極楽浄土と天国

浄土と天国1浄土と天国2浄土と天国3浄土と天国4浄土と天国5浄土と天国6キリスト教と仏教天国極楽浄土1浄土2天(仏教)極楽浄土1極楽浄土2極楽浄土3地獄煉獄黄泉往生来世霊界死神
十大弟子 / 阿難尊者舍利弗尊者阿那律尊者迦旃延尊者須菩提尊者富楼那尊者優波離羅睺羅尊者目連尊者迦葉尊者
天国と地獄 / 天国と地獄1(神道)天国2天国3
天国と地獄 (大光明世界) / 立教霊界霊界と現界天国地獄1天国地獄2
死後の世界 / 死後の世界1死後2死後3死後4死後5死後6死後7死後8死後9死後10(来世観比較)屍体と民俗
 

雑学の世界・補考   

極楽浄土と天国 1

仏教には、本来「極楽」の概念は有りませんでした。
それが北方仏教(大乗仏教)の場合、現在のアフガニスタン周辺を根拠地とした時代に、ゾロアスター教の影響を受け、天国(極楽)や地獄といった世界観が混入します。
そのため北方仏教では、天国や地獄といった概念と、輪廻転生の概念が交じり合い、正統な理論というものが無くなってしまいました。
本来の仏教(輪廻転生を考える仏教)においては、地獄とは、現在生きている世界であり、輪廻転生を繰り返すという事は、何回でも地獄の世界に生まれる事であり、天国に行く事は、輪廻転生の輪から外れる事(解脱)でした。
ゾロアスター教においては、死者は、必ず自身の行動により天国(光の国)か地獄(破壊の国)に行き、光と闇のどちらかの勢力に加わり、戦闘を行うというものです。
キリスト教においての天国には、信仰の度合いにより何階層もあり、どの階層に行けるかは、生前の行いによります。
キリスト教もゾロアスター教でも最後の審判(ハルマゲドン)により、善(光)が勝利し、至福の時代を迎えることになります。
仏教の場合、特に天国(極楽)に特化した宗派を、浄土系(阿弥陀系)仏教と言います。
浄土宗、浄土真宗、日蓮系の宗派がこれに属し、死後極楽に行く事を最終的目的としています。
一方解脱を求める宗派として、曹洞宗や臨済宗などの禅宗系の仏教があります。
仏教には、キリスト教やイスラム教、ゾロアスター教のような、最後の審判のような考え方はありませんが、それに近いものとして、弥勒信仰があります。
どちらも対義語は地獄ですよね。
解脱の考え方に立ちますと、解脱の対は、現世になります。 
 
極楽浄土と天国 2

 

死後の世界は、はっきり言って、必要ありません。個としての魂は、宇宙の魂の許へ還り、魂の断片は集団の中に受け継がれていく。これで充分です。
受け継ぐ集団の方で、魂の断片の中から「この部分は必要だ、この部分は要らない。」と、選別することはあるでしょう。キリスト教やユダヤ教、イスラム教、ゾロアスター教で言う「最後の審判」は、これを比喩的に表しているのかもしれません。民族や宗教が、相争って決着すると言うという意味でもなく、勧善懲悪の争いでもありません。同じ人類として、共に生き残る為の懸命な模索を、比喩的に表しているものと考えます。*
「いつ、誰が、どんな基準で選別するか。」なんて、誰にも分かりません。いつの間にか、集団が生き残りを賭けて自然に選択している。その選択を誤れば、その集団は淘汰され、バラバラになって別の集団に吸収されていく。それが、伝統とか文化というものの正体です。
執着を全て無くし、煩悩を滅する事は、4次元の中では不可能です。7次元の中で初めて可能になる事ですから、生きたまま、最終解脱することは不可能です。7次元の中では、個と言う概念は成り立たないから、何れにしても、個人として、最終解脱することは不可能です。「最終解脱している」と自分で言う者がいたら、間違いなく偽物です。ただ、限りなく解脱に近づける人はいるかもしれませんが。
極楽浄土へ往くと、阿弥陀様の下で修行して悟りを開けると言うのも気休めです。神様は、慈悲の7次元DNAとなって、いつも見守っていて下さっています。この世で、神様の慈悲を想いながら、日々暮らす事が、修行です。これは、考えようによっては、この世が、既に一つの「浄土」であることを意味しています。こう思えば、私達は、それぞれが想う慈悲の浄土を選び、生まれてきたとも言えます。
世界の距離は縮まっています。人類全体としての魂が、はっきりしてくる頃かもしれません。いつの日か、人類全体としての魂が、人類全体の生き残りを賭け、より良き魂に成長する事を願います。これは、この地球が、全ての人にとっての「浄土」となる事を意味します。
ただし、極楽浄土ではないでしょう。なぜなら、極楽浄土なら神様の慈悲のお言葉(神様の声)を十分に理解できますが、私達には理解できず、不可思議光としておくしかない状態は、いつまで続くか分かりません。弥勒菩薩の時代まで待つことになるのかもしれません。
 
極楽浄土と天国 3

 

天国
キリスト教では天国といいますが、正しくは天国というよりは神の国と言うべきでしょう。
新約聖書には天国(Kingdom of Heaven)という言葉は一回だけ出てきますが、あとは全て神の国(Kingdom of God)とされているからです。
キリスト教の母体はユダヤ教にあります。そのユダヤ教における神の国というのは、国とか領土といった考え方ではなく、神の支配という考え方でした。
キリスト教もこの流れを汲んでおり、神の国というのは、神の霊的支配がなされることと言うような意味になります。
キリストは、神の国の到来を宣教しながら数々の奇跡を起こしてみせています。たとえば、病気の人を治癒させたり、身体に障害のある人を治癒させたり、死者を復活させたり、あるいは水の上を歩くといった奇跡を起こしています。
キリストが見せたこのような奇跡は、既に神がこの世に到来されていることを示し、神の国になりつつあることを示しているのです。
しかしまだ完全な神の国ではありません。
なぜかといいますと、神の国になることを拒む人々がいるからなのです。このことをキリストははっきりと言い切っています。
神の国が完成するのは、この世の終わりのときです。この世は神の国になるのです。
そしてその神の国が完成するとき、忠実なものは復活するのです。
この完成した神の国が、天国といわれるのです。
極楽
仏教では仏の国というのがあります。仏国土といいます。
この仏国土は煩悩や汚れのない清らからところなので、浄土といわれます。
仏教では沢山の仏がいます。
キリスト教では神は一つなのに対して、仏教では実に沢山の仏が存在します。その仏の数だけ仏国土、すなわち浄土があります。
たとえば阿弥陀仏は西方に極楽世界という浄土を持っています。
薬師仏は東方に浄瑠璃世界と言う浄土を持ち、毘盧舎那仏は宇宙の中心に蓮華蔵世界と言う浄土を持っています。
私たちは、阿弥陀仏の極楽世界と言う浄土をすぐ思い浮かべます。それほど有名なわけです。
このため、浄土と言えば極楽と思いがちですが、浄土は極楽よりも上位概念になります。
仏教にはこの浄土とは別に天界と言うのがあります。
仏教には、全ての生き物は輪廻転生するという考え方があります。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人の六つの世界です。
このうち天人が住んでいるのが天界です。天人は非常な長寿ですが寿命があります。天人でも死ぬとまた地獄から餓鬼へと回るのです。
これを六道輪廻と言いますが、仏陀の教えを正しく悟ることが出来れば、この六道輪廻を脱し、浄土に行くことができるのです。
この天人の住むところが天界であり、輪廻の輪の中にありますが、浄土は悟りを得た仏の住むところで輪廻の輪の外にあるわけです。  
 
極楽浄土と天国 4

 

天国と極楽と西方浄土、この概念、意外と日本人の漠然とした生き方に影響しているように思うのですね。
調査したわけではないのですが、おそらく、日本の方の多くは、死んだら西方浄土(浄土)に行き、そしてお盆とお彼岸の時期には家族のもとに霊として戻ってこれる、という信仰というのか、概念をお持ちの方が多いようです。だからこそ、お盆やお彼岸の風習が無くならないし、その時期になれば、墓地の前には、花売りの仮設店舗が大量に並ぶのでしょう。
さらに、いつのころからかはわかりませんが、日本人の死生観の中に天国がなんとなくもぐりこみ、現代では、西方浄土と天国が混乱しているように思うのですね。日常会話を聞いていたり、テレビなんかを見ていると、別にキリスト教を信じていなくても天国(実態としては、西方浄土の現代風表現なのでしょうが)に行ける、と思ってらっしゃる方が意外に多いように思います。結構、芸能人やニュースに載る事故の遺族によって行われている仏教式のお葬式でも、遺族の方からのお話の中に、故人は天国云々という話があるように思います。
このような西方浄土があるという死生観をお持ちの方々にとっては、死は手じかな解決策に見えてしまうように思います。自死は、どうも平安朝以来の伝統のようですから。平家物語のクライマックスともいうべき入水事件などでも、西方浄土が念頭に置かれている節があったように思います。
こういう精神になっている日本のかなりの部分の皆様方にいくら、「天国があります、真に希望があります」、「神がおられます」といっても、天国=西方浄土と誤解されるだけで、あぁ、そんなことは、すでに信じているよ、ということになり、大いなる誤解が存在したまま、本質的なことが伝わっていない、大いなる誤解が残ったまま、というのも一つの現実の断面かもしれません。
昨日のニュースで、就職活動に失敗したことが原因と思われる自死者が、1年に50人ほどおられたという話がテレビニュースで流れていたが、就職活動に失敗したということで絶望して自死をオプションとして選ぶことは、絶対に避けてほしいのだが、ただ、絶望感にとらわれた人たちにとって、西方浄土(あるいは天国)は非常に魅力的に映るのかもしれない。平家物語の壇ノ浦の記述のように。
こういう西方浄土の概念をお持ちの方に、そして、お若い方々に、どのように神の存在と天国の存在を語り、聖書の主張をどう表現してご理解していただくのか、誤解がないように伝えていくのか、ということは非常に大事ではないか、とここのところ、思っています。 
めぐまぐま様とおっしゃる方から、非常に重要なご指摘をいただきました。ご出身地がキリシタン関係の歴史が深いところでもあり、そこでの殉教と自死の問題を取り扱う問題を提起されておられます。非常に重要な問いだと思いますし、ミーちゃんはーちゃんには役不足、ということは十分自覚しながら、あくまで、私の思うところを記していきたいと思います。おそらくご期待に沿うようなお答えになっていないとは思うで、申し訳ないのですけど。
そもそもキリスト教の世界やキリスト教と一口に言いましても、その関係の人々での天国の理解や表現、その概念はそもそも多様であり、いわゆるキリスト教の世界が広がってから2000年以上にわたり、すごい頭のいい人が頭を悩ましても今なお、解決ができない問題ではあります。マクグラス先生というミーちゃんはーちゃんに非常に影響を与えているイギリス人の先生がお書きになられたキリスト教の天国、という本がございます。ざっとこれまでどのように理解されてきたのかを理解するには、よい本だろうと思います。ご参考までに、ご紹介しておきます。
天国の話題に関しては、ミーちゃんはーちゃんはチャレンジすることはできても、その理解がまともであるとは思えませんが、お問い合わせでもございますので、できる限り正直に、かつ、誠実にお答えいたしたいと思います。以下は、ミーちゃんはーちゃんの現時点での理解だとご理解のうえ、お付き合いいただけたら、と思います。
私たち共通の理解は彼ら(キリシタンの方々)が信じたようなハライソ(天国)は無い、ということです。
カトリックの煉獄も信じていません。
めぐまぐま様のご理解では、死後の世界の天国は存在しない、という理解でよろしいでしょうか。
ミーちゃんはーちゃんは。キリシタン研究家ではないので、ハライソ(天国)がキリシタンの人々にとってどのようなものとしてイメージされたのか、ということが正確には分からないのですが、いま、よくある天国理解だとすると、「死んだ後、最終的な希望として、人が存在する領域というのか存在できる場所のようなのものが存在する」、という理解かなぁ、と思います。
ただ、天国・パラダイス・ハライソにかんしては、死亡直後に行くという説もあり、イエスが再び来てからだという説もあり、将来いつかわからないときに最終的に行くという説もあり、現在存在するという説や、将来それが完全な形で実現するという説もあり、また、地上でそれが実現するという説もあり、天上で実現するという説もあり…そもそも、めぐまぐま様ご夫婦のようにそもそもない、というご意見の方もおられます。
このように「天国」あるいはパラダイス、あるいはハライソは人によって実にまちまちなので、もはや収拾がつかない状況ではないか、と思います。ただ、ミーちゃんはーちゃんの個人的な理解としては、永遠の命が実現するところ、つまり神の国の完成したものは、将来において存在するであろう、ということは、思っています。といいますのも、イエスが何回か言及していますから。
ミーちゃんはーちゃんの理解にそれ以上の根拠はありません。「私の理解の中では、天国は存在する、と思います。」ということでしかないので、「あなたが思っているだけですよね」と言われたら、「左様でございます」とお答えしかできません。
天草・島原の乱も、宗教一揆ではなく百姓一揆そのものでした。
これは、ご指摘の通りだろう、と思います。ただ、実際には百姓一揆ではあったが、それを構成するひとつの核として、そしてかなり大きな部分として、キリストに対する信仰を確保しようとした、という部分があった、ということなのだろうと思います。
広く社会運動を見てみますときに、いくつかの(一つの場合も)の大義(それの真実性は別として)が掲げられ、それになんとなく同調する人たちがいろいろなところから集まって、当初の理念からどんどんずれていく、というのは現実として存在するし、それは、社会運動である以上、ある程度仕方がないことだと思います。社会運動の場合、どうしても不満分子が集まりやすく、その不満の本質に完全に合意していなくても、不満分子であるということで、非常に強力な連接性をもってしまうということはあるようです。
今、個人的な関心では、賀川豊彦の運動の変質やドイツがナチスドイツに大きく影響を受けていく変質の側面が大変興味深いと思っています。ただ、そのことを資料に基づききちんと理解していく能力と才能がないので困っていますが。
多くの殉教者たちもこの世の地獄を逃れ神の国ハライソへ行きたい。行ける。もう苦しみはない。
ただそれだけが彼等の精神的支えだったようで仕方ありません。
特に、ご指摘の事件のころには、一向一揆が結構頻発していますから、その関係も見てみる必要があるかもしれません。その意味で、特殊な終末思想といいますか、末法思想というもの影響も考えてみる必要があります。特に、この種の自滅的な事件では、特殊な終末思想の影響はあると思います。
天草・島原の乱を主唱された方々の思想に特殊な終末思想が影響していて、その結果としての一種の自滅作戦だとすれば、1990年代のテキサス州で起きたブランチ・ダビディアン事件と構造的には特殊な終末理解が背景にあるという意味では、共通する部分もあるように思います。
研究者ではないので、正確ではありませんが、天草・島原の乱の方々が武装蜂起に走った背景の一つは、当時のスペインの無敵艦隊とかがひょっとして救援してくれるかも、というほのかな期待があったのかもしれないなぁ、と推測します。
綿綿と受け継がれてきた日本古来の極楽浄土思想とキリシタン独特のハライソ思想が強く結びついたことへの最終的な帰結? そんな気もするのですが。
これは、ご指摘の通りかもしれません。当時の末法思想と終末思想が混乱し、極楽浄土思想とキリシタン独特であるはずのハライソ理解が混乱したことは、当然考えたほうがよいとは思います。
当時の伝道スタイルを考えてみると、特にそう誤解されたかもしれません。この時代の伝道の際の翻訳で、神を大日如来と翻訳しようとした経緯が、下にリンクをお付けした『聖書の日本語』 という鈴木先生の本に書いてありますから。
聖書のお話をしている場面でときどき思うのですが、語り手のほうと聞き手の間で同じ言葉を使っていながら、実は全く別の理解が生まれているようです。このような現実にがくぜんとする経験ということをときどきします。それを防いで行くためには、丁寧に話し合いながら、お互いの理解を相互に納得しながら、より相互に考えていくという非常に面倒な作業が必要になるのかなぁ、と思いますし、そのことの大切さを感じています。
マルコ12章には、
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神」とあります。しかし、十字架上のイエスはひとりの強盗に対して「あなたは今日私と一緒にパラダイスにいる」と仰っています。
ご指摘された聖書の場所のように、私の理解では、福音書をまじめに、そして素直に読む限り、この地上での命とは違う永遠の命もある、という結論にミーちゃんはーちゃんは達せざるを得ません。それがどのようなものかはわかないけれども。という条件付きで。
当時のイスラエルあたりに住んでおられた人々の普通の感覚では「永遠の存在はある」と思っていた、と思わざるを得ません。「死者の(地上での)復活はありえない」と言い切っていたサドカイ派の人たちもおられたので、サドカイ派の人たちにとって見て、アブラハム・イサク・ヤコブの神という表現をどう考えるのか、ということは相当な問題であったようにも思います。これは、旧約聖書や新約聖書をご研究なさっておられる方やオリエント史やオリエント宗教史や思想史をご研究の方にお任せしたいと思います。ただ、イエスの言動に着目する限りは、明らかにアブラハムを死んではいるが生きたもの、として読み説いているような節をミーちゃんはーちゃんは感じますし、当時の人々も素朴にそう思っていたのではないだろうかなぁ、とは思います。
いまこの(一応)平和な日本で牧師でも神父でも一信徒でもあの隠れキリシタンたちが受けた拷問と同じ責め苦にあってそれでも信仰を捨てることなく殉教できるひとがどれくらいいるでしょうか。
現代の日本でも、殉教できる人は、ほとんどいない、と思いますし、「ミーちゃんはーちゃんは殉教できるか?」といわれると、超能天気であまりそういうことは考えたくないので、「無理っ」と素直に思います。そういう目に合わないことを願っております。
たまたま昨日、下で紹介するナウエンと読む福音書の英文版の読書会に参加していたのですが、ニコデモのイエスの対話のシーンのところでした。そこで、ナウエンという方は、イエスを愛しているのだけれども、イエスを一番にできない自分がいる、若いころはイエスが私の人生の中心ですと無邪気に言えたのであるけども、年をとるとそうは言えなくなってきたということを正直に書いておられる場所でした。ナウエンという方が、お書きになっておられるものを読みながら、どうもその人が置かれている環境や状況、その人を支えるものとの関係もこの種の問題を考える際の要因になるのだろうなぁ、と思いました。
我が国の最近の例でも、大東亜戦争(15年戦争)のころに、ホーリネスでも治安維持法違反事件で投獄されているうちに死亡された方もおりますし、私の属している集団でも、治安維持法関連で投獄された方もおられますし、そうでない方もおられます。また、イギリス人の伝道者で帰国船に乗って帰国された方もおれば、帰国船に意図的に乗船せず、日本で伝道しようとしているうちに、治安維持法関連で逮捕され、コミュニケーションがうまくいかなかったこともあるのでしょうが、松沢病院に収容され、そこで死亡された方もおられます。その動機やそのことと神との信仰は、本人と神との間だけのものだと思いますし、それを当事者ではない者としてのミーちゃんはーちゃんは軽々に判断することは避けたいと思います。
宗教事案以外でも、食糧管理法(1990年代まで存続していたように思います。なくした直後に高温障害で、コメ不足が起きた記憶が…)に従い、配給食だけで過ごして亡くなった裁判官や学校の先生などもおられます。この場合、どちらかのというと社会的抗議の意味が強いのでしょうが。それも視点によっては自死かもしれませんし、抗議活動かもしれません。
彼等のあの強さは信仰のたまもの聖霊の働き、神の支えそのものだったのでしょうか。
聖霊の働きなのか、神の支えだったのかは、神でないミーちゃんはーちゃんには何ともいません。ただ言えるのことは、絶望的な状況のただなかにあっても、運動を支える一部の人にとっては、そこに希望があったのでは?ということだろうと思います。引くに引けなくなっちゃった、周りの人の手前、引くに引けないというような人間間の力学が働いた可能性もあるかなぁ、と思っております。
このような自滅的な結果を迎えるような状況に直面した方々が、宗教を背景とした例もそうでない事例も古来多くありますが、何らかの一縷の希望(たとえば救援部隊が来るかもしれない)があったときには、そのような希望だけで案外人間は生きられるものかもしれません。マサダの砦なんかもそうでしょうが。映画だと、戦場のピアニストとか、Jacob, the liar、シンドラーのリストなんかがそのテーマを扱っていたように思います。山本七平氏の「一下級将校が見た帝国陸軍」の中にもそのような起債があったように記憶しています。他にも自滅的な戦闘に巻き込まれ、集団自殺?と思えかねない事例は数多くあります。
今、目下の話題では、自爆テロを起こされる方などは、そういう部分があるだろうと思います。ただ、いろいろな事例を見ていますと、若さ、そして若さゆえの無謀さ、というのがこの問題の背景にあるようにも思います。
それとも、天国思想の極みからのものでしょうか。
極限状況に置かれた人々である天草・島原の乱の方々にとっては、「結果として、そこに希望を託さざるを得なかった。」ということではないか、と思います。それぞれの人々が直面している厳しい現実と生存への希望の中で、折り合いをつけていくことが求められたのだろうと思います。その折り合いをつけようとするプロセスの中で、結果として天国の理解が必要以上に大きな存在になってしまった、ということかなぁ、と思いますし、ミーちゃんはーちゃんが極限で、そうなる、という保証もありませんし、逆にまた、そうならならないという保証もないように思うのです。極限は、人間の限界を超えることでもあり、そういう体験もしたことはないので。
ただ、犠牲者(何らかの大義を掲げて、その結果絶滅した、ないしはその危機に直面した犠牲者)を出した側からすると、経緯がどうであれ、自分の信奉する理解を主張して被害にあった方(被害の実際は悲惨なものが多いのですが)が殉教者として、称揚される傾向はあるようです。島原の乱でも幕府側について亡くなった方もおられますが、それはあまり殉教者ともいわれませんし、犠牲者ではあるのですが、犠牲者としては普通考えないことが多いように思います。このあたりも何とも落ち着きの悪さを感じますが。
殉教は自死とは違うのでしょうか。
これ、違うともいえますし、そうだともいえると思います。要は事件をとらえる視線だと思うのです。歴史的な事実は一つですが、それをどのような視点から見、どのような部分に強調を置いて理解するのかによって、その認識や理解は変わってくるのではないでしょうか。当事者ですら、何がどうなっているのか、わからないまま、現実になんとか対応している中で、あれよあれよという間に、ある結果になっていく、ということが多いように思います。
島原・天草の乱は、当時の幕府から見れば、できて間もないまだ十分に安定していない幕府の存在を脅かしかねない無謀な百姓一揆であり、無謀な集団自殺的として理解したい側面もあったでしょう。
同じ事件を信仰者の側から見たときに、イエスを信仰する故に迫害された殉教者として見たのだろうと思います。
実態としては、現実は実に多様で、一つのことばで単純に片づけられない部分があるのだろうなぁ、と思います。個人の動きにせよ、社会の動きにせよ、ある運動体のどの部分を重視して見るか、によって評価は変わってくるのだろうと思います。
最後に
このことについてよくパートナーと話しますが結局は「全然解らない」で終わってしまいます。
結局、振り返ってみれば、何が何だか、よくわかんない、結局どうとでもいえる、という結論でしかないことになってしまいましたが、ミーちゃんはーちゃんとしては、できるだけ、正直に自分の思うところの理解を書いてみました。それだけ、現実は複雑だし、部外者にも何とも言えないし、当事者でも何とも言えないというが事実なのだろうと思います。それを還元主義的にばらしてみて、それを適当に組み立ててみて、わかったことになったつもり、ということをこれまで近代人はしてきましたが、わからないものはよくわからないという素朴さも必要なのかもなぁ、と思います。
教会でお話ししていて思うんですが、同じ言葉を使いながらお話していても、話しているほうと、聞いているほうで、全然違った理解が成立しているという恐ろしい現実を見るときに、時間と手間がかかっても、お互いに相互の理解を尊敬をもって共有しながら進めていくことの大切さを感じます。
イエスが言おうとしたことは、比較的シンプルであって、教会に行きなさいとか、献金しなさいとか、信者同士仲良くしなさいとか、天国に行けるとか、イエスを模範にしなさいとか、倫理的に生きなさいとか、道徳的に生きなさいとか、死ぬまで頑張って信仰を守りなさい、とかいったことではなくて、もっと素朴に、「神はいるし、神と共に生きたら。神と共に生きることが大事なんではないかなぁ。そこに希望があるんじゃないの。神のもとに行きましょうよ。どんなに人間の社会では孤独であっても、神は一緒にいようよ、って言っているんじゃないかなぁ。少なくとも私はあなたと一緒にいたいと思うし、永遠に一緒にいようと思う」という主張だと思うのですね。
さぁ、イエスが伝えようとした希望のメッセージ、神が人と共に存在しようとする、ということ、たぶんそれが福音だと思うのですが、そのことをどう、現代に生きる人に、共有しながら伝えていくのか、ということは、今のミーちゃんはーちゃんの課題だったりするのですね。誤解されないように、お互いの理解を提示しあいながら。 
 
極楽浄土と天国 5

 

“閻魔様(地蔵菩薩の化身)”に教えを請いました。
『天国』とはどのようなところですか?
「楽園」「苦しみの無い世界」と表現される死後の世界の事と思われています。
『地獄』とはどのようなところですか?
この世で悪い行いをした人が死後に行く、苦しみに満ちた世界の事と思われています。
『天国』心優しい人たちが助け合い、なに不自由なく、楽しく暮らしている美しい場所です。
『地獄』は火炎地獄に象徴されるように、苦しみに満ちた言葉では言い表せられない様な悲惨な場所で、悪人でも恐怖感を持つ暗黒&灼熱の場所です。
『天国』と『地獄』の違いを端的に表した話があります。
昔話では餓鬼(悪業の報いとして常に飢渇に苦しむ亡者)が長い箸で食事をする情景の話で有名です。
『天国』は、何千人が一度に食事のできる大きな広間に、食べきれないほどの美味しそうな料理が並んだテーブルが無数に並んでおり、上にはシャンデリアが煌煌と輝いて多数の人々が、和気アイアイと楽しくその料理を食べている光景が映し出されております。
しかし、よく見ると、和気藹々の食事を楽しんでいる人々の左の手は、そのテーブルにくくられており、また右手には大きなスプーンがくくられております。
大変不自由な形ですが、皆笑顔で楽しく食事をしております。
『地獄』を覗いてみると、『天国』と同じように、食べきれないほどの御馳走が並んだテーブルが無数に並んでおり、上にはシャンデリアが煌煌と輝いて多数の人々が、食事をしています。
しかも、『天国』と同様に、『地獄』の人々の左の手は、そのテーブルにくくられ、また右手には大きなスプーンがくくられております。
ところが、『地獄』の人たちは、顔がこわばり、言い争いが絶えません。
『天国』『地獄』いったい何が違うのでしょうか?
『天国』の人々は絶えず、助け合って、ニコニコ笑顔で楽しく暮らしている。
逆に『地獄』の人々は怒り顔で絶えず文句を言い、揉め事が絶えない。
天国の人々をよく見ると、『天国』の人々はくくられたスプーンで豪華な料理をすくい、自分の前の人の口にその料理を運んで食べさせてあげているではありませんか!
大きなお皿に山積みにされた御馳走をまわりの人たちに不自由な手ですくって食べさせあげているのです。
みんなお互いにかわるがわる 食べさせあいをしているのです。
しかし、『地獄』の人たちは、周りの人々に食べさせないで、自分の口に御馳走をいれようとして、自分の手よりも長いスプーンで、やっと料理をすくい、必死で自分の口に運ぼうとしています、が、いかんせん自分の手より長いスプーン。すくっても自分の口にはどうしても入りません。
自分のことしか考えないのです、何が大切なのか見えないのです。
自分さえよければという“心”が『地獄』と『天国』との違いであるということを認識していただけたでしょうか!
もう分ったと思いますが、『天国』&『地獄』は死後の世界ではないことが。
今、我々が生きている世界そのものです。
心の持ち方と行動で、現世が天国(極楽)にも地獄にもなります。
他の人の喜びを我が喜びとできますか? 
凡人の貴方は、理屈で分っても、腹の底から分る事ができますか?
(利他の心)
自分は、どちらに行きたいのかな?『天国』『極楽』なのか『地獄』なのか?気がつきましたか? 今からでも遅くない!
できる事から1つでもよいから実践し、積み重ねて行けば、この世も楽園、来世も楽園で楽しく暮らす事が出来るでしょう!それでは、手遅れにならないように、閻魔様の裁判を受ける前に、善行を積み重ねて、現世も来世も『楽園』で暮らせるように心がけましょう。 
 
極楽浄土と天国 6

 

塩満(しおみ)つ、塩干(しおひ)る、ともに無し。
否定、肯定、ともになし。
善・悪、ともに無し。
そして、その無も無し。
光明と暗黒、ともに無し。
幸福と不幸、ともに無し。
調和と不調和、ともに無し。
そして、その無も無し。
生と死、ともに無し。
健康と不健康、ともに無し。
そして、その無も無し。
ある人が、神想観の一種である「如意宝珠観(にょいほうじゅかん)」における「吾が全身如意宝珠なり。塩満つの珠(たま)なり、塩干るの珠なり。欲するもの好ましきもの自づから集り来り、欲せざるもの好ましからざるもの自づから去る」と念ずることについて、「実相の世界は好ましきものばかりで、好ましからざるものは無いのではないか」と問うた人があったが、まことには、好ましきものも好ましからざるものも、ともに無いのである。そして、その無も無いのである。
そして神想観そのものも無いのであり、実相世界も無いのである。そしてその無もないのである。
完全円満は、「今」である。
“これによって良くなる”という時間の要らない「今ここ」である。
これから良くなる のではないのである。それが神であり、實在であり、實相であり、完全円満ということである。
「今」無きものは永遠に無いのであり、「今」あるもののみが永遠にあるのである
永遠、久遠とは「今ここ」であり、完全円満とは「今ここ」である。
「今を生きよ」とは、完全円満すなわち完成を生きよということであり、久遠を生きよということであり、神の国、天国極楽浄土を生きよ、ということにほかならないのである。
今あるところ、時間のいらないところにこそ、こらえ合ったり、我慢する必要のない感謝の相(すがた)があるのである。

争いの反対の平和、病気の反対の健康、死に対しての永生、不調和に対しての調和、好ましからざるものに対しての好ましきもの、悪に対しての善。そのようなものは無いのである。
相対するもの、その両方が無いのである。實在というものは、そのような在り方をしているのではないのである。
その實在なるものは、非實在に対しての實在ではないのである。
現象に対しての實相というものも、その両方が無いのである。
神でないというものに対しての神という、その両方ともが無いのである。
不幸に対しての幸福。その両方がともに無いのである。相対そのものが無いのである。
不浄に対しての浄。その両方がともに無いのである。
“こうしたこと”に対しての“ああしたこと”はともに無いのである。すべてその反対を想うことは、その想うこと自体が無いのである。
無いものを無いとすること。その無しも無しとすること。
迷いに対しての悟りというもの、その両方ともに無いのであれば、憎しみに対してのゆるし、その両方ともに無く、悲しみに対してのよろこび、両方ともに無く、あらゆる反対の存在は、その反対どうしがともに無いのである。
無いものを無いとすること。その無いも無いとすること。

おしえおや うまれたまいて
このせかい すがたかわりぬ 
と聖歌「神霊降誕譜(しんれいこうたんふ)」には歌われているのである。
また「新天新地の神示」には
見よ。吾れすべてを新たならしめたのである。
と示されているのである。
このことの受容にのみ、よろこびというよろこびがあり、感謝という感謝があり、まことに神在(いま)すことの輝きが存するのである。第一天を照らしつづけると言った道元禅師の住み家もまたここにあり、山川草木国土悉皆成佛(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ)、有情非情同時成道(うじょうひじょうどうじじょうどう)と拝みつづけた釈尊の住み家もまたここに存すると言わなければならないのである。これは三世を超えた光り一元の消息であるのである。まことのよろこびなるものとは、一元なるものということであるのである。
“神は渾(す)べての渾べて”とは、神それ自体が宣(の)り給うているのである。渾べての渾べてなるもの、それ自体が宣り給うているのである。
“實相円満完全”とは、實相それ自体が鳴りひびいてこの言葉となっているのであり、円満完全それ自体が鳴りひびいているのである。
“今ここ天国極楽浄土”とは、天国極楽浄土それ自体、みづから鳴りひびいて此の言葉となっているのであり、「今ここ」それ自体が鳴りひびいてこの言葉となっているのである。
“神想観”は神それご自身が鳴りひびき給いて、此の言葉となっているのである。
“ありがたい”とは、“ありがたい”なるものそれ自体が鳴りひびいて、此の言葉となっているのである。
それは人間の心が言っているのではないのである。その意味において、吾が業(わざ)は吾が為すに非ず、であるのである。人間の心はいづくにも必要ではないのである。人間の心が入る余地はどこにも無いのである。
ただただ神が神し給い、實相が實相し、円満完全が円満完全するのであり、天国が天国し、極楽が極楽し、浄土が浄土するのみであるのである。
それが「無の門関」の消息であり、絶対無が絶対無していることなのである。
光明が光明しているのが、真理なる一切の言葉であるのである。

神と神の創造(つく)り給うた世界、すなわち實相世界がみづから鳴りひびき、みづからあらわれて神想観となったのである。
神想観でとなえる言葉、想い観ること、すべて神が、實相世界が、みづから鳴りひびき、みづから顕(あらわ)れ給うてそうなっているのである。
「はるばると目路(めじ)の限り眺むるに十方(じっぽう)世界ことごとく神なり」と神みづから、實相みづからの鳴り出で、鳴りひびきなのである。
「吾が全身如意宝珠(にょいほうじゅ)なり」とは如意宝珠それ自身がみづから鳴り出で、顕れ出でてこの言葉となっているのである。
「大調和の神示」は大調和なるもの、實相なるものそれ自身がみづから鳴りひびいて、みづから顕れて、その一語一語となって輝いているのである。
第一に、はじめのはじめからあるものを大調和の“大”というのである。
そしてその大調和なるもの、實相なるものは吾れの吾れなるものなのである。
「吾が全身如意宝珠なり。潮満つの珠(たま)なり。潮干るの珠なり。欲するもの好ましきものおのづから集り来り、欲せざるもの好ましからざるものおのづから去る」と神想観において唱えるのである。
それ故、今、すでに、ここに如意のすがた即ち、欲せざるもの好ましからざるものは去っているのである。欲するもの好ましきものが自づから集り来っているのである。今、今、如(にょ)、如であるのが“そのまま”であるのである。
これは如なるものがそれ自体みづから鳴りひびき、顕れて斯く書いているのである。
 
神、實相それ自身があらわれ給いて、聖典、聖経をとなえてい給うのである。
實相においては、例えば聖経『甘露の法雨』の第一文字と、最後の一文字とは同時現成(げんじょう)、同時存在、一つであるのである。
時空の順序をとって現われるのが現象界のすがたであるのである。
そして、その實相とは、吾れの吾れなるものであるのである。
それは無しの無しの無しの、果ての果てなる光りの消息であるのである。

神想観は神が為し給うということは、神想観は神であるということである。無の門関において、一切を光りとして放って、中心に霊なる自己なるものの復活を受くるとき、その自己なる霊なるものの合掌の内に、渾べての渾べてなるものが持されているのである。至大無外(しだいむがい)にして至小無内(ししょうむない)なるものが握られているのである。

象徴を通して奥なる真實に到るのではなく、真實なる吾れなるものが顕われてそこに象徴なるものが鳴っているのである。
現象を通して奥なる實相に到るのではなく、實相なる吾れなるものが顕われて現象しているのである。そこにあるのは實相なるものの自己展開があるのみなのである。
それがまことの創造なるものにして、“宇宙(くに)静かなり”の静かなる相(すがた)であるのである。
すでに、現象を単なる象徴として観る世紀は終りを告げたのである。
象徴ではないということは、すべては光りにおいて吾れそのものであるということである。
彼れもこれも悉(ことごと)く光りにおいて、光りであることにおいて吾れなのである。

創造の神は
五感を超越している、
六感も超越している、
と聖経『甘露の法雨』には歌われているのである。
五感、六感を超越しているとは、五感の世界、六感の世界が、みづから、おのづから“私は無いのです”との消え切りの、澄み切りの、聖の聖なる脱落の輝きのみがそこにある、ということであり、その輝きをジッと観じているものがある、それが神なるまことの吾れの吾れなるものなのである。
またこの聖経の「罪」のところには、
わが言葉を読むものは
實在の實相(ほんとのすがた)を知るが故に
一切の罪消滅す。
わが言葉を読むものは
生命の實相(ほんとのすがた)を知るが故に
一切の病消滅し、
死を超えて永遠に生きん。
と書かれているのである。
“一切の罪消滅す”とは、罪みづから“私は無いのです”と、消え切りの、澄み切りの、聖の聖なる輝きそのものであることであり、“一切の病消滅して”とは、病みづからの“私は無いのです”との消え切りの、聖の聖なる澄み切りのみがそこにあることであるのである。

物質はみづからの消え切りである。
肉体はみづからの消え切りである。
心(自我)はみづからの消え切りである。
現象(五蘊(ごうん))はみづからの消え切りである。
實相はみづからの消え切りである。
神はみづからの消え切りである。
高天原(たかあまはら)はみづからの消え切りである。
龍宮本源はみづからの消え切りである。
高天原に神詰(つま)ります神はみづからの消え切りである。
如意宝珠はみづからの消え切りである。
生長の家はみづからの消え切りである。
生長の家人類光明化運動なるものはみづからの消え切りである。
消え切りの消え切りの、澄み切りの澄み切りの、聖の聖なるものの甦(よみがえ)りである。

「諸法無我」である。無我すなわち“私は無い”との消え切りこそが、法すなわち菩薩であるのである。
法とは、無我すなわち“私は無い”との消え切りであり、消え切りの消え切りこそ荘厳なるものの極みであるのである。諸法は無我の聖なる輝きそのものであるのである。

「諸法實相(しょほうじっそう)」とは、全てはみづからの消え切りの聖なる實相そのものであることなのである。實相現象渾然(こんぜん)一体とは、みづからの消え切りの無我なる聖の聖なる輝きにおいて一体、すなわち“ひとつ”であるのである。
實相もみづからの消え切りであり、現象もみづからの消え切りであるのである。
消え切りの澄み切りこそ聖の聖なる荘厳にましますのである。

「諸行無常(しょぎょうむじょう)」とは、常なるもの即ち久遠(くおん)常恒(じょうこう)なる實在がみづからの消え切りであることであり、消え切りの聖なる相(すがた)こそが諸行であるのである。
萬物はみづからの消え切りの消え切りにおいて、澄み切りの澄み切りにおいて、聖の聖なることにおいて同根であるのである。
「天よありがとう。地よありがとう。火よ水よ暖かさよ冷たさよ。天地一切は神のあらわれであります」とは、そこに天地、萬物みづからの消え切りの消え切り、澄み切りの澄み切り、聖の聖なる、真空にして妙有(みょうう)なる輝きに浴しているよろこびの充満の現成があるということなのである。
「今、天地の開(ひ)らくる音を聴け」とは、今、天地がみづからの消え切りの消え切りであり、澄み切りの澄み切りなる、聖の聖なるものにまします、“私は無い”との、天地みづからの輝く声(音)を聴け、ということであるのである。それは声(音)みづからが消え切りの消え切りであるところの、声(音)の無い声(音)であるのである。「現象の否定」とはこの声(音)を聴くことであるのである。
肉体もまた、みづからの消え切りにおいて聖体であるのであり、身体は神体であるのである。

「今すべての病人は起つことが出来るのである」とは、病それ自身みづからの消え切りの“私は無い”との脱落の、消え切りの消え切りの、澄み切りの澄み切りの、無我の、聖の聖なる天地の開らける輝く声(音)であるのである。
「物質は畢竟(ひっきょう)無にして 自性(じしょう)なく力なし」とは、物質それ自身みずからの“私は無い”との消え切りの、澄み切りの、聖の聖なる天地の開らくる声(音)そのものであるのである。それ故にこそ、これが聖経の聖の聖なる言葉であるのである。

“死の恐怖”という、自分と対立するものは無いのである。
絶対にして渾べてなるものには、相対、対立は無いのである。
天地一切萬物は同根にして、吾れの吾れなるものが神にましますことを礼拝し給うている、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)すなわち尽十方無礙光如来(じんじっぽうむげこうにょらい)にましますのである。このことを受くることが、天地一切萬物礼拝の感謝であるのである。
観世音菩薩は、あるいは大聖師と現われ給い、あるいは生長の家に来りて歌い給う天使(てんのつかい)と現われ給いて、『甘露の法雨』を雨降らせ給い、その大愛大慈悲を以って、吾れの吾れなるものが神にましますことを拝み給うていたのであった。
吾れもまた、大聖師、天使(てんのつかい)のみあとにつづかんことを――――。
『甘露の法雨』を雨降らせ給う天使(てんのつかい)に、いづこともなく葩(はなびら)を雨降らせ給うていたのは、吾れの吾れなる、内なる、渾べての渾べてなる神にましましたのである。
まことに神殿にまつられている鏡に写るのは、吾れの吾れなる神にましますのである。

“何處(いづこ)よりともなく”とは無原因なる、幽の幽なる、渾べての渾べてなる、吾れの吾れなるものの消息であるのである。
吾れの吾れなるものは神であり給い、神癒(しんゆ)そのものであり、成就そのものであり給うのである。それは、神癒祈願は、吾れの吾れなるものに申し込まれている、と言わなければならないのである。

生長の家人類光明化運動なるものは、實在であり、在りて在る生きものであり、渾べての渾べてであり、神であり給うのであり、それは吾れの吾れなるものであるのである。
吾れの吾れなるものであることこそが荘厳のきわみであり、華厳のきわみであることなのである。
幽斎殿(ゆうさいでん)なるものは生きものであり、在りて在る渾べての渾べてであり給う。神であり給う。ということは、その幽斎殿なるものは、吾れの吾れなるものであるということである。
吾れの吾れであることが、生きものであるということなのである。
生きものであるということは、すべて当方なるものであるということなのである。

神は光源にして
人間は神より出でたる光りなり。
と聖経『甘露の法雨』には歌われているのである。
その神なるものは、吾れの吾れなる当方にましまし、人間及び萬物は、神なる光源なる当方より出でたるみ光りであるのである。
その人間、萬物はまた同様に吾れの吾れでもあるのである。
聖経『甘露の法雨』には
進歩は神の御心であり、生長は神の意志である。
と書かれているのである。
神の意志すなわち神なるものの意志が生長なのである。自分の意志ではないのである。自分そのものが無いのである。

神の子。
神とは如何なるものにましますかを知って、はじめて“神の子”である。
神は渾べての渾べて。神の子は渾べてなるものの世嗣(よつ)ぎ、すなわち渾べての渾べてなる子であるのである。
神は渾べての渾べてなるが故に、神とは何か、だけでよいのである。

人間は神の子であるよりも先きに、神であるのである。
神は渾べての渾べてなるが故に、子であることも円満しているのである。
この意味において
神は光源にして
人間は神より出でたる光りなり。
なのである。
中心にして中心なるものより聞こえて来る声がある。
「吾れは汝の全身全霊である」
また、
「汝は吾が全身全霊である」
「幽斎殿における神想観」において、
「住吉大神(すみよしのおおみかみ)の龍宮無量寿(りゅうぐうむりょうじゅ)により全身全霊浄めらる」
とは、住吉大神の全身全霊とひとつであることをよろこぶことに他ならないのである。
高天原の全身全霊、創造の龍宮本源の全身全霊を受くるすがたがここにあるのである。
今即久遠、真如(しんにょ)の消息である。
全存在を「一果(いっか)の明珠(みょうじゅ)」と言った古佛の言葉も、ひとつなる全存在の全身全霊を受けた消息であるのであり、「聖使命菩薩讃偈(せいしめいぼさつさんげ)」にうたわれているところの「金剛不壊(こんごうふえ)の佛果(ぶっか)」とはこのことであるのである。

“今ここ神癒の社(やしろ)”と唱える。今ここなるものが神癒の社なのである。
“今ここ龍宮海の龍宮城”という。今ここなるものが龍宮海であり、龍宮本源というのである。
“今ここ天国極楽浄土”という。今ここなるものが天国であり、極楽浄土であるのである。
“今”が渾べての渾べてであり、“ここ”が渾べての渾べてであるのである。
“今ここ”とは吾れの吾れなるものであるのである。
“渾べての渾べて”とは、吾れの吾れであることに他ならないのである。
“今ここ”とは天照大御神(あまてらすおおみかみ)の全身全霊であり、住吉大神の全身全霊であり、塩椎大神(しおつちのおおみかみ)の全身全霊であるのである。
住吉大神の全身全霊を受けることが“全身全霊を浄めらる”ということなのである。
住吉大神の龍宮無量寿とは、住吉大神の全身全霊を意味しているのである。

“自分は無いのである”と味わっているものは自分ではないものであるのである。
そこにあるよろこびをよろこんでいるものは渾べての渾べてなるものである。よろこぶよろこびがいくら有ってもそれは自分が消えていないことではないのである。
“廣大(こうだい)の慈門(じもん)”とは“自分は無い”ということそのことであり、“無の門関”とは自分は無いということそのことであるのである。
自分という門関が無いのが無の門関であり、無なる門関であるのである。
“解る”とか“解らない”とかではないのである。自分そのものが無いのである。
“信ずる”とか“信じない”とかではないのである。自分そのものが無いのである。
“生きる”とか“生きない”とかではないのである。自分そのものが無いのである。
“悟る”とか“悟らない”ではないのである。自分そのものが無いのである。
“實相を観ずる”とか“観じない”とかではないのである。自分そのものが無いのである。
“浄まる”とか“浄まらない”とかではないのである。自分そのものが無いのである。
“實相の世界に入る”とか否かではないのである。自分そのものが無いのである。
天使(てんのつかい)が生長の家に来りて歌い給いて“吾れは無限であり、光りであり、道であり、救いである”と歌い給うているのは、吾れは無く、無限のみ、光りのみ、道のみ、救いのみが渾べての渾べてであるということを歌っていることなのである。 
 
キリスト教と仏教

 

創始者
キリスト教と仏教では、まるで正反対のことを説いていることが多くあります。
しかし目的は同じところにあります。
一つの山に登るのに、沢から登るか、尾根から登るかの違いのようなことです。宗教として、心の安らぎと、平和を願うことは同じなのですが、例えば、キリスト教では愛を大切にするのに対して仏教では愛してはならないと言っています。
同じ場合もありますが、キリスト教と仏教の代表的なところを比較しながら紹介したいと思います。
キリスト教の創始者
キリストは、ユダヤのベツレヘムにおいて、マリアの子として生まれました。父親はいません。処女懐胎です。
キリストの生誕の年を紀元元年と定めましたので、キリストは西暦元年生まれです。
名をイエスと言いますが、これは、ヘブライ語のヨシュアがギリシャ語化したもので、救世主という意味です。
キリストというのも、ヘブライ語のメシアから来ていますが、救済者という意味です。
ユダヤ教の大工の家に生まれ、洗礼も受けましたが、当時のユダヤ教のあまりにも形式的で単に厳格なだけのことに疑問を抱き、鋭く批判するようになりました。
そのような戒律主義、形式主義を超越する神の愛を強調したのです。
このためユダヤ教の正統派からは反感を持たれることとなり、伝道生活わずか二年で、ゴルゴダの丘の上で十字架の刑に処せられました。
仏教の創始者
紀元前500年ころ、インドのシャーキャ国の王子として生まれました。幼名をシッダッダといいます。
何不自由ない優雅な暮らしをしていたのですが、老・病・死という苦の根本とその解決方法を見だすため、二十九歳で妻子を捨てて出家しました。
最初苦行を中心とする修行をしていましたが、やがて行き詰まりを感じてきました。三十五歳になったとき、中道の考え方により、宇宙の究極の原理に目覚め、悟りを得ました。悟りを得た人すなわち「仏陀」となったのです。
仏陀の教えを仏教と言うのです。
釈迦、釈尊、ゴータマブッダ、仏陀などとも呼ばれますが、釈迦というのは出身地シャーキャから来ています。
釈尊というのは、釈迦族出身の聖者という意味の、釈迦牟尼世尊の略称です。
ゴータマは彼の氏です。ブッダは、梵語のBuddhaで、悟った人の意です。
これを漢字にした仏陀は梵語のBuddhaの音訳で、悟った人の意です。 
奇蹟
キリスト教の奇蹟
キリスト教での奇蹟と言うのは、神の超自然的な力による出来事で、我々の常識では説明できない現象のことです。
たとえばキリストは、餓えた五千人の民に、五個のパンをちぎって与え、全員を満腹にしたとか、ハンセン氏病の人を即座に治癒したりしています。
また死者を蘇らせる奇蹟も行っています。
しかし、キリストは、絶対に仕事をしてはならないと言う安息日に、死者を蘇らせると言うことをしているのです。このため強い非難を受けましたが、キリストは、安息日のために人が居るのではなく、人のために安息日があるのだと答えています。
キリストの奇蹟には、このように人を愛すると言う精神が貫かれています。
キリストは、神の存在を、奇蹟を起こして見せることによって示しています。このような意味で、キリスト教は奇蹟の宗教と言うこともできます。
仏教の奇蹟
仏教にも奇蹟があります。霊験(れいげん)と言います。
信仰する人には霊験と言うご利益があるとされています。
しかし仏教には非常に沢山の菩薩や天があります。
刺抜き地蔵、銭洗弁天などもそうです。これは刺抜きを専門とする菩薩と、金銭的ご利益を専門とする天などです。
これらのご利益、霊験は実は方便と考えられます。仏教の真髄まで分っていない人々に、とりあえず仏教の素晴らしさを理解させるための便法です。
もしそうではなく、本当に霊験を真の教えとするならば、世の中は困ったことになってしまいます。果報は寝て待てばかりが横行することになるからです。
たまたま、とげが抜ければ、仏陀は、よかったねと言われたことでしょう。そして真の法を少し説かれたのではないでしょうか。
人間の幸福と言うものは総合的なところにあります。とげが抜けるだけではありません。
仏教はむしろ少欲知足の精神であり、むやみに欲望のために霊験を期待することは本来の姿ではありません。
仏教として、奇蹟はありますが、そのような奇蹟を頼りとしない強い人を育てなければなりません。
弱い人は奇蹟を必要としますが、強い人は奇蹟を必要としないのです。 
十誡と五戒
十誡
モーゼの十誡は神の十誡とも言われます。
シナイ山において、モーゼに対し、神が二枚の石版に書いて示したとされる十か条からなる掟です。
最初に前文が記されています。
「私はあなたの神・主であって、あなたをエジプトの奴隷の家から導き出したものである」と、神が自ら宣言されています。
十条の掟を見てみましょう。
1 あなたは私のほかに何ものも神としてはならない
2 あなたは自分のために像を刻んではならない
3 あなたは、あなたの神の名をみだりに唱えてはならない
4 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ
5 あなたの父と母を敬え
6 あなたは殺してはならない
7 あなたは姦淫してはならない
8 あなたは盗んではならない
9 あなたは隣人について偽証してはならない
10 あなたは隣人の家を貪ってはならない
前の五箇条は宗教的な決まりを述べており、後の五箇条は、倫理についての定めです。
神は、エジプトの地で奴隷となっていたイスラエルの民を救い出されたのであるから、絶対服従しなければならない、と言った意味があるように思われます。
神から人間に下された一方的な掟です。
キリストは、第一には心をつくして神を愛せよ、第二には隣人を愛せよ、と言っています。
キリスト教の根本精神、神に対する愛と、人に対する愛が示されています。
五戒
仏教には五戒があります。
これは仏陀自身が制定されたものです。
1 不殺生戒
2 不妄語戒
3 不偸盗戒
4 不邪淫戒
5 不飲酒戒
殺すな、嘘をつくな、盗むな、淫らな事をするな、酒を飲むな、というわけです。
しかしこの五戒を完全に守ろうとしても不可能なのです。
たとえば不殺生戒の場合、何も殺してはいけないのですから、動物はおろか、植物さえも食べることは出来ません。
不妄語戒においては全く嘘もなくですし、不偸盗戒ではすべてについて一々許しを得ながらいただいて・・ということは現実にはできないことです。
ということは、仏陀は方向性を示されているのです。このような考え方の基に、各自最大限の努力をしなさいということです。
解釈によっては随分緩く受け取る人もいるでしょうが、仏陀は目に余るようなことがなければある程度は許していたのではないかと私は考えます。
今現在仏陀が存命であれば、お酒の件については多少お叱りになられるかもしれませんね。お寺の中は酒だらけですから。 
聖書と経典
聖書
キリスト教には、旧約聖書と新約聖書の二つの聖書があります。旧約とか新約の「約」の意味は、神が人間に対して契約・約束を科されているということの意味です。
旧約聖書は、キリスト教の母体であるユダヤ教の聖書です。キリスト教ではこの上に新約聖書を置くので、新約に対して旧約というのです。
ユダヤ教では当然旧約聖書のみを聖書とし、新約聖書には見向きもしないわけです。
旧約聖書は神が人間に与えられた約束事が示されており、非常に厳格なものです。
しかし人間が忠実にその約束を実行していれば、神は必ず新しい約束に書き換えてくださると信じ、待っていたのですが、ここに、イエスキリストが、神の子としてその新しい約束を持ってきてくれたのです。
旧約聖書には、創世記、出エジプト記などにより、天地創造や人類創造のこと、あるいはイスラエル民族の発展などに関することと、日常生活の喜びや悲しみが記されています。
新約聖書には、マタイの福音書やマルコの福音書などにより、イエスキリストの言葉と行為が記され、さらに信仰に対する意見、神の国の成就などについて記されています。
経典
仏教の経典には、小乗経典と、大乗経典の二つがあります。
小乗経典は、仏陀が亡くなられてしばらく後に、私はこのように聞きましたと言う口伝を文字にして残したものです。
この小乗経典は阿含経といいます。小乗経典、阿含経といっても独立した一つのお経があるわけではありません。沢山のお経の集まり全体を指す呼び名です。
阿含経の中には色々のお経がありますが、中でも有名なのが、涅槃経、六方礼経、法句経、経集、生経などがあります。
法句経はダンマパダといいますが、これは短い詩集のような構成になっており、私のこのサイトにおいて別項として抜粋を解説紹介していますのでご参考ください。
阿含経は仏陀の説かれた言葉をとにかく記録に残そうと、必死で在りのままの口伝の内容を文章化したものです。ですから原始仏典ともいわれます。
これに対して大乗仏典は少し事情が異なります。
仏滅後数百年を経て、新しい仏教、大乗仏教が興ってきました。
ただ、新しいと言っても、仏陀の説かれたことと矛盾しているわけではなく、色々の説法の中から考え方をまとめなおし、整理したと言うこともできます。
例えば空の論理について、仏陀は生前に語られており、阿含経にも示されていますが、あまり目立たなくひっそりと潜んでいる状態だったのを、ぐっと引き出して中心的存在にしたと言う具合です。
そのような方法で色々のお経が出来てきました。般若経、般若心経、維摩経、法華経、観音経、華厳経、無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経、涅槃経、大日経、理趣経などです。
しかしこれらのお経においても、「如是我聞」(私はこのように聞きました)で始まるお経が多いのです。
数百年を経ているのですから、実際に聞いたわけはないのですがそのように記されていますし、それが許されています。
そこに仏教特有の有り方があるからです。
すなわち、「私はこのように理解しました」ということが、「私はこのように聞きました」ということなのです。ですから、仏陀の説かれた言葉の周りに色々のお経が沢山できてきたのです。 
愛と慈悲

キリスト教では先ず最初に神の愛があります。
神が人間を愛すればこそ、神の使いとしてイエスキリストを出現させられたのです。
神が御子を世につかわされたのは、世を裁くためではなく、御子によってこの世が救われるためである、とされています。
キリストを出現させられたことは神が人間を愛されているからにほかならないわけです。
キリストは言います。
私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。友人のために自らの命を投げ出すのは最大の愛である。と。
そしてキリストは十字架の上に命を投げ出したのです。人々を愛すればこそなのです。
人々は神を愛さねばなりません。神が人々を愛してくれているのですから当然のことです。
そして人々は隣人を愛さねばなりません。それは、すでに神からそのように命じられているからです。隣人を愛せよと。
神を愛していると言いながら、兄弟を憎むものは偽りである。現に見ている兄弟を愛せないものが、どうして目に見えない神を愛することが出来ようか。
神を愛するものは、先ず兄弟を愛さねばならないのです。
慈悲
仏教では愛してはならないと言います。
愛と言うのは本質的に自己愛なのです。恋人を愛すると言っても、その恋人を自分のものにしたいという欲望が伴っているからです。
またそのことに執着してしまうからいけないというのです。
愛は欲望を含んでいると言う意味で、仏教では欲愛といいます。
また、執着すると言う意味から、渇愛といいます。
法句経、原始仏典には、「愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ずる。愛を離れたる人に憂いなく、恐れなし」と記されています。
仏教においては愛から離れることが求められるのです。
そうして仏教では慈悲が説かれます。
慈悲の慈は、原語ではマイトレーヤーといい、友と言う言葉から作られています。慈というのは、全ての人に対して友情を持たねばならないと言うことを言っています。つまり、欲望のない、執着のない愛を持てと言うことにほかなりません。
慈悲の悲は、言語の意味は呻(うめ)きです。人生の苦しみの中で呻き声を発します。その声を発しことのある人でなければ他人の呻きは本当には理解できません。呻いたことのない人は、他人の苦しみを分ったと言ってもそれは綺麗事にしかすぎないのです。
一緒に呻かなくては本当に理解しているとはいえません。
仏教で言う慈悲とは、他人を本当に理解し、他人と共感することです。その他人と別の位置に居ることではないのです。その人に重なってしまわなくてはなりません。
苦しみを全く等しく背負うのです。
慈悲の心を常に持たれているのが、仏です。
仏というのは常に人々とともに呻いていられるのです。
仏というのは、人間の真の理解者なのです。 
 
天国

 

(heaven) 神や天使などがいて、清浄とされる、天上の理想の世界。信者の霊魂が永久の祝福を受ける場所(キリスト教での用法)。(転じて)そこで暮らす者にとって、理想的な世界のこと。何にわずらわされることもない、快適な環境。
キリスト教における天国
キリスト教では、天国とは神の愛と至福から成る超自然的な幸福の場と状態、およびキリストが昇天した栄光の座を指す。旧約聖書では、天国では神の玉座が天使の軍勢に囲まれており、王として地上を見下ろして支配する場所(列王上 22:19、8:31、32)。天は宇宙論的に天と地の2つの空間、および天と地と水の3つの空間における、神の支配領域および天使たちの住処でもある。終末思想の発達と共に、メシアを王とし、終末に神によって建てられる王国と見なされるようになった(イザヤ 60:1)。
キリスト教徒は天国からイエス・キリストが再臨するのを待ち望み、中世のキリスト教美術では最後の審判の様子を描かれたり、来世を歴訪する天国の図像が散見される。例えば、ダンテの『神曲』では、地球を中心として同心円上に各遊星の取り巻くプトレマイオスの天動説宇宙を天国界とし、恒星天、原動天のさらに上にある至高天を構想していた。「天の国」という表現はマタイ福音書に多く見られるが、意味上「神の国」と同義語であるという解釈もある。いずれにせよ、神の支配が実現されている場所を指している。
キリスト教の教理では、最後の審判以前の死者がどこでどのような状態にあるのかについて、各教派間の統一見解を得るに至っていない。
イスラームにおける天国
イスラームにおける天国 (جنّة jannah) は、信教を貫いた者だけが死後に永生を得る所とされる。キリスト教と異なり、イスラム教の聖典『クルアーン』ではイスラームにおける天国の様子が具体的に綴られている。
ヒンドゥー教
ヒンドゥー教ではデーヴァローカが天国に類似する。
仏教
仏教の世界観はヒンドゥー教と起源を同じくしており、デーヴァローカに対応するのは天部(神々)や天人が住む天(天道・天界)である。これは六道最上位、つまり人の住む第2位の人道の1つ上に位置する。しかし仏教では、神々すら輪廻転生に囚われた衆生の一部にすぎない。それら全体に対し、輪廻転生を超越した高位の存在として仏陀が、仏陀の世界として浄土が存在する。この対立構造においては、天国に相当するのは浄土(浄土宗では阿弥陀仏の浄土である極楽)である。
北欧神話 - アースガルズ
神道 - 天津国(あまつくに)
比喩的用法
上記のような用法から転じて、そこで暮らす者にとって理想的な世界、何にわずらわされることもない快適な環境も指すようになった。類義語としては楽園が挙げられる。「野鳥の天国」のように用いる。 
天国について  
一人の老婆が弱々しく立ち上がるとこう尋ねた。
死んだら、私は、どうなるのでしょう。天国へ、いけるでしょうか。極楽浄土は、あるのでしょうか。
それに対し、その方は、次のように答えられた。
死後の世界について、私は、語らない。なぜなら、死後の世界は、誰も確かめようがないからである。何かを語れば、人を惑わすだけだ。
しかし、これだけは言える。自己の存在は、肉体とは関係がない。そして、神は、自己を、超越したところに存在する。すなわち、神は、あなたの内にある。あなたの命、魂の根源に神はおられる。
自己は、死生を越えている。自己こそ神に通じる唯一の存在。それ故に、自己を純化したところに、死を越えた世界がある。
つまり、自己を純化した世界こそ、魂の根源の世界である。
人を憎み呪う者は、憎しみの国へ。争いを好む者は、争いの国へ。人を欺き騙す者は、詐欺師の国へ。人を殺す者は、人殺しの国へ。人を恐れさせる者は、恐怖の国へと通じ。愛欲に溺れる者は、愛欲の国へ。飽食する者は、飢餓の国へ。人を愛し慈しむ者は、愛の国へ。正義を望む者は、正義の国へ。悪霊を神と崇める者は、悪霊の国へ。神を敬い信じる者は、神の国へと通じるのです。
だからこそ、あなたの、今の生き方が、大切なのです。今のあなたを大切にし、今、あなたが信じる生き方を、突き詰めることが重要なのです。
信仰の本質は、あなたの生き方にある。あなたが何を信じ、どう生きるか、つまりは、何を実践したかにある。
これから、あなたが行こうとしているところは、つまりところ、あなたが望んだ世界なのです。
天国も、地獄もあなたの心の中にある。天国というのは、あなたの天国なのです。そして、あなたの行いによって、あなたは、裁かれるのです。
生きている者で、死んだ者はいません。だのに、人は、生きている者は、いつか必ず、皆、死ぬと思いこんでいる。不確かな未来を怖れて、確かな今を忘れる。愚かなことです。今を活き活きと生きる者は、死など恐れることはないのです。
いきなり、みすぼらしい身なりの者が、立ち上がり、ぶっきらぼうに、その方に問いかけました。
私は、ある新興宗教に騙されて、全財産を失ってしまいました。無一物になった私は、いろいろな国を旅し、いろいろな街に行きました。そこで目にしたのは、どんな国でも最も、壮麗で大きな建物は、寺院、仏閣でした。宗教とは、そんなに儲かるものなのですか。
それを聞くとその方は、
神の名の下に、商売をする者がいる。神を利用して、金を儲ける者がいる。彼らは、神を否定する者達だ。神の真実を知る者が、神を利用して商売や、金儲けをするであろうか。神を恐れぬ者だけになせる業である。彼らに与えられるのは、底のない闇と、永遠に続く孤独だけだ。
と激しい口調で言った後、その者の目を見つめ、
神を試したり、取引をすべきではない。神を試すのも、取引をするのも無意味であり、愚かな行為だ。神を試せば、結局、報いは自分が、受けなければならない。神に見返りを求めたところで、それは得られない。なぜなら、神は、すべてを与え尽くしているからである。
あなたは、神に何を求めたのですか。神に、現世利益を求めたとしたら、それは、得られません。御利益とは、目に見えない、形のないものです。私は、これだけのお布施をしたのだから、これだけの、御利益があって当たり前だと思うのは、間違いです。神は、すでに、与え尽くしています。ただ、あなたがたが、それに、気がつかないだけです。それ以上のものを求めるのは愚かです。
幸せは、自分の力で、勝ち取るものです。かりに、お布施をして、何らかの御利益を得たとしても、それは、あなたの力によるのです。神の力ではありません。
神は、私たちに生きる勇気、困難に立ち向かっていこうとする力を与えてくれるのです。それ故に、事が成就したあかつきには、そっと心で手を合わせ、神に感謝をすればいいのです。
と優しく諭されました。
神を利用する者は、神を否定する者です。神を利用して、名を売る者がいる。神を利用して、金を儲ける者がいる。神を利用して、富を蓄える者がいる。神を利用して、権力を得ようとする者がいる。神を利用して、人を支配する者がいる。神を利用して、洗脳しようとする者がいる。神を利用して、自分の行為を正当化しようとする者がいる。こういう者は、全て、神を否定する者であり、このような行為は全て、神を冒涜する行為である。
自らを、省みて悔い改める事をせずに、神の名を口にする者は、神を、信じていない者です。
人は、人生の最後の瞬間に、自ら罪と対峙しなければならない。
その時、誰があなたを許してくれるでしょう。神以外にあなたを許すものはいないのです。
あなたを裁くのは、あなた自身なのです。
神のみが人を許すことができるのです。神のみが人を救うことができるのです。
罪を認めなければ、許されることはありません。
もし仮にあなたが人を殺したとして。あなたは、殺した相手に許しを請えるでしょうか。また、相手が許したとしても、本当に、それが、救いとなるでしょうか。あなたの犯した罪は消えるでしょうか。
あなたを裁く者は、あなたです。そして、あなたを許すことのできるのは、あなたの神のみです。 
天国はどこにあるのか  
「天国は畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり行って持ち物をみな売り払い、その畑を買うのである」。(マタイ福音書 一三章四四節)

人は現実の生活の苦悩や悲しさの中で天国や極楽や浄土に憧れてきました。しかしそれはどこにあるのでしょうか。星空の彼方にあるとか、西方十万億土にあるとか言います。しかしそういう表現はかえって、天国とか浄土というものが所詮人間の手に届かない憧れにすぎないものであることを語っています。
では死後の世界にあるのでしょうか。人はみな死ねば天国に行くのでしょうか。たしかに死ねば地上の苦しみや悲しみはなくなります。しかし、もしそういうものが天国であれば、それはいま生きている現実の人間には何の関係もないものです。天国は人間にとって矛盾です。それは無くてはならないものですが、現実にはありえないものです。
福音はこのような矛盾の中にある人間にイエス・キリストを宣べ伝えます。そして、このイエス・キリストの中に天国があることを宣べ伝えているのです。イエスとは今から二千年ほど前にユダヤの国に生まれ、十字架にかけられて処刑された方の名です。キリストとは復活して天に挙げられ、全世界の主、万民の救い主として立てられた方を指しています。福音はこのイエスがキリストであること、すなわち十字架につけられて死なれたイエスが、三日目に復活して天に挙げられ、主キリストとして立てられ、今も信じる者の中に働かれる救い主であることを宜べ伝え、この方の中にこそ天国があることを世界に告げ知らせているのです。
イエスが病人を癒し悪霊を追い出すという力ある業をされる時、天国が地上に来ているのです。天国は神の国とも呼ばれますが、これは神の支配のことです。イエスが神の霊によって病人を癒し悪霊を追い出される時、それは人間を縛りつけている敵対的な力が打ち破られ、神の力がその人を支配する事態が来ていること、すなわち天国が来ていることを指し示しているのです。
またイエスが取税人や遊女と食卓を共にされる時、それは律法の支配が終わり、神の恩恵が支配する時が来たことを指し示しています。それまでは、人が天国に入るかどうかは、律法を守り行なうことが条件とされていました。ところがイエスの中に来ている天国は、取税人や遊女というような律法を守ることができない者でも、砕けた心で無条件に受け入れる者は、その中に入っていくことができるのです。もはや律法を行なう事は条件ではありません。無条件の恩恵が支配しているのです。 

イエスの中に神の救いの力、無条件の恩恵が来ています。神の霊による神と人との全き交わりが具現しているのです。イエスの中に天国が来ているのです。ところが、それは畑の中に隠されている宝のようなものです。その天国はイエスの人間としての姿の中に隠されていて、周囲の人々には見えないのです。しかし、それを見つけた人は喜びのあまり、自分の全存在を投げ出してイエスを信じ従う者になりました。イエスは逡巡する周囲の人々に言われます、「わたしにつまずかない者はさいわいである」(マタイ一一・六)。
イエスが十字架上に処刑された時、天国は最も深くイエスの卑しい姿の中に隠されたのでした。しかし「隠されているもので現われないものはない」のです(マルコ四・二二)。イエスが神の御力により三日日に死人の中から復活された時、イエスの中に隠されていた天国の栄光が(まだ信じる弟子たちだけにではありますが)現されたのです。
イエスは復活された! 復活して天に挙げられ、主(キュリオス)またキリストとされた。これが福音です。この福音を信じるなら、「すなわち、自分の口でイエスは主であると告白し、自分の心で神がイエスを死人の中から復活させたと信じるなら、あなたは救われる」のです(ロマ一〇・九)。信じてキリストに合わせられる者は、キリストが十字架の上で成し遂げてくださった罪の贖いの業に与り(キリストはわたしたちの罪のために死なれたのです)、神が約束された聖霊の賜物を受けるのです。そこには何の条件もありません。そしてこの聖霊こそわが内に宿る天国なのです。
聖霊は「子たる身分を授ける霊」です。聖霊によってわたしたちは「アッバ、父よ!」と祈り始めます。信仰はもはや信念とか決意の問題ではなく、内なる生命の自然の発露となります。子が親を信頼するのが自然であるように、神への賛美と信頼とが自然なものになります。
聖霊によって、わたしたちの中に新しい愛が始まります。自己中心の頑なな人間本性とは異質の、他者を無条件に赦し、受け入れ、仕える質の生命が働き始めます。
聖霊によって、死に閉じ込められている人生の中で、復活の希望が現実の生きる力になってきます。聖霊はイエスを死人の中から復活させたかたの霊です。キリストにある者を死人の中から復活させるとの約束は、聖霊によって現在の内なる力となります。 

このように聖霊によってわたしたちの内に生きる信仰と愛と希望、これこそわたしたちの内に宿る天国の姿です。聖霊が働かれる時、天国は「わたしたちの内に」あります。ここで誤解しないでいただきたいのです。「天国は人の心の中にある」のではありません。生まれながらの人の心というものは、天国を宿しうるほど清いものではありません。心をも含めて、生まれながらの人間の本性は自己を押し立てて神に逆らう質のものです。そのような質の心に天国はありえません。そのような心を撃ち貫くように、聖霊が働きたもう限り、その中に天国があるのです。聖霊は人間本性に属するものではなく、天国は人間が所有できるものではありません。それは反逆する人間の中に臨む神の恩恵の働きです。わたしたちは「この宝を土の器の中に持っている」のです。わたしたちの場合も、天国は卑しい人間性、弱い心、破れ多い人生という「畑の中に隠されている宝」です。
涙多い人生、苦難に満ちた信仰生活も、その中に天国という宝が隠されていることを見出した者は、喜びのあまり持てるすべての能力を捧げて、その苦難の人生を丸ごと受け入れます。それは、その中に隠されている「一粒のからし種」のような天国が、栄光の中に現われる時が必ず来ることを知っているからです。今「初めの実」として内に賜っている聖霊の生命が、復活の栄光の中に現われる時が必ず来ることを知っているからです。「隠されているもので現われないものはない」のです。 
 
極楽

 

阿弥陀仏の浄土であり、サンスクリット語「スクヮーヴァティー」は「スクヮー」(sukhaa)に「ヴァト」(vat)を加えたもので「幸福のあるところ」「幸福にみちみちてあるところ」の意味。須呵摩提(しゅかまだい)、蘇珂嚩帝(そかばってい)、須摩提(しゅまだい)、須摩題などと音表され、安楽、極楽、妙楽などと訳出された。
『阿弥陀経』には「衆苦あることなく、ただ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」というが、梵蔵文では、衆苦を身心の諸々の苦といい、諸楽を楽の材料というから、極楽とは身心が共に苦を離れていて、幸福の材料だけがあるところの意味。
親鸞は『唯信砂文意』に「極楽無為涅槃界」を下記のように釈している。
「極楽」と申すはかの安楽浄土なり、よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり。かのくにをば安養といへり、曇鸞和尚は、「ほめたてまつりて安養と申す」とこそのたまへり。また『論』(浄土論)には「蓮華蔵世界」ともいへり、「無為」ともいへり。「涅槃界」といふは無明のまどひをひるがへして、無上涅槃のさとりをひらくなり。「界」はさかひといふ、さとりをひらくさかひなり。
つまり極楽とは、相対の立場では四苦や八苦のような現実苦と相対する身心共に楽な世界ということ。絶対の立場では、不苦不楽の世界であり、無為涅槃界である。
異名
極楽とは「幸福にみちみちている世界」といえる。そこで、古来、これをさまざまに呼んだ。一般的に呼ばれる異名を列記する。
 1.浄土
 2.極楽湛蕨国
 3.安養
 4.無為
 5.安楽
 6.無量光明土
 7.諸智土
 8.清浄処
 9.厳浄国
10.蓮華蔵世界
11.大乗善根界
12.一乗清浄無量寿世界
13.涅槃城
14.真如門
15.報土
極楽の様相
極楽を詳説するのは「浄土三部経」。中でも極楽の模様は『仏説阿弥陀経』に詳しく説かれているので、この経に依り概要を説明する。
いまをさること十劫の昔、阿弥陀仏は成道して西方十万億の仏土をすぎた彼方に浄土を構えられた。そして、現在でも、この極楽で人々のために説法している。
この極楽という仏土は広々としていて、辺際のない世界であり、地下や地上や虚空の荘厳は微をきわめ、妙をきわめている。この浄土にある華池や宝楼、宝閣などの建物もまた浄土の宝樹も、みな金銀珠玉をちりばめ、七宝乃至は百千万の宝をもって厳飾されている。しかも、それらは実に清浄であり、光明赫灼と輝いている。衣服や飯食は人々の意のままに得ることができ、寒からず暑からず、気候は調和し、本当に住み心地のよいところである。また、聞こえてくる音声は、常に妙法を説くがごとく、水鳥樹林も仏の妙説と共に法音をのべる。したがって、この浄土には一切の苦はなく、ただ楽のみがある。
極楽の住人
この世界では仏の無量寿、無量光と同じく、一切の人々もまた無量寿、無量光であり、智慧と慈悲とにきわまりがない。常に法楽をうけ、諸仏を供養し、出でては苦の衆生を救済し、化益することができるのである。しかも、この国土は法性の理に応ずる無為涅槃界であり、一切の衆生を導き救うために仏によって構えられた世界であると説かれている。
阿弥陀如来が法蔵菩薩であった時に立てた四十八願の一つ「女人往生の願」により、極楽浄土に女性が生まれることはない。ただし天女(アプサラス)はいる。『法華経』サンスクリット本の観世音菩薩普門品によると、極楽浄土では性交が行われない代わりに、蓮華の胎に子供が宿って誕生するという。
解釈の違い
この極楽を、報身仏の国として報土とみるか、応化身の国土として化土とみるかに異論がある。
これを大きくまとめれば、浄土教系の人々は、極楽は報土であるとし、しかもこの報土へ凡夫も往生することができるとする。これに反して聖道門の人々は、この浄土を報土とみる人々は凡夫の往生を認めないし、凡夫も往生できるとする人々は、これを報土と認めないで応化土と説くのである。
たとえば、慧遠の『大乗義章』では浄土を、事の浄土・相の浄土・真の浄土とわけ、『法華経』の安楽世界、『観無量寿経』の弥陀の浄土は劣なる事の浄土として、応土であるとする。また、天台宗では弥陀の浄土は凡聖同居土として劣応身の土とみている。さらに基の『法苑義林章』では極楽を他受用報土としている。
浄土門の人々は道綽の安楽集の報土説を根本としている。それは『大乗同性経』の「浄土中成仏悉是報身」という文によっている。
この報土にどうして凡夫の往生が許されるかについては、善導は、凡夫の往生が許されるのは、凡夫も仏厳に乗托するからで、仏願に乗托して凡夫の往生が認められるという。
浄土は報土。凡夫の往生は仏願に乗托するから許されるというのが、浄土教の理由である。
この浄土について、古来、「唯心の弥陀、己心の浄土」、「己心の弥陀、唯心の浄土」と説く。すなわち、極楽といい、それが西方十万億の仏土を過ぎて彼方にあるというが、衆生引接のためで、実は己心こそ浄土であり、阿弥陀仏とはいってもただ心に外ならないというのである。
この主張は主に華厳宗や禅宗でいわれる。よりどころは『華厳経』の「心と仏と及び衆生との、是らの三は無差別なり」である。これら無差別のうえに種々の差別の事相があらわれるのは、『維摩経』に「心の浄きにしたがって仏土もまた浄し」とあり、心清浄ならば仏土も清浄、心が汚染なれば、国土も汚染となるのである。さらに、唯識家の人々のごとく、仏身も仏土もすべて、別に外にあるのではなく、自心所変であるから、己心を離れて別にあるわけではない。
ところが、浄土門の人々は事相の浄土を立て、心外に仏を見るという立場に立つ。勿論、このように浄土門の人々は極楽を事相の浄土を立てるといっても、それ自身は無相法性の理に即するとする。このような浄土門の立場に、聖道門と異なる宗教性をみるのである。 
地獄と極楽はあるのでしょうか?どうしたら極楽へ行けるの?
地獄は梵語(古いインドの言葉)でナラカと言います。奈落の底とか、奈落に落ちると言う表現はここに語源があるのです。奈落と言うのは地獄の事で、人が考え得る限りの苦しみがある所なのです。ちなみに等活・焦熱・極寒・叫喚・無間など、全部で八種類、そしてそれぞれに十六の小地獄がついている、と地獄の本(地獄を説いたお経の本)に書かれています。一般に良く知られている、針の山とか、血の池とかはこの十六小地獄の内の一つなのです。
何処にあるかというと、この世の端っこに大金剛山という山がそびえていて、その先に第二の大金剛山があるのだそうで、その間の谷間光も届かないほどの奥底にあるといいます。深さにしてざっと2万踰繕那(ユゼンナ又はユセンナ)だという。こんな単位は見た事も聞いた事もない。ここにあるのが最悪の無間地獄だそうで他の七つはこの上あるわけで、いきなり無間地獄に落ちるわけではないらしい。さらに驚異的なのが地獄の一日が人間界の一日ではないと言う事だ。一例をあげると、人の二万歳を一昼夜とする。つまり二万年てことだ、更に三十日で一月、十二ヶ月で一年とする。この辺は人間界と同じ。そして刑期は多年、多百年、多千年、多百千年に及ぶと言う。最長は一劫(こう・カルパ)だという。
こんな所で懲役一ヶ月だからって安心してなんかいられない、何しろ六十万年のことなんだから。ちなみに一劫とは、一辺が四十里(一里は四q)のでかいサイコロみたいな岩山があって、その頂上に百年に一度ずつ天人が降りてきて、柔らかい衣の袖で岩山の表面を撫でて行く、そしてその岩山が擦り切れてなくなるまでの時間をさしている。地獄に行ってしまったら最後、出られないと思ったほうがいいのかも。ただし人間の時間の観念での事。地獄の時間の観念では、最悪でもたった一劫の後には開放される。昔の仏教では人間が成仏するのに三劫かかるといわれていたから、それに比べれば短い。
これに対して極楽というのは、一つなのです。仏教では仏様の世界を浄土といっています。極楽とはその一つで極楽浄土というのが一般に良く知られています。ここは阿弥陀如来という仏様の世界で西方にあるといわれています。西方と付くくらいですからほかにも浄土があります。阿シュク如来の世界は東方に、観音菩薩の世界は南方に、という具合に仏様の数だけ浄土もあるというわけです、これがなんと、地獄の数より多いので一安心です。距離にしても、西方極楽浄土までは十万億国土を越えた所、阿シュク如来の妙楽世界までは千仏刹の所と単位が良くわからないまでも地獄よりは近そうです。ここに出てきた国土や仏刹というのは仏国土(仏の世界)を指す言葉なので千の仏の世界、あるいは十万億の仏の世界を越えれば浄土があるということになります。しかし、仏国土の広さがわからなければ測りようもありません。しかし安心してください。仏の世界といえば仏様のいる所です、仏様には、一切時・一切所という得意技があります。これはすべての時間・場所に存在しているということなので、過去も未来も無く、何処でも瞬間移動のように出現できるのです。ということは仏国土の広さなんて在ってないようなもの、つまり極楽に限らず浄土は私たちに最も近いところに在る(出現する)はずです。
そんなわけで誰もが地獄行きは真っ平御免、出来れば避けたいと願っている。
人が死ぬと閻魔様の裁きで地獄に行くのか、極楽に行くのかが決まると言われています。それも一回や二回じゃなく七回あります、つまり四十九日間に七日ごとにあるわけです。閻魔様の前で、生前の行いのすべてを申告するのです。もちろん良い事も、悪い事もすべてです。うそは通用しません、すぐに見破られてしまいます。閻魔さまは大変寛大なのでウソをついても許してくれます。「おまえは悪いわけではない、その舌がいけないのだ」と言ってヤットコで悪い舌を退治してくれるのです。ここに「ウソをつくと舌を抜かれる」と言われる由縁があります。いずれにしても、今、生きている時の行動がすべての鍵のようです。死んでから慌てないようにしましょう。
蛇足……こんな地獄もあるよ〜ン
あるときとっても強欲で人を困らせてばかりいた人が死んで地獄へ行かされる羽目になってしまいました。しかし温情により三つの中から一つを選んでいいことになりました。初めにつれてこられたのは焦熱地獄、地面は焼けた鉄、降る雨は溶けた鉛。これはたまりません。「私は大変な暑がりで、熱い所は勘弁してください」というわけで次に見せられたのは極寒地獄、ここはさっきとうって変わって大変な寒さ、すべてが凍っている絶対零度の世界でした。「これはたまらん、寒いとリュウマチに応えるのでここも勘弁してください」、で最後にきたのが糞尿地獄、見ると大きな肥溜めに大勢の人が首まで浸かっているではありませんか、ここならば匂いを我慢していれば何とかなりそうだと思い「ここに決めました、ここにして下さい」というと、自分から大きな肥溜めに飛び込みました。すると担当の鬼が大声で怒鳴りました。「はい、休憩終わり〜。次の休憩は一年後だ」といって一人づつ沈めていきました。……お〜こわ?  
 
