棺桶から立ち上がる 安倍の御神

菅総理 後ろ盾

権力の旗 振る楽しさが忘れられない
棺桶から窺う 立ち上がる 
安倍の御神 蘇る (よみがえる)
 


安倍前首相諸話 2020- / 新役職(2021)国会強行閉会電通生かし辞任会見長期政権の謎菅内閣への影響力復活の日岸田派放送業界NHK課長更迭復活と反撃のノロシ下関で大学破壊・・・
近況 / 2021/42021/52021/62021/72021/82021/92021/102021/112021/12・・・2022/12022/2・・・
政権キャッチコピー史 / 201820192020・・・ 
棺の諸話 / 棺桶石棺棺1棺2棺の物語日本の火葬史棺柩の諸話昔の葬儀江戸時代の葬儀1江戸時代の葬儀2・・・御神古墳古市古墳群・・・
 
 
 
 
 

 

モリカケ 桜を見る会 忖度文化
疑惑まみれ 真っ暗闇 死人も出ました
口に封印 辞任  逃げ出しました
死んだふり

自民党 
不始末 時効は半年  
霊験あらたか 安倍の御神
 蘇る 
各派閥 議連顧問にお迎え

昔 御神のご利益
ばら撒かれる 政治資金 (税金)
順番こ 大臣の椅子

永年の独裁政権 矜持も失せる 寄合所帯政党
嘘つき御神 崇める (あがめる)
派閥拡大になるなら 何でもあり  
国民など 眼中にありません バカにし放題

復活 総選挙
 
 
 

 

●安倍前首相の新役職 6/17 now
安倍前首相 キングメーカー気取り
菅政権 安倍前首相の傀儡政権
二階俊博 「自由で開かれたインド太平洋」議連 最高顧問
二階俊博 「自治会・町内会等を応援する会」議連 名誉顧問
岸田文雄 「新たな資本主義を創る議員連盟」 最高顧問
甘利明 「半導体戦略推進議連」 最高顧問
甘利明 「未来社会を創出するバッテリー等の基盤産業振興議員連盟」 最高顧問
逢沢一郎 「日豪国会議員連盟」 最高顧問
自民党有志 「国民皆歯科検診」議連 最高顧問
 
 
 

 

●安倍首相「問題ない」連発で国会強行閉会 2020/6/18
第201通常国会は17日、野党の批判を受ける中、閉幕した。新型コロナウイルス感染の終息が見通せない中、野党は感染症対策をチェックするため、会期の大幅延長を要求したが、与党はこれを拒否。山積みとなっている疑惑や問題についての追及を避けたい思惑が透けて見え、野党議員からは「首相が逃げた!」「追及逃れだ!」などの不満の声が漏れた。
野党は、新型コロナ対策のほか、持続化給付金の委託費問題や巨額予備費問題、河井克行前法相と案里参院議員夫妻および菅原一秀前経産相の疑惑、黒川弘務前東京高検検事長の定年延長問題、桜を見る会の私物化疑惑、イージス・アショア問題など数々の追及を強める方針だった。だが、150日間の会期を経てもいずれも消化不良のまま国会は閉会。今後への代替措置的に与野党は国会の閉会中審査を週1回ペースで開催する方針で合意した。
国会閉会後、首相は官邸で「閉会中でも求められれば政府として説明責任を果たしていく」と述べた。だが「答弁回避のために閉会を強行したとの見方が強く首相の言葉は額面通りには受け取れない」と野党議員。今国会でも安倍首相は「結果として問題ない」などの答弁の連続で、透明性を示して不信感を取り除く姿勢が見えず、与党内からも不満の声が噴出していた。
安倍1強が大きく揺らぎ、自民党内では今後、ポスト安倍争いへの準備が急速に進む可能性が高い。安倍首相は岸田文雄政調会長への禅譲をもくろんでいるとされるが、ここにきて首相と対立する石破茂元幹事長と二階俊博幹事長が急接近。首相の求心力低下に敏感に反応し、早くも石破氏支援に色気を出し始めた自民党議員もいるという。
党関係者によると、今年の暮れから年明けにも解散総選挙となるとの見方もあるが、ある党幹部は「今回の解散のタイミングは難しい」と頭を抱える。8月23日には連続在職日数が歴代1位の佐藤栄作に並ぶ安倍首相。新型コロナの感染第2波に備えなければならない中、政権与党が国民を守るための議論よりも人事に奔走することになれば、さらなる批判を浴びそうだ。  
 
 
 

 

●安倍首相のコロナ対策は“電通生かし”か? 2020/8/6 
日本最大の広告代理店・電通。“殺人的な業務強度”で日本で社会問題にもなったこの会社が新型コロナウイルス感染症が流行している局面で再び世論の口の端に挙がった。安倍晋三政権が推進中の新型コロナ関連の経済対策の相当な部分が電通と関連しているという疑惑が提起されたからだ。
現在、日本政府は新型コロナ流行の余波で売り上げが急減した中小・自営業者に最大で200万円の資金を支援する、いわゆる“持続化給付金”支援事業を施行中だ。日本政府はこの事業の支援対象選定などの業務を『サービスデザイン推進協議会』という民間団体に委託したのだが、最近この団体の実態が電通の“幽霊法人”だという主張が提起され論争が起こった。
電通の職員だったAさんが2016年に設立した同協議会が経済産業省から持続化給付金事業を受注した金額は769億円。しかし協議会は749億円を支払って同事業を電通に任せ、電通は再び関連広告制作を含めた細部業務を子会社に任せて645億円を支払った。下請けおよび再下請け過程だけで事業費用の124億円が“蒸発”してしまったのだ。
電通はこれに先立って日本政府が新型コロナ関連の景気活性化のために推進中の『Go To』キャンペーンの民間事業者としても有力視されていた。しかし、“持続化給付金”関連の論争が浮上したことで結局日本政府は『Go To』キャンペーンの事業者再公募を実施しなければならなかった。
実は、電通が日本の政界、特に自民党と関係を結んできたのは昨日今日のことではない。1950年代から自民党の選挙公報戦略の樹立や広告制作などを引き受けてきたからだ。
安倍首相の昭恵夫人も過去に電通で勤務していた経歴があり、何故か2012年末の安倍首相の総理再就任後には毎年欠かさず電通出身者が内閣官房傘下の「内閣広報室」で勤務してきた。内閣広報室は首相官邸のインターネット広報などを担当する部署だ。
しかも、今年7月に開催予定だった東京オリンピックも電通が誘致準備段階から参加した結果物の1つだ。
電通専務出身の高橋治之 東京オリンピック組織委員会理事は2013年に誘致戦で誘致委員会のコンサルタントを務め、国際オリンピック委員会(ICO)関係者にデジタルカメラや腕時計などを贈り、直接“ロビー活動”を行ったことで知られている。オリンピックの日本マーケティング権とアジアマーケティング権を独占している電通は当時、“社運をかけて”東京オリンピック誘致に乗り込んできたと言われている。
しかし、予想外の新型コロナ流行で東京オリンピックが来年に1年延期されたうえ、中止になる可能性まで言われながら、最近日本では電通が“直撃打”を受けるとの見通しが出ている。
内田樹 神戸女学院大学名誉教授は6月、ウェブマガジン「ニュースソクラ」とのインタビューで「(オリンピックが中止になれば)電通が倒産するという話が聞こえる」とし、“持続化給付金”関連の疑惑も結局は電通の資金難から始まった可能性が高いとも主張した。
このような中、最近日本では連日1000人台を行き来する新型コロナの新規感染者が報告されている状況だ。1日の平均新規感染者数はすでに4月の緊急事態宣言発令当時を上回っている。
しかし、安倍首相はこの日、記者と談話する席でも新型コロナの拡散について「すぐに“緊急事態宣言”をしなければならない状況ではない」とし、防疫と景気活性化対策を並行するという立場を再度明らかにした。
安倍総理は重症患者数が4月よりも少ない上、新型コロナ患者用の病床も十分に確保しているという点をその理由に挙げたが、それよりは内田教授が指摘したように電通問題など他の“大人の事情”があるのではないかとの見方が多い。 
 
 
 

 

●安倍内閣総理大臣記者会見 2020/8/28 
猛暑が続く中、国民の皆様にはコロナウイルス対策、そして熱中症対策、ダブルの対策に万全を期していただいておりますこと、国や地方自治体から様々な要請に対して、自治体の様々な要請に対して御協力を頂いておりますことに心から感謝申し上げます。
コロナウイルス対策につきましては、今年の1月から正体不明の敵と悪戦苦闘する中、少しでも感染を抑え、極力重症化を防ぎ、そして国民の命を守るため、その時々の知見の中で最善の努力を重ねてきたつもりであります。それでも、残念ながら多くの方々が新型コロナウイルスにより命を落とされました。お亡くなりになられた方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
今この瞬間も患者の治療に全力を尽くしてくださっている医療従事者の皆様にも、重ねて御礼申し上げます。
本日、夏から秋、そして冬の到来を見据えた今後のコロナ対策を決定いたしました。この半年で多くのことが分かってきました。3密を徹底的に回避するといった予防策により、社会経済活動との両立は十分に可能であります。レムデシビルなど、症状に応じた治療法も進歩し、今、40代以下の若い世代の致死率は0.1パーセントを下回ります。他方、お亡くなりになった方の半分以上は80代以上の世代です。重症化リスクが高いのは高齢者や基礎疾患のある方々であり、一人でも多くの命を守るためには、こうした皆さんへの対策が最大の鍵となります。
冬に向けてはコロナに加え、インフルエンザなどの流行で発熱患者の増加が予想されます。医療の負担軽減のため、重症化リスクの高い方々に重点を置いた対策へ今から転換する必要があります。まずは検査能力を抜本的に拡充することです。冬までにインフルエンザとの同時検査が可能となるよう、1日20万件の検査体制を目指します。特に重症化リスクの高い方がおられる高齢者施設や病院では、地域の感染状況などを考慮し、職員の皆さんに対して定期的に一斉検査を行うようにし、高齢者や基礎疾患のある方々への集団感染を防止します。医療支援も高齢者の方々など、重症化リスクの高い皆さんに重点化する方針です。
新型コロナウイルス感染症については、感染症法上、結核やSARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)といった2類感染症以上の扱いをしてまいりました。これまでの知見を踏まえ、今後は政令改正を含め、運用を見直します。軽症者や無症状者は宿泊施設や自宅での療養を徹底し、保健所や医療機関の負担軽減を図ってまいります。コロナ患者を受け入れている医療機関、大学病院などでは大幅な減収となっており、国民のために日夜御尽力いただいているにもかかわらず、大変な経営上の御苦労をおかけしております。経営上の懸念を払拭する万全の支援を行います。インフルエンザ流行期にも十分な医療提供体制を必ず確保いたします。以上の対策について順次、予備費によって措置を行い、直ちに実行に移してまいります。
コロナ対策と並んで一時の空白も許されないのが、我が国を取り巻く厳しい安全保障環境への対応であります。北朝鮮は弾道ミサイル能力を大きく向上させています。これに対し、迎撃能力を向上させるだけで本当に国民の命と平和な暮らしを守り抜くことができるのか。一昨日の国家安全保障会議では、現下の厳しい安全保障環境を踏まえ、ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針を協議いたしました。今後速やかに与党調整に入り、その具体化を進めます。
以上、2つのことを国民の皆様に御報告させていただいた上で、私自身の健康上の問題についてお話をさせていただきたいと思います。
13年前、私の持病である潰瘍性大腸炎が悪化をし、僅か1年で突然、総理の職を辞することとなり、国民の皆様には大変な御迷惑をおかけいたしました。その後幸い新しい薬が効いて、体調は万全となり、そして国民の皆様から御支持を頂き、再び総理大臣の重責を担うこととなりました。この8年近くの間、しっかりと持病をコントロールしながら、何ら支障なく総理大臣の仕事に毎日、日々、全力投球することができました。
しかし、本年6月の定期検診で再発の兆候が見られると指摘を受けました。その後も薬を使いながら全力で職務に当たってまいりましたが、先月中頃から体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況となりました。そして、8月上旬には潰瘍性大腸炎の再発が確認されました。今後の治療として、現在の薬に加えまして更に新しい薬の投与を行うことといたしました。今週初めの再検診においては、投薬の効果があるということは確認されたものの、この投薬はある程度継続的な処方が必要であり、予断は許しません。
政治においては、最も重要なことは結果を出すことである。私は、政権発足以来、そう申し上げ、この7年8か月、結果を出すために全身全霊を傾けてまいりました。病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません。国民の皆様の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました。
総理大臣の職を辞することといたします。
現下の最大の課題であるコロナ対応に障害が生じるようなことはできる限り避けなければならない。この1か月程度、その一心でありました。悩みに悩みましたが、この足元において、7月以降の感染拡大が減少傾向へと転じたこと、そして、冬を見据えて実施すべき対応策を取りまとめることができたことから、新体制に移行するのであればこのタイミングしかないと判断いたしました。
この7年8か月、様々な課題にチャレンジしてまいりました。残された課題も残念ながら多々ありますが、同時に、様々な課題に挑戦する中で、達成できたこと、実現できたこともあります。全ては国政選挙の度に力強い信任を与えてくださった、背中を押していただいた国民の皆様のおかげであります。本当にありがとうございました。
そうした御支援を頂いたにもかかわらず、任期をあと1年、まだ1年を残し、他の様々な政策が実現途上にある中、コロナ禍の中、職を辞することとなったことについて、国民の皆様に心よりお詫(わ)びを申し上げます。
拉致問題をこの手で解決できなかったことは痛恨の極みであります。ロシアとの平和条約、また、憲法改正、志半ばで職を去ることは断腸の思いであります。しかし、いずれも自民党として国民の皆様にお約束をした政策であり、新たな強力な体制の下、更なる政策推進力を得て、実現に向けて進んでいくものと確信しております。もとより、次の総理が任命されるまでの間、最後までしっかりとその責任を果たしてまいります。そして、治療によって何とか体調を万全とし、新体制を一議員として支えてまいりたいと考えております。
国民の皆様、8年近くにわたりまして、本当にありがとうございました。 
 
 
 

 

●安倍長期政権の謎 「まさか」を繰り返したリーダーの言葉 2020/9/14
まさか再び「まさか」
小泉純一郎元首相が引用した言葉を思い出した。「人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そして『まさか』である」
8月28日、安倍晋三首相が突如、辞任を表明した。かつても「まさか」を転げ落ち、「まさか」復活し、これで3度目の「まさか」である。
1回目は、2007年9月12日に、突然、辞任を表明した。前の月に内閣を改造し、2日前に所信表明演説を行い、代表質問の当日だった。私は、首相官邸の向かいにある国会記者会館で、その執筆に追われている時で、びっくり仰天したものだ。この時も、持病である潰瘍性大腸炎が原因で、政権掌握から僅か1年で「政権放り投げ」「敵前逃亡」「ひ弱なボンボン」と批判され、「まさか」を真っ逆さまに転げ落ちた。
今回は、事前に長時間通院の場面を見せるなど予兆は見せていた。「万が一にも、(第1次政権と)同じようなことをしてはならない」と辞任表明会見で言うくらいだから、前回の「まさか」を相当意識していたのだろう。その会見では、新型コロナウイルス対策をまとめ、拡大傾向から減少傾向に転じたタイミングで判断したと説明した。
しかし、いくら憲政史上最長の政権となったとはいえ、自ら「険しく厳しい闘い」だと強調したコロナ禍の真っただ中だ。国会が始まれば、森友学園をめぐる公文書改ざんの再調査や、買収の疑いで逮捕・起訴された河井克行被告らへの1億5000万円の政治資金など、安倍自ら説明を求められる問題が山積している。
ここで辞めれば、唐突さ加減に多少の違いこそあれ、再び「放り投げ」と批判を浴びることも予想されたはずだ。「前回の二の舞いは避けるだろうから、もう少し様子を見るだろう」というのがおおよその予想だったが、あっけなく辞任を表明した。「まさか」を転げ落ちるほどではなかったにせよ、下ったことには変わりない。
歴史的人物たちに何が勝る?
「『まさか』を3回も繰り返した安倍の政権が、なぜ、あんなに長く続いたのだろうか」
50年後、100年後の人々が歴史を学ぶとき、こうした疑問を持つだろう。
2019年11月20日には通算在職日数でトップとなり、連続在職日数も今年8月24日には大叔父の佐藤栄作を抜いてトップとなった。通算在職日数のトップ5は、安倍に続き、桂太郎、佐藤栄作、伊藤博文、吉田茂だ。桂と伊藤に至っては明治の元勲である。外交官出身の吉田は、占領期にマッカーサーと対峙し独立を成し遂げた。その吉田の下で育ったエリート官僚出身の佐藤は、沖縄本土復帰を実現した。
元勲と比較しては時代背景が違い過ぎるが、吉田、佐藤も、「超」がつくほどのエリートだ。そして、吉田はもちろん、佐藤も戦争の傷跡を背負い、混乱した時代と、激しい権力闘争を迫られながらの長期政権だ。人間としての胆力、識見を兼ね備え、歴史に残る「レガシー(政治的遺産)」を有してこその結果である。
まさに「歴史上の人物」である4人を抑えて、安倍が在任期間トップになったのだ。さてさて、安倍の何が、歴史的な4人に勝っていたのか。果たして安倍は50年後、100年後の人々に「歴史上の人物」と評されているのだろうか。この歴史的な評価の目は、第2次安倍政権を7年8カ月支え、許してきた我々に対しても向けられることになる。
検証は歴史的使命
安倍政権の遺産が明るい未来にだけ結び付くならば、それに越したことはない。しかし、看過できないさまざまな問題が浮き彫りになったことも事実だ。何よりも議論が形骸化した。自民党も沈黙し、国会は口げんかの場に堕すこともしばしばだった。森友学園の問題をめぐっては財務省の役人が公文書を改ざんし、関与した幹部は栄転し、安倍による「桜を見る会」の公私混同も指摘された。
閣僚の不祥事も相変わらず頻発し、揚げ句の果てには河井前法務大臣の逮捕劇だ。安倍は、任命責任を問われるたびに謝罪し、反省し、引き続き頑張ると繰り返した。安倍政権で、「責任を取って腹を切る」という武士道の精神、日本のリーダーならではの矜持は潰えてしまった。
安倍の鉄板支持者には、「不祥事のたびごとに腹を切っていたら、腹が幾つあっても足りない。辞めればいいというものではない」と、堂々と反論する者がいる。それだけ閣僚に不祥事が多かったことを居直ってどうするのか。確かに責任の軽重はあるだろう。しかし、自らが任命した法相が逮捕されて、「引き続き頑張ります」でいいのだろうか。「引責辞任」が日本のリーダーにとって鉄の掟だったからこそ、小泉元首相は閣僚の「身体検査」を徹底した。それがリーダーとしての緊張感であり、矜持ではなかったか。
将来を担う子どもたちが見ていることにも、配慮してほしい。口先で謝罪を繰り返す大人でいいのだろうか。子どもを持つ親が、「失敗したら謝り続けろ、そのうち世間は忘れてくれる」と、教育できると思うのか。
鉄板支持者は「批判だけしても意味がない」と反論する。しかし、問題が生じても黙認し、うやむやにしてしまえば、それこそ害悪なる負の遺産だろう。成果を誇るだけではなく、腐敗や堕落、劣化を認め、そこから教訓を引き出すことができれば、問題点も実績に転ずる。教訓を得られなければ、負の遺産は、必ずや禍根を残すことになる。憲政史上最長となる政権を分析し、いかに教訓を引き出すかは、同時代を生きた我々の歴史的使命なのだ。
エネルギーは「執念」
では、安倍長期政権の第一の原動力は何か。私は、安倍の個人的な「汚名返上への執念」だったと考える。わずか1年で第1次政権を手放し、厳しい批判にさらされたことへの雪辱のエネルギーだ。
第1次政権は、親しい仲間を重要ポストに起用したことから「お友達内閣」と揶揄された。また、閣僚の不祥事と辞任が相次いだ。1年足らずで5人の閣僚が「辞任ドミノ」となった。さらに、社会保険庁の年金データに膨大な入力ミスがあることが発覚。いわゆる「宙に浮いた年金記録」の対応で安倍は窮地に立たされた。第1次政権の支持率はすぐに低迷した。
それでも2007年の通常国会終了後の記者会見では、過去最大の国債発行減額、教育基本法を改正、地域活性化のための法律9本を成立、年金財政4兆円プラスなど、つらつらと成果を強調した。そして、年金問題では、1年以内に所属先が分からない5000万件の年金記録と突き合わせを行うと、大方針を打ち出した。
しかし当時の有権者の目は厳しかった。7月29日の参議院選挙では歴史的な敗北を喫して、参議院第1党から転落したのである。
それでも安倍は「引責辞任」することなく続投した。8月27日には内閣を改造し、9月10日には臨時国会を召集。所信表明演説では、「退陣すべき、とのご意見もあるのは十分承知しています」が、「戦後レジームからの脱却がどうしても必要です」と言い、「反省」と「覚悟」をもって「引き続き改革に取り組む」「全身全霊をかけて、内閣総理大臣の職責を果たしていくことをお誓い申し上げます」「すべての拉致被害者が帰国を果たすまで、鉄の意志で取り組んでまいります」と、力を込めた。
所信表明演説はフェイク?
ところが、その2日後である。衆議院本会議で代表質問が始まる直前に、辞意を表明した。その会見で、安倍は、当時、米国などのテロ作戦を支援するテロ特措法が期限を迎えるため、「何としても継続をしていかなければならない」と述べた。そのため、野党・民主党の小沢一郎代表に党首会談を申し入れたが、「実質的に断られてしまった」と明らかにした。そして「力強く政策を前に進めていくことは困難な状況である。ここは自らけじめをつけることによって、局面を打開しなければならない」というのだ。
小沢に会談を断られたことが理由のようにも聞こえるが、そんなことで辞任するのかと理解に苦しんだ。そもそも「政策を前に進めていくことは困難な状況」であることは、参院選敗北で分かっていたことではないか。所信表明演説で続投に理解を求めておいて、急に辞めるとは全くもって意味不明だった。所信表明演説は嘘だったのかと、怒りすら感じたものだ。
その後、13日から、安倍は都内の病院に入院してしまう。そして11日後の24日に、病院で会見して、辞任の理由が体調不良であることを明らかにした。私は、その会見場で安倍の正面に座っていた。
会見場に現れた安倍の体調が悪いのは一目瞭然だった。だぶついたスーツからは、やつれた痩躯が想像できた。安倍は、弱々しい声で、辞意表明が「所信表明演説の直後という最悪のタイミングになってしまった」と謝罪した。
さらに「内閣総理大臣は在職中に自らの体調について述べるべきではないと考えておりましたので、あの日の会見ではここ1カ月の体調の変化にはあえて言及しませんでした」と説明した。つまり、辞任の本当の理由を隠蔽していたのだ。そして、「結果として国民の皆さんに私の真意が正確に伝わらず、非常に申し訳なく思う」と重ねて謝罪した。
池田勇人元首相も、がんを患い辞任した。池田は、1964年9月9日に任期中だったが、体調不良を理由に入院した。病院で執務を続け、同年10月10日には東京オリンピックの開会式に出席した。医師団から治療が長引くとの診断を受けて、東京オリンピック閉会式の翌日に辞任を表明している。
安倍も続ける意欲があったのなら、まず通院をするとか、入院して様子を見るという選択肢があったはずだ。「在職中に自らの体調について述べることはできない」という自身の考えに固執して、揚げ句の果てに、突然の辞任では、身勝手な放り投げと言われても仕方がないと思った。
安倍がこだわる「強いリーダー」であるならば、堂々とすればよい。潔く、正直に、国民に説明するというのが、本当の「強さ」というものではないのか。
そんな思いもあって、私は、こう質問した。
「一国の総理として、最大の(辞任の)要因を、やはりあの会見で表明されなかったという判断について、今、ご自身はどうお考えなのか。また、国民に対してどう思っているのか」
安倍は弱々しく、こう繰り返した。
「率直にお話をするべきだったと思います」
政治による言語の操作は「悪の芽」
結果として、安倍は、真実を語らなかったということだ。さらに、自ら発した言葉の意味に無頓着であり、責任を負わなかったということになる。所信表明演説で約束したことが、いかなる理由があるにせよ、わずか2日で反故にされてしまったのだ。つまり、安倍の言葉は軽かったということだ。私は、安倍政権が続いたとしても、言葉が愚弄され、無意味化する可能性が大きかったのではないかと推察した。
政治によって、言葉から本来の意味が奪われる「無意味化」「恣意的操作」、言葉への「責任回避」が、「悪の芽」であることは、戦争の教訓が物語っている。「全滅」が「玉砕」、「戦死」が「散華」、「撤退」が「転進」と美化され、ごまかされ、政府の責任が問われない。日本の軍国主義に限らず、究極には権力によって「平和のための戦争」「繁栄のための貧困」「自由のための隷従」と意味がすり替えられ、操作されたら最悪だ。国民の犠牲を伴う政府の失敗、権力の悪行が正当化され、許容され、黙認されてしまうことは多々ある。
もちろん、安倍の政治が、そこまで壮大な失敗につながるかどうかは分からない。しかし、「悪の芽」があるならば摘み取った方がいい。少なからず、ここに「悪い芽」があることを知らしめるべきだ。
そうこう考えているうちに、安倍の体調も癒えてきた。2007年末には、東京の高尾山を踏破した。高尾山に何度か登る際に、同行したのが、今井尚哉や長谷川栄一ら、側近たちだった。彼らと共に第1次政権を反省し、改善点と共にノートに列挙したという。一方で、言葉を反故にして半年もたたないうちに、その責任よりも、強気の虫が躍り始めた。
「マスコミが私が総理の座を『投げ出した』と報じました。結果的に所信表明直後という最悪のタイミングで辞任したわけですから、むしろ当然の批判なのかもしれません。しかし実際の私の胸中は『投げ出した』とは対極にあります」(「文芸春秋」2008年2月号)
「投げ出した」わけではないと言いだした。ここで自らが「潰瘍性大腸炎」という難病で苦しんでいたことを明らかにし、2007年8月から体調が悪化し、9月に入ってから辞任を考えていた。だから「投げ出し」ではないという主張だ。
さらに「戦後レジームからの脱却を訴え、憲法改正に向けての国民投票法案成立、教育基本法の改正、防衛庁の省昇格などを次々と成し遂げることができました」と胸を張り、「悔いはありません」と言い切った。
寛容なのか緩いのか
あれだけの混乱を招き、自民党の信頼を失墜させ、結果として政権交代を招くことになる。自民党の厳しい未来が、容易に想像できた段階で、「投げ出し」ではない、「悔いがない」と言い切る神経に、私は首を傾げた。
「病気だったんだから仕方がないじゃないか! 自分なりに一生懸命頑張ったから悔いはない」
そう居直り、駄々をこねているように私には聞こえた。しかし、大して気にもならなかった。この段階で、ほとんどの人が、安倍のリーダーとしての復活はあり得ないと思っていたし、私も、そう思っていたからだ。「負け犬の遠吠え」にしか聞こえなかった。
20世紀までの価値観のままなら、必ずそうだったと思う。しかし、時代が変わりつつあった。その変化を見詰めながら、虎視眈々と復活を狙う、安倍の執念に私は気が付かなかった。そして確実に時代は変化した。1回目の「まさか」に怒り、あきれた国民も、3回目の「まさか」には寛容だった。安倍の辞任表明後に行われた9月のNNNと読売新聞の世論調査によれば、安倍内閣の支持率は前の月から15ポイント跳ね上がって52%となった。安倍への同情なのか、ねぎらいか。ここに「緩い時代」の到来を感じるのは私だけだろうか。
 
 
 

 

●安倍前首相、そろり再始動 影響力、菅内閣でも 2020/9/29
自民党の安倍晋三前首相は28日、東京都内で開かれた出身派閥の細田派のパーティーに出席し、壇上に上がってあいさつした。歴代最長を記録した政権運営への協力に謝意を示し、今後も政治活動を続けていくことに意欲を表明。首相官邸を離れて以降、表舞台に出ていなかったが、退陣表明からちょうど1カ月がたったのに合わせて再始動した格好だ。
「一議員としてしっかり菅政権を支えながら、日本のためにこれからも頑張りたい」。安倍氏はパーティーでこう強調。「菅義偉首相に立派に後を引き継いでもらい、本当に安心している」と語った。自身の体調にも触れ、「だいぶん薬が効き、回復しつつある」と説明した。
安倍氏は先月28日、持病の潰瘍性大腸炎の再発を理由に辞任を表明した。その後、菅首相就任までの約半月は各国首脳に退陣を伝える電話会談など残りの職務に当たっていたが、16日の内閣総辞職以降は体力の回復に専念。一部メディアのインタビューに応じる程度の活動にとどめていた。
複数の関係者によると、安倍氏は従来の飲み薬に代わる新しい点滴薬の効果で「体調はほぼ回復した」。趣味のゴルフに近く出掛ける計画もあるという。
完全に復調すれば、国際的な知名度や外国首脳とのパイプを生かし、特使などとして外交面で菅政権を支える考えとみられる。細田派には当分戻らない意向というが、宿願の憲法改正を目指して保守系の議員らとの連携にも力を入れる見通しだ。
先の自民党総裁選で安倍氏は「意中の候補」を公にしなかった。だが、舞台裏では「菅氏が望ましい」と語っており、こうした意向が漏れ伝わって菅氏優位の流れが固まった。総裁として国政選挙6連勝の実績は発言力につながる。退任直前に内閣支持率が急上昇し、国民に「NO」を突き付けられながら官邸を去る形にならなかったこともあり、菅政権でも一定の影響力を発揮しそうだ。  
 
 
 

 

●十分ありうる「安倍首相大復活の日」これから何が起こるのか 2020/9
安倍首相への感謝
8月28日、安倍首相は「難病治療に専念」することなどを理由に辞任することを発表した。
第2次安倍内閣は2012年12月に発足し、8月24日には、連続在任期間が歴代最長となったばかりだった。
ほぼ8年間の任期中に、「悪夢の民主党政権」で疲弊した日本経済を立て直しただけではなく、トランプ大統領を含む各国首脳の絶大な信頼を得て「顔の無い世界大国」と揶揄されてきた日本の国際的地位向上に大いに貢献した。
逆に「クレイマー大国」とも呼べる近隣の国々に対しては、「道理を通して毅然たる態度で接し」、「恫喝すればペコペコする」という彼らの日本観を変えさせた。
残念ながら、道半ばとなってしまった世界的パンデミックへの対応も、少なくとも結果的に見れば「世界の優等生」といえるであろう(もちろん、日本人の衛生観念の高さなども大きく影響している)。
たぶん半世紀後の歴史書には「憲政史上最高の首相」として名を連ねるかもしれない。
それに対してオールドメディアを始めとする「アベノセイダ―ズ」(5月22日の記事「 安倍首相を叩く『アベノセイダーズ』が、民主主義を捨て全体主義に走る理由」参照)は、「根拠と証拠が殆ど無い疑惑」で安倍氏を首相の座から引きずり降ろそうとしたが、良識ある国民の支持は得られず結局不発に終わった。
卑劣な人格攻撃を含む数々の妨害にもめげず、日本国民の幸せを第一に考え、最後には「不眠不休」で全力投球した安倍首相の功績を讃えるとともに、国民の1人として「ありがとうございます」と申し上げたい。
さて、辞任表明から間もなく、後継総裁も確定していない段階であるが、この大宰相の復活がありえるのかどうか考えてみたい。
辞任への経緯や真意はわからない部分が多いが、第1次安倍政権の悲惨な終わり方を意識したのかもしれない。もちろん難病によるものだから致し方ないが、多くの批判も浴びた。しかし、それにもかかわらず第2次安倍政権を誕生させたことは注目すべき点だ。
今回は、余力を十分残した中での辞任であり「惜しまれながらの退場」である。難病を押して不眠不休で働き体調を崩す中で、本人がどこまで意識したのかは分からないが、来年の総裁任期まで勤めあげた場合よりも「第3次安倍政権」への可能性は高まったと思う。
連続3期9年という自民党総裁任期の縛りはリセットされゼロになったのだ……
根本的に違うのは外交手腕だ
菅、岸田、石破の3氏が自民党総裁の座を争うが、菅義偉官房長官の可能性が高いとみられている。私も、偉大なる宰相の後継者としては菅氏が妥当だと思う。
しかしながら、実のところ「NEXT安倍」がだれであっても大差は無いというのが率直な意見だ。それほどこの3名と安倍首相の力量の差は大きいと思う。
確かに内政面や経済政策についての安倍首相の実績は100点満点とはいえないであろう。2018年12月21日の記事「金利をあげれば『デフレは終わる』といえるこれだけの理由」で述べたように、黒田日銀総裁が打ち出した「超低金利政策」が最良の選択であったとは思わない。
また、「金よこせ」の大合唱の中で行われた「バラマキ」が将来のリスクであることは、5月19日の記事「『日本円は紙くずにならないのか』コロナ対策バラマキの今、考えたい」で述べた。
また、新型肺炎対策の成功は、政権の努力もあるが、根本的には4月10日の記事「新型コロナ惨劇の今だからこそ叫びたい『鎖国』と『循環型社会』万歳」で述べた、「日本人の遺伝子に刻み込まれた感染症対策としての衛生観念の高さ」によるものだと思う。
それに対して、安倍首相の外交上の素晴らしい功績は、100点満点を超える120点をつけたいくらいだ。
明治に遡っても、世界中の大国と互角に渡り合って、これだけの実績を残した首相は見当たらない。もちろん、明治期と現在では、国際社会における日本の地位には大きな違いがあることは否定できないが……
その中でも特筆すべきなのは、8月15日の記事「民主主義の危機…日本が『ファイブアイズ』に加入すべき『これだけの理由』」でも触れた「TPP11をまとめ上げ、ファイブアイズの6番目の加盟国への道筋をつけた」ことである。
米国離脱後残留した11か国を見事にまとめ上げたリーダーシップは素晴らしいし、ブリグジット後の英国や一度は離脱した米国参加の可能性も高まっている。
TPP11には、ファイブアイズ構成国でもあるカナダ・オーストラリア・ニュージーランドの3か国がすでに参加している。もし英国と米国がTPP11(名称は変わるであろうが……)に加盟すれば、安倍首相主導で出来上がった組織にファイブアイズ加盟国がそろい踏みすることになる。
歴史的にファイブアイズ加盟国とつながりの深い欧州大陸の先進国を飛び越えて、6番目の参加国として日本に声がかかるのは安倍首相の功績のおかげと言ってよいであろう。
トランプが再選されれば安倍首相を求める
11月の大統領選挙の結果が気になるところだが、トランプ大統領の地滑り的大勝利もあり得ることは、9月8日公開「なんとトランプが再選する…のか? テレビ討論で狙われるバイデンの足元」で述べたとおりだ。
バイデン氏と菅氏以外の次期首相の組み合わせは考えるだけで恐ろしいが、米国民もそれほど愚かではない。バイデン氏はテレビ討論会で馬脚を現すだろう。
9月29日から始まるトランプ氏とバイデン氏の3回のテレビ討論会は合計270分(4時間半)にもおよび、バイデン氏の「認知症(疑惑)」を隠し通すことは困難だと考えられる。
それに対して、トランプ氏は「お前は首だ!(You're fired!)」のフレーズで有名なリアリティー番組「アプレンティス」のホストを務めるなど、国民(お高く留まった自称知識人は含まれない)に人気が高いテレビ・トークの達人である。
熾烈な言葉のやりとりが全国民に向かって放映される中で、バイデン氏のこれまでのような「失言」が続けば、勝敗は明らかであろう。
そうなれば、トランプ政権が、「世界改革」のパートナーとして求めるのは安倍氏だ。
現在の病状を考えると、しばらくの間は外務大臣などの職務を全うできるとは思えないが、「元首相」や「外交特別顧問」として外交分野で再び活躍することも十分考えられる。
人間は得意分野に集中すべきだということは、2019年7月11日の記事「人工知能時代に生き残るのは、意外と「こんな上司」だった」で述べたが、安倍首相も内政の責任から解放され最も得意な外交分野に集中したほうがより良い結果を残せるかもしれない……
難病は?
現在、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を抱えた方が国会議員として活躍している。難病を抱えながらも国会議員として国民のために貢献できる可能性があるということを示した意味は大きい。
ステイーヴン・ホーキングのようにALSのハンディキャップを背負っても偉大な業績を残した人物も存在する。
幸にして、安倍首相の難病は、薬で症状を抑えることができるし、過去約8年間その状態で頑張ってきたのは事実である。
我々も、思いやりの心を持って、難病を抱えながらも頑張る政治家に声援を送るべきなのでは無いだろうか?
今回の辞任は、第1次安倍政権の最後の迎え方に対する大きな反省に基づいて決断されたはずだ。だから、実のところ無理をすればあと1年間の任期を務めあげることができたかもしれないほどの余力があったのではないかと思う。
しかし。その余力を残しながらも潔く去るという姿勢は日本人の美学に合致する。また、しばらくの間治療に専念し健康状態を回復することによって、「第3次安倍政権」の実現可能性はますます高まったように思える。
米国の大統領選挙は、1946年6月14日生まれ(74歳)のトランプ氏と、1942年11月20日生まれ(77歳)のバイデン氏との争いであるが、安倍氏は1954年9月21日生まれの65歳ではるかに若い。
難病を抱えてはいるが、安倍首相には、日本のためにこれからも働いていただきたい。
 
