■童歌 ■絵描き歌 / たこ入道・あひるのこ・こぶた・カッパ・さかな・およめさん・お姫さま・てっちゃん・コックさん・へのへのもへじ・・・ ■数え歌 / 京都の通り名・いちじくにんじん・いちにさんまのしっぽ・一つとや・・・ ■遊び歌1 / 茶つぼ・手遊び歌・お手玉唄・口あそび唄・・・ ■遊び歌2 / おちゃらかほい・お寺の和尚さん・茶摘み・アルプス一万尺・・・ ■遊び歌3 / かごめかごめ・はないちもんめ・通りゃんせ・ずいずいずっころばし・いろはに金平糖・一かけ二かけ・今年の牡丹・せんべいやけた・あぶくたった1・あぶくたった2・あそび唄・なわとび唄・・・ ■手鞠歌 / あんたがたどこさ・道成寺・一匁のい助さん・一番はじめは一の宮・各地の手まり唄1・各地の手まり唄2・・・ ■子守歌 / ねんねんころりよ・五木の子守唄・ゆりかごの唄・竹田の子守唄・中国地方の子守唄・島原の子守歌・・・ ■わらべ唄の分類 2 ■わらべ唄の分類 3 ■全国の童歌 北海道・青森・岩手・宮城・秋田・山形・福島 栃木・群馬・茨城・埼玉・千葉・東京・神奈川 山梨・静岡・長野・新潟・愛知・岐阜・石川・富山・福井 三重・奈良・和歌山・滋賀・京都・大阪・兵庫 岡山・広島・鳥取・島根・山口 愛媛・徳島・香川・高知 福岡・佐賀・大分・長崎・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄 ■童歌諸話 / 子守唄と守り子唄・子守歌の世界・子守唄にみる幼児労働・童唄の発想と表現・童謡わらべ歌・子供の歌・お月さまいくつ・「お月さん幾つ」考・螢狩の唄・わらべうた・仏教とわらべうた・わらべ歌に隠された闇・わらべ歌と差別・雪渡りとわらべ歌・座敷童子・桃太郎・亥の子・ジャンケンポン・わらべ歌と猫・・・ |
通りゃんせ・ずいずいずっころばし・げんこつ山のたぬきさん・雪やコンコン・坊やはよい子だ・いもむしごろごろ・せっせっせ・鬼さんこちら手の鳴るほうへ・ホーホー蛍こい・だいぼろつぼろ・やもよやもよ・こうもりこっこ・烏勘三郎・しりとり歌・さよなら三角・大寒小寒・かくれんぼ・あんたがたどこさ・花いちもんめ・春よ来い・守さ子守さ・花咲爺・かごめかごめ・指きりげんまん・家の裏の黒猫・うしもうー・うさぎうさぎ・夕焼けこやけ・雀雀ほしんじょ・だるまさん・諸唄 |
![]() ■童歌 (わらべうた) |
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こどもが遊びながら歌う、昔から伝えられ歌い継がれてきた歌である。伝承童謡(でんしょうどうよう)、自然童謡(しぜんどうよう)ともいう。民謡の一種ととらえられるものもある。 / 古くから子供たちの間で歌われてきた歌。また、子供に歌ってきかせる歌。 / 子どもたち自身が生活のなかで歌う歌。 / 昔から子供に歌いつがれてきた歌。また、子供に歌って聞かせる歌。遊びに伴うものが多い。手まり歌や数え歌など。 / 日本民謡の一種。子どもたちが日常生活の遊びや体験の中からしぜんに習いおぼえ、口づたえに歌われてきた歌。作詞者・作曲者とも不明で、メロディーがやさしくおぼえやすいのが特徴。まりつき・羽根つき・なわとび・鬼ごっこ・お手玉などの遊戯にむすびついたものが多く、このほか、正月・節句・祭りなどの年中行事に関する歌や、はやし歌・数え歌・しりとり歌などの種類がある。
・・・大正期の童謡運動以後、子どもたちに読ませるために作られた詩、さらに子どもたちのために作られた歌曲をさすようになった。これらは、従来のわらべうたと区別するため創作童謡、芸術童謡などともいわれ、またわらべうたの方を伝承童謡とよんでいた。1918年に鈴木三重吉らによって創刊された児童雑誌《赤い鳥》を基盤に展開された〈赤い鳥〉の運動は、泉鏡花、小山内薫、芥川竜之介、北原白秋、島崎藤村ら当時を代表する文学者の参加を得て児童文学の運動として始まった。・・・ |
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■わらべ (童) わらんべ、わらわ、わらわべ、わろうべともいい、童部とも表記した。普通には男女を問わず元服以前の児童(童子・子ども)をさした。童というのは10歳前後とする考え方もあるが、そのように限定してしまうと、かえって童の語にふくまれていた豊富な内容が見失われかねないともいえる。なぜならば、成人女性は謙遜して自分をさすのに〈わらわ〉の語をもちいたし、また、年齢的にはけっして児童ではないにもかかわらず、髪風もふくめて姿形が〈童形(どうぎよう)〉であるものを童・童子などと呼んだ。 童(わらし、わらんべ、わらわ、わっぱ)、童衆(わらし、わっぱ)。 ■字源 1 / 「語源 ・ 元々は、目を刃物で突きぬいて見えなくした男の奴隷。また、男の罪人を奴隷としたもの。」 童というのは従来の説では、奴隷を意味すると言うことになっています。奴隷は髪を結んでおらず、それが子供を連想させるからだそうです。 甲骨文字では童はどのような形をしているのでしょうか。とても複雑な形をしています。辛(針)+目+東(袋)+土です。従来は辛を奴隷の入れ墨と結びつけて解釈してきました。東は袋を意味するとされています。袋がどうして「ひがし」を意味するのが不思議ですが、甲骨文字で東を含む字には量と重がありまして、確かに両方とも「満杯の袋」の意味で東が使われています。童は入れ墨をされた奴隷が重い袋を背負わされているのだと解釈されてきました。しかし童が奴隷の意味で使われたことはありません。 童を含む字として瞳(ひとみ)があります。これはわかりやすいです。子供は瞳が大きいからです。では童も元々瞳という意味だったと考えてみてはどうでしょうか?童という字には「目」が含まれているのですから! 眼球は液体が詰まった袋です。眼球を納めたまぶたもまた袋になっています。瞳は眼球にあいた針穴のように小さな穴です。だから辛(針)+目+東(袋)で瞳なのです。土はおそらく「満杯」を意味する符号でしょう。山水蒙のところで説明しますが、春秋戦国時代には童は子供と瞳(のぞき窓・採光のための窓)の両方の意味で使われていたと考えられます。 ■字源 2 / 会意兼形声文字です(辛+目+重)。「入れ墨をする為の針」の象形と「人の目」の象形と「重い袋」の象形から、目の上に入れ墨をされ重い袋を背負わされた「どれい」を意味する「童」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て) 「未成年者(児童)」の意味も表すようになりました。 ■字源 3 / 罪を犯して奴隷階級にまで下がってしまった罪人。その「罪人」に歌わせていたのが「童謡」。昔の動揺に怖い裏付けがされるのはこのためとか。さらに、「働く(はたらく)」意味は「童(奴隷)」に「力」(農作業で使う「すき」を象った字)を使って働かせるので、「童+力」で『動(はたらき)』になる。さらに「人(権力者)」が監視して「働く」という字になる。 ■ …15歳で一人前となり、若者組へ加入することでその完成は示された。世代としての子どもは古い言葉では〈わらわ〉〈わらんべ〉〈わらし〉などであるが、それらはしだいに使用されなくなり、子どもが一般化してきたのは、もともとの〈こ〉〈こども〉の意味が変化拡大した結果と思われる。子どもの第2の意味である、〈親に対する存在としての子ども〉は〈こ〉という言葉のより古いあり方を示していよう。… ■わらわ (童) 束ねないで、垂らしたままの髪。また、そうした10歳前後の子供。童児。わらべ。使い走りの子供。召使い。寺院で召し使う少年。 ■わらし (童) (主に東北地方で)子供。わらべ。 ■わっぱ (童) 子供をののしっていう語。また、子供。年少の奉公人。小僧。男子が自分のことを卑下していう語。横暴な人。あばれ者。乱暴者。 ■こわっぱ 「こわっぱ」とは、子ども、または若輩者をののしっていう語で、若造といった意味である。「こわらわ(小童)」の変化した語で、「こわらわ」とは幼い子ども、小さな子どものことである。 「わらは(童)」は、まだ元服していない、10歳前後の子どもを言う。なぜそれくらいの年齢の子どもを「わらわ」と呼ぶのかはよくわかっていないのだが、この年代の子どもは髪を束ねないで下げ垂らした髪型をしていて、それを「わらわ」と言ったことによるという説がある。ただし子どもと髪型の呼称のどちらが先なのかはよくわからない。 「わっぱ」はこの「わらわ(童)」が変化した語である。もちろん「わっぱ飯」などという、まげ物の弁当入れを言う「わっぱ」のことではないし、車輪や手錠などをいう「わっぱ」とも違う。それらはいずれも漢字で書くと「輪っぱ」である。 ちなみに、時代劇などで武家の女性の自称として使われる「わらわ(私・妾)」は、この「わらわ(童)」から生まれた語である。童(わらわ)のような未熟な者、幼稚な者といった意味なのであろう。また、「かっぱ(河童)」は、「かわわらは(河童)」の変化した「かわわっぱ」から生まれた語である。 なお、蛇足ではあるが、室賀正武は天正12年(1584)に、信之・信繁兄弟の父昌幸に殺害される。室賀正武に「こわっぱ」呼ばわりされる信之は永禄(えいろく)9年(1566)の生まれなのでこのときはまだ10歳代で、まさに「こわっぱ」と言える年頃である。ところがそれを演じる大泉洋さんの実年齢はというと、どう考えても20歳前とは言えないはずだが、まったく違和感がない。役者さんはすごいと思う。 ■おおわらわ (大童) 一生懸命になること。夢中になってことをすること。 「童」は元服前の3〜10才の子供のこと。また子供のおかっぱ頭の髪形もいいます。戦場で兜を脱ぎ捨てると髪が乱れ、童のようになるところから、髪をふり乱して戦かうさまが「大きな童」で「大童」。 「おおわらわ」に似た意味に「てんてこ舞い」があるが、これは太鼓の音に合わせて舞うこと。驚きあわてる表現に、「泡を食う」がある。 ■ 大童は、髪の乱れの形容から生まれた語である。「童」は元服前の子供(3歳から10歳くらい)のことであるが、子供が髪を束ねないで垂らしているその髪形もいう。大人はきちんと髪を結っているが、戦場で兜を脱ぎ捨てると髪が乱れ、童のようになることから、髪を乱して奮戦するさまを「大きな童」で「大童」と言うようになり、一心不乱になって行うさまも「大童」と言うようになった。「童」の語は「乱れる」という意味に由来するため、髪形に関係なく、取り乱して大慌てすることから「大童」になったとも考えられるが、『平治物語』の「冑も落ちて、おほわらわになり給ふ」など、髪の乱れをいったものが多いことから、子供のように乱れた髪に由来すると考えた方が良いであろう。 |
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■1.「遊び」のうた | |
■「手合せ」のうた
「手合せ」や「指あそび」の歌は、現在もなお子どもたちの中に生きている。インスタントなところが喜ばれるのか、通学のバスを待つ短い時間などに、子どもたちは、結構この遊びを楽しんでいる。 一二の三/二の四の五/三、一、二の四の/二の 四の五 (高岡) 数字を唱えるだけのこの歌は、「指遊び」の歌である。互いに向き合い、数字に合わせて指を出し合って遊ぶ。この歌は、もと「石けり」の歌だった。それを子どもたちは、「指遊び」に転用したのである。最近、その数字に合わせ、階段を上り下りして遊んでいる。別の遊びへの新しい転用である。 時に、仲間の誰かが祖母などから古い「手合せうた」などを教わったりすると、それがまたたく間に広がってしまう。旋律のアンティークな味わいを子どもたちは、一つのファッションとして楽しむのである。 一かけ二かけて三かけて/四かけて五かけてはしをかけ/はしのらんかん手を腰に/晴れたみそらを眺むれば/十七、八のねえさんが/花と線香手にもって/もしもしねえさんどこへ行く/私は九州鹿児島の/西郷隆盛娘です/今日は命日墓まいり/お墓の前で手を合わせ/なみあみだぶつと唱えます。 (高岡) 「遊び方」は、セッセッセーノ、ヨイヨイヨイなどと掛声をかけて調子をそろえ、第1拍でそれぞれ手を打ち、第2拍で相手の手と打ち合わせ、これを繰り返す。 それにしても奇妙に錯綜した歌詞である。何かいろんな場面や物語の断片のようなものが入り混ざつている。もとは、西南戦争(明治10年)後の西郷隆盛を悼む御霊(みたま)信仰のようなものが歌詞の内容となっていたようだが、口写しに歌い継がれる中で詞章が崩れ、意味が風化していったのだろう。そして、言葉のイメージだけが連鎖し、奇妙な錯綜を醸し出すのではないだろうか。古いわらべうたには、このようなものが多く、伝承童謡(わらべうた)のひとつの特性となっている。しかし、そのこと−絶えず自由に歌い変えられているということによって伝承を保持し得たのかも知れない。したがって、ひとつの歌が伝えられる過程で、周囲には、歌に捨てられた類歌(ヴアージョン)が無数に累積する。どれを拾い上げて歌うかは、全く子どもたちの好みに任される。 だが、「わらべうた」は、仲間と一緒にうたって遊ぶ歌である。いつも一緒にうたっていると、歌はその中で調整され、「仲間のうた」ができあがる。ひとつの類歌の流布圏は、子どもの交友圏と重なるのである。類歌は、このようにして成立するので、歌詞や旋律の上に著しい地域性が生ずる。この歌の場合も、次のような詞章を付け加えた類歌が採集される。 お墓のあとの魂が/ふんわりふんわり/ジャンケンポン (宇祭月) もしも、この子が男なら/士官学校(あるいは、「師範学校」)を卒業させ/イギリス言葉を習わせて/梅にうぐいすとまらせて/ホーホケキョーと鳴かせます。 (砺波) |
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■「手まりうた」
「手合せ」の遊びに用いている「一かけ、二かけ」の歌は、もとは「手まりうた」であった。また、「お手玉」をする時にも歌ったという。さらに「縄とび」にも使ったという。まさに万能「遊びうた」の感がある。また、この歌の旋律には、次のように全く別の歌詞を付けて歌われることもある。 一番はじめは一の宮/二また日光東照宮/三また佐倉の宗五郎/四また信濃の善光寺/五つは出雲のおおやしろ/六つ村々鎮守様/七つ成田の不動様/八つ八幡の八幡宮/九つ高野の弘法様/十で富山の招魂社 (富山) 歌詞は、数え歌の形式による全国寺社尽くしである。この歌にも異同が多く、 「三で讃岐の金比羅さん」 (立山町) 「十で富山の反魂丹」 (富山) などと、登場する名所名物が異なり、ここでもまた、末尾に次のような詞章が付け加えられる。 「十一いなかのお医者様/十二は二宮金次郎…」 (射水) 「これほど信心したけれど/浪さんの病はなおらない/ゴウゴウゴウと鳴る汽車は/武男と浪子の別れ汽車/武男が戦に行く時は…。 (滑川) 誰かが、ふと思い付いた言葉を挟み、それがまわりに承認され、そのまま類歌となって伝えられていくのである。小説『不如帰』(徳富蘆花)のエピソードを、いつ、どこで、だれがこの歌の中に持ち込んだのか、それはもうわからない。 「手まりうた」は、かつて「遊びうた」の王座であった。明治39年に編纂された『伝説俗謡童話俚諺調査答申書』(富山県教育課編)に収録されている165篇の「わらべ歌」の約3分の2が「手まり歌」で占められる。この調査の行われた明治30年代には、まだゴムまりが用いられておらず、手作りの「糸まり」が使われていた。糸まりは、ぜんまい綿やひじきなどを芯にして、もめん糸を幾重にも重ねて巻き、表面を赤や黄の糸で花や星の形をかがって作った。母親や祖母などが念入りに作って子どもに与えるのが普通だった。糸まりは、ゴムまりに比べてはずみが悪かったので、子どもたちは床にひざを落としてまりをついた。ゴムまりが県内に普及するのは、大正へ入ってからであった。 かつて、子どもたちにとっては、遊びの技法は、非常に重要な意味をもっていた。女の子では、手まりやお手玉、男の子では、竹馬やコマ廻しというふうに、それぞれの遊びには、初伝から奥伝にいたる技法の段階があり、子どもたちは、技法を磨き、奥儀を究めることに熱心であった。まりつきの技法の中心は、何といっても、まりを長く持続してつくことであった。いくつつけるか判定するために「手まり歌」の中では数が数えられ、時間を持たせるために歌の中に長い物語が仕組まれた。先の「一番はじめ」の歌は「数え歌」風であり、「一かけ、二かけ」の方は、より「物語」風である。しかし、1曲を歌い終えても、まだまりが続いている。そんな時、別な歌を思いついて歌い継いでゆく。そのうち、前の方を忘れて途中から歌い出したり、真ん中の部分が抜けてしまって前と後とがつながったりするなど、いろんな風に接続、分断を繰り返しながら歌は変わってゆくのである。 |
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■「お手玉、羽根つき」の歌
「お手玉」も「羽根つき」も技法を競う遊びであった。 一つご、二つご、かんじきはいた/いわして、まわろ、まわろ/なむ、なむ、はいたら、トン/中の一つご、一つご/中の二つご/一つ、ねえさんはいたら/いわして、きわろ、きわろ…。 (富山) 「お手玉うた」である。意味のよくわからない言葉が続いているが、全体お手玉の技法を指示する言葉で成り立っている。土地の言葉で、しかも子ども独特の表現で歌われたため、意味がわからなくなったのである。よく知られる「おっさあらい」(右手で親玉をほうり上げ、それが空中にある間に下の子玉をさらい取る技法)をはじめ、お手玉遊びの歌には、直接、技法をうたい込んだ歌が多い。 ひとめ、ふため、みよかし、よめな/いつよの、むかし/ななおの、やかし/このまに、とおり。 (城端) 数え歌の型式をとった「羽根つき」の歌である。この歌も土地によって様々なヴアージョンで歌われ、例えば、大山町では結びを、「ここの前でとまれ」、魚津では「ここの目でとまった」などと歌われる。先の歌の採集地の城端では、この歌を「どっこい、どっこい」と互いに間を入れ合いながら機場(はたば)の作業歌としても歌ったという。また、雪の多い本県では、「羽根つき」より、この歌で紙ふうせんをついて遊ぶことが多かったという。 やがて、遊びがレジャーとされ、ひまつぶしとされるようになって、子どもたちは、歌を真に自分のものとして打ち込むことができなくなる。それと共に、遊びの技術も未熟となり、まりつきやお手玉のように高度な技術を必要とする遊びは、子どもの中から次第に消えてゆく。そして、先のインスタントな「手合せ」遊びの中に、わずかな名残りを留めてゆくのである。 |
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■2.季節のうた | |
■風や草や鳥のうた
かつて、子どもたちは、わらべうたの豊かな実りの中に生きていた。町の子たちが路地のどぶ板を踏みならして「手まり歌」や「花いちもんめ」に興じていた時、村の子たちは、畦(あぜ)に立って風や草や鳥のうたを歌をうたい、歌うということのほのかな情感にひたっていた。人は、風や草や鳥と共に生きていたから、風に尋ね、虫と語るという日々を送っていた。不思議なことがいっぱいあっても、それがいちいち合理的には説明されなかったから、子どもたちは、いつも自然に呼びかけ、「自然」から直接聞こうとしたのだ。 大かぜ、小かぜ/こうやの山から/風もってこい。 (射水) 雨ふってござった/天竺(てんじく)のまっつりだ。 (上新川) つつじの花が/開いたり、つぼんだり/おらなんとこせ。 (砺波) だんぼ(とんぼ)だんぼ、とまらっせい/おまえさ、なんかにかもうけ。 (下新川) とんべ、とんべ/舞い舞いせ/蛇捕ってぶっちゃげよか。 (平村) これらの歌には、特にきわ立った旋律やリズムがあるわけではない。土地の言葉の抑揚や情感がそのまま旋律に転じたといっていい。会話の中のアクセントの高低が自ずと節(ふし)を作ったのである。 とかげ、とかげ/おら、なも、せんな/川原の石や、石や。 (下新川) とかげを殺してしまったことのいいわけである。 へびやまむしや、よるなや/なた、かま、腰にさしとるぞ。 (砺波) これは、へびへのおどし。 川の神さま、川の神さま/かんねして、くりゃっしゃいの。 (下新川) これは、川に小便しても、罰を受けないための唱えごと。子どもたちには、とかげやへびや川の神様に直接、語りかける−そのことがおもしろい。言葉は、旋律を伴うことによって言霊(ことだま)効果を発揮する。 |
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■雪と正月のうた
下、わたぼし/空、はえのこ/天じく、天じく、はえのこ。 (婦負) 雪ぁ降る/みそさんしょうぁ(ミソサザイ)なく/かあかござらず/おら、どうするこっちゃ。 (下新川) 大きなぼたん雪がいっぱいに降りしきる。雪の降る空へあおむくと、数知れずおりてくる虫のような黒い雪に不思議な興奮を覚える。雪の降った夕方は、あたり一面、うすい霧におおわれ、厚い層雲からもれる重い日ざしが乱反射を繰り返し、あやしげな薄明光をつくり出す。情感を刺激するのはそんな光だ。 昔は、雪が降れば、雪の降ったような生活をした。雪の中でじっと耐え、雪に自分を同化させようとした。はなやかな中に悲しさを秘めた雪は、北陸型の感情様式の象徴でもあったようだ。 |
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■雪の中で「正月」を迎える
お正月さま、お正月さま/どこまでござった/くりから山の茶屋までござった/おみやげ何じゃ/みかん、こんぶ、かややかちぐり/あまの原の串柿。 (砺波) 年神のうた。新しい年をもってきてくれる年神を、子どもたちは、「正月さま」と呼ぶ。正月さまは、おみやげをさげてきてくれるが、それは土地によって異なる。砺波地方では、一般に「みかん」「こんぶ」「あまの原の串柿」が多い。「あまの原の串柿」は、「あま(天井裏の部屋)につった串柿」(平村)が原型だろうか。そのほかに「みかん・くねんぼ」(下新川)、「ゆずり葉」(高岡)、「猫のふんだかいもち」(高岡)というのもある。 天神さま、天神さま/どこまでいらっしやった/くるくる林の下までいらっしゃった…。 (宇奈月) ここでは、「正月さま」が「天神さま」となっている。旧前田藩の領内では、「天神さま」を「正月さま」と受け取っている地域があった。領内では、天神さまは手習いの神様であり、子どもの守護神であるともされていたからだ。歌に戻って、「どこまでいらっしゃった」のあと、「くるくる山の下まで」と続くのが県内では最も多く、そのほかに「きりきり山のすそ」(平村)、「くろべの橋」(下新川)とも歌い込まれている。また、やっていらっしゃる「神さま」のかっこうについても言及し、「まえだま(繭玉)ふってござった」と歌われるのが多く、「とうふげたはいて、串柿かんで(かついで)長いてぼ(杖)ついてござった」(伏木)というていねいなものもある。 正月ちゅうもんは、よいもんや/月さまみたいなぼち(もち)たべて/あかしみたいなとと(魚)たべて/油みたいな酒のんで/正月ちゅうもんは、よいもんや。 (砺波) 手放しの正月讃歌。子どもたちにとって、正月は1年を通しての最も楽しいひと時であった。白米のおもちや魚などが容易に口に入らない時代の願望がよく写し出されている。 正月の歌としては、このほかに1月15日を中心とする「小正月」行事にうたわれる歌が数多く残されている。「左義長」「鳥追い」「成木責め」などの行事でうたった歌である。 (「鳥追い」は、鳥害を防止するための、「成木責め」は、果樹の豊作を願う呪術的な農村行事。砺波地方では、これらが連結して行われていた。14日の夜、子どもたちは、「左義長」の残り火でもちを焼いて食べ、そのあと、「鳥追い」のうたを歌って田畑をねり歩き、庭先へ戻って「成木責め」を行った。柿の木のそばへいって、一人が鎌で木の幹に傷をつけ「なるか、ならんか」と唱える。それに答えて他の一人は「イタイ、イタイ、なるなる」と唱える。そこで二人は、傷口に小豆(あずき)がゆを掛けて引きあげる) これらの行事に参加することによって、子どもは、土地の生活にとけこみ、地域社会を支える一員としての地位を獲得していったのである。 |
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■3.子守うた | |
■「子守」のうた
ねんねや、おろろわい/ねんねや、おろろわい 泣くなや、泣くなや/すずめの子/泣くと餌刺(えささし)が、とりにくる。 ねんねや、ねんね。 ねんねのお守は、どこへいった/山こえて里いった/里のみやげになにもろた/でんでん太鼓に、しょうの笛 赤いお皿に、ととよそて/赤いおわんに、ままよそて/ねんねやねんね。 (富山) 「子守うた」には、「ねんねや、おろろわい」などという響きのよいリフレインが加わり、それが何度も繰り返される。このやさしい響きが子どもを落ち着かせ、場に情感を醸し出す。 先のうたには、この地方で歌われていた3種の歌が連なって出てくる。最初は「餌刺」のうた。「餌刺」は、藩政時代、鷹匠に属し、鷹の餌にする小鳥を捕えることを職業とした人たち。泣く子をすずめにたとえ、泣くと餌刺が刺しにくると、おどしているのである。朝日町で採集された歌では、この部分が「いたち」に変えられている。 …ねんねん、泣きや、いたつ(ち)の子/泣いちゃいたつ(ち)が刺しねくる/ねんねんねん… 中ほどに出るのは、一般に「江戸子守唄」と呼ばれている詞章。 最後に出てくるのは、正月の歌にも出ていた食事への願望。ここでは、「赤い皿、赤いおわん」と色彩が強調されている。次の類歌には、赤、白、青とさらに色彩が強調される。 …赤いちゃわんに、ままよそて/白いちゃわんに、おつけよそて/青いてっしゅ(小ざら)に、ここ(つけもの)よそて… (婦負) 「子守うた」は、子どもをあやすための、いわば実用的な歌である。子どもが寝つくまで、しばらくは歌い続けてやらなくてはならない。歌としての形を整える必要はなく、おどしたり、あやしたりしながら、思いつくままに、いろんな歌をうたいつないでいったのである。 |
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■「守り子」のうた
子守には、母親や祖母、あるいは姉など、身内の者があたるのが普通であったが、それ以外によそから少女を雇い入れ、子守をさせるという風習は、藩政時代からみられるものであった。しかし、それが非常に盛んになったのは、明治に入ってからで、あと大正を経て、昭和の初めにいたるまでこの風習が残っていた。こうして、全国、至るところの町や村には、手ぬぐいで髪をつつみ、小さな子を背負った子守娘の姿が多く見られたのであった。 「守り子」を置くことのできる家は、中流以上で、守り子を出す家は、それ以下の家であった。また、両親が遠方へ出かせぎに出る時など、子どもを守り子として働かせることを条件に他家に預けるという風習も多かった。しかし、いずれにしろ、守り子は雇い主の家では、最下級の使用人として扱われるのが普通であった。「守り子のうた」とでも称すべき一群の子守うたの中に、その苛酷な境遇が歌い込まれている。 子守りよな、おぞいもんな、どこにあろか/親に 叱られ、子に泣かれ、ひとの軒端(のきば)に、立ってあかす/ねえ、おやおや、ねえ、おやおや……子守よな、おぞいもんな、どこにあろか、雨が吹いても宿もたず/うちいきゃ、おっかに、ばめかれる/ねえ、おやおや、ねえ、おやおや。 (黒部) 「子守うた」は、本来、大人が子どもに歌ってやる歌であった。しかし、子守に当たる者が子どもであったために、「子守うた」は、わらべうたの延長となり、そこで子ども自身の生活や願望がうたわれることになったといえよう。「守り子のうた」には、次のような数え歌型式のものも見られる。 ことし、はじめて、子守に出たら/一にいじめられ/二ににくまれ/三にさべられ/四にしかられ/五にごなりめそ、かづかせられて/六に、ろくなものくわせぬことに/七にしめしまであらわせられて/八に、はりつけられ、涙をこぼし/九に、くくらつけられ、/十に戸のところで、家へ泣き泣きもどる。 (下新川) 〈さべられ〉は、告げ口されること。〈ごなりめそ〉は、泣き虫の子−というふうに土地の言葉だけでこの詞章が成り立っている。「守り子うた」の発生は、通常の「子守うた」にいろんなニュアンスを与え、「子守うた」の奥行きを深くしたと同時に、それが一般の「民謡」との接点を作った。民謡として歌われる「五木の子守唄」や「島原の子守唄」などは、みな「守り子のうた」として成立したのである。「守り子のうた」の果たした役割を柳田国男は、『民謡覚書』の中で次のように記している。 |
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明治以後になって新たに発生した民謡は、鉱山の穴の底、或いは大洋を走る船の上などにもあったが、日常我々の耳に触れる平地の歌としては、織屋、紡織などの工場から出て来る声、それよりも更に夥しい数は、村の小さな子守娘らの口すさびであった。年頃といふよりも少し前の少女を雇ひ入れて、その背に子供をくくり付けて外へ出す習慣は、決してさう古くからのもので無いらしいのだが、彼等は忽ち群を為し、群の空気を作り、一朝にして百、二百の守唄を作ってしまった。何人も未だ子守唄の作者を以て任ずるものは無く、流行歌(はやりうた)があってもその選択応用は、すべて彼等の自主であったが、しかも号令無く、また強制もなくしても、歌は悉(ことごと)く既に彼等の共有になって居(い)るのである。 |
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![]() ■絵描き歌 |
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■絵描き歌
絵の描き方を歌詞にして、指示通りに描いていくと、自然と絵が完成しているといったもの。日本で有名なものとしては「ぼうが一本あったとさ」(俗称コックさん)がある。似た子供の遊びとしては「へのへのもへじ」などの歌わずに文字で絵を書く「文字絵」がある。 ■文字絵 文字を組み合わせて絵を作る江戸時代の遊びである。現代にも伝わるへのへのもへじはその代表例である。他には「つる三ハ○○ムし(つるニハ○○ムし)」「ヘマムシヨ入道」「いろは天狗」など。 絵描き歌、アスキーアート、顔文字と似ているが、文字絵には以下の特徴がある。 ○ 歌わない。 ○ 単語の意味と絵の内容が合ったものが好まれる。 ○ 文字の一部が他の文字に入り組んだり、大きさや位置は行に由来しなかったりと配置が自由である。 ■顔文字 文などの文字の中で表情などを持った顔のように見える文字を使用することで表情の意味を絵文字のように表す表現である。文字や記号を組み合わせて表情を表現したものと、単独の表情の表現された絵文字がある。文字や記号を組み合わせて複数の行で表現されたものはアスキーアートと区別して扱われる。 パソコンやメール、インターネット掲示板、チャットなどにおいては、文の前後や中で用いられる。しかし、相手がその顔文字をどう受け取るかによって、時には大きな誤解が生じる可能性もある。 複数の文字で表現される顔文字の場合、欧米や、それ以外のラテン文字あるいはそれ以外の文字を使用している言語では横倒しにした顔文字を「;‐)」のような形式で、日本語や東アジアの文字コードの使用圏などでは正位置の顔文字を「(^_^)」のような形式で使用することが主流となっている。 表情を1つの文字で表現した絵文字が使われることもあり、携帯電話の普及とともに一般的に使用されるようになった。 |
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■たこ入道 | |
みみずがさんびきよってきて おせんべさんまいたべました あめがザァザァふってきて あられもポツポツふってきて あっというまにたこにゅうどう |
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■あひるのこ | |
にーちゃんが さんえん もらって 豆 買って くちばし とんがらかして あひるのこ |
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■こぶた | |
まんまるちゃん まんまるちゃん まんまーるちゃーん まんまるちゃん まんまるちゃん まんまーる ちゃーん 小さーい おふねーに のせらーれて お父さん お母さん さよおーなら ろくろくちゃん ろくろくちゃん さんじゅーろく ろくろくちゃん ろくろくちゃん ふじのーやま |
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■カッパ | |
ぼうが1ぽん あったとさ 葉っぱかな? 葉っぱじゃないよ カエルだよ カエルじゃないよ アヒルだよ アヒルじゃないよ カッパだよ |
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■さかな | |
やまがあって たにがあって だんだんばたけがあって むぎばたけ きゅうりがあって まめがあって さかなになっちゃった |
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■およめさん | |
まるちゃん まるちゃん まるきばし おおやま こやま はなざかり となりのおばさん そば食べて となりのおじさん そば食べて となりのねえさん およめいり きれいにかざって およめいり |
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■お姫さま | |
たてたてよこよこ まーるかいてチョン まーるかいてチョン おおやまさーんに こやまさん 桜のはーなが まんかいで 雨がざあざあ ふってきて あられもポツポツ ふってきて 1円もらって豆かって 1円もらって豆かって まがった針は れい円だ アッという間に かわいいお姫さま |
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■てっちゃん | |
てっちゃんと つるちゃんが ハチミツ買って しかられてー 平気で 平気で のんきで のんきで しけんは れい点 たてたて よこよこ 丸かいてちょん たてたて よこよこ 丸かいてちょん たてたて よこよこ 丸かいてちょん たてたて よこよこ 丸かいてちょん |
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■「コックさん」「かわいいコックさん」 | |
棒が一本あったとさ はっぱかな はっぱじゃないよ かえるだよ かえるじゃないよ あひるだよ 六月六日のさんかんび 雨ざあざあふってきて 三角じょうぎに ひびいって あんぱんふたつ 豆三つ コッペぱんふたつ くださいな あっというまに かわいいコックさん |
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(『うたのえほん』採用の際、「さんかんび」は幼児にわかりにくいと省略された)
棒が一本あったとさ はっぱかな はっぱじゃないよ かえるだよ かえるじゃないよ あひるだよ 六月六日に雨 ざあざあふってきて 三角じょうぎに ひびいって あんぱんふたつ 豆三つ コッペぱんふたつ くださいな あっというまに かわいいコックさん |
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「棒が一本あったとさ」(ぼうが一本あったとさ)の歌いだし、または曲名でも知られる絵描き歌の俗称。歌にあわせていろいろな絵ができて行くが、最終的に出来上がる特徴的な絵を歌詞中で「かわいいコックさん」と称しているところから、その曲名と混同したもの。その理由の一つに後述の商標問題もある。
東京のわらべうた。作詞・作曲者は不詳。1964年から1965年にかけて、NHKの『うたのえほん』で歌われたことにより、広く全国に知られるようになった。 民族音楽学者で当時、東京芸術大学の教員だった小泉文夫が楽理科の学生らとともに採集した楽曲の一つ。小泉の研究室を訪ねた『うたのえほん』の担当ディレクター岡弘道が番組にふさわしい曲として見出した。わらべうたの旋律をもとに間宮芳生にピアノ譜の作曲(編曲)を依頼。中川順子の歌で放送された。 |
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■へのへのもへじ | |
「へ・の・へ・の・も・へ・じ」の7つのひらがなのみを使い人の顔を模した図柄を描く文字遊び(文字絵)である。「へへののもへじ」とも言う。
最初と2番目の「へ」が両の眉を、2つの「の」が両目を、「も」が鼻を、3番目の「へ」が口を、「じ」が顔の輪郭をそれぞれ表している。 典型的なかかしの顔としてよく使われる。また黒板やノートなどの落書きにも使われ漫画、とくにギャグ漫画においては、登場人物の顔が一時的にへのへのもへじになるなどの表現も使われる。 同様の文字の組み合わせとして「へのへのもへの」、「へめへめくつじ」、「へめへめしこじ」、「へねへねしこし」「しにしにしにん」(1, 2のしは横に、んはケツあご風に)になどがある。 また、「つるニハ○○ムし」(つるにはまるまるむし)というものもあり、「つ」がハゲ頭、「る」が耳、「ニ」が額のしわ、「ハ」が両眉毛、「○○」が両目、「ム」が鼻、「し」が顔の輪郭をそれぞれ表し(口はない)、全体で老人の顔になる。また「二」を「三」に変えて「つる三は○○むし」とも。 |
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正確な起源は定かではない。しかし江戸時代の初期には見受けられないが、中期以降には常識化したごとく流布していることから発祥起源はこれ以前の京都、大阪などの上方だと推測されている。 元々は「へのへのもへの」のようなものであり「へのへのもへまる」や「へのへのもへまろ」などが派生し関東の方へと伝播した。 歌川広重の新法狂字図句画には侍の顔が「へへののもへいじ」になっておりその原型が確認できる。 | |
■丸かいてちょん 1 丸かいて ちょん 2 丸かいて ちょん 3 横々 4 縦々 5 丸かいて 6 ちょん 7 のんきな 8 とうさん 9 毛が三本 10 おっと 11 たまげた 12 おかみさん 絵描き歌。歌詞に合わせて絵を描いていく。最後の絵は、思いもよらない形になる。描くことと出来上がった形のおもしろさがある。 (東京) |
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![]() ■数え歌 |
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■京都の通り名数え歌 | |
■東西の通り名の唄 (丸太町通り〜九条通りまで)
まる たけ えびす に おし おいけ あね さん ろっかく たこ にしき し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せきだ ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう しち(ひっ)ちょうとおりすぎ はちじょう(はっちょう)こえれば とうじみち くじょうおおじでとどめさす ■もうひとつの東西の通り名の唄 (丸太町通り〜松原通り) 坊さん頭は 丸太町 つるっとすべって 竹屋町 水の流れは 夷川(えべすがわ) 二条で買うた 生薬(きぐすり)を ただでやるのは 押小路 御池で出逢うた 姉三(あねさん)に 六銭もろうて 蛸買うて(たここうて) 錦で落として 四かられて(しかられて) 綾まったけど(あやまったけど) 仏仏と(ぶつぶつと) 高(たか)がしれてる 松(ま)どしたろ まる:丸太町通り たけ:竹屋町通り えびす:夷川通り に:二条通り おし:押小路通り おいけ:御池通り あね:姉小路通り さん:三条通り ろっかく:六角通り たこ:蛸薬師通り にしき:錦小路通り し:四条通り あや:綾小路通り ぶっ:仏光寺通り たか:高辻通り まつ:松原通り まん:万寿寺通り ごじょう:五条通り せきだ:雪駄屋町通り ちゃらちゃら:鍵屋町通り うおのたな:魚の棚通り ろくじょう:六条通り しちじょう:七条通り はち:八条通り くじょう:九条通り |
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■南北の通り名の唄 (寺町通り〜千本通り)
てら ごこ ふや とみ やなぎ さかい たか あい ひがし くるまやちょう からす りょうがえ むろ ころも しんまち かまんざ にし おがわ あぶら さめないで ほりかわのみず よしや いの くろ おおみやへ まつ ひぐらしに ちえこういん じょうふく せんぼん はてはにしじん ♪ てら:寺町通り ごこ:御幸町通り ふや:麩屋町通り とみ:富小路通り やなぎ:柳馬場通り さかい:堺町通り たか:高倉通り あい:間之町通り ひがし:東洞院通り くるまやちょう:車屋町通り からす:烏丸通り りょうがえ:両替町通り むろ:室町通り ころも:衣棚通り しんまち:新町通り かまんざ:釜座通り にし:西洞院通り おがわ:小川通り あぶら:油小路通り さめない:醒ヶ井通り ほりかわ:堀川通り よしや:葭屋町通り いの:猪熊通り くろ:黒門通り おおみや:大宮通り まつ:松屋町通り ひぐらし:日暮通り ちえこういん:智恵光院通り じょうふく:浄福寺通り せんぼん:千本通り |
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南北、東西それぞれの京都市内の通りを順に言っていく歌。 | |
■いちじくにんじん | |
いちじく にんじん さんしょに しいたけ ごぼうに むくろじゅ ななくさ はつたけ きゅうりに とうがん |
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1はイチジク、2はニンジン、3はサンショウ(山椒)、4はシイタケ(椎茸)といったように、数字の読みと語頭が一致する名前の食材や植物などが順番に歌い込まれていく。「さんしょにしいたけ」以降の歌詞については、地域によって異なる食材や植物が歌われることもあるようだ。
■むくろじゅ(無患子) はつたけ(初茸)とは? 『いちじくにんじん』で歌われる食材や植物の中には、普段あまり聞きなれないものもいくつか登場する。まずは「むくろじゅ(無患子)」。ムクロジ科の落葉樹で、果皮には多量のサポニンが含まれ、かつては石鹸として洗濯などに珍重されていた。むくろじゅ(ムクロジ)の黒くて硬い種子は、羽子板の羽根の玉や数珠(じゅず)の材料としても使われていたという。つぎに「はつたけ(初茸)」は、特に関東圏で親しまれていた食用キノコの一つで、他の地域では「あいずり」、「あおはち」、「あいたけ」などと呼ばれている。初茸は炊き込みご飯にしたり、味噌焼き・しょうゆ焼き、吸い物や煮物など、幅広い料理法で食される。 ■『いちじくにんじん』他の歌詞は? 数え歌『いちじくにんじん』には、他のわらべうたと同様、歌われる地域によって歌詞に若干のバリエーションが存在する。例えば、「しいたけ」を「シソ(紫蘇)」、「むくろじゅ」を「むかご」や「ろうそく」、「はつたけ」を「はくさい」や「はじかみ」、「きゅうり」を「くわい」などと置き換えて歌う地域もあるようだ。むかご(右写真)とは、ヤマイモ(山芋)やジネンジョ(自然薯)などの小さな肉芽、はじかみとは、料理に添えられる赤と白の2色の生姜(しょうが)のこと。数え歌なので、数字の読みとの関連性さえあれば、基本的にどんな食材を当てはめても自由に歌うことができる。こうした多様性こそわらべうたの醍醐味の一つだろう。 ■「いち にい サンマのしいたけ」との関係は? 『いちじくにんじん』以外の有名な数え歌として、「いち にい サンマのしっぽ」と歌う数え歌があるが、地域によっては「いち にい サンマのしいたけ」と歌われることもあるという。「サンマのしいたけ」という意味不明なフレーズについては、おそらく、『いちじくにんじん』の歌詞である「さんしょに しいたけ」の影響を受けているのではないかと推察される。数え歌『いちにサンマのしっぽ』は、このほかにもわらべうた『いろはにこんぺいとう』との融合バージョンも確認されており、子供たちの創造力豊かな遊び心が体現されているようで非常に興味深い。 |
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■いちにさんまのしっぽ | |
いち にい さんまのしっぽ ゴリラの息子 菜っ葉 葉っぱ 腐った豆腐 |
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■さんまのしいたけ? ゴリラのろっこつ?
他のわらべうたや数え歌にも共通して言えることだが、この『いちにさんまのしっぽ』も地域によって部分的に異なる歌詞が存在するようだ。まずは「さんまのしっぽ」の部分。ネットで検索してみると、「さんまのしいたけ」、「さんまるしいたけ」などの歌詞が少なからず確認できた。これはおそらく、他の数え歌『いちじく にんじん』の歌詞にある「さんしょ(山椒)にしいたけ(椎茸)」の影響を受けているものと推測される。「さんまる」は「さんまの」が訛ったものだろう。「ゴリラの息子」の歌詞については、「ゴリラの娘」、「ゴリラのろっこつ(肋骨)」、「ゴリラのろうそく」、「ゴリラのロケット」、「ゴリラのロボット」、「ゴリラのラッパ」などのバリエーションが見られた。数字の「6」の読みである「ろく」または「む」から始まる単語であれば、基本的にどんな言葉でも間違いということはないので、地域や時代によって様々なアレンジが存在する。これも数え歌の醍醐味の一つだろう。 ■腐った豆腐 豆腐は白い 白いはウサギ・・・? 『いちにさんまのしっぽ』は、1から10まで数える歌。当然のことながら、10まで数え終われば歌も終わるはず…。と思ったら、まだまだ続きを歌って楽しむ遊び方が存在するようだ。「菜っ葉 葉っぱ 腐った豆腐」と歌い終わった直後に続けて、「豆腐は白い 白いはウサギ ウサギは跳ねる 跳ねるはカエル」と尻取りのように次々と単語をつなげて歌うことができる。この「豆腐は白い」以降の歌詞は、わらべうた『いろはに金平糖(こんぺいとう)』から拝借したもの。最後には「電気は光る 光るはオヤジの禿げ頭!」で締めくくられる有名なあの歌だ。こうなると、もはや最初の数え歌としての役割は完全に消え失せ、ただ歌うこと自体を楽しんでいる状況に陥っていることと思われるが、こうした子供らしい柔軟な発想力・想像力はいつまでも大切にしていきたいものだ。 |
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■一つとや | |
一つとや 一夜(ひとよ)明ければ
にぎやかで にぎやかで お飾り立てたる 松飾(まつかざ)り 松飾り 二つとや 二葉(ふたば)の松は 色ようて 色ようて 三蓋松(さんがいまつ)は 上総山(かずさやま) 上総山 三つとや 皆様子供衆(しゅ)は 楽遊(らくあそ)び 楽遊び 穴一(あないち)こまどり 羽根をつく 羽根をつく 四つとや 吉原女郎衆(よしわらじょろしゅ)は 手まりつく 手まりつく 手まりの拍子の 面白や 面白や 五つとや いつも変わらぬ 年男 年男 お年もとらぬに 嫁をとる 嫁をとる 六つとや むりよりたたんだ 玉だすき 玉だすき 雨風吹けども まだ解けぬ まだ解けぬ 七つとや 何よりめでたい お酒盛り お酒盛り 三五に重ねて 祝いましょ 祝いましょ 八つとや やわらこの子は 千代の子じゃ 千代の子じゃ お千代で育てた お子じゃもの お子じゃもの 九つとや ここへござれや 姉(あね)さんや 姉さんや 白足袋(しろたび)雪駄(せった)で ちゃらちゃらと ちゃらちゃらと 十とや 歳神様(としがみさま)の お飾りは お飾りは 橙(だいだい) 九年母(くねんぼ) ほんだわら ほんだわら 十一とや 十一吉日(きちにち) 蔵開(くらびら)き 蔵開き お蔵を開いて 祝いましょ 祝いましょ 十二とや 十二の神楽(かぐら)を 舞い上げて 舞い上げて 歳神様へ 舞納(まいおさ)め 舞納め |
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これは東京(江戸)で歌われていた内容です。
三蓋松(さんがいまつ)とは、枝が三層になった松のこと。 穴一(あないち)とは、地上に穴をあけ、銭を投げて入ったときは取る遊び。 こまどりとは、駒鳥・独楽取り二様の解釈がある。 駒鳥とは、「子を取ろ子を取ろ」の古称。 独楽取りとは、独楽を手元へ引き手に取る遊び。 むりよりたたんだとは、むりやり結んだ縁。 玉だすきとは、玉章(たまずさ)とも。 やはらとは、感動詞「やあら」。 お千代とは、千代も変らぬめでたい意。 歳神様とは、年のはじめ、五穀の実りと幸福・繁栄を祈る神。 橙(だいだい)は、「代々しぼまぬ」意。 九年母(くねんぼ)は、橙の代用か。 ほんだわらも「穂俵」に通じる祝意から。 蔵開きとは、正月十一日、武家では具足に供えた鏡餅を開き、町家では倉の商品を積み出し帳面を新たにして祝った。 十二の神楽とは、神楽の曲目の組み合わせ。十二座。 |
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■2
一つとや ひと夜明くれば にぎやかに にぎやかに お飾り立てたり 松飾(まつかざ)り 松飾り 二つとや 二葉(ふたば)の松は 色ようて 色ようて 三蓋松(さんがいまつ)は 春日山(かすがやま) 春日山 三つとや 皆さんこの日は 楽遊(らくあそ)び 楽遊び 春さき小窓で 羽根をつく 羽根をつく 四つとや 吉原女郎衆(よしわらじょろしゅ)は 手まりつく 手まりつく 手まりの拍子は おもしろい おもしろい 五つとや いつも変わらぬ 年男 年男 年をはとらずに 嫁をとる 嫁をとる 六つとや 無病でたたんだ 玉ずさは 玉ずさは 雨風吹いても まだ解けぬ まだ解けぬ 七つとや 南無阿弥陀仏と 手を合わせ 手を合わせ 後生(ごしょう)を願えや おじじ様 おじじ様 八つとや やわら良い子だ 器用な子じゃ 器用な子じゃ おちよで育てた お子じゃもの お子じゃもの 九つとや ここへござれや あね御さん あね御さん 足袋や雪駄で ジャラジャラと ジャラジャラと 十とや 塔福寺(とうふくでら)の鐘の音 鐘の音 今なる鐘は除夜の鐘 除夜の鐘 |
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■3 権藤花代作詞 一つとや ひとりで早起き 身を清め 身を清め 日の出をおがんで 庭はいて 水まいて 二つとや ふだんにからだを よくきたえ よくきたえ み国にやくだつ人となれ 民となれ 三つとや 身じたくきちんと ととのえて ととのえて ことばは正しく はきはきと ていねいに 四つとや よしあしいわずに よくかんで よくかんで ごはんをたべましょ こころよく ぎょうぎよく 五つとや いそいでいきましょ 右がわを 右がわを みち草しないで 学校に おつかいに 六つとや 虫でも草でも 気をつけて 気をつけて しぜんの姿をしらべましょう 学びましょう 七つとや なかよくみんなで おとうばん おとうばん ふく人 はく人 はたく人 みがく人 八つとや 休みの時間は 元気よく 元気よく まりなげ なわとび おにごっこ かくれんぼ 九つとや 心はあかるく 身はかるく 身はかるく 進んで仕事の手伝いに 朝夕に 十とや 東亜のまもりを になうのは になうのは 正しい日本の子どもたち わたしたち |
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![]() ■遊び歌1 / ひとりで遊ぶ手遊び歌 |
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■いちじくにんじん
いちじく にんじん さんしょに しいたけ ごぼうで ほい (人差し指から順番に一本づつ指を立てていき、ほいで両手をたたく) (うたに出てくるものをひとつずつ食べていき、食べたものは声を出さずに歌う) (「ほい」を食べた後は両手をたたかずにすれ違わせる) ■かれっこやいて かれっこ やいて (両手の甲を上に向け、上下に4回ふる) とっくらきゃして やいて (甲を下に向け、上下に4回ふる) しょうゆつけて (左の手のひらを右手で刷毛で塗るようになで、逆の手も同様に行う) たべたら うまかろう (両手を口にあてたあと、両ほほに軽くあてる) ■おさらにおはし おさらに(両手 のひらを上に向ける) おはしに(両手の2 本指を下に向ける) ぼたもち(両手をグ ーの形に握る) だんご(親指と人差 し指で輪を作る) (だんだん早くして楽しむことができます) ■ちゃちゃつぼ ちゃ(左手を握 り、その上に右のてのひらをのせ「ふた」にする) ちゃ(右のてのひら を左手の下につけ「そこ」にする) つ(右手を握り、左 のてのひらで「ふた」をする) ぼ(左の手のひらを 右手の下につけ「そこ」にする) ちゃつぼ ちゃつぼにゃ ふたがない そこをとって (以下は同じ動作を繰り返す) ふたにしよう(左手 の上に、右の手のひらで「ふた」になっているようにする。) ■やすべーじじー やすべーじじーは うんぽんぽん やすべーじじーは うんぽんぽん そういうたぬきも うんぽんぽん うんぽこ すんぽこ すこぽんぽん (レベル1 リズムにあわせて両ひざをたたく レベル2 リズムにあわせて両ひざをたたき、「ぽん」と「ぽこ」のとこ ろで手をたたく レベル3 リズムにあわせて両ひざをたたき、「ぽん」と「ぽこ」のとこ ろは、交互にひじに触れる) (子どもの年齢に合わせてレベルをかえる。だんだんとレベルを上げていっても よい) |
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■茶つぼ | |
茶茶つぼ 茶つぼ 茶つぼにゃ ふたがない 底を取って ふーたにしょ |
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にぎったこぶしを茶壺に、空いた片方の手を広げて茶壺の底や蓋に見立て「ちゃちゃつぼちゃつぼ、ちゃつぼにゃ蓋がない。底を取って蓋にしよ」という歌の節にあわせて、開いた手のひらを茶壺に見立てたこぶしの上と下に交互に当てる。このとき開いた手のひらが握りこぶしの上と下に順番に交互に当てた後、右手と左手の茶壺と蓋・底の役割を入れ替える。 | |
■手遊び歌 | |
■いちにさんまのしっぽ
いち に さんまの しっぽ ごりらの ろっこつ なっぱ はっぱ くさった とーふ ■うちのうらの うちのうらの くろねこが おしろいつけて べにつけて ひとにみられて ちょいとかくす ■かたどんひじどん かたどん ひじどん てっくび てのひら ちんちょう ちのすけ せいたか いしゃどん こぞうこぞう ■ここはてっくび ここはてっくび てのひら ありゃりゃに こりゃりゃ せいたかこぞうに いしゃこぞう おさけわかしの かんたろうさん ■こどものけんか こどもとこどもが けんかして くすりやさんが とめたけど なかなかなかなか おわらない ひとたちゃわらう おやたちゃおこる ■だいこんつけ だいこんつけ だいこんつけ うらがえし だいこんつけ だいこんつけ おもてがえし ■たぬきさん たぬきさん たぬきさん ひをひとつ かしとくれ このやま こえて このたに おりて ひはここに ぴっこぴこ ■ひとつとひとつで ひとつとひとつで どんなおと こんなおと ふたつとふたつでどんなおと こんなおと みっつとみっつでどんなおと こんなおと よっつとよっつでどんなおと こんなおと いつつといつつでどんなおと こんなおと ■ぽっつんぽつぽつ ぽっつんぽつぽつ あめがふる ぽっつんぽつぽつ あめがふる ざあーっと あめがふる ■みみずのたいそう みみずの たいそう いちに いちに いちに いちに ■もちっこやいて もちっこやいて とっくらかえしてやいて ○○をつけて たべたら うまかろう |
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■お手玉唄 | |
■おひとつおろして
おひとつ おひとつおろして おさらい おふたつ おふたつおろして おさらい おってんしゃん おってんしゃん おろして おさらい おつかみ おつかみ おろして おさらい おちりん おちりん おっさらい おひだり おひだり あわせてだぁりだり なかとって しわよせ おさらい せぇすけ しょうすけ おさらい おてんぷし おてんぷしきりして おさらい ごんきょうの ごんきょうのきりして おさらい かんぎょ るいるいきりして おさらい おばさま おばさま おばさま おばさまきりして おさらい おたもと おたもと おさらい おこそで おこそで おさらい おしんちゃ おしんちゃ おさらい おてした おてした たたいてひろって なげて おおやまのっこえろ のっこえろ かえして おさらい ぬりかえ ぬりかえ ぬりかえきりして おばかえ おばかえ おばかえきりしておさらい いさきも一升 いさきも二升 いさきも三升 いりめも四升 おまけで五升 おさらい さらって おばかくし かくしましょ 次の方 おあてなさい ■おさらい おさらい おひとつおひとつおろして おさらい おふたつ おろしておさらい おてさげ おてさげおろしておさらい おつかみ おつかみおろしておさらい おちりん おちりんおかけておさらい おひだり おひだり おひだりたたいて 中きって しんめ しんめとさっぱ さらりとてーすけ しょうすけ さらりとおでぷし おでぷしおでぷし 手ぬげで おさらい さらりと かんぎょ おきふな おきふなおろして さらりと かんぎょ かんぎょ かんぎょまぬげて さらりとおこひざ お小袖 お小袖 たたいておさらい おたもと おたもとたたいておさらい お手下 お手下 たたいて さらりと おかはし おかはし おかはし たたいてまぬげて えっさけ えっさけ 一升 えっさけ えっさけ 二升 えっさけ えっさけ 三升 えっさけ えっさけ 四升 えっさけ えっさけ 五升 おかくらし ■ひんでひんで ひんでひんで みでよんで いこいんで あんまよんで いちまんは にじゅういち さんじゅうふりそで しじゅうしごばた ごじゅう結んで ろくじゅうまめぼそ しちじゅう ひ ふ み よ はちじゅう ひ ふ み よ ごじゅっかんのかわいい(○○さん) いっちょ かし申した ■おさらさらさら おさらさらさら 宮のさいれんさん おくまんさん たばこの煙出し ちょうはった ひ ふ み よ いつ む なな やぁ ここ と とうといお寺の鐘がなる 今なる鐘は除夜の鐘 いっちょかし申した ■おっしょのさらさら おっしょのさらさら さらさら さらぎやね たばこの煙出し じょうはった ひい ふ み よ いつ む なな や ここの と とうとうお寺の鐘がなる 今なる鐘はどこの鐘 除夜の鐘 じょやごや申せばありがたや ただいっちょついだ |
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■口あそび唄 | |
■つぶつぶ
つぶつぶ山さ歩(あ)えべ おらやんだ おらやんだ からすという黒鳥に 尻のまんがり目を ちょくちょくとつつかれて 雨さえ降っじど じっくじっくと痛みます ■静御前の 静御前のおそばには 頭つるつる 武蔵坊 あいつおれより ちと強い 何でも坊主と見たならば 逃げるが勝ちよ がってんだ かしこまってございます ■さよなら三角 さよなら三角 またきて四角 四角は豆腐 豆腐は白い 白いは兎 兎ははねる はねるはノミ ノミは赤い 赤いはほおずき ほおずきはなる なるは屁 屁はくさい くさいは便所 便所は深い 深いは海 海は青い 青いは空 空は高い 高いは富士山 富士山はすべる すべるはおやじのはげ頭 ■おみやげ三つ おみやげ三つ たこ三つ あした天気になあれ おまけ バイバイ ■数え唄 一にたちばな 二にかきつばたね 三に下りふじ 四にししぼたんね 五ついやまの千本桜 六つ紫いろよく染まるね 七つなよせば 八つ山ぶきはね 九つ小梅はちらちら落ちるね 十と殿さま葵の御紋ね 丸山土手から東を見ればね 門の扉はおとわさがいたのかえ おとわささしたるべっこうのクシはね 誰にもろうたか源次郎さにもろたのか もらった男は役者でないかぇなぇ 役者みこんでおとわさは恋れたのかえ ■大黒舞唄 一に俵をふんまいて 二ににっこり笑って 三に盃さして 四つに世の中よいように 五つ泉の湧くように 六つ無病息災に 七つ何ごとないように 八つ屋敷を平らげて 九つ小倉をおっ立てて 十でとうとう納まった ■お正月は お正月はええもんだ 雪のような飯(まま)くって 油のような酒のんで 木(こ)っぱのような魚(とと)くって お正月はええもんだ ■悪口うた △馬鹿かばまぬけ ひっとこなんきん南瓜 一銭五厘の下駄買って 便所掃除がつらがんべ △泣き虫毛虫 はさんですてろ △馬鹿かばちんどんや ひょっとこ 南京かぼちゃ お前のかあちゃん 出べそ んだからお前もでべそ △でぶでぶ百貫でぶ 電車にひかれて ぺっちゃんこ △みちこみんがらがって みたまたみねじ みってみられてみんたま ほいほい △ひとつふたつはいいけれど みっつ三日月はげがある よっつよこちょにはげがある いつついつ見てもはげがある むっつむこうにはげがある ななつななめにはげがある やっつやっぱりはげがある ここのつここにもはげがある とおでとうとうつるっぱげ ■米搗きうた おく山でひとりで米搗くあの水車 何を待つやら くるくるとこぬか こぬか出よ あら日を送るよ いつかまた 世に出てままとなる ■畑(はた)の中の石ころが(仙台) 畑(はた)の中の石ころが一人つぶやく声きけば われとまめとは大小の ひってきならぬ みのそうへ いかでかまめにまくべきと きのうたかぶり いたりけり しかるにまめは知らぬ間に ようようそう立ち 成長し 葉が出る 花咲く実を結び さやがはじける 子ができる 思えばきのうに変わりなき わが身のかいなき はずかしさ ■さらばよ (数人が輪になって手のひらにかくれるようなおはじきなどを一つ、うたいながら廻す。) さらばよ さらばよし 静かにわたす こがねのゆびわ 鬼の来ないまに ちょいとかくす よいよい ■絵描きうた △つるにはののむし △兄(にい)ちゃんが三円払って豆買って、くちばしとんがらして、あひるの子 △棒が一本あったとさ、はっぱかな。はっぱじゃないよ、かえるだよ。かえるじゃないよ、あひるだよ。六月六日に雨ざぁざぁ降ってきて、三角定規にひびいって、コッペパン二つ、まめ三つ。あんぱん二つ下さいな。あっというまに、かわいいコックさん。 △まるまる、まるまる、丸木ぶね土人の顔に耳かざり耳かざり。父さん母さんさようなら、涙流してあら、えっさっさ、ろくろく、ろくろくさんじゅうろく、またもやろくでろくでなし。 △なずなをゆでて タマリをかけて たけのこ皮むいて あんかけて 戸棚のお砂糖ぺろっとなめた 三角めだまで にらまれた それよりいっそう 死んだほうがいい 早く棺に入れられて あたごの山にうずめられ 闇夜の晩に化けてくる ■ひ、ふんだか ひ、ふんだか、みやさか、ずきんこかぶって、とっとと歩けば、じいさんばあさん、みっけのけ ■かぼちゃ芽出して かぼちゃ芽出して つぼみがふくらんで 花が咲いて開いた おっちょこちょいの ちょい ■赤いネクタイ 赤いネクタイ 長ズボン 山高帽子に 金時計 どうせおいらはなまけもの うしろ向いて 前向いて パイのパイのパイ ■われら仏の子どもなり われら仏の子どもなり うれしい時も 悲しいときも みよやの袖にすがりなん ■チナンポ チ、チ、チナンポ ナンチクリンのプライトパイポ イマジャ ニッチャパイポ シナポッポ ■子守うた こんなおじょめこ きっくりやのふっくりこ としもいがのに さきだちなどつれて 江戸で一番 新湯で二番 酒田で三番 よしのやで四番子 だて男 だて男 おじゃのみ かやのみ らっちょんちょん ■まじない △雷「まんざいらく、まんざいらく」 △針をさがす「なかぬくも、なかぬくも、何がないとて、おいしかるらん」 |
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![]() ■遊び歌2 / 2人組で遊ぶ手遊び歌 |
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特に2人組で行う手遊び歌では、代表的な始め方として「せっせっせーのよいよいよい」のフレーズが挙げられる。このフレーズでは、まず自分の右手と相手の左手、自分の左手と相手の右手をつなぐ。そして「せっせっせー」で縦に3度振った後、つないだまま両手を交差させるようにし、「よいよいよい」で再度3度縦に振って手を離す。 | |
■ととけっこうよがあけた
ととけっこう よがあけた まめでっぽう おきてきな 「おはよー」 (両手を合わせて顔の前で上下にゆらし、「おはよー」で左右に開く) (まめでっぽう」のところは、子どもの名前を入れてもよい) ■めんめんすーすー めんめん(目じ りを指で2回なでる) すーすー(鼻すじを 2回なぞる) けむしし(眉を2回 なぞる) きくらげ(耳たぶを 2回そっとつまむ) ちゅっ(くちびるに そっとタッチ) ■とうきょうとにほんばし とうきょうと( 人差し指で手のひらをたたく) にほんばし(人差し 指と中指で手のひらをたたく) がりがりやまの(手 のひらをひっかく) ぱんやさんと(手の ひらをパーンとたたく) つねこさんが(手の ひらをつねる) かいだんのぼって( 腕を上っていく) こちょこちょ(くす ぐる) ■いちりにり いちり(両足の 指をつまむ) にり(両足の足首を つかむ) さんり(両足のひざ をつかむ) しりしりしり(おし りの両端をくすぐる) (足首以外から始めることもできる) ■にぎりぱっちり にぎり ぱっちり たてよこ ひよこ にぎり ぱっちり たてよこ ひよこ ぴよぴよぴよ (両手のひらを合わせてまるめ、上下にゆらす。「ぴよぴよぴよ」で開く) |
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■おちゃらかほい | |
セッセッセーのヨイヨイヨイ おちゃらか おちゃらか おちゃらか ほい おちゃらか かったよ おちゃらか ほい おちゃらか まけたよ おちゃらか ほい おちゃらか あいこで おちゃらか ほい |
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『おちゃらかほい』は、二人組みで向かい合って遊ぶ日本の遊び歌・わらべうた。遊び方は、まず向かい合って両手をつなぎ、「セッセッセ〜の」で上下に3回両手を振って、「ヨイヨイヨイ」で両手をつないだまま交差させて上下に3回両手を振る。その後、左手を上に向けて相手に差出し、「おちゃ」で自分の左手を、「らか」で相手の左手を叩く。これを3回繰り返す。「ほい」でジャンケンをして、勝ったらバンザイ、負けたらうつむき、あいこなら腰に両手を当てる。勝ち負けの判定は、じゃんけんの勝敗ではなく、一連の動作が正確にできたか否かで判断する。相手が失敗するまで、徐々にスピードを上げながら繰り返していく。 | |
■お寺の和尚さん | |
セッセッセーの ヨイヨイヨイ お寺の おしょさんが かぼちゃの種を まきました 芽が出て ふくらんで 花が咲いて すーぼんで 水をあげて ジャンケン ポイ |
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「お寺の和尚さんがカボチャの種を蒔きました」…と続くジャンケンの歌。おちゃらかほい
「おちゃらかおちゃらかおちゃらかほい」でじゃんけんをし、以下「おちゃらか勝ったよ(負けたよ・あいこで)おちゃらかほい」で延々とじゃんけんを続ける歌。 |
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■茶摘み | |
夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みぢやないか あかねだすきに菅(すげ)の笠 日和(ひより)つづきの今日このごろを 心のどかに摘みつつ歌ふ 摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ 摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ |
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日本の唱歌。文部省唱歌。作詞作曲ともに不詳。オリジナルの曲名は「茶摘」である。摘という字は小学校で教えないので教科書では「茶つみ」と表記している。 | |
■アルプス一万尺 | |
アルプスいちまんじゃく こやりのうえで アルペンおどりを さぁ おどりましょ ランラランランランランランラン...ヘイ! おはなばたけで ひるねをすれば ちょうちょうがとんできて キスをする ランラランランランランランラン...ヘイ! |
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![]() ■遊び歌3 / 集団で遊ぶ遊び歌 |
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■かごめかごめ | |
□ かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?
□ かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ? □ かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が統べった 後ろの正面だあれ? □ かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるつる滑った 鍋の鍋の底抜け 底抜いてたもれ □ かごめかごめ 籠の中の鳥は いつもかつもお鳴きゃぁる(お鳴きやる) 八日の晩に 鶴と亀が滑ったとさ、ひと山 ふた山 み山 越えて ヤイトを すえて やれ 熱つ や(お灸を据えて、やれ熱や) □ 籠目籠目 加護の中の鳥居は いついつ出会う 夜明けの番人 つるっと亀が滑った 後ろの少年だあれ? □ かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出会う 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だぁれ? □ かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出会う 夜明けの番人 鶴と亀が滑った 後ろの少年だあれ? |
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中央に座った鬼が、自分の真後ろが誰かを当てるときの遊び歌。なお、文献では、このかごめかごめは江戸中期以降に現れる。『後ろの正面』という表現は、明治末期以前の文献では確認されていない。さらに、『鶴と亀』『滑った』についても、明治以前の文献で確認されていない。地方により歌詞が異なる。 | |
■かごめかごめ 2 [手つなぎ遊び] | |
かごめ かごめ かごめ かごめ 籠の中の鳥は いつ いつ でやる 夜明けの晩に つるつかめと すべった うしろの正面 だあれ 主に女の子の遊び。1人が輪の中に目隠しをしてしゃがみ、他の子は両手をつなぎ輪にる。歌いながら右回り、歌の終わりで、鬼の真後ろの子の名前当てをする。当たらなければ、鬼が続き、当たれば鬼が交代する。 |
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■はないちもんめ | |
勝ってうれしい はないちもんめ 負けてくやしい はないちもんめ となりのおばさんちょっと来ておくれ 鬼がいるから行かれない お釜かぶってちょっと来ておくれ 釜がないから行かれない 布団かぶってちょっと来ておくれ 布団破れて行かれない あの子がほしい あの子じゃわからん この子がほしい この子じゃわからん 相談しよう そうしよう |
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「もんめ(匁)」とは、貨幣として用いる銀の重量を表す単位で、一匁(いちもんめ)は約3.75グラム程度。花を一匁だけ買う際に、値段をまけて悲しい売り手側と、安く買ってうれしい買い手側の様子が歌われているとされる。一説には、貧乏な家の子供が口減らしの為に人買いに一匁(もんめ)で買われていく悲しい歌として解釈されることがある。 | |
「勝って嬉しいはないちもんめ」から続く歌。地方によって、いろいろなバージョンがある。
□ 宮城県南部 / まず、二組に分かれたらとなりのおばさんちょっと来ておくれ、鬼がいるから行かれない、お釜かぶってちょっと来ておくれ、釜破れて行かれない、鉄砲かついでちょっと来ておくれ、鉄砲ないから行かれない。あの子がほしい、あの子じゃわからん、相談しましょ(相談すべし)、そうしましょ(そうすべし)」とやる。そして5で名乗り合ったら、「なーにで行くの」「ひっぱりこ(じゃんけん等)でゆくの」と勝負方法が選択できる。 □ 福島県1 / 「勝ってうれしいはないちもんめ 負けてくやしいはないちもんめ あの子がほしい あの子じゃ分からん その子がほしい その子じゃ分からん (ま〜るくなって)相談しましょ そうしましょ ちょいとま〜る〜め・・・き〜まった そっちからどうぞ そっちからどうぞ ××ちゃんがほしい ○○ちゃんがほしい 何でいくの (じゃんけん又は引っ張りっこなど)でいくよ」 □ 福島県2 / 「もんめもんめもんめはないちもんめ あの子がほしい あの子じゃ分からん 相談しましょ そうしましょ・・・○○ちゃんがほしい ××ちゃんがほしい」 □ 福島県3 / 「ふるさと求めてはないちもんめ・・・」ではじまる。 □ 福島県4 / 「き〜まった」と言った後、「となりの〇〇ちゃんちょっとおいで となりの××ちゃんちょっとおいで な〜にで決める? □□で決める(じゃんけん又は引っ張りっこなど)」 □ 長野県小諸市 / 「勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、隣のおばちゃんちょっとおいで、鬼が怖くて行かれない、お釜かぶってちょっとおいで、お釜底抜け行かれない、布団かぶってちょっとおいで、布団ビリビリ行かれない、あの子が欲しい、あの子じゃわからん、この子が欲しい、この子じゃわからん、相談しよう、そうしよ」 □ 新潟県新潟市内 / 「勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、隣のおばさんちょっとおいで、鬼が怖くて行かれません、お釜かぶってちょっとおいで、お釜底抜け行かれません、座布団かぶってちょっとおいで、座布団ぼろぼろ行かれません、あの子が欲しい、あの子じゃわからん、この子が欲しい、この子じゃわからん、相談しましょ、そうしましょ」で、それぞれ相談。決まったら「き〜まった〜き〜まった〜」と叫び、指名する人の名前を呼ぶ際「かわいいかわいい」をつける □ 新潟県 / 「勝ってうれしいはないちもんめ」「負けて悔しいはないちもんめ」「隣のおばさんちょっとおいで」「鬼が怖くていかれませんよ」「お釜かぶってちょっとおいで」「お釜底抜けいかれませんよ」「お布団かぶってちょっとおいで」「お布団ボロボロいかれませんよ」「あの子がほしい」「あの子じゃわからん」「その子がほしい」「その子じゃわからん」「相談しよう」「そうしよう」 決まったほうから「きまった」と宣言し、じゃんけんをする □ 群馬県 / 「勝って嬉しいはないちもんめ」「負けて悔しいはないちもんめ」「隣のおばさんちょっと来ておくれ」「鬼が怖くて行けられない」「御釜かぶってちょっと来ておくれ」「御釜底抜け行けられない」「御布団かぶってちょっと来ておくれ」「御布団ぼろぼろ行けられない」「あの子が欲しい」「あの子じゃ分からん」「この子が欲しい」「この子じゃ分からん」「相談しよう、そうしよう」 □ 埼玉県大宮市(現:さいたま市) / 「勝ってうれしいはないちもんめ、負けてくやしいはないちもんめ、となりのおばさんちょっと来ておくれ、鬼がいるから行かれない、お釜かぶってちょっと来ておくれ、釜がないから行かれない、布団かぶってちょっと来ておくれ、布団破れて行かれない(?)、あの子がほしい、あの子じゃわからん、この子がほしい、この子じゃわからん、相談しよう、そうしよう」 □ 埼玉県川越市 / 「勝ってうれしいはないちもんめ」「負けて悔しいはないちもんめ」「隣のおばさんちょっと来ておくれ」「鬼が怖くて行かれない」「お釜かぶってちょっと来ておくれ」「お釜底抜け行かれない」「お布団かぶってちょっと来ておくれ」「お布団びりびり行かれない」「鉄砲かついでちょっと来ておくれ」「鉄砲玉無し行かれない」「あの子が欲しい」「あの子じゃ分からん」「この子が欲しい」「この子じゃ分からん」「相談しよう」「そうしよう」 □ 千葉県 / 「勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、隣のおばさんちょっと来ておくれ、鬼が怖くて行かれない、お釜かぶってちょっと来ておくれ、お釜底抜け行かれない、座布団かぶってちょっと来ておくれ、座布団ぼろぼろ行かれない、あの子が欲しい、あの子じゃわからん、この子が欲しい、この子じゃわからん、相談しよう、そうしよう」 □ 東京都 / 2と3で前に進む最後は片足を蹴り出す。「勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、隣のおばさんちょっと来ておくれ、鬼が怖くて行かれない、お布団かぶってちょっと来ておくれ、お布団ぼろぼろ(若しくはびりびり)行かれない、お釜かぶってちょっと来ておくれ、お釜底抜け行かれない、(鉄砲かついでちょっと来ておくれ、鉄砲あるけど弾がない、)あの子が欲しい、あの子じゃわからん、この子が欲しい、この子じゃわからん、相談しよう、そうしよう」 □ 神奈川県横浜市 / 「勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、隣のおばさんちょっと来ておくれ、鬼が怖くて行かれない、お釜かぶってちょっと来ておくれ、お釜底抜け行かれない、鉄砲かついでちょっと来ておくれ、鉄砲玉無し行かれない、お布団かぶってちょっと来ておくれ、お布団びりびり行かれない、あの子が欲しい、あの子じゃ分からん、この子が欲しい、この子じゃ分からん、相談しよう、そうしよう」 □ 神奈川県川崎市 / 「勝ってうれしいはないちもんめ、負けてくやしいはないちもんめ、隣のおばさんちょっと来ておくれ、鬼がいるから行かれない、お釜かぶってちょっと来ておくれ、お釜底抜け行かれない、鉄砲かついでちょっと来ておくれ、鉄砲ないから行かれない、お布団かぶってちょっと来ておくれ、お布団びりびり行かれない、あの子が欲しい、あの子じゃ分からん、この子が欲しい、この子じゃ分からん、相談しよう、そうしよう」 □ 静岡県1 / 遊び方3のあと、「あの子が欲しい」「あの子じゃわからん」「この子が欲しい」「この子じゃわからん」「ま〜るくなって相談、あっかんべ〜(と言いながらお互いに「あっかんべ〜」のしぐさをする)」と言う。5は、「××ちゃんが欲しい」「○○くんが欲しい」と言い、6で、指名された人同士でじゃんけんをする。 □ 静岡県2 / 遊び3のあと、「あの子が欲しい」「あの子じゃ分からん」「この子が欲しい」「この子じゃわからん」「まとまって相談、そうしましょ、ゴリラ、パンツ、あっかんべ〜」と悪態をついて、遊び4以降へ □ 静岡県沼津市 / 「勝ってうれしいはないちもんめ」「負けて悔しいはないちもんめ」「隣のおばさんちょっと来ておくれ」「鬼が居るからいかれない」「お釜かぶってちょっと来ておくれ」「お釜底抜けいかれない」「お布団かぶってちょっと来ておくれ」「お布団びりびりいかれない」「あの子がほしい」「あの子じゃわからん」「その子がほしい」「その子じゃわからん」「相談しよう」「そうしよう」 決まったほうから「きまった」と宣言し、じゃんけんをする □ 岐阜県 / 「勝ってうれしいはないちもんめ、負けてくやしいはないちもんめ となりのおばちゃんちょっとおいで、犬がおるからよういかん、お釜をかぶってちょっとおいで、穴があいててよういかん、座布団かぶってちょっとおいで座布団ぼろぼろよういかん。あの子が欲しい、あの子じゃわからん、この子が欲しい、この子じゃわからん、相談しましょ、そうしましょ。決ーまった・・・○○ちゃんがほしい ××ちゃんがほしい。(引っ張り合い)」 □ 愛知県西部(名古屋市など) / 「勝ってうれしいはないちもんめ、負けて悔しい大根の尻尾、隣のおばさんちょっとおいで、鬼がいるからよう行かん、お釜かぶってちょっとおいで、お釜底抜けよう行かん、座布団かぶってちょっとおいで、座布団びりびりよう行かん、あの子が欲しい、あの子じゃわからん、この子が欲しい、この子じゃわからん、相談しましょ、そうしましょ」 |
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■遊び方
1. それぞれの組は手をつないで一列に並んで向かい合う。 2. 前回勝った組から「か〜ってうれしいはないちもんめ」と歌の一節を歌いだす。歌っている組は前に進み、相手の組はあとずさりする。はないちもんめの「め」の部分で片足を蹴り上げる。 3. 今度は負けた組が「まけ〜てくやしいはないちもんめ」と歌って、前に進む。 4. その後に、「タンス長持ち あの子が欲しい あの子じゃわからん 相談しましょ そうしましょ。」と歌の一節を交互に歌いながら前後に歩く。 5. 歌が終わると、それぞれの組で相談して、相手の組から誰をこちらの組にもらうかを決める。決まった組は「き〜まった」と叫ぶ。 6. それぞれの組は手をつないで一列に並んで向かい合い「××ちゃんが欲しい」と前に進みながらもらいたい相手を披露しあう。 7. 双方の代表者がじゃんけんを行い、勝った組の主張どおりにメンバーがもらわれていく。 8. 片方の組からメンバーがいなくなれば終了。つづける場合には1にもどる。 |
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■はないちもんめ 2 | |
ふるさとまとめて はないちもんめ ふるさとまとめて はないちもんめ ○○ちゃん取りたい はないちもんめ □□ちゃん取りたい はないちもんめ (じゃんけん) 勝ってうれしい はないちもんめ 負けてくやしい はないちもんめ 女の子の集団遊び。二群に別れ、互いに向き合って列を作る。先攻を決め、先攻は歌にあわせて前進し、スカウト希望を唱える。後攻めも、同様に歌にあわせて前進、スカウト宣言。代表者のじゃんけんで勝者は相手側の引抜が成功し、勝って嬉しいと歌う、相手方は負けて悔しがる。歌の主体となるほうが前進すると、相手は後退する。交互に前進後退を繰り返す。「もんめ」のところで前に蹴る。引き抜き合戦、人気者が狙われる。 |
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■通りゃんせ | |
通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細道じゃ 天神さまの 細道じゃ ちっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ |
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二人で手をつなぎアーチを作り、歌が続いている間に残りの子がその下を通り抜け、歌が終わった時にアーチの下にいた子を捕まえる遊び歌。 | |
■通りゃんせ 2 | |
○通りゃんせ 通りゃんせ △ここはどこの 細道じゃ ○天神様の 細道じゃ △どうか通して くだしゃんせ ○御用のないもの 通しゃせん △この子の 七つのおいわいに お札を 納めに参ります ○行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ 女の子の遊び。二人(○印)が繫いだ両手を高く上げ関所を作り、下を列になった子ら(△印)が通る。交互に歌ういながら通過するが歌の終わりに関所がしまる。じゃんけんで関番が交代。また、捕らえた子に小声でAが好きかBが好きか問い、組み分けをする、次の遊びに移るための前遊びともなる。 |
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■ずいずいずっころばし 1 | |
ずいずいずっこばし ごまみそずい 茶つぼに追われて トッピンシャン 抜けたら ドンドコショ 川原のねずみが 米食てチュッ チュッ チュッ チュッ おっとさんが呼んでも おっかさんが呼んでも 行きっこ なぁーしよ 井戸のまわりで お茶わん かいたのだぁーれ |
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鬼決めや、指遊びに使われる。「お茶壺道中」についての唄だと言われているほか、不純異性交遊を表す戯歌とも言われている。 | |
■ずいずいずっころばし 2 | |
『ずいずいずっころばし』は、古くから日本に伝わる童謡・わらべうた。江戸時代の「お茶壺道中」にまつわる唄と一般的に解釈されている。
江戸時代には、京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するため、茶を詰めた茶壺を運ぶ行列が行われた。大名行列同様、街道筋(東海道、中山道)の住民は土下座などを強要されたことから「お茶壺道中」と呼ばれ、1633年から徳川幕府が倒れるまで続いた。庶民が行列の前を横切ろうものなら、女子供を問わず「手打ち」にされる身分制度の厳しい時代。「茶壷が来たらピシャンと戸を閉めて、誰が呼んでも外に出てはいけない」という戒めの意が込められているという。 ずいずいずっころばし ごまみそずい ちゃつぼにおわれて どっぴんしゃん ぬけたら、どんどこしょ たわらのねずみが 米食ってちゅう、 ちゅうちゅうちゅう おっとさんがよんでも、 おっかさんがよんでも、 いきっこなしよ いどのまわりで、 おちゃわんかいたのだぁれ |
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■いろはに金平糖 | |
いろはにこんぺいとう こんぺいとうは甘い 甘いはお砂糖 お砂糖は白い 白いは兎 兎は跳ねる 跳ねるは蚤 蚤は赤い 赤いはほおずき ほおずきは鳴る 鳴るはおなら おならは臭い 臭いはうんこ うんこは黄色い 黄色いはバナナ バナナは高い 高いは十二階 十二階は恐い 恐いはおばけ おばけは消える 消えるは電気 電気は光る 光るは親父のはげあたま |
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■一かけ二かけ | |
一かけ 二かけて 三かけて 四かけて 五かけて 橋をかけ 橋の欄干 手を腰に はるか彼方を 眺むれば 十七八の 姉さんが 花と線香を 手に持って もしもし姉さん どこ行くの 私は九州 鹿児島の 西郷隆盛 娘です 明治十年の 戦役に 切腹なさった 父上の お墓詣りに 参ります お墓の前で 手を合わせ 南無阿弥陀仏と 拝みます お墓の前には 魂が ふうわりふわりと ジャンケンポン |
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■ ドラマ「必殺仕事人」口上 一かけ 二かけ 三かけて 仕掛けて 殺して 日が暮れて 橋の欄干腰下ろし 遥か向うを眺むれば この世は辛い事ばかり 片手に線香 花を持ち おっさん おっさん どこ行くの? あたしは必殺仕事人 中村主水と申します 「それで今日は、どこのどいつを殺ってくれとおっしゃるんで?」 |
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西郷隆盛が登場する、わらべ歌では新しめの歌。手合わせ、お手玉などで歌われる。 | |
■今年の牡丹 | |
今年の牡丹はよい牡丹 お耳をからげてすっぽんぽん もひとつからげてすっぽんぽん |
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■遊び方
今年の牡丹は良い牡丹と輪になった子供達が歌う。その時鬼は、輪の外にいる。歌が終了すると鬼が輪になった子供達の所にやってきて「輪に入れて」と頼む。 最適な人数は10人前後でしょう。最低でも5人は欲しいし、学級全員でやるとちょっと多すぎて長続きしません。最大許容範囲で、5〜40人でしょう。 まず鬼を一人決めます。鬼決め(いずれ紹介)か、ジャンケンで負けた人が鬼になります。残りの人は手をつなぎ、内側を向いた円陣を作ります。鬼は円陣の外にいます。 コドモたちは、反時計回りに歩きながら、 「今年の牡丹はよい牡丹、お耳をからげてすっぽんぽん もひとつからげてすっぽんぽん」 と歌います。今年の牡丹はの所は手をつないだまま歩きます。お耳をからげてで、手を離し、自分の耳を指して指で円を描くようにくるくると手を回します。すっぽんぽんで手をパンパンとたたきます。また手をつなぎ、今年の牡丹は〜 と続けます。つまり上記の歌を2度繰り返して歌うのですね。 2度楽しそうにやったところで、鬼がやってきます。ここからは台詞の掛け合いです。 オニ 「入れてぇ」 コドモ「いや〜」 オニ 「どうして?」 コドモ「しっぽがあるから」 オニ 「しっぽ切って来るから入れて」 コドモ「血が出るからいや」 オニ 「川で洗って来るから入れて」 コドモ「川坊主が出るからいや」 オニ 「海で洗って来るから入れて」 コドモ「海坊主が出るからいや」 オニ 「そんなら今度うちの前を通ったとき、天秤棒でひっぱたくぞ」 コドモ「そんなら入れてあげる」 ここで、コドモたちはオニを輪に入れ、また楽しそうに、 「今年の牡丹はよい牡丹お耳をからげてすっぽんぽんもひとつからげてすっぽんぽん 今年の牡丹はよい牡丹お耳をからげてすっぽんぽんもひとつからげてすっぽんぽん」と動作を入れながら歌い回ります。二度やったところで、鬼が オニ 「わたし帰る」 コドモ「どうして?」 オニ 「お昼ご飯だから」 コドモ「おかずはなあに?」 オニ 「蛙とナメクジ」 コドモ「生きてるの?死んでるの?」 オニ 「生きてるの」 コドモ「じゃあさようなら」 手を振って別れ、鬼は円陣から遠ざかる。するとコドモは手をたたきながら、「だれかさんの後ろに蛇がいる」囃す。鬼は振り返り、「わたし?」と聞く。子供達が「違うよ」と言うと、鬼は「ああ良かった」と言ってまた振り直り、歩み始める。鬼が歩き始めると、子供達が「だれかさんの後ろに蛇がいる」と手をたたきながら、囃す。鬼が振り帰り「わたし?」と聞くと「違うよ」と言い、鬼は「ああ良かった」と言ってまた歩む。するとみたび「だれかさんの後ろに蛇がいる」と囃す。鬼が振り返り、「わたし?」と聞くと、今度は「そう!」と叫んでみんなで逃げ回る。ここからは普通の鬼ごっこである。 捕まった者が次の鬼になり、残りの子は円陣を作る。最初に戻る。 ■ 「今年の牡丹」は鬼ごっこですが、演劇的要素があります。子供達は知りませんが、鬼とは蛇の精なのです。蛇の精と牡丹とが一体どのような関係があるのか、私には不思議ですが、なにか呪術的な なにがしかの暗喩をそこに感じます。 子供達と遊んでいると、「おかずはなあに?」のあたりで、子供達の声がぬらぬらしてきます。「生きてるの、死んでるの?」は一種のクライマックスで、子供達は本当にこわそうです。 思えばこの演劇は、不条理な演劇です。楽しそうに遊んでいる輪に、入れてと頼んで断られる設定は、優れて子供達の現実的な恐怖を誘います。いや、と言われるその理由がまた、不条理そのものです。しっぽがあるから? しっぽなんてないよ。ところが鬼は、「しっぽ切ってくるから」と卑屈にも答えざるを得ません。すると、血が出る、川坊主が出る、海坊主が出る、と言を左右にしてみんなは聞いてくれないのです。不条理は深まります。ところが追い詰められて一転、暴力に訴えると、みんなはあっさりと屈するのです。私には、こここそ不条理に感じます。また、せっかく一緒に遊んでもらえたのにしばらくすると、もう帰る、というのも不思議です。そして、みんなの「だれかさんの後ろに蛇がいる」というこれまた不条理な囃し言葉。それは私か?と問えば、みんなは一斉に違うと答えます。これはほとんど、いや完全に「いじめ」です。 しかし、私は今学校などで「いじめ」が問題になるのは、子供達がこうした遊びを失ったのも原因の一つではないかとさえ、思っています。遊びは、子供達を解放するのです。ダークサイドへさえも。 では、この鬼ごっこは、鬼ごっこと関係のない歌がくっついているのでしょうか? そうではありません。この前半部分の演劇もどきは、鬼ごっこに対して重要な役割を担っているのです。それは、距離の創出です。 「だれかさんの後ろに蛇がいる」と3度鬼は輪から歩み去ります。その結果コドモと鬼は距離ができます。これは鬼ごっこにとって重要です。なぜなら鬼とコドモの距離があまりに近いと、たちどころに捕まって、逃げる−追う という鬼ごっこの楽しみが味わえないのです。ですから鬼はコドモと距離をおかなければなりません。「今年の牡丹」では、それが自然にとれるのです。 もう一つの距離があります。それは心理的な距離です。「今年の牡丹」の鬼はかなりつらいものがあります。不条理ないじめにあい、生の蛙やナメクジを食べるという想定になっているからです。オニは「鬼」という忌まわしい、恐ろしい名称がつけられています。それも同じ理由からで、オニは忌まわしいものでなければならないのです。もし鬼が楽しいものなら、みんな鬼から逃げる必要がなくなります。またみんな鬼に捕まりたがってしまいます。これでは鬼ごっこは崩壊します。だからオニは厭わしいもの、嫌なものでなければならないのです。「今年の牡丹」の演劇は、そうした機能を果たしているのです。 「だれかさんの後ろに蛇がいる」という声は、私の心の奥底へ響きます。この呪術的な言葉をだれもが昔聞いたことがあったのではないか、と私は思うのです。ただこれから先は、分かりません。「今年の牡丹」は失われてしまうのでしょうか? 「だれかさんの後ろに蛇がいる だれかさんの後ろに蛇がいる 」 |
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■せんべいやけた | |
「せんべい、せんべい、やけた。焼けたせんべいひっくり返せ」と歌いながら手の表と裏をつかって遊ぶ歌。 | |
■遊び方1 参加者全員で輪になって遊ぶ場合
1 じゃんけんなどで「親」を決め、輪になって、甲を上にして両手を前に出します。この手をおせんべいに見立てます。「親」が「お、せ、ん、べ、や、け、た、か、な」と歌いながら、一人ひとりの手の甲を指していきます。「な」に当たったら、その手をひっくり返します。これを繰り返します。 2 上に向けた手が、もう一度「おせんべやけたかな」の「な」に当たった人は、その手を「もぐもぐもぐ」と食べるまねをします。おせんべいが焼けたあとのお話も楽しみましょう。 親「何味だったかな?」 子「おしょうゆ味」(味は子が自由に決めます) 親「じゃあ、おしょうゆ味のおせんべいをみんなで食べましょう」 全員「もぐもぐもぐ」 ■遊び方2 「親」がメーンになる場合 自分の手を後ろに隠しておき、「おせんべやけたかな」の「な」で片手ずつパッと前に出して、おせんべいに見立ててひっくり返していきます。焼けたあとのお話を、子どもと楽しんでみてください。 親「さあ、何味のおせんべいができたかな?」 子「お砂糖」(味は自由に子が決めます) 親「お砂糖味ですね。甘いかな? 食べてみましょう。ぱくぱくぱく」 |
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■あぶくたった 1 | |
「あぶくたった にえたった にえたか どうだか 食べてみよう むしゃ むしゃ むしゃ まだ にえない」と歌って鬼ごっこになる。 | |
■遊び方
1 おにを1人決める。 2 おにはしゃがんで両手で顔をかくす。他の人は、おにを囲んで手をつなぐ(かごめかごめと同じ要領)。 3 歌をうたいながら、歌に合わせて動く。 (1)手をつないだまま、おにの周りをぐるぐる歩いて回る 「あーぶくたった煮えたった 煮えたかどうだか食べてみよう」 (2)おにの方を向き、食べる真似をする 「むしゃむしゃむしゃ」 (3)首を横に降り、片手を顔の前で左右に揺らす 「まだ煮ない」 ※(1)〜(3)を2、3回繰り返す。 (4)「もう煮えた」 (1)〜(3)を繰り返した後、3回目で(もしくは4回目)で、(2)の後にうなずくようにしてうたう。 (5)歌の歌詞に合わせてジェスチャーをする 「ごはんを食べて 歯磨きをして おふろに入って 電気を消して」 (6)しゃがみ、両手を方頬にあてて目をつぶり、寝るジェスチャーをする 「おやすみなさーい」 4 みんなが寝たら、おには輪の外側に出て、「トントントン」と言う。 5 寝ている子は、「なんの音?」と聞く。 6 おには、「風の音」「新聞やさんの音」「冷蔵庫の音」「物が落ちた音」など答え、寝ている子たちは、「あーよかった。」と言ってまた寝る。これを繰り返す。 7 おにが、「おばけの音」「おにがきた音」などと言ったら、寝ている子たちは「キャー」と一斉に逃げ出す。 8 ここからは普通の鬼ごっこと同じで、鬼にタッチされた人が今度はおにになってまた1〜8までの工程を繰り返して遊ぶ。 |
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■あぶくたった 2 | |
あぶくたった にえたった
にえたか どうだか 食べてみよう このような歌い出しから始まる『あぶくたった』は、何人かの子供たちが輪になって遊ぶ日本の古い童謡・わらべうた。複数の子供たちが手をつないで輪を作り、中に一人鬼役の子を入れて、時計回りに回りながら歌い進めていく。 |
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わらべうた『あぶくたった』の前半部分では、「煮えたかどうだか食べてみよう」と何かを煮ている描写がなされているが、これは一体何を煮ているのだろうか?