浄土 1

 

仏教における概念で、清浄で清涼な世界を指す。浄刹(じょうせつ)、浄国、浄界などとも言われる。穢土(えど)と対となる語である。浄土と対となる語である穢土とは、穢国ともいわれるように穢悪(えあく)に満ちた世界である。『維摩経』仏国品では、「丘陵、坑坎、荊棘、沙礫、土石、諸山ありて、穢悪充満せり」といい、砂漠地帯や開拓されていない荒野などを穢国といっている。『往生論註』巻上では、「三界を見るに、これは虚偽の相であり、これは輪転の相であり、これは無窮の相であり、尺蠖の循環するが如く、蚕繭の自縛するが如し」といい、虚偽の世界、流転の世界、尺取虫が丸くなって丸いものを廻るように流転し、蚕の繭の如く自らを縛りつけ苦しむ世界が穢土だという。ここでは人間が自縄自縛して、虚妄なるものを虚妄としらず、それにとらわれ苦しんでいる煩悩の世界をいう。
精神的物質的に何らの潤いを感ずることのない穢土に対して、浄土とは清浄で清涼な世界である。このような清浄の世界は正しく仏の国である。したがって、浄土とは仏国である。
『維摩経』には「その心浄きに随って、すなわち仏土浄し」といい、また『心地観経』には「心清浄なるが故に世界清浄なり、心雑穢(ぞうえ)なるが故に世界雑穢なり」とあるように、世間の清浄であることは心による。すなわち、国土の浄不浄はそこに住む人の心によって決定づけられる。
そこで、真実の浄土は仏の住居する処であり、成仏せんがために精進する菩薩の国土である。この点で、浄土は仏土である。しかし浄土は仏土であるが仏土は必ず浄土ではない。仏の教化対象の世界も仏土であるから、凡夫の世界も仏国でありうる。よって、仏国とは仏の住まいし、また教化する世界のすべてをいうから、浄土は成仏を目標とする菩薩の世界である。
このような浄土について種々に説かれる。それらの中でも阿弥陀仏の西方極楽浄土は有名だが、この外に阿閦仏(あしゅくぶつ)の東方妙喜世界、薬師仏の東方浄瑠璃世界、釈迦牟尼仏の無勝荘厳国など知られている。その意味で、浄土という語は一般名詞であり、固有名詞ではない。
浄土は何のためにあるのかといえば、仏自らが法楽を受用するためと共に、人々をその国に引接して化益をほどこし、さとりを開かせるためである。雑穢の世界は成仏への修行の妨げである。そこで、諸仏は修行が容易であるように、人々を浄土に引接して化益する。この意味で、浄土とは仏の自利・利他の二利満足の場である。
これらの浄土は、ただちにこの世界ではなく、別の世界において設立されたものである。したがって、人々はこの世界での命が終わってからゆくので、往生浄土という考えがみられる。ことに阿弥陀仏の西方極楽浄土は、往生浄土を立場とする浄土教を形成する。
別世界に浄土の建立を説くのではなく、この世界をそのまま浄土に変現するという考え方がある。すなわち、心浄なれば土も浄とする『維摩経』の趣旨によれば、この世界にありながらこの世界がそのまま清浄の土でありうる。たとえば、『法華経』に、この娑婆世界を変じて瑠璃地の清浄世界と変ずと説くものである(娑婆即寂光)。この考え方に立つのが、釈迦の霊山(りょうぜん)浄土、毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)の蓮華蔵世界である。
また、仏土のように慕われたものに弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)の内院、観音菩薩の補陀落山(ほだらくせん)などがあり、ある意味で浄土に準ずるものである。
最も浄土として特色のあるのは、この世界とは別に、仏によって建立せられた浄土があるという考え方である。その浄土へ往って仏に導かれて自分も悟りをうるとする浄土の考え方である。

浄土のもともとの意味は、仏国土つまり仏さまの国、世界ということであり、そこは清らかな幸せに満ち、そこに生まれるとどんな苦しみもないところで、例えば薬師如来の東方浄瑠璃世界、大日如来の密厳浄土など、いろいろな仏さまがそれぞれに浄土を築き、そこで説法していると説かれています。その中で極楽浄土は、西方浄土ともいわれ、他に極楽界、安養界(あんにょうかい) (土)などともいわれています。
阿弥陀仏が仏になる前の法蔵菩薩の時に、「命ある者すべてを救いたい」と願って48の本願(ねがい)をたて、その願いが成就されて築かれた世界です。すなわち、阿弥陀仏が人々を救うためにお建てになった世界。どんな人々であろうとも、念仏を唱えるならば、命終ののち生まれる(行きつく)ことができる永遠のやすらぎの世界。けがれや迷いが一切ない、真・善・美の極まった世界ですが、単に楽の極まった世界と考えてはいけません。
われわれは浄土において、仏になるために菩薩行をつみ、やがて仏になることができるのです。48の本願の第18番目を「念仏往生の本願」といい、南無阿弥陀仏を口にとなえるものは、皆極楽に往生できると説かれています。『阿弥陀経』には、西方十万億土の彼方にある国と記されています。 
 
浄土 2

 

浄土哲学はは原始仏教には観られず大乗仏教以後で興隆は浄土信仰の興りを起点とする、現実の世界すなわち娑婆(しゃば)(sahā・大地)は煩悩で汚された世界(六道を輪廻転生する世界)でありこれを穢土(えど)と言う、その対極にあるのが浄土(輪廻転生から解脱した世界)であり清浄すなわち清らかな世界・仏の住まう世界とされる。
但し娑婆は仏国土である、釈尊が入滅した為に穢土になったが五十六億七千万年の後に弥勒菩薩が降臨すると再び浄土となる。
古来インドに於いては「十方諸仏浄土」に思想は存在したが阿弥陀浄土すなわち極楽浄土と弥勒浄土が言われたのみで、むしろ弥勒浄土の方が広まりを見せていたとされる、中国仏教を経た日本では浄土と言えば極楽浄土が連想される、所謂漢訳では語彙が豊富で安楽国・安養浄土・楽邦・清浄な土などと多様に訳されている、即ち阿弥陀如来に帰依することにより五濁(ごじょく)の悪世(注2)から遁れられると言う信仰が定着した。 
浄土は大乗仏教と共に創りだされ阿閦如来に始まり阿弥陀如来・薬師如来等の「他土仏信仰」(注3)と共に多くの浄土が創造された、一説には如来・菩薩の数は十万億とも二百十億の浄土があるとされる、浄土とはインドに於いてはこん跡は見られないが、中国に於いて生まれた熟語の可能性が高く、梵語には適切な語彙は無い、sukhāvatī(極楽)buddha-ksetra(ブッダ‐クシェートラ)かsukhāvatī(スカーヴァテイー・楽土の在る所)すなわち仏国土が近いとされている、楽=sukhā 有する処=vatīである、立川武蔵氏は有楽町の有楽が直訳に近いと言う。
したがって仏国土・浄土と言う観念は本来インドには無い、また浄土教の言う熟語も中国製であり道綽(どうしゃく)の安楽集等も影響している、インドでも龍樹の「十住毘婆沙論」(鳩摩羅什訳)に、形跡が見られ中国では善導、道綽(浄土五祖の2祖・親鸞七高僧の4祖)さらに日本では主に善導の影響を受けた源信・法然・親鸞・一遍等の信仰から新しい波、すなわち仏の本誓(ほんぜい)に縋り、従来の厳しい修行から覚者を目指す仏教を覆したと言える、浄土信仰は平安末期に末法思想(注9)の広がりと共に興隆した宗派群で・融通念仏宗(良忍)・浄土宗(法然)・浄土真宗(親鸞)・時宗(一遍)を浄土系四宗とされる、因みに末法思想は中国で生まれたとされるが、日本では最澄作とされる「末法燈明記」が知られている。sahā
一説には善導が浄土三部経すなわち阿弥陀経・大無量寿経・観無量寿経を選択した事を嚆矢とも言われる、中国に於いて発達し日本に伝わったと言える、一例を挙げれば唐の天台智に拠れば仏国土を以下の四種に分類される、但し浄土三部経との命名は法然である。 
1、凡聖同居土(ぼんしょうどうごど)凡人聖者同居世界 
2、方便有余土(ほうべんうよど)上座部聖者の世界 
3、実報無障礙土(じっぽうむしょうげど)菩薩行完成者の世界 
4、常寂光土(じょうじゃこうど) 法身仏の世界、 
上記 4、の常寂光土が最高位に位置しており、この名称を使用している寺が右京区嵯峨小倉山小倉町にある(常寂光寺)。
定かな浄土信仰は中国で発生した様で、念仏三昧の慧遠流・坐禅も取り入れる慈愍流・易行を言う善導流が興り、日本浄土宗系に於いては善導流が取り入れられた、日本の浄土信仰は飛鳥時代に弥勒菩薩信仰と共に栄えたが奈良時代後半には阿弥陀信仰に主役の座を空け渡した。
比叡山 延暦寺では円仁入唐の際に五台山に巡礼し五会念仏による念仏三昧法を持ち帰えった事により天台宗の中で浄土信仰が育つ基盤が出来上がった、その環境の中で出現した逸材たちが良忍・源信・法然・親鸞・日蓮達である。
下表は歴史上浄土信仰が現れた順番に表した、浄土と言えば本来は仏の数だけ存在するものだが、語られる浄土は阿弥陀如来の極楽浄土、と弥勒浄土に尽きると言っても過言ではない。
浄土の象徴としての阿弥陀如来の極楽浄土であるが、大無量寿経に拠れば西方十万億土すなわち十万億の仏国土の彼方にあり、無量光の世界で周囲は宝石で飾られ七宝の池には蓮華が浮かび清浄な八功徳水に湛えられた底には金砂が敷かれており、空には迦陵頻伽(がりょうびんが)が(注4)飛び交うと言う、まさしく豊饒・裕福・美麗・平安な場所と言われる、但し八千頌(はっせんじゅ)般若経」や「大集経全17分の内第9宝幢分」では極楽に往生すなわち生まれる時は大蓮華のつぼみの中に総ての男女ともに壮年の男子すなわち「変成男子(へんじょうなんし)」「転女成男(てんにょじょうなん)」に成ると言う、因みに心中など複数で極楽に往生する事を「一蓮托生」と言う。
浄土の多くには女性が居ない、男女差別が強いバラモンの思想からのサルベージとして、初期大乗仏教興隆の先端と言える「八千頌般若経」や「大集経全17分の内第9宝幢分の女が男に生れかわる思想」等の影響をうけ「変成男子、転女成男」即ち男性への性転換が考えられたと言えよう、但し弥勒菩薩の住む兜率天は唯一女性が存在するとされる、因みに玄奘や空海は弥勒浄土すなわち兜率天での転生を希望したと言う、これにはムスリムの哲学が思い出される、すなわち娑婆に於いては禁酒、不倫など厳しい戒律下にあるが、緑園に行けば永遠に処女を失わない女性を侍らせ美酒も飲み放題の世界と言う、厳しい禁欲を厳守した玄奘や空海がなぜ兜率天を望んだのか興味がもてる。
観無量壽経では極楽浄土には九種のランクがあり「九品往生」と言い上品上生から下品下生まで有り、それぞれ阿弥陀如来の印相が決められている。
永遠の生命が保証され解脱を目指しての説法が聞ける極楽浄土の対極に地獄があるが、地獄は六道の中にあり脱出に要する期限は1兆6千億年とも数億年とも言われる。 
ちなみに釈迦如来の特徴として自土仏であり浄土は存在しない、全ての如来・菩薩などが浄土を持つのに対して、娑婆すなわち五濁悪世(ごじょくあくせ)の彼岸(しがん)に留まり衆生の救済(悲華経)に努める為とされる、但し釈迦如来が法華経を説いたとされるインドの霊鷲山を「霊山浄土」との考えもある。
極楽浄土に次いで知られているのは観音菩薩の住む補陀落山がある、「華厳経」には南方海上の山頂にあると言い大唐西域記にも記述がある、中国には浙江省・普陀山が言われている、但し普陀山は浄土と言うより中国仏教に於ける四大名山の一山で観音の聖地である、四大名山とは山西省の五台山(文殊菩薩) 四川省の峨眉山(普賢菩薩) 浙江省の普陀山(観音菩薩) 安徽省の九華山(地蔵菩薩)が言われており、菩薩の聖地である。
日本に於いては日光・二荒山が観音浄土との伝承がある、また悲惨な生贄とも言える補陀落渡海信仰が那智山にも存在した。
親鸞の本願寺親鸞大師御己証并辺州所々御消息等類聚鈔、すなわち末燈鈔に依れば浄土は十万億土の西方に在るのではなく現世に在ると解釈できる、「真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに、正定聚のくらいに住す。このゆえに、臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心のさだまるとき、往生またさだまるなり」すなわち信仰が定まる時が浄土に居ると言える。
仏土には四種あり唯識では・法性(ほっしょう)土 ・自受用土 ・他受用土 ・変化土に分類される、因みに天台に於いては・凡聖同居(ぼんしようどうご)土 ・方便有余(ほうべんうよ)土 ・実報無障礙(じつぽうむしようげ)土 ・常寂光土が言われている、そのうち凡聖同居土には、浄土と穢土の分類があり穢土をの方を裟婆と言われる。
爾前経と言う経典には凡人の住む裟婆「穢土」覚者に成れない二乗の「方便土」菩薩の住む「実報土」如来の住む「寂光土」に分類している、因みに法華経の解釈では覚者となった前半42年を爾前経(方便権教)として後半の8年を法華経(真実の実教)としている、因みに娑婆であるが梵語sahāの音訳で「集会場」「堂」「大地」等の意味があるが「堪忍」という漢訳がある。 
地獄(奈落naraka・地獄)
浄土があれば対極に地獄があると言う、世界に於ける宗教の共通項として天国(緑園)すなわち浄土(極楽)が考案された後に地獄が生まれたという、仏教でもゾロアスター教、バラモン、キリスト教が地獄を標榜すれ為に善因善果・悪因悪果の業報思想に結び付けて肯定した、古くはpāli経典「ダンマ・パダ」「スッタ・ニパータ」に説かれている、また長阿含経・正法念処経地獄品に詳細に記述されている。
世親(南都六宗倶舎宗参照)は倶舎論の中で地獄の位置を娑婆の地下にあると言う、
八層に分類した、最下層を無間(avici)地獄と言い奈落の底である、軽い順番から 1、想地獄、2,黒縄(こくじょう)地獄、3,堆圧(たいあつ)地獄(衆合地獄)、4,叫喚地獄、5,大叫喚地獄、6,焼炙(じょうしゃ)地獄、7,大焼炙地獄、8,無間(むけん)地獄となる。 五層の分類方法もある、1,焦熱(しょうねつ)地獄、2,極寒地獄、3,賽の河原、4,阿鼻地獄、5,叫喚地獄がある、また別の分類もある、1、等活地獄2、黒縄地獄3、衆合(しゅごう)(しゅうごう)地獄4、叫喚地獄5、大叫喚地獄6、焦熱地獄/炎熱地獄7、大焦熱地獄/大炎熱地獄8、阿鼻地獄/無間地獄がありここに落ちる事を奈落(ならく)の底に落ちると言われている、奈落とは梵語のnarakaの音訳で奈落迦との記述も見られる事から地獄への隘路と理解出来よう。 
主に天台宗の分類に十界があり仏界菩薩界縁覚界声聞界の四聖悟界があり、その下に1,天界2,人間界3,修羅界4,畜生界5,餓鬼界6,地獄界の輪廻転生(梵語saṃsāraサンサーラ)する世界があり軽い地獄ほど寿命が短くなる、即ち地獄に於ける滞在期間が短縮される、地獄界に於いても輪廻転生が行われ上の界に上がれると言う、但し一番軽度の地獄の寿命でも1兆6653億年程と言う、閑話休題芥川龍之介は「侏儒の言葉」に於いて、極楽で蓮の葉に座り妙なるしらべを聞く極楽浄土の退屈さをイメージして嘆き、地獄の責めも数年すれば慣れる様な記述をした、彼は極楽浄土を回避した死を選択したのかも知れない。
因みに源信の往生要集は地獄模写すなわち厭離穢土から始まり極楽を語り往生すなわち往生諸行から念仏に進んでいる、地獄に関する記述は倶舎論の他に・大智度論・顕宗論に記述がある。

注1 六道とはgati、(ガティー)道の意訳とされ衆生の居住場所である、 天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄を言い、六道の輪廻(Saṃsāra・サンサーラ)から抜け出す事を解脱と言う。六道を二つに分け前部の修羅道までを三善道とし、後部を三悪道と言う、後部を巷間、三途(三途の川)を呼ばれるが正確な漢訳は三塗と言い、猛火の地獄道を火塗、刀杖の世界の刀塗、共食いの畜生道を血塗とされる、また三途とは三本の道と言う説もある。天台智は摩訶止観の中で十法界があると言い六道の上に声門・縁覚・菩薩・仏を四聖として加えている。
注2 五濁悪世五濁の悪世とは1、劫濁(社会の悪 汚濁 疫病 争い)2、見濁(利己主義 邪見)3、煩悩濁(猜疑心 心の悪徳)4、衆生濁(脱道徳 意識の低下)5、命濁(上記の濁り短命) を言う。
注3 他土仏(たどぶつ)信仰とは大乗仏教が起こり釈尊を思慕した事から生まれた地球空間以外の仏、すなわち異空間の如来・菩薩である、代表的な尊名は阿弥陀如来・薬師如来・観音菩薩等々である、法華経・金光明経・阿弥陀経など多くの経典に記述されているが共通する如来名は阿閦如来と阿弥陀如来のみで異なる尊名が多数を占める、因みに過去七仏は過去の劫である荘厳劫の如来も三尊存在するが、釈尊と同じ「自土」すなわち娑婆世界の仏とも言える、いわゆる報身仏が他土仏に相当するとも言えよう。
注4 迦陵頻伽 国語辞書に依れば妙声・美音・妙音鳥等に訳される。上半身は菩薩形で翼を持ち極楽浄土に棲むとされる想像上の鳥で甘美な美声に依って法を説くと言う、迦陵頻伽の他に「浄土の六鳥」と呼ばれる鳥が舞っているとされる・百鵠(びゃっこう)・孔雀・鸚鵡(おうむ)・舎利・迦陵頻伽・共命之鳥(ぐみょうのとり)が舞うとされる。 
注5 末法思想とは中国に於いて生まれた哲学との説がある、三時観(三時思想)とも言い阿含経に拠れば釈迦入滅後、弥勒仏の現れるまでの空白期間を示す、正法・像法・末法を言う、当初は正法・像法が言われたが六世紀頃にインドで三時観となる、釈尊入滅後に於ける仏教流布期間を三期間の分類したもので正法は釈尊の教えが正しく伝わり、像法に於いてはやや形骸化するが教えの形は守られる、末法に到り経典は残るが漸衰滅亡すると言う。個々の期間は五百年・千年など諸説があるがしだいに千年説が広がる、これは中国に仏教が伝来時には末法にならない為に調整したとも考えられる、また一時観を千年とした根拠は、中国に於いては釈尊の生誕はBC948年としている、これは孔子よりも先に生誕した様に記録したかったとされる、三時観は日本に伝わり最澄が重要視し「守護国界章」を著している、定かではないが「末法燈明記」も最澄の著作と言われている。末法を法滅と言い経典も無く壊滅的な時代を言い末法の後を言う解釈もある。但し涅槃経には末法の中から再度仏法が再生すると説かれている。 
 
天 (仏教)

 

天(てん)は、仏教の世界観の中で、神々や天人が住むとされる最上位の世界。天界(てんかい、てんがい)、天道(てんどう)、天上界(てんじょうかい、てんじょうがい)、天上道(てんじょうどう)。サンスクリットではデーヴァローカ (devaloka, deva loka)。天の住人を意味するデーヴァ (देव, deva) も天と訳されることがある(あるいは天部、天神、天人、天部神)。天の住人(天人)一般についてはここで併せて述べるが、信仰の対象としての仏教の神々については天部も参照。なお、女性の天人を天女ともいう。
六道の中の天
天道は、六道の最上位である(この文脈では天道と訳すことが多い)。そのすぐ下位が人の住む人道である。天人は長寿で、空を飛ぶなどの神通力が使える。また、快楽に満ち、苦しみはない。ただし、天道はあくまで輪廻の舞台である六道の1つであり、天人も衆生にすぎない。天人は不死ではなく(天人が死ぬ前には天人五衰という兆しが現れる)、死ねば他の衆生同様、生前の行いから閻魔が決めた六道のいずれかに転生する。天人は悟りを開いてはおらず、煩悩から解放されていない。悟りを開いたものは仏陀であり、輪廻から開放され六道に属さない涅槃(浄土、極楽)へと行く。現在の大乗仏教では人道の下に阿修羅が住む阿修羅道が位置するが、初期仏教では六道のうち阿修羅道がなく五趣とされ、阿修羅は天に住んでいた。天台宗では六道の上に仏陀が属する仏界などの四聖を加え十界とするため、その上から第5位が天界となる。
三界の中の天
三界も六道と同じく、輪廻の舞台となる世界の分類だが、分け方が異なる。三界のうち上2つの無色界・色界と、最下位の欲界のうち上部の六欲天が、天に相当する。 
 
極楽浄土 1

 

極楽ってどんなところ
さて、極楽ってよく聞きますがどこにあるのでしょう。
正式名称は「西方極楽浄土」といい西方十万億土を経た所にあるといわれています。
そしてそこは、阿弥陀如来が支配している仏国土とされています。
では極楽ってどんなところでしょうか。それが今回のテーマです。
極楽の極はきわみ、最高ということ。その究極の楽の世界――それが極楽なのです。
そこは苦患の全くない安楽の世界と言われています。まさに理想郷であるのです。
そんな理想の世界とは一体どんなところでしょう。
まずみなさまは極楽をどの様にご想像されているのでしょうか。
辺りには宮殿や楼閣がそびえ建ち、仏を讃える雅楽声明が穏やかに響き渡り、辺り一面には馥郁たる香が漂っている。人々のマイホームは全て豪華な宮殿造り。
家のあらゆるところは四宝(金・銀・瑠璃・水晶)で飾られ、庭園には七宝(四宝にシャコ貝、珊瑚、瑪瑙を加えたもの)の池、その池の中には大きな蓮華の花が華麗に咲き乱れている。
人々はあらゆる装身具で身を美しく飾りたてている。
食卓には各人の好みに応じた山海の珍味がふんだんに盛られいつでも鱈腹食べられる。
どこを見ても美男美女しかいない。
人々は自由を謳歌し、享楽と官能的快感に酔いしれている。
食欲、性欲、睡眠欲はいつでも完全に満たされている。
言葉ではとうてい語り尽くせぬほどのただただおもしろおかしい楽園の世界―――もしそのような世界を想像していたとしたらそれこそ大変な間違いです。
犯罪的誤解と言ってもいいかもしれませんよ。(そんな言葉ありませんか。)
「ただただおもしろおかしい楽園」とは単なる本能と欲望に満たされた快楽の世界に外ならないのです。
快楽は麻薬のようなもので更なる快楽を喚び求めるため更なる欲望の世界に引きずり込まれていくのです。
快楽に溺れ退廃の先にあるのが畜生、修羅、餓鬼、地獄の世界なのです。
快楽と安楽はまったく別のものです。
先にも申しましたが安楽とは仏の世界を意味します。
安楽の極致が「極楽」なのですから。
では本当の極楽ってどんなところでしょうか。
そこは全てが揃っているので欲しい物は何も無い。
いやなこと、いやなものは何もない。いやな人間も一人もいない。
不満がないから詐欺、暴力、強盗、殺人、テロ、戦争などまったく起こらない。
人々は全てにおいて満ち足りていてストレスも無く心もからだもいたって健康。
病気にもならない。年もとらない。もちろん死ぬこともない。
不都合は全く無い安楽の世界――――それが真の極楽なのです。
どうですか。快楽と安楽の違いがわかりますか。
ここのところが最重要ポイントなのでここをどうか混同しないでしっかり把握してください。
<全てが揃っているので欲しい物は何も無い>ということは、知足(ちそく)の世界だということです。
徒に欲望のない世界だということです。満ち足りているということです。
貪欲や渇愛の結果飢渇にあえぐことになるのです。
「汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、当に知足を観ずべし。
知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり。」(遺教経)このようにお釈迦様もさいごの説法で力説していらっしゃいます。
<病気にもならない。年もとらない。もちろん死ぬこともない。>とは人々の永遠の願いですね。
先月の「涅槃会」の中でも申しましたが、涅槃の世界には「死」がありません。
<不都合は全く無い>とは「諸法無我」の世界であり、涅槃の世界だということです。
まだよくわからない人のために更に申し上げましょう。
つまり安楽の世界には人間社会に有る「四苦八苦」が無いということなのです。
「人生は一切皆苦」であると1月の法話のなかでも申しあげてきました。
一切皆苦の中身が四苦八苦だといいました。
この四苦八苦から解放されることが安楽なのです。
安楽の安は「安心」(あんじん)の安です。
不安や迷いの無い「不動の境地」であり、それは同時に一切の「苦」の無くなった境地に外なりません。
このように「快楽」と「安楽」の世界は似て非なるまったくの異質の世界なのです。
「苦」から解放されることが真の「楽」なのです。
それが安楽であり、その極致が極楽なのです。
なんだかまだよく分からないと思っている方の為にもう一つ卑近な例で申し上げましょう。
特に何かで一度でも大変なつらい、苦しいことを経験された人ならわかるとおもいます。
ほんとうにつらい苦しいことから解放された時のことを思い返してみてください。
「何も無いこと」がどれほど楽か。
「何も無いこと」がこれほど楽だったとつくづく思いませんでしたか。
思い当たる節はありますか。そこなんです。
無事がなにより。無事が一番。無事が最高なのです。無事で安心。
無事が安楽なのです。
そんなエラそうなことを言っている私自身にも経験があるから言っているのです。
無事こそ息災なんです。
そんな「無事で安心の境地」、これが安楽であり極楽へ通じているのです。
禅語にもあります。
「無事是貴人」(ぶじこれきにん)人間はもともと何も持たない存在であるから、余分な事や物を持たない境涯こそ貴人(ほとけ)である。
以上、今回のテーマ、極楽の様子については少しは理解していただけたと思います。
「一切の煩悩から解放された安楽の世界」が「極楽」だという。
ではその極楽という「理想郷」はなぜ西方十万億土も経た所にあるというのでしょうか。
西方十万億土とはあの世のことでしょうか。
ではあの世とはどこにあるのでしょうか。 
極楽ってどこ?
極楽浄土ってほんとうに在るのでしょうか。
結論から言いますと、ほんとうに在るのです。まちがいなく在ります。
建前論ではなくほんとうに在るのです。
そのことを私なりの持論、独論、珍論?で論理的に述べてみたいと思います。
お釈迦さまは阿弥陀経のなかで、西方十万億土にあって阿弥陀仏の住む極楽浄土がいかにすばらしいところか、どうすればそのすばらしい浄土に往生できるかを説いています。
お釈迦さまの説かれたお経ですから絶対にウソや間違いはありません。
まずそのことを信じてください。宗教は信じることから始まるのです。
では、ほんとうに在るというその極楽浄土の旅にこれからご案内致しましょう。
そのお釈迦さまの教え、その説法とはただただ大宇宙悠久の真理という「法」を説くことにあったのですが、お釈迦さまは相手によってその人に適った仕方で説法をされたといいます。これを対機説法といいます。
子供には子供なりの老人には老人なりの、その人となりを見極められて説法されたのです。その手段として使われたのが「方便」です。
お釈迦さまの説法の中には実に多くの比喩や方便が取り入れられています。
ですからこの「方便」を抜きにお釈迦さまの説法やお経は語れないのです。
法華経にある「火宅の比喩」はとくに有名です。
大邸宅にあって、子どもたちが嬉々として遊びたわむれています。
その大邸宅が火事で燃えているのに全く気がついていないのです。
子ども達の父は自分が大邸宅の外に出てみて火事に気がついたのです。
そして「早く出ておいで・・・」と声をかけるのですがこども達は遊びに夢中で父親の呼びかけに応じようとしません。
そこで父親は、うまい方便(工夫)でもってこども達を誘い出して救うのです。
それが「火宅の比喩」です。
救おうとする父親とはお釈迦さまであり、こども達とは迷える衆生のことを指しているのです。
救うことを第一に考えると比喩や方便がどうしても必要だったのです。
現代では言い訳に方便を使ったり、ウソを正当化させるために「ウソも方便」などと言ったりしますが、正しい使われ方ではありません。
「方便の家元」であるお釈迦さまが悲しまれます。
本来の意味合いをしっかり心得てほしいものです。
さて、ここであえて「方便」をとり挙げたのは、持論ですが、わたしは「他力門」の教えこそ方便だと考えるからです。
当時お釈迦さまのお弟子や信者の中には厳しい修行に依って悟ることのできない人達も当然大勢居たわけです。
自力に頼れる人以外に悟りの道は開かれないとしたらそれはとても理不尽なことです。
どんな人でも悟りを求める以上そこには道が開かれていなければなりません。
一切衆生を救うこと、それがお釈迦さまの本願ですから、お釈迦さまが修行の苦手な人達のために編み出した手法がこの「他力門」の教えであったとしてもしごく当然ではないでしょうか。
その代表的教典が「無量寿経」などの阿弥陀三部経といわれるものです。
阿弥陀経の中には、「心から阿弥陀仏を念じることでどんな人でも極楽に往生できる」と説かれています。
浄土宗の提唱する「浄土思想」の教えの根拠はこの阿弥陀経に由来していると考えられます。
阿弥陀仏の救いを信じ、専心念仏で極楽浄土に成仏できる・・・・実に分かりやすい教えですね。
特に現世に失望している人たちにとって「来世の浄土」は絶対の魅力です。
安心して臨終を迎えることができるのです。
むずかしい仏教理論を知らなくても、身を粉にして修行をしなくとも、ただ「南無阿弥陀仏」とお称えさえすればいいのです。
実に単純明解な教えですね。
まさに大乗仏教の精神がここにあると言ってもいいでしょう。
多分もうお分かりでしょう。
つまり他力門の教えが方便であるとしたら即ち「阿弥陀経」の教えも方便であるということです。
極楽浄土は十万億土も離れたとこに在るとのことですが、十万億土とは具体的にどの位の距離を言っているのでしょう。
正直私にはわかりませんが、随分と遠い宇宙の遙か彼方のことでしょう。
そして「往生」とはまさに「あの世に行く」ことなのでしょう。
このイメージこそが仏教は死んだ人をあの世に送ってあげる宗教であるかのようなイメージをつくりあげてしまっていると言ってもよいかもしれません。
現に仏教イコール葬式・法事をやる宗教だと思っている人がほとんどです。
実は、もともと仏教は葬式・法事とはまったく無関係だったのです。
実際、お釈迦さまにしても、最澄、空海、法然、道元、日蓮、親鸞といった各宗の祖師方におかれてもその一生の間にご自分の弟子や信者のための葬式をしたことはないのですよ。
どうです。驚きでしょう。
江戸時代以降、お寺が檀家制度を取り入れてからその維持経営と檀家把握の手段として仏教が葬式を扱うようになったのです。
以後葬式儀礼としての仏教が主流となってしまったのです。
むかしのお寺をよく見てください。実際、東大寺、薬師寺、法隆寺などに墓地や霊園などはまったくありません。
むかしは、お寺とは今で言う大学みたいなもので仏教という学問を学ぶための文字通り殿堂だったのです。
本来の仏教寺院は生きている人たちに対しての「生き方」や「真理探求」の学問教授の所だったのです。
否、今でもこれからでもそれが本題だということをここであらためて強調したいわけですが、現在の実態を考えると本来の仏教やお寺に戻れる可能性は果たしてあるのでしょうか。
あるようにはとても思えません。イヤハヤほんとうに末法なのでしょうかね。
とは言うものの、今現にお寺から葬式が無くなってしまったらわれわれお坊さんはあがったりです。
信者だけのお布施だけでやっていけるお寺さんが果たしてどの位あるでしょうか。
わたしも本音を申せばまったく自信がありません。
随分えらそうなことを言っている割にはだらしない坊さんだと重々自覚しておりますので。
脱線が長くなりました。さて本論に戻りましょう。
先にも申しましたように、わたしの持論は阿弥陀経の教えもお釈迦さまの巧みな方便を駆使した絶妙の説法であったということです。わたしも阿弥陀経を読んでみましたが、「死んでから」とか「あの世」とかの具体的表現はどこにも見当たりません。
確かにあの世を彷彿とさせる内容ですが、例えば観音経の解釈に事訳と理訳があるように、阿弥陀経にも事訳と理訳があると思うのです。
たしかに一般的に「往生」と言うと「死ぬこと」と解釈されていますが、それは極楽浄土をあの世と解釈するからなのです。
「往生」とはつまり悟りを得て涅槃に「往く」ことなのです。
遠い極楽浄土に生まれかわるとは、理訳でいえば悟って涅槃の世界に入るということなのです。
さて、今回の極楽浄土への旅もまだ道半ばですが大分近づいてまいりました。 
極楽ってここですよ
阿弥陀経の意味するところは方便を取り入れた他力門の教えだと申しました。
お釈迦さまが方便を駆使したお説教の達人であったことを考えると当然のことです。
ここでちょっと「方便」について私なりの考えを独論的に述べてみたいと思います。
方便とは仏教に限らずどの宗教にも宗教である以上その教えの中には必然的にその要素がとり入れられていると思うのです。
方便の要素こそ宗教の本質に欠かせないものであると思うからです。
そこで注意したいことは、「方便」の解釈を誤ったり過信したりすると「盲信」になるということです。
たしかに宗教である以上現世利益が求められるのは当然なことです。
現世利益があってこそ宗教なのですから。
しかし、方便が歪曲されてしまったり方便の範疇を逸脱したりしてしまうとそこにあるのは盲信や迷信の罠です。
例えば、拝めば病気が治る。拝めばお金が入る。
信心が足りないから不幸が続くのだとか、そんな悪意の手口にはまるととんでもない災難や不幸に見舞われることにもなるのです。
霊感商法などの詐欺行為に遭ったり、変な宗教にマインドコントロールされたりするのは盲信の結果なのです。
その極端な事例があのオウム真理教の事件と言ったらよいでしょう。
大変な殺人事件を起こした者の多くはもとはといえば純粋な若者たちだったのです。
多分最初から殺人鬼の集団と知って入信した人はまずいないと思います。
盲信の結果殺人鬼に仕立て上げられてしまったのです。
これを狂信と言います。
変な宗教に引っ掛からないためにも普段から正しい信仰を持っておくことが大切なのです。
正しい信仰とは正しい信条をもった宗教に帰依するということです。
正しい信仰は邪教に対する免疫力にもなり抵抗力にもなるのです。
宗教は「阿片」ですからマインドコントロールされない眼力を養う必要があるのです。
それには何よりときどきこのホームページを見ることです。
いつもご覧の方はまず心配ないでしょう。
わたしがいつもこのページに「正しい気」を吹き込んでいますので安心してください。
(これはマインドコントロールではありませよ、念のためここでアピール)
「あの世の極楽浄土へ往生できる」とはつまり方便だと申しましたが、そこでそれは方便だから事実ではない「ウソ」だろうと決めつけてしまってはそれこそ元も子も無くなってしまいます。
方便は迷信ともごまかしとも違います。
方便とはつまり「事実の比喩」なのです。
だから「真実」なのです。そのまま真実として信じてください。
念仏こそ悟りへの他力門であると申しましたね。
ただただ阿弥陀仏を一心に称名することで阿弥陀さまに救って頂けるということ。
そのねらいはまさに「一心称名観世音菩薩」と同じであるのです。
一心に念仏することで無心に成りきり、それはそのまま無相無碍の阿弥陀仏の世界に取り込まれるというシナリオなのです。
どうですか。このように方便の中に真実があるのがわかりますね。
ちっとも難しくないでしょう。
「念仏」という実践がそのまま悟りであるという、修と証が一如であるという(修行と悟りは一体であるということ)お釈迦さまの意図が正にここに有るのです。
自力門も他力門も入り口だけが別なだけでそのゴールは全く同じ極楽浄土であったのです。
お釈迦さまの狙いは只一つ涅槃の世界へ人々を導くことにあるのですから、如何に人々を彼岸の世界・浄土の世界へ導くかにあるのです。
方便がその大きな手法の一つであるのがわかりますね。
さて、「極楽浄土」への旅もいよいよ佳境へとやってきました。
煩悩があるから悟りがあるのです。
穢土があるから浄土があるのです。
此岸があるから彼岸があるのです。
此岸での迷いが深いほど彼岸の距離は遠いのです。
彼岸への距離は迷いの程度に比例しているのです。
迷いの深い娑婆世界に居るからこそ、極楽浄土は遠い遠い遙か彼方に存在するのです。
その想像もつかないほどの遠い距離を「十万億土」という言葉で表しているのです。
これこそ方便であるのですが、同時に真実なのですよ。
ほんとうにたいしたもんだと思いますお釈迦さまは。
ひとによってそれぞれ極楽浄土への距離はちがうのです。
どうでしょうか、あなたの極楽浄土はどの位のところにありますか。
とても想像つかないですって?イヤイヤそれが普通なのですよ。
でも、もし少しでもその距離を縮めたいと思ったら修行することです。
当山の坐禅会に来てみてはどうですか?えっ?自力門は大変だから他力門にするって?「方便」を要領に使われるのはどうかと思いますね。
まあいずれにしろ阿弥陀さまはすべてをお見通しですから好きにしてください。
「毫釐(ごうり)も差あれば天地はるかに隔(へだ)たる。」(普勧坐禅儀・道元禅師)悟ってみれば全宇宙は一つであり、己自身が宇宙そのものだと分かるのです。
そこには十万億土の距離なんて全くありません。
自分と極楽の間には「毫釐の差」も無いのです。
天地輿我同根 萬物輿我一体「天地と我と同根、万物と我と一体」(碧巌録)
宇宙の全てが我が身の中に存在するのです。
「ここ」こそ涅槃、「ここ」こそ浄土、「ここ」こそ毘廬舎那仏の本体なのです。
「阿弥陀さまは西方浄土にいらっしゃるが、地獄とはどちらの方角にあるんですか」ある人が一休禅師に訊ねました。
「地獄か。きまっているではないか。南の方角だよ」
「地獄は南方にあるんですか。証拠でもあるんですか」
「証拠はおまえさん自身だよ。みんなみにある」
「みんな身にあるんだよ。地獄はみんなわが身にあるんだよ」
仏教に「六道」という言葉がありますね。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界です。
一般的にはこれらは死後の世界だろうと思っているようです。
おそらくあなた自身そう思っていませんか。
半分当っていると言えます。
なぜ半分かといいますと真如の世界には生前と死後の区別が無いのです。
般若心経の「不生不滅」の意味はそのことを言っているのです。
あの世とこの世の区別が無いということは地獄や極楽はあの世にもこの世にも在るということです。
この世に生きている私たち自身の今のそのままの心が、地獄から最高は極楽浄土まで行ったり来たりしているのです。
地獄も極楽もすべてこの身の内にあるのです。
お釈迦さまは開悟したときに思わず叫びました。
「人間はもとより禽獣虫魚も山川草木もみな成仏して、それぞれに大光明を放っており、昨日まで穢土(えど)と思っていたこの娑婆世界が、そのまま極楽浄土であることに気が付いた。このように開悟すれば娑婆即浄土であり、大調和の世界である。」と。
どうですか。遠い遠いと思って旅してきました極楽への旅は「ここ」こそ極楽だったのです。
今あなたが住んでいるその場がいつでも極楽浄土にもなれば地獄にもなるという、極楽も地獄もすべてはあなたのこころ次第で決まるという・・・・これが結論です。 
 
極楽浄土 2 

 

「悪いことをしたら地獄に落ちるよ」
幼い頃に大人からこんな言葉を聞かれた方はどれくらいいらっしゃるでしょうか?
科学全盛の昨今、「地獄がある」「極楽がある」と聞いても信じられない、と思う方がほとんどでしょう。
しかし「科学」と「佛教」は相反するものではありません。科学の発展によってもたらされる恩恵を、数多く受けることができるとはいえ、あくまでもこの世限りのものです。対して「佛教」は過去、現在、未来に通じる、普遍のみ教えなのです。
人として生まれた私たちですが、それよりはるかに昔から、形を変えて生まれ死にを繰り返し続けてきたのです。記憶にはありませんが、苦しみ迷いが尽きることのない、六道という世界を輪廻(りんね)してきたお互いです。六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つを指し、輪廻とはあたかも車輪がグルグルと回り続けるかのように、生まれては死を迎え、また生まれ死んでいくことを繰り返し続けることです。
阿弥陀佛は、はるかな昔、法蔵という名の菩薩様でした。その時にすべての人を必ず救うという四十八の願をお立てになります。「もし私が佛になったならば、このようにいたします」という誓いを四十八通りお立てになられたのです。これを「本願」と言います。その本願に基づいて阿弥陀佛は、はるか西の方に極楽浄土を構えられ、私たちを救う佛となられたのです。
四十八ある本願の中で一番重要なのが、第十八番目の「念佛往生の願」です。本願中の王ということで「王本願」とも言います。これは、「心の底から極楽浄土に生まれたい、と願い、南無阿弥陀佛とお念佛を称えた者を、一人も漏らさずみな極楽浄土へ往生させる。もしそれができなければ私は佛になりません」というものです。
阿弥陀佛は、私たちが輪廻し続け、苦の連鎖を断ち切れないことを哀れ悲しまれて、本願を立てられたのです。目に見えず、耳に聞こえずとも、常に阿弥陀佛は、極楽浄土から私たちを見つめ、「我が名を呼べ」と願われています。そして私たちが「南無阿弥陀佛」とお念佛を称える声を、一声も聞き洩らすことなく受け止めて下さっているのです。
「南無阿弥陀佛」は「南無」と「阿弥陀佛」に意味的に分けられます。南無とは「助け給え」の意で、すなわち「助け給え阿弥陀佛」との思いを込めて南無阿弥陀佛とお称えするのがお念佛です。
お念佛はいつでも、どこでも、だれもが称えることができる「修行」なのです。苦しみ迷いの娑婆世界で生きる私たちが修められるように、阿弥陀佛がお計らい下さったのです。
今、ここで、私が称える「南無阿弥陀佛」の声する所に、阿弥陀佛は必ず寄り添って下さいます。
そしていつかこの世での命が尽きる時には、一人一人のために阿弥陀佛御自らが迎えに来られて、極楽浄土への往生を叶えて下さるのです。 
 
極楽浄土 3 / お彼岸 

 

お浄土へ思いをよせ、ご先祖から伝えられた「命」の尊さをかみしめましょう。お彼岸がやってきます。仏道実践週間ともいわれるこのお彼岸を好機に、お念仏生活へ一歩を歩みだしましょう。
お彼岸を迎えるにあたって
「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、お彼岸は春夏秋冬の四季にめぐまれた日本独特の仏教行事です。
私たちはこの仏教行事をとおして季節の移ろいをも感じとっています。お彼岸につきものの春の”ぼたもち(牡丹餅)”、秋の”おはぎ(御萩)”などもその表れといえるでしょう。
しかし、この彼岸は季節を表す言葉ではありません。
私たちは日ごろ、「あの世、この世」という言葉を使います。「この世」はもちろん私たちの生きている現実世界であり、「此岸(しがん)」です。
此岸は煩悩渦巻く「四苦八苦」の世界です。限りある苦悩の世界をいとい離れて求められるのが、「あの世」すなわち「彼岸」なのです。
彼岸は限りない命と智慧に満ちあふれた世界です。阿弥陀さまの浄土、西方極楽浄土こそが、私たちの願い求めゆくべき彼岸なのです。
彼岸という仏教行事をとおして私たちは、今を生きるこの私の命がご先祖から永々と伝えられて来た「命のバトン」を受けて生きているという事実を再確認し、彼岸にいらっしゃるご先祖をしのぶとともに、この私も命おえる時には彼岸での「倶会一処(くえいっしょ)」を願い求め、「四苦八苦」の世界に埋没することなく精進してまいりますという心を堅固にすることが大切なのです。
彼岸への一筋の道
ここで、中国の高僧善導大師が説かれた「二河白道(にがびゃくどう)」のお話をご紹介しましょう。彼岸と此岸との対応が明確にあらわされています。
一人の旅人が、東から西への旅路を歩いています。突然前方に河があらわれました。立ち止まって後を振り返ると、盗賊や猛獣・毒蛇が襲いかかってきます。
旅人は河の間に小さく細い白道を見つけました。しかし白道の左の方には猛火が燃えさかり、右手は急流が押し寄せてきます。進むも死、戻るも死と、全くの絶望状態です。旅人は躊躇していました。すると、迷っている旅人の耳に、東の岸から声が聞こえて来ました。
「決心してその白道を歩みなさい。死ぬようなことはありません。そこにとどまっていたら死ぬでしょう」と、そしてさらに進もうとする西の岸からも、それに呼応するように「心から信じてすぐこちらに来なさい。私があなたを守ってあげよう。水の河、火の河を恐れることはありません」という声が響いてきました。
その声に励まされて前進する旅人ですが、背後から盗賊や猛獣・毒蛇の声が。「早く引き返しなさい、その道は通れない、行けば死ぬだけだ。我々はあなたを殺したりはしない、引き返しなさい」
旅人はその誘惑に乗ることなく白道を進み、ついに向こうの岸に到達することが出来たのです。
賢明な読者の皆さんはお気付きのことと思います。東岸は娑婆、西岸はお浄土です。盗賊や猛獣・毒蛇は私たちの心に住む煩悩を、火の河は怒りの心、水の河は貪りの心を意味しています。白道は彼岸に到ろうとする清浄な心、東岸の声の主はお釈迦さま、西岸からのそれは阿弥陀さまの呼び声なのです。
お彼岸の由来
さて、私たちが春秋に迎えるお彼岸は、それぞれ春分、秋分の日を中日としての一週間をいい、日本独特の行事です。そしてこのような形態で行われるようになったのは聖徳太子の時代からといわれています。平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代に年中行事化されたという歴史があります。
さらにその根拠を尋ねてみますと、前述の二河白道を説かれた善導大師の著書『観経疏(かんぎょうしょ)』の「日想観」が源となっています。
善導大師は春分、秋分の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈むところから、その陽の沈みゆく西方の彼方にある極楽浄土に思いを凝らすのに適していると説かれました。
お彼岸はこの日想観を行って極楽浄土を慕うことを起源とした仏事なのです。
皆さんも、是非このお彼岸には実践してみてください。ビルの谷間に沈みゆく太陽であろうとも、その彼方には極楽浄土があるのです。
お念仏で彼岸へ渡ろう
私たちが求め慕う彼岸、極楽浄土にはどうすれば到達することができるのでしょう。
煩悩の水火渦巻く私たちにとっての「白道」とは何でしょうか。
阿弥陀さまは、私たちのように自らの力で煩悩を断ち切れない凡夫に救いの手をさしのべる本願を選びとってくださっています。お念仏のみ教えこそが、私たちにとっての「白道」なのです。
お念仏の生活を日々送ることが、彼岸への道を歩むことなのです。
私たちには煩悩の荒波を鎮めたり、猛火を消し止めて彼岸へ到達することはできません。阿弥陀さまの本願の船に乗って彼の岸へ渡らせていただくのが唯一の道なのです。
お念仏の心構え
私たちの彼岸へのよりどころであるお念仏、どのような心でお称えすればよいのでしょう。究極には法然上人のお言葉「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」につきるのですが、お念仏を称える心のありかたとして説かれている「三心」についてふれてみましょう。
その第一は「至誠心(しじょうしん)」です。「至というは真なり、誠というは実なり」というように真実の心、内面にも外面にも嘘偽りがなくありのままの飾ることのない心を「至誠心」といいます。次に「深心(じんしん)」が挙げられています。「深心とは、すなわちふかく信ずるこころなり」なのです。何を深く信じるのかということですが、二つあります。信機、信法です。
「はじめにはわが身の程を信じ、のちに仏の願を信ずるなり」のお言葉があります。
信機はまさに「身の程」を知るということです。「なすべきことをなさず、すべきでないことをしてしまう自己に気付く」ということでしょう。
そんな私をも、阿弥陀さまはお救いくださるのだ、お念仏を称えて、阿弥陀さまの本願力に乗じて必ず往生するぞ、と信ずる心を信法というのです。
三番目は「回向発願心(えこうほつがんしん)」です。これは、私たちが前世から今に至るまでなしてきた、あるいはこれからなす全ての善い行いの功徳を振り向けて極楽往生、彼岸への到達を願う心をいいます。
このように三心を述べてみるとそれぞれ別個のもののように思われますが、「極楽往生を願う心に嘘偽りがなく、心底往生をしたいと思うのであれば、三心は自然にそなわってくる」と法然上人はおっしゃっています。
このお彼岸を好機として、彼岸への思いを深め、そこへの歩みを踏み出したいものです。 
 
地獄

 

宗教的死後観において、複数の霊界(死後の世界)のうち、悪行を為した者の霊魂が死後に送られ罰を受けるとされる世界。厳しい責め苦を受けるとされる。素朴な世界観では地面のはるか下に位置することが多い。
仏教
六道の最下層。閻魔の審判に基づいて様々な責め苦を受けるとされる世界。対比されるべきは、本来なら六道の最上層・天界のはずだが、実際には、成仏した者が行く六道のいずれでもない浄土(浄土は数多くあり、極楽はその一つ)と対比させられることが多い。
キリスト教
一般的に、死後の刑罰の場所または状態、霊魂が神の怒りに服する場所とされる。キリスト教の教派のうちカトリック教会では、他に煉獄や辺獄があるとされるが、正教会・プロテスタントには、煉獄・辺獄の概念は無い。カトリック教会では、地獄は永遠の火の苦罰とされるが、プロテスタント・正教会においては人や教派によって見解が分かれる。
イスラム教
世界の終末に際しての審判において、不信心者や悪事を成した者が灼熱の責め苦を受けるとされる世界。
北欧神話
女神ヘルが支配する、名誉の戦死を遂げられなかった者が行く世界。対比されるのは名誉の戦死を遂げた者(エインヘリャル)が行くヴァルハラ。
エジプト神話
死者に対する裁きはあるが、マアトの羽根より重い魂はアメミットに食べられ消滅してしまうので、彼らのための地獄というものはない。
比喩表現
宗教(主に仏教)上の地獄から派生して、非常に苦難な状況・境地・場所を地獄と例える。たとえば、「生き地獄」、「地獄の一丁目」など。また、以下のような用法もある。
山性ガスや温泉の蒸気熱などにより草木の生えない場所や、極めて高温の温泉が大量に湧出する源泉地帯。あるいは間欠泉などの一部の温泉の別名。例:「地獄温泉」、「地獄谷温泉」、「別府地獄めぐり」、「地獄釜(地獄蒸し)」、「雲仙地獄」
劇場において、舞台の下にある空間。奈落。
江戸時代において、格の低い売春婦。
銃・刃物といった人を死に至らしめるもの、麻薬・殺し・強盗といった人を狂気に陥れるもの、貧困・失業・汚物といった人に苦しい生活を強いるものが処理されることなく、吹き溜まり、そして蔓延るようになり、いつまでもその状態が続いている街や場所が呼ばれたりする。
非常な苦しみや試練が繰り返し続く状態や境遇。「試験地獄」(=合格率が低く難関である試験の例え)や「AC地獄」(=情報が必要な大規模災害時に同じ内容のCMや同じサウンドロゴを何度も何度もしつこくも聞かされることを“音の拷問”に例える表現)、「今日の仕事は地獄だったよ。」(その日の仕事の内容・状況が非常に苛酷であったこと)など。 
 
煉獄

 

(れんごく、ラテン語: purgatorium) キリスト教、カトリック教会の教義のひとつ。カトリック教会においては、神の恵みと神との親しい交わりとを保っていながら完全に清められないままで死んだ人々は、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るように浄化の苦しみを受けるとされており、この最終的浄化を煉獄という。第2バチカン公会議以降もこの教えは変わらず、『カトリック教会のカテキズム』において煉獄について明文化されている。
煉獄は聖書に記されてはいない。煉獄の教義は、教会の東西分裂以降のカトリック教会にて成立した。このような経緯もあり正教会では煉獄を認めない。また、煉獄の住人のためにささげる祈りが教皇の免罪符発行に結びつき、マルチン・ルターの宗教改革に至った経過があるため、プロテスタントも煉獄の教義を否定している。古くは「浄罪界」とも訳される。
地獄は救いの無い場所、天国は罪の一切無い場所と定義されるが、煉獄はキリスト者として罪の贖いを受けて救済を約束されていながら、小罪および罰の償いが残っているため、浄化を必要とする者のためにある場所と考えられている。聖書に具体的な記述があるわけではないが、『マタイによる福音書』12章32節において、後の世で赦される可能性が述べられていること、および、『マカバイ記』2の12章43節において、罪を犯した死者のために執り成しの祈りを認めていることを根拠にしている。カトリック教会は死者のための祈りのほか、死者のための施し、免償、償いのわざを勧めている。。煉獄における救済は、聖母マリアおよび諸聖人の執り成しによるとされる。また、西ヨーロッパの一部のカトリック信徒の間では、生きている人間の祈りによって、煉獄の魂が天国に上げられる、という一種の民間信仰が存在する。

カトリック教会ではこのような煉獄の死者のために祈りなどを行う伝統があったが、教皇の免償の権威が死者にも及ぶのかという問いをマルティン・ルターが投げかけたことが宗教改革の発端となったという歴史的経緯から、プロテスタントの諸教派は煉獄の概念を否定した。
また、正教会にも死者のために祈るパニヒダという伝統があるが、聖伝に記述が無いとする理由から、また、陰府と天国の間には大きな淵があるという見解から(『ルカによる福音書』16章26節)、正教会ではそもそも煉獄の存在を認めていない。 
 
黄泉

 

(よみ) 日本神話における死者の世界のこと。古事記では黄泉國(よみのくに)と表記される。黄泉とは、大和言葉の「ヨミ」に、漢語の「黄泉」の字を充てたものである。漢語で「黄泉」は「地下の泉」を意味し、それが転じて地下の死者の世界の意味となった。「ヨミ」は、もともと日本神話の「よみの国」があったところの地名夜見から考えると、もともと夢(ユメ)のことをさしていたとの説、四方(ヨモ)から単に生活圏外を表すとの説、闇(ヤミ)から黄泉が派生したとの説などがある。また、元来月齢算出をあらわす月読(ツクヨミ)から派生した暦(こよみ:黄詠み)は、祖霊(おやがみ)が常世(黄泉)から歳神(としがみ)として還ってくる正月を算出するための日数演算法という説もある。
古事記
太古の日本には黄泉路が存在し、黄泉比良坂(よもつひらさか)で、葦原中国とつながっているとされる。イザナギは死んだ妻・イザナミを追ってこの道を通り、根の堅州国(ねのかたすくに)に入ったという。
そこで変わり果てたイザナミの姿を目撃したイザナギが、黄泉の国から逃げ帰る場面が以下のように表現されている。
逃來猶追到黄泉比良坂之坂本時
(訳)逃げ来るを、猶ほ追ひて、黄泉比良坂の坂本に至りし時
口語訳では「(イザナギが)逃げるのを、(イザナミは)まだ追いかけて、(イザナギが)黄泉比良坂の坂本に着いたとき」となるが、この「坂本」は坂の下・坂の上り口を表している。それゆえに、イザナギは黄泉比良坂を駆け下りてきたということが示唆される。すなわち、黄泉の国は必ずしも葦原中国に対して地下にあるわけではないと分かる。この時、追いすがる妻やその手下の黄泉の醜女(しこめ)達を退けるため、黄泉路をふさいだ大石を、道反の大神(ちがえしのおおかみ)といい、この世に残った黄泉路の半分(または黄泉比良坂の一部)が、伊賦夜坂(いぶやざか)とされる。そしてさらにその場にあった桃の木から実をもぎ取ってを投げつけることで黄泉の醜女を追い払っており、このときの功績によって桃は意富加牟豆美命(おおかむつみのみこと)という神名を賜り、「これからも(今私にしてくれたように)困った人を助けておくれ」と命じられた。
根の堅洲國は日本書紀では根の国といい、それは黄泉国と違うという考えや同じとする考え方がある。同じとする学者が、黄泉の国は地下にあるものと考えているし、現在では一般にそう受け取られている。しかし、死者の世界が地下にあるということは、漢語の黄泉の意味から来たことであり、本来の日本の考えに即さない。黄泉とは単純に根の国の地名を指し、現在の島根県安来市を中心とした地域で、鳥取県米子市夜見町から黄泉比良坂(伊賦夜坂)のある島根県松江市東出雲町の間にあった土地と言う説が有力である。それを裏付けるような早期ながら規模の大きな方形の古墳群が近隣に存在し(安来市造山古墳)、素環頭大刀などのような天叢雲剣を髣髴させる鉄刀なども出土している。
黄泉の地が熊野であるとする説から、根の国も熊野にあるとする考えもあるが、『記紀』、『出雲国風土記』のそれぞれを比較すると出雲にあったとする考えもある。出雲地方がヨミの国と目される最大の理由は、同地方が日本列島において太陽の沈む地域と目されることがあげられる。これは畿内地方の南天に対しての事柄で『記紀』の伝承にも合致するものとなる。
なお道反の大神は岐神として、日本各地に祀られている。
日本書紀
『日本書紀』一書第六の注には「或所謂泉津平阪 不復別有處所 但臨死氣絕之際 是之謂歟」とある。これは単に死の瞬間を泉津平阪(よもつひらさか)という土地に例えたもので、実際には泉津平阪は存在しない、ということである。
出雲国風土記
『出雲国風土記』出雲郡条の宇賀郷の項には黄泉の坂・黄泉の穴と呼ばれる洞窟の記載があり、「人不得 不知深浅也 夢至此磯窟之辺者必死」と記載されている。この洞窟は出雲市猪目町にある「猪目洞窟」に比定されるのが通説である。猪目洞窟は昭和23年(1948年)に発掘され、弥生時代から古墳時代にかけての人骨や副葬品が発見された。
中国語における「黄泉」
古代の中国人は、地下に死者の世界があると考え、そこを黄泉と呼んだ。黄は、五行思想で、土を表象しており、それゆえに、地下を指すために黄という文字を使ったのである。
黄泉(zh:黃泉)を中国語で説明すると「人死後所居住的地方」といった説明になる。黃泉は現代でも「不到黃泉不相見」や「結髮同枕席,黃泉共為友。」などの表現で日常的に用いられている。
中国語の意味の「黄泉」を指そうとする時は、日本人は「こうせん」と音読みすることがある。
聖書中の訳語としての「黄泉」
『新約聖書』中のギリシャ語「ハデス」、『旧約聖書』中のヘブライ語「シェオル」(en:Sheol)を漢文訳の『聖書』では「黄泉」と訳しており、日本語訳聖書においては、口語訳聖書では「黄泉」、新共同訳聖書では「陰府(よみ)」、新改訳聖書では「ハデス」と訳されている。類語であるギリシャ語の「ゲヘンナ」は地獄と訳される事が多く、訳し分けがなされている。他方、日本正教会訳聖書では、ゲヘンナを地獄(ルビ:ゲエンナ)、ハデスを地獄(ルビ:ぢごく)と、ルビを使って訳し分けている。
キリスト教内でも地獄に対する捉え方が教派・神学傾向などによって異なる。地獄と訳される事の多いゲヘンナと、黄泉と訳される事の多いハデスの間には厳然とした区別があるとする見解と、区別は見出すもののそれほど大きな違いとは捉えない見解など、両概念について様々な捉え方がある。
厳然とした区別があるとする見解の一例に拠れば、ゲヘンナは最後の審判の後に神を信じない者が罰せられる場所、ハデスは死から最後の審判、復活までの期間だけ死者を受け入れる中立的な場所であるとする。この見解によれば、ハデスは時間的に限定されたものであり、この世の終わりにおける人々の復活の際にはハデスは終焉する。他方、別の捉え方もあり、ハデスは不信仰な者の魂だけが行く場所であり、正しい者の魂は「永遠の住まい」にあってキリストと一つにされるとする。
上述した見解例ほどには大きな違いを見出さない見解からは、ゲエンナ(ゲヘンナ)、アド(ハデース)のいずれも、聖書中にある「外の幽暗」(マタイ22:13)、「火の炉」(マタイ13:50)といった名称の数々と同様に、罪から抜け出さずにこの世を去った霊魂にとって、罪に定められ神の怒りに服する場所である事を表示するものであるとされる。 
 
往生

 

