢者が周囲とコミュニケーションをとったり、情報を収集したりするなかで期待されるのが情報機器の活用である。携帯電話、パソコン等の普及は急速に進んでおり、機能も高齢者が利用しやすい配慮がなされているものが増加している。高齢者がコミュニケーションや情報の面で弱者となることを防止するためには、こうした機器を活用しやすくし、活用方法の習得を支援するとともに、高齢者の情報機器の利用を促進する取組も求められる。その際、子どもや若者が高齢者にITを教えるといった世代間交流も望まれる。
一方で、高齢者のなかには、進むIT化に遅れをとることで、周囲からの孤立感を高める人もいる。東日本大震災時の避難所における壁新聞が有効であったように、ITに偏重することなく、多様なコミュニケーション手段も検討する必要がある。
また、介護をする人が高齢化し、老老介護が増加するといった状況で、支える人の負担を軽減することも重要である。これに加えて、高齢者の体力の低下に関しても、介護ロボットなど新しいメカトロニックスによる支援が必要になると考えられる。
このように、高齢者が健康的に活動し、安心して生活できる環境を整備するとともに、高齢者のニーズと、企業が保有する技術やサービスをうまく組み合わせる必要がある。高齢者のニーズを踏まえたサービスや商品開発の促進により、高齢者の消費を活性化し、高齢化に対応した産業や雇用の拡大を支援すべきである。
国内だけではなく、今後急速に高齢化を迎えるアジアの国々等においても、潜在的な市場が広がっており、高齢者のニーズにマッチしたサービス・商品開発は、日本の経済成長にもつながると考えられる。
(4)地域力の強化と安定的な地域社会の実現〜「互助」が活きるコミュニティ 〜
1 「互助」によるコミュニティの再構築
これまでは、自助、共助及び公助の組み合せによって、高齢社会を支えるとの認識が一般的であったと考えられる。
社会情勢の変化や、核家族化の進展に伴い独居者が増加すると見込まれるなかで、地域の人々、友人、世代間を超えた人々との間の「顔の見える」助け合いにより行われる「互助」を再構築する必要がある。
その「互助」は市場で売買されるものでも強制力を伴うものでもなく、あくまで個人の自発的意思によって他を思う気持ちの発露として行われるものと考えられる。
さらに、他者を支えるだけでなく、他者からの承認や尊敬を通じた自分自身の生きがいや自己実現にもつながり、支える人と支えられる人の両者にとっての人生と生活の質を豊かにする。さらに、地域コミュニティのつながり、絆の再構築に向けても重要な役割を果たすと考えられる。
また、高齢者の多様な経験や知恵を活かし、高齢者が子育て世代等の若い世帯を支え、逆に子供や若者が高齢者にIT について教えるなど世代間の交流を促進させていくなど、「地域力」の強化を図ることが重要である。
なお、互助の再構築を推進するといっても、これは、共助や公助の後退を意味するものではない。地域に根差した助け合いを推進するにあたっては、自助・互助・共助・公助のすべてが必要となる。自助や互助が行われやすくなるように、国や地方公共団体をはじめ関係機関・団体による、地域力や仲間力を高めるための環境づくりが望まれる。
地域のコミュニティの再構築による地域力の強化にあたっては、地域における高齢者の円滑な移動手段を確保すると同時に、様々な地域資源や人的資源等の社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)を活用し、それを組み合わせて、地域のなかで好循環させることが重要である。地方公共団体をはじめ関係機関・団体が連携・協力して、コミュニティビジネスの起業、教育・福祉・環境・防災・防犯等の地域貢献活動における参加促進等、協働の取組を進めていくことにより、安定的な地域社会の構築が求められる。
2 孤立化防止のためのコミュニティの強化
高齢者、とりわけ一人暮らしの高齢者については、地域での孤立が顕著であることや、地方においては地域そのものが孤立化していることから、見守り等を通じてそうした高齢者と地域とのコミュニケーションづくり、絆づくりに加えて、そのニーズに応じた支援が必要である。
身体能力の低下に伴い日常的な外出を控えがちな高齢者に対しては、日ごろから積極的にコミュニケーションを取るとともに、例えば些細な日常的家事の手助けを通じて、社会とのつながりを失わせないような取組を工夫していく必要がある。
また、老老介護等を含め、介護が必要な高齢者と同居している家族に対しても、手助けがなくいわゆる介護鬱に陥らないようにするために、必要な支援を行うことが重要である。
このような地域における高齢者やその家族の孤立化を防止するためにも、いわゆる社会的に支援を必要とする人々に対し、巡回しながらニーズを把握するといった積極的にアウトリーチする仕組や、個別の相談支援を通じて、閉塞感を払拭することも重要である。
また、現在様々な目的で始まっている緊急時の高齢者の安否確認システムも含めて、総合的なネットワークを構築し、高齢者の日常生活に過不足なく地域の目が行き届いている地域を実現していくため、支援団体に対するサポートも重要である。
なお、アウトリーチする際には、プライバシーの尊重を希望する人や、一人でいることを好む人の存在等にも配慮した、地域での緩いネットワークづくりも必要である。
3 地域包括ケアシステムの推進
高齢者が安心して生活できるためには、高齢者本人及びその家族にとって、何かあった時に対応してくれる人がいないことへの不安を払拭し、いざという時に医療や介護が受けられる環境が整備されているという安心感を醸成する必要がある。地域で尊厳を持って生きられるような、医療・介護の体制の構築を進める必要がある。
日常生活圏域内において、医療、介護、予防、住まい、生活支援サービスが切れ目なく、有機的かつ一体的に提供される地域包括ケアシステムを確立していくことが急務である。
その際には、そこに行けば必要なケアの情報が得られるというワンストップの仕組を構築することが重要であり、地域包括支援センターの総合相談、包括的・継続的ケアマネジメント、虐待防止、権利擁護等の機能が最大限に発揮できるような、センターの機能強化等が求められる。
(5)安全・安心な生活環境の実現〜 高齢者に優しい社会はみんなに優しい 〜
1 バリアフリー・ユニバーサルデザインの深化
0 歳から100 歳以上までの人が同時に存在しているという状況において、高齢者はもちろん、多様な人々が利用しやすいよう、住宅や都市、生活環境のデザインをより拡張するという、ユニバーサルデザインの考え方を一層推進する必要がある。多様な人が生活しやすい、全世代に優しいユニバーサルデザインの促進は、自立した生活環境をつくるためにも必要である。
バリアフリー化には、公共交通機関、公共施設、住宅・建築物等のハード面の整備がある。同時に、運営に従事する職員の応対や施設等の利用に関するわかりやすい情報提供等、ソフト面と一体となった総合的な取組や、国民誰もが自然に支え合うことができるようにする「心のバリアフリー」を推進していくことが必要である。
また、これまでのバリアフリーの考え方は、高齢者等が行動することを前提とし、その際の障壁に対処するという考え方に基づいていた。しかし今後は、それらに加えて、空気の温熱感がよいとか、音が心地よい、空気がきれいといった、居場所の環境保障の視点からの「空間づくり」や「まちづくり」も必要である。
このような全世代型で多様な人々が安心して暮らせるまちづくり、自立した生活ができる環境づくりを実現することが重要である。
2 日常生活圏域の生活環境の保障
心身の機能が低下した高齢者にとっては、中学校区程度の日常的な生活圏域で、安全・安心かつ快適に最後まで住み続けられるための環境整備を図る必要がある。
そのためには、適切な住まいと、その質の確保が前提となる。その上で、日常生活に必要な買い物等ができる生活利便施設に加え、医療、介護等に関するサービスが日常生活圏域において適切に配置され、不便なく利用できる生活環境の保障が求められている。また、これらの高齢者の生活を支援する様々なサービスが地域内でネットワーク化され、相乗的に機能する環境を整える必要がある。
また、心身の機能が低下した高齢者の様態は多様であるので、日常的な生活支援と居住の場の提供が一体になったサービス付きの高齢者向け住宅等の多様な居住の場を整備していくことも望まれる。
日常生活圏域の生活環境が保障されれば、これらの高齢者のみならず、障害者や子供、その家族・親族等も安心して暮らすことができる。これらの整備にあたっては、必ずしも全てを新規に整備する必要はなく、地域内の既存住宅や既存施設、埋もれた人材等を発掘し、それらの利活用を積極的に進めることが求められる。
3 犯罪・消費者トラブルからの保護及び成年後見等の拡充
高齢者を虐待、犯罪、消費者トラブル等の被害者にしないために、成年後見制度や消費者被害防止施策等を推進する必要がある。とりわけ、認知症高齢者の増加に伴い、成年後見制度の必要性は一層高まってきており、その需要はさらに増大することが見込まれる。
こうした状況のなかで、弁護士等の専門職後見人がその役割を担うだけでなく、それ以外の一般市民からなる「市民後見人」を中心とした支援体制や「法人後見」をはじめとした組織的な後見体制を構築する必要がある。
また、多くの人々に認知症が正しく理解され、認知症の方が住み慣れた地域で安心して暮らせる町がつくられていくよう、社会全体で認知症の人とその家族を支え、見守り、ともに生きる地域を築いていくことが重要である。
さらに、福祉を始め、高齢者が利用するサービスについて、高齢者が悪質業者の被害者とならないように、的確な情報提供、業者の指導・取締に取り組むことも求められる。
高齢者を犯罪、消費者トラブル等の被害者にしないために、地域で孤立させないためのコミュニケーションの促進が重要である。高齢者が容易に情報を入手できるように、高齢者にも利用しやすい情報システムを開発し、高齢者のコミュニケーションの場を設ける必要がある。
東日本大震災の被災者に65 歳以上の高齢者が多かった事実を受け止め、災害時に弱者となりやすい高齢者の安全を確保するために、要援護者に対する避難の支援など、防災・減災に向けた検討も必要である。
(6)若年期からの「人生90年時代」への備えと世代循環の実現〜 ワーク・ライフ・バランスと次世代へ承継する資産 〜
1 人的資本の蓄積とその活用
技術革新等により、企業内における働き方にも変化が生じ、企業において働き続けるためにも、能力開発や生涯学習が重要となる。同時に、男性にとっても女性にとっても、仕事時間と育児や介護、自己啓発、地域活動等の生活時間の多様でバランスのとれた組み合わせの選択を可能にする、仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)が必要である。
特に、今後、仕事と親の介護との両立を迫られる人が独身男性等も含めて増えることが見込まれ、企業には、こうした状況を踏まえた雇用管理面の対応を急ぐことが求められている。
さらに、職業人生の長期化にともない、若年期から職業キャリアの節目における心身のリフレッシュや、ボランティア等の地域活動を行うことが重要になり、多様な休暇制度の導入・活用等の労使による検討も必要である。
年齢にかかわらず意欲に応じて働くためには、技能や人脈等も含めた仕事能力を蓄積させることが重要である。そのためには、非正規労働者も含めて、若年・中年期からキャリア形成を図ることができるよう、キャリアに関する相談・援助により自己啓発・スキルアップができるような環境を整備していくことも重要である。
なお、女性高齢者のなかには、若い時期に、子育て等で就業を中断したため、高齢期に到るまでの間に就業経験を積み、職業能力を蓄積していくことが困難だった者もいる。子育てにより仕事を中断しなくてもよい環境の整備に加えて、主婦やパートとして過ごしてきた女性が自己啓発・スキルアップのできる環境も整備しなければならない。
また、定年前からどのような生活を送りたいかをイメージしておくことが重要であり、職場、地域、学校においては、高齢期における就労、社会参加、学習といった生活の向上につながる取組を実施することが必要である。
高齢期においても、個人の生きがいを探求し、これまでの多様な社会経験を活かして能力を発揮できるようにするとともに、自立した生活を送れるよう生涯学習の機会を充実させることが重要である。
こういった種々の取組を実践するにあたっては、必要な情報が円滑に入手できるよう、ICT(情報通信技術)等の活用による地理的、時間的制約の軽減を図ること等が望まれる。
さらには、若年期から高齢期に備える場合、高齢社会についての総合的な知識が必要である。そのためには、できるだけ多くの国民が、高齢社会についての客観的かつ総合的な知識を取得できるよう、教育や学習の機会の提供を進めることも望まれる。
同時に、高齢期に向けた健康管理、健康づくりが重要であることの啓発を図る必要がある。また、栄養・食生活や運動に関する情報の国民一人ひとりによる的確な理解の促進も重要であり、子どもの頃から生涯にわたる食育に関する取組や健康づくりが行われるよう、社会全体として環境の整備を図るべきである。
若年者も含めた国民が、今日から、人生90 年時代に向けた人生設計を描き始めることが重要である。
2 資産形成とその活用による安定した老後生活の実現
高齢期における経済的自立という観点からは、就労期に実物資産や金融資産等のストックを適正に積み上げ、引退後はそれらの資産を活用して最後まで安心して生活できる経済設計が求められる。
したがって、資産形成が困難な若・中年の非正規労働者に対しては、雇用の安定や処遇の改善に向けて、公正な待遇の確保に横断的に取り組むことが重要である。
また、高齢者の残した資産が次世代に適切に承継されるよう、相続や寄付の仕組みを通じた、適切な資産移転や社会に還流できる仕組を構築することが必要である。
わが国では、20 世紀後半を通じて持家取得がなされ、勤労世帯の多くは将来の老後に備えて、居住用不動産に投資してきた。持家とはすなわち資産であり、帰属家賃という形で利益をもたらし、売却、賃貸等により換価が可能と考えられてきた。
しかしながら、我が国の既存住宅ストックは、滅失期間が欧米の住宅に比べて短く、現下の不動産取引上はその経済価値が評価しにくい状況になっている。今後は、経年によって資産劣化しない、次世代への承継可能な高耐久・高品質の住宅建設を推進することも重要である。
また、築年数の古い住宅が必ずしも悪い住宅とはいえず、美観や立地環境を含めて評価すれば優れた価値を有する場合も少なくない。高齢者の所有する住宅価値が向上すれば、その運用により老後の経済生活も安定する。そのためにも、既存住宅を適正に評価し、流動性を高める中古住宅市場の整備が極めて重要である。
高齢者が築き上げた資産を次世代が適切に継承し、住宅、住環境及びその資産価値が世代を通じて循環する仕組みは「人生90 年時代」にあっては不可欠である。  
おわりに

 

我が国は、絶え間ない努力により、他国に誇ることができる長寿国となった。しかし、人口縮減に伴い、世界に先例のない超高齢社会を迎えている。今後は、これまでの「人生65 年時代」を前提とした高齢者の捉え方についての意識改革をはじめ、働き方や社会参加、地域におけるコミュニティや生活環境の在り方、高齢期に向けた備え等の仕組について、次世代を含めた循環も考慮しつつ、これからの「人生90 年時代」を前提とした仕組に転換していかねばならない。
これに当たっては、尊厳ある自立と支え合いによって築かれる社会の実現を目指すべきである。つまり、高齢者になっても、健康で活動できる間は自己責任に基づき、身の回りのことは自分で行うという「自己力」を高め、長い人生を生き生きと自立し、誇りを持って社会の支え手や担い手として活躍できる社会の実現が重要である。同時に、いざ支えられる立場になった時にも、住み慣れた地域において尊厳を持って生活できる生き方の実現が重要である。
今後目指すべき超高齢社会は、高齢者のために対応が限定された社会ではなく、高齢社会に暮らす子供から高齢者まで、全ての世代の人々が安心して幸せに暮らせる豊かな社会である。また、この社会の構築に向けては、高齢者のみならず、世代間の交流を通じた若者や子育て世代とのつながりを醸成する、全ての世代が積極的に参画する世代間及び世代内の「互助」の精神が求められる。
この点、顔の見える助け合いである「互助」を再構築することにより、地域における住民には、お互いに支え合っているという安心感が芽生えうる。また、お互いのニーズを把握できるため、本当に支えが必要な人が真に何を求めているのかを理解し、支援することができるようになると考えられる。
これらに加え、これまでの地縁を中心とする「地域力」や、今後高齢者の活気ある新しいライフスタイルを創造し得る地縁や血縁に捉われない「仲間力」を高め、様々な場面において、多角的、重層的な様々な支え合いを構築する必要がある。特に、超高齢社会の下で、高齢者の一人ひとりが尊厳を持って生きることができるよう、従来のように効率性を重視するのみならず、たとえ少ないニーズであっても、コストを負担し、様々なニーズに対応したサービスや仕組を多角的、重層的に提供していく、ゆとりのある社会の構築も重要であろう。
さらに、若年期から自らの高齢期をいかに過ごすかをイメージし、それに備えて周到に準備しておく必要もある。若年期から、高齢期に向けた資産形成、職業能力開発、生涯学習、健康づくりを行えば、高齢期には自立し、生きがいを感じながら充実して暮らすことができ、高齢期を希望に満ちた人生の円熟期とすることもできるであろう。
ただし、この準備は必ずしも個人の努力のみでは達成できるものではない。若年期から将来に備えた準備ができるよう、現役時代の働き方を変えていく必要がある。このため企業や社会が積極的に、子育て、介護、自己啓発、ボランティア等の地域活動などを可能とする、人生の様々なステージにおいて、仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)を可能とする働き方を促進していくことが求められる。
超高齢社会において「尊厳のある生き方」を目指すためには、高齢者にとっての心豊かな人生の終 わり方についても考えていかなければならないのだろう。高齢者のみならず、子どもを含めて全世代が地域社会において、人生の終わり方について考えることは、「生」を実感する機会にもなる。これは、自身の「生」のみならず、他者の「生」をも尊重する機会となり、「尊厳のある生き方」につながっていくのではないだろうか。
東日本大震災後、避難所を含めたいろいろなところで助け合い、支え合いの取組が行われている。人々の創意工夫、前向きに進み続ける姿勢により、こうした支え合いはできるものであり、そういった支え合いの気持ちは日本人の誇りであるということを、今一度認識すべきであろう。
超高齢社会を迎えた我が国において、大震災により互助の重要性を再認識するなかで、すべての世代が参画した、尊厳のある自立と支え合いによって築かれる超高齢社会の実現を果たすことができれば、高齢化が進行し、同じような課題を抱えうる世界の国々に先駆けた超高齢社会のモデルともなりえよう。
本報告書により、一人でも多くの国民が尊厳のある超高齢社会の実現に向けて理解を深め、議論を更に進展させることを期待する。 
 
国民から乖離した自民党と民進党 2017/8

 

森友、加計と続いた学校建設絡みの疑惑で、支持率を大幅に減らした安倍政権。ようやく「一強」の終焉かと思いきや、民意を受け止めてくれそうな受け皿が見当たらないという悲しい現状がある。報道各社の世論調査でも、無党派層の増大は顕著。「誰がやっても同じ」「政治に期待するだけ無駄」――政治不信を招いているのが与野党の政治家たちであるだけに、病状は深刻と言えるだろう。
よくよく眺めてみれば、安倍首相をはじめ国会議員も地方政治家も嘘つきばかり。政治家である以前に、人として最低の輩が幅を利かせる時代である。送られてくる読者メールは、現状を嘆くものばかり。この国の民主主義が、機能不全に陥っている。
改めて、国政と地方政治の実情について取材結果と読者の声を中心にまとめた。まずは、自民党と野党第一党の民進党について。 森友、加計と続いた学校建設絡みの疑惑で、支持率を大幅に減らした安倍政権。ようやく「一強」の終焉かと思いきや、民意を受け止めてくれそうな受け皿が見当たらないという悲しい現状がある。報道各社の世論調査でも、無党派層の増大は顕著。「誰がやっても同じ」「政治に期待するだけ無駄」――政治不信を招いているのが与野党の政治家たちであるだけに、病状は深刻と言えるだろう。
よくよく眺めてみれば、安倍首相をはじめ国会議員も地方政治家も嘘つきばかり。政治家である以前に、人として最低の輩が幅を利かせる時代である。送られてくる読者メールは、現状を嘆くものばかり。この国の民主主義が、機能不全に陥っている。
改めて、国政と地方政治の実情について取材結果と読者の声を中心にまとめた。まずは、自民党と野党第一党の民進党について。
そして皆いなくなった
内閣改造の目的が、疑惑隠しにあったことは歴然だ。「人心一新」と言えば聞こえはいいが、稲田朋美前防衛相、山本幸三前特区担当相、松野博一前文科相、萩生田光一前官房副長官といった問題児を交代させ、国会に呼ばれることのないよう、閣外に逃がしただけの話だろう。次の国会でも、閣外に去った政治家たちが議場で説明責任を果たすことはないと見られている。
ある自民党の議員は、自嘲気味にこう話す。
「安倍さんの時代は終わった。自民党は、“次の総理・総裁を誰にするか”で動き出している。自衛隊の日報問題ではダンマリを通せても、加計学園の問題は収束しそうにないからだ。時間が経つほどに、次々と怪しい証拠が出る始末で、来年4月の獣医学部開設にも黄信号、いや赤信号が点滅し始めている。安倍さんが国会で、『加計学園の獣医学部新設を知ったのは今年1月』と述べたのは致命傷。いずれ、この発言も嘘だったことが明らかになるはずだ。そうなると、政権はもたない。再来年は、天皇陛下の代替わりの年。安倍内閣で次の元号を決めるとなると、何かと反発が出ることも予想される。早い時期に、新しい総理・総裁を決め、勝てる体制を作ってから総選挙に打って出るしかない。安倍さんでは、選挙は勝てない。もっとも、安倍独裁を許してきたのは私ら自民党の議員。責任がないとは言えないが……」
加計疑惑に対し、首相が約束した「国民の声を真摯に受け止める」も「丁寧な説明」な真っ赤な嘘。内閣改造のご祝儀で、わずかながら上がった支持率も、依然として不支持が支持を上回っていることに変わりはない。それでも政党支持率は、野党第一党の民進党の3倍以上。囁かれる「年内解散」が、現実味を帯びる状況となっている。小池新党の準備不足と迷走する民進党の隙をつこうという魂胆だ。
漂流する民進党
蓮舫氏に戸籍を公表させるというバカなまねをさせておいて、自民党を追い込むべき大事な時期に代表選。国民の意識と乖離した民進党が、漂流を続けている。
代表選に立候補を表明しているのは、前原誠司氏と枝野幸男氏。前原氏は民主党政権時代に国交相や外相を歴任、枝野氏は官房長官として東日本大震災への対応にあたった、いわゆる「昔の名前」組だ。前原氏には偽メール事件で代表を辞任するという大失態を犯した過去もあるが、今回は新代表にもっとも近い位置にあるという。いずれが蓮舫氏の後を継いでも、党勢回復への道筋は不透明。そもそも、野党第一党の代表選だというのに、国民の関心は薄く、盛り上がりに欠けるのが現状だ。
九州北部の地方都市で民進党を支持してきたという、40代男性会社員の話が分かりやすい。
「民進党に期待しろという方が無理でしょう。別の受け皿があれば、そっちを応援しますよ。大した人材もいないのに、内部では足の引っ張り合いばかり。かつては小沢(一郎)さんを追い出し、今度は蓮舫さんを辞めさせた。その陰湿さは、内部抗争を繰り返してきた労働組合と重なっている。そもそも、連合という労働組合自体が、国民の暮らしと隔絶した存在になっており、組織率は年々落ちる一方じゃないですか。私も組合員だった時期があるが、労組が組合員の味方だというのは幻想。民間労組の幹部は労使一体ですよ。自治労のお偉いさんたちは、国会や地方議会に出てバッジをつけて税金で飯を食っているのが現実。末端の組合員は、何一ついいことなどない。民進党が本気で政治を変えようというのなら、労組依存から脱し、真剣に国民と向き合うしかない」
男性会社員のコメントに同意する有権者は少なくないはず。内部抗争は、旧民主党時代から続く民進党の恒例行事で、同党が“挙党一致”とは無縁の組織であることは明らかだ。憲法や原発といった重要課題についても党としての明確な意思を示せておらず、この政治集団の何に期待すればいいのかまったく分からない。支持母体である連合も、左の旧総評系と右の旧同盟系では考え方がまるで逆。「残業代ゼロ法案」を巡ってのドタバタで、労働者の味方というレッテルも剥げている。そうした中、泥船から逃げ出すネズミのように、次々と所属議員が離党。小池新党に乗り換える動きが出ている。
「○○ファースト」の危うさ
安倍自民党の補完勢力となった「日本維新の会」を尻目に、次の総選挙で台風の目になると見られているのが小池百合子東京都知事の主導で誕生する見込みの新党。すでに、小池氏の側近議員が政治団体「日本ファースト」を立ち上げている。東京都議選における「都民ファースト」の躍進は記憶に新しいが、この集団が国政の場でどのような政策を打ち出してくのかは不透明。トランプ大統領の「アメリカファースト」にダブるネーミングに、首を傾げる向きも多い。民進党を離党した細野豪志氏らとの連携に注目が集まっているが、しょせんは一過性の騒ぎ。小池人気が下降すれば、党としての存在意義をなくすはずだ。それでも、小池人気にあやかりたいという安易な考えの方々は後を絶たず、地方の首長選などで「○○ファースト」を名乗る事例が続出している。かつては橋下徹、いまは小池百合子。マスコミがつくる虚像に、踊らされるのは有権者だけではない。
東京都内に住む、50代自営業男性からの読者メール。
「小池さんに絶対的な信頼を寄せているわけではないが、私は(都議選で)都民ファーストの候補に一票を投じました。自民党には絶望しましたし、かつて裏切られた民進党を支持するつもりはありません。私は保守を自認していますから、主張は一貫していますが、共産党というわけにはいきません。いまのところ、小池さん支持。しかし、豊洲移転問題やオリンピックへの対応には、正直『大丈夫かな』と思わざるを得ません。国政と都政は違います。○○ファーストも結構ですが、きちんとした政治理念を持った自民や民進に替わる政党ができることを望みます。
政治の劣化、地方でも
維新やファーストが流行る裏にあるのは、受け皿不在がもたらした政治不信。自民党や民進党に、切磋琢磨してこの国の民主主義を磨いていこうという覚悟がないからだ。小選挙区制の弊害で、風向きが変わる度に「チルドレン」が大量当選し、政治を劣化させてきたのも事実。自民党「魔の2回生」が良い例だ。平気で癖で嘘をつく首相や防衛大臣にならって、平議員たちも軽い言動で有権者を裏切っているのが現状だろう。劣化する一方の日本の政治。地方政治の舞台でも、とんでもない政治家が増殖している――。  
 
政治を語るフレーム  乖離する有権者、政治家、メディア

 

書評 2015
2015年という年が、日本社会における民主主義のありようを考える上で、一つの画期をなしたことは、異論の少ないところであろう。同年の8月、いわゆる安保関連法案の成立をめぐって、国会議事堂前に集う若者たちのコールとして投げかけられた、「民主主義ってなんだ?」という問いは、時の政権に対するだけではなく、広く一般の有権者にも向けられたものであったように思われる。
その意味において、2013年に提出された著者の博士論文をもとに、「民主主義の正統性」をテーマとする本書が、この2015年に公刊されたことは、本書がその主題を、日本の有権者独自による政治の捉え方において追究していた点と合わせて、単なる偶然におさまり得ないものを感じさせる。
一般有権者はどのように政治を捉えているのか、そして、その捉え方は有権者の政治的判断、ひいては民主主義社会の実現において有用なものであるのか?この問いに対して本書は、政治科学におけるフレーム概念を、社会学および心理学の領域で関連する諸概念との間で比較検討した上で(第2章)、日常生活における経験からの政治情報によって形成される「政治の捉え方」として、独自のフレーム概念を定義しながら、それを質的な分析手法によって解明する必要を主張している(第3章)。
この主張から遡って、本書がもつ政治研究としての特徴を確認しておくと、本書はその出発点として、従来の政治的洗練性の概念を中心とした、政治家・ジャーナリストといった「政治的エリート」による政治イデオロギーとそれに基づく政策争点の設定への批判を紹介し、翻って一般有権者において独自の争点態度を結びつける政治的価値の存在を指摘している(第1章)。
以上を背景とした、有権者の政治判断を、政治的エリートとの一致以外の観点から評価する、という本書の視点は、さらに第U部において、パネル調査への自由回答および、その比較対象としての新聞報道と国会での議員発言という質的なデータを対象とした分析に展開する。
そして、それらの分析結果において明らかとなった、年金問題に見られたフレームの存在は、一般有権者における独自のフレームとして、他の憲法や安全保障問題などに関する公的なディスコースにおけるフレームとの乖離を示していた(第4章)。パネル調査のデータから求められた両者の相違は、前者が日常生活から直接的な経験として得られる情報から形成されるのに対して、後者の方がマスメディア情報からの間接的な経験に基づくため、争点としての構造化の程度が高いことであった(第5章)。
以上の結果から示された有権者独自のフレームの存在は、さらに政治研究そのものに対する一つの重要な問題を喚起する。それは、研究者自身が質問項目の作成などを通じて表す政治概念もまた、一種の政治的エリートによるフレームとして、有権者自身のフレームと乖離する可能性をもつことである。本書の第V部では、この問題に対応する視点が、質的な分析方法の適用とその結果とともに示されていく。
まず、第6章では、24名の有権者を対象とした質的面接調査における発言内容から、5つのフレームが明らかとなり、このうち「抽象的概念」というフレームが従来の政治モデルに一致する一方で、「居住地域」と「個人の生活」という2つのフレームが、有権者による私的生活空間との関連において形成されるという特徴を見せた。
筆者において、これら2つのフレームは、私的生活空間と公共空間の対立の中で、有権者における公共性の後退を示すものではなく、有権者が自らの生活空間の中での活動に公共性を見いだす可能性として位置づけられる。実際に第7章では、399名の有権者による質問紙調査の結果として、両フレームが、いずれも政治的態度および政治参加に有意な関連を見せていたことが示され、さらに第8章においては、インターネット上の被験者に「個人の生活」フレームを提示する実験状況から、特に政治的洗練性の低い有権者が、「抽象的概念」を提示された場合よりも政治関心を高めるという結果が確かめられた。
以上をもとに終章で導かれる、有権者が私的な生活上の経験から政治を捉えるフレームを獲得することに、民主主義における一つの正統性を見いだすという結論は、現代の日本社会に投げかけられた冒頭の問いへの、一つの回答にもなっていると評者は考える。
最後に付け加えるならば、量的データと質的データを自在に交えた分析手法とともに、第1章のテキストマイニングから第8章のオンライン実験にいたるまで、さまざまなツールを駆使した研究対象へのアプローチもまた、本書の特徴といえる。筆者による最新の研究では、GPSの位置情報も変数に加えられているという話であるが、これらに見られる、有権者が置かれた多元的なコミュニケーション状況と、それにともなう多様な情報のあり方に対応した姿勢もまた、有権者における現実の生活経験に根ざした研究視点として特筆すべきものであるだろう。  
 
祖国守る自衛隊が違憲の愚かさ 2018 

 

国際情勢から乖離する日本の安全保障観、憲法改正が急務
激動する国際情勢の中、日本国憲法の安全保障観は、厳しい現実からあまりに乖離(かいり)している。日本国憲法では、その前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたい上げている。
そもそも、自らの安全と生存を、他国民によって保障してもらおうという発想自体が、批判されて然るべきであろう。だが、百歩譲って、仮に日本の周囲に「平和を愛する諸国民」しか存在しないというのならば、この憲法の安全保障観はそれほど非現実的とはいえないかもしれない。
しかし、わが国を取りまく諸国を眺めてみれば、到底「平和を愛する」とは思えない国が存在していることが明らかだ。独裁者が支配する北朝鮮は、次のように日本を威嚇した。
「日本列島の4つの島は、チュチェ思想の核爆弾によって海に沈むべきだ。もはや日本は私たちの近くに存在する必要はない。これが怒れる朝鮮軍と人民の声だ」
「日本を核爆弾で海に沈める」「日本の存在が不要である」と、国家が公式に発表しているのだから穏やかではない。仮に、北朝鮮の「公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しよう」とするならば、そこには戦略も戦術も、そして理性さえも存在していない。自らの安全と生存をないがしろにする、恐るべき狂気の安全保障政策であろう。
わが国の平和は、憲法が描き出す楽観的な安全保障政策によって守られてきたのではない。わが国の平和を保障してきたのは、精強な自衛隊の存在、そして強固な日米同盟の存在があったからだ。
本来であれば、憲法9条によって「戦力」を保有できず、「交戦権」も有していない日本は、魔術師のように解釈を変化させることによって「自衛隊」を合憲と位置づけてきた。
だが、虚心坦懐(たんかい)に憲法を読み、自衛隊を保持できると思う国民は少ないであろう。多くの憲法学者も、自衛隊を「違憲の存在」と位置づけてきた。日本共産党はいまだに、自衛隊を「違憲の存在である」と主張し続けている。
日本を守るために、日夜汗を流している自衛隊の存在を憲法上に明記するのは当然のことだ。本来であれば、9条の第2項を削除し、わが国も「戦力」を保有すべきである。
しかしながら、9条第2項の削除が現実的に厳しいのであれば、第3項に自衛隊を位置づけるべきであろう。祖国を守る人々の存在が違憲の存在であるなどという、愚かな言説が飛び交うような奇妙な国家であり続けてはならない。  
 
インターネットとアメリカ政治
  「インターネットが推し進めるアメリカの政治的分極化」 2014

 

インターネットはアメリカの政策過程を大きく変貌させてきた。ここで言いたいのは、別の論考で論じた選挙におけるインターネットの利用や、政府サービスのオンライン化といった電子政府を意味するのではない。さらに根本となる政治に対する情報の流れをインターネットが大きく変え、インターネットがアメリカの政治や社会の「政治的分極化(political polarization)」を支える基盤となっているという事実である。
いや、なってしまっている、といった方が正確な言い方かもしれない。
インターネットが「政治的分極化」をどのように推し進めているのか。少し長くなるがその構造を説明してみる。
1 政治的分極化とインターネット
そもそも政治的分極化とは、アメリカ国内の(1)「保守」と「リベラル」層のイデオロギー的立ち位置の乖離と、(2)「保守」と「リベラル」層内でのイデオロギー的な凝集性が強まるという2つの状況を意味している。
保守系とリベラル系との「2つのアメリカ」に国民世論が分断しつつあるという議論が高まったのは2004年大統領選挙のころからであり、その後、各種データをみると、分極化はさらに進んでいる。分極化は国民世論だけでなく、民主党と共和党という2大政党間の政党内の対立も激化させる要因となっている。
さらに、政治的分極化は政治情報のあり方も大きく変えつつある。アメリカの政治情報は、3大ネットワークテレビの夕方のニュースに代表されるように、かつては客観性の追求で世界のジャーナリズムのお手本的な存在だった。しかし、1980年代からの衛星・ケーブルテレビの普及をきっかけとしたテレビの多チャンネル化や、1990年代半ばからのインターネットの爆発的普及がこの状況を大きく変えた。政治報道も「ニッチ市場」の開拓を目指し、政治情報の内容を「消費者」向けにマーケティングして、提供するようになった。一方で、3大ネットワークテレビの夕方のニュースの視聴者数は激減した。
特に「保守」と「リベラル」との二つの世論の極を意識した情報がここ10年の間、かなり目立つようになっている。左右のイデオロギーを鮮明にした政治情報は、政治トークラジオ(聴取者参加型の政治トークラジオ番組)や、ケーブルテレビの24時間ニュースチャンネル内の番組が真っ先に浮かぶ。例えば、前者なら保守の「ラッシュ・リンボウ・ショー(The Rush Limbaugh Show)」、後者なら、保守の「オライリー・ファクター(The O’Reilly Factor)」(Foxnews)、リベラルの「レイチェル・マドウ・ショー(The Rachel Maddow Show)」(MSNBC)などが代表格であろう。
ただ、左右のイデオロギーを鮮明にした政治情報はラジオやケーブルテレビだけで全く完結しない。なぜなら、インターネットという広大な空間が、政治情報をエコー室のように何倍も何十倍も拡散させるためである。
まず、ソーシャルメディアの影響力は大きい。「ラッシュ・リンボウ・ショー」の熱心なリスナーなら、2010年に成立した医療保険改革「オバマケア」がいかに社会主義的なものであるのか熱っぽく語るリンボウの言葉をリツイートするであろう。逆に同じ「オバマケア」が公正な社会を作り出すことに貢献していると主張するマドウのフェースブックの熱心なフォロワーになる。
さらに、既に情報サイトとしての位置を確保した有力政治ブログも自分たちのイデオロギーに沿うことで、左右いずれかの色を帯びた政治情報がさらにサイバースペース上に広がっていく。保守派の「ホットエアー(Hot Air)」や「ブライトバート(Breitbart)」「ミッシェル・マルキン(Michelle Malkin)」は、「オバマケア」を蛇蝎のように忌み嫌い、リベラル派の「トーキング・ポインツ・メモ(Talking Points Memo)」や「シンク・プログレス(Think Progress)」「デイリー・コス(Daily Kos)」は、オバマケアはアメリカ社会の救世主であると説く。日本版が登場した「ハフィントン・ポスト(The Huffington Post)」も本家アメリカではリベラル側のオンラインメディアとして知られている。他のリベラル政治ブログに比べれば、かなり幅広い意見も掲載されているが、総じて「オバマケア」には肯定的だ。
2 選択的接触:交わらない二つのオンライン世論
このように、「保守」と「リベラル」との二つの世論の極を意識した情報がインターネットで一気に広がっていく。同じ「オバマケア」でも、左右で全く見方が違うという“羅生門現象”がサイバースペースで顕著になっている。保守派の「ネット右翼(ネトウヨ)」が日本では話題になっているが、アメリカでは「保守」と「リベラル」の双方のイデオロギーを代表する意見がインターネットにあふれている。「保守」「リベラル」双方の世論が拮抗しているのも、近年の「二つのアメリカ」現象の特徴の一つであることを考えると、二つのオンライン世論が拮抗するのも感覚的に理解できる。
ここで注意しなければならないのが、インターネット上での情報取得には、「自分にとって好ましい情報を優先的に得ようとする」という選択的接触が顕著である点だ。「選択的接触」は古典的なメディア理論であり、テレビ番組、新聞、雑誌、ラジオ番組など既存のメディアでも明らかになっている。各種研究によると、ソーシャルメディアの利用についても「選択的接触」の傾向が顕著であることが明らかになっている。
「選択的接触」とは自分にとって都合のよい意見は採用し、自分と異なる意見に対しては徹底的に遠ざけることである。自分のイデオロギーに近いオンラインサイトは積極的に参照し、リツイートなどの形でさらに他の人に伝えていくが、自分の考えとは相いれないものについては、全くアクセスしようと思わない。「オバマケア」嫌いは徹底して保守の政治情報に固執するし、リベラル派は保守の情報を敵視するというわけである。
「選択的接触」の傾向がサイバースペースでは特に目立っており、「保守」と「リベラル」との二つの世論は決して交わらず、それぞれが別個に加速度に増殖している。つまり、インターネットが「政治的分極化」を推し進めてしまっている。
オンライン世論の分極化は、保守派のティーパーティ運動とリベラル派の(ウォール街)占拠運動という、ここ数年の政治運動をみれば、さらに明らかである。いずれの運動も「取り残された人々」の声を代弁する運動である。占拠運動の方は「99%」というスローガンが日本で比較的知られているように、富める少数の人々が作りだした社会システムに対する反発が運動の根底にある。ティーパーティ運動の方は、ワシントンという政治家やテクノクラートの巣窟が生み出した「オバマケア」という中央からの改革においておかれた人々の反乱である。
ティーパーティ運動と占拠運動のいずれの運動もソーシャルメディアを通じて大きくなったという共通点がある。それだけではない。両運動の基底にあるのは「怒り」である。「自分の意見に近いものしか見ない」というオンライン情報の選択で「怒り」はさらに深い憤りに代わり、オンライン上の無数の同士とつながっていったのが両運動を支えたメカニズムの一つであるといっても過言ではなかろう。
3 おわりに
政治過程全般が保守とリベラルに分かれる「政治的分極化」現象が一気に進む中、二つのオンライン世論が拮抗している。大統領や連邦議会、官僚は効果的なガバナンスを希求する一環として、少しでも自らにとって有利な報道をするメディアを厳選する傾向にある。各種利益団体や一部のシンクタンクも、「味方のメディア」と「敵のメディア」を峻別し、提供する情報を大きく変えている。いずれもインターネットでの拡散を念頭にあるのはいうまでもない。
一方で、「政治的分極化」現象は「動かない政治」「決まらない政治」が固定化させてしまっている点で、民主的な政治システムそのものを大きく揺るがしている。インターネットが左右の世論がそれぞれ交わらない閉じた正解となっているとするなら、自由闊達な議論の空間を夢みたインターネットを構想した人々の理想とは大きくかけ離れてしまっているのかもしれない。  
 
メディアと大喧嘩のトランプ大統領、馴れ合うよりもよっぽどいい

 

橋下徹 2017/2
国民が知りたいのは解散情報や1分1秒を争う当確情報じゃない!
トランプのおっちゃんはアメリカ大統領に就任早々、メディアと大喧嘩しているけど、この方が馴れ合いよりもよっぽどいいよ。トランプ氏に罵倒されたCNNは、トランプ報道チームを作るんだって。いいじゃないか!! 他のメディアだって、トランプ大統領やホワイトハウスに気を使うことは一切ない。ガンガン報道できる。
そして政治家と記者の人間関係を基にして他社と横並びの情報を入手できる代わりに特ダネ競争が生じないという状況から、各社が本気で取材競争する状況に変わるんじゃないかと期待している。それも政治家との人間関係を頼りにしたどうでもいい情報じゃなくて、特定テーマについて深掘りする調査報道へ。
どうもメディアの側も政治部の常識にどっぷり浸かってしまっているのか、メディアが流す情報と、本当に国民が求めている情報とにかなりの乖離があるね。政治部の世界で称賛される情報は、正直国民にとってはどうでもいい情報が多いね。例えば、永田町、政治部の世界では、首相が解散をいつするのかという情報が、トップ中のトップの情報となっている。永田町に生息する記者は、この情報をつかむことに命をかけている。
そりゃ国会議員にとってはいつ解散が行われるかというのは死活問題。選挙の準備にかかわってくるからね。でも国民にとってはどうでもいい情報。首相が解散宣言をしたら、後で教えてもらうだけで十分。ところが、永田町の記者の間では、このいつ解散をするかの情報を少しでも早く入手した者が最高の栄誉を与えられる。
こんなところから、メディアと有権者の意識が乖離し始めているんだよね。メディアが本当に国民が求めている情報、本当に国民のためになる情報を捉えきれていない。丁度、政治家や自称インテリが国民の意識を捉えきれていないのと同じように。というよりも、むしろ政治と有権者を媒介するメディアが国民の意識を捉えきれていないことが、政治と有権者が乖離している状況を生んでいる。
メディア側ももうそろそろ、国民が必要としている情報は何かについて、国民視点で考え直さないとほんと国民から愛想を尽かされるよ。解散の時期や、首相の進退、要職の人事の話、誰と誰が引っ付いて離れるかという政治グループ闘争、なんていうことはその事態が生じた後に報じてくれれば十分。選挙の事前予測なんていうのも、国民は選挙結果を教えてくれれば十分なんじゃないかな。国政選挙のたびに選挙特番が放送されて、そこで一番金と人をつぎ込むのが事前予測。でも当選確定情報を一分一秒争って国民が早く知る必要はない。当選情報を知りたいのは永田町の住人である政治家本人なんだよね。その永田町の感覚をそのままメディア、特に政治部が共有しちゃっている。
選挙特番で本当に重要なのは公約の検証だったり、その時の政治課題の検証やそれに対する対応策だったりだ。当選情報なんていうのは選挙結果で知らされれば十分。当選情報を他社よりも一秒でも早く報じるために莫大なエネルギーを割くなんて無駄の限り。
そんなことよりも政策の中身を丁寧に説明する、政治の闇について深掘りした調査をする、政策の行方について可能な限りの専門的知見を踏まえて予測をする、現在の有権者一般の意識を丁寧に拾い上げる、などなど本来やるべきことは山ほどあるんだよ。でも他社が選挙の事前予測、当確情報を一分一秒を争って早く報じているときに、自社だけがそれを控えるというのは現実的に厳しいだろうね。やるなら全社でやーめた、とならないとね。視聴者が当確情報をいち早く流しているチャンネルに目を止める傾向が変わらないなら、テレビ局の報道の仕方も変わらないだろうね。この点についてはまた深く論じます。
記者は、他社が入手している情報を自分にも提供してもらうために、政治家と人間関係を築く。ゆえに自分だけが嫌われないように政治家に気を遣う。それで政治家との良好な人間関係を築くことが最重要目標となってしまう。もうこうなるとメディアは情報欲しさのために、政治家と戦えなくなる。
ところが今のトランプ氏とメディアの大喧嘩状態は、国民にとってはいい傾向だ。記者はトランプ氏、ホワイトハウスに一切気を遣うことはない。ただ注意しなければならないのは、ホワイトハウス側がメディアの切り崩しをやってきたときだね。
敵と味方をきっちりと分ける。味方には情報を渡し、敵には情報遮断。取引に自信のあるトランプ氏なら、メディアとの取引もやってくるだろう。味方に位置付けられたメディアは、特別な情報を手に入れる代わりに、完全に権力の犬となる。敵に位置付けられたメディアは、特別な情報欲しさにトランプの味方に変わりたい動機が強くなり、権力と戦うガッツを揺さぶられる。このときにメディアはどうするかだね。
国民のことを思えば、メディアはとことんトランプ・ホワイトハウス側と中身のある言論闘争で戦ってもらいたいね。そしてトランプのおっちゃんも、メディアを取り込むんじゃなくて、言論闘争の範囲内でメディアとガンガン戦ってもらいたい。その場合にはメディアからの取材拒否、質問拒否は絶対にやってはいけない。とことん取材を受けて、とことん質問を受けて、ガンガン激論すればいい。最後は有権者が判断する。  
 
閣僚の「カネの問題」は政治の優先課題か?
  「経済・金融」優先の国民世論と乖離 2014

 

「うちわ」で始まった政治スキャンダルが、今なおくすぶり続けている。
松島みどり法務相がうちわ問題で辞任し、観劇会問題に端を発する自身の政治団体や資金団体の不透明な資金収支問題で小渕優子経済産業相も辞任。さらに小渕氏の後任である宮沢洋一氏のSMバー支出問題発覚に加え、30日朝には東京地検特捜部が小渕氏の後援会事務所を家宅捜索するなどして、国会が空転。第2次安倍改造内閣は多難に見舞われている。
10月24〜26に日本経済新聞社が行った世論調査によると、安倍内閣の支持率は48%と9月末の調査より5ポイント下がった。野党は「政治と金」で安倍内閣を追及する構えを崩さないが、政治の優先課題として国民が望んでいるのか、はなはだ疑問ではある。
国民は現在、どんな政治テーマに関心を持っているのだろうか。
インターネット調査会社マクロミルが定点観測している「MACROMILL WEEKLY INDEX」のデータで「政治テーマ」を見てみると、今最も国民の関心を集める政治テーマは「経済・金融政策」である。グラフを見ると、今年の6月から関心が上昇し続けていることが読み取れるが、これは消費増税の影響である。
総務省が発表している家計調査では、家計支出は4月の消費増税以降5カ月連続でマイナスになっており、日本チェーンストア協会が発表している全国スーパー売上高も6カ月連続で前年割れとなっている。消費税増税後の日本経済は失速しているのだ。そんな中、政府は12月に来年の消費再増税(10%)の判断をするとしているが、日経新聞の世論調査でも「消費税増税反対」が70%に達し、「賛成」を大きく上回っている状況である。
また、「MACROMILL WEEKLY INDEX」のデータに戻り「外交・安全保障政策」を見てみると、7月以降同テーマへの関心が低下し続けている。これには2つの要因がある。一つは中国の対日姿勢の緩和、もう一つは北朝鮮の拉致問題解決の遅れである。
中国の習近平国家主席は、11月に北京で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議での安倍首相との会談の準備を進めているといわれている。中国経済が鈍化しつつある中、日本からの対中投資が減り続けており、これまでの対日強硬姿勢を和らげているとみられている。連日のように尖閣諸島問題が取り上げられていた時とは比較にならないほどマスコミ報道も落ち着き、国民の対中感情も落ち着き始めている。また北朝鮮については、拉致問題再調査の結果報告が今秋までに行われる予定だったが、北朝鮮が一方的に遅れることを通告し、国民の期待感も下がってしまった。
今後は11月のAPECを皮切りに、日本の対中政策、対北朝鮮政策に大きなヤマ場が訪れ、さらにロシアのプーチン大統領との会談、集団的自衛権の法制化の課題など政治的に大きなテーマが矢継ぎ早に訪れることになる。
国会で「うちわ」や「観劇会」「SMバー」問題を優先している間も、国内外の重要課題は山積したままである。国民の政治への関心と、国会内での政治家の関心に大きな乖離が生じているのではないか。  
 
勝ち過ぎた自公与党と国民の考えの乖離  2017/11

 

総選挙が終わって、野党側のごたごたが続いている感じです。民進党はどうなるのか、ということが大きな問題です。無所属で戦った党籍を持つ衆議院議員と参院議員を合わせれば50名上の政党ですし、政党助成金を含めたお金も100億円以上残っているということでもあり、その行く末が気になります。前原誠司代表は代表を辞任し、希望の党へ参加することになるそうです。次の代表をどうするか、党の存続をどうするか、お金をどうするかということがこれからの焦点となります。
2019年の参議院議員選挙の投開票と共に改憲の国民投票が行われるのではないかというのが現在の見通しです。安倍晋三首相の下、改憲が実現する可能性が出てきました。
しかし、国民投票の実現はなかなかに大変なことです。まず、国民の考えと現在の政治状況が必ずしも一致していません。今回の総選挙では与党が3分の2の議席を占めましたが、得票率は4割台です。それで獲得議席数は7割台です。これが有権者の意図を正確に反映しているとは言いづらいです。これについて、与党で3分の2を占めるのは「多すぎる」、安倍首相について「不安を持っている」と考えているのが過半数という状況です。
下の新聞記事にありますが、麻生太郎副総理は議席数から、「左翼が3割を切った」と述べましたが、得票数で言えば、麻生氏の発言は当てはまらないことになります。小選挙区制につきまとう死に票の多さということを無視した発言ということになります。
改憲については、18歳から29歳までの年代では改憲に賛成の人が多く、その他の年代(有権者における年上の年代)は反対が多いという世論調査の結果が出ています。
こうしたことから考えると、人々は与野党が伯仲している国会で厳しい審議が行われている状況が良いと考えていることが分かります。与野党伯仲状況になれば、改憲の発議はできないことになります。しかし、こうした人々の考えは国会の議席数に反映されていないことになります。
選挙は小選挙区比例代表並立制というルールの下で行われていますから、このルールで最大の成果を得るように行動しなければなりません。しかし、野党側は共闘で一対一の勝負ができず、分立のために、敗北を喫しました。ルールの特性を活かした戦い方ができなかったのは野党全体の責任ですが、やはり、希望の党に大きな責任があったと言わざるを得ません。下の新聞記事でもありますように、安倍首相の側近である萩生田光一代議士が日本会議主催の会議に出席し、希望の党の政策協定書によって、野党側が分立したということを述べています。
改憲に関して、行動を注視したいのは希望の党です。希望の党では立候補者に課した政策協定書の第4条で、「改憲を支持し」という文言が入っています。ですから、希望の党は改憲を前提にして国会論戦を行うことになります。しかも、党の創設者であり代表である小池百合子東京都知事は安倍首相とほぼ同じ考えを持っています。彼女はつい最近まで自民党所属の国会議員であり、自民党の幹部や大臣を務めました。安保法制成立時も自民党の国会議員です。こうなると、希望の党は改憲勢力に分類となります。ですが、国民の多くが改憲に反対、慎重な中で、結党からすぐに統制が振るわなくなってしまっている希望の党が自公と同調する動きをすることが果たして党のために良い事なのかという主張も出てくるでしょう。
安倍首相としては、広範な支持によって改憲を発議し国民投票で多くの賛成を持って、改憲を成し遂げたいと考えているでしょう。この途中で大きな騒動が起きたり、国民投票で反対多数で否決されてしまったりといったことは望んでいないでしょう。そうなれば、どうしても微温的な内容の改憲となってしまうでしょう。そうなれば、改憲推進の日本会議としては不満な内容になるでしょう。しかし、改憲の国民投票を行っていくためにも、最初の改憲はその程度で良いと許容することになるでしょう。
しかし、国民の側の現在の状況を考えると、改憲には困難なハードルが待っていることが予想されます。改憲に反対、慎重な考えを国民の多くが持っているということが最大のハードルになります。これに対して、どのようなアプローチ、切り崩しが行われるのか、ということですが、既に野党側にくさびを打ち込んでありますから、これをこれからぎりぎりと打ち込んで、分断を深めようとすることでしょう。  
 
ダブルケア 命と政治の乖離解消を 2017/10

 

「健康だから何とか続けられている。でも、体調を崩しても病院に行く暇ないから、本当に健康か分からない」
子育てと介護を同時進行で担う「ダブルケア」が、深刻な問題になっている。担い手は肉体的にも精神的にも疲弊し、仕事との両立も難しい。介護費用と教育費用を捻出する時期が重なり、経済的苦境に陥るケースもある。
内閣府の調査で、ダブルケアに直面している人は全国約25万人と推計される。女性約17万人、男性約8万人で、働き盛りの30〜40代が約8割。調査は未就学児を育てる人を対象にしているため、経済的負担が増加する中高生の親なども含めるとさらに多い。
ダブルケアの背景には、女性の第1子出産時の平均年齢の上昇や、夫婦のきょうだいが少なく双方の親の介護の担い手が不足しているなど複合的要因がある。晩産化、少子化傾向が続く中、ダブルケアのさらなる増加は必至。保育や介護の人材不足にあえぐ地方はなおさらだ。
子どもが病気や障害を抱えている場合は、大きくなっても「子育て」が続く上に、親や伴侶の介護が重くのしかかる。介護が一段落しても、苦悩は続く。
「私が死んだら、この子はどうなる」「いっそ私が倒れて死んだら、行政も本気で子どもを支えてくれるのかな」
母親たちの声は、日本の社会保障制度が、命を保障する制度たり得ていない現状をあらわにする。
衆院解散に際し安倍晋三首相は、現役世代が直面する子育て・介護の不安解消のため「大胆に政策資源を投入し、社会保障制度を全世代型へ大きく転換する」と強調した。
「私は『全世代』の中に入っていないと思う」と受け止めるのは、県央部の50代女性。ヘルパーや施設利用に四苦八苦し、ダブル、さらにはトリプルケアも経験した。
「1億総活躍」「女性活躍推進」「介護離職ゼロ」−。自らの生活実感とかけ離れたかなたを、さまざまなスローガンが通り過ぎていった。
「今後も社会保障費の抑制が進み、切り捨てられる人が増えるだろう。大胆に切り込むべきは、家族介護を前提とした社会保障制度の根幹そのものだ」と指摘する。
衆院選は、財源問題を含めた社会保障の在り方も争点。自民は消費増税分で幼児教育無償化を掲げ、希望は消費増税凍結とベーシックインカム(最低生活保障)制度導入を訴えるなど、対立構図が見えてきた。
各党の訴えは、子育てや介護などに追われ、疲弊する人の心に届くだけの中身があるか。命と政治の乖離(かいり)が解消されない限り、ダブルケア解消の道はない。  
 
「若者の政治離れ」のウソ 2014/12

 

若年層の投票率は、「年齢の数字」と大差ない、とよく言われる。つまり25歳の投票率は25%前後、という意味だ。実際、2014年2月に行われた東京都知事選挙では、「20-24歳」の投票率はわずかに25.7%、「25-29」では28.38%に過ぎなかった。
第23回参議院通常選挙(2013)では、「20−24歳」の投票率は31.18%、「25-29歳」では35.41%と、軒並み60%を超えてくる50代以上の中・高年とくらべて、明らかに低いのが実態だ。
このことを踏まえて、「若者の政治離れ」とか、「若者の政治意識の希薄化」が叫ばれて久しい。まずこの前提が本当なのかどうか、疑ってみよう。
次のグラフは、公益財団法人「明るい選挙推進委員会」が公開している、年代別の「衆議院議員総選挙年代別投票率の推移」である。
これをみても分かるように、若者(特に20代)の投票率は、過去(1960年代)とくらべて、長期的に明らかに低下しているのが分かる。しかし注意しなければならないのは、全年齢における投票率は、過去から現在まで、ゆっくりと長期低下(特に平成期)している、という事実だ。
つまり、「投票しないこと」を「政治離れ」と定義するなら、「日本人全体の政治離れが進む中、特に若者についてはその度合いが大きい」という風に解釈するべきだ。
ところが一方で次のような統計もある。日米英仏韓の主要5カ国の青年(18-24歳)のそれぞれ各1000人を対象に実施した国際的な意識調査である「世界青年意識調査」の最新統計(第8回・内閣府)によると、政治に「非常に関心がある」は日本=11.7%で、米国=16.4%に次いで高い数値であり、政治に「まあ関心がある」と合わせると日本=57.9%で、主要5カ国の中で最高であった(最低は英国の32.2%)。
このように、日本の若者は「政治には比較的強い興味を持っている」が、しかし「実際の投票行動には繋がっていない」という実態が浮かび上がるのである。
ここからは、「若者の政治離れ」ではなく、むしろ「若者の投票行動離れ」という現実が判明する。どうも、若者が政治に関心がないから投票所に行かない、のではなく「政治に関心はあるが、投票所には行かない」というのが正解に近いだろう。この原因は、まったく制度的な原因に求められると、私は考えている。
つまり、選挙システムそのものが、若者の要求に答えていないのではないか、という疑問が浮かぶ。例えば地方から上京して、一人暮しをしている大学生が投票行為に及ぶ場合、住民票の所在地に投票権利を有するため、一人暮しをしている(生活実態のある)現住所では投票ができず、住民票上の自治体の選挙管理委員会に「遠隔地投票」の手続きを申請しなければならない。
この手続は至極煩雑で、自治体によっても異なるが郵送によって申請しなければならない場合が多い。実際、私もこの制度を利用して遠隔地に投票したことがあるが、選挙管理委員自身も不慣れな場合も多く、書類をたらい回しにされ、危うく投票そのものの意欲が無くなりそうになった。
私が大学生だった時代、周囲の友人・知人の中で「政治には関心があるが投票所には行かない」という人間の、ほとんどすべての理由がこの「遠隔地投票」である。わざわざ元住所の住民票を請求したり、地域の選挙管理委員会に申請用紙を請求したりするのは、よほど奇特な人物ではない限り行わない。この硬直したいわば「住民票主義」のようなシステムを正し、生活実態の存在する自治体で投票行動が可能になるように、法改正するだけで、若者の投票率は随分と変わってくるだろう。
更には、硬直化した投票日や投票時間の問題がある。普通、投票日は日曜日の朝から夜の8時までであるが、それは「週末が休日であることが前提の、模範的な勤労者(サラリーマン)」のライフスタイルを中心とした考え方である。
これだけ非正規雇用が拡大し、若者の多くが親からの仕送り額の減少などに悩み、アルバイトなどを兼任している現在、若者のライフスタイルは多岐に及んでいることから、投票曜日と時間は拡大されて然るべきだ。
投票日数を二日間などに拡大し、24時間に近い形で開放すれば、これも若者だけではなく、全年齢において投票率は格段に向上するだろう。あるいは投票日を祝日にすることなど、法で別途定めるようにしても良い。
投票所の多くは市役所や小・中学校に設置されているが、地の利の不便な場合もある。可処分所得の減少で格差の犠牲になりがちな若年層は、必然自家用車の保有率が少なく、投票所への来所はかえって困難な場合もある。小・中学校の多くは、駅から遠い住宅地の中にあるからだ。
よって、既存の公的施設を転用した臨時投票所の増設や、空港や駅などJRや私鉄、航空会社と連携した投票所開設も有効ではないか。各所に電子認証端末を設置し、住民基本台帳カードによる本人確認が普及すれば、やはり投票率は劇的に改善されるだろう。
現代人のライフスタイルの多様化は、明らかに現行の投票制度から齟齬をきたしている。通販サイトで注文した商品がその日に届くことが当たり前になりつつある中で、投票システムだけは何十年も前の、ハガキ持参と鉛筆書きという、旧態依然としたものに留まっている。これだけ実態と制度が乖離しているのに、それが投票率に作用しないと考えるほうがおかしいと思う。
「週末が休日であることが前提の、模範的な勤労者(サラリーマン)」という、日本人の生活や働き方のスタイルは、過去のものになりつつある。その証拠に、「期日前投票」の利用者総数は、選挙の毎に拡大の一途をたどる傾向がある。「日曜日に、決められた場所に、決められた時間に行くことができる人間」は、この世界の中でどんどんと減っている。
その変化に、システムは全く対応していない。「模範的な勤労者」が存在することを前提とした日本のシステムの弊害は、選挙制度にとどまるものではない。年金や健康保険など「模範的な勤労者」が強固に存在した時代に想定された制度の多くに、歪や問題が指摘されているのは周知のとおりである。
住基カード1枚を持って、ふらりと東京駅で投票してから、道後で温泉に浸かりながら選挙速報を観る。そのような時代が到来した時、「若者の政治離れ」というフレーズは消えてなくなっていることだろう。 
 
徳島青年会議所

 

はじめに
一般社団法人徳島青年会議所は、今後も地域に必要とされる組織であり続ける為、諸先輩方から受け継がれてきた歴史と伝統に敬意を払うと共に、時代の変化に応じた成長を遂げていく責務があります。 2016年度は1年後に設立60周年を迎える準備の年。その中で重要になってくるのが会員拡大です。 同じ意識、同じ方向性を持ったメンバーを増やしていく事が、100年先まで存続する組織の構築に繋がると考えます。 地域社会と共に成長していくためには認知度の向上、ブランドイメージの確立を図っていかなければなりません。 JAYCEEである事に誇りを持ち、徳島県、徳島市の方々に存在意義を示していきたいと考えています。 「明るい豊かな社会」の実現を理想とし、責任感を持った社会的リーダーを志す「品格ある青年」であると自覚し、精一杯努力を惜しまず活動する所存でございます。 2016年度の組織運営をしっかりと行い、次世代に引き継いでいきたいと思っています。
徳島JCブランドの構築
ブランドの構築とはブランドアイデンティティをより多くの人に知ってもらうことです。 この作業は地道で一朝一夕では成し得ません。まずは50有余年もの長きにわたり、敬愛してやまない諸先輩方が積み上げて来られた歴史を改めて学び、徳島青年会議所の存在意義をメンバー全員が共に再認識する必要があると考えています。 青年会議所とはどうあるべきか?「明るい豊かな社会」とはどのようなものなのか?目的達成の為に、自らはどのように考え行動するべきなのか?一人ひとりがそれらについて改めて真摯に考え、JAYCEEとしてのプライドを持つことで行動が変わり、責任感が生まれます。 そしてその責任感は団体としてのブランドアイデンティティへと昇華していくのです。全員が同等の意識、知識を有し、「明るい豊かな社会」実現の為、質の高い活動を展開する団体であり続けること。これこそが2016年度、私が構築したい「徳島JCブランド」であると考えています。 メンバーの資質向上と質の高い活動を展開するための機会を創出し、今後も地域社会から必要とされる組織であり続けるための組織運営を目指します。
情熱を持った会員拡大
近年各種団体の会員数は減少傾向にある中、ここ数年一般社団法人徳島青年会議所の新入会員数は目標人数を上回り、順調に増加しております。設立60周年が1年後に控えている今、この良い流れを継承し、より一層の魅力ある会員拡大を実行していく必要があります。会員拡大の結果は、我々の運動に対する社会の評価そのものであり、我々の活動の最もわかりやすい成果でもあるのです。JCの最大の魅力は単年度制である事と国際組織である事だと私は思っています。任期が1年であることは、より多くのメンバーに理事構成メンバーを経験できる機会があるということになります。理事構成メンバーになれば、それぞれの役職に対して責任感が生まれ、今までとは違った物の見方や考え方ができるようになります。それこそがJAYCEEとしての成長であり、志高いJAYCEEの集団であるからこそ魅力ある会員拡大が可能になるのです。また近年では日本国内はもとより、カンボジアや台湾といった海外との繋がりも深まってきています。海外との交流を通して自国を見つめ直し、海外の風土や文化を知る。目的を持って臨めば、国際交流は今までの自らの価値観を大きく変える可能性を秘めています。JCという団体には自らが望めば日本中、世界中と繋がることができる土壌があるのです。メンバー一人ひとりが青年会議所の魅力を正しく伝え、志高いJAYCEEとして、一人でも多くの同志を増やすため、情熱を持って会員拡大に取り組んで参ります。
JC運動から発信する政策提言
青年会議所は地域社会のリーダーであるが故に、政策提言をしていくべきであると考えています。2015年6月に選挙権年齢を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる改正公職選挙法が成立し、2016年7月の参議院議員選挙より適用されると同時に徳島と高知の選挙区を統合する「合区」が導入されます。そのような背景から、改めて政治に着眼しました。近年の投票率低迷、若者の政治離れは現在の日本が抱える、解決すべき喫緊の課題です。例えば衆議院議員選挙投票率年代別推移を見てみると、今から約25年前、平成2年に行われた、衆議院議員選挙での20代の投票率は57.8%、30代の投票率は76.0%であったのに対し、平成26年に行われた衆議院議員選挙では20代の投票率は32.6%、30代の投票率は42.1%と大きく下落しています。人心から乖離した政治が今後一層若者の政治離れを誘発することが懸念されます。これは若者の政治に興味を示さない有権者にも問題があると考えています。2016年度徳島青年会議所では、政治家と有権者の間に立ち、選挙がいかに我々の生活に密接に関わっているかを発信していくと同時に、継続的に投票率向上を目指す環境を作ることで、若者の政治に対する意識改革の一助となる事業を開催致します。
まちが活性化するまちづくり
1949年(昭和24年)、共に向上し合い、社会貢献しようという理念のもと、青年有志により設立された東京青年会議所の理念は瞬く間に日本各地に広がり、現在では全国に697LOM、徳島県に7LOMの青年会議所があります。各地の青年会議所は「修練・奉仕・友情」の信条のもと、まちづくりを実践し、多くの社会的課題に対して積極的に取り組んでいます。また、世界的組織であり、100ヶ国以上の国で展開され、国境を越えた交流や環境保全など世界を舞台に様々な活動を展開しています。徳島県は日本で123番目に誕生して以来、58年間あらゆる形で地域社会の活性化に寄与してきました。まちづくりの戦略は様々あるように思います。ここ数年徳島青年会議所では市街地中心部での事業を行って参りましたが、2016年度は少し着眼点を変え、徳島市の各地区の活性化に注目したいと考えています。近年は、町の商店が姿を消し、郊外の大型施設に人が集中しています。また隣近所との関係は希薄で災害時における初期対応が遅れる原因にもなっています。このような現状を鑑み、徳島市内にある各地区の魅力を個々に引き出し、それらを発信することで徳島市全体の活性化に繋がる事業を実施します。これにより地域内のコミュニティが密になり、相互の信頼関係を構築することで近隣住民の助け合いの精神の醸成に繋がります。地方から自律的で持続的な社会を形づくる事で、日本の活性化、社会問題の解決に繋がります。
魅力溢れる青少年育成
戦後から今日に至る日本の青少年を取り巻く環境は大きく変化しています。かつてのような自然と触れ合い、仲間との時間を共有できる場所は姿を消しつつあります。また、少子高齢化による人口減少への対応は急務であり、今後はグローバルな観点からも、青少年の育成が必要になってきます。少子高齢化による人口減少は、労働人口の減少に直結します。企業は外国人労働者の雇用を積極的に行うようになり、2014年度の外国人労働者は約79万人と10年前の約31万人と比較すると約2.5倍まで増加しています。また円安の状況が続いていることもあり、2014年度に日本を訪れた外国人観光客数は過去最高の約1300万人で、これも10年前の約610万人と比較すると2倍以上増加しています。様々な要素が複雑に絡み合っているため、一側面だけでは判断できません。しかし日本の外国人労働者数や外国人観光客数の増加は顕著であり、いかに我々を取り巻く日本国内の環境が大きく変化してきているかは明白です。このような激動の厳しい社会を生き抜いていく為の術を、未来を担う青少年に学ばせることは我々の責務であると考えています。「地方創成」に向け日本全国で様々な施策が模索されている昨今、2016年度、徳島青年会議所は「ひとの創成」をキーワードに事業を実施します。今後徳島を牽引していく青少年に国際交流を含めた、仲間との時間を共有できる場所を提供することで、他国と日本の共通点、相違点、類似点などを実感し、その中で日本人としての行動や言動を学んでもらいたいと考えています。強い心と積極性を持ち、自分の考えを自分の言葉で発せられる機会を創出することで、魅力あふれる青少年が育成されると確信しています。
おわりに
1957年(昭和32年)に一般社団法人徳島青年会議所が発足してから、諸先輩方からの「想い」を受け継ぎ、未来に繋げて行く為にすべてに対して全力で取り組みます。自分の立ち振る舞いや言動に責任を持ち、驕らず情熱をもって正面からメンバーと向き合っていく覚悟です。私一人では出来ることは限られていますが、LOMメンバー全員が一丸となれば、可能性は無限大に広がると信じています。時代の変化とともに意識を変え、一歩ずつ前進していくことが地域を変えていくのです。私は、JAYCEEとしての前向きな活動が「徳島の明日」を輝かせるものと信じています。 
 
選挙区で起こる変化がもたらすワシントン政治への影響 2014/4

 

 2013年9月末、米議会は多くの国民の期待に反して、2014年度の予算を期限内に成立させることができず、その結果、連邦政府機関は10 月1 日に一部閉鎖に追い込まれた。一部閉鎖は16日間続き、最終的には法定債務上限の引き上げなしには米国政府が支払い不履行に陥るとされた10 月17 日の期限前日に、2014年1月までの暫定予算、ならびに2014年2月までの法定債務上限の引き上げが決定された。これによって米国や世界の経済を人質に取る形で展開された民主、共和党の政治闘争は、短期的には幕を下ろした。
この連邦政府機関の一部閉鎖の背景には、米議会で顕著になっている民主党対共和党の思想面での乖離の拡大があり、その象徴的な対立が医療保険制度改革法(オバマケア)であった。しかし、民主党と共和党の思想面での衝突は過去にも存在しており、今回の事例が、歴史的に両党を二分してきた「大きな政府」対「小さな政府」という連邦政府の役割に関する議論の激化を主因とするというだけでは釈然としない点がある。換言すれば、両党の相克の背景には、米国政治の構造的な変化があるのではないかとの疑問に突き当たる。
本稿は、米国の有権者に焦点を当て、選挙区で起こっている変化とその影響を考察する。
■1 米国政治における構造的な変化
近年、両党の衝突の原因を、10年ごとに州単位で実施する選挙区改変に見いだそうとする傾向がある。確かに州議会の判断で選挙区の改変が実施できる仕組みは、自らの政党に有利に選挙区を線引きし、自党が強い
地域の有権者を弱い地域に分割することで他党の勢いをそぐいわゆる「ゲリマンダー(gerrymandering)」を、幾度も可能にしてきたとされる。最近の例では、2012年の連邦議会選挙の選挙区は2010年の国勢調査を基に線引きされたが、2010年の中間選挙で多くの州議会での躍進を遂げた共和党が最新のソフトウエアを駆使して、共和党に有利な選挙区改変を実施した。
しかし、2013 年の連邦政府機関の一部閉鎖をめぐる対立を、1995−96年のクリントン政権下での連邦政府の閉鎖時と比較すると、ゲリマンダーだけでは説明できない他の要因が存在することが分かる。テキサス州を例に取ると、1995−96年当時は、テキサス州の254 郡のうち162 郡では共和、民主党派色が明確であり、残りの92郡は混戦区で、どちらの党派色もなかった。しかし、
2013 年の状態を見ると、何と254 郡中244郡が明確に共和、民主党に分かれていることが判明した。双方に転ぶ可能性があるいわゆる混戦区である「スイング郡(SwingCounty)」が激減したのである。テキサス州
のみならず、同様な傾向は全国区でも発生している。
テキサス州の事例で判明したのは、両党共に自らの政治基盤が比較的に強い地域がさらに強化されたことで完全な優位性を確立した点である。政治ジャーナリストのビショップ(Bill Bishop)は2008 年に出版した「ビッグ・
ソート(大分類):The Big Sort」で、この傾向を、有権者が自らの意思で同じ社会、政治的思考を持つ住民の選挙区を選択して集結する「クラスタリング(clustering)」によるものだと分析した。
ビショップによると、そもそも転居回数が多い米国民には、移転の際に自らと同類が住む居住区を選択する志向が高まっており、その具体的な評価となる宗教の宗派、教育の内容、銃保有の可否等が総じて政治的な党派色を明確にしていくと語っている。そして高学歴者ほど、自らの同類を求めて移動し、同じ思考を持つ人々と共に共同体をつくってしまう傾向があると分析し、この共同体の増加が米国政治を二分し、激しい衝突を招いている理由であると説明している。
選挙区の視点で見ると、同類の思想を持つ有権者がクラスタリングにより集結することで、極めて党派色の強い「ハイパー・パルチザン(hyper-partisan)」地域が確立され、そこから選出される議員はその選挙区の政治課題を忠実に叫び、実行すれば他党からの横やりは入れ難くなり、自らの再選も可能となる仕組みである。他党からの横やりが入らなければ、議員は妥協をすることなく素直に有権者の拡声器となり、極端な行動も恐れなくなる。逆に、有権者の要求を満たさない場合は、さらに極端な候補者が擁立される可能性がある。それが故に、共和党はますます保守化し、民主党はますますリベラル化していく。
民主党対共和党の思想面での乖離を数値化した興味深い統計が「DW-NOMINATE」採点表である。これによると、近年その乖離が急拡大していることが分かる。この手法は、米政治学者のプールズ(Keith Pools)とローゼンタール(Howard Rosenthal)が各議員の過去の連邦議会での投票結果を定量化し、総計した数字を平均化したものである。+1を「最も保守的」、0 を「中道」そして-1を「最もリベラル」と定義している。同統計によると、ギングリッチ(Newt Gingrich)を統率者として共和党が大躍進した1995年以降、共和党議員の平均値は一定して保守化の傾向をたどっており、共和党の保守度合は0.69−0.71まで上昇している。一方、共和党の増加率には及ばないものの、同時期に民主党のリベラル化も進んでおり、長年-0.3前後であったリベラル度合は現在-0.4 に達している。その結果、共和党、民主党間の政治思想の差は1990 年前後から増加している。
これらの数字から見て明らかなのは、程度の違いはあるにせよ、近年の米国の政治において、共和党ではより保守化が進み、民主党ではよりリベラル化が進んでいる点である。両党間で思想の衝突が起こり、政治の二極化が起こる背景にはこのような状況が存在する。
■2 民主党のリベラル化
連邦政府機関の一部閉鎖では、野党共和党内の保守勢力である茶会運動の動きが目立ったが、オバマ政権が2期目に入ると同時に、与党民主党内でのリベラル化の傾向が見られるようになった。
最近の例で言うと、ニューヨーク市の市長選挙で、2001年から3期を務めた共和党のブルームバーグ(Michael Bloomberg)市長のビジネス寄りの政治に反旗を翻してニューヨーク市における収入格差に異論を唱えたデブラシオ(Bill DeBlasio)市政監督官の当選である。デブラシオは、民主党の予備選挙で従来の民主党の筆頭候補であったクイン(Christine Quinn)市議会議長を破り、民主党の候補となったが、この躍進ぶりを「新たな新左派(New New Left)」の誕生と報道機関が形容したほど、新規の支持層を得た上での勝利であった。財政危機により解雇や転職を余儀なくされたニューヨーク市の若者層が、所得格差が広がる政治に危機感を抱き、現在の民主党よりさらに革新的な候補者を選択したことが背景にある。
もう一つの例は、上院で「3人の民主党リベラル派」としての活躍が注目されているマサチューセッツ州のワレン(ElizabethWarren)、オハイオ州のブラウン(SherrodBrown)、オレゴン州のマークリー(JeffMerkley)である。
彼らは共同してバーナンキ連邦準備制度理事会(FRB)議長の後任にうわさされていたサマーズ(Larry Summers)元財務長官の擁立に反対して、結果的にサマーズを候補辞退にまで追い込んだ。彼らは、サマーズがクリントン政権下で進めた金融市場の自由化が、2008年の金融危機の原点であると訴え、現在オバマよりも人気が高いといわれるクリントン元大統領の政策批判にまで踏み込んでサマーズを撃退した。
この3 人のうち、リーダー格といわれるワレン上院議員は、ニューヨーク市のデブラシオ市政監督官と同様に、収入格差や大企業優遇の政治に警鐘を鳴らし、革新的な政治を目指している。
■3 二極化する政治の今後の展望
上述の通り、ワシントンの共和党議員たちが、共和党全体のイメージや米国が世界から得ている信任を犠牲にしてまで連邦政府機関の一部閉鎖を断行したのは、地元選挙区への配慮が大きい。しかし、その一方で、共和党内でこれまで常に防戦一方であった穏健派の巻き返しを予測する声もワシントンには存在する。
2013年の連邦政府機関の一部閉鎖を振り返ると、多くの共和党議員は、茶会運動に代表される保守的な選挙区民のオバマ政権への不満を、忠実に代弁していたとも言えなくはない。連邦政府機関の一部閉鎖という愚策を実行させたのは、ワシントンの政治の失策というよりも、米国に散らばるクラスタリング化が進んだ選挙区が、ワシントンを操っている現象と言った方が適切なのかもしれない。それによる米国の政治思想の乖離は、両党から政治議論での妥協を奪い取り、ワシントンの政治を二極化し、硬直化させており、この傾向がすぐに変わる気配はない。
しかしながら、一方で、2016年の大統領選挙の候補者次第では、この流れが大きく変わる可能性も秘めている。その意味でも、2016 年の選挙は注目に値する。  
 
管理・独裁国家を目指す日本のお上、乖離を深める集団・民族意識

 

日本はどこに行くのか? 日本の現状を見ると、お上・日本政府はひたすら強制圧力・管理圧力を強める方向しか考えていないようです。
強制圧力・管理圧力を強める日本のお上
このがんじがらめ感・・・国や制度への違和感、半端ない。
学校は軍隊をモデルに作られた。その強権体質が、今、子供を潰し始めた。
労基署は働き方を無視する様な取り締まりを行っている
政府はなぜ休日ばかり増やそうとしているのか?
一方で、公務員給与は4年連続の増
以上の動きは、企業・国民管理を強めつつ、余計なことを考えないように休日を増やし、経済が縮小しても増税ラッシュ、管理に必要な公務員には給与増のアメを与えているということです。
新勢力が進めている金融崩壊・ドル崩壊には何も考えていない、無策のお上
風雲急を告げる世界情勢で示したように、世界は急変する。近代世界を作ってきた金貸し勢が力を失い、ロシアを中心とする新勢力が新しい枠組みを作ろうとしている。経済の激変が迫っている。金貸し→政府・大企業という枠組みが崩壊しようとしている。
本来であれば、ドル資産を事前に売りさばき、ドル離脱を進めるのが筋。しかし異次元緩和・米国債購入、何故かドルを支えることしか考えていない。国内では銀行破たんの先延ばし→アベノミクスバブル。政府・日銀・官僚・経済学者・・・本当にそれしか考えていない。
何故なのか分かる気がする。現在の日本の支配層は大陸から逃げてきた朝鮮人、1身内の利益を最大限にすること、2そのために大国にへつらうこと。・・・・それしか考えていないからだ。その結果として、3それで国民がどうなっても良い。国民に対しては支配意識しかない。
そう考えると、第二時大戦時の天皇の行動を始め、戦後の預金封鎖、原発、アベノミクス、年金を使った株価維持・・・みな同じ思考パターンで繋がってくる。
日本の集団・民族意識とお上の不整合感が高まっていく
市場・グローバリズムの行き詰まりが明確になり、社会が閉塞感を高めるにつれて、世界も日本も民族意識・集団意識が高まっている。安倍政権や日本会議はその意識潮流を利用して、国家意識を高める方向へ誘導し、それによって強制圧力を正当化している。
しかし、他国の侵略という戦争圧力が封鎖され、強制圧力発の国家と集団意識発の民族意識は決定的にズレを孕むようになる。
集団意識・民族意識は、自分たちの集団を守ることが第一であり、自主管理が基本である。お上は強制圧力によって国家解体につながる集団主義を封鎖・解体し、その発現を拒もうとしているのだ。ここに決定的な断絶がある。日本のお上はますます強制圧力・管理圧力を強めるしか能がない。すると心底ではますます不整合感がたかまっていく。どこかで臨界点に達する。
恐らく、ドル崩壊・経済危機時に無能なお上と強制圧力、集団本能の発現・・・全てが繋がる。 
 
重く暗い2009年

 