子供たちが実際に輪になって遊ぶ場合には、いわゆる鬼ごっこの鬼の役(おばけの役)をする子供が輪の中に入るが、これを「追いかける役割」としての鬼ではなく、ツノの生えた実体のある怪物としての鬼として捉えてしまうと、ちょっと怖い意味の童謡になってしまう。 『あぶくたった』の後半の歌詞では、煮て食べた物が夜におばけになって出てくるというストーリー展開になり、ここから鬼ごっこのような遊び方につながっていくのだが、そこは「鬼」という言葉自体に問わられず、ニワトリやブタのように普段の生活で煮て食べている食用の生き物が夜に「おばけ」になって出てきたと考えるのが、(それが面白いかは別として)幼児の教育上、道徳的に妥当な解釈と言えるだろう。 煮る、寝る、おばけの3部構成 今日広まっている『あぶくたった』の一般的なストーリーは、大きく分けて3つ、「煮る(食べる)」、「寝る」、「おばけ出現(そして鬼ごっこへ)」という三部構成になっているようだ。 曲名である『あぶくたった』が直接関連してくるのは第1部の「煮る(食べる)」パートのみ。第2部の「寝る」、第3部の「おばけ出現」パートは、場面設定や状況がそれぞれ明確に分離されている。 ■第1部 「煮る(食べる)」 第1部「煮る(食べる)」パートは、他のパートと比べて古い「わらべうた」としての色合いが最も強く感じられる場面と言える。これは筆者の勝手な想像だが、わらべうた『あぶくたった』は元々この第1部のパートのみの歌だったのではと思われるほど、残りのパートとの空気感の違い、温度差が感じられる。実際、どの時代や地方の替え歌を見ても、この第1部パートの歌詞にはバリエーションがほとんど見られないように思われ、この部分を土台に、後世になって第2部、第3部のストーリーが加えられていったのではと推測されるが、本当のところは全くもって不明だ。 あぶくたった にえたった にえたか どうだか 食べてみよう むしゃ むしゃ むしゃ まだ にえない あぶくたった にえたった にえたか どうだか 食べてみよう むしゃ むしゃ むしゃ もう にえた ■第2部 「布団を敷いて寝る」 第2部「寝る」パートでは、場面は夜になり、布団に入って寝るまでの様子が描写される。この第2部からは数多くの替え歌が存在し、時代や地域によって様々な遊び方がネットでも確認できる。その歌詞の一例を挙げてみよう。 ■例1 皿を洗って棚にしまって お便所いってお布団敷いて 電気を消して「おやすみなさーい」 ■例2 戸棚にしまって鍵を掛けて がちゃがちゃがちゃ お風呂に入って ごしごしごし お布団引いてねーましょ ■例3 戸棚に入れて 鍵を掛けて ガチャガチャガチャ 御飯を食べて ムシャムシャムシャ お風呂に入って ゴシゴシゴシ 布団を敷いて 寝ましょ ■例4 お皿を洗って ガチャガチャガチャ 棚にしまって ゴトゴトゴト テレビを見て ワイワイワイ トイレに行って ジャージャージャー お布団ひいて ヨイショヨイショヨイショ 電気を消してさぁねよう。 この第2部は時代や地域によってかなりの替え歌があるようで、歌の長さや内容は多岐にわたるようだが、ストーリーの展開・結末としては、夜になって布団を引いて電気を消して寝ましょう、というオチになるのはお約束なようだ。だが、第2部がまったく存在せず、いきなり夜中になって「お化け出現」の話に飛ぶバージョンの替え歌もあるようで、なかなか奥が深い。この第2部省略バージョン(二部構成版)の歌詞は後述する。 ■第3部 「おばけ出現」 わらべうた『あぶくたった』最終パートである第3部「おばけ出現」では、夜中に正体不明の何かが、カタカタカタ、トントントンと物音を立て、しばらく問答を繰り返した後に、自らがお化けであることを明かし、寝ていた者を驚かせる展開となる。実際に子供たちが遊ぶ際には、このお化けが鬼ごっこの鬼のような位置付けで、周りにいた子供たちを追いかけていくことになる。それでは第3部「おばけ出現」の歌詞の一例を見てみよう。 ■例1 鬼:「カタカタカタ」 周りの子供:「何の音?」 鬼:「風の音」 周りの子供:「あーよかった!」 鬼:「カタカタカタ」 周りの子供:「何の音?」 鬼:「おばけの音!」 周りの子供:「キャー」 ■例2 鬼:トントントン 周りの子供:何の音? 鬼:風の音 鬼:トントントン 周りの子供:何の音? 鬼:おばけだー! 周りの子供:わー! この第3部にも様々なバリエーションの替え歌が存在するが、鬼の役の子供と他の子供がお約束的な会話を何度かはさむのがお決まりのようで、最後には「お化けだー!」と正体を明かして、そこから鬼ごっこへと移行し、捕まった人が次の鬼役となるという遊びが繰り返される。 ■二部構成バージョン 既に少し説明したが、第2部の「布団を敷いて寝る」パートを省略して、この第3部「お化け出現」パートへ移行する替え歌も存在する。この第2部が省略版されるバージョンでは、お化けパートは次のような歌詞となる。 ■例1 となりの おばさん 時計は なんじ 夜中の2時 ほんとの おなまえ なんと いうの ヤナギの 下の おおにゅうどう ■例2 夜中の三時 おばさんの名前はなーに? おきく 本当の名前はなーに? 柳の下の 猫幽霊 この第2部省略パターンでは、深夜におばさんが登場し、本当の名前を聞くと実はおばさんは妖怪だったというストーリーが展開されるようだ。なお、「第2部が省略される」と書いたが、おそらく替え歌が成立した時系列的には、わらべうた『あぶくたった』は、しばらく2部構成だったものが、後世になって脚色されて3部構成になったのではないかと筆者は想像している。筆者の私見を最初からまとめて繰り返すと、『あぶくたった』はもともと第1部のみのわらべうたで、後に「おばさん登場」パターンの2部構成となり、さらに後の時代に自由に替え歌が進んだ結果、3部構成の劇場的な展開に発展していったのではないかと勝手に推測している。 |
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■集団あそび唄 | |
■あのね和尚さんがね
あのね 和尚さんがね 暗いお堂でね いちりこらんらん なむちん かむちん あら見てたのね いちりこ らんらん らっきょ食ってしっしっ しんがらがって きゃっきゃっ キャベツで ほい ■三人遊び (一人はさそう人、一人はお母さん、一人は子ども) ○○ちゃん、学校さ行がねが 今、寝っだ ○○ちゃん、学校さ行がねが 今、歯みがいっだ ○○ちゃん、学校さ行がねが 今顔洗ってだ ○○ちゃん、学校さ行がねが 今服きった ○○ちゃん、学校さ行がねが 今、飯(まま)食ってだ ○○ちゃん、学校さ行がねが 今行った(子どもが走って逃げる) え?(追いかけて頭を三回叩く) ■泡ぶくたった 1 (おにごっこ) あわぶくたった 煮たった 煮だかどうだか 食べてみろ まだ煮立んね となりのおばさん 時計は何時 三時 お前のお名前何と おにさん 柳の下の大入道 よしよし ■あぶくたった 2 ○あぶくたった 煮いたった △煮えたか 煮えねか たべてみよ あむ あむ まだ煮えない ○もう煮えたか食べてみよ △あむ あむ あむ ○隣の奥さん時計なん時 △夜中の十二時 ○奥さんの名前なんていうの △柳の下のお化け 最後、「柳の下のお化け」と鬼が言うとで皆がパット散る、鬼に捕まると鬼と交代する。 ■いったんこ いったんこのいったんだるまのこ いっさらもっさら でてきて いのはまいんぐりこ(アラ)いんぐりこ にいたんこの にいたんだるまのこ… ■いちりっちゃん いちりっちゃん ころりだるまの めだまのころりちゃん にいりっちゃん ころりだるまの めだまのころりちゃん 〔以下、三、四、五…と続く〕 ■どのせんべいが どのせんべいが焼けたかな 神さまのいうとおり えびすさまにも大黒さまにも 聞いてみろ じじばばたのんで聞いてみろ (火鉢に数人で手をかざしてこの歌を歌いながら、一人が一方向に手のひらを指さしながらまわり、「じじばば…」で、当たった人は手を裏返して当たる。) ■おらえのこんぺんとう おらえのこんぺんとうは ほんとに困ります 困ります 困ったあとから 涙がぽろぽろぽろぽろ ごほしたあとから おたもとで 拭きましょ 拭きましょ 拭いたあとから おたもとを 洗いましょ 洗いましょ 洗ったあとから おたもとを 干しましょ 干しましょ 干したあとから おたもとを はずしましょ はずしましょ はずしたあとから おたもとを たたみましょ たたみましょ たたんだあとから たんすを 開けましょ 開けましょ 開けたあとから おたもとを しまいましょ しまいましょ しまったあとから たんすを 閉めましょ 閉めましょ 閉めたあとから ねずみが がりがり がりがり かじったあとから たんすを 開けましょ 開けましょ 開けたあとから おたもとが ぼろぼろ ぼろぼろ ぼろ屋さ売ってやれ 売ってやれ ■下駄かくし 1 下駄かくしまんないた まんないたの下で 味噌ふり塩ふり しょっぱいぴ 数の子好きなやつ抜けりゃんせ ■下駄かくし 2 下駄かくしまんないた まんないたの下で やすべのおかたが死んだと言われて 味噌なめ 塩なめ しょっぱいぴ ■かごめかごめ かあごめかごめ かごの中の鳥は いつまで鳴きゃる 夜中のばんに つるとかめのかあけっこ だあれがうしろ ■子とり 子買お 子買お 子があてなんしょ みのぜん こまぜん こまくらぜんよ ○Aそれがよければ どの子が欲しい ○Bあの子がほしい ○A何買って食せる ○Bまんじゅう買って食せる ○Aまんじゅうは腹の大毒で ○B洗ってやる ○Aあらんくさくなる ○B拭いてやる ○Aふきんくさくなる ほんじゃお椀に金いっぱい はつムカサリ ■なかのなかの なかのなかの地蔵(じんぞう) なして そんなに家小(ち)っちゃい にくまねから おがれおがれ ■花いちもんめ 勝ってうれしい花いちもんめ 負けてくやしい花いちもんめ となりのおばさん ちょっとおいで 鬼がこわくて行かれない お鍋かぶって ちょっとおいで それでもこわくて行かれない おふとんかぶって ちょっとおいで まだまだこわくて行かれない 杖をついて ちょっとおいで あの娘(こ)がほしい この娘(こ)がほしい 相談しましょ そうしましょ となりの○○ちゃん ちょっとおいで となりの○○ちゃん ちょっとおいで ジャンケンポン ■蛙どの蛙どの 蛙どの蛙どの いつ死んだ 夕べの餅食って 今朝死んだ お医者さま来たから 戸をあけろ カラトンカラトン こんにちわ コンニャク一枚 油揚げ一枚 スポポンのポン(あわせてジャンケンポン) ■さいなら三角 さいなら三角 また来て四角 四角は豆腐 豆腐は白い 白いはうさぎ うさぎは跳ねる 跳ねるはのみ のみは赤い 赤いはほうずき ほうずきは鳴る 鳴るはへ へはくさい くさいは便所 便所は長い 長いは廊下 廊下はすべる すべるはとっちゃのはげ頭 どちらにしようかな どちらにしようかな となりの おばさんに よくよく きけば わかります 二者択一の際、甲乙を指で交互に指して、歌の終わりで指している方を決めとする。 ■坊さん坊さん 坊さん 坊さん どこいくの わたしは 田んぼへ稲刈りに そんなら 私も連れらんせ お前が行くと 邪魔になる かんかん坊主 糞坊主 うしろの正面 だぁれ 輪の中の鬼は目を瞑りしゃがみ、たの子は手を繫いで輪になり、歌いながら回る。歌の終わりでとまる。鬼は後ろになった子を手探りで当てる。 ■らかんさん らかんさんが そろったら まわそじゃないか よいやさの よいやさ よいやさの よいやさ よいやさの よいやさ よいやさの よいやさ 女の子の遊び。一組が大抵は4人、夫々が右足を膝で曲げ、足首を後ろの子の内膝に挟む。 4人の足が揃って組み終わると、櫓状になるので、右手を前の子の肩に添え、片足で一緒に右回りする。その時、全員で歌うのがこの歌。呼吸が合わないと、櫓組みがばらけてしい続かない。上手になると、両手で手拍子を打って回転を続け、回転数を競う。 |
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■なわとび唄 | |
■大波小波
大波小波で風が吹いたら山よ 郵便配達 お上の御用でえっさっさ ささまきこ こっぱのこ ■大波小波 大波小波 せんどうさんが ひっくりかえって 大さわぎ ■おじょうさんお入り おじょうさんお入り おはいりになったら じゃんけんぽん 負けたら さっさとお逃げなさい ■くまさんくまさん くまさんくまさん まわれ右 くまさんくまさん 手をついて くまさんくまさん 片足あげて ひ ふ み よ いつ む なな や ここの と ■一羽のからすが 一羽のからすが かぁかぁ 二羽のにわとり コケコッコー 三羽のさかなが およいでる 四つのようかん 食べたいなぁ それ一ぬけろ それ二ぬけろ それ三ぬけろ それ四ぬけろ ■ひといりひい ひといりひぃ ふたいりひぃ みいいりひぃ よいりひぃ ごいりひぃ ろくいりひぃ しちいりひぃ はちいりひぃ きゅういりひぃ じゅういりひぃ ■たわらのねずみが たわらのねずみが一匹だ ほら二匹だ ほら三匹だ ほら四匹だ ほら五匹だ… ほらおかえり ほらおかえり ほらおかえり… ■おおやまの おおやまの えんどう豆が あおくさい おひめさま にげだした おとのさま おいかけた いちはっさい にはっさい さんはっさい… いちぬけろ それにぬけろ それさんぬけろ… |
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![]() ■手鞠(手毬)歌 |
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(手まり歌、手まり唄、手毬歌、手毬唄) 少女たちが手まりをつきながら歌った童歌、遊び歌の一種である。
明治の中期頃からゴムが安価になり、よく弾むゴムまりがおもちゃとして普及してからは、正月だけでなく通年の遊びとなった。そのリズミカルな運動にあわせた、さまざまな歌が作られ、童歌として各地に伝わる。なお、江戸時代から遊郭などには手毬歌なるものがあったが、日露戦争や、明治中・後期に話題になった文芸作品に題材を取ったものが多く残るのは、子供の遊びとして広く普及してからと思われる。歌の最後でスカートで手まりを隠したり、後ろ手に取ったりなど様々な「フィニッシュ」をとることが多い。 1950年代までは、路地で手まり歌を歌いながら毬をつく少女の姿が見られたものだが、路地にも車が入るようになり、また、テレビが普及して、子供が戸外で遊ぶことが少なくなったことから、今ではほとんど忘れられている。 ■代表的な手まり歌 ■あんたがたどこさ ■一番はじめは一の宮 ■京の手まり歌(丸竹夷) まるたけえびすに、おしおいけ、あねさんろっかく、たこにしき、しあやぶったかまつまんごじょう、せったちゃらちゃらうおのたな、ろくじょうひっちょうとおりすぎ、はっちょうこえればとうじみち、くじょうおうじでとどめさす 丸太町・竹屋町・夷川・二条・押小路・御池、姉小路・三条・六角・蛸薬師・錦・四条・綾小路・佛小路・高辻・松原・万寿寺・五条、雪駄屋町(今の楊梅通)・魚の棚、六条、七条・八条・九条の横の通りをうたう。 ■一列談判 一列談判は1950年代頃までよく歌われていた東京の手まり歌。イチ、ニ、サ、シ…と各句の頭に数字を読み込んだ数え歌の形をとっている。「一列」は意味不明だが、「一月」(日露開戦直前の1904年1月に最後の交渉が決裂したことを指す)の転訛とも、「日列」(=日本対列強)の転訛とも、交渉会場のテーブルが一列に並んでいるから、ともいう。 一列談判破裂して、日露戦争始まった さっさと逃げるはロシヤの兵、死んでも尽すは日本の兵 五万の兵を引き連れて、六人残して皆殺し 七月十日の戦いに、哈爾浜(はるぴん)までも攻め破り クロパトキンの首を取り、東郷元帥万々歳 ■乃木大将 乃木大将も1950年代頃まで全国でよく歌われていた手まり歌。最後の語句が、最初の語句に戻り延々ループするしりとり歌になっているのが特徴で、手毬歌や縄跳び歌として歌われた。しりとり歌であるため、「野蛮国(架空の国?または当時のロシアは大国ながら民度の低い国とされ「野蛮国」とも言われたとも)」、「土瓶の口(砲台のことか?)」、「金の玉(財宝?、弾丸?、睾丸?)」「チャンチャン棒(鈴のついた棒。当時の清国人への蔑称チャンチャン坊)」「犬格子」ちなど若干意味不明な語句が連なっている。 日本の、乃木さんが、凱旋す、雀、目白、ロシヤ、 野蛮国、クロパトキン、金の玉、 負けて逃げゆくチャンチャン棒(坊)、 棒で叩くは犬格子(犬殺し)、 シベリア鉄道長けれど、 土瓶の口から火を噴けば、バルチク艦隊壊滅し、 死ぬ気で尽すは日本の、乃木さんが、凱旋す… ■都霊詩伝 都霊詩伝も1950年代頃まで全国でよく歌われていた手まり歌。伝説をまとめた歌であり、大半は幽霊や心霊現象などまとめたものである。 都の女が夜一人 知らぬ知らざるその姿 伝うる話はうつつかな いやいやそうとは限らんぞ 右に左に揺れ動く 着物の袖があなたの耳に今届く すれ音は風に流され トレネ市電の中に消えてゆく |
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■あんたがたどこさ | |
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場(せんば)さ 船場山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいとかぶせ |
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「あんたがたどこさ」は、熊本市船場地区を舞台とした童謡・わらべうた。古くは女の子の手まり唄(まりつき唄)として歌われた。
遊び方は、4拍子のリズムでボールをついて、「さ」の所で足にくぐらせる。最後の「ちょいとかぶせ」でスカート(昔は着物)でボールを隠す。 唄の「せんば(船場)」とは、熊本の船場地区ではなく、埼玉県川越市の仙波山を指しているのではないのか?こんな有力説が存在する。江戸時代後期の幕末に、薩長連合軍が倒幕運動のために川越の仙波山に進行していたときのこと。付近の子供たちがどこからきたのか尋ねる様子が歌詞に描かれているという。川越市には「仙波山」があり、仙波山には徳川家康公を祀った仙波東照宮(せんばとうしょうぐう)が存在する。徳川家康は「狸」の俗称で知られている。 こう考えると、「船場山には狸がおってさ」の部分は「仙波山」と歌詞を書き変えても話の筋が通ることになる。ややこじつけ気味だが、説得力のある面白い解釈だ。 |
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童歌(わらべうた)の中の手鞠歌のひとつ。熊本県熊本市(異説:埼玉県川越市)が舞台。正式な題名は肥後手まり唄。
あまり知られていないが、もう一つある。 あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ 船場川にはえびさがおってさ それを漁師が網さで捕ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ また、九州では「それを木の葉でちょいと隠(かぶ)せ」ではなく、「うまさのさっさ」になっている場合が多々あり、実際、歌の舞台となっている船場橋(路面電車の停留場名としては「洗馬橋」の表記となっている)一帯でも「うまさのさっさ」の歌詞で広く伝わっているため、こちらが原型であるという説もある。 この歌詞でまりつきをする時は、歌詞の「さ」でまりをついた手とまりの間に足を通す。また、最後の「隠せ」ではまりを袴で覆ってしゃがむ。まりが袴から転がり出してしまったら失敗となる。和服を着ていなければスカートで代えることができる。ただしズボンではこれが出来ない。 ■異説 「あんたがたどこさ」を関東地方の童歌とする資料・研究が多方面からなされている。実際、唄われている歌詞は熊本弁ではなく完全な関東方言である、と古くから研究者の指摘が多い。熊本のことが触れられているだけで、熊本で生まれた童歌ではない、とする熊本の研究家も少なからずいる。 この童歌の発祥地は、武蔵国川越藩(埼玉県川越市)とする説である。 「あんたがたどこさ」のような「問答歌」は、幕末から明治時代初期に生まれた手鞠歌の形式である。 史実として戊辰戦争時に、薩長軍が東征軍として彰義隊の残党である振武隊を追って川越城に進駐し、城に隣接する仙波山に駐屯していた。仙波山とは仙波古墳群のある周辺一帯の別名である(熊本には船場川はあっても船場山や仙波山という地はない)。仙波山付近の子供たちが兵士にどこからきたのか尋ね、熊本藩出身の兵士が答える様子が歌詞に描かれているという。「肥後どこさ 熊本さ」という問答は肥後(熊本)に不案内な関東だからあり得る会話で、官軍に帰順した川越藩の子供たちが立派な銃を所持している官軍兵士のご機嫌を取っている場面が唄われている、などの説である。 川越の仙波山は、「古狸」と呼ばれた江戸幕府開祖の徳川家康を祀る「日本三大東照宮」のひとつ、仙波東照宮がある。また川越城内には「通りゃんせ」の発祥の地とされている三芳野神社(異説あり)もある。 これに対し、2016年3月19日放送のNHK『ブラタモリ』で熊本市が取り上げられたときは、熊本市新町付近は堀が作られ、その堀を作ったときの土を盛り上げた土塁を「せんば山」と呼んでおり、そこには狸がいたことが示されている。 なお、この異説の元となっている太田信一郎『童謡を訪ねて』には、この説について「地元川越市の郷土史研究家によって明らかにされています」とのみ説明しているが、その出典は明らかにされていない。 一方、川越郷土史研究家で川越市史の編纂に当たった岡村一郎は、川越でなく「熊本城下の洗馬山のほうが正しい」としている。 |
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■道成寺、道成寺のてまり唄 | |
トントンお寺の 道成寺(どうじょうじ) 釣鐘(つりがね)下(お)ろいて 身を隠し 安珍清姫(あんちん きよひめ) 蛇(じゃ)に化けて 七重(ななよ)に巻かれて ひとまわり ひとまわり トントンお寺の 道成寺 六十二段の階(きざはし)を 上がり詰めたら仁王(におう)さん 左は唐銅(からかね)手水鉢(ちょうずばち) 手水鉢 |
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安珍・清姫伝説による和歌山県の手鞠歌。
■安珍・清姫伝説 紀州道成寺にまつわる伝説のこと。思いを寄せた僧の安珍に裏切られた少女の清姫が激怒のあまり蛇に変化し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すことを内容としている。 安珍清姫の伝説については、説話として古く平安時代の『大日本国法華験記』(『法華験記』)、『今昔物語集』に現れる。さらに古くは『古事記』の本牟智和気王説話に出雲の肥河における蛇女との婚礼の話がある。内容については伝承によって相違があり、よく知られているものは次のようである。 安珍・清姫のなれそめ / 時は醍醐天皇の御代、延長6年(928年)夏の頃である。奥州白河より熊野に参詣に来た僧がいた。この僧(安珍)は大変な美形であった。紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市中辺路:熊野街道沿い)真砂の庄司清次の娘(清姫)は宿を借りた安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後は立ち寄ることなくさっさと行ってしまった。 清姫の怒り / 騙されたことを知った清姫は怒り、裸足で追跡、道成寺までの道の途中(上野の里)で追い付く。安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ね、更には熊野権現に助けを求め清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとする始末である。ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂に蛇身に化け安珍を追跡する。 安珍の最期 / 日高川を渡り道成寺に逃げ込んだ安珍を追うものは、火を吹きつつ川を自力で渡る蛇の姿である。渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼んでもこれでは無意味であった。よんどころなく、梵鐘を下ろしてもらいその中に逃げ込む安珍。しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。因果応報、哀れ安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった。安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水する。 成仏 / 蛇道に転生した二人はその後、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。 ■伝承内容の相違 いわゆる安珍清姫伝説の内容はおおよそ以上のようなものであるが、古い文献などが伝える伝承の内容は、これとは相違する点がある。『大日本国法華験記』巻下第百二十九「紀伊国牟婁郡悪女」、『今昔物語集』巻第十四第三「紀伊ノ国道成寺ノ僧写法華救蛇語」では、少女の代わりに若い寡婦が登場する。また、宿泊するのは老若二人の僧である(懸想されるのは若い僧)。若い僧に逃げられた後怒った寡婦は寝所で死に、その寝所から体長五尋の毒蛇が現れ、僧を追って熊野街道を行く。道成寺で僧を焼き殺す点は一致しているが、宿泊した僧が二人とも焼かれる。 『道成寺縁起絵巻』では、主人公の女は真砂の清次の娘ではなく「娵」(よめ)である。いずれにせよ安珍・清姫の名はまだ見られず、安珍の名の初出は『元亨釈書』、清姫の名の初出は浄瑠璃『道成寺現在蛇鱗』(寛保2年〈1742年〉初演)とされる。 また、真砂の里では別の伝説が行われている。大きな相違点を挙げると以下のようになる。 清姫の母親は実は、男やもめであった父が助けた白蛇の精であった。 初め安珍は幼い清姫に「将来結婚してあげる」と言っていたが、清姫の蛇身を見て恐れるようになった。 安珍に逃げられた清姫は絶望し富田川に入水、その怨念が蛇の形をとった。 蛇にならず、従って安珍も殺さず、清姫が入水して終わる話もある。 さらに異説としては、清姫は当時鉱山経営者になっており、安珍が清姫から鉱床秘図を借りたまま返さないので、怒った清姫やその鉱山労働者が安珍を追い詰めたという話がある(「清姫は語る」津名道代〈中辺路出身〉)。 ■後日談 安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、四百年ほど経った正平14年(1359年)の春、鐘を再興することにした。二度目の鐘が完成した後、女人禁制の鐘供養をしたところ、一人の白拍子(実は清姫の怨霊)が現れて鐘供養を妨害した。白拍子は一瞬にして蛇へ姿を変えて鐘を引きずり降ろし、その中へと消えたのである。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心に祈念したところ、ようやく鐘は鐘楼に上がった。しかし清姫の怨念のためか、新しくできたこの鐘は音が良くない上、付近に災害や疫病が続いたため、山の中へと捨てられた。 さらに二百年ほど後の天正年間。豊臣秀吉による根来攻め(紀州征伐)が行われた際、秀吉の家臣仙石秀久が山中でこの鐘を見つけ、合戦の合図にこの鐘の音を用い、そのまま京都へ鐘を持ち帰り、清姫の怨念を解くため、顕本法華宗の総本山である妙満寺に鐘を納めた。鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも「道成寺鐘」と題し、かつて道成寺にあった件の鐘が、石燕の時代には妙満寺に納められていることが述べられている。 ■史跡 伝説の舞台となる道成寺には安珍塚がある。 清姫の生誕地とされる真砂は現在の熊野古道の中辺路付近にあたるが、ここには清姫の墓と伝えられる石塔があるほか、清姫渕、衣掛松、清姫のぞき橋、鏡岩など、伝説にまつわる史跡が数多く残されている。また熊野古道潮見峠越えにある田辺市指定天然記念物の大木・捻木ノ杉は、清姫が安珍の逃走を見て口惜しんで身をよじった際、一緒にねじれてしまい、そのまま大木に成長したものといわれる。 妙満寺に納められた道成寺の鐘は、現在でも同寺に安置されており、寺の大僧正の供養により清姫の怨念が解けて美しい音色を放つようになったとされ、霊宝として同寺に伝えられている。毎年春には清姫の霊を慰めるため、鐘供養が行われている。道成寺関連の作品を演じる芸能関係者が舞台安全の祈願に訪れていた時代もあり、芸道精進を祈願して寺を訪ねる芸能関係者も多い。 |
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■一匁のい助さん | |
一もんめの 一助さん 一の字が きらいで 一万一千一百石 一斗(いっと) 一斗 一斗まの お蔵におさめて 二もんめに渡した 二もんめの 二助さん 二の字が きらいで 二万二千二百石 二斗 二斗 二斗まの お蔵におさめて 三もんめに渡した 三もんめの 三助さん 三の字が きらいで 三万三千三百石 三斗 三斗 三斗まの お蔵におさめて 四もんめに渡した |
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■一番はじめは一の宮 1 | |
一番はじめは一の宮 二は日光東照宮 三は讃岐の金比羅さん 四は信濃の善光寺 五つ出雲の大社(おおやしろ) 六つ村々鎮守様 七つ成田の不動様 八つ八幡の八幡宮 九つ高野の弘法さん 十は東京招魂社(注:現在の靖国神社) これだけ心願かけたなら 浪子の病も治るだろう ごうごうごうと鳴る汽車は 武男と浪子の別列車 二度と逢えない汽車の窓 鳴いて血を吐くほととぎす |
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明治後期から昭和時代にかけて、全国で歌われていた手まり歌・お手玉歌のひとつである。曲は明治時代に日本軍隊の指導のために来日したフランス人が作曲した軍歌「抜刀隊」のメロディーを借用したものであるが、リズムは手鞠歌によく見られるピョンコ節になっており、メロディーも歌いやすいように変えられていることがある。歌詞は、口承による童歌のため、作詞者は未詳で、また、歌詞にいろいろなパターンがある。
一般に唄われていたものは、20行からなり、前半は数え歌形式で、この歌では、御利益のありそうな神社仏閣尽くしになっている。後の10行は打って変わって、徳富蘆花の小説「不如帰」をモチーフにしている。本来は10行目までで終わりになっていたのが、1908年(明治41年)前後から「不如帰」が劇として各地で上演されることが多くなったのを受け、舞台を鑑賞した年かさの女児が、後を付け足したものと思われる。 近年は作曲家信長貴富編曲による合唱曲としてしばしば演奏されるようになった。《7つの子ども歌》所収、混声版と女声(同声)版がある。因みに曲名は「一番はじめは」となっている。 一番はじめは一の宮 二は日光東照宮 三は讃岐の金比羅さん 四は信濃の善光寺 五つ出雲の大社(おおやしろ) 六つ村々鎮守様 七つは成田の不動様 八つ八幡の八幡宮 九つ高野の弘法さん 十で東京招魂社 これほど心願かけたのに 浪子の病は治らない ごうごうごうと鳴る汽車は 武男と浪子の別れ汽車 二度と逢えない汽車の窓 鳴いて血を吐くほととぎす 武男が戦争に行くときは 白い真白いハンカチを うちふり投げてねえあなた 早く帰ってちょうだいね 一番初めの一の宮、二は日光中禅寺、三は佐倉の惣五郎、八つ大和の東大寺/法隆寺、九つ高野の高野山、十で所の氏神さん/東京泉岳寺/東京本願寺、二〜四の「は」の部分を「また」、など様々なバリエーションが地域ごとに見られる。 |
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■一番はじめは一の宮 2 | |
一番初めは一の宮 二は日光の東照宮(とうしょうぐう) 三は佐倉の宗五郎(そうごろう) 四はまた信濃の善光寺 五つ出雲(いずも)の大社(おおやしろ) 六つ村々鎮守様(ちんじゅさま) 七つ成田の不動様 八つ八幡の八幡宮(はちまんぐう) 九つ高野(こうや)の弘法様(こうぼうさま) 十で東京招魂社(しょうこんしゃ) ■上唄に変更や追加 8番を「八つ 山田の伊勢神宮」 10番を「十で 東京二重橋」 ■ 一願かけたれど 浪子(なみこ)の病いは なおらない ごう ごう ごうごと 行く汽車は 浪子と武夫の別れ汽車 ハンカチふりふり ねえあなた はーやく帰ってちょうだいな 泣いて血を吐く ほととぎす ■ 心願掛けたなら 浪子の病は治らぬか ごうごうごうごうなる汽車は 武雄と浪子の別れ汽車 二度と逢えない汽車の窓 鳴いて血を吐く不如帰 ■ 心願掛けたなら 浪子の病は治らぬか 武雄が戦争に行くときは 白い白い真っ白い ハンカチ振り振り ねえあなた、早く帰ってちょうだいね ごうごうごうごうなる汽車は 武雄と浪子の別れ汽車 二度と逢えない汽車の窓 鳴いて血を吐く不如帰、不如帰 |
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一番初めは一の宮 二また日光中禅寺 三また佐倉の宗五郎 四また信濃の善光寺 五つは出雲の大社(おおやしろ) 六つは村村鎮守様 七つは成田のお不動さん 八つは八幡の八幡宮 九つ高野の弘法様 十で東京泉岳寺 これほど信(神)願 かけたのに 浪子の病はなおらない 武夫が戦地に行くときは 白きま白きハンカチを うちふりながらも ねえあなた はやくかえってちょうだいね 泣いて血を吐く ほととぎす |
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一番はじめは一宮 二また日光東照宮 三また桜の咲く頃に 四また吉野の八重桜 五つ出雲の大社 六つ村々鎮守様 七つ成田の不動様 八つ八幡の八幡様 九つ高野の弘法様 十で東京二重橋 これほど 信心掛けたのに 浪子の病は治らない ぴーぴーごーごー鳴る汽車は 武夫と浪子の別れ汽車 二度と会えない あの汽車に ハンカチ振り振り さようなら さようなら |
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一番はじめは一の宮 二また日光中善寺 三また佐倉の宗五郎 四また信濃の善光寺 五つは出雲の大社 六つは村村鎮守さま 七つは長野の不動様 八つ八幡の八幡宮 九つ高野の高野山 十は東京心願寺 これほど心願かけたなら ナミコの病は治るだろう ゴーゴーゴーゴーと鳴る汽車は タケオとナミコの別れ汽車 二度と逢えない汽車の窓 泣いて血を吐く不如帰 いよいよ戦争が始まった 日露の戦争が始まった さっそく逃げるはロシア人 死んでも進むは日本人 八月十日の戦いで 6人残して皆殺し あれはナミコの墓参り |
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いちばんはじめは一宮 二で日光東照宮 三は佐倉の宗五郎 四また信濃の善光寺 五つ出雲の大社 六つ村々鎮守さま 七つ成田の不動さま 八つ八幡の八幡宮 九つ高野の弘法さま 十で東京本願寺 これほど心願かけたのに 浪子の病は治らない ああ 浪さんよ なぜ死んだ わたしをおいて なぜ死んだ |
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一番はじめは一の宮 二また日光東照宮 三また讃岐の金毘羅さん 四また信濃の善光寺 五つは出雲の大社 六つ、村村天神さん 七つ、成田の不動さん 八つ、八幡の八幡さん 九つ、高野の弘法さん 十で所の氏神さん これほど信心したなれど ナミちゃんの病は治らせぬ ゴーゴーゴーと鳴る汽車は タケオとナミコの生き別れ 二度会われぬ汽車の窓 泣いて血を吐く不如帰 タケオがボートに移るとき ナミコは白いハンカチを 振り振りながら、ねえあなた はやく帰ってちょうだいな 一列談判破裂して、日露戦争始まった さっさと逃げるはロシアの兵 死んでも尽くすは日本の兵 5万の兵を引き連れて 6人残して皆殺し 7月8日の戦いに ハルピンまでも攻め寄せて クロポトキンの首落とし 東郷大将万々歳 大山大将万々歳 中条大将万々歳 |
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一番初めは一の宮 二は日光の東照宮(とうしょうぐう) 三は佐倉の宗五郎(そうごろう) 四はまた信濃の善光寺 五つ出雲(いずも)の大社(おおやしろ) 六つ村々天神(てんじん)様 七つ名古屋の熱田(あつた)様 八つ山田の伊勢神宮 九つ高野(こうや)の弘法(こうぼう)様 十で東京二重橋 |
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一番初めは一の宮、二また日光中禅寺、 三また佐倉の惣五郎、四また信濃の善光寺、 五つは出雲の大社、六っつ村々鎮守様、 七つは成田の不動様、八っつ八幡の八幡宮? 九つ高野の高野山、十はとうとう寒山寺? |
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一番初めの 一の宮 ニぃはと 日光東照宮 三はと 佐倉の宗五郎 四はと 信濃の善光寺 五つは 出雲の大社(オオヤシロ) 六つ 村々鎮守様(または八幡さん) 七つ 成田の不動さん 八つ 大和の大神宮 九つ 高野の高野山 十で 東京明治神宮 これだけ信心したけれど 浪子の病気は治らない 武雄が戦争に行くときは 白い白い真っ白い ハンカチ振ってネェあなた 早く帰って頂戴ね ボーボーボーボと鳴る汽車は 武雄と浪子の別れ汽車 二度と会えない汽車の窓 鳴いて別れてホトトギス (または、泣いて血を吐くホトトギス) |
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■各地の手まり唄 1 | |
■(香川)
家(うウち)の裏(うウら)の黒猫が お白粉(しろい)つけて 紅(べに)つけて 人(ひイと)に見られて チョイと隠(かく)す ■(山形) 家の隣の三毛猫は白粉つけて紅つけて、 小さな橋を渡る時、・・・・・ ■(京都) 家の裏の黒猫が、お白粉ぬって紅ぬって 紅がないので買いにって、 人に見られてチョッと隠せ ■(兵庫) うちの裏の黒猫が、鏡の前にちょいと坐り・・・・・ ■山王のお猿さん 山王のお猿さんは 赤いお衣服(べべ)が大(だい)おォ好き テテシャン テテシャン 夕べ恵比寿講(えびすこう)に招(よ)ばれて行ったら お鯛の吸物 小鯛の塩焼き 一杯おすすら すゥすら 二杯おすすら すゥすら 三杯目には肴が無いとて腹を立て ハテナ ハテナ ハテハテハテナ (山王は江戸麹町日吉山王神社ともいわれています。この唄は東京地方の古いものですが、今では山形や神奈川、静岡、長野、新潟、富山、京都、大阪、宮崎などでも歌われ、お手玉、毬つきなどの遊戯にも、その時々に応じて使い歌われているそうです。) ■清水の観音様 清水の観音様に 雀が三疋とまった その雀が 蜂(はアち)にさされて あいたた ブンブン あいたた ブンブン まずまず一貫 貸し申した (足利地方で歌われたそうです。) ■いちじく人参 無花果(いちじく) 人参(にんじん) 山椒(さんしょ)に 椎茸(しいたけ) 牛蒡(ごぼう)に 無患子(むくろじュ) 七草(ななくさ) 初茸(はつたけ) 胡瓜(きゆうり)に 冬瓜(とうがん) (この唄の発祥は静岡のようですが、全国共通の唄です。) ■向う横町の 向う横町(よこちょ)のお稲荷さんへ 壱銭上げて ちゃんと拝(おが)んで お仙の茶屋へ 腰を掛けたら 渋茶を出して 渋茶よこよこ 横目(よこめ)で見たらば 米(こめ)の団子か 土(つち)の団子か お団子 団子(だァんご) この団子を 犬にやろうか 猫にやろうか とうとう鳶(とんび)に さらわァれた (江戸の庶民の姿が浮かびます。この唄は手毬唄の中でも秀作の一つとのことです。歌の意味は『わらべうた』町田喜章・浅野健二編によると「明和の頃、江戸谷中、笠森稲荷神社頭の茶屋鍵屋の娘、お仙の美貌を叙したもの」、だそうで、「鈴木春信の一枚絵にも描かれた」といいます。そして、この笠森稲荷神社は「瘡の神として、まず祈願をこめる時に土の団子を供え、満願の時効験あれば、米の団子を改めて供える風俗あり、両側の茶屋は皆両様の団子を売った」のです。) ■あっちの山から あっちの山から こっちの山から 赤い父(と)っちゃん 大人(おおにん)づれで 一でよいのは 糸屋の娘 二でよいのは 肉屋の娘 三でよいのは 酒屋の娘 四でよいのは 塩屋の娘 五でよいのは 呉服屋の娘 六でよいのは 蝋燭屋(ろうそくや)の娘 七でよいのは 質屋の娘 八でよいのは 鉢屋の娘 九でよいのは 櫛(くし)屋の娘 十でよいのは 豆腐(とふ)屋の娘 豆腐かついで えっささ もっささ (これは、広島市の唄ですが、秋田・宮城・福島・長野・福井・愛知・三重・京都・大阪にも同じようなものがあります。) ■一番初めは 一番初めは一宮 二また日光中禅寺 三また佐倉の宗五郎 四また信濃の善光寺 五つ出雲の大社(おおやしろ) 六つ村々鎮守様 七つ成田の不動様 八つ大和の法隆寺 九つ高野の弘法様 十で東京心願寺(しんがんじ) (岡崎地方の唄ということです。) ■わしの大事な わしの大事な お手毬(てまり)さァまは 紙に包んで 文庫に入(いィ)れて お錠(じょう)でおろして お鍵で開けて 開けたところは イロハと書(かァ)いた イロハ誰(誰)が書いた お菊が書(かァ)いた お菊よう書く お袖の下(した)から お渡し申すが合点(がッてん)か 合点(がッてん)か (西日本。) |
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■各地の手まり唄 2 | |
■いちかけにかけ
いちかけ にかけ さんかけて しかけて ごかけて 橋をかけ 橋の欄干に腰をかけ はるか向うを眺むれば 十六、七のねえさんが 花と線香を手にもって ねえさん ねえさん どこ行くの 私は九州熊本の西郷隆盛むすめです 明治九年のたたかいに 切腹された父親の お墓まいりにまいります お墓の前に手をあわせ なみあむだぶつを拝もうせば お墓の中からゆうれいが フウーワリ フウーワリ ジャンケンポン 二本橋 コチョコチョ たたいて つねって 階段のぼつて コチョコチョ お寺の鐘が ゴンゴン (手あそび、ジャンケン遊びにも唄われるもので全域にひろがっている。) ■あんたがたどこさ あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ 船場山にはたぬきがおってさ それを猟師が鉄砲で打ってさ 煮てさ焼いてさ食ってさ それを木の葉でちょっとかぶせ ■だいすけ だいすけ だいすけ お手まる つくかつかぬか おしめしめなわ 糸ごんごじゅうめ 糸ろくろくじゅめ 糸しちしちじゅめ 糸はちはちじゅめ 糸九十九まで とと百ついた ■いちもんめの いちもんめのいすけさん いもやのおばさん いもちょうだい にいもんめのにいすけさん にんじんやのおばさん にんじんちょうだい さんもんめのさんすけさん さかずきやのおばさん さかずきちょうだい よんもんめのようすけさん ようかんやのおばさん ようかんちょうだい ごもんめのごんすけさん ごぼうやのおばさん ごぼうちょうだい ろくもんめのろくすけさん ろうそくやのおばさん ろうそくちょうだい ななもんめのななすけさん なっぱやのおばさん なっぱちょうだい はちもんめのはちすけさん はちみつやのおばさん はちみつちょうだい きゅうもんめのきゅうすけさん きゅうりやのおばさん きゅうりちょうだい じゅうもんめのじゅうすけさん じゅうばこやのおばさん じゅうばこちょうだい ■いちもんめの いちもんめのいすけさん いもやのおばさん 一万一千一百億 いといといとまの おうらいさだめて がってんとん がってんとん、がってんとん 〔以下、二万、三万…十万と続く〕 ■てんてんてまり てんてんてまり てんてまり てんてん てまりのてがそれて あの山越えて 谷越えて 表の通りに 飛んで行った 飛んで行った ■てんてんてまり てんてんてんまり てんてまり てんてんてまりの 手がそれて どこからどこまで とんでった 垣根をこえて 山こえて とんでいった とんでった ■一のまの千石 一のまの千石 二のまの千石 三のまの三平が 四つ横浜 えっさっさ 五ついつもの学校へ 六つ村祭り 七つ南天 何曜日 八つ八重桜 九つ金ぴら ぴらぴら 十でおわった ■いちだんいちだん いちだん いちだん 赤いネクタイ 長ズボン 山高帽子に銀のつえ どうせおいらは なまけもの 後向いて前向いて バイバイ 〔以下、にだんだん…さんだんだん〕 ■てんてんてまり てんてんてまりの昔の数 ひい ふう みい よう いつ むうっ ななっとかぞえて やつになれば わたしは尋常一年生 ああうれしいな うれしいな ■一番はじめは 一番はじめは 宇都宮 二また 日光東照宮 三また 佐倉の宗吾郎 四はまた 信濃の善光寺 五つ 出雲の大社(やしろ) 六つ 村々鎮守さま 七つ 成田の不動さま 八つ 八幡の八幡宮 九つ 高野の弘法寺 十で 東京泉岳寺 ■だんごがおよめに だんごがおよめに行く時は あんこときなこで化粧して 赤いお椀に入れられて ゆらゆら ゆらゆら ■あのねそのね あのね そのね よっちゃんが 電車にね ひかれてぺっちゃん ■とんとんとなりの とんとんとなりのきちばさま あんまり 欲ばり 腹だして あんもち焼くとて へそやいた |
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![]() ■子守歌 |
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子守をするときに歌う歌。子供に聞かせる、という意味で童歌である。例えば母親が赤ん坊をあやしながら歌う。「ねんねんころりよ」などはこれに属する。しかし、同時にかつて子守が貧乏な子供の働き口として重要であったことから、子守をする子が歌う場合もある。「竹田の子守歌」などに見られる、子守のつらさを唄うものはこれによる。 | |
子守唄には寝かせ唄、遊ばせ唄、子守労働歌謡等があります。江戸時代、行智の「童謡古謡」にある江戸子守唄は、寝かせ唄に入るでしょう。そして、「ねんねんねんねこよ」というはやしことばは、仏教の「念念」から来ている、仏教歌の和讃の形式を取り入れた歌ではないかともいわれています。念仏にも使われる笙の笛は、土佐では「吹いたり鳴らしたりして遊ぶ」と遊ばせ歌に変わっています。
江戸子守唄の後半「枇杷の葉を食べた」は、土佐では「南天の実を食べた」になっています。敗戦間もなく、私は幼な友だちの画家・種田英幸さんの家の庭先の南天の前で、下の妹を背負って遊んだことを思い出します。英幸さんにうかがうと、この南天は今も健在の由。 熊本県五木村から始まった「五木の子守唄」は、旦那衆の家に奉公した、貧しい娘たちの子守労働歌謡です。子守娘の諦め、抵抗、不満、淋しさが歌われ、民衆文化史の資料としても貴重です。勧進=かんじんは乞食、子守娘たち自身の卑称です。 ■江戸の子守唄 1 ねんねん ねんねこよ ねんねのおもりは どこいたあ 山を越えて 里行た 里のおみやに 何もろうた でんでん太鼓に 笙の笛 起き上がり小法師に 振り鼓 ■江戸の子守唄 2 ねんねんねんころり ころころ山のうさぎは なぜに お耳が長うござる 親のお腹にゐるときに 枇杷の葉食べて 長うござる 明日は疾うからおひんなれ 赤のまんまに とと添えて ざんぶざんぶと上げましょよ ねんねんねんねこよ ■五木の子守唄 おどま盆限り盆限り 盆から先はおらんと 盆が早よ来りゃ 早よ戻る おどま勧進勧進 あん人たちゃ 良か衆 良か衆 良か帯 良か着物 おどま勧進勧進 がんがら打って歩るこ 土瓶で 飯ァち 堂に泊まる おどまいやいや 泣く子の守にゃ 泣くと言われて 憎まれる おどま馬鹿々々 馬鹿んもった子じゃつで よろしゅ頼んもす 利口かしと おどんが打死んだちゅうて 誰が泣やァてくりゅうきゃ 裏ん松山 蝉が鳴く 蝉じゃござらぬ 妹でござる 妹泣くなよ 気にかかる おどんが打死んねば 道端埋けろ 通る人ごち 花あぐる 花は何の花 つんつん椿 水は天から 貰い水 ねんねした子にゃ 米ん飯わしゅ 黄粉あれにして 砂糖つけて ねんね一ぺん言うて 眠らめ餓鬼は 頭たたいて 尻ねずむ おどまいやいや 泣く子の守にゃ 泣くと言われて 憎まれる 辛いもんばい 他人の飯は 煮えちゃおれども 喉こさぐ 子どんが可愛がりゃ 守に餅食わしゅ 守がこくれば 子もこくる ■土佐の子守唄 1 ねんねよ ねんねよ ねんねこよ ねんねのお守りは どこへ行た あの山越えて 里へ行た 里の土産に なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 それを貰うて なににする 吹いたり 鳴らしたりして遊ぶ ■土佐の子守唄 2 ころころ小山の 小兎は なぜに おめめが 赤うござる 母ちゃんお膝に いたときに 南天の実をば 食べたから それで おめめが 赤うござる |
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■ねんねんころりよ | |
ねんねんころりよ おころりよ ぼうやはよい子だ ねんねしな ぼうやのお守りは どこへ行った あの山こえて 里へ行った 里のみやげに 何もろうた でんでん太鼓に 笙の笛(しょうのふえ) |
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歌詞は、第11代将軍・徳川家斉の文化文政時代には記録が確認されており、参勤交代などを通じて江戸から各地に伝えられたと考えられている。
いくつか解釈が可能と思われるが、私見では、江戸時代中期以降の裕福な商家・農家に生まれた子供の母親の視点からストーリーが描かれていると考えられる。 当時は、貧しい農家の子供たちが裕福な商家・農家へ住み込みで奉公へ出され、男子は丁稚・小僧として、女子は子守り・走り使いとして働かされることが多かった。 ■奉公人が実家へ帰れる「藪入り」 住み込みで働く奉公人たちは年に2回、盆と正月に実家へ帰ることを許されていた。この日は「藪入り(やぶいり)」と呼ばれ、主人は奉公人たちにお仕着せの着物や履物と小遣いを与え、手土産を持たせて実家へと送り出した。 奉公人がお里(実家)へ帰った藪入りの間は、実の母親が自ら赤子の子守をすることになるが、上述の歌詞は、この母親の立場から歌われたものと考えられる。 ■里帰りのお土産が笙の笛? 歌詞の最後では、奉公人が里帰りのお土産として「でんでん太鼓に 笙の笛(しょうのふえ)」を持ち帰ったと描写されている。 でんでん太鼓は子供をあやすオモチャだが、笙の笛(しょうのふえ)とは、神前結婚式などで耳にするあの雅楽の管楽器のことだろうか?それはいくらなんでも庶民のお土産としては違和感がある。 果たして、奉公人がお土産とした「笙の笛(しょうのふえ)」とはいったいどんな笛だったのだろうか?他にもお土産はなかったのだろうか? |
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■でんでん太鼓と笙の笛
江戸時代から伝わる日本の伝統的な子守歌「江戸の子守唄」。冒頭の「ねんねんころりよ おころりよ ぼうやはよい子だ ねんねしな」の歌詞が特に有名。 今日一般的な歌詞では、里帰りした奉公人がお土産(みやげ)として「でんでん太鼓に笙の笛(しょうのふえ)」を持ち帰ったとあるが、「笙の笛」については不自然な点が残る。歌われたお土産について、若干詳しく見ていくこととしたい。 ■でんでん太鼓 「でんでん太鼓」は、子供をあやす小さな太鼓のおもちゃで、横についた紐の先に小さな玉が結ばれており、太鼓を横に回転させると音が鳴る。雅楽で用いられる「振鼓」(ふりつづみ)がモデルで、実際の雅楽では舞楽などで用いられる。神社では、子供の魔除や健康祈願としてでんでん太鼓が売られることがある。 ■笙の笛 笙の笛(しょうのふえ)は、雅楽で用いられる管楽器の一つで、複数の細い竹管が円筒状にくくられている。形は翼を立てて休んでいる鳳凰に見立てられ、鳳笙(ほうしょう)とも呼ばれる。神前結婚式でもおなじみの楽器だ。 ここで大きな疑問が一つ生じる。歌詞では、「里のみやげ」として「笙の笛」が挙げられているが、「笙の笛」を雅楽の楽器として文字通り解釈してしまうと、庶民が選ぶ「里のみやげ」としては違和感があると言わざるを得ない。 ■もう一つのお土産とは何だったのか? でんでん太鼓は子供をあやすオモチャであり、大きさも値段も手ごろで、子守の奉公人が里帰りのお土産として選ぶのはごく自然だ。これに加えてもう一つ子供向けのお土産があるとしたら、持ち運びしやすく、値段も手ごろで、子供が喜びそうな何かでなければ、歌詞の流れからして不自然さが際立ってしまう。 「もう一つのお土産」とは、本当は一体何だったのか?この疑問を解くには、江戸時代に大流行していた「お伊勢参り」について若干触れていく必要がある。 ■お伊勢参りと江戸の子守唄 江戸時代に入って主要な街道の整備が進み、各地の関所も撤廃されると、人々は現世利益を求め、伊勢神宮(現在の三重県伊勢市)にこぞって参詣する「お伊勢参り」が盛んに行われた。数百万人の人々が参詣する様は「お蔭参り(おかげまいり)」と称され、中には子供や奉公人などが親や主人に無断で参詣することも多かったことから「抜け参り」とも呼ばれた。伊勢神宮・内宮の主祭神は、商売繁盛の守り神でもある天照大神(あまてらすおおみかみ)。商家の奉公人が抜け参りをしても、証拠の品物(お守りやお札など)を持ち帰れば、おとがめは受けなかったという。 伊勢神宮の周辺では、お蔭参りの人々を目当てに数多くの土産物が売られていたが、中でも当時の伊勢みやげの一つとして小さな笛が人気だったそうだ。この点に関する文献について軽く説明しよう。 伊勢みやげの小さな笛とは? 江戸時代後期の天保元年(1830年)に出版された随筆集「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」には、伊勢みやげとして人気があった笛について、次のような記述が残されている。 「伊勢みやげの笛 「諸艶大鑑」に伊勢みやげの笛を吹て門に遊びし云々、貞享四年の衣服ひな人形をみるに、いせ土産の模様あり、笛は小さき笙の笛なり「永代蔵」に伊勢のみやげをいふ処、笙の笛 貝杓子して世を渡る 海の若和布の数しらずなどいへり」 この記述だけでは具体的な形状は不明だが、「小さき笙の笛」とは、雅楽の笙(しょう)のサイズをそのまま小さくしたものではなく、篠笛(しのぶえ)のように単に一本のシンプルな笛であったと想像できる。 お伊勢参りの一般庶民に売るお土産品なので、値段を抑えるために素材も構造もシンプルな作りが選ばれるであろう。おそらく「小さき笙の笛」は、篠笛のような複数の穴もなく、実際に吹いても単音しか鳴らないような素朴な土産品だったのではないだろうか。 ちなみに、篠笛(しのぶえ)の「篠」は音読みで「ショウ」。これを「笙の笛」と結び付けて考える説もあるようだ。 |
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■五木の子守唄 | |
おどまいやいや 泣く子の守りにゃ 泣くといわれて憎まれる 泣くといわれて憎まれる ねんねした子の かわいさむぞさ 起きて泣く子の面憎さ 起きて泣く子の面憎さ ねんねいっぺんゆうて 眠らぬ奴は 頭たたいて尻ねずむ 頭たたいて尻ねずむ おどまお父つぁんな あの山おらす おらすともえば行こごたる おらすともえば行こごたる |
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■ お座敷唄 おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よくりゃ早よもどる おどま勧進勧進(かんじん かんじん) あん人たちゃよか衆 よか衆ゃよか帯よか着物 |
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曲名を見ると、子供を寝かしつけるための穏やかで優しい典型的な「子守唄」を想像するが、「おどま盆ぎり盆ぎり…」から始まる歌詞では、故郷を離れ住み込みで子守の奉公をする若い「守り子」の辛い心情・悲哀が描かれている。内容的には、曲名は『五木の守り子歌』、『五木の子守哀歌』といった感じが誤解が少なそうだが、実際に守り子がこの民謡を子守歌として歌っていたのであれば、現状どおり『五木の子守唄』で問題はないだろう。『五木の子守唄』は戦後にレコード化され、お座敷唄の曲調で一般的に知られるようになった。これとは別に、商業的な色合いの薄い『正調・五木の子守唄』も存在する。 | |
■ゆりかごの唄 | |
ゆりかごの歌を かなりやがうたうよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ ゆりかごの上に びわの実がゆれるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ ゆりかごのつなを 木ねずみがゆするよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ ゆりかごの夢に 黄色の月がかかるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ |
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■竹田の子守唄 | |
こんな泣くぅ子よ 守りしぇと言うたか 泣かぬ子でさい(さえ) 守りゃいやにゃ どうしたいこーりゃ きーこえたーか この子よう泣く 守りをばいじる 守りも一日 やせるやら どうしたいこーりゃ きーこえたーか 来いや来いやと 小間物売りに 来たら見もする 買いもする どうしたいこーりゃ きーこえたーか 寺の坊んさん 根性が悪い 守り子いなして 門しめる どうしたいこーりゃ きーこえたーか 久世の大根飯 吉祥(きっちょ)の菜飯 またも竹田のもん葉飯 どうしたいこーりゃ きーこえたーか 盆がきたぁかて 正月がきぃたて なんぎな親もちゃ うれしない どうしたいこーりゃ きーこえたーか はよもいにたい あの在所こえて むこうにみえるんは 親のうち どうしたいこーりゃ きーこえたーか |
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■ 広く歌われている歌詞 守りもいやがる 盆から先にゃ 雪もちらつくし 子も泣くし 盆がきたとて なにうれしかろ 帷子(かたびら)はなし 帯はなし この子よう泣く 守りをばいじる 守りも一日 やせるやら はよもいきたや この在所(ざいしょ)越えて むこうに見えるは 親のうち |
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現在の京都府の被差別部落に伝えられた民謡、およびそれを基にしたポピュラー音楽の歌曲である。 | |
■中国地方の子守唄 | |
ねんねこ しゃっしゃりませ 寝た子の かわいさ 起きて 泣く子の ねんころろ つらにくさ ねんころろん ねんころろん ねんねこ しゃっしゃりませ きょうは 二十五日さ あすは この子の ねんころろ 宮詣り ねんころろん ねんころろん 宮へ 詣った時 なんと言うて 拝むさ 一生 この子の ねんころろん まめなように ねんころろん ねんころろん ■ まめになったら 絵馬買うてあげましょ 絵馬はなに絵馬 武士絵馬あげましょ ねんころろん ねんころろん |
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■島原の子守歌 | |
おどみゃ 島原の おどみゃ 島原の 梨の木 育ちよ 何の梨やら 何の梨やら 色気なしばよ しょうかいな はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ 鬼(おん)の池ん 久助(きゅうすけ)どんの 連れんこらるばい 帰りにゃ 寄っちょくれんか 帰りにゃ 寄っちょくれんか あばら家 じゃけんど 唐芋飯(といもめし)や 粟ん飯 唐芋飯や 粟ん飯 黄金飯(こがねめし)ばよ しょうかいな 嫁ごん 紅(べん)な誰(だ)がくれた 唇(つば)つけたなら 暖ったかろ 山ん家はかん火事げなばい 山ん家はかん火事げなばい サンパン船は与論人 姉しゃんな握ん飯で 姉しゃんな握ん飯で 船ん底ばよ しょうかいな 泣く子はガネかむ おろろんばい アメガタ買うて ひっぱらしゅう 姉しゃんな 何処行たろかい 姉しゃんな 何処行たろかい 青煙突のバッタンフール 唐(から)は 何処ん在所(にき) 唐は 何処ん在所 海の涯(はて)ばよ しょうかいな はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい おろろん おろろん おろろんばい あん人たちゃ二つも あん人たちゃ二つも 金の指輪はめとらす 金はどこん金 金はどこん金 唐金(からきん)げなばい しょうかいな おろろん おろろん おろろんばい おろろん おろろん おろろんばい |
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江戸時代の末から明治・大正、昭和の初めにかけて、遠く中国や東南アジアなどに渡り、娼館(しょうかん)で働いた娘たちがいました。『からゆきさん』と呼ばれたそれらの娘たちの多くが島原(長崎県)、天草(熊本県)の出身者だったといわれます。
島原半島の最南端に口之津という港があります。今は、早崎瀬戸を隔てて7〜8kmの向こう岸にある天草の鬼池港とを結ぶフェリーが発着する静かな港ですが、大正初めに三池(福岡県大牟田市)に近代的な港が完成するまで、口之津は三井三池の石炭を積み出す外港として長崎に並ぶ賑わいを見せたといわれます。 口之津港には、香港のバターフィルという船会社の船が出入りしていたので、のちに地元の人々は外国の貨物船をすべて『バッタンフル』と呼ぶようになったそうです。そして、天草の鬼池には、久助どんと呼ばれる人買い仲介の長者がいました。からゆきさんたちは、バッタンフルの船底に石炭と一緒に押し込められ、口之津港を後にしました。 貧しいがゆえに南方へ送られていった娘たちを哀れむ一方で、少数ながら成功して帰ってきた「からゆきさん」をうらやむ貧しい農家の娘の心を描写したこの唄は、宮崎康平(本名一彰 1917〜1980年)作詞・作曲による戦後の創作子守唄です。 |
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■恐い子守唄 | |
女の子がまだ小さいうちから奉公に出されて、子守をするので、辛いこともたくさんあったのでしょう。いろいろな地方に残る子守唄には、かなり恐いものがあります。
■青森の南部子守唄 ねんねろや ころころ ねんねこして おいたなら あんずきまんまさ ごごかけて もしもそれが おいやなら 白いまんまに しゃけのよ もしもそれが おいやなら あんころに しょゆだんご このあとも、寝てくれたら飴玉や麦せんべい、パン、むぎまんじゅうなどいろんなものをあげると続きます。 ■福井の高浜子守唄 ねんねした子にゃ 赤いべべ着せて 起きて泣く子にゃ 縞のべべ 縞のべべ この子よい子じゃ ぼた餅顔じゃ きな粉つけたら なおよかろう ■愛知 坊やはよい子だ ねんねしな この子のかわいさ 限りなさ 天にのぼれば 星の数 七里ヶ浜では 砂の数 ■京都 ねんねなされませ 今日は二十五日 明日はおまえの 誕生日 ■奈良 泣くな泣くな 泣くなよ 泣いたらとんびに つままれる ■広島 ねんねんよ ねんねんよ 寝たらおもちゃを 買うてやろ 起きたらもうもに かぶらすぞ (「もうも」はお化けのことらしい。こわくて寝られないってば。) ■愛媛幡多地方の子守唄 ねんねこしょ ゆうて ねる子はかわい ねんこしょ ゆうて ねん子はつらにくい つらのにくい子は まな板の上にのせて 大根きざむよに きざみたい ■宮崎日南地方の子守唄 よい子よい子いうて 眠らん子は びんたに手こぶし あててやる |
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![]() ■わらべ唄の分類 2 |
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■歳時唄 | |
正月正月どこまでいらした 向(むこ)のコロコロ橋の下迄いらした みやげ なんじゃった カヤや勝栗 ミカンコウジ 橘 犬(いん)の踏んだが かいもち 猫の踏んだが とちもち 馬の踏んだが やきつき あまの裏の串柿 ■ 正月 正月 どこまでござった くるくる山のしたまで ござった みやげは何じゃ みかんと栗と 天(あま)下がった串柿と 棒につけた繭玉と ゆずり葉かずいて えんとこ えんとこ ござった 大黒様と言う人は 一つに 俵をふんまいて 二に にっこり笑い顔 三に 盃 いただいて 四つ 世の中 良いように 五つ いつも 湧くように 六つ 息子に 嫁貰て 七つ なに事 ないように 八つ 屋敷を広げたて 九つ 子宝 恵まれて 十に とっくり おさまった ■ 正月っつあま(様) 正月っつあま どこ迄ござった くるくる山の下までござった みやげァ 何じゃった 天から下がった串柿と 垣だに刺いた繭玉と 猫の踏んだ掻き餅と 勝手に作った どぶ酒と みかんと こうじ ■ 差義長 ちょうちょ ちょうのかあか目ェむいて きんの(昨日)むいて 今日むいて あした(明日)むきゃあ 三日や |
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■自然の唄 | |
■雪
じいじいの ばあばあいの 綿帽子雪が 降るわいの おーとも こーとも しめさっし すり鉢かぶって 走らっし ■月 お月様いくつ 十三、ななつ なながさ着せて おんまに乗せて 河原へやったら 河原のジョジョが コウワイむすか むさんか 一つにつんでみょ つまいでもだんない いっちりぎっちょ にぎっちょ きんぎっちょ しぎちょ しのはの中の おもないとっと こもないとっと じっぼ はっぽ はるまのはやし 祭の前の 桜の花が 咲いたか つぼんだが デンデラポー ■雉(きじ)鳩(山鳩) テテッポッポ テテッポッポ 若いもんどまあ あとにこいこい 年寄なもんどまあ 先にこいこい テテッポッポ テテッポッポ ■ほたる ほーたる 来ォーい 水飲ましょ あっちの水ァ苦いぞ こっちな水は甘いぞ ほ、ほ、ほーたる来い ■とんぼ だんぼ(とんぼ) だんぼ とまれ 飴こうてやるぞー ■たにし たにーし ぼんぼら貝 中とりゃ 身ゃ なー |
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■ホタルこい
夏の夕方、川べりや露のしとった草むらや、笹やぶのかげなどに、子どもたちの幾むれかが集まってきます。「ほう、ほう、ホタルこい」子どもたちは、笹や篠竹、ウチワをふりふりして、呼びかけました。「こっちの水は甘いぞ」の呼びかけは、日本中どこでも同じですね。今回は、画家の種田英幸さんと私の故郷、土佐のわらべ唄を取り上げました。子どもたちは、うまいものをホタルに見せびらかしたり、おどかしたりして、自分の方に来させようとします。あっちの水はまずくて、こっちの水は甘いから、こっちへおいでと、呼びかけるのです。 ■ホーホーほうたろ来い (高知県香我美町) ホー ホー ほうたろ来い 山道こい お尻のひかりで とんで来い ホー ホー ほうたろ来い あっちの水は にがいぞ こっちの水は あまいぞ ホー ホー ほうたろ来い ■ほうたる来い (高知県南国市) ほうたる来い 山道来い あっちの土手には 鬼がおる こっちの土手には 人がおる ホーッ ホーッ ほうたる来い ■ほ ほ ホタルよ (滋賀県) ほ ほ ホタルよ こい こい こい おまえの夏の くいものは 山のおくの ドングリボウ あまかわむいては がありがり しぶかわむいては がありがり |
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■かけあい唄 | |
■油屋のかいどで
とっすべってころんで 油一升かやいた その油どうした 犬(いん)ななめてしもた その犬どうした ころいてしもた その皮どうした 太鼓に張ってしもた その太鼓どうした もやいてしもた その灰どうした 麦にまいてしもた その麦どうした 雁な食べてしもた その雁どうした 西ポッポ 東ポッポ たってった |
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■子守り唄 | |
■おろろん ばあや
ねんねこ ばあや ねる子は 可愛い おきて泣くやつぁつらにくい ■ ねんねんよう ねんねんよ ねんねの 子守りはつらいもの 親に叱られ 子に泣かれ 友達なかにも はね出され ねんねんよう ねんねんよ ねんねの お守りは どこ行った(2回繰返し) ねんねの お守りは お里行った お里のみやげを なに貰た でんでん太鼓に 笙(しょう)の笛 これでも まだまだ 泣くのかねぇ ねんねんよう ねんねんよ ■ 参らんか 参らんか お花が無ぁて 参られん お花が 無けにゃあ 買ってきて 参らんか 参らんか ■ ねんねんよう おころりよ 子守りというもな つらいもの 親に叱られ 子に泣かれ 友達なかにも はねだされ よーォ ねんねんよーォ ■あやし唄 チョイ チョイ チョイ チョイ みん みん みん みん みん みん かいぐり かいぐり かいぐりや 肘 ポンポン おつむてんてん 万歳 |
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■尻り取り唄 | |
高しゃっぽ ポンヤリ 陸軍の 乃木さんが がいせんす 雀 目白 ロシア やばんがく クロパトキン 金の玉 負けて逃げるはチャンチャンボ 棒でなぐるは犬(いん)殺し 死んでもつくすは日本兵 兵隊並んでトットコト 富山の三十九連隊 大砲一発ドン ドンが鳴ったら昼飯や ヤーヤの仕事は何じゃった (以下最初へもどりくり返す) ■ さぎ、さぎ、何で首 投げる ひだるて 投げる ひだるけりゃ 田圃打て 田圃打てゃ 泥ァつく 泥ァつきゃ 洗え 洗やぁ ちびたい ちびたけりぁ あたれ あたりぁ熱い 熱けりぁ引っ込め 引っ込みゃ寒い 寒けりぁ三(さぶ)さの褌(ふんどし)かぶってはしれ ■ 木下藤吉は わ、わ、我が国 とりはさみ み、み、みそ汁ァ ごばいっしょ しょ、しょ、正直婆っさ 屁こいた たぬきのきん玉 はっちょうじき |
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■はやし唄 | |
イッチョンサの ニマイが サンニョンサへ 養子に行って 五月の 六日に しちびた 蜂さいて 苦しんで とんでった ■ ミッキ ミッキ旦那さん 足ちょっとまげて 屁をブッとこいた ■ 新婚、レンコン、生レンコン 煮ても 焼いても 食えれんレンコン |
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■手まり唄 | |
すいでんしゃ すいでんしゃ ながしの たけだに ウグイス三羽 とまった とまった ひとしゃ ふたしゃ みいしゃ よおしゃ いつしゃ むうしゃ ななしゃ やあしゃ ここのしゃ とおしゃ とおでおろいて 一番娘は およめりなきった 二番娘は 見物なさった 三番娘は 鬼にぼわれて ちょいとかくれた ■ いちれつだんぱん 破裂して 日露戦争 あいにけり さっさと逃げるは ロシアの兵 死んでもつくすは 日本の兵 五万の兵を 引きつれて 六人残して 皆殺し 七月八日の たたかいに ハルピンまでも 攻め入りて クロパトキンの 首をとり 東郷大将 万万才 十字の旗も 万万才 ■ うちのお背戸の梅の木に 雀が二、三羽止まって 一羽の雀の言うよのは おらちゃお背戸も広ござる 隣の座敷も広ござる むしろ三枚 ござ三枚 六尺屏風をたて広げ よんべごしった花嫁さん なにが不足で泣かしゃんす 何も不足はないけれど うちの父さん金山へ 金が湧くやら湧かんやら 一年たっても まだ ござらん 二年たっても まだ ござらん 三年三月に状がきて 状の上書き 読んでみたら 三人 子供を どうどした 一人は おじごへ あずけます 一人は おばごへ あずけます 一人は 縁につきました 縁についたら 装束は 白い小袖も ななかさね 赤い小袖も ななかさね 帯やたぐりも 十三(じゅうみ)筋 これほど仕立てて やるほどに 出されて来るやな 出て来るな おらちゃ出てこと 思わねど 向うの あん様の 心次第 心次第 すりとんとん ■ とんとん叩くのは誰さんや 新町 小寺のおばさんや 今どき 何しに 参りんした 席駄(あしだ)がかわって 参りんした あなたの席駄は ど言う席駄 紫鼻緒の京席駄 そんなら 探して あげましょね ■ お月さまいくつ 十三、七つ まだ年ァ若い 油買いに行って 油屋の前で すべって転んで 油一升こぼいた その油どうした 犬な なめてしもうた その犬どうした 殺してしもた その灰どうした よんべ(夕)の風と今朝の嵐で パッパとたつて行ってしもうた すりとんとん ■ 伊勢 伊勢 新潟 伊勢新潟 三河 伊勢新潟三河 信州 伊勢新潟三河信州 神戸 伊勢新潟三河信州神戸 武蔵 伊勢新潟三河信州神戸武蔵 名古屋 伊勢新潟三河信州神戸武蔵名古屋 函館 伊勢新潟三河信州神戸武蔵名古屋函館 九州 伊勢新潟三河信州神戸武蔵名古屋函館九州 東京 伊勢新潟三河信州神戸武蔵名古屋函館九州東京 |
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■お手玉唄 | |
おじゃみ おじゃみ おふた おふた おみい おみい およお およお なってくりょ おとんけ おじゃまさあんな 何を習いました お琴を習いました おふた ざくら ざあくら おみ ざくら ざあくら およ ざくら すってし ざくら おなな さあらあり おひとつ お落いて お落いて おしゃれ おふたつ お落いて お落いて おしゃれ おみい お落いて お落いて おしゃれ およう おのけ おなの おのけ すってし おのけ まあぬけ おとんけ つつみ つつみ つつみ つつみ つまんだ いたかいた ぱあらありい のっこ いっかんしょ ■ おしゃーれ お一つ おといて(「おといて」を三回繰り返す) おしゃーれ お二つ おといて おしゃーれ お三つ おといて おしゃーれ おみんな おしゃーれ お手あげ お手あげ(四回繰返し) おしゃーれ おはさみ(三回繰返し) おしゃーれ おちびりんこ(四回繰返し) おしゃーれ おたたき(三回繰返し) おしゃーれ ちい橋くぐれ(四回繰返し) おしゃーれ お一つやの 何ァーにころ おニつやの 何ァーにころ おーみつやの 何ァーにころ おーよつやの 何ァーにころ だーるまさん |
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■じゃんけん唄 | |
せっせっせ いちかけ にかけ さんかけて しかけて ごかけて 橋をかけ 橋のらんかん 腰をかけ はるか向うを 眺むれば 十七・八の姉さんが お花や線香 手に持って これこれ姉さん どこ行くの 私は九州 鹿児島の 西郷隆盛 娘です 明治十年 戦いに 切腹なされた 父上の お墓まいりに 参ります お墓の前に 手をあわせ 南無阿弥佗佛と となうれば 西郷隆盛 魂は ふうわり ふわりと ジャンケンボン ■ (手で形を示しながら) こらほどの お重箱に おむすび こむすび つめこんで たたきごぼうに ごまふりかけて まいてくたんし ひいてくたんし オワワイのワイ ジャンケンポン ■ のんきな父さん 毛が三本 毛が三本 お屋根の上から おっこちて あーたい くうたい 何くうたい そうめん くうたい そば くうたい お金がのうて ジャンケンポン |
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■なわとび唄 | |
大波 小波 おじょうさん おはいり ジャンケンポンよ アイコでしょ 負けたお方は お逃げなさい |
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■からかい唄 | |
越中 富山の 反魂丹 鼻糞 まるけて 万魂丹 それを飲むやつァ あんぽんたん ■ 尻まくりゃ 流行った すん(尻)の用心さしんせ |
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■その他の唄 | |
■ひとみ唄
ひとめ ふため みつ屋の よめの いつ屋の昔 なな屋のやかし ここな屋のとかし ■遊び唄 かごめ かごめ かごの中の鳥は いつ出て遊ぶ 夜明けの空に 輝く時に うしろの正面誰ァーれ (当たったもんが鬼になる) ■にらめっこ だるまさん だるまさん みみりっこしましょ わろたら駄目や うんとどっこいしょ ■指あそび唄 子供と子供と けんかして 親たち 親たち 腹立てて 人様 人様 言うよには 中々 かのわんことなれど 弁慶様へ ことわった ■あかしもん 六角堂に小僧一人 参りが無ァて戸が開かぬ 何ァーんじゃ ほおづき 親は丈高 子はちんこ ちんこ小竹に花が咲く 何ァーんじゃ みょうが 金山こえて 竹薮こえて 中は菩薩の踊る場に 何ァーんじゃ 煙管(きせる) 十八の女、二階の下に居る 何ァーんじゃ 桜 ■ 坊さん 坊さん 何処いくの わたしはこれから 稲刈りに わたしも一っしょに つれてって お前がくると じゃまになる かんかん坊主 かん坊主 うしろの正面 だあれ ■ 通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細道じゃ 天神様の 細道じゃ どうか通して 下しゃんせ 御用の無いもの 通しゃせぬ この子の七つの お祝に お札をおさめに 参ります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ通りゃせ (歌の終った所でひっかかると) 地獄 極楽 エンマさんの前で お経読んで 飛んでけ(つきとばす) (ほめられたということもある) ■ 指きり かみきり げんまんや うそついたら 八万地獄へ まっさかさまに 落ちる ■ (手の甲をお互につまみながら) いちゃ さいた にゃ さいた さんな さいた しゃ さいた ご さいた ろく さいた しちゃ さいた はちゃ さいた ブーン ■ (前掛をつまんで遊ぶ) おんけぼ に こんけぼ に まなばたけ さくらい念彿 四十四、五日 なんなの首を 三つに切って キチキチまわし あーみ なーみ だーぶつ |
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![]() ■わらべ唄の分類 3 |
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■手まり唄 | |
季節に関係ないが、主として外に出られなくなったときにやる。 1あげまり・・・わらべ唄や古謡がうたわれる。 2つきまり・・・わらべ唄をつけ、床上でやる。 明治以前ならば、小さい子どもは髪を、ちごまげ(おちご)に結ったり、ハマグリに結ったりした。結い目に丈長(たけなが)というものをつけ、きれいなカンザシを差し、長袖のたもとを左手でおさえて、座ったまま、きれいなマリで、仲良しの子ども何人もと室内で遊んだものだ。 |
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■きり遊びの唄 | |
秋の終わりから冬、室内で男女ともが遊ぶ。「竹きり」とか「竹おごし」とも言う。長さ18cm位の細長い竹、4本以上、偶数本を使う。竹は皮の方を「黒」、裏の方を「白」と呼ぶ。二人以上で向かい合って座って遊ぶ。先攻はじゃんけんその他で決め、白黒、自分の持分を決める。遊び方は次のようなものである。
1おごし 右手の上に偶数本の竹をあげ、手からそろって(白黒)おろす。あるいは、手の平をおこしかえす。別の方法としては右手に一本の竹を持ち、その上に他の三本をあげて握り落として白黒 自分の「持ち」があり、次のやり方に進むことができる。 2たで 3なげ 4ねじり 5かえし 6わげ 7きり この7種類のコースを繰り返す。 最後の「きり」で、この1ゲームが終わりをつげる。6の「わげ」だけは左右両手を使う。これをおこなうのに次のようなわらべ唄を使う。 ひとかえし ふたかえし みかえし よかえし えずかえし むかえし ななかえし やかえし ここのかえし とかえし 大阪見物 みっつがよ |
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■羽根つき唄 | |
ひとごに ふたご みわたす よめこ よめこの はらこ ねぶとこ でたけぁ いでとも いわず かえとも いわず ただなく ばかり ここのえの えっちょら 正月、羽子板と羽根を買ってもらう。歌舞伎役者の押し絵のある羽子板を持って、二人で遊ぶ。わらべ唄とともに羽根の音がカンカン鳴って、正月気分が部屋いっぱいに満ちあふれる。羽根が5本ずつ、クシに通されて売られているのは大変美しいものであった。正月、みんなきれいな着物を着て、この羽子板で楽しく遊ぶ。 |
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■お手玉唄 | |
お手玉を作る布を「あやこ布(ちん)コ」と呼んでいる。着物や羽織や帯などの余りの小布が子どもたちによってたくわえられる。明治初年ごろ、メリヤスがまだ日本に渡ってこない時代には、黒色に赤い桜などの模様が付けられていた木綿のものが「あやこ布コ」といわれ使われていた。まず、布を二つに裁断して舟形のものを2つ作り、それを縫い合わせてお手玉を作る。お手玉の中にはアズキなどを入れる。または、1文銭を入れてカラカラ鳴るようにしたものもあった。
やり方は二人で向かい合ってやる。一人で壁や、からかみに投げ上げて落ちてくるのを拾ってやる遊びもある。一人で三つ四つ五つも、まるで軽業師のように上手にもてあそんで行う遊びもある。ここにわらべ唄がつく。女子にとってはまことに楽しい遊びであった。 おふとつ おふとつ おふとつ おふたつ おふたつ おふたつ おふたつ おんみつ・・・ |
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■手指の唄 | |
「手指の遊び」には大きく分けて3種類あるようだ。まず代表的な「シュッ シュッ シュ」の手合わせ唄である。これは全国各地に残っている。津軽では「シュッ シュッ シュ パッタ パタ」の前唄からはじまって、手の打ち方の変化(両手を上中下で合わせたり、片手をかわるがわる打ち合う)をわらべ唄をうたいながら楽しむものと、それに簡単な手振りや身振りをつけるものがある。女子によって多く遊ばれ、二人で向き合い、両手を顔の前にあげて、手の平と手の平を打ち合わせていく。
次は「指遊び」である。私らの小さい時、何ということなく、こんなことをやって楽しんだものだ。 火(し)たもれ 火たもれ あっこに 火コ ごえへん あの山越えで あの沢越えで あの谷越えで こごに 火コ ぼっかぼか こごに 火コ ぽっかぽか この唄を何度もうたいながら、両手の指と指を組んで山形にし、はじめ両方の人差指から、離して触れさせ、つづいて中指と中指、薬指と薬指と順番に動かしていく。火がポカポカ燃える所作なのだろう。 第三は雑遊び。まず、指を組んで、お湯屋の遊びをするものがあった。 1へんとこ(お湯屋の意) 今日わがしたはで お湯コさ 入るね来へんが 2お湯コさ 入るに来した 3あつかんコに へすが ぬるかんコに へすが 1のような挨拶をしながら、左手を上向き、右手を反対にして組む。2お湯に入るときの子の挨拶で、こう唄いながら自分の人差指を入れる。3「あつかん」と言えば、指をきつく痛いようにしめ、「ぬるかんこ好きだ」と言えば指をゆるめ、そのお湯の加減を指で調節する。 また、次のような唄をうたいながら、子どもをあやす所作になったり、顔全体を指差す遊びになったりするものもあった。 眉毛の殿様 (眉をなでる) めがげをつれて (目の縁をまわす) 花見に行(え)ったけぁ (鼻をつまむ) お池のほとりで (口をまわして) 白石(えし)コ 拾って (前歯を数えて) お土産忘れ (奥歯を数え) おのどこ こちょ こちょ(のどをくすぐる) 室内でみんな集って、座りながら向かい合う。相手の顔に右手の人差指を軽くあてながら、わらべ唄をうたって上記のような所作をするのである。遊び道具がなくとも、子どもたちはいろいろ工夫し、こんなことをやって楽しんだ。 |
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■拳(けん)遊び | |
春夏秋冬、男女とも先攻後攻を決めたり、鬼を決めたり、二つの組を決めたり、いろいろなときに使う。二人で握手した格好から、津軽では口で「しゅっ しゅっ しゅっ」と拳の前に唱える。こうして「津軽拳」の勝負が始まるのである。ここにわらべ唄が伴う。
1ろうそく、あめだま、ふるしぎ(ふろしき) ろうそく(やり)・・・人差指を伸ばす あめだま(にぎり)・・こぶし ふるしぎ(へら)・・・全部の指をのばした手の平。 また、この拳に、足歩(そくほ)を伴うものがある。 2にっこ、へら、やり にっこ(にぎり)は一歩前進できる。やりは三歩を許し、へらは五歩である。 3「かぼちゃ、芽出した、花コ咲いで開いた」と唄って拳をする。 ・かぼちゃ・・・にぎり ・芽出した・・・やり ・花コ咲いで開いた・・・へら また、上方方面のように「じゃんけんポン、あいこでしょ」「おあいこ じゃん」という「輸入拳」もこのごろ、子ども同士でやっている。昔ながらの「津軽拳」の規定も「上方拳」の勝負規定へと、だんだん改められてきた。 4「けんけんけなり、おぼしな稲荷(いなり) 尾っぽ ごそば よら」 上記のように唄ってやる拳もある。 この唄が終わった瞬間、にぎり・へら・やりを即座に出さなければならない。 6ぐ ぱ ぴ 女の子どもは、もっぱら「ぐ」「ぱ」「ぴ」をおこなった。 ぐ・・・にぎり ぱ・・・ひらき ぴ・・・親指と人差指 5大名拳 子ども数人が、二列に並ぶ。 そのうちの一人は二列にならないで、上の座に一人デンと構えて位置している。下位の二人から、じゃんけんをして、勝ったら順に上位の人と拳をしてのぼっていく。 勝ったらその人と位置をかえてのぼっていく。負けた人は下に一段下がる。 こうしてだんだん拳をして、大名に近づいていく。 ついに大名の前へ出た者は、一礼し、大名と拳を争うことになる。 そのとき、あとのみんなが、「大名(だえめょう)落ぢだら 手たたけ」と叫んではやす。 大名が拳に負けると、一番下の座にさがって、また拳をしながら、上に上にとのぼっていく。 こうして再び、拳遊びを繰り返すのである。 大名がおろされるときは、みんなで拍手して喜ぶ。 この遊びは封建的大名制度の恨みの名残りであろうか。 ■ さん さん じゃえ(庄屋) さん さん こん(狐) さん さん どん(かりうど) 秋冬の室内で男女とも遊んだ。二人でおこなう。キツネ・かりうど・庄屋の格好の所作をする。 キツネ・・・両手人差指をピンと立てて両耳の上に掲げキツネ耳の格好 かりうど・・左手を胸の前に突き出し、右手で引き金をひいて獣をねらい撃つ格好 庄屋・・・・両こぶしを座ったひざにのせて、威張ったような格好をする 準備がそれぞれ整ったところで、この遊びにとりかかる。はじめに「さんさん」という前文句が入り、じゃえ(庄屋)、こん(キツネ)、どん(かりうど)と格好に対応した言葉を唱え、二人ですばやくその格好をとる。 二人は互いに見合う。 庄屋&かりうど・・・庄屋の勝ち かりうど&キツネ・・・かりうどの勝ち キツネ&庄屋・・・・・キツネの勝ち だんだん言い方を速めていくと、二人はおのおの、うろたえて間違えたり、遅れたり、お互いにアイコになったり、これ以外の別な格好を急にしたり、大変にぎやかな、また、こっけいな遊びになる。 |
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■人あて遊び | |
今日は誰さん 呼びましょう ○○さんでも 呼びましょう 何の魚で 呼びましょう 合わせで 揃えで しょうふ 北海道の 海道の子 海道の娘は 廃しましょう お寺で みそすれば すれば よっとこさ 大正時代に弘前地方で流行したが、今はもうない。歌詞の意味はわからない。唄の終わったところで、中の目隠しをした子が(しゃがんで)後の子の名をあてる。 |
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山越えで 沢越えで お山の お山の ちょんこ 居(え)したが 男女とも子ども数人でおこなう。このわらべ唄をうたい、両方の組に分かれて、そのうちの一人が隠れていた人を「◇◇さん、◇◇さん」だと言って、向こう組の人の名を一人当てる遊びである。当てられた人は他の組に取られて、その組の人になる。組み分けは、その前にあらかじめおこなっておく。また、目隠しをした一人が他の組の人の名を「この人ァ◇◇だァ」と言って当てることもある。 |
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かりうどさん
鉄砲(てっぽ) かづえで どこ行(え)ぐの どん 子どもたちが、たくさん丸い輪をかいて、手をつなぎ、中に鬼の子を一人いれておく。わらべ唄をうたいながら、外側の子どもたちがまわる。「ドン」で止まり、後にいた者の名をあてる。夕焼けが赤く空をそめている。子どもたちが六人、七人と丸く輪を作って手をつなぎ、わらべ唄をうたいながら、丸くゆっくり歩く。中に子どもがちょこんとちぢこまって、目を両手でおおっている。「後に えだ者 だーれ」と唄い終わると名前をあてる。名前をあてられたら鬼は交代。しかし、こういったのんびりした唄も、今は聞かれなくなった。 |
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![]() ■全国の童歌 |
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![]() |
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■北海道 | |
空を背中にかついで歩けば どこへ行っても心のふるさと お〜い お〜い北海道 亜紀に美幸にはるみ節 釧路 帯広 苫小牧 女ごころがわかります ふと立ち止まる おれの小樽は 坂の町 別れた あの日が 見えかくれ 母のふるさと ああ色丹恋し 苫屋が恋し 落書き恋し ノサップ岬 ふたりの札幌 もう一度 心の人です あなたに逢いたい 何処にいるのよ あなたは何処に 夢を 夢をつないで ひとり札幌 思わず重ねた くちびる哀し もいちど胸に もいちど顔を ふたりの小樽 想い出だけを残して ああブルーナイトイン札幌 薄野の夜は更ける ああ 札幌 札幌 慕情の都 君とここに住みたかった 夢はまださめない この世の運命 恨んでも どうにもならない 想い出ばかり ああ氷点の街 旭川 忘れられない夢がある 北のネオンの 止まり木で 男はそんな 阿呆鳥 いまでもあなたの心の妻と 北のはずれのとまり木で 夢を待ってる花咲港 そばで一緒に しぶきを浴びる 夢を追います 根室海峡 思い出全部 かき集め 涙は捨てて 行きましょう 北のサッポロ あゝ死ぬまでふたりづれ 想い出が 消えるまで チョッと待って札幌 しのび雪 燃えて花咲くアカシアも 名残りつきない時計台 北の街札幌は恋の街ふたりづれ 恋の夕笛 さやかにわたる ああ わたしの札幌 あなたの札幌 夢呼ぶ街よ すててください 溜息を 釧路 夜霧の 釧路夜霧の 幣舞酒場 流氷とけて 春風吹いて ハマナス揺れる 宗谷の岬 名もない鴎に なりたくて 海なり岬を 函館本線は 涙の線路を 走ります ああ旅路の汽笛が 時計の針が この胸を泣かせる 小樽のめぐり逢い セピア色した雨が降る イエスタデイをもう一度 窓の向こうに あぁ小樽運河 はるかに偲ぶ石北峠 あゝ北海道の屋根という 大雪こえる 旅心 北風冷たい 帯広の夜 可愛いあの娘と かた寄せた 今夜も飲もうよ いつもの店で つよく手をとり 生きてよと きらきらきらり きらきらり ゆれて輝く 宗谷湾 抱けば愛しい乳房の重み 明日はどの人好きになる あなたさよなら忍路海岸別れ雪 離れていく流氷たちが あなたに見える納沙布岬 悲しみ多い 恋でした ああ つきぬ恨みの函館 函館ブルース 明日は小樽へ 旅立つあなた 秋が泣かせる 節子草 ここは函館 青柳町 責めればみじめになるばかり ひとりひとり身を引く 函館本線 雪の砂漠はつづいても ついてゆきたい 宗谷 紋別 氷雪原野 通い妻だと笑ったひとの 髪の匂いもなつかしい アイヤー 留萌 滝川 稚内 切なくむせぶ あの声が ああ 終りなき愛は 宗谷の岬の月をゆがめる もう見おさめだ 船をおりるぜ 千島の千鳥 さらばさよなら ロパトカ岬 待っていてくれ 納沙布かもめ 俺の船唄 船唄 男唄 届け はるばる 北故郷 命ぎりぎり愛したい 涙ぼろぼろすがりたい リラの花咲く都 薄野 女待ちます北物語 おもいで灯り 街あかり ふたりで燃えた 雪まつり 魅せられて札幌 好きです札幌 いつかあなたが話してくれた 北のさいはて摩周湖の夜 愛に生きるわ 命の限り 深い情の 名寄の女よ 丸太のように かじかむ指に 羅臼魂の 陽が赤い 行こか釧路へ戻ろか襟裳 春はどこやら 旅まくら 夢の 絆 ひとすじ 女のさだめ 恋人なのね 故里なのね ありがとう私の恋の町札幌 |
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■遊ばせ唄 | |
■あんよはお上手
あんよは お上手 ころぶは お上手 |
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■ここまでおいで
ここまでおいで あんよは上手 ここまでおいで |
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■おつむてんてん
おつむてんてん おつむてんてん |
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■寝させ唄 | |
■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 それをもろうて どこへいった あの山越えて 里へいった |
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■ねんねこや
ねんねこや ねんねこや そったらに泣くと もっこくるぞ |
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■ころころころ
ころころころ ころころころ ころころころ ころころころ ころころころ ころころころ |
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■赤い山青い山
ねんねの寝た間に 何せよいの 小豆餅の 橡(とち)餅や 赤い山へ持っていけば 赤い鳥がつっつく 青い山へ持っていけば 青い鳥がつっつく 白い山へ持っていけば 白い鳥がつっつく |
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■子守唄 | |
■ハタハ ハタハ
ハタハ ハタハ ハタハ ハタハ ハタハ フ ホ ハタハ フ ホ ハタハ フ ホ ハタハ ハタハ ハタハ ハタハ オロロロロロ フ ホ(囃し) ハタハ ハタハ ハタハ オロロロロロ フ ホ(囃し) ハタハ・・・・ |
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■テタ マクタ マクン フチ
テタ マクタ〔むかしむかし〕 マクン フチ〔大むかしのおばあちゃんの〕 イフムケ〔子守歌だよ〕 ハタハ ンー〔ハタハ ンー〕 チシル エカチ〔よく泣く 子だ〕 ペヌチ ハウェ〔泣く声が〕 イエ クルカ スウエ〔自分の上に響くよ〕 ハタハ オー〔ハタハ オー〕 オロロロロロ〔オロロロロロ〕(囃し) ハオ ハオ ホイ〔ハオ ハオ ホイ〕(囃し) |
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■トイ カワ ホプニペ
トイ カワ ホプニペ コモンネ 〔地上から立ち昇るものが眠りだろうか〕 モム カワ ホプニペ モコンネ 〔流れの上から立ち昇るものが眠りだろうか〕 アヨロ タ カムイ シンタ 〔アヨロに神の揺りかごが〕 ラン ワ クス アンペ モコンナ 〔降りたところから起こるのが眠りですよ〕 アフ ワ アフ 〔アフ ワ アフ〕 |
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■ホイスハ オハオ
ホイスハ オハオ ホイスハ オーヘ ホイスハ ヘタク モコロ〔早くねむれ〕 ホイスハ オーヘ ホイス イテキ チシ〔泣かずに〕 ホイスハ オーヘ ホイスハ ヘタク モコロ〔早くねむれ〕 ホイスハ オーヘ ホイスハ オハオ ホイスハ オー アルルルルルルルルル オーヘ アルルハ オハオ アルルハ オーヘ アルルハ ヘタク モコロ〔早くねむれ〕 アルルハ オーヘ アルル モコロ モコロ〔ねむれ ねむれ〕 アハルハ オーヘ アルル イテキ チシ〔アルル 泣かずに〕 アルル フン アルルハ ヘタク モコロ〔早くねむれ〕 アルルハー オー アルルハ オーヘ アルルハ オハオ アルルハ オーヘ アルルハ オハオ アルルハ オーヘ アルルハ ヘタク モコロ〔早くねむれ〕 アルルハ オーヘ アルルハ オーヘ |
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アイヌの子守唄は「イフムケ」と呼ばれ、子どもをあやす時に使う「よしよし」といった音による呼びかけを基本として構成された唄が多い。この唄の「ホイスハオハオ ホイスオーヘ」も、とくに有意なものではなく、「よしよし」と呼びかけているものである。続く歌詞は、「さあ、はやくお休みなさい」「泣くんじゃないよ」といった意味。 | |
■ホー チーポ チプ
ホー チーポ チプ〔そらこげ 舟を〕 ハウ ワ ハウ〔ハウ ワ ハウ〕 (繰り返す) |
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■ピルカ ピルカ
ピルカ ピルカ〔よいな よいな〕 タント シリ ピルカ〔きょうは天気よいな〕 ピルカ ピルカ〔よいな よいな〕 イナンクル ピルカ〔どの人よいか〕 ピルカ ピルカ〔よいな よいな〕 イナンクル クヌンケ〔どの人えらぼう〕 |
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■フワ ハエン (クマの子守唄)
フワ ハエン〔フワ ハエン〕 ウシシキナ ハ オスラ〔ウシシキナは棄てろ〕 フワ ハエン〔フワ ハエン〕 |
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■青森 | |
津軽の海峡荒れて 俺もお前も 故郷へふるさとへ 帰りつけない 文明沙漠 赤い口紅買ったよな 逢いたいな 逢いたいよ 津軽恋唄 じょんがら岬 風に唄って 出船だよ 津軽 下北 最果て港 海は男の 恋女房 春を知らせに 流れ行く 十三湊へ 日本海 津軽を流るる岩木川 さよならはしたけれど 今でも好きよ あなたが 雪が舞う 龍飛岬よ 空は無限だ どこまでひとつ ああ 十和田湖 さざ波よ 明日の道さえ 埋めつくす 津軽平野は あぁー雪の海 むち打ち生きて 愛の涙を ちらすのか 津軽じょんがら流れ唄 夢のひと枝 花が咲く 帰って来いよ 津軽の里へ 林檎も桜も 一緒に咲いて 北の津軽は 春盛り花盛り 今年ァめでたの 父子船 あんたの海だよ 津軽の海は 絆一本 固めて来され 私は帰ります 風の音が胸をゆする 泣けとばかりに ああ津軽海峡冬景色 生まれ故郷は 忘れない 酒っこ飲むたび 口に出る 津軽じょんから 故里の唄 いつもじょんがら大きな声で 親父うたって 汽車から降りる お岩木山よ 見えたか親父 大きな声で叫んでみたよ 岩木よ お前がいたから 俺がいる じょんがら津軽平野を 思いだすんだヨ 津軽 東日流 いつになったら夜があける 津軽海峡 心をはこべ 北のかもめよ心をはこべ 竜飛岬は ああ北の果て 命断ち切る 意地もない つらさなお増す 別れ旅 |
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■遊ばせ唄 | |
■きっこたっこ
きっこ たっこ 咬まない しるし 咬んだが 咬まねが まだ降りねェ |
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■手ん車手ん車
手ん車 手ん車 誰乗った手ん車 ミヨちゃん乗った 手ん車 だえじの嫁コに 呉るも惜しし 投げるも惜しし 豆 豆 ぽっちど入れで 砂糖食ってが 乳飲みてが 砂糖屋さ まげでやれ |
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■からかんご
からかんご からかんご 誰が乗った からかんご ハナコが乗った からかんご 江戸見てが 京見てが 大阪まで ぶん投げろ |
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■十歩八歩
十歩八歩 はやまのはやしコ てんじま てんどりコ もっちゃぐちゃの 花コ 咲えだが 咲がねが まだ秋ァ 来ねね とらぼァ五つ 十三ね七つ |
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■かれェコ焼んかえ
かれェコ焼んかえ 火けさえ 頭コ焼んかえ しりっぽ焼んかえ |
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■寝させ唄 | |
■ねにゃもにゃ
ねにゃもにゃ どご行た あの山超えで 里行た 里のおみやに なにもらた でんでん太鼓に 笙の笛 ねんにゃ ねんにゃ ヤイ ヤイ ヤイ |
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■木造の子守歌
ねんねんころりよ おころりよ 泣げば山がら もこぁ 来ろぁね 泣がねで 泣がねで こんこせぇ 山の奥おぐの白犬しろいのこぁ 一匹吠えれば みな吠える ねんねこ ねんねこ ねんねこせぇ |
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■諏訪沢の子守歌
寝ろじゃ 寝ろじゃ 寝ろじゃえ 早ぐ寝ねば もこァ来らァね 早ぐ寝れば 母 乳コ呉らね 寝ろじゃ ヤイ ヤイ ヤイ |
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■岩崎の子守歌
泣げば山がら もっこァ来るじゃ 泣がねば海がら じょうじょ来るじゃ あんまり泣げば かましコ下げで 袋下げで もっこァ来らァ したはで 泣ぐな |
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■大川平の子守歌
俺の太郎は 寝ろじゃよ 寝ねば山がら もこァ来らァね 寝ろじゃ ヤイ ヤイ ヤイ |
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■金屋の子守歌
俺のハナコ 寝たこへ 寝れば山がら もこァ来るァね ヤーエノ ヤエ ヤエ ヤエ |
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■倉石の子守唄 1
ねんねこ ねんねこ ねんねこせぇ ねんねこ ねんねこ ねんねこやぇ 寝ったら 母方さ へでぐじゃ 寝ながら ししに 食せでけらァ ねんねこ ねんねこ ねんねこせぇ ねんねこ ねんねこ ねんねこやぇ |
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■倉石の子守唄 2
ねんねこ ねんねこ ねんねこやぇ ねんねこ ねんねこ ねんねこね 寝ったら 母方さ へでぐァじゃ |
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■三戸の子守歌
ねたこ ねたこ ねたこへ 寝たら 母方さ 連で行ぐ 寝ねば 山コさ 取て投げる ねたこ ねたこ ねたこへ |
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■川内の子守歌
ねろじゃ ねろ ねろ 泣がねで 寝こせ 泣げば山コがら もっこ来て取て食う ねんねろや ヤーエ |
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■七戸の子守歌
ねんねろ さんねろ 酒屋の子 おらが隣の千松コ 七つ八つから かねつけで かすりの前垂コ あでかげで しみすコ洗う時ァ パチャパチャと 絞る時には キリキリと あっちの山の 白いんこ こっちの山の 黒いんこ 一匹吠えれば みな吠える |
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■佐井の子守歌
ねんねこヤーエ ねんねこヤーエ ねんねこせじゃ ねんねこよ ねんねばヨーエ 山コがら おっかねもこァ 来るじゃよ |
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■横浜の子守歌
ねろじゃ ねろ ねろ 泣がねで 寝だら 寝だら めごがる かなしがるウ |
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■おれのおんぼこァ
おれのおんぼこァ ねんねこへ おぼのお父さは どごさ行た お父さ鳥コ町さ 鳥こ買ねた お母さ鰈コ町さ 鰈コ買ねた 兄の馬鹿者 柴コ刈ねた 柴にはンずかれで 七転び もひとげり 転べば八転び ねろじゃ ねろじゃ ヤイ ヤイ ヤイ |
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■わらべ唄 / 雪 | |
■上見れば虫コ 上見れば虫コ 中見れば綿コ 下見れば雪こ |
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■雪ァ降れば 雪ァ降れば 寺の屋敷さ 雪ァ一杯貯(た)また 何鳥つつだ もほ鳥つつだ オホオホ |
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■雪やこんこ 雪やこんこ 霰(あられ)やこんこ 嶽の方さ 降ってえげ 降ってげ 降ってげ |
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■おば雪降れば おば雪降れば 猿のけっつァ 真っ赤だ |
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■わらべ唄 | |
■からかいご
からかいご からかいご 誰乗った からかいご アコちゃん乗った からかいご おじの嫁コに けるも惜しいし 投げるも 惜しいし 豆、豆 ぱっちど いれど 江戸見てが 唐見てが 大阪まで まげでやれー |
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津軽地方の子守歌には「あやし歌」と「ねかし歌」があるという。「からかいご」はあやし歌の一つである。からかいごは「唐籠」と書くのか。「古の天じく、唐のえもいわれぬ見事な乗り籠」であったのか。「おじ」は「おんじ(二男の称)」である。はじめ両手を組み、幼児を乗せて軽く揺り動かし、最後の「大阪までまげでやれ」で大揺れに動かし、幼児をあやす。 | |
■風うわうわよ
風うわうわよ 強い風 たのむ 弱い風 たのまね |
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長い冬に耐えて生活している津軽地方の人々は、春をこよなく待ちあぐんでいる。春風が吹きはじめると子どもらは凧上げに夢中になる。子どもが凧上げに必要な強い風を呼ぶいじらしい願望が素朴に叫ばれている。 | |
■あがべてこさま
あがべてこさま 凧あげだ 知らねで おけたきゃ 凧 にげだ 父さん 母さん 取ってくれ はしごが ないがら 取られません |
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上記同様、凧上げの歌で、お互いに相手を揶揄しながらの歌である。子どもたちは、春は春風に羽織(はんちゃ)を着て外に出て、指に凧糸で傷のついた手で、寒さに負けず凧上げをしたものである。相手の凧がグリする(空中でさかまわりすること)とか、糸が切れて逃がすようなときには、間髪をいれず、口からこの歌が出てお互いにからかいあった。昔は、凧上げが、春の男の子どもの遊びの大部分をしめていた。津軽地方一帯では、だいたい、このような歌詞によっているが、その他の地方では、以下に示すよう、凧上げする人の呼び名を異にしているのが興味あることである。 | |
■津軽の子守唄
寝にや ねえにや 寝んねこせ 寝ねっば 山から もっこが 来らね 寝ろでや 寝ろでや (弘前) |
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この唄は多少の変化を伴って津軽に広く伝わるもの。子どもが、ずるけるときに唐から「もっこ」が来ると言っておどかしたそうだ。米沢付近では「もう」または「もうもう」と言い、ときには「もうー」と長く引き伸ばして、急に「かっ」と言ったりしておどかしたという。 ここで「もっこ」のことについて、さらに述べたい。私自身も「もっこ」は「蒙古」のことであると聞かされていた。すなわち、蒙古襲来がその頃の日本人にとって非常に恐ろしかったことから、「また蒙古が来るよ」と、こわいもの、おそろしいものの意味になったと。「もっこ」はお化け、怪物の意のモツケ(物怪)の転意したもので、蒙古襲来は後人の作為との説もある。 | |
■中郡大浦村(一野田)の子守唄
おれのおぼこァ ねんながよー ねんねば やまがら もこァ くるじゃ ながねで ねんながよー よー よー おれのあだこァ どごさ えたァ やまを こえで さどさ えたァ さどの みらげね なにもらたァ 「ねんずと ごんぼね よりだえご」・・※ おぼこね もだへる ねねよしこ ねんながよーよ |
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この唄では、もともとの「でんでんたいこに笙の笛」が、※の部分で「にんじん、ごぼう、大根」と農産物に変わっている。 | |
■おれのおぼこ
おれのおぼこ ねんたこへ おぼの おどさは どごさ いったあ おどさ とりこまちさ とりかねたー おがさ かれこまちさ かれこかねたー あにのばかもの しばこかねたー しばに はづかれで ななころびー もひとげり ころべば やころびー ねろじゃ ねーろじゃ やい やい やい |
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■てんぐるま
てんぐるま てんぐるま 誰乗った てんぐるま 太郎ちゃん乗った てんぐるま だいじの嫁コに けるも惜しし 投げるのも 惜しし 豆、豆ぽっちといれで 砂糖食ってが 飲みてが 砂糖やさ まげでやれ |
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「てんぐるま」は手車である。この唄は「からかいご」とともに津軽地方で広く唄われている幼児のあやし唄である。子ども3人のうち、1人は東手、あとの2人が両手で井桁をくんで、その上に1人を乗せる。2人でこの唄をうたいながら調子をとり、揺り動かすのである。「砂糖食ってが」から大きく揺り動かし、「まげでやれ」で一番高いところまで動かす。これをやると幼児はことのほか喜ぶ。 | |
■十ぽ八ぽ
十ぽ 八ぽ はやまのはやしこ ちょんずは てんぐるま もちょこちの花コ 咲えだが 咲がねば まだ秋来ねじゃ おとりやご とりやご 侍ピロロ |
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十ぽ(十方) 八ぽ(八方) はやま(早馬) はやしこ(早廊こ) ちょんず(長十) てんぐるま(手押車) もちょこち(盲者愚者) おとりやご(お到来こ) とりやご(取合こ) ピロロ(嫌ろ「キロロ」)と解くようです。 昔、津軽藩の御用人に足羽長十郎(乳井貢の家来)という人があって、年貢をひどく取り立て、その威をふるったそうです。人々はそのひどい仕打ちに憤りを感じ、彼を揶揄する唄がいつしか生まれて流行していったそうです。 幼児の両手をひいて歩かせたり、足の甲に乗せて歩かせたりするときに唄われますが、十ぽ(十方)、八ぽ(八方)を「十歩八歩」と意味を取って、歩かせる唄に転化していったのかもしれません。 | |
■花折りの唄
友達なあ 友達な 花折るね 行がねな 何の花折るねシ 牡丹 しゃくやく 芥子の花折るねシ 一本折って 腰にさし 二本折って 腰にさし 三本目に 日暮れを ぬる湯さ 泊まったけァ 朝(あさま)ネ もっぐど起きで 西の方じ 見んだれば 雪のよな姉さま 銀の銚子 手に持って 銀の盃 手に持って 父(てで)こね 父こね 母(あば)こね 母こね 何し(なし)に 飲めへんば 魚コなくて 飲めへんじゃ おらほじの山コに 高げえ所に 竹の子 低い(ふぐい)所に ふぎの子 鰊(にし)コ いわしコ たんさんだ たんさんだ ふぐろになあれ ふくろこになれ かめこになれ |
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幼児を「いすこ(いずこ)」に入れて寝かせる唄。前の方に、はたきや風車を立て、ゆっくり揺さぶりながら、この唄をうたう。幼児は揺らぐ はたきなどに注意をひかれ、母の唄を聞きながら眠りに入る・・。 | |
■ねぷたの唄(弘前地方)
ねぷたコ 流れろ 豆の葉さ 止まれ トヘロレコ レコレ トヘロレコ レコレ ヤレ ヤレ ヤレヤ ヤァ ヤド |
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旧7月1日より7日まで、津軽地方でおこなわれる七夕行事で、枝をつくして作った高さ数丈の紙人形や燈籠を、川や海に流す行事である。その流すものを「ネプタ」と称する。これは秋田の「ねぶり流し」、花輪の「七夕」、その他各地の七夕祭りと同一の型であり、祇園の神の古い信仰が、この祭りの中心の意味をなすもので、ねぷた燈籠は流される祓いの形式であり、けがれや禍罪や、わざわいを負わせて流した祓いの人形にほかならない。「ねぷた(ねぶた)」ということばは、秋田の「ネブリ」と同様で、「ねむり」を流すということも、古代の人たちは真闇の夜も神秘なものと考え、同時に黄泉の国を連想することから、すなわち眠ることは死であり、不吉なことのわざわいなり、けがれなりと、祓うことでもあった。
「ねぷた祭り」の起源については、その昔、坂上田村麿が津軽の蝦夷大丈丸の反撃に、たびたび苦戦におちいり、一策を案じ大燈籠をかざりたて、囃子面白く練って大丈丸をつり出して、これを討った故事にならったものといわれている。が、実はずっと降りておよそ、三百六十余年前、豊臣秀吉が朝鮮遠征の際、留守役をして京都にいた津軽秀信が祇園人形にならって「人形ねぷた」を創作したのがはじまりで、その後、享保の頃、津軽地方の豊年祝いと威武を宣伝するために国元において出させたのが、今に伝わっているのである。 |
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■大円寺の宵宮
大円寺の宵宮(よみや)は おおにわが 石燈籠(いしどろ) 金燈籠(かなどろ) まんどろで 辻では 花火コ しゅー しゅー 6月13日 大円寺の宵宮 えぱだに 賑か(にわか)で 石燈籠 金燈籠 まんどろで 両方側(りょほわぎ) 花火コ しゅー しゅ おおにわが(大にぎわい) まんどろ(非常に輝かしく明るい) えぱただ(妙な 変な) |
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国宝の五重塔のある八坂神社に以前、大円寺という寺もあった。それで、今でも大円寺という。この神社の宵宮の情景を唄ったものである。 | |
■夜神楽
トレヘコテンテコ様 腹コ 病んだ 病んだきゃ 病んだきゃ へちょコ ぬげだ そのへちょ にがわで ぴーたど ねぱらがした あんまり とろろ飯 よぐ食たきゃ その へちょ まだ ぬげた へちょ(ヘソ) ねぱらかし(くっつける) |
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津軽の祭礼の夜に奏される旋律に、このような言葉をつけてうたわれた。祭礼が近づくと流行歌のようにうたわれたという。 | |
■つのだえし
つのだえし つのだえし つんのコ だっせじゃ つのだえし つのだえし つんのコださねば しからえる |
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「つのだえし」というのはカタツムリのことである。5〜6月の頃の雨上がり、あじさいの大きな葉の上に、2匹、3匹といるカタツムリはかわいらしい。子どもらが、その引っ込んだ角を出させたいと、カタツムリにせがんでいる姿なのであろう。 | |
■だぶり
だぶり だぶり くっつがねば へびからめァ |
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夏のカンカン照りつけている日盛りに、子どもたちは、トンボ(だぶり)取りに夢中である。何かにトンボがくっついたとき、子どもの二本の指が丸く輪を描いてトンボに近づく。 | |
■うさぎ
うさぎ うさぎ なぜ耳 ながえ ささで もちゃぐちゃの もちゃぐちゃの ささのは |
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うさぎは目が赤くて、耳が笹の葉を二本立ててつけたようで、かわいいものである。子どもが、ガサガサと風にそよぐ笹から、うさぎの耳を連想したのであろう。 | |
■くもさま
くもさま くもさま 今日 なんも ね はで 明日 ご へや |
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くもが夜、灯を慕ってか家の中に入ってくることがある。すると、みんな、くもに呼びかける。「くもさん今晩は。よくいらっしゃったが、ごちそうがないから明日おいでなさい」と。 | |
■松葉あそび
おらさ あだれば ずっかもっか ささる |
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松葉遊びにはいろいろあるが、正月のゆずり葉と松葉のすもうがある。このほかに大勢で遊ぶのが「松のずがもか遊び」である。一人が松の葉を針のように持ってみんなを追いかけるのである。 | |
■こうせんこ
おれの かくじ(裏地)の ほうせんこ(鳳仙花) 花コ さえでも 実こァ ならね 今年はじめて 実こァ なった あっじから けんぶつ こっじから けんぶつ みな けんぶつ みな けんぶつ |
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これは津軽地方のあやこ(お手玉)唄のひとつである。女子が好んで唄ったものである。 | |
■ふぐろコになぁれ
ふぐろコに なれ かめのコに なれ |
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私たちは、ゆりの花びらを一枚とって、それを両手の間にはさみ、この唄をうたってやわらかにし、上の方を口にあててふくらませ、袋コにして遊んだものです。 | |
■子守唄 「モコ」のこと | |
津軽の子守唄は、「モコ」をはじめたくさん採集されているが、その移り変わりをよくみると大変興味がある。これらわらべ唄から、長い間歌われている間の変化の様子がわかる。われわれ庶民の経済生活の波が、この唄の中にも、ヒシヒシと及んできていることが伺われる。津軽の各地方の人たちの手によって、その地方にふさわしく表現しなおし、類歌や替歌となって変化していったのか。「モコ」から、「姉さま育てた唐猫」「子守制度の古い因習」「母さまの市場買い」「父さまの狩猟」「兄の野仕事・芝刈労働」などにいたるまでの、前近代的な生活ぶりが、これらのわらべ唄にしのばれ、身にしみいるように感じられる。 | |
寝ねば山コがら、モコ来るァね 泣げば里がら 鬼 来るァね おれの○○ちゃんは ねェたこせー 寝ーろーじゃ ヤエ ヤエ ヤエ |
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ねんねこ ねんねこ 寝えたこへ ねんねば 山がら モコくらね それでも泣げば 山サ捨てでくる 寝ろじゃ ヤエ ヤエ ヤエ |
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ねんねこ ねんねこ 寝えたこへ 寝んねば 山がら モコぁ 来らね 姉さま育でだ 唐猫コ 抱エだり おぼたり ママ かへで それでも泣げば 山サ捨てでくる 寝ーろじゃ ヤエ ヤエ ヤエ |
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ねんねん小山の白犬コ 山を越えで 里さ行ぐ 里のみやげに 何もらた ピイピイ がらがら 豆太鼓 でんでん太鼓ネ 笙の笛 寝ーろじゃ ヤエ ヤエ ヤエ |
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おらァの子守(あだこ)は どこさ行(え)た あの山を越えで 里へ行た 里のみやげに 何もらた ニンジン、ゴボウ、針包 |
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守は楽なよで つらいもの お母さんに叱られ 子に泣かれ 近所の子どもに いじめられ 早ぐ 正月ァ来ればよい フロシキ包みで 里へ行ぐ お母さん さよなら もう来ない そんなこと言わねで またおいで ねんねろ ねんねろ ねんねろやい フロシキ包みに 下駄そろえ おどさん さよなら もう来ない おがさん さよなら もう来ない |
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とうさま 鳥コ町さ 鳥コ買ネ行た かあさま 鰈(かれ)コ町さ 鰈コ買ネ行た 家(え)にえだ あねさま ママたえでら 兄の若者 芝 切ネ行た 芝ネ はじがれで 七転び もひとげりころべば 八っころびーィよーおーお ヤエ ヤエ ヤエ |
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■田螺(たにし)の唄 | |
下記の唄によって、カラスと田螺(タニシ)のけんかの、長い間にわたるその経過とその歌詞の時代的な移り変わりを、うかがい知る。最後の語り物になったカラスと田螺のけんかは、ここでけんかの全貌を描き、因縁的な経過を述べている。この物語は、こうして人々によって、わらべ唄に創作され、人々の口にのぼり、末代まで語り継がれてきた
。現在では、田螺の生存は危うくなり、昔のように優勢をほこりえない。田の面に田螺が落ちていること自体、きわめて珍しくなってしまった。
カラスもけんか相手を失ってさびしいことであろう。 津軽の童戯の中に「がろう遊び」というのがある。早春、田の面上におびただしく落ちている田螺をカラスが長いくちばしで一つずつ、ついばみ、ほおばるさまを遊戯化したものであった。カラスが田螺を拾うそのたびに声を上げる。その擬声音が「がろう がろう」と聞こえるのであった。 |
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つぶ つぶ つぶたん 川原のゴミかぶり | |
つぶや つぶや 豆つぶや 醤油に煮づげて あがらんせ つぶ しょっぱいね |
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つぶや つぶや 豆つぶや 醤油で煮づげて あがらんせ つぶ しょっぱいね カラスというクロ鳥に つっぽり かっぽりさーれだ |
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つぶや つぶや 豆つぶや 去年の春に いったれば カラスというクロ鳥に 頭のまきめのとんがりを もっくと つつかれて 雨さえ降れば その傷が ずっくもっくと 痛み申す |
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向こう えのきネ カラスが一羽 田螺 めがけて そろそろおりる そこで田螺は食われちゃならぬ カラスさまとは お前のことか さてもよい鳥 きりょうのよい鳥よ すねにビロードの さやはんをはいて コカンコカンと 鳴く声聞けば 昔 お釈迦の鉦鼓(しょうご)の音よ そこでカラスも 涙にくれて もとの えのきへ そろそろ帰る そこで田螺は 身を三尺覚悟いたし カラスどのとは そなたのことか さても汚い 見たくない鳥だ コカンコカンと 鳴く声聞けば かわら やかんを引きずるごとく そこでカラスは 腹立つけれど 我も 鷺のよに 嘴(はし)長いならば つつき殺して もとの恨みを晴らす |
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■悪口唄 | |
■(長男を揶揄して)
あんちょこ ちょこ ちょこ するめの 尾っぱコで 祝言した |
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■(次男を揶揄して)
おんちゃま 大鰐(おわに)の遠方(えんぽ)の手 雪隠(へんつ)サ からまる 南瓜(となす)の手 |
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■(長女を揶揄して)
あねこ ねこ ねこ かながしら 猫(ねご)に とらえで 泣えでかがた |
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■(相手のお母さんを揶揄して)
○○の かっちゃ ええ かっちゃ 便所さ 落ぢれば くせえ かっちゃ |
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■(着飾った女の人を揶揄して)
今 行(え)った あねさま あんまりだ おがわさ湯 くんで 顔(つら)洗った その手でお釈迦さ 団子あげだ お釈迦 臭せえと 鼻 ねじたぁ もどりに 誓願寺(せえがじ)の団子盗んで 隠坊(おんぼ)にふまれて 尻(けつ)だくら |
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■(顔に飯粒のついている子に)
あの飯(まま) えづ 食(く)んだべなぁ 正月餅っで 食んだべが |
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■(仲のよい男女の子どもを冷やかして)
男(おどご)と女(おなご)ど ちょうめんコ 鉦コ ただえで なんまえだ |
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■(泣きやんだ子に)
泣えだ 坊主(ぼんず) 笑った 袴 はえで 屁 ふた 箒(はぎ) 持って おどた |
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■(頭の大きい子どもをからかって)
一つ(ふとつ) 人(ふと)より 大(お)き頭(あだま) 二つ 二つと なえ頭 三つ 見れば 見るほど 大き頭 四つ よっぽど 大き頭 五(えづ)つ えず見でも 大き頭 六つ むやみね 大き頭 七つ なるほど 大き頭 八つ やっぱり 大き頭 九つ この世にないよな 大き頭 十(とお) とほもなぐ 大き頭 |
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■(相手をけなすとき)
からすぁ ガ ねずみぁ ギ 合わせで ガーギ |
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■ことば遊びの唄 | |
かぐれおっこさ かだれ かぐれおっこさ かだれ |
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「かくれんぼ遊び」をする時、この唄を声高らかに歌い、友を集める。友集めの唄である。「かぐれおっこ」とは、カクレオイコ(隠れ追子)、かくれんぼの意。「かだれ」は「参加しなさい」の意。 | |
なべ 大きぐ なーれ おっきい なべァ ぶっかれろ |
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子どもたちが十数人でこの唄をうたいながら、両手を握って輪を描く。あんまり力を入れすぎて切れる。すなわち「ぶっかれる(こわれる)」のである。 | |
ふじ入れこ やらねな | |
藤の葉の複葉を、葉柄から全部もぎとり、長い葉柄ばかりを集めて握る。そして、この唄をうたって友を集めるのである。友が集まったところで、「何本出しヨ」と出す数を決める。その後、葉柄をいっしょにして地面、または床上に、右手でつまんでばらまく。まく時に「大きだ穴 作れ 作れ」と言う。
まかれた藤の葉柄が、いろいろな形を作る。その形の中にどこもかけていない正方形、長方形、台形、ひし形のいろいろな四辺形ができると、そこに自分の持っている藤の葉柄をまとめ(1本以上何本でも)、四辺形のへりにふれさせないようにして入れ、相手に確かめ、その数だけ、まいた藤の数をとる。これを、お互いにやって、数を争う遊びがあったのである。上方ではこれを「フジぎっちょ」と言っている。 |
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[一]じょうりき じょうりき じょばんの亭主(てえしゅ) おっこの実 さしの実 さらば さらば 先になって じゅんじゅと ぬけろんじょ [二]上見ろ 下見ろ 奥の隅(しま)コ ちゃっと見ろ (どうしても見つからないと周囲の子どもたちが) [三]鉈一丁(なだ えっちょ)かれれば 今(えま)でも出すぞ (と何回も唄ってはやす) (降参 どうしても見つからないと探す子が) [四]鉈一丁 鎌一丁 かれだ |
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「草履隠し遊び」の唄である。草履の他のものでもよいが、どこかに隠して探させるとき、このように交替で唄うのである。このとき、隠しているものがどうしても見つからぬときは、隠した人が[三]を唄う。そして、見つからないと降参する子は[四]を唄う。[一]は独立しても唄われる。 | |
つめこ なんじょ やらねが | |
「つめんこ なんじょ遊び」の友集めの唄。相手の甲の上を、右手の人差指と親指とでつねって、交互に左手・右手と繰り返す。座った膝の上のあたりから、だんだんに立てひざ、そのまま立った格好で上へ上へと二人が「つめコ(手指でつねる)」を繰り返す。痛さをがまんしながら、笑いさざめく遊び。 | |
鯉(こーえ)の 滝のぼり 鯉の 滝のぼり |
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男の子ども、十数人が二列になり、両手を下から組んで、その並んだ両腕の上を一人の子どもがコイになって、この唄にはやされながら、左下から右上に、はね上げられ、上っていく。子どもらが、代わりがわりコイになって続く。 | |
おもれんしゅう てんからぽん 天がら落ぢで 鼻欠えだ 梨コなれば とて かへら 泣くなじゃえー こんじょこえ |
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悪口唄に分類していたが、この唄で「鬼ぎめ」もする。これを唄いつつ、片一方ずつ並べたゾウリやゲタを指で数え、唄が止まった最後のゾウリを抜く。これを繰り返し、最後のゾウリの持ち主を鬼と決めるのである。これは古代の「一きめ」の名残であろうといわれている。類唄が五つほど確認されている。 | |
たぽーこ たぽこ きじなえ たぱこ 鳥サ かへねで おだまサ かへる さっさど くぐーれ くぐれ |
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女の子が向き合って幾組みも両手をあげて手を組み、この唄をうたいながら行進する。「さっさど くぐーれ」のところで、お互いに背中を向けて、くるっと向きをかえる。そして、また手をつないで丸くなって行進する。 | |
あれよ あれよ おらだきゃ しらね おら しらね |
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誰かが何か大人に叱られるような悪いことをした時に、一緒に遊んでいる子どもたちがこのようにはやす。責任を転嫁する時にも使う。 | |
おっけが おっと こご 切って 禁制(きんせえ) まる 書えで 禁制 |
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何人かでイチョウ遊びの時、まず何枚出しかを決め、その数だけをお互いに出し、まとめて置く。右手の五本で上手にまく。このとき、ひとつずつのイチョウは取ってもよいことになっている。2個くっついているのは動かさないで取り得るが、少しでも動くと取られない決まりである。ここで前文句が唱えられる。「おっつけ おっと こご 切って 禁制」こう言って、少し離れて並んでいる二つのイチョウの実の間を1個、右手の人差指か親指ではじいて、他のイチョウの実にあたらぬように注意して通過させる。失敗すると交互に代わる。最後に一つになると、目をつむって「まる 書えで 禁制」と唄いながら、三度、丸を書いて、人差指と親指で山形にし、指に触れさせないようにしてくぐらせる。 | |
■お手玉唄 | |
お一つ(ふとつ) お一つ お一つ お二つ お二つ お二つ お二つ おん三つ おん三つ おん三つ おん三つ お四つ お四つ お四つ お四つ おん五つ(えづつ) お五つ お五つ お五つ おん六つ おん六つ おん六つ おん六つ お七つ お七つ お七つ お七つ おみんな おみんな おみんな おまくら かえして おっ天 ばらり ぞーくんな ぞーくんな ぞーくんなあんめ あーんめ あーんめ おんめも 御(おん)だい おんだえしこ おんだえしこ おんだえ びっき びきすずめ びきすずめ びっきもおしゃらず おしゃらず おしゃらず おしゃらず おんにんがえし おんにん おんにん おんにんがえしゃ おんにんもおっかえしょ おっかえしょ おっかえしょ おっかえ 桃(もも)どし 桃どおしぱった 桃どおしぱった 桃も柿(かぎ)どおし 柿どおしぱった 柿どおしぱった 桃も柿どおし 柿どおしぱたぱた 柿どおしぱたぱた 柿も一俵(えっぴょう) 一俵 二俵 三俵 四(し)俵 五俵もて俵(たわら) 一俵 二俵御馬(おんま) 御馬も一足(ひとあぁし) 一足かして 二足(ふたあし)かして 三(み)足かして 四(よ)足かして 五(えづ)足かして 五(え)づもたんたん たんたん たえこ 白(しろ)だえこ 油のしゅんこで とっても来(こ)え たんたん 滝(たぎ)の水 あしは おらえで倉(くら)建でる 飲むに来え たな水(みず)向こうの お山の 雨降りお花は 咲えだが 咲がねが わしゃ 知らぬ とっても来え |
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下(しも)の横丁(よこちょ)の 坊さん なんじょは 一人(ふとり)娘をかぐして おえで かごさかくして お千代(ちよ)とつれで お千代 十七 坊さん 二十(はたち) 我とお千代と 末代(まつだい)そわば けしゃもかげまえ ころもも着まえ おねんじょさんやら つとめもせまえ 七つ なつなつ なつかたびらを 何(なん)と染めると こうやに聞けば こやの亭主は 染め方 知らぬ 一(えぢ)に たちばな 二に かきつばた 三に 下がりふじ 四(し)に ししぼたん 五(えづ)つ えやまの がんけのつつじ 六(む)つ むらさき 色よく染めで 七つ なんてん 八つ 山桜 九つ こうめよ お照らしおえで 十(とお)で 殿様 あおいの御紋で さえ さえ さえ |
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椋鳥(むこどり)え 山の うぐえすは れっちわね れっちわさして くりようと 竿(さお)どり 頼むだ 竿ざ とれなえ 早ぐ さして 取ってくれよ はやを忘れで 剣屋(つるぎや)の茶屋へ 一(えぢ)に たちばな 二に かきつばたね 三に 下がりふじ 四(し)に ししぼたんね 五(えづ)つ えやまの がんけのつつじ 六(む)つ むらさき 色よく染めだね 七つ なんてん 八つ 山桜ね 九つ 功名(こうみょう) 白羽(しらは)に染だね 十(とお)に 殿様 あおいの御紋ね さい さい さい |
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一(と) 二(た) 三(み) 四(よ) いつ む なな や 九(ここ) 十(と)や 十二が十六 十三が十六 くさにさぶない とおに一(ひと)つ |
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一(えぢ)ぎっじょ 二ぎっじょ 三ぎっじょ 桜 五葉(ごよ)の松(まづ)柳 柳の先さ 半丁(はんちょ)かげて 「○○」と呼んだ よしが 五郎太(ごろた)か お山の弁慶(べんけ) よしたりささねが お杯(さかずき) 一丁(えっちょ) |
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すすりや はしりや イカの品物 ごもなもすすり 一杯(えっぱい) 二杯 三杯 四杯 五杯 六杯 七杯 八杯 九杯 十杯 |
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お額(なづき) 額 お顔の毛 髪の毛 お目(まなぐ) 目 お鼻 鼻 おん頬(ぺた) 頬 おん口 口 おとげ おとげ お耳 耳 お胸 胸 お乳 乳 お腹 腹 おへそ へそ およろた よろた おひざ ひざ おんかくし かくし おってん ばらして 一貫 貸し申した |
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見せたい 着せたい 大目縞(おおめじま) たみ子に着せで 後(あど)見れば だんだら男(おどご)も 腰折るだんの 骨折るだんの |
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おんば はらだ おたけの中(なが)で すとしか すとしか みしか みしめ よすか よろこび 五(ご)たち 六(む)たち 七度 八度(やど) 九(こご)たび 一丁(えっちょ) |
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うすかもこ 舟のとんぼへ 腰かげで 浪(なみ)に打だれで おや好きで だんの おや好きで だんの |
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あれあれ 三上(みがみ)の おつやさま たもど丸めで 歯をそめで おはぐろ落(おど)して 二度 島田 赤(あが)え はねもど どっさりど 三味線 太鼓で どごえがる わたしぁ 今晩 たのまれで 後(あど)は 野となれ 山となれ 先(さぎ)は 蓮華(れんげ)の 花と咲げ 花と咲げ |
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しーや ふーや みーやよ えづむ なんなや ここのつ とお お城の おんさむらえ衆は おかごで おもとてを そろり そろえで さぐえがな どん どんどこせー どの神様も ここは船場の さぐいがな どん どんどこせ |
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すすれー はしれ かものすりもの 一杯(えっぺい) なーます 一杯 二杯 三杯 四杯 五杯 六杯 七杯 八杯 九杯 十杯 |
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さんじゃくろ 三年味噌 四年大根(だえご)で さい さい あかちょっこ 下りの といちこ めうぶの まだ来て 取らぬうぢ さい さい さい |
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てんがく婆様(ばばさま) 二階(にがい)落ぢだ 何しに落ぢだ 赤(あげ)え 腹病(はらや)めだ 奥(おぐ)の お山の 山椒(さんしょ)の 木薬だ 一ぷく(えっぷく) とって来て 飲ませでみだれば 腹の五臓綿(ごぜわだ) みな なおった |
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おきく十七八から 機(はた)も織ったし 巻くも巻えだし 親の ゆずりの かけ掛げるどご ちょい忘れだ げんば様 げんば様 数えて下され ばんば様 教(お)せたえけれども 人(ふと)が 教せれば 水座(みずじゃ)の尻(しり)がら 大水(おおみず)ぁ ごぉとまがして お万(まん) 小袖(こそで)も こ万 小袖も 皆 流す 皆 流す |
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向こう通るは 伊之助(えのすけ)で なーいか 今朝の しばれに どこ 行(え)がる お万だまする 帯 買うに 帯 買わば 地(じ)よく 巾(はば)よく 丈(たげ)長く 結ぶところに 鶴と亀 さがり さがりに 藤の花 藤の花 まず まず 一貫 かしました |
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とたびの おふるこで お祖師さま 鬢(びん)こ 無(ね)で 鬢こ 無で かしこ 十や 十二が十六で 十三二の くさのさぶらえ 十(とお)のせこ 一つ |
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鶯(うぐえす)や 鶯や たまたま都に上ろとて 梅の小枝に昼寝して 昼寝の夢をなんと見た 夕べ 入(はえ)った 花嫁御所(ごしょ) 錦(きん)らん緞子(どんす)を縫(ぬ)わせたら 襟(えり)と さしわに くけかけけて ほろり ほろりと 泣くわいな お前 弟(おとど)の千松(せんまつ)は 七つ 八つから 金山(かなやま)へ 金(かね)はないやら 死んだやら 一年(えぢねん)待っても まだ来ない 二年待っても まだ来ない 三年先の さるの年 親のもどから 状(じょう)下った 上れじゃ 大阪 下れじゃ お江戸 上り下りの よえ坂娘 縞(しま)の着物に 赤(あげ)ぇ 裏合わせ とろり かおりと 山中(やまなが)通ったら 知らぬ 若(わが)ぇ衆に 道(みぢ)とめられて 痛(いで)ぇ 離せや わしゃ 帯切れる 切れで 解げれば わしゃ 結(む)しんであげる お前 結しだのは 父(とど)に見ても 気に合わぬ 母(かが)に 見せても 気にあわぬ とんと とけらがて 知らぬ姉様(あねさま)に ちょっと 結してもらった まず まず 一貫(えっかん)かしました |
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正月とせ 障子開ければ 万才(まんざい)が つつみを打つやら 歌の声 歌の声 二月とせ 二月三日に 寺まいり 明日は彼岸の御中日(おちゅうにち) 御中日 三月とせ 桜花(さくらばな)より お雛様 飾って見事な内裏様(だいりさま) 内裏様 四月とせ 死んで 又(まだ)来る おしゃかさま 竹(たげ)の子(ご) 杓子(しゃくし)に つつじ花(ばな) つつじ花 五月とせ ごん桜の 前垂れ 正月しめよと 裁(た)っておえだ 裁っておえだ 六月とせ ろくにタバコも吸わないで 兄さんに叱られ 腹が立ち 腹が立ち 七月とせ 質屋のお倉は混雑で 出したり 入れたり 流したり 八月とせ 蜂(はぢ)に刺されて 泣くよりも 何か薬があるまえか あるまえか 九月とせ 草の中(なが)なる ヒキガエル 姉(ねえ)さん 一匹ちょうだいな ちょうだいな 十月とせ 重箱かかえて どこ行(え)ぐの 明日は 恵比須講(えびすこ)よばれ 講よばれ |
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本町(ほんちょう) 一丁目(えっちょうめ)の薬屋のおふりこ 年もえがねで 長吉(ちょうぎぢ)ど つれで 長吉 二十一 あふりこ 七つ おふり もった子は 男(おどご)の子だな 女(おなご)の子だな 江戸に のぼらせで 学問させで 江戸で 一番(えぢばん) 津軽で二番 酒屋で三番 吉原(よしわら)四番 伊達男(だいおどご) 伊達女(だておなご) |
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ちょ ちょばしの ちょばしの おらが姉様(あねさま) 三人ござる 一人(ふとり)姉様 太鼓(たえこ)上手(じょうず) 一人 姉様 三味線(さみせん)上手 一人 姉様 仕立でを上手 仕立では一番(えずばん) 伊達(だて)しの女(おな)ご 二両は片帯(かだおび) 三両にくける くさめの ささに 七ふさ下げて 明日は十日で お寺まいる 知らぬ若衆(わかじゅ)に 道(みぢ)とめられて 痛でだ 離せば わし 帯とける 帯がとければ わし 結んでやる お前の結んだのは わし気に合わぬ ちょちょばしの ちょちょばしの |
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おらえ おぼこは ええ おぼこ めえらっぽに 茶の小袖 野でも山でも 寝たけれど 松葉に刺されて 目をさまし ここは どこだと思ったれば 鎌倉街道もんどして 一に一代 二に二代 三に更紗(さらさ)の帯 買って 誰にしめると買ってきた 伯母(おば)さにしめると買ってきた 伯母さん 死んでから 今日で七日 それがうそなら お寺まで 松三本 杉三本 京の雀は 大阪の雀は 上がったり 下ったり ちょっと 一貫かしました |
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■ねぷた(ねぶた) | |
ねぷたコ 見でけへ ねぷたコ 見でけへ |
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津軽地方の行事から、ねぷたとお山参詣を忘れることができない。子どもの世界の遊びにも、この催しが反映していく。ねぷたどきになると、大人ねぷたを真似し、道路を子供用の一人持ち扇燈籠、金魚ねぷたが行列を作る。紫色の塗りで胴の小さな皮太鼓、おもちゃの笛が囃子を奏でてゆく。夜がふけ、大きなねぷたが、ドンコ・ドンコと大きな鳴り音をたてて通り過ぎた後のむなしい暗がりに、ヒョロ・ヒョロ・ヒョロと子どもねぷたの遊びがしばらく続き、「ねぷたコ 見でけへ ねぷたコ 見でけへ」と、囃声が、かまびしく各家々に響いたものであった。そして、あたりは次第に、森閑とした闇夜に変わっていったのであった。 | |
ねぶたコ 流(なんが)れろ 豆の葉さ 止まれ |
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ねぷたは、旧7月1日より7日まで、津軽地方におこなわれる七夕行事で、枝をつくして作った高さ数丈の紙人形や燈籠を川や海に流す行事である。秋田の「ねぶり流し」や、花輪の「七夕」、その他各地の七夕祭の型と同一であり、祇園の神の古い信仰が、この祭の中心の意味をなすものだといわれている。ねぷた燈籠は「流される祓い」の形式であり、穢れ・禍罪・禍いを負わせて流す「祓い人形」である。「ねぷた(ねぶた)」という言葉は、秋田の「ネブリ」と同様、「ネムリ」を流すというところに由来するもので、古代の人たちは、真闇の夜を最も神秘なものと考え、同時に黄泉の国を連想するところから、眠ることはすなわち「死」であり、不吉なこの禍いや穢れを祓うことが大きな目的となっていたようだ。 | |
ねぷた 流(なんが)れろ 豆の葉 とっちぱれ はぁ やっさ やっさ やっさよ |
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ねぶたの起源については、その昔、坂上田村麻呂が津軽の蝦夷大丈丸の反撃にしばしば苦戦におちいったので、あるとき、一策を案じ、大燈籠を飾り立て、囃子おもしろく練って大丈丸を釣り出し、これを討ちとった故事に倣ったものという。しかし、実は、ずっと降って豊臣秀吉の時代、留守役をして京都にあった津軽為信が祇園の大燈籠に影響を受け、「人形ねぷた」を創作したのがはじまりというのが事実のようである。 | |
どん どこ どこ どん こど どこ どこ どこ どーんこど やーれ やれ やーれよー どん どこ どこ どん こど どこ どこ どこ どん こど やぁ やどー |
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子どもたちは、ねぷたの時以外にも、こんな調子で唄いながら、棒やホウキを立て、ねぷたの真似をして遊んだものだ。 | |
とへろれこ れこれ とへろれこ れこれ とへろれこ れこれ とへろれこ れこれ とへろれこ れこれ やれ やれ やれや |
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■「梅の折枝」 | |
コッキリコの小母様(おばさま) どこで討たれた 吾妻(あずま)街道の茶屋の娘コね討たれた 討たれながらも 蜂に刺されて 顔(つら)は のーろと腫れ申した 小豆餅ぶっつけだら 全治(よぐ)なましょ 全治なましょ |
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あのとおしゃの 熊野とおしゃの 肩にかけたり帷子(かたびら) 肩掛すそに 梅の折枝 中は御殿の反橋(そりばし) そろりそり橋サ 鉋(かんな)をかけて コケラコの小母様 どこで討たれた 討たれながらも 今朝のぼた餅 まと 喰えてェ おややし婆さま [コキリコ(あやこ唄)] |