大乗仏教の中の成仏の方法論の一つである。現実の仏である釈迦牟尼世尊のいない現在、いかに仏の指導を得て、成仏の保証を得るかと考えたところから希求された。様々な浄土への往生があるが、一般的には阿弥陀仏の浄土とされている極楽への往生を言う。これは極楽往生(ごくらくおうじょう)といわれ、往とは極楽浄土にゆく事、生とは、そこに化生(けしょう)する事で、浄土への化生は蓮華化生という。
化生とは生きものの生まれ方を胎生・卵生・湿生・化生と四種に分けた四生(ししょう)の中の一つ。
1.胎生 人間や獣のように母の胎(からだ)から生まれる事
2.卵生 鳥類のように卵から生まれる事
3.湿生 虫のように湿気の中から生まれるもの
4.化生 過去の業(ごう)の力で化成して生まれること。天人など
極楽浄土への往生は、そこに生まれる業の力で化生すると言う。蓮華化生とは極楽浄土の蓮華の中に化生するという意味。
往生の本来の意味は、仏になり悟りを開くために、仏の国に往き生まれる事である。よって、往生の本義は、ただ極楽浄土に往く事にあるのでなく、仏になる事にある。
何故仏国土に往生する事が、成仏の方法となるかというと、成仏には、仏の導きと仏による成仏への保証(授記)がなければならないからで、これらのない独自の修行は、阿羅漢(あらかん)や辟支仏(びゃくしぶつ)となる事は出来るが、それらになると二度と仏となる事が出来ない、と大乗仏教では考えられていた。
仏教のさとりは無我の証得である。自己の空無なる事を悟るためには、修行している事に「自らが」という立場があってはならない。自我意識が残る限り成仏は不可能とすれば、自我意識の払拭は自己自らでは不可能となる。ここに、成仏に逢仏、見仏を必要とする理由がある、というのが浄土門の立場である。
一般に「往生する」とは
往生とは極楽往生、浄土往生といわれるように、人間が死んで仏の国に生まれるから、一般的に死後の往生の意味である。しかも、往生する世界は仏の世界であり、そこに生まれる事は成仏する事である。そこから意味が派生して、往生とは仏になる事と考えられ、往生は現実には死であり、さらに仏になることなので死んだら仏という考え方が一般化したと考えられる。中でも老衰やそれに伴う多臓器不全などの自然死による他界を大往生と呼ぶことが多い。この往生の意味が、さらに俗化して「身のおきどころがなく、おいつめられた時」を往生するとなったと考えられる。  
 
来世

 

来世(らいせ、らいしょう)、あるいは後世(ごせ、ごしょう) 今世(今回の人生)を終えた後に、魂が経験する次の人生、あるいは世界のこと。また、動物におけるそれのことを指す場合もある。神道においては常世(黄泉)のことを指す。仏教では「三世」のひとつ(「前世・現世・来世」のこと。仏教以外においては人生に焦点を当てた「過去生・現在生・未来生」という表現もある)。
転生を前提とした考え方
仏教
仏教では、前世・現世・来世の捉え方はさまざまで、宗派の教義によって異なることに注意を要する。
下記は転生を前提とした考え方である。現世を中心に考える宗派では、六道を自分の心の状態として捉える。たとえば、心の状態が天道のような状態にあれば天道界に、地獄のような状態であれば地獄界に趣いていると解釈する。その場合の六道は来世の事象ではない。
浄土教では、一切の迷いが無くなる境地に達した魂は浄土に行き、そうでない魂は生前の行いにより六道にそれぞれ行くと説く宗派がある。
日蓮の教えでは、(転生があるにしても)、今の自分(小我)に執着するあまり、いたずらに死を恐れ、死後の世界ばかりを意識し期待するより、むしろ自分の小我を越えた正しい事(大我)のために今の自分の生命を精一杯活かし切ることで最高の幸福が得られるのだ、とされている(『一生成仏抄』)。
また真言宗などの密教でも、大我を重要視して即身成仏を説き、天台宗も本覚思想から、「ここがこの世のお浄土」と捉え、来世について日蓮と同様の捉え方がなされる場合がある。
スピリチュアリズム
人間の魂は人間にだけ生まれ変わっており、動物には生まれ変わることは無い、とされる。肉体の死後、魂は、一旦霊的な世界に戻り、数年〜数百年後に、またこの世の肉体に宿る、とされる。この世は魂にとってのある種の"学校"のようなものであり、魂は転生を多数繰り返し、人間の肉体を通して様々な立場に伴う苦しみ・喜びなどを学び、次第に智慧を得て大きな慈愛にも目覚めると、この世で肉体を持つ必要はなくなり、霊的な階層世界の上層へと登ってゆく(言わば"卒業"する)とされる。
"行ったきり"の死後の世界
「今の人生→死後の世界」という一方通行的な世界観。自分が今の自分のまま別の世界に行くという考え方(この考え方は、厳密に言えば「来世」という転生を前提とした項には属さないかも知れない。が、便宜上この項で扱う)。この意味では、「来世」の類義語として、あの世(あのよ)、死後の世界(しごのせかい)が挙げられる。
天国と地獄
様々な宗教で「天国」と「地獄」((あるいは極楽と地獄)があるとする考え方も多い。この場合、天国は生前に良い行いをして過ごした人が行き、地獄は生前に悪い事をしてきた人が行くとされることが多い。
キリスト教においては、ヨーロッパの中世期ころなどに、(元々のイエスの教えの意図から離れてしまい) 洗礼の有無等によって死後に魂の行く世界が異なる、などと強調されたことがあったが、現代のカトリック教会では、過去の反省も踏まえ、そのようなことに力点を置いた説明は控えられている。
古代日本における死後の世界
日本では、古代において、死後に行く世界は、黄泉(よみ)と呼ばれていた。だが、発想の原点がそもそも現世利益重視や小我重視の視点であるため、あの世は「けがれ」の場 ( 否定されるもの、あるいはある種のタブー) としてとらえられる傾向があった。また同様の理由から、黄泉の概念は善悪とは結び付けられることもなく、人間の生き様を高めるためのきっかけとはならなかった。後に、仏教が流入すると、日本古来の黄泉の観念と、仏教概念の中でも通俗化した"極楽・地獄"の観念とが混交することとなった。
日本での通俗
「天国・地獄」という図式を前提とした上で、"地獄には閻魔がいて生前の罪を裁く"とする考え方も民衆の間にはある。これは、インドで生まれ、中国の民衆によって脚色され、後に日本の民衆にも広まった考え方であるが、あくまで通俗的なものであり、真面目な仏教の概念ではない。
日本において支配的な宗教である神道及び仏教には本来「天国」という用語は無い。しかしながら日本人が故人について語る時、「天国の誰々」と呼ぶことはあっても「極楽の誰々」「黄泉の誰々」とは滅多に言わない。改まった語法として「泉下の誰々」があるが、これは黄泉から来た言い回しである。
来世への「旅」
人の肉体が生死の境をさまよっているときに、魂(意識)は川岸にたどり着き(三途の川)、それを渡ることで魂は次の世界に行く、という話は、広く知られている。臨死体験をした者にこのような報告をする者も多いらしい。が、自ら転生をしていると認める者でも、その川は便宜的に視覚化されたある種の心象風景ともいうべきものであって、この世とあの世の間に川があるわけではない、と説明する者もおり、もとより物理的に検証できる性質のものでもなく、真偽のほどは定かではない。  
 
霊界 (spirit world)  

 

死後に霊ないしそれに類するものが行き着くとされる世界。死後の世界。精神の世界。非物質世界。一般に霊界といった場合は前者の意味で用いられることが多く、あの世や後世や死後世などの表現でも呼ばれている。伝統的な宗教の中には、死者が存命中にこの世で行った善悪の行いや信仰心などに応じて、行き先が天国と地獄に分かれるとするものもある。また近年では、霊界は階層状の世界であり、魂の状態に応じてふさわしい層に行くとも言われるようになった。
歴史
古代ギリシャの哲学者ではプラトンが霊界が存在していると述べ、あの世の様子についても語った。
不可知論の立場では、死後の世界については、あるにしてもないにしても、人間の認識能力では知ることはできないと考える。インドの仏陀は、死後の世界があるとも無いとも語らず、それよりも、いま苦しんでいる人の苦しみを取り除くことが先である、と述べた。こうした姿勢は無記と呼ばれている。
17〜18世紀のエマヌエル・スヴェーデンボリは霊界日記を記した。
18世紀にヨーロッパで唯物論 materialismという考え方がある程度広がったが、唯物論では物質以外は存在しないと考えるので、死後に霊が残るとは考えず、霊界の存在は想定しなかった。唯物論の立場からは、霊界という用語は霊実在論の立場から論じられていることにすぎない、という理解であった。
1847年には米国のアンドリュー・ジャクソン・デイヴィスが『自然の原理』The Principles of Natureという本を出版し、霊界の仕組みを説いた。
1857年にはフランス人アラン・カルデックが霊の生まれ変わりや死後の世界について記した『霊の書』(Le Livre des Esprits)を出版した。
1920年代にはイギリスのモーリス・バーバネルが霊媒役となりシルバーバーチの霊訓を伝えはじめた。そこには死後の世界、霊界に関することも多数含まれていた。
日本では、大正〜昭和期に宗教大本を立ち上げた出口王仁三郎が、入神状態で多様な霊界の諸層について語り、『霊界物語』(全81巻)としてまとめた。また、その宗教大本から独立した浅野和三郎は、「心霊科学研究会」などの「霊界」を探求・研究する組織を創設し、「日本の心霊主義運動の父」と称されている。この流れから、浅野正恭、新倉イワオ 、中岡俊哉、三浦清宏、つのだじろう など多数の心霊研究家が輩出されている。
昭和〜平成にかけて丹波哲郎が霊界に関する著書を多数出版、1989年には映画『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』を制作・公開した。2005年ごろには江原啓之や美輪明宏がテレビ番組オーラの泉に出演するようになり、人々のスピリチュアリズムや霊界に対する関心も高まった。
19世紀から20世紀にもなると自然科学に過度の期待を寄せる人々が増え、霊界のことまでも自然科学的に立証しようとするような試みも欧米諸国などで行われた。だが、最近では霊界のことを扱うのに現段階の実験科学的な手法は向いていないとも指摘されている。そうしたことを含みつつ、現代ではしばしば「(霊界のことは)現代の科学では扱うことができない」とか「(霊界は)現段階の科学では証明されていません」と表現されている。また、霊に関する事柄にまでも自然科学を持ち出してどうこうしようとする姿勢を科学主義という言葉で呼ぶ人もいる。
死後の世界
一般に霊界といった場合はこちらの意味となる事が多い。天上や地底、海の彼方や異次元など、別世界に死後に霊の行き着く世界があるという考え方は、古来様々な宗教や信仰に見られる。肉体が滅んだ後でも霊、精神(幽体)、意識(体)などと呼ばれる非物質的な存在が滅びずに残り、それらが暮らす、または魂の故郷へ帰る世界とされる。伝統的な宗教では天国、地獄、浄土、黄泉などの言葉でそれを呼んでいる。
その他の霊界
一部の宗教や信仰においては、死後にだけ行く場所というわけではなく、非物質世界の一つとして霊界を位置付けているものがある。この場合の霊界は、1) 超自然的な人間同士のつながり(ネットワーク)、あるいは 2)現実世界(この世)と重なるようにして表裏一体の不可視の存在たちの世界、があると言われている。前者(超自然的な人同士のつながり)の意味での霊界は、舞台としての世界ではなく、媒介としての世界であり、何らかの未知の力により霊界を通じて他者と交信する。後者では生霊や死霊、守護霊といった存在とその影響が信じられている。
霊界との交信
古くからイタコの口寄せのように、霊界にいる霊と交信できるとする者もいる。そうしたことが事実であれば、霊界から霊媒を通して現世の人とコンタクトが行われる。このコンタクトは低級霊から高級霊まで様々であり、低級霊がコンタクトをとった場合、歴史上有名な人の名前を肩書きをして(キリストなど)霊媒に現れることが多く、人をあざけったりして楽しんだりしている場合が多いとされる。高級霊の場合は、主に霊的真理を説こうとする。 
各宗教、思想における霊界観
ユダヤ教
信仰の土台となっている旧約聖書には、霊界の記述はほとんどない。このことからトマス・アクィナスは、「ユダヤ国民は死後の生活という思想を知らなかったとはっきり断言してもよい」としている。しかし、イエスの死後、新興勢力のキリスト教と交わっていくことにより、救世主が降臨した後、すべての死者が墓から蘇り、神が各人の功績に応じて審判し、「正しき者には祝福する天国の永遠の生命を与え、その他の者には地獄の刑罰を与える」という思想が芽生えた。ただし、救世主が降臨するまでの期間、墓にいる死者がどんな世界にいるのかということは、明確になっていない。
キリスト教
信仰の土台となっている新約聖書には、イエス・キリストの言葉として、「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイ 7:21)、「もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである」(マタイ 5:29)と、天国と地獄が存在することを明言している。これに加えてカトリック教会では、犯した罪が大きくない者が行く霊界として、天国と地獄の中間である「煉獄(れんごく)」というものを認めている。煉獄の苦しみは永遠ではなく、浄められ後には天国に行くとする。さらに近代になると、一部の自由主義的なプロテスタントは、地獄にも煉獄と似たような性質(責苦が永遠ではないという性質)があると考えるようになった。また、洗礼を受けずに死んだ幼児は「リンボ」と呼ばれる地獄のはずれで暮らすとされた。
イスラーム
ユダヤ教、キリスト教と同様に、天国(楽園)と地獄があるとしている。天国については「永遠の(若さを保つ)少年たちがかれらの間を巡り、(手に手に)高坏や(輝く)水差し、汲立の飲物盃(を捧げる)。かれらは、それで後の障を残さず、泥酔することもない。また果実は、かれらの選ぶに任せ、種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、丁度秘蔵の真珠のよう。(これらは)かれらの行いに対する報奨である」、地獄については「(かれらは)焼け焦がすような風と、煮え立つ湯の中、黒煙の影に、涼しくもなく、爽やかでもない(中にいる)。かれらはそれ以前、裕福で(享楽に耽り)。大罪を敢て犯していた」と、ユダヤ教やキリスト教よりも描写は具体的である。「かれらの行いに対する報奨である」、「大罪を敢て犯していた」とあるように、生前の行いが霊界での位置を明確に決定することを説いている。
ヒンドゥー教
輪廻が教義の根幹となっているヒンドゥー教では、信心と業(カルマ)によって生まれ変わるとされている。死後、閻魔(ヤマ神)が裁判長となり、生まれ変わり先が決まる。したがって、霊界とは生まれ変わり先が決まるまでの一時的な待合室のような所にすぎないと考えている。利己心、淫欲、暴力などのカルマがある者は、以前よりも苦悩の多い存在に生まれ変わり、放っておくと生まれ変わりが無限に続くことになる。瞑想や苦行によって解脱(輪廻からの脱出)に達した者のみ、生まれ変わりがなくなる。解脱者は、インドラ、シヴァ、ヴィシュヌ、クリシュナ、ブラフマンという名の神が臨在する「五つの天国」のいずれかに赴くとされている。 
 
死神

 

(Grim Reaper、Death) 生命の死を司るとされる伝説上の神で世界中に類似の伝説が存在する。冥府においては魂の管理者とされ、小説・映画など様々な娯楽作品にも古くから死を司る存在として登場する。 
西洋の死神
一般的に大鎌、もしくは小ぶりな草刈鎌を持ち、黒を基調にした傷んだローブを身にまとった人間の白骨の姿で描かれ、時にミイラ化しているか、完全に白骨化した馬に乗っている事もある。また、脚が存在せず、常に宙に浮遊している状態のものも多く、黒い翼を生やしている姿も描かれる。その大鎌を一度振り上げると、振り下ろされた鎌は必ず何者かの魂を獲ると言われ、死神の鎌から逃れるためには、他の者の魂を捧げなければならないとされる。
心霊写真においては、鎌を持った死神が写ると命に関わる危険の前兆で、たとえ鎌を持っていなくとも何らかの危機が起きる、という迷信も存在する。
基本的に、死神は悪い存在として扱われる事が多いが、死神には『最高神に仕える農夫』という異名もあり、この場合、死神は、「死を迎える予定の人物が魂のみの姿で現世に彷徨い続け悪霊化するのを防ぐ為、冥府へと導いていくという役目を持っている」といわれている。
こうした一般的に想像される禍々しい死神の姿は 一種のアレゴリーであり、死を擬人化したものである。神話や宗教・作品によってその姿は大きく変わる。時には白骨とは違った趣向の不気味なデザインとなる事もある。 
日本の死神 
人間を死に誘う、または人間に死ぬ気を起こさせるとされる神。 
宗教
仏教においては死にまつわる魔として「死魔」がある。これが人間を死にたくさせる魔物で、これに憑かれると衝動的に自殺したくなるなどといわれ、「死神」と説明されることがある。また仏教唯識派の文献である『瑜伽論』には衆生の死期を定める魔がある。冥界の王とされる閻魔や、その下にいる牛頭馬頭などの鬼が死神の類とされることもある。神道では、日本神話においてイザナミが人間に死を与えたとされており、イザナミを死神と見なすこともある。しかしイザナミや閻魔は、西洋の神話のような死神とは異なるとする考えもあり、仏教には無神論に立っているために「死神」の概念はないとする見方もある。日本の仏教信仰の中で生み出された鬼神や怨霊などは、人間の命を奪うことはあっても、人々を死の世界へ導くことだけを司る「死神」ではないとする意見もある。 
魔縁
仏教用語で、障魔となる縁(三障四魔)のこと。また特に第六天魔王波旬を指す。また、いわゆる慢心の山伏である妖怪の天狗、即ち魔界である天狗道に堕ちた者たちを総称していう場合もある。
仏教の魔縁
三障四魔(さんしょうしま)とは
三障 / 聖道を妨げ、善根を生ずることを障害する3つ
煩悩障…仏道の妨げの心、貪・瞋・痴(とんじんち)の三毒の煩悩によって仏道修行を妨げる働き
業障…魂に刻まれた業、言語・動作、または心の中において悪業を造り、為に正道を妨げる働き
報障…因果応報、悪業によって受けたる地獄・餓鬼・畜生などの果報の為に妨げられる働き
四魔 / 生命を奪い、またその因縁となる4つ、またそれを悪魔にたとえたもの
陰魔…正しくは五陰魔(ごいんま)といい、心身からくる妨げで、色・受・想・行・識の五陰が、和合して成ずる身体は種々の苦しみを生じる働きをいう。五蘊魔(ごうんま)ともいう
煩悩魔…煩悩障におなじ、心身を悩乱して、菩提・悟りを得る障りとなるから煩悩魔という
死魔…修行者を殺害する魔、死は人命を奪うから死魔という
天子魔…第六天魔王(天魔、マーラ・パーピーヤス、魔羅・波洵、他化自在天ともいう)の働きのこと。
天狗の魔縁(外道、外法)
本来、天狗は中国の彗星などのことであったが、日本に伝わると平安時代以降、名利をむさぼり慢心をもつ傲慢で自我に捉われた修験僧(山伏)のこととされるようになり、そして、山の妖怪である天狗を指すようになった。そのような修験僧は、死後に天狗道という魔界に転生すると考えられるようになった。したがって、天狗道は仏教の六道の範疇にないことから、その六道の輪廻からも外れた魔界であるとされる。仏教の知識があるため人間道には戻れず、特に宗教上の罪を犯したわけではないため地獄道、餓鬼道、阿修羅道、畜生道には堕ちず、かといって信心には無縁であるため天道にも行けず、天狗道に堕ちるとされる。そのため、6つの道から外れて救済不能な道、あるいはその道の者を外道と俗称する(しかし外道の本来の意味は、悟りを得る内道を説く仏教に対し、それ以外の六師などの教えを指していうのが通常の用法である)。天狗は慢心の山伏がなるもので、その姿は山林に住む鳥そのものだという。修行する者にとって、仏道を妨げるものの一つとして、怪異な音は、鳥の声や羽ばたきだったとも言われる。
大魔縁 崇徳院
五部大乗写経をして怨念をもって死んだ崇徳天皇は、「日本国の大魔縁になる」と言い残したとされる。しかし、現在では白峯神宮の神となっている。 
人形浄瑠璃
日本の古典においては死神の名は一般的ではなかったらしく、記述は少ないが、江戸時代に入ると、近松門左衛門による心中をテーマにした人形浄瑠璃や古典の書籍に「死神」の名が見られる。
近松の宝永3年(1706年)上演の『心中二枚絵草紙』では、心中に誘われる男女が「死神の導く道や……」と書かれており、宝永6年(1709年)上演の『心中刃は氷の朔日』では、男性と心中しようとした女性が「死神の誘う命のはかなさよ」と語っている。これらは、死神の存在によって男女が心中に至ることを言っているのか、それとも心中の様子を死神にたとえたのかは明らかになっておらず、「死神」という単語を用いることで生のはかなさを表現しているとの解釈もある。
ほかにも、やはり近松の作品で享保5年(1720年)上演の『心中天網島』に「あるともしらぬ死にがみに、誘われ行くも……」とある。これは登場人物の商売が紙屋であることから「紙」と「神」をかけ、死に直面する人物の心を表現したものと考えられているが、文面のとおり「あるともしらぬ死神に」と解釈し、作者の近松本人が、死神が存在すると考えていなかったとする見方もある。  
古典文学
江戸時代の古典文学には、人間に取り憑く死神が語られている。天保12年(1841年)の奇談集『絵本百物語』には「死神」の名の奇談があるが、これは悪念を持つ死者の気が、生者の悪念に呼応してその者を悪しきところに導くものとされ、これにより殺人のあった場所では同様の事件が起き、首つり自殺のあった場所ではまた同じ自殺があるなど、人間に死にたくなるように仕向ける憑き物のようなものとされる。これに近いものに、幕末の随筆『反古のうらがき』において人間に首つり自殺をしたくなるよう仕向けたとされる「縊鬼(いつき)」や、民間信仰における憑き物である「餓鬼憑き」「七人ミサキ」などがある。
江戸時代後期の随筆作者・三好想山による嘉永3年(1850年)の随筆『想山著聞奇集』のうちの「死に神の付たると云は嘘とも云難き事」は、死神の取り憑いた女郎が男を心中に誘う話であり、河竹黙阿弥による明治19年(1886年)上演の歌舞伎『盲長屋梅加賀鳶』も、人間の思考の中に死神が入り込み、その者が自分の犯した悪事を思い起こして死にたくなるという話である。これらは神よりも幽鬼(ゆうき:亡霊や幽霊のこと)、または悪霊に近いものと考えられている。
三遊亭圓朝による古典落語の演目に『死神』があるが、これは日本独自に考えられたものではなく、イタリア歌劇『靴直クリスピノ』、またはグリム童話『死神の名付け親』の翻案と考えられている。  
民間信仰
戦後の民間信仰においても「死神」は語られている。熊本県宮地町の習俗では、夜伽に出て帰る者は、必ず茶か飯一杯を食して寝なければならず、これを怠ると死神に憑かれるといわれる。
静岡県浜松地方では、山や海、または鉄道で人が死んだ場所へ行くと死神が取り憑くという。そのような場所での死者には死番(しにばん)というものがあり、次の死者が出ない限り、いくら供養されても浮かばれないので、後から来る生者が死者に招かれるといわれている。また、彼岸の墓参りは入りの日か中日に行うのが一般的だが、岡山県では彼岸の開けの日に参ると死神に取り憑かれるという。また入りの日に参った際には開けの日にも参る必要があり、片参(かたまい)りをすると死神が取り憑くという。こうした俗信の背景には、祀り手のない死者の亡霊が仲間を求めて人を誘うという考え方があったと考えられている。  
近代の大衆文化
戦後は西洋の死神の観念が日本に入ってきたことで、死神は人格を持つ存在として語られるようになり、フィクション作品の題材になることも多くなっている。昭和期では『ゲゲゲの鬼太郎』をはじめとする水木しげるの漫画作品で登場する死神が知られており、1979年のテレビドラマ『日本名作怪談劇場』では歌舞伎役者の中村鴈治郎が死神を演じている。平成以降では『DEATH NOTE』『BLEACH』『死神の精度』などの漫画・アニメ・小説作品でしばしば作品自体のテーマとして用いられており、『真・女神転生』『ファイナルファンタジーシリーズ』『ドラゴンクエストシリーズ』などのゲーム作品に登場することも多い。  
宗教・神話における死神  
多くの文化では、その神話の中に死神を組み入れている。人間の「死」は「誕生」と共に人生にとって重要な位置を占めるものであり、性質上「悪の存在」的な認知をされているが、殆どの場合死神は宗教の中で最も重要な神の1つとされ、最高神もしくは次いで位の高い神となっている場合が多く、崇拝の対象にしている宗教もある。
この場合、単に死神崇拝といっても「絶対的な力を持つ神」の能力の一部に「生死を操る能力」があるなど、いわゆる邪教崇拝だけではない点に注意するべきである。穀物生成や輪廻転生に関連付けられる地域では死と再生の神々として捉えられることもある。
キリスト教などの一神教においては神は唯一神以外になく、実際に生物に死を知らしめ、それを執行するのは天使(いわゆる「死の天使」)である。このためキリスト教では「死神」は存在せず、代わりに「悪魔」が存在する。また、直接死神とは書かれていないが、黙示録において「第4の封印」を開けた時、「剣と飢餓を持って蒼ざめた馬に乗った"死"という者」がやって来ると記載されている。この者が神によって遣わされているという点は特筆すべきである。また民話や創作においては、神や悪魔とは別の存在(つまり和訳語の"死神"に反して神ではない)としての死神が登場する事がある(グリム童話の『死神の名付け親 Der Gevatter Tod』など)。  
落語「死神」  
お金の算段も出来ず、女房に悪態をつかれて家を飛び出してきた。女房に言われたとおり、「死んじゃおうか」と思い始めていた。「死に方を教えてあげようか」と死神が現れた。昔からの因縁があるので、金儲けの方法を教えてやる、と言う。
医者になって、病人を診れば必ず死神が付いている。死神を見えるようにしておいたから、その死神が病人の足元に付いていれば助かる、枕元に座っていたら寿命だから助からない。足元の死神は呪文を唱えれば消えて居なくなり、病人は助かる。その呪文を教えてもらって、自宅に蒲鉾板に『いしゃ』の看板を出した。
まもなく、日本橋越前屋から使いが来て病人を診てほしいと頼まれた。あまりにも小汚く医者らしくないので、病人を見るだけで、触らせなければいいだろうと言う事で、病人の前に出された。足元に死神が座っていたので、呪文を唱えて全快となった。この噂を聞いた人達が頼みに来ると、良い塩梅に死神は足元にいて治してやった。頭の方に座っていると「寿命です」と言って家を出ると、亡くなるので生き神様ではないかと評判が立った。お陰で、裏長屋から表に出て、生活も豊かになった。
女を囲うようになって、女房、子供に金を付けて追い出してしまった。女に上方を見たいと言われ、家屋敷を処分して、豪遊に出た。しかし、金は使えば無くなるもので、いつの間にか女は居なくなってしまった。ぼんやり戻ってきたが、どこからも診療の依頼が来なかった。行っても、頭の方に死神が居て、仕事にならなかった。麹町三丁目伊勢屋伝右衛門から使者が来た。
行くと、頭の方に死神が座っていて、寿命だと言った。そこを、三千両出すからなんとか・・・。では、一月だけでもなんとかなれば一万両出す、と言われて考え込んでしまった。
気が利いて力持ちの若者4人を寝床の四隅に座らせた。合図をしたら布団をくるっと回して、頭は足元に、足は枕元になるようにしてくれと頼んだ。夜になると死神は目をランランと輝かせ活動していたが、陽が昇り死神も疲れたとみえて、コックリをし始めた。ここぞとばかり合図を送り、布団を回し呪文を唱えた。驚いた死神は飛び上がって消えてしまった。病人はウソのように全快して、お金を貰って帰ってきた。久しぶりに一杯引っかけて、上機嫌で歩いていると死神が声を掛けた。
死神は男と一緒に洞窟のような所に連れて行った。そこには燃えている蝋燭が沢山あった。蝋燭1本1本が人間の寿命で、くすぶっているのは病人、長いのは寿命があり、短いのは寿命が短いのだと言う。長くて元気に燃えているのは息子で、半分の長さは前の女房であった。
隣にある蝋燭は今にも消えそうであった。聞くと自分の寿命だという。死神は男の寿命がまだまだ有ると言ったが、それは、お金に目がくらんで患者と蝋燭を交換してしまった為だと言う。
「金を返すから何とかして」と懇願したが「一度交換したものは出来ない」とつれない返事であった。「昔、因縁があったのでしょう、だったら何とかして・・・」、「では、燃えさしがあるから、これを繋いでみな」。上手く繋がれば命が延びるという。「何でそんなに震えて居るんだ。震えると消ぇるよ。消ぇると死ぬよ」、「そんな事言わないで〜」、「震えると消ぇるよ。へへへ・・・消ぇるよ。・・・消ぇるよ。・・・ほらほら・・・ 、消ぇた」。(バッタッと円生舞台に突っ伏す)  
 
十大弟子

 

阿難尊者 / 悪魔
仏教とは一言で言えば、「智慧と慈悲」の教えです。拙僧が口癖にしております「人がしあわせになるための教え、社会が平和になるための教えである」という、まさに「至福の寄辺」と言えるものです。その意味からも仏教はまさしく人類の至宝と言っても過言ではありません。
お釈迦さま入滅後、その教えを後世に伝えることこそ至上命題となりました。十大弟子を中心に多くの弟子が集まり、教え賜った「法」を整理検証され膨大な経典ができ上がりました。爾来現在まで2500年に亘ってその法灯は人類に光明を放されているのです。
阿難尊者は、お釈迦さまの実のいとこで、侍者(おそばつき)として25年もの間ひたすら随従された方で十大弟子の一人に数えられます。弟子1250人の中で常にお釈迦さまの説法を間近で聴聞され、よく質問され、その記憶力が抜群だったことから「多聞第一」と称されました。
お釈迦さま滅後に第一結集という教典編纂のための会議が開催されることになりましたが、阿難はまだ悟りが開けておらず、出席資格である阿羅漢(修行を修了した者)ではありませんでした。しかし会議には記憶力のずば抜けた多聞第一と言われる阿難の出席は是が非でも欠かせません。ついに彼は頑張って阿羅漢の悟りを開き、会議の場では説法回想を担当されて余人の及ばない貢献をされたのです。
教典の多くの冒頭は「如是我聞」とか「我聞如是」から始まっていますが、この「我」とは阿難のことだと伝えられています。阿難はお釈迦さまの従兄弟であるといいました。お釈迦さまが成道(おさとり)された日の未明に叔父である斛飯に第二子が誕生されたのです。お釈迦さまの父君の浄飯王は「めでたい」という意味の「アーナンダ」(阿難)という名を付けさせたのです。「名は体を表す」とはよく言いますが、彼は生まれつき美男子であり、誰からも「愛でられる」存在でした。特に女性の心を虜にさせるほどでした。お釈迦さまをして阿難に限って肌の露出を少なくするように指導されたとか。彼はまたイケメン色男であるばかりではなく情にも厚かったのです。
お釈迦さまの養母の願いを聴き入れて、お釈迦さまに懇願して当時まだ許されていなかった女性の出家(比丘尼)の道を開いた功労者とも伝えられています。
教団の中でも阿難に対しての信奉はかなりのものでした。後々の仏教教団は、阿難を師と仰ぐ人達によって大きく発展したといわれています。お釈迦さまが80歳の夏安居(げあんご)のとき、諸国を飢饉が襲いました。このような時に教団が一箇所に固まっていたのでは共倒れになってしまうということで、お釈迦さまは一時的に解散命令を出し、ご自身は阿難と二人で過ごすことになりました。そんなときの会話の一つをご紹介します。テーマは「悪魔」です。 
阿難 「世尊よ、悪魔とはいったいどのようなものでしょうか。」
世尊 「確かにこの世の中には恐ろしい姿をして襲ってくるものがいる。しかし、怪獣だとか妖怪だとか、さらには鬼や幽霊などといったものなどほんとうにはこの世に存在しないのだよ。」
阿難 「世尊よ、それでも人は悪魔の存在を信じ怖がっているように思えるのですが、それはどういう訳でしょうか。」
世尊 「人間にとって恐ろしいものといえば、地震・雷・嵐・洪水・干ばつ・火事といたものがあるが、こういった天災は人間の生命を奪うことはできても人間の心を奪うことはできないのだよ。人間にとって何よりも恐ろしいことは心を失うことなのだ。例えば戦争・内乱・紛争などからとても多くの人間の生命が犠牲になってきたのだが、それらはみんな心を失った人間自身によって引き起こされた結果なのだよ。殺人や暴力などもしかり、人としての心を奪ってしまうものこそ悪魔なのだ。」
阿難 「世尊よ、ますますわからなくなってきました。人間の心を奪ってしまう悪魔とは一体どういうものなのですか。どんな姿をしているものなのですか。」
世尊 「阿難よ、悪魔はお前の中にも住んでいるし、かつてわたしの中にも住んでいたのだ。この世の真理を悟ろうと修行をして、あの菩提樹の下で静かに坐禅をしていた時、わたしの中にいた悪魔がひそかにわたしにささやいた。『なんのためにそんな苦労をするのかね。さっさと城に戻るがよい。美しい妻や可愛い一人息子が待っているよ』と。このように悪魔というのは、一人一人の心の中に住んでいるのだよ。誰も心の中に善と悪との両面を持っているが、善をしようと努力する人間を妨げている心の悪の面を悪魔と呼んでいるだけなのだ。」
阿難 「世尊よ、それでは、妻子を捨て、出家することが善で、在家のままでいるのは、悪魔に負けたことになってしまうのですか。」
世尊 「よく訊いてくれた阿難よ。実はそのことでどんなに苦しんだことか。わたしが出家したことで、祖国カピラヴアスツは後継者を失い、父も妻も子も嘆き悲しんだのは事実だ。だからこそ私の心が、城に戻れ、と叫んでいたのだろう。しかしながら、あのとき城に戻ってしまっていたとしたならば、今こうして多くの人々にほんとうの幸せを与えることはできなかったであろう。菩提樹の下に坐り続けているときに、もし私が悪魔のささやきに負けていたとしたらわたしは悟りをひらき『仏』になれなかったであろう。しかし、平凡な人間にとって、家庭を持って生活し続けることこそ大事であり、出家しないことが必ずしも悪魔に負けることにはならないのだ。一人一人の心の中にある二つの面の、どちらが善でどちらが悪であるかをよく判断することである。ある人にとっては善であることが、ある人にとっては必ずしも善ではないことだってあるのだ。そういったことがわかるためには、わたしが説いた教えをじっくり味わうことが大事なのだ。」
阿難 「世尊よ。だんだんわかってきました。人それぞれに歩く道があるということですね。一人でも多くの人々の幸福のためになることをするのが善で、その反対になるようなことをするのが悪だということになるのですね。」
世尊 「悪い行為をする心こそ悪魔だということだ。だからだれの心の中にも悪魔は宿っているといえるのだよ。残念ながら、そのような悪魔を追い払うことは、まことに難しいことなのだ。しかし、大切なことは、『自分の心の中に悪魔が住みついている』ことがわかる人とわからない人とでは毎日の生き方がまったくちがってくることを知るべきなのだ。その自覚がない人は知らず知らずのうちに悪魔にむしばまれて、やがて身も心も滅ぼされてしまうだろう。」
阿難 「わかりました。その正体こそ『欲望』なのですね。」 
お釈迦さまの弟子としても阿難尊者は最高の生き証人だったと言えるでしょう。そんな彼も最期は教化の情熱を失い、悲しいかなガンジス河の真ん中で自ら神通力で起こした炎に身を投じてしまったのです。実に波乱万丈の人でしたが、多分これからも人間ドラマの主役として永遠に生き続ける人でもあるでしょう。 
阿難陀(あなんだ)
パーリ語でも、サンスクリット語でアーナンダ(Ānanda、आनन्द)。阿難とも書く。多聞第一(たもん・だいいち)。 釈迦の従弟。nandaは歓喜(かんぎ)という意味がある。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の付き人をした。第一結集のときアーナンダの記憶に基づいて経が編纂された。120歳まで生きたという。
阿難陀あなんだとも呼ばれます。多聞たもん第一といわれます。お釈迦さまの説法をもっとも沢山聞いたということです。説法を沢山聞けたのは、お釈迦さまの秘書的役割を勤めていた為です。修行は未完成ながら、人柄の良さから多くの人に推薦され約20年勤めました。阿那律と同様お釈迦様のいとこと言われています。出家も阿那律と一緒。お釈迦様より30才くらい若く、美男子、やさしい、世話好き、と伝えられています。特に女性に親切であったと言われ、尼僧誕生のきっかけは阿難の働きと伝えられています。阿難は他人につくす優しさのあまり、煩悩がなかなか捨て切れませんでした。しかし、お釈迦さまが亡くなり、一番たくさん話を聞いていた阿難は、お経の編集作業で責任者となり、その責務によりついに悟りを開きました。 
舍利弗尊者 / 四諦

 

智慧第一と称され釈尊が特に信頼をよせていたといわれます。「般若心経」の中には釈尊の説法の相手となり「舎利子」として登場されています。また「阿弥陀経」の中で釈尊は阿弥陀仏と極楽浄土の様子について語るなかで「舍利弗よ」と三十七回も語りかけています。彼は裕福なバラモンの家系の生まれであり、目連尊者とは幼友達でした。
あるとき目連と二人で祭り見物にでかけました。そこで祭りに酔いしれ狂喜乱舞する人たちをみて、この人たちもやがて100年もしないうちに皆この世にいないであろうと思うと、言い知れない無常観におそわれたのです。その思いを親友の目連に打ち明けると彼もまた同じことを感じていたのです。このことがきっかけで二人は出家することになったのです。二人とも、はじめは、六師外道のひとりである懐疑論者サンジャヤのもとで修行していましたが、どうしても満足の安心を得られません。二人は日頃真の師に出会ったらお互いに知らせあう約束をしていました。
あるとき、舍利弗は街で一人の修行僧に出会いました。その清清しい立ち居振る舞いに感動して思わず尋ねました。「あなたの師はだれですか。その師の教えはどのようなものですか?」と。するとその僧は答えました。「私の師は釈尊です。」と言って、「諸法は因縁より生じ、如来はその因を説き給う。」という偈文を述べました。それを聞いた舍利弗はたちどころにその教義の偉大さを理解しました。さすが智慧第一と称された人物です。彼は急いで目連のもとに行き、探し求めていた正師が見つかったことを知らせたのです。
目連も舍利弗から偈文を聞き二人は早速釈尊の弟子になることを決意したのです。釈尊の教えに感銘を受けて舍利弗はサンジャヤの弟子250人を連れて釈尊に弟子入りしたと言われています。やがて彼は阿羅漢(悟りを得て修行を終えた位の人)を得て教団内において、釈尊をして「私の次の席を得ることのできる智慧と徳を兼ね備えた第一の尊者だ」と言わしめる存在になったのです。ただ残念なことは釈尊よりも早く入滅されたことです。その舍利弗尊者が修行中に釈尊に問訊された「四諦」(したい)についてご紹介しましょう。 
舍利弗 「世尊の説かれた教えの中で、もっとも基本的なものの一つに、四諦(したい)と呼ばれる四つの真理がございますが、これについてご説明いただけないでしょうか。」
世尊 「四諦というのは、苦・集・滅・道という四つの真理のことで、それぞれを苦諦(くたい)・集諦(じつたい)・滅諦(めつたい)・道諦(どうたい)と呼んでいる。苦諦というのは、『この世は苦に満たされているという真理』、集諦というのは、『この世が苦である原因は人間の執着心にあるという真理』、滅諦というのは、『そのような執着心を断ち切るという真理』であり、最後の道諦というのは、『そのような執着心を断ち切るための方法という真理』なのだ。」
舍利弗 「そして最後の道諦の内容を述べたものが、確か、まとめて『八正道』と呼ばれるものだったのではないでしょうか」
世尊 「その通りだよ、舍利弗。八正道というのは、正しいものの見方、正しいものの考え方、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念(おもい)、正しい心の統一という八つの実践徳目ということになるのだ」
舍利弗 「はじめの苦諦ですが、人間が苦しまなければならないその原因の多くは自分自身に起因しているのでしょうか。例えば欲望とか執着を断ち切れないでいることが苦の原因を作りだし、その苦しみによってあらたな苦の原因を作り出していることを意味しているのでしょうか。」
世尊 「もちろんそういった意味もあるが、それ以外にも例えば八苦の中の『愛別離苦』(あいべつりく)を考えても自分自身の愛の執着にあることがわかる。例え別離していてもその人が愛着の対象でなかったならば苦しむことはないことになる。したがって、欲望とか執着を断ち切ってしまいさえすれば、もはや苦しむ必要はない。それが『滅諦』である。」その方法としてあるのが八正道なのだよ。」
舍利弗 「『八正道』とはどのようなものなのでしょうか。」
世尊 「人の行為は身・口・意の三種類の行動が全てなのだ。すなわち、身体でなす行為、口でなす行為、そして心でなす行為が、人のすべての行為ということになる。人は誰でも修行することで、これらのすべての行為を正しい行為にすることができるというのが『八正道』の教えなのだよ。」
舍利弗 「八正道のそれぞれについて、もう少し詳しく説明していただけないでしょうか。」
世尊 「『正見』と言って、因果の道理を信じて正しいものの見方をすること。『正思惟』と言って、正しいものの考え方をすること。『正語』と言って、嘘や無駄口や悪口など言わないこと。『正業』と言って、殺生や盗みや邪淫などよこしまな行為をしないこと。『正命』と言って、恥ずかしくない生活をすること。『正精進』と言って、怠惰のない正しい修行を行うこと。『正念』と言って、正しい志と信念を持つこと。『正定』と言って、心を正しく静め統一すること。」
舍利弗 「なんだか多くて混乱してきました。正しいというのは、一体なにを基準にしているのでしょうか。それに、出家している人にとってはどれも専念することができるかもしれませんが、在家の信者にとっては難しいように感じられるのですが。」
世尊 「『正しい』というのは、それが『悟り』に向かっているかどうかです。出家者であれ在家者であれ、この四諦八正道こそ悟りに向かった真実の教えであることを信じて実践することです。」
舍利弗 「なるほどよくわかりました。難しいことかもしれませんがその実践こそが真の修行であるのですね。」 
結論としては、どんなに優れた教えであっても実践がなければ意味がないということです。すなわち、人の本当の幸せは、四諦八正道という「教えの実践にある」ということです。
舎利弗(しゃりほつ)
パーリ語でサーリプッタ (Sāriputta、सारिपुत्त)。サンスクリット語でシャーリプトラ(Śāriputra)。舎利子とも書く。智慧第一。 『般若心経』では仏の説法の相手として登場。
智慧第一と言われます。同じ十大弟子の目連とは子供の頃からの友人。舎利弗は目連と共に、それまで修行していた集団の人たち250人を誘ってお釈迦様の弟子になります。舎利弗と目連は教団をよくまとめました。般若心経や妙法蓮華経のなかで、お釈迦様の説法の相手としてよく登場します。奢利富多羅、奢利補怛羅しゃーりーぷとら、舎利子と記される事もあります。インドでは、男の子に母親の名前を取り「○○の子」という呼び方がよく用いられます。舎利弗はシャーリの子という言葉の音写で、意訳とミックスしたのが舎利子です。般若心経に出てくる「舎利子」の部分はこの人の名前です。舎利弗は病気でお釈迦様より先に亡くなっています。 
阿那律尊者 / 三学

 

阿那律尊者は釈尊と同じ釈迦族の出身で釈尊の従弟だといわれています。ある日釈尊が祇園精舎で説法されている最中に彼はつい居眠りをしまいました。釈尊に「あなたは道を求めて出家したのではありませんか。それなのに説法中に居眠りをするとは、一体出家の決意はどうしたのですか」と、叱責されてしまいました。それ以後彼は釈尊の前では決して眠らないことを誓い不眠不臥の修行をしました。その厳しい修行のせいかは分かりませんが失明してしまたんです。釈尊は眠ることをすすめたのですが固辞したのです。彼はそのかわり肉眼では見えないものを見通す力、即ち「天眼」(智慧の眼)を得、「天眼第一」と称せられるようになりました。
こんな逸話が残されています。ある日阿那律尊者が衣のほころびを繕おうとして、針に糸を通そうとするのですが、どうしても通りません。彼は「どなたか私のために針に糸を通してくださいませんか」とお願いしました。すると、「私が功徳を積ませていただきましょう」と釈尊ご自身が申し出られたのです。その阿那律尊者がある日釈尊に修行について質問されました。 
阿那律 「世尊よ、修行にはどのような心得が大事でしょうか」
世尊 「修行の実践には三つの基本があるのだ。それは三学といって戒(かい)・定(じょう)・慧(え)である。つまり三種類の実践行をいうのだ」
阿那律 「その戒・定・慧についてご説明願えないでしょうか」
世尊 「戒とは戒律のことであり、仏教徒たるものが日常生活の中で守るべき規則として私が定めたものだ。もっとも出家と在家、男性と女性、大人と子どもといった違いがあるので立場によって戒律の数は違っているが、基本的なものはかわらない」
阿那律 「それでは、それらの戒律の中で、すべての弟子に共通しているものはなんですか」
世尊 「まず主なものが五戒である。殺してはならない、不殺生戒。姦淫してはならない、という不邪淫戒。盗んではならない、という不偸盗戒(ふちゅとうかい)。嘘をついてはならない、という不妄語戒(ふもうごかい)。酒を口にしてはならない、という不飲酒戒」
阿那律 「前の四つの戒はよくわかるのですが、どうして酒はいけないのでしょうか」
世尊 「酒そのものが悪いのではない。問題は酒によって理性が歪められるからである。言うまでも無く人は理性の欠如によって過ちを犯すからである」
阿那律 「世尊よ、それでは飲みすぎさえしなければよいのではないでしょうか」
世尊 「いったいだれがその量を決められるであろうか。少しだから良いとなれば自分の勝手に判断して歯止めを失うのが人間なのだ。だから特に酒は量の多少に関わらずダメだと知るべきなのだ」
阿那律 「人間の欲望に限度が無い以上、戒律で縛らない限り、なかなか守られないということですね。では、二つ目の『定』というのはどのような実践修行なのですか」
世尊 「定とは禅定(ぜんじょう)のことで、精神の統一と集中を意味しているのだ。悟りは精神の統一の中にあり、その姿が坐禅なのだ。また、日常生活の中で何をする場合にも精神を集中することこそ大事でありその基本が禅定なのだ」
阿那律 「例えば食べるときは食べることに、歩くときには歩くことに、作務をするときには作務に集中すれば、それが禅定ということになるのですね」
世尊 「その通りだよ。ただし、忘れてならないことは、戒律によって禁じられていることに心を集中したのではなんにもならない、ということだ」
阿那律 「ところで世尊、三学の最後の『慧』というのは、智慧のことだと思いますが、どうして智慧が実践修行になるのですか」
世尊 「その疑問こそ大事なのだ。言うまでもなく智慧とは『さとり』のことである。しかし『さとり』は単なる目的ではないということである。ふつう『目的』は達成すればその時点で終わりになる。だから、さとりが目的になれば、さとった時点で修行が必要でなくなるということになる。さとりに終わりがあっては決してならないのである。なぜなら、人間は生きている以上生活に終わりがないからである。つまり、終わりのない『さとり』の実践がなければ意味がないのだ。その『終わりのないさとり』の実践こそ『智慧』と言うのである。だからこそ私自身も、私の弟子達も毎日修行を重ねているのである。悟りだけを法とは言わない。法とはさとりの実践、つまり智慧を言うのである。私が説く法こそ智慧である。田を耕す者が秋に収穫を得るために、まず春のうちに田を耕し、種をまき、水をやり、雑草を取り除き、日々に大切に育てるように、真の悟りを求める者は、必ずこの三学を学ばなければならない」
阿那律 「戒律・禅定・智慧の三学は、別々のものではないということがよくわかりました。悟りと言う種を必死で守り育て上げるということは、自分自身がさとりの種であることをしっかり自覚することですね」 
真の悟りを智慧と言い、その智慧を「天眼」と言う。阿那律尊者は視力を失ったが、肉眼では見えないものを見通す「天眼」を得たのです。天眼は一つの例かもしれませんが、人間には途轍もない才能があるものです。最近もっとも感動した人は、全盲の天才ピアニスト、辻井伸行さんです。昨年アメリカで開催されたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝していきなり時の人となりました。弱冠まだ21歳です。全盲であれば当然楽譜は読めません。しかしすべて耳で聴いてどんなクラシック曲でも自分のものにしてしまうのです。私は音楽に疎い人間ですが、その凄さにただただ驚くしかありません。彼の凄いところはその技術だけではありません。眼で見えない情景だけではなく、人の心情さえ読み取って音楽(ピアノ)で表現してしまうのです。天才と言ってしまえば、すんでしまうことかも知れませんが、彼はまさに「天眼・心眼」の持ち主であるということが言えるのかもしれません。人にはそれぞれが持っている才能があり、それを信じて前向きに生きる勇気を教えてくれています。 
阿那律(あなりつ)
パーリ語でアヌルッダ(Anuruddha)、サンスクリット語でアニルッダ(Aniruddha、अनिरुद्ध)。天眼第一(てんげん・だいいち)。 釈迦の従弟。阿難とともに出家した。仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼をえた。
天眼第一の阿那律といわれる。阿泥盧豆、阿奴律陀あにるっだなどとも書かれます。お釈迦さまのいとこといわれています。兄の勧めで出家を決意し、母親の許しを得るために親戚の阿難とともに出家します。阿那律はお釈迦さまの説法中、居眠りをしました。お釈迦さまは「尊い話は、智者にとって楽しみであり、聞く人の心を和ませるものである。居眠りをするとは。何のために出家したのか。」と叱責されました。いらい仏の前では決して眠らないと誓いを立て、不眠・不臥の修行をしました。睡眠不足から視力が衰えました。それを知ったお釈迦さまは、「怠慢も、やりすぎも、ともに煩悩なのだから、眠りなさい」とさとしましたが、「誓いを立てたのだから」とかたくなに守りました。そして、ついに視力を失いました。しかし、逆になんでも見通す真理を見る眼=天眼通という力を得ました。
迦旃延尊者 / 三法印

 

迦旃延尊者、対論や哲学的論議を多くされていることから「論議第一」と称せられました。彼は婆羅門家の出であり、西インドのアヴァンティー国出身とか、南インド地方出身とかの説がありますがはっきりしたものはありません。大変聡明な少年であった彼は、博学な兄のバラモン教の聖典の講義を一度聞いただけでその内容をすべて暗記してしまうほどでした。その才能に嫉妬した兄はやがて迦旃延少年を憎むようになりました。兄の嫉妬はひどくなる一方で、彼の身に危険を感じた父親は彼をアシタ仙人に預けることにしました。アシタ仙人とは釈尊がまだシッダルタ太子と呼ばれていた子供の頃に、「この少年は将来仏陀になる人だ」と預言した人物だといわれています。アシタ仙人のもとで弟子としてバラモンの教えを学んでいましたが、ある日どうしても解けない偈文に出くわしました。それを知ったアシタ仙人は彼に釈尊を紹介することにしました。
釈尊は懇切丁寧にその偈文の意味をお答えになりました。この出来事が契機となって、迦旃延は釈尊の弟子となったのです。ある日、彼は自分の出身国の王様から、「釈尊の教えを直に受けたいので来ていただけるように頼んでほしい」ということの依頼をうけました。実はそれまでにも何人かの家来がすでに釈尊にそのお願いに行っていたのですが、そのうちの誰一人戻ってきてはいなかったのです。その理由はなんと、釈尊にお会いしてその教えに感動してみんな弟子になってしまったからなのです。
修行がすすみ立派な弟子となっていた彼はあらためて釈尊に自国に巡錫(じゅんしゃく)して欲しい旨お願いしました。すると、釈尊は自分に代わって迦旃延自身が帰国するように申されたのです。彼はその釈尊のお言葉を命として帰郷し国王はもとより自国の津々浦々布教されたのです。やがて仏教がインドに広く広まったのはそれが大きな要因だったとも言われています。ある日、迦旃延は世尊に悟りの根本教義とされる三法印について尋ねられました。 
迦旃延 「三法印とはどんなものなのでしょうか」
世尊 「第一は『諸行無常』、第二は『諸法無我』、第三は『涅槃寂静』、これに『一切皆苦』を加えて四法印とすることもある。『諸行無常』とは、一切の存在は故に常に変転していて一瞬たりとも同じ状態にとどまってはいないということだ。なぜならば、一切の存在は現象だからだ」
迦旃延 「よく分かりませんが、現象とは流動しているものだと考えれば少しはわかる気がします」
世尊 「現象に実体がないことが分かれば、そこに『我』は無いということになる。これがすなわち『諸法無我』の意味なのだ。つまり、一切の存在には『我』がないということなのである。」
迦旃延 「あらゆる存在には実体と呼べるようなものはないということですね。でも、「わたし」という人間には、少なくとも『わたし』という『我』がどうしても存在しているように思えるのですが。もし、我という実体がないとするならば、私がこの世に生まれる以前にも死んだあとにも何もないということになるのですね。わたしにはそれが納得できません」
世尊 「婆羅門教においては、個々の存在に我と呼ばれる実体があることを認め、梵(ぼん)と一体になると説いているが、私の教え(仏教)はこのような立場を否定したところから出発しているのだ」
迦旃延 「もしこの世が無常であり、我と呼ばれる実体がないとするならば、私たちは何を目的として生きていったらよいのでしょうか」
世尊 「その答えこそが第三の涅槃寂静なのだ。つまり、そのような無常にして無我なる存在にとらわれることなく、あらゆる欲望の火を吹き消した状態こそがニルバーナ(涅槃)なのだ。涅槃に達すればそこはまさに静かな寂静の世界である。そこはもはや世の中の存在や現象にわずらわされることのない境地なのだ。この境地に到達したものこそ仏陀なのだ」
迦旃延 「まだよくわからないようですが、どうして一切皆苦を加えて四法印とする場合があるのですか」
世尊 「無常なるものを常であるかのように錯覚し、無我なるものを有我と錯覚することで、人間の心に執着が生まれるのだ。一切の苦悩の原因はその執着の心なのだ。名誉も財産も愛も肉体も健康も、そして命すらも、すべては無常なのだが、それを認めないところに人の苦悩があるのだ。つまり生きている以上、否、生きていること自体所詮『苦』それ自体であるということだ」
迦旃延 「生きていること自体が苦である・・・つまりそれが『一切皆苦』ということですね。では、その「苦」から人は解放されないものでしょうか」
世尊 「その疑問こそ大事なのだ。その疑問に答えるために仏教があり、仏教こそその答えを持っていると言えるだろう」
迦旃延 「その答えをお示しください」
世尊 「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の実体は『無我』と『無常』であるということは話したとおりである。この無我と無常という実体がわかれば、名誉も財産も愛も肉体も健康も、そして命すらも、すべて同じ無我であり、無常であることが分かる筈である。その無我と無常の実体が『仏性』だと解れば『苦』は『楽』に蘇るのである。つまり『一切皆苦』が『一切皆楽』になった瞬間である。これがまさに悟りである。そこを極楽というのである。だから、死んで極楽に往くのではなく、生きているうちに極楽に往くことに意味があるのだ。そのためには三法印を信じ、悟りのための修行にひたすら精進するより仕方ないのである」 
警視庁が発表した昨年の自殺者は3万2845人でなんと12年連続で3万人を超えています。最も多い原因は健康問題であり、次いで生活苦となっています。人の心が脆くなってしまっているのでしょうか。他人ごとではありません。絶望の淵に追いやられている人に、人生「一切皆苦」と説得することはできません。どんな真実も心にゆとりがなければ受け入れることはできないからです。だから人は心のゆとりこそ大事なのです。心のゆとりは普段の生活から生まれるのです。その普段の生活を安定させてくれるのが宗教です。仏教は宗教ですが真実の道理が説かれている意味から言えばまさに「哲学」です。真実の道理を知り心を豊にするのが仏教です。心を護るために是非この正しい信仰を持つべきです。人生はまさに心次第なのですから。 
摩訶迦旃延(まかかせんねん)
パーリ語でマハーカッチャーナ(Mahākaccāna、महाकच्चान)、サンスクリット語でマハーカートゥヤーヤナ(Mahākātyāyana)。論議第一。 辺地では5人の師しかいなくても授戒する許可を仏から得た。
論議第一の迦旃延といわれます。摩訶迦旃延とも呼ばれます。子供の頃から聡明で、一度聞いた講義の内容は忘れず良く理解したと言われます。お釈迦様の教えを、いかに良く理解していたかを伝える話が多く残されています。迦旃延の兄も優秀で、父親は兄の嫉妬を心配して、迦旃延をアジタ仙人に預けます。アジタ仙人は、お釈迦様はいずれは仏陀となる、と予言をした人です。ある時、難解な文をどうしても解明できず、お釈迦様に教えを請うことなり、これがきっかけで弟子となります。迦旃延の生まれについては、諸説があって、はっきりしないところがあります。生まれがバラモンの説もあれば、クシャトリヤの説もあります。釈迦様に出会う前は、アジタ仙人の弟子という説と、アヴァンティ国の王様に仕えていた説があります。
須菩提尊者 / 空

 

須菩提(しゅぼだい)は北インド、コーサラ国の首都サーバティ(舎衛城)のバラモン家系の大長者の家に生まれました。「祇園精舎」を寄進したといわれるかの有名な須達多(スダッタ)長者は彼の叔父にあたります。幼少より天才的頭脳を発揮し神童といわれるほどでした。十歳をこえる頃には諸学を修め学ぶものが無くなったとのこと。しかしその慢心からやがて他人を見下すようになり、世の中さえも蔑視するようになってしまったのです。甚だしい虚無主義と、その性行からついに両親からも見放され、突然家を出てしまったのです。数年間の放浪の末、幸いにも祇園精舎に至りました。そこで釈尊の説法を聞き深く感銘し、ついに釈尊の弟子になったのです。
そして数年の修行と釈尊の教導の下、無諍(むそう)第一といわれるようになりました。「無諍」とは「言い争わない」という意味です。かつてのあの横柄傲慢な人がまさに悟りを得て生まれ変わったのでした。その穏和な性格から教団内では勿論のこと、在家の人々からも広く慕われたといわれます。あるとき、釈尊が亡き母・麻耶夫人のための説法を終えたとき、「須菩提は空を感じ私の法身を拝謁した」と言われたそうです。その「空観」の悟りから「解空第一」と称せられ、諸弟子の中でも特に尊厳を集めたといわれます。「解空」の「空」とは「色即是空」の「空」のことです。つまり「空」を理解した人ということです。ある日須菩提尊者は釈尊に「空」について教示を求めました。 
須菩提 「世尊の説かれます法の中でもっとも難解なものの一つが『空』だと思いますが、これを説明していただけるでしょうか。また『無我』とはどのような違いがあるのでしょうか」
世尊 「『無我』も『空』もまったく同じものだ。その意味するところは『存在するものにはすべて実体は無い』ということである」
須菩提 「たとえば、わたくしという人間は、少なくとも生まれた瞬間から現在に至るまで存在し続けてきているという現実があります。その現実は『わたし』無しには存在しないと思われるのです。その『わたし』の実体が無いことが納得できません」
世尊 「その『わたし』を考えてみよう。昨日の自分と今日の自分とは何の違いもないように思えることが問題なのだ。昨日の自分と今日の自分、そして明日の自分とは同じ自分ではないのだ。なぜなら『諸行無常』であるからである。つまり、存在する一切のものは一瞬たりとも同じ状態でとどまってはいないということだ。つまり、『わたし』という存在は、一瞬一瞬違った存在として生きているのであるから固定的、不変的な『我』と呼べるような実体は無いのである」
須菩提 「では、生まれてから死ぬまでの間に存在し続く『わたし』というのは、一体何なのでしょうか」
世尊 「それを『仮我』(けが)というのだ。実在するように見えてもその実体は仮の存在に過ぎないということだ。『わたし』の存在もすべての存在もあえて言葉で説明するならば、『色即是空・空即是色』であり『色不異空・空不異色』だということだ。つまり、色とは形のことであり、空とは形の実体のことである。同時にその色と空とは同事だということだ」
須菩提 「『空』の実体とは具体的にはどんなことでしょうか」
世尊 「『形あるもの』の実体は『現象』だということだ。現象とは、つまり地・水・火・風という素元素の融合離散の姿に他ならない。だからその実体の本質を表しているのがすなわち『空』なのである」
須菩提 「なるほど少しわかりかけてきました。形あるものの実体は空であるから無常なのですね。そのすべてが現象である以上、永遠に不変なものや不滅なものなど無いことがわかってきました。『空』の意味がわかって、はじめて『諸行無常』と『諸法無我』の意味がわかてきました」
世尊 「その『空』の実体を表した言葉が諸行無常、諸法無我、涅槃寂静である。これを三法印と言うが、これこそわたしの説く『空論』である。だから三法印を理解することが『空』を悟ることであり、『空』の姿が三法印だということである。さらに言えば、『空』をさとることで同時にわかることが『縁起』である。『縁起論』こそわたしの説く無上菩提である」
須菩提 「『空』と『縁起』の関係がよくわかってきました。因果必然の道理はまさに『空』そのものだったのですね。わたしはこれから益々精進して『空』を学び縁起論の布教に務めたいとおもいます」 
拙僧の論法で言えば「空」とは「からっぽ」の中に「すべてが在る」ということ。これが「空即是色」です。その逆、「すべてが在る」のは「からっぽ」の中、というのが「色即是空」です。これが机上の空論≠ナあるうちは絶対に「空論」は理解できないでしょう。「色」と「空」が「同事」だと分かることが命題だと般若心経は説いています。己自身が「空」の存在だと分かることで、己こそ「久遠仏」だと分かるのです。久遠の命を悟ることで人生観が変わります。 
須菩提(しゅぼだい)
パーリ語でもサンスクリット語でスブーティ(Subhūti、सुभूति)。解空第一(げくう・だいいち)。 空を説く大乗経典にしばしば登場する。西遊記では、なぜか孫悟空の師匠として登場している。
解空げくう第一または無諍むそう第一といわれます。解空 とは空を良く理解していること。空は般若心経に出てくる「色即是空、空即是色」の空。物事にとらわれない、執着しない、という教えです。空は元々膨らんだ状態を意味し、中が空洞化すること。内実がないこと。実体が無いことです。無諍とは言い争いをしないこと。須菩提は、元は短気で粗暴な性格でしたが、お釈迦様に出会い、円満な人格となりました。教団内は勿論のこと、在家の人々からも慕われていました。争う心がないとき、真に心の平安を得ることができます。須菩提は、お釈迦様に祇園精舎を寄進した人=須達多長者すだったちょうじゃのおいといわれます。
富楼那尊者 / 方便

 

釈尊とは生年月が同じで十大弟子中では最古参でした。特に弁舌に秀でていて"説法第一"と謳われています。出身には異説あるようです。一つには、インド西海岸の港町に生まれで、海洋貿易の大商人だった父親が女中に生ませた子だったということから無一文で生家を出て、薪や香木を売って生計を立て、やがて父親ゆずりの商才のお陰で大商人に成りあがりました。
ある日商人達がお釈迦さまの教えを唱えたり歌にして歌っているのを聞いて大変興味を持ち、是非一度釈尊に会いたいという願望を持ちました。祇園精舎を寄進したという須達多(スダッタ)長者に頼んで面会が叶い、お釈迦さまの教えに感銘しそのまま出家してしまったとのこと。
もう一つの説です。コーサラ国のカピラ城近郊のバラモン種族の生まれで、父はカピラ城主浄飯王(釈尊の実父)の国師で大富豪だったとか。母は釈尊の最初の弟子(五比丘)の一人である阿若憍陳如(アニャキョウチンジャ)の妹だったとのこと。幼い内から聡明で釈尊の成道の噂を聞き鹿野苑へ赴き釈尊の弟子になったとか。
彼は優秀で舎利弗から徳風を慕われ、よく問答を行い、その見識をお互いに認め合ったとか。また阿難は彼の弁才を比丘の新人教育の手本にしたとか。特に弁舌にすぐれていたといわれますが、迦栴延が哲学的な議論を得意とする学者タイプの"論議第一"だったのに対し、富楼那は人情味のある大衆向き説法を得意とした庶民派タイプの"説法第一"だったのです。
また彼は特に殉教的精神の持ち主だったことでも有名です。ある時彼は遠い未開の土地に布教に赴く決心をしました。釈尊が「その国の人々は凶暴であるから、もし汝に辱めをしたらどうするか?」と聞かれたのに対して、彼は「もし私を辱めたとしても命までは奪わないから彼等を善良な民と考えます」と答えました。
釈尊がさらに「では、もし彼等が汝の命を奪おうとしたら?」と聞かれたのに対して、「世の中には自ら命を絶つ者もいます。だからこの老朽の身に殉死を与えてくれる人は善良であると考えます」と答えました。釈尊は「よいであろう。行くがよい。行って彼の地の人々を教化救済するがよい」と申され、彼を賞賛されたといわれます。
彼は阿羅漢果を得てさらにその天与の弁才と布教の信念のもと、遂には9万9千人の人々を教化したと伝えられています。 
富楼那 「世尊よ、『方便』についてお訊き致します。いったい方便とはどういう意味でしょうか」
世尊 「『近づく』とか『到達する』といった意味である。近づくものとは、『正しい目的』であり、正しい目的とは『悟り』である。悟りに導くための正しい手段をすなわち「方便」と言うのである。それにはまず相手を思い遣る配慮の心がなくてはならない」
富楼那 「その場合、相手を思い遣っての結果嘘をついてもよいものでしょうか。"嘘も方便"として許されるでしょうか」
世尊 「嘘と方便はまったく異質である。方便は決して嘘ではない。正しいことをいっても嘘は嘘である。わたしが言う方便とは悟りへの"比喩"といったらよいであろうか。"方便"の意味のわかる話を紹介しよう。キサー・ゴーマミーという名の女がおった。彼女は何よりも大切な一人息子を病気で亡くしてしまったのだ。なんとしてでも息子を生き返えらせたいとの想いから、あちこちの祈祷師や魔術師、医者や行者を訪ねて頼み込んだが、もちろん死んだ者の命を蘇えらせることなどできる筈はなかった。ついに私の噂を聞きつけて私のもとを尋ねてきたのだ。そして言った。『世尊よ、あなたはこの世で苦しんでいるすべてのものにあわれみをかけてお救いくださるとのことです。どうぞ私の息子の命を取り戻してください。そのためなら自分の命さえ惜しみません』 そういって嘆き悲しんでいる母親に向かってわたしは次のように言ったのだ。『よかろう、お前さんの息子を救ってあげよう。それには条件がある。どこかで少しばかりの芥子の種をもらっておいで。ただし、普通の家からではダメだ。今まで一人の死人も出したことのない家の芥子の種でなければダメだ。さあお行きなさい。『わかりました。なんとかそんな家の芥子の種をもらってまいります』と言って、息子の遺体をそこにおいて外に飛んで出ていたのだ。彼女は必死になって村中の家を訪れ『こちらさんでは今までにどなたか死んだ方はおられないでしょうか?』と尋ね歩いたのだが、今までに死人が出なかった家などどこにもなかたのだ。一軒残らず村中を回った彼女は、はじめてわたしの言葉の意味に気が付いたのだ。つまり、生まれたものはいつかは必ず死ぬ運命にあるここと、一度死んでしまった命は絶対に呼び戻せないものだという真実を悟ったのだ。わたしのところへ戻ってきた彼女は静かに息子の亡骸を葬って、わたしの弟子になったのだ。」
富楼那 「なるほど、このような場合に、ほんとうはあり得ないことでもいかにもあり得るように説きながら、相手に自然に自ら分からせるように導くことこそが『方便』であるのですね。よくわかりました」
世尊 「そういうことになるであろう。あり得ないことをあり得ると仮定させて真実の姿を本人に気づかせる手段、すなわち、正しい目的へ導くための良い手段、これを真実方便というのである。人それぞれであるからして、その人、その場、その状況に応じた方法で導く術なのだ」
富楼那 「『方便』とは、仏・菩薩が衆生済度のため、真実に導くための「はたらき」という手段であり、我々修行者はその術こそ研鑽しなければならないことがよくわかりました」 
法華経二十八品の内の第二が「方便品」(ほうべんぼん)です。品(ぼん)とは章の意味であり、法華経は四要品から構成されていて、方便品は「教」を、安楽品は「行」を、寿量品は「体」を普門品は「用」について説かれているといわれます。「教」とは文字通り、釈尊の悟りです。方便品の冒頭にあるのが次の経文です。「仏の智慧は、声聞や縁覚など独りで悟った小乗の徒には、まったく知ることができないほど深遠なものであるという。これを人々にわからせるためには、相手の能力に応じたもっともよい方法で、深い教えを説くことが必要となる。」 方便品は法華経二十八品のなかでも重要な教えだと言われています。それは世尊の教えの目的が明らかにされているからです。ただ「教え」を聞く衆生の気根には浅深があるから、種々の"方便"を設けてこれを教え導いているというのです。 
富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)
パーリ語でプンナ・マンターニープッタ(Puṇṇa Mantānīputta)、サンスクリット語でプールナ・マイトラーヤニープトラ(Pūrṇa Maitrāyaniputra、पूर्णमैत्रायनीपुत्र)。 略称として「富楼那」。他の弟子より説法が優れていた。説法第一。
説法第一の富楼那といわれます。お釈迦様が悟りを開いて初めての説法=初転法輪しょてんぼうりん後の第一の弟子です。十大弟子の中では一番早く弟子となった人です。弁舌さわやかで、解りやすいお説教をすることで有名です。60種類の言語に通じていたといわれます。お釈迦様と誕生日が同で、お釈迦様より長生きをしました。富楼那と呼ばれた人は複数いたといわれます。十大弟子の富楼那は富楼那弥多羅尼子ふるなみたらにしがフルネームです。弥多羅族の女性の子、富楼那という意味。満願子とか満慈子とも言われます。別人のひとりは、商才に長けた人で、弟子となってから辺境の地で布教しながら自らの修行を完成させ、阿羅漢となった人です。お釈迦様より先に他界しています。
優波離 / 身・口・意

 