 
 

 

●岸田氏、安倍氏接近に活路 古賀氏、岸田派名誉会長退任へ 2020/10/6
自民党の岸田文雄前政調会長が率いる岸田派(宏池会、47人)の政治資金パーティーが5日、東京都内のホテルで開かれた。名誉会長の古賀誠元幹事長は姿を見せず、今月に入って岸田氏に役職を退く意向を伝えたという。岸田氏が先の総裁選で安倍晋三前首相や麻生太郎副総理兼財務相の支持を得られなかった要因とされる古賀氏の欠席は、岸田氏にとって活路を開くきっかけになるのか。
「次の機会に勝利することができるように政策を磨き、力を蓄え、精進したい」。岸田氏はパーティーでこう述べ、次期総裁選への意欲を改めて強調。党内の宏池会系勢力の結集を目指す「大宏池会構想」の実現に尽力する考えも明らかにした。菅義偉政権については「国の経済や社会の脆弱(ぜいじゃく)さを克服するために意欲的に取り組んでいる。宏池会としても支えていかなければならない」と語った。
ただ、先の総裁選で争った菅首相は同じ時間帯に行われた内閣記者会のグループインタビューを理由に欠席。政界引退後も岸田派内で影響力を誇示してきた古賀氏の姿もなかった。岸田氏周辺によると、岸田氏が9月下旬、国会近くの古賀氏の事務所を訪ねて招待状を手渡したが、「所用がある」と断られた。また、今月に入って古賀氏から岸田氏に、「私は退いていく」と名誉会長辞任の意向も伝えられたという。
次期総裁選をうかがう岸田氏にとって、古賀氏との距離感が焦点だった。
新政権の人事では総裁選でいち早く「菅支持」を打ち出した二階派(志帥会、47人)の優遇が目立ち、冷遇された岸田派には「今の政権が盤石なら入り込む余地はなくなる」との危機感が強い。安倍氏の出身派閥の細田派(清和政策研究会、98人)や麻生派(志公会、54人)にも人事面で不満がくすぶっているだけに、安倍氏からの支援獲得や、古賀氏と距離がある麻生氏との関係強化が岸田氏の生命線となることは明らかだ。
「岸田氏はこれまで誠実すぎた。『古賀さんとは縁を切った』といえばいい。二枚舌でも三枚舌でもあらゆる手で安倍氏らを味方にしなければだめだ」
岸田派若手がこう語るように、古賀氏の欠席や名誉会長退任の意向は、安倍氏らの協力を引き出すことを狙い、岸田、古賀両氏が示し合わせた「策」との見方もある。一方で、岸田氏が次の総裁選を見据え、古賀氏と「本気」で距離を置く決心を固めたとの話もある。岸田氏か古賀氏か、どちらにつくかで派内は二分されており、古賀氏の辞意が派内に動揺を広げる可能性は否定できない。 
 
 
 

 

●菅首相に放送業界の人々が戦々恐々とする訳 2020/10/7
新総理大臣に就任し、「日本学術会議」会員に推薦された学者6名の総理任命拒否が騒動になっている菅義偉首相。この件から筆者は、「法律を根拠」として行政改革を推進する菅首相の力強い意志のようなものを感じる。早くも携帯料金の値下げを掲げているが、このやり方を流用し放送業界にも圧を加える可能性もある。
その前にまず、安倍晋三政権が放送業界に対してどのような影響を与えたかを簡単に検証してみたい。
NHK経営委員会を利用した安倍前首相
NHKとの関係が何かと取り沙汰された安倍政権だったが、その伏線は第1次政権時代にすでに張られていた。2007年、経営委員長に富士フイルムの社長だった古森重隆氏が就任。富士フイルムをフィルム事業から脱皮させて成功した経営手腕をNHKに対して発揮した。古森氏を経営委員会に送り込んだのが安倍前首相だったと言われている。古森氏はNHKの経営計画を差し戻すなど、辣腕を振るった。
この頃までのNHK経営委員は高齢の大学教授が名誉職的に引き受ける、ある意味お飾り的存在も多かった。だが経営委員は衆参両議員の同意の元、総理大臣が任命する役職だ。安倍政権は形式的にすぎなかった任命を文字どおりに解釈し、経営委員選定に関わった。形骸的なシステムをルールどおりに運用したと言える。今回の日本学術会議の件と似ていないだろうか。
決して法的に誤ったことをしたわけではない。ただ、ルールに則れば政権がNHKに対し影響力が持てることを発見した。ちなみにNHKの監督官庁は総務省だが、安倍第1次政権での総務大臣が菅氏だ。
第2次安倍政権では1次政権で学びとった手法をさらに活用した。経営委員を選ぶのはもちろん、会長人事にも影響力を持つようになったと言われる。会長を決めるのは経営委員会なので介入可能なのだ。
いずれにしろ安倍政権は、経営委員会のシステムを通じてNHKに強い影響力を及ぼし続けた。ここでの問題の本質は、公共放送の制度自体に政治の介入を許す余地がある点だと思う。
放送業界にモヤモヤと力を及ぼそうとした安倍前首相に対し、菅首相はどうだろう。これまでにも菅氏は放送業界に強い態度を示していた。安倍首相よりよほどプラグマティック、実際的で具体的な言動だ。
2007年、フジテレビ系列で全国ネットされていた関西テレビ制作の「あるある大事典」が大問題を引き起こした。番組内で紹介した納豆の健康への好影響が、実は科学的根拠がない情報だったのだ。番組は放送打ち切りとなり関西テレビ社長が謝罪したが、事態は重く受け取られ、関西テレビの民放連除名にまで至った。
このときの総務大臣が菅氏だった。総務省は総務大臣名義で行政指導としては最も重い「警告」を行った。そして菅氏は総務大臣として、「今後も放送法違反が見られたら電波停止もありうる」と発言した。
振り返れば2016年、高市早苗氏が総務大臣としてほぼ同じことを発言して議論を巻き起こしたのだが、菅氏のこのときの発言はそこまでの議論にはならなかったように思う。放送業界として反論できる空気ではなかったからだろうか。
高市発言もそうだが、放送法を電波法と併せて解釈すると「総務大臣による放送停波」はありうる。菅氏が首相になったいま大事なのは、彼は法に則って強い発言もする政治家だという点だ。
総務大臣だった菅氏と「命令放送」
もうひとつ、2006年に菅氏が総務大臣だったときに起こった放送界との事件がある。「命令放送」についてだ。この名称がすでに物騒だが、NHKは政府の命令を受けて放送することがある、というもので、具体的にはNHKが短波ラジオ放送で行う国際放送についての話だ。
2006年時点の放送法には33条で「総務大臣はNHKに対し必要な事項を指定して国際放送を行うことを命じることができる」とされていた。政府による国際社会への日本のアピールにNHKが協力するものだ。その費用は国が持ち、それまでは「時事」「国の重要な政策」「国際問題に関する政府の見解」の3つの大枠を「命令」されるだけで、具体的な内容はNHKの自主性に任されていた。
2006年、菅氏は総務大臣として「北朝鮮による日本人拉致問題にとくに留意する」ようNHKに対し「命令」した。これに対し、新聞社やメディア研究者が強い反応を示した。「命令放送」であってもNHKの自主性が尊重されるべきであり、表現の自由が損なわれてはならない、というものだった。
にわかに巻き起こった議論に対し総務大臣だった菅氏は、国会での質問に応じて「表現の自由は大事であり、命令放送の中でも編集の内容には踏み込まない」と発言している。「命令放送」は2007年の放送法改定時に修正され「命令」が「要請」に変わり、NHKはこの要請に対し「応じるよう務める」と自主性を保つことが明文化された。
筆者は「命令放送」という制度がそもそも奇妙なものだったと感じるが、「停波可能発言」と併せて考えると、制度に則って強いことを言う菅氏の姿勢が浮き彫りになる。そして菅氏が第1次安倍政権の短い期間ではあるが総務大臣を経験していることは重要だと思う。内閣総理大臣就任早々、さっそく携帯電話の料金値下げを言い出したのも、この分野に通じているからだ。
また具体的な部分は官邸官僚に頼り切っていた安倍氏に比べると、菅首相は自ら制度を学び自ら考えて動くように見える。武田良太総務大臣は、これまでの経歴を考えるとこの分野に通じているとは言いがたく、菅総理の意向を反映する立場になるだろう。総務省の領域で菅氏が自らの考えを具現化する可能性は高い。
官邸官僚として暗躍した経産省出身者は退任しているが、そのうちのひとり、長谷川榮一内閣広報官の代わりに総務省出身の山田真貴子氏が広報官に就任した。そこには菅首相と総務省現場とのパイプ役の意味もあるかもしれない。
警戒する民放、恐れおののくNHK
民放側はこれまでの菅氏の放送業界への言動をもちろん覚えている。当然ながら警戒しているようだ。放送法などのルールを熟知し、それに則って強い態度に出ることもある。場合によっては「停波」を口にもする。そんなコワモテの政治家であることが民放にどう影響するか、戦々恐々のようだ。
とくに電波行政、民放が数十年間安い水準を認められてきた電波料を見直されたらたまったものではないだろう。民放はコロナ前から広告収入が激減しており、立て直しに躍起になっている最中だから、電波料が上がったらさらに打撃になる。ましてや電波オークションの話が出てきたら大汗かいて必死で止めることだろう。
ただ、菅首相が民放に圧を加えることで利する点があるようには見えない。菅氏のコワモテぶりは「お灸を据える」域でしかないと思う。むしろNHKのほうが懸念すべき点が多いかもしれない。例えば菅氏は総務大臣時代、「受信料値下げ」を国民の納付義務化とセットでNHKにかなり強硬に求めている。このときはプロパーで会長になった橋本元一氏が反対し、何度もやりあったという。
受信料値下げは安倍政権で高市早苗総務大臣が求めて実現しているので、いま値下げを菅氏が言い出すことはないだろう。ただ、第1次安倍政権で総務大臣としてNHK操縦法を会得していることを考えると今後は、安倍首相よりずっと巧妙に進めそうだ。われわれ国民としては、菅政権と民放・NHKの関係に目を光らせ、状況を把握する洞察力を磨きたいところだ。
そしてこの機に、公共放送なのに経営委員は政権の意のままにできるというNHKの不思議なガバナンスについて議論できる俎上ができるといい。受信料を払っているわれわれは株式会社で言えばNHKの株主。NHKは国民のものだと言える制度にしていきたいものだ。政権から、国民にとってプラスにならない圧がかかっていると感じたら、すかさず世論で対抗できるよう、その関係を注視していきたい。 
 
 
 

 

●菅義偉「おれの決意を示すためにやるんだ」 NHK課長を更迭した理由 2020/10/20
NHK改革への決意
人事権は大臣(※菅氏は当時、総務大臣)に与えられた大きな権限です。どういう人物をどういう役職に就けるか。人事によって、大臣の考えや目指す方針が組織の内外にメッセージとして伝わります。効果的に使えば、組織を引き締めて一体感を高めることができます。とりわけ官僚は「人事」に敏感で、そこから大臣の意思を鋭く察知します。
先に述べたNHK改革の際にも、私はこの改革に対する自らの決意を示すために人事権を行使しました。
受信料の義務化と同時に示した受信料の2割値下げは、NHKの抵抗が大きく、自民党内にも放送行政に深くかかわってきた議員を中心にNHKを代弁するかのような根強い反対論がありました。
総務省では、官僚と新聞社の論説委員が、法案の内容や政策の方針について意見交換する「論説懇」が開催されていました。その論説懇の席で、NHKを担当している課長が、
「大臣はそういうことをおっしゃっていますが、自民党内にはいろんな考え方の人もいますし、そう簡単ではない。どうなるかわかりません」
などと言ったそうで、参加していた知人の論説委員から、
「菅さん、大丈夫?」
と、心配する連絡が入りました。さっそく局長を呼んで調べたところ、懇談の議事録が残っていて、はっきりとその課長の発言が記載されていました。NHK改革が簡単か難しいかどうか訊かれてもいないのに、わざわざ自分から見解を述べた発言であることがわかりました。
NHK担当課長を更迭
NHK改革には、自民党の議員のなかにも反対論者がいることは、もちろん把握していました。だからこそ、省内で意思統一を図って立ち向かわなくてはなりませんでした。課長の発言は官僚の域を超えており、見過ごすことができませんでした。課長職という現場のトップがそのような意識では、改革に向けた姿勢が疑われ、組織はまとまりません。
私はすぐに動きました。
「論説委員の質問に答えるならいいが、質問もされていないのに一課長が勝手に発言するのは許せない。担当課長を代える」
すると幹部は、
「任期の途中で交代させると、マスコミに書かれ、大問題になりますよ」
「構わない。おれの決意を示すためにやるんだ。本気でNHK改革をやる、ということを示すためだ」
「課長職はそのままにして、NHK改革の担当者を上司に替えることで了解してもらえないでしょうか」
「ダメだ」
「大騒ぎになり、結果的に大臣にご迷惑をおかけしてしまいますが……」
「いいから、代えるんだ」と押し切りました。
人事権の行使はまわりから支持が得られ、納得されるものでなくては
彼らが懸念していたように、マスコミからたたかれました。ある雑誌などには、ナチスドイツでプロパガンダを一手に担った人物を引き合いに出して「安倍政権のゲッベルス」などと書きたてられました。
改革を実行するためには、更迭も辞さない。困難な課題であるからこそ、私の強い決意を内外に示す必要がありました。マスコミはこの種の話題を面白おかしく書きたてますが、それを恐れては必要な改革は実行できません。
結果として官僚の中に緊張感が生まれました。組織の意思が統一され、一丸となってNHK改革に取り組むことができたのです。
その後、私が内閣改造で総務省を去るにあたって、更迭した課長は本省に戻しました。現在も要職で活躍していて、私の事務所にも訪れてくれます。
人事権はむやみに行使するものではありませんし、感情に左右されてはなりません。更迭された当人は別にしても、まわりから支持が得られ、納得されるものでなくては、反発を招き、官僚の信頼を失うことになります。
ノンキャリアを局長に抜擢
省庁の人事は入省年次や前例をふまえて決められます。この慣例を破る人事は官僚から大きく注目されます。
中央省庁の官僚にはキャリアとノンキャリアがいて、キャリアが就く役職とノンキャリアが就く役職はそれぞれの省庁で厳密に分けられています。キャリアは課長、局長、事務次官といったピラミッドの頂点を目指して昇進していくのに対し、ノンキャリアはそこまで昇ることなく退官することが慣例となっています。
人数の上ではノンキャリアのほうが圧倒的に多く、組織を活性化するためには、ノンキャリアの人たちのやる気を引き出し、協力してもらえるようにしなくてはなりません。
私は、自民党の国会対策の仕事をしていたときに、総務省のあるノンキャリア官僚と接する機会があり、
「この人はよく頑張っているな」
と感心してみていました。仕事はよくできるし、誠実だし、人望も厚い。
「こういう人を抜擢すれば、もっと組織が活性化するのに」
ノンキャリアという理由だけで、配置を固定してしまうのはもったいないと思っていました。財務省ではノンキャリアでも能力があれば抜擢するし、たとえ組織内で目立たなくても、地道にやっている人にはそれなりに評価してポストを用意し、キャリア、ノンキャリアの壁をなくして組織で仕事をしていました。私はそれを感心してみていました。
総務大臣に就任した時、財務省のように組織力を活かせるような人事をしたいと考え、まっ先にあのノンキャリア職員が浮かんだのです。私は人事の責任者を呼び、
「ノンキャリアだけど頑張っているし、まわりの評判もいいので、地方の局長に出したい」
と命じました。
「わかりました」
すると翌日、責任者は沖縄の所長のポストを人事案として出してきて、
「ここもキャリアポストですし、本人にしてみれば3階級特進で、喜ばれると思います」
などと説明をはじめました。私は途中で、
「おれは、局長、と言ってるんだぞ」と不快感を表すと、
「失礼しました!」
責任者はすぐに退去し、新しい局長のポストを用意してきました。
官僚のやる気を引き出すための効果的なメッセージ
大臣が命じた人事ですら、慣例から大きく離れないように修正しようとする姿を目の当たりにして、官僚がいかに人事を重視しているかを再認識しました。
この人事は省内に波紋を投じ、大きな話題になったようです。ノンキャリアの人たちには、頑張って仕事をしていれば局長にだって就けるんだ、と歓迎されたそうです。一方、うかうかしておれないと、キャリアが気を引き締めることにもつながりました。
また、キャリアでも事務職と技術職にわかれ、技術職が就く最も高い役職も決まっていました。ここでも私は慣例を破り、優秀で人望も厚い技術職の人物を、旧郵政の筆頭局長、さらには事務次官級の総務審議官に就けました。彼は、前述した地デジの日本方式を南米に売り込むのに大活躍してくれました。
私は、人事を重視する官僚の習性に着目し、慣例をあえて破り、周囲から認められる人物を抜擢しました。人事は、官僚のやる気を引き出すための効果的なメッセージを省内に発する重要な手段となるのです。
日本郵政総裁をめぐる人事
私が総務大臣に就任した時点では、日本郵政公社と民営化準備会社として日本郵政株式会社が並立する状態でした。
日本郵政公社は、民営化に移行する2007年10月まで実務と民営化準備を担当し、日本郵政株式会社は、民営化後の経営戦略などを担当することになっていました。
民営化までのトップは日本郵政公社総裁の生田正治さんで、民営化後のトップは日本郵政株式会社社長の西川善文さんでした。
官僚は、情報収集能力においては抜群の能力を発揮します。生田総裁と西川社長に関する情報も、逐一、私のもとに届けられていました。その中で、気がかりだったのが、
「生田総裁と西川社長の両方から違った内容の指示が出て、どっちの意見を聞くべきか、現場に混乱が生じています」
との報告が急増したことでした。それでも私は、生田総裁の任期は3月いっぱいでしたから、その後は混乱も解消されるだろうとみていました。ところが、
「生田さんはやる気まんまんで、4月以降も続けて10月の民営化の直前まで総裁として指揮をとるつもりでいますよ」
「生田総裁は次の株式会社の人事まで決めて、それから退任するそうです」
という報告が入ってきました。そういう情報を得るにつけ、私はかつての国鉄改革を思い起こしました。民営化に向けて努力していた幹部が、それぞれ分割民営化後の会社経営に携わったことでうまく軌道に乗り、国鉄民営化が成功したのです。
「郵政民営化を仕上げるには、2頭立てではダメだ。西川さんに一本化しなければ」
と考え、人事は大臣の仕事だと決断します。
あずかった組織を活性化させ、一体感をもたせ、統率しなければならない
生田さんは、小泉前総理が起用した経緯がありましたので、まず竹中前総務相に相談し、竹中さんを通じて小泉さんに私の思いを伝えてもらって了解をいただき、西川一本化路線がスタートしました。
郵政民営化の成功が最大の目的です。そのためには、指揮系統に乱れがあってはなりません。4月に西川さんが総裁となり、10月の新会社移行後も社長となって経営の指揮をとる。それが成功へつながると考えました。
もっとも、生田さんは公社総裁として幾多の功績を残され、貢献していただいた経緯から、尊重しなくてはなりません。私はずいぶん悩み、腐心した末、ひとつのシナリオをつくりました。
3月末で任期が切れるにあたって、生田総裁のほうから今後についての相談があり、それを受けて、「ごくろうさまでした」とねぎらい、西川さんにバトンタッチする、というものです。
生田さんにお会いして了解をいただき、閣議で西川社長の総裁兼務人事が決定したのでした。ところが、生田さんはご不満であったらしく、その後、新聞紙上でご見解を述べておられました。
人事は本当に難しく、かなりの神経をつかいました。
大臣はあずかった組織を活性化させ、一体感をもたせ、統率しなければなりません。人事もそのために活用するのであって、まちがっても恣意的に利用してはなりません。 
 
 
 

 

●菅総理が青ざめる…安倍元総理の「復活と反撃のノロシ」 2020/12
安倍さん、そりゃないよ
(眠い……なんだか眠いんだ……)
このところ、最高権力者ガースーこと菅義偉総理は、疲労の極致に達している。
(尾身め……)
冬が近づき、日本でも新型コロナの感染者数が増え始めている。これに、政府の感染症対策分科会の尾身茂会長が、
「(再度の緊急事態宣言を)回避するためには今が非常に重要な時期」
「いま踏ん張らないと、もっと経済が抑制されることになってしまう」
などと、非常に強い懸念を示しているのだ。
菅はげんなりした。
(なぜもっと、忖度しないのか)
現在の菅の大目標は、コロナ対策と経済立て直しの両立である。感染爆発は困るが、かといって人の動きが止まって経済が崩壊すれば日本は立ち行かなくなる。
この難しいオペレーションを、やり遂げねば総理総裁としての自分のクビが危うい。そのため日々の言い回しにも苦労しているのに、尾身氏は菅の意向を忖度せず、コロナの危険を訴える。
菅はそれにイラついているのだという。
「尾身氏を憎んでいるかのようなレベルです。総理にしてみれば、政府の管轄下にあるオブザーバー組織に過ぎないのだから、こっちの意向に沿って発言しろ、と。
ところが尾身さんはそれを無視して危機を訴える。総理は非常に怒っていますが、下手に圧力をかければ学術会議問題の二の舞になりかねないので、怒鳴りつけるわけにもいかず、イライラが募っているのです」(官邸スタッフ)
毎日、朝からイライラし通し。そのため一日の終わりごろには疲労困憊、睡魔に襲われ、つい居眠りもしてしまう。菅が連日、瞼が重く眠そうな目をしているのには、そんな背景もあるのだ。
そんな折、さらに菅の神経を、ささくれ立たせる要因が増えた。
前総理・安倍晋三のまさかの復活劇である。
総理を辞任する直前、一時は末期がん説すら流れた体調不良の状態から、安倍は周囲が驚くような回復ぶりを見せている。
安倍の知人である政界関係者が語る。
「安倍さんは最近、すっかり元気を取り戻して、かつての政権奪取前夜を思わせるような活発ぶりですよ。各界の知識人に自ら声をかけて会合を繰り返し、その場に後輩議員も呼んで識者と引き合わせている。食事も脂っこい中華料理をぺろりと平らげるし、アルコールも普通に嗜む。絶好調と言ってもいいのでは」
安倍は11月11日、自民党の「ポストコロナの経済政策を考える議員連盟」会長に就任した。安倍応援団・山本幸三元地方創生相が率いた「アベノミクスを成功させる会」を衣替えした、安倍による、安倍のための有志議員連盟である。
「8年前に第二次安倍政権を生み出した、『チーム安倍』の再結集です。初回の会合には、大規模な金融緩和による景気対策が持論の岩田規久男元日銀副総裁が講師に呼ばれ、まさにアベノミクスの夢よ再び、という感じですね」(自民党中堅議員)
この議連には、先の総裁選で菅に大敗し、「終わった人」扱いとなっている岸田文雄前自民党政調会長も参加し、健在をアピールした。
「安倍さんをもう一度、総理にするための議連ができた!」
自民党内の「安倍ファン」は色めき立っているという。
「じょ、冗談じゃねえべ」
菅からすれば、とんでもない話である。
表向き、「菅政権を支えていく」などと言っておきながら、安倍は何をしているのか。
安倍待望論が沸き上がることは、菅不要論が広がるのと同義だ。言っていることとやっていることがあまりに裏腹、ただの梯子外しではないか。
一日に2度も「連れメシ」
「安倍は11月16日、長島昭久(衆院議員)のパーティで、『もし自分が総理だったら、(衆院解散について)非常に強い誘惑に駆られる』などと言って、解散総選挙を唆すような発言までした。
同じく、いま党内で盛んに早期解散論を唱えているのは、安倍側近の下村博文政調会長。菅からしたら、『辞めた人間が横車を押すのは止めてくれ』と言いたいだろう」(自民党ベテラン議員)
何もかもが、菅の気に障る。周りにいるのは、味方のフリをした敵ばかりではないのか。ギリギリ、イライラ……。心労が重なり、考えているうちに日は暮れる。
(眠い……)
夕方になると瞼も気分も鬱々と重くなっていく。そんな菅の唯一の拠り所となっているのは、もちろん決まり切っている。
「総力結集ゥ!!」
そう叫んで、いまだ勢いが衰えない、二階俊博幹事長と、その軍団だ。
「『総力結集』は田中角栄が遺した言葉ですが、二階さんは前以上にこの言葉を押し出していて、最近はテレビ出演した際にも言及している。二階派はまさに、この言葉を胸に刻んで自民党内の力をまとめて一つにすべく、日々邁進しているのです」(二階派中堅議員)
安倍が新議連会長として華々しく再起を宣言した翌日の11月12日、菅は二階と一日で2度も食事を共にした。
まず官邸に、二階とその最側近・林幹雄幹事長代理を迎えて昼食。夜になって虎ノ門のホテル「The Okura Tokyo」内の日本料理店「山里」に移動すると、昼と同じく二階、林に加え、「宿敵」のはずの小池百合子東京都知事も交えて2時間以上も会食をした。
「来年の五輪や、IOCバッハ会長の来日を控え、犬猿の仲と言われる菅総理と小池都知事の間を、二階幹事長が取り持ったと見られている」(全国紙政治部記者)
互いに顔も見たくないという2人を会わせて繋ぐ、二階流「総力結集」の真骨頂というところだ。
安倍が不穏な動きを見せる中、宿敵・小池と多少の和解を果たし、二階のおかげでようやく菅も肩の荷が降りて……。
「誰でも歓迎」の二階派
そんなわけがない。菅はすでに身に染みて知っている。「二階劇場」の舞台に立つことは、決してそんな、ほのぼのとしたものではないのだ。
自民党幹部がこう話す。
「二階の『総力結集』は、あくまで自分とその派閥が勝つためのスローガンだと皆が承知している。菅が政権運営に苦心しているのを横目に、せっせと派閥を拡大強化するための『落ち穂拾い』をしているのがその証拠だ」
二階は菅と会った12日、CS番組の収録で石破茂(元幹事長)に触れ、「1回や2回、挫折があっても、みんなそれを乗り越えて頂点を目指してきた。まだまだ可能性はある。頑張ってもらいたい」などと激励した。
ところが、その裏ではこんな動きがある。
「二階派では、石破派の切り崩しが水面下で始まっている。二階や幹部が動くのではなく、派閥の若手議員が石破派の若手に電話したり、勉強会名目で声をかけたりして、いわば『搦手』から攻めている。
石破派は会長の石破が辞任してしまい、所属議員は水面を漂う浮き草のようになっていて、不安を抱えている。そこに、『いつでも歓迎だぞ』と言われれば、先行き不安な議員たちはコロッと参ってしまうんだよ」(前出・自民党幹部)
二階は周囲にこう語り、せっせと宣伝させているという。
「派閥は服従するものではない。党のみんなで作るものだ。だから今の派閥のことは考えないで、いつでも(二階派に)飛び込んでくればいい」
次回選挙での落選に怯えている若手議員の一人は、「優しさに包まれる」として、二階派の居心地についてこう語る。
「私は以前、別の派閥にいたのですが、政策の相違を認めてもらえず、冷たい扱いを受けていました。なのに二階派は、『どうぞ』という感じで温かく迎えいれてくれた。議員個人の主義主張にこだわりがなく、どこか大らかなんですよ。
確かに問題はあるし、世間では寄せ集めのガラクタ集団とか、逮捕者続出の牢屋組とか言われますが、立場を変えて見れれば、包容力や寛容さに満ちていると言える。平沢勝栄(復興相)さんが入閣した際も、派閥一丸となってそれを後押ししていました。他にはない一体的な雰囲気があるのは間違いない」
党内の主流派に相手にされず、爪弾きにされた「はぐれ者」にとって、二階一味は悪魔的な魅力があるというのである。
誰でも歓迎、なんでもありがモットーなので、節操などという言葉とも無縁だ。二階派はいまや、自民党外にもその勢力を拡大しつつある。
「国民民主党の玉木(雄一郎代表)のところにも、粉をかけている。11月2日、二階は亀井静香(元金融相)を交えて、玉木と会った。
玉木はもともと、自民党や日本維新の会との連携を模索していたが、12月の党代表選で敗れる可能性があり、その場合、玉木が国民民主を離党して自民党入りし、二階派に合流する可能性が出てきた」(元民主党ベテラン議員)
二階派の勢力拡大を官邸から眺めるだけの菅が戦慄するのは、そんな二階の動きが、すでに「次」を見越したものであることを悟っているからだ。
自民党閣僚経験者がこう話す。
「二階の論理はシンプルで、『選挙に勝てる総理総裁なら誰でもいい』ということ。9月時点では菅なら選挙に勝てると思ったから担いだが、負けそうなら即座に次に乗り換えることが前提だ。
たとえば、幹事長代行に据えた野田聖子。幹事長会見の際、二階の後ろに立つ役割で、以前は稲田朋美(元防衛相)がそこにいたが、野田の役目になった。露出が多いので、次期総裁選を狙う場合にはかなり有利になる。
野田の後ろ盾が、古賀誠(元幹事長)というのもミソ。岸田派の名誉会長は退いたが、同派ではいまだ絶大な影響力がある。岸田派の切り崩しや、野田の総裁選出馬の時に、それが効いてくる」
もちろん、野田はあくまでカードの一枚に過ぎない。石破が復活するならそれでもいいし、岸田が覚醒して最前線に復帰するなら、それも構わない。誰がどう動いてどんな流れになっても、自分は上手くそこに乗る。二階はそれだけを考える。
当然、安倍が復活するなら、それもまた良し。
「安倍が新議連の会長に就任したのに対し、二階は『けっこうなことだ』と賛辞を送っている。麻生(太郎副総理兼財務相)は相変わらず、『自民党はいつから総裁より幹事長が偉くなったんだ』などと、二階一強に不平不満をぶちまけているが、安倍の復活をもっとも喜ぶのは、キングメーカーに返り咲ける麻生だ。
二階は麻生との関係が微妙でも、安倍とは特に悪くはないので何も問題ない。安倍も再び総理を目指すなら、二階の党運営の手腕に頼らざるを得ない。どこにどう転がっても、二階は損しない」(前出・自民党幹部)
菅に逆転の秘策はあるか
すっかり取り残されたのが菅だ。政権の支持率もそこそこ、学術会議問題以外は大きな失点がないような状況でも、周りは勝手に「ポスト菅」に向けて動き出している。
菅は二階に対し、側近の林らを通じての毎朝のモーニングコールも欠かさず、「忠誠」を示している。だが、当の二階の腹がいまいち読めない。
(おらの劇場はたった1回で終演なのか)
菅は考える。考えると疲れて眠くなるが、それでも考えねばならない。
そこで、ここに来て菅が秘策として放ったのが、「菅チルドレンの結成」という、どこかで見たような一手だ。
「菅総理は、『衆院選の選挙区で敗れ、2回以上連続で比例復活した議員の重複立候補は認めない』という党の規定を、今後は厳格に適用することを決めた。該当する議員は党内に25人ほどいるが、彼らは次回衆院選では、小選挙区を勝ち上がるしか道がなくなる。
25人の中には菅シンパや二階派の議員もいる。しかし、この25人の比例復活がなくなれば、当然、比例単独で当選する新人が代わりに増える。
その新人らが『菅チルドレン』となり、元の菅グループと合わせれば50人近い規模の『菅派』が誕生する。党内に基盤がないという総理の弱点が、一気に解消されることになる」(前出・自民党ベテラン議員)
現在、二階派は48人。目論見通りに運べば、菅は二階の勢力を凌駕し、二階に頼らずとも党内の他派閥と伍して戦うことができるのだ。
果たして、安倍が復権するのか。野田聖子が躍り出て、石破や岸田が息を吹き返すのか。これを菅が迎え撃ち、返り討ちにするのか―。
配役もシナリオも上々。つまるところ、二階劇場が、いよいよ盛り上がりを見せるのであった。 
 
 
 

 