第二次世界大戦後にパックス・アメリカーナの時代を築いた米国は、今やその覇権波の後半期にあり相対的地位が低下、力の限界を見せている。覇権国のパワーによって維持されてきた国際秩序は揺らぎ、覇権国の持つ価値観や諸制度に異論をとなえる勢力が力を増すことになる。世界は米国一極体制の終焉の始まりを迎えている。
東洋史観の『代数論』(2008)では、43代(ブッシュ)、44代(オバマ)、45代は国家の混迷期になり、経済と軍備力の悪循環、経済の衰退、国民と国家の乖離などが起きるとされている。覇権国の衰退は世界の政治や経済を揺るがすことになる。43代は自国の安全のみを考える指導性となり、頑固なまでに方針を変更しない政治を行う。それゆえ国論はまとまらず外交は孤立化する。44代は大衆主眼の政策を打ち出し、柔軟な動きの早い指導性となる。そのため自国民や諸外国に振り回されるような状態となりやすい。大統領自身が強い指導性を持った人物であったとしても、それを発揮することは困難となる。45代からは米国離れを起こした友好国が戻りはじめる。米国が本格的な建て直しに入るのは次の46代大統領の治世からである。オバマ大統領が選ばれたということは、アメリカ国民が自国の内政や外交問題のあり方に疑問を持ち始めたことを意味している。新大統領に対する期待は大きいが、米国が抱える問題は短期間で立て直すことは困難である。国民がいつまで大統領を支え続けられるかという問題が発生、一部の国民からは反感を持たれ不穏な動きがある可能性がありうる。またドル紙幣変更や金本位制のような行動に出て、世界に衝撃が走ることもありうる。古来より、内部に問題を抱える国家は外に攻めを求めることになる。
東洋史観に、『大国が飢えると小国は犠牲になる』という格言があるが、覇権国の疲弊は世界を揺るがし、特に従属国は大きな犠牲を強いられる。常に米国を通じてしか世界を見てこなかった日本の政治には、それに対処するだけの自負はない。米国の巨大な負債の犠牲になるのは、経済大国・政治小国の日本で日米関係は相当に厳しくなるだろう。財が外国から吸いあげられる「禄馬現象」、国を治め人民を救うという経国済民を忘れ国家が国民を犠牲にする「棄民現象」などにより、指導者層に対する不信感の増大や国民の絆の弱まりなど、極めて困難な問題に直面することになる。『時代論』では、現在の日本は下降期にあり、季節に置き換えると2016年頃までは寒い冬が続く。特にこれからの3年間は冷気がはしる「厳冬期」となろう。その後は寒さも多少緩和されるとみられる。厳しい寒さが覆う真冬の季節はあがいても無駄で、次の時代を視野において寒さに耐えることが得策である。実体経済の裏付けのない紙幣の増刷によって2012年以降、世界はインフレに転じることになろう。
東洋史観では、国の改革は「経済界→庶民生活→政界→官界」の順に進むとされている。2009年は政界の改革が始まる年で、政界は波乱状態となる。麻生内閣はレームダック化し、自民党政治は終わり新たな政界再編の始まりとなる。2009年の解散、総選挙によって自民あるいは民主が圧勝することは難しく、2010年の参議院選挙は衆参同時選挙になる可能性がある。それによって政権基盤が強化され、55年体制に代わる長期的な政治の枠組みが形成されるだろう。国内政局の混乱は、政治家や国民の視野を内向きにしてしまい、日本は世界の潮流に大きく遅れをとる恐れがある。今、政治指導者に求められることは、国家の理念や目標を明確にして、何が日本の長期的な国益であるかを国民に明示することであろう。
暗がりで混迷している人達が一条の光を見たら、そこから目をそらす人はいない。何をもって光とするかが人の上に立つ者の知恵なのである。  
 
中央と地方の乖離が広がる中国のGDP統計  2012/11

 

地方政府のGDPの合計値は中央政府の公表する全国値を大幅上回る。背景には工業統計上の技術的問
題と政治的問題がある。次期指導部がこの問題をどう扱うかは改革意欲を測る目安になろう。
地方の過大評価はGDPの1割
中国では、中央政府(国家統計局)の発表する国としてのGDPと31省・市・自治区の発表するGDPの合計値に著しい乖離が生じるようになっている。右図は、31省・市・自治区が公表した名目GDPの合計値から国家統計局が発表した全国値を引くことでどの程度の乖離が生じているかを明らかにしたものである。乖離幅は2007年に一時的に縮小したものの、その後、急速に拡大している。地方政府が2011 年の実績として発表した名目GDPの合計値は51.8兆元と中央政府の公表値を4.6兆元上回る。後者を基準とした乖離率は9.9%、省レベルでみた乖離幅は中国最大の経済規模を誇る広東省のGDP(5.3兆元)には及ばないものの、第二位の江蘇省のGDP(4.8兆元)に相当する。
こうした乖離は当然のことながら実質GDP成長率にも及ぶ。31省・市・自治区が公表している実質GDP成長率から求められる2003〜2011年の全国の成長率は、12.3%、13.7%、13.1%、13.7%、14.6%、11.9%、11.6%、13.1%、11.7%と国家統計局の公表値(10.0%、10.1%、11.3%、12.7%、14.2%、9.6%、9.2%、10.4%、9.3%)を0.5〜3.6%ポイント上回る。
国家統計局の公表するGDP統計は国際通貨基金(IMF)など国際金融機関に採用されており、31省・市・自治区の統計に比べ遥かに信憑性が高いというのが国内外の一般的な評価である。このため敢えて地方政府の統計を扱う必要はないという立場を採ることも可能である。しかし、成長率における「西高東低」現象の顕在化や東部における人件費の高騰を受け、外資企業の多くが生産ないし販売拠点の中西部への移転を始めていることから、地方の経済統計に対するニーズは高まる傾向にある。
また、統計の多くは31省・市・自治区の合計によって算出されることから、国としての経済統計に対する信頼を失いかねないという問題も発生する。実際、2012年5月、英フィナンシヤル・タイムズ紙は、次期首相への就任が有力視されている李克強副首相が遼寧省党書記時代に中国のGDP統計は人為的で、参考値にすぎないと発言したことを取り上げ、中国経済が予想を上回る減速をしている可能性を示唆した。また、米外交専門誌フォーリン・ポリシーは、同年7月、中国の四半期統計は発表までわずか2週間しか要しないことを例示し、世界は透明性の低い中国の経済統計に踊らされることになると警告した。
乖離幅の修正は次期指導部の課題
国内外の専門家の間では、地方政府によるGDPの過大評価が発生する要因として、1地域を跨ぐプロジェクトの二重計上や統計の推計方法の相違といった技術的問題、2成長率が地方指導部の評価を左右する人事考課制度に起因する成長率の上方修正圧力の存在という政治的問題の二つが指摘される。国家統計局は前者を強調するものの、国外の専門家は後者を重視する。
どちらがどの程度影響を与えているか。この問題を解く手掛かりとして、中央と地方のGDP統計の乖離がどの産業で生じているのかを検証したのが右図である。乖離のほとんどが鉱工業で発生している。鉱工業における付加価値を推計するのに用いられるのは工業統計であり、右図は同統計に過大評価を発生させる技術的問題が内在していることを示唆する。
鉱工業における付加価値を推定するベースとなるのが工業統計上の「工業増加値」である。「工業増加値」は「工業総生産」−「中間投入財・サービスの価格」で求められる。「工業総生産」は、1最終製品の価格、2完成した「工業的作業価格」、3期首期末仕掛品の差額の三つの合計値である。このため過剰生産によって在庫が山積みになったとしても「工業総生産」は増加する。これが「工業増加値」の過大評価をもたらす要因のひとつである。
もうひとつの要因は「中間投入財・サービスの価格」の評価方法にある。付加価値を算出するためには、「中間投入財・サービスの価格」は「工業総生産」とともに物価変動を加味した実質価格で計算されなければならない。しかし、国家統計局は、「工業増加値」の実質伸び率を、1前年同月の「工業増加値」の名目値に「工業総生産」の名目伸び率をかけ、一旦「工業増加値」の名目伸び率を算出し、2それに誤差修正を施したものを、3生産者価格指数で実質化することで求めている。この方法は中間投入財・サービスの価格が一定であれば問題はないが、それらが著しく上昇している際には、付加価値を過大評価する。鉄鋼産業を例にとれば、鉄鉱石や石炭の価格が上昇しても、「中間投入財・サービスの価格」に十分反映されず、必ずしも同産業の付加価値を減少させるとは限らないのである。
しかし、こうした技術的要因だけで乖離幅の拡大を説明することは出来ない。そもそも地方政府が独自にGDPを算出・公表する例は先進国を見渡しても例がなく、国家統計局がGDP統計を作成・公表する唯一の機関として機能すれば、問題はたちどころに解決するはずである。同局は上海市、北京市、浙江省のGDP統計の精度が高いと評価しているように、独自に推計した地方のGDP統計を保有している。にもかかわらず、同局が地方政府にGDP統計の修正を求めないのは、地方のGDP統計が高度な政治性を有しているためと思われる。同局が地方政府によるGDP統計の作成・公表を容認せざるを得ない状況に置かれているという意味において、過大評価は政治的問題によるものと評価することもできる。
胡錦濤―温家宝体制は、経済成長のスピードを加速させるのではなく、所得分配の是正を通じて社会の安定化を図り、それによって成長の持続性を高めていく方針でスタートした。しかし、GDPの過大評価は、過去10年間、地方政府が成長の持続性ではなく、スピードを競っていたことを物語る。この高成長競争が「投資から消費へ」という経済発展モデルの転換を阻害した一因であることは間違いない。2013年末には第三次経済センサスの結果が公表される。これをもとに地方のGDP統計を下方修正し、乖離幅をなくすことができるか否かは、次期指導部の経済発展モデルの転換に対する意欲を測る一つの目安になろう。
 
憲法と現状の乖離に問題 国防の在り方、今こそ国民的議論を 2015/7

 

政府は、2014年7月の閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を実施するため、15年5月15日、平和安全法制整備法案及び国際平和支援法案を国会に提出した。
この法案は、わが国に対する武力攻撃がなくても、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによってわが国の存立が脅かされる事態に対して、防衛出動を行い、また、わが国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応する他国軍隊の行動を支援し、船舶検査活動を地域的限定なく行うことを認めるものである。
これについて、国会審議における参考人とされた3名の憲法学者が、与党推薦の者も含めて違憲であるという立場を取り、日弁連も同趣旨の意見書を取りまとめた。私も、日本がこの法案の想定する行動を取りたいのであれば、まず憲法を改正しなければならない、つまり、まず憲法改正を議論すべきであると考える。
この法律案が現行憲法に抵触するか否かについては、従来の政府解釈を是として今回の拡張が許容範囲か否かを論ずる向きが多い。しかし、憲法そのものと照らし合わせて考えるべきである。憲法は、前文で「日本国民は、(略)、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」「恒久の平和を念願し、(略)、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と述べる。
次いで、第9条で、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(1項)」「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(2項)」と規定する。この文章は、わが国は軍備を持たず、国連の集団的安全保障体制と、国際社会に対して平和構想を提示したり、国際紛争の緩和に向けて提言を行うなどの外交的手段によって平和を実現すると読むのが素直な読み方である。
また、1946年1月、幣原喜重郎首相(当時)がマッカーサーに対して天皇制護持のために軍隊不保持を提案したこと、46年6月、吉田茂首相(同)は憲法の審議過程において「第9条2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄した」と述べたこと、極東委員会の指示で、憲法施行1年後2年以内に憲法改正の要否について検討する機会を与えられたにもかかわらず、政府は改正の要なしとしたこと、52年3月、吉田首相は国会で「たとえ自衛のためでも戦力を持つことはいわゆる再軍備でありまして、この場合には憲法の改正を要する」と述べたこと、比較法的に見ても戦力不保持を明記している憲法は異例であることなどからすれば、第9条は自衛のための戦力を含めて一切の戦力を持たず、交戦しないことを宣言したものであると考えざるを得ない。
その後、国家にとってのいわば正当防衛ともいうべき個別自衛権の行使は許されるという考え方が有力になるが、自国が攻撃されていない場合にまで武力行使が認められるとして集団的自衛権を肯定するのは少数説である。少数説は、国連憲章第51条が集団的自衛権を認めているから、わが国もこれを行使しうると論ずるが、憲法は国際法に優位するため妥当でない。
国防という国家にとって極めて重要な政治課題について、憲法と現状が乖離(かいり)しているのは問題である。
時代とともにわが国をとりまく国際社会の環境は変わっていくが、解釈改憲などという姑息(こそく)な方法を取らず、多少時間はかかっても周知を集め、今こそ、この問題について国民的な合意をすべきであると思う。 
 
国家公務員制度における制度と実態の乖離 2013

 

日本の国家公務員制度は、制度と実態の乖離が大きいとしばしば指摘されている。制度と実態の乖離という意味では、他の分野でも様々な乖離が指摘できよう。逆にいえば、どのような分野の制度であろうと、制度の理念・規定と実態との乖離は存在するといえなくもない。
日本国憲法13条は「個人として尊重される」としているが、民法や戸籍制度ではまだ「家」が尊重されている。その民法や戸籍制度でも、制度と社会の実態とは乖離した状態がしばしば生じている。また、憲法の14条には、「法の下に平等」とされているが、高裁も認める「一票の格差」が存在する。さらに、憲法41条には、「国会は、国権の最高機関」と明記されているが、実態もそうであると考える国民はいないし、憲法学も「政治的美称説」が通説である。会計法では、公契約は一般競争入札が原則であると規定されているものの、多くは随意契約や指名競争入札である。3割自治という言葉は最近では使われなくなったが、地方分権や地域主権に替わったものの、依然として自治の幅は狭い。地方自治の本旨に沿ったはずの制度だが、義務付け・枠付けの再検討が行われている。外国人研修・技能実習制度は、技能習得が目的とされているが、その実態は労働力不足解消のための外国人労働力の利用であり、研修生に対しても労働法令による保護を認める判例がでた。
公務員制度の世界での理念と実態の乖離を示せば、職階制については、まったく導入されずにおわった。昇任についても能力の実証が必要であるが、法に規定のないキャリア制の下で特権的な昇任が行われ、法の理念である能力の実証という成績主義による昇任とはかけ離れた実態にあった。
公務員制度におけるこのような乖離は日本だけではなく、東アジアの韓国・モンゴル・中国でも同様である。『東アジアの公務員制度』(法政大学出版局、2013年3月刊行予定)において、そのことが確認できる。韓国の場合は、成績主義の理念の下で情実人事が行われていた。モンゴルの場合には、成績主義の理念の下で政党による政治任用が上級職のみならず下級職に対しても行われた。中国の場合は、一党支配体制であることから政党による人事にどのように成績主義の理念を組み込むかが困難な課題であった。また、「国家公務員暫行条例」の時代には条例にない政策(退役軍人の公務員採用など)が実施された。
こうした公務員制度の世界での乖離は、一般論として受け入れるべきなのであろうか。この点を考える際に考慮すべきことは、行政としてのコントロールがどの程度及んでいるかという統制の範囲と程度である。民法や商法の世界では国民の意識や社会的文化の反映という側面があり、行政のコントロールが及ぶ範囲は限られている。しかしながら、公務員制度では行政のコントロール下にあるといえる。それにもかかわらず大きな乖離があるということは、行政内部に反対・抵抗があることを意味しているのではないか。職階制が導入できなかった大きな理由として、キャリア制との矛盾があり、キャリア制の継続を求める旧勢力からの反対・抵抗があったからこそ、職階制は実現されなかった。このように考えると、日本の場合には、公務員制度法の規定と実態の乖離の程度は、社会的文化の反映というよりは、行政内部における反対・抵抗の強さの程度を反映しているのであろう。韓国・モンゴル・中国の場合は、公務員制度の乖離を強めている要因として、政治の側(支配政党)の抵抗に求められるといえる。日本の場合にも、政治の側に官僚の政治力が入り込んでいるので、政治と一体となった抵抗と考えられる。この場合はさらに強力な反対・抵抗となる。ここに改革が進まない大きな要因があると感じている。  
 
政府の予算と決算には乖離がある。 2014/12
  経済対策3.5兆円を額面通りに評価してはいけない

 

政府は2014年12月27日、臨時閣議を開き、総額3兆5000億円の経済対策を決定した。消費税の引き上げと円安による輸入物価の上昇が家計や中小企業に大きな影響を与えているとしており、こうした部分への手当を強化する。経済対策の実施によってGDPを0.7%分増加させたい意向だ。
具体的な内容としては、生活者や事業者へに対する直接的支援に1兆2000億円、地方活性化に6000億円程度を割り当てる。資金使途について、各自治体が独自に決定できるよう、交付金を創設する。低所得者の灯油購入支援、介護施設や公共交通機関を利用できるサービス券、子どもがいる世帯への手当がなどが想定されている。また、住宅エコポイント制度を復活させ、住宅の購入を後押しする。
昨年度の補正予算は5兆5000億円だったので、一部からは経済対策としては規模が小さいという声が出ている。消費増税が延期になったことから、財政状況はさらに厳しくなっており、政府としてはできるだけ支出を抑えたいところである。麻生財務大臣は、消費税を延期した効果があるので、単純に比較することは難しいとの見解を示している。
現実問題として、補正予算の妥当性について、予算段階で評価するのは難しい。その理由は、政府が実際に支出する金額と予算額との乖離がかなり大きいからである。
政府支出が経済に与える影響については、ほとんどが予算ベースで議論されている。2014年度の当初予算は95兆8823億円であり、今回の補正予算額は3兆5000億円である。政府支出総額は99兆3823億円となるはずだが、現実にはこの数字にならない可能性が高い。
例えば2012年度は、当初予算が90兆3339億円、補正予算が10兆2027億円だったので、予算総額は100兆5366億円であった。しかし、政府が実際に支出した額は97兆871億円しかなく、約3兆円を余らせている。
予算を組んでも不用として使われなくなったものや、翌年度への繰越し分などがあり、予算額と支出額は一致しない。今年度の予算額のうち何%が実際に支出されるのかは、現時点では分からないのだ。
ここ数年、最終的な政府支出は100兆円程度になっている。当初予算と補正予算がすべて消化されれば、トータルでは例年並みということになるだろう。一部が消化されないということを前提にすると、今回の補正予算はかなり絞った内容ということになるのかもしれない。
このところ日本経済は政府支出に依存する状態が続いている。だとするならば、実際にいくらの政府支出があり、それがGDPにどう影響を与えたのかという議論がより重要となる。予算だけなく、最終的な支出額についても検証を加えていく必要があるだろう。 
 
経済成長率と失業率 2012/4

 

米商務省が発表した第4四半期のGDP確報値は年率換算で前期比3.0%増と改定値から変わらなかったが、2010年第2四半期以来の高い伸びとなった。米国経済の回復が本物との評価はコンセンサスとなりつつあるが、経済指標で一様に裏付けられている訳ではない。GDPが高い伸びを示したといっても、雇用統計の数値の改善ぶりとは乖離がある。
実質GDPの変化と失業率の変化の間には統計的に直線で近似される関係が観測される事に着目したオークンの法則と呼ばれる経験則がある。50年前の法則を現代流に解釈すれば、失業率を1%低下させるには、潜在成長率を2%上回る経済成長が求められるため、現在の2つの指標の動きとの不一致は謎となり、景気認識を難しくしてしまう。
一方、GDPの代わりにGDI(国内総所得)を見ると、昨年第4四半期の数値は大きく伸びた。商務省は、米国経済全体の規模と成長を表す二つの指標を発表しているが、一つは、新たに生産された財・サービスの付加価値の合計を表すGDP。もう一つは、経済が賃金、利子、収益等で受け取った収入を合計したGDIだ。二つの数値が大きく異なる事はないはずだが、15兆ドルにも達する巨大経済を計測するのは至難の技で、異なるデータソースを使って集計しているため、一致するとは限らない。
失業率が少し低下し始めた2010年初め頃から、GDPとGDIは異なる動きをし始めた。昨年第4四半期のGDIの数値は4.4%上昇に上方修正されたが、こちらを使えば、最近の雇用統計の数値の強さとの関係が説明しやすくなる。エコノミストは、分野別の分析が容易で、早いタイミングで発表されるGDPを好んで取り上げる傾向があるが、GDIの方が、特に景気の転換点においては、指標としての信頼性が高く注目すべきだとの指摘も。昨年夏には予想外にGDPが大きく伸びて騒がれたが、GDIの伸びはほぼゼロだった。
今回の修正で、第4四半期の成長は、GDPで3.0%、GDIは4.4%、2011年通年では、GDPが1.7%で、GDIは2.1%となった。この結果、GDPが成長を過小評価しているとの主張も勢いづいている。また、過去の例ではGDPの数値がGDIの方向に修正される事も多い。
しかし、統計の数値が改訂ごとに大きく振れるのも事実。第3四半期の数値も、当初はGDIが0.4%の伸びだったのに対し、GDPは2%増だった。それが、先週の確報値では、GDPが1.8%増と下方修正されたのに対し、GDIは大幅上方修正でGDPを上回る2.6%増となった。昨年11月時点では、GDIの数値が、米国経済の回復ペースはGDPが示すより緩やかだとの主張の裏付けに使われていたが、その説明も意味を成さなくなった。
こうした数値のブレに翻弄されるのは、バーナンキFRB議長も例外ではないようだ。3月26日に行った講演で「過去数四半期においては、GDIの増加スピードはGDPより遅いと推計されており、最近の失業率低下の説明をすることができない」と述べた。つまり、雇用者数の増加にもかかわらず、一部の人が主張するほど、成長が加速していない証拠としてGDIの数値を使った訳である。しかし、3日後に出た確報値は4.4%への大幅上方修正で、雇用者数の増加を説明しやすくなった。景気回復宣言は時期尚早で、緩和的措置の継続が必要だと考えるバーナンキ議長にしてみれば、GDIは、緩和の必要性を正当化する材料から無視すべき指標へと一気に転落した訳だ。結論が先で、その正当化に都合の良い数値を集めた解説に惑わされないようにデータを見る眼を養う必要がある。 
 
危機管理と公益・国益との乖離・交錯・合致 2013

 

グローバリズムの影響
「国益」や「公益」というと少し大仰な物言いになりますが、「危機管理」を考える上で、また「国家」や「社会」、さらに「企業」と「個人」を考える上でも、欠かせない概念といって差し支えないでしょう。それは、例え企業単位の「危機管理」が「自社益」の極大化とその毀損の極小化を目指したものだとしてもです。
何故なら、その極大化はもちろんのこと、極小化のプロセスにおいてでさえ、社会とのバランスを考慮せざるを得ないからです。自社益が社会とのバランスの上に考慮すべきものである以上、国益や公益を古臭い固定的な観念であると帰してしまうのは、あまりにも早計と言えましょう。
これまで、戦後の期間の大半において、国益や公益より私益の優先が是とされる傾向が強かったために、それぞれの私企業の危機管理と国益・公益の三者の距離感には微妙な差異が生じていました(国益・公益の定義を曖昧にしてきた経緯もありますが)。
その分、危機管理の方は、軸足を各経営局面ごとに変動させることができました(これを軸のブレと見るか、フレキシビリティの発揮と見るかは議論の分かれるところです)。
また、国益と公益自体が完全にイコールでないため、つまり、その内実と範囲の比較において、一致と不一致を併せ持つための混乱を生みながらも、私益の優先がやがては、国(公)益に資するとの確信が共有されていました。つまり、経済成長が国と国民生活を富ませ、国民を幸福にするはずだと。
国益・公益・私益の三者の関係整理をしていくなかで、改めて前二者が"古臭い固定的な観念"ではないことは明確です。この前二者は、相互照射を余儀なくされる関係にあります。この相互照射は、両者の意味するところの重複部分(範囲)をある一定比率以上に保持するメカニズムをサポートする役目を果たしてきました。そのメカニズムとは、何かと言いますと、実は「グローバリゼーション」なのです。つまり、グローバル化に乗り遅れると国益も公益も損ねるとの論理構成と論理展開です。
ここはグローバリズムと言い換えてもよいのですが、何故「グローバリゼーション」の方を用いたかと言いますと、現在進行形の「グローバリゼーション」の促進思想としての表層的なグローバリズムに狭義されてしまうことなく、「グローバリゼーション」の帰結としてのグローバリズム(正体あるいは行き着く先)を胚胎する過程としての「グローバリゼーション」が、何ものか(ある狙いや思惑)を企図したり、企図しなかったりを繰り返す動態、謂わば、色付けが無意味(善悪の判断や影響の大小の解釈が最早困難)なグローバル社会形成のメカニズムとして、すでに作動・作用してしまっているからです。
つまり、現行メカニズムの正体を現下の時点では、狭義(表層的)にも、広義(深層的)にも、どちらにでも受け取れる二面性を実はグローバリズムが保有しているため、その混乱を回避するために用いたのですが、結果として、あるいは経過として、国益や公益に資しているのかは、すでに綿密な検証を必要としています。
国益の経緯
ところで、国益は、字義通りそれぞれの国民国家(Nation)にとっての利益です。各国は自国の利益が最大化されるような政策を採ります。そして、それは主に内政ではなく、外交として展開されます。それ故、国家間で国益と国益が衝突すれば、国際的緊張が高まり、地域紛争が勃発したり、場合によっては戦争にまで発展します。
また、各国が勝手気ままに自国の利益だけを最大化しようとしても、地球という惑星のスペースも資源も有限ですから、力まかせに、それらを独り占めしようとすれば、軋轢や争いが起こるのは必然です。19世紀後半からの帝国主義による植民地支配は、まさにそれが体現したものでしたし、第二次世界大戦後の冷戦構造も、自陣営の拡大と世界分割という両陣営が企図した目的においては、それ以前の構図や動機が特段変化したわけではありませんでした。
日本やドイツの国益の追求の仕方に、何がしかの歪みがあったことは事実でしょうが、両国の国益を潰した連合国側の国益追求にも、また別の歪みがあったこともまた事実でしょう(その後の東西冷戦構造をすでに胚胎していたわけですから)。
戦争に勝利することは、一時的にはその国に国益をもたらしましょうし、その国民をして、興奮させ、"ある種の狂気"をも発生させます。日本においても、日露戦争後の日比谷焼き討ち事件を持ち出すまでもないでしょう。"狂気"が狂気のままで居座るのか、それとも"正気"に戻るのか、これによって、その国の国益の基準(貪欲さ)は大きく変わってきます。
そして、冷戦終結後の現在、西側諸国とイスラム諸国との軋轢・テロとの戦い・イスラム諸国内部での紛争と混乱、また、アジア周辺領域での緊張と対立等々、相変わらず国益丸出し(欲望剥きだし)の状況を呈し続けています(この場合の国益は、権力者層益といってもよいのですが)。ただ、ある種の"狂気"や"憑依"は国民から、政府の中枢レベルまで感染したかのような様相を見せつけることがしばしばあります(結局、イラクから大量破壊兵器が見つからなかったことに対する米国政府の対応や古くはベトナム戦争開始時のドミノ理論等)。
国益を追求・確保するのは、至極真っ当な議論であり権利なのですが、ここで留意しなければならないのは、自国益の追及のためには、第三者である他国の国益や権利を不公平・不公正に、かつ不合理・理不尽に奪い、侵しても構わないのかという問いであり、視点であります。
もちろん、戦争に至ることは、できるだけ回避すべきですし、外交交渉はそのためにこそあり、その外交交渉過程でできるだけ自国に有利になるように進めたいのが本音です。
しかし、外交交渉自体も冷徹なパワーゲームに支配されています。
したがって、このパワーゲームに負ければ、また国益を損なったとの批難を浴びることになるのも事実です。このパワーゲームに向けて用意すべきは、ソフトパワー・ハードパワー含めた多様な外交カードしかないのでしょう。
さて、ここで問題となるのが、改めて「国益とは何か」ということです。特に「国益を損なう」とはどういうことなのでしょうか。国益とは、即ち国家の利益です。国家とは、政府と国民と領土のことです(もちろん、これに歴史や文化を加えることが妥当でしょう)。
国家が、それらの要素が一体化・統合化されたものであるなら、問題視する必要はないのですが、どうも現実的にはそうはなっていないようです。
そこにグローバリズムの侵入により統合が分断される余地が生じています。さらに、「国益を損ねる」とか、「国益を害する」とかいった場合には、一体それは「誰にとっての国益か」を問わざるを得ない局面が増えていることも確かです。
公益の敷衍
それが、この"国益"議論を複雑な様相に呈しているのです。例えば、国益よりも"省益"が優先されることが多々あります。その問題が報道されることも決して少なくないのですが、ほとんどがいつの間にかあやふやになってしまいます。
霞が関が、自国(益)よりも米国の顔を立てたという事例も、戦後枚挙に暇がなく、多くの歴史家や外交官が指摘するところです。敗戦国であるのだから、仕方がないといってしまえばそれまでですが。
この数年の政治状況の推移のなかでは、政権が自民党、民主党、そしてまた自民党と変わったことと、その前提の一つとしてのアジア外交の緊迫のなかで、国益がより一層重視されるようになったこと自体は歓迎すべきことです。ただ、戦後の長い歴史をひも解けば、対中・対韓・対露関係以上に国益問題の中核は、実は対米関係であったことは、断続的に続いた(TPP等今なお続く)経済・貿易交渉を振り返れば明白です。
そのなかで、単なる省益ではない真の「国益」とは何か、といえば、それは国民益にほかならないでしょう。国民益に資することのない国益などあるはずがありません。
そして、国民益とは「国民が幸福でいる状態」であることに異論はないでしょう。国民を不幸にしているのに、「これは国益に適った政策だ」などという議論は詭弁以外の何ものでもないからです。
ところが、現在、日本国民は経済的に層化され、確実に階級化が進んでいるのが実相です。さらに、格差社会が長期化・固定化しつつあります。
そうなると、国益から国民益と言い換えても、「今度はどの階層にとっての利益なのか」という古くて新しい問題(疑心暗鬼)に付き当たらざるを得ないのです(例えば、富裕層や既得権益層が得をし、貧困層がさらに割を食う等)。
しかしながら、ここに「公益」の出番があるのです。公益が国益を照射するのです。国益もまた公益を照射するのです。この相互照射によって、互いのなかに潜む利己と利他のバランスを絶妙化するしかないのです。
国民国家がインターネットとグローバリゼーションによって弱体化されても、また新帝国主義が跋扈しても、広い意味の安全保障(防衛・食糧・資源・エネルギー・環境・安全)は国民益(国民エゴではない)に則して進められるべきものです。
この論点を基軸にして「何が真の国益なのか」の議論も深めていかなければならないでしょう。
企業と個人の立ち位置
さて、ここで以上の文脈を踏まえ「企業」としても、国益・公益の双方に貢献しなければならないことが理解されます。前者への貢献はグローバル企業のあり方を、後者はマルチステークホルダーとのリレーションシップのあり方(要はCSRのことです)を問われることになるはずです。特に、「私企業益」と「CSR」は矛盾する関係ではないという論理展開が要請されることは言うまでもないでしょう。
これらの関係性を敷衍することによって、(企業の構成員である)「個人」は社員というプロフィールだけでなく、有権者・消費者・納税者・配偶者・親・子、そして市民といった多元的な価値観を有する(個人でありながら一つの)統合体として、公益や国益を論じ、それらを担う存在になることが可能となるのです。
ここまでのグローバリゼーションの結果は、世界を「市場」としては一体化しましたが、否、一体化したからこそ、その中での勝ち負けを強いています。負けた者は、その結果においては、全てが自己責任であるという弱肉強食の論理が貫かれています。
この論理は、ある強い国家(企業)群が彼らの国益(私益)追及として、推し進めたものですが、それらの国々でも、必然として格差は拡がっています。結局、それらの国の国益も国民益に連なっているとは言い難いのです(軍産複合体という言葉を持ち出すまでもないでしょう)。格差が拡がり続けることが、果たしてその国の国民益であると言い放てるのでしょうか。
グローバリズムが本当に、真の地球市民の幸福を実現できるのかどうかは分かりませんが、国益と国民益、さらに公益へと考えを展開していけば、地球規模での利己と利他のバランス(入れ子構造)の取り方を人類が初めて学習することにもなるでしょう。「地球益」から「地球市民益」へ、そして「地球規模での公益」へと論理を展開・発展させられるかどうかがカギですが、その発展の基礎は個々の国や企業や人々の足元にあります。
「公益」も「国益」もこの論理展開の基礎単位ではありながら、「公益」は「国益」を超越します。一国においても、世界規模においても超越するのです。
何故ならば、公益はアジェンダとしての設定の仕方によって、その意味する範囲を、社会階層的にも、地理的にも"拡大"していくからです。その"拡大"過程において、異なる地理(地域)間・異なる社会階層間の対立を、国際的にも緩和・超克していくことが期待されるのです。
その前提にあるのは、異国間・多国間の同一階層同士の連帯と絆の強化です。その連帯と絆は、やがて異なる階層間にも浸透していき、対立に発展しません。つまり、利己と利他の絶妙なバランスを実現した「公益」が国家も、階層も超越するのです。
地球レベルの視点
したがって、その"拡大"ステップの最終フレームは、当然のことながら、地球に帰結しますから、地球規模の「公益」は地政学の意味合いをも希薄化します。つまり、国家間・階層間の各種対立・相克・軋轢・緊張・紛争が、公益の名の下に、強制されることなく、調整・納得・相互理解によって、解決・解消されていくプロセスを導き出します。
「国益」と「公益」が相互照射せざるを得ないとしたのも、「公益」が「国益」を超越すると述べたのも、以上のようなメカニズムが発現・起動される可能性があるからなのです。
ところが、そうは言うものの現実問題としては、残念ながら、これまでの歴史を振り返ってみると、どうやら「国益」の集合体は「地球益」にまで止揚しそうもありません。
ただ、そうであるからこそ、公益発想の延長と浸透が、現時点おいて、極めて重要な視座になり得るのです。
さて、それでは「危機管理」はどうでしょうか。何のための危機管理なのかが一大焦点です。つまり、「国益に資する」、「国民益に資する」、「公益に資する」それぞれの「危機管理」が要請されるべきなかで、きちんとその「資する」べき目的に沿って、危機管理が実行・実現されているのかどうかの検討と検証が不可欠になってくるでしょう。
これは、単なる危機管理の機能や効果に矮小化された議論を超越しますが、それらの個々の議論を有機的に統合されたものでもあるのです。つまり、先の諸目的に「資する」危機管理の集合体が、地球規模にまでカバレッジされることが期待されるのです。
一企業(あるいは一国)の危機管理(の計画と遂行)が、地球益(含.自然環境・食糧資源・エネルギー資源・多様な文化の共存・平和など)を毀損する方向に作用するとき、それは最早「危機管理」と呼ぶには相応しくないのです。
そこで、危機管理を「グローバリゼーション」との関係でリセットすれば、これまでも、その「正」の側面と「負」の側面のどちらか一方だけを強調しがちであるとの指摘に繋がります。それはその通りでしょう。ただ、実際には、「正」「負」どちらの側面の方が大きいのかが問題なのです。
同時に、今後、どちらの側面がより増大していくのかが、さらに重要な課題になっていきます。何故なら、どちらが増大するにせよ、個々人の振る舞い方や、企業と国のグローバル危機管理のあり様は、「公益」を踏まえた上でしか形成されません。また、それが形成されるからこそ、どちらの側面の増大局面にも対応可能となり得るのです。
冒頭に、「自社益が、社会とのバランスの上に考慮すべきものである以上、国益や公益を古臭い固定的な観念であると帰してしまえない」旨のことを記しましたが、ここでいう「"社会"とは、自国内の社会のみならず、"国際社会"も当然視野に入ります。
多様な国際社会とのバランスを取らずして、また、地球規模の「公益」を踏まえずして、グローバル危機管理は(実はローカル危機管理も)実現しないのです。 
 
「グローバリゼーション・パラドクス」 訳者あとがき

 

本書は、Dani Rodrik, The Globalization Paradox: Democracy and the Future of the World Economy, 2011 の全訳である。原著の出版から二年が経過したが、著者の考察は全く古びていない。それどころか、世界経済のあるべき未来を考える上で、今後ますます重要な意味を持つものとなるだろう。本書がすでに十二カ国語に翻訳されているという事実が、注目度の高さを物語っている。
題名の「グローバリゼーション・パラドクス」(グローバル化の逆説)は、一見しただけでは意味が取りづらい。読者の理解を助けるべく、以下に私なりの解題を記しておきたい。
本書の核となるアイデアは、市場は統治なしには機能しない、というものだ。昨今の新自由主義的な風潮の中で、市場と政府は対立関係にあると考えられることも多いが、本書はそれが明確に間違いであると指摘している。市場がよりよく機能するには、金融、労働、社会保護などの分野で一連の制度が発達していなければならず、政府による再分配やマクロ経済管理が適切に行われていなければならない。一九八〇年代以後、政治学の分野では国家論の研究が盛んに行われるようになったが、そこで強調されているのも、国家の統治能力の向上なしに持続的な経済発展はあり得ないという歴史的事実だ。
市場と統治という視点に立つと、グローバル経済が抱える根本的な問題が見えてくる。グローバル市場では、その働きを円滑にするための制度がまだ発達していない。全体を管理するグローバルな政府も存在していない。一国レベルでは一致している市場と統治が、グローバルなレベルでは乖離しているのだ。貿易や金融は国境を越えて拡大していくが、統治の範囲は国家単位にとどまっている。ここにグローバル経済の抱える最大の「逆説」がある、というのが著者の問題提起である。
では、市場と統治の乖離を埋めるためには、どんな方法があり得るのだろうか。本書が面白いのは、この問題の解決が過去どのように行われたのか、歴史をさかのぼって検討していくところにある。
最近の経済史研究が明らかにしている通り、グローバリゼーションは何も最近になって始まった現象ではない。貿易や金融取引の国境を越えた拡大は、歴史上、何度も繰り返されている。十七世紀の重商主義時代には、ヨーロッパの商人がアメリカ、アフリカ、アジアに進出して盛んに貿易を行っていた。十九世紀には金本位制によって、各国の金融市場が一つに結びついていた。これらの時代に、市場と統治の乖離というグローバリゼーションの根本問題が、帝国主義によって半ば暴力的に解決されたという著者の指摘は鋭い。市場の拡大に合わせて統治の範囲を拡大するには、軍事力を背景に相手国の主権を奪ってしまうのが、十九世紀まではごく普通のやり方だった。
だが二十世紀に入ると、各国で主権や国民意識が目覚める。国民生活を安定化させる政府の役割は、民主主義の高まりによってますます重要になる。市場と統治は、今度は統治の範囲に市場を縮小させるという形で一致に向かうようになった。市場が各国の政治や社会に「埋め込まれた」結果、金融システムや労働市場、社会保護のあり方は国によって多様な発展を見せるようになった。国内市場の安定のためには、グローバルな貿易や金融の拡大を抑制することも辞さない。これが戦後のブレトンウッズ体制の特徴であり、この「埋め込まれた自由主義」体制の下で資本主義はかつてない安定的な発展を享受することになった。
では現代はどうか。ブレトンウッズ体制の崩壊と冷戦終結で、貿易や国際金融が再び活発に拡大する時代を迎えている。つまりわれわれは、市場と統治の乖離、というグローバリゼーションの逆説にあらためて直面することになったのである。もはや金本位制と帝国主義の時代には戻れないし、ブレトンウッズ体制にそのまま戻ることも現実的ではない。では、他にどんなやり方があり得るのだろうか。ここで登場するのが、第九章に示された「世界経済の政治的トリレンマ」である。
グローバリゼーションのさらなる拡大(ハイパーグローバリゼーション)、国家主権、民主主義の三つのうち二つしか取ることができない、とする本書の「トリレンマ」に従うなら、今後の世界には三つの道がある。1グローバリゼーションと国家主権を取って民主主義を犠牲にするか、2グローバリゼーションと民主主義を取って国家主権を捨て去るか、3あるいは国家主権と民主主義を取ってグローバリゼーションに制約を加えるか、である。
新自由主義に共鳴し国内改革とグローバル化の推進を唱える経済学者は1を、欧州統合の実験に代表される二十一世紀のグローバル・ガバナンスに期待を寄せる政治学者は2を選ぶのは想像に難くない。そうすることが正しいとする研究も、それぞれの分野にごまんとある。だが、政治学、経済学、そして歴史をクロスオーバーさせる著者が期待を寄せるのは、3の道だ。自由貿易のもたらす便益を認めつつも、グローバリゼーションを「薄く」とどめることで、世界経済に安定を取り戻そうというのである。
国境線の持つ意味がますます小さくなり、政治も経済も文化も国家という単位を脱ぎ捨ててグローバルに融合していくはずだと考える人にとって、国民経済を強化するという選択は歴史の逆行のように思えるだろう。だが、本書が示すように、歴史はそう単線的に進んでいない。過去三百年の歴史を振り返って分かるのは、国民国家の成熟や民主主義の進展もまた歴史の止められない歩みであり、それらを犠牲にしてグローバル化を進めるのは理想的でも現実的でもない、ということだ。
もちろん、3の選択が実現されるには、いくつもの困難がある。たとえば著者は、民主主義の進展に新興国の持続的発展の鍵を見ているが、国家が直面する難題に民主主義がつねに正しい答えを導くわけではないのは、先進国の経験を見ても明らかだ。国家主権と民主主義に基づくナショナル・ガバナンスの強化は、国家間の対立を深めて今よりも世界経済を不安定にしてしまうかもしれない。ブレトンウッズ体制はアメリカという覇権国の存在によって可能になった(著者は必ずしもそうした見方に与していないようだ)面があるが、Gゼロ時代を迎えた二十一世紀に、覇権国なしで新たな国際協調の枠組みが本当に作れるのか、という疑問もある。
だが、難しいのは1や2も同じことだ。本書で示されたアルゼンチンの事例や、欧州統合の事例は、新自由主義的な発展戦略や、グローバル・ガバナンスの実現がいかに障害に満ちているかを明らかにしている。民主主義がどんなに危なっかしいものであったとしても、民衆や利益団体の強い反対を抑えてまでグローバル化を進めれば、政治体制が不安定化するのは当然である。国家主権が紛争の原因となるのが事実だとしても、いったん生まれた国家意識は簡単に消え去らない。それどころか、世界経済が不安定化すると国家意識はますます先鋭化して出てくるというのが歴史の教訓でもある。
どんな選択を行うにせよ、国家がわれわれの政治的、経済的、社会的生活の単位として存続し続ける限り─そして近い将来に国家が消える可能性はゼロだ─グローバル化の逆説はいつまでも残り続ける。われわれは、この現実から出発するしかない。そして国による経済モデルの違いを認めつつ世界経済のよりよい未来を構想しようとする本書は、著者の結論に賛成しない読者─1や2の立場を選択すべきだと考える読者─にとっても、新たな気づきや示唆を与えてくれることだろう。著者の次の主張に反対する者は、ほとんどいないはずである。
現在、世界には様々な制度や仕組みがあるが、それでも潜在的な制度の可能性の大きさから見れば、実現されているのはほんの一部でしかない。……将来最も成功する社会とは、実験の余地が残され、時間をかけて制度を進化させていく余裕のある社会であろう。グローバル経済に制度的多様性の必要や価値を認めるなら、こうした実験や進化を抑制するのではなく、育成しなければならない」(本書二七七-八頁)
本書の著者ダニ・ロドリックは、第一線で活躍する経済学者であり、国際経済学や開発経済学、また最近では政治経済学の分野でたくさんの業績を上げている。原著の出版時にはハーバード大学ケネディ行政大学院の教授であったが、二〇一三年七月からはプリンストン高等研究所社会科学部門の教授を務めている。本書が、日本語に翻訳される初めての著作となる。
本書以前に刊行された書物としては、序章にも登場する『グローバリゼーションは行き過ぎか?』(Has Globalization Gone Too Far?, 1997 )、また最近では『一つの経済学、複数の処方箋─グローバリゼーション、制度、経済成長』(One Economics, Many Recipes : Globalization, Institution, and Economic Growth, 2007)などがある。後者では、政治的トリレンマや、産業政策の有効性など、本書でも展開されている論点が、もっと専門的に考察されている。理論的な細部を知りたい読者は、こちらを参照して頂きたい。
また、時事的な評論も定期的に発表しており、そのほとんどを著者の公式HPで読むことができる。トルコ出身ということもあり、トルコの政治・経済問題についての評論も多い。なお、本書の謝辞に名前が挙げられている義父チェティン・ドアンが「虚偽にでっちあげられた告発」で収監されているという記述について、私が知り得た範囲で補足しておきたい。ドアンは、ロドリックの妻の父にあたる元陸軍大将。「スレッジ・ハンマー」クーデター計画(二〇〇三年に国軍内で計画されたとされる政権転覆計画)に関与したとして拘束され、無実の訴え空しく、現在も収監されたままだ。この事件の背景には、親イスラム政党と世俗主義的な軍部の長年にわたる対立があるとされる。「本書が出版される時までに、正義が実現するだろうことを願っている」という著者の願いは、残念ながら叶っていない。   
二〇一三年十一月 
 
理念と現実の乖離 2016/6

 

フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーがその主著の一つ『社会契約論』を出版したのは1762年のことであった。ルソーは、各個人が自分の持つすべて、すなわち財産や、必要とあれば生命をさえ全体に譲渡し、そのことによって強い力を蓄えた全体が各構成員を保護するという契約を構想した。
ところで、全体は各個人の権益の譲渡によって初めて成立するのであるから、ルソーの言う社会契約は、市民相互の平等の契約によって全体を設立する行為を意味する。このような契約によって成立した国家の主権は、当然人民に属するということになる。したがって、君主といえども一種の行政官であり、単なる機関であるにすぎないとする。彼の《社会契約論》はフランス革命の指導者たちの一部(たとえばロベスピエールなど)に強い影響を与えた。
フランス革命は、1793年6月から山岳派の独裁が始まり、議会内部の公安委員会に権力が集中され、恐怖/政治がしだいに強化されていった。94年初めから議会の内外で分派の争いが激しくなり、そのころ議会の山となる部署に陣取っていた山岳派の主導権を握っていたロベスピエール派は、まず手始めとして左翼のエベール派を処刑し、次いで返す刀で右翼のダントン派を処刑するにいたった。
だが、このような分派抗争によって、議会の多数派は恐怖政治の進展に不安を抱くようになり、7月27日にロベスピエールを失脚させるクーデターが成功し、その翌日、この清廉な理想主義者はギロチンの露と消えた。それ以後、革命は退潮に向かうことになるので、このクーデタは〈テルミドールの反動〉とも呼ばれている。
やがて、このフランス版文革四人組追放劇は目指す理念とは180度異なる王政をより強化したようなナポレオン帝政への道を開いていくこととなる。「理念と現実の乖離」は歴史の必然とさえ考えられるようになった。
五千万の人口に十一の言語集団。東欧にオーストリアを中心として君臨した多民族国家ハプスブルクはアウスグライヒ体制(支配階級のドイツ人と被支配階級のマジャール人の融和政策)の下、憲法に各民族の平等を謳い、その実現のために様々な工夫を導入した。軍隊の配置と移動、役所での使用言語、小学校の設置と教育、選挙区の区割り――。しかし巧妙につくられた各民族の均衡は第一次大戦で崩壊し、その後に独立した諸国家にハプスブルク/五十年の実験が継承されることはなかった。民族自決の理念と現実の乖離はここでも歴史の大波に浚(さら)われていくかのようである。
日本の憲法第9条についても、その先駆性、理念としての重要性を主張する9条擁護の立場と、9条の理念と現実の乖離の問題を「現実」適合的に解決すべきという改正派とに意見が二分されている。
いずれにしても、我々は個人的にも社会的にも理想、社会正義、あるべき姿を希求しようとする。現実の自分の姿、社会、政治はそれにいや増してその裂け目をいよいよ拡大していくように見える。
「キリストや仏陀、カント、ゲーテ、リンカーンがどうしたというのだ。そんな偉いさん連中は単なるお飾りに過ぎず、残余の理想主義者共も満員バスにぎゅうぎゅう押し込められられ連れられてくる屁理屈屋集団だ。俺たちは実際のところ中東の石油が、日本の金が欲しいのだ。それを収奪して何が悪いのだ。お前らは有効な使い道を全く知らないのだ。正義、民主主義、人権を実現するために他国に干渉・侵略して何が悪い! ならず者国家の出現を防ぐのに、俺たちだけが核ボタンを独占するのは当然だ。お人好しな坊ちゃんどもよ!」
そしてこれほどあこぎに丸裸にされ、嬉々としてまだお追従をする国がある。
全ての思考はここで停止する。 
 
私たちはなぜ「国基研」を作ったか 2008/1

 

昨年12月、志を同じくする人々とともに、私は国家基本問題研究所(国基研)を設立した。英語名をJapan Institute for National Fundamentals(JINF)という。純民間で、いかなる組織にも縛られない完全に独立した政策研究所である。
これはずっと長い間の私の夢だった。戦後日本の、国家とはいえない在り様を、どう立て直していけるのか、そのために、日本人は何をすればよいのか、国際社会で日本に相応しい地位を得るにはどうすべきか、日本の姿や歴史は歪曲されてきたが、真の日本理解を醸成するにはどんな情報を、世界に発信していけばよいのか。一連の問いが、始終、私の心と頭を駆け巡ってきた。その度に記事を書き、訴え続けてきた。その延長線上に、設立したばかりの国基研がある。
国基研のウェブサイトに掲載した趣意書のとおり、長年の想いをいま具体化した直接の動機は、現在の日本に対する言い知れぬ危機感である。緊張が高まり、不安定化する国際社会が一方にあり、そのような状況とは無関係で極楽トンボのような日本の姿との、絶望的な乖離に私は慄然とする。
日本国憲法に象徴される戦後体制のままでは、日本が直面する問題にもはや対処出来ない。誰の目にも明らかな致命的な日本国の欠陥について、しかし、国会は何ら論じようとはしないのだ。
現国会では、与党も野党も国民生活重視を掲げ、ガソリンの税率を主要議題とする構えだ。国民生活が大事なのは言うまでもない。しかし国民生活を支える国家の在り方について、一体この空白は許されるのだろうか。国家不在の状況が続けば、米国や中国、或いはその他の国々の戦略に呑み込まれて、ガソリン税率とは比較にならない深刻な打撃を日本は受けるに違いない。
だからこそ、日本は、自らの国と国民を、自らの叡智で守り抜く真の自立国家に、一日も早く、成長しなければならないのだ。その知恵を、穏やかながらも毅然としたかつての日本文明の源泉から掬い上げ、今日の日本に再生したいと願うものだ。
北朝鮮政策の過ちとは
国基研の中核をなす田久保忠衛氏らとともに私たちが目指すのは、真の責任ある自由に裏打ちされた民主主義国家の確立である。右のファシズムにも左のファシズムにも与せず、日本国を誇りをもって支え、責任ある自由思想の徹底によって個々人の力を最大限にひきだす。その力がまた、日本国の堅固な支えとなる。闊達な国民と誇りある国家の活躍は必ず、広く、深く、国際社会にも貢献するだろう。
こんな想いで準備を進め、ささやかな船出に漕ぎつけた。長期、中期の研究課題に加えて、私たちはジャーナリスティックに現在進行中の緊急課題についても、果敢に提言していくつもりだ。
第一回緊急提言を1月21日、東京有楽町の外国特派員協会での記者会見で発表した。テーマは米国の北朝鮮政策の過ちと日米関係である。
周知のように、米国はこの1年間、北朝鮮に急接近してきた。拉致を続け、麻薬と偽札を製造し、核関連物資や装備を密輸する国はテロ支援国家だとして、ブッシュ政権は北朝鮮を制裁した。しかし、その後、北朝鮮政策の大転換をはかり、金融制裁を解除し、テロ支援国家指定も解除寸前である。
米国の北朝鮮外交は矛盾に満ちている。米国輸出管理法は、テロ支援国家指定解除の要件として、1過去6か月間、国際テロを支援していない、2将来も国際テロを支援しないことを保証した、の二条件を規定している。
だが、めぐみさんをはじめとする拉致被害者は北朝鮮に拘束されたままで、拉致というテロは継続しているのだ。また北朝鮮は米国が同じくテロ支援国家に指定する国、シリアに秘密裡に核物質を密輸している疑いが濃厚だ。また、それ以前に、北朝鮮が公約した「核計画の完全かつ正確な申告」も寧辺核施設の「無能力化」も十分には実施していない。であれば、北朝鮮の指定解除は、米国国内法、輸出管理法違反になる。加えて、米国外交はダブルスタンダードの汚名を着ることになる。
かつてリビアは核開発を目論み、米国は同国をテロ支援国家に指定した。リビアは、しかし、2003年に核開発放棄を宣言し、自国に貯蔵していた濃縮ウランの原料となる6フッ化ウランや、ウラン濃縮に用いる遠心分離機に加え、ミサイル関連機材のすべてを米国に引き渡した。米英合同チームの査察に全面的に協力し、1988年にリビアの情報機関が関与したパンナム機爆破事件の犠牲者の遺族に補償金も支払った。
こうして、リビアは06年に漸く、テロ支援国家指定から外された。米国は、実に3年間にわたって、平身低頭するリビアを調べあげたのだ。他方、北朝鮮に対してはどうか。
未来を担う人材育成を
前述のように北朝鮮はシリアに核関連物資を密輸している疑いが濃厚だ。昨年9月3日、北朝鮮の核物質を積んだ船がシリアに入港したことが軍事衛星写真で確認された、と報じられた。3日後の9月6日、イスラエル軍がシリアの核疑惑施設を空爆した。本来ならこれが火種となって大きな軍事衝突につながり、中東情勢の大激変が生じてもおかしくない事態だ。にもかかわらず、米国も当事国らも、何事もなかったかのように平静を保った。余りにも不可思議だ。その背景事情はつまびらかにされてはいないが、確かなことは北朝鮮による核技術及び関連物資の拡散の危険が否定出来ないことだ。
にもかかわらず、繰り返し強調するが、米国は性急に北朝鮮をテロ支援国家から外そうとしているのだ。日本政府は、拉致問題を置き去りにするかのような米国の二重基準外交が如何に日米同盟を損ねるか、日本における米国への信頼が薄れれば、軍事力のより一層の整備を含めて、あらゆる意味で独自の力で日本を守る手立を考えなければならなくなる。核を保有した北朝鮮の脅威から日本を守るには、同等の力を持つべきだとの議論も当然出てくるだろう。日米関係の本質に深く関わる米国外交の変化のもたらす影響について、日米同盟を重視すればこそ、日本は米国に真剣かつ誠実に伝えなければならない。
こうした提言を、私たちは米国上下両院の全議員、主要シンクタンク、日本研究者、オピニオン・リーダーらに送った。また、日本の衆参両院全議員に送った上で、外国特派員協会での記者発表に臨んだのだ。
私たちの活動は始まったばかりだ。これから10年20年をかけて、未来を担う人材を育てあげ、国家の直面する基本的な問題に果敢に挑み、日本と世界に貢献したいと思う。
北朝鮮が中国援助の下で生き延びる最悪の事態もあり得る 2018/5
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は5月16日、部下の第一外務次官、金桂冠氏に、「米国が圧力ばかりかけるのでは米朝首脳会談に応じるか否か、再検討せざるを得ない」と発言させた。
桂冠氏はジョン・ボルトン米大統領補佐官が北朝鮮に「完全で、検証可能で、不可逆的」を意味するリビア方式の非核化のみならず、ミサイル及び生物・化学兵器の永久放棄も要求していること、制裁緩和や経済支援はこれらが完全に履行された後に初めて可能だと言明していることに関して、個人名を挙げて激しく非難した。
ボルトン氏はトランプ政権内の最強硬論者として知られる。氏は核・ミサイル、化学兵器を全て廃棄しても、それらを作る人材が残っている限り、真の非核化は不可能だとして、北朝鮮の技術者を数千人単位(6000人とする報道もある)で国外に移住させよとも主張しているといわれる。
拉致についても、米朝会談で取り上げると言い続けているのが氏である。
正恩氏にとって最も手強い相手がボルトン氏なのである。だから桂冠氏が「我々はボルトン氏への嫌悪感を隠しはしない」と言ったのであろう。
それにしても米朝首脳会談中止を示唆する強い態度を、なぜ正恩氏はとれるのか。理由は中国の動きから簡単に割り出せる。桂冠発言と同じ日、中国の習近平国家主席が北朝鮮の経済視察団員らと会談した。中国の国営通信社、新華社によると、北朝鮮経済視察団は中国が招待したもので、北朝鮮の全ての「道」(県)と市の代表が参加し、「中国の経済建設と改革開放の経験に学び、経済発展に役立てたい」との談話を発表した。
中国が北朝鮮の後ろ盾となり、経済で梃子入れし、米国の軍事的脅威からも守ってやるとの合意が中朝の2人の独裁者間で成立済みなのは明らかだ。
米国はどう反応したか。ホワイトハウス報道官のサラ・サンダース氏は、北朝鮮の反応は「十分想定の範囲内」「トランプ大統領は首脳会談が行われれば応ずるが、そうでなければ最大限の圧力をかけ続ける」と述べると共に、非常に重要な別のことも語っている。
ボルトン氏のリビア方式による核放棄について、彼女はこう語ったのだ。
「自分はいかなる議論においてもその部分は見ていない、従ってそれ(リビア方式)が我々の目指す解決のモデルだという認識はない」
同発言を米ニュース専門テレビ局「CNN」は「ホワイトハウスはボルトン発言を後退させた」と報じた。
トランプ大統領の北朝鮮外交を担うボルトン氏とポンペオ米国務長官の間には微妙な相違がある。
正恩氏は、習氏と5月7、8の両日、大連で会談した直後の9日にポンペオ氏を平壌に招き、3人の米国人を解放し、「満足な合意を得た」と述べた。
ポンペオ氏は米国に戻るや「金(正恩)氏が正しい道を選べば、繁栄を手にするだろう」などと述べ、早くも米国が制裁を緩和し、正恩氏に見返りを与えるのかと思わせる発言をした。
ボルトン氏は対照的に、核・ミサイル、日本人拉致被害者について強い発言を変えてはいない。
国務長官と大統領補佐官の間のこの差を正恩氏は見逃さず、ボルトン氏排除を狙ったのであろう。米国を首脳会談の席につかせ、段階的な核・ミサイル廃棄を認めさせ、中国の経済援助を得、中国の抑止力で米国の軍事行動を封じ込める思惑が見てとれる。
「制裁解除のタイミングを誤れば対北朝鮮交渉は失敗する」と安倍晋三首相は警告し続けている。トランプ氏がその警告をどこまで徹底して受け入れるかが鍵だ。同時に認識すべきことは、北朝鮮が中国の援助の下、核・ミサイルを所有し、拉致も解決せず、生き延びる最悪の事態もあり得る、まさに日本の国難が眼前にあるということだ。
日本よ自立せよ、米国は保護者ではない 2018/5 
朝鮮半島を巡って尋常ならざる動きが続いている。金正恩朝鮮労働党委員長は、3月26、27の両日、北京で習近平国家主席と初の首脳会談をした。5月7日と8日には、大連で再び習氏と会談した。5月14日には平壌から重要人物が北京を訪れたとの情報が駆け巡った。
北朝鮮はいまや中国の助言と指示なくして動けない。正恩氏は中国に命乞いをし、中国は巧みに窮鳥を懐に取り込んだ。
米国からは、3月末にマイク・ポンペオ中央情報局(CIA)長官が平壌を訪れ、5月9日には国務長官として再び平壌に飛んだ。このときポンペオ氏は、正恩氏から完全非核化の約束とそれまで拘束されていた3人の米国人の身柄を受け取り、13時間の滞在を満面の笑みで締めくくった。
その前日にトランプ大統領はイランとの核合意離脱を発表した。14日には在イスラエル米大使館をテルアビブからエルサレムに移した。
一連の外交政策には国家安全保障問題担当大統領補佐官、ジョン・ボルトン氏の決意が反映されている。
中国はこの間、海軍力強化を誇示した。4月12日には中国史上最大規模の観艦式を南シナ海で行い、習氏が「強大な海軍を建設する任務が今ほど差し迫ったことはない。世界一流の海軍建設に努力せよ」と檄を飛ばした。5月13日には中国初の国産空母の試験航海に踏み切り、当初2020年の就役予定を来年にも早める方針を示した。
2月に米国が台湾旅行法を上院の全会一致で可決し、米国の要人も軍人も自由に台湾を訪れることが出来るようになったが、中国はそうした米国の意図を力で阻む姿勢を見せていると考えるべきだろう。
こうした状況の下、ボルトン氏は北朝鮮にこの上なく明確なメッセージを発し続けた。
「リビアモデル」
4月29日、CBSニュースの「フェース・ザ・ネーション」で、5月6日、FOXニュースで、北朝鮮には「リビアモデル」を適用すると明言した。カダフィ大佐が全ての核関連施設を米英の情報機関に開放し、3か月で核のみならず、ミサイル及び化学兵器の廃棄を成し遂げたやり方である。
正恩氏は3月の中朝会談や4月27日の南北首脳会談で非核化は「段階的」に進め、各段階毎に経済的支援を取りつけたいとの主張を展開していたが、ボルトン発言はそうした考えを明確に拒否するものだった。
それだけではない。ボルトン氏は日本人や韓国人の拉致被害者の解放と米国人3人の人質解放を求めた。その要求に応える形で、正恩氏は前述のようにポンペオ氏に3人の米国人を引き渡した。
ポンペオ氏の平壌行きに同行を許された記者の1人、「ワシントン・ポスト」のキャロル・モレロ氏が平壌行きの舞台裏について書いている。氏は5月4日には新しいパスポートと出発の準備をするよう指示を受けた。3日後、4時間後に出発との報せを受けた。アンドリューズ空軍基地の航空機には、ホワイトハウス、国家安全保障会議、国務省のスタッフに加えて、医師と心理療法士も乗り込んでいた。
ポンペオ氏の再度の平壌行きは正恩氏が完全な非核化を告げ人質解放を実行するためだったわけだ。4月29日と5月6日のボルトン氏の厳しい要求を聞いて正恩氏がふるえ上がり、対応策と支援を習氏に求めるために5月7~8日に大連に行ったということであろう。
中朝会談について、5月14日の「読売新聞」朝刊が中川孝之、中島健太郎両特派員の報告で報じている。それによると、大連会談では正恩氏が「非核化の中間段階でも経済支援を受けることが可能かどうか」を習氏に打診し、習氏が「米朝首脳会談で非核化合意が成立すれば」可能だと答えていたそうだ。
また、正恩氏が「米国は、非核化を終えれば経済支援すると言うが、米国が約束を守るとは信じられない」と不満を表明したとも報じられた。
「読売」の報道は、大連会談で中国の支援を得た正恩氏が、中国の事実上の指示に従ってその直後のポンペオ氏との会談に臨んだことを示唆している。正恩氏が米国の要求を受け入れたことで、米国側はいま、どのように考えているかを示すのが、5月13日の「FOXニュース」でのポンペオ発言だ。氏は次のように質問された。
「金氏が正しい道を選べば、繁栄を手にするだろうと、あなたは11日に発言しています。どういう意味ですか」
ポンペオ氏は、米国民の税金が注ぎこまれるのではなく、米企業が事業展開することで北朝鮮に繁栄がもたらされるという意味だとして、語った。
「北朝鮮には電力やインフラ整備で非常に大きな需要がある。米国の農業も北朝鮮国民が十分に肉を食べ、健康な生活を営めるよう手伝える」
天国と地獄ほどの相違
同日、ボルトン氏もCNNの「ステート・オブ・ザ・ユニオン」で語っている。
「もし、彼らが非核化をコミットするなら、北朝鮮の展望は信じられない程、強固なもの(strong)になる」「北朝鮮は正常な国となり、韓国のように世界と普通に交流することで未来が開ける」
ボルトン氏は、米国が求めているのは「完全で、検証可能で、不可逆的な核の解体」(CVID)であると述べることも忘れはしなかった。「イランと同様、核の運搬手段としての弾道ミサイルも、生物化学兵器も手放さなければならない。大統領はその他の問題、日本人の拉致被害者と韓国の拉致された市民の件も取り上げるだろう」と明言した。
ボルトン氏とポンペオ氏の表現には多少の濃淡の差があるが、米中北の三か国で進行していることの大筋が見えてくる。完全な非核化を北朝鮮が米国と約束し、中国がその後ろ盾となる。米国はリビアモデルの厳しい行程を主張しながらも、中国の事実上の介入もしくは仲介ゆえに、北朝鮮が引き延ばしをしたとしても軍事オプションは取りにくくなる。中国の対北朝鮮支援が国連決議に違反しないかどうかを、米国も国際社会も厳しく監視するのは当然だが、中国は陰に陽に、北朝鮮の側に立つ。
これまではここで妥協がはかられてきた。今回はどうか。米国と中国の、国家としての形や方向性はおよそ正反対だ。両国の国際社会に対するアプローチには天国と地獄ほどの相違がある。台湾、南シナ海、東シナ海、どの断面で見ても、さらに拉致問題を考えても日本は米国と共に歩むのが正解である。ただ、米国は日本の保護者ではない。私たちは米国と協力するのであって依存するのではない。そのことをいま、私たち日本国民が深く自覚しなければ、大変なことになると思う。
朝鮮半島勢力巡る歴史的闘いが展開中も日本の野党は政治責任を果たしていない
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の動きが派手派手しい。5月7日から8日、妹の与正氏と共に中国の大連を訪れた。習近平国家主席と共におさまった幾葉もの写真を北朝鮮の「労働新聞」に掲載し、米国に対して「僕には中国がついているぞ」と訴えるのに懸命である。
懐の窮鳥を庇うように、中国共産党を代弁する国営通信社の新華社は「関係国が敵視政策と安全への脅威をなくしさえすれば核を持つ必要はない」と正恩氏が語ったと伝えた。習氏は8日、トランプ米大統領に電話し、「米国が北朝鮮の合理的な安全保障上の懸念を考慮することを希望する」と語った。正恩氏を囲い込み、米国の脅威から守ってやるという中国の姿勢であろう。
9日には北朝鮮の招待でポンペオ米国務長官が平壌を訪れ正恩氏と会談、北朝鮮に拘束されていた米国人3人は解放されて、ポンペオ氏と共に米東部時間で10日未明にワシントン郊外のアンドルーズ空軍基地に到着した。
トランプ大統領から早速、安倍晋三首相に電話があった。米国人3人の解放に祝意を述べた首相の思いは、日本人拉致被害者の上にあったことだろう。
この間の9日、東京では日中韓の首脳会談が開催されたが、日本と中韓の間にある大きなギャップは埋めきれていない。会談後の記者会見で安倍首相は朝鮮半島情勢への対応を三首脳で綿密に話し合ったと述べたが、日米の主張する「完全で検証可能な、不可逆的な核・弾道ミサイルの廃棄」(CVID)という言葉も、北朝鮮への圧力という表現も三首脳の口からは出なかった。
拉致について安倍首相は、「早期解決に向けて、両首脳の支援と協力を呼びかけ、日本の立場に理解を得た」と述べたが、中韓両首脳は拉致には共同記者発表の席で言及していない。彼らの発言は徹底して自国の国益中心である。
中国の李克強首相は朝鮮半島の核に関して、「対話の軌道に戻る」ことを歓迎し、経済に関しては「自由貿易維持」を強調した。北朝鮮の核問題は時間をかけて、話し合いで折り合うべきだというもので、軍事力行使をチラつかせる米国への牽制である。自由貿易に関する発言も、米国第一で保護貿易に傾く米政権への対抗姿勢だ。
韓国の文在寅大統領は、日中双方が板門店宣言を歓迎したと語った。拉致にも慰安婦にも触れずに言及した板門店宣言は、二分されている朝鮮民族の再統一を前面に押し出したものだ。「北朝鮮の非核化」ではなく、米韓同盟の消滅をも示唆する「朝鮮半島の非核化」を強調するものでもある。
今回の首脳会談からは3か国が足並みを揃えて懸案を解決する姿勢よりも、同床異夢の様相が浮き彫りにされた。
10日の電話会談でトランプ氏は、北朝鮮問題で「日本はビッグ・プレーヤーだ」と述べたという。いま、朝鮮半島勢力を巡って日清戦争前夜といってもよい歴史的な闘いが展開中だ。朝鮮半島を中国が握るのか、米国が握るのか、そのせめぎ合いの最前線に私たちはいる。日本の命運を大きく揺るがすこの局面で叡知を集め、対策を練り、何としてでも拉致被害者を取り戻し、北朝鮮の核、ミサイル、生物兵器をなくすべき時だ。日本全体が団結することなしには達成できない課題である。
だが、国会審議を拒否して半月以上も連休した野党は、国会審議に戻ったかと思えば、まだ、加計学園問題をやっている。立憲民主党の長妻昭氏は「疑惑は深まったというよりも、予想以上に深刻だ。徹底的に腰を据えて国会でやらないといけない」と語った。だが、獣医学部新設は既得権益と岩盤規制を打ち破る闘いで、改革派がそれを打ち破っただけのことだ。長妻氏の非難は的外れである。朝鮮半島大激変の最中、国民を取り戻し、国民の命を守るにはどうすべきかを論じ、実行しなければならない。野党の多くは政治の責任を果たしていない。
国民の支持が期待できない、国民民主党 2018/5
民進党代表の大塚耕平氏と希望の党代表の玉木雄一郎氏が「穏健保守からリベラルまでを包摂する中道改革政党」として、「国民民主党」を結成する。私はこの原稿を5月7日の国民民主党設立大会前に書いているのだが、新党の綱領や政策の一言一句を読まずとも、これまでの経緯から彼らは期待できない絶望的な存在だと感じている。
今回、新党に参加せず、無所属になった笠浩史衆議院議員(神奈川9区)は語る。
「昨年10月の衆議院選挙で私が民進党から希望の党に移ったのは、安保政策と憲法改正について、民進党よりもよほど現実的で、日本の国益に適う方向で対処しようとする政党だったからです。あの時、希望の党に移った民進党議員全員が、玉木氏も含めて『政策協定書』に署名しました。希望の党の公認を受けて衆議院選挙に立候補する条件として、安全保障法制については、憲法に則り適切に運用する、つまり、安保法制は認めると誓約した。また憲法改正を支持し、憲法改正論議を幅広く進めることも誓約しました。民進党とはおよそ正反対の政策でしたが、私はその方が正しいと考えた。玉木氏もそう考えたから署名したのでしょう。しかし、玉木氏らは事実上、元の政策に戻るわけです。希望の党で私たちは1000万近い比例票をいただいた。その人たちに一体どう顔向けできるのか。これでは信頼は失われます」
長島昭久衆議院議員(東京21区)も無所属を選んだ。氏は語る。
「国民民主党結成には三つの『ありき』があります。連合ありき、期限ありき、参院選ありきです。連合は、民進や希望の、政党としての理念や政策よりも、国会における連合の勢力を保つために、とにかく旧民進党勢力を再結集しようとした。この連合の思惑が非常に強く働きました。しかも連合は両党合併の方向をメーデーまでに明確にさせたかった。その先にあるのは参院選です。労組代表の議席を守りたい連合と、連合の票がどうしてもほしい議員。後援会組織がしっかりしていない政治家ほど、実際にどれだけあるかわからなくても連合票に頼ってしまう。こうした事情が国民民主党結成の背後にあります」
現実に根ざしていない
玉木、大塚両氏を見ていると不思議な気持ちになる。両氏共に優れた頭脳の持ち主なのに、政治家としてはなぜこんなに定まらない存在なのか。玉木氏は東大法学部からハーバードの大学院で学んだ。財務省ではエリートコースの主計局で、主査を最後に、政界に転じた。
大塚氏は早稲田で博士号を取り、日銀に奉じたエリートだ。人間的に嫌味は全く無い。玉木氏とは異なり、語り口も穏やかだ。
エリートでしかも若い世代の両氏が並んで新党構想を披露しても、一筋の光さえも感じさせないのはなぜか。両氏の周りにさえ、財務省出身者と日銀出身者の組み合わせから、政治を統べる能力など生まれるものかと侮る声がある。しかし、政治史を振り返れば、岸信介の後任は大蔵事務次官を務めた池田勇人だった。池田から始まる宏池会政治を私は評価しないが、財務省や日銀出身ゆえに希望が持てないというわけではない。玉木、大塚両氏に期待できないのは、安全保障、福祉、加計学園に関わる岩盤規制、憲法改正などおよそ全てにおいて、両氏の議論が現実に根ざしていないからである。理念先行の、頭の中での空回りなのだ。
両氏の議論で私が本当に驚いた発言があった。今年1月17日、BSフジの「プライムニュース」でのそれである。時間にしてみればごく短い発言だったが、私はこれを聞いて、この人たちのような政治家は真っ平御免だと、心底、思ったものだ。以下に再現してみよう。
大塚:あのぜひプライムでもキャンペーン張っていただきたいことがありましてね
反町理キャスター(以下反町):何ですか
大塚:それは憲法改正はね、最後は国民の皆さんが国民投票でお決めになることなので……(後略)
最終的に国民が決めるというのは正論である。だが、氏は続いて次のように語ったのだ。
大塚:ところが、もし国民投票を逐条でやらずに安倍さんお得意のパッケージでマルペケ付けさせられたら、これはね、かなりあのまずいことになるし、これは私も厳しく……
反町:あ、そうか。そこはまだルールが決まってないんでしたっけ
玉木:いやあの、国民投票法上は基本的には……
反町:(かぶせるように)ひとつひとつのはずですよね
玉木:あのー……ひとつひとつ……やることが一応、義務づけられていたと思いますが、ただ、ちょっと、詳細、いま私も忘れてしまったのですが……
大塚:あのー、そこは、確認、しますが、そのとにかくね、逐条であればね
「旧社会党のようになる」
このあと議論は他のテーマに移ったが、傍線(斜体)部分に注目していただきたい。どう考えても大塚氏も玉木氏も、憲法改正は「パッケージ」でなどできないということを知らなかった、或いは極めてあやふやな理解だったとしか思えない。
憲法改正に関しては、第一次安倍内閣で国民投票法が成立し、国会法が改められた。国会法第六章の二「日本国憲法の改正の発議」の第六十八条の三に「区分発議」がある。それは、「前条の憲法改正原案の発議に当たっては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする」と定めている。
つまり、項目毎の改正しかできないのである。だからこそ、自民党の改正案は4項目に絞られているのではないか。野党第一党としての民進党は党としての改正案もまとめられなかった。右から左まで意見が分かれすぎていて政党としてまとまりきれなかったことに加えて、玉木、大塚両氏に見られるように改正の手続きさえ、よく理解していない、つまり真剣に取り組むことがなかったという結果ではないのか。
国会法改正から約10年、一括して憲法全体を改正できるとでも思っていたのか。この数年、憲法改正は日本国にとっての重要課題であり続けてきた。賛成でも反対でも、その基本ルールも知らずに議論する政治家の主張や理屈など、信じられるものだろうか。
これ程不見識な彼らの近未来を、長島氏が厳しく語った。
「国民民主党が求心力を高められるとは思いません。行き詰まって、結局枝野さんの立憲民主党に吸収される人々がふえると思います。そのとき彼らは旧社会党のようになるのではないでしょうか」
私もそんな気がしてならない。 
 
日本のFTA戦略 [経済連携協定(EPA)/自由貿易協定(FTA)]

 

1.なぜEPA/FTAか?
(1) 外交・安全保障と自由貿易体制
冷戦終了後、経済のグローバル化がIT化とともに急速に進展する中で、各国経済は、従来にも増して厳しい競争に直面することとなった。各国は発展段階や政治・社会的条件による課題の違いはあれ、いずれもそのような競争に対応し得る効率的で強靱な開放的経済構造に転換していく必要に直面している。世界は「改革競争」の時代に入ったのである。そしてこのような状況に的確に国家として対処することは、国家・国民の繁栄を維持すると同時に、外交・安全保障上の力を最大限に発揮する上でも重要な要素となっている。
他方、富める国とそうでない国との乖離が拡大し、冷戦時代における南北問題とは異なる形での南北の問題が再浮上している。これをこのまま放置すれば、世界の平和と安全にとっての不安定要因になり得る点も指摘されよう。テロを生む温床としての貧困の問題も深刻な課題として浮上している。したがって、グローバリズムの進展により開発途上地域に経済の悪化や貧困層の拡大による不安定要因が発生しないよう、経済面では開発援助、貿易、投資の三位一体となった包括的取組が、途上国経済の発展を図る上で益々重要となっている。この取組を考えるに当たって、どの国・地域に力点を置くかは、その国を取り巻く状況により当然異なってくる。その意味で、互恵的関係を戦略的に構築していくことは新時代の国際安全保障政策の重要な一環である。
このような世界的レベルでの経済の構造改革と南北協力戦略を追求していくための基本的視座は、自由貿易体制の維持・強化でなければならない。そして、その中核となるのが、WTOの下での多角的自由貿易体制の強化とこれを補完する二国間ないし地域的EPA/FTAの下での自由化の実現である。
(2) WTOの補完としてのEPA/FTA
戦後、日本は多角的貿易体制の下、世界貿易の自由化による拡大のメリットを最大限活用して大きな経済発展を遂げてきた*1。対外貿易の日本経済に占める重要性から見ても、これは新世紀においても変わることのないメリットである。多角的貿易体制を通じたグローバルなルールの維持・強化の下での貿易の拡大は引き続き日本の最重要外交課題の一つである。
同時に、WTOが「重たい組織」になってきたことにも留意しておかねばならない。WTOは、その成功故に、多くの途上国・移行国が加盟を希望し、今や加盟国が144カ国を数え、途上国の影響力が飛躍的に増大している。特に先進国主導でこれまで進んできたグローバル経済の進展が、必ずしも自分たちにとり有利なものではなかったとの不満をもつ途上国は、自由化に対する消極的姿勢を強めつつある。加えてWTOがウルグアイ・ラウンドの結果、そのカバーする分野を飛躍的に拡大したこともあり、加盟国間の利害調整が複雑化し、新たな課題やルール策定に迅速に対応することが困難となりつつある。
また伝統的に貿易交渉の対象であった市場開放の分野においても、GATT時代には、貿易障壁の高低が関税率という数値指標で表示できるため、各国間の比較が容易であり、多数国間であっても交渉をまとめやすかった事情があるが、現在では、各国経済の相互依存関係の深まりと交渉対象の拡大という主として2つの理由から、例えばサービス貿易に典型的に見られるとおり、交渉対象となる貿易上の障壁が各国の制度に内在したものとなり、その障壁の高低の比較がより困難になってきていると言える。
世界経済のブロック化を避け、共通のシステムの上に立った経済運営をしていく上でWTOの果たす役割は依然として大きい。他方、各国間の経済関係には自ずと濃淡がある。WTOを巡る前記のような状況を踏まえ、特定の国、或いは地域と日本の経済、政治関係の特性に着目して、WTOで実現できる水準を超えた、或いはWTOではカバーされていない分野における連携の強化を図る手段としてFTA又はEPA/FTAを結ぶことは、日本の対外経済関係の幅を広げる上で意味は大きい。日本にとって好ましい対外経済関係を構築するとの目的を達成する上で、WTOと地域的なFTA又はEPA/FTAは相互に補完しあう関係にある。日本としてどのような場合にFTA又はEPA/FTAを結ぶのか。そのもつ意義を明確にし、活用すべきである。
(3) 世界におけるEPA/FTAの潮流
FTA網の拡大が1990年代以降顕著である。世界における状況を見れば、WTOに通報されているもので約140あり、そのうち実に90以上が90年代、30近くが2000年以降と加速度的に増加している。そして、これらの多くが優れて経済上及び戦略上の利益から推進されていることに留意する必要がある。実際FTA或いは関税同盟という地域貿易協定内の貿易量・額は、例えばEU、NAFTA、AFTAのそれぞれの域内貿易だけでも合計で世界貿易全体の33.6%を占めるに至っているという事実に着目する必要がある*2。
歴史的には地域貿易協定はベネルックス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)のような地理的に接しており、国境貿易を含めて、人や財の移動が一国内と同様に行われている地域的に限定されたものであった。GATTで当初想定されていたのも、そのようなものである。しかしながら、EC(その後のEU)の形成とその拡大、NAFTAの形成を経て、大型の地域貿易協定が登場するに及び、地域貿易協定がGATT・WTO体制そのものに影響を与える存在となった。また前項で記述したようなWTOを巡る状況の変化も影響して、地域貿易協定をWTOにおける貿易政策を補完するもの、或いは双方を使って自国にとって最も有利な形で、貿易政策上の目的を達成しようとする国が増大していることが近年のEPA/FTA等の世界的拡大の背景にある。途上国の中には、WTOにおいて最恵国待遇を与える形で踏み込んだ自由化をすることを嫌い、むしろEPA/FTA等を通じて、特恵的な形で選択的に自由化をする政策を採っている国も登場してきた。
EUは、欧州経済共同体が6カ国で発足して以来、加盟国を拡大するとともに、いくつかの同心円を描く形で、EUに対する経済依存度の高い、周辺の途上国、或いは旧植民地と地域貿易協定の網を形成し、一つの大きなシステムを作って来た。さらに、中南米に対し、米国の動きに対抗し、或いは牽制する意味からEPA/FTA交渉を展開した。EUは、今次ラウンド交渉期間中は現状以上のEPA/FTA網の拡大は考えていないと述べているが、EU自身の東方拡大に伴い、ロシアとの関係については、ラウンド後も見据えつつ、連携の強化を検討している。実に、ECは世界最大のEPA/FTA締結主体である(WTO通報ベースで31)。
米国は、国境を接している加メキシコ両国とのNAFTAの締結を別とすれば、政治的配慮もあり対象国の経済の安定を図ることを主眼に結んだイスラエル、ヨルダンを別として、EPA/FTAについての動きはEUに比べれば、長い間限られたものであった。これは一つにはGATT体制下においては、多角的貿易体制の中で相当程度米の意向を反映した交渉を実現できてきたからである。しかしながら、そのような状況に変化が見られる。貿易促進権限法(TPA)を取得した米政府は、中南米全域を対象とした米州自由貿易圏(FTAA)交渉をはじめ、WTOを中心とする多国間の取組とEPA/FTAによる二国間の取組を組み合わせた積極的対外政策をこれまで以上に強く推進する姿勢を見せており、FTAAに加え、チリ、シンガポール、豪州、南部アフリカ関税同盟諸国(SACU:南ア、ボツワナ、ナミビア、レソト、スワジランド)、モロッコといった国々とのEPA/FTA確立を目標に掲げている。
このような世界の潮流の中で、東アジアにおけるEPA/FTAの動きはこれまで極めて緩慢であった。しかし、遅ればせながら域内の自由化(AFTA)を進めるASEAN諸国を中心にASEANと日本、中国、韓国、豪、NZとのEPA/FTAの動きが始まっている。日本はシンガポールに続いて、ASEAN全体との経済連携を視野に入れつつ、「日・ASEAN包括的経済連携構想」の枠組みの中で、タイ、フィリピン等のASEAN諸国とEPA/FTAの可能性を探る協議を進めている。また、メキシコとは近くEPA/FTA交渉を開始する見込みであり、韓国とは今後の交渉を念頭において研究を行ってきている。日本に対しては、この他、香港、台湾、豪州等のアジア太平洋地域のみならず、スイスや欧州自由貿易協定(EFTA)からもEPA/FTA締結の希望が寄せられている。
(4) EPA/FTAの日本にとっての戦略的意義
EUが東方への第一陣の拡大の実現を、域内の締結のための手続も含めて2004年を目指して進めていること、米が交渉しているFTAAの期限が2005年であることと、WTOの新ラウンドの交渉期限が2005年1月1日であることは偶然ではない。EU、米は自国を中心とした大規模な地域経済貿易網の構築とWTOの交渉の両方を睨んだ政策を追求している。今回の新ラウンドはこのような、大規模地域統合がEU、米を中心に構築される前の最後の多角的貿易交渉と言える。EU、米に次ぐ経済規模を持つ日本として、そのような世界的経済貿易体制の構築の動きの中で、単にWTO交渉のみならず、EPA/FTAの動きも視野に入れた対外経済関係の強化を、当然考えなければならない。
その際、既に述べたように、WTOを通じて世界全体を対象に追求して行くべき対象と、特定国・地域との関係の特性に着目して、より高度な経済関係を構築すべき対象を分けて考える必要がある。また、EPA/FTAという形での経済連携の枠組みを構築することが最も効果的である対象と、少なくとも当面はそれとは異なる形での経済関係の強化を追求する対象とを分ける必要もある。さらにEPA/FTAの締結交渉が多大な労力を伴うものであり、同時に多くの国とは進められないこと、またEPA/FTAの締結が日本の経済にも影響を与えるものであることから、時間的な優先順位も当然考えなければならない。FTAを考える際、日本にとり最も重要なパートナーの一つであり、既に包括的かつ緊密であり、同時に成熟した経済関係を有する米、EUとの関係をどう考えるかも重要なポイントである*3。
EPA/FTAを考える場合は、以下を検討すべきである。
(イ) まず第一に、これが互恵的なものとなるためには、対象とすべき主たる相手は、日本の経済と既に深い相互依存、補完関係にある国・地域であること。同時にEPA/FTAが双方向で作用する形で構造調整を促し、より効率的経済を築くことを目指すものである以上、対象となる国において国内的に準備が整っている状況にあることが求められる。同時に対象を選ぶ際には、単に、経済的に安定し、予見性を与える枠組みの形成を目指すということだけではなく、EUの例を見ても明らかなように、EPA/FTAを通じ、地域の政治的安定性を達成することを念頭に置くことも重要である。
(ロ) EPA/FTAの主たる目的は経済活性化効果、貿易創出効果を通じた経済の拡大である。EPA/FTAがそれを可能にするのは、より自由化された、より規模の大きな経済を提供するからである。自由化された一定規模以上の経済の実現は、周辺諸国が、それへの参加に利益を見いだすという過程を通じて、更なる規模の拡大をもたらし、それにより規模の経済のメリットを得ることが出来るからである。そのような経済関係となることを目指すべきである。
(ハ) EPA/FTAは互いの経済改革を促し、競争力強化に資する制度を構築することを制度的に促進する効用もある。
(ニ) 前述のように地域統合が世界の流れになりつつある中で、国際場裏では、地域の総意としての発言が、一カ国の発言より政治的重みを増しているという現実がある。そのような現実を踏まえれば、国際社会の議論の流れに偏向が生じた際にそれを正す上で地域の総意を背景にもつことは国際的発言力の強化につながることも、EPA/FTAを考える際重要な要素である。
(ホ) 以上のような能動的な機能に加えて、FTAによる特恵的関係の構築を貿易政策の中心においている国に対しては、日本の国民、企業が不利益を被らないようにFTAを結ぶ必要性も考えなければならない。このような防御的FTAについても、その必要性、緊急性を踏まえて対象を判断していく必要がある。
(へ) さらには、日本経済との統合を進める中で、日本にとり重要な途上国の経済基盤の強化を図ることも考慮に値する要素である。
以上のような基準を念頭に置いた場合、特に重要なのは東アジア地域である。日本の安全保障にとって大洋州を含めた東アジアの安定と発展は極めて重要な課題である。同時に、東アジアとの経済関係の深さに鑑みれば*4、EPA/FTA等による幅広い連携の強化を通じ経済の統合・調和を図ることは、地域の安定にも繋がり、日本にとって大きな利益となる。
これまで東アジア地域の経済発展は主として日本を中心とし、これにNIES、ASEAN諸国が加わった貿易、直接投資をはじめとする経済の相互依存関係の中で達成してきた。しかし、アジアの経済危機によるアジア各国・地域の経済の停滞や、高い経済成長を続ける中国及び台湾のWTO加盟という新たな状況が生じる中、日本として、如何に東アジアに相互に安定的かつ開放志向の近代的な経済体制を構築し、同地域の安定と繁栄のための制度的連携を早期につくり上げて更なる発展につなげていくかは、対アジア外交上の重要且つ緊急の課題と言っても過言ではない。