「持律第一」と言われた優波離はインドのカーストでも下層のシュードラの出身でした。釈尊がまだ悉多(シッダルタ)といわれた太子の頃カピラ城で釈迦族のもとで、なんと阿那律の奴隷として仕えていた理髪師だったのです。主人である阿那律や釈尊の実子の羅睺羅や金比羅など六人が釈尊の弟子になるということになりその一行に付き添って行かれたのです。
阿那律は出家するときに所有物を全部優波離に与えましたが、優波離は釈尊の教えの方が偉大だと言ってそれを断り、自ら出家を切望したのです。主人である阿那律が釈尊に「世尊よ、願わくば理髪師優波離を本日受戒の最初としてください」と申し出て、釈尊は優波離を最初の受戒者とされたのです。
釈尊は、「出家以前において身分の違い、地位の高低など種々あるが、出家後はすべてその差別はない」と常に述べられていました。仏教教団(サンガ)ではすべての者は平等でしたが、ただ一つ序列がありました。それは出家順位です。身分や年齢に関係なく先に出家した者が先輩であり兄弟子になるのです。
その儀礼に従い阿那律達も優波離に礼拝したのです。これを見て釈尊は「釈迦族の高慢な心をよくぞ打ち破った」と賛嘆せられたとのこと。「本来人間に階級などない」という当時としては革命的な釈尊の教えが示された事例の一つです。
優波離が「持律第一」と言われたのは戒律に精通しそれをよく守ったからです。サンガでの修行は厳しいものでした。とくに釈迦族から集団で出家した阿那律や羅睺羅達貴族出身の若きボンボンにとってサンガでの質素貧窮の生活はさぞ大変なことだったでしょう。
その点奴隷出身であった優波離は、体は丈夫で貧しい暮らしにもよく慣れていたので、きつい修行や厳しい戒律も彼にとっては案外容易なものでした。それに加え彼はたいへん律儀な性格の持ち主であり戒律に精通し、よく守ったことから、後に阿羅漢果(悟り)を得て、「持律第一」と称せられるようになりました。
釈迦サンガにおける規律は彼によって設けられたものが多く、釈迦入滅後、仏典のための第1回の結集では、彼は戒律の編纂の責任者として活躍したのです。 
優波離 「世尊よ、わたくしどもが日常行っている行為を『身・口・意』と呼んでいますがどんな意味があるのでしょうか」
世尊 「身体で行う行為、口で行う行為、そして心で行う行為という三種類の行為を意味しているのだ。人はそれらの行為で自らの業をつくっているのであるからこそこの『身・口・意』を清らかなものにしなければならないのだ」
優波離 「身体の行為は行動であり、口の行為は言葉であることが容易にわかりますが、心の『意』の行為とはどのように捉えたらよいのでしょうか」
世尊 「身体や口で行う行為はすべて行動と言葉になって外にあらわれるのであるが、心だけは見えない。行動は心の作用によるものであるが、行動のすべてが心の表れだとは言えない。それは、人は心に反した行為を行うことがあるからである。一見正しい行為も邪心によるものかも知れないし、またその逆であるかもしれない。だから心こそ大事にすべきなのだ」
優波離 「確かに人は本心と行動と矛盾することがあります。建前としては立派な行為をしていても本音のところではまったく違ったことを考えていたりします。どんなに立派な行為であってもそれが心と一緒でなければ正しい行為とは言えないわけですね。」
世尊 「どんな立派な行為であっても、そこに邪心や下心があったのではそれは即座に悪行になってしまうのである。どんな行為であれ、行為のすべては心次第で善か悪かが決まってしまうのだ。『身・口・意の業』のすべてはすなわち心次第ということである」
優波離 「では、正しい心を持つためにはどうしたら良いのでしょうか」
世尊 「日常生活の中でわたしが制定した戒律を守ることがすなわち"正しい心"である。すべての生活の中で決められた戒律を身・口・意にわたって守ることだ。常にこの三つの行いを清めることのためにあるのが戒律なのだから」
優波離 「まず基本となる戒律をお示しください」
世尊 「では基本の十戒をしめそう。(1)生き物の命を奪わない。(2)他人の物を盗まない。(3)姦淫をしない。以上は身体で行ってはならない三つである。次に(4)嘘をつかない。(5)二枚舌をつかわない。(6)悪口をいわない。(7)無駄口をたたなない。以上が口で言ってはならない四つの行為である。次に(8)むさぼらない。(9)怒らない。(10)邪な思想を持たない。以上は心が持ってはならない行為である。特に最後の三つは人間が持っている最悪の愚かな心である。すべての戒律はこの三毒「貧慾・瞋恚・愚痴」の心を諫めるためにあると言っても過言ではないのだ」
優波離 「世尊の示された戒律は、すべて"心の三毒"を除去するための手段であるということでしょうか」
世尊 「戒律の目的は単に三毒を鎮めるためだけのものでもない。あえて言えばそれは智慧を得るためのものである。智慧とはすなわち悟りである。悟り無くして心の安心は得られないからだ」
優波離 「世尊よ、戒律を守ることが無明からの解放であり、仏道であることがよくわかりました。解脱を求めて益々精進いたします」 
釈尊の十戒は戒律というよりも人間としての基本道徳であり、宗教の壁を越えた人としての根本理念であり正義であるのです。今人類が滅亡の危機に瀕しているとして、その原因を質すとしたら、間違いなくこの十戒の欠如にほかならないのです。犯罪のそのほとんどは貧慾・瞋恚・愚痴から起こるのです。個人にもならず者がいるように、国家にもならず者がいます。おのれの欲望(貧慾)に溺れ近隣の諸国を恫喝(瞋恚)し侵略(愚痴)を画策しているアジアの某超大国などはまさにその最たるものです。釈尊の十戒は人間社会の最低限の"きまり"です。それが守れない個人や社会、国家に幸福は絶対やってきません。個人も国家もそのことを肝に命じるべきです。 
優波離(うぱり)
パーリ語でも、サンスクリット語でウパーリ(Upāli、उपालि)。持律第一。 もと理髪師で、階級制度を否定する釈迦により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた。
持律第一戒律に精通した人といわれました。あるとき、優波離はお釈迦様に、森の中で修行したいと申し出でます。しかし、お釈迦様は優波離の実直さを考慮して、戒律や禅定による智慧で悟りを開くように勧めます。もともと律儀な性格だったので、戒律によく精通し、またよく守ったことから、戒律の第一人者となりました。お釈迦様が亡くなった後は、戒律部門の編集の中心人物として活躍しました。優波離は理髪師で、お釈迦さまの髪を剃ることで出会い弟子となりました。弟子入りのタイミングは、阿那律や阿難と同時期です。当時は階級社会で、儀式は王族が先ですが、阿那律と阿難は、優波離の実直さに、出身による自分たちの奢りを反省し、受戒の順序を譲りました。そのため当時の常識をくつがえし、優波離が先に受戒することになりました。
羅睺羅尊者 / 四苦

 

羅睺羅(ラゴラ、あるいはラーフラ)は、釈尊の実子であり、密行第一と称されました。釈尊は16歳で結婚されましたが、なかなか子宝に恵まれず、27歳になったとき妻のヤショーダラ姫との間にようやく授かったのが一人息子、羅睺羅でした。
釈尊が出家する2年前のことでした。おそらく釈尊はこれで釈迦族の跡継ぎができたと安心されたのかもしれません。しかしこれには異説があり、妃が身ごもられたのを知ってすぐに出家されたという説もあります。
また、羅睺羅が生まれたのはお釈迦さまがお悟りを開かれた日だったという説もあります。そうだとすると羅睺羅は六年もの間、母の胎内にいたということになります。「羅睺羅は顔は似ていないしお釈迦さまの息子ではない」などという不名誉な噂まで出たようです。実際彼の顔は釈尊に似ておらずかなり不細工だったようです。
そんな噂を聞いた羅睺羅は「顔は不細工でも私の心は仏である」と言って胸を開けて見せたという。この話は彼が信仰の対象として人気があった中国唐の時代の逸話だと言われていますが、十六羅漢信仰はその時代に生まれたものであり、十大弟子の中で只一人羅睺羅だけが十六羅漢に選ばれたことからも彼の中国での人気の程が窺われます。
出生の次第はともかく、釈尊自身が否定しているわけでもありませんから羅睺羅は間違いなく釈尊の実子なのです。彼は父親のいないカピラ城で王子として何不自由なく素直に育てられました。
羅睺羅が九歳になった時のことです。釈尊が久しぶりに帰城することになったのです。それを知った城の重臣たちが、幼い羅睺羅に入れ智慧をしたのです。
「お父上に頼んで、お城や財宝を息子に譲るという証文を書いてもらいなさい」という内容でした。それは、カピラ城主の権利は事実上釈尊にあったことから教団に城を乗っ取られるのではないかと重臣達が心配したのです。
「わたしは王になろうと思います。どうぞ財産を下さい。お宝をお与えください。」と言いながらすがりつく幼い羅睺羅に釈尊はびっくりしてしまいました。
ことの重大さを知った釈尊は、舎利弗と目蓮を呼んで羅睺羅をニグローダの林に連れてゆき、羅睺羅を出家させてしまったのです。「お前には金銀財宝ではなく、私が修行をして得た真理の仏法という財産を継がせてあげよう」と釈尊は申されたのです。
年少のころは釈尊の実子ということもあり、特別扱いを受け慢心が強く、釈尊より戒められたこともあったようです。20歳で具足戒を受け比丘になってからは舎利弗に就いて修行を重ね不言実行を以て密行を全うし、ついには密行第一と称せられるようになったのです。
密行とは戒律を遵守し特に密教での修行を徹底することです。そんな厳しい修行に耐え、ついに彼は阿羅漢果を得えたのです。十六羅漢に選ばれたことなどを考えれば実に人間味あふれるドラマチックな人生を送った人だったようです。 
羅睺羅 「世尊よ、四苦とはどんなことをいうのでしょうか」
世尊 「四苦とは、生・老・病・死の四つの苦しみのことである。人間として生まれた者ならば誰しもが味わねばならない苦しみの基本であるのだ」
羅睺羅 「世尊よ、確かに老・病・死は苦しみであることは理解できるのですが、どうして『生』(しょう)が苦しみなのでしょうか。ふつう、生まれることは目出度いことであっても、特には苦しみと感じられないのですが?」
世尊 「確かに、生まれることは目出度いことであり、極上の慶びである。目出度いことや慶びが"苦"であるということは矛盾した論理であるが、問題はその本質にあるのである。生まれるということはその瞬間から五蘊(ごうん)を得ることになる。その五蘊の本質が即ち"苦"の実体だということである」
羅睺羅 「五蘊についてお示しください」
世尊 「五蘊とは五つの集まりで色・受・想・行・識を言う。「色」とは形あるもの。あとの「受・想・行・識」は「心」の世界を意味し、「受」は、感覚とか知覚などの感受作用。「想」は、「受」で受けたものを心の中で思うこと。「行」は、思いを意志にすること。「識」は、判断である」
羅睺羅 「つまり、肉体と魂という存在自体が"苦"だということですね。世尊が提唱されております『五蘊皆空度一切苦厄』(般若心経)の意味がやっとわかりました。肉体も魂も一切が皆『空』であるということを悟ってはじめて『苦』から解放されるわけですね」
世尊 「その通りだ。人間として生まれた以上自己が『一切皆苦』の存在だと認識し、その『苦』から解放されるために我々は修行をするのである。その修行が萬行に至った時に苦から解脱できるのである。解脱の世界が涅槃であり、極楽浄土なのである」
羅睺羅 「よくわかりました。では、世尊が初めて"苦"を意識されたいきさつをお話頂けますでしょうか」
世尊 「実は、わたしが出家の道を選んだ根本的理由はこれら『四苦』にあったのだ。わたしが生まれてわずか七日目に母マーヤーは亡くなってしまったということを叔母より聞いて『人はなぜ死ななければならないのだろう』という大きな疑問にぶつかったのだ」
羅睺羅 「後に『四門出遊』という形でお述べになっておられますね。東門から出て老人に遭い、南門から出て病人に遭い、西門から出て死人に出遭ってショックを受けられたお話ですね」
世尊 「そうだ。最後に北の城門から出たときに出遭ったのが一人の修行者だった。着ている服はぼろぼろだし、身は痩せ細ってはいたが、顔は生き生きとしていた。わたしのように恵まれている者が苦しんでいるのに、貧しいあの者が何故あのように希望に満ちているのだろうと思ったのだ。『あなたは何をする人か』と尋ねたら、『修行者で、衆生に慈悲を施す者です』と答えられたのだ。それ以来"修行者≠ニいうことが頭を離れなくなってしまい、ついに出家を決断した次第なのだ」
羅睺羅 「つまり"四苦≠フ疑問の答えを求め出家されたわけですね」
世尊 「その他に『愛別離苦』(愛する者と別れる苦しみ)、『怨憎会苦』(いやなものと付き合う苦しみ)、『求不得苦』(欲しいものが手に入らない苦しみ)、『五蘊盛苦』(体と心の不調の苦しみ)の四つを加えて『四苦八苦』と言う」
羅睺羅 「人の幸せはまさにこれらの苦しみをいかに克服するかに掛かっているのですね。その道筋を世尊は八万四千の法門で教示されているわけですね」 
「四門出遊」(しもんしゅつゆう)の話は有名ですが、むろん、これは伝説です。若き王子ゴータマ・シッダールタの苦悩を象徴的に表現したものと言えるでしょう。幼いころから王子として贅の限りをつくした環境の中で名誉と冨と権力を自在にできたのです。しかしどんなに享楽と贅沢の限りを尽くしても彼の心は満たされなかったのです。それは、どんな権力・名誉・富であろうと生・老・病・死の四つの苦しみから逃れることができないことを知ったからです。その答えを求めて出家を決断し城門を出たのです。時に王子29歳のことでした。難行、苦行を経て、ついに悟りを開かれ「四苦」の実体を解明され、一切の「苦」から解放されたのです。その表現が「極楽」であり「大安心」なのです。ですから「極楽」は実在するのです。「極楽」は死んでからだけの世界ではありません。生きている内にこそ意味があるのです。なぜなら仏教は決して死後の教えではないからです。今現在から死ぬまでの間、もちろん死後も含めて、「安心」して生きて行くための「教え」を釈尊は残されたのです。 
羅睺羅(らごら)
パーリ語でも、サンスクリット語でラーフラ(Rāhula、राहुल)。羅云とも書かれる。密行第一(みつぎょう・だいいち)。 釈迦の長男。釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧) となる。そこから、日本では寺院の子弟のことを仏教用語で羅子(らご)と言う。
密行第一といわれました。密行とは緻密、厳密、手抜かりのないことです。お釈迦様の実子なので、周囲はどうしても特別な目で見ることが多く、必然的に戒律を厳守するようになりました。羅怙羅、羅護羅、羅雲、羅云、とも書かれます。いずれも音写で、意味は障碍しょうげ、覆障ふくしょう、障月、執日、という意味です。お釈迦様の出家直前に生まれた子供なので、出家の決意を鈍らせる=束縛、から障碍と言う意味合いの名が生まれたと伝えられます。お釈迦様が悟りを開いて帰郷した時、12歳になった羅喉羅を初の少年僧として出家させました。そして、この時から未成年の出家には両親の許可が必要という規則が出来きました。十大弟子の中で唯一、十六羅漢に選ばれています。
目連尊者 / 極楽浄土

 

目連は、幼い頃より舎利弗(サリープッタ)とは大の仲良しの間柄でした。祭りに興じている人々を見て無常を感じ、二人して出家を決意したいきさつは舎利弗尊者の紹介の中で話したとおりです。
二人は幼なじみで、ほんとうに仲の良い親友同士でした。性格こそ対照的な二人でしたがいつも一緒で、亡くなったのもほぼ同じ頃で、師の釈尊よりも短命だったのです。十大弟子の中でも最も早くに弟子となり、力を合わせて初期の教団をまとめていかれたのです。
釈尊もそんな二人をたいへん頼りにされておりました。先月の「羅睺羅尊者」の中でもふれたように釈尊の実子羅睺羅を出家させ、その後の指導の専任をまかされた程二人に対する信頼が深かったのです。「智慧第一」と称せられた舎利弗に対して、目連は「神通第一」と称せられました。「神通」とは一種の超能力のことで、肉眼では見えない処を見抜く力のことです。
こんな逸話が残されています。釈尊がある法座に臨まれました。しかし、いつまで経っても説法が始まりません。侍者の阿難尊者が、「世尊よ、夜も更けましたので、どうかお始めください」と申されますと、釈尊は、「この法座の中に不浄の者がいるので、法を説くことはできない」と申されました。そこで目連尊者が他心通という神通力をもって不浄な比丘を見つけ、その法座から追放し、改めて釈尊に説法を願ったということです。
あと、なんとも有名なお話が「盂蘭盆会」のいきさつでしょう。ある日、目連尊者が父母の恩に報いるために修行で得た神通力で亡き両親を探していました。
すると仏界に居るはずと思っていた母がなんと餓鬼界に堕ちていたのです。骨と皮ばかりに痩せ細って逆さ吊りにされていたのです。それを見た目連は食べ物を鉢に入れて母に差し出すのですが、母が食べようとするとその食べ物はたちまち火に変わってしまい食べることが出来ません。
目連は悲嘆のあまり号泣し、釈尊のところに行かれ、ことの実情を説明し救済を求めたのです。釈尊の示されたところによりますと、目連の母が餓鬼界に堕ちたのは過去世の罪過によるものであり、それを救うには多くの出家者に百味の飲食(おんじき)を供養することでした。
7月15日の萬行のあと多くの僧侶の供養を受けて目連の母は救われたのです。「もし、後の世の人々がこのような行事をすれば、たとえ地獄にあろう者でも救われるでしょうか」と尋ねた目連に、釈尊は「もし孝順心をもってこの行事を行うならば必ずや善きことがおこるであろう」と答えられました。
お盆(盂蘭盆会)の起源はこの曰く因縁によるものであり、お盆こそまさに「先祖供養」の原点なのです。仏教徒にとって、孝順心によるご先祖供養こそ報恩感謝の証なのです。
さて、目連は又教団のボディガード的存在でもあったのです。釈尊の説法を守るために異教徒にはことさら厳しい対応をされていました。そのせいもあってか異教徒からはとくに憎まれる存在になっていたのです。
目連の最期は悲惨でした。彼を憎む異教徒達に襲われ惨殺されてしまったのです。瀕死の目連のもとにかけつけたのは親友の舎利弗でした。「神通力第一の君がどうしてこんな目に・・・」と嘆く舎利弗に、目連は釈尊への最後のお別れの言葉を託して息を引きとりました。
その後間もなくして舎利弗も病のため亡くなってしまいました。釈尊にとって舎利弗と目連の二人はまさに二大弟子だったのです。二人の高弟を一度に失った釈尊の嘆きは如何ばかりだったでしょうか。その目連尊者がある日世尊に「極楽浄土」について問われました。 
目連 「悟りの世界のことを"浄土"といわれますが、その浄土とはどのような世界を言うのでしょうか?」
世尊 「浄土とは悟りの世界の一つの表現である。他に『涅槃』や『彼岸』そして『極楽』なども皆同じ悟りの世界を意味したものだ。悟れる者とは仏陀のことであり、その者たちの住む世界を浄土と言い、阿弥陀仏の住む国土を『極楽』と言うのである」
目連 「世尊が説かれています『阿弥陀経』にはその極楽の様子が子細に述べられているのはよく承知いたしております。極楽国土に住む者には何の苦しみもなく、只々いろいろな楽しみだけが有ると説かれています。国土は四宝(金・銀・瑠璃・水晶)で出来てきており、天上にはつねに美しい音楽が奏でられ、池の蓮の花は様々な光の色を放ち、大地は黄金で覆われ、昼夜綺麗な曼荼羅の花が降りそそぎ、さまざまな鳥たちは優雅にさえずり、人々の寿命は限りなく長く、病も悩み苦しみもなく、一切の罪過も無く、みな阿羅漢の悟りを得ているという。その極楽浄土に住むためには一切の欲望から解放され、阿羅漢の悟りを得なければならないとされますが、"極楽"の意味とは一体何でしょうか?つまり、極楽という言葉を文字通り解釈すると、『きわめて楽しい』ということになりますが、もし一切の欲望の無い世界だとしたら、はっきり言って、少しも楽しくはないのではありませんか。その点疑問を感じますが」
世尊 「確かに極楽の中には実際人間の欲望を満足させる多くの対象が有るように感じさせるし、人間を喜ばせるようなものがたくさん出てくるのも事実だ。極楽という世界がどんな世界であるかということを説いているのは、すでに悟りを開いた仏たちに対してではなく、まだ悟りを開いていない者たちに対してであって、極楽はこんな素晴らしい世界だということを示すためなのだ。それによって迷える者たちは、ぜひともそんな素晴らしい世界に往生したいという願望を起こすのだ。いってみれば、まだ煩悩に満たされている者たちを極楽へ導くための"方便"なのである」
目連 「すると世尊よ、極楽には金銀財宝や金色の蓮の花などまったく無いということでしょうか?」
世尊 「そんなことはない。まちがいなく極楽は黄金の国土である。『方便』とは真実を伝えるための手段であることを間違えないでほしい」
目連 「それでは、欲望も煩悩もない仏たちにとって、極楽に金銀財宝がある意味は何でしょうか?いくら高価で美しいものに囲まれていたにせよ、それらに対してなんの欲望も感じない者にとって、それらはなんの価値もないのではありませんか?娑婆世界でしか意味のないような宝物が極楽に存在する必要は無いのではありませんか?」
世尊 「そこが煩悩の世界に生きる者の理解の限界なのだ。金銀財宝のほんとうの意味がわかっていないからそのような矛盾が起こるのだ。どんな金銀財宝も"煩悩の対象ではない"というところをよ〜く考える必要がある。一切の煩悩のない仏たちにとってどんな金銀財宝も美しいものも、それらは何の価値もないのだ。"何の価値もない"ということは、金銀財宝はただの金銀財宝であって"ただの物"でしかないということだ。『ただの物』とは、いわば無価値である。しかしこの無価値こそ"絶対の価値"であり最高の価値である。これをすなわち『黄金』というのである。つまり、どんな場所でも煩悩から離れた世界は絶対無価値の世界になる。それは同時にそこに存在するあらゆる物すべてが"黄金"になるということだ。ここに"極楽"のほんとうの意味があるが、理解できる者は極めて少ない」
目連 「わかりました。どんな場所でもどんな物でも、煩悩の対象で無ければ、その場所が極楽浄土であると同時に存在するあらゆる物が金銀財宝になるのですね」
世尊 「その通りだ、目連。わたしが説く西方極楽浄土の真意は、一切の煩悩から離れた処こそすなわち極楽であり、同時にそこに存在するあらゆる物が金銀財宝の存在になるということだ」
目連 「解りました。極楽浄土が実際にあることが大変よく解りました。ところで浄土と呼ばれる世界はどのくらいあるのでしょうか」
世尊 「仏国土と呼ばれるように、十方にいる仏たちの一人一人が自分の浄土を持っているのだ。それこそ無数といってもよいくらい存在するのだ。阿弥陀仏の西方極楽浄土のほかに、主なものでは薬師如来の東方浄瑠璃世界、阿閦(あしゅく)如来の東方妙善世界、弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)、観音菩薩の普陀落山などが挙げられよう」 
さて、今年も12月8日の成道会を迎えました。およそ2500年前釈尊が転迷開悟され極楽浄土に往生され如来になられた記念の日です。拙僧が何度も言うように、極楽浄土は決して死後の世界ではないのです。もちろん涅槃という「生死一如」の意味から言えば死後の世界も当然極楽浄土と言えるわけですが、大事なことは生きているうちに今いる自分のところを極楽浄土に変えることです。釈尊は一切の煩悩から離れた世界がすなわち極楽浄土だと説かれています。すべての欲望と煩悩から離れたときに、即今その場所が極楽浄土に変貌するのです。同時にあなたの持っているものはすべて『黄金』になるのです。それを信じて修行をし、少しでも極楽浄土に近付ける生き方をしたいものです。極楽浄土は実際に存在するのですから。 
摩訶目犍連(まかもっけんれん)
パーリ語でマハーモッガラーナ (Moggallāna、महामोग्गळान)。サンスクリット語でマハーマゥドガリヤーヤナ (Maudgalyāyana)。 一般に目連(もくれん)と呼ばれる、神通第一(じんずう・だいいち)。 舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが、ともに仏弟子となった。中国仏教では目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が『盂蘭盆会』(うらぼんえ)の起源だとしている。
目連は目建連子の略。神通第一と言われます。神通じんずうとは、普通では見たり、聞いたり、感じたり、出来ないことを感じ取る超人的な能力です。この能力により、地獄で苦しむ母の姿を知り、救うために供養をした話が有名です。この話がお盆の起源となりました。当初は幼馴染の舎利弗と共にサンジャヤという人の率いる集団に所属していましたが、舎利弗と共にお釈迦様の弟子になりました。舎利弗は祇園精舎、目連は東寺を建てたことで有名。東寺は祇園精舎から東北に数キロ離れたところで、鹿子母講堂ろくしもこうどうあるいは鹿堂ろくどうとも呼ばれた、かなり大きな建物です。目連がお釈迦様の護衛をした記録が残されており、体格が良かったと想像されています。死因もお釈迦様を殺害しようとした人の弟子達によって殺されたといわれます。
迦葉尊者 / 無財施

 

釈尊の滅後、二世となって教団を率いたのはこの迦葉(かしょう)尊者でした。彼もまたバラモンの出身でした。裕福な家柄の良い家に生まれました。癇症で欲の無い子供でした。特に潔癖に症が付くほどの性格からか、結婚は望まず出家を望んでいたのです。
なにぶん名家でもあることから両親が必死で結婚を説得して、やっと妻を迎えたのです。しかしそれから出家するまでの十二年間、妻とは一度も床を共にすることはなかったといわれます。
やがて両親も亡くなり希望通り出家が叶い釈尊の弟子となったのです。ある日釈尊と托鉢に出た途中、釈尊が木陰で休もうとしたとき、彼は自分の衣を脱いで畳んで釈尊の座布団にしたのです。
師の喜ばれているお顔を見て迦葉尊者はその衣を献上致しました。それに対して釈尊も自分の袈裟を迦葉尊者に与えたといわれます。彼は生涯そのお袈裟を何よりも大切にされました。これが「伝衣」の始まりとなったのでしょうか。
迦葉尊者で有名なのは「拈華微笑」(ねんげみしょう)の故事です。釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)での説法の折、金婆羅華の花を一輪手にして大衆に拈じ示したところ、誰もその意味がわからない中、迦葉尊者だけがニコリと微笑されたのです。
それを見て取った釈尊は、「わたしの仏法を今迦葉尊者にそっくり伝えた」と宣言されたのです。釈尊から迦葉へと仏法が"以心伝心"された瞬間でした。「伝衣」とこの「伝法」から釈尊の後継者は事実上迦葉尊者に決まったと言えるでしょう。
釈尊が故郷に向かう旅先の途中で亡くなったとき、迦葉尊者は別の旅先で訃報を受けました。迦葉尊者は釈尊のもとへ急ぎました。それまでの間、阿難尊者が荼毘に付すために棺に火をつけようとしますが、何度やっても火がつきません。
ところが迦葉尊者が拝んだあとで、パーッと燃え出したというのです。まるで迦葉尊者の帰りを待っていたかのようでした。釈尊の葬儀の導師を務めたことにより迦葉尊者が教団の二世となったのです。
釈尊が入滅されておよそ3ヶ月後、迦葉尊者は第一回目の「結集」(けつじゅう)を開きました。結集とは、世尊亡きあと、その「法」を検証整理して後世に伝えるための「経典編纂会議」のことです。迦葉尊者の呼びかけに王舎城郊外の石窟、七葉窟に499人の阿羅漢が集結しました。
もちろん阿難尊者もかけつけたのですが、ところが彼はまだ悟りを開いていなかったため阿羅漢の資格が無く入場できなかったのです。しかし、釈尊の侍者として25年間いつもおそばに仕え、全ての説法の内容を知っている記憶力抜群の人だったといわれます。それだけに彼抜きに経典の編纂はできないことは誰もが認めるところでした。
しかし潔癖で厳格な迦葉尊者は頑として阿難尊者を中に入れなかったのです。それを受けて阿難はその晩死に物狂いで坐禅をしたのです。結果ついに悟りを手に入れ、すぐさま迦葉尊者のもとに急ぎました。
迦葉尊者は阿難の悟りを認め結集(けつじゅう)に加えたのです。そして500人の阿羅漢の中から阿難尊者を司会進行役に抜擢したのです。記憶力の良い阿難尊者は「如是我聞」(わたしはこのように聞きました)と言って、とくとくと語り出し、こうして初めての経典編纂会議は粛々と進んだのです。
迦葉尊者の入滅は劇的でした。第一回の結集からおよそ20年後、百歳になった迦葉尊者は三世に阿難尊者を指名し後を託されひとり山に入り禅定に入りました。そこに三つの山が押し寄せ彼を飲み込んでしまったのです。まさに壮絶な即身成仏でした。
「頭陀(ずだ)第一」とは「はげみ第一」ということです。三衣一鉢というのが出家者にとっての全財産です。その粗衣粗食に耐え修行を徹底される姿に釈尊は「頭陀」の模範だと称えました。
禅宗寺院に多く祀られている釈迦三尊仏は、向かって右脇に迦葉尊者、左脇に阿難尊者が脇侍となっていますが、舍利弗尊者と目連尊者の亡きあと、釈尊とその教えを護るのは自分たちだという決意が表れていて壮観です。
"十大弟子"とは、すべての人間が持ち合わせている人間性を代表した尊者達と言えるのかも知れません。自分は彼等の何れに近いのかを考えてみるのも自分自身の内面を知る一助になるかもしれません。ある日頭陀第一の迦葉尊者が『無財施』(むざいせ)について世尊に尋ねられました。 
迦葉 「布施行のなかに、『無財施』がありますが、それはどんな内容なのでしょうか」
世尊 「まとめて無財の七施(しちせ)と言う。一には身施(しんせ) 二には心施(しんせ) 三には眼施(げんせ) 四には和顔施(わげんせ) 五には言施(ごんせ) 六には牀座施(しょうざせ) そして、七には房舎施(ぼうしゃせ)ということになる」
迦葉 「文字の意味から有る程度その内容を推測できますが、それぞれの具体的な内容についてお示し頂けるでしょうか」
世尊 「まず『身施』だが、これは肉体による奉仕なのだ。なかでも捨身行は、自らの生命を犠牲にすることだが、これこそ最高の布施行と言えよう」
迦葉 「しかし世尊よ、自らの命を失ってしまっては、自らの修行が不可能になってしまいますが」
世尊 「他の命を救うため、自己の命を捧げたり、あるいは正しい教えを伝えるために犠牲になる命は、その功徳によって本人は最高の悟りに達することができるのだ」
迦葉 「わかりました。では次の『心施』についてお願いいたします」
世尊 「慈悲の心ということだ。慈悲とは『与楽』と『抜苦』を合わせたものだ。他の人の心に喜びを与え、同じく苦しみを抜き去る行いのことだ」
迦葉 「第三の『眼施』と『和顔施』というのは、やさしい眼つきとおだやかな笑顔ということでしょうか」
世尊 「その通りだ。人というものは、つい自分の感情を外に出してしまう存在だからいつもやさしい眼つきとおだやかな笑顔をたやさないことだ」
迦葉 「『言施』というのは言葉による施しということで、思いやりのこもった暖かい言葉をかけてあげるということでしょうか」
世尊 「その通りだ。日常生活のなかで、何気なく使っている言葉が、なによりの施しになることに気付かねばならない。どんな些細な言葉でも言葉には心情が籠もることを忘れてはならない」
迦葉 「第六の『牀座施』とはどんな施しなのでしょうか」
世尊 「一言で言えば『席を譲ること』だ。自分よりもか弱い子供や老人、または目上の先輩など尊敬すべき人に対しての思いやりの行為をいうのだ」
迦葉 「さいごの『房舎施』というのはどんな施しでしょうか」
世尊 「わが家に泊めてあげることを『房舎施』というのだ。事情があって宿をとれない人に対しての宿泊を提供する布施行のことをいうのだ」
迦葉 「このように財産やお金がなくとも出来る施しこそ布施の基本なのですね。『無財の七施』をいつも心して一層の精進をしてまいります。ありがとうございました」 
布施とは、物やお金だけではないということです。人のためになることであるならば、自分の体の全てで布施行ができるというのが無財施の意味なのです。人は眼、耳、鼻、口、手、足など、どれを使っても人に対して慈悲行為、すなわち『与楽』と『抜苦』の一助の施しができるのです。仏陀の教え、仏教とは突き詰めればこの慈悲行為の勧奨に尽きるのです。その教師が阿弥陀仏であり、観音菩薩であり、地蔵菩薩、そして無限に存在する菩薩さま方なのです。布施行が即ち菩薩行に通じ、菩薩行を行う人が菩薩さまとなり、菩薩さまの住む世界が安心極楽の世界となるのです。そんな浄土の世界とはあまりにもかけ離れているのが人間社会の現実です。自己中心の我利我利亡者の渦巻いている餓鬼、畜生、修羅の世界に他なりません。拙僧自らも「無財施」の精神を少しでも心に留めていけたらと願っているところであります。 
摩訶迦葉(まかかしょう)
パーリ語でマハーカッサパ(Mahākassapa、महाकस्सप)、サンスクリット語でマハーカーシャパ(Mahākāśyapa)。大迦葉とも呼ばれる、頭陀(ずだ) 第一。 釈迦の死後、その教団を統率し、500 人の仲間とともに釈迦の教法を編集し(第一結集)、付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の第一祖となった。
頭陀ずだ第一の摩訶迦葉まかかしょうといわれます。大迦葉とも呼ばれます。頭陀とは衣・食・住にとらわれず、清浄に仏道を修行することです。畑仕事をしていて、土から出てきた虫が鳥に食べられる光景を目撃します。間接的ですが、殺生の罪を感じ、この事がきっかけとなり出家します。清廉潔白で非常な厳格さをもって生き抜き、お釈迦さま亡き後は、教団で指導的役割を担いました。生い立ちについてはいろいろな経典に数多く登場しますが、南方に伝わったものと、北方に伝わったものとでは多少の相違があります。両親の名前など異なります。話題の多い生涯を送った人です。お釈迦様の弟子となったとき、すでに32相中、七つの相を具えていたといわれ、八日目には阿羅漢となっていた、と伝えられます。
 
天国と地獄 1 ・神道での生き方

 

神道は、他の宗教と同じように人間の悩みや不安をどうしたら取り除くことができるかとか、人間はどのように生きるべきかという示唆を人に与えることを目的とします。
ただ神道は仏教やキリスト教や回教などと違って、極楽浄土や天国があるとされる来世でなく、現世に重きを置いています。
仏教やキリスト教や回教などでは現世では人間には悩みや不安が必然的に存在し、それを取り除くには仏や神を信仰し、それぞれの宗教の教典に従って現世での行いを正しくするように教えますが、それは人を現世で悩みや苦しみから解放するためというよりも、人を仏や神の力によって来世で、永遠の命と悩みや不安のない至福の境地が得られる極楽浄土や天国に導くための教えです。
しかし、神道では来世は現世の延長とみなし、来世に期待するのでなく、現世における悩みや不安を現世で取り除いて生きるにはどうしたらよいかという示唆を人に与えます。
それは他の宗教のように釈迦やキリストやマホメッドなどのような教祖が考え抜いてたどり着いた考えに基づく経典によるのではなく、長い歴史を持つ日本民族の様々な人々が、こうすれば悩みや不安のない、また人間としての生きがいのある人生を送ることができると経験的、統計的に考えて実践してきた生活態度や方法が、歴史を経て次第に定まり受け継がれてきた生き方に基づいています。
神道には八百万の神と言われるとおり様々な神がおります。
人間に畏敬の念や畏怖の念を生じさせる山や杜や瀑布などのほか、有限な人間でさえも死後には神となりえます。
その神は一神教の神のように全知全能、完全無欠、唯一絶対で無限な存在の神ではなく、人間を超越した存在ではありますが、人間に近い有限な面のある神です。
しかし、神道の神は、一般の人間が絶対にその域に達することのできない存在です。
人間にできることは神の域に達しようと努力することだけです。人間はいかに努力し知識や経験を積んでも、自分の力の到底及ばぬ、畏敬の念や、畏怖の念を生じさせる存在を前にすると、謙虚に自分の未熟さを自覚せざるを得ず、自分の至らぬ点を補なうために再び努力を始めます。
その至らぬ点を補ったと思っても、神の前に立つと人は再び新たな至らぬ点に気付き、再度それを補う努力を始めます。その繰り返しは果てしなくそれこそ一生続くでしょう。
努力し続ける歩みは次第になだらかな勾配になり、長期間にわたって無理なく継続できる漸進になってゆくでしょう。
現世を生きる人間は神の域に達することは永遠にできませんが、少しずつでもその域に近づこうと一生努力し漸進し続けることはできます。
神という人間を超越した存在が、八百万の神と言われるように到る所にあるからこそ、人間は常に自分が完全だなどと慢心することなく、謙虚に自分の不備不足な点を補いつつ内面を充実させながら、有限な身でありながら無限に伸びてゆくことができます。
そこに神道の神の意義があると思います。
神道では悩みや不安を取り除き、どのように生きるべきかの示唆を、人に経典で他力的に与えるのではなく、まず人の生活態度や心の持ちようを、長い歴史を経て経験的、統計的に人間の本来のあるべき生活態度と心の持ちようとして次第に定まり、受け継がれてきた生活態度や心の持ちように軌道修正し、人の体と心を本来の正常なものにすることによって、その人自身の力で悩みや不安を克服し、またどのように生きるのが真に人間として価値のある生き方かを会得させようとします。
先人が受け継いできた人間の本来あるべき生活態度とは、天然自然の理に適った早寝早起きをし、三度の食事をできるだけ決まった時間に摂り、好き嫌いをせずに何でも食べ常にバランスの取れた栄養を摂取できるように心がけ、毎日適度の運動をして常に血液の循環を良くするといった生活態度です。
また先人の受け継いできた人間の本来持つべき心とは、社会的存在で絶対に一人では生きていけない人間にとって人間関係を良くすることが必要で、それには人間が本性として持っている家族愛を他人と接する場合にいつも持とうと努めるといった心です。
そうした生活態度や心の持ちようは神意に則した生活態度と心の持ちように他ならず、幸せをあえて求めようとするまでもなく、自然と幸せな毎日の生活を送ることのできる生活態度と心の持ちように違いありません。
勿論、有限な存在の人間には、物事を完璧に行うことはできませんが、そうした神意に沿った生活態度や心の持ちようで、常に日々の生活を送ろうと努めることはできるはずです。
そうすれば体調を崩すこともなく、人間関係を損なって物事が順調にいかなくなるということもなく、自分の目の前にあることの一つ一つに真心をこめて自分のできる範囲内の最善を尽くして対処することができ、何事によらず物事を良い方に良い方にと展開できるはずです。
神意に適った生活態度と心の持ちようで日々の生活を送る人は、生気に満ち溢れた、気持ちよく、爽やかで清々しい気分で毎日の生活を送ることができ、他人に常に愛をもって接し、愛をもって報いられ、他人に福を与えて、福を与えられ、知らぬ間に悩みや不安のない、また真に生きがいのある人生を送ることができるに違いありません。 
 
天国と地獄 2

 

天国は曩に述べた如く上位の三段階になっており、第一天国、第二天国、第三天国がそれである。第一天国は最高の神々が在しまし、世界経綸の為絶えず経綸され給うのである。第二天国は第一天国に於ける神々の補佐として、それぞれの役目を分担され給い、第三天国に至っては多数の神々が与えられたる任務を遂行すべく活動を続けつつあるが、勿論全世界凡ゆる方面に亘っての活動であるからその行動は千差万別である。第三天国の神々は中有界から向上し神格を得たのであるから人間に最も近似しており、エンジェル(天使)ともいわるるのである。
右は神界構成の概略であって、神界は今日まで約三千年間、仏教の存在する期間は甚だ微々たる存在であった。何となれば神々は殆んど仏と化現され、そうでないのは殆んど龍神となって時を待っておられたのである。又神々は仏界を背景として救いの業に勤しみ給うたので、その期間が夜の時代であって、昼の時代に転換すると同時に神界は復活するという訳である。
次に、極楽浄土は仏語であって仏界の中に形成されておるが極楽に於ける最高は神界に於ける第二天国に相応し、仏説による兜率天(とそつてん)がそれである。そこに紫微宮があり、七堂伽藍があり、多宝塔が聳え立ち、百花爛漫として咲き乱れ、馥郁たる香気漂い、迦陵頻伽は空に舞い、その中に大きな池があって二六時中蓮の葉が浮かんでおり、緑毛の亀は遊嬉し、その大きさは人間が二人乗れる位で、それに乗った霊の意欲のまま、自動的に何処へでも行けるのであって、何ともいえぬたのしさだという事である。又大伽藍があって、その中に多数の仏教信者が居り勿論皆剃髪で常に詩歌、管絃、舞踊、絵画、彫刻、書道、碁、将棋等現界に於けると同様の娯楽に耽っており、時折説教があってこれが何よりのたのしみという事である。その説教者は各宗の開祖、例えば、法然、親鸞、蓮如、伝教、空海、道元、達磨、日蓮等である。そうして右高僧等は時々紫微宮に上り、釈尊に面会され深遠なる教法を受け種々の指示を与えらるるのである。紫微宮のある所は光明眩く、極楽浄土に救われた霊と雖も仰ぎ見るに堪えないそうである。
極楽の下に浄土があって、そこは阿弥陀如来が主宰されているが、常に釈迦如来と親しく交流し、仏界の経綸に就いて語り合うのである。又観世音菩薩は紫微宮に大光明如来となって主座を占められ、地上天国建設の為、釈迦、阿弥陀の両如来補佐の下に、現在非常な活動をされ給いつつあるのである。併し乍ら救世の必要上最近まで菩薩に降り、阿弥陀如来に主座を譲り給うたのである。
そうして近き将来、仏界の消滅と共に新しく形成さるる神界準備の為、各如来、菩薩、諸天、尊者、大師、上人、龍神、白狐、天狗等々漸次神格に上らせ給いつつ活動を続け、頗る多忙を極められつつあるのが現状である。
次は地獄界であるが、これは天国とは凡そ反対で光と熱がなく、下位に行く程暗黒無明の度を増すのである。地獄は昔から言われる如く種々雑多な苦悩の世界で、私はその概略を解説してみよう。
先ず主なる種類を挙げれば、針の山、血の池地獄、餓鬼道、畜生道、修羅道、色慾道、焦熱地獄、蛇地獄、蟻地獄、蜂室地獄等々である。
針の山は読んで字の如く無数の針が林立している山を越えるので、その苦痛は非常なものである。この罪は生前大きな土地や山林を独占し、他人に利用させない為である。
血の池地獄は流産や難産に関する原因によって死んだ霊で、この種の霊を数多く私は救ったが、それは頗る簡単で祝詞を三回奉唱し、幽世(かくりよ)の大神様にお願いする事によって即時血の池から脱出し救われるので、大いに喜ぶのである。血の池地獄の状態を霊に聞いてみるとこうである。その名の如く広々とした血の池に首の附根まで何年も漬かっている。その池の水面ではない血の面に無数の蛆が浮いており、その蛆が絶えず顔面に這上がってくる。払っても払っても這上がってくるので、その苦しみは我慢が出来ないという事である。この原因は生前無信仰者にして、その心と行に悪の方が多かった為である。
餓鬼道はその名の如く飢餓状態で、常に食慾を満たそうとし焦躁している。それ故露天や店先に並んでいる食物の霊を食おうとするが、之は盗み食いになり、一種の罪を犯す事になるので止むなく人間に憑依したり、犬猫等に憑依し食慾を満たそうとする。よく病人で驚く程食慾の旺盛なのがあるが、これは右に述べた如き餓鬼の霊が憑依したのである。又犬猫に憑依した霊は漸次畜生道に落ちる。その場合人間の霊の方が段々溶け込んでゆく。丁度良貨が悪貨に駆逐されるように、終に畜生の霊と同化してしまうのである。この意味に於て昔から川施餓鬼などを行うが、これは水死霊を供養する為で、水死霊は無縁が多いから供養者がなく、餓鬼道へ落ちるので、餓鬼霊に食物を与え有難い経文を聞かせるので大きな供養となるのである。
餓鬼道に落ちる原因は自己のみが贅沢をし他の者の飢餓など顧慮しなかった罪や、食物を粗末にした等が原因であるから、人間は一粒の米と雖も決して粗末にしてはならないのである。米という字は八十八とかくが、これは八十八回手数がかかるという意味で、それを考えれば決して粗末には出来ないのである。私も食後茶をのむ時茶碗の底に一粒も残さないように心掛けている。彼のキリスト教徒が食事の際合掌黙礼するが、これは実によい習慣である。勿論食物に感謝の意味で、人間は食物の恩恵を忘れてはならないのである。
畜生道は勿論人霊が畜生になるので、それは如何なる訳かというと生前その想念や行為が人間放れがし、畜生と同様の行為をするからである。例えば人を騙す職業即ち醜業婦の如きは狐となり、妾の如き怠惰にして美衣美食に耽り、男子に媚、安易の生活を送るから猫となり、人の秘密を嗅ぎ出し悪事の材料にする強請の如きものや、戦争に関するスパイ行為等、自己の利欲の為他人の秘密を嗅ぎ出す人間は犬になるのである。併し探偵の如き世の為に悪を防止する職業の者は別である。そうして世の中には吝嗇一点張りで金を溜める事のみ専念する人があるが、これは鼠になるのである。活動を厭い常にブラブラ遊んでいる生活苦のない人などは牛や豚になるので、昔から子供が食後直ちに寝ると牛になると親がたしなめるが、これは一理ある。又気性が荒く乱暴者で人に恐れられるヤクザ、破落戸(ごろつき)等の輩は虎や狼になる。唯温和しいだけで役に立たない者は兎となり、執着の強いものは蛇となり、自己の為のみに汗して働く者は馬となり、青年であって活気がなく老人の如く碌な活動もしない者は羊となり、奸智に長けた狡猾な奴は猿となり、情事を好み女でさえあれば矢鱈に手を附けたがる奴は鶏となり向う見ずの猪突主義で反省のない者は猪となり、又横着で惚けたがり人を食ったような奴は狸や狐となるのである。
併し以上の如く一旦畜生道に落ちても、修業の結果再生するのである。人間が畜生道に落ち再び人間に生まれ又畜生道に落ちるという様に繰返しつつある事を仏教では輪廻転生というがそれに就いて心得なければならない事がある。例えば牛馬などが人間から見ると非常な虐待を受けつつ働いているが、この苦行によって罪穢が払拭され、再生の喜びを得るのである。今一つ面白い事は牛馬は虐待される事に一種の快感を催すので、特に鞭で打たれたがるのである。右の如く人間と同様の眼で畜生を見るという事は実は的外れの事が多いのである。その他盗賊の防止をする番犬、鼠をとる猫、肉や乳や卵を提供する牛や羊豚、鶏等も人間に対し重要な役目を果たすのであるから、それによって罪穢は消滅するのである。
又面白い事には男女間の恋愛であるが、これは鳥獣の霊に大関係のある事で、普通純真な恋愛は鳥類が頗る多く、鶯や目白等の小鳥の類から烏、鷺、家鴨、孔雀等に至る迄凡ゆる種類を網羅している。恋愛の場合、この鳥同志が恋愛に陥るのであるから、人間は鳥同士の恋愛の機関として利用されるに過ぎない訳であるから、この場合人間様も少々器量が下がる訳である。又狐霊同志の恋愛も頗る多いが、これは多くは邪恋である。狸もあるがこれは恋愛より肉慾が主であって、世にいう色魔などはこの類である。又龍神の再生である龍女は精神的恋愛は好むが肉の方は淡白で、寧ろ嫌忌する位で、不感症の多くはそれである。したがって結婚を嫌い結婚の話に耳を傾けなかったり縁談が纏ろうとすると一方が病気になったり、又は死に到ることさえあるが、これ等は龍女の再生又は龍神の憑依せる為である。よく世間何々女史といい、独身を通しつつ社会的名声を博する女傑型は龍女が多く、稀には天狗の霊もある。 
 
天国と地獄 3 ・天国は存在するか

 

(神に仕えるか、欲望のままに生きるか選びなさい) 
現代人たち
現代の人類は天国を信じているでしょうか。おそらく何らかの宗教を信じていない限り、誰も真剣に天国が存在するとは考えていないことでしょう。
では、宗教家たちは信じているのかというと、彼らは教えの中にそのような概念があることを知っているだけで、ほとんどの人がそれがどのようなものなのかを知らないに違いありません。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンズー教の祭司たちですら、それがどのようなものなのかを知らないことでしょう。彼らはただ単に、人は死ぬと天国へ昇ると考えているようです。しかし、それは違います。人は死ぬと単に霊界へ上るだけなのです。
だから彼らから教わっている限り、一般の人々は天国について誤解し続けるでしょう。 
カリスマ
特に権威のある人々の言葉は大衆に影響を与えます。それは宗教家だけとは限りません。カリスマと呼ばれる人々、例えばロック歌手などの言葉には若者を信じさせる力があります。
ジョン・レノンの「イマジン」という歌の中で彼は「天国も地獄もないと想像してごらん」と歌っています。ここで彼はそれが「存在しない」とは言っていませんが、彼が天国も地獄も信じていなかったことは明白です。なぜなら、彼は「神」という歌の中で「神は概念だ。繰り返して言う、神は概念に過ぎないんだ」と言っているからです。
しかし、ここで断言します。天国も地獄も歴然と存在するし、神は我々人類よりリアルに存在しているのです。
このような影響ある人々の言葉がこれまでの地球で誤って語り継がれて来たために、現代の人類は天国という存在を見失っていたのです。
また、信じる人々ですら、どうすればそこへ到達できるのか知らずに地球の歴史を流されて来たのです。 
天国と地獄と地球
さて、我々の選ぶべき道は3つあります。天国へ昇るか、地球に帰って来るか、地獄に堕ちるかです。
「地獄」への道は簡単です。もし人が人を殺すか、殺人に匹敵するような極悪な事をしたら、その人は地獄へ堕ちることになるからです。正に“滅びへの道は広い”のです。
そして「地球」への道があります。というより、極一般的な人々は「地球」に帰って来ざるを得ないように出来ているのです。
それはともかく、現代の人類のほとんどは、この道を選びたがることでしょう。なぜなら、地獄へ堕ちることはマッピラだけど、得体の知れない「天国」とやらへ行くのも不安だと考えているからです。
しかし、地球に生まれ変わることも楽ではないのです。それは、人間は単に死後すぐに地球に転生するわけではないからです。
人間は死後まず、霊界に上ります。
そして、魂を清め切っていない人々は再び地球に転生せざるを得なくなります。と言っても、その前に別の次元の世界に出生し、人生を送り、そこで死に、さらに別の次元に転生し、計2〜3の平行世界で人生を送った後、ようやく地球に転生することになるのです。
しかも別の次元の世界は地球のように自由が利かず、制約された行動しかできないのです。そして、地球に生まれ変わる時、再び記憶を消され、赤ん坊となり、どのような劣悪な国に生まれるか分からないのです。
しかも、地球での人生は“試練”が目的なので、人類は常に心からの平安を持てず、常にトラブルに対処していなければならないのです。 
天国への道
一方、天国への道はイエスが言っていたように、狭く細いのです。ここに上るためにはまず、魂が浄化されていなければなりません。しかも通常、浄化するためには何回もの地球転生をしなければならないのです。
こうしてようやく地球を克服して霊界を越えて上昇しても、そこはまだ1段上の世界に過ぎず、そこは天国ではありません。
人はその領域で人生を送り、さらに魂を浄化しなければならないのです。
そして、その人がその世界を無事合格すると、さらに上の世界に生まれ変わります。
しかし、ここもまだ天国ではないのです。ただし、そこは「天国へのゲート」に例えることの出来る大きな領域で、そこを越えるといわば天国、神の王国、極楽浄土に入るわけです。
ただし、その前に人はその「ゲート」で生活した後、地球界に非常に良く似た世界(しかし、我々の地球界より上の世界)へ一旦、下りることになっているのです。つまり、ゲートを潜るための最終テストのようなものです。そこは地球よりも遥かに穏やかな世界です。ただし、上に登るのがさらに厳しくなるのです。
つまり、上に行く程素晴らしい世界に入りますが、さらに上に登る道は一層狭く細くなるのです。
そしてその領域で地球人たちが辿るようなプロセスを辿って、合格したら再び「ゲート」に転生して、そこを無事に乗り切れば、ようやくゲートを潜れるのです。
ただし、不合格だったら、その世界でやり直さねばならず、大きな罪を犯せば地球界へ落とされることになります。 
神の王国、極楽浄土
では天国〜イエスが「神の王国」、仏陀が「極楽浄土」と呼んでいた世界〜とは一体どのような世界なのか。
それは我々が想像するものとは違うと言えるし、また似ているとも言えるものです。
なぜなら人は意識してその領域を知ることは出来ない一方、その領域に住んでいた記憶が内在しているからです。
だから、以下の事を聞いても信じられない気持ちがある反面、そのような世界がある事をおとぎ話で聞いたような気にもなるものなのです。
まず、その世界が我々の世界と似ている点は、その領域で人は体を持つということです。全く違う点は、彼らは2足で地べたを歩くことはないということです。いわば、浮遊して生活するのです。
そして食べ物を心配する必要もないのです。彼らの食べ物は精神のエネルギーだからです。つまり善なる清い心を持ち続ける限り、彼らは生き続けられるのです。
そして彼らに「死」はありません。体を捨てる時があり転生をしますが、意識が消えることがないので単に洋服を着替えて戻ってくるように、かつての知り合いと再会できるのです。
このような世界の描写は奇異に聞こえるでしょうが、決しておとぎ話でも俗に言う「あの世」のことでもないのです。
「あの世」とは地球世界に属している霊界のことで、この世界は地球世界と同じようにリアルに実在しているのです。
しかし、我々の次元とあまりにかけ離れているため、そこへ物理的に上って行くことも出来ないし、彼らが下って来ることも出来ないのです。 
更に上の世界
そして、更に意外に思われるかも知れませんが、この「天国」も永遠の安住の地ではないのです。神は無限の存在で、神の創った宇宙も無限に思われるほどに大きいからです。
だから、この神の王国、極楽浄土と呼ばれる世界も終着点ではなく、この世界の人々にとっても更に上の世界が存在するということなのです。
だから、この世界の住人でさえ、罪を犯せばそこから追放され元の下の世界に追い返されてしまうのです。
現に今の地球にもこの領域から追放されて下って来た人々が、本人たちはそれとは知らずに生活しているのです。あなたがその1人かも知れません。
では、なぜイエスがこの“途上”を神の王国と表現したのかというと、地球人たちにはそこがあまりに遠い世界で、あまりにレベルの低い我々にとってそこは遥か彼方の地球とは比べ物にならないくらい平安な地だからです。
そこより上に昇ることは、まずそこに来てから考えれば良いことなのです。それ程地球人たちにとっては、そこへ上ることが難しいことだからです。 
現代の俗人たち
現代の地球人たちは多くが宗教理念を持たず、神を知らず、宇宙のシステムを知らず、人生の意味や目的を知らずに他者と自身を傷つけながら生活しています。
そして多くの人々は、おそらく、「天国とやらに行くよりは地球に居続けた方が良い」と考えているに違いありません。
しかし、考えてみてください。この地球には地獄もあるということを。つまり地獄のような地に生まれ変わることも有り得るのです。
独裁国家やアフリカ、インド、東南アジアでは極貧の人々が飢えて生活しています。文明の利器から遠ざけられ不自由な暮らしをしています。
もし彼らが先進国に行ったら、電気や高層ビル、豊富な食べ物に驚くことでしょう。しかし、先進国では犯罪、ストレス、病気などの悩みが蔓延しているのです。つまり都会人にも地獄はあるということです。
要するに、現代人たちが地球に残り続けたいと思うことは、極貧な国で餓え続けたいと願っているようなものなのです。
むしろ、死も病気もなく、食べ物に不自由せず、働かずに愛する人々に囲まれ、お互いを敬い合う世界へ行くべきではないでしょうか。もしそうしたければ、この地球全体をそのようになるように自身が努力することが、上の世界への道を開くことになるのです。
魂を浄化すれば(罪の贖いで苦しみ、慈悲の心を持ち行動すれば)その人は上に昇るのもここに留まるのも自由なのです。 
最後の審判
それでも尚、地球に残り続けたいと思う俗人に言わねばならない事があります。
それは最後の審判の時代が迫っているということです。
もしこの地球が平和な人々で満たされ続けたら良いのですが、善者たちは次々と上昇してしまうでしょう。
残った人々は悪人か、善人に見えても悪を償い切れていない人々になってしまいます。そして彼らが悪を続けて行くとやがて地球の滅びの時が来るでしょう。
これは地球が無くなると言っているのではありません。人類の滅びがあるだろうと言っているのです。つまり、いつまでも地球に残り続けるわけにはいかないということです。
しかし、怖がる必要はありません。苦しくても心正しく生き抜こうとしている人々には、それを回避する時間が充分にあるからです。宇宙の法則を知り、人生の目的を知り、心正しく、他者を助けて人生を送れば何ら恐れることはないのです。
社会や文明に惑わされてはいけません。
ヨシュアは「ヨシュア記」の最後でイスラエルの民にこう言っています。「神に仕えるか、欲望のままに生きるか選べ」と。
すなわち、神は人類に善や正義を強制していないということです。聖貧だが後の喜びを掴むか、欲にまみれていずれ滅ぶかは、我々次第なのだと言っているのです。 
 
天国と地獄 4 ・大光明世界

 

立教の目的 
「大光明世界の建設」 (昭和10年)
明けまして御芽出度う御座います。お蔭を持ちまして大日本観音会も発会の運びになりまして非常にお芽出度い事と存じます。この発会はもっと遅い積りでありましたけれど観音様の方で非常にお急ぎになられたのであります。二十三日に応神堂で観音会の発会式を挙げましたがそれは極く少数の幹部の方と将来支部長になられる方々ばかりでありました。それまでは未だ本部の位置等は未定でありましたが、二十三日の晩に観音様からお知らせがあって元大本の分所たるこの家で本部の発会式を挙げろというのであります。全然夢にも思わぬことで喫驚(びっくり)したような訳であります。そうなってみるとここで本部の発会式を挙げらるべき理由もたしかにあるんであります。それで早速、二十四日から準備にとりかかりまして発会式を挙げる事を得たのは結構と思うのであります。それにつきましては今後の観音会の目的及び活動そういう予定等豊富にあるものをここで大体をお話し申上げたいと思うのであります。
その前に一寸申上げたい事がありますが、観音会の会報として「東方の光」という機関紙を発行致します。これは二十三日に第一号が出るはずになっております。出来ましたら皆様にお送り致すことになっております。も一つは「光明世界」と云う月刊雑誌でこれも第一号が二月の四日、節分の日に発行するはずになっておりますから両方共宣伝用に大いに、御利用願いたいと思います。「東方の光」はたゞで差上げたいと思っております。宣伝用にまとめて何十部とか何百部とかになれば一部二銭位の代金を頂くようになるかも知れません。「光明世界」の方は今の所一部、二三十銭位でお頒ち出来る予定であります。最初は菊版で五十頁位の予定でありますが、だんだん部数が増えるにつれて百頁位にするつもりであります。
今晩は観音会の目的たる大光明世界建設の事についてお話したいと思います。大光明世界というのは読んで字のごとく観音の光に依って闇のない世界が出来るのであります。闇の無い世界と云う事は苦しみ悩みのない世界、罪悪のない世界であります。こういう世の中が来ればいゝ、こういう世の中を造りたいという事は何千年前からもろもろの聖賢、あるいは大宗教家等が大いに教を説き、骨を折ったんであります。所がそういう世界は今日まで出来なかった、それに似たような世界さえ未だ出来ません、それはただ人類の理想だけにとどまるものとされて、そういう世界が果して出来るかどうか疑わしいというのが今日までの状態でありました。所がそういう世界は確かに出来るんであります。今や大急転回を以って出来んとしつつあるんであります。それで、私はちょうど今から七年前に、観音、即ち伊都能売之大神様から知らされたんであります。その時には未だ本当に出来るかどうか、正直を申しますと多少は迷いがないでもなかったんであります。ところがその頃から今日まで数限りない奇蹟を見せられました。到底人智や経験でははかれない、説明出来ない驚くべきものなのであります。その奇蹟たるや、ことごとく大光明世界の出来るという事を裏書し絶対に間違いないと言う事を示されたので益々信念が強くなり、もう自分に依ってそういう世界が出来る、実は観音様が私の体を機関としてそういう世界を造られることが一点の間違いないという事が判って来たのであります。
私は元来とても用心深い性(たち)で表面は大まかのようでありますがとても綿密なんで自分で余り用心深すぎて退嬰的に思われる位であります。そういう私がこういう大きな仕事を自分がやらなければ仕様がない、この世界人類に真理を知らせ救わなければならない、観音様の方でもどうしても私にさせるべく私に大きな力を貸されるのであります。それで私は先の先までの種々な事を知らされたのですが一寸も間違いなく実際に出て来つつあるんです。
昔から五六七の世とか、地上天国とか、甘露台の世とか、義農の世とかが来ることを予言されていますがそれは本当であるという事が解ったのであります。それで今度私がやらされる事、創らされるそれが、それなんだという事がはっきり判ったのであります。しからばその根本は何であるかというと、それは観音の力であります。この力、観音力というものは今まで本当に世の中に現われた事がなかったのです。釈迦が慈悲を説き、基督(キリスト)が愛を説いたり、又種々な聖者が人間に道を伝え、よく説いたが、説いた事は説いたがそれを行わせる力がなかった。相当に行わせたか知れないけれど全部はとても世界人類全体には行わせる事は出来なかった。その為に、悉くが予言や、理想に止ってしまって、その目的の世は今日まで実現されなかったんであります。そうして今日までに人類世界がはなはだしく堕落し混乱したのはつまり、その宗教や、道徳に相当の力はあったが絶対の力がなかった。言わば力が足らなかった為めに悪に負けたんであります。いよいよ天の時が来て絶対の力が今度これから地上に現われるのであります。何千年の間、人類が知らなかった力が出るのでありますから、種々と想像もつかない事が、今後は出て来るでありましょう。それで今日までの宗教を観察してみるとどれも完全な教はなかった。
たとえてみますと仏教でいう大乗と小乗であります。小乗とは利己的信仰で大乗は利他の信仰のように解釈しておりますけれどこの解釈は未だ本当じゃないのですが、仮りにそういうものと仮定しても実は小乗も大乗も間違っているのであります。今日の小乗的信仰とは個人の利益、つまり自分が安楽に暮せばいゝ自分の家族一族が幸せに暮せればいゝ、社会とか、国家とか、人類とか、そういうものには一切関心をもたぬ、世によくある家内安全無病息災商売繁昌などと拝むありがた信仰がありますがこれが即ち個人本位の信仰であります。次に大乗的信仰と称するのは全然、これと反対で、社会とか、国家とか、世界人類とか、そういう大きい事を対象として自分の事を無視するのであります。兄弟親子と別れ家庭を犠牲にしてでも世の為に尽すというのであります。これは一応はなはだ立派なように見えます。なる程大きい救いの為に自己を犠牲にしてやるという事は大変悲壮であって、立派であるが、矢張りこれも真理から言って間違っているのであります。ただ特殊の場合、止むを得ぬ事情に際会した時を除く外、平常滅多にあるものではないのです。それで小乗でも駄目、大乗でも駄目だという事は明らかであります。しからば、一体どうする事が本当なのかと言えばそれは小乗にもあらず大乗にも非ず又小乗であって大乗であるという事であります。それはある場合には小乗で行き、ある場合は大乗でゆく、その時と、場合、又人に依って種々に変化する事であります。例えば暑い時は単衣物を着、少し涼しくなるとセルを着、袷衣(あわせ)を着、寒くなれば綿入れを着ると言うようなわけで対象、環境によって即ち地所位に応じて変化する事、それが本当なのであります。
それですから、小乗的信仰利己的信仰では到底人類は救われないはずで利己が衝突して争となり、それが大きくなれば戦争となるのであります。と、言って大乗的信仰の一身を犠牲にしても世界人類の為に尽すと言う事は一寸間違っていないように見えますがこういう信仰や、こういうやり方で各時代に多勢の人が散々やって来たのでありますが今日まで理想世界が実現しなかったという事は、駄目だという事を瞭(あきら)かに証明しております。その理由を言うよりは結果を見たら一番判る事と思うのであります。現在でも、そう言う型の宗教を見た時実に悲しむべく、悲惨な感じがします。世界人類の為め総てを犠牲にするのは結構だが自分自身が行詰っってしまうからついには親子兄弟親戚にまで迷惑をかけ家庭は不和になり、周囲の人達からは排斥されて孤独に陥りつつもなおこれも神様の為だみな神の試練だと言って、そうなればなる程ほとんど意地づくにさえなって来て、やって行く、そうすればする程なおなお周囲から誤解され排斥されて二進も三進も行かなくなりこちらが救うというよりは却って人から救われなければ食って行けないようになって来る。こういう型があらゆる宗教に見えるのであります。これでは何で天国が出来るものではありません。
世界が天国になる事はまず世界を構成している単位を考えれば判るのであります。それは結局人間であります。世界は人間の集合体で国が出来、国は市町村から成り、市町村は家から成り、家は個人から成っています、ですから単位たる個人が救われねば世界は救われるはずはないのであります。従って個人の利益のみ主とする小乗的信仰も間違っておれば個人を犠牲にする大乗的信仰も間違っているんであります。ツマリ両方共良くなり全体が救われなければならないのであります。個人が救われ完成し、それが拡(ひろが)って世界が救われ、完成されるのでありますからまず個人が救われ完成しなければならないのであります。一軒の家が世界の型とすれば一家が天国になって救われて世界は救われる訳であります。今までにそういう説はあるにはありましたが到底実現はせないものと諦められていたのであります。それはその開祖なりその宗教なりに力が足りなかった為であります。今後いよいよ観音力に依ってそれが必ず完成する事になったのであります。
それでこれを最も解り易くいえば病と貧と争の無い世界、病貧争のない家庭が出来る事であります。病貧争は小三災たる飢病戦と同じ事でありますが病貧争と言った方が何だかピッタリすると思います。これが絶滅するんであります。果してそれが出来るか。必ず出来るんであります。観音様を信仰すれば絶対に出来るんであります。今まではそれが出来なかった、どんな立派な信仰をしても病貧争のない家庭は出来なかったがそれが今度は出来るのであります。事実観音会に今、入ってる御方で沢山そうなって居るんであります。なってる人と、ならんとしつつある人と、近づきつつある人が沢山あります。大光明世界の建設は難しいように思うが、そう難しくはないのであります。つまり病貧争の無い家庭が世界中に満ちればよいのであります。それでここに世界は始めて真の平和に浴する事が出来るのであります。観音力とは昔からいう東方の光であります。いつ、どこからともなくこういう言葉が昔、出来たと言う事は非常に不思議な事であります。
私も七年前昭和三年の二月節分の日から東方の光についていろいろと観音様から知らされたのであります。じっとして時の到るのを待っていました、否、準備をして居ました。それについて東光男という方がこれは今日お見えになっていますが皆様もよく御存じの事と思いますが、東の光る男と言う名刺を出して面会したいと云うので一目見て驚いたのであります。全然知らない方でありますが昨年の十月十一日に突然お見えになりまして二十年も前から観音力を持った人が出現する事を神様から知らされ霊感に依って今年は必ず見当るという事を知り、しかも御自分の宅(御住居は渋谷区)より東の方に最早や現われているという事を知られ麹町に見当をつけて尋ねておられましたが、フトある人に私の事を聞いて応神堂へ訪ねて来られたのであります。それで私は、それは私に違いないと言う事を話したので、それでは写真を撮らしてくれという事で撮ったのが御存じの千手観音の霊写真であります。それが東方の光の現われる第一歩の経綸でこの東方の光の最初の仕事が千手観音様の御出現と、御働きなのであります。それは昨年の九月であります、腹の中で観音様がいよいよ千手観音の姿を描けとの事で早速準備にかかりまして漸く十月の五日から描き初めたのであります。そして描き始めてから三分の一位まで描けた時にただ今申したように東氏が来られ写真を撮られたのでありますが、その写真は千手観音はこういう風に描かなければいけないという事を御示しになったのであります。それで直ぐに描き直したような訳であります。
それからなぜ今日、東方の光が出たかというとそれは今日の文明文化というものは残らず西から入って来たものであります。中国文明も西の文明であります。これも先刻詠みました讃歌に「西方の文明釐(ただ)し永遠に栄ゆる東の道建つるなり」というのでお判りの事と思います。西洋文明の誤謬は近頃大分判りかけて来たようであります。又満州事変以来日本が躍進して来た結果、西洋は今までのように尊敬が払えなくなって来た。これも時節であります。西洋文明が広まった結果、世界はどうなったかというとなる程科学的には非常な利便をうけ、大きな恩恵を蒙っている事は感謝の至りに堪えない次第だが一方精神的には個人主義、利己本位に堕落し到るところに闘争が絶えないという悲惨な状態になったのであります。この間、私は某陸軍中将の講演を聴きましたが、どうしても日本の皇道でなければ救われない。西洋文明は闘争の文明であるからこれは大和魂、即ち利他的精神に依って救わなければ方法がない、このままでゆけば日本はおろか世界全体が行詰って、どうにもこうにもならなくなると言って居りました。これは実にその通りであって吾々も常にそう思って来たのであります。今日欧米各国が手も足も出ず、一歩々々衰えてゆく状態を見ても充分解る事と思います。本当は戦争が勃発すべき状態に置かれている世界でありますが、この間のユーゴースラビヤの皇帝が殺された、あの時でもとにかく戦争が起らずに済んだ。それは全く各国共疲れ切っているから、戦う力の無い為めだったという事であります。故に現在ヨーロッパの平和なるものは、腹が減って戦が出来ない同志だから保たれて居るに過ぎないと思えば間違いないでしょう。将来、腹が出来た暁を考えれば、どうなるか考えるまでもない事であります。又、ひるがえって日本国内を見ても政治に、経済に、教育に、あらゆる方面に渉って行き詰り西洋精神の破産という事が実に明かに見えるのであります。日本も最初は東洋文明、即ち中国文明が、又印度の仏教が入り充分吸収した頃に西洋文明が入って来ました。これは大に意味のある事であります。
ここでザット歴史をふりかえって見ましょう。
最初世界は中国、印度の東洋文明が興り、今日の欧羅巴文明のごとく永い間、世界を風靡しそれが西漸して埃及(エジプト)、希臘(ギリシャ)、アッシリヤ等の文明へ移り、羅馬(ローマ)文明を経て今日のごとき西洋文明が発達したのでありますが、この最初に東洋文明が興り次に西洋文明が興ったという事は神が世界経綸の上について実に深甚なる意味と用意があるのであります。即ち東洋文明は霊的経(たて)の文明であり、西洋文明は体的緯(よこ)の文明であります。ですから今日までに経と緯との二大文明の見本が一通り出来たのであります。又大小から言うと東洋は小乗文明であり西洋は大乗文明であります、東洋思想が独善的孤立的であり、西洋思想が横に拡がってゆく形を見ても判る事と思います。ところがどちらの文明といえども充分発達し爛熟期に入れば行詰ってどうにもならなくなる。ちょうど今日の西洋文明の状態がそれなのであります。先程申しました小乗でも駄目、大乗でも駄目だという事はここの事なのであります。それでこの二大文明はどこへ行くという事です、これがこの観音会の使命になるのであります。この二大文明は最後に結ばれるのが、神定の経綸であります。結ばれる地点は我が日本であり、結ぶ時がこれからなのであります、ちょうど夫婦が出来るのであります、東洋というお婿さんと、西洋というお嫁さんと結婚するのであります、その媒酌人が観音様であります。そうして生れた児供その児供が真文明人類待望の理想世界であり、地上天国ミロクの世なのであります、この結婚をさして玉のような児を生ませる空前の大事業を遂行するその力が即ち観音力なのであります。
今日の非常時とは、その文明の生みの悩みであります。経緯(たてよこ)を結ぶ十字の形が出来ようとする最後の時であり、又、最初の時なのであります、観音会の紋。これは昔からあるのですが[逆卍]紋はその意味のしるしであります、十字に結んでその端が折れて居るのは、結んでから回転を始める形であります。回転とは経綸であります、左進右退に回転する事であります。そうしてこの経緯が結ばれ十字になったら大変なのであります。これが霊体一致の力と申しまして絶大な力が生れるのであります。それを称して観音力といい、東方の光というのであります。今日までに西方から来た文明、それが九分九厘のところで極東日本神国の中心地点に顕現された光明、それが東方の光であります。この東方の光によって今まで東漸しつつあった西方文明、破綻すべき運命にあった文明を更生醇化し経緯を渾然調和融合したる理想文明が生まれ永遠に栄えの光明の道となって、今度は逆に西漸してゆくのであります。その事をいつの頃からか無論千年も二千年も前からでしょう、東方の光という言葉によって現わされていたのですが、実に不思議と申すより外はないのであります。で、この東方の光の経綸の始りが今日の発会式になるのでありますからこれから非常な勢を以て発展してゆく事と思います。
で、千手観音様は別名、千手千眼観世音と申しまして、千の手を以て、あらゆるものに生命を与えよみがえらせ、千の御眼から放たれる御光に浴さしめて救われるのであります。西方文明が九分九厘になって行詰った時、一厘の力が出て生かすという事は、ちょうど螺旋(らせん)にたとえると能く判ります。今までは右巻きに西洋文明が進んで来たのでありますが九分九厘の瀬戸際で俄然、左巻きに変るのであります。右進左退即ち右巻は必ず破壊するもので、例えば炭団(たどん)を練っても団子をこねても左進右退なればまとまって、巧くゆくが右進左退でやると崩れてしまいます。又鍵も左様であって、閉める時は右進左退、開ける時は左進右退であってこの理屈で当てはめれば能く判ると思います。ツマリ西洋文明は右進左退の破壊文明であります。時計のゼンマイも同じであります。
これから日の本の中心、この麹町から、観音会から左巻文明を始めるのであります。そして完全無欠な文明世界、即ち吾らの目標たる大光明世界を建設するのでありますから大変な、開闢(かいびゃく)以来まだない大きな運動であります。実に想像もつかぬ事なのであります。神様の方では何千年何万年前から水も洩(もら)さぬ準備をなされて居ったのであって、いよいよその時期が来たのであります。それで今申したように一厘の仕組が千手観音の御働きという事になるので、それについて面白い事がありました。
それはこの間、暮の二十三日に応神堂へ千手観音様をお祭り致しました、その二日目の事であります。全然知らない人が偶然、一厘銭を持って来てくれたんであります。その一厘銭は表に千手観音が浮き彫になっていて裏には千手観音と四文字出て居るのであります。三四十年、古銭などを扱って居ったという道具屋に見せたところ初めて見たというて居りました。これでみても余程珍らしいものだと思います、それは今申した様に千手観音様は一厘の働きであるという事を神様が小さな事に依って知らされたのだと思います。この様な不思議は毎日あるのであります。
元来、観音様は御身体が小さくて非常な力が有るのであります。彼の浅草の観音様が僅か一寸八分でもって十八間四面の御堂に住われ日本で第一の参詣者がある事でも判ると思います。ここでついでに申しますが観音様は一寸八分とか、十八間四面とかすべて十八の数でありますが、これは五六七(ミロク)様が御本体が観音様でありますからです。ミロクとは五六七と書きます。五六七を合計すれば十八の数になります。又三六十八でもあります。又十は神であり、八は寄せると人と云う字になります、ですから十八は神人という事にもなり又十八は十は結びの形、八は開く形ですから経緯結んで開くという意味にもなります。一厘の力は小さくても非常な力であります。いかなる悪魔の力も敵わないのでこの力で始めて全世界の一切が救われるのであります。
今度はこの力を以ってあらゆるものを日本文明に依って支配する事になるのであります。今、世界を見ますと英米仏等が各殖民地を有し、沢山な国を支配しております。又種々の方面や物を征服しております。霊的に見ますと日本も遂この間までは上下あらゆるものが西洋に支配されていました。満州事変以前までは実にはなはだしかったのであります、国民の大部分が英国や米国、露西亜(ロシア)等の文物を崇拝し、これを真似んとして一生懸命でありました。これらを見れば形は日本人であっても精神はスッカリ西洋に支配されて居ったのであります。ほとんどあらゆるものが西洋に掌握されておったのであります。それをこれから日本が握りかえすのであります。千手観音様の御働きによって、そうなるのであります。吾々はその機関に過ぎないのであります。しかしこれは絶対の力によってそうなるのであります。チャンとそう太初から神様が御計画なされて決っているのであります。その事を吾々は全人類に向って知らせるのであり、世界全体をして東方に眼を向けさせるのであります。これによって滅ぶべき文明危機に際する人類を観音様に救って頂くのであります。そして風水火の大三災、飢病戦の小三災を絶無ならしむるのであります。病貧争のない永遠の平和と栄え尽きざる大光明世界を建設するのであります。この意味において今日の発会式は何千年来未だ無いところの重大な意義があるのであります。 
「病貧争絶無の世界」 (昭和10年)
病貧争絶無の世界などと言えば、それは、理想であって、到底実現し得らるるものではないと世人はいうに決まっている。しかるに、我運動は、その可能を確信して憚(はばか)らないのである。しからば、病貧争を絶無ならしむる、その根本は、何であるかといえば、それは、何と言っても、病気の絶滅である。まず、人が病気に罹るとする、その為の費用と職務につけない損失と、二重の負担は、病気が長びけば長びく程、いやが上にも累(かさ)んで、大抵の財産は失くなってしまう、長年汗で貯めた貯金も費い尽し、親戚知人からは、借りるだけは借り尽し、去年まではいとも饒(ゆた)かに、平和に、楽しく暮していた家庭も、今は、見る影もない、ドン底に陥って終って、貧と病苦に喘(あえ)いでいるという実例は世間余りにもすくなくないのである。しかも、一人の重病者が出来た場合、その本人のみかは、その家族全体が無限責任を負わされる。親戚知人は固より、時に依っては勤め先までさえに、大なり小なりの痛手を蒙らせるのである。故に、病人だけが苦しむばかりか、四人も五人もの家族から、外部の者にまで打撃を与えるという結果は恐ろしい事である。死ぬ程の病人が、二三人も続いたとしたら、まず万以上の財産家といえども、裏長屋へ引っ込むの止むを得ない境遇になるのは、数多くの実例が示している。人々が貯蓄をするのに、二つの目的がある。一つは、財産を造ろうとするものと、一つは病気の場合の治療費に充てる為とである。前者は、積極的で、後者は、消極的であるが、この消極的貯蓄の方が、断然多い事は、誰でも知っている。
故に、貧乏の最大原因は、病気であると断定しても否定は出来まい、次いで、争であるが、国と言わず、人と言わず、その最大原因は、経済上からである事も、又悉知(しっち)の事柄である。故に、病貧争を絶無ならしむるとしたら、まず、根原である病気から解決付けてゆくのが本当の順序だ。病気のない人間、これが先決問題である。いかなる救いといえども、それより外にありようはずがない。しかしてこれを実現する力こそ、観音力を措いて外に、絶対にないのである。故に、こんな素晴しい事業は、釈迦、基督といえども、夢想だもしなかった事であって、これを信じ得る人こそは、未だ嘗(かつ)てない幸福者であると言えよう。 
「観音運動とは何か」 (昭和11年)
一、観音運動に、二大目標あり、一は、宗教の是正と、一は、医学の革正なり。
一、観音運動は、人間の完成を目的とす、人間の完成とは、健全なる精神と、健康なる肉体保持者を造るに在り。
一、真の宗教は、人間の精神を健全に、真の医術は、人間の肉体を健康にす。
一、迷信と狂信は、不幸者と、精神変質者を造り、誤れる医術は、不健康者たらしむ。
一、現在の宗教に、二種あり、一は、宗教理論と、社会事業に没頭して、宗教的無力を暴露し、一は、奇矯なる言説や、不透明なる宗教行為に依って、迷信を助長す。
一、現代医術は、外観頗(すこぶ)る、進歩せるごとくなるも、その実績において、いかに無力なるかは病者と弱体者の、激増にみて瞭(あき)らかなり。
一、これを要するに、困難の克服と、社会苦の解決は、健全人間を造るにあり。
一、健全人間を造る、根本義は、真実にして、力ある宗教と、力ある医術の創建にあり。
一、躍進日本よ、楽観するなかれ、何となれば白色の台風は、極東の喬木(きょうぼく)を打ち倒すべく、今や、吹き出でんとすなり。
一、同胞よ、健全なる精神と、健康なる肉体を保有して、必然に吹く、白色台風に抗すべき準備をせよ。
一、我らは、健全人間を造る、要諦は、観音力の発揮によってのみ、可能なる事を信ず。 
霊界の存在について