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あのとおしゃの 熊野とおしゃの 肩にかけたり帷子 肩掛すそネ 梅の折枝 中は御殿の反橋 その反橋に 鉋をかけて 渡ってみたれば高砂 コッキリコの小母様 どこで討たれた 吾妻街道の茶屋の娘コね 討たれた 討たれながらも 蜂に刺されて 顔はのーろと 腫れ申した 小豆餅ぶっつけたら 全治なましょう |
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ここを通りし 熊野どうしゃの うえにめしたる 帷子は 片すそは 稲の出みだれ 中になかての かりかぶや 今年のしまいの 稲のおうさよ たわらは とこに おこぞさよ [雨乞踊(熊野踊ともいう)] |
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伊勢の道者か 熊野道者か 肩に掛けたる帷子(かたびら) 肩と裾とは 梅の折枝 中は五条の反橋(そりばし) 反橋はどこで打たれた あずま街道で打たれた あずま街道の 茶屋のむすめは 日本手ききと聞こえた 日本手ききと聞こえた あまり手ききで 御座りゃせねども 一つでは乳をのみそめ 二つでは乳首はなして 三つでは水を汲みそめ 四つではよい茶くみそめ 五つでは糸を取りそめ |
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あっく通やれ ここ通りやれ 小田原名主の 中娘(なかむすめ) 色白で 桜いろで 江戸さき庄屋へ もらわれた 江戸さき庄屋は 伊達の庄屋で 絹、紬(つむぎ)七重ね八重ね かさねて 染めてくだんせ 紺屋(こうや)さん 紺屋なれば 染めて進上 模様(かた)は 何をつけましよ 片裾は梅の折枝 桜の折枝 なかは五条の反橋(そりばし) 反橋を渡るものとて 渡らぬものとて こっけらこんの紺包(こんづつみ「鼓?」) 誰に打たせて この包 吾妻街道の茶屋の娘に打たせたが 見よくないとて 滝田川原へ身を捨てた 身は沈む 髪は浮きる ざんぶ こんぶと 流れる 流れる 流れると知れたれば 七つ浪が打って来た [手まり唄・梅の折枝の類歌] |
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■岩手 | |
あなたの胸が恋しくて 燃えるこの肌 遠野の雪に雪に埋めたい しのび泣くよに降るしぐれ 雨のみちのく 花巻の夜 灯影に咲いた 面影が 優しくのこる ああ 盛岡 ブルースよ 君の面影 胸に秘め 想い出すのは 想い出すのは 北上河原の 初恋よ |
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■遊ばせ唄 | |
■ゆっきゆっき桃の木
ゆっきゆっき 桃の木 桃コァなったら たもれや だれもしゃ たもるべ おじいさんさ 五っつ おばあさんさ 四つ おとうさんさ 三つ おかあさんさ 二っつ あにさんさ 三つ あとの残りは ハナちゃんだよ |
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■かれっコ焼えで
かれっコ焼えで とっくり返して焼えで みそっコつけで アグアグアグ |
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■かねこもり
かねこもり べんざいこ かねこもり かねこもり かねこもり べんざいこ 王になれ 将になれ ヤートーセイ 吉原揚げ屋へ 行くときは 散緒の雪駄に 長羽織 せんぼくはまなに おかやしい デンスコ バンスコ ドンショ |
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■寝させ唄 | |
■あずきまんまさ
ねんねろヤーエ こーろころ ねんねこして おひなったら 小豆まんまさ ごっこかてて もしもそれが おいやなら 白いまんまさ 鮭のよ もしもそれが おいやなら あんころ餅に 醤油だんご もしもそれが おいやなら 芋コにほどコに 里梨コ |
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■ねんねこや
ねんねこや ころこや ねんねこして おひなったら 芋コ ほどコ 掘ってけで 煮だり焼いたり あげましょう |
■ねんねこあっぱこ 1
ねんねこねんねこ ねんねこえ ねんねこあっぱこァ どごさ行った 向かい山の 小沢コさ 芋コ ほんどコ 堀りさ行った 今に来るべから ねんねこせ ねんねこねんねこ ねんねこえ |
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■ねんねこあっぱこ 2
ねんねこせ ねんねこせ ねんねこあっぱこ どごさ行った あの山越え超え 里に行った 里の土産に 何もらった でんでん太鼓に 笙の笛 それを鳴らして 遊ばんせ 寝ろてばよ 寝ろてばよ ねろてば ねないのか この餓鬼コ |
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■一匹ほえれば 1
ねんねこせ ねんねこせ ねんねこ山の 赤犬コ 一匹吠えれば みな吠える ねんねこせ ねんねこせ |
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■一匹ほえれば 2
ねんねこ山の ころ犬さんはよ 一匹吠えれば みな吠える |
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■一匹ほえれば 3
ねんねこねんねこ ねんねこや ねんねがお山の 白犬コ 一匹吠えれば みな吠える 芋コと ほどコと 掘ってきて 煮たり焼いたり さっ くれべ オーヤレ ヤレヤレ ごんぼこ ごんぼこ ごんぼこやい |
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■一匹ほえれば 4
ねんねこやエ ねんねこやェ 泣くな泣くな 赤ん坊よ お母さんの乳を あげますよ ねんねこ ねんねこやェ ねんねこやエ ねんねこやェ ねんねこ山の 白犬コ 一匹吠えれば みな吠える ハー 年寄りの仕事にゃ 緩くない 年は七十六でがす 若い姉さんなれば こわくもない ねんねこやエ ねんねこやェ |
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■ねれじゃねれねれ
ねれじゃ ねれねれ めんこァ寝れじゃ ヤーエヤエー 寝たらば乳三杯けるべちゃ ヤーエヤエー 泣かば狼に食せでける ヤーエヤエー |
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■ねんねんねこのけっつ
ねんねんねこのけっつさ 豆が舞い込んだ おがさん取ってけろ 飛んでしまった ねんねんねこのけっつ かににはさまれた かあちゃん取ってけろ 逃げてしまった |
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■柴の折戸
柴の折戸の 賤が家に 翁と媼が 住まいけり 翁は山に たきぎとり 媼は川に 布すすぎ 日ごと夜ごとの 世渡りも いとあさましき 五十鈴川 流れ流れる 源に 流れ来たれる 桃の実の 世にたぐいなく 大ければ あな珍しと 持ち帰り 座敷にすえて 愛ずるうち 桃はわれから 打ち割れて 男児が一人 出でにける 老の夫婦は 驚きつ また喜びつ 取り上げて 桃の中より 出でたれば 桃の太郎と 名づけつつ かざして花と 愛でにける しだいに人と なるにつれ 健しくもまた 賢くして 翁と媼の 高き恩 深き恵みに 報いんと 鬼はときどき 人里に 渡りて憎き 振る舞いを 憎しと常に 思うより きびの団子を かてとなし 犬猿雉子を 従えて 鬼が島へと 打ち渡り 鬼を平らげ その島の 黄金白金 種々の 宝を納め 帰り来て 翁と媼に ささげたり 豊かに富める 身となりて 親に仕える 忠実心 げにありがたき ためしなり 鬼ちょうものは 世の中の 邪な人を 鬼という おさな心に 善し悪しを 知らせんために 伝えたる 昔の人の かぞえ草 |
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■おら家の前の
おら家の前の ずさの木さ 美し鳥コ とまった なして首たコ 曲がった 腹コへって 曲がった 下さおりで 物コ拾え 足コ汚れっから やんだ 川さ入って かぎ洗え びびコ切れっから やんだ もっつ噛んで くっつぐれ 蠅コせせっから やんだ 団扇買って あおげ 銭コ一文も ござね 殿さんさ行って ひん盗め 首たコ切らえっから やんだ |
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■向かいお山で
ねんねろころころ ねんねろや 向かいお山で かや刈るは 金五郎どのか 五郎どのか いっときおいでや お茶あがれ お茶の香には 何がよい 天下一の 香箱さ 香箱の中にさ 赤い重ねの 十二重ね 白い小袖の 十二重ね 十二 十二の中にさ お月さまは おんでぇって 上さ向いても チョッチョッチョ 下さ向いても チョッチョッチョ あんまりチョッチョが 早くて 百に米は 一石 十文酒は とひやげ ねんねろねろねろ ねんねこせ ねんねこお守りは どごさ行った 山を越えて 里さ行った 里の土産に 何もらった どんどん太鼓に 鳴るつづみ ピッピガラガラ 風車 それをあげます ねねしゃんせ ねんねこころころ ねんねろや |
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■友達な友達な
友達な 友達な 花コ折りに 参らんか 何の花折りさ 黄金花折りさ 一枝折って ひっかつぎ 二枝折って ひっかつぎ 三枝四枝に 日が暮れて そばの家さ 宿とって 朝ま起きて 見たれば きぎのような 女郎は 鉄鉢椀 つん出して 一杯めは しゃしゃぐ殿 二杯めは しゃしゃぐ殿 おれどごの肴は うまぐなくて 参らんか 低い山の ひぐの子 高い山の 竹の子 ひっコと 貝っコと 蛤貝っコと 庭で踊る 子雀コ |
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■千福山 1
千福山の 中の沢で 縞の財布を 見つけた見つけた おっ取りあげて 中を見たれば 黄金の玉は 九つ九つ 一つの玉をば お上にあげて 八つの長者よと 呼ばれた呼ばれた 長者殿は 京から下って 瀬田の反り橋 架けやる架けやる 瀬田の反り橋 踏めば鳴るが 大工柄か 木柄か木柄か 大工柄よりも 木柄よりも 手斧と鉋の かけ柄かけ柄 |
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■千福山 2
千福山の 中の沢で 縞の財布を 見つけた見つけた おっ取りあげて 中を見たれば 黄金の玉が 九つ九つ 一つの玉をば お上にあげて 八つの長者よと 呼ばれた呼ばれた 呼ぶも呼んだし 呼ばれもしたが 朝日長者よと 呼ばれた呼ばれた |
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■千松コ
おらが弟の 千松コ ことし初めて 田を作る 殻は七尺 穂が五尺 何んたな馬でも 八穂つけた 八穂がうそだべ 十穂つけた ヤホ ヤーハレ コンノ ヤホ ヤーハレ コンノーエ |
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■まわれ水車
まわれまわれ 水車 どこでまわる 堰で止んまるな 奥や深山の 秋鹿は 生れて落ちれば 親に似て 頭ふってくる 頭ふってくる |
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■守り子唄 | |
■女の子守りは
女の子守りは 辛いもの 犬めに吠えられ 子に泣かれ 近所の子供に いじめられ こんなだ闇のように 辛いもの あの山越えれば 里にゆく お父っちゃんさよなら もうこない そなだごど言わねで まだおいで 風呂敷 握り飯 下駄添えで お父ッちゃん さよなら もうこない あの山越えれば 里にゆく 里の土産に 何もらった ピッピにカラカラ 豆太鼓 鳴るか鳴らぬか 吹いてみよ |
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■一にゃこわいのは
一にゃこわいのは 子守りコの役だね 二にゃ憎まれ 三にゃ叫ばれでね 四にゃ叱られ 五にゃ小言されでね 六にゃろくなもの 食べさせられでね 七にゃしめしなんど 洗わせられでね 八にゃはだがれ 九にゃ口説がれでね 十にゃ遠山さ 歩がせられでね |
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■はじめて唐臼
はじめて唐臼 踏まれけり 足を見たれば 足に豆が九つ 九つの豆を見たれば 親の在所が恋しさ ハーエー |
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■わらべ歌 1 | |
■お手玉うた(ジャッキ唄)
おやだまこーれ お一つお一つ お一つお一つ お一つお二つ お二つお二つ お二つお三つ お三つお三つ お三つおみんな おみくらかえして おってん ぱらりこちょこいんな ちょこいんな ちょこいんな ちょこいんな ちょこいんな ちょっこいはなさき はなさきはなさき はなさきはなさき はなもだいすこ だいすっこだいすっこ だいすっこだいすっこ だいだいびっき びっきすずめ びっきすずめ びっきすずめ びっきもおしゃらず おしゃらずおしゃらず おしゃらずおしゃらず おしゃらずおにげっしょ おにげっしょおにげっしょ おにげっしょおにげっしょ おにもおかえし おっかえしおっかえし おっかえしおっかえし おっかえももだっさ ももだっさばったん ももだっさばったん ももだっさばったん ももだっさばったん もももかーげ かげざっさいささ かげざっさいささ かげざっさいささ かげざっさいささ かげも一ぴょう 一ぴょう 二ひょう 三ぴょう 四ひょう 五しょうもてたもれ 一ぴょう 二ひょう 三ぴょう 四ひょう 五しょうもてたもれ 一ぴょう 二ひょう 三ぴょう 四ひょう 五しょうもてたもれ たもらもおまげっしょ ひとあし ひとあしたんたん ふたあし ふたあしたんたん みあし みあしたんたん よあし よあしたんたん いずあし いずあしたんたん いずもたんたん じじばば じゃがどん じじばば じゃがどん じじばば じゃがどん じじばば じゃがどん じじばば じゃがどん とっても となりのあねさんに お一つかしました はいかりました |
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■お手玉うた
おやだまこえて お一つお一つ お一つ お二つお二つお二つ お二つ お三つお三つお三つ おまくらかえして おってんぱらりん ぞくえの ぞくえの ぞくえのはなさき はなさきはなさき はんなもおですこ おですっこおですっこ おんだいびっき びっきしょうめいびっきしょうめい びっきもおさらす おさらすおさらす おさらすおにげんせ おにげんせおにげんせ おんにもおっかい おっかいしょおっかいしょ おっかいもも ももどうせいばった ももかぎ かぎどうせいばだばだ かぎどうせいばだばだ かぎもいっぴょう いっぴょうごしょ ごしょもてたもれ いっぴょうごしょ ごしょもてたもれ ごしょもおまげんせおまげんせ おんまもひとあし ひとあし ひとあしたんたん ふたわし ふたわしたんたん みわす みわすたんたん よわす よわすたんたん いずわす いずわすたんたん いずもたん たんたんたのみず きょうはれんげのはなみにゆくなら むこうのおやまにちょうせんかが さいたかさかねか わしゃしらぬ まずまずいっけん もちました おっさらい おてのせおてのせ おてのせおろしておさらい おはさみおはさみ おはさみおろしておさらい おんむりおんむり おんむりおろしておさらい おしだりおしだり おしだりおろしておしだり なかよせすまよせ ちゃらりこてんつけしょうつけおさらい おばさんおばさん おばさんおろしておさらい おじさんおじさん おじさんおろしておさらい おいしおいし でかけておろしておさらい おてばたおてばた でかけておろしておさらい おそでっこおそでっこ でかけておろしておさらい 小さなはしくぐれ 小さなはしくぐれ くぐった 大きなはしくぐれ 大きなはしくぐれ くぐった どのたまきらい お一つやのおんむすけ お二つやのおんむすけ お三つやのおんむすけ お四つやのおんむすけ お五つやのおんむすけ おさらい おまけていっしょう おまけてにしょう おまけてさんじょう おまけてよんしょう おまけてごしょう おさらい |
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■正月門松
正月ァ門松 二月初午 三月ひなさん 四月はしゃかさん 五月はごせっく 六月ァてんのう 七月七夕 八月ァはっしゃく 九月はくぜん 十月ァえびす講 ゆうべえびす講によばれて参ったヶ 鯛の塩焼きにスズメの吸い物 金のお箸で 一ぱい吸いましょ 二はい吸いましょ 三はい吸いましょ 四はい吸いましょ 五はい吸いましょ 六はい吸いましょ 七はい吸いましょ 八はい吸いましょ 九はい吸いましょ 十ぱい吸いましょ これでまずまず おなかがいっぱいになりました |
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■ゆきゆき桃の木
ゆきゆき桃の木 桃がなったら たもれや 誰(も)さ たもるべ おらほのめんこさ ゆきゆき桃の木 桃がなったら たもれや 誰(も)さ たもるべ おらほのめんこさ |
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■青山土手から
せっせっせーの よいよいよい 青山土手から 東山見ればね はい見ればね 見れば見るほど 涙がポロポロ はいポロポロ ポロポロ涙を 袂(たもと)で拭きましょ はい拭きましょ 拭いた袂を 洗いましょ はい洗いましょ 洗った袂を 絞りましょ はい絞りましょ 絞った袂を 干しましょ はい干しましょ 干した袂を たたみましょ はいたたみましょ たたんだ袂を しまいましょ はいしまいましょ しまった袂を ネズミがガリガリ はいガリガリ まずまずいっかん かしました |
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■痛いとこ飛んでけ
いんぼうとうれ からぐまんぜい はったぎはねれば カラスが喜ぶ いでぇどごいでぇどご むけぇ山さ飛んでけ |
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■羽根つき唄
ひとごふたご みわたすよめご いつきてみても ななごのおびを やのじにしめて ここのまちとおる |
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■縄とびの唄
お嬢さま お入り はいよろし じゃんけんぽん 負けたお方は お抜けなさい |
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■まりつき唄
なるほどさいほど 受け取りましたか とんとん樽こ 酒樽こ 酒樽こ ここまで米つき さかりはともよ むかいはなこさんに それ渡す |
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■にらめっこ
せっせっせ ぱらりとせ おまえはちゃめこで 薬屋の子守りこ どしても ようつかない よったりごを つれて じっちき ぼっぽいさんが 二階から 落ちました 笑ったら げんこつ おんちょこちょいの あっぷ |
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■わらべ歌 2 | |
■鳥っこ
おら家(え)の 前(めぇ)の ずさの木さ 美(うづぐ)す鳥っこ 止まった なすて 首たこ 曲がった 腹こへって 曲がった 下さおりで 物っこ 食(け)え 食(け)え 足(あ)っこ べっぺぐなっから やんた 川さ行って 洗わんしぇ ひびっこ きれっから やんた 小麦 かんで ぬったぐれ はえっこ せせから やんた うぢわ 買って あおがんしぇ 銭(じぇん)こ 一文も 持(も)だんず 持だんず |
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■しょどもや
しょどもやぁ しょどもや 花折りさ 行がねが 何の花 折りさ 桜花 折りさよ ひと枝折っては ぶっかつぎ ふた枝折っては ぶっかつぎ 三枝 四枝 日が暮れて そばの家っこさ 寄ったれば 臼のような 杯で 杵のような じょうろで 一杯(いっぺぇ)あがれ 客どの 二杯(にへぁ)あがれ 客どの 肴(さがな)が 無(ねぁ)くて あがらんか おらだぁりの さがなは 高ぇ山の竹の子 低ぇ山のひぐのご ヒッコ メァッコ ハマグリメァッコ ヒイヤノ おんどり こすずめ |
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■正月
正月ぁいいもんだ 木っ端(こっぱ)のようなもち食って 葉っぱのような魚(とと)食って 油のような酒飲んで てんか ぱんか はねついて お正月ぁいいもんだ |
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■唐土の鳥も (七草)
唐土(とうど)のとりも 田舎のとりも 渡らぬ先に 七草叩(ただ)け 七草叩(ただ)け とんとん とととん |
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■正月は門に門松 (おて玉歌)
正月は 門(かど)に門松 二月は にのてんばた 三月は 梅は三月 桜は四月 あやめ かきつばた 五月咲く 六月は うのかたびら 七月は ちゃこちゃんこと 八月は はとぺろぺろ 九月は おもしろそろえておもしろや 十月は 神も仏も出雲へござる ただの留守居は福の神 十一月は 小雪さらさら降るときは 猫の足跡 梅の花 十二月は お正月 餅つき勇ましや さんがよいとも連れて一貫かしました。 |
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■向こうお山で
向こうお山で 萱(かや)刈るは 新五郎殿か 五郎殿か ちょっとござって お茶あがれ お茶の こうは なぁになに 天下一の香炉箱 中(なが)開げで 見だれば ちょこちょこ鳥っこ一匹 そっちゃ向いでも ちよっちょこちょ こっちゃ向いでも ちょっちょこちょ ちょっちょこ鳥に はやされて たいこ たいこ めんたいこ 百に米ぁ 一石(いちごく)だ 十文酒 とっひさげだぁ とっひさげだぁ |
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■ひとよ ふたよ (はねつき歌)
ひとよ ふたよ みわたす よめご いつきてみても ななこのおびを やの字に むすび ここを とおる |
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■一かけ ニかけ(て)
一かけ 二かけて 三かけて 四かけて 五かけて 橋をかけ 橋のらんかん 手を腰に はるか向こうを ながむれば 一六、七の 姉さんが 花と 線香を手に持って 姉さん姉さん どこ行くの 私は九州鹿児島の 西郷隆盛娘なり 明治十年戦争で うたれて死んだ父親の お墓参りにまいります お墓の前で手を合わせ なむあみだぶつと拝んだら お墓の中からゆうれいが ふうわりふわりと じゃんけんぽん |
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■伊勢や (まりつき歌)
伊勢や 伊勢や 伊勢よ 新潟 新潟 伊勢 新潟よ 三河 三河 伊勢 新潟 三河よ 横須賀 横須賀 伊勢 新潟 三河 横須賀よ 越後 越後 伊勢 新潟 三河 横須賀 越後よ 武蔵 武蔵 伊勢 新潟 三河 横須賀 越後 武蔵よ 名古屋 名古屋 伊勢 新潟 三河 横須賀 越後 武蔵 名古屋よ 函館 函館 伊勢 新潟 三河 横須賀 越後 武蔵 名古屋 函館よ 九州 九州 伊勢 新潟 三河 横須賀 越後 武蔵 名古屋 函館 九州よ 東京 東京 伊勢 新潟 三河 横須賀 越後 武蔵 名古屋 函館 九州 東京よ |
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■羅漢さん
そーろった そろった 羅漢さんがそろった そろたらみんなで まわそじゃないか じょいやさの じょいやさ じょいやさの じょいやさ |
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■地獄極楽
地獄 極楽 みなさまかわい(こわい?) もひとつおまけに どっこいしょ |
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■ばっけぁ
ばっけぁ ばっけぁ のんどげろ 日向(ひなだ)の 前(めぁ)さ のんどげろ |
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■へび
へび居だ がさがさ 鉈(なだ) もって切っと |
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■田螺(つぶ)
田螺(つぶ)や 田螺(つぶ)や まめつぶや |
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■次郎 太郎
じろう たろう 小豆 まんま 食(か)しぇっから 来(こ)ぉ 来(こ)ぉ |
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■あらぐろ
あらぐろ とんぶぐろ とんながした かんなが(ら) いずみの さげ(酒) わぐ(湧く)ように わぐように |
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■かぐれがっこ (おに決め歌)
隠(かぐ)れがっこ とがっこ とになる ばぁんさま 猫(ねご)の皮かぶって 逃げろどや |
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■西条(妻女)山 (お手玉歌)
西条(妻女)山は 霧深し 筑摩(千曲)の川は 波荒し 遥かに聞こえるものおとは さかまく水か つわものか 昇るあさひに 旗の手は めぐるは めぐる 三万つよし |
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■いちれつだんぱん (まりつき・お手玉歌)
いちれつ談判破裂して 日露戦争 始まった さっさと逃げるは ロシアの兵 死んでも尽くすは 日本の兵 五万の兵を 引き連れて 六人のこして 皆殺し 七月八日の戦いで ハルピンまでも攻め入って クロパトキンの首をとり 東郷大将 バン バンザイ |
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■いちりとらん (まりつき歌)
いちりとらん ハロ ハロと 進駐軍がやってくる 二りとらん ハロ ハロと 進駐軍がやってくる (三 四 五・・・十まで同文) |
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■でこ坊よ (まりつき歌)
デコ坊よ帰ろうよ もう時計は三時ごろ 家ではね 花ちゃんがね まちかまえて いるだろう ねえねえ ねえちゃん ねずみとって チュウチュウ おんぶーしな ハーイハイ |
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■宮城 | |
はじめまして仙台わたしの家族 仙台仙台 はじめましてよろしく | |
■遊ばせ唄 | |
■りんがじんと
りんがじんと ががじんと だんずることを もんずれば りょそうをせっすと ぐんだんす くさにそうこう なきときは やんまとやんまを かさねべし ねんねんころころ ころころろん |
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■寝させ唄 | |
■ねんねろねんねろ
ねんねろねんねろ ねんねろや 向かいやんまの 白ぼ犬 一匹ほえれば みなほえる |
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■ねんねこおんぼこや 1
ねんねこや おんぼこや ねんねこ おんぼこ ねんねこや ねんねこ おんぼこ したならば お乳コ 三杯 あげもすで 三杯 お乳コ たりながら いもだり ほどだり 掘ってきて 煮でだり 焼いでだり あげもすで ねんねこや おんぼこや |
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■ねんねこおんぼこや 2
ねんねこや おんぼこや ねんねこお守りが どごさ行った あの山越え超え 里さ行った 里のおみやに 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 ねんねこや ねんねこや ねんねこねろてば ねんねこや ねろてばねないし 古小豆 ねろてば猫のけっつさ 豆はさんだ かかさん取ってけろ またはさんだ ねんねこや おんぼこや |
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■坊やはよい子だ
坊やはよい子だ ねんねしな ねんねこねがたに つるあうし およって起きたら 何あげべ あんずきまんまに ととそえて 黄金こがねのお箸で あげましょう ねんねこ ねんねこ ねんねこや |
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■ねんねこかんかこや
ねんねこや かんかこや おら家の三郎が ねたならば 乳コ三杯 飲ませべや ねんねこや かんかこや |
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■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ 坊やの子守りは どこへ行った あの山越えて 里へ行った 里のおみやげ 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 ねんねんころりよ おころりよ |
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■ねんねこやねんねこや
ねんねこや ねんねこや ねんねこや ねんねこや ねろてばや ねろてばや ねろてばねろてば ねろてばや ねろてばや ねろてばや ねろてばねねえのか このがきめ |
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■大島子守歌
ねんねすらんせ およらんせ ねればねずみに とってかれる 起きりゃお母さんに 叱られる ねんねや ころころや |
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■ねんねんさいさい
ねんねんさいさい 酒屋の子 酒屋がいやなら 嫁に出す ねろてばや ねろてばや たんす長持 挟み箱 これほど重ねて やるほどに ねろてばや ねろてばや 二度と来るなよ この娘 お父ちゃんお母ちゃん そりゃ無理よ ねろてばや ねろてばや 西が曇れば 雨となる 東が曇れば 風となる ねろてばや ねろてばや |
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宮城はまた酒造が盛んだったことでも知られ、教養を持ち裕福だった者も多い酒屋は、当時の庶民の憧れの対象でもあった。「いい子にして寝たら、お金持ちの酒屋の子どもにしてあげよう。それがいやなら、お嫁さんに出してあげよう」という意味のこの唄にも、その思いが表現されている。 | |
■こけしぼっこ
ハー スサスサスサヨ スサスサスサヨ こけしぼっこ 木ぼっこ 土でこしゃだの 土ぼっこ わらでこしゃだの わらぼっこ おらえのぼっこは 何ぼっこ ハー スサスサスサヨ スサスサスサヨ 銀のうすに 金のきね 十月十日 かがって ねる日もねずに ねりあげた めんけいめんけい おぼっこ ハー スサスサスサヨ スサスサスサヨ 金銀ぼっこの おぼっこ 餅コのように ぽってりと ぼよコのように のびのびと めんけいめんけい とでぼっこ ぼっことでだがら ねんねこすらい |
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■守り子唄 | |
■子守りの役
一つひどいのが 子守りの役で 二で憎まれて 三でさかばれて 四で叱られて 五でごせやかれて 六でろくなもの かせられぬ 七でしち餓鬼 おぼわせられて 八ではたかれて 九でくどがれて 十で遠くさ行って ほろげとやれた そこで子守コは つらいもの |
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■わらべ唄 | |
■秋田 | |
みれん埋めに 来たけれど あなた恋しい 思いきれない あゝ男鹿半島 | |
■遊ばせ唄 | |
■鰈こ焼いで
鰈こ焼いで ひっくり返して焼いで 醤油こつけで アグアグ |
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■ゾンゾンふげば
ゾンゾン ふげば 隣のおばちゃ んめんめ けるぞ しっちき ゾンゾン しっちき ごんぼ なばひで でぶだ |
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■ジゴバゴ引げば
ジゴバゴ 引げば 隣のばんばこぁ 欠げた椀こ 持ってきて オックリ オックリ みんな食た |
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■寝させ唄 | |
■秋田の子守唄
ねんにゃこ ねんにゃこ やえーや 泣けば小山の白コ来て嚙かじるんで 泣かなぁでねんねや こびーでや やえーや |
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■ねんにゃこ コロチャコ
ねんにゃこ コロチャコ ねんにゃこ コロチャコ よーよ 向ェの山の白犬コーよ 一匹吠えれば みな吠えるーウ |
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■けっちあぶり
けっちあぶりのコンコン こちばじっちゃさ こちばばっちゃさ じっちゃど ばっちゃさ 飲んませろ |
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■ねねこんこよーよ
ねねこんこ よーよ ねればねずみに 引がれるしよ 起ぎれば夜鷹にさらわれるよーよ |
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■おら家のつぼめの
おら家の つぼめの大石は あだりは張り紙 中がごだ ねんねこ ねんねこ ねんねこや ねんねこ ねんねこ ねんねこせ |
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■こぼしこやまの
こぼしこやまの 白犬こ 一匹吠えれば 皆吠える 寝ればねずみに 引かれるし 起きれば おたかに さらわれる おれのめごのじょぺどさ 誰かまた 誰もかまわねども 一人して泣く |
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■ねんねんころちゃこ
ねんねんころちゃこ ねんころちゃこ よーよ ねんねの 子守りは 何処さ行た あの山越えで 里越えで 里の土産に 何もらた でんでん太鼓に 笙の笛 |
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■ねんねこねんねこや
ねんねこ ねんねこや ねんねこ ねんねこやーや おら家の めんちょこどさ だれぁ かまた とんとん隣の 竹松かまたでろ 泣げば なば食せる 泣がねば 砂糖食せる |
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■からすぁかあてば
からすぁかあてば 勘三郎 とんびぁぴいてば くまどの鉦ただき 鉦ぁねえて つんもどて から竹三本 見つけて じゃくじゃくと 割ったれば 赤い小袖十二ひろ 白い小袖十二ひろ 太郎ぼに着せれば 次郎ぼがうらみる 次郎ぼに着せれば 太郎ぼがうらみる 向かいのあねこに着せて 花帯させて 花笠かぶせて どこまで送たけゃ 仙台まで送たけゃ 仙台の若殿ぁ 何着て踊たけゃ はかまはいて踊たけゃ はかまの色は 何色に染めだけゃ きく色に染めだけゃ きくえでぁかもさ 油虫ぁくいついで かいでも かいでも 取れねぁえ どんころ背負て けぱたば取れだ |
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■ともだちな
ともだちな ともだちな 花こつみに あでごじゃ どの花こ つみにや かんこ花こ つみによ 一本とってぁ ひっかつぎ 二本とってぁ ひっかつぎ 三本目に 日ぁ暮れで 堂の前さ 宿とって 朝ま起ぎで 見だれば でのような めらしこぁ あしだはいで ちゃはいで 黄金の盃 手に持って あっぱこな あっぱこな 酒三べぁ えでこな えでこな 酒三べぁ 三べぁの盃に 肴ねくて めらんず おらどごの 肴は たかいどこの たけのこ ひくいどこの ふきのこ 井戸ばたの かなすずめ ちりんぱりんと ちとた 何しに ちとた 腹へって ちとた 腹へったら 田作れ 田作るもこうぇし 陸稲作るもこうぇし われも男だら せどせねど あぶらげど とげど 山に生えだ杉の木 ぬぺぽにけずて けずりよも よげぁつ よげぁつぁすずめ いただけゃきつね おさて むじな むじなの へのこや |
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■おら家のはしご
おら家(え)の はしごは 一箇と二箇で 三箇だ 二箇と三箇で 五箇だ 五箇と五箇だば 十(とお)箇だ 十箇ずつ十だば 百箇だ 百箇ずつ十だば 千箇だ 千箇ずつ十だば 万箇だでよーよ おら家の つぼの石(えし)は 籠さ紙張た 石で 風吹げば 飛ぶじゃよーよ |
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長者の家で娘に賢い婿を探すために、婿の候補者に難問を出すことにした。それは、無数に置かれたはしごの数を当て、さらに大石を持ち上げることを求めた問題だった。ある若者が、子守娘によるこの唄によって、難問を解き、めでたく長者の婿になった――という昔話がもとになっている。子どもはこの唄を聞くうちに、自然と数の数え方、足し算や掛け算まで覚えることができた。 | |
■守り子唄 | |
■岩谷の子守唄
一に こうぇのは こもりの やぐだ 二に にがこを だませど おっしゃる だませど おっしゃる 三に しゃべられで 四に しかられで 五に ごぎさら あらえど おっしゃる あらえど おっしゃる 六に ろぐだもの くわせも さねで 七に しめしこ あらえど おっしやる あらえど おっしゃる 八に はられで 九に くらされで 十に とっちり こもりこ やめろ こもりこ やめろ |
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■一につらいこと
一に つらいこと 子守りの役目 二に にが子を 負とおっしゃる 三に さべられで 四に しかられで 五に ごんごと あたまをはられ 六に ろくたもの ひとくち食ひね 七に しみしなど 洗えとおっしゃる 八に はられて 涙でくらす 九に 苦して わが身をやつす 十に とうとう 子守りをやめろ |
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■一にこわいのは
一に こわいのは子守り役だ 子守りの役だ 二に にらめられ 三に さべられて 三にさべられて 四に しかめられ 五に ごしゃがれる 五に ごしゃがれる 六に ろくだ物着せるもさせね 着せるもさせね 七に しみこし洗えとおっしゃるし 洗えとおっしゃるし 八に はき物もはかせもさせね はかせもさせね 九に 苦をして涙ここぼし 涙ここぼし 十に とど来えば いどまこもらて行ぐ いどまこもらて行ぐ うそだらえてみれ お山の釜たき子 煙こあがて見る 啼くなにわとり まだ夜が明けぬ まだ夜が明けぬ ましてお寺の鐘も鳴る 鐘も鳴る |
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■わらべ唄 | |
■上見れば虫コ 上見れば 虫コ 中見れば 綿コ 下見れば 雪コ |
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■ほたるこい
ほ ほ ほたるこい あっちの水はにがいぞ こっちの水はあまいぞ ほ ほ ほたるこい ほ ほ 山道こい ほたるのおとさん 金持ちだ どうりで おしりがぴかぴかだ ほ ほ ほたるこい 山道こい 昼間は くさばの露のかげ 夜は ぼんぼんたかぢょうちん 天じく あがりしたれば つんばくろに さらわれべ ほ ほ ほたるこい あっちの水はにがいぞ ほ ほ ほたるこい こっちの水はあまいぞ ほ ほ ほたるこい 山道こい あんどの光を ちょと見てこい ほ ほ ほたるこい ほ ほ 山道こい ほ ほ ほ ほ ほ ほ ほ . 昔は日本の農村の川にはどこにでも蛍(ホタル)がいました。夏の夕暮れ、うちわや笹の葉を持ってこの歌を歌いながら蛍を追いかける子どもの姿が見られました。身近にいたはずの虫や動植物を再び子どもたちのもとに取り戻したいものです。この歌はわらべ歌を元にした児童合唱曲として世界に紹介され、ヨーロッパの少年合唱団などが日本語で美しく歌っています。 |
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■鹿角の手毬歌 | |
■一かけ二かけ
一かけ二かけ三かけて 四かけて五かけて橋をかけ 橋の欄干腰をかけ 遥かに向こうをながむれば 十七八のねえさんが 花や線香手に持って 鉄砲でうたれた父親の お墓まいりいたします お墓の前で手を合わせ 南無釈迦 加無釈迦 ジャンケンポン ■一にたちばな 一にたちばな 二にかきつばた 三に下り藤 四にシシ牡丹 五つい山の千本桜 六つ紫色よく染めて 七つナンテン 八つ八重桜 九つ紺屋で振袖そめて 十で徳川あおいのご紋 ■毬つき歌 いちれつ談判破裂して 日露戦争始まった さっさと逃げるは ロシヤの兵 死んでもつくすは 日本の兵 五万の兵を引きつれて ハルピンまでも攻めよせて 六人残してみなごろし 七月八日の戦いに クロパトキンの首をとり 東郷元帥万々歳 ■ 一れつ談判破裂して 日露戦争始まった さっさと逃げるは ロシヤの兵 死んでもつくすは 日本の兵 五万の兵を引き連れて 六人残して皆殺し 七月八日の戦いに ハルピンまでも攻めよせて クロパトキンの首を取り 東郷元帥 万々歳 ■ いごせん きせん ごろくせんの 花は 糸より細い 細けりゃ うばよ やなぎの 下に 石だれ つんで (くるっと廻って) まずまず一貫 貸しました ■ おらえのおどさん どこおでえる 秋田の久保田さ のの(布)買いに だれに着せるて のの買いに おじょこに着せるて のの買いに おじょこ着るよな ののならば 裾に紅つけ 紅形に 梅にうぐえす(鶯) うら雀 まづまづ一貫 貸しました ■ たんたん太鼓 豆太鼓 油のしょうがんとってもこい 向かい山コの 白百合コ お花が咲いたか 咲かねか わしゃ知らぬ 向かい山コの 朝鮮花コ 咲いたか 咲かねか わしゃ知らぬ とってもこい 向こうの姉ちゃ まず一貫貸しました ■ おゝばら はらよ たけのなか ひとつか ふたつか みーつか むすめだち ようつで よろこび いつだち むいろ なゝだち やいろ こゝのだち一丁 ■ 一もんめ ぶんぞぶんぞ ニもんめ はけはけ 三もんめ しおなめしおなぁめ 四もんめ おんがめおんがぁめ 五もんめ なわなれなわなぁれ 六もんめ 髪ゆれ髪ゆぅれ 七もんめ びんつけびんつぃけ 八もんめ びんとれびんとぅれ 九もんめ もとまげもとまぁげ 十もんめ かつ山かつ山 十ぽにほがす ■えんじょさま えんじょさまドン さいさまドン ひのみやドンドン どど神様のお祭り ここは舟場の 盛りはドン ひーや ふーや みっつ よん いつ むう なんな や ここのつ とお 一つかしました おゝさむらい しゅうは おかごで おともで ちょいと はやして えんじょさまドン さえさまドン ■ エジョさまどん サエサマどん しのびはどん どんどこえ どんどがみさんまの ここは舟場の盛りはどん ヒーヤ・フヤ・ミッツ・ヨン イツ・ムー・ナンナ・ヤ ココノツ・トウ 一つ貸しました おおさむらい衆は お駕籠で お供で ちょいと はやして えじょさまどん さえさまどん ■ えぞはえぞまき えぞさまどん さえさまどん しのびはどん どんどこえ どのかみさんまの こゝはふなばの さかりはドン ひーや ふーや みっつ よん いつ むー なんなや こゝのつ とー 一つ貸しました おゝさむらいしゅうは おかごで おともで ちょいとはやして えぞさまどん さえさまどん ■八幡長者の小娘コ 八幡長者の 小娘こは てどよく しなよく 姿よし 知るも 知らぬも あうみちを 歩んべ あんべと 誘われて おじょめこ きくやの おふりこ 年もゆかねで 長吉どつれて 長吉もった子は 男の子ども 江戸へのぼらせ 学問させて 江戸で一番 大坂で二番よ 佐賀で三番 吉原で四番よ まずまず一貫かしました ■こっきりこっきり こっきり こっきり こにやぶは どこでうたれた はしば街道で 打たれた 打たれた はしば街道の 茶屋の娘か にほんてじょから きっこれた きっこれた きっこのすみから 大水ァ出てきた おまん小袖コ 流した 流した ■おじょめこ おじょめこ きくやのおふりこ 年もゆかねで 長吉どつれて 長吉もった子は 男の子ども 江戸へのぼらせて 学問させて 江戸で一番 大坂で二番 三番めの 吉原女郎衆 だておとこ だておなご まずまず 一貫かしました かしました ■二月三日花ざかり 二月三日 花ざかり ウグエス鳴いた 春の日に 楽しいときの ゆめのうち 五月六月 実がなれば 枝から振るい 落とされて 近所の町へ 持ち出され 何升何合 計り売り もとよりすっぱい この体 塩に染まって からくなり 七月八月 あつい頃 三日三晩 土用干し 思えばつらい ことばかり まして戦の その時は なくてはならぬ この私 ■春の野 春の野 下草踏み分けて 東に西に 南飛ぶ毬の ここかしこ うたれしうちに ともどもに かつまけ たのしさよ たのしさよ ■向こう通るは 向こう通るは 向こう通るは 仙太じゃないか 鉄砲かついで 小脇差さして どこさお出ァると 問いきけば 雉のお山さ 雉撃ちに 雉はケンケン 鳴くばかり ちょってお出ァて お茶上がれ お茶もしん茶も まいれども ここの小娘さ とんと惚れた ほれたならば 親に十貫子に五貫 ましてしゅうとめにゃ四十五貫 四十五貫のぜに金で 高い豆買って 何さ積む 船さ積む 船は何故ぶね 関東船 関東みやげに 玉手箱 あけてみたれば 何入(ヒ)ってら 金(キン)が入ってら 金でないもの かねだかおひなか 鼻血たらして ソッキァコダ ■ 向こう通るは 生徒じゃないか 一日休まず 雪降る日も 雨の降る日も 風吹く日にも ついぞ一日 遅参をせずに 今じゃ生徒の 方一番よ それというのも 常平ぜいに 寝ても起きても 我が儘いわず 外に教師の 諭しを受けて 習い覚えし 修身行儀 親の名まで 世間で誉める あやかりな あやかりな ■かいりょうざん かいりょうざんは 霧深し はるかにきこえる ものの音 なかなかなみ子は いうものか のーぼる朝日の 旗立てて はためくはたは きらきらきら ■一番はじめは 一はじめに一の宮 二は日光東照宮 三は桜の吉野山 四は信濃の善光寺 五つ出雲の大社 六つは村々地蔵さん 七つは成田の不動さん 八つは山田の八幡宮 九つ高野の弘法さん 十は東京終列車 十一浪子の墓参り 十二二の宮金次郎 十三さかたの金時さん 十四四国の金比羅さん 十五御殿の八重桜 十六ロシヤ大戦争 十七七士鐘が鳴る 十八浜辺のシロウサギ 十九楠木正成 二十は日本でバンバンザイ ■ 一は始めは一の宮 二は日光東照宮 三は桜の吉野山 四は信濃の善光寺 五つ出雲の大社 六つ村々地蔵さん 七つ成田の不動さん 八つ山田の八幡さん 九つ高野の弘法さん 十は東京急列車 これ程心願かけたのに 浪子の病気は治らない ゴーゴーゴーゴー鳴る汽車は 浪子と武雄の生き別れ 二度と会えない汽車の窓 泣いて血を吐くホトトギス ■オンパラハラヨ おんぱらはらよ、たけの中に ヒトシカ フタシカ ミーシカ むすめだち ヨーシカ よろこび イツダチ ムイロ ナナダチ ヤイロ ココノダチ 一丁 ■いちもんめ イチモンメ ブドブドウ ニイモンメ ハケハケ サンモンメ シオナメシオナメ シイモンメ オガメオガメ ゴウモンメ 縄なれ縄なれ ロクモンメ 髪結い髪結い シチモンメ ビンツケビンツケ ハチモンメ びんだしびんだし キュウモメ もとどれもとどれ ジュウモメ 引きよせ引きよせ ■あんたがたどこさ あんたがたどこさ ひごさ ひごどこさ くまもとさ くまもとどこさ せんばさ せんばやまには 狸がおってさ されさ猟師が 鉄砲をうッてさ にてさ やいてさ くってさ それをこの葉に ちょういと おっかくせ |
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■鹿角の子守歌 | |
■赤貝赤貝
わしらは水もの しょばら生まれ 赤貝赤貝 スズミやスズミ貝 おばさんもしごきげんさん 毎度大きに有がとう 赤貝安い買こうてくれ 今は仕まえゝで 計る桝目には 二しょ三合 おさぁわし娘の おしえちゃん様え しのぶに七年こて四年 お堀七つにごもえびす 酒のもよくお役いて 四十八枚障子明けりゃ くくみの枕に手をかけりゃ 軒端の雀も逆さ落ち 夜明けの烏もなき渡る 四つえの鐘もゴンと鳴る 今夜からあゝのー 明日の晩 ■白犬コ あっちの山の 白犬こ あっちの山の 赤犬こ 一匹吠えればみな吠える ねんねこせ ねんねこせ ■手っ手っ手 手っ手っ手は、幼児が最初におぼえる遊戯歌である。 手っ手っ手 あわわわわ まげまげ あっぷろれぇ ■子守歌 ねんねこ ねんねこ ねんねこや ねったら アッパ(母親)て ひで(連れて)えがな おれの○○子 ねってけろ ねんねこやー ねんねこやー ■ ぼうやもまけずに はやねむれ あれみよお日さん いまねむた かあかあからすや ちゅんちゅん雀 いっしょにねむろと とんでゆく ねむれば楽しい 夢の園 きんぎんさんごの はなが咲く そこにはきれいな 鳥もいて あしたの朝まで 鳴いている ぼうやもまけずに はやねむれ お日さんの目さめる あしたまで |
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■山形 | |
ふたりで刻んだ 夢こけし エンヤコラマカセの 舟唄に ゆれてゆられて 最上川 | |
■寝させ唄 | |
■エンヤマッカゴエン
エンヤマッカゴエン エンヤマッカゴエン おら家の愛児は じょこたまやー ねんねろや ねんねろや 酒田さ行ぐさげ まめでろやー エンヤマッカゴエン エンヤマッカゴエン 酒田みやげにゃ なによかろ エンヤマッカゴエン エンヤマッカゴエン 大っきな瓶こに 砂糖いっぺぇ エンヤマッカゴエン エンヤマッカゴエン 桃買って来い 飴買って来い エンヤマッカゴエン エンヤマッカゴエン 酒田みやげにゃ なによかろ エンヤマッカゴエン エンヤマッカゴエン 草履こど下駄こど そりゃみやげ エンヤマッカゴエン エンヤマッカゴエン 桃買って来い 飴買って来い エンヤマッカゴエン エンヤマッカゴエン |
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■せんどのやんま
ねろねろ ねろねろ ねろねろやードー せんどのやんまの どんころはードー 紙ではったる どんころで 転んで来たどて どでんするなーエー ねんねろやードー ねんねろ ねんねろ ねんねろやードー 干刈どもでの 畔くろぬるにゃ 朝まにけずって 昼つけて からすの夜あがり みて撫でろ ねんねろやードー ねんねろ ねんねろ ねんねろやードー 一丁と二丁なら 三丁だべぁなードー 三丁と七丁で 十とお丁だべぁなードー 十丁ずつ十なら 百丁だべぁなードー ねんねろやードー |
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■山形地方の子守歌
おら家の おぼこば 誰泣かせた 誰も泣かせぬげんど おとりで泣いだんだ ねろねろや ほらほらや オワイヤレ オワイヤレヤ ねんねこっこ ねんねこっこや |
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■村山地方の子守歌
ねろねろや おんねろねろや ねむると ねずみに まんじゅうもらう 起ぎると おぎづに さらわれる ねろねろ ねろねろ ねろねろやー |
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■赤湯地方の子守歌
オワイヤ オワイヤ オワイヤレヤレ 寝っど ねずみにひかれんぞ 起きっど 夜鷹にさらわれる オワイヤ オワイヤ オワイヤレヤレ |
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■おら家の子守りっ子
おら家の子守りっこは どさ行ったべ あら町横町さ ぼち買いに おまえに来るから 寝て待ちろ オーワイ オーワイ ねたいどねずみに ひかれるし 起きるとお鷹に さらわれる オーワイ オーワイ |
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■白鷹地方の子守歌
オンバエヤレ オンバエヤレ オンバエヤレヤー オロロンバエ オロロンバエ オロロンバエヤー オンバエココ オンバエココ オンバエココヤー 泣がねで ねんねんここ しろよ 泣ぐじど 夜鷹にさるわれんぞ 泣がねで ねんねここ ねんねんここよ ねねんここしろう ねねんこ しろよ |
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■裏の裏のじさの木さ
裏の裏の じさの木さ すずめが三匹 とまった 一羽のすずめが 言うことにゃ むしろ三枚 ござ三枚 六枚屏風を たてまわし ゆうべござった 花嫁が ぽろりぽろりと 泣きやんす おらが弟の千松は 七つ八つから 金山へ 金は出ぬやら 死んだやら 一年たっても まだこない 二年たっても まだこない 三年三月に 状がきた 誰に来えどの 状がきた おせんに来えどの 状がきた おせんはまだまだ やられない 衣装の一つも 着せてから 帯の一つも させてから 裏の小寺に まいらせて 衣装の小棲に 血がついた 血でもないのに 血だ血だと ゆんべ化粧した 紅だもの 紅だもの |
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■ねんねんやお守りや
ねんねんやお守りや ねんねん お守りやーや 虚空蔵のお祭りに 帯買いにーに 帯は七尺 値は五百ーく 八丈の帯買って 誰にさせるーる おせんにさせらせで 遊ばせるーる 遊ばせながらも 泣きながらーら ねんねんや お守りや ねんねん お守りやーや |
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■ねんねろや
ねろねろや ねろねろや おら家の みよさんば 誰かむった ねろねろや ねろねろや |
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■小国郷の子守歌
やんまのえりの おいのこは 一匹 吠えるずど みな吠える ねろねろや |
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■ねんねこせ
ねんねこせ ねんねこせ ねんねのおさとは どさ行った あの山こえて 里こえて おさとのお土産 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 ねろてばよ ねろてばよ ねろてばねないのか このやっこ |
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■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな あの山こえて 里こえて 花のお江戸に のりこえて 坊やの土産 なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 ねんねこや |
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■守り子唄 | |
■子守りくどき
一にゃこわいもの 子守りの役よ 二にゃ憎まれて 三にゃ叫ばれて 四にゃ叱られて 五にゃ怒がれて 六にゃろくだものも 着せられしねでよ 七にゃしめしなの 洗わせられてよ 八にゃはられて 九にゃくどかれて 十にゃじゅんぶぐ あきはてたよ ねんねろやー ねんねろやー |
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■小国地方の子守歌 1
子守り娘は 楽なようでつらいもんだな 他人の軒端に 立ち寄れば やがましいがら そっちゃ行げど叱られる ねんねこせー ねんこせー |
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■小国地方の子守歌 2
やんやん山形の 弥兵衛母さは おぼこ産すどて 蕪産した お父っつぁんに見せねで 煮で食べた よーい よい |
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■わらべ唄 | |
■凧上げ
風の三郎ア 背病(ヘヤミ)みだ お陽(ヒ)さま まめだ カラカラ風 吹け吹け |
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■子守唄
ねんねん、ころころ、ねんころや、 寝ないと鼠に引かれんべ おきると夜鷹にさらわれる |
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■福島 | |
塩屋の岬 見えぬ心を 照らしておくれ ひとりぼっちに しないでおくれ 海をみてると勇気が出るの 逢えないつらさ こらえて生きる 私と歌おう 塩屋の灯り 北は磐梯 南は湖水 中に浮き立つエーマタ 翁島 須坂ばんだい東山 愛の別れが霧となる 若い二人の福島は 忘れられない恋ばかり |
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■遊ばせ唄 | |
■お月さまいくつ
お月さまいくつ 十三七つ まだ年ゃ若いな いばらのかげで ねんねんこんこなして おまんにおぶせよか おせんにおぶせよか おまんにおぶせて 油買いやったらば 油屋の前で 油一升こぼした その油どこやった 犬めがなめた その犬どごいった 太鼓に張りついた ドンドンドン |
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■寝させ唄 | |
■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ 坊やのお守りは どこへ行った あの山越えて 里へ行った 里のお土産 何もろた でんでん太鼓に お笙の笛 |
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■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ ねんころり 坊やはよい子だ ねんねしな あの山越えて 里越えて 里の土産に 何もろた でんでん太鼓や 笙の笛 坊やはよい子だ ねんねしな ねんねんころりよ ねんころり 坊やのお家の 母さんは ころころ小芋で 飴作った 甘いとろりの 飴の味 坊やにあげようか この飴を 坊やは泣かずに ねんねしな ねんねんころりよ ねんころり 坊やのお里の お祭は どんどん太鼓や 笛の音で お守りの前に 立つ幟 坊やに見せようか 獅子の舞 坊やはよい子だ ねんねしな |
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■ねんねんこんころ
ねんねんこんころ おとの守り おとの守り子は どこに行った 小浜の町に 帯買いに 帯は七丈 値は八十 八十で高いから おまけなんしょ おまけはならない 一文も おまけの帯買って 誰に締めらせる おらいのややちゃんに 締めらせる |
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■おいらのややは
おらいのややは どこさ行ったべ 小浜のお町に 帯買いに 帯を買ってきて 誰に締めらせる おらいのややに 締めらせる 締めらせで遊ばせで ねんねさせ ほんじゃからねんねして こんこしな |
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■ほらねろほらねろ
ほらねろほらねろ ほらねろやや ねんねろねんねろ よぐねろやや ねないずど鼠に ひかれるぞ 起ぎるどお鷹に さらわれる したがらよぐねろ ねんねろやや 赤いまんまに およかげで さくりさくりと くれんべな ねんねろねんねろ よぐねろやや |
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■ほらよいほらよい
ほらよいほらよい ほらよいやァ 坊やはよい子だ ねんこしろ ねんこして起きたら 何やんべ 赤いまんまに ととかけて おさくりさくりと 食わせましょう ほらよいほらよい ほらよいや ほらよいほらよい ほらよいやァ 泣くな泣かすな 雉の子 泣くとお鷹に さらわれる 泣かねと おかが抱いて寝る ほらよいほらよい ほらよいや ほらよいほらよい ほらよいやァ 守り子て楽なようで こわいもんだね 雨風吹いても 宿はない ひとの軒端に 立ち寄れば 犬に吠えられ 子に泣かれ 早くに師走の 二十四日 娘来たかと いわれたい ほらよい ほらよいや |
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■ねんねんねた子に
ねんねんねた子に 何やろか 赤いまんまに ととかけて おさくりさくりと 進ぜましょう |
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■おらどごのややは
おらどごのやィやは ねんねしねが ねんねしたらば 何をやろ 赤いまんまに ととかけて さくりさくりと 食わせましょう 守り子ちゃ楽なようで こわいもんだ ひとの軒端に 立ち寄れば 犬に吠えられ 子に泣がれ |
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■ねんねをして
ねんねをして 起ぎだらば 赤いまんまさ およかげで そろりごそりと 進ぜましょう ほんじゃがら泣がねで ねんねしな おがごはこのたび どごさ行ったんべ 柳の下さ およ釣りに 誰ごにくれるのに 釣ってござった おがごにくれるのに 釣ってござった おがごはいねもの 死んだもの 死んで七日の 墓参り 墓へ行って 見だらば 桔梗の花が 咲いていた |
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■ねんねこぼこちゃん
ねんねこぼこちゃん 亀の子ぼこちゃん それがのっぺらぽう のっぺらぽうさ嫁とって なじゃおん出した おん出す間もなぐ 子ができた その子育でで 嫁にやる 嫁の仕事は何仕事 糸取り機織りごぜんたき それがいやなら 出でもいんぎゃがれ 出では行くが 見ちゃおれぬ お宮の前まで 送りましょう お宮の前で泣ぐ鳥は 恋しや恋しや籠の鳥 籠の土産に何もろた でんでん太鼓に笙の笛 起きゃがり小法師に 犬張子 たたいてきかすに ねんねしな たたいてきかすに ねんねしな |
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■よいよいよこづかの
よいよいよこづかの ぐりぐり乙女 早く大きくなれ 嫁にやる 嫁の仕事は 何仕事 機織り糸取り 御飯たき それもいやなら 出ていぎゃれ 出てもいいげんちょ 道知らぬ お宮の前まで 送りましょう お宮の前で 鳴く鳥は 恋し恋しの 籠の鳥 かごの土産に 何もらった 松の木三本 杉の木三本 合せて六本 根を見れば ねんねんころりよ おころりよ |
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■ねろやねやまの
ねろやねやまの とら猫は 人さえ見れば 食べたがる |
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■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ ねんねのお守りは どこへ行った あの山越えて 里へ行った 里の土産に 何買って来た でんでん太鼓に 笙の笛 起きゃがり達磨に 風車 寝ろてば寝ないのか このがきめ 寝ろてば寝ないのか このがきめ おっかは信太の 白狐 おっかは信太に けえるから ちょうま蜻蛉も 殺すめえし 近所のがぎども ながすなよ あれは狐の 子だからと 世間の人から ゆわれっぞぉ そんじゃがら泣かねで 眠んだぞ |
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■福島の子守唄 1
ねんねこ ねんねこ ねんねこばい ねんねこ ねんねこ ねんねこばい ねんねこ ねんねこ 酒屋ねこ 酒屋がいやなら嫁入らさい 嫁入り道具に何もたしょ たんす長持ちはさみ箱 それだけ持たせてやるならば いっちご帰っちゃこらさんな ねんねこ ねんねこ ねんねこばい ねんねこ ねんねこ ねんねこばい |
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■福島の子守唄 2
ねろてばねろても ねろてばよ 保原のまつりに 帯買いに 金襴緞子(きんらんどん)すの 帯買いに 帯は七尋(ひろ) 値は八十 ねんねんねる子に 買うてやる ねろてば ねろてば ねろてばよう |
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■守り子唄 | |
■ほらやれほらやれ
ほらやれほらやれ ほらほらや おどの守りゃ楽なようで 辛いもんだどな 雨風吹ぐどきゃ 宿はないな ひとの軒端に 立ぢ寄れば 犬に吠えられ この子に泣がれよ 泣がねでねんねん こんこしな |
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■ねんねの子守りは
ねんねんの子守りは 辛いもの ひとには楽だと 思われて おっかさんに叱られ 子に泣かれ 雨風吹いても 宿はなし ひとの軒端で 日を暮らす |
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■守り子なんて 守り子なんて楽なようで ひどいもんだでな 泣げばいじめだなんて ずわれんべしな しょんべんで濡れれば 川でつっぺしたなんて ずわれんべしな 守り子なんて楽なようで ひどいもんだでな 眠ればねくびったなんて ずわれんべしな ぜぇさ帰ればまだはえなんて ずわれんべしな ほんに子守りなんて ひどいもんだでな |
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■ねなねなねなねな
ねなねなねなねな ごうとねなんしょよ 守りほど楽なようで つらいもんなね ひとの軒端に 立ち寄れば やかましいおじさんに 叱られて やさしいおばさんに だまされる そらやいそらやい ごうとねなんしょよ ねなねなねなねな ごうとねなんしょよ ねろってねないのは おさんどんの子 おさんどんに婿とって これはのっぺらぼうのぼう のっぺらぼうにできたその子も これものっぺらぼうのぼう そらねなそらねな ごうとねなんしょよ |
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■ほらほらや
ほらほらやほらほらや 眠れでばハ おどの守りちゃ楽なようで ひどいもんだなハ 泣がねでくどがねで 眠れでばハ ほらほらやほらほらや 眠れでばハ 泣ぐずどおっかはんに おごられるハ 泣がねでくどがねで 眠れでばハ ほらほらやほらほらや 眠れでばハ 泣がねで眠ったら 何くれべハ 飴かお菓子か おかんじょかハ おんだら泣がねで 眠れでばハ |
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■守り子しあきた
守り子しあきた 叱られあきた ウアウア 他人の晩飯も 食いあきた ウアウア ねんねんねやまの おんつぁまは ウアウア かかほしかかほし 何しんだ ウアウア 洗濯させたり まま煮たり ウアウア 夜はぽたぽた 抱いて寝る ウアウア 守りほど楽なようで 辛い商売ね ウアウア ひとの軒端に 立ち寄れば ウアウア 犬めに吠えられ 子に泣がれ ウアウア 雨が降ってきたし 洗濯物ぬれる ウアウア 背中でがきゃ泣く 飯ゃこげる |
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■ねんねんころりや
ねんねんころりや おころりや 守りほど楽なようで 辛いしょうべぇねえ 雨風吹いでも 宿はなし ひとの軒端に 立ち寄れば 犬にゃ吠えられ 子にゃ泣かれ うっつぁしなんどと 追っぱられ 一にゃいじめられ 二に憎まれて 三に騒がれて 四に叱られて 五にはごうごう 泣ぐややを 六でろぐなもの 食わせらんにぇで 七にゃしめしなんど 洗わせられで 八にゃはっとばさっちぇ 流されて 九には悔しくて 悔しくて 十でとうとう 逃げ出した |
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■いぐら泣いでも
いぐら泣いでも この子は憎ぐはね これがおまんまの 種だもの 一にいじめられ 二で憎まれ 三ではしゃべらせらっち 四でしめられ 五にはごろごろ 裸にしられ 六でろぐなもの くわせらんにぇで 七ではしめられ 八ではっとばされ 九では繰りげぇし 口説がっちぇ とうとうこの子は つとめられ つとめられない ことと思い 家に帰って みだならば お爺ちゃんとお婆ちゃんと 火を焚いて とうとうこの子は 泣ぎ泣ぎ 家に帰って しまいました |
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■一でいじめられ
一でいじめられ 二で憎まれ 三で騒がれ 四で叱られ 五でごんごん 子に泣がれ 六でろぐなもの 食わせらんにぇで 七でしめしなんか 洗わせられて 八で初めで なだこぼっちゃ 九できゅうきゅう 逃げで行った 十でとうとう 来ながった |
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■わらべ唄 | |
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■栃木 | |
待てばこの身も渡良瀬の 秋の中 あなただけに身を焦がす 恋紅葉 | |
■寝させ唄 | |
■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 泣くと長持 しょわせるぞ 笑うとわらじを はかせるぞ 寝ないとねずみに ひかせるぞ ねんねんねんこしな ねんこしな 奥のお山の おうさぎは なんでお耳が 長いのか わりの葉 かやの葉 たんと食べ それでお耳が 長いのよ |
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■坊やはよい子だ
ねんねんころりよ ねんこしな 坊やはよい子だ ねんねしな ねんねのお守りは どこへいった あの山越えて 里へいった 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 |
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■あっち向けこっち向け
あっち向け こっち向け 筑波見ろ 筑波の山では 白猫が 足駄をはいて 木登りだ 足駄じゃあぶない じょんじょがいい じょんじょの鼻緒が 切れたなら 赤いかっこを 貸してやる |
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■ねんねこどっちゃん
ねんねこどっちゃん 亀の子どっちゃん ソラ のっぺらぽん のっぺらぽんに育てりゃ もらいとがねえ もらいとがなげれば 一生後家だ 一生後家 二生後家 三生後家 |
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■ねんねん猫のけつ
ねんねん猫のけつ かにがはさんだ あいててこんちくしょう 離しやがれ 父さんとってくれよ まだはさんだ 母さんとってくれよ まだはさんだ |
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■そまつにするな
そまつにするなと 母上の 仰せたまいし この人形 着物を着せて 帯しめて 箱の御殿に 坐らせん 着物はみどり 帯は赤 模様は千鳥に 春の雪 泣くなよ泣くなよ お休みの日に 梅見に 連れて行こう あわけるねずみ じゃれるねこ 坊やの人形 やぶるなよ またも今度の 休みには 村の鎮守の 祭日よ 何を買うて あげようか お前に太鼓を 買ってやろ ねんねんねんねん ねんねしな |
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■お月さんいくつ
お月さんいくつ 十三七つ まだ年ゃ 若いね ねんねを生んで 誰にだかしょ お万にだかしょ お万はどこ行った 油買いさかい 酒屋の前で すべえてころんで 油一升こぼした その油 どうした 白どんの犬と 黒どんの犬が みんななめて しもうた その犬どうした 太鼓になって あっち行っちゃ ドンドコドン こっち行っちゃ ドンドコドン (足利市相生町) |
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■守り子唄 | |
■おともりっちゃ楽なようで
おともりっちゃ楽なようで こわいもんだよ 雨風吹いても 宿がない 人の軒場へ 立ち寄れば おかやんに叱られ 子に泣かれ やれ行げ それ行げ 追い出され おともりっちゃ楽なようで こわいもんだよ |
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■おともりっちゃ楽なよで
おともりゃ楽なよで こわいもんだ 雨風吹いても 宿はなし 人の軒場に 立ち寄れば おかあさんに叱られ 子に泣かれ |
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■おともり子守りは
おともり子守りは つらいもんだよ 雨風吹いても 宿がない ひとんちの軒場に 立ちこもり 犬におえられ 立ちこもり よいよいよい子だ ねんねしな よいよいよい子だ ねんねしな |
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■わらべ歌 | |
■坊さん坊さん
坊(ぼう)さん 坊さん 何処(どこ)行くの わたしは田圃(たんぼ)へ 稲刈りに わたしも一緒に 連れしゃんせ お前が来ると 邪魔になる このかんかん坊主 糞坊主 うしろの正面 誰(だぁれ) (栃木県など) ■ ぼんさん ぼんさん どこいくの あの山越えて 酢ぅ買いに 私も一緒に 連れてって お前ら来たら 邪魔に成る このかんかん坊主 糞坊主 後ろの正面 誰(だぁれ) (大阪) |
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■野菜の数え唄
このところ大分秋めいてきました。五感を働かせながら町を歩くとそこここに秋が忍び寄っているのを感じます。 いつかラジオで聞いたことですが、京都の或る地方ではお月見にサトイモを供える。これは多くの地方でも行われているようですが、特に記憶に残っているのはそこでは茹でたサトイモに竹串で穴を通し、その穴からお月様を見るということでした。満月がうまく見えれば将来素敵な旦那様にめぐりあえるとか、幼児たちにそういったところ「じゃ、男の子はどうなるの?」。……どうなるんでしょうね、男の子は見ないのかしら? 昔はやはり芋といえばサトイモだったのでしょうね、何しろ稲より歴史が古いといいますから……。そういえば野菜の数え歌でも始めは芋から始まるものが多いようです。 芋 芋人参 芋人参山椒 芋人参山椒紫蘇 芋人参山椒紫蘇牛蒡 芋人参山椒紫蘇牛蒡麦 芋人参山椒紫蘇牛蒡麦茄子 芋人参山椒紫蘇牛蒡麦茄子蓮 芋人参山椒紫蘇牛蒡麦茄子蓮栗 芋人参山椒紫蘇牛蒡麦茄子蓮栗唐茄子 一ちょで 二ちょで 三ちょで ホイ というのがあります。これは栃木県の、手鞠歌として記録されています。 これを見て、また他の数え歌に思いを馳せて解かることは、日本語の数の数え方の豊かさです。いちにいさんしごおろくしちはちくうじゅう、ヒトツフタツミッツヨッツイツツムッツナナツヤッツココノツトオ、ひいふうみいよおいつむうななやあこのとお……。この頭を縦横に駆使して面白く数え歌を作っているのです。また、ひとよひとよに……、ふじさんろくにおおむなく、などむずかしいルートなどの記憶も助けています。ひいふうみいよおという数え方は日本の文化ですから私は幼児期には必修と考えていますが、残念なことにほとんどの幼児はイチニイサンシイという無味乾燥な数え方しかしていません。あと50年もしたら日本の文化の一部は消えるかもしれない。たかが数え方、でもされど数え方なんですが…ね。 さて前記の歌に戻って、もしこれを日本語を知らない外国の人が覚えようと思ったら大変です。始めの一小節目は二拍子、次の一小節は三拍子、次には2拍子が2小節来てまた3拍子、次に2拍子が1回、というように拍子の表記が変わります。私達日本人は楽譜なんぞに頼らず、言葉が増えていく面白さで覚えきってしまえるのです。子供たちが成長しクラシック音楽に親しみ始めて、外国の変拍子の多い曲に戸惑うことが良くありますが、そのとき私は小さいとき歌ったこういう歌を楽譜で見せます。 「どの国の音楽もわらべうたにはこういう形が多い。きっとこの作曲家も小さいときの体験、そして母国語からこの音楽は出てきたに違いない」というとわが身に置き換えて理解しやすくなるようです(もしかして、始めに言葉ありきといったのはこのことだったのかも?)。 この歌はとうきょうもんの私の歌ではありませんが、言葉の面白さ、拍子の面白さ、そしてクライマックスに到達する興奮が私を捉えました。クライマックスはね、普通に唐茄子まで歌ったらもう一回始めから唐茄子まで息もつかずに猛スピードで歌って最後に一ちょで二ちょで三ちょでホイとしめなければいけないのです。手鞠歌ですからそこまで続いてつけなければいけないし、スピードに狂わされてもいけない、相当の集中力を要します。 |
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■日光東照宮の伝説
実は日光東照宮には、あまり注目されていない「伝説」があるのです。この伝説は、あまりにも内容が壮絶で現実味を帯びており、このことが噂となってテレビの某人気番組でも取り上げられたことがあります。そのテレビの番組名とは「徳川埋蔵金のありかの真実」と言う名の番組名です。 ■徳川埋蔵金は「豊臣埋蔵金」 徳川政権の前の政権と言えば、豊臣秀吉が主役となった豊臣政権です。 豊臣秀吉は莫大な金銀を採掘していることでも有名で、その資産価値は徳川埋蔵金の金額をケタ違いに凌ぐとまで言われています。 一説によると、その額は、現在の紙幣価値になおすと・・なんと! 200兆円にものぼるそうです。 秀吉の生前時代から、家康は、密かに豊臣家の資産を調査していたと言います。やがて秀吉が没したのち、家康は豊臣家の資産に、手を伸ばしはじめます。家康は、秀吉の去った豊臣家に無理難題を言いかけ、豊臣家の財産を徐々に利用しました。すなわち、この頃から家康は、自らの財布の紐を緩めることはなく、そのほとんどを豊臣家の財産で補ったといいます。そして、その後に勃発した関ヶ原の戦いにおいて、家康は見事、勝利を治め、天下人となります。 天下をとった家康は、家臣や協力してくれた大名たちに恩賞を与えることが急務でした。そこで家康がまず目に付けたのが、秀吉の埋蔵金であったと言います。その後、実際に家康が豊臣秀吉が残したとされる「200兆円」もの埋蔵金を手に入れたのかは不明です。しかし、もしも家康が秀吉の残した豊臣埋蔵金を手に入れていたとしたら、その莫大な埋蔵金が、まだ必ずどこかに眠っているハズなのです。 ■徳川埋蔵金は本当に実在した 徳川家康が残した埋蔵金は、一説では想定で400万両、現在の価値で3800億と云われています。そして、その埋蔵金が、どこに隠されているかが話題を呼んでいます。伝説によると、すでにこの埋蔵金のありかは判明されているらしいのです。 埋蔵金の隠し方には特徴があり、3カ所に分けて埋蔵されていると言われています。そのうちの2カ所はダミーとされていて、少額の埋蔵金が隠されており、残りの1カ所に、徳川埋蔵金が隠されていると言います。しかし、埋蔵金の調査には、莫大な資金が必要であるのと、埋蔵金の場所を特定してもアチラこちらと簡単に掘れるワケではありません。したがって現在でも、いまだ謎と言うヴェールに包まれたままになっています。 ■「かごめ、かごめ」が徳川埋蔵金のありかを示す 実は、わらべ歌の「かごめかごめ」の中で、徳川埋蔵金のありかを歌っているという説があるのです。この歌は、江戸時代の初頭には、すでに一般的に歌われていたらしく、江戸時代の文献にもその記録が残っていると言います。そして、以下の歌詞は、あなたもよく知っている「かごめかごめ」の歌詞の一部です。 「か〜ごめ、か〜ごめ、(カァ!) か〜ごのな〜かのぉ、とぉりぃ〜は、(カァ!)い〜つ、い〜つ、出ぇや〜る(カァ!)」 「よあ〜け〜のば〜んに、(ほぃ!)つ〜ると、か〜めがす〜べぇ〜た、(ふぅ) 後ろの正面だぁ〜れぇ(カァ!..カツ丼食べたい)」 これは「かごめかごめの歌詞」なのですが、この中に答えがあると言われています。では、この「かごめ、かごめ」の歌を、もう少し詳しく見てみましょう。実は、この歌は「陰と陽を示している」と言います。さらに以下のような意味合いになると言います。 「籠の中」「出やる」とは、「とらわれの身」と「開放」 「夜明け」「晩」は、「昼と夜」 「鶴」と「亀」は、「天と地」 「出る」と「滑る」は、「成功と失敗」 「後ろ」と「正面」は、「徳川家の成功と失敗」 「かごめ」は「六芒星」を意味 つまり、これらの歌の中の歌詞が指し示す意味をまとめてみると、以下のような事実が浮かび上がってきます。 徳川幕府が建てた主な寺院を、六芒星で結ぶと、その中心に「日光東照宮」がくる。そうなると「籠の中の鳥」は「日光東照宮の鳥居」を指している。 さらに「夜明けの晩に 鶴と亀が滑った」という箇所は、日光東照宮には、たしかに鶴と亀の像があります。そして、「夜明けの晩」を「朝方」として言いかえて考えていくと・・ 「日光東照宮の”鶴・亀の像”が朝日を浴びて、できたの影の延長線上の交点の地下に何かが眠っている」と、言う解釈が可能になります。 |
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■渡した受け取った
渡した受け取った もっとも大事な 娘の子 唐糸三本に 針三本 向こう河原の ハナコさんに 渡したいの 民謡調でとっても歌いにくいし、休符とかもあり音をカタカナで書けません。紙風船をついている間みんなで歌い、「ハナコさんに」のところを次に渡すこの名前を入れて歌い終わりに渡し、次の子は続けてつくので、またみんなで歌うという遊びです。 4人で実際に遊んでみましたが、人によって風船のつく速さが違い、そのため歌う速度を変わるのが面白かったです。また私のようないじわるさんは、わざと早く歌ってつくこに合わせさせるようなことをしたりして、そんな風に子どもたちも遊んだのかな〜と思いました。 |
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■えんやら もものき
えんやら もものき ももがなったら だれにやろ おっかさんに あげよか? おきくさんに あげよか? だーれに あげよか? しぐさあそびです。背中に子どもを横にして背負い揺すりながら歌ったり、向かい合った二人が手をつなぎその上に子どもを乗せてうたう。 もと関東一帯のわらべうたのようです。 桃が生ったら「食うぞ」(宮城)とか「じいとばんばに食(か)せる」(山形) 「太郎と次郎と半分こ」(栃木)などあるそうです。 桃の季節にたわわに実る木を喜ぶうたでしょう。”あっかとばい”では1歳から子どもをだっこして又は、横にして腰をふりながらあそびます。子どもも4歳ぐらいになると重くなるので、この横ふり遊びは母親に負担にならないでしょう。子どもはゆすられると、楽しくて大はしゃぎです。 |
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■さよなら三角 いろはに金平糖 金平糖は甘い 甘いは砂糖 砂糖は白い 白いはウサギ ウサギは跳ねる 跳ねるはノミ ノミは赤い 赤いはホウズキ ホウズキは鳴る 鳴るはオナラ オナラは臭い 臭いはウンコ ウンコは黄色い 黄色いはバナナ バナナは高い 高いは電気 電気は光る 光るはオジヤンのはげ頭 ■ でぶでぶでぶ百巻でぶ 車にひかれてぺっちゃんこ ぺっちゃんこはせんんべい せんべいは丸い 丸いはボール ボールは跳ねる 跳ねるは蛙 蛙は青い 青いうは柳 柳は揺れる 揺れるは幽霊 幽霊は消える 消えるは電気 電気は光る 光はおや味の禿げ頭 |
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■清水の観音様
清水の観音様に 雀が三疋とまった その雀が 蜂(はアち)にさされて あいたた ブンブン あいたた ブンブン まずまず一貫 貸し申した (足利地方で歌われたそうです) |
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■渡良瀬川
渡良瀬川は 利根川の支流。日光市足尾町から草木ダムを経て、群馬・栃木の県境を流れて渡良瀬遊水地に入り、古河市と加須市の境界で利根川に合流する。一般に 神子内川との合流部から下流が渡良瀬川で、上流は松木川と呼ばれていたが、国土交通省では 1965年以降、足尾ダムから下流をすべて渡良瀬川とし、足尾ダム上流部を松木川としている。 伝承によれば、奈良時代の終わり頃 日光を開山した勝道上人がこの川を渡ろうとしたところ、浅瀬を見つけて その場所を“渡良瀬”と名づけ、その地名から“渡良瀬川”となったいう。その場所がわたらせ渓谷鉄道の足尾駅付近であったとされる。 足尾銅山は 江戸時代初期から採掘が開始され、1877(明治10)年に古河市兵衛が近代化をはかって 全国有数の銅山となり、古河鉱業(現・古河機械金属)は 現在の古河グループに至る事業の基盤を作った。「古河掛水倶楽部」は、1899(明治32)年に古河鉱業が 賓客の接待用に建てた迎賓館で、旧館は国の有形文化財に指定されている。 余談だが「銅山電話資料館」は、足尾銅山の施設内で使用された電話の交換機が置かれた施設。1876(明治9)年にグラハム・ベルが電話機を発明した10年後の 1886(明治19)年に足尾銅山に導入され、民間企業が導入した電話としては国内最初であった。明治40年時点で100回線に達しており、事務所・坑内をはじめ、足尾の町役場や駅にまで通話することができたという。1965(昭和40)年に手動交換機から自動交換機に入れ替えられたが、この施設は 2000(平成12)年に現役を引退するまで使用された。 |
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■群馬 | |
泣いているよな雨音きけば 思い切ない三度笠 ああ赤城悲しや 里ごころ 酒でぬくめて 唄うのよ ああここは前橋 なぜかこの唄 前橋ブルース |
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■遊ばせ唄 | |
■かいぐりかいぐり
かいぐり かいぐり とっとの目 しゃんしゃん アッパパ |
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■お獅子の子は
お獅子の子は 生れて落ちると頭を振る でん でん でん |
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■水沢どんどん
水沢どんどん かけ流し 腹の真ん中へ 帯しめて お茶屋の真ん中へ 腰ょかけて ほっぺたはたけば あかくなる やや餅ゃ どんどこどん |
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■のんのさんいくつ
のんのさんいくつ 十三七つ 七つの年に 赤子を生んで この子を生んで だれにだがしょ おまんにだかしょ おまんはどこいった 油買い茶買い 油屋の縁で すべってころんで 油一升こぼした その油どうした 太郎どんの犬と 次郎どんの犬が みんな なめてしまった その犬どうした ぼっころして しまった その皮どうした 太鼓に張って しまった その太鼓どうした あっちい向いちゃ どんどこどん こっちい向いちゃ どんどこどん そのあとどうした つんもしてしまった |
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■寝させ唄 | |
■ねんねこぼっち
ねんねこぼっち かんかかぼっち ようばい どうしんぼう 与兵衛さんが嫁とって おん出したとさ なぜにおん出すよな嫁とった とらなきゃ一生後家 つらいものよ |
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■ねんねんねころげて
ねんねんねころげて がにがはいこんだ 一匹だと思ったら 二匹はいこんだ 二匹だと思ったら 三匹はいこんだ 三匹だと思ったら 四匹はいこんだ 四匹だと思ったら 五匹はいこんだ 母ちゃんがたまげて お茶かけた |
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■ねんねこねんねこ
ねんねこ ねんねこ ねんねこや ねんねがお守りは どこへ行った あの山越えて この山越えて 里に行った 里のおみやに なにもらった でんでん太鼓に 笙の笛 その笛吹いたら ねんねしな ほらよい ほらよい ほらよいよ |
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■ねんねんね山の
ねんねんね山の 白ねこが あしだをはいて おりてくる あしだじゃあぶない じょんじょがいい じょんじょの鼻緒が 切れたなら 赤い鼻緒で たててやれ 白い鼻緒で たててやれ ねんねん ねんころ ねんころりん |
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■ねんねんよかんかんよ
ねんねんよ かんかんよ 嬢やはよい子よ ねんねしな ねんねして起きれば おちちやろ おちちのおでばが いやならば お米のご飯に ととせえて さらさら食べたら うまいだろ 嬢やのお守りは どこへ行った 八島の宿屋へ あんも買いに あんもを買って 誰にくりょ いい子にくれて はらませて 男の子を生んだら とりあげよ とりあげのばあさん 名はなんと 八幡小太郎と 名をつけよう 八幡小太郎の 馬屋には 馬をいくつ つないだ 三十三匹 つないだ 草をいく段 刈りこんだ 三十三段 刈りこんだ ねんねんよ かんかんよ よい子だから ねんねしな |
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■守り子唄 | |
■ねんねん子守りは
ねんねん子守りは つらいもの 人には楽だと おもわれて 親には叱られ 子にゃ泣かれ 雨風吹けども 宿はなし 人の軒端のきばで 日を暮らす 早く三月くればよい 三月三日は 出替わりで 茶碗におまめで 箸あばよ ねんねろ ねんねろ ねんねろよ |
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■わらべ唄 | |
■「かいぐりかいぐり」遊び方 | |
ちょちちょち あわわ かいぐり かいぐり とっとのめ おつむてんてん ひじとんとん 「ちょちちょち」 / これは、「手打ち手打ち」が「ちょちちょち」(幼児語)と発音されたためだそうです。そういえば、この部分は手を叩きますね。手打ちのなまりです。 「あわわ」 / 動作のままです。手を口にあてて「あわわ」です。「あはは」が語源。 「かいぐりかいぐり」 / 掻い繰ること。幼児の遊びで、両手を胸の辺りで横にしてぐるぐる回すもの。両手を動かし繰り寄せること。「たぐり寄せる」動作のこと。 「とっとのめ」 / まず「とっと」自体が魚・鶏・鳥などをいう幼児語だそうです。とにかくそういう動物の目を示すということでしょう。「とっと」は「とと」で、鳥や魚の幼児語です。ここではニワトリのことです。 「おつむてんてん」「ひじぽんぽん」 / 動作のままです。「おつむ」は「おつむり」の略で、「あたま」の幼児語です。 |
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ちょーちちょーち (手をたたく) あーわーわー (ああーと声を出しながら手のひらで口をトントン) かいぐりかいぐり (いーとをまきまきと同じからだの前で手をグルグル) とっとのめ (人差し指をだし、もう片方の手のひらをトントン) おつむてんてん (広げた両手で頭をトントン) はらぽんぽん (おなかをトントン) |
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よーちーよーちーあーわーわー (あくびをするように手を口元に) かいぐりかいぐりとっとのめー (頭をぐりぐり) おつーむてんてんしりぽんぽん (頭をかるくたたき、お尻も同様) |
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ちょちちょちあ〜ば〜ば〜 (手をたたいて口にあてる) かいぐりかいぐりとっとのめ〜 (糸巻き巻きの動きをして手を目にやる) おつむて〜んてん (頭をたたく) ひじぽ〜んぽん (ひじをたたく) |
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かいぐりかいぐり (赤ちゃんの両手を頭に持って行き、クルクル撫でます。) とっとのめ〜 (赤ちゃんの手を両目の横に持って行き、チョンチョン) チョチチョチ あわわ (赤ちゃんの手を口にチョンチョン) |
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赤ちゃんを前向きに膝の上に座らせ、後ろから赤ちゃんの両手を持って、その手を動かしながら歌います。 ちゃ〜ち、ちゃ〜ち (拍手をするように、胸の前で合わせる) あわわ (両手を赤ちゃんのお口のところに) かいぐり、かいぐり (糸巻きのように、両手を胸の前でぐるぐる) とっとのめ (両手を赤ちゃんのおめめのところに) おつむ、てんてん (両手で赤ちゃんの頭にてんてん) はら、ぽんぽん (タヌキの腹鼓のように、赤ちゃんのおなかをぽんぽん) |
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ちょ〜ちちょ〜ち (二回拍手) あ〜ば〜ば〜 (手のひらで開けた口を軽く三回たたく) かいぐりかいぐり (両手をグーにして交互にぐるぐる(い〜と〜まきまき状態)) とっとのめ (右手は人差し指を立て、パーに開いた左手のひらを三回チョンチョン) おつ〜むて〜んてん (両手を頭に二回とんとん) |
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ちょちちょち あわわ かいぐり かいぐり とっとのめ おつむてんてん ひじぽんぽん 「ちょちちょち」は、手を叩きます。 「あわわ」は、手のひらを口にあてて「あわわ」と言います。(上のイラストのように) 「かいぐりかいぐり」は、胸のあたりで両手をぐるぐるします。(糸まきまきのように) 「とっとのめ」は、手のひらを指でとんとんします。 「おつむてんてん」は、あたまを両手でぽんぽんします。 「ひじぽんぽん」は、両ひじを両手でぽんぽんします。(「はらぽんぽん」でも同じことです。) |
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ちょちちょち (こどもの両手をもって、2回合わせる) あわわ (片手または両手を口に) かいぐりかいぐり (両手を胸の前で上下にぐるぐるまわす) とっとのめ (左手の平を右手指でつつく) おつむてんてん (片手または両手で頭を軽くたたく) ひじぽんぽん ( 片手でもう一方の肘をたたく) |
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■「たんぽぽ」
たんぽぽ たんぽぽ むこうやまへとんでけ 吹けば飛んでいくたんぽぽの綿毛のイメージ。遊び方としては黄色い布、もしくは白い布を綿毛にみたて、フーッと布を吹いて飛ばしてみたり、たんぽぽの真似をして身体をクルクル回してみたりして遊ぶのも良いでしょう。 たんぽぽ / 綿毛が飛んでいく様子が「たんぽ」(綿を丸めて布などで包んだもの)に似ている事から「たんぽ穂」と名付けられ、「たんぽぽ」となった。黄色い花が多いが、白花のものもあり、若い葉はサラダに出来たり、花は天ぷらにして食べられる。葉を煎じて飲むと利尿薬として効く。別名「鼓草」(つつみくさ)とも言われ、茎の両端を細かく裂くと、反り返って鼓のような形になり、鼓をたたいた時の音「たんぽんぽん」の略から「たんぽぽ」になったとも言われる。 |
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■わらべ歌に探る県民性
群馬の前橋地方で歌われた手まり歌を調べてみた。 一番始めは一宮、 二また日光中禅寺、 三また佐倉の宗五郎、 四また信濃の善光寺、 五つは出雲の大社、 六つは村々鎮守様、 七つは成田の不動様、 八つ八幡の八幡宮、 九つ高野の弘法様、 十で東京二重橋 この歌は、戦前に主に歌われたようだが、戦後はあまり歌われていない。歌詞は「二は日光東照宮」や「十は東京招魂社、あるいは東京泉岳寺」、富山の方では「富山の招魂社」と地方によって多少の違いはあるが、全国的に歌われたようだ。 一匁のイー助さん、 一の字が大好きで一万一千一百石、 一ト一ト一ト豆、 お蔵に納めて二匁に渡した この歌は、戦後まもなく最もよく歌われたようだ。歌詞は「二匁のニー助さん・・・」と九匁まで続くが、「一ト一ト一ト豆」のところは、正確には「一斗一升一合豆」であったと考えられる。尺貫法からメートル法に変わり簡略化されたのであろう。地方によっては「大好き」が「嫌い」に、「豆」が「マイ(米)」や「マス(枡)」になり、「蔵」が「フダ(札)」」になったりしている。「豆」は小豆を表していると思われ、変化の激しい小豆相場を好む、ギャンブル好きな地方の姿が浮かんでくる。 一リットラー、一トウシュ、一番船の船長さん、おかいんなさい この歌は「二リットラー、二トウシュ・・・」となって続いていく。この最初の部分の意味は不明であるが、明らかに船の歌であり、海のない群馬県で船に関して歌われたのは、利根川を始め河川が交易に重要な役割を果たしていたからであろう。また、歌詞が他の曲より短いのは、短気な性格の表れであろうか。更に、「かえる(帰る)」を「かいる」と発音しており、かなり地方色の濃い曲と言えそうである。 あんた方どこさ、肥後さ、肥後どこさ・・・ この歌を知っている人は最も多く、歌詞は全国共通のものである。流行った時代は他の曲より遅く、この後、まりつき自体が全国的に行われなくなっている。 J.ホイジンガーはその著「ホモ・ルーデンス」の中で「子供は種族の歴史を遊びの中で学習する」と述べている。群馬の県民性というものがあるとするならば、子供の遊びの中に、そのヒントが隠されているはずである。わらべ歌を歌うとき、子供たちは歌詞の意味などほとんど考えないし、その歌が地方特有のものかなどと考えることはもちろんない。しかし、その伝承課程でその地方独特の表現に変えられ、無理なく子供たちに伝えられていたことは、手まり歌の例を見ても明らかである。 |
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■茨城 | |
■寝させ唄 | |
■ねんねんころりや
ねんねんころりや おころりや 泣ぐな 泣がすな 守りの役 |
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■床屋の娘は
床屋の娘は おしゃらくね おしゃらく おしゃらく 腰が曲がった その腰治すのに いくらかがった。 いぐらもかがんねえが 十両かがった 十両じゃ安いもんだよ よく治せ |
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■勘平さんは
爺よ婆よ 勘平さんは 山にも寝るし 野良へも寝るし 松葉にさされて 目がさめた |
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■かっこんかっこん
かっこん かっこん かっこん馬車 どっからはやった 東京吉原 仲の茶屋 仲の茶屋から 嫁が来る 嫁は何時来る 晩に来る 晩に来るから 門あけろ 門の外へと 出てみれば 大きなてばだき 唄で来る |
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■ねんねんねこのけつ
ねんねんねこのけつに かにがはいこんだ やっとこすっとこ 引きずり出したら またはいこんだ 一匹だと思ったら 二匹はいこんだ 二匹だと思ったら 三匹はいこんだ 三匹だと思ったら 四匹はいこんだ (以下続ける) |
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■ねんねんおころり
ねんねんおころり ねんころり ねんこして起きたら なにあげよ じょんじょか お菓子か 落雁か 落雁くわせて はらませて はらませ 大きくなれ お江戸にやるぞ お江戸じゃ ちんちん ちりめん着物 田舎じゃ ぼろ着て 菜種まき 菜種まき |
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■さあさあれ見な
ねろてば ねねえのか この子供 さあさあれ見な 筑波見な 筑波にゃ雲ども かかっても ほれほれお前らにゃ かからぬよにな |
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■ヤーイ山見ろ
ヤーイ山見ろ 筑波見ろ 筑波の方から 唐獅子が 三十三匹 飛んできた ねんねん ねろねろ 月の夜に ねんねしな ヤーイ山見ろ 筑波見ろ 筑波の方から 月の夜に 雁が三十三羽 飛んできた ねんねん ねろねろ 月の夜に ねんねしな |
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■守り子唄 | |
■守りちゃ楽のよで
守りちゃ楽のよで こわいもんでんす 雨風吹く時ゃ 宿がない 宿は新家の かわら屋根 あがれ そわれど すすめられ この子が泣くので そわられぬ ねろねんねろ ねんこしな |
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■おどもり子守りは
おどもり子守りは つらいもの 雨風吹いても 宿はない お母さんには 叱られ 子には 泣かれ 人の軒場で 日を暮らす |
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■おいらやだやだ
おいら やだやだ もういやだ いやではなるまい 師走まで 師走八日が 来たときにゃ お暇をもらって 里帰り 里へ帰って 来たときにゃ おばさん一人で お茶わかし お茶も新茶も もう食べて 食べて食べらせて はらませて 良い子生させて 守りさせて お守りさんは どっから参った 坂上から 坂上のお守りさんは 小さい守りだね も少し大きい守り 置いておくれよ 大きい守り置くのにゃ 損が高いね 損も高げりゃ お仕着せも高いよ おいらやだやだ もういやだ |
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■守りっちゃ楽なようで
守りっちゃ 楽なようで こわいもの 雨風吹くときゃ 宿がない 人の軒端さ 立ち寄れば おかみさんにゃ おこられ 子にゃ 泣かれ 旦那さんにゃ横目で にらめられ |
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■わらべ唄 | |
■七草のわらべ歌
鳥取のわらべうたを調べてみると、ちょうど大山町国信というところに伝わる「唐土の鳥が」という歳時歌を見つけた。 唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬさきに せりやなずなや 七草そろえて 繁盛 ホーイホイ という短いものだ。このとき、田畑の害鳥や害虫を追い払うための鳥追いという行事と、正月7日に食べる七草とが密接につながっていることを知った。七草はそもそも、無病息災や五穀豊穣の願いから生まれた風習だ。田の豊作を願うという意味で、鳥追いと七草がつながることは何となく合点がいくが、正月の七草の話は知っていても、東京で育った私には鳥追いという風習はほとんど聞いたことがない。だから歌の中で七草と鳥追いの二つが合わさっていることが不思議だった。「唐土」という言葉が出てくることも、気になった。日本海に面し、大陸の存在を意識することの多かっただろう山陰地方に広がっている歌なのだろうか。鳥取ライブから一か月後に、茨城のつくばでライブがあった。すると茨城のわらべうたを調べていてもやはり、七草の歌が出てきたのだ。そこにもやはり「唐土」が登場していた。 七草なつな唐土の鳥が 渡らぬ先に ストトン ストトン (鹿島郡鉾田町) 七草なつな唐土の鳥の 渡らぬうちに すととん すととん と作れ (那珂郡美和村) 七草なつな 名のない鳥が鳴かないうちに ばんか ばんか ばんか (つくば市筑波) 七草なつな 唐土の鳥と日本の鳥が渡らぬ先に とんとん ばさばさ とんとん ばさばさ (鹿島郡鹿島町) 茨城の歌にはいずれも、大山の歌にはなかった不思議な「音」が登場している。これは、6日に摘んだ七草を歳神に供えたものを、7日にまな板に載せ、まな板をすりこぎでたたきながら歌っていたことに由来するのだという。そもそもは唐の説話で、老齢の両親を若返らせたいと思う男に帝釈天のお告げがあり、齢8000年のガチョウの秘術を授けられるという話がある。ちなみに茨城では「唐土の鳥」というと姑獲鳥という人間を害する鳥の妖怪のことを指すともいわれるが、このガチョウとかかわりのあるものか詳細は不明である。ともかくこのガチョウの秘術が、酉の刻からセリ、戌の刻からナズナ、という風に6日の夕方から夜通し七草を順に叩いていくというもので、朝たたき終えた七草で粥を作って両親に食べさせると若返ったという話に由来するらしい。ようするに七草は、健康や長寿、若返りを期待する儀式として伝えられてきた。 一方で、鳥追いはどんな歴史を持っているのか。本城屋勝によれば、農村行事としての鳥追いは、長者の荘園内で農民たちが鳥追いをしたことにさかのぼるという。それが次第に新年の芸能化し、平安中期にはすでに鳥追い芸能が存在していた。田遊びから発達した田楽にも、鳥追い歌に連なるものがある。愛知県鳳来寺の田楽は正月に現在も行われているが、その中で、次のように歌われる。 「苗代にとりては追うべきものあり、すくひ喰ふ小鳥、拾ひ喰ふ小雀...彼奴こそ憎い奴...東へさして追はんば、津軽や合浦、外の浜へ追ふべし...北へさして追はんば、越後や越中、外が浜へ追ふべし...天にさして追はんば天竺天の雲の上に追ふべし 下へさして追はんば、泥犂の底へとんと追ふべし」 こうした新年の芸能をおこなった職能者たちは当初は神仏の権威と結びついていたが、室町時代以降徐々に賤視されていき、長者の鳥追いは、物貰いの鳥追いになっていった。 「北陸や新潟秋田などでは、「苗代田のおんばさ、鳥追うてくんさいせ」「能代のおじゃじゃ鳥コ追ってたもれ」というような歌も残っており、遊女や身分の低い女をも意味する「おんばさ」や「おじゃじゃ」たちが、芸能の担い手になっていったこともうかがい知れる。」 阿波踊りの衣装に名残がみられる鳥追い女も、非人の女大夫であり、平時は菅笠に三味線で歌い金銭を乞うたが、正月は着物も新調し、編笠になり、普段とは節を変えて家々や商店を回った。これを鳥追い女という。それでは彼女たちはどんな歌を歌ったのか。三田村玄竜は、そうした歌の内容が後世に伝わるようにと書き残している。 「やんらめでたや。やんらたのしや。せぢやうやまんぢやうの鳥追がまゐりて福の神をいはひこめ。(中略) お長者のみうちおとずるのは誰やらふ。右大臣に左大臣。関白でんの鳥追。さらば追へ聞かふやふ。聞召さば追ひまんしょう。(中略) 七くさがござりて。摘む菜はないなに・ごぎゃうたの草。すすぐさはこべ。春田のなづな・かような若菜を・摘みあつべさふらうて。福いけにすすいて。徳いたにのせて・かうらい庖丁。日本ンの鳥とうのとりと。わたらぬ先にてしりてうと祝ふた。」 かつては、鳥追いが「お長者」とつながっていたことから語りはじめ、七草の風習にも触れている。江戸で鳥追いといえば、鳥追い女を意味し、人々はこの正月の鳥追い女の歌を、金銭を求められることを時に面倒に思いながらも、年始の風物として毎年受け取っていた。 やがて農村行事としても大人たちが実際に鳥を追っ払う光景は少なくなり、鳥追いは子供たちの祭りになっていった。鳥追棒や祝い棒と言われる棒を手に、音を出しながら、鳥追い歌を歌うという形が多い。これらの棒は、かつては女性の尻をたたいて子宝を願った名残とも言われ、ここも緩やかに人間の繁栄から五穀豊穣へと祈りが繋がっているようだ。鳥追いは今でも子供たちが村をめぐる小さな祭りとして残存している地域や、群馬の中之条のように後に鳥追い太鼓なる太鼓がいくつも作られていき、それらが重要有形文化財となって、太鼓が町内を引き回される大規模な「鳥追い祭り」として保存会までできているところもある。棒で音を出しながら歌う点は七草に通ずる。鳥追い歌から七草歌が生まれたともいわれるが、鳥追いは鳥を追っぱらうための音であり、七草は健康祈願の儀式の中に組み込まれている音だ。七草の歌が面白いのは、「たたく」音の意味するもの、つまり鳥を追い払う音と、七草の儀式で草を打つ音とが歌の中でまざり、せめぎあうところだろう。 鹿島郡鉾田町のように、シンプルなものは、鳥追いの風景をイメージすることもできるし、七草を切っているイメージをすることもできるが、那珂郡美和村のように「唐土の鳥が渡」る前に「すととん すととん と作れ」と、「作れ」が入ってくると「すととん」が七草の音としてのみ、表現されている。鹿島郡鹿島町のように、「とんとん」と「ばさばさ」が繰り返されると、単に「とんとん」に驚いて飛び去る鳥の様子のようにもとれるし、七草の「とんとん」によっても悪いものが逃げていくような、呪術性がたちあがる感覚がする。「ばんかばんか」も何の音なのか、大した意味はないのかもしれないが、不気味なまじないのような感じを受ける。 子供たちの祭りになった鳥追いは、どんとやきの風習ともつながっている。祝い棒で横木をたたいては歌い、鳥追いをするだけでなく、子供たちだけですごす小屋を作ってそこで煮炊きや寝泊りをしてすごすのだ。この小屋が「ワアホイ小屋」とか「ホンヤラ堂」とか呼ばれ、数日間子供たちが主役の楽しい祝祭となった。この仮小屋を最後にどんと(どんどん)焼きとして燃やすところも多いそうで、今でいえば冬の子供キャンプのような感じだろう。祝い棒が子宝をさずかる願いを込められたものであったことは触れたが、このどんと焼きも道祖神を祝う儀式と言われ、二重にも三重にも五穀豊穣や多産の願いがかけられている。子供たちがどこまでその意味を知っていたかはわからないが、柳田国男は「その日の面白さは、白髪になるまで忘れずにいる者が多い」としている。 この小屋も、雪国では雪の櫓となり、茣蓙を敷いてそこで同じようなキャンプ様の活動が行われた。 小童等ここにありて物を喰ひなどして遊び、鳥追歌をうたふ。その一ツに「あのとりや、どこからおつてきた、しなぬのくにからおつてきた、なにをもつておつてきた、しばをぬくべておつてきた、いばのとりもかばのとりも、たちやがれほいほい おらがうらのさなへだのとりは、おつてもおつてもすずめすはどりたちやがれほいほい」 「しばをぬくべておつてきた」というのは柴を束ねたもので鳥を追ったということらしい。「おってもおっても」鳥を追いきれないと描写するのは、それだけ豊作の秋を迎えるぞという予祝の側面もあるという。面白いのは、「しなぬのくに(信濃)」から追ってきた、とあることだ。つまり、茨城や鳥取で歌われた「唐土」は、歌われる土地によって様々な場所に変わり、日本と外国、という意識よりもその土地とそれ以外の遠い場所という感覚であり、歌う人々の地理認識や世界認識を表しているともいえそうだ。例えば山形と石川の鳥追い歌を見てみよう。 かしら切ってしっぽ切って さだらにふっこんで、 さんどの島まで追い流せえ (山形) 追うてもたたず、追わいでもたたず、 たたずの鳥を、頭切って塩つけて、 沖ノ島へながして (石川) 「さだら」は桟俵、「さんどの島」は佐渡島、「沖ノ島」は能登半島と歴史的にも関係の深かった隠岐の島のことだろう。 青山宏夫は、どこへ追うか、どのように追うかという視点で鳥追い歌を分析し、塩によって害虫祈願をする例などをあげて、害鳥という災厄を塩で祓い清める意味があり、桟俵などの藁製品もこの世のものを異界に送る呪力を持つと信じられてきたと指摘する。また日本海側は国土の北限である佐渡やその先にあるとされた鬼ヶ島、太平洋側では蝦夷や遠島、その先の鬼ヶ島に追うと歌うものが多いとしている。 鬼ヶ島はもちろん、想像上のとてつもなく遠い島、異界というニュアンスが濃厚だが、鳥取や茨城の鳥追い歌に歌われた「唐土」もまた同じような異界としてとらえられていたのではないだろうか。果てしなく遠い異界からやってくる鳥、その鳥が害鳥であるために清めて、再び異界へ送り返す。そのために棒で追い払うだけでなく、七草の呪力が必要とされたのかもしれない。鳥追い歌を探していると、こんな田植え歌もみつけた。 一二の枝に たうどの鷹が巣をかけた 其巣の中をのぞいてみれば 黄金の卵九つあった 一つとっておかみにあげた 八つのちゃうじゃなるわいな 「たうどの鷹」が9つの卵を産んで一つおかみにあげて残り8つだけども、それだけで8人長者が生まれる、というわけだ。鳥追い歌の「唐土の鳥」は害鳥だったけれど、こちらは明らかに益鳥である。「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に」というフレーズだけ聞けば、古今中国からは迷惑なものが流れてきたんだな、などと毒づく人がいそうだが、昔の人の「唐土」観はそう単純ではなさそうだ。また、青山は鳥を「鬼ヶ島」に追いやるというフレーズについて、狂言の「節分」や「宝の槌」を例に「鬼は理想郷たる蓬莱に住むと考えられていた」とも述べており、鳥追い歌には、単なる遠方というよりも、自分たちの世界とは異なる世界、もしかしたら素晴らしい場所かもしれない未知の異界が想像されているのではないだろうか。 茨城の「七草なずな」は、1フレーズが短いのでいろいろな地方の少しずつ異なる歌詞をつなげて歌っている。鳥追いの祝い棒でたたく音のように、七草を叩き切る音が連想できるように、跳ねた感じで弾くが、一人で演奏するよりは、複数で打楽器もたくさんいれてやったら楽しい曲であり、そのバージョンは夏に発売予定のアルバム「私の好きなわらべうた」の中で聞いていただければと思う。 |
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■埼玉 | |
■遊ばせ唄 | |
■あがり目さがり目
あがり目 さがり目 くるくるまいて ねこの目 |
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■とっとのめ
ちょーちちょーち〔手を打つ〕 あわわ〔口を手で押さえる〕 かいぐりかいぐり〔両手をにぎり胸の前で回す〕 とっとのめ〔指先でてのひらをつく〕 |
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■おつむてんてん
おつむてんてん |
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■しゃんしゃんしゃん
しゃんしゃんしゃん おしゃしゃんのしゃん おしゃしゃんの きつねさん |
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■あんよはじょうず
あんよは じょうず ころぶは おへた |
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■ここまでおいで
ここまでおいで 甘酒進上 ここまでおいで 甘酒進上 |
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■寝させ唄 | |
■ねんねんねこの
ねんねんねこの けつめどに ありが はいり込んで 痛かろ 痒かろ 取ってやろか |
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■お月のんのん
お月のんのん こうのんのん 夕べのだんごの銭よこせ 銭がなけりゃ 金よこせ 金がなけりゃ ぶんばくぞ ぶんばげば 寒いぞ 寒けりゃ あたれ あたれば 熱いぞ 熱けりゃ ひっしゃれ ひっしゃれば 尻が痛え 尻が痛けりゃ 綿すけ 綿すけば のみが食う のみが食ったら 食っつぶせ 食っつぶせば 生臭い 生臭けりゃ 汁吸え 汁吸えば しょっぱいや しょっぱけりゃ 水飲め 水飲めば 腹が痛え 腹が痛けりゃ 用たしな 用たせば 種がねえ 種がなけりゃ くれべえや もらい種にゃ はえねえぞ |
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■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ 坊やのお守りは どこ行った あの山超えて 里行った 里のみやげに 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 |
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■守り子唄 | |
■守りっ子というもの
守りっ子というもの つらいもの 雨風吹いても 宿はない 人の軒端へ 立寄れば あっち行げ こっち行げ じゃまにされ |
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■わらべ歌 | |
■ホタルのわらべ歌
あの山に光るものは月か星かホタルか 月ならば拝みましょうか 蛍ならばお手にとる お手にとる あの山に光るものは月か星かホタルか 蛍ならば袋にとりて 観音さまに供えましょう 供えましょう 近所の玉川上水では毎年夏にホタル祭りが開かれる。かつてはこの上水にも舞っていただろうホタルが、大量に放され、都会にいながらホタルの光に触れることができる。 東京の人間にとってはなかなか貴重な機会でもあり、毎年沢山の人でにぎわう。一昨年子供たちと上水沿いを歩いたときも沢山の光を見ることができた。上水沿いの木々や草に止まって光るもの、ゆらゆらと上水の闇を飛ぶもの、人工的にセッティングされた状況ではあるけれども、その光はどこまでも幻想的だった。ふと、一匹のホタルが空の方に飛んでいったのを、目で追ってみて、あっと驚いた。蛍はまるで夜空を無音でなめらかに移動する人工衛星のように見えたのだ。つまり、それは星の光にどこまでも似ていた。もしビデオでその様子を撮影してストップモーションをかけたなら、その光は完全に夜空の星のように見えたことだろう。 だから、この歌の「月か星かホタルか」というフレーズに出会ったときも、誇張ではなくリアリティのあるものに感じられた。月の光も星と比べれば大分大きいが、もし夜の山のうっそうとした木立の下から、梢や葉の間からもれる光をかすかに感じるのだとすれば、あながち誇張の表現とばかりもいえないかもしれない。 そして、シンプルに心が震えるのは、昔の人の信仰心の深さである。人々は月を愛し、観音さまにホタルの光を供えていたのだ。わらべうた研究者の松永伍一は民衆と月について次のように述べている。 「民衆は太陽より月に親しみを多く抱いてきた。太陽の恵みなしには作物がとれないことを充分知っているにもかかわらず、満ちたり欠けたりする月に思いをつなぎながら、うたをうみ祭をつくりだしてきたのである。比喩にたけた民衆は「暗い気持ち」を「心は闇」と言った。闇はきらいであった。それは闇にたとえられる暗い気持ちを知り、そこから抜け出すことを願い続けていたからだった。彼らにとって「闇」の反対側にあるのは「白昼のまぶしさ」ではなく、闇からようやくのがれた「月明り」のほのかな明るさだったのである。」 太陽を見つめることはできないが、闇の中で光る月はじっくりと向き合うことのできる友達であり、心の拠り所となり得る。娘たちを自転車に乗せて月の夕暮れに走ると、子供たちはみんなやはり不思議がるのだ。 「どうしてお月さまはついてくるの」 自転車はゆっくりこげばゆっくり、急いでこげば急いで月はついてくる。 「どうしてだろうね、多分さきちゃんのことが好きで気になるからついてくるんじゃないかな」と言うと 「そうかー、私のことを好きなのかなあ」と嬉しそうに笑う。 信仰心のなくなった現代の人間も、月に親しみを覚えるのは変わらない。加えて、昔の人は満月よりも十三夜や十七夜など、欠けた月の美しさにも心惹かれた。十七夜や二十三夜などの月待ちは、欠けていく美への憧れを表しているとも言われる。月待ちには出店が出、人々は飲み食いをしながらのんびりと月の出を待った。単なる鑑賞の意味に加え、そこには観音、阿弥陀菩薩、勢至菩薩が月と共に来迎するという考えがあった。まさに願い、祈るために人々は月を待っていたのだ。袋にとったホタルを持ち帰るのでなく、観音さまのところに置いてくるというのも美しい。路傍の石仏は、うっすらと集められたホタルのわずかな光で闇の中その輪郭を見せただろうか。 「あの山に光るものは月か星か蛍か。同様の歌詞を持つ歌は多い。長野隆之はこのホタルのうたの類歌の歌詞について分布の仕方を検討し、地方によって田植え唄、てまり唄、盆の行列遊びで歌われた盆々歌などさまざまな伝わり方をしてきたことを明らかにした上で、東北地方と中国地方に残る田植え唄が直接的な関係を持っていた可能性を指摘している。」 ソーレナヤーハエ 西根山に光るものは 月か星か蛍か ソーレナヤーハエ 月でない蛍でない お田の神さまのお燈明だ (岩手県紫波町 田植踊り歌) 大山山で 光るは アラ 月か星か 蛍か 植田の中に 立つのは アラ 田の草取りか 鳥追いか どんどらどんと どなるは アラ 前の川の瀬の音 (鳥取県倉吉市大栄町 田植唄) 田植歌と聞いて思い出すのはウサギの耳が歌われる歌だ。畝や谷の様子を知りたいから耳が伸びた、とする中国地方の歌は田植え唄にさかのぼれるともいう。中国地方には東北と同様、古い歌の形が残っているのだ。それでも、詩の内容の分布と歌の種類は必ずしも同じ地方だからといって一致せず、日本列島における民俗歌謡の分布は、ひとつの基準をもって把握することはできないと長野は言い、柳田国男でさえその分類方法に無理があり、一筋縄でいかない作業であったことを指摘している。 長野も説明できないだろう、歌の広がり方を私も島根のわらべうたを調べていて感じた。それは、埼玉東松山の蛍の歌と限りなく近い美しい歌を、隠岐の島本島に伝わる歌の中に見つけたのだ。驚きだった。歌詞の似たものは広く分布しているなかで、メロディが重なるものはずっと見いだせなかった。埼玉の蛍の歌の美しさの稀有さは山田耕作も注目したようで、埼玉のわらべ歌として紹介している。しかし全く似たような歌が遠く離れた隠岐島に伝わっている。これは、まったく一個人の移動による伝播の形なのだろう。陸路で伝わったものでないことは確実だろう。埼玉という海のない県から、北の島へと伝わったのか、はたまたその逆なのか。埼玉のわらべ歌を端から調べていたときにこの歌を見つけた驚きを思い返すと、あるいは隠岐島発祥の歌か、という気もするのだが、いずれにせよ、隠岐と埼玉の間を船が運んだ歌、と言えそうだ。 この二つの歌を松江のライブで歌ったとき、会場に隠岐出身の人がいた。そして終わったあと、「隠岐のバージョンがやはり懐かしいような、しっくりくるような感じがしました」と伝えてくれた。極端に言ってしまえば、「しっくりくるような感じ」がしてもしなくても、どちらでもいいのだと思っている。ただ、そうやって故郷の歌と他所の歌と、異なる響きに耳を傾けて、聞く人が何かを感じてくれればそれだけでうれしい。それは通り過ぎた時間に耳をすますことであり、そこに生きた人の呼吸を感じることだ。おばあちゃんに聞いてみたら知らなかったけど、別の歌を歌ってくれたとか、そんなコミュニケーションが生まれたとしたら、さらにうれしい。 冒頭であげた埼玉東松山のホタルの歌は手まり歌として分類されているが、同じ埼玉でも次のものは麦打ち歌とされる。 あの山で光るものは 月か星か蛍か 星なれば 拝みましょうが 蛍ならば手に取りて 袋へ入れて 裏のお稲荷様へ納める (埼玉県大井町) 長野作成の歌の種類の分布図を見ると、関東地方は主にてまり唄などの子供唄に変化しているものが多いが、中には大井町の歌のように、稲作に連なる麦打ち歌として古い歌われ方が残された地域もあるということだろう。 手まり歌と言う意味では、歌われたテンポも気になるところだ。右田伊佐雄は『手まりと手まり歌 その民俗・音楽』の中でゴムまりが登場してからの手まり歌が、明らかに歌詞も増えてテンポも速くなったことを指摘しているが、東松山の手まり歌は歌詞のみみてもおっとりした感じがするし、歌の調子にしても、のんびり美しいものなので、明治以降に歌われた新しい手まり歌とは一線を画す感じがする。つまり昔の手まりは海綿などを用いた一部のものの他は全体にあまり弾ます、皆しゃがんでゆっくりとつくものだったのだ。東松山のホタルの歌には断然その方がしっくりくるし、夕暮れに少女がそんな風にしゃがんで歌いながら毬をついていたらさぞ美しい光景だったろうと思う。 |
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■「通りゃんせ」 川越諸話 | |
■「通りゃんせ」の舞台川越市
行きはよくても帰りはこわい≠ニ歌われた『通りゃんせ』のモデルとなった場所は、埼玉県の川越市だといわれる。川越市は「小江戸」とも形容されるように、江戸時代には都とずいぶんなじみの深い土地がら。江戸の北の守りとして、また、江戸の台所として代々幕府がおさめてきた天領である。さて、そんな川越には、かつて城があり、城の本丸の近くに三芳野神社が建立されていた。この神社、幕府とかかわりが深く、庶民の身ではふだんは参詣もかなわず、庶民の参詣が許されるのは、年に一回の大祭のときだけだったという。とはいえ、そんなときでも、場所がら、警備の者が多い。町人たちがめずらしさのあまり、キョロキョロしようものなら、「何をしている」「はやく歩け」と叱声が飛んできた。そんな庶民の落ち着かない気分が「行きはよいよい帰りはこわい」と表現されたという。三芳野神社は、現在も川越市の一角に健在である。 とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこのほそみちじゃ てんじんさまのほそみちじゃ ちょっととおしてくだしゃんせ ごようのないものとおしゃせぬ このこのななつのおいわいに おふだをおさめにまいります いきはよいよいかえりはこわい こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ |
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■「とおりゃんせ」と川越天神
通りゃんせ、通りゃんせ、こ〜こはど〜この細道じゃ。天神様の細道じゃ、という童謡「とおりゃんせ」は江戸の町で子どもの遊び歌として流行した。30代以上の人なら、小さいころこれを歌いながらふたりがアーチをつくって、歌い終わったときにとおった子が鬼になる。という遊びをしたことがあるだろう。その発祥の地は埼玉県川越市、川越天神・三芳野神社といわれている。川越市は「小江戸」といわれ栄えた城下町で、いまも蔵造りの家並みや城跡、多くの社寺が残る町だ。三芳野神社というのは、室町中期に形成された川越城内にあって、菅原道真(天神様)を祭ったもの。ふつうの人は年に1回お祭のときにしかはいれなかった。その昔は7つになると天神様の氏子になれる。昔は医療も発達していなかったから、7つになるということはその子が育つ目安となり、いまでいう成人式のようなお祝いをしたのだ。そのために天神様を訪れたのだが、到着するまでには南大手門から入って、さらに門を3つくぐっていかなければならなかった。厳しいチェックを受ける。そこで、♪行きはよいよい、帰りはこわい。こわいながらもとおりゃんせ、とおりゃんせ、となるのだ。こんな暗い歌の発祥の地であることは「学問の神様、菅原道真を祀っているので暗くてもいいんじゃないですか」と川越市文化財保護課担当者。なんだか妙に納得いくお返事。受験の祈願に行く機会があれば、「とおりゃんせ」を歌いながら川越天神の細道を歩いてみてほしい。帰りはきっとこわ〜いのだ。 |
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■三芳野天神起源説の疑問
ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ というわらべ唄は、川越の三芳野天神から起った唄だという説がある。本当にそうだろうか。今回はこの問題について少し考えてみたい。 三芳野天神は川越城中の鎮座である。その所在地は昔から現在の所と変りはないが、ここはもと城内本丸の中心部に相当する。したがってごく古い時代のことははっきりしないが、すでに松平伊豆守信綱の明暦二年(1656)には本丸のご本社とはべつに田郭に外宮を建てて、ここに一般諸人を参詣させるようにした。この仮殿はもと江戸城中紅葉山にあった東照宮の空宮を拝領して移築したもので、現在川越氷川神社の境内社である八坂神社の社殿がそれである。また田郭というのは松平信綱時代の城地拡大によって増設された曲輪で、外宮の所在地は現在の市水道部浄水場のあたりに相当する。 ではこの外宮に参詣するのに、どの城門から入れたかは、秋元喬房時代の元文三年(1738)に書かれた「川越城御番所定」によって多少窺うことができる。すなわち天神宮参詣の者とその別当高松院に用事のあるものは、いずれも西大手の御門から通した。しかも「様子をたしかに承り、疑わしき者は御門継ぎに送れ」とあるように、決して無条件に参詣させたわけではない。 西大手から入ると外曲輪を東に進み、中の門を経て中曲輪に入る。そして南行して田郭門を通って田曲輪内に入るわけである。南大手から入ると右折すればすぐ田郭門の前にでる。田郭門の位置は富士見櫓前の堀の南側で、やや手前の方である。この田郭門は年に一度の大祭である正月十八日(今は四月十八日)には大扉を開いたと記している。ざっと考えて西大手門から天神外宮に達するには八百米、南大手からは三百米位はあったようだ。松平大和守時代には外宮からわずか百米位の所にあった清水門から入れたこともあるらしいが、まだ確証は得られない。 そこでこのわらべ唄の川越起源説を唱える者は、天神外宮に達するまでの長い細道をひとつの根拠としている。さらにお城の縄取りは極秘のことに属するから、要所要所に警固の士が見張っていた。町人どもがもの珍しそうにきょろきょろしようものなら、容赦なくどやしつけられた。こころ落着かぬ思いで参拝する町人どもの気持を表現したのが「行きはよいよい、帰りは怖い」の文句だと説明するのである。 だが私は川越の天神様に参拝するのに長い細道を通ったことは認めるけれども、あのわらべ唄の発祥の地がここだという説には賛成できない。なぜなら前節につづく唄は、 ちょっと通して下しゃんせ 御用のない者通しゃせぬ この児の七つのお祝いに お札を納めに参ります であるが、この唄のすこし古い形を追って江戸時代までさかのぼると、「御用のないもの」というところが「手形の無い者通しゃせぬ」となっている。 これが何を意味するかというと、じつはこの唄が関所に関連のあることを立証しているのであって、この童謡が徳川氏の江戸居城以後のものであることは論をまたない。徳川氏は西国の雄藩から江戸を守るために、箱根の天険を利用して関所をかまえ、道中通行の吟味を厳重にした。武家、商人、百姓を問わず、関所手形のない者は絶対に通行は許されなかった。この禁令を犯す者がすなわち関所破りで、重い刑罰に処せられた。 しかしそうした裏面にも親の重病とか、主人の危篤などという火急の場合で、どうしても手形をうけるいとまのないときは、関所役人に哀願すると、表面は拒否するが、 「こらこら貴様は此方から参ったのに、そちらに参るとは不都合な奴じゃ」 といって、わざと来たときと反対の方向に出してくれた。いわゆるお上のご慈悲である。けれども用事が済んで帰る時には、ふたたび寛大な扱いに預かるわけにもゆかない。はてどうしたものだろうと、大いに苦慮せねばならなかった。 行きはよいよい帰りは怖い 怖いながらも通りゃんせ ここではじめてこの文句が生きてくるのである。この関所説は酒井欣氏の「日本遊戯史」によるまでもなく、諸書にみえており、大体定説として是認されているものだ。 さてこういうと、いかにも川越の郷土伝承にけちをつけるようであるが、川越側のいい分にこの定説を覆すほどの根拠がない限りはやむをえない。それともまだ何かほかにお考えのある方がいれば、教えていただきたいとおもう。 |
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■通りゃんせ
(前略) かつて「小江戸」と呼ばれた埼玉県川越市は、東京のベッドタウンになっても、江戸時代の面影を街の随所に残している。重厚な蔵造りの町並みは往時、物資の集散地として商業が栄えたことをうかがわせ、堂々とした風格を漂わす川越城の本丸御殿は、江戸を守る城下町であったことの証でもある。川越城の鎮守として、1624年、城主の酒井忠勝によって再興されたといわれる三芳野神社は、その本丸御殿の東方、歩いて1、2分のところにある。創建は九世紀初めにさかのぼり、もともとは菅原道真を祭ったことから「お城の天神さま」とも呼ばれてきた。「わらべ唄発祥の所」。境内の一角にある石碑には、こう刻まれている。「ここはどこの細道ぢゃ 天神さまのほそみちぢゃ」の歌詞が添えられ、1979年11月3日、元埼玉銀行頭取、山崎嘉七の手によって建てられたことが紹介されている。江戸のわらべ歌『通りゃんせ』は、この神社の境内から生まれたというのだ。氏子総代会の会長、鈴木一郎(68)は言う。「川越に来る観光客は、近くの本丸御殿や市立博物館には足を運んでも、神社まで来る人は残念ながら少ないんです。だから、時々私がガイド役になって博物館のお客さんたちを連れてきて、『通りゃんせ』の話をするんです。みなさん、へぇー、そうなんですか、と驚いた顔をしますよ」 「発祥の所」とする根拠はどこにあるのだろうか。川越で生まれ育ち、埼玉県文化財保護協会会長を20年近く努めた山田勝利(88)は「このわらべ歌が現れる歴史的環境、条件が川越の三芳野神社には整っているということでしょう」と説明する。『通りゃんせ』の歌詞には<天神さまの 細道じゃ><御用のないもの 通しゃせぬ>とある。三芳野神社は「天神さま」を祭っており、「細道」は社殿に至る参道を指すのだろう。また、神社が城内にあったため、番所に詰める見張りの侍が一般庶民の出入りを禁止していたことも、歌詞の内容と合致する。江戸時代、庶民が城内に入り、参詣できたのは年一度の大祭の時が、七五三の祝いの時だけだったという。<この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります>との歌詞も、当時の庶民の姿をよくとらえていると言える。 [ 行きはよいよい 帰りはこわい ] はどうだろう。ようやく城内に入ったのに、見張りの侍の監視の目が鋭く、庶民がおそるおそる帰っていった様子を表した内容と考えれば、歌詞と歴史的環境との相関は成り立つ。こうして川越で生まれたわらべ歌が江戸に伝わり、各地から江戸に集ってきた人たちが、またそれぞれの地に戻ってこの歌を伝え、やがて全国に広まった。これが、山田の見解である。 しかし、「川越発祥論」には異論もある。これまでにも埼玉県の他市から、また他県などからも「発祥の地はうちだ」という声が幾度となく出されてきた。「通りゃんせ」「細道じゃ」「まいります」などの言葉は関西、西日本方面の表現では、と指摘する学者もいる。こうした異論が出ていることも、山田は十分に承知している。「どこが発祥の地なのかは、本来どこであっても構わないものなのかもしれません。ただ、私にとっては『通りゃんせ』は、古里そのものであり、川越市民の多くもそう思っています」子どものころ、よく歌って遊んだのを思い出したのだろう。石碑の前に立った山田は、とてもうれしそうに見えた。 |
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■通りゃんせ 行きはよいのに、なぜに帰りはこわいのか?
通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ちぃっと通して 下しゃんせ ご用のない者 通しゃせぬ この子の七つのお祝いに お札を納めに 参ります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ 行きも恐いし、帰りも恐い この歌の発祥地は、今も残る埼玉県川越市にある三芳野(みよしの)神社だという。川越は小江戸と称され、城跡、喜多院、時の鐘、蔵造の商家などが残された江戸風情(えどふぜい)にあふれる町だ。川越城が建てられたのは長禄(ちょうろく)元年(1457年)だが、築城前から神社はあった。ちゃんと、 天神様(てんじんさま)…… を祀(まつ)っており、詩のとおりに天神様に続く長い細道もあり、歌碑も建つ。このわらべ歌、川越城内の子女の間で歌われていたものが、城下に流れ江戸から全国に広まったものとされ、また城内の子女を、意識的に外部とのふれあいから避けるために作られ遊ばせた歌ともされる。はたまた、その最後に手の門が下りてくる遊びの意味から、城の近くにあった遊郭に売られた女の子を歌っているともいわれる。つまり手の門は廓(くるわ)、遊郭のことをさすというのだ。廓とは城の周囲にめぐらせた囲いのことでもあるが、遊郭のこともさす。現に今もこのあたりは郭町(くるわまち)という町名である。行きは支度金(したくきん)が用意されるのでよいが、帰りは身も心もぼろぼろになって帰される。荒くれ男の相手をして何度も恐い思いもしたし、もし身ごもったりしたら冷たい水をかけたりする方法でお腹の子供の命を自らの手で絶たなければならない。でも遊郭に売られていく子の家は貧しい。だから金のために、 こわいながらも…… 廓の門をくぐらなければならない。「通りゃんせ」なのだ。この遊びを通して手の門が下りてきたときに捕まった子が、次に売られるのはお前だぞ≠ニ天神様が決めるという、残酷かつ恐怖に満ちた歌だというのだ。が、子供を堕(お)ろしたりしたのだから、 七つのお祝い…… は、辻褄(つじつま)が合わないだろう。水子の年齢を数える遊女の呪(のろ)い歌だとでもいうのか? だからこれは、簡単に三芳野神社に子供を引き連れて詣(もう)でる歌だと解すほうがいいのだ。でもなぜ、神社に参るだけなのに、 行きはよいよい、帰りはこわい…… というのか? それは三芳野神社が、城内にあったからである。 この子の七つのお祝いに…… の七つのお祝いとは、七五三のお参りのことだ。その頃の子供は抵抗力がなく、よく死んだ。医療も発達していなかった。だから三歳まで生かせていただいた、五歳、七歳を迎えることができたというお礼とこれからの安全を祈願するために、七五三の行事は始まったのだ。だが、ここの神社は城内にある。ほかの神社ならすぐにお参りもできるが、ここはいちいち門番に詰問(きつもん)される。そりゃそうだ。お城に普通の人が入るのだ。ひょっとして忍(しの)びかもしれないではないか。 ご用のない者、通しゃせぬ…… なのである。それでもなんとか中に入れてもらってお参りに行く。門番だけでなく、参道には何人も見張りが立っている。確かに恐い。でもこれなら、行きもこわいし 帰りもこわい……≠ナはないか。なぜ帰りだけ恐いというのだ? それは門を出るとき、城内の手紙や文書を盗み出していないかと、携帯品を何度も調べられるからだという。でも、一般人をほんとうに、 七つのお祝い…… だけで、城の門をくぐらせたりしたものだろうか? 普通ならしないはずだ。調べていくうちに、本丸横にある神社とは別に外宮(げぐう)がちゃんと建てられていたことが判明した。そしてなんとその建物は、今もなお川越の氷川神社境内に、八坂(やさか)神社の社殿(しゃでん)として残されていたのである。その建物は、寛永14年(1637年)に江戸城二の丸の東照宮(とうしょうぐう)として建立(こんりゅう)されたが、その後、明暦(めいれき)2年(1656年)に三芳野神社の外宮として江戸城から縮小して移築されたいわれている。廃藩置県(はいはんちけん)の公布(こうふ)が明治4年(1871年)、それにより今まで厳重だった城内に誰でも自由に出入りできるようになる。三芳野神社本殿にお参りできるようになったのだ。翌5年(1872年)、城が民間などに払い下げられると同時に、外宮も氷川神社に移された。でもひとつ疑問が増える。本社に参拝できるようになったのだから、外宮が他の場所に移されたことはよく分かる。ではどこから氷川神社に運ばれていったのか? 仮宮はどこにあったのか? それが本社から歩いて5分ほど、現在の川越市水道郭町浄水場あたりに建てられていたのだ。これでは近すぎる。それも、わざわざ江戸城からやってきたような大事な建物を城外に建てるということ自体非常識だ。変な話、仮宮ならどんな建物でもよかったはずではないか。本社すら別段、大きく立派なものでもないのだから……。そうだったのだ。実は本丸から多少遠くなっただけで、仮宮もしっかり城内に建てられていたのだ。厳重に用向きを尋ねられ、西大手門から入ることも決められ、 天神様の細道 を通って参拝したとされる。でもほんとうにそうなのか? これでは同じなのである。七つの祝いのためだけにお城の中に入れることに変わりはないではないか。川越市立博物館で、ここの部分を詳細に尋ねてみた。すると、「内宮(ないくう)はもちろん外宮も普段は参拝できませんでした。一年に一回の大祭の日、正月18日にだけ大扉が開かれ、外宮の参拝のみ許されていたのです」やっぱりそうだ。そこでこんな説がある。城内に入った町人が、物珍しくキョロキョロ周りを見回していると、警護の者が、何を見ている、ささっと歩け≠ニ、どなりつける。庶民のおどおどした様子が、 帰りは こわい…… に、なったというものだ。でも年に一度の祭りだ。そんなことを言うなら、最初っから入れなきゃいいじゃないか! 同じ大祭でもちょっと違う説もある。何しろ大勢の人が集まる。意気揚々(ようよう)として出かけて、お参りするまではいい。でも帰りは人がごった返して押すな、押すな≠ェ恐いと解す。ちょっと待ってほしい。これじゃあ、祭りでみんな入れるのだから、 ちぃっと通して 下しゃんせ…… などとお願いすることはなくなる。その上、 七つのお祝い…… は、どこに行ってしまったのか? いよいよ川越発祥説がゆるぐ。だからということでもなかろうが、わが町こそが「通りゃんせ」発祥の地≠ニ名のりをあげる場所がやたら多いのだ。そして、私も川越以外の発祥地探しを始めた。 手形の無い者 通しゃせぬ 菅原神社へ「通りゃんせ」 天神様は祟り神 |
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■関所遊び・通りゃんせ
「通りゃんせ」は、一名「天神様(参り)」ともいって、江戸時代から殆ど全国に普及した「関所遊び」の唄であるが、京都地方ではこれを一種の子取り遊びにしている。 通りゃんせ 通りゃんせ 此処(ここ)は何処(どこ)の細道じゃ 天神様の細道じゃ ちいっと通して下しゃんせ 御用のない者(もの)通しゃせぬ この子の七つのお祝いに お札(ふだ)を納めに参ります 行(い)きはよいよい 帰りは恐(こわ)い 恐いながらも 通りゃんせ 通りゃんせ 東京地方の普通の遊び方は『日本児童遊戯集』に見える左の方法である。 ここはどこの細道じゃ 二人対(むか)い合いて立ち、一人の左手と一人の右手と組み、肩の辺の高さに挙げ居れば、他の児はその傍らに来り二人に対して他「ここはどこの細道じゃ――(繰り返し)」ニ「天神様の細道じゃ――」他「どうぞ通して下さんせ――、この子の七ツのお祝いに――、お札を納めに参ります――」二「通りゃんせ――」といえば皆々その下を潜(くぐ)るなり。その時他「往きはよいよい還りはこわい」ニ「こわい筈だよ狐が通る」といいて他の児その下を潜りゆき、又直ちに帰るを待ち、二人はそを打たんと試むるなり。つまりアーチをつくっている子どもに背を叩かれると、叩かれた子は叩いたアーチの子と交替しなければならない。現行の唄は問答風に斉唱と独唱と交互に繰り返すが、もともとは両手(または左手)をアーチに組んで立った二人の子とその下を潜る子どもとの問答形式の唄であったと思われる。「ちいっと」は、「ちょっと」とか「どうか」ともいうし、「御用のない者云々」は古くは「手形の無い者通しません」ともいったらしい。この唄は、江戸幕府の頃、箱根の関所の通行が厳重を極め、手形のないものは絶対に通さず、何か特殊の事情、例えば親の重病とか主人の危篤などの場合だけ、関所に哀訴して通して貰った。しかし、その帰りには絶対に許さなかったことを歌ったものだという。また一説によると、穀物の豊作を祈って、人身御供(ひとみごくう)をささげた原始時代の人類の信仰が、この唄のもとになっているともいう。「七つのお祝い」は、七五三の宮詣り。「お札を云々」は「天神さんに願(がん)かけて」ともいうし、「恐(こわ)いながらも云々」のところは「帰りのお土産なァに」とか「こわい橋からお化けが出るよ」ともうたう。京都地方では「恐いながらも通りゃんせ」の後を、「此の児はよい児、親に何食わす/鯛の身/此の児はよい児、親に何着せる/絹物(もん)/此の児はよい児、親の許(もと)い帰れ(または「此の児は悪い児、地獄い飛んでいけ」)と歌いながら、次のような方法で遊ぶ。 「最初子供の並ぶ順序を決めるために、やはり組長格の児が二人向かい合って両手を握り合い上に挙げている。そして輪になった他の児らがこの手のアーチの下をくぐりながら「桜、桜、弥生の空は見渡す限り、霞か雲か、朝日に匂う」の歌をうたい、歌が終わったとたんに、二人は挙げた手を下ろして下をくぐっていた児をとりこにする。そのとりこにした子供から順々に並べておいて、全部並んだら親(鬼?)はそのまま両手をアーチに組んで立っており、子供達はそのアーチの下を走ってくぐる。親は急いで手を下ろして走り抜ける子を捕えようとする。捕えた時「此の児はよい児、親に何食わす」と聞き、聞かれた児が「鯛の身」とか「ひじきに油揚げ、雁もどき」または「お寿司に柏餅」と答える。親は「この児はよい児、親に何着せる」と聞く。児は「絹物」といった風に答える。それで合格すれば、親は、「この児はよい児、親の許い帰れ」とか「……元の家へ帰れ」「極楽へ飛んでゆけ」と言って元の方へ返す。もし合格しなかったら、「此の児は悪い児、地獄いとんでいけ」または「……針の山いとんでいけ」と言って反対側へ送る。これを繰り返すのだが、一度捕えられ判定を受けた児は、それ以後は加わらず、加わる者の数は次第に減る。」(『京都のわらべ唄』) 愛知県岡崎辺では、やはり京都のように問答をするが、「親に何くわす」「鯛の身をくわす」と答えると、「この子はよい子、大きになったら出世せ」などともいう。『童戯集』の<伊勢>の部には女子の遊戯法として次のように説明している。 天神様の細道(女子) 両人手を連ねて門の如くその手を挙げ、他の子供のくぐるを待つ。 甲 「そこは何処の細道や」 両人 「天神様の細道じゃ」 甲 「一寸(ちょっと)一ぺん通らしてんか」 両人 「御用の無いのに通らされぬ」 甲 「天神様へ筆上げに」 両人 「往きは、ゆるゆる、還りは、こわい」 往きや、ゆるゆると云いて徐(しず)かに通らしめ、還りはこわいと云いて、両人挙げたる手にて背中を打つなり。 この遊戯法から思い出されるのは『尾張童遊集』に見える「くんぐれくんぐれ山伏(ヤンマブシ)くんぐれやんまぶし」という遊びで、同書に、「手を手を持て真丸になり、如此いひながら廻りくぐりぬけて、うしろに向にみなみな成、又もとのごとくなるなり」とか、「今世童遊びに、手と手を取合せで、くぐれくぐれ山伏、又くぐれ山伏と云は、吉野山上する先達の股をくぐれば小児疱瘡をかろくすると云、今も峯入の帰りに市町にて小児を連出、股をくぐらす也、峯入は山伏の行也、因て股くぐれば山伏也」とあるので、ほぼ察せられる。因みに同種の遊び唄「通れ通れ山伏」が『童戯集』の<摂津>の部に見える。とにかくこの唄がこんなに盛んになったのは、大正時代に本居長世という作曲家が編曲して童謡として広めてからで、明治時代の曲調は同じメロディをくり返すような、もっと単調なものであったといわれる。 |
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■「とおりゃんせ」の歌はなぜ怖い?