●安倍前首相の地元・下関で先鋭化する「大学破壊」 2020/12/29
「桜を見る会」前夜祭をめぐる政治資金規正法違反事件について、東京地検特捜部は安倍晋三前首相から任意で事情聴取したうえで、安倍氏を不起訴とし、公設第一秘書を略式起訴した。
安倍氏はその後、衆参両院の議院運営委員会に出席し、在任中の国会答弁を「結果として事実に反する」などと謝罪したが、議員辞職を求める声は日に日に高まっている。
そんななか、全国紙ではあまり報道されていないが、渦中の安倍氏の地元・下関市(山口4区)で、また別の不可解で深刻な問題がくすぶり、火の手が上がろうとしている。
各地の大学で「学長の独裁化」が問題に
2020年10⽉18⽇、下関市から南東におよそ100キロ、同じ瀬戸内海を望む大分市の中心部で、「大分大学のガバナンスを考える市民の会」(以下、市民の会)が主催するシンポジウム「大学の権力的支配を許していいのか!」が開かれた。
基調講演者は、大学のガバナンス問題について全国を飛び回り取材を重ねているジャーナリストの田中圭太郎氏。日本各地で、天下り官僚や地方自治体幹部、弁護士らが大学経営のトップあるいは幹部ポストを占め、「改革」の名のもとに大学の私物化や教育・研究への介入支配が進んでいる現状を紹介した。
続いて登壇したのは、市民の会のメンバーでもある大分大学の⼆宮孝富名誉教授。かつて自身が教鞭をとっていた大分大で、学長が教員や学部長の人事に介入するといった「独裁化」が進んでいる現状を報告した。
大分大では2015年、医学部教授出身の北野正剛学長のもとで、学長の再任回数制限が撤廃されるとともに、学長選出の際には必ず行われていた教職員の意向投票も廃⽌された。
さらに、北野学長は2019年、経済学部の教授会が推薦した学部長候補の任命を拒否し、専決で他の教員を学部長に任命。医学部でも、審査委員会や教授会の審査を経て教授候補者に選出されていた准教授の任命を拒否し、事実上の学長直接指名によって他の人物を教授に任命している。
シンポジウムでは続いて、下関市立大学経済学部の飯塚靖教授が、同大学の設置者である下関市当局や元市役所職員らによって、教育・研究内容や教員人事が不正に歪められている現状を報告した(筆者も総合コメンテーターとして発言)。
実はいま筑波大学でも、学長の再任回数制限の撤廃と教職員意向投票の廃⽌が行われ、学長の「終身化」「独裁化」が問題化し、(悪い意味で)全国区の注目を集めつつある。そして、これらが地域限定の、属人的な問題ではないことが明らかになってきている。
大学の現状を批判した理事が突如解任
さて、上記のシンポジウム「大学の権力的支配を許していいのか!」は、(もちろん感染予防に十分留意しつつ)大分大学の教職員、元教員、現役学⽣や卒業⽣のほか、地元市民など100名ほどが集まり、活発な質疑応答も交わされて盛況のうちに閉会した。
ところが、それから10⽇ほど経って、シンポジウム関係者にショッキングなニュースが伝えられた。
下関市大の飯塚教授が、直後に開催された学校法人の理事会で、本人以外の全理事の賛成によって理事を解任されたというのだ。
飯塚教授は理事会の席上、大分のシンポジウムで下関市大の現状を批判的に報告したことについて、当日配布したレジュメのコピーを⽰されて詰問されたという。
飯塚教授は下関市大の経済学部長を務めているが、同大は経済に特化した単科大学(=経済学部のみ)なので、学部長は飯塚教授ただ一人。そのため、理事会においては、従来から在職する専任教員を代表する唯⼀の存在だった。にもかかわらず、飯塚教授が理事を解任された事実は、専任教員の大多数にたった1通のメールで通知された。
筆者が関係者から確認した情報によれば、飯塚教授の理事解任を主導した山村重彰理事長は下関市の元副市長。安倍晋三前首相の秘書を務めた前⽥晋太郎市長と市議会与党の自民党系会派(創世下関)の支持を背景に、下関市大の理事長に就任したとされる。
安倍前首相の秘書を務めた市長の「大学への要請」
こうした下関市大の決定機構のあり方は、飯塚教授の理事解任に始まったことではない。
2019年5⽉、前⽥市長が下関市大の山村理事長や学長・学部長ら大学幹部を市長室に呼び出し、特別支援教育を担う「特別専攻科」を新設し、市長が推薦した候補者を専任教員として採用するよう要請したのが、その端緒だった。
下関市大の教員の大多数は、学内の(教員・研究者から成る)「資格審査委員会」による業績審査、教授会への諮問といった、採用に必要な手続きを経ていないとして猛反発。大学など高等教育機関を所管する文部科学省からも、採用手続きについて指導が入った。
ところが、経営陣はそうした内外の意見に耳を貸さず、翌6月に特別専攻科(およびリカレント教育課程)の設置と、ハン・チャンワン(韓昌完)琉球大学教授の招へいを含む新任教員3名の採用を強行する。
※戦後日本の大学ガバナンス……「学問の自由」を定めた日本国憲法23条と、そこから導かれる「大学の自治」の理念に基づき、戦前・戦時期の弾圧への反省を踏まえ、ふたつの原則が貫かれている。
ひとつは、大学内部において、教育・研究の自由と教員人事の自治が、経営陣による支配から守られること。ふたつは、大学外部との関係において、政官財界などの勢力から、教育・研究の自由と教員人事の自治が守られること。
例えば、教員の採用や昇任に関しては、学内の専門家による慎重な審査・審議(ピア・レビュー)を経なければならない。また、国公立大学の設置者(政府・自治体)の長や議会多数派や事務方は、大学に対して新設の学部・コースなどの大まかな方向性について要請することは許容されるが、具体的な教育・研究内容や教員人事を左右することまでは認められていない。
学長の独断による教員採用が可能に
しかも、事態は学科の新設や新任教員人事の強⾏にとどまらなかった。
下関市当局は、市大の教育・研究・教員人事に関する最高審議機関である教育研究審議会(教研審)や教授会に諮問することなく、大学の定款変更の議案を市議会に提出、これを可決させた。
変更後の定款では、新たに理事会(解任された飯塚教授もこのとき理事に選任)を設置することが定められた。さらに、教育・研究に関する重要事項や、採用・昇任など教員人事に関する審議権を教研審から奪い、教員・研究者以外が多数含まれる新設の理事会に権限を集中させた。
2020年4⽉に開催された第1回理事会は、さっそく「教員人事評価委員会規程」を決定する。
同規定により、教員の採用・昇任の審査を担当する「資格審査委員会」の委員5名のうち過半数の3名には、学長が直接指名する「教員人事評価委員」が充てられることになった。同時に、最高審議機関だった教研審と教授会は教員人事に一切関与できなくなった。
さらに、翌5⽉の第3回理事会では「教員採用選考規程」の導入が決まった。この規定には驚くべき条文が組み込まれた。
雑則第11条の「学長は、教員採用に関し、全学的な観点及び総合的な判断により必要があると認めた場合は、この規程によらない取り扱いをすることができる」というのがそれで、要するに、上述の「資格審査委員会」による審査も経ず、学長単独での教員採用・昇任決定への道が開かれたわけだ。
※教員採用・昇任の決定プロセス……大学教員を採用する際には、学内の専任教員のなかから当該分野や隣接分野の専門家を集めて研究・教育業績を精査したうえで、教授会や教育研究評議会(下関市大の場合は教研審)の審査を経る必要がある。
2014年に学校教育法93条が改正され、それまで「重要な事項を審議する」と定められていた教授会の権限は「学長に意見を述べる」役割へと格下げされたものの、教員採用にあたって教授会からの意見聴取を省略し、学長が直接指名した者が過半数を占める委員会のみに審査を担わせることまでは想定されていない。
ましてや、 ひとつの学術分野の専門家にすぎない学長が、 単独あるいは専決で、多様な専門分野の教員を指名採用することは、戦後日本を含む自由民主主義諸国の大学ガバナンスの観点から、到底容認されるものではない。
新設された「理事会」の顔ぶれ
ここまで経緯を記したように、下関市大に新設された理事会は、教研審や教授会から教育・研究・教員人事の審査権を完全にはく奪した。
いったいどんな人たちが理事を務めているのか、そこでどのように意思決定が行われているのか、公になっている情報や複数の関係者からの情報提供をもとに整理してみたい。
飯塚教授が解任されたあとの理事会は、6名の理事のうち半数の3名が非研究者で占められており、それぞれ、元市役所職員で副市長を務めた山村理事長、元市役所職員で大学事務局長の砂原雅夫氏(副学長を兼務)、学外から経営担当理事の地元財界幹部(山口銀行取締役)という顔ぶれだ。
一方、残り半数の理事は研究者3名が占め、川波洋⼀学長と、特別専攻科の新設に伴って招へいされたハン・チャンワン教授(副学長を兼務)、学外からの教育研究担当理事(元下関短期大学教授)が名を連ねる(いずれも2020年10月29日時点)。
なお、川波氏は2016年から下関市大学長を務め、2018年末の学長選に再選を期して立候補したものの、教職員による学内の意向投票で大差をつけられて敗北。にもかかわらず、その後、大学事務局長の砂原氏を議長とし、ほかに民間金融機関出身の2名、現役の教員3名の計6名から成る「学長選考会議」の決定により、学長続投が決まっている。
理事や副学長、教員の任命をめぐる不可解な動き
そうした不可解な学長再選の経緯以上に、大学関係者や下関市民に驚きをもって受けとめられたのが、ハン・チャンワン氏の理事就任だ。2020年1⽉に非常勤の理事として迎えられ、4⽉には専任教授として着任、いきなり(常勤の)理事兼副学長に任命された。
このとき同時に、砂原事務局長が副学長に任命されたことも、学内の専任教員に衝撃を与えた。教育・研究をつかさどる副学長は、経営をつかさどる理事とは異なり、学内の専任教員から選ばれるのが一般的で、少なくとも研究・教育の実績を持たない事務職員出身者が担える役職とは思われないからだ。
また、2020年4⽉にハン氏とともに特別専攻科の准教授および専任講師として着任した2名は、ハン氏の前任校である琉球大学教育学部の元専任講師と元特命助教だった。ともに琉球大学時代のハン氏の教え子だという。
この2名もハン氏と同様、専任教員による業績の精査、前述の教研審や教授会への諮問といった審査・審議(ピア・レビュー)を経ずに採用されている。
それからまもない6、7⽉には、ハン氏が韓国時代に教員として勤めていた大学出身の研究者2名が、やはり学長と理事会の指名により、大学院教育経済学領域の准教授として採用された。
こちらの2名の採用は、大学院教授会に相当する経済学研究科委員会や教研審の審査を経ないばかりか、学長が任命する委員が過半数を占める「資格審査委員会」にすら諮問せず、(先述した)4月の理事会で決定したばかりの「教員採用選考規程」雑則11条を使って、学長が単独で決定した。
さらに、ハン教授は着任後すぐ理事兼副学長に就任しただけでなく、「教員人事評価委員会委員長」「教員懲戒委員会委員長」「相談支援センター(ハラスメント相談含む)統括責任者」を兼任することになった。
これは、経済学部のすべての専任教員に対して、昇任・懲戒・人事評価・ハラスメント相談の最終的な権限を⼀手に掌握したことを意味する。
教研審や教授会から教員人事の審査権をはく奪して理事会に権限を集中したうえで、理事のひとりに教員人事権を集中させれば、何が起こるかは誰でも容易に想像がつく。
事態はすでに深刻で、筆者が複数の関係者に直接確認したところでは、大学ガバナンスのあり方や学長専決人事に批判的な複数の専任教員に対して、さまざまな理由で懲戒処分が進められている。
安倍政権で進んだ、憲法と学校教育法の「曲解」
第二次安倍政権は、自民党の歴代内閣のなかでは珍しく、大学・高等教育政策に大きな関心を⽰した政権だった。
同政権下では、文部科学大⾂を3年間務めた下村博文氏や経済団体など、政官財界から大学に対して激しい「改革」圧力がかかった。2000年代までの大学改革とは異次元のものだった。
少なくとも戦後75年、専門家・研究者のピア・レビューを経ずには決定できなかった、教員人事や業績審査、教育・研究内容、カリキュラムやコース編成など、大学自治の「最後の砦」と言うべき部分に、研究者以外の専門家でもない人間が安易に手を突っ込めるような「ガバナンス改革」が進められた。
下村氏らが主導した学校教育法93条の改正により、すでに述べたように、教授会が「重要な事項を審議する」機関から「学長に意見を述べる」機関へと格下げされたことで、学長や理事会、あるいは政府や首長、議会与党がトップダウンで教育・研究内容や教員人事さえ決定できるかのような、学校教育法の趣旨の曲解、憲法23条の「解釈改憲」が、地⽅の国公立大学を中心に広がっている。
大学経営陣を占める政官財界出身者らによる、教育・研究への介入や利益誘導も深刻化している。
こうした動向に異議を唱える全国各地の研究者たちが、大学経営陣からの懲戒や恫喝、いじめや嫌がらせにさらされ、業績評価・賞与査定や昇任審査で不当な扱いを受けて苦しんでいる。
近代の先進諸国の大学は、約100年間かけて、政治や行政、経営による教育・研究の支配を克服し、学問の自由と大学の自治を勝ちとってきた。
下関市大の現状を地⽅の⼀公立大学の問題として放置・無視すれば、⽇本の大学の多くは遠からず、19世紀以前に逆戻りしてしまうおそれがある。教育・研究のすそ野や学術文化の多様性は急速に狭められ、地方を中心に経済力のない若者の学びの機会は奪われていくだろう。
わたしたちはいまこそ、第二次安倍政権の縁故政治と大学ガバナンス「改革」が残した負の遺産とも言える下関市大の問題と真剣に向き合う必要がある。 
 
 
 
 

 

 
 
 
 2021/4

 

●安倍前総理が原発新増設の議連顧問に 4/12
脱炭素社会の実現には原子力発電が不可欠だとして、自民党では原発の新増設・建て替えを推進する議員連盟が発足しました。稲田元防衛大臣を会長に、安倍前総理が顧問に就任しました。
安倍晋三前総理:「国力を維持しながら、国民あるいは産業界に低廉で安定的な電力を供給していくというエネルギー政策を考えるうえにおいて原子力にしっかりと向き合わなければいけないのは厳然たる事実であります」
安倍政権では原発は「重要なベースロード電源」としつつも「依存度を可能な限り低減する」としていました。
ただ、菅政権が脱炭素を掲げたことで原発の重要性を強調する方向へかじを切った格好です。
稲田会長も「新たな技術で安全性を高めた新型炉によるリプレースを進める」と述べ、原発がカーボンニュートラル実現の鍵となるという考えを示しました。
政府は夏ごろにエネルギー基本計画を見直す予定で、福島での原発事故以来、避けられてきた新増設についての議論を盛り上げる狙いがあります。 
●「まるで喜劇」? 安倍晋三前首相、なぜ今「原発議連」顧問か 4/16
そこにいるのは、まさか――? 原発の新増設や建て替え(リプレース)を推進する自民党議員連盟の設立総会に取材で足を運ぶと、安倍晋三前首相の姿があった。議連の顧問に就くという。ちょっと待ってほしい。7年8カ月に及ぶ在任期間中、「1強」の名をほしいままにしてきた安倍前政権。退任してから議連の顧問になるくらいなら、どうして在任中にリプレースに取り組まなかったのか。
12日、総会の会場となった国会内の会議室。新型コロナウイルスの感染対策なのか、間隔を取って席に座る約40人の自民党議員らと向き合うように、安倍氏が中央に座っていた。総会開催の案内文には安倍氏が議連に参加するとは書かれていなかったはず。思わず案内文を撮影した画面をスマートフォンで確認した。
案内文は主に自民党を担当する記者が詰める記者クラブ「平河クラブ」に張り出されて告知された。呼びかけ人として額賀福志郎元財務相や甘利明元経済再生担当相、細田博之元幹事長ら、安倍氏と同様に顧問に就いた自民党重鎮議員が記載されているが、安倍氏の名前はない。
安倍氏の横には甘利氏と細田氏のほか、議連の会長に就いた安倍氏に近い稲田朋美元防衛相、総会で講演する国家基本問題研究所の桜井よしこ氏ら原発推進派として知られる面々が並んでいた。この10年間、これほど明確に原発の新増設を打ち出した議連はない。会場後方には報道各社の政治部や経済部の記者らが数多く集結。関心の高さがうかがえた。
安倍氏にも発言の機会が回ってきた。「エネルギー政策を考える上で、原子力にしっかりと向き合わないといけない」。そう強調したが、ではなぜ自身の政権下で議論を活性化させなかったのか。この国のあるべきエネルギー政策を追ってきた記者としては、モヤモヤした気分になった。 ・・・
●憲法96条「いかがなものか」 国民投票法、早期採決を―安倍前首相 4/22
安倍晋三前首相は22日、東京都内で開かれた憲法改正に関するシンポジウムに出席し、改憲手続きを定めた96条について「国会議員の3分の1ちょっとが改正反対であれば、国民の半数以上が賛成であっても改正できないのは、いかがなものかと今でも思う」と述べた。
96条は憲法改正の国会発議について、「衆参両院の3分の2以上の賛成」が必要と定める。安倍氏は現行要件を「2分の1」に引き下げることを目指したが、公明党の理解が得られず断念した経緯がある。
●安倍前首相、動き活発化 「再々登板視野」臆測も 4/25
自民党の安倍晋三前首相が動きを活発化させている。同党の保守系グループや議員連盟の役員に相次いで就任。首相在任中に果たせなかった憲法改正への熱意を公の場で訴えている。党内では「再々登板が視野にあるのでは」との臆測も出ている。
「新しい薬が大変よく効き、あと2回ぐらい点滴をすれば一応治療が終わる」。安倍氏は22日に東京都内で開かれた憲法に関するシンポジウムで、首相辞任の引き金となった潰瘍性大腸炎の治療についてこう報告した。
安倍氏は「桜を見る会」前夜祭の問題を受け、首相辞任後しばらくは目立った活動を控えていた。しかし今月、自民保守系議員でつくる二つの議連に顔を出し、それぞれ顧問に就任。22日の議連会合では「保守政党として、日本を日本たらしめるものに、常に思いをはせながら取り組んでほしい」と呼び掛けた。
宿願の憲法改正では、党憲法改正推進本部の最高顧問に就任し、同本部内から「挙党体制で推進できる」(幹部)と期待の声が出ている。安倍氏は22日のシンポジウムで、立憲民主党の枝野幸男代表が安倍政権の間は議論に応じない方針だったことを引き合いに「もう首相じゃないから議論しろよと思う」と批判してみせた。
自民内には、安倍氏の3度目の首相登板を待ち望む声もあり、ベテラン議員は「あり得る話だ」と語る。
注目されるのは出身派閥である細田派への復帰のタイミングだ。派内には衆院選前の会長就任を求める声もある。一方、同派幹部は、桜を見る会をめぐる事件で元公設第1秘書への東京地検の再捜査を踏まえ、「捜査が終わるまでは難しい」とみている。
安倍氏の退陣後、長年暗礁に乗り上げていた国民投票法改正案の国会審議は動きだした。このため、「野党が再び反発しかねない。もうしばらく静かにしていてほしい」(自民中堅)と自重を求める声もある。  
 
 
 
 2021/5

 

●保守派から「安倍に再登板させろ」の大合唱。自民全敗スガ首相の本音は 5/7
コロナ禍にどれだけ多くの庶民が喘ごうが、この国の為政者たちは権力の万能感や自己保身にしか興味がないようです。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、二度も政権を投げ出した安倍晋三氏の再再登板を期待する保守系議員たちの存在と、彼らに呼応する動きを見せる安倍氏を強く批判。さらに、長すぎた「安倍一強」が招いた自民党内の人材不足を指摘しています。
“選挙全敗”の菅首相を安倍氏は支持か、それとも再再登板か?
安倍前首相は再再登板を狙っているのだろうか。最近の活発な政治活動を見て、自民党内に待望論が出ているようだ。体調悪化による二度目の辞任からまだ8か月あまり。権力に未練がましいことは、ふつうならしない。
たしかに、菅首相はお世辞にも新型コロナ対策に成功しているとはいいがたく、最近では“ワクチン失政”という批判も飛び交っている。だが、コロナ危機の深刻化も、もとをただせば、安倍前首相の初動が鈍かったからではないか。
なのに、自分の体調が回復するや、安倍氏は色々な会合に首を突っ込み、やれ憲法改正だ、原発推進だと息巻いている。菅首相の悪戦苦闘など、いまや他人事のようなふるまいである。
病いのためとはいえ、自らの意思で歴代最長政権を終えたのだ。ひとまず静かに書を読むなりして閑居し、英気を養いつつ、知見を高めておくのが、後進に示すべき奥ゆかしさだろう。
北海道、長野、広島で行われた4月25日の補欠、再選挙で、自民党は1人として当選者を出せなかった。それだって、なにも菅首相の不人気のせいだけではない。モリ・カケ、桜を見る会など数々の疑惑を通じ、権力の私的乱用という腐敗のタネをまいたのは、安倍氏である。
衆議院北海道2区は、ワイロが発覚した吉川貴盛元農林水産大臣の議員辞職にともなう選挙で、自民党は候補者を立てることすらできず、不戦敗となった。参議院長野選挙区は、コロナで急死した羽田雄一郎氏(立憲)の「弔い合戦」とあって、全く歯が立たない。
最後まで接戦を演じ、ただ一つ勝利の芽があったのは、参議院広島選挙区の再選挙だけだったが、河井克行、案里夫妻が残した大規模買収事件のキズは想像以上に深かった。2019年の選挙(改選2)で、安倍自民党は現職の溝手顕正氏に加え、河井案里氏を立てたため、広島県連は、溝手氏を推す広島県議会議長、中本隆志氏ら主流派と、元議長の桧山俊宏氏ら非主流派に分裂して戦った。党本部から河井陣営に振り込まれた1億5,000万円という破格の選挙資金で、河井案里氏と夫、克行氏(元法相)は買収に走り、溝手氏は落選、河井夫妻には司直の手が及んだ。
河井夫妻からカネを受け取った政治家は、わかっているだけで40人いる。内訳は三原市長、安芸太田町長、広島県議14人、広島市議13人、その他の市議・町議11人だ。40人のうち35人は買収の意図を感じたと証言している。陣中見舞いだの、当選祝いだのと思っていたというのは少数にすぎない。それでも多くが議員を辞めずに居座っている。
なんという退廃だろうか。これで、自民党に投票してくれと言われ、有権者が応じるはずがないではないか。そして、その原因をつくった張本人が誰かと言えば、河井克行氏の能力を買い、総理補佐官にし、やがては法務大臣にまで取り立てた安倍前首相であろう。河井氏は、何をしても許されるような錯覚に陥っていたにちがいない。最高権力者に特別扱いされたがゆえに、罠にはまったのだ。
にもかかわらず、安倍氏は節操のない再再登板に期待を寄せる保守系議員たちの動きに呼応し、悦に入っているように見える。このところの動きをまとめておこう。
まず4月12日。菅首相が、バイデン米大統領に促され、温室効果ガスの削減目標を高く掲げたことから、今がチャンスとばかりに原発の新増設やリプレース(建て替え)をめざす自民党の議連が発足、会長の稲田朋美衆院議員に請われて、安倍氏は顧問への就任を引き受けた。
4月20日、安倍氏は自民党憲法改正推進本部の最高顧問に就任した。改憲に消極的な菅首相を意識しているのかもしれない。目下、自民党が急いでいるのは国民投票法改正案の成立だ。大型商業施設への共通投票所設置などを盛り込んだ改正案が国会に提出されているが、野党はテレビCMの規制を盛り込むべきだとして、反対している。
4月22日、安倍氏は「保守団結の会」なる党内右派グループの会合に出席、持論の国家観をぶち上げたあと、民間の改憲派グループが開いたシンポジウムにパネリストとして参加、「新しい薬が大変よく効いている」と体調回復をアピールし、安倍政権の間は憲法改正の議論をしないと言ってきた立憲民主党の枝野幸男代表を話のタネにして、「もう首相じゃないから議論しろよ」と空鉄砲を放ってみせた。
こうした活発な動きを歓迎する声は、出身派閥の細田派内では、とくに強いようだ。同派閥に戻って「安倍派」を旗揚げしてもらい、それをきっかけに、派をあげて安倍氏の総理返り咲きへ本腰を入れる。そんなシナリオを描いているのかもしれない。
気力体力ともに自信を取り戻した安倍氏としては、“選挙不敗”の神話をひっさげて、“選挙全敗”の菅首相に取って代わる誘惑にかられやすい局面だろう。
だが実際のところ、どうなのか。ワクチン接種が遅ればせながら菅首相の言う通りに進み、新型コロナの感染拡大が落ち着いて、東京五輪・パラリンピックも予定通りに開催、どうにか混乱なく終えることができれば、菅首相がもくろむように、総裁選前の解散・総選挙も可能だろう。そして、想定より選挙結果がよければ、すんなり総裁に再選される公算が高まる。
衆院は定数465で、自民党の現有議席は278。過半数の233を45も上まわる議席を有している。これと同じレベルの結果はとうてい望めない。許容できる議席減の目安はどの程度なのか。ある評論家は30議席減、すなわち248議席がボーダーラインと指摘する。50議席減という政権寄りの評論家もいるが、それだと過半数割れの228議席ほどにハードルが下がる。意図的に達成しやすい相場観を吹聴しているとしか思えない。
逆に、コロナの勢いがおさまらず、東京五輪が中止、または開催できても火に油を注ぐように感染が拡大する場合、菅内閣の支持率が急落するのは目に見えている。解散・総選挙のタイミングを失い、菅首相では選挙を戦えないとして、菅降ろしの機運が一気に高まる。総裁選で選挙の顔を決めようという空気になるだろう。
菅氏は決して降りることはあるまい。さてその時、安倍氏はどうするか、である。自分のピンチに総理をつとめてくれた菅氏を、どんな状況であれ徹底して支援するほどの器量はなさそうだ。盟友、麻生太郎氏に背中を押され、党内の安倍シンパから再再登板コールが湧き上がれば、権力の虫がうずきはじめるのではないか。
安倍氏と麻生氏は「東京五輪が終わるまでは支える」と菅首相に伝えているといわれる。つまりそれは、五輪後は自由にやるという宣言でもある。総裁は「連続3期9年」が自民党のルールだが、連続でなければ、何度でもなれるということだ。桂太郎は3回、伊藤博文は4回も総理大臣になった。
菅首相は安倍・麻生連合にどう対処するだろうか。安倍氏、麻生氏の支援がないと、菅氏は苦しい。自民党衆参両院の約4割を占める最大派閥の細田派96人と、第二派閥の麻生派53人が、自分の派閥を持たない菅氏の基盤になっていたのは確かだ。
菅続投の条件として、麻生氏は幹事長の交代を突きつけているともいわれる。二階派の膨張を苦々しく思っているのだろう。それを菅首相がのむと二階派が離れる。また、二階を捨てたところで、安倍・麻生の支持を得られるかどうかは、わからない。安倍・麻生につくか、二階の寝技を頼りとするか。そのような厳しい選択を菅首相は迫られる時がくるかもしれない。
総裁候補の一人、岸田文雄氏はどうだろうか。参院広島の再選挙で指揮を執ったものの結果を出せなかったため、ますます旗色が悪くなっている。安倍前首相からの禅譲を期待しながら裏切られ、貧乏クジばかりひかされてきた岸田氏を、今度こそ安倍、麻生氏が支援するという想像も、しにくくなった。
こう考えてくると、東京五輪をうまく乗り切れない場合には、いよいよ安倍氏の再再登板が現実味を帯びてきそうな気がする。だが、モリ・カケ、桜を見る会、いずれの疑惑にも、安倍氏はきちんと説明を尽くしていない。その気もない。そんな前首相の再再登板を国民が歓迎するだろうか。
おりしも、安倍氏は5月3日、BSフジの報道番組で、再再登板について否定的な発言をした。
「私が突然、病気のために辞任した後、菅首相は大変だったと思う。この難しいコロナ禍の中で本当にしっかりやっている」「昨年、総裁選をやったばかり。その1年後にまた総裁を代えるのか。自民党員なら常識を持って考えるべきだ」「一議員として全力で支えることが私の使命だ」
いかにも菅首相を思いやっているようだが、今の段階で、私は再再登板すると言うはずがない。そもそも「一議員として全力で支える」という姿はどこにあるのか。議連の会合に出席し、役職にもついて、さかんに復活の意思をアピールしているだけとしか筆者の目には映らない。
安倍前首相の再再登板を望む声が出ること自体、人材不足の党内事情を物語っている。安倍一強が長く続いたために、自由闊達な論議のなかから人を育てる風土が失われていったのだろうか。
●安倍前首相に二階幹事長らが発起人 6月豪華パーティに開催に疑問の声 5/8
5月7日、政府は東京など4都府県に出している緊急事態宣言の期限を5月末までに延長することを決定した。
これ以上の新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、多くの人々が“我慢”を強いられるなか、自民党の重鎮たちが発起人に名前を連ねる大型パーティの計画が進行しているという。
催しの名称は《池口恵観大僧正 宿老就任祝賀会(※恵観は旧字)》。すでに発送されている招待状には、6月4日18時半から東京・千代田区内にある超一流ホテル、7月29日の18時半から京都市内の超一流ホテルで開催予定となっている。
ちなみに千代田区内のホテルのHPによれば会場は、正餐なら1,000名以上、立食なら2,000名以上の収容が可能だという。
招待状のあいさつによれば、池内氏が就任した“宿老”とは、高野山真言宗では最高位の役職だという。
《宿老とは 高野山真言宗を大所高所から見守り 時には進言・建言する最高位の役職であり 誠に光栄なことと感激すると同時に その重責に改めて威儀を正しているところでございます》
多くの政治家との交流があることから“永田町の怪僧”というあだ名もある池口氏。招待状に記載されている発起人たちはそうそうたるメンバーだ。その一部を紹介すると ・・・ 元内閣総理大臣 小泉純一郎 前内閣総理大臣 安倍晋三 自由民主党幹事長 二階俊博 自由民主党国会対策委員長 森山裕 慶應義塾大学名誉教授・元国務大臣 竹中平蔵 ジャーナリスト 櫻井よしこ ・・・
政治評論家の有馬晴海さんはこう語る。「池口恵観氏は鹿児島県出身の僧侶です。もともと鹿児島県の議員からの紹介で、中央政界への人脈を広げていきました。例年、6月は政治家たちのパーティも多い時期ですが、さすがに今年は自粛ムードにあります」
招待状の発送日は“4月吉日”となっているが、東京では4月25日からは緊急事態宣言が発令されている。
順調にいけば6月上旬は緊急事態宣言期間外ということにはなるが、招待状を受け取った人間たちのなかでも、「コロナ禍の終息が見えないなか、本当にパーティを開催するのか?」「国民たちが多くの不便に耐えているのに、政治家たちは何を考えているのか!」と、疑問や怒りの声も上がっているのだ。
そこで、5月7日に祝賀会事務局に問い合わせてみた。
――池口先生の祝賀会ですが、日程の変更などは検討していないのでしょうか?
「予定通りに開催します」
――緊急事態宣言も5月末まで延長されますが?
「会場では間隔を空けて着席するようにしています」
――どのぐらいの方が出席するのでしょうか?
「まだ余裕はありますが、(席は)埋まってきています」
――参加を取りやめる発起人はいないのでしょうか?
「いえ、変更はありません。多くの方たちに恵観の祝賀に賛同いただければ幸いです」
もちろん、池口氏もコロナ禍を意に介していないわけではないようだ。招待状にはこんな文面も書かれていた。
《この祝賀会の席では 私が皆さま方に 真言密教の秘法と言われる疫病退散の祈りをさせていただきます この祈りが日本が新型コロナ禍の苦界から解放されるきっかけになればと願っています》
自民党の重鎮たちには“疫病退散の祈り”に頼るばかりではなく、コロナから日本を救うための舵取りをもっとしっかりとお願いしたいものだ――。
●河井陣営に1.5億 「関与せず」通用しない 5/21
選挙違反で有罪が確定した河井案里前参院議員の陣営に送金された1億5千万円を巡り、自民党の二階俊博幹事長は「関係していない」という。では誰が支出したのか、真相を徹底解明すべきだ。
2019年参院選広島選挙区を巡る公職選挙法違反事件では、案里前議員と夫で前衆院議員の克行被告が買収容疑で逮捕され、ともに議員辞職。案里前議員は有罪が確定して当選無効になり、再選挙が行われた。克行被告の判決も6月18日に言い渡される。
19年の参院選前、自民党本部から案里陣営に他候補の十倍に当たる1億5千万円が支出された。案里前議員は「違法性はない」としたが、こうした資金が地元議員や首長らの買収に使われた可能性はないのか、疑いは晴れない。
しかも、このうち1億2千万円は政党交付金(助成金)ともされる。自民党本部からの資金が買収に使われていたとしたら、党本部も責任を免れない。誰が支出に関与したのかは、買収事件の本質にも関わる重大な問題でもある。
しかし、二階氏は関与を否定。二階氏側近の林幹雄幹事長代理が「実質的には当時の(甘利明)選挙対策委員長が広島を担当していた」と、甘利氏の関与に言及したが、甘利氏は「1ミクロンも関わっていない」と関与を否定した。
選挙当時、党務全般を担っていた幹事長も、選挙対策を取り仕切った選対委員長も本当に関わっていないとしたら、一体誰が巨額の資金投入を決めたのか。
案里前議員の擁立は、参院広島での二議席独占を狙いとしながらも、当時首相だった安倍晋三氏に批判的だった現職候補の追い落としが真の目的とも指摘される。
二階、甘利両氏でないなら、案里前議員擁立を主導したとされる安倍氏や、官房長官だった菅義偉首相が一億五千万円の支出に関与した可能性も浮上する。
自民党は1億5千万円の使途などについて捜査当局から書類が返却され次第、総務省に報告するというが、誰がどういう意図で巨額の資金支出を決め、それが何に使われたのか、二階氏は当事者として徹底的に調べ、国民に真相を明らかにする責任がある。国会も自民党任せにせず、関係者の招致など国政調査権を駆使し、真相究明に努めるべき重大事案だ。
林氏は事実関係を問う記者団に「根掘り葉掘り、党の内部のことまで踏み込まないでほしい」と述べた。問題の重大さを理解していない軽率な発言だと指摘したい。
●ポスト菅「決めるのは党員」 自民・石破氏、安倍氏再々登板を疑問視 5/28
自民党の石破茂元幹事長は28日のTBSのCS番組収録で、安倍晋三前首相が「ポスト菅」候補として、石破氏以外の同党議員4人を挙げたことについて「決めるのは党員であって前首相ではない」と不快感を示した。一部で取り沙汰される安倍氏の首相再々登板には「安倍政権の検証をしないまま、夢をもう一度というのは、政治の在り方としては別の道がある」と疑問を呈した。  
 
 
 
 2021/6

 