 

「道徳の根源」 (昭和18年)
昔から論語読みの論語知らずという言葉がある。これは勿論、いかに立派な本を読み、説話を聞くといえども、実践躬行(じっせんきゅうこう)しなければ何にもならないという事である。しかしながら、読み聞きした時、非常に感激したに係わらず、なぜ実践し得ないかという事を、私は説いてみよう。
右の原因としては、霊及び霊界の存在を知らないからである。それは今日まで、真に知らしめ得べき著書がなかったにもよる為であろう。勿論、神仏基等の大宗教を初め、その他の宗教、哲学、道徳等のあらゆる著書において、徹底的に説示されたものはなかったという事が最大原因であろう。しかしながらなぜそうであったかといえば、それは全く夜の世界なるが為一切が開明し能(あた)わなかったからである。
ここに時来って、昼の世界即ち光明遍(あまね)き時代となったその事によって、過去における不透明であった事象の一切が赤裸々に、掌(たなごころ)を指すがごとく闡明(せんめい)せられるようになった事である。故に、ここに初めて、道徳の根本が確立すると共に、何人といえども、実践躬行しない訳にはゆかない時となったのである。それらについて順次解説してみよう。 
「未知の世界」 (昭和18年)
私はこれから、未知の世界を説こうとするのである。未知の世界とは、いうまでもなく死後の世界である。人間はいかに幸福であり、いかに健康であっても、いずれは死という事は、絶対免れ得ない運命である事は判り切った話である。ある西洋の哲人はいった。「人間は生れると同時に、死の宣告を受けている。」・・・と蓋(けだ)し至言であろう。昔から安心立命という言葉がある。しかしながら、それは生命のある期間だけの安心立命を称えるのであるが、私の考えでは、それだけでは人間は心から満足し得らるるものではない。真の安心立命とは、死後は固より未来永劫を通じての安心立命でなくてはならないのである。
しからば、そのような永遠的安心立命なるものは得らるべきものであるかという事であるが、私は確信を以て応えるのである。それは死後の世界の存在を知る事によって可能である。勿論死後の世界とは、一度は必ず往くべきところであるが、一般人としては、人間は誰しも、現在呼吸しているこの娑婆世界のみが人間に与えられたる世界であって、他に別の世界など在りようはずがない・・・と確(かた)く信じているのである。
しかるに何ぞ知らん、未知境である別の世界は、厳然として存在している事である。従って、人間なるものは現世界から死後の世界即ち霊界へ往き、霊界からまた現界へ生れるというように、二つの世界を交互に無窮に往来しているのである。しかるに、厄介な事には、霊界なるものは、人間の五感によって識る事を得ない、・・・虚無と同様である為信じ難いのであるが、何らかの方法によって実在を把握出来得れば信じない訳にはゆかないのである。それは私が霊と霊界の存在を確め得た・・・その経験を読むにおいて何人といえどもある程度信じ得らるるであろうし、この事を知るに及んで、真の安心立命を得らるべき事は疑いないのである。 
「未知の世界」 (昭和22年)
吾々が生を保ち、呼吸しつつあるところのこの世界は物質界であり、第一世界であるが、人の死するや霊界なる未知の世界ーすなわち第二世界の人間となるのである。この未知の世界は眼に見えず、捕捉する能(あた)わず、無となんら異ならざる世界なるが故に、一片の説明や文字の羅列等では到底信じ得られない事である。しかるに、実は霊界は真の無にあらずして確固たる実在である以上、なんらかの形式によって現象に現われなくてはならない筈である。否人事百般古今東西到るところに、大中小、微に入り細にわたって表現されているが、ただそれが人間に感受され得ないというだけである。この事は既成文化の教育が、霊に対しあまりに無関心であったがためで、それは夜の世界であったからである。何となれば夜の暗さは漸く月光に映し出され得る程度に過ぎないが、昼間の太陽の光は全般的に、瞬間的に一切が明々白々に知り得るからである。しかるに、いよいよ近き将来においては未知の世界は有知の世界となり、月光世界は太陽世界すなわち大光明世界となるのである。その結果一切の秘密も偽りも誤謬も、白日下に暴露されるのである。この意味においてまず私によって既存医学の誤謬発見となったのである。 
「霊界叢談序文」 (昭和24年)
この著は私が二十数年間にわたって探究し得た霊界の事象を、出来るだけ正確を期し書いたもので、もちろん作為や誇張などはいささかもないつもりである。そもそも今日学問も人智も進歩したというが、それは形而下の進歩であって、形而上の進歩は洵(まこと)に遅々たるものである。文化の進歩とは形而上も形而下も歩調を揃えて進みゆくところに真の価値があるのである。文化が素晴しい進歩を遂げつつあるに拘わらず、人間の幸福がそれに伴わないという事は、その主因たるや前述のごとく跛行的進歩であるからである。これを言い換えれば体的文化のみ進んで、霊的文化が遅れていたからである。この意味において私は、霊的文化の飛躍によって、人類に対し一大覚醒を促がさんとするのである。とはいえ元々霊的事象は人間の五感に触れないものであるから、その実在を把握せしめんとするには非常な困難が伴うのである。しかしながら無のものを有とするのではなく、有のものを有とする以上、目的を達し得ない筈はないと確信するのである。
そうしてこの霊的事象を信ずる事によって、いかに絶大なる幸福の原理を把握し得らるるかは余りにも明らかである。故にいかなる信仰をなす場合においても、この霊的事象を深く知らない限り真の安心立命は得られない事である。それについて稽(こた)うべき事は、人間は誰でも一度は必ず死ぬという判り切った事であるに拘わらず、死後はどうなるかという事はほとんど判り得なかった。考えてもみるがいい、人間長生きをするとしてもせいぜい七、八十歳位までであろうが、それで万事お終いであっては実に儚ない人生ではないか、これは全く死後霊界生活のある事を知らないからの事で、この事を深く知り得たとしたら、人生は生くるも楽しく死するも楽しいという事になり、永遠の幸福者たり得る訳である。以上述べたごとき意味においてこの著をかいたのである。 
「霊界の存在」 (昭和24年)
そもそも、人間は何がためにこの世に生まれて来たものであろうか。この事をまず認識せねばならない。それは神は地上経綸の目的たる理想世界を建設せんがため人間を造り、それぞれの使命を与え、神の意図のままに活動させ給うのである。原始時代から今日のごとき絢爛(けんらん)たる文化時代に進展せしめたのも、現代のごとき人間智能の発達もそれがために外ならない。そうして人間なる高等生物は素より、他のあらゆる生物否植物、鉱物、その他形体を有する限りのあらゆる物質は霊と体の二要素によって形成されたものであって、いかなる物といえども霊が分離すれば亡滅するのであるが、ここでは人間のみについて説明してみよう。
そもそも人間の肉体は老衰、病気、大出血等によって使用に堪え得なくなった場合、霊は肉体を捨てて離脱し、霊界に赴き霊界人となり霊界生活が始まるのである。これは世界いかなる人種も同様で、その例として第一次欧州大戦後英国において当時の紙価を高からしめたオリヴァー・ロッジ卿の名著「死後の生存」であるが、その内容は著者ロッジ卿の息子が欧州戦争に出征し、ベルギーにおいて戦死し、その霊が父ロッジ卿に対し種々の手段をもって霊界通信をおびただしく贈った、それの記録であって、当時各国人は争って読み、それが動機となって霊界研究は俄然として勃興し、研究熱が盛んになると共に、優秀なる霊媒も続出したのである。また彼の有名なるベルギーの文豪青い鳥の著者故メーテルリンク氏も心霊の実在を知って、彼の有名なる運命観は一変し、心霊学徒として熱心な研究に入ったという事は、その方面に誰知らぬ者もない事実である。しかもその後フランスのワード博士の名著霊界探検記が出版され、心霊研究はいよいよ盛んになったという事である。ワード博士に到っては霊界探究がすこぶる徹底的で、同博士は一週に一回一時間位、椅子に座したまま無我の境地に入り、霊界へ赴くのである。その際博士の伯父の霊が博士の霊を引連れ霊界のあらゆる方面に対し、つぶさに霊界の実相を指示教導されて出来た記録であるが、その際友人知己の霊も種々の指導的役割をなし、博士の霊界知識を豊富にしたという事である。これはなかなか興味もあり、霊界生活を知る上において大いに参考になるから、読者は一度読まれん事を望むのである。もちろん西洋の霊界は日本とは余程相違のある点はやむを得ないが、私は最後において、日本及び泰西(たいせい)における霊界事象を種々の実例をもって解説するつもりである。十数年前、英国よりの通信によれば同国においては数百の心霊研究会が生まれて盛んに活動しつつある事や、心霊大学まで創設されたという事を聞及んでいたが、その後大戦のためいかようになったか、今日の実状を知りたいと思っている。さて霊界の種々相について漸次説いてみよう。 
「明日の文化」 (昭和18年)
私はこれから、霊及び霊界について、あらゆる方法を以て、約二十年間の研究によって得たる成果を発表しようとするのである。元来、霊なるものは、空漠として無に等しいものである以上、今直ちに実証的に確認し得られる方法はないのであるから、勿論学問として唯物的に成立させ得る事は困難である。しかしながら、さきにも述べたごとく、停止する事を知らない科学の進歩は、学問的に、機械的に何人にも把握出来得るようになるであろう事は信じて疑わないのである。吾々が今日、大なる恩恵に浴しつつある現代科学といえども、その初めはその時代の先覚者達が、夢にも等しい空想を描いた事が基礎となり、それがついに現実化し、学問的重要分野と成った事は明かな事実である。この意味によってみても、霊の存在が確認され、霊科学が学問としての重要部門を占めるようになる事も時日の問題でしかあるまい。たとえていうならば、今日野蛮未開人に対しこの空間には空気なる物質が存在するという事を、いか程説明しても信じないであろう事は今日の文化人に対し、霊及び霊界の存在を説明するとしても信じないであろう事と等しいと思うのである。しかしながら、霊の実在を知る事によって事物を観察する時、まことによく透徹し、矛盾や撞着等のおそれのない事である。のみならず唯物的科学を批判する場合といえども、その根源の剔出(てきしゅつ)が容易である事である。この様な素晴しい力の発現はそれ自体が真理であるからである。
この意味において、現在進みつつある世界の大転換も、その後における新しく生れるであろう新文化に対しての想像もつくであろう。しからば、大転換以後の文化とはいかなるものであろうか、それは勿論、霊的文化の発生と、その飛躍であらねばならない。そうして霊と物質との関係がある程度闡明(せんめい)する事によって、既成文化の躍進もまた素晴しいものがあろう。それは勿論、時は戦後であり、発生基地は、日本でなくてはならないのである。そうして、空気が機械文明の発達によってその実体を把握し、人類に役立つものたらしめたと同様の意味において、今より一層機械が発達した暁、霊の実在を測定し、それを有用化するという事も、決して夢想ではないであろう。ただ私は、霊と病気との関係を研究しつつ、ついに霊なるものの実体・因果関係等を知るに到ったのである。そうして、それらは人間の病原のみではなく、森羅万象あらゆる物の変化、流転等にまで、密接な関係のある事を知り得たのである。しかしながらこの著述は、病気の解決が主である以上、大体その方針を以て説き進めるのである。そうして、霊的科学を有用化し、人間の健康に対し、驚くべき偉力を発揮出来得るように大成さしたその事が、この日本医術なるもので、ただ時代より先んじたまでである。
又、霊なるものの実在を人類に知らしめる第一歩としては、霊の実体を誰の眼にも見得るような方法が生れなければならない。それについて、私は一のヒントを与えようと思うのである。先年、ある本に書いてあった。西洋の霊科学者の一人が霊衣を見得る方法を発見したというのである。それはディシャニンなる薬剤を硝子(ガラス)に応用すれば、霊を視得るというのであるが、これは、充分の成果は挙げ得なかったとみえて、その後立消えになったようである。
ここで、考慮すべき事は、写真のレンズである。西洋においても日本においても、幽霊写真なるものが、今日まで相当映写されている。私も相当多数見たのであるが、真なるものと偽なるものとの両方ある事である。しかるに科学者は、霊写真は全部作り物であるとなし、又、霊の研究者は、大抵真とするような傾向があるが、私のみる所では、偽もあるが、真なるものも確かにあるのである。従って、写真のレンズは人間の肉眼よりも数倍物体映像の力即ち密度に対する敏感性を有しているのであるから、この理を推進めレンズの一層進歩した物が出来れば霊の映写は可能となるであろう。右のごとく、精巧なるレンズが成功するか又は新しい光線の発見があるとすれば人体に対し、今日のX光線のごとき装置を以て霊視する時、霊衣及びその曇は掌(たなごころ)を指すごとく視得るであろうから、その曇を施術者より放射する光波によって解溶するという状態をみた時、いかなる唯物論者といえども、霊医術の価値を信じない訳にはゆかないであろう。ここに到って初めて、霊科学は学問の一分野となるであろう。
そうして右の原理は、X光線の反対でなければならないのである。それはX光線においては、骨とか金属とかいう、密度の高いもの程光線が透過せず、それが顕出するのであるが霊を浮び出すにはその逆で、物質的密度の高い程通過し、霊の密度の高いもの程捕捉顕出するという方法でなければならないのである。又、右以外、写真の乾板を進歩改良させる方法である。たとえていえば、今日の赤外線写真のごとき、特殊の映像法の発明であって、それは現在の乾板でさえ、たまたま霊が映る位であるから、左程難事ではないと思うのである。従って、その方面の専門家諸君に対し、研究を望むものである。 
「一の世界」 (昭和26年)
そもそも、現代文明を検討して見る時、その構成は唯物科学が基本であることは言うまでもないが、今それについて詳しくかいてみよう。それについてまず知っておかなければならない事は、大宇宙の構成である。といっても人間に直接関係のない事は省き、重要な点だけをかいてみるが、本来宇宙なるものは、太陽、月球、地球の三つの原素から成立っている。そうしてこの三つの原素とは火、水、土の精で、その現われが霊界、空気界、現象界のこの三つの世界であって、これがよく融合調和されているのが実相である。ところが今日まではこの三原素中の二原素である空気界と現象界(物質界)だけが判っていたばかりで、この二原素の外に今一つの霊界なるものの在る事が分っていなかったのである。というのは唯物科学では、全然把握する事が出来なかったからである。従って、右の二つだけの進歩によって出来たのが、現在のごとき唯物文化であるから、つまり三分の二だけの文化という訳である。
ところが何ぞ知らん、この無とされて来た三分の一の霊界こそ、実は二と三を二つ合せたよりも重要な、基本的力の中心であるから、これを無視しては完全な文明は生まれるはずはないのである。何よりも二つの文化がこれほど発達したにかかわらず、人類唯一の欲求である幸福が、それに伴わないのがよくそれを示している。従って今この矛盾の根本を充分検討してみると、これには深い理由のある事を発見するのである。というのはもし人類が、初めから一の霊界のある事を知ったとしたら、物質文明は今日のごとく、素晴しい発達を遂げ得なかったに違いない。何となれば霊界を無視したればこそ、無神思想が生まれ、その思想から悪が発生し、その結果善と悪との闘争となり、人類は苦悩に苛(さいな)まれつつ、ついに唯物文化の発達を余儀なくさせられたからである。これを深く考えれば、全く深甚なる神の経綸でなくて何であろう。ところが物質文化がある程度発達するや、それ以上は反って文化の破綻を来すおそれが生じて来た。何よりも彼の原子爆弾の発見で、もちろんこれもその一つの表われではあるが、ここに到っては最早文化の進歩に対し、一大転換が行われなければならない天の時となったのである。その第一歩として、無とされていた一の霊界の存在を普く人類に明示される事となった。といっても無の存在である以上、その方法たるや、科学では無論不可能である。そこでいまだかつて人類の経験にない程の偉大なる力の発揮である。すなわち神の力である。ところが長い間唯物主観に固まっていた現代人であるから、納得させるには非常な困難が伴うのであるが、これに対し本教が行う唯一の方法としての奇蹟がある。すなわち本教の浄霊法こそそれである。これによっていかなる無神論者といえども、一挙に承服せずには措(お)かないからである。従ってこの事が普く人類社会に知れ亘(わた)るにおいては、世界共通の真文明が生まれんとして、現代文化は百八十度の転換を、余儀なくされるであろう。
ところがここに残された厄介な問題がある。それは何千何万年も掛って、今日のごとき文化を作り上げたのであるから、これまでにはいかに多くの罪悪が行われたか分らない。罪悪とはもちろん霊体の汚穢で、それが溜り溜っている以上、このままでは新世界建設に障碍(しょうがい)となる。ちょうど家を建てる場合、木屑、鉋屑(かんなくず)、その他種々の塵芥(ちりあくた)が散らばっているようなものであるから、ここにその清浄作用が行われなければならないが、これもまた止むを得ないのである。キリストの最後の審判とはこれをいわれたのであろう。以上によっても判るごとく、本教が素晴しい奇蹟を数限りなく現わしているこの事実こそ、一の世界の存在を認識させるための、神の御計画でなくて何であろう。そうして神は私にこの大任を荷(にな)わせ給うたのである。 
「信仰雑話結論」 (昭和23年)
この著を読了された読者諸君の感想はどうであろうか。忌憚なき批判を聞きたいと思う。私がこの著を書いた目的は随処に見らるるごとく、この混沌たる世相に対し、確固たる宗教的信念を植付け安心立命の境地に導かんとする事であって、小にしては個人の幸福から、より良き社会への改造、大にしては人類文化の飛躍的向上と相まって、永遠の平和確立に寄与せんとするものである。これについて思う事は、原始時代から今日に到るまでの文化の進歩の跡を見る時、素晴しい発達は今更言うまでもないが、はなはだ不可解に思う事は、人間の幸福がそれに伴わない事である。文化の進歩と人間の幸福が伴わないという事に対し、何か重大なる欠陥のある事に気付かなければならない。すなわち唯物的文化に対し、唯心的文化の進歩の跡が見られない事で、いわゆる跛行的文化でしかないのである。
この意味において私は、大いに後れたる精神文化をして、ここに飛躍的発展を遂げさせなければ、人類の幸福は期し得られない事を痛感するのである。そうして精神文化の発展については、その基本観念ともいうべき霊的事象と、生と死の意義を、徹底的に知らしめなければならない。何としても見えざるものの実在を認識させようとするのであるから、非常な困難を伴う事は当然である。それにはまず私自身の体験を、出来るだけ、主観を避け事実そのままを書くのが必須の条件である。この事は今日までの宗教家が説かなければならなかったに拘わらず、それが無かったのであって、たまたま説く者ありといえども、おもに学究的理論のため一般人には難解であり、その他神憑的独善的のものや、神話的寓意的のもの等がほとんどであったから、ともすれば文字の遊戯に陥り、迷信に走り、真に人を救うべき実力あるものは見出し得ないというのが実情であった。しかも近代に到ってそれが益々はなはだしく、従って既成宗教の無力を唱える者が漸く多く、ことに知識人のほとんどは、宗教に帰依する事をもって自己の権威に関わるかに思い、触るる事さえ警戒するというような事実は、何人も知るところであろう。しかるに世相はいよいよ悪化し、その解決方法の唯一のものとして宗教を口には唱えるが、その人自身は前述のごとく関心を持たないのである。
それのみではない、終戦後の現代青年の問題である。それまで彼等が目標としていた忠君愛国主義のその目標が崩壊したるがため、大方は帰趨に迷い、ある者は絶望的虚無状態に陥り、ある者は自暴自棄となり、犯罪を犯す者さえすくなからざる現状は、洵(まこと)に由々しき問題であるにも係わらず、これに代るべき何等の目標も生れず、また指導力も現われないという現在、ことに青年学生等は経済的圧迫と相まって混迷状態に陥り、不安の日を送っている。実に大問題である。私は忌憚なくいえば、これらの問題を解決すべき力は、遺憾ながら既成宗教には見出だせない事を告白するのである。
翻(ひるがえ)っておもうに、以上述べたごとき思想問題も、社会問題も、早急に解決しなくてはならないと共に眼を海外に向ける時、これまた容易ならぬ事態の切迫に人類は兢々として不安の日を送っている事は日々新聞ラジオによって知らぬものはあるまい。さきに述べたごとく、文化の進歩と人間の幸福とが並行しない如実の姿をまざまざと見せられている。ここにおいて、起死回生的強力な宗教が出現しない限り、世界の前途は逆睹(ぎゃくと)し難いと思うのは私一人ではあるまい。 
霊界と現界について

 

「霊界と現界」 (昭和24年)
そもそも、宗教に関心を持つ場合まず徹底的に理解するには、どうしても霊界と現界との関係を知らねばならない。何となれば宗教信仰の対象は神仏であり、神仏とは霊であるからで肉眼では見る能わざる以上、理論のみによって実態を把握せんとしてもそれは木によって魚を求むるの愚である。しかしながらこの世界には神も仏も立派に実在している以上、否定し去る事ももちろん不可能である。ちょうど野蛮人に向かって空気の存在を認識させようとしてもすこぶる困難であると同様現代人の大多数に霊の実在を認識させる事の困難さはもちろんである。私はまず前提として霊界の構成、霊界人の生活等にわたってなるべく深く説明してみよう。そもそも人間とは肉体と霊体との二原素から成立っており、人間が死するや霊肉離脱し霊は直ちに霊界に入り霊界生活が始まるが、離脱の場合極善者は額から、極悪者は蹠(あし)の爪先から、一般人は腹部の中央臍部辺から霊は脱出するのであって、仏教においては死ぬ事を往生というが、これは霊界からみれば生まれ往く訳だからである。また死ぬ前を生前といい神道にては帰幽といい転帰というのも同様の理である。
そうして、霊界人となるや昔から言われている通り、まず三途の川を渡り閻魔の庁に行くのであるが、これは事実であって私が多数の霊から聞いたそれは一致している。閻魔の庁とは現界における法廷と同じである。しかも三途の川を渡り終るや屍衣の色が変化する。すなわち罪穢の最も少なきものは白、次は各薄色、青、黄、赤、黒というように、罪穢の軽重に従い右のごとき色彩となるのである。ただ紫だけは神衣としてある。閻魔の庁においては祓戸(はらいど)の神が主任となり、各冥官が審問に当たり、それぞれ相応の賞罰を決めるのであるが、その際極善人は天国または極楽に、極悪人は地獄へ堕つるのであって、普通人は中有界(ちゅうゆうかい)、神道にては八衢(やちまた)、仏教にては六道の辻と称する所に行くのであるが、大多数はこの中有界に行き、ここで修行するのである。修行を受ける第一は教誨師の講話を聞くので、それによって改心の出来たものは天国へ行き、しからざるものは地獄行きとなるのである。右の修養期間は、大体三十年を限度とし行き先が決まるのである。教誨師は各宗教の教師が当たる事になっている。
ここで霊界の構成についてかくが、霊界は上中下の三段階になっている。その一段はまた三段に分けられ合計九段階である。すなわち上段が天国、中段が中有界、下段が地獄となっており、現界は中有界に相当する故に、仏語の六道辻とは極楽の三道、地獄の三道へ行く訳で、神道の八衢とは右のほかに、上は最高天国、下は根底の国が加わるのである。そうして天国と地獄の様相を端的に説明すれば、最高天国に昇る程光と熱が強烈になり、ほとんど裸体同様の生活であって、昔から絵画彫刻に見るごとく至尊仏は裸体である。これに反し最低地獄に落つる程光と熱が稀薄となり、極最低は暗黒、無明、凍結状態である。故にこの苦しみにあうや、いかに極悪非道の霊といえども改心せざるを得ないのである。
以上はごく大体の説明であるが、現代人が見たら荒唐無稽の説と思うかも知れないが、私は二十数年にわたり多数の霊から霊媒を通じ、または他のあらゆる方法によって調査研究し、多数の一致した点をとって得たところの解説であるから、読者におかれても相当の信頼をもって読まれん事を望むのである。彼の釈尊の地獄極楽説も、ダンテの神曲も決して作為的のものではない事を、私は信ずるのである。右のごとく、上中下三段階へ往く霊に対し、死人の面貌を見ればおよそ判るのである。すなわち、なんら苦悶の相がなく鮮花色を呈しさながら生けるがごときは天国行きであり、陰欝なる淋しき面貌をし蒼白色、黄青色、つまり一般死人の状態は中有界行きであり、苦悶の相著しく、暗黒色または青黒色を呈するものは、もちろん地獄行きである。以上は、霊界における基礎的知識を得るためのものであるが、順次各面にわたっての私の経験によって得たる霊的事象を書いてみよう。 
「地獄と天国」
今の世の中を地獄そのままといっても、否という人は一人もあるまい。どこを見ても不幸不運な人ばかりで、この人こそ本当に幸福に恵まれていると思うような人は、薬にしたくもないのが娑婆(しゃば)の姿である。そのような世の中が続いたため、人間はこれが常態と心得、諦めてしまったのである。彼の釈尊がいわれた生病老死の四苦にしても、どうにもならない人間の宿命とされ、この悟りが仏教の真髄とさえなっていたのである。ところがこれははなはだ間違いてあるから、これを打破るべしというのが我メシヤ教の本領である。というのは本教によれば人間のいかなる不幸でも容易に解決されるから、宿命などと諦める必要はないのである。といったら余りに意外な説に唖然(あぜん)とするであろうが、何よりも事実が雄弁に物語っている。何人といえども一度本教に入るや、たちまちにして病難を始めあらゆる苦悩は火で焼き、水で流すごとく解決されるからで、もちろん不幸も幸福に転化するのである。
このような一大福音は人類史上嘗(かつ)て夢想だもしなかったところのもので、むしろ余りに棚牡丹(たなぼた)式で反って信じ難いくらいである。それを今理論的に説いてみるが、いつもいう通り人間は見える肉体と見えざる霊体との両面から成立っており、肉体は現界に属し、霊体は霊界に属しているのである。ところがこの霊界なるものは特殊の人を除いて、大部分の人は今日まで全然分らなかった。何しろ目に見えず、手にも掴めない以上無理はないが、それというのも科学万能主義になりきっているからである。というのは科学が進歩さえすれば、幸福は増進すると思っているからである。ところが実は進歩すればする程、逆に幸福とは遠ざかり、地獄社会となるのである。つまり根本は霊の有無すなわち唯心か唯物かである。その証拠としてもし霊が無いとしたらどうなるかというと、科学といえども行詰って進めないのは、今日までの有能な科学者のほとんどが一致した考え方である。彼のパスツール始め有名な科学者達のほとんどは、クリスチャンであるにみても分るであろう。
ところが私は神示によってこれを知った以上、絶対間違いはないので、これを詳しく説明してみよう。そもそも霊界なるものは地上の空間にあり、天国界、中有界、地獄界というように上中下の三段階百八十段に分れている。それが霊主体従の経(たて)の法則によって、霊界に起った事象そのまま現界に移写される。人間でいえば霊が体に移写するのである。そうして人間の霊体は右の段階のいずれかに属しており、それぞれの籍があって籍の地位通りの運命となる。すなわち地獄界に籍があれば不幸となり、天国に近づくに従い幸福者となるのであるから、出来るだけ籍を上段に昇らせる事である。地獄とはもちろん病気、貧乏、争いはじめ、あらゆる苦悩が渦巻いている以上、その通りになるので、私はこれらを救うべく一人一人を天国に引上げているのである。
ではなぜ地獄に堕(お)ちるかというと、それは霊を曇らせるからである。では曇りとは何かというと、これには二種類あって、一は薬剤、二は罪の行為である。すなわち薬剤は血液を濁すから、霊体一致の緯(よこ)の法則によって曇るのである。また二の罪とは恨み、憎み、妬(ねた)み等々で人間の法則と神の律法とを犯すからである。ところがこれを知らない人間は、苦悩から免(まぬが)れようとして人為的物質的手段にのみ頼るので、全然見当違いであるから、何程骨を折っても無効果であるのは当然である。しかもこの理を知らすべき機関が宗教でありながら、宗教家もそれを充分弁えないばかりか、事実を以って示す力もないのである。ところが喜ぶべし、その絶対解決法が生まれたので、それが我メシヤ教であるから、ここに人類待望の幸福世界、すなわち地上天国実現の運びとなったのである。
「霊界と現界との関係」 (昭和10年)
現界火水土火は水と物とで燃ゆるのである。水は火により流れるのである。火が無ければ凍結す。夫婦にしてもこれと同様に、正反対なるが為に生成化育が出来進歩発達するのである。いかに反対な性格でも子供が出来るだけ調和がとれているのである。土は木、石、金、火、水、灰、炭、酸、密、結、粘の十一種より成る。故に十一則ち土である。
空気の世界酸窒水の三種で力及水火となる。
|||
力水火
霊界エレクトンミクルトン
陽電子陰電子
陽陰
陽子陰子
陽密子陰密子=(今後発見さるべき物)
陽電子と陰電子と寄りて霊素となり、霊素がよりて物質となるのである。現在発見されたものに右記陽子という非常に細かいものがあるが、これに対する陰子も発見されんとしている。なお又その後に発見さるべきものに仮に陽密子、陰密子と名付けたが、これも今後において発見さるべきものである。
霊界は霊素、精素、密素の三段にならねばならぬ。これによりて初めて霊界が解ってくるのである。これが解れば学問上よりも神様が知れる様になるのだ。音にも光と色とがあるのであって、これをトーキーに写せるという事になったと言うが、音楽家がこの色と光と各々個性により相違があるが作曲家によって色が種々に変って出るが美しい。それが一人一人違うから面白いのである。「道(言葉)は神なり万物(これ)によりて作らる」という事がある。私の言葉の働きは大変なものである。大森にまだ在住の節言霊を以って病気を治した事があったが、必ず治るが、これでは罪穢が取れぬから手で擦って罪穢を除って病気を癒すのが肝心である。結局神霊と科学は一緒になるのである。神霊は日本であり、科学は外国でもある。この神霊及科学が非常なる速さで近寄りつゝあるのである。
神霊=日本=天照皇大御神=日の本=極微極大
科学=外国=素盞嗚尊=ユダヤ
ユダヤが日本に従う時が五六七の始まりであり、大光明世界の第一歩になるのである。観音様の御経綸をこれに向って進めているのであるが、これはハッキリと解り切っているからよいのである。少しも心配なく必ずここまで到着するのである。 
「問答有用徳川夢声連載対談」より (昭和26年)
弁天さまのたたり人生座縁起
夢声 / なるほどコチラぐらいになると、そういう奇蹟もあるだろうと思いますね。こういう話があるんですよ。ひとつ聞いていただいて御解釈ねがいたいと思いますがね。池袋に人世座という映画館があるんです。三角寛(みすみかん)という山窩(さんか)小説を書く人が経営してるんです。この人が戦後あすこに建てようとして悪い請負師にかかりましてね。お金を無理工面して入れたのに、なんだかんだといって建築にかからないんです。よっぽど投げ捨てようかと思っていると、乞食みたいな男が工事場へ入ってきましてね。「ここの前を通るたびに、顔の片側がビリビリビリッとする。どうもただごとじゃない。なにかここは貴いもののあったところでしょうか」っていうんですって。それから三角寛も気になるから巫子といいますか行者といいますか、そういうところへいって見てもらったんですな。「ウーム、水が見えるよ。ああハス池だ、これは。おや、弁天さまのお堂があるよ」というわけなんです。それから三角寛は商売がら、池袋に関する文献を片っぱしから読んでみた。「江戸名所図会」てなもんからなにから調べたが、池袋に弁天さまがあったという記録はないんですね。こんどは古老の言を聞いてまわった。そうするとたった一人えらくおじいさんで、先祖代々池袋にいる植木屋さんがいましてね、「あっしの子供の時分にあすこにハス池がござんした。ハス他の中にちっちゃい弁天さまのホコラがありましたよ」っていうんです。それでそれはどの辺だろうというんで調べてみると、工事場の職人たちの便所の位置なんです。三角って人はかつぎ屋じゃないんですがね、そういう人の拝むものがあったところを便所にしてるのは気持ちが悪いてえんで、便所をどけたのみならず、きれいな山の泥を持ってきて木を植えて、そこへ弁天さまを建てようと、こう考えたんです。それでその行者のところへ報告にいったんですね。そのときに来合わしてる男が「それは御縁です。あたしいま遊んでる金がありますからお使いください」といってお金をゴソッと出してくれた。人世座はそれで建ったんです。迷信といわれようがなんといわれようが、とにかく弁天さまなるもののお蔭で建ったんだから、祭らなきゃいけないというので、彫刻家に頼みましてね、白彫りができあがったときにあたくし見ましたら、いい弁天さまですよ。最近二度目の塗りができてますがね。
なんでも書いてある霊界の記録
明主 / それを霊的に説明しましょうか。あらゆるものに霊界がある。これを認めないから、ものごとのわからないことが多いんで、霊界の存在を確認すれば、なんでもなくわかるんです。たとえていえば、そこに一つ物がある、あるいは事件が起るということは、ちゃんと霊界に記録されているものなんです。弁天さまの住まいがあって、その住まいを取りのけても霊界はそのままになっている。霊がそこに住まわれているわけです。霊界のことは現界に影響するし、現界のことは霊界に影響する。ですから便所があったりすると始終不潔なものが影響するから、弁天さまはちゃんとしたホコラを建ててもらいたい。それを現界に知らせるべく、いろんなことをされたんですね。そうして目の見える人をひっぱってきて、ちょうど弁天さまの目的通り建立ができたわけです。
夢声 / そのルンペンみたいな人が通りかかったのも、巫子さんがあってそこへいくのも、まあ、神さまから見ると、将棋の駒で桂馬のあとには銀てというふうに、名人のごとく先の先まで読んでおられるわけですね。(笑)
明主 / 古い歴史のあるところへいくと、わたしは実にいろいろな感じがする。わたしは鎌倉が好きで、せんによく鎌倉に別荘借りたりしましたがね。鎌倉駅から建長寺へいく間に、むかし頼朝が歩いたという道路がありますね。あすこを通るとなんともいえない気分がする。その時分はそういうことはわからなかったが、あとで霊的のことがわかってから、つまりその時代のことが霊界に記録されて残ってるから、こっちへそれが影響するんだってことがわかった。大震災のときにたくさんの人が死んだ所なんか通るとヘンな気がしますよ。みんなそういうことがこっちの魂に感じるんですね。
にぎやかなはず霊呼び合う墓地
夢声 / そうするとこういうことも説明がつきますな。墓地というものは、ちょっと考えると非常にさびしいものなんですが、青山墓地にしろ多摩墓地にしろ、一人で散歩しててさびしくないんですな。なにかにぎやかなような気がする。考えてみると、墓地へ葬られてる人の大多数は、墓石を立てられるようなねんごろな扱いを受けているので、その人たちの安らかな気持ちがこっちに反応するからなんですね。たいへんにぎやかなんですよ。あたしだけかと思うと「いやそうじゃない。ぼくもそうだ」っていう人があるんです。 
「祖霊と死後の準備」より (昭和24年)
東洋と西洋の霊界の相違
(一部のみ引用)西洋の霊界は平面的であり、東洋の霊界は立体的である。これは日本は八百万の神があり、大中小上中下の神社があり、社格も官幣、中幣、県社、郷社、村社等、種々あるによってみてもいかに階級的であるかが知らるるのである。これに反し西洋はキリスト教一種といってもよいのであるから、全く経と緯の相違である事は明かである。故に前者は多神教で後者は一神教というのである。 
天国と地獄について 1

 

「神幽現三界の実相」 (昭和10年)
今までの宗教等で色々説いてあるが、断片的であって真相は不明である。それを出来るだけ判る様に組立てた心算(つもり)である。初めての人もこれを頭から信じて聞いていただくとよく解る。仏界は追々となくなり、仏が神界へお帰りになる。これにより仏滅となる。八段地獄ということを日蓮上人は言ったが、九段地獄が本当である。これでやはりみろくである。神界は霊界にも現界にも有るが、天国の方はただ今の社会ではない位のものである。今のところでは第三天国がやっと出来ている位のものである。それに引換へ地獄は立派すぎる程良く出来ているのは余り感心出来ぬ事である。天国を現界に作るのが我観音会の御用なのである。宗教は人を天国へ上げようとして働き、悪魔は地獄へ引落そうと一心になってかかっている。この働きが現界において宗教と悪魔との戦いなのであるが、今までは皆悪魔に負けているのである。それは今まで悪の守護であった為、悪の方が力が強かったのである。仏界は追々となくなり、神界ばかりと成るのであるが、これは仏が神界へ御帰りになるからである。これを以て仏滅となるのである。お引揚げになるとは仏が日本へ帰られる事である。仏界では毎日何をしているかと言うと、毎日色々なお説教など聞いているのであって弘法信者は弘法の霊界へ集り、日蓮信者は日蓮の霊界へ集って行くから、これらの僧達のお説教を聞いているのである。今の神界は現界とは少しも関係はないのである。 
「人の生死の状態」 (昭和10年)
人の死する時、善人の死する有様は頭から霊が抜けて霊界に行くのであるが、この時自分の体(なきがら)が下に寝ている有様、又親戚や親兄弟達がなきがらに取付いて泣いているのを見る事があるが、これを知らしてやりたくても幽冥処を異(こと)にしている為知らせることが出来ず、そのまま霊界へ行くのである。これに反して悪人の死は足の方から霊がぬけて逆様に地獄へ落ちるのであるが、これらの霊は死すると一度は必ず三途の川へ行く。川には水があると言う霊と蛇がたくさんいるのだと言う霊とある。川の幅は広いので長い橋がかけてあるがその橋を渡る時衣類の色が変るのである。悪人は黒くなる。この川端に奪衣婆(だついば)がいて衣類を剥ぐのである。この橋を渡ると閻魔の庁の調べがあるが、今までの善事も悪事も判っているので簡単である。又浄玻璃(じょうはり)の鏡にて写すといかに隠すとも明かとなり隠し切れない。ここで改心した霊は八衢(やちまた)へ行く(六道の辻)。精霊界、ここで僧侶が説教している。これにより改心した霊は天国へ行くのであるが、今後追々仏界がなくなり神界になるのである。
この八衢で修行していても、神界は目映(まば)ゆくて行けぬ者もあり、又霊魂相応で暗いところがすきで自ら地獄へ行くのもあるが、これらは乞食に金殿玉楼で立派な料理を頂戴すると、水っぽくて甘くなく窮屈でたまらん様なもので、それより塩からい煮しめものでもたべた方が余程よいと云う様なものである。
観音会は最奥天国に相応する教である。人の為に働く等はつまらん等という者は最奥天国でないのであって、この様な人は又それ相当の信仰を求めて行くのである。観音会は世界人類の為に働くのであって、自己の栄達等は問題外であるが、自己栄達を問題外にして世界人類の為に働くことにより、結局自己の道が拓けてくるのである。これに反して世界人類の為なんて馬鹿々々しい等と、自己栄達のみに心を傾ける人こそは逆に落されるのである。世界人類の為に働く事のいかに大きな御用であるかは、神様御経綸の直接の御用であるからである。
地獄界は下へ行く程暗く冷いのである。神は熱と光であるからそれに遠ざかる。それだけ暗く冷たくなるのである。八衢の明るさは現界と同様位であって、第三天国は現界の三倍、第二天国は五倍、第一天国は七倍位である。最奥天国は光の世界である。 
「善悪の真諦と光明世界の建設」 (昭和10年)
霊界において現界に相応するのは八衢(やちまた)である。天国、地獄の中間に位する所なのである。現在の世間はこの八衢であるのがよく現われている。天国は上に行く程綺麗になり立派になって行く。第三天国の建物は色々の材料を混ぜて使っている。第二天国の建物は石造りになっている。第一天国は皆木で造られている。檜のお宮は第一天国に相当するのである。天理教等は第二天国である。最奥天国は金銀又は宝石を使用して至極壮麗なもので、大体黄金を主にしているのである。又最奥天国の天人はほとんど裸体である。よく絵等に天人が肌を出して帯のごとき薄物をひらひらと掛けているが、これは空中を飛翔する時使用する物である。又最奥天国に行く程花が多いのである。
人が死ぬ時天人が迎えに来るというのは事実であって、信仰の厚いばかりでなく、多くは娘で処女で、亡くなった時の状態を見ることが多いのである。この時は天人が紫雲に乗って音楽を奏しつつ降って来て死んで行く霊も喜んで迎えられ、雲に乗って昇天して行くのである。
私の肉体は狐や狸の霊が見ると強い光で何だか解らん。これは東京の震災前の事であるが、私が天国で衣冠束帯で階梯(きざはし)を昇って御簾(おみす)の中へ入って行くのを見たと鎮魂された霊が話した。ちょうど天神様の様な冠で青い衣服に裾から赤い衣服が見えたという。それは鎮魂する時その神様が来られて鎮魂なされて天国へお帰りになられたので、そのお帰りの状態を見せていたゞいたのであります。神様がお登りになったところが、その神様のお室となるのであります。神様と人間との想念によりて天国になるのである。悪の想念なれば地獄となるのである。霊界は想念の世界であるから、相応の理により想念通りになるのである。この会場でもいろいろの霊が来ています。それは自分達の祖先や友達の霊が来ているのであります。何とかして聞きたいものだという想念によりその人の生霊が来て居ります。その霊が聞いているからその人も幾らかは何かの時に解ることがあるのは霊が聞いているからである。この様にこの会場には何千人いるか解らぬ程いるのであります。
霊は伸縮自在で針の穴の様なところでも潜り行くことが出来ます。霊はどんな戸締りのあるところでも出入りが自由に出来ます。鎮魂の時に狐の霊などが出入が自由に出来ます。鎮魂の時に狐の霊が出て行くから戸を開けてくれ等といいますが、これはインチキでありまして、戸締り等開けずとも出て行かれるのであります。
又下級の霊程小さいものである。霊でも救われた霊は人とほとんど同じ大きさなのである。八衢の霊も人間と同様位で、神格を得るに従って大きくなります。観音様の御姿はお座りになって鴨居位まであって、私はこのお姿を見て書いたのが元本部の御神体になって居りました日の出観音様なのであります。ほとんど裸で光明が非常に強くきらきらとしています。これは観音様の御姿の書き初めであったのですが、この為見当がつき書くのに非常に参考になったのであります。
ある小母さんを鎮魂の時聞かされたのであるが、「この方は古い神である。名を言うことは出来んが彼の病人に魔が付いているから、その方に魔を払う事を教えに来たのである。艮(うしとら)の方へ塩を撒き、祝詞をあげる様に毎朝やれば癒る」との事でお引取りになられたのである。その小母さんが「随分喫驚しました。先生が鎮魂の時祝詞をあげられたら、急に大きな神様が木の葉の衣服を着て青、赤、紫でピカピカして綺麗で、頭の毛は後方に下げられて鉢巻をして居られた。座っていて鴨居位の大きさの神様であった」と。その通りにすると癒ったのであります。この神様のお姿をその後大本教の出口王仁三郎先生に聞いたら、国常立尊の戦を遊ばされた時のお姿であると申されました。その後先の小母さんは何んとなく私の宅に来にくくって来る事が嫌で堪えられないのを無理に来られましたところ、鎮魂の際神様が出られて自分より他の霊の様な黒い物を殴打って出してくれた。これは小母さんが悪魔に憑かれて来る事が嫌になって来られなかったのを無理に来た為、神様が鞭で打ち追い出して下さったのであります。神様のところへ来るのが嫌になったのは悪魔につかれて居るから悪魔が来させん様にしているのであって、信者やその他の人でも神様の所へ来るのが嫌になるのは、皆この意味なのであります。この様な時、何でも彼でも来れば悪魔は離れて終うのであります。この類(たぐい)の霊は神様が怖くて、又光が怖ろしくて来られんのであります。
上級の霊は下へ降る事は出来るが、下級の霊は上へ行く事は出来ません。(中略)前に変死等したところではその後よくそこで死ぬ事が多い。これは変死した霊はここに喰い付いて終うのであって、これを地縛の霊といって畳やレール等に喰い付いて離れることが出来ず、淋しい為自分は動く事が出来ぬ為、通行人やボンヤリしている人を引張り込むのである。この為同じところで事故を引起すのである。変死人のあった家は皆この通りで、死んだ直後程霊が濃いのであって、死にたての霊の濃い為に幽霊が見えるのである。上級の霊程霊細胞が細いのである。又稀薄である。最上級の霊は稀薄であって光が出るのである。癲癇(てんかん)は死霊が憑くのでありまして、死んだ時の有様をそのまま見せて居ります。脳溢血で死んだ人のひっくり返る有様が癲癇に見る事が出来る。水死人ならば泡を吹き、水癲癇なれば水に落ちて死んだ人であり、火癲癇は火で焼死んだ人の霊が憑いているのである。(中略)
生きている時に天国や霊界を信じない人が死ぬと蘆花(ろか。徳富蘆花氏のこと)の霊などのように、言葉が幼稚園の子供位より出来ないのである。これは神仏を信ぜず霊界を知らぬ為死後の用意がないから中ぶらりんとなってしまう。無信仰の学者等は実に実に悲惨である。信仰のない人間は浮浪人となる。それが八衢で説教を聞いて各々自分の好きな団体へ行くのである。
ヨーロッパでは学者が霊の研究をしているが、日本では反対に否定したり、反対したりする。英国には神霊大学が五六個ある。ワード博士の霊界旅行は一週間一回位霊界へ呼ばれる。この間一、二時間無我の状態になり、二時間位で非常に沢山な霊界を探険することが出来るのである。
今から十年位前死んだ人でロンドンタイムス社長が出る。霊の研究をする時ラッパを使用するのであるが、そのラッパが空中に上り、そのラッパから声が出て「私はロンドンタイムス社長だが主筆を呼べ」というから呼ぶと、主筆に向って色々と社の為によく色々の経営方針を教えたということであります。
神霊研究会の浅野和三郎氏のところで、霊媒亀井三郎氏により試験を行った事がある。まず手や足は動けぬ様に椅子へ絡(から)げ付けて置いて、霊の活動状態の試験を行って見た。まず机上に夜光薬を塗った玩具を置き、電気を消して蓄音機を掛けて音楽を始める。暫くすると音楽により無念無想の状態に早くなるのである。レコード一枚位でポツポツ霊の活動が始まるのであって、玩具はツーッと角度のあるままも空中をよく飛行するのが夜光液の光でよく見える。ラッパがツーツーと空中を飛びながらパッパッパーと鳴る、鳴りつつ走る。走っているかと思うと、パッとラッパや玩具を途中から落す。そのラッパや玩具を投げるにも人に当らない様に投げる。その内にテーブルが上にあがったりする。霊媒が椅子に縛られながら、着ている衣服の下に着ているシャツが、衣服はそのままシャツのみが脱がれて投げ出されてある。実に奇態な事である。しかも霊媒たる本人は無我夢中になり居り、一寸直ぐには醒めない程に眠りこけている有様である。この霊媒の醒めたのは十五分か二十分位かかった。この霊媒に憑った霊は印度のバラモンの僧の霊が出て来て行ったのであって、この後で沢山の酒を飲まさんと明日は出来なくなるので、今夜、夜明位まで酒を飲ませねばならん、と言っていたのであるが、この霊がやるのであるから、明るくては出て来ないのである。 
天国と地獄について 2

 

「天国と地獄」 (昭和24年)
天国はさきに述べたごとく上位の三段階になっており、第一天国、第二天国、第三天国がそれである。第一天国は最高の神々が在しまし、世界経綸のため絶えず経綸され給うのである。第二天国は第一天国における神々の補佐として、それぞれの役目を分担され給い、第三天国に至っては多数の神々が与えられたる任務を遂行すべく活動を続けつつあるが、もちろん全世界あらゆる方面にわたっての活動であるからその行動は千差万別である。第三天国の神々は中有界から向上し神格を得たのであるから人間に最も近似しており、エンゼル(天使)ともいわるるのである。
右は神界構成の概略であって、神界は今日まで約三千年間、仏教の存在する期間ははなはだ微々たる存在であった。何となれば神々はほとんど仏と化現され、そうでないのはほとんど龍神となって時を侍っておられたのである。また神々は仏界を背景として救いの業に励しみ給うたのでその期間が夜の時代であって昼の時代に転換すると同時に神界は復活するという訳である。
次に、極楽浄土は仏語であって仏界の中に形成されているが、極楽における最高は神界における第二天国に相応し、仏説による都率天がそれである。そこに紫微宮(しびきゅう)があり、七堂伽藍があり、多宝塔が整え立ち、百花爛漫として咲き乱れ、馥郁(ふくいく)たる香気漂い、迦陵頻伽(かりょうびんが。極楽にいるという想像上の鳥。その声は仏の声のような妙なる泣き声を持つとされる。)は空に舞い、その中に大きな池があって二六時中蓮の葉がうかんでおり、緑毛の亀は遊嬉(ゆうき)し、その大きさは人間が二人乗れる位で、それに乗った霊の意欲のまま、自動的にどこへでも行けるのであって、何ともいえぬたのしさだという事である。また大伽藍があってその中に多数の仏教信者がおり、もちろん皆剃髪で常に詩歌管絃、舞踊、絵画、彫刻、書道、碁、将棋、等現界におけると同様の娯楽に耽っており、時折説教があってこれが何よりのたのしみという事である。その説教者は各宗の開祖、例えば法然、親鸞、蓮如、伝教、空海、道元、達磨、日蓮等である。そうして右高僧等は時々紫微宮に上り、釈尊に面会され深遠なる教法を受け種々の指示を与えらるるのである。紫微宮のある所は光明眩(まばゆ)く、極楽浄土に救われた霊といえども仰ぎ見るに堪えないそうである。
極楽の下に浄土があって、そこは阿弥陀如来が主宰されているが、常に釈迦如来と親しく交流し、仏界の経綸について語り合うのである。また観世音菩薩は紫微宮に大光明如来となって主座を占められ、地上天国建設のため釈迦阿弥陀の両如来補佐の下に、現在非常な活動をされ給いつつあるのである。しかしながら救世の必要上最近まで菩薩に降り、阿弥陀如来に首座を譲り給うたのである。
そうして近き将来、仏界の消滅と共に新しく形成さるる神界準備のため、各如来、菩薩、諸天、尊者、大士、上人、龍神、白狐、天狗等々漸次神格に上らせ給いつつ活動を続け、すこぶる多忙を極められつつあるのが現状である。
次は地獄界であるが、これは天国とはおよそ反対で光と熱がなく下位に往く程暗黒無明の度を増すのである。地獄は昔から言われるごとく種々雑多な苦悩の世界で、私はその概略を解説してみよう。まずおもなる種類を挙げれば針の山、血の池地獄、餓鬼道、畜生道、修羅道、色欲道、焦熱地獄、蛇地獄、蟻地獄、蜂室地獄等々である。
針の山は読んで字のごとく無数の針が林立している山を越えるので、その痛苦は非常なものである。この罪は生前大きな土地や山林を独占し、他人に利用させないためである。
血の池地獄は流産や難産等出産に関する原因によって死んだ霊で、この種の霊を数多く私は救ったが、それはすこぶる簡単で祝詞を三回奉誦し、幽世の大神様に御願する事によって即時血の池から脱出し救われるので、大いに喜ぶのである。血の池地獄の状態を霊に聞いてみるとこうである。その名のごとく広々とした血の池に首の付根まで何年も漬っている。その池の水面ではない血の面に無数の蛆が浮いており、その蛆が絶えず顔面に這上ってくる。払っても祓っても這上ってくるので、その苦しみは我慢が出来ないという事である。この原因は生前無信仰者にして、その心と行に悪の方が多かったためである。
餓鬼道はその名のごとく飢餓状態で、常に食欲を満そうと焦燥している。それ故露店や店先に並んでいる食物の霊を食おうとするが、これは盗み食いになり、一種の罪を犯す事になるので止むなく人間に憑依したり、犬猫等に憑依し食欲を満そうとする。よく病人で驚く程食欲の旺盛なのがあるが、これは右に述べたごとき餓鬼の霊が憑依したのである。
また犬猫に憑依した霊は漸次畜生道に堕ちる。その場合人間の霊の方が段々融け込んでゆく。ちょうど良貨が悪貨に駆逐されるように、ついに畜生の霊と同化してしまうのである。この意味において昔から川施餓鬼などを行うがこれは水死霊を供養するためで、水死霊は無縁が多いから供養者がなく、餓鬼道へ堕ちるので、餓鬼霊に食物を与え有難い経文を聞かせるので大きな供養となるのである。
餓鬼道に堕ちる原因は自己のみが贅沢をし他の者の飢餓など顧慮しなかった罪や、食物を粗末にした等が原因であるから、人間は一粒の米といえども決して粗末にしてはならないのである。米という字は八十八とかくが、これは八十八回手数がかかるという意味で、それを考えれば決して粗末には出来ないのである。私も食後茶を呑む時茶碗の底に一粒も残さないように心掛けている。彼のキリスト教徒が食事の際合掌黙礼するが、これは実によい習慣である。もちろん食物に感謝の意味で、人間は食物の恩恵を忘れてはならないのである。
畜生道はもちろん人霊が畜生になるので、それはいかなる訳がというと生前その想念や行為が人間放れがし、畜生と同様の行為をするからである。例えば人を騙す職業すなわち醜業婦のごときは狐となり、妾のごとき怠惰にして美衣美食に耽り男子に媚び、安易の生活を送るから猫となり、人の秘密を嗅ぎ出し悪事の材料にする強請(ゆすり)のごときものや、戦争に関するスパイ行為等、自己の利欲のため他人の秘密を嗅ぎ出す人間は犬になるのである。しかし探偵のごとき世のために悪を防止する職業の者は別である。そうして世の中には吝嗇(りんしょく。けち)一点張りで金を蓄める事のみ専念する人があるが、これは鼠(ねずみ)になるのである。活動を厭い常にブラブラ遊んでいる生活苦のない人などは牛や豚になるので、昔から子供が食後直ちに寝ると牛になると親がたしなめるが、これは一理ある。また気性が荒く乱暴者で人に恐れられる、ヤクザ、ゴロツキ等の輩は虎や狼になる。ただ温和(おとな)しいだけで役に立たない者は兎(うさぎ)となり、執着の強い者は蛇となり、自己のためのみに汗して働く者は馬となり、青年であって活気がなく老人のごとく碌な活動もしない者は羊となり、奸智に長けた狡猾な奴は猿となり、情事を好み女でさえあれば矢鱈に手を付けたがる奴は鶏となり、向う見ずの猪突主義で反省のない者は猪となり、また横着で途呆けたがり人をくったような奴は狸(たぬき)や狢(むじな)となるのである。
しかし以上のごとく一旦畜生道に堕ちても、修行の結果再生するのである。人間が畜生道に堕ち再び人間に生まれまた畜生道に堕ちるというように繰返しつつある事を仏教では輪廻転生というがそれについて心得なければならない事がある。例えば牛馬などが人間からみると非常な虐待を受けつつ働いているが、この苦行によって罪穢が払拭され、再生の喜びを得るのである。今一つおもしろい事は牛馬は虐待される事に一種の快感を催すので、特に鞭で打たれたがるのである。右のごとく人間と同様の眼で畜生を見るという事は実は的外れの事が多いのである。その他盗賊の防止をする番犬、鼠をとる猫、肉や乳や卵を提供する牛や羊、豚、鶏等も人間に対し重要な役目を果すのであるからそれによって罪穢は消滅するのである。
またおもしろい事には男女間の恋愛であるが、これは鳥獣の霊に大関係のある事で、普通純真な恋愛は鳥霊がすこぶる多く鶯や目白等の小鳥の類から烏、鷺、家鴨(あひる)、孔雀等に至るまであらゆる種類を網羅している。恋愛の場合、この鳥同志が恋愛に陥るのであるから、人間は鳥同志の恋愛の機関として利用されるに過ぎない訳であるから、この場合人間様も少々器量が下る訳である。また狐霊同志の恋愛もすこぶる多いがこれは多くは邪恋である。狸もあるがこれは恋愛より肉欲が主であって世にいう色魔などはこの類である。また龍神の再生である龍女は精神的恋愛は好むが肉の方は淡泊で、むしろ嫌忌する位で、不感症の多くはそれである。従って結婚を嫌い結婚の話に耳を傾けなかったり縁談が纏(まと)まろうとすると一方が病気になったり、または死に到る事さえあるが、これらは龍女の再生または龍神の憑依せるためである。よく世間何々女史といい、独身を通しつつ社会的名声を博す女傑型は龍女が多く、稀には天狗の霊もある。以上のごとく霊界の構成や霊界生活、各種の霊について大体述べたつもりであるが、以下私の経験談をかいてみよう。 
「霊界の構成」 (昭和18年)
そうして天国、八衢(やちまた)、地獄を通じて最も顕著なる事は光と熱による差別である。即ち天国は光と熱の世界であり、地獄は暗黒と無熱の世界であって、八衢はその中間であるからちょうど現界と同位である。故に最高天国即ち第一天国においては光と熱が強烈で、そこに住する天人はほとんど裸体同様であり、仏画にある如来や菩薩が半裸体であるに察(み)ても想像し得らるるであろう。又第二天国、第三天国と下るに従って漸次光と熱が薄くなるのは勿論である。従って、仮に地獄の霊を天国へ昇らすといえども、光明に眩惑され熱の苦痛に耐え得られずして元の地獄へ還るのである。ちょうど現界において、下賤の者を高官に登らすといえども窮屈に堪え得られないのと同様である。特に霊界においては、すべて相応の理によって離合集散するのであるから、右のごとくならざるを得ないのである。
ここに注目すべき事は、霊界の天国における構成とその集団的生活とである。それは大別して神界及び仏界であって、神界は天国であり、仏界は極楽浄土である。そうして仏界より神界の方が一段上位であるから、第一天国は神界のみで、仏界のそれは第二天国である。そうして第一天国の主宰神は日の大神天照皇大御神であり、第二天国の主宰神は月の大神素盞嗚尊であり、仏界のそれは観世音菩薩即ち光明如来である。又霊界においても神道十三派や仏教五十数派等それぞれの団体がある。例えていえば、大社教は大国主尊を主宰神とし、御嶽教は国常立尊、天理教は伊弉諾尊等のごとくであり、仏界においても、真宗は阿弥陀如来、禅宗は達磨大師、法華宗は日蓮上人というように、それぞれの団体がある。故に、生前何らかの信仰者は、死後霊界に往くや、各々の団体に所属するから、無信仰者よりも幾層倍幸福であるかは自明の理である。しかるに無信仰者においては、所属すべき団体がないから、現界における浮浪人のごとく大いに困惑するのである。昔から中有に迷うという言葉があるが、これは無所属の霊が中有界に迷うという事である。
又、霊界を知らず、死後の世界を信じない者は、一度霊界に往くや安住するを得ず、そうかといって現界人に戻る事も出来ず中有に迷うのである。この一例として先年某所で霊的実験を行った際、徳富蘆花氏の霊が霊媒に憑依した事がある。その際早速蘆花夫人を招き、その憑霊の言動をみせたところ、確かに亡夫に相違ないとの事であった。そうして種々の質問を試みたが、その応答は正鵠を欠き、ほとんど痴呆症のごとくであったそうである。これは全く生前において霊界の存在を信じなかった為である。現世においては蘆花程の卓越した人が、霊界においては右のごとくであるにみて人は霊界の存在を信じ、現世に在る中死後の準備をなしおかなければならないのである。
天国又は極楽とはいかなる所であるか。否一体天国や極楽などという世界は事実存在するものであるか、大抵の人は古代人の頭脳から生れた一種の理想的幻影としか思わないであろう。しかるに私は、天国なるものも極楽浄土なるものも立派に存在している事を知ったのである。従って、存在するとすれば、その真相を知り極めたいのは誰もが希(ねが)う所であろう。しかしながら、これを説くとしても、想像や霊感的であっては現代人として受け入れ難いであろうから、私は幾多の実証的経験を発表して、読者の判別の資に供したいのである。
私が治療時代、某会社重役の夫人(三十歳)重病の為招かれた事があった。勿論医師から見放されたのであって、その家族や親戚の人達が、是非助けて欲しいとの懇願であったがその患者の家が、私の家より十里位離れているので、私は通うのは困難であるから、ともかく自動車に乗せて、私の家へ伴(つ)れて来たのである。その際、途中においての生命の危険を慮(おもんぱか)り夫君も同乗し、私は車中で、片手で抱え片手で治療しつつ、ともかく、無事に私方へ着いたのである。しかるに翌朝未明、付添の者に私は起されたので、直ちに病室へ行ってみると、患者は私の手を握って放さない。いわく「自分は今、身体から何か抜け出るような気がして恐ろしくてならないから、先生の手に捉(つかま)らして戴きたい。そうして妾(わたし)はどうしても今日死ぬような気がしてならないから、家族の者を至急招んで貰いたい」というので、直ちに電話をかけ、一時間余経って夫君や子供数人、会社の嘱託医等、自動車で来たのであった。その時患者は昏睡状態で脈拍も微弱である。医師の診断も勿論時間の問題であるという事であった。そうして家族に取巻かれながら、依然昏睡状態を続けていたが、呼吸は絶えなかった。ついに夜となった。相変らずの状態である。ちょうど午後七時頃、突如として眼を見開き、不思議相にあたりを見廻しているのである。いわく「私は今し方、何ともいえない美しい所へ行って来た。それは花園で百花爛漫と咲き乱れ、美しき天人等が多勢いて、遥か奥の方に一人の崇高(けだか)き、絵で見る観世音菩薩のごとき御方が、私の方を御覧になられ微笑(ほほえ)まれたので、私は思わず識らず平伏したーと思うと同時に覚醒したのである。そうして今は非常に爽快で、かような気持は罹病以来、未だ曾(か)つて無かった」というのである。その様な訳で、翌日から全然病苦はなく、否全快してしまって、ただ衰弱だけが残っていた。それも一ケ月位で、平常通りの健康に復したのである。右は全く一時霊が脱出して天国へ赴き、霊体の罪穢を払拭されたのである事は勿論である。そこは第二天国の仏界であろう。
次に、私が霊と治療の研究に入った初め頃二十歳位の肺患三期の娘を治療した事がある。そうして一旦治癒したが、一ケ年位経て再発し、ついに死んだのである。その頃、私が宗教にも関係していたので、その霊を私が祀ってやったのである。しかるに、その娘に兄が一人あった。その兄は、非常な酒呑みで怠惰であったので、家族の者は困っていたのである。娘が死んでから二三ケ月経った頃、ある日その兄が、自分の居間に座していると、眼前数尺の上方に朦朧として紫色の煙のごときものが見ゆるのである。すると、その紫雲が徐々と下降するにつれて、その紫雲の上に、数ケ月前死んだはずの妹が起(た)っているのである。みると生前よりも、容貌など余程美しく、衣服は十二単衣のごとき美衣を着、品位さえ備わっている。そうして妹のいわく「私は、兄さんが酒を廃(や)めるべく勧告に来たのである。どうか家の為身の為、禁酒していただきたい」と懇々(こんこん)言って再び紫雲に乗り、天上に向って消え去ったのである。そうして又数日を経てその様な事があり、又数日を経てあったのである。その時は、眼前に朱塗の曲線の美しき橋が現われ、例のごとく妹の霊が紫雲に乗って、その橋上に降り立ち、静かに渡り来っていわく「今日は三回目であるが、今日限りで神様のお許しはなくなるから、今日は最後である。」といって、例のごとく禁酒の勧告をしたのであって、それ以後はそういう事はなかったそうで勿論これは、一時的霊眼が開け見えたのである。右は、天界から天人となって、現界へ降下する実例としては好適のものであろう。それについて面白い事は、右の兄なる人は全然無信仰者であるから、潜在意識などありようはずがないので、従って、観念の作用でない事は勿論である。
次に、拾数年前、私が霊的研究を行っていた時の事である。それは、肉体の病気ではない。いわば、精神的病気である二十幾歳の青年があった。その青年は、その頃、ある花柳界の婦人に迷い、ついに情死をする所まで突詰(つきつ)めた所、その一歩手前で私は奇蹟的に救ったのであった。救ってからまず霊的に調査してみようと想い、その方法を行ったのである。しかるに、その男には狐霊が憑依して、そういう事をさしたという訳が判ったので、その狐霊へ対し、警告を与えなどして、約二十分位で終ったのである。しかるに、なお終ったに拘わらず、本人はなおも瞑目合掌したまま(これは被施術者の形式である)で左方に向い首を傾げている。それが約三四分位で眼を見開き、不思議そうになおも首を傾げているのである。彼いわく「不思議なものを見ました。それは、自分の傍に琴のごとき音楽を奏している者があった。その音楽の音色は、実に何ともいえぬ高雅で、聞惚れていながら四辺(あたり)をよくみると、非常に広い神殿のごときものの内部で、突当りに階段があり、その奥に簾(みす)が垂れているのが微かに見えるのである。すると先生が衣冠束帯で、静かに歩を運ばれ、階を昇り、御簾の中へ入られた」というのである。従って私は「後ろから見たのでは他の人ではないか」と問うたところ「否確かに先生に違いない」との事であった。そうしてその服装はと問えば、冠を被り、纓(えい)が垂れ、青色の上衣に、表袴(おもてばかま)は赤色との事であった。右は、夢ではなく、その男が一時的霊眼が開け、霊界が見えたのであって、こういう例も時にはあるものである。そうしてこの男は、何らの信仰もなく、商店の店員であって霊的知識など皆無であるから、反って信をおけるのである。右の神殿は、第三天国の神社内ではないかと私は想うと共に、その時の私の幽体は神社の中に住していたものであろう。以上示した所の三例は、天国の室外と室内と、天人の降下状態等を知る上において参考になると思うのである。
霊視の実例として顕著なるものを一つ挙げてみよう。これは彼の有名な日露戦役の日本海海戦の時である。バルチック艦隊が日本に接近しつつあった時、東郷元帥の当時参謀であった秋山真之(さねゆき)少将が地図を凝視していると、その地図の上に何隻かの敵艦が通過するのが明瞭に見えたのであったから、この奇蹟を直ちに東郷元帥に申告したので、かような大戦果を獲たのであるという事は有名な話である。その戦報には、天佑神助の文字が入っていた事は勿論である。因(ちな)みに、同少将は右の奇蹟が動機となって、その後種々の宗教を研究された事も周知の事実である。
次に、仏界における極楽の状態をかいてみよう。私は十数年以前、ある霊媒を通じて、極楽界の状況を聞き得た事がある。その霊媒は十八歳の純な処女であったから、相当信をおけると思う。右の娘に憑依したのは、その娘の祖先である武士の霊であって、二百数十年前に戦死したのである。その霊は真言宗の熱心な信者で死後間もなく弘法大師の団体へ入ったのである。その際、私の質問に応じて答えた所は左のごとくである。
「最初自分が来た時は数百人居たが、年々生れ易(かわ)る霊が、入り来る霊より多いので、今は百人位に減ってしまった。そうして日常生活は、大きな伽藍の中に住んでいて、別段仕事とてはなく遊芸即ち琴、三味線、笛、太鼓等をたしなみ、絵画・彫刻・書道・碁・将棋その他現世におけるとほぼ同様な娯しみに耽けるのである。そうして時々弘法大師又は○○上人(この名を私は失念した)の御説教があり、それを聞く事が何よりの楽しみである。又、弘法大師は時々釈迦如来の許へ行かれるのであるが、そこは、この極楽よりも一段上であって、非常に光が強く眩(まぶ)しくて仰ぎ見られない位である。又外へ出ると非常に大きな湖水があって、そこへ蓮の葉が無数に泛(うか)んでおり、その大きさはちょうど二人が乗れる位で、大抵は夫婦者が乗っており別段漕がなくても、欲する方へ行けるのである。そうして夜がなく二六時中昼間である。明るさは、現世の晴れた日の昼間よりは少し暗く、光線は黄金色の柔い快い感じである。」ーと言うのである。右は多分、寂光の浄土であろう。
又、天国は三段階になっているが、その一段がまた上・中・下三段に分かれている。故に第二天国でいえば、上位に観世昔、中位が阿弥陀如来、下位が釈迦如来が主宰座(いま)すのである。その他の諸善天人等いずれもそれぞれの階級に応じて住し給うのは勿論である。又弘法大師は、第三天国の上位であろう。
次に、地獄界とその状態を書いてみよう。霊界は、八衢(やちまた)即ち中有界を中心とし上方に向って天国が三段階、下方に向って地獄が三段階になっているのであるが下方へ行く程光と熱に遠ざかり、最下段の地獄は、神道にては根底の国といい、仏教にては極寒地獄といい、全くの無明暗黒界であって氷結境である。何物も見えず聞えぬ凍結状態で、そこへ落ちた霊は何年、何十年、何百年も続くのであるから、実に悲惨とも何とも形容が出来ない程である。私はそこにいた事のある霊から、聞いたのであるから誤りはないと思うのである。彼のダンテの神曲の地獄篇にも、この氷結地獄の事が記(か)いてあるが、真実であろう。そうして最上段は軽苦であって、多くは地獄の刑罰が済んで、八衢へ行く一歩手前ともいうべき所である。従って、そこにいる霊は地獄界における労作のごときものをさせられるのである。たとえていえば、各家の神棚、仏壇等に饌供(せんぐ)した食物を運び、その他通信・伝達等が重なる仕事である。
ここで、右饌供の食物について知らねばならない事がある。それは霊といえども食物を食わなければ腹が減るのである。そうして霊の食物とは、総ての食物の霊気を食するというよりは吸うのである。しかし現世の人間と異い極めて少量で満腹するので、霊一人一日分の食料は飯粒三つで足りるのである。従って、饌供された食物は多勢の祖霊が食してもなお余りある位であるから、その余分を配り役が運んで、饑(ひも)じい霊達に施与をするのであるから、その徳によって、その家の祖霊の向上が速くなる事である。故に、祖霊へ対し、出来るだけ、食物など供える事は非常に良いのである。従って、祖霊へ対し供養を怠る時は、祖霊は飢餓に迫られ、やむを得ず盗み食いをするようになるので、その結果として八衢から餓鬼道へ堕ちるか、又は犬猫のごとき獣類に憑依して食欲を満たそうとするーそれが畜生道へ堕ちる訳である。しかるに、人霊が畜生へ憑依する時は、漸次人霊の方が溶け込み、遂に獣霊と同化してしまうのである。この人獣同化霊が再生した場合、獣となって生れるのである。しかしながら、これは真の獣霊と異るのは勿論で、馬犬猫狐狸等の動物の中に人語を解するのがよくあるが、これらは右のごとき同化霊である為である。そうしてこれらの実例は非常に多いので、私が見聞した一二の例を挙げてみよう。
私が以前、ある家ヘ治療に行った時の事である。その家にかなり大きな犬がいたが家人のいわく「この犬は不思議な犬で、決して外へは出ない。ほとんど座敷住居で、絹の上等の座蒲団でないと座らないのである。家人が呼べば行くが、使用人では言う事を聞かないのであって、食物も、粗末な物は絶対に食わないという贅沢さでよく人語を解し、粗末な部屋や台所を嫌い、一番上等の部屋でなくては気に入らないという訳で、その他すべてが、普通の犬とは異うのである。」家人はいかなる訳かと、私に質ねたので、私は答えたのである。「それは、貴方の家の祖霊の一人が畜生道に堕ち、犬に生れ代って来、その因縁によって貴方の家に飼われるようになったのであるから、祖先としての扱いを受けなければ承知しないのである。」と説明したので、よく諒解されたのである。
次に、この話は現在開業している私の弟子が実見した事実である。それは今より十数年以前、横浜の某所に、中年の婦人が不思議な責苦に遇っている事を聞いたので、好奇心に駆られ早速行ってみたのだそうである。本人に面会すると、その本人は首に白布を巻いていたが、それを取除くと、驚くべし一匹の蛇が首に巻きついている。そうしてその蛇はよく人語を解し、特に食事をする時には一杯とか二杯とか量を限って許しを乞うのであって、そうする事によって、蛇は巻きついていた力を弛めるから、その間に食事をする、それが約束した以上を少しでも超過すると、喉を締めて決して食わせないそうである。その原因について本人が言うには、「自分がその家へ嫁入後暫くして、姑である夫の母親が病気に罹ったので、その時自分は早く死ねよがしに、食物を与えない為、餓死同様になって死んだのだそうである。その怨霊が蛇になって仇を討つべく、この様な責苦に遇わせるのである。」との事で「世人に罪の恐ろしさを知らせ、幾分なりとも世の為に功徳をしたいという念願から、出来るだけ多くの人に見てもらいたいのである」という事であった。
ここで、供物についての説明をしたついでとして華や線香の意味を説いてみるが、すべて仏壇の内部は極楽浄土に相応させるのであって、極楽浄土は善美の世界であるから、飲食は饒(ゆた)かに百花咲き乱れ、香気漂い、優雅なる音楽を奏しているのである。この理によって小(ささ)やかながらも、その型として花を供え、線香又は香を焚くのであって、寺院において読経の際、木魚を叩き、鐃(にょう)ばちを鳴らす等は音楽の意味であり、立派な仏式においての笙(しょう)、篳篥(ひちりき)なども同様の意味である。又仏壇に飲食を供うる際、鐘を叩くのはその合図である。
次に、動物の虐待について、世人の誤解している点を説いてみよう。それは動物に対し、人間と同様にみる事である。それは動物を虐待する事は、人間からみて非常に苦痛のように想うが、実はそうではないのである。本来牛馬のごとき動物は虐待される事を好むのであって、むしろ快感さえ催すのである。よく牛馬などの歩行遅々とする場合、鞭を当てると走り出すが、それは鞭の苦痛の為に走り出すのではなく、鞭で打たれる快感を望む為に、故意に遅々とするのである。故に、もし打たれる苦痛を厭(いと)うとすれば、打たれないよう走り続けるべきであろう。特に牛などは何回となく歩行を止め、打たれたい様をするのである。この例として、彼のマゾヒズムという変態的病気を世人は知るであろう。これは誰かに肉体を打たれたり、傷つけられたりする事を好むので、それは一種の快感を催すのだそうである。医学ではその原因不明とされているが、実は、被虐待を好む動物霊の憑依によるのである。この意味において、動物愛護や動物虐待防止は意味をなさないのである。
次に、中段地獄は、昔から唱うるごとき種々の刑罰苦がある。即ち針の山、血の池地獄、蜂室地獄、蛇地獄、蟻地獄、焦熱地獄、修羅道、色欲道、餓鬼道等々ある。そうして針の山は、読んで字のごとく、無数の針の上を歩くのであるから、その痛さは察するに余りある。血の池地獄は、妊娠や出産によって死んだ霊が、必ず一度は行くところであって、以前私が扱った霊媒に、血の池地獄の霊が憑った事がある。その時の話によれば、自分は約三十年来血の池地獄に漬っているが、そこは全くの血の池で、首まで漬っており、その池に多くの虫がいて、それが始終顔へ這上ってくるので、その無気味さは堪らないとの事である。蜂室地獄は、私の知人で、その当時有名な美容師の弟子である若い婦人に親しくしていた芸者の死霊が、右の弟子に憑ったのである。その時、ある審神者(さにわ)に向って霊の訴えた話は、蜂室地獄の苦しみであった。それは人間一人入る位の箱の中に入れられ、無数の蜂がいて身体中所嫌わず刺すので、実に名状すべからざる苦痛であるというのである。焦熱地獄は、文字通りの地獄であって、三原山のごとき噴火ロヘ飛込むとか、火事で焼死するとかいう者が行くところである。私は以前、一種の癲癇(てんかん)を扱った事がある。それは極って夜中に発(おこ)るので、本人いわく「就寝していると、最初数間先に火の燃えるのが見え、それが段々近寄るとみるや、発作するのである。その瞬間、身体が火のごとく熱くなると共に無我に陥る」のだそうで、これは大震災の翌年から発病したのであるから、全く震災で焼死した霊であろう。色欲道は、勿論不純なる男女関係の結果堕ちる地獄である。その程度によってそれぞれの差別が生ずるのである。それはどういう訳かというと、たとえていえば情死のごときは男女の霊と霊が、密着して離れないのである。それは彼世(あのよ)までも離れないという想念によるのであるが、それが為、霊界において行動に不便であり、苦痛でもあるから非常に後悔するのである。抱合心中はそのまゝの姿であるから一見それが暴露され、羞恥に堪えないのである。又別々の場所で心中をしたものは背中合せに密着するのである。たまたま新聞の記事などにある生れた双児の身体の一部が密着して放れないというのがあるが、勿論これらは心中者の再生である。又世間でいう逆様(さかさま)事、即ち親子、兄妹等の不純関係の霊は、上下反対に密着するのである。それは一方が真直であれば、一方が逆様というような訳であるから、これらの不便と苦痛と差恥は実にはなはだしいものがある。又姦通の霊は、非常に残虐な刑罰に遇うのである。以上のごとくであるから、世間よく愛人同志が情死の場合、死んで天国で楽しく暮すなどという事は、あまりにもはなはだしい違いである事を知るべきである。これによってみても、霊界なるものは至公至平にして一点の狂いもない所であるから、この事を知って現界に生存中は、不正不義の行為は飽くまで慎しみ過誤に陥る事なきよう戒心すべきである。
次に、こういう事も知っておかなければならない。それは現世において富者でありながら非常に吝嗇(けち)な人がよくあるが、その様な人は巨万の富を有するに関わらず想念は常に不足勝であって、より以上の金銭を得んと心中堪えず焦慮しておるから、その想念も生活も、貧者と異ならないが故に、外面は富者であっても、霊体は貧者であるから、こういう人は死後霊界に行くや、想念通りの貧困者となり、窮乏な境遇に堕ちるのである。それに引換え現世において中流以下の生活者であっても、心中常に足るを知って満足し、日々感謝の生活を送り、余力あれば社会の為人の為善根を施すというような人は、霊界に行くや富者となって、幸福な境遇になるのである。しかるに、一般世人は、現界のみを知って霊界を知らず、飽くまで現界のみを対象として生活を立てるのであるから、いかに愚かであり不幸であるかを知るべきである。従って、霊界の事象を知り、これを信ずる人にして初めて永遠の幸福を得らるるのである。この意味において人は生命のある限り、善を行い徳を積み、死後の準備をなしおくべきである。 
 