7歳の子どもはそれまでの守護神から離れ、以後は自分の力で力強く生きてゆかねばならなかった。 「七つ前は神の内」という伝承の意味 まず「とおりゃんせ」の歌詞を思い出してほしい。「とおりゃんせとおりゃんせ、ここはどこの細道じゃ。天神様の細道じゃ。ちょっと通してくだしゃんせ。ご用のないもの通しゃせぬ。この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります。行きはヨイヨイ帰りは怖い。怖いながらもとおりゃんせとおりゃんせ」。幼い頃にこの詞を聞いていいようのない恐怖心に駆られた記憶があるのは筆者だけではあるまい。なぜ「行きはヨイヨイ、帰りは怖い」のだろう。 子どもの7歳の意味を考える時、「七つ前は神の内」という伝承が重要なヒントとなる。これは7歳までの子どもは神の領域にいることを表した一種の格言である。不安定であった子どもの魂は7歳になってようやく安定し、この世に定着すると考えられていたのである。 伊豆大島の南にある利島(としま)と新島(にいじま)では、子どもの生後14日目にハカセババアとよばれる産婆(さんば)さんが「ハカセ(博士)」という子どもの守り神を作る。ハカセは半紙を二つに折って三角形の底の部分に米を入れた簡素なものであり、子どもが7歳になるまで神棚で祀られる。子どもは7歳まではハカセがついているから危険な場所へ行っても難を逃れるといわれている。やがて子どもは7歳になると晴着を着て氏神(うじがみ)に参り、ハカセを納める。家では「七つ子の祝い」が盛大に行われる。これは子どもがハカセの守護下を離れて人間社会の仲間入りをしたことを披露する祝いであるといわれている。 ハカセの伝承は、7歳になった子どもはそれまでの守護神を氏神に返し、以後は自分の力で災厄(さいやく)を振り払いながら力強く生きてゆかねばならないことを意味している。つまり「行きはヨイヨイ、帰りは怖い」とは、7歳の宮参りの本質を今につたえているのではないだろうか。 |
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■7歳の祝い / ヒモトキッコ
旧川越町や朝霞市では7歳の祝いをする子をオビトキッコ、狭山市入間川・川島村中山ではヒモトキッコといい、7歳の11月15日にヒモオトシをして宮参りをする。滑川村宮前では里方から着物・帯・はきものなどが祝われ、旧田面沢村では里方から着物(四つ身)二重ねと羽織が贈られる。ヒモトキ以後は子供の着物に付けひもをつけない。ヒモトキまでは鎮守さまがついて子供を守って下さったが、以後はついていて下さらないので今までのお礼に鎮守さまに参るのだという。 |
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■天神さま
――通りゃんせ、通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ。天神さまの細道じゃ…… 童謡「通りゃんせ」は天神さまへ子どもの七歳のお参りに行く様子が歌われている。しかし、この歌はよく聞くと怖い。「行きはよいよい、帰りは怖い」といって、こどもを捕まえてしまうのである。天神さまといえば、学問の神として名高い。しかし、神なのに天神さまには怖いイメージがついてくる。 なぜなのか。じつは天神さまは、ほかの神とは性格と生い立ちがちがう。多くの神社は自然や神話に出てくる神や天皇を祭っている。ところが、天神さまはそのどれにも当てはまらないのである。 天神さまはもとは天皇の臣下で、名を菅原道真(すがわらのみちざね)といった。平安時代の秀才で、認められて右大臣まで出世したエリートである。書にもすぐれ弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)や、小野道風(おののみちかぜ)らと日本の三筆に数えられる。天神さまの「学問や書道の神さま」という性格づけは、生前の道真の資質に由来している。 道真は恵まれた人生を送るはずだった。だが朝廷の政争に巻き込まれ、落とし穴にはまる。左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(ざんげん)によって九州の大宰府(だざいふ)に左遷され、あげく失意のうちに亡くなった。かれの死は、都の人々にとって後味の悪いものだった。その後、都に疫病が流行り、落雷や火災が相次ぎ、示し合わせたように道真を陥れた政敵が次々と不慮の死を遂げると、道真の怨霊の仕業にちがいないと人々は考え、その祟りにおののいた。 当時は御霊(ごりょう)信仰が盛んだった。不遇の死を遂げた者が怨霊となって人々に祟り、疫病を流行らせ、厄難を招くと信じられていた。そのため、霊を神さまとして祭って怒りを鎮めようとしたのだった。 道真の家があった京都の桑原(くわばら)の地だけが落雷の被害に遭わなかったこともあって、かれを火雷天神とする御霊信仰が起こった。雷が鳴ると、身を守るために「桑原、桑原」と唱えるのは、このことに由来している。のちに道真の祟りを恐れた人々は、霊をなぐさめるために京都北野にあった天神社のかたわらに霊を祭る社(やしろ)を建てたのだが、これが北野天満宮(北野天神社)の始まりでるこっこで。 ここで、おやっと思われるかもしれない。道真の霊を祭るまえから、天神さまがすでにあったからである。じつは、天神さまはもとはあまつかみ、すなわち天の神として祭られていのだ。時が経つにつれて、天神社と道真を火雷天神とする御霊信仰がひとつになった。ややこしい話だが、このように長い時の溶炉のなかで、いろいろな信仰がひとつに溶け合ってゆくのは珍しいことではない。 今では学問の神さまとして高名な菅原道真も、「天神さま」として祭られた当時は、何をしでかすかわからない怨霊として怖れられていたのである。 |
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■菅原道真
845〜903(承和12〜延喜3)平安前期の官僚・文人 (系)菅原是善の子、母は大伴氏。(生)左京(菅原院という)。 家学である文章道をよくし、11歳で初めて詩を詠み、15歳で刑部福主四十の賀の願文を草するほどであった。862(貞観4)文章生試に及第し、’67に文章得業生となり、ついで正六位下下野権少掾(しもつけのごんのしょうじょう)に任ぜられた。’70方略試に及第して正六位上となり、翌年玄蕃助、少内記を歴任。’74従五位下となり、兵部少輔、民部少輔、式部少輔をへて、文章博士となり、’86(仁和2)讃岐守に任ぜられるまで、諸貴族の願文を度々草し、「治要策苑」や「日本文徳天皇実録」の序を草した。さらに藤原良房・基経らとの交際も親密なものがあった。讃岐の任地での漢詩は道真のその道での一期を画するものといわれるが、この間中央では阿衡(あこう)事件がおこっており、道真も事件の調停にあたった。’90(寛平2)帰任ののち、翌年基経の死の直後に蔵人頭となり、ついで式部少輔、左中弁、左京大夫をへて、’93には参議兼式部大輔となった。この間「三代実録」の撰修、「群書治要」の侍読などに参加。その後、左大弁、勘解由長官、春宮亮(とうぐうのすけ)などをへて、’94には遣唐大使となったが、在唐中僧崔(王偏に崔)の奏状などによりその中止すべきことを奏し、停廃となった。その翌年従三位中納言となり、さらに民部卿を兼ね、長女衍子を入内させ、自らも正三位権大納言右大将となり、’99(昌泰2)には右大臣となった。翌年三善清行が辞職をすすめたが、その予想どおり901(延喜1)従二位に叙せられた直後、藤原時平の讒言により大宰権師に左遷され、’03任地で失意のうちに59歳で没した。その作品は「菅原文草」「菅原後集」などに収められているが、とくに唐の単なる模倣ではなく、日本の心情を描写したものとして著名である。その不遇な最期から、死後天神信仰などとして民衆に強い影響を与えた。 |
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■「あんたがたどこさ」 川越諸話 | |
■仙波山のたぬき
川越地方のわらべ唄にこんなのがある。 仙波山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で打ってさ 煮てさ、焼いてさ そして子どもたちはこの仙波山を喜多院のある仙波のことだと思っている。しかしこれはこの唄の冒頭に あんた方どこさ、肥後さ 肥後どこさ、熊本さ 熊本どこさ、洗馬さ 洗馬山には……。 とあるとおり熊本城下の洗馬山のほうが正しい。何でもそこには自然の湧水があって、藩中の者が馬を洗う場所だったと聞いている。もちろん川越の子供たちが仙波だと考えたって別に差支えがあるわけではなし、あながち幼い者たちの夢をこわす必要はない。 それにしても仙波山に狸がいただろうか。「仙波川越由来見聞記」には、享保19年(1734)喜多院の慈恵堂の下にある穴を、御用懸りの平尾平三、吉岡五郎左衛門などが検分した記事がみえる。それによると穴は縁の下の西の方にあって、大きさは四、五尺位もあろうか。そのまた東の方にも穴があるが、この方は少し埋まっている。両者の距たりは約四五間あるが、どうも洞になってつながっているらしい。そこで縄を入れてみたが、横穴のために縄がうまく下りないので、今度は灯を入れて探ってみたけれども、どれほど深いものやら見当がつかない。 ただ穴のあたりに狐か狸とおぼしき足跡が沢山あったから、多分そうしたものの棲家に違いない。そういえばこの慈恵堂の裏手の土手に大きな杉の木があるが、その根方にも穴がある。ひょっとするとこの穴から縁の下に出入りするのかも知れない。そしてこの穴のことは寺内の年寄たちにも尋ねてみたが、誰ひとり知る者がない。折よく来合わせた南の院の住職だけが、つぎのような話をしてくれた。 何でも実海僧正が住職のときだというから、天正頃のことであろう。この縁の下に年久しい狸がいて日夜勤行を聴聞していたが、のちに新三位という僧になって慈恵堂の堂守になった。しかしある日その寝姿を人に見られ、本性を見破られてしまったので、もはや仙波にもいられなくなり、どこへともなく姿を消してしまった。何でもその新三位とやらが書いた聖教が伝わっていたが、それも先年の火事で焼けてしまって今はない。その後この狸の子孫が喜多院の山内にいたというから、大方その穴ででもあろう。近頃はとんとそんな噂も聞かないし、私もこの穴は始めてみた。 この話から考えると昔はどうやら狸がいたことになるが、今はこんなことをいっても、誰もあまり信用してくれまい。もっとも狸がかならずしも四つ足に限らぬという解釈ならば話はまた別であるが……。 |
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■あんたがたどこさ
煮て焼いて食われたのは 誰だったのか? 一、 あんたがた どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ せんば川には えびさがおってさ それを漁師が 網さでとってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ うまさの さっさ 二、 あんたがた どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ せんば山には たぬきがおってさ それを猟師が 鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉で ちょいとかぶせ たぬきとえび 参勤交代が作ったわらべ歌 なんだって? まさか。いや、待った……、そうか! 肥後(ひご)さ…… だから、熊本県だけとは限らない。ちなみに肥後とは江戸時代には熊本、人吉(ひとよし)、宇土(うと)、高(たか)、富岡(とみおか)の5藩からなっていた。廃藩置県後にそれらが熊本県になったのだ。ということは、肥後のどこかの歌だったのか? それが違うのだ。答えは、まったく振り出しに戻る勢いのものだったのだ。「違いますよ。『あんたがたどこさ』は関東のわらべ歌なんです」 この話を聞いたある町とは埼玉県川越である。先に書いたわらべ歌の「通りゃんせ」の取材の最中だった。「通りゃんせ」は、川越城内にある三芳野(みよしの)神社の天神様≠歌ったものといわれているが、「あんたがどこさ」の発祥までが、まさかここであったとは驚き! ただ川越に限らず、これを関東のわらべ歌としている資料はかなりあるのだ。最大の理由は、 あんたがた どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ…… この〜さ≠ヘ、熊本では使われない言葉であるからということなのだ。よく見てみると、この歌は問答形(もんどうけい)になっている。 あんたがた どこさ……、 と、尋ねられてから、 肥後さ…… と、答えている。今の時代でもあるまいし、お父さんの転勤で肥後から遠くに来て、子供たちがあなたどこから来たの?≠ニ聞くわけもないし……。でもそれがそうなんだ。あんたがた≠ニいうことは、複数をさしている。じゃあ、貧しさゆえの集団就職? または人さらい? まさか。たとえば当時の女の子が就職先やさらわれた先として行くのは、子守奉公(こもりぼうこう)か遊郭になってしまう。それならのんきに、まりついて遊んでいられるはずなどない。これは参勤交代のため、藩主(はんしゅ)やその家来たちの家族が江戸住まいをしていたときに、歌われた歌だとすれば納得がゆかないか? 近くに住む江戸の子供たちでもいいし、江戸城や川越城などいわゆる都会派の士族仲間の子供でもいい。どこから来たの?≠ニ、問いかける。つまり江戸弁で、 あんたがた どこさ…… と。子供に限らず、大人でも都会の言葉には憧(あこが)れるものだ。方言は国の宝≠ニはいえ、子供同士であなたたちどこから来たの?≠ニ尋ねられ、わざわざ肥後でごわす≠セなんて答えやしないだろう。参勤交代で先に江戸へ来ていて、国許(くにもと)へ帰ったお姉さんたちから 「江戸では、〜さ≠チて使うよ。〜ごわす∞〜ばってん≠ネんて使わんとよ」 などと言われてりゃ、女の子たちはますますそんな使ったっことのない言葉を恰好いいと思ったとしても不思議じゃない。今の若い子たちがかっこいいじゃん≠ニか超かわいい≠チて使っているのと同じようなもんだ。今も昔も女の子は敏感なのだ。一般の熊本人は〜さ≠ニは使わないが、城中の参勤交代経験者の中では十分に使われていた言葉だと考えてもいい。だからこの歌は、言葉が違うという理由からだけで肥後の歌ではないとは、言い切れなくなるのだ。ただ、 あんたがた どこさ…… と、尋ねるほうの子を考えるとこの歌の発祥は確かに関東だと思われてくる。だが、答えているのは、やっぱり肥後の子供でなければおかしいのだ。そしてある時期まで、この歌の主人公はやはり、たぬきではなく、えび≠セったのではないか? それが、ある時期からたぬき≠ノその座を奪われた。話が遠回りしたが、実はここからが川越発祥説になるのである。川越は、徳川家康が江戸に幕府を開いてから川越藩となり、親藩(しんぱん)として老中や大老ら大名が代々藩主となった江戸の護(まも)りの地である。この町に天長(てんちょう)7年(830年)創建の天台宗(てんだいしゅう)・喜多院がある。ここの27世を継いだのが、家康の信頼が厚かった天海大僧正(てんかいだいそうじょう)だったのである。喜多院の境内には有名な五百羅漢像(ごひゃくらかんぞう)も残されているが、その奥にあるのが仙波山(せんばやま)とよばれる小高い丘なのだ。さらにここには明治維新のときに薩長(さっちょう)連合の東征軍が駐屯(ちゅうとん)していたので、兵士と子供たちのやり取りがこの歌を作ったとされるのである。兵士に向かって、 あんたがた どこさ…… と、子供が聞いた? ちょとこの説はいかがなものかと思う。ただ私は、この場を訪れてみてこういうことであれば川越発祥≠烽ネきにしもあらず……と感じたのである。たぬきの正体、見〜つけた! 喜多院の境内の中にある仙波山には今、東照宮(とうしょうぐう)が建てられている。仙波東照宮とよばれる。天海が寛永(かんえい)10年(1633年)に建てたものである。家康が75歳の生涯を、駿府城(すんぷじょう)で閉じたのは元和(げんな)2年(1616年)のことだ。遺体は家康の死んだ暁(あかつき)には……≠フ命に従って久能山(くのうざん)に移され、葬儀が執り行なわれた。その後、遺骸を久能山から日光東照宮に移す途中に喜多院に入り、4日間の法要が営(いとな)まれている。そして日光へ運ばれていったのである。世の中では泣くまで待とうほととぎす≠フ徳川家康のことを、その計画性の巧妙(こうみょう)さから腹黒いたぬきおやじ≠ニ形容して呼んでいたといわれることが多い。75歳で天寿(てんじゅ)を全(まつと)うというのも長生きそのもの。当時は人生50年。いや、それもうまく生きることができて50年という時代だった。たぬきは、生命力の強い生き物だといわれる。それがとうとう、そんなたぬきも病いには勝てず死んでいった。だから、 せんば山には たぬきがおってさ…… と皮肉(ひにく)ったのではなかろうか。わらべ歌には、お上(かみ)に言上(ごんじょう)できない庶民の願いが歌として託されている、というものが数多い。城下で歌われていたえび≠フ歌が仙波山に引っかかり、仙波山がある川越に死んだたぬき≠ェやって来た……、と考えれば、川越説もなかなか説得力があるだろう。さらにたぬき≠ヘ家康でもいいのだが、そのたぬき≠キら化かしていた大だぬき≠ェ天海だったのでは? とも思えてくるのだ。天海は家康と近しくなる以前は、武田信玄(たけだしんげん)の下(もと)についていた。その後、信玄は、織田信長(おだのぶなが)と雌雄(しゆう)を決しようとしている最中に病いを得て死去する。信長が明智光秀(あけちみつひで)に本能寺(ほんのうじ)で死に追いやられ、明智の三日天下≠ナ豊臣秀吉(とよとみひでよし)の時代に移る。秀吉の関東攻略の成功により家康が関東に入国した頃、天海は家康に接近。関ヶ原(せきがはら)の戦いの勝利で家康は江戸に幕府を開く。慶長(けいちょう)8年(1603年)のことだ。実は天海が喜多院27世を継いだのが、関ヶ原の戦いの前年に当たる。そして家康から厚い信頼を受けるようになる。その結果、寺領4万8000坪及び500石を下され、寺勢盛んとなる。慶長12年(1607年)、比叡山(ひえいざん)内部の争いのときに、家康が天海を使って復興に当たらせ成功させたことで、そこらにいる坊主とは格が違う≠ニ周囲に認めさせた。このことを発端にして二代将軍秀忠(ひでただ)、三代家光(いえみつ)とも深く関(かか)わってゆくのである。業績を残しさらに5年後、天海は夢だった無量寿寺(むりょうじゅじ)の再興(さいこう)に着手、この際に寺を喜多院という名前に改め、ここを関東天台宗の本山(ほんざん)とさせ、自身をもっとも位の高い僧にのし上げさせた。建立された大堂には、国中の大名から礎石(そせき)をひとつずつ寄進させ、多数の仏像を京都の一流仏師に作らせた。この関東天台宗法度≠ェ幕府から発布されることにより、主導権を比叡山から関東に移させたのである。家康死去後も力を振るう。側近たちは神として家康のことを大明神≠ニ祀(まつ)りたいと進言したが、即刻却下。仏教界の用語権現(ごんげん)=Aつまり仏として祀らせている。権現とは、仏が身を変えて、わが国の神として現れることである。神仏習合の時代ではあったが、それでも仏教こそ神の上に立つものという思いが、ここに表われていると指摘する説もある。秀吉が大明神≠ニして祀られているから、どうしても家康には権現≠名のらせたかったともいわれている。 さらに家康の葬儀場所、遺言にあった久能山からわざわざ遠回りさせて喜多院に寄らせ、そこから日光山へと送り出す。そしてそれから17年も後になって、仙波東照宮を造営するつ間もなくして、江戸寛永の大火である。江戸城はもちろん、川越も大火によって喜多院も東照宮も焼失する。しかし東照宮をすぐに直さなければと復興に着手。その際に江戸城の徳川家光御誕生の間≠喜多院の客殿として、春日局化粧(かすがのつぼねけしょう)の間≠書院として移築させた。しかしこれは大火を免(まぬが)れた江戸城唯一の遺構(いこう)だったのである。そんな大切なものを運ぶのだからと、川と舟の便をよくさせ、川越の町を経済的に発展させたのである。当然、川越に着いた人々は、権現様が祀られる喜多院の東照宮に足を運ぶという計算が成り立つ。旅人が多くなると町は栄える。仙波には茶屋まで登場する。そこで茶屋女が遊女のまねごとまでしていたとされる。遊郭の女はかごの鳥¥態の悲しい身の上だが、茶屋女は違った意味で売春して小金を稼ぐ性悪(しょうわる)女だった。それこそたぬき≠サのものではないか? これを推奨したのも天海だとさえいわれる。 せんば山には たぬきがおってさ……、 やはり、大だぬき≠フ正体は天海だったのではないか? それらを見届けて天海が亡くなったとき、天海は107歳だったとも117歳だったともいう。75歳の家康も足元に及ばぬ大だぬき=A人々はこの大だぬき≠ノ踊らされている徳川家康を腹の底では、せせら嘲(わら)っていたとしたらどうであろう? 庶民の口はうるさいものなのである。 |
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■千葉 | |
■遊ばせ唄 | |
■かいこうまんま
かいこう まんま お舟が通る 何積んで通る 米積んで通る 通らば呼ばれ こちゃ福の神 |
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■ぎっこなばっこな
ぎっこな ばっこな となりのおばさん 米一升貸してくれ 晩げひいてもどすべ |
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■ぎっこうがっこう
ぎっこう がっこう となりのばあさんな 米一升貸してくれ あしたの晩について つんもどすべ |
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■あんよはじょうず 1
あんよはじょうず ここまでおいで |
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■あんよはじょうず 2
あんよはじょうず ころぶはおへた |
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■寝させ唄 | |
■ホラホラほうらい豆
ホラホラ ほうらい豆 十六ささげ ささげが嫁に行って 追い出された お留が大きくなったら 江戸へやる お江戸じゃちりちり ちりめんづくし お江戸じゃちりちり ちりめんづくし いなかじゃ菜種の 花ざかり |
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■ねんねんおころり
ねんねんおころり ねんころり 坊やのお守りはどこへいた あの山こえてお里いた 里のおみやげ何もろた でんでん太鼓に笙の笛 |
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■ちゃんぽんぽんの木の下に
ねんねんころりねんころり ねんねの子守りはどこへ行った あの山越えて花取りに 一枝取れば昼になる 二枝三枝めにゃ日が暮れた 今夜はどこへ泊まろかな ちゃんぽんぽんの木の下に泊まろかな ちゃんぽんぽんの木の下にゃ蜂がいて 蜂に刺されて目が覚めた |
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■お里のおみやげ 1
ねんねんよう おころりよう ねんねのお守りは どこ行った あの山こえて お里行った お里のおみやげ 何もらった でんでん太鼓に 笙の笛 おきゃがらこぼしに 風車 風の吹くときゃ よくまわる |
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■お里のおみやげ 2
ねんねんころりよ ねんねしな 坊やのお守りは どこえった あの山こえて 里こえて お里のおみやに 何もらった でんでん太鼓に 笙の笛 それをやるから ねんねしな |
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■坊やの父さん
ねんねんころりよ おころりよーオ 坊やの父さん どこへ行ったーア あの山こえて とと釣りにーイ ととは何びき 釣ってきたーア 坊やが食べるほど 釣ってきたーア 坊やによいとこ 食べさせてーエ ねこには骨でも しゃぶらせろーオ だからよい子だ ねんねしなーア ねんねんしなしな ねんねしなーア |
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■守り子唄 | |
■泣いてくれるな
泣いてくれるな出船の出先ヨ 泣くと出船が出そくなるヨ ヨイヨイ お前泣くからこのわしまでがヨ つらい涙が先に立つヨ ヨイヨイ 守りは楽なよでつらいものヨ 雨風吹ければ宿はなしヨ ヨイヨイ ヨーイ四日市場で日が暮れてヨ 芦崎たんぼで夜が明けたヨ ヨイヨイ 早く来い来い師走の二十日ヨ いろいろお世話になりましたヨ ヨイヨイ ヨーイ四日市場のよごれ道心棒ヨ いくらよごれでも籠つくるヨ ヨイヨイ |
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■坊やが泣けば
ねんねんころりよ ねんころり 坊やはよい子だ ねんねしな 坊やが泣けば ねえやも泣くよ 守りっ子は楽なよで つらいもの つらいはずだよ よそだもの よそは他人の なかだもの 他人のめしには とげがある ねんねんころりよ ねんころり 守りっ子は楽なよで つらいもの 雨風吹いても 宿はなし 人の軒場に 立ち寄れば またうるさいと 追い出され 親が貧乏だから 子守りに出され ほんに守りっ子は つらいもの ねんねんしなされ 起きなされ 起きた目ざまし 何あげよ お菓子かせんべか らくがんか ねんねんよォ ねんねんよ ねんねんころりよ ねんねんよ |
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■わらべ唄 | |
■東京 | |
負ける女がなお悪い 三拍子そろった 東京ワルツ 二度とあんたの 顔などみたくない ああ東京 街はいつでも 後姿の 幸せばかり ウナ・セラ・ディ東京 エロスで殺して 乳房で脅して 東京美人 朝まで吊るして いいことひとつも ないれれど ないれれど どうせ東京の片隅に 心の痛み 感じている ひとり暮し 東京で ひとり暮し 恋もなく 泣きたいほどさ 赤坂 麻布 数寄屋橋 ゆられてゆれて ふたりの東京 俺らこんな村いやだ 東京へ出るだ 東京へ出だなら 銭コア貯めで東京で牛飼うだ 裏目つづきの世間を飛ばす 夢の土俵さ 東京は 風も吹くけど 花も咲く あゝ好きです 東京の人 故郷をあげたい あの人にあげたい 愛のぬくもり抱きしめて 東京大阪 心の糸を 結んで走る 14番線 明日は東京へ帰ります あゝ 星の降る 八ヶ岳 あなたが恋しい 信濃路ひとり 人の情けがいきる街 東京なんてめじゃないわ あなたとわたしは 大阪すずめ 東京へはもう何度も行きましたね 君が咲く花の都 花嫁衣装は もう無理だけど 渋谷 新宿 吉祥寺 私 東京かくれんぼ 離しはしないさおまえのことは ほんとね ほんとさ いつまでも二人の東京しのび逢い 夜は真珠かガラスの街は もらす吐息に 夢もかけあし夢もかけあし 東京セレナーデ 花嫁衣装でつつんであげる 渋谷 新宿 吉祥寺 お前東京たずね人 あなたを今も 待っている 東京で一番淋しい女 どこか似ている 濡れまつ毛 愛して 愛して 愛したりない あゝ東京の雨を札幌で 召しませ花を 粋なジャンバーアメリカ兵の 影を追うよな甘い風 ああ東京の花売娘 夜が更けゆく街 私のため息が流れて 霧になるなる東京 この世の汚れを消せますか 純になろうと瞳を閉じても 東京の夜は短くて 女が鳴らす 口笛は 恋の終わりの 東京ブルース ふたつならんだ夫婦星 東京ふれ愛 めぐり愛 心で暴れて 俺を酔わせないよ みっともないぜ雨 雨 東京もどり雨 そんな耳うちを されると 別れがとてもつらい 東京 東京 ラスト・ナイト 人が見てるべ はずかし ありゃうれしい 胸もふくらみ 東京らんでぶう 乾いた砂漠の東京も 港町だと思えば濡れる 古い男も女も 生きられる あなたがいれば 陽はまた昇る この東京砂漠 同じ色の花を咲かそう 東京砂漠 かたすみのめぐり逢い 眠りたい 眠れない かくれる夜がない 東京白夜 さびしげな目の色を みつめているような 東京物語 恋の砂漠の東京で 明日は いいことありそうな 咲く花 散る夢 東京無情 骨のずいまで 演歌で通す それも男の それも男の 東京流転笠 どっこい明日はヨ 錦を飾る 花の東京の アア旅鴉 夜汽車の笛はいやだよ 早く行こう あの娘の住んでる東京へ うすいコートで包みあう 肩の先にもしあわせが 夜の東京 二人のめぐり逢い あなたに抱いて ほしいの 男と男と 女の女の 涙のナイトイン東京 東京の夜明けに歌う 子守唄 涙が頬に光るたび 小さなダイヤになるという 銀座恋の街 おんな 一代 舞扇 どうぞ幸福 くるように あゝ神楽坂 愛して生きるのよ 未練は未練は いじわるね 夜明け間近の 花園しぐれ 言問橋から飛ばそうか だっておきゃんも お年頃 ハイ お年頃 浮気封じに あんたの胸に 紅で名を描く 大江戸そだち ここがいつもの愛の部屋 それが赤坂 赤坂 デル コラソン 遅いでしょうか この恋は 夢がゆられて 流れゆく 雨の すみだ川 それぞれの人 原宿表参道 ゆれて青山通り 原宿表参道 ゆれて青山通り 江戸の名残りの 浅草は 木やりくずしの 酒の味 おしゃれして 渡っておいでよ ベイブリッジ 恋のかけ橋 ベイブリッジ・ブルース おせっかいのついでに 石けんひとつ 夕日赤い阿佐ケ谷あたり 半分恋しさ もとめあうのね 甘えたい 甘えていいよ ゆれて赤坂 ナイトパブ 手描きの人生 江戸友禅に 夢見る隅田の 愛染流し さよならしたらもう二度とは 足音さえも帰らない 赤坂 赤坂 ぼくは泣きたい 生くる蒲田若き蒲田 キネマの都 ああ 春はこぶしのび逢い 恋しき人よ銀座 今宵更けゆく銀座 たのしい街よ ふたり消えゆく銀座 夜霧の街よ あゝ背のびして あゝ指を噛む 波浮の港は 御神火月夜 あなた恋しと鶴をおり 波間にとばします 波浮の港 どこか優しい仲間たち 新宿 新宿 新宿みなと町 だまされちゃって 夜が冷たい 新宿の女 深川雀が 噂ばなしに 親にゃ内緒に しておくれ 恋しお方も木場育ち 何を信じて生きてく女 春はいつくる 渋谷 新宿 池袋 今じゃ妻子さえいるという 肩に冷たい 夜の浅草 みぞれ雨 あなたに駆け寄り 傘をさす 袖摺坂の あゝ夢しぐれ いつか武蔵野 うけらが花よ 恋し紫 恋し紫 色に出た 僕と君が映るウインド 肩を寄せて指をからませ 二人の銀座 心の櫓で 半鐘 鳴らしておくれ 恋の火の手が上がる 江戸の華よ 忍ぶ 不忍無縁坂 かみしめる様な ささやかな僕の 母の人生 あてにならない あなたなら せめて二人で いるときだけは あまえさせてね 広小路 明日もひとり あの坂を帰って来そうな そんな六本木 ほろりとさせて六本木 あなたいいひとだね |
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■遊ばせ唄 | |
■テテンクンクン
テテンクンクン テテンクンクン シタダミツブツブ わがな母が潮汲みへ 出たっとろが 石のとんぐれから つんむぐって ひん流れか したんのう 出てみろナカメ 出てみろテゴメ なァきゃ父 あだみしょうど |
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■ジョーセイジョーセイ
ジョーセイジョーセイ クビジョーセイ お前どこに寝とお 川端に寝たら あにょ着て寝とお くもばを着て寝たら どらそのくもばは 土になって灰になって かご屋が庭い ぶん投げた |
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■ここまでおいで 1
ここまでおいで あまざけしんじょ |
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■ここまでおいで 2
ここまでおいで あんよはじょうず ころぶはおへた |
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■赤いじょじょはいて
赤いじょじょはいて ここまでおいで あまざけしんじょ あんよはじょうず |
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■あんよはじょうず
あんよはじょうず ころぶはおへた |
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■おつもてんてん
おつもてんてん ひじぽんぽん |
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■千ぞや万ぞ 1
千ぞや万ぞ お舟はギッチラコ ギッチラギッチラこげば 港が見える 恵比須か 大黒か こちゃ福の神ィよ |
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■千ぞや万ぞ 2
千ぞや万ぞ お舟はギッチラコ ギッチラギッチラこげば 恵比須か 大黒か こちゃ福の神ィよ |
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■塩屋かぎ屋
塩屋 かぎ屋 塩一升おくれ |
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■千手観音
千手観音 拝んでおくれ |
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■寝させ唄 | |
■ねんねん寝屋町
ねんねん寝屋町米屋町 酒屋で嫁とって追い出した 追い出すまもなく子ができて できたその子は女の子 早く育てて嫁にやる お嫁の道具はなに道具 たんす長持挟箱 それに続いて夜着ふとん |
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■坊やはよい子だ (江戸子守唄)
ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 坊やのお守りは どこ行った あの山超えて 里へ行った 里のおみやに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 坊やはよい子だ ねんねしな |
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■ねんねんねこのけつ
ねんねんねこのけつに ありがはいりこんだよ やっとこすっとこ ほじくり出したら またはいりこんだよ |
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■ねんねんねこのけつ
ねんねんねこのけつへ かにがはいこんだ かにだと思ったら 毛虫だ 毛虫ゃ毛だらけ穴だらけ おまえのおけつはくそだらけ |
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■ねんねんねこのけつ
ねんねんねこのけつに かにがはいこんだ やっとこさで しょぼきだしたら またはいこんだ |
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■小山の子うさぎ
ねんねんころりよ おころりよ ねんねん小山の子うさぎは なァぜにお耳がお長いね 母ちゃんのポンポにいたときに 椎の実榧の実食べたゆえ そォれでお耳がお長いよ 坊やはよい子だ ねんねしな |
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■ねんねこした子にゃ
ねんねこよォ ねんねこよォ ねんねこした子にゃ乳あげる 起きて泣く子にゃ石七つ ねんねろォねんねが ねんねしなァ |
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■守り子唄 | |
■ねんねが子守りは
ねんねんねんねん ねんねしな ねんねが子守りは つらいもの 親にゃしかられ 子にゃ泣かれ ヘビロたぼりょちゃ おそばなし みつぎよつぎの みしゃだおりょ ひきだしにようとで とじつけて 一よんべ着るとは ビービーと 二よんべ着るとは ジャージャーと 三よんべめには あてどなし おったらでおよりやれ わが子さま 起きれば桶のはれ たたきこもに 寝なけりゃネンネンジョーに 背負わせろんて ねんねんねんねん ねんねしな |
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■わらべ歌 | |
■「キャーロノメダマニ」
きゃーろのめだまに きゅうすえて それでもとべるか とんでみな おっぺけぺっぽー ぺっぽっぽ おっぺけぺっぽー ぺっぽっぽ [ きゃーろ=カエル/きゅうすえて=お灸をすえて ] トナエうた。「カエルの目玉にお灸をすえて、飛べるなら飛んでみな」という、子ども独特の残虐性が出ています。しかしこういった体験(残虐性というよりは好奇心でしょうね)から自然と命の尊さを子どもは学び取っていくのだと思います。遊び方としては、円になり、その中心にカエル役一人。みんなではやして歌い、「おっぺけぺっぽー」からはカエル役が中央で飛び跳ねる。 |
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■神奈川 | |
振向いて 横浜 いきいきと二人きり はしゃいだ日まで おもいで酒場の 止り木は ああ熱い涙に ぬれて横浜 ふりむけばヨコハマ くちびるが淋しい ふりむけばヨコハマ 置いてきぼりね タバコの香り ヨコハマ ブルーライトヨコハマ 二人の世界 いつまでも ここはヨコハマなんだもの 君の横顔まぶしくて 心 せつないね めそめそ泣いても 囁く声もない 横浜 たそがれ シルエット 夜って嫌い わたし 泣かない いつも 女ひとり よこはま 別れ雨ブルース おまえのほかに 幸せなんか さがしはしないさ よこはまで出逢った 恋の物語 おれの心は 変わらない あゝヨコハマ 星がつぶやく 恋港 みれん水割 恨みを流す 明日に生きる 夢に生きる 横浜のおんな 時の流れを 戻して追えば おもかげいとしい 本牧通り ああ ヨコハマ アンタ あの娘の何なのさ 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ ああ 港ヨコハマ 花売娘 追いかけてヨコハマ あのひとが逃げる 残したすてゼリフに誰か見覚えはありませんか 語り明かした 伊セ佐木通り 忘れはしない 君のこと アア 恋の横浜 情け街 一夜の恋のブルースよ 忘れられようかヨコスカマンボ お前の罪じゃない 元町あたりで 踊っていたと お前の噂をきいた 伊勢佐木あたりに 灯がともる 夢をふりまく 灯がともる 波のように抱かれるのでしょう ここは横須賀 あの娘可愛や 小田原育ち 人の噂の なかに咲く 夏が来た ほろ苦い想い出つれて 夏が来た ただひとり湘南哀歌 別れを惜しむ 男相傘 ほろりと濡らす 雨も神奈川 水滸伝 弘法山にはからすが急ぐ 煙草かく娘のエー なんとしょ手がはずむ ひとり別れの 酒くめば つらい 逢いたい 箱根の女よ 積る不孝は 倍返し やだねったら やだね 箱根八里の 半次郎 |
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■寝させ唄 | |
■どっこい丼鉢
どっこい丼鉢ゃ 落せば割れる 割れるはずだよ せてものだ |
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■信州信濃の
信州信濃の しんそばよりも わたしゃあなたの そばがよい |
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■どっこい丼鉢
どっこい丼鉢ゃ 落せば割れる 姉さん島田で 寝てわれる ヨーオヨイヨイ ヨイヨイ横浜 明るくなれば うちの街道は 暗くなる ヨーオヨイヨイ |
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■ねんねねてくれ
ねんねねてくれ 朝起きてくれ あすはこの子の 誕生日よ ヨイヨイト |
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■島はよいとこ
島はよいとこ 来てみらしゃんせ 前は相模川 船がつくよ ヨイヨイト |
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■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 坊やのねんねの その暇に 糸取り 機織り染めあげて 三つのお祝い 三つ身着せ 五つの祝いに 四つ身着せ 七つ本裁ち裁つからは つくせ世のため 人のため つくせ世のため 人のため |
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■子守りゃ楽なようで
子守りゃ楽なようで してみりゃつらい おっかさんにしかられ 子に泣かれ 雨が降るときゃ 宿がない |
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■子守りゃ子でもつ
子守りゃ子でもつ 子は乳でもつ ヨオー ヨイヨイ 名古屋は 城でもつ ヨオー ヨイヨイ 尾張名古屋は 城でももつが ヨオー おかさんの ふんどしゃ ひもでもつ ヨオー ヨイヨイ |
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■いか採り舟の歌
沖に見えるは いか採り舟か さぞや寒かろよ 冷たかろ ヨーイヨイ 嫁に行くなら 西町はおよし のぼりくだりのよ 水かつぎ ヨーイヨイ 早く日が暮れ はや夜が明けて 三月二日がよ 来ればよい ヨーイヨイ 三月二日も 近寄りました 旦那おかみさんもよ お世話さま ヨーイヨイ お世話さまとは 言いたいけれど 長々みじめによ あいました ヨーイヨイ 子守り叱んなんな 子守りはだいじ 子守り叱ればよ 子にあたる ヨーイヨイ 子守りゃ楽なようで してみりゃつらい 子守り叱ればよ 子にあたる ヨーイヨイ |
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■小桜節
(上の句) あのや小桜をナーアヨ アアあのや ほら小桜をナー オーサイ 折ろろっとしたなら 背中なる ねんねこさんがナー じゃまになる (下の句) じゃまになるならナーアヨ じゃまになるならナー オーサイ 前へっと まわして お乳でも 飲ませたら だまるだろ |
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■わらべ歌 | |
■てべしょ
神奈川県央のわらべうたの中に 「てべしょ てべしょ てべしょの中に 憎い野郎めに くれたい物は 蛇の生焼け とかげの刺身 さっさと おくりゃれ 唐辛子 唐辛子 一石 二石 三石 五石のお釜で 茹でこぼし 茹でこぼし 茹でて晒して 俎にのせて あぶらを切るよに ブッキリ ボッキリ ブッキリ ボッキリ」 というのがあります。 解説には「てべしょとは何かハッキリしない。小さくて浅い皿のオテショ(御手塩:手塩皿)に近いのではないか」とか、「その中に蛇の生焼けやトカゲの刺身を入れてやりたいと歌っているから、多分男の子が好んで歌ったものではないか」とあります。『あぶらを切るよに』というのは油菜のことだそうです。 子守唄や民謡に中にも仕事の辛さ、厳しさを歌ったり、雇い主を批判した歌詞が多く見られます。それを真似たのか、わらべうたの中にも悪口歌や嫌がらせ歌といえそうな歌があります。 私はずい分悪口歌を歌ったり、歌われたりしてきました。 「馬鹿かば間抜け お前の母さん でべそ」 「ごめんそうろう はげそうろう〜」 そんな歌を歌っているのを大人に見つかればこっぴどく怒られましたが、それでも懲りずに歌い、耳を澄まして人が歌っている悪口歌などを集め、良い時に歌っては鬱憤を晴らしたものです。そう、悪口歌は子どもも大人もストレスを解消する手段だったのではないかしら? 心が風邪引いちゃったとき、薬屋さんで売ってる薬ではきかないからね。大人も心得たもので「お母さんなんか嫌いよ!」といえば「キライで結構好かれちゃ困る」とか「こんなおかずは好きじゃない。もっと他のものないの?」と我儘を言えば「厭ならよしゃがれ よしべのこんなれ ぺんぺんひきたきゃ げいしゃのこんなれ」とか歌われて、ご飯をサッサと片付けられたり。「ハイハイ、いただきます、いただきます」と言って食べなければ他には何も出てこないのですから。こういう歌は学校で習うでもなく、大人が教えてくれるわけでもなく、自然と流れてきたものを耳が捉えて自分のものにしてきたのでしょう。 てべしょは私の歌ではないので歌ったことはありませんが、 「おてぶしてぶし てぶしの中に 蛇の生焼け 蛙の刺身 いっちょばこやるから まるめておくれ いや」 というのはよく歌います。意味不明、何のために歌うかも良くわかりませんが、歌った相手になんともいえない、愉快ではない感情を起こさせるのが目的であることは確かです。しかし私の歌い方が良いのかどうか分かりませんが、幼児に歌うと始めは大抵ポカ~ンとします。その後何となくにや〜っとして困ったような怖いもの見たさのような不思議そうな表情をします。蛇を食べるのか、蛙を食べるのか、考えているようです。確かにこの歌も嫌がらせるために悪がきたちが可愛い女の子(生意気な女の子?)に歌ったのかもしれません。でも幼児に「蛙の唐揚げは柔らかくて美味しいよ、ウサギみたい」とか「昔、中野に蛇さんがあってね、お店のショーウインドに蛇がたくさんいたの。食べたい蛇を料理してくれた。ウナギも蛇も似てるじゃない?」などと普通の顔をしていうとみんなも納得するようなのです。誰かがストレス発散のために歌ってくれればそれはそれでいいことだしね。気味の悪い歌を歌えば暑さ凌ぎにも役にたつし。そういえば最近は団扇も扇子もあまり出番が無いようです。クーラーが普及して、扇風機も少なくなりました。 |
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■山梨 | |
せめて今夜は 想い出の 灯りつけます 道志川 街の灯りも ぬれている どうせあなたは 他国の人よ 泣いて別れた 甲府駅 明日をみつめて 生きてゆく ゆめと希望の 夜明けの甲府駅 |
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■寝させ歌 | |
■ねんねんころりよ 1
ねんねんころりよ おころりよ 坊やの寝たときゃ どこへ寝かしょ 奥の八畳の 真ん中へ 松が三本に 杉三本 合わせて六本 五葉の松 五葉の松より まだ可愛い ねんねんよ ねんねんよ |
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■ねんねんころりよ 2
ねんねんころりよ おころりよ 坊やの父さん 馬買いに 馬は何馬 うらぎ馬 幌かけ寝車 ほしいなら あす朝ひかせて 進ぜましょう |
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「江戸の子守唄」に近い旋律の寝させ唄。「うらぎ馬」とは、うさぎ馬がなまった言い方で、ロバのこと。やせた土地を開墾するのには必要なものだったが、同時に高価だったため、「馬を買いに行く」と留守にしている父親は、実際は出稼ぎに行っている、とも読める。「幌かけ寝車」は幌をつけた乳母車のことだが、これもまた高価なものであるため、この唄自体が母親の見栄や願望を含んだものと解釈することもできる。 | |
■ねんねんころりよ 3
ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 寝えって起きたら 何ょやらっか 寝ればよい子だ 米のぼこ 寝らねよたぼこ 麦のぼこ |
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■坊やのかあちゃん
坊やのかあちゃん どこへ行った あの山越えて 里へ行った お里のおみやに 何もらった でんでん太鼓に 笙の笛 鳴るか鳴らぬか 吹いてみろ |
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福島の子守唄などにみられる「いい子にしていたら、お父さんがおみやげを持って帰ってくる」というものに対し、この唄は母親自らが子どもを置いてよそに出稼ぎにいくという内容になっている。 | |
■坊やが大きくなったら
坊やが大きくなったら 嫁をとる 嫁の道具は なに道具 たんす長持 夜着ふとん 下駄箱 針箱 挟箱 |
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■ねんねんねんねんしな
ねんねん ねんねん ねんねしな 泣くっちゅうと 鰍沢の川へ流すよ ねんねん 猫のけつへ 蟹がはい込んだ ひきじり出しても ひきじり出しても またはい込んだ ねんねん ねんねん ねんねしな 坊やはよい子だ ねんねしな |
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■ねんねん猫のけつ
ねんねん 猫のけつへ かにがはい込んで それを見て お婆やんが 首を曲げた |
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■おらんお子守りゃ
おらんお子守りゃ どこへ行った かんかんかつのやめ 鳥ょ追いに 鳥を何匹 追ってきた 千匹万匹 追ってきた そのよに追ってきて 何にする つついてはたいて 粉にして お母ちゃんに食わせて はらませて よい子を持たせて 金をとらそ 女の子を持たせて 機織らす |
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■お月さん神さん
お月さん 神さん どこへござる 信濃へござる 信濃の道で 管一本拾って くっ砕いてみたら 赤い布が三尺 白い布が三尺 太郎に着せろば 次郎がうらみる 次郎に着せろば 太郎がうらみる 中とって ゆんべ出た 赤ん坊に 着せろ |
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■奈良田の子守歌 1
よいよいよお よいよいよ しょんがいばんばあは 焼き餅好きで ゆんべ九つ けさ七つ 一つ残して たもとにこいて 馬に乗るとて うちょうといた よお よいよいよ 奈良田平で 寒いとかどこだ 日影草里と へざかあば よいよいよお よいよいよ |
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■奈良田の子守歌 2
よお よいよいよ しょうがいばんばあ 焼き餅好きで ゆんべ九つ けさ七つ 一つ残して たんぽに入れて 馬に乗るとて うちょうといた よお よいよいよ うらが家のおぼこを 誰がかまった だれもかまのに お泣きゃるか よお よいよいよ |
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■わらべ唄 | |
■手まり歌
■いちもんめ 一もんめの いすけさん いもかいおりて とおりゃんせ 二もんめの にすけさん 忍術つかい とおりゃんせ 三もんめの さすけさん 猿飛佐助 とおりゃんせ 四もんめの よすけさん よちよち赤坊 とおりゃんせ 五もんめの ごすけさん 五人ばやし 冠者たち 六もんめの ろすけさん ろうそくいくら六万円 七もんめの 七すけさん 七草八草 とおりゃんせ 八もんめの はすけさん 箱せこいくら 八万円 九もんめの 九すけさん くりくり坊主 くり坊主 十もんめの 十すけさん 重そうはいくら 十万円 ■ひとひとつ ひとひとつ ふたふたつ みつみっつ よつようつ いついつつ むつむうつ ななななつ やつやあつ こここんで いちじく 人参 山椒にシイタケ ゴボウに向えて 七くさ 八くさ クワエの十(とう)よ たくさんあがれ ■お手玉歌 ■おさらい おっさーらい おひとつ、おひとつおろして おっさーらい おみんな こんばんは、おてんじょうへ おろしておっさーらい おみつおろしておっさーらい、おひとつ おろしておっさーらい ■なわとび歌 ■大波こなみ おおなみ こなみ ぐるっと回って 猫(ニャンコ)の目 ■お入り (よし子さん〉お入り さいごのしゅうでジャンケンポン 負けたお方は お抜けなさい ■ゆうびんやさん ゆうびんやさん おとしもの ひろってあげましょ 1枚、2枚、3枚……10枚 ゆうびんやさん お抜けなさい ■月火水木金土 日曜日 月火水木金土 日曜日 山とせ そよ吹けば さくらの富士越えて ピーヒャラ ピーヒャラ三大師 おわりの神様 四大師 それ入ろ それ抜けろ ■手遊び歌 ■子供のケンカ 子供と子供がケンカして ひとさん ひとさん きいとくれ 子供のケンカに親が出て ななかなとまらぬ このケンカ 薬屋さんのおばさん ちょっと来てとめた (両手を合わせて、ゆびを指を合わせながら歌う) ■いっこじゃ いっこじゃ いっこじゃ にこじゃ にこじゃ さんこじゃ さんこじゃ (小石でお手玉のようにして、順順にとっていく遊び) ■じょうりきんじょめ じょうりきんじょ きんじょ 足のヒラにあやめが咲いたか、まだ咲かぬか みょうみょう車に手を取ってみたらば、じどろくまどろく、 じっさぶろく ホレ 抜けたのせっせのせ (履物を並べて、歌いながら取って行く) ■上がり目下がり目 上がり目 下がり目 ぐるっとまわって ニャンコの目 (にらめっこしながら歌う) |
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■静岡 | |
せめて空似の人でよい 揃い浴衣の 片袖で 涙ふきたい 伊豆の夜 悔いはしません別れが来ても 命つくすわこの人に 夢をみさせて あゝ伊豆の雨 ぶつかり転んで 這ってでも 大漁旗あげ つき進む 港駿河の ヤレ男節 忘れられない 名を呼べば 清水湊に 雪が降る 生命を生命を断とうとも 滝の白糸 末は夫婦のふたりづれ 想い出すまい 話すまい 女ひとりが 旅の果て 天城湯ヶ島 白い花 くらくら燃える 地を這って あなたと越えたい 天城越え 今夜もちょいと ご機嫌さん 誰が名づけた 島田のブンブン ずいぶん いい調子 天城おろしに 傘かたむけて あなた見送る 駅の道 |
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■遊ばせ歌 | |
■かいぐりかいぐり
かいぐりかいぐり とっとの目 とっとのお目々は なにを見る 町へ行って花電車 花電車欲しいと 泣くお目々 |
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■寝させ歌 | |
■この子のかわいさ
坊やはよい子だ ねんねしな この子のかわいさ 限りなさ 天にのぼれば星の数 七里ヶ浜では砂の数 山では木の数 萱の数 沼津へ下れば千本松 千本松原小松原 松葉の数より まだかわい ねんねんころりよ おころりよ |
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■ねんねんねっころばち
ねんねんねっころばち さがり乙女 乙女大きくなれば 江戸へやる 江戸じゃ縮緬 着せそろす 江戸の土産にゃ なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 ねんねした子にゃ 早くやろ ねんねんころりよ おころりよ |
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■寝ると寝床へ
ねんねんおころり おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 寝ると寝床へ 寝かせるぞ 起きると興津へ くれてやる 泣くと長持 しょわせるぞ 坊やはよい子だ ねんねしな |
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■ねんねん猫のしっぽ
ねんねん猫のしっぽ からすがつっついた 一匹つつけば またつづく あれあれかわいそうに またつっついた |
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■泣けばお山の
ねんねんおころり おころりよ 泣けばお山の 白い犬が 一匹吠えれば また吠える 泣かずによい子だ ねんねしな よい子だよい子だ ねんねしな |
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■泣くと長持
ねんねんよ ねんねんよ 泣くと長持ゃ しょわせるぞ おこるとおこもに 呉れてやる すると摺り鉢ょ かぶせるぞ 吠えると頬たん つみきるぞ ねんねん ねんねん ねんねんよ |
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■寝ないとねずみに
ねんねんよ おころりよ 寝ないとねずみに引かせるぞ 起きると置屋につれてくぞ ねんねんよ おころりよ |
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■守り子歌 | |
■守りは辛いもんだ 1
お泣き泣きん面 盆までお泣き 盆が過ぎれば わしゃいない 守りは辛いもんだ 人目にゃ楽でよ 親にゃ叱られ 子にゃ泣かれ |
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■守りは辛いもんだ 2
守りは辛いもんだ 人目にゃ楽で とこざんざ きはざんざ ホラ 親にゃ叱られ 子にゃ泣かれよ ホホ ホーホイ 嫌か出て来い 降られちゃいるな とこざんざ きはざんざ ホラ どこも日は照りゃ 雨も降るよ ホホ ホーホイ 今年ゃこうでも また来年は とこざんざ きはざんざ ホラ 火鉢かかえて おかみさんよ ホホ ホーホイ 粘土搗くときゃ 襦子の帯しめて とこざんざ きはざんざ ホラ 嫁に行くときゃ 何しめるよ ホホ ホーホイ |
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■子守りというもな
子守りとゆうもな 辛いもの 朝から晩まで 子守りして お母さんに叱られ 子にゃ泣かれ お父さんは横座で 横にらみ 早くお正月 来ればよい 風呂敷包みに 下駄さげて お父さん さよなら また来ます お母さん さよなら また来ます |
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■一じゃいじめられ
一じゃいじめられ 二じゃ憎まれて 三じゃ酒屋へ 酒買いにやられ 四じゃしめしを 洗わせられて 五じゃごんごん 泣く子をだまし 六じゃろくな飯ょ 食べさせられぬ |
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■わらべ唄 | |
■長野 | |
死ぬことさえも 出来ない私 馬籠 落合 中津川 木曾路十四の なみだ宿 あなたを今も愛してる 恋しさつのる旅路です 揺れる面影 梓川 陽差しを浴びて見えるでしょう あー安曇野の恋 銀色の雨 明日は東京へ帰ります あゝ 星の降る 八ヶ岳 あなたが恋しい 信濃路ひとり よせるさざ波 くれゆく岸に 里の灯ともる 信濃の旅路よ |
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■遊ばせ唄 | |
■ねんねんねこのけつ
ねんねん ねこのけつに かにが はいこんだ やっとこ すっとこ ほじくりだしたら またはいこんだ |
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■寝させ唄 | |
■ねんねんねえぼに
ねんねんねえぼに 花が咲いた 赤い木の実も なりました 誰にくれると 聞いたなら ねんねをする子に やるというた |
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■ねんねんね山の
ねんねんね山の 米屋町 米屋の横丁 通るとき ちゅうちゅうねずみが 鳴いていた なんの用かと 聞いたらば 大黒さまの お使いに ねんねした子の お使いに 坊やも早く ねんねしな 大黒さまへ まいります |
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■ねんねんねむの葉っぱ
ねんねん ねむの葉っぱ ねるだろし 坊やもねむの葉っぱ よくねろよ ねたらほうびに 何やろか 空のお月さんの うさちゃんが ついたお餅を どっさりと いものお舟に つみこんで 坊やのところへ 持ってくる ねんねんねんねん ねんねんね |
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■ねんねこぼっちゃん
ねんねこぼっちゃん ねんねこぼっちゃん お酒に酔ったかね お酒はからくて 飲まれない ひとりで泣くのは よいけれど ふたりで泣くのは わしゃこまる |
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■ねんねんよ
ねんねんねんよ ねれば子も楽親も楽 かたる子守りは なお楽よ よいよい よいよ |
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■向こう通る猿が
向こう通る 猿が三匹通る 先の猿はもの知らず あとの猿ももの知らず 真ん中のちょび猿は よくものを知っていて あの山くずして堂建って 堂のまわりに花まいて 「子供衆子供衆 花折りに行かねかね」 「なんの花折りに」 「牡丹しゃくやく 菊の花折りに」 一本折っちゃ 腰にさし 二本折っちゃ 腰にさし 三本目に 日が暮れて 「どこの宿に 泊まろうか」 「油屋に 泊って」 油かす貰って 枕元においたらば 猫かいたちか ちょっくらちょっと引いてって そこを見つける見つけると たかずっぽ拾って 手でとるも おっかなし 足でとるも おっかなし 隣の嫁どんの 足駄を借りて ふんづぶして みたらば 赤い絹が十二尋 白い絹が十二尋 十二尋の絹を 小袖にこしらえて わが子に着せれば 人の子がうらむ 人の子に着せれば わが子がうらむ 向こう通る おちょぼに着せて 上のすわにざらり 下のすわにざらり ざらりのすごに 粟一升まいて 爺っさと婆っさに 餅粟 餅粟 |
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■信濃の子守唄 (長野民謡)
ねんねんねむの葉っぱ 寝るだろし 坊やもねむの葉っぱ よく寝ろよ 寝たらほうびに 何やろか 空のお月さんの うさちゃんが ついたお餅を どっさりと いものお舟に つみこんで 坊やのところへ 持って来る ねんねんねんねん ねんねんよ |
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■守り子唄 | |
■ねんねん子守りは
ねんねん子守りは つらいもの 雨雪ふっても 宿はない よそのひさしで 日をくらす |
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■わしほど因果な者はない
わしほど因果な者はない 七つ八つから ちゃや町へ 子守奉公に 行ったらば そこの姐さま ひどい人 火吹け 灰吹け 火鉢吹け しまいちゃ 坊っちゃん 着物きしょ そこで子守りの 思うには 早く正月ァ 来ればよい 早く正月ァ 来たならば 風呂敷包みを 横ちょにしょって 下駄を片手に ぶっ下げて 姐さま へっさと いとまごい 正月ァすんだら たま来いよ いやだ いやだ こんなひどいとこ もう来んぞ はてな はてな はてはて はてな 果は野となれ 山となれ 果は山となる 川となる |
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■わらべ唄 | |
■信州の子守唄
泣くないい子だ ねん寝しな 泣くと かじか澤の川へ流すぞ泣かなきゃ この家のおとのさま おひめさま |
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■新潟 | |
いつ来る春は 木綿絣に 雪が舞う 越後 荒海 佐渡ヶ島 舞えばせつない雪の肌 あなたに逢いたい 海の荒さよ 佐渡の島 ああ 新潟は新潟は 霧に更けゆく 仰げば天空に真綿の雲が 駆け渡る越後は春 |
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■遊ばせ唄 | |
■ののさんいくつ
ののさんいくつ 十三七つ まだ年ゃ若い お万に抱かしょ お寺の裏で 花摘んでござる |
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■お月さまいくつ
お月さまいくつ 十三七つ まだ年ゃ若いな あの子を産んで この子を産んで だれに抱かしょ お万に抱かしょ お万はどこいった 油買い茶買いに 油屋の前で すべってころんで 油一升こぼした その油どうした 太郎どんの犬と 次郎どんの犬が みんななめてしまった その犬どうした 太鼓にはって つづみにはって あっちへ行っちゃ ドンドコドン こっちへ行っちゃ ポンポコポン |
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■寝させ唄 | |
■ねんねんころりん
ねんねんころりん ねんころや 坊やのお守りは どこいった 坊やのお守りは どこいった かちかち山へ 芋掘りに 芋がないとて 泣いてきた どこからどこまで 泣いてきた お寺の前まで 泣いてきた お寺の小僧さん 何してた 立ったりねまったり お経よんでた |
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■ねんねこねんねこ
ねんねこ ねんねこ ねんねこや 寝ったらねずみが 引くだろう 起きたらおんまが 引くだろう ねんねこ ねんねこ ねんねこや |
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■ねんねんねんねん
ねんねん ねんねん ねんねんや この子が寝ったら 何くろや あったけまんまに ととかけて さっくらさっくら かせよかな |
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■ねんねんこんこん
ねんねんこんこん こんこんや この子が寝ったら 何くろや 小豆まんまに ととかけて さっくりさっくり おんまらしょ |
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■ねんねんこうや
ねんねんこうや ねんこうや ねんねが子守りは どこいった かちかち山へ 鳥追いに とっとにけられて 泣いてきた ねんころ ねんころ |
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■ねんねんねったか
ねんねんねったか ねったかや ねんねがねったら 何くりょか 小豆まんまに ととかけて さっくりさらりと やしなおか |
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■守り子唄 | |
■一にいじめられ
一にいじめられ 二に憎まれ 三にさべられ 四に叱られ 五にごんごと 泣く子をばあされ 六にろくなもの 食べさせないで 七にしめしまで 洗わされ 八に腹を立てて 涙をこぼし 九に食いもんでも 一緒に食べさせないで 十に殿さに 叱られました |
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■よいよいよっこら島
よいよいよっこら島の がんがらおよし およしが大きくなったら 上田へやろか 上田はよいとこ ちりめんづくし お家じゃ 菜種の花盛り 守りっ子は楽なようで 辛いもの 雨風吹いても 宿はなし 主人に叱られ 子に泣かれ 早く十二月が きたならば 風呂敷包みに 下駄さげて おっ父さんさいなら またきます おっ母さんさいなら もうこない こんなこと言わずに またおいで やのことこうせん 親大事 |
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■わらべ歌 | |
■風のわらべ歌
風の三郎 ごーんごんと吹くな あしたの晩に餅ついて あげろあげろ (長岡市宮内町) 風の神様 ごっと吹いて くらっしぇ くらっしぇ あしたの晩に 餅ついて 酒買って あげる あげる (小千谷市首沢) 二つの歌は、おなじ風を歌ったわらべうただが、一つは「吹くな」といい、一つは「吹いてくらっしぇ」と歌う。正反対の願いが主題になっているのだ。共に餅をあげることになっているから、三郎も神様もおそらく同じものとして歌われているだろう。風が吹いてくれ、と頼んでいる「風の神様」は凧遊びなどに興じる子供たちの中からのちに発生したもののようだ。しかし、全国に分布する風のわらべうたは圧倒的に「吹くな」と歌うものが多く、農作物を荒らす大風を免れるように人々が歌ってきた。山火事を起こしたり、厳しい冷気を送り込む存在でもある風に対して、人々はその勢いが弱まるように願ってきたのだ。 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱をだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。「やっぱりあいつあ風の又三郎だったな」「二百十日で来たのだな」 二百十日とは、現在の暦では八月末や九月一日ごろにあたり、現在全国に残っている風祭もこの辺りに行われているものが多い。長野の佐久では「二百十日は荒れる日」という言い伝えがあり、他の地域にしてもこの頃の風の具合で作柄が大きく変わったため、風の神に対する儀式が行われるようになった。その祭祀には大別して、由緒ある神社に伝えられる国家レベルでの儀式と、その末社などから広まった農民信仰とに分けられるという。神社では奈良の龍田神宮、伊勢神宮の風宮、諏訪大社も風の神を祀り西日本にも及ぶ一方、農民信仰は主に関東、甲信越、東海と東日本に見られ、二百十日ごろに屋根や庭先に風を切るとされる草刈り鎌をたてる風習は、諏訪大社の御柱祭でも木に打ちこむ薙鎌に連なるものとされる。鳥越皓之はこうした風の信仰について、次のように指摘する。 大なり小なり、諏訪神社や諏訪湖にベクトルが向けられていることに注目すべきだろう。風の三郎の分布空間の中心的な位置に風の神を祭神とする諏訪大社(諏訪神社)があることは無視できない。 宮沢賢治の作品のおかげで全国的には「又三郎」の方が有名になったが、風の神の名としては「風の三郎」が最も多い。Wikipediaでは「又三郎」は賢治の造語であろうという説を載せているが、新潟県東蒲原郡の上川村(現阿賀町)のように、風の神を「またさぶろう」と呼んでいた地域も少数あったようで、賢治の故郷岩手でも同様に呼ぶ村もあったかもしれない。 何故風の神を三郎というのかについては諸説あり、新羅三郎とよばれた平安の武将源義であるという説、陰陽五行説で風の死や風の追放を意味する配置の数字が擬人化されたという説、諏訪明神の化身とされる甲賀三郎であるという説など様々だ。鳥越は、昔話や浄瑠璃にもなった甲賀三郎の伝説の中で、「三郎が二人の兄弟に穴から落とされ、再びそこから出てきて龍となり諏訪湖へ飛んで行った」という筋書きがあることに触れ、風が山中の穴から出てくるためと考えて風穴を祀ってきたこととの関連も指摘している。 現時点の風の信仰について最もまとまった研究を進めている田上善夫は、諏訪の主神とされるシャクジ信仰の分布と風の三郎信仰の分布が重なることを指摘し「風の祭祀と深いつながりをもつ地は、縄文にも遡る根源的な信仰の地とみることができる」としている。シャクジとはミシャクジとも、塞ノ神とも言われ、石や樹木として祀られるという。これらは大和文化ではない、縄文の信仰に派生するもののようだ。漢字では石神、石神井、社宮司、尺神、赤口神など地方により幾通りもの表記のバリエーションがあり、信仰の古さとその広がりを感じる。東京の人にはなじみのある石神井公園の石神井も一般に「石神」からの説明がなされるようだが、それは後の当て字であり、音としてシャクジと発音される信仰がその地域にもあったということらしく、興味深い。 静岡県では「風の三郎」ではなく「風の三九郎」と呼ぶところもあり、これについて木村博は次のように述べている。 「風の三郎」と、信州方面でよくいわれる道祖神祭りの「三九郎」とが混り合った結果であろう。道祖神信仰と風神信仰がこのような所でこのような形で習合していることは面白いし、注意すべきことであろう。 これも風の三郎が諏訪を媒介にしてシャクジ(塞ノ神)に連なる神であるならば、道祖神は塞ノ神とも呼ばれるため、風の三九郎は自然な呼び名ということになるだろう。 私はふと、ここ半年ほどの個人的な、しかし重要ないくつもの出会いについて考えていた。不思議なことにこの期間に3人ほど続けて、目に見えないものを感じる人々に出会ったのだ。巷でいえばスピリチュアルな、ということになってしまうのだろうか。しかし、3人ともそれを商売にしている人ではない。それぞれに本業があり、そのかたわら、見えないものを見、神様の気配を感じながら祈りを秘めて生きているひとたちだった。そのうちの二人は面白いことに古墳巡りが趣味だった。こんな変わった趣味の人と立て続けに出会うとはやはりただ事でない。私はすぐさまこの二人を新宿の喫茶店で引き合わせ、案の定彼らにしかわからないマニアックな話題で盛り上がっているのを、ニコニコ満足して聞いていたのだが、この古代史にも精通する二人が注目している土地が諏訪だった。そして彼らが諏訪の先に見ているものは縄文であり、縄文の信仰であった。 二月のある日、私は明治神宮の原っぱにいた。明治神宮には一度しか行ったことがないが、そのまわりの広大な敷地の原っぱには、子供たちを連れたり、連れて行きたいと思う人を連れてよく出かけるようになっていた。そして、その日、枯れた色の冬の芝生の原っぱで、私は視界の片隅に、ぴょんと飛んだ何かを見た。こんな時期にバッタが?と思い、そのあたりを凝視すると、飛んだものは小さな枯葉だった。しかし驚いたことにその小さな風で飛んだと思われる葉っぱは動きを止めることなく、その場所でふわりふわりとゆっくりと回転していた。いくつもの小さな枯葉たちがそれにお供していた。つむじ風というにはゆっくりで不規則な動きだった。風ってあんなに長時間自由に、ゆっくりと続くものかしら。私には何か見えないものがダンスしているような、そんな気がしてならなかった。一緒にいた人も不思議がっていた。帰って早速、3人のうちの一人にメールしてみると返事が返って来た。 「それはいいものをご覧になりましたね」 そんな経験もあって、今の私には風の三郎も又三郎も、風の神様という言葉も大変すんなりと入って来る。たぶん賢治もそんな自然の中に神や精霊を見、目に見えぬもの、動かぬものや語らぬものたちの存在を感じながら物語を紡いでいった人だと思う。いや、賢治だけではない。その時代の人々は同じように自然やさまざまな神への信仰を持っていた。 冒頭のわらべうたの残る新潟でも、地域によってさまざまな信仰の形態があったようだ。男子が山へゆき、竹で鳥居を作り、手作りの旗を立て、団子を配る行事となっている新発田市赤谷の例、二百十日に赤飯や餅を携え「風の三郎山」に登った二王子山麓の例、夕顔を輪切りにして部落の入口の細木にさして祈る南蒲原郡下タ村大谷の例など、枚挙にいとまがない。中でもユニークなのは、早朝村の入口に小屋をつくり、通行人に打ち壊してもらい風に吹き飛ばされたことにして、風の神が避けて通ることを祈るという風習のあった東蒲原郡太田村の例だ。もしこの風習が残っているならぜひ見に行きたいと思い、この地区の図書館に問い合わせてみたが、司書の人は「風の三郎」という単語も聞いたことがないようで戸惑っていた。後から下さった電話では、今70代くらいの知り合いのおじいさんが、自分のおばあちゃんから風の三郎について聞いたとのことです、という返答だった。60年前におじいさんがその話をおばあさんから聞いたとしても、その時、1950年代にはすでに失われていた風習だろう。 一つの風習が失われていくとはどういうことだろうか。私はどこか、生活形態や家族形態が変わり、自然にそのようなものが廃れて忘れられていくイメージばかりがあった。しかし、前回鳥追いについて調べたときに読んだ論文に次のような一節を見つけた。 現在、富山県内で鳥追いを実施している地域は数少ない。昭和三十年から四十年頃、生活改善運動の影響を受け、古い習慣は弊風とされ、鳥追いも同様でありしだいに衰退した。 近代化や合理化という名のもと、複雑な習俗や効用のはっきりしない習慣は迷信や弊風とされて意図的に消滅させられてきた歴史があった。ショックだった。生活改善運動の歴史というのは大正まで遡り、主に「勤倹」な生活を推奨してきた歴史があるが、地域によってそれが入り込んだ時期は異なるようで、人口が増えてきた地域から順に、そうした運動が持ち込まれていったようだ。小田嶋政子は北海道伊達市の冠婚葬祭の簡素化の運動が1960年に持ち込まれ、様々な風習がこの時期失われたことを報告している。上の富山の鳥追いが消えた運動も、昭和30年から40年にかけての運動であり、戦後10年20年と日本が敗戦から立ち上がっていく過程で、全国的にそのような「弊風」が失われていったことが想像できる。 何かを得るとは何かを失うことかもしれない。けれど、その失うものの価値に同時代のどれだけの者が気づけていただろう。気づけていた人がいても、偏屈だとか頑固ものだとか、そんな風に笑われたりして相手にされなかっただろうか。失って取り返しのつかないほど時間がたって、人はその意味をようやく理解するのだろうか。もはや見ることのできない新潟太田村の小屋壊しの風の祭祀に未練を覚えつつ、司書の人への問い合わせの電話を切った。 風の三郎信仰は実は八丈島にまで及んでいるという。伊豆半島全体ではこの信仰は小正月の団子とかかわりがあり、風の三郎のための大きな団子を作る風習が存在した。三郎は神であるが、同時に子供のようでもある。風の又三郎もそうだし、北風小僧の貫太郎という子供向けの歌が昔あったが、あの小僧のイメージも近いかもしれない。「大サム小サム山から小僧がやってきた」というわらべうたは全国的に有名だが、伊豆の場合は「大サム小サム山から小僧が泣いてきた 団子の一つもくれてやれ」となる地域が多いことを前述の木村は「風神信仰論」の中で報告している。腹が減って泣き騒ぐ子供に団子をやろうか。そう思うことで、時にはひどい災禍をも引き起こす寒風や大風の厳しさを受け止める。「団子の一つもくれてやれ」という優しいフレーズに触れると、やりきれない思いを次なる祈りに変えてきたきた人々の姿が浮かび上がるかのようだ。冒頭の新潟のわらべうたもまたその系譜であろう。子供のような気まぐれな風の神と人々との応酬は、日本のあちこちに、たくさんの風の歌と、興味深い風習を生んできた。残念ながら風習の多くは消え、歌もほとんどが途絶え、30年前にかろうじて残された楽譜のおかげで私は今、貴重な風の歌を歌うことができるのだ。 |
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■呼び太鼓の歌
一番始めは一ノ宮 二また日光中禅寺 三また佐倉の惣五郎 四また信濃の善光寺 五つは出雲の大社 六つ村々鎮守様 七つは成田のお不動様 八つ八幡の八幡宮 九つ高野の高野山 十で東京心願時 あれこれ心願懸けたのに 浪子の病は治らぬと 轟々轟々行く汽車は 武男と浪子の行き別れ 二度と逢えない汽車の窓 早く帰って来てちょうだい 新潟・岩船大祭の呼び太鼓として親しまれているこの歌は、原曲は明治初期に流行したわらべうたである。(私が小学校の時、この歌の前半部 分が東京のわらべうたとして音楽の教科書に載っていた。NHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」の最終回で田中裕子扮する西郷隆盛の妻が、 同じメロディーを別の歌詞で歌っていた。)歌詞は数え歌になっているが、明治31〜32年に国民新聞に連載された、徳富魯花の「不如 帰(ホトトギス)」によっている。 「一ノ宮」は各地の最も由緒ある神社を指す(越後一ノ宮は弥彦神社、というふうに)。地名として有名なのは愛知県一宮市で、尾張一ノ 宮 真清田(ますみだ)神社がある。日本の一ノ宮なら、三重県伊勢市にあり皇室の祖 天照大神(あまてらすのおおみかみ)を祀る伊勢 神宮であろう。しかしここでは東京で歌われたということで、武蔵の国(現在の東京都、埼玉県)一ノ宮の、埼玉県大宮市にある氷川神社 を指すと解釈したい。 「中禅寺」は栃木県日光市にある天台宗の寺で、古来山岳修業の道場として人々の崇敬を受けている。二荒山(ふたらさん)神社境内にあ り坂東三十三札所の第十八番。 「佐倉惣五郎」は江戸前期の義民。(現在の千葉県)佐倉郷の名主として、百姓のために領主の悪政を将軍に直訴して捕らえられた。死 後、口ノ明神として将門山に祀られる。 「善光寺」は長野市にある単立宗教法人。天台宗の大勧進と浄土宗の大本願とによって管理される。本尊は阿弥陀如来で、中世以降盛ん に信仰される。 「出雲大社」は島根県大社町にあり、大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る。伊勢神宮を筆頭とする天津神(あまつかみ)系に対す る、国津神(くにつかみ)系の筆頭であり、古来より大いに信仰されている。 「成田のお不動様」は成田山新勝寺。千葉県成田市にある、真言宗智山派の別格大本山。不動明王を本尊とする。 「八幡の八幡宮」は京都府八幡市の石清水(いわしみず)八幡宮。大分県の宇佐八幡宮を勧請して創建。歴代朝廷の崇敬を受ける。源氏 の氏神としても有名。 「高野山」は和歌山県の高野山金剛峰寺のこと。真言宗の総本山で、開祖空海が自らの入定地として建立。 「心願時」は、所在不明。実在しないのかもしれない。 前出の「不如帰」は、数多くの演劇・映画の原作となっている当時の大ヒットドラマである。この歌も、すでにあったメロディーを使っ た劇中歌か、誰かの作った替え歌が、大衆に定着したものと思われる。浪子の悲運を織り込んで替え歌を完成させるために、架空の「東京 心願時」を作り出したのではないだろうか。いつどのように岩船に伝えられたのか、なぜお祭りの歌として今に残るのか、幻の心願時とと もに、すべての謎は歴史の霧の中である。 |
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■愛知 | |
風のように 花のように 名古屋の街で あゝ夢を追いかけるひと こんなカンゲキ 私はじめてよ 恋もいのちも燃える 名古屋 広小路 |
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■寝させ唄 | |
■鷺どん
鷺 鷺 なんで首投げた ひだるて投げた ひだるけりゃ 田ぁ打て 田ぁ打ちゃ泥がつく 泥がつきゃ洗え 洗ゃつめたい つめたけりゃあたれ あたりゃあっつい あっつけりゃひされ ひさりゃひさり虫が引いてく どこまで引いてく 窓の下まで引いてく 窓の下には竹の切り株 ふたもとあって 手でよう取らず 足でよう取らず 隣のお婆に足駄を借りて ちゃっと取って見たら 赤い小袖が十二と 白い小袖が十二 これだれに着しょう まま子に着せれば ほんの子がうらみる ほんの子に着せれば まま子がうらみる まま子に着せて 竹馬に乗せて あっちへ行けほうろほろ こっちへ行けほうろほろ ほろろの道で ほろほろ穂拾い 穂拾い 穂はなんぼ拾った 一束三把拾った その穂はどした 米についてまま炊いて みんな喰ってしまった |
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■天満の市 1
ねんねころいち 天満の市は 大根そろえて 舟に積む 舟に積んだら どこまで行きゃる 木津や難波の 橋の下 |
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■天満の市 2
ねんねころいち 天満の市やえ 大根そろえて 舟に積む ヨイヨー ねんねしなされ お休みなされ あすのご膳の できるまで ヨイヨー |
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■木曽川の子守歌
ねんねこ ねんねこ 酒屋の子 酒屋のもうよは どこへ行った あっちの あっちの 木曽川へ おむつや みいしを 洗いに 洗い川で 洗って いすい川で いすいで お寺の茶の木に かけて来た かれたか見て来い おばせるに かれたもかれんも あるものか お寺のおくりが とてかした 何にするとて とてかした ふきのにするとて とてかした ふきのにならない 巾着に 一文入れては ちんころりん 二文入れては ちんころりん 三文入れては 口しめて 泣く子に持たせて だまらせよ ねんねしよ ねんねしよ ねんねしよーよ ねんねしよ ねんねしよ ねんねしよーよ ねんねしよ ねんねしよ ねんねしよーよ |
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■へこきむし
そこでごそつく なにもんだ いつもよう来る へこきむし 一文やるから 買うてみよ チンチン カラカラ ブウブウしょ |
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■岡崎地方の子守歌
ねんねんよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねんよ また夜が明けぬ お目ざにゃ早い よい子だ泣くなよ ねんねんよ |
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■この子のかわいさ
坊やはよい子だ ねんねしな この子のかわいさ 限りなさ 天にのぼれば 星の数 七里ヶ浜では 砂の数 山では木の数 かやの数 沼津へ下れば 千本松 千本松原 小松原 松葉の数より まだかわい ねんねんころりよ おころりよ |
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■ねんねしなされ
ねんねしなされ 朝起きなされ 早く起きては おむつを洗い 女子おなご庭はき 男子おとこ門はき わたしはおじょうじょ 並べましょう ねんねしなされ 朝起きなされ ねんねのお守りは どこへ行った ひと山越えて 二の山へ 父さん使いに 行ったげな 坊やのみやげに 何もろた 太鼓にお笛に ぴいぴいどん |
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■おらがこの子は
ねんねんよォー おこらんよ おらがこの子は いい子だよ |
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■守りさ子守りさ
守りさ子守りさ 昼寝が大事よ ホヨオ 晩げおそまで 門に立つ ハリコヤ スイタカ ジュンサイ スイタカ ジュンサイ |
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■守り子唄 | |
■古谷の子守歌
守りさ 子守りさ 紺屋の守りさ 染めて着せえず 紺絣 ねんねんよー おころりよー(以下ハヤシ同様) 守りと呼ばるな 守りさと呼ばれ 守りは若い衆の 花嫁御 背で泣くなよ 守りさもつらい 山でいつがら 鳴きやんだ 雨が降り出す たきものぬれる 家で子が泣く 日は暮れる 西の町から 東の町まで 歌ではやすは 守り子供 この子守りして こんなにやせた 帯の二重が 三重まわる 守りというもの 楽そでつらい 親に叱られ 子に責められて こんな泣く子の 守りさはいやだ 誰かたのんで 暇おくれ 暇はやるけど 仕着せはやらぬ 仕着せおくれと たのみゃせぬ 固い約束 岩山寺の 石の土台が くさるまで 石の土台が くさるまでながい せめてこけらの はえるまで 盆よ 早よ来い つばくら帰る 稲に穂が出りゃ わしも出る |
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■守りさどこいく
守りさどこいく 白足袋はいて 間々の観音へ 乳もらい ねんねねんねと ねる子はかわい 起きて泣く子は わしゃきらい |
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■ええ子だよ
ええ子だよ ええ子だけれど 晩の七つに 泣くでいや 守りというもな つらいじゃないか 親に責められ 子に責められて 朝も早よから ひき起こされて 晩の七つまで 負ばされて こんな泣く子は よう守りせんに 守りをたのんで 暇おくれ 暇をやるけど 仕着せはやらぬ 守りの役目に みなおくれ |
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■守りはつらいぞえ
守りはつらいぞえ 餅つきもつらい 九餅はおきゃれ 帯が三重まわる 守り子泣くなよ 故郷はもう近い 早くお父とお母の 顔見たい |
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■こんな泣く子は
こんな泣く子は よう守りせんに 守りをたのんで 暇おくれ 暇をやるから かわりを立てよ かわり立てます 男守り 男守りでは 夜なびができぬ 夜なびさせます わら細工 |
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■わらべ唄 | |
■愛知の子守唄
坊よ坊よと いつまで坊よ 坊は二十歳で 嫁もらう 嫁をもらうなら 北から貰え 北の木の陰 器量よし ■堀川わらべうた 一の鳥居(いちのとり) 二の鳥居(にのとり) 山王さま(さんのうさま) 四間所(しけんじょ) 御坊さま(ごぼさま) 六角堂(ろっかくどう) 七面さま(ひちめんさま) 八幡さま(はちまんさま) 九玄寺(きゅうげんじ) 東輪寺(とうれんじ) 東輪寺の小坊主(とうれんじのこぼうず) 鐘つき堂(かねつきどう)からぶちおった なんまいだー なんまいだ ■かくれんぼするもの かくれんぼ する者 この指さわれ かくれんぼ する者 この指 さわれ ■なあしなあし なあし なあし 高針なあし でゃあこのなめし んめゃあなあし ■つぼさんつぼさん つぼさん つぼさん お彼岸みぁありにいかっせんか 行くことええが からすという黒鳥が 出やこっつき 出ゃこっつき それでわたしは よう参らん つぼさん つぼさん お彼岸みゃありにでさっせんか からすという黒鳥が 眼つつき 鼻つつき それでわたしは よう参らん ■正月はええもんだ 正月は ええもんだ 赤いベベ着て 羽根ついて 譲(ゆず)りの葉のよな餅食って 雪のようなまま食って 木片のような魚(とと)添えて 正月は ええもんだ 正月 がーつがつ がーつの処へ行ったれば 芋煮て 隠(かく)いて 蕪(かッぶら)煮て 突き出いた |
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■岐阜 | |
どこか佗しい赤提灯の 情け横町流し唄 ああ哀愁の高山よ 泣いてまた呼ぶ雷鳥の 声もかなしく消えてゆく ああ奥飛騨に 雨がふる 手漕ぎ笹舟 どこへゆく 別れ木曽川 なみだ川 秘めて切なく 舞う螢 忘れられない ああ長良川 女の恋が うるむネオンに にじんで消える 高山の夜 胸に吊した似顔絵の 君と一緒に 越える木曽路は 時雨月 みれん北陸なごり雨 あなた次第よ私の行く道は 大垣 結びの戻り旅 あなた私を泣かす人 枕淋しや鵜飼いの宿は 朝が白々長良川 ああ恋は終わっても 待ちますあなた どこへ行く流れ雲 木曽路の女 湯もやに炎える かなしいふたりの愛の里 夜の木曽路は わかれ雨 |
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■遊ばせ唄 | |
■ちょちちょち
ちょち ちょち ちょち かいぐり かいぐり かいぐり おつむてんてん アッカラボのヤ |
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■寝させ唄 | |
■ねんねこせ
ねんねこせ ねんねこせ ねんねの坊やは どこ行た あの山越えて 里行た 里の土産に 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 |
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■ねんねんよう
ねんねんよう おころりよ 方やはよい子だ ねんねんよう まだ夜が明けぬ よい夢見つつ よい子だ泣くなよ ねんねんよう ねんねんよう おころりよ 方やはよい子だ ねんねんよう 日暮れの花の つぐまるように よい子だ泣くなよ ねんねんよう |
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■坊やはよい子じゃ
坊やはよい子じゃ ねんねしょよ 坊やがねねした そのるすに 赤いまんまに ととそいて くうくして くうくして くれるでな |
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■ねんねころいち
ねんねころいち 竹馬よいちよ 竹をそろえて 舟に積む ヨホホイ エヘヘン |
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■守り子唄 | |
■守りのういのは
守りのういのは 秋冬五月 寒の凍てにも たち暮らす ヨホホエヘヘ 守りは守り連れ 菜種は菜連れ 麦ははしこて 連れがない ヨホホエヘヘ この子泣くので わしまでやせる 帯の二重が 三重まわる ヨホホエヘヘ 帯の二重が 三重ならよいが 四重とまわりて 房となる ヨホホエヘヘ 守りは気違い 泣く子をたたく たたきゃよけ泣く よけたたく ヨホホエヘヘ |
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■こんな泣く子は
こんな泣く子は よう守りせんに おひまくだされ 旦那さま ヨーホイ おひまやるけど かわりをたてよ かわりたてます 男守り ヨーホイ 男守りでは 夜なべができん 夜なべさせます わら細工 ヨーホイ |
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■西の丁から
西の丁から 東の丁まで うとうて歩くは 守りの役 この子寝させて おふとんきせて 四すみたたいて 針仕事 ねんねねんねと 寝る子はかわい 起きて泣く子は つらにくい |
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■ねんねしてくりょ
ねんねしてくりょ 今日は二十五日 あすはこの子の 誕生日 ねんねんね こんこんこ よいよいよいよ 誕生日には なにして祝う あずきぼたもち して祝う ねんねんね こんこんこ よいよいよいよ 坊や泣くなよ お父さは江戸に おっ母は名古屋の お屋敷に ねんねんね こんこんこ よいよいよいよ |
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■飛騨のわらべ唄 | |
坊さん、坊さん、どこいくの わたしは田んぼへ稲刈りに わたしもいっしょに連れてって おまえがくると邪魔になる このかんかん坊主くそ坊主 後ろの正面だあれ ■ これっくらいのおべんとばこに、 おにぎりおにぎりちょっとつめて。(おにぎりつくる手振り) きざあみしょうがにごましおかけて(これも手振り) いちごさん。にんじんさん。さくらんぼさん。 あなあの開いたれんこんさん。すじのとおったふうき。(これも手振り) できました!(と言って、差し出す感じ) ■ なべなべ、そこぬけなべ そこがぬけたら帰りましょう ■ 正月ぁええ、盆よりええ ぶくりの歯のようなあっぽ食って 白いまんまにととそえて 髪の毛のようなこぶ食って 正月ぁええ、盆よりええ ■ とんとんとんからりのとなりぐみ さあさ、おはいり、○○ちゃん 廻して頂戴、帰らん坊 知らせられたり知らせたり ■ A タンス長持 あの子がほしい B あの子じゃわからん A この子がほしい B この子じゃわからん A 相談しよう B そうしよう (グループで集まり、相手から1人ほしい人を選ぶ) A and B 決〜まった! A ○○ちゃんがほしい B ○○ちゃんがほしい A and B グストリパストリ、グッピッパッ!、 ジャンケンシ!アイコデシ! (指名された子同士がじゃんけんをし、勝ったら相手を自分のグループに入れる) 勝ちグループ 勝ってうれしい花いちもんめ 負けグループ 負けてくやしい花いちもんめ ■ ひなさま、ひなさまぁ、みしとくれぇ ララララ ララソソ ララミミミー おぞ(ぅ)ても ええでぇ、みしとくれぇ ミラ ソソ ソソソー ララミミミー [ みしとくれ=見せてくれ / おぞい=おぞましい、みっともない、悪い / おぞうてもええで=おぞましくてもいいから ] ひなまつりのわらべ歌で、これを歌いながら家々を訪問します。 |
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■石川 | |
流す涙は何のため 恋せと歌う子守唄 能登は冬です 橋を渡れば 香林坊 あなたの背中に あゝ雪が降ります 金沢の夜 庇って嘘をつき通す あゝ金沢の格子窓には なみだ雪 未練な奴と 能登の岬よ ああ日本海 なまり色した ああ日本海 抱いてくれますか 寒い心が寒い 女ひとりの 能登の能登の旅です すべて投げ出し馳けつける あなたあなたたずねて行く旅は 夏から秋への能登半島 |
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■遊ばせ唄 | |
■ゆんべ夢みた
昨夜夢見た 地獄の夢や 鬼が餅つきゃ 閻魔さんがちぎる 鼻欠け地藏が 食いたがる われも食いたけりゃ てったいせえ てったいしょうにも たすきがない 隣行って借ってこい 隣の婆々はお茶婆々 かき餅焼くてて へそ焼いて その手でお釈迦の顔なでた お釈迦臭いてて 鼻つまんだ |
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■泣いた権兵衛
泣いた権兵衛ァどこ行った 天竺山へ飛んでった また来て笑ろた |
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■泣ァくみ泣ァくみ
泣ァくみ 泣ァくみ かすくれ かす五合持たいて 牛蒡の葉で包んで 線香で荷のうて 長屋のあっち 放いやれ放いやれ |
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■手ってのねずみ
手ってのねずみ はしかいねずみ 麦食て 藁食て 米食て コチョコチョコチョ |
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■一升ま二升ま
一升ま二升ま ますん底ァ抜けた 「ドサーン」 |
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■寝させ唄 | |
■ねんねの母は
ねんねの母は どこ行った からすの山へ 飯炊きに 飯が煮えたら はよござれ 赤いお椀に 飯よそて 白いお皿に 魚よそて 母のみやげは なんじゃいの ピッカラガラガラ 笙の笛 鳴らいてみたらば 鳴らなんだ |
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■寝せよ寝せよ
寝せよ寝せよ 寝せよ寝せよ ねんねの守りゃ どこ行った 下坂越してィ 里行った 里のみゃあげは なんじゃった 元結一把に 紙三帖 寝せよ寝せよ 寝れば子も楽守りも楽 |
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■ベロロンサイコ
ベロロンサイコ トコサイコ ねんねの守りゃ どこ行った 山山越えて 里行った 里のみやげに 何もろた ピッピャ ガラガラ 笙の笛 ベロロンサイコ トコサイコ とことこ山の あちらには 仏たちが まいられる 何を着せて まいられる 絹や小袖を 織り着せて ベロロンサイコ トコサイコ 旅の人 石を枕にしゃっしゃるな 死んだ人こそ 石枕 石を枕に せんもんじゃ |
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■ねんねこうこ
ねんねこうこ ねんねの守りは どこ行った あの山越えて 里行った 里のみやげは なんじゃった 赤いお椀に 飯よそて 菜はなんじゃ かっつを汁 箸はなんじゃ やなぎ箸 柳が折れたら あさぎ箸 あさぎが折れたら 竹の箸 |
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■ねんねの寝た間に 1
ねんねの寢た間に 何をやろ さかずき持って来い 酒飲ます 酒のお菜は なんじゃった 牛蒡三切りに 鮒三切り |
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■ねんねの寝た間に 2
ねんねの寝た間に オロロコしょう ねんねの寝た間に まんま食ってよう ねんねの寝た間に 縄ぬってよう ねんねの寝た間に 寝間衣逢ってよう ねんねの寝た間に 米搗いてよう ねんねの寝た間に 頭髪結ってよう |
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■わらっち子どんども
わらっち子どんども 花折りに行かんか 今朝の寒いに 何花折りに ぼたん しゃくやく 菊の花折りに 一本折っては 腰にさし 二本折っては 笠にさし 三本折るまに 日が暮れて あっちの小屋に 泊まろうか こっちの小屋に 泊まろうか 中の小屋に 泊まろうか あっちの小屋は 餅つきで こっちの小屋は すす掃きで 中の小屋に 泊まったら のみは喰うし しらみは喰うし 蓆ははしかし 夜はながし 朝はよ起きて 空見たら 雛のような 女郎たちが 笹色の着物きて 笹色の帯して 笹色の草履はいて あっちいようらり こっちいようらり きんちゃく一匹拾うた くれっていうても くれんがな かせっていうても かしんがな 甘酒いっぱい飲まいたら ちょろりと寄越いた |
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■ねんねんころれよ
ねんねんころれよ ねんころれ ねんねのおかかあ どこ行った 越後(いちご)の山へ 花折んに 一本折っては 腰にさし 二本折っては 前にさし 三本目に 日が暮れて からすの宿に 宿とろか からすの宿は きたないし すずめの宿に 宿とろか すずめの宿も きたないし とんべの宿に 宿とろか とんべの宿も きたないし まあやの宿に 宿とろか まあやの宿に 宿とって 朝ぎり起きて 空見たら 赤い上臈(じょうろ)と殿様と 黄金(こがね)の銚子に 酒ついで まいらんか まいらんか 太郎兵衛も次郎兵衛も まいらんか さかなが無あて まいられん お前のさかなは なんざかな にんじん こぼう やまいもで いしなの孫の さざえで 煮ても焼いても 食われんぞ |
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■ねんねのちゃあちゃあ
ねんねんころりよ おころりよ ねんねのちゃあちゃあ どこ行った とおちの浜へ 魚買いに ねんねのじゃあま どこ行った ねんねのじゃあまは 花折りに 一本折っては 腰にさし 二本折っては 腰にさし 三本目に 日が暮れた どこのお宿に 泊まろやら ねんねんねんねん ねんねこせ ねんねんねんねん ねんねこせ |
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■金が湧くてて
ねんねんころりよ おころりよ ねんねのお守りは どこ行った 金が湧くてて 金山へ 一年たっても まだござらん 二年たっても まだござらん 三年目に 状が来て 状の封を といて見たら 三人の子供は 同道した ひとりは おっさまに預けます ひとりは おばさんに取らします 姉御は縁に つきました 縁につきたる この子には 赤いたんすも 七たんす 白いたんすも 七たんす 赤い小袖も 七重ね 白い小袖も 七重ね 帯やたぐりは 十二筋 席駄や木履は 十二足 鋏や毛抜きは 十三丁 これこれ持たせて やるからにゃ 出ては来るなよ 出されるな おっかさん それは無理ですよ 出ては来まいと 思えども 千石積んだる 大船でも 港を出るときゃ まともでも 風の吹きよで 出てもどる ねんねんころりよ おころりよ |
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■りんかじんと
ねんねんころりよ おころりよ 隣家人と我家人と 談するところを 聞すれば 旅僧殺すと 言すなり 山に山を 重ぬべし 草の上の草を取り ねんねん ねんころりよ おころりよ |
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■守り子唄 | |
■思いきりゃんせ
思いきりゃんせ 牧山の太郎兵衛 死んだおなべが 泣きゃ来るか 泣いてくれるな 親ない子供 親はござれど 極楽に からすなんで鳴く 女郎屋の屋根に 金も持たずに カオカオと 鳴くはにわとり 騒ぐはからす 泣けば餌差が さしにくる 子守りかわいや 冱寒の冬も |
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■ねんねこ寝まっしゃれ
ねんねこ寝まっしゃれ 寝た子はかわい 起きて泣く子は 面憎い 兄さまいらしたか 足の湯を取ろか 酒の燗しょか 床取ろか あんにゃまあんにゃまと 呼ばるは誰だ 連れのあんにゃまか あねさまか 坊さま山道 破れた衣で 行きつもどりが 気にかかる こんな家には 二年とおれぬ 悪童痛める 女郎せせる |
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■七つ八つから
七つ八つから 子守りに出たら 悪童痛める 女郎せせる 親のない子の あのざま見され 裾を結んで 肩に掛け こんこん今夜は はやおか祭り しもて行くわいね 親のそば こんな泣く子の 守り子さいやや 泣いて泣きつく 郵便箱 泣いて泣きつく 郵便箱に 親の便りを 聞きたさに 今年ゃこうでも 来年からは 好いた兄さまと 田んぼする ねんにゃ泣く役 守りゃすかす役 せめて片親 ござりょよい ねんにゃ泣く役 守りゃすかす役 巡査在所を 廻る役 守りというもな あわれなもんや 盆と祭りに ただ半日 |
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■おっちゃかわいもな
おっちゃかわいもな 蚕の虫や 衣装はがれて まるはだか 雨の降る時ゃ にわとりかわい 人の軒端に しょぼしょぼと わが子かわいけりゃ 子守りまでかわい 抱きたいわの 守りともに おっちゃ死んだてて 誰ゃ泣いてくりょや 山のからすと 親ばかり |
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■じんじいばんばあ
じんじい ばんばあ けんどんや なんば 百三文や |
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■ねんねんねんね
ねんねんねんね ねんねの子守りは つらいもの 親にしかられ 子に泣かれ ひとには身楽と 思われて ひとの軒端に 日を暮らし ねんねんねんね |
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■金沢のわらべ唄 | |
■「大黒様という人は」(お手まり数え唄)
大黒様という人は 一に俵を踏んまえて 二ににっこり笑うて 三に盃引き受けて 四つ世の中良いようで 五ついつもの如くで 六つ無病息災で 七つ何事無いようで 八つ屋敷を広げて 九つ小蔵をぶっ建てて 十でとうとう治まった ■「社寺づくし」(お手まり数え唄) 一番はじめは一の宮 二は日光東照宮 三は讃岐の金比羅さん 四は信濃の善光寺 五つ出雲の大社(おおやしろ) 六つ村々鎮守様 七つ七尾の天神さん 八つ八幡(やわた)の八幡宮 九つ高野の弘法様 十で東京招魂社 [ 「七つ七尾の天神さん」は松尾天神社で、「八つ八幡の八幡宮」は当波自加弥神社を指し、「十で東京招魂社」は靖国神社のことです。] ■「今度ひとたび」(説教唄) 今度ひとたび初事に 阿弥陀如来にお手まりもろた もろた手まりの味わい聞けば 若(じゃく)不正者の綿くずつめて 四十八願千鳥掛け 衆生(ししょう)かわいとせめてもみたり 衆生かわいとゆるめてみたり せめてゆるめたお慈悲でござる 内でついてもありがたや 外でついてもありがたや さあ、皆さん つくまいか スットントン スットントン [ 衆生 / 仏教用語で「老いも若きもすべてを生きる者の意」。真宗王国と呼ばれる石川県にふさわしい手まり唄である。] ■「魚づくし」 トントンとなりの魚屋さん お魚づくしのお正月 明けて元旦お目で鯛 真っ黒鮪(まぐろ)の紋付きに 仙台平目のお袴で 烏賊(いか)にも立派な旦那鰤(ぶり) 出入りの大工や飛びの魚(いお) 朝から年始の車鯛(だい) 魴鯡(ほうぼう) 秋刀魚(さんま)のご馳走(ちそう)で さめるまもなく屠蘇機嫌(とそきげん) [ 「仙台平目」は仙台平の袴に、「烏賊に」は如何に、「旦那鰤」に振りを、「飛び魚」は鳶職に、「車鯛」は来るに、「魴鯡」は方々にそれぞれかけている。] ■「おじゃみ唄」(お手玉) おじゃみ おふたおふた おみいおみい おようおよう なってくりょトントン おじゃみ桜 おふた桜々 おみい桜々 およう桜してし桜 おななさあらり 一つおのけおのけた 二つ 〃 三つ 〃 おようおのけしてしのうけ おみつこぼうした 抓めった抓めった抓めった抓めった ばらりキンドン 馬の金玉ほうり上げて 一貫しょ はじかみ神主のぶろぐ ■「おはじき唄」(数え唄) いちじく 人参(にんじん) さんしょう しいたけ ごんぼう(牛蒡) むかご 七草 山百合(やまゆり) くわい(慈姑) 豆腐(とっぴ) はじかみ神主のぶろぐ ■「ハコダテコノゴロ」(字書き唄) ハコダテ コノゴロ ダゴクテ テロテロ はじかみ神主のぶろぐ [ 縦から読んでも、横から読んでも、「函館 この頃 団子食って テロテロ」という訳である。] ■「ミミズが三筋」(蛸入道・絵かき唄) みみずが三筋這うとった 卵が三つ落ちとった 雨がザーザー降ってきた 笠をかぶると蛸(たこ)になる はじかみ神主のぶろぐ ■「兄ちゃんが」(あひるの子) 兄ちゃんが〔アラビア文字の2〕 豆食って〔黒い目を書く〕 口をとんがらせてアヒルの子 はじかみ神主のぶろぐ ■「正月つぁま」 (鳳至郡能都町) 正月つぁま 正月つぁま どこまでござった くるくる山の 背までござった 松の葉を杖にして 豆腐を下駄にして チョーン チョーンとござった 高の天井の串柿 縁の下のごんぼ 食べれや まいじょ まいじょ |
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■富山 | |
愛しいお前 離しはしない 雨 ことだまの 雨 銀の雨 濡れて高岡 出船せつない新湊 一目逢いたい内川の 灯り恋しい神楽橋 大漁節で 龍神呼んで 嵐の寄せ場へ 越中船だ |
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■遊ばせ唄 | |
■たんたんたぬきの
たんたんたぬきの 運動会 すべってころんで げったくそ それを見ていた 親だぬき おなかをかかえて わっはっは |
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■寝させ唄 | |
■ねんねんこっこ
ねんねんこっこ ねんこっこ おらっちのぼぼさに だりゃかもた 春日の小寺の でちゃかもた あとから来たやっちゃ こすにいれ てんもくやいと しているぞ ねんねんこっこ ねんねんこっこ ねんこっこ |
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■いま泣いたもんな
いま泣いたもんな だるじゃ 牛の甲に乗せて 山へぼいやれ ぼいやれ いま泣いたもんな だるじゃ 鯉の背に乗せて 川へぼいやれ ぼいやれ |
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■ねんねんころりん
ねんねんころりん ねんねんころりん おうちの大事な子 だりゃかもた 誰もかまわん ただ泣いた ねんねせいや ねんねせいや |
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■ねんねんころりや
ねんねんころりや おころりや 坊やはよい子だ ねんねしな ねんねの子守りは どこへ行った あの山越えて 里へ行った 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 鳴らいてみたら よく鳴った それを鳴らいて ねんねこせい ねんねんころりや おころりや 坊やはよい子だ ねんねしな 赤いお椀に ままよそて 白い椀には ととよせて ねんねんころりや ねんころり おろろわいや ねんねこや 大事なちょこまに だりゃかもた |
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■ねんねんおろろわいや
ねんねんおろろわいや おろろわいや はなちゃんの子守りは どこへ行った あの山越えて 里へ行った 里のみやげに なにもらった でんでん太鼓に 笙の笛 おきゃがりこぼしに いぬ張り子 鳴らいてみたなら よく鳴った ねんねんねこじまの やぐらおとめ おとめが大きくなったら 江戸へやろ 江戸ではちんちん ちんちどり 田舎じゃ菜種の 花ざかり |
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■ねんねやねんね
ねんねやねんね ねんねのお守りは どこに行った あの山こえて 里に行った 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 ねないかねないか このまめちゃん 精だいてねられんか このまめちゃん |
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■ねんねやおろろわい
ねんねや おろろわい ねんねや おろろわい (繰り返す) |
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■泣くなや泣くなや
泣くなや泣くなや すずめの子 泣くと餌差が とりにくる |
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■おんねこさんねこ
ねんねこ さんねこ 酒屋の子 いっぱい飲んだら きげんじゃ にはい飲んだら よたよたじゃ ねんねや おろろばい ねんねんや おろろばい |
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■おお泣かれんど
おお 泣かれんど 泣かれんど おっか おっか ござらんか おっかも とっとも ござらんか 日が日が 暮れるぞ 山から犬が 出てくるぞ 笹の葉が まねくぞ はようはよらと ござらんか |
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■ねんねんこいこい
ねんねん こいこい ねんねの子守り どこ行った 山こえて 里へ行った 里のみやげに なにもろた ねんぶりこに 風車 赤いつぼに ままよそて 白いさらに ととよそて した汁かけて そろそろと |
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■富山の子守唄 (富山民謡)
ねんねんや おろろわい おろろわいや ねんねこせ ねんねのお山の 子兎は 泣かずにねんねん ねんねこせ ねんねのお山を こえる時 東を見ても 松ばかり 西を見ても 松ばかり 雪にふられた 松の葉は 銀の縫い針 仕掛け針 振りの小袖を しゃなしゃなと ねんねのお山を とろとろと おろろわいや ねんねこせ |
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■富山の薬売り | |
越中富山の薬売り 鼻くそ丸めて万金丹 それを買うのが あんぽんたん それを飲むのも あんぽんたん 万金丹(まんきんたん) / 伊勢の国、朝熊山で作られた薬で、胃腸病、解毒に効く妙薬とされました。その薬の色、形が、鼻くそを丸めた感じに似ていたらしいです。昔の薬の原料は、いかがわしいものが多かったため、売薬に対する不信感、かなりいい加減なものではないかと疑いが生じ、「万金丹」として売り歩いているが、実は鼻くそを丸めたものではないかと茶化している。 |
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■富山の薬売り 1
富山から日本全国の家庭へ配置家庭薬を行商に回る人、あるいはその行為をいう。後者は越中(えっちゅう)売薬あるいは富山売薬ともよばれる。越中売薬は、富山藩第2代藩主前田正甫(まさとし)に始まるとされる。前田正甫は生来病弱で、幼いころから医薬に対する関心が強い人であった。17世紀の末、正甫は当時の岡山藩医万代浄閑(ばんだいじょうかん)(常閑)から「反魂丹(はんごんたん)」の処方を伝授され、この薬方が非常に功を奏したことから、藩の事業として各地に行商させることにしたという。当初は町役所の総曲輪(そうがわ)で売薬商の取締り管理をしていたが、のちに同役所内に反魂丹役所が設けられ、藩の財政も大いに潤ったと伝えられる。行商の方法は、現在とほぼ同様の配置販売方式がとられた。すなわち、各家庭にあらかじめ薬を置いておき、年に一度か二度、家庭訪問し、使用された薬の代金のみを受け取り、使用分を再度補充する、いわゆる「先用後利」の方法である。家庭訪問に際しては、配置員(売薬人)が子供への土産(みやげ)(角(かく)風船や売薬版画)や各地のニュースを運んでくるため、たいへんに喜ばれた。また、藩としても配置員の教育には力を入れ、まじめで信頼できる人材の養成に努めた。 富山売薬は現在も行われており、配置薬の種類はかぜ薬、胃腸薬、膏薬(こうやく)などのほか、近年では応急バンドテープやドリンク剤なども加わり、その配置品目は増えている。なお、顧客名簿である「懸場(かけば)帳」は売買の対象ともされる。 |
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■富山の薬売り 2
古くから富山県にある医薬品配置販売業の通称である。 薬種商の始まりは室町時代とされる。中原康富の『康富記』(1455年)の1453年5月2日(6月17日)の条に「諸薬商買の千駄櫃申し間事談合とするなり。薬売るもの施薬院相計る所なり。」と書いてある。また、『御府文書』には1460年に京都の四府賀興丁座の中に薬品類を商いする商人がいたことが記されている。 富山で薬種商が始まったのは16世紀中ごろ、越中に薬種商の唐人の座ができたことである。17世紀初期から中ごろにかけて丸剤や散剤を製薬する専業店が現れる。開業当時は薬種販売のみを行い、それから製薬業に移ったと思われる。 1639年に加賀藩から分藩した富山藩は多くの家臣や参勤交代・江戸幕府の委託事業、生産性の低い領地、などの要因で財政難に苦しめられていた。そこで富山藩は本家の加賀藩に依存しない経済基盤をつくるために産業を奨励した。そのひとつに製薬(売薬商法)があった。 17世紀終期、富山藩第2代藩主・前田正甫が薬に興味を持ち合薬の研究をし、富山では最も有名な合薬富山反魂丹(はんごんたん)が開発された。これが富山売薬の創業とされる。しかし、この頃既に反魂丹は存在し、生産の中心地は和泉国(現在の大阪府)であった。1690年に江戸城で腹痛になった三春藩主の秋田輝季に正甫が反魂丹を服用させたところ腹痛が驚異的に回復した、とされる「江戸城腹痛事件」という巷談がある。このことに驚いた諸国の大名が富山売薬の行商を懇請したことで富山の売薬は有名になった、とするが、この腹痛事件に史料的な裏付けは無い。ともあれ正甫は領地から出て全国どこでも商売ができる「他領商売勝手」を発布した。さらに富山城下の製薬店や薬種業者の自主的な商売を保護し、産業奨励の一環として売薬を奨励した。このことが越中売薬発生の大きな契機となった。 18世紀になると売薬は藩の一大事業になり、反魂丹商売人に対する各種の心得が示された。この商売道徳が現在まで富山売薬を発展させてきた一因であるとされる。藩の援助と取締りを行う反魂丹役所、越中売薬は商品種類を広げながら次第に販路を拡大していった。 明治になって漢方医学の廃止とともに富山売薬が苦境に立たされるが、配置家庭薬業界は結束して生き残りを図ろうとした。1886年には輸出売薬を開始した。明治の末期から大正にかけて輸出売薬は大きく伸び、中国・アメリカ・インドなど数多くの国と交流があった。大正の初めにはピークに達し、日貨排斥運動が活発だった中国市場の8割強が輸出売薬に占められた。 20世紀に入ると売薬に関する制度や法律が次々と整備された。1914年には売薬の調整・販売が出来るものの資格・責任を定めた「売薬法」が施行され、1943年に品質向上確保のため医薬品製造はすべて許可制とする「薬事法」となった。さらに1960年には薬事法が改正され、医薬品配置販売業が法文化された。 |
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■商法
■先用後利 先用後利は「用いることを先にし、利益は後から」とした富山売薬業の基本理念である。創業の江戸時代の元禄期から現在まで脈々と受け継がれている。始まりは富山藩2代藩主の正甫の訓示「用を先にし利を後にし、医療の仁恵に浴びせざる寒村僻地にまで広く救療の志を貫通せよ。」と伝えられている。 創業当時、新たな売薬販売の市場に加わる富山売薬は他の売薬と同一視されないような販売戦略をしなければならなかった。当時は200年にわたる戦国の騒乱も終わり江戸幕府や全国の諸藩は救国済民に努め、特に領民の健康保持に力を入れていた。しかし疫病は多発し、医薬品は不十分だった。医薬品販売も室町時代から続く売薬はあったものの店売りは少なく、薬を取り扱う商人の多くは誇大な効能を触れ回る大道商人が多かった。またこの時代、地方の一般庶民の日常生活では貨幣の流通が十分ではなかった。貨幣の蓄積が少ない庶民にとって医薬品は家庭に常備することはできず、病気のたびに商業人から買わざるを得なかった。 こうした背景の中で医薬品を前もって預けて必要な時に使ってもらい、代金は後日支払ってもらう先用後利のシステムは画期的で時代の要請にも合っていた。 「薬は原価が10%で利益が90%だ」という意味で「薬九層倍」(くすりくそうばい)とも揶揄されたのだが、利益が大きいこと、運ぶものが軽いことなどが先用後利を成功させた。 ■配置販売 配置販売は富山売薬の営業形態となっている。消費者の家庭に予め医薬品を預けておき半年ごとに巡回訪問を行って使用した分の代金を受け取り、さらに新しい品物を預けるシステムである。薬事法では医薬品の小売を店頭販売と規定し消費者が転売することを禁じているため、「決まった消費者のもとで配置という形の陳列販売をしている」と解釈されている。また預ける医薬品や配置員も許可制で代金は使用された後に受け取ることになっており、他の小売販売のように現金販売はできない。 ■懸場帳 置き薬業者が回る地域を「懸場」(かけば)と呼び、その地域の顧客管理簿や得意先台帳のことを懸場帳(かけばちょう)といった。懸場帳は優良な顧客、売れた薬の種数、家族構成、そして集金が書かれ、再訪問する際の服用指導や情報提供にも役に立ち、商売の管理に欠かせないものであった。データベースの奔りともいえ、家庭のデータだけでなく、さまざまなデータを合わすことで、お見合いなどの資料にもなった。他業者の懸場帳はそれがあれば誰でも他業者の集金高に近い売上高(貫高)が得られるため、のちには懸場帳自体が財産価値を持ち、業者間で多額の金額で取引されるようにもなった。 懸場帳を扱った作品は、小説に『蜃気楼』(内田康夫)、テレビドラマに「水戸黄門」第25部の24話(1997年6月9日放送)、「裸の大将放浪記」など、漫画には「買厄懸場帖 九頭竜」(石ノ森章太郎)がある。数えられないほどの映画にも出てきて、推理映画の場合は、事件のヒントを与えることが多い。 ■おまけ(おみやげ) 富山の売薬の1つの特長としておまけ(おみやげ)を渡すことがあげられるが、江戸時代後期から行われているおまけで人気があったのが、富山絵(錦絵)と呼ばれた売薬版画(浮世絵)で、歌舞伎役者絵、名所絵(風景画)、福絵などいろいろな種類が擦られ全国の家庭に配られた。そのほか紙風船をはじめ、「食べ合わせ」の表や当時の歌舞伎の情報や、紫雲英の種など軽いものを中心に日本中に配った。また上得意には、輪島塗や若狭塗の塗箸、九谷焼の盃や湯飲みなどをおみやげとして渡していた。現在もおまけは渡しているが、高級品の進呈は業界の取り決めによりほぼなくなっている。 北原照久は『「おまけ」の博物誌』(PHP新書)で「おまけ」のルーツを求め、「富山が生んだ日本初の販促ツール」という一章を設けている。 また、「庶民哲学」のような言葉を広めたとされる。例えば、「高いつもりで低いのが教養 低いつもりで高いのが気位 深いつもりで浅いのが知識 浅いつもりで深いのが欲の皮 厚いつもりで薄いのが人情 薄いつもりで厚いのが面の皮 強いつもりで弱い根性 弱いつもりで強い自我 多いつもりで少ない分別 少ないつもりで多い無駄」などである。 |
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■福井 | |
生きる支えの 扇の要 いいえ 昔は昔 今は今 越前雪舞い おんな舞い 洗い流してしまうまで 噫々ーあーここは 北陸越前岬よ 愛の苦しさ わかってくれた わたしの越前 冬の海 ひとり紅ひくとまり木で 春を待ちます 春を待ちます 越前岬 何もかもあの人に捧げてた 恋をふりきる 恋をふりきる 若狭の宿よ 好きなあなたの 寝顔をながめ 夢で花咲け 若狭の春よ 船にのせれば 空似の女の 細い衿あし 濡らす若狭の 小夜しぐれ 越前岬は今も 昔のままだろか 男と女の男と女の 哀しみ織りなす 螢川 |
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■寝させ唄 | |
■ねんねんや 1
ねんねんや おべどこじゃ ねんねの寝たまに まま吹いて 赤い茶碗に ままよそて 白いお皿に ととよそて ねんねが起きたら 食わしょかな |
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■ねんねんや 2
ねんねんや おべろんや ねんねの寝たまに まま吹いて 赤い茶碗に ままよそて 白いお皿に ととよせて 起きたらあげるで ねんねしな ねんねんや おべろんや |
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■おべろんや 1
おべろんやァ ねんねんや ねんねの寝たまに まま炊いて それをあげるで ねんねしな おべろんやァ ねんねんや |
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■おべろんや 2
おべろんやァ ねんねんや ねんねのお守りは どこへ行た あの山越えて 里へ行た 里のみやげは なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 それをあげるで ねんねしな おべろんやァ ねんねんや |
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■ねんねんよ
ねんねんよ ねんねんよ しなさいな よい子のお守りは どこ行た あの山越えて 里へ行た 里のみやげに なにもらた でんでん太鼓に 笙の笛 一本もろても 笙の笛 二本もろても 笙の笛 |
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■ねんねしなされ 1
ねんねしなされ ねた子はかわい 起きて泣く子は つらにくや |
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■ねんねしなされ 2
ねんねしなされ 今日は二十五日 あすはこの子の 誕生日 誕生日には 豆まま炊いて 一生この子の まめなよに ねんねしなされ ねた子のかわさ おきて泣く子の つらにくさ |
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■わらべ唄 | |
■福井の子守唄
ねんねしなされ 今日は二十五日 あしたはそろりと 宮まいり 宮へ参って 何といって拝む この子一代 まめなように |
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■明日はこの子の宮参り
ねんねねさいませ 今日は四十九日 明日はこの子の 宮参り 宮さまへ参って どないいうて拝む この子息災 まめなように |
■蛍来い
蛍来い(来い) 飛んで来い うちわをあげたら 飛んで来い 笹を振ったら 飛んで来い 来たら だいじにしてあげよう ■2 蛍来い 飛んで来い 団扇を上げたら 飛んで来い さァさ煽ったらとんで来い ■3 蛍来い 飛んで来い お家は綺麗な蛍篭 御馳走しましよ 草の露 ピカピカピカと灯をともせ |
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■三重 | |
一度食べていかんかね 海女のふるさと志摩半島 キラと散る涙 きみには白い真珠をだいた 旅をあげたい 鳥羽の海 |
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■遊ばせ歌 | |
■かいぐりかいぐり
かいぐりかいぐり とっとのめ ひじポンポン 頭テンテン あかぺっかんこう |
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■頭の上に
頭の上に 豆さんをのせて のるかのらんか 当ててみよ 障子の穴から 天のぞく |
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■寝させ歌 | |
■ねんねんよう
ねんねんよう よう おころりよ ねんねんよう よう おころりよ |
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■ねんねこさんねんこ
ねんねこ さんねこ 酒屋の子 さかずき持てこい 酒飲もに 酒はからいで あもを出せ あもはかったい 焼いて出せ 焼いたらきなこを つけて出せ ねんねん ヨイヨー |
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■ねんねん猫島の
ねんねん猫島の ちんちら乙女 乙女いなくなりゃ 江戸へやる 江戸じゃちりちり ちりめん育ち 田舎じゃもめんの 紺しぼり 泣くんじゃ泣くんじゃ 泣くんじゃないよ ねんねしなよ ねんねしなよ |
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■富士山の山へ
富士山の山へ 花折りに 一本折って 腰にさし 二本折って 腰にさし 三本目に 日が暮れて 西の庄屋に 泊まろうか 東の庄屋に 泊まろうか 西の庄屋に 泊って 朝起きてみたら 大黒さんと いう人が 一で 俵をふんまえて 二で にっこり笑って 三で さかずきさしようて 四で 世の中よりようて 五つ いつものごとくに 六つ 無理ないように 七つ 何事ないように 八つ 屋敷をひろげて 九つ 小言ないように 十 とうとうおさまった |
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■この子よい子だ
この子よい子だ ねんねをなされ ねんねねんねと 泣く子はきらい 泣いてなみだ 流さぬものは 千両役者か 鳥の打ち ヨイヨー |
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■つうねん坊子守歌
かくれん坊につうねん坊に ぬけがみや 鐘のよぼせの 禅寺坊 ねずみが爪つんで羽つんで 立ち上がる |
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■ねんねころいち 1
ねんねころいち 竹屋の与市 竹を揃えて 竹を揃えて 舟に積む 舟に積んだら どこまで行きゃる 池は野方の 池は野方の 橋の下 |
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■ねんねころいち 2
ねんねころいち 竹屋の与市 竹をそろえて 舟に積む ヨイヨー 早くねさんせ 子のない人よ 猫を子にして 抱いて寝る ヨイヨー |
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■ねんねころいち 3
ねんねころいち 竹屋の与市 竹を揃えて 竹を揃えて 舟に積む 舟に積んだら どこまで行きゃる 池は野方の 池は野方の 橋の下 |
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■お月さんなんぼ
お月さんなんぼ 十三一つ そりゃ まだわかいな 帯買うて あげよか たすき買うて あげよか たすきの中から お息子がでけて だれに 抱かそ おまんに 抱かそ おまんは どこ行た 川原の溝へチャブチャブしに わたいも行きたい チャブチャブや |
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■ねんねんころりや
ねんねんころりや おころりや 坊やはよい子だ ねんねしな 坊やのねんねを してる間に 赤いままちゃんを 吹いといて 白いままちゃんも 吹いといて ふくめてふくめて みな食わそ |
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■伊賀の子守歌
ねんねしなされ ねた子がかわい ねんねせん子に ねんねせん子に 縞のべべ 縞のべべ着てどこ行かりょかな 赤いべべ着て 赤いべべ着て のの参り ののへ参ったら なんと言うておがむ 一生この子の 一生この子の まめなよに |
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「べべ」は「着物」、「のの」は「神様、神社」の幼児語。「まめなよに」は「健康ですこやかに」の意。伊勢参りの土地柄にあっては、生まれて間もない子どもも赤いべべを着て宮参りする風習があった。「赤いべべ」「縞のべべ」と子守唄に詠み込んでいるのも東海・北陸地方がその東限で、近畿以西の特徴になっている。 | |
■長島の子守歌
バーバーバー 晩に寝てバー 朝起きてみたら お宮さんの裏に かなつぶ一羽 シャクリコ シャクリコ おしゃまめ くりくり バーバーバー 晩に寝てバー 朝起きてみたら 美しい小女郎が さかずき持って 立っとる 一杯飲まんせ 上戸さん 二杯飲まんせ 上戸さん 三杯目には なぜあがらん 肴がないので 飲まれんか うぐい三つ 鯉三つ それではねたら ピンとせ |
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■阿山の子守歌
うちのこの子に 赤いべべ着せて つれて参ろか つれて参ろか ののさんへ ののへ参ったら なんと言うておがむ 一生この子の まめなよに まめで来たかよ まめで来たかよ 小豆で来たか わたしゃえんどで こけて来た うちのこの子は かしおでござる だれも阿呆やと だれも阿呆やと 言うてくれな だれも阿呆やと 言わせんけれど 守りが阿呆やと 言うて泣かす ねんねした子に ねんねした子に 赤いべべ着せて ねんねせん子に 縞のべべ |
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■新所の子守歌
ねんねねんねと ねた子はかわい 起きて泣く子は つらにくい ヨイーヨー ねんねねぶたい 姉さんとねたい わたしがママなら ねさすのに ヨイーヨー かわいこの子の いまねるさいちゅう だれもやかまし 言てくるな ヨイーヨー あすはこの子の 誕生日です わしによく似た ややだいて ヨイーヨー |
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■藤原の子守歌
ねんねんころりよ ねんころり 今日は二十五日 明日はこの子の 誕生日 誕生日には 餅して祝う 餅はなに餅 あーき餅 あーき餅さん 棚から落ちて 赤い顔して けろけろと 赤い顔して けろけろけろと |
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■一志の子守歌
ねんねをせえ もうたをせえ ねんねをした 留守には 赤い飯を 吹いといて 白い飯も 吹いといて となりの子にも ひと口よ うちの子にも ひと口よ ひと口ふた口 残って うらの火棚へ あげといて となりの猫に ぬすまれて 腹立ちや 腹立ちや それに腹が 立つならば むらさき川へ とびこんで 下から小はえが つづくやら 上からとんびが つづくやら つづけ つづけ 柳のもとまで つづかれや |
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■守り子歌 | |
■松阪の子守歌
この子よい子や ぼた餅顔や 黄粉つけたら なおよかろ ヨイヨー こんな泣く子は よう守りせんで おひまおくんな 旦那さん ヨイヨー 旦那さんより 奥さんこわい 白目黒目で にらまんす ヨイヨー 守りよ子守りよ ひのこえ守りよ うちをのぞくと 子が泣くぞ ヨイヨー この子泣くので さんどの飯も 胸につまりて しゃくとなる ヨイヨー 守りよ守りよと あなどりなさる 守りといえども 人の子じゃ ヨイヨー こんなよい子を だれもけなした お父さんとお母さんが してもけなした ヨイヨー |
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■員弁の子守歌
ねんねしなされ ねる子はかわい 起きて泣く子は つらにくい ヨイヨー 西の町から 東の町まで うとて歩くは 守りの役 ヨイヨー ねんねしなされ お母さんは里よ お父は京へ 銭もけに ヨイヨー 泣くでないぞよ 泣く子はきらい 泣くとお鷹が 食いに来る ヨイヨー お前泣いても おしゅうさえ帰りゃ 七つ下がれば ひまが出る ヨイヨー |
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■この子よう泣く
この子よう泣く よう守りせんで ひまをおくれよ 旦那さま ヨイヨイ ひまをやるけど かわりを立てよ かわり立てます 男守り ヨイヨイ 男守りでは 子があぶないで せめておんなの 十二三 ヨイヨイ |
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■片田の子守歌
守りや守りやと 軽蔑するな 守りがなければ 育たせぬ 寝てけ寝てけと 尻たたかれて 寝てもいかりょか たたかれて 守りを悪すりゃ 子にこそ当たれ 守りも世間の 人の子や この子泣くので 三度の飯も 胸につかえて ゆでながす 守りよ守りよと 出代わり来たに 今度おる気かおらぬ気か |
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■飯高の子守歌
ねんねねてくれ ねた子がかわい 起きて泣く子は わしゃきらい わしゃきらい 足が冷たい 足袋買うておくれ 父が帰れば 買うてはかす 買うてはかす この子よう泣く この鼻小僧 山のきつねに くれてやる くれてやる 夜のお空を とぼとぼあるき お月さまさえ 親知らず 親知らず |
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■関の子守歌
この子よくねる 宵からねやる 守りは十時の 鐘を待つ ヨイヨー 守りはいやじゃよ これから先は 雪はちらつく 宿はなし ヨイヨー 守りは楽そで つらいものじゃよ さらばさらばの いとまごい ヨイヨー |
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■子どもの遊び | |
■一で伊勢の大神宮
一で伊勢の大神宮 二で日光東照宮 三で讃岐の金比羅さん 四で信濃の善光寺 五つ出雲の大社 六つ京都の六角堂 七つ奈良の春日さん 八つ八幡の八幡さん 九つ小倉の権現時 十でいっこんかしまーした。 ■一番はじめは一の宮 一番はじめは一の宮 二は日光東照宮 三は佐倉の宗五郎 四はまた信濃の善光寺 五つ出雲の大社 六つ村々鎮守様 七つ成田の不動さん 八つ大和の法隆寺 九つ高野の弘法さん 十で東京の泉岳寺 ■向こう横丁のお稲荷さんへ 向こう横丁のお稲荷さんへ 一銭あげて ちょっとおがんで お仙のお茶屋へ 腰をかけたら 渋茶を出して 渋茶よこよこ横目で見たら お米のだんごか お土のだんごか おだんごだんご このだんごを 犬にやろうか 猫にやろうか とうとう とんびにさらわれた ■山寺の和尚さんが 山寺の和尚さんが まりはつきたし まりはなし 猫を紙袋にどしこんで ポンと蹴りゃ ニャンと鳴く ニャンと鳴きや ポンと蹴る オニャニャのニャン ■いもにんじさんしょしいたけ いもいもいもいも にんじにんじいもにんじ さんしょさんしょいもにんじさんしょ しいたけしいたけいもにんじさんしょしいたけ ごんぼごんぼいもにんじさんしょしいたけごんぼ どんぐり・・・・ 七面鳥・・・・ 初茸・・・・ 栗・・・・ いずれも手まり歌である。これらの歌を一緒に歌いながら、まりをつき、誰が一番長くついていることができるかを競った。 |
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■あんた方どこさ
あんた方どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本床さ 船場さ 船場山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲でうってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ 骨を菜の葉で、チョイトかぶせ 同じく手まりつきの歌である。「さ」の時に、その都度片足を上げて、その下へ手まりをくぐらせる。最後の「チョイトかぶせ」では股の間をくぐらせ、「せ」の時に両手を後ろに回して、着ている「はんこ」の裾を持ちあげ、その中へ手まりを包みこんで捕まえた。 ■高い山から谷底みればの 高い山から、 谷底見ーればの 瓜やなすびの 花ざかりよ はりわいどんどんどん これわいどんどんどん 本来は、大人たちが歌った地つき歌であったが、それを真似した子どもたちが、盛んに歌ったものである。女の子たちがまりつきをする時にも、この歌を歌っていた。 ■この子器量よし この子 器量よし 卵に目がある さぞや お母様うれしかろ・・・・・・・ これも、玉つき(まりつき)の歌である。この後にも文句が続いていたが忘れられてしまった。 ■郵便屋さん走らんせ 郵便屋さん 走らんせ もうかれこれ 十二時や (それ) オイチニ オイチニ オイチニサン なわとび歌である。「郵便屋さん」から「十二時や」までは、大波小波のやり方で、二人の持ち役が縄を左右に揺さぶり、「それ」で大回しに移り、その中へ一人ずつが次々と入っては跳んで、出ていくという要領であった。 ■一でたちばな 一で たちばな 二で かきつばた 三で 下がり藤 四で ししぼたん 五つ 飯山の千本桜 六つ 紫桔梗に染めて 七つ 南天 八つ 山吹の 九つ 小梅をちらしゃに染めて 十で 殿様お馬にのーせて 竹に雀は仙台さんのご紋 おしとろろー おしとろろー これは、「せっせっせ」と同じやり方で手遊びをする時に歌ったものである。 |
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■おんじょこ歌 1