*1 WTOの統計によれば、世界貿易の額は1948年の3040億ドルから2000年の6兆6270億ドルへ年平均6.1%の伸びがあった。
*2 浦田秀次郎=日本経済研究センター編『日本のFTA戦略』日本経済新聞者、2002年、p.14 図表1-4
*3 なお、米、EUとは、お互いの経済の規模の大きさに鑑み、日本として、これらの経済との特恵的(である以上排他的側面を含む)EPA/FTA締結が世界経済に及ぼす影響に鑑みれば、EPA/FTAを考えるよりは、二国間の協力の枠組み、或いはWTOでの協力を通じて世界全体のシステムの強化につき、協力をしていくべきであると考える(詳細5.)。
*4 詳細については5.(2)を参照。
2.EPA/FTAを締結する具体的メリット
(1) 経済上のメリット
(イ) 貿易創造・市場拡大効果
一般的な経済効果としてEPA/FTAの締結により双方に残存する関税・非関税措置が取り除かれるとともに、サービス・資本の更なる自由化、投資の促進、基準認証や競争政策の共通のルールを含めた幅広い市場の一体化が達成され、輸出入市場の拡大が期待できる*5。さらに域内市場の拡大はその経済のダイナミズムの拡大を通じて域外国との経済関係の増大をも期待できる*6。
(ロ) 競争促進・経済活性化効果
グローバル化に対応するための構造改革は、一国のみでは十分な実現が困難な面もあるが、EPA/FTAを通じ安価で良質なモノ・サービスの輸入促進や域内での企業間の競争や提携の促進が実現される結果、より効率的な産業構造への転換、規制改革を含む構造改革等を促し、効率的な分業がもたらされるとの効果が期待できる。ただし、このような効果は、後述するように日本がEPA/FTAを締結して今後の相互依存関係の深化による構造改革を進めるという明確な戦略ビジョンの下で行うものでなければ、大きな効果は期待できない。
(ハ) 争条件の改善(貿易転換効果への対応)
EPA/FTAは原則的に域外に対しては差別的な枠組みであり、これに参加しない国には利益が自動的には共有されず、また貿易転換(ダイバージョン)も起こり得る。WTOのグローバルな自由化交渉により、EPA/FTAの拡大により生じる差別的特恵マージンを減殺することが正攻法であるが、これが不十分な場合や特定の国・地域の場合(とりわけメキシコのように、メキシコが第三国と結んだEPA/FTAにより日本企業が不利な状況に置かれる度合いが高い場合)、日本とある程度以上の経済関係にある国についてはEPA/FTAによりこのような差別効果を減少していく必要がある*7。
(ニ) ルールに基づく紛争処理(政治摩擦の最小化)
EPA/FTAにより、自由化の阻害要因を撤廃するのみならず、幅広い分野でのルールに基づく紛争処理が実現することを通じ、個々の経済問題が政治・外交問題化することを最小化する効果が期待できる。貿易分野の紛争処理は基本的にWTOのルールに基づくとしても、特にWTOがカバーしない分野や当該国特有の経済・市場条件に基づいた分野についてEPA/FTAによる紛争処理メカニズムを構築することが有益であろう。
(ホ) 制度の拡大・ハーモナイゼーション
EUは、途上国とのEPA/FTA締結に際し、EU市場の開放を通じて途上国産品の参入を受け入れると同時にEUのルール、制度への調和を求める形でルールの普及に努めている。EUはさらにそれをWTOを通じて世界全体へ拡大することも視野に入れている。このように、EPA/FTAを通じて近代的経済制度を日本と経済取引関係の大きい諸国に普及させていくことが可能であり、右は地域全体の制度改革を促す上で有効である。
(2) 政治外交上のメリット
(イ) 経済分野での外交政策遂行上の戦略的柔軟性の確保
EPA/FTAはWTOを補完するとの位置付けであるが、WTO交渉に比し、交渉相手が限られているので機動的な取組が可能となる面がある。WTO交渉は長期間に亘る可能性があり、また、結果が当初日本が想定していたものより限定されたものとなる場合もあるので、EPA/FTA交渉を並行して行うことは、WTO交渉における交渉力を増大させる面があるのみならず、EPA/FTA交渉の結果もたらされる自由化及びルール創設をWTOへ広げていくことで、WTOの交渉を加速化させることが可能である。例えば、投資ルールは途上国において慎重論が依然が強く、WTOにおける多国間ルールの策定の是非につきコンセンサスが出来ていないが、EPA/FTAにより一定のルールのもつメリットについての理解が途上国により深まれば、これを普遍化する多角的ルールへと転換していく過程がより容易になる面もあろう。現に二国間の枠組みであれば投資ルールを受け入れても良いと考える途上国は多い。限定的局面から徐々に新しい制度に成熟していくというアプローチは、新しいルールをより小さい抵抗でもって導入することを可能とする。演繹的アプローチに抵抗がある場合でも経験的アプローチには抵抗の少ない面もあると考えられるのである。
(ロ) 経済的相互依存と政治的連携の強化
欧州が市場統合を深化・拡大させ、また米州において米国を中核にNAFTA、さらには中南米へと経済連携を拡大させている背景には、単に市場統合による経済的利益のみならず、相互の経済的相互依存を強化することによって、政治的連帯と信頼を増進させ、もって地政学的ないし戦略的な意味での一体感を形成する効果があるからである。つまり経済的連帯と政治的連帯とは表裏の関係にあるのであり、経済的相互依存を深めるためには相手を信頼する政治的基礎がなければならず、また、経済的相互依存を深めていくアプローチを志向することによって政治的な信頼感も生まれてくると言える。多くの地域協力の序章が経済面での協力(法的枠組みとしては貿易・投資の自由化のレジーム)に始まる傾向が強いことは、歴史の示すとおりである。日本にとり、特に近隣の政治・経済パートナーとのEPA/FTAが地域の政治・安全保障環境を改善・強化する上で大きな意味を持ち得るのはこのような観点からである。
(ハ) グローバルな外交的影響力・利益の拡大
欧州や米国が近隣の諸国とのEPA/FTAを越えて、地理的に遠隔なところにある一部途上国とのEPA/FTAを志向するのは、決して気まぐれからではない。米国が米州地域を超えてイスラエルやヨルダンとのEPA/FTAを結び、またいくつかのアジア、アフリカ地域とのEPA/FTAを探求したりしていること、あるいは欧州が東方へのEUの拡大と途上国とのEPA/FTA網の両方を構築を進めてきた背景には、これらの国の間の歴史的なつながりに加え、経済上の利益追求だけではなく、政治的・戦略的な考慮に基づく外交政策という面がある。日本としても、日本の安全と繁栄に重大な影響を持つ地域の発展に、安定的な経済発展の制度の構築を通じて貢献することで、国際的影響力及び発言力の強化を検討すべきである。
また、そのような努力は、日本が、今後グローバルに、開発途上国に対し、ODA、貿易、投資の三位一体の開発戦略を今後展開していくとすれば、EPA/FTAもまたそのような開発戦略の中での重要な手段となり得る点も指摘されよう(詳細4.(3))。

*5 例えば、日メキシコFTAのインパクトについては、以下のような試算がなされている(出典:日メキシコ共同研究会報告書)。
○経済産業研究所(川崎博士)
:日メキシコFTAによる関税引き下げの効果(単位:百万米ドル)
  日本 メキシコ
・輸出 +637.4(+0.13%) +1939.4(+1.68%)
・輸入 +1092.9(+0.26%) +1733.2(+1.70%)
・実質GDP +0.03% +1.08%
・資本蓄積 +0.05% +1.40%
○日本経済研究センター(2001年)
:日メキシコFTAによる関税引き下げの効果
  日本 メキシコ
・実質GDP +0.10% +4.20%
・国民所得 +0.21% +5.36%
*6 例えば、日シンガポール経済連携協定の締結により、米国は16億ドル、EU/EFTAは12億ドルの経済厚生(貿易自由化から消費者が得る利益と定義)の向上といった副次的恩恵を受けるとの試算もある(なお、その際、日本は109億ドル、シンガポールは18億ドルの経済厚生の向上を享受するとの試算)。(ロバート・スターン=遠藤正寛 「日本の通商政策オプションの経済的評価と採用可能性」『エコノミックス』7, 2002年
*7 NAFTAやEUメキシコFTAの日本の経済的利益及び雇用に与える影響については、5.(2)(ロ)中南米諸国とのFTA/EPAの可能性を参照。
3.EPA/FTA推進に当たり留意すべき点
(1) WTO協定との整合性
(イ) WTO協定における規定
日本がWTOにコミットし、EPA/FTAを補完的なものとする以上、ラウンド交渉の進捗状況との関連に十分留意することに加えて、WTO協定(GATT第24条及びGATS第5条)との整合性を十分確保する必要がある。モノの貿易について言えば、WTOとの整合性とは、具体的に言えば次の3点である。
(a) 地域貿易協定(RTA)形成前よりも関税等が高度又は制限的なものであってはならない(GATT第24条5)。
(b) 実質上のすべての貿易について、関税その他の制限的通商規則を廃止する(GATT第24条8)。
(c) 中間協定については、原則として10年以内にRTAを完成させるものでなければならない(GATT第24条5及び解釈了解)。
このうち、(b)に関しては、地域統合による域内自由化の対象は「実質上のすべての貿易」と規定している。この意味するところについては、明確な基準に関するコンセンサスがあるとは必ずしも言えないが、これまでのGATT時代からの議論においては、質的基準(主要分野を除外しているか否か及び関税品目数)及び量的基準(貿易額)が指摘されている。特に特定のセクターが自由化の対象とならない場合には問題となる。何れにせよ、これらの基準の明瞭化については新ラウンドの包括議題の1つであることにも留意する必要がある。
(ロ) 日本が目指すべき自由化水準
WTOルールの遵守・強化並びに日本のEPA/FTAを無原則なものとしないとの観点から、日本の目指すべき自由化水準につき一応の目安が必要である。
例えば、「実質上のすべての貿易」について言えば、原則的には、分野の除外は行わず、貿易額で出来る限り高いカバレッジを目標として交渉すべきである。因みに、貿易額(片道)でみると、各国のWTOへの通報によればNAFTAでは平均99%以上、EU・メキシコEPA/FTAの場合でも97%の関税撤廃を実現している。対象となる国により自由化水準は一定の範囲内で幅はあり得るが、日本としても、貿易額で国際的に見て遜色のない、WTO基準を引き下げたとの批判を受けない基準を実現する自由化を達成すべきであろう。
(ハ) 途上国とのFTAに当てはめる基準
途上国間のFTAについては、「授権条項」*8が適用され、上記(イ)の基準が適用されることはない。他方、先進国と途上国の間では、その適用は認められず、WTO上認められているウェーバー(適用除外)をとらない限りは、(イ)の義務は免除されない。お互いの市場開放を通じた経済活性化そのものがお互いの利益になるという日本の考えからすれば、日本が途上国とFTAを交渉する場合、相手国が日本と同様、(イ)の義務を果たす意思を持つことが必要である。
(ニ) WTOラウンド交渉との関係
日本のEPA/FTA戦略との関係では、2003年9月のカンクンでのWTO第5回閣僚会議(農業交渉のオファーの提出)からラウンド交渉妥結(2005年1月1日まで)までの間は、特に農業の取扱いという観点で、多国間(WTO)での交渉の進展を視野に入れる必要がある。
(2) 国内産業への影響
日本がEPA/FTAを推進するにあたり、日本の市場開放から生ずる痛みを伴わずにEPA/FTAの利益は確保できない。輸入品の増加により市場からの撤退を余儀なくされる企業も出てくると思われるが、日本の産業構造高度化にとって必要なプロセスと考えるべきである*9。WTOであれ、EPA/FTAであれ、自由化のプロセスは国内の構造改革、競争力強化ビジョンと同時進行(シンクロナイズ)するよう、進めていく必要がある。国内の構造改革なくしては、意味あるEPA/FTAは期待し得ないと言ってもよい。ただし、日本がEPA/FTA締結のために実施しなければならない構造改革は、10年以内という中間協定の経過期間を使い国内経済への影響にも配慮するしつつ、実施する*10。
日本にとり、「人の移動」をはじめいくつかの規制分野、或いは農業分野における市場開放と構造改革のあり方は避けて通れない問題である*11。EPA/FTAは特定の相手との交渉であり、互恵的なものとして相手国から要求があれば、これらの分野で規制緩和や自由化の圧力が働くことは避けられない。政治的センシティヴィティに留意しつつ、EPA/FTAを日本自身の経済改革につなげていく姿勢ぬきには、日本全体としての国際競争力を強化する手段としようという目的は達成されない。またその交渉のために多大な労力を割くことも有意義とは言えなくなる。同時に農業交渉をはじめ、現在のWTO新ラウンド交渉の進展も考慮に入れた現実的なEPA/FTA交渉スケジュールを組む必要もある。
(3) 適切な手段の選択
WTOでの交渉とEPA/FTAでの交渉の使い分けも検討課題である。日本への農林水産物輸出に関心を有する国・地域とのEPA/FTAについては、新たな譲許がなければメリットがないとしている相手国があることに留意する必要がある*12。個別のEPA/FTAにおいて、相手国の要望、当該品目の重要性、競争条件等を踏まえ、適切なバランスが追求されるべきであろう。WTO新ラウンド交渉では、世界全体に適用しなければ、実効性の上がらないようなルール(例えば農業補助金の廃止や貿易救済措置についての規律)や世界全体での自由化の底上げを図るような市場開放交渉を行い、EPA/FTAでは特定国・地域とのWTO協定の水準を超えるような高度なルール作りや自由化、あるいはWTO協定でカバーされていない分野でのルール作りや自由化を探求することになる。その際、例えば、当該国との間で農林水産品を含めた物品の貿易で高関税が主たる貿易障壁となっていないのであれば、モノのEPA/FTAにこだわる必要性は乏しいとも言えよう。また、農林水産品貿易が絶対的にも相対的にも大きな比重を占め、日本がこれを自由化することが当面現実的な交渉項目になり得ないような場合で、サービス貿易分野でWTOプラスが期待し得るような場合には、むしろサービス分野に特化したEPA/FTAを追求するような選択肢もあり得よう。
実際上、EPA/FTAは経済関係、更には政治的関係の強化の選択肢の1つであり、EPA/FTAでない他の手段が適切な場合もあろう。例えば、分野限定的に、投資協定、相互承認協定を対象とするアプローチもあり得よう。また、経済関係を強化する上で関税撤廃を含め日本と相手国の間で法的に約束するのではなく、規制改革を相互に推進するような対話を中心にすることがより優先度が高い場合も考えられよう。さらには、将来のEPA/FTAの可能性を含みながら、経済緊密化のためのフレームワーク作りによって政治的志向表明を行うことが適切な手段である場合もあり得よう。要するに、相手国や日本の状況、相互の関係を考えながら、EPA/FTAを含めた多様な手段(場合によりいくつかの組み合わせ)を選択していくべきなのである。
(4) 貿易と投資の関係
他国のEPA/FTA締結による貿易転換効果から日本企業を防御するとの観点でEPA/FTA締結の是非を論じる場合(上記2.(1)(ハ))、念頭には、「日本国内の日本企業」と「(日本が参加していない)EPA/FTA域内の企業」という対立構造にあるが、グローバルなビジネス時代においては、「海外に進出する日本企業」と「日本に残る日本企業」といった観点も考慮に入れる必要がある。
具体的には、例えば(日本とはEPA/FTAを締結していないが、B国とはEPA/FTAを締結している)A国における日本資本の部品製造企業が考えられる。A国及び(或いは)B国の高い輸入関税を前提に、既に現地に投資をしている日本資本の大製造企業の「現地下請け」となるべく、日本の中小部品メーカーがA国に投資を行っていたとする。他方で、日本とA国が締結するEPA/FTAによりA国の部品輸入関税が撤廃された場合、A国では日本から直接部品を輸入した方が(A国で生産する或いはB国で生産して輸入するより)コストが安くつくといった場合も想定されよう。そのような場合、対立の構図は、「現地に投資してしまった日本部品企業」と「日本に残った日本部品企業」といったことになる。  このように、今後、日本がEPA/FTAの対象国を検討するに当たっては、貿易の側面のみならず、投資の側面にも光を当てる必要があろう。
(5) 通商と通貨の整合性
EPA/FTAを通じて貿易や投資の自由化を推進していった場合、国際収支が不安定化する可能性もあるため、並行して通貨の安定を確保する措置も視野に入れることが望ましい。例えば、北米においては、NAFTAが94年1月に発効した後、4月には既存の通貨スワップ協定を拡張し、経済政策協議も実施するNAFA(North American Framework Agreement)がNAFTAの加盟国である米国・カナダ、メキシコの間で締結された。日本としても、EPA/FTAを推進するに当たっては、通商面と通貨面の整合性に注意を払っていく必要がある。
なお、日シンガポール経済連携協定においては、金融分野での協力という章を設け、金融市場のリンケージを通じ、金融市場の拡大と安定をもEPAの基本に据えようとの試みが行われた。今後、こうした分野は更に整備することが必要であろう。

*8  1979年の締約国団決定(『異なるかつ一層有利な待遇並びに相互主義及び開発途上国のより十分な参加』)において、以下のような要件に適合することを条件に、発展途上国間の関税・非関税障壁の削減・撤廃を目指す地域貿易協定を、GATT第1条(最恵国待遇)の例外として認めている。この締約国団決定が一般的に「授権条項」と呼ばれている。なお、授権条項とGATT第24条との関係は明確にされていない。
・ 開発途上国の貿易を容易にし、かつ促進するように及び他の締約国の貿易に対し障害又は不当な困難をもたらさないように策定されなければならない。(パラ3(a))
・ 関税その他の貿易制限を、最恵国待遇の原則に基づいて軽減し又は撤廃することに対する障害となってはならない(パラ3(b))ほか
*9 先述のスターン=遠藤(2002)の試算によれば、例えば、日シンガポール経済連携協定ではサービス、特に卸・小売・運輸の分野で、日韓EPA/FTAを締結する場合には農業、皮革製品・靴、卸・小売・運輸といった分野で大幅な雇用者数の低下が見られると予想されている。
*10 ただし、WTOでの自由化はWTO加盟国全てに開放するが、EPA/FTAにおける自由化は対象が相手国に限定される点で改革を漸進的に進めることとなり、痛みが急激に起こるのを抑えることが出来る。
*11 ただし、日シンガポール経済連携協定の交渉に際しては、農林水産業以外にも、「資格の相互承認」や「政府調達」などの分野において、硬直的な国内の業界構造によって困難な交渉を強いられてた経緯があり、本稿は農業だけがFTA/EPA戦略を推進するに当たっての障害になっていると述べるものではない。
また、NAFTAやEUメキシコFTAにおいても、以下のような農産品は例外品目として扱われており、例えばEUメキシコFTAの場合には、一部の産品をウェイティング・リストとして実質的に例外扱いとしつつ、発効後3年以内に行われる再交渉の中で取扱いを検討することになっている。
− 米・加間 : 米側(乳製品、ピーナッツ、ピーナッツ.・バター、砂糖、砂糖含有品、綿)
加側(乳製品、家禽肉、卵、マーガリン)
加・メキシコ間 : 乳製品、家禽肉、卵及び卵製品、砂糖、砂糖含有品
− EU・メキシコ間 : EU側(農産物についてはタリフラインの26%が例外(食肉、乳製品、穀物、糖類)、水産物(マグロ、カツオの加工品))
メキシコ側(農産物についてはタリフラインの50%が例外(同上)、水産物(同上))
*12 例えば、メキシコはあり得べき日メキシコEPA/FTAにおいて、農産品の何らかの自由化が不可欠であるとしている。なお、両国間の貿易において、我が国がメキシコから輸入する農林水産物の割合は全輸入額の21.9%を占めているが、逆に我が国がメキシコへ輸出する農林水産品の割合は全輸出額の0.04%に過ぎず、輸出入を合わせた日メキシコ間の貿易総額に占める農林水産品の割合は7.3%である(2001年度確定値:財務省貿易統計)。なお、我が国が輸入する農産品の中で大部分を占めるのは豚肉(冷凍、冷蔵)であり、他に生鮮アボガド、コーヒー豆、エビ、ブロッコリー等も輸入している。
4.目指すべきEPA/FTAの姿
  (何について交渉するのか)
(1) EPA/FTAの多様性
世界には様々なEPA/FTAがあり、その対象を含め形態は多様である。
例えば、2000年発効のEU・南アフリカ通商・開発・協力協定は、投資、競争政策、環境についての規定を含んではいるものの、一般的な内容で、強い規律を含まない。他方、1994年発効の北米自由貿易協定(NAFTA)では、GATTにより定義される伝統的分野のみならず原産地規則、投資、サービス貿易、相互承認、人の移動、エネルギーなど計20の幅広い分野を包括的に扱っている。また、米ジョルダンFTAでは、環境、労働といった新しい分野も取り上げられている。
GATTに基づくモノの貿易に関するEPA/FTAだけでなく、サービス分野においてもGATSに基づいてEPA/FTAを締結することが出来る(現在、サービス貿易理事会に通報されているサービスを含むEPA/FTAの数は20)。例えば、2000年発効のEU・メキシコ・サービスEPA/FTAは、原則としてGATSにおける全サービス分野を協定の対象としている。
従来は、地理的に近接した同一地域内の国同士で結ばれることの多かったEPA/FTAだが、近年では、米州自由貿易圏(EPA/FTAA)構想やEU・メキシコEPA/FTAのように異なる地域間でのEPA/FTAも見られる。さらに、交渉中ではあるが、EU・メルコスールEPA/FTAのように、関税同盟同士のEPA/FTAも検討されている。
EUは旧植民地であるACP(アフリカ、カリブ、太平洋)諸国と旧来、もっぱらEU市場の特恵的開放のみを規定したロメ協定を有していたが、その片務性を見直し、双務的に改訂することを目指したコトヌ協定に合意した。またEUへの統合を前提にしたEPA/FTAを中東欧諸国と結んでいる。
米はキューバを除くすべての中南米諸国との間のEPA/FTAであるFTAA(米州FTA)の交渉を進める一方、アンデス諸国、中米諸国、チリと個別にEPA/FTAを交渉している。
この他、所謂EPA/FTAには当たらないものの、貿易自由化を推進するものとして、APECのように、協定という法的枠組みを持たず、参加メンバーの自主的な貿易・投資の自由化・円滑化措置を域外国にも広く適用させ、「開かれた地域主義」を標榜するものも存在する。
(2) 日本のEPA/FTA------包括性、柔軟性、選択性
日本はシンガポールとの包括連携協定に署名したが、これは法的枠組みとしては、NAFTAやEU並みの先進的なEPA/FTAに属する協定である。今後は、これをモデルにして、モノ・サービスの貿易、投資、競争、基準認証、ハーモナイゼーション、人の移動、紛争処理手続等を含む包括的な協定を優先度の高い国との間で目指すことが1つの重要な選択肢としてある。特に、ASEAN諸国との間では、将来、日ASEAN全体のEPA/FTAを視野に入れて、日シンガポール経済連携協定をモデルに累次の枠組みを作っていくことが有効である。ただし、対象範囲や自由化のレベルは、当該国との貿易実態(とりわけ日本への農林水産品有税割合)や経済発展状況(自由化よりも開発支援的要素がより強い要請としてある国など)にあわせて柔軟に考えていくべきであろう。すなわち、対象分野については、シンガポール・プラスあるいはマイナスもあり得よう。また、国によっては、特定の分野(例えば投資、サービス)の先行ないし限定にとどめる方が適切な場合もあり得よう。
(3) 日ASEAN包括的経済連携構想の実現に向け考慮すべき事項
日ASEAN包括的経済連携構想を含む東アジア諸国とのEPA/FTAについては、この地域の地域協力を他の地域の経済統合に比肩し得るものとし、地域全体の近代化を促進してゆくとの観点から可能な限り高度な貿易・投資の自由化を行うこと、及び、これに留まらず競争や政府調達、税関手続の簡素化や相互承認・基準認証といった幅広い分野での連携を目指すべきである。このような先進的なEPA/FTAの締結の準備が国内的に整っていない国に対しては、日本は低い水準の協定を締結するより、当面は、技術支援等の支援を行ったり、履行期間を長く認めたりすることにより、将来的に全体として出来る限り質の高い協定締結を目指していく。
(4) 途上国支援としてのEPA/FTAの活用の可能性
アフリカを含む開発途上国の経済発展を促すためには、開発援助(ODA)のみならず、貿易・投資から得られる資金も活用する包括的アプローチが重要である。かかる観点から、日本のODAの供与のみでは真にこれらの国の自立的経済発展が達成できず、また日本とも安定的経済関係を構築できないことから、従来の一般特恵関税や対LDC特恵関税の供与からさらに一歩踏み出し、一定の条件が整う場合にはEPA/FTAを特定の途上国との間で締結することも、政策的手段の一つとして検討対象に加えることも考えられよう*13。具体的にEPA/FTA締結を途上国側に提案するに当たっては、発展段階や経済規模を考慮し、途上国側に国内改革の推進や周辺諸国との経済統合の深化などを条件とすることで、先方市場が日本にとって意味のあるものとなるよう働きかけることが同時に重要である*14。

*13 ただし、途上国はEPA/FTAにおいて自らが有する貿易に対する障害(関税・サービス貿易に対する各種規制)を撤廃しなければならず、EPA/FTAが途上国経済にとってプラスとなるのは、途上国が比較優位を持った産品について日本市場が十分に開放的となる場合に限られる。逆にいえば、途上国が比較優位を持つ農産品に対し、世界でも有数の規模を持つ日本市場を開放することは、それ自体が途上国支援になる。
*14 途上国間の高い関税障壁が、途上国の貿易を通じた貧困削減を妨げる大きな要因の一つとなっていることから、先進国側がFTA/EPAをインセンティヴとして利用し、途上国側の、また、途上国間の関税引き下げを促進することは、途上国支援という観点からは極めて理に適った政策手段であると言える。
5.EPA/FTAの戦略的優先順位
  (如何なる国と如何なるタイミングでEPA/FTAを結ぶのか)
(1) 判断基準
以上述べてきたような、EPA/FTAの今日的意義、メリット、留意すべき点、交渉の対象(目指すべき姿)を踏まえて、日本としての戦略的優先順位を考えていく必要がある。その際の判断基準としては、以下が含まれよう。
(イ) 経済的基準(日本との貿易・経済関係がEPA/FTAによってどの程度伸び得るか、相手国の経済規模や発展段階、相手国の経済状況)
・ 日本経済界からの要望への対応
・ 他国のEPA/FTA構築による日本企業の不利益の解消
・ 双方の経済活性化
・ 国内構造改革・規制緩和へのインパクト
・ 自由化が遅れている国への対応
(ロ) 地理的基準
(a) アジア域内の関係強化
・ 地域の経済統合及びそれによる安定性強化
・ EU(及びEUのEPA/FTAネットワーク)及び米州自由貿易圏(EPA/FTAA)への対応
(b) 他の経済地域・国との戦略的関係強化
(ハ) 政治外交的基準
・ 経済関係強化による友好関係強化
・ 経済関係の外交戦略的活用(相手国との戦略的関係の変化による可能性を含む)
・ 政治的安定性、統治能力、民主化の程度
(ニ) 現実的可能性による基準
・ 予備的検討の熟度
・ センシティヴ品目の貿易量に占める割合
・ 相手国の熱意
・ 日本国内の要請
(ホ) 時間的基準
・ 日本の交渉処理能力
・ WTO交渉との関係
・ 政治・外交、経済的関係、実現可能性の変化
・ 他国(地域)間におけるEPA/FTAの進捗状況
(2) 日本のEPA/FTA戦略〜具体的検討課題〜
それでは、上記(1)の種々の基準を勘案した場合、日本として、具体的に如何なる国・地域とEPA/FTAを締結すべきなのであろうか。政治・外交及び経済の両面から考察する必要がある。政治・外交的には相互依存関係が深まっていながら、欧州、米州に比べ地域的なシステムの整備が遅れている東アジアにおいて、日本が主導する形で、地域の経済システムの構築整備を図ることが、日本及び東アジア地域の安定的発展にとり重要であることは論を待たない。また、経済的に見ても、東アジアの優先度が高いことは自明と言える。この関連で考えねばならないのは、EPA/FTAに様々な形態があろうとも、「実質的にすべての貿易」について関税等の撤廃を含まないEPA/FTAは考えられない、という点である。現在、日本は東アジア*15、北米、欧州の3地域を主要な経済パートナーとしており、この3地域が日本の貿易の8割を占めている。*16この3地域を比較すると、先進国同士の関係である北米、欧州に比べ、東アジアとのEPA/FTAが、更なる自由化を通じ最も大きな追加的利益を生み出すと言える。便宜的に自由化の度合いを計る目安として、関税率をとって見ても、日本製品に課せられる関税の額という観点からこの3地域を比較すると、大きな違いがあることが浮かび上がる。すなわち、これら地域・国の単純平均した関税率は、米国が3.6%、EUが4.1%なのに対し、中国は10%、マレイシアは14.5%、韓国は16.1%、フィリピン25.6%であり、インドネシアに至っては37.5%となっており、日本の産品は最も貿易額の多い東アジア地域において最も高い関税を課されているのである*17。
日本の製造業は既にASEANや中国との競争に晒され、多くはその生産拠点を人件費の安い東アジアを中心とした地域に移している。海外展開している企業の部品、資本財の日本からの調達を容易にする上でも、また、国内で活動を継続する企業、特に最終製品や部品等を同地域に輸出する企業の立場に立っても、東アジアの自由化を進めることは円滑な企業活動に資する。関税率をはじめ、貿易上の障害の除去はWTO交渉を通じた多国間の枠組みにおいても実現を図るものであるが、現実的には、多国間の枠組みのみをもって早急且つ大幅に引き下げを達成することは容易ではない。そして、ここに関税の撤廃に代表される貿易自由化を通じた経済規模の拡大というFTAの本来の趣旨が生きるのである。
冒頭の問いかけへの答えはここにある。即ち、日本がEPA/FTAを進めていく際、考慮すべきは、地域システムの構築による広い意味での政治的・経済的安定性の確保であり、かつ、緊密な経済関係を有しつつも、比較的高い貿易障壁の存在故に日本経済の拡大の障害の残る国・地域とのEPA/FTA締結の優先性である。そしてかかる観点からは、言うまでもなく、東アジアが有力な交渉相手地域となり、さらに「現実的可能性による基準(上記(1)(ニ))」や「政治外交的基準(上記(1)(ハ))」にかんがみれば、韓国及びASEANがまず交渉相手となる(詳細は以下(イ))。
同時に、FTAを考える場合上述のような特定地域との総合的政治・経済関係の強化が唯一の基準ではない。特定の国との政治的な配慮による関係強化の手段としてのEPA/FTA、経済的な不利益の解消の手段としてのEPA/FTAも検討すべきである。この点に立てば、メキシコは、同国がNAFTA及びEUとのFTAを締結したが故に、日本企業は相対的に高い関税を支払わされていること、メキシコのNAFTAにおいて占める地位にかんがみれば、早急な対応が求められる対象と言える。
(イ) 日中韓+ASEANが中核となる東アジアにおける経済連携
(a) 基本的認識
上述したとおり、日本周辺の東アジア諸国・地域を最も戦略的に優先度の高い目標とすべきは疑いのないところである。とりわけ、中国の経済発展に伴う中国への投資の増加や中国産品の国際競争力の向上といった現実を踏まえ、中国が東アジアの経済システムに調和的に統合され、日本をはじめ韓国やASEAN諸国との国際的分業体制の中で、東アジア全体のダイナミックな発展に積極的に貢献していくような体制の構築が重要である。このため、如何にして、どのような時間的枠組みとアプローチで、日中韓+ASEANを中核とし、さらには大洋州を視野に入れた東アジアにおける経済連携を実現していくか十分な検討を行うことが必要となっている。日本としては、東アジア全体の枠組みを最終的な目標として念頭に置きつつ、「現実的可能性による基準(上記(1)(ニ))」や「政治外交的基準(上記(1)(ハ))」にのっとり、先ずは韓国及びASEANとのEPA/FTAを追求し、しっかりとした経済関係を構築していくことが重要である。そして中長期的には、そうした土台の上に、中国を含む他の東アジア諸国・地域とのEPA/FTAにも取り組んでいくことが適切である。
(b) 韓国
韓国*18は隣国として、その政治的重要度、幅広い国民的接触に加え、EPA/FTAを通じた深い経済の相互依存関係を構築する必然性は大であり*19、相互の市場の開放による国内の活力の増進や企業の連携等、揺るぎない日韓関係の発展のためにも早期の交渉開始を目指すべきである。日韓FTAについては、両国シンクタンクにより共同研究が行われた後、両国財界人によるビジネス・フォーラムにより包括的な経済連携協定を目指すべきとの共同提言が出されている。また、日本経団連も日韓産業協力検討会を設置し、取り組んでいる。既に投資協定は署名済みであり、日本産業界からの要望も踏まえ立ち上がった産官学の共同研究会においては、具体的EPA/FTAのあり方につき突っ込んだ議論が行われている*20。共同研究を早期に終了し、明年の韓国新政権発足後、できる限り早く交渉に移行すべきである。また、今後、日中韓を中心とした東アジアの経済関係を如何に進展させるかにつき共通のビジョンを韓国と十分議論すべきである。とりわけ、日韓EPA/FTAの締結が実現した後の中長期的課題として、日中韓三国間の経済連携の可能性や東アジアにおける経済連携に向けた方策等につき議論を進めるべきである。
(c) ASEAN
ASEANとの関係強化は日本の対アジア外交の基本の一つである。日本とASEANとの経済関係は貿易・投資や産業協力等の分野において重層的な関係として発展してきており、このような日ASEAN関係を一層強固なものとし、グローバル化の中で然るべく位置付けることは重要な政策課題である。中国もASEANとのEPA/FTAを締結すべく交渉を行っているが、日本としては、ASEANの経済的安定は東アジアの安定にとって不可欠の要因であるとの認識の下、ASEAN経済とのバランスのとれた関係をEPA/FTAを通じて図っていくべきである。東アジア全体の経済連携を達成するためにも、日ASEANのEPA/FTAは、東アジアにおける経済連携の中核となるべきなのである。なお、日本のASEAN諸国全体との貿易額は、米国との貿易額に次いで日本貿易相手として第2位に位置し、その95%は、シンガポール、タイ、フィリピン、マレイシア及びインドネシア(ASEAN5)が占めている*21。こうした事情は、日本の対ASEAN投資についても妥当している。この観点から、日本は、究極的にはASEAN全体との経済連携強化を視野に入れつつも、既にシンガポールとの間に先進的で包括的なEPAを締結していることから、先ずは日本との二国間EPA/FTAに積極的関心を示している主要なASEAN諸国(タイ、フィリピン、マレイシア、インドネシア等)との間で、日シンガポール経済連携協定の枠組みをベースにして、個別に連携の取組のための作業を早急に進めていくべきである。そして、二国間のEPA/FTAの仕上がり具合を勘案しながら、加入条項を含める形で何れかの時点からASEAN全体へと協定を拡大するプロセスに早急に入るべきであろう*22。以上のような考え方から、カンボディア、ラオス、ミャンマー、ヴィエトナムに対しては、ASEAN統合イニシアティブへの支援や貿易関連キャパシティ・ビルディング支援等を引き続き積極的に行うことで、ASEANの一体性に十分な考慮を払うとともに、これら諸国との間で将来的に先進的な内容のEPA/FTAを締結できるよう下準備をしておくべきであろう。
(d) 中国・香港
小泉総理がボアオ・アジア・フォーラムに際し述べられたとおり、中国のダイナミックな経済発展は日本にとって「挑戦」、「好機」である。日中両国は、その発展段階の違いに着目した建設的な相互補完関係を構築することが可能であり、また、日本の産業の高度化を図る上での機会をもたらすものである。中国はWTOに加盟したばかりであり、当面はWTO協定に整合的な国内体制を整備するための経済改革に専念することが優先的課題であると考えられる。日本もそのための協力をすべきである。したがって、中国については、究極的には日中韓+ASEANを中核とする東アジアにおける経済連携を形成するとの観点(「地理的基準(上記(1)(ロ))」・「政治外交的基準(上記(1)(ハ))」)から将来的にはEPA/FTAの可能性を視野に入れつつも、当面はWTO協定の履行状況、中国経済の動向を含む日中関係全体の状況、また、WTO新ラウンドやASEAN、韓国とのEPA/FTA交渉の結果及び現実的可能性による基準((上記(1)(ニ))」)等を総合的に勘案し、方針を定めるべきものと思われる。香港は、極めて開放的な貿易・投資体制を有している。日本は既に投資保護協定を締結している。以上を踏まえ、日本の対外経済関係に占める重要な位置及び中国と香港の経済貿易関係にかんがみ*23、日中間の経済相互依存関係を展望するプロセスの中で、経済連携強化の方途についてEPA/FTAの可能性も排除することなく検討していくべきであろう。
(e) 台湾
台湾は、WTO協定上、独立関税地域であり、他のWTO加盟国との間でWTO協定に規定される純粋な物品・サービスの貿易障壁の撤廃という形のFTAの締結の可能性は理論的・法技術的には検討の対象となり得るが、台湾の関税率(単純平均)は、全産品で6.1%、非農産品で4.8%であり、例えば仮にFTAを通じた関税撤廃を行ったとしても、かかる取組から双方が得られる利益はそれほど大きいとは言えない状況にある。したがって、そのようなFTAの締結を進めるよりも、むしろ、民間経済界の要望を踏まえつつ、幅広い経済関係を視野に入れながら、具体的な分野に即して経済関係の強化を図るべく検討していくことがより適当である。
(f) 豪・NZ
豪州、NZは、日中韓+ASEANを中核とする東アジアの経済連携を拡大して「共に歩み共に進むコミュニティ」(2002年1月のシンガポールにおける小泉総理のスピーチより)を形成していくとの観点から、検討すべき国である。両国との関係では、農産物の扱いが極めてセンシティヴな問題として存在するが、両国が広義の東アジアにおける先進国であって、多くの点でわが国と価値観や利害関係を共有していることも事実である。特に豪州については、鉄鉱石、石炭、アルミ等の資源の大口供給国であり、政治的にも経済的にも重要なパートナーである。また、先進国同士であるため、先進的な経済連携のあり方を模索できるパートナーでもある。具体的には、2002年5月の日豪首脳会談の結果を踏まえて、両国間のより深い経済的繋がりのためのあらゆる選択肢を探求すべく政府間で経済協議を行っているところであるが、両国の経済界が提言しているように、包括的なEPA/FTAの締結を中長期的課題として検討しつつも、短期的には、相互に利益のある分野における連携強化を図るという二段階方式も一案だと思われる。
(ロ) メキシコ
メキシコは、約1億人の人口を抱え、そのGDPはASEAN10に匹敵する大国であり、日本企業にとっては米州市場へのゲート・ウェイと位置付けられる。他方、メキシコはEPA/FTAによる選択的な特恵関係の構築を対外貿易政策の基本に据えているためにEPA/FTA締結済みの米・EUの企業に比較し、日本企業は不利な状況にある*24。したがって、EPA/FTA未締結による明白な不利益を抜本的に解消するためにも早急な交渉の開始が求められる*25。
(3) その他の国・地域に関する予備的考察
(イ) 中南米諸国
(a) チリ
チリは、1970年代より自由経済主義に基づく開放的な経済政策を推進しており、中南米諸国の中では貿易依存度が高い国である*26。このため、同国はWTOにおいて多国間のプロセスを推進すると共に、カナダやメキシコを始めとする米州諸国(計7カ国)とFTAを締結し、EUとも締結交渉を終えるなど積極的なEPA/FTA戦略も同時に進めている。従って、EUに続いて米国、韓国ともEPA/FTAを締結した場合、一定の貿易転換効果が生じる可能性は否定できない。また、中南米で最も政治経済の安定したチリと経済面を含め関係強化を図ることは日本の対中南米外交の観点から有益であることは言うまでもない。他方、チリの関税構造(原則、全産品一律7%のフラットな関税構造)及び2003年までには6%まで下げるとの方針にかんがみれば、上記のような貿易転換効果は限られたものになると見込まれる。また、日本とチリとの間の貿易額(35億ドル、第35位)、チリの主要輸出品(第1位の銅を除けば、加工食品、木材・チップ、果物、魚粉など農林水産品が中心)、我が方の交渉処理能力上の制約を考慮に入れれば、チリとのEPA/FTAを具体的に検討することは、中長期的な課題ではあるが、喫緊の最重要課題であるとは言いがたい。したがって、EUとのFTA及び米・韓との交渉の動きに然るべく対応すべく、どのような形でチリとの経済連携の強化を図ることが最も効率的か、例えば投資やサービスといった分野を中心とするのか、今後研究を開始していくことが適当と考える。
(b) メルコスール*27
メルコスールは、その市場規模及び中南米地域における経済統合の牽引役であるとの観点から、日本にとって無視できない存在である*28。FTAA創設に向けた動き、開始済みのEUとのEPA/FTA交渉等にかんがみれば、日本企業が将来メルコスール諸国との間で、現在メキシコで直面しているような状況に陥り得る前に、メルコスールとのEPA/FTAの必要性を検討することには一定の意義がある。他方、かかる検討を行うに当たっては、ブラジル、アルゼンチンという域内二大経済国の経済政策及び経済情勢の推移を見ていくと共に、同地域にはアルゼンチン、ウルグアイのような農牧業への依存度の高い国が含まれていることも考慮に入れる必要がある。
(ロ) ロシア
北東アジアにおける経済連携強化を図る上ではロシアも視野に入り得るが、同国との経済関係は未だ十分に活発な水準にはなく、サハリンから日本へのガス供給構想のような注目すべき個別プロジェクトはあるものの、当面、EPA/FTAのような包括的な経済関係協定の締結は時期尚早であり、個別案件を通じた関係を強化した後の検討課題であろう。EPA/FTAを通じロシアとの経済関係の強化を図るに際しては、ロシア国内における市場改革の進展やWTO加盟を実現した後、国内経済がどのように改革されるか、また長期的に日本との経済貿易関係がどのように発展していくか、東アジア経済の中でロシア経済がどう位置付けられるか、経済分野以外の分野での日ロ関係の状況等の要素を踏まえて検討していくことが前提となろう。
(ハ) 南アジア
世界第二の人口を有するインドとの経済関係の強化は、その潜在的な市場規模から、日本として当然無視できない存在である。他方、潜在力がありながら、インドが内向的な体質をもった経済である点も考慮する必要がある。インドはWTOにおける自由化に慎重であることを考慮すると、包括的な自由化交渉に向けて準備が整っているとは言えない面がある。したがって当面は、インドとASEANとの経済関係の強化のように、インドがより近接した、また、発展段階も似通っている地域とどのような動きをするのか、その結果インドが国際経済にどのように統合されていくか注目していく中で、連携のあり方を考えることが適当と思われる。
(ニ) アフリカ支援
4.(4)で記述のとおり、EPA/FTAを途上国支援の方途として用いることは理論的には可能であるが、仮にかかる協定の締結を考える場合には、当然ながら、日本企業にとっての利益(相手国市場の規模、貿易転換効果の有無等)の有無も考慮に入れる必要がある。したがって、アフリカとのEPA/FTAを具体的検討課題として検討するためには、まず南部アフリカ開発共同体(SADC)の様に一定の市場規模を持ち、且つ既に第三国(EU)とEPA/FTAを締結している地域との間で、具体的な経済関係の強化のあり方を検討し、さらにアフリカ連合(AU)が全体として関税同盟まで昇華した場合にAUとの間で如何なる協力が適当か考えるということであろう。
(ホ) 北米・EUとのEPA/FTAの可能性
経済界の中には日米EPA/FTAを期待する声もある。日米関係は日本外交の機軸であり、日米EPA/FTAが実現すれば、かかる関係の更なる強化に貢献することになる。また、東アジアにおけるEPA/FTAを優先課題として追求する日本や東アジア諸国に対する無用の懸念を米など他の国に持たれないようにするという意味でも、日米間の更なる経済関係の強化は重要なポイントとなり得る。また、日・米・EUでバランスの取れた関係を構築するとの観点からは、EUとの間でEPA/FTAを通じた経済連携の強化を図るべきとする考えもあり得よう。特に、こうした姿勢は、日本における東アジア経済圏形成に向けた取組が、閉鎖的な経済ブロック作りではないことをEU等に示す上で有益である。カナダの産業界の一部には日本とのEPA/FTA締結を希望する声もあり、これに如何に応えるかは、中長期的な北米市場との関係のマネージメントという観点から、検討すべき課題である。
結論として、米、カナダ、EUとのEPA/FTAは、農林水産物の取扱い等、相当困難な課題があるのが現実であり、当面の課題とし得る状況にはない(少なくとも、我が方が、一方的に農業分野を開放するとの選択肢は考えられず、日本として、かかる協定の締結を通じ相当の犠牲を払ってでも得られる代替利益としてどのようなものがあるのかきちんと検討する必要がある)。また、日米FTAについては、それが実現した場合、貿易転換効果があまりにも大きく、域外国にとっては負の効果が出やすいといった試算もなされていることから、かかるFTAを検討するに当たっては世界貿易全体の厚生といった側面も考慮に入れる必要があろう*29。
何れにせよ、日本のEPA/FTA戦略において日米関係、日EU関係を如何に位置付けるかは、WTOにおける交渉の推移も見据えながら東アジアEPA/FTA(特に日中韓+ASEAN)後の長期的な課題とし位置付けるべきであり、当面の間は、特定分野(例:相互承認)における枠組み作りや更なる規制改革対話等を通じた関係強化を図ることが有益と考えられる。

*15 本稿では便宜上、日本の貿易相手としての「東アジア」を以下の国・地域と位置付ける。
*16 日本の米国、EU、東アジアとの貿易(2000年)
*17 単純平均の場合、日本の関税率は2.9%。なお、非農産品に対する関税率で比較した場合、単純平均で以下の通り。日本(2.3%)、米国(3.2%)、EU(3.9%) シンガポール(6.3%)、中国(9.1%)、マレイシア(14.9%)、フィリピン(23.4%) タイ(24.2%)、インドネシア(36%)、
*18 日本の韓国との貿易(輸出及び輸入)は、2000年の統計で512億ドル(第4位)。
*19 前述のスターン=遠藤(2002)によれば、日韓FTAの結果として、日本側に274億ドル、韓国側に32億ドルの経済厚生がもたらすと試算されている。
*20 『日韓FTAビジネス・フォーラム報告書』(2002年1月)
*21 日本の貿易相手先としては、往復(2000年版『通商白書』)で、マレイシア(7位)、シンガポール(8位)、タイ(9位)、インドネシア(10位)、フィリピン(13位)となっているが、これら5カ国の往復貿易額の総額は、米国に次ぐ第二位に位置し、韓国(4位)との貿易の約2.4倍、メキシコ(20位)との貿易の約16倍となっている。
*22 日ASEAN包括的経済連携構想を推進するに当たっては、北アメリカ自由貿易協定(NAFTA)も参考例とすることが出来る。すなわち、NAFTAとは、米加自由貿易協定を雛型としつつも、譲許の部分等詳細では各国間で異なる米加FTA、米メキシコFTA、加メキシコFTAの集合体であるが、対外的イメージとしては、あくまで「NAFTA」という経済圏であり、米加メキシコの個別の協定の集合体とは捉えられていない。
*23 日本の香港との貿易(輸出及び輸入)は、2001年の統計で約339億ドル(日本にとって香港は第6位、香港にとって日本は第3位)。
*24 NAFTAやEUメキシコFTAの日本の経済的利益及び雇用に与える影響については、以下のような推計がなされている(出典:『日メキシコ共同研究会報告書』(pp.11-12))。
(a) NAFTA発効以後のメキシコの輸入における日本のシェアは低下しており、NAFTA締結時のシェアが現在も維持されていた場合に比べ、約3,951億円相当の輸出が逸失したと計算され、これは日本国以内の総生産6,210億円分の現状、国内雇用31,824人分の喪失につながると推計される。
(b) FTAがないための関税負担により日系企業はメキシコにおける発電プラント・プロジェクトの受注が事実上困難となり、この結果、今後年間1,210億円が逸失すると計算され、これは日本国内の総生産1,966億円分の減少、10,571人分の雇用喪失につながると推計される。
(c) メキシコに進出している某日系メーカーは2000年より部品130億円分の調達先を日本からNAFTAに切り替えたが、これは日本国内の総生産330億円分の減少、1,381人分の雇用減少につながると推計される。
*25 前述のスターン=遠藤(2002)によれば、日メキシコFTA締結の結果として、日本側に63億ドル、メキシコ側に19億ドルの経済厚生がもたらすと試算されている。
*26 貿易総額の対GDP比は約5割。
*27 メルコスール(南米南部共同市場):ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイの4カ国から構成される関税同盟。
*28 メルコスール全体との貿易総額は、2000年の統計で約70億ドル(全体の約0.8%、21位のベルギーに次ぐ額)であり、さほど大きいとは言えないが、国民総所得(GNI)では4カ国合計で約9100億ドルと、ASEAN全体(約5400億ドル)の約1.6倍、韓国(約4200億ドル)の約2.1倍となっており、市場の潜在的規模は大きいと言える。
*29 田秀次郎・日本経済研究センター編『日本のFTA戦略』 p.64 
 
国民の「幸福度」

 

国民の「幸福度」調査に関する質問主意書 
   平成二十二年三月四日
民主党政権は昨年十二月三十日に、「新成長戦略」をまとめた。その中に「生活者が本質的に求めているのは『幸福度』(well-being)の向上であり、それを支える経済・社会の活力である。こうした観点から、国民の『幸福度』を表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取組を行う。」との文言がある。これを受けて「鳩山由紀夫首相は二十八日、菅直人副総理・財務相や仙谷由人国家戦略相らと首相公邸で会い、国民の『幸福度』を調査することを確認した。」(三月一日付日本経済新聞)とのことである。
しかし、日本国憲法第十三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めてあり、幸福追求権は保障しているが、幸福権は保障していない。
 これは、幸福とは各人各様異なるものであり共通の価値観が存在しないこと、それにもかかわらず国が一定の幸福の基準をうち立てることは個人の自由を侵害する可能性が高いこと、幸福権を保障しても実現する見込みがないこと等が理由である。にもかかわらず、政府が国民の「幸福度」調査を行うとするならば、個人の自由に対する重大な挑戦である。
そこで、次の事項について質問する。
一 憲法第十三条の趣旨について、政府の見解を問う。
二 そもそも、「幸福」とは個人個人により違うものであり、抽象的な「国民の幸福」という概念は存在しない。政府の言う「国民の『幸福度』」とはなにか、政府の見解を問う。
三 「国民の『幸福度』」調査の目的について問う。
四 仮に、「国民の『幸福度』」なるものを測る指標が開発されたとして、それをどのように使っていくのか。「国民の『幸福度』」指標から乖離している個人に対して、あなたは指標から乖離しているから幸福ではないと言うつもりなのか、政府の見解を問う。
五 また、「その向上に向けた取組を行う」とあるが、指標から乖離している個人に対して改善プログラム等を勧める意向であるのか。それは、個人の自由に対する重大な侵害ではないか、政府の見解を問う。
六 「新成長戦略」でも認めているとおり、「生活者が本質的に求めているのは『幸福度』(well-being)の向上であ」るとしても、「それを支える」のは「経済・社会の活力である」。政府が行うべきは、前提条件である「数値としての経済成長率」「を追い求める」ことであり、その状況で個人個人が自分なりの幸福を追求していくことは、個人の自由であり、国家が介入することは許されないことであると考える。この点につき、政府の見解を問う。
右質問する。
答弁書
   平成二十二年三月十二日   内閣総理大臣 鳩山由紀夫
一について
憲法第十三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しており、これは、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきとの趣旨であると考えている。
二から六までについて
政府においては、経済的な豊かさのみならず、個人の主観的な満足度等も含め、国民が実感している幸福感や満足感の現状を総合的に表す新たな指標を開発するとともに、その向上に向けて、経済・社会の活力を高めるために必要となる取組を行うこととしているが、これらの取組は、個人個人が幸福を追求するに当たって、政府として環境整備を行うものであり、個人の自由に国家が介入するものであるとの御指摘は当たらないと考えている。
幸福度を表す新たな指標の開発に向けた第一歩として、現在、内閣府において、国民が実感している幸福感や満足感の現状、それらに影響する様々な要素等について、多面的に把握するため、平成二十一年度国民生活選好度調査を行っているところである。 
 
実情と乖離した日本の「共産主義礼賛」中国研究の破綻 2016/8

 

<習政権の弾圧はついに親中派の日本人にも及んだ。日本の中国研究の、非現実と無批判が支配する中国論は、曲がり角に差し掛かっている>
「正面からの反論よりも、無視されるのが怖い」
これはある中国人知識人が日本の中国研究の壁にぶつかって漏らした感想だ。彼は漢民族出身で、北京にある政府系のシンクタンクの研究員だった。労働者の待遇改善を求めて、工会(組合)活動に参加したところで逮捕されそうになった。東南アジア経由で日本に入国し、事実上の亡命生活を送っていた。
シンクタンクで培った彼の長年の実地調査の成果は、日本の中国理解に有用なものばかり。そこでいくつかの日本の大学で研究成果を披露したが、「個別事例にすぎない」と教授らに言われた。膨大な内部資料を並べて論理的に説明しても、彼らは「そんなものは見たこともない」と、真摯に耳を傾けようとはしない。
日本人研究者から完全に冷遇され、大いに失望した彼は、「中国共産党よりも日本の中国研究者のほうが、中国の実情に向き合おうとしない」と言い残して、つい最近、第三国へと出国していった。
現地の実情とは乖離した研究と中国共産党政権への無批判は、日本の「中国学」の伝家の宝刀だ。日本人の中国研究者の大半は現地の農山村や労働現場に入ったこともないし、行く気すらない。中国共産党の息がかかった「日中友好団体」を通して、「日中友好人士」としてたまに北京や上海といった大都市を観光。現地で小遣いをもらい、高級中華料理に舌鼓を打ち、上等な茅台(マオタイ)酒にふける。
帰国後は、「日中友好交流を促進する」として、現実の中国社会に関する情報を隠蔽し、客観的な中国研究の成果を敵視する。すべては自己保身のためだ。
日本の大学には、こうした「日中友好交流」を経営上必要とするところもある。少子化で学生集めに苦労しているような、魅力のない大学だ。中国でまともな学校を出ておらず、偽造書類で学歴を偽った人たちを大量に受け入れて経営難を乗り切ろうとする。こうした経営者は持続的に学生を確保したいが故に、声高に「日中友好」を叫ぶが、客観的な中国研究には無関心だ。
研究者の自己保身と大学の経営難。こうした理由から、多くの大学に中国語や中国文化を教える教授陣がいても、彼らが黒板に描くのはどこにも存在しない「想像上の美しい中国」だけだ。
打算的で、利益優先の中国研究をイデオロギー面で支えているのは、日本独特の左翼思想とマルクス主義的精神文化だ。19世紀末の明治維新の直後からどの国よりも多数のマルクスやレーニンの著作を翻訳した日本には、ソ連と中国以上に強い共産主義礼賛の伝統がある。共産主義の危険な思想を広げる運動家やアナーキストでさえも、「象牙の塔」に守られてきた。
彼らの弟子たちはずっと、日本の有名大学の主要なポストを独占することができた。彼らにとって、ソ連が崩壊した後は唯一、中国だけが「憧憬の地」であり続けてきた。
「理想の共産主義国家」には労働者問題はあってはいけないし、人権弾圧の事実もあるはずはない。ましてやチベット人やウイグル人、モンゴル人が主張するような民族問題なども、「文明人と夷狄(いてき、野蛮人)」の対立という漢民族史観で中国を研究してきた日本の中国研究者は耳を貸さない。
こうして中国の本質を知る中国人の研究を日本は無視してきた。だが先月には「日中友好」を献身的に支えてきた日中青年交流協会の鈴木英司理事長がスパイ容疑で中国当局に拘束された。日本人だけではない。日本の大学に勤めながらも、常に北京当局を擁護する発言を繰り返し、中国政府の代弁役を演じてきた人物も昨年までに、複数名拘束される事件が発生している。
むやみに中国を称賛せずに現実のわが国を見よ、と習政権がメッセージを送っている――そんなわけはあるまいが、純朴な日本人はまだ夢から覚醒していないところが悲しい。 
 
「福祉国家の構造と政治体制」

 