死後の世界 1

 

人は死後、天国か陰府(よみ)へ行く。それらはどんな世界か
死の際に魂は肉体から分離する
多くの人は、なるべく死というものを考えないようにしています。「死ぬまでは生きているのだから」と言って、死のことは、生きているうちは考えないようにするわけです。
しかし、死を知らずして、本当の生はありません。誰にでも必ず死がやって来ます。「最終的に人はどこへ行くのか」「自分はどこへ行くのか」を知らないで意義深い人生を送ることはできません。
換言すれば、生存中の人生に関してだけでなく、死後の世界についても本当の幸福をつかまなければ、人間の幸福は確立しません。
聖書によれば、「死」とは"魂が肉体から離脱すること"です。イスラエル民族の父祖ヤコブの妻ラケルが死んだ時のことについて、聖書は、「彼女が死に臨み、その魂が離れ去ろうとするとき……」(創世三五・一八)と記述しています。「死」とは、魂が"体外離脱"することなのです。
死の際の魂の体外離脱について、「臨死体験者」は、興味深い事柄を多く語ってくれています。
最近の病院は、人が死んでも、すぐにはあきらめません。アドレナリンを注射したり、体に電極をつけて電気ショックを与えたり、人工呼吸をしたりして、様々な蘇生術を施します。
そうすると、ときに「死んだ人が生き返る」ことがあります。その死んでいた状態に体験したこと――これを臨死体験といいます。
臨死体験者の中には、死の際に自分の魂が肉体から抜け出て、自分の体のまわりで起こっていることを上のほうから見ていた、と言う人がじつに多くいます。また自分の死体のまわりで起こった出来事を、蘇生後に言い当てた、と言う人が多いのです。
たとえば、心臓発作で「死んだ」ある女性は、「気がつくと自分が肉体から離れて、ベッドの手すりの間を通りぬけたのがわかった」と述べています。さらには、「上のほうから病室をながめていて、看護婦が大勢病室に駆け込んでくるのを、見ていた」とも述べました。交通事故のために三日間「死んでいた」ある日本人男性も、「(自分の死体のまわりで)起こっていることを、肉体を離れたもう一人のぼくが見下ろしている、としか考えられない状態だった」と語っています。 
死後の世界は実在する
かつてNHKで放送されたドキュメンタリー番組「臨死体験」(一九九一年)の中で、次のような例が紹介されました。レポーターは、科学ジャーナリストとして有名な立花隆氏。臨死体験者は、アメリカ人男性のアル・サリバン氏(五九歳)です。サリバン氏は、かつて心筋梗塞で救急病院に運ばれ、その手術中に臨死体験をしました。その際、魂が肉体から離れる「体外離脱」の経験をし、手術室で起きた一部始終を自分で見ていた、といいます。
彼は、体外離脱の間に自分が見たこと聞いたことが、事実だったかどうか確かめたいと、手術を担当した医師に会うことになり、この対面に立花氏が同行しました。手術を担当した医師は、米国コネチカット州の病院に勤務する日本人心臓外科医・高田裕可氏。高田医師が、手術後サリバン氏に会うのは、初めてです。
サリバン氏は、かつて手術の最中に自分が見たことを、高田医師に次のように語り始めました。
「先生は、私の頭のあたりに立っていました」。
「その通りです」。
「私は体をぬけ出し、手術の様子を見ていたんです。最初に見えたのは、目におおいをかぶせられた自分の姿でした」。
「ええ、私たちは目を保護するために特別な紙で、あなたの目をすっぽりおおっていました」。
「それで先生は、このようにして(両手を胸にあて、ひじをつり上げて合図するさま)、まわりにいる助手に指示を出していました (助手がそばでうなづく)。私は上からながめていて、変な指示のしかただな、まるで鳥が羽ばたいているみたいだ、と思いました。それから先生は、手術用なのかどうかわかりませんが、メガネをかけていました」。
「ええ、私は患部を拡大して見るために、特別なメガネをかけていました」。
「それから手術なのにあまり血が出ていませんでした。それに私の心臓は、赤くなくて、白っぽい紫色でした」。
「たしかに心臓は、白っぽい紫色でした。それは私たちが手術すべき動脈をよく見えるようにするために、あなたの心臓にバイパスをつけて、完全に血をぬいたからです。ですから手術中は、あまり血が出ませんでした。そして心臓はたしかに、あなたの言うように白っぽい紫色に変わっていました」。
ここでレポーターの立花氏が、高田医師に質問しました。
「サリバンさんは、手術の専門知識を持っていないと述べています。それなのに彼は、なぜこれほど自分の手術の時の様子を、正確に語れるのでしょうか」
高田医師は、しばらく考えたのち、こう答えました。
「私には、どうしてこれほど正確に語れるのかわかりません。こういった人間の能力は、とても今の科学では説明できないと思います。私たちが通常基盤にしている科学や、数学の世界とは、別の次元に属するものと思います」。
このように、臨死体験は、死後の魂の存続を確信させるものなのです。サリバン氏のような体験は、「幻」だとか「耳から聞いたことを覚えていたのだ」とか言って説明することは、到底できません。
実際に「体外離脱」をしたサリバン氏が、上から自分で見ていた、としか説明できないのです。魂は物質的肉体を離れても、存在することができるのです。
臨死体験について先駆的研究をなした、米国イリノイ州の家族精神衛生センターの医学部長エリザベス・キューブラー・ロス博士は、こう言っています。
「私は"死"から生き返った体験を持つ数百人の人々に接しましたが、それによって、一片の疑いもなく"死後の生"があることを確信したのです」(ニューヨーク・タイムズ 一九七六年四月二〇日付)。 
人は死後、天国か陰府へ行く
さて、聖書によれば、人は死ぬと、「天国」あるいは「陰府(よみ)」(黄泉 ギリシャ語ハデス ヘブル語シェオル)に行きます。最終的には、「天国」あるいは「地獄」になるのですが、現在は、人は死ぬと「天国」あるいは陰府に行きます。
クリスチャンの死後の場所は、「天国」です。それは父なる神様、またキリスト様のおられるところ、栄光に満ち、幸福、喜び、愛が十全に支配する王国です。苦しみ、罪もなく、永遠の命が支配しています。この天国について、キリストの使徒パウロはあるとき、「むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています」(IIコリ五・八)と言ったことがあります。それほど、天国はすばらしい場所なのです。私はこれまで、多くのクリスチャンの死をみとってきました。彼らの魂が肉体から離れるとき、その魂がおごそかな中にも天国の栄光と喜びに満ちているのを、いつも感じることができました。
天国は、この地上世界とは比べものにならないほど、至福に満ちています。聖書には、そうした光景が描かれています。クリスチャンは死んで魂が肉体から離れたとき、陰府に行くことなく、すぐさまこの天国にあげられ、神とキリストのみもとへ行くのです。
使徒パウロも、今は果たすべき使命があるからこの地上にいるけれども、すべきことをし終わり、時が来れば、早く天国の安息と至福の中に憩いたい、そういう気持ちでした。
この天国は、霊的な世界ですが、聖書によると最終的には「新天新地」と呼ばれる新世界と合体します。その光景について、新約聖書の『ヨハネの黙示録』はこう記しています。
「『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』……『わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。』……
都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊(キリストのこと)が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。……
御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。」(二一〜二二章)
これは未来の天国の光景を述べたものですが、現在の天国の特長もよくそこにあらわれています。神とキリストを信じる者は、死後、そこへ上げられます。
また天国は、神とキリストを信じる者だけが入れる王国です。なぜなら、神とキリストはそこの支配者ですから、このおかたを信じない者はそこへは入れてもらえません。
そのため、未信者として死んだ人々は、「天国」ではなく「陰府」へ行きます。ただし、この「陰府」はいわゆる「地獄」のことではありません。「陰府」と「地獄」はしばしば混同されてきましたが、別のものです。
「陰府」は一般的な死者の世界であって、最終的刑罰の場所である「地獄」とは違うのです。 
陰府と地獄の違い
ここで、「陰府」と「地獄」の違いを少しお話ししましょう。
「地獄」(ギリシャ語ゲヘナ)というものは、"終末的な場所"であって、世の終わりの「最後の審判」以降のための場所です。一方、「陰府」は世の終わりの「最後の審判」までの場所です。
「最後の審判」とは、いわゆる「死後の裁き」(ヘブ九・二七)のことですが、そのとき神がすべての死者を、生存中の生き方に応じて裁かれるのです。しかし、この「最後の審判」は、死の直後に行なわれるわけではなく、「世の終わり」に行なわれます。聖書はそう教えています。そのとき、最終的に神から退けられた人が行くのが、「地獄」です。
「私(ヨハネ)は、死んだ人々が、大きい者も小さい者も、(最後の審判の)御座の前に立っているのを見た。……いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた」(黙示二〇・一二〜一五)と述べられています。この「火の池」は、永遠の刑罰の場所であって(黙示二〇・一〇)、いわゆる「地獄」(ゲヘナ)のことです。「地獄」は、世の終わりの最後の審判以後のための場所なのです。
世の終わりの「最後の審判」の法廷で、"裁判"がなされ、人々の有罪・無罪が最終的に確定すると、有罪の者が「地獄」という"刑務所"に行くわけです。裁判もなされていないのに――つまり最後の審判以前に、人が「地獄」という刑務所に送られてしまうことはありません。
すでに地獄は用意はされていますが、現在はそこはまだ空なのです。
ところが残念なことに世の中では、"人は死後すぐさま天国と地獄にふり分けられる――それがキリスト教の教えだ"と思われていることが多いようです。しかし、これは決して聖書の教えではありません。
じつは、こうした間違った理解が広まってしまった背景には、教会にも責任があります。一七世紀に出版された有名な英語訳聖書『キング・ジェームズ・バージョン』(欽定訳聖書) が、困った誤訳をしてしまったのです。
この英語訳は、陰府(ギリシャ原語ハデス)を "hell"(地獄)と訳してしまいました。陰府と「地獄」とを混同してしまったのです。この訳は英語圏の教会で盛んに用いられ、他の言語への翻訳にも、大いに参照されました。原典に忠実な最近の訳は、この間違いに気づいて、陰府と「地獄」を区別して訳すようになりましたが、それでも両者の混同は人々の間から今日もなかなか消えていません。
しかし聖書によると陰府は、明らかに「地獄」とは別のものなのです。陰府は、最後の審判までの一時的な死後の世界であって、最後の審判が終わると、「地獄」に捨てられます。こう記されています。
「 (最後の審判の後) 死とよみとは、火の池 (地獄) に投げ込まれた」(黙示二〇・一四)。
つまり陰府は、最後の審判が終わると「地獄」に捨てられます。このように陰府と「地獄」は、別のものです。陰府は、世の終わりの最後の審判の時までの、一時的・中間的な死者の場所なのです。
この世では、犯罪人は裁判で刑が確定するまでは、留置場または拘置所に入り、やがて裁判で無罪または有罪が確定すると、無罪なら釈放、有罪なら刑務所に入ります。
同様に、信仰による義を受けていない人は死後陰府に行き、やがて世の終わりに最後の審判という裁判の時を迎えて、神からの最終的な裁定を受けます。そのときになお有罪とされれば、その人は「地獄」という刑務所に行くのです。
このように、天国か地獄かが決まるのは世の終わりの最後の審判の法廷においてであって、それ以前は、人は死ぬと「天国」あるいは「陰府」に行きます。クリスチャンは死後すぐさま天国へ行き、そうでない人は、死後陰府へ行くのです。 
陰府はどんな世界か
陰府は一般的な死者の世界です。陰府は現在はクリスチャンでない人が死後に行く場所ですが、聖書によると、「旧約時代」と言ってキリスト以前の時代は、すべての人々が陰府に行きました。
「旧約の聖徒」と言われる旧約時代の神を信じる人も、当時は死後陰府に行ったのです。たとえばイスラエル人の父祖ヤコブは、自分の息子ヨセフが死んだとの報を聞いたとき、こう語りました。
「私は、泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下っていきたい」(創世三七・三五)。
ヤコブは、自分の息子ヨセフが陰府に行った、と理解していたのです。
この陰府を、地獄と置き換えることはできません。陰府に行ったというヨセフは、神を信じる信者だったからです。またヤコブ自身、自分は死ぬと陰府へ行く、と理解していました。
この陰府は、天国に置き換えることもできません。ヤコブは、「よみにいるわが子のところに下って行きたい」と言いました。陰府は"下"にあるとされているのです。
イスラエルの王ダビデも、自分の死を感じたとき、「私の命は、よみに近づきます」(詩篇八八・三) と語りました。ダビデもまた、自分が死後に行く場所は陰府である、と理解していました。旧約時代、神の聖徒たちも含め、すべての人は、陰府に下ったのです(詩篇八九・四八)。
じつは旧約の聖徒たちは、キリストの昇天の時になって天国に入りました。旧約の聖徒たちですら、キリストの十字架の血潮なしには、天国に入れなかったのです。このことはあとで見ましょう。
聖書は、陰府はきわめて「広く」(ハバ二・五)、また「深い」(ヨブ一一・八)と述べています。そのため陰府は、幾つかの"層"または"場所"に、分かれています。
主イエスの語られた「ラザロと金持ち」の話は、それをよく示しています。それは次のようなものです。
「ある金持ちがいた。いつも紫の着物や、細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人がいて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと、思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに(彼の近くに)連れていかれた。金持ちも死んで葬られた。
その金持ちは、死んで、よみで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。
『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、彼をよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません』。
アブラハムは言った。
『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかしここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです』……」(ルカ一六・一九〜三一)。
さて、この話はまだ続きますが、私たちはここに、陰府に属する二つの場所を見出します。
一つは、旧約時代アブラハムやラザロが行った陰府の"慰めの場所"(一六・二五)です。"慰めの場所"には、ほかにもイスラエルの父祖ヤコブや、イスラエルの王ダビデなど、旧約の聖徒たちもいたでしょう。
一方、生存中、利己的な生活を続けていた金持ちは、陰府の「苦しみの場所」(一六・二八)に行きました。彼が陰府の「苦しみの場所」へ行ったのは、金持ちだったからではなく、利己的だったからです。また、神から離れた生活をしていたからです。
これら慰めの場所と苦しみの場所の間には、「大きな淵」があって行き来ができない、と言われています。つまり、陰府には少なくとも、二つの場所があります。
また古代ユダヤ文書には、陰府は四つの場所に分かれている、との記述があります。それぞれの場所の苦しみや慰めの度合いは違い、生存中に行ないによって振り分けられるといいます。
「ラザロと金持ち」の話には、それらのうちの二つの場所が語られている、とみることもできます。 
陰府において人生の幸不幸は正される
それはともかく、「ラザロと金持ち」の話に見られるように、陰府の世界に行った人々には心の動きはあります。
しかし陰府には、この地上のような富も、お金も、食べ物も、肉体的快楽もなく、そうしたものとの関わり合いもありません。
金持ちだった者ももはや金持ちではなく、貧乏だった者もそうではなくなります。健常者も障害者も、地位の高い人も低い人もなく、すべての人が人間の最も基本的な姿に戻るのです。
外面的な覆いや仮面が取り払われ、魂は全く裸の状態になります。そうなったうえで陰府に行った人々は、かつて肉体にあったときの生活の幸不幸を、そこで正されることになるでしょう。
アブラハムは金持ちに対して、こう言いました。
「子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかしここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです」(ルカ一六・二五)。
生存中、神と共に生きながら貧苦と病にあったラザロは、死後陰府で良い物を受けて、慰められました。
反対に、無慈悲で利己的な生活をし神を離れて生きていたあの金持ちは、死後悪い物を受けて苦しみました。
つまり、人間の幸不幸は、生存中から死後にかけて、最終的にその人にふさわしいものとなります。聖書の言っている通り、「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになる」(ガラ六・七)のです。生存中自分で良い物を蒔いた者は、死後良い物を受けて慰められ、生存中悪い物を蒔いた者は、死後悪い物を受けて苦しみます。自分の蒔いたものを、自分で刈り取るのです。
金持ちが陰府で受けた苦しみは、もともと自分の蒔いた物であり、ラザロの受けた慰めもそうなのです。 
人々は陰府で最後の審判の日を待つ
陰府は何のためにあるのか――もう一つのことを見てみましょう。
神から離れて生きていたために死後陰府へ行った人々は、やがて審判者なる神の御前に自分が立つ日を、そこで思わなければなりません。陰府での日々は、人々が最後の審判の前に、生存中の自分の行為を振り返るためなのです。
肉体を脱ぎ捨てて純粋な霊となった魂は、肉体にあったときの生活がやがて裁かれる日を、思わなければなりません。
聖書によれば、陰府の苦しみの場所での苦しみは、「懲罰」的な苦しみです。
「主は……不義な者どもを、さばき(最後の審判)の日まで、懲罰のもとに置くことを心得ておられる」(IIペテ二・九)と記されています。地獄の苦しみが"刑罰"的苦しみであり、裁判後の処置であるのに対し、陰府の苦しみは「懲罰」的なものであり、裁判前の、将来を考えた懲らしめなのです。
たとえば、この世では、犯罪人は裁判の時まで留置場あるいは拘置所に入れられて取り調べを受け、その間に事実関係がより確かなものとされます。
そして罪を犯した人は、そこで人々の非難と、自分の良心の呵責に苦しまなければなりません。そこで反省する人もしない人もいるでしょうが、いずれにしても、その期間はその人への"懲らしめ"の時となるでしょう。
そしてやがて裁判が行なわれ、深く悔いている人は、"情状酌量"となって減刑されることもあります。しかし、なおも有罪とされれば、その人は刑務所に下り、確定された刑を受けるのです。
留置場や拘置所の人が、そこでやがて開かれる裁判の時を思うように、陰府に行った人々は、世の終わりの最後の審判の法廷に立つ日をそこで思わなければなりません。人々は、陰府において、生存中の自分の生活を振り返るのです。
あの利己的な金持ちの生存中の行為は、陰府で炎のようになって彼を苦しめました。そのように、利己的な人々や罪深い人にとって、陰府は懲罰の場所となるでしょう。
そののち世の終わりになって、神の最後の審判の法廷において、彼らの最終的な行き先――天国か地獄か、が決定されます。 
"慰めの場所"にいた聖徒たちは今は天国にいる
先に述べたように、旧約時代、神を信じる聖徒たちは、死後陰府の"慰めの場所"に行きました。
しかしキリスト以後、彼らはもう、そこにはいません。キリストは、十字架上で死なれたのち、陰府に下り、彼らを天国に引き上げられたからです。
クリスチャンは、教会で「使徒信条」というものを唱えます。「使徒信条」にも述べられているように、キリストは死後「陰府に下」られました。
キリストは陰府から復活して、やがて昇天される際、陰府にいた聖徒たちを、天国に引き連れて行かれました。こう書かれています。
「高い所に上られたとき、彼(キリスト)は多くの捕虜を引き連れ……」(エペ四・八)。
昇天の際、キリストは単独で天国に行かれたのではなく、「多くの捕虜」を引き連れて行かれました。この「捕虜」は、陰府に「捕らわれの霊」(Iペテ三・一九)となっていた人―――つまり信者のことなのです。キリストは陰府の"慰めの場所"にいた旧約の聖徒たちを、天国に連れて行かれました。
キリスト昇天の際、弟子たちにはキリストおひとりが昇天されるように見えましたが、じつはキリストのまわりには、雲のように多くの霊が伴っていたのです。
キリストは贖い(あがない)のわざを成就したのち、陰府のキリスト信者を、天の御国の楽園に導かれました。陰府はたとえ"慰めの場所"であっても、暗い死者の場所であることに変わりなく、「楽園」には程遠い世界だったからです。
そしてキリストの昇天以後は、キリストにあって死んだ者はみな、すぐさま天の御国に入っています。彼らは、そこで「永遠の生命」に生きているのです。それは苦痛のない世界です。陰府と違って、そこには豊かな生命の躍動と、喜び、また安息があります。
生存中キリストから離れて生活していた者は、死後もキリストに遠い陰府に行き、反対に、キリストと共に生活していた者は、死後もキリストのみそばにいるために「天国」に行きます。
「天国」に行くか、陰府に下るか――それは単に、神が一方的にお決めになっているのではありません。じつは私たち自身が決めているのです。生きているとき神を拒絶していた者は、死後、神から遠い陰府に行きます。
一方、生きているとき神と共に歩んだ者は、死後、神に近い「天国」に行きます。いずれの場合も、本人が好んだ境遇に導かれているにすぎません。
キリストを信じる者は、神の子とされ、天国を保証されています。聖書において神は、「天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名のもとである父」(エペ三・一五)と呼ばれていますが、この"天上で家族と呼ばれる人々"とは、すでに世を去って主のみもとへ行ったクリスチャンたちのことなのです。
クリスチャンは、死の直後に天国に入るのです。また聖書の『ヨハネの黙示録』では、死後天国へ行った人々と神との間に会話が持たれている光景が、描かれています(黙示六・九〜一一)。
生涯の初め頃にキリストを信じた人も、生涯の終わり頃に信じた人も、等しく死後は天国に行きます。死の直前に信じた人も、天国に入るのです。キリストの十字架のとき、キリストのとなりで十字架につけられていた盗賊の一人は、死の直前にキリストを信じて天国に入りました。
しかし私はあなたに、死の直前になって信じるのではなく、むしろ今すぐ神とキリストを信じる者となられるよう、おすすめします。死はやがて確実にやって来るものですが、それがいつ来るかは、あなたにはわからないからです。
また、死の直前に信じて天国に入ったとしても、その人にはこの地上で「神の栄光を現わして生きる」という祝福された生き方をする機会は、もはやないからです。
早くからこの地上で神の祝福を受けて、幸福に生きたほうが、はるかに良いではありませんか。神の祝福は、死後になって始まるのではなく、今すぐ始まるのです。
「天国」と呼ばれる神の御国は、「神が人と共に住む」世界です。その原型は、天地創造の時、エデンの園にありました。
かつてエデンの園で、霊的な神の御国は、地上世界と一体でした。しかし人間が堕落したとき、霊的な神の御国は地上世界から切り離され、「天国」となって分離しました。
分離したばかりの「天国」は、「国」というよりは単なる「パラダイス」(IIコリ一二・四)であり、「園」でしたが、今は住人が増えて「天のエルサレム」(ヘブ一二・二二)とも呼ばれるようになっています。
それは立派な"都市国家"に成長したのです。「天のエルサレム」とも呼ばれる天国は、現在、王なる神、王子なるキリスト、また多くの市民を擁する大"都市国家"です。
神を信じキリストの教えに従う者は、死後、みなこの「天のエルサレム」に入っています。それは神・人・(霊の世界の) 自然とが、見事に調和した世界です。
人類がいまだ築き得なかった見事な都市が、そこで発展中なのです。神と共に生きることを喜ぶ者はみな、この世界に迎え入れられるでしょう。じつに、「私達の国籍は天にあります」(ピリ三・一九) キリスト者は死後、神のみもと「天国」に導かれ、滅びることなく、「永遠の生命」に生きるのです。このようにクリスチャンは死後「天国」に行き、一方、未信者は死後陰府に行きます。 
死んだ者にも御恵みを惜しまれない主
ここで、あなたは質問をなさるかも知れません。
「私がキリストを信じて生きるならば、私は死後、天国へ行けるのですね。でも、私の親や先祖はどうなりますか。
私の両親は、これから私が福音を伝えたいと思いますが、祖父や祖母は、もうすでに世を去っています。彼らはクリスチャンではありませんでしたし、キリストの福音を聞いたこともなかったでしょう。祖父や祖母はどうなるのですか」
しかし、心配はいりません。神の御思いの中では、先祖→自分→子孫という家系全体が一つのセットなのです。ですから、あなたがキリストにあって歩むならば、あなたに対して注がれる祝福は、さらにあなたの先祖や家族、親族、また子孫にも及んでいきます。
「わたし(神)を愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施す」(出エ二〇・六)
先祖についても、「主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた」(申命一〇・一五)と記され、また
「神に愛されている兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは、私たちが知っています」(Iテサ一・四)と記されています。私たちクリスチャンは神に選ばれ、神の民に召し出された者です。そうであるなら、私たちの先祖も神の愛の中に置かれるのです。聖書の中で神は、「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主」(ルツ二・二〇)と呼ばれています。神は、すでに世を去ったあなたの祖父や祖母、先祖に対し、御恵みを惜しまれません。それはあなたが神を愛し、神に従って歩むなら、なおのこと「あなたの先祖」だということで、御恵みを惜しまれないのです。
もちろん、これはあなたが、クリスチャンとして歩むなら先祖や親族、子孫が自動的に全員救われます、という意味ではありません。救われるためには、各人が自分の意思で信仰を表明しなければなりません。
しかし、あなたが神を愛し信じて歩むときにあなたに注がれる祝福は、単にあなたにとどまらず、あなたの親族や先祖、また子孫の「千代」すなわち一千世代にまで及ぶのです。その祝福により、彼らの多くが救われる可能性が飛躍的に高まります。あなたは、彼らの救いと祝福のためにも、神を信じ、神に従って生きなければなりません。 
キリストは死後なぜ陰府に行かれたか
さて、死者にも恵みを惜しまない神のその恵みは、あなたの先祖に対し、どのように施されていくのでしょうか。
先祖や親族のうち、キリストを信じずに世を去った人々、またキリストの福音を一度も聞く機会のないまま世を去った人々などは、いま陰府にいます。そこは死後の最終状態ではなく、世の終わりの「最後の審判」(神の裁判)の時までの中間状態です。
彼らは、生存中になしたそれぞれの行ないに応じ、陰府の中のふさわしい場所にとどめられ、そこで神からのお取り扱いを受けています。しかし、彼らにも神の憐れみと恵みが注がれます。それはキリストが次のように言われたからです。
「死人が神の子(キリスト)の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。……墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます」(ヨハ五・二五、二八)
ここで「死人」とは単に"霊的に死んだ人"(罪人)の意味ではありません。「墓の中にいる者がみな」と言われていますから、これは肉体的に死んだ人々、陰府にいる人々をも意味していることがわかります。
そして、彼らがキリストの声を聞き、それに聞き従うならば「生きる」というのです。キリストが「生きる」というとき、それは神の前に生きること、永遠の命に生きることを意味します(マタ四・四、二二・三二、ロマ一・一七)。
彼らは救われるのです。このことは二段階にわたって成就(実現)します。
一段階目は、キリストの十字架の死の後でした。キリストは死後、三日間陰府に下り、そこで陰府の死者たちに御言葉を宣べられたのです。
「キリストも一度罪のために死なれました。……その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行って、みことばを宣べられたのです。……昔ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。……死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのです。それはその人々が……神によって生きるためでした」(Iペテ三・一八〜四・六)
じつはこの言葉は、多くの人々から誤解されてきました。その人々は、「これは、キリストが死者に福音宣教をなさったという意味ではない」と述べてきました。どうしてかというと、陰府と「地獄」を混同していたので、「キリストは死後、地獄へ行かれたが、そこで福音宣教をなさったと言ってしまうと、おかしなことになる。だから、死者への福音宣教という解釈は何としてでも避けなければならない」と考えたのです。そして様々な無理な解釈を施してきました。しかしこの句の意味は、読んで字のごとく、死後陰府に下られたキリストが、死者に福音宣教をなさった、ということなのです。はっきりと「死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていた」と述べられています。
また、みことばを「宣べられた」のギリシャ原語ケーリュソーは、キリストに関して用いられる時はつねに、「福音を宣べ伝える」の意味で使われています。あるいは神の温かい御教えを告げる、宣べるという意味です(単なる「勝利を宣言する」とか、「断罪する」の意味ではありません)。
ただし、このときキリストが福音宣教をなさった死者は、ノアの大洪水以前の死者だけでした。では、大洪水後の死者たちには、いつ福音宣教がなされるのでしょうか。
じつは、今すでに、彼らへの福音宣教は徐々になされつつあります。なぜなら、先の「ラザロと金持ち」の話を思い起こしてください。あの金持ちは、自分が地上で見聞きしたことを、陰府で思い起こしています。
かつて地上で見聞きしたことの記憶は、陰府で思い起こされるのです。ですから、たとえば、クリスチャンになったあなたが、誰かに福音を宣べ伝えます。その人が信じれば、その人は死後天国へ行きます。
もし信じなければ、死後は陰府に下ります。しかし陰府に下っても、その人は、あなたから聞いたキリストの福音を、陰府で思い起こすのです。こうして、福音は陰府において徐々に宣べ伝えられつつあります。
また聖書の「ヨハネの黙示録」によれば、やがて患難時代と呼ばれる終末の苦難の時代に、神の二人の預言者がエルサレムに現われます。彼らは三年半の預言活動ののち、暴君に殺されますが、三日半の後によみがえり、人々の見ている中を昇天し、天国へ行きます(黙示一一章)。
彼ら二人の預言者は、その死んでいる三日半のあいだ陰府に下り、かつてキリストが陰府で福音宣教をされたように、そこで福音宣教をなすであろうと、私は見ています。こうして、大洪水後の死者にも福音が宣べ伝えられるでしょう。これが第二段階目のことです。
そのとき、キリストの福音に聞き従う者たちは「生きる」のです。 
福音は陰府の死者のためにもある
実際聖書は、福音は陰府の死者のためでもある、と述べています。
「それはイエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです」(ピリ二・一〇〜一一)
この「地の下」とは陰府です。聖書ではつねに、「地の下」は陰府をさしています。福音は陰府にいる人々のためにも存在し、彼らが「イエス・キリストは主である」と告白するためなのです。
この告白は、イエスは「キリスト」(救い主メシヤ)であり「主」(従うべきおかた)である、というものであり、まさに救われる信仰告白そのものです。
「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる」(ロマ一〇・九)
「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません」(Iコリ一二・三)
またヨハネの黙示録によれば、終末の時代に、陰府の中から神への礼拝と讃美の声が上がります。
「私(ヨハネ)は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように』」
(ここで「あらゆる」と訳された原語は、一人残らずの意味ではなく、数が多いことの強調で、「非常に多くの」の意味です――ロマ一一・二六、マタ一〇・二二、ヨハ一三・三五等参照)。
この「地の下」=陰府からあがる「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように」との讃美の声は、天使たちの讃美の言葉と同様のものです(黙示五・一二、七・一二)。
それは救われた者たちの讃美と礼拝の声なのです。彼らはキリストの福音に聞き従って、「生きる」のです。
この讃美は、悪霊たちが神の力の前に屈服して、神に栄光を帰することとは違います。悪霊が神を心から讃美したり、心から礼拝することはありません。聖書にはまた、地獄行きの人間が神を讃美している例はありません。
ヨハネの黙示録によれば、終末の時代に神への讃美のために呼び出されているのは、「神のしもべたち」です。
「御座から声が出て言った。『すべての神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を讃美せよ』」(一九・五)
聖書では一貫して、神への讃美を捧げる人々とは、救われた人々です(詩篇一四五・一〇、出エ一五・二)。したがって先の聖句に述べられている「陰府の中から讃美礼拝を捧げる人々」とは、キリストの福音に聞き従って救われた人々、と理解することができます。
このように、あなたの先祖や、すでに世を去った親族にも、神の救いの御手が差し伸べられています。これを救いの「セカンドチャンス」といいます。
ファーストチャンスはこの地上の人生、セカンドチャンスは、死後の生活です。ファーストチャンスで信じるのが一番良いのです。その人は、神と共に生きる幸福の道を歩み、死後は、陰府に下ることなく天国へ行けます。
しかし、ファーストチャンスのときに、福音を一度も聞いたことのない人々もいます。そういう人には、神は死後にセカンドチャンスをお与えになるというのが、聖書の教えです。
そして、あなたがこの地上で神と共に歩むなら、神の救いのセカンドチャンスは、あなたの家系のすべての人々に対し豊かに臨むでしょう。
ただし、あなた自身に関して言えば、あなたはすでにこの地上で福音を聞きました。すでに聞いた者には、責任と義務があります。あなたは、聞いた事柄に対して応答しなければなりません。
あなたが信じるなら、祝福と永遠の命が与えられます。しかし信じないなら、あなたは依然として罪と滅びの道にとどまることになります。ですから聖書は私たちに言っているのです。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』という年月が近づく前に」(伝道一二・一)
神とキリストを信じるのは、早ければ早いほど良いのです。 
死後Q&A
質問1 / 「私は、陰府と地獄は"同じようなもの"と思っていたので、『未信者として死んだ人々にもまだ救いの機会はある』と聞いて驚いています。これは新しい教えですか」
いいえ、新しい教えではありません。この理解は、初代教会にはあったのです。新約聖書の中に、はっきりそういう聖句があるわけですから。
しかしその後、教会は西方教会と東方教会に分かれました。東方教会では、たとえば第一ペテロ三・一八〜四・六について、キリストの陰府での福音宣教という理解は広く説かれていました。たとえばアレキサンドリアのクレメンスもそうでしたし、オリゲネスも、キリストの陰府降下は、「死者にとっても生者にとっても主となるため」(ロマ一四・九)だと述べました。しかし西方教会は、死後の救いを述べることをタブー視しました。その背景には、しだいにヨーロッパの異教的な地獄観念が入り込み、陰府と「地獄」が混同されるようになったことがあります。
陰府と「地獄」は同一視され、地獄は死の直後の場所と考えられるようになりました。人間は死んだらすぐに天国か地獄か、そのどちらかに行って、それは永遠に続くという理解です。
この誤った理解のために、西方教会では、死後の救いを説くことは禁じられました。しかし、それは誤った聖書理解の上に立っていたのです。
質問2 / 死後にも回心のチャンスがあると思えば、人々は「生きている間は好きに暮らして、死んでから回心すればいい」と考えてしまうのではないでしょうか。それは不都合ではありませんか。
いいえ、死後のことを正しく説くなら、そのようなことは起こりません。
なぜなら、あなたがキリストの福音を聞いて、自分の生きている間にそれを信じたとしましょう。そうすれば、あなたはこの地上において神の子として祝福の中を生き、また死んだ後は幸福な天国へと迎え入れられます。
しかしあなたが、生存中に福音を信じなければ、あなたは罪と滅びへの生活を歩み、死後は陰府に下り、生存中に自分が行なったことをそこで苦しみのうちに刈り取るようになります。それは地上における人生よりも、はるかに長く続くでしょう。
たとえそこで回心の機会が与えられても、それは死の直後ではありません。あの大洪水前の死者も、自分たちが死んでから二五〇〇年以上たってから、ようやくキリストの陰府降りの際に回心のチャンスを与えられたのです(Iペテ三・一八〜二〇。ノアの大洪水は紀元前二五〇〇年頃、キリストの陰府降りは西暦三〇年)。
あなたは自分の人生の何倍にもわたる時間、陰府での苦しみの生活を味わうことになるでしょう。
あなたは、どちらの生活のほうがいいですか。私なら、迷わず前者の生き方を選びます。また私は以前、私が牧師を務める教会で、「死後にも回心の機会はある」と話した上で、「あなたは死んでから回心すればいい、なんて思いますか」と皆に聞きました。すると誰もが首を振って、「とんでもありません。私たちはキリストに生きることの素晴らしさを知りました。生きているうちに福音を聞いたら、生きているうちに回心するのが当然です」と答えました。死後について正しく説くとき、死んでから回心すればいいなどという考えは、決して生まれてこないのです。
福音の素晴らしさを知るなら、誰もが「生きているときに信じて当たり前」と思うものです。それは自明の真理なのです。
質問3 / 陰府にいる人は、苦しみから逃れたいと思っているので、みなが信じるのではありませんか。そうだとすると、万人救済説(すべての人が救われる)になってしまいます。
聖書は、万人救済説を否定しています。最終的に、救われる人と滅びる人の双方がいます。信じる者は救われ、信じない者は滅びます(ピリ三・一九)。
陰府にいる人々にも、信仰と回心の機会が与えられます。しかし、みなが信仰に至るわけではありません。なぜなら、信仰とは、神に従い、神と共に生きることです。単に神の存在を信じることではありません。聖書には、「あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが悪霊どももそう信じて、身震いしています」(ヤコ二・一九)と記されています。また、悪霊たちはイエスが神の子であることを知っています(マタ八・二九)。しかし悪霊たちは、信仰を持っていません。
信仰とは、神の存在を信じたり、イエスが神の子であると認めたりすること以上のものなのです。信仰の本質は、服従にあります。悪霊にはこれがないのです。
もし人間が、心砕かれて悔改め、神の救いに信頼し、神の御旨に聞き従う態度を見せるなら、そのときに初めて、「信仰」と認められます。一方、たとえ苦しみの場所から逃れたいと思っても、真実な悔改めと、信頼と服従の信仰的態度が見られなければ、神はそれを「信仰」とはお認めになりません。
そのような真実な信仰を、だれもが示せるわけではありません。したがって、救われる人と滅びる人の双方がいます。
質問4 / クリスチャンが必死に伝道するのは、未信者が死んでからではもう遅い、もう救いのチャンスはないと思うからではないでしょうか。死後にも救いのチャンスがあると思うと、伝道しなくなってしまう心配はありませんか。
あなたがそのような心配をするというのであれば、もう一歩考えてください。
「死んだ未信者はいま永遠の地獄の滅びにおり、二度とそこから出てくることはない」という理解は、非聖書的(聖書とは違う教え)なのです。地獄にはまだ誰も入っていません。それは終末的な場所なのです。
非聖書的理解をもってして、真のリバイバル(信仰の覚醒。救いが広がっていくこと)は決しておきません。また未信者がいま地獄にいるという理解は、「キリスト教の神は、福音を一度も聞く機会のなかった先祖や親を即、永遠の地獄に落とし、救いのチャンスも与えないで滅ぼす無慈悲な神」という誤った観念を、未信者に与えてしまいます。それはリバイバルを妨げるものです。とくに、先祖を大切にする東洋においてはそうです。
真のリバイバルは、正しい神観念を基礎にしなければ、決して起きません。それには正しい死後理解が欠かせないのです。
真の神は、福音を一度も聞いたことのない魂をそのまま永遠の地獄に突き落としてしまうような、無慈悲なお方ではありません。そのような神は聖書のいう神ではなく、実在の神でもありません。
聖書の神は、愛と義の神です。生者と死者を共に愛し、共に公正にさばかれる神です。私たちが必死に宣べ伝えるべきは、そのような真の神です。
また福音は、単に死後に天国に行くだけのためにあるのではありません。この地上で神の子として生き、祝福の中を歩み、神の栄光を現わすために存在しています。人がこの素晴らしい福音を知らないことは、なんと可哀想なことでしょう。
それを思うなら、私たちの伝道への情熱は少しも失なわれるものではありません。
質問5 / なるほど、よくわかりました。福音はこの地上の人生を豊かに生きるためにもあるのだから、生きている時に聞いたら、生きている時に信じるのが当然ですね。もう一つ質問なのですが、新約聖書の『ラザロと金持ち』の話に出てくる金持ちは、最終的に新天新地へ行きますか、それとも地獄へ行きますか。
「ラザロと金持ち」の金持ちにも、まだ救われる可能性は残されています。
ラザロは死後、陰府の慰めの場所へ、一方金持ちは、陰府の苦しみの場所へ行きました(ルカ一六・二五、二八)。金持ちは陰府の苦しみの場所で、次のようにアブラハムに言いました。
「お願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください」。
この願いは、結局かないませんでしたが、重要なのはこのときの金持ちの心です。
彼は自分でなくてよい、ラザロでいいから父の家に送ってください、と言っています。彼は、今も欲望のおもむくまま自己中心に暮らしている兄弟たちのことを心配して、そう言ったのです。
金持ちのこの言葉には、自分自身の悔改めの気持ちと、兄弟への愛の気持ちが表れています。彼はこう言うことによって、何か得をするわけではありません。それでもこう言っているのは、それが純粋に兄弟を思いやる気持ちから出たという証明でしょう。
こうした愛と、砕かれた態度が、神の憐れみを受けないと考える理由はありません。
聖書によると、世の終末が間近になったとき、エルサレムに「二人の預言者」(黙示一一・三)が現われます。彼らは、その頃世界に台頭するはずの独裁者「獣」に殺されるが、三日半の後に復活します。
その死んでいる三日半の間、彼らは陰府に下ると考えられます。かつてキリストが十字架の死後の三日間、陰府に下って福音宣教をされたように、この二人の預言者も、陰府で福音宣教をなすでしょう。
そのとき、あの金持ちも、きっと福音に接するに違いありません。彼の砕かれた魂が、そのときに回心することは充分にあり得ると言ってよいでしょう。
こうして、あの金持ちが陰府での長い苦しみの後に回心し、最後の審判の座で義と認められ、最終的に新天新地(神の国)に迎え入れられるとしても、決して不思議なことではありません。
「ラザロと金持ち」の話は、イエス・キリストご自身が語られたものです。これは、たとえ話ではなく、旧約時代における実話です。
たとえ話なら、キリストは「ある人」と語られて、「アブラハム」「ラザロ」というような実名は言われなかったでしょう。
この実話は、キリストご自身にとっても、非常に印象的なものでした。金持ちが無私の心で、陰府において示した兄弟への思いやりの心は、キリストのお心を強く打ったのです。 
質問6 / 私は三年前に妊娠しましたが、育てきれないと思い、子どもをおろしてしまいました。あの子は今どこにいるのでしょうか。
堕胎された子、また流産の子は、今は天国にいます。それはイエス・キリストが次のように言われたからです。
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタ一八・三)。
「子供のようにならなければ……天の国に入ることはできない」は、言い換えれば、子どもの多くは一般的に天国に入れる者たちであるということです。とくに胎児や乳児のうちに死んだ魂は、神のあわれみにより、すぐさま天国に迎えられると考えてよいのです。
彼らは今、神のみもとで安息の中にあります。あなたのお子さんも、天国で神からの慰めを得ていることでしょう。
そうした霊は、決して「浮遊霊」や「不成仏霊」となっているわけではありません。あなたは「水子供養」などといって、高いお金を出して僧侶に供養してもらう必要は全くありません。
かえってそのようなことをすると、その偶像崇拝の罪が、天国にいる子どもを悲しませることになります。
しかし堕胎された子は、この世で過ごすはずであった時を奪われた人々です。やむを得なかった場合もあるでしょうが、もしあなたの安易な決断がそれを奪ったのであれば、あなたはそのことで神の御前に悔い改め、天国での子どもの幸せを神に願い求めなければなりません。
そして、子どもを天国に迎え入れてくださった神に感謝をささげ、ますます神に心を向けて人生を歩んでいくことです。あなたは死んだ子どもの分も含めて、この世の時をますます神のために生きるべきなのです。
これは中絶された子の母親だけでなく、父親についても、全く同様に言えることです。父親も、子どもを天国に迎えてくださった神に感謝をささげ、ますます神に心を向けて歩んでいくことです。そうすることにより、たとえ中絶の際に親に罪があったとしても、子どもは天国で親を赦してくれるでしょう。
もしあなたがそうしないなら、あなたは自分が死んだあと、子どもに会うことができません。「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」のです。
あなたが、もし死後に天国に行けなかったら、あなたは愛する子に会えなくなってしまいます。あなたはこの地上で与えられた時を、子の分も含めて、しっかり神と人のために生きなければなりません。そうすることにより、あなたが死んだ時、あなたは自分の子に再会することができます。
あなたの子は、天国で神の愛によって深い慰めを得ているので、あなたとの再会を心から楽しみにしています。神は子どもの心の傷を、すでにいやして下さっています。何があったにせよ、子どもはあなたの子なのです。
あなたは、子どもに再会することを望むでしょうか。もしそうなら、天国と神を見上げて歩んでいくことです。それによって、あなたはやがて天国で子に再会し、楽しく共に生きることができ、神もそれを喜んでくださるのです。
質問7 / 自殺した人は地獄に行くのですか。
自殺した人は、地獄ではなく陰府に行きます。
先に述べたように、地獄は死の直後の場所ではありません。世の終末以降のために用意された場所です。人間の死後には、中間状態と最終状態があり、中間状態は天国と陰府、最終状態は新天新地と地獄です。
自殺した人は、神によって与えられた生命と人生を放棄した人です。彼らは死後、陰府に行きます。
陰府において死者は、世の終末の最後の審判の時に向けて、自らの人生を振り返る時が与えられます(ルカ一六・一九〜三一)。そののち世の終わりになって、最後の審判の法廷において、最終的に神の判断が下され、最終状態が決まります。
私たちの生命は、神から与えられたものであり、その生命には使命が伴っていますから、決して自分で断ったりしてはいけません。しかし自殺した人には、ほとんどの場合、それに至ったよほどの理由があるものです。
自殺者は、生きることを放棄するという罪を犯したとはいえ、多くの場合、それに至るまでの同情すべき境遇があります。
なかには、あまりの不幸な境遇に耐えきれず、精神錯乱をきたして自殺してしまったケースもあります。このような場合、すでに理性は失われており、自己責任性はうすく、その自殺を「罪」と呼ぶのはあまりに酷であると思われます。
また生きることに目的を失い、厭世観にとらわれ、周囲にキリストの福音を語ってくれる人がいなかったために自殺してしまった人もいます。このような場合も、単に本人の罪責を追求するのではなく、そうなってしまった経緯がよく考慮されなければなりません。
神は全知のおかたですから、そのような自殺者の境遇や、自殺に至ってしまった経緯をよくご存知です。だからそれをふまえた上で、陰府にいる自殺者の霊を、あわれみをもって取り扱ってくださるに違いありません。
そして世の終わりが間近になったとき、エルサレムで死んだ「二人の預言者」が、三日半のあいだ陰府に下って、そこで福音宣教をするでしょう。神を知らずに不幸な自殺を選んでしまった人々が、陰府で預言者の語る言葉に耳を傾け、希望を見いだすことは充分にあり得ることです。
彼らの中には、回心し、続いてなされる最後の審判の座で神に受け入れられ、新天新地に入る者も少なからずいる、と考えることができます。
質問8 / 私はクリスチャンになりたいと思っています。しかし、一つ気がかりなことがあります。私は三年前に結婚したのですが、その半年後、夫は突然、交通事故で死んでしまいました。夫はやさしい人で、私は悲しみのどん底につき落とされました。彼はクリスチャンではなく、宗教にも全く興味を持っていませんでした。彼はもう救われないのでしょうか。
救われないことはありません。聖書にこう記されています。
「信者でない夫は(信者である)妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです」(・コリ七・一四)
つまり、あなたがキリストに従い、クリスチャンとして歩むなら、あなたの夫だった彼には、神の特別な聖別と顧みが与えられることになります。
彼は今、陰府にいると思われますが、神の憐れみが彼の上に注がれるでしょう。あなたが地上で神を愛しながら生きるなら、神の愛はなおのこと彼の上に豊かに注がれます。
そうやって、彼がやがて陰府において回心して救われ、来たるべき日に天国であなたと再会するようにもなるでしょう。ですから大切なのは、あなたがクリスチャンとなることです。神を愛し、キリストに従って人生を歩んでいかれてください。
質問9 / 私はキリスト信者です。以前からある人にキリストの福音を熱心に伝道していましたが、その人はまだ信仰に入っていない矢先に、先日交通事故で突然死んでしまいました。彼は死後どうなるのでしょうか。
もしその人が交通事故で死ぬときに、まだ信仰に入っていなかったのであれば、彼は死後、陰府に行ったでしょう。しかし先に述べたように陰府は、人間の死後の最終状態ではなく、中間状態です。
その人は、あなたから伝道されたキリストの福音を、陰府で思い起こすに違いありません。
地上で生きていたときの記憶は、陰府に行っても、魂のうちに思い出されるのです。あの「ラザロと金持ち」(ルカ一六章)の話の中で、金持ちはかつて自分が地上で生きていたときのことを、陰府において思い出しています。
ですからその交通事故で死んだ人も、生きているときにあなたから伝道されたキリストの福音を、陰府において思い起こすでしょう。
そして陰府において神からのお取り扱いを受ける中で、救い主キリストの福音を信じることは、十分あり得ることです。
こうして、あなたが伝道した言葉は決して無駄なものとはなりません。その人は、きっとあなたから受けた伝道を感謝するに違いありません。あなたがその人に再会できる日も、きっと来るでしょう。
ですから伝道というものは、その人が地上に生きているうちに信じようと信じまいと、ともかく語っておくことが大切なのです。
そしてさらに、本書の読者に対しても述べましょう。生存中に福音を聞いたら、できるだけ早くキリストに従う決心をすることです。そうでないと、いつ遅くなるかわかりません。
生存中に信じれば、あなたは残りの生涯を神の祝福の中に歩み、死後は天国に上げられます。しかし、生存中に信じなければ、あなたは罪と滅びのうちにとどまり、死後は陰府に下ります。
そこであなたは、自分がかつて地上で蒔いたものを刈り取る生活をすることになるでしょう。それは苦しいものになるに違いありません。
あなたはどちらの道を選びますか。あなたが迷わず、生きている時に信仰に入り、祝福の生涯を歩まれますよう、願います。生存中に福音を聞いたら、生存中に信じるのが当然なのです。
未信者として死んだ先祖や親族のことも、すべて神におゆだねしてください。あなたが神に従って歩むなら、あなたの先祖も、子孫も、家系全体が神の豊かな顧みと祝福の中に置かれるのです。
「確かに今は恵みの時、今は救いの日です」(IIコリ六・二)
信仰の決断を先に延ばしてはいけません。今、信仰に入りましょう。そして祝福と永遠の命の生涯を、今日から歩まれて下さい。 
 
死後の世界 2

 

超感覚的に知覚する
私たちが自分の周囲の事物について知っていることのほとんどは、人間の五感――つまり触れる、味わう、嗅ぐ、見る、聞く、という五つの感覚によって得られたものです。世界と宇宙について、私たちが知っていると思っていることのすべては、この五感のうちのどれかを通じて伝えられたものです。私たちは、これらの感覚器官によって、われわれをつつみこんでいる宇宙について、正確に、確実に、また厳密にとらえることができる、と信じこんでいます。しかしこれは、誤った確信なのです。
たとえば、視覚について考えてみましょう。私たちの目は、自分のまわりに起こっていることのほんの一部分しか見ることはできません。私たちの目は、可視スペクトルとよばれる非常に狭い範囲の波長の光を反射する物体しか知覚することができません。科学的な実験では、私たちの限られた感覚器官では探知できない波長で、私たちのまわりに多くの現象がたえず起こっていることが示されております。
私たちが「現実」と呼んでいるものについて、人間の耳が伝えてくれる情報の場合も、同じようなことが言えます。人間は、成人で最も敏感な聴覚をもっている人でも、1秒間に20サイクルから1万6千サイクルまでの範囲の音波しか聞くことができません。人間より犬の方が、広い範囲の聴覚をもっています。ご存じの通り、猟犬を呼ぶ「犬笛」は、人間の聴覚では聞こえない音を出します。
今日、世界各国に、「正気」の人には聞こえない声を聞いたために、精神病院に閉じこめられている人たちがいます。彼らは、そういう(声を聞くという)罪を犯したために、監禁されているというわけです。事実、そういう「声」は存在しないのだから、それを聞いた人は気が狂っている、ということになるのでしょう。
ところが、そういう声は実在するのです。ただ、ふつうの人には聞こえない、というだけなのです。あなたの声は、お母さんが「ちょっと手伝って‥‥」と呼ぶ声を聞き取ることができます。ところが、あなたがいるその部屋はその時、テレビやラジオの放送局からきた電波でいっぱいなのに、その声は聞こえないのです。この部屋はまた、かつてあなたと同じように身体をもって生きていた霊的存在の声でいっぱいなのに、あなたにはそれも聞こえません。そういう「声」の周波数は、人間の耳に聞こえないラジオやテレビの電波より、もっともっと高いのです。
この世界、そしてこの宇宙の中にあるすべてものは、エネルギーから生まれたものです。このエネルギーは、一定の周波数をもった振動として現れています。
私たちがしゃべっているとき、空気の分子に加えられる音のエネルギーは、1秒間に数千サイクルの、非常に低い周波数をもっています。ラジオですと、1秒間に何十万サイクルもの周波数の波動をとらえることができます。電話になりますと、国々を越え、海を渡り、宇宙飛行士とも会話できるくらいになりますが、これには何百万サイクルという周波数に達するエネルギーが使われています。可視光線の周波数は、だいたい12兆サイクルです。さらに、X線、ガンマ線などになりますと、もっと高い周波数をもっています。 
空間でいっぱいの身体
私たち人間の身体という物体は、実は空疎なのです。というのは、物質の本性について今日明らかにされているところに従って考えてみると、身体が占めている容積の99パーセント以上は何もないすき間であるということになるのです。(空間にはエーテルその他の物質が存在するという可能性は除きます)
イギリスの科学者であり司祭でもあった故アンドルー・グラゼウスキーは、このことを次のように説明しています。
1つのたとえを用いて説明しよう。いま仮に、手から1つの原子を取りだしたとしてみる。そして、原子の核の部分がリンゴくらいの大きさをしているものとする。では、となりの原子はどのあたりにあるかというと、実に2000キロから3000キロくらい離れているのだ。
このスケールでわれわれの肉体というものを考えてみると、そこには何百万兆という原子が何十億もの銀河系を構成している1つの広大な宇宙を見ることになるであろう。核はエネルギーの中枢であるから、もしこれらの原子の核が光り輝いているとすれば、私たちの前に現れてくるのは、想像もつかないほど広大で、無数の星がきらめいているような空間であろう。
われわれの肉体は、ほんとうは原子という形をした小さなエネルギーの中枢が、広い間隔をおいて拡散している広大な「空間」なのである。たった1つの細胞の中にさえ、原子からなる何百万もの銀河系が含まれているのである。 
憑依(ひょうい)と霊
憑依――悪魔や霊が人間にのりうつったり、外部からその人間に働きかけて、一定の行為をさせること。
霊の支配――何ものかに支配されている状態(たとえば、自分以外の人間、悪魔、情熱、観念など)。ある人間のふだんの人格が他の人格と取り替えられた状態。
人間の心や魂は、何らかの原因で死を迎えたとき、ごく自然になめらかにその肉体から離れますので、その人自身も何が起こったのか全く気づかない、という場合がよくあるのです。死んだとき、多くの人びと(とくに霊的な事柄について知識のない人)は、自分が別な存在の次元に移ったということに全く気がつかないのです。
彼らは実際は、ある一つの領域にいるのです。今日ではその領域をアストラル界と呼んでいます。この領域は、さらにいくつかの層(レベル)に分かれています。私たちは肉体を脱ぎ捨てたあと、たいていは3日以内ぐらいで、「自分はアストラル界の中の一つの層にいる」ということに気がつきます。この場合、アストラル界の中のどの高さの層に住むようになるかは、地上で生活していたとき、その人間がどういう行為をしたかによって決まります。
何層にも分かれたアストラル界の最下層は、この地上の世界に浸透していて、私たちの住んでいる世界と重なり合っています。私たちは、私たちの感覚器官でとらえられたこの世界が、いかにも堅固で、物体が充ち満ちているように思っていますが、それは私たちの感覚器官の能力が不完全なためにそう思われるだけだということを、現代の科学は示しました。私たちの肉体も99.99999パーセント以上は何もない空間であることがわかっています。ですから、肉体を離れた霊が私たちと同じ空間に住んでいられるはずがないという考え方を捨ててみてください。生きている1人の人間の肉体に、何人もの死んだ人間の霊が入り込むことだってできるのです。
新約聖書には、ある1人の男にとりついたたくさんの「悪霊たち」を、イエスがその男の肉体から追い出して、豚の群れに乗り移らせたという有名な話(マルコによる福音書)があります。
死によって罪人が聖人に変わったり、愚者が賢者になったりすることはありません。人はだれでも、生前の信念、習慣、欲望、まちがって教え込まれたこと、宗教的信条などをそのまま死後の世界まで持ち込んでゆきます。「死後の世界などない」と信じている人びとは、自分たちが出会うものに対して全く何の準備もできていません。
肉体を離れてアストラル界の最下層にやってきた魂は、自分の肉体がなくなっていることに気づき、まわりには暗闇が広がっているように感じてあわてます。少数の魂は、意識的あるいは無意識的に、肉体をもっている生者から発散されている磁気的オーラの光にひきつけられ、その人間にとりつくことによって自分を表現しようとします。
そういう場合、とりつかれた人たちは、その霊の持っている考えや感情から影響を受けてしまい、自分自身の意志の力が弱くなってしまいます。こういう霊の支配が非常に強いと、それにとりつかれた人は霊の意のままに操られてしまい、心の混乱や苦しみに悩まされるような状態になる場合もあります。
これは、現代の精神医学では、まったくといっていいくらい認識されていない事実です。 
多くの住居をめぐる旅
私たちは、次にあげることには、はっきりした根拠があることを知りました。
私たちは単なる肉体以上の存在です。
私たちの精神と霊魂は、非物質的なものです。
この非物質的部分には、私たちの記憶、霊魂、および私たち自身のきわめて個人的な人格特性が含まれています。
これらの記憶、霊魂、および人格特性は、肉体の死後も存続できるし、現に存続しています。肉体が死んだ直後でも、生き生きと働いています。その様子は、親と先祖から与えられた肉体を一時的にまとっていた地上の生の場合と全く同じことです。
※ただし、死の直後しばらくの間は、休息したり、眠っているかもしれない。
次に、私たちは、人間は肉体の死後も生き続けるという信仰を裏づけるために、過去何世紀にもわたる研究を振り返ってみました。その結果、死後の生の存続を示す強力な状況証拠がある、という結論に導かれました。
しかし、まだいくつかの疑問が残ります。私たちが仮の住居であるこの肉体を捨てる日が来たとき、現実にどんなことが起こるのか、という問題は説明されていません。ですから、みなさんは、こうおたずねになることでしょう。「その時には何が起こるのでしょうか」「私はどこに行くのでしょうか」と。
私たちは、あのナザレのイエスが語った「天なる私の父のもとにある多くの住居」のありかをつきとめ、確かめるのに役に立つ青写真や図表を必要としています。
以下に示す基本的な情報の大部分は、信頼度の高い霊媒を通して、その「天上のいくつかの住居」に現在住んでいる存在たちによって、確証していただいたものです。 
(1) 地上すなわち物理的次元
あなたは現在、この地球の表面で、自分の肉体(物理的身体)をまとって生きていますが、同時に、この物理的身体の中に浸透しているエーテル的身体や、アストラル的身体の中でも生きているのです。エーテルとアストラルの体は非物質的で、複数の振動するエネルギー場を含んだ、より微細なかたちの一種の物質です。これらの非物質的な身体と物理的な身体は、今この瞬間も、ちょうど何百ものラジオやテレビの電波が同じ空間に浸透し合っているのと同じように、お互いに浸透し合っているのです。あなたの霊魂、人格特性、記憶などはすべてあなたのアストラル体の組織の中に含まれています。あなたの物理的身体とエーテル的身体が死ぬとき、「ほんとうのあなた」はあなたのアストラル体の中で、なお完全に生きています。あなたは、あなたの死後、数分から数日以内に、地上で生きていたときのあなたの生活の質にしたがって割り当てられるアストラル界の諸次元のどれかにいる自分を見出します。
(2) 最も低いアストラル次元
ここは、聖書が「泣き叫び、悲しみ、歯がみしている外なる暗闇‥‥」と述べている世界です。暗く、陰惨で、危険に満ちた、ギョッとする世界には、どん欲や、自己中心的衝動、愛のない冷たい心、恨み、などにとらえられた人びとが住んでいます。彼らは、しばしば激しい肉体的欲求や欲望をもっています。ここにはまた、麻薬中毒者、性的倒錯者、アルコール中毒者、殺人者、自殺者などがいます。この領域には、人間の進化とはちがった進化の系列に属する、好ましからぬ「被造物」も住んでいます。この領域は、昔から、地獄、冥府、煉獄などと呼ばれてきたところです。地上で生きている人たちから発せられる磁気的オーラやアストラル体にとりつくのは、この次元にいる人間および非人間的存在のアストラル体なのです(いわゆる憑依)。憑依された人間は、異常な行動をとったり、狂人と診断されて精神病院に入れられたり、自殺したりすることがあります。
(3) 中間的なアストラル次元
人は、物理的身体を離れてから数分、数日、ないし数週間たつと、この領域に「目が覚め」ます。(もっとも低いアストラル次元に行ってしまった場合には、目が覚めるのに数カ月、数年、時には数世紀もかかります)この次元は、まず病院とそのスタッフ、教育施設と教師をそなえた「休息とリハビリテーション」の領域です。病んだ霊魂には助けの手が差し伸べられます。心に傷を受けた人、突然死んだ人、頑固で誤った知的確信や感情的信念、信仰をもった人たちがその対象です。ここでは、体はまだ「物質的」ですが、肉体よりは高い振動数をもった、より微細な物質からできています。その状態は、各人の個人的好みに適応していて、ふつうはその人が地上の生涯で達した最盛期の姿をとっています。この世界では、お互いのコミュニケーションは思念と話し言葉の両方で行なわれます。各人は、霊的に成長を続けるように励まされます。人はこのような成長によって、より高いアストラル次元やメンタル体の次元へと向上してゆくか、そうでない場合は、地上の生活に戻ってさらに努力と個人的成長をとげるために、この領域からふたたび地上の肉体に宿る決心をします。
(4) 最も高いアストラル次元
このすばらしい存在の領域は、クリスチャンがふつう「天国」と呼んでいるところに当たります。「常夏の国」とでも呼んだ方が適切かもしれません。そこには、苦しみや悩みは全くありません。愛による結びつきを感じて集まった人たちの幸福な集団や、似通った心をもつ人たちのグループがあります。それぞれの魂は、知的および霊的な意識において更に成長をとげるように、無限の機会が与えられ、励ましを受けます。地上の世界の活動に対する関心は減少します。天使たちと出会うのもここです。(天使は、人間とはちがった進化の系統に属し、人間を助けてくれる美しい存在です)ここには、広々とした展望、偉大な光景、壮麗なパノラマがあります。しかしながら、この世界に住む霊魂は、いつかは更に多くの経験を積むために地上の次元に戻るか、それとも「第二の死」を受け入れるか、ということを決めなくてはなりません。後の場合には、心と霊魂は、そのアストラル体を脱ぎ捨てて、新しい資格を与えられ、より高いメンタル体の次元に生まれ変わります。
(5) メンタル体の次元
この領域では、個人の心と霊魂のより高い成長のために、無限の広がりが与えられます。ここでは、地球ばかりでなく、私たちの太陽系のほかの場所でも長い間かかって積み重ねられてきたすぐれた知恵をすべて得ることができます。ここには、嫉妬も、批判も、利己性なども全くありません。そこには完全な同胞愛があります。人間の発明、科学的進歩、詩歌、霊感に満ちた文章、美術、音楽などは、大部分はここで生まれ、そこから(私たちが直観と呼んでいるはたらきを通して)それを受け取る地上の心へと伝えられるのです。従って、この次元に住む存在たちは、より低い次元に住んでいる人たちの美しく善い活動を生み出す「原因」になります。この領域は、ふたたび地上でより多くの生活経験を積み、成長をとげるため、地上の世界へ再生するかどうかを選択する最後の機会になります。もし全ての条件が整えば、次の「天上の諸次元」に向かって最後の生まれ変わりをすることになります。
(6) 天上の諸次元
これらの次元にある意識の状態は、現在地上に生きている人びとの理解をはるかにこえたものです。天上の諸次元は、キリスト教の神、仏陀、地上に生まれたその他の偉大な宗教的信仰の対象になっている神々たちの存在する場所です。聖書では「第三の天」と呼ばれています。
※ここでは霊の世界の低い層から高い層までを、いくつかの次元に分けて説明したが、例えばアストラル界と呼んだ3つの層は、それぞれの中に多くの(7から49?にも及ぶ)異なった波動のレベルを含んでいる。もっと高い層についても同じことが言える。 
これらの次元では、普遍的な神性そのものに接するための準備がなされます。また、太陽系をつくっている一般的な生命やエネルギーのさまざまなシステムについて知ることができます。あのナザレ人イエスは、このようなレベルにある意識を引き出すことによって、彼の「奇蹟」を生み出したのです。この道は、私たち自身にも開かれています。「私がするこれらのことを、あなた方は、これらよりもっと偉大なことも行なうであろう」とイエスが語ったとき、彼が言おうとしていたのはこのことだったのです。
ところで、私たちは次のようにたずねます。「これらの次元とか、レベルとか、住居というものは、実際はどこにあるのですか。それらは宇宙のどこか遠く離れたところにあるのですか」と。
とても不思議で信じられないかもしれませんが、ナザレ人イエスが語った次の言葉は、真理なのです。
天国はあなた方の中にある。
彼は、たとえ話をしていたわけではありません。問題は、過去2000年の間、人類とその科学が、彼の教えを理解できるほど、人間自身の存在の性質と、いわゆる物質的世界の性質について知ることができなかったということです。
そうです、これらの住居、次元、レベル、休息の場所といったものが、遠く離れた空の上や、どこかの惑星や地球のかなたの宇宙空間の中にあるかのように想像する必要はありません。これらの諸次元は、大部分、今も私たちを取り囲み、互いに浸透し合っているのです。 
 