二月三月花ざかり うぐいす鳴いた春の日の 楽しい時も夢のうち 五月六月実がなれば 枝からふるいおとされて 近所の町に売り出され 何升何号はかり売り もとより酸っぱいこの体 塩につかって辛くなり シソに染まって赤くなる 七月八月 暑い頃 三日三晩の土用干し 思えばつらいことばかり それも世のため人のため シワが寄ってもこの私 小さいあなたのお友だち 運動会にもついていく まして戦のその時は なくてはならぬこの私 なくてはならぬこの私 ■おんじょこ歌 2 いちれつだんぱん破裂して 日露戦争はじまった さっさと逃げるはロシアの兵 死ぬまでつくす日本兵 五万の兵をひきつれて 六人残してみな殺し 七月八月の戦いは ハルピンまでも攻めいって クロアパトキンの首をとり 東郷大将ばんばんざい ■おんじょこ歌 3 一かけ二かけ三かけて 四かけて五かけて橋をかけ 橋のらんかん手を腰に はるか向うをながむれば 十七八の姉さんが 花と線香手に持って 姉さん姉さんどこいくの 私は九州鹿児島の 西郷隆盛娘です わたしは九州鹿児島へ 切腹なされた父上の お墓参りにまいります 上の三つは、いずれも「おんじょこ」をする時の歌である。上手な子になると、この歌を歌いながら、四つも五つもの「おんじょこ」を操ることができた。二番目の歌は、日露戦争の後にできたものと思われるが非常に殺伐とした内容で、現在からすれば少なからぬ抵抗が感じられるのであるが、当時の子供たちが、深い意味は解らないながらも、現実に歌ったものである。一番目の歌にしてもそうであるが、戦争への動きは、当時の子供たちの世界にも色濃く影を落していた。 ■ ひに ふに みに よに いつつ むつ なーや この とうで 十一 十二 十三 四五六 おくーが 四六で ちゃわん五ん十で ちやろく七十で ちやくが九十なら この百ほった ■ ひいー ふうー みいー ようー いつー むうー なな やあー ここで とん(十)を ひいー ふうー みいー ようー いつー むう なな やあー ここで 二十を ひいー ふうー みいー ようー ・・・・ 三十を ・・・・ これも、おんじょこをする時の歌であるが、明治の頃のものというから、前出の歌よりは古いと思われる。 |
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■かごめかごめ
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀がすーべった 後の正面だあーれ 遊び方は、「中の中の子仏」と同じである。全国的に分布する歌であり、実際に当地でもやられた遊びである。 ■いもむしこおろころ いもむし こおろころ ひょうたん ぽっくりこ 集まった子が一列にならんで地面にしゃがみこみ、前の子の腰のあたりをつかむ。そして、この歌を歌いながら、列が切れないように体を左右に揺すって前進するという遊びであった。 ■タコタコあがれ タコタコあがれ 天まであがれ 水くんであがれ 凧揚げをする時に歌ったもの。「水くんであがれ」というのは、空中で回転して落下しそうになった凧が再び勢いを増して上昇していく様子が、ちょうど水を汲んで上がっていくように見えたからである。 ■とっちんかっちん鍛冶屋の子 とっちん かっちん 鍛冶屋の子 はだかで飛びだす 風呂屋の子 これは、短い丸太などを支点にして、その上に板をのせた即席のシーソーをする時に歌った歌である。 ■子どもと子どもがけんかして 1 子どもと子どもが喧嘩して 親さん親さん腹を立て 人さん人さん寄りおうて なかなかすまんとおっしゃって 薬屋さんにとめられた 指遊びの歌である。子どもは小指、親さんは親指、人さんは人差し指といった具合に、両手の指を歌の順番にあわせてくっつけていく遊びであった。 ■子どもと子どもがけんかして 2 子どもと子どもと喧嘩して 親さん親さん腹が立つ そんなに腹が立つなれば 人さん人さん寄りおうて 長太郎さんの 仲なおり 仲なおり これも、前出のと同じ指遊びの歌であるが、言い回しが少し違っているし、薬指も抜けている。明治の頃のものである。 |
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■極楽の道 地獄の道
極楽の道 地獄の道 針の山にー これも、指遊びの一種である。両手の指を組みあわせて裏返し、掌を上に向けると「極楽の道」で、手の甲を上にして十本の指をピンと立てると「地獄の道」になり、立てた指を動かして「針の山やにー」と言って相手をおどした。この他に、人さし指に中指を負わせ、中指には薬指、薬指には小指をといった具合に次々と負わせていく指遊びもあった。こうして出来あがった形が生姜に似ているので、「しょうが、しょうが」と言って、形の比べ合いをした。 ■子守り歌 1 ねんねころいち 天満の夜市 大根そろえて 舟に積む 舟に積んだら どこまでいきゃる 大阪天満の 橋の下 橋の下には 蛇がおるげなが こわい蛇じゃげな 嘘じゃげな ねんねころりよ 天満の夜市 大根そろえて 舟に積む 舟に積んだら どこまでいきゃる わたしゃ丹波の 橋の下 橋の下には 蛇がおるげなが それは蛇じゃげな 嘘じゃげな ネンネン ネンネン ネンネン ネー ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヨイ ヨー ■子守り歌 2 ねんね ねんねと寝る子がかわい 起きて泣く子はつらにくい ねんねしたなら 赤いべを着せて 明日はこの子の宮まいり 宮へ参ったら 何というて拝も この子一代 まめなよに ねんねしなされ 今日は二十五日 明日はお前の宮まいり 宮へ参ったら 何というて拝も この子一代 まめなよに ネンネン ネンネン ネンネン ネー ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヨイ ヨー ■子守り歌 3 ねんねころりよ おころりよ 坊やは良い子だ ねんねしな 坊やのお守りはどこへいた あの山越えて 里へいた 里のおみやに何もろた でんでん太鼓に笙の笛 鳴るか鳴らんか 吹いてみよ 鳴ったら寝た子にもろてやろ ねんねころりよ おころりよ 明日はぼうやの 宮参り 宮へ参ったら なんというて 参る ぼうや一代 まめなよに 白いままも 炊いといて 赤いままも 炊いといて くっくめくっくめ みな食わそ ねんねしなされ 寝る子はかわい 起きて泣く子はつらにくい ねんねこしゃっしゃりなー ねんねんよー ■子守り歌 4 ねんねんよいよー ねんねんよいよー ねんねんころりゃ ねんころやー ねんねんころりゃ ねんころやー ねんねんころりゃ ねんころやー ○○のお守りはどこ行った あの山越えて里行った 里のみやげに何もろた でんでん太鼓に笙の笛 でんでん太鼓はどこやった お寺の縁においてきた お寺のおばさん何してじゃ 赤っかい頭巾 縫ってじゃった ○○にかぶしょ ねんねんよいよー ねんねしなされ 寝る子は可愛い 背で 子は泣く 日は暮れる この子よう泣く ぜんたいよう泣く 乳がたらんか 乳ばなれか この子よう泣く いすればだまり いすり持ちあげ できた子か 北のはしから 南の町まで うとうて歩くは 守りの役 すべて子守り歌である。昔は、男の子も女の子も、小さい弟妹がいると必らず子守りをさせられた。特に、女の子は少し大きくなると、モリコといってよその家の子守りに雇われるものも多かった。だから、遊んでいる時でも、赤ん坊を背なかにくくりつけている子がたくさんいた。いつも赤ん坊を負うている子は、たいてい出っ尻になっていたものだ。モリコにならない場合、9歳になるかならないかで製糸工場へ働きに出た女の子もいた。垂坂の五島製糸や別名にあった森製糸へ雇われていったのである。 |
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■一かく二かく三かく四角
一かく二かく三かく四角 四角はとうふ とうふは白い 白いはうさぎ うさぎは跳ねる 跳ねるはカエル カエルは青い 青いはバナナ バナナはむける むけるはミカン 今でも耳にする「しりとり歌」であるが、最後のところで少々下品な方向へ落ちていくようになっている。それが子供の性的好奇心をくすぐって面白く、大人の顰蹙(ひんしゅく)をかうと余計に大きな声をあげて歌った。この歌は、まだまだ続くのだが…。 ■さよなら三角 さよなら三角 また来て四角 四角は豆腐 豆腐は白い 白いはうさぎ うさぎは跳ねる 跳ねるはノミ ノミは赤い 赤いはほうずき ほうずきは鳴る 鳴るはおなら おならはくさい くさいは便所 便所は高い 高いは空 空は青い 青いは海 海はひろい ひろいは世界 世界はまるい まるいはまり まりはあがる あがるは飛行機・・・・・・ これも同じような歌だが、ワイセツな方向へはいかずに、どこまでも連想が続いていくようになっている。 ■おっ月さんいくつ おっ月さんいくつ 十三七つ まんだ年しゃ若いな あの子を産んで この子を産んで だあれに抱かしょ お万に抱かしょ お万はどこ行った 油買いに 茶買いに 油屋の縁で すべってころんで 油一升こぼした その油どうした 太郎どんの犬と 次郎どんの犬と みんな なめてしもた その犬どうした 太鼓に張って あっちのほうでも どんどんどん こっちのほうでも どんどんどん! ■すずめはチュウチュウ鳴いている すずめはチュウチュウ鳴いている カラスはカアカア鳴いている 障子が明るくなってきた 早く起きぬと遅くなる 着物を着替え 帯をしめ 手水をつかい 口すすぎ きれいになったら おはようと 朝のお礼をいたします ごはんも ていねいによく噛んで 紙や手拭い忘れずに さっさと行きます 学校へ 急いで歩いて 遅れずに いつともなしに歌ったわらべ歌である。二番目のは、一見、学校で習わされたような感じがするが、そうではなくて、おばあさんに教えてもらって覚えた歌である。 ■月夜の晩に 月夜の晩に 火事出して 水持ってこーい 木兵衛さん 金玉おとして 泥まるけ 月曜日から土曜日までを読み込んだコトバ遊びである。これも最後のところにオチがついているので、特に男の子に人気があった。 |
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■ウリ売りがウリ売りに来て
ウリ売りが ウリ売りに来て ウリ売らんと 売り売り帰るウリ売りの声 ■みかん きんかん みかん キンカン わしゃすかん 子どもにラクガン なおきかん ■そーだそーだそーだ村の そーだ そーだ そーだ村の村長さんが ソーダ飲んで 死んだそーだ 葬式まんじゅう うまいそーだ あんが入って うまいそーだ これらは、○○づくしといった類のことば遊びである。同じ言葉が次々と出てきて調子がよいので、みんなで声を合わせて言い合いっこをした。 ■亥の子の晩に 亥の子の晩に 重箱ひろて あけてみたら ほかほかまんじゅう にぎってみたら 十兵衛さんの金玉 11月の「亥の子まつり」の時に歌ったものだが、語呂合わせになっているのと、最後にオチのついているのが面白く、普段の日でも、子供たちの間で盛んに歌われたものであった。尚、ここに出てくる十兵衛さんとは、今から290年程前、当地の灌漑事業に大きな功績をのこして殉死した荒木十兵衛さんのことで、この歌はその十兵衛さんを讃えるものであったという。 ■高野の弘法大師 高野の弘法大師 子抱いて 粉を挽いたら 子の目へ 粉が入って こんなことはもう こまる 歌の文句の頭に「こ」が付いているので語呂がよく、それを面白がって歌った。 |
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■正月さんええもんや
正月さん ええもんや 赤っかいぺぺ着て 足袋はいて 下駄の歯のような餅食って 油のような酒飲んで ごんぼのような糞たれた 正月の歌である。本来は、もう少し上品な内容になっていたと思われるが、ここでは絶対に上品とはいえないオチがついたものとなってしまっている。 ■大寒小寒(おおさむこさむ) 大寒 小寒 山から小僧が泣いてきた 餅のひとつも くれてやれ 大寒 小寒 山い ずっきんおいてきて 取りに行くか寒いし 戻るも寒いし もう ここらで死んでくりょ 当地では、冬の寒風を北風と呼ばずに、西風と言っていた。この西風がビュンビュン吹きまくり、雪やアラレも降りだして、寒くてじっとしていられれない時に、これらの歌を大声で歌いながら、あちこちをわけもなく走りまわったのである。「ずっきん」とは、頭巾のこと。また、「戻るも寒いし」の後「もうそこらでほっとけほっとけ」と続ける言い方もあった。 ■つづれさせ コモさせ つづれさせ コモさせ 早よ寒なるぞ コオロギの泣き声がこのように聞えると言った。そして、「コオロギが鳴いとんで、早よつくろい物せんならん」と言って、大人たちは冬支度を急いだ。 ■まいまいこんぼ まいまいこんぼ くるこんぼ くるくるまわって 目をまわせ まいまいこんぼとは、ミズスマシのことで、これを捕まえる時、水を手でかき回しながら、この歌を歌ったのである。 ■蛙とろとろ 蛙とろとろ 親の乳より うまいもん喰わしょ 蛙つり草やヒエの穂先で蛙を引き寄せ、釣り上げる時に歌った。手に持ったヒエの穂先を蛙の目の前でチョイチョイと動かすと、それを見た蛙がパクッと口開けて飛びついてきたのである。 |
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■雀チュウチュウ忠三郎
雀チュウチュウ 忠三郎 烏カアカア 勘三郎 トンビは富田の鰯売り 秋の夕暮れ時、ねぐらへ帰るカラスをみた時などに自然とこんな言葉が口について出てきたものだ。鰯も秋のもので、富田の方から獲りたての鰯を売りに回ってきたのであった。 ■もずもずキッチキチ もずもず キッチキチ あした天気になあーれ もずが鳴く日は、天気が良いと言われていたので、その鳴き声を聞いた時に、うれしくなってこの歌を歌ったのである。 ■泣き虫 毛虫 泣き虫 毛虫 はさんですてろ 今泣いたカラスが ちょっと笑ろた 小さい子が泣きだした時に、これをあやそうと節をつけて歌ったもの。自分が泣かしたことがばれると、親にきつく怒られるので、何とか早く泣き止まそうと苦心したものだった。 ■痛けりゃイタチの 痛けりゃ イタチの糞つけよ まんだなおらな まんの糞つけよ ちょっと痛い目をしただけで泣きだす弱虫をはやしたてる時に、みんなが声を合わせて言った言葉である。イタチは、たくさん棲息していて、すばしこく道を横切る姿を頻繁に見かけたものだ。このイタチが、ちょうど着物の懐に入る方向、つまり右から左へと「道切り」した時には、「今日はふところに入ったで、ええことがある」と喜び、逆に左から右だと幸運が逃げたと言って残念がったりした。 ■田市場たのき 田市場 たのき(狸) 田の中で子を産んで たつぼ食って育った |
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■○○のガイラ
○○のガイラ 何食らう シラミ三升 ノミ三升 あわせて六升 よう食ろた いわゆる悪口ことばである。昔は、村どうしの対抗意識が強く、子供たちの世界でも、ことあるごとに対立し、お互いの村をからかい、罵り合う、このような悪口ことばが多くあった。 ■あいついやらし あいついやらし なまじゃらじゃらと 人がじゃらつきゃ あいつまで あいつにくらし でしゃばりやがって どんとくらわせ 青竹で いつの時代でも、人の真似ばかりする者やおせっかいやきは、嫌われるものだ。そんな子を、非難と軽蔑を込めてはやしたてる時の悪口言葉である。 ■まねしまんざい米もらい まねし まんざい 米もらい 一日歩いて 米半つぼ これも、人の真似ばかりしている者をからかう時のことばである。 ■わしのおかやん わしのおかやん こんぺとのたちよ 甘いけれども 角がある これも悪口言葉の一つである。目を吊り上げて怒っている母親をひやかす時などに使った。「こんぺと」とは金平糖のこと。 ■男と女と遊ばんもんや 男と女と遊ばんもんや 金ちゃん ぼんちゃん 傷がつく 子供たちも、少し大きくなってくると異性を意識するようになり、それまで一緒に遊んでいた者同士も、お互いに距離を置くようになってくる。そんな年頃になっても、まだ男女が一緒に遊んでいるのを見て、みんなで一斉にはやしたてる時に言った言葉である。こんな悪口言葉を言い立てながらも、本当は自分も一緒に遊びたいという羨望やら嫉妬やらが込められていた。 |
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■屁こきゃ三つの徳がある
屁こきゃ 三つの徳がある おなかがすいて 気がはれて 人には どんどと笑われて 尻のほこりが立ってった おもわず放屁をしてしまった時に、こんなことを言って照れくさいのを誤魔化した。また、もらした相手をからかう時にも、この言葉を使った。 ■イボイボうつれ イボイボ うつれ 昔の子供たちは、何故かしら手の甲などにたくさんのイボを作っていた。中には「百イボ」といって、手の甲一面に数えきれないくらいのイボをこしらえている子もいた。このイボを、他の子に移してやろうと、この言葉を唱えながら、自分のイボに触った指を相手の手などへくっつけに行ったのである。 ■鼻高こなあれ 鼻高こなあれ 米安なあれ ■ わたしゃ谷間の八重桜 花が低ても 人が好く 赤ん坊をあやす時に、赤ん坊の鼻の先をチョイトつまみながら言った言葉である。これに類したもので、他にも「アワワワ、アワワワ」 「カブリ、カブリ」 「ハラポンポコ、ハラポンポコ」 「カイグリ、カイグリ、オツモテンテン」というものもあった。ツバのしゃぼん玉を作り、赤ん坊に見せて笑わせたりもした。これらは、子供だけでなく、大人も使った言葉である。 ■ 一つ ひなたの山道を 二つ 二人で行きました 三つ 港の蒸気船 四つ 他国(よそ)から着きました 五つ 急いで見にゆけば 六つ 向こうの青空に、 七つ ならんだ白い雲 八つ 山家(やまが)のおさの音 九つ ここまで聞こえます とんとんからりとんからり 十で 港も暮れました とうに港も暮れました |
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■奈良 | |
お前を連れて来ればよかった 吉野に 風が なよ風が舞う 忘れはしません母さんの 背中で遊んだあの頃を 生駒は哀しい女町 |
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■遊ばせ唄 | |
■おいよ才平は
おいよ 才平は まだ戻らぬか まだも戻らぬ ながの旅 ヨイヨ ながの旅すりゃ 身は大切に 人のお世話に ならぬように ヨイヨ 鐘がごんと鳴りゃ もう去の去のと ここは寺町 日が暮れる ヨイヨ |
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■かあさんかんよ
かあさん かんよ 帰りの道で 尾のある鳥と 尾のない鳥と 酒の粕くわえて クックック |
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■油買いに
油買いに 酢買いに 油屋のかどで 油一升こぼした その油どうした あっちの犬と こっちの犬が みんななめた その犬どうした 太鼓にはった その太鼓どうした あっちからドンドン こっちからドンドン たたきやぶった |
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■寝させ唄 | |
■北山の子守歌
泣くな泣くな 泣くなよ 泣いたら とんびにつままれる 泣いたら 小鷹につままれる こうって寝れ こうって寝れ 寝れ寝れ ねしょの子 起きれ起きれ 男の子 うちの赤ちゃんの 誕生日たんじょうにちには 赤飯あかまま炊いて 一生この子の まめなよに うちの赤ちゃんは もうつい寝てよ 誰もやかまし いうてくれな |
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■ねあせりゃ
あわせりゃ 起きる 起きりゃおかさの じゃまをする |
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■ねんねころいち 1
ねんねころいち 寝た子はかわい 起きて泣く子は面にくいヨー ねんねころいち 子のない人は 猫を子にして 抱いて寝るヨー ねんねねんねん 猫 三味の皮 おまん包むは 竹の皮ヨー |
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■ねんねころいち 2
ねんねころいち きょうはこの子の 二十五日 赤いご飯炊いて 誕生祝いましょう あの子偉そうに 塗りげたはいて 親は一合の 米買いに |
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■守り子唄 | |
■龍門の子守歌
だけの山から とんできたからすよ 銭も持たずに 買お買おとよ つらは憎ても ほべらは可愛いよ つらとほべらと 振りかわれよ |
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■西吉野の子守歌
お子がかわいけりゃ 守りから大事よ 守りにきつすりゃ 子にあたるよ こけこにわとりゃ 死ぬまで鳴くかよ 死んでから鳴く ほらの貝よ 来いと呼ばれて そのいく夜さはよ 足の軽さよ 楽しさはよ ねんね根来の 粉河のしごはよ たより聞きたい 和歌山のよ 親とたてよて うち出て来たがよ 舟の乗り場で 親子石よ 守りが憎いとて 破れ傘ささせよ かわいわが子に みなかかるよ |
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■下市の子守歌
ねんねしなさい おやすみなさいよ 鳥が鳴いたら 起きなさいよ 守りが憎いと 破れ傘ささせよ かわいわが子に みなかかるよ 奉公する身と 千石橋はよ 金につられて 苦労するよ |
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■奈良の子守歌
守りのつらいのは 霜月師走 雨やあられや 雪や霜 ねんねころいち ねた子はかわい 起きて泣く子は なおつらい |
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■泣くな一太郎
泣くな一太郎 泣かすな二太郎よ あんじょ守りせよ 三の太郎よ はやくいぎたい あの山こえてよ いらぬこの地を あとにしてよ |
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■わらべ歌 1 | |
■聖徳太子の子守唄 (聖徳太子伝より)
寝入れ寝入れ小法師こぼうし 縁の縁の下に むく犬の候ぞ 梅の木の下には 目きららのさぶらふぞ ねんねん法師に緒ををつけて ろろ法師に引かせう ろろ法師に緒をつけて ねんねん法師に引かせう 御乳母めのとは何処どこぞ 道々の小川へ襁褓むつき濯すましに ねんねんねんねんろろろろ (以下略) ここで「寝入れ寝入れ」と寝かしつけられている「小法師」、これが聖徳太子のことだと言われている。聖徳太子立像は「夜泣き太子」としても知られ、夜泣きがひどい子どもがお参りすると、夜泣きがおさまって安眠できるようになるという言い伝えがある。 |
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■ふえおにするもん
ふえおにするもん この指たかれ 山くだけ 多いもんがええな 指きった 奈良県民謡。鬼ごっこなどをする時に仲間を集めるための「人寄せ歌」。 遊びをする前、一人の子がこの歌を歌いながら人差し指を上に向けて出すと、次の子もこれに合わせて前の子の人差し指を握り、同時に人差し指を上に向けて差し出し、と、順番につながっていって、最後に「指きった」と唱えて遊び仲間を作る。という場面で歌われている曲だそうです。 |
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■奈良の大仏さん
奈良の奈良の大仏さんは 天日に焼けて ありゃドンドンドン こりゃドンドンドン 後ろに誰がいる 「○○ちゃん!」 違いました 違いました 船のかげ 奈良県民謡(奈良市登大路町)。「人当て鬼」の歌で、遊び方は「かごめかごめ」と同じ。奈良の子供たちにはお馴染みの遊び歌らしいです。 |
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■下市の子守唄
ねんねしなさい おやすみなさいよ 鳥が鳴いたら 起きなさいよ 泣いてくれるな 泣かんでもさへもよ 守がどんなと思われるよ 守が憎いと 破れ傘させよ 可愛い我が子にみなかかるよ ねんねころいち 天満の市はよ 大根たばせて 船に積むよ 船に積んだら どこまで行くかよ 木津や難波の橋の下よ 奉公する身と 千石橋はよ 金につられて 苦労するよ 奈良県民謡(吉野郡下市町幸町)。日本の子守唄によくある、子守り奉公の辛さが歌われている曲ですが、不思議な事に、二番以降の歌詞が大阪民謡の「天満の市は」と酷似しています。大阪で歌われていた『天満の市は』が奈良県の吉野に伝わったのか、吉野で歌われていたものが大阪に伝わったのか・・・ 真相は謎ですが、歴史的にこの二つの場所がつながっていた、という事になりますよね。 |
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■竜門騒動の手まり唄
一つとや 竜門騒動は大騒動 二十まで作りた手まり唄歌おうかいな 二つとや 札のいかがを無理として お江戸へ捕られた又兵衛さん 愛おしわいな 三つとや 水のたるよな大小は 差すがよけれど その後はむずかしいわいな 四つとや 様子はこのほうの胸にあり あやまりしだいは こちらから 残念やわいな 五つとや 愛おしござるわ 父君は 松子さん お江戸へ生き別れ 懐かしわいな 六つとや 無理な取り立てなさるから このようになるのももっともや 得心かいな 七つとや 何を言うても身を責める 心の鬼が身を責める我がことかいな 八つとや 屋敷はお江戸に身はここに いとおしござるはいと桜 散りますわいな 九つとや 頃は極月十五日 四ッが村は立ち寄りて ご相談かいな 十とや 年は十六蔵之介 酒屋の息子は大手柄 あっぱれやいな 十一とや 言わず語らず百姓は 胸に包んで その後は難しいわいな 十二とや 憎いヤツじゃと御上から 取っ手の役人 十二人 いざそうかいな 十三とや さらりと簑傘うち揃え 竹槍かたげて おおよりに行きますわいな 十四とや 責め上げられたる 浜島は 登ろとするもの突き落とす まくれるわいな 十五とや 五件四六さまの守 こいつぁまた えらいと見定めて落とそうかいな 十六とや 牢へ入ろと首落ちょと 又兵衛さんの仇とったら本望かいな 十七とや 七尺縄にとつながれて 長い道中引かりょなら 恐ろしわいな 十八とや 鋼をあらわす大庄屋が 松本すじをみとめて行きますわいな 十九とや 国は東国竜門地 こんどの騒動はどこまでも響こうかいな 二十とや 二十まで数えた手まり唄 歌えば響く 吉野山名高いわいな 奈良県民謡(吉野郡下北山村)。1818年に奈良県吉野郡の竜門郷の農民が、年貢の軽減を求めて実際に起こした農民一揆の事が歌われた曲。数え歌にふさわしく、言葉の頭が数字の印を踏んでいるのが印象的です。 |
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■十津川・わらべ歌 2 | |
■あのねおしょうさんがね
あのね おしょうさんがね らいはいどうでね なむちん なむちん あら おかしいわね いちりっと らいらい らっきょ くって しっし しんがらもっちゃ きゃっきゃっ きゃべつで ほい |
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■なかの なかの
なかの なかの○○ちゃん(くん) ちょうちょに まかれて さんどさんど ひっこんだ うしろに だれがおる (ワンワン ○○ちゃん(くん)) (ニャオニャオ ○○ちゃん(くん)) (ちーごた ちーごた) (あーたった あーたった) |
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■おひとさくら
おひとさくら さくら さくら おふたさくら おみさくら おみなさくら おひとよせおふたよせまってくりょ おのせよ おなのかしこみ おかわ おひとおぬけ おぬけ おぬけ おふたおぬけ おみおぬけ おみなおぬけ おひとよせ おふたよせ まってくりょ いっぴゃくでほい おっきでしょ |
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■うけとった
うけとった うけとった さんやのさかずき うけとった これから どなたに わたしましょ うちのとなりの ○○ちゃん(くん)に わたした うけとった うけとった |
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■こもりうた
ねむれ ねむれよ ねたこはいちじゃ あすは このこの たんじょうにちよ おいよ もりよ こがなきゃ かどへでてゆすれ かどの ぼたんの はなもたせよ おいよ ないて やかましい よしわらすずめ なけば のでなけ やまでなけよ おいよ たんじょうにちには まめめしたいて このこ いっしょう まめのようによ おいよ まめのようによ おいよ |
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■おうめさんのかご
おうめさんのかごと なんぼほどでました ひょうたんのさきで やいとをすえて あつやかなしや ふかいかわへどんぶりこ あさいかわへどんぶりこ 一丁目二丁目三丁目のかどで おおみずふいて ふねにふかれて せんどはだれじゃ ○○くん(ちゃん)ではないかいな |
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■いもかいました
いちもんめの いーすけさん いもかいました にもんめの にーすけさん にくかいました さんもんめんの さんすけさん さばかいました しもんめの しーすけさん しびかいました ごもんめの ごーすけさん ごぼうかいました ろくもんめの ろーすけさん ろうそくかいました ななもんめの なーすけさん なしかいました はちもんめの はーすけさん はりかいました くもんめの くーすけさん くりかいました とうもんめの とーすけさん とうふかいました おーらいしょ |
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■おひとつ
おひとつ おひとつ おひとつ おひとつ おろして おっさあらい おふたつ おふたつ おろして おっさあらい おみいつ おみいつ おろして おっさあらい おみなで おっさあらい おはさみ おはさみ おはさみ おはさみ おろして おっさあらい おちりんこ おちりんこ おちりんこ おちりんこ おろして おっさあらい おてのうえ おてのうえ おてのうえ おてのうえ おろして おっさあらい おみなで おっさあらい |
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■うしろのせ
うしろのせ おんせのせ おおさかさかおさかでどん よつやでどん よつやあかさか こうじまち おかごにのるのは いくらです ごひゃくです もうちっとまからんか おからかどん どんどのおふろのくろまめさん きょうは はこねの ひーや ふーや みーや よーや いーや むーや なーや やーや ここのつかえして うしろのせ おんせのせ |
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■和歌山 | |
愛を結べる 岸がある あなただけ おまえだけ 情けの紀ノ川 紀州の男 だからどでかい望みを腹に 生きて行くのさ熊野灘 |
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■遊ばせ唄 | |
■ちょっちょっちょうの
ちょっちょっちょうの カーリカリ おつむてんてん あばばのあばば |
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■じんごやかんごや
じんごや かんごや かんごやのおばさん 足が痛うて よう歩きません 一丁目 二丁目 三丁目のかどで 大水ついて 舟を浮かべて 船頭さんは誰よ 太郎さんじゃないか 深い川越そか 浅い川越そか とてもかなわぬ 深い川へドップーン |
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■寝させ唄 | |
■りんかじんと
りんかじんと ががじんと もんすることを もんすれば りょそうせっすと 申します 山に山を 重ねて だてにしんにゅう かけさんせ |
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■ねんね根来の 1
ねんね根来の かくはん山でよ としょじ 来いのよ 鳩が鳴くよ ねんね根来の 地藏さんこけてよ それがおかしゅうて ねむられんよ 紀州紀の川 荒川粉河よ おまん包むは 竹の皮よ |
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■ねんね根来の 2
ねんね根来の かくばん山でよ としより来いよの 鳩が鳴くよ ねんね根来に 行きたいけれどよ 川がおそろし 紀の川がよ さんさ坂本 室谷の娘よ 嫁入りしたそな 住持池よ ねんね根来の 夜鳴る鐘はよ 一里きこえて 二里ひびくよ |
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■太鼓たたいて
太鼓たたいて 守り子を寄せてよ いろのよい子を 嫁にとるよ 泣くななげくな 今日一日はよ 明日は親守り 泣かしゃせなよ |
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■堺住吉いとまの太鼓
堺 住吉 いとまの太鼓よ 流れついたよ 加太浦ィよ 加太はよいとこ 西浦うけてよ 前に宝の 島すえてよ 加太はよいとこ 西浦うけてよ なかとあらしは そよそよとよ 親のない子に 髪結うてあげらよ 親はよろこぶ 極楽でよ 親のない子と 浜辺の千鳥よ 日ぐれ日ぐれに 鳴きくらすよ ここら小島で 身は加太浦でよ 舟は田川の 新湊よ |
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■ねんねねむの木
ねんねんねむの木 朝はよ起きよよ 七つ下がれば みな眠れよ ねんねしなされ ころりとさんせよ 朝ははよから 起きなされよ |
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■こわいおそろし
こわいおそろし 室河の阪は 七つ下がれば 鹿の声よ |
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■鞆渕の子守歌
花が咲く咲く 八幡山によ 詣る氏子にゃ 気にかかるよ とんと鞆渕 なかのの鐘がよ 一里聞こえて 二里ひびくよ |
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■河根の子守歌
高野雪降りゃ 神谷は霰よいよい 河根で清めの 雨が降るよ 行たら見て来い 橋本御殿よいよい 裏は紀の川 舟が着くよ 紀州紀の国 荒川粉河よいよい おまん包むは 竹の皮よ |
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■この子ねんねしたら
この子ねんねしたら 赤いべべ着せてよ ねんねせん子に 縞のべべよ この子ねんねしたら なにより嬉しよ 金の千両も もろたよによ ねんね根来町ゃ 広いよでせばいよ 横に車は 通りゃせなよ |
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■ねんねした子に
ねんねした子に 赤いべべ着せてよ ねんねせぬ子に 縞のべべよ この子かしこい もうねんねするよ どうぞみなさん お静かによ |
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■ねんねした子に
ねんねした子に 赤いべべ着せてよ ねんねせぬ子に 縞のべべよ この子かしこい もうねんねするよ どうぞみなさん お静かによ |
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■ねんねねんねん 1
ねんねねんねん ころりとなされよ ねたら子も楽 守りも楽よ ねんねねんねん ねた子はかわいよ 起きて泣く子は つらにくいよ 塩屋祓井戸 広芝野島よ 加尾や上野や 楠井や津井やよ おもしろいぞや 名田目の道はよ 楠井通れば 津井通るよ 盆と正月 一緒に来たらよ 火鉢かかえて 蚊帳かぶるよ |
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■ねんねねんねん 2
ねんねねんねん ねた子はかわいよ 起きて泣く子は つらにくいよ うちの父さん 山行て遅いよ 蜂にさされて ねてござるよ |
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■ねんねねむたい
ねんねねむたい ねた子はかわいよ 起きて泣く子は つらにくいよ |
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■ねんねねた子に
ねんねねた子に 赤ばい着せてよ 起きて泣く子に 縞のばいよバイバイ 御坊東町 箒はいらんよ お御堂参りの 裾で掃くよバイバイ この子ねた間に 飴売り来たらよ 安うで買てやろ 五文がなよバイバイ 親のない子は 入り日をおがむよ 親は入り日の 真ん中によバイバイ |
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■ねんねころいち 1
ねんねころいち 天満のていちよ 大根そろえて 舟に積むよ 舟に積んだら どこまで行こによ 木津や難波の 橋の下よ 橋の下には おかめがござるよ おかめおとろし ちょとねむるよ |
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■ねんねころいち 2
ねんねころいち 天満のていち 大根たばねて 舟に積むよ 舟に積んだら どこまで行こに 木津や難波の 橋の下よ 橋の下には かもめがござる かもめとりたや 網ほしやよ |
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■ねんねこさんねこ 1
ねんねこさんねこ 酒屋の子 酒壺持て来い 酒やらそ 酒のないのに やとろ言て それほどお腹が 立つなれば チャラチャラ雪駄を 買てあげら 赤いチャラチャラ なんもんめ やすてもたこても 三もんめ 負けておくれよ 一もんめ |
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■ねんねこさんねこ 2
ねんねこさんねこ 酒屋の子 酒だる持て来い 酒飲まそ 酒は飲みとう ござんせんが 赤いべべなら ほしござる ねんねん ねんねんよ ねんねん しなされよ ねた子は かわいよ ほらね ホラ 守りも楽よ |
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■おろろんころろん 1
おろろんころろん 子は泣くな 泣いたらおたかに つかますぞ |
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■おろろんころろん 2
おろろんころろん 子は泣くな 泣いたらおたかに つかますぞ おろろんころろん 子は泣くな 正月三日に 乳飲ましょ この子ねむたら なにより嬉しよ 金の千両も ひろたほどよ ねんねねんねと 尻たたかれてよ なにがねぶろか たたかれてよ ねんねのお守りは どこへ行た あの山越えて 里へ行た 里のおみやに なにもろた 栗や菓子や おこし飴 おかさん乳より 甘ごんす ねんねのお守りは どこへ行た あの山越えて 里へ行た 里のおみやに なにもろた でんでん太鼓に笙の笛 鳴るか鳴らぬか どれにしょか |
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■守り子唄 | |
■ねんねのお守りは 1
ねんねのお守りは どこへ行た あの山越えて 里へ行た 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 鳴るか鳴らぬか どれにしょか |
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■ねんねしなされ 2
ねんねしなされ ねる子はふとる 起きて泣く子は 虫が出る |
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■ねんねしなされ 3
ねんねしなされ ねる子はかわい 起きて泣く子は 面にくいよ ねんねねんねと ねる子をたたく なにがねらりょか たたかれてよ |
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■ねんねしやんせ
ねんねしやんせ ねる子はふとる 起きて泣く子は 虫が出る 虫が出るよ |
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■ねんねねんねと
ねんねねんねと 背中をたたく なにがねらりょかよ たたかれてよ 守りがにくいとて 破れ傘くれて かわいわが子はよ ぬれねずみよ |
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■泣いてくれるな 1
泣いてくれるな 泣かいでさえもよ たたきひねるよにゃ 思われるよ 守りはにくいとて 破れ傘くれてよ かわいわが子はよ 雨ざられよ |
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■泣いてくれるな 2
泣いてくれるなよ 殿御の留守によ からす鳴くさよ ねんころろい 気にかかるよ 気にかかるよ この子泣くのでよ 照る日も曇るよ 晴れた月夜 ねんころろい 闇となるよ 闇となるよ 鳴くなにわとりよ 夜明けのからすよ 明けりゃお寺の ねんころろい 鐘も鳴るよ 鐘も鳴るよ |
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■守りがにくいとて 1
守りがにくいとて 破れ傘くれて かわいわが子が 雨ざらし ねんねんねんよ ねんねした子に 赤いべべ着せて 起きて泣く子に 縞のべべ ねんねんねんよ ねんねしなされ ねる子はふとる 起きて泣く子は 面にくい ねんねんねんよ わたしが死んだら 誰が泣いてくりょに 山のからすが 鳴くばかり ねんねんねんよ 山のからすも ただ鳴きゃせぬが 墓の団子が 食いたさに ねんねんねんよ とんととまめは ほうらくの中で 連れて走ろか 腹切ろか ねんねんねんよ |
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■守りがにくいとて 2
守りがにくいとて 破れ傘ささし かわいわが子が しぼぬれや しぼぬれや ヨーイヨイ |
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■守りがにくいとて 3
守りがにくいとて 破れ傘きせてよ かわいわが子が 先ぬれるよ 勤めつらさによ 出て山見たらよ 霧のかからんよな 山はないよ |
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■守りがにくいとて 4
守りがにくいとて 破れ傘きせてよ かわいわが子が 先ぬれる ヨーイヨイ ヨーイヨイ ヨーイヨイ |
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■守りがにくいとて 5
守りがにくいとて 破れ傘きせてナーヨ かわいわが子を ぬらすのかよ それは なーじょかいなー あぜらいかんか お寺の背戸ナーヨ 小梅小桜 枝折りによ それは なーじょかいなー |
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■むしの出た子は
むしの出た子は 出来よが悪いよ 薬飲ませよ 疳薬 疳薬よ |
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■うちの姉さん
うちの姉さん 大阪嫁入りよ たんす長持 船に積むよ 船に積んだら どこまで行こによ 和泉 難波の 橋の下よ |
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■わしら山行きゃ
わしら山行きゃ 茨が止める 茨止めるな 日が暮れる こいこい 守りがにくいとて 破れ傘くれて かわいわが子に ふりかかる こいこい 泣いてくれるな 坊やが泣けば 守りがわるいと 叱られる こいこい |
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■わらべ唄 | |
■滋賀 | |
■遊ばせ歌 | |
■お姫さんのかご
お姫さんのかごと 天神さんのかごと 比べてみれば 十文じゃ十文じゃ 浅い川へはめよか 深い川へはめよか いっそはめるなら 深い川へドンブリコ |
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■かんかん堂のお宮さま
かんかん堂の お宮さま お猿が三匹 飛んできて 先のお猿も 物知らず あとのお猿も 物知らず 一番(いっち)の中の 小猿が よう物知って 鯰川へ飛び込んで 鯰一匹踏んまえて 手々で取るのも かわいそう 足(あいや)で取るのも かわいそう 杓子(おしゃも)の欠けが 流れて来たで それで取って 奥の間へ持ってって チャクチャクチャクと刻んで あなたにも一菜(ひとさい) こなたにも一菜 嫁のが足らいで けんかができて けんかのなかで お芋たいてやろか 南瓜(おかぼ)たいてやろか 芋も南瓜も そんなもんいらん そんなら出てけ 何履いて出てこ お爺さんのかんかん 片っ方(ぽ)と お婆さんのかんかん 片っ方と 履いて出てけ どっから出てこ 裏から出てけ 裏にお馬(んま)がおって 怖いわ 窓から出てけ 窓に竹の筒が あったれば 踏み破(わ)ってみようか 噛み破ってみようか 踏み破ってみれば 赤いお(着物)べべが十二枚 白いおべべが十二枚 誰に着せよか 太郎に着せよか 次郎に着せよか 太郎に着せると 次郎が怒るし 寺のおぼんの お稚児に着せて 馬(んま)ハイコ乗せて あっちの方へコロコロ こっちの方へコロコロ あんまりコロついて 小麦団子落とした ひばりがみつけて とんびにやった からすカアカと くやしがる とんぼは遠くに 飛んでった |
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■キッコーマイコー
キッコーマイコー よそでも摺りゃる うちでも摺ろか 一升摺って 寝よまいか |
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■遊ばせ歌
キッコン マッコン ヨードーヨー 山田の米は うまいぞ 里の米は あんないぞ キッコン マッコン ヨードーヨー |
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■大坂見たか
ええとこ見せたろかア 大坂見たか 京見たか |
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■子守唄
ここは腰越 下がれば沙沙貴 沙沙貴下がれば 常楽寺 常楽寺と言うて 鍵の橋越えて 良い子もじゃるは 馬次郎 |
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■寝させ歌 | |
■子守歌 1
この子良い子じゃ ねんねこしやれ 寝たら田んぼへ 連れて行こう |
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■子守歌 2
ねんねなされよ 今日は二十五日 明日はこの子の 誕生日 誕生日よエ |
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■子守唄 3
ねんねしてくれ ころりと寝たら 赤い枕を買(こ)てさそに ヨーエー |
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■竹馬の与一 1
ねんねころいち 竹馬のよいち 竹にもたれて ねんねしゃれ ねんねしゃれエー 瀬田の唐橋 唐金擬宝珠 水に映るは 膳所の城 膳所の城オー この子良い子や 卵に目鼻 この子育てた 親見たい 親見たいイー ねんねねんねん 寝た子は可愛い 起きて泣く子は 面憎い 面憎いイー |
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■竹のまのよいち 2
ねんねころいち 竹のまのよいち 竹をたばねて 舟に積む 舟に積む 舟に積んだり くだいてみたり 落ちる涙が 道の露 道の露 ねんねしてくれ 寝た子はかわい 起きて泣く子は 面にくい 面にくい ねんね眠たい 姉(あね)さんと寝たい 姉が侭(なな)なら 寝さすのに 寝さすのに 会いた見たさは 飛び立つ様(よ)でも 龍の鳥かよ 情ない 情ない ねんねしてくれと 頼む子は寝んと だれも頼まん 子が寝やる 子が寝やる 来ては泣き来ては泣き われの様(よ)に泣くと わしの身やかて どこで立つ どこで立つ 思い出しては また来ておくれ 鳥も枯れ木にゃ 二度とまる 二度とまる 鳥は枯れ木に 二度とまるけど 花は枯れ木に 二度咲かん 二度咲かん ねんねしてくれ まだ夜(よ)は明けん 明けりゃお寺の 鐘が鳴る 鐘が鳴る |
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■子守唄 1
ねんねしなされ お手手はしょまい わしの眠たいこと思うて ねんねしてくれ まだ夜は明けぬ 明けりゃお寺の 鐘が鳴る |
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■子守歌 2
ねんねしてくれ まだ夜が明けぬ 明けりゃお寺の鐘が鳴る |
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■子守歌 3
この子よいこや ぼたもち顔や きな粉つけたら なお良かろう |
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■子守歌 4
ねんねしあんせ まだ夜は明けぬ 明けりゃお寺の 鐘が鳴る 鐘が鳴るかよ 撞木が鳴るか 鐘と撞木の あいが鳴る- |
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■子守歌 5
ねんねしてくれエー まだ夜は明けぬ、 明けりゃお寺の鐘が鳴る |
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■ねんねしてくれ
ねんねしてくれ 今日は二十五日 明日はお前の 誕生日 誕生日には 赤着物(べべ)着せて 連れて参ろか 氏神(のの)さまへ 連れて参ったら 何と言うて拝む この子一代 達者(まめ)なよに この子泣くんで 照る日も曇る おぼろ月夜も 闇となる この子寝さして おふとん着せて 四隅たたいて 針仕事 ねんねしてくれ まだ夜が明けぬ 明けりゃお寺の 鐘が鳴る |
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■今津の子守唄
ねんねねんねんねんねをしたら ねたら田んぼへ連れて行こう 誕生日にはあずまま炊いて 連れて参ろかののさまへ 連れて参ったら何と言うて拝む この子一代まめなよに この子良い子やぼた餅顔や きな粉つけたらなお良かろ |
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■ねんねん森の
ねんねん森の 小鳩たち こんなに暗い 夜じゃもの さぞやふくろうの 金の目が 青く光りて 怖かろう |
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■子守歌 1
ねんね ねんねよ ねんねをしやれ うちのこの子は 今寝やる 寝たら 子も楽 守りも楽 ねんね ねんねよ ねんねしな |
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■子守歌 2
ねんねころいち 天満の市よ だいご揃えて 船に積む 船に積んだら どこまで行きゃる 木津や難波の橋の下 橋の下には お亀がいやる お亀とりたや 竹ほしや |
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■子守歌 3
ねんねしやれや 寝る子は可愛い 起きて泣く子は つらにくい つらにくい |
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■子守歌 4
ねんねしてたも まだ夜は明けぬ 明けりゃお寺の 鐘が鳴る 抱いて寝てさえ すき間の風に 今朝の霜朝 帰えさりょか |
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■子守唄 5
ねんねんころり ねんころり 坊やは良い子だ ねんねしな 坊やの土産は 何もろた デンデン太鼓に しょうの笛 鳴るか鳴らぬか 吹いてみよ ねんねんころり ねんころり |
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■子守歌 6
大雪小雪 雪の降る晩に 誰か一人 泣く子をもらおうか 寝ない子を もらおうか |
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■竹馬(たけんま)よいち
ねんねころいち 竹馬(たけんま)よいち お蕪(かぶ)揃えて 舟に積む 舟に積んだら どこまで行(ゆ)くや 賽(さい)の河原(かわら)の 橋の下 橋の下には 怖い蛇(じゃ)がござる こわい蛇やげな うそじゃげな |
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■ねんねなされませ
ねんねなされませ 寝る子はかわいし 起きて泣く子は 面にくい うちのクミコは 良い子でござる みんな良いこと 言うておくれ うちのクミコは 良い子で器用で 器用に育てて おくじゃもの うちのクミコに 赤いべべさん着せて 連れて参ろか お宮様 連れて参ったら 何と言うて拝む 一生この子の 達者なよと クミコ良い子じゃ ぼた餅顔で きな粉つけたら なお良かろ クミコ良い子じゃ ねんねんしやれ 寝れば子も楽 守りも楽 うちのクミコは ねんねんするで 誰もやかまし 言うてくれな ねんねころいち 竹の馬よいち 竹にもたれて ねんねする 寝たか寝なんだか 枕に問やれ 枕お正直 寝たと言う ねんねなさりませ まだ夜は明けぬ 明けりゃお寺の 鐘が鳴る 鐘が鳴るかよ 撞木が鳴るか 鐘と撞木の合いが鳴る 鐘が鳴りゃまた お蚕をついて 朝の御飯の すわるまで |
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■ねんねしてたも
ねんねして給(たも) まだ夜(よ)は明けぬ 明けりゃお寺の 鐘が鳴る 鐘が鳴りゃまた 去(い)の去のとおしゃる ここは寺町 いつも鳴る ねんねこよいち 竹馬(たけんま)よいち 蕪(かぶ)を揃えて 舟に積む 舟に積んだら どこまで行きゃる 遠い他国の 果てまでも お前百まで わしゃ九十九(くじゅく)まで ともに白髪の生えるまで 高い山から 谷底見れば 瓜やなすびの 花盛り |
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■うちのこの子は
うちのこの子は なに着しょ 此(こ)着しょ つばき桃色の 小袖着しょ つばき桃色の 小袖を着せて 寺へ詣ろか 飴買いに 飴はいらんし 外郎が欲しし 外郎まつりに 買(こ)てあげよ |
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■子守唄
うちのこの子が ねんねをしたら 買うて上げよか 砂糖煎餅(せんべい) 起きて泣く子は 憎らしい かいつけかいつけ 柿の木 柿の木の下には 赤いこうこうが三匹と 白いこうこうが三匹と それがこわけら ねんねしな ねんこい山の きじの子 きじか かもか うのとりか おさえて見たれば おせん鳥 |
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■竹馬よいち
ねんねころいち 竹馬よいち 竹を揃えて 舟に積む うちのこのこは よい子でござる 誰もあほじゃと 言うてくれるな 言うてくれるな |
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■ねんねんねむの木
ねんねんねむの木 ねんころよーォ ねんねのお守りは どこへ行ったーァ あの山越ォえて 里へ行ったーァ 里のお土産(みや)に なにもらったーァ でんでん太鼓(だいこ)に しょうの笛ーエ しょうの笛やら 太鼓(たいこ)やら これみな坊やの ものですよーォ ねんねんころりよ おころりよーォ |
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■守り子歌 | |
■この子よう泣く
この子よう泣く 泣かん子もあろに もちと泣かん子と 替えて欲し 替えて欲し 子ォが可愛いけりゃ 良い傘おくれ 破れ傘では 子が濡れる 子が濡れる この子これだけ よう泣くせがむ お乳足らぬか 乳(ち)ばなれか 乳ばなれか お乳たくさん ありますけれど この子これだけ 性(しょ)が悪い 性が悪い 性(しょう)の悪いのは まな板の上で きざみきざむように きざきざと きざきざと きざみきざんで お醤油をかけて 親に見せたら 血の涙 血の涙 今の守り子は コイコイ習(なろ)て 男呼ぶのも 来い来いと コーイコーイ |
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■田上の子守唄 1
寺のかどへ行きゃ 小坊主が叱る 小坊主建てた寺じゃなし 寺じゃなし |
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■田上の子守唄 2
ねんねしてくれ まだ夜が明けん ヨーエ 明けりゃお寺の鐘が鳴る ヨーエ 寝たら念仏 起きたらつとめ 明けばお寺の鐘が鳴る 鐘が鳴るのか 撞木じゃないか 鐘と撞木のあいに鳴る うちのこの子の 枕の模様は 梅に鶯ほととぎす ねんねんよう 寝た子は可愛い 起きて泣くよりゃ寝ていやれ この子良い子や 良い器量の子や 器量に育てた親の子や ねんねしやんせ 寝た子は可愛い 起きて泣く子は面憎い うちのこの子は なんでこない泣きゃる 乳が足らんのか 乳離れか 乳はたくさん ありますけれど はたの守子が言うて起こす 乳はたくさん ありますけれど うちのこの子が泣き味噌や 守子さんによりゃ 喧嘩がでける 一番二人が仲がええ 子が可愛けりゃ 守子を寵(ちょう)しやれ 守りにあたると子にあたる 在所三遍 まわりてきたが 今に帰れと言わりゃせん 在所三遍 まわりてきたが 親が迎いに来そうなものを 親は迎いに 行きたいけれど 晩の仕舞いができかねる |
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■田上のヨンヨー節
ねんねころいち 竹馬の与一ナ 竹を束ねて 舟に積むナ ヨンヨー うちのこの子は どじゃいこない泣くやナ 乳が足らんのか 乳離れかナ ヨンヨー 守り子三人寄りゃ 喧嘩がでけるナ とかく二人が 仲が良いナ ヨンヨー 丹波炊け炊け 皆言わんすけれどナ 丹波炊くよな 鍋はないナ ヨンヨー 丹波炊け焚け 皆言わんすけれどナ 丹波炊けても 食べられんナ ヨンヨー ヨンヨ ヨンヨは どこから流行るナ 石部草津は なお流行るナ ヨンヨー |
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■廻り三返子守歌
西の果てから 東の果てまで 歌とて通るは 守り子ども 歌とて通るは 騒がしけれど 御免ください 守りの役 廻り三返 廻りて来たに もはや帰れと おっしゃらんか |
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■子守唄 1
ねんねしなされ 寝た子はかわい 起きて泣く子は 面憎い 面が憎いとて 叩かりゃしょまい 叩きゃ おしゅうさんの 気に入らぬ |
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■子守歌 2
この子寝かせて 布団を着せて よすみおさえて 針仕事 うちのこの子と おはらい様は 下におこまい 手の上に |
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■子守歌 3
アー うちのこの子は 今寝るとこで 誰もやかまし 言うてくれな 誰もやかまし 言わせぬけれど よその守り子が 来て起こす |
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■子守唄 4
ねんねころいち 竹馬よいち 竹を揃えて にのよいち ねんねんよ ころいちよ この子泣くので 照る日も曇る 冴えた月夜も 闇となる ねんねんよ ころいちよ |
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■ななよ泣くなよ
ななよ泣くなよ 赤いべべ買うてやろ ひもはなにひも 紅絹のひも ねんねさんせよ 寝る子は可愛い 起きて泣く子は 面憎い 守りというよな 憂いご商売を どこの港で習たやら 守りと頼んで 女(おなご)とと使(つこ)て 仕着(しさせ)よけくれ 良いのくれ 仕着よけやろ 良いのはやらん 丈の短い 赤縞を 西の山見りゃ 恋してならぬ お母(か)やお父(と)ったんの 声がする お母やお父ったんの 声なら良いが きつねやたぬきの 声がする 寺のぼんさん とぼけてぼけて お仏供茶碗に 魚(とと)添えて 寺の和尚さん 早鐘(はやがね)ついて 守り子去(い)なして 木偶(でこ)芝居 ななよ泣くなよ 今日は二十五日 三十五日にゃ 赤い飯炊いて 守りにゃ三杯 子にゃ二杯 |
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■オッチキチョーウワイチョー
ねんねころいち 竹馬よいち 竹を揃えて 二のよいち オッチキチョー ウワイチョー この子泣くので 三度の飯も 胸に詰まって 食べられん 守りの憂いのは 秋冬五月 かどに立つのが 四十九日 うちのこの子の 枕の模様(もよ)は 梅に鶯 竹に虎 梅に鶯 品(しな)良くとまれ 品の良いのを 嫁にとろ |
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■子守歌 1
うちのこの子に 赤い着物(べべ)着せて 多賀へ参ろか 飴買いに 飴はいらぬが ういろがほしい ういろ祭りに 買うてしんじょ |
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■子守歌 2
うちのこの子に やりたいものは 乳と かんざし 甘酒と |
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■子守唄 3
ねんねしてくれ 寝る子はかわい 起きて泣く子は 面憎い うちのこの子は よう泣く子でな よその泣かん子と 替えて欲し よその泣かん子と 替えてはやるが あまり泣かんのも きずつない |
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■子守唄 4
ねんねんこんよ! 寝たら子も楽 守りも楽 この子寝かせて 布団を着せて 四隅おさえて 針仕事 うちのこの子に 赤い着物(べべ)着せて 多賀へ参ろか 飴買いに 飴はいらんで 饅頭(おまん)買うておくれ おまん買うてやろ ねんねしな 抱いて寝もせず 暇(いとま)もくれず つなぎ船かよ わしの身は |
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■子守歌 5
こわや恐ろし 北畑の狂言 西大路ご家中の 敵討ち 西大路ご家中の 敵を討って 広いばんばの 道狭や うちのおっしゅうさんは 無理なことおっしゃる 籠で水汲め そうけで湯取れ 石で火を焚け 消やさんと 西の町から 東の町まで 歌うて 歩いて 寝さして 来たに 晩のしまいには まだ早いと |
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■ねんねする子に(甲良の子守唄)
ねんねする子に やりたいものはーァ 針や鋏や絹糸やーァ ねんねしてくれ 寝る子はかわいーィ 起きて泣く子は 面(つら)憎いーィ 良い娘(こ)嫁入(よめり)する 悪い娘は残るーゥ 嫁入りせん娘は わしひとりーィ いくら飲まいでも 今夜の酒はーァ 飲んで喜ぶ 親たちがーァ この子よう泣く 泣かん子欲しやーァ よその泣かん子と 替えてこいーィ 泣くな一太郎 泣かすな二太郎ーォ 泣かすまいとの 三のオリーィ 啼くなにわとり まだ夜が明かんー 明けりゃお寺の 鐘が鳴るーゥ うちのこの子に 着せたい着物ーォ 背中牡丹で すそ柳ーィ 祭来たとて 何楽しもやーァ 貧乏親もちゃ 腹が立つーゥ 眠たがる子を 寝させもせずにーィ 夜なべさす身の かわいさよーォ わしらこうして こうせにゃ食えんー だれも養(やしの)て くれやせぬーゥ |
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■うとて歩くは
うとて歩くは やかましけれど ごめん下さい 守りの役 歌をうたうなら まっすぐうたえ 歌の横んちょは 通れゃせぬ 寺の坊主は 根性(こんじょ)が悪い 守り子去(い)なして 門閉める 寺の坊主と 隠坊(おんぼ)の嬶(かか)は 人が死ぬのを 待っている わたしゃ歌好き 念仏嫌い 死んで行(い)くのも 歌で行(ゆ)く 死んでしまおか 髪切りましょか 髪は延び物(もん) 身は大事 死んでしまいたい 正月の月に 生きてもどりたい 盆正月(しょがつ) 盆と正月と 一緒に来たら 門(かど)でまりつく 羽根をつく うちの母ちゃん なんでも嘘よ 鹿(か)の子買(こ)てやろ それも嘘 うちの親父は金平糖(こんぺいと)の性(しょう)よ 甘い顔して 角(つの)生やす ねんねころいち 竹馬(たけんま)よいち 竹にもたれて ねんねする 泣いてくれるな 下駄の歯に困る 下駄の歯じゃない 子に困る ねんねころりよ 寝た子はかわい 起きて泣く子は 面(つら)にくい かわいかわいと 言(ゆ)てる子が死んで 憎い継子(ままこ)が 達者(まめ)でいる 親は子ォをば たずねもすれど 親をたずねる 子は稀(まで)な 嫁と姑と 茶碗と皿と 仲が良さそで コチコチと 分限者(ぶげんしゃ)けなりいや 白壁づくし こちら貧乏で 藁の壁 分限者けなりいや 両手に花よ わたしゃ片手に しおれ花 上見りゃきりがないぞ 下見て暮らす 橋の下にも 屋形船 貧乏してても 心は錦 人さんのものには 手はかけぬ お酒飲む人 しんからかわい 飲んでくだまきゃ なおかわい 七つ八つから いろはを習(なろ)て はの字忘れて いろばかり 芝居見に行(い)て 役者に惚れて 惚れた役者の 名も知らぬ 来いよ来いよと そう言うとき来んと 浜の松風 音ばかり |
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■高い山から
高い山から 谷底見れば 瓜や茄子(なすび)の 花盛り 瓜が三味(しゃみ)ひく 茄子が踊る そこで南瓜(かぼちゃ)が 音頭取る 平木山(ひらきやま)から 八日市を見れば 新地女郎(おやま)の 風呂上がり 猫が飯(まま)炊く ねずみが移す こわい狸が お膳出す お膳出したら お上がりなされ はつかねずみが 給仕する |
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■ふごで子守するときの歌
この子泣くので わしの身が痩せる 帯の二重が 三重回る |
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■宿場子守唄
石部良いとこ宿場がござる お半長ヱ門の仮の宿仮まくら ネンネコロイチ竹場の与市 竹を揃えて舟に積む 舟に積んだらどこまで行くよ 横田河原の橋の下 お前一人かお連れはないか お連れ後から籠で来る 籠で来るよな大病か胃病か お腹痛いのか御遍路か 親の意見と茄子の花は 千に一つの仇花はない 男良うても土甲斐性なけりゃ 伏見人形で面ばかり 奉公する身とながしのとゆは 辛い言葉も聞き流し 泣いた涙を笹の葉に溜めて これがとどこか親許へ ここらあたりに瓦葺きゃないか 嫁に貰うような娘はないか 嫁に貰うような娘はあるけれど もうちょっとお針ができかねる お針だけでも織さえ織れば 百姓女業に貰うてやろう ねんねなされませ京は二十五日 明日は前さんの誕生日 誕生日には赤いべべ着せて 連れて参ろうかののさまへ |
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■仁助の子守歌
ぼんよ泣くなよ お父ツァんは江戸へ お母はさんまい(墓場) 嫁入りした 嫁入りした お母はさんまいに 何をしてござる 白いべべ(着物)着て 手に数珠かけて 石の枕で 寝て御座る 寝て御座る。 |
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■子守唄
うちのこの子は なんでこね泣きゃる 晩に往(い)んだら 暇もらう ヨンヨ 暇をやるから 代わりをたてよ 代わりたてます 男守り ヨンヨ ア ネンネンヨー ネンネンヨー |
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■うちのこの子は
うちのこの子は なんでこれ泣きゃる 晩にいんだら 暇もらう ア暇もらう 暇をやるから 代わりをたてよ 代わりたてます 男守り ア男守り うちのこの子は なんでこれ泣きゃる 乳がたらんのか 乳(ち)離れか ア乳離れか 乳はたくさん ありますけれど 傍(はた)の守り子が 言(ゆ)て泣かす ア言て泣かす うちのこの子は 今寝るときや だれもやかまし 言てくれな ア言てくれな だれもやかまし 言わせんけれど 傍の守り子が 言て起こす ア言て起こす ア ネンネンヨー ネンネンヨ |
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■わらべ歌 | |
■じゃんけん遊び
じゃんけんは、今も昔も行われています。昔はじゃんけんが歌になっていることがありました。グー・チョキ・パーだけでなく、石・紙・鋏(はさみ)とするルールもありました。 遊戯唄ジャンケン/大津市 じゃんけん遊び/近江八幡市小舟木町 勝負ジャンケン/甲賀市水口町嶬峨 勝負ジャンケン/守山市新庄 手合わせ歌/甲良町下之郷 勝負ジャンケン/野洲市小篠原 勝負ジャンケン/野洲市小比江 ■鬼ごっこ 一人が鬼になって、他の人が鬼に捕まらないように逃げる。 鬼ごとするもん/甲賀市土山町徳原 向かいの婆さん/東近江市八日市金屋 てんのおばさん/大津市坂本 かくれんぼする人/高島市今津町日置前 ■輪遊び歌 輪になって手をつないで回り、後の正面にいる人を当てる遊び。一般的には「かごめかごめ」と似た遊び方になる。 坊さん/大津市 輪遊び歌/東近江市伊庭 中の中の小仏は/米原市甲津原 輪遊びの歌/豊郷町八町 中の中の弘法さん/草津市大路 うしろの正面/長浜市旧高月町 ■子取り遊び 鬼が一番後にいる人を捕まえる遊び。先頭の人は手を広げて鬼を防御しながら動き、他の人は前の人から離れないようにして動く。 子取ろ子取ろ/長浜市木之本町大音 桃くれ桃くれ/長浜市元浜町 こんこんさん/長浜市 ■子買い遊び 売手と買手とその他に分かれる。買手は売手から子どもを指名して取引をする遊び。 子買お子買お/大津市坂本 子取り遊び/草津市木川町 猫買おう/長浜市元浜町 ■なわとび歌 両端の二人が縄を持ち、その間に人が入って、縄が下を通過するときに足が引っかからないように跳びます。縄は、左右に揺れる時と、一周回す時があります。 大波小波/野洲市比留田 郵便屋配達屋/長浜市南呉服町 大波小波で/野洲市吉川 おはいり/近江八幡市上畑町 ■ゆすり遊び歌 二人が向き合って両手首を握り合い、井桁を組む。別の子がその上へ腰掛け、左右に揺すり、歌の最後に放り出す。幼児に対して行う場合は、子守歌の一種(遊ばせ歌)になる場合がある。 ゆすり遊びの歌/高島市新旭町藁園 揺すりゃ揺すりゃ/草津市大路 お姫さんのかご/長浜市元浜町 ゆすり遊びの歌/近江八幡市安土町中屋 子取ろ子取ろ/大津市坂本 ■くぐり遊び 二人組の子が作る門を、他の子がくぐる遊び。 これからは/大津市坂本 ここはどこの細道や/東近江市上平木町 ■送り遊び 二人づつ向き合って両手をしっかり握り、樋を作る。腹ばいで樋の上に乗り、腕を振り上げて跳ね上げ、順に先へ送る遊び。かなり腕力が必要である。 あいこでよいやさ/大津市坂本 ■お手玉歌 お手玉を用いた遊び。揚げ玉:戸外で立ち、空中にお手玉を投げ上げて受け止める。オジャミ / 室内や縁先などで座り、決まりの所作に従って扱う。 コンメのうた/栗東市荒張 うしろのせ/大津市坂本 おしと歌/米原市甲津原 つっとんだ/野洲市安治・井口 なむあみだぶつ/守山市新庄 こんめのうた/草津市野路 ひいふのなにわら/野洲市西河原 ■手まり歌 まりを使った遊び。まりつき / まりを地面や床につき下げ、反発して戻るので再度床に突き下げる。揚げまり / まりを空中へ投げて受け止める。 手まり歌/日野町大窪 まりつき歌/高島市新旭町深溝 ひとめふため/愛荘町長塚 ひいふの彼岸だんご/長浜市高月町渡岸寺 お小夜と伝兵衛さん/長浜市元浜町 ひいふのねえさん/大津市坂本 手まり歌/草津市山田町 手まり歌/甲良町金屋 まりつき歌/高島市マキノ町在原 いちじくにんじん/長浜市元浜町 ひいふのなにわら/野洲市西河原 市太郎/米原市甲津原 手まり歌/草津市山寺町 ひいふの三吉/大津市尾花川 ■羽根つき歌 羽子板で、おもりをつけた羽根を当てる遊びの時に唄った。一人つきと二人つきがあった。一人つきは、一人でついた回数を競う。二人つきは、交互に羽根をつき、先に落とした方が負けである。 いちじくにんじん/東近江市八日市金屋 ひとめふため/東近江市八日市金屋 羽根つき歌/米原市柏原 ■指遊び歌 指を使った楽しい遊びも行われていました。 トントンごめんな/甲賀市土山町徳原 一でいも食て/長浜市元浜町 ■言葉遊び歌 言葉遊びは、いろは、123などの順番であったり、早口言葉であったりして、迅速さと正確さを競っていました。また、笑い歌や、尻取りが隠されている歌もありました。 いんの字いっさいこく/米原市甲津原 一(い)の字いっさいこく/米原市甲津原 遊戯唄 いの字/大津市大津 正月三日/大津市坂本 ことば遊び/甲良町下之郷 稗谷あたいの坊さんが/甲賀市水口町嶬峨 ■自然遊び歌 自然豊かな土地で、動植物と共に遊んでいました。 とんぼつかみのうた/近江八幡市安土町下豊浦 蟻の道/守山市新庄 ピーヒョロとんび/野洲市乙窪 からすの歌/東近江市八日市清水 とんびや裏かやれ/東近江市上平木町 つばな抜きのうた/東近江市桜川西町 白鷺白鷺/東近江市八日市金屋 げんげ摘み/長浜市新庄馬場町 かいつぶり/大津市尾花川 カアカアからす/野洲市乙窪 からすカアカア/東近江市今崎町 がんがん渡れ/東近江市上平木町 カエルの学校/長浜市旧湖北町 ■お天気の歌 晴れ・曇・雨・雪・雷・月夜といった、お天気に関する歌。 お月さんいくつ/長浜市木之本町大音 お月さんいくつ/大津市尾花川 雪の歌/日野町大窪 雪が降るわいな/近江八幡市中村町 雨のショボショボ/長浜市元浜町 雷の歌/東近江市五個荘三俣町 天気占いの歌/東近江市桜川西町 ■おまじないの歌 痛み止め・しびれ止めの、おまじないがありました。 やけどのまじないの歌/近江八幡市安土町中屋 しびれ京へ/野洲市比留田 リンピョートージャ/東近江市今崎町 糸ほどきの歌/多賀町尼子 なおれなおれ/野洲市北比江 ■絵描き歌 たこの絵を描く歌が残っています。 たこさん/近江八幡市末広町 たこ入道/甲賀市甲賀町神保 ■十の早読み 一から十を早く読むための歌がありました。 坊さんが屁をこいた/東近江市八日市金屋 天照大神/甲良町金屋 ■かくれんぼ 鬼が目をふさいでいる間に子が隠れ、後に鬼がそれを見つけだす遊び。 かくれんぼする人/高島市今津町日置前 げんべしょう/長浜市木之本町広瀬 ■こま回し歌 こま(円盤又は円錐形の銅を、心棒や軸を中心に回転できる玩具)を回して遊ぶ。 独楽打ちの歌/日野町大窪 ■たこ揚げ歌 四角形の凧を大空に揚げて遊ぶ。 たこたこあがれ/東近江市北花沢 |
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■京都 | |
祇園の雨に濡れながら シャネルの人を せつなく今日も さがす京都の夜はふけゆく 恋によごれた女は明日から 白い京都の片隅に 想い出をすてるの あの頃の 幸せが後ろ姿で遠去かる ゆらゆらり 京都ひとり 好きな人にも涙みせずに あゝかくれて 京都の女は 生きるために泣く 貧しい女やから 思いでだけで温かい 京都 京都ああ去りがたし 淡き想いの雪の華 めぐる季節のはかなさに 何を語るか 古都の冬 耳をすませば滝の音 京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた女がひとり ああ 時は身じろぎもせず 悠久のまま 千年の古都 そのまた夢を 夢と信じて 夢を見た 京都 大原 うつせみの恋 すがりつくよな夢がある 円山 花町 母さんの 願いがしみた日陰町 散るを惜しまぬ おりょうの心 月もご存じ嵐山 内気装った その裏に 夜叉を隠して 先斗町 川は紅葉の 紅をさす 渡りとうない 戻り橋 どないしよう どないしよう 野村岐れの 思案道 切れぬ迷いの 糸を切る 嵯峨野 白露 ああ 黒髪ざんげ 嵯峨野ほろほろ よわい女をぶつように 鐘が鳴りますまたひとつ 西陣しめて 雨にかくれて 唇かんで すがる木屋町 宵あかり |
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■遊ばせ唄 | |
■去年のやや
去年のややと 今年のややと くらべてみれば おんなじことや まいとこ まいとこ バー |
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■チョチチョチアババ
チョチチョチアババ かいぐり かいぐり おつもテンテン |
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■チョチチョチチョチや
チョチ チョチ チョチや〔手をうつ〕 めめくぼくぼや〔人さし指で人さし指をつつく〕 こっちも めめくぼや〔同、反対に〕 たんぽ たんぽ たんぽや〔たもとを叩く〕 こっちも たんぽ たんぽや〔同、反対側〕 きゃっくり きゃっくり きゃっくりや〔かいぐり〕 あか ばあやのこー〔両手で顔をなでおろす〕 |
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■とんとんどなた
とんとん どなた 大丸丁稚 いまごろなにしに ござった 雪駄がかわって かえにきた あんたの鼻緒は なに鼻緒 黒と白とのねじ鼻緒 そんな鼻緒は ございません コチョ コチョ コチョ |
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■紺屋のねね
紺屋のねねは かしこいねねで 藍食て 米食て おいちに追われて 柴屋へ コソコソ |
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■キッコバッコ
キッコバッコ 臼ひき 米ひき お腹が へったか へったか へったか |
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■キッコカイヤ
キッコカイヤ 伊根までやってくれ 伊根が遠けりゃ 文殊までやってくれ キッコカイヤ 伊根までやってくれ 伊根のおじが ぶり買てくわしょ ぶりの骨たてて キョホンキョホン 言うたとや 言うたとや キッコカイヤ 伊根までやってくれ 舟賃なんぼ 二匁五分 そりゃまた高い 高ても 安ても 親の代から 十二文のはたご |
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■寝させ唄 | |
■京の子守歌 1
ねんねなされませ きょうは二十五日 あすはおまえの 誕生日 誕生日 誕生日には 赤い飯たいて 赤い飯には 魚そえて 魚そえて 赤い着物きて 赤い草履はいて 連れて参ろか 宮さまへ 宮さまへ 連れて参ったら なんというて拝む 一生この子が まめなよに まめなよに |
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■京の子守歌 2
よいよい よいよい 淀より下は やわた八幡 大菩薩 大菩薩 むこうに見えるは 淀 鳥羽 武田 松に花咲く 藤森 藤森 |
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■優女
優女 優女 京の町の優女 売ったるものを 見しょうめ 金襴緞子 綾や緋縮緬 どんどん縮緬 どん縮緬 |
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■ねんねおしやす
ねんねおしやす きょうは二十五日 あすはこの子の 誕生日 誕生日 誕生日には 豆のままたいて 一生この子が まめなよに まめなよに 赤いべべ着て 赤いじょじょはいて 連れて参ろよ ののさまへ ののさまへ ののへ参ったら なんというて拝む 親のいうたように いうて拝む いうて拝む |
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■天満のお市
ねんねころいち 天満のお市 大根そろえて 船に積む 船に積んだら どこまで行きゃる 木津や難波の 橋の下 橋の下には オカメがいよる オカメとりたや おそろしや |
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■山城町の子守歌
ねんねころいち ねた子はかわい おきて泣く子は つらにくい つらはにくても ほべらはかわい かわいほべらが つめらりょか うちのこの子に 赤いべべ着せて お宮参りに そろそろと お宮へ参ったら なんというて拝む 一生この子が まめなよに |
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■乙訓の子守歌
ねんねなされませ 今日は二十五日 あすはいとさんの 誕生日 誕生日 誕生日には 小豆のままたいて だれに食べさそ いとさんに いとさんに わたしゃいとさんが かわゆてならぬ いつもおせなに たたをして たたをして わたしゃ十二で いとさんが二つ ことしお盆に 里帰り 里帰り うちの父さんは あの世の人よ 母さん一人で さびしかろ さびしかろ ことしゃお盆に おひまをもろて 母さんと二人で 墓まいり 墓まいり |
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■宇治田原の子守歌 1
ねんねねんねん ねた子はかわい ねたら丹波へ つれていこ ねたら丹波へ おきたら京へ おめがさめたら 江戸のまち ねんねしてくれ ねんねが好きで ねたら丹波へ つれていこ ねたら丹波へ おきたら山へ おきたらオカメに かますぞえ ねんねねんねん ねた子はかわい だれもやかまし いうてくれるな だれもやかまし いわしゃんけれど 守りがやかまし いうて泣かす |
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■宇治田原の子守歌 2
あー ねんねんよ こちのミヨちゃんは いまねるとこよ だれもやかまし いうてくれな おきて泣く子は つらにくい ねんねんよ あー ねんねんよ ねたら子もらく 守りもらく おきて泣く子は 田んぼへつれていく ねんねん ねんねん ねた子はかわい ねんねんよ |
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■ナッチロリン
ねんねころりよ ねんねして チリグサ おくれ おきて泣かずに ねんねして ナッチロリンの シャントエ かわいこの子に 赤いべべ チリグサ 着せて お宮まいりに そろそろと ナッチロリンの シャントエ 守り子しゃんとせよ しゃんと髪 チリグサ 結うて 見さげられなよ わかい衆に ナッチロリンの シャントエ |
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■おまえ百まで
おまえ百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の ともに白髪の はえるまで この子ようなく 泣きみそこみそ こんど味噌屋へ こんど味噌屋へ 嫁にやろ ねんねしなされ おやすみなされ ねたら子も楽 ねたら子も楽 守りも楽 西の町から 東の町まで うとうて歩く うとうて歩くは 守り子供 守りのつらいのは 霜月師走 こごりたたいて こごりたたいて しめ洗い |
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■宇治の子守歌
ねんね ねんねん ねんねをなされ おきて泣く子は 世につらい ねんね ねんねん ねんねをなされ ねたら子も楽 親も楽 泣いてくれるな 今日は二十五日 あすはこの子の 誕生日 誕生日には 赤まま炊いて 連れて参ろか ののさまへ 連れて参ったら なんというて拝む うちのこの子が まめなよに とろりとろりと ねむたいときは 馬に千両の 金もいや 馬に千両の金さえあれば こんな苦労も せまいのに うちのこの子に あげたいものは 乳かおまんか 赤いべべ |
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■加茂町の子守歌
うちのこの子に やりたいものは 砂糖かまんじゅうか 城の口 城の口ほど うまいものないが それがいやなら 親の乳 ねんねころいち 天満の市は 大根そろえて 船につむ 船につんだら どこまで行きゃる 木津や難波の 橋の下 橋の下には かもめがいやる かもめとりたい 網ほしや 網はゆらゆら 由良之助 うちのこの子は いまねんねする だれもやかまし 言うてくれな だれもやかまし 言わせぬけれど うちのこの子は ねどろ言い ねどろ言わずに ねてさえくれりゃ 親もらくなら 守りもらく ねんねんころいち ねた子はかわい おきて泣く子は つらにくい つらはにくても ほべらはやさし やさしほべらは つねらりょか うちのこの子に 赤いべべ着せて お宮まいりも そろそろと お宮へまいりて なんというて拝む 一生この子の まめなよに ねんねしなされ きょうは二十五日 あすはこの子の 誕生日 誕生日には 赤ままたいて 近所となりへ 配りましょ |
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■オッチョコチョイ
ねんねころいち ねた子はかわいサ おきて泣く子は つらにくいサ つらにくい オッチョコチョイ つらはにくても ほべらはかわいサ かわいほべらが つめらりょかサ つめらりょか オッチョコチョイ 西の町から 東の町までサ うとて歩くは 守りの役サ 守りの役 オッチョコチョイ |
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■笠置の子守歌
この子いなんだら 出て奉公するのに 出たら浮世で 暮らすのに 暮らすのに ねんねしてくれ ころりと横に 晩のご飯の すまるまで すまるまで (または)朝のご飯の すむまでも すむまでも ねんねした子に 羽子板と羽根と ねんねせん子に 羽根ばかり 羽根ばかり 盆と正月 一度に来たら 昼は羽根つき 夜は踊る 夜は踊る 親と子となら なんでもないが こわや他人さんの 根の深さ 根の深さ 想うて想いおうて 添うのが縁や 親が添わすは 無理の縁 無理の縁 添うて苦労は 世情のならい 添わぬ先から 苦労する 苦労する |
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■美山の子守歌
ねんねしなされ 今日は二十五日 明日はこの子の 誕生日 ヨホホ 誕生日には 小豆の飯炊いて 一生この子が まめなよに ヨホホ 赤いべべ着て 赤いじょじょはいて 連れてまいろか ののさまへ ヨホホ ねんねころいち ころたけのいち 竹にもたれて ねねなされ ヨホホ ねたら丹波へ おきたら山へ お目がさめたら お江戸まで ヨホホ ねんねしなされ おやすみなされ 朝のごぜんの あがるまで ヨホホ 朝のごぜんは なんどきあがる あけは九つ 夜は七つ ヨホホ 守りよ子守りよ なんで子を泣かす 乳が飲みとて 泣きなさる ヨホホ 乳が飲みたけりゃ 連れてこい飲まそ 連れてゆく間に 日が暮れた ヨホホ 日が暮れたなら お提灯ともせ お提灯ともす間に 夜が明けた ヨホホ ねんねねんねん まだ夜は夜中 あけの烏が 鳴くまでも ヨホホ ねんねしょと言うて ねるよな子なら 守りもしてやろ うとうてやろ ヨホホ 守りもしてやろ うとうてもやろし 間にゃままごと してもやろ ヨホホ よいやよいよい よい子でござる この子育てた 親みたい ヨホホ 親を見たけりゃ この子を見やれ 親によく似た きりょうよし ヨホホ うちのこの子は いまねるところ だれもやかまし 言うてくれな ヨホホ だれもやかまし 言わせぬけれど 守りがやかまし 言うて泣かす ヨホホ 親のない子に 親はと問えば 親は極楽 ねてござる ヨホホ 北を枕に 木の葉を夜着よ 雲を天井に ねてござる ヨホホ この子よい子や ぼた餅顔や きな粉つけたら なおよかろ ヨホホ うちのこの子は 泣きみそきみそ だれが きみそと 名をつけた ヨホホ 今夜ここにねて 明日の夜はどこや 明日は田の中 畔まくら ヨホホ 畔をまくらに 枯草よせて 落つるその葉が 夜着となる ヨホホ 守りはつらいもんや これから先は 雪はチラチラ 子は泣くし ヨホホ ねんねしなされ おやすみなされ おきて泣く子は つら憎い ヨホホ つらの憎い子を まな板にのせて 青菜切るよに ザクザクと ヨホホ 切ってきざんで 油で揚げて 道の四辻に ともしおくよ ヨホホ 人が通れば なむあみだぶつ 親が通れば 血の涙 ヨホホ |
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■広河原の子守歌
はたちこえたら 嫁入りはおそいな 行くか河内の 尼寺へな ヨヨラホイ ココラコイ 親と親との ご相談なろがな 行かにゃなろまえ もどろとも ヨヨラホイ ココラコイ いやというのに あなたはくどいな 一度いやなら 二度もいや ヨヨラホイ ココラコイ しんぼうしてくれ いやじゃろけれどよ 親と末代 そわしゃせぬ ヨヨラホイ ココラコイ なにがいやじゃろ 夫の親やよ かわいあなたの 親じゃもの ヨヨラホイ ココラコイ ねんねされませ 今日は二十五日よ あすはこの子の 誕生日でよ ヨーイヨーイ ココラコイ 誕生日には 豆のまま炊いてな 一生この子が まめなよによ ヨーイヨーイ ココラコイ 守りのつらいのは 霜月師走よ 雪はちらつく 子は泣くしよ ヨーラホイ ココラコイ |
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■佐々里の子守歌
ねんねしてくれ よい子でねたなら 赤い枕を 買うて さすによ ヨヨイヨイ ココラコイ 赤い枕は まだ買うてないがな そ言うて たらして ねさすのやよ ヨヨイヨイ ココラコイ わしの兄弟 七人あるによ 京と大坂と 伏見と淀とな 佐渡と越後と わしゃここによ ヨヨイヨイ ココラコイ |
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■ねんねころいち
ねんねころいち こは竹のいち 竹にもたれて ねるわいな ねんねしなされ おやすみなされ あすはお早に おきなされ ねんねしなされ おやすみなされ 母のおひざで 夜明けまで ねんねした子に 赤いべべ着せて つれて参ろや 外宮内宮 外宮や内宮は 賽銭どころ あいの二俣 ちょぼどころ この子よいこじゃ なに食べさしょう おぼろまんじゅうに 砂糖せんべ おぼろまんじゅうに 砂糖せんつけて のどの奥さんに 供えたい ねんねせなんだら 大江の山の 鬼がおまえを 食べにくる うちのこの子は よい子じゃさかい だれもやかまし 言うてくれな だれもやかまし 言いはせぬけれど 守りがやかまし 言うておこす おまえなんぼじゃ わしゃ九つじゃ わしも九つ 連れになろ 守りはいやいや これから先は 雪はちらつく 子は泣くし |
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■綾部の子守歌
ねんねしなされ おやすみなされ あすはお早に おきなされ おきなされ 赤いべべ着て 赤いじょじょはいて あすはお寺へ 参ろいな 参ろいな なんぼ泣いても この子はかわい わしがお飯の たねじゃもの たねじゃもの |
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■コッコイコイ
ねんねねんねん ねんねの守りは どこへ行ったやら 犬つれて コッコイコイ コッコイコイ (以下くり返し略) うちのハルちゃんは いい子やさかい だれもあほやと 言うてくれな だれもあほやと 言わせぬけれど 守りがあほやと 言うて泣かす ねたかねなんだか まくらに問えば まくら正直もんや ねたという ねんねねんねん ねた子はかわい おきて泣く子は つら憎い つらの憎い子は まないたにのせて 青菜切るよに ざくざくと 切ってきざんで 油で揚げて お寺まいりの お茶のこに |
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■ちょんちょんちょ太郎
ちょんちょんちょ太郎は どこへよ ホイホイ ちょ太郎丹波へ 米買いに 米も安なれ はかりもよなれよ ホイホイ 道もちこなれ はよもどれ |
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■オカメにかましょ
ねんねせん子は オカメにかましょよ ホイホイ オカメこわいわいな ねんねする ねんねよ ねんねしなされ おやすみなされよ ホイホイ あすはおまえの 誕生日 ねんねよ 誕生日には 豆のままたいてよ ホイホイ たいて供えて まめなよに ねんねよ ねんねしなされ ねた子はかわい ホイホイ おきて泣く子は つらにくい ねんねよ つらのにくい子にや つららがさがるよ ホイホイ つららさがれよ やつさがれ ねんねよ ねんねしなされ まだ夜はあけぬ ホイホイ あけりゃお寺の鐘がなる ねんねよ こんな泣く子の 守りをしょうよりも ホイホイ いんで山行き するがよい ねんねよ ねては念仏 おきてはつとめ ホイホイ つらいつとめは せにゃならぬ |
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■かかに似んと
母に似んと 父に似い 母に似ると 性わるだ |
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■ねんねが山の
ねんねが山の 雉の子 鳴いて鷹に とられな |
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■久美浜の子守歌 1
ねんねしなされ きょうは二十五日 あすはおまえの 誕生日 誕生日には 豆のままたいて 連れて参ろや ののさまへ 連れて参れば どういうて拝む 一期この子が まめなよに ねんね長松 長太郎はどこへ 長太郎丹波へ 米買いに 米も安なる はかりもよなる 道もちこなる はよもどれ こんな泣く子の 守りどもいやよ いんで草刈り するがよい ねんねした子は かわいうてならぬ おきて泣く子は 腑が悪い こんな泣く子は オカメにかましょ オカメこわいわいな ねるわいな うちの子さんは よう泣く子さん 乳がたらぬか ねじれたか 乳はたくさん ありますけれど これはこの子の 生まれつき ねんねしなされ ねた子はかわい おきて泣く子は つら憎や つらの憎いのにゃ つららがさがる つららさがれよ やつさがれ この子さんの お正月べべは 梅にうぐいす 竹に虎 竹に雀は しなよくとまる とめてとまらぬ 色の道 ねんねしてくれ まだ夜は明けぬ 明けりゃ お寺の 鐘がなる 鐘がなるかな 撞木がなるか 鐘と撞木の 間がなる |
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■久美浜の子守歌 2
ねんねしなされ きょうは二十五日 あすはおまえの 誕生日 誕生日には 豆のままたいて 連れて参ろや ののさまへ 連れて参れば どういうて拝む 一期この子が まめなよに ねんね長松 長太郎はどこへ 長太郎丹波へ 米買いに 米も安なる はかりもよなる 道もちこなる はよもどれ こんな泣く子の 守りどもいやよ いんで草刈り するがよい ねんねした子は かわいうてならぬ おきて泣く子は 腑が悪い こんな泣く子は オカメにかましょ オカメこわいわいな ねるわいな うちの子さんは よう泣く子さん 乳がたらぬか ねじれたか 乳はたくさん ありますけれど これはこの子の 生まれつき ねんねしなされ ねた子はかわい おきて泣く子は つら憎や つらの憎いのにゃ つららがさがる つららさがれよ やつさがれ この子さんの お正月べべは 梅にうぐいす 竹に虎 竹に雀は しなよくとまる とめてとまらぬ 色の道 ねんねしてくれ まだ夜は明けぬ 明けりゃ お寺の 鐘がなる 鐘がなるかな 撞木がなるか 鐘と撞木の 間がなる |
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■でんでん太鼓 1
ねんねん守りは どこへった あの山こえて 里へった 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 それをたたいて あそばんせ なるかならぬか ふいてみな ねんねん ねんや |
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■でんでん太鼓 2
ねんねの子守りは どこへいった あの山こえて 里へいった 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 それをたたいて あそばんせ それをたたいて あそばんせ |
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■でんでん太鼓 3
ねんねんねんねん ねんねんや この子のねたまの しごとには 大きな島へ わたって ニナイやサザエを とってきて ゆでたり焼いたり して食わしょ |
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■ねんねしなされ
ねんねしなされ おやすみなされ あすはおまえさんの 誕生日 誕生日には 豆のままたいて 連れて参ろや ののさまへ 連れて参ったら どういうて拝む 一期この子が まめなよに 一期この子が まめのような子なら 三升酒買うて 祝いしょう ねんねしなされ まだ夜はあけぬ あけりやお寺の 鐘がなる 鐘がなるかや 撞木がなるか 鐘と撞木の間がなる この子さんは よう泣く子さん 乳が不自由なか 親ないか 乳はたくさん 親あるけれど 泣くが仕事で 泣くわいな 旦那ようきけ おかみさんもようきけ 守りいじると 子にあたる 守りいじって 子にあてられ 傷のない子に 傷させる お主さんなよ 子がかわいけりゃ 守りも大事に しておくれ お主さんなよ 傘買うておくれ 傘のえぼりで 子がぬれる なんぼ泣いても この子さんは大事 三度 三度の ままのたね ねんね子守りは 日の暮れが大事 朝やねおきは なお大事 子守り大将さん 連れにしておくれ 豆の十粒も よけい上げる 守りは守り連れ 子は子ども連れ 若いねんさん 男連れ 親が親なり 世が世であれば つらいつとめは させはせぬ この子よう泣く 袂へ入れて 川へ流そか 子にやろか 川へ流せば 魚がとめる 魚とめるな 日がくれる |
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■守り子唄 | |
■どこの軒ねに
足は冷たし 背の子は泣くし どこの軒ねに 立てろやら 立てろやら お主さんなよ 子がかわいけりゃ 守りも大事に しておくれ しておくれ お主さんなよ 気をつけなされ 守りをいじると 子にあたる 子にあたる 守りをいじって 子にあたられて とがもない子に 傷がつく 傷がつく ねんね子守りは 日の暮れが大事 朝のねおきは なお大事 なお大事 |
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■守り奉公は
守り奉公は さしょまい しょまい 口はようなる 手はさがる 手はさがる 守りはうまいもんじゃ いうてじゃ けれどよ 守りが楽なか してみなれ してみなれ 守りじゃ守りじゃと たくさん なげによ 守りがありゃこそ 子が育つ 子が育つ |
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■高瀬の船頭
うちのおとっつぁん 高瀬の船頭 朝のはよから ホイホイと |
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■竹田の子守歌
守りもいやがる 盆からさきにゃ 雪もちらつく 子も泣くし この子よう泣く 守りをばいじる 守りも一日 やせるやら はよも行きたや この在所こえて 向こうに見えるは 親のうち 来いよ来いよ 小間物売りに 来たら見もする 買いもする 久世の大根めし 吉祥の菜めし またも竹田の もんばめし 盆が来たとて なにうれしかろ かたびらはなし 帯はなし |
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■織り手ぶし | |
■朝はおはよで
ねんねしなされ おやすみなされ 朝はおはよで 立ちなされ ねんねしなされ 今日は二十五日 あすはあなたの 誕生日 誕生日には 豆のまま炊いて つれて参ろや お伊勢さん つれて参ったら どういうて拝む この子一代 まめなよに ねんねころりと たらいてねさせてよ ねんねせん子は つらにくい ねんねせというて ねるよな子なら 守りいろまい 親守りで ねんねしなされよ ねた子はかわい おきて泣く子は つらにくい |
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■与謝の子守歌
ねんねしなされ おやすみなされ それがいやなら 泣きなるな ねんねする子は かわいいけれど 泣いてくだまきゃ にくらしい 守りゃえらいもんじゃ 子にゃいじられて 朝ははよから おこされて 守り守りと あなどりなるな 守りがありゃこそ 子はねさす 守り守りと たくさんなげに 守りゃ天から 降らしょまい 旦那さんより おかみさんがこわい 白眼 黒目で にらみなる |
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■わらべ歌 | |
■雪の歌
「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』といふ事、米搗き篩ひたるに似たれば、粉雪といふ。『たンまれ粉雪』と言ふべきを、誤りて『たんばの』とは言ふなり。『垣や木の股に』と謡ふべし」と、或物知り申しき。昔より言ひける事にや。鳥羽院幼くおはしまして、雪の降るにかく仰せられける由、讃岐典侍が日記に書きたり」(『徒然草』) 温暖化で湿った今の雪と違って、昔は江戸でも京都でも粉雪の降ったものか、兼好法師が「或物知り」の言葉を上のように伝えている。粉雪の粉は、米を挽いてふるった時の粉のような様子を指しているらしい。讃岐典侍日記が書かれたのは、平安末期。兼好法師にとっては250年くらい前の話だ。 「降れ、降れ、こ雪」と、いはけなき御けはひにておほせらるる、聞こゆる。こはたそ、たが子にかと思ふほどに、まことにさぞかしと思ふにあさましく(『讃岐典侍日記』) 讃岐典侍は堀河天皇のそばに仕えた女官だった。天皇の死後、幼い鳥羽天皇の下に仕えることになるが、その対面の日、無邪気に粉雪の歌をうたう子供を誰かとおもったら鳥羽天皇であった、という場面だ。 その当時からあるとしたら、900年近くの歴史を持つフレーズである。『京都のわらべうた』の楽譜集を眺めていてこの歌を見つけたとき、そのメロディの美しさに衝撃を受けた。 雪やこんこ あられやこんこ お寺の柿の木に いっぱいつもれこんこ (旧京都市城) 短調か長調か問われれば、短調だろう。しかし、そうした分類さえ陳腐に思えるほどメロディそのものが哀感を残すと思った。雪の解けるような余韻だ。その印象は、童謡になった「雪やこんこ」のイメージとかけ離れているために強く感じるものだろうか。「柿の木」は地方の類歌でそれぞれ異なり、越後の「梨の木」、薩摩の「山椒の木」などがある。 「こんこ」というのは、「こんこん」の「ん」が抜けたものだが、私自身「こんこん」が何かあまり深く考えないまま、歌ってきた。雨はしとしと、雪はこんこん。降る様を表しているのだろうか。北原白秋は「こんこんと雪が湧いて降ってくる」という使い方をしており、「泉の水がこんこんと湧く」と同じ、次々とあふれてくるようなイメージを抱いたようだが、若井勲夫は「雪が」でなく「雪や」となっているのは呼びかけであり、「雪や来む来む」であると指摘した。雪よ来い、これぞわらべうたという感じがする。雪を喜んで、もっと降れというのはいつの時代も子供たちだ。 松永伍一はもう少し、違う解釈をしている。「春は花なつほととぎす秋は月冬雪さえて冷しかりけり」(道元法師)「雲を出でて我にともなふ冬の付き風や身にしむ雪や冷めたき」(明恵上人)のように、自然を愛で、自然に吸収されていくような鑑賞者の視点ではなく、 上見れば 虫コ 中見れば 綿コ 下見れば 雪コ (秋田のわらべうた) のように、地面に立ち降ってくる雪の様子をしかと観察する主体、生活者としての視点だ。「お寺の柿の木に一ぱいつもれ」という歌詞にも雪と対等な姿勢があり、それは自然を向かいにおいて「いどむ」態度であるとしている。 その上で私が親しんできた「雪」を改めて眺めてみよう。明治44年『尋常小学唱歌』第二学年用に掲載された歌は次のものだ。文部省唱歌ゆえ、作詞者不明である。 一 雪やこんこ霰やこんこ。 降っては降ってはずんずん積る。 山も野原も綿帽子かぶり、 枯れ木残らず花が咲く。 二 雪やこんこ霰やこんこ。 降っても降ってもまだ降りやまぬ。 犬は喜び庭駆けまわり、 猫は火燵で丸くなる。 綿帽子という言葉は「白い帽子」という以上に深く考えたことがなかったが、和装の結婚式で花嫁が頭にかぶる大きな白いあの被り物を指すのだという。「昔は家で婚礼をしていたので、子供たちは花嫁姿を見る機会が多く、どの子もその白い綿帽子の美しさを知ってい」た。阿毛久芳はこうした雪の擬人法や、犬と猫の対句は「日本の雪景色の統一的イメージ」を生み出したのではないかと指摘する。確かに、ここには外に出て子供のように雪を見つめる人間はいない。もっと降れ、と浮き立つ心もない。ただ、そのような光景として「認識する私」がいる。この「私」がどこにいるかもわからないが、「火燵」から庭を眺めているような気もする。子供のための歌ではありながら、大人の視点から書かれた歌のようにも感じる。そもそも「こんこ(来む来む)」と歌いながら、「まだ降りやまぬ」というところで捩じれている。「こんこ」はこのとき、すでに意味あいまいな「音」として使われているのだろう。 そんな文部省唱歌も、作られた30年後の1941年には学校教科書から外され、戦後二年たって復活している。これについて池田は「父や兄が戦場で、お国のために戦っている非常時に、この平和な歌は、省かれて当然だった」としている。今の感覚からすれば、ここまで「害のない」歌が、排除されたということが不可解でもあるが、そのようなささやかな幸せさえ否定されたのが戦争の時代、ということか。戦後すぐに掲載が復活しているところを見ると、学校で教えられていた30年で冬の歌として広く定着したのだろう。 |
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■京のわらべうた
子どもたちはさまざまな遊びの中で、大人になるための知恵や技能を知らず知らずの間に体得してゆく。それは昔も今も変わらない。遊びは、子どもたちにとって楽しみであるとともに、必ず経験しなければならない、大切な通過儀礼のひとつでもある。子どもたちは、遊びの世界の中で仲間たちとの絆を紡ぎ、社会の規範を学んでいく。そこに表象されるのが、個々の遊び特有の歌である。歴史において、遊びの種類に合わせて自然発生的に数々の歌が生まれ、それらが地域社会の中で、少しずつ変化しながら唄い継がれてきた。手毬歌・ジャンケン歌・羽根つき歌・絵描き歌など、数え上げれば無数の歌がある。これらは総称して、童が唄う歌「わらべ歌」と呼ばれる。 遊びは、今日では娯楽であると理解されているが、「神あそび」という語があるように、古くは神仏の祭りや占いなどの呪術的な意味を有する宗教儀礼でもあった。またときには、遊びは死者の魂を揺さぶり起こし、再生を願う儀礼ともなった。そこで唄われる歌は、宗教色を色濃く纏った一種の「呪詞」でもあったのだ。 例えば、「かごめかごめ」という遊びがある。「かごめかごめ かごの中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀がすべった 後ろの正面だーれ」。懐かしい響きのわらべ歌である。これは目隠しした鬼の子を中央にして周囲を唄いながら廻り、歌の終了とともに鬼の真後ろの子が誰かを当てる遊びである。当たれば鬼は交替し、当たらねば何度でも鬼を務めなければならない。それにしても「夜明けの晩に 鶴と亀がすべった」など、意味不明な歌詞が多いのがわらべ歌の特徴である。ところで、「かごめかごめ」とはどんな意味なのだろうか。 これと似た遊びに、たとえば東北地方に広く分布している「地蔵遊び」がある。それは「かごめかごめ」と同様に、円陣の中央の鬼が、真後ろの子を当てる「人当て遊び」であるが、その歌詞の中に「中の中の地蔵さま」や「坊さん坊さん」などの語が含まれており、地蔵信仰を中心とした仏教の影響が垣間見られる。このような遊びには、円陣の中央にいる者に地蔵を憑依させて託宣を聞くという、呪術的な信仰の痕跡がうかがえる。周囲が回転する円陣の中央に目隠しをして座るということは、それだけで神がかりのイメージを醸す。だからこそ鬼は憑霊の対象となり、目隠ししていても“後ろの正面”の子を当てることができると考えられていたのだろう。おそらく「かごめかごめ」もこのような信仰を背景として作られた遊びであろうと思われる。その意味で、「かごめかごめ」は「囲め、囲め」の意ではないかと考えられる。この遊びは深層において呪術的な意味を有したがゆえに、その歌にも、神秘的で不可思議な歌詞が唄われているのだろう。 「下駄隠しチュウネンボ はしりの下のネズミが 草履をくわえてチュッチュクチュ チュッチュク 饅頭は誰が喰った 誰も喰わないわしが喰った 表の看板三味線屋 裏から廻って三軒目」。これは「下駄隠し」で鬼を決める際に唄われる歌である。下駄隠しは「鬼ごっこ」の一種であり、同種の遊びとしての「かくれんぼ」の履物版である。「鬼ごっこ」の「ゴッコ」という語は、元は「コト」、すなわち神事や儀礼を意味する語で、「ママゴト」の「ゴト」と同じ意である。鬼に因んだ一連の遊びは、人々のくらしの妨げとなる“鬼”を想定して、その鬼が他者を追跡、もしくは捜索して最後は捕まえる、あるいは見つけ出すことを意図した遊びである。つまり追跡と逃避を基本とし、鬼とそうでない者とが役割と立場を交替しながら展開する、かつての社会での“神隠し”をどこか想起させる遊びである。だからこそ、異界の存在としての“鬼”を決める時には、囃し言葉を含んだ、特殊な歌詞が唄われるのである。 それにしても、京には個性的なわらべ歌が何と多いことか。そこには京独自の風土と季節観が織り込まれている。京のわらべ歌の特徴は、遊び歌以外に、「坊さん頭は丸太町」・「丸竹夷」・「寺御幸」などのような、京ならではの地名を謳い込み、語呂合わせをもじった、いわゆる「地口歌」が豊富に伝えられていることだろう。それは、千年越しにわたって都がおかれた地であり、かつ条坊制によって碁盤の目に通りが配されたことに由来することは間違いない。 豊かな情感を想い起こさせ、悠久の歴史と風情を今に伝えるわらべ歌は、今、まさに多くの人々の記憶から忘れ去られようとしている。もはやわらべ歌は、子どもたちのためだけの歌謡ではない。日本の価値高い“口承文化”である。先人たちが築き守ってきた、くらしの中の情景を豊かに織り込んだわらべ歌を、絶やすことなく、後世に伝えてゆきたいものである。 ■ひとめふため 「ひとめふため」は羽根つき歌である。羽根つきは正月の女児の遊びとして古くから人々に親しまれてきたが、近年では正月に羽根つきをする光景を目にすることはめっきり少なくなった。寂しい限りだ。羽根つきの道具である羽子板は、別に「コギイタ」ともよばれる。「コギ」とは、昔の中国では「トンボ」を指す語であった。そのため、羽子板で突かれる「羽根」はトンボに似ているのである。トンボは人々に害をもたらす蚊を食べる益虫として、縁起のよい昆虫と解されるようになった。羽根つきは新年にトンボを突くことから、単なる遊びではなく、一年の無病息災を願う儀礼的な遊戯とされ、また羽子板は魔除けの呪物、また縁起物としての性格を帯びるようになる。このような背景から、近世には、羽子板は女児の誕生祝いにお守りとして贈る慣習ができあがったのである。 ■1月・2月:正月きたら 最近の正月は、ひと昔前と比べるとハレの演出があまりにも薄れてしまったように感じる。考えてみると、確かに昔の正月は、年の始めを寿ぐ意味もあって、すべてにおいて特別な日であった。「正月きたら なにうれし お雪のような 飯食べて…」と唄われるこのわらべ歌は、子どもたちにとって、正月がまだまだ特別な機会であった頃の想いを、今に伝えてくれている。かつては「お雪のような飯」は、正月にしか食べられなかったのだろう。 ■3月・4月:祇園の夜ざくら これは「ジャンケン歌」。紙、石、ハサミ。ジャンケンは元は中国から伝えられたとする説や、今日のジャンケンは近世末から明治期に日本で成立したとも言われている。簡便に勝ち負けを決する時は、ジャンケンほど簡単かつ公平な決着法はない。京の子どもたちは、花の名所である枝垂れ桜を遊びに取り込み、「祇園の夜ざくら パッと咲いた 祇園の夜ざくら チョッと咲いた 祇園の夜ざくら グッと咲いた」と唄った。 ■5月・6月:愛宕山へ登って 「愛宕さん」や「音羽の滝」等の地名が登場するこの歌は、歌に合わせて頭や鼻などを触る、いわゆる「顔遊び」の歌である。愛宕は、京はもとより日本全国から篤い信仰を集める火伏せの神として名高い。「お伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月参り」と唄われたように、村々では愛宕へ代参月参りを行った。また子どもが3歳までに愛宕へ参ると一生火災の難をまぬがれるといわれ、今も「三歳参り」の習慣は広く受け継がれている。 ■7月・8月:盆の十六日 盆は、ご先祖のおしょらいさん(精霊)を家へお迎えし、子孫たちと束の間の団欒を楽しむ機会である。京都の盂蘭盆は8月上旬の「六道参り」で幕を開ける。迎えられたおしょらいさんは、家々で丁重なもてなしを受け、大文字に代表される五山の送り火に照らされながら、再びあの世へ戻ってゆく。「盆の十六日 はつかねずみをおさえて…」と唄われるこの歌は、送り火の16日が題材として謳い込まれた、いわゆる「盆歌」である。 ■9月・10月:下駄かくし この歌は、子どもたちが鬼を決める際の「遊び歌」である。歌詞の中に「はしり」という語が登場するが、今ではその意味を知る者もめっきり少なくなった。「はしり」は台所の「流し」を指す京ことばである。このような京独自の語彙が豊富に謳い込まれているのも、京のわらべ歌の面白さだ。ちなみに、筆者は子どもの頃「おもての看板 ちんどん屋」と唄っていた記憶がある。歌詞は時代とともに少しずつ変化してゆくのだろう。 ■11月・12月:おかわりやす・千枚漬 「おすわりやす 椅子どっせ あんまり乗ったら こけまっせ」「千枚漬 どぼづけ」と、京ことばをふんだんに取り込んだこの歌は、「押し合い遊び」の遊び歌である。椅子に腰かけている子どもの上に、他の子どもたちがこの歌を唄いながらどんどん覆いかぶさってゆくという、男の子向けの肉体遊びだ。子どもたちの重なり合ってゆく姿を、「千枚漬」や「どぼづけ」という京ならではのお漬けもんに例えているのが、この歌の魅力といえる。 ■ 京の京の 大仏つぁんは 天火で 焼けてな 三十三間堂が 焼け残った アラ どんどんどん コラ どんどんどん うしろの正面 どなた |
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■大阪 | |
わりない仲でも 泣きをみる 義理には勝てない 大阪かたぎ 誘い誘われて 誘い誘われて 誘われて大阪 あなたが恋しい 戎橋 ちょっと待って大阪 涙町 ちょっと待って大阪 恋の町 あんたひとすじ あんたひとすじ なにわの女 灯をともす ぬれて大阪 あなた あなた愛して 涙のブルース ああ抱きしめて ふたりの大阪 ラスト・ダンス 別れがくる 追いかければ 逃げてゆくわ ブルーレイン 雨の大阪 夜の大阪あなたの胸で あなたの胸で 今夜だけでも雨やどり アーさせてもう一度 とんがったまんまの黒ちゃんの背中が 大阪の街で小さく見えた 箱根山を 越えたいものと 咲かせます心華 大阪のはな 大阪好きやねん この街で この街で 生きていくんやもん 異国の空に 消えた人 ああ 大阪空港待合室 今日も最高やねエ ただそれだけで 浪花に夢の風が吹く 愛のぬくもり抱きしめて 東京大阪 心の糸を 結んで走る 14番線 離ればなれじゃ いられへん 夜の大阪 曽根崎そだち 大阪 この街にめぐり逢えた奇跡を 今もこのままであたためて 遅いのかい 大阪Broken Heart 好きやねん テレホンベルを鳴らし続けた いつかあなたに めぐり逢う ああ 夢を見ました 今日もまた大阪ごころ つくしたりない 私が悪い あのひとを 雨よ帰して ああ大阪しぐれ 泣けてみじかい夜が更ける 別れが出来ない 大阪しのび逢い 人の情けがいきる街 東京なんてめじゃないわ あなたとわたしは 大阪すずめ 浪花のおんなや うちは 泣き止むのも早い めそめそしたって あかん そんな女とそんな男が 一夜限りの夢に酔う 大阪 大阪 大阪ナイトクラブ 三十路女の夢ひとつ 明日は咲かせて 北新地 あなたひとすじ 大阪なさけ 笑顔千両で 小春のように 生きてゆきたい 浪花のおんな 死ぬほど抱いて あんたと添いたい 情け花 難儀なもんやね 大阪のおんな 酔ったふりして名を呼べば 急にあなたが来るようで 離れられない大阪を 大阪の女 負けたらあかん 若い私に演歌は似合いませんか 一つ 命を懸けた人 今でも好きや 大阪ひとり 夢で素直になれたのに 雨も小降りの御堂筋 愛合傘で 愛合傘で 大阪ふたりづれ ふたり生きたい この街で あーあああ 春はいつ 大阪ブルース 耐えりゃほほえむ 春もあろ あんじょやりやと 今日も流れる 大阪めおと川 女はいつもみをつくし 男はいつも明日へ逃げる 大阪 大阪 恋と夢が 川に映る街 七色のネオンさえ 甘い夢を唄ってる 宵闇の大阪は 二人づれ恋の街 占う路地裏に 星がながれる 堂島あたり 夢もぬれます 大阪無情 夢のとなりに 住まわせて 泣けば濡れます 大阪夜曲 酔わせてゆらゆら 愛してゆらゆら 雨がうれしい 雨がうれしい 大阪恋めぐり ほれてつきあう 今夜の酒は まっ赤に流れる 浪花の心意気 そう言う私も昭和の女 浮世世渡り下手やけど 浪花女の女の夢がある じっと見上げて 明日を祈りゃ 鐘が鳴ります 浪花の空に 天照らします 御親神 負けてたまるか 一心不乱 浪花男の 華の道 この指この髪 あなたを覚えてる 哀しみに染まる 大阪の夜は 涙の海に なりそうね おもいで大阪 心に刻んで 夢を飲み干す 夜更けのふたり 心と心が結ばれて ふたりが ひとりになった街 アー大阪 大阪 小雨の御堂筋 頬よせて濡れてゆく 大阪 恋する街よ もいちどください 愛のくちづけ 夢を支えて ついて行く 惚れぬいて 惚れぬいて 浪花の 花になる うちにゃふたりの 明日が見える 浪花生まれや あんたについてゆく ついてゆきたい 男の夢に 浪花そだちの 女です 不倖をかくす 頬紅つけて あゝ今日も聞いてる 浪花のギター のぞく情けの 二十日月 浪花花道 恋あかり 足もと照らして おくれやす 桜もやっと蕾をつける ああ浪花の春はもう近い 生きる女の 夢ひとつ 消しは 消しは 消しはしません 浪花の灯り 両手合わせる ご命日 お母ちゃん見ててや 私のこと 浪花で生きてゆく 小春びよりの明日を呼ぶ ええやないか あいあい傘で 夢をひろげる 浪花めおと橋 宝だよ 浪花春秋 これから先もその先も 縁でこそあれ 夫婦の絆 どんとまかせろ これから先は 口上だけでも 景気よく 浪花人情花が咲く 肩よせあって 夢が虹となる 浪花人生 夫婦花 気ばればいつか 夢も咲く あんたはうちの 浪花灯りや 春灯り 浪花人情 捨てられません 涙もろうて 笑いの華よ 浮世舞台に 夢と咲け 笑うふたりに 浪花の春が来る 肌は鉄火の勇み肌 グイと冷酒 飲みほして 仁義がわりの河内ぶし 闘鶏は死んでも 音をあげぬ 俺は河内の 俺は河内の次郎長や 酔えば火を吐く 男の気魄 日本六十余州まで 天下ごめんの河内ぶし 今夜もここで 別れましょう ビルの谷間の 淀屋橋 涙の花道 御堂筋 ついてゆきます ゆきます命のかぎり ねえ あんた 七分五厘で生きられる 人はスラムというけれど ここは天国 釜ケ崎 なぜかかなしい宗右衛門町よ さよならさよなら もう一度だけ 明るい笑顔をみせとくれ 雨が教えたお店があるわ 雨が教えた夢がある 恋は 二人の北新地 目指して勇む 今日は本番 燃え尽きろ 泉州岸和田 ダンジリ祭り つたい歩きの とまり木は 浮いて流れて 北新地 手に手をとって渡ろやないか 涙と辛抱の八百八橋 道頓堀 情けの 花あかり 今日からふたり 北の法善寺 ちいさな愛を 抱きしめて 心と心が結ばれて ふたりが ひとりになった街 アー大阪 大阪 小雨の御堂筋 春よこい早く来い 願をかけましょ 住吉さんに きっとしあわせに 宵の高座の 出囃子だけが 独り浮かれる 法善寺 |
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■遊ばせ唄 | |
■だんごだんご
だんごだんご だーんご |
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■おにぎり
おにぎり おにぎり |
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■ちょちちょちあばば
ちょちちょち〔両手を打たせる〕 あばば〔片手を口に当てて発声させる〕 かいぐりかいぐり〔両手を胸の前で前後にぐるぐる回す〕 とっとの目ェ〔人さし指の先で掌を突く〕 おつもてんてん〔自分の頭をたたかせる〕 いないない〔両手で両目を覆わせる〕 バァーッ〔両手を下ろさせる〕 |
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■行て来ましょ
エッサッサッ 行て来ましょ |
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■ここまでおいで
ここまでおいで こけたらあかん |
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■手の鳴る方へ
手の鳴る方へ チャッチャとおいで ここまでおいで 甘酒のます |
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■紺屋のネズミ
紺屋のネズミ 藍食て糊食て すまんだへ コチョコチョコチョー |
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■紺屋のネズミ
紺屋のネルミ 藍食て糊食て すまんだへ チュチュチュチュ チュチュチュチュチュー クチュクチュー |
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■天神さんの駕籠 1
お姫さんの駕籠と 天神さんの駕籠と くらべてみれば おいどしゃっくり出ました なんぼほど出ました ひょうたんほど出ました ひょうたんの先に 灸をすえて 熱や悲しや 金仏 一丁目二丁目 三丁目のかどで 深い川へはめよか 浅い川へはめよか とてもはめるなら 深い川へドンブリコー |
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■天神さんの駕籠 2
天神さんの駕籠と お姫さんの駕籠と どっちが重い お姫さんが重い なんで重い言たら ひょうたんの先に 灸をすえて 熱や悲しや 金仏ェケ 深い川へはみょか 浅い川へはみょか とてもはみょなら 深い川へドンブリコー |
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■ブランコシャブランコ
ブランコ シャブランコ ちっちゃい川へ はめろか おっきな川へ ドブリンコ |
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■ほうり子
ほうり子 ほうり子 深い川へはめよか 浅い川へはめよか 同じはめるなら 深い川へドンブリコ〔幼児をほうり出す〕 お山の首つり 見えたかどうじゃ〔幼児を逆さにしてもどす〕 |
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■寝させ唄 | |
■難波の「天満の市」
ねんねころいち 天満の市 大根揃えて 舟に積む 舟に積んだら どこまで行きゃる 木津や難波の 橋の下 橋の下には おかめがいよる おかめ捕りたい かめこ怖い |
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■星田の「天満の市」
ねんねころいち 天満の市で 大根揃えて 舟に積む 舟に積んだら どこまで行くか あすは難波の 橋の下 橋の下には かもめがいよる かもめ捕りたし 網欲しや 網が欲しけら 網屋へ行きゃれ どんな網でも ござります |
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■私部金太郎さん
私部金太郎さんの 嬢さんの衣装は 着物羽二重 前掛け錦 掛けるたすきは 本ビローロ かわい子じゃとて 甘茶で育て 甘茶育ては のちゃ乞食 乞食うまいもんや よその飯食ろうて 土塀にもたれて しらめ取る 丹波与作は 馬追いなれど 今はお江戸で 刀研ぐ ねんねころいち 丹波の市で 大根揃えて 舟に積む 舟に積んだら どこまで行こか 行こか丹波の 橋の下 橋の下には カモメがいよる カモメ捕りたい 網欲しや ねんねしてくれ 寝かしておくれ 晩の御飯の すわるまで お前おもてか 照手の姫か 八百屋お七か 弁天か |
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■小島の子守歌
この子よう泣く ひばりかひよかヨー ひよでごんせん 子でごんすヨー この子寝さして ふとんを着せてヨー ぐるりたたいて 針仕事ヨー ねんねした子に 赤いべべ着せてヨー 起きて泣く子に 縞のべべヨー ねんね根来へ 行きたいけれどヨー 川がおとろし 紀の川がヨー ねんね根来は おしろのやぶでヨー としょり来いよの 鳩が鳴くヨー ねんねころいち 天満の市でヨー 大根そろえて 船に積むヨー 船に積んだら どこまで行くにヨー 木津や難波の 橋のひたヨー 橋のひたには おかめがいてるヨー おかめおとろし ちゃとねんねヨー |
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■樫井の子守歌
泣いてくれるな 泣かいでさえも きずつないぞよ ひとの子は この子ァ泣く癖 わしゃ揺する癖 旦那奥さん 叱る癖 この子ァ泣くんで 世間の人に いらぬ気がねを せにゃならぬ この子もりせにゃ 銭もきゃないし 川にうなぎも いやしょまい あの子けなりや 錦紗のべべに 赤い鼻緒の 表つき ねんねしてくれ した子はかわい ねんねせん子は 面にくい ねんねした子に 赤いべべ着せて ねんねせん子にゃ 縞のべべ ひがの一日 揺すっていれば きょうも日も暮れ あすも暮れ |
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■雨よ降れ降れ
雨よ降れ降れ 川い水ァたまる 砂もいかりも くさるまで 雪よ降れ降れ 川い水ァたまれ この子流してヨ 身を楽に ねんねした子に あっかいべべ着せる ねんねせん子に 縞のべべ |
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■でんでん太鼓
ねんねんころりよ ねんころり ねんねの守りは どこ行た あの山越えて 里行た 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に しょうの笛 吹いて吹いて みたけれど しょうにもこにも 鳴らなんだ |
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■守り子唄 | |
■余野コイコイ節
うちのこの子は なんで泣くしらん 乳が足らぬか 乳離れか 乳離れか コイコイ うちのこの子に 赤いべべ着せて 連れて参ろか 神様へ 神様へ コイコイ お宮参りは なんというて拝む 一生この子が まめなよに まめなよに コイコイ |
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■山田コイコイ節
うとて回れば やかましけれど これは守り子の 役じゃもの コイコイ ねんねころいち 天満の市で 蕪揃えて 舟に積む コイコイ ねんねねんねと お尻をたたく なんで寝らりょか たたかれて コイコイ 泣いてくれるな 泣かしてくれな 誰も泣かさぬ ひとり泣く コイコイ お前の言うの鳥 わしゃ聞くの鳥 山で鳴くのが からす鳥 コイコイ 恋という字は どう書くぞいな 花のトゥボミと 書くぞいな コイコイ 恋にやぶれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ螢が 身を燃やす コイコイ 泣くな嘆くな 五月の蝉は 小松抱えて 腰つかう コイコイ うとて回れば ショウショが怖い 馬の頭が ゴロゴロと コイコイ |
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■清溪コイコイ節
ねんねころいち 天満の市よ 大根揃えて 舟に積む コイコイ 舟に積んだら どこまで行きゃる どこはどんどの 橋の下 コイコイ 橋の下には お亀がいるで お亀捕りたい 網欲しや コイコイ |
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■西面コイコイ節
寝たら念仏 起きたら勤め つらい勤めを せにゃならぬ コイコイ ねんねしなされ おやすみなされ 朝はとうから 起きなされ コイコイ こちのこの子は 今寝るからに 誰もやかまし 言てくれな コイコイ 誰もやかましゅは 言わせんけれど 側の守り子が うじゃうじゃと コイコイ 寝たか寝なんだか 枕に問えば 枕もの言た 寝たと言た コイコイ ねんねする子に 何やろ彼やろ おぼろ饅頭に 砂糖せんべ コイコイ おぼろ饅頭に 砂糖せん付けて のどの奥さんに 供えたい コイコイ 腹はへり山 これから去んで おひつ中山 嵐山 コイコイ 腹がたつなら ねんねをおなし 寝ればお腹が 横になる コイコイ 泣いて涙を こぼさぬ人は 芝居役者か にわとりか コイコイ 歌はよいもの 仕事がでける 話悪いもの 手をやめる コイコイ 歌の先生は わたしでござる 教てあげましょ 逆向けに コイコイ 船の先頭さんに 手ぬぐいもろた 模様は淀川 下り船 コイコイ 松の大きいのは 本照寺の庭の 広いお庭の 開き松 コイコイ 山が焼けるぞ 発たしゃれ雉よ これが発たりょか 子を置いて コイコイ 姉と妹は 揃えの浴衣 どっちが姉やら 妹やら コイコイ わしは花嫁 去んだり来たり こぼす涙は 道の露 コイコイ 食ても食わいでも 方袖着ても 親のそばには いとござる コイコイ 盆が来たかて 正月来たて 親が貧乏すりゃ うれしない コイコイ |
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■鶴見コイコイ節
守りは守りづれ 子は子供づれ 若いねえちゃん 男づれ コイコイ あんたゆえなら 浅葱の袋 首にかけても いとやせぬ コイコイ うちは土百姓で しまいが遅い もちとしまいの 早いとこ コイコイ |
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■鶴見ヨイヨー節
うとて回れば やかましけれどヨー これが守り子の 役じゃもの ヨイヨー わての親方 しまいが遅いヨー もちとしまいの 早いとこ ヨイヨー 男守りさん あほらしないかヨー 今はとうせで 女守り ヨイヨー 守りは憎いとて 破れ傘きせてヨー かわい坊ちゃんに 雨かかる ヨイヨー 守りや守りやと あなどるくせにヨー 守りがありゃこそ 秋越せる ヨイヨー |
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■淡輪ヨイヨイ節
回れ回れと 大きな家回れ 見つけられたら 負て逃げよ ヨイヨイ 回れ回れと 家のうち回れ 三度回りて 叱られた ヨイヨイ この子よう泣く なんで泣くしらん 乳は足らぬか 寝たらぬか ヨイヨイ ねんねねんねと 寝た子はかわい ねんねせん子は 面にくい ヨイヨイ ねんねひた子に 赤いべべ着せて ねんねせん子にゃ 縞のべべ ヨイヨイ ねんね根来の 後ろの藪で としょり来いとの 鳩が啼く ヨイヨイ ねんね根来へ 詣りたいけれど 川がおとろし 火の河原 ヨイヨイ 寝てもねぶたい 春三月の 苗代かいるの 鳴くじゅうに ヨイヨイ わたしゃこの家の 米搗きおなご 足の痛いのに 搗け搗けと ヨイヨイ |
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■うとて歩き
ねんねもたもた もたれて寝たらヨーエ(ア ヨイソレ) 寝たら子も楽 ホッコリと 守りも楽ヨーエ(ア ソヤソヤ ソヤソヤ) ねんねした子に 赤いべべ着せてヨーエ 起きて泣く子に ホッコリと 藁のべべヨーエ いやで泣きゃるか おいやで泣くかヨーエ 市松人形は ホッコリと 腹で泣くヨーエ うとて回るは やかましけれどヨーエ これが守り子の ホッコリと 役じゃものヨーエ うとて回るは 村の道じゃヨーエ 村の道なら ホッコリと 誰も歩くヨーエ ここの門通りゃ 香ばしにおいヨーエ ここの聟さん ホッコリと 入り聟かヨーエ おぼろ饅頭に 砂糖煎餅つけてヨーエ のどの奥さんに ホッコリと 供えたいヨーエ いじの悪いやつ 顔見りゃわかるヨーエ 口は三角 ホッコリと 目は四角ヨーエ あの子偉そに 白足袋はいてヨーエ 耳の後ろに ホッコリと あかためてヨーエ けさの寒さに 親なら子ならヨーエ はようもどれと ホッコリと 言てくにょにヨーエ なんぼ泣いても この子がかわいヨーエ 飯の種じゃと ホッコリと 思やこそヨーエ 守り子守り子と いわれる守り子ヨーエ 守り子これでも 人であるヨーエ |
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■わらべ唄 | |
■兵庫 | |
遊び上手な ひとと めぐりり逢いたい 神戸 二人で乗るはずの 船が出て行くわ 三の宮 泣いてサヨナラ 雨に濡れた舗道 神戸 流れ行く景色の中で 心 こころ 探してる 時を止めて あの頃へと戻れたら 神戸 流れ行く景色の中で 心 心 探してる 小指も泣いてる 神戸北クラブ 君は人妻 あゝ人の妻 |
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■あやし歌 | |
一口に子守歌といっても様々ですが、大きく分けて、幼児をあやす「あやし歌」、幼児を眠らす「ねさせ歌」、そして、子守り奉公の辛さを歌った「守り子の歌」に分けられます。幼児を楽しく遊ばせることをねらいとした「あやし歌」は、遊び歌の手遊び歌や指遊び歌などに近い感覚の歌です。 | |
■お月さんなんぼ 1
お月さん、年なんぼ 十三、七つ まだ年若いな わこうもごんせん 二十でごんす はたやの かどで 銭三文 ひろて 一文で あめこうて 二文で招待しょ |
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■お月さんなんぼ 2
お月さん、年なんぼ 十三、七つ まだ年若いな 若けりゃ子うめ 子生んで どないしょ おんばにだかせ おんば どこへいた 油買いに 酢買いに 油屋の門で 酢一升こぼして 酢屋の門で 油一升こぼして たろべの犬と じろべの犬が けとけと ねぶった |
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■お月さんなんぼ 3
お月さん、歳なんぼ 十三、七つ 歳まだ若いな 若屋のかどで 銭三文拾うて 一文で飴買い 二文でよばれ よばれは何所じゃ 地蔵さんの奥や 奥屋の子どもは かしこい子ども |
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■お月さんなんぼ 4
お月さん、年なんぼ 十三、七つ まだ年しゃ若い この子を産んで あの子を産んで だあれに抱かしょ お万にだかしょ お万 どこいた 油買いに 酢買いに 油屋の門で 油一升まいた その油どうした 太郎どんの犬と 次郎どんの犬と みいんななめてしもた その犬どうした 太鼓に張って ドンドコドン ドンドコドンのドンドコドン |
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■こいこい木挽きさん 1
こいこい こびきさん お茶飲んで ひきんか まだ日は高い |
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■こいこい木挽きさん 2
きっこのこびきさん お茶飲んでひきんな まだ昼早い 足元よろよろ |
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■こいこい木挽きさん 3
きっこのこびきさん お茶飲んでひきんか まだ昼早い 服吸うてひきんか |
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■こいこい木挽きさん 4
きっこのこびきさん お茶飲んでひきんか まだ昼早い 足元ひょろひょろ |
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■日が照り婆さん 1
日が照り婆さん 日が照っておくれんか 柳の下で穂なと拾ろて はったいひいて食わしましょ |
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■日が照り婆さん 2
日が照り婆さん 日が照っておくれ 柳の下で粉なと挽いて はったい挽いて 食わしましょ |
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■きっきのばあさん
きっきのばあさん 臼ひきに 来なんせ 臼の代はなんぼ 一升五合 そりゃま高きゃぁ 高くても安くても 臼ひきに 来なんせ |
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■高い山へほろか低い山へほろか
高い山へほろか 低い山へほろか とても低い山へどんぶりことほったろ 高い山へほろか 低い山へほろか この子よい子じゃおうちへつれていの |
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■いいちくたあちく 1
いいちく たあちく たぁまんご かえでりゃ ひよこ 羽が生えたら ばーたばた |
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■いいちくたあちく 2
ちっちっく たっちく卵 かいでたらひよこ 羽が生えたらばぁたばた 大きくなったらコケコッコ |
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■いいちくたあちく 3
いっちく たっちく みょうれん そうれん いっちくりんの花が咲いて りーんそうない |
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■こっちやたんぽ
こっちや たんぽ たんぽで こっちや みみこ みみこで かいくり 掻い繰りわあ〜い |
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■おいさまこいさま 1
おいさま こいさま おいどがひょっこり出ました ひょうたんの先に あちちをすえて あつや 悲しや かなぼとけんけん 一丁目 二丁目 三丁目の角で 大水流して 舟の船頭さん この子やないかいな この子の じょじょを 小船に乗せて 深い川にはめよか 浅い川にはめよか とてもかなわん 深い川へどんぶりこ 去年のややと 今年のややと ややどうしあわせて ぼんべんぼん |
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■おいさまこいさま 2
大まき 小まき 小まきの上に あちちをすえて 深い川へはめろか 浅い川にはめろか よっちゃんのかどへ 大水打って 舟を渡して どんぶりどんぶりしょ |
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■おいさまこいさま 3
かんぐり かんぐり 宮かんぐり お姫はんの籠と 天神さんの駕籠と どっちが大きい ひょうたんほど大きい ひょうたんの先に あつつをすえて あつや悲しや 南無阿弥陀仏 深い川へはめろか 浅い川にはめろか はめるなら 深い川へどんぶりしょ |
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■まいまいこんこ 1
まいまいこんこ まいこんこ 目がもうたら やいとしょ |
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■まいまいこんこ 2
まいまいこんこん きりこんこん 目がもうたら やいとしょ |
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■あがり目さがり目
あがり目 さがり目 くるりとまわって 猫の目 |
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■にらめっこ 1
だるまさん だるまさん にらみっこしましょ 笑ろたら 負けよ うんとこどっこいしょ |
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■にらめっこ 2
大黒さんとえべっさんで にらめごっこしましょ 負けたらだめよ うんとこどっこいしょ |
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■ねかせ歌 | |
赤ん坊を眠らす「ねさせ歌」は、歌の中に「ねんねん」など同音の反復が見られ、幼児の耳に心地よい音となって届き、眠りを誘うという歌です。このように「ねさせ歌」の本質のひとつは、リズムの継続です。祖母や母らの愛に包まれながらの柔らかな歩みの中で、歌のリズムとともに子どもが身体をゆられて自然に眠りに落ちていくようになります。 | |
■坊やはよい子だ
ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 坊やのお守はどこへ行った あの山越えて 里へ行った 里の土産に何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 |
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■寝たら山の 1
ねんねんよいよ 寝たら山の雉の子 起きたらおかめ(狼)がとってかも ねんねんよいよ |
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■寝たら山の 2
ねんねんね 寝たら山の雉の子 起きたらおかめ(狼)がとってかむ ねんねんねんね よいよいよいよ 守りは守りづれ 子は子どもづれ 大きな姉さん男連れ |
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■寝たら山の 3