●日豪議連、最高顧問に安倍前首相 6/8
日本とオーストラリアの関係強化を目的とした超党派の「日豪国会議員連盟」(会長・逢沢一郎自民党衆院議員)が8日、衆院議員会館で総会を開いた。自民党の安倍晋三前首相、麻生太郎副総理兼財務相が最高顧問に、甘利明税調会長が顧問にそれぞれ就任した。
●甘利氏ら「バッテリー議連」設立 安倍氏が顧問に 6/11
甘利明税調会長ら自民党有志議員は11日、バッテリー産業の振興を目指す議員連盟を発足させ、党本部で設立総会を開いた。甘利氏が会長に、安倍晋三前首相が顧問に就任した。バッテリー産業は電気自動車や太陽光発電の普及に伴い成長市場と目されており、会合では国内の生産拠点への大胆な支援策などを盛り込んだ緊急提言をまとめた。
名称は「未来社会を創出する、バッテリー等の基盤産業振興議員連盟」。甘利氏は会合で「バッテリーは大きなインフラの屋台骨を支える大事な産業だ。民間事業者にただ任すことではなく、政策的に絵を描いて支援しないといけない」と強調した。安倍氏は「国家戦略、経済安全保障の観点を念頭に議論を進めていきたい」と語った。
●自民・岸田氏「3A」と議連設立、古賀氏との“決別”の先に 6/11
去年、自民党の総裁選挙に出馬した岸田前政調会長が、コロナ禍の格差是正をテーマに新たな議員連盟を設立しました。中身と並んで注目されているのが、参加した顔ぶれです。
11日朝、静岡の地方選挙の出陣式で顔を合わせたのは自民党の岸田文雄前政調会長と古賀誠元自民党幹事長です。自民党の名門派閥・宏池会、いわゆる“岸田派”のオーナーとして、長年、大きな影響力を誇ってきた古賀氏ですが、昨年の総裁選の対応をめぐって古賀氏は、派閥の名誉会長を辞任。以来、2人の関係は、疎遠となりつつあります。こうした中・・・
「最近は“議員連盟”というのが大変注目を集めておりまして。今日も最高顧問をお願いする、安倍前総理、麻生副総理、そして甘利税調会長。いわゆる『3A』揃い踏みであります」(自民党 岸田文雄前政調会長)
岸田氏が代わりに大きな頼りとしているのが、いわゆる「3A」です。
「私と違って誠に円満なお人柄でありますので、『岸田さんがいるんだったら一緒に勉強しよう』という方々が今日たくさんお集まりいただいた」 (安倍晋三前首相)
「なんとなく真面目に政策を勉強するという顔ばかりにはとても見えない顔ぶれですけれども」(麻生太郎副総理)
11日午後2時、岸田氏がトップとなり、コロナ禍での「格差是正」などをテーマとした議員連盟の初会合が行われました。集まった国会議員は145人。岸田氏の両脇を固めるのは「3A」こと、安倍前総理、麻生副総理、そして甘利税調会長です。
岸田氏は、この議連に参加してもらうべく、議員1人1人に自ら電話をかけるなどして声を掛けたといいます。中でも、安倍・麻生両氏の元には、何度も何度も自ら足を運んで意見交換を繰り返し、議連の最高顧問への就任を取り付けたのです。
「ポスト菅」に意欲を示す岸田氏にとって、党内最大派閥で安倍氏の出身派閥である細田派と、党内第二派閥の麻生派の支持を得て後ろ盾をしてもらうことが最重要です。岸田派の中からは、今年秋の自民党役員人事で、幹事長ポストを期待する声も・・・
しかし、当の安倍・麻生サイドは・・・
「岸田さんは迫力不足なんだよな。いくら議員連盟を立ち上げても意味ないよ」(細田派議員)
3Aに追従する今の路線には派閥内からも批判が出ていて、岸田氏は今、正念場を迎えています。
●自民・岸田氏が「格差是正」テーマに議連、安倍・麻生氏ら145人出席 6/11
自民党の岸田文雄前政調会長は11日、格差是正のための再分配を重視した経済政策を検討する議員連盟を設立した。全派閥から議員が参加し、総会には最高顧問に就任した安倍晋三前首相と麻生太郎財務相のほか、甘利明税制調査会長ら計145人の議員が出席した。
岸田氏は「アベノミクスによって私たちの経済は大きく変化した」とした上で、「これからは成長の果実を多くの人々に享受してもらうかが大変重要になってくる」と指摘。中間層への所得分配による格差是正について議論を進める考えを示した。
昨年9月の党総裁選に立候補した岸田氏は、二階派のほか細田派、麻生派など主要派閥の支持を受けた菅義偉首相に大差で敗れた。最近は次の総裁選にも「チャンスがあれば挑戦したい」と意欲を見せており、派閥横断の議連で経済政策をまとめ、存在感を示したい考えだ。
設立総会で安倍氏は、アフターコロナの日本を考える議連のトップとして「岸田氏はふさわしい人材だ」と発言。麻生氏は、会場に集まった議員を前に「政策よりも政局の顔がやたら見えるので、こちらもなんとなくそういう感じがする」と語った。
菅首相の自民党総裁としての任期が満了する9月末を控え、安倍氏周辺で議連設立の動きが活発化している。安倍氏は4月に発足した原子力発電所の建て替え(リプレース)推進議連で顧問、5月に設立された半導体戦略推進議員連盟では麻生氏と共に最高顧問に就いた。原発建て替え推進は安倍氏に近い稲田朋美氏、半導体戦略は甘利氏が議連会長に就任した。
●自民「3A」と二階氏対峙 「政局の秋」にらみ議連続々 6/12
自民党で、秋に想定される閣僚・党役員人事をにらんだ主導権争いが活発化してきた。表面上は特定の政策課題を掲げた議員連盟の相次ぐ発足だが、顔触れから浮かび上がるのは、安倍晋三前首相と麻生太郎副総理兼財務相の連合に甘利明税調会長を加えた「3A」と、菅政権で実権を握る二階俊博幹事長が対峙(たいじ)する構図だ。二階氏の党運営への強い不満が背景にあり、最大の焦点は幹事長ポストの争奪だ。
11日、衆院議員会館に所属議員約150人を集めて開かれた「新たな資本主義を創る議員連盟」の設立総会。会長に就いた岸田文雄前政調会長が安倍、麻生、甘利各氏の最高顧問などへの就任を報告。続いてあいさつした安倍氏は「瑞穂の国にはふさわしい資本主義がある」と無難な発言に終始したが、麻生氏は「政策より政局の顔がやたら見える」と、「戦闘モード」を隠そうとしない。甘利氏は「岸田氏の議連はトリプルAの格付け。極めて幸先がいい」と3Aの結束を誇示した。
党内では最近、議連を通じて3Aが存在感を示す場面が顕著だ。5月21日には「半導体戦略推進議員連盟」が発足し、安倍、麻生両氏が最高顧問、甘利氏が会長に就任。今月8日の「日豪国会議員連盟」の会合では、安倍、麻生両氏が最高顧問、甘利氏が顧問に就いた。
安倍氏と甘利氏は11日、「未来社会を創出するバッテリー等の基盤産業振興議員連盟」も発足させた。岸田氏の議連の総会のさなかに党本部で設立総会を開くという慌ただしさだ。
3Aの動きについて、党内では「閣僚・党役員人事に向けた発言力確保が狙い」(ベテラン議員)との見方がもっぱらだ。3人は菅義偉首相の後ろ盾として存在感を放つ二階氏と反目してきた経緯があり、ある閣僚経験者は「二階氏から幹事長ポストを奪い返したいのではないか」とみる。
二階氏も黙っていない。腹心の林幹雄幹事長代理が8日、官邸に首相を訪ね、二階氏を会長とする「自由で開かれたインド太平洋推進議員連盟」を15日に設立すると報告。これと前後して安倍氏に最高顧問就任を依頼し、同意を取り付けた。二階氏は安倍氏が首相時代、中国の海洋進出に対抗するため唱えた構想を議連のテーマに据え、3Aの一角をしたたかに切り崩した格好だ。
これに対し、甘利氏は9日のテレビ番組収録で、二階氏が親中派であることを念頭に「二階氏が(会長に)座って大丈夫か。もろにぶつかる」と露骨に不快感を示した。
両勢力のせめぎ合いの特徴は、内閣支持率の急落をよそに、双方とも現時点では首相支持を明確にしていることだ。甘利氏は「ポスト菅」をうかがう岸田氏から議連参加を要請され、「本人が代わりたいと言わない限り、3Aは菅首相を支える。分かっているか」と念押ししている。
ただ、首相自身は政権運営を二階氏に負うところが大きい。政権が依拠する二つの勢力で「秋に向けて引いたり突いたりのさや当てが続く」(自民党関係者)不安定な状況の中、首相は総裁再選に向けて難しいかじ取りを迫られる。
●安倍前首相、政治の表舞台復帰に秘めた「野望」  6/12
菅義偉政権を揺るがすコロナ・五輪政局の混迷を横目に、安倍晋三前首相が政治の表舞台に復帰したことが、永田町に揣摩臆測を広げている。
安倍氏は4月ごろから政治活動を本格化させ、各種議員連盟の役員に次々就任する一方、テレビ出演や雑誌のインタビューなどで精力的に発信を続けている。中でも、コロナ禍に苦闘する菅首相について「(10月以降の)続投は当たり前」などと熱いエールを送ったことが、政局絡みで注目された。
菅政権が命運を懸ける東京五輪・パラリンピックについても、安倍氏は「オールジャパンで臨めば開催できる」と菅首相への全面支援を表明。「一議員として菅首相を支える」と強調している。
残る安倍前政権の「負の遺産」
こうした安倍氏の言動を受けて、自民党内保守派からは安倍氏の再々登板に期待する声が相次ぐ。安倍氏周辺からは「最大派閥の細田派を安倍派に衣替えしてキングメーカーになる」との声が出るなど、安倍氏の存在感は増すばかりだ。
ただ、菅首相の政権運営の火種ともなっている河井克行・案里夫妻の巨額買収事件に絡む1億5000万円支出問題など、安倍前政権の負の遺産は少なくない。安倍氏が首相として決断した東京五輪の1年延期も、現状では菅首相の「大きな重荷」(官邸筋)となっている。
政界では「安倍氏が菅首相の続投を支援するのは、将来の自らへの疑惑追及を封じるためで、自民党の最高実力者としての影響力確保が狙い」(自民長老)と指摘する向きも多い。安倍氏はそうした臆測もどこ吹く風で、月刊誌のインタビューで「ポスト菅」候補に言及。自民党内では「そもそも現在の混乱と自民党政権への批判の元凶は安倍氏」(閣僚経験者)との反発も根強い。
持病の悪化を理由に2020年8月末に突然首相を退陣してから9カ月余。安倍氏は昨秋から「体調も回復した」と趣味のゴルフを再開し、各種会合にも時折顔を出していた。今春からは複数の議員連盟の顧問などを積極的に引き受け、自らの悲願とする憲法改正でも旗振り役を買って出るなど、自民党実力者としての政治活動を本格化させた。
安倍氏への批判のもとになっていた「桜を見る会」問題では、2020年暮れに安倍氏の公設第1秘書が政治資金規正法違反(不記載)で略式起訴された。これを受けて安倍氏は国会招致に応じ、「事実に反するものがあった」と国会での虚偽答弁を認め、年明け以降も謹慎状態を余儀なくされていた。
しかし、安倍氏は4月に入って自民保守系グループの議員連盟「伝統と創造の会」の顧問に就任。さらに、自民党憲法改正推進本部の最高顧問も引き受けるなど表舞台に復帰した。
改憲論議のリード役に意欲
憲法改正は、安倍氏が首相在任中に実現を目指したが果たせなかったテーマ。わざわざ推進本部の最高顧問に就任したのは「改めて改憲論議をリードする意欲」(自民幹部)からとみられている。
そこで注目されるのが、昨秋の自民総裁選で安倍氏の後継者となった菅首相との政治的な間合いだ。菅氏が首相に就任した後、憲法改正など安倍氏が委ねた宿題への慎重姿勢をにじませたことで、党内には両氏の不仲説が広がっていた。
しかし安倍氏は、菅首相の4月中旬の訪米や6月11日からイギリスで始まった先進国首脳会議(G7)出席に先立ち、いずれも初体験となる菅首相に対し、自らの経験に基づき実戦的な助言をして不仲説を打ち消してみせた。
安倍氏は憲法記念日の5月3日には、それまで封印していたテレビ情報番組に生出演。9月に自民党総裁任期満了を迎える首相について、「当然、継続して首相の職を続けるべきだ。昨年、総裁選をやったばかりで、1年後にまた総裁を代えるのか」などと述べ、党内の一部でささやかれる菅首相早期交代論を強い口調で牽制した。
これに呼応するように、菅首相も同日の改憲派集会へのビデオメッセージで、安倍前政権下で自民党がまとめた自衛隊明記や緊急事態条項など、改憲4項目の実現を目指す考えを強調した。
「みそぎ」後に安倍派へ衣替え
安倍氏は3日のテレビ番組の中で「菅首相を一議員として全力で支えることが私の使命だ」と自らの再々登板説も否定。自民党内では「また『モリカケ』や『桜』で国民から批判されるより、キングメーカーとして党に君臨するつもりだ」(長老)と受け止められた。
安倍氏周辺も「次期衆院選の当選でみそぎをすませれば、細田派を安倍派に衣替えして最大派閥の領袖となる」と明言する。そうなれば、今後の総裁選も含め、「党内の権力闘争の陰の主役になるのは確実」(自民長老)だ。今回の菅首相へのエールも「続投への援護射撃というより、自らの復権戦略の一環」(同)と勘繰る向きも少なくない。
こうした揣摩臆測の背景には、菅政権での自民党内の権力構造の複雑さがある。安倍前政権と同様、内閣の大黒柱として行政府ににらみを利かせるのは、安倍氏の盟友でもある麻生太郎副総理兼財務相だ。その一方、自民党は二階俊博幹事長が総裁の菅首相以上の権勢を誇っている。
内閣と党の支柱となる麻生、二階両氏は「前政権時代から反目し合う関係」(麻生派幹部)とされる。2020年9月に党内の圧倒的支持で菅政権が発足した段階では両氏の対立も目立たなかったが、コロナ禍への対応で菅内閣の支持率が急減した辺りから「状況が変わった」(同)。
菅首相は「内閣は麻生氏、党は二階氏と連携することでバランスに腐心してきた」(側近)。次期衆院選や自民党総裁選を乗り越えて政権を維持するためには、麻生、二階両氏の支援と協力が不可欠だからだ。
しかし、コロナ・五輪政局の結末次第では「オリパラ開催中に自民党内でポスト菅レースが動き出す可能性がある」(有力閣僚)のは否定できない。その場合、「麻生、二階両氏の主導権争いが始まるのは間違いない」(同)とみられている。
党内の派閥地図をみると、100人近い圧倒的最大派閥・細田派の事実上のリーダーは安倍氏で、盟友の麻生氏が率いる50人を超える第2勢力の麻生派が手を組めば、「50人未満の二階派だけでは対抗できない」(同)のは自明の理だ。
しかも、党内5大派閥を形成する竹下、岸田両派には「反二階感情が強い」(竹下派幹部)とされ、二階氏の権謀術数も数の力にねじ伏せられる可能性は大きい。
自民党内は「3A」対「2F」の戦いに
そうした状況も踏まえ、ここにきて自民党内では「『3A』対『2F』の戦い」に注目が集まっている。「3A」は安倍、麻生両氏に甘利明党税調会長を加えた実力者トリオ。「2F」は「二階」氏というわけだ。
甘利氏が主導して自民党内に発足させた「半導体戦略推進議員連盟」(甘利会長)では、最高顧問に安倍、麻生両氏がそろって就任して「3A」の結束ぶりをアピール。同議連の設立総会(5月21日)には細田派の細田博之会長、岸田派の岸田文雄会長ら各派閥の領袖級が一堂に会したが、二階氏や二階派幹部の姿はなかった。
さらに、次期総裁選出馬に意欲を示す岸田氏が発足させた「新たな資本主義を創る議員連盟」の最高顧問にも安倍、麻生両氏が就任。甘利氏は発起人に名を連ねている。まさに「ポスト菅」を視野に入れた二階氏包囲網ともみえ、二階氏周辺も警戒感を隠さない。
もちろん、与党内には「コロナ禍という戦後最大の有事に立ち向かっているのに、自民党内での権力闘争などありえない」(公明幹部)との批判も渦巻く。菅首相もコロナ対策と五輪開催のためのワクチン大作戦に集中している。
ここにきての自民党内の動きは「安倍氏の表舞台復帰が発火点」(自民長老)とされる。コロナ・五輪政局の混迷が続く限り、安倍氏が政局のキーパーソンとして注目されるのは間違いなさそうだ。
●二階氏発足議連の最高顧問に安倍氏〜その裏にある大人の駆け引き 6/16
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(6月16日放送)に数量政策学者の高橋洋一が出演。二階幹事長が自民党内で発足した「自由で開かれたインド太平洋」を推進するための議員連盟で安倍前総理が最高顧問に就任したというニュースについて解説した。
秋までに行われる衆議院選挙や自民党総裁選挙も見据え、自民党内で議員連盟の活動が活発になるなか、二階幹事長は自らを会長とする「自由で開かれたインド太平洋」を推進するための議員連盟を発足させ、安倍前総理が最高顧問に就任した。
飯田)6月15日、この議連の設立総会が開かれまして、およそ130人が出席したということです。
高橋)選挙の季節になると、このようにいろいろ動く人がたくさんいるのです。安倍さんも込み上げて来るものがあるのですよ。政治に対して条件反射で体が動くのです。
飯田)そういうモードになって来ている。
高橋)選挙が大好きな人ばかりですから、この人たちは。自ずと体が動いてしまうのではないですか。
飯田)11日には岸田文雄前政調会長が「新たな資本主義を創る議員連盟」を発足させています。これは選挙、または総裁選を見据えての動きですか?
高橋)それはそうでしょう。菅さんの任期は9月30日までです。選挙スケジュールだと、多分1週間か1ヵ月くらい総裁任期を伸ばしてやるというスケジュールになるのですが、いずれにしても、総選挙が天王山ではないですか。
飯田)総選挙を総裁選の前にやるか、あとにやるかという話がありますが、高橋さんがおっしゃったスケジュールだと総裁選は選挙のあとということですか?
高橋)あとだけれど、総選挙で全部決まりですよ。
飯田)「自由で開かれたインド太平洋」推進議連の話が出たときも、甘利さんが一言「チクッ」と、「これは中国に対する牽制のような趣旨なのに、二階さんではどうなのだ」というような話が出て来たり。
高橋)甘利さんの方は、「半導体戦略推進議員連盟」をやっているではないですか。これには3つのAが入っているわけです。
飯田)3つのA。
高橋)安倍、麻生、甘利。それに菅さんのSを加えると、安倍さんを担いだときのメンバーです。
飯田)第2次政権が発足した当初、3AプラスSと呼ばれた。
高橋)さすがにいまの菅さんは入れないけれども、3Aが入っているわけです。政治家は次の次の手を読みながら、いろいろな活動をするのですよ。その予測は正しいのだけれども、読みはみんなそれぞれあるのです。そういう動きを見ているだけで、先がわかります。3Aと二階さんとの関係で、これからバトルがあるのだと思います。二階さんは自分だけで担ぐのは辛いから、安倍さんを最高顧問に入れて「自由で開かれたインド太平洋」だと言うわけです。
飯田)二階さん側からすると、少し安倍さんや麻生さんの方に寄って行っているという感じになるのですか?
高橋)バトルするのだけれど、露骨にはしないのです。安倍さんならば顧問くらい引き受けてくれるでしょう。だから入れたのではないですか。
飯田)虚虚実実のような。
高橋)大人の世界ですから、これは。
●安倍前首相、また議連顧問に 6/16
自民党有志は16日、「国民皆歯科検診」の実現を目指す議員連盟(会長・古屋圭司元国家公安委員長)を設立し、安倍晋三前首相らが最高顧問に就任した。安倍氏は最近、二階俊博幹事長や甘利明税調会長、岸田文雄前政調会長らがそれぞれ立ち上げた議連の最高顧問に相次ぎ就任するなど、活動を活発化させている。
同日の初会合で、安倍氏は「人生100年時代、歯がとても大切だ。議連としてしっかり頑張りたい」とあいさつした。
●二階氏議連が発足 最高顧問に安倍氏 歩み寄り演出? 6/16
自民党の二階俊博幹事長が会長を務める「『自由で開かれたインド太平洋』推進議連」が15日、設立総会を開いた。最高顧問には安倍晋三前首相が就任。両者の間のすきま風がささやかれるなか、「歩み寄り」を演出した形だ。
設立総会では、二階派の伊吹文明元衆院議長とともに最高顧問に就任した安倍氏が「いろんな顧問を引き受けているが、この会こそ私も最高顧問を引き受けたいと思った」と語ると会場は笑いに包まれた。参院本会議が同時刻に開かれたため、参院議員の参加はなかったが、約130人の衆院議員が参加した。
秋にも行われる党役員人事を見据え、党内では主導権争いが表面化しつつある。最大の焦点が、二階氏の幹事長ポストだ。
安倍氏や麻生太郎副総理兼財務相、甘利明税調会長の「3A」は、複数の議連の幹部に相次いで就任して存在感を示しており、党内の主導権を長く握り続ける二階氏への牽制(けんせい)との見方が広がっていた。
二階氏が、安倍氏が首相時に打ち出した構想に関する議連を発足させ、最高顧問として迎えいれた背景には、こうした動きに対抗したいねらいもあった。
ただ、対中国を念頭に置いた同構想を推進する議連の会長に親中派として知られる二階氏が就くことについて、甘利氏が「二階氏が座って大丈夫か」と公然と疑問を投げかけるなど、火種も残る。
この日は、二階氏の議連と同じ時間帯に甘利氏が会長を務める半導体の議連の勉強会も予定されていた。二階派議員からは「けんかを売られた」との声があがり、太字で「必ずご出席を」と書かれた紙が派内に配られるなど、派を挙げた動員がかけられた。
結局、甘利氏の議連幹部は「知らなかった」として時間を変更した。ただ、党所属議員にとって、どちらの議連に参加するかを迫られた形で、「踏み絵だ」との声も漏れた。
●二階氏が「3A」対抗の新議連 安倍氏も出席、思わせぶりな発言 6/16
自民党の二階俊博幹事長は15日、自らが会長を務める「自由で開かれたインド太平洋」推進議員連盟を発足させ、設立総会を開いた。党内では秋までにある次期衆院選や党総裁選に伴う人事を見据え、安倍晋三前首相や麻生太郎副総理兼財務相、甘利明党税制調査会長の「3A」を中心とする議連などが相次いで立ち上がっている。今回の二階氏の新議連には、こうした動きをけん制する狙いが透ける。
新議連は、安倍氏が首相時代に提唱した外交構想・戦略を名称に冠し、後押ししていくのが目的で、安倍氏を最高顧問に迎えた。この日の総会で、二階氏は「われわれの思いが国際的に広がっていくように期待したい」などと強調。その隣に着席した安倍氏は「いろんな顧問を引き受けているが、この会こそ最高顧問を引き受けたい」と思わせぶりに発言し、満員の会場の笑いを誘う一幕もあった。
「3A」の3氏は5月、半導体産業の強化を目指す議連を発足させ、6月にあった日豪国会議員連盟の会合でも新たに最高顧問や顧問に就任するなど、党内の主導権争いに乗り出しつつある。
安倍、二階の両氏は安倍政権時代から幹事長ポストを巡って静かな緊張関係にあったが、菅義偉政権になりキングメーカーとして権勢を増した二階氏が今回、「3A」にくさびを打ち込むように安倍氏を自身の議連に抱き込んだ形。絡み合う思惑に、自民党関係者は「『二階包囲網』への焦りでしかない。秋に向かって党内政局は活発化するだろう」と見通す。
●安倍前総理が画策する「二階を落としてキングメーカーに」の深層 6/16
電撃退陣から9ヶ月。安倍晋三前総理が表舞台で活発に動き出した。五輪を前にして支持率が下がり続ける不人気の菅義偉首相を尻目に、「もう一度私が」と言わんばかりだ。
事実、元気になった安倍氏に期待する向きが自民党に生じている。6月11日、安倍氏が二つの議員連盟を梯子したことからもそれは明白だ。
ひとつは第二議員会館で開かれた、岸田文雄前政調会長が主催した「新たな資本主義を創る議員連盟」の設立総会。隣に座る麻生太郎副総理兼財務相を引き合いにし、こう挨拶した。
「今日は渋沢健さんの講演ということですが、渋沢栄一翁を1万円札のモデルに決めたのは安倍総理大臣と麻生財務大臣であります。一つだけ注文があるとしたら、大河ドラマ(の『青天を衝け』)を作るにあたって長州の描き方がちょっと一方的だと」
わざわざ自分を「安倍総理大臣」と呼ぶキングジョークで会場を沸かすと、中座し、今度は600メートル離れた自民党内で開かれた甘利明税調会長主催の「バッテリーの基礎産業振興議連」でも最高顧問として挨拶を行った。
さらに15日、二階俊博幹事長が会長に就く「自由で開かれたインド太平洋推進議連」でも、最高顧問に就任。この活発な動きについて、清和会に所属する議員がこう解説する。
「秋の総裁選を見越しての主導権争いであることは間違いない。コロナ感染拡大や五輪で不確定要素が大きいので菅政権がどうなるかわからないが、安倍さんは最大派閥(98名)の清和会を細田博之会長から引き継ぐ手はずが整っている。盟友の麻生副総理が率いる55名の志公会を足せば150名を超える国会議員が集まる。本人が再登板する気がある、というより、キングメーカーになることが狙いでしょう」
月刊誌「Hanada」7月号に登場した安倍氏は、菅義偉総理の続投を支持した上で、茂木敏充外相、加藤勝信官房長官、下村文雄政調会長、岸田氏4名の政治家を「ポスト菅」と名指しした。ただ、ここでは「ポスト菅」として挙げられなかった候補に注目すべきだ、と前述の議員はこう分析する。
「一人は石破茂元幹事長。安倍さんは心底彼のことを嫌っているので、石破さんだけは総理にしたくない、というのが本音だろうが、世論調査を行えば常に上位につけている。無視はできない。ただ、石破派は17名まで数が減っているので、秋の総裁選に出られても、次がラストチャンスとなるだろう。
もう一人は河野太郎ワクチン担当相。菅総理は小泉進次郎環境相と並んで目をかけて育てているが、河野さんは麻生派でもある。河野さんを持ち上げると、派閥内で代替わりが進み、麻生さんの求心力が衰えてしまう。安倍さんがキングメーカーとして振る舞うためには、麻生さんの力添えあってこそなので、あえて名前は挙げなかったが、当然『次の一人』と目されている」
実は、安倍氏の本当の狙いは「幹事長交代」にあるという。
「真のキングメーカーになるには、自分の息のかかった人間が幹事長でなければならない。二階幹事長では、自分の意のままには動かせない。首相は菅が続けても、幹事長は俺の息のかかった人間にやってもらう、というのが安倍の魂胆だ。現在のところ、岸田を幹事長に据えることを狙っているようだ」(自民党・古参議員)
とはいえ、権力を握る菅総理・二階幹事長がおいそれと安倍氏やその「後継者」にその地位を譲るはずもない。いま、水面下では安倍VS菅の激しい攻防が行われているのだ。
そのひとつが、「赤木ファイル」の公開。安倍政権のアキレス腱となった森友学園問題で、文書の改ざんを巡り自殺した近畿財務局職員がまとめたファイルが6月23日、大阪地裁で公開される。なぜこのタイミングで…という答えは、永田町では一つしかない。「活発化した安倍の動きをけん制するため」だ。
「菅政権下で前政権のスキャンダルを封じ込むのか、はたまた公にするのか、決められるは俺だ!という菅首相の示威行為だ。他にも『桜を見る会』前夜祭を巡る政治資金規正法違反で、安倍前総理をなぜ起訴しないのか、と弁護士グループが検察審査会に審査を申し立て受理されている。特捜部は『権力と一線を画する存在』と考えたいが、突然自分たちに矛先を向けてくるのではないか…と安倍周辺は警戒している」(全国紙政治部記者)
15日、二階幹事長が会長を務める議連に数分遅れで訪れた安倍前総理。マイクを握ると、
「いろんな(議連の)顧問を引き受けているが、この会こそ最高顧問を引き受けたかった」
と、憶測を呼ぶ挨拶で笑いを誘った。
振り返れば、安倍・二階の両氏は、安倍政権時代から幹事長ポストを巡って緊張関係にあった。安倍氏が幹事長を変えようと試みるも、政局に発展することを恐れ、結局は諦めざるを得なかった…ということが何度もあった。
二階幹事長続投か、交代か。五輪後の政局に向けて、テーブルの下では激しい抗争が繰り広げられている。
●二階氏、安倍氏迎え新議連 6/17
自民党の二階俊博幹事長は17日、町内会を支援する議員連盟を設立し、安倍晋三前首相を名誉顧問に迎えた。二階氏は15日に発足させた別の議連でも安倍氏に最高顧問を要請。秋の党役員人事を見据え、党内に影響力を持つ安倍氏を取り込んで主導権確保を図る。
議連は「自治会・町内会等を応援する会」で、自民党議員約120人が入会した。党本部で初会合を開き、安倍氏は「日本の基礎単位である自治会、町内会を応援したい」とあいさつした。議連活動を足場に、近づく衆院選に向けて自治会や町内会との関係を深めたいとの思惑がある。
●二階幹事長が「安倍前首相に屈した」その歴史的な瞬間 6/17
自民党の党内抗争がついに、しかもかなり露骨な形で表面化した。
6月15日、二階俊博幹事長が中心となって設立された「自由で開かれたインド太平洋」推進議員連盟設立総会。党所属国会議員に送られた案内状を入手した。
注目は議題2「安倍晋三前内閣総理大臣ご挨拶」だ。
自民党幹部代議士が言う。
「党内の権力抗争はこの秋、ヤマ場を迎える。安倍(A)、麻生(A)、甘利(A)+岸田(K)が、かなり早い段階で多数派構築のため同盟を結んだからね。菅義偉政権の生みの親、二階幹事長は、今や孤立無援といえる。このところ党内では、二階が政治家として生き残りをかけた『次の一手』に注目が集まっていた。それがなんと、安倍晋三を自らの議連の『最高顧問』に迎えるという、この荒技だったんだ」
「密」すぎる会場で、安倍・二階の対比が
15日17時から自民党本部で行われた「議連総会」には、予想を大きく上回る議員が詰めかけ、会場はたいへんな「密」だった。ちょうどその時間帯、参議院は会議中のため、衆院議員しか参加できなかったにもかかわらず、会場は席が足りなくて「立ち見」もでる盛況ぶりだった。
冒頭、挨拶をした二階の声は小さく、マスク越しのためもあってか、その掠れ声は聞き取りにくかった。続けて挨拶に立った安倍は、あの甲高い声で定番の「長州」ネタを投げて会場を沸かせた。
「敵陣からの一本釣り、あるいは前首相へのリスペクト、というより、なりふり構わぬいわば『抱きつき心中』に見える。3A+Kの頭目である安倍を自らの議連の最高顧問に据えるという二階さんのこの判断。恐れ入った。これにはさすがに驚いたよ」(自民党幹部)
現在、安倍は「最高顧問」の肩書きをいくつ持っているのか分らない。今の自民党は、疑惑にまみれ体調不良を理由に「逃げた」安倍を中心に、いくつもの惑星が周回している状態なのだ。
「二階さんは安倍さんの携帯に直接電話をして、『自由で開かれたインド太平洋の推進する議連なんだから是非ともご挨拶をお願いしたい』と言ったらしい。さすがの安倍さんも、この事案では断ることはできないんじゃないか」(同)
内容的にみて安倍が意を唱えることはできないはず。二階の読みは的中、安倍はいそいそと最高顧問に就いた。
「選挙のためにどっちにつくのか」という空虚
この二階議連が、なぜこうも大きな波紋となっているのかー。
この深謀は、練りに練って繰り出されていた。結果、党内隅々に行きわたり「二階ハレーションとしてすさまじい破壊力」なのだと、自民党若手議員が困惑の表情で言う。
「じつはこの日、同じ時間に、AAA同盟の甘利明税調会長の『半導体戦略推進議連』の勉強会が予定されていたんです。われわれ若手にとっては、どちらの会合に行くほうが選挙に有利に働くか…迷い悩みました。3ヶ月以内に必ず行われる衆院総選挙の前に、参加議員はいわば『踏み絵』を強いられたんです」
この時点で、3A+Kに与すべきか、二階幹事長を選択すべきなのか、選択を迫られた自民党議員は多かった。
数でいえば3A+Kが圧倒している。一方で、菅首相を擁した二階幹事長は、なんといっても選挙の公認権といった『党人事と政治資金の差配』をがっちり握っている。
これが、7年8ヶ月に及んだ長期安倍政権の「負の遺産」。政治家の矜持は失われ、派閥を形骸化した専政政治のなれの果てだ。自民党の政治家は自立心を失った。数の安倍か、権力の二階か。「なにか」に依存しなければ政治活動ができなくなってしまったのだ。
二階・安倍の「抱きつき心中」そのとき菅は
だからこそ二階も、幹事長として権力があるうちに勝負に出なければならなかった。二階が選んだ「一手」は安倍接近作戦。それは、秀吉亡き後、豊臣恩顧の家臣団から命を狙われることとなった石田三成が、助命を願い徳川家康の屋敷に逃げ込んだ有り様を想起させる、安倍への「抱きつき心中」作戦だ。
「幹事長職にとどまることはもうできないかもと不安な二階は、党内で再び力を示し始めた安倍との対峙を避け、多数派に乗り遅れてはならないと判断したのです」(安倍周辺議員)
自民党有力議員がこう解説する。
「二階幹事長は、菅政権が安倍傀儡(かいらい)だとわかっている。そうなら、自らのポジションを維持するためには、安倍が自民党の全権力を掌握することに近寄っていったほうが得策だと考えた。マキャベリスト二階の真骨頂というべき妙手だ」
自民党選対やマスコミ各社、民間調査会社による選挙区情勢調査で、菅政権の「不支持」は政権発足以来の最高値。自民党は逆風の中で選挙を戦うことになる。
とはいえ、菅政権は、安倍連合体の多数派工作によって続投が約束されている。政治家は、ひとたび権力にたどり着くと権力に固執する。総理総裁の椅子に座ろうとは夢にも思っていなかった菅だが、ヨレヨレながらも政権発足1年を迎えようとしている。
「菅首相は、国会答弁にも慣れ、作り笑いができるようになってきた。デジタル庁を本格稼働させて、ワクチン接種は接種券からマイナバーカード活用へ、GOTOキャンペーン再開までたどり着けば、もう少し政権を維持できると期待している」(前出議員)
総選挙を優先させるスケジュールに日程変更したのは、菅が初めて見せた「政治家としての野心」かもしれない。
ちなみに、二階議連とかち合った甘利半導体議連は、予定を30分動かして「譲り」、会合を開いた。
参加議員とマスコミで200人を超える大盛況となった二階議連発足会合。会場のぎゅう詰めの席には石破茂、野田聖子、稲田朋美ら「有力」議員の姿もあった。しかし目立っていたのは、壇上の安倍だったのである。主役であるはずの二階は、安倍の隣でただじっと座っているように見えた。二階議連は、安倍にジャックされたと感じたのは小誌だけではないだろう。
キングメーカー気取りの安倍の「活躍」が著しい。選挙を控えた自民議員たちは「力」に阿(おもね)る。しかし国民は、放り出されたままの数々の疑惑を忘れてはいない。
●「自民党のトランプ」と化す安倍前首相 左傾化批判の真の狙いは菅総理 6/19
安倍晋三・前首相のメディア露出が増え、キングメーカー説や再々登板説が喧しい。そうした安倍氏の“復権”に向けた動きと軌を一にして、保守派論壇からは自民党の“反安倍”政治家を批判する論調が強まっている。
批判のターゲットとなっているのが、「保守派のジャンヌ・ダルク」と呼ばれ、安倍氏の“後継者候補”とみられていた稲田朋美・元防衛相だ。稲田氏が野党と協議しLGBT(性的少数者)への理解増進法案とりまとめの立役者となったことが、保守派を刺激した。
安倍氏ににらまれたのは稲田氏だけではない。
安倍氏は『月刊Hanada』(7月号)のインタビューで「ポスト菅の総理・総裁候補」として茂木敏充・外相、加藤勝信・官房長官、下村博文・政調会長、岸田文雄・前政調会長を挙げたが、世論調査で4人より上位の河野太郎・行革担当相と小泉進次郎・環境相は含まれていなかった。
保守派言論人の2人への評価から、その理由が見えてくる。
女系天皇容認論者で知られる河野氏は昨年8月に「女性も皇室に残す」と提唱し、自民党保守派の反発を買った。
安倍再々登板論者の作家・深川保典氏は『月刊Hanada』(1月号)で河野発言に強い疑問を投げかけた。
〈一時の時代の空気で二千余年にわたって連綿と紡いできた「男系男子の皇統」を絶やしていいものだろうか。祖先に対する責任と子孫に対する責任を取れるのだろうか〉
また、「脱原発」論者の河野氏と再生可能エネルギーを重視する小泉氏は、原発政策でも安倍氏と対立する。菅政権が掲げる2050年にCO2排出を実質ゼロにするカーボンニュートラル政策に関連して、安倍氏は「原発の建て替え(リプレース)」が必要だと主張し、今年4月に自民党原発リプレース議連を立ちあげて顧問に就任した。
保守論壇の重鎮、櫻井よしこ氏は、菅政権でグリーン成長戦略を担う河野氏と小泉氏についてこう注文をつけた。
〈米国や中国には、国際社会に向けて(脱炭素の)旗を立てつつ国内の産業を守っていく“したたかさ”があります。小泉氏や河野氏は理想だけでなく“したたかさ”も持ち合わせているでしょうか。(中略)「カーボンニュートラル」に前のめりになるあまり、原子力やハイブリッドなどの分野で日本が積み重ねてきた技術力が蔑ろにされる恐れがあります〉(『WiLL』4月号)
河野、小泉両氏は安倍氏とその支持者のメガネにはかなっていない。
安倍氏が直接批判しなくても、保守派の論客が「安倍イズム」から外れた政治家に批判を浴びせて排除しようとする。
この現象を保守の憲政史家で作家の倉山満氏が次のように分析する。
「とくに反左翼の一部の層は、LGBTや夫婦別姓、脱原発など左翼が好みそうな政策を支持する者を“敵”とみなして攻撃する行動原理がある。そうした層が崇める象徴的な存在が安倍さんで、支持者たちはやがて反安倍であること自体を批判の対象にするようになった。彼らは安倍さんが政治活動を再開すると、再び活動を活発化させている」
よく似ているのが米国のトランプ前大統領と支持者の関係だ。支持者たちは「大統領選に不正があった」というトランプ氏の主張を今も信じ、共和党内の反トランプ派を批判。共和党会議議長でトランプ氏の弾劾決議に賛成票を投じたリズ・チェイニー下院議員は批判を浴びて議長を解任されるなど、共和党内は「トランプ支持派」と「反トランプ派」の対立が深刻化している。
安倍支持派の復権で自民党内もそうなっている。
稲田氏が火をつけた夫婦別姓問題では、党内に推進派の議連と反対派の議連が発足して対立し、CO2削減でも河野氏や小泉氏の路線を支持する「再生可能エネルギー普及拡大議連」と安倍氏らの「原発リプレース議連」がぶつかっている。
「自民党内の夫婦別姓議論を解禁し、LGBT法案など女性重視を掲げてそれまでの安倍路線を転換したのは菅総理だ。カーボンニュートラル政策でも菅さんは河野、小泉両氏に再エネを推進させることで後継者として育成しようとしている。
安倍応援団の本当の批判のターゲットは菅さんで、安倍イズムを壊して左傾化していると見ている。安倍氏がわざと菅首相に近い河野、小泉を除いた4人の名前を総理・総裁候補に挙げたのは、菅自民党がこのまま“安倍離れ”を進めるなら、保守地盤を動かして首相のクビをすげ替えるという恫喝です」(菅側近議員)
米共和党が“トランプ党”と化したように、自民党も“アベ党”に変身するのか。
●自民党、蓄電池議連が発足 6/21
自民党の「未来社会を創出する、バッテリー等の基盤産業振興議員連盟」の設立総会が11日、党本部で開かれた。2050年カーボンニュートラル実現の鍵を握る蓄電池を「国家の命運を左右する極めて重要な戦略分野」と位置付け、国際競争力の向上策などを検討する。電気自動車(EV)や定置用蓄電池を活用するVPP(仮想発電所)の推進などを政府に求める緊急決議を同日決定。今後の経済対策、税制改正などへの働き掛けを強める構えだ。
三宅伸吾参議院議員の呼び掛けで議連が発足した。事務局長に三宅氏が就任したほか、会長に甘利明衆議院議員、顧問に安倍晋三前首相が就いた。甘利氏はあいさつで、将来の再生可能エネルギー大量導入などを踏まえ「蓄電池は屋台骨を支える重要な産業。政策的に支援する」と強調。安倍氏は、「経済安全保障を念頭に議論を進めてほしい」と述べた。
緊急提言ではVPPのほか、蓄電池・材料の大規模生産拠点について、国内立地への支援を要望。蓄電池の国内需要確保のため、電動車の普及拡大に向けた包括措置も訴えた。
2019年にノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏も講演した。中国に続き、欧州連合(EU)や米国の自動車メーカーがEV化に進む中、主要国の中で日本だけがガラパゴス化し「危機的状況だ」と強調。移動手段だけでなく、EVを蓄電池として再生可能エネルギー安定化などに役立てる取り組みが、普及の鍵を握ると指摘した。
●「次の総理」調査で河野大臣トップ維持 2位石破氏、3位に菅首相浮上 6/21
FNNは6月19・20日の両日に電話世論調査(固定電話+携帯電話・RDD方式)を実施し、全国の18歳以上の男女1,129人から回答を得た。この中で「次の総理大臣には誰が相応しいと思うか」を12人の政治家の名前をあげて尋ねたところ、河野太郎規制改革相が19.2%でトップとなった。
以下、石破茂自民党元幹事長、菅義偉首相、小泉進次郎環境相、安倍晋三前首相、枝野幸男立憲民主党代表と続いた。詳細は以下の通り。
河野太郎 19.2% / 石破茂 16.4% / 菅義偉 10.7% / 小泉進次郎 8.7% / 安倍晋三 8.5% / 枝野幸男 4.4% / 岸田文雄 2.9% / 野田聖子 1.4% / 下村博文 0.5% / 西村康稔 0.5% / 茂木敏充 0.4% / 加藤勝信 0.3% / この中にはいない 19.0%
河野氏は今年2月の同様の調査でも22.4%とトップで、数値をやや下げたもののトップを維持した。2位は前回とほぼ横ばいだった。菅首相は2月調査では4.6%だったが今回は10.7%に伸ばし、前回3位の小泉進次郎環境相、前回4位の安倍晋三前首相を抑えて、3位に浮上した。
●丸山穂高議員が“謝罪する安倍前首相像”の東京展示計画に憤慨 6/21
古い政党から国民を守る党の丸山穂高衆議院議員(37)が20日、ツイッターで少女像の前で謝罪する安倍晋三前首相をモチーフにした像を東京で展示しているという報道に憤りの投稿をした。
丸山議員は従軍慰安婦を象徴する少女像の前でひざまずいて謝罪する安倍前首相をモチーフにした像を設置している韓国平昌の植物園「韓国自生植物園」の金昌烈園長が東京で像の展示会を検討している、という記事をリツイートした上で「『ひざまずいて謝罪する安倍晋三前首相をモチーフにした像』って完全にツッコミどころしかないぞ。別のに鳩山元首相が土下座してたのがいつのまにか少女像と安倍前総理に捏造」とかつて少女像の前でひざまずいた鳩山由紀夫元首相がいつの間にか安倍前首相に入れ替わったと指摘。
その上で「朝日捏造記事から始まった慰安婦の件は各国の少女像に。次はこれか?内外ともに厄介なやつらだ」といまだに世界各国に設置され、今回は日本に持ち込まれようとしている現状を嘆いた。
同園長は後援者を探しており、日本での展示が実現するかは不透明だという。
●「赤木ファイル」原本開示に…麻生大臣は消極的 6/25
原本の開示に消極的な考えを示しました。
麻生財務大臣:「これまで出されていた資料の中で『赤木ファイル』とおぼしきものを全部書き出した、それでこういうものになった。関連するものを適切に出してきたんだと思う」
国は今週、自殺した赤木俊夫さんが改ざんの経緯を書き記した「赤木ファイル」を開示しましたが、妻の雅子さんは開示されたものがすべてなのかを確認するため、コピーではなく原本を示すよう求めています。
麻生大臣は「関連するものを適切に出している」と述べ、原本の開示に消極的な姿勢を示しました。
●安倍前首相、全国行脚を本格化 細田派復帰に着々 6/25
自民党の安倍晋三前首相は25日、同日告示された東京都議選の応援や、秋までにある衆院選に向けた全国行脚を本格化させた。この日訪れた前橋市を含む衆院群馬1区は、安倍氏の出身派閥である最大勢力の細田派(清和政策研究会)と二階俊博幹事長率いる二階派(志帥会)にそれぞれ所属する現職議員が党公認をめぐり暗闘を繰り広げている。安倍氏の参戦で、両派の神経戦は強まりそうだ。
安倍氏は25日午前、東京都荒川区の神社などで党公認候補の応援演説を行った。新型コロナウイルス禍での東京五輪・パラリンピックについて「大変だが、挑戦し成功させることが世界の希望につながり、勇気を与える」と意義を強調した。追加経済対策の必要性にも言及した。
同日午後、安倍氏は前橋市に向かい、尾身朝子衆院議員の集会で講演した。背景には群馬1区の公認争いがあり、尾身氏と中曽根康隆氏=比例北関東=がしのぎを削っている。尾身氏は細田派に所属し、父は安倍氏に近い幸次元財務相。中曽根氏は二階派に所属し、祖父に康弘元首相、父に弘文元外相を持つ。
中曽根氏は前回衆院選で選挙区からの出馬を逃し、比例単独候補として初当選した。今回は選挙区へのくら替えを狙っており、二階派の圧力は強い。
二階氏は3月の党大会で、令和2年の党員獲得数が多かった国会議員上位10人を発表し、中曽根氏は8位に入った。二階氏は記者会見で、党員獲得数を公認の参考にするか問われ「当然だ」と述べている。二階派議員は「中曽根ブランドのほうが強い。差し替えるべきだ」と言い切る。
こうした状況に危機感を抱いた尾身氏側が安倍氏に講師を依頼した。集会後、安倍氏は記者団に「前回衆院選で相手を比例復活当選もさせず完勝した。尾身氏が公認候補でなくなることはあり得ない」と述べた。中曽根氏の処遇については「県連や党本部でよく協議をしてもらいたい」と語った。安倍氏は細田派と二階派の現職が公認を争う別の選挙区にも訪問する計画がある。
安倍氏は細田派への復帰を視野に入れており、衆院選後は数の力を背景にキングメーカーとなる可能性がある。細田派幹部は「衆院選後は『安倍派』になるだろう。安倍氏は所属議員を当選させるよう汗をかき、着々と足場を固めている」と解説した。
●安倍前首相の再々登板説が永田町で拡散 自宅は今も総理並み警備 6/29
安倍晋三前首相(66)が辞任してから約9カ月。6月22日に、財務省の公文書改ざん問題の経緯を記録した”赤木ファイル”が、自殺した赤木俊夫さんの妻・雅子さんに開示された。
首相の職も離れてもなお、森友学園問題や桜を見る会問題などで、いまだに疑惑を指摘され続ける安倍氏。だが、あるベテラン政治部記者によれば、「永田町には、いまだに“安倍再々登板説”が流れています」と話し、こう続ける。
「自民党内の当選3回以下の議員、いわゆる“安倍チルドレン”たちなどが、再び首相に担ごうと、安倍氏に働きかけているんです。
強硬な保守派や自民党が優勢な地方を中心に、安倍氏や妻・昭恵さんの人気は、現在でも根強いものがあります。
昭恵さんにも、『ご主人に再々登板をぜひすすめてください』というメッセージが届いているそうなんです」
そうした“安倍チルドレン”たちの動きを知ってか知らずか、安倍夫妻への警護は、菅義偉首相(72)と同じレベルの体制が続いている。
6月24日、東京・渋谷区にある安倍夫妻の自宅マンション周辺は、首相だったころと同じ物々しい警備がいまだに敷かれていた。
大通りには機動隊車両が待機し、自宅に続く道路はバリケードで封鎖され、数メートルおきに警官が立っている。政治評論家の有馬晴海氏は、こう解説する。
「安倍氏は、菅政権の“生みの親”と言っていいほど、現政権への影響力が強い。警護レベルの高さは、警視庁が重要人物と判断しているということにほかなりません。永田町に“安倍再々登板説”が流れている以上、警視庁も配慮しているのでしょう」
持病の潰瘍性大腸炎が悪化して辞任した安倍氏だが、「新薬の免疫抑制剤が効き、かなり回復したそうです」(政治部記者)という。
再び、政治家としての血が騒ぎはじめているのか――。
「ゴルフに出かけられるほど体調を戻し、講演や会合にも積極的に出るようになった安倍さんを、菅総理も警戒しています。5月に緊急事態宣言が延長されることが決まったとき、安倍さんは、『俺ならもっと厳しめにやるのにな』と漏らしていました」(自民党幹部)
安倍首相は、『月刊Hanada』7月号のインタビューで、“ポスト菅”に言及したことも波紋を呼んでいる。
インタビューでは、《自民党は人材の宝庫ですから》と、茂木敏充外相(65)、加藤勝信官房長官(65)、下村博文政調会長(67)、岸田文雄元外相(63)の名前を挙げていたが、「安倍さんの底意地の悪さを感じます」と、前出・自民党幹部は苦笑する。
「メディア各社の世論調査で、“次の総理”の1位に挙がる河野太郎行革担当相(58)の名前を挙げなかったんです。安倍氏が挙げた4人は、どの社の調査でも河野氏と順位に開きがある。永田町には、『安倍さんはまだやる気だ』と皮肉る人もいますよ」
総選挙がある今年。永田町では“在職歴代最長首相”の存在感が再び増している――。
 