はじめに
「福祉国家(Welfare State)」なる語は、第二次世界大戦を反ナチズムの側で戦った国々が、ナチズムの「戦争国家(Warfare State)」に対抗する自らの呼称として作り出した、いわば語呂合せに端を発しているという(伊部、四頁)。そうだとするなら、「連合国(United Nations)」が敵対する枢軸諸国を打ち倒し、対抗する諸勢力の中の一勢力ではなく、唯一の「国際連合(United Nations)」となったのと同様に、「福祉国家」も「戦争国家」を打ち倒した第二次大戦後、現代の国家一般を指す普遍的な呼称に昇格したのだ、という類推を行いたくなる誘惑を押さえがたい。
事実、「福祉国家」は「イデオロギーの終焉」とともにすべての国々がそこへ収斂して行く、現代国家のモデルとして捉えられたこともあった(注1)。そして、そのような捉えられ方をしたがゆえに、左翼勢力からは現代資本主義社会の諸矛盾をおおいかくし、資本主義国家の延命を計るものとして忌避されたこともあったのである。現在では逆に、保守派が「福祉の見直し」をとなえ、左翼は福祉国家を、また、福祉国家の成果としての福祉政策を擁護しようとする。この間そうした立場の入れ替わりなどがあり、かならずしもすべての国が当然目指すべきモデルや、当然そこに向かってしまう収斂の終着点というわけではなくなったようにも思われるが、いまだに一定の普遍性を持った概念であることは間違いない。
本稿で問われなければならない問いはまず、この点から立てられることになる。すなわち、「福祉国家」は産業化が一定進展すればその必然的な結果として起こり、その姿は諸国の政治的状況にかかわりなくある程度一様なものと捉えてもよいのか、あるいは、福祉国家の体制にも様々なものがあり、その相違は理論的な整理を行わなければならないほどのものなのか、という点である。
この点について、本稿が示唆する回答は、分析者の視点の置き方によってその見方は異なるものとなるというものである。つまり、産業化を一定程度達成した国々とそれがいまだ途上にある国々を比較すれば、産業化を成し遂げた国々ではいわゆる福祉政策がいずれにせよかなりの程度実施できているという点では大きな差はないということになるが、そうした一定の産業化を達成した国々の間の比較をすれば、産業化の程度が同じ国々の間で、政治のありかたにより福祉政策のありかたにかなりの差異が生じている、ということが言えそうだということである。
すなわち、産業化の達成度においてかなりのものを成し遂げたいわゆる高度産業国家と、産業化がこれからの課題である途上国を同列に比較するならば、高度産業国家間の差異などほとんど無意味に見えてしまうぐらい途上国と産業国家の差異は大きいわけだが、高度産業国家だけを比較の対象として見つめたときは、それらの国々の間の差異がはっきりと見えてくるだろうということである。
こうして上述の分析者の視点のうち後者の視点をとり、すなわち、産業化を一定達成した国々を比較する目的で見つめたとき、世界が一様の「福祉国家」に収斂するというのでないということになるのならば、問いを次の段階に進めることができる。すなわち、高度産業国家の中に見られる多様な「福祉国家」をどのように分類すればよいのか、あるいはそれらはいかなる指標により分類されるのか。そして、そうした多様性を産み出した原因は何か。すなわち「福祉国家」を多様な姿に発展させて来た原動力は何であったのか。こうした問いかけをすることにより、途上国と比べれば、とにもかくにも「福祉国家」となってしまう高度産業国家の政治体制、政治構造の差異がもたらすところの福祉の政策出力の差異について議論を進めることができるであろう。
本稿では、福祉国家をもたらしたものが何であったかについて論じて来た何人かの論者の所説を簡単に追いながら、上述の問いを上述の順序で考えて行きたい(注2)。また、特にこれらの論者の変数の扱い方について注目して論述を進めたいと思う。まずは、福祉国家の形成因を主として社会経済的な変化、産業化にもとめ、それゆえに、様々の福祉国家間の相違よりもむしろ共通点に注目して、政治的文化的な相違を乗り越えて国家は産業化の進展とともに一様の福祉国家に収斂して行く、というタイプの議論を検討しよう。
収斂理論 (福祉国家の政治構造論争の始まり):ウィレンスキー
当人は自分の議論がそのような単純な分類をされてしまうことには納得がいかないと言うかもしれないが、ハロルド・L・ウィレンスキー(Harold L. Wilensky)をひとまず、この収斂理論の代表に挙げておこう。福祉国家研究においては古典としての地位を確立した彼の『福祉国家と平等』において、その主たるねらいとして「都市型産業社会(urban-industrial societies)に関する収斂理論(convergence theory)」の検証を挙げているのであるから(Wilensky 1975, 訳書、一六頁)。
ウィレンスキーの議論は、世界の六四カ国をサンプルにして、従属変数として福祉事業への公共支出をとりあげ、これに対するさまざまの説明変数をテストすることにより福祉国家を形成するについて大きな影響力を持つ事項を確定して行こうというものであった。すなわち、「イデオロギー、政治体制、経済は、福祉国家の発展と真の福祉成果に対してどのような影響を与えているのであろうか?」(訳書、五一頁)というのが、この書物に課された課題であった。
   社会保障支出、軍事支出、高等教育就学率(64カ国)
そして、結論は、福祉事業への公共支出の差を説明するのは主として経済水準であり、イデオロギー、政治体制などは大きな説明力を持たないというものであった。六四ヶ国の福祉事業への公共支出とその他の変数を統計処理しパス解析を行った結果、「長期にわたってみると、経済水準が福祉国家の発展をもたらす根本的原因である」(Wilensky1975, p.47, 訳書、九八頁)としている。この根本的原因が福祉国家発展に直結するのではなく、これに二つの変数を加えて因果のパスを形作り、マクロな説明モデルを提供している。
すなわち、経済水準の発展が、人口構造の変化(出生率の低下と高齢化)をもたらし、福祉ニーズを作り出す。そして、ひとたび、こうしたニーズに対応して福祉プログラムが作り出されると、それはやがて成熟し、適用範囲を拡大し給付の増額を計る動きが始まる。こうして経済発展は、福祉国家発展の主因ではあるが、それは、長期的には人口構造変化の圧力と福祉事業を主管する官僚制の自己増殖を介して、福祉国家発展に結び付いている、とされるのである。この説明モデルはこれだけで決定係数八三パーセントと非常に高く、「その結果は、イデオロギー、政治体制、軍事支出といった項目を含めようと含めまいと変わらない(Wilensky 1975, p.47, 訳書、九八頁)」とされる。  こうしてウィレンスキーの所説は、経済発展が福祉国家を招来するという意味の収斂理論を実証して見せた、ということになる。
   社会保障支出(22カ国 要素費用GNP対比)
ウィレンスキーが利用したデータを見れば、一人あたりGNPが一九六六年時点で三、五四二ドルの合衆国を筆頭とするOECD加盟諸国から五○ドルのアッパー・ボルタまでの広がりを持っている。この広がり具合からすれば、「福祉国家」を達成していた先進国間にあるほとんどの差は吸収されてしまって、「福祉国家」を達成した国と未だそこに至らない国の間の比較をすれば、「福祉国家」の形成、すなわちウィレンスキーの定義によれば、公共支出のかなりの部分を福祉事業関連に支出できるようになることについては産業化の進展が主因である、という結論となるのも当然であろう。公共支出のかなりの部分を福祉政策にあてることのできる国は世界の中では限られているのである。視野を文明史的に広くとるならば、産業化の進展こそが福祉国家の原動力である、という解釈は否定し得ないものであろう。
しかし、ひとたび視野を限定して、たとえばOECD加盟諸国のみに限れば、等しく「豊かな社会」の到来を見ながら、福祉政策への公共支出にかなり大きな差異があることはもとより、定量的には同程度の支出であってもそれをもってなされる政策の内容、対象などに国によるかなりの相違があることが知られている。ウィレンスキー自身もまた、世界大の比較を行って収斂理論の検証を行った次の段階で、先進諸国に見られるこうした政策上の差異をもたらすものは何なのかに関する研究に進んでいる。
『福祉国家と平等』の段階で、いくつかの社会構造上の変数が「中範囲の理論」として一定、先進諸国間の福祉支出の差異を説明するとしている(訳書、一一一頁)。先進国で福祉国家がもっとも発展し、それを支えるイデオロギー(彼はイデオロギーはむしろ従属変数であるとする)も最も強力となるのは、彼の整理によれば以下の場合である(訳書、一三八頁)。
1.社会移動が緩やかで、大規模で強力に組織された労働者階級が存在し、中央集権化された政府が彼らを動員することが可能で、彼らの要求に応えていかなければならない場合。
2.中流大衆が、富裕者階級、中産階級上層と比較して、彼らの租税負担を不公平なものとみなしておらず、貧困層との間にも大きな社会的距離を感じていない場合。
3.租税制度がきわめて目に見えにくい形で存在しており、自営業の経験をもつ者が少なく、私的福祉制度も制限されているような場合。
こうして、収斂理論にそった主張を行ったとされる『福祉国家と平等』の段階で、すでにいわゆる先進国間の福祉事業のあり方の違いへの周到な目配りを見せていたウィレンスキーは、一九八○年代に入って「危機」を喧伝され始めた福祉国家について、厳しい挑戦を払いのけることのできる政治経済体制とそうでない体制の区別を行っている(Wilensky 1981)。彼が福祉国家の体制を論ずる時のモデルとして考えたものは以下の3つである。
1.協調主義的民主主義(corporatist democracies) これは、特に労働組合、使用者団体、職業団体などの利益集団が集権的に強力に組織され、相互作用し、集権的な政府が法によってもしくは非公式の合意をもって彼らの進言を入れるよう決められているような体制で、オランダ、ベルギー、スウェーデン、ノルウェイ、オーストリアがこれにあたり、徐々に西ドイツがこれに近づいている、とされる。
2.労働の完全参加なきコーポラティズム(corporatism without full-scale participation of labor) 日本、フランス、そしておそらくスイスがこれに属し、これらの国々の間で国家官僚制の強さに差はあるものの、ビジネスコミュニティが政策決定・執行に特権的な地位を有していることを特徴とする体制である。
3.断片的かつ分権的な政治経済体制(fragmented and decentralized political economies) アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアがこれに属す。
もちろん、第1のものが最も福祉国家に親和的である。
さて、こうしたウィレンスキーの研究の発展をどのように理解すればよいか。
ウィレンスキーは、『福祉国家と平等』において収斂理論の検証を行うと明確に宣言し、また、これを検証したとしている。世界は巨視的には収斂するが、視点を変えて「福祉国家」を達成している国々だけを見たとき、その差異を説明する中範囲の理論としての政治体制関連の変数への言及がこの書物ではなされたと考えるべきなのであろう。その後の彼の研究は先進諸国間の類似点ではなく、相違点とその拠って来たる所の解明に進んでいるようであるが、巨視的に見て大同小異の先進国は収斂したと言えるとして、その先進国間の差異を説明する中範囲の理論の検討に進んだということなのだと考えられる。先進国に限定してしまえば、福祉国家のありようにマクロな影響を与える社会経済的変数は有意性を失い、政治体制関連の変数が一定の有効性を持ってくるのである。
ともあれ、ウィレンスキーの研究は、後の発展も考えると少し分かりにくくなるが、一般には収斂理論、すなわち、国家は産業化の帰結として必然的に福祉国家に向かい、そうした福祉国家をもたらす原動力は産業化そのものであって政治的なものは関係ないとする「政治変数無効(Politics doesn't matter.)説」の代表と考えられている。
福祉国家をめぐる政治体制の議論は、かなりの影響力を持ってしまった彼の言説に対する「政治変数有効(Politics does matter.)説」の側に立つ人々の反論を出発点とする、という捉え方もできると思われる。もちろん、本稿のような解釈をすれば、この両者はまったく対立するものではなく、単なる視点の違いであり、ウィレンスキー自身の研究のなかにすでに後者の論も含まれている、ということになるのではあるが。
以下では、政治的変数に注目してそれにより福祉国家や政策出力の差異を析出していこうという議論を行った論者を幾人か取り上げる。こうした論者の議論を、社会的な政治勢力自体に原動力を見ようとした政治勢力重視論と、国家構造それ自体、もしくは国家アクターに主たる原動力を見ようとした議論に分けて検討してみよう。
政治勢力重視論─1 (政党重視論):キャッスルズ
ウィレンスキーの議論は、イデオロギーや政治体制が福祉国家の原動力にはなっていない、という一見常識に反する事を、厳密な方法をもって論じた点でインパクトがあった。そして、当然ながら、政治的な要素が福祉国家の原動力になっていないはずはない、という、いわば「常識」のサイドからの反論がなされることになる。そして、この反論が、福祉国家を成り立たしめた政治構造の分析、ひいては、福祉国家に結び付けられる諸政策出力をもたらしやすい政治体制とそうでない政治体制の相違の分析をうみだしていくのである。
批判はまず、ウィレンスキーの方法に向かう。ウィレンスキーの方法自体が厳密に定義されているがゆえに、批判は具体的にできるという意味でたやすいと同時にウィレンスキーと同程度もしくはそれ以上の方法的厳密さが求められることになり、その意味で論争は建設的なものとなる。ここではウィレンスキーの説明、被説明の両変数ともに定義上の問題を問い、かわるものを提起するなかで、独立変数としての政党勢力分布を強調したフランシス・G・キャッスルズ(Francis G. Castles)の研究(Castles 1978)を取り上げる。
まずは、独立変数に関するキャッスルズのウィレンスキー批判を見てみよう。たとえばキャッスルズはウィレンスキーのイデオロギーの定義を批判する。イデオロギーが福祉国家の成立ちに関係ないものになってしまっているのは、その定義が間違っているからだ、という批判である。彼が言うにはイデオロギーというものはウィレンスキーが語ったような「平等の計画」もしくはその対極の「機会の平等」とかいうものの程度という単純な尺度の上で測定されるものではなくて、どのようにして平等な社会を達成するかの戦略にかかわるものである。キャッスルズの分析が主たる関心の対象にするのはスカンディナヴィア諸国の「機能的社会主義(functional socialism)」もしくは「中道(the middle way)」(注3)を追求している社会民主主義政党の成功因(Castles 1975, 76)であるから、こうした政党のイデオロギーと「生産手段の国有化による、資本主義の報償システムに対する正面攻撃(マルキシズムのこと:筆者)」を一緒にしてしまう分析を行ったのでは、イデオロギーは福祉出力の差を説明しなくてあたりまえだ、というわけである(Castles 1978, pp.54-5)。
従属変数についてもキャッスルズは単なる福祉分野への公共支出だけでは各国の福祉への取り組み、福祉政策の成果は測定できないとし、GDPに占める政府収入の比、GNPに占める教育に対する公的支出の比、新生児死亡率、の3項を一定の方式(注4)により指標化し、これの平均をとることでこれらを総合した、「純粋福祉指標」を作る。さらには、これに一人あたりGDPから作った指標を算入し、「福祉国家供給指標」を作る。
この二つの指標がキャッスルズの提起する従属変数である。公表された国際比較可能な数値の操作により従属変数を作るという意味ではまったくウィレンスキーの方法を踏襲しているが、導き出したい結論は、福祉国家は主として産業化により作り出される、という以上に、政治的にも作り出される、というものであった。
キャッスルズは産業化の程度を示す経済関係の変数の重要性は承認する。しかし、経済の豊かさは、かなりの資源を福祉支出に割くことができるかどうかを決めているには違いないが、いったんそういう敷居(threshold)を超えてしまった国々の間の違いを説明するのは豊かさの程度ではなく、政治である、ということである(Castles 1978, p.72)。二つの指標はこういう主張を実証するために作り出されたものであるといえる。
「純粋福祉指標」のうち、政府収入の対GDP比と教育への公的支出の対GDP比は福祉に向けての政府の努力を指標化したものであり、新生児死亡率は成果を指標化したものである。OECD加盟国二五ヵ国(ユーゴを含む)より上位一五ヵ国を抜き出し「純粋福祉指標」と一人当りGDPを比較したとき、両者にはまったく相関はない。敷居を超えていると思われる国々の間での福祉の実践の相違は経済的指標により説明されない、ということである。
では、こうした国々の福祉に対する姿勢の差を作り出しているのは何か。キャッスルズは、「純粋福祉指標」に「他の指標と併用することで比較対象の二五ヵ国それぞれの労働者階級が手に入れることのできる実際の福祉の水準を近似的に示す(Castles 1978, p.65)」一人当りGDPを算入し、実際の福祉水準と考えられるものを示す「福祉国家供給指標」を作り、これで各国の順位づけを行い、実際そうした国々の間では何が異なっているのかを検討していく。
まず、キャッスルズは本稿でも先に触れたウィレンスキーの中央集権仮説に言及している(Castles 1978, p.72)。福祉国家供給指標の上位の国々はほとんど中央集権的な体制をとる国々で、逆に下位の国々には連邦制国家が多い。また、純粋福祉指標と一人当りGDPの乖離が大きい国(すなわち豊かであるのに福祉支出の少ない国)の上位四ヵ国(オーストラリア、スイス、アメリカ、西ドイツ(注5))は、みな連邦制国家である。キャッスルズはウィレンスキーのこの仮説を支持し、福祉改革を追及する政治集団にとっては分権的政治体制はかなり重大な阻害物となっているようであると述べている。
   福祉国家供給指標順位と右翼政党の強さ
福祉国家の差異をもたらす独立変数として、次に挙げられるのが政党の配置である。福祉国家供給指標の上位四ヵ国はスウェーデン、ノルウェイ、オランダ、デンマークである。スカンディナヴィア三国については強力な社会民主党優位のシステムが高レベルの福祉を達成した、と言えそうであるが、オランダの存在ゆえに強力な社民党は福祉国家の十分条件ではあっても必要条件とまでは言えない、ということだ。では、オランダの場合などはどのような説明をすればよいか。福祉の推進役としての社民党への言及に続いてキャッスルズはそれを阻害する勢力について語る。絶対数では少なくても歴史的、政治構造的に特権的階層が力を持ってしまい、それが単一の右翼政党に組織されてしまうと富の再分配はなし難い。こういう強力な組織があるところでは福祉国家は成立し難く、逆に右翼組織が弱いところでは福祉国家は成立しやすい。代表的右翼政党の一九四五年から一九七二年までの得票率を比較したとき、上の表に見るように福祉国家供給指標の上位の国家はおおむねそうした右翼政党が弱く、下位の国家では得票率の高い強力な右翼政党が存在することがわかる。
こうしてキャッスルズは、ウィレンスキーのような公表された数字による国際比較を行うという方法により、いわゆる先進国間の福祉国家のありようの違いを浮かびあがらせ、そうした違いもたらすものとしていくつかの有力な独立変数を提示した。彼の議論は福祉国家の構造と体制を考察するとき、かなりの貢献をしたものだと考えられるが、最大の貢献はおそらく、ウィレンスキーの前段の議論(収斂理論)と、後段の、中範囲の理論として語られている、先進国の政治構造の違いが福祉国家のありように与える影響の議論を、「敷居(threshold)」という概念を用いて明瞭に切り分けたところにある。彼の議論を踏襲することで、「政治」が有意であるのかないのかという議論に深入りすることなく、われわれは政治のありようの違いが当然、福祉国家のありようを異なるものにする、という議論をすることができるのである。
キャッスルズの議論の概要とその評価については以上であるが、彼の意図とは別に彼の議論が面白い論点に気付かせてくれるところがあるので、少し触れておく。キャッスルズはOECD加盟諸国二五ヵ国からさらに高度に発展した国家一七ヵ国を選び、最終的にはデータに欠落のない国家をそろえて一五ヵ国にしぼっているのだが、その際、日本は最初の一七ヵ国に入っていない。なぜ、彼が日本をOECD加盟国のなかの福祉のパフォーマンスでは上位に属する国家としなかったのか、の理由は、福祉に関する国際比較を行うための枠組みについての留意点を教えてくれる。
データは、教育支出についてが一九七五年、他は一九七七年のものであるが、日本を排除したのは政府歳入の対GDP比が低いからだということである(p.67)。他の国々については一人当りGDPが三、○○○ドルに満たない国を除いた、ということだが、日本のみはこれを満たしてはいるが、政府歳入が少ないから除いた、ということである。この指標は「市場メカニズムではなくて中央、地方の政府が国家の資源配分に関する調停者となっている度合(p.60)」を示しているということだから、福祉というものは基本的には国家が行うものである、ということが前提にされていることがわかる。ウィレンスキーにおいても福祉の指標は公的支出であった。もちろん、福祉が私的スキームでは実現し難いものであることは当然であり、福祉が公的施策であるというのはどちらかというと定義に近いところがあるが、日本における「公(おおやけ)」と「私(わたくし)」は、欧米のように国家と個人という対抗関係に必ずしもぴったり重ならないようにも思える。キャッスルズは「低い」と分類した日本が、福祉の結果を測定する指標として出した新生児死亡率では非常に高い成績を収めていることに若干困惑ぎみであるが、国家と社会と分けたときの社会のサイドに福祉を担ってしまう「公(たとえば企業)」があるのだとすれば、低い政府のコミットメントと高い福祉パフォーマンスは両立しないことはない。ミグダル(Migdal, Joel S.)風にいえば、「弱い国家」を「強い社会」が支えているスタイルであるが(注6)、国家間の統計をつかった比較研究でこのあたりをフォローすることは難しい。日本の福祉政策を検討するときには留意すべき点なのかもしれない。
政治勢力重視論─2 (労働勢力重視論):エスピン−アンデルセン
ウィレンスキーもキャッスルズも、従属変数としての福祉国家のありようを公表された数字を操作することによって作り出し、その差異をもたらした独立変数を探究する、というスタイルの研究を行った。ただ、従属変数を作り出すについて、データの収集可能性やインディケータとしての正確さについての言及はあるが、理論的な言及はやや希薄であった。つまり、それぞれの論者が操作した数字はどのような意味での福祉国家を表わしているのか、各論者はそれぞれの「福祉国家」にいかなる定義を与えようとしているのか、について、あまり体系的な議論はなされていないように思われる。ウィレンスキーのイデオロギーの定義のしかたを批判し、福祉国家の指標としても公共支出は福祉国家の内包する平等主義を正しく表現しないとしたキャッスルズは福祉国家についての理論的検討を行っていないわけではないが、正面きっての体系的議論をしているとは言い難い。彼の指標が表わしているものは彼の考える福祉国家の達成度であることは間違いないが、それは端的に言って何なのか、もしくは、理論的には何を見ているのか、についての言及はないように思われる、ということである。
これに対して、先の二者同様、公表された数字の操作により従属変数を構成するという方法を踏襲しながら、福祉国家の達成度を測定するとき、その中心的概念としての「脱商品化(decommodification)」を構想し理論的説明をしようとしたのがヨスタ・エスピン−アンデルセン(Gosta Esping-Andersen)である。本節では彼の所説を検討しよう。
エスピン−アンデルセンは、ウィレンスキーなどの公共支出に着目する単線的得点付与(linear scoring)アプローチを批判する。公共支出は福祉国家の理論的実態に対して現象的なものを表現するにすぎず、権力、民主主義、福祉が関係的、構造的現象であるという社会学的観念と矛盾するというわけである。たとえば、サッチャー時代のイギリスでは福祉への公的支出は多かったが、これは高い失業率の反映に過ぎないし、オーストリアのように特権的な公務員たちに多大の給付がなされる国家もあるわけだから、福祉国家をマーシャルの「社会的市民権(social citizenship)」の概念を中核として考えたとき、正しい指標を提供しているとは言い難い、というわけである(Esping-Andersen 1990, p.19)。
そこで彼は、福祉国家の時代の権利として提起されたマーシャルの「社会的市民権」を拡充し、国家の活動がどのように市場や家庭と関連づけられているか、換言すれば、国家がどの程度市場や家庭に依拠することなく自らの手で、権利としての福祉サーヴィスを提供しているかを見るための概念的な指標としての「脱商品化」を提起する。脱商品化の定義は、「生計を立てるためのサーヴィスが、権利として市場に依拠することなく与えられること」もしくは「市民が、自らそれが必要であると考えたときに、職、収入、一般的福利を失うおそれなく自由に仕事を離れることができること」である(Esping-Andersen 1990, pp.19-23)。
こうして福祉国家の定義の中核にマーシャルの社会的市民権を置き、これを比較研究に使える操作可能な概念としての「脱商品化」に作り換えて、エスピン−アンデルセンは従属変数としての福祉国家を整理する。
彼が脱商品化の程度を比較するために検証したのは年金、傷病保障、失業保障の三項である。彼の方法を示すために、年金について何を見たのかを簡単に記してみよう。まず、比較対象とした代表的な先進国一八ヵ国(注7)の、製造業に従事する標準的な労働者の平均賃金に対する最低限の年金額の比、標準的な労働者の平均賃金に対する標準的な年金額の比、年金受給資格を得るに必要な醵出年限、年金財政が個人の醵出に依拠する割合のそれぞれについて各国別データを集める。このデータそれぞれについて脱商品化の観点から見たときの得点を三段階で付与していく。すなわち、脱商品化の程度の高いものに三点、低いものに一点、中位のものに二点を与える。三分するについては群の平均、標準偏差から計算して分類する。こうして得た得点を加算し、これに年金受給開始年齢以上の人口に対する実際の受給者の割合で重みづけを行う。さらに、個人が働くのか福祉に頼るのかを決めるときの重要さに鑑み、標準的な年金額の得点についてはさらに重みをつけるために二倍にして計算する。
同様のデータの吟味と計算を傷病保障の制度と失業保障の制度についても行い、それらを加算することで脱商品化の得点を得るのである。(Esping-Andersen 1990,p.54)。
こうしてエスピン−アンデルセンは脱商品化の程度を指標として、下表のようにサンプルとして選んだ一八ヵ国を三つのグループに分かつ。
   脱商品化得点
こうして高得点のスカンディナヴィア国家、中位の日本およびヨーロッパ大陸国家、低得点のアングロサクソン国家に三分されるわけであるが、三つの国家群はそれぞれ社会民主主義体制、保守主義体制、自由主義体制と名付けられる。この三つの体制がエスピン−アンデルセンが福祉国家の原動力を探究するときの従属変数となるわけである。
独立変数としては「唯一の強力な原動力を見つけ出そうなどという望みは捨て去らねばならない」と断わりながら、三つの要素が重要であるとして挙げている。すなわち、階級動員(とりわけ労働者階級)のありかた、階級政治の連合構造、それぞれの体制が制度化された際の歴史的遺産がそれである。
労働者階級の階級動員のありかたはまず、労働組合運動の組織のされ方に見られるとされる。そのありようは翻って、政治的要求の表明や階級の結束力、労働者政党の活動範囲などに決定的な影響を与える。したがって、階級動員を見るためにはまず、組合の構造に関心を払わねばならない、というわけである。しかし、エスピン−アンデルセンは、どのような階級動員のありかたがどの福祉国家体制に結び付くのかについては論じていない。むしろ、階級動員が社会民主主義体制をもたらしたとする見解はスウェーデンのケースを一般化しすぎである、と批判もしている(p.19)。ここでも単線的得点付与アプローチに対する批判が見られ、左翼の議席数、得票率の増大や組合の組織率の上昇などが福祉国家の強化に直接結び付くわけではない、とするのである。
代わりに強調されるのが階級間の連合のありかたである(注8)。どのような階級動員がなされても労働党、もしくは左翼政党がそれのみで福祉国家を形成するのは不可能に近く、歴史的事実としても、福祉国家の成立は政治的連合の形成に依拠していたのである、というわけである。農民勢力との連合に成功したスカンディナヴィア、農民が保守派と連合し左翼を孤立させた大陸諸国、農民勢力が衰亡していたり、連合できなかったりと理由はいろいろだがともあれ赤緑連合の形成ができなかったアングロサクソン国家、というぐあいに、連合のありかたは福祉国家の体制に対応している。
連合のありかたで体制の相違が説明されるのは福祉国家形成期だけの話ではない。スカンディナヴィアでは農民勢力が衰退し代わって新中間層が台頭してきたとき、労働者階級は連合のパートナーを切り替え、すなわち、赤白連合に切り替えて福祉国家を支える体制を維持した。それゆえにこれらの国では福祉国家のコストは高いのである。イギリスではすでに福祉国家形成の時点で、農民勢力は小さく代わりに新中間層の勢力が大きかったので、公的福祉に依拠せざるを得ない層と、私的にすなわち市場において生活保障を得る層のデュアリズムの構造ができた。アメリカでも新中間層は市場に向かう。大陸諸国では新中間層は保守派と結び、職業構造に固く結び付いた社会保険のシステムを発達させる(pp.29-33)。
歴史的遺産についても触れておこう。過去の改革は階級の選好や政治行動の制度化に結び付く。大陸国家では職業的地位に結び付いた社会保険の制度が中間層の忠誠心を一方的にそのような形の福祉国家に集中させる。自由主義体制では中間層は市場と抜き難く結び付く、というわけである(p.32-3)。
こうしてエスピン−アンデルセンが重要であるとした三つの独立変数を見ていくと、中でも労働者階級の対中間層連合選略の成否が決定的である、としているようである。本稿で社会勢力重視論とするゆえんである。
エスピン−アンデルセンの議論もまた、ウィレンスキーやキャッスルズのように公表されたデータを使いつつ、福祉国家の国際比較をするための従属変数を作り出すというものであった。ただ、その際に彼は、その従属変数が理論的に示すものを明確にし、自らの方法で測定されるのはいかなる福祉国家の達成度なのであるかを明示した。従属変数の精緻化については彼が最も高い到達を示しているであろう。
国家構造、国家アクター重視論─1 (ステイティストの登場):ワイァ、スコッチポル
これまでに取り上げてきた三人の論者の議論は、福祉国家をもたらしたものは何か、という問いを共有し、それぞれ福祉国家の達成度と考えるものを従属変数にし、その差異を導出する独立変数を探究するというスタイルを持つものであった。とりわけ本稿ではその従属変数を公表されたデータからいかにして操作的に作り出しているかに着目して追ってきたが、最後に取り上げる国家構造、国家アクター重視論の論者たちはやや趣きを異にしている。
まず最初にマーガレット・ワイァとティーダ・スコッチポル(Margaret Weier and Theda Skocpol)の議論を検討することで、彼等の議論はこれまでの論者と何がどのように違うのかを明らかにしていこう。
彼等が従属変数とするのは分析者の視点でいったん抽象化されたものではなく、具体的実態としての国家の政策的対応である。かれらは多数の国家のデータを集めてこれを操作していくつかの従属変数としての国家群に整理していく、という方法をとらない。問題にされる国家はスウェーデン、イギリス、アメリカに限られている。なぜなら、彼等の議論においては国家は従属変数ではないからである。
彼女たちによれば、ここまでの議論が国家を従属変数としたため、国家は経済的状況や政治勢力の動きに対して一方的に受動的にしか対応しないかのように論じられてきたとされる(Weier and Skocpol, pp.117-8)。言われてみれば、産業化の帰結としての福祉国家然り、右翼政党の弱さの反映としての福祉国家然り、赤緑同盟が、のちには赤白同盟がもたらした福祉国家然りであるようにも思える。これに対して、彼女たちを含むいわゆるステイティストと呼ばれる一群の研究者たちは、福祉国家をもたらすものを探るためには、社会経済的環境から独立に行動する国家アクターや国家の制度的構造そのものをも独立変数ととらえることで分析はより豊かになるという主張を行ったのである(注9)。
ワイァとスコッチポルが分析に再導入すべきであるとした国家とは何か。彼等は二点が重要であるとする。まず、いかなる社会集団の圧力や選好にも解消され得ない国家アクターの自律的活動。ついで、社会の全ての集団の政治に間接的に影響を与える国家の組織構造である。国家の行政的、財政的、強制的、法的な組織編成や、国家がすでに行っている政策が、集団やその代表者たちが政府活動の領域において何が望ましく、また、そもそも何が可能であるかについての考えを展開させるに当たって影響を与えているということをその内容としている(p.118)。こうした内容を図式化したものが下図である。
   概念図
彼等の論稿は、一九三○年代にいわゆる社会ケインズ主義的政策が導入され、福祉国家を発展させたスウェーデンと、その導入ができなかったケインズの母国イギリス、その導入がいわゆる商業ケインズ主義にとどまったアメリカの相違を論ずるものであった。上図の学問的発展とはケインズ主義を指しているのである。
こうして分析に再投入すべき国家関連の独立変数を整理し、従属変数を恐慌時における政策的対応という形で明確化して、ワイァとスコッチポルは三○年代の各国の動きを記述する。まず、労働者階級の支持に基づく綱領政党が運営する政権が、ことケインズ主義の導入に関してはまったく逆の対応をとることになったスウェーデンとイギリスの場合を比較検討し、さらにアメリカの対応の分析を行っている。
イギリスではなぜケインズ主義的政策が導入できなかったのか。それは、イギリスはすでに一九一一年に導入された失業保険の制度を持っており、これがかえって足枷となって積極的な救済策がとれなかった。すなわち、不況下、増大する失業者は失業保険の存在ゆえに政府財政を圧迫し、政府当局者が積極的財政運営を躊躇せざるをえない状況となっていた。すなわち、福祉国家としてのイギリスの先進性を示す失業保険の存在こそが、負の政策遺産として機能したのである。まさに、「最初にスタートし、もしくは最もすばやくスタートした国が最も早く到達するわけではない(p.123)」ということである。また、国家構造の点から言っても、イギリスにおける大蔵省の隔絶した地位は、財政の均衡を崩す政策の導入を困難にした。この二点の説明は、まさに、政策遺産と政府構造を分析に取り入れなければできないところである。
これに対してスウェーデンでは、失業保険を持たなかったためイギリスのような負の政策遺産はなかった。また、スウェーデンの政策形成システムの特徴とされる審議会重視の伝統は、後にストックホルム学派と呼ばれることになるハマーショルド(Dag Hammarskjold)、ミュルダール(Gunnar Myrdal)、オーリン(Bertil Ohlin)ら気鋭の経済学者や、政策企業家としてこの時代を旋回させた社会民主労働党のエルンスト・ウィグフォシュ(Ernst Wigforss)らに革新的な政策を立案していく活躍の場を与えたのである。
アメリカはどうだったか。失業保険という負の政策遺産を持たなかったため、公共事業による失業救済に乗り出しえた、という点ではスウェーデンと同様であった。しかし、国家構造が分権的であるがゆえに、徹底性を欠いた。連邦政府と公共事業の実施を担う州政府の間の連携が十分にはとれないからである。また、集権的な綱領政党を持たないことも徹底性を欠くことの理由として挙げられている。
ともあれ、彼女たちの提示する事例は彼女たちの提起する新しい独立変数、すなわち、社会経済的利害関係からある程度独立した国家アクターたちの行動や、それぞれの国家の政治構造や政策遺産が、それぞれの国家に異なる政策的対応をとらせたことを説明することに成功している。ウィレンスキーやキャッスルズの場合でもたとえば国家の集権制の程度が福祉国家のありかたに与える影響について論じ得ているので、必ずしも福祉国家の達成度を従属変数とすると彼女たちの提起している新しい独立変数が語れなくなるとは思われないが、従来の研究が暗黙裏に国家を受動的存在としてきたという指摘は貴重なものであった。
国家構造、国家アクター重視論─2 (社会的学習の理論):ヘクロウ
本稿の最後に検討の爼上に乗せるのはヒュー・ヘクロウ(Hugh Heclo)である。彼のスウェーデンとイギリスを対象とした浩瀚な比較政策過程研究(Modern Social Politics in Britain and Sweden: From Relief to Income Maintenance)は、本稿で取り上げたどの論者の論稿よりも早く刊行されている。その意味では本稿は時系列的な順序はまったく無視していることになる。この位置に彼の研究を置くことは、むろん、国家アクターとりわけ行政官僚制内部にいるアクターたちの動きに注目する研究であるから、論述の順序から言ってここへ来るということであるわけだが、彼の議論はこれまで論じてきたさまざまな論者の議論のすべてを包摂していると考えられるからでもある。
もとより、ワイァとスコッチポルの議論も、福祉国家の成立に影響を与えた原因として唯一排他的な原因を発見したとか、決定的な普遍的原動力があるとかの主張を行っているわけではなかった。彼女たちのスタンスは分析の際に見落とされていた要素を、従来の議論に付加して議論することで分析はさらに豊かになるというものであった。いわゆるステイティストたちは、社会経済側の諸変数で何らかの事象が説明されるのにかえて国家アクターの自立的行動や国家の構造で説明したい、というのではなくて、社会経済側の諸変数に加えて、これまで無視されてきた彼等の強調する諸変数も説明に用いることで、分析をリアルなものにしたい、という希望を持つ人々であるととらえることができる。そういう意味では、はじめから彼等の議論は他の論者の議論を排除するものではない、ということが言える。
ヘクロウは英瑞両国の失業保障の制度、一律の老齢年金、退職後の給与スライド型の年金のそれぞれの政策形成過程を比較検討する。その際に何がそうした政策の形成に決定的な力を持つかについては断定的なことは述べない。彼の整理では政策変化の背後にある政治的諸力の解釈には四種のものがある。それは、第一に選挙過程や政党の競争が影響するというものであり、第二は利益集団の力が大きいというものである。第三は、特に社会政策のような領域では行政官僚や国家組織が力を持っているというものであり、第四は、そうした政治的諸力を超えて大きな影響力を持つものは社会経済的変化であるとするものである。
ヘクロウによればこれら四種の解釈は互いに排除しあうものでもないし、また、現代社会政策の発展を余すところなく説明するものでもない(pp.6-8)。真実は多かれ少なかれそれらの混合されたものにあるとするのである。また、社会政策の形成因を探ろうとする研究の陥りやすい傾向として、政治的要素の働きを時間を通じて相互作用するものとして捕えるのでなく孤立させて見ることで主たる決定因として浮かび上がらせようとしたり、政策形成における政治の役割をほぼ排他的に権力の問題と考える解釈を行ったりするとして注意している(p.9)。
前者については主たる決定因や主たる決定者を性急に探ろうとせず、政策形成のリアリティにまず迫るべきだ、ということであるし、後者については、政治はその源を権力だけでなく、不確実性にも有している、という彼の主張につながっていく(p.305)。つまり、対立があるとそこに政治があり政治は権力の所有者、権力の関係を変えることでそれを解決するという解釈だけでは、社会政策の分野は特にわかりにくいという主張である。政治の源として、不確実性がある、というのは対立以前の問題で人はだれも何をどうしていいかわからないということがある、ということである。ヘクロウにおいては政府は「power」するだけでなく、「puzzle」するものなのである。こうして、前者の注意点がさまざまな要素すべてに目配りすること、を指し示していたとするなら、後者の注意点はまさに社会経済的関係から独立して行動する国家アクターや国家の制度装置の政策形成への知的なコミットメントを示唆していることになる。
先に上げた四つの政策変化の原動力について彼が比較事例研究を行った末に得た結論的コメントを記しておこう(pp.288-304)。まずは社会経済的発展から。彼はまず、政治的変数と社会経済的変数は互いに排除しあわない、とする。アリストテレス的分類をすれば、社会経済的要因は物質的要因であり、政治的要因は作用因であるということで、物質的要因は社会政策の過程の始まりであって、終わりではないとするのである。このコメントなどはキャッスルズの「敷居」の概念に通じるものがある。
つづいて、その作用因たる政治的要素について彼のコメントを取り上げると、検討された事例に関していえば、選挙は直接的には重要性を持たない、ということである。政党は直接的な寄与は少ないとしても政策形成に向けての社会のムードを形成する役割を果たしてきたとされる。利益集団は、特に特定の政策について直接の利害関係を持つ人々の恒久的な利益集団は、全政策過程を通じてかなりの影響力を行使する。
そして、事例の検討を経た上で、彼が最も重要性を強調するのが行政官僚制の力である。「政策が単に意図された行動ではなくて、意図の結果として実際に生じたものとして理解されるならば、公務員の位置は現代社会政策の展開において決定的に重要である。政治的諸要因の中から一貫して最も重要であったものを選ばされるとすると、英瑞の官僚制は検討された政策の過程において他を圧していた。(p.301)」とする。政策が社会の諸条件の矯正として展開するならば、また、社会の成員が何をしてよいか、自分が何を望んでいるのかがわからないというときには、公務員は社会の矯正さるべき諸条件を確認し、これを処理するための具体的選択肢を作るに当たって指導的な役割を演ずることになるのである(p.302)。
こうした一連の検討を経てヘクロウがたどり着いた概念が「学習としての政治」というものであった。政策決定は権力の作用でもあるがすぐれて知的な作用でもある。「多くの政治的相互作用は政策を通じて表現された社会的学習の過程からなる(p.306)」のである。
学習としての政治という観点からスウェーデン福祉国家を振り返れば、国家の制度装置の中に政策問題の調査検討を行う機関や、そうした審議会の答申をさまざまの関係団体の視点から洗い直す手続きを埋め込んでいると見ることができるこの国のシステムは、まさに現代社会政策を発展させるのに非常に好都合にできており、そのなかで、審議会に参加した政治家、研究者、エリート官僚たちは、社会的学習に大いに貢献した、ということが言えるのであろう。
ヘクロウの研究は、福祉国家の原動力をめぐるあらゆる議論をその内に含みながら、流れるように歴史を語っているのである。
むすびにかえて
本稿では福祉国家の形成に親和的な政治構造、政治体制について論じてきた代表的な論稿を取り上げ、この問題をめぐるいくつかの論点を拾い上げてきた。特に一貫して注目したのは、各論者が、何をどのようにして変数として定義し議論しているかという点である。
エスピン−アンデルセンまでの論者については、この点はすこぶる明瞭である。説明されるべき従属変数は福祉国家であり、その差異を説明すべき独立変数が、社会経済的なもの、政党システム、政治的階級とその連合戦略ということになっていた。
最後に挙げたステイティストの議論においては、従属変数はより具体的な政策出力である。そして、彼等の議論の特徴は従来の論者が扱わなかった変数を独立変数に加えただけでなく、従来の論者が分析に動員していたあらゆる変数について目配りをするということでもあった。現実が複雑なものであり、学問的営為が複雑な現実を単純化して語ってみせる切れ味の鋭さを競うものならば、各種の独立変数を総動員し個々の決定の事例について語りはしても一般的普遍的な理論を語りえていないかに見えるステイティストの議論は鋭さを欠くかもしれない。しかし、複雑な現実をあえて複雑なまま語るために、見落とされてきた変数群を再導入し、よりリアリティに接近しようとするものとしてこれは評価されるべきであろう。
もとより、この両者は分析のレベルを異にしていることは言うまでもない。抽象的なデータ操作による体制の比較と徹底的に事例を追いもとめてさまざまのアクターの動きを彼等がおかれた文脈の中で語っていく研究は、双方相俟って福祉国家の形成に親和的な政治構造、政治体制を明らかにしていくだろう。
ところで、このような簡単なレヴィウエッセイからだけでも、福祉国家の形成に親和的な政治的要素としてさまざまな論者が共通して触れている独立変数があることを知ることができる。ヘクロウの言うようにどの変数についても排他的に考える必要がないのならば、彼等の挙げた要素はすべて福祉国家形成に何らかの影響を与えているものと捉えてよいだろう。しかし、この論稿の最初に位置付けたウィレンスキーの研究にすでにその多くは語られている、ということも知ることができる。政治変数が有効か無効かの論争は多くの成果を産んだ。その意味では大いに意義深い論争であったと考えることができるが、論争それ自体の意味についてはいささか疑問を感じないこともない。 
 
国共済年金:GPIFと同じリスク運用拡大、国内債は資産の35% 2015/2

 

国家公務員共済組合連合会(KKR)は公的 年金の運用一元化を視野に資産構成を見直し、全体の約4分の3を占め ていた国内債券の目標値を半分未満にする一方、日本株式と外貨建て資 産は4倍弱に引き上げた。
KKRが25日公表した資料によると、新たな資産運用の目標値は年 金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)と完全に同じ水準で、株式 と債券が半分ずつで国内資産6割・外貨建て資産4割という分散型だ。 国内債は従来の74%から35%に下げ、内外株式はそれぞれ8%から25% に、外国債は2%から15%へと引き上げた。国内債には、これまで独立 して構成されていた不動産や貸付金も含まれる。
目標値からの乖離(かいり)許容幅は、GPIFより広く設定。国 内債は従来の上下16%から同30%に、内外株式は同5%から10%に、外 国債は同2%から10%に広げた。4%だった短期資産は各資産に分散し て管理。保有資産の大規模な入れ替えが必要なため、当面は乖離許容幅 を超える運用の可能性があるという。
SMBC日興証券の森田長太郎チーフ金利ストラテジストは、KK Rの乖離許容幅について、実質的にはGPIFが設定した国内債25−45 %、日本株16−34%などへの収束を目指すと予想。GPIFと3共済が 国内債を全体の25%まで減らすと約40兆円の売却になるが、そこまで売 り尽くした場合には異次元緩和を進める日銀に対する国債の売り手不在 がいよいよ現実化すると読む。
KKRと地方公務員共済組合連合会、日本私立学校振興・共済事業 団は10月にGPIFと運用を一元化し、利回り目標やリスク許容度など を共有する。3共済は国内債の構成比がGPIFより高い。4者は共通 のモデルポートフォリオを策定する計画だが、KKRはGPIFの資産 構成がモデルポートフォリオになると想定している。
公的年金の動き
デフレ脱却を掲げる安倍晋三内閣の有識者会議(座長:伊藤隆敏教 授)は2013年11月、GPIFや3共済に将来の金利上昇で評価損の恐れ がある国内債への偏重見直しやリスク資産の拡大で収益向上を提言。G PIFは14年10月末、過去最大の資産構成見直しを発表した。KKRは 提言の翌月に当たる13年12月、国内債を80%から74%に下げるなど資産 構成を修正した。
公的年金制度は09年度以降、高齢化で膨張する給付額を保険料や税 金などで賄い切れず、GPIFの運用益や積立金の取り崩しに依存して いる。年金財政への拠出金は今年度、約5.5兆円となる見通しだ。KK Rの資産構成をめぐっては、GPIFに比べ、公務員年金は堅実運用で リスクを避けている、といった見方が出ていた。
GPIFは14年9月末時点で厚生年金と国民年金の運用資産130.9 兆円を抱える。KKRの運用資産は14年3月末で7兆6239億円、地共済 は同18兆9284億円、私学共済は同3兆8472億円。他に地方自治体が独自 に運用する各種年金は合わせて約21兆円に上り、総計約51兆円の共済年 金がGPIFの運用方針に追随する見通しだ。
地共済の資産構成は国内債の目標値が64%、日本株が14%、外国債 が10%、外国株が11%、短期資産が1%。私学共済は14年11月末の見直 しで国内債を従来の65%から56%に下げ、内外株式と外国債をそれぞれ 10%から13%に引き上げた。短期資産は5%で据え置いた。
KKRの国内債は14年3月末時点で約5.8兆円。うち財政融資資金 への預託が約4.1兆円を占めている。仮に運用資産が同3月末と変わら ずに新たな目標値に移行するなら、約3.4兆円の削減が必要だ。他の資 産項目では、値上がり分や為替損益も含めて国内株は約1.3兆円、外国 株は約1.0兆円、外国債は約1.3兆円の増加だ。
地共済の14年3月末の運用資産をGPIFやKKRの目標値まで変 えると仮定した場合には、国内債を約4.2兆円圧縮する一方、国内株を 約1.7兆円、外国債を約0.7兆円、外国株を2.1兆円増やす計算だ。私学 共済は国内債を約0.8兆円減らす半面、国内株を約0.6兆円、外国債を約
0.1兆円、外国株を約0.5兆円増やす必要性が生じる。
KKRの国内債は財政融資資金への預託が中心だが、3共済を合わ せた仮の変更額は国内債が約8.5兆円の圧縮。一方、国内株は約3.6兆円 、外国債は約1.9兆円、外国株は約3.9兆円の積み増しだ。
GPIFの保有実勢は14年9月末時点で、国内債が49.61%と前身 の年金資金運用基金で積立金の自主運用を始めた01年度以降で最低とな る一方、国内株は18.23%と06年3月末以来の高水準だった。外国株は17.41%、外国債は12.14%と、ともに最高を更新した。その水準を基に 単純計算すると、国内債は新たな目標値まで約19.1兆円の削減。国内株 は約8.9兆円、外株は約9.9兆円、外債は約3.7兆円の増加が必要だ。 
 
改憲意識 総理と世論に大きな乖離 2018/5

 

安倍晋三自民総裁(総理)は保守系団体主催の憲法改正フォーラムに寄せたビデオメッセージで「いよいよ私たちが憲法改正に取り組む時がきた。主役は国民の皆様だ。国民の幅広い合意形成が必要だ」と出席者に呼び掛けた。しかし、この認識は世論と乖離が大きい。
国民の間に改憲を求める声がどこまで高まっているのか、マスコミ各社の世論調査も踏まえた認識こそ、安倍自民総裁に求められる。
共同通信社が憲法記念日前に実施した世論調査(18歳以上男女3000人対象)でも自民党や保守系改憲推進派が改憲の本命とする「憲法9条」(戦争の放棄)の改正について、44%は「必要」としたが、46%は「必要ない」とした。さらに安倍総理の下での改憲には61%が「反対」し、賛成は38%にとどまった。
背景には憲法9条について、歴代政府が「日本は集団的自衛権を有するが現行憲法下では行使できない」としてきた解釈を、安倍内閣は内閣法制局長官を入れ替えたうえで「集団的自衛権の行使は限定的に容認されている」などとする解釈変更を行い、これに基づいて安保法制を与党の多数で押し切った。野党は、安保法制は一部「憲法違反」の状態にある、と是正を自らの政党公約にも上げている。この問題は解釈改憲以来、今も解決していない。
加えて、安倍総理友人の加計孝太郎氏が理事長を務める加計学園の大学に獣医学部を創設する際に活用された国家戦略特区制度。当初から「加計ありきでなかった」との疑惑が解明されていない。
昭恵総理夫人が名誉校長に一時就任していた森友学園へ国有地が8億円値引きされ売却された経緯についても、異例の特例扱いのうえに、値引き根拠となった地中のごみ量にも疑問が提起されている。これも解明されていない。
加えて「知る権利」の前提となる財務省による決裁文書の改ざん、隠ぺい。シビリアンコントロールが有効なのか不安になる自衛隊の日報問題。
今、もっとも危機感を持ち、政府・与党が真相解明に努めるべきは、これらの問題であり、この問題の解明ができなければ、安倍総理の下での改憲に不安と反対の声はさらに増えるだろう。行政への信頼関係が崩壊するからだ。
筆者も3日の憲法記念日に保守系改憲推進派団体主催の憲法フォーラムを訪ねたが「勉強して、しっかり自分の意見を持つ機運がまだ高まっていない」とする声が主催者側からも聞かれた。だから「改憲への理解を高めてほしい」と呼びかけもあった。これが現況だろう。
安倍総理の自民党総裁3選のための「改憲にいよいよ取り組む時」であってはならない。まず現行憲法の重みを再確認していくことが国民の間に広がっていくことから期待する。
自由党の小沢一郎代表は「歴史が証明するよう、時として『権力』は暴走する。個人を弾圧し、人権を抑圧することもある。だからこそ国家権力を縛り、権力を抑制的に、真に国民のために行使させるべく『憲法』というものがある。憲法とは、いわば長い歴史を持つ人類の英知の結晶である」(3日の談話)。この認識から現行憲法をまず、再度学んでいくべきだろう。
 
歴史戦の中の歴史・公民教科書 2017/6
  指導要領改訂問題と学び舎問題

 

はじめに
一月前、「歴史戦の中の歴史・公民教科書」という演題で二つの講演を行った。正確には一つは《歴史戦の中の歴史・公民教科書――指導要領改訂問題を切り口として》というタイトル、もう一つは《歴史戦の中の歴史・公民教科書――慰安婦、「南京事件」「強制連行」、沖縄、アイヌ、家族、国家》というタイトルであった。7割方同じ内容であったが、副題の違いから分かるように、3割程度は内容にズレがあった。
講演で自分が話した内容を覚えているうちに文章化しておこうと思っていたが、安倍偽改憲構想への批判を考えているうちに、時間が1月経過してしまった。いや、それ以上に、安倍偽改憲発表と所謂保守派の多数が偽改憲構想になびいてしまったことにショックを受けて(所謂保守派の動きはヘイト法の時と同じで予想通りではあるが)、体調を崩してしまつたため、なかなか文章化に取り掛かれなかった。だが、これ以上遅れてしまうと完全に忘れてしまうので、1月前の講演のレジュメを基にして文章化しておきたい。文章化に当たっては、必要に応じて、講演で話さなかった内容も付け加えていくこととする。
なお、「歴史戦の中の歴史・公民教科書」というタイトルには、いかなる意味があるのか。教科書採択戦及び安倍談話のあった平成27(2015)年以前ならば、恐らく「歴史戦と歴史・公民教科書」というタイトルを付けたものと思われる。しかし、『安倍談話と歴史・公民教科書』を執筆する中で2015年までの歴史を振り返っていくと、歴史・公民教科書、特に歴史教科書の内容をめぐる攻防は歴史戦の中の主要戦線の一つであったという認識が私の中で深まった。それゆえ、「歴史戦の中の歴史・公民教科書」というタイトルの下に講演を行い、更にブログ記事を認めようというのである。
まず、目次を示しておこう。
一、学習指導要領改訂問題
二、学び舎問題
三、歴史教科書と公民教科書の特徴 
四、歴史教科書の歴史――教科書内容こそが歴史戦の帰趨を決してきた
五、歴史教科書の変遷と内閣の考え方……内閣の考え方は、歴史教育の大枠と一致。
六、『捕虜収容所服務規程』としての「日本国憲法」  
一、学習指導要領改訂問題

 

「歴史戦の中の歴史・公民教科書」という認識からすれば、今年の学習指導要領改訂問題は、歴史戦の中の一局面として、極めて大きな意味があった。「つくる会」が主導して、聖徳太子抹殺策動を何とか阻止することに成功した。だが、単に阻止したに過ぎない。もしも、聖徳太子抹殺に代表される一連の指導要領改訂案が通っていたらと思うと、ぞっする。
聖徳太子等抹殺計画の阻止
今年、平成29(2017)年2月14日、小中学校の学習指導要領案が示された。特に中学校指導要領案を見ると、歴史的分野で二つの点が目についた。一つは、大和朝廷、聖徳太子、元寇、鎖国の抹殺計画である。
大和朝廷から見れば、現行の平成20年版指導要領では「大和朝廷」と記されているが、2月14日に発表された29年版指導要領原案では「大和政権(大和朝廷)」とされていた。聖徳太子については、現行では「聖徳太子」と記されているが、29年版要領原案では「厩戸王(聖徳太子)」とされていた。それぞれ、大和朝廷については「大和政権」を、聖徳太子については「厩戸王」を、基本的な名称として定着させようとする試みであった。
次に元寇については、現行では「元寇」と記されているが、29年版要領原案では「モンゴルの襲来(元寇)」とされていた。鎖国については、鎖国という言葉は完全に消され、「対外政策」「対外関係」とのみ表現されていた。
「元寇」という名称は中華帝国による日本「侵略」という意味合いをもつ。それゆえ、「元寇」という表記は、中華帝国に対峙する日本の国家意識を表現するとともに、その対外膨張に対する警戒意識につながるものである。「モンゴルの襲来」への転換は、この国家意識、警戒意識を解体していくことにつながるものである。
鎖国について言えば、日本は鎖国政策をとることによって、16世紀末から17初頭に存在した植民地化の危険を回避したと捉えることもできるし、維新政府は、逆に積極的開国政策をとり、次いで富国強兵政策をとることによって、植民地化の危機を逃れたと捉えることが出来る。と考えると、鎖国という言葉の追放は、元寇という言葉の追放と同じく、対外防衛の観点を歴史から追放することを意味するのである。
そこで、「つくる会」をはじめとした多くの国民は、大和朝廷、聖徳太子、元寇、鎖国の抹殺計画に反対した。その結果、29年指導要領成案では、四つの用語は、総て基本的な用語として復活した。すなわち、成案では、「大和朝廷(大和政権)」「聖徳太子」「元寇(モンゴル帝国の襲来)」「鎖国」となったのである。ただし、聖徳太子については、《なお、「聖徳太子の政治」を取り上げる際には、聖徳太子が古事記や日本書紀においては、「厩戸皇子」などと表記され、後に「聖徳太子」と称されるようになったことに触れること》と注意書きが付されることになった。あくまで、聖徳太子の抹殺へ向けての布石のために、このような注意書きを文科省は付記したのであった。
アイヌ、沖縄の強調
指導要領案の歴史的分野で二つ目に目についたのは、アイヌと「琉球」の強調である。中世の個所では、新しく「琉球の文化についても触れること」と記されるし、近世の個所でも新しく「アイヌの文化についても触れること」と記されている。
このように記すこと自身は別に悪いことではないので批判しなかったが、このように記されたことによって、教科書がどう変わるかは、十分に予想される。アイヌや「琉球」の文化と本土の文化を対立的に捉え、アイヌや「琉球」の各種文化が本土に与えた影響だけが特筆されることになろう。アイヌや「琉球」が本土から受けた文化的影響、アイヌや「琉球」と本土との文化的同質性は決して書かれないだろう。そして、アイヌ先住民族論どころか、沖縄独立論を後押しする教科書記述が増加する危険性が高くなるであろう。そうなれば、教科書問題は歴史戦を超えて、日本の安全保障問題の性格を持つこととなろう。歴史教科書の内容史を追いかけてきた私には、そのように予想されるのである。
家族が消えたままの公民的分野指導要領
ここまで歴史的分野における指導要領改悪の試みとその阻止について見てきたが、公民的分野の指導要領は、既に平成20年版指導要領で著しく改悪されていた。「つくる会」は、平成20年版指導要領案に対するパブリツクコメントで、指導要領案改悪に反対していた。その反対意見は私が書いたものである。今回も、前回と同様のコメントを寄せた。だが、一顧だにされず、20年版における改悪点は、そのまま維持されることになった。
では、20年版要領の改悪とは何だったのか。時代を遡って説明しておきたい。平成18(2006)年、教育基本法が改正され、第2条「教育の目標」で「公共の精神」と「郷土を愛する」ことがうたわれ、地域社会の大切さと「公共の精神」の重要さが確認された。第10条1項で「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせる」と規定され、改めて家族の重要さも確認された。
ところが、平成20年に改訂された指導要領には、「公共の精神」という言葉は、公民的分野の「目標」の箇所にさえも載っていなかった。これにも驚かされたが、もっと驚かされたのが、「家族」と「地域社会」という単語が20年版指導要領から削除されていたことである。平成10年版では「家族や地域社会などの機能を扱い、人間は本来社会的存在であること」と記されていたが、「家族や地域社会などの機能を扱い」の部分が消えたのである。
当時、「つくる会」以外は、この指導要領改悪を問題にした者はいなかった。その結果、平成22年度検定の公民教科書では、多数派教科書から家族論も地域社会論も消えてしまった。「公共の精神」という言葉自体も、ほとんどの教科書には存在しなかった。26年度検定の現行公民教科書でも、「公共の精神」については少しはましになったが、家族や地域社会については全く改善の跡が見られない。改訂案のような教育をしていたのでは、国家の基礎である家族と地域社会の解体が更に進行していくだろう。家族、私有財産、国家の解体は共産主義者の願望として存在するが、その願望が実現しているのが、公民教科書の世界なのである。公民教科書には私有財産の意義は説かれていないし、国家論も全く存在しないからである。
無視された4点の要望
ともあれ、「つくる会」は、歴史的分野の改悪反対の立場を表明すると共に、公民的分野の指導要領案の改善を、文科省に対して要望した。何よりも、改正教育基本法を重視する立場から、2点の改善を要望した。
1、目標(3)に「公共の精神」を入れること
「(3)現代の社会的事象について,現代社会に見られる課題の解決を視野に、公共の精神に基づき、主体的に社会に関わろうとする態度を養う……」
2、内容A「(2)現代代社会を捉える枠組み」のアの(イ)に「家族」「地域社会」「公共の精神」を入れること
「(イ) 家族や地域社会などの機能を扱い、人間は本来社会的存在であることに着目させ、公共の精神、個人の尊厳と両性の本質的平等,契約の重要性やそれを守ることの意義及び個人の責任について理解すること。」
傍線部は、29年版指導要領案に付け加える事を要望した部分である。そして、更に《「国家と国民」という項目を置くこと》、《「国益」を入れること》という2点の要望も、パブリツクコメントの中で行った。
《「国家と国民」という項目を置くこと》を要望したのは、教科書がこのような単元を置いて、ここで国家とは何か、国家の役割とは何か、国家と国民はどういう関係に立つか、といったことについて書くようになることを期待してのことだった。
《「国益」を入れること》を要望したのは、指導要領にも公民教科書にも、国際協調ばかりが説かれ、国益の観点が存在しない極めてバランスの悪い状態を改善したいとの想いからである。
しかし、4点の要望は全て無視された。改めて、文科省は、家族、地域社会、国家の解体を進める教育を選択したのである。
人は、歴史教科書問題ばかり一生懸命になる。「つくる会」の95%の人達もそうだ。しかし、歴史的分野の指導要領も歴史教科書も、公民的分野の指導要領や公民教科書に比べれば、はるかにまともである。家族、地域社会、国家の解体を進める教育を目指しているのであるから、左翼的、というよりも極左の思想を注入しようというのが、公民的分野の指導要領であり、公民教科書であるということになろう。 
二、学び舎問題

 

29年指導要領改訂原案は教科書の学び舎化を狙うもの 
こうして、公民的分野に関しては我々の主張は全く無視されたが、歴史的分野に関しては、8割方主張が通ったと言ってよい。しかし、2月に出された29年指導要領の歴史的分野改訂原案は、一体何だったのであろうか。一言で言えば、この改訂原案は、歴史教科書の学び舎化を狙うものだったと言ってよい。新しく平成28年度から使用され出した学び舎の教科書とは、平成14年から中学校歴史教科書として使用され出した『新しい歴史教科書』と最も先鋭に対立し、平成18〜23年度版を最後に消えていった共産党系の日本書籍・日本書籍新社の思想を受け継ぐものであった。
そのことは、改訂原案が抹殺しようとしていた大和朝廷、聖徳太子、元寇、鎖国に関する学び舎の記述を読んでみると、一目瞭然である。学び舎の教科書は、大和朝廷については「大和政権」と記し、聖徳太子については初出の時だけ「厩戸皇子(のちに聖徳太子とよばれる)」とするが、その後は全て「厩戸皇子」と表記している。元寇の個所では、元寇という言葉を既に削除しており、モンゴルの襲来、という言葉さえもなくなっている。そして、鎖国についても、既に「鎖国」という言葉を消し去っている。つまり、指導要領の改訂原案とは、歴史教科書の学び舎化を狙うものだったのである。
時代の主役は聖徳太子ではなく蘇我馬子
ここでは、教科書の学び舎化とはどういうことを指すのか、学び舎の聖徳太子の時代に関する記述を紹介する中で考えていきたい。学び舎は、聖徳太子の時代については、第1部第2章「日本の古代国家」単元3【蘇我氏と二人の皇子−飛鳥時代−】で記している。最初に「そびえ立つ五重の塔」という小見出しの下、蘇我氏の建てた飛鳥寺について記している。単元のタイトルにある二人の皇子とは、聖徳太子と中大兄皇子のことであるが、単元タイトル自体に蘇我氏に比重が置かれている。しかも、聖徳太子ゆかりの法隆寺ではなく、蘇我氏の飛鳥寺に焦点を当てて説明していることに注目されたい。明らかに、この時代の中心が蘇我氏とされていることが分かるのである。
倭国(日本)は偉大な隋に対して失礼な国 
次に2番目の小見出しとして、「厩戸皇子の登場」というものが置かれ、ここで次のように記されている。
厩戸皇子(のちに聖徳太子とよばれる)も、仏教に強い関心をもっていました。……
589年に隋が中国を統一すると、朝鮮の百済・新羅・高句麗は、すぐに隋の皇帝に使者を送りました。蘇我馬子と厩戸皇子は、この動きを見て、600年に隋に使者を送りました(遣隋使)。このとき、隋から政治に対する考えを改めるように助言されました。こののち倭国では、冠位十二階を制定しました。これは、役人の地位の高さを冠の色であらわすものです。607年、小野妹子は高い地位の冠をつけて、遣隋使として派遣されました。また、十七条の憲法によって、政治をおこなう役人の心がまえをしめしました。これらは、蘇我馬子と厩戸皇子が協力して実行しました。(39頁)
ここでは、遣隋使の派遣も、冠位十二階の制定も、十七条の憲法の制定さえも、いずれかと言えば、蘇我馬子主導の作業にされていることが際立っている。
更にもう一点、注目される点がある。冠位十二階の制定などの改革が、隋からの助言に基づくものだとされていることである。学び舎は、第一に政治外交の主導者を蘇我馬子に設定し、第二に隋からの助言を強調し、隋が日本よりはるかに文化的に優れた国であると強調しようとしている。そればかりか、小コラム「遣隋使と中国皇帝は何を語ったか」では、次のように日本を冷笑する記述を行っている。
最初の遣隋使は、隋の皇帝から倭国のようすを聞かれ、「倭の王は天を兄とし、日を弟としています。夜が明けないうちに、宮殿で足を組んですわり、政治を行います。日がのぼると、あとは弟に任せます」と答えた。皇帝は、とても理解できないと言い、使者に政治のやり方を改めるようにさとした。
二度目の遣隋使・小野妹子がもっていった国書には、「日がのぼる国の天子が、日が没する国の天子に書を送ります。ご機嫌いかがですか」とあった。これを見た皇帝は、「蛮夷の書は無礼である。もうとりつぐな」と命じた。これらのことは中国の歴史書『隋書』に書かれている。このころ、中国を中心とする東アジアでは、天子はこの世界に一人しかいないとするのが常識だった。(39頁)
このように、学び舎は、倭国と言うばかりか、偉大な隋に対して失礼な外交を行う非常識な国だったというイメージ作りに励んでいる。
要するに、蘇我氏主導で時代を捉えること、日本への冷笑、という二点に於いて、学び舎は極めて特異な教科書だと言えよう。この特異な、左翼的、自虐的教科書をスタンダードにしようというのが、今回の指導要領改訂案だったと言えよう。
数々の検定基準違反で検定不合格にすべきだった学び舎
さて、この学び舎は、実は数々の義務教育諸学校教科用図書検定基準(以下、検定基準と略記)違反を犯しており、明らかに検定不合格にすべきだった代物である。何しろ、現実に読んでいただければ分かるが、学び舎の教科書によっては、歴史の系統的学習が不可能である。この教科書は、教科書とはとても言えるものではなく、反天皇制反日資料集でしかない。そもそも、単元の最初の小見出し部分を読んでも、そもそも何をテーマにしたものか分からないことが多い。読んでいるうちに一応分かってくるが、結局、各時代の要点が分からないし、次の単元に話しがうまくつながらない。各時代の始期と終期が少なくとも単元本文に書かれていないことが多く、時代の名称の由来もよく分からない。要するに、繰り返すが、歴史の系統的学習が不可能なのである。
しかし、検定基準の「第2章 各教科共通の条件」のうち「2 選択・扱い及び構成・排列」の(11)項には、「図書の内容は、全体として系統的、発展的に構成されており、網羅的、羅列的になっているところはなく、その組織及び相互の関連は適切であること」と規定されている。明らかに、学び舎は、この(11)項違反である。
また、検定基準第2章2(1)項には、「図書の内容の選択及び扱いには、学習指導要領の総則に示す教育の方針、学習指導要領に示す目標、学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに照らして不適切なところその他児童又は生徒が学習する上に支障を生ずるおそれのあるところはないこと」とある。この項にも、学び舎は明白に違反している。
指導要領から逸脱しているわけだから、学び舎は、他にも多くの検定基準違反を犯している。筆者が検討しただけでも、上記二点の違反を含めて、八点の検定基準違反を犯している。こんな出鱈目な教科書とは言えないものが、検定合格したことには驚きを禁じ得ないのである。一体、当時の文科大臣下村博文氏は、何をしていたのであろうか。
朝日新聞2015年4月24日の記事「教科書検定『密室の内側』」 
学び舎を検定合格させた事情について、教科用図書検定調査審議会第2部会歴史小委員会委員長を平成27年3月まで務めていた上山和雄氏が、朝日新聞によるインタビュー記事の中で説明している。次のように上山氏は、自由社とセットにして、学び舎の検定合格について説明している。
検定が厳格になったとは思っていません。むしろストライクゾーンが広がったと感じます。日本のいいところばかり書こうとする『自由社』と、歴史の具体的な場面から書き起こす新しいスタイルですが、学習指導要領の枠に沿っていない『学び舎』。この2冊とも、いったん不合格になりながら結局、合格したのですから。
普通に考えれば、「学習指導要領の枠に沿っていない『学び舎』」は、その思想的性格を云々する以前に当然に不合格になるべきものである。その当然に不合格になるべき「教科書」と自由社がセットにされてしまったのである。
自由社の教科書はこれまで何度も合格してきた教科書である。それゆえ、自由社と1セットにされることにより、学び舎の検定合格に対する抗議の声はほとんど起きなかった。逆に、当然に不合格になるべき学び舎と1セットにされることにより、思想的評価以前に、自由社に対する教科書としての評価は著しく下落した。しかも、思想的評価の面で見ても、各教育委員会では、左の学び舎と右の自由社は最初から採択候補から外しましょう、という了解が出来てしまうことになった。その結果、自由社は採択戦で見事一敗地にまみれることになったし、安倍晋三氏が支持した育鵬社の教科書は、採択数を増加させていったのである。学び舎が検定合格していなければ、違う採択結果が出たかもしれないのである。 
兎も角、安倍政権は、本来不合格にすべき学び舎を検定合格させて自由社を惨敗に追い込んだのである。しかも、学び舎検定合格の場合とは異なり、今度は、意図的ではないだろうが、学び舎を教科書のスタンダードにせんとする指導要領改悪を行おうとしたのであった。  
三、歴史教科書と公民教科書の特徴 

 

歴史教科書の4つの特徴 
幸い、「つくる会」は、教科書改善運動を始めた平成9年以来20年の歴史を持っている。この経験から、今回の指導要領改悪阻止に立ち上がり、何とか阻止することに成功したのである。
では、何故に、教科書改善運動が行われてきたのであろうか。それは、歴史教科書が多くの点で否定的特徴を有するようになっていたからである。『歴史教科書が隠してきたもの』(2009年、展転社)以来、私は、歴史教科書の否定的な特徴として、4点を指摘してきた。
即ち、
(1)日本解体の思想……日本歴史の流れが分からない
(2)華夷秩序の思想……日本は、中国と韓国・朝鮮の下位に属する国
(3)欧米又は米国追随史観……欧米を日本より上位に位置づける
(4)共産主義擁護、共産主義的な見方
という四点である。
(1)日本解体の思想……日本歴史の流れが分からない
一つ目の日本解体の思想から見ていくならば、戦後日本の歴史教科書、特に1980年代以降の歴史教科書を読み進めていっても、日本歴史の大きな流れを掴むことが出来ない。それも、中核部分の流れ、いわばメインストリート部分の流れが分からないのである。別の言い方をすれば、日本国家の論理が分からないのである。
安全保障の観点がない 
なぜ、日本歴史の流れが分からないのか。それには、3つの理由がある。何よりも第一に、日本の歴史教科書には、安全保障の観点が存在しない。あっても、著しく、微弱である。
例えば、明治維新時における植民地化の危機を書くのは、平成18〜23年度版では8社中3社しか存在しなかった。一貫して、1980年代以降、おおよそ3社程度であり続けた(拙著『歴史教科書の歴史』草思社、2001年)。ただ、この点は改善されてきており、平成28〜31年度版では、8社中5社に増加してきている。しかし、採択率が過半数を超える東京書籍は、全く植民地化の危機を記さない。また例えば、7世紀の隋唐帝国の登場が日本にもたらした対外的危機感について触れた教科書も、自由社と育鵬社しか存在しないのである。
隋唐帝国に併呑されるも知れないという危機感こそが、7世紀の統一日本国家形成の原動力になったものである。また、19世紀半ばに於ける植民地化の危機とその危機に対する認識こそが、明治維新を進めた原動力になったものである。これらの危機を隠してしまったら、7世紀の国家形成も明治維新も理解することなど出来ないであろう。
天皇という存在を隠す
第二に、歴史教科書は、2千年にわたり日本国家の最高権威であり続けた天皇の存在を出来るだけ隠そうとする。隠そうという意図は、年代を西暦一本で表記し、検定基準が求める元号併記を行わない事に、端的に現れている。
検定基準第3章の[社会科(「地図」を除く。)]の(7)には、「 日本の歴史の紀年について、重要なものには元号及び西暦を併記していること」という規定が存在する。この規定からすれば、元号原則西暦併記でもよいし、西暦原則元号併記でもよいことになる。実祭上、全社は西暦原則元号併記で年代表記を行っている。
しかし、学び舎は、元号併記を行わないという基本方針をとる。前近代では大宝律令、承久の変、家康の征夷大将軍就任の3件で元号併記を行うだけである。近現代では、廃藩置県、大日本帝国憲法発布、東日本大震災等5件で元号併記をするだけである。学び舎は、あからさまに、検定基準第3章の[社会科(「地図」を除く。)]の(7)に違反していることに注目されたい。
しかし、この(7)項違反を行うのは、学び舎だけではない。厳密には、東京書籍、日本文教出版、教育出版、清水書院、帝国書院の5社にもあてはまる。5社は、重要事項どころか、最重要事項とも言える関ヶ原の戦い、家康の征夷大将軍就任、ペリー来航、王政復古といった事項についてさえも西暦一本で記すのである(元号併記の無視問題については、拙著『安倍談話と歴史・公民教科書』自由社、2016年、参照)。
また、歴史教科書は、征夷大将軍就任と天皇との関係を隠そうとする。例えば、源頼朝の征夷大将軍就任について、東京書籍等4社は朝廷による任命を隠すし、徳川家康の就任についても教育出版等4社は隠している。
アイヌと「和人」の間、沖縄と「本土」の間に分裂のみを持ち込む 
第三に、歴史教科書は、アイヌと「和人」との間、沖縄と「本土」との間に分裂のみを持ち込んでいる。平成14〜17年度版から、アイヌと沖縄の記述量が格段に増加した。その増加分は、アイヌと「和人」の間、沖縄と「本土」の間を分裂させるような記述で埋められることになった。
そもそも、アイヌも沖縄も「本土」も、縄文人という共通の祖先をもつ人間たちであるし、一定の文化的共通性をもつ存在である。アイヌと沖縄に関する記述を増加させるならば、先ずは、この共通性を記すべきである。ところが、歴史教科書は、増加分をこの共通性に関する記述に割こうとはしなかった。それどころか、アイヌ先住民族説という虚構さえも、学界における通説でさえないにもかかわらず、書き続けることとなった。沖縄に関しても、沖縄人も「本土」人も共に日本語を話す同一民族であり、沖縄人の主流が縄文時代に九州から渡っていった人たちであることを決して記そうとはしてこなかった。それどころか、教科書の世界の話ではないが、翁長知事などは、アイヌ先住民族説という虚構がまかり通っている現状をふまえて、沖縄先住民族説という大虚構までぶち上げるに至っている。
ともかく、歴史教科書は、共通性ではなく、異質性を強調するのであるが、記述の増加分のほとんどを加害者としての「本土」VS被害者としてのアイヌ・沖縄という物語で埋めていく。それゆえ、アイヌに関しては、例えば1669(寛文9)年のシャクシャインの乱が異常に大きく取り上げられるようになり、シャクシャインがアイヌの英雄に祭り上げられていく。また、沖縄に関しては、例えば、琉球処分とは、沖縄の反対を押し切って武力で以て強引に「本土」に併合したものである、と説明される。
しかし、シャクシャインの乱とは、そもそも松前藩とアイヌの対立ではなく、日高地方のアイヌの首長であったオニビシとシャクシャインの対立から始まったものである。シャクシャインに対する松前藩の騙し討ちが強調されるが、そもそもシャクシャインは、1668年に世話になってきたオニビシを騙し討ちにした。そこから、シャクシャイン派とオニビシ派の抗争が始まったのである。
また、琉球処分について言えば、沖縄人すべてが琉球処分に反対したわけではない。明や清からの帰化人を中心とする支配層は反対であったが、庶民層を中心とする多数派は賛成であった。そして、庶民層が一種の解放感を味わったことは、伊波普猷の「琉球処分は一種の奴隷解放だ」という言葉からもうかがい知れるのである。
ともかく、歴史教科書は、アイヌと「和人」、沖縄と「本土」との間に分裂を持ち込むむことに熱心である。その史実無視の書き方を見ていると、日本としての統一性を破壊することが、歴史教科書執筆者の狙いではないかと思われるほどである。
以上、3つの理由から、今日の歴史教科書を読み進めても、日本歴史の大きな流れが掴めない、それも中核部分の流れが掴めないことになるのである。
(2)華夷秩序の思想……日本は、中国と韓国・朝鮮の下位に属する国
二つ目の華夷秩序の思想について見ていこう。現在の歴史教科書の最大の特徴は、この華夷秩序の思想にあると言って良い。ほとんどの歴史教科書は、華夷秩序思想に基づき、日本を、中国と韓国・北朝鮮の下位に属する国として位置づけている。
筆者は、『歴史教科書が隠してきたもの』(展転社、2009年)以来、歴史教科書が描く対中国、対韓国・朝鮮をめぐる日本歴史の物語を次のように要約した。
1)中国と韓国・朝鮮から恩恵を受けてきた
古代から、中国、韓国・朝鮮、日本の三国の間では、一番古い歴史をもち最上位の国家が中国、次いで古い歴史をもち中位の国家が韓国・朝鮮、一番歴史が浅く最下位の国家が日本、という上下関係が成立している。日本は、文化を輸入するだけの国家であり、一方的に中国と韓国・朝鮮から様々な文化を教えてもらってきた。
2)韓国・朝鮮、中国からの恩を仇で返してきた
中世でも、モンゴルの襲来時には、日本は韓国・朝鮮のおかげで撃退することに成功した。ところが、倭寇という日本の海賊が韓国・朝鮮と中国を襲い、秀吉が朝鮮侵略を行った。近代になると、文化的な恩人である中国と韓国に侵略し、南京大虐殺と朝鮮人強制連行に代表される数々の犯罪行為をしてきた。韓国・朝鮮と中国から受けた恩を仇で返してきたのである。
3)韓国・朝鮮と中国に対する贖罪をしよう
邪悪な犯罪国家日本は、敗戦後、アジア侵略を猛省した。そして、戦争・戦力放棄と人権を掲げる日本国憲法を制定した。我々は、日本国憲法を守り続け、在日韓国・朝鮮人等に対する差別をなくしていかねばならない。 
1)と関連する古代史に関して少し触れれば、「帰化人」という方がむしろ通説の位置を占めていると言われるが、歴史教科書では、30年以上前から、「渡来人」という表記がもっぱらされてきた。そして、「渡来人」による文化伝来のみが記されてきた。日本からの文化輸出の例は、絶対に記されてこなかった。1の物語に反するからである。
また、学問的にはほとんど成り立たないことがはっきりした《朝鮮半島から稲作が伝来した》とする説が、未だに多数派の歴史教科書で採られている。日本の文化は、中国→朝鮮半島→日本というルートで伝わってきたものだという、1)に記した物語のシェーマに反するからであろう。
2)の物語について補足すれば、帝国書院、教育出版等5社は、元寇の箇所で、《高麗の御かげで、モンゴル襲来を切り抜けた》と記している。帝国書院の現行版の記述を引くならば、「高麗は30年にわたり抵抗を続けました。大越(現在のベトナム)もねばり強く戦いました。この抵抗が元軍の日本遠征をさまたげる要因となりました」(62頁)と記している。高麗という加害者が恩人にすり替えられていることに注意されたい。そればかりか、元の襲来が「日本遠征」と美化されていることにも、注目されたい。他にも、東京書籍、教育出版、清水書院の3社が「遠征」と表記している。それにしても、自国に侵入してきた軍隊について「遠征」という比較的美しいイメージのある言葉を用いるとは、それも国民教育を担う教科書の中で用いるとは、東京書籍や帝国書院の執筆者の頭の中は、どうなっているのだろうか。
(3)欧米又は米国追随史観……欧米を日本より上位に位置づける
3つ目に、欧米又は米国追随史観とでも言うべき特徴がある。近代日本は、欧米から文化を学習した国でしかなく、なかなか欧米の域に達しない遅れた国であるという歴史観が存在する。端的に言えば、欧米を、特に米国を日本より上位に位置づける史観である。
例えば、昔から伝えられてきたものだが、日本の歴史教科書は、欧米に学んで構築した明治憲法体制を冷笑する。6社は、帝国議会が出来たと言っても、《選挙権者が1.1%に過ぎぬ》と記すし、ようやく清水書院と学び舎の2社に減少したが、帝国憲法発布については、ベルツの日記を引き、「誰も憲法の内容をご存じないのだ」と揶揄させている。
また、戦争関係については、連合国又は米国を持ち上げるために、帝国書院、日本文教出版、清水書院、学び舎の4社は、《日本が無条件降伏した》という嘘話を展開している。降伏以来72年経過しても、未だに、こんな嘘が堂々と展開されていることに注目されたい。本当に、この嘘は消えていかない。何しろ、大学で使用されている多くの憲法解釈書も、この嘘話を展開しているからである。この嘘話を大きな根拠にして、「日本国憲法」有効論や「新皇室典範」有効論が築かれていることに、想いを致してほしい。
「日本国憲法」有効論のことに触れたが、本当はきちんと書くべきことなのに、「日本国憲法」の成立が国際法違反であるということを、ほとんどの歴史教科書は記さない。また、東京裁判の違法性も記さない。欧米対日本という関係では、欧米が正しく日本は間違っていると常に記すのが、日本の歴史教科書なのである。
(4)共産主義擁護、共産主義的な見方 
周知のように、戦後日本における文系学問は、特に日本史学は、共産党系学者がリードしてきた。そのためもあり、ソ連が崩壊して26年も経過するのに、歴史教科書には、共産主義的な見方が残存しているし、共産主義擁護の姿勢が著しい。
例えば、国家の成立の個所を見ると、未だに階級国家論が東京書籍等3社で展開されている。そのうち、1社は、泥棒国家論とでも言うべき成立過程史を語っている。すなわち、教育出版は、古代日本の「くに」の成立の箇所で、次のように記している。
人々が稲作によってたくわえ(富)をもつようになると、社会のなかに、貧富による身分の差が生まれてきました。特に、むらの指導者は、人々を指し図して水を引き、田をつくり、むらの祭りをおこなううちに、人々を支配するようになりました。やがてそのなかには、むらの財産を自分のものにし、戦いでまわりのむらをしたがえて、各地に小さいくに(国)をつくる者もあらわれました。(19頁)
また、未だに、自由社と育鵬社以外の6社は、ロシア革命を賛美することが著しい。例えば東京書籍は、次のように記している。
社会主義は、資本主義がもたらした社会問題を解決しようとして生まれた思想でしたが、国境をこえた労働者の団結と理想社会を目指す運動になって、各国に広がりました。……
革命政府は、銀行や鉄道、工場など重要な産業を国有化し、土地を農民に分配するなど、社会主義の政策を実行する一方で、民族自立を唱え、ドイツと単独で講和を結んで、第一次世界大戦から離脱しました。ロシア革命は、資本主義に不満を持ち、戦争に反対する人々に支持され、各国で社会主義の運動が高まりました。 (200〜201頁) 
社会主義と戦争反対や平和主義とを結びつける記述に注目されたい。これらの記述は、明らかに、執筆者の日本共産党や社民党への親近感を感じさせるものである。ともあれ、未だに、ロシア革命が賛美されていることには、驚きを禁じ得ない。一体、この教科書を執筆している学者たちは、ソ連崩壊についてどのように考えているのだろうか。
公民教科書の4つの特徴 
以上4つの否定的特徴を紹介してきたが、歴史戦の中の一戦線として歴史教科書を捉えた場合、最も重要なのは、2つ目の特徴として挙げた、日本を中国と韓国・朝鮮の下位に位置づける華夷秩序の思想である。この思想と関連して、「南京事件」や「強制連行」「慰安婦強制連行」などの虚構が語られ、これらの虚構に基き、日本は責め立てられてきたわけである。
日本が一方的に責め立てられてきた背景には、実は、戦後の公民教育が存在する。私は、戦後の公民教科書については27年前ぐらいから研究しているが、『公民教育が抱える大問題』(2010年、自由社)を著した頃から、おおよそ、以下の4点で、公民教科書の特徴を捉えるようになった。 
1共同社会解体の思想 
公民教科書は、家族や地域社会などについてきちんとした教育をしなくなっている。家族に関して言えば、1980年代から家族に関する記述量がとみに少なくなっていく。昭和53〜55年度版では平均21頁の分量が家族に充てられていたが、56〜58年度版では7頁に激減し、その後更に少しずつ減少していく。平成18〜23年度版では平均3頁にまで減少してしまう。しかし、ここまでの時期では、必ず家族のための単元が置かれていた。しかし、平成24〜27年度版と28〜31年度版では、家族の為の単元を設けて2頁以上の分量を用いる教科書は、自由社、育鵬社、帝国書院の3社に激減してしまうのである。明らかに、日本の公民教科書は、家族解体を狙っていると言えよう。
2国家解体の思想 
1の特徴は最近30年間の傾向であると言えるが、国家解体の傾向は、昭和20年代以来、占領期以来の特徴である。ともかく、一貫して、公民教科書には、国家論が欠如し続けてきた。国家とは何か、国家の役割とは何かといったことについて、公民教科書は何の教育もしてこなかった。また、国際社会の箇所を見ても、そもそも「国益」という言葉が出てこないし、国益の観点が全く見られない。あるのは、ひたすら、国際協調の観点である。
今日まで、国家論をきちんと展開した教科書は、平成24年度以降の『新しい公民教科書』だけである。『新しい公民教科書』は、国家の役割として、四つのことを指摘した。一つは国家の防衛である。二つは社会秩序、法秩序の維持である。第三に社会資本の整備、第四に国民一人一人の権利の保障である。
ところが、このような国家論を学ばずに国際協調の観点だけ学んだ優等生が、大学教育を受け、官僚や政治家になっていく。大学教育でも国家論を学ばない。驚くべきことに、憲法学の教科書を見ても、国家論はないに等しい。国家論も国益という思想も身に付けないまま、官僚や政治家になっていくのである。これらの官僚や政治家が外交を担うわけだから、日本が慰安婦問題などで負け続けるのも当然なのである。
3全体主義的な民主主義思想 
3の特徴は、一定、昭和20年代からあるものだが、時代が下るにつれ、強くなってきている。まず指摘すべきは、公民教科書が「日本国憲法」三原則説を例外なく採っていることである。「日本国憲法」三原則説は定説であるかのような誤認があるが、実は多数説ではあっても、通説又は定説ではない。公民教育の世界で広がった全体主義的な説である。
例えば、昭和33年版中学校学習指導要領は、「基本的人権の尊重、平和主義、国民主権、三権分立、間接民主制、議院内閣制の六つを、原則として挙げていた。国民主権という権力集中を伴う民主主義的原則とともに、三権分立、間接民主制、議院内閣制という権力抑制的、立憲主義的原則が挙げられていたことに注目されたい。
しかし、公民教科書は、指導要領を無視して、昭和30年代以来、三権分立等を全て排除し、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権という三原則説をとるようになった。もう一度言うが、政治意思の決定という観点から見れば、三原則の中には、国民主権という権力集中の原則しか残っていない。必然的に三原則説は、全体主義的な思想傾向を帯びてくるのである。
この全体主義的な三原則説を中学時代に学んだ憲法学者が多くなるにつれ、憲法学の世界でも、三原則説は多数説になっていく。つまり、三原則説とは、公民教科書から憲法学説へ広がっていったものなのである。
しかも、特に平成5〜8年度版以降になると、公民教科書は、もっぱら、全体主義的な民主主義の元祖であるフランス革命を中心に西欧米国政治史を語るようになり、逆に立憲主義的な民主主義の元祖である英国政治史を書かなくなるのである。
ついでに言えば、三原則説と同じく、公民教科書が広げた法学思想に平等権というものがある。憲法学界では全くの少数派であった平等権という思想は、いち早く、昭和40年代以降、大多数の公民教科書の中に広がっていく。そして、1980年代以降になって、憲法学説に於いても比較多数派になっていくのである。
4アジア、在日韓国・朝鮮人、アイヌ、沖縄への贖罪意識の植え付け 
アジアへの贖罪意識の植え付けは、昭和20年代以来の公民教科書が狙ってきたものである。平成5〜8年版のあたりから、在日韓国・朝鮮人差別問題が大きく扱われるようになり、平成9〜13年度版以降では在日韓国・朝鮮人被強制連行者子孫説が多数派教科書で書かれるようになる。被強制連行者子孫説の嘘も強制連行の嘘も暴かれてしまったが、現行版でも、在日韓国・朝鮮人は徴用された人たちの子孫であるという嘘を書く教科書が、東京書籍、教育出版、清水書院と3社も存在する。
さらに言えば、公民教科書にも、アイヌ先住民族論が登場している。そして、沖縄の米軍基地は日本全体の74%であるという偏った記述が、ほとんどの教科書で行われている。せめて「74%(23%)」と記すべきであろう。この偏った記述も、沖縄に対する贖罪意識を「本土」の中学生に抱かせるためなのであろう。
歴史戦というと、歴史教科書だけが関連していると思われるかもしれないが、公民教科書も一定の関連性を持っているのである。私は、公民教科書の2国家解体の思想こそが、歴史戦で日本が負けつづる本質的、根本的な理由であると見ている。
西欧も米国も、思想界は左翼が牛耳っており、自虐史観に染まっている。しかし、国家の思想は、左翼も含めて、国民全体に共有されている。これに対して、日本の場合は、保守派にも、国家の思想は共有されているとは言い難い。きちんと、国家論を中学校の公民教育や大学の憲法教育や国際法教育で教えてきていたならば、歴史戦で負け続けることはなかったはずである。その意味では、公民教科書改善の方が、歴史教科書改善よりも重大な課題だとも言えるのである。 
四、歴史教科書の歴史――教科書内容こそが歴史戦の帰趨を決してきた

 

以上見てきた歴史教科書と公民教科書の特徴をふまえて、歴史教科書の内容と歴史戦の関係について見ていきたい。或いは、歴史戦総体の中で、歴史教科書の内容をめぐる戦いは、どのような位置に在るのだろうか。
2015年の安倍談話や「南京大虐殺」関係資料の「世界の記憶」への登録、日韓合意などを見て、「つくる会」も私自身も激怒したし、落胆した。そして、安倍首相の度胸のなさ、その自虐史観ぶりに落胆した。その後、少なくとも私の安倍政権への落胆度合いはどんどん拡大し、ヘイト法の通過、そして今回の安倍偽改憲構想に至って、頂点に達している。
もちろん、安倍氏の自虐史観は糾弾されるべきである。また、その歴史戦における失敗の責任も追及されなければならない。しかし、同時に、『安倍談話と歴史・公民教科書』を執筆する中で冷静に歴史教科書の歴史を振り返り、その歴史を歴史戦と照らし合わせてみると、歴史教科書改善運動の限界が見えてきた。1995年の村山談話も、2015年の安倍談話も、同時代の歴史教科書の思想を忠実に反映していただけであった。つまり、歴史教科書の質こそが、歴史戦の帰趨を決定していたのである。
前もって言うならば、確かに歴史教科書改善運動は大きな成果を挙げ、教科書の内容的改善に大きく寄与してきた。だが、一歩及ばなかったのである。もう少し教科書改善運動が深化拡大していれば、歴史戦の様相は少しはましなものになっていたかもしれないと想うのである。
もっとも、教科書改善運動の進化を遅らせた大きな責任は安倍氏にある。氏が「つくる会」から脱落した育鵬社系の運動家たちの支持を決めたときに、教科書改善運動の深化拡大はブレーキを掛けられたからである。
まえがき的なことはこれくらいにして、この「四 歴史教科書の歴史」では、タイトル通り、中学校歴史教科書の内容史を追いかけていこう。
(1)中学校歴史教科書の歴史……侵略用語の変遷に注意して四期区分 
まず、歴史教科書の歴史を大掴みで把握するために、特に侵略用語の変遷に注意して時期区分しておこう。そうすると、以下の四期に区分できることが分かった。
第一期 昭和20年代から昭和36年度まで……侵略表記が3分の1
3分の1強の教科書で、支那事変を「日華事変」と表記して「侵略」と位置づける。満州事変を「侵略」と位置づける教科書はごく少数である。
国定教科書期のみ、「南京事件」はWGIPの一環として書かれる。しかし、例えば『日本歴史』は、「中国側の抗戦は南京における日本軍の残虐行為を契機にさらに激化」(204頁)と、簡単に記すだけである。
第二期 昭和37年度から58年度まで……侵略表記の無い時代
昭和37年度になると、「侵略」表記は急速に減少する。そして、昭和58年度まで、侵略表記がほとんどない時代が継続するのである。
しかし、昭和50〜52年度版では、教育出版は、「四万二千の中国の住民を殺害するという事件がおこった」(300頁)と記すようになる。日本書籍も四万二千の殺害と記すようになる。30年ぶりに、「南京事件」が登場したのである。
また、朝鮮人徴用の記述が、昭和53〜55年度版で徴用から「強制連行」へ転換したことも特筆される事態であった。
第三期 昭和59年度から平成27年度まで……侵略表記が全社・多数派の時代
昭和57(1982)年6月、教科書誤報事件が起きた。その影響は、ちょうど昭和57年度検定にかかっていた中学校歴史教科書にすぐに影響を及ぼす。すなわち、全社で満州事変及び日華事変が侵略と表記されるようになった。もちろん、大東亜戦争を侵略と表記する教科書も、徐々に多数派になっていく。
「南京事件」についても、大きな転換がある。昭和62〜平成元(1989)年度版以降、単なる「南京事件」ではなく、「南京大虐殺」の位置付けに転換していく。ほとんどの教科書は、10数万から20万人が殺害されたと記すようになるのである。
更に大きな転換は、日本人が虚構した「慰安婦」記述が、平成9(1997)〜13年度版の全7社に登場したことである。ここに、日本を悩まし続けた「侵略」、「南京大虐殺」、朝鮮人「強制連行」、「慰安婦」の四点セットが、教科書で展開される時代となったのである。
第四期 平成28年度以降……侵略表記が少数派になる時代
「慰安婦」記述の登場は、保守派の教科書改善運動に火を付けることになった。この「慰安婦」記述の抹消を目指して、「つくる会」が作られた。そして「つくる会」が主導して、『新しい歴史教科書』と『新しい公民教科書』が作られた。
『新しい歴史教科書』は、他社の教科書に大きな影響を与え、歴史教科書の内容を改善していった。
その結果、平成24〜27年度版では、「南京大虐殺」の位置付けを行う教科書が7社中3社に減少し、「南京事件」という位置付けの教科書が4社となる。そして、更に、平成28〜31年度版で、30年ぶりに「南京事件」を書かない教科書が誕生した。『新しい歴史教科書』のことである。
(2)教科書改善運動の成果 
以上見た第三期の後半から、「つくる会」の運動は行われてきたわけであるが、「つくる会」が主導した教科書改善運動は、その採択率が全く伸びなかったにもかかわらず、大きな成果を挙げてきた。歴史戦と密接な関係をもつ問題に関する成果を4点まとめておこう。
1慰安婦記述を中学校歴史教科書から一旦、一掃したこと
平成14(2002)〜18年度版では、新しく『新しい歴史教科書』が登場した。その成果は早速現れ、慰安婦記述を行う教科書は、平成18〜23年度版では2社に大減少し、24〜27年度版ではゼロとなった。
ただし、今回の平成28〜31年度版では、学び舎が詳しく慰安婦問題を取り上げている。
2朝鮮人徴用の記述の改善……平成18〜23年度版
朝鮮人徴用については、平成9〜13年度版では、全社が強制連行の位置付けをしていた。しかし、平成14年度初登場の『新しい歴史教科書』が「徴用」という位置づけを行った。その影響は直ぐに現れ、平成18〜23年度版では、強制連行と位置付ける教科書が日本書籍新社、大阪書籍、清水書院の3社に激減する。24〜27年度版ではさらに減少して清水書院1社に、28〜31年度版では清水書院と新登場の学び舎の2社となる。
教科書の平均的な記述を求めれば、平成18〜23年度版以降の時期では、東京書籍の記述がそれに当たることになろう。東京書籍の平成18〜23年度版と平成28〜31年度版の記述を、それぞれ掲げておこう。
〇東京書籍の平成18〜23年度版 
日本に連れてこられて、意思に反して働かされた朝鮮人、中国人などもおり、その労働条件は過酷で、賃金も低く、きわめてきびしい生活をしいるものでした。 (193頁)
〇東京書籍の平成28〜31年度版
多数の朝鮮人や中国人が、意思に反して日本に連れてこられ、鉱山や工場などで劣悪な条件下で労働を強いられました。 (227頁)
平成18〜23年度版についてコメントするならば、「意思に反して働かされた」という部分が焦点であるが、これは「強制労働」を認めたとも認めていないともとれる書き方である。
また、今回の平成28〜31年度版についてもコメントするならば、「意思に反して日本に連れてこられ」が焦点であるが、これは「強制連行」を認めたとも認めていないともとれる書き方である。
「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録問題では、韓国側は「強制労働 forced labor」と記すことを要求し、日本側は拒否していたが、結局、「意に反して働かされた forced to work」に落ち着いたという。結局、現在の平均的な歴史教科書の立場が、そのまま文言になったのである。もしも、教科書が「強制連行」を明記していた時代だったら、強制労働(forced labor)の言葉を受け入れていたと想像されよう。
しかし、日本語の「強制労働」と「意に反して働かされた」とでは大きな違いがあるが、英語のforced laborとforced to workでは余り大きな違いはないといわれる。世界的には、韓国側の完勝だったわけである。日本外交の拙劣さが招いた事態ではあるが、日本側敗北の背景には、教科書改善運動の不十分さがあったと見なければならない。
3「南京大虐殺」を「南京事件」に変化させてきたこと
平成9〜13年度版では、7社中6社が20万虐殺、十数万虐殺と記していたし、残る帝国書院も虐殺数こそ示さないが「南京大虐殺」という言葉を用いていた。全社が「南京大虐殺」の位置付けを行っていたのである。
しかし、『新しい歴史教科書』が登場した平成14〜17年度版では、大虐殺の位置付けをする教科書が一挙に8社中4社へ激減する。そして、前述のように、平成24〜27年度版では、「南京事件」という位置付けを行う教科書が7社中4社となり、多数派となる。そして、平成28〜31年度版では、『新しい歴史教科書』は、「南京事件」を書かずに検定合格した。
平成28〜31年度版では、「南京大虐殺」が東書と清水の2社グループ、「南京事件」が育鵬社、日文、教出、帝国、学び舎の5社グループ(学び舎はかなりひどく、或る意味「南京大虐殺」とする教科書よりもひどい)、「南京事件」の記述をそもそもしない自由社一社、という構図となった。自由社の「南京事件」不掲載は、中国の「世界記憶遺産」登録への撃ち返しとして大きな意味を持つこととなろう。
4「侵略」記述の大減少……平成28〜31年度版 
振り返れば、平成9〜13年度版では、日清・日露戦争から満州事変以降の戦い全てを侵略戦争と位置付ける教科書が多数派となっていた。しかし、『新しい歴史教科書』が登場した平成14〜17年度版では、日清・日露戦争を侵略とするのは日本書籍新社一社に減少する。平成18〜23年度版では、満州事変と支那事変を「侵略」と表記する教科書は、8社中4社に半減する。そして、平成28〜31年度版では、満州事変以降の戦いを侵略とするのは東書、清水、学び舎の3社となる。大東亜戦争についていえば、「侵略」と明記するのは東京書籍1社となる。学び舎は「侵略」としていないし、清水の立場は微妙である。
安倍談話が「侵略」という用語を使いながらも直接には満州事変以降の戦いを「侵略」と規定せずに済んだ背景には、侵略記述の減少という事態が在ったのである。とはいえ、安倍首相が記者会見で「侵略」発言をしてしまった背景には、安倍氏自身の自虐史観とともに、「侵略」記述を圧倒的な少数派に追い込むことに成功していない教科書改善運動の限界があったとみることが出来る。
しかし、侵略記述を相対的な少数派に追い込むことに成功したのに、結局、安倍首相が「侵略」と認めてしまうとは、一歩遅かったという感じがしてならない。数年前に「侵略」記述を少数派に追い込んでいたならば、少しは、安倍談話自体の内容も変わっていたのではないかとも思われるのである。 
五、歴史教科書の変遷と内閣の考え方
  ……内閣の考え方は、歴史教育の大枠と一致