ねんねんねんよ 起きたらおかめ(狼)がとんでかむ よーい よーい よーいよ この子が寝た間に餅ついて あっちの子にも一つやり こっちの子にも一つやり この子にやるのがたらなんだ こんだついたら みなやろぞ ねんねんねんよ |
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■ねんねなされや 1
ねんねなされや おやすみなされな あすはついたち みやまいりな みやについたら 何ちゅうておがむな きっとこの子が まめなようにな ねんねする子にゃ 赤いベベ七つな 起きて泣く子にゃ帯一つな |
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■ねんねなされや 2
ねんねしなされ おやすみなされ あすはお前さんの誕生日 ねんころさいころ 酒屋の子 酒がほしけりゃ 酒のまそ 酒はかろうてよう飲まん 乳ならあもうて 飲むけれど ねんねした子にゃ 赤いベベ七つ 起きて泣く子にゃ 帯一つ ねんねした子は よい子やさかい 起きて泣くは 面にくい ねんねんころいち 子は竹のいち 竹にもたれて ねんねしな ねんねしなされ おやすみなされ あすはおはよに おきなされ |
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■ねんねなされや 3
ねんねしなされ今日は25日よ あすは6日みやまいりよよ〜ほいよ〜 ねんねする子に赤いベベ着せてよ 起きて泣く子に縞のベベよ〜ほいよ〜 ねんねねんねとねる子は可愛いよ 起きて泣くは面憎いよ〜ほいよ〜 ねんねころいち 天満の市はょ 大根そろえて舟に積むよ〜ほいよ〜 オバンどこ行く味噌腰さげてよ わしは歯が無うて豆腐買いによ〜ほいよ〜 家のおとったんは酒に酔うてこけてよ 赤いテンテン泥だらけよ〜ほいよ〜 向こう見なされお月さんがでたぞよ まあるい大きなお月さんよ〜ほいよ〜 向こう見なされ自転車が来るよ リンがなるまでよけらんとけよ〜ほいよ〜 宮に参りて何というておがむ 一生この子がまめなようによよ〜ほいよ〜 |
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■ねんねなされや 4
ねんねしなされ おやすみなされ 鳥が唄うたらおきなされ 鳥が唄うても まだ夜は明けぬ 明けばお寺の鐘がなる 鐘がなりますお寺の鐘が 一に聞こえて 二に響く こいこい |
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■ねんねなされや 5
うちのややこは 今寝るさかりよ だれもやかましゅう 言うてくれるなよ 宮に参ったら何というておがむ この子一代無病息災によ |
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■ねんねなされや 6
ねんねしなされ おやすみなされよ〜 朝はとうからおきなされ よ〜いよ〜 ねんねしなされ 一夜も二夜も せめて 三夜も寝ておくれ ねんねしなされ 今日は25日 あすは6日 みやまいり 宮へ参ったら何というておがむぞ 一生この子がまめ(息災)なように |
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■天満の市 1
ねんねんころいち 天満の市は 大根そろえて 船に積む 船に積んだら どこまで行きゃる 木津や難波の 橋の下 橋の下には かもめがいやる かもめとりたや 竹ほしや 竹がほしけりゃ 竹屋に行きゃれ 竹はなよなよ 由良之助 |
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■天満の市 2
ねんねんころいち 天満の市は 大根そろえて 船に積む 船に積んだら どこまで行くぞ 木津や難波の 橋の下 橋の下には 狼がおるぞ おかめとりたや おそろしや |
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■天満の市 3
ねんねころいち 天満の市で 大根そろえて 船に積む 船に積んだら どこまで行きゃる 行けば難波の 橋の下 橋の下にはかもめがおりゃる かもめとりたや 網ほしや |
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■ねんねんころいち
ねんねんころいち 寝る子は可愛い 起きて泣くは 面にくい ねんねんころいち 子は竹のいち 竹にもたれて ねやしゃんせ ねんねんころいち ころ竹のいちよ 竹にもたれて 寝た心地よいよ ねんねする子は 赤いベベ着せてよ ねんねせん子は 縞のベベよいよ あの子見やんせ 赤ベベ着てじゃ 親は錦の ボロ下げて わしの友達や 芋の葉の露よ 一つ違うたら ぶっしゃりと わしの思いは お釜のこげよ ままにならぬと 焼いている ふくささばきは 知らねど今日の お茶のかよいが してみたい こいよこいよと ことづてばかり まこと恋なら 文よこせ |
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■ねんねんばっぽを 1
この子はよい子じゃ ねんねしいな この子がねんねを しとる間に ねんねんばっぽを ついといて 起きたら目覚まし 食べさそよ ねんねんころりや おころりや 坊やがねんねをしとる間に 坊やのお守りは どこへ行た あの山越えて 里へ行った 里の土産に 何もろた 一に香箱 二に硯 三にさらさの 紐もろた 紐はもろたが まだくけん くけて見せましょ はやばやと はやの帯して 伊達こいて 伊達の小褄に 血がついた 血ではないもの 紅じゃもの 伊達の小褄に 紅つけて 紅はよい紅 化粧の紅 |
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■ねんねんばっぽを 2
ねんねんばっぽ この子はよい子じゃ ねんねしな この子がねんねを しとる間に ばっぽを トントンついといて この子が起きたら 食べさせよ ねんねんばっぽ |
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■ねんねんばっぽを 3
ねんねんよいよ よいよ ぼうやのねたまに ばぼついて あっちの子にも一つやろ こっちの子にも一つろ ねんねんよいよ いよよいよ |
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■ねんねんよ
ねんねんよ〜ねんねんよ ねんねんよいよい ねんねんよ |
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■あれ見よお日さんも
ぼうやはよい子だ ねんねしな あれ見よ お日さんも ねんねした かあかあからすに ちゅんちゅん雀 一緒にねむろと とんでゆく 坊やも泣かずに ねんねしな お日さんの めざめる明日まで |
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■いけばとっけ
行けばとっけで 帰れば榎 道の悪さが若宮や |
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■加茂地方の子守歌
加茂の宮さん 千体きたい 上に宮さん 愛宕さん 中にしょんぼり 庚申さん 加茂のいわたは 問わいでもわかる 門にある松 二本松 |
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■篠山地方の子守歌
ねんねんころり おころりよ 春の夕べはおちちのもやよ お山のおさるもねんねした 霧のお里は 紅の橋 ころり ねんころ ぼうやの国は 丹波篠山 歌の国 |
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■加西地方の子守歌
とんとんとろりと なる音が 坊やのおねまに まだこぬか こなけりゃむかえにまいりましょう 海、山越えて 鬼が島 鬼のいぬ国 ねんね島 |
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■千種の子守歌
大雪 小雪 雪の降る晩に だれかひとり 泣く子がほしい あっちいっちゃ今晩は こっちいっちゃ今晩は 大雪 小雪 雪の降る晩に 誰かひとり 泣く子がほしい |
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■志方地方の子守歌
ねんねんよう ねんねんよう よい子よ泣くなよ ねんねんよう 抱くは母ぞ 撫でるも母ぞ よい子よ泣くなよ ねんねんよう ねんねんよう ねんねんよう よい子よ泣くなよ ねんねんよう 神もよい子を 守らせたもう よい子よ泣くなよ ねんねんよう |
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■居組の子守歌
泣くないや泣くないや 何が不足で泣くだいや 米はある金はある 何が不足で泣くだいや あ〜ねんねんせえや ころりんせえや 泣くないや泣くないや ケンケン山の雉の子が 泣いていて鷹になぁ 泣いて鷹にとられるど あ〜ねんねんせえや ころりんせえや 泣くないや泣くないや 泣くとお山のお吉の子 だんまりゃなぁ家のなぁ だんまりゃ家のかかさんの子 あ〜ねんねんしてごせえや ころりんせえや |
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■守り子の歌 | |
子守り奉公の習慣は、かつて全国各地にありました。いわゆる「口べらしで、7歳〜12歳の主に女の子が、故郷を離れ、遠い村や町に住み込みながら雇い主の子どもを守りする仕事をこう呼びます。「守り子の歌」は、貧しさゆえに出されたつらい仕事の中で唄われた歌で、一種の労働歌と言えます。歌の内容は、雇い主への悪口や子守りという仕事の辛さを唄いこんだものが主になっています。日本を代表する「守り子歌」は、“五木の子守歌”で、天草地方から奉公に出された娘たちが、郷里の福連木あたりで古くから唄われていた歌を替え歌にして唄ったものだといわれています。全体的には、地域に根ざしたものが多いといえましょう。 | |
■野間の守り子歌
ねいよねいよと 尻たたかれて 何の寝ましょよたたかれて ロイロイロ お前知りんか 伊丹が焼けて 昆陽の大工さんが 繁盛した ロイロイロ おんばうまいもんや 鯛くて食わせ 乳もようはる 子も肥える ロイロイロ かわいかわいは おんばのならい なんがかわいかろ ひとの子が ロイロイロ |
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■母子の守り子歌
ねんねしなされ おやすみなされ 起きて泣く子は 面憎い ねんねやぁと言うて 寝る子はかわい 起きて泣く子は 面憎い 門に橘 戸にもたれ花 うちの様子を きくのはな |
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■加古川の守り子歌
この子憎いやつ 目の玉抜いて 道の真ん中に ほりうめる 人が通れば 南無阿弥陀仏 親が通れば 血の涙 |
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■石守の守り子歌
咲いてすぼんで また咲く花は 須磨の前田の かきつばた 明石の殿さん 尾張の国を 昼のあかいのに 高提灯 明石樽屋町 茶碗屋の娘 歌につくろか 絵に描こか 明石あかいけど 大蔵谷暗い まだも暗いのは 一の谷 ここは一の谷 敦盛さんの お墓どころか 痛わしや 大阪大阪と 皆言うてやけど 大阪いよいか すみよいか わしは備前の 岡山育ち 米のなる木は まだ知らん あの子憎いやつ よそからうせて じげの守り子を よせらかす わしはいにたい かあさんとこへ 戻りともない 親方へ 奉公する身では しゃないけれど 今年一年 塩ふみに 鐘がなったら いのいの言うてや ここは寺町 いつも鳴る きのう北風 今日は南風 あすは浮き名の巽風 お婆どこいく 三升樽さげて 嫁の在所へ 孫抱きに 思うて通えば 千里も一里 逢わず戻れば また一里 思うてみやんせ 十五や六で 一人夜道が 通わりょか 思い出しては 写真鏡を眺め なぜに写真がもの言わぬ 来いよ来いよと ことづてばかり まこと恋なら 文よこせ 来いと言葉の かからん所へ 行かれますかい 恥ずかして お前さんのように ご器量がよけりゃ 知らん他所から 文が来る 今の若い衆の 雪駄(せきら)の音は 一里聞こえて 五里ひびく 今の守り子が 寺子にほれて 七つ上がりを 待ちかねる わしの嫌いなは あの餓鬼ひとり あいつのけたら みなかわい わしはあの子に どういわれても たとい乞食と 言われても 身上ようても 貧乏あなずるな 今はようても 後ゃ乞食 お月さんのような 丸い丸い丸い 心変わらん 殿がほし 世帯もたすりゃ 茶碗のめげも たりになります 塩入れに 旦那おかえりか 門の戸が開いた 酒のかんしょか あも焼こか 親が甘いので 子の性(しょう)が悪い 頭一つも どやさんせ うちのこの子は よう泣くいじる 守りに難儀をかけなさる かわいかわいは お乳母のならい 何がかわいかろ 他人の子が 何ぼ泣いても この子はかわい わしのお飯の たねじゃもの 守りよ守りよと 守り楽そうに 守りが楽なら してみやれ 守りの大将さん 遊んでおくれ 豆の三粒も よけあげろ わしの兄弟は 学校の先生 椅子にもたれて 本を読む 椅子にもたれて 本読むけれど 月に3円で 日を送る |
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■黒田庄の守り子歌
ねんねん よいよ よい子の守りには 誰を置こ 新町米屋の お市置こ お市が来たら 何をさそ おむつき洗ろたり 守りしたり それが嫌なら 去いんでくれ 出ては去ぬけど 道知らん 道を知らねば 送らそう 柳の下まで 送らそう 柳の下から わし一人 ねんねん よいよ |
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■吉川の守り子歌
ねんねしなされ おやすみなされ 朝はとうからおきなされ ねんねする子に赤いベベ着せて 起きて泣く子に縞のベベ ねんねころいち ころ竹のいち 竹にもたれて ねた心地 守りよ子守りよ なんぜ子を泣かす 後の子守りが尻つめる 守りよ子守りよ なんぜ子を泣かす 泣かしゃしませぬ 泣きなさる どこの誰さん なんぜ色黒い蛸の黒べか 牛糞か あの子よい子や ぼたもち顔や 黄な粉つけたら 尚よかろ |
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■千種の守り子歌
ねんねしなされ 寝た子はよい子 寝たら子も楽 守りも楽 守りというもん つらいもん 朝から晩まで 負いつめて 親にゃ叱られ 子にゃ泣かれ 他人にゃ楽げに 思われて お飯というたら 麦の飯 お汁というたら 干し菜汁 |
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■安富の守り子歌
この子よい子じゃ ぼたもち顔じゃよ〜 黄な粉つけたら 尚よかろ ヨイヨイ ねんねする子にゃ 赤いベベ着せてよ〜 起きてやだけりゃ 縞のベベよ〜 ホイよ〜 |
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■気比の守り子歌
守りはえらいもの これから先は 雪はちらつく 雪はちらつく 子はなくし コイコイコイ ねんねせというて 寝るよな子なら 守りゃいりゃせぬ 守りゃいりゃせぬ お主守りで コイコイコイ ねんねせえや ねんねせえや 起きて泣く子は 起きて泣く子は 面憎い コイコイコイ ねんねせえや まだ夜は明けぬ 明けりゃお寺の 明けりゃお寺の 鐘がなる コイコイコイ |
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■与布土の守り子歌
上の橋から 下の橋までも うとてまわるのが守りの役 まわるのが守りの役 守りはつらいもんじゃ 子に責められて 人に楽げに思われて 楽げに思われて なんぼ泣いても この子はかわい 飯の種じゃと思やこそ 種じゃと思やこそ |
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■塩山の守り子歌
ねんねてくれ ねてさよくれりゃ〜 守〜りも楽なし 子も楽な ヨイヨイヨイ コロンデコ〜イ ヨイヨイヨイ 守〜りしょまいもの 子にゃいじられて 人にゃ楽げに思われて コイコイコイ コロンデコ〜イ コイコイコイ なんぼ泣いても この子はかわい ままの種じゃと思やこそ ヨイヨイヨイ コロンデコ〜イ ヨイヨイヨイ 山の木の葉が 紅かなる見なれ 葉が落ちたら雪が降る コイコイコイ コロンデコ〜イ コイコイコイ |
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■黒石の守り子歌
ねんねしなされ 寝る子はかわいよ 守りもたすかる 子も楽なよ ホイヨ ねんねしなされ おやすみなされ 起きて泣く子は 面憎いよ ホイヨ 泣いてくれなよ 泣く子の守りは 叩き抓めると 思われるよ ホイヨ |
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■沼貫の守り子歌
ねんねしなされ おやすみなされ 明日はおはよに 立ちなされ 明日はおはよに 立ちなされ ねんねしたかと 思えばまたも 起きて泣き出す 面憎や 起きて泣き出す 面憎や ねんねころいち 子は竹のいち 竹にもたれて ねた心 竹にもたれて ねた心 ねんねした子は しんからかわい 起きて泣く子は 面憎い 起きて泣く子は 面憎い |
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■尾崎の守り子の歌
ねんねしなされ お休みなされ 朝はとうからおきなされ ホイホイ おしんど良く聞け お話ししましょ 守りを悪すりゃ子にあたる ホイホイ うちの親方 金米糖の顔よ 甘い顔してきつう使うよ ホイホイ |
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■小路谷の守り子の歌
だんな大黒 おしんど恵比寿よ 恵比寿また大黒 福の神 くるりっきん こうやった ちょうめっかい |
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■野島の守り子の歌
淡路島見りゃ 去にとてならぬ 去んでここ見りゃ また来たい 勤めの辛さに 出て山見れば 雲のかからぬ 山は無い 胸に千束の 茅たくけれど 煙出さなきゃ ひた知らん 守りよ守よと たくさんそうに わしもいやあり 親もある 坊やよい子だ ねんねこしゃんせ ねたら母さんに 便り書く |
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■絵かき歌 | |
■蛸入道 1
みみずが三匹 おりました 朝めし 昼めし 晩のめし 雨がザーザー 降ってきて あられがポツポツ 降ってきて あっと言うまに 蛸入道 |
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■蛸入道 2
みみずが三匹 這い出して 朝めし 昼めし 晩のめし 雨がザァザァ 降ってきて あられもポツポツ 降ってきた あっと言うまに 蛸入道 |
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■蛸入道 3
みみずが三匹 泳いでた 朝めしくって 昼めしくって 晩めしくって 雨がジャージャー 降ってきて あられもポツポツ 降ってきて あっと言うまに 蛸入道 |
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■蛸入道 4
みみずが三匹 寄ってきて 朝めし昼めし 晩のめし 雨がザーザー 降ってきて あられがパラパラ 降ってきて あっと言うまに 蛸入道 |
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■くーちゃんしーちゃん
くーちゃん しーちゃん てっぴーちゃん おしゃれな おしゃれな みみこさん 平気で 平気で のんきで のんきで 試験はれーてん くーくーくーちゃん ぺけぺけ まるまる まるかいてチョン まるかいてチョン さんかくじょうぎに きずつけて だいこん にほんで じゅうえん だいこん にほんで じゅうえん |
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■へのへのもへじ
へのへのもへじ |
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■たてたてよこよこ 1
たてたて よこよこ まるかいて ちょん まるかいて ちょん 大山さんに小山さん 雨がザーザー降ってきて 雨がザーザー降ってきて 1円もろて 飴もろて 1円もろて 飴もろて 1円もろて 飴もろて あっという間に お姫さま |
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■たてたてよこよこ 2
たてたて よこよこ まるかいて ちょん 大山 小山 雨がジャージャー降ってきて あられがポツポツおちてきて 一円もろて まんじゅうこうて いがんだ針が れいせんで あっというまに お姫さま |
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■たてたてよこよこ 3
よこよこ たてよて まるかいて ちょん まるかいて ちょん おおきなおまるに 毛が三本 毛が三本 毛が三本 ぐるっとまわって お嫁さん |
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■さんちゃんがさんぽにいきて
さんちゃんが 散歩にいきて まめみっつ お口とんがらかして たぬきじゃないよ 足あるか 足あるよ こんくりかついでつなわたり |
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■つるさんは○○虫
つるさんは○○むし |
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■山があって里があって
山があって 里があって 段々畑に 麦畑 まめがあって ゆみがあって そーら さかなになっちゃった |
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■棒が一本あったとさ
棒が一本あったとさ はっぱかな はっぱじゃないよ かえるだよ かえるじゃないよ あひるだよ 六月六日の参観日 三角定規にひびいって コッペパンふたつ くださいな アンパンふたつ 豆みっつ あっという間に かわいいコックさん |
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■にいちゃんが
にいちゃんが 2円もらって 豆買って 口をとんがらかして アヒルの子 |
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■二郎君に三郎君
二郎君に三郎君 三郎君に四郎君 松本さんに松原さん 大山さんに小山さん お日さまぴかぴか お池にこいがぴょんぴょん あっという間に 大うちわ |
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■いちくちそいち
いちくちそいち いちのめは |
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■うんちゃんが一円もらって
うんちゃんが 一円もらって 豆こうて 算数三点 国語三点 平気で 平気で のんきで のんきで 試験は れ〜てん たてたて よこよこ まるかいて ちょん |
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■おしりがわれて
おしりがわれて おだんご1つ 卵がわれて ぴ〜ちゃぴちゃ せっけん遊びはおもしろい 三日月ちょん 三日月ちょん たてたて よこよこ まるかいて ちょん 雨がザ〜ザ〜降ってきて みみずが三匹はえだした たてたて よこよこ まるかいて ちょん |
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■手合わせ歌 | |
始めに「せっせっせ」と拍子をとって遊ぶ手合わせ遊びは、今も全国各地で遊ばれています。二人もしくは数人が向かい合って、相手の手と歌に合わせて打ち合わせる遊びです。歌の途中で、簡単な手振りや身振りが加わるものもあります。 | |
■茶摘み
せっせっせ の よいよいよい 夏も近づく 八十八夜(トントン) 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは 茶摘じゃないか(トントン) あかね襷に すげの笠 |
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■ひとつひよこが 1
せっせっせ 一つ ひよこが豆を食て たいやくねんねん 二つ 舟には船頭さんが たいやくねんねん 三つ 店屋に番頭さんが たいやくねんねん 四つ 横浜異人さんが たいやくねんねん 五つ 医者さんが薬箱 たいやくねんねん 六つ 昔はちょんまげ結うて たいやくねんねん 七つ 泣き虫ひねりもち たいやくねんねん 八つ 山伏ほらの貝 たいやくねんねん 九つ 乞食がおわん持って たいやくねんねん 十 殿さんお馬に乗って たいやくねんねん |
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■ひとつひよこが 2
一つ ひよこが豆を食て たいろくないない 二つ 舟には船頭さんが たいろくないない 三つ 店屋の番頭さんが たいろくないない 四つ 横浜異人さんが たいろくないない 五つ 医者さんには薬箱 たいろくないない 六つ 昔によろい着て たいろくないない 七つ 泣き虫ひねりもち たいろくないない 八つ 山には天狗さんが たいろくないない 九つ 乞食がお椀持って たいろくないない 十 殿様お馬に乗ってたいろくないない 十一 巡査がサーベル持って たいろくないない 十二 兄さんが新聞読んで たいろくないない 十三 三味線ぴんぴらぴんで たいろくないない 十四 新年おめでとう たいろくないない 十五 ごんべが種まいて たいろくないない 十六 ろくすけ鉢巻 たいろくないない 十七 質屋の女将さんが たいろくないない 十八 浜では海水浴 たいろくないない 十九 櫛屋の女将さんが たいろくないない 二十 仁徳天皇陛下万歳 たいろくないない |
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■ひとつひろた豆汚いが
一つ ひろた豆 汚いが がってんがってん 二つ 踏んだ豆 平べたいが がってんがってん 三つ 味噌豆 やわらかいが がってんがってん 四つ よった豆 屑がないが がってんがってん 五つ 炒った豆 香ばしいが がってんがってん 六つ むいた豆 皮がないが がってんがってん 七つ なった豆 ちぎるが がってんがってん 八つ 焼いた豆 にがいが がってんがってん 九つ こいた豆 飛んでまうが がってんがってん 十を 飛んだ豆 拾うが がってんがってん |
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■丸山どうてんじゃ
せっせっせ 丸山どうてんじゃ 東山見ればね 見ればね 盆のおっ月さん まるい 誰にもろたか 源次郎さんにもろたわね 源次郎男は 派手者で 三味線じゃ 三味線じゃ |
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■一に橘
せっせっせ からりとせ 一に橘 二にかきつばたネ 三に下がり藤 四に獅子牡丹ネ 五つ伊山の千本桜ネ 六つ紫 七つ南天 八つ山吹 九つ紺屋が色よく染めてネ 十で殿様 葵の御紋ネ |
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■一に水仙
せっせっせ むこどりやまの鶯一羽ネ 一に水仙 二にかきつばたネ 三にゃ下がり藤 四にゃ獅子牡丹ネ 五つ伊山の千本桜ネ 六つ紫色よく染めてネ 七つ南天 八つやの娘ネ 九つ小梅がちらりとぱらぱら 十で殿様 御城の御門ネ 御門所が あぶら買いに行たらネ いたら異人が ペケポンとへべすネ 奥州 甲州 播磨の姐さん 西瓜つるして かぼちゃが真似して すっぺら ほい |
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■おんごく
向こうの向こうの 万みよさん(万右衛門) 藁一把あげよか わしゃ医者いらん 病ならこそ医者いりまする ほんなら二把あげよか わしゃ庭はかん 丁稚ならこそ庭はきまする ほんなら三把あげよか わしゃ三味ひかん 芸者ならこそ三味ひきまする ほんなら四把あげよか わしゃしわよらん 婆さんならこそしわよりまする ほんなら五把あげよか わしゃ碁うたん 旦那さんならこそ碁うちまする ほんなら六把あげよか わしゃ牢いらん 盗人ならこそ牢いりまする ほんなら七把あげよか わしゃ質おかん 貧乏ならこそ質おきまする ほんなら八把あげよか わしゃ鉢めがん あわてならこそ鉢めぎまする ほんなら九把あげよか わしゃ鍬もたん 百姓ならこそ鍬もちまする ほんなら十把あげよか わしゃ重もたん 彼岸ならこそ重箱持ちまする |
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■おはぎの嫁入り
おはぎがお嫁に行くときにゃ あんこときなこでお化粧して まあるいお盆にのせられて 遠いところへお嫁入り |
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■芋屋のおじさん
芋屋のおじさん 芋切って たたいて つめくって 真っ黒け |
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■いたずら坊主
お寺の中から お化けがにゅー お化けの中から おけらさんがおけおけ おけらさんの後から おまわりさんがえへんぷい おまわりさんの後ろから いたずら坊主が ねんねして だっこして おんぶして 風車 |
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■指遊び歌 | |
■ずいずいずっころばし
ずいずいずっころばし 胡麻味噌ずい 茶壷に追われて トッピンシャン 抜けた〜ら ドンドコショ 俵の鼠が 米食ってチュウ チュウ チュウ チュウ おっ父さんが呼んでも おっ母さんが呼んでも 行きっこな〜しよ 井戸の周りでお茶碗欠いたのだ〜れ |
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■一が刺した
一が刺した 二が刺した 三が刺した 四が刺した 五が刺した 六が刺した 七が刺した 蜂が刺した ブ〜ン |
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■子と子と
子と子とけんかして 小指 親親おこって 親指 人様に御迷惑 なかなかスマンとおっしゃって 中指 紅屋の前ですみました 紅指 |
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■子取り遊びの歌 | |
子取り遊びとは、広場などで、子どもたちが2組に分かれて向かい合って並び、互いに歌問答を一通りして、最後に指名された子どもが、向かいのグループに取られていく遊びです。 | |
■花いちもんめ 1
A:「勝ってうれしい花いちもんめ」 B:「負けて悔しい花いちもんめ」 A:「どの子が欲しい」 B:「あの子が欲しい」 A:「あの子じゃわからん、名を言っておくれ」 B:「○○ちゃんがほしい」 A:「どうしていくの」 B:「○○でおいで」 |
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■花いちもんめ 2
ふるさとまとめて 花いちもんめ ふるさとまとめて 花いちもんめ △△ちゃんとりたや 花いちもんめ ××ちゃんとりたや 花いちもんめ 勝ってうれしい 花いちもんめ 負けて悔しい花いちもんめ |
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■花いちもんめ 3
持ってうれしや 花いちもんめ どの子がほしい あの子が欲しい あの子じゃわからん △△さんがほしい この子はやらん ××さんがほしい この子はやろう ジャンケンポン 勝ってうれしい 花いちもんめ 負けて悔しい花いちもんめ |
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■お茶あがりんか
A:「向かいのおばさんお茶あがりんか」 B:「何茶でごんす」 A:「芋茶でごんす」 B:「芋茶いっぱい飲みたいけんど、道に鬼がおってよう行きまへん」 A:「そんならお迎えどなたが欲しい」 B:「○○ちゃんが欲しい」 A:「連れていんで何食わす」 B:「鯛のととに赤まま」 A:「赤ままに鯛のとと」 B:「骨たたあ身から抜いてよ」 A:「何でよ」 B:「毛抜きで」 A:「痛いわ」 B:「痛ないように」 A:「そんならお迎え頼みます」 |
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■子買お子買お 1
鬼:「子買お子買お」 他:「何もんめで買いなさる」 鬼:「一もんめで買いましょう」 他:「そりゃ安い」 鬼:「二もんめで買いましょう」 他:「そりゃまだ安い」 鬼:「十もんめで買いましょう」 他:「そんなら売りましょう、どの子が欲しござる」 鬼:「△△さんが欲しござる」 他:「もろうて何しやる」 鬼:「二階で手習い」 他:「あぶない」 鬼:「その下で手習い」 他:「手が汚れる」 鬼:「水で洗う」 他:「つめたい」 鬼:「いい加減でうめてやれ」 他:「そんなら売りましょう」 |
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■子買お子買お 2
鬼:「子買を子買を」 他:「子を買うてなんしょ」 鬼:「ととにまんま」 他:「ととに骨がある」 鬼:「むしって食わそ」 他:「むしきりゃきたない」 鬼:「洗ろうて食わそ」 他:「洗えば水臭い」 鬼:「しょう油かけて食わそ」 他:「それもよかろどの子が欲しい」 鬼:「△△ちゃんがほしい」 他:「私は△△ちゃんの母親です」 鬼:「△△ちゃんに合わせて下さい」 他:「今、お便所へ行ってます」 鬼:「もうでましたか」 他:「今、お風呂へ入っています」 鬼:「もう上がりましたか」 他:「今、ご飯食べています」 鬼:「何のおかずで」 他:「蛇だのとかげだのかえるだの」 鬼:「これー」 |
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■子買お子買お 3
鬼:「子買を子買を」 他:「子をはなんで養う」 鬼:「肴に飯」 他:「魚には骨がある」 鬼:「むしって食わそ」 他:「むしったらいじましい」 鬼:「洗ろうて食わそ」 他:「洗えば水臭い」 鬼:「しょう油かけて食わそ」 他:「それもよかろがどの子が欲しい」 |
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■向かいのこせさん
A:「向かいのこせさん、子は何人ござる」 B:「4,5人ござる」 A:「一人下さい、やしのて進上」 B:「何食ってやしなう」 A:「砂糖まんじゅう」 B:「そりゃ虫の大毒」 A:「赤い飯にととそえて」 B:「そらなおよかろ、どいつなっととっていけ」 |
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■どどんどの子がほしい
A:「どどんどんどんどの子が欲しい」 B:「○○ちゃんという子が欲しい」 A:「行ったら何々食わす」 B:「あずき飯にととそえて」 A:「お馬に乗っておいでなされ」 B:「お馬の足が折れました」 A:「お駕籠に乗っておいでなされ」 B:「お駕籠の底がぬけました」 A:「弁当かついでエッサッサエッサッサ」 |
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■タンス長持ち
A:「タンス長持ちどの子が欲しい」 B:「あの子が欲しい」 A:「あの子じゃわからん」 B:「この子が欲しい」 A:「この子じゃわからん」 B:「○○さんが欲しい」 A:「どうしていくの」 B:「△△でおいで」 A:「勝ってうれしい花いちもんめ」 B:「負けて悔しい花いちもんめ」 |
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■関所遊びの歌 | |
江戸時代から全国的に伝播したくぐり遊びの一種に関所遊びがあります。その中でも“とうりゃんせ”は、大正時代に本居長世が編曲して、童謡として広め、歌詞もメロディも普遍のものとなっているようです。明治時代のこの歌は、単調なメロディを繰り返すものであったといわれています。 | |
■とうりゃんせ
とうりゃんせ とうりゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ちょっと通してくだしゃんせ ご用のないもの通しゃせぬ この子の七つのお祝いに お札を納めにまいります いきはよいよい 帰りは怖い こわいながらも とうりゃんせ とうりゃんせ |
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門になる子が2人向かい合って両手を合わせて、肩の高さ以上に上げ、その中を一列になって円陣をつくった子どもたちが、歌にあわせてくぐっていく遊びです。門の子は歌の終わりに手を下ろし、一人を捕まえます。また、全員がくぐった後に門の子がくぐっている子のお尻をたたいたりする遊びもあります。
この歌は、江戸幕府のころ、箱根関所の通行の厳しさを歌ったという説があります。当時、手形のないものは絶対通しませんでした。ただし、特殊な事情がある者は別で、例えば親の重病などの場合などに限って、関所に哀願して通してもらっていました。しかし、その帰りには絶対に手形がなければ通さなかったことを「かえりは怖い」と唄っているという説です。 また、他の説では、穀物の豊作を願って、人身御供を捧げた土着宗教の名残を唄っているといわれています。 歌の終わりに、「帰りのお土産なにもうた」や「こわい橋からお化けが出るよ」とも唄われます。 |
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■手まり歌 | |
■あんたがたどこさ 1
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ せんばやまには狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいとかくす |
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■あんたがたどこさ 2
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ えんまさ えんま山奥狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ 切ってさ 煮てさ 食ってさ お茶の子さいさい |
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■あんたがたどこさ 3
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ えんまさ えんま山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ ちってさ 煮てさ うまかったとさ |
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■一番最初に
一番最初に一の宮 二で日光東照宮 三で讃岐の金毘羅さん 四で信濃の善光寺 五つ出雲の大社 六つ村々地蔵さん 七つ成田の不動さん 八つ高野の弘法さん 十で所の氏神さん これほど信心したならば 浪さんの病気も治るだろう ゴーゴーゴーという汽車は 浪子と武男の別れ汽車 二度と逢えない汽車の窓 泣いて血を吐く ほととぎす |
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■一かけ二かけ三かけて
一かけ 二かけ 三かけて 四かけて 五かけて 六かけて 橋の欄干腰を掛け 遥かかなたを眺むれば 十七、八のねぇさんが 片手に花持ち線香持ち ねぇさん ねぇさん どこ行くの わたしは九州鹿児島の 西郷隆盛娘です 明治十年三月三日 切腹なされた父上の お墓参りに参ります お墓の前で手を合わせ 南無阿弥陀仏と唱えれば 線香の煙が ひーやふーやみーや よーやいーやむーや なーやこーや とうとう一献つきました |
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■上がり下がり明石町の
あぁがり さぁがり 明石町の こくせん紺屋の こことうお ここは高砂ほろろ池 ほろりとほりゃげて なんじゃいな とうおえ 二十え 三十え 四十え 五十え 六十え 七十え 八十え 九十え 百に足らしてまいこのこ |
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■えべっさん大黒さん
えべっさん大黒さん 一に俵ふんばって 二ににっこり笑ろうて 三に酒つくって 四つ世の中よいように 五ついつものごとくに 六つ無病息災に 七つ何事もないように 八つ屋敷を広げて 九つここに家建てて 十でとうとう納まった |
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■一匁の一助さん 1
一匁の一助さん いの字がきらいで 一万一千一百億 いといといとまの お札を納めて 二匁に渡した 二匁の二助さん にの字がきらいで 二万二千二百億 にとにとにとまの お札を納めて 三匁に渡した ・・・(以下十匁までつづく) |
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■一匁の一助さん 2
一匁の一助さん 芋買いました 通りゃんせ 二匁の二助さん 肉買いました 通りゃんせ 三匁の三助さん 酒買いました 通りゃんせ 四匁の四助さん 羊羹買いました 通りゃんせ 五匁の五助さん ごんぼ買いました 通りゃんせ 六匁の六助さん ろうそく買いました 通りゃんせ 七匁の七助さん 菜っ葉買いました 通りゃんせ 八匁の八助さん はっさく買いました 通りゃんせ 九匁の九助さん きゅうり買いました 通りゃんせ 十匁の十助さん 重箱買いました 通りゃんせ |
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■ひいふの三吉 1
ひいふの三吉 昼は馬追い 夜は沓うち お姫さんがた どうでしばらく 山の紅葉を 春と眺めて 五軒茶屋の おとやこんぱん お花やききょうや おいて育てて 育てておいて 朝ま疾うから 赤べべ いわずに いまのこしらえて 稲荷山まで 送った 稲荷山の あれ向こうの これ向こうの 向こうとなりの やたまたづくしの 白壁づくしの お杉女郎に送った そうりゃ先方 受け取り申し そうろうや お姫さんがた どうでしばらく 山の紅葉を 春と眺めて 五軒茶屋の おとやこんぱん お花やききょうや おいて育てて 育てておいて 朝ま疾うから 赤べべ いわずに いまのこしらえて 稲荷山まで 送った 稲荷山の あれ向こうの これ向こうの 向こうとなりの やたまたづくしの 白壁づくしの お秀女郎に送った |
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■ひいふの三吉 2
ひいふの三吉 昼は馬追い 夜はわらかち わらじょりつくる あいやぽんぽん うちの丁稚は 酒飲み丁稚 酒の肴に いわし買うて 焼いて 焼いてこんがらがして 戸棚に入れて 猫に引かれて 猫をおわえまわして しきん〈敷居〉でけつまづいて すってんとんよ とんよ とんよ とんよ とんはとんなべ かかは かんなべ すってんとんよ とんよ とんよ とんよ |
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■ひいふの三吉 3
ひいふの三吉 昼は馬追い 夜さりゃ藁から わらんじづくり りっぽうはっぽうはりやのはなし 小池の千鳥、千鳥の花が 咲いたか 咲かんか阿弥陀坊さん杖ついて通らんせ とっけもない ここちょっと のかんせ のくことなりません |
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■どんどんたたくは 1
どんどんたたくは 誰さんじゃ 新町米屋の 姉さんじゃ 何しにここまで おいでたか 雪駄がかわって 替えに来た どんな雪駄でございます 紫鼻緒の 上雪駄 そんな雪駄はございません あってもなくても あけてんか ますます一たん 貸しました |
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■どんどんたたくは 2
とんとんたたくは 誰じゃいな 新町米屋のぎへいさん あなた今頃何しに おいでたか せきだがかわって 替えに来た どういうせきだでございます むらさきはなごの ちょうせきだ そんなせきだはございません あってものうても かえてんか そりゃそりゃむりじゃ そりゃむりじゃ |
■ひいふのあねさん 1
ひいふのあねさん 十四で嫁入り しろく二十四で子が出来まして 去ねとおっしゃりゃ 去にますけれど もとの十四に しておくれ しておくれ |
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■ひいふのあねさん 2
ひいふのあねさんお供がないとて あなずりなさる 伴は丹波の助一様よ助の土産に何々もろた 一に京箸二におしろい箱 三にさしぐし四に紅まくら あげて一番か〜たびら |
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■ひいふのあねさん 3
一二三四みよの姉さん 十六で嫁入り よめりしそめてはや子ができて いねとおっしゃら今でも帰る もとの十六にしてかやんせ 京から坂から村の若い衆が四、五人みえる じょりもはかんとはだしでみえる わたしのはいとるやぶれじょりかたし あげしか進じよか 殿がないとて侮りなさる 殿は丹波の助一様よ 助の土産は何々もろうた 一に香箱 二におしろい箱 三にさし櫛 しののめの枕あげて 一番かたびら 肩と裾とは れんげ はんげの梅の折枝 中はごでんの袖はし そうではしとは どこで聞こえた 有馬街道の茶屋の娘がにほんてかけと聞こえた 聞こえたからこそ一つでは乳を飲み初め 二つでは乳口はないて 三つでは水を汲みそめ 四つでは用事聞きそめ 五つでは糸を繰りそめ 六つでは機をおりそめ 七つでは七つながらのおさを入れそめ 八つではきんらん織りそめ 九つではここの紺屋へ嫁入りしそめて 十で殿御と寝そめた 十一では花もようさく じさん ばさんの 世話になるから スッテントン とんと豆腐屋の縁の下から 水が出てきて ごばん小袖を流いた 流すほどならわしにくれたら 銭の百両もやるのに |
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■乳を飲みそめ数え歌
一つでは乳を飲み初め 二つでは乳をはなれて 三つではじょじょをはきそめ 四つでは一人遊びなしゃんす 五つでは管を巻きそめ 六つでは機をおりそめ 七つでは木綿機織り 八つではきんらんどんすを織りそめ 九つでは嫁入りしそめ 十で殿御と寝そめた |
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■巡礼おつる 1
一つとや 柄杓と笈摺 杖に笠 巡礼姿で父母を たずにょうかいな 二つとや 補陀落紀州は三熊野の 那智山お山はあたたかに 響こうかいな 三つとや 見るよりおゆみが走り出て 盆にしらげの志 進上かいな 四つとや ようよう西国まいらんす 定めて道中は親御達 同行かいな 五つとや いえいえ私は一人旅 トトさんカカさん顔知らず 逢いたいわいな 六つとや 無理矢理押しやりはなむけを たらして取らせる親心 かわいいわいな 七つとや 泣く子を抱いたりすかしたり なだめて見送る母心 いとしいわいな 八つとや 山越し谷越し観音堂 ここまでたずねてきたわいな さびしいわいな 九つとや 九つなる子の手を引いて じゅうろべえ館の表口 はいろうかいな 十とや 十にもならぬ幼子を わが子と知ったら十郎兵衛が 殺そうかいな |
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■巡礼おつる 2
ひとめに笈摺つりに笠 巡礼姿で父母を たずねよかいな 補陀落紀州は三熊野の 那智山お山は音高き 響こうかいな 見るよりおゆみが走り出て 盆にしらげの志 進上かいな ようこそたずねてござんした さだめしおつれは親御達 同行かいな いやいや私は一人旅 トトさんカカさん顔知らず 逢いたいわいな 無理矢理おっしゃるはなむけを しょうしょうばかりの志 進上かいな 泣く子を抱いたりすかしたり あちらやこちらへ見送って いなそうかいな 山坂笈坂観音寺 はるばる尋ねてきた娘 いなそうかいな 九つなる子の手を引いて じゅうろべえ館へつれていて 殺そうかいな トトさん知らずに殺されて 十郎兵衛 わが子であったかと かなしいわいな いちいちわたしが悪かった こらえておくれやおゆみさん 西を向いては手を合わせ 東を向いては手を合わせ観音様に頑かけて |
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■うちの裏のちしゃの木に 1
うちの裏のちしゃの木に すずめが三羽とまって 一羽のすずめの言うことにゃ むしろ三枚 ござ三枚 あわせて六枚 敷き詰めて ゆうべ迎えた 花嫁さん 襟もおくみもようぬわん そんな嫁なら去んでくれ 明石の浦まで 送って |
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■うちの裏のちしゃの木に 2
うちの裏のちしゃの木に すずめが三羽とまって 一羽のすずめの言うことにゃ むしろ三枚 ござ三枚 あわせて六枚 敷き詰めて よんべよんだ 花嫁に 金襴緞子を縫わしたら 襟とおくみをようつけんで となりのばばさんに笑われて 門に出てはしくしくと 裏へ出てはしくしくと 何が悲して泣きなさる 何も悲しはないけれど わしの弟の千松が 七つ八つから金山へ 金が出るやら出ないやら 一年経ってもまだ帰らず 二年経ってもまだ帰らず 三年三月の九日に 江戸におるとの状が来て 状の上書読んでみしょ 大きい刀は父さんに 小さい刀は母さんに 金の千両はばばさんに 金の千両で倉建てて 倉のぐるりに松植えて 松の小枝に鈴つけて 鈴がじゃんじゃんなるときは 連れて参ろか千松をの 千松を おっと確かに受け取りました ここに今日 天気はよろし 筆もいらん すずりもいらん お花開きの お受け申して となりのとなりのこちのとなりのおさんじょうさん お袖の下から お袖の上まで ちょいと一巻 ちょいと一巻貸しました |
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■うちの裏のちしゃの木に 3
うちの裏のちしゃの木に すずめが三羽とまって 一羽のすずめの言うことにゃ 爺さん婆さんせかんすな 私が十六になったなら 城山崩して 堂建てて 堂のぐるりに 松植えて 松の小枝に鈴さげて 鈴がちゃんちゃんなる音は キジかおかめか 鵜の鳥か あけて見たれば ごぜん鳥 ごぜん鳥 |
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■あんたどこの子
あんた どこの子 お寺の裏の子 夢見たように 大阪姉さん べっぴんさん 京都の姉さんどうどすえ ちいさいねえさん どっこいしょ |
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■よもの景色 1
ひぃ ふぅ みぃ よぅ よも(四方)の景色を春と眺めて 梅にうぐいす ホウホケキョとさえずる あすは祇園のむけちょろめの 琴や三味線 四条で帯買うて 三条でくれて くけたくけ目に 金礼つけて 夜のばんばん 遊びにいてや 夜の若い衆が 帯び引きなさる そないなさるな 帯切れまする 帯は切れても つなごとらくや 縁が切れたら つなぐことできん ここで一番 勝ちました 勝ちました |
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■よもの景色 2
ひぃ ふぅ みぃ よぅ よも(四方)の景色を春と眺めて 梅にうぐいす ホホゥ ホケキョとさえずって 梅と桜は匂いはんがん あした北野の天神さんで 梅と桜をあげたなら 梅はすいてと申されました 桜はよいとてほめられた それで一献かしました めでたいなお盃 さあさあこれから となりの白壁づくりの○○さんにお渡し申〜す |
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■西宮から 1
西宮から 五人連れで 一でよいのが 糸屋の娘 二でよいのが 肉屋の娘 三でよいのが 酒屋の娘 四でよいのが 塩屋の娘 五でよいのが 呉服屋の娘 呉服かたいで えささの道で 鼻緒が切れて どうしょう こうしょう ちょっと 一たん貸せました |
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■西宮から 2
姫路のお城は 名高いお城で 一段上がって 二段上がって 三段上がって 四段上がって 五段上がって 向こう見れば 一によいのは 糸屋の娘 二でよいのは におやの娘 三でよいのは 酒屋の娘 四でよいのは 塩屋の娘 五でよいのは 呉服屋の娘 六でよいのは ろうそく屋の娘 七でよいのは 質屋の娘 八でよいのは 箱屋の娘 九でよいのは 薬屋の娘 十でよいのは 床屋の娘 みんなよい娘 でござる |
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■西宮から 3
あっちの山から こっちの山から きれいな姉さん 五人連れで 一でよいのが 糸屋の娘 二でよいのが 人形屋の娘 三でよいのが 酒屋の娘 四でよいのが 新聞屋の娘 五でよいのが 呉服屋の娘 六でよいのは ろうそく屋の娘 七でよいのは 質屋の娘 八でよいのは 八百屋の娘 九でよいのは 薬屋の娘 十でよいのは 時計屋の娘 受け取った 受け取った さんやのさかづき 受け取った これからどなたに 渡しましょ うちの裏の白壁づくしの お姫様に 渡しましょ 渡しましょ |
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■こくせん今夜は
こくせん今夜はこことまれ ここは丹波のほろろいち あんぐり じゃんぐり ひ〜よひよ ひよひよ車に 十乗せて 二十のして 三十のして 四十のして 五十のして 六十のして 七十のして 八十のして 九十のして 百のして 百目のところで 舞子の子 |
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■わしの大事な
わしの大事なおてまるさんを 紙に包んで文庫へ入れて お錠でおろして お鍵であけて お鍵でおろす おてての下から お渡し申すが 合点か おっと確かに受け取りました |
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■うちの丁稚 1
うちの丁稚は 酒飲み丁稚 酒の肴に いわし買うて焼いて 焼いてこんがらがして 戸棚に入れて 猫に引かれて 敷居で毛躓いて すってんとんよ とんよ とんよ とんよ |
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■うちの丁稚 2
爺さん寒いか するめ買うて来て 焼いてこんがらかして 棚に置いたら 猫がとろとて スッテントン |
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■うちの丁稚 3
隣の爺はいやしい爺で いわしを焼いて 紙に包んで ほっぺへ入れて さぁさ 上の子ども衆 下の子ども衆 花見に行こう 花はどこ花 地蔵の前の 桜花 一枝折れば パッと散り 二枝折れば パッと散り 三枝の坂で 日が暮れて 上の旅籠にとまろうか 下の旅籠に泊まろうか 中の旅籠に泊まったら むしろははしかいし 夜は長いし のみは食いつく 蚊はせせる |
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■とんとんとうだけ
とんとんとうだけ ひびき山だけ 向かい通るは せつろうでないか 鉄砲かついで 雉うちなさる 雉はケンケン 鳴かねば撃てぬ 撃てぬ拍子に 船乗りなろうた 舟はどこへついた 大阪の川へ 大阪土産に 何々もろうた 一に京箱 二におしろい箱 三にさし口 四にしのまくら 一番あげて 聞こえた ちょうど 一献つきました |
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■花の都の
花の都の真ん中の 郵便箱の申すでよ さても忙がし 我らほどに せわしきものは またあらじ 朝はひき明 夜は夜更けまで 出でる飛び出る そのわけたてに ばったりばったりばったりこを さしいで 富士のやすみなし |
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■いちりっとら
いちりっとら らっとげっとし しんがらほけきょの たかちほよ ちょんがめ |
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■いもいもにんじん
いもいも いもいも 人参人参 いも人参 さんしょさんしょ いも人参さんしょ しそしそ いも人参さんしょ しそ ごんぼごんぼ いも人参さんしょ しそごんぼ どんぐりどんぐり いも人参さんしょ しそごんぼどんぐり ななぐさななぐさ いも人参さんしょ しそごんぼどんぐり ななぐさ 蛤 蛤 いも人参さんしょ しそごんぼどんぐり ななぐさ 蛤 栗 栗 いも人参さんしょ しそごんぼどんぐり ななぐさ 蛤 栗 重箱重箱 いも人参さんしょ しそごんぼどんぐりななぐさ蛤 栗 重箱 |
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■じっぽ かっぽ
じっぽ かっぽ かばやの 芋栗山の あいのび あかさのしづくも てんのけみろり 油桶どおけ むかいのさむらい つきのけた |
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■うしろのせ おんさのせ
うしろのせ おんさのせ 大阪しろ しろ しろ煙 おくまさん たいまさん 煙草の目方は百九十目 おまえさんのことならまけとくに あひゃぁ ふや みや よや いや むや なや こや とや 九つ越えて 佐野のお猿さんが 赤いべべがたいそう好きで テテシャン マメシャン 夕べエス講(えびす講)に呼ばれていたら 小鯛のすいもん 小鯛の浜焼き いっぱいおすすろ すすろ 二杯 おすすろ すすろ 三杯目は讃岐の殿さん 魚がないとて おはらをたてて はてな はてな はてはてな ちょうど一献つきました |
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■うらの隠居さん
うちのうらには 隠居さんがござる 猫がまたたく ねずみがうつす かわいタヌキがおぜんだす おぜんだす |
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■おあさ一寸来い
おあさ一寸来い もの言うて聞かしょ われが正月後に 何々着しょぞ 下に緋縮緬 上には羽二重 当世はやりの面の帯を 二重回して 吉弥に結んで 足は白足袋 八つ緒の雪駄 はいて行かんせ どこまでも |
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■三人娘
ひぃ ふぅ みぃ よぅ いー むぅ なな やー この とぅ とふやのかみさん 三つ子を産んで 一人の子を うるしへやったら うるしにまけて おぎゃ おぎゃ おぎゃ もう一人の子を 茶屋へやって 茶のべべ着せて 茶の帯さして 茶々 ちゃや もう一人の子は 紙屋へやって 紙半帖もろて いろはと書いた 天神さんへ上げたら ありゃ誰書いた 八万長者のおと娘 あの子よい子じゃ 器用な子や 器用に育てたお子じゃもの お春一寸来い ちょもめがうせた ちょもめなんすりゃ 川へどんぶりこて 糸くず拾うて 糸につないで 川瀬にかけて はたいもちゃげて こっきりや〜きぃこ |
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■忠臣蔵数え歌
一つとせ 人を見下す師直が かわえ御前に恋慕して 渡そうかいな 二つとせ 深い編笠虚無僧が 刀のせの手の内ご無用と 止めようかいな 三つとせ 身の上知らずの九太夫が 主人の逮夜に蛸魚 はさもうかいな 四つとせ 夜討ちの面々打ち揃い 山と川との合言葉 忍ぼうかいな 五つとせ 猪撃たんと勘平が 狙い定めた二つ玉 はなそうかいな 六つとせ 無理な判官ご切腹 師直切り立て御殿から 騒ごうかいな 七つとせ なむさんきたうで由良之助 力弥が鯉口さんさんと 遊ぼうかいな 八つとせ 屋敷長屋は長者まで 玄関長屋で芝部山 たづにょうかいな 九つとせ 九つ梯子をさしかけて お軽を後から無理矢理に おろそうかいな 十とせ とうとう敵を討ち取って めでたく主人の塚の前 まつろうかいな |
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■よんよんにっしょか
よんよんにっしょか もりか うどん屋の子が心中をしたか 嘘かほんまか まことの事か もうし姉さん 男はないか 男 淡路の米屋の番頭 字もよう書く 算盤も器用な 器用な男に 逢いそめられて ここで死のうか 役場の前で 羽織ぬごとて ヨイヤサ ヨイヤサ 一の丹衆に 二の丹衆 三の丹衆に止められて おかさおかさと 気を誉められて 「春は世間の墓参り 墓の後ろに 鳥がいて 鳥は何ゾと こうこうと」 |
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■岡山 | |
■遊ばせ唄 | |
■あまんだァぶり
あまんだァぶり こだぶり 天の川 スットントン |
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■チョチチョチアワワ
チョチ チョチ アワワ かいぐり かいぐり とっとの目 おつむテンテン ひじトントン |
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■とうすを引け
とうすを引け 米かましょ 米ならよいが 麦じゃった |
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■なだめ唄 | |
■泣く泣くよ
泣く泣くよ 泣く泣くよ 泣けば弱いが すぐわかる すぐわかる 笑いましょう 笑いましょう 笑う門には 福来たる 福来たる 笑いましょう 笑いましょう えくぼついたる あいらしさ 笑う門には 神やどる 神やどる |
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■寝させ唄 | |
■うさぎさんのお耳
うさぎさんのお耳は なぜながい 母ちゃんのポンポン いたときに きゅうりやくさや 食べたゆえ それでお耳が ながいのよ |
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■ねんねんこうろ
ねんねんこうろ こうろの山の うさぎは なぜにお耳が 長いぞ びわの葉を くわえて それでお耳が 長いぞ |
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■この子かわいさ
この子かわいさ かぎりなし 山で木の数 かやの数 天へのぼれば 星の数 沼津へおりれば 千本松 千本松原 小松原 松葉の数より なおかわい |
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■ねんねんころいち
ねんねんころいち ころいちや こうろが山の 雉子の子 泣いてお鷹に とられな 母さん上手な 子守歌 ぼくが小さい 赤ん坊で 泣けばやさしい 母さんは お乳飲ませて ふところに 抱いてねかせて下さった |
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■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ 歌はなにうた 子守歌 里の子守りの 歌きけば おらが父さん 馬引きで 日日毎日 町がよい 朝の家出は 星明かり |
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■ねんねの守りは
ねんねん ねんね ねんねの守りは どこ行った 山越えて 里行た 山の里のみやげに 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 鳴るか鳴らぬか 吹いてみよ ねんねん ねんね |
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■ねんねんねんね
ねんねん ねんね みよちゃんが寝たまに ばぶついて ようよの子に 負わして 高い山を 駈けらすぞ ねんねん ねんね ねんねんする子の かわいさ 起きて泣く子の つらにくや ねんねん ねんよ |
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■ねんねんねんねんよ
ねんねん ねんねんよ ようねんねしたら ばっぽをちいて さめえて ちんぎる ちんぎる 食べさすぞ |
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■ねむれば楽しい
ねむればたのしい夢の国 夢のかけ橋 とんとんと 渡れば楽しい 夢の園 金銀さんごの花が咲く そこにはきれいな鳥もいて 坊やの来るのをまっている |
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■ねんねこさっしゃりませ
ねんねこさっしゃりませ 寝た子のかわいさ 起きて泣く子の ねんころろん つらにくい ねんころろん ねんころろん つらのにくい子を まな板にのせてさ 青菜切るよに ねんころろん じょきじょきと ねんころろん ねんころろん 寝たかねなんだか 枕に問えばさ 枕もの言うて ねんころろん 寝たと言うた ねんころろん ねんころろん ねんねこさっしゃりませ 今日は二十九日さ 明日は一日 ねんころん 宮まいり ねんころろん ねんころろん 明日は宮まいり 赤いべべ着せてさ 乳母に抱かれて ねんころろん 宮まいり ねんころろん ねんころろん 宮に参ったら なんと言うて拝むさ 一生この子が ねんころろん まめなよに ねんころろん ねんころろん まめになりたら 赤いまま炊いてさ ばばがおんぶして ねんころろん お礼まいり ねんころろん ねんころろん |
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■山んだァのじいの子
山んだァのじいの子 じいの銭ゅう盗んで 鯛を買うて食うたげな あんまり塩が辛うて 前の川へとびこんで 水う三杯湯う三杯 合わせて六杯飲んだれば あんまり腹がふとうて 鐘撞堂へとびあがり 屁をプンプンこえたれば 鐘撞堂がくずれて 大きな仏は泣きょうる 小めえ仏は笑ようる 泣きゃんな笑やんな 今度の市にゃ 板三間買うてきて 堂建てて進ぜましょう ア ねんねんや ア ねんねんや 坊やはよい子だ 泣かずにねんねんよ ねんねんよ |
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■こうさか港にゃ
こうさか港にゃ 船がつく その船ついたら 船頭つく 船頭の腰には 金がつく その金 目がけて 賊がつく 賊のけつには くそがつく そのくそかざんで 犬がつく 犬がついたら ワンワン吠えつく かぶりつく かぶりつかれりゃ 傷がつく 傷がついたら ずくずくずくずく うずき出す うずき出したら 床につく 床についたら 医者がつく 医者がついたら 薬つく 医者と薬と看護つきゃ その傷しだいに なおりつく なおりついたら きっぽつく 坊やは泣かずに ねんねしな ねんねしな |
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■ねんねんよねんねんよ
ねんねんよ ねんねんよ よい子ぞ 泣くなよ ねんねんよ 抱くも母ぞ 撫でるも母ぞ よい子ぞ 泣くなよ ねんねんよ 神のよい子を 守らせたもう よい子ぞ 泣くなよ ねんねんよ |
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■高い山で光るは
高い山で光るは 月か 星か ほたるか うら ドーンと鳴るのは 前の川の瀬の音 ドンドラドーンと鳴るのは 前の川の瀬の音 |
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■守り子唄 | |
■守りのつらいのは
守りのつらいのは 霜月 師走 雨の降る日も 風の日も 雨の降る夜は お里がこいし 坊や泣かずに ねんねしなねんねしな |
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■津山のわらべうた | |
■てんてんてん (まりつき歌)
てんてんてん 天神さまのおまつりに てんてんてまりを買いました 買いました てんてんてん 天神さまの石段は だんだん数えて二十段 二十段 段の数ほどつきましょう つきましょう てんてんてん てんてんてまりはどこでつ く梅のお花の下でつく 下でつく てんてんてん てんてんてまりをつくたびに つくたびに 梅のお花が散りました 散りました ■一匁のいんすけさん (まりつき歌) いちもんめのいんすけさん 芋買いに走った 一万一千一百億一とう一とう一とう枚のおふだをおさめて二もんめに渡した 二もんめのに一すけさん にんじん買いに走った 二万二千二百億二とう二とう二とう枚のおふだをおさめて三もんめに渡した 三もんめの三すけさん さんしょ買いに走った 二万二千三百億三とう三とう三とう枚のおふだをおさめて四もんめに渡した 四もんめの四すけさん よもぎ買いに走った 四万四千四百億四とう四とう四とう枚のおふだをおさめて五もんめに渡した 五もんめのごすけさん ごぽう買いに走った 五万五千五百億五とう五とう五とう枚のおふだをおさめて六もんめに渡した ■ひとめふため (まりつき・羽根つき・お手玉歌) ひとめ ふため 都衆(みやこし)嫁御(よめご)は いつきてみても 七重の帯を 矢立に結び 紺屋(こうのや)とんがらし ■ひとろろふたろろ 1 (羽根つき歌) ひとろろ ふたろろ みいみが よことて いつさが むことて なーにが やさしゅて こうのにゃ とお ■ひとろろふたろろ 2 (羽根つき歌) ひとろろ ふたろろ みいみが横丁で いつさか むことり なーにがやさしゅて 紺屋(こうのや) とんがらし ■おしろのさん (お手玉歌) おしろのさん おんしろしろしろ白木屋の お駒さん 才女さん たばこの煙が丈八っつあん 相手にならぬが おこむらさん ひいや ふうや みいや よいつや むや ななや このや とお とんとんたたくは 誰さんじゃ 新町米屋のしげさんじゃ しげさん何しにおいでたら 雪駄(せちだ)がかわってかえにきた おまえの雪駄はどんなんじゃ うこんに紫あいみろど そんな雪駄があるものか あるのにないゆうてくれなんだ やあれ腹立つごうわきじゃ わしが十五になったなら 西と東に蔵建てて 蔵のまわりに松植えて 松の小枝に鈴つけて 鈴がしゃんしゃん鳴るときにゃ 鳴るときにゃ 爺(じじ)さん婆(ばば)さんうれしかろ うれしかろ 父(とと)さん母(かか)さん くやしかろ くやしかろ ■妙願寺の屋根に (てまりうた歌) 妙願寺の屋根に猿が三匹とまっていつちの中の猿がよう物知っとって 一の木 二の木 三の木桜 柳の枝にとんびが止まる 烏も止まる 夜鷹の首を ねんねんねじ上げて おちょろに見せて おちょろはおかち 殿様お馬 いちがたちや槍持ち はさん箱 がたがた 槍の先やべったりこ ■一かけ二かけ三かけて (てまりうた歌) 一かけ二かけ三かけて 四かけて五かけて橋かけて 橋の欄干腰掛けて はるか向こうを見渡せば 十七八のお姉さん 片手に線香 花を持ち 姉さん あなたはどこですか 私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です 明治十年戦争に 討たれて死んだ父上の お墓を尋ねて参ります お墓の前で手を合わせ南無阿弥陀仏と拝みます ■いちれつ談判 (てまりうた歌) いちれつ談判破裂して 日露戦争となりにけり 散々逃げるがロシアの兵 死ぬまで尽くすが日本の兵 五万の敵と戦いて 六人残して皆殺し 七月八日の戦いは ハルピンまでも攻めよせて クロバトキンの首をとり 東郷元帥万万歳 ■ひらいたひらいた ひらいたひらいた何の花がひらいた ごんげの花がひらいた ひらいたと思ったら いつの間にかつぼんだ ひらいたひらいた何の花がひらいた 菜の花がひらいた ひらいたと思ったらいつの間にかつぽんだ ■ことしのぼたん 今年のぼたんはよう咲いた お耳にからげてスットントン もひとつからげてスットント ■のうのうさん なんぼ のうのうざん なんぼ 十三 九つ 十(とお) 三つ まだ年や若いな あの子を産んで この子を産んで 誰に抱かしょ おまんに 抱かしょ おまんはどこ行った 油買いに 茶買いに 油屋の門で 油一升こぼいて すべってころんだ ■お月さん なんぼ お月さんなんぼ 十三 七つ そりゃまだ若いな 紅つけ かねをつけ 庄屋のお婚(かか)に なろかいな ■からす 1 からすかねもん勘三郎 おまえの家(うち)はまる焼けじゃあ 早ういんで水かけにゃ 水うかける杓がない 杓がなけりゃあ貸そうか 借っても借っても よう払わん ■からす 2 からす からす 勘三郎 おばの家に火がついた 銭三文やるけん 杓こうて水かけろ ■こもこもつりのうた こもこも出え こもこも出え お茶にしようや おやどのこがほしけりゃあのこがほしいあのこ1二やわからんこのこがほしい つにしょう 三べんまわって たばこにしょう ■きつねさん (目隠しうた) きつねさん きつねさん あそぽうじゃないか 今お化粧の最中 きつねさん きつねさん あそぼうじゃないか 今勉強の最中 きつねさん きつねさん あそぼうじゃないか 今ごはんの最中 おかずはなあに 蛇にカエル 生きとるか死んどるか ■おじょうさん (縄跳びうた) おじょうさん おはいり ありがとう じゃんけんぼん あいごでしょ 負けたらさっさとお逃げなさい ■もんめ もんめ (集団あそびうた) もんめもんめ 花いちもんめ ふるさとまとめて 花いちもんめ どの子がほしけりゃ あの子がほしい あの子じゃわからん この子じゃわからん 相談しましょそうしましょ ○○ちゃんがほしい なんで行くの おかごでおいで おかごギシギシ おかごで行こう ■子をとろ (集団遊びうた) 子をとろ子とろ どの子がほしけりゃ 親あやっても子はやれん ■京の川瀬の (鬼ごつこ) 京の川瀬の花みずぐるま 水と桜と合わせてみたら 水の流れはほいさっさのさ ■いつちご にんじん (数えうた) いつちごにんじん さんしょにしいたけ ごぽうにむかごに ながいも八つ頭(がしら) くわいにとんがらし ■坊さんどこなら 坊さんどこなら 八塔寺 モンバのももひきゃ ぬくかろう しらみがわいたら かいかろう ■あんたどこの子 あんたどこの子 お寺の村の子 大阪姉さんべっぴんさん 草刈り姉さんどっこいしょ ■ねんねんころころ (子守うた) ねんねんころころ ねんころり 坊やの寝たまに ばつぼ揚(つ)いて ちんぎりちんぎり くわしょうぞ ■ケンケン小薙が (子守うた) ケンケン小薙(こきじ)が今鳴いた ねんねんころころ ころいちや ころがお山の薙の子は 鳴いて夜鷹に捕られなよ 落ちてトンビにすられなと かあさん鳥の子守歌 ねんねんころころ ころいちや ■ねんねこ ねんねこ (子守うた) ねんねこ ねんねこ酒屋の子 酒屋がいやなら 嫁にやろ 嫁入り道具はなになにぞ タンスに長持ち はさん箱 これほど仕立ててやるからに あとへ帰ろと思やんな ■向こうの山を (こもりうた・ことばあそびうた) 向こうの山をお猿が3匹飛びよって 一番先も もの知らず 一番後も もの知らず 真ん中の小猿がようものを 知っとって なまず川にとびこんで なまずう一匹へさえて 手でとるのも可愛いし 足でとるのも可愛いし かわらけのめげで すくうてとって あなたに一切れ こなたに一切れ 嫁にやるのが 足あらいで 根深汁う吸うわして 子を産んだ ■中の中の小坊主は (子守うた) 中の中の小坊主は なんで背がひくけりゃ のうのうさんのまんま喰って 早う大きゅうなれや ■まるやままるてん (手合わせうた) まるやま まるてん どってんしゃを見ればね 見れば見るほど 涙がほろほろ ほろほろ ほろほろ涙をふきましょ ふきましょ ふいた挟は汚いね 汚いね 汚い着物は洗いましょ 洗いましょ 洗った着物は干しましょ 干しましょ 干した着物はたたみましょ たたみましょ たたんだ着物はたんすにピッシャンコ それをねずみが ガージガジ ガージガジ かじった着物は捨てましょ 捨てましょ |
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■広島 | |
飲み明かそうよ 酒は 広島の男意気 肩組み飲めば 広島天国 坂の尾道 涙町 瀬戸内慕情の ああ 船が行く ひとり夜風に 名前を呼べば 星が流れる 尾道水道 知略にかけて 挑む合戦も 大勝の 凱歌に明ける 巌島 |
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■遊ばせ唄 | |
■お月さんなんぼ
お月さんなんぼ 十三九つ そりゃまだ若いな 若屋の薬 薬薬 くすぶった |
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■まんまんさん
まんまんさん まんまんさん あんた年ゃなんぼうか 十三九つ まだ年ゃ若いな 油買うてあぎょうか 元結買うてあぎょうか なんにもいらんよ 銭が十ほどほしいよ その銭ゅう どうすりゃ ガンガン持って参るよ ガンガンの前で マンマンアン マンマンアン |
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■寝させ唄 | |
■守りはどこ 1
ねんねんや ねんねんや ねんねんお守りゃ どっち行った ありゃ里に 茶茶買いに 茶茶買うたら はよもどれ はよもどらにゃ 去んでくれ どっち通て 去のか あっち通て 去のか あっちもこっちも 山山 山越して 里越して どんどへ参る道にゃ 尾のない烏が チラホラ言いよった |
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■守りはどこ 2
ねんねんや ねんねのお守りは どこ行った ありゃ里へ 茶茶買いに 茶茶買うたら はよもどれ はようもどらにゃ 去んでくれ 年をとって 去のうか 橋をとって 去のうか あっちもこっちも 山山 山を越して 里に出て どんどへ参る道にゃ 尾のない鳥が ケラケラ言いよった |
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■守りはどこ 3
ねんねん子守りは どこ行った ありゃ隣い 魚売りに 茶茶飲んだら はよもどれ はよもどって 子をせかせ 子せかさんにゃ 去んでくれ どっち通て 去のうか 上通りゃ 雷が降る 下を通りゃ 霜が降る ねんねんや ねんねんや |
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■守りはどこ 4
ねんねこせ たんたこせ ねんねん寝た子の かわいさ 起きて泣く子の 面憎や ねんねこせ たんたこせ ねんねのお守りは どこ行た ありゃ隣の 茶茶飲み 茶茶飲んだら かあもどれ かあもどらにゃ 去んでくれ 去んだら 何を食しょうぞ 棚の柱 かぶらいせ 棚の柱 固いよ 固けりゃ 焼いて食わいせ ねんねこせ たんたこせ |
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■守りはどこ 5
ねんねんやあ こうこうやあ ねんねんやあ こうこうやあ ねんねん守りは どこへ行た あありゃあ お里へ茶茶飲みに 茶茶飲んだら はよもどれ はよもどって 子をすかせ 子をすかさにゃ 去いね去ね ねんねんやあ こうこうやあ |
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■里のみやげに 1
ねんねんころりや おころりや 坊やのお守りは どこへ行った あの山越えて 里越えて ばあさんのお里へ 行ったとさ 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 |
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■里のみやげに 2
ねんねんよ ねんねんよ よい子だ 泣くなよ ねんねんよ ねんねのお守りは どこに行った あの山越えて 里越えて 里のみやげに 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 たたいて聞かしょか ドンドコドン 吹いて聞かしょか ピーロロロ ねんねんよ ねんねんよ |
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■竜泉寺の鐘
ねんねしなさい おやすみなさい 鳥がうとうたら 起きなさい 鳥がうとうても まだ夜が明けぬ 明けりゃ竜泉寺の 鐘がなる 鐘が鳴る鳴る 竜泉寺の鐘は 茶碗たたくような 鐘が鳴る |
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■ねんやころいち
ねんやころいち 天満の市に 大根揃えて 船に積む 船に積んだら どこまで行きゃる 木津や難波の 橋の下 橋の下には お亀がいるよ お亀とりたや 竹ほしや 竹がほしけりゃ 竹屋へ行きゃれ 竹はゆらゆら 由良之助 泣くな なげくな 三月にゃ戻る おそし 四月の中頃に 一夜こけて来い 菜種の中に 菜種折らんように こけて来い 大阪道頓堀 竹田の芝居 ぜぜは安くて おもしろい ねんねんころころ ねんころや ねんねんころころ ねんころや |
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■ねんねこしゃっしゃりましゃ
ねんねこしゃっしゃりましゃ 今日は二十五日 明日はこの子の宮参り 宮に参ったら 何というておがみゃ 一生この子のまめなよに まめな時にはよ かっぽれ着せて おんばに抱かれて乳のましょ ねんねん子守りすりゃ 楽なよでつらい 人に楽なよに思われて (下略) |
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■ねんねん山のうさぎは
ねんねんや ねんねんや ねんねん山のうさぎは なぜにお耳がお長いの 親の腹におる時に 枇杷の花をくわえて それでお耳がお長いの ねんねんや ねんねんや ねんねんねんねん ねんねんや |
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■ねんねこさんねこ
ねんねんねんねん ねんねんや ねんねこさんねこ 酒屋の子 酒屋がいやなら嫁入さそ 嫁入の支度は なに支度 たんす長持 挟み箱 それほど揃えてやるものを 窓からたたき出して ひねり出せ ねんねんねんねん ねんねんや |
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■今日は二十五日
ねんやさせましょ 今日は二十五日 明日はこの子の誕生日 誕生日には 豆の飯炊いて 一生この子の まめなよに 一生この子の まめなよに ねんねんねんねん ねんねんや ねんやころいち 今日は二十五日 明日はこの子の宮参り 宮に参ってから 何と言うておがむ 一生この子の まめなよに 一生この子の まめなよに ねんねんねんねん ねんねんや |
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■ねんねこさかもちゃ
ねんねんよう こっこうよ ねんねんよう こっこうよ ねんねこさかもちゃ よいちが子 よいちが子にゃ 負わせて あっちの山には ほろほろ こっちの山にゃ ほろほろ ほろほろ山の きじの子 鳴いたら夜鷹に とらりょうぞ ねんねんよう こっこうよ ねんねんよう こっこうよ |
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■寝たら餅を
ねんねん ねんねん ねんねんよ ねんね子守りは どこ行った 寝たら餅を 搗いてやる 起きたら灸を すえるぞ ねんねん ねんねん ねんねんねん |
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■寝たらおもちゃを
ねんねんよ ねんねんよ 寝たらおもちゃを 買うてやろ 起きたらもうもに かぶらすぞ |
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■寝た子の可愛らさ
ねんねんころりや ねんころり ねんねん寝た子の 可愛らさ 起きて泣く声の 面憎さ どこを通って 去のうか 高いとこを通って 去のうか 高いとこにゃ 鷹がいる 低いとこを通って 去のう 低いとこにゃ ひきがいる くぼいとこを通って 去のう くぼいとこにゃ 蜘蛛がいる ねんねんころりや ねんころり ねんねん寝た子の 可愛らさ |
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■うちの裏には
うちの裏には 茗荷が二本 冥加めでたや 福貴繁昌 冥加めでたや 福貴繁昌 ねんねんねん ねんねんねんや 一夜天満の かやつり草よ 親の意見と 思い草 親の意見と 思い草 ねんねんねん ねんねんねんや |
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■わらべ歌 | |
■「たなばたのかみさんが」
たなばたのかみさんが たなからおちて はいもぐれ うりやなすびが きげんとる [ かみさん=神さま。「はいもぐれ」とは灰にまみれたという意味。] 七夕といえば織姫と彦星。この七夕は6世紀頃の中国でのお話が基となっているそうです。古来中国では7月7日に魔よけの行事を行っており、これが織姫と彦星の話と結びつき、七夕の行事となりました。日本伝わったのは平安時代で、宮中行事の一つとして行われていました。祭壇には「うり、なすび、桃、梨、酒盃(さかずき)、大角豆(ささげ)、蘭花豆(らんかず)蒸しあわび、鯛」がそれぞれ盛られて並びます。 遊び方 / 円になり、中心に七夕の神さまを一人おきます。「たなばたの〜たなからおちて」で円の人は右に回ります。(神さまは好きなポーズをしましょう) 「はいもぐれ」で円の人も神さまもその場にしゃがみます。もう一度「たなばたの〜」歌い、今度は左に回ります。「はいもぐれ」の部分は同じです。「うりやなすび〜」では両手でお皿の形を作り、お供え物とします。(中心にいる神さまのご機嫌をとりましょう) 神さまは気に入ったお供え物のところで交代して下さいね。 |
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■「おつきさんなんぼ」
おつきさんなんぼ じゅうさんここのつ そりゃまだわかいよ あぶらこうてあぎょうか もっといこうてあぎょうか なんにもいらんよ ぜにとこめがいっちすき [ こうてあぎょうか=買ってあげようか/もっとい=元結(髪を束ねるヒモ)/ぜに=お金/いっち=いちばん ] とってもシビアな歌だと思います(笑)でも素直な子どもの心が見え隠れするようでもあります。お月様をみたらこの歌を思い出してください。 |
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■鳥取 | |
離しはしない 離れはしない ああ 鳥取 鹿野橋 ふたりの恋物語 受けた情は 返さにゃならぬ ゆくぜ真実 一路の旅を 因幡の虎蔵 火を羽織る |
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■遊ばせ唄 | |
■次郎や太郎や
次郎や太郎や どこへ馬つないだ 南蛮畑の梨の木につないだ なに食わしてつないだ わら食わしてつないだ わらの中見れば 小さい小袖が三つ三つ 三つんなる小僧が お寺から下りてきて なに着ゅうとおっしゃる 袴あ着ゅうとおっしゃる 袴のすそに 何型つきょうやら 熟柿 まぐれ 里柿 はんなの枝に すずめが一羽 からすが一羽 とびが一羽 すずめはチュンチュン チュンのもの からすはカアカア カンのもの とびは熊野の鉦たたき 鉦たたき |
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■ゆうべ生まれた坊主子が
ゆうべ生まれた坊主子が 納戸の唐紙あけて出て じいさんばあさん 泣かしゃんな おれば十五になったれば この山崩いて堂建てて 堂のぐるりにごままいて ごまは仏のきらいもの 油は仏のおみあかし おみあかし 堂のぐるりに松植えて 松の梢に鈴つけて 鈴がチャンチャン鳴るときは じいさんばあさんうれしかろう |
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■ねんねこねんねこ
ねんねこねんねこ ねんねこや りんかのこの人 この人 出家を害する手だてだ 早く 早く 山 山 |
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■寝させ唄 | |
■ねんねんころろん
ねんねんころろん ねんころりーイ 坊やはよい子だ ねんねしなーア 坊やが寝たまに バボついてーエ 起きたらさまして 食わせるぞーオ ねんねんころろん ねんころよーオ |
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■ねんねんころりよ 1
ねんねんころりよ ねんころりーイ 坊やのお守りは どこへ行たーア あの山越えて 里へ行たーア 里の土産は 何もろたーア でんでん太鼓に 笙の笛ーエ おきゃがり小法師に 犬張子ーオ |
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■ねんねんころりよ 2
ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな ねんねんころりよ おころりよ 坊やの子守りは どこへ行た あの山越えて 里越えて 坊やの土産を 買いに行た 里の土産は 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 鳴るか鳴らぬか 吹いてみよ ねんねんころりよ ねんころり |
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■ねんねんころりや
ねんねんころりや さんころり よい子じゃ よい子じゃ よい子じゃな ねんねんころりや さんころり 酒屋のいとさん 乳飲ましょ お乳がいやなら 嫁行かしょ お嫁の道具は 何道具 たんすに長持 はさみ箱 これほど手つけてやるものに されとてもどるな こりゃ娘 されとてもどろた 思わねど 千石積んだる船でさよ 風の吹きよで 舞い戻る 行ってみりゃ 殿御の気を知らず 行ってみりゃ 舅の気を知らず ねんねんころりや さんころり |
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■守り子唄 | |
■この子あよい子だ
この子あよい子だ ぼた餅顔で 黄粉つけたら ハ なおよかろ |
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■だんなよう聞け
だんなよう聞け おかみさんはなおと 守りいためりゃ コリャ 子に当たるよ |
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■寝た子かわいや
寝た子かわいや 起きた子は憎いよ 起きて泣く子は 面憎い あまり泣かしゃんすな 泣くときゃ親御さんが たたいたか つめったか 思わさる |
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■関の姉やちゃ
関の姉やちゃ 子が無あて悲しいよ お客子ねして 抱いて寝る 憎いやつめが 目の先ほててよ 三丁小刀で 刺し殺し |
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■わらべ歌 | |
■法師、法師どこの子 (植物の歌・鳥取市伏野)
法師 法師 どこの子 スギナのまま子 一本法師は 出んもんだ 二本三本 出るもんだ 鳥取県下では、春先に野山に自生しているツクシのことを法師と呼んでいる。それはツクシの頭がお坊さんに似ているところから出た命名であろうかと思われる。やがてこのツクシは、しばらくするとスギナに変わって行く。そこを人々は想像をたくましくして「スギナのまま子」とたとえて歌にしているのである。鳥取県下に類歌は多く、詞章の発想は同じである。 法師ゃどこの子 スギナのまま子 おじの銭ぅ盗んで タイを買うて食ろうて タイの骨が喉んつまって ガアガアとぬかいた (鳥取市用瀬町宮原) 法師 法師 出串(でぐし)スギナの孫子 親子三人 ちょいと出え (溝口町溝口) 島根県下での収録は、わずか一例しかない。 彼岸坊主は どこの子 スギナのかかあの オト息子 (桜江町川越) 春の彼岸時分に顔を出すツクシを見て、スギナのお母さんの一番下の子であろうとしているのである。わたしはわが国が第二次世界大戦に突入した昭和16年に国民学校に入学しているが、そのときの国語の教科書に次の歌が掲載されていたのを思い出す。 ぽかぽかと あたたかい ひに つくしの ぼうやは めを だした つくし だれのこ すぎなの こ なぜか知らず、子ども心ながら、わたしはこの素朴な詩を好んでいた。わたしは当時、大阪に住んでおり、そこでこの詩を学んだのである。戦争はしだいに激しくなって行き、わたしは終戦の年の春、父のふるさと松江市へ家族そろって疎開してきた。そして郊外で初めてツクシやスギナの実物を見る機会を得たのであった。これが教科書に出ていたあのツクシやスギナかと、わたしは懐かしいものでも見るような気分で、それを眺めたことを思い出す。そのときは戦争の厳しさについても、しばらく忘却していたのであった。それにしても、戦時中でありながら、教科書に載せられていたこの詩もまた、山陰両県で見つけた穏やかな伝承わらべ歌の心と全く同じであったのである。 |
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■丸山まるてん (手遊び歌・鳥取市福部町)
せっせっせ 丸山まるてんドッテンショと 見ればね 見ればね 門の扉におさよと 書いてね 書いてね おさよ挿したる 八重歯の 櫛はね 櫛はね だれにもろたか 源治郎さんに もろたかね もろたかね 源治郎このごろ 歯医者にごめんね ごめんね そこでおさよが 涙をぽろぽろ ぽろぽろ 遊び方はこの詞章からもお分かりいただけると思うが、二人が向かい合って「せっせっせ」と手を合わせ、次いでうたいながら詞章に合わせて、その動作を行うものである。類歌は、山陰の地でもあちこちで収録できたが、島根県石見地方、江津市桜江町の歌を挙げておきたい。 せっせっせ 丸山土手から 西も東も見ればね 見ればね 盆の月がたおさよさんが 書いている 書いている おさよさしすせ 笄(こうがい)お櫛(くし)をね お櫛をね だれにもろたか 源治郎(げんじろ)さんに もろたかね もろたかね もろた源治郎さんは はり者(しゃ)で困るね 困るね 出ている涙は 絞り端ゅをもんでいる もんでいる 大阪鉄砲 コウ鉄砲 スッポロポンのポン この歌もかなり古いもののようで、江戸時代のわらべ歌を集めた岡本昆石編『あづま流行時代子供うた』(明治27年刊)にも、類歌が次のように紹介されていた。 「大丸(だいまる)土手から東を見れば、門の扉におとはと書(かい)て、おとハ差したる水牛(すいぎゆ)の櫛は、誰に貰(もら)たと詮議(せんぎ)をすれば、清五郎男(をとこ)におとはが惚(ほれ)て、惚(ほれ)て間もなく身持(みもち)になつて、やアレお医者さん、ソヲレお医者さん、お手(てゝ)が利(きか)ぬ、ねんねんころり牡丹(ぼたん)の花よ、桜の花よ、先(ま)づ先づ一貫 貸しまアゝした。」 ただし、ここでは手遊び歌ではなく、手まり歌として出ていたのであった。 |
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■夏年変わらず (手まり歌・鳥取市福部町左近)
夏年変わらず 冬年変わらず うちのだいじな お手まるさんを 海のもくさに 五つにまわして これからどなたに 渡しましょいな 向こうの花子さんの お手のおひざに おしかしっかと渡いた はいはい 受け取り申したわいな ゴムまりなどのまだ現われなかったころ、手まりは母や祖母たちが、かわいい娘のために夜なべ仕事に、くず糸などを巻いて作った、自家製のものだった。その苦労を知っていた女の子たちは、それだけに手まりをとても大事にしていたのである。この歌にもそのような気持ちがあふれている。次の二つの歌も同様の心の通っているものである。 まず、鳥取市福部町湯山のもの。 小母(おば)にもろうた絹糸手まる つけば汚れるときどき変わる 川に流せば柳にとまる 柳切りたし川柳 川柳 これでいっこう貸せました 次に智頭町波多のもの。 手まりよう来た おすべり煙草 煙草のむ間にゃ お茶々が煮える お茶々煮える間にゃ おかずが煮える おかず煮える間にゃ おままが煮える スットコトンや また百ついた また千ついた |
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■向こうの向こうのすすき原 (てまり歌・鳥取市福部町左近)
向こうの向こうのススキ原 親がないかや 子がないか 親もござるに子もござる その子に離れて十五日 十五日参りをしょと思って 姉さん父さん ちょっと寄って 姉さん姉さん かたびら一枚貸してえな あるのにないとて貸せなんだ 大腹だちや 大腹だちや 西の紺屋に一反と 東の紺屋へ一反と 染めてくだされ紺屋さん 染めてあげます何色で 紺と石蝋に染め分けに 染め分けに ちょいと百ついた 手まり歌の中には、どこかわびしい内容のものがときおりある。この歌もそのような一つであろう。ただ、内容は子どもの歌特有の連鎖反応的なつながりで、次々と話題が転換してゆくので、最後のところでは、特にわびしさの伝わってこないところがおもしろい。ところで、伝承者の住所は、鳥取市福部町左近であったが、ご出身は近くの兵庫県美方郡浜坂町である。したがって、あるいは鳥取県東部として紹介したこの歌は、兵庫県のものとした方が適当かも知れない。ただ、鳥取県内でもよく似た歌があるので、鳥取市の歌として紹介した。 そのような類歌は、中部の倉吉市に次のように存在している。 向こうお山の白ツツジ親がないかや 子がないか 親もござんす 子もござる 殿御に離れて今日七日 七日と思えば十五日 十五日(じゅうごんち)参りをしょと思(おも)て おばのところに かたびら一枚借りにったら あるのにないとて 貸さなんだ やれやれ腹たつ 腹がたつ 西の紺屋(こうや)に一反と 東の紺屋に一反と 染めてください紺屋さん 染めてあげます 何色に ウコンに紫 浅黄色 浅黄色 両者を比べて見ると、確かによく似ている。距離が離れていながら、どのような経過でこれらの歌は伝承されるのか、いつの間にかちゃんと伝えられ、その土地に根を下ろしてしまうのである。その不思議さを考えるにつけても、このような伝承わらべ歌の世界から、私はなかなか抜け出せないわたしなのである。 |
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■お月さんなんぼ (天体の歌・鳥取市福部町湯山)
お月さんなんば 十三七つ 七織り着せまして 京の町に出いたらば 鼻紙落とし 笄落とし 鼻紙 花屋の娘がちょいと出て拾って こうがい 紺屋の娘がちょいと出て拾って 泣いてもくれず 笑ってもくれず とうとうくれなんだ 月を見てうたう歌。本県でもこの類の歌はかなり見つかったが、いろいろな形に変化しているところが特徴といえる。この歌は県内では東部に限られた型のようである。兵庫県からお京都へ続いて伝わっているようで、兵庫県浜坂出身の方からもうかがったし、京都までもよく似た形で伝えられていることが分かっている。 なお、江戸前半、元禄文化盛んな頃に生まれた鳥取藩士の野間義学(野間宗蔵とも。[1692-1732]は、因幡地方で歌われていたわらべ歌を筆録した『古今童謡』を残しているが、ここにも以下のように載せられている。 お月さまなんぼ 十三七つ 七織り着せて 京の町に出いたれば 笄落とす 鼻紙落とす 笄 紺屋の拾う 鼻紙 花屋が拾う 泣けどもくれず 笑うてもくれず なんぼ程な殿じや 油壺からひきだいたような 小男 小男 ところが、伯耆になると「七織り着せて」の形は影を潜め「尾のない鳥」に変わって行く。大山町国信では、 お月さんなんぼ 十三ここのつ そりゃまんだ若い 若もござらぬ いにとうござる いなはる道で 尾のない鳥が 油筒ぞろぞろ飲んで よい子を生んで お万に抱かしょか お千に抱かしょか お万は油屋の門で 滑って転んで 徳利投げた 県境を越えた松江市にもそれは続いている。松江市生馬町の例を挙げる。 お月さんなんぼ 十三ここのつ そりゃまんだ若いの 若うもござらぬ いにとうござる いぬたかいなされ いなさる道で 尾のない鳥が 油筒くわえて あっちの方へホキホキ こっちの方へホキホキ |
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■下手の子どもさん (手まり歌・鳥取市佐治町尾際)
下手(しもで)の子供さん 上手(jかみで)の子供さん 花折りにいかいな 何花折りに 庚申花折りに 一本折っちゃぴーんとし 二本折っちゃぴーんとし 三本目に日が暮れて 新し小屋に泊まろうか 古小屋に泊まろうか 新し小屋に泊まって 朝起きて見たら 猿が三匹跳びおって 後の猿も物知らず 先の猿も物知らず 中の猿が物知って なまず川に飛び込んで なまず一匹へーさえて 堂の隅(すま)に持ってって ぎーちゃぎちゃと刻んで あなたに一切れ こなたに一切れ お万がたらん お万はどうした 油屋に行きた 油一升買うて 油屋の角で油壷落として その油どうした 犬がなめてしまった その犬をどうした ぶち殺いてしもうた その皮どうした どうに張ってしもうた あっちをたたきゃあ ドンドンドン こっちをたたきゃあ ンドンドンぶち破ってしもうた 手まり歌の中でも豊かな想像力を駆使して作り上げられた代表的なものである。子供たちはいつしか歌の中の主人公に、自分を置きかえて楽しんでいたのだろう。 さて、「向こうの山を猿が三匹跳びよって…」で始まる歌なら、他の地方でもよく聞くが、「下手の子供さん…」の出だしを持つのは、鳥取県東部地方だけに集中している。 それはそれとして、この歌の構成を眺めると、主人公は次のように変化している。すなわち、子供→猿→お万→犬という具合である。 一種の連鎖反応的な変化とでもいえる、この主人公の交代こそ、わらべ歌の特色の一つであろう。子供たちの想像力は、次々と飛躍して一カ所に留まるのをこころよしとはしない。 類歌を見ると、鳥取市末恒町や八頭郡智頭町波多でも「下手の子ども衆、上手の子ども衆」で始まり、ほぼ同様の詞章である。また福部村左近では「上(かみ)どいの子供衆、下(しも)どいの子供衆」。岩美郡岩美町田後では「下(しも)じゅうの子供衆、上(かみ)じゅうの子供衆」となっている。そして後半部分は「裏の山から(向こうの山から)猿が三匹出た出た」などと変化してしまうという筋書きになる。 さらに鳥取市赤子田町では、犬の皮を破った後、 その破れどうした 雪駄にはってしまった その雪駄どうした あっちにチャラチャラ こっちにチャラチャラ 履き破ってしまった その破れどうした あっちにゴロゴロ こっちにゴロゴロ 川に流してしまった となっている。かつての子供たちの想像力のすばらしさをこれらは示しているのではなかろうか。 |
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■どんどんが いちどんどん (手まり歌・鳥取市佐治町尾際)
どんどんどんが いち どんどん どんどんどんが にい どんどん どんどんどんが さん どんどん どんどんどんが しい どんどん どんどんどんが ごお どんどん ざくろ一匁 ざくろ二匁 ざくろ三匁 ざくろ四匁 ざくろ五位上がり 千文ざいが一匁 千文ざいが二匁 千文ざいが三匁 千文ざいが四匁 千文ざいが五匁 箒はき一匁 箒はき二匁 箒はき三匁 箒はき四匁 箒はき四匁 五位上がり こっちの国道の 小国の国道で よう一ぺんくぐった こっちの国道の 小国の国道で よう二へんくぐった こっちの国道の 小国の国道で よう三べんくぐった こっちの国道の 小国の国道で よう四へんくぐった こっちの国道の 小国の国道で よう五へんくぐった いっちょ貸した かなり長編の手まり歌である。これだけ長い歌をうたいながら、途中で失敗せずに手まりを続ける技量は、なかなかのものであろう。 同じような仲間を捜してみると中部の倉吉市で見つかった。 どんどんどんが いち どんどん どんどんどんが にい どんどん どんどんどんが さん どんどん (歌い手:大正3年生まれ) この調子で続けて行ける歌ではあろう。しかし、佐治町の歌に比べると、非常に短い。他の町村の歌を見ても同様に短いものが多いようである。東伯郡琴浦町野井倉では「大どんど小どんど じゃくろ花が一匁…」というのがあったが、これにしてもそう長いものではなかった。 ここらで歌い手の手まりについての思い出を述べておこう。「昔の手まりは、かがって作ったものである。10歳のとき、東京から大きな花ゴムまりを買ってきてもらった。中からはチンチン音がした。とてもうれしく、友達と二人で、日曜日になると朝から晩までついて遊んだものである。当時、このような手まりは、このあたりで持っている者がなく、仲間から羨ましがられたものだった。」以前の子どもたちの素朴な喜びが目に見えるようである。 |
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■ねんねんころりよ おころりよ (子守歌・鳥取市佐治町尾際)
ねんねんころりよ おころりよ 坊やは良い子だ ねんねしな ねんねんころりよ おころりよ 坊やのお守りはどこへいた あの山越えて 里越えて 坊やの土産を買いにいた 里の土産は何もろた デンデン太鼓に笙(しょう)の笛 鳴るか鳴らぬか吹いてみよ ねんねんころりよ ねんころり これは一般的に知られている子守り歌で、寝た子に対して「里の土産に何もろた、デンデン太鼓に笙の笛」系統のものである。続いて鳥取県西部地区の大山町の歌。 ねんねこやー あ ねんねこやー ねんねのお守りはどこへいた 山越え谷越え里に行た お里の土産に何もろた デンデの太鼓に笙の笛 鳴るか鳴らぬか吹いてみよ 張り子の虎や熊のじに それほどもらって何にする 何を駿河(するが)の富士の山 富士はよい山 高い山 山ほどみごとに育つよに あ ねんねんこしょ あ ねんねこしょ ねんねこせー 寝た子の顔見りゃ可愛てならぬ 起きて泣く子はつらにくや あ ほんちょの玉子だ ねんねしょ ねんねしょ あ ねんねこせー この方は後半部分がなかなか変化に富んでいる。詞章で「張り子の虎」は分かるが、「熊のじ」となるとはっきりしない。また「ほんちょの玉子」も同様である。あるいは「玉子のようにかわいい子だ」というような意味なのかも知れない。 次に島根県石見地方、邑智郡川本町の例。 ねんねんころりや おころりや 坊やのお守りはどぉこいた あの山越えてさぁといた 里の土産になにもろた てんてん太鼓に笙の笛 たたいて聞かしょか テンテンと 吹いて聞かしょか ピイロロロ 泣かん子には聞かせるが 泣く子には聞かせんよ ねんねんねんねん ねんねんや 後半部分で、泣く子を嫌い、泣かない子を好む詞章については、大山町の場合と同じなのである。 |
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■山の奥のはまぐりと (言葉遊び歌・鳥取市佐治町尾際)
山の奥のはまぐりと 海の底の勝ち栗と 水で焚いて 火でこねて あしたにつけたら 今日治る ああおかし 現実にはあり得ない内容をうたって楽しんでいた、かつての子どもたちの姿が想像できる。日本人の歌としては珍しくユーモアがある。東北地方では同類が早物語とかテンポ物語などと称され、早口で語る語り物として存在している。 また、江戸時代には井原西鶴の『世間胸算用』巻四、第三話「亭主の入替り」の最初、乗合船の様子を述べているが、そこで「不断の下り船には世間の色ばなし・小唄・浄瑠璃・はや物語…」とあり、ここからも当時流行していた民間文芸であったことが推定される。 ここで『日本歌謡集成』(巻12)にある三重県名賀郡の雑謡を紹介しよう。 「西行法師という人は、始めて関東へ上るとき、のぼるがうそぢゃ下るとき、水なし川を渡るとき、こんにゃくせ骨であしついて、豆腐の奴(やっこ)でのどやいて、どこぞこゝらに薬がないかと尋ねたら、尋ぬれやない事はござんせん。山口はいたるなまわかめ、畑ですまひする蛤が、海にあがりし松茸と、夏ふる雪を手にとりて、水であぶりて火でねりて、あしたつけたら今日なほる。」 この後半部分と、佐治町の歌を比較してみると、やはりどこか関連を感じさせる。そうして見ると、このような早物語が、山陰では一つは子どもの「ことば遊び歌」という形で定着していると考えてよいようである。 ところで、わたしは島根県隠岐郡西郷町益見で「相撲取り節」として以前収録したのが、ちょうど今回の歌に関連していた。つまり、鳥取県ではわらべ歌となっているのが、島根県では大人の民謡である「相撲取り節」として、その命脈を保っているのである。次に紹介してみよう。 寺の坊主が修行に回る 水ない川を渡るとき クラゲの骨をば足に立て コンニャク小骨を喉に立て 豆腐の小角で目鼻打ち これに薬はないかいと そこ通る娘に問うたなら このまた娘がちゃれたやつ これに薬はいろいろと 千里奥山蛤と 海に生えたる松茸と 水のおく焼きして延べて 明日(あした)つければ 今日治る これはまたさきほどの三重県の雑謡とそっくりである。そして鳥取県佐治町の「ことば遊び歌」の後半部分ともまた関連のあることは説明するまでもなかろう。 このようにして庶民の世界においては、いろいろな種類の歌に姿を変えながら、伝承歌は命を永らえ続けているのである。 |
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■カラス カラス 勘三郎 (動物の歌・鳥取市鹿野町鹿野)
カラス カラス 勘三郎 親の家が焼けるぞ 早いんで 湯うかけ 水うかけ 夕焼け空の中をねぐらをさして急ぐカラスのシルエットは、もともとカラスの黒い身体がいっそう黒く強調されて不思議なロマンが漂う。そのようなことからか、カラスは子供たちにはとりわけ親しまれた鳥といえるのではなかろうか。 ところで、大人では、「カラス鳴きが悪いと、近く死人が出る」とか「カラスがカーァと長く鳴くと近く死人が出る」など、どこか不吉な前兆を呼ぶ鳥とイメージされ、子供の感覚とはずいぶん違うようである。 一方、カラスは神の使いなどの霊鳥として意識されていることもある。島根県西の島にある焼火神社の主祭神である焼火の神が、その場所に収まられるのに、カラスが道案内をしたという伝説などがその例であろう。鳥は天界と人の世界を結ぶ存在として昔から考えられていた信仰が、カラスの両極端な言い伝えになっていったものであろう。 さて、この歌は夕焼け空をカラスの家の火事による炎と捉えている。類歌は各地でうたわれている。また、「親の恩を忘れるな」というものも中部から西部にかけて認められる。試みに岸本町久古のものを紹介しよう。 カラス カラス 勘三郎 親の恩を忘れんな これなど現代の子供たちに少し味わってもらいたいような感じがする。今ひとつ、「鉄砲撃ちが…」というタイプの歌が東部から中部にかけて認められた。岩美町田後の歌をあげておく。 カラス カラス 勘三郎 後先に鉄砲撃ちが来ようるぞ 早いんで 水かけ 樽かけ ドーン ドン 以上あげた三種類のものが、おおむねカラスを見てうたう歌である。もちろんこれらはかなり昔からうたわれていた模様で、そのような資料もいろいろあるが、ここでは江戸の資料として一七九七年に出た『諺苑(げんえん)』に出ている類歌を、現代かなづかいに直して紹介しておく。 カラス 勘左衛門 うぬが家が焼ける 早く行って水かけろ 水がなくば湯かけろ このように記されており、注釈として「夕方カラスが森に帰るのを見てうたう」となっている。 これは冒頭に紹介した鹿野町の歌に驚くほどそっくりではないか。今も昔も、子どもの発想は変わらないといえるのだろう |
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■唐土の鳥が、日本の島に (歳時歌・鳥取市青谷町北河原)
唐土の鳥が 日本の島に渡らぬ先に ナズナ 七草そろえて 杓子の上持って スットコテンとはやいて ホーイ ホイ 正月6日の晩、七草を神に供え、悪いものを鳥に例えて鳥追いをする行事が昔は盛んに行われていた。鳥取市末恒の女性(1902年生)の話では、親の代くらいまでそれを行ったといい、父がまな板を餅搗き臼の上へ持って行き、七草を載せ、スリコギでがちゃがちゃいわせながらしたという。そのときにはこの歌をうたい3回繰り返したという。 同じく鳥取県東部の鳥取市福部町左近出身の女性(1906年生)は、トリノスの上へ七草を載せ、亭主がシャモジ、火箸、スリコギでたたきながらこの歌をうたったと語っている。 似たようなことだが、琴浦町成美出身の女性(1920年生)の話では、6日の夜、豊作を祈って鳥追いをした。トシトコさんにおじいさんの採ってきた春の七草のほか、スルメ、餅、スリコギとご飯シャモジ、火箸などの供えものをして、子どもたちが唱えた。なお、七草は芹を七枚採って来ることによって代用していた。また、おじいさんは30年くらい前に亡くなったので、以後はしていないという。 この歌の歌い出しに注目すると、二つに分かれるようだ。一つは鳥が登場しても「唐土の鳥…」とはじまるものと、他方は「日本の鳥…」とはじまるものとである。鳥取県では東部に「唐土の鳥…」とうたい出すものが多く、「日本の鳥…」とうたい出すものは中部や西部に多かったようである。米子市尾高のものをあげておく。 日本の鳥は唐土へ渡り 唐土の鳥は日本に渡り 渡らぬ先に 芹 ナズナ スズナ スズシロ ゴギョウ タブラク ホトケノザ 七草そろえて ヤッホー ホィヤー 一つ一つ七草の名前を挙げながらうたうという丁寧な詞章である。 ところで、島根県でも鳥取県と同様の二つのタイプがある。ここでは松江市玉湯町別所の例を紹介しておく。 唐土の鳥が日本の土地へ 渡らぬうちに 七草そろえて ステテコはやいて ヤー ヤー ヤー ヤー いずれにしても歳神様の滞在している正月に、聖なる数の七つの草を調理して作った七草粥を食べたり、鳥追いのような行事を行うことによって、歳神様に来たるべき農作業の豊作をもたらしてくださるよう、人々は真剣に祈っていたのである。 |
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■子ども衆 子ども衆 (てまり歌・岩美町浦富)
子ども衆 子ども衆 花折りに行かしゃんか 何花折りに 地蔵の前の桜花折りに 一枝折りや パッと散る 二枝折りや パッと散る 三枝目にゃ 日が暮れて 新し小屋に泊まろうか 古い小屋に泊まろうか 新し小屋に灯が見えて 新し小屋に泊まって むしろははしかし(1) 夜は長し 朝とう(2) 起きて空見れば 黄金の盃手にすえて 一杯飲みゃ 嬢御の 二杯飲みゃ 嬢御の 三杯目にゃ 肴がのうて参れんか おれらの方の肴は うぐい三つ あい(3)三つ ショボショボ川の ふな三つ ふな三つ [(1)「むずがゆい」意の方言。(2)朝早く。(3)鮎のなまり。] 岩美郡岩美町浦富に住んでいた女性(明治39年生まれ)からうかがった子守歌。この方は鳥取市福部町湯山出身だった。 江戸時代、元禄文化華やかなりしころ、鳥取藩士の野間義学(1692〜1732)が、現在の鳥取市内の子どもたちから集めた歌の本『古今童謡』に出ている次のものがそっくりであり、伝承の長さを覚える貴重な歌だと言える。江戸時代の子どもたちも、このようなメロデイでうたっていたと想像できるのである。 おじやれ子ともたち花折りにまいろ 花はどこ花、地蔵のまえの桜花 桜花 一枝折はパッとちる 二枝折れはパッと散る 三枝の坂から日か暮れて あんなの紺屋に宿かろか こんなの紺屋に宿かろか むしろははしかし 夜はながし 暁起て空見れば ちんごのやうな傾城が、黄金の盃手にすえて 黄金の木履を履きつめて、黄金のぼくとうつきつめて 一杯まいれ上ごどの、二杯まいれ上戸殿、三杯目の肴には 肴がのうてまいらぬか(おれらか町の肴には さるを焼いてしぼつて、とも) われらがちょうの肴には 姫瓜 小瓜 あこだ瓜 あこだにまいた香の物 なお、隣の島根県浜田市三隅町古市場でも、少し似た次の子守り歌があった。 子ども衆 子ども衆 花を摘みに行きゃらんか 花はどこ花 地蔵が峠のさくら花 一枝摘んでもパッと散る 二枝摘んでもパッと散る 三枝目に日が暮れて 上の小松い火をつけて 下の小松い火をつけて 中の小松い火をつけて なんばつけても 明からんぞ |
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■二郎や太郎や (子守歌・岩美町浦富)
二郎や 太郎や どこへ馬つないだ 南蛮畑の梨の木につないだ 何食わしてつないだ 藁食わしてつないだ 藁の中見れば 小さい小袖が三つ三つ 三つになる小僧が お寺から下りてきて 何きゅうとおっしゃぁる 袴きゅうとおっしゃぁる 袴の裾に何型つきょうやら ずくしまぶれ里柿 ハンナの枝に雀が一羽 鴉が一羽 鳶が一羽 雀はチュンチュンチュンのもの 鴉はカアカアカンのもの 鳶は熊野の鉦たたき 鉦たたき 岩美郡岩美町浦富に住んでいた女性(明治39年生まれ)からうかがった子守歌であるが、この方は福部村湯山(現・鳥取市福部町)出身だった。 驚いたことには、江戸前半、元禄文化盛んな頃に生まれた鳥取藩士の野間義学(野間宗蔵とも。元禄5年・1692?〜享保17年・1732)が、当時の子どもたちから採録したわらべ歌を『古今童謡』(『筆のかす』の写本ともされる)に収録された次の歌にそっくりなのである。 二郎よ太郎よ 馬どこにつないだ ばんばん畑にしころことつないだ 何食わせてつないだ 藁食わせてつないだ 藁の中を見たれば 白い小袖が三つ三つ 赤い小袖が三つ三つ 三つに成る若うが 寺から降りて 袴着よとおしやる 袴のこしに何型つきょうよ むめろかまろづくし まふり さとうがきのはんな はんなの上に鳶かとまる カラスがとまる カラスの首をひんねじねじて ちょうろに見すれば ちょうろはかちて、 殿様御馬はさんはこはごとく いちがととは槍持ち 槍の先 蜂がさいて すぼらぼんのぼん (カラスがとまる カラスの首はねぢあがつた首らや 首らや) 義学の生きた時代は江戸時代前半期。徳川綱吉を中心にその前後を含む時期で、いわゆる元禄文化といわれている。それは京都・大坂などの上方を中心に発展した文化であり、庶民的な面が濃く現れているが、文化を支えたのは、町人ばかりでなく、武士階級も多かった。この歌は、江戸時代の流れを汲む貴重なものであることが理解できるであろう。 |
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■裏の山から猿が三匹出た出た (手まり歌・岩美町田後)
裏の山から猿が三匹出た出た 先の猿はもの知らず 中の猿ももの知らず 後の猿がもの知って ナマズ川に飛び込んで ナマズぅ一匹押さえて 手で取るもかわいし 足で取るもかわいし あんまりかわいそうで 杓子ですくって トウスミでくくって オガラでになって 堂の隅に持ってきて ぎじゃぎじゃと刻んで あなたに一切れ こなたに一切れ だれがが足らん お万が足らん お万はどこ行った お万は油買いに 酢買いに 油屋の門で牛糞(うしぐそ)にすべって 油一升こぼいた その油はどうした 赤い犬がねぶった その犬どうした たたき殺してしまった その皮どうした 太鼓にはった その太鼓どうした あっちの山からどんどんどん こっちの山からどんどんどん たたき破ってしまった そのカスどうした 火にくべてしまった その灰はどうした ゆうべの風とけさの風に ポーッと発って逃げた女性 山から出てきた猿が活躍する歌は、山陰両県で多い。ところで出だしは似ているが、なぜか後半部は変化している。次のは中部の三朝町大谷のものである。 向こうの山を猿が三匹通って 前の猿はもの知らず 後の猿ももの知らず 中の中の子猿めがようもの知って言うことにゃ 日本国(にっぽんごく)ぅ歩いて イワシを三匹拾って 焼いて食っても塩辛し 煮いて食っても塩辛し あんまり喉が乾くので 前の川へ飛び込んで 水ぅ一杯飲んだらば あんまり腹が太うて かなきどうりぃ(鐘つき堂の訛り)泊まって 屁をぶるぶるっとひったら 大きなやつは笑うし こまいやつは泣くし 泣くな笑うな 明日(あした)の市(いち)に焼き餅買(か)ぁたるぞ 焼き餅の中から汁が出て言うことにゃ 紅つけるがどこ行く 白粉(おしろい)つけてどこ行く にょんにょんに参る にょんにょんの道に あっちいちろり こっちいちろり ちろ兵衛の子どもが 杓(しゃく)持って遊ぶ どの杓ぅどがあする その杓はいくらやええ 麦かける その麦ゃどがあした 鶴と亀が食った 鶴と亀はどーがした 峰を越え山を越え さんばら松ぃ止まった |
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■おひとつ落としておさら (お手玉歌・岩美町田後)
お一つ落として おさら お二つ落として おさら お三つ落として おさら お手しゃみ お手しゃみ おさら おはさみ おはさみ おさら おちりんこ おちりんこ おさら お左 左ぎっちょ 右左 中つき しまつき さらえて えっつけ おさら やちなん やちなん おさら おっ手ばたき おっ手ばたき おさら お袖 お袖 おさら お膝 お膝 おさら おんばさん おんばさん おさら き−しる しるしる しるしる 落としておさら 一ちゃにおみつき 二ちゃにおみつき 三ちゃにおみつき 四ちゃにおみつき 五ちゃにおみつき 六ちゃにおみつき 七ちゃにおみつき 八ちゃにおみつき 九ちゃでおみつき 十でかけ一升 十でかけ二升 おまけに一升 やちき どっこい かーらす 女の子の遊びのお手玉に伴ってうたわれる歌として特に知られており、山陰両県でも盛んにうたわれている。類歌の詞章そのものは、「おさら」という共通項はあるものの、他はかなりバラエティーに富んでいる。後半部だけを眺めても、鳥取県米子市愛宕町では、 小さな橋くぐれ 小さな橋くぐれ くぐれこうして おさら 大きな橋くぐれ 大きな橋くぐれ くぐりこうして おさら おみんな おさら おさら 一貫しょで 終わり(伝承者:大正13年生まれ) となる。このように「小さな橋くぐれ」や「大きな橋くぐれ」とあるのも多い。 この歌は広範囲に分布しているところからも、少なくとも江戸時代には存在していたと解釈しても良いように思われる。けれども、今のところ、古い文献に同類の記載が見つからないので、わたしがそう思っているだけなのかも知れない。 |
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■中の中の小坊さんは (鬼遊び歌・岩美町田後)
中の中の小坊さんは なんで背が低い てんま梶原のボシャさんにかがんで それで背が低い もひとつ回りましょ もひとつ回って お礼参りにまいりましょう 三度目がじょうずめ もひとつ回ってじょうずめ 子どもたちが手をつないで輪を作り、歌を歌いながら回っている。その輪の中に鬼になった子どもが両手で目をふさいでしゃがんでいる。歌が終わったところで、しゃがんでいる子どもは後ろになった子どもの名前を言い当てる遊びである。鳥取市美和でも同類は次のようにうたわれていた。 中の中の小坊さんは なんで背が低いやら えんま梶原 イシャシャにこごんで うしろの正面だぁれ 江戸時代の元禄ごろ野間義学も『古今童謡』で次の歌を収録している。 中の中の子仏は なせに背が低いぞ えんまの梶原で、いそいそとかがんだ かがんだ 300年以上の歴史が存在していることが分かるのである。 |
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■向こう通るはおせんじゃないか (手まり歌・八頭町門尾)
向こう通るはお千じゃないか お千こりゃこりゃなして髪解かぬ 櫛がないのか 油がないのか 櫛も油もカケゴにござる 何がうれしゅて髪ときましょに 父は江戸に行きゃる 信二郎は死にゃる 一人ある子をおくまとつけて 馬に乗らせて伊勢参りさせて 伊勢の道から馬から落ちて 落ちたところが 小薮でござる 竹のトグリで手の腹ついて 医者にかきょうか 目医者にかきょか 医者も目医者もわしの手に合わぬ とかく吉岡の湯がよかろ スットントンヨ また百ついた この手まり歌は前半部には何ともいえないわびしさが漂っているが、後半部では一転して伊勢参りをさせた女の子のエピソードに変わり、吉岡温泉のコマーシャルソングのような終わり方となっている。 類歌は、鳥取市用瀬町・佐治町、岩美町などでも収録しているが、詞章の内容から見て、これは江戸時代にもうたわれていたものと思われる。 この歌は中部地区ではまだ見つけていない。西部地区では、次に紹介するように、大山町で一例だけ見つかった。しかし、例外的なのでこの歌は東部地区を中心にして伝承されているようである。 お千こりゃこりゃなして髪とかぬ 櫛がないかや 油がなぁいか 櫛も油もカケゴでござる 何がうれして髪ときましょに とっつぁん死なれる 格さんお江戸 いとし殿ごは出雲に行きゃる 出雲土産にゃ何々もろた 一にゃこうがい 二にゃまた鏡 三にさらさの帯までもろて 帯にゃ短し 襷(たすき)にゃ長し 笠の緒にすりゃポロリと解ける 前半部分は共通しているが、後半部はかなり違い、夫の出雲旅行の土産の品を、あれこれと披露している。それにしても最後のオチはちょっとユーモラスである。 歌の詞章が連鎖反応的に展開され、少し前の詞章とは、あまり関連を感じさせないのは、手まり歌にはよくある手法なので、例えてみればこれは連歌のようなつながりということができよう。 |
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■郵便屋さん (縄跳び歌・八頭町宮谷)
郵便屋さん はがきが十枚落ちました 拾ってあげましょ 一枚 二枚 三枚 四枚 五枚 六枚 七枚 八枚 九枚 十枚 はい 郵便 じゃんけん ぽん 負けたらさっさとお逃げなさい これは二人の子どもが縄をぐるぐる回している中に、さらに二人の子どもが入り、歌に合わせてはがきを拾う動作をし、最後にじゃんけんをして、負けた子どもは去って行くという遊びである。勝てば中に入っていることができる。また、縄を足などで引っかけたら、その子は縄を回す方に交替するのである。同類は広く存在している。 島根県のものを示しておこう。大田市では、 郵便屋さん 郵便屋さん はがきが十枚落ちました 拾ってあげましょ 郵便屋さん そら 一枚 二枚 三枚 四枚 五枚 六枚 七枚 八枚 九枚 十枚 ありがとさん このように落ちたはがきを拾うという手法は同じである。 ところが、同じ郵便局員を主人公にした縄跳び歌でも、はがきを拾うのとは違い、時間を内容にした歌も存在している。松江市美保関町で聞いたもの。 郵便さん 配達さん もうすぐすぐ十二時だ 一時 二時 三時 四時 五時 六時 七時 八時 九時 十時 十一時 十二時 同じ仲間の歌として、江津市のもの。 郵便さん 配達だ もうかれこれ十二時よ えっさか まっさか どっこいしょ ところで、同様に郵便配達をする人物をあげながら、単なるじゃんけん仲間にしてしまったような取り上げ方もある。松江市八束町の歌である。 郵便さんおはいり はいよろし じゃんけんぼ 負けたおかたは出てちょうだい いずれにしても、暑さ寒さをものともせず、雨や雪の日も、毎日配達に精を出す郵便配達の人たちに対して、子どもたちは親しみを持っているのである。 |
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■和尚さん、和尚さん、どこ行きなんす (外遊び唄歌・八頭町船岡)
和尚さん 和尚さん どこ行きなんす わたしは丹波の篠山に そんならわたしも連れしゃんせ 子どもの道連れ邪魔になる この和尚さんはどう欲な それなら後からついて来い 転ぶなよ すべんなよ あら和尚さん こけました おまえの性根はどこにある 腰からスト−ンと抜けました 鬼遊びの中の「目隠し鬼」でうたわれる歌の一つがこれである。まず、その遊び方を説明しておく。 鬼になった子供が一人、しやがんで目隠しをする。そのまわりを他の子供たちが輪になって手をつなぎ、この歌をうたいながら回るのである。歌の終わったところで鬼は目隠しをしたまま、自分の後ろの子供を手で探ってその名を言い当てる。うまく当たれば鬼はその子と交代、当たらなければ再び遊びをくり返す。現代の子供たちにも、この系統の歌はうたわれているようだ。 なお、この遊びについて、柳田國男は『小さき者の声』の中で、昔の神降ろしの信仰の模倣から出たものであると述べている。 ところで、この歌を眺めてすぐに思い出されるのが「坊さん坊さんどこ行くの」とうたい出される歌であろう。島根県木次町の場合を挙げておく。 ぼんさん坊さん どこ行くの わたしは田圃へ稲刈りに ほんならわたしも連れてって おまえが来ると邪魔になる こんなぼんさん くそぼんさん 後ろの正面 だぁれ これには「中の中の小坊さん」「かごめかごめ」などの歌が見られる。後者の「かごめかごめ」の方は、あまり地方的な違いはないので、事例を省略し、「中の中の小坊さん」について紹介しておく。まず鳥取県郡家町の例。 中の中の小坊さんは なんで背が低いやら えんまかじわら いしゃしゃにこごんで 後ろの正面 だぁれ また、島根県大社町では、 中の中の小坊さんは なぜ背がひくいやら エンマの腰掛けに ヨチヨチしゃがんだ 一皿 三皿 四皿 目の鬼がヤエトを連れて アテラか コテラか 金仏 こうなる。この「ヤエトを連れて、アテラか、コテラか」については、意味不明であるが、鳥取県日南町ではこの部分が、「お馬(んま)の蔭でヤイトをすえて、熱や悲しや…」となっていることから、大社のこの部分も、本来は「ヤイトをすえて、熱や悲しや金仏」であったものが、いつの間にか変化したと推定されてくる。 |
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■とんとん隣に (手まり歌・若桜町大野)
とんとん隣に嫁が来たとは 行っては見んけど まひげ八の字 目はドングリ目で 鼻は獅子(しし)鼻(ばな) 口は鰐口(わにぐち) 腹は太鼓腹 背なは猫背な 頭十貫 尻五貫 みんな合わせて十五貫 ユーモアをしのばせた手まり歌ではある。普通、嫁と聞けば、可憐な新妻の姿をつい想像するが、この歌はそれとは似ても似つかぬたいへんなものであり、隣に来た嫁についてのすさまじいばかりの悪口歌でもある。 つまり、女性の容姿について、一番好まれないものばかりを、これでもかと並べ上げている。けれども、意外と全体からは、とぼけたユーモアを感じさせる。うたっている子どもたちも、そんな味わいを楽しみながら、手まりをついていたものと思われる。 ところで、同類は東部と中部地区であったが、不思議と西部や島根県ではまだ見つからない。 さて、類歌であるが、東部の福部村のものはやや変わっていた。 とんとん隣に嫁御が来たそな 行きて見たれば 頭やかんで まいげ八の字 目はどんぐり目で 鼻は獅子鼻 口は鰐口 手は杓子で 脚はスリコギ 歩く姿はひき蛙(伝承者:明治34年生まれ) 前のに比べると、背と腹、頭、尻の形容はない。その代わり手と脚、そして歩く姿の形容が加わっている。 続いて鳥取県中部、琴浦町の例である。 うちの嫁さん 鼻は獅子鼻 目はどんぐり目 口は鰐口 歯は出っ歯で 歩く姿はアヒルが弁当負うて 大山さんへ参るような(伝承者:明治26年生まれ) たしかに類歌ではあるが、これまでの「隣の嫁」とは違い、「うちの嫁さん」である。そして、歯が出っ歯であるという表現が、これまでにはなかった。さらに「歩く姿は、アヒルが弁当負うて、大山さんへ参るような」と表現している点も新しい。しかし、わが家に来た嫁をこれほど手厳しく形容するのは、どうしたことだろう。 |
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■一月とや (手まり歌・若桜町湯原)
一月とや一月どこでも松飾り 松とだいだい よくできた よくできた 二月とや 二月どこでも凧をあげ 凧のだいだい よくできた よくできた 三月とや 三月どこでも 雛祭り 雛のだいだい よくできた よくできた 四月とや 四月どこでも釈迦祭り 釈迦のだいだい よくできた よくできた 五月とや 五月どこでも幟立て 幟のだいだい よくできた よくできた 六月とや 六月どこでも水餅(1) 氷のだいだい よくできた よくできた 七月とや 七月どこでもはり(2)祭り ほりのだいだい よくできた よくできた 八月とや 八月八朔(3)栗の餅 栗のだいだい よくできた よくできた 九月とや 九月どこでも菊の餅 菊のだいだい よくできた よくできた 十月とや 十月どこでも指くくり(4) 指のだいだい よくできた よくできた 十一月とや 十一月三日天長節で 天長節だいだい よくできた よくできた 十二月とや 十二月どこでも餅つきで 餅のだいだい よくできた よくできた [(1)寒気にさらして凍らせた餅。(2)意不明。「もり祭り」の転化か。(3)陰暦八月朔日の称。農家では新穀を収め、田実(たのみ)の節句といって祝う。(4)意不明。] 一月から十二月までの月づくしで、その月ごとの主な年中行事にまつわる象徴的な事物を詠み込んで作られている。 |
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■おさよと源兵衛 (手まり歌・智頭町波多)
一つとせ 一つとせ 人も通らぬ山道を おさよと源兵衛(げんべ)は夜通るノー 夜通る 二つとせ 二つとせ 二股大根は離れても おさよと源兵衛は離りやせぬノー 離りやせぬ 三つとせ 三つとせ 見れば見るほどよい男 おさよがほれたもむりはないノー むりはない 四つとせ 四つとせ 用のない街道二度三度 おさよに会いたき顔見たさノー 顔見たさ 五つとせ 五つとせ いつもはやらぬかんざしを おさよにささせて姿見るノー 姿見る 六つとせ 六つとせ むりにしめたる腹帯を ゆるめてくだされ源兵衛さんノー 源兵衛さん 七つとせ 七つとせ 何をいうにも隠すにも おさよの腹にはややがおるノー ややがおる 八つとせ 八つとせ 焼けた屋敷に長屋建て 長屋のぐるりに松植えて 松の小枝に鈴つけて 鈴がチャンチャン鳴るときは じいさんばあさん悲しかろ とうちゃんかあちゃんうれしかろノー うれしかろ 九つせ 九つせ ここで死んだらどこで会う 極楽浄土の道で会うノー 道で会う 十とせ 十とせ ととさんかかさん留守のまに おさよと源兵衛が色話ノー 色話 十一せ 十一せ いちいちわたしが悪かった こらえてください源兵衛さんノー 源兵衛さん 十二とせ 十二とせ 十二薬師に願かけて おさよの病気が治るよにノー 治るよに 十三せ 十三せ 十三桜は山桜 おさよと源兵衛は色桜ノー 色桜 十四とせ 十四とせ 死出の山辺は針の山 手に手をとって二人づれノー 二人づれ 十五とせ 十五とせ 十五夜お月さんは夜に余る おさよと源兵衛は目に余るノー 目に余る 十六せ 十六せ 十六むきしを指すときにゃ 教えてくだされ源兵衛さんノー 源兵衛さん 十七せ 十七せ 質に置いたる帷子を 受けてくだされ源兵衛さんノー 源兵衛さん 十八せ 十八せ 十八さそりは垣をはう おさよと源兵衛は閨をはうノー 閨をはう 十九とせ 十九とせ 十九嫁入りはまだ早い 二十とせ 二十とせ 機もだんだん縞機を これこそ源兵衛さんの夏羽織ノー 夏羽織 この数え歌形式の「おさよと源兵衛」のロマンスをうたった手まり歌は、とても人気のあったものである。そして、手まり歌にするだけでは飽き足らず、盆踊り歌としてうたった地方も見られる。鳥取市福部町の女性(明治37年生)は、盆踊り歌の場合と手まり歌の場合との両方をうたってくださった。なお多くの同類を採集しているが、いずれも十番までで、二十番まで聞けたのはここにあげた智頭町のものだけであった。 大山町国信では、次の類歌があった。 一つとや 人も通らぬ山中を、おさよと源兵衛が色話な色話 二つとや 二股大根は離れても、おさよと源兵衛は離りやせぬな離りやせぬ 三つとや 見れば見るほどよい男、おさよがほれたもむりはないのむりはない 四つとや 用のない街道二度三度、おさよに会いたてまた一度のまた一度 五つとや いつもはやらぬかんざLを、おさよに挿させてはやらせたのはやらせた 六つとや むろ手で・とめた腹帯を、ゆるめてごっさい源兵衛さんの源兵衛さん 七つとや 七月なる子を笑わせて、この子を見っさい源兵衛さんの源兵衛さん 八つとや 山で切る木は数あれど、おさよと切る気はさらにないのさらにない 九つとや ここで心中しょか腹切ろか、おさよをつれて夜逃げしょかの夜逃げしょか 十とや とんとんたたくはだれさんか、源兵衛さんなら開けましょがの開けましょが このようにあちことで聞くことができた手まり歌ではあったのである。 |
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■島根 | |
寒くないのか 諸手船 神が選んだ つわ者が 水をかけあう美保関 | |
■遊ばせ唄 | |
■子供衆子供衆
子供衆 子供衆 花を摘みに行きゃらんか 花はどこ花 地藏が峠のさくら花 一枝摘んでもパッと散る 二枝摘んでもパッと散る 三枝目に日が暮れて 上の小松い火をつけて 下の小松い火をつけて 中の小松い火をつけて なんぼつけても 明からんぞ |
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■ねんねんさとばこ
ねんねんねんねん ねんねんや ねんねん さとばこ 弥市が子 起きたや コッコにやってやろ グワングワングワンね かましちゃろう |
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■ねんねこさいのこ
ねんねこ さいのこ 酒屋の子 酒屋の丁稚が言うことにゃ わしの弟の千松が 七つ八つから金堀りに 金を掘るやら 死んだやら 一年たっても状が来ぬ 二年たっても状が来ぬ 三年三月に状が来て 状の文句を読んでみりゃ みんなまめなか達者なか わしもこのごろ 金堀りで 雨の降る日も風の日も 日にち毎日 穴の中 たまの休みのあるときに 故郷の空を 見てあれば つんつんつばめが飛んで来て 先のつばめも 文持たず 中のつばめも文持たず 一番あとの子つばめが チュンチュク チュンチュク 言うことにゃ お前の恋しい かかさんは 去年の三月十四日 わずかな風邪が 元となり お前のことを言いながら とうとうあの世に行きました お前も早く出世して 国の土産にしやしゃんせ 土産の品は なになにぞ 金か衣装か田畑か 金はこの世の回りもの 百千万両 あったとて 持ってあの世へ行かりゃせぬ 綾や綿の振り袖も 灰になったら ひとにぎり 田畑 田畑 家 屋敷 人手に渡ることもある これは浮世の宝物 幾千万却 たったとて 変わらぬ宝は ただひとつ 人は心が第一よ 心直けりゃ身も直い 心強けりゃ身も強い また来年の このごろにゃ わしも元気で来るほどに お前の家を宿にして 母のつとめを はたします まずそれまでは さようなら さよなら さよなら チュンチュクチュン |
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■猿が三匹
向かい山 猿が三匹通る 先の猿ももの知らず 後の猿ももの知らず いっての中のこん猿が ようもの知っとって 銭銭一文拾うて 鰯を一こん買うて 食べたらば あんまり塩がかろうて どんどん淵とびこんで 水がぶがぶ飲んだれば あんまり腹が太うて 観音様へ上って 屁をプッコラプッコラ たれたらば いかい地藏さん 泣きゃる こんまあ地藏さん 笑やある 泣くなよ笑うなよ 十日の市にゃ ピイピイガラガラ 買うちゃげょの |
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■寝させ唄 | |
■ねんねこした子は
ねえん ねえん ねえんや ねえん ねえん ねえんや ねんねこした子は かわいい子よ ねんねこせの子は ねくい子よ ねんねん ねえんや ねえん ねえん ねえんや ねたやら音がない ねんねこしたやら音がない ねた子には米の餅 ねんねこした子にゃ 米の餅 ねんねこせの子にゃ きびの餅 ねたやら音がない ねェたやら音がない ねんねこしたやら音がない |
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■ねんさいよさいねこよ
ねんさいよ さいねこよ ねんねの守りは どこ行った 茶の木原へ 茶摘みに はよもどって 子をすかせ 子をすかさんにゃ 去ね去ね 去ねる道にゃ ボイがおる もどる道にも ワンがおる ねんさいよ さいねこよ |
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■ねんねんころりや
ねんねんころりや おころりや 坊やのお守りは どこ行た あの山越えて 里行た 里のみやげに なにもろた てんてん太鼓に 笙の笛 たたいて聞かしょか テンテンと 吹いて聞かしょか ピイロロロ 泣かん子には 聞かせるが 泣く子には 聞かせんよ ねんねん ねんねん ねんねんや |
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■ねんねこさかぼこ
ねんねんねんねんや ねんねんねんねんや ねんねこさかぼこ よい子だな ねんねこさかぼこ よい子だな よい子だ よい子だ よい子だな よい子だ よい子だ よい子だな よい子だ よい子だ ごうごしぇや よい子だ よい子だ ごうごしぇや よい子だ よい子だ ごうごする よい子だ よい子だ ごうごする よい子がごうごを すうた間に よい子がごうごを すうた間に あんもこ搗いてさまいて あんもこ搗いてさまいて べえべの子に負わせる べえべの子に負わせる よい子だ よい子が ごうごした よい子だ よい子が ごうごした |
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■ねんねんよねんねんよ
ねんねんよ ねんねんよ ねなさいよ ねなさいよ ねたら山の雉子の子 おきたらがんがに かぶらする ねんねんよ ねんねんよ ねなさいよ ねなさいよ ねんねが守りは どこ行た 茶の木原い 茶摘みに 茶を摘んだら はよもどれ はよにもどって 子をすかせ 子がいやなら 去ね去ね 去ぬる道で すべくって 腰のほにょ つき折って 膏薬買うて つけてやる 膏薬買うて つけてやる ねんねんよ ねんねんよ ねなさいよ ねなさいよ |
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■寝た寝た寝たよ
寝た 寝た 寝たよ 寝たら母さに つぇてえなか 起きたらおかめに 取らしょかな よーいよーい よいよいよーい |
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■ねんねのお守り
ねんねんよ ころりんよ ねんねがお守りは どこ行た 野越え 山越え 里行た 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に笙の笛 でんでん太鼓を たたいたら どんなに泣く子も みなねむる 笙の笛をば 吹いたなら どんなに泣く子も みなだまる ねんねんよ ころりんよ おととのお山の おうさぎは なしてお耳がお長いの おかかのおなかに いたときに 椎の実 榧の実 食べたさに それでお耳がお長いぞ ねんねんよ ころりんよ |