 
 
 2021/7

 

●都議選応援で大人気「安倍前首相」 総選挙後「菅退陣」で再々登板も 7/2
ワクチン接種が進み、東京オリンピック・パラリンピックでの熱狂に国民の目を釘付けにすれば、これまでの失政への冷たい視線を和らぐだろう。そこで解散総選挙に持ち込めば自民党総裁選はナシになって、晴れて本格政権に持ち込める……。そんな青写真を描くのが菅義偉首相だが、総選挙で議席をかなり減らせば総辞職は不可避となって総裁選への出馬を余儀なくされる。永田町ではそのボーダーラインと「ネクスト菅」を探る動きが始まっており、有力な候補として安倍晋三前首相の名が上がり始めている。
「9月9日に臨時国会を召集して冒頭で衆院を解散、投開票は10月3日になるとか、9月16日解散で10月10日投開票といったスケジュールが取りざたされています。いずれにせよ、自民党総裁選前のタイミングになるはずです」 と政治部デスク。
「現在の自公の勢力は306。選挙でそれ以上議席数を伸ばすことはまずできないでしょうが、勝敗ラインとして『30減』までは許容されるのではないかという見方が出ています。これは、衆議院のすべての常任委員会で委員長ポストを独占し、かつ各委員会で過半数の委員を与党が確保できる状態を指す「絶対安定多数」のレベルにあります。ただ、これが『35減』になると、“菅さんでいいのか、続けさせるべきではない?”といった声が上がる可能性があります。となると、菅政権は退陣し、自民党総裁選が始まることになります」
総裁選は国政選挙と違って、金銭の授受を取り締まる法律が厳密にはないから、札束が飛び交う「仁義なき戦い」だ。いささか古いたとえになるが、総裁選は候補2派からカネをもらう議員が「ニッカ」、3重取りは「サントリー」、全陣営からの場合は「オールドパー」と呼ばれるなど、「ザ・金権選挙」となってきた。現代でもカネの部分はともかく、派閥の論理むき出しの「はないちもんめ」「仲間外れ」が平然と行われる。
ここからは、菅首相が総選挙で勝敗ラインを勝ち取れずに退陣を表明し、後継候補を総裁選で選ぶことになったと仮定して話を進めよう。現時点での各派閥勢力は以下の通りだ。
・細田派96 派閥ボス:細田博之元官房長官 ・麻生派55 同:麻生太郎財務相 ・竹下派52 同:竹下亘元総務会長 ・岸田派47 同:岸田文雄元政調会長 ・二階派47 同:不在 ・石破派17 同:不在 ・石原派10 同:石原伸晃元幹事長 ・無派閥63
・計335
「総裁選には地方の声をより多く盛り込む選挙のやり方もありますが、今回はそれを排除し、純粋に議員票だけで見てみましょう。安倍さんが所属する細田派と麻生さんの麻生派は2人の盟友関係から基本的には一枚岩で、それだけで全議員の45%を占めます。そこに岸田派を加えれば過半数を取ってしまう。後継候補として岸田さんでまとまるなら話が早いということになるでしょう」
しかし、コトはそう単純に進まない部分がある。かねて指摘されてきた岸田氏の不人気だ。
「総裁選が近づくと、“次の総理総裁にふさわしいのは誰?”というアンケートが行われますが、決まって岸田さんは最下位争いをしてしまいます。国民的人気がないということですから、せっかく総裁・首相に選んでも早晩、政権が頓挫しかねないとなると、『岸田回避』という動きが出てくることになるでしょう」
とはいえ、細田、麻生両派が自派から出してまとまる候補がいるというわけではないから、こちらも話は単純ではない。
「細田派の候補でいうと第一は萩生田(光一)文科相ということになりますが、57歳と若く派内がまとまるのは難しそう。麻生派でいうと河野(太郎)ワクチン担当相ですが、安倍さんは河野さんを嫌っているし、そもそも麻生派内にもアンチ河野がいて、とてもまとまるとは思えません。ということで、派閥外から候補を探ることになるわけです」
そこで候補となりそうなのが、加藤勝信官房長官、茂木敏充外相。いずれも竹下派所属だ。
「二人とも“政治家になったからには総理総裁を目指さないということはない”と、まぁまどろっこしい言い方ですが、意欲は十分。第3派閥ですから、上位2派閥の支持を得なければ総裁選当選はもちろん、その後の政権運営は不安定になる。加藤さんの義母・睦子さんは安倍さんの母・洋子さんと昵懇で、勝信氏を首相にという思いを伝えてきました。茂木さんはと言うと、“冷たい”とか“怖い、パワハラ気味”といった評価を払拭するため、派内の若手に積極的に声をかけ、親身に相談に乗ってきたと言われています」
加藤氏には二階派からもアプローチがあるという。では、この2人のどちらかで決まりかというと、さにあらず。
「岸田さん同様、“次の総理総裁にふさわしいのは誰?”を聞いて回ると、2人は上位には出てこない。国民的な人気が全くないのです。決定力を欠く3人を尻目にジリジリ存在感を高めているのが安倍さんです」
昨年9月に突如、病気を理由に首相の座を退いた安倍氏。その後、主催した「桜を見る会」前夜祭を巡る収支が安倍氏の関連政治団体の政治資金収支報告書に記載されていない問題で、東京地検特捜部による捜査を受けた。安倍氏は嫌疑不十分で不起訴処分、前夜祭を主催した政治団体代表の公設第1秘書が政治資金規正法違反(不記載)罪で略式起訴された。
「安倍さんの不起訴は不当だということで検察審査会に審査が申し立てられていますが、安倍さんは年明け以降、政治活動を再開させてきました。7月4日に投開票となる都議選では応援要請が相次ぎ、実際、多くの聴衆が詰め掛け、その反応はすこぶる良いようです。安倍さんは首相時代、演説の際に熱狂的な応援の一方で侮蔑の視線も数多く浴びてきた経験があり、現役政治家として、応援演説の手応えを最もよく知る人物だと言っていい。その安倍さんが自身の人気を改めて認識しているということで、再々登板の可能性が日を追うごとに高まっていると見ています」
総選挙で与党が35以上議席を減らすと、政局が起こって前首相が浮上してくるというシナリオは果たして……。
●安倍前首相“反日が五輪反対”発言に猛批判「1年延期」の責任問う声も 7/3
「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」
6月25日発売の月刊誌「Hanada」(飛鳥新社)に掲載された、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏(75)との対談でこう述べたのは安倍晋三前首相(66)。
毎日新聞によると、共産党や社説で東京五輪・パラリンピックの中止を求めた朝日新聞に対して批判したという安倍氏。五輪開催を批判する野党について、「日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか」とも述べたという。
また安倍氏は、五輪を開催する意義について「(日本人選手のメダル獲得などの)感動を共有することは日本人同士の絆を確かめ合うことになる」などと主張したとも伝えられている。
残すところ20日と差し迫ってきた東京五輪。しかし東京都の新型コロナの感染者数もリバウンド傾向にあり、第5波が懸念されている。またワクチン接種も全国民に、十分に行き渡っていない状況だ。
政府分科会の尾身茂会長(72)が6月3日に、「パンデミックの中で開催するということが普通でない」と警鐘を鳴らしていたことも記憶に新しい。
コロナ禍の状況を鑑みず、“反日的な人が五輪に反対している”と決めつけるような安倍氏の発言に、ネット上では批判の声が殺到している。
《全てが精神論で、安倍さんの主観に基づく発言。反日という言葉は非国民の現代版で、国会議員、ましてやかつて首相だった人が使って良い言葉とは思えない》
《どこに反日って根拠があるのかわからん。今やらなきゃいけない理由を国民に説明するのが先では?》
コロナ禍によって1年延期された東京五輪だが、そもそもその決定を下した張本人が安倍氏だ。
国内で新型コロナの感染が拡大し始めた昨年3月24日。当時首相だった安倍氏はIOCのバッハ会長と電話会談し、1年延期を提案。当時の報道によると、「開催国・日本として、現下の状況を踏まえ、世界のアスリートの皆さんが最高のコンディションでプレーでき、観客の皆さんにとって、安全で安心な大会とする」とバッハ会長に伝えたという。安倍氏の申し出に、バッハ会長も「100%同意する」と受諾したと伝えられた。
周囲からは“2年延期案”も出ていたというが、安倍氏が押し切ったことで1年延期が確定したという。
「大会組織委員会の高橋治之理事(77)は昨年3月に、『2年の延期が現実的だ』と主張していました。森喜朗元会長(83)は高橋理事の発言を咎めましたが、同年4月に『自分は2年延期案だったが、安倍氏が1年延期にこだわった』と五輪関連の会合で明かしていたといいます。最近では与党内部でも開催を躊躇う声が上がっています。
安倍氏は『人類が新型コロナに打ち勝った証として、完全な形で開催する』と主張していましたが、五輪開催がなぜ1年後に可能なのか具体的な根拠は示しませんでした。13年に自らプレゼンテーションし、五輪招致を勝ち取っただけに在任中に開催することが悲願だったのでしょう」(全国紙記者)
新型コロナ対策では「布マスク2枚」を配布するなどで、大きく批判を浴びた安倍氏。最終的に、山積する課題を菅義偉首相(72)に引き継ぎ、「1年延期の五輪」を残したまま辞任した。その責任を問う声も広がっている。
《「1年延期」にこだわったのは誰ですか? 誰のせいでこうなったんですかね?》
《この主張は全く無意味。1年延期で妥協してしまった自分の判断のまずさを詫びろよ! 2年にしていたらどんなによかった事か。いまんとこ何にもコロナに打ち勝ってないだろ!》
●安倍前首相「反日的な人が五輪開催に強く反対」 月刊誌の対談に 7/3
安倍晋三前首相は発売中の月刊誌「Hanada」で、東京オリンピック・パラリンピックについて、「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」と批判した。具体的には共産党や5月の社説で中止を求めた朝日新聞を挙げた。
安倍氏は五輪の意義について、「(日本人選手のメダル獲得などの)感動を共有することは日本人同士の絆を確かめ合うことになる」「自由と民主主義を奉じる日本がオリンピックを成功させることは歴史的な意味があり、日本にはその責任がある」と強調。五輪開催を批判する野党については「彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか」とも述べた。
また、安倍氏は6月9日に菅義偉首相と初の党首討論に臨んだ立憲民主党の枝野幸男代表の論戦姿勢について、「(演説)プランが崩れることを非常に嫌う」と述べ、「『非常に自己愛が強いので、批判されることに耐えられないのではないか』と見る人もいる」と指摘した。枝野氏について、「(当時首相だった安倍氏への)一方的な批判に終始するなど、インタラクティブ(双方向)な議論を避ける特徴がある」とも批判した。ジャーナリストの桜井よしこ氏との対談で述べた。
●安倍前首相「反日的な人が五輪反対」に怒りの声続出 7/3
安倍晋三前首相(66)の「反日的な人が五輪開催に強く反対している」発言が波紋を広げている。
安倍前首相は発売中の月刊誌「Hanada」で櫻井よしこ氏と対談し、東京オリンピック・パラリンピックについて「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」とコメントしている。
この安倍前首相の反日発言に対し、SNS上でコメントが殺到。日本共産党の志位和夫委員長は「自分に反対するものを『反日』とレッテルを貼る。こういう貧しくも愚かな発言を、一国の総理までつとめたものがしてはならない」と糾弾。
作家の平野啓一郎氏は「こういう人物が前首相で、10年がかりで日本をぶち壊し、あわよくばもう一度と考えている現実を直視すべき。『非常に自己愛が強いので、批判されることに耐えられない』とは、自分のことではなく枝野氏の分析らしい。失笑。」と皮肉った。
国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソン氏は「政治家としては後戻りできなくなる発信。そのリスクは織り込み済みだとすると今後は『トランプ化』に振り切れる予兆」とアメリカのトランプ前大統領にダブらせた。
ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は「自身と異なる見解の人々を『反日的ではないかと批判されている人たち』と乱暴に形容する人物が『日本人同士の絆を確かめ合う』ことなど不可能でしょう。このような対人姿勢で確かめ合えるのは同質的な価値観を有する人との絆だけです」とコメントを寄せた。
●東京五輪開催に反対する人は反日なのか? 7/4
安倍前首相が月刊誌で「反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」と言っているが、そうだろうか?反対しているのは主としてコロナ感染が広がり日本人の命が脅かされるのを心配しているからではないのか?偶然、同月号に厳しく中国を非難する論考を書きながら、一方ではコロナ禍での東京五輪開催には反対している者として私見を述べたい。
安倍前首相の主張
安倍前首相が月刊誌『Hanada』における対談で、「東京五輪を政治利用する野党に向けた発言」という流れの中で、以下のように言っている。
――極めて政治的な意図を感じざるを得ませんね。彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか。共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています。朝日新聞なども明確に反対を表明しました。(引用ここまで)
野党が東京五輪(東京オリンピック・パラリンピック)開催に反対しているのは、「菅政権を引きずり降ろすために、五輪を政治利用している」のであって、これは「極めて政治的意図」に基づいたもので、共産党(遠藤注:日本共産党)や朝日新聞などの「反日的人たちが五輪開催に強く反対している」と言っているという流れになっている。
たしかに一部の党派やメディアが歴史認識において日本を誤導し、結果反日的となっていることは否定しない。しかし6月27日のコラム<河野太郎の父・河野洋平等が建党百年に祝電――中国共産党万歳!>にも書いたように、自民党の中にも「河野談話」といった歴史的に反日的論説を述べ、世界的に大きな影響を与えている人もいるので、党派で決めるわけにはいかないかもしれない。
私はたまたま同月号に<米中「悪魔の密約」ウイグルジェノサイド>という、極めて強く中国を批判する論考を掲載して頂いているので、同じ雑誌で安倍氏がこのようなことを仰っておられることに関しては興味を抱く。
月刊誌『Hanada』は、日本の国益に沿う内容であるならば、さまざまな角度からの主張を広く網羅するという寛容さがあり、同じ雑誌の中で真逆の主張であっても、同時に掲載されている場合も頻繁に見受けられる。私はこの編集姿勢を高く評価しているし、特に担当編集者の強い正義感と公平さには頭が下がる。
この視点を基本とした上で、以下の論考を展開する。
私が東京五輪開催に反対する理由
私自身はコロナ禍における東京五輪の開催には反対だ。
一つには、開催すればコロナ感染が拡大することは十分に予測されることで、日本人の命がより多く失われることが懸念されるからだ。
私の友人のご親族はコロナに罹ったが高齢のために入院させてもらえず、すなわち入院患者のベッド数が足りないので命の選択をされてしまい、亡くなられた。
このように医療資源が逼迫している中、五輪選手やその関係者のために多くの医者や看護師が動員され、そうでなくとも足りなくなっている日本の医療資源を奪っていく。
ワクチンに関しても日本では他国に比べて出足が遅かったために、今も行きわたっておらず、自治体などの接種体制は準備されてもワクチンがないために接種ができない状態が続いている。その数少ないワクチンを、五輪関係者には優先的に配分していくというのは、やはりある種の命の格差化で非人道的である。だから反対している。
これは反日とか親日といった政治的感情とは全く別の問題だ。
次に反対している理由は、政治的判断に属するかもしれないが、それは「反日とは真逆」の判断であり、「中国に有利になるので、日本の国益を優先すべきだ」という考えに基づく。
なぜなら中国が東京五輪開催を支援する裏を知っているからだ。
そのため、たとえば5月28日にはコラム<バッハとテドロスは習近平と同じ船に:漕ぎ手は「玉砕」日本>を書き、また5月26日にはコラム<バッハ会長らの日本侮辱発言の裏に習近平との緊密さ>などを書いて、コロナ禍における東京五輪開催に反対してきた。
もし東京大会が開催されないことになれば、それはコロナのせい以外の何ものでもないので、当然のこととして、最初に武漢のコロナ感染の外流を防げなかった習近平に責任追及の矛先がいく。
その理由に関しては2020年1月31日のコラム<習近平とWHO事務局長の「仲」が人類に危機をもたらす>や2020年1月24日のコラム<新型コロナウイルス肺炎、習近平の指示はなぜ遅れたのか?>で書いた事実があるからだ。
もし日本が東京五輪を開催すれば、習近平は非難を免れ、おまけに北京冬季五輪のボイコットを日本が叫べなくなるので、習近平としては何としても東京五輪を開催してほしいのである。
そういう視点からも、コロナ禍における東京五輪の開催には反対している。 
毎日新聞などの報道
一方、毎日新聞などは安倍氏の「反日的な人が五輪開催に強く反対」という所だけを切り取って報道している。
見出しを書くときにはどうしても短く一部分だけを切り取らざるを得ないのは(私自身も最も苦労するところなので)十分に理解できるが、その見出しが誤解を招き、逆に政治利用されているような側面も否めない。よく読めば、毎日新聞の本文ではきちんと「具体的には共産党や5月の社説で中止を求めた朝日新聞を挙げた」と書いてはある。
多くの週刊誌も安倍発言をさまざまな角度から非難しており、その際、毎日新聞同様、「一部を切り取っている側面」は、否定はしない。しかし、これだけ多くの人たちが毎日新聞や多くの週刊誌の主張に賛同の意を表すのは、安倍氏自身に問題があるからではないだろうか。
安倍氏こそ親中により日本国民の利益を損ねている
私はもともと安倍首相の支援者だった。どちらかと言うと心から支援していた。
しかし2018年以降、自分を国賓として中国に招聘してもらうために二階幹事長に親書を持たせて習近平に会わせ、一帯一路協力を交換条件として国賓としての訪中を成し遂げたあたりから支援できなくなっていた。特にその見返りに習近平を国賓として日本に招聘するという約束を習近平と交わしてからは、「絶対に反対である」という考え方を揺ぎないものとして貫いてきた。
田原総一朗氏との対談『日中と習近平国賓』という本を出版して猛反対したほどだ。
田原氏は対談で、田原氏ご自身が二階幹事長や当時の安倍首相に「習近平を国賓として招聘するよう、私が進言しました」と述べ、「中国とは仲良くすべき! 何が悪いんですか?」をくり返された。向かう私は「「習近平を国賓として招くべきではない! 」」として、習近平の国賓来日がなぜ日本に不利益をもたらすかを主張し続けた。
これがあるから現在の菅政権がG7とともに「対中包囲網」を形成しようとしても内実は非常に緩く、実際にやっている政治は「親中的」なので、中国に有利な状況をもたらしていると多くのコラムに書き続けている。
7月2日のコラム<中山服をトップのみが着るのは中国政治の基本:建党100周年大会の構成と習近平演説を解剖>においてさえ、末尾部分で「あまり効力の高くない対中包囲網だとすると、アメリカは結局、中国人民の党への忠誠心を増強させる結果を招くだけになる。一党支配体制強化につながるのだ。だから私は日頃から、バイデン政権の『実際には効力のない、表面上の対中包囲網』に対して警鐘を鳴らし続けているのである」と書いたほどだ。
こういった視点に基づく主張は首尾一貫しており、2020年2月20日のコラム<習近平国賓訪日への忖度が招いた日本の「水際失敗」>や2020年3月6日のコラム<今さら!水際、中国全土を対象――習近平国賓来日延期と抱き合わせ>あるいは3月9日のコラム<コロナ禍は人災>などを書いてきた。
安倍氏は体調を崩されて退任なさったので、もう責任追求はやめておこうと思っていたのだが、今般、このような発言をなさっているのを見ると、何も反省しておられないし、事態が分かっておられないというのを痛感して考えを述べた次第だ。
もっとも、私は同じように反対しているからと言って、野党とは全く考えを異にする者なので、政治利用はしないようにして頂きたい。
結論から言えば開催を反対している者の中には反日的な人もいるかもしれないが、開催に反対している人が「反日」とは限らないということである。しかも「反日」という表現も適切でなく、「反政府」ではないのだろうか。
自民党の今のやり方に反対したら「反日」だというのでは、まるで香港で「国安法」により多くの「反香港政府者」を逮捕させている習近平のようで、これは民主主義社会の考え方ではないということになる。
私たち日本人は、普通に日本人の命を守ろうと思う権利を持っている。
そのことだけは警告しておきたい。
(なお、本論とは外れるが、ウイグル問題に関して制裁できる根拠となるマグニツキー法を今国会で審議さえさせなかったのは、自民党の二階幹事長周辺や公明党という与党であることを付言しておく。これが親中でなくて、何であろう!これこそが「反日」ではないのか?)
●安倍さんの「反日的」発言、批判に向き合えない未成熟≠ネ日本  7/5
安倍晋三前首相が、新型コロナウイルスの感染拡大が続くなかでの東京五輪・パラリンピックについて、「反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」と月刊誌の対談で主張しました。批判に向き合うことができない政治が招くもの――。朝日新聞政治部の南彰記者が金曜日の国会周辺で感じたことをつづります。
人権派弁護士への表彰
7月1日、アメリカの国務省で、人身売買と闘う「ヒーロー」への表彰式が行われました。8人選ばれたうちの一人が、日本で外国人労働者の権利保護に取り組む弁護士の指宿昭一さんです。
米国務省がまとめた今年の人身売買に関する年次報告書では、技能実習制度の悪用などを挙げ、「日本政府は人身売買撲滅の最低基準を完全には満たしていない」と指摘しています。そうした日本の状況のなかで、指宿さんの取り組みについて、「日本の技能実習制度における強制労働の被害者を支援し、虐待を防止してきた」と評価していました。
指宿さんは表彰式に寄せたメッセージ動画でこう訴えました。
「日本の技能実習制度は人身取引と中間搾取の温床になっています。私たちはこの制度を数年以内に廃止に追い込む考えです。そして外国人労働者が団結して、権利を主張できる状況をつくりだします。人身取引と闘う全世界の仲間と共に闘います」
その指宿さんに対し、日本政府はきちんと向き合おうとしません。
指宿さんは今年の通常国会に政府が提出した出入国管理法(入管法)改正案や現在の入管行政の問題点を指摘。3月にスリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が名古屋の入管施設で死亡した問題でも遺族の代理人を務めています。
5月17日、ウィシュマさんの遺族が名古屋入管の施設を訪れたときには、法務省・入管側は指宿さんら同行した弁護士の視察を拒否。翌18日夜にウィシュマさんの遺族と上川陽子法相が面会した際も、最終的に指宿さんの同席が認められたものの、指宿さんは面会後に次のように振り返りました。
「私は大臣に名刺を渡そうとしたが、名刺交換に応じないし、私の問いかけに返事もない」
抗議を繰り返す日本政府
さて、指宿さんなどが問題点を指摘し続けた入管法改正案は、世論の批判の高まりを受けて、政府・与党は通常国会での成立を断念。事実上の廃案となり、秋の衆院選の後に仕切り直しとなりました。
司法のチェックや収容期限もなく、在留資格のない外国人を全員収容する日本の入管政策に対しては、国連の人権機関から繰り返し厳しい勧告がなされてきました。
今回成立が見送られた入管法改正案に対しても、国連人権理事会の3人の特別報告者と恣意的拘禁作業部会が3月末、連名で「国際的な人権基準を満たしていない」と改正案の再検討を求める書簡を日本政府に提出。国連難民高等弁務官事務所も同様の「懸念」を表明していました。
ところが、日本政府が取った行動は抗議です。
国連人権高等弁務官事務所に対して4月6日に行った申し入れでは、「(法案は)外国人の人権に十分に配慮した適正なものだ」と反論。「我が国から事前の説明を受けずに、本書簡において一方的に見解を公表したことについては、我が国として抗議せざるを得ません」と主張したのです。
近年、国連の特別報告者に対する日本政府の抗議や軽視が目立ちます。
例えば、安倍政権だった2017年5月。「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法(いわゆる共謀罪法)が国会で審議されているときに、国連特別報告者のジョセフ・カナタチさんが「法案はプライバシーや表現の自由を制約するおそれがある」と懸念を表明する書簡を安倍晋三首相(当時)あてに送りました。
日本政府は即座に国連へ抗議。菅義偉官房長官(当時)が記者会見で、「政府が直接説明する機会はなく、公開書簡の形で一方的に発出された。内容は明らかに不適切」と批判し、「特別報告者は国連の立場を反映するものではない」とまで主張したのです。
政府・与党は法案審議でカナタチ氏の指摘を顧みることなく、同年6月15日に国会審議を省略する「中間報告」という異例の手段を使って、採決を強行。共謀罪法を成立させました。
「法律上も運用上も国民への監視が強化されることはあり得ず、救済策は不要」
そのようにカナタチさんに回答したのは、法施行後の同年8月になってからでした。
「王冠にのせる宝石」
「日本は長い期間、国連人権理事会の理事国を務めており、特別報告者の制度をつくってきた重要な担い手の一つです。それにもかかわらず、日本への勧告が出るたびに、『勧告は誤解に基づいている』『事実誤認だ』『不適切な内容だ』『一方的な声明だ』と拒絶し、否定しています。このような態度は世界中からどのように受け止められるでしょうか」
このように心配しているのは、イギリスのエセックス大人権センターフェローの藤田早苗さんです。
藤田さんは、特別報告者の権限は国連憲章に根拠があり、その手続きは人権理事会で定めた「行動綱領」に基づいて行われていることを解説。「特別報告者の勧告は、日本政府も実施義務を負う人権条約などの国際人権基準に基づくもので、個人的な意見ではありません」と指摘します。
「2006年に当時のアナン国連事務総長が特別報告者を『国連人権機関の王冠にのせる宝石』と評しましたが、それくらい重要な役割を担っているのです」
実際、国連特別報告者の勧告を受けて、法整備を改めるケースもあります。
藤田さんによると、2020年、フランスの治安対策法案に対し、5人の特別報告者が懸念を示す書簡を出し、フランス政府は法案の一部を改訂。2015年にはイギリスの監視法案を特別報告者が厳しく批判し、イギリス政府が法案の一部を修正しました。また、ブラジルでも2020年、問題が指摘されていた「フェイクニュース対策法案」の審議に際し、表現の自由に関する特別報告者を国会に招待し、意見を求めたといいます。
藤田さんは「これらはほんの一例で、特別報告者は法案や制度をよりよくするために喜んで助言してくれます。日本も特別報告者と『建設的対話』をすべきで、入管法見直しにあたっても、特別報告者を起草や審議に招くなど、積極的に活用すべきです」と訴えます。
藤田さんが危惧するのは、批判に背を向ける日本の姿勢が「悪い意味で目立っている」と感じているからです。
「2014年にジュネーブで行われた国連自由権規約委員会の審査でも、日本政府はきちんとした回答をせず、委員から『これでは時間の無駄』『翌日出直して来るように』と言われ、議長からは『日本は何度同じ勧告を出されても従おうとしない。日本政府は国際社会に対して反抗しているようにみえる』とまで指摘されました。こうした態度を続けていると、日本の国際的な評価を下げ、信頼も失ってしまいます」
「批判もする友達」
藤田さんがキーワードとしてあげるのが、「クリティカル・フレンド」です。
「日本語では『批判もする友達』と訳されますが、大事な友達が、何か危険なことをして傷つきそうなときに、警告をする友達のことです。特別報告者はそうしたクリティカル・フレンドとして、多くの国に勧告を与えてきました。忠告してくれる友達に対して、『私は悪くない。おまえがおかしいのだ』という人がいたらどう思うでしょうか?忠告に対して『ありがとう』と受け入れ、建設的な対話を行い、改善するのが成熟した態度ではないでしょうか」
これは国際社会との向き合い方だけではありません。
先月末に発売された月刊誌の対談で、安倍さんが東京オリパラについて、「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」と主張しました。新型コロナウイルスの感染拡大が進むなかでの開催に対し、「健康と命」を優先するよう求める訴えに対して、「反日的」という一方的なレッテルを貼っておとしめようとしたのです。まるでトランプ前米大統領のように、分断をあおるかのような言説です 安倍さんはこの対談のなかで、今夏のオリパラ開催を批判する野党に対し、「彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか」とも語っています。
「この道しかない」と訴える安倍さんが7年8カ月、首相を務めるなか、異論を軽視や敵視する政治が続いてきました。「クリティカル・フレンド」を大切にし、幅広い納得と信頼を得られる政治や社会にしていくにはどうしたらいいのか。このことがいま問われていると思います。
●安倍元首相「オリパラ反対派は反日」発言に異議あり  7/5
安倍晋三前首相は発売中の月刊誌「月刊Hanada2021年8月号」で、東京オリンピック・パラリンピックについて、「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」と批判した。
共産党や5月の社説で中止を求めた朝日新聞を挙げたのだ。安倍氏は五輪の意義について、「(日本人選手のメダル獲得などの)感動を共有することは日本人同士の絆を確かめ合うことになる」「自由と民主主義を奉じる日本がオリンピックを成功させることは歴史的な意味があり、日本にはその責任がある」と強調し、五輪開催を批判する野党については「彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか」とも述べたのである。
しかし、オリンピックに反対しているのは、左翼・リベラルだけではない。保守・右翼の人々も、一部ではあるが反対している。また、リベラル思想を持つ人々も、反日の観点から反対しているというよりは、オリンピック開催によって、国内に感染が広がったり、国外にもコロナを広めてしまう可能性があることを懸念しているように思う(もちろん、中には反日思想から反対している者もいるかもしれないが)。
まだ日本政府のコロナ対策が万全でしっかりしたものであれば、これほどの反対は起こらなかっただろうが、菅義偉首相は「安心・安全」を繰り返すのみで、国民に対するしっかりした説明をしていない。そうした不満や不安も反対運動に繋がっているのではないか。
左も右も「愛国」や「平和」の観点から、五輪開催に反対していると私は感じるのである。言うまでもないことだが、私も反日思想から五輪開催に反対しているのではないし、日本がオリンピックで成功する事に不快感を抱いているわけではない。そうした意味で、安倍前首相の五輪開催反対派への批判は一面的であろう。
●「安倍さん、あなたは夫を3回殺しました」赤木雅子さんが憤る理由 7/6
「夫は、これで3回殺されたんですね……」 赤木雅子さん(50)はそうつぶやいた。安倍晋三前首相その人の公式ツイッターを見て。
赤木氏は明確に記している。「現場として(森友学園を)厚遇した事実はない」この証言が所謂「報道しない自由」によって握り潰されています。《秘書アップ》— 安倍晋三
この公式ツイートにある「赤木氏」とは、雅子さんの夫、赤木俊夫さん(享年54)のこと。4年前、森友学園との国有地取引を巡る公文書を改ざんさせられ、それを苦に命を絶った。
俊夫さんが生前、改ざんの実態をまとめた「赤木ファイル」と呼ばれる文書が6月22日、ようやく国から妻の雅子さんに開示され、マスコミで大きく報じられた。その2日後、安倍前首相の公式ツイートが投稿されている。一体なぜだろう? そして雅子さんはなぜこれを「夫は3回殺された」と表現したのだろう?
首相が揶揄した赤木ファイルの記述
赤木ファイルの冒頭で、赤木俊夫さんは確かに以下のように記している。
「本省(財務省)の問題意識は、調書から相手方(森友)に厚遇したと受け取られるおそれのある部分は削除するとの考え。現場として厚遇した事実もないし、(会計)検査院等にも原調書のままで説明するのが適切と繰り返し意見(相当程度の意思表示し修正に抵抗)した」
この「現場として厚遇した事実もない」という部分を、安倍前首相の公式ツイートはとらえている。
財務省近畿財務局は鑑定価格9億5600万円の国有地を8億円以上も値引きして1億3400万円で森友学園に売った。その土地に建つ小学校の名誉校長が安倍首相(当時)の妻、安倍昭恵さんだったから、「首相の妻に忖度して不当に値引きしたのではないか?」と国会で追及された。これに対し安倍氏は「私や妻が(取引に)関係していたら総理大臣も国会議員もやめる」と見得を切った。
だから今回の赤木ファイルの「厚遇した事実もない」との表現をとらえ、マスコミに「報道しない自由で握り潰されている」と揶揄した。一見もっともらしく思える。
「厚遇した事実もない」は上司が伝えた内容
だが、赤木俊夫さんは公文書改ざんの当事者ではあるが、国有地取引の当事者ではない。俊夫さんが担当部署に異動してきたのは国有地売却の翌月だから、実際の交渉には関わっていない。取引の経緯を直接知らないのである。だから「厚遇した事実もない」と書いたのは、売買交渉に携わった上司の池田靖統括国有財産管理官(当時)が俊夫さんに伝えた内容だろう。雅子さんは当時を振り返る。
「夫は池田さんのことを信頼していました。森友問題が発覚した当初『取引は正当だと池田さんに聞いている』と話していました。だからあのように書いたんでしょう」
しかし時がたつにつれ、俊夫さんは池田さんへの不信感を募らせていく。値引きの理由は地中深くにあるゴミとされたが、その存在は誰も確認していない。その年の人事異動で俊夫さんだけが担当の職場に残され、池田さんや他の職員はみな異動していなくなった。そして異動後、問題の国有地取引に関する資料が職場から消えていたという。
「むっちゃ落ち込んでました。一人だけポツンと残されて、資料はすべて処分されて……夫に取引の真相を知られたくなかったんですよね。あんまりです」
その直後、俊夫さんはうつ病と診断され休職。職場に戻ることはできなかった。休職中、池田さんへの不満を漏らす。
「池田さんは仕事が雑や。ちゃんと(国有地を)売っていたらこんなことにならんかった。大学に売っとったらよかったんや」
大学とは、国有地の隣にある大阪音楽大学のこと。森友学園より先にこの土地の購入を希望し、7億円以上の額を提示したとされるが、近畿財務局は売らなかった。それを森友学園には1億3400万円で売った。これが厚遇でなくて何だろう。
池田さんも「値引きに根拠が足りないこと」を認めている
そもそも売買の当事者である池田さん自身が、8億円以上の値引きに根拠が足りないことを、雅子さんに認めている。森友学園との交渉でも「(籠池)理事長がおっしゃるゼロ円に近い金額まで、私はできるだけ努力する作業を今やっています」と発言している。まさに厚遇そのものだ。
「厚遇した事実もない」と書かれていても、それは俊夫さんの実体験ではなく、土地を売った池田さんの“言い訳”にすぎない。だからマスコミは「厚遇はなかった」とは報じない。当時の首相ならこうしたいきさつをわかっていて当然だが、公式ツイッターでは「握り潰されている」と非難する。
告発を「なかったこと」にする“三度”の殺人
改ざんは、安倍前首相の「関係していたら総理大臣も国会議員もやめる」という答弁が発端になった。それは財務省も認めている。改ざんで財務本省が近畿財務局にメールで真っ先に指示したのは、安倍昭恵さんや安倍首相(当時)の名前を消すことだった。それが赤木ファイルで初めてわかった。だから大きく報じられた。これで「関係ない」と言えるだろうか?
赤木雅子さんから見れば、安倍首相(当時)の発言が発端となって夫が改ざんをさせられ、死に追い込まれたのが「第一の殺人」。真相解明の再調査を拒否されたのが「第二の殺人」。そして今回の安倍前首相の公式ツイートは「第三の殺人」。すべては俊夫さんの告発を「なかったこと」にするものだと雅子さんは憤る。
「夫が死に物狂いで残した赤木ファイルを汚されたような気持ちがします。安倍さんは自分の発言が改ざんを招いた責任を感じてほしいです」
ツイートには「秘書アップ」とあるが、安倍前首相本人の公式ツイッターであり、責任は免れない。225万人もの人がフォローしていて、5万4000もの「いいね」が付いているのである。
「あまり細かく知らない」と答える麻生財務大臣
赤木ファイルの「厚遇した事実もない」という記載と、それを受けた安倍前首相の公式ツイートについて、7月2日、麻生太郎財務大臣の会見で東京新聞の記者が認識をたずねた。やり取りを毎日新聞が詳しく報じている。それによると、麻生大臣はこう答えた。
「あまり細かく知らないねえ。それしか答えようがないよ今。質問の意味をもう1回、俺に分かるように分かりやすく説明してごらん」
財務省の最高責任者である財務大臣が「あまり細かく知らない」と答えること自体、問題を軽く見ていることを示す。さらに麻生大臣は、重ねて「厚遇した事実」について認識をたずねる記者にまともに答えない。
「赤木ファイルとして厳然と存在しているわけじゃありませんから。あんた分かってないで質問なんかするなよ。赤木さんが関与したと思われるところだけずーっと出して、その全てを出したのをまとめて、赤木ファイルと呼んでいるんだよね」
事実の認識が間違っている。財務省の職員が大臣に耳打ちする。
「赤木さんがまとめたファイルです」
だが麻生大臣の答えは、記者の質問と最後までかみ合わない。
「全然頼りねえ顔してるけど、質問するんだったらちゃんと、きちっと知ってないと具合悪いよ」
きちっと知ってないと具合悪いのは麻生大臣の方だろう。
赤木雅子さんは「馬鹿にされたように感じます」
「厚遇した事実もない」という赤木ファイルの記載の持つ意味と、安倍前首相の公式ツイートのことを知らないのだろうか? それとも知っているけれど、それこそ具合が悪いからはぐらかしたのだろうか? いずれにせよ財務大臣にふさわしい態度とは思えない。
記事を読んで赤木雅子さんはあきれた。
「麻生さんは財務大臣で、夫の上司だったんだから、もう少し夫のことに真剣に向き合ってほしい。赤木ファイルについてきちんと理解して話してほしい。遺族のことが見えていないと思うし、馬鹿にされたように感じます」
安倍前首相、麻生財務大臣。森友学園への国有地値引き売却も、土地取引をめぐる公文書改ざんも、このお二人が責任者の時に起きた。しかしお二人の態度からは、その責任を感じているようには見えない。
誰の発案だったのか? 再調査を麻生大臣はまたも拒否
赤木ファイルでわかったこと。改ざんの最初から、財務省は安倍昭恵さんや安倍前首相の名前を削るよう現場に事細かに指示していた。財務省が何を気にしたかがわかる。佐川宣寿理財局長(当時)の指示で国会答弁に合わせ書き換えた。
まだわからないこともある。こんな大それた行為を誰が発案したのか? 改ざんを指示した佐川氏に、さらに指示した人物はいないのか? 省内で改ざんはどのように指示伝達されたのか? わからないから再調査が必要だが、麻生大臣はまたも拒否している。
それでも赤木雅子さんは、夫が安倍さんに“3回殺され”ても、真相解明の再調査を求め続ける。
「何回殺されてもわたしは何回でも助けに行きますから。諦めません」 
●安倍前首相は五輪開会式に招待される? 1年延期立役者の功罪 7/7
東京オリンピックの開会式に招待される筆頭格はこの方だろう。人気キャラクターのマリオに扮(ふん)し、次期開催地をアピールした安倍晋三前首相。新型コロナウイルスの影響で、大会を1年延期にする主導権を握った。首相を退いた今も、その影がちらつく。
「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」。販売中の月刊誌「Hanada」で、安倍氏は中止論を掲げる野党などを批判した。五輪は大規模会場や夜間に実施する一部競技のみ無観客とする案が検討された経緯を見ると、少しでも観客を入れて開催したいという大会関係者の思いがにじみ出る。その理由について、「安倍氏が有観客にこだわっているからだ」との声も漏れ伝わる。安倍氏の五輪への執念は強い。
延期決定から1年あまり。1964年以来2度目の開催となる東京五輪は、難局をどう乗り切るか。世界的な新型コロナの感染は収束しないまま、東京五輪の開幕まで2週間となった。
「(2022年に)1年延期か、中止という選択肢をIOC(国際オリンピック委員会)と交渉すべきだ」。立憲民主党の枝野幸男代表は6月11日、日本外国特派員協会の記者会見で訴えた。英紙フィナンシャル・タイムズ(電子版)も6月4日、東京五輪の一部スポンサーが、水面下で大会を9〜10月に延期することを提案したと報じた。
再延期について、丸川珠代五輪担当相は6月8日の閣議後の記者会見で「非常に難しい」との見解を示した。海外選手を受け入れる事前合宿が具体的に進んでいることを理由に挙げ、「追加的に会場や宿泊先を確保することを考えると、非常に難しいのではないか」と語った。再延期の議論が起きる度、私は1年前の取材メモを思い出す。
安倍氏の盟友である麻 ・・・
●民意を読まぬ安倍元首相のレッテル貼り 「反日的な人が五輪に反対」 7/8
「月刊Hanada」8月号に掲載された安倍晋三前首相の発言が物議を醸している。東京五輪に対し「反日的」な人たちが開催に強く反対しているというのだ。各種の調査によると、いまでも五輪の中止を求める人は3割ほどになる。反日ではなく、コロナへの素朴な不安の表れではないのか。今回に限らず、レッテルを貼って批判を切り捨てる安倍さんの手法には批判が強い。
「共産党に…朝日新聞も」
安倍さんの「発言」は、保守系ジャーナリストの桜井よしこさんとの対談記事の中で飛び出した。
東京五輪のコロナ対策が万全なのに、野党が開催による感染拡大を懸念している。桜井さんはそう言って「五輪を政治利用している」と批判した。これを受けて安倍さんは「極めて政治的な意図を感じざるを得ませんね。彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか」と同調。そして語った。
「共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています。朝日新聞なども明確に反対を表明しました」
安倍さんは首相時代、今回の東京五輪の招致に関わってきた。2013年、東京開催が決まったブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会を覚えている人もいるだろう。あの「アンダーコントロール」発言が飛び出した会合だ。
安倍さんは演説でこの言葉を使い、東京電力福島第一原発の汚染水が制御できていることを強調した。が、五輪を前に政府は海洋放出の方針を決めた。16年のリオ五輪閉会式では人気ゲームキャラクター「スーパーマリオ」の格好で登場し、話題になった。桜井さんの対談でも得意げに触れていた。
当時は確かに反対の声は強くなかった。招致委員会がIOCに提出した「立候補ファイル」では「大規模な反対運動はない」と言い切っていた。五輪への思い入れが深い安倍さんだけに、様変わりした今の状況が認められず、「反日」という強い言葉を使ったのかもしれない。
開催反対は素朴な「コロナへの不安」
実際、五輪中止を求める声はいまだに強い。
開催まで1カ月と迫った6月に実施した共同通信の世論調査では「中止する」と答えた人が30・8%に上った。開催による感染の拡大に不安を感じている人は8割以上に上った。ほかの報道各社の調査でも約3分の1が中止を望んでいるという結果が出ている。
どう考えても、開催に反対している人たちは、素朴に「コロナへの不安」を感じているだけ。「反日」という言葉を使うのは、あまりに不適当ではないか。
コラムニストの小田嶋隆さんは「本来『反日』は、国際情勢を分析する人たちが『親日』との対概念で、外国の政治勢力やリーダーに使っていた言葉。一方、日本人には『反政府的』『反体制的』などが用いられてきた」と説明する。
日本人に「反日」を使いだしたのは、21世紀に登場したいわゆる「ネトウヨ」と、小田嶋さんは言う。その大まかな意味や用法は、戦前戦中の「非国民」と同じだ。
小田嶋さんは「反日発言で安倍さんは『私はネトウヨです』とカミングアウトしたようなもの。国民を『日本に反する人間』と見なしているわけで、政治家として終わり」と指摘した。
●玉川徹氏、緊急事態宣言下での東京五輪に「安倍前総理に結果責任はある」 7/8
テレビ朝日の玉川徹氏が8日、コメンテーターを務める同局系「羽鳥慎一モーニングショー」(月〜金曜・午前8時)にスタジオ生出演した。
番組では、政府が新型コロナウイルスの感染拡大が続く東京に4度目の「緊急事態宣言」を出す方針を固めたことを報じた。沖縄も延長する方針で、期間はいずれも来月22日までの予定。
スタジオでは、緊急事態宣言下での開催となる東京五輪が政治ジャーナリストの田崎史郎氏の取材では「原則無観客開催」になることを伝えた。出演者が五輪について議論する中で玉川氏は「僕が忘れられないのは、森元総理が去年、延期するときに、2年延期って言うふうなことを言った時に安倍前総理が、1年だって決断した、と。どんな理由か分からないけど、1年延期って決めたのは安倍前総理です。これをもし森元総理が言う2年延期でやっていたら、こんな問題になっていない」と指摘した。
さらに「そういうことで言うと安倍前総理に結果責任はあるかな、と。オリンピックっていう日本人が本来であれば、みんなが喜んで、みんなが応援してっていう機会を結局、日本人を分断するような形になってしまった結果責任は、安倍前総理のあの時の決断にあると、僕は思います」とコメントしていた。
●安倍前首相の自己矛盾 国民を自分の敵と味方に区分け、サイコパスの域に 7/8
月刊Hanadaで安倍前総理が櫻井よしこ氏と対談し、「歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています」と言った。すわ「では国民の80%が反日なのか」とネット上で批判が巻き起こった。
「見出しだけで反論するな」と言われないよう、全文読んでみた。
冒頭から政府のコロナ対策を持ち上げ、五輪の感染対策は万全だと手放しで称賛する。そこからそれを批判する枝野氏や共産党、朝日新聞に対する悪口が延々と続く。子供か。
確かに「五輪に反対する者の中に反日の者がいる」とは言っている。野党は菅政権打倒のために五輪反対を唱え、五輪の政治利用をしていると批判しているのである(何を言うか。2年延長という案もあったのに自分の任期中に開催したいから無理やり1年延長にしたのは明らかに政治利用ではないか。と言いたいのはやまやまだが、まあ置いといて)。
だが確かに「五輪に反対する者はすべて反日である」と言っているわけではない。よし。それはまあ受け入れるとしよう。
しかし「国民の大半がコロナ禍における開催を不安視している」という事実には一切触れていない。これは客観性に欠ける。これでは「国家事業の五輪を批判する者は非国民だ」と大衆を誘導していることになりはしないか。
そもそも「反日」とは何か。今や本来の「反日本」ではない。「反現政権」あるいは「反安倍政権的なもの」というネトウヨ語だ。
だが政権=日本では決してない。むしろ国民=日本である。ところが安倍氏は反安倍=反日と言っているのだ。なんのことはない自分=日本なのだ。なんと傲慢な話だ。そして「反日」で国民を敵と味方に分断する。
ところが安倍氏は同じ対談でこうも言っている。
「感動を共有することで日本人同士の絆を確かめ合う」
反日という言葉で国民を分断しておいて、絆を確かめ合うと真逆のことを言う、なんという自己矛盾。もうサイコパスである。
文中ではリオオリンピック閉会式のマリオのコスプレの裏話があり、最初は嫌だったがやってみたら世界中で絶賛だった、とご満悦の様子だ。嫌だった理由も「政治利用だと思われる」と言っているが嘘つけ、マリオの格好が嫌だったのだろう。
時間が押してあの格好で土管の中で20分待たされたらしい。そうか。だからあれほど出てきてすぐに衣装を脱いだのか。あれは早すぎた。もっとマリオのままでいるべきだった。
「うわー、出たあ! マリオだ。え、なんだアベか」と世界中が瞬殺でツッコんだ瞬間だった。
評判いいのはマリオだったのであって、あなたではない。
●安倍氏、衆院新潟2区「公認は細田氏で決まっている」 7/10
安倍晋三前首相は10日、新潟県三条市で開かれた自民党の細田健一衆院議員=比例北陸信越=の会合に出席し、次期衆院選新潟2区について、「厳しい中で議席を守り続けてきた細田氏が公認にならないことはあり得ない。2区の公認候補は細田氏で決まっている」と語った。
同区をめぐっては、前回衆院選で細田氏に無所属で勝利し、自民党入りした鷲尾英一郎衆院議員が立候補の意向を示しており、保守分裂選挙となる見通しが強まっている。安倍氏は「鷲尾氏の能力や才能をどう生かしていくか、県連と党がいい解決方法を考えてもらいたい」と述べた。
●次の選挙の顔は?都議選応援弁士の勝率ランキング トップは小池知事 7/10
自民党の野田聖子幹事長代行が秋に行われる自民党総裁選挙について口火を切ったのは、東京都議選の「惨敗」の余韻が残る7月7日だった。
「菅政権になってから、東京都議選も負けっていうことを認めれば全部負けている。知事選で(自民が)推薦出した方も負けている。参院補選も負けている」
安倍晋三前首相は総裁選で菅義偉首相の再選を支持する考えをすでに表明。総裁選前に衆院の解散総選挙が行われれば総裁選は無投票再選が望ましいと語っている。だが、総裁選は党員投票を含む形で行うべきだと野田氏は訴えた。
「野田さんが発言していたように、菅首相では衆院選で『選挙の顔』にはならない、という空気が大きくなっています。都議選では50議席は確実との予想から一変し、33議席に失速。自民党では、次の顔は誰がいいのかと議論されています。都議選の応援弁士の勝率が分析されましたが、勝率80%で1位だったのは安倍前首相。小泉進次郎環境相は20%で8位と意外に低かった。選挙応援は劣勢な候補のところにテコ入れで応援に入るものなので、数字が正しいと一概には言えないですが、目安にされています」(自民党幹部)
AERAdot.が入手した自民党の主な応援弁士の「勝率」一覧によると、1位は安倍前首相(80%)、2位は下村博文政調会長(61%)、3位は茂木敏充外相(55%)、4位は加藤勝信官房長官(50%)、5位は岸田文雄元外相(50%)、6位は丸川珠代五輪担当相(48%)、7位は河野太郎ワクチン担当相(41%)、8位は小泉環境相(20%)という結果だった。
参考として都議選の最終日に都民ファーストの会の候補の応援に入った小池百合子東京都知事の勝率も記してあったが、89%と勝率はダントツだった。
その小池氏は都議選が終わった翌日(5日)、自民党本部にいる二階俊博幹事長を訪ねた。その足で公明党本部の山口那津男代表とも会談した。
「都議選で戦った自民党、公明党を涼しい顔で相次いで訪問した小池氏。もう次、衆院選を考えているとしか、思えないね」(前出の自民党幹部)
一方、菅首相は都議選の結果を受けて「自民党と公明党で過半数を獲得できなかったのは、謙虚に受け止める」とうなだれた。
公明党の幹部はこう話す。「東京五輪・パラリンピックで菅首相は有観客に最後までこだわったが、小池氏は『無観客を軸に』とコロナ感染拡大の防止こそ先だと退院後、記者会見で訴えた。国民の関心は、五輪よりコロナ。そこを小池氏は読み切っていた。そして事前予測では10議席ほどだった都民ファを31議席まで押し上げた。今、世論調査をすれば、首相にしたい候補で一番、高い数字をとるのは小池氏でしょう」
衆議院の任期は10月までと迫り、解散総選挙は目前だ。自民党の竹下派の国会議員からは「菅首相で衆院選を戦うと、勝ち目はゼロだろう」と痛烈な批判もある。
自民党内では二階幹事長や中谷元元防衛相らが「小池知事の国政復帰」「新党待望論」などとラブコールを送っている。
その中で注目されているのが、公職選挙法違反で略式起訴となり議員辞職に追い込まれた元経産相、菅原一秀氏の地盤だった衆院東京9区だ。菅原氏は公民権停止が3年となり、この期間中は選挙に立候補できない。
空席になった東京9区から小池氏の出馬が取りざたされている。衆院議員時代は東京10区が地盤だった小池氏。自宅である通称「エコだハウス」は練馬区内にあることから9区は小池氏の地元のようなもの。
「東京9区に自民党から候補を立てず、小池氏には無所属で出馬してもらい、当選すれば戻ってもらうというのが一番ベター。二階氏はその案を想定しているようだ。略式起訴された菅原氏に忖度など必要はない。二階派には総裁候補がいませんからね。菅首相は小池氏の自民党復帰に反対するでしょうが、支持率は低迷し、選挙に勝てないとなれば、党の方針に従うしかありません」(二階派幹部)
慌ただしくなってきた政局。次の選挙の顔は一体、誰になるのか。
●安倍前首相「新潟2区は細田氏」 7/11
安倍晋三前首相は10日、新潟県三条市で新潟日報社の取材に応じ、次期衆院選で自民党の現職2人による公認争いが続いている新潟2区について、これまで細田健一衆院議員=比例北陸信越=が党2区支部長として当選を重ねてきたとして、「よほどの理由がなければ公認を外すことはあり得ない」と述べた。
年内に行われる衆院解散・総選挙の時期については、新型コロナウイルスワクチンの接種状況や感染状況を踏まえて「菅義偉首相が適切に判断する」とし、具体的な言及はしなかった。
同日、三条市などで開かれた細田氏の国政報告会の応援弁士として本県入りし、取材に答えた。
新潟2区を巡っては、2012年の衆院選以来、細田氏と当時野党だった鷲尾英一郎衆院議員は3度にわたって激戦を繰り広げてきた。17年の前回選では細田氏が野党系無所属の鷲尾氏に敗れ、比例代表で復活当選した。鷲尾氏は19年に自民入りし、引き続き2区で出馬する意向を示している。
安倍氏は、細田氏が比例復活した前回選の前に行われた12、14年の選挙では小選挙区で当選した経緯に触れ、「与党にいれば耳障りな政策を進めていかなければいけない時もある。たまたまその時に小選挙区で議席を得ることができなかったからといって、候補者を替えることはあり得ない」と説明した。
2区の公認を鷲尾氏に差し替える可能性は「ない」と断言し、鷲尾氏の処遇は「県連と党本部で十分に話し合って、納得のいく形を考えてほしい」とした。
●安倍前首相 コロナ長期化“思い切った経済対策を” 7/11
新型コロナウイルスの影響が長期化していることから、11日、自民党の安倍前総理大臣は「雇用が失われる状況を作ってはならない」と述べ、大規模な経済対策を講じるべきだという考えを重ねて示しました。
自民党の安倍前総理大臣は北海道苫小牧市で講演し、新型コロナウイルスの影響が長期化していることを踏まえ、「たくさんの人が困難な中にあり、安心できる思い切った対策を打っていくべきだ。雇用が失われる状況を絶対に作ってはならない」と述べ、大規模な経済対策を講じるべきだという考えを重ねて示しました。
またワクチン接種について「65歳以上の6割くらいの人が1回接種した結果、感染率が落ちてきており、効果が上がっている。政府に協力しながら接種を加速させたい」と述べました。
一方、安倍氏は、東京都議会議員選挙で自民党が公明党と合わせて、目標としていた過半数の議席を獲得できなかったことについて「自民党に厳しい風が吹いている。謙虚に受け止めなければいけない」と指摘しました。
自民党の安倍前総理大臣は、10日、新潟県三条市で講演し、新型コロナウイルスによる経済への影響が長期化していることで飲食業を中心に厳しい状況が続いているとして、雇用を守るためにも大規模な経済対策が必要だという認識を示しました。
この中で、新型コロナウイルスの経済への影響について「飲食業を中心として厳しい状況にあり、中小や小規模事業者にしっかりと支援を投じていくことが求められている」と述べました。
そのうえで「去年は金融政策も含めた形でコロナ対策に挑み、政府と日銀が連合軍で200兆円の対策を打ったが、今の状況であればさらに1回でも2回でも国民を支えていく大きな対策が必要だ。政治の最大の使命は雇用を守り、つくっていくことだ」と指摘しました。
またワクチン接種について「1日120万回を超えているので、人口比で言えば先進国の中で最も早いスピードで進んでいると言える。いま1つの壁にあたっているが、ワクチン接種を加速し、コロナ禍を乗り越えていかなければならない」と述べました。
さらに柏崎市での講演で、首都圏の1都3県などで無観客で開催される東京オリンピックについて「無観客は大変残念だが、オリンピックは人を結び付けるスポーツの祭典だ。大会を成功させ、世界の人々に勇気や夢や希望を与えたい」と述べました。
●安倍前首相「絆を確かめ合う」 五輪の意義強調もおまいう#癆サ 7/11
安倍晋三前首相(66)が10日に新潟県内で講演を行い、東京五輪が無観客開催されることについて「大変残念」と語った。
講演で安倍氏は「オリンピックは世界に夢を与える。人と人の距離が離れてきた今こそ、お互いに絆を確かめ合う」など、大会開催の意義を熱弁したという。