死後・霊魂の世界 3

 

江原啓之
幽界ですごす時間はこの世への未練を徐々に捨て去る浄化の時間 -- 普通30年から50年かかる -- その後霊界へ進む。霊界の方々が語るところによると、あちらの世界(霊界)こそが本当の世界であって、私たちが生きるこの物質界は仮の世界、あちらが光ならこちらは影なのだそうです。私たちが長いと思う人生も永遠の魂の尺度で思えば、あっという間のことだそうです。
霊界ではその人の心境しだいでその世界の明るさ、美しさが決まる。 霊界では全てが自由で、各自の願いや欲望が向かうところへ行く。 霊界でのその人の容貌は、その人の霊的発達の度合いを示す。霊がその知性力の高い段階に達すると、容貌はより成熟したものとなり、ついには聖者の容貌を持つようになる。 霊界では、似た性質をもった霊同士は近づき、完全に反対の性質をもつもの同士は反発し合う。
「魂は、その本質において不死で不滅であるが、それは不死で不滅の神から発生したものだから。種が下等な物質的地上の暗闇の中にまかれるように、魂は物質という下等な存在の中にまかれ、それから芽をふいてより高いもののなかに上がってゆく。」 
イマニュエル・カント 
誕生・生涯・死は魂の状態にすぎない ・・・・死滅するのは我々の肉体だけである・・・・我々の本質は死滅することなく、肉体が存在しなくなった後も存在するに違いない。人間の生活は二重である。それは動物的生活と霊的生活の二つの生活から成り立っている。前者がこの世の人間の生活であり、その生活のためには肉体が必要である。後者は霊の生活であり、人間の魂はその生活を肉体とは別に生きて、肉体から離れた後もその生活を続けるのに違いない。 
シルバー・バーチ
死後の世界は地上よりはるかに実感があり、しっかりしています。 本当は地上の生活の方が実感がないのです。 
霊界の方が実在の世界で、地上はその影なのです。 こちらへ来られるまでは本当の実体感は味わっておられません。
あなたがたはまだ霊の世界の喜びを知りません。 肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも行ける、 考えたことがすぐに形をもって眼前に現われる、追求したいことにいくらでも専念できる、お金の心配がない、こうした世界は地上の生活には譬えるものが見当たらないのです。 
肉体に閉じ込められた者には美しさの本当の姿を見ることが出来ません。 霊の世界の光、色、景色、木々、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがいかに美しいか、あなたがたはご存知ない。 実は人間は死んではじめて真に生きることになるのです。 死ぬということは肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になることです。
地上のいかなる天才画家といえども、霊の世界の美しさの一端なりとも地上の絵具では表現できないでしょう。 いかなる音楽の天才といえども、天上の音楽の旋律のひと節たりとも表現できないでしょう。 
霊界では同一レベルにまで進化した者同士の生活が営まれており、霊格による区別がはっきりしています。 各自がその霊格に合った階層で生活しており、程度の低い者と高い者とがいっしょに暮らすということがありません。
霊の世界は償いの世界であると同時に埋め合わせの世界でもあります。 地上世界では得られなかったものが補われてバランスを取り戻すのです。 
アラン・カーディック
霊界の音楽は地上の何ものをもってしても表現できない調和があり、とても地上の音楽の比ではない。それは原始人の叫びと、至上の妙なるメロディーの差がある。 だが低い霊魂は、能力が足りないので、地上の音楽を喜ぶだろう。 霊の感覚能力が進歩すると、音楽は無限の魅力となる。 この音楽とは霊界の音楽であるが、それは霊の想像をもってしても、これほど無尽の美と喜びを表現したものはない。
宗教はどの宗教も、あの世に行った霊は地上に残した者達に心を配りつづけると教えている。 霊はあなた方の苦しみを見ている。 だが観点が違っている。 彼等は、もしあなた方が苦難を甘んじて耐えれば、それがあなた方の進歩の助けとなるのだ、というふうに心得ている。 彼等は苦しみは一時と分かっているので、その事よりも、あなた方の不屈の精神の欠如、これが進歩を遅らせるので、この方で心を痛ませる。 
オリバー・ロッジ
われわれはよく「肉体の死後も行き続けるのだろうか」という疑問を抱く。 が一体死後というのはどういう意味であろうか。 もちろん肉体と結合している5〜70年の人生の終ったあとのことに違いないのであるが、こうした疑問は実に本末を転倒した思考から出る疑問にすぎない。というのは、こうして物質をまとってこの世にいること自体が驚異なのである。 これは実に特殊な現象というべきである。
私はよく「死は冒険であるが、楽しく待ち望むべき冒険である」と言ってきた。 確かにそうに違いないのであるが、実は真に冒険というべきはこの地上生活の方なのである。 地上生活というのは実に奇妙で珍しい現象である。 
こうして肉体をまとって地上に出て来たこと自体が奇蹟なのだ。 失敗する者はいくらでもいるのである。 
神智学
死んだからといって何らかの変化がおこったためしはない。 死とは、肉体がなくなった以外には、全く生前の彼に変わりはない。 彼はその知性、気質、美徳、悪徳などをそのまま持ち続ける。
死後の世界には思いもかけなかった全く新しい世界というものは決してなく、ある変わった状態の下に、現世すなわち物質界における生活の継続があるのみである。 そのために、肉体の死後アストラル界に初めて入っても、彼は自分が死んでいることをぜんぜん知らないことが多い。 自分がすべての物事を意識しているため死の自覚が得られにくい。
しかし、徐々に様子が違う事に気づき始める。 自分の知人を見ることはできても、話のやりとりはできない。 触れようとしても相手に何の感触も与えない。 また、一切の苦痛や疲労が全く無くなってしまっている。あらゆる欲望や想念が目に見える形となって現われる。
死んでアストラル界に行った人間は地上界の人間の感情(愛、憎しみ、嫉妬、羨望など)がよくわかる。そしてその地上界の知人の感情にすぐ、しかも深く影響を受けるようになる。
死後の世界(アストラル界)ではもう食べたり、寝たり、生活のために働く必要がなくなっていることにまだ気づいていない人は、自分の想像で造り上げた(アストラル界を構成しているアストラル質料である)食事を食べたり、自分の住む家まで造り上げることもある。 また、まだアストラル生活の状態がよくわからない新参者は、部屋から出入りするにも、自分が壁を自由自在に突き抜けられるようになっているのも知らずに、依然として扉や窓から出入りしつづける。 同様に、空中を軽く移動できるのに地面の上を歩いたりする。
生前地上界で物質欲に強くしばられていた人は、このアストラル界で物質欲から解放されるための修業をしなければならないため、長くアストラル界に留まることになる。反対に、生前中に自己修業で物質欲へのこだわりを無くした人は、わりと楽にアストラル界から解放され、より高い界層へと進む。
天国(メンタル界層) / 「涙もなく、溜息もなく、結婚することもなく、結婚されることもなし。正しき人々が余すところなくその完全さを実現する境域。」
人は、過去における努力の積み重ねによって造り上げた器量に応じた分だけしか天界からは引き出すことはできず、また、それに応ずる部分だけしか認知することはできない。 めいめいが自分用の椀を持っており、ある物は大きく、ある物は小さい。 しかし大は大なり、小は小なりにギリギリまで満たされる。
芸術・音楽・哲学のような世俗を超越したものに関心を持っている人には、計り知れない楽しみと限りない教えとが彼を待っており、彼がどれだけそれを享受するかは、ひとえに彼自身の知覚力にある。
天界では、終えたばかりの地上の一生で「内なる思考者」が経てきた数々の体験のうち、価値ある道徳的体験や精神的体験だけを選り出し、それについて沈思黙考し、次第にそれを道徳的・精神的能力として昇華せしめ、次の生に持ち越すべき何らかの力とする。
天界では、魂は各生ごとに「地上の低域の中より道徳的にすぐれたものと意識との甘露だけ」を収集する。天界滞在中、魂は自分の蓄積した体験、終えたばかりの地上生活の収穫を検討し、それらを仕訳し、分類して同化しうるものは同化し、不毛なものや無益なものは拒否する。
過去の諸々の体験は消化されて能力となる。
〇もしある一生において深く学業をしておれば、その結果は次の生においてその問題に初めてぶつかった時に、逸早くそれを習得してマスターする特殊才能(素質)となる。
〇すべての誠願は様々な体験と試練をへていずれは力となる。
〇よしんば挫折しても、すべての努力はやがて才能となり、能力となる。
〇苦闘も敗北もいずれかの日において勝利を獲ちとるための武器の原材料にその姿を変える。
〇悲しみも過ちも、鍛錬し精錬して、やがては賢明にして正しい意志となる貴金属として光を放つ。
われわれは死後の生活が唯一の現実であり、低我そのものを始め地上生活は虚妾である。 
G.V.オーエン
地上の人間は日々生活を送っているその身のまわりに莫大な影響力が澎湃(ほうはい)として存在していることにほとんど気づいていない。 すぐ身のまわりに犇めく現実の存在であり、人間が意識するとせぬとに拘らず生活の中に入り込んでいる。
しかもその全てが必ずしも善なるものではなく、中には邪悪なるものもあれば中間的なもの、すなわち善でもなければ悪でもない類のものもある。
人間は孤独な存在ではなく、孤独では有り得ず、また単独にて行動することも出来ず、常に何らかの目に見えない存在とともに行動し、意識し、工夫していることになる。 その目に見えぬ相手がいかなる性質のものとなるかは、意識するとせぬとに拘らず当人自身が選択している。
何を行うにも常に守護・指導に当る霊が自分の心の動き一つ一つを見守り注視していること、今の自分、およびこれより変わり行く自分がそのまま死後の自分であること、その時は今の自分にとって物的であり絶対であり真実と思えることももはや別世界の話となり、地球が縁なき存在となり、地上で送った人生も遠い昔の思い出となり、金も家財道具も、その他今の自分には掛け替えのない財産と思えるものの一切が自分のものでなくなることを心して生活することである。 
シュタイナー
実際、この世の生活は、人間が受け取りうるすべてを、決して経験させてはくれないのです。 
この世での私たちは、すべてを享受できないのです。 人生という文章のいわば行間には、他の人間に対する欲望、願望、愛がいっぱい残されたままになっていました。 生前に満足させられなかった事柄に対して、死者たちは霊的に渇望しながら、回顧し続けます。
それは数年間も続くのです。 この数年間における死者たちの世界は、主として生前過ごしてきた世界です。
死者たちは生前の地上生活を観、その地上生活の中で決着のつかなかった事柄を見ます。 しかし今は、それに決着をつけるための器官を持っていません。 地上においてでなければ満足させることができないのに、それを何も満足させることのできない領域に数年間も生き続けることによって、はじめて死者たちは、生前の生活関連から自分を引き離そうとするのです。

魂が体の中でしか体験できなかったものに執着することをやめ、霊と一緒に体験できるものだけと係わりを保とうとするとき、霊は解放される。
死後の世界は、もっぱら自分が霊的、魂的な世界の法則に従うことで、霊を自由に活動させるために、物質存在への執着を一切絶つのに必要な一時期を持つ。 魂が物質的なもの拘束されていればいるほど、もちろんこの期間は延長される。 物質生活への依存度の少なかった人の場合は、期間が短く物質生活への関心が強く、死後もなお多くの欲望、願望等が魂の中に残っている人の場合は、長く続く。

死後の諸体験は、生前の諸体験とこれまで以上に異っている。浄化の中にいる人間は、いわば逆方向に向って生きている。生まれてから経験してきた生前のすべてを、死の直前から幼児期に至るまで、もう一度、時間を遡行して辿り直す。
たとえば、60歳で死亡した人物が、40歳の時に激怒し、相手に身体的もしくは精神的な苦痛を与えたことがあったとしたら、その人は、死後生前の生活を逆に辿り、40歳のところに達したとき、この事件をもう一度体験しなおす。しかし相手を攻撃したことが、かつてのように、満足感をもたらすのではなく、逆に相手の受けた苦痛を体験させられる。
このことからも分かるように、外なる物質界に由来する自我の欲望の結果が、死後のこの経過の中では、痛みとして知覚される。
それは、一度生じた欲望を、「焼き尽くす焔」の中で、消滅させるためである。人間が時間の方向を逆に辿って、誕生の時点に達した時、そのような欲望がすべて、浄化の火によって焼き尽くされる。

死者にとって大事なのは死の直後の期間です。 この期間は何時間も、何日間にもわたります。 
この状態において、死者の魂の前を、壮大な記憶の光景として、生まれてから死んだ時点までの人生が通り過ぎていきます。 死後、誰でも、この人生の記憶像の通過を経験します。 (中略) 人生に付着した喜びや苦しみは、この記憶像の中には存在しません。 死者は絵画を見るように、客観的にこの記憶像に向かい合うのです。 悲しみに打ちひしがれ、苦痛に満ちた人(自分の現世の姿)を私たちは客観的に眺めます。 この人の悲観を追感することはできますが、この人の苦痛を直接知覚することはありません。 死の直後に現れる映像もそのようなものです。 現前に展開するこの映像の中で、人生の中で生起した個々の出来事があまりにも速く流れ去っていきます。
物質界において、アストラル体は肉体の器官を通して、喜び、苦しみ、欲求、衝動、願望を満足させます。 死後、この肉体的器官は失われます。 舌がないので、美食家の喜びは満足させられません。 けれども、アストラル体に結びついた欲望は残っています。 そのために、欲望期(カーマローカ)に燃えるような渇きが生じます。 カーマは欲望、願望、ローカは場所という意味ですが、カーマローカは実際は場所ではなく、一つの状態です。
物質界での人生において、すでに肉体を超越している人は欲望期が短くなります。 美と調和は私たちを感覚界から導き出してくれます。 高貴で、霊の浸透した喜びは欲望期を短縮します。 ですから、すでに物質界において、感覚的器官を通してのみ満足させることのできる情欲や欲望から遠ざかる必要があります。 欲望期は感覚的情欲、欲望から遠ざかる期間です。 欲望期は通常の人生の三分の一の長さです。 この期間、死者は全人生を回想しはじめます。 今、すべての喜びと苦しみを逆の形でもう一度生きるのです。 つまり、他の人に対して与えた快や苦のすべてを自分の中で体験しなければならないのです。 

私(我々)の魂は眠りについてから目覚めるまでに霊界に滞在することになります。 そのとき私(我々)の魂は、私(我々)の地球上の人生を導く存在の力に出会います。 この存在の力は霊界に存在します。つまり、私(我々)の魂は自分の頭の周りに漂っている守護天使に出会うのです。・・・・そしてこの霊界こそが、現実的な---真の意味において現実的な世界なのです。 というのも、私たちが通常現実的な世界と呼んでいるこの世界は、・・・真の現実世界の似姿にすぎないからです。 現実の世界とは霊の世界です。 
スウェーデンボルグ
霊や天使たちと語り合うことは、古代の我々の地球においてもありふれたことであり、(中略)彼らは当時、天界のことを多く考え、この世のことはほとんど考えなかった。 しかし時代の推移とともに、天界との生きた交流は閉ざされた。
人間は内的なものから外的なものになり、この世のことを多く考え、天界のことをほとんど考えなくなった。 人間が、天界や地獄の存在や、自分が本来的には死後も生きる霊だということをもはや信じなくなったとき、事態はますます悪くなっている。 
 
死後の世界 4 / シルバーバーチ

 

〔シルバーバーチはよく死後の世界の素晴らしさを語る。そして、われわれ人間も睡眠中によく訪れているという。ただ、脳を中枢とした意識には、特殊な能力を具えた者を除いて、ほとんど思い出せないという〕
私たちがお届けする霊の世界からの贈り物を十分に理解なされば、私たちをして、こうして地上へ降りて来る気にさせるのは、あなた方のためを思う気持以外の何ものでもないことが分かっていただけるはずです。いったい誰が、ただの酔狂で、素晴らしい光の世界からこの地上界へ降りて参りましょう。
あなた方はまだ霊の世界の本当の素晴らしさを知りません。肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも一瞬の間に行ける、考えたことがすぐに形をもって眼前に現れる、追求したいことに幾らでも専念できる、お金の心配がない……こうした世界は地上には譬えるものがないのです。その楽しさは、あなた方はまだ一度も味わったことがありません。
肉体に閉じこめられた者には、美しさの本当の姿を見ることができません。霊の世界の光、色彩、景色、樹木、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがどれほど美しいか、あなた方はご存じない。それでいてなお、死を恐れます。
人間にとって死は恐怖の最たるもののようです。が実は、人間は死んで初めて生きることになるのです。あなた方は自分では立派に生きているつもりでしょうが、実際にはほとんど死んでいるのも同然です。霊的なものに対しては死人のごとく反応を示しません。小さな生命のともしびが粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことには一向に反応を示しません。ただ、徐々にではあっても成長はしています。私たちの働きかけによって、霊的な勢力が物質界に増えつつあります。霊的な光が広まれば、当然暗闇が後退していきます。
霊の世界は人間界の言語では表現できない面があります。譬えるものが地上に見出せないのです。あなた方が「死んだ」といって片づけている者たちの方が、今では生命の実相について遙かに多くを知っております。
この世界に来て、芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることができます。画家も詩人も思い通りに才能を発揮することができます。地上の抑圧からすっかり解放され、天賦の才能がお互いのために使用されるようになるのです。そこで使用される着想の素晴らしさは、ぎこちない地上の言語ではとても表現できません。心に思うことが即ち霊の言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。
金銭の心配がありません。生存競争というものがありません。弱者がいじめられることもありません。霊界での強者とは、弱者に手を差し伸べる力があるという意味だからです。失業などというものもありません。スラム街もありません。利己主義もありません。宗派もありません。教典もありません。あるのは大霊の摂理だけです。それが全てです。
地球圏へ近づくにつれて霊は思うことが表現できなくなります。正直言って私も地上界へ戻るのは気が進まないのです。なのに、こうして戻ってくるのは、そう約束したからであり、地上界の啓蒙のために少しでも役立ちたいという気持があるからです。そして、それを支援してくださるあなた方の私への思慕の念が、せめてもの慰めとなっております。
死ぬということは決して悲劇ではありません。むしろ今その地上で生きていることこそ悲劇といっても良いくらいです。大霊の庭園が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場もない状態となっていることこそ悲劇です。
死ぬということは、肉体という牢獄に閉じこめられていた霊が自由になることです。苦しみから解き放たれて霊本来の姿に帰ることが、果たして悲劇なのでしょうか。天上的色彩を見、言語で説明のしようのない天上の音楽を聞けるようになることが悲劇でしょうか。痛むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駈け巡り、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなた方は悲劇と呼ぶのでしょうか。
地上のいかなる天才的画家にも霊の世界の美しさの一端なりとも絵の具では表現できないでしょう。いかなる音楽の天才にも天上の音楽の旋律の一つたりとも表現できないでしょう。いかなる名文家にも天上の美を言語で表現することはできないでしょう。そのうちあなた方もこちらの世界へ来られます。そしてその素晴らしさに驚嘆なさるでしょう。
地上は今まさに五月。木々は新緑に輝き、花の香りが漂い、大自然の恵みに溢れております。その造化の美を見て皆さんは感嘆なさいます。
しかし、その美しさも霊の世界の美しさに比べれば至ってお粗末な、色褪せた模作程度に過ぎません。地上の誰一人として見たことのない花があり、色彩があります。そのほか小鳥もいれば植物もあります。小川もあれば山もありますが、どれ一つ取っても地上のそれとは比較にならないほど美しいのです。
そのうち皆さんもその美しさをじっくり味わえる日が来ます。その時はいわゆる「幽霊」になっているわけですが、その幽霊になった時こそ、本当の意味で「生きている」ことになるのです。
実は、あなた方は今でも毎夜のように霊の世界を訪れているのですよ。ただ思い出せないだけです。この体験は、死んでこちらへ来た時のための準備なのです。その準備なしにいきなり来るとショックを受けるからです。来てみると、一度来たことがあることを思い出します。肉体の束縛から解放されると、睡眠中に垣間見ていたものを全意識でもって見ることができます。その時すべての記憶が蘇ります。 
質疑応答
死んでから低い界層に落ち着いた人はどんな具合でしょうか。今おっしゃったように、やはり睡眠中に訪れた時のこと――多分低い界層だろうと思いますが――を思い出すのでしょうか。そしてそれがその人なりに役に立つのでしょうか。
低い界層へ引きつけられて行く人はやはり睡眠中にその界層を訪れているのですが、その時の体験は死後の自覚を得る上では役に立ちません。なぜなら、そういう人の目覚める界層は地上と極めてよく似ているからです。死後の世界は低い界層ほど地上によく似ております。波動が粗いからです。高い界層ほど波動が精妙になります。
朝目覚めて、睡眠中の霊界での体験を思い出すことがあるのでしょうか。
睡眠中あなたは肉体から抜け出ていますから、当然、脳から離れております。脳はあなたを物質界に繋ぎつけるための中枢器官です。それから解放されたあなたは、魂の発達程度に応じた波動の世界で体験を得ます。その時点では意識をもって行動しているのですが、朝肉体に戻ってくると、もうその体験は思い出せません。その原因は、脳が狭すぎるからです。小は大を兼ねることができません。それで歪みを生ずるのです。
それは、例えて言えば、小さな袋の中に無理やり物を詰め込むようなものです。袋には容量というものがあります。無理やり詰め込むと、入るには入っても、形が歪んでしまいます。それと同じことが脳の中で生ずるのです。ただし、霊格がある段階以上に発達してくると、話は別です。霊的体験を思い出すように脳を訓練することが出来るようになります。
実を言いますと、私はここにおられる皆さんとは、よく睡眠中にお会いしているのです。別れ際に私は「地上に戻ったら、かくかくしかじかのことを思い出すんですよ」と言っておくのですが、どうも思い出してくださらないようです。皆さんお一人お一人にお会いしているのですよ。そして、あちらこちらを案内してさし上げているのですよ。でも、思い出してくださらなくてもいいのです。決して無駄にはなりませんから……
死んでそちらへ行ってから役にたつわけですか。
そうです。何一つ無駄にはなりません。摂理は完璧です。長年の生活体験をもつ我々は、神の摂理の完璧さにただただ驚くばかりです。神なんかいるものか、といった地上の人間のお粗末なセリフを聞いていると、まったく情けなくなります。知らない者ほど己の無知をさらけ出すものです。
睡眠中に仕事で霊界へ行く人もいるのでしょうか。睡眠中に霊界を訪れるのは死後の準備が唯一の目的でしょうか。
仕事をしに来る人は確かにおります。それだけの能力を具えた人がいるものです。が、大抵は死後の準備のためです。物質界での体験を積んだあと霊界ですることになっている仕事の準備のために、睡眠中にあちらこちらへ連れて行かれます。そういう準備なしにいきなり霊界へ来ると、ショックが大きくて回復に時間が掛かります。地上時代にあらかじめ霊的知識を知っておくとこちらで得をすると言われるのは、その辺に理由があるのです。ずいぶん長い期間眠ったままの人が大勢います。あらかじめ知識があればすぐに自覚が得られます。
ちょうどドアを開けて日光の照る屋外へ出るようなものです。光のまぶしさにすぐに慣れるか否かの違いと同じです。闇の中にいて光を見ていない人は慣れるのに時間が掛かります。つかまり立ちの赤ん坊のように手探りで行動します。地上時代の記憶が蘇ることはあっても、夢を思い出しているような状態です。
いずれにせよ体験というものは、そちらにせよこちらにせよ、何一つ無駄なものはありません。そのことをよく胸に刻み込んでおいてください。あなた方の心から出た、人のためを思う思念、願い、行為は、いつかはどこかで誰かの役にたちます。その心に感応して同じ心を持つ霊を呼び寄せるのです。
霊的知識なしに他界した者でもこちらからの思いやりや祈りの念が届くのでしょうか。
死後の目覚めは理解力が芽生えた時です。霊的知識があれば目覚めはずっと早くなります。その意味でも私たちは、無知と誤解と迷信と誤った教義と神学をなくすべく闘わねばならないのです。そうしたものが死後の目覚めの妨げになるからです。そうした障害物が取り除かれない限り、魂は少しずつ死後の世界に慣れて行くほかはありません。長い長い休息が必要となるのです。
また、地上に病院があるように、魂に深い傷を負った人たちを看護してやらねばなりません。人のためによく尽くした人、他界に際して愛情と祈りを受けるほどの人は、そうした善意の波動を受けて、目覚めが促進されます。
死後の生命を信じず、死ねばお終いと思っている人はどうなりますか。
死のうにも死ねないのですから、結局は目覚めてからその事実に直面するほかはありません。目覚めるまでにどの程度の時間が掛かるかは、魂の進化の程度によって違います。即ち霊性がどれほど発達しているか、新しい環境にどこまで順応できるかに掛かっています。
そういう人、つまり死ねばそれで万事休すと思っている人の死に苦痛が伴いますか。
それも霊性の進化の程度によります。一般的に言って死ぬということに苦痛は伴いません。大抵は無意識だからです。死ぬときの様子が自分で意識できるのは、よほど霊格の高い人に限られます。
善人が死後の世界の話を聞いても信じなかった場合、死後そのことで何か咎めをうけますか。
私にはその「善人」とか「悪人」とかの意味が分かりませんが、要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人のために尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかに掛かっています。大切なのはそれだけです。知識は無いよりは有るに越したことはありません。が、その人の真の価値は毎日をどう生きたかに尽きます。
愛する人とは霊界で再会して若返るのでしょうか。イエスは天国では結婚するとか嫁にやるといったことはないと言っていますが……
地上で愛し合った男女が他界した場合、もしも霊格が同じであれば霊界で再び愛し合うことになりましょう。死は魂にとっては、より自由な世界への入り口のようなものですから、二人の結びつきは地上よりいっそう強くなります。
が、二人の結婚が魂の結びつきでなく肉体の結びつきに過ぎず、しかも両者に霊格の差がある時は、死とともに両者は別れていきます。それぞれの界へ引かれて行くからです。
若返るかとのご質問ですが、霊の世界では若返るとか年を取るといったことではなく、成長・進化・発達といった形で現れます。形ではなく魂の問題になるわけです。
イエスが嫁にやるとか貰うといったことはないと言ったのは、地上のような肉体上の結婚のことを言ったのです。男女といっても、あくまでも男性に対する女性であり女性に対する男性であって、物質の世界ではこの二元の原理で出来上がっていますが、霊の世界では界層が上がるにつれて男女の差が薄れていきます。
死後の世界でも罪を犯すことがありますか。もしあるとすれば、どんな罪がいちばん多いですか。
もちろん私たちも罪を犯します。それは利己主義の罪です。ただ、こちらの世界ではそれがすぐに表面に出ます。心に思ったことがすぐさま人に知れるのです。原因に対する結果が地上より遙かに速く出ます。従って醜い心を抱くと、それが瞬時に容貌全体に現れて、霊格が下がるのが分かります。そうしたことを地上の言語で説明するのは難しく、先ほど言ったように「利己主義の罪」と呼ぶほかに良い表現が見当たりません。
死後の世界が地上界に比べて実感があり、立派な支配者、君主、または神の支配する世界であることは分かりましたが、こうしたことは昔から地上の人間に啓示されて来たのでしょうか。
霊の世界の組織について啓示を受けた人間は大勢います。ただ誤解しないでいただきたいのは、こちらの世界には地上でいうような支配者はいません。霊界の支配者は自然法則、即ち大霊の摂理そのものなのです。また、境界線によってどこかで仕切られているわけではありません。低い次元の界層から高い次元の界層へと徐々につながっており、その間に断絶はなく、宇宙全体が一つに融合しております。霊格が向上するにつれて高い界層へと上昇してまいります。
地上で孤独な人生を余儀なくされた者は死後も同じような人生をおくるのでしょうか。
いえ、いえ、そんなことはありません。そういう人生を余儀なくされるのはそれなりの因果関係があってのことで、こちらへ来ればまた新たな生活があり、愛する者、縁ある者との再会もあります。摂理はうまく出来ております。
シェークスピアとかベートーベン、ミケランジェロといった歴史上の人物に会うことが出来るでしょうか。
特に愛着を感じ慕っている人物には、大抵の場合、会うことが出来るでしょう。「共感の絆」が両者を引き寄せるのです。
この肉体を捨ててそちらへ行っても、ちゃんと固くて実感があるのでしょうか。
地上より遙かに実感があり、しっかりしています。本当は地上の方が実感がないのです。霊界が実在の世界で、地上界はその影なのです。こちらへ来るまでは本当の実体感は味わっておられません。
と言うことは、地上の環境が五感にとって自然に感じられるように、死後の世界も霊魂には自然に感じられるということですか。
だから言っているでしょう、地上よりも実感がある、と。こちらの方が実在なのですから。あなた方はいわば囚人のようなものです。肉体という牢に入れられ、物質という壁で仕切られ、小さな鉄格子の窓から外を覗いているだけです。地上では、本当の自分のほんの一部分しか意識していないのです。
霊界では意念で通じ合うのですか、それとも地上の言語のようなものがあるのでしょうか。
意念だけで通じ合えるようになるまでは言語も使われます。
急死した場合、死後の環境にすぐに慣れるでしょうか。
魂の進化の程度によって違います。
呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのでしょうか。
魂に意識がある場合(霊性が発達している場合)は、霊的身体が肉体から抜け出るのが分かります。そして抜け出ると霊的な目が開きます。周りに自分を迎えに来てくれた人たちが見えます。そしてすぐさま新しい生活が始まります。
魂に意識がない場合は、看護に来てくれた霊の援助で適当な場所、例えば病院なり休息所なりに連れて行かれ、そこで新しい環境に慣れるまで看護されます。
愛し合いながら宗教的因習などで一緒になれなかった者も死後は一緒になれますか。
愛をいつまでも妨げることは出来ません。
肉親や親戚の者とも会えますか。
愛が存在すれば会えます。愛がなければ会えません。
死後の生命は永遠ですか。
生命はすべて永遠です。生命とは即ち大霊のことであり、大霊は永遠の存在だからです。
あなたが住んでおられる界層は地球とか太陽とか惑星とかを取り巻くように存在しているのでしょうか。
そのいずれをも取り巻いておりません。地理的な区域というものがないのです。天球とか惑星のような形をしているわけではありません。無限の次元から成る一つの大宇宙があって、それぞれの次元でさまざまな形態の生活が営まれているのです。それらが幾重にも入り組み融合し調和しています。あなた方は(スピリチュアリズムのお蔭で)そのうちの幾つかを知ったわけですが、まだまだあなた方には想像も及ばない生命活動が営まれている界層が幾つでもあります。
霊の世界を構成している組織にも地球と同じようにマテリアルな中心部というものがあるのでしょうか。
私という存在はマテリアルなものでしょうか。男女の愛はマテリアルなものでしょうか。芸術家のインスピレーションはマテリアルなものでしょうか。音楽の鑑賞力はマテリアルなものでしょうか。こうした問いに対する答えは、あなたのおっしゃる「マテリアル」という用語の意味次第で違ってきます。実感のあるもの、実在性を有するものという意味でしたら、霊の世界はマテリアルなものという答えになります。霊とは生命の最奥の実在だからです。あなたがおっしゃるのは「物質的なもの」という意味だと思いますが、それはその実在をくるむように存在する「殻」のようなものに過ぎません。
霊の世界も中心部は地球と同じ電磁場ないしは重力場の中に存在していて、地球と太陽の動きとともに宇宙空間を運行しながらヘラクレス座の方向へ向かっているのでしょうか。
霊の世界は地球の回転による影響は受けません。昼と夜の区別がないことでそれがお分かりでしょう。太陽のエネルギーは地球が受けているだけで、私たちには関係ありません。重力(引力)の作用も物質が受けるだけで、霊の世界には無縁です。霊的法則とは別のものです。
霊が動くスピードに限界がありますか。
時間的ないしは空間的な意味での限界というものはありません。少なくとも霊界生活に慣れた者には限界はありません。どこへでも各自の思念と同じ速さで行けます。思念は私たちにとっては実体があるのです。限界があるとすれば、その思念の波動の高さによる限界です。その次元を超えることは出来ません。言い換えれば、霊性の開発の程度を超えた次元の界層へ行ってみるわけにはいかないということです。それが限界といえば限界ですが、時空の問題ではなく霊的世界での限界です。
人間的存在が居住する全ての天体は霊的につながっているのでしょうか。
あなた方のいう「霊界」というのは宇宙の霊的側面ということで、それはあらゆる界層の生命活動を包括しております。
霊界はたった一つだけですか。
霊の世界は一つです。しかし、その表現形態は無限です。地球以外の天体にもそれぞれに霊の世界があります。物的表現の裏側にはかならず霊的表現があるのです。その無限の霊的世界が二重三重に入り組みながら全体として一つにまとまっているのが宇宙なのです。あなた方が知っているのは、その中のごく一部です。知らない世界がまだまだ幾らでも存在します。
その分布状態は地理的なものですか。
地理的なものではありません。精神的発達の程度に応じて差が生じているのです。もっとも、ある程度は物的表現形態による影響を受けます。
ということは、私たち人間の観念で言うところの「界層」もあるということでしょうか。
その通りです。物的条件によって影響される段階を超えるまでは、人間が考えるような「地域」や「界層」が存在すると思ってよろしい。
幼くして他界した我が子がすぐに分かるものでしょうか。
分かります。分かるように装った姿を見せてくれるからです。子供の方はずっと両親の地上生活を見ていますから様子がよく分かっており、真っ先に迎えに来てくれます。
例えば死刑執行人のような罪深い仕事に携わっている人は霊界でどのような裁きを受けるのでしょうか。
もしもその人が、いけないことだ、罪深いことだ、と良心の呵責を感じながらやっていたら、それなりの報いを受けるでしょう。悪いと思わずやっていたのであれば、別に咎めは受けません。
動物を殺して食べるということについてはどうでしょうか。
動物を殺して食べるということに罪の意識を覚える段階まで魂が進化した人間であれば、いけないことと知りつつやることは何事であれ許されないことですから、やはりそれなりの報いは受けます。その段階まで進化しておらず、いけないとも何とも感じない人は、別に罰は受けません。知識にはかならず代償が伴います。責任という代償です。 
 
死後の世界 5 (六道輪廻の世界) 

 

死出の旅路
死後の世界 古代インドでは、人間の体の中には64の(マルマン)があり、その1つが何かの拍子に切断されると激しい痛みがおこり、人間は死ぬと思われていた。このマルマンの音写が「末魔」です。そこから人間の死に際を「断末魔」と言うようになりました。 
さてその「断末魔」の後に、私達は現世に別れを告げて、別の世界に入っていくわけですが、この別の世界とは、又来世への行き先を決める世界です。私達はこの現世で悪いことをしると地獄に堕ちて、善いことをすれば天界に生まれることが出来ます。これが仏教の基本原理であり、このことを「因果応報」と呼びます。 
したがって私達は死後に6つの世界のどの世界に転生するかを、この「因果応報」の基本原理によって決定しなければなりません。現代風に言えば死後に裁判が必要となりなす。 
この裁判を受ける世界を中陰の世界といいます。現世と来世の中間だから中であり、現世の陽に対して死後の世界は幽冥なので、陰というわけです。 
その裁判に必要な期間が49日法事でおなじみの日数で、その間のことを「冥途の旅」と言い表しています。ちなみに冥途とは「冥土」とも書きますが要するにこの冥界は死者が住み着く場所でなく、ただそこを通過するだけの土地であるため「冥途」という書き方がふさわしいと思います。 
ともあれこの冥途の旅は山路から始まります。山路とは、大きな山裾の路です。この山は死者の出発点となる山ですから「死での山」と名付けられていいます。 
この「死での山」は長さが800里(3200km)高さは不明。峻険な山脈であり、これを7日間にたって、星の光だけを頼りに死者はとぼとぼと一人で歩いて行く事になります。 
さて、死者はこの冥途の旅の間、すなわち中陰の期間はどのような姿をしているのかというと、きわめて微細な体をしており、我々には見えなく、そして香を食物としております。そこから「食香」と呼ばれ、死者の為に線香を絶やしてはならないと言われる根拠になっておるのです。 
死者はこうして死での旅をスタ−トし、山路をとぼとぼ歩いていくうちに、7日間が過ぎます。そして来世の行き先を裁く裁判が始まります。 
仏教では、誰もが守らなくてはならない五戒があります。
それは1−不殺生戒(みだりに生物の命を奪わない) 2−不偸盗戒(盗んではならない) 3−不邪淫戒(男女間にみだらであってはならない)4−不妄語戒(嘘をつかない) 5−不飲酒戒(酒を飲まない)の5つです。冥途の法廷では、これらのことに対して調べられます。 
この裁判は、計7回、したがって裁判官も7人となります。
その裁判官、又それぞれ死者を教え導き、守護して下さる、仏様とは
1. 初七日−秦広王(しんこうおう) 不動明王  
2. 二七日−初江王(しょうこうおう) 釈迦如来
3. 三七日−宋帝王(そうていおう) 文殊菩薩
4. 四七日−五官王(ごかんおう) 普賢菩薩
5. 五七日−閻魔王(えんまおう) 地蔵菩薩
6. 六七日−変成王(へんじょうおう) 弥勒菩薩
7. 七七日−泰山王(たいさんおう) 薬師如来   の7人です  
初七日−秦広王(しんこうおう)
山道を歩いていると7日目お迎えました。ここで死者は最初の審判秦広王の法廷に立つことになります。秦広王が死者に問うのは、「おまえは生前、殺生をしていないか」ということです。我々はどんな虫であれ、殺生していることを認め、他に良いことをしていることを弁明すれば、「あと7日の猶予をやろう。7日後に初江王のところへいけ」ということになります。
「三途の川」
死者は秦広王の法廷を過ぎると、あの有名な三途の川にさしかかります。小さい川ではなく、冥界をとうとうと横切って流れる大河です。そして冥途の旅をする者は、誰でもこの「三途の川」を渡らなければならないのです。「三途の川」の名の由来は「この川の向こう岸に渡るのに、三通りの途(みち)が有った」と言うところからきています。そして渡るところに三つ有る。一つには橋が架かっている。しかしこの橋を渡れるのは善人だけです。それ以外の悪人達は、川のなかに入らなくてはならないのです。しかもその悪人には二段階があって、比較的罪の軽い人は浅瀬、重罪の人は濁流を渡らなくてはならないのです。つまりここにも「因果応報」という仏教の基本原理が貫かれているわけです。さてこの「三途の川」の渡し賃が6文  死者を荼毘に付す時に、お棺の中に1文銭を6枚入れてやる習慣がうまれたのはこのためです。「地獄の沙汰も金次第」とはおそらくこんなところから生まれた諺でしょう。
「賽の河原」
「三途の川」のほとりに河原が有ります。それが「賽の河原」です。そしてそこでは大勢の子供達が一生懸命河原の小石を積んで塔を作っています。幼くしてなくなった子供たちは、生前功徳を積む時間が無く、仏教の教えを聞く前に冥界に来てしまったので、慚愧(ざんぎ)の念にさいなまれて、塔を作って功徳を積んでいるのです。幼い子が塔を作り上げたとたんに、鬼が現れ鉄棒で壊してしまいます。恐ろしさのあまり逃げ惑う子供たちに向かい、鬼が「何を泣くのだ。これはみなお前たちが犯した罪ではないか。自分を恨め、お前のために何もしてくれない父母を恨め」というのです。仏教の教理から言えば、子供たちの罪は重いのです。親に先立つ死とは、罪なのです。親に悲しみの涙を流させるために三途の川を渡らしてもらえないのです。
「衣領樹」
「三途の川」を渡たりきると、その岸に「衣領樹(えりょうじゅ)」という木が1本有ります。その木の下で2人の爺婆が死者を待ち受けています。懸衣嫗(けんぬう)は又俗に「脱衣婆」と呼ばれ、冥土の旅人から衣類を剥ぎ取ることが役目です。そして、脱がされた衣服は、懸衣翁(けんぬおう)に渡さ衣領樹の枝にかけられます。この樹は衣の持ち主が生前に犯した罪の軽重により、しなる度合いが変わる特殊な樹なのです。そのデ−タがその後の裁判の証拠になるわけです。
二七日−初江王(しょうこうおう)
この法廷は「三途の川」渡ったところにあり、すでに初江王の元には秦広王からの報告や衣領樹の枝のしなり具合のデ−タが届いていますから、それを参考にして裁判を行います。この法廷では、主に死者の殺生の行為が裁かれます。仏教では無益に生き物の命を奪う事が最大の罪悪とされているからです。
三七日−宋帝王(そうていおう)
この法廷では、宋帝王が、ネコとヘビを使って死者の邪淫の罪を裁きます。この件に対しては、何故か、互いに返事を濁らせてしまいます。そうして、あれこれと返答を濁らせていると、ネコとヘビにより嘘が露見するという仕組みになっておるのです。 .
四七日−五官王(ごかんおう)
ここには死者の生前の言動における悪を一瞬にして、はかる魔法の秤が置かれています。死者はこの秤にいやおうなく乗せられ、来世の行き先が即座に表示される仕掛けになっています。そして地獄行きを宣告された多くの死者は、ひたすら五官王に懇願してあと7日の猶予をこうのです。今で言う、死刑因の再審請求と言ったところです。 .
五七日−閻魔王(えんまおう)
かの有名な閻魔王が死者を裁くところです。この閻閻魔王魔庁には、高性能な浄波璃(じょうはり)という水晶で出来た鏡があり、死者の生前の悪行がすべて映し出される仕組みになっています。なんせ閻魔王が相手ですから、嘘をつくと舌を抜かれます。ところが閻魔王は意外と優しいのです。「あなたは地獄に堕ちても仕方ないが、あなたのために遺族が追善供養をしてくれるかもしれないから、もう少し待ってあげよう。」と優しく語りかけてくることが意外に多いのです。 .
六七日−変成王(へんじょうおう)
ここでは、秤を使って裁きを行った、五官王と鏡を使って裁いた閻魔王の報告にもとずき、審査が行われるのです。念には念を入れるということです。
七七日−泰山王(たいさんおう)
いよいよ最後の四十九日目です。ここでついに泰山王による最終決定が下されます。もっとも最終判決といっても、七人の裁判官のうち誰一人として、死者に極刑を科したくないと思っているからです。裁判官といえ彼らは仏の世界の幹部なのです。当然人一倍慈悲深いのです。それで、七人が七人とて、死者の哀願に便乗して、順送りしてきたのです。泰山王にしても、その点では同様です。やはり最後の決を出したくなく、次のような決着をつけることにしました。
まず死者に六つの鳥居を示します。それぞれの鳥居の向こうには六つの世界(六道輪廻の世界)が広がっています。ただどの鳥居どの世界に通じているかは、明らかにされていません。死者に選択させようというわけです。死者は迷いながら、仕方なく、どれかを選びます。冥途は最終の地ではなく、通過の地にすぎないからです。そして選んだ先がその人の輪廻先となります。
こういうやり方はおかしいと思う方もおるでしょうが、これには、きわめて仏法にかなった合理性があるのです。6つの鳥居のうちどれを選ぶかは、その選択眼こそその人が生前に培った業の結果に他ならないのです。「業とは生前の行為には必ずその報いがくる。そしてそこからは誰も逃げられない。」という仏教の大原理です。その業の論理が、死者がどの鳥居をくぐるかという一点にまで貫徹されています。
こういうふうにして死者の行き先(輪廻先)は決まります。ここまでが中陰の世界です。そしてその後は「来世」となります。 
来世の世界
私達が亡くなると、来世の世界は六道輪廻(ろくどうりんね)の世界です。六道とは、苦しみの多い順にあげると、地獄 餓鬼 畜生 阿修羅 人間 天の世界です。
たとえ地獄に堕ちた者でも、それが永遠のすみかにならず、いつかは釈放されます。いつぽう、天界に生まれても、やはり永遠の快楽が約束されているわけではありません。天人とはいえ、いつかは死に中陰を過ぎれば六道のいずれかに生まれ変わります。そのときどこに生まれるかは、生前の行為によります。「因果応報」の論理に貫かれているのです。
中陰を満たした死者は、新たな世界に生まれ変わります。つまり霊魂が転生するのです。しかし、そこでも又生き終え、死者となって、そして又生まれ変わる、という流れを繰り返していきます。まるで車の輪のように、ぐるぐると回り無限に再生していくことから、「輪廻」といい、転生と合わせて「輪廻転生」と言います。
人間は、前世の行為に必ずその報いがくる、そこからは誰もがのがれられないという業を持って生まれそして生きています。「自業自得」「業果の必然性」が鉄則なのです。
自らの行為の果報は、必ず自分に現れ、今世でなければ来世、あるいはその後の生に現れます。善因善果 .悪因悪果の因果応報と言うことです。そして、その結果によって次の世で、六道のどれかに生まれ変わるのです。 
地獄道  
六道のうち、もっとも苦しい世界が、地獄道です。地獄は私達が住む大陸の地下にあります。(地下5万キロメ−トル)そして入り口から順に等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄と8つの地獄が重なっています。総称して八大熱地獄と言いますが、黒縄地獄の苦しみは、等活地獄の10倍、衆合地獄は黒縄地獄の10倍というように、10倍ずつ増していき、最後の阿鼻地獄地獄だけは大焦熱地獄の1000倍になります。これらはそれぞれ特徴がありますが、共通しているのは、非常に蒸し暑く、地獄の業火が燃え盛っていることです。獄卒(ごくそつ)といわれる鬼たちが棲んでいて、罪人を責め、苦しめ続けます。ちなみに等活地獄の1日は私たちの時間で9百万年にあたります。黒縄地獄の1日は3600万年と長さはそれぞれ4倍ずつ増え、更に刑期は8倍ずつ増えていきます。等活地獄の罪人の刑期は500年ですからこちらの時間に換算すると1兆6200億年です。想像も出来ない時間です。八大地獄には1つの地獄に16の副地獄があり、地獄全体では128の地獄があるということになります。
餓鬼道
地獄に次いで苦しみの多い世界は、餓鬼道です。餓鬼道とは、簡単にいえば、ほしいものが手に入らない、という苦痛にさいなまれ続ける世界です。人間にとって一番ほしいものは、命を繋ぐための食物です。その食物を思うように手に入れることができないところから、絶えず飢餓に苦しめられる責め苦を負うわけです。この餓鬼道は、人を妬んだり物惜しみしたり、むさぼり食ったりしたものが行くところで、常に飢えと渇きに苦しめられます。餓鬼道は、閻魔王の支配下にあるとはいえ、地獄道でないだけに、その苦しみはまだましです。何より刑期が短くてすみます。餓鬼の世界の1日は、人間世界の1ケ月であり、餓鬼の寿命は500歳と言いますから、1500年という数字になります。地獄と比べると1億分の1以下ですみます。餓鬼はけして地下だけにいるのではなく、人道 天界に棲むものもいます。餓鬼はある仏典によると三つに分類されています。無財餓鬼 小財餓鬼 多財餓鬼です。特に多財餓鬼は人間界 天界にも棲み、満足ということを知らず、欲求不満を抱え続け、苦しい続けます。
畜生道
「人間以外の生物」を意味する仏教用語です。畜生といえば普通は牛、馬などの哺乳動物を想像しますが、仏典によると34種類の畜生がいるとされます。大別すると、鳥類 獣類 虫類の3つになるのですが」、竜のような空想の生物も含まれています。この畜生の世界は、餓鬼の世界が貧の世界に対して、癡(おろか)の世界です。畜生の世界はおろかで、暗く、そして不安の世界です。強弱たがいに危害を加え、昼夜、恐怖心に悩まされ続ける世界です。陰気なうめきの世界です。仏教は、キリスト教等とは違い動物の中にも人間と同じ苦しみを見ます。
阿修羅  
阿修羅とは、もともとインドの鬼神の一種で、「アスラ」という神の名を、音写したものです。阿修羅の世界は陽気な争いの世界です。阿修羅には1人の娘がいました。彼はその娘を帝釈天に嫁がせようとします。しかし帝釈天は力ずくで阿修羅の娘を奪ってしまいます。好意が無視され、誇りを傷つけられ、娘を奪われた阿修羅は帝釈天を相手に戦います。しかし相手は世界の王。戦いは何時も阿修羅に不利ですが、絶望的な反抗を繰り返すのです。阿修羅の中には傷つけられた、誇りがあります。その誇りという点において、それは地獄 餓鬼 畜生の三悪道三途の世界より上です。 
人間
人間には三つの相で考えます。不浄の相、苦の相、無常の相です。不浄の相-人間の体というものはきたない。死を迎えると朽ち果て見る影も無い。苦の相-原始仏教以来、仏教の人間観の中心です。我々は何時も目の前で見て、自覚しているから、ことさら説くこともないでしょう。無常の相-人の生命は山から落ちる水よりも早くてとどまらない。今日生きているといって、どうして明日を約束できるでしょうか。生命ははかなく無常です。

天の世界は感覚的な喜びが満たされた世界です。しかし天人の五衰といって、やがてこの快楽の国から別れなければなりません。このとき、かつて味わった快楽が強すぎれば強すぎるほど、苦しみは大きいのです。喜びの量だけ苦しみは多いのです。 
六道すなわち、我々の住むこの6つの世界は、全体として否定の世界、結局苦の世界であり、不浄の世界です。地獄もどこか遠いところにあるわけでなく、我々の住んでいる土地の下に実在している訳です。我々の住む世界は、永遠に苦の世界であり、苦の世界を観照し、この苦の世界からの脱却することが、さとりに至る道なのです。だから早くこの苦しい、きたない世界を逃れ、楽な世界を願おうとするのです。 
仏の浄土
仏様の浄土とは、それぞれの仏様が、自分の仏国土、浄土を持つています。阿弥陀如来は西方「極楽浄土」 薬師如来の東方「浄瑠璃世界(じょうるりせかい)」 観音菩薩「ふだらく浄土」  弥勒菩薩 「兜卒浄土(とそつ)」 大日如来「密厳国土」などです。浄土とは、感覚的な喜びと精神的な楽しさに満ちた世界であり、苦悩の無い世界です。 
 
死後の世界 6

 

人は、死んだらどうなるのか
皆さんは、人が死んだら、どうなると思いますか。そんなことを言われたって「死んだ後のことなどは(死んでみないと)分からない・・」でしょうか。
ですから人それぞれにいろいろな考えがあり、それによってご供養に対しての気持ちの込め方や取り組み方なども、ずいぶん異なる様に見えます。
皆さんの考え方は、「死んでも、どこかで生きている」と思う人と、「死んだら全てが終る」と思う人に大きく分かれます。
「死んでも、どこかで生きている」とはおかしな言い方のようですが、「肉体は死んでも、霊魂は天国か、地獄か、あるいは行くべき所に行かれずに迷っているか、いずれにしてもどこかで生きている」ということです。
その思いを表わす、いろいろな言葉があります。
「死んだら、本当に全て終る」と思っている人は、「死んで花実が咲くものか」「死んだら、すべてが楽になる」「もうこれで、すべて終わりにしたい」などと言います。
「死んでも、魂は生きている」と思っている人は、「天国から見守っていてね」「人は死んだら、星になるんだよ」「行くべき所に行って、成仏して下さい」「お盆には、ご先祖様が帰ってくる」等と言います。
現代では、「人がこの世を終えると、それで全ておしまい」と思っておられる人が多い様ですが、肉体は終わっても、霊魂は永遠に生き続けられるのです。まずこのことをよく念頭において下さい。それは人がこの世に生きる百歳そこそこの年月よりも、はるかに長い期間です。
そして「死んだら、すべてが楽になる」と言うことも、誤解です。人は、亡くなった時の状態のまま、あの世に行き、その状態で霊魂は生き続けます。病気で亡くなった方は、病気の痛みのまま、事故で亡くなった方は、事故の状態のままです。
だからこそ慰霊やご供養が必要になるのです。事故や災害の慰霊になると、それはシロウトの方では無理な点もありますが、ご家族の方のご命日やお彼岸、お盆の時期は、家族が為すべき大事な時期ですから、子孫の方は真心を込めたお供養をして差し上げて下さい。
亡くなった時の状態から、少しでも良い状態にして差し上げられるのは、この世に生きている人の真心のこもったご供養によるものが大きいからです。少しずついわゆる良いところに行くことが出来るのです。
現在行なわれているご先祖様のご供養や、命日の供養、お彼岸、お盆のご供養の仕方は、残念ながらかなり自己流です。本当に亡くなった方の霊魂に届くような正しいご供養を是非して差し上げて欲しいと思います。 
あの世は、天国と地獄だけではない 
「天国と地獄」という映画もあり、「あの世には、天国と地獄しかない」と思っている人が多いと思いますが、あの世にはこの世でいう身分階級などとは比較にならないほどの、たくさんの階層があります。
それはその人のこの世での過ごし方、考え方から 霊魂の状態に応じたところに行くことになります。亡くなった時に、お寺さんにたくさんのお金を積んで戒名に、いわゆる「院号」をつけてもらったりしますが、それであの世の良いところに行くことは出来ません。
この世では、お金で買えないものはほとんど無いと思われていますが、あの世の行き先は、絶対に金銭では買うことが出来ないものです。だからこそこの世での過ごし方、考え方が大切なのですが、まずはあの世の階層とはどうなっているかを簡単にお話ししたいと思います。
行く先は人によって異なりますが、最高位は『神界』です。「えっ?死んだら、神様の世界に入れるの?」と驚かれるかもしれませんが、本来「人類は、すべて神の子」ですから、全員が神界に返られるのが理想なのです。
しかし、残念ながら神様の世界にただちに行くことが出来るのは、一世紀に一人か、二人しかいないと言われています。
実は『天命とは、神様の世界に返った時に自分がすべき役目のこと』なのですが、それがまだまだ修行中の状態で、神様の世界でその役目を果たせるようにならないと、神様の世界に入る事は出来ません。
また神様の世界は、一点の曇りも、汚れもない黄金の世界であり、現在のように空気も、水も食べ物も人の心もかなり汚れている世界で生きている人にとっては、かなり難しいことになっています。
そこに返ることができない人が、次に行くべき所が『仏界』です。仏様の世界です。
この神界・仏界に返れる人は、高いところですから、あの世とこの世の出入りも自由ですし、ご子孫の方などを強い力で守って差し上げる事が出来ます。
よく亡くなった方に「成仏して下さい」という言葉をかけますが、「成仏」とは、この仏界に返れることです。なかなか「成仏」出来る人は、少ないのです。
仏界にも返れない人は、次に『霊界』に返ることになります。ここに入るには、天命を知って天命に生きることが前提になります。
しかし今生きている人で、自分の天命を知っている人はどのくらいいらっしゃるでしょうか。残念ながら・・ほとんどおられないはずです。天命を知り、天命に生きる事は、この世だけでなく、実は人の世を去った後にも重大な関わりがあったのです。
少なくとも仕事がイヤで、金のためだけに仕方なく働いているという人は、絶対にその人の天命の仕事についてはいないはずですから、霊界にも入る事は出来ません。
ここにも入れない人は、次が『幽界』になります。幽界に返るには、感謝の気持ちがあることが条件になります。
人はすべて神の子ですから、一般的に「感謝の気持ちはおありですか」と問えば、皆「あります」と答えます。大切な事は有無ではなく、その感謝の気持ちが日常生活に活かされているかどうかなのです。
この下は俗に言う「低いところ」です。そこは、『餓鬼界』・『修羅界』・『畜生界』の三つに分かれています。餓鬼界は、際限なく「くれくれ」と言う欲望の世界です。
修羅界は争いの世界です。畜生界は感謝の気持ちを持たない者の世界で、今や満杯状態です。日常生活においても、いろいろと「してくれ」とは言ってくるが、お礼も言わない人が増えていると思います。ですから、お礼を言う人がいたら、まだましな方だと思って下さい。
この三つの界は、底なし沼のようになっていますので、最初は幽界に手の届くようなところにいても、よほど気をつけないと、いつの間にか底の方に沈んでしまうおそれがあります。
その下がいわゆる地獄界です。血の池地獄・針の山地獄などがあり、極寒地獄が一番厳しいところと言われています。
地獄に行ってしまいますと、年に一度『地獄の竈の蓋が開く』と言われるように、お盆の時だけ供養が受けられることになります。餓鬼・修羅・畜生の世界では、春・秋の彼岸と、ご命日にも供養を受けられます。
神界は天上にあり、仏界は中空にありますから、地上での出来事には影響を受けません。霊界・幽界は地上にあります。しかし、大地にしっかりと足を踏みしめることが出来ますので、少しずつでも高いところに登って行くことが出来ます。
生きているときの考え方や生き様が、あの世の行く先を決めるのですから、辛いことがあっても、やけくそになって人生を投げたりせず、『人生は修行の道場』と立ち向かいたいものですね。 
 
死後の世界 7 / 神道での人の生死

 

1、まえがき
私が、当神道講座で、これまで神道の葬儀や死について講義をしてこなかったことには理由があります。正直に申しますと、これまでは神道の葬に関することを勉強したり、研究したり、考えたりしないようにして来たからです。それには些かの理由もあります。葬儀のことを勉強したりしていると、身近に不幸があったり、気が滅入ってしまい、自分自身の精神状態が不安定になるからです。毎日、死や、遺骸、墓、霊魂などのことを考えていると、本当に精神的に圧迫されているような変な状態になります。神道の研究者が、墓や葬儀書を読み続けて精神状態が不安定になったという話を聞いたこともあって、それ以来、自分にはそういう研究は向かないと考えました。相当、精神的にタフで、さっぱりした性格の人でなければ、葬式の勉強などするものではないと思います。ご用心下さい。しかしながら神道が宗教である以上、それを解説するのに、人間の生ばかり説いて、死に関して全然解説しないということは、やはり片手落ちとは思っては居りました。このことは、「神道講座」というテーマに大変バランスを欠いていたことは言うまでもありません。しかし最近、母が亡くなったことで死のことを説くことに躊躇していた理由もなくなりましたので、以下に神道の死について説くことにいたします。
2、神道葬の始まり
講義「神道と日本文化」で若干触れましたが、神道に於いては、神葬に関する事柄は近世になるまで長らく関心がもたれませんでした。やっと中世室町時代の吉田神道にいたって、埋葬した遺骸の上に神社を建立するという形で、神式の自覚が始まったということができます。それまでは吉田家の歴代の当主であっても仏式の葬儀がなされていたのでした。つまり神道を司る公の家でさえ仏式の葬儀が行なわれていたのでした。吉田家で仏式から神式への転換が始まるのは吉田神道を大成した室町時代末期の吉田兼倶(よしだかねとも)からだったのです。
3、天皇の仏式は聖武天皇から
日本に仏教が伝わって以来、日本人は死や死後の世界に関することは、みな仏教から教わってきたのでした。天皇でさえ、天武天皇から葬儀に初めて僧侶が入り、火葬は持統天皇・文武天皇からされ、聖武天皇以降は仏式で天皇の葬儀が行われるようになったのでした。天皇や貴族であってもそうだったのです。ただ出雲大社、諏訪神社、高良大社などの古い神社に続いた有力な古社家には、古くからの葬儀の仕方が伝えられていました。しかし、そういった葬儀の仕方も、広く世間に広まるということはなかったようです。
4、庶民の葬式は近世から
尤も、葬儀をあげることができる人々は社会の上級層という限られた階層と考えるのが適当でしょう。庶民の葬には、念仏聖などの仏教僧でも、下級の僧が埋葬に関わっていたようです。九州は筑後国の高良山は、山内に三十ぐらいのお寺を抱えていたのですが、その中でも山内の僧侶などの葬を取り扱う寺は極楽寺という特定の寺であり、仏教に於いても葬にたいしては拘りがあったこと知って、驚いたことがあります。
5、仏教の葬式仏教化
仏教寺院が世間の葬儀を一手に引き受けるようになったのは、近世徳川幕藩体制の寺請制度で、過去帳が仏教寺院に具備されて、徳川幕府の命によって、寺が地域の一人一人の戸籍管理を行なうようにようになってからといわれております。葬を取り扱うことによって、寺院は安定した収入源を得ることになったのですが、代わりに寺の僧侶は、仏教本来の活動である布教や教化といったことに後ろ向きになったとされています。近世以前の寺は葬儀以外での宗教活動が非常に活発だったのです。
6、神葬祭の開始は江戸時代
従って、神道の死後の世界は、江戸時代の国学者によって闡明(せんめい)されるまでは、詳しく考えられることはなかったのです。せいぜい神話の黄泉の国が死後世界として知らされていたに過ぎなかったのでした。インターネットのwebページなどの中には、神道に死後世界観が構築されていないことを以て、未熟な宗教として紹介するwebさえあり、いいかげんなものです。近代になると、柳田民俗学が民俗行事などの分析から、日本では、古代から人の死後は、魂は里近くの山々に行き祖霊となり、そこで子孫を見守っている。そして祖霊は、春や盆になると、山を下りて里に帰って来、お盆や秋が終わると山へ帰っていくと説かれるようになりました。この民俗学的解釈が、今日の神道での霊や祖霊、死後世界の基本的な考え方になっているといっていいかと思います。死骸に対しては、埋め墓に埋葬し、普段は埋墓とは別の所に参り墓を造って、そこに詣っていたともされるようになり、これを両墓制といいます。つまり死骸に対しては重きを置かれなかったように説かれています。これには神道が死骸に対して穢れの対象として捉えていた伝統と無縁ではありません。神道では、死や死骸を穢れの最たる物として、非常に神から遠ざけてきた伝統があります。
7、神社にはお墓が無い理由
神の清浄を犯す最大の要素が死穢とされてきましたから、今日でも神社境内には墓は建てられず、喪がかっかった人々の参拝を控えるなどの禁忌が厳しくまもられています。今日でも近親者に不幸があった場合、百日間は神社の鳥居を潜らないようにと言われております。
8、死は神の力を弱める
死体が穢れているから神社境内への参入が厳しく阻止されたといわれていますが、本当は神々の力を弱める尤も危険な要因が死ということであったから、死に関わる事柄を少しでも神社境内に持ち込まさないようにすることだったのです。しかし死を忌むことを穢れという言葉に置き換えて表わされてしまったのが不幸なことでした。
9、神は生命力
神は生命力や力で充ち満ちた存在と考えられた為め、人々が最も恐れたのは神の生命力や力が落ちることだったのです。ですからそうした力や生命力がなくなったことの象徴である死を、神に触れさせたくなかったのです。穢れのことについては、当講座の第10回講座神道「神道祭祀に於ける斎戒」の「穢れの忌避」以下に詳しく解説していますから、参照して下さい。神道に、死後世界を詳細に教える教義がないということは、神道が一見不甲斐ない宗教のように見えるかも知れません。しかし本当にそうでしょうか。なぜなら、今日の日本人では死後世界の存在を考え信じることが出来なくなりつつあるのではないかと思われるからです。
10、変化する日本人の死後観
寧ろ現代では、物理的存在としての死後世界はありえないと、多くの日本人は考えているのではないでしょうか。したがって今日では受け入れられないような死後世界の教説を構築しておかなかったのは、却ってよかったのではないかと思われるのです。現代の日本人は、死後の世界の存在を疑問無く信じられるでしょうか?
11、仏教・キリスト教の来世観
仏教の教えのように、死んだら渡し賃を払って三途の川を渡り、天国の極楽浄土の仏の世界に行き、幸せな生活を送り、逆に地獄に堕ちれば閻魔大王の前で現世での罪状を白状して裁きを受け、嘘をつけば舌を抜かれて熱地獄、針地獄、血地獄をさまよわねばならない。或いは、キリスト教のように神の前に進み、ひたすら最後の審判の時を待っている。といった世界を、普通の日本人は信じられないのではないかと、私には思われるのです。私は、現代の日本人は、そうした死後の世界を殆ど信じていないと考えています。
12、緩やかな死後観
ただ、全く想定しないのでは、なにか心の安定が得られないことも事実ではないかと思うのです。したがって天国や極楽浄土ではないにしろ、極めて存在の薄い魂や霊が織り込まれている死後世界を想定しているのではないかと思えます。神道では、死後の魂や霊は、現世での罪や穢れといったことがらからは浄化され、無縁になってしまった存在と考えています。この考え方は伝統的です。
13、神と人は両極
神道では、神であることと、人であることの定義が截然と区別されているのではないのです。神と人は対局の存在なのですが、神が少しづつ変化していくと人になり、人が少しづつ変化していくと神になるといった意味で繋がっているのです。例えば、黒色と白色が対局になっていて、黒を少しづつ薄めていくと白になり、逆に白を少しづつ黒くしていくと黒になる、つまりグラデュエイトと表現したらいいでしょうか。
14、神と人の同居
したがって極めて人間的な神がいる一方で、極めて神のような人もいるとされるわけなのです。神話の中では、神様でも怒りにまかせて人を殺してしまう神がいたり、素戔嗚尊(すさのおのみこと)ように泣き叫ぶ神がいたりで、神々が表わす感情はギリシャ神話の神々のように人間的です。ただしギリシャ神話のようなスーパーミラクルな神はいません・・・。そうした神観念が神道的とされるわけです。したがって人も神とされる信仰が長い時間をかけながら成長してまいりました。奈良時代以前では応神天皇や神功皇后、天武天皇といっ特別な功績をのこされた天皇だけが神とされただけでした。人が神に祭られる資格が歴史を経るにしたがって緩和されていった様子は、第2回講座「神道の特徴」の中の「人神信仰」に要約していますからそちらを参照して下さい。
15、現代の神道葬
神道葬で葬儀をあげた人は、男女ともに(姓名)に命(みこと)を付けて称されます。つまり、「倭太郎命(やまと、たろう、の、みこと」というようにです。しかし伝統的神とまったく同じ扱いかといえば、やはり神の方を尊んで区別しているといった方がいいかと思います。人の場合、神ではなく、霊神(みたまのかみ、或いは、れいじん)と称して区別しています。
16、神葬祭
現代の神道では、伝統的な霊魂観に則って、神葬祭という、きちんとした葬儀の仕方が確立されていますし、神式の墓の形式・墓地もあります。年祭も一年、三年、五年、十年、三十年、五十年、百年とあります。但し、弔い上げということはなのですが、百年を過ぎると祖先霊と合祀してしまうようです。先述したようなことから、神社神社境内に墓地を設けたり、遺骨を預かる納骨殿を設けることはできません。もし設ける場合は、そういった施設は神社が鎮座する境内地とは別の場所に建造することになっています。神式の場合は、霊園などに墓地を求めます。
17、靖國神社に遺骨は無い
靖國神社には、戦死者の遺骨が祭ってあると思っておられる方がいると思います。しかし靖国神社境内には一切お骨などはないのです。霊を祭っているだけなのです。霊神というのは神道という宗教の神霊観ですから、神道を信じていない人には、本来信じられないものです。したがって厳密にいうと、神道を否定する人や無神論者やキリスト教者達にとっては、霊神などあるはずのないものなのです。むしろそのようなものは存在しないと言わなければならないのです。あると言えば、無神論者ではなくなりますし、キリスト教徒でもなくなります。この辺が信仰のパラドックス(逆説)的な所です。キリスト教徒ならば、人霊など存在しなとしなければなりません。人は死後は神の前にいって最後の審判を待っているのだから、神社などにいるはずがないと言わなければならないのです。つまり靖国問題は信仰問題などではなく、信仰という皮を被った政治思想問題なのです。神道では、死者の霊が、極楽浄土や墓地や天国地獄、或いは教会の墓地に行くなどとは決して説きません。そんなことを言えば、神道の自己否定ということになります。
18、神々と祖先がいる死後世界へ
高天原(たかまのはら)とはいいませんが、人は死ねば神々も居られる世界へ帰っていくと考えていいかと思います。なぜなら神話の教えるところによれば、我々日本民族の祖先は伊弉諾尊・伊弉冉尊から産まれた(作られたのではないのです!)のですし、神々も人も順々に幽世(かくりよ)に行かれたのですから、その子孫である我々も隠れられた神々や祖先がいる幽世(かくりよ)に行くと考えていいのではないでしょうか。つまり宗教が違えば、それぞれ、それを天国といったり、極楽といったり、神の国と言っているに過ぎないのかも知れません。
19、葬祭の分化
近年の神道の研究では、神道の葬と祭は古墳時代ぐらいまでは分化していなくて、やがて葬祭が分れ、そして奈良時代ころから祭だけに神道はなったのではないかとも考えられています。しかし私は、やはり葬と祭はあくまでも別々であったと考えています。それが奈良時代の律令祭神社制度の中で葬が神社から排除され、神社は祭だけの場に特化したと考えています。そして今日の神社神道では、葬が復旧されて徐々葬も重視されてきているということが出来ましょう。
 