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■守り子唄 | |
■守りほどつらいものはない
守りほどつらいものはないィ 親にゃ叱られ 子にゃ泣かれェ 人にゃ楽なと おもわれてェ |
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■わらべ唄 1 | |
■隠岐島の子守唄
ねんねしなねんねしなねんねしな ねのこは憎い子憎い子よ 寝た子はかわいこかわいこよ ねんねしなねんねしなねんねしな ねんねこお山の兎の子 なぜまたお耳が長いやら お母さんのお腹にいるときに びわの葉笹の葉食べたそうな それでお耳が長いそな それでお耳が長いそうな 歌詞の愛らしさに口元が緩む。兎の耳はなぜ長い、という素朴な疑問を前に、海士町の人々は、笹の葉、びわの葉を連想したのだ。前半はいわゆる「寝させ歌」だが、後半はわらべ歌に近いのびのびした雰囲気が広がる。しかしハーンは、「伯耆から隠岐へ」という文章の中でこの子守唄について次のような感想を述べている。 「その節がとくに美はしくまた哀調を帯びてゐて、出雲や日本の他の地方で、同じ言葉で歌ふ節とは全く異つてゐた。」 この短い、しかし熱のこもった感想からまずわかることは、この兎の耳をモチーフにした子守唄が、「出雲や日本の他の地方」に存在するということである。この兎の耳にまつわる豊かなイマジネーションは海士町一箇所に限られたものではなかったのだ。南方熊楠も「十二支考」の中で「吾輩幼時和歌山で小児を睡(ねむ)らせる唄(うた)にかちかち山の兎は笹(ささ)の葉を食う故耳が長いというた」と回想している。調べてみると出てくる出てくる、「兎の耳が長い理由」を歌う子守唄は全国に分布していた。図書館ライブで「海士の子守唄」を披露して帰京すると早速、企画してくれたAさんからも連絡が入った。どうやら似たような歌は文京区にもあるらしい、というのだ。びっくりしながら、「東京のわらべ歌」のページを繰ると、果たして文京区本郷の子守唄が載っていた。 ねんねんころりよおころりよ ねんねんこやまのこうさぎは なぜにお耳がお長いね かあちゃんのポンポにいたときに しいのみかやのみたべたゆえ それでお耳がお長いよ ぼうやはよいこだねんねしな こちらは「しいのみかやのみ」である。しかし、海士町の子守唄が長調であるのに対し、こちらは短調だ。口ずさむと歌詞のかわいらしさに反し、寂しい感じに聞こえる。さらに全国に分布する兎の耳の子守唄を調べていくと、ほとんどが短調のものなのだ。以下に、耳が長い理由やメロディーの長短調とともに、兎の子守唄を並べてみたい。 短調 母ちゃんのポンポでしいのみかやのみ食べた(東京 文京区本郷) お母さんのおポンポンでしいのみかやのみ食べた(熊本 玉名郡横島町京泊) おっ母ちゃんのぽんぽで長い木の葉を食べた(佐賀 唐津市) 親の腹でびわの花をくわえた(広島 豊田郡豊町) びわの葉をくわえて(岡山 赤磐郡熊山町) わりの葉 かやの葉 たんと食べ(栃木 芳賀郡茂木町) お母さんのおなかでかやの実 かちぐり食べた(新潟) お母さんのおなかでばしゃの葉柳の葉を食べた(愛知 額田郡常盤) 母さんのぽんぽんで木の実かやのみ食べた それでお耳が長うござる(愛知 丹羽郡池野) ちち乳母が耳をくわえてひっぱった(大分 竹田市本町) 母さんがお耳をくわえてそっぱった(長崎 下県郡厳原町) 母さまがお耳をくわえてひっぱった(高知 高岡郡佐川町) 母さんがお耳をくわえてひっぱった(香川 丸亀市川西町/仲多度郡仲南町) 長調 母ちゃんのポンポンできゅうりやくさを食べた(岡山 和気郡日生町) おかかのおなかでしいのみかやのみ食べた(島根 鹿足郡柿木村柿木) お母さんのおなかで枇杷の葉笹の葉食べた(島根 隠岐島海士町) ざっと見渡すと主に東は東京から西は北九州まで分布している。東北以北のものは見つからない。しかし、この柳原書店のわらべ歌シリーズがあらゆるわらべ歌を網羅しているわけでもない。案の定、他の資料にもあたると、上記の「食べ物」系、「耳をひっぱられた」系以外にもう一つ「周囲の土地」タイプとも言うべき系統があることがわかった。 兎や兎なじょして耳ぁ長いね お山の事も聞ぎでえし お里の事も聞ぎでえし ほんで耳ぁ長いね(山形 最上郡) 兎どん兎どん なして耳が長いか 他人で生れてうねんで育って 谷のそも聞きたし畝のそも聞きたし それで耳が長いよ(広島 双三郡) この本の著者の一人でもある真鍋は、こうした、土地のことを知りたくて耳が伸びた、というグループは、東北と中国地方にだけ残っていることを示す。さらに中国地方の田植え唄にその原形をみとめており、田植え歌にうさぎが歌われた背景として、兎が「山の神」やその使いとして信仰されていたことを指摘する。中国地方では、兎に乗った山の神が木々に若芽を授けたり、シシ狩にいくという伝承が残っているという。 田植歌に歌われた兎の神性は、山や里などのことを知りたいと歌う兎の子守唄の中に残された、といえそうだが、赤田光男は「ウサギの日本文化史」の中で、鈴木牧之ののこした「北越雪譜」を紹介し、たおした木を運ぶときに歌う「木遣歌」の中にも、ウサギの耳が歌われることに注目している。 「母の胎内にいた時に笹の葉をのまれて」と歌われるこの木遣歌は1828年当時牧之が耳にしたものである。木遣歌と子守唄は互いに深い関係があるといわれるが、赤田は、木遣歌にうさぎが歌われることについて、帝釈天とうさぎの関係を持ち出す。それは、木遣に「修羅」といわれる、そりのような運搬具が使われるためだ。修羅は「大石」ほどの重いものも運ぶことができる。この「大石」に「帝釈」がかけられており、帝釈天と阿修羅の戦いという隠された意味が浮かび上がる。うさぎが帝釈天の食べ物となるため、自ら火に飛び込み、帝釈天により月に送られた話は有名だが、赤田はこの木遣歌はそもそも神歌としてのうさぎ歌なのだ、としている。うさぎは農作物を荒らすため嫌われてきた一方で、山の神やその使いとして神性を付与されてきた。大石を運ぶそりに帝釈天、うさぎと連想ゲームのようにイメージが投影されていったわけだが、これが月と絡んでいるところに、木遣歌の呪術的な性格が表れているように思う。「北越雪譜」自体は江戸時代の書物だが、兎の耳の長さの由来を歌うという行為自体は、歌が呪術に収斂されていく、かなり古い時代にまでさかのぼれるのではないだろうか。 メロディーについては上で一覧したように、大体が短調で、長調のものは、海士町の子守唄も含め、中国地方に限られるようだ。ただし、岡山和気郡のものは、明治の唱歌調で比較的新しいもののように思える。島根の鹿足郡のものは同じ長調でも、海士町のものと違い、単調なリフレインが続く。ここで気になってくるのは、ハーンが書き残した、海士町の子守唄に感じた「哀調」が、果たして短調だったのか、ということだ。海士町に残されていた手書きの小冊子の中で、私が目にした楽譜には短調のものはなかった。しかし他県の「ウサギの耳」の子守唄は圧倒的に「短調」が多い。とすれば、海士の子守唄にハーンが感じたものは、「哀調」とは書かれたものの、新鮮なフレーズの動きだったり、長短調という区分を超えた歌い手の生き生きした情感そのものだったのかもしれない。実際、80年当時ハーンの聴いた子守唄はどれだったか、ということで海士町の人や専門家たちがこれと決めたバージョンは「大野キワ」さんが伝えたものだったが、これも長調である。しかし途中で一部短調のような展開が見られ、なかなか歌として凝った作りのものになっている。 |
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■彼岸坊主はどこの子 (植物の歌・江津市桜江町川越)
彼岸坊主は どこの子 スギナのかかあの オト息子− ツクシは春の彼岸時分に出るところから、この地方では「彼岸坊主」と呼んでいる。ツクシの頭が僧侶の頭のように丸いところからきた命名であろう。以前の国定教科書には ぽかぽかと あたたかい ひに つくしの ぼうやは めを だした つくし だれのこ すぎなの こ という歌が掲載されていたことを思い出す。第二次世界大戦時代に小学生だった筆者の思い出であるが、この歌の心は、江津市の歌と同じであることに気づいたのである。 |
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■ねんねんよ ころりんよ (子守り歌・鹿足郡吉賀町柿木)
ねんねんよ ころりんよ ねんねがお守りは どこ行た 野越え 山越え 里行(い)た 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に笙(しょう)の笛 でんでん太鼓をたたいたら どんなに泣く子もみな眠る 笙の笛をば吹いたなら どんなに泣く子もみなだまる ねんねんよ ころりんよ おととのお山のお兎は なしてお耳がお長いの おかかのおなかにいたときに 椎(しい)の実 榧(かや)の実 食べたそに それでお耳がお長いぞ ねんねんよ ころりんよ とてものどかな節回しである。そしてその歌い出しは「ねんねんころりよ、おころりよ」でよく知られ、日本古謡としての子守歌の骨格が前半部に見られるが、後半部の「おととのお山のお兎は」からは、実はまた別な童話風物語が付属したスタイルになっている。 伝承わらべ歌の特徴として、詞章の離合集散はよく見られる現象である。ある地方で二つ以上になる歌が、ほかのところでは一つに統合されている例はいくらでもある。この歌がまさにそれであった。 たとえば明治20年代、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が隠岐島へ旅行したおり、現在の隠岐郡海士町菱浦で 「隠岐の母親たちが、赤ん坊を寝かしつけながら、この世でいちばん古い子もり歌をうたっている声を聞くことができた。」 と次のように紹介している。 ねんねこ お山の うさぎの子 なぜまた お耳が長いやら おっかさんのおなかに おるときに びわの葉 ささの葉 たべたそな それで お耳が 長いそな 一方、鳥取県でも知られていた模様で、米子地方のものとして、『ふるさとの民謡』に、以下の歌が出ている。 ねんねこやまの 兎の耳はなぜ長い わしの おかさんが つわりの時に びわの葉なんぞを 食べたので長い 幼子を相手に大人たちは、兎の耳の長い理由を童話風なわらべ歌の詞章に託して、うたっていたのであった。現在の母親たちには、もうこのような子守歌は伝えられれてはいないのではなかろうか。 |
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■あの山で光るものは (手まり歌・隠岐の島町犬来)
あの山で光るものは 月か 星か 蛍か 月ならば 拝みましょうか 蛍ならば 手に取る 手に取る まずまず一貫 貸しました これは手まり歌である。どこか品のあるメロデイーを持つこの歌が、どうして離島に残されていたのかと、わたしは不思議に思いながら聞いていた。けれども、今日ではもう隠岐島でも聞くことはできないようであるし、山陰両県でも聞いたことはなかった。 けれども、わたしはどこかに同類がないかと『日本のわらべ歌全集』を見ると、東は群馬、東京、埼玉に仲間があり、西では福岡、熊本に類歌のあることが出ていた。 この中で福岡県柳川市のものだけは、子守歌の「寝させ歌」とある点が変わっていた。他はいずれも島根県と同じ手まり歌である。福岡県柳川市の詞章は次のようであった。 あの山に光るは 月か星か蛍か 蛍ならお手にとろ お月様なら拝みあぎゅう おろろん おろろんばい おろろん おろろんばい (『福岡のわらべ歌』) 九州方言でうたわれているが、なるほど、「おろろん、おろろんばい」の後半部分を見れば、確かにこれは子守歌である。そして前半の詞章も、後半部との連携を踏まえて考察すれば、子守歌に適していることも理解できる。もっと多くの地方で子守歌としていてもよいように考えられるのではあるが、実際はなぜか手まり歌がほとんどなのである。 念のために東の代表として埼玉県東松山市のものを紹介してみる。 あの山で 光るものは 月か星かほたるか 月ならば 拝みましょうか ほたるならば お手にとる お手に取る (『埼玉 神奈川のわらべ歌』) この埼玉県の解説を担当した小野寺節子氏は、同書に次のように書いておられる。 ―夏の夜、その闇の中で美しく輝くものへの感嘆をうたっている。その不思議な美しさは、信仰心にまで浄化され、旋律とともに他の手まり歌にはない味わいがある。― わたしも小野寺氏のご意見に全く賛成である。 ふとしたことから教えてもらった隠岐の手まり歌が、あまり聞くことのできない貴重な歌であることを知って、わたしは伝承の糸の謎をいよいよ痛感したのである。 |
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■じいとばば 寝とれ (手遊びの歌・奥出雲町大呂)
じいとばば えっと寝え 嫁は起きて 火ぃ焚け 婿は起きて カンナ行け これはアケビの花粉で遊ぶ歌である。アケビは五月上旬から中旬にかれんな花をつけるが、色は赤、白、紫色などさまざまである。それを見つけた子供たちは、花から五つか六つの雌しべを手のひらに載せ、この歌をうたいながら、一方の手で手首のへんをとんとんとたたく。すると手のひらの雌しべは、ひょっこり起きあがってくるものが出る。「二つ起きたぞ」、「おらは三つ」、「みんな寝たままだ」。子供たちはこのようにして楽しんでいた。 以前の子供たちの世界では、自然の中にいろいろな遊びを見つけ、こうして愉快に遊んでいた。花粉を遊び道具として、楽しく遊ぶとは、何とすばらしいことか。 同じ種類の歌は昭和63年にも、雲南市頓原町志津見の女性(大正5年生)から、次のように聞いている。 じいとばあは 寝とれ 嫁は起きて 火を焚け 婿は起きて 里へ行け ところで、この奥出雲町の歌では、なぜか最後がまったく違っていた。「婿は起きて カンナ行け」なのである。 たたら製鉄のとても盛だった奥出雲地方では、以前はカンナ流しが盛んに行われていた。これは山肌に強く水を吹きかけて土砂を流し、砂鉄を採るのであるが、子どもたちはちゃんとそれを眺めて知っていた。それであるので同じような子どもの遊び歌にもそのような労働の存在が投影されたのであろう。ここでもその地域の特色が出ているのである。そしてどうやらこの種類の歌は、まだ鳥取県では見つかっておらず、島根県下でも出雲地方の山間部に限って伝承されているようだ。けれども驚いたことには、はるか離れた九州に仲間が存在していた。長崎県南高来郡口之津町の次の歌である。 じいとばあは寝とれ 嫁ごは起きて 茶わかせ これは『佐賀長崎のわらべ歌』に出ており、以下の説明が添っていた。「にしきぎ科の常緑灌木、柾(まさき)(じとばの木)の赤い実を三つとって、手の中で振る時にうたう。二個が一緒になり、一個が別になった時、二個が爺と婆で一個が嫁で、早く起きてお茶をわかしているという。三個一緒の場合は、まだ寝てるとして、もう一度うたう。」はるか離れた意外なところではあるが、こうして親族関係の歌は伝えられているのであった。 |
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■向下駄隠しノーリンボ (鬼遊び歌・隠岐郡海士町)
下駄隠しノーリンボー 橋の下のネズミが 草履をくわえてチュッチュクチュー チュッチュク饅頭はだれが食た だれも食わせぬ わしが食た 表の看板 三味線で 裏から回って三軒目 戸外で遊ぶ子供たちの遊びの一つに「履き物隠し」がある。この歌はこうしてうたいながら、鬼を決めてゆくものである。 ところで、これは「下駄隠し」としてうたい出されているが、少し後で「橋の下のネズミが、草履をくわえて…」となっており、元々は出だしも「草履隠し…」であったことをうかがわせている。そこは子どもの素朴な知恵のおもしろさであろうか、「頭隠して尻隠さず」の諺通り、最初の詞章は下駄に変えても後の詞章には無頓着で、そのまま「草履」とうたっていたのである。つまり、この歌は子供たちの履き物としてわら草履が一般的に幅を利かせていた時代、創作されたのであろう。その後、履き物は下駄になり、現在は靴に変わっている。この歌はたまたま下駄が普通となった時代に、自然に改作されたものであろう。 現在のところ、その事例をわたしはまだ持っていないが、当然、その後「靴隠し…」と歌い出される歌が出現してしかるべきであると考えている。 さて、古形をとどめる歌ならば、いくつか収録しているので、少しあげておく。 まず鳥取県日野郡江府町御机のものである。 草履隠し チューレンボ 橋の下の子ネズミが 草履をくわえてチュッ チュク チュ チュッチュック饅頭はだれが食た だれも食わないわしが食た 表の看板 三味線だ 裏から回って三軒目 一 二 三 この歌は、かなり以前からうたわれていたようで、もっと年代の古い方からもよく聞かされた。鳥取市鹿野町大工町の場合は、 草履隠し クーネンボ 橋の下のネズミが 草履をくわえてチュッ チュッ チュッ チュッチュック饅頭はだれが食た だれも食わないわしが食た 表の看板 三味線屋 さあ さあ 引いたり 引いたり このようであった。 なお、これでは「表の看板、三味線屋」となっているが、先に挙げた「三味線で」とか「三味線だ」という形よりも、歌の流れも自然であり、類歌にはそうなっているのも多い。島根県では江津市波積町南本谷や浜田市三隅町福浦などで聞いている。わたしはこの方が原型であろうと考えているのである。 |
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■ぼんぼんさんさん (手まり歌・大田市)
ぼんぼん さんさん さん 山道 やんやん 破れた 御衣 行ききも もん戻りも きにかかる か菓子屋さん 三瓶山方面の言語伝承を集めに回っていたら、女の子たち数名が遊んでいた。そこでわらべ歌をうたってもらった一つがこれであった。そのころ、わたしはまだ二十六歳で、この方面の知識も浅かった。 したがって、わたしはこの歌も同音語を重ねたおもしろさを持つ歌としてのみ考えていた。 ところが、少し時間が経過して見ると、実はこの歌は大人の労作歌を、子供用に改作したものであることが分かった。 昭和41年のこと、吉賀町柿木村口屋である女性から、木挽き歌として次のように教えていただいた歌は、まさに大田市の子供たちの手まり歌の本歌だったのである。 坊さん山道ゃ 破れた衣 行きし 戻りが 木に掛かる 柳田国男も『民謡覚書』の「採集の栞」の中で、 ぼさん山路破れたころも 行きし戻りがきにかかる こう引用し、「江戸でも古くから有名であったのは、この口合が軽い故であるが、実は(中略)男女をからかった歌で、なまめかしい色々の意味が含まれてゐた。」と解説している。これで見ると柳田は盆踊り歌の一種として、この歌を扱っていた。これらの歌は音節数からは基本的には七七七五スタイルである。 ぼさん山路………七 破れたころも……七 行きし戻りが……七 きにかかる………五 この形は、近世民謡調と呼ばれ、江戸時代後期に流行し始めたものであり、現在の各地の民謡にも、このスタイルをしたものがかなりある。近いところでは安来節がそれであり、鳥取県の貝殻節はこの字余りの形である。 さて、もう一度、最初の歌に戻って眺めてみよう。子供は模倣の名人である。この歌も本歌をヒントに、繰り返しを用いた詞章をつけたところ、いつの間にか元の意味などそっちのけで、「衣が木に掛かる」はずだったのが、「気にかかる菓子屋さん」というようになってしまったのである。 子供の世界にあっては、柳田のいうようななまめかしく深遠な掛詞の意味など、まったく無縁であろう。それよりも彼らにとっては菓子の方がよほど重要な問題だったのである。大人の歌が子供の世界に移されてしまうと、アレンジの達人でもある彼らは、たちまちこのような詞章に変えて、遊びを楽しんでいたのであった。 |
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■こういしこうらい こなオンジョ来い (動物の歌・松江市)
こいし こうらい こなオンジョ来い アブラやミタオンジョ 負けて逃げるオンジョ 恥じゃないかや さて、オンジョであるが、これは普通のトンボより大きく、いわゆる「ヤンマ」といわれている種類を指す出雲方言である。そしてアブラは、ヤンマの雄の中でも羽が油色のものをいい、ミタは雌のヤンマをいっている。 類歌として、わたしは島根県美保関町七類で次の歌を見つけている。 オンジョ来い 男オンジョや 女房オンジョや つかしょば来い 来い しかし、これ以外にオンジョをうたった歌は、今のところわたしはまだ出会っていない、 冒頭の歌に話を返すが、わたしの世代では、小学校時代、この類の歌で竹などの先に糸を垂らし、それにおとりのオンジョを結びつけて、ゆっくりと振り回しながらオンジョを釣っていた。『山陰路のわらべ歌』には、氏の父親である徳次郎氏から収集された、明治20年(1887)ごろのうたとして、次のように紹介されていた。 こういしくらい こなおんじょくらい あぶらや めとうに まけてにげるおんじょ はじじゃ ないかや 蒲生さんの教えてくださった詞章。 おおいしやー このオンジョ来い アブラやミトオンジョ 駆けて逃げるオンジョ 火事じゃないかよ わらべ歌詞章の変化の法則を暗示させるような出来事と共に、知らぬ者同士を瞬時に親しく結びつけるわらべ歌のすばらしさを、このときわたしは知ったのであった。 |
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■大まん口から (手まり歌)
大まん口(ぐち)から揚屋の前まで 三好高さん 不昧(ふまい)の近じょ みなみな同士ゃ 見事なことよ 行き先々 花芽が咲いて 豊(とよ)さん 文(ふみ)さん なんだが縞の 坂尾(さかお)がしんびょで 紅(くれない)さんしがうれしき早織り 確かな近所 おめぐりさまよと からぐりさまよ 向こうの衆に渡いた もともとは江戸時代に各地でうたわれていた古い手まり歌であるが、鳥取県西部地方と島根県出雲地方の古老から、ときおり聞き出すことのできた歌である。さて、江戸時代の同類を調べてみると、文化7年(1810年)刊の式亭三馬著『浮世風呂』に出ていた。 大門口 あげ屋町 三浦高浦米屋の君 みなみな道中みごとなこと ふりさけ見よなら 花紫 相がわ 清がわ あいあい染がわ 錦合わせてたつたの川 あのせ このせ やっこのせ 向こう見いさい 新川見いさい 帆かけ舟が二艘つづく あの舟におん女郎乗せて こん女郎乗せて あとから家形が押しかける やれ止めろ 船頭止めろ 止めたわいらにかまうと 日が暮れる お月は出やる それで殿御のおん心 それ百よ それ二い百よ それ三百よ(中略) とどめて一貫貸した せんそうせん 少し下って天保初年(1830年)ごろ書かれた高橋仙果著『熱田手鞠歌』にも同類は出ているが、ここでは省略する。石村春荘氏は、その著『出雲のわらべ歌』で、「(江戸)吉原のおいらん道中の華やかさをたたえたもの」と述べておられる。案外そうであったかも知れない。当時の女の子のあこがれをうたっていたのであろうか。 |
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■一山越えて (外遊び歌)
皆 一山(ひとやま)越えて 二山(ふたやま)越えて 三山の奥に 灯がちょんぼり見えた 狐さん 狐さん 遊ぼうじゃないか 鬼 今ねんねの最中 皆 お寝坊じゃないか 鬼 いま顔洗う最中 皆 おしゃれじゃないか 鬼 いまご飯を 食べる最中 皆 おかずはなぁに 鬼 ヘビとカエル 皆 生きてるか 死んでるか 鬼 生きている(死んでいる) 輪になっている中に一人「狐」、つまり鬼になった子どもがいる。それを取り巻いた子どもたちが、歌に合わせて手をかざしたり、いろいろな動作をしながら問答の形でこの歌をうたう。「生きてるか、死んでるか」の問いに対して、鬼が「生きている」と答えれば、子どもたちはワーッと逃げ出す。鬼はだれかを捕まえようと追っかけ、捕まえられた子どもが次の鬼になる。もし鬼が「死んでいる」と答えれば、「生きている」と答えるまで、何度でもこの歌はくり返される。このように鬼の答えが「死んでいる」であれば、歌は最初に返るが、「生きている」となれば、即座にそこから鬼ごっこに変わるというところがおもしろい。 |
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■親ごに離れてはや七日 (手まり歌)
親ごに離れてはや七日(なぬか) 七日と思えば四十九日 四十九日参りをしょうと思て おばさんのところへ 着るもの一反借りね来た あるものないとて貸しぇだった やれやれお腹が立ちなんど 奥の納戸に機(はた)たてて 今日も一反織りおろし 明日(あした)も一反織りおろし 下(しも)の紺屋(こうや)へ一反と 上(かみ)の紺屋へ一反と 染めください紺屋さん 染めてあげましょ何色に 肩にはシャッポ 裾(すそ)には柳の葉をつけて 葉をつけて この歌をうたわれた永井さんは結婚後、奥出雲町大呂にお住まいだったが、生地は安来市広瀬町西比田であるところから、そこで覚えられた歌なので、そうしておいた。手まり歌には、内容にどきっとするものがときどきあるが、これもその一つであろう。この歌の主人公は女性と思われる。物語の展開が、機織りや染め物にかかわりのある語句でなされているから、そのように考えるのが自然である。そして、内容は出だしからして親子離散の憂き目にあっていることが推定できる。「七日」は「初七日」のことかもしれず、また「四十九日参り」というのも、逝去後の四十九日法要を指しているような感じがする。そうして見ると、はっきりとは述べられてはいないが、「親に離れて」とあるのは、親と死別したことを暗示させているのであろう。 さて、この同類を捜してみると、仁多郡奥出雲町大呂から比較的近い飯石郡飯南町角井で聞いている。次に挙げておこう。 親に離れ子に離れ 殿御に離れて今日七日 七日と思えば四十九日 四十九日参りをしょうと思て 叔母のところに着り物借りにいったんだ あるものないとて貸せだった やれやれ腹立つ残念な 後ろの小庭に機たてて 今日も一反織りおろし 明日も一反織りおろし 東の紺屋へ一反と 西の紺屋へ一反と 染めてください紺屋さん 染めてあげます何色に 紺と紅との花色に 花色に 細かい点で両者は多少の違いは見られるものの、大筋では同じである。それにしても手まり歌には、なぜか生活の厳しい状況を取り上げてたものがよくある。どうしてこうした内容をうたっているものが多いのか、まだ、わたしにはその理由が分からないのである。 |
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■びりがびっちょう 泣いたげな (からかい歌)
びりがびっちょう 泣いたげな 高津山へ聞こえて 松が三本倒れた 竹が三本倒れた 「びる」は石見方言で「泣く」の意味。「びり」はそれの名詞形であり「泣き虫」といったところだろうか。当地の別な歌では「びりがびっちょうびったげな」となっている。ここではその部分が「泣いたげな」と共通語化したもの。意味については2009年1月1日掲載の「ええこと聞いた」の歌と同様にお考えいただきたい。 |
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■紺屋の庇にスッチョチョンがとまって (言葉遊び歌)
紺屋(こうや)の庇(へさき)に スッチョォチョンがとまって なしてとまった けだるてとまった けだるけりゃ 田おれ 田おりゃ 冷(つめ)て 冷てけりゃ あたれ あたりゃ蚤(のん)が食う 蚤が食(か)ば 殺せ 殺さ可哀想(かわい) 可哀想けりゃ 抱いて寝 抱いて寝りゃ なおなお食らう 歌の途中から後の語句を踏まえて、連鎖反応式に歌を問答形式で続けていく手法となっている。「紺屋」というのは今ごろはあまり見られなくなったが、布を染めることを専門にした店である。また、「スッチョオチョン」はスズメのこと。「けだるい」は「疲れて身体がだるい」というのだろうか。「田おれ」は「田へ降りなさい」という意味であろう。この歌は、紺屋の屋根の庇にスズメがとまった原因をきっかけとして話が進んでいる。相手が意見を述べれば、理由を挙げて反発しているというようにして展開している。したがってこれは「ことば遊び」に属するわらべ歌と考えたい。各地には似た歌がいろいろと見られる。鳥取県西伯郡日吉津村では、 お月さまなんぼ 十三 九つ そりゃまんだ若いな 若もござらの いんとうござる いなさる道に尾のない鳥が 油筒くわえて だれにやろか お万にやろか お万はどこ行った 油屋のかどで 牛の糞に滑ってやれきたな きたなけりゃ洗え 洗や冷た 冷たけりゃあたれ あたりゃ熱い 熱けりゃ後へすざれ 後へすざりゃ蚤がかむ 蚤がかみゃ殺せ 殺しゃかわいい かわいけりゃ抱いて寝 抱いて寝りゃ なおかむ なおかむ(大道ふさよさん・明治32年生) また、鳥取県八頭郡八頭町船岡でも、 ほーぐりほーぐり 山にけ 山に行きゃ 鉈がねえ 鉈がなけりゃ 田ぁすけ 田ぁすきゃ 足がよごれる 足がよごれりや 洗え 洗やあ冷てえ 冷たけりや あぶれ あぶりや熱い 熱けりゃ すだれ すだりゃあこける こけりゃ つっぱいせえ つっぱいすりゃ 痛え 痛けりや 板切れに吸いつけ(浦林 寿男さん・昭和15年生) いずれも同工異曲である。日吉津村の歌は「お月さんなんぼ」で始まる月を愛でる子守歌の変形したものであり、八頭町のものは、最初から独立した「ことば遊び歌」である。 |
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■アタさんなんぼ (子守歌)
アタさんなんぼ 十三ここのつ そらまんだ若いぞ 若(わこ)うはござらぬ いにとうござる いなさる道で サト餅買うて だれにやろか お万にやろか お万が部屋は 今こそ見たれ 金襴緞子の(きんらんどんす)キリコの枕 島根県の場合にも、いくつかの地方差が見られる。これは子守歌の遊ばせ歌といえるだろう。詞章が「そらまんだ若いぞ」などから見て伯耆地方から出雲地方にかけて伝えられている歌の亜流といえる。この「アタさん」という語句は、柳田國男著の『小さき者の声』を借りると、日本に仏教が渡来するより以前に、祖先の人たちが信仰の対象として、太陽や月を拝む際に発していたと思われる「アナトウト(ああ尊い)」という語に起源を持つ「アト」の変化したものではないかと考えられるという。そしてわたしは、島根県の西端、鹿足郡吉賀町柿木村柿木で、まさに柳田のいう「アトさん」で始まる次の歌を、この八束町で聞くよりも7年前になる昭和37年に聞いている。 アトさまなんぼ 十三ここのつ それにしちゃあ若いの 若いこたぁ道理 胴馬へ乗せて あっちへじろり こっちへじろり じろりの中で よい子を拾うて お千に抱かしょ お千はいやいや お万に抱かしょ お万もいやいや お万が部屋を 今朝こそ見たら 金の屏風(びょうぶ)に鹿子(かなこ)の枕(小田サメさん・明治31年生) この月の古称を意味するアタとかアトの語を用いた歌は、わたしとしては八束町と鹿足郡吉賀町柿木村以外の山陰両県では、まだ聞いていない。しかし、収録を続けていると、こうした古さをしのばせる貴重な伝承に出会うことがある。それがまたこのようなわらべ歌の言い知れぬ魅力ということになる。 |
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■蛍、蛍、こっち来いポッポ (動物の歌)
蛍 蛍 こっち来い ポッポ あっちの水(みざぁ) 苦いけえ こっちの水(みずぁ) 甘いけえ こっち来い ポッポ 全国的なのは、「ほーほー蛍来い」で始まり、「こっちの水は甘いぞ…」までと最後は再び「ほーほー蛍来い」で収めるスタイルであろう。ところが、この歌はやや独特である。いろいろな地方を言語伝承を求めて歩いていて、このように独自な伝承に出会うと、何か宝物でも見つけたような喜びを覚える。さて、それでは類歌の特徴あるものを紹介しよう。まず鳥取県のものから。鳥取市佐治村尾際では、 ほ ほ 蛍来い 蛍来い 小さな提灯さげて来い ほ ほ 蛍来い 蛍来い あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ ほ ほ 蛍来い 蛍来い(福安初子さん・大正4年生) 小さな提灯さげて来い」と蛍の明かりのたとえに特徴がある。東伯郡湯梨浜町原では、 蛍来い 山道来い ランプの光で みんな来い(尾崎すゑさん・明治32年生) 短く引き締まった詞章に特色がある。次に島根県のもの。江津市桜江町渡で、 ほー ほー 蛍来い あっちの水ぁ苦いぞ こっちの水ぁ甘いぞ 貝殻持てこいブウ飲ましょ(門田ヤスエさん・大正8年生) 「貝殻持てこいブウ飲ましょ」は素朴であろう。この大田市のものも「…ポッポ」がおもしろい。 |
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■うしろのどーん (手まり歌)
うしろのどーん まえそのどーん おおさか おさかでどん やすやでどーん 末まかせのお歯黒は いくらです 五百です もすこしまからんか すからか ほーい おまえのことなら 負けとくに ひー ふー みー よー いつ むう なな やー ここのつ とお 山王のお猿さんは 赤いおべべが大(だい)お好き ててさん ててさん よんべの恵比寿講(えべすこう)に よばれて行って 鯛の浜焼き竹麦魚(ほうぼう)の煮付け 一杯すいましょう 二杯すいましょう 三杯目にゃ肴がないとて お腹立て お腹立て はてな はてな はて はて はてな 「お歯黒」の出ている内容から見てかなり古めかしい歌であると想像できる。明治27年発行の岡本昆石編『あづま流行時代子どもうた』には、この歌の後半部分が独立して手まり歌として出ているので、現在のかなづかいに直して紹介しておく。 山王のお猿様は 赤いおべべが大おお好き ててしゃん ててしゃん 昨夜恵比寿講によばれて 鯛の小女郎(小皿?)の 吸物 一杯おすすら 吸うすうら 二杯おすすら吸うら 三杯目には 名主の権兵衛さんが肴がないとてごう腹立ぁち はてな はてな はて はて はてな まずまず一貫 おん貸し申した 千そっせ 万そっせ おたたぁのたたのた 一見して同類であることが分かる。ここにうたわれている山王とは、神田祭りと共に江戸の二大祭りとして有名な江戸麹町日吉山王神社のことではないかといわれている。そして猿は山王権現の使いとして神聖視されているのである。この同類は東京だけではなく、山形・神奈川・静岡・長野・新潟・富山・京都・大阪・宮崎などでもこれまでに収録されている。そのような伝承の過程の中で、ここ島根県の石見地方にも、いつしか根づいていたのであろう。中央で流行していた手まり歌が、どのような経路をたどって島根県の山間部で定着したのか、今となっては知る由もない。ラジオやテレビなどのなかった昔であったろうが、子どもたちの世界では、それなりに流行に敏感で、ちゃんと中央の歌を仕入れ、こうして手まり歌にしていたのである。 |
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■トンボ トンボ (動物の歌)
トンボ トンボ カメガラやるぞ トンボ トンボ カメガラやるぞ 男の子どもたちにとって特に親しいトンボの歌は意外と少ない。松江市美保関町七類で、次の歌があった。 オンジョ来い 男オンジョや 女房(にょうば)オンジョや つかしょば来い 来い(森脇キクさん・明治39生) しかし、これ以外にオンジョをうたった歌は、今のところわたしはまだ出会っていない。 鳥取県での収録は、八頭郡若桜町大野でトンボを捕る歌として次の歌を見つけた。 トンボ トンボ とまれ この指 とまれ(兵頭ゆきえさん・大正5年生) ともかく、トンボ捕りの歌は意外に少ないようである。 |
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■トンボやトンボ (動物の歌)
トンボやトンボ 麦わらトンボ 塩辛トンボ もち竿持って おまえは刺さぬ 日向は暑い こち来てとまれ 日陰で休め 昭和39年8月にうかがった。また浜田市三隅町森溝では「日陰で休め」のところだけ省略され、次のようであった。 トンボやトンボ 麦わらトンボ 塩辛トンボ もち竿持つとも おまえは刺さぬ 日向は暑い こっち来てとまれ なお、金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌・上』によれば、「もち竿持つも」のところが「もちざをもつとも」、「こっち来てとまれ」が「こちきてあそべ」と変化している以外、全く同じ詞章で出ており、作詞者・作曲者・成立年代すべて不明であるとのことである。そして『童謡歳時記』の藤田圭雄氏によれば、関西地方で歌われていたわらべ歌の一種らしいと述べられている。そしてさらに、大正元年以降、東京神田にあった東洋幼稚園では、朝の時間の初めに全員でうたわれていた、とも記してあった。 |
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■こいし こうらい (動物の歌)
こいし こうらい こなオンジョ来い アブラやミタオンジョ 負けて逃げるオンジョ 恥じゃないかや うたってくださった方は、わたしの小中学校時代の恩師である。わたしが教師になって言語伝承を集めていることを知って、「自分が子ども時代にうたっていた」と教えてくださったのが、これであった。園山先生が物故されてすでに久しいが、わたしの録音テープの中には、今でも先生のこの元気のよいお声が残されている。さて、オンジョであるが、これは普通のトンボより大きく、いわゆる「ヤンマ」といわれている種類を指す出雲方言である。そしてアブラは、ヤンマの雄の中でも羽が油色のものをいい、ミタは雌のヤンマをいっている。わたしの世代では、小学校時代、この類の歌で竹などの先に糸を垂らし、それにおとりのオンジョを結びつけて、ゆっくりと振り回し、畑の間を走り回りながら、このオンジョを釣っていた。石村春荘著『山陰路のわらべ歌』(昭和42年・自刊)には、氏の父親である徳次郎氏から収集された、明治20年ごろの歌として、次のように紹介されていた。 こういしくらい こなおんじょくらい あぶらや めとうに まけてにげるおんじょ はじじゃ ないかや ところで、この歌について、わたしには忘れられない思い出がある。昭和41年8月22日のこと。わたしは東京の民放NET局(現在のTBS)の全国ネットである「木島則夫モーニングショー」に、島根県鹿足郡柿木小学校の三名の女子児童と生出演してわらべ歌を放送したことがあった。この曲を彼女たちがうたい終わったとたん、プロデユーサーが「懐かしい」と飛び込んできた。二十二歳の蒲生直人さんというその方は、松江市南田町に住んでいたことがあり、この歌をうたっていたのだという。ただ、蒲生さんの教えてくださった詞章は、次のようになっていた。 おおいしやー このオンジョ来い アブラやミトオンジョ 駆けて逃げるオンジョ 火事じゃないかよ わらべ歌詞章の変化の法則を暗示させるような出来事と共に、知らぬ者同士を瞬時に親しく結びつけるわらべ歌のすばらしさを、このときわたしは知ったのであった。 |
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■正月の神さん (歳事歌)
正月の神(かん)さん どこまでござった 大橋の下(した)まで 破魔弓(はまゆみ)を腰に挿いて 羽子板を杖にして えーいえとごっざった 正月が近づくと子どもたちは、正月を擬人化したようなこのような歌をうたって、来るのを歓迎した。全国各地にこの類の歌は存在している。少し紹介しよう。 鳥取市用瀬町鹿子では、 正月さんはどーこ どこ 万燈山の裾の方 白い箸にバボを挿いて 食いきり 食いきり 今日ござる(小林もよさん・明治30年生) 米子市大谷町では、 正月つぁん 正月つぁん どこまでござった 勝田(かんだ)の山までござった 山百合 杖について 羽子板 腰にさし 栗の木箸に団子挿して かぁぶり かぁぶり ござった(船越容子さん・昭和3年生) もうすぐそこまで正月はやって来ている。自分たちの住むところへもすぐに来るのだ。そのような弾む心がこの歌からはうかがえる。しかも、その正月さんは、正月の象徴である土産を持って来てくれるのである。松江市島根町では破魔弓や羽子板を持って、また、鳥取市用瀬町では白い箸にバボ、すなわち餅を挿し、米子市大谷町では山百合の杖をつき、羽子板や栗の木箸に挿した団子を持って来てくれるのである。それではこれらの土産を持ってきてくれる「正月さん」とは何者であろうか。それはいうまでもなく、季節ごとに姿を変えてやって来、わたしたちが正しい生活を行っているかを、点検し、心正しいものが困っていれば幸せを授け、怠け者がいればそれを戒めるために来る祖霊、すなわち先祖の神なのである。 |
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■カッポさん出てこい (動物の歌)
カッポさん 出て来い 出て来い カッポさん 出て来い 出て来い カッポさんはウスバカゲロウの幼虫の名前。それを掘り出すさいにうたわれる歌である。大田市と同じカッポさんは、出雲部の雲南市飯南町八神でも次のようにして存在していた。 カッポ カッポ 出て来い 甘い水を飲ましょ(升本朝子さん・明治38年生) これになると「甘い水を飲ましょ」のところから、蛍の歌を連想させるものがある。また、江津市波積町南では、よく似た「キッポさん、ジッポさん」とか「ジッポさん」と称している。同地出身で同市桜江町谷住郷にお住まいの本山ハルエさん(昭和23年生)から、次のように教えていただいた。 ジッポさん ジッポさん はよ目に当たれ わしが目に当たれ 子どもらしくストレートに「わしが目に当たれ」と、その願望をうたいあげている。邑智郡邑南町日和では、浜田市三隅町同様、この虫のことを「コンゴ」と呼んでいる。 コンゴ コンゴ 田ぁ掘れ 蓑(みの)笠買うちゃろう ここらで再び出雲部に舞台を移そう。少し変わったところでは、名称が「テテッポさん、カカッポさん」であろうか。雲南市木次町大原のものである。 テテッポさん カカッポさん 水汲みに行くかね オーソドックスなところでは、松江市玉湯町下大谷で、 コモコモさん コモコモさん 出てごさっしゃい とうたわれているのが、それであろうか。 いずれにしても、ウスバカゲロウの幼虫の固有な所作を、人間のそれと置きかえて、子どもたちは詞章を創作しているのである。 |
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■ええこと聞いた (からかい歌)
ええこと聞いた 疾(と)う聞いた 洞光寺(とうこうじ)山へ聞っこえて 松が三本転んで 洞光寺でらの小僧が なんぼ出て すけかぁても かぁても 転んだ 友だちの秘密を知った仲間が、その子をひやかしてうたっていたという。各地に類似の歌があるが、この松江市の歌はかなり豊かな内容である点に特徴がある。この中に庶民の素朴で古い民間信仰が隠されていることにも気をつけていただきたい。以下、それについて眺めてみよう。 まず、言霊(ことだま)信仰である。ことばには神が潜んでおられるから、良いことばを使えば良い結果が現れるが、よくないことばは、逆に悪い結果をもたらす。これが言霊信仰の基本である。「ええこと」は決して良いことではない。当人にとっては人に知られたくない秘密で、それを知られたことは悪い言霊を発したことになる。 次に山の信仰である。山は多くの人間の住む平地とは違い神聖なところであり、神がお住まいになる場所である。この歌では洞光寺山なるそこへ「ええこと」なるものの内容が聞こえた結果、その言霊の影響が出てくる。それは「松が三本倒れ」ることにつながる。これには宿り木信仰と聖数信仰が背景にある。 松は神の宿る神聖な木とする信仰である。昔の人たちは、多くの樹木がすっかり落葉する冬にあっても、青々と葉をつけている松に神秘を感じた。つまりこれには神が宿られるから葉が落ちないと考えた。正月に門松として家の前に松の飾られる理由がここにある。また「三」も神聖な数である。神にお供えするものを乗せる器を三宝といったり、人が社会人として認められる「七五三」なる帯直しの行事が、この地方では三歳に基本をおいて行われているが、そのようなところにも三の数の神聖さは証明される。そうして考えると「松が三本倒れた」の意味の重大さが理解されるのではなかろうか。 つまり、本人にとって知られたくない、絶対に秘密にしたいことが、こともあろうに神のいらっしゃる神聖な山に聞こえ、次々と悪い結果をもたらすことになる。それは神の宿り木の松が、尊い数の三本も倒れ、小僧さんが直そうとしてもできなかったのだから、本人の面目は丸つぶれということになる。 子供の歌に秘められたこの奥の深さは、なかなかすごいものがある。この歌は当然のことながら、このような信仰が常識だった時代に生まれたと思われるのであるから、古い時代に作られたということが推定される。 |
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■わらべ唄 2 | |
■松江のわらべ歌
■おじゃみ お手玉歌には、この「おじゃみ・・・」で始まる歌と、もう一つ「おさら」で始まる歌の二種類が特に知られています。この「おじゃみ」の歌ですが、『日本民謡の流れ』によれば、江戸時代江戸地方に同類のあったことが分かっています。なお、平成11年、仁多郡の高田小学校で一年生の女子児童がこの歌を歌っていたのを聞いたことがあります。歌の生命は意外に長いものです。 おじゃみ おふた おみえ およお おいつ おもお みねみね かっとくれ とんき おじゃみじゃく とんき おおふたざくら ざくら おおみざくら ざくら おおよざくら ざくら おおいつざくら ざくら おおもざくら みねみね おおぼし こおぼし こおぼや こおぼや まもれ ぬーけ ぬーけ ぬーけ ぬーけ ぬーけ おおふた ぬーけ ぬーけ おおみ ぬーけ ぬーけ おおよ ぬーけ ぬーけ おおいつ ぬーけ ぬーけ おおも ぬーけ みねみね おおも ぬーけ つーめ つーめ つーめ つーめ つーめ おおふた つーめ つーめ おおみ つーめ つーめ おおよ つーめ つーめ おおいつ つーめ つーめ おおも つーめ みねみね おおも つーめ ○○さんに 貸せた ■正月つぁん 「正月つぁん」というのは、トシトコさんとか歳徳神などの異名です。この神は海の彼方とか山などに普段は住んでおられ、正月に各地を訪ねて人々に幸せを授け、怠け者を戒める役目を司っています。同類として簸川郡湖陵町の歌も出雲圏のところで紹介しております。 正月の神さん どこまでござった 大橋の下まで 破魔弓を腰に挿いて 羽子板を杖にして えーいえとごっざった ■亥の子歌 旧暦十月の亥の日は、田の神が大根畑まで帰り、亥の子の神になられるので大根畑へ入ってはいけないとする伝承も多く存在しています。この日、コタツを出すと火が粗相にならないとも言われ、子供たちがこの歌をうたいながら、亥の子づ搗きなどをして家々を回ります。各家では餅や柿などを子供たちに与えました。つまり、この行事は亥の子の神が子供に仮託して、各家に幸せを配って回るという意味がこめられています。 亥の子さんの晩に 祝わぬ者は 蛇産め 子産め 角の生えた子産め 祝ってごさっしゃったけん ええ子産まっしゃい ええ子産まっしゃいよ |
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■出雲のわらべ歌
■一は橋 数え歌形式のこの歌は、広く手遊び歌として知られています。明治生まれの方々からもよく聞かされました。2人が向かい合って歌いつつ、手の平を広げ、まず自分の両手の平を合わせ、続いて相手の両手の平を合わせます。そして歌いながら繰り返して遊ぶのですが、この大社町の歌では、最後がじゃんけんに変わりますので、この場合はじゃんけんの前奏曲といった感じになります。 一は橋 二はカキツバタかね 三は下がり藤 四にゃ獅子牡丹ね 五つ井山の千本桜かね 六つ紫 色好く染めたかね 七つ慣れても 八つ山吹 九つ紺屋かね 十で殿御さんがお駕籠に乗ろうかね ゼンゼがのうて乗られません (じゃんけんになる) ■一せんばの異国 数え歌形式のこの歌は、広く手遊び歌として知られています。明治生まれの方々からもよく聞かされました。2人が向かい合って歌いつつ、手の平を広げ、まず自分の両手の平を合わせ、続いて相手の両手の平を合わせます。そして歌いながら繰り返して遊ぶのですが、この大社町の歌では、最後がじゃんけんに変わりますので、この場合はじゃんけんの前奏曲といった感じになります。 一せんばの異国 二せんばの庭に 三せんばの猿が 四つ夜中 エッサッサ 五ついつもの学校へ 六つ村同士 七つ南天何曜日 八つ八重桜 九つ金比羅キーラキラ 十でとうとう終わった ■正月さん 「正月つぁん」というのは、トシトコさんとか歳徳神などの異名です。この神は海の彼方とか山などに普段は住んでおられ、正月に各地を訪ねて人々に幸せを授け、怠け者を戒める役目を司っています。同類は各地でうたわれており、ここでは三瓶山から神が下りて来られることになっています。 正月つぁん 正月つあん どこからござりゃ 三瓶の山から 豆腐の下駄はいて 線香の杖ついて かっぽる かっぽる おいでます ■こぶとりの唄(お手玉の歌) おさらー おみんなー おさらー おてしゃに おてしゃに おとして おさらー おみんな おさらー おはさみ おはさみ おはさみ おとしておさらー おみんな おさらー ひよどり ひよどり だるまのめ なかよし つまよし さらいっとん ちょいすけ おさらー おみんな おさらー [ おてしゃに=手の甲に / おはさみ=指と指の間にお手玉を挟む / おさらー=この歌詞のとき、払うようにしておてだまを掴み抛りあげる ] ■横着者のわらべ唄 山の ひゃっこり どげして やせた もの くゎせんで やせた くいもんなけらな た つくれ た つくりゃ ちべて ちべたけりゃ ふ ね あたれ ふ ね あたりゃ あち あちけりゃ あとしざー せ あとしざーさ のん が かん のん が かみゃ ちぶせ ちぶしゃ ごらしい ごらしけりゃ だいて ねれ だいて ねりゃ よけ かん [ ひゃっこり=春蘭 / ごらしい=可哀相 ] ■.おんじょつりの唄 こーいし こい こな おんじょ こい あぶら や みたお に 負けて 逃げる おんじょ はじだ ないかや |
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■雲南のわらべ歌
■うちの後ろの竹藪に 「千松口説き」として、以前は手まり歌として女の子たちによくうたわれていたものです。この歌は江戸時代には知られていたようで、仙台藩のお家騒動を扱った当時の浄瑠璃の名作「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の中で、若君鶴喜代君を毒殺する陰謀を知った乳母の政岡は、若君に代わって我が子、千松がその菓子を食べた途端、八汐の刃で絶命します。後に政岡が手まり歌の詞章を思い出しつつうたう詞章にこの部分があるのです。 うちの後ろの竹藪に スズメが三羽とまって 一羽のスズメがいうことにゃ よんべ呼んだ花嫁ご 今朝の座敷に座らせて 畳三枚 ござ三枚 六枚屏風を立てつめて しっぽりかっぽり 泣かしゃんす 何が不足で泣かしゃんす 何だり不足はないけれど わしが弟の千松が 西のホウラへかね掘りに かねども掘るやら掘らぬやら 一年たっても戻らんが 二年たってもまだ戻らん 三年ぶりのついたちに 人をごせとの状が来た 人はやらぬがわしが行く 後の田地はどげしゃやら 後のの田地はかねにして 親に三貫 子に四貫 ついた伯母ごに四十四貫 四十四貫の銭金ためて 高い米こうて船に積む 安い米こうて船に積む さっさ行こ行こ都まで 都もどりに何もろた 一にこうがい 二に鏡 三にさらさの帯もろた 帯はもろたがくけてない くけてごっさい伯母ごさん くけよくけよと思えども 夜中すぎてはくけられず 帯にゃ短し タスキにゃ長し 山田薬師の鏡の吊り緒に ちょうどよかろ ちょうどよかろ ■インディアンの歌 歌に合わせて動作をしながら手まりをつきます。「ちょっと足で踏んで」のところでは、手まりを踏むような動作、「ちょっと手で揉んで」では、手まりを手で揉むように扱いながらつくといった具合です。第二次世界大戦後、この歌はけっこう広く歌われていました。そして最後のところですが、「一二三」よりは、「ワン、ツー、スリー」となっている方が多いようです。 インディアンの町 名高い町 ちょっと足で踏んで ちょっと手で揉んで 一 二 三 ■蟻地獄の歌 神社やお寺の境内の縁の下など、あまり雨の降り込まない砂地にウスバカゲロウの幼虫、つまり、俗にアリジゴクといわれる虫が住んでいます。子供たちはこの歌をうたいながら、すり鉢型の底を掘り起こして、この虫の出てくるのを楽しんでいます。 カッポ カッポ 出て来い 甘い水を飲ましょ ■蛍狩りの歌 奥出雲で見つかったこの蛍狩りの歌は、小学校唱歌でよく知られた「ほーほー蛍来い」の歌に非常に似ています。案外、この歌はそれの変形かも知れません。各地にはいろいろと変わった詞章の歌も存在しているのですが、今回はオーソドックスなものを紹介しておきました。 ほ−たる ほ−たる こっちぃ来い あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ |
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■県央のわらべ歌
■ぼんぼんさんさん 柳田国男は『民謡覚書』の「採集のしおり」で、江戸時代から有名な歌「ぼさん山路破れたころも行きし戻りがきにかかる」という民謡を紹介していますが、大田市の手まり歌は、これを本歌としています。つまり、大人の世界の歌を、子供らしく改作して楽しんでいるのです。島根県柿木村で木挽き歌として「坊さん山道ゃ破れた衣行きし戻りがきにかる」を聞いていますが、これも本歌の1つです。 ぼんぼん さんさん さん 山道 やんやん 破れた 御衣 行ききも もん戻りも きにかかる か菓子屋さん ■よーさっさよいさっさ 柳田国男は『民謡覚書』の「採集のしおり」で、江戸時代から有名な歌「ぼさん山路破れたころも行きし戻りがきにかかる」という民謡を紹介していますが、大田市の手まり歌は、これを本歌としています。つまり、大人の世界の歌を、子供らしく改作して楽しんでいるのです。島根県柿木村で木挽き歌として「坊さん山道ゃ破れた衣行きし戻りがきにかる」を聞いていますが、これも本歌の1つです。 よーさっさ よいさっさ 何虫ょ送るか アブラムシを送るよ ■木挽き歌 山で木を伐りだすおりにうたわれた作業歌です。辛い仕事もこのようにして、うたいながらリズムに乗って行えば、作業もはかどろうというもの。昔はこんな七七七五調の作業歌がよくうたわれていました。 木挽き女房になるなよ妹 木挽きゃいど出す はよ死ぬる 木挽き木挽きと大飯ょくろて 松の根切りで おろぼえる 播州高砂 舞子が浜で 鶴がごらんの舞を舞う |
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■浜田のわらべ歌
■お月さんなんぼ この「お月さんなんぼ」の歌は、各地で開かれる子守歌である。しかしながらどういう訳か内容は、地方によって多彩に変化している。那賀郡当たりでは「二十三に九つ」が普通であるが、他の地方では「十三九つ」であるし、後半も違っている。ただ、この歌では「お万」が出てくるが、同類では「お千」という女性も合わせて登場することが多い。 お月さんなんぼ 二十三 九つ そりゃまだ若いぞ とおりの道で 娘の子を拾うて お万に抱かしょ お万は部屋で 小豆飯ぅ炊いて 親に一杯 子に一杯 ■向こうの山を猿が三匹通る 子守歌の中でも「遊ばせ歌」に属するこの歌は、なかなか愉快な内容を持っている。主人公である猿の行動も傑作なら、信仰の対象であるべきはずの地蔵さんや仏さんも愉快である。この歌もよく似た内容で広く歌われており、各地で収録することができる。 向こうの山を猿が三匹通る いっち中の小猿めが ものをよう知っとって 下の畑へ飛び降りて 大根三本 抜いてきて 焼ぁて食っても 塩辛し 煮ぃて食っても塩辛し あんまり塩が辛うて 下の小川へ飛び降りて 水ぅ三杯飲んだらば あんまり腹が太うて 地蔵の前へ糞たれた 地蔵 地蔵 泣きゃんな 仏 仏 笑やんな あさっての市にゃ 板三枚買うてきて 堂を作ってまいりましょ 堂もなんにもいらんが 鍋の底のコガリがほしい ほしい ■からかい歌 友だちに知らせたくない秘密を知った子供が、「ええこと聞いた…」と囃す歌として知られています。ハンドウは水を蓄えておく水瓶のこと。石見地方では「隣のハンドウ、ぶちめぇだ」とうたわれることが多く、これに対して出雲地方では、例えば木次町林原の「…とうこち山へ聞こえて 松が三本倒れた」のように「○○山へ聞こえて松が三本倒れた」の形が多いようです。 ええこと聞いた 疾う聞いた 隣のハンドウ ぶちめぇだ 数えて三十三めぇだ いんでかかさんに叱られて 大藪小藪へ投げられた |
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■益田のわらべ歌
■ブタちゃんの宙返り 子供たちの間ではかなり知られているもので、全国各地で採録することができるようである。ここでは太った子供を見たときに、こううたってからかったものだと、伝承者の島田さんは話していた。一般的には何気なく一人が歌い出すと、そばにいた仲間たちもつられて一緒に合唱してしまうようである。 ブタちゃんの宙返り 屋根から落ちて 水一升飲んで おなかは太鼓 おけつはラッパ ブーブーブー ■おはぎがお嫁に 傑作な内容で高齢の方には懐かしい手まり歌だと思われます。以前は良く歌われていました。おはぎ、つまりぼた餅の黄粉でまぶされたり、アンで表面を包まれたりしたのをお化粧にたとえています。歌の詞章「お化粧して」は、リズムの関係で「おけしょして」と歌われます。音節をながめれば八五八五七五七五となり、盆踊り口説きの七五調の一部字余りのスタイルです。 おはぎがお嫁に 行くときは きなことアンコで お化粧して のどの関所を つまづいて あすはお発ちか 下関 ■坊さん坊さん 石見地方西部の手まり歌では、この「坊さん 坊さん…」の歌が、かなり聞かれました。この地方を代表する手まり歌だと考え、紹介したものです。後半の詞章では言葉はありますが、通して眺めると意味がよく分からないというのも、伝承の手まり歌らしいといえそうです。 坊さん 坊さん お前のやしき 立派なやしき 梅の木 三本 桜が 三本 あわして 六本 から傘から梅 からす一羽で わぁたした わぁたした |
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■隠岐のわらべ歌
■向こうの山見て機織れ 子供の手遊び歌ではありますが、歌われている詞章の内容に昔の生活の様子が、自然に投影しています。つまり、具体的に「しっかり機を織りなさい」と、毎日の生活を見据えている目が、そこに生かされているのです。 向こうの山見て 機織れ 機織れ ■唐人の寝言には これは一種の早口言葉です。友達の間でいかに早く言えるかを競って遊びます。同類を同じ隠岐の島の五箇村でも聞くことが出来ました。それは、「唐人の寝言には オオシュ テレスク ネイーソウ キンカネ ギンカネ ギンチョウ サイテ ヤータラ ボータラ オトトコ シンタン カンポンタン ヒラナイソウカ ズウベラボン スットコ ネイタカ ツーパーパー」比べてみてもほとんど同じでした。 唐人(とうじん)の寝言には オオショ テレスコ メェショウナ ネーロニアンネーロキンカニ ギンカニ キンチョウ サイテテーレス イチズクヤーノ オトトク シンタン カンポンタン イラナイショウカワ ズンベラ ポントコ ネーターカ ツウパアパ ■あの山で光るものは 実にきれいな詞章と美しい調べを持った手まり歌です。同類は今のところ山陰で見つかりませんが、県外では、群馬、東京、埼玉に仲間があり、九州の福岡、熊本にも同類が確認されています。この歌は隠岐という離島ゆえに、他の地方で消えていってもそのまま命脈を保ち続けていたのかも知れません。 あの山で 光るものは 月か 星か 蛍か 月ならば 拝みましょうか 蛍ならば 手に取る 手に取る まずまず一貫 貸し申した |
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■山口 | |
日本の明日を創るのだ 松下村塾 長州魂 いまも生きてる萩の町 | |
■遊ばせ唄 | |
■かおかおかおよ
かおかお かおよ かおかお かおよ |
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■きっこうばい
きっこうばい やんごらせ 米ならまかしょに 麦じゃった |
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■ぎっこたんまっこたん
ぎっこたんまっこたん 沖ゃ波が高いぞ あばたの爺が はい諸を切らして 海の中へ どぶどぶどぶ 海の中へ どぶどぶどぶ |
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■ちょちちょちあばば
ちょちちょちあばば あたまてんしてんしよ じいのめじいのめ たらまきたらまき |
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■この子はどこの子
この子は どこの子 昨日来た爺の子 上がれ遊ばしょ 黄粉餅ょ三つ四つ かるわしょ |
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■大さむ小さむ
大さむ小さむ 小さむの家にゃ 餅ついてかこて 泣く子にゃ一つ 笑う子にゃ二つ 子守りにゃ三つ |
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■寝させ唄 | |
■ねんねこよ
ねんねこよ ねんねこよ 寝たらおかかに 連れてゆく 起きたらごんごに かぶらせる ねんねこよ ねんねこよ |
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■ねんねんよ 1
ねんねんよ ねんねんよ 寝たらねむり餅 三つやる 起きたらごんごしに かぶらせる ねんねんよ ねんねんよ |
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■ねんねんよ 2
ねんねんよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 寝たらあんもを 搗いてやる 起きたらやいとを すえてやる ねんねのお守りは どこへ行った あの山越えて 里へ行った 里のみやげにゃ なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 それよりほかには なにもろた なんにももらわん ねんねんせ |
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■ねんねんよ 3
ねんねんよ ねんねんよ 寝たらあん餅 買うちゃるぞ 起きたらふいふい すえちゃるぞ ねんねんよ ねんねんよ |
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■ねんねん猫のけつに
ねんねん猫のけつに がにが舞いこんだ いたかろ かいかろ のけてやろ やっとこさと ひっぱり出したら また舞いこんだ |
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■ねんねん小山の
ねんねんよ ねんねこよ ねんねん小山の きじの子は 起きたらおたかに とられます だまってねんねん ねんねんよ だまってねんねん ねんねんよ |
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■けんけん山の
けんけん山の きじの子は なして鷹に とられた あまりにけんけん ないたゆえ それで鷹に とられた お前もあんまりなくと 鷹にとられて ゆくだろう |
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■お子供衆お子供衆
お子供衆お子供衆 花折りに行きゃらんか どこ花かどこ花か 地藏の前の桜花 一枝折りゃぱっと散り 二枝折りゃぱっと散り 三枝目にゃ日が暮れて 後へも先へも行かれいで 西の紺屋へ宿とろか 東の紺屋へ宿とろか 道の中の殿さま紺屋へ 宿とって 畳はせまし夜は長し あかつき起きて空見れば ちんごのような星さまが 銚子さかずき手に持って こりゃだれにさそうか 忠兵衛どんにさそうの 忠兵衛どんのお肴は 白うじ赤うじまだらうじ あかだがはてのこまてうじ |
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■婿をとるのは
婿をとるのは だれむすめ 糸屋八郎左の おとむすめ さてもよい子じゃ 器量な子じゃ 器量で育てた 子じゃものに 木綿十反 買うてとらしょ 小袖八反 買うてとらしょ それがうえでも 不足なら 京や大阪に つれのぼる つれてのぼるこた やすけれど あとで父母 泣くなみだ 泣くななみだは 船に積み 船はしろがね 櫓はこがね やんさ押せ押せ みやこまで みやこみやげに なにもろた 一にゃこうがえ 二にゃかがみ 三にゃこだまの 帯もろた 帯はもろたが まだふけん 今夜ふきょか お父ごさん あしたふきょか 母ごさん あしたのあかりに ふけつれば 蓮華の花より まだ見事 さくらの花より まだ見事 ぼたん しゃくやく ゆりの花 ねんねこよー ぼうちこよー |
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■お前は唐の
お前は唐の唐人か 口ひげが長いで 子供が恐れた アラヨイヨイヨイ お前は浜のおばさんか いつ見ても方褄からげて じゃこじゃこ アラヨイヨイヨイ |
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■お月さんなんぼ
お月さんなんぼ 十三七つ まだ年ゃ若いの あんな子を産んで この子を産んで 誰に抱かしょ お万に抱かしょ お万どこ行った 油買いに茶買いに 油屋の縁で 氷がはって すべってころんで 油一升こぼして 太郎どんの犬と 次郎どんの犬が みんな なめてしまった その犬どうした 太鼓の皮にはって あっち向いて どんどこどん こっち向いて どんどこどん |
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■あとさまなんぼ
あとさまなんぼ 十三九つ そりゃまだ若いの 若いは道理 道理の道で 赤子をひろて こりゃ誰に抱かしょ 花子さあに抱かしょ 花子さあどこ行た 油買いに茶買いに 油屋の前で 油一升かやした その油どうした 太郎どんの犬と 次郎どんの犬と みんな来てなめた その犬はどうした 太鼓にはって あっち向いちゃ どんどんどん こっち向いちゃ どんどんどん |
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■あとはんなんぼ
あとはんなんぼ 十三九つ そにしちゃ若いぞ 若い年ゃ道理 どうりやの背戸で ねんねこ一つ拾うた そりゃだれにやろか お万にやろう お万の乳は 美しゅうてまるうて てんてんてんまりよ |
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■ねんねこほんそ
よいよいよー こんぼいよ ねんねこほんそが 寝たなら つじから籾を おろして 炒ってはたいて 粉に挽いて ねんねこほんそに 飲まするぞ よいよいよー こんぼいよ ねたねたせー ねんねこさ ねんね子守りは どこ行った あの山越えて 里行った 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 よいよいよー こんぼいよ ねたねたせー ねんねこさ |
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■次郎や太郎や
次郎や太郎や 馬をどこへ つないだ さんごろ松へ つないだ なにょ食わして つないだ あくたを食わして つないだ あくたの中を さんぐりさんぐりしおったら ぜにが一文 あったげな そのぜにゃどうした 米を買うて候 その米はどうした 酒に造って候 その酒どうした 犬がねぶって候 その犬はどうした 打ち殺して候 その皮はどうした 太鼓に張って候 その太鼓はどうした 鳶がつついて候 その鳶はどうした 打ち殺して候 その羽はどうした 矢にして候 その矢はどうした あんな山こんな山 打って打って 打ち捨てた |
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■ねんねん唱名
ねんねん唱名 じょうさんげ 三月じゅうは よろこべよ よろこび心の おこるのは 弥陀の本願 きいたゆえ 弥陀の本願 きいたのは すぐにこいとの ご勅令 勅令きいたが 信心よ 信心ひとつで まいるのよ |
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■守り子唄 | |
■どこへ行くとも
どこへ行くとも 八ケ浜にゃ行くな ヨイヨイ 松露がんぼ汁で 胸ょこがす ヨイヨイ どこへ行くとも 白滝にゃ行くな ヨイヨイ 小麦だんごで 胸ょこがす ヨイヨイ どこへ行くとも 厚母にゃ行くな ヨイヨイ いやな厚母の かがち底 ヨイヨイ 山が高うて 室津が見えぬ ヨイヨイ 室津恋しや 山憎くや ヨイヨイ |
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■わらべ歌 | |
■「そおとめそおとめ」
そおとめ そおとめ たぁうえ みのもかさも こうちゃろ そおとめ=水すましの意。方言だそうです。「そおとめ」を田植えをする早乙女に見立てて歌ったとか。田植えの真似っこをして遊ぶのも面白いかもしれませんね。 |
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■「どんどんやきゃ」
どんどんやきゃ じゅうよっか もちのかい(粥)は じゅうごんち どんど焼き(とんど焼き・左義長)の歌で、正月14日(現在では15日に行われる)に輪飾りや書初めを外で焼きます。15日には正月に供えた鏡餅を切ってお粥にし、そのお粥を神佛に供え、家族一同が食するといった慣わしでした。どんど焼きは地方によって様々な呼び方があります。私は広島県出身ですが「とんど」と言っておりました。他にも「おんべ焼き」と呼ばれたり、「かんじょ」「どんと」「さぎっちょ」などと呼ばれたりするそうです。 |
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■愛媛 | |
抱いてください 燃えつきるまで 夢であなたに逢えますか 春は名ばかり 大三島 海猫の棲む島を ぐるりと一まわり 何を想うか 豊後水道 がんばろうね ふたりでね 影がより添う 豊予海峡 |
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■遊ばせ唄 | |
■籾すりこんご
籾すりこんご 籾がなけりゃ 貸しましょ まだ籾ござる 臼に八升 箕に八升 ずってずって ずりこかして |
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■大やぶ子やぶ
大やぶ小やぶ 光り窓に 蜂の巣 碁石に ぼた餅に きいくらげ きいくらげ |
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■ちょうちちょうち
ちょうち ちょうち ちょうちや わくぐる わくぐる わくぐるや じんのみ じんのみ じんのみや あたま てんてんや |
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■寝させ唄 | |
■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ 坊やよい子だ ねんねしな 守りのこやくは もからかんね うとてさなるは 守りの役 ねんねんころりよ ねんころり |
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■ねんねんさんねん
ねんねんさんねん 酒屋の子 酒屋のかみさん 子がのうて はつかねずみを つかまえて さかやきそって べべ着せて ぜんぜを三文 持たして 油揚買いに やったなら となりのとなりの どら猫が 頭からモジャモジャと かんでしもたア ねんねんせェ ねんねんせ |
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■ねんねんころりの
ねんねんころりの やぐらの子 やぐらのお守りは どこへいた あの山こえて 里へいた 里のみやげに 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 それをもろうて 何にする 吹いたりたたいたり して遊ぶ ねんねんころりや おころりや その子が十五に なったなら 屋敷を開いて 倉たてて 倉の回りに 松植えて 松の木陰で 昼寝する ねんねんころりよ おころりよ |
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■ねんねんやぼろろんや
ねんねんやア ぼろろんや 坊やのお守りは どこへ行た あの山越えて 里へ行た 里のみやげに 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 お笛をもろても よう吹かん 太鼓をもろても ようたたかん ねんねんやア ぼろろんや ねんねんやア ぼろろんや |
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■守り子唄 | |
■下の金毘羅さん
下の金毘羅さんに ちょうちんが 見える あれはみな 雨ごいだ ヨイヨイ あの子見よると 照る日も 曇る 冴えた月夜も 闇になる ヨイヨイ ヨイヨイ なんぼ泣いても この子は かわい わしの飯の ためじゃもの ヨイヨイ ヨイヨイ |
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■ねんねねさせて
ねんねねさせて ふとんを着せてェ ヨイヨイ 親はこたつで 針仕事 |
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■この子十五に
この子十五に なったなら 屋敷ひろげて 倉建てて 倉の回りに 松植えて 松の小枝に 鈴つけて 鈴がジャラジャラ 鳴るときは おとっつぁんも おかやんも うれしかろ |
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■ねんねしなされ
ねんねしなされ おやすみイなされ 起きて泣く子の つらにくさ |
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■わらべ歌 | |
■(鬼ごっこの歌) 鬼子にする者な 早よこい 疾うこい あかねの夜星で でんでこでん ■(鬼あそび歌) 中の中の 弘法大師 なぜ背が低いぞ 低けりゃ高うせい 高けりゃ低うせい うしろのものだあーれ ■(まりつき歌) おもさんおもさんお嫁入りか お嫁入りなれば言って来なれ お嫁入り道具を言うてきかそ 絹の着物を百三十 紬の着物を百三十 木綿の着物を百三十 たんす長持はさみ箱 それほど仕立ててある中に 必ずもどると思うなよ ■(お手玉) おさら おひとつおろしておさら ■(羽根つき歌) いってきな にてきな みていきな よっていきな いつやの むさし ななやの やくし ここのやでとうよ わたした ■ てんぐんさん風おくれ いわしのあたま三つやろ 三つがいやなら四つあろ てんぐんさん風おくれ たこたこあがれ たこたこあがれ ■(手合わせ歌) 一でとったくしょで 二でかきつばたね 三でさがりふじ 四で獅子ぼたんね 五つむらさき 七つナンテン 八つ山吹 九つ小梅は色よく咲いたかね 十で殿様あおいの御紋ね 竹に雀は仙台さんの御紋ね ■(縄とび歌) 大波 小波 でんぐり返して ほっぽいしょ ■ 一がさした 二がさした 三がさした 四がさした |
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■面河村
■わらべ唄 わらべ唄には、二とおりの種類がある。一つは子供がみずから歌うもの、一つは子供に歌って聴かせるものである。子供の唄には、その土地で生まれたもの、又は古く人の移住によって伝わってきて、ずっと歌われたものがあり、町方の生活・文化に影響されていない農村の自然の中で育った文学といえばおおげさであろうか。その中に、いたいけない子供の自然を歌ったもの・物語り的なもの、特に、遊びに結びつくか遊びを伴ったものが多い。山村の自然を愛し、その単純な言葉にも、当時の思想的な背景もあり、その独特の調べには、素ぼくな感情が流れている。しかし近年になってから、テレビの普及・漫画の流行・幼児教育・小学教育の発達につれ、子供の生活の地域性は薄れ、昔からの子供の唄は、子供の遊びそのものの変化に伴い、しだいに子供の世界から消えつつあるのではあるまいか。 ■かいぐりかいぐり (赤ちゃんに動作を教える唄) ちょうち ちょうち あわわ じんのみ じんのみ じんのみや (片方の手のひらを人指し指で指す) わくぐり わくぐり (両手をくるくる回す) にゃんの目 (目を指でつり上げる) おつむてんてん (頭をたたく) ■ほたる狩り ほう ほう ほうたるこい あっちの水は にがいぞ こっちの水は あまいぞ あまい水を のみにこい ■凧あげ てんぐんさぁん 風おくれ いわしのあたまを 三つやろ おたふく みふく 風がふいたら よふく ■子守唄 坊やは よい子だ ねんねしな ねんねのおもりは どこへいた あの山こえて 里へいた 里のおみやに なにもろた でんでんだいこに 笙の笛 おきゃがり 小法師に 犬はりこ たたいて きかすに ねんねしな ■お月さん お月さん なんぼ 十三九つ まだ としゃわ わかいや わかい子 もうけて たれに だかそか ○○さんに だかそ ■まりつき唄 あんたとこ どこさ ひごさ ひごどこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ せんば山には狸がおってさ それを かりうどが 鉄砲で打ってさ にてさ やいてさ それを 木の葉で ちょいとかくせ ■おてだま唄 西条山は 霧深し ちくまの川は 波早し さかまく波か つわものか のぼる朝日に 旗の手の きらくひまに くるくるくる ■はないちもんめ かってうれしい はないちもんめ まけてくやしい はないちもんめ ふるさともとめて はないちもんめ ふるさともとめて はないちもんめ ○○さんとりたい はないちもんめ ××さんとりたい はないちもんめ ジャンケンポン (以下繰り返し) ■かごめかごめ かーごめ かごめ かごの中の とりは いついつ でやる 夜あけの晩に つるとかめが すべった うしろの正面 だあれ ■なわとび 大波 小波 風が吹いたら まわしませう 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。 ■亥の子唄 おいのこさんというひとは いちで俵ふまえて にいで にっこり笑うて 三で お酒を作りませう よっつ よの中 よいように いつつ いつもの如くなり むっつ 無病そくさいに ななつ 何事ないように やっつ 屋敷をたてひろげ ここのつ 小蔵をたてならべ とうで とんとん つきおさめ ■かぞえ唄 一かけ 二かけ 三かけて 四かけて 五かけて 橋かけて 橋のらんかんに 腰かけて はるか向こうをながむれば 十七、八の姉さんが 花と 線香を 手に持って 私は 九州 鹿児島の 西郷隆盛の 娘です 明治十年 戦争で せっぷくなさった 父上の お墓まいりに まいります お墓の前で手をあわせ ナムアミダブツとおがみます 父上さまの たましいは フウワリ フワリと ジャンケンポン ■てまり唄 1 てまりと てまりと いきおうて 一つのてまりの いうことにゃ 朝もとうから 起きなろて ちゃん ちゃん 茶釜を くみかえて とうちゃん かあちゃん おきしゃんせ おきて ままくて かみゆうて てんてこ寺へ まいらんか てんてこ寺の きじねこは 内より そとより ほうろうっ ほうろじゃあるまい 傘じゃろ 傘はなに傘 えちご傘 えちごの山へ 入ってて あんな小屋へとまろうか そんな小屋へとまろうか あんな小屋は青みしろ こんな小屋は 青だたみ 青みしろにとまって みしろははしかし 夜は長し あか時 すぎて 空見れば 花のやうな じょうさんが あんどのあかりで 髪ゆうて お月のあかりで 湯つこて 一っぱいおあがり じょうごさん 二はいおあがり じょうごさん 三ぱいめに さかながないとて あがらんか さかなは 白うり 赤大根 低い山の ひくの子 高い山の たかの子 じょろじょろ川の あいの子 せりやいりこで おおきめた ■てまり唄 2 およし よし よし 吉田の うまれ うまれおちると おちちに はなれ いまは 吉田の機織娘 月に三反 木綿を 二反 わしも 一度は いにたいものじゃ いぬるこみちで書いた紙 ひろて 手にとりみれは おいろこいこい おまんをつれて おまん ひきたて やるものないが 筆や草紙や うたいの本や まだもやりたい 長崎かもじ 入れてゆわえて後から 見れば わげが三尺 まきてが二尺 あわし五尺のなげ島田 なげ 島田 |
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■久万町
■亥の子歌 ■お亥の子さんという人は 一で俵踏まえて、二でにっこり笑うて、三で酒造って、 四つ世の中よいように、五ついつものごとくなり、六つ無病息災に、 七つ何事ないように、八つ屋敷を掘り広げ、九つ小倉を建て並べ、 十でとんとつき納め、この家繁盛せい 繁盛繁盛大繁盛、 もう一つおまけに大繁盛 ■亥の子つきを拒否した場合 亥子、亥子、亥予餅ついて、祝わんものは、鬼産め蛇産め角のはえた子産め ■手まり歌 1、正月とえ、障子あければ万才がつづみの音やら歌の声、さあ歌の声 2、二月とえ、神社参りや寺参り、あすは彼岸のお中日、さあお中日 3、三月とえ、桜花にはおひな様、きれいに飾った内裏様、さあ内裏様 4、四月とえ、死んでまた来るお釈迦様、竹のひしゃくで茶々あがれ、さあ茶々あがれ 5、五月とえ、ごんぼしぼりの前かけを、正月結ぼとのけといた、さあのけといた 6、六月とえ、ろくに結ばん前かけを、ころんでよごしてはらがたつ、さあはらがたつ 7、七月とえ、質に入れたり流したり、質屋のおばさん懇切な、さあ懇切な 8、八月とえ、蜂にさされて目が痛い、姉さん薬はないかいな、さあないかいな 9、九月とえ、草の中には菊の花、姉さん一枝折ってんか、さあ折ってんか 10、十月とえ、重箱さげてどこへ行く、おいべっさまのお使いに、さあお使いに ■ 一かけ二かけ三かけて、四かけて五かけて橋かけて、橋のらんかん腰おろし、はるか向こうを踏むれば、十七、八のねえさんか手には花持ち線香持ち、ねえさんねえさんどこへ行く、わたしは九州鹿児島の西郷隆盛娘です。 明治一〇年三月に、切腹なされた父上のお墓へ参る途中です。 ■ おん正正正月は、松たてて、竹たてて、年詞の御用に行きましょう おたばこぼん、お茶もてこい、なんぞ吸い物早もてこい ひいや、ふうや、みいや、ようや、いつや、むうや、ななや、やあや、ここのや、とう とおからおいでたおいも屋さん、おいも一貫はいくらかね、二四文でありますぞ もうちいとまからんか、ちゃからかぼん、お前のことなら負けたぎょう 隣のおばさんちょっとおいで、おいものにころかしこれあげよ ひいや、ふうや、みいや、ようや、いつや、むうや、ななや、やあや、ここのや、とう、とうで一回おさめた ■ 日清談判破裂して、品川乗り出す吾妻艦、続いて金剛、浪速艦、先を行くのは松島艦、玄海灘を乗り越えて、黄海表で敵にあい、砲弾浴びて戦こうて、敵の平遠、定遠撃ち沈め、鎮遠号を捕獲して、めでたく凱旋いたしますこれか戦争のはじめにて、陸上海上大勝利 ひいや、ふうや、みいや、ようや、いつや、むうや、ななや、やあや、ここのや、とう、とうでとうとう勝ち通し、勝利勝利大勝利 ■ 朝起きた、父さん母さんどこへ行た、馬を引いて牛追うて、奥の山へと草刈りに、わたしゃおうちでお留守番、お留守番 妹が弟が次から次へと起きてくる、おまんま食べて連れだって、近所のお友だち、お友だちとお宮のお庭で遊びます 字かくし、葉かくし、手まりつき、ひいや、ふうや、みいや、ようや、いつや、むうや、ななや、やあや、ここのや、とう 十人寄ったらにぎやかに、大飛び小飛びもできまする、そりゃ大飛び小飛びでおまりがお背なに納まった ■ お正月はよいもんじゃ雪のようなまま食べて、木の葉のようなじじ(魚)食べて、お袖の長いべべを着て 羽子板ついてたこ上げて、まりついてこまを回して遊びます、早くこいこいお正月 ■なわとび歌 大波小波、風が吹いたら回しましょう、いちりき、にりき、さんりき、しりき、しきりき、すっぽんぽん ■子守り歌 ねんねんころりよおころりよ、ねんねのお守りはどこへ行た。あの山越えて里へ行た。里のみやげに何もろた、でんでん太鼓にしょうの笛、それを もろうて何にする、吹いたり、たたいたりして遊ぶ、坊やはよい子じゃねんねしな、ねんねんころりよおころりよ |
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■柳谷村
■てまりとてまり (手毬唄) てまりとてまりが行きおうて 一つの手まりが言うことにや 一年奉公しよじゃないか 一年奉公わしゃいやじゃ 二年奉公しよじゃないか 二年奉公わしゃいやじゃ 三年奉公しよじゃないか 三年奉公するからにゃ 朝もとうから起きやんせ ちゃんちゃん茶釜に水ついで おじさんおばさん起きやんせ 起きて茶茶飲んで髪結うて てんてこ寺へ参りやんせ てんてこ寺のきじ猫は 父より母よりほろろうつ ほろろじゃあるまい傘じゃあろ 傘は何傘えちご傘 一に鏡台二に鏡 三人子供に帯もろて 帯はもろたがくけてない くけておくれやあねごさん くけてあげるは楽なれど 針がないからくけられん 針は針屋の絹糸で くけてもろうて花見に行けば お寺ぼんさにだきしめられて 帯がきれるけはなしておくれ 帯がきれたらつなぎもできる 縁がきれるけはなしておくれ 縁がきれたらつながれん ■うけとった (手毬唄) 今日はきょうきょう 明日はだいだい お台所のおてんまりを お貸しなされや お見せなされや 貨してもろうて ついて汚して戻すときは 赤の糸や黄の糸や 金茶まじりの紫 おうやこうやと おちどりもうして ○○さんの小袖の下へ お渡し申すががってんか ヨシガッテン ガッテン ■わしのおばさん (手毬唄) わしのおばさん 窓から見れば 銀の屏風に 綿のふとん こまい茶びんに 甘茶を入れて 誰にさそうや お芳にさそう お芳 芳 芳 吉田の生れ 生まれ落ちると おばさんがかり おばにかかりて はや十年よ 奉公さそうか 縁づきさそか 縁はまだまだ 奉公が急ぐ 奉公さしても わきへもやらん 寺のおしょやの 機織り奉公 機は織っても 布織りいやよ 紬三反 木綿が二反 織って仕立てて 旦那に着せて わしも一度 いにたいものよ いぬる小道で 書いた紙ひろて 足でけり上げ 手に取って見れば 下の一字は お色とござる 上の一字は お万とござる お色来い来い お万をつれて お色来たとて やるものないぞ 筆に草紙に 歌の本 まだもやりたい 長崎かもじ いれていわして 後から見れば つとん三尺 まきてが二尺 合せて五尺の まげ島田 ■一匁のいい助さん (手毬唄) 一匁のいい助さん いの字が嫌いで 一万一千一百石一斗一升 お蔵におさめて二匁に渡した 二匁のにいすけさん 二の字が嫌いで 二万二千二百石二斗二升 お蔵におさめて三匁に渡した (一〇匁まで続く) ■おしょしょ正月 (手毬唄) おしょしょ正月は 松立てて 竹立てて 年始の御祝儀 いたしましょ オチャチャカポン 茶々持て来い なんと 吸物 早よ持て来い 子供の喜ぶ お正月 お正月 ひいや ふうや みいや ようや いーつや むーや なーや やーや ここのや とーや とうからおいでだ お芋屋さん お芋一升 いくらかね 八十七銭五厘よ もちっとまからんか チャカランカポイ おばさんのことなら まけてあぎょ ざるを出し ますを出し ■正月とえ (手毬唄) 正月とえ 障子あければ万才が 鼓の音やら歌の声 さあ歌の声 二月とえ お宮参りや寺参り あすは彼岸のお中日 さあお中日 三月とえ 桜の花にはおひな様 きれいに飾った内裏様 さあ内裏様 四月とえ 死んでまた来るお釈迦様 竹のひしゃくで茶茶あがれ さあ茶茶あがれ 五月とえ ごんぼ紋りの前掛けを 正月結ぼとのけといた さあのけといた 六月とえ ろくに結ばん前掛けを ころんで汚して腹が立つ さあ腹が立つ 七月とえ 質に入れたり流したり 質屋のおばさん親切な さあ親切な 八月とえ 蜂にさされて目が痛い 姉さん薬はないかいな さあないかいな 九月とえ 草の中には菊の花 姉さん一枝折ってんか さあ折ってんか 十月とえ 重箱さげてどこえ行く おいべつさまのお使いに さあお使いに 十一月とえ 十一ぐらいの兄さんが 鉄砲かついで鳥うちに さあ鳥うちに 十二月とえ 十二ぐらいの姉さんが 私の肩掛け編んでいる さあ編んでいる ■一かけ二かけ (手毬唄) 一かけ 二かけ 三かけて 四かけて 五かけて 橋をかけ 橋のらんかんに 腰かけて はるか向うを ながむれば 十七八のねえさんが 手には花持ち 線香持ち ねえさん ねえさん どこえ行く 私は九州鹿児島の 西郷隆盛娘です 明治十年の戦争で 切腹なされた 父上の お墓参りに参ります ■一れつ談判 (手毬唄) 一れつ談判破裂して 日霧戦争始った さっさと逃げるはロシヤ兵 死ぬまで尽すは日本の兵 五万の兵と戦いて 六人残して皆殺し 七月七日の戦いに ハルピンまでも 攻めよせて クロバトキンノ 首を取り 東郷大将万々歳 ■一番はじめは (手毬唄) 一番 最初は一ノ宮 二で 日光東照宮 三で 讃岐の金毘羅さん 四で 信濃の善光寺 五つ 出雲の大社 六つ 村々鎮守様 七つ 成田の不動様 八つ 八幡の八幡宮 九つ 高野の弘法大師 十で 東京の明治神宮 ■おじゃみ (お手玉唄) おじゃみ おふた おみい およう なんとかじゆ とんちな おじゃみざくら おふたざくら おみざくら ざくら おようざくら おななざくら おもがえし おうまののりかえ おかごののりかえ のりかえた おふた おふた おうまののりかえ のりかえた おみい おうまののりかえ のりかえた およう おうまののりかえ のりかえた ■日本の乃木さんが (お手玉唄) 日本の乃木さんが 凱旋す すずめ めじろ ロシヤ 野蛮国 クロバトキン 金の丸 マカロフ ふんどし 締めた 丹切り リコウシヨウのはげ頭 負けて逃げるが チャンチャンボ 棒でたたくが犬殺し しわん坊主の柿の種 年があいたら帰ろうか 鍛冶屋の丁稚も暑かろう お寺の小僧もお経よみ 皆さんこれでおしまい ■一や二 (羽子つき唄) 一や二 三や四 五や六 七や八 九や十 ■鬼ごと (鬼あそび唄) 鬼さんこちら 手のなる方へ 鬼さんこちら 豆いってかまそ 鬼が来るまで 豆いって待ちょろ ■かごめかごめ (鬼あそび唄) かあごめ かごめ 篭の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が すうべった うしろの正面だあれ ■坊さん坊さん (鬼あそび唄) 坊さん坊さん どこ行くの わたしは 田圃へ稲刈りに 私も一緒に連れしゃんせ お前が来ると 邪魔になる このきんかん坊主 くそ坊主 後の正面だーれ ■中の中の弘法大師 (鬼あそび唄) 中の中の弘法大師 なぜに 背が低いぞ 立てば立ってみせい うしろの者 だあれ ■大波小波 (縄とび唄) 大波小波 風が吹いたら まわしましょ 一 二 三 四 五 六 高一 高二 三リキ リキ リキ スッポンピ ■ゆうびんさん (縄とび唄) ゆうびんさん 走らんか もうかれこれ 十二時じゃ 時間がきれたら ばっきんじゃ ■おはいり (縄とび唄) おはいり はいよろし ジャンケンポン 負けたお方は 出てちょうだい ■子くれ子くれ (子取り遊び) 子くれ子くれ どの子が欲しい この子が欲しい 連れて帰って 何食わす せんちのはたの ぐいみ食わす それはあんまり ほろきしゃない 川端のぐいみ 食わす それはあんまり 水くさい お米のまんまに じじ食わす それなら やるから 連れて行き ■夏も近づく (手合わせ遊び唄) 夏も近づく 八十八夜 野にも山にも 若葉が茂る あれに見ゆるは 茶摘みでないか あかねたすきに 菅の笠ー ■いびつく (指遊び唄) いびつく にびつく さんびが早い お姫さんが 指つく らんちゃんぽ ■一が刺した (指遊び唄) 一が刺した 二が刺した 三が刺した 四が刺した 五が刺した 六が刺した 七が刺した 八(蜂)が刺した ブーン ■だるまさん (にらめっこ遊び唄) だるまさん だるまさん にらめっこしましょ 笑ろたら駄目よ うんとこ どっこいしょ ■通りゃんせ (関所遊び唄) 通りやんせ 通りやんせ ここはどこの 細道じゃ 天神様の細道じゃ ちょっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ この子の 七つのお祝いに お札を納めに 参ります 行きはよいよい 帰りは恐い 恐いながらも 通りゃんせ 通りゃんせ ■ちようち (幼児の唄) ちようち ちようち おつむてんてん 輪くぐり 輪くぐり おつむてんてん じいのみ じいのみ |
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■伊予市
■あやふり、お手玉のうた (一)さいじょうさんは きりふかし ちくまの川は 波あらし はるかにきこえる ものおとは さかまく波か つわものか のぼる朝日の はたの出の ひらめくひまに くるゝゝ (二)くるまがかりの じんそなえ めぐるもあいずの ときのこえ あわせるかいも あわしふく てきはこのかた かすみだす 川中島のたたかいは かたるもきくも いさましや ■ お一つおとして おさら お二つおとして おさら おみんなおとして おさら お手のみ おさら おつかみ おさら おちりんて おさら おひだり おひだり おさら くるくるまわして おさら くはづけやっちょんめ やっちょめ やっちょめ おさら お手ぶし お手ぶし ぶっしておさら おんばさん おんばさん ばあさんで おさら しいるしる しいるしる しいるでおさら おさで おさら ちいさな はしくぐれ くぐっておさら おおけな はしくぐれ くぐっておさら どのむくりやんしょ お一つやのおつの木 お二つやのおつの木 お三つやのおつの木 どっこい目が一しょう おじゃみ お二お二 お三お三 お四 なんてくりょう とんきり おじゃみざくら お二ざくら お二ざくら ざくら お三ざくら お三ざくら ざくら お四ざくら おななさらり むむがえし お二こぼし お二こぼし こぼし でたよ でたよ でたよ おひとよせ おふたよせ おのせきり おひと おぬけ おぬけ おぬけ ぬけた おふた おぬけ おぬけ おぬけ ぬけた おみお おぬけ おぬけ おぬけ ぬけた お四おぬけ おひとお馬ののりかえ おかごでのりこえた お二 お馬ののりかえ おがごてのりかえた お三 お馬 お四 お馬 小はしくぐれ 大はしくぐれ おむがえし おつめぱあらあり おまねき一っかい 一つ ひんがら 二つ ふんがら 三つ みんがら 四つ よんがら 五六いつでも 七八おいさん ここのとお ■羽根つきうた 一や二 三や四 五や六 七や八 九や十 ■ ひとめ ふため 見わたしゃ 嫁ご いつやの むさし 七やの やくし 九のや 一くわん ■手まりうた おしろのさあ おしろのさあ おん侍衆は おかごにおのりて いちうけいっさんどん ついた かどん つかんかどん 島ばち 松ばち さかしにどん 一や二 三や四 五つや六 七や八 九や十 もういっぺんかえして おしろのさあ おしろのさあ ■ おんしょうしょうしょう正月は 松たてて 竹たてて 子どものよろこぶ お正月 だんなのけらいの おおみそか いちや 明くれば元日 年賀の御祝儀申しましょう おちやぼこぼん なんぞすいもの はよもてこい 一や二 三や四 五や六 七や八 九のや十 とおからおいでだ おいもやさん おいも一升 いくらかね 三十四文でございます もつとまからんか しゃからんかね おまえさんのことなら まけてあぎょ ますおだし ざるおだし ほっちょ まないた だしかけて あたまをきろとは とうもんじや しっぽきろとは やっはしじや となりのおばさん ちょっとおいで おいものにころがし これあぎょお そこでおならを ごめんなさい ぷッ ぷッ ぷッ なかむら ななしの ななむすめ としは十六 名はおせん おせんのともだち 四十九人 四十九人の友だちが うえしたそろえて けしょさして おびはどんすの 寺まいり てんじくつとめて 出かけたら お舟とちゃ舟がういて来て 小舟にのろうか おせんじょろ ちゃ舟にのろうか おせんじょろ おぶねも ちゃぶねも やすませて 人のやしきへ とりついて かたち油を べたつけて 一わのもっとい みのまいて 子ども 来たなら かおかくせ わかいし来たなら お茶をだせ まずまず一かい すみましたあ すみました ■ てまりとてまりが いき合うて ひとつの手まりの いうことにや 一年奉公しよじゃないか 二年奉公をした時にや 朝もとおから おき習らうて ちゃんちゃん茶釜に 茶を入れて 父さん 母さん おおきんか おきてままくて 髪結うて てんてん寺へまいらんか まいらんか てんてん寺のきじねこが 門より そとより ほろろうつ ほろろじゃあるまい かさであろ かさは 何がさ えちごがさ えちごの山へ なわかけて あとからおくまが なきかかる なくなく涙を舟につむ 舟は何舟 都舟 都の土産に何もろた 一にきようだい 二にかがみ 三にさなだのおびもろた おびはもろたが くけてない くけてむすんで 花見にいたら 花見にいたら 先先一がいすみましたあ すみました ■ あんたがた どこさ ひごさ ひごどこさ くまもとさ くまもとどこさ せんばさ せんばやまには たぬきがおってさ それを りようしが てっぽうで うってさ にてさ くってさ うまさの さっさ ■ 一かけ二かけ 三かけて 四かけて五かけて橋かけて 橋のらんかん腰かけて はるか向こうをながむれば 十七、入のねえさんが 片手に花持ち 線香持ち ねえさんねえさんどこへいく 私は九州鹿児島の 西郷隆盛娘です 明治十年 三月に 切腹なされた父上の お墓へ参る途中です ■ 日清談判破裂して 品川乗り出す吾妻艦 続いて金剛浪速艦 さきに行くのが松島艦 玄海灘を乗りこえて 黄海沖で敵にあい 砲弾あびて戦うて 敵の平遠 定遠撃ち沈め 鎮遠号を捕獲して めでたくがいせんいたします これが戦争のはじめにて 陸上海上大勝利 ■ お月さんなんぼ 十三七つ まだ年や若いぞ あのこをうんで この子をうんで だれにだかしょ お方に抱かしょ お万お万どこへいた 油買いに酢買いに 油屋の前で すべってころんで油一升かやした その油どうしたら 犬がなめてしもうた その犬どうしたら その犬殺した その皮どうしたら 太鼓に張った その太鼓どうしたら 祭りの晩に あっち向いちゃ ドンドコドン こっち向いちゃ ドンドコドン たたき破ってしもうた そのやぶれどうしたら せったに張ってしもうた そのせったどうしたら はいてはいてはきやぶってしもうた そのやぶれどうしたら 犬がくわえてしもうた ■ いちばんさいしょは一の宮 二で日光東照宮 三でさぬきの金比羅さん 四で信濃の善光寺 五つ出雲の大社 六つ村々鎮守様 七つ成田の不動様 八つ八幡の八幡宮 九つ高野の弘法さん 十で所の氏神さん ■ 日露談判破裂して 日露戦争始まった さっさと逃げるはロシアの兵 死んでも尽くすは日本の兵 五万の兵と戦いて 六人残して皆殺し 七月七日の戦いに ハルピンまわって攻めぬいて クロバトキンの首をとり 東郷大将 万万歳 ■ 青葉繁れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下蔭に駒とめて 世の行く末をつくづくと しのぶよろいの袖の上に 散るは涙かはた露か (小学校唱歌) ■ 手まりはうたを歌いながら、手でぽんぽんとついて遊んだ。手まりをつくとき、足をまりの上でまわしたり、またをくぐらせたりしながら次の子に、一小節ずつ歌っては引きついでいき、最後の子どもが、うしろで腰のところでうけて終わる遊びで、女の子が好んでする遊びであった。 ■せっせっせ(二人が向かい合って、手をうったり合わせたりしながら歌ううた) 一にこっぷりげた はなおがたァよる 二でにわはきゃ ほうきがたァよる 三でさけのみゃ おさかながたァよる 四つよめさん むこさんがたァよる 五ついとひきゃ おくるまがたァよる 六つむくつきゃ はごいたがたァよる 七つなく子にゃ おんばさんがたァよる 八つやまいきゃ おべんとがたァよる 九つこめつきゃ おうすがたァよる 十でとのさま おやりがたァよる ■鬼ごっこのときのうた ○鬼さんこちら手のなる方へ ○鬼の来るまで 豆いって待ちょろ ○おにの来る間に 豆いってかもう ○じようり(ぞうり)かくし ちゃろれんぼ 橋の下のねずみが じようりをくわえて チュウ チュウ チュウ チユウチュウの まんじゅは 誰が食た だあれも食わない わしが食た ■かごめ遊びのうた ○かあごめ かごめ かごの中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるとかめがすべった うしろの正面 だァーれ ○中の中の弘法大師 なぜ背が低いぞ こうまい時にえび食べて それで背が低いぞ 後ろの者 だァーれ ○せーれんかずわら かごんだ まんじゅやの角で火を打って たばこのんで チョイとかごんだ あとの者 だーれ ■ かごめ遊びは、みんなで手をつなぎ、まん中に目をつむって坐っている鬼のまわりを、これらのうたを歌いながら回って、歌い終わると腰を下ろして、鬼にまうしろにいる子をあてさせる遊びである。 ■縄とびうた ○大波小波 風が吹いたら まわしましよ 一りき二りき 三りきりきりき すっぽんぽん ○おひとりさん おーはいり 今日は ジャンケンポン あいこでしょ あーらしょ 負けたお方は お出なさい ○おーはいり はいよろし ジャンケンポン 負けたお方は出てちょうだい ■ 縄とびは人が縄をまわしながら中へはいって、いっしょにとぶ遊びと、二人がまわして一人がはいり後からはいった人と、うたに合わせてジャンケンをし、勝った子どもが残って、またはいるという遊びである。 ■子とろ ○子とろ子とろ どの子がほしけりゃ あの子がほしい 連れていんで何食わしゃ 鯛や 骨じゃこ いか買うて食わそ それはあんまり骨かましい せんちのはたのしゃしゃぶい みそつけて食わそ それはあんまりほろきしゃない 川のはたいてむしろしいて しゃごのみをぬかそ そうりやあんまりしんきくさい 金の着物着せよ それならよかろ ■ものまね遊び ○羅漢さん 羅漢さん 羅漢さんがそろたらそろそろはじめましょ スツポンポン スツポンポン ■指遊び ○いびつく にびつく さんびが早い お姫さんが指つくらんちゃんぽん ■にらめっこ遊び ○羅漢さん羅漢さん にらめっこしましょ 笑ろたらだめよ(羅漢さんのこわい格好をまねて相手をにらみつけ、笑ったらまけになる) ■関所遊び ○通りやんせ 通りやんせ ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ ちょっと通してくだしゃんせ ご用のないもの通しゃせん この子の七つのお祝いに お札を納めにまいります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ 二人が両手を向かい合わせてにぎり、その下をくぐりぬけて遊ぶ時に歌ったうたで、つかまった者がはみだされる遊びで、うたに合わせて通っていった。 ■手遊びのうた ○一がさした 二がさした 三がさした 四がさした 五がさした 六がさした 七がさした 八(蜂)がさした ブーン くまんばちがさした ブーン(そこでつめくる) ■手をひき合って遊ぶときのうた ○井戸のがわせの 大水車 水にせかれて どんどとまわる 一寸たかなんぼ 一匁五分 もつとまからんか まかることならん まからにや ほいとせ ほいとしょも わんがない わんがなきゃ ぼいだせ ■とんぼつり ○とんぼゝ しおからとんぼ もちざおもつも おまえはささぬ ひなたはあつい こちへきてとまれ ■つんばなぬき ○つんばなぬいたか けぬいた へびならうごけ はめならじっとせ ■どんこ(川魚をとるときに歌う) ○どんこ どんこ どこいきや ようごわるきで せなあぶる ■ほたるがり ○ほたる来い 火やろ あっちの水はからいぞ こっちの水はあまいぞ ほッほッ ほたる来い ○ほ、ほ、ほたる来い そっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ ほ、ほ、ほたるこい あんどのかげから しのんでこい ■からす ○あーとのかあらす さーきいけ さーきのかあらす あーとにいけ 山のお家がやけよるぞ 早よいんで 水かけよ ■お月見のうた ○お月さんなんぼ 十三 九つ まだ若い若い だれにだかそか だれそれさんにだかそか ■おひなさんのうた ○ひなさんゝ またおいで 来年の三月に さくらの花の さくじこに ■幼児をあやすうた ○ちょうち ちょうち ちょうちや わかぐり わかぐり わかぐりや じんのみ じんのみ じんのみや おつむ てーん てーんや ■たこあげのうた ○たこたこあがれ 天まで上がれ 字だこに絵だこ どちらもあがれ ■雨のうた ○あーめえ あーめえ降るなよ やーまの鳥が鳴くぞよ ○雨も降らんのに傘さして 一文でーこに笑われた ○夕やけこやけ あーした天気になーれ ■ほうしことりのうた ○ほうしこ ほうしこ 山の中のとうなの子 とうながしんでも 出て来い とうながしんだら かねたたく ○ほうしこ ほうしこ でてこい 出んとかまでぶち切るぞ ○ほうしこ ほうしこ だれの子 やぶの中の とうなの子 ■小さい子の遊びのうた ○ひに(一)ふに(ニ)だあ(三)だるま(四)こうて(五)ちい(六)ちんがら(七)ほけ(八)きょの(九)とんがらし(十) ( 小さい子に十までのかずを覚えさすために歌ったものである。) ■かんづくし ○みかん きんかん さけのかん おやじのせっかん 子がきかん びんぼのもとだちゃ働かん |
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■中山町
■亥の子歌 お亥の子さんという人は 一に俵ふうまえて 二でにっこり笑うて 三で盃さしおうて 四つ世の中よいように 五ついつものごとくなり 六つ無病息災に 七つ何事ないように 八つ屋敷を買ひろげ 九つ小倉をたてならべ 十でとうとうおさまった エンヤモ エンヤー ここで御祝儀をもらう、もらってから ここの屋敷はよい屋敷 がわが高うて 中ひくで 大判小判がすずれこむ 繁盛せーい 繁盛せーい もし亥の子つきを断ったり御祝儀をこばんだ時は、「亥の子 亥の子 亥の子餅ついて 祝わんものは 鬼もうけじゃもけ 角のはえた子もけ」、とはやしたてたところもある。以前は五輪のような石に、縄をつけ大勢の子供が引いていたが、この頃では庭や、道路がコンクリート、アスファルトになったため自動車の古いタイヤでやっている。また、農家の集落では伝承されてきた藁ボテを利用しているようだ。 ■関所あそび 通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ちょっと通して下しゃんせ ご用のない方通しゃせぬ この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります 往きはよいよい帰りは怖い 怖いながらも通りゃんせ 通りゃんせ ■縄とび お入り 今日は ジャンケンポン アイコデショ 負けたお方はおでなさい ハイヨロシ (くり返し) ■ 大波小波 風が吹いたら回しましょう 一や二や三や 四や五や六や 三りきりきりきすっぽんぽん ■子とろあそび 古里もとめて花一匁、古里もとめて花一匁 あの子を とろか この子をとろか ○○さん ジャンケンポン 勝ってうれしや花一匁 負けてくやしや花一匁 (くりかえし) ■お手玉 お一つ落としておさら お二つ落としておさら お三つ落としておさら お四つ落としておさら おみな落としておさら トンキリー (くりかえし) ■ 小さい橋くぐれ 小さい橋くぐれ 小さい橋くぐれ おみな落として大きな橋くぐれ (くりかえし) ■ たんのり たんのり 一ちょかけたんのり 二ちょかけたんのり たんのり 三ちょかけたんのり 四ちょかけたんのり たんのり (くりかえし) (お手玉一ヶの遊び) ■一かけ 二かけ 一かけ二かけ三かけて 四かけて五かけて橋をかけ 橋のらんかん手を腰に はるか向こうをながむれば 十七八のねえさんが 片手に花もち線香もち ねえさんねえさんどこへ行く わたしは九洲鹿児島の西郷隆盛娘です 明治十年三月に(明治十年九月に死す) 切腹なされた父上の お墓参りにまいります お墓の前で手を合し ナムチン ナムチン ジャンケンポン (くりかえし) ■目かくし カアゴメ カゴメ かごの中の鳥は いついつ出合う 夜明けの晩に 鶴と亀がすべった 後の正面だあれ (○○さん、名前が当たれば交替する) (くりかえし) ■手まりの歌 あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 仙波さ 仙波山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲でうってさ 煮てさ 食ってさ うまかってさ (マリを背中にのせて終わる) (くりかえし) ■ 一れつらんぱんはれつして、日露戦争はじまった さっさと逃げるはロシアの兵 死んでもつくすは日本の兵 五万の兵をひきつれて 六人残してみな殺し 七月八日の戦いに ハルピンまでも攻めよせて クロバトキンの首を取り 東郷大将ばんばんざい 十一なみこの墓参り 十二は二宮金次郎 十三三月花節句 十四新年おめでとう 十五五月の鯉のぼり 十六ろしやの番人さん 十七質屋のむすめさん 十八浜辺の白うさぎ 十九くろんぼ印度人 二十は東京の二重橋 ■ おんしょんしょん正月は 松立てて 竹立てて 何ぞすいものもってこい ひーや ふーや みーや よーや いつやむーや ななやー やーや ここのやーとう とうからおいでたお芋やさん お芋一貫いくらかね 二十四文でございます もっとまからんかさがらんか お前のことなら負けとこう ますお出し ざるお出し 隣の婆さん一寸おいで お芋のにっころがしこれあげよ ひーや ふーや みーや よーや いつやー むーや ななやー やーや ここのやー とう とうで一回おうさめた ■子守歌 ネンネンヤネンネンヤネンネのお守りはどこへ行た うね坂越えて里へ行た 里のみゃげに何もろた でんでん太鼓に笙の笛 それでもたらぬとおいるなら たたきたおせやぶち倒せ たたいてなるかや乳飲ませ 守りがつらさに裏に出て見れば 雪のかからぬ山はない ■一匁の一助さん 一匁の一助さん 芋かいに走った 一万一千一百石一 斗一升一とうまいの お倉に納めて二匁に渡した 二匁の二助さん 人参かいに走った 二万二千二百石 二斗二升二とうまいの お倉に納めて三匁に渡した 三匁の三助さん さばかいに走った 三万三千三百石 三斗三升三とうまいの お倉に納めて四匁に渡した 四匁の四助さん 羊羹かいに走った 四万四千四百石 四斗四升四とうまいの お倉に納めて五匁に渡した 五匁の五助さん ごぼかいに走った 五万五千五百石 五斗五升五とうまいの お倉に納めて六匁に渡した 六匁の六助さん ローソクかいに走った 六万六千六 百石六斗六升六とうまいの お倉に納めて七匁に渡した 七匁の七助さん 七輪かいに走った 七万七千七百石 七斗七升七とうまいの お倉に納めて八匁に渡した 八匁の八助さん ハッパかいに走った 八万八千八百 石八斗八升八とうまいの お倉に納めて九匁に渡した 九匁の九助さん 胡瓜かいに走った 九万九千九百石 九斗九升九とうまいの お倉に納めて十匁に渡した ■口ずさむ歌 ここからお江戸へ三百里 いきしもどして六百里 ■ 日本の乃木さんが 凱旋す 雀 目白 ロシヤ 野蛮国 クロバトキン 金のたま マッチ (くりかえし) ■ 父さんトントに酒がない 母さんカッコにはまがない じいさんジイジに骨がない 婆さんバッポにあんがない ■ いちじく にんじん さんしょうに しいたけ ごぼうに ろうそく 七りん 葉っぱ 胡瓜に トマト ■ さんかく 四角 四角は豆腐 豆腐は白い 白いは兎 兎ははねる はねるは蝗 蝗は青い 青いはねぶか ねぶかは長い 長いは煙突 煙突は丸い 丸いはお月さん お月さんは光る 光るはおやじのはげあたま ■ そうだ そうだ そうだの村の村長さんが 死んだそうだ 葬式まんじゅう食ったそうだ うまかったそうだ ■ 一番星見つけた お宮の森の上に 二番星見つけた ○○の○○の上に (くりかえし) |
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■子守唄 | |
ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 坊やのお守りは どこへ行った あの山越えて 里へ行った 里のみやげに 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 おきゃがりこぼしに 振り太鼓 ねんねんころりよ おころりよ
■ むかえの山に 猿が三匹とまって さきの猿ももの知らず あとの猿ももの知らず いつちの中の子猿めがようもの知って もの知り川へ飛びこんで 鮎を一匹ふるまえて 手でとるのもかわいいし 足でとるのもかわいいし |
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■徳島 | |
紅の寒椿 夢の中でも 散りいそぐ 鳴門海峡 海が鳴る | |
■遊ばせ唄 | |
■ぎんぎやもんも
ぎんぎやもんも 籾すりおかた やまどは戻りこむ 子は泣きさけぶ だんごは煮えこむ 杓子は見えず すってすって すりまくれ |
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■寝させ唄 | |
■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 坊やのお守りは どこへ行た あの山越えて 里へ行た 里のおみやに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 それをもろうて なににする ふいたり たたいたり して遊ぶ |
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■坊やのお守りは
坊やのお守りは どこへ行た あの山越えて 里へ行た 里のおみやに なにもろた でんでん太鼓に 笙の笛 そこには これいな鳥もいて みんなで 仲よく 遊んでた |
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■ねんねねんねと 1
ねんねねんねと ねる子はかわい 起きてなく子は つらにくい つらのにくいやつァ 田んぼへけこめ けこめひっぱり出せ またけこめ |
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■ねんねねんねと 2
ねんねねんねと たたいてねさす 誰がねさそに たたかれて うちのこの子は よう泣くみそじゃ 守りが泣かすかと 親おもう 親がおもても ひねりはせぬぞ この子かんしゃく 虫のから 家の裏には たんたんたの(ぬ)き 出たりひっこんだり また出たり |
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■撫養の子守歌 1
とんと徳島に 芝居がでけて 太鼓たたけば 雨が降る ヨイヨイ 雨は降りくさる 子は泣きくさる 下駄の鼻緒が 切れくさる ヨイヨイ この子よい子じゃ ぼた餅顔じゃ きな粉つけたら なおよかろ ヨイヨイ うちの裏には 茗荷や蕗や 茗荷めでたや 蕗繁昌 ヨイヨイ |
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■撫養の子守歌 2
ねんね ねぶたいのに 糸ひけひけと 車大工さんが なけりゃよい ヨイヨイ 酒屋酒屋と 三軒ならぶ 中の酒屋が いっちこいし ヨイヨイ ねんね念仏 起きたらつとめ つらいつとめを せにゃならん ヨイヨイ お前そういうて そない酒のんで わしにぼろでも 着せる気か ヨイヨイ |
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■撫養の子守歌 3
とんと徳島に 芝居ができて 太鼓たたけば 雨が降る ヨイヨイ うちのこの子は かしこで利口で 親にかくれて 抜け参り ヨイヨイ うちのお父っつぁん じょうろり好きで 買うてやりたい 見台を ヨイヨイ |
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■牟岐の子守歌
守りよ行かんか お役所の前に 行たら貝吹く 子が起きるよ ヨイヨイ 守りよ守りよと 追い使われて わしが去んだら 子に困る(よ) ヨイヨイ 守りが憎いとて やぶれ傘くれて かわいわが子に みなかかるよ ヨイヨイ |
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■美馬の子守歌
守りが憎てか やぶれ傘くれて かわいわが子は ぬれるのに ヨイヨコ ねんね ねんねと 胴たたかれて なんでねらりょうに たたかれて ヨイヨコ |
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■上勝の子守歌 1
お守りというもな つらいもの お主にゃ叱られ 子にゃ泣かれ 旦那さまには いじめられ お守りのそぶつは 白じばん 紺糸一すじ いっとらん |
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■上勝の子守歌 2
守りほど悲しい ものはない お主にゃ叱られ 子にゃ泣かれ 人には楽なよに 思われて 旦那さまには いじめられ なんでこの子が かわいかろ おままの種じゃと 思やこそ 節季しもうて 去ぬときにゃ なが虫みたよな 帯ひとつ それも惜し惜し くれたかや ネーン ネーン ネーンね ヨーイ ヨーイ ヨーイよ 花はなに花 つつじ花 一枝折っては 腰にさし 二枝折っては 肩にかけ 三枝折る間に 日が暮れた |
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■ねんねしなはれ
ねんねしなはれ 今日は二十五日よ あすはこの子の 宮まいりよ 宮にまいるときゃ なんというておがむよ この子一代 まめなように 守りがおろかか してみてごろじょ 親にゃ叱られ 子にゃ寝じかれてよ 人にゃ楽なように 思われてよ ねたら念仏 起きたらつとめよ つらいつとめも せにゃならんよ |
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■坊やのぼりさん
坊やのぼりさん どこいた あんな向こい 花とりに 一枝折っては 腰にさし 二枝折っては 手に持って 三枝ぶりには 日が暮れた ネーン ネーン ネーンよ この子はよう泣く めっそなく 泣くなよ泣くなよ きじの鳥 泣っきょったら 殺生人に撃たれるぞ ネーン ネーン ネーンよ ヨーイ ヨーイ ヨーイよ ポンポコ ポンポコ ポンポコよ |
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■神山の子守歌 1
ハーとんと徳島にハー 芝居がでけて ハー太鼓たたけば 雨が降る 太鼓たたいて 踊り子寄せて ハー器量のよい子を 嫁にする 器量で一番 しょてんで二番 ハー髪の結いよで 二十五番 |
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■神山の子守歌 2
ねんね ねんねと たたいてねさす 何がねらりょうに たたかれて ヨイヨコ ねんねする子にゃ 赤いべべ着せて ねんねせん子にゃ 縞のべべ ヨイヨコ ねんね ねんねと ねる子がかわい 起きて泣く子が つらにくい ヨイヨコ |
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■げしなれげしなれ
げしなれ げしなれ げんげばな げんげは六月 また九月 五月に咲いたる 白れんげ この子一人に つんであぎょ |
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■椿泊の子守歌
ねんねする子に 赤べべ着せて 起きて泣く子に 縞のべべ ヨイヨイ 芝居見にいき 役者にほれて 七日七夜 小屋でねた ヨイヨイ ねんねする子の 父ちゃんおそい 猪にかまれたか 道寄りか ヨイヨイ |
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■徳島の子守歌
ねんねする子に 赤いべべ着せて 日傘さしかけ 宮まいり ヨイヨコ 宮にまいったら なんと言ておがむ この子一代 息災に ヨイヨコ ねんね ねんねと たたいてねさす なんでねらりょう たたかれて ヨイヨコ |
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■うちの裏の士さん
うちの裏の 士さんが 鉄砲かついで 雉うちかける 雉はけんけん ほろほろ涙 泣いた涙で 船こぎ出して 船はどこへついた 大阪の町よ 大阪みやげに 何々もろた 一に三味線 二に帯雪駄 三に晒の かたびら かたびら |
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■ねんね浜の松
ねんね浜の松 ねむろとすれば ヨイヨイ 磯の小波が ゆりおこす ゆりおこす 磯の小波が ゆりおこす 磯の小波に ゆりおこされて ヨイヨイ ねんね浜の松 ねむたかろ ねむたかろ ねんね浜の松 ねむたかろ ねんねころいち 天満の市よ ヨイヨイ 大根そろえて 船に積む 船に積む 大根そろえて 船に積む 船につんだら どこまで走る ヨイヨイ 木津や難波の 橋の下 橋の下 木津や難波の 橋の下 橋の下には かもめがおるぞ ヨイヨイ かもめとりたや 竹ほしや 竹ほしや かもめとりたや 竹ほしや 泣くな一太郎 泣かすな二太郎 ヨイヨイ あんじょ守りせよ 三太郎よ 三太郎よ あんじょ守りせよ 三太郎よ |
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■粗谷の子守歌 1
この子が十五に なるときは わたしがいろいろ 蔵をたて 蔵のめぐらに 杉植えて 杉が枯れたら 松植えて 松の小枝に 鳥とまる 鳥はなに鳥 しらさげよ しらさげ しらさげ どこへ行く あのうね超えて 里へ行く 里のみやげに 何もろた てんてん太鼓に しょうの笛 それをもろうて 何にする 吹いたりたたいたり して遊ぶ ねーん ねーんよ |
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■粗谷の子守歌 2
この子の姉さん どこへいた あの里越えて 花とりに 花は何花 つつじ花 三枝折る間に 日が暮れて あとへ帰りょにも 道知らず 向こうへ行こにも 道知らず ねーん ねーん ねん この子の母さん どこへいた あの谷渡って 萱刈りに 泣いたら守りさん えらいぞな この子が寝入ったら そのあとで 餅やだんごを しておいて 起きたらこの子に みな食わそ ねーん ねーん ねん この子のととさん どこへいた あの山越えて木地づくり 木地は何木地 六什もん 五つ作って 日がいった 中の小宿で 宿とれば むしろはしかい 夜はながい ねーん ねーん ねん この子のぼりさん どこへいた あのうね超えて 嫁はんに お里帰りに 何もらう 三文でこに もぶし菓子 あした七日ぞ はよ戻れ この子よい子じゃ ねんねする ねーん ねーん ねん |
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■ねんねころいち
ねんねんころいち 床屋の子 床屋で生まれた 勝五郎は 車にのせて ひいてやろ 車がいやなら 嫁にいけ ねーんねんねん ねんころり たんす長持 はさみばこ これほど仕立てて やるほどに 二度とわが家へ もどるなよ それは母さん むりでしょう ねーんねんねん ねんころり 西が曇れば 雨とやら 東が曇れば 風とやら 千石積んだ 船さえも 波の立ちよで またもどる ねーんねんねん ねんころり |
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■わらべ唄 | |
■香川 | |
■遊ばせ唄 | |
■おつむてんてん
おつむてんてん 耳ひこひこ |
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■寝させ唄 | |
■山田の法専寺 1
ねんねこ山田の 法専寺 お鐘がなったら ててまいる ねんねこ山田の 法専寺 お開帳があったら ててまいる |
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■山田の法専寺 2
ねんねこ山田の 法専寺 開帳があったら ててまいろ 里のおみやに 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 それをもろうて 何にすりゃ たたいたり吹いたり して遊べ |
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■うちのこの子の
うちのこの子の お正月べべは 何に染めましょうか お紺屋さんに問えば 梅にうぐいす 吉原すずめ 羽がえひろげて とぶところ |
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■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ 坊やのお守りは どこへ行った あの山越えて 里へ行った 里のおみやに 何くれた でんでん太鼓に 笙の笛 それをもろうて 何にする 吹いたりたたいたり して遊ぶ ねんねんころりよ おころりよ |
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■ねんねおしませ
ねんねおしませ きょうは二十五日 あすはお前さんの 誕生でござる 誕生日には 赤いべべ着せて 乳母に抱かせて 宮参り 宮へ参っては どういうて拝む 一生この子が丈夫なように あの 丈夫なように |
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■坊やはよい子じゃ
坊やはよい子じゃ ねんねしな この子が十五に なったなら お屋敷ひろげて 倉たてて 倉のめぐらに 松植えて 松が枯れたら 杉植えて 杉にとまって 鳴く鳥は 鳶か烏か 鵜のとりか パーッととんだら 白鷺か 白鷺 白鷺どこへ行く 海の端へ 子を産みに 何々 持って行く たいたいまいや ごめ ねんねん ねんねしな 坊やはよい子じゃ ねんねしな |
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■お山の兎の子
ねんねこお山の 兎の子 どうしてお耳が 長ござる 小さいときに 母さんが お耳をくわえて ひっぱった それでお耳が 長ござる ねんねこお山の 兎の子 どうしておめめが 赤ござる 小さいときに 母さんが 赤い木の実を 食べたから それでおめめが 赤ござる ねんねこせー ねんねこせ |
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■お山の兎さん
ねんねんねんね よいとこお山の 兎さん どうしてお耳が 長いのぞ 小さいときに 母さんが お耳をくわえて ひっぱった それでお耳が 長いのよ ねんねんねんよ この子はよい子だ ねんねしな ねんねんねんよ |
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■赤いべべ着せて
うちのこの子に 赤いべべ着せて ぐるりたたいて 針仕事 ヨイヨコ |
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■この子が寝たまに
ねんねんねんよ この子が寝たまに 餅ついて 起きたら誕生の 餅配る 配ってすんだら 一つやろ 一つがいやなら 二つやろ 二つがいやなら 三つやろ 三つがいやなら 四つやろ 四つがいやなら 五つやろ 五つがいやなら 六つやろ 六つがいやなら 七つやろ 七つがいやなら 八つやろ 八つがいやなら 九つやろ 九つがいやなら 十やろ 十がいやなら 出ていけ 出ていく道には 鬼がおる もどる道には 猿がおる 猿にかまれて 足痛い ねんねん ねんね |
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■守り子唄 | |
■子守り子泣かすな
子守り子泣かすな その子も泣くな 泣けば名がたつ 守りの名が |
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■仕事せなんだら
仕事せなんだら うちのお母さんが 大阪松島へ 売るというた 大阪松島へ 売られてもよいが 大阪松島を 見てもよい ヨイヨコ |
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■わらべ唄 | |
■高知 | |
思い出だけを 抱きしめながら 生きてゆきます このさだめ川 四万十川の宿 月も片割れ 室戸の風に 捨てる涙を 誰が知ろ 異名も 女鬼龍院 ふり向いては駄目よ駄目よ 戻っちゃ駄目 私はらはら 南国土佐の昼さがり 親の心は 誰でも同じ 泣くな吠えるな 土佐の海 耐えてひと花 咲かせたい 土佐の女はヨー 夢おんな ひとの別れの さみしさだいて 風と鳴こうか 足摺岬 おらんくの池に 潮吹く魚が 泳ぎよる よさこい よさこい |
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■寝させ唄 | |
■北山やけた
北山焼けた 鹿みな逃げた お梅 涙をこぼした |
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■ゆんべ生まれた亀の子
ゆんべ生まれた 亀の子 まだ眼は あかんか |
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■ねんねこさいろく
ねんねこさいろく お亀の子 お亀の卵を 焼いちょいて 焼けたらほんそに 食べさすぞ ねーん ねーん ねーんや |
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■坊やいとしに
坊やいとしに 限りない 天にたとえば 星のかず 山では木のかず 萱のかず 七反畠の 芥子のかず 七里が浜の 砂のかず 召したる御服の 糸のかず おねんねしなされ おねんねや |
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■ねんねん山の
ねんねん山の 子うさぎは なァぜにお耳が お長いぞ 小さいときに 母さまが お耳をくわえて ひっぱった それでお耳が お長いの |
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■ねんねんねんねん
ねんねんねんねん ねんねんよ ねんねのお守りは どこいった あの山越えて 里いった 里のおみやに 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 そーりゃ ねんねん ねんねんよ |
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■つくつく法師
つくつく法師は なぜ泣くの 親がないか 子がないか 親もごんす 子もごんす もひとり欲しや 娘の子 たかじょにとられて きょう七日 七日と思えば 十五日 十五の玉を 手にすえて おじさんところへ 来てみれば よう来たよう来た お茶まいれ お茶でものまして 養うて 長者の嫁御に やるときにゃ 金襴緞子の 帯しめて お馬ゆられて 行きました お馬ゆられて 行きました |
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■守り子唄 | |
■おォのうるさい
おォのうるさい この家のうちは 毎日麦飯 味噌の菜 ややよ泣こうなら お母ぁの膝で お乳くわえて 泣きなさい 守りよ守りよ守りの子よ 何故子を泣かしゃ 乳が飲みとて ひとり泣く 乳が飲みとて 泣く子じゃないが 守りが手わざを するからよ お前や守りさん 来年くるか 暮れの二十日が 来にゃ知れん 暮れの二十日が 今日ならよかろ わしもいにます 里親へ ややよ泣きなよ 今晩かぎり 明日は親の守り 泣かしゃせぬ 一人娘を 蓮池へやるな 蟇が小便ばったら はやつかる |
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■藩多地方の子守歌 1
ねんねしよしよ ねる子はかわい おきて泣く子は つらにくい つらのにくい子は まな板にのせて 大根きざむよに きざみたい この子泣くなよ おとみのからか 乳をたっぷり 飲まんから 泣く子の守りには ちんばがよかろ 歩きゃ踊るよで おもしろい 去んでお母んに 豆炒ってもろて 帯のあいだに 入れて噛む |
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■藩多地方の子守歌 2
ねんねするゆうて ねる子はかわい おきて泣く子は つらにくい つらのにくいやつ まな板にのせて 大根きざむよに きざんでおいて うらの流れに 流したい |
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■藩多地方の子守歌 3
ねんこしよゆうて ねる子はかわい ねんこしよゆうて ねん子はつらにくい つらのにくい子は まな板のうえにのせて 大根きざむよに きざみたい ねんねん ねんねん ねんねしよ |
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■わらべ唄 | |
■清水の子守歌
この子が泣いたら 俵に入れて 土佐の清水へ おくります 土佐の清水は 海より深い 底は油で 煮え殺す ■節分の豆 子どもの頃、雷が鳴りはじめたのに、裸で走りまわっていると、「雷にヘソを取られるぞ」と、家に呼びかえされましたね。雷からヘソを守るために、節分の晩にまいた豆を残しておいて、雷が鳴ると、急いで食べたそうです。 土佐の西、足摺岬の根元、清水の町に、松之助とお時という若夫婦が、細々と、駄菓子屋をやっていました。お時が妊娠し、初産が近づいたので、大事をとって、実家へ帰しました。 家事も店番もろくにできない、亭主の松之助が目をつけたのが、近所で子守奉公をしている、お春という、16歳の可愛らしい娘。 「お春、子守をしながら、店番をせんか。賃にお菓子をやるぞ」と、松之助はお春を誘いました。 何日かたったある日の昼過ぎ、突然、ピカッ・ドンと、雷があばれ始めました。そして、とうとう、ピカッ・ドンと、庭先の松の木におちました。 「オンチャン(おじさん)、怖い」と、お春が、松之助の部屋へ走り込んできました。 ところが、翌日から、雷が鳴りもしないのに、「オンチャン、雷」「押し入れへ入れ」と、二人は毎日のように、押し入れにもぐり込みました。ある日、お春ともぐり込んだところへ、「義兄さん、産まれたよ」と、女房の弟が知らせてきました。 女房の実家へかけつけると、お時は、赤ん坊を松之助に見せながら、「こないだの雷は近かったでしょう」「ウン、庭の松の木へ落ちた」「まあ、そのとき、あんたはどうしたの」 松之助は大あわて、「お、おれは、雷よけのまじないに、押し入れで、お春の、その…、いや、節分の…」「お春の、何?」「豆を喰うた」 ■豆を喰っても 「土佐の清水へおくります」と、奈良の子守が、赤ん坊をおどかしているのは、古代、清水が流刑地として知られる、日本のはずれだったからですね。 土佐の高知でも、清水ははずれでした。画家の英幸さんや私たちの村をつくってくれた野中兼山が同僚に憎まれ、子どもたちが半世紀も流されたのも、この近くでした。 結婚していない娘の豆を喰うのはよくある話ですが、このあたりでは、産まれた子どもを欲しがる人が多くて、解決が早かったそうです。 |
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■ちょうちょのわらべ歌
高知は他県と比べて「からかい歌」や「ふざけ歌」が多い印象で、富山の薬売りをからかう歌や、藪医者のはげをからかう歌など面白いものが多かったが、びっくりしたのは童謡の「ちょうちょう」の原型と思われるわらべ歌「蝶々かんこ」があったことだ。 蝶々かんこ 菜の葉へとまれ なん菜がいやなら てん手にとまれ てん手がいやなら かんこにとまれ かんこ、というのは「かわいいこ」の意だという。なんて愛おしい風景だろう。蝶々が近づいてきて、じっと動きをとめた少女たちの一人に蝶々が止まる、止まられた子は嬉しい気持ちを抑えて、じっとしていただろう。 驚いたのは、そのメロディだった。童謡の「ちょうちょう」が明るい長調なのに比べて、このわらべ歌は幽玄な雰囲気をもつ、短調だった。明治期にこの歌が改変、整形されたことは予想がついた。そもそも、童謡のほうは「菜の葉に飽いたら桜にとまれ」だったはずだ。しかし、桜花の蜜を吸おうとする蝶々なんてそういえばみたことないな、と思った。たいてい地面近くの背丈の低い春の花の周りを飛んでいるイメージである。桜を持ち出すあたりが「国」という単位を子供たちに周知させようとする明治政府の意図が透けてみえるようにも思った。わらべうたの短調から長調へと切り替えられていることも、西洋文化を取り入れようとする方向性の中で行われたのだろう。しかし、ものさびしい美しいわらべ歌の蝶々のメロディーをアレンジし始めると、俄然この短調バージョンのほうが蝶々が舞う世界観に近いように思えた。メロディの印象は重要である。短調の子守唄は、徳之島の回でふれたように雅楽経由の型にはまったものが多いように感じてあまり惹かれなかったのだが、この蝶々は短調がもたらすはかない感じがぴったりとはまっている。改めて長調の童謡バージョンを頭の中で鳴らしてみると凡庸で能天気にきこえてしまう。このメロディはどこから来たのだろうか。 調べてみると、原曲は「幼いハンス」というドイツ民謡だった。少年が旅にでて、母のもとに帰るまでを歌う曲だ。これが、アメリカに渡り「Lightly Row」という舟漕ぎの歌になった。日本はこのアメリカ唱歌となった曲を輸入し、蝶々の歌詞をあてはめたのだ。この曲と出会った日本人は伊沢修二といい、愛知師範学校の校長などを勤めた教育学者だった。伊沢はもともと、幼児教育の祖とされるドイツのフレーベルの理論に親しんでおり、それをもとに、独自のお遊戯(遊戯唱歌)を編み出したりしていた。その伊沢が、明治8年米国留学にいき、アメリカの唱歌教育の第一人者だったメーソンに唱歌を習った際、「Lightly Row」と出会っている。 「氏からラブレローの譜を余に示し、これは日本の子供の好に合ひそうな曲であるから、何か日本語で適当な歌を附けたら可からうと云った。そこで余は此蝶々の歌を附けて見た所が、偶然にも誠に能く適合、メーソン氏も大いに喜ばれた。」 「適当な歌を附けたら可からう」という自由さが楽しい。言ってみれば「Lightly Row」だって「ハンス」とは何の関係もない「適当な」歌詞が当てられているのだ。このとき、伊澤の脳裏にすぐに「蝶々」が浮かんだかはわからない。伊澤は帰国後、愛知師範学校の好調時代、教員だった野村秋足に歌詞を任せている。野村は郷里愛知のわらべうたの「蝶々」を参考に、次のような歌詞におちつかせた。 ちょうちょうちょうちょう、菜の葉にとまれ なのはにあいたら、桜にとまれ、 さくらの花の、さかゆる御代に、 とまれよあそべ、あそべよとまれ 「君が代」を思わせる「さかゆる御代に」は、野村がつけたフレーズかと思われる。愛知のわらべうたの原型は「ちょーうよとまれ。菜の葉にとまれ。菜の葉がいーやなら、木の葉にとまれ」というものらしく、確かに「木の葉」というのは味気ない感じがする。しかし、現在の「さくらの花の 花から花へ」に慣れている身には、いきなり「さかゆる御代に」とくると思わず身構えてしまう。 留学から戻った伊沢は、「音楽取調掛」という東京音楽学校の前身の機関を文部省に設置させ、自ら「音楽取調掛長」におさまる。そしてそこでの成果を「音楽取調成績申報書」で報告するのだが、この歌に次のような注釈を加えている。 「其意は我皇代の繁栄する有様を桜花の爛漫たるに擬し聖恩に浴し太平を楽む人民を蝶の自由に舞ひつ止りつ遊べる様に比して童幼の心にも自ら国恩の深きを覚りて之に報ぜんとするの志気を興起せしむるにある也。」 桜は天皇の「国恩」、蝶は「人民」にたとえられていた。伊沢は保守的な人物ではなかった。すでに述べたように、ドイツの幼児教育の祖フレーベルの理論に親しんだりお遊戯を考案したりと、当時の日本の幼児教育を西洋の理論を借りて切り開かんとした人だった。和洋折衷とは日本の文明開化を説明する際、よく聞きなれた言葉だが、この「胡蝶」はまさに、西洋のメロディーに皇国思想を盛り込んだ、明治日本の不思議な折衷の産物だったと言える。明治9年11月16日天皇夫妻が参列するなか、日本初の幼稚園が開かれた。東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)附属幼稚園だ。この時期の唱歌は、当初式部寮雅楽課の伶人たちに作曲依頼され、日本唱歌、保育唱歌といわれている。この日は「風車」「冬燕居」という曲がお遊戯つきで子供たちによって発表され、参列した人々は驚いたといわれる。遊戯唱歌は、愛知師範学校の校長時代の伊沢も、ちょうちょの短調のわらべうたを使って考案していた。伊沢がアメリカ留学でメーソンに出会う前からちょうちょのわらべうたに注目していたことが分かる。 明治13年4月からメーソンは、伊沢らに呼ばれてお雇い外国人として来日する。師範学校でも唱歌教授にかかわり、このころ西洋風「蝶々」も完成したようだ。明治15年1月30、31日には、東京の昌平館で「音楽取調の成績報告のため」の発表会が開かれ、学習院や女子師範学校、東京師範学校付属小学校の生徒らによって、さまざまな唱歌が演奏された。西洋風「胡蝶」は二日目の31日に東京女子師範学校付属小学校生徒143名によって歌われている。ピアノ伴奏はメーソンだった。童謡「蝶々」研究の端緒を開いた外山友子はわらべうたの蝶々について1978年に次のように書いた。 「 「蝶々」はもともとはどんな旋律であったのか。現在うたわれていないのでわからないが、このわらべうた「蝶々」は江戸時代から東京でもうたわれていた。江戸時代の書に江戸で育った太田全斎の「諺苑」がある。江戸で集めた諺などを本にしたもので、その中に、「蝶々トマレナノ葉二トマレナノ葉カイヤナラ木二トーヲマレ」とある。」 その後、80年代に柳原出版から日本わらべ歌全集が続々と刊行され、各地に残る蝶々の歌の旋律も明らかになった。私が高知のちょうちょの歌に出会えたのも、各地のわらべうたを調べることができるのもこの全集のおかげだ。冒頭で紹介した高知のわらべ歌は香美郡香我美町のもので、高知県内でもさまざまなバリエーションがある。 蝶々とまれ、菜の葉へとまれ、三月いったら、菜の花みてる (高岡郡越知町) 蝶々とまれ、菜の花にとまれ、菜の花枯れたら、よしの葉にとまれ (須崎市上分) 須崎市の「よしの葉」は一瞬不思議な気がした。「よし」は葦のことだ。「悪し」を連想させるので、「よし(良し)」と呼ばれるようになったというが、花の咲かないよしの葉にとまれというのは、どういうことだろうか。蝶々は春だけでなく秋も舞っているので、これは、時の移り変わりを表現したものだろうか。須崎の新庄川の川辺の風景の中で蝶々は葦にも止まったかもしれない。しかし、どうやらこれが、自然の風景をそのまま見て生まれた歌かどうか、というところは断言できないようだ。外山が書いたように、江戸ではこの蝶々止まれの歌が歌われていた。その背景には歌いながら蝶の紙のおもちゃを売り歩いた「蝶々売り」の存在がいるようなのだ。西山宗因は「世の中は蝶々止まれかくもあれ」と詠み、葛飾北斎が蝶々売りを描いたものが、「江戸名所図会」で確認できる。 「この蝶々とまれは、文政の初年頃より一進境をなし、頗る時代化して細い竹の節をなめらかに削りとり、中心にゴムを入れ、両翼は紙にて張り、中心のゴムがよく捲けたのをみて手を放すと、ゴムの捲き反る反動で蝶が宙に飛ぶしくみになってゐた。」 この紙の蝶々は大小によって値段も異なり、極彩色のものは2文,3文して高かったという。竹のほかに、葦の節を抜いて作るものもあり、まさに「葦に止まる蝶」を蝶々売りたちが「蝶々止まれや〜木に止まれ」と歌ってデモンストレーションしながら商売をしていたのだ。歌だけが伝わったのか、蝶々売りが高知にも伝播して伝わったものか、それとも高知の素朴な風景を歌った歌が江戸に伝わり、そこからインスピレーションを得た商売人が蝶々売りとなったか、今となっては知る由もない。ただ、たとえば後の回で取り上げる予定の東北発祥といわれる「異人殺し」のわらべ歌も、九州に伝わっている。陸路のみならず、海路を通じても人々が行き来し、それだけ歌が伝わりやすい状況があったのかもしれない。 |