コロナ禍で多くの人が無観客を支持している中でのKY発言=Bしかも安倍氏は先日、月刊誌「Hanada」で櫻井よしこ氏と対談し、東京オリンピック・パラリンピックについて「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」とコメントし、一部で「民族の分断をアオっている」と批判されたばかりだ。
ネット上では「どの口が『絆』と言うんだ!」「おまえが言うな」と怒りの声が渦巻いている。
安倍氏にとっては皮肉な結果にもなった。五輪のメイン会場となる国立競技場は空調設備がなく、猛暑の開催で観客の熱中症が心配されていた。競技場建設前に莫大な経費を削減するため、当時の安倍首相が「冷暖房はなくてもいいんじゃないか」と空調工事費をケチったからだ。
だが無観客開催となったことで、観客が倒れる心配はほぼなくなった。これには「安倍仕様≠ナ(有観客)開催されてたらヤバかった」「コロナよりも熱中症が心配だった」と安堵の声が飛んでいる。
●自民長崎県連、長崎1区に安倍前首相の政策秘書を擁立へ 7/11
自民党長崎県連は11日、次期衆院選の長崎1区に、安倍晋三前首相の政策秘書の初村滝一郎氏(41)を擁立する方針を決めた。16日の県連常任総務会で正式に決める。長崎1区では、現職の冨岡勉氏(73)=当選4回、比例九州ブロック=が立候補を予定していたが、高齢を理由に6月下旬に不出馬を表明し、県連が候補者を公募していた。
県連はこの日、長崎市内のホテルで1区の候補者選考委員会を開いた。応募者11人のうち書類選考を経た初村氏や県議3人、冨岡氏の長男ら6人と面接。国会議員、県議、市議、支持団体の代表27人による投票の結果、過半数を得た初村氏を候補者に選んだ。
初村氏は大阪芸術大学を卒業後、2004年から安倍氏の秘書を務める。祖父は元参院議員(長崎選挙区)で労働相を務めた故滝一郎氏。父は元衆院議員(中選挙区の旧長崎1区)の謙一郎氏。
1区では国民民主現職の西岡秀子氏(57)と、共産新顔の安江綾子氏(44)も立候補を表明している。
●発信元は安倍晋三「うちの秘書が応募します」 7/13
自民党長崎県連が5日に衆院長崎1区の候補者公募を開始後、地元政界関係者の携帯電話が鳴った。「うちの秘書が応募するので、しっかりと公正に選考してください」―。液晶画面に表示された発信元は「安倍晋三」だった。
公募前、1区の候補者は女性県議が有力視され、県政界に影響力を持つ衆院議員の谷川弥一氏や参院議員の金子原二郎氏の支援も「おおむね話がついていた」(党関係者)。
そうした県連の空気は「政治家秘書の経験を古里のために生かしたい」とする初村滝一郎氏の参入で一変した。西九州新幹線の全線フル規格化やカジノを含む統合型リゾート施設(IR)誘致など、国の後押しも必要な課題が多い長崎県にとって「(安倍晋三前首相の顔をつぶすと)先々のことを考えたらやっかい。上様(うえさま)やから」(県連幹部)。閣僚や安倍氏周辺から地元国会議員、業界団体への働き掛けもあったという。
県連は当初、11日の選考委員会を「候補者の選考方法を決める場」としていたが、選考委員から候補者を決めるべきだとの声が上がり、選考委員による投票が実施されることになったという。27人による投票で初村氏は19票を獲得した。「永田町や霞が関で多くの人脈をお持ち。わが国や長崎のために力を大いに発揮していただきたい」と古賀友一郎県連会長。
ただ、県連内には、「党員投票で決めることもできた。党員の声をもっと聞いてほしかった」との不満もくすぶる。前首相への配慮と受け止める党員もいる。森友、加計(かけ)学園や「桜を見る会」などの問題も尾を引く安倍氏の影を有権者がどう判断するか不透明だ。
ある県政関係者は「自民が一枚岩にならないと勝てない。果たしてそんな態勢が整うか」とつぶやいた。
●安倍氏、議員応援で行脚 求心力維持狙い 言動に反発も 7/13
次期衆院選に向け、自民党の安倍晋三前首相が道内外の国会議員の応援に駆け付け、活発に動いている。道内には7月だけで既に2回入り、道外では出身派閥細田派の現職が党公認を争う選挙区にも足を運ぶ。自民の苦戦が予想される中、自身に近い議員を当選させることで、数の力による「キングメーカー」を目指す思惑も透ける。政府内では、安倍氏の政局的な言動に冷ややかな声も上がる。
「自民党に対して厳しい風が吹いている。しっかりと国会に送ってほしい」。苫小牧市で11日に開かれた細田派の堀井学衆院議員の政治資金パーティーで、安倍氏は約350人を前に支持を訴えた。2日には中村裕之衆院議員(麻生派)のセミナーに参加し、中旬の道内議員の会合にも出席する方向で調整している。
6月下旬から7月上旬には、細田派現職が公認争いをする群馬1区、新潟2区に入り、それぞれの現職について「公認されないのはあり得ない」と強調した。
政府の新型コロナウイルス対策や東京五輪・パラリンピックを巡る対応に批判が強まり、自民への逆風も強い。道内の12選挙区のうち、自民が優勢とされるのは2、3程度とされ、安倍氏も周辺に「特に今回、北海道は厳しい」と漏らす。
安倍氏が衆院選後にも細田派に復帰し、領袖(りょうしゅう)に就くことを期待する声は若手を中心に強い。ただ、衆院選で細田派議員の落選が相次げば、自身の政界での影響力低下は必至。細田派中堅は「(安倍氏は)派閥復帰を見据え、求心力を維持しようとしている」とみる。
政府内には、月刊誌のインタビューで五輪を巡り「反日的ではないかと批判されている人たちが開催に反対している」と述べて物議を醸したり、複数の議員連盟の顧問となって党内での主導権争いを演じたりする安倍氏への反発もある。
官邸関係者は「7月の東京都議選で自民が伸び悩んだ一因には、安倍氏の言動への批判もある」と指摘。「政権を投げ出す形で首相を辞任したのだから、しばらく自重するべきだ」とくぎを刺した。
●近づく解散・総選挙 2区をめぐる攻防 自民党の公認争いは 7/13
自民党の現職同士が公認候補をかけて火花をちらす衆議院・新潟2区。7月10日、あの人が県内入り・・・解散・総選挙に向けた動きが加速しています。緊張した面持ちを浮かべる自民党の細田健一衆議院議員。あの人の到着を待っていました。
出迎えたのは安倍晋三・前総理です。7月10日に開かれた細田議員の国政報告会。そこに来賓として招かれたのです。細田議員は安倍前総理の出身派閥、「細田派」に所属しています。
安倍前首相「特徴のひとつは声がでかいですよね、皆さん。声の大きな人に悪い人はいません」
細田健一衆院議員「改めて、心からお願いをいたします。よろしくお願いいたします!」
その細田議員のライバルとなるのが・・・鷲尾英一郎衆議院議員です。
鷲尾英一郎衆院議員「皆さんどうもこんにちは。鷲尾でございます。ふるさと・新潟のためにいただいた議席をしっかりと守れるように頑張ってまいります」
過去3度、新潟2区で議席を争ってきた細田議員と鷲尾議員。前回選挙は旧民進党を離党して無所属となっていた鷲尾議員が勝利・・・。2019年には鷲尾議員も自民党に入党しました。当時、官房長官だった菅総理の後押しもあり、県連も入党を受け入れました。鷲尾議員は二階幹事長率いる二階派に所属し新潟2区から自民党の現職2人が出馬を目指すという状態が続いています。次の総選挙で事実上、党の公認候補となる支部長のポスト。新潟2区は、前回選挙で比例復活した細田議員が務めていますが・・・
鷲尾英一郎衆院議員「私が新潟2区選出ということを知らない方がいらっしゃるんでしょうか」
「新潟2区」からの出馬を明言しています。火花ちる公認争いについて安倍前総理は・・・。
安倍前首相「公認候補は細田さんになることが決まっている」
次の会場でも・・・。
安倍前首相「選挙区支部長というのは公認候補ということでもありますから公認候補は間違いがない」
前総理からのお墨付きをもらった細田議員。
細田健一衆院議員「この新潟2区公認の問題はもう決着済みというお話がございました。次の選挙、小選挙区で勝利する」
「公認争いは決着済み」と訴えます。
一方の鷲尾議員。新潟2区への自負をのぞかせます。
鷲尾英一郎衆院議員「もともと2区の代表として選出されているので。有名な方や偉い方を呼ぶということよりは、むしろ地に足を付けて活動していくということが私の方針なので、これまでもこれからもずっと変わらずにやっていきたいと思います」
ゆずる気配をみせない鷲尾議員。
記者Q)鷲尾さんが依然、出馬の意向を示していますが・・・?
安倍前首相「これは申し上げたようにこの選挙区についてはそもそも支部長は 細田健一さんと決まっていたわけですから、細田健一さんが間違いなく公認になるだろうと思います」
派閥が絡む新潟2区の公認争い。衆院選は秋までに行われますが戦いはまだ続いています。
●安倍前総理が新型コロナ対策に「大規模な経済対策が必要だ」と言う理由 7/14
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(7月14日放送)に数量政策学者の高橋洋一が出演。安倍前総理が7月10日に新潟県三条市で行った講演の内容について解説した。安倍前総理は7月10日、新潟県三条市で講演し、新型コロナウイルスによる経済への影響が長期化していることで飲食業を中心に厳しい状況が続いているとして、雇用を守るためにも大規模な経済対策が必要だと指摘した。
飯田)大規模な経済対策が必要だということですが。
高橋)「政府・日銀の連合軍」の話は、小泉政権の官房長官時代から言っていたことです。
飯田)そのくらい前からですか。
高橋)「政府・日銀の連合軍」というのは安倍さんの表現ですが、「財政政策・金融政策一体発動」ということを私が本に書いていました。そこに安倍さんが関心を持たれたのです。それで第1次安倍政権のときに私が内閣府参事官として入ったわけです。
飯田)第1次政権のとき。
高橋)東日本大震災のときは野党だったのですが、あのときに復興増税をしました。そこで安倍さんが「この増税は高橋さんから見て正しいの?」と聞かれたので、「いや、間違いです」と言いました。安倍さんはそういうところを、理論的に勉強したのですよ。
飯田)あのデフレ脱却のときに。
高橋)デフレ脱却のときにはもう理解していて、そのあと総理になったでしょう。総理になったら、いちばん最初にそこからスタートしたわけです。そのあとはあまりやりませんでしたが、最近では去年(2020年)、1次、2次補正予算があったでしょう。そのときにまた連絡があって、コロナ対策について聞かれたので、「これは国債を出して日銀が買うというやつです」と言ったのです。そうしたら安倍さんが、「それは、政府・日銀の連合軍ということですね」と言うので、「まったくそうです」と言いました。そのときから言っていることです。
飯田)例の10兆円の予備費のあの補正。その前ですか。
高橋)そう、前も同じやり方をしました。「麻生さんを説得しなくてはいけない」と言っていてね。最後に5月くらいだったか、麻生大臣と黒田総裁2人のツーショット会見となった。そういう経緯があったのです。安倍さんはそのときに「政府と日銀の連合軍」という話をしているはずです。そこをマスコミはほとんど取り上げていませんでしたが。
飯田)あの当時は。
高橋)「予算が大きい」という否定ばかりしてね。私も批判を受けました。安倍さんの講演では、「事業費が200兆円で財政出動の真水のところは100兆円」と、きちんと説明しています。安倍さんは理解していますし、連結ベースの話もしています。「連結の決算で考えたら、国債はないのですよね」ということも言っています。すごく専門的な話をわかりやすく言っていますよ。「2つありまして」と副作用のことも言っています。これはすごくインフレになってしまうか、円が暴落するかのどちらかなのですが、「皆さんどうですか? どちらも起きていませんね」と言っているわけです。副作用の話があって、それを抑えるレベルの財政出動という数字を言っている。100兆円というのはそういうことなのです。
飯田)だから副作用が起こらないように、手前で止めるというのがインフレターゲット本来の目的。
高橋)予測してやるのですけれどね。コロナの場合はいろいろな予測があったのです。「これでインフレになってしまうのではないか」という予測がありました。そこで私は「逆です」と。「どちらかといえばデフレです」と言ったのです。
飯田)一時期ありましたね。
高橋)ありましたね。ただ、この読みは外れています。主流の経済学者はみんな外れました。「インフレにはなっていないでしょう」というのが、私の意見です。
飯田)あの当時はどちらかと言うと、「供給が吹っ飛んでしまう」という可能性があると言って、「だからインフレが起こるのだ」という話でした。
高橋)両方あるのは間違いないのだけれども、数量的にどちらが大きいか計算するだけなのです。そういう計算ができない人が多いのですよ。
飯田)日本においては、消費の吹っ飛びの方が大きかった。それはひっくり返すと、日本は国内需要でGDPができているということですよね。
高橋)それと関係はあります。それが「どうしてインフレにならないのだ」ということの裏腹にもなるのだけれど。日本は生産能力があるから、需要よりそちらが大きくなる可能性がある。
飯田)高橋さんは前にも指摘されていましたが、「コロナは戦争と違って、供給の生産部分が棄損されるものではないから」と。
高橋)一部サプライチェーンで棄損する部分はあるのだけれど、それより需要の方が大きいという、比較の問題です。比較は実体経済に応じてやるので、国によって少し違うのだけれど、それで予測するだけなのです。でも日本は結果的にはインフレにならず、こういうことをしても実は大丈夫なのですよ。みんなすぐ「ハイパーインフレ」と言うでしょう。「ならないのだ」と言っているのです。東日本大震災のときと同じように、主流派の経済学者の人は間違えたのです。
飯田)あのときも、むしろ深刻なデフレに陥った、ということですよね。
高橋)そうです。だから東日本大震災のときに、今回のような対策をしていれば、復興増税もいらずに、もう少し早く回復できたのですけれどね。
飯田)今回もその轍を踏まないようにやらないといけないのですが、一方ではコロナ禍であり、ない袖は振れないので、「これはもう増税だ」という話も出ています。
高橋)この講演では「孫の代までツケを回すというのは間違いです」と、安倍前総理はハッキリと言っています。
飯田)「孫の代までツケを回す」と言うけれど、その孫の代が生まれるかどうかは、いまの経済状態にかかっているわけですからね。
高橋)それ以前にも、「政府・日銀の連合軍だから財政負担はないです」と話しています。
飯田)政局に絡めてこのニュースを報じるところも多くありましたが、補正予算についてはどうですか?
高橋)組まざるを得ないですよ。予備費も足りなくなって来るし、年後半には息切れして来ますから。秋の補正予算は毎年やっていますが、それを大型にしないと経済が持たないと思います。特に緊急事態宣言が出てしまっていますから。あんなことをしたら、もっと出さないといけなくなります。緊急事態宣言でGDPは1兆円以上飛びますからね。
飯田)そういう試算が出ていますよね。
高橋)1日250億円くらいかな。約40日だから、1兆円になってしまうのです。そのくらいは出てしまいます。逆に言うと、補正予算は大きいものになるので、「返してくれるのでしょうね」と思いますけれどね。
飯田)あとはそれを選挙前にやるのか。
高橋)選挙前にやらないと、意味がないでしょう。9月でパラリンピックも終わるのだから、そのあとに補正を組むしかないではないですか。
飯田)おのずと日程も固まって来ると。
高橋)それはそうでしょう。補正を組まないとどうしようもありません。
●「反日が五輪反対」 賛成派もあきれた安倍さんの「世界観」 7/14
お変わりありませんなあ……というのが正直なところ。安倍晋三前首相が月刊誌の対談で、東京オリンピックに反対する人々を「反日的と批判されている人たち」などとくくってみせた問題である。御年66歳。五輪の混乱を巡る自身の責任は語らずに、「反日」という言葉を振りかざす「安倍的世界観」を考えた。
今とは別人のような安倍さんの姿である。安倍さん初の本「『保守革命』宣言」(共著、1996年)の一節だ。要約する。
<(進歩的文化人やマスコミは)善玉・悪玉の図式で政治を論じていた。私の父(安倍晋太郎元自民党幹事長)も祖父(岸信介元首相)も政治家で、彼らが最も打倒したい相手でもあったわけだが、自分としては父も祖父も悪人ではなく、真摯(しんし)な一政治家と捉えている。それを善玉・悪玉論で片付ける人たちに対して、人間とはそんな簡単なものではないのではないか、と思わざるを得なかった>(同書40〜41ページ)
人間も政治も複雑だ。二元論で語れない――。同感である。だがそれから25年、同じ人物とは思えない発言が、安倍さんがよく登場する「Hanada」8月号で飛び出した。同誌常連のジャーナリスト、桜井よしこさんとの対談である。
野党批判に始まり、安倍さんの五輪招致時の手柄話や五輪の意義、中国脅威論、自民党はスゴい、菅義偉政権は頑張っている……といった内容が続く。安倍さんがとうとうと語り、桜井さんがお説ごもっとも、とばかり合いの手を入れ、ともにメディア批判で気炎を上げる、というおなじみの構図である。
一応、問題の箇所を再録する。桜井さんが五輪批判について「菅政権をひきずりおろすための政治利用」などと水を向けると、安倍さんがこう答える。
<彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか。共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています>
毎日新聞の世論調査(6月19日)では「中止」「再延期」が計42%、読売新聞(6月4〜6日)でも「中止」が48%である。コロナ禍は収束せず、ついに4度目の緊急事態宣言である。ワクチン接種も遅れに遅れた。開催に否定的な声が上がるのは当然だろう。こうした声を「反日的」とくくるような物言いは何なのか ・・・
●安倍前首相「失敗は必ず糧になる」 若者ネット番組で 7/15
自民党の安倍晋三前首相が15日、若者向けのインターネット番組に出演し、「大きな失敗、挫折をしたからこそ、長い間、政権を維持することができた。失敗は必ず糧になる。失敗を恐れず、皆さんの明るい未来を切り開いていただきたい」とメッセージを送った。
新型コロナウイルス対策をめぐり、酒類提供停止に応じない飲食店に「金融機関を通じて働きかける」とした政府側の姿勢については「苦しい状況の中で頑張っている全ての皆さんを支援するためにこそ政府や地方自治体が存在する」と指摘。その上で「雇用調整助成金などさまざまなメニューを使い勝手よく、スピーディーに届けていくことが大切だ。支援をしていくことに重きを置くべきだ」と語った。
北朝鮮による拉致問題に関しては、国際社会による厳しい制裁措置が「相当効いている」と強調。解決に向けて、「今は厳しい姿勢をしっかりと皆がとっていく。このことは菅義偉首相も良く理解しているので、それを今、継続してくれていると思う」と述べた。
●産経新聞「台湾からのワクチン感謝広告」に「自作自演的」と批判の声… 7/15
ピンクの桜で彩られたデザイン。2面にわたるカラー紙面には、「感謝」「ありがとう日本!」の文字が大きく躍る――。
日本政府は6月4日、新型コロナウイルスの感染が拡大していた台湾へ約120万回分のアストラゼネカ製ワクチンを無償提供すると明らかにした。
その9日後、6月13日付の「産経新聞」に掲載されたのが、この「台湾人有志一同」という署名が入った新聞広告だ。同日、産経新聞はインターネット版でも、《台湾発「ありがとう日本」ワクチン提供に産経新聞広告で》と題した記事を掲載。この広告について、以下のような解説もおこなった。
《新型コロナウイルスワクチン124万回分を台湾に無償提供した日本政府と国民に対し、感謝の気持ちを伝えるため、約130の台湾系企業、団体などが共同出資して掲載されたものだ。》
これについて、広告を出した「台湾人有志」の一人でもある台湾の企業家は顔を曇らせ、こう話す。「じつは今回、日本の大手紙の中で、産経新聞にだけ感謝広告を出したのです。それが無駄だったとは言いませんが、われわれ協賛企業から1口あたり5万元(約20万円)を募って出稿したこの広告がなかったとしても、産経新聞の“愛読者”には、すでに十分すぎるほど謝意は伝わっていましたよね(苦笑)。それに、この広告を企画している団体は、もとから日本とは“特別な理由”で関係が深い団体なんです」
特別な理由とはどういったものなのか。
「紙面にも名前が出ていたように、この感謝広告は『台湾傳統基金會』と『台湾櫻花返郷會』という2つの団体が企画しました。前者は親日家で知られた故・李登輝元総統と親しかった台湾の元地方首長がトップを務めています。問題は後者で、これは日台共同の一般社団法人『日本桜里帰りの会』の台湾における組織名なのです。昭和天皇が台湾でお手植えした桜の苗木などを日本に“里帰り”させることを目的とした団体で、台湾側は李登輝元総統の夫人が名誉会長を務めていますが、日本側の名誉会長は、あの安倍洋子さんなんですよ」(前出・企業家)
安倍洋子氏(93)は、いわずと知れた、安倍晋三前首相(66)の実母である。
「日本桜里帰りの会」の代表を務める外交評論家・加瀬英明氏(84)に確認すると、「そうです。洋子夫人が名誉会長ですよ。台湾側が李登輝元総統の夫人を名誉会長にするというので、日本側も女性がいいだろうと、洋子夫人に就任を依頼しました」と話す。
首相在任時代から、台湾との友好関係を強調してきた安倍前首相。大手紙の政治部記者は、今回の日本から台湾へのワクチン提供に際しても「その繋がりが垣間見えた」と話す。
「日本政府からのアストラゼネカ製ワクチンの無償提供では、安倍前首相がキーマンだったとされています。日本で、1億2000万回分を調達予定だったアストラゼネカ製の公的接種が中断された際に、ワクチンを台湾側に“相互援助”の一環として提供するように菅義偉首相や麻生太郎財務相を説得したのが安倍前首相でした。そして、この安倍前首相の動きをどこよりも早く詳細に報じたのが『産経新聞』だったのです」
実際に産経新聞は6月3日にインターネット版で、《ワクチンの台湾提供、安倍前首相ら動く 中国妨害警戒 日米台が水面下で調整》と題した記事を掲載している。
前出の台湾の企業家はこうした背景を知って、広告出稿について複雑な心境になったという。企業家が続ける。
「安倍前首相の実母が名誉会長を務める団体が主導して台湾で募金を集め、『安倍前首相がワクチン無償提供で活躍した』と真っ先に報じていた産経新聞だけに単独で感謝広告を出す。安倍前首相の政治活動に利用するための“マッチポンプ”というか“自作自演”のような動きにも感じられて、気分はよくありません」
産経新聞社に、広告出稿の経緯や、記事との関連性を指摘する声があることへの見解を尋ねたが、「個別の広告案件について出稿経緯などはお答えしておりませんが、ご指摘のような事実はございません」とのみ回答があった。
前出の「日本桜里帰りの会」代表の加瀬氏にも経緯を尋ねたが「広告は台湾側が企画したもので、私(日本側)はタッチしていませんよ。掲載2日前に連絡が来たくらいです」と話す。
菅首相の統制力に陰りが見え、自民党内で安倍前首相が確実に“存在感”を見せ始めている。退陣から約1年、政治活動を活発化して表舞台に登場する機会も増えている。
今回のワクチン無償提供についても、6月17日に出演したラジオ番組で安倍前首相自ら、台湾・蔡英文総統から「国民の皆さまに感謝を伝えてください」と、お礼の電話があったことを明らかにしている。
自民党のあるベテラン議員は呆れたようにこう話す。「ワクチンの無償提供は安倍さんの復権に向けた政治宣伝だよ。『私は中国に対抗できる政治家ですよ』と言わんばかりだった。本来、ワクチンは国有資産です。財務省を仕切る麻生さんから了承を得たからといって、一人で根回しして、他国への譲渡を決めていいもんじゃない。それを誇らしげにしてるなんて、物事への根本的な理解が足りていないのでしょう」
台湾からの感謝広告が、安倍氏の首相“再再登板”という悪夢の実現に利用されるとは思いたくないが――。
●「桜」問題、担当検事に意見聴取 検察審査会、近く議決の見通し  7/16
安倍晋三前首相の後援会が「桜を見る会」前日に主催した夕食会の費用補填問題で、安倍氏の不起訴処分が妥当かどうか検討している検察審査会が、東京地検特捜部の担当検事から意見聴取したことが15日、関係者への取材で分かった。捜査の経緯や不起訴と判断した根拠について説明を求めたもようで、近く議決を出すとみられる。
安倍氏は政治資金規正法違反(不記載)や公選法違反(寄付行為)の疑いで告発されたが、特捜部は昨年12月、嫌疑不十分で不起訴とした。
収支報告書に約3千万円を記載しなかったとして元公設第1秘書のみを略式起訴し、告発した市民団体が1月以降に審査を申し立てていた。
●安倍前首相「コロナに打ち勝った証として五輪開催する」発言の無責任 7/16
東京に4回目の緊急事態宣言が発令されるなか、東京五輪は「無観客」で強行開催される。米国のニュース専門局CNBCは「東京五輪のさらなる挫折」、フランスの公共ラジオは電子版で「(ギロチンの)刃が落ちた」と報じた。日本の国民は、世界からそこまで言われ、自分たちの健康や生命と引き替えにしてまで五輪を開催する意義を見いだせないでいる。
この間、政治家は国民に根拠なき楽観論を振りまいて開催へ“特攻”していった。危険に追い込んだ政治家と五輪貴族は、「祭が始まれば、そんな怒りなど忘れるさ」とタカをくくっている。だからこそ、その亡国の発言をきちんと記録しておかなければならない。
「五輪開催強行」はこの言葉から始まった。
「人類が新型コロナに打ち勝った証として、完全な形で開催する」(安倍晋三・前首相)
昨年3月24日、当時の安倍晋三・首相はトーマス・バッハIOC(国際オリンピック委員会)会長との会談で五輪の1年延期方針を決め、こう語った。
「完全な形」の意味を安倍側近の萩生田光一・文科相はこう説明している。
「『完全な形』というのは、無観客にせず、きちんとした形で選手の皆さんに参加して頂く大会を目指すということだと思う」
政府は安倍発言に縛られ、中止もできず、無観客の判断も遅れて現在の事態を招いた。安倍氏は完全な形で開催できなかった責任をどう考えているのか。
さる7月10日の柏崎市での講演で、安倍氏は驚くべき言い方をした。無観客開催を「たいへん残念」と言いながらも、「自由と民主主義、人権、法の支配、基本的価値を共有する日本が(五輪を)成し遂げる」と開催の意義を訴えたのだ。
来年2月には北京冬季五輪が開催される。緊急事態宣言下でも、“東京が開催しなければコロナ後の最初の五輪を中国に取られてしまう”という論理のすり替え、責任逃れの論法である。
「安倍政権を継承し前に進めることが使命」と跡を継いだ菅義偉・首相も無責任な発言を続けてきた。「人類がコロナに打ち勝った証」と安倍氏の大風呂敷発言を踏襲し、国民の間に中止論が高まると「開催に関する最終決定権はIOCにある」と露骨に責任を転嫁。そのうえ日米首脳会談やサミットでは「世界の団結の象徴として五輪を開催する」と一存で表明した。
次の夏季五輪開催国であるフランスの有力紙ル・モンドは、東京五輪の無観客開催が決まると日本の国民の間に依然として開催反対の声が強いことを報じ、〈東京五輪開催は日本列島を分断している〉と書いた。
「世界の団結」どころか、菅首相は五輪開催で国民の分断を招いたという痛烈な皮肉である。
●安倍首相に「増税反対」と叫んだら警察官が… 7/17
映像は、おととしの7月15日。参議院選挙で演説をしていた安倍前総理に、批判の声をあげた市民が警察に排除されたものです。表現の自由が奪われたとして問題になった「道警ヤジ排除」から、15日で2年。当事者たちの想いです。
「人権無視する警察いらない!」(デモのシュプレヒコール)
今月10日、札幌の中心部では、およそ30人が練り歩き、道警に対する抗議デモをしました。大杉雅栄(おおすぎ・まさえ)さんは、おととし、7月、安倍前首相に向かってヤジを飛ばし、警察官にその場から連れ出されました。
「コロナがずっとあって、声を上げづらい、街頭で抗議しづらい。一方で社会に対して政治に対しておかしいでしょと思っている人は増えてると思うんですよね」(警察に排除された大杉雅栄さん)
「この左翼活動家どもが」「ヤジを飛ばす場所じゃねえんだよ。人間やめろ」(SNSの投稿)
声をあげた彼らに対して、SNSで広がる誹謗中傷。
「手段が奪われている感じはします」(警察に排除された桃井希生さん)
このコロナ禍のいま、排除された人たちが抱く危機感とは… 安倍前首相にヤジを飛ばし、道警から排除された大杉雅栄さん。あれから2年、問題を風化させないために道内各地を飛び回り、訴えてきました。
「やっぱり時間が経てば経つほど、世の中の関心は薄くなっていくと思う。道警には誠実に対応してもらいたい。今更ですけどね。誠実に対応する相手だったら裁判してないんですけど」(警察に排除された大杉雅栄さん)
「安倍無用!やめちゃえ!」(2年前のヤジ)
安倍前総理を批判し、道警に排除されたのは少なくとも9人。なかには「年金問題」に関するプラカードを掲げようとしてその場から移動させられた女性もいました。道警は排除した理由について「周囲とトラブルになるのを避けるためだった」などと説明。大杉さんらは、表現の自由を奪われ、精神的苦痛を受けたなどとして、道を相手に損害賠償訴訟を起こしています。
排除されたことをきっかけに、人生が大きく変わった人もいます。
「社会変えるために動くぞと決心するきっかけになった出来事かなと思いますね」(警察に排除された桃井希生さん)
当時大学生だった桃井希生(ももい・きお)さん25歳。
「増税反対!」(2年前の桃井さん)
増税を批判する声をあげた瞬間、多くの警察官に取り囲まれ、連れ出されました。警察官はその後1時間半にもわたりつきまとったといいます。
「ウィンウィンの関係になりたい。なんか飲む?買うよ。お金あるから。コーラですか。ジンジャーエールですか。ウーロン茶ですか」(警察官)
「はい。札幌地域労組です」(今の桃井さん)
桃井さんは去年、札幌の労働組合に就職。パワハラや違法残業などに苦しみながら、立場が弱く、声をあげられない人が多くいることに気が付きました。桃井さんは2年前の自分の姿と重ね合わせるといいます。
「声を上げた時は、世界で私だけおかしい人なのかなと不安があったんですけれど、おかしいよねと言ってくれる人も結構いるので心強い」(警察に排除された桃井希生さん)
ヤジ排除に抗議する桃井さんらへの理解や支援の輪が広がる一方、SNS上では、桃井さんらヤジを飛ばした人に対する誹謗中傷も多くあります。
「選挙妨害じゃんとか、うるさい人だから排除されて当たり前だよねとか。気持ちいいものではない」(警察に排除された桃井希生さん)
コロナ禍で広がる「自粛警察」や「感染者たたき」。異論を排除する風潮は、ますます強くなっていると桃井さんは危惧します。
「いやー悪くなってるんじゃないかなと思います。コロナとかもあるので。(表現の)手段が奪われている感じはしますね」「お互いの存在というか、いろんな声があることを認めあえる社会がいいですね」(警察に排除された桃井希生さん)
道警ヤジ排除問題は、私たちメディアも問われています。最初に報じた朝日新聞の斎藤徹記者です。選挙期間中にこの問題を報じるべきか、社内で議論が起きたと明かします。
「自分たちの報道が、もしかしたら選挙妨害になるのではないかという懸念が一定程度あった。読者の皆さんはどういう風に思いますかという問題を提起するということで紙面化した」(朝日新聞北海道支社・斎藤徹記者)
斎藤記者はHBCが制作したドキュメンタリー番組で元道警の原田宏二(はらだ・こうじ)さんが発した言葉に強い危機感を感じたといいます。
「今回の場合恐ろしいなぁと思うのは、たくさんマスコミのカメラのいる前で堂々とやったってことです。あなたたちは無視されたんですよ」(元北海道警・原田宏二さん)
「報道機関というものが一般市民から信頼性をあまり持たれなくなりつつあることの裏返しのことなのかなと思ったりもした。飼いならされた報道機関になるなという叱咤激励というか…」(朝日新聞北海道支社・斎藤徹記者)
権力を監視するメディアの力が試されるいま、市民からいかに信頼を得て、報道を続けるか、その問いは私たちにも投げかけられています。
●林元文科相が衆院鞍替え表明で山口3区は自民政局の縮図に! 7/17
自民党は本当にガチンコ分裂選挙をするのか。
衆院への鞍替えが囁かれていた林芳正・元文科相(60・参院山口選挙区=岸田派)が、今秋に見込まれる衆院選で山口3区から出馬すると、15日正式に表明した。地元の後援会会合で、「この国のかじを取る資格を得なければならない」と発言。首相を目指すための鞍替えだ。
山口3区の現職は河村建夫・元官房長官(78=二階派)。林氏の出馬表明に河村や二階派はすぐさま反発し、「議席を死守」「現職優先だ」と息巻いた。
党の規定では、鞍替え出馬する現職議員を原則公認・推薦しないとなっているが、公認されなければ、林氏は無所属も辞さない。
「ガチンコなら、どう転んでも林氏が強く、河村氏に勝ち目はない。県議団の主流派も林氏で旗を振っている」(地元関係者)
そうなると、ガチンコを避ける“落としどころ”だが、「河村氏が単独比例になるしかないだろう。しかし、比例区は『73歳定年制』があるし、二階幹事長はギリギリまで引かないだろう」(自民党関係者)。
さらに、山口県といえば、安倍前首相が隠れたキーマン。ともに下関が地盤で親の代からライバル関係にある林氏の衆院鞍替えを、最も苦々しく思っているのが安倍前首相だ。「引退に傾いていた河村氏に、安倍氏が裏で続投をけしかけた」(永田町関係者)とも。1票の格差是正にともない、山口県は次の次の衆院選で選挙区が現在の4から3に減る見通し。その点でも安倍前首相にとって鞍替えする林氏は、招かれざる客なのだ。
「もし林氏が衆院議員になったら、選挙区が1減となり区割りが変わった時に、下関を安倍家が取るのか、林家が取るのかで争いになる可能性がある。安倍氏はそれだけは阻止したいでしょう。安倍氏が今後、どう動くのか。二階氏に恩を売るのか、静観するのか。総裁選や幹事長人事とも関係してくる」(前出の永田町関係者)
山口3区のバトルは自民党政局の縮図となってきた。
●幹事長に前首相…お墨付き合戦 群馬1区、公認争い激化 7/18
次期衆院選で群馬1区から立候補を目指す自民党の中曽根康隆氏(39)=比例北関東ブロック=は17日、前橋市内で後援会の役員会を開いた。集会には後ろ盾とする二階俊博幹事長も出席し、支援する考えを示した。
衆院議員の任期満了まで3カ月あまり。前橋市や沼田市などを含む群馬1区では、中曽根氏と現職の尾身朝子氏(60)が公認候補の座を争って激しいつばぜり合いを繰り広げている。
登壇した二階幹事長は「若手の中で本当に群を抜いて将来が嘱望される存在」と評し、「中曽根康隆のためにみんなで力を貸してやってください」と、集まった後援会の幹部ら約120人に呼びかけた。
尾身氏は先月、細田派の先輩に当たる安倍晋三前首相を招き、前橋市内で集会を開いた。安倍前首相は「尾身さんが公認候補でなくなることはありえないと思っている」と発言。尾身氏は「自民党公認というお墨付きを頂いたという大変心強い思いだ」と自信を見せた。陣営はその後、安倍前首相の発言を引用したチラシを選挙区内に配布して、さらに牽制(けんせい)した。
こうした動きに対し、今回は中曽根氏が公認決定に絶大な力を持つ二階幹事長らを招いて反撃した形だ。
同席した林幹雄幹事長代理は、チラシの内容にも触れ「(公認問題は)まだテーブルの上にも載っていない。決まっているなんていうのは全くのデタラメ」と非難。「やはり強い方が選挙区で戦ってもらうのが道理」と、党の情勢調査で、競合する他候補と15ポイント以上の差をつければ「間違いなくこれで進められるという形になる」と述べ、従来繰り返してきた「現職優先」と異なる基準も示した。
中曽根事務所の関係者は「党内トップの幹事長とその右腕の力強い言葉で、後援会の士気も上がった」と手応えを見せた。一方で、地元の自民県議からはこんな声も漏れた。「お互いに力の強い人を出したからといって、最後に決めるのは党本部。地元は静観するしかない」
●安倍前首相「お会いできてうれしい」から7年後… 7/19
「朴槿恵(パク・クネ)大統領、マンナソパンガプスムニダ(お会いできてうれしいです)」。
2014年3月25日(現地時間)、オランダ・ハーグの米国大使官邸。オバマ米大統領の左側に座っていた安倍晋三首相が反対側に座っていた朴槿恵大統領に慣れない韓国語であいさつをした。しかし朴大統領は硬い表情で目も向けなかった。
過去の問題で対立していた韓日の首脳が米国大統領の仲裁でようやく会った韓日米首脳会談の異例の風景だった。当時、筆者は東京特派員であり、日本メディアがこの場面を「屈辱的」として詳細に報道したことを記憶している。
韓日米協力の復元が急がれる米国は、靖国神社参拝と「河野談話」修正の動きなど安倍首相の歴史修正主義に「失望した」とし、強くブレーキをかけた。安倍首相としては韓国との対話が切実だった。安倍首相を毛嫌いしていた青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)も慰安婦問題解決のための局長級交渉再開などを名分に対話の窓を少し開いた。安倍首相の「パンガプスムニダ」と朴大統領の無反応、確実に韓国が「甲」で日本が「乙」だった。
あれから7年余りの歳月が流れた今、立場は完全に逆転した。東京オリンピック(五輪)開会式に出席するので両国関係改善のために少なくとも1時間の会談時間を確保してほしいという韓国に対し、日本は「丁寧に対応し、15分ほどの対話なら可能」と述べた。
日本メディアでは「ひとまず訪問すれば首脳会談は可能」という日本官僚の傲慢な発言が連日紹介された。しかし今回の訪日を韓日米協力と北朝鮮問題進展のモメンタムにしたいと考える文在寅(ムン・ジェイン)大統領は簡単には「ノー(No)」と返せなかった。
結末がどう出るかは分からないが、確実に『甲と乙』の立場は変わった。
その間、韓日関係にはいったいどんなことがあったのか。2015年の韓日慰安婦合意、文在寅政権の発足と慰安婦合意の事実上の不認定、和解・癒やし財団の解散、大法院(最高裁)の徴用判決、日本の経済報復、韓国のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)終了決定と紆余曲折の末の「終了効力停止」、日本企業の資産差し押さえと現金化など多くのことがあった。
歴史問題であれ、独島問題であれ、経済報復であれ、「本質的な加害者」は日本だ。また、安倍首相時代から続いてきた歴史修正主義が両国関係悪化の根本原因であることも明らかだ。しかし最近の日本の意気揚揚な態度には韓国が口実を与えた側面があることを否認しがたい。
特に対日外交基調の一貫性の観点でそうだ。文大統領は政権発足から3年余りにわたり「竹槍歌」に代表される強硬基調を増幅させてきた。そのたびに野党は「国内政治用」という批判を出し、メディアは「両国関係改善」を叫んだが、この政権は微動だにしなかった。
しかし米国のバイデン政権の発足後、今年に入ってからは「本当に同じ政府なのか」と感じるほど完全に変わった。
文大統領が1月の新年の会見で「2015年の(慰安婦)合意は公式合意だった。(日本政府の慰安婦被害補償責任を認めた)慰安婦判決には困惑している」「日本企業の資産の現金化は望ましくない」と述べたのが圧巻だった。
韓日米の協力を通じて南北関係を改善してみようという計算、ほかの目的があるかのような突然の態度の変化に国民は赤面した。
これに対して日本は強い態度を示した。「韓国政府が解決方法を出すべき」という姿勢を今まで変えていない。
この政権と与党の人たちは野党に対して「土着倭寇」「親日派」と繰り返し後ろ指を指してきた。しかし日本の反撃を誰が助けたか、誰が日本の態度を強硬にさせたのかという観点でみると、「親日派」という批判を受けるべき人は誰なのか、頭の中が複雑になる。
●安倍氏、政府は打撃力保有検討を 経済下支えへ財政措置主張 7/20
自民党の安倍晋三前首相は20日、札幌市内で講演し、今後の安全保障政策について「日米の絆を強くしていくため、日本はやはり打撃力を持つべきだ」と述べ、政府は敵基地攻撃能力保有に関する検討を進める必要があるとの考えを示した。
安倍氏は昨年9月の退陣直前に「年末までにあるべき方策を示す」との談話を出したが、菅内閣は昨年12月の閣議決定で議論を事実上棚上げしている。安倍氏は講演で「きちんと議論していくことによって抑止力が効いていく」と強調した。
安倍氏はまた、新型コロナウイルス禍に関し「今こそ政府が(経済を)下支えしていく必要がある。まだ十分にこの秋に大きなショットをすることはできる」と述べ、秋に大規模な財政措置を講じるよう訴えた。
●世襲だらけの自民党、今時の“二世候補”は「親より優秀」で意外に手強い 7/21
「早ければ10月、遅くとも11月には衆院選があります。7月の世論調査では、菅内閣の支持率は30%を切ることもあり、自民党本部では、約20議席くらいは減るだろうという予測を立てています」(自民党議員のベテラン秘書)
衆院選の苦戦が予想される自民党が、一気に世代交代を図ることで、苦難を乗り越えようとしている。現職・元職の衆院議員の父を持ち、自民党公認で衆院選に初挑戦する世襲の“二世候補”たちが相次いで名乗りを上げているのだ。その再注目のひとりが、愛媛1区の塩崎彰久氏(44)。父親は、元厚生労働大臣の塩崎恭久衆院議員(70)だ。6月の引退表明を受け県連は18人の公募から選考、長男・彰久氏が地盤を継ぐことになった。全国紙の政治部デスクが解説する。
「東大法学部からスタンフォード大学へ進み、父の官房長官時代の秘書官を経て、国際弁護士になりました。海外の複数の法務雑誌が主催する『Asia Legal Awards』で、アジア全域のなかで年間最優秀弁護士を受賞したこともあります。自民の選対幹部は『二世議員のなかでずば抜けて頭がいいだけでなく、腰が低い。あの高圧的な父からどうすればこんな子供が育つのか』と感嘆していました(笑)」
2017年の前回選挙では、塩崎恭久氏が、次点に3倍近くの差で圧勝した。今回も目立った対立候補はなく、「普通に選挙戦を戦えば選挙区で勝ち上がる」という声は強い。
次に注目されるのは、“殿様”の異名を持ち、4代目の政治家を目指すサラブレッド・川崎秀人氏(39)。7月10日、三重2区より出馬表明した秀人氏の父親は運輸相や厚労相などを務めた川崎二郎衆院議員(73)だ。秀人氏は法政大学経済学部卒業後、NTTドコモに就職したが、2017年7月末に退社した。前出・デスクが言う。
「2017年から父の地元秘書になり、後継を意識して4年間、地元と東京を往復してきました。自民の三重県議は『実務能力が高く、物腰も穏やか』と評していました。地盤の伊賀市は、100年近く川崎家が衆院の議席を占めています。曽祖父の川崎克は生前、私財を投じて伊賀上野城を再建したことから、川崎一家は“殿様”という異名がついているのです」
また、地元記者はこう言う。
「父親の二郎さんはもともと話が上手い人じゃないし、息子さんも口が達者なほうではなかった。でも、出馬会見の話ぶりをみると以前よりも成長したという印象ですね。二郎さんは小泉家を意識しているんです。小泉家は、進次郎氏が4代目で、秀人さんが当選すれば、それに並ぶわけです。だから、絶対に息子の秀人さんに継がせたいと思っていました」
最後の注目候補は“安倍前首相の秘書”だ。7月16日に、立候補が正式決定した長崎1区の初村滝一郎氏(41)は、11人の公募のなかから選考された。滝一郎氏は安倍晋三前首相の政策秘書で、父親は元日本新党の初村謙一郎元衆院議員(67)。大阪芸大卒業後の2004年から一貫して安倍晋三事務所に勤めていた。前出・デスクが言う。
「滝一郎氏の祖父・滝一郎氏(同姓同名)と父はともに、長崎地盤の国会議員でした。長崎の自民党はもともと、この初村系県議と元長崎県知事(現参院議員)の金子原二郎系の県議の2派があり、今回、突然引退を表明した富岡勉氏は金子系でした。初村系は主流派を奪還したくて、初村直系の滝一郎を口説いて出馬表明させたということです」
また、ある細田派議員の秘書はこう話す。
「滝一郎と奥さんの媒酌人は安倍晋三夫妻。滝一郎の父・謙一郎さんと晋三さんは、南カルフォルニア大学の留学仲間で、若いころから親しい間柄です。『いつか政治家をやらせるから、議員会館で勉強しろよ』ということで、2004年から晋三さんの事務所に入りました。2020年の『桜を見る会』のときも政策秘書でしたが、会計業務などは担当していなかったため、党内で“シロ判定”が出て、出馬に至ったという経緯があります。ただ滝一郎は、3回生以下の議員に対しては“上から目線”で、『俺は安倍晋三の秘書だ』という偉そうな態度が透けて見えるんですが(苦笑)」
世襲だらけの自民党。批判は重々承知で打って出るだけあって、バトンを受け継ぐ気は満々のようだ。
●安倍前首相 オリンピック開会式への出席見送り 無観客など考慮  7/21
東京オリンピックの開会式に出席を予定していた安倍前総理大臣は、東京都に緊急事態宣言が出され無観客となったことなどを考慮し出席を見送ることになり、関係者に伝えました。
23日行われる東京オリンピックの開会式は、東京都に緊急事態宣言が出され無観客となり、出席者も数百人規模に減らす方向で調整されていて、経済団体やスポンサー企業の間では出席を見送る動きが出ています。
こうした状況を考慮し、大会組織委員会の名誉最高顧問を務める自民党の安倍前総理大臣は、開会式への出席を見送ることになり、関係者に伝えました。
安倍氏は総理大臣だった8年前、IOC=国際オリンピック委員会の総会で演説するなど、大会の招致に当たり、去年3月には、新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、大会の1年延期を提案しました。
総理大臣を辞任したあと去年11月には、オリンピックの普及や発展に貢献したとして、IOCの功労章「オリンピック・オーダー」が贈られていました。
●安倍晋三前首相「秋、政府・日銀でデフレ懸念払拭の大きなショットを」 7/21
北海道の若手経営者に気づきの場を設けて自ら成長してもらうことを目指した北海道経営未来塾(塾長・長内順一未来経営研究所社長)は20日、札幌市中央区の札幌パークホテルで安倍晋三前首相を講師に招いた特別講座を開講した。安倍氏は、第6期の塾生約30人の前で、首相時代に取り組んだ経済政策“アベノミクス”の狙いやコロナ下の経済対策について約25分間話した。(写真は、北海道経営未来塾で講演する安倍晋三前首相)
2012年末に政権を奪還して発足した第2次安倍政権は、日銀との異次元緩和など“アベノミクス”で、デフレ不況に苦しむ日本経済を成長路線に戻すことを進めた。安倍氏は、「政府と日銀が目標を共有して、それに向かって政府と日銀が協力していくのは当然のこと。政治における経済の最大の責任は、働きたい人が働ける経済をつくること。人口減少下でも女性や65歳以上の働きたい人が働けるような環境を整備して雇用を創出してきた」と述べた上で、「高齢社会に入り、増大する社会保障費を賄うには経済の成長が不可欠。成長をあきらめてはいけない。成長をあきらめた国には未来はないと思う。未来は定められたものではなくて、今私たちが何を考え、何をやるかにかかっている」と訴えた。
コロナ下の経済について、「北海道はインバウンドがこういう状況になっているため厳しい状況だと思う。私は、今こそ復活に備えて政府が下支えしていく必要があると思う」と話して、再び政府と日銀の協力について言及。「政府と日銀は連合軍だ。政府の国債を日銀が買っており、政府と日銀は、親会社と子会社の関係だ。今、またデフレに戻ってしまうかもしれない懸念がある。私は、この秋にまだまだ大きなショットによって政府・日銀の連合軍で対応していくことができるだろうと思っている」と述べた。
●「1年延期」提案の安倍前首相 あすの五輪開会式の出席見送りへ 7/22
東京オリンピックの開会式に招待されていた安倍前総理が出席を見送ることが分かりました。
これは複数の関係者が明らかにしたものです。安倍前総理は総理大臣辞任後に大会組織委員会の名誉最高顧問に就任していて、あす行われる東京オリンピックの開会式に招待されていました。
去年3月には新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、“完全なかたちで開催を目指す”として大会の1年延期を提案していて、ある大会関係者は「このことに責任を感じているのではないか」と話しています。
大会組織委員会は開会式が無観客になったことを踏まえ、会場に入る関係者の人数をおよそ950人に絞り込んでいます。
●「名を捨て実を取る」原発活用に動いた安倍前首相 7/22
政府は「エネルギー基本計画(エネ基)」の改定素案に、原発の新増設やリプレース(建て替え)の記述を盛り込むことを見送った。菅義偉首相の2050年脱炭素方針を受け、原発の積極活用を求める機運が自民党で高まったものの、迫る衆院選で争点化されることを警戒した政権が抑え込んだ。一方、既存原発の再稼働加速や長期運転を目指す方向性は明記。自民内の原発推進派からは「名を捨て実を取った」との声が上がる。
「新増設や建て替えの明記を目指したが、日ごとに困難になっていった。既存原発の最大限の活用を実現させる要求に重点を移した」。自民内の「リプレース推進議員連盟」幹部は、この間の全体的な流れをこう振り返った。
首相が脱炭素方針を打ち出したのは昨年10月。原発推進派はこれに呼応し、発電時に二酸化炭素(CO2)を出さない原発をアピールする攻勢に出た。主張は党内の多数派となり、今年4月には核となる同議連が発足。顧問には、日に日に存在感を復活させつつある安倍晋三前首相が就いた。
だが、風向きが変わる。
新型コロナウイルス対策の迷走で政権の支持率が急落し、次期衆院選で原発政策がクローズアップされることへの懸念が強まった。加えて、官邸筋によると、脱原発に理解を示す河野太郎行政改革担当相や小泉進次郎環境相が、新増設やリプレースへの反対論を首相に何度も進言。これらが相まって、6月に閣議決定された経済財政運営の指針「骨太方針」にキーワードは入らなかった。
推進派も強烈な巻き返しを図った。
既存原発の活用であれば世論の理解を得やすいと踏み、再稼働の加速や「原則40年、最長60年」とされる原発の運転期間延長をエネ基で担保するよう要求する戦術に転換。政府関係者によると、特に安倍氏が官邸中枢に対し熱心に働き掛けを行った。衆院選だけでなく、党総裁選も間近に控えた首相は、後ろ盾の一人である安倍氏の意向を軽視できない立場。結果、「再稼働加速タスクフォースの立ち上げ」「長期運転を進める上での課題への取り組み」といった文言が加わり、エネ基の原発を巡る推進、慎重両派の綱引きは「痛み分け」の形で決着した。
「電力業界や、原発の地元に何とか顔が立つ結論に落ち着いた」。九州の原発立地地域を地盤とする推進派議員は、ほっとした表情を見せた。
●安倍前首相が米国や台湾と対中連携訴える 7/29
自民党の安倍晋三前首相は29日、日米両国と台湾の国会議員による戦略対話にオンラインで出席し、香港での民主派弾圧を続ける中国を念頭に「香港で起きたことを台湾で起こしてはならない」と述べ、連携強化を訴えた。
●安倍前首相「不起訴不当」検察審査会 「桜を見る会」懇親会で 7/30
「桜を見る会」の前日夜に開催された懇親会をめぐり、安倍前総理大臣側が費用の一部を負担したのは有権者への違法な寄付で公職選挙法に違反する疑いがあるなどとして、安倍氏が告発され不起訴になったことについて、東京の検察審査会は、十分な捜査が尽くされていないなどとして「不起訴は不当だ」と議決し、30日公表しました。
これを受けて東京地検特捜部は再捜査を行い、改めて、起訴するかどうか判断することになります。
「桜を見る会」の前日夜に開かれた懇親会をめぐっては、主催した政治団体「安倍晋三後援会」の代表だった元公設第1秘書が、おととしまでの4年間の政治資金収支報告書に合わせておよそ3000万円の収支を記載しなかったとして、去年12月、政治資金規正法違反の罪で略式起訴され、罰金100万円の略式命令を受けました。
一方、安倍前総理大臣は嫌疑不十分で不起訴になりました。
この問題では、安倍氏側が懇親会の費用の一部を負担したのは有権者への違法な寄付で、公職選挙法に違反する疑いがあるとして安倍氏らが告発されましたが、特捜部は「懇親会の参加者に寄付を受けたという認識があったと認めるだけの証拠は得られなかった」などとして不起訴にしました。
これについて東京の第1検察審査会は安倍氏と元公設第1秘書について「不起訴は不当だ」と議決し、30日公表しました。
議決の中で、審査会は「一部の参加者の供述だけで参加者全体について寄付を受けた認識がないと判断したのは不十分と言わざるをえない。安倍氏や秘書らの供述だけでなく、メールなどの客観資料も入手したうえで犯意を認定するべきで、不起訴の判断には納得がいかない」と指摘しています。
また、審査会は、実際に費用の一部を負担した安倍氏の資金管理団体の収支報告書に収支の記載がないのは、政治資金規正法に違反する疑いがあるとして安倍氏と団体の会計責任者が告発され、不起訴になったことについても「不起訴不当」と議決しました。
安倍氏については、会計責任者の選任や監督で注意を怠っていた疑いについて捜査すべきだとしています。
一方、元公設第1秘書が略式起訴された政治資金規正法違反の事件については、検察審査会は「不起訴は相当だ」と議決しました。
議決文の最後に審査会は「政治家はもとより総理大臣であった者が秘書がやったことだと言って関知しないという姿勢は国民感情として納得できない。国民の代表者であるという自覚を持ち、清廉潔白な政治活動を行い、疑義が生じた際にはきちんと説明責任を果たすべきだ」と指摘しています。
「不起訴不当」と議決された容疑について、東京地検特捜部は再捜査を行い、改めて、起訴するかどうか判断することになります。
仮に検察が再び不起訴にすれば、検察審査会の2回目の審査は行われず捜査が終わることになります。
安倍前総理大臣は、国会内で記者団に対し「検察当局が厳正な捜査を行い、私や、私の事務所も真摯(しんし)に対応して全面的に協力してきた。その結果、不起訴という判断が示されたと承知している。今回、一部不起訴不当という議決がなされたが、私としては今後、当局の対応を静かに見守りたい」と述べました。そのうえで、記者団が「議決の内容をどのように知ったのか」と質問したのに対し、「つい先ほど報道によって知った」と述べました。
懇親会の費用の一部を負担していたことについて安倍氏は去年12月、国会で「飲食費などについては5000円の会費を徴収していた。不足分は会場費などで、私が預金から下ろして秘書に預けていた資金で立て替えていた。会場費などは、寄付や利益の提供には当たらないという総務省の見解がある」と説明していました。
検察審査会に申し立てていた弁護士などのグループは東京 霞が関で会見を開き、泉澤章弁護士は「一国の首相が違法行為をしている現状をだまって見てはいられないと告発し、検察審査会にも申し立てたが、その思いを正確に受け止めてもらえた。起訴すべきという議決ならもっとよかったが、今ある証拠の中では最大限の判断をしてもらえたと思っている」と述べました。そのうえで、「安倍氏の『秘書がやったことで知らなかった』という発言について、検察審査会は『国民感情として納得できない』と書いた。安倍氏はこの議決を受け止めて、国会でみずから釈明をし、議員辞職してほしい」と話していました。
検察審査会の議決について、東京地方検察庁の森本宏次席検事は「不起訴不当とされた事件について再び捜査に着手し、議決内容を精査して適切に対処したい」としています。
自民党の柴山幹事長代理はNHKの取材に対し「今回の検察審査会の議決により検察が改めて捜査を行うことになるので、われわれとしてはそれを見守っていくということに尽きる」と述べました。
立憲民主党の安住国会対策委員長は記者団に対し「もう1回捜査をやり直せということで、これまで野党が主張してきたことが立証された形だ。安倍氏はこの事件をめぐり国会で118回もうその答弁をしたことも国民は忘れていないし、事件をこのまま闇に葬り去るわけにはいかず、証人喚問にふさわしい事態になった。速やかに臨時国会を開いてほしい」と述べました。
日本維新の会の遠藤国会対策委員長はNHKの取材に対し「国民の間にも実態を知りたいという思いがあると受け止めている。どんなことが問題なのか、より明確、かつクリアになるようにしていくことが大事で、検察にはこれを機に透明性高く調べを進めてもらいたい。国民の疑念に答えていくということがすべてだ」と述べました。
共産党の田村政策委員長は、記者会見で「有権者に買収が行われたのではないかという疑惑であり、改めて捜査が行われるのは当然のことだ。安倍前総理大臣を国会に呼び、偽証が許されない証人喚問の場で究明を行う必要がある。また、当時、官房長官として、この疑惑にふたをし続けてきた菅総理大臣にも重い責任がある」と述べました。
国民民主党の玉木代表は、NHKの取材に対し「不起訴の判断に問題があると認定された意義は重大で検察には厳格に再捜査して適切な処分をしてもらいたい。安倍前総理大臣は政治的責任も問われていて最終的には衆議院選挙で国民に審判を仰ぐことだが、まずは国会でみずから説明すべきだ」と述べました。
●安倍前首相「不起訴不当」と議決 桜を見る会巡り検察審査会  7/30
安倍晋三前首相の政治団体が「桜を見る会」前日に主催した夕食会の収支を巡り、東京第一検察審査会は、公選法違反や政治資金規正法違反の疑いで刑事告発された安倍氏を不起訴とした東京地検特捜部の処分について、一部を「不当」と議決した。15日付。
強制起訴につながる「起訴相当」議決ではないため、特捜部が再捜査で不起訴とすれば捜査は終結する。
検審は議決書で「首相だった者が、秘書がやったことだと言って関知しないという姿勢は国民感情として納得できない。きちんと説明責任を果たすべきだ」と付言した。
夕食会を巡っては、一人5000円の会費では足りなかった費用を安倍氏側がホテル側に補填。議決書は、補填は有権者への寄付に当たるとする公選法違反容疑での告発を不起訴とした特捜部の処分を、「秘書や安倍氏らの供述だけで犯意を認定すべきでない」などと批判し「不当」と指摘した。