 

史戦と言えば、やはり、日本政府が日本の戦争を侵略とみるか否かということが、一番の焦点となる。日本政府が、「侵略」云々ということに関してどのような見解を抱いてきたか、歴史教科書の時期区分に合わせてみていこう。この部分は、和田政宗・藤岡信勝他『村山談話20年目の真実』(イースト新書、2015年)を基本的な参考文献として見ていく。
1)教科書の第一期、第二期……内閣は「侵略」を認めない
教科書の第一期、第二期に於いては、内閣は決して「侵略」を認めてこなかった。この時期までの政府担当者には、「侵略」とは認めないという共通了解があったようである。いかなる国家でも、基本的にはそのような了解があると思われる。
しかし、昭和57(1982)年6月26日、教科書誤報事件が発生する。この事件の時のことはよく覚えている。2か月間ほど、毎日のように、教科書問題の記事が新聞の一面を占めていたように記憶している。秋になっても、教科書問題に関する記事が新聞紙面を賑わしていた。異常な雰囲気の中、同年8月、記者会見の臨んだ鈴木善幸首相は、次のように初めて「侵略」用語を用いる。
我が国の行為は、中国も含め国際的に侵略だと評価されているのも事実だ。この辺は政府としても十分認識する必要がある。
まだ、侵略を自ら認めたわけではないが、今日から見れば、日本政府が外交的に転落していく第一歩だった。同年11月、近隣諸国条項が制定され、「侵略」用語と「南京事件」など11項目について検定意見を付けない運用を行う確認を、歴史小委員会が合意する。歴史小委員会が属する教科書用図書検定調査審議会は、このことを正式に決定していないと伝えられる。だが、小委員会の合意通りの運用が行われていくのである。
2)教科書の第三期……侵略表記全盛の時代に首相などが「侵略」発言
教科書誤報事件の影響がさっそく現れ始めた昭和59年度から教科書の第三期が始まるが、昭和60(1985)年10月、参議院本会議で中曽根首相が初めて、首相として「侵略」を認める発言を行う。
我が国は、過去においてアジアの国々等を中心とする多数の人々及び国家に対して、あるいは侵略行為あるいは戦争により多大の苦痛と損害を与えたことを深く反省し、このようなことを二度と繰り返してはならない、そのように考えております。
この中曽根発言が、決定的な失策であった。中曽根政権の時代から、歴史認識をめぐるちょっとした発言で閣僚が辞任せざるを得なくなる事態が生じた。当時、こんなことをしていたら、日本国家は極めて外交的に弱くなっていくと思ったが、その通りになっていく。この時代から、日本の「悪行」発掘に生きがいを求める学者が著しく増加した。この時代に、1970年代の東アジア反日武装戦線(爆弾闘争以上に、日本人全体を敵として設定する反日革命思想が特徴)が提起した反日主義思想が、社会党や共産党、自民党の一部にも大きく広がった。自民党が政権を相変わらず握りながらも、自民党自身も、国民思想自体も反日化し、日本全体が思想的に著しく劣化した時代であった。保守の代表格とみられた中曽根首相自身が、反日思想とは言わずとも、少なくとも自虐史観の持ち主であったから、当然のことであった。その中曽根氏は、憲法改正運動で未だに大きな発言力を持っている。そんな状態で出てきた安倍改憲構想が、9条12項を護持する永久属国化論になってしまうのも、ある意味、当然のことであろう。
その後、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一と歴代内閣の総理大臣が同様の発言を重ね続ける。そして、宮沢内閣の最後の段階である平成5(1993)年8月4日、「従軍慰安婦」問題に関する河野洋平内閣官房長官の談話が出される。この河野談話が、今日まで、日本を苦しめ続けていることは周知の事実である。
この平成5年8月9日、非自民・非共産連立内閣である細川護煕内閣が成立する。細川は、首相になるや、戦争に関する謝罪発言を繰り返し、8月23日の国会で、「侵略」と「植民地支配」と「お詫び」の三点セットを込めた所信表明演説を行う。次の羽田孜総理も、平成6(1994)年5月の所信表明演説で同様の演説を行った。
そして、平成7(1995)年8月15日、村山富市首相談話が出される。細川、羽田と同様の内容だが、閣議決定されているので日本国家を一定拘束する。もっとも、『村山談話20年目の真実』によれば、閣議決定は、騙し討ちのような形でなされたという。 
そして、この村山談話は、平成10(1998)年の「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言」(小渕恵三と江沢民)の中にも出てくる。
双方は、過去を直視し歴史を正しく認識することが、日中関係を発展させる重要な基礎であると考える。日本側は、一九七二年の日中共同声明及び一九九五年八月一五日の内閣総理大臣談話(村山談話)を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。
この日中共同宣言が、安倍談話が村山談話を踏襲する根拠とされるのである。従って、騙し討ちのような形で閣議決定された村山談話は、極めて怪しからんものであると保守派は考える。
しかし、1990年代の歴史教科書はどういうものだったか。この時代には、ほとんどすべの教科書は、満州事変から「太平洋戦争」まで全てを侵略としていたし、多くの教科書は日清日露戦争までも侵略としていた。多くの教科書で節見出しの中に「中国侵略」という言葉が躍っていた。しかも、前述のように、「朝鮮人強制連行」説も「南京大虐殺」説も、全社が採るところであった。
当時の自民党閣僚からすれば、騙し討ちに見えても、村山談話は、自虐史観全盛の歴史教科書よりはまだましだともいえるものであり、少なくとも歴史教科書の内容に沿った談話だったのである。従って、村山首相は、当時、マスコミや国民世論からさして批判されることもなかったのである。教科書内容と政治家の発言は極めて密接な関係に在ることを確認しておきたい。
3)教科書の第四期……歴史戦における五連敗……極めて危険な状況
前述のように、第三期の後半から、歴史教科書は大きく改善されてきた。「侵略」と記す教科書が減少し、朝鮮人強制連行説に明確に立つ教科書も少数派になったし、「南京大虐殺」から「南京事件」への転換も成し遂げてきた。
そして、平成26年度検定で検定合格した教科書が、平成27年の採択戦に臨んでいたその時、次々と、日本は歴史戦における敗北を重ねていくのである。平成28年度から使用され出す歴史教科書においては、「侵略」と記す教科書は完全に少数派となっていたし、「南京事件」への転換が明確になるとともに、30年ぶりに「南京事件」を書かない教科書も登場した。まさしく、教科書が大きく改善され、新しい時代が訪れようとしていたその時、歴史戦における五連敗が発生するのである。五連敗とは、以下のものである。
1 平成27年7月5日、朝鮮人徴用が強制労働であったかのように読める声明
 ……「明治日本の産業革命遺産」世界遺産登録に際して、日本のユネスコ大使が声明。
2 8月14日、安倍談話
談話の中で「侵略」を曖昧な形で認める。その後の記者会見では、明確に「侵略」を認める。
3 11月9日(日本時間10日未明)、「南京大虐殺」関係資料「世界の記憶」登録 
4 12月28日、慰安婦問題に関する日韓合意
慰安婦問題に関する日本の責任を認め、国家の資金供出を約束した。この合意は、安倍談話の履行という意味があった。安倍談話には次のような言葉がある。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
5 平成28年5月24日、参院に続いて、衆院本会議をヘイト法通過
ヘイト法の正式名称は、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」というものである。日本人による外国人に対する「不当な差別的言動」(ヘイトスピーチ)だけを禁止し、外国人による日本人に対する「不当な差別的言動」を許容する法律である。このような日本人差別法を、安倍内閣は率先して作ったのである。
歴史戦の5連敗は、中国による日本侵略の布石となる
以上の5連敗について付言すれば、1は、徴用された朝鮮人が賠償を求め続ける根拠にされるものである。当然、中国人による賠償請求の一根拠ともなるものである。2の「侵略」を認める発言は、中国にとっては、国連憲章第53条1後段「侵略政策の再現」を使う布石となるものである。
3の「南京大虐殺」関係資料「世界の記憶」登録は、中国の主張する「南京大虐殺」の存在を権威づける効果をもつことになる。中国が日本を侵略するに当たって、国際法を守らない場合の理由付けとなる。端的には、日本侵略に当たって発生しそうな「那覇大虐殺」「東京大虐殺」が生じた場合の言い訳に使える効果を持つことになる。石平氏によれば、中国は、その国際法意識の低さから「東京大虐殺」をしてしまうのではなく、「東京大虐殺」をしたがっているのだという。とすれば、この「世界の記憶」登録を許してしまったことは、日本外交の手痛い失敗だということになろう。
4の日韓合意の結果、世界では、慰安婦強制連行説と性奴隷説を安倍首相も認めたこととされ、すっかり、世界的にこの二つの説が流布拡大した。
そして、5のヘイト法によって、街頭運動や言語の世界では、日本人に対するどんなに「不当な差別的言動」であっても許されるという風潮が拡大した。ヘイト法は、韓国や北朝鮮や中国を批判する言説を「ヘイトスピーチ」として追放していく根拠に使われかねない危険をもつ日本人差別奨励法である。従って、慰安婦強制連行説及び性奴隷説の批判や「南京事件」否定説を追放していく道具に使われかねないものである。少なくとも、既に育鵬社の公民教科書の1コラムが「ヘイトスピーチだ」として攻撃されているように、自由社や育鵬社の歴史教科書、公民教科書追放の根拠とされていく危険があると言えよう。
結局、安倍内閣下における5連敗は、中国の勝利である。中国にとっては、5連勝である。この5連敗は、中国にとっては、近い将来に行おうとしている日本侵略の布石となるものなのである。
結局、歴史教科書の内容が歴史戦の帰趨を決してきた
しかし、何故に、「日本を取り戻す」と言って政権に就いた安倍内閣の下で、5連敗を喫するのであろうか。もちろん、安倍首相自身が、結局のところ「戦後レジーム」に囚われていたという点、米国等の外国首脳と渡り合うだけの胆力が不足している点は、二つとも大きな理由であろう。
だが、ここまで見てきたように、村山談話は、当時の歴史教科書に示された歴史認識と全く同様のものであった。村山談話の背景には歴史教科書に示された歴史認識があったのである。
逆に、安倍談話も、「侵略」表記が減少してきてはいたが、まだ完全な少数派になっていない歴史教科書の現状に合わせるように、「侵略」を認めたかのような、認めていないかのような内容になっていたのである。故渡部昇一氏を初めとした保守派の多数派に絶賛された「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」との記述も、平成24〜27年度版と28〜31年度版の8社中5社の多数派教科書にみられる記述に過ぎなかったのである。
要するに、余程歴史認識や国家観がしっかりしているか、胆力のある首相でない限り、歴史教科書の内容から自由にはなれないということなのである。
その意味で、敢えて言えば、歴史教科書の内容こそが歴史戦の帰趨を決してきたと言えよう。このことを確認した時、筆者は、余りにも意外だったので、多少ともショックを受けた。ともかく、その意味でも、「つくる会」は、採択数に関わらず、教科書をつくり続けなければならないであろう。 
六、『捕虜収容所服務規程』としての「日本国憲法」
  ……歴史戦、歴史教科書との関係

 

以上、歴史・公民教科書、特に歴史教科書の内容が歴史戦と密接な関係に在ること、歴史教科書の内容こそが歴史戦の帰趨を決してきたことを述べてきた。
しかし、何故に、日本では自虐史観が蔓延り、熾烈な歴史戦が戦われることになったのであろうか。それは、中韓や米国に根強く存在する日本人差別思想に由来するし、それ以上に日本人が世界一の日本人差別主義者であるからである。
この日本人差別思想を育んできた最大の文書が「日本国憲法」である。「日本国憲法」は、連合国の「捕虜」として日本人を位置付け、日本人を差別し管理する法である。いわば、『捕虜収容所服務規程』なのである。以下、「日本国憲法」の日本人差別性を見ていこう。
日本及び日本人を差別する「憲法」の作り方 
そもそも、「日本国憲法」は、占領下に、しかもGHQの完全統制下という異常な状態で作られた。西ドイツのボン基本法と比べると、米国人が、如何に日本人を差別的に見てていたかが分かる。原案から見れば、「日本国憲法」の場合は、周知のように、GHQが原案を作った。これに対して、ボン基本法を起草したのはドイツ人自身である。
議会審議を比べても、「日本国憲法」の審議は完全に統制されていたし、日本の議員たちの自由意思はほとんど存在しなかった。これに対して、西ドイツの場合は、基本的に自由に審議することが許された。
しかも、日本では、占領下に作らされたにもかかわらず、「日本国憲法」と位置づけさせられた。西ドイツの場合は、占領下で自由意思が存在しないという理由と、東西ドイツに分断されているという理由から、「憲法」ではなく、「基本法」と位置付けることが許された。実は、分断国家という点は、日本にもあてはまる。「日本国憲法」成立時には、沖縄、奄美、小笠原は米国に直接占領されており、日本政府の施政権が及んでいなかったからである。
前文で反日主義の原理、下層国の原理 
「日本国憲法」は、作られ方の点でも日本人差別的であるが、内容の点でも差別的である。それは、とりわけ、前文と第九条に現れている。前文には、有名な次の言葉がある。
日本国民は、……、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 
ここに見られるように、「日本国憲法」は、諸外国を「平和を愛する諸国民」として上位に位置づけ、日本を戦争を起こした「侵略国」として下位に位置づけている。それどころか、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べて、安全どころか、生存までも諸外国の判断に任せてしまっているのである。理論的には、諸外国が死ねよと言えば、死んでいかなければならない存在として、日本は位置づけられていることになるのである。
九条……自衛戦力も交戦権も否定、と解釈されている
上記前文の思想に合わせるように、「日本国憲法」第九条は、多数派及び通説の解釈からすれば、自衛戦争もできず、自衛戦力も持てず、自衛のための交戦権も否認したと捉えられている。自衛のための交戦権も持てなければ、大国の属国とならなければ生きてはいけないだろう。あるいは、滅亡していかざるを得ないであろう。それゆえ、帝国憲法改正議会では、昭和21年8月24日、日本共産党の野坂参三は、「要スルニ当憲法第二章ハ、我ガ国ノ自衛権ヲ抛棄シテ民族ノ独立ヲ危クスル危険ガアル、ソレ故ニ我ガ党ハ民族独立ノ為ニ此ノ憲法ニ反対シナケレバナラナイ」と述べていたのであった。
日本悪者物語と帝国憲法(体制)は良くないという物語 
ここに見た「日本国憲法」の作られ方と内容が、要求するものがある。一つは、日本悪者物語である。端的に言えば、日本は悪いことをしたから自衛戦力さえも放棄した、という物語である。そこで、日本の戦争を「侵略」と位置付けるだけでなく、数々の「悪行」を創造していかなければならなくなる。そこで歴史捏造又は歴史歪曲が必要となるが、これらを歴史教育と歴史学が行い続けてきたのである。
二つは、帝国憲法(体制)は良くないという物語である。帝国憲法は非民主的、非人権的な憲法だから、「日本国憲法」が作られたという物語である。この物語も歴史教育と歴史研究が担ってきたが、更に憲法学や公民教育も担ってきた。最近の歴史研究は、帝国憲法(体制)をそれなりに評価するようになっているが、歴史教育、憲法学、公民教育にはほとんど変化がない。
「日本国憲法」成立過程史の研究をサボタージュする
三つは、「日本国憲法」成立過程史の研究をしないことである。占領期にはGHQが原案を作ったことが隠されていた。そして、「日本国憲法」無効論は、そもそも生まれないように、徹底的な言論統制が行われてきた。それゆえ、占領解除後も、「日本国憲法」成立過程史が明らかにされることはなかった。日本は、1995年まで、最も「日本国憲法」審議を中心的に行った衆議院憲法改正委員会内小委員会の議事録が秘密議事録指定を受けていたように、きちんと「日本国憲法」成立過程史の研究をオープンに行うことを回避してきた。今日でも、議会審議の研究はきちんと行われているとはいいがたい状況である。
真面目に行われないのは何故か。それは、正面から成立過程史の研究が行われれば、「日本国憲法」無効論を招き寄せることになるからである。
無効論を招き寄せないためには、何でも行われてきた。ポツダム宣言が無条件降伏を求めたものだという嘘、国民が「日本国憲法」の原案を支持したという嘘、議会が自由に審議したという嘘、等々である。これらの嘘が、特に公民教科書で流され続けたのである。憲法解釈書にもかなり出てくることがあるから、驚きである。
国家論と国際法などを教えない、研究しない 
四つは、国家論や軍事学、国際法(特に戦時国際法)などを追放したことである。これらが身に付けば、九条はおかしいということはすぐわかる。国際法が身に付けば、特に戦時国際法が身に付けば、「日本国憲法」が無効だということはすぐわかる。だからこそ、これ等の学問を追放する必要があったのである。
追放したということが大袈裟だとしても、これらの学問が多くの国民、高等教育を受けるような国民に対しても教えられなかったことは事実である。いや、教育以前に、研究自体がきちんと行われてこなかったと言って良いだろう。特に戦時国際法がそうである。
国家論や戦時国際法などの追放は、日本の文系学問全体をおかしなものにした。特におかしくなったのは、歴史学と憲法学である。この二つの学問がおかしくなれば、歴史教育も公民教育もおかしくなるのは当然であろう。教育の場合は、学問以上に「日本国憲法」護持という目的に縛られるから、歴史教育も公民教育も、歴史学と憲法よりも更におかしなものになっていったのである。
最後に――教科書改善、歴史戦、憲法改正は一体だ
以上見てきたように、歴史戦と歴史教科書・公民教科書とは極めて密接な関係にあること、また、「日本国憲法」の問題と歴史教育・公民教育の問題とはきわめて密接な関係にあることを指摘しておきたい。
今の日本人の歴史観や国家観がおかしいのは、本質的には「日本国憲法」という文書のせいである。従って、憲法改正問題こそ重要であり、それに比べれば、歴史戦は軽い問題であり、教科書改善問題は更に軽い問題である、という認識が広範に出てくる。所謂保守派は、ほとんど、この考え方になびいている。
安倍内閣は、そのような考え方から、教科書改善運動を最前線で戦っている「つくる会」をつぶし、育鵬社を伸ばすために、学び舎という検定不合格にするしかない極左の教科書を無理やり検定合格させてきた。これは、もう一度言うが、検定基準を完全に無視した違法行為である。2015(平成27)年4月のことである。
また、そのような考え方から、憲法改正を自己目的化し、形だけの「日本国憲法」改正を求めて、3分の2の支持を得るために、特に公明党の支持を得るために、日韓合意などを行い、歴史戦を最前線で戦っている人たちに後ろから砲撃をし続けてきた。これも2015年のことである。そして、憲法改正の自己目的化はとどまるところを知らず、今年5月、ついに、憲法改正の一丁目一番地である9条2項削除をあきらめた改憲構想を示すに至ったのである。これは、正気の沙汰ではない。安倍改憲路線は、日本の自主防衛をあきらめ、正式に日本国民の意思に基づくという形式を履み、日本を属国化するものだからである。
端的には、青山繁晴氏は《拉致被害者を取り戻すために、早く「日本国憲法」改正という形で9条改正をしなければならない》と述べておられたが、日本国家による拉致被害者の取り戻しをあきらめるということでもあろう。
しかし、そもそも、憲法改正、歴史戦、教科書改善の三者をバラバラに捉える考え方は間違っている。三者は極めて密接な関係にあり、一体のものであるし、三者に軽重はない。特に、『安倍談話と歴史・公民教科書』や『「日本国憲法」・「新皇室典範」無効論』を認める中で、そう思うようになった。いや、むしろ、民間にある者が出来ることは何か、という実践的観点からすれば、教科書改善問題こそ、最も重くて重要な問題ではないかと思われるのである。
小論で展開してきたように、歴史戦の敗北の根底には、教科書に示される歴史観・国家観の改善がもう一歩足りなかったということがある。前述のように、教科書に示された歴史観や国家観こそが、歴史戦の根底にあり、歴史戦の帰趨を決してきた。同様に、教科書に示されるような国民の歴史観や国家観こそが、憲法問題の帰趨を決するように思われる。歴史観・国家観の改善が足りないからこそ、国家とは何か、憲法とは何か、国際法とは何か、交戦権の否認とはどういうことを意味するのか、日本の戦争とは何だったのか、といったことが分からない国会議員を多数生み出し、これらのことを背景として、安倍偽改憲構想が生まれているのである。 
 
グローバル化に関する文献抜粋

 

『グローバル化と反グローバル化』 2003年
○ グローバル化とは、簡潔に言えば、社会的相互作用の超大陸的なフローとパターンの規模と範囲から広がっているだけではなく、そのインパクトも強まっていることを表すものである。人々の組織が遠隔のコミュニティと結びつき、世界のリージョンと大陸を越えて権力関係を広げているが、その程度に変化ないし変容が起こっていることを示している。とはいえ、調和のとれた世界社会が出現しつつあるとか、広くグローバルな統合が進むなかで文化と文明の収斂減少が起こっていると受け止めるべきではない。相互関係が深まっていると考えられる一方で、新しい敵対関係や対立状況が起こっている。また、反動的政治や根深い排外感情も煽られかねない状況にもある。世界の人々の大部分がグローバル化の恩恵から排除されているだけに、グローバル化とは深い分裂と激しい対立の過程でもある。また、グローバル化の作用は不均等なだけに、ひとつの普遍的な過程が地上で一様に展開されているわけではない。
○ 政治生活の性格と形態にひとつの移行が起こっている。現局面において浮上しているのは「グローバル政治」という特有の姿である。これは、政治のネットワーク、相互作用、ルール設定の形態が不断に広まっていることを意味している。世界の一部における政治的決定や行動が直ちに世界的規模で波及しうる状況にある。政治活動と意思決定、あるいはいずれかの舞台は、急速なコミュニケーション技術によって複雑な政治的相互作用のネットワークと結びつきうる。こうした政治の「広がり」と結びついて、グローバルな諸過程の強化ないし深化が起こっていて、「遠くの活動」が特定の地域ないしコミュニティの社会状況や知の世界に浸透している(Giddens 1990:ch2)。その結果、経済・社会・環境のいずれを問わず、グローバルなレベルにおける諸展開はほとんど即時に個別の場に影響しうるし、また、逆のことも起こりうる状況にある。
○ 国内と国際、領域と非領域、内部と外部という区別は、長く国家間の政治や「政治的なもの」についての伝統的概念に底流し続けてきたが、グローバル政治という考えはこの区別に挑戦するものである。この考えは、また、グローバルな秩序において国家と社会を超える規模の相互連関の豊かさと複雑さを照射するものである。さらには、グローバル派が論じているように、グローバル政治の対象は伝統的な地政学的関心にのみならず、きわめて多様な経済的・社会的・エコロジー的問題にも向けられている。環境汚染、麻薬、人権、テロは多くの超国民的な政策争点のひとつであり、領域的管轄権や既存の政治的協力関係を超える問題であるだけに、その実効的解決には国際協力が求められることになる。
『グローバリゼーションと経済開発』−世界銀行による政策研究レポート 2004年
○ グローバリゼーションは一般的には貧困を軽減する。統合度が高い経済はより早く成長する傾向があり、普通、この成長は広範囲に浸透するからである。低所得国が製造業やサービス業の国際市場に参入するにつれ、貧困層は農村における悲惨な貧困という脆弱な生活基盤から逃れ、大小の都市での仕事へと移ることができる。また、グローバリゼーションは勝者と敗者を作り出す。これは国家間でも国内でも言えることである。国家間で見ると、今のところグローバリゼーションは不平等度を低めている。約30億人が「新たなグローバル化している」発展途上国に住んでいる。1990年代に、先進国の成長が2%だったのに対し、このグループでは一人あたり所得が5%の成長を遂げた。また、このグループの中の極度の貧困者数は、1993年から1998年までの間に1億2,000万人減少した。しかし、多くの貧しい国(約20億人を抱える)はグローバリゼーションの進行から取り残されている。
○ グローバリゼーションは諸々の力関係を変える。国際関係のレベルでは、先進国と発展途上国の力関係を変える。国内政治のレベルでは、政府、企業、市民社会の間の力関係を変える。最も根元的なところでは、グローバリゼーションは平和への展望を変えることになる−国内においても国家間においても。グローバリゼーションは文化の多様化を促進することもあるし、阻害することもあり得る。コミュニケーションやマーケティングの力、あるいは移民によって外国文化がもたらされる時、グローバリゼーションは文化の多様性を促進する。もし外国文化が自文化にとって代わる時、グローバリゼーションは多様化を阻害する、と言える。この両方ともに問題となることがある。
グローバリゼーションは世界のほとんどの地域で所得を上昇させ、競争を激化させ、それによって可能となった消費水準の向上は、環境汚染という脅威を招いている。競争の激化もまた「底辺の競争」と「汚染受け入れ場所」を生み出す。各国政府は環境基準を低くすることによって、競争優位を獲得しようとするかもしれない。つまり、保護主義における近隣窮之化問題が、グローバリゼーションにおいては自己窮之化問題に置き換わったのかもしれないのである。このようなグローバリゼーションによる悪影響を打ち消すのは、グローバリゼーションによる所得上昇に従って、人々は環境の質を第一に考える余裕ができるようになる、ということである。
○ 京都議定書の提案では、2015年までに、ある目標排出水準にするという合意を形成した上で、この排出枠を世界各国に比例配分する。先進国にとっては、現在の排出水準をかなり下回る排出枠配分になるだろうし、発展途上国の枠は現状を上回ることになろう。ここに、排出許容量の「市場」が存在するということになる。貧しい国は割り当てられた排出許容量の一部を「売る」ことで、所得を得られよう。つまり、豊かな国も貧しい国も両者ともエネルギー節約的な政策を導入する強いインセンティブを持つのである。さらに民間企業は新しく、よりクリーンなエネルギーを開発するインセンティブを持つであろう。グローバリゼーションに対する明るい展望が持てるか否かは、このような革新的なアイデアがどのようにして、すばやく取り入れられ、支持を得られるか、にかかっている。
『知識資本主義』 2004年
○ いかなる国も、グローバルな供給網の一端を担い、多国籍企業の投資を受け入れることを押し付けられているわけではない。いかなる国も、マクドナルドを食べなくてはならないというわけではない。しかし、グローバル経済に参加した国々は、参加しない国々よりも速いペースで裕福になる。参加した国々は専門化や、規模の経済や、技術移転や、直接海外投資や、市場アクセスや、また参加することのみで得られる特殊な経営ノウハウを取得することができるなどの恩恵を受けることができる。しかし、その代わりにグローバル・ビジネスの要求に応えなければならず、そのためには教育、インフラ、よい治安などを提供する必要がある。そうしなければ、それらの国々は世界経済に見捨てられ、置き去りにされていく。
○ 資本主義の問題とその批判に真剣に取り組んだ結果、資本主義システムは事実上守られ、異なる形の資本主義がつくられた。つまり、活発な金融・財政政策と義務教育が合わさった社会福祉国家であり、それは資本主義に本来固有の経済的不安定さと所得格差の拡大をコントロールしようとするものであった。グローバリゼーションについても同じことができるはずである。
○ グローバリゼーションはもっと緩やかなペースで進むべきだと議論するには、それがいかに可能なのかを答えなければならない。国はグローバリゼーションから身を引くことならできるが、グローバリゼーションというものは政府によってそのペースを決められるわけではない。政府ではなく、民間企業がグローバル経済のバベルの塔建設のペースを決定しているのである。
変化しようとする力は、必然的にそれに対抗する力に直面せざるを得ない。人間は習慣に従う。経済的、そして技術的な変化に対して自ら意志でこれまでのやり方を変えたとしても、それはゆっくりと徐々にでしかない。急激な変化には抵抗する。急激な変化を人々が自ら受け入れることは稀である。そしてグローバリゼーションは急激な変化である。その結果、人々の反応は、アンチグローバリゼーションの意見に見られるように、合理的と非合理的な議論が同時に混ざり合った、いかにも奇妙で感情的なものに陥ってしまうのである。
アメリカに支配されたグローバル文化が、一国の文化を侵略し、それを変えてしまうのではないかという懸念は、詰まるところ、自らの文化は、自国の若者にとって魅力的でないと信じなければ無意味な議論となろう。同様に移民たちが自国の文化を破壊してしまうという懸念も、結局のところその国の人々が、自国の文化は外国人にとって魅力的でないと考えない限り成り立たない議論である。このような議論に対する合理的な反論は、自国の文化をもっと魅力的にするために努力するべきだということである。グローバリゼーションを攻撃し、それによってグローバル文化と移民を締め出そうとするのは非合理的な反応である。しかし、それは非常に人間的な反応であるといえる。
『グローバル化で世界はどう変わるか』 2004年
第1章 序論−グローバル化の実態 ロバート・O・コヘイン(デューク大学教授(政治学))、ジョセフ・S・ナイJr.(ハーバード大学ジョン・F・ケネディ行政大学院長)
○ 最近のグローバリズムには、これまでと根本的に違う点があるのだろうか。どの時代も、それ以前の時代を土台としている。歴史をひもとくと、現在と同じ現象が必ず過去にも見られるものだが、今日のグローバル化は「これまでより速く、安く、深い」。グローバリズムの厚みが増すことによって、ネットワークの密度が高くなり、「制度の速度」が増し、国家を超えた参加が増えている。
○ これらに共通するのは、グローバリズムの厚み−相互依存関係の網の目の緻密さ−が、これまでになく増しているだけではないことだ。厚みがあると、さまざまな相互依存関係に、より多くの、より深い接点ができる。ある地域の、ある側面に起こった出来事が、他の地域で他の側面に深い影響をおよぼす。複雑系のカオス理論や、天候システムに見られるように、どこかで起こった小さな出来事が触媒作用を起こし、やがて他の場所で甚大な影響をもたらすことがある。こうした仕組みは理解しにくく、影響を予測するのが困難だ。しかも、それが人間によって作られたシステムである場合、人間は予測不可能な行動をとることによって他者を出し抜き、経済・社会・軍事的優位に立とうと躍起になりがちだ。つまり、グローバリズムには不確実性が付随している。複雑さと不確実性が競いあうよう拡大しつづける一方で政府や市場参加者などが、このつながっているシステムの掌握や管理に追われることになる。
○ グローバリズムがガバナンスにおよぼす影響について、数多くの論文が発表されている。最も説得力のあるものは、国家の重要性は変わらない、グローバル化とその影響に適応するときの鍵となるのが国家の内部構造だ、といった一般的な結論に集中しているように思われる。
○ グローバル化は分配の政策と不平等に大きく影響するかもしれないが、今日のグローバル化に対するこの影響は、一九世紀の場合ほど明白ではない。不平等が拡大している、「貧者がますます貧しくなる」と普遍的に言い切るのは単純すぎる。まず、国内と国際的な不平等を分けて考えなければならない。一般的にいって先進国では、ヘクシャー=オリーンの理論から見て、不平等が拡大すると考えられる(豊富に存在する要素である資本と技能労働者が、未熟練労働者を犠牲にして利益を得るので)。一方、発展途上国では、少なくともある程度は平等が拡大するはずである(少なくとも市場部門で雇用されている労働者に関する限り)。グリンドルの第8章で示すように、現実は理論より複雑かもしれず、途上国では政治システムの性格と制度の脆弱さが結局はすべてを決めるのかもしれないが、要するに、先進国と途上国では基本的に経済に予期されるものが違うはずである。
○ グローバル化が国家におよぼす影響は、政治・経済の体制によってかなり違う。この点について、「生産システム」から考えてみよう。市場制度では、技能労働の市場価格が競り上がり、分業が広がるので、グローバル化は所得の不平等をもたらす。社会民主主義的な福祉国家では、移転支出によって所得の不平等は制限されるが、失業が生じる。日本のような制度では、グローバル化によって終身雇用制度や、企業を通して福利厚生を提供する制度に圧力がかかる。総合すると、グローバル化と国内政治は互いに影響しあうものであり、グローバル化はどこでも同じ影響をもたらすというのも(ましてや福祉国家を崩壊させるとか、国家権力を失墜させるというのも)、グローバル化は無関係だというのも正しくない。グローバル化の影響に対応するのに、歴史、機構、意識によって異なるいくつかの方法があり、たった一つの「黄金の拘束服」といったものは考えられない。
『グローバリゼーションの基礎知識』 2004年
○ 教育の世界では、新自由主義的グローバリゼーションや「教育の商品化」に反対して、危惧の声が高まっている。教育の民営化は、従来の教育システムを急速に変えることになるだろう。
それはすでにはじまっており、とくに第三世界の国々では「世界銀行」のエキスパートたちの指導にもとづいて、国の経済発展を念頭においた基礎教育に力をそそごうとしている。もちろん、どの国でも、そうした方向をとっているわけではないが。
○ 一般的に言って、途上国は、教育を民間の手に、つまり西洋の大きな機関にゆだねなければならないのが現状である。しかし、この民営化の傾向は、先進国においても見られる。アメリカやヨーロッパの大学や高等教育機関は、教育コストの増大に直面して、新たな財源を見つけなくてはならなくなったからである。教育の規制緩和が、教育における不平等や荒廃をもたらすことを、多くの人々が恐れている。
○ ともあれ、こうした状況のなかで、高等教育や職業教育の専門家たちは、通信教育がもっとも経済的な解決策であると見なしている。例えば、フランス教育相クロード・アレーグルに高等教育についての報告書を提出したジャック・アタリは、この意見を支持しており、次のように述べている。
「教育とは、サービス活動である。学生が多ければ多いほど、教員はたくさんいるし、教室もたくさんいる。需要にともなってコストは増す。レコード産業やヨーグルト生産の場合には、こうしたことは起こらない。提供されるサービスと生産コストが切り離された経済システムに教育が移行すれば、大学は悠々と大量の学生を抱え込むことができるようになるだろう。私がインターネットを活用して、どれほど多くの学生に講義しても、生産コストは同じだから収入は増すのである。(『エクスパンシオン』二○○○年)
(中略)
その一方で、コミュニケーションや出版分野の企業が、インターネット企業と協力しながら進出しようとしてくるだろう。さらに、「テレコム」など遠距離通信にたずさわる大企業、ハードやソフトの情報関連企業などが、教育や技術者養成といった分野に特別の関心を示してもいる。
この出現しつつある新たなセクターは、今のところ、国家が教育に投入している予算に比べたら、まだごくわずかな範囲に進出しているだけである。この二〇年間、先進国も途上国も、だいたいにおいて、常に国内総生産の五%を少し上回るほどの割合の額をつぎ込んできた(ユネスコによる統計)。これは、経済成長を考慮に入れると、教育の価値が常に高まってきたことを意味する。経済発展のためには、教育が戦略的価値をもつことは認知されている。識字率は増加しつづけているし、教育を受ける人々の割合も同様に増えている。現在、一二億人ほどの子どもたちが学校に通っている(非就学児童は一億人ほど)。しかし、教育の提供の拡大は、多くの場合、教育システムの市場化と引き換えに起こっている。
とはいっても、国家は、学校の教育基準や学校プログラムを管理しつづけてもいる。義務教育に関しては、国家の特権は不可侵である。世界各国の教育システムは、その国の歴史教育やアイデンティティを規定する価値観、あるいは優先言語の教育などと密接不可分に結びついており、国によって根本的な相違がある。グローバリゼーションは、こうした根元的な機能に対しては、ほとんど影響力をもちえないだろう。
『グローバリゼーション』 2005年
○ グローバリゼーションという現象の中核に、四つの明確な性質ないし特徴が存在している。第一に、グローバリゼーションは新たな社会的ネットワークや社会的活動の創出と、既存のそれらの増殖とをともなっており、そのことによって、伝統的な政治的、経済的、文化的、地理的な境界は次第に克服されつつある。今日の衛星通信ニュース会社の創出は、局地的なものを超越する新たな社会秩序の出現を可能にした、専門的なネットワーク化、技術革新と政治的決定という複合的な事情によって、可能になったのである。
第二の特質は、社会的な関係、行動、相互依存の拡大と伸長に反映されている。今日の金融市場は地球全体に広がり、電子取引は二四時間行われている。巨大なショッピング・モールがすべての大陸に出現し、世界のあらゆる地域の商品を購買力のある消費者に提供している。第三に、グローバリゼーションは社会的な交流と活動の強化と加速をともなう。インターネットは離れた場所の情報を数秒で伝達し、衛生は遠くで起こっている出来事のリアルタイム画像を消費者に提供する。第四に、社会的な相互連結と相互依存の創出、拡大、強化は客観的・物質的なレベルにおいてのみ生じているのではない。グローバリゼーションとは、社会的な相互依存のさらなる顕在化と社会的相互作用の急激な加速を、人々がますます意識しつつあることをも指しているのであり、それを見落としてはならない。
○ 文化のグローバリゼーションは、ロックンロールやコカコーラやサッカーの世界的な普及に始まったわけではない。広い範囲にわたる文明の交流が近代のはるか以前からあったのである。とはいえ、現代の文化的伝播の量と広がりは、それ以前の時代を凌駕している。インターネットやその他の新しいテクノロジーの後押しを受けて、私たちの時代を象徴する支配的な意味体系−たとえば個人主義、消費主義、多様な宗教的言説−は、かってなかったほど自由に、そして広範囲に流通している。
○ グローバリゼーションは、その現象それじたいに関するさまざまな規範・主張・信念・語り口に満ちたイデオロギー的次元を含んでいる。たとえば、グローバリゼーションが果たして「善い」もの、「悪い」もののどちらを表象するものかをめぐって、イデオロギーの領域で激しい世論の応酬が生じている。したがってグローバリゼーションのイデオロギー的次元を探索する前に、私たちが行うべきなのは、分析上の重要な区分として、グローバリゼーション−さまざまな、またしばしば矛盾する仕方で描写されてきた、グローバルな相互依存を強化する社会的な諸過程−と、グローバリズム−グローバリゼーションの概念に新自由主義的な価値と意味とを与えるイデオロギー−とを区別することである。
○ 九.一一のテロ攻撃は、グローバリゼーションという名の下に進行する社会的過程の形態と方向性に深刻な影響を及ぼした。人類がまた別の重大な転換を迎えている。グローバルな不平等を、個別主義的保護主義の暴力的な勢力が新兵を確実に補充できるような水準にまで悪化させないよう、グローバリゼーションの将来の進路を改良主義的なアジェンダに結びつけなければならない。グローバリゼーションの帰結として社会的相互依存がより大きく顕在化することは決して悪いことではない。しかしながら、これらの変容促進的な社会的過程は、世界を特権的な北と不利な南に分割するグローバル・アパルトヘイトという、現在の抑圧的構造に挑戦するものでなくてはならない。そうすれば、グローバリゼーションが真に民主主義的で平等主義的なグローバル秩序の到来を告げるものとなるだろう。
『グローバリゼーションを擁護する』 2005年
○ 経済のグローバリゼーションとは、貿易や対外直接投資(企業および多国籍企業によるもの)、短期の資本移動、労働者をはじめとする人びとの海外移住、テクノロジーの普及などを通じて、国内経済を国際経済に統合することである。
○ 「グローバル・ペシミスト」が「英語は文化における疫病さながらに世界中に蔓延し、現地の言語を駆逐する殺戮言語だ」と主張しても、私としてはイギリスの知識人チャールズ・レッドビーターに与する。レッドビーターは著書「それでもグローバリズムだけが世界を救う」のなかでそのような批判にこう応じている。「変種の言語や混成言語がいくつも出現している。白か黒のどちらかでしかないペシミストの世界は、言語や通商やテクノロジーの分野で人びとが異なる要素を結合して、豊かに実らせる可能性があることを認めない。だが、人はそうやって混成物をつくりだすことで、変化に対応してきたのではないか」
○ 二十一世紀における大きな二つの力は経済のグローバリゼーションと、富裕国と貧困国とを問わず多くの国で著しい成長を見せている市民社会であり、この二つの力を合わせてグローバリゼーションを正しく管理すれば、全世界が成功を共有できるということだ。
○ 世界経済への統合あるいは統合の過程でかならず生じるマイナス効果に適切に対応するには、新しい政策と制度が必要である。第二次大戦後に自由貿易へと大きく政策転換した富裕国は、すでに対応策として制度を整備しているが、貧困国はそれが充分にととのわないまま、自由化の進む世界経済において厳しい難問に対処しなくてはならない。しかし、新しい制度および政策の設計と資金調達は、これら貧困国の政府に任せきりにしておくわけにはいかない。国際的な開発機関や富裕国は、政策実施に必要な資金を財政難の政府に融資したり、市場開放による困難に対応するための制度作りに手を貸したりすることで貢献できるのである。
○ 社会的課題の達成を加速させるには、三つの有望な方法がある。第一に、道徳心に訴えるように勧告すること、第二に、さまざまな含みを考慮して社会的課題に取り組むことを目的とした国際機関による調査と、監視機能を強化すること、そして第三に、民主政治と司法に関する積極行動によって、多様性を考慮し地域の状況や伝統への配慮を失わずに、国際規範を効果的な国内法規に移し変えて施行しようとする気運を高めていくこと、この三点である。
『グローバリズムの幻影』 2006年
○ グローバリゼーションは、アメリカ化、世界をアメリカ一色に塗りつぶしていく傾向でもある。もともと同じ資本主義といっても、国とか地域によって制度が異なる。西欧諸国では「社会福祉国家」、日本では、労使関係の日本的システム、政官財癒着のもとで官僚主導型「計画」システムが築かれてきた。もともとアメリカは、資本主義諸国のなかでも市場重視型を特徴としていた。それが1970年代にはいってケインズ主義の権威失墜を受けて、「市場機能万能論」を説く新自由主義(新保守主義)経済力が勢いを得るにしたがって、いっそう拍車がかかる。1980年代には、新自由主義的な考えが、民営化、規制緩和、財政支出の削減を内容として政府の政策として採用されていく(アメリカにおけるレーガノミックス、イギリスにおけるサッチャーリズム)。新自由主義は、グローバリゼーションのイデオロギー的基礎をなした。そして、市場経済重視と経済の自由化は、アメリカの対外政策としても積極的に追求されたのである(アメリカン・グローバリズム)。こうして、グローバリゼーションは、世界の市場経済化・自由化(アメリカ化)の傾向に貫徹していく。
○ 今日、新自由主義をイデオロギーとするグローバリゼーションのさまざまな弊害が指摘されている。格差社会の形成、南北経済的格差の拡大が指摘されている。確かに多国籍企業の自由な移動は、進出国における新たな雇用機会を与える。他方で、その工場閉鎖と転出によって進出国の地域と住民に打撃を与える。また、後進国への進出の場合、その劣悪な労働諸条件と低レベルの安全規制、自然環境規制が多国籍企業にとって利潤機会となる。後進国においてはとくに先進国による経済的支配、外資の支配が問題となる。確かに技術と資本の不足する後進国が外資の利用によって経済的に発展するケースもある。また、今日、技術力と資本力のあまりの懸隔ゆえに、先進国に対抗して後進国が自力で発展するのには限界があることも指摘できよう。
○ グローバリゼーションとは、簡単に言えば、東西冷戦体制の終了とIT革命を背景にして、もはや社会主義を気にすることなく、市場経済と資本の論理をより純粋に貫徹させる傾向のことである。つまり、経済の自由化を推し進め、世界を舞台に利潤と効率性を追求したメガ・コンペティションを展開する傾向のことである。アメリカは、この傾向を意識的に促進し、経済的巻き返しの機会とした。そして、アメリカの「一人勝ち」を背景に「アメリカ・スタンダード」の名で知られるごとく、世界をアメリカに似せて作り直す「アメリカ化」を進めたのである(アメリカ・グローバリズム)。市場経済重視はもともとアメリカの特徴をなしたが、1990年代のグローバリゼーションは、こうした世界のアメリカ化によっても特徴づけられている。
『世界に格差をばら撒いたグローバリズムを正す』 2006年
○ グローバル化が特定の価値を押し付ける手段として利用されてきた、という批判は正しい。しかし、グローバル化自体に罪がないことを、私はここで強調しておきたい。グローバル化を導入したからといって、必ず環境が悪化するわけでも、必ず不平等が広がるわけでも、必ず一般市民の福祉を犠牲に企業の利益が図られるわけでもない。東アジアでみられるとおり、適切に管理されたグローバル化は、途上国と先進国の双方に大きな利益をもたらす。問題がグローバル化自体にあるのではなく、グローバル化の進め方にある。
○ グローバル化の定義は幅広い。発想や知識の国際的な流出入も、文化の共有も、世界的な市民社会も、地球規模の環境運動も、すべてグローバル化に含まれる。しかし、狭義のグローバル化とは、経済面において、商品、サービス、資本、労働のフローが増加することにより、世界各国の経済がさらに緊密化することである。
○ 問題のかなりの部分は、経済のグローバル化が政治のグローバル化に先行してしまっていること、またグローバル化の経済的な結果が、われわれのグローバル化を理解し方向づける能力や、政治的な手続きでその結果に対処する能力を凌駕してしまっていることにある。
○ グローバル化にもっとうまく対応するすべを学ぶべきだと論じてきた。同時にわたしたちは、貧しい国々に、そして豊かな国の貧しい人々に、さらには利益やGDPを超える価値にもっと気を配って、グローバル化をもっとうまく機能させるすべを学ばなくてはならない。問題は、ここまでのグローバル化の営まれ方に民主性の欠如が認められることだ。ゲームのルール作りとグローバル経済の運営を託された国際機関(IMF、世界銀行、WTO)は、先進工業国の利益のために、もっと正確に言うなら先進国内の特定の利権のために動いている。
○ グローバル化をうまく機能させるためには、考え方を変える必要がある。もっとグローバルにものを考え、行動しなくてはならない。今日、そういうグローバルな帰属意識を持つ人があまりに少なすぎるようだ。古い金言にあるとおり、すべての政治は局地的であり、また、ほとんどの人が局地的に生きているわけだから、グローバル化が局地政治のごく狭い枠組みで進められてきたのも意外なことではない。世界経済が相互依存の度合をどんどん高めていっても、局地的な思考がなくなることはないだろう。この局地政治とグローバルな諸問題の乖離こそが、グローバル化への多々ある不満の根源なのだ。
○ グローバル化とは、発想や知識、物品やサービス、そして資本や人的資源が国境を越えて行き来しやすくなったことにともなって、世界のある地域の出来事が他の地域へ波及することを意味する。世界の国々の結びつきが強まるにつれて、相互依存の度合も高くなる。相互依存の度合が高まれば、共通の問題を解決するために、協調行動をとる必要性も高くなる。協調行動の方針は、グローバルな共同体にあまねく恩恵をもたらすために、必要不可欠な項目に絞り込むべきだろう。それ以外の項目は取り上げないほうがいい。
『グローバリズム』 2006年
○ グローバリズムとは何かを考えるには、3つの類型がある。結節空間だった世界が、競争を通じて均質空間になってゆくと唱える新古典派経済学の考え方、企業の規模が大きくなれば、完全な競争にはならず、特定の企業が、特定の国で市場を支配してしまい、そこから取り残された国は、貧困のままにおかれると考えた多国籍企業論の考え方、高所得国が途上国を収奪する国際的システムとしてグローバリズムを捕らえようとした従属理論の3つである。
○ 西欧的な個人主義・自由主義の考え方と合体して、貨幣により媒介される社会的分業システムである市場経済を分析しようとする理論的枠組みが新古典派経済学であり、ネオリベラリズムの政策を支えている。
○ 米国は1985年頃を過ぎると、口では市場主義を唱えながら、実際には貨幣にグローバルな覇権の力をすべて委ねるのではなく、世界最大の軍事力とそれに裏づけられる政治力を駆使しながら、米国のグローバルな覇権の永続をめざすようになっていった。
○ グローバルなスケールでは、米国によるネオリベラリズムの制度的な押しつけ、そしてアフガニスタンとイラクへの軍事攻撃が、米国から距離をおこうとする多くの国々を生み出し、世界政治システム多極化への大きな契機をつくりだした。現在、米国の一極覇権を嫌う国や人々によって、グローバリズムの多極化とリージョナリズムの台頭という、新しい世界政治の空間が編成されつつある。
○ よりローカルな空間スケールでは、ネオリベラリズムに対抗し、市場原理主義に対抗するオルタナティブな社会組織の理念を再発見し、実践する試みが、世界各地でなされはじめている。これは、ポランニーが提起した「互酬」という概念を基盤とするものである。この概念を実際の社会で動かす担い手としてのNGOやNPOの役割を強調する動き、そしてまたインターネットや格安航空券のような草の根の人々が比較的自由に加われる新たな通信・交通の様式を活用する動きなどがある。
○ 地球規模の空間がもつ積極的意義は大いに認めつつ、ネオリベラリズムではなく、また多国籍企業の主導でもなく、互酬の社会原理に立った草の根からの新しいオルタナティブなグローバリズムを追求しようとする社会運動が動きを増している。
○ オルタナティブなグローバリズムが目指さなければならない方向性とは、社会を人格的な共同社会という極に、そして個人を利他的で共生を目指す性善的人間類型という極に強く引き寄せるベクトルを追求すればよい。
○ 今日のグローバリズムが抱える問題を解決するための基本的な戦略は、ネオリベラリズムのグローバリズムを改革して、より互酬的なグローバリズムを目指すこと。社会組織の在り方は変わるが、グローバルという空間スケールは変わらない。グローバリズムというのは、あくまで空間スケールにかかわることがらであり、ネオリベラリズムは、経済・社会組織である。本来、両者は別物であり、混同しないように注意しなければならない。
『グローバリゼーション・新自由主義批判辞典』 2006年
○ かつては商品だけに限定されていた国際貿易の自由化を、サービスにまで拡張しようという決定は、1994年にまでさかのぼる。1994年の4月に批准された「サービス貿易に関する一般協定」(GATS)は、自由化すべきサービスのなかに、すでに教育の分野を包摂していた。この協定の範囲外にとどまるためには、一国の教育システムが財政的にも運営的にも国家によって完全に掌握されていなければならないが、そのような国はどこにもない。
サービス分野で準備されているこの自由化の新段階は、きわめて深刻である。これは一方で、市場の論理のグローバル化、全地球的規模の競争を狙いながら、他方で、教育や保健といった、そうした論理や競争になじみにくい活動分野まで各国で市場化をはかろうとするものである。
○ グローバリゼーションとは、なによりもまず、あらゆる活動に課せられた(あるいは課せられようとしている)経済的な掟のことであり、しかもその掟が課せられるにあたって、いかなる国境や自然環境や性質に関する議論もなされることはない。これは絶対的かつ全面的な優越事項として進められ、「友好的」であるか暴力的であるかを問われることもなく、ただ支配的な経済的観点からのみ語られるだけである。
したがって、次のような幻想をもちつづけようとしても、まったく無駄なことである。すなわち、グローバリゼーションとは、外部から強制しなくても、多様性(社会的・教育的・文化的などの)を守り、促進し、発展させていく、などという幻想だ。
実際に、新自由主義によるグローバル経済が、それらの多様な文化や教育に対して提示するのは、たった一つのモデルだけである。それはつまり、産業化のモデルであり、それがどのような部門であっても、その原理と機能する方式は、同じではないまでも、似たようなものである。大学、専門教育、映画、美術館、本、スペクタクルな演劇、音楽などなど。グローバル経済が文化や教育に提示するのは、せいぜいそれが「よく管理されているか」といった指標であるが、それは実際には、その経済的利益をあげるために「よく管理されているか」というだけの話である。つまり投資するために「最適化」された金融管理のことであり、そのではグローバル経済は「家族のよき父親」の役割の自任するのである。そして、これが君臨する場所が、家族から、すべてのものが依存し、いずれそこに戻っていくはずの「地球」となったのである。
新自由主義グローバリゼーションは、特殊な性格をもっている。つまり、あらゆるものを商業化する性格であり、文化までもがそこに含まれる。グローバリゼーションがこの領域に対しても商人の論理を押しつけ、文化資源の消費の規格化へと導いているのはまったく明らかである。
『グローバル化理論の視座』 2007年
○ グローバル化は、したがって、経済法則の単純な表現ではないし、一部の政治家や科学者たちが主張し続けているにせよ、近代化の一般的傾向の所産であるともいえない。グローバル化とは資本主義社会を、とりわけ、階級構造と制度化された階級関係を根本的に再編しようとする指導的な経済・政治エリートの決定的戦略の所産にほかならない。この戦略の中心は貨幣と資本の自由化や規制緩和をグローバルな規模で展開しようとするものである。
○ グローバル化戦略のなかで、国家と国家システムは大きく変わり、国家と社会との関係を根本的に変えることになった。とりわけ、経済のグローバル化のなかで、国家の国際化に強い弾みがついた。
○ 第1に、政治と経済の構造の分権化が求められる。つまり、ある意味で、政治と経済の「脱グローバル化」が必要である。より精確には、下からのグローバル化に着手すべきである。これは、ローカルとリージョナルなレベルで政治の単位を強化し、連接型の政治・経済体制を構築すべきことを意味している。
○ 第2に、現在の「新自由主義的立憲主義」と対峙する必要がある(Gill/Law 1993)。というのも、国際的組織とルールのシステムによって私的所有と市場諸関係が保証されているだけに、個別国家が民主的立憲主義の視点から民主的決定を下しえない状況にあるからにほかならない。こうした立憲主義には、たとえば、参加・協議・情報の権利を制度化することで国際組織を民主化するとともに、その機能を少なくとも公的なものとし、できるだけコントロールに服しうるものに変えることが、また、個別の市民権とは別に政治的・社会的な基本的人権を保障することが含まれる。
○ 第3に、「国際的市民社会」の構造を強化すること、これがナショナルとインターナショナルなレベルで諸過程を民主化するための中心的前提条件となる。これには自主的組織型のプロジェクトとネットワークや非政府組織(NGO)のような団体が含まれる。こうした組織は国家や国際機構からのみならず、私的企業からも自立していて、無視されている利益を代表しうる存在であるだけでなく、固有の知識と情報の普及に努めうるものでなければならない。この数十年間に、この種の政治組織は急増したが、グローバル化や国家の国際化の、また、自由民主政の後退の所産でもある。
『グローバル化か帝国か』 2007年
○ 過去20年間、支配的な政策アプローチは新自由主義的なグローバル化であった。といっても、グローバル化に向かうすべてのものが新自由主義的だという意味ではなく、新自由主義的グローバル化がグローバルな体制になったという意味での話である。グローバル化にたいする大部分の抵抗が新自由主義的グローバル化にかかわっており、しかも、おそらくまちがいなく、グローバル化そのものというよりも、むしろこうしたかかわり方の方が現実の問題となっているのである。現代のグローバル化は、いうなれば、情報化(情報技術の適用)、柔軟化(生産と労働組織における脱標準化)、そして地域化や国家再編のような多様な変化を含む総合政策である。
○ グローバル化とは、一部の人間にとっては統合された領域であるとしても、多くの者にとっては徹底的に分断された領域なのである。(中略)グローバル化のもつ光の部分が、流動性の高まりとボーダレス化の急速な拡大であるとすれば、影の部分は、貧困と分裂や紛争の増大が支配するあまりにも慣れ親しんできた世界である。この二つの側面は、どのように相互作用するのか。装いを新たにした封じ込め政策と予防戦争が、この二つの側面に接点をもたらすことを回避する手段となっている。
『グローバル化と学校教育』 2007年
○ 本書の編者でもある嶺井正也は、その著書「現代教育政策論の焦点」のなかで、以下のように述べる。 「グローバリゼーションの進展とかかわって日本の教育政策を考える場合、三つのパターンが考えられる。いずれも、いわゆる国民国家というスクリーンを通過するなかで、その国なりの着色が行われてきた「国際化」時代の教育政策とは違い、かなりストレートに教育政策の策定・実施が進んできている。そのパターンには三種類ある。
○ 国際機関によるグローバル・スタンダードの設定と教育政策
○ 教育政策における規制緩和、地方分権化とナショナリズム
○ グローバル・イシューへの対応」(嶺井正也[2005:17]、下線部筆者)
本章の課題意識に沿うならば、国家的に総括された教育制度・政策・施策の実施というパラダイムが大きく変容しているのである。どこかの先進事例、あるいは失敗を「参照」しながら自国の政策・施策へと「導入」する、あるいは学的に自国の特質を解明する、という枠組みが通用しないのである。
同書の「国際機関によるグローバル・スタンダードの設定と教育政策」の解説で触れられているが、OECDのPISAが各国の教育政策に影響を与えている。一位であったフィンランドへの各国教育関係者による視察が続いている。確かにこの光景は、先進事例の吸収のよう見えるが、これまでの数多くの「国際学力調査」は、これほど諸国に影響を与えてこなかった。「こうしてPISAの結果が、ストレートに日本の教育政策に反映されるようになった。これは、教育政策史上、新たな段階に入ったことを意味している。」(嶺井正也[2005:18]
2000年から始められたOECDの国際学力調査は、直接、各国の教育政策に影響するという点において、これまでの国際学力調査とは明らかに異質である。特に「悲惨な結果」となったドイツでは「『PISAパニック』が出現し、「フィンランド詣」が盛んである。
こうした「ストレート」な反映は、二つめの「教育政策における規制緩和、地方分権とナショナリズム」という各国(さしあたって先進国)共通の基盤を「グローバル化」が形成しつつあることが背景にあると思われる。PISAの反響の大きさは、それ以前のグローバル化対応のための新自由主義的な教育政策の浸透を受けたものだ。
1990年代とりわけ顕著になったのは、「世界同時進行」的な教育改革の動きである。学校を見ると、各学校への権限委譲、それに伴う自己決定権の強化、カリキュラムの大綱化、その成果の測定のための学校評価・教員評価、弾力的な運営、業績主義、予算配分の変化などがあるだろう。教育行政を見れば、NPM(ニューパブリックマネージメント)の浸透、親の選択・決定権の強化などである。こうした動きは、各国によって様態の異同や強弱はあるものの、何らかの形で議論され促されてきた。教育の「グローバル・スタンダード」の形成である。
また、嶺井が指摘する三番目の項目である「グローバル・イシューへの対応」も各国にとって大きな課題だ。環境教育、シチズンシップ教育などグローバル化への対抗的な可能性を持つ教育も各国独自の在り方で出現している。そこで「国際機関の構造と役割を分析しつつ、国民国家、市民社会そして市場と教育の関連構造を押さえる必要がある。」(嶺井正也[2005:30])
『フラット化する世界〔増補改訂版〕』 2008年
○ 無敵の民である若者を増やす−つまり「コンピュータやロボットがもっと早くやることができない仕事や、優秀な外国人が安い賃金でやることができないような仕事」を身につけるには、たえず右脳のスキルを発展させるような教育に的を絞る必要がある
○ フラット化時代の富は、次の基本的な三つの事柄を手に入れる国に転がり込む傾向が強くなっている。一つ目は、フラットな世界のプラットホームにできるだけ効果的に、そして迅速に接続できるインフラ。二つ目は、国民がそのプラットホームでイノベーションを行なって付加価値の高い労働ができるような理想の教育プログラムと知識スキル。そして最後の三つ目は、適切なガバナンス(中略)によって、フラットな世界の流れを勢いづけ、なおかつ管理すること。
○ 私は「思いやりのあるフラット主義」を提唱する。フラットな世界における進歩主義というのが、私の定義する思いやりのあるフラット主義である。地政学的な暴発がいくつかあるのを除けば、世界はいよいよグローバル化し、フラット化しているし、それは夜が来ればやがて夜が明けるのと同じくらい確実である、というのが私の理論の前提になっている。(中略)といっても、従来の福祉国家を強化するのではないし、それを捨てて市場の暴走を許すのでもない。現状に合わせた体系に作り変えて、国民の展望や教育やスキルやセーフティ・ネットを充実させ、フラットな世界のよその国の個人と充分に競争できるようにする。
○ 生涯にわたって「雇用される能力」という筋肉をつけるうえで、政府にはもう一つ重要な役割がある。アメリカの労働人口全体の教育水準を高め、刷新することだ。第7章で、新ミドルの仕事に向いた教育について論じた。だが、学ぶ方法を学び、適切な頭脳を育て、適応し、合成するようになるには、きちんとした基礎をまず学ばなければならない。理想の教育は、きちんとした基礎教育の上に成り立っている。読解、作文、算数、小学校で教えるような科学。こうした基礎学力を固めた国民を増やさないかぎり、われわれの生活水準の向上を維持するのに充分な新ミドルを確保することはできない。
『オルター・グローバリゼーション』 2008年
○ ネオリベラル・グローバリゼーションの文脈における文化的喪失の問題を例にとってみると、われわれそれぞれの言語は思考を一意的にとらえて表すし、そうしたわれわれの使う言葉がすたれてくれば、思考もまた消失するということに留意することは重要である。もしある言語が消滅すれば、多様な諸観念も含めて文化の諸側面は一緒に消滅することになる。支配的な諸言語はそうでない諸言語と長年接触を繰り返してきたが、それによってあまり普及していない諸言語を消滅させるプロセスが加速化しているという証拠もある。
○ ますます多くの分野・要素をグローバル化しようとする巨大な圧力の渦巻きのなかで、フランスは抵抗を試みている国家である事を例証している。すなわち多くの規制、(学校教育、医療制度、就業、退職制度、失業手当などの)寛大な福祉予算関係費、そして信頼できる地下鉄や鉄道網のような国営の社会インフラを維持している国家であることを示している。アメリカの失業率をはるかに凌ぐフランスの失業率、増大する財政赤字、市民の日常生活を混乱に陥れないまでも不便をかける頻発するストライキやデモ、分かりにくい労働立法や銀行コード、それに技術革新を阻害する教育システムを、フランスの政策の批判者たちは指摘するのが常である。英米流のネオリベラルなモデルに直面し、アメリカ的解決策を採用するよう迫られて、フランス大統領ジャック・シラクは「フランスは国自体がグローバルであるという感覚を持っており、今までの生活様式を維持すべく(英米流グローバリゼーションと)戦っていく」と答えたのである。「フランスはフランスであり続けるつもりである」ともシラクは言ったのである。(Truehart 1997より引用)。グローバルな規模で強まる経済的圧力に対抗するための民営化とか規制緩和の強化といった不人気な変化に直面して、グローバリゼーションによって不利益を被っている社会階層からばかりかいくつかの国家からさえも、国家主義的反発が起こってきている。もちろんフランスの抵抗は、ネオリベラルなグローバリゼーションに体現された利益に奉仕するいくつかの国家によって演じられる「高級売春婦(courtesan)」の役割からはほど遠い異形のものである。
○ グローバリゼーションへの対応にはいくつかの方式と、そのための制度改革の提案がいくつもあるのである。対内的局面では、行政官庁や立法過程—たとえば移民政策の分野に関して—はグローバリゼーションによってもたらされる問題のいくつかを緩和することができる。(中略)セイフティーネットや社会条項の主唱者たちは、この方針に突き進むが、懐疑論者はこれら主唱者はもっと根本的な問題から注意をそらす広報媒体として貢献しているのかもしれないと主張する。
○ グローバリゼーションの弊害を緩和し、公正な方法で機会を人々に配分できるようにグローバリゼーションの諸力を作り変える試みをオルター・グローバリゼーションが意味するならば、批判者たちはこれがどんなに多様であっても賛成するのである。 
 
ブラックペアン、学会反発に見解 現実との乖離「演出」 2018/5

 

TBS系で放送中の連続ドラマ「ブラックペアン」が、「現実と乖離(かいり)した描写」があるとして医療系の学会から反発を受けていた問題で、TBSは30日、「実際のものと違う部分も、誇張した表現があるのもフィクションでありドラマである」との見解を示した。定例会見で伊佐野英樹編成局長が記者の質問に答えた。
劇中では、新薬や機器の開発に必要な治験に参加する患者に対し、「治験コーディネーター」が300万円の小切手を渡す場面などがあり、学会が現実と異なる描写だと特に問題視していた。この点についても伊佐野編成局長は「フィクションであり、演出であるという風に思っております」と述べた。
TBSの番組プロデューサーと学会側とで話し合いの場を設けたことも明らかにした。「相互理解をするような形で、いまお話をさせていただいている」という。協議の内容については明らかにしなかったが、「連続ドラマなので、見ていただければご理解が得られるのではないか」としている。
TBSに対し7日付で「見解書」を送った日本臨床薬理学会は、今回の描写は「ドラマの演出上という言葉では片付けられない」としていた。21日には、日本医療機器産業連合会臨床評価委員会も、「疑念や不信感を抱かれる可能性がある」と、ホームページ上で懸念を示している。 
 
文化の違いは「国家間」より「国内」のほうが大きい 2016

 

文化を「ある集団による価値観の共有」と捉えるならば、「国」はその単位として適切ではないという。新たな研究によって、職業や社会経済的地位など、国よりも優れた「文化のくくり」が14も判明した。
異文化間のマネジメントに関する議論では、「文化」と「国」がしばしば同じ意味の言葉として使われる。
たとえば、次のような考えが広く受け入れられている。
中国や日本といった東洋の国々では、職場においては個人に対する称賛や達成よりも、集団の和のほうが重視される文化規範がある。一方、米国やドイツのような西洋の国々では、仕事でより重視されるのは個人の達成度合いやパフォーマンスである――。
そのためマネジャーは、仕事に関する信条や規範、価値観、行動、慣行などに言及する時、「日本の文化」「米国流のやり方」といった表現を使う。そして海外駐在者は「国=文化」という前提に従って、日本では日本のやり方、ブラジルではブラジルのやり方で物事を進めようと努力しているわけだ。
筆者らは先頃、『マネジメント・インターナショナル・レビュー』誌に寄せた論文で、この常識に異を唱えた(英語論文)。それは仕事の価値観に関する、過去35年分・558件の研究報告をメタ分析した結果から導いた結論だ。対象地域は世界32ヵ国で、米国、ブラジル、フランス、南アフリカ、中国も含まれる。
この研究では、仕事における以下4つの価値観を、各国の人々がどう重視しているかを検証した(ヘールト・ホフステードの「文化の4次元」に基づく)。
1.個人主義か、集団主義か
2.組織内での階級と地位への認識(権力の低い者が不平等を受容している度合い)
3.不確実性をどれだけ回避したがるか
4.物質的豊かさ・自己主張・競争(男性らしさ)重視か、社会福祉・円滑な人間関係(女性らしさ)重視か
上記4つの価値観を分析したところ、「国」はむしろ、文化の「くくり」としては非常にふさわしくないことが示されたのである。
筆者らは、これらの価値観の相違を「各国内」と「国家間」で比較した。もし国が文化のくくりに適しているのなら、国内での違いは少なく(同国人が似たような価値観を共有している)、国家間の違いは大きい(他国人同士の価値観は異なる)はずである。
だが興味深いことに、分析の結果はその反対だった。価値観の相違の80%以上は各国の内部において見られ、国家間での相違は20%に満たなかったのだ。
その理由の1つとして、過去数十年にわたり続いてきた国家間における人々の移住が挙げられる。それが各国内での価値観の多様化につながっているのだろう。
ここから2つの重要な示唆が得られる。
第1に、「日本文化」や「米国文化」、あるいは「ブラジル文化」について語ろうとすると、過ちにつながる可能性が大きい。各国内で仕事に関する価値観がこれほど異なるのだから、ある国の仕事文化を一般化できると考えるのは明らかに間違っている。
第2に、ある米国人が上海の街を歩いている最中に出会う中国人は、「中国の一般的な文化」よりむしろその米国人に近い価値観を持っている場合が少なくない。つまり、その国の文化に関する典型的イメージがほとんどの国民に当てはまる、という考えは適切ではないのだ。
文化のくくりとして国がふさわしくないと判断した筆者らは、どんなくくりがより適切となりうるのかを探った。仕事文化が国境によって分かれないならば、何が共通項になるのだろうか。
この疑問への解を求めて、くくりになりうる17の項目に沿って文化を比較してみた。個人的特性としては、性別、年齢、世代、教育年数、職業、社会経済的地位などだ。また環境的特性として、社会的・政治的自由、経済的自由、1人当たりGDP、人間開発指数、グローバル化指数、長期的失業率、都市化の程度、所得の格差(ジニ係数)、腐敗の程度、犯罪率、農業就業率なども含めた。
すると、17項目のなかで「国」は文化のくくりとしてなんと15位(下から3番目)であり、これより劣っていたのは性別と年齢という共通項のみだったのである。
分析によれば、職業や社会経済的地位といった人口統計学的な分類のほうが、仕事に関する価値観の類似性をとらえるうえで、国よりも勝っていた。つまり、さまざまな国から1つの部屋に集められた医師たちのほうが、1つの国からランダムに集められた人々よりも、仕事の価値観を共有している可能性が高いのである。
同じように、社会経済的状況や教育水準が同程度の人々は、出身国が同じ人々のグループと比べて、より多くの価値観を共有しているだろう。また、グローバル化や経済的自由といった政治的・経済的特性も、仕事の価値観の類似性を予測するうえでは出身国よりも優れていた。
つまり筆者らのデータによれば、「国の文化」を論じるよりも、職業や貧富、自由と抑圧などの文化について語るほうが理にかなっているのだ。
もちろん、他のあらゆる研究と同様に、筆者らの結論にも留保が付く。たとえば、今回検証したのは仕事に関する4つの価値観だけであり、より一般的な自由や平等の重視といった社会的価値観については調べていない。また、分析対象は32ヵ国に留まり、他の地域に今回の知見がどの程度当てはまるかはわからない。
しかし筆者らは、これらの知見を「国=文化」という枠組みから脱却する端緒になるものと考えている。実際、一部の国境は政治的な思惑や歴史的な経緯のなかで恣意的に引かれたものだ。「ロシア文化」や「マレーシア文化」、「アルゼンチン文化」などと言うのは簡単だが、どの国にも内側には価値観の多様性がある以上、こうした言い方は極めて不正確であり、危険でさえあるかもしれない。
ある国出身の相手が、その国から連想される典型的な価値観を持っていると考えてはならない――これが、グローバルにビジネスを行う人に筆者らが贈る最大の教訓だ。文化的な多様性が高いグループを率いてモチベーションを高める際、文化を国という枠で典型化すると、さまざまな過ちにつながる可能性が高いのである。 
 
研究者と現場の不幸な乖離

 

先日、京都大学再生医科学研究所の山中伸弥教授のiPS細胞発見までと再生医療という臨床に活用できる研究の格闘とも言えるドキュメンタリーを見ていて、心の底から羨ましいと思った。山中博士は整形外科の臨床医として出発しているのだが、リウマチで身体中の関節が変形して苦しんでいる患者を前にして、このような状態から命の輝きを取り戻すには基礎研究に針路を変えて新薬を生み出す仕事をしなければと決意して、iPS細胞の発見という成果に至ったということだ。山中博士の研究成果が、やがては臨床において多くの難病や完治の望めないとされた患者たちに希望をもたらすことは想像に難くない。
ひるがえって文化芸術分野ではどうだろうか。最近私は文化芸術及び劇場音楽堂等の現場にいる自分を「臨床医」に擬えて考えることがある。芸術各分野における鑑賞者の減少傾向を押しとどめるマーケティング手法の開発必要性、米国型の株主資本主義の蔓延によって「芸術支援」に資金を使う正当性が薄らいで企業メセナ等の民間からの資金調達に付きまとう困難さ、自殺者まで出してしまった劇場音楽堂等の職場環境の劣悪さ、そしてヒューマン・リソース・マネジメントのまったき欠落、指定管理者制度による「サービスの質の向上」を置き去りにした雇用環境の酷さ、全国の劇場音楽堂等の管理職のおそらく90数%が行政からの退職派遣、つまり天下りで占められていて、失敗を怖れるあまり外部環境の「変化」に適応してリスクを取る経営が出来ないことから必然的にハコモノ化している現状等々、現場には多くの病理と業界自体の悪しき生理があり、「臨床」の現場はおのずとどんよりとしたものになってしまう。当然であるが、その為に最終受益者である国民市民に渡される受取価値は品質の劣ったものとなる。
本来はこれら数多ある問題解決の解は、「基礎研究」の専門家である学者研究者によって提案されるものだと私は考える。しかしながら、日本においては文化系の学者研究者と臨床たる現場とのあいだには越えがたい溝があるのが現実である。現場に横たわる様々な困難と障害が学者研究者にはアップロードされないのである。たとえば最近の文化系学会で「行政出資型の財団はすべて廃止して営利法人化すべき」という研究発表をした芸術系大学の教授がいる。彼は「地域アーツカウンシル」の創設推進論者でもあった。私はともに現場の問題解決の視点から言えば「空中闊歩」的な、地に足のついていない空論としか思えない。指定管理者制度によって民間営利法人に文化施設の管理運営に門戸を開いたが、その結果、約15年を経過して何が起こっているのかの検証をしたのだろうか。参入した営利法人の人件費の削減による「ブラック企業化」をどのように総括しているのだろうか。そもそも自治体から出る「仕様書」に問題があるのだが、本来は当該地域の人々に還元されるべき数千万円の税金が主に東京圏に立地する本社に集積されて、その地域には税金が鐚一文支払われないことをどのように整理すれば良いのか。当該自治体はその整理が出来ているのだろうか。民間営利法人による競争原理によって最少の予算で最高のサービスと価値を生み出すという新自由主義的な発想で現在の劇場音楽堂等の抱えている諸矛盾を解決できるというのか。現場が呪縛されている諸問題は、すべてを民間営利法人にすれば解決するというように浅いところにはないのである。
さらに、「地域アーツカウンシル」については、その機関に調査研究機能、政策提言機能、当該エリアの劇場音楽堂等と文化への助成金配布機能を持たせて、それに見合った能力の職員を配したら、おそらく最低でも3億円〜5億円程度の予算は必要である。たとえ歳入の多い広域自治体であっても、現況から言えば文化振興にそれだけの額を計上する自治体など皆無である。自治体文化行政の「現状と現実」をしっかり把握しているのか。俯瞰でざっくりとした概観を掴む「鳥の目」ではなく、複眼の「虫の目」で様々な角度から細部にわたって検証しているのか。机の上だけで、あるいは頭の中だけで、あるいはアーツカウンシル先進国を模倣すれば何かが起きるという「山師的な発想」で外部環境を変化させようというのは、甚だ乱暴な、というより粗暴としか言いようのないロジックである。もうこれは出鱈目としか言いようがない。
医学と違って文化芸術は人の生死にとは直結しない。直結しないから何を言っても良いだろうということにはならない。さらに外部環境の変化、たとえば潮の流れや満ち引きを感知する「魚の目」で変化を鋭敏に感受して、それへの対応を研究の重要ファクターに数えているのか。文化庁の大学活用の補助金で民間施設・団体のマーケティングをトレーニングするときに、研究室の助手が舞台芸術のマーケティングにジェローム・マッカーシーの「4P」(製品Product・価格Price・流通Place・販促Promotion)を使って劇団を指導していると聞いて唖然としたことがある。50年前の「生産者主権」の時代のマーケティング理論である。大量生産大量消費時代の工業製品のマーケティング・ミックスである。その後日本では「消費者主権」の時代となり、ましてや舞台芸術の産業特性と製品特性を加味すれば、時代はフィリップ・コトラーの提唱する「マーケティング3.0」、「マーケティング4.0」という顧客との関係づくりの作法を活用しなければ売れない環境になっているのである。しかも、セオドア・レビットのひそみに倣えば、舞台芸術は「良い経験を提供します」という「誓約」を売っているのである。そのうえ「情報の非対称性」という逃れようのない商品特性を抱えながらである。
学者研究者は現場の問題解決に関わり、そこから研究を出発させるべきである。それが基礎研究の原点ではないか。「鳥の目」だけではなく、「虫の目」と「魚の目」で細部と変化を吟味しながら課題解決の処方箋を書き、提案すべきではないかと思う。医学で基礎研究と臨床が乖離していたら大問題であるばかりか、患者をみすみす殺してしまうことになるだろう。文化芸術とて、今日のように劇場音楽堂等や文化芸術の社会包摂機能と社会的価値が問われる時代なのである。「社会的処方箋」として文化芸術の社会包摂機能が多くの国民市民が必要とする時代なのである。文化芸術における学者研究者と現場との乖離と連携の機能不全は、人間の尊厳を毀損にまかせるような文化政策の不在と、それに因るざらついた社会の到来と文化芸術の果実を一部の特権階級の独占物としてしまう事態を招来することになると私は思っている。劇場音楽堂等や芸術団体の現場は無論の事だが、芸術系及び文化系の研究者にも、そのような事態を回避するための社会的責任は存在するのである。 
 
乖離する性器認識

 