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■福岡 | |
ばちのさばきは人には負けぬ なんでさばけぬ男の心 小倉名代は無法松 小倉名代は 無法松 情ゆらめく 洞海湾に ひびく祇園の 乱れ打ち 今日は甘えて みたいのに このごろこない 博多も そんなナイトパブ ああ ここは 九州 博多ばい ラーメンどんぶり 流れ唄 俺を育てた 荒くれ海で 親子二代の 暴れ者 俺もお前も 玄海の漁師 独り寝枕の子守唄 オロロンバイ オロロンバイ 玄海灘の 海が哭くよ なんで なんで忘れて たまるかよ 骨の髄までヨ 玄海育ちだぜ ここは福岡 博多川 好きよあなたが いつだって 戻りたい 戻れない これも人生 お前忍べば ぬくもりが 離したくない 今度こそ 小雨 中洲の ひとり旅 忘れんしゃい 中洲 那珂川 風が吹く 燃えてあずけた あの夜の 恋もぬれます 恋もぬれます 博多はしぐれ 女の春が たとえ過ぎても 幸せですと 風よ伝えて 夜の夜の博多 いずれ散るのよ 乱れ花 夜の博多の 川やなぎ 弱い女の よりどころ 抱いて下さい待つ身はつらい 明日を夢見る夫婦川 あなたを待ちます博多舟 肌があなたを 恋しがる ついて行きたい 博多川 |
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■遊ばせ唄 | |
■長崎見るか京見るか
長崎見るか 京見るか 京の町に ふりやった ドッシン ドッシン トーン |
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■この子はいらん坊主
この子は いらん坊主 塩俵に ひっつめて 向こん岸さん ほりやれ |
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■ちょうちちょうち
ちょうち ちょうち あばば じんのめ じんのめ じんのめよ てんぐり てんぐり バァー |
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■はなちゃんりんごが
はなちゃん りんごが 食べたいなあ はなちゃん |
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■眉毛の殿さま
眉毛の殿さまが 妾を連れて 花見に行った 方々のものが 口々言うた 無念のことば おへそが聞いて ちんちくりんのちん |
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■臼すり婆女
臼すり婆女 婆がすった米は 石が入って 噛まれん まんじゅなっと がぶと食え |
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■もっつきぼう
もっつきぼうが 来たれども 年ゃ何でとろうか お米でとりやれ |
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■とっぱいぴいひゃろ
とっぱい ぴいひゃろ 鬼が出て ひゅうやろ |
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■寝させ唄 | |
■坊やはよい子だ
坊やはよい子だ ねんねしな 坊やのかわいさ かぎりない 山では木の数 草の数 草の数より まだかわい 天にのぼれば 星の数 星の数より まだわかい 千本松原 小松原 松葉の数より まだかわい |
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■椎の山通れば
椎の山通れば 椎がぼろりぼろりと おひとつ拾うて かみわった もひとつ拾うて かみわった 初めの方は虫喰らい 後の方は美しか 美しか方は みえちゃんに 虫喰らいの方は 婆さんに やるけん はよねんねしな ねんねん ねんねん ねんねんよ ねんねん ねんねん ねんねんよ |
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■あの山に光るは
あの山に光るは 月か星か螢か 螢ならお手にとろ お月様なら拝みあぎゅう おろろん おろろんばい おろろん おろろんばい |
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■おろろんころろん
おろろんころろん いうて 寝た子の むぞさ 起きて泣く子の 面憎さ はよ寝た者ににゃ 白ぼっちに 砂糖つけて 枕もとに すえとくよ おそ寝た者にな 栗ぼっちに 胡椒つけて 枕もとに すえとくばい |
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■賽の河原を眺むれば
賽の河原を 眺むれば 黄金づくしの 地藏さんが 数多の子供を 引きつれて 日にち毎日 砂遊び 一条積んでは 父のため 二条積んでは 母のため この山無情の つつじ花 一枝折りては 神にあげ 二枝折るまに 日が暮れて 父母恋しと 泣いている 泣くな歎くな 幼な子よ 七月半ばの 十五日 みんな残らず 連れていく みんな残らず 連れていく |
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■ねんねこねんねこ酒屋ねこ
ねんねこねんねこ ねんねこばい ねんねこねんねこ ねんねこばい ねんねこねんねこ 酒屋ねこ 酒屋がいやなら 嫁入らさい 嫁入り道具に 何持たしょう たんす 長持 はさみ箱 それだけ持たせて やるならば いっちご帰っちゃ こらさんな ねんねこねんねこ ねんねこばい ねんねこねんねこ ねんねこばい |
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■木町の子守歌
しものやの つくつく法師は なぜ泣きゃる 親もないのか 子もないか 親も一人 子も一人 たった一人の その子をば 鷹からすられて 今日七日 七日のしあげを しょうとても 隣にかたびら 借りいたりゃ あるもんない言て お貸しやらん ようようお腹立つ 小腹立つ ねんねんしなされ ねんねしな |
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■守り子唄 | |
■博多の子守歌
うちの御寮さんな がらがら柿よ 見かけよけれど 渋ござる ヨーイヨーイ うちの御寮さんの 行儀の悪さ お櫃踏まえて 棚さがし ヨーイヨーイ 御寮よく聞け 旦那も聞けよ 守りを悪すりゃ 子にあたる ヨーイヨーイ うちの御寮さんな 手ききでござる 夜着も布団も 丸洗い ヨーイヨーイ うちの御寮さんな 御寮ぶりゃよいが 守りの仕着せは まだできん ヨーイヨーイ 守り仕着せは できるこたできた 豆のもるよな 浅黄縞 ヨーイヨーイ 歌もうたいより 仕事もしよる 何が御寮さんの 気に入らぬ ヨーイヨーイ |
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■御寮聞け聞け
御寮聞け聞け 旦那んも聞け 守りに悪すりゃ 子にさわる ヨイヨーイ 守りに良おすりゃ 負うたる子まで 手すけ ずりあげ ものも言う ヨイヨーイ |
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■よいよいよォい
よいよいよォい よか守りおいた なんがよかろか 転婆守り ヨイヨイ 転婆転婆と 言わしゃるけれど 転婆つかねば ややが泣く ヨイヨイ |
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■師走十三日が
師走十三日が 来たばな御寮さん ヨイヨイ 守りの仕着せが できたやら ヨイヨイ 守りの仕着せは できたこたできた ヨイヨイ 守りが悪かりゃ 着せられぬ ヨイヨイ 守りが悪うても 着せんこたならぬ ヨイヨイ せめて一年 勤めとる ヨイヨイ |
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■守りはいやよ
ととさんかかさん 守りはいやよ 雨の降る日も 出にゃならぬ ヨイヨイ 雨の降る日と 日の暮れ方は 家の恋しさ 帰りたさ ヨイヨイ 家の恋しさも かかさん頼り 今日は何して ござるやら ヨイヨイ 食べてみなんせ 他人の飯は いぎはなけれど 喉にたつ ヨイヨイ 喉にたつなら 茶かけてあがら 茶かけ御膳も いけかける ヨイヨイ |
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■矢部の子守歌
〔前歌〕 おろろん ころろん 子が泣くばい 泣かせちゃおくまい 乳飲ましゅ 泣かするほどなら 守りゃいらぬ ねんねん ねんねん ねんねんばい 〔本歌〕 ねんねしなされ うっつきなされ ヨイヨイ 明日はお前さんの 誕生日 ヨイヨイ ねんねした子の 可愛さむぞさ ヨイヨイ おずで泣く子の 面憎さ ヨイヨイ ねんねしなされ うっつきなされ ヨイヨイ 朝はナーはよから 起きなされ ヨイヨイ おどまよかよか どう言わりゅがさりゅが ヨイヨイ 長くこの家に おるじゃなし ヨイヨイ 煮えちゃおれども 他人の飯は ヨイヨイ 噛んでも噛んでも 喉こさぐ ヨイヨイ 師走十三日が 明日ならよかろ ヨイヨイ まして今日なら なおよかろ ヨイヨイ 師走十三日の 日の暮れ方にゃ ヨイヨイ うちの父さんが 呼びに来る ヨイヨイ 師走十三日の 日の暮れ方にゃ ヨイヨイ 足の軽さよ 地につかん ヨイヨイ |
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■柳島の紙漉き子守歌
どうかそらちゅうて 半年暮れた またの半年ゃ 泣き暮らし ドウカソラ なごれ十三日が 明日ならよかろ せめて今夜なら なおよかろ ドウカソラ あー金ん鎖が今夜は ガチャーンと切れた |
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■わらべ唄 | |
■佐賀 | |
■寝させ唄 | |
■しっちょこはっちょこ 1
しっちょこ はっちょこ はァちの巣 はァちゃ山ゃ 巣つくりぎゃァ 巣はつくらじ 嫁御みぎゃァ 嫁御はどがん しとったかん 紅つけ かねつけ よか嫁御 |
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■しっちょこはっちょこ 2
しっちょこ はっちょこ ねんしゃいよ はよねんね しんしゃいよ はちゃ山ゃ 巣つくいぎゃ 巣はつくらじ 嫁御みぎゃ 嫁御は どうした嫁御かん びんつけ かねつけ よか嫁御 あしちゃなれば 化け嫁御 はよねんしゃい ねんしゃいよ |
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■ねんねせろ
ねんねせろ ねんねせろ ねんねせろ 太郎がねんねした そのあとに ぼっちと団子と ついとこで ぼっちは上の棚に ええとこで 団子は下の棚に ええとこで ねんねせろ ねんねせろ ねんねせろ 太郎が起っきした そのあとに ぼっちと団子と 食べさそで ぼっちも団子も 五つずつ 乳もいっぱい 飲まそうよ |
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■あっとうさんないくつ
あっとうさんないくつ 十三と七つ 七つの年から 京にのぼせて学問させて 七どん八どん 源八どん 源八どんが 負けやった |
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■ヨイヨイの亀しゃん
ヨイヨイの 亀しゃんは あっぷか茶碗で ぶぶ飲んで お医者さんに見せたりゃ 水ぶくれ ヨイヨイの ヨイヨイ ヨイヨーイ ヨーイ |
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■はよねんしゃい
はよねんしゃい ねんしゃいよ みっちゃん はよねんしゃいよ ねえちゃんが 嫁さんになるときは たんすに長持 針だんす かならず持たせて やるけんが はよねんしゃい ねんしゃいよ 向こうの敷居をこえたなら 必ずもどると 思うなよ 母さんそりゃまた 胴欲な 千石積んだる 船でさえ 風が変われば もどるもの はよねんしゃい ねんしゃいよ |
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■向こうのお寺は
ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヨイヨー 向こうのお寺は 誰が建てた 八幡長者の 乙娘 めめよし 顔よし 形よし 人の通らん 山道を 通れ通れと せつかれて 一枝折っては 腰にさし 二枝折っては 前にさし 三枝折る間じゃ 日が暮れた ばっきいの方に 泊まろうか あんねの方に 泊まろうか ばっきいの方に 泊まったら たたみは短し 夜は長し 夜明け時分に 起きたれば 黄金の盃 さしかけた 一ぱいあがるは お客さん 二はいあがるは おてっさん 三ばいあがるは 酒屋さん 肴がないとて あがらんせ 密柑金柑 酒の燗 親の折檻 子は聞かん 養子息子は 働かん ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヨイヨー |
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■千松父っつぁん
ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヨイヨー 千松父っつぁん 金堀りに 一年待てども まだ見えぬ 二年待てども まだ見えぬ 三年じょうごに 状が来て 状の裏書き 見てみれば 京の土産は 何じゃろか でんでん太鼓に 笙の笛 なるかならぬか 吹いてみよ ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヨイヨー ヨイヨイヨイの 亀ちゃんな あっぷかべんべん着て 宮参り ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヨイヨー |
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■ねんねんころりよ
ねんねんころりよ おころりよ ねんねんかん坊 酒屋の子 酒屋の子なら 酒飲ましゅ 酒がいやなら 水飲ましゅ 水がいやなら 乳飲ましゅ 乳がいやなら 嫁入さしゅ 嫁入の道具は 何々な 一で空箱 二で鏡 三で薩摩の さざら帯 ざんざら帯して 通わして あんまり通うて 刺ふんで 刺はなに刺 そのの刺 取ってくだされ 頼みます 取ってやろうこそ やすけれど うちで取れば 母が見る 外で取れば 父が見る |
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■ねんねんよ
ねんねんよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 子守りの歌にねかされて ねんねん ねむの花しぼむ ねんねんよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな 子守りの歌に 日が暮れて 空には青い 星ひとつ |
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■あずまどんが
あずまどんが 寝った家にゃ おど猫ん 子持って あっちゃん いこでちゃ ニャンごろりん こっちゃん くうでちゃ ニャンごろりん ねんねせろ ねんねしな |
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■うちの裏のちゃの木
うちの裏の ちゃの木に 雀が三羽 とまって 一羽の雀の いうことにゃ よんでござった 花嫁御 奥の座敷に すわらせて 金襴緞子を 縫わせたら ほろりほろりと 泣きしゃんす なんで悲しゅう ござるのか わたしの弟の 千松は 七つ八つから 金堀りの 金も掘らずに 死にました |
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■佐賀子守歌
ねんねねんね ねんねしな ねんねころりや ねんねしな ほーら 中野のだいどん 立ってんやーい ほーら 中野のだいどん 立ってんやーい 立てばよいこと あるばん |
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■守り子唄 | |
■ああひやこひや
ああひや こひや コウちゃんがちゃ いたて ずうし食うて ぬうくもろ |
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■いねすりこすり
いねすり こすり コウしゃんかた いたら ぼってつき おらいたとん おんどま 食いとうなかとこれ いっちょう でゃぁて なわさいた いねすり こすり いねまだ すれぬ 一升五合すれた すれてから それ進上 |
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■あやし唄 | |
■田打ちにゃ
てぁうちにゃ てぁうちにゃ ひだねぎにゃ ぎっかんしょ みぎぎにゃ ようりより |
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■わらべ歌 | |
■ずくぼんじょ
ずくぼんじょ ずくぼんじょ ずきんかぶって でてこらさい 「ずくぼんじょ」は九州地方の方言でつくしのこと。 |
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■大分 | |
松浦港は もうすぐ近い ありがとう 黒潮の幸よ 豊後 鶴御崎 男の港 海猫の棲む島を ぐるりと一まわり 何を想うか 豊後水道 がんばろうね ふたりでね 影がより添う 豊予海峡 |
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■遊ばせ唄 | |
■三重の重箱
三重の重箱 おにぎり握って たたき牛蒡に 胡麻ふりかけて 椎茸さん いやいや 干瓢さんも いやいや それでも いやなら オッチョコチョイの チョイ |
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■ひらいたひらいた
ひらいた ひらいた なんの花がひらいた れんげの花がひらいた ひらいたと思ったら いつのまにかしぼんだ しぼんだ しぼんだ れんげの花がしぼんだ しぼんだと思ったら いつのまにかひらいた |
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■ギッコショマッコショ
ギッコショ マッコショ まだ米ゃすれんか 糠こそすれた 箕を持てこい してこましょ ヤッシッシ ヤッシッシ |
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■寝させ唄 | |
■ねんねん子守りは
ねんねん子守りは どこに行った あの山越えて 里に行った 里の土産に なにもろうた でんでん太鼓に 笙の笛 鳴るか鳴らぬか 吹いてみよ 鳴るなら この子にやってくれ 鳴るな鳴るけど 吹ききらぬ 隣の坊やに やってくれ |
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■さっこさっこ
さっこさっこ上がれば 右も左も山山 その山の向こうに 一軒の堂があったげな その堂の中にゃ ジュウジュウ虫が入っちょった ジュウジュウ虫の言うことにゃ おれの方の裏にゃ いちょうの木 二本の木 三の木 桜 五葉の松 柳 さっこさっこ上がれば |
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■坊やはよい子だ
坊やはよい子だ ねんねしな 坊やのねえやは どこへ行った あの山越えて 里へ行った 里の土産に 何もろた あぶを搗いて 冷まいて べべの子に うせて 坂を上り 追い上げた 坂を下り 追い払い ねんねんころりよ ねんねしな この子が七つに なったなら 上のお寺に 参らせて 法華経なんどを 習わせて 堅山砕いて 堂建てて 堂のめぐりに 杉植えて 杉の縁に 鳴く鳥は 雁かすいしょか 鵜の鳥か 開いて見たり ごしょの鳥 |
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■坊やよい子だ
坊やよい子だ ねんねしな 坊やがねんねん した間には つしのお米を おろして 搗いてはたいて 団子して 坊やと二人で 食べましょね そらそら はよ眠れ |
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■向こう山の兎は
向こう山の 兎は どうして耳が 長いな 小さいときに ちち乳母が 耳をくわえて 引っぱった それでお耳が 長いな ねんねん ねんねんよ ねんねん ねんねんよ 眠れ 眠れ 猫の子 うっつけ うっつけ 兎の子 眠らんと おじいもんが 連れにくるぞ 早う眠れ 猫の子 うっつけ うっつけ 兎の子 ねんねん ねんねんよ ねんねん ねんねんよ 坊やはよい子じゃ ねんねしな 坊のお守りは どこへ行た あの山越えて 里に行た 里の土産に なにもろた おきゃがりこぼしに 笛太鼓 ねんねん ねんねんよ ねんねん ねんねんよ |
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■ねむれねむれ
ねむれ ねむれ ねずみの子 うっつけ うっつけ 兎の子 泣くな 泣くな なすびの子 坊やがねむった あとからは 裏の山の 山猿が 一匹とんだら みなとんだ そらそらねむれ ねむれよ そらそらねむれ ねむれよ |
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■ほらほらねむれ
ほらほらねむれ ねむれよオン ねむらにゃ くわんくわんが 食いつくぞ お前の親たちゃ どこ行った あの山越えち 畑行ったアン 畑の土産に なにゅもろた お芋の堀り割り 柿の実か ようき取っち もどっちくるぞオン いっときこらえち ねむらんし くねんでしこしゃ なんと鳴いた ねむらん子がおったりゃ 連れちくぞ 早くねむれ ねむれよオン |
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■フーラにいれ
フーラにいれ にいれよ とたんが ふねえの じょうき出ち せんびとふうずきゃ 買うてやる フーラにいれ にいれよ 泣くとわんわんが ついちくるぞ フーラにいれ にいれよ |
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■ねんねんさいろく
ねんねんさいろく 酒屋の子 酒屋がいやなら 嫁にやろ 嫁入り道具は なになにと 一にゃこんばこ 二にゃ鏡 三にゃ薩摩の はやり帯 はやり帯をして 腰をしめて 紅はなに紅 大阪紅 大阪紅こそ 色はよけれ おつばにつけたら なおよけれ ねんねんころりよ おころりよ |
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■次郎んぼ太郎んぼ
次郎んぼ 太郎んぼ 馬どこに つないだ 牛ゃどこに つないだ くるくる山の 木の下 何を食わせて つないだ 去年の粟がらと 今年の稗がらと 切って混ぜて 食わせた 上の山にあがって あせくって見たら 栗を一つ 拾った つみ割るも 惜し惜し かみ割るも 惜し惜し つみ割りかみ割り してみたら 赤い雉児が 出て来た 六つになる雉児を 驢馬に乗せて 京から熊野に初詣り |
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■おむくの父さん
おむくの父さん どこへ行った 寒田の金山 金堀りに 金が掘れたか掘れぬやら 一年待てどもまだ見えぬ 二年待てどもまだ見えぬ 三年ぶりの霜月に おむくに来いとの 状が来た そうりゃねんねん ねんねんよ そうりゃねんねん ねんねんよ おむくをやること やすけれど 着物着替えを持ちませぬ 下には木綿の中小袖 上には越後のお帷子 これほど仕立ててやるほどに あとに帰ろと思やるな 先に蓮華の花が散る あとに時雨の雨が降る そうりゃねんねん ねんねんよ そうりゃねんねん ねんねんよ |
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■隣が人と
隣が人と 我が人と 言することを 聞すれば 旅人を刺すと 言すなり 草の上の草をとり 山に山を重ねよ そうりゃねんねん ねんねんよ そうりゃねんねん ねんねんよ |
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■守り子唄 | |
■心せくより
心せくより 川堰きなされ 川にゃ思いの 鯉がおる あら嬉しや だいだい熟れた わしの帰るのも 近よりた 明日は帰ります どなたもさらば 長くお世話に なりました 親が貧すりゃ 緞子の帯を 買うてやろやろ 口ばかり 泣いてくれるな 泣かんでさよも 尻をひねるよに 思われる |
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■食べてみらんせ
食べてみらんせ 他人の飯を ヨイヨイ 骨は無けれど 喉にたつよ ヨイヨイ 金が欲しゅけりゃ 鳥島女島 ヨイヨイ 命欲しゅけりゃ 通われぬ ヨイヨイ 巡査ごめんなれ 守り衆の歌を ヨイヨイ 守り衆ゃうたわにゃ 日がたたぬよ ヨイヨイ 親のない子は 磯辺の千鳥 ヨイヨイ 潮が干りゃ鳴く 満ちりゃ鳴く ヨイヨイ こいな泣く子は くれたらいらん ヨイヨイ くるりゃ茶の木の 肥にする ヨイヨイ このか泣かんいうて わしが守り来たら ヨイヨイ なにが泣かんか 泣きくらす ヨイヨイ |
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■色利ゃ日が照る
色利ゃ日が照る みやんだ曇る ヨイヨイ 中のせきやみゃ 雨が降る ヨイヨイ 雨は降る降る 薪は濡るる ヨイヨイ かわいこの子は 雨しずく ヨイヨイ あの子泣かんちゅうて 守り来てみれば ヨイヨイ 泣くも泣かんか 泣き暮らす ヨイヨイ 色利みやんだに 金橋かけて ヨイヨイ 金のくさるまで 通いたい ヨイヨイ |
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■わしの思いは
わしの思いは 阿蘇山やまの 朝の霧より まだ深い ソラヨーイ ヨーイヨー あなた思うてか わしゃ夏痩せか 帯の二重が 三重まわる ソラヨーイ ヨーイヨー 思うて見て泣き 見て思うて泣き 思い忘れる 暇がない ソラヨーイ ヨーイヨー あの娘こっち向け 手拭い落ちた なんの落ちよか 顔見たい ソラヨーイ ヨーイヨー わしのおとったんな しまんだの沖で 波に揺られて 鯛を釣る ソラヨーイ ヨーイヨー うちのおとったんな 白髪の山で 板をかるうて 苦労する ソラヨーイ ヨーイヨー うちのおとったんな 鯛釣り上手 ひとが千釣りゃ 万も釣る ソラヨーイ ヨーイヨー |
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■ここのご家は
ここのご家は めでたなご家 ヨイヨイ 鶴と亀とが 舞い遊ぶ ヨイヨイ 三味の音がする 太鼓の音する ヨイヨイ かわい男の 声もする ヨイヨイ かわいかわいと 夜は抱きしめて ヨイヨイ 昼は互いに 知らぬ顔 ヨイヨイ わしが死んだら 煙草で焼いて ヨイヨイ きせり卒塔婆を 立ててくれ ヨイヨイ わしが死んだら しきみの花を ヨイヨイ さしてくだんせ 墓の前 ヨイヨイ いじめられても 世間は広い ヨイヨイ またも時世の 風が吹く ヨイヨイ |
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■宇目の歌げんか
A:あん子つら見よ 目は猿まなこ ヨイヨイ 口はわに口 えんま顔 アヨーイ ヨーイヨー B:お前つら見よ ぼたもち顔よ ヨイヨイ 黄粉つけたら なおよかろ アヨーイ ヨーイヨー A:いらん世話やく 他人の外道 ヨイヨイ 焼いちよければ 親が焼く アヨーイ ヨーイヨー B:いらん世話でも ときどき焼かにゃ ヨイヨイ 親の焼かれん 世話がある アヨーイ ヨーイヨー A:ねんねねんねと 寝る子はかわい ヨイヨイ 起けち泣く子は つら憎い アヨーイ ヨーイヨー B:憎みゃしませぬ 大事にします ヨイヨイ とぎじゃとぎじゃと遊びます アヨーイ ヨーイヨー A:山が高たこうち 在所が見えん ヨイヨイ 在所かわいや 山憎や アヨーイ ヨーイヨー B:ままになるなら 在所を山に ヨイヨイ 山を在所に してみたい アヨーイ ヨーイヨー |
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■ねんねねんねと
ねんねねんねと 寝る子はかわい 起けて泣く子は つら憎い ヨイヨイ つらが憎けりゃ 田んぼに蹴込め 上がるそばから また蹴込め ヨイヨイ わたしゃうたいとじ うたうのじゃないが あまり辛さに 泣くかわり ヨイヨイ あまり辛さに 出て山見れば 霧のかからぬ 山はない ヨイヨイ 嫁になるなら 田原にゃやるな 田原田どころ 畑どころ ヨイヨイ 人の子じゃとて わがまま気まま いつかお前の 恥が出る ヨイヨイ |
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■おどんがこまんかときゃ
おどんが こまんかときゃ お兼と あそうだ 今じゃお兼は 庄屋どんの嫁御 庄屋どんの嫁御てちゃ 高ぶりゃさいな 常にゃ粟ん飯 鰯のしゃ |
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■わらべ唄 | |
■長崎 | |
守ってあげたい幸せを ふたたび長崎 祈る天主堂 今夜は抱いてと 影法師 長崎 ちょっとせつない 恋の町 お前を好きだと いってみた いってみた 冷たい雨に ああ長崎 思案橋ブルース 終着駅 長崎 嘘をつかれたことよりも 約束を忘れられたことが 少し悲しい ひきとめて ひきとめて 未練ごころを ああ 泣いて長崎 中の島ブルース 生きるつらさに 泣けそうな 星が流れる 瀬戸港 あなたと二人濡れた街 あゝここは長崎 中の島ブルースよ ああ 長崎 長崎の 夜はむらさき 酒に恨みは ないものを あゝ 長崎は今日も雨だった 小鳩よ飛べるでしょうか あしたは 青空見えるでしょうか 惚れて 長崎ワルツ 霧笛 たそがれ 思案橋 別れても 信じていたい 遠いあの日の 夢ものがたり 面影を追いかけて ふりむけば今日も わかれ雨降る 夜の中島川 守り通した 神の道 天草四郎時貞の 魂が写る 有明の海よ 辛い運命です 長崎は雨 いつもそうですね 女は 泣かされて 待ちわびて |
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■遊ばせ唄 | |
■高い山から
高い山から 谷底見ればよ 瓜やなすびの 花ざかりよ あれは よいよい よい これは よいよい よい |
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■潮ぶりこぶり
潮ぶりこぶり 潮んなきゃ ボチャリン |
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■ギッコンバッタン
ギッコンバッタン チャンポロリン 爺に一反 織って着しゅ 婆へ一反 織って着しゅ ギッコンバッタン チャンポロリン |
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■寝させ唄 | |
■ねんねせろ
ねんねせろ こんぼせろ うっちせろ おどんがいの 誰てろは ねんねしたよ |
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■ころろん
ころろんころろん ころろんや ころろん山の きじの子は 泣いて小鷹に とられるな ころろんころろん ころろんよ ころろん山の うさぎの子 なしてお耳が 長いのか 生まれた時に 母さんが お耳をくわえて そっぱった そっでお耳が 長いのじゃ |
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■なまず川
ねんねんよ ねんねんよ ねんねの守りゃ どこ行ったか なまず川に とっぱって なまずば一匹 捕ってきて そのん じんじに 皿いっぴゃ まえん じんじに 皿いっぴゃ 真ん中ん じんじが のして はらかいて ふんぞった |
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■酒屋ごご
ひょちょこ はっちょこ 酒屋ごご 酒屋がいやなら 嫁にやろ たんす長持 はさみ箱 鼈甲の小櫛も十二本 長崎雪駄も十二足 こうして世話して やるからは 二番に帰ると 思うなよ 父さん何を 言わしゃんす 千石積んだ船さえも 万石積んだ船さえも 向こうの港が悪いなら もとの港へ帰ります 私もそれと同じこと 向こうの亭主が 悪いなら もとの我家へ 帰ります |
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■おれろんこんぼ
ひっちょこ はっちょこ 蜂の巣 蜂ゃァ山田に 巣かけげぇ 巣はかけでな 嫁ご見て 嫁ごん名は なんて付きゅか 紅つけ羽つけ 花嫁ご 嫁ごたちゃ かんのんみゃ きょうは雀の みっつくり |
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■酒屋の子
ひっちょこ まっちょこ 酒屋の子 酒ば飲ませて うたわせて 飴固 かませて 寝せつけた ねんねんよ ねんねんよ ねんねんよ ねんねんよ |
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■ひっちょこはっちょこ
ひっちょこ はっちょこ 蜂の巣 蜂は はるきゃて はって行た 向かえの こそだち とまった ことわけ 言うて つれてきた |
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■いちょうたけ雀の
いちょう たけ雀の 道下り 三匹づれづれ 下るげな 後の雀も 物言わず 先の雀も 物言わず 真ん中雀の 言うことにゃ われどまこんねえ もりやにや このごろなに花 あるもんな 雲に法華経 藤の花 一枝折れば ぱと落ちる 二枝折れば ぱと落ちる 三枝めにゃ 日が暮れた 今夜どこに 泊まろうか 西の長者も 灯が見えず 南の長者も 灯が見えず 真ん中長者に 灯が見えた 今夜あすこに 泊まろうか 明日 起きてみたら ちんちい嫁さん 花嫁さん 何が悲しゅて 泣きやんす 私の弟の千松は 七つ八つから 金堀りに 金があるやら 死んだやら 一年待てども 状が来ん 二年待てども 状が来ん 三年三月に状が来た その状にゃ 何々書いてある おせんをやれと 言うて来た おせんはやらずに おまんやろ おまんにゃ 何々着せてやろ 下から ちんちん縮緬を 上から こんこん紺屋染 中から なための ひきじらし 帯には どんすの 三重まわり 足袋は白足袋 京雪駄 頭は鼈甲で 朝日やま これほど仕込んで やるからにゃ 道でこけるな つまずくな 禅門坊主に うてあうな お寺にあがって 米食むな ねんねんよう ねんねんよう ねんねんころりよ おころりよ |
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■三匹の雀
向こから雀が 三匹 とんできた 先の雀も 物言わず 後の雀も 物言わず 真ん中の こびっちょが 言うことにゃ あがだ あがだ 花つもや 花は何の花 菊の花 一枝折れば パッとし 二枝折れば パッとし 三枝三月で 日が暮れた |
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■がんがん島
がんがんじみゃ 船きゃァぎゃ 船は買わでな 馬買うて 馬はどこへんに つなでたな 三本松の 木の下に ないどんば くれて つなでたな 去年の粟がらと 今年の稗がらと 十把ばっかり とりくれて つなで ええたとばい |
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■アッパッパ
ねんねんよ ねんねんよ 赤ちゃんな ねんねしたて アッパッパも なんも 来んなよ 来んなよ |
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■一の木二の木
一の木二の木 三で桜四の木 五葉松柳 柳のもとにゃ ひっちょこ ちょんの 子もって はっちょこ ちょんに ん抱かせて のんぼり くんだり ごしんどう ごしんどうの 寺にゃ じゅず はっぽう かねはっぽう かねや盗人の おっ取って 板きれ たたいて なんまいだ |
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■壱州子守歌
ねんね ねんね ねんねよ ねんね ねんね こんぼうよ ねんねさんせ とこさんせ あした早う おけさんせ ぼっちん搗いて 食わしゅうで 搗いていやなら 焼いて食わしゅう 焼いていやなら たいて食わしゅう たいていやなら 生で食わしゅう ほりゃ ほりゃ ほりゃよ おうおう おうおう おうおうよ |
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■イッチョココンボコ
イッチョコ コンボコ イッチョコ コンボコ ねんねしな 蜂は山に 巣ばかけに イッチョコ コンボコ イッチョコ コンボコ ねんねしな ハナちゃんは お母さんと ねんねしな イッチョコ コンボコ イッチョコ コンボコ ねんねしな |
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■島原の子守歌
ねんねしなされ まだ夜は夜中 山のお寺の 鐘が鳴る |
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■守り子唄 | |
■三年奉公
福江のおっさんたちゃ じゃくねの輪切り 色は白しても 水くさい 朝は野にやる 昼ゃ山になる 夜は遅まで 物つかせ なんぼ おっさんたちの末よかろ ヒッチョコ マッチョコ ヨンヨコヨーン |
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■ねねうらきゃて
ねねうらきゃて 伝馬の陰寝せて 伝馬がうらきゃて 起こされた おどま このいがが おつまでおりよ 盆よ早よ来い 早よもどる どっけん いわがたから 吹いて来る風は ほなつ たかいしがけに さよさよと ほっかいの とっとどんが する商売は いのちゃ帆にして 波まくら 親の難儀で 十三の年 売られましたよ 下関 下関より 来よとの便り 行かにゃなるまい 泣く泣くも |
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■ねんねしなされ
ねんねしなされ 朝起きなされ 明日は あなたの誕生日 誕生日には 赤べしょ着せて 乳母にだかせて 宮参り 旦那さんもおっ母さんも よく聞きなされ 守りば憎めば 子ば憎む ねんねする子の 可愛さみぞさ 起きて泣く子の 面の憎さ |
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■小太郎が守りょして
アララン コララン コラリヨ 小太郎が守りょして 泣くときは 朝鮮かわいや 舟かいや 舟は白がね 櫓はこがね 三で薩摩の 板買うて 板屋づくしにゃ 門たてて 門のぐるりにゃ 杉植えて 杉の小枝で 泣く鳥は 雁か すいしょか うの鳥か そばに よって見たりゃ ごぜんどり ごぜん ごぜんと あけてゆく |
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■わらべ歌 | |
■「たけのこいっぽん」
たけのこいっぽん おくれ まだめがでないよ たけのこにほん おくれ もうすぐでるよ たけのこさんぼん おくれ もうめがでたよ うしろのほうから ぬいてくれ 遊び方は“たけのこ役”と“引き抜く役”に分かれ、交互に歌います。“たけのこ役”はまだ芽が出ないうちはしゃがんで頭を隠しましょう。“引き抜き役”は、美味しそうなたけのこを吟味しながら歌い、芽が出たらたけのこを抜きましょう。 |
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■「でんでらりゅうば」
でんでらりゅうば でてくるばってん でんでられんけん でてこんけん こんこられんけん こられられんけん こん こん 小さい頃はお諏訪さんの龍のことかと思っていたけど、外出もままならない遊女や異人さんの歌と聞きました。「(ここから)出られるものなら出ても行きましょうけど、出られないのだから出て行けません。行けません。」というような意味でしょうか。長崎に限らず九州では、「来る」は「行く」ということ。「おうちんかたに、くるけんね。」とは「あなたの家に行きますよ。」の意味。 |
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■「あっかとばい」
あっかとば〜い かなきんばい おらんださんから もろたとば〜い ばい 「かなきん」は金巾。オランダさんから貰った赤い上等の布(着物の裏地)を見せびらかしていたのかな?やっぱり遊女の歌なのかなぁ? |
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■「まちでまんじゅうこうて」
町で饅頭買うて 日見で火もろて 矢上で焼いて 古賀でこんがらかして 久山でうち食うた 長崎から諫早久山までの地名を織り込んだもの。「喜々津で切って」というのもはさまってた?この歌では長崎の街でお饅頭を買ったことになっているけど、日見峠の饅頭屋さんは有名でした。父はそこで育ちました。私が子どもの頃は伯母さんが大きな茶色のソーダ饅頭を作ってました。 |
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■「つるは」 (絵描き歌)
つるは まるまる むし |
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■熊本 | |
■遊ばせ歌 | |
■ちょっちょっちょっ
ちょっ ちょっ ちょっ〔手をたたく〕 めめんこ めめんこ めめんこ〔掌に指で丸を描く〕 いとぐい いとぐい〔かいぐりをくり返す〕 ばあ〔両手をひろげて幼児を喜ばせる〕 |
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■すーすー子供
すーすー子供 あしたけ あさってけ あらもとすっで かますっで すーすー子供 堂の前へ こるでけ 商人(あきゆうど)が尻(ひゅう) こしゃじなめさすっで |
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■ぎーっちゃん
ぎーっちゃん ちゃんごろりん |
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■おひィがっちゃん
おひィがっちゃん ちゃんごろりん 湯前(ゆのまえ) 多良木(たらぎ)の 須恵(すえ) 深田(ふかだ) おまんがことづけ 忘れんな ちょけ さっ ちょけ さっ |
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■ギッコンバッコン
ギーッコン バーッコン 爺さんに いっちょ 打ってやろ 婆さんに いっちょ 打ってやろ ギーッコン バーッコン |
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■まんまいさんはいくつ
1
まんまいさんはいくつ 十三ななつ ななつで子をもって 子はだれ だかしゅ おまんにだかしゅ おまんはどこいた 高瀬の先に舟買いぎゃ 舟のはしでにゃ馬買うて その馬どこえた 三本松の木の下 つないでおいたぞ おろろんばい おろろんよ おろろん畑の ぼんぶらは なるみちゃ知らでにゃ はいまわる 寝った子の可愛さ 寝らん子の面憎さ おろろんばい おろろんばい おろろん おろろん ねんねしな |
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■まんまいさんいくつ 2 まんまいさんいくつ 十三ななつ ななつの歳に 油きゃにやったらば 油屋の前で 油五合いしてぇた 赤犬と黒犬が がんがん言うて ちょんなめた |
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■お月さんないくつ
お月さんないくつ 十三ななつ ななつで 子をもった その子は どうしたかい おまんどんに うんだかしゅ おまんどんな いやでち 油買いはってぇた その油どうしたきゃ 犬と猫と ちょんなめた |
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■ねんねしなされ 1
ねんねしなされ はよおきなされ おきて目さましゃ いろたばこ ねんねした子の かわいさみぞさ おきて泣く子の つらにくさ |
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■ねんねしなされ 2
ねんねしなされ 朝おきなされ 朝の目さましゃ 茶とたばこ 朝の目さましゃ 茶とたばこ ねんねした子の かわいさむぞさ おきて泣く子の つらにくさ おきて泣く子の つらにくさ |
■ねんねしなされ 3
ねんねしなされ まだ夜は明けぬ 明けりゃお寺の 鐘がなる ねんねした子の かわいさむぞさ おきて泣く子の つらにくさ ねんねこねんねこ ねんねこよ ねんねこかっちり お亀の子 お亀は盗人が おっとった ねんねしなされ 朝おきなされ 朝の寝おきにゃ 団子だご饅頭 団子か饅頭か おこしの米か 一夜づくりの 甘酒か |
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■ねんねしなされ 4
ねんねしなされ おやすみなされ 親のすみよにゃ まだはやか ねんねした子の かわいらっさ もぞさ おきて泣く子の つらにくさ つらのにっかったろ うち殺これておくれ 親にゃ こき死んだと いうておくれ わしとあなたは、つぎほの密柑 今はならねど 末はなる わしとあなたは かけひの水よ 澄まずにごらず 出ず入らず おどんげ来てみゃ 天満ずぐし 竿じゃとどかぬ 見たばかり おどんがこまんか時ゃ よしのにかよた よしのすすきば なびかせた |
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■ねんねしなされ 5
ねんねしなされ はよおきなされ 朝の目さましゃ 茶とたばこ ねんねした子の かわいさむぞさ おきて泣く子の つらにくさ わしとお前さんは 姉妹(きょうだい)なろや お前ゃ姉(あね)さん わしゃ妹 |
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■ねんねしなされ 6
ねんねしなされ 朝おきなされ 朝はお寺の 鐘がなる おどんがちんか時ゃ かね打ちせきだ 今はふとなって つのむすぶ ねんねして泣く 子にゃ乳のませ 乳をのませて だいてねる |
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■おれろばんごばんご
おれろ ばんごばんご ねんね さいたならば おきて目覚ましゃ 砂糖饅頭 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に しょうの笛 鳴るか鳴らぬか ふいてみよ |
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■ねんねんよ
ねんねんよ ねんねんよ ねんねが守りは どこいった 山をこえて 里いった 里のみやげは なになにか 一に香箱 二に鏡 三で薩摩の板を買(こ)て 板を葺(ふ)くちて 門たてて 門のぐるりに 泣く鳥は がんかすいしょか 鵜の鳥か いたみてたもね 御所の鳥 ごしょんごしょんと わけていく わけていくいく いげふんだ いげはなにいげ こからいげ どうぞ姉さん ほってくれ 今日はひまなし おひまなし わたしがそのうち 死ぬるなら ろうそく線香は たのみます |
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■おろろんおろろん
おろろん おろろん おろろん おろろん おろろん おろろんよ おろろん おろろん おろろん おろろん おろろん おろろんよ うんどんがえん とっつぁんたちゃ 竹ん島(しみ)ゃ 芽とるぎゃ 芽はとりゃえでん きゃ流(なぎ)ゃて おどみゃどゥうしゅろ どゥうしゅろな おろろん おろろん おろろん おろろん おろろんよ おろろん おろろん おろろん おろろん おろろん おろろんよ アラ みぞさが みぞさが しょうけいっぴゃ みぞさが みぞさが しょうけいいっぴゃ うんどんがえん かっちゃんたちゃ 茶園原(ちゃえんばり)ゃ 茶つみぎゃ お茶ばよんにょ摘んで はよもどれ おれろばんが子は 泣かせちゃならぬ (ハヤシ言葉略) アラ みぞさが みぞさが しょうけいっぴゃ ねんねころゆて ねんねせんややは 打とか たたこか なんぎゃろか おきて泣く子の つらにくさ (ハヤシ言葉略) アラ みぞさが みぞさが しょうけいっぴゃ みぞさが みぞさが しょうけいっぴゃ |
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■おろろん亀屋にゃ
おろろん おろろん おろろんばい おろろん亀屋にゃ 子がでけた 泣くと丹後山ゃ おいやぐるばい おろろん おろろん おろろんばい おろろん亀屋にゃ 子がでけた 泣くと久助どんの もらいこらすばい おろろん おろろん おろろんばい ねむれねむれ 猫の子 うっつけ うっつけ 牛の子 はようねむらんと わんわんがくるばい |
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■おろろんいうて
おろろんばい おろろんばい おろろんいうて ねらぬ子は 打とかたたこか なんぎゃろか なんぎゃらするまい 母さまに お乳のでばなで お目さましょ |
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■おろろんや
おろろんや おろろんや おろろが山から 日が暮れて 権現堂に 宿して 朝どき起きて 面見れば 十七八の 稚児たちが 黄金の木履 ふみそろえ |
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■ねんねこや
ねんねこや こんぼしや ねんねこちゅうても ねらの子は びんたに 手こぼし 二つ三つ |
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■ねんねのおもりは
ねんねんころり ねんころり ねんねのお守りは どっちいた 向こうのお山に 里帰り 里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に しょうの笛 ねんねんころり ねんころり |
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■ねんねここんぽこ
ねんねこや こんぽこや ねんねこや こんぽこや ねんねこ こんぽこ とこなされ ねんねした子の かわいさむぞさ おきて泣く子の つらにくさ |
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■ねんねんころころ
ねんねんころころ 鳴く虫の 父ちゃん母ちゃん 恋しゅて泣きゃるのか 父ちゃん母ちゃん 手枕で ねんねんころりよ おころりよ |
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■ねんねこさんねこ
ねんねこ さんねこ 酒屋が子 酒屋がいやなら 嫁入さしゅ 嫁入の道具は なになにか たんすに長持 はさみ箱 これほど持たせて やるほどに いてから戻ろでちゃ いなはんな エー 戻らば戻らい きゃ戻らい あてにゃ十八 きょよぼたい あてにゃ十八 きょよぼたい |
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■ちょんちょこべえ
ねんねこや ねんねこや ねんねこ ねんねこ ねんねこや ちょんちょこべえ ちょんちょこべえ ちょんちょこべ人形は うしてらいた うっけぎゃございたろ どぎゃんさっどか ねんねこや ねんねこや |
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■向かえの山に
向かえの山に 灯が明かる 月か星か ほったるか 山寺坊主の 御前迎え よんべ迎えた 花嫁御 今朝の座敷に 出したれば 椀が細いとて 出てはしる まいっとき 待ちなはり わんふとの 椀はなに椀 たかち椀 膳はなに膳 杉の膳 箸はなに箸 やなぎ箸 なにが不足で あるものか |
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■この子が眠ったら
この子が眠ったら さぞよかろ 餅んついて さまいて べべの子に うせて 坂をのぼり おいあげて 坂の上には 堂がある 堂の中には 虫がおる きたねえ虫が ひと夫婦 立派な虫が ひと夫婦 立派な虫の いうことにゃ 雁なすいしょか 鵜の鳥か 寄ってみたれば 御所の鳥 ねんねんころりよ おころりよ |
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■あの人とあの人は
あの人とあの人は 川とんぼ 川の中で 子がでけた その子は初子で 宮まいり 宮の後ろで ぽんがせく ぽんがせっくなら 医者呼んで 医者のくすりは のまんという のまんとゆったてちゃ のまにゃならん だってろさんの手枕で ちょっとようなった だってろさんの手枕で ちょっとようなった |
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■おろろんが守りは
おろろんよ おろろんよ おろろんが守りは どっちいた あの山こえて 里いた 里のみやげは なになにか 一に大雨 二に夕立 三に用事が くるわいな おろろんよ おろろんよ おろろんが守りは どっちいた あの山こえて 里いた 里のみやげは なにもろた 一に香箱 二に鏡 三で薩摩の 板を買て 板をぶぎょして 門たてて 門のぐるりに 杉さして 杉のみどりに 鳴く鳥は 雁かすいしょか 鵜の鳥か 鵜のじゃござらぬ 御前鳥 御前鳥どり 化けていく 化けていくいく いげふんだ いげはなにいげ くわくわらいげ くわくわらいげほど 身の毒だ ほて下され 姉御さま ほてやるのは やすけれど 今日は暇なし お暇なし 明日の晩の月夜に ほてやろ おろろんよ おろろんよ |
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■おまんがお父っつぁん
おまんがお父っつぁんな どっちいた かんかんかね山ゃ かね堀りに かねが掘れたか 掘れんかしょ おまんも行こでちゃ 泣かるげな おまんになになに 着せてやる 下から木綿 あか小袖 上から丹後の 単物 一番上から おっぱいて さらばさればと 行きよれば 地藏のもとの 八重桜 一枝折りては 髪にさし 二枝折りては 肩にさし 三枝折るまじゃ 日が暮れた 姉方の方に 泊まろうか 伯母方の方に 泊まろうか 伯母方の方に 泊まったら たたみはせまし 夜は長し ここはどこよと たずねたら ここはなだいの かけどころ なだけかけたる そのあとは 親にしんがん 子に四貫 明日は伯母女に 四十五貫 四十五貫の ぜにかねば 高い米買て 船に積み 船はどこまで 大阪まで 大阪みやげは なになにか 一で香箱 二で鏡 三で薩摩の 板を買て 坂屋奉行して 門たてて 門のぐるりに 杉うえて 杉のみどりに 鳴く鳥は 雁かすいしょか 鵜の鳥か 鵜のじゃござらぬ 御所の鳥 御所の鳥とり いげふんだ いげはなにいげ ぐゎくゎらいげ 姉さんどうぞ ほってくれ 今日は暇なし お暇なし 明日の晩の月の夜に ほってやろ わたしがそのとき 死ねるなら ろうそく線香 たのみます |
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■おろろん畠の
おろろん畠の ぼうぶらは なりみちゃ知らずに はいまわる としきさんの お父っつぁんな ただ買いに ただはおらずに 馬買うて だだはどこにつないだか 一本松の木の下に なにば食ゎせてつないだか 去年の稗がら 今年の粟がら それを食ゎせてつないだ 早よ寝って 早よおずめ あんめとぼっちを買うてやる おっちきばっちきしおらしたりゃ 子ができた その子はなに子か ひょうたん子 ひょうたん子のぶん助さんに よう似とる ぶん助さんに うだかれて お寺参り お寺の段から むしのせぎゃーた むしがせくなら お医者さん お医者さんの薬ゃ わしゃきらい ぶん助さんの手枕で ちょっと良なった 早よ寝て 早よおずめ あめんぼとぼっちと買うてやる |
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■江戸の父さん
江戸の父さん 早よもどれ 飴もぶんぐも いらんばな お千と万八ゃ うっ死んだ あさがら二本に 渡されて |
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■うさぎのお耳
おろろん畠の しねうさぎ なぜにお耳が おながいの 母さんのおポンポンに いたときに 椎の実 榧の実 食べたから |
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■子供衆ゃ泣かす
盆なはってかす 子供衆ゃ泣かす なんの泣くかな またこらす 親の難儀で 十三の歳 売られましたが 下関 下関から 来いとの手紙 行かにゃなるまい 泣くなくも おどんがもった子は 笠岩にゃくれぬ 行けば笠岩は 岩の下 行こやはってこや 熊本ん先に 阿蘇の南郷の 果てまでも わしとあんたは はってこじゃないか 親の訊ねの ないところ |
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■ねんねこねんねこ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよォ 霧島さんでん 乙宮さんでん どこでんよかたい いとんなはり この子が寝れば わたしもくる ねんねこ がっちり 亀の子 寝らにゃ こうこが わんすう びょうびょう そらきた もうきた おろろんばい ねんねこ ねんねこ ねんねこよォ 今年こらした あんたん方の高文金な 器量もよかげにゃ たいっげにゃ 知っとるばってん いわんばってん かまわんこっばってん がまじゃち むぞがって おきなはり うらやましこっ 一日なっと 一晩なっと いっときなっと じょうもんさんになってみちゃ 千代さん 嵯峨さん いま来たばい あんたたちゃ みゃばん お湯にだまって 一人でばっかり はちくるけん どうしてん わたしどま そりゃでけん いろいろ奥さん くしするけん 何でも かんでも いちいち奥さんに 告げ口いわんと のちゃ りんきさす |
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■守り子歌 | |
■おどんがもった子は
おどんがもった子は 岩屋にゃくるんな 岩がくずるりゃ 死んでしまう おどんがもった子は 湯島にゃくるんな 湯島談合島 はなれ島 おどまかんじんかんじん あん人たちゃよかし よかしゃ きりょうよし 姿よし |
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■何が心に
なにば案じっかよ 日の暮れ方に 何が心にィ かかるやら あなたろうそく しんから燃える わたしゃたいまつ うわのそら あなた百まで わしゃ九十九まで ともに白髪のォ はゆるまで |
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■わが子かわいなら
わが子かわいなら 餅ゃ守り食わせろ 守りばにくめば 子ばにくむ おれろばんご言うて 寝った子のみぞさ おきて泣く子の つらのにくさ つらのにくかたろ 打ち殺れてくっどない 親にゃ死んだとは 言てくれろ 親にゃ死んだとは 言ちゃおりゃならぬ 親は目で見て 耳で聞く |
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■今年ゃこけおって
今年ゃ こけおって 着物三つもろて 年中泣く子を かりゃあげた ねんねした子の かわいらしさみぞさ おきて泣く子の つらにくさ ヨイヨイ |
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■うんどみゃばかばか
うんどみゃばかばか ばかんもった子じゃっで ばかといわれて はずかしや なけばなんこんばな たけんさきの灘に あがりゃえんとばな 死んとばな おどま いやばな 泣く子の守りは 泣けばおやじょに おごらるる |
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■親が難儀で 1
親が難儀で 十三の年 売られましたが 下関 下関から 来いとの手紙 行かぞなるまい 泣くなくも 奥さんも旦那さんも よう聞きなされ 守りにけんどすりゃ 子にあたる |
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■親が難儀で 2
親が難儀で 十三の年 売られましたが 下関 下関から 来いとの手紙 行かにゃなるまい 泣くなくも |
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■ねんねした子の 1
ねんねした子の かわいさむぞさ おきて泣く子の つらにくさ つらのにっか子は うち殺れておくれ 親にゃ ご死んだと ゆておくれ |
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■ねんねした子の 2
ねんねした子の かわいさみぞさ おきて泣く子の つらにくさ わたしゃこの家の 子守りだけれど 守りばにくめば 子ばにくむ 子ばにくめば しきしょにさわる しきしょさわれば 守りゃおらぬ |
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■けさの寒さに
けさの寒さに 親なら子なら 行くな戻れと ゆてくりょに 他人おそろし 闇夜はこわい 親と月夜は いつもよい おどんが死んだなら 誰が泣いてくりょか 前の松山の 蝉が泣く 蝉じゃござらぬ 妹でござる 妹泣くなよ 気にかかる おどんがごたってにゃ もの言うな名言うな なさけかくるな 袖ひくな なさけかくっちゅて 籾のぬかかけて さまのなさけは かゆござる こんなところに なぜ来たしらぬ 親が行くなと とめたのに 親はどこかと 豆腐にきけば 親は畠に 豆でおる おどんが父さんな 桶屋でござる 朝はとんとことんとこ 輪をたたく ねんねした子に 香箱七つ 起きて泣く子に 石七つ あの子にくらし わしみて笑う わしもみてやろ 笑てやろ あの子えらそに 白足袋はいて 耳のうしろに あかためて 山でこわいのは さるとりいばら 里でこわいのは 守りの口 おどんがにくけりゃ 野山で殺せ 親にそのわけ 言うて殺せ おどんがこの村に 一年とおれば 丸木柱に 角がたつ 丸木柱に 角がたつよりも 早くいとまが 出ればよい おどんがおればこそ こん村がもむる おどんが行ったあて 花がさす 花はさいても ろくな花はさかん 手足かかじる いげの花 |
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■五木の子守唄 1
おどま非人(くわんじん)非人 ぐゎんぐゎら打ってさるこ ちょかで飯(まま)たいて 堂に泊まる おどまばかばか ばかんもった子じゃっで よろしゅたのんもす 利口(じこ)かひと 子持ちよいもの 子に名をつけて 添い寝するちゅて 楽寝する つらいもんだよ 他人の飯(めし)は にえちゃおれども のどこさぐ おどまいやいや 泣く子の守りは 泣くといわれて にくまるる こどんかわいけりゃ 守りに餅くわせ 餅がこくれば 子もこくる |
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■五木の子守唄 2
おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんど 盆が早よ来りゃ早よもどる おどまかんじんかんじん あん人しとたちゃよか衆し よか衆ゃよか帯よか着物(きもん) おどんがうっ死(ち)んだちゅて 誰(だい)が泣(に)ゃあてくりゅきゃ 裏の松山蝉が鳴く おどまいやいや 泣く子のもりは 泣くといわれて憎まれる ねんねいっぺん言うて 眠らぬやつは 頭叩いて尻ねずみ ねんねした子に 米ん飯食わしゅ きなこおれにして砂糖つけて ねんねした子の かわいさむぞさ 起きて泣く子の面憎さ 子どんがかわいけりゃ 守りに飯くわしょ 守りがこくれば子もこくる つらいもんばい 他人の飯は 煮えちゃおれどものどこさぐ おどまバカバカ バカんもった子じゃっで よろしゅ頼んもす利口か人 おどまかんじんかんじん ぐわんがら打ってさるこ ちょかで飯ちゃあて堂にとまる おどんがこん村に 一年おれば 丸木柱に角がたつ 丸木柱に 角たつよりは おどまはよ暇んでればよか 花が咲いても ろくな花ささん 手足かかじるイゲの花 おどんがおればこそ こん村もめる おどんが去たあと花が咲く おどんがうっ死(ち)んだちゅうて 誰だいが泣にゃてくりゅうか 裏の松山蝉が鳴く 蝉じゃござらん 妹でござる 妹泣くなよ気にかかる おどんがうっ死んだら 道ばちゃいけろ 通る人ごち花あぎゅう 花はなんの花 つんつん椿 水は天からもらい水 おどんがとっちゃんな おん山おらす おらすともえば行こごたる |
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九州を代表する子守唄で、戦後になってアレンジ曲が流行歌となり、全国的に知られることになった。元々は、貧しい山間の村に生まれた娘が、口減らしのために子守娘として奉公へ行った先で、わが身の不遇を嘆いて歌った唄。「おどま」は「私たち」のこと。「非人」は子守娘自身のことを卑下している言葉で、普通は乞食の意味で使われる。現在記録されているだけでも、70を超える歌詞が存在する。今も一般に広く知られている「五木の子守唄」は、元の正調とはかなり変わって民謡風にアレンジされている。 | |
■五木四浦地方の子守歌
おどま盆ぎり盆ぎり 盆かる先ゃおらんと 盆がはよ来りゃ はよもどる おどま非人(かんじん)非人(かんじん) あたしたちゃよかし よかしゃ よか帯 よか着物 おどんが死んずろば 道ん端(ばちゃ)いけろ 通る人ごち 花あげる 花はなんの花 つんつん椿 水は天から もらい水 |
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■おどまいやいや
おろろん おろろん おろろんばい おろろん おろろん おろろんばい おろろん おろろん ばばのまご おどまいやいや 泣く子の守りにゃ 泣くと言われて にくまれる(くり返す) ねんねいっぺん言うて ねむらぬやつは あたまたたいて しりねずむ(くり返す) おどま勧進(くわんじん)勧進 ぐゎんがら打ってさるく ちょかで飯ままちゃて 堂に泊まる(くり返す) おどんがお父っつぁんは あん山おらす おらすともえば いこごたる(くり返す) おどま勧進勧進 あんしたちゃよかし よかしゃよか帯 よか着物(きもん)(くり返す) おどんが死んだちゅうて だが泣ぁてくりゅきゃ 裏ん松山 蝉が泣く(くり返す) 蝉じゃござらぬ 妹(いもと)でござる 妹(いもつ)泣くなよ 気にかかる(くり返す) おどま馬鹿馬鹿 馬鹿ん持った子じゃっで よろしゅたのんもそ 利口(じこ)か人(くり返す) おどんがうっ死んずろば 道ばちゃいけろ 通る人ごて 花あぐる(くり返す) 花はなんの花 つんつん椿 水は天から もらい水(くり返す) おどま盆ぎッ盆ぎッ 盆から先ゃおらんと 盆が早よくりゃ 早よもどる盆ぎッ |
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■おどま盆ぎり 1
おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと 盆が早よくりゃ 早よもどる うちのお父さんな あの山(やみや)おらす おらすともえば いこごたる おどまいやいや 泣く子の守りにゃ 泣くと言われて にくまれる |
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■おどま盆ぎり 2
おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらん せめてナー 今年の ア 師走まで 奥さん旦那さん よう聞きなされ 守りにナー けんどすりゃ ア 子にさわる |
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■ねんねこばっちこ
ねんねこばっちこ言うて ねらん子はたたけ たちゃてねらん子は 尻(じご)ねずめ ねんねこばっちこは 守り子の役目 そう言うてねらきゃて 楽をする うんどみゃ盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと おって盆べこも きしゃされず うんどんが死んだときゃ だが泣ゃてくりゅきゃ 山のからすと 親さまと うんどんが死んだときゃ 大道端(うみちばちや)いけろ のぼり下りにゃ 花もらお 花は立っちゅちィ 柴ン葉はたつンな 椿つつじの 花たてろ |
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■わらべ歌 | |
■葦北の子守唄
ねんねしなされ おやすみなされ 親のすみよにゃまだはやか ねんねした子のかわいらっさもぞさ おきて泣く子の面にくさ つらのにっかったろ うちこれておくれ 親にゃこき死んだと言うておくれ 「ねんねしなされ」で始まる子守唄はいくつもある。「寝させ歌」の典型的な形でもある。「親のすみよ」の「すみ」は「済み」だろうか。親が休むにはまだ早い、休めないまま子どもの寝かしつけは続く。寝た子はかわいい、寝ない子は憎い、という対比はよく見かけるもので子守唄としての目新しさはない。いきなり平手打ち食らうような衝撃を受けるのは、3番だ。泣き止まぬ赤ん坊に対して、私の面が憎いんだろう、殺しとくれと歌うのだ。実際赤ん坊を脅したり憎しみをぶつける歌というのは少なくない。 ねんねん、ころころ、ねんころや、 寝ないと鼠に引かれんべ おきると夜鷹にさらわれる (山形) ねんね、ねんねよ ねる子はかわいい、 面のにくい子はまないたにのせて 四万十川へちょいと流す (高知) 泣くな泣くなよ、泣く子はいらぬ 泣けば地獄の釜の中 (鹿児島) 鼠や夜鷹など怖いもので脅すというのはまだかわいいほうで、川や地獄に送るという物騒なものも多い。しかし、葦北の子守唄は、守子である自分を殺せと歌う。泣く子の「不機嫌」を「憎しみ」として受け止める少女の姿がそこにはある。いくら泣きわめいても殺意を抱くことなど知らぬ赤ん坊に、「憎いだろう、殺しとくれ」というとき、それは、そのまま少女の赤ん坊への憎しみが反射して生まれた言葉といえる。自らを滅せと迫るほどの深い悲しみは、川へ流し、地獄へ送る子守唄の幾倍も強く聴く者に響いてくる。たとえ死んでも、実の親に届くのは死んだという便りだけだ。それさえ届かぬこともあったのではないだろうか。 俺(おど)まが死んだてちゃ誰が来て泣くど、裏の松山や蝉が鳴く 俺んが死んだ時ゃ道端や埋けろ、通る人ごち花あげろ 生のはかなさをすでに知る少女たちの、諦念覚えつつ抑えきれぬ感情の高ぶりが、熊本に伝わる二首の子守唄のフレーズにも表れている。 しかし、4番からは子守の様相を離れ、詩の主題は恋になる。 わしとあなたは接ぎ穂のミカン 今はならねど 末はなる 今は恋愛の実る時期ではない、と自らを慰める気分が伝わるよくできた比喩になっており、大人たちの恋の歌のフレーズが混じっているのかもしれない。 江戸期に集められた民謡集「山家鳥虫歌」を参照すると、この「わしとあなた」型の恋の歌には 「わしとお前は子藪の小梅 なるも落つるも人知らぬ(丹後)」 「わしとお前さんはいろはにほへと やがてちりぬるお別れじゃ(三重)」 などが伝わるが、ここに出てくる接ぎ穂のミカンの比喩表現は、より洗練されている感がある。もう少し類歌を探してみると 「様とわしとは山吹育ち 花は咲けども実はならぬ」(愛知・田峰盆踊) 「様とわしとは焼野の葛 蔓は切れても根は切れぬ」(土佐・機織唄?) のように、実と縁について歌う二首を見つけた。現世で結ばれなくても「根は切れぬ」、という縁を歌うフレーズが「末はなる」という言葉で、接ぎ穂のミカンに詠み込まれたものが葦北バージョンであるように思う。田峰盆踊のバージョンは新潟甚句にも類歌があり、土佐バージョンは機織歌とも言われる。子守唄や守子歌もジャンルを超えて盆踊り、甚句、労働歌などさまざまな類歌の影響が及んでいることが分かり面白い。続いて恋は掛井の水にたとえられる。 わしとあなたは掛井の水よ すまずにごらず 出ず入らず 掛井とは、筧、懸樋とも書き、水を引き、地面の上を水平に運ぶものだ。竹やくりぬいた木で作られ、歴史的には田んぼに水を運ぶ灌漑用水に用いられてきた他、人家の屋根の雨水を下に落として地上で運ぶためのものでもあった。吉田兼好が徒然草の第十一段に 木の葉に埋もるる懸樋の雫ならでは、露おとなふものなし と描写して以来、和歌の世界では世捨て人の心細さと共に詠まれてきた。冬になり山里の庵に流れる掛井の水が凍ったり枯葉に埋もれて「音」が途絶える様と「訪なふ」者がない寂しさとがかけられたからだ。その一方で、「にごりなきもとの心にまかせてぞかけひの水のきよきをもしる(続千載集・釈教・覚懐法師)」のように掛井の水の音に清浄を感じ、澄みわたる心を詠むものも存在する。 しかし、葦北の歌で詠まれるのは、とどまることなく流れ、澄むこともにごることもない。思い寄せる人との間を温める時間もない、今世での縁の薄さへの歎きである。その意味では 「わしは谷水出ごとは出たが 岩に堰かれて落ち合はぬ(河内)」(伊豆碓挽歌、広島御島廻歌、愛媛雨乞踊歌などに類歌) 「何を歎くぞ川端柳 水の出ばなを歎くかや(河内)」(愛媛籾摺歌、田峰盆踊、鹿児島労作歌などに類歌) 「出ごと」「出ばな」はそれぞれ色恋の暗喩になるらしく、勢いのある水の流れとうまく実らない恋の行方を重ねる歌の系譜に連なるのだろう。 つらい子守の合間に、今は結ばれなくても来世は一緒になるという期待をこめて恋人の面影を思い浮かべ「わしとあなた」と発声することがどれほど、彼女たちの心の慰めになったことだろう。それが悲恋の歌としても、子守の途中で恋の歌を歌うことは、今で言えば思春期前後の守子たちにとってほとんど必然だったように思う。 6番からは自分の家のことや自分の幼いころの回想、昔を思う歌になっている。 おどんげ来てみゃ 天満づくし さおじゃ届かぬ 見たばかり おどんがこまんかときゃ よしのに通た よしのすすきばなびかせた 「おどまかんじん」というフレーズが有名なように、「おど」というのは「俺」「私」である。柿がたわわに実る様を「天満づくし」と言った。さおを使っても届かなかった、小さい頃の実家での思い出、野原ですすきを靡かせた思い出を回想する少女。歌う今もまだ、大人になりきらぬ年端だろう。現代の感覚で言えば、回想などする年齢ではないが、労働力として他家へ奉公に出ている身には、とりわけ実家の親元にいられた幼児期が美しく懐かしく思い出されたことだろう。 守子歌というのは、世界的に見ても珍しいのだという。世界の子守唄は母親の愛情を歌うものが圧倒的に多い。厳密に言えば日本の守子歌は労働歌であり、しかし、労働歌といってしまうにはあまりにはかない美しさをたたえているように思う。 右田伊佐雄は「子守と子守歌」の中で、守子を「兄弟守子」「互助守子」「奉公守子」の三種に分類し、「兄弟守子」は世界にも見られるものとしている。また「互助守子」も農閑期などに共同体内での助け合いとして子どもたちを子守に利用しており、それほど悲惨な雰囲気はない。いわゆる「守子歌」らしい恨み節を生みだしていったのは、江戸中期ごろから広まった「奉公守子」たちだった。親元を離れ、奉公先で冷遇されながら、ひたすら子を背負い、背を赤ん坊の尿でぬらし、恋しい人を思い、親を思い、故郷を思いながら奉公明けを待ちわびた少女たち。彼女たちの嘆き歌は日本全国に分布するという。楽譜を通して遠い日の彼女たちの記憶が現在に残っていることは、本当に奇跡のようだ。 この曲をライブで歌うと「寺尾さんあんな歌い方もできるんですね、民謡調というか」と言われる。意識してはいないのだが、メロディに引っ張られて出てくる声色というものがあるのだろう。今この歌を歌いながら、当の母親でさえ、一人目の子育ては泣きたくなる事もあったなあと思いかえす。私と彼女たちの思いが、時代を超えて、声帯でかすかに共鳴する瞬間が、もしかしたらあるのかもしれない。 |
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■宮崎 | |
滝も生きてる自然も人も 街を飾る 関之尾滝は 花を咲かす 都城話 出来れば昔の ふたりの暮らし 願う心の 女ごころの ああ堀川運河 |
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■寝させ歌 | |
■ちにれちにれ
ちにれちにれ ちにれちにれ ちにれちにれ わんわんさんが来っど ちにれちにれ よかどよかど ちにれちにれ |
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■ねんねこさっしゃりませ
ねんねこさっしゃりませ きゅは 二十五日 あすはこの子の 宮まいり 宮に参ったら なんというておがむ この子一生 まめなよに |
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■ねんねこせん子は
ねんねこねんねこねんねこせ ねんねはよい子じゃねんねこせ 泣くな泣かずに ねんねこよ 泣かんでねらんと 背負かるわんど 泣いてねらんと 川流す ねんねこせん子は墓たてる |
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■ねんねねんねこ
ねんねねんねこ ねんねこよ ねんねしなされ 夜がふけた わたるそよ風 草の露 いったり来たり 夢の舟 親がうたえば 子がねむる ねんねしなされ ねんねこよ |
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■ぼんがえんお父っちゃんな
ホーラホーラ ホーラヨ ぼんがえんお父っちゃんな どこん行きゃった おかん先 焼酎飲んけ 焼酎飲んで 酔(い)くろうて 正月どんの べんじょを 汚(よご)らけて むらざけ川で 洗やったどん 干すとこがなくて 草っ原へ 干しちょきやったら のっがいって ひん燃えっしもっ ちょっしもた ホーラホーラ ホーラヨ |
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■むかえの原に
むかえの原に 鹿が鳴く さびしゅて鳴くか 妻呼ぶか さびしゅて泣かぬ 妻呼ばぬ あすはこの山 かりがある ここらは狭まし 子は多し 逃げよとすれば 子が惜しゅし 助けたまえよ 山の神 助けたもうた お礼には 四角四面の 堂立てて 石の燈籠に 灯を明かす |
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■ねんねんお守りは
ねんねんお守りは どこへ行た あの山越えて 砂糖買いに 里のおみやげ なになにの 一に香箱 二に鏡 三に薩摩の 板買うて いたやぼきれて 門立てて 門のぐるりに 杉さして 杉のみどりに 鷹はませ 鷹のこう場に 香たいて 香の煙は どちらゆく 西や東に きたみなみ |
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■ねんねこやいやこ
ねんねこやいやこ ねんねこや やいやこねんねこ やいやこよ ねんねこ山の 白犬は 一匹ほゆれば みなほゆる ねんねこした そのあとで 餅じょとだんごを しておいて お起きしたときゃ それをやる やいやこねんねこ やいやこよ 父ととと母ははは どこへ行いた 父とうちゃんは米屋に 米買いに 米がのうして 馬買うて その馬はそれから どうしたや 一本松の 木の下で つないでおいたよ やいやこよ |
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■眠れ眠れ猫の子よ
眠れ眠れ 猫の子よ だんまれだんまれ だんまの子 うっつけうっつけ 牛の子 すやすや眠れ ええ子じゃろ ほらほら眠れ ええ子じゃろ |
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■さるけさるけ猿の子 1
さるけさるけ 猿の子 うっつけうっつけ 牛の子 眠れ眠れ 猫の子 この子がねんねを したならば ぼちやだんごも ついて食わしゅ ついて食わせた 残りは だんだの背中に乗せて 牛の子に引かせ あっちの坂を ごろごろ こっちの坂を ごろごろ 五郎蔵どんの山にゃ 畑つくり金持ち 金を盗人が おっ盗った |
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■さるけさるけ猿の子 2
さるけさるけ 猿の子 うっつけうっつけ 牛の子 眠れ眠れ 猫の子 うちのとめちゃんが ねんねすると ぼちもだんごも ついてやる ほらほらお山の きじの鳥 猫から追うわれて とられたど |
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■よい子よい子いうて
よい子よい子いうて 眠らん子は びんたに てこぶし当ててやる 眠れ眠れ 猫の子 うっつけうっつけ 牛の子 ねんねこいうて 眠らずに 起けたら おかめが とってかも とってかも |
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■ぼんがえんひゅうたんな
ホロロホロロ ホロロロロ ホロロホロロ ホロロロロ ぼんがえん ひゅうたんな 太ふちっじゃ 太っじゃ太っじゃ 太っじゃ 米どむ入れたら 三十三石三斗 三升三合三勺 三畝どま いろうだい ホロロホロロ ホロロロロ ホロロホロロ ホロロロロ |
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■べぶん子が一ぴき
べぶん子が一ぴき たぶん子が一ぴき どき つねじょいたか むかえん三本松の 木の下に なにゅ 食わせちいたか 去年の豆がらと 今年の粟がらよ |
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■狩人子守歌
眠れ眠れ 猫の子 うっつけうっつけ 牛の子 走れ走れ狩人かりんど 秋のししゃとれんど |
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■ねんねこぱんぱこ
ねんねこぱんぱこ 酒屋が子 酒屋で生まれた 子なれば 盃持って来い 酒飲ましょ 子供がお酒を 飲むものか 正月ゆるりと 酒飲ましょ ねんねこや ぱんぱこや |
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■ほーわれほーわれ
ほーわれほーわれ ほーわれよ 眠れ眠れ 猫の子 だまれだまれ だんまの子 この子がねんねを したときにゃ 餅やらだんごやら こしらえて 隣のべの子に かるわせて のんぼりくんだり とばしょうぞ この子がめざめた そのときにゃ この子にばっかり 食わしょうぞ ほーわれよ ほーわれよ |
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「だんまの子」は「馬の子」、「べの子」は「牛の子」、「のんぼりくんだり」は「上り下り」のこと。内では、この「眠れ 猫の子 だまれだまれ だんまの子」という歌詞で歌いだす子守唄が多く、生き物が生活の中で身近で愛着のある存在になっていることが伺える。 | |
■この子よい子じゃ
この子よい子じゃ ぼた餅顔じゃ 黄粉つけたら なおよかろ |
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■ねんねこしゃんせ
ねんねこしゃんせ とこしゃんせ あすは早う 起きしゃんせ お乳のでばなは 参ぜましょ ねんねこしゃんせ とこしゃんせ ねんねこしゃんせ とこしゃんせ にくい嫁の 腹から こういうかわいい 子がでけた ねんねこしゃんせ とこしゃんせ |
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■一の木二の木
一の木二の木 三の木さくら 五葉松 やなぎ やなぎの木には とんびもとまる からすもとまる ひだるさじゃろばい ひだるけりゃ田作れ 田作れば泥がつく 泥がつけば洗え 洗えば冷とし 冷たけりゃ火をあぶれ あぶればあたし あたけりゃよりひざれ よりひざればしっつく しっつけば立ち上がれ 立ち上がれば頭つく 頭つけば外に出よ 外に出れば下駄ふめ 下駄ふめば転ぶ 転ぶなら杖っけ 杖っけばあごをつく |
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■守り子歌 | |
■よいそらよいそら
よいそらよいそら よいそらよ どうしたお前は 泣く子かえ 隣のおばさん お茶たもれ おばさんこの茶は 新茶か古(と)茶か やらんがらかよ お茶がらか おばさん死にゃっときゃ 七月死にゃれ ほたら灯あかす せみゃ経読む よいそらよいそら よいそらよいよ なんぼそなたが 泣いたとて そなたの母さん この地にゃおらん あの山越えて 海ゅ超えて 二度と帰らぬ おかあさん よいそらよいそら よいそらよ 早くねんねせにゃ 俺が噛むど よいそらよいそら よいそらよ 親も親かや このよなとこにゃ 使いも便りも ないとこにゃ どういう生まれか この年までも ひとりまる寝を せにゃならぬ わしが友達ゃ 家持ち子持ち わたしゃ 流れ船 とこへつく よいそらよいそら よいそらよ よいそらよいそら よいそらよ なんでお前は そんなに泣くか そんない泣いたら 守りゃせんど いやど馬鹿らし 死んだ方がましじゃ 死ねばお寺の 土となる わしが死んだときゃ 往還(おかん)端埋(ばたい)きゃれ 通る人ごち 立ちたもれ よいそらよいそら よいそらよ よいそらよいそら よいそらよ 死んでくれるな 十二や三で 墓に線香も 立てらりょか 死んで花実が 咲きゃせんど 死んで花実が 咲くものなれば お寺処刑場は 花だらけ お山のせみが 鳴くばかり よいそらよいそら よいそらよ よいそらよいそら よいそらよ どうしたあんたは じょきな子か 親はおらぬか 子は泣き死ぬる 親はおれども 極楽へ 二度と母さん 帰らない 親のおらん子は どこでもわかる たもとくわえて 門に立つ よいそらよいそら よいそらよ |
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■いやだいやだよ
いやだいやだよ 泣く子の守りは 子からせつかれ 親からがられ 世間の人から にらまれる |
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■雨の降る日と
雨の降る日と 日の暮れぐれにゃ 親の所在が なつかしや ハーヨイヨイ この子泣かんちゅて わしゃ守り来たが いつも泣きべす 泣き暮らす ハーヨイヨイ わしが死んだら 誰が泣いちぇくりゅか 浜の松の下で せみが鳴く ハーヨイヨイ せみじゃござらん おっかさんでござる おっかさん泣きゃんな わしゃ死なん ハーヨイヨイ |
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■こげな泣く子は
よいよよいよと ねる子はかわい 起きて泣く子の つらにくさ こげな泣く子は あぶらげに揚げて となり近所の お茶じょうけ |
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■ねんねん子守りは
ねんねん子守りは いやなもの 親から叱られ 子はがめく なんでこの子が むぞかろに めしの種なら しょうがない |
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■よいよこよいよこ
よいよこよいよこ よいよこよい 雨は降り出す 筵干しゃぬれる かるた子は泣く めしゃたぎる よいよこよいよこ よいよこよい 泣くな泣くな 泣くなよ |
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■爺のかたん行たら
爺のかたん行たら 米二合半 もらじゃーた 婆んかたん行たら 粟ん二合半 もらじゃーた ねずみどんか とまどんか つんくりかえて もろうた すずめどんに たので やっと二合半 ひろじゃーて 下ん谷で洗うて 上ん谷でゆしで 鍋に入れて クヮタクヮタ 鍋に入れて クヮタクヮタ |
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■早く来りゃよい
早く来りゃよい 正月盆が 来たらわがしょへ 帰るぞよ 帰っておかあさんの 顔を見る |
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■親のならいで
ねんねんねんねん ねんねんや 親のならいで 守りに出た あやせどあやせど 泣きやまぬ 子守歌など うとうたに 泣く子のお守りは わしゃいやじゃ 親から叱られ 子は泣くに なんでこの子が かわいかろ おままのためじゃと 思やこそ もろたわもろたわ 大目玉 目玉で足らずに ひまもろた これより先は なんとしょう どうすりゃいいのか わからない |
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■わらべ歌 1 | |
宮崎県では間引きのことを「へし子」と呼びました。へし子は、圧し折る(へしおる)等で使用される「へし」からきているのかもしれません。この言葉は現在では廃れてしまっているので知らなくて当然です。
「子を間引き 馬にくつをばはかせいで にごり酒呑む 日向路の奥」 日向国の儒学者である安井息軒はこの歌を紹介して以下のように述べています。 「わが祖国は日向なれば、この悪俗盛んにして、士人に至るまでこの風あり」 |
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■手毬歌
わしが父(とん)ちゃん 豊前でござる 豊前どこかと たずねて行けば 奥にゃ三味線 二階にゃつづみ(鼓) 二階障子を さらりとあけて なんと友達 伊勢参りせんか 伊勢の御門の くぐり段の下で 七つ八つ子が 三つ児を生んで 生むに生まれず おろすにゃおりず なんとお医者さん 薬はないか 薬あるある おはせて煎じ 師走竹の子 冬なるなすび これを煎じて 飲ませてみれば 親も喜ぶ その子も育つ なんとこの子が 女の子なら 菰(こも)に包んで 三つとこ締めて 締めた上をば もんじ(文殊)と書いて 池に棄つれば もんじの池に 道に棄つれば もんじの道に 藪に棄つれば もんじの藪に 人が通れば 踏み踏み通る 親が通れば 泣く泣く通る なんとこの子が 男の子なら 寺にさしあげ 手習いさせて 筆は蒔き筆 硯は碁石 墨はほんまの 匂い墨 |
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長い手毬歌ですが、旋律を繰り返すだけの単純な歌です。歌われている内容は堕胎と間引き。女の子であれば殺してしまおう、男の子なら寺に預けてしまおうというもの。堕胎は毒草、呪術、母体に物理的な負担をかけることなどでおこなわれたといいます。それでも生まれた子は、口に糠を詰めて圧殺(へし、ですね)したり、「神隠し」にあったりしたようです。 | |
■人買いと神隠しの歌
蜜柑 金柑 酒の燗 親の折檻 子が聞かん 聞かん子売ろか 人買いどのへ その子 どの子 この子 なんぼで買うか はい ちょっと一貫いかがです |
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豊後の儒学者、広瀬淡窓が著わした『日向飫肥人買船実記』は、飫肥藩が人買いに直接関わったことを証明する記録です。下は10歳から上は16歳まで、計15名の子どもが伊勢への抜け参り中(大規模な無断参詣)に飫肥役人に拉致されたと記してあります。※その後の取り調べで、11名は拘引、4名は奉公であることが判明した。
江戸時代には人身売買を禁じる法令が繰り返しだされていましたが、人買いは恒常的におこなわれていたようです。禄高を上げれば領民が貧しくなり口減らしをする、結果労働力が不足し、それを充足すべく人買いをおこなうということです。 昨日までいたはずの子の行方が突然わからなくなれば「神隠し」にあったと騒がれても仕方ありません。また、裏では親との密約が交わされていたということもあったでしょう。無論これは、飫肥藩だけに限った話ではありませんが。 |
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ごめんください 煙草ください
売り切れました お米ください 売り切れました お味噌ください 売り切れました 子供ください 裏の畑で遊んでますから 呼んでください 子よーい 子よい (鬼以外の子どもは一斉に逃げ出す) また、男のものを模った棒を使って、はらめ打ちと呼ばれる、子を授かるためのまじないや避妊のまじないが行われた地域もあるようです。 |
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はらめ はらめ
内から お祝い申す 現代においては適切な言い方ではありませんが、子ども一人の値打ちがそのときそのときで変動していたということでしょう。 |
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■子守唄
ねんねこねんねこ ねんねこせ ねんねは良い子じゃ ねんねこせ 泣くな泣かずに ねんねこよ 泣かんで寝らんと かるわんど 泣いて寝らんと 川流す ねんねこせん子は 墓立つる |
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『かるわんど』は『からわない』の意味で間違いないと思います。宮崎では子どもを背中に背負うことを『からう』と言います。つまり、「背負わないよ」という意味ですね。『川流す』『墓立つる』はそのままの意。 | |
宮崎県は九州山脈に囲まれた土地柄のため、やや閉じた社会だったのでしょう。山村などでは、他では聞いたことのないような歌も残っています。宮崎に残る歌の多くは上で紹介したような恐ろしげな歌ではありません。「刈干切り歌」に代表されるような、もっと素朴なものです。労働とともにある歌、または子どもが真似するうちにわらべ歌になったようなものがほとんどです。 | |
■わらべ歌 2 | |
■今年のツバナ
あたたかい春がやってきた。待っていたとばかりに子供たちの野あそびが始まる。土手道に駆け出した子供たちを待っているのは黄金色の菜の花畑。そして羽化したばかりの黄色いチョウチョの群れ。子供たちは花びらに止まったチョウチョに、そーっと手を伸ばし捕らえようとするが、その度にチョウチョはあっちにひらり、こっちにひらり。逃げたかと思うと、また近づき、からかうように子供たちのほっぺたをかすめたりする。 子供たちは悔し紛れに、それでも祈りを込めてまじない歌を歌う。 チョウチョとまれ もとんとき とまれ とまる菜の花 こがねの花か 風に吹かれて ひーらひら だいが持っちょっでしょ あら不思議、歌に聞きほれたのか、それともまぬけなチョウチョもいたりするのか、器用な子の手につかまったりする。 「やっぱり、まじない歌は効けるねぇ」「そーらそうよ」 子供たちはなんとなく勝ち誇ったような気分を確かめ合いながら、次の土手に向かう。野焼きのあとの黒い土手に、にょきにょきっと立ち上っているもの、それはさみどり色に芽吹いたばかりのツバナだ。しこしことした歯ごたえが、待っていた春の味なのだ。 「人ん前にならーんごっ」 突然先頭の小さな子が大声で叫んだ。 あらあら不思議、前に駆け出そうとしていたガキ大将までがぴたりと止まってしまった。先頭の小さな子は、縄張り宣言の効果を確かめると、やおら覚えたばかりの歌を歌い始めた。おおらかでゆったりとした収穫の歌だ。 今年のツバナは よくよくできた かいっ ちゃゆっくゆっく 摘んだほうがましじゃ 耳鳴れスッポンポン 耳鳴れスッポンポン 子供たちはだれからともなく手をつなぎ、輪あそびの形を整えていく。歌の前半では円形に回り、後半「耳鳴れ」 では手のひらを耳にあて、「スッポンポン」 で両手をたたく。歌詞にアドリブが生まれ、振りにバリエーションを加えながら、子供たちの収穫のうたげは日没まで続く。 |
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■泣こかい跳ぼかい
「あっ、深ーい溝があるよ、ほらきてん」。順平の驚いた声にみんなが駆け寄る。冬枯れの野原は思いもかけぬ広がりを見せ、子供たちの遊びの範囲がぐっと広がり、遠出の楽しさがたまらない。そこには新しい発見があり、未知の冒険がかげをひそめているからだ。 順平のもとに駆け寄ったみんなは、足元に口を開けている深い溝を前にして、ただ顔を見合わせるばかり。それまでのときめくような探検気分はどこへやら。 「深いねえ、底は見えんよ」「跳び越えられんわねえ」「うん、広ーくて、深ーいもんねえ」 すると、「こんくらい何じゃな、まじないかけたらすぐ跳び越えらるいが」 と、5年生の孝夫。 「じゃあ、跳んでんない…」 と、いつもだったらここではやし立てるのに、きょうはみんな顔を見合わせるばかりだ。だが孝夫は決心しているらしい。両手を合わせ、目をつむり、まじないの歌を歌い始めた。 泣こかい 跳ぼかい 跳ぼかい 泣こかい 跳んだ方がましじゃ パンコセッ あっという間だった。孝夫は深い溝を跳び越え、向こうの土手で得意のポーズを決めている。 「わぁ、驚いた、すげえが」「まじない歌を歌ってん、簡単じゃが」 するとどうだろう、まず努が跳び、順平が続き、健までが深い溝を跳び越えて行った。 「三郎、おまえはこんめえかい無理じゃ。向こうへ回ってこいよ。まだ1年生じゃもんね」 「ふん、よう跳ぶわい」 泣こかい 跳ぼかい 跳ぼかい 泣こかい 三郎は目をつむり、手を合わせ、何度も何度もまじない歌を繰り返していたが、やがて、「跳んだ方がましじゃ」 と、ひときわ大声とともに、「パンコセッ!」 三郎の小さな体は宙に舞い、努の前に転がった。 「よう跳んだねぇ、三郎」 と努たち。三郎は、「ふん、おらぁ、足が長ーいもん」 とっ言ってその細い足をみんなの前に差し出した。 |
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■ガグラドン
7月の下旬、水浴びの季節だ。6年生の努が、「おーい」 と言いながら右手を上げ、人さし指と中指を立て、その2本の指を交互に折り曲げてみせる。そのちょっと変わった努の合図を見ると、下級生たちは胸がわくわくしてくる。努の合図は、”水浴びに行くぞ”という秘密の合図なのだ。だが、その秘密のサイン、実は地区の大人たちはみんな知っている。なぜってその合図は、この地区に昔から伝わっている水浴びの合図なのだから。上級生で思いやりのある努が、地区の子供たちを水浴びに連れていくことに、親たちはみんな安心しきっている。 「行く行く」「おれも連れて行って!」 どこから見ていたのか、遊び仲間5人の顔がさっとそろってしまう。 1年生の三郎が、集まったとたんに駆け出す。 「サブ、水浴びの前には走っちゃいかんよ」 努あんちゃんのいつもの注意だ。 「ふーん」。三郎はわかったように答えるが、心ははやるばかり。だって三郎はきのう泳ぎを覚えたばかりなのだ。努たちが体を支えてくれたおかげで初めて泳げたのだから。きのうは5メートルも泳げて、ゆうべは眠れないくらいだった。川に着くなり三郎は川に飛び込もうとする。「だめだ。まじないをかけんと、ガグラドン(かっぱのこと)からしりごを抜かれるとよ」 と、5年生の孝夫。 「じゃかい、まじない歌を歌って泳ぐとよ」 2年生の健が上級生ぶって三郎に教える。 みんなは川を向いて1列に並び、歌い出した。 ガグラドン ガグラドン 猿渡すど 猿渡す 子供たちは何回も何回も声をそろえて歌う。 「なんで、猿渡すというと?」「ガグラドンはね、猿が一番こわいとと」「だから、この歌でガグラドンを追っ払ってから、川を渡ったり川に入ったりするとよ」「いいか、おまえもちゃんと覚えろよ」「うん、もう覚えたよ」 ガグラドン ガグラドン 猿渡すど 猿渡す 何回も聞いているうちに、三郎の口からもかっぱまじない歌が聞こえてきた。 |
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■じょうりかくしきねん棒
「おーい、じょうりかくしするよー」「やろう、やろう」 ここは県北のある海沿いの町。どこまでも続く砂浜が子供たちの遊び場となっている。 5、6人の子供たちが輪をつくった。「道夫、おまえもやろう」 道夫は努のいとこだ。向かいの島から遊びに来ている。「はよ来んか、じょうりかくしすっとよ」 だが、道夫はぐずっていて、輪に入ろうとしない。 「だって…」「遊ぶのはいやか」 努が道夫に近づき、問いただしてみる。 「そんなことないよ」「だったら入れよ」「でも、歌が違うもん、きっと遊び方も違うと思う」「少しくらい違っていても、気にせんでいいが」 努は道夫を輪の中に招き入れた。 みんなは右足を前に差し出した。努が近くから拾ってきた棒ぎれで、歌に合わせてみんなの足を指していく。 じょうりかくし きねん棒 橋の下のねずみが おじょじょをかくして チュッチュッチュッ 棒は努の足で止まった。 「なぁんか、おれが鬼か」 努は、草履を脱ぎ、目をつむってしゃがみ込む。みんなは努の草履を近くの砂の中に隠す。「もういいがぁ」 とみんなの声。努は目を開け、砂の中に隠された草履を探し回る。その草履を鬼が探し当てると、次の鬼に代わる。 何回か繰り返した後、努が聞いた。「道夫、遊び方が達う?」「うん、遊び方は同じじゃけど、歌が達う」「へえ、どんな歌? 歌ってみよ」 じょうりかくし かくれんぼうは なかんぼんは ボンボラボン ねずみの家は あんげして こんげして じゃんめした 「うわぁ、おもしろいが。これからこん歌で遊ぼや」 今覚えたばかりの歌で、子供たちの鬼遊びは西の山に日が落ちるまで続けられる。 |
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■おとっさんおっかさん泣かしゃるな
キクは13歳、よその家にやとわれた住み込みの子守娘である。あれは8歳の時だった。見知らぬおじさんがやって来て、お父さんとお母さんと3人で話をしていた。おじさんの声は大きく、威勢がいいのに、お父さんたちの声がひそひそ声なのが気になっていた。その夜のことだった。ごはんが済むのを待ってお父さんが言った。 「キク、昼間来ていたおじさんが、お前を子守奉公に世話するといわれるんだよ」 そして、「なあに、子守さえしておればごはんだって腹いっぱい食べさせてもらえるし、盆や正月には着物だって買ってくださるというんだ」 キクはもう覚悟していた。隣のサヨもユキも、8歳になるとすぐに子守奉公に出されている。いつかは自分も、と思っていたのだ。 「いいよ」 キクはきっぱりと言った。ただ、その間そばに座っていたお母さんが、じーっと黙っているのが気がかりだった。いよいよ明日、迎えのおじさんがやって来るという夜のことだった。「向こうのお母さんの言われることをよーく聞くんだよ」「決して口ごたえなんかするんじゃないよ」「体だけには気をつけるんだよ」 この前は黙ったままだったお母さんが、今夜は同じことを何度も何度も繰り返す。 こうして始まったキクの子守奉公であったが、−子守さえしておれば、銀のめしが腹いっぱい食べさせてもらえる、といったあの赤ら顔のおじさんの言葉とはまるで違う暮らしが、キクを待っていた。おばさんは、子守のほかに、炊事の加勢、掃除、洗濯、そして農作業の手伝いと、息つく間もなくキクに言いつけるのであった。 キクはあらためて子守娘のつらさを知らされた。そんな中で、おばさんが何かの用事で家を空けることがあった。すると近くの子供たちが誘い合ってキクのところに遊びにやって来る。キクの得意なむかし話やわらべ歌を聞くためだ。きょうの歌はまりつきの時に歌う歌だった。 おとっさん おっかさん 泣かしゃるな わしが十五になった時 西と東に蔵立てて 蔵のうしろに杉さして 杉がだんだんふとったら おとっさんもおっかさんも うれしかろ ちょっと 一貫かちました 歌いながらキクは、だんだんと胸が熱くなり、にじみ出そうな涙を、やっとこらえていた。 |
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■ズストントン
一つでは乳をくわえて 二つで乳をゆるした 三つでは水の汲(く)み初め 四つで世の事仕初めた 五つでは糸の縒(よ)り初め 六つで金襴(きんらん)織らせた 七つでは馴(な)れの掛け初め 八つで屋敷広めた 九つではここと定めて 十で殿御と寝初めた 十一では花のようなる吾子をもうけて 巣山 松山 雨の降る夜はズストントン まいっちょズストントン 椎葉村不土野で巡り合った歌である。まりつきでも歌っていたということであるが、県内のみならず、他県の文献にも類歌を見ない珍しく貴重な歌である。歌ってくださったのは、那須カネさん、奥椎葉の豪壮な庄屋跡に住む教養深いおばあちゃん(当時80歳)であった。歌詞は数え歌の形をとっているが、何とも格調を感じさせる歌である。人の一生のうち、1歳から11歳まで、それぞれの年に訪れるいわば成長期のイベント(通過儀礼)が並べられていて、いろいろな意味で興味深い。 七つでは馴れの掛け初め 十で殿御と寝初め 十一では花のようなる吾子をもうけて… このような歌を10歳前後の少女たちが、まりつきをしながら歌う…また、ひとり子守をしながら口ずさむ世界。 子供たちの胸にはどのような情動が流れていたのだろうか。わらべ歌は、子供たちの暮らしの中から自然発生的に生まれたものが主流ではあるが、中には民謡からの流用や、大人が歌づくりして意図的に子供たちに歌わせたのではなかろうか、と思わせるものもある。さしずめこの歌はその後者に属するものではなかろうか。歌詞や旋律に見られるある種の格調からみても、古い時代それなりの立場にあった人によって作られた歌か、あるいは京都あたりから下って、ここ奥日向の庄屋に代々歌い継がれてきた歌なのか、興趣を誘う歌だと思われる。伝承者のカネさんは、この歌をさらっと歌われたあと、そのような採譜者の心のうちをおもんぱかられたのか、「あら、はずかしいわの、こげな歌を子供んころ、歌うていたんじゃろかの」 と言って、顔をゆるめられたのを思い出す。 |
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■早くくりゃよい正月盆
西の空が赤く染まってきた。カラスが3羽、4羽と連れ添って、ねぐらを目指して帰っていく。 カラスが鳴くから かーえろ チョイチョイ(と手をたたく) あしたもいっしょに あーそぼ チョイチョイ(手をたたく) サヨもゆきもよしえも、夕日を浴びながらさっと帰って行った。だが、子守奉公に来ているキクの足取りは重い。おばさんたちが親類のお祝いに行ったので、きょうは久しぶりに近所の子供たちと遊べた。だが、あんまり楽しくて、帰る時刻を忘れてしまった。 −洗濯物も取り込んでいない。庭に干してあるもみのむしろもたたんでいない。そういえばお昼のお茶わんもおけにつけたままだ−きっとしかられる。きょうはどんな罰が渡ることだろう− こんな時思いだすのはきまってふるさとのことだ。だがキクは自分の生まれ在所がどの方角なのか知らない。子守娘を連れてくるのは夜と決まっていた。昼だと道を覚えていて、帰ってしまうからであった。キクは自分の生まれ在所は夕日の落ちる西の方角と決めていた。西の空に落ちる夕日は、だれの顔も同じようにやわらかく染め上げてくれる。黒いカラスの群れをいっそう黒いシルエットに浮かばせるのも、夕日の好きな理由だった。すでに日の落ちた西の空には、名残惜しそうに横雲がたなびいている。金色に輝いていたその美しい帯雲もやがて明るさを失い、次第に黒みを増していく。 −父ちゃんは元気だろうか。母ちゃんはどうしているかなあ。ああ、ばあちゃんの顔が見たいよ− こんな時、キクの口をついて出てくる歌がある。 早くくりゃよい 正月盆が きたらわが在所(しょ)へ 帰るぞよ 帰ってお母さんの 顔を見る 早くくりゃよい 正月盆が きたらわが在所へ 帰るぞよ 帰ってお父さんの 肩たたく わが在所(ふるさと)に帰ったとて、おいしいものがわたるわけではない。でも、お母さんの顔を見るだけでいい。痛いといっていたお父さんの肩をたたいてやりたい。それだけでいい。帰りたいよう、西の空の下、わが生まれ在所へ。 |
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■ひとりで淋しい
ここは高千穂町向山。奥まった諸塚山の頂に、ほんのりと赤みがさしているのに気づかされる−。これが紅葉の始まりだった。紫色の山頂を冠のように包んでいるその赤みは、あちこちに黄色などを混ぜ込み、日ごとに華やぎつつ照り映えを増し、ふもとの方へすべり落ちてくる。やがて人里をも包み込み、綾錦(あやにしき)にもえあがり、谷川を埋めつくす。 「今年の紅葉は花んごつあるばい」「ことしゃ台風の来んかったけん、美しかとばいの」 紅葉をいつくしむ里人たちの顔も、心なしか赤らんで見えたりする。紅葉もいわば花であり、花びらのようにさっと散りゆくのが、県南の杉山ばかりを見慣れている者には、ひとつの快い発見に思えてくる。高千穂地方のわらべ歌には、九州山地の中央という地形のほかに、さまざまな条件が重なって、古く珍しい歌が残されている。 次の歌は、正月の歳事遊び、羽根つきをする時の歌である。 ひとりで淋(さび)しい ふたりで参りましょ 見渡すかぎり 嫁菜にたんぽぽ 妹の好きな むらさきすみれ 菜の花れんげ やさしいちょうちょ ここまでおいでなさい 峠に参りましょ ひとんご ふたんご みやたが よんご いつやが むさし ななんご やっちろ くぐを とむや 寒風の中の高千穂の正月、やがて訪れる花の季節を予祝するような優雅な歌詞である。よく見るとこの歌も羽根つき歌に共通する数え歌の形をとっているのがわかる。しかし、それもまた伏せ字みたいに一見しただけでは見破れまい。巧妙な仕組みをもった歌である。それにしてもこのような情緒豊かな遊び歌をつくった先人の言語感覚に驚かされる。 曲調も実に愛らしく上品である。高々と打ち交わす羽根つき遊びにふさわしく、ゆったりとした二拍子、晴れ着姿の女の子たちの喜々とした声や、ムクロジの実で手作りしていたという羽根玉の乾いた音も聞こえてきそうだ。おそらく下り物(京都あたりから流布してきた歌)であろうが、五ヶ瀬川をさかのばって源流の地にたどりついたものか、それとも竹田、もしくは熊本あたりから伝わってきた歌なのだろうか。 |
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■三月桜の咲く頃で
わが子に、子守歌を歌ってやる母親は、今どれくらいいるのだろうか。詳しく調査したわけではないが、かつて教職にあるとき、音楽室で触れ合ってきた子供たちの状況から推察して、それは多くはなさそうだと思っていた。お母さんに子守歌を聴いた、習ったという子が少なかったからである。 CDやテープなどの急速な普及、日夜テレビなどから流れ続けるさまざまなジャンルの歌、歌、歌。都市、地方を問わず、今日本人は歌の洪水の中に放り込まれている感がある。しかし、それら身辺を埋めている数多くの歌は、人々にいかほどのメッセージを伝えているのだろうか。 聞く側の大衆の多くは、たとえば川の流れや風のそよぎに触れるような感じで、なんとなく聞き、歌っている。ひとつの歌に深くかかわり、こだわろうとする例は多くはなく、いわばお気に入りの温泉にでもつかっている感じでつき合っている傾向があるのではなかろうか。 さらに核家族化は地方においても急速に進行しており、子供たちは祖父母との接触を知らぬままに、つけっ放しのテレビやテレビゲーム機などに守られながら成長していく。父方・母方の祖父母を知らぬ子供たちがなんと増えていることか。母(父)と子のきずな、祖父母とのつながり、この人間形成の要諦(てい)が実に希薄なままに育っているのが今の日本の子供たちである。 10年ほど前、宮崎市が「こころのふるさと創生事業」 の一環として、子守歌運動に取り組んだのも、そのような現状分析と認識に立っていたからであった。市は、(1)伝承子守歌の発掘(2)現代にふさわしい子守歌の制作─の2本立てでその運動を展開し、今日に至っている。子守歌「三月桜の咲く頃で」 は、市内各地に残っていた子守歌35曲の中から、その代表曲に選定された歌である。伝承者は檍地区の清山富士雄氏で、老齢ながらこの歌を格調高く歌ってくださった。 三月桜の咲く頃で 1、ねんねんころりよ おころりよ ぼうやの生まれは いつごろか 三月桜の咲く頃で 道理でお顔が桜肌 2、ねんねんころりよ おころりよ あなたの生まれは いつごろか 卯月 卯の花咲く頃で 道理でやさしいその寝顔 |
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■ちにれちにれ
ちにれ ちにれ ちにれ ちにれ ちにれ ちにれ わんわんさんが くっど ちにれ ちにれ よかど よかど ちにれ ちにれ まるでことば遊びのような「ちにれ」の羅列。これが歌だろうか、とだれしも思うに違いない。歌詞の大半を占める「ちにれ」という詩句、これは、ちん寝れの縮まった言い方で、ちんは小さいものを指す。つまり、「赤ちゃんよ、眠りなさい」という意である。 歌詞は、この「ちにれ」のほかには「わんわんさんがくっど」「よかどよかど」が挟み込まれているだけである。 この子守歌は山之口町ほか諸県盆地に広く分布しているが(鹿児島県の一部にも)、子守歌の専門家である在京の原荘介氏(シンガーソングライター、ギタリスト)にこの歌を紹介したところ、氏は一度にほれ込み、ただちに日本子守歌全集(CD)に、自らのギター伴奏で収録された。先に見たように歌詞は典型的な諸県弁である。「わんわんさんがくっど」 ─眠らないとこわいものが出てくるよ。「よかどよかど」 ─いいよいいよ、お休みしなさい、と眠りに誘う歌である。つまり、語りかけのあとの脅しと褒め言葉と安らぎ。この子守歌の要諦(てい)とされる3つの要素が、短い歌詞の中に見事に歌い込まれている。一方旋律面でも、歌詞の流れを受けて、A・B・A′の自然な小3部形式が期せずしてできあがっているのがわかる。 「ちにれちにれ」というゆったりとした美しい旋律が通奏低音のように曲全体を包み込んでいて、歌全体のトーンを保持していくのもとても印象的である。 そのあとに「化け物がくるよ」という脅しのメロディーが、Bの部分として立ち上がってくるが、それはすぐさまΑ′のやさしい旋律に戻り、歌い納められていく。 こうしてみると、この歌、小品でありながら、提示部、変化部、再現部で成り立っていて、レベルの高い歌唱表現にも耐え得る旋律構造を持った歌のようである。私ごとになるが、筆者は諸県育ち、亡母の歌うこの子守歌で育てられた。 |
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■かねつけ一匁
おかるばあさんが、縁側で日なたぼっこをしている。さっきまで子猫のタマと遊んでいたのに、隣のクロがやって来て、タマをどこかへ連れ出してしまった。そこへ、6年生の智子たちがやって来た。 「おう、来たの。きょうは3人連れかの」 3人は、にこにこ顔のおかるばあさんを取り巻いて座った。子供たちもにこにこ、何かいいことがあるみたい。「どうした、うれしそうだねえ」「そうよ」 3人は声をはずませた。 「よしえ、おばあちゃんに見せてやらんね」 智子が言うと、よしえはたもとから赤いまりを差し出した。 「延岡のおばあちゃんが、お年玉だといって」「どれどれ、まあ、美しかまりじゃの」 おかるばあさんは、しわくちゃの手のひらで、赤いまりをぐるぐる回しながら、「ぴっかぴっか光っておおっけなまりじゃ、大事に使わにゃよ」 と言ってよしえに返した。 「はい」と、よしえが返事すると、3人は声をそろえて、「おばあちゃん、手まり歌を教えてよ」「手まり歌? この前教えたじゃろ?」「じゃけん、まりが新品になったき、新しい歌でつきたいんだよ」「そうかの、じゃあ、別のを教えてやるか。どれどれ、まりを貸してみよ」 おかるばあさんはまりを手にすると、「歌だけじゃと、途中で途切れるからの」 それはおかるばあさんの口ぐせだ。手が覚えているからだというのだ。おかるばあさんは立ち上がり、器用にまりつきしながら歌い出した。 かねつけ一匁 かねつけ二匁 かねつけ三匁 かねつけ四匁 五匁にあげて 白粉(おしろい)つけ一匁 白粉つけ二匁 白粉つけ三匁 白粉つけ四匁 五匁にあげて 紅つけ一匁〜五匁にあげて 髪結うて一匁〜五匁にあげて あがりで シャンシャラリ おかるばあさんは、右手でつきながら、左手ではそれぞれの動作をしてみせた。そして、「見ている人みんな身ぶりをするとよ」 と言った。「じゃあもう一度歌って」 智子が言うと、「何度でん歌うよ」 3人が立ち上がった。白粉をつけるまね、紅をつけるしぐさ、髪を丸まげに結うところ、楽しくなってきた子供たちは何度も何度も、おかるばあさんに歌わせるのであった。 |
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■むかえのおさんどん
東京からミチルが帰ってくるそうだ。智子たちは大喜び。あれはもう5年前になる。ミチルは智子と同じ年、一緒に小学校に入学した。だけど入学するとまもなく、ミチルは東京の学校に転校してしまった。お父さんたちが出稼ぎに行ったからである。 4年生の時、ミチルたちが一度帰ってきた。智子はよしえを誘って、ミチルの家を訪ねた。でも何度呼んでもミチルは家から出てこない。返事もしないのだった。するとお母さんが出てこられて、「ごめんね、ミチルは言葉のことが気になるようでね、昨日男の子たちに、”東京ん言葉なんか使って、なんのまねやな”と言われたといって泣いて帰ってきたとよ。そして、ここの言葉と東京の言葉とどっちがいいのか、といって泣いているとよ」 あれから3年の月日が流れた。そのミチルたちが家を引き上げて帰ってきた。おじいちゃんが亡くなったからだ。ミチルには、小さな弟と妹ができていた。智子たちは誘い合ってミチルを訪ねた。ミチルはすっかり大人びていた。だが、やはり寂しげだった。 「ミチルちゃん、今おもしろい歌がはやっているとよ」「むかえのおさんどんというんだけど、身ぶりがついちょるとよ」 智子たちは大げさに身ぶりをつけながらその歌を歌い出した。 むかえのおさんどん 髪結うてたもらんか はんはんしょうで 鼻引きしょ みんみんしょうで 耳引きしょ かんかんしょうで 肩たたく しんしんしょうで 尻たたく てんてんしょうで お手たたく おーしまい 最後は2人で向かい合い、パチンと手を合わせた。 「どんなだった?」「おもしろいじゃろう」「ミチルちゃんも覚えないよ」 しかし、ミチルは興味を示さなかった。無関心をかまえている。智子たちはすごすごと帰って行った。次の日のことだ。ミチルが2人の家を訪ねてきた。昨日の手遊びを教えてくれというのだ。あの時そばで見ていた弟たちが、あの遊びを教えて、と泣いているという。智子たちはその足でミチルの家へ駆けつけた。 むかえのおさんどん 髪結うてたもらんか そこには昨日と打ってかわった真剣で楽しそうなミチルの姿があった。 |
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■一かけ二かけ三かけて
わが国の古典芸能である身ぶり狂言、外国の芸能ジャンルのパントマイムなどの例を挙げるまでもなく、人間は鳥やけもの、そして他人のしぐさや口癖などを真似(まね)ることに、おかしさや楽しさを求めてきた。いわゆる模倣という衝動であるが、この種の本能に支えられて、種々の芸能なども生まれてきた。 日本語の「学ぶ」が「真似る」を語源としている説など、示唆に富む話である。中でも成長期の子供たちはいわば模倣の天才であり、周りの事物に強い興味を示し、貪(どん)欲に自分の内に取り込もうとする。そこには、物まね─模倣という遊びが生まれ、劇遊びという形に再構成されていく。 ここに挙げる歌は、諸県を中心に県下各地、そして全国各地に流布している身ぶり遊び歌である。もとより地区により、多少の異同はあるが、この歌ほど骨格の崩れない歌は少なかろう。 一かけ二かけ三かけて 四かけ五かけて橋をかけ 橋のらんかん腰おろし はるか向こうを眺むれば 十七、八の姉さんが 花や線香手に持って 姉さんどこゆくたずねれば わたしは九州鹿児島の 西郷隆盛娘です 明治十年十月に 切腹なされた父上の お墓参りにまいります お墓の前に手を合わせ なみだぶつと唱えます もしもこの子が男なら 士官学校卒業し 梅にうぐいすとまらせて ホーホーホケキョと鳴かせます 遊びは2人向かい合っての手合わせ遊びを土台にして進行していく。リズムは4分の2拍子、1拍目は自分で手をたたき、2拍目は相手と手を合わせる形が3行目まで続き、それぞれ橋を架けるしぐさをする。このあとはいずれも各自自由な身ぶりとなるが、その動作の工夫がこの歌遊びのおもしろさを高める。つまりそれぞれのしぐさに定形はなく、各自の思いつきで進められる。最後の「ホーホケキョ」では、各自大げさな動作をし、「バイバイ」と手と手を合わせ、別れる場合もあった。 |
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■郵便屋さん
史料によると、1人で跳ぶ縄跳び遊びは、古くから行われていたものではなく、その起こりは江戸の後期だろうとされている。またここで取り上げる長縄跳びは明治以降、米国から伝わってきた遊びのようである。したがって縄跳び歌といえば、長縄跳び用の歌が主流である。1人跳び用の歌は残っていないものか、と探しているうちに、1曲ほど串間市の笠祇地区で巡り合えた。 一回もって一 二回もって二 三回もって三 四回もって四 (以下同様に続く) このようにしてしくじるまで続けるのだが、いずれにしても大変な運動量を伴い、長くは続けられない。それに数が100の位になると、その数を唱えるのに苦労し、それがもとで手足がもつれていったものだ、と古老が話してくれた。 新しく入ってきた長縄跳びは、遊びの要素が加わり、しかも自由な創造性も発揮できるなどの利点を持っていたため、あっという間に全国に広がっていった。長縄跳びの歌は「郵便屋さん」が主流である。それには次のような事情があるようだ。明治4年、わが国に初めて郵便制度が施行された。郵便脚夫と呼ばれる配達人が、郵便物をてんびん棒で担ぎ、12時という時限までに遅れないように駆け足で配達して回った。 この当時珍しかった風景を、子供たちは、長縄跳びという新しい遊びに取り込んだ。名も形も一新させてしまったのであるが、新奇なものにいち早く反応する子供たちの本性がうかがい知れるようなできごとであったといえよう。 郵便屋さん おはいり はいよろし 手紙が十枚落ちました 一枚二枚三枚四枚五枚 六枚七枚八枚九枚十枚 ジャンケンポン 負けたお方は出てちょうだい 多人数で遊ぶ時は、親と呼ぶ先頭の子について、遠くの立ち木を回ったり、ジャンケンをして勝ち残り遊びを組み込んだり、さまざまな所作をしたりして変化をつけて遊んでいた。縄跳びという全身運動の中に、さまざまな要素を組み入れた楽しい遊びであるが、近年この遊びがあまり見られないのは寂しい気がしている。 |
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■猫ん子くれちくれんの
山深い椎葉の里、小さなお社の広場に子供たちが5、6人集まり、子もらい遊びにふけっている。片方に、子もらい(鬼)と見たてられた子が1人、片方に親猫に連れられた子猫が5、6匹。ニャオニャオと鳴きながら横一列に並ぶ。鬼(タオルをかぶっている)、前に進み出て 「ごめんくださーい、猫ん子くれちくれんの」 親猫、一歩前に出て、「何食わせち、養うの」 鬼「麦んめし、茶かけて養うわの」 親猫「そんげな粗末なもんじゃやれんわの」 鬼「そんなら米ん飯、鯛(たい)の魚(ビビ)食わせち、養うわの」 親猫「そんならどれでん連れていきないよ」 鬼が子猫の品定めをする。子猫たち、ニャオ、ミャオなど、それぞれの鳴き方をする。 鬼「こんとが鳴き声のかわいいき、こんとを連れて行くわの」 鬼、子猫を連れて行き、またはじめから繰り返す。親猫が出す条件は、おもしろいものを工夫する。 鬼「ごめんくださーい、猫ん子くれちくれんの」 親猫「どんな着物着せてやるつもりかの」 鬼「木の皮のズボンにかずらで編んだ上着を着せるわの」 親猫「そんな粗末な着物なんか着せるとならやれんわの」 鬼「そんなら、絹の上着に絹のはかまを着せるわの」 親猫「そんなら、どれでん連れていきないよ」 鬼が子猫の品定めを始める。子猫たち、鳴き声に、さまざまな身ぶりをして、鬼の気を引こうとする。 鬼「どれにしようかな」と言って、子猫1匹1匹の品定めをする。 鬼「あらー、この猫、踊りがうまいが、これを連れち行くわの」 鬼が子猫の手を取り、連れて行こうとする。すると、それを見ていた別の子猫が、 子猫「あら? このおじさんには角が生えちょるよ、ほら」 と言って、タオルの中の角を指す。ほかの子猫たち一斉に近づき、鬼のタオルを奪い取る。そして、鬼じゃ鬼じゃと言って、鬼を押さえつける。鬼は「ごめんごめん」と言って逃げ回る。このあと、ジャンケンで鬼と親猫の役を決め、はじめからやりなおす。親猫や鬼のせりふは、おもしろく楽しい遊びになるよう、工夫する。 |
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■はとととんびと
むかしから鳥ほど人間の〈ねがい〉をかき立ててきた生き物はないだろう。ねがい、それはいうまでもなく、〈とべる〉ということである。鳥は庭の木立の間や、屋根の上を、自由にそしてゆうゆうと飛び回っている。時には、はばたきながら中空にとまっているように見えたり、かと思うとさっと宙返りを見せたりする。また小さな口を破れるほどに大きく開けて、親鳥のえさを待つひな鳥の姿など、いつまで見ていても見飽きない。 そのような鳥たちの姿に、子供たちが無関心でいられるはずはない。 ─鳥のように大空を飛んでみたい…この大昔からの人類のねがいが、今、飛行機という形でかなえられた。航空技術の発達はめざましく、何百人を乗せたジャンボ機が世界中の空を飛び回っている。しかし、いかに航空技術が進歩発達してきても、人間自身が自分の力で空を飛ぶことは実現していない。魚をまねて泳ぐことはできても、素手で空を飛ぶことは不可能なのかもしれない。つまりスズメのような小鳥からコンドルのような大きな鳥まで、大空を自由に飛び回っている鳥たちへのあこがれは、これからもおそらくあこがれであり続けることであろう。 鳥への親しみにもう一つ、その鳴き声がある。今、地球上の鳥類は何と9,000種にものぼるそうであるが(日本国内での確認は約500種)、その多くはそれぞれ固有の快い鳴き声を持ち、その特徴ある美しい羽毛とともに親しみをいっそう深めている。 さて、ここは山深い西米良村、種類も数も多い鳥たちが、子供たちの身辺を飛び回っている。いつのころか定かでないが、そこに住む子供たちは、鳥の鳴き声だけを集めた歌を歌っていた。はとととんびと きじとつばめと うぐいすと かりがねの鳴き声は かりがねの鳴き声は ピーピ ピーヒョロリンケン クークク ピーヒョロリンケン ケンとケンチャク チャクとチャーチク ツングルリンと ホーホケキョ イッチン ニッチン トンチン トンチャク ツングリ マングリ ホーホ ホー 「チャク」「ツングルリン」「トンチン」こんな鳴き方をする鳥って、いったいどんな鳥なんだろう。山国の子供たちなのに、見たことのない鳥も多いのだ。でもそのことがかえってこの歌の魅力ともなっているのかもしれない。 |
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■花づくし
もう30年も前のことになる。花の名前だけを並べたわらべ歌を北方町のおばあちゃんが歌ってくださった。全国に類を見ないこの歌を聞いた時の驚きと喜び、今も忘れることができない。「全国わらべ歌全集・各県別」を取り仕切っていた出版社の担当者も驚いておられたのが印象に残っている。 花づくし 花は数あるその中で わけて見事に咲く花は ぼたん しゃくやく 山吹桜 梅に椿に 萩 女郎花(おみなえし)ききょう 朝顔 桃 つつじ 百合にあじさい 花枯らし かきつばた れんげ草 こぶしに水仙 枯尾花 たんぽぽ すみれに 花かいどう この歌、さっそく子供たちに歌わせてみた。驚きと喜びの表情。まぎれもなくいい歌を与えた時の反応だ。とにかく歌いやすく、覚えやすい。陽音階という日本人の基底にある音階でできているからでもあろう。それに花名と花姿を覚えるという知的関心をも呼び起こす。 |
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■あずきあずき
ここは小さなお社の広場。秋の日暮れは早く、その短い時間を惜しむかのように、子供たちはさまざまな遊びを繰り広げる。だれが言い出すのか、この時期に決まってはやるのが、ゆうれい遊び「あずきあずき」である。この遊びはせりふの掛け合いで進んでいく。つまり劇の要素があるのが子供たちに好かれている理由である。それに、せりふが決まっているわけではなく、それぞれ自由な掛け合いで進んでいく。つまりアドリブで成り立つ遊びなのである。古いお社に杉やクスの大木、それに生け垣や石垣や石灯ろう。劇遊びの道具立てには事欠かない。まず鬼(実はゆうれい)を鬼決め歌で決める。 青山暗いとき 黒い実が三つみつん そのあと ハイカラさんが ちゅうじ(靴)はいて はかまをはいて くるくるまわって ジャンケンポン 鬼になった人は、輪の真ん中に目隠しをしてしゃがむ。ほかの子は手をつなぎ、鬼の周りを回りながら歌う。歌詞にふさわしい動作をしていく。 (一同)あずきあずき ひとつ取ってみたら(しゃがんでいる鬼をなべに見たてて) まだ煮えちょらん(と手を横に振る。以下も、同様に身ぶりをする)もひとつ取ってみたら 一同止まり、鬼とのやりとり。 一同「おばさんのおうちはどこ?」 鬼「柳の木の下」 一同「今、何時?」 鬼「夜中の十二時」 一同「おばさんの着ているものは?」 鬼「白ーい着物」 一同「おばさんには足がある?」 鬼「足は、なーい」 一同「おばさんの好きな食べ物は?」 鬼「に・ん・げ・ん・の・こ・ど・もー」 一同「おばさんの名前はなんというの?」 鬼「ゆーれーい」 一同「わあーっ」と言って逃げ回る。鬼が追いかけ、つかまった人が鬼になり、初めから繰り返す。鬼との問答に、子供たちの自由な問いかけが組み込まれるところに、この遊びのおもしろさ、楽しさがある。意外性と創造性がこの遊びを支えることになるが、発表会などのステージで演じても確実に成功するようだ。 |
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■おしろのさん
日差しがなえて山里に秋色の濃くなるころ、路地の日だまりや社寺の片隅で、この歌が聞こえてくる。 おしろのさん いまの流行りの電気馬車 十二時頃にはどこへつく 宿屋でしょ 宿屋満州の奥さんが 髪をゆらゆら丸まげに ちりめん羽織をひふにして ひーにふーにみーによ いーにむーになーにや こーこのつーにとーよ とおまで数えて おしろのさん この歌を聞いていたのは昭和の初期、筆者幼児のころである。女の子たちがお手玉遊びで歌っていた。電気馬車って何だろう、満州ってどこだろう。この人は旅に出るのだろうか。小さな胸を連想が流れる。そして、 丸まげ、ちりめん羽織、ひふ… ここらにくるともう幼児の連想は広がりを失うのだが、何ともやみ難いような幻想の世界に遊んでいたのを思い出す。 歌は遊びを伴っていた。お手玉遊びであるが、持病ともいえる腹痛の発作の中に幼児期を過ごしていた筆者は、特に寒中は男の子たちと遊ぶ機会は少なかった。5つ違いの姉の後にいつでもくっついていた。お手玉遊びには、易から難への段階があった。両手2つ玉が初歩のグレードで、次が片手使いである。 「女の子の遊びじゃが、男ん子がするもんか」 からかわれながらやってみるが、思うようにいかない。2つの玉は手元を離れ、途方もない所へ散ってしまう。女の子たちは玉を3個に持ちかえ、4個に増やしていく。何と快い手さばきであることか。まだあった。3つ玉には〈切る〉といって、1つの玉が上がっている間に2つの玉を手元で素早く切り替える手が組み込まれる。その手が入る部分は決まっていて、その詩句が巡ってくるのが楽しみだった。その速い手さばきでは数珠玉が独特の乾いた音を発するのだが、今思えばあれは、「タッカタッカタン」の土俗的なリズムに隠れていた「タタタタン」の3連符のリズムだったわけである。 |
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■目井津子守船歌
─カツオの群れを発見。ただちに出港せよ。仲間の船からの無線連絡だ。船は積み込みに大忙し。船員や家族がコマネズミのように走り回っている。午後4時、学校を終えた健は急いで港に駆けつけた。ドック入りして新しく塗り替えられた船は真っ白な船体を青い海に浮かべている。「父さーん、やっと間に合った」「おお、健か。今年こそお前の運動会が見られると思うとったのになあ」 健は6年生になるまで父さんに運動会を見てもらったことがない。「健、鼓笛バンドの方はどうなんだ?」「うん、今最後の仕上げがあったけど、みんなうまくなったよ」健は鼓笛バンドの指揮者、入場行進の先頭に立つ。「先生がね、帰る前にみんなを褒めてくれたよ」「そりゃあよかった」 いつの間にか、母さんと妹の節子もそばに立っていた。 「まあ、健、背が伸びたねえ、並んで立ってると父ちゃんと同じくらいよ」「でも足は兄ちゃんの方が長いよ」 体の弱い節子が甘ったれた声で言った。「母さんや節子のこと頼んだよ」 父さんは健の肩をぽんとたたくと、力強い足取りで渡し板を渡って行った。その時、父さんの油の匂(にお)いがプンと健の顔にふりかかった。 ─父さんの匂いだ。小さいころこの匂いがいやだった。父さんの体にしみ込んでいるのだ。だけど大きくなるにつれてこの匂いがいやでなくなった。それどころか今ではとても懐かしい。油の匂いをかぐだけで父さんのことを思い出す。やがて船は渡し板をはずし、とも綱を解いた。エンジンの音が一段と高まり、家族の見守る中を船は緩やかに港を離れ、洋上へ向かった。 お前の父さん行ったよ ねんね 波をけたてて 目井津をあとに 目井津の人たちは、このような別れを何十回となく繰り返してきた。 ─母さんや節子のことを頼むぞ。父さんがあんなことを言ったのは初めてだった。健は急に熱いものがこみ上げてきて、何だか急に大人になったような気がした。健は自転車のペダルを強く踏み込むと、思わず歌っていた。 お前の寝顔にほほよせて ねじり鉢巻き船の上 ソーレよい子だ ねんねしな |
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■鹿児島 | |
薩摩焼酎 男の酒に 赤い夕陽が 天に舞う 肌にしみつくあなたの匂い 未練心を 指宿に いやす我が身は 桜島 待ってろよ 待ってくれ よかおごじょ 薩摩育ちのよ 血が騒ぐ |
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■寝させ唄 | |
■南薩地方の子守歌
ねんね ねんね ねんねよ ねんねの 母(かー)さん 何処(どけ)いった 笹山こえて 里(さて)いった 里のみやげは 何々(ないない)か 駄馬(だだ)ん子が一匹 牛(べぶ)ん子が一匹 何処(どけ)ぇ 繋(つ)ねー置(え)たか 三本松の一本松 繋ねー置(え)たよ なにょ 食ゎせ置(え)たか 去年の粟(あわ)がら ことしの蕎麦(そま)がら 抱合(だツくワ)せ抱合せ して置(え)たよ あしたん朝(さ) 早(ごツ)と起き 行たっ見たや 牛(べぶ)ん子は居(お)ったいどん 駄馬(だだ)ん子は居(お)らんじゃったど 堀出(ほた)ったい 漁(あせ)ったいして見たや 木蝋(もくよ)ん実を見っけた 噛(か)ん割ろちゅちゃ惜(お)せし 突(し)っ割ろちゅちゃ惜(お)せし そろいと 噛(か)ん割っ見たや 三ちなる稚児さんが 入っちょらったど 稚児さん 稚児さん 何事(ないごツ)な 父さんも 母さんも 留守(ずし)ごあんで ここたい チョボチョボして居(お)んど |
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■赤馬一匹黒馬一匹
赤馬(あかんま)一匹 黒馬(くろんま)一匹 買(こー)てわしょー その馬(んま)は 何処繋(どけつ)なだ 武(たけ)の松の木に 繋(つ)なで置(え)た なにょなにょ 食ゎせて置た 去年の粟(あわ)がらことしの粟がら 食ゎせて置た 行(い)たて見たれば 居(お)らんじゃったど 一(ひと)っ飛び二(ふた)っ飛びしおったれば 木蝋(もくろ)がひとつ落(あ)えてきて 噛(か)ん割(わ)ろよも突(つ)ん割ろよも無(の)して 噛ん割って見たれば 三(みツ)つにならる おと姫じょ おと姫じょーに 鳴く鳥は 八万長者の おと姫じょ ア ネンネー コンコン ネンネー コンコンヨ |
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■よーかいよーかい 1
よーかい よーかい よーかいよ よっと この子が 寝たなろば 息をほしと しょーものば 御前(おぜ)が父(てツ)ちょは 何処(どけ)いたか あれは屋久島 かま売りに かまは売れぬか まだじゃろか 二年たっても まだ在(わ)せぬ 三年たっても まだ在せぬ 三年三月(みつき)に状が来た |
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■よーかいよーかい 2
よーかい よーかい よーかいよ いっときこの子が 寝たなろば ちぇっちぇも あっぱも 楽(だく)せらりょー よーかい よーかい よーかいよ |
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■よーかいよーかい 3
よーかい よーかい よーかいよ お前(ぜ)がそのよに 長泣けば あたり近所の人達の 親のしつけと言わりょーど よーかい よーかい よーかいよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ おころい おころい おころいよ |
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■一で香箱
一で香箱(こーばこ)よ 二で鏡 三で薩摩の 板買て 板屋葺(いたやぶき)ょして 門を建てて 門のぐるりに 杉ょ植えて 杉の葉房(はぶさ)に 香(こー)を盛りて 香のけむりは 西ひがし 西やひがしに 鳴く鳥は 雁(がん)か水鳥(すいしヨ)か 鴛(おし)の鳥か 行たて見たなら 水鳥さま 水鳥さまの 口説(くろき)には 八万長者の おと姫じょ 手箱針箱 はさみ箱 たんす長持 あいそえて 京の町に 行かりょーよ |
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■コッチコイ
おっ母(かん)よ思(おま)んかよおら寝た間にも 波のひく間も忘りゃせんど コッチコイ 波のひく間も忘れてなろか 五年このかた抱いて寝とー コッチコイ 忘りゃせねども月日がたてば しだいしだいに薄くなる コッチコイ くもり山とは汝(み)が住む里よ いつも曇りて ふりごころ コッチコイ おいどんが小(ち)っか時ゃ山車(ちんぐるま)にのって 沖を眺めて太鼓(てこ)たたく コッチコイ |
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■宮之浦の子守歌
俺共(んどん)がヨ 父(てつ)ちゃなんだ 鹿児島行(い)たて もどいや 絹(きん)のべんじょ 買(こ)てわしゃる 屋久のヨ 御岳(おたけ)をヨ おろかに思うなヨ 金の倉よりヨ なお宝 屋久の御岳(みたけ)のヨ しゃくだん花はヨ 年中しぼんで いちど咲く 泣くな嘆くなヨ 浮世は車ヨ いのち長(なが)かえ めぐり会(あ)お ひとり息子をヨ 鹿児島になるなヨ きけば灘さえか 三十八里 この子ぁ憎(にツ)か子じゃヨ 釜ん中入(なけい)れてヨ 入れて入れて殺(これ)て 炒(い)れあげて |
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■永田の子守歌
ハ ネンネンヨ ネンネンヨ 小屋の突(と)っ端(ぺん)から 海(うん)の底みれば 海の底には 魚(いお)がおる ネンコセー ネンコセー(以下ハヤシ同様) 坊主が頭(びんた)に たまごを上げて 落(お)つっか落(お)てんか 上げてみよ こんどこの子が 男ん子なら 算盤(そろばん)もたせて 学校にやる こんどこの子が 女(おなご)ん子なら 裁縫箱(さいほばこ)もたせて 学校にやる この子誰(た)が子か よい器量よしじゃ この子そだてた 親見たい わしが様じょは 熊本城に お茶もあがるか いまごろは わしが様(さま)じょは 二番茶の芽立ち さほど良(よ)いもない 悪(わる)もない お前(ま)や何(なに)ょする ランプのかげで 書物ぁ読まずに 文(ふみ)を書く わしとあなたは お倉の米よ いつか世に出て ままとなる 思いかえして 添う気はないか 鳥も枯木に 二度とまる カゴのオジルは 鰹釣(かつつ)いけ行たて 鰹(かつ)は釣いださじ あともどり 沖の鰹(かつお)に 潮どき聞けば わたしゃ立ちのく 波に聞け 沖のダントに布機(ぬのばた)たてて 波に織らせて 夫(せ)に着せる かわいがられて 寝た夜もござる ま一度あのよに 寝てみたか ひとつ枕で 寝た夜もござる ま一度あのよに 寝てみたか 俺共が同年配(ひとツとし)ぁ 家もち子もち どんが長船 どけ着こかい 遠く離れて おる身のつらさ 夢でお顔を 見るばかり |
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■うっつけうっつけ
うっつけ うっつけ 牛の子 ねむれ ねむれ 猫の子 おきれ おきれ 鬼の子 ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヨイヨ |
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■楠川の子守歌
この子が迎えて 行くときは たんすに長持 はさみ箱 これほど持たせて やるかいな あとには必ず かえるなよ ととさんかかさん よー聞かれ 千石つんだ 船さえも むこーの嵐がつよければ もとの港にそよそよと ヨイヨイヨイ ヨイヨイヨイヨー |
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■向かえの坊主は
向かえの坊主は 火をたくちゅー なにゅして たくちゅーか ひだるして たくちゅーど ひだるか時ぁ 田に行け 田に行けば よごるるもん よごれた時ぁ 水あびれ 水あびれば 冷(ひや)かもん 冷か時ぁ 火ぬくめ 火をぬくめば けぶかもん けぶか時ぁ よし退(の)けよ よし退ければ ころぶもん ころぶ時ぁ ねんねせー |
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■口之島の子守歌
うんだがこんこやんな 何故こげん泣くちゅー 親がおらんちゅーて こげん泣くちゅ ヨイヨイ イサ ヨイヨイ(以下ハヤシ同様) 爺さん婆さん 長生きしやれ 道もよくなる 船もくる 俺共が姉さんなんだ 涙で出たが いまは笑顔で 日帰りよ うちのこんこやんが 男ん子なら そろばん持たせて 学校にやる うちのこんこやんが 女ん子なら 裁縫箱持たせて 学校にやる |
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■黒島の子守歌 1
ヨーヨ ヨーヨ ヨーヨ 俺共が家の子 |