検察審査会が「不当」だと突きつけたのは、「安倍晋三前首相の関与はない」とする秘書や本人らの供述中心の捜査で不起訴とした検察の姿勢だ。検審が着目したのは、1人5000円の会費を超えた分を安倍氏側が補填(ほてん)していたことが、有権者への寄付に当たるのではないかという公選法違反容疑だ。参加した地元支援者らに、補填をしてもらったという自覚があったのか。安倍氏本人に寄付の犯意があったのか−。検審は、検察が一部支援者や安倍氏らの聴取だけで不起訴と判断したことを問題視し、「メールなど客観的資料も入手した上で認定すべきだ」と積極的な捜査を迫った。
検審はくじで選ばれた市民からなる。検察は市民の負託に応えるためにも、関与を裏付ける客観証拠がないか徹底的に再捜査しなければならない。
●女性5000人が回答 「落選してほしい政治家」 トップ10! 7/30
関係者の辞任が相次ぐなか、混乱続きのオリンピックが開幕。コロナの感染は拡大する一方で、政府の対応は頼りない。さらに、追い詰められている飲食店に対していじめのような圧力をかける大臣の発言にも驚かされた。オリンピック後には衆院総選挙が行われる予定だが、この国の舵取りを、今の政治家たちに任せて本当に大丈夫なのか。そこで週刊女性は全国の20〜70歳の女性5000人を対象に、『秋の衆院選挙で落選してほしい政治家』についてアンケートを実施した。女性の“怒り”を集めた政治家はこの人たち。落選オリンピックの開幕だ!!
   1 麻生太郎財務相
   2 二階俊博幹事長
   3 菅義偉内閣総理大臣
   4 安倍晋三前首相
   5 丸山穂高
   6 辻元清美
   7 小泉進次郎環境相
   8 西村康稔経済再生相
   9 枝野幸男立憲民主党党首
   10 河野太郎行政改革担当相
1位は学習しない“お坊ちゃん”
1794票を獲得して、最も落選してほしい政治家となったのは麻生太郎財務相。
「家柄だけで政治家になった人。数々の失言からふさわしくない」(東京・49歳パート)
「コロナ禍の中“いつまでマスクをするんだ?”と報道陣に話していて、この人は本当に頭が悪いんだと思った」(群馬・28歳パート)
数々の“失言”“暴言”を繰り返してきた麻生。その傲岸不遜な態度は、国民に寄り添っているとは思えない。
政治評論家の角谷浩一氏は、「周囲をバカにして物事を進めていく上から目線の姿がとても不快に映るのでしょう」
2019年には「子どもを産まなかったほうが問題なんだ」と発言。のちに野党から“不適切な発言だ”と追及され、批判を浴びた。
「学習しないんです。庶民感覚がないお坊ちゃんであの態度ですから。彼に対する嫌悪感をどうしたって払拭できないでしょう」(同・角谷氏)
少しは国民の気持ちを学んでほしい!!
国会議員に定年制を
2位にランクインしたのは二階俊博幹事長だ。
「GoToなど自分の利権のためにコロナを感染拡大させた」(福岡・32歳医療関係者) 「この人に遠慮して、若い世代の優秀な人が萎縮している」(東京・35歳会社員)
二階が白と言えば、黒だろうが白になる。自民党のドンといえる存在だ。政治ジャーナリストの細川珠生氏は、「自分を支援する旅行業界だけが得をするようなGoToトラベルという政策を打ち出した、二階さんの独善的な行動は評価が低くなって当たり前。何より周囲の議員が誰も彼に意見できない状況になっており、二階さんがいる限り若い政治家の意見が通らない。だからやりたい放題になってしまう。麻生さんもですが、80歳を越えているのだから、そろそろ第一線を退いていただきたい。党の規約でもいいので、国会議員に定年制を設けるべきです」
自分たちだけよければいいという状況じゃないのでは。
こんな人が総理で恥ずかしい!
令和おじさんこと内閣総理大臣の菅義偉が3位に。獲得票数は801票。アンケートではこんな声が並ぶ。
「とにかく頼りない!」(埼玉・45歳専業主婦)
「説明不足で決断力不足! リーダーシップにも欠ける」(東京・45歳パート)
「国民の気持ちを考えてない。この状態で東京五輪を強行開催するのはおかしい」(東京・59歳専業主婦)
昨年9月に総理に就任してからもうすぐ1年になるが、「世界的パンデミックの今、総理大臣という一国のリーダーが“頼りない”という評価は致命的。コロナの感染拡大も抑えられず、伝えようとする気持ちがないから発信力もない。テレビ出演すれば、嫌な質問には子どものように不機嫌な態度を見せる。何十年も政治家をやってきて何をしてきたのか。こんな人が総理で恥ずかしい」(前出・細川氏)
角谷さんも、「官房長官と総理では求められる能力が違うんです。官房長官は記者の追及から政府を守る盾のような存在ですが、総理は政府の顔。国民に向けて発信していかなければいけない。それなのに、菅さんは国民に官房長官時代と同じ態度で接しているんです。コロナ対応には現在6閣僚も関わっているのにうまくいかない。菅さんのリーダーシップがない証左です」
菅政権の終わりも近い!?
体調不良で辞めたんじゃ?
4位は病気を理由に総理の座を退いた、安倍晋三前首相。今も現役の衆議院議員だ。
「首相を体調不良で辞めたのだから、議員もできないのでは?」(岡山・48歳専業主婦)
「森友問題でうそをつき、真実を明かさないため」(石川・52歳パート)
長期にわたって政権を維持した安倍だが、「アベノミクスが成功したのは前半だけで、後半からはほぼ失敗のようなもの。最後はコロナで苦しくなって、体調が悪いと辞任。なのに、今はピンピンしている。そんな姿に信用できないと感じるのでしょう」(前出・角谷氏)
最近ではオリンピック開催に反対するのは「反日的な人」との発言が物議を醸す。
「いい国民と悪い国民がいるかのような安倍さんの差別的な発言に、国民は敏感に反応している。森友問題も、終わったことと思っているのは安倍さんだけなのでは」(同・前)
だが評価できる部分も。
「安全保障問題に関しては一定の成果を挙げたと思っています。外交的なセンスはあるのだから、議員を退き別の形で活躍してもらえたらいいのですが……」(前出・細川氏)
ただ、彼が長期にわたり政権を維持できたのは国民をガン無視できる“鈍感力”があったからだとも。
「これだけ私たち国民の不満が噴出しようが、声はまったく届いてない。わざと聞こえないようにしているのかと思うぐらいです」(細川氏)
国家は国民があってこそ。都合の悪い声は聞こえない、安倍前首相こそ“悪い政治家”なんじゃない?
小泉環境相には20代、30代から批判の声
『NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で』(旧N国)に所属する丸山穂高が5位にランクイン。
「戦争したほうがいいとか、女性を買う発言が許せない」(神奈川・40歳パート)
「議員でいることがおかしい」(栃木・46歳専業主婦)
北方領土の国後島で酩酊し「女を買いたい」と喚いた丸山に、女性たちの怒りの声が集中するのも当然。最近は支給されたボーナスの一部を困っている人に向けて配っていたが、信頼回復にはほど遠い。
6位には、女性議員では初登場となった辻元清美。
「秘書給与流用事件、関西生コン疑惑など不祥事だらけ。自著に皇室を“生理的にイヤ”と書いたり……。問題多すぎ」(千葉・52歳専業主婦)
「論理的に説明するのではなく、感情的な言い方がすぎる」(新潟・60歳専業主婦)
と辛辣な声が。他人を責めるだけじゃなく、自らのことも反省してみて。
7位に再び登場した自民党の閣僚は、環境相の小泉進次郎。一時はアイドル的人気で話題になった彼だったが、
「“小泉構文”と言われているとおり、言ってることが意味不明」(熊本・25歳公務員) 「政策がヒドイ。レジ袋の削減よりも、自然災害への対策に力を入れてほしい」(東京・28歳その他)
「ポエマーかと思った」(石川・32歳専業主婦)
一時の人気はどこへやら。
「レジ袋を有料化して何か役に立つんですかと聞くと、彼自身が“意味がない”と白状してしまった。そりゃあ怒りますよね」(前出・角谷氏)
アンケートの結果を年齢別に見たところ、彼を批判しているのは意外にも20代、30代が非常に多かった。
「私たちが年をとったとき、こんな人が政治の中心を担うのかという、若い世代の怒りの声なのでしょう」(同・前)
それだけではないと補足するのは細川氏。
「人の好みはさまざまでよいのですが、年上で華やかな恋愛遍歴がある滝川クリステルさんとの結婚にガッカリしたのだと思います。彼女は横須賀にいるわけでもなく、小泉さんを尻に敷いて、彼が政治に集中できていないように見えることも一因でしょう」
数年前は総理候補と目されていた政界のプリンスも、結婚が落とし穴となったか──。
金融機関を利用した自粛呼びかけ発言をした“飲食店いじめ男”の西村康稔経済再生相は8位にランクイン。
「昨年の暮れまで“経済のアクセルとコロナのブレーキを同時に踏む”と話していた人ですから、何を言ってるかわからないと感じる人は多いと思う。普段は“コロナに気をつけてください”と優しく話すけど、今回の発言で困ったときには権力を振りかざす人なのだと、国民は認識したと思います」(前出・角谷氏)
口に出す前に、ブレーキを踏むことはできなかったのか。
自民党を責めるのは失点を隠すため?
立憲民主党の党首である枝野幸男は9位にランクイン。
「『SPEEDI』の情報を隠蔽し、国民に無用な被ばくをさせた」(青森・35歳パート)
との声があるけれど、これについて角谷氏が説明する。
「枝野さんは東日本大震災のときの官房長官でした。原発事故の対応で“ただちに影響はない”と繰り返し話していましたが、“しばらくしたら何か影響が出るのでは”と思っていた人も多いはず。結局、放射能で故郷を追われた人もいたわけです。自民党を責めるのも、自分の失点を隠すために攻撃しているように見えますね」
最後にランクインしたのは、河野太郎行政改革担当相。
「ワクチンが不足している原因説明の意味がわからない。たぶん本人も理解していない」(東京・29歳専業主婦)
など基本的にワクチンに関する怒りの声が多かった。
「コロナ対策には6省庁が絡んでいるにもかかわらず、大規模接種会場の情報は、防衛省のホームページにしか載っていないのはとても不便。各省庁の情報を共有し、コロナの情報をまとめた政府のサイトを作ればいい。これこそ行政改革担当である河野さんの仕事なのに、そういうことは全くしない。党内の評価は最悪です」(前出・角谷氏)
ワクチン担当としても、「河野さんは失敗したことを責められるのが嫌なのか、都合が悪いことは答えない。ワクチンの供給量が減ることを4月にわかっていたなら、そのときに正直に言っておくべきでした。それを今言うから、自治体の混乱を招くのです。そういえば、ハンコをやめると言ってましたが、どうなったのか」(前出・細川氏)
ハンコよりも、説明不足をやめてほしい……。
今回は衆議院議員に限定したためランキングには載せていないが、参議院議員の今井絵理子や蓮舫、丸川珠代にも多数の票が集まった。国会議員に物申す、女性の怒りはこんなものじゃない!!
 