1 問題の所在
我々人間が、どれほどの文化的生活を営んでいようと、その身体が自然的存在であることは改めて指摘するほどのことではない。人類はその誕生以来、自然を改変したり文化化したりすることによって、生活の快適さを実現してきた。そうした経緯が存在する故であろうか、身体部位を自然物にたとえることは多い。例えば、幼子の小さな手を紅葉の葉にたとえ、輝く瞳を星にたとえる。また、「白魚のような指」「イチゴのような唇」「リンゴのような頬」「岩のようなげんこつ」「げじげじ眉毛」「泥鰌ひげ」などとも表現され、そうした例は数え上げればきりがない。自然観照と身体部位認識とは、我々の文化の中ではごく自然に関連付けられている。
いうまでもなく、こうした見做しや見立ては文化的行為であり、その行為の背後には民族集団の思想が存在する。つまり、自然の中に身体部位的形態を見いだそうとする自然観照と身体部位認識の仕方も、民族集団の思想に基づいて創造された文化的行為ということができる。そうした身体部位の一つとして、性器がある。生物の身体部位以外の自然物を対象として、その全体あるいはその一部を性器に見立てたり、性器形態を見いだしたりしている例が民間伝承としてしばしば見られるのである。社会的慣習としては露出することを避ける性器を、何故人体以外の所に見做すのか。しかも、時には人工的に性器形態を作って、あえて衆目に曝す場合も存在するのである。さらに、性器或は性器形態物を神仏に奉納したり、性器形態神を祭祀の対象としたりする事実さえある。
群馬県中之条町に鎮座する親都神社の神木である大ケヤキは、群馬県指定天然記念物であり、乳の出ない婦人の祈願対象とされている。なぜ祈願対象とされるのかは説明されていないが、ちょうど真向かう所に巨大な男根形の男岩がある。それを考慮すると、大ケヤキの割れ目を女陰に見立てたためかとも思われ、自然物を男根・女陰にたとえた例の一つである。
それでは、自然物の中に見いだし、あるいは見做した対象物に対して、どのような態度をとるのであろうか。一体文化とは個人的な所産ではなく、民族集団など特定の集団における類型的な行為である。そうであるとしたら、まずその集団において特定の認識を共有する必要があろう。そのためには、性器形態物であることを示す名付けを行い、特化し差異化するとともに、類型的な行為を行うことが多かったことであろう。そうした行為の一つとして、神格化して祭祀の対象としたり、効験を期待し祈願の対象としたりすることもあったであろう。
先述したごとく、自然物などを性器形態とみなし、あえて性器形態物を作り、神格化したり奉納したりする行為は文化事象である。したがって、そこには日本人の性、並びに身体に対する認識が表現されている筈である。そうした日本人の認識を明らかにすることは、日本の民間信仰の性格を明らかにすることに役立つだけではなく、日本文化を理解するためにも役立つはずである。いったい日本人は、何故に自然物の中に性(器)的形態を見いだしたのであろうか。そして日本人は何故に性器形態にそれほど関心を示し、身体部位の中でも特殊な部位として性器を位置付けようとしているのであろうか。
民族集団における社会・文化に対するいかような認識も、時代とともに変化するであろう。事実、性器を中核とする性認識は、現代社会において大きく変化した。人類という種の保存にかかわる性(器)に対する認識の変遷を確認することは、よりよい日本社会のありかたを考えるためには、欠くことのできない作業の一つであろう。
2 日本人の性器認識
数多い身体部位の中でも性器を特化し、差異化するということは、性器に深い関心を寄せていたとともに、それが身体部位の中でも特異な存在であったということであろう。それを端的に示すのが金精様・道鏡様、あるいはオンマラサマ等と呼ばれ、全国的に存在する男根型の性器形態神の存在である。道祖神の中にも性器形態神が存在し、それらはその形態から性にかかわる機能神であると考えられ、性神などとも称されることもある。しかし、性器形態を神体とする性器形態神は、性にかかわる機能を持つだけではない。もちろん性にかかわる子授けや安産、あるいは縁結びや性病治癒などの祈願に対象とされることが多い。しかしそれだけではなく、豊作祈願や災難除け、あるいは境に機能する境界神として信仰対象とされることもある。したがって、性器形態神は性に機能するだけの神と限定することはできない。
いったい日本人は、身体部位としての性器をどのように認識していたのであろうか。かつて筆者は、日本人の身体部位伝承としての性器伝承について、その呼称と民俗伝承の一部について概観したことがあった(倉石『身体伝承論―手指と性器の民俗―』2013、『道祖神と性器形態神』2013)。ただ呼称は女性性器の呼称に限定されていたし、民俗伝承は「道祖神」にかかわる伝承に限定されたものであり、十分な考察が加えられていたとはいえなかった。それでも、女性性器の呼称には地域性が存在することを指摘できたし、その比喩的表現として女性性器の形態を自然物にたとえる傾向のみられることは指摘することができた。
先述のごとく性器形態神は多く男根形態物を神体としているが、時には女陰形態物と対になった神体も見られる。また、性器形態物を神仏に奉納することも多く、それは性器形態神に対してだけではなく、立派な社に祀られている神に対して供えられている場合もあった。ただ、男根形態神に対する性器形態奉納物としては圧倒的に男根形態物が多い。しかし、女陰形態物も奉納されていることがある。
もちろん身体部位としての性器には男根と女陰とがあり、子孫誕生にかかわる性機能を発揮するためには両者の結合が欠かすことができない。そうした認識は、既に神話の世界においても見られる。神話はいうまでもなく世界の出現にかかわる神々の活躍から、人の出現と現世に続くこの世の様々な事象の起源を語る物語である。『古事記』『日本書紀』などに描かれる天津神の出現、イザナギノミコト・イザナミノミコトの天浮橋に立っての島作り、その島に降り下っての国作りなどは、日本神話の代表的な場面である。そしてオノコロジマにおける男女祖神の「なりなりて成り余れるところ」を、「なりなりて成り足らわぬところ」に塞いで子を生み出す説話は、男女の身体的差異を語る説話であるとともに性行為の起源を語るものでもあった。
いうまでもなく、記紀神話における起源説話としてはこれ以外にもある。例えば火の神カグツチノミコトはイザナミノミコトの女陰から誕生し、そのためにイザナミノミコトは女陰を焼かれて死に、火神も殺されるという、死や火の起源を語る説話も記されている。これらの説話は祖神イザナミノミコトの女陰にかかわる説話であり、女陰は国や神を生み出すだけではなく、この世の基本的な事物である死や火を生み出す機能をも担うと考えられていたのである。そうした女陰の機能に神性を認め、それを神格化することはむしろ当然でもあった。これに対し男神イザナギノミコトの男根の機能は、専ら性行為の場において発揮されるだけであり、女陰に比べるとその機能は貧弱であるという印象をぬぐいきれない。
ところが民間信仰における性器形態神、および性器形態奉納物としては、男根形態が圧倒的に多いのである。それは男性性が女性性に優越する現実社会のありかたの反映とも考えられるが、命を生み出す性としては男女両性が相揃わなければならないという認識は共有されていたが故に、生理的機能において優劣はないはずであった。そうした性器認識の変化は、様々な所にもみられる。
3 乖離する性認識
命を生み出す行為にかかわる性器は、生殖機能にかかわる身体部位である。そして命の誕生は不可思議な現象であって、人の力をもってしてはいかんともできない現象であった。それゆえ性器に対する認識も関心も強かったのである。新たな命を生み出すための生殖行為は男女両性によって行われるが、受胎以降出産までは専ら女性の生殖機能がかかわる。種の保存の作業に長時間にわたって携わるのは、女性なのである。そのため女性という性に託された役割は、男性という性に比較して女性の社会的活動を束縛することになった。したがって女性が社会的に進出するためには、種の保存にかかわる生殖機能の束縛から脱却せざるを得ないという事情があった。そして現代社会においては、それを許す社会的文化的条件が整ってもいた。それは性の自然的・生物的側面より、社会的・文化的側面を重視することになった。
生殖機能を必要とされなくなった性(器)は、マイノリティーとしての同性愛の社会的認知を求めたり、同姓不婚ならぬ同性不婚を法律的にも認知を求めたりするようになった。またかつてはほとんど表面化しなかった性同一性障害もその存在の公認を求め、芸能界はその特異性を発揮する代表的な場の一つとなった。こうした状況は、性(器)のもつ生殖機能以外の機能を表面化することになった。つまり元来は生殖機能を効果的に発揮させるためであった性的快楽を変質させ、顕在化することとなったのである。
いうまでもなく性的快楽は、両性外性器交合に伴う刹那的な肉体的感覚であり、受胎から出産に至る生殖機能とは異なった存在である。それは身体的部位である性器を特化し、道具化した行為であり、より生物的・生理的な行為に伴うものとすることもできよう。つまり性(器)の機能としては生殖機能から性的快楽機能への関心の移動であり、身体部位としては内性器から外性器への価値の移動でもあった。
生殖機能を伴わない性的快楽機能に対する関心は、異性の外性器を一時的に購入し(売買春)、他人の性行為を鑑賞し(アダルトビデオ・映画・写真)、あるいは性風俗店を出現させることになった。要すれば、性を商品化する社会的行為や現象などは、種の保存を目的とする自然的・生物的な性行為とはかけ離れた性に対する関心に基づくものであり、身体部位としての外性器の存在にかかわる快楽を目的とするものであった。こうして種の保存という生物的本能は軽視されるようになり、母性・父性という世代にかかわる性の存在も影を薄くならざるを得なかった。
こうした生殖器の機能を否定するかのような性的快楽の存在は、種の保存を基盤とし、家族集団を基本的単位とする社会を維持するための社会的規範にとっては、社会的秩序を根底から否定するものであった。そしてその生理的・刹那的快楽は、人間の理性をもってしては制御しがたいほどの強烈な存在でもあった。それ故、その中核に位置する肉体的部位としての性器は猥褻物とされ、公開されると猥褻図画陳列罪とされるなど、その描写には様々な規制が行われた。文字表現には伏せ字、映像表現にはモザイクなどが施され、そうした配慮をしないと出版禁止の対象ともなった。人間存在の根源に存在する性は、それ故に社会的には隠蔽されることになったのである。
しかしそれは近代以降の対応であり、近世以前においては性にかかわる、あるいは性的行為にかかわる春画(枕絵・笑絵)・枕草紙など様々文化事象が形成され、多くの人々に享受された。こうした文化事象は、芳醇な日本文化の一翼を担っていた。春画における誇張された性器描写や、性的行為における独特な描写は、人々の性に対する認識が示されるとともに、日本人の性器に対する認識と深くかかわっていた。だが近代以降は、こうした性にかかわる文化事象も、性は社会的秩序を侵すものという認識のもとに隠蔽されてしまった。その結果、性文化は人目を避けるようにいびつな形で、日陰の花として密かに咲くより外に生き残る術をなくしてしまったのである。
そうした性文化の貧弱さは性に対する認識をゆがめるとともに、生殖機能の軽視化は少子化という社会的問題を生み出した。同時にそれは性に対する価値観の偏差を生み出し、不妊の悩みを肥大化させることにもなった。それは子供の誕生をもって世代間の連続を実現することを生活集団継続の基本としていたのにもかかわらず、社会の基本集団としてのイエの維持すら難しくなってきたからでもあった。そうした悩みを受けて、生命の神秘を明らかにしようとする科学者の探求心は、生殖医療の驚異的な進展を実現し、分子生物学などの成立や遺伝子操作などは、かつては神の領域とされていた分野にまで足を踏み入れるものであった。それは確かに性の生殖機能の復活でもあったが、それらの知識と技術とは性文化の存在とは異なっていた。それ故に生殖医療の成果は、科学的発展としては高く評価されながらも、人として生きる意義や生命観、あるいは社会倫理などとは十分馴染んでおらず、その技術を持て余すだけではなく、それに振り回されることになってしまっている。
4 性認識の再構築
生殖医療の著しい進展は、性器に対する生殖機能の復権をもたらした。しかし、未だその技術的進歩の歴史は浅く、文化的には孤立した状態にある。つまり、社会の継続になくてはならない命を繋ぎ、種を保存する行為は、自然界の生物の生まれながらに持つ使命であり、その必然である性的行為と生殖医療技術とは、現状では全く異なるものとしても存在しているのである。もちろん生殖医療は性的快楽とも無縁の存在であり、いわばこうした従来から性文化を形成してきた性の存在とは断絶しており、これらの認識の間には、強い緊張関係が存在する。
生物体としての我々の身体において、性器は欠くことのできない存在であり、それに伴う性文化もまた本来は豊かであるべきなのである。性もしくは性器に対する我々の対応の仕方は肉体的行為にとどまらず、文化的行為として行われるものであり、そこには文化集団の持つ一つの基本的な認識が存在している。そしてそれは、身体認識における性器にかかわる認識でもあり、身体部位をどう考えるかという身体部位認識でもある。身体部位伝承は身体部位をどう認識していくか、あるいは認識してきたかという文化認識伝承であるが、身体伝承は身体についての伝承であり、それは主として身体機能についての伝承である。そうした、身体機能伝承は社会的存在としての身体を対象とするが故にモノ(肉体)としての身体ではなく、社会的機能を果たすコトとしての身体である。
そもそも文化としての身体とは、人体としての有機的全体が発揮する社会的能力や機能に対する認識であり、特に形態や能力、社会的機能の異常・異能に対して注目される傾向が強い。それに対して、身体部位とはモノとしての人体の構成部位であり、その部位の果たす機能に対する関心によって認識されている。性にかかわる身体部位は、性器のみではない。異性との関係における性別形態・性的機能・性的快楽にかかわる身体部位はすべて性的部位である。しかし、生物体としての身体の形態的差異で最も明確なのは、個体の性別が判断できる第一次性徴である性器(男性性器・女性性器)である。
形態の異なる男女性器は、視覚によってその差異が明確に認識される。だが、その身体的差異を異常と認識する故であろうか、人類は性器を隠そうとしてきた。聖書におけるアダムとイヴが初めてイチジクの葉で性器を覆ったとする説話はその起源を語るものであるが、衣服を身につけない裸族といわれた人々であっても腰蓑をつけたり、ペニスケースをつけたりして性器を覆っている。それは社会的秩序を維持するためであるとされるが、性的快楽をもたらす身体的部位の存在を強調する行為でもあり、いわゆる劣情と理性とがせめぎ合う部位を示している。
隠蔽することが、実は顕在化することにもなることは少なくなく、隠蔽された性器はむしろその存在を強調することになり、隠蔽された性文化は隠微な輝きを放っている。かつて文化事象として自然の中に性器形態物を見いだし、あえて隠蔽しようとしなかった民俗文化の存在が、いかに豊かな日本文化を形成していたことか。そしてそこに民族文化の長い歴史の成果を蓄積していたことか。そうであるならむしろ性器の存在もただ隠蔽するだけではなく、生物体としての人間存在の根源的機能である生殖機能を果たす部位であり、また性的快楽をもたらす身体的部位でもあることを正確に評価し、しかも、神の領域に踏み込むこととなる生殖医療をも考慮した成熟した文化の形成こそが望ましいことなのであろう。それは次の世代を豊かにしつつ日本社会を継続することになり、これからの芳醇な日本文化を構築することにもなるであろう。 
 
今なぜ文化が必要なのか

 

21世紀を迎え、人々の価値観は「ものの豊かさ」から「こころの豊かさ」へ、効率性の追求から人間的なぬくもりの尊重へと大きく変化している。
一方、今日の社会は少子・高齢化の進行、国際化・情報化の進展に加え、地域(都市)間による個性を競いあう時代を迎えるに至った。
このような中で、人々に生きがいを与え、心のよりどころともなり、さらに生活をより豊かに充実させるなど社会を支える基盤でもある文化の役割はかつてないほど重要なものとなってきている。
1.文化を取り巻く社会状況
今日の文化を取り巻く社会状況とその背景は、次のとおりである。
(1)「ものの豊かさ」から「こころの豊かさ」へ価値観の大きな転換が見られること
1 文化的、創造的活動への要求が高まっている。
2 量から質を重視した暮らしへの希求が強くなっている。
3 あらゆる世代を通じて生きがいが追求されるようになってきている。
4 誰もが文化を享受できる環境が求められている。
(2)快適な生活環境の創出が求められていること
1 治安のよい安全なまちづくりが必要になっている。
2 文化に裏打ちされた成熟化社会を創成することが求められている。
3 快適なまちづくり(アメニティの創成)への要求が高まっている。
   【アメニティ】 Amenity「快適性、快適環境」と訳される。生活環境を構成する自然や施設、歴史的・文化的伝統などが互いに他を活かしあうようにバランスがとれ、その中で生活する人間との間に調和が保たれている場合に生じる好ましい感覚。
4 ハード面(環境、景観、風景)とソフト面(生活、行動)の調和、及びこれらを同時に充足することが求められている。
(3)高齢化の進行に伴い高齢者の多様なニーズが高まっていること
1 質の高い文化の享受が要請されている。
2 高齢者の文化活動への参加の意欲が高まっている。
3 高齢者が培ってきた文化的伝統の次世代への伝達が求められている。
4 若者文化への接触とその理解による世代間の乖離の是正が必要になっている。
(4)青少年問題の深刻化への対応が必要となっていること
1 青少年文化の充実が求められている。
2 青少年の感性・情操の陶冶が必要になっている。
3 文化を基底に置いた学校教育の推進が求められている。
4 文化的伝統の青少年への継承が必要になっている。
(5)国際化と情報化の進展が顕著となっていること
1 国際的、普遍的な文化の受容と享受への要求が高まっている。
2 他方で、文化の画一化に対する地域(都市)の独自性ある文化づくりの必要性が認識されるようになっている。
3 国際間、地域(都市)間の文化の相互交流とこれによる相互理解が必要になっている。
4 IT(情報技術)を活用した伝統文化の継承と新たな文化の創造及びその発信が求められている。
(6)地域(都市)間の個性を競いあう時代が到来したこと
1 地域の文化を活かし、魅力ある都市づくりが求められている。
2 来訪者の心地よさに応える地域住民のもてなしの心(ホスピタリティ)を醸成することが必要になっている。
3 文化・芸術と産業・観光との緊密化の必要性が認識されるようになっている。
4 文化産業という観点から産業をとらえるとともに、産業の文化化という認識を一般化していくことが求められている。
2.文化の果たす役割と社会的財産としての意義
(1)文化の果たす役割
文化は人間の本性に根ざした存在であるとともに、社会に対して大きな効用をもたらすものである。文化の果たす役割は、次のとおりである。
1 生活にゆとりや潤い、生きがいなど精神的な充足感をもたらす。
2 人の生き方、価値観、ライフスタイルの源泉となる。
3 人と人とが互いに理解し合い、豊かなコミュニティを形成する土台となる。
4 地域(都市)の魅力を育み、産業・経済の活力を生み出す源となる。
(2)社会的財産としての意義
上記のような文化の果たす役割にかんがみ、文化は地域全体の社会的財産であり、心豊かな活力ある社会の形成にとって極めて重要な意義を有すると考える。  
 
「問題」と「課題」を混同してしまう残念な地方創生 2017

 

東京一極集中をどう是正するか、移住者をどう増やすかなど、地方創生にまつわる議論や取り組みが盛り上がっています。政府は従来のような「日本全国一律支援します」というスタンスから、「頑張る市町村を集中的にサポートします」というスタンスに変わるなど、大きく方針転換しつつあります。
しかしながら、現場の地域や市町村に行ってみると、地域の問題が解決されるどころか、どんどん問題が悪化する泥沼にはまっている地域も見られます。なぜ、そのようなことが起こるのか。まちづくりで大切と言われる「公民連携」を軸にまとめてみました。
理想と現実のギャップとそれを埋めるタスク
問題を解決するためには大きく3つのサイクルがあります。1解決すべき問題の決定、2問題解決のための適切な課題の設定、3設定された課題を正確に実行する、です。
問題と課題はよく混同して使われることがありますが、問題とは「理想の姿と現実の姿のギャップ」のことをいい、課題は「そのギャップを埋めるために取り組むタスク」のことをいいます。
小中学校の夏休みの宿題の定番である読書感想文にも課題図書というのがあったと思います。この宿題は「読書を通して自分の考えを作文としてアウトプットすることができる」という理想と、「その力がまだ足りない」という現実を埋めるために子供にとって適切な「課題」を学校側が設定しているわけです。
計算ドリルや漢字ドリルも、「習った漢字は読み書きできる、習った計算は正確にできる」という理想と「まだ計算力、漢字力が十分ではない」という現実を埋めるためのものです。
さて、このような問題と課題の定義についてはビジネスの場では当たり前のように区別されていますが、こと地域活性化や地方創生の分野になると急に曖昧になってしまいます。
地域で行われる会議では問題も課題も区別して語られることは皆無ですし、もし地域が解決すべき問題を決めれたとしても課題設定がチグハグ、さらに誰もその課題に取り組まない、など絶望的な気持ちになることが多々ありました。
地域の問題を解決するための3つのサイクル1解決すべき問題の決定、2問題解決のための適切な課題の設定、3設定された課題を正確に実行するを官(行政)・民(企業)・政(政治家)で役割分担することが重要です。
公民連携とざっくり言われることがありますが、具体的な肝は問題解決サイクルを公(政・官)と民とで役割分担することです。
問題を決定するのは首長、課題設定は民間に
1の解決すべき問題の決定をするのは政治家(主に首長)です。極論を言えば政治家はそのために住民から投票というカタチで選ばれているわけです。どの問題を解決するのか、それをやってくれるリーダーを選ぶのが首長選挙です。
次に2問題解決のための適切な課題の設定は民間が得意とする領域です。理想と現実を的確に把握し、その差を埋めるための課題をロジカルに設定する力は民間企業の商品・サービス改善で培われています。
そして最後の3設定された課題を正確に実行するに関しては官(行政)が最も得意とする領域でしょう。私も4年前から行政で仕事をすることになって、タスクを正確に確実に処理する力に尊敬しました。
そもそも行政は一定の試験に合格している人たちの集団です。誰かから与えられた課題(タスク)を正確に時間内に処理する力の高い人たちの集まりなので、それもそのはずです。
その一方で自らで課題を設定する機会は多くありません。県や国の補助金を使って建物を作ることはあっても、そもそもその建物を作ることで問題が解決に向かうのか、を問われることはほぼありませんでした。
自治体の施策といえば、同じようなイベントやったり、ゆるキャラ作ったり、動画を作ったり…。果たしてそれが地域の問題解決につながるのか疑問なのに実施しているのは適切な課題の設定が苦手(な意思決定組織)だからでしょう。
日南市の商店街活性化ストーリー
私が住む宮崎県日南市は地方創生の文脈で紹介していただくことがしばしばあります。例えば、油津商店街の再生について。この油津商店街は今では全国どこにでもあるようなシャッター商店街で、「子供だけで近づかないように」と指導されるほどの商店街でした。
そのシャッター商店街を再生させるべく日南市が打ち出したのは「4年で20店舗のテナントを誘致する専門家を公募する」というもの。委託料は市長よりも高い月額90万円と全国でも大きく話題になりました。
そこには333人の応募がありましたが、そこから選ばれたのが木藤亮太さん。彼は契約期間の約4年で28店舗のテナント、企業、保育施設、ゲストハウスなどを油津商店街に誘致し、活気を取り戻しつつあります。
また、企業誘致の面でも取り上げられることがありIT関連企業が1年で10社進出し、すでに70名以上の雇用を創出。しかもそのほとんどが20、30代の女性ということも注目をあつめています。
他にも1回で4千人を超える外国人観光客が訪れる大型クルーズ船がシーズン中は毎週のように入港したり、城下町の空き家を民間資金でリノベーションし高級宿泊施設に変容したりと、様々な施策が同時並行で進んでいます。
それらの「衰退した商店街」「若者の少ない雇用」「観光」「増える空き家」を解決すべき問題として設定したのは市長です(前市長も含む)。そしてその問題解決のための課題の設定は民間が中心となって行い、設定された課題には行政が責任を持って関わりながら市民も一緒に取り組む。
そうやって一つ一つプロジェクトが動き出し、問題解決3つのサイクルが加速し、それがPDCAのもと改善して精度が高くなっていく。それが事業となり、マーケット(市場)の力に乗っかり、行政や政治が介入せずとも自走していく。そんな事例が日南市では生まれだしています。
補助金がセットになった国のメニューでは回らない
戦後からバブル時代くらいまでは、問題解決の3つのサイクルは日南のそれとは違っていました。1の解決すべき問題の決定は昔も政治家でしたが、2の課題の設定は官(地方公務員)が行い、3の課題への取り組みは民(企業)がやっていました。
地方公務員は国の各省庁からスキームと補助金がセットになったメニューが出されているので、自分たちが取り組みたい課題を決めて導入すればよかった。これまでは国が用意するメニューを選んで、民間の事業者に発注しておけば地域は回っていました。
それは各省庁が日本よりも先を行く国を視察し、その事例を各市町村(都道府県)が導入しやすいメニューにしてくれていたからです。なので、地方は国が作るメニューを選んでおけばなんとなく時流に沿ったまちづくりができていたわけです。(もちろん、人口が増加していたので筋の悪い課題を設定していても自然と問題が解決されていくこともあったと思います)
しかし、日本は世界でもまれに見るスピードで高齢化が進み、人口の急激な減少が見込まれ、もはや日本が参考にできる(成功している)国がなくなってしまいました。
問題解決の視点による公民連携の新定義
国としてもこれまでのように成功国の事例を補助メニューにカスタマイズして、全国の市町村に導入してもらうだけではダメということに気がついてしまいました。しかし全国の市町村のマインドは昔と同じで国が用意するメニューをいかに導入するかから抜け出せず、国としても全国の市町村に共通する成功モデルをメニューとして作ることはできないと悟っています。
だからこそ、これまでの地方活性化施策に見られた「全国一律での活性化」から「頑張る地域を優先してサポートする」という方針に切り替えたのでしょう。そんな中、まさに主役は地方です。
地方は現場で必死に問題解決に注力し、国はその中から汎用性の高いものを他の「やる気のある」地域に広めていく。これまでとは全く逆のベクトルでの地方の活性化の取り組みが始まりました。
そして問題解決3つのサイクルである1解決すべき問題の決定、2適切な課題設定、3課題への取り組み、がうまく進んでいれば応援&サポートし、変な方向に進んでいれば方向修正をサポートするのが「議会」の役割です。執行部側(=問題解決側)の伴走者として地域住民の声を届けることが役割です。 
 
「目的」と「目標」が乖離してしまう残念な地方創生 2017

 

日本の人口は2008年の1億2800万人を頂点に減少局面に入りました。それ以降ばらつきはあるものの毎年20万人のペースで人口は減少し続けています。このままでは日本の将来人口は2030年に1億1600万人。1億人の大台は2041年に下回ってしまうと言われています。
それまで日本の人口が減少することを政府は事前に把握できてなかったかというと、もちろん把握できていました。人口問題の際に必ず持ち出される指標に「合計特殊出生率(一人の女性が生涯で出産する子供の数)」がありますが、人口を維持するためには2.06が必要とされています。
この合計特殊出生率は1974年に2.06を下回り、現在は1.4あたりを推移しています。つまりこの合計特殊出生率を見ていると必ず人口減少局面に突入することは分かっていたわけです。
「人口の絶対数」で見てはいけない
ではなぜ、最近になるまでほとんど対策されず、話題にもならなかったのでしょうか。それは政府もメディアも「人口の絶対数」しか見てなかったからでしょう。1974年に2.06を切ったにも関わらず2008年までの34年間も人口は増え続けていました。
それは、医療技術の発達などによりお年寄りの寿命が伸びていったからです。生まれる子供は減ってきているけれど、お年寄りが長生きするようになったので、合計特殊出生率が2.06をきってからも34年間人口が増えていったわけです。人口の絶対数しか見てないと、「人口は増えてるよね。安心安心」という結論で落ち着くわけです。
しかし、今後は人口減少の勢いは加速しています。「そろそろ人口が減りだしたので、対策をしましょう!」といまさら言っても、合計特殊出生率が2.06を切ってからの34年間の助走をつけた上で減少に転じているわけです。
早い段階で対策していればまだ傷口は浅いものの、思いっきり助走を付けられて人口減少に突入しているので、人口減少を止めることはもちろん、減少率を緩和することも困難を極めます。
「目的」は必ず数値化できるとは限らない
最近流行りの地方創生の取り組みは、この人口減少を少しでも緩和することを目的の一つとして取り組まれています。毎年500人が減っていれば、それを300人に押さえて、30年後に人口◯万人の維持を目指しましょう、という具合です。
自治体の施策の中に目標数値を入れるということ自体は素晴らしいことだと思うのですが、この目標が「人口の絶対数」ということには気を付けなければいけません。
前回の寄稿で「問題」と「課題」を混同してしまう残念な地方創生とも共通しますが、目標と目的の意味は似ているようで全然違います。
目標というのは「標(しるべ)」と書くようにどこか行きたい場所があり、そこに向かうために参考にする案内板のような意味です。実際の案内板にも◯◯まであと5kmと書いてあるように、目標は数値化もしくは言語化されています。
目的は「的(まと)」と書くように到達したい、もしくは到達すべき場所、状態のこと指し、必ず数値化・言語化できるとは限りません。
ボーリングではレーンの途中に横に並んだ5つの三角印があります。その印(=標)を参考にして玉を投げると狙ったピン(=的)に当たるという関係が、まさに目標と目的の関係になります。
では地方創生における目標と目的は何か。目標は先述したように「年間で減少する人口を◯◯人から、△△人に緩和する」「移住者を年間☓☓人にする」とか数値化できるものです。
では目的は何かというと、「東京一極集中を是正し地方の人口減少に歯止めをかけ、日本全体の活力をあげること」というのが政府見解です。
地域の持続可能性を高める
それを踏まえて地方にとっての目的は何かというと、「地域に根ざす伝統や文化、産業、経済などを次世代(=若者)につなぎ、進化させ、地域の持続可能性を高める」ということになるでしょう。地域の人口をある程度維持し、伝統、文化、産業、経済を維持発展することが、国全体の活力につながります。
政府にとっても地方にとっても広義の目的は「持続可能性を高めること」です。その目的に到達するための標として、地方の人口を増やすことが設定されているわけです。
では、その目的を達成するための目標が人口の絶対数で間違いないのでしょうか。この人口の絶対数を追いかけて施策を打てば地方の持続可能性が高まり、国の活力があがるのでしょうか?
答えはノーのケースもある、ということです。当たり前の話ですが、生まれたての赤ちゃんと、働き盛りのビジネスパーソンと100歳のおばあちゃんは同じ人口1人でも、その役割や必要な社会的援助は全然違います。そのような幅広い年齢の人を「一人」とカウントし、目標に設定することは間違った標になりかねないのです。
地方創生に文脈において度々「人口減少が問題だ」という語り方をされるケースがありますが、厳密に言うと、人口減少自体が問題なのではありません。
地域にとっての本当の問題はその地域の持続可能性が損なわれ、地域が消滅してしまうことです。それを防ぐために地域の持続可能性高めることが大事なのです。
1966年と2041年の1億人は違う
では、地域の持続可能性を高めるためには何を標としなければならないのか。それは「地域の人口構成をドラム缶状に整える」ことです。
その地域の適切な人口は、面積や産業、交通事情、周辺の地域との兼ね合いなどで変わってきます。しかし、どんな地域においても、この人口構造が歪(いびつ)であれば、その地域の持続可能性は損なわれていきます。
高校卒業したら全員が都会に出てしまって帰ってこなければ、そのうちその地域から出産適齢期の女性がいなくなり、子供が生まれなくなります。
逆に子供がたくさん生まれ、若い人がどんどん増えてくれば(昔の日本がそうであったように)働き口が不足してしまいます。地方で廃校が増える問題も、都会で待機児童が出る問題も人口減少自体が原因なのではなく、「人口構造が歪なること」で発生します。
逆に地域の人口構成が各世代同じ人数になっていれば(歪がなくドラム缶状になっていれば)、あたらしく幼稚園を作る必要もなく、介護施設を作る必要もなく、今あるインフラを維持修繕していけばいいわけなので、財政的にも負担をかけません。
つまり、地方創生の地方側の目標は人口の絶対数に置くのではなく、世代間人口の歪みの是正に置くべきで、各年齢層の歪みを何%以内にする、といった数値を目標にしなければなりません。
目標が人口の絶対数だと、お年寄りを全国から誘致しようとか、極論を言うと延命治療に注力して人口減少を緩和しよう、といった施策も選択肢に入ってきます。倫理的な問題が絡みますが、少なくとも地方創生の意図とは少し離れてしまいます。
目標は目的との最短距離上に設定する
目標は目的との最短距離上に設定することを心がけないといけません。そうでなけば、目標は達成しているけれど、どんどん目的から離れていく、といった疲労感しか残らない残念な状況に追い込まれる可能性があるのです。
冒頭でこのまま行くと2041年に1億人を切ると書きました。人口1億人といえば、1966年の頃です。人口問題に関心が薄い理由の一つが「人口を年齢別構成でなく絶対数でみてしまう」ということです。
「1966年のころは1億人でもすっごく賑わいがあったよ!」と昔を思い出して言う人がますが、1966年の日本の平均年齢は29歳でした。生産年齢人口がどんどん増えるときの1億人と、高齢者人口がどんどん増えるときの1億人は全く違う1億人なのです。人口の絶対数ではなく、人口構成を見なければ、問題の重大さや、その問題解決のための課題設定はできないのです。
解決すべき問題を特定し、問題が解決されるための課題を設定する。そして、その課題を正確に素早く取り組み、改善を重ねていく。
前回の寄稿である「問題」と「課題」を混同する残念な地方創生につながりますが、正確に問題の把握をすることが、筋の良い課題は設定できません。
地方にとっての問題は「人口が減る」ことではなく、「人口構造(ピラミッド)が崩れること」です。それを見逃して手当たり次第課題を設定しても、地域はさらに疲弊していくだけなのです。  
 
相撲協会の対応は、なぜこうも非常識なのか

 

日馬富士が酒宴で後輩の貴乃岩を暴行、傷害を負わせた事件は、人気・実力とも充分兼ね備えていた現役横綱の引退にまで発展した。人々の関心が高く、報道が過熱する背景には、日本の国技として一定以上の人気を保っているだけでなく、職業力士による大相撲を興行する日本相撲協会が公益財団法人として認定されているという背景もあるだろう。
公益財団法人ということは、すなわち単なるスポーツ興行ではなく、古来より伝わる日本固有のスポーツである相撲の伝統と文化を後世に伝え、守り、普及させるといった文化振興事業ということだ。
しかし、実際の大相撲がかなり“興行側”に偏った活動となっていることは、誰もがご存知のところだろう。
ネット全盛時代の危機管理について考える
伝統と文化を守る文化振興事業というのならば、一定の節度を持って運営されなければならない。そこに重大な問題が生じた。北朝鮮が新型ICBMと思われるミサイルを発射した中で、そうしたニュースを押しのけてまで行われる過熱報道は、個人的に行き過ぎという印象もあるが、日本相撲協会の位置付けや過去の不祥事から続く「またか」という思いがこのニュースバリューをさらに引き上げているように感じる。
さて、この事件はさまざまな謎に包まれた日馬富士の電撃引退から、さらにドラマティックな展開へと移ろうとしているが、本記事はその最新ニュースを追いかけようというわけではない。ネット全盛時代の危機管理について考えてみよう、というのが今回の記事の主旨だ。
大相撲を巡る不祥事は以前よりあったが、近年、特に2007年に『週刊現代』が八百長告発を行ったあたりからは、力士暴行死事件、大麻事件、野球賭博事件など度重なる醜聞が露呈するようになった。
以前からそうした問題は存在したのかも知れないが、“環境”の変化によって、不祥事を抑え込み内部に留めることが難しくなってきたのだろう。
環境は変化している。とりわけ情報伝達の速度は早く、また大きな組織から見ると取るに足らない個人であっても、時にSNSなどで発言が注目され、瞬く間に考え方が広がっていくのが現代だ。
時代の変化を読み取れない組織が“延焼”を促進
日馬富士による暴行傷害事件における日本相撲協会の対応、広報、あるいは事件を取り巻く人物の行動や発言を見ていると、そうした環境変化を正しく認知できず、結果として世論の強い反発を招いている。非ネット時代であれば、あっという間に風化し、単なる“週刊誌ネタ”だけですぐに終息したのだろうが、今は報道する側もネットで世の中の反応をリアルタイムで感じながら伝え方を考えている。
筆者はこうしてITやネットカルチャーをテーマにしたメルマガを書かせていただいているが、今回のケース、もちろん暴力による傷害事件を軽く扱うことは問題だが、一方で協会の“コミュニケーション下手”にも、問題を大きくする原因があると感じた。
日本相撲協会の対応、あるいは協会員である力士たちの対応でもっとも良くないのが、“自分たちの常識”が世の中の多くの人の感覚とズレていることを認識できていないことだ。ズレを認識できていないため、誤った言葉や行動を選び、事を収めようとしているのに、なおさら炎上するといったことを繰り返す。
日々、稽古で研鑽を積んでいる力士たちに、一般常識と角界の常識の違いを把握するのは難しいのではないか、という話もあるが、協会理事や部屋の親方たちには力士たちが活躍する環境を作る責任がある。当然ながら“協会の中”と“協会の外”の考え方や物事の捉え方が異なることを充分承知した上で弟子たちを指導し、危機発生時の言動や行動をすべきだ。いや、そもそも問題発生の温床となる悪しき習慣を断つといった改革を行うべきだ。
中でも筆者が“象徴的”と感じたのは、日馬富士の引退会見である。
日馬富士は引退会見で、暴行被害者の貴乃岩に問題があったため、先輩として指導する目的で暴行を働いたと話した。“暴力という手段を用いたことが誤りだった”とする会見にもかかわらず、まったく矛盾する“生活態度の指導に暴力を用いる”ことを、心のどこかで肯定しているように感じられる。この貴乃岩に対する暴行を“指導”と話したところに、今回のさまざまな問題が凝縮されている。
「だから日馬富士は酷い男だ」と書きたいわけではない。日馬富士が暴力によって指導を行った背景には、“後輩を指導する際、場合によっては暴力も許される”とする誤った認識、空気があると考えるべきだろう。なぜなら、同席していた他の力士、力士以外の関係者も、“暴力による指導”で頭皮を縫い合わせるほどの負傷を負う事件があったあとにも、事件が明るみになる前まで何ごともなかったように振る舞っていたのだ。
そのことは、同じく引退会見で「貴乃岩が(暴行事件の翌日、日馬富士のところに)謝りにきた」という部分からも透けて見える。暴行を受け、怪我を負った側である貴乃岩が謝罪したのは、同郷の先輩力士の“指導”を(自発的か否かは不明ながら)受け入れ、納得しているからこそといえる。
すなわち、大型リモコンを用いて殴打するという凶器を使った暴行を“指導”と捉える背景、空気感があり、入院するほどの大けがでもなければ、見過ごしてもおかしくないということだろう。ここまで大きな社会問題として取り上げられることに困惑している関係者が少なくないことからも、暴力の結果が露呈したときに今回の事態を招くと予見できなかったことを指し示している。
協会に不足しているのは“共感する能力”
ところで、筆者は“日本相撲協会内の問題”として捉えるとき、関係者全員が納得の上ならば、世の中の常識をそのまま当てはめる必要はないと考えている。男性だけの組織の中、屈強な格闘家が集い、強烈な縦社会の中で生きているのだ。そこには、一般常識では推し量れない独特のルールがあってもおかしくはないと思うからだ。
ところが話が“暴行傷害事件”となってくると話は変わってくる。当人たちが納得していた暴行傷害事件だったにもかかわらず、貴乃岩の師匠である貴乃花親方が被害届を出して刑事事件とした理由は筆者にはわからない。
しかし、被害届が出されたのだから、その時点で協会内だけの問題ではなくなり、一連のできごとは一般常識のもとに判断されるようになる。報道され、多くの人たちが知ることになれば、それぞれが持つ常識の範囲で“暴力行為に対する評価”が行われ始るのだ。
今回の問題を、もっと身近なテーマに置き換えて考えてみよう。仮に、今回起きたことが学校内や職場の出来事だったらどうだろうか。
「仲間内で遊びに行ったカラオケボックスで、後輩の態度が悪いからと説教をしていたら、彼女からメールが入ったと言って笑いながらスマホを弄り始めた。ムカついたのでリモコン使って殴った。後輩の態度がなっていないのを正そうとしただけだ」
「弊社の社員が飲食店で後輩社員に暴力行為を行った。彼は責任をとって辞職すると話しているが、実にもったいない。すばらしい能力を持った社員だったのに」
こんな説明の仕方が許されるはずはない。
他にも引退会見には不思議な言葉遣いがあった。それは「横綱としてあるまじき」という部分である。横綱という品格が求められる地位だからこそ、暴力を用いるべきではなかったと読めてしまう。真意はわからないが、本来ならば「社会を構成するひとりの人間として(暴力は)あるまじき」行為だったと言うべきだ。
ものごとを“整理”し、それぞれに正しい対処を行う
日本相撲協会内の問題をどのように解決していくのか。指導の中で使われる暴力に対して、どう対処していくべきなのか。あるいは、もう少し踏み込むならば、ライバル同士である別部屋の力士が集まり、地方巡業とはいっても八百長事件を経た大相撲において興行期間中に親睦会が開催されることの是非も問わなければならない。
こうしたことは、暴力問題とは別に協会内で解決しなければならない。解決できないのであれば、このネット時代、協会内と一般社会の間にある常識の乖離があからさまなものになり、人々からの支持を失うだけだ。
ネット時代には文字や画像、動画などの形で、個人の意思がさまざまな形で表出する。そうした中で、現状の認識や物事の捉え方が乖離したまま一方的に情報発信しても、決して共感は得られない。
そして共感を得られなければ、さまざまなところから「おかしい」「常識がない」と意見が上がってくる。ふだんはさほど大相撲に興味がない人たちでさえ、そこに自分の意識や常識との乖離をみれば「なんだそれは、ヒドすぎる」と声を上げ、そのひとつひとつの声が新たな非難の声を生み出していく。
暴行傷害事件に関しては、厳正な捜査のもとに法的な裁きを受けるべきだろうと思うが、今回のような非常事態において、どう危機に対処してコミュニケーションを取っていくべきなのか。さまざまな意味で今回の事例は良い教材となるだろう。
春日野部屋が傷害事件を“隠蔽” 角界の不祥事「無限ループ」突入か
いったい、どこまで続くのか。大相撲の春日野部屋に所属していた力士が弟弟子の顔を殴って傷害罪で起訴され、2016年6月に懲役3年(執行猶予4年)の有罪判決が確定していたことが24日、発覚した。角界では元横綱の傷害事件や立行司のセクハラ行為が大騒動になったばかり。今後も内部告発などで別の“新事実”が明るみに出る可能性があり、角界全体が不祥事の「無限連鎖」に陥りかねない状況となった。
今回発覚した傷害事件で被害者となった弟弟子(22)は2014年2月に入門し、同年3月の春場所で初土俵を踏んだ。事件が起きたのは入門から7か月後の9月のことだ。弟弟子は加害者の元力士(23)から顔を殴られ、あごを骨折。味覚消失などの後遺症が残る重傷で、全治1年6か月と診断された。元力士が部屋の掃除の仕方を注意しようとした際にトラブルになったのが原因だったという。
大ケガで引退を余儀なくされた弟弟子は同年10月、傷害容疑で元力士を刑事告訴。その後に元力士は東京地検に起訴された。元力士は15年7月の名古屋場所後に引退。東京地裁は16年6月に元力士に対して懲役3年、執行猶予4年の判決を言い渡し、有罪が確定した。弟弟子は必要な治療を受けさせなかったとして師匠の春日野親方(55=元関脇栃乃和歌)も告訴していたが、こちらは不起訴処分となっている。
弟弟子は「若手力士の間では他にも暴力事件があると思う。協会は隠さないで全て公表してほしい」と訴える一方で、元力士は「殴ったことは悪かった。自分自身の問題で部屋が悪いわけではない」と話しているという。また、日本相撲協会の理事で師匠の春日野親方は、共同通信の取材に対して「(力士は)辞めてますから」と答えるにとどめた。
今回の事件に関して相撲協会は「(事件は)春日野より報告されており、理事及び親方として対応に問題はなかった」とコメントした。すでに事件が終結していることもあり、春日野親方の責任は不問とする構えだが、大相撲における暴力の実態が改めて浮き彫りになった格好だ。
それにしても、なぜ2年も前の事件が今になって表面化したのか。
背景にあるのは、大相撲で相次いでいる不祥事だ。角界では元横綱日馬富士(33)の傷害事件や立行司の式守伊之助(58=宮城野)のセクハラ行為が大騒動となったばかり。開催中の初場所(東京・両国国技館)でも8日目(21日)に十両大砂嵐(25=大嶽)の無免許運転疑惑が発覚し、またも騒動となった。次々と問題が発生したことで、世間の反応が敏感になっていることは間違いない。その流れに触発されて内部告発などが増えれば、今後も別の“新事実”が続々と公になる可能性もある。
実際、過去には刑事事件にまでならなくとも、暴力などの不法行為が原因で民事訴訟になった事例が数多く存在する。それこそ訴訟に至らなかったケースまで含めれば、その全体の数は想像もつかない。相撲界全体がスキャンダルの「無限連鎖」に突入しかねない状況だ。
そのとき、果たして相撲協会は対応しきれるのか。もはや大相撲は“崩壊”の危機に直面していると言っても、過言ではなさそうだ。
【八角理事長の理事任命責任は】
事件発生から元力士の有罪確定までは1年9か月かかったが、その間、師匠の春日野親方の立場も大きく変わった。春日野親方が不起訴になってから約1年後の2015年11月に当時の北の湖理事長が死去。翌月に八角親方(54=元横綱北勝海)が理事長に就任した。
年が明け、16年1月に春日野親方は相撲協会の理事に初当選し、同3月には八角理事長の再選に伴い、広報部長に就任した。元力士に東京地裁が有罪判決を下したのが同6月。つまり、八角理事長は春日野親方が元力士の案件を抱えているのを知りながら、執行部にとどめたことになる。
元力士が引退後の話で名義上は無関係になっているとはいえ、当事者と言っていい人物を執行部の要職に任命した八角理事長の責任を問う声が上がってもおかしくはない。理事長の指導力については、かねて対立する貴乃花親方(45=元横綱)が厳しく指摘してきたこともあり、初場所後に行われる理事候補選挙と新執行部発足にまで影響を与えそうだ。 
 
大人と若者の意識の乖離 2016

 

いま日本では、Facebookがやや大人の集まりで、若年層は、InstagramやTwitterなどに集まる傾向があると言われます(もちろん、LINEにも多くの若年層ユーザーが集まっていますが、こちらの場合は、SNSの「場」が、ややクローズドなメッセージングやグループであることが多いのでいったん考慮しないこととします)。
いつの時代も、どこの国でも、若者は大人からの干渉を嫌うものです(笑)。もちろん、私も若い頃はそうでした。そういう意味で、特に日本においては、大人の眼がたいへんにおおいFacebookは、自由に振舞いたい若者たちにとって、やや窮屈な場所になってきている部分があるのは否めません。
InstagramやTwitterなどが、そうした若者たちの受け皿となり、さまざまなハッシュタグ文化や、斬新なツィート文化を産み出す素地となっています。
また、関西発祥の「ミックスチャネル」のような、明らかに十代を対象にしたソーシャルネットワークも登場。
もはや、大人たちには、若者がなにをしているのか全く見えない、といった状況が現出しつつあります。
このような「大人」と「若者」の場の分離が、少し気になる意識の乖離を産むようなケースもあるようです。
少し前のことですが、とても人気のあるYouTuber、マックスむらい氏が、同じく「切り込み隊長」として絶大な知名度を誇る、やまもといちろう氏にさまざまな疑惑を追及されるという件がありました。ここではその詳細には触れませんが、むらい氏は、やまもと氏に対する反論を、ご自分の支持層が多く集まるYoutubeの動画上で展開。それに対し、主としてむらい氏のファンと思われる多くの若年層から情熱的な応援コメントが寄せられたのですが、そこで「やまもといちろう、って誰だ?」という反応が実に多かったのが印象的でした。
いっぽう、やまもと氏の主たる発言場所は、ご自分のBlogや各種オピニオンサイトへの寄稿、それと連動したTwitterやFacebookのエントリーなどです。そこでは、逆に、「大人たち」が、社会常識や社会倫理に照らしたむらい氏批判の論調を展開しています。
Youtubeと、Facebook&Twitterで、両者まったく噛み合わない非難合戦が、決して交わることなく、はるか彼方の平行線をたどっているだけなのです。
また、つい最近話題になっている、中高生専用のSNSアプリ「ゴル・スタ」(ゴール・スタート)。ユーザーがついうっかり運営批判をすると、一方的に事務局から「垢BAN」(アカウント凍結のこと)されてしまい、復帰には反省文の提出が必要、という、これまでの常識を超えたかなりアグレッシブなSNS運営がなされているということです。
運営母体は、もともと学習塾をやっていた企業体で、かなりの教育的配慮を込めた強気の運営、ということらしいのですが、これがFacebookやTwitterの大人たちの間に知れ渡り、ネタとして拡散しつつあります。
大人たちは、(運営規約上)「ゴル・スタ」へは入りたくても入れません。よって、当事者としてではなく、あくまで第三者、傍観者として上記のような運営のあやうさをあげつらいます。おそらく、実際にサービスを利用している中高生の思いとは、かなり乖離している部分もあるのではないでしょうか。
ソーシャルメディアがすっかり一般化し、人々のコミュニケーションの場として、ニーズ別・世代別に細分化されてきました。そのこと自体は望ましいことだと思うのですが、これまで見えていたはずのものが見えなくなる、ことに対する多少の戸惑いも感じます。
もちろん、ソーシャルメディアをマーケティング利用する企業にとっても同じこと。私たちは、これまで以上に注意深く、見えない部分に対するアンテナを張っていかないといけないのかもしれません。 
 
”理系・文系”を巡る話題はなぜ文化の議論に繋がらないのか 2017

 

前のコラム”理科系と文化”で、わが国で日常的に使われている”理科系・文科系”という言葉や区分は、C.P.スノーが”二つの文化と科学革命”で議論した自然科学系と人文系に分類される専門家のグループに原則的に対応していることを説明した。だが、気になるのは、そうした対応があるということよりむしろ、理科系・文科系といった言葉が、得意科目を指し示すことに留まり、社会的つながりをもつ議論に広がっていく気配が一向に見えないことである。かつて、”文理融合”といった話題はあったが、いつしか立ち消えたようだ。 また、理系・文系の壁という言葉が一時マスコミで話題になったこともある。しかし、我が国で、理系・文系や“二つの文化”をめぐる議論が社会的に広がったとは思えない。何故、広がっていかないのだろう。明確な結論をだすのは簡単でなさそうだとは云え、科学技術が、私たちの外部世界にあるモノのみならず、心理的な面への繋がりを強めている今日、今まで見過ごされてきた、人間に関わるこうした、云わば、掴みどころのない問題にどう答えるかが、大切に課題になってきたと思うのである。
しかし残念なことに、わが国ではこうした問題は、往々に「西欧とは歴史が違うからネ」、といった結論になりやすい。これは、「私たちには、歴史は変えられないんだ」、という思考停止の正当化の危険を孕んでいる。 以下では、考えを進める手がかりとして、まず、スノーが”二つの文化と科学革命“で云う文化とは何かについて整理し、その後、理系・文系を巡る話題が文化の議論に繋がっていかないワケは、西欧との歴史の違いにあるのではなく、西欧で使われている言語を日本語に翻訳する過程に内在する不確定性にある、という可能性を指摘したい。
前回述べたように、物理研究者を経て、作家や行政官などを経験したスノーは、物理学などの科学研究者の文化と文学に造詣の深い知識人達が持っているそれぞれの文化を表すため、”二つの文化”という言葉を創った。そして著書の中で、英国最高レベルの知識人たちと云えども、自らのグループに属していない人達が云っていることが分からず、その結果、最高レベルの知識人たちのグループの間は乖離し、互いの無理解や相互不信があると指摘した。スノー自身、文学者たちから古典文学についての見識を試された経験から、そうした文化人達の態度に反感を抱き、文学者の集まりで、”熱力学第二法則とはどんなことか”、と聞いたりしている。こうしたやり取りは一見暴露記事のような印象を与えるが、それは話の余興である。真意は、20世紀の科学技術の進展によって、最高の知識人たちといえども、英国の文化はもはや一つではなく、互いに共通するものを持たない、理解不能な(少なくとも)二つの文化に分かれてしまった、という近代社会の深刻な事態にある。今から大よそ80年程前の話である。細分化が進んだ今日、二つの文化という区分に異論があるとしても、二つの文化を象徴的に文系、理系と捉えれば、今日の我が国でも十分通用する話ではないだろうか。
   図1.将来の夢は?
ところで、スノーは、自然科学者および人文系の知識人それぞれのグループの人達が持っている文化を“二つの文化”と名付けたが、文化そのものはどう捉えていたのだろう。スノーによれば、Cultureには、彼の”二つの文化”に適用できるような二つの異なる意味があるという。第一の意味は、「知的な発展・形成」、あるいは「精神の発達・形成」という辞書的なものである。この定義は抽象的でアイマイさがあって、内容を把握しにくい。そのためスノーは、Cultureの第一の実質的な意味を”教養(Cultivation)”とする妥当性を力説している。ここで、教養とは、人間性を特徴づける性質ないし能力と定義される。つまり、人間が持つ最も貴重な性質で、人間らしい能力は、自然に対する好奇心および記号を用いて思想を表現することであり、これこそが教養、すなわち文化であると云うのである。この説明は十分説得的と思うけれど、念のため、Cultureの原義に相当するCultivationの意味は、”耕す”こと、つまり“作物を造るために耕作する”という意味であること、さらにそこから”精神の耕作”が含意されることも付け加えておきたい。
第二の意味は人類学の観点によっている。ここで、文化は、ある時期一定の地域に住んでいた民族や一群の人たちに共通する生活上の習慣や様式を表すために用いられる。例えば、弥生文化とか文化遺産がこれに該当するだろう。だが、スノーは、この定義における地域性を拡張し、社会における固有の集団にも援用して“二つの文化”という言葉を創ったと云っている。この集団は、特定の地域に住む人ではなく、科学者や人文的知識人といった職業的区分による集まりを対象にしたものである。実際、そうした二つのグループは、それぞれの内部で共通する行動の態度や方法を持ち、文化として存在していると見做せる。それぞれの文化は、自分たちの時代、環境、教育の影響を受けて育まれたのである。
   図2.Cultureと翻訳(意味)の対応; 実線の円の内部がCultureのカテゴリーを表す。破線内部がCultureに対する生活様式・習慣、教養、耕作など異なった訳(意味、使用例(1))を与えるが、Cultureの適切な訳(1)は実線内のみで、Cultureの訳として実線の外部は全て不適切になる。
スノーが”二つの文化”で考えた文化は以上のように整理できるだろう。文化の第二の意味、つまり、本来の人類学的な意味の文化は地域性を持ち、そのため生活に密着した身近さが感じられるせいか、わが国でも自然に受け入れられている。 実際、各地で行われる古墳など様々な文化財の調査や発掘作業の話題からそれは伺うことができる。だが、第一の意味の文化、つまり、最も人間らしい性質や能力とされる、自然に対する好奇心や思想を記号によって表現するという教養の方についてはどうだろう。筆者にはその受け止め方に何か非常な違いを感じる。云い換えると、この第一、第二の文化の意味に対する受け止め方の違いが、我が国の理系・文系という区分やそれぞれの文化との近さといった問題に関係していると思うのである。だがここでは、そうした分析をする前に、その前提にある言語の問題、特に翻訳における意味の問題に着目したい。
一般に、翻訳とはある言語の表現を“等価な”別な言語表現に移し変えることと考えられるが、そのような翻訳があるというのは自明なことではない。私たちは今日簡単に、海外の作品にも先人の素晴らしい翻訳によって接することが出来るため、すぐれた翻訳が“正しい”あるいは“等価”な翻訳と思い込みがちである。だが、以下議論するように、正しいあるいは等価な翻訳は存在しないかも知れないのである。
文化という単語は、近代を迎えたわが国が、西欧から短期間に大量に入ってきた外来語に漢字を充てて作った翻訳語で、哲学、芸術、理性、感性、科学、物理、文学などの一つである。上述したような問題を分析する場合、文化、自然科学、理科、文学などの語やそれを含むテキストを用いて議論することになるが、それらの語やテキストの意味は定まらなければならないのは当然だろう。スノーの”二つの文化と科学革命“の翻訳では、原語のCultureは文化、またScienceは科学と訳されている。この訳に違和感を持つ人は少ないだろうが、言語学の方面では、ある言語表現されたテキストに対し、一般に、それに”等価な“翻訳の表現は一つに定まらないと云う主張がいろいろ議論されている。ここでは、そうした主張を翻訳不確定性と呼ぶことにしよう。翻訳の対象は一般に単語に限らずテキストや作品などにおよぶが、以下では、単語を例に、翻訳不確定性の要点を英語-日本語の翻訳から簡単に説明しよう。
異なる言語の間で、それぞれの単語の意味が食い違う例として良く知られるのは色彩の問題である。旅行中、空港でPick Upを約束していたオレンジ色の車はいくら待っても来なかった、といった逸話がある。これはオレンジ色と米国人が呼ぶ色を日本人は茶色にしか見えなかったことが誤解を生んだワケである。物理的に同じ色(波長帯)であっても、言語が異なる人の間では、一般には同一の色ではなく別の色を意味する言葉に対応させていると考えられるのである。
言語間には、こうした色彩感覚に関するズレのほか、広く認識に関わった食い違いがある。例えば、果物という言葉に含まれる食物の種類は、国によって(ウリなどのように)一部が野菜と見なされるから、果物という言葉のカテゴリーは言語によってズレが起こる。
言語間の意味が食い違う同様な例は動詞にも及ぶ。というより、基本的な動詞はほとんどそうである。例えば、meetについて辞書を引くと、出会う、出迎える、などのほか、見合う、戦う等いくつもの意味が出てくる。それ自体、英語のmeetという単語にぴったり対応する日本語の単語はないということを示唆している。また、大きな辞書にはより多くの意味が出てくるが、この多義性により、より多くの事物が適切に翻訳できることになるが、同時に、意味が食い違った不適切な翻訳が作られる危険も増えることは見逃せない(図2参照;実線の外部にある不適切な訳(意味)の領域が増大する!)。
翻訳の不確定性とは上の例のように、原語(英語)を日本語に翻訳する際に生じる非同義性、つまり原語と翻訳両者の語の表すカテゴリーのズレや不一致、さらにまた一つの原語のテキストに複数の翻訳が生じることである。これは、スノーが問題にした二つの文化の間の乖離や相互相反とは異なる、複数言語間の翻訳で広く生じる非常に一般的な問題である。こうした言語論的観点から、表題のような課題にアプローチすることは今までにない試みと思われる。
例えば、「科学は文化か」といった、Culture、Scienceなどの単語から構成される命題を考える場合、それらの原語(単語)に多義性があれば、その翻訳は不確定になる可能性が生じる。それは、翻訳語使用者に、原語でなされる世界認識に歪みや濁りを与え、正しい理解に至ることを困難にする。とはいえ、翻訳が定まらないということが意味する内容を理解するのそう易しくないと思われる。以下、英語を例に少し考えてみよう。英語のWaterが日本語で水と訳されることは誰でも知っている。H2O分子の液体に対して、日本語では”水”のほか”湯”という単語で区別するが、英語には湯を表す単語が存在しない。つまり、同じH2Oに対して、英語と日本語で指示するカテゴリーが食い違っていることになる。日本語の水には冷たいということが暗に含まれるのに対して、英語のWaterにはそのような制約はなく温度的に中立といわれる。だから、湯に対して、形容詞をつけ Hot Waterという英語の表現が使える。だが、こうした食い違いを一応理解できたとしても、それは表層のものだ。日本人ならだれでも分かる”ぬるま湯”のような感覚をWaterと結びつけて理解したり、また逆に英語使用者が、日本語では”熱い水”(Hot Water)という表現が語義矛盾をふくんだ表現だということを了解できるようになるのは難しいだろう。その難しさは、それぞれの言語(原語)によって獲得した正しい知識という信念が揺るがされるからと云えるのかも知れない。
特に、私たちの問題では、Culture(文化)についてスノーが云う二つの意味を認める時、多義性による不定性に加え、Culture(文化)の第一の意味、すなわち教養としての文化の意味を把握すること自体、教養教育が崩壊したわが国ではほとんど期待できないから、それが文化という語を含むテキストの翻訳不定性を増幅していることは想像に難くない。結論をまとめれば、以上の議論が、「理系・文系を巡る話題が文化の議論になぜ繋がらないのか」という問題のみならず、「わが国では、科学は文化になっていないのではないか」といった議論が繰り返されること、云い換えればえれば、「“我が国では、科学は文化になっていない”と思われていること」の基底をなしているのでないか、と括ることができる。
ここまで翻訳に伴ういわば負の面を議論してきたが、急いで、翻訳には創造的な機能を伴っていることを付け加えておきたい。
先ず、翻訳とは日本語と外国語との間に限られるものではなく、大変に広い表現活動に関与していることに注意しておこう。計算機言語のような人工的言語にも翻訳の問題はおよぶが、さらに、日本語同士でも、異なる言語の翻訳は関わっている。その中に、理系の人が研究上使う理系の言語と日常生活で使われる言語の二種の言語がある。荒っぽい説明だが、スノーが”二つの文化”で指摘したように、理系と文系の間は異なる言語の壁で隔てられているのである。しかし、翻訳はこうしたステレオタイプな見方を超える可能性がある。特に、理系の人にとっては、異なる言語間の“同等な”翻訳とは何かも重要だが、翻訳が言語の理解可能性をもたらす創造的行為であることは、データからの理論構築に共通した面を持ち、大きな示唆を与えると思うからである。 
 
「MeToo」VS.「ドヌーブ」があぶりだした米仏の「深い乖離」

 

米ハリウッドの大物プロデューサーのセクハラ問題を契機に、米国では「MeToo(私も)」運動が広がっているが、この運動に水を差すように、女優のカトリーヌ・ドヌーブをはじめ芸術家、編集者、ジャーナリストなど約100人の女性が、仏『ルモンド』紙に「しつこい誘いや不器用な口説きを、性犯罪と同一視するのは間違い」と公開書簡を発表した(抄訳は後掲)。これに対して欧米では賛否両論が沸き起こり、文化論争となっている。
「行き過ぎ」の声をあげたドヌーブ
この書簡に署名した女性は100人を超え、カトリーヌ・ミレー(作家)、サラー・シーシュ(作家、心理療養士)、ペギー・サストル(ジャーナリスト)、キャシー・アリウ(キュレーター)、グロリア・フリードマン(アーティスト)、ブリジット・ラーエ(ラジオ司会者で元ポルノ女優)ら、社会的に知られた名前が並ぶ。しかし何といっても、あのドヌーブが加わっていることが注目を引いた。
公開書簡は、米国でのゴールデン・グローブ賞授賞式(1月7日)の2日後に掲載された。同授賞式では「MeToo」運動や、性的暴力に沈黙している時間はもう過ぎたという「Time's Up」運動への連帯が事実上のテーマとなり、女優、俳優らがセクハラへの抗議を表すため、飾り気のない黒いドレスや服で参加。登壇する人たちのほとんどが、スピーチや謝辞でセクハラ問題に触れた。
だが、公開書簡を単に「MeToo」や「Time's Up」運動への対抗として出された、と見るのは間違いだ。名を連ねた女性たちも、女性の地位向上、労働条件の男女平等などは強く支持している。ただフランスではここ数年、フェミニズム運動が行き過ぎているとして、女性の間からも批判の声が起きていた。
公開書簡でも触れられているが、過度に性を強調した絵の展示や、性暴力の映画を上映したりすることに反対する声は、米国のみならず欧州各国で起きている。2014年には、ドイツのエッセンの美術館が予定していた仏画家、故バルテュスが撮った若い女性の写真の展示を取り下げた。昨年12月には、米ニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されていたバルテュスの少女の絵が、過度に少女の性を煽っているとして撤去するよう求める1万5000人以上の署名が集まった。同美術館は撤去を拒否したが、潔癖さを徹底させようとするフェミニズム運動に対し、敏感にならざるを得ない社会状況が生まれている。
一枚岩ではないフェミニズム運動
「MeToo」や「Time's Up」の運動は以上のような流れの延長線にある、というのが公開書簡に名を連ねた女性たちの言い分だ。では彼女らは、「MeToo」や「Time's Up」の運動の問題点はどこにあると考えているのか。
1つは、セクハラも、ちょっと行き過ぎた口説きも一緒くたにして告発していくというやり方である。職業の上下関係の中で性的暴力を振るうのは論外だが、男女問題は基本的に個人間の事柄で、口説きに応じたくなければ「ノン(嫌)」とハッキリ言えばすむことだ、と公開書簡の女性たちは言う。
2つ目は、「MeToo」や「Time's Up」の運動は、女性たちに「犠牲者」「弱者」を演じさせることで、結果的に女性の自立を妨げていると見る。
3つ目に、米国のピューリタニズムの厳格主義や潔癖主義に潜む危険性だ。17世紀に「汚れたヨーロッパと決別して神の国を造る」と、新大陸に渡って米国を建国した清教徒(ピューリタン)たちの精神は、いまも脈々と生き続け、男性と性の問題を敵視する「MeToo」や「Time's Up」の運動もその一形態と捉える。
この公開書簡に対しての賛否両論が各国で起きている。米国などでは「女性に対する裏切り」との見方が多い一方で、欧州大陸では理解を示す論調も少なくない。『南ドイツ新聞』は「『MeToo』運動が男性に対する女性の結束した運動でないことを示した点で重要だ」と書いた。
興味深いのは、英『BBC』の「世代間の対立」という見方だ。これによると、公開書簡に名を連ねた女性の多くが1968年の学生革命による「性の解放」を些かなりともかじった世代で、彼女らにとって「MeToo」運動は「性の解放」に対する脅威と映る。一方、「MeToo」運動を推進する若年世代は、セクハラに対する闘いを女性の権利獲得をめぐる"最後の戦場"と位置付けているという。いかにも米国と欧州大陸の中間に位置する英国らしい視点だ。
ただ公開書簡が投じた一石は、大きな波紋を今後に起こしたように思われる。フェミニズム運動が決して一枚岩ではないことを示すと共に、「女性はどうあるべきか」「男性とどういう関係性を持つか」という点において、女性の間でも利害の細分化が進行していることを見せつけたからだ。もはや女性vs.男性という対立軸だけでは、フェミニズム運動は見えなくなっている。
ボーボワールの違和感
ただし、米国の「MeToo」運動にフランスから異議申し立てが行われた、という事実は押さえておかねばならない。なぜフランスだったのかを考えた時、恐らく米国の男女の在り方に最も違和感を抱いてきたのがフランスだったから、と言ってもいいからだ。
フランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーボワールは戦後間もない1947年1月から5月までの4カ月間、米国を旅行した。その滞在日記『アメリカその日その日』(新潮社)には、フランス女性から見た米国の男女関係に対する違和感が率直に綴られている。
「あらゆる場合にその独立を烈しく要求し、その男性に対する態度が何かといえば攻撃的に出る女性たちが、にも拘わらず、彼女たちは男性の為に着飾っている。彼女たちの歩行を妨げる靴のかかと、あやうい羽根......、すべてこうした装身具は明らかに自分たちの女らしさを強調し、男性の視線を引き付けるべく用意された装飾品だ。実際のところ、ヨーロッパ女性のお化粧はこれほど屈辱的ではない。......私はアメリカの女性の化粧が猛烈に女らしく、殆ど性的といえる特徴を帯びているのにびっくりした」
ある時、ボーボワールは誘われて、米国人女性2人と、彼女らの1人のアパートで夕食を一緒にする。男のいない女たちだけでの食事は、ボーボワールにとって初めてのことだった。米女性2人は未婚であることを誇らしく公言しながらも、1人は無聊をかこち、もう1人は夫が欲しいと率直に語った。
「マルティーニ酒や立派なご馳走があるにも拘わらず、皆堪えがたいある欠けているもののなかに浸っていた」
「実際のところ、アメリカの女性たちが男性と対等で穏やかな関係にないことは、この2人の要求と挑戦的な態度がそれを示していた」
米国では男女関係が常に不安定な緊張状態にある、と見たボーボワール。この『アメリカその日その日』が米国で発売されると、米国の女性の間に憤激を巻き起こした。米国の女性作家メアリー・マッカーシーは「マドモワゼル・ガリバーの米国旅行記」と皮肉り、こう書いた。
「マドモアゼル・ガリバーは宇宙船のような飛行機からトンボ眼鏡をつけて降り立ち、少女のように氷砂糖を舐めて、この物質文明に大喜びした」
男女問題での認識をめぐっては、米仏の乖離はかくも深いのである。
仏『ルモンド』紙(2018年1月9日)公開書簡(抄訳)
強姦は犯罪である。しかし、しつこい誘いや不器用な口説きは犯罪ではない。
米ハリウッドのプロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン氏の出来事以降、特に職業の上下関係の中で特定の男性が権力をかさに着て、女性に性的暴力を働いていることに厳しい認識が持たれるようになった。これは必要なことだった。しかし今日、言葉の自由は本来と違った方向に向かっている。(「MeToo=私も」運動は)自由に語るように勧め、(運動に)怒っている人間には黙るよう言い、そしてそれに従わない人間に対しては裏切り者や共犯者のように見なしている。
まさにここにピューリタニズムの特性がある。女性擁護や女性解放という美名の下、「男性支配における永遠なる犠牲者」という偶像に女性を繋ぎ止めようとしている。
「MeToo」運動はメディアやSNSを通じて告発キャンペーンとなり、個人を公の場で断罪するようになった。断罪された男性たちは釈明や自己弁護する機会を些かも与えられず、性的暴力を振るった者たちと同列に置かれた。
この即席の裁きはすでに犠牲者を出しており、職場で処分を受けたり、退職を余儀なくされたりしている。では彼らが何をやったのかというと、ヒザを触ったとか、キスをしようとしたとか、仕事の話をしている夕食の最中に"親密"なことを話したとか、女性に性的なことをにおわすメッセージを送った、というだけのことだ。
"(性的に問題のある)ブタ"をギロチンにかけるべしというこの熱病は、女性の自立を手助けするどころか、性の自由の敵や、宗教的急進派、強硬反動派、さらに女性は守られるべき特別の存在であると考える人間たちに奉仕している。
一方、男性はと言うと、その古くさい考えや、数十年前に犯したかもしれない"逸脱行為"を理由に悔い改めるよう求められている。公の場での告発、私的空間に闖入する自称検事たちと、全体主義とも言える雰囲気が社会を覆っている。
ピューリタニズムの波はとどまるところを知らない。エゴン・シーレ(オーストリアの画家)の裸体画のパンフレットが非難されたかと思うと、バルテュス(フランスの画家)は幼児性愛者だからと、その絵を外すよう美術館が要求されている。人間とその作品を混同する中にあって、映画監督ロマン・ポランスキーを回顧する映画の上映を禁止するよう要望も出された。ある大学教授は、ミケランジェロ・アントニオーニ(イタリアの映画監督)の映画『Blow-Up(邦題=欲望)』を"女性蔑視"で受け入れられないと断罪した。この修正主義的風潮にあってジョン・フォード(米映画監督)やニコラ・プッサン(バロック時代の仏画家)さえも墓の中で心穏やかではないだろう。
ドイツ哲学者は芸術的創造に感情を傷つける自由は不可欠だと語った。同様に、私たちは性の自由に迷惑をかける自由は不可欠なものとして擁護する。今日、私たちは性的欲求がその本質において攻撃的で粗野なものであることを知っているが、同様に不器用な口説きを性的暴力と混同すべきでないことも十分承知している。
人間は単純な存在ではない。女性は職場においてチームを率いると同時に、同じ日に男性の性的対象となって享楽を楽しむこともできる。女性は自分の給与が男性と同等であるよう気をつけるが、メトロで痴漢に遭ったからといって心理的に威圧されては絶対いけない。痴漢は性的貧困の一表現である。
男性のパワハラは別にして、私たちは男性と性に憎しみを抱いてはいない。性的関係を持とうという口説きに対してノンと言う自由は、口説く自由なくしてはあり得ない、と私たちは思う。そしてこの口説く自由に対して、私たちは被害者の役割に閉じこもるのではなく、違ったやり方で対応しなければならない。
私たちの中には娘を持つ女性がいるが、娘たちが(性の問題に関して)心理的に威圧されたり、罪を感じたりすることがなく人生を謳歌できるよう、いろいろなことを教え、自覚を持たせていくことが賢明だと思っている。女性の体にかかわる事故は、事実としてしんどいことかもしれないが、必ずしも尊厳を踏みにじるものではないし、犠牲者として耐え続ける必要はない。なぜなら私たちは体だけに単純化できないからである。私たちの内心の自由は不可侵だ。そして私たちが享受するこの内心の自由とはリスクと責任がつきものなのだ。 
 
顧客中心主義時代の成功に不可欠な「企業文化」を醸成せよ 2017

 

POINT
○ 企業と顧客のあらゆるタッチポイントでは、#必ず人間の感情が動いている
○ 企業のブランドに明確なパーソナリティが込められていると、「自分が望むものを提供してくれる存在」として信用され、選ばれる可能性が高い
○ 消費者の注目を得るひとつの方法は、お決まりのパターンや慣習を破り、ありふれた言い方をしないこと

ビジネスを成功に導く方策として、「顧客に寄りそった対応」の重要度が増している。企業幹部に課されるROI(投資回収率)を達成するための新たな軸として認識されるようになったのだ。顧客の声に耳を傾け、変化する市場状況と消費者の意図を理解し、利益を確保しながら迅速に顧客のニーズに合った対応を行う、それが顧客満足という間接的な価値だけでなく、顧客の獲得と維持という直接的なビジネス価値を生む、という考え方だ。
さらに、ビジネスを行う上で、顧客の利益を第一に考えない企業は、評判を損ねるリスクだけでなく、行政からの改善要求というプレッシャーにも直面することになる。
それでは、自社のブランドが顧客にとってのメリットとなるように、ポジティブな成果を継続的に上げていくにはどうしたらよいのだろうか。また、顧客の獲得と維持を達成していくには、どんなビジネス戦略が必要となるのか。
その答えとして、“企業文化”の効果が認識されるようになってきている。優れた顧客体験、イノベーション、責任あるリーダーシップ、継続的な成長には、「顧客中心の企業文化」がカギになる、という考えだ。先進的なブランド企業の多くでは、顧客戦略の核として積極的に企業文化の管理に取り組んでいる。この戦略は、業績だけでなく、企業成長の管理や不確実要素の軽減においても、明確な効果を生み出している。
顧客中心主義の意思決定による効果
単なる顧客重視というだけでなく、真の意味で顧客中心主義の企業文化が醸成されると、顧客の期待や市場動向に合致した経営判断が可能になる。一定の態度や行動規範を自社の文化理念として全社員に浸透させ、それによって業績を伸ばしていく会社では、組織に深く根ざした考え方が結果に現れる。
例えば、アマゾンCEOのジェフ ベゾス氏は、株主に向けた今年の書簡で、独自の「Day 1」「 Day 2」という考え方に言及している。Day 1 とは同社が起業した「初日」を意味する。対してDay 2は初日が過ぎ去ったことを意味する。「初心を忘れてしまうと、一夜明けた2日目にはあっという間に衰退が始まる」という、同氏の哲学を象徴する表現だ。
アマゾンがいかにして成長を続け、バリューを継続的に生み出す「Day 1の文化」を維持しているか。また、ピークを迎えたビジネスの慢心とコモディティ化(付加価値の喪失)によって衰退が始まる「Day 2」の到来から会社を守っているか、ベゾス氏は次のように語っている。
「Day 2とは、停滞である。停滞の次には、市場や顧客との乖離が発生する。その後に長く苦しい衰退が訪れ、ついには死に至る。ゆえに、(アマゾンは)常にDay 1であり続ける」
同氏の見方によると、顧客に尽くす文化こそが、Day 2の訪れを避ける最善の策だという。顧客は常に「より良いもの」を求めている。顧客中心の企業文化が根付いた会社では、新しい高付加価値のソリューションを考案する準備が常にできているのだ。
将来の顧客のニーズへと対応するために
デジタル変革や顧客体験の改革は、より効率的なカスタマージャーニー、簡素化、サービスコストの軽減などによる全体的な顧客体験の改善を主な目標としている。しかし、こうした顧客体験の改革においては、企業文化の転換を促すことも重要となる。つまり、顧客の「将来の意図」を理解し、いかに彼らの心を惹きつけることができるかを考える「文化」の形成だ。この努力を怠った企業は、業界内で取り残されることになる。業界他社の大部分がデジタル基盤の統合を完了させ、各社の顧客体験が顧客にとっての基準になるので、努力しなかった企業のブランド力は相対的に落ちるだろう。
将来的な伸びしろを見つけ、常に改善を続けていく企業は、時代に遅れを取ったり、時代が求める最低限の対応に四苦八苦したりする事態には陥らない。
企業文化に変革をもたらすリーダーシップ
顧客中心主義で市場に敏感な企業文化は、トップダウンのリーダーシップを通じて生まれる。変化の激しいビジネス環境において競争力を磨くにはどうしたらよいか、自社のすべての部門が素早く見極め、新しいバリューの創出を推進する環境を作れるかどうかは、経営トップの姿勢にかかっている。
企業変革のリーダーたちは、文化の転換を通じて、社員の積極的な参画と迅速な対応を促進してきた。リーダー一人ひとりのスタイルは違っても、経営トップのそうした姿勢は、強い目的意識に基づいた顧客中心主義の企業文化を醸成するために不可欠だ。
企業文化は、ビジネス戦略における抽象的な側面と考えられることが多いが、実際には主に社員行動とその結果を示すものだ。明確な目標に向かって社員が動く会社では、実に目覚ましいビジネス成果を出している。
顧客との関連性が高く、差別化されたブランド体験を迅速に提供できる企業づくりを行うには、幹部がこれまでとは異なる顧客中心主義の心構えを持つことが求められる。そして社員には、新しい役割、スキル、行動が求められる。
企業文化の管理と育成
しかし、自社の「顧客中心主義」具合がどんなレベルにあるのかは、どうしたらわかるのだろうか。
多くの企業とマーケターは、自社の現状を過大評価しがちだが、その評価を裏付ける具体的な根拠を持たない。実際、会社の自己評価と、顧客が実際に体験する現状との間には、乖離が見られることが多い。自社のパフォーマンスを計測しないことには、マーケティングと顧客中心主義をバックアップしてもらうだけの根拠を示したり、指導を行ったりすることはできない。
さいわい、グローバルデータベースを利用し、CMOら経営幹部が自社のレベルをベンチマーク比較できる検証ツールが存在する。MRI(Market Responsiveness Index)と呼ばれるものだ。
MRIは、市場に対する企業の反応性を示す指標であり、マーケティングを含む自社の各部門の評価、および全社的な評価に役立つ。MRIは具体的で計測可能なベースラインを提供するため、ここから顧客文化を強化するためのアクションを見極め、顧客維持、顧客支援(アドボカシー)、継続的な増収につなげていくことができる。
市場の変化にうまく適応するには、社内的な連携を強化すること、自社の理念を組織の末端まで行き渡らせること、協力体制を推奨することが不可欠となる。多くの企業では、こうした変革をどう促進するかが課題になっている。「変革を成し遂げればそれだけの見返りがある」という証拠がないと、組織は動き出さないことが多い。
顧客中心主義における自社のパフォーマンスを計測すると、他社と比較した場合の現状がわかり、どの部分で変革が必要なのか明らかになる。また、変革イニシアチブが社員に求める行動規範は、優れた「顧客アウトカム(顧客への影響度評価)」とビジネス上の成果につながるということを、すべての関係者に知らしめることができる。
ミレニアム世代の有能人材の確保
有能な人材は、勤め先を選ぶにあたり、企業の価値観やブランドの評判、顧客対応のあり方を見るようになってきている。顧客に尽くし、純粋に顧客のためになりたいと努力している企業は、有能な人材にとって最も望ましい職場環境を提供する、という認識が進んでいるのだ。これは特に、今非常に需要が高いデジタルスキルを有した“ミレニアル世代”(2000年以降に成人した世代)に顕著な傾向だ。
また、スキルが高く熱心な人材の獲得競争は、市場の変化につれてより熾烈になり、「良ブランド」と「最優良ブランド」のギャップはますます広がっていく可能性が高い。顧客と社員の両方の期待に応えるような顧客中心主義文化を積極的に形成していく努力は、「いつの日も、Day 1であり続ける」ことにほかならない。
現在そして未来において、企業がどのように顧客の生活に貢献していくのか。マーケティングと顧客体験のリーダーは、自社のエネルギーをこの点に集中させていく責務を負っている。変革リーダーたちが、顧客中心主義の根底にある主意を強調し、積極的な舵取りを行う会社では、サステナブル(持続可能)な成長について経営陣が考え方を見直し、顧客の利益を第一に考える文化を醸成していくことができるだろう。 
 
イタリアデザイン「実質と看板の間に大きな乖離」 2015

 

「かつてのようなプロダクトデザインの世界は、今やなくなった。新しい製品ではなく、流れている製品の改良が延々と続く。そのプロセスの一部に組み込まれ、時間給で働くのがデザイナーになった。弁護士や歯医者と同じようなポジションだ」
こう語るのはフランチェスコ・トラブッコさん。巨匠マルコ・ザヌーゾのスタジオでキャリアをスタートさせ、その後、家電などのデザインを手がける一方、ミラノ工科大学で長年に渡り教壇にも立ってきた。イタリアデザインの黄金時代を築いたマエストロが次々とこの世を去るなか、その時代を直接見てきた証言者である。
「ミラノでも大きなデザイン事務所は、大企業をクライアントにした戦略デザインをメインとするところばかりだ。ウェブやグラフィックもやるが、プロダクトには手を出さない。やっているところは、大企業を数社、固定クライアントとしてもっているところだ」と、スターデザイナーが動向を左右した時代の終焉を強調する。
イタリアデザインで強みとしてきた家具や雑貨の世界は「実質と看板の間に大いに乖離がある」とバッサリときる。「外からみるようにはお金が回っていない」と判断する。「80年代に騒がれたデザインも、美術館かアンティークショップに行くものばかり」と。逆にいえば、イタリアデザインが実際の市場以上に大きく見せてきた手腕はたいしたものだ、ということになる。
ミラノデザインウィークにみるような家具や雑貨のプロトタイプの飽和状態は、ロイヤリティという仕組みと大きな関係にあるのでは?と質問する。
「関係があると思う。プロジェクトベースに企業がデザイナーに一括したお金を保証しない、成功報酬にも近いロイヤリティシステムは、企業家が十分にリスクをとっていると思えない」と手厳しい。
イタリアの家具や雑貨のデザインが国外からも高い評価を受けるようになったのは1950年代あたりからだが、デザイナーへの報酬はロイヤリティという路線が確立してきた。年間販売数をベースに、一定のパーセンテージの金額が支払われる。メーカーにも資金的な余裕がなかったという理由もある。メーカーの若手経営者と若いデザイナーが意気投合して夢を一緒にみた、という側面もある。
まともな契約書などないままにプロジェクトをスタートするのは当たり前だった。そのために作品が大ヒットしたが、その知名度ほどには報酬を受け取れなかった、と不満はもつ巨匠は少なくない。
しかしながら家電や自動車など規模の大きいメーカーの製品をデザインする場合は、ロイヤリティではなく「プロジェクトあたりいくら」という契約をすることが主流であった。だからトラブッコさんのように、家電系統のクライアントをメインに仕事をしてきたデザイナーは、家具や雑貨の世界の仕組みに批判的になることがあるのだ。
その傾向は外国のデザインに対するコメントでも窺える。
「デンマークやフィンランドのデザインをみても、時計の針が止まったようだ。彼らが注目されるのはソーシャルデザインという文脈である」
トリノのジュージャロ−デザインやピニンファリーナも、カーデザインとともにプロダクトデザインをビジネスとしてきたが、「素晴らしい車の世界を作ったが、プロダクトでは目を引くものはあまりない」と、ここでも点数は厳しい。
ぼくは彼の話を聞きながら、こうでも言わないと「夢見る」デザイン学部の学生は覚醒しない、との認識が強いからではないかと考えた。そういう言い方に彼は馴れている。
以前、トラブッコさんはデザインを学ぶ学生に向かって「君たちは生産ラインで働く工員になるのだ」と、刺激的な表現を使っていた。このエピソードを話すと、「まあ、知的生産に励む工員という位置かな」とコメント。
例外的なこまかい話もたくさんあるが、ものすごく大きい流れはトラブッコさんの描くような姿になる。大企業の経営陣と丁々発止のやりとりをするか、小さいサイズの職人的なデザインに励むか、それがビジネスとして成立するかどうかは別として、デザイナーが向かう道になりやすい。中間のモデルが少ない。
しかし、ほんとうに中間がなくて良いのだろうか? 
 