死後の世界 8

 

お盆の意味
お盆休みの終わった日、治療を待ちわびていた患者さんが朝早くからお見えになりました。朝6時に家を出てきたというAさんもその一人です。昨年暮れご主人を亡くし、今年が初盆でした。「いやぁ・・先生まいったよ。早く来たかったんだけど、とうさんが帰ってくるから、家を空けるわけにいかなくてね」7月末に転んで痛めた膝をさすりながらそう話してくれました。
「おや?Aさん・・宗派は何ですか?」「門徒ですよ」
私の記憶が正しければ、お盆に死者が帰ってくるという考え方は、浄土真宗にはないと思われます。親鸞上人はむしろ「私が死んだら、池に投げ込み、鯉の餌にしてくれ」と言い残したほど、人が死んでからの供養には関心がなかったそうです。
お盆は、仏教の「盂蘭盆経」に由来しているといわれ、元々は梵語のウラバンナ(逆さ吊りの苦しみを救う)という意味があるそうです。釈迦の弟子が神通力で母親の姿を見た時、亡くなって餓鬼道に堕ち、苦しむ姿が見えたそうです。そこで、僧たちをもてなし、母親の苦しみを救ったという故事が、ナスやきゅうりで作った馬や牛で先祖の霊を迎えるという民間信仰の風習といつの間にか合体したものと考えられます。
オオセンセは、「お寺やお墓にお参りして先祖に感謝を捧げるのも尊いことだけど、手を合わせることにより、自分を振り返り、生や死の意味を考え、人生を考える機会なんだ」と解釈しているようです。
なるほど・・・では、人間が死ぬとどうなってしまうのでしょう?
何もない闇の世界を永遠に漂うのか?
それとも魂になって天国に上って行くのか?
地獄に落ちて針の山を歩かされるのか?
お盆になるとあの世から帰ってきて、キュウリやナスの馬に乗るのか?
先ほど書いたように、こうした逸話には、民間宗教や、雑多な宗教の誤った認識が混在しているようです。良い機会なので、いろいろな宗教における死後の世界を考えながら、とっつきにくい宗教へのステップにしたいと思います。 
キリスト教とイスラム教の天国と地獄はどう違うのでしょう?
世界三大宗教といわれる、キリスト教、イスラム教、仏教は具体的に死後の世界をどう考えているのでしょう。
世界の宗教人口の40%を占めるといわれるキリスト教は、謙虚で誠実、真実の愛を持つ人の魂は、死後「天国」と呼ばれる何不自由ない神の国へ行けるのですが、心が野心や欲に満ちた人の魂は、真っ暗な「地獄」に落ちると聞きました。
また、天国へ直行できるほどの善人ではないけれど、地獄へ落とされるほど悪いこともしていない私のような一般人は、その中間の「煉獄(れんごく)」と呼ばれる所で、天国へ行くため浄化されるそうです。
これが一般的な日本人を自負する私が認識しているキリスト教の死後の世界観です。
実は以前カトリック系幼稚園に通園していた娘に教わった知識なので・・信憑性は
イスラム教に関しては、宗教戦争や民族紛争に関心があり、何冊かその手の本を読んだことがあるのでもう少し正確な情報をお届け出来ます。
イスラム教では、死ぬということは猶予期間と考えるそうです。つまり最後の審判の時、死んだ人たちがもう一度生き返ると考えられているようです。(何歳の肉体かは不明ですが、私なら若々しい肉体を希望します)
生き返った時、アラー(神)の審判があり、無罪になった人は「緑園」と呼ばれる天国へ行くことが出来ます。極上のご馳走といくら飲んでも酔わない酒が無料で食べ飲み放題!綺麗な服に高価な宝石をつけた何回セックスをしても処女を失わない絶世の美女が妻としてあてがわれると書かれていました。
有罪になった人には地獄が待っています。イスラムの地獄は灼熱地獄です。汚物を食べ、生きたまま朝から晩まで火で焼かれる日を永遠に送らなくてはいけません。「こんな苦しみが永遠に続くならいっそ殺してくれ」と頼んでも死ぬことは許されないそうです。
キリスト教に比べると非常に具体的な死後の世界観ですが、最後の審判の時はまだ来ていないので、今のところ天国や地獄に行った人はまだいないと思われます。 
仏教と神道の死後の世界?
仏教では天国と地獄のどちらに送られるかは生前の行いで決まります。
仏教の極楽は210億もあるそうです。現世で善行を積んだ人は、この光に満ちた世界で永遠の命が得られるといわれます。
地獄は「熱地獄」と「寒地獄」があり、ここに落ちると最低でも1兆6000億年は出られないそうです。しかし仏教の地獄は、イスラム教の地獄とは違い、気の遠くなるような長い期間苦しんだ後、輪廻転生し、人間界や天界に生まれ変わることが出来るようです。
俗に「黄泉の国」と呼ばれる死後の世界は、仏教ではなく日本人だけの民族宗教ともいえる「神道」の考え方です。
イスラム教やユダヤ教は、ただ一人の神様を信じる一神教ですが、神道は「八百万(やおよろず)の神」といわれるくらいたくさんの神様がいて、それを祀る神社も数え切れないくらいあります。
この中で一番偉い神様が高天原に住むといわれる天神で、「古事記」では皇室の祖先と書かれています。そして各地の国神様や、「千と千尋の神隠し」にも登場した、海の神、山の神、川の神。はたまた、老木や花を神が宿ると崇めたり、キツネや蛇などの鳥獣、菅原道真や徳川家康など実在の人物まで神様になっています。どうやら古代の日本人は、神聖さを感じさせるものや現象に神が宿っていると考えていたようです。
黄泉の国は、神話によると、イザナギが火傷をおって死んだ妻を捜し黄泉の国まで行ったそうですが、体中にうじ虫がたかり、気味の悪い変な神様がたくさんまとわりついているのを見て、驚いて現世に逃げ帰ってきたそうです。ちなみに「蘇る」は「黄泉帰る」からきているとか・・。
神道の天国にあたるものは、天神さまが住む天上界(高天原)です。
江戸時代の国学者 本居宣長によると、とても殺風景な場所のように記述されています。
こうして見ると神道系死後の世界は、地獄だけでなく天国もあまり住みよい所ではなさそうです。 
日本の死後の世界はゴッタ煮だった
一般的な来世について、私たちに身近な4つの宗教ごとに整理してみました。しかし、イスラム教以外これらは教義というより、いろいろな思想の影響を受け、説話という形で伝播していった側面が強いようです。
例えば、幼少の私を震え上がらせた「地獄絵図」。私たちの嘘を見破り舌を抜いてしまう、恐しい閻魔(えんま)様が支配する「血の池」や「針の山」は、実は古代インドの「ヒンドゥー教」の神話から取り入れられたもののようです。また、閻魔さまの着ている服は和服やインドの民族衣装ではなく、どこから見ても中世の中国服です。
仏教にこうした「ヒンドゥー教」や「バラモン教」といった古代インドの来世思想や、儒教や、陰陽師で有名な道教の影響をも垣間見ることが出来るのは、仏教がインドで生まれ、中国を経て日本へ伝わる途中で、こうした宗教の影響を受けながら、地獄、極楽のイメージが少しずつ形を変えていったものと思われます。
更に日本人は、仏教、神道、お地蔵様などの民間信仰や迷信をもゴチャ混ぜにして取り込んでいるようです。
事実、私の実家には昔から当たり前のように神棚と仏壇が置かれていました。二つの宗教が同じ屋根の下で同居するというこの奇妙な常識は、キリスト教やイスラム教、ましてやユダヤ教では決して考えられない事です。一神教の信者にとって他の神を崇めることや偶像崇拝は、泥棒や詐欺より悪い死刑にも値する大きな罪なのです。
日本人の宗教観の特異性がこの辺にあるように、日本人の死後の世界に対する考え方も、色々な宗教のゴッタ煮といえるかもしれません。日本人の宗教観は節操がないのか、懐が深いのかのは個々意見の違うところでしょうが・・
そしてもう少し詳しく調べてみると驚くべき事が分かりました。なんと天国と地獄がある宗教はイスラム教だけだったのです。 
 
キリスト教の死後の世界 9

 

史上最大の宗教「キリスト教」。その信者は18億人といわれ、キリスト教の聖典である聖書は世界最高のベストセラーです。
その聖書に「天国」「地獄」という来世は書かれていません。そこに書かれているのは、天国と地獄ではなく、「神の国」と「永遠の死」でした。
更に驚くべき事に、ここは死んだ人間の行く所ではないのです。
新約聖書によると、人類終末の日、有名な「最後の審判」が行なわれるそうです。
この時、神が死んだ人間を生きている時の肉体に戻してくれます。そして生きている人間と同じく、この審判に臨むのだそうです。
魂はあくまでもその時が来るまでの仮の姿、つまりキリスト教では、「人間の死」は、神に裁かれる時を待つ間の仮の姿なのだという解釈がなされています。
最後の審判の時、イエスも生身の肉体でこの世に帰って来て(Second Advent:再臨するというそうです)地上に「神の国」が到来します。
天上にあるのではなく、この世が神の国になるというところがキリスト教のポイントと思われます。
しかし、最後の審判というくらいですから、神の国に入れる人間と、入れない人間が識別されることになります。神の国に入った人は、神から永遠の命を与えられるそうです。
「だから死ぬことはちっとも怖くないんだよ」と教えているのがキリスト教なのかもしれません。
しかし神の国が具体的にどんな国なのかは一切書かれていません。また、最後の審判がいつ来るのかも曖昧です。
一方有罪を宣告された人は、神の国から追放され、永遠の死という罰を与えられるそうです。
キリスト教には更に驚くべき考え方があります。
神の国に入れる人間と、入れない人間は、生まれる前からすでに決まっているのです。 
キリスト教の根本理論
キリスト教には「人の運命はあらかじめ神に決められている」という考え方があり、これを「予定説」といいます。人間がいつ生まれ、いつ死ぬか、人生の全てを神があらかじめ予定しているというのです。これは考え方というより、むしろキリスト教の根本理論と言って差し支えないかもしれません。
「神に救われし者は神によってあらかじめ定められし者」
聖書は「最後の審判」で、救済され神の国に残る人と、救済されず永遠の死が訪れる人は、あらかじめ神が決めてあり、必ずその通りになると教えます。
なんとも理不尽で不公平な・・と感じるのは私だけでしょうか?
これはある意味、「どんなに一生懸命勉強したって大学には入れませんよ。だって入学する人は、君達が生まれる前から決めていました」「いくら健康に気を使ったって無駄です。病気になる人はもう決めてあるから」という事です。
宗教的素養がない私には、とても意地悪な神様に思えてなりません。
イエスは新約聖書で「自分の命のことで思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばす事ができようか。何を食べようか、何を飲もうか、また自分の体のことで何を着ようか、思い悩むな」と述べています。
いくら悩んでも、人間には未来を変える力などない。神が全て面倒を見てくれるのだから、余計なことは考えず、神の意思のままに行動しなさいというのがキリスト教です。
出世したのも、幸せになったのも、神がそう仕組んであったから。だから地獄行きが予定されている人は、そもそも良い事などできるはずがないし、神に対する信仰心など決して起きるはずがない。という解釈が成り立つようです。
しかし、キリスト教には、天国に行けない人たちが、この世の罪を浄化し、天国へ行くチャンスを与えられる「煉獄(れんごく)」があったはず。
間違いなく地獄行きのキップを首からぶら下げているであろう私にも一縷の望みがありました。 
煉獄(れんごく)はどこにある?
結論から先に言うと「煉獄」は存在しませんでした・・・聖書に書かれてないのです。
頑なに聖書だけを教義にするプロテスタントが、聖書に書かれていない煉獄を認めないことから明らかなように、煉獄という概念はイエスの教えではありません。多くの人が誤解していたのです。しかしローマ・カトリック教会は、この世の罪を煉獄で浄化すると天国へ行くことが出来るという考えを教義としています。
人間の心理を考えると、誰しも地獄に落とされるのは嫌です。喜んで地獄へ行きたいと思う人は多分いないでしょう。しかし大半の人が、いきなり天国に入れるほど誠実に人生を生きているという自信もない・・カトリックは、その人情の機微に触れたのです。確かにこう教えるほうが信者は増えるでしょう。カトリックの指導者は頭が良いですね。
キリスト教に「天国」「地獄」「煉獄」があるというイメージは、ダンテが文学作品として書いた「神曲」の影響が大きいようです。聖書だけに固執せず、時には妥協し有益なものを受け入れる柔軟性を持ったカトリックと、あくまで伝統を守ろうとするとプロテスタント。同じキリスト教でも指導者の考え方により、天国、地獄、の解釈は違うのです。面白いですね♪
余談になりますが、旧約聖書に書かれている、神が人間を作ったという説は、ダーウィンの進化論で否定されました。しかし敬けんなクリスチャンだったダーウィンは「私は神の国に行けないかもしれない」と真剣に悩んでいたそうです。自分の学説に揺るぎない自信を持ちながら、神への畏敬の念も持っていたダーゥインに、キリスト教が欧米の人々の心の奥底に、深く深く関わっていることを改めて感じます。 
 
死後の世界 10 / 仏教とキリスト教の来世観の比較

 

序 
日本は仏教国の一つだと言われる。また神道の国だとも言われる。あるいは神仏混淆の国でもある。それ以外に、和漢混在、和洋折衷の国であり、和魂洋才の国でもある。そのように宗教的・思想的には割に大ざっぱであり、曖昧であり、日和見的であるが、こと祖先崇拝にかんしては、古来の伝統的意識を受け継いでおり、死者の霊を丁重にあの世に送る。
人間は死んだ後どうなるか。正確な統計はないが、筆者の尋ね聞いた範囲で推測すると、死後は生きてあの世で暮らすという人が三分の一、死んだらすべてが終りで無になるという人が三分の一、残りの三分の一が半信半疑の不可知論者ではなかろうか。キリスト教の来世観、天国と地獄の存在は、キリスト教人口が少ない事実と、それが非科学的印象を与えるため、日本人全体に大きな影響を与えてはいない。仏教は現在、葬式宗教といわれながら、本来は霊魂の不滅を謳っていないため、西欧古代の哲学で擁護されたような論証がない。死霊の存続は民族信仰に属するもので、呪術的要素が強い。
それにもかかわらず、「死」のテーマは古今東西、人々の関心を買う。死のない生はないし、生のない死もない。現代の日本のように老齢化社会になってくると、死と対面して生きている人の層も必然的に殖えてくる。また「末期は自宅で」というケ−スが増せば、死との対面は家族全体にも及んでくる。これは死者を見送る家族、とくに子供たちにとって、死への関心を引き起こす絶好のチャンスになる。
世界は狭くなってきているというが、日本人はまだアジアの国々の一般庶民に十分眼を注いでいない。世界人口は60億を突破し、日本はその中で50分の一以下の人口しかないが、テレビのドキュメンタリ−で見ることはあっても、世界の国々がどのような宗教的意識で日常を送っているかにあまり関心がない。
隣国の韓国では、現大統領を初めとし40パ−セントがキリスト教徒で、軍隊には従軍牧師が配属されている。大陸の中国はいまだに共産圏にありながら、日本の10倍のキリスト教徒がいて、日曜のミサには民衆が会堂にあふれる。1  フィリピンは99パ−セントがカトリックで、日本人シスタ−たちも多く働いている。チベットは大乗仏教のいわゆるラマ教の国である。ラサ修道院の影響力は甚大で、その山岳地には地球の秘境と言われる仏教的宗主国がある。ミヤンマ−、タイ、スリランカには、民衆の心に上座仏教の伝統と儀礼が根強く残り、日常を動かしている。その他カンボジア、ラオス、ベトナム、マレ−シア、インドネシアなど、ヒンズ−とイスラムの混在地に仏教徒が散在する。インドはヒンズ−教徒、パキスタンはイスラム教徒の国で、南太平洋の島々は、英米蘭各国の影響でキリスト教徒が多い。
人間には生死がある以上、宗教が存在し、宗教があるところには死後の世界への信仰がある。ここでは世界宗教といわれる仏教とキリスト教の来世観を取り上げてみる。地球人類の宗教分布からみると、仏教はキリスト教の6分の1に過ぎないが、国内の宗教分布ではキリスト教は仏教の100 分の1しかない。2  それにもかかわらず、西欧の文明が日本に与えた影響が甚大であるなら、その背後にある精神的伝統が影響力をもたないはずはない。つまりキリスト教の来世観は一顧に値するものである。
さて、この小論文では、最初仏教とくにゴ−ダマ・ブッダの来世観を一瞥し、その後、キリスト教の来世観を眺め、そのあと両者を比較し、最後に私論として、全人類にとって、どのような未来像をもつべきかを検討してみたい。 
第1章 仏教とその来世観

 

1.ゴ−ダマ・ブッダの生涯と教え
ブッダの教えには、バラモンの宗教的流れが色濃くでている。それは「業と解脱」の思想である。3  生への執着が苦の原因であるとすると、この執着を断つことによって、執着から生まれる苦の克服が可能になる。解脱とか涅槃はそれで、みずから執着から解放され自由になることであり、それこそあらゆる修行の目的になる。
このような小論では膨大な仏教論は展開できない。ただエッセンスだけでも取り上げてみるなら、ブッダの教えこそ仏教の原点であるから、原始仏典を掘り起こすしかない。そしてブッダの一生とその教えに焦点を絞らねばなるまい。ブッダには自筆の著書がない。教えは弟子たちの口伝を記録したものかその再録である。当時のブッダの日常語はマガタ国の言語であったらしいが、その記録は存在しない。西暦紀元前3世紀のアショカ王の時代、王が伝道のため仏典をたずさえ南方に流布させたもの、つまりはパ−リ語原典が最古のものとして残っている。4  後代のサンスクリット原典や漢訳原典より、このパ−リ語原典を優先させたほうが、ブッダの口ずからの言葉としては信憑性が高いはずである。したがって、大乗仏教の漢訳仏典や、日本での仏教諸派の教えはさておいて、上座仏教のほうに焦点をあててみる。
ブッダ自身は書物を読んで学び悟ったのでなく、自らの修行つまり体ですべてを学んだ。したがってわれわれが日頃学ぶ姿勢とは非常に趣を異にする。苦しみ、悩み、行じ、瞑想した結果生まれた悟りである。それは雪積のヒマラヤ登山に命をかけて挑戦した登山家と、地図を見、写真帳を眺めて、登山を追体験しようという虫のいい登山愛好家とのあいだの違いになる。ブッダの悟りについては、その一片も味わうことは出来ないかも知れないが、それにもかかわらず、追体験らしいものに少しでも接近して、心の糧に供することは出来るのではないか。 
2.四聖諦と八正道について
ダンマパダの中でブッダが次のように言っている。「もろもろの道のうちでは〈八つの部分よりなる正しい道〉が最もすぐれている。もろもろの真理のうちでは〈四つの句〉(=四諦)が最もすぐれている。もろもろの徳のうちでは〈情欲を離れること〉が最もすぐれている。人々のうちでは〈眼ある人〉(=ブッダ)が最もすぐれている」と。5  したがって、八正道と四聖諦から仏道を眺めてみる。聖諦とは次の四つである。苦聖諦(人生は苦である)、苦集聖諦(その苦を引き起こす原因をつきとめる必要がある)、苦滅聖諦(その原因を消滅させなくてはならない)、苦滅道聖諦(その原因を消滅させるため、適当な方法をとらねばならない)。6
ここでブッダが指摘する苦は、戦争、飢餓、貧困、疾病、差別、犯罪、思想的混迷のようなものではなかった。かれの日常はむしろ現世的には幸福に囲まれていた。領主の長男として生まれ、衣食住に事欠くことはなく、快楽、名誉、財産はすべてその手中にあった。それにもかかわらず、若年のブッダは、生・病・老・死を一連の「苦」として実感した。かれの生来の鋭敏な感受性が、日常の些細な出来事に、苦を実感させたのであろう。畑の虫を啄む鳥を見、その鳥を空中で襲う猛禽を見て、恐怖におののいたとある。宮廷の門前を行く病人、老人、死人の姿は、凡人の想像を絶する恐怖感をブッダに与えたに違いない。7  中国の古事に「歓楽極まりて、哀情多し」(漢武帝秋風の辞)というのがあるが、かれの日常が歓楽に満ちたものであれば、それだけ哀愁も深くなる。結婚して一子をもうけながら29歳で出家したのを見ても、当時のバラモン的習慣から見て早熟だったことは間違いない。子供の成長をみとどけ、家族の生活の安定を確かめたあと、出家するのが当時の習慣であった。8
ブッダの6年間の修行には、当初極端な断食が含まれていた。ブッダはそのような荒行を反省中止し、体調をととのえて禅定にはいり、やがて悟りを得ることになる。それはブッダガヤ−での悟りであり、解脱であり、涅槃入りである。9  その体験がブッダの全生涯の指針、卓越した説法の源泉になっている。ただその悟りがどのようなものだったか、凡人が百万言を費やしても表現できまい。ましてや修行によって追体験を試みるでもない俗人の伺い知るところではない。ただすべての執着が苦を生むものであるから、その執着の根元を断ち切らねばならないという論法は、ある程度納得のいくものである。執着というと、肉親妻子への愛、異性への愛、美食、美味への愛、華美享楽への愛、財産名誉への愛、現世的権力への愛がある。それを全部断ち切るということは、勇気と英断と不断の戦いがある。それを戦いとるための方法を八つ示している。それを八正道という。「正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定」である。10
おそらくブッダ自身がこれを口にすれば、教えること多く、学ぶことも多いはずであろう。筆者としては仏道に精進した経験がない。ただカトリックの修道会に6年間在籍していた関係上、以上のような修行について、私見を述べることを許していただきたい。 「正見」つまり正しく見るとは、肉眼で見るより、霊の眼で見ることを意味する。心の眼で見る。凡人には偏見、邪推、曲解、こじつけ、誇張が多い。「ある」ものを「ある」と見、「ない」ものは「ない」と見るのが正見であろう。「正思」は思情でなく思考のこと、正しく考えること、正しく推理し、判断することではないか。欲情に左右されず、偏見をもたず、私欲に引っ張られず、依怙贔屓せず、推理判断に中庸と客観性をもたせ、普遍妥当的なものを求める。正しい思考が正しい判断につながる。「正語」は言葉において誤りがないことで、これは人間として成熟している証拠になる。嘘、誇張、デマ、陰口、噂話は口にしない。誤った思いを言語に放出すると、一人歩きすることが多い。また言語化は考えの習性化につながる。言葉をつつしむことは、行いを慎む第一歩である。「正業」は、日常の起居動作を正しくする。これは人間改革にも匹敵する大業である。凡人は無批判的に常識にしたがって行うが、修行者はつねに自分を顧み、反省しながら、過ちのない生活態度を送ろうとする。「正命」以降の四つは出家者が志すところであろう。生活そのものを仏道化すること。日常の起居動作すべてが悟りと解脱、涅槃に向かって集中化する。「正精進」は中道を守る。極端に走らない。ミエ、キコエ、風評、噂に左右されないで、自分の与えられた道に精進する。努力を怠らないこと。「正念」は悟りにいたる心構えであろう。つまりいつも禅定に入れる態勢をつくっておくこと。精神の安定と集中、落ち着きと安らぎを得るようにする。「正定」正しく禅定にはいる。呼吸をととのえ、体勢を調節し、半眼にして思念を押さえる。もろもろのサンスカーラ無常であるからこそ、あれやこれやと思念をもて遊ぶ誘惑を脱して、みずからの存在の奥にある「空」と「無常」に気づく必要がある。これで悟りに入る準備はできたといえよう。 
3.ゴ−ダマ・ブッダの来世観
有名な毒矢の例えにもあるが、ブッダは形而上学的な議論は避けた。11 世界の存続にあたり、時間や空間は有限か無限か、生命と肉体は一体か分離するか、人は死後、存続するかしないかなどに応えることを拒否した。毒矢が当たって半死半生の人を前にして、矢の飛んで来た方向を尋ね、さらに矢の種類や色や形、毒の種類や効力など調べてから抜くであろうか、そのようなことはしない。すぐ抜かねば死んでしまう。それと同様、仏道に精進する者は、形而上学的議論に耽ってはならない。つまりすぐ毒矢を抜いて執着から離れないと、議論しているあいだに死んでしまう。
ここにある種の英知が込められているのを薄々感じることができる。思考し、推理し、議論を重ねることで、解決にいたるものもあるが、そのような思考、推理、議論の対象にならないものがある。それが死後の生命であり、あの世の存在、場所、期間などである。ちょうど海の魚が陸地の生活を夢見て、想像するのに似ている。陸地には呼吸するための十分の水があるだろうか、陸地には岩陰のように休めるところがあるかなど、およそ見当違いの発想で考える。それと同様、現在地上に生きている人間にとって、死後の世界の場所や期間を想像することも不可能に近い。ブッダはそれに応えなかった。
ただ地獄はどのくらいの広さでどこにあり、極楽はどのくらいの広さでどこにあるかなど後代の仏典にある。大乗仏教では須弥山の宇宙観があるが、これがブッダの口から出たものであろうか。12
仏典に研究者にとって厄介なことは、原始仏典にはブッダの遊行や説法の年代がまったく不明確なことである。13 いつごろ、どこでという記録がない。当時の世界観では、教えが重要なので、時代や場所はほとんど無視されている。時代を超越した何ものかによって支配されていたと考える以外にはない。これは極めて感覚的具体的にものごとを考える日本人には理解できない発想である。ネパ−ルやインドの人が抽象的で哲学的に考えるのと、はっきりしたコントラストがある。
ブッダが来世を信じなかったわけではない。輪廻を信じていたし、地獄や天人の世界、涅槃の世界、極楽浄土を信じていたが、それを宇宙のある特定の場所や時間の経過とともに存続する来世としては捕らえていなかったのではないか。形而上学的議論を避けたのは、そのように時空の制約をもつ来世観から、弟子たちを解放したかったからではないか。ブッダの最期を読んでも、それが感じられる。かれは来世に旅立つとか、あの世で待っているとか、阿弥陀如来が迎えに来るなどについては、何一つ口にしない。ただ今現在の生活で精一杯努力するように勧める。その点、『往生要集』を記した源信の生き方と対比できるのではないか。14
あの世があるかないか、あればどのような様子か、自分は極楽の往生できるか、輪廻転生でこの世にもどってくるか。あるいは修羅、餓鬼、地獄の鬼に化生するかなどについて、もしわれわれ凡人が考えるとしたら、おそらくはブッダの教えから逸脱しているのかも知れない。ブッダという人は、長距離のマラソン・ランナ−のようにひたすら走った。途中で脱落する可能性は考慮しなかった。ただひたすら解脱に向かって死ぬまでは走り続け、走りつつ息絶えた。かれの目標はダルマに生きる以外にはなかった。愛弟子のア−ナンダが「師の亡き後、だれに頼って生きていけばいいのですか」と尋ねたところ、ブッダは、「理法(ダルマ)に従って生きなさい」と、それ以上のことも、それ以下のことも言っていない。15 つまりは人間に頼って生きるのではないのである。
仏教の来世観を述べるとしたら、これが一番難しいところである。ブッダにとっては、天界も地獄も、あるいは極楽浄土さえ、修行それ自身に比べれば価値は劣る。修行がすべてとばかり涅槃に入ったあとですら浄土で修行は続くのである。16 これを筆者なりに解釈すると、ブッダという人は、報われるために修行したのではなかった。報いが目的化するなら修行は手段化する。それは修行の価値を貶めることになる。例えていえば、親に孝養を尽くす人間がいて、その孝養が純粋であればあるほど、報われるために孝養を尽くすのでなく、親の幸福を唯一の目標にする。親の幸福には際限がないから、もう終わりということはない。ある程度の幸福を達成させたあと、今度は自分が報われる番だとも思わない。理法に従って生きたゴ−ダマ・ブッダも、それに似ている。理法を尊び、その遵守を熱願すれば、それだけが目的になる。だから日夜営々として目標にむかって歩くのみが生きることなのである。
もしゴ−ダマ・ブッダが偉大なる宗教者であるとするなら、このような姿を最期まで保ったのではないかと推測する。仏典の中には、後代に記した著者の誇張や思い入れが混入しているため、ブッダの偉大さを不必要に減少させてしまう。大乗涅槃経の最初にあるが、ブッダの最期のとき、「数十万の弟子に囲まれ、眉間の白毫から光を放ち、その光が宇宙に存在する無限の仏国土すべてを照らしだした」といった記述には、さほどの信憑性を持てない。17 しかし旅の疲れで横になり、ア−ナンダに向かって、渇きを訴え、水を所望する声には、修行者としての滲み出るような真摯さを感じさせる。18 これは筆者だけの思い入れであろうか。 
第2章 キリスト教とその来世観

 

1.神と来世
キリスト教の来世観の特徴とその根拠を尋ねてみるとき、われわれは必然的に、神の存在への信仰に逢着する。旧約聖書の神は、生ける神であって、死者の神ではないとキリストは言われる(マタイ22・32)。モ−セがイスラエルの民を率いてエジプトを脱するとき、「民があなたの名前を尋ねたとき、どう応えたらよいでしょうか」と問うたとき、「わたしはありてある者である」との応えがあった(出エジプト3・14)。これはヘブル語では、「エィエ・アシェル・エィエ」と言うが、わたしは存在を引き起こす力のある者という意味がある。それは全知全能の創造神で、他に類のない唯一の神であるという意味になる。新約時代には、その唯一の神がイエス・キリストによって一層鮮明になる。それは父なる神であって、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、愛さなくてはならない神である(申命6・5)。そしてその神がおん子であるご自分を遣わしたとイエスは宣言する(ヨハネ17・3、8、18-25)。
キリスト教徒にとって来世への信仰は、人が死んだら愛する父のみ国に入れるという信仰である(マタイ13・43)。神が見えないように、死後の生命は目には見えない。イエスは再三、「わたしを信じる者は死んでも生きる」(ヨハネ11・25)、「わたしを信じる者には永遠の命がある」(同6・40)、「わたしは復活であり命である」(同11・25)と言われた。そして旧約のモ−セ以上に、創造主なる神を鮮明に描きだし、それをイスラエルの民に示した。そして最終的には、「わたしと父とは一つである」(同17・11)、「わたしを見る者は父を見る」(同14・9)と言われた。さらに「天においても地においても、いっさいの権能がわたしに与えられた」(マタイ28・18)との最終宣言もある。
以上から見ても分かるように、キリスト教信仰の最大特徴は、唯一の神への信仰であり、死後の生命への信仰である。そして神の存在と来世の存在の二つは、不即不離の関係にあり、神を信じながら、来世を信じないことはないし、来世を信じながら、神の存在を信じないこともない。両者への信仰は1本であると言ったほうがいい。
神も、死後の生命も、五感では捕えられないが、信仰に導かれた理性が納得するだけの根拠はある。それはちょうど人間の肉体は水の重力よりも軽いという物理法則を信じていれば実際に浮くし、それを信じていなければ、恐怖心から意識的に重力が増して、実際に沈むようなものである。万物の始めを引き起こした創造主が存在するとか、人間の死後に霊魂が残ると信じることは、さほど困難なことではない。むしろ神も来世もないと信じるより、いっそう理性の要請に応えるものである。カントはこれを実践理性の要請といった。19 
2. 戒律とその意味
さて、それでは神を信じ、来世を信じるなら、キリスト教徒になれるか。もちろんそれは前提になるが、キリスト教のすべてではない。キリスト教には、伝来の使徒信条というのがあり、神と来世への信仰はその一部に過ぎない。使徒信条には、「われは天地の創造主、全能の父なる神を信じ」から始まり、最後のほうで「からだの復活、永遠のいのちを信じます」とある。20 ただキリスト教は信仰箇条を信じればいいというのでなく、それに加えて自分の人生を教えに沿って整えていかねばならない。それが戒律で旧約聖書の中ではモ−セの十戒で表される。要約したものをかかげると次のようになる。
第1戒 主なる神以外のものを神にしてはならない。第2戒 偶像礼拝をしてはならない。第3戒 安息日を守りなさい。第4戒 父と母を敬いなさい。第5戒 殺してはならない。第6戒 姦淫してはならない。第7戒 盗んではならない。第8戒 偽証してはならない。第9戒 貪ってはならない。第10戒 人のものを欲しがってはならない(出エジプト20・1-17)。
イスラム教は、旧約聖書の十戒だけでなくコ−ランがあり、戒律の宗教といわれるくらい戒律が厳しい。ヒンズ−教にも仏教にも戒律がある。上座仏教の国では、男子の比丘には227、女子の比丘尼には227 の戒律があるという。21 世界の諸宗教の中で戒律のない宗教は後進地域の土着信仰を除けば、神道くらいかも知れない。アジアの民族についての統計一覧によると、アジア諸国民の中で、戒律を一番嫌う国民は日本人だというデ−タがある。22 仏教国といわれる日本で、仏教にも戒律があるのをを知っている者が何パ−セントいるであろうか。
以上の十戒にたいして、仏教には、不殺生戒、不邪淫戒、不偸盗戒、不妄語戒、不飲酒戒の五戒がある。23 十戒と重複しているのは、不殺生戒(第5戒 殺してはならない)、不邪淫戒(第6戒 姦淫してはならない)、不偸盗戒(第7戒 盗んではならない)、不妄語戒(第8戒 偽証してはならない)である。仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など世界の大宗教に共通な戒律は、殺し、姦淫、盗み、嘘の四つを四大悪として禁じていると言うことになる。
以上の四つは、宗教上の基本戒律であるだけではない。人間に生来の基本的人権があるように、人間には生来の基本的良心がある。これは人間社会が平和に生存するための必要最小限の条件なのであろう。なぜなら殺し、姦淫、盗み、嘘が横行すれば、人間社会の平和は維持できなくなる。加害者が増えれば弱肉強食さながらの世の中になり、人類は破滅する。 
3.裁きと来世と報いについて
さて、神と来世から戒律に触れたが、それは相互にどのような関係にあるのだろう。宗教に道徳的規制力があるのは、戒律にともなう勧善懲悪があるからである。神という良心と道徳の立法者が存在し、自由意志をもった人間が造られた。その自由を善用するか悪用するかで、その報いを身に受ける。したがって来世は、神と人間とのあいだの精算の場所である。善にたいしては幸福とか喜びという報いがあり、悪にたいしては不幸と苦しみという報いがある。
来世の存在の承認に問題が生じるのはこの点にある。神の裁き、良心の精算、人生の総決算などに、どう反応するか。これは来世を認めるか認めないかを決定する重大な要因になる。ただ誤解のないように申し添えたいが、神の裁きといっても、この世の検事や裁判官のように、罪をあばくのが目的ではない。むしろ来世では自分の正体を知るために起こる必然の結果が裁きである。イエスはかつて、「人を裁くな。自分も裁かれる」(マタイ7・1)と言われ、「わたしは世を裁くために来たのでなく、救うために来た」(ヨハネ3・17)、「七倍を七十倍するまで許しなさい」(マタイ18・22)と言われた。キリスト教の神は慈悲そのものであり、愛の神であるが、同時に正義の神でもある。だから悪を善とし、罪を功徳とすることは出来ない。しかし悔い改めに対する許しは絶対的で、十字架上の盗賊にたいするキリストの許しからも察せられる(ルカ23・40-43)。 
4.キリスト教と日本人
それでは信教の自由が憲法で保証され、海外からの宣教師を多く受け入れ、各地に福祉・教育事業を普及させ、社会貢献度も高く、文化交流的実績も多く積みながら、現代の日本人はなぜキリスト教を受け入れられないのか。全人口のわずか1パ−セント以下ということは120 人に一人の割合である。それには大体次のような理由を思い浮かべることができる。
1) 16世紀に初めて到来したキリスト教は、270 年にわたる迫害で、明治維新前後には完全消滅に近い状態にまでなった。その歴史の爪痕は、国民の心に深く刻まれ、日本人には合わない外来宗教というレッテルが張られている。
2) 日本人は持ち前のタテマエとホンネの二分主義、「和」礼賛、実利の重視などの価値観、それに風土的な折衷・混淆主義、主情主義、排外主義などは、西欧合理主義によって整理統合されたキリスト教の価値観とうまく噛み合わない。評論家の山本七平氏が「日本教キリスト派」と名付けたように、24 似て非なる改宗が起こったり、小説家の遠藤周作が『沈黙』の中でフェレイラに言わせているように、日本の精神的風土が沼地で、種を蒔き苗を植えてもやがては腐り、実を結ばせないことが指摘されたりしている。25
3) 殺し、姦淫、嘘、盗みが四大悪であれば、人命軽視、不倫、嘘の方便化、盗作など、日常われわれの周囲で見聞する反人道的傾向、および戒律や法の遵守意識が低調であることも、ユダヤ・キリスト教の戒律にたいする反発となる。哲学者の梅原猛氏は、『あの世と日本人』の中で、日本人はクエマラ教徒であって、食うこととセックスが人生の生きがいであるという芥川『河童』を引用している。26 これは極論であるにしても、そのような要素もあろう。
4) 明治の開国以来、欧米先進国に追いつき追い越せで、先端的な科学技術を優先し模倣によってある程度目的を達成したが、それには多くの見落としがあった。欧米の精神的風土の中核にはキリスト教があるが、それを時代遅れの遺物とする近代合理主義者の声を真に受け、底の浅い理解しか出来なかった。科学的合理主義の背後に素朴な実在論があり、その背後には5000年にわたるユダヤ・キリスト教の伝統がある。ニ−チェの超人主義も、超国家主義のナチズム、サルトルの虚無主義的実存哲学も、一過的現象に過ぎず、無神論的共産主義は70年で崩壊した。現在でもロ−マ法王が世界20億の信徒にたいして、強力な発言権をもっている事実を知る必要があろう。
21世紀の最大課題は精神的健康の回復であろう。正しい国民理念を築くには宗教は欠かせないが、かつての国家神道のようにないためにも、宗教的なアプロ−チより、教育的・学問的アプロ−チを最大限に広げるのはどうか。まずは教育者自身が理想をかかげねばなるまい。かつての米国の駐日大使ライシャワ−博士が記しているように、日本人の倫理的なバックボ−ンには、儒教とキリスト教が存在すると指摘している。27 日本のキリスト教には今日の欧米諸国のような文化的伝統はない。ということは退廃の悪弊もないということになる。だからこそ新しい形のキリスト教は受け入れやすい。第3章ではその新しい形のキリスト教から、来世観を見ていくことにする。 
第3章 来世観の比較 

 

この地球には、多種多様の民族が共存し、それに付随するかのように多種多様の宗教が存在する。そして宗教は、民族や個人の生きざまに決定的な影響を及ぼす。宗教という概念には、唯一神だけでなく、多神教や呪術などの風俗的なものまで含ませるとすれば、宗教は「神と人を結ぶもの religio」という古典的定義では足らず、むしろ「超越的なものとの関わりの中で、人が選択し実践する生きざま」と定義づけるほうが、より普遍性があるように思える。
人間には判断力と自由意志がある以上、人それぞれ自分なりの宗教を選ぶ権利がある。それは職業選択以上に重みのある生路選択であって、一筋の生きる道を選ぶことになる。一本の道を選ぶわけであるから、同時に複数の宗教を選び、それなりに忠実にその宗教を信奉していくことはできない。今ここで仏教とキリスト教を、その来世観の面で比較しようとしているが、ある意味では無謀な試みである。なぜなら宗教が道であるなら、その道を歩く本人にしか理解できない意識、体験、悟りが必ずあるからである。
人は多くの異性の中から自分の配偶を一人選びとる。そのさい人生の伴侶、道連れとなった相手との交流は、第三者には知られない経験となり、それが月日がたつにつれ蓄積昇華される。これは他者のものとは交換不可能な累積的な体験である。宗教もややそれに似ている。自分が選び取った生きる道を、他者が選び取った生きる道と比較できるだろうか。もし出来るとすれば、自分が踏み固めてきた宗教的体験をもとにして、他者の宗教的教義体系に重ね合わせ、類比的に推察するしかない。
筆者がキリスト教徒として仏教について述べ得るのはその程度だが、それは仏教徒側からキリスト教との比較を行うさいも、同様のことが言える。以上を前提に、項目ごとに相違点と類似点を列挙してみる。 
1.輪廻転生
来世観についての顕著に相違は、輪廻の有無にある。仏教には輪廻があるが、キリスト教にはない。輪廻転生を厳密にとれれば、死後本人は従来の古びた肉体から脱したあと、不可視の本体に帰り、さらに再びある男の精子に変容し、母胎に受精し、出産するという過程を指す。すると六道輪廻の中でこのような胎生過程を経るのは、人間道と畜生道だけである。死後生まれ変わるとすれば、再び人間としてか、動物としてかのいずれかになる。それ以外の天道、修羅道、餓鬼道、地獄道はみな化生であって、死後従来の古びた肉体と同じ実体を変容存続させることになる。死後天道にはいる者は天人として復活し、修羅になれば修羅として復活し、餓鬼は餓鬼として復活し、地獄には地獄者として復活する。かれらはこの自然世界にある人間や動物にはならないし、現世に戻ってこない。つまりあの世で遍歴することになる。28
したがって、人間と動物の生まれ変わりを除けば、スエデンボルグの著作にある精霊界の遍歴と大差ない。死後人はみな精霊界に入るが、第1段階を終えて、第2段階になると、みずからの本体をあからさまに外面化させる。つまり内部が外面化するわけで、善霊は容姿五体ともに内面にふさわしく美しくなり、悪霊は内部に秘めていた醜悪さを外面に表すようになる。そして前者は天界行きの準備に入り、後者は地獄の方向にみずから進んで行く。29 類は類を呼ぶわけで自然にグル−プ化される。これはこの世でも同じである。それは裁判官が仕分けるのでなく、自らが自らを裁き、自らの運命を決定する。悪霊の中には修羅のように堕落した善人がいるだろうし、餓鬼のように貪欲な者、畜生のように動物的本能で生きる者もおり、悪霊となって地獄に向かって突き進む者もいる。同時に精霊界には、再生浄化を十分果たしていない多くの善霊もいるはずである。かれらはやがて天界に行く準備をこの精霊界で果たさなくてはならない。それが天人と考えられなくもない。だから輪廻転生は、精霊界での変容としてキリスト教的に解釈することも出来る。したがって両者の相違点は、共通点にもなり得る性格をもつ。 
2.万物の実体性
仏教によると、万物は無常であり空である。ゴ−タマ・ブッダも繰り返してこれを説いた。涅槃経にあるが、ブッダ最期の言葉には、「修行者たちよ、あなたがたに告げよう。サンスカ−ラ(事象、有為)は無常である。怠ることなく、修行を完成しなさい」とある。30 キリスト教側の哲学的装備は、アリストテレスを護教的に援用したトマス・アクイナスに由来するが、存在論的な強固さは仏教の無常と対立するように見える。実体はすべて神の無限の存在からの類比 analogia entis で解釈される。存在そのものである創造者が無から創造された被造物は、有であって無ではない。
キリスト教神学を再解釈するスエデンボルグの神学は、以上の「有」にメスを入れる。「すべての善は神に由来する」、「被造物はそれ自身善でなく善の器である」「人間の生命は、神の生命の器である」、「神以外の善、存在、生命のすべては、見掛け上の善、存在、生命であって、固有のものではない」など。著作の中には繰り返し receptaculum 受け皿という用語が出る。31
仏教経典の中に見る「空 sunyata」には、やはり器的な発想がある。これは単なる「無」ではない。suには膨張するという意味があり、sunya は空虚、欠如、膨れ上がった内部の意味があるという。32 そうすれば「器」概念とは紙一重である。スエデンボルグによると、万物は見掛け上の善、存在、実体、生命であるが、本体は単なる器に過ぎない。器は単なる無でもないし有でもない。この点では仏教とキリスト教の存在論には違いが認めにくいのではないか。 
3.死後の霊肉は一体か分離か
原始仏教では霊肉の分離も霊魂の不滅もないという。死後の肉体が朽ちれば万事終わりかというと、そうではなく輪廻がある。ただ有であるとしても、それが肉体のない浮遊霊のようなものではない。キリスト教側の解釈でもスエデンボルグによると、人は死によって古びた肉体を脱して裸になっても、丸裸ではないという。自然的肉体は失せるが、霊的・実体的体を身に着けている。現世の肉体が物質的であるのにたいし、来世での体は、非物質的な霊特有の体である。33
それは時間や空間によって限定されないが、それでいてある種の時空的な表現をもって現れる。
それでは霊肉の分離を意識するのはなぜか。西欧の哲学では、プラトンの『パイドン』を始め、アリストテレスの形相と質料の関係から、霊肉二元論の伝統が根強く残っている。肉体が滅びたあとの「霊魂不滅」もそこからくる。34 人の「霊」が肉体にたいして形相であることは、霊みずからがその体を形成する形成力をもっていることで、死後の人間にも体が存在する根拠になる。質料のない形相が存在しないように、体のない霊は存在しない。
臨死体験の中で、体外離脱と自己視体験をした人が、みずからベットに横たわる過去の肉体を見ながら、すでに手足が備わっている自分を意識しているという。35
元来は霊と体は一元的なもので、分離不可能であるが、現世では朽ちる肉体を身につけているため、二元的なものとして意識するのではないだろうか。スエデンボルグによると、仏教的一元論に近い理解が可能になる。 
4.現世と来世の断絶と連続
仏教では、現世で人や動物が生まれ死ぬまでの期間を「本有」といい、死後次の世界に生まれ変わるか変容するまでの期間を「中有」または「中陰 Bardo」という。生命は消失することなく永久に存続し、本有と中有とを繰り返す。ただ死んでからすぐは、宙ぶらりんの中有状態で、十人の王によって裁かれる。チベット死者の書にある「Bardo Toedol」は、その中有の状態にある死者を無事に案内するための祈りが記されている。36 そこには断絶はないし無化消失もない。ただその中有状態では、死者は「食香」と言われるように、物質的な肉体は存在しないが、香を食べて生きる細微な姿を身に帯びているらしい。37
それにたいしキリスト教では、最古の信仰告白「使徒信条」には、「イエス・キリストは・・・死して葬られ、古聖所にくだりて三日目に死者の中よりよみがえり」とある。キリストは十字架上で息絶えたのち、その霊魂は古聖所にくだって、義人たちにあがないを告げ、三日目に復活した。ここでいう古聖所とは、旧約時代の善人たちが待機していた死者の国のことであるが、それ以外にもリンボ limbus という言葉が使われる。limbus とは「周辺」という意味で、天国に入れないまま待機させられている周辺地のことで、洗礼を受けないまま死に、天国にはいれない幼児たちの霊魂の駐在地のような意味もある。仏教で審判を受けるための宙ぶらりんの状態が中有であるなら、キリストのあがないの功徳の恩恵に浴せないで、天国に行かれない魂の駐在地がリンボということになる。38 ただスエデンボルグによると、死後肉体から脱すると同時に霊体を身に帯びるため、落ち着く場所のない宙に浮いた死者の霊魂は存在しないことになる。 
5.賞罰の永遠性
仏教の極楽浄土もキリスト教の天国も、永遠という点では同じである。しかし永遠とは何かという問いには仏教は応えない。0という数を発見したインド人は、形而上的抽象思考に優れた民族であったが、39 時空の制約を超える創造神に至らなかったためか、無限、永遠、遍在などの概念が不足している。キリスト教ではアリストテレスの力を借りて、時間空間の概念を規定し、それを超越する絶対存在を神とする。だから永遠というと無限の時間ではなく、時間を超越する、つまりは無時間になる。それにたいし、仏教の最深「阿鼻地獄」は「一中劫」続く。これは「一小劫」の20倍である。「一小劫」は、10歳から80、000歳までの間、100年毎に1歳ずつ年をとり1往復することであるから、20小劫は3億2千万年になる。これは最浅の等活地獄の1兆6億2千万年よりは短いが、40 このような矛盾をはらみながらも、地獄の期間や天人たちの天界滞在期間を数的に表そうとしたことは注目に値する。それは六道輪廻の世界にあっては、時空の制約からは永遠に解放されないことを意味する。ところが厳密な意味での「永遠」は、無限定に時間を引き伸ばすことでなく、時間を超越することにある。だからこそ極楽浄土も天国も等しく永遠であることは、偶然の一致ではすまされず、至福の完全性をほのめかすことではなかろうか。 
6.救いの条件
仏教の場合、苦しみからの救いはあるが、涅槃を救いとは言わない。また三宝(仏陀・理法・僧侶)に帰依して解脱を助ける。41 解脱は「聖四諦」にもある苦しみからの救いであるが、キリスト教は罪からの救いがあり、その結果の天国がある。原始仏教の流れをくむ上座仏教では、修行は何よりも大切な救いの条件で、読経や祈祷、善行や布施なども救いを助ける。さらに日本の浄土真宗では、「即身成仏」というほど、仏への信を浄土への往生に結び付ける。それに対照的なのは、カトリックの修道院で完徳への修行が残っているのにたいし、プロテスタントには修道という言葉さえないことである。救いは全面的にキリストのあがないのみ業を信じることに依存し、「信即救」的解釈が強くなる。
キリスト教でもスエデンボルグによる新教会の解釈はまた違っている。まず救いとは、天界に行き着くことに限定される。それ以前の準備段階は、すべて自己改革であり再生過程となる。カトリックやプロテスタントと違って、キリストによるあがないの功徳を人間に転嫁させない。42 十字架の血潮によって受動的に罪が洗い清められるとは考えず、一人一人の信仰者が悔い改め、悪を罪として避け、善を行い、さらにキリストの神人性を通して与えられる善と真理を受け入れ、天界からの流入を受ける器に化した時、初めて天界に行く資格が生まれる。罪の赦しは、教会の秘跡や祈祷や善行の転嫁によって自動的に与えられるものではなく、みずから罪から離れ、罪の傾向と戦い、罪をおかさなくなることが、罪の赦しである。43 
結 

 

人は死んだらどうなるか。これほど古く新しい問題はないし、これほど切実重大な問題はない。われわれの周囲にはかつてこの世に生を受け、何十年かを過ごしたあと、われわれの眼前からふっと姿を消した人が無数にいる。それだけでなく、このような経過を経て、死後世界に吸収されていくのは、あの人こと人だけでなく、地球人類60億の運命であり、永遠に続くであろう全人類新世代の運命である。このような宿命的な〈いのち〉の終焉問題は、他の問題には比較にならないほど小さい。
人類史に登場した宗教的先覚者の中で、キリスト教と仏教の創立者ともいわれるイエス・キリストとゴ−ダマ・ブッダは、死後2千年を経過したあとも、なお光彩を放ち、哲人、賢人、偉人を輩出させ、組織・団体を運営するインスピレ−ションを与え、無数の大衆を教化し続けてきている。本稿でわれわれは、両者の教えを概括的に比較し、さらに両者を統合できるような道についても模索してきた。
やがてはみずからが経験する死について、あらかじめの反省と吟味とを加えて比較対照したが、両宗教が全面的に肯定し、われわれみずからの良識と理性が承認する一筋の道がある。それは「悪を避け、善を行うのが人の道である」という一点にある。44
来世が存在するかどうかは、それに比較すると重要度が落ちる。なぜなら来世があるかないかにかかわらず、わたしが人であり、人は人として正しい道を歩まねばならないことは、人の心に生来刻み付けられた永遠の真理だからである。これを鋭く指摘したのはゴ−ダマ・ブッダであった。形而上学的な問題の重要性は、毎日に修行に比較すると大したことではないという意味で、かの「毒矢の例え」がある。
それに比較して考えてみると、弱さを担った人間とその求める幸福を、もっと総括的にとらえなおすには、キリストの「幸いである」の教えがより圧倒的に迫ってくる。だからキリストの教えは、「福音 euangelion 」(幸いの訪れ)なのである(マタイ5・3-10)。
悟りにはいったゴ−タマ・ブッダにとって、形而上学よりも日々の修行によって、さらなる智慧の世界にはいり、涅槃にはいることが、何よりも望ましいことであった。ブッダがこの世を去る直前にさえ、かれは「あの世に行く」とか、「あの世で待っている」とか、「あの世から迎えに来た」などいっさい口にしない。むしろ「自分の体はボロになった」「あの森は美しい」「ああ疲れた。水が飲みたい」など、ごく普通の老人のような発言が洩れてくる。45 これはなすべきことを果たしたあと、安楽と休息を求め、あとは極楽浄土で楽しみたいという意図さえ伺えない。むしろ戦い疲れながらも、なお戦意の衰えない老兵士が、戦場をトボトボ歩く姿を彷彿とさせる。ゴ−タマ・ブッダにとって、現在という今の修行に比べれば、過去も未来もさほど重要でないのではないか。
イエス・キリストは処刑されるとき、まだ33歳の若さであった。自分の弟子のユダに裏切られて、銀貨30枚で敵に渡されたときも、「ユダ、あなたは接吻でもって、人の子を売るのか」と言っただけであった。十字架にかけられながら、泣き言や呪いや自分の無罪を主張することはいっさいなかった。自分を磔刑にする者たちの罪の赦しを祈り、両側に釘付けにされていた盗賊の真ん中で、三時間の宙づりの苦しみを味わい、自分の罪業を認めた善良な盗賊には楽園を約束した。キリストには、周囲の人間の救いや幸福に比較すると、自分自身の苦しみは大したことではなかった。それほど敵をすら愛する精神が、圧倒的に光彩を放っていた。
ブッダは45年の長きにわたって徒歩伝道を行い、ガンジス側のほとりから山地や平地を経めぐって人々の教化につとめた。かれがどれほど偉大な人物であったかは、弟子たちがブッダの亡き後、長年の教えをまとめ、それが莫大な量の文書に化したことからも伺える。原始仏典は南方にもちこまれてパ−リ語聖典となり、大乗経典は中国から朝鮮、日本に、漢訳としてもちこまれ、膨大な人口の東アジアに影響を与えた。
イエス・キリストの教えは、最初の300 年の迫害にめげず、4世紀には公認されてロ−マ帝国の国教となり、その後多くの宣教師を通してヨーロッパ全土に広まった。その中でも初期のキリスト教圏で修道院運動が盛り上がったことは、キリスト教発展の大きなテコになった。そこで学問の伝統が守られただけでなく、労働、祈祷、断食、物乞いなど、初期の仏教に共通する修行の精神が、キリスト教の浄化と純化に貢献したことは言うまでもない。
仏教にしろキリスト教にしろ、人間の生きざまに直接影響を与えるという点で、本人にとって良き死の準備になることは疑えない。人に死後の〈いのち〉があるか、ないか、あればどのようなものか、輪廻はあるかないか、天国や地獄は存在するかしないか、この世での業績で死後審判を受けるかどうか、やがて死を迎えるわたしは、死後の世界で幸福になれるかどうか、このような設問を、人はかならず一度は心に描くものである。しかし死期が迫ってから考え始めるのではもう遅い。なぜなら死の意味は、生を充全に生きなければ、分からないものだからである。
さらにそれ以上に大切な設問があるのに気づかねばならない。もし死後の問題が解決されたら、その後どう生きるかという設問である。死後の問題が解決されたら送るであろう生活を、今から送り始める。これが何よりも大切なのではないだろうか。 
注 

 

1. 朝日新聞の朝刊で見たが、いつ頃か記憶にない。ただ中国に現在1千万人のクリスチャンがいても、十億の人口からすると1%に過ぎず、比率からいうと日本と大差ない。
2. D.B.バレット、『世界キリスト教百科事典』、教文舘、1989、14-5。
3. 前田専学、『ブッダを語る』、日本放送出版協会、1996年、35。
4. 前田、『ブッダを語る』、370-371 。
5. 中村元訳、『ブッダの真理のことば、感興のことば』、岩波書店、1997、48。
6. 前田、『ブッダを語る』、194-196。
7. 前田、『ブッダを語る』、88。
8. 安田治樹/大村次郎、『図説ブッダ』、河出書房新社、1996、24。 前田、『ブッダを語る』、98。
9. 高橋直道監、『NHKスペシャル−ブッダ 大いなる旅路1』、日本放送出版協会、1998、119-122 。
10. 前田、『ブッダを語る』、191-193。
11. 長尾雅人編、『バラモン教典 原始仏典−世界の名著1』、中央公論社、1987、473-478 。前田、『ブッダを語る』、214-218、中部経典428-429 。
12. ひろさちや、『仏教の世界観 地獄と極楽』、184-。石井米雄監、『NHKスペシャル−ブッダ 大いなる旅路2』、日本放送出版協会、1998、77。
13. 中村元、『ブッダ入門』、春秋社、1999、181。
14. 山折哲雄、『地獄と浄土』、春秋社、1993、107-124 。
15. 前田、『ブッダを語る』、341-342。
16. ひろさちや、『仏教の世界観 地獄と極楽』、299-。
17. 田上太秀、『ブッダ臨終の説法−完訳大般涅槃経−1』、大蔵出版、1998、38。
18. 前田、『ブッダを語る』、353。
19. 波多野精一/宮本和吉訳、『カント 実践理性批判』、岩波書店、1973。174-189。
20. ドミニコ会研究所、『カトリックの教え』、ドン・ボスコ社、1994、19-20。
21. 前田、『ブッダを語る』、304。
22. 出所は不明だが、ある国際比較辞典を参照した覚えがある。
23. 前田、『ブッダを語る』、281。
24. イザヤ・ベンダサン、『日本人とユダヤ人』、山本書店、1982、89。
25. 遠藤周作、『沈黙』、新潮文庫、1992、193。
26. 梅原猛、『あの世と日本人』、NHK出版、1996、12。
27. E.O.ライシャワ−、国弘正男訳、『ザ・ジャパニ−ズ』、文芸春秋、1989、229。
28. ひろさちや、『仏教の世界観 地獄と極楽』、20-23。
29. E.スエデンボルグ/長島達也訳、『天界と地獄 ラテン語原典訳』、アルカナ出版、1994、426。
30. 前田、『ブッダを語る』、360 。 羽矢辰夫、『ゴ−タマ・ブッダ』、春秋社、1999、214-215。
31. 例えば、E.スエデンボルグ/長島達也訳、『結婚愛 ラテン語原典訳』、アルカナ出版、1994、240 を参照。
32. 中村元他、『岩波仏教辞典』、岩波書店、1993、196。
33. スエデンボルグ、『天界と地獄』、397-398。
34. 田中美知太郎/池田美恵訳、『ソクラテスの弁明・クリト−ン・パイド−ン』、新潮文庫、1974、156-223。
35. レイモンド・A.ムーディ・Jr、/中山義之訳、『かいまみた死後の世界』、評論社、1979、63。
36. 河邑厚徳、林由香里、『NHKスペシャル チベット死者の書』、日本放送出版協会、1993年、68-86。
37. ひろさちや、『仏教の世界観 地獄と極楽』、43
38. 日本基督教協議会、『キリスト教大辞典』、教文舘、1968、1140。
39. 中村元他、『岩波仏教辞典』、岩波書店、1993、196 。
40. ひろさちや、『仏教の世界観 地獄と極楽』、113-115
41. 中村元、『ブッダ入門』、春秋社、1999、168。
42. E.スエデンボルグ/長島達也訳、『真のキリスト教下 ラテン語原典訳』、アルカナ出版、1997、413。
43. スエデンボルグ、『真のキリスト教 下』、273 。 E.スエデンボルグ/長島達也訳、『神の摂理 ラテン語原典訳』、アルカナ出版、1994、425。
44. 中村元訳、『ブッダの真理のことば、感興のことば』、36、ダンマパダ183。
45. 前田、『ブッダを語る』、340, 343, 352-3, 356。 
 
屍体と民俗 / 中山太郎

 

栃木県足利郡地方の村々では、死人があると四十九日の間を、その死人が肌に着けていた衣類を竿に掛け、水気の断えぬように水をかけるが、これを『七日晒し』と云うている。俚伝にはこの水がきれると、死人の咽喉が乾いて極楽に往けぬから、こうするのだと云うているが、元より信用することの出来ぬ浮説である。私の考えるところでは、この民俗はかつて同地方に住んでいたことのあるアイヌ族が、残して往ったウフイと云う蛮習が、こうした形で面影を留めているのだと信じたい。それではウフイとは如何なるものかと云うに、大昔のアイヌは死人があると、刃物を以て死者の肛門を抉り、そこから臓腑を抜き出し、戸外に床を設けてその上に置き、毎日婦人をして水を濺そそぎ遺骸を洗わせ、こうすること約一年を経て四肢身体が少しも腐敗せぬときは、大いに婦人を賞し衣服煙草の類を与えるが、もしこれに反して腐敗することがあると、たちまち婦人を殺して先に葬り、その後に死人を埋めるが、これをウフイと称えている。アイヌ族では棺及び葬具に、その家々の格式による彫刻を入念にするので、一年位を経ぬとこの彫刻が出来上がらぬので、屍体をこうして保存するのだと云うことである。即ち知る足利地方の七日晒しは、このウフイの蛮習が形式化されたものであることを。そしてこうした先住民族の間に行われた民俗が、今に各地に残存していることは決して珍しいものではない。その一例として次の如きものもある。

福島県平町附近の村々では、妊婦が難産のために死亡すると、その妊婦の腹を割き胎児を引き出して妊婦に抱かせて埋葬する民俗が、五六十年前まで行われていた。さらに愛媛県ではこうした場合には、胎児を妊婦と背中合せにして埋葬したと云うことである。妊婦の腹を割くことは産道が活力を失い、ここから引き出すことが出来ぬからだと聞いている。そして、こうした事はアイヌ族の間には、つい近年まで実行――勿論それは秘密ではあったろうが――されていたのである。近刊の「アイヌの足跡」と云う書によると、妊婦が産死した折には墓地において、気丈夫なる老婆が鎌を揮って死者の腹を截ち、胎児を引き出してから埋葬する。残忍なる所業は正視するに忍びぬと云う意味のことが記してある。これによって彼れを推すとき、内地の民俗がアイヌ族の残存であることが会得される。なおこの機会に言うて置くが、奥州の安達ヶ原の鬼婆とて、好んで妊婦を殺し胎児を取ったと云う伝説は、この民俗から出発していると云うことである。

石川県の富来トギ湾は同県でも有名な漁場であるが、漁場の習いとして毎年のように、漁船の幾艘かが海上で暴風雨の為めに遭難し、稀には五人七人の漁師が屍体となって浜に打ち揚げられることもある。それも遭難後四日か五日なら甲乙が直ぐ知れるが、もし十日も二十日も経過し、膚肉が腐爛しては容易に判別することが出来ぬ。殊に漁師の常として海上で働くときは、丸裸の犢鼻褌ふんどし一つであるから、持物で誰彼を知ることは困難である。それではこうした場合に、如何にしてその溺死体の甲乙を判別するかと云うに、親は子と思う屍体を、姉は弟と信ずる屍体を、妻は夫と考える屍体を、ともに自分の舌で舐めるのである。それがもし血縁あり姻縁あるものならば、舌が屍体に引ッ附くので、それを証拠としてそれぞれ屍体を引取るのだと、同地出身の文士加能作次郎から聴いたことがある。

屍体の一部を遺族の者が食う民俗は、昔から今に至るまで、多少その形式は異っているが、各地に行われているようである。琉球では大昔は死人の肉を遺族または親族が食ったものであるが、現今では人肉に代えるに豚肉を以てするようになった。しかしながらこの民俗は今に親族の親疎を言い表す語となって残っている点からも、在りし昔の事実が窺知される。即ち琉球では死人の肉を食うべき権利――であると同時にまた義務でもあった――を有する者を骨肉親族マツシシエーカと称して、その家に対して重大なる交渉を有し、これに反して死人の肉を食うことの出来ぬ者を脂肪親族ブトブトエーカと云うて、その家からはやや疎遠の地位に置かれているのである。人肉を食うか否かで親族に等級があったのである。
静岡県の沼津近在の村々、及び同県賀茂田方二郡の村落では、死人を焼いた骨を、遺族または親族の者が噛じる民俗が今に行われている。先年故人となられた皇典講究所の講師青戸波江翁の女むすめが沼津在に嫁して居られたが、不幸にも病死されたので翁も葬儀に列すると、火葬場において会葬の遺族や親族が、死んだ女の骨を噛じるのを見た翁は大いに驚き、その理由を訊ねると同時に、かくの如き所為は死者に対して失札であると詰なじると、会葬会者かいしゃの答えに、これは決して左様な失礼の意味ではなく、死なれたお方が温順で貞淑で、如何にも婦人の鏡とも云うべき為人ひととなりであったから、せめてはそれに肖アヤかるようにこうするのだと言うたと翁が語られたことがある。死人の肉を食うと云う民俗の起原は全くこれに存していて、英雄の肉(生前なれば血を飲む)を食えば英雄に、大力を有する者の肉を食えば大力持になれると云う俗信に由来しているのであって、さらにこれに親愛の意味が加わっていたのである。鳥取県の村々で昔は死人があると、それに最も縁の近い、例えば親なれば子、夫なれば妻が、一晩その屍体を擁して眠る民俗のあったのも、その名残りを留めたものと見ることが出来る。沼津辺の屍体の骨を噛じることが、古くは人肉を食うたことの形式化されたものであることは、言うまでもあるまい。

変死した者の屍体を凶霊のあるものとして、特別の取扱いをしたことは古くからの民俗である。水死や焼死や縊首や自刃やの屍体は、一般の墓地に葬ることを許さず、屍体を棺にも入れず菰にも包まず、そのままで橋の袂か道の辻に、多くは倒サカサにして埋めるのが習いとなっていた。これは橋畔や道辻なれば通行人が多いので、絶えず屍体の上を踏み固めるので、凶霊が発散することが出来ぬと云う信仰から来たのである。これが宇治の橋姫の古い信仰であり、また辻祭や辻占の俗信の起原である。それと同時に我国の各地に倒に歩く幽霊の出ると云う伝承の由来である。沖縄県の嶋々では近年まで、変死者を道の傍らに倒にして埋めたものである。
こうした俗信から導かれて、変死者の屍体を幾つかに斬り放して、各所に埋めて凶霊の発散を防いだ民俗もあった。即ち支解しかい分葬がそれである。古く鳥取部万ととりべのよろずの遺骸を、朝廷の命令で八段に斬り八ヶ所に埋めたのもその一例であり、さらに平将門の首を、腕を、脚を祀つたと云う神社が各地に在るのも、またこの俗信に由来しているのである。京都府北桑田郡周山しゅうざん村の八幡宮の縁起に、康平年中に源義家が反臣安倍貞任を誅し、屍体を卜部ウラベの勘文かんもんにより四つに斬って四ヶ所に埋めたが、それでも祟るので鎮護のために宇佐から八幡宮を勧請したのであると伝えている。これなども支解分葬の一例と見ることが出来る。

屍体の或る部分が呪力を有し、または薬剤として特に効があると考えた民俗も、かなり大昔から行われたことである。勿論これには容易に手に入れることが出来ぬと云う点に、多くの俗信が繋がれていたことも見のがす訳には往かぬが、とにかくこうした事実のあったことは疑う余地はない。例えば我国の古代において男女ともに胸間にさげていた曲玉マガタマなども、その起原は腎臓を生命の源泉としたところから、これを乾し固めてさげていると、災厄を払うと信じていたのか、後に玉を代用するに至ったもので、その形ちは元のままを残していたのである。さらに卜占ウラナイの呪術を行う者が、俗に外法頭ゲホウガシラと称する――福助のような頭をした者の髑髏を有していると、呪術が思うように行えるとて、これを所持していた話が沢山に残っている。殊にこの外法頭の所有者であった大臣が死んだ折に、それを発掘して首を斬って盗んだ者があったと正史に載せてある。今でも各地に残っている梓巫女アズサミコと云う者は、人頭が獲れなくなったので犬や狐の髑髏を持っていると云う話も伝わっている。しかしこれらが迷信であるのは言うまでもないことである。
死人の頭を黒焼にして服すると、病気に利くと云う迷信も近年まで行われていた。俗にこれを「天印テンシルシ」と云い黒焼屋で密売し、それが発覚して疑獄を起したこともある。または屍体を焼くときこれに饅頭を持たせ、屍脂の沁み込んだのを食うと治病するとて、同じく処罰された迷信家もあった。明治四十年頃のことと記憶しているが、大阪の火葬場の※(「火+慍のつくり」、第3水準1-87-59)坊おんぼうがこの種の犯罪を重ね、大騒動になったことがある。さらに極端な迷信家になると屍体を焼くとき脂をとり、飲むやからさえあったと当時の新聞に載せてあった。まだこの外に人胆じんたんを入れた売薬があるなどと云われているが、そうなると民俗でなくして全くの迷信となるので、省略する(春風秋雨亭主人談)。 
 

 

 ■戻る  ■戻る(詳細)   ■ Keyword    


出典不明 / 引用を含む文責はすべて当HPにあります。