バラ色の携帯電話の未来、グローバル・スタンダードからの乖離 2007

 

有楽町のビッグカメラの入り口で、ロッキーの最終巻のDVD販売キャンペーンをしていたが、こっちの方は店員が声を枯らしても客は一人も興味を示さず、同時に巨人軍優勝記念セールを盛り立てるため、優勝当日の東京ドーム球場でのヤクルトとの戦いのDVD録画を大型の薄型TVで放映しており、こちらの方は沢山の人だかり。やはり、巨人が優勝しないと日本は元気にならないのかも知れないと思いながら、しばらく見ていた。ところで、巨人優勝で、あっちこっちで、特別記念セールをやっているようだが、サブプライム問題もあるので、消費アップで経済効果をあげてもらいたい。何れにしろ、録画は、ブルーレイかHD DVDかは知らないが、シャープの素晴らしい画像を見ていると、昔、街頭で人が群れて見ていたカラー初期の画像を思い出して今昔の感に打たれた。
ところで、シルベスター・スタローンが一声を風靡したロッキーだが、もう何十年も前の映画だし、世代も代わっており、うず高く詰まれたDVDが売れるのかどうか気になった。最初の映画には、舞台がフィラデルフィア美術館の前のアプローチで、まっすぐに虹状に彩色された綺麗な道路の上を、ボクサーのスタローンが走っている姿が映っていたのを見て、懐かしかったのを覚えているが、何度見ても殆ど記憶は残っていない。
ビッグカメラの一階は、駅から東京フォーラムに抜ける時に、見物を兼ねて突き抜けるのだが、入り口には、携帯電話コーナーがあって何時も賑わっている。この建物は、以前は、そごう百貨店の店舗だったが、潰れる直前は閑古鳥が鳴いていて実に哀れだった。オープン当時は、フランク永井が「有楽町で逢いましょう」と歌ったくらいで、大変な人気スポットだったが、ビッグカメラで人気だけは取り戻した。
この携帯電話であるが、今日、CEATECで、ドコモとKDDIの副社長が立って、素晴らしい携帯電話の未来をぶち上げる基調講演を行っていた。私は、携帯を使わない天然記念物のような人間なので、語る資格はないが、要するに、今の携帯は、電話機能以外に、パソコン、ゲーム、音楽プレイヤー、カメラ、felica様のクレジットカード等々便利な機能を満載した複合機で、ユビキタス、ウイキノミクス、フラット社会の典型的な文明の利器と言うことであろう。一番近い印象は、動くパソコンと言った感じである。二人の講演を聞いていて、パソコン会社やその関連会社、コンシューマー・エレクトロニクス会社などの社長が言っているのと全く同じことを語り、同じ方向に研究開発も含めて事業展開しているような気がした。
ところが、この携帯電話が、今まで、電話会社が奨励金をメーカーに払っていて、ユーザーに安く提供していたのを、奨励金を止めるので高くなるらしい。1円とかロハと言うのは論外としても、2万円のものが6万円になるのはどうであろうか。本来、コモディティであって安くないと意味のない機械なのだが、あれだけ複雑な機能を持ち、コンピューターチップの塊のようなPC以上の性能を持つ製品なのだから安い筈がない。と言って、何時までも、普及のために機器の価格を安くして、逆に、電話料金を高くしてコストを回収すると言う日本的な方法は、グローバルには通用しない筈である。しかし、日本メーカーが製造コストに見合った価格で売り出せば、サムソンを筆頭とした外国メーカーに完全にやられてしまう心配がある。何しろ、日本メーカーの世界的シェアは異常に低くて競争にならない。
日本メーカーの弱点は、ドコモのスタンダードがどうと言う前に、日本国内市場が大きくて恵まれすぎていて、ノキアやサムソンのように自国市場が小さくて最初から海外市場を相手に戦略を打たざるを得ないメーカーとでは、グローバル市場での戦いの決着はとっくについている。その国内市場で、多くのメーカーが寡占状態で乱戦模様であるから、技術は進化するが利益基調にはならない。まして、先進国は飽和状態で、今後の需要がBRIC'sを筆頭に発展途上国だと言うから、安くて簡素なローエンド型のイノベーション製品を要求されるのであるから、技術水準で進みすぎた日本メーカーのターゲット市場になり難い。1億台にも普及して行き渡ってしまった日本での競争は、市場の食い合い以外になく、価格が上がればどうして日本企業は生き延びて行くのか。熾烈な業界再編成など暗い未来が待っているが、何時までたっても、グローバル戦略を打って経営できない日本企業の悲劇は続く。
日本が一番グローバル化に遅れているとドラッカーがいみじくも言ったが、どのメーカーも日本市場第一で製品を開発製造していて、真っ先に、グローバル市場を相手に戦略を打つべきを怠っていることが問題なのである。巨大な日本市場が、多くの日本製造業のグローバル市場では足枷になっている現実から早く脱却する必要があると言うことである。 
 
マクドナルド机上の再建策 現場の実態とは大きな乖離 2015

 

業績悪化に苦しむ日本マクドナルドホールディングスが、経営再建策として「ビジネスリカバリープラン」を発表した。
まず手掛けるのは、既存店のリニューアル。約3000ある店舗のうち、今後4年間で2000店を改装する計画だ。
同時に不採算の131店を閉鎖し、本部社員100人を対象に早期退職を実施する方針。地区本部制も導入し、全国を3エリアに分けてマーケティングなどの権限を委譲する考えも打ち出している。
2015年度、フランチャイズを含めた全店売上高は前年度比14.4%減の3820億円、最終損益は380億円の最終赤字を見込む。それをプランの実行により、18年度には売上高を4500億円に、最終損益も100億円の黒字にまで回復させるとしている。
こうしたプランについては、「やろうとしている方向性は間違っていない。店舗を改装してイメージを変える必要がある」(鮫島誠一郎・いちよし経済研究所主席研究員)、「地区本部制を導入して、消費者との距離感を縮めるという考えは正しい」(繁村京一郎・野村證券シニアアナリスト)といった具合におおむね評価されている。
ところが、関係者はこうした机上のプランと、実態とが懸け離れている点を懸念する。
「過去に見舞われた危機では、本部がガタついても店のオペレーションはしっかりしていた」(関係者)。それが今では、「売り上げ減に伴って店のスタッフ数も減らされており、オペレーションが混乱している」(社員)。
そのため、昨年に改装した東京都区部のある店舗は、「今も回復の兆しはなく全社の売上高の減少率と差はない」(改装済み店舗の店長)という。つまりカネを掛けて改装しても、効果は上がらなくなっているというのだ。
おまけに4月からは社員の給与体系も見直す。能力に応じて4段階に分けられた基本給の能力部分のうち、上から3番目と4番目と査定された社員は基本給が1〜4%カットとなるのだ。
会社側は、「評価が高い社員は上がるため、過半数の社員の基本給は上がる」と説明するが、これまで賞与が下がることはあっても、基本給が下がったことはなかった。
一方で14年度、サラ・カサノバ社長には1億円を超える報酬が支払われ、3月に退任した原田泳幸前会長にも退職慰労金など総額3億3900万円が支払われている。
今年度は6カ月間、役員報酬を10〜20%減額するとしているが、それより先に社員の給与をカットする姿勢は、「経営陣の責任を社員に押し付けているように映る」(関係者)。これではリカバリープランの主役ともいうべき現場のモチベーションは下がる一方。マクドナルドの再建は前途多難といえそうだ。 
 
カントの『永遠平和のために』で描かれた理想世界と現実世界との乖離

 

はじめに
哲学者のI・カントは実に多くの著作を残していますが、『永遠平和のために』(Zum ewigen Frieden, 1795)という、小著ながら、大きな影響をもった著作をあらわしています。その「大きな影響」とは、現在の国際連合の前身である国際連盟の設立にあたえた思想的影響のことです。
第一次世界大戦も終わった頃の1918年、アメリカの第28代大統領ウィルソンは「14か条の平和原則」を発表しました。この中の第14条で、彼は国際平和機構の設立を提唱し、これが国際連盟として実現したのです(ただし、アメリカは国際連盟の一員にはなりませんでした)。一般にいわれるところでは、この「14か条の平和原則」がカントの平和思想から大きな影響を受けている、とされるのです(註1)。第14条にくわえて、軍備の縮小を述べる第4条にも、カントの影響が見られるかもしれません。
今回は、この『永遠平和のために』をとりあげましょう。戦争肯定派が多かった当時のヨーロッパにおいては画期的なものだったようですが、一言でいうと、「カントの理念は素晴らしいが、現実は甘くない」ということになるでしょうか…。
『永遠平和のために』の第3予備条項
『永遠平和のために』は、主として、永遠平和を確立するための6つの条件をあげている第1章「予備条項」と、それを実現させるための3つの条件をあげている第2章「確定条項」から構成されています。
予備条項には、「常備軍の撤廃」という第3条項があります――「〈常備軍〉は、時が経つとともに全廃されるべきである」。というのは、「常備軍は、いつでも戦争を始めることができるという準備態勢によって、他の国々を絶えず戦争の脅威で脅かすから」です。また、常備軍の存在は、「互いに軍事力で優位に立とうとする国家間の野心を刺激し、果てしのない軍備拡張」をうながします。その結果、「増大する軍事費のため、平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷となる」という逆説的事態がひきおこされます。そうなると、「この重荷を解き放つために常備軍そのもの」が、「先制攻撃」「侵略戦争」の原因となります。このような論理で、「常備軍の撤廃」が主張されるのです。
それだけではありません。兵士となれば、敵を殺したり敵に殺されたりするわけですが、兵隊に雇われることは「人間をたんなる機械や道具として、他のもの(=国家)の手で使用すること」を含んでいます。カントは、こうした人間の使用は「われわれ自身の人格における人間性の権利と一致しえない」と考えます。彼の哲学には「人間を手段として使用してはならない」という根本的な主張があります。
『永遠平和のために』の第1確定条項
次に、第1確定条項ではこのように述べられています――「各国家における市民的体制は、共和的であるべきである」。それでは、「共和的」というのはどういうことでしょうか?
「共和的体制」とは、第1に「社会の成員の(人間としての)自由の諸原理」、第2に「すべての成員の(臣民としての)唯一で共同の立法への従属の諸原理」、第3に「すべての成員の(国家市民としての)平等の法則」、これら3つに基づいて設立される体制のことです。
ここで問題となるのは、カント自身も述べているように、「共和的体制が永遠平和へと導くことができる唯一の体制であるかどうか?」ということです。彼は、共和的体制は「永遠平和への展望をもつ体制である」と明言していますが、その理由は、以下のようなものです。
独裁的/君主的体制とは違って、共和的体制のもとでは、「戦争をすべきか否か」を決定するために、国家市民の賛同が求められます。この場合、当然のことながら、市民たちは「自分の身の上に降りかかる戦争のあらゆる災難」を引きうける決意をしなければなりません。ここで、カントはかなり楽観的に次のように推理します――「こうした割に合わない博打〔=戦争〕を始めることに対し、彼らがきわめて慎重になるのは、実に当然のことなのである」と。いいかえれば、「きわめて慎重になった」市民は開戦に同意しないだろう、と推測したのでしょう。
カントの現実認識
カントといえば、「理想を追い求めすぎる哲学者」「事実認識が甘い哲学者」という側面もあります――こういうと、カント研究者から反論がでそうですね(笑)。『永遠平和のために』の後に書かれた、『人倫の形而上学』(1979)の一節も引用しておきましょう。
このような諸民族の寄り合いからなる国家〔普遍的な諸国家の連合〕が、広い地域にわたってあまりにも拡大されると、それを統治し、ひいてはまた各成員を保護することは、ついに不可能とならざるをえず、こうして連合体を形づくる諸集団は、ふたたび戦争状態をひきおこすことになるので、永遠平和(全国際法の最終目標)は、当然のこととして、一個の実現不可能な理念にとどまることになる。(法論の第2部「公法」より)
実は、このあと「しかしながら…」と続き、自分の見解を披歴しています。私がここで指摘したいのは、カントはたんに理想的なことばかりを論じているのではなく、この引用に象徴されるように、ある種の事実(永遠平和の達成不可能性)もしっかり予想していた、ということです。日本が国際連名から脱退するときの松岡外務大臣の姿、現在の国連の現実の姿などと、カントの予想とがだぶります。
残念ながら、人類は「永遠平和」という理想を実現できていません。現在のところ、われわれ人類は、「永遠平和という理想」と「戦争・紛争・テロの絶えない現実」との狭間に生き続けているのです。
カントの理想と現実の「共和国」の姿
クレフェルトも述べているように、多くの先駆者や同時代の思想家たちとともに、カントは「戦争というものは王侯貴族が自分たちのためにするゲームにすぎない」と考えていました(第1確定条項、参照)。一般的にいうと、傷つき、苦しみ、死ぬのは庶民であり、王侯貴族ではなかった、ということです。クレフェルトによれば、王侯貴族は、1戦争中宮殿から出てこない、2戦場に向かったとしても、捕虜になれば解放宣誓書により釈放される、3出征中も財産は守られていた、などということがあるそうです。だとすれば、王侯貴族は戦争に対してそれほど恐怖をいだく必要はなくなります。これらが事実だとすれば、カントも述べているように、必要なことは次のことです。すなわち、君主制を廃止し、貴族の特権をなくし、主権在民の「共和国」の形態に国をつくり変えることです。これが実現できれば、戦争は亡くなる可能性がでてくるわけです。
しかし、事実はこうしたカントの理想とは異なりました。1789年の革命後のフランスは「共和国」になりましたが、これは彼が望んでいたものとは違うものとなりました。カントは「理念」「理想」としての共和国を念頭においていたのでしょうが、「現実」の共和国は好戦的な様相を呈しました。
1792年から93年にかけて、フランスは侵略の犠牲者だったかもしれません。けれども、クレフェルトによれば、その後「共和国〔フランス〕は銃剣を使って、世界各国に自由・平等・博愛を輸出していた」のです。さらに、ヴァンデ地方で王党派農民が反乱をおこすと、火を放ち、農民を虐殺し、その数およそ25万人(註2)と推定されるそうです。反乱を鎮圧すると、彼らは、ドイツ・スイス・イタリアなどを侵略しました。さらには、エジプトにまで遠征しました。くわえて、1799年にナポレオンが政権を握ると、戦争の規模はさらに拡大し、激しさも増しました。フランス革命から彼の失脚までの26年間、戦争が絶えることはなかったのです。
クレフェルトのカント批判
以上のような事実ならびに他の諸事実を挙げながら、クレフェルトは「共和主義が戦争を減らすのに役立つとは言えないだろう」と結論づけます。つまり、カントのいうことは間違っているということです。さらにクレフェルトによれば、皮肉なことに、戦争を減らすことに貢献したのは、ウィーン会議(註3)を主催したと同時に、保守主義者で絶対君主制を強く支持する、メッテルニヒだったのです。その後の政治体制を見ても、共和制の国々は戦争をしないというのは、事実に反しています。
クレフェルトは、「カントとその信奉者たちは、一般大衆がどの程度戦争に魅力を感じ、しばしば戦争を望み、戦争を求め、戦争を喜ぶか、こうしたことを過小評価していた」と論じています。「大衆が、戦争を何よりも刺激的だと思うこと」「いったん戦争が勃発すると、男たちはいずれも従軍しないことを恥と考えること」などを、カントは洞察しなかったということです。
エリートと一般大衆の利害が異なることはよくあることです。しかしながら、クレフェルトは次のように警鐘を鳴らしています。
しばしば、エリートと一般大衆の利害関係…が一致し、一つになり、不可分になることもある。軍旗が上がり、信仰あるいは祖国、あるいは国の名誉などが危険にさらされている肝心なときほど、そうなること〔戦争を求めること〕は強調しなければならない。
以上のような事柄は、共和制国家に住む人びとにも当てはまるのです。
おわりに
私は若いときに、カントの哲学に惹かれました。彼の見解が国際連盟/国際連合の理念にも生きていることは、素晴らしいことです。しかし、現実の世界は、彼の思うようにはなっていません。残念なことです。その一方で、『人倫の形而上学』から引用したように、彼は自分の議論の限界を充分に認識していたといえるかもしれません。
人類における「永遠平和」というのは、カントが構想したような理念的なものと、国連やNPO等による具体的活動のようなものとが両輪となって、その実現に近づけるようなものだと思います。理念ばかりの話だけでも、理念のない活動だけでも、「永遠平和」は実現できないような気がしてなりません。

(註1)しかし、これを厳密に論証するのは、なかなか困難かもしれません。
(註2)信じがたい数字ですが、引用の間違いではありません。
フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催された会議。
(註3)坂部恵『人類の知的遺産第43巻――カント』講談社、1979年。 
 
シャープは「文化」を克服できるか  2016/5

 

経営危機に陥っていたシャープは、台湾の鴻海精密工業の傘下で再生を目指すことになった。筆者は4月初頭から本紙で『傾国のシャープ液晶事業』と題した連載において、一時代を築いたシャープの液晶事業が液晶テレビ市場の急落をきっかけに傾き、巻き返しのための手を打ちながらも、ついには自主再建不能なところにまで追い込まれていった過程を追った。本稿では、連載のいわば補論として、シャープの凋落の背景にあったと考えられる「文化」の問題に焦点を当ててみたい。シャープ再建の成否は、まさにこの「文化」の克服にかかっていると考えられるからだ。
中国スマホ市場の敗退で窮地に
本題に入る前に、シャープが経営危機に陥ってから鴻海の傘下入りを決断するに至るまでの流れを振り返ってみよう。液晶テレビのリーディングカンパニーとして成長を遂げてきたシャープに大打撃を与えたのは、家電エコポイント制度の終了と地上デジタル放送への完全移行だった。これによって主戦場であった国内薄型テレビ市場は2010年の約2500万台から11年に約1980万台、12年に約645万台と急落。外販が弱く、自社テレビ用途に依存していたシャープの液晶事業は急激に悪化し、堺・亀山工場の操業休止に伴う操業損や在庫評価損などを加えて、11年度に3760億円の純損失を計上。続く12年度には液晶ラインの減損などが加わり、純損失は5453億円に悪化した。
この危機を受けて、シャープは堺工場を鴻海と合弁化するとともに、亀山工場をスマートフォン(スマホ)向けを中心とした中小型液晶生産に転換するという、事業構造シフトを図る。これが功を奏して、13年度は液晶事業で前年から約1800億円改善の営業利益415億円を達成。V字回復を遂げたかに思われた。が、14年度後半から再び業績が悪化。液晶ラインの減損などを計上して純損失2223億円に転落した。15年度も営業赤字に沈んだままで、ついには自主再建を断念して鴻海の傘下入りを決断するに至る。
一時は復活の兆しが見えたかに思われたシャープの液晶事業がどん底に突き落とされたのは、14年後半から成長が鈍化した中国スマホ市場での敗退が原因だ。経営状態が悪化して以降、設備投資を極端に抑制せざるを得なかったことがコスト競争力を減退させ、価格競争からの脱落につながった。また、米アップルのサプライヤーとしての地位がライバルのジャパンディスプレイ(JDI)や韓国LGと比べて劣り、iPhone向けを収益の支えにできずに中国スマホに過度に依存していたこともダメージを大きくした。
「変えるべき文化」の存在
アウトラインとしては上記のとおりである。しかし、シャープの経営危機を追っていくと、その根底にある「文化」が見え隠れする。シャープの「文化」というと、創業者の故早川徳次氏の言葉、「まねされる商品を作れ」に象徴される、世界初の商品を数多く生み出してきた先進性、オンリーワン志向が浮かぶ。しかし一方で、「負の文化」と呼ぶべきものも存在する。13年に就任した高橋興三社長は、シャープの再生のためには「けったいな文化」を変えなければならないと繰り返し述べていた。
「けったいな文化」とは何か。高橋社長は「これだ」と具体的に名指ししていたわけではないが、役員・上級管理職への二重敬称や形骸化した会議といった硬直化した企業風土を指していたようである。これから筆者が取り上げようとする「文化」が、高橋社長が是正しようとしていたものと一致するかどうかは確証がないが、恐らく高橋社長ら経営幹部は、この「文化」がシャープを経営危機に陥れた要因であることに気づいていた。そして、結局その是正は果たせなかったのである。
現実離れをもたらした経営と現場の乖離
「現場が情報を隠す」。シャープの企業風土について業界関係者やアナリストからはこうした声が聞かれる。不都合な情報を出そうとしないため、経営判断に著しく支障をきたす要因になっているというのである。
典型的な事例として筆者が想起したのは、15年2月に開催された液晶事業説明会における一幕である。この直前に発表された14年度第3四半期決算において、中国スマホ市場の悪化は表面化していた。そのため、この説明会においても出席した記者からは中国市場の状況についての質問が相次いだ。
液晶事業トップである方志教和専務(当時)は、中国市場の悪化は台湾のタッチパネルメーカー、ウィンテックが14年秋に破綻したことに伴うサプライチェーンの影響などによるものであり、顧客の在庫調整が済めば回復に向かうという認識を示した。ところが実際には、価格競争の敗退によって中国市場における収益基盤は崩壊しており、第4四半期に営業損失317億円を計上して14年度の利益のほとんどを喪失した。中国スマホ市場の落ち込みが一時的なものであるという見解は、現場からの情報に基づいたものだろう。当時、すでに市場の異変はたびたび報じられていたにもかかわらず、シャープの上層部は希望的観測に飛びついた。
これ以降、シャープの事業見通しは現実離れの度合いを深めていく。14年度決算発表では、液晶在庫評価損の計上と液晶ラインで減損処理を行ったことで収益性は改善したと説明し、15年度の回復を目指すとしていた。だが、液晶事業は営業赤字に沈んだままで回復の兆しが見えず、15年8月には他社との提携による切り離しを検討すると表明。秋以降には、液晶だけでなく全社的な支援の受け入れが必須の情勢となる。鴻海をスポンサーに選ぶ方針がほぼ固まった16年2月初頭の第3四半期決算発表段階では、液晶事業は通期300億円の営業損失を予想していた。だが、第1〜第3四半期に各100億円超の営業損失を出しているなかで、第4四半期に約70億円リカバーする計画は現実的だったのか。実際、鴻海と資本提携契約を締結するのと同時に、シャープは15年度通期決算の下方修正を発表している。本稿執筆時点では液晶の最終的な業績は公表されていないが、工場操業損や在庫評価損のさらなる計上が見込まれており、従来目標を大幅に下回ることは確実である。
シャープは経営危機に陥って以降、主力銀行の支援を受けており、業績目標を達成できなければ事業や拠点売却を迫られるというプレッシャー下にあった。そのため、経営陣が現場に無理な目標を強いたことは容易に想像できよう。だが、現場側も実態をひた隠しにして上層部に楽観的な情報を上げ、自ら達成不可能な目標を設定される下地を作っていたのではないか。それが設定された事業計画と実際の業績との乖離の拡大につながったと考えられる。
堺・亀山工場の「ハードランディング」
次に、さらに時を遡り、シャープ液晶事業の斜陽の始まりとも言うべき11年の「堺・亀山工場急停止事件」を取り上げよう。これは11年4月の上旬にシャープが突如として堺・亀山工場の稼働を停止し、5月半ばまで休止した事件である。稼働の一部調整ではなく全面停止で、工場に部材を供給しているサプライヤーにも直前まで告知がないなど極めて異例の事態だった。これによって11年度に計上した操業損は約258億円にのぼった。
なぜこのようなことになったのか。シャープは東日本大震災に伴う部材調達難が原因だと説明したが、業界関係者は否定的だ。実のところ、理由は液晶テレビ用の大型液晶在庫が積み上がったことにある。堺工場は10年7月に、それまでの好調な需要を背景に生産能力を倍増させたが、直後に液晶テレビ市場が急落。このため同年後半から11年頭にかけて減産に入っていたが、在庫の消化が追いつかなくなったのだ。
だが、市場の落ち込むスピードが想定以上だったとはいえ、1カ月以上にわたり工場を全面停止させるような「ハードランディング」を避けることはできなかったのか。しかも在庫調整はこれで終わりではなく、12年初頭には再度の減産実施を余儀なくされたのである。この一連の混乱でシャープが負ったダメージはあまりに大きかった。
当時はシャープ以外のテレビメーカーも軒並み業績不振に陥っており、日本の薄型テレビ市場の終焉とも言うべき転換点だった。しかし、それを踏まえてもシャープの判断には遅れが目立つ。堺工場の増産を決めた10年7月にはすでにテレビ市場の減退が始まっており、それまで市場を支えてきた家電エコポイント制度、地上デジタル放送への完全移行特需も終わりが見えてきていた。にもかかわらず、シャープは「駆け込み需要」の期待に固執してテレビ市場のさらなる縮小への対応が遅れた。先行き懸念があったのに増産を断行したこと、その後の戦略見直しを躊躇したことが重なって多大な損害をもたらしたのである。
先述したように、14年度には業績急落を受けて中小型液晶製造ラインの減損と在庫評価損の計上を実施している。続く15年度も亀山第2工場を中心に生産調整を余儀なくされているが、通期決算ではさらに在庫評価損が追加されるという。11年と同じく、ブレーキを踏むタイミングの遅れによる損失拡大を繰り返している。これでは「急停止事件」の教訓を活かせなかったと断じざるを得ない。
判断遅れを招いたもの
これまでの事例を見ると、特に市場の後退局面においてシャープが致命的な遅れを取っていることが分かる。その一因が先に述べた現場と経営の乖離にあるのは間違いないが、そもそもそれをもたらしているのは何だろうか。
ある業界関係者は、「シャープは意思決定ができない会社だ」と証言する。どういうことか。某工場で新たな設備の導入が検討された。導入することを決めたまでは良かったが、肝心のゴーサインが出ず、シャープ側に打診しても担当者間をたらい回しにされるばかりで要領を得ない。導入によって製品をスケジュールどおりに生産できるタイムリミットは迫っている。業を煮やした機器メーカーが警告を発して何とかギリギリで間に合わせたが、シャープの担当者はこれまで判断を先送りにしてきたことを棚上げにして当初スケジュールからの遅延は許さないと主張したという。
このエピソードから垣間見えるのは、各担当者が極端に意思決定を恐れ、生じたトラブルの責任を外部に帰そうとする社風である。そして残念なことに、自身に由来するトラブルではないのに高圧的に責任を押し付けられて閉口したという同様の事例は複数の関係者から聞くことができ、こういった話が常態化していたことが窺える。
このような雰囲気が蔓延した社内において「このままでは販売目標を達成できない」「工場の稼働を落とさないと在庫過剰になる」といった異常事態が観測された場合、担当者は速やかに軌道修正するよう意見具申ができるだろうか。発見者が異常の責任を取らされるかもしれない組織であれば、ほかの誰かが報告する、ないしは外部要因で問題が解消するのを期待して判断を先送りにする方が安全だと判断するだろう。かくして問題が発覚しないまま取り返しのつかない事態に発展する、というケースが繰り返されることになった。また、外部に責任を押し付けてトラブルを起こす悪癖は他社との関係を悪化させ、危機突入後の冷淡な反応を招いた。これらの地盤の揺らぎは業績悪化に拍車をかけ、ついにはシャープを再起不能にまで追いやったのである。
鴻海は「文化」を変えられるか
シャープの抜本的な立て直しには、この「負の文化」を変えることが必須だ。新たにシャープの舵取りを担うことになる鴻海にそれが可能だろうか。4月6日、堺工場を運営するシャープと鴻海の合弁会社、SDP会長の野村勝明氏が副社長執行役員、社長の桶谷大亥氏が常務執行役員としてシャープに入社した。桶谷氏は同時に液晶事業を所管するディスプレイデバイスカンパニー社長に就任し、SDPとの一体運営に向けた取り組みをスタートしたと見られる。両氏はもともとシャープの大型液晶事業の出身であり、その社内文化については熟知しているだろう。鴻海との合弁体制において、SDPを13年度から3年連続で営業黒字化した実績もある。
シャープの液晶技術は世界で初めて量産化したIGZOを代表に、依然として強いポテンシャルを持っている。硬直化し、能動的な活動を阻む社内文化を打破できれば、再生できる余地は十分にある。鴻海が新たに示す経営方針が注目される。 
 
禅は宗教か

 

禅は宗教ではない。私はそう言い続けてきました。
禅が宗教ではない、ということは、仏道は宗教ではない、ということです。しかし禅とか仏道という言葉にはどうしても宗教の概念が付きまとう。禅は宗教ではない、というところまでは何となく納得できても、仏道が宗教ではない、といわれると腑に落ちない、と感じる方々も多いのではないでしょうか。
なぜ禅は宗教ではないのか、なぜ仏道は宗教ではないのか、このことを明確にすると同時に、何故禅や仏道には宗教的な概念が付きまとうのか、ということについても考えてみたいと思います。
この議論をするにはまず「宗教とはなにか」というところから始めなければなりません。しかし宗教の定義は宗教学者の数ほどある、といわれるくらいです。ここではごく一般的な考えを代表すると思われる『広辞苑』の定義に従うことに致します。広辞苑によれば、
「(宗教とは)神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離された神聖なものに関する信仰、行事。またそれらの連関的体系。」ということになります。つまり「宗教」を成立させている基本要素は人間の力や自然の力を超えた存在をまず認めるということであり、宗教とはその超越的な存在に対する信仰やその信仰に基いた活動である、ということが出来ると思います。
それでは「禅」とは何か。いつも申し上げていますが、禅とは真の自己を体験的に発見し、発見された真の自己を人格化していく作業だといえます。端的にいえば「真の自己の追求と顕現」が禅の全てだと言って差し支えありません。禅の対象はあくまで「自己」であり、「自己」以外にないのです。自己を超えた超越的な存在をまず認めるところから始まる「宗教」と「禅」とは全く異なるものだということは明白だと思います。
それでは「仏道」はどうでしょうか。先月号の暁鐘巻頭でも申し上げましたが「仏」とか「仏道」というのは、発見された「真の自己」の呼び名なのです。発見された真の自己とはじつは全存在と一つものです。自己と全宇宙は本来一つの存在なのです。この発見された「真の自己」を、発見される前の自分と区別するために「仏」とか「仏道」という名前で呼んでいるのです。「仏」とはみなさんお一人お一人の別名だということを決して忘れないで頂きたいと思います。「仏」と「仏道」とをあえて区別するとすれば、「仏」が真の自己であるのに対し、「仏道」とはその真の自己が機能する姿である、といえるかもしれません。しかしいずれも真の自己の描写であることに変わりありません。
それでは何故、「禅」や「仏」や「仏道」が、世間一般では「宗教」もしくは「宗教の一部」とみなされてしまうのでしょうか。それは発見された「真の自己」が、それまで自己と思い込んでいた「錯覚の自己」、「現実の自己」とあまりに乖離しているからだと思います。全宇宙、全存在と自己とは全くの一つもの、というのはそれまで思い込んでいた自己とはあまりにかけ離れています。真の自己を発見していない人々、つまり全世界の大多数の人々から見れば、それは正に自分とは全く別の超越的存在のことを言っているとしか思えない、ということになるでしょう。正に宗教の領域に入ってしまうのです。
そして「仏道」と「宗教」が混同される最大の理由は「真の仏道」の普及を職業としているはずの方々、つまり寺院の僧侶、住職の大多数の方々が「仏」を超越的存在とみなし、その「仏」に対する信仰を説いておられるという現状にあると思われます。
結論を申せば、「真の自己」の明確な体験的発見があるか、ないかが「禅」や「仏道」が「宗教」となるか「宗教」から脱却するかの分かれ目になると思われます。宗教から脱却するということは、「信仰」から「存在の真実を追求し発見する」ことへの転換であり、「禅」と「自然科学」が限りなく近づくプロセスだとも言えます。その意味で、禅の非宗教化は三宝教団のミッションである、といってもよいと思います。
「坐禅をすればクリスチャン(キリスト教信者)の方々はよりよいクリスチャンになれる。モスリム(イスラム教徒)の方々はよりよいモスリムになれる。」という耕雲老師のお言葉は正にこのことを言っておられるのだと思うのです。 
 
宗教に対する寛容と宗教の多様性

 

前書き
20世紀も終わりに近付き、宗教の多元的共存(religious pluralism)は、信仰生活における大きな事実となっています。 19世紀に現れた多元的共存は、今世紀では、人間の権利と自由に対する、より広い課題の主要な項目のひとつとして発達しました。 そして宗教の自由は、どのような社会においても、人間の自由の全般的な状態を一番良く示すもののひとつです。
宗教の多様性が発達したのは、宗教の構造が国家の統制や情実から離れてからでした。 今度は、その多様性の出現が媒介力として機能し、さまざまな宗教集団が併存することを可能にする一方で、法の支配を確立できる非神政国家(ひしんせいこっか)ももたらしました。 開かれた社会での宗教は、敵意の理由や、誤解および不合理な憎悪の底意となるよりも、密接な対話、自身の精神的生命の理解、そして人間の存在の多様性に対する意識を向上させる機会になり得ます。
多元的共存の発達は、20世紀の後半に、コミュニケーションと輸送機関が向上するにつれ、加速しました。 前世紀に、キリスト教運動がアフリカ、アジア、中東の伝統的宗教文化に多様なキリスト教を伝えました。 第二次世界大戦以降、人々の西洋への大規模な移住は、ヨーロッパと北アメリカに、考え得るあらゆる形態の東洋宗教をもたらしました。 同時に電話、テレビ、パソコンは、それぞれ特定の文化の経験の知恵(精神的資源を含む)を、世界中の人々の家庭に運んでいます。 今日、宗教の自由を禁じる法律が課せられている数少ない場所を除いて、ロンドンからナイロビ、東京からリオデジャネイロに至る、あらゆる現代の中心市街地は、世界の宗教の重要な少数派共同体の発祥地となっています。
宗教の多元的共存の出現そのものによって、宗教の社会的役割に対して私たちが信じていたり、必要だと考えていた機能、特に国家の民族をまとめる役割の修正を強いられました。 国家は、文化や信仰において同じであることを求めるより、自由と良い生活に対する共通の欲求によって、容易に団結させることができます。 私たちは今日、国家は非神政的、多信仰的環境で存在する能力がかなりあることを見てきましたし、政府が宗教の統一性を(個人の自由に対して高い期待を持つようになった)民族に押し付けようとすると、社会の崩壊が起こる可能性があることを見てきました。
同時に、主に古い宗教共同体への参加の見方によって発展した、私たちの新宗教に対する態度は、特に西洋の宗教の既成組織が人々の信頼と忠誠の甚だしい衰退に直面するに伴い、大きな変化を経験しています。 一世代前、私たちは古い宗教を、時の試練を受けた、何世代にもわたって残る真実の保管物として考え、一方で新宗教ははかない出来事と考えていました。 後者は、カリスマ的人物の周囲に造られた小さく浅薄な個人的カルトで、創設者の死とともに滅びることを運命付けられているとして軽んじられました。 しかし、新宗教(バハーイ教から末日聖徒キリスト教会まで)が出現し、それらの創設者の死後も生き残っただけでなく、何百万人もの忠実な信者を引き付ける国際的宗教共同体になるにつれて、私たちはすべての民族が自然に続けて行く社会生活の一部として、革新的な宗教形態を生み出そうとする衝動を見て来ました。 人々は絶えず信心の新しい形態を生み出しており、忘れられた機構を蘇らせ、新たな生命を与え、精神的生活における個人の変化を発展させ、新しい宗教組織を設立しています。 これらの形態の多くは、より大きな宗教共同体内部における地域的変化形、再活性化運動、幾分目には見えない共同体儀式の私的な表現、競合するさらなるデノミネーション(宗派)と宗教集団として制度化されました。
次のエッセイで、定評ある新宗教学学部長のブライアン・ウィルソン氏は、寛容な社会の発展、それと相伴って現れた宗教の多様性の性質の、明確で簡潔な概要を提供しています。 西洋において多様性の出現は、神学的に見て、かつてキリスト教共同体で信奉された独自性の主張の再評価(および遺棄)を伴っており、その経過はおおむね、世界の宗教の認識が拡大することによって促されました。 キリスト教の内部では、神学論争を何世代も繰り返したことによって、数千のデノミネーションと、恐らくは果てしない種類の神学、組織形態、教会生活、礼拝と倫理的責任を生み出してきました。 キリスト教を異なる宗教共同体と比較すると、私たちはすぐに、キリスト教内部での神学と儀式形式の違いは、キリスト教と他の宗教共同体の思想、礼拝の違いとほぼ同じくらい大きいことがわかります。
また、ウィルソン氏が書いているように、そして一世代にわたる裁判審理が証明しているように、宗教の寛容に対する主な挑戦は、私たちが「宗教」という言葉の下に正しく置くことができる現象と、共同体に対する私たちの理解を拡張することなのです。 今日、ヒンズー教と仏教の集団を、外の暗闇へと葬る人はほとんどいないでしょう。 いくつかの新興宗教は、宗教として存在する権利を求めて戦う必要があります。 新しい無神論的な人間中心の信仰は、宗教が神や明かされた真実を認めなくても十分に存在でき、存在することを示しています。
最後に、ウィルソン氏は暗に、恐らくもうすでに私たちの近くに存在している多様性への無知それ自体が、寛容と宗教の自由が広がることを大きく妨げていると論じています。 私たちには、よく知られているものは評価し、異なっていると認識する実践に従って、理解できない内部論理を持つ人々をさげすむ傾向があります。 私たちは、他の信仰生活に共鳴や評価できる側面を見付けるエネルギーを費やすよりも、揶揄(やゆ)する方が簡単であるとわかります。
したがってこのエッセイは、アメリカ宗教学研究所によって、私たち皆を取り巻く宗教表現の世界初の指針となる地図として提供されます。 それは、古くから確立されている教会であれ、現代の新しい信仰であれ、以下の論議で言及されていなかったり、選ばれていない宗教であったとしても、私たちが異なる宗教集団や精神的共同体の性質を理解し始める際に、偏った判断を避けることのできる、非常に必要とされている機会を提供しています。
J. ゴードン・メルトン   アメリカ宗教研究所 所長   1995年5月
アメリカ宗教学研究所は、1969年に北アメリカにおける宗教集団や組織に関する研究施設として創設されました。 1990年代、新宗教における私たちの知識の統合に関する意見の一致が起こった時、それはヨーロッパ、アフリカ、アジアにその関心の領域を広げました。 カリフォルニア大学サンタバーバラ校のダビッドソン図書館のアメリカ宗教コレクションを支援し、異なる宗教団体と現象に関するさまざまな参考書籍と学術的研究論文を出版しました。
1 人権と宗教の自由
第二次世界大戦の終わり以来、宗教の自由に対するすべての人間の権利は、国連、ヨーロッパ会議を含むさまざまな国際的団体やヘルシンキ合意の中の決議で宣言されています。 政府は、あるセクト(分派)やデノミネーション(宗派)の宗教的実践が、通常の刑法と矛盾したり市民の権利を侵害しない限り、以前のあらゆる宗教弾圧の方針を遺棄するだけでなく、積極的に宗教の自由を保護するよう活動しなければならない責任があります。 しかし、特に宗教の定義に関する学術的な意見の一致が全くないと、その決議は宗教差別をすべて根絶する保証とはなりません。 政府がひとつ(またはそれ以上)の宗教を偏好することは、例えばヨーロッパのさまざまな国々で特定の宗教が法律により確立されているように、未だに残っています。 そのような偏好は、特定の宗教団体に、他の信仰に対しては与えない社会的特権、さらには政治的特権さえも与えるのはもちろん、経済的、特に財政上の便宜を与えるかもしれません。 そのような差別的な手段が公然(法律、慣習、あるいは先例によって)とは維持されていない所ですら、他の宗教団体よりもいくつかのタイプの宗教団体をより好む、政府あるいは社会の態度が広く存在するかもしれません。 特に、ある特定の宗教組織に対する疑念が、官界あるいは民間の中にあるかもしれません。特に、ある宗教集団の教えや実践が一般的に馴染みがない場合は、あまりにも知られていないため、官界あるいは民間意見によって、それは「本当は宗教的ではない」と考えられるかもしれません。 民間人、そして時には当局が、宗教はどのようなものであるのか、宗教の信者はどのように振舞うものなのかのステレオタイプをもたらします。 したがって、この恐らく、無意識に仮定されているモデルからあまりにもひどく乖離(かいり)している団体は、通常の宗教に対する寛容が及ぶ資格がないように見えるかもしれません。 彼らは実際、宗教として考えられるものの範疇の外側に落ちてしまったように見えるかもしれませんし、さらには法律に違反する形で運営されているという罪に直面しなければならないかもしれません。
2 現代の宗教の多様性
過去50年間で、西洋社会で宗教の多様性は著しく増加しました。 新しい宗教団体の数が劇的に増加し、いくつかの宗教団体は新たに西洋に輸入されたもので、それは主に東洋からでした。 より以前の宗教の多元的共存は、ほぼキリスト教内の変化に限られていましたが、それは拡張し、霊性の新たな概念と他の宗教的伝統から派生した新しい運動を含むようになりました。 これらさまざまな団体の方向性、教え、実践、組織形態は、元々あったか輸入されたかにかかわらず大きく異なっており、伝統的な教会あるいはセクトに対応する特性とはしばしば完全に異なっています。 しかし、ここではっきりとさせておきたいのですが、国際規模の団体から宗教の自由が求められたことと、新しい宗教運動が急増したことが同時発生したのは幸運でした。 国際機関の決議は、特にこれらの新宗教の寛容の問題に向けられているわけではありません。 むしろ、それらは主に共産主義社会における宗教の自由と関係があり、また宗教の多元的共存社会における、異なる主要宗教間の友好のためのものなのです。 西洋にそれほど多くの新しい精神的少数派が出現したのは偶然であり、国際機関によって是認された寛容の精神(それらは確かに寛容を受けるにふさわしいものですが)は、それほど容易にはそれらに及ぶものではありません。
3 キリスト教伝統における寛容
今日、寛容はキリスト教の権威筋によってしばしば説かれているものの、キリスト教の伝統は不寛容のひとつであることを思い出す必要があります。 現代の宗教の大部分とは異なり、キリスト教はパウロの時代から排他的な宗教であり、その信者たちが他の神を崇拝したり、異質な実践に従事することを禁じていました。 それはまた、普遍主義に向かう傾向のある宗教であり、それが全人類の唯一の真の宗教であることを宣言しています。 ユダヤ教もまた排他的ですが、ユダヤ民族ではない人には通常選択肢として利用できる宗教ではありませんでした。 対照的に、キリスト教はすべての人にとって唯一正当な宗教であると教えました。 それは人が自由に選択し、選択すべき任意の宗教でした。したがって、キリスト教はまた、改宗させる宗教でもあり、他の宗教はすべて邪悪であると人々に説得しようとし、そのように非難しました。
何世紀もの間、キリスト教会は、異教徒の改宗を主要な任務とし、他のすべての宗教の信者を異教徒に含めました。 異教徒は改宗されるべき一方、「真の信仰」を知っていたが、何らかの点で教会の教えに異議を唱えるようになった人々は、教会から破門されるだけでなく、死によって根絶されるべきでした(聖トーマス・アキナスの権威的な要求)。
キリスト教の、他のすべての宗教に対する不寛容は、宗教改革の時だけ和らげられ、その後は漸進的にしか和らげられませんでした。 中央ヨーロッパでの初期の寛容の表れは最初、1555年のアウグスブルグの和議に採用された原理「cuius regio, eius religio(領邦君主の国では、領邦君主の宗教)」に基づき、その臣下は統治者の信仰(カトリックまたはルター派)の採用を求められました。 カルヴァン派改革派教会に影響を受けたさまざまな領土では、不寛容は時折、後にカルヴァン派信者に及びましたが、いわゆる「急進的」改革のセクト、再洗礼派とフッター派、その後ソッチーニ派とユニテリアン派は迫害され続け、一方で無神論者はジョン・ロックのような啓発された哲学者たちによってさえ提示された寛容の理論に従っても、全く寛大には扱われませんでした。
「 そのような宗教的に多様な社会における、社会的分裂傾向に対抗する保障は、宗教的一致を主張する試みではなく、あらゆる宗教の教義と信条を超越する原理の確立を宗教に対する寛容に見出すことが期待されました。 」
最終的に、「オープンバイブル」と「万人祭司」によって信奉された原理が、伝統的キリスト教において大事にされてきた不寛容の性質の着実な減少につながりました。 イギリスにおいて一番目立つのは、1689年にウィリアムとメアリーの法律のもとで、非国教派が自分たちが好きなように礼拝をする限定的な権利を獲得したことです。 制限は存続し、後の200年間で徐々に緩められ最終的に撤廃されました。 ヨーロッパの統治階級は、社会的結合は宗教的一致の維持におおむね依存しているという理論を、徐々に放棄するようになりました。 合衆国では、その教訓はもっとあからさまに認識されました。宗教的に多様な人々(その中にはヨーロッパの宗教的迫害からの難民が多くいました)を受け入れなければならなかったからです。 そのような宗教的に多様な社会における、社会的分裂傾向に対抗する保障は、宗教的一致を主張する試みではなく、あらゆる宗教の教義と信条を超越する原理の確立を宗教に対する寛容に見出すことが期待されました。 古いヨーロッパの宗教弾圧の必要性の仮定とは対照的に、合衆国ではすでに、宗教的に多様になった人々の社会的結合にとって寛容の原則が不可欠だと認識されていました。 このように、アメリカにおいては、寛容と宗教の自由があらゆる宗教機構の上位の原則としてもたらされました。 統治する権威は、宗教を設立することはおろか、どの宗教に対する偏好も示してはならない非神政国家の創造が、宗教的権利の最初の保障となったのです。
4 宗教の定義における文化的有界性
寛容と非差別の原則が及ぶ宗教の範囲は、ほんの限られた数のキリスト教デノミネーションと、不公平にですがユダヤ人を含む、当初はかなり狭いものでした。 何が宗教を構成するのかの概念は、このユダヤ-キリスト教の歴史に関連する運動の多様性が前提になりました。 宗教それ自体はキリスト教と実質的に同義であるとして考えられ、宗教の専門家は自分自身が熱心なキリスト教徒である神学者でした。 何が宗教を構成するのかの定義を伝統的に提供したのは彼らであり、必然的に彼らの概念は専らキリスト教の用語からつくられました。 神学者による宗教の定義はおおむね学術的なものして見なされたかもしれませんが、他のより実際的な領域で、特に法廷において、時に非常に不当な結果をもたらすという影響がありました。 例えば、法的に採用された、偏狭で、文化的に縛られたばかげた宗教の定義の例は、1754年まで遡るイギリスの判例があります。当時、判事のハードウィック卿は、宗教は慈善対象であるが、ユダヤ教の教えはそうではないと判決し、ユダヤ教の教えのために遺言者によって残された基金は、代わりにキリスト教の教えの準備に充てられるべきだと判決しました。 その時の法廷にとって、「宗教」という言葉はユダヤ教を含んでいませんでした。それはキリスト教のことだけを表していました。
5 宗教の現代的定義
法と神学が共に規範的な規則であり、その結果、彼らが傾倒していた規範的視点の偏見は、彼らの定義や仮定を潤色しました。 現代の学問は、私たちの他の文化に対する知識を広げたため、「宗教」として適切に指定されるものは、信仰や、実践、制度上の規約に関係した多くの点で、キリスト教を特徴付けるものからしばしば乖離していることを認識するようになりました。 その結果、宗教のより包括的定義が探し求められ、他の社会は、キリスト教の概念とは異なるけれども、宗教的信条を信奉し、宗教的実践に従事し、宗教的制度を維持していると認識するひとつの定義に至りました。 数多くの経験的事例の知識が増加することにより、19世紀のまじめな学術的論評者さえも表明した、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒以外の民族は「宗教を持っていない」という憶説は不可能であるとされました。
6 倫理的に中立な定義
宗教そのものは常に規範となるものですが、個々の宗教が互いに異なるので、現代の宗教学の専門家(人類学者、社会学者ならびに比較宗教学者)は、自分たちが宗教に献身することなく規範を論議しようとします。 現代の学者は客観性と倫理的中立性を維持するようにします。 しかしながら、宗教学における完全な中立性の発展は、非常にゆっくりとしたものです。 現代の比較宗教学によるいくつかの研究は、未だ偏見を露呈しています。 公に価値判断ぬきの研究を行う社会科学においてでさえ、戦時に行われた研究の中には、偏見が明らかに存在しています。 特に、生物学的進化の過程に類似する宗教的進化の過程があり、最も進歩している国民の宗教は、必然的に他の国民の宗教よりも程度が「より高い」ということが、しばしば根拠なく当然のこととされてきました。 その憶説はキリスト教徒の学者にとって容易に受け入れられるものでした。 ある人々にとっては(特に顕著なのはジェームズ・フレーザー卿)、宗教は魔術から科学への途上にある進化の段階のひとつであると信じられていました。
今日、もはや学者たちは、ひとつの神への信仰は、いくつかの神の信仰や無神信仰よりある意味で優れた形態の宗教であるとは考えていません。 宗教が、擬人化された神、その他の形態の神、崇高な存在、多数の霊魂または先祖たち、普遍的原理または法則、あるいは「存在の根拠」のような究極的信仰の他の表現を仮定しているかもしれないということは認められています。 宗教概念が知的に洗練された文化や背景の中でより抽象的なものになる傾向があることは、そのような宗教が「より高度」であると示す根拠としては見られていません。
学者が異なる社会での宗教の経験的多様性を認識するにつれて、何が宗教を構成するのかという彼らの概念は、共有された同一性よりむしろ家族的類似性を持ち、現実の実体の同一性よりむしろ振舞いのパターンの類似性を現した現象をますます含蓄するように変える必要がありました。 宗教は、ある特定の伝統に特有な用語で定義することはできない、という認識が現れ始めました。 こうして、キリスト教に付属し、以前の段階では宗教の定義に不可欠だと考えられていた具体的な項目は、今や、定義が含むかもしれない、より一般的な範疇の例に過ぎないと見なされました。 そのような具体的要素の詳述に代わり、本質的には全く同じではないが機能的には同等であると考えることができる、さまざまなタイプの信仰、実践、制度を含む、より抽象的な記述が行われるようになりました。 一度そういった概念化が進展すると、どの社会にも知られている経験的実在を超越する信仰が存在し、人に超自然的なものとの接触や関係をもたらすように意図された実践の存在が認識されました。 この目的に関連した特別な機能を引き受ける人々もまた、ほとんどの社会に存在しました。 全体として、これらの要素は、信仰の本質、実践の性質、あるいは礼拝における職員の正式な地位にかかわらず、宗教を構成するものとして認識されるようになりました。
7 信仰と実践の内部的一貫性
他に理解されるようになったことは、宗教は内部で常に首尾一貫しているわけではないということでした。 比較的小さい、部族的な社会においてでさえ、往々にしてかなり複雑な儀式と神話が存在し、それらは、ひとつの首尾一貫した、内部的に統一性のある理路整然とした体系を構成してはいません。 宗教では、 社会が近隣の、 あるいは侵入してくる人々との接触を経験する時に、 変化を経験し、 神話と儀式の双方に成長が起こります。 異なる儀式と信仰が、異なる状況と切迫した事態に存在するかもしれません(例えば雨乞い、作物の豊穣と家畜や女性の多産の確保、保護の提供、同盟の強化、同年齢グループのための成人式など)。 そのような活動はすべて、 超自然的な力 (その定義がどうであれ) に向けられ、 学者によって宗教的であると認められます。  技術の進歩した社会における信仰ならびに宗教的実践の規定は、一般的に言って、比較的念入りに一本化されたものであり、優れた内的一貫性と安定性とを示すものであるが、このように発達した組織においてでさえ、多様性という要素は執拗につきまとうものです。 超自然的なものに関わる信仰の神学組織または図式化は、 国際的とされるどの優れた宗教においても、 完全につじつまの合うものではありません。 常に説明されていない残滓(ざんし)と、時に公然たる矛盾があります。 全体ではなくても大部分の社会では、一般の人々の中に民間宗教の要素のような、より以前の宗教的な姿勢が持続して存在します。 取って代わられた宗教体系は、しばしば取って代わった宗教体系の上にその堆積物を残します。 こうして、異教の儀式に特徴的だった、奉納したり神殿へ行列を組んだりする慣習は、ちょうど昔の中東のさまざまな神話が、模倣としてキリスト教の教えの中に取り入れられてキリスト教徒の行為に入り込みました。 ローマ時代においては、多神教の神々は少し変えられてキリスト教の聖人になり、より最近では、同様な過程がラテン・アメリカで起こりました。 これら民族宗教から持続している外来の要素は別にして、主要宗教すべてが所有する聖典はみな、内的矛盾と非統一性を露呈しています。 宗教の本質においては、しばしば曖昧さが存在します。宗教言語は、客観的に科学的であるとは言われていません。厳密に認知的であるよりもむしろ詩的であったり、映像や記憶を喚起したり、そして時には強い感情を喚起しようとします。 そういった言語は、文字通りにあるいは寓意的、比喩的、象徴的に受け取られ、しばしば異なった意味を充てられる可能性があり、さまざまな反応を生み出します。 これらの原因やその他の原因が、特に宗教専門家が宗教的意見を経験的証拠と調和させるように努めた時、反対の解釈方法、解釈原理を時に取り入れてきたこれらの学者の間に差異を生じさせ、時には正統派的信仰として広く認められているものの内部でさえ異なる伝統を育ててきました。 そうして、これらの問題は宗教の多様性のひとつの原因を成しています。その他の原因は、意図的な異議から起こります。
8 異議の発生
主流の伝統の内部における別個の学派の発展とは全く別に、先進国での、正統派信仰に対する意図的、意識的な異議はまた、めずらしい現象ではありません。 キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒は、正統派(すべての学派の)と、多数派でないグループ(幅広い宗教的実践様式に従い、逸脱した信条に賛成し、独自の制度を創造する)に分けられます。 異議は、宗教的排他性が広がっている状況では一番目に付きます。すなわち、そこでは、個人はもしひとつの宗教を信奉するなら、他のすべての宗教への忠誠を放棄することが求められます。キリスト教の伝統で厳しく要求される献身の様式です。 いくつかのヨーロッパの政府が、その臣民に特定の形態の宗教を規定するのをやめるにつれ、そして少なくとも形式的には、他の宗教よりある宗教に対する差別的な偏好でさえもある程度減じるにつれ、それらの国々の状況は合衆国で広がっている状況により似かよってきています。 このように、「宗教の多元的共存」と呼ばれている状況が出現してきました。 しかし、ある社会内部での宗教の公的平等、よく言われるところの法のもとの平等は、何らかの点でしばしば差別が持続するという事実を隠すべきではありません。 イギリスでは、さまざまな法律が、英国国教会の優越性を保護しており、それは法で確立された教会であり、その聖職でない長は君主です。 多くの英国国教会の司教が、上院議会において正当な一員であり、首相によって英国国教会議員の任命がなされます。他の優遇措置を示すもののひとつです。 その他のヨーロッパの国々では、さまざまな差別的な規約が、ひとつもしくは複数の伝統的な教会を、他の異議派集団や新しい宗教団体より優遇しています。 ヨーロッパでは一般的に、宗教的実践の自由がありますが、異なる宗教団体は未だに国家から差別的待遇を経験しており、大衆の疑念(宗教における馴染みのないものすべてに対する)を促進するように働く敵対的なマスメディアとしばしば戦わなければなりません。 そのような差別的扱いおよびそれに関連した敵意は、少なくともある程度、伝統的に「専門家」として宗教の定義とその性格を明示する人々の大部分が規範的献身を持続することから起こります。 どの社会にも、宗教的献身を規範的に示す宗教専門用語の遺産が存在します。 宗教の本質をめぐる初期の定義ならびに記述は、 往々にしてそれらを公式化した者が宗教伝統から借用した用語を使ったものです。 ひとつの宗教への固有な用語の使用は、他の宗教の記述を歪め、その特徴ならびに性質に関して誤った憶測を招きかねないという認識が社会科学者たちにはよくあります。 ひとつの文化および宗教伝統の中で進化してきた概念は、 他の宗教で機能的には対応していても、 形態的に独特である要素を正確に伝えることはないでしょう。 そのような不適切な適用例として、「ブッディスト・チャーチ(仏教教会)」とか「ムスリム・プリーストフッド(イスラム教祭司)」とか、あるいは三位一体を「キリスト教の神々」とする言及の仕方が挙げられます。 まさに「教会」と「司祭職」という用語が、強い特定の文化的、組織的な言外の意味を持ち、それらの使用の現れは多くの点で、他の宗教組織におけるそれらの機能的同等物とは似ていません。 それらを特徴付ける知的、イデオロギー的、道徳的、組織的な性質は、キリスト教の伝統に特有であり、これらの用語を使うことは他の宗教の混乱、誤解、誤った期待などにつながり、それ故に疑念、そして恐らくは敵意へとつながるに違いありません。
9 抽象的定義
もし複数の宗教が国家によって同等性を与えられるならば、宗教現象の多様性を包含する、抽象的な定義を用語として採用する必要があります。 そのような抽象的用語の使用は、どの宗教の伝統、先入観にも汚染されていないという意味で、「冷静客観的」と見なされるかもしれません。しかし、必然的に本質的性質すべてを捉らえることには失敗するでしょう。 抽象的用語の使用は、 信仰、 儀式、 象徴使用、 制度の認識的側面や感情的側面を説明し尽くすことはないでしょう。 この社会科学的な取り組みは、客観的な比較や分析、説明を可能にはするけれども、宗教が自らの信者のために、内包する意味や感情への訴えの実質をすべて伝えることはできませんし、伝えられ得るとも考えるべきではありません。
10 現代的定義の構成要素
すべて学者によって受け入れられてきた宗教の決定的な定義はありませんが、適切に抽象的な用語で述べられた多くの要素は、宗教の特徴として、しばしばさまざまな組み合わせで使用されています。 それらは、以下の事柄に関係する信仰、宗教実践、人間関係、ならびに機構/制度を含んでいます。
a) 超自然的な力、存在または目標
b) 人間の究極的な関心事
c) 聖なる事物(隔離されたもの、禁じられたもの)
d) 人間の運命を定める媒介者
e) 存在の根拠
f) 超越的知識または知恵の根源
g) 宗教的生活の集団的特性
宗教の持つ重要性ならびに機能は以下のように表される:
a) 集団もしくは個人の自己認識の付与
b) 方向付けの枠組み
c) 人間の力で構築された、意味の宇宙の創造の促進
d) 支援ならびに救済の望みに関する再保証と慰めの提供
e) 人間の和解と道徳的共同体の維持の達成
これらの特徴は一般的に学者によって、すべての宗教ではなくても、多くの宗教を特徴付けるものとして受け入れられるとはいえ、実際に安易な適用を許すにはあまりに大まか過ぎます。例えば、現代政府や司法が非常に多様で、今日西洋社会に信者を持っている数ある新しい、または新しく輸入された宗教のひとつか別のひとつに、適切な基準を当てはめようとした時です。 この結果、より洗練された属性の一覧が必要となるかもしれません。その一覧は範疇を含み、各々の範疇は、宗教の必要条件としてではなく、宗教の地位を主張するあらゆるグループに、経験的証拠の中でしばしば見付けられる特徴として提示されています。 これらの特徴は、こうして、私たちがすでに示したように、認識できる「家族的類似性」として考えることができます。 このように、各項目は、ある運動または考えの体系が宗教としての資格を持つために存在しなければならないと示唆されるものではなく、宗教に恐らくははっきりと現れているものとして見なされるべきです。  
 

 

11 確率的一覧
以下は、宗教と見なされる運動、組織あるいは教えの体系として恐らくは認めることができる項目の一覧です。 通常どの事例においても、これらの項目すべてが認められるわけではありませんが、特定の信仰と実践の集合体が宗教の地位を獲得するには、どの割合で項目が存在する必要があるのかを決定するでしょう。 宗教が生まれた非常に長い人間の歴史の期間を考えれば、その一覧は必然的に多様な傾向を反映します。一極端からもう一方の極端まで、非常に具体的な魔術的なものから、主要な宗教的関心事と本質の比較的抽象的で洗練された、または神秘的とも言える概念まで、多様な宗教的観念の洗練度が反映されています。 事例の性質上、また、熱心な信者たちの内部的多様性と多様な洗練度を考慮に入れたとしても、両種類の方向性を同程度に含んでいそうな宗教はありそうにありません。 故に、その確率的一覧のすべての項目を100%満たして宗教の資格に足り得る宗教がなさそうなことは明らかです。 宗教が恐らく持っているだろう特徴は以下の通りです。
(1) 通常の感覚的知覚作用を超越し、全く仮定的な精神的存在の理法さえも含む媒介者への信仰
(2) そのような媒介者は自然界や社会秩序に影響を及ぼすだけでなく、それに直接働きかけたり、またつくり出したかもしれない信仰
(3) 過去のある時点で、人間生活への超自然的な事象の介入が明らかに起こったという信仰
(4) 超自然的媒介者が、人間の歴史ならびに運命を監視してきたと見なす信仰。 これらの媒介者が擬人的に描写される時、特定の目的を持つ者と信じられるのが普通である
(5) 現世ならびに来世における人間の運命は、これらの超越的媒介者が設定し、あるいはそれへの主従関係に依存する、ということを保持する信仰
(6) 超越的媒介者が気まぐれに人間個人の運命を指図する一方、その個人は規定された通りに行動することによって、現世または来世、あるいは双方の世界における自己の体験に影響を及ぼすことができる(一定不変というわけではないが)と信じられる信仰
(7) 個人、集団あるいは代表者の実践のために規定された行動、すなわち儀式
(8) 個人または団体が、超自然的力の源に特別な支援を嘆願するという、和解的行動の要素が(高度に発達した宗教にさえ)持続すること
(9) 通常、その信仰の超自然的媒介者を象徴する表象の現存する場所において、信者によって帰依、感謝、従順、または服従の表現が捧げられるか、またある場合は信者に要求されること
(10) 特に超自然のものと同一視された言語や、対象物、場所、寺院、季節が神聖視され、それ自身が崇拝の対象となることもある
(11) 儀式や顕示、奉献の表現、祝い事、断食、集団懺悔(ざんげ)、巡礼などだけでなく、神格、予言者あるいは偉大な教師の地上での生活における再演や、記念日やエピソードなどが定期的に演出されること
(12) 礼拝や教えの顕示が、共同体や善意、交わりならびに同胞意識という人間関係を肌で感じさせる機会を与えること
(13) 道徳律がしばしば信者に義務として課せられること。それが言及する領域はさまざまではあるが、時には戒律的ならびに儀式的条件として表現されたり、時には不特定の高尚な倫理精神という形で提示されることもある
(14) 規範的に要求される目標への真剣さ、永続する確信、そして全生涯にわたる自己献身
(15) 信者は能力に従って、因果応報の道徳的取引が付随する利益または損失を累積するというもの。 行為と結果との間の厳密な関連は、所与の原因による自動的影響というものから、個人の損失は献身や儀式的行為、告白、悔い改め、あるいは超自然的媒介者の特別な執り成しによって帳消しにされるという信仰に至るまでさまざまである
(16) 普通は宗教職務担当者という特別な階級があって、神聖な事物、聖典ならびに場所の管理者として仕える。また教義、儀式ならびに教区の指導などの専門家の階級もある
(17) そのような専門家は普通、貢ぎ物として、あるいは特定の機能に対するお礼として、あるいは制度の俸給として、務めへの報酬を受ける
(18) 専門家が教義の体系に自らを没頭させる時、普通、宗教的知識がすべての問題に解決策を与え、人生の意味と目的が説明されるという主張がなされる。そしてしばしば、物理的宇宙ならびに人間心理学の起源や活動が説明される、ということも付随する
(19) 啓示や伝統に関する宗教的知識ならびに機構/制度の正当性が主張される。つまり革新とは大概復興として正当化される
(20) 教義が真理である、および儀式が効果を持つという主張は、目標とするものが究極的には超越であり、目標および達成のために推奨される任意の手段には信仰が要求されるので、経験を主眼としたテストの対象となることはない
12 歴史的な実体としての宗教
上述の一覧は、比較的抽象的な一般化の観点から列挙されているものですが、実際の宗教は、歴史的な実体であり、論理的に構築された体系ではありません。 それには、さまざまな歴史的出来事の中で規定された、大きく異なる組織化の原理、行動指針、信仰様式が含まれ、それぞれは、同じ広い宗教的伝統の中でも特有な、時には相入れない宗教性の考え方によって特徴付けられています。 ひとつの宗教の中に、異なる教義または儀式の実践の解釈が、洗練度の異なる信者たちによってしばしば同時に認められます。 信仰または礼拝において同一のものが、ある人によっては象徴的なものと見なされ、他の人からは本質的に強力なものであると見なされるかもしれませんが、いずれも宗教体系の中で順応します。矛盾した考えを他の考えと入れ替えることは、歴史的には概念や解釈の付加ほどは多くありませんでした。 信仰と礼拝を理解するさまざまな方法の融和が時とともに起こるかもしれませんが、それが起こるかどうかは、組織の型だけでなく、リーダーシップの権威と有効性にも依存しています。 そういった宗教的伝統内部の多様性は、主要な宗教的伝統と、時間とともに発展したその細分化との間にあるより大きな相違の状況を、さらに複雑にしています。 上記の一覧は、宗教的進化の結果に対応させるのに十分広範な基準(より字義通りで、明確で、魔術的なものでさえある要素に対応させるもの)を使おうとしています。その要素とは、洗練された抽象表現で、自らの信仰と活動を表現し、受け入れられた宗教組織の中でさえ特定のレベルで継続しているものです。 近年進化したいくつかの宗教は、他の宗教には残っている原始的な概念の影響をほとんどあるいは全く受けていないかもしれないため、その一覧(必然的に古代の宗教体系で主に見付かる項目が含まれ、また宗教の進化とともに残るとは限らない項目が含まれる)の基準を満たさなくなってしまっているものがいくつかあるかもしれません。 したがって、宗教的な思考と実践の歴史的、進化的性質は、宗教的な現象に含まれる、さまざまな形態を考慮した徴候を含めるために発表した一覧にある、すべての項目を等しく満たす宗教がほとんどないことを示唆しています。
13 多様性と一般化
したがって、多くの点で宗教に関する一般化は簡単ではないということになります。容易に「宗教」と呼べる現象は認識されるとはいえ、多くの点に関して、その種の中の数多くの標本間に少なからぬ多様性があるということを認めなければなりません。 宗教に関係する西洋人は通常、キリスト教伝統の偏見(多くは無意識でなされる)が除去されれば、実際、キリスト教の型を基とする宗教の必須条件と思われた多くの具体的項目を他の宗教で目にすることはありません。 ですから、上記の一覧では、崇高な存在者への言及は極力避けました。というのも、上座部という小乗仏教徒(そして多くの大乗仏教徒)にとって、この概念は何の効力をも持たないからです。 礼拝は、上記に言及されていますが、仏教徒にとって、キリスト教徒が持つその意味とは非常に異なった意味を持ちます。そしてキリスト教内でさえ、カトリック教徒、カルヴァン派、クリスチャン・サイエンス信者、エホバの証人のような異なるデノミネーションの中では礼拝についての理解には大きな多様性があります。 一覧は特に信条には言及していませんが、キリスト教の歴史において信条は特別な重要性があります。しかし多くの他の宗教ではその重要性はずっと低くなります。そこではしばしば、正統性より正しい信仰と実践がより重要となります。 正統派キリスト教において、それは中心的なものですが、魂についての言及はありません。この概念は正統派キリスト教徒には致命的なものですが、魂の教義がユダヤ教ではどちらかと言うと曖昧であり、ある種のキリスト教運動の間では明白に否定されているからです。例えばセブンスディ・アドベンティストとエホバの証人(この団体はそれぞれ世界中に何百万人という信者を持つ。また「mortalists(魂は不死ではないと考える人たち)」として知られるキリスト・アデルフィアン派、詩人ミルトンを含む清教徒も、これを明白に否定する)もいます。 一覧は地獄にも言及しておらず、それはユダヤ教に欠けているもうひとつの項目だからです。 来世という抽象的な概念が、キリスト教内部のふたつの異なる概念を調和させる単一または複数の方法として、魂の輪廻(reincarnation)そして復活というキリスト教のふたつの違った考えを満足させるよう言及されています。しかし、仏教徒やヒンズー教徒は少し違った形で、輪廻の教義を持っています。 このように、一覧は高度に抽象的な項目を示すようになっているだけでなく、宗教を構成するものに典型的な特徴を同定する、実用的な便宜をはかるようにもなっています。
14 宗教の多様性:仏教
仏教は、宗教とは必然的に一神教であるという、暗黙の憶説に異議を唱える宗教の主要な例として際立っています。 仏教は一神教の信仰体系ではなく、仏陀自身が救済者であるという考えに強く傾倒している、日本の浄土宗と浄土真宗のような仏教のセクトにおいてでさえ、仏陀を創造主の神だとは考えません。 仏教は概して、さまざまな神々の存在と活動を否定しません。それらは、いくつかの仏教のセクトにおいては、崇拝と慰撫(いぶ)の対象であるかもしれないとはいえ、それらは仏教の教えの中で明らかにされている物事の仕組みにおいて、本質的な役割は与えられておらず、全くのところ、人間のようにカルマ(業)と転生の法則に従っていると考えられています。 仏教の特徴を説明するために、西洋の学者によって一般的に最も古い伝統として考えられているスリランカ、ビルマ、タイ、カンボジアの仏教である、上座部仏教の教えの簡潔な概要は以下の通りです。
15 上座部仏教
仏教の関心事は物質宇宙というより人間です。 現象の世界は実体がなく、常に流転していると考えられます。 人間自身は物質世界と同様に一時的なものです。 彼は自己ではなく、自己を含まず、むしろ現象の塊であり、その身体ははかない物質的な世界の一部です。 人間は、連続的な精神的、肉体的現象の統合体であり、常に分解、崩壊しています。 彼は「理解する」5つの方法を創ります。つまり身体、知覚、認識、精神現象、そして意識です。 彼は成ることと死ぬことのサイクル 「samsara(サンサーラ、輪廻転生)」に従います。 彼の状態は苦しみのひとつであり、これがすべての存在を特徴付けます。 苦しみは欲望と快楽によって引き起こされ、そして苦しみから人を解放することが、仏教の教えの推進力です。 すべては誕生と死のサイクルに従います。 転生は階層的に考えられている異なる世界で起こると信じられており、通常、5つで表わされます。つまり神、人、霊、動物、地獄の中(そして時には6番目の悪魔)です。 これらの状態のうち、人間の状態は、たとえまだ程遠いとしても、最も容易に解脱が達成可能です。 動物は解脱に届くにはあまりにも鈍過ぎ、神々はあまりに傲慢です。
カルマの法則は、中立の、永続的な過程として働きます。それによって、過去の行為は、その後の人生に影響を引き起こす原因となります。 したがって、現在の存在で経験される状態は、過去の行為によって引き起こされたと見なされます。 カルマは完全には決定論的ではありませんが、特質、境遇、容姿はカルマによって決定されます。 同様に、行為は自由のままであり、行為と同様、動機もまたカルマに影響を与えます。 善行は未来の人生の見込みを改善すると考えられています。 しかし、未来の人生への転生は魂を信じることにはなりません。人は魂の連続性を持っているとは考えられていないからです。 各々の人生は次の転生への推進力です。 したがって、「条件付きの始まり」があり、人生は原因の鎖の環のようです。 ひとつの炎が、他の炎から火がつくように、それぞれの人生が、前の人生に条件付きで依存しています。
「 キリスト教の救済と永遠の罰の体系における中心的な項目として、神に対する違反である罪の考えも仏教には欠けています。 逆に、転生の苦痛の鎖からの究極的な解放に向かう健全な行為、あるいはそこから離れる不健全な行為があります。 」
キリスト教の救済と永遠の罰の体系における中心的な項目として、神に対する違反である罪の考えも仏教には欠けています。 逆に、転生の苦痛の鎖からの究極的な解放に向かう健全な行為、あるいはそこから離れる不健全な行為があります。 人間は、欲求(渇望)を通じて、繰り返す転生の仕組みの中に閉じ込められています。 快楽、欲望、喜び、愛着、達成したり破壊したりすることに対する渇望は、必ず苦痛という結果になります。 愛着と渇望からの解放は苦痛を終わらせます。 転生の鎖からの解放は渇望を断つこと、すなわち涅槃として達成され、そしてこれは悟りによってのみ達成することができます。 それを求めて精進する人は、いずれそれを達成するでしょうし、そして無知を追い払うでしょう。 完全な悟りは涅槃をもたらしますが、ひとりひとりが自分自身のために達成しなければなりません。 彼は指導によって助けられるかもしれませんが、それでも、自分自身でその道を歩いていかなければなりません。 正統なキリスト教の教えと対照的に、上座部仏教では、天部は信者のために介在することはできず、彼の救済の求めにも何ら援助を与えることもできず、また祈りによってもこの目標が達成されることはありません。 涅槃それ自体は、キリスト教徒によって時折表現されているような無ではなく、すべての熱情を消すことによって到達される、至福、不死、清浄、真実、そして永遠の平穏の状態と考えられています。 それは「無我」の実現です。
解脱の達成に向かう実践的努力は、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八正道を歩むことから成ります。 これらすべての指示は同時に追求されるべきものです。 これを行わないことは怠慢の罪を犯すことにはならず、ただ、啓発された自分の利益に沿って行動しないことです。 信者たちはまた十戒を守ることを誓わされます。人間を自我に縛りつける十の束縛を放棄し、禁止された不道徳な行為を放棄します。 しかし、道徳規範を単に維持することよりむしろ慈悲の実践に強調がおかれます。 宗教的実践全体の要点は、自我の迷いを克服することによって苦しみを克服することであり、こうして、輪廻転生を断ち切ることです。
他の古代の宗教のように、仏教はそれが根付いた地域の民間宗教から外的な残滓を受け取っています。古代の主要経典と、上座部仏教の国々における今日の仏教徒の実践の中に、数多くの外的な「残滓」を認めますが、そのひとつが神の存在という考えの容認です。 これらの存在は、信仰の必須の対象としても、何ら特別な役割を果たすとも見なされていませんし、仏教の救済論の中心主題の全く周辺的なものであり、実践的仏教が容認し調和させた他の宗教的伝統の残滓あるいは付着物としてのみ持続しています。
最後に、仏教には伝統的な教区組織がないことは特筆されるかもしれません。 僧侶には、牧師の義務はありません。 ここ数十年の間には、時折何人かの僧侶が教育の仕事を担ったり、社会福祉のために働いたりしましたが、彼らの伝統的関心事はいつも、専らでないにしても主として、自分たち自身の救済に関してであり、地域社会への奉仕や在家信者たちに対する世話人的なケアではありませんでした。 彼らは在家信者に、功徳を行う機会を、そして故に、良いカルマを創る機会を与えます。単に、自分たち各々が持ち運んでいる、清貧と依存を象徴する物乞いの鉢を満たすことで、僧侶に施しを与える機会を与えることによってです。
この上座部仏教の教えの概要は、この宗教とキリスト教の間のはっきりとした差異を明確にします。 創造主たる神はなく、故に、礼拝はキリスト教諸教会で広まっている礼拝とは全く異なった種類のものです。 原罪の概念はなく、個人的な救世主や神の介在の考えはありません。 意識が連続した不死の魂の概念は欠けており、涅槃あるいは終わりなき転生は、栄光や永遠の罰という伝統的キリスト教の考えとははっきりとした対照を成します。 肉体と精神の二元論はありません。 かなり重要なこととして、歴史の概念は、原初の幸福、人間の転落、神の身代わりの自己犠牲、世界的な黙示、最終的に救済された選ばれし者の天国の栄光への復活のような、キリスト教の体系に見られる直線状の変化から成るものではありません。 循環する転生の仕組みは、仏教徒の世界観の他の面に対する深淵な意味を持つ方向性であり、西洋の時間、進歩、仕事、物質的な達成の概念とは異なるもののひとつです。 宇宙の中の究極的な力として非個人的法則を考え、「真の宗教」はどのようなものであるのか、という西洋の伝統的先入観からも離れ、過去において無神論的な体系だと頻繁に非難され、それでもなお、仏教は今日世界的な宗教として認識されています。
16 宗教の多様性:ジャイナ教徒
何が宗教を構成するかの西洋の狭い概念に対する、実に急進的な異議がジャイナ教によって提供されます。インドの認められた宗教で、通常(普通は11の)大きな宗教のリストに含まれています。 それについてチャールズ ・ エリオットが書いています。 「ジャイナ教は無神論であり、 この無神論は、 謝罪や論争術の規則としてではなく、 自然の宗教的態度として受け入れられている。 」 しかし、ジャイナ教は、「devas(デーヴァズ)」、つまり神々の存在を否定しませんが、これらの存在は、人間と同様、転生と衰退の法則に従属すると見なされ、人間の運命を決定しません。 ジャイナ教徒は、魂が独自なもので無限であると信じている。 それらはひとつの万能の魂の一部ではない。 魂や物質は創造も破壊もされない。 救済は、魂を圧迫する外部の要素(カルマの要素)から魂の解放によって達成されることになっています。 これらの要素は個人の熱情の行為により魂に入り込むことを許されます。 そのような行為は動物の中あるいは無生物の中での転生をもたらします。 善行は神々の中の転生をもたらします。 怒り、 プライド、 虚偽、 貪欲さが魂の解放の主な障害であり、 これらに抵抗するか屈服することにおいて、 人間は自分の運命の主人です。 自己を抑制することによって、 生き物(有害な虫に対してさえも)に害を与えないことや、 禁欲的な生活を送ることによって、 人は神としての転生を達成するかもしれません。 敬虔な信者にとって道徳的な規則は、 見返りを期待することなく親切さを示すこと、 他人の幸福を喜ぶこと、 他人の苦悩を和らげるようにすること、 罪人に対して思いやりを示すことです。 禁欲は蓄積されたカルマを全滅させると信じられています。 ジャイナ教は禁欲的な倫理を含みますが、これはキリスト教の伝統の中で論じられたそれとは全く異なった種類の禁欲主義で、同時にもっと消極的で、もっと宿命論的です。
17 宗教の中の多様性:ヒンズー教
ヒンズー教は、その多様性の極端においては、西洋諸国の中で見られる一神教という宗教の基準を満たさないもうひとつの宗教です。 古典的な形で、ヒンズー教は二元的ではない汎神論の形態として表現されるかもしれません。そこではブラフマンがすべての生き物に内在する、絶対的ではあるが非個人的な神性、聖霊です。 ブラフマンは善悪を超越していると考えられます。 彼は創造者というより、そこからすべての物が発し、そこへすべての物が戻る普遍的な力です。 彼はすべての物に普遍的に現れているだけではなく、彼はすべてのものなのです。 解放された魂は、彼とひとつになり他には何も存在しないと理解します。 しかし、この形の神は、キリスト教の一神論に見られる神性の概念からは程遠いものです。 さらに、他の複数の神の表現は、お互いの間でひとつの神から別の神へと変化していっていますが、ヒンズー教の多神教の側面を表していることが同時にわかります。 ヒンズー教内部に、西洋の論理では内部矛盾していることになる、提案と主張に対する寛容性があるとすると、ヒンズー教は汎神教だとか、多神教だとかを特定して断言するのは不可能でしょう。それは明らかに両者なのです。 どちらの場合も、ヒンズー教は、一神教の体系であることの試験には通りません。その体系は、ユダヤ教-キリスト教-イスラム教の伝統だけに馴染みがある人から提出された、宗教はどのようなものかという先入観に基づく、創造者である神、二元的宇宙、その神に対する明示的な信仰の必要性を仮定するものです。
18 ヒンズー教:サーンキヤ派
ヒンズー教は大きな内部的多様性を持つ宗教です。 古代の6つの異なる哲学の学派が正統であると認められています。 これらのひとつ、サーンキヤ派は有神論でも汎神論でもない。 ジャイナ教のように、サーンキヤ派は根本的な事柄や個人の魂は創造されず、破壊できないと教える。 魂は、宇宙についての真実を知ることや、激しい感情の制御によって解放されることがある。 いくつかの教本の中で、サーンキヤ派は至高の神の存在を否定し、どのような場合でも神の概念は余計なものであり(カルマの働きが、解放を求めるべきことをその人自身で決定できるまで、その人の諸事を支配するため)、それ自体が矛盾したものと見なされます。 サーンキヤ派の4つの目標は、仏教のそれらと似ている。苦悩を知ること、そこから人は自分自身を解放しなくてはならない。痛みを止めること。苦悩の原因(魂と物体を識別し損なうこと)に気付くこと。解放、つまり知識を識別する手段を学ぶこと。 他の宗派のようにサーンキヤ派は輪廻の原則を教える。再生は人の行動の結末であり、救済は再生のサイクルから逃れることである。
「 他の宗派のようにサーンキヤ派は輪廻の原則を教えます。 再生は人の行動の結末であり、 救済は再生のサイクルから逃れることです。 」
サーンキヤは二元論の形態を含みます。 これは善と悪というキリスト教の二元論ではなく、魂と物質の本質的な違いである。 両方とも創造されない、無限に存在するものであり、 世界は物質の進化の所産である。 しかし魂は変化しない。 苦悩する魂は物質に捕らわれているが、この捕らわれているものが幻想である。 魂が物質世界の一部ではないと気付けば、その世界は特定の魂のために存在するのをやめて自由になる。 サーンキヤ派の理論によると、物質は進化し、分解し、活動しなくなる。 進化において、物質は知性、個性、感覚、徳性、意志、そして死を切り抜け、転生を経験する原則を生み出す。                                魂とつながることで、身体組織が生物になる。 このつながりによってのみ意識が認識される:物質も魂もそれ自体は意識ではない。 魂は生命を与える要素であるが、それ自体が生命を死で終わらせるのではなく、ある存在から別のものに転生させるのでもない。 それ自体が作用したり、苦しむことはないが、鏡が像を映すようにその魂が苦悩を映し出す。 それは知性ではなく、無限で激しい感情のない実体である。 魂は無数にあり、それぞれ異なる。 魂の目標は幻想や捕らわれた状態から解放されることである。 解放されると、魂の状態は仏教の涅槃(ねはん)と等しくなる。 そのような解放は死ぬ前に起こるとされ、解放された人の役割は他の人に教えることである。 死後、再生の恐れなく完全な解放の可能性がある。
サーンキヤ派は一般の神を信じることに反対はしないが、これらはその行動規範の一部ではない。 それは宇宙の知識であり、救済をもたらす。 この意味では、道徳的な行為ではなく、激しい感情の制御が中心である。 善行は低いレベルの幸福しか生み出せない。 犠牲も有効ではない。 道徳の価値を知識の価値より下にすること、そして良い仕事の価値を貶めることは、キリスト教の要求とははっきりと違うものとなり、宗教性の異なる形態を示します。 倫理も儀式もサーンキヤ理論の性質上、 大きな重要性を持ちません。 ここにもまた、倫理と儀式が、デノミネーションごとに程度は異なるとはいえ、信仰と礼拝の体系全体において重要な部分を構成しているキリスト教とは明確に対照的なものがあります。
19 宗教の中の多様性:多神教
前述した宗教の信仰体系の例から、至高の存在やいかなる有神論の形態の信仰も、宗教の基準としては不十分であることは明らかです。 あるキリスト教解説者の長きにわたる時代遅れの偏見にもかかわらず、 この点は比較宗教学者、 宗教社会学者によって一般的にすぐさま認められます。 仏教、ジャイナ教、ヒンズー教のサーンキヤ派にせよ、至高の存在や創造神の概念の欠如にもかかわらず、宗教としての地位は奪われません。 もし、これらの汎神論的、無神論的であっても疑う余地なく宗教的な信仰体系の例が、キリスト教における宗教はどのようなものであるのかという考えへの対照となるのであれば、多神教信仰もそうなります(これらを体系付けられた、あるいは首尾一貫した形で示すのは、汎神論、無神論よりは簡単ではありませんが)。 道教は、今日比較宗教学の教科書の中では宗教と一般的に見なされていますが、そのような例になります。 啓示宗教とは対照的に、道教は自然崇拝、神秘主義、運命論、政治的静寂主義、魔法、先祖崇拝に頼ります。 何世紀もの間、寺院、礼拝、聖職者を持つ組織的宗教として、中国で公式に認められました。 それは、玉皇大帝、老子、李白(超自然的存在の保護者)と都市の神であり家庭の神である中国の民間伝承の8人の不死の者たち、そしてその他無数の神霊を一緒に含む、超自然的存在の概念を包含しています。 道教には、 至高の創造主、 キリスト教のような救世主、 明確な神学、 宇宙論が欠けています。 道教の事例は、宗教が信条、実践、組織という体系として成熟した状態で現れることがない事実を説明しています。 それらはこれらすべての面において、進化の過程を経て、時折、以前の概念とは全く食い違った要素を含むようになります。 神話と儀式の付着と組織の変化は宗教の歴史では普通のことですが、これらの新しい要素のいくつかは、時にほんの部分的にしか吸収されず、常にお互い矛盾しないようにされるわけではありません。
宗教の多様性:現代の例
さまざまな神性、礼拝、救済、その他宗教的な事柄の概念は、主要な古代の宗教的伝統を越えて現代宗教にまで及ぶと、さらに明らかになります。 新しい宗教運動は、数が多いだけでなく、それぞれ大きく異なっています。 いくつかはキリスト教伝統に由来し、いくつかは東洋の起源を持ち、あるものは神秘的伝統を復活させようとし、またあるものは「新時代(ニューエイジ)」の教えの唯心的形而上学を含みます。 当面の目的のために、単に宗教性の表現の範囲を強調するために、私たちは、これらすべてとは異なるある特定の新宗教、サイエントロジーを考えるかもしれません。 いくつかの面で、サイエントロジーは仏教、ジャイナ教、ヒンズー教のサーンキヤ派の伝統と似ているように見えますが、その救済論が基づいている前提は実践的、体系的な治療テクニックのそれです。 それは信者に精神的啓発の段階的な道を提供します。 それは信者から、現在のあるいは過去の人生のいずれで経験しようとも、過去のトラウマの望ましくない影響を取り除くと主張します。 それには独断的な教義がありません。抽象的な用語で、「第8ダイナミック」として、サイエントロジーは至高の存在を認めていますが、その属性を表現しようとはしません。 その存在は、祈願や帰依の対象ではありません。 人間は、精神的な実体、セイタンであると考えられ、一連の人生で、物質的な人間の身体を占めます。 セイタンは物質宇宙の一部ではないのですが、それに巻き込まれ、苦痛、傷害を含む経験を呼び起こすあらゆるものに非合理的、感情的に反応する、反応心を身に付けている過程にいると言われています。 救済は、反応心が軽減され、最終的には消去され、個人が自分の最大限の潜在能力で生きることを可能にする過程です。 したがって、仏教のカルマの仕組みにおいては、想起されない過去の行為は、現在の人生の経験を決定し、それは取り消し不可能と言われている一方で、サイエントロジーのテクニックは、個人が過去の望ましくない出来事の有害な影響を、想起し、直面し、打ち勝つことを可能にすると考えられています。 その究極の目標は、セイタンが物質世界の外に存在し、そして身体の外に存在するようにすることです。非常に特異な手順で達成され、非常に特異な用語で表現された状態ですが、キリスト教の救われた魂と類似点を持つ状態です。
「 いくつかの面で、サイエントロジーは仏教、ジャイナ教、ヒンズー教のサーンキヤ派の伝統と似ているように見えますが、その救済論が基づいている前提は実践的、体系的な治療テクニックのそれです。 それは信者に精神的啓発の段階的な道を提供します。 」
サイエントロジーは、救済へと導くテクニックを規範的、合理的なものにすることを要求する点において、キリスト教と仏教の救済論の仕組み両方とは完全に異なっています。 それは精神的訓練に確実性と実用的正当性のある体系を導入しようとしており、精神的目標へ現代的技術的方式を適用します。 サイエントロジーは、世俗世界がますます科学に支配されている時代に出現し、精神的啓発と救済に向かう手段として、人は合理的に考え、自分の混乱した感情をコントロールすることが必要だという考えに献身しています。 それは、私たちの多元的宗教文化における、現代の多様な宗教的表現の中のひとつの重要な潮流を表しています。
20 宗教的伝統内部の多様性
宗教間の多様性は、宗教内部の多様性によって補完されます。これは正真正銘の正統派伝統内部においてでさえそうです。つまり、もうすでに触れる機会があった、さまざまな相違の徴候は考慮しません。 首尾一貫性が宗教に第一に望まれるものではないこと、そしてキリスト教でさえ、系統的に構築された教義や組織の両方のパターンを他のあらゆる宗教よりも多く持っており、不正確な教義の公式化、曖昧さ、首尾一貫性のなさ、そしてあからさまな矛盾でさえ同様に保持しているということが認識されなければなりません。 実際、伝統的宗教言語は、キリスト教の言語でさえ、常に曖昧さを消去しようと試みているのではなく、時折、それらを維持しようとさえします。 そのような言語は、ただ特質を示すように機能するわけではなく、また必ずしも主としてそうするわけでもありません。 それは感情的な反応を呼び起こし、価値観と性質を定めるという、同程度に重要な機能を持っています。 認知的、感情的、評価的なものが、科学的情報を得る思考方法とは全く異質の方法で複雑に混ざり合っています。 この多機能性の結果、宗教言語は、科学的あるいは法的な視点から見た場合、しばしば明快さ、定義、また特定性に欠けています。 これは、キリスト教のように、宗教教義の首尾一貫性を明確に表現するための知的な努力の維持が何世紀にもわたって費やされていても、宗教では普通のことと考えられるかもしれません。 
 

 

21 多様性と宗教の進化
宗教が進化するという事実は、ある程度、正統派伝統内部の多様性の一因となります。 そのような進化は、ユダヤ-キリスト教の聖典において非常に明らかです。その過程を認めなくても、古代イスラエル人の旧約聖書の記録にある復讐心に燃えた部族の神を、新約聖書の中、および後の預言者による著書の中ある、より精神的と考えられる普遍的な存在と調和させる難しさがあります。 これらさまざまな神の描写を両立させようとする試みは、教会や運動の内部やそれらの間、神学者の間で論争を起こしてきました。 キリスト教神学者の基本的仮定が、何世紀もかけて着実に移り変わってきましたが、それらの間には意見の一致のようなものはなく、一方で平信徒の間では、遥かに大きく異なる考えが信仰の基本すべてに関して見られます。 それらの考えのいくつかは、過去の世紀においてもっと一般的に持たれた見解に特徴的であり、もしある正統派伝統内部の多様性が理解され得るものならば、ある平信徒の間でそれらが持続していることは、宗教の進化の現象を認識する必要性を明白にします。 したがって、例を示すと、自由で、自己流の「啓発された」キリスト教徒の大多数は、今日、地獄や悪魔をもはや信じてはいませんが、「原理主義者」と表現される人たちだけでなく、それらを信じるキリスト教徒たちも大勢います。 別の例としては、18世紀と19世紀には、大部分のキリスト教徒は、文字通りの身体の復活の信仰を信じていましたが、今日では正統的信者の少数だけが、この信仰項目に同意しているように見えます。 さらに別の例を示すと、キリスト教徒は、予言された千年紀が始まる時間を、キリストの第二の到来の前なのか後なのか何世紀にもわたって論じてきましたが、多くの人々はこの見込みをどちらも捨て去ったかのように見えます。
22 神学的意見と宗教的信仰
もし異なる宗教に対する寛容が育ってきているのであれば、恐らく偶然に他の宗教に対する寛容を維持するのを難しくしている要因は、神学者たちの信仰と、名目上は同じ分派のより献身的な平信徒たちの信仰との間にできた不一致の増加です。 平信徒のある一派は、聖書の文字通りの影響を主張し続けています。口頭による影響にあまり確信がない他の人たちも、聖書が伝えると彼らが理解するところの真正さは信じています。 聖職者も(しばしば学術的、専門的な神学者よりも平信徒に近いのですが)、今日、信仰の中心となる教義を拒否することは少なくありません。 過去数十年の間、公然と、処女懐胎、イエスの復活、キリストの再臨といったキリスト教信仰の基本的項目に異議を唱えている聖公会[すなわち監督派]主教がおり、 同じデノミネーションの中の何人かの平信徒たちは、非常に動揺し呆然としています。 神学者はさらに進んで、彼らの何人かは、キリスト教会によって伝統的に歓呼して認められた至高の存在の存在性を論議しています。 この意見の潮流は、現代の神学者の中でも最も著名で優れた人々の何人かによって詳細に調べられ、特に、ディートリヒ・ボンヘッファーとパウル・ティリッヒの著述に見ることができます。ウーリッジの主教である J.A.T.ロビンソンによる最も民間に普及し影響がある表現の中で最も躊躇なく表現されています。 1963年、 主教は彼のベストセラー著 『Honest to God (神に誓って) 』の中で、 キリスト教の思想の中のこの傾向について要約しました。  彼は、 「あそこに」 存在する個人的な存在としての神の考えを放棄する議論を述べ、 「キリスト教の一神教」 の考え全体に異議を唱えました。 彼はボンヘッファーを引用しました。
「人間は、実用的な仮定としての神に頼ることなく重大な問題すべてに対処することを学んだ。 科学、 芸術、 そして倫理にさえも関係する問題において、 これは人がもはや滅多に論争しようとはしない、 理解された事柄になった。 しかし、 この百年かそこらの間、 それは次第に宗教的問題に対しても真実になってきている。 すべては以前と全く同様に 「神」 なしで進んでいっていることが明らかになってきている。 」
主教は、ティリッヒから次のように引用しました。
「このすべての存在の無限で無尽蔵の深みと根拠の名は神である。 その深みは神という言葉が意味するところである。 もしその単語があなたにとって大した意味を持たないのなら、それを翻訳して、あなたの人生、あなたの存在の源、あなたの究極の関心事、遠慮なく真剣に受け取るもの、それらの深みについて語りなさい。深みについて知っている人が、神について知っています。」
主教自身が言います。
「…彼 [ティリッヒ]が言う。『神を世界と人類を支配する、 天国の、 完全無欠な人にした』ものとして通常理解されている有神論」 [39ページ] 「…私は、 ティリッヒが、 無神論がそのような最高の人に反対することは正しい、 と言ったことは正しいと確信している。 」
「私たちは結局、人々にオリンポスの神々をまじめに受け取るよう説得するのと同じくらい、彼らに、自分たちの人生を決定するよう求めなければならない神の「存在」を確信させることは難しいだろう。」  [43ページ] 「『神は個人的である』と言うことは、 人であることは宇宙の構造において究極の意味を持つことである、 個人的関係において私たちは他のところでは関係することのない最終的存在意義に関係することである、 と言うことである。 」
神学者が行うように、実在と存在を見分けつつ、主教は、神は究極的に実在するけれども、存在せず、なぜなら存在することは時空において有限であることを、故に宇宙の一部であることを暗示するだろうから、と主張していました。
もし至高の存在という考えが異議を唱えられるのなら、伝統的なイエスの理解も同様に異議を唱えられることになります。 新約聖書およびイエスという人の再解釈もまた、進歩的な21世紀の神学者仲間の思考において進んできています。 1906年、アルバート・シュバイツァーは、英語翻訳の題名『The Quest of the Historical Jesus(歴史的なイエスの探求)』という作品を出版しました。そこで彼はイエスを、幾分間違った方向に指導され、考えを持ったユダヤ人の預言者として、そして、まさに彼の時代の人として描きました。 もっと過激で批判的な「非神話化」はルドルフ・ブルトマンによって着手されました。彼は1940年代に開始し、福音書がいかに完全に、当時広まっていた神話に従属していて、それに基づいて書かれたかを示しました。 彼は、福音書で用いられている概念を受け入れることができる20世紀の人はいかに少ないか、ということを示そうとしました。 新約聖書の人類に対する伝言を、彼は非常に多くのドイツ実存主義哲学の用語で捉えました。キリスト教は個人の道徳的生活の指針にはなるが、神による世界の創造と支配に関する教えの総体としてはもはや信用できるものではないと見なしました。 ブルトマンの作品は、イエスは肉体を持った神であるという伝統的な主張に関する新しい疑いを引き起こし、そうして教会のキリスト論に関する教え全体に疑問を投げ掛けました。 この歴史的相対主義の表現はさらに、 1977年出版の『The Myth of God Incarnate (神の化身の神話) 』という題名の作品(ジョン ・ ヒック編集)の中に見られます。 そこでは、 聖公会の神学者の中でも最も名高い多くの人々が、 カルケドン公会議[西暦451年]で確立された、 神と人間であるイエスの関係についての正統派伝統的キリスト教教義に異議を唱えました。  現代の神学者は、神が、教会が前15世紀の間に教えてきた方法で人間になったと信じるのは難しいと気付いてきていました。
これらさまざまな神学的論争の潮流、すなわち、熟考の上での個人的な神の概念の否定、一神教の放棄、聖書の相対主義における新たな強調、キリストの性質と彼の神性との関係の一般に受け入れられた概念に対する異議、すべてが一般に受け入れられたキリスト教の理解からの厳しい離脱、そして大部分の平信徒たちの信仰へと帰することになります。 このように今や、宗教の性質に関してキリスト教の源から出た意見でさえも、以前宗教がそれによって定義された暗黙的なキリスト教の基準を問題にしています。
23 宗教と社会的変化
現代社会における変化を求める圧力が増加する状況で、何らかの主要な社会制度が、その過程で影響を受けていないとしたら、それは驚くべきことです。 自発的な社会活動の中でしっかりと守られているとはいえ、宗教は確実に反応し、どんどん変化した形態で、関心の対象を変えて現れています。 西洋世界の一般大衆がより教育されるにつれて、現代宗教は、宗教史の歴史的挿話の具体的様相を文字通りにはあまり強調しない傾向にあり、もしそれを使うのなら、詩的な、または象徴的な暗喩として使っています。 主流のキリスト教の伝統内部でさえ、神、創造、罪、顕現、贖罪あるいは永遠の罰に関する教義の強調が小さくなり、さまざまな異なる関心事に対する強調が大きくなっています。 実際的なレベル、特に主要なキリスト教のデノミネーションでは、これらの問題は、19世紀半ば以降続けて発展した司牧の中で確実に成長し、今や、多くの新しい形態の専門的な司祭職務に現れています。 産業での牧師職(中止された労働者司祭運動を含む)、病院、刑務所での聖職者職、結婚案内における専門的相談、キリスト教の治療と癒し、薬物とアルコールの依存の社会復帰、性的問題、仕事に対する態度はすべて、現代の宗教的、精神的な努力を掻き立てる広範な実際的関心事の日常的な現れです。 より理論的なレベルでは、それらは、個人の責任の倫理の新たな奨励、社会正義に対する関心、個人的な達成とエンパワーメントの探索、そして積極的思考の源としての宗教の適応によって補完されています。
これら新たな方向性の表現は、キリスト教内部の正統派と異議派の両方に見られます。しかし、西洋社会においてさらに起こっている事は、最初は主に移民たちによってもたらされた、いくつかの東洋の主要な信仰が拡散しているだけでなく、それらの宗教から派生した運動もまた拡散していることです。それらのいくつかは形態、表現において、西洋の信者たちにも受けがいいように特別に修正されました。 これらに加えて、古代の異教を利用していると称する運動、神秘主義の伝統の折衷を霊感の源として頼り、利用する運動があります。 さらに、秘術の実践を蘇らせ普及させようとする運動があります。 これらすべての種類に対して、現代社会の科学的志向をいくらか共有し、科学を精神的な目的だけのために使う新宗教が付け加えられなければなりません。 背景には、より伝統的なキリスト教のセクトもまた存在します。それらのいくつかは、かつて正統キリスト教徒に不安を、そして時には当局の敵意を掻き立てましたが、今日ではますます、そして必然的に許容されるようなり、現代社会の宗教的モザイクの一部として受け入れられるようになりました。 それらがもはやそれほど強い注意や懸念の焦点でないということは、それらは現在ある宗教の多様性の状況において、奇妙にもかつてのように逸脱しているようには見えないという事実を反映しています。
24 伝統的セクト
厳密に言って、セクトとして見なされる運動は「分離した信者」、つまり教義、実践、あるいは組織の違いのせいで主流教会から分離してはいるものの、その広い伝統の大部分を共有している団体を構成する運動です。 かつてのいくつかのセクトがデノミネーションとして見なされる地位に一段進むのを許すものは、共有の要素と、時の経過による違いの重要性の減少です。 デノミネーションは一般的に、お互いに対する親密で均等な尊敬を共有します。 広い社会と緊張がある問題(そのような緊張はセクトと呼ばれる運動の典型的状況ですが)が解決されるか、消し去られるにつれて、それらはデノミネーションとして認識されるようになります。 したがって、バプテスト派、キリストの弟子、ナザレン教会、そしていくつかの点でメソジスト派さえも、すべてがセクトからデノミネーションへの過程を通過した団体の例です。 これらの運動に対する(ヨーロッパにおける)法的規制とそれらが被った社会的恥辱が、少しずつ、そして最終的には軽減されたように、ある特定の運動が徐々にデノミネーションの地位を認められるようになることはまた、広い社会での寛容の成長を意味します。
しかし、すべてのセクトがデノミネーションへと発展するわけではありません。それは、それらが始まった状況と、それらの教えが特徴付ける世界に向けた方向性のタイプに大きく依存します。 エホバの証人とキリスト・アデルフィアン派のような早期キリスト再臨を信仰の主要な焦点としているセクトは、広い世界とセクトの緊張状態のままでいる傾向があり、激しい伝道計画を遂行する場合は特にそうです。 排他的(すなわちプリマス)ブレザレンのような(これもまた早期キリスト再臨の信仰を支持しますが)、それらの中心的関心事を、本来邪悪と見なされている広い社会から、自分たち自身の排他的共同体に引き下がるセクトもそうです。 このような、セクトと当局との間に、時にはセクトと一般大衆の間に存在する緊張は、あらゆる刑法の問題だけではなく、セクトが、市民に一般的に要求される責任に参加することを拒むことに集中させられる傾向があります。 例えば、彼らは概して兵役に対する良心的な反対を行っていますし、いくつかのセクトの例では、陪審員の義務または労働組合員であることが特定の産業で実際または実質的に強制されている国々(英国とスウェーデン)で、組合員になることを免れようとします。 時が経過し、合衆国におけるエホバの証人の、国旗に敬礼すること、または学校の集会やその他の公的な儀式での国歌斉唱に参加することを免れる権利のように、国から次の国へと、そのような良心に基づいた権利は次第に認められてきています。 これらや他の例のようなキリスト教のセクトは、国内、時には国際法廷で訴訟を闘ってきて往々にして勝訴し、そうしている間に宗教の自由の領域を拡大しました。 しかし、最終的にデノミネーションへと一段進んだセクトと同様に、それらは、特に新しい運動としての最も初期の時代に、しばしば迫害、差別、嫌がらせを受けていました。
25 新宗教に対する反対
恐らく、西洋キリスト教国においては、一般大衆と同様、権力を持つ側の人々が、一般に受け入れられた正統派キリスト教の伝統の慣れ親しんだモデルに従って、非常に頻繁に宗教を狭く定義したために、新宗教は歴史の長い経過の中でしばしば激しい反対を受けてきました。 もちろん、キリスト教自体が成立する前もそれは起こっていました。 ローマの世界では、初期のキリスト教徒たちはよく知られている非難を受けていました。キリスト教徒は家族を壊すと言われ、金銭上の動機があると非難され、乱交パーティーに従事していると言われ、社会のエリートたちに浸透して邪悪な政治的目的の追求をさせようとしていると公言されました。 キリスト教の排他主義的性質はそのような主張を引き寄せましたが、その同じ性質がその改宗させようとする情熱と一緒になって、キリスト教そのものを宗教的不寛容の比類なき対象にし、いくつかの国では、多かれ少なかれ現代まで継続しました。 例えば、クエーカーは17世紀のイギリスにおいて、当局の手で激しい迫害を経験し、その時、単に彼らの多くが自分たちの宗教的信仰を公言した理由だけで投獄されました。 メソジスト派は18世紀のイギリスの新宗教ですが、集団で襲われ、叩かれ、彼らの礼拝堂のいくつかは取り壊されました。時には地方判事の黙認あるいは教唆(きょうさ)さえありました。 19世紀後半には、救世軍が暴動を受け、何人かのメンバーがイギリスで殺されました。一方スイスでは、彼らは公然と詐欺と財務搾取で告訴され、そしてモルモン教徒は、スカンジナビアで新しいメンバーを募集しようとした時に投獄され、似たような非難を受けました。 歴史は、より民主的でより寛容だと考えられている西洋世界の国々においてでさえ、新しい形態の宗教的、精神的な表現に対して反対するという記録を残しています。 歴史的記録に反して、国家に宗教に対する寛容を使い、奨励するように求める国際機関の最近の決議は、明らかな対照を成しています。
26 新宗教のタイプ
共通の信仰がほんの少しもない、あるいは共有したことがない人々よりも、異教のセクト信者によって、より大きな敵意がしばしば引き起こされ、そして特に、離脱した以前の同信者が一番大きな恥辱を経験するのが普通のケースです。現代社会もまた、注目すべき持続する不寛容を、第二次世界大戦後に出現してきた、いくつかの新宗教に対して同様に示してきています。 これらの運動のいくつかは、大まかな「家族的類似性」によって分類されるかもしれない一方で、他との完全な相違が識別できます。 社会学者は、教えの共通の部分よりも、異なる運動が包含する目的、仮定、展望の類似性によって、いくつかの大まかな範疇を確立しようとしました。 彼らは即座に、かつ大まかに、「世界を肯定する」と表現される運動と「世界を放棄する」運動に区別しました。 「世界を肯定する」運動は、既存の世俗の文化に積極的に反応する運動であり、そして信者に精神的な恩恵の見込みだけでなく、より大きな感情的安全、療法、高められた能力、社会的成功そして恐らく経済的成功も、それらの見込みを提供する運動です。 「世界を放棄する」運動は対照的に、実行できる限り、彼らのメンバーをどのような種類であろうと、広い社会と世俗の文化に巻き込まれることから引き下がらせようとし、引き下がった共同体の中での、あるいは至福の来世での、あるいは時に両方での報酬の見込みを提供します。 これらの大まかな範疇は、もちろん、いかなる運動理論あるいは実践の微妙にも正当な評価を行うわけではありませんが、それらは現代の西洋社会に見付けられる数百の新しい宗教集団の中の基本的な方向性のダイコトミーを明らかにします。
これらふたつの基本的な方向性は、宗教の歴史の中で新しいものではありません。それは、一方で魔術の体系の目標を、もう一方で中世のカトリック主義の、あるいは変化形で17世紀のカルヴァン主義の、禁欲的で「世界を放棄する」倫理を大まかに知ることによってだけでも明らかです。 「世界の放棄」は、より強力な「世界の肯定」の潮流に最近座を明け渡したとはいえ、両方の方向性は現代の主流のキリスト教に見付けることができます。 しかし新しい運動が、確立された宗教とその方向性を時には共有するにもかかわらず、この数十年間、それらの両傾向とも反対、敵意、嫌がらせ、そして迫害さえ受けています。 一方の場合、彼らはしばしば、数ある事柄の中で、組織、ひとりの神への献身、信仰実践の特性に関して根本的に異なっているため、全く宗教的ではないと安易に非難されます。またもう一方の場合、彼らの宗教は信者が一般世間との関わり合いから引き下がるように説得したり、秘密の神秘主義に従事するように説得したりするために、彼らは社会の敵と見なされるのです。
27 世界を放棄する新宗教
「世界を放棄する」新しい運動は、主として、しかし専らではなく、ヒンズー教あるいは仏教の変化形または派生形であり、それらの宗教において一般的に、この方向性は優勢です。 いくつかの(しかしすべてではない)新しいキリスト教原理主義者の団体もまた、世界の放棄が優勢な風潮の枠内で活動しています。 これらの宗教の信者たちは一般に、現代の物質的な西洋の価値観を放棄します。 彼らは、共同体の、そして多分、共産社会の一員の生活様式さえ当然だと思うかもしれませんし、東洋起源の新宗教においては、熱狂的信者は一般的に西洋人には異質の概念を採用します。 彼らは、いくつかのケースにおいて、礼拝のために東洋の言語を学ぶかもしれませんし、性行為や社会的関係、食事、そして着る服にさえも影響を与える他のタブーや禁令を選んで、西洋の社会習慣やしきたりを放棄します。 クリシュナ意識国際協会(ハーレ・クリシュナ運動)は多分このタイプの中で最も目立つ運動ですが、いくらか同じ傾向はディヴァイン・ライト・ミッションの中にも見られますし、キリスト教であることを主張している統一教会(ムーニーズ)にも見られます。
いくつかの「世界を放棄する」運動はこの方向性の特性があり、「全体主義的」傾向、すなわち、信者たちが自らを完全に信仰に捧げ、完全に献身することを期待する傾向があり、生活のあらゆる部分が信奉する信仰に沿うように命令されます。 このことはもちろん、運動が信者に共同体の生活様式を取り入れることを期待する場合に最も容易に達成されます。 多くの点で、そのような必要条件は、修道会(キリスト教であれ仏教であれ)のメンバーへ要求されるものと近い類似性があります。 共同生活が達成する広い社会からの完全な離脱を提唱するところまでには至らない、「世界を放棄する」宗教があります。 これらの運動は一般的に、形而上学の包括的な、そして往々にして複雑な体系を提供し、その内部で信者は、人生の究極的な意義、目的に関する問題に対して、知的な解答を見付けるように指示されます。 より上級レベルの形而上学の教えは秘密にされていることは稀ではなく、熟達者のみが利用できます。 この種の宗教は神智学、人智学、グルジェフ主義を含みます。 神秘主義の系統は、社会から引き下がる要素も明らかだとはいえ、社会的利益のための活動を常に排除するわけではなく、人智学者たちによって維持されている障害児教育施設はこの点を雄弁に物語っています。
28 新宗教における世界の肯定
「世界を肯定する」宗教は、啓発された世俗の価値観をおおむね支持する傾向があったとしても、不寛容に遭遇します。 世界へのおおむね肯定的な方向性にもかかわらず、それらは特に、独自の価値観の焦点である健康管理、教育、宗教の自由のような生活の分野では、社会改革を促進する使命も持つかもしれません。 彼らが遭遇する反対の重要な点は、この種の宗教はそれ自体、日常の成功や健康であること、有能さ、仕事の能率、適用された知能、そして恐らく富裕でいること、すなわち総じて現世のより良い人生経験、そのような利益を実現する手段として提供されているということです。 伝統主義者にとって、そういった事柄はあまりに世俗的で宗教の適切な関心事にならないと見なされます。故に、このタイプの運動は「全くもって宗教ではない」という非難になるのです。 これらの宗教は一般に主流のキリスト教の伝統的、感情的側面を捨てます。 それらは精神的なものに対する、より系統だった合理的な取り組み方で特徴付けられ、精神的知識と個人的環境の日常的改善との間に連続性を見出します。 もちろん、異なる宗教として、それらは精神的エネルギーを解放するいろいろなテクニックを用い、異なる用語で独自の教典を参照しながらそれらの成功を説明します。 しかし社会学的に、そして宗教の自由と人権の視点からは確かに、これらの宗教は生命と精神との特有の解釈を人々に提供します。 それらは通常、より高い精神的状態を達成する方法を提供することに関して国本勅諚(国王の発布する詔勅で国家の基本法としての性格を持つ)を要求し、その方法の効果は実際の日常の精神的、物質的な利益において現れます。 「世界を肯定する」宗教の初期の例のいくつはキリスト教の概観を使用し、これに関連してそれらの方向性を提示しました。クリスチャン・サイエンス、およびユニティ、ディヴァイン・サイエンスのようなさまざまなニューソート(新思考)の団体がその例です。 より最近では、「世界を肯定する」と考えてもよい宗教は、キリスト教の伝統からは派生していません。 そのような宗教の中にサイエントロジーが含まれるかもしれませんが、他のケースでは「世界を肯定する」方向性は、創価学会(日蓮系仏教)やマハリシの超越瞑想のケースのように、東洋の宗教から派生しています。
29 現代の新宗教の風潮
ここ数十年間で、「世界を肯定する」宗教、「世界を放棄する」宗教の両者とも増大しました(そして、これら大まかなダイコトミーの用語では分類するのがより難しいその他の宗教の数も同様です)。 「世界を放棄する」宗教は、彼らが増大する西洋社会的物質主義、消費者主義、快楽主義と見なす傾向があるものに対する反対の中で起こりました。 あるものは、キリスト教の禁欲的伝統からの方向性を借用しており、あるものは環境問題に親愛の情を見出し、さらにあるものは1960年代の「ヒッピー」文化を起こしたのと同じ気分の風潮を利用しています。 対照的に、「世界を肯定する」方向性は現代の世俗文化との、そして20世紀のキリスト教に明らかな、いくつかの変化した傾向との強い連続性を現しています。 宗教的な関心事が、前世紀にキリスト教の優勢な焦点だった来世への関心事から移るにつれて、新宗教運動もまた、現世とこの人生での救済という考えを強調するようになりました。 人生の拡張、幸福の追求、人間の潜在能力の理解は、尊重に値する広く是認された目標となり、新宗教がそれらを包含したのは驚くことではありません。 欠乏、自然災害、飢餓、低レベルの技術の世界では、宗教的禁欲主義は適した倫理でした。 それは、つらい仕事と低い見返りが受容されなければならず、資本を蓄積するために満足感は(しばしば仮定された来世まで)後回しにされなければならなかった生産者の社会の必要性を補完しました。 しかし技術が、富と利益を経験する期待を拡大させた消費志向社会においては、禁欲的倫理は、お金を使うこと、娯楽と物質的幸福を求めることによって、人々に経済を支持するように仕向ける必要性とは相入れないでしょう。 ちょうどキリスト教の伝統的禁欲主義が時代遅れになった時、新しいパターンの宗教的精神の方向性が新しい社会の風潮を反映するようになりました。 世俗社会における現代の快楽主義的価値観の流行は、主流の宗教の中にさえ益々と反映されています。 楽観主義と無限の恩恵の強調が、主流の外でクリスチャン・サイエンスによって論じられ、主要なデノミネーション内では、プロテスタントのノーマン・ビンセント・ピール、カトリックのモンシニョール、フルトン・シーン、そしてラビのジョシュア・リーブマンによる積極的思考の唱道によって奉じられました。 より最近の数十年間には、キリスト教徒が祈りの宗教から期待すべき恩恵の合法化としての、繁栄の神学の発展がありました。 高められた自己コントロール、自己認識、自己改善、自己増進、そして精神を豊かにする、より大きな能力のための心理学のテクニックは、社会が、かつてはキリスト教の教えの中心主題だった、罪を重ねた神学を支持しなくなるにつれて、多くの宗教運動のレパートリーの一部になってきました。
30 宗教と道徳
ちょうどいくつかの新宗教が、この人生での幸福の追求を、合法的で本当に称賛に値する人類の目的と認めて、現代の消費者社会の風潮を支持した時、それに比例するように、それらは精神的生活と道徳的規則の変化した関係を打ち出しました。 これは、伝統的キリスト教の道徳的思考のタイムワープに未だ捕らわれている当局と一般大衆の多くが、依然として完全に折り合いをつけなければならない宗教における変化の一面です。 しかし、異なる宗教は、振舞いの規則に対して非常に異なった傾向を維持しているということは明らかなはずです。 宗教は、それらが定めた道徳規則の性質において、それらの適用に対する要求の活力と一貫性において、そしてそれらに付加された拘束力の厳しさにおいて、大きく変わりました。 正統派ユダヤ教において、規則は、儀式や日常生活の多くの付随する事柄の細目を律しますが、そういったことは、例えばキリスト教の伝統においては完全に撤廃されています。 イスラム教において、宗教規則は広範な状況に影響を与え、社会に法的規制の体系を提供しており、時には、キリスト教において遭遇するものより遥かに厳しい、また時にはより緩い社会的なコントロールを確立しています。 例えばコーランは一方で、イスラム法の下で犯罪に対して認められている厳しい刑罰、もう一方で、相対的に緩やかな、男性が4人まで妻をとる便宜と離婚できる容易さを維持するための拠り所とされます。
上座部仏教はさらに対照的です。 ここでは、僧侶に対する複数の規則があり、一方で数個の一般的規則が在家信者に強いられます。 仏教の在家信者の義務は、殺さないこと、盗まないこと、嘘をつかないこと、不道徳な性的行為を犯さないこと、酒を飲まないことです。 さらに、仏陀は家庭の仕事、友人に対する振舞い、配偶者の世話に関する道徳的助言を提供しましたが、これらは社会的常識と呼ばれてもよい事柄に対する奨励です。 個人は、慎重、倹約、勤勉、召使に公正であること、彼の悪い行いを引き止め、正しい行いを勧める人々を友人として選ぶことを促されます。 しかしそのような徳は、賢明な自己利益として要求されるのであって、キリスト教で論じられたような罪の概念として書かれているものではありません。 これらの徳を無視することは、悪いカルマを生み出すという意味以外に、特別な罰を引き寄せることはありません。 その宗教は他に何の制裁も定めておらず、憤った神もいません。 行いは、どこかの未来に生まれ変わった時の状態を決定すると考えられるので、良い行いは悟りの八正道に従っていることとして好ましいものです。というのも、それらはより良い状況での転生と、最終的なすべての転生の超越と涅槃の達成につながると見なされているからです。 ですから、仏教は確かに倫理的価値観を教えるとはいえ、個人は自分の道徳的振舞いにおいてかなりの自由が残されており、キリスト教徒の道徳性がそれらによって強化される道徳的非難も、脅威も受けません。 他の社会では、道徳的規制は明白に宗教的な根源からは派生しません。例えば、儒教の倫理と侍の規則は日本社会の道徳性に、 日本で機能している大乗仏教のさまざまな学派と同じ位十分に、あるいはもっと十分に実質を与えてきたかもしれません。 宗教的教義の体系と道徳律の間に標準的関係はないと結論付けなければなりません。 キリスト教における宗教と道徳の結合、道徳的振舞いがそれによって強いられるメカニズム、その道徳的規則の違反に対してそれが予測する結果はひとつの関係パターンを形成しますが、そのようなパターンは、他の宗教体系の典型ではありません。また、キリスト教社会のメンバーが時にそう思う傾向があったように、それを他の規約を判断するのに必要なまたは上位の模範として考えることはできません。 
 

 

31 キリスト教の道徳的遺産
伝統的キリスト教における道徳の教えの役割は、他の主要な宗教において見付かるものとははっきりとした対照を成しています。 そのさまざまなレベルの倫理的命令の中に、それらの違反は罪として告発される複雑な禁止規則が含まれています。 初期のユダヤ教の主要な違反に関する基本的な掟はいくつかの宗教的伝統に共通しているものですが、キリスト教においては、特に性行為に関してさらに詳細な規則を要求することによって増やされ、そしてこれはイエスとパウロから来ています。 実現できそうもない種類の完璧さの忠告もあります(「汝したがって完璧であれ」、そして、より具体的な要求として、自分の敵を愛すること、「70と7」回他人を許すこと、「もう片方の頬を向ける」こと、「明日のことを考えないこと」等です)。 罪の概念はキリスト教道徳律の中心となりました。 人間は本来罪深いと考えられ、そして彼の自然の欲求、彼の満足、実現、楽しみの追求、そして現世での自分自身の生活の拡大の追求ですら、そのほとんどが罪深いあるいは罪につながると容易に見なされます。 彼の生まれつきの罪深さから、ただキリストの模範的徳と超人的犠牲だけが彼を救うことができたのです。 故に、キリストに対して、彼が何をしようとも適切に報いることのできない恩義を負うでしょう。 罪人として、悔恨し、キリストによって救われたとしても、彼は永遠の罪の重荷を背負うでしょう。 罪が実際、道徳体系全体を維持する仕組みでした。 秘密告解の制度、手の込んだ告解の秘跡の手順の発展、そして後に中世の煉獄の概念を入念につくり上げたことは、教会が考えた罪のむごさと、罪の感覚を教え込むのにかかった期間を示しています。 中世における、自己鞭打ちの発作的な行為は、罪の意識がいかに深く平信徒の中のより信心深い信者の良心に浸透していたかを示しています。 今日でも、自己鞭打ちはローマ・カトリック教会内のいくつかの組織においてはよく知られています。 活発に不利な意見を罪に対して述べながらも、カトリック教会はまた、人間の生まれつきの道徳的なもろさを認識し、告解の制度によってそれを調整しました。それは罪の程度を和らげる装置として機能しました。 プロテスタントは対照的に、そのような罪の感覚を和らげる仕組みを拒否し、特にそのカルヴァン主義の表現では、より神の選民になろうと希望するものは全く罪を犯さないことを要求される過酷な仕組みとなりました。 罪人の個人的な苦しみを強めることに関して、カルヴァン主義は道徳的コントロールのより強烈な内面化と、増大した良心の形成につながった、神学体系と救済の教義を発展させたと信じられています。
19世紀にだけ、キリスト教の罪への傾倒が著しく和らぎ始めました。 その世紀の経過の中で着実に、キリスト教の地獄と永遠の罰への関心は衰えましたが、この時までに、世俗の道徳性と、市民の礼儀正しさへの要求が、大衆の生活に独立して影響を与えるようになりました。 20世紀において、その前の時代の道徳的要求の厳しさは着実に和らげられ、1960年代までには、従来の道徳的制約は、特に性的品行の領域で道徳的寛容に座を渡しました。 その過程は恐らく、産児制限技術の発展によって、そしてその他多くの生活領域における道徳的制約への依存から、技術的なコントロールへの依存への転換によって助長されました。 したがって、宗教と道徳性との関係の仮定されたモデルは、キリスト教の例においてでさえ、不変とは程遠いことが明らかです。 この変わりやすさの程度は、時とともに起こる変化だけによって生じるわけではありません。 それはまた、同時代のデノミネーションの中で例示されるかもしれません。 現在の福音主義者の中で見られる道徳的な態度は、振舞いの多くの領域における個人的な罪に強い関心を示し続けていますが、まさに罪の考えは、多くの自由主義の国教会信者によってほぼ時代遅れと見なされるようになっており、彼らの多くは、社会制度の欠陥に、個人の逸脱した振舞いに対する責任があると非難します。 これらの自由主義の国教会信者の何人かは、 絶対的道徳律の主張を完全に拒絶し、状況倫理に傾倒する方を好み、その含意は、一般に受け入れられている伝統的キリスト教の道徳的教訓としばしば完全に矛盾せざるを得ません。 他のかなり異なる方向性は、クリスチャン・サイエンスにおいて見ることができます。そこでは、罪は誤った実在の理解から生じる誤りであり、クリスチャン・サイエンスの信者はそう信じていますが、物質的思考から精神的思考の方法へ変わることによって、病気と共に消去されるかもしれないものです。 現代のキリスト教内部の罪の概念の多様性と、そこに見られる非常に変化した道徳的傾向を見れば、新宗教にキリスト教諸教会のものに似ていると想像される、道徳的命令が反映されているのを期待するのは明らかに不適切です。 新宗教は、キリスト教のデノミネーションが現れ、形成された時代とは非常に異なる時代の中に現れました。 社会そのものは完全に異なり、その社会的、経済的、とりわけ技術的状況は激しく、加速度的な変化を受けています。 人々が知っていること、彼らが欲するもの、彼らの個人の責任の領域は、過去の世紀の規範とは根本的に異なったタイプであり、異なった規模のものです。 新宗教は、もしそれらが引き付けている信者たちを引き付けるものなのであれば、必然的に伝統的ステレオタイプに従ってはいないはずです。 そのことは、それを少しも非宗教的なものにはしません。
32 宗教はどのように見えなければならないのか?
宗教的信仰とそれらの付随する道徳的価値観は通常、組織機構、決まった手順、そしてそれらの特定の象徴での表現の中で調和させられます。 西洋社会で、キリスト教制度の形態はよく確立されているため、世俗化した平信徒の人々でさえ、宗教はキリスト教に類似した構造と象徴を持たなければならないとしばしば安易に考えます。 調停したり忠告したりする能力を持った住み込みの聖職者によって奉仕される、分離した礼拝の建物、安定した集会のモデルはすべて、他の宗教にそれらの類似物が期待される項目です。 しかし、ざっと見直してみるだけでも、宗教がこのモデルのように見える必要はないことが明らかになるはずです。 世界の主要な宗教は、さまざまな種類の多様な規約を、一方では、聖職尊重主義と、生贄の習慣、 信仰に対する(香、舞踏、彫像のような)補助器具をふんだんに使う秘跡重視主義から、もう一方では、厳しい禁欲主義と言葉での表現、祈祷への奇妙な依存までを現しています。 両極端はひとつの主要な伝統内、ヒンズー教とキリスト教の中で遭遇するかもしれませんが、イスラム教は、その正統的表現はより一様に禁欲的です。そのエクスタシーの現れは周辺部で起きています。
宗教的礼拝は、さまざまな宗教の中では、形態や頻度において大きく異なります。 それは異なる含意を持ち、仏教のような非有神論の体系では特有の形態を取ります。 超越的な神はいないので、祈願に意味はなく、崇拝の場はなく、依存、質素、従順の表現の必要性がなく、賛美を発する目的もありません。それらすべての形態はキリスト教の礼拝の一部です。 しかし現代のキリスト教の礼拝は、それ自体が進化の長い過程の産物です。 ユダヤ-キリスト教の伝統は、何世紀もかけて根本的に変化しました。 旧約聖書にある執念深い、神への動物の生贄の要求は、例えば19世紀の主流プロテスタントの信仰上の実践からは、遥か遠くへと取り除かれています。 詠唱、韻律の詩篇を歌うことが、一般向けの讃美歌に代わったことは、ふた世紀の経過の中でキリスト教の礼拝に全く異なる外観をもたらしました。 今日、擬人化された神の概念はキリスト教では衰退し、現代の神学の観点から見ると、現代のキリスト教の礼拝は、擬人化された彫像が溢れていて、明らかに時代錯誤的です。 古い伝統(そこでは古器物の緑青は容易に神聖さの霊気に間違えられます)という重荷が下ろされて、いくつかの現代のデノミネーションは、過去の擬人観の痕跡を、完全に放棄したのではないとしても、減少させたのはあまり驚くべきことでもありません。 しかし、そのような進化の趨勢(すうせい)を別にしたとしても、礼拝が暗示するものに対するいかなるステレオタイプ化も、今日の世界における宗教の多様性に背かれるという要点を確立する多様性が、キリスト教のデノミネーションには多数存在します。 例えば、ローマ教会は、信仰の礼拝において聴覚的、視覚的、嗅覚的な感覚を巧みに使用することを発達させました。 カトリック教会の礼拝は、他の宗教で使用されている舞踊や薬物の使用を捨て去ったとはいえ、儀式、秘跡そして祭服、非常に豊富な記号体系、カレンダーに乗っている豊富な式典、教会の階層制度、個人の通過儀礼を入念につくり上げてきました。 ローマ・カトリック主義とは最も対照的なのがクエーカー教徒で、あらゆる聖職者の概念、あらゆる儀式の制定(いくつかのプロテスタントのデノミネーションでは普通の、秘跡ではない記念的形態の儀式の制定でさえ)、彫像や法衣の使用を拒絶します。 平信徒の執行の適切さ、有能さの強調と、建物、場所、季節、儀式のいずれにせよ聖礼の拒絶、お守り、ロザリオのような補助器具の拒絶は、多かれ少なかれ、プロテスタントの特徴のひとつです。 福音主義者は聖職者という考えを拒絶し、クエーカー教徒、ブレスレン、キリスト・アデルフィアン派、クリスチャン・サイエンス信者は、有給の聖職者なしで機能します。 一方で、大部分のプロテスタントのデノミネーションは、本質的な力を持つ行為としてではなく、聖書に従って記念の行為として頻繁に行う、パン割きの儀式を維持しています。 このように、いくつかの事例では異なった行動が似たような目的を持つとしても、その他の事例では、パン割きの儀式のように、見かけ上は似た行為が、デノミネーションの教えに従って特有の意味を獲得します。 クリスチャン・サイエンスのように、神が抽象的原理と見なされる場合には、礼拝行為は、信者に神の心と調和的関係を持たせる、馴染みのある宗教的目的を持っていながらも、神を擬人化する見方を保持しているデノミネーションの祈願の実践とはかなり異なる外観を呈します。
「 新宗教(すべての宗教は、どこかの時点で新しかったのですが)は、より古い確立した信仰の伝統的な実践および制度のいくつかを無視する、あるいは放棄する傾向があります。 もし、 それらが普通の人々の生活様式の根本的な変化を経過して、 家族、 共同体、 教育、 経済的秩序のような基本的な制度の仮定がすべて変化している、 加速された社会的、 技術的発展の時代に起これば、 それらはすべてよりそうする傾向があります。 」
新宗教(すべての宗教は、どこかの時点で新しかったのですが)は、より古い確立した信仰の伝統的な実践および制度のいくつかを無視する、あるいは放棄する傾向があります。 もし、それらが普通の人々の生活様式の根本的な変化を経過して、家族、共同体、教育、経済的秩序のような基本的な制度の仮定がすべて変化している、加速された社会的、技術的発展の時代に起これば、それらはすべてよりそうする傾向があります。 より動的な社会においては、増大する非個人的な社会的関係、新しいコミュニケーション媒体の影響、あらゆる種類の情報と知識のより広範な拡散とともに、宗教的表現の増大した多様性は全く予期されるべきことです。 西洋社会における新宗教が、2、3、4あるいは15世紀前、あるいはもっと前に始まった教会構造が、本来的なものだと見出すことはまずないでしょう。 ひとつ例を挙げると、現代の住民の日中の社会的、地理的機動性の程度が強まっているとするならば、新宗教が自身を、安定した静的な共同体として地方教会組織的に組織化すると考えるのは適切ではないでしょう。 他のコミュニケーション技術は説教壇と印刷機に取って代わり、他の活動領域と同じようにこの活動領域においても、もし新宗教がそれらが出現した時代の高められた施設設備を利用しないとしたら驚きでしょう。 それらが、宗教の伝統的ステレオタイプとは異なったやり方で物事を行ったり、その合法化のために西洋社会の外を見たり、精神的啓発のための新しいテクニックを使ったりすることは、それらの人間の宗教性の現れとしての資格を奪うことにはなりません。
33 結論として
ちょうど学者たちが、今日の社会における現代の宗教間の多様性を認識した時に、信仰と実践の自由という基本的人権が維持されるものならば、正確に何が宗教を構成するのかについての古いステレオタイプを放棄することが不可欠になります。 文化的に多元な世界において、他の社会現象と同様に、宗教はさまざまな形態をとってもよいでしょう。 正確に何が宗教であるのかということは、何かひとつの特定の伝統から引き出された概念の適用によって決定することはできません。 唯一、より高いレベルの抽象観念、つまりそれぞれの文化、それぞれの宗教の上位にくるものが、ひとつの参照枠の中で現実の宗教運動の多様性の範囲を包含します。 ちょうど、ある特定の宗教の具体的現象が、他の信仰に必要な様式を規定することが許されないように、使用される言語もまた、可能な限り特定の文化的含意に汚染されていない必要があります。 上記に示された [11節] 確率的一覧が提出されたのは、この目的を達成するため、そして公平に宗教を取り扱うためにです。 宗教の進化的性質を認識するために、そしてさまざまな思考と実践の側面を独立した範疇に包摂(ほうせつ)するために意識的に構築したそのような道具を使ってのみ、広範囲にわたるさまざまな現代の宗教は、然るべき考慮を受けることになりそうです。 
 
日本人の宗教観、海外と違うけど変じゃない?

 

お正月には神社に参り、結婚式はキリスト教の教会で挙げ、お葬式には仏教に則る。こういった、生活のなかにいくつもの宗教が混在する日本人の宗教観を、ユダヤ−キリスト教の一神教を基調とする欧米人は理解し難いと感じているようだ。その背景にあるものを、いくつかのアメリカメディアが探っている。
宗教が生活の一部として存在している日本
クリスチャン・サイエンス・モニター紙(CSM)は、宗教と信仰が大部分において乖離している日本の状況について論じた記事を掲載した。同紙は、世界の宗教に関するニュースを幅広く取り上げている。
CSMはまず、調査会社WIN/Gallup Internationalが発表した信仰心に関する調査結果を引用し、日本は62%もの人が信仰はないとしているにもかかわらず、多くの人が寺社仏閣などに参拝している日本の状況を説明する。つまり、ある参拝者が述べるように「神社にお参りするのは、宗教を信じているのとは別」であり、宗教が生活の慣習の一部として存在しており、「聖と俗が分かちがたい状況にある」ということだ。
その理由の1つとして、CSMは日本人の神社へのお参りが現世利益主義的な側面が強いことを指摘する。明治神宮に飾られた絵馬には、さまざまな願いごとが書かれている。病気治癒や職場での昇進に、嵐のコンサートのチケットまで。宗教は、個人の信仰としてあるわけではなく、絵馬に書かれたように「願いごとがすべて叶いますように」と祈るためにある、というわけだ。
またCSMは、2013年の伊勢神宮の式年遷宮の年には過去最高の1400万人もの人を集めたことに注目する。その理由として、特に若い世代での参詣者の増加について、将来への不安が背景にあるのではと推測する。伊勢神宮の神宮司庁広報課員の音羽悟氏は、20年もの不況で多くの人が目的を失い、将来について不安に感じているため「スピリチュアルな癒やし」を求めている、と同紙に述べている。
八百万の神でもってして異国の神を受け入れる
米公共ラジオ放送(PRI)は、日本の土着の信仰である、八百万の神を祀る「神道」に日本人の宗教観の背景を見出している。PRIに詳細を語っているのは、東京都の渋谷に位置する金王八幡宮の田所克敏宮司。彼の言によれば、「ある日、仏陀と呼ばれる神がアジア大陸からやってきた。その後、キリストと呼ばれる神が船でやってきた。すでにいた八百万の神にもう2つ加わった、というだけのこと」。田所氏はさらに、こういった日本人の受容性の高さを、天ぷらを使って説明する。もともと天ぷらはポルトガルから伝えられたものだが、日本人は受け入れ、文化の一部としている。
田所宮司はさらに、次のように述べる。「人々は宗教を、何を信仰しているのかという観点ではなく、儀式の観点から見ている」。つまり、「この儀式(冠婚葬祭)はどう執り行うのか」が重要であるため、子どもが生まれれば神社にお宮参りし、結婚式はキリスト教の教会で挙げながら、問われれば即座に「仏教徒」と答える状況になっている、とPRIは論ずる。
荒ぶる神を受け入れ、内面の糧とする日本人
しかし、この高い受容性が別の面で発揮されているのを、別のアメリカのメディアPBS(Public Broadcasting Service)が伝えている。ケンタッキー州にあるベリア大学のジェフリー・リチー准教授が、2011年の東北大震災に見舞われた人々が見せた忍耐強さを、宗教的観点から論じている。
宗教学の准教授で、同大学のアジア研究プログラムの責任者であるリチー氏はまず、日本の『ゴジラ』やマンガ『アキラ』に見られるように、日本人の災禍に対する考えは、日本の伝統的な宗教文化に見られるような荒ぶる神としての姿に根付いている、と述べる。そして、本居宣長の『古事記伝』に記した「神(古事記伝では「迦微」)」についての論述を引用して、日本の神は善いものも悪いものもさまざまおり、その心も行いもとりどりであり、人の小さな知恵では計り知れないものだ、とする日本人の宗教観を示した。
だからこそ震災が起きた時に、一神教のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の信者が持つような「震災は神の裁きなのか」という問いではなく、「震災をどう受け止めるべきなのか、震災はどう自分の内面のためにあるのか」という問いを、伝統的な宗教観をもつ日本人は抱きがちになるのではないか、とリチー准教授は問いかける。
西洋の基準からしてみれば、信仰心がないように見え、また日本人の自覚としても宗教に対する信仰心はないとしている人でも、人智を超えたものを畏れ敬う気持ちが日本人の中にあることは、以上の3つの記事からは示されているようだ。 
 
日本における宗教の概要

 

このページは、「わが国における主な宗教団体名」に挙げた教団の中から、教師1人あたりの信者数(信者数を教師数で割ったもの)および布教施設1カ所あたりの教師数(団体数を教師数で割ったもの)の分析を試みるものである。もちろん、この分析は、各教団が文化庁に届け出た統計的数字を基に、レルネットが推察した数字であり、各宗派に取材したものではないので、研究者ならびに各宗派当局からの積極的な反論を待って修正すべき解釈は修正してゆきたい。

これまで、日本の2大宗教潮流ともいえる神社神道と伝統仏教の各宗派の教師(神職・僧侶)数と法人施設(神社・寺院)および信者(氏子・檀家)との相関関係をもとに、宗教家1人当たりの収入等について解説を加えてきたが、一般の人々が関心を抱いているのはむしろ、このような宗教(伝統宗教)よりは、いわゆる「新宗教」と呼ばれるグループに属する宗教団体のほうであろう。事実、熱心な布教活動をし、社会に対して大きな影響を与えているのは「新宗教」諸教団のほうであるからである。したがって、本欄では、新宗教諸教団のうち「皆布教師型宗教」と分類される天理教や真如苑等にスポットを当てて解説を加えたい。
最初に断っておくが、わが国では一般に、あまりにも長期にわたって「本流」ともいえる仏教諸派(江戸時代の国民総檀家制度)や神社神道(明治以後の国家神道政策)が、単なる「儀礼(葬儀・お祓い等)」の執行機関となって、宗教本来の活動である(民衆への)「布教・救済」活動をほとんど行わなくなってしまったので、そちらが一般化してしまい、逆に、熱心に布教活動を行っている「新宗教」教団に対して、ともすれば「奇異なもの」という目を向けがちであるが、諸外国の例と比べるまでもなくそれらの見方は間違いで、私は、むしろ、「布教・救済」活動を熱心に行う集団こそが、本来の意味での宗教団体であるという立場に立って評価していることを明らかにしておきたい。
さて、問題の天理教や真如苑について分析する前に、宗教家1人当たりの、あるいは宗教施設1カ所当たりの信者数についての分析をおさらいすると、神道や伝統仏教のところで既に述べているように、神職1人当たりの氏子の数は4,450人、神社1社あたりの神職の数は0.27人(神社本庁管内)。僧侶1人当たりの檀家の人数は240人、寺院1カ寺あたりの僧侶の数は2.53人(全仏教平均)。また、日本の全宗教団体の平均である教師1人当たりの信者の数313人、布教施設1カ所当たりの教師の数2.97人というデータと比較してみても、天理教の教師1人あたりの信者数9.65人および真如苑の25.0人は極端に少ないと思われる。
数字の上からだけ見た「皆布教師型教団」は他にも神社神道系の木曽御嶽本教の17.5人、教派神道系の大本の20.0人、浄土系の真宗興正派の27.4人、キリスト教系のモルモン教会の21.2人、天理系のほんみちの22.5人というところが、天理教・真如苑とならんで教師1人あたりの信者数が極端に少ない教団であるが、いずれも総信者数や教師数があまり大きくないので、数字としては変動(誤差)する可能性が高いが、天理教の1,910,000人や真如苑の743,000人は、数字としてはかなり大きいので、それだけデータとしての安定性は大きいと考えられる。しかも、データ上での数字の信憑性という点においても、普通、宗教教団が信者数を過大報告をすることはあっても過小報告をすることは考えられにくく(全教団から提出された日本の総宗教人口が2億人を超えていることからも明らかである)、その意味では、この数値(信者数÷教師数)が過大になることはあっても過小になることは考えられにくく、それだけ天理教の9.65人と真如苑の25.0人という数字は信憑性が高いと言える。
「宗教団体の量的評価について」のページで論述したごとく、仮に、日本人1人当たりの年間宗教関係支出の平均が5万円(4人家族だと20万円)だとすると、日本全体では185人に1人が宗教家であるから925万円という計算になり、その内、諸経費や法人の取り分が半分としたら、宗教家個人の1人当たりの平均年収は463万円になる。この計算方式を、「皆布教師型」教団の典型である天理教(教師1人当たりの信者数9.65人)に当てはめると、天理教の教師の平均年収は約24万円、また、真如苑(教師1人当たりの信者数25.0人)でも約63万円ということになり、とても現在の日本において、ひとりの宗教家が生活してゆける金額とは思えない。仮に宗教家個人の取り分が100%だとしてもこの倍になるだけだから、やはり生活は困難だと言わねばなるまい。しかも、どうみても天理教や真如苑の教団には巨大な施設が建設されているので、これらの教団は教師の取り分が多い宗教であるとは考えにくい。
そこで考えられるのは、この数値を算出する元になった文化庁へ提出された両教団のデータが、いささか実態から乖離したものであった可能性が高いと言えることである。否、レルネットは、両教団を責めているのではなくて、文化庁宗務課の質問項目の設定の仕方が両教団の実態を計測するのに不十分であった可能性が高いと思っている。おそらく、文化庁の宗教法人に対する質問項目は、伝統仏教各派や神社神道という固定した檀家や氏子システムに支えられてほとんど布教能力を有さない教団のほうを「典型的な宗教法人」として、その実態把握を目的に質問設定がなされているために、布教指向性の高いこれらの教団が、逆に「想定外」ということになってしまっているのだ。さもなくば、年収24万円で生活できる道理もなく、また、もしそれが実態であったとすると、教師の後継希望者もほとんどいなくなってしまう(教団が弱体化する)であろうが、現実に、天理教は140年以上、真如苑でも50年程続いていることからみても、おそらくそれ以外の収入があると考えるのが妥当であろう。
考えられるひとつの理由は、両教団が「教師」のカテゴリーに分類している人の多くが、実はフルタイムのプロ宗教家ではなく、信者とプロの中間的な存在で、他に収入のある定職を持っている(宗教活動をボランティアでしている)という場合である。多分この類型は、先程、挙げた木曽御嶽本教の17.5人や大本の20.0人という数字にも当てはまると考えられる。
もうひとつ考えられる理由は、この両教団の信者が飛び抜けて信仰心が厚く多くの献金をするか、よほど教団の苛斂誅求が厳しいということである。しかし、全財産を寄進しなければ「出家」できないような信者数がたかだか数百人程度の閉鎖的カルト教団ならいざしらず、百万人単位の信者を抱えるこれらの教団が、このようなカルト教団的な運営をしているとは考えにくく、また、日本の全宗教教団の平均値(教師1人当たりの信者数185人で、年収463万円)からみて天理教のそれは19分の1、真如苑でも7.4分の1と極端に低すぎる。つまり、この乖離を宗教家の収入面から補おうとすると、天理教の信者は全宗教平均の19倍すなわち1人あたり年間95万円(4人家族だと380万円)の献金をしなければならない計算になる。真如苑でも7.4倍すなわち1人あたり年間37万円(4人家族だと148万円)の巨額になってしまう。したがって、これらのケースは、より「あり得ない」ことであるので、おそらく結論は、先の段落で考察したように、信者と教師の中間的な層を「教師」としてカウントしているということであろう。
実は、この両教団に典型的に見られる「皆布教師型」教団の布教力の強さは、このセミプロ的ボランティア層に依存していると考えられる。逆をいうと、いくらプロの僧侶や神職が多くいても、それは布教力には繋がらないということである。信者数等の基本データが公表されていないので、本欄では採り上げなかったが、おそらく、創価学会(ボランティアのセミプロ集団)の抜けた(を破門した)日蓮正宗(プロ集団)の場合も、「皆布教師型」から「伝統仏教型」へと変質したはずである。これらの類型は、社会学的な類型であり、該当する教団の教義や歴史の相違とは全く関係なく導き出される判定基準である。
それでは、天理教と真如苑は、教義や歴史的背景がまったく異なるにもかかわらず、社会学的類型が「同じ」パターンの教団であるか? と言えば、答えは「ノー」である。ここで、「教師1人当たりの信者数」という要素に続くもうひとつの大事な要素である「1布教施設当たりの教師数」という指数が問題になってくる。天理教の5.20人に対して、真如苑のそれは163人と、31倍も異なるからである。因みに全宗教の平均値は2.97人であるから、天理教のそれは平均的な教団とあまり異ならないことになる。一方、真如苑のそれはかなり異なっている。
全宗教の「1布教施設当たりの教師数」の平均値が約3人であるということは、日本の宗教が、かつての「3ちゃん農業(爺ちゃん・婆ちゃん・カーちゃん)」よろしく、極めて「家族経営的」に営まれているということとの査証である。おそらく、住職と副住職の息子(日頃はサラリーマンをしているが、一応僧籍は持っているので、日曜祝日の法事や葬儀の際には「にわか坊主」になってアルバイト代を稼ぐ)と、それに、超高齢化社会になったので、お爺ちゃんの先代住職がまだ存命している)という様子が想像できる。
天理教の5.20人は、教派神道系教団の平均値6.90人とも近く、教派神道系に共通する「教会長の家族全員(女性も含めて)が教職を持っている」というパターンもしくは、明治期の商家の「丁稚奉公」よろしく各教会に2〜3名の「よふぼく」と呼ばれる「住み込みの弟子」がいる場合が想定される。
一方、真如苑の163人という数字は、もちろん、これが血縁関係でないことは明白である。教団本部の徹底的な管理の下、全国の支部に配属された「通勤の教師(霊能師)」がいるというというパターンである。しかも、宗教の世界で「通勤」ということは、パートタイムのセミプロを意味している場合が多い。伝統仏教各宗派では、ほとんどの僧侶は寺院内の庫裏に居住しているからである。
実は、この真如苑の163人という数字(1宗教施設に所属する教師の数)は、教派神道系の聖正道教団の283人、天台系の孝道教団の260人、日蓮系の妙智会教団の366人、同じく佛所護念会教団の379人、それに諸教の生長の家の132人などと並ぶ数字である。ただし、聖正道教団と孝道教団とは、信者数もかなり少なく、また全国の布教施設の数も4カ所と5カ所というふうに極端に少なく、ほんの2〜3カ所施設の数が増減しただけで数値が大きく変動するので、ここでの考察からはずす。残りの3教団、すなわち、信者数100万人の妙智会教団、180万人の佛所護念会教団、88万人の生長の家教団の場合は、規模も同程度でデータとしても安定しているので、考察の対象にしたい。
これらの諸教団は、それぞれの教義や歴史的背景が異なっていたとしても、数字の上からだけ見ると、典型的な新宗教教団の類型に当てはまる。1布教施設(支部道場)に百人単位の教師がいるということは、いうまでもなく各布教施設毎の「家族的経営」ではなく、教団本部の命令によってセミプロ的指導者が「配置された布陣」である。これらの教団では、カリスマ的な中心人物(会主等)がいて、その人の「指導」の下に、教団運営が一律的に管理(「会社的経営」)されている場合が多いと考えられる。また、極めて効率の良い教団布教が行われているものと考えられる。その典型が、ここで採り上げた真如苑であり、同じ「皆布教師型」宗教といっても、布教の前線が「家族的経営」によって営まれている天理教とは、大いに性格を異にしている。
以上の考察によって、これまでに採り上げた「神社神道型」・「伝統仏教型」・「皆布教師型(新宗教型)」教団の形態や運用(布教)方法の違いが、公開されている文化庁のデータだけからでも明らかになった。この夏、文化庁所轄のほとんどの宗教教団は、去る平成8年9月に施行された「改正」宗教法人法に基づく、「備付書類(法人規則・役員名簿・財産目録・収支報告書等)」を文化庁に提出した(各都道府県知事所轄の法人では7割程度)。これらの日本の宗教教団の実態を総覧するデータは、いずれ公開されるが、その時には、新しい資料に基づいた考察をまた行いたい。なお、本欄で行った考察は、すべて平成7年末の文化庁の資料に基づいて推量したものであって、当該教団の関係者もしくはこの分野の研究者で「実態との著しい差異がある」と思われる方があれば、改めるのに吝かではないので、いつでもご連絡いただきたい。 
 
日本の仏教は、釈迦の教えではない

 

米アップル社の創設者、故スティーブ・ジョブズ氏が日本の「禅(ZEN)」に影響を受け、禅の精神がアップル製品の源泉となった話は有名だ。
欧米や日本における禅ブームが一段落した今、新たな仏教のジャンルに世界の人々の注目が集まりつつある。それは「原始仏教」だ。
原始仏教は今から2500年前、古代インドにおける釈迦の「出家」に始まる。この原始仏教の成り立ち、考えを学ぶことが、ビジネスをする上でも効果的だと唱える研究者がいる。
「世界で最も長く続いた組織が仏教であり、そこから学び取れることはとても多い」――。
原始仏教研究の第一人者である花園大学・佐々木閑教授がそのひとり。佐々木教授は、NHKのEテレで放送している人気番組「100分de名著」で「ブッダ最期のことば」などの解説者としても知られる。同番組のテキストは“ベストセラー”になっており、原始仏教についての関心の高さがうかがえる。
原始仏教と日本仏教の根本的な違いから、日本仏教や寺院の衰退、日本人の死生観の変化、日本仏教の未来について、佐々木教授がビジネスパーソンに向けて解き明かす。

原始仏教を知る
――佐々木先生は原始仏教の研究者でいらっしゃいます。仏教が2500年の長い歴史を経て、今なお残っている一方で、昨今では日本仏教の衰退が言われています。世界の仏教史を俯瞰しつつ、現代社会における仏教の役割などを語っていただきたいと思います。
佐々木閑氏(以下、佐々木):私は古代インドの仏教を理解し、それを物差しにすることで、社会や宗教の変容の様子を、ずっと調べてきました。その古代インドの仏教を語る上で、まずは何と言っても、元祖である「釈迦の仏教」を理解しておかねばなりません。「釈迦の時代に仏教がなぜ必要だったか」ということを知れば、なぜ、仏教が今も必要か、という質問の答えが自ずと出てくるからです。
――2500年の時を経て、釈迦の教えが世界中に広まっています。
佐々木:インドでは仏教が生まれる前からバラモン教という宗教が存在していました。当時、インドでは、このバラモン教の教義に沿って厳しい身分差別制度であるカースト制度が社会の基本構造として定着していましたが、やがてこのバラモン教を受け入れない人々が、クシャトリア階級を中心に出現します。彼らは、従来のバラモン教が説く生き方では満足できないと主張し始めるのです。彼らは、当時の社会通念であったバラモン教の世界観に囚われていては、良い生き方ができないと考え、そしてその「社会」から飛び出します。そのような生き方を「出家」と呼ぶのです。
――日本における出家の形とは少し違いますね。
佐々木:出家とは、決して「世を捨てること」ではないのです。その時代の常識的,俗世的な価値観から別の価値観へとジャンプしたいと願う人たちの行動が出家という形で現れるのです。ですから本来の出家は、必ず集団行動なのです。
多くの人は、僧侶になるということは1人で孤独に出家するというイメージを持っているでしょうが、本来の出家とは、一般社会から離脱して特定の価値観で生きようと願う人たちが集まって別の組織をつくる、つまり、島社会の形成にあるのです。仏教の場合、その出家集団としての島社会をサンガと呼びます。日本語でいう「僧」という言葉は、このサンガを意味しています。
――なるほど。
佐々木:そういった島社会の人たちは、皆が同じ価値観を共有しながら身を寄せ合って生きています。ところがその場合、大きな問題が1つ生じます。一般社会、つまり俗世間というものは、本質的に物質的繁栄や富の蓄積を目指しますから、生産効率の向上が必須の要件となります。つまり、より豊かになるために全力を挙げる世界なのです。
しかし、そこから飛び出した島社会の人々は、物質的豊かさではない、また別の生き方を目指すのですから、その生産効率は一般社会より必ず低くなるのです。つまり島社会は、食べていくことが困難な社会なのです。独自の価値観を徹底的に追求しようとすればするほど生産性は低下し、極端な場合は、自分たちで生計を立てることが全く不可能な状態にまで至ります。仏道修行を目的とする仏教のサンガは、まさにそういう、生産能力ゼロの島社会なのです。
――そうするとそういった島社会は、なんらかの方策で、食べていく道を探さねばならなくなりますね。
佐々木:そうです、そしてどのような方策で食べていくかは、その島社会のリーダーが決めるのです。リーダーが組織設計をするのです。ですから、リーダーの善し悪しによって、その島社会の生き方が決まります。釈迦が非常に優れた人だったと思うのはその点です。釈迦は、「布施」という生き方を取り入れましたが、それは実に最良の選択でした。その証拠に釈迦のつくったサンガという組織は、その後2500年経っても、滅びることなく今も続いているのです。
――一般社会からの施しを受けながら生きていくということですね。
佐々木:そう、一般社会からの厚意に完全に依存して生きていくのです。しかし、社会に対して、ノーリターンでは人々は何も施してくれない。それで、彼らは「誠実に修行をしているという聖者の姿」を社会に示すのです。そうすると一般の人々は、「ああ、こんな立派な修行者にお布施をすれば、きっといつか私たちには、その果報が戻ってくるだろう。是非お布施をさせていただきたい」と考えるのです。
――誠実な生き方を見せることが、リターンだということですね。その布施の概念をつくった最初が釈迦だということですか。
佐々木:釈迦が最初というわけではありません。「布施」はインド世界全般の根底にある普遍的観念です。釈迦はその布施の考えを自分の教義に取り入れたのです。ほかの宗教も布施を重要視していましたが、釈迦のように布施に完全依存するというところまではいかなかった。例えば、道ばたで物を拾って食べるとか、自分で農作物をつくって自給自足する、などというのは「布施」で生きていることになりません。
釈迦は弟子たちに、布施に完全依存せよ、と言いました。なぜかといえば、布施に完全依存して初めて一般の人々はその人を聖者として認めるからです。
布施だけで暮らしながら、独自の価値観にしたがって誠実に修行に打ち込んでいる姿を見せることが極めて大切なのです。例えば僧侶が普段は寺の中で畑をつくって自給自足でご飯を食べながら、時々鉢を持って町を歩き回ったって、誰も施しをしてはくれません。
――ちょっと話が先に飛んでしまいますが、今の仏教衰退の原因は、お坊さんが仏教にどっぷり浸かっていないからということですか?
佐々木:それも大きな原因の1つでしょうね。しかし、さらに言えることは、真の釈迦の仏教というものを、日本の仏教界がいまだかつて経験したことがないという点が問題なのです。日本の仏教文化の中には、本当の意味での「布施だけに依存して暮らすサンガ」が存在しないのです。つまり釈迦が考えたような出家生活を実現するための組織が存在しなかったということです。
――538年に仏教が日本に伝来してから、サンガが存在しなかった?
佐々木:はい、そうです。
――信じられません。どういうことでしょう。
佐々木:仏教は最初、奈良に入りましたよね。
――ええ。
佐々木:奈良の仏教は、国家仏教です。ですから、僧侶は国の所有物、言い換えれば、国家予算で養われている国家公務員だったのです。したがって日本では、仏教導入時からすでに、布施で僧侶を支えねばならないという意識が社会に全く根付かなかったのです。
もちろん、鎌倉仏教の時代になって、仏教が民衆化していくと、布施で生きる姿勢を見せた宗派はありましたが、それでも、僧侶が集団でサンガをつくって、布施のみで生きていくというレベルの話ではありません。僧侶が毎朝托鉢にまわり、その施しのご飯だけで生きていく、という姿はなかったのです。そして、本当の布施の意味が理解されない中で、「宗教的な何かを授けるから、その代償としておカネをもらう」という職業的観念が日本の仏教界の中に定着していったのです。
日本では釈迦の時代に見られる「完全依存型の仏教サンガ」は、実現したことがないのです。
――日本では奈良時代の国家仏教から始まり、仏教が政治利用されていくわけですね。政治利用されながらも、仏教も政治を利用していく。鎌倉時代になって個別の宗派が誕生し、戦国時代に入って僧兵などが台頭してきて僧侶が堕落し、江戸時代になれば徳川幕府が檀家制度を組み入れます。仏教が国家の中に完全に組み込まれていくのが日本の仏教史ですね。
佐々木:はい、そして明治になるとそれが大きな節目を迎えます。
――仏教と神道の切り離しですね。神仏判然令による、いわゆる廃仏毀釈。
佐々木:そう。
――神道と仏教が切り離されて、仏教は国家に徹底的に痛めつけられますが、かたや神道を選んだ国家もその後、戦争へと入っていく。
佐々木:そうです。仏教では明治になれば、妻帯が認められるようにもなります。
――つまりお坊さんの俗化が始まるということですね。
佐々木:僧侶の個人財産の所有も公に認められます。これも大きな堕落の1つになります。
――明治以降、日本の僧侶は肉も食べてよし、妻をめとってもよしと。
佐々木:ええ、ただしインドではもともと、僧侶は肉を食べていました。
――そうなのですか。
佐々木:ともかく、江戸期までは、たとえ形式上ではあっても、「僧侶はこうでなければならない」という縛りがあったのですが、それが明治の混乱期に失われ、僧侶が職業の一種として世俗化していったのです。
――日本の僧侶が大衆レベルまで引き下げられてしまった。それによって僧侶に対する尊敬や畏敬が失われていく。
佐々木:こういった仏教の世俗化の、その根本的な原因が何かというと、日本の仏教に「律」がないということなのです。
釈迦の時代以来、仏教サンガには「律」と呼ばれる規則が伝えられています。この規則は別にお坊さんを正しく悟りに導くとか、そういう倫理的な目的で定められたものではなく、完璧な社会依存型の組織(サンガ)を、その形のままで長期的に守っていくための法律です。組織保持を目的とした法律集なのです
――それはどういう法律ですか。
佐々木:律の規則には千数百の禁止事項が定められています。その基本原理は、仏教サンガが社会の人たちから後ろ指を指されないようにするため、僧侶の行動を規制することにあります。ですから、律を守ったからといって悟りを開けるわけではありません。
これはサンガのメンバーである僧侶たちが、一般社会からお布施をいただくにふさわしい正しい行動を指導するための規則なのです。律の縛りがあるおかげで、仏教サンガは、完全依存型の生活を放棄できないようになっています。律によって僧侶の堕落が防止されているわけです。今でも日本以外の仏教国では、僧侶は皆、この律を守りながら暮らしているのです。
――日本にも律を持ってきた人がいましたね。律宗を立ち上げた鑑真です。
佐々木:日本が鑑真和上を呼んだ時、「日本国中に律を定着させよう」などという思いは国家には全くなかったのです。鑑真を呼び寄せた唯一の理由は、授戒儀式を行うことでした。
――授戒だけのために鑑真は日本に来たのですか。
佐々木:律の規則には、新しいお坊さんをつくるためには10人の僧侶の承認が必要だと書いてありますからね。
――つまり、僧侶を誕生させるためには10人の僧侶の認定が必要だと。
佐々木:そうです。ということは、日本にサンガをつくるためにはまず10人の僧侶がそこに存在しなければなりません。ですから、中国から10人以上の僧侶を日本に連れてこないと何も始まらないのです。もちろん聖徳太子の時代から、僧侶が単独で大陸から来日してはいましたが、それでは全然役に立たない。10人以上の僧侶が集団でやって来てサンガをつくり、その場の中で授戒をしてくれないと新たな日本人の僧侶を生み出すことはできないのです。
仏教という宗教には厳然たる定義があって、それは仏と法と僧です。仏とは「ブッダを敬う」ということ、法とは「ブッダの教えを敬う」ということ、そして僧とは「サンガをつくって修行生活をする」ということ。この三要素がそろわなければ、「仏教が導入された」とは言えないのです。聖徳太子は仏教を日本に導入したいと考えましたが、それは言い換えれば、仏・法・僧の三宝を導入するということなのです。
しかし、今言ったように、サンガはまだ聖徳太子の時代には日本には存在していないわけです。朝廷は何とか本式の仏教を導入したいと思っていた。中国に向けて、「我々日本は真の仏教国だ」ということを公に示したい。ところが、そのためには仏・法・僧の3要素を全部導入しなくちゃいけない。仏は仏像を輸入すればいい。これは簡単です。法はお経を持ってくればいいので、これまた簡単。いわゆる『三経義疏』の伝説が、法を導入した証明です。
ところが最後のサンガ(僧)だけが、どうしても導入できなかった。10人以上の中国人僧侶を一挙に連れてこなければならないからです。ですから聖徳太子以降、日本にとってはサンガの導入が悲願だったのです。しかしその一方で、インドのような完全依存型の仏教を広めようなんていう思いはさらさらなかった。国家公務員としての僧侶を生み出すためのスタート地点となる、最初の10人が欲しかっただけなのです。
――結局、鑑真は何人連れてきたのですか。
佐々木:14人です。日本にとっては鑑真が1人で来てもらったところで、仕方ありません。授戒ができる10人以上の僧侶がやって来たので、東大寺の大仏殿前で鑑真を迎えた。これで仏、法、僧が日本にようやくそろったのです。だから、すぐにその場で授戒儀式を執行したのです。
――そうしてひとたび僧侶が何十人、何百人単位でできてしまうと、あとはもう自分の国で僧侶の自家生産ができるということですね。
佐々木:そうです。ですから、日本に仏教を広めたいという誠実な思いを持ってやって来てくださった鑑真和上は、その後、大きな疎外感を持って余生を過ごされたのだろうと思います。
――結局、鑑真は国家の意向に翻弄されたのですね。
佐々木:そうです。そんな鑑真和上の一種の隠居の場として朝廷が造ったのが唐招提寺です。
ですから日本は、授戒儀式のために律を必要としましたが、律に基づくサンガという組織は必要としなかったのです。
仮に日本で律に基づいてサンガがつくられたとするとどうなるか。サンガは自治権を持って自分たちで運営を始めます。何度も言うようにサンガは完全依存型ですから、毎朝托鉢に行って、あとは修行三昧の日々になります。それは大和朝廷から見るととんでもない話なのです。僧侶というのは国のために働く国家公務員ですから。中国から使節が来れば接待をし、天皇が病気になれば治癒のための儀式、治安が乱れたり、疫病が流行れば鎮護国家のための儀式……。そんな「国の仕事」をしてもらわなくちゃいけないから、サンガという組織を認めることなどできなかったのです。
―― 一瞬でもサンガは形成されなかった?
佐々木:されていません。釈迦の時代のようなサンガが日本にそのまま存在したという証拠はないのです。当時の国家の法体系である律令の中に、僧尼令と呼ばれる特別な規則をつくって、僧侶と尼僧を縛ってはいましたが、それはあくまで国家法による統括です。
――尼僧も同時にスタートしたのですか。
佐々木:いや、そうではありません。尼僧になるにはハードルが高く、男性僧侶とは別の規則があります。尼僧になるには、10人の尼僧が許可をし、さらにそのあと、10人の男性僧侶が許可しなければならないと定められています。ですから男性僧侶のサンガがまずできなければ、尼僧のサンガができるはずがないのです。
――では日本は、サンガを形成することなく、完全に国家に組み込まれた形で日本仏教史がつくられていくということですね。
佐々木:そうです。 
 

 

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