 
 
 2021/8

 

●安倍前首相落胆…!不起訴不当で「安倍派」の立ち上げ消滅の危機 8/4
安倍晋三前首相(66歳)が我が世の春を謳歌した「桜を見る会」。その前日に支援者を招いて開催していた夕食会の費用を政治資金収支報告書に記載していなかった事件で、東京地検特捜部は安倍氏を嫌疑不十分で不起訴としていた。
だが、東京第一検察審査会(検審)は7月30日付けで、その一部について「不起訴不当」という判断を下した。今後、地検が再度捜査することになる。
「検審はかなり踏み込んだ判断をしました。安倍前首相について、『総理大臣までやった人が秘書の行いであって、自分自身は知らなかったと弁明するのでは国民が納得しない』『“政治活動は清廉潔白に、疑われる点があるなら説明責任を果たすべき』とまで指摘しています」(全国紙司法担当記者)
再捜査の対象は、安倍氏側が補てんした夕食会の費用が選挙区内での寄付にあたるのではないかという公職選挙法違反と、安倍氏が代表を務める資金管理団体の会計責任者の選任監督を怠ったのではないかという政治資金規正法違反の2つの容疑についてである。
「検審は『一部の参加者の供述だけで参加者全体について寄付を受けた認識がないと判断したのは不十分。安倍氏や秘書らの供述だけでなくメールなどの客観資料も入手したうえで犯意を認定すべきで、不起訴の判断には納得がいかない』と、東京地検特捜部の捜査も批判しています。たしかに、安倍前首相や秘書の供述だけで判断したのは、最初から安倍前首相に累が及ばないことがありきで捜査を進めた結果と言われても仕方ありません」(同前)
検審の「不起訴不当」の議決は今後の政局に大きな影響を与えることになりそうだ。あるベテラン永田町関係者はこう明かす。
「これまで安倍さんは表立った活動を控えていましたが、最近は徐々に再開しつつありました。議連活動で注目され、都議選の応援に駆けつければ聴衆が集まり、本人も手ごたえをつかんでいたようです。また、来る今秋の総選挙では自民党内で公認争いをしている選挙区が複数あり、出身派閥である細田派所属議員の後押しをすべく、彼らの地元入りを繰り返していました」(同前)
いずれもそれらは、自身が細田派に復帰して安倍派を形成する地ならしと永田町では見られてきた。
「細田派は事実上、安倍前首相がオーナーのようなものですが、去年9月に政権を投げ出すように退陣したと指摘する声も多いことから、派閥にいきなりボスとして返り咲くのはハレーションが起きかねないということで自重していました。それでも、早ければ『総選挙前に細田派を安倍派に』と狙っていた。
しかし、その最大のネックとなっていたのが、まさに検審の判断です。安倍さんは相当気にしていてヤキモキする日々を送り、祈るような気持ちで決定を待っていたと聞いています。今回、再捜査という判断が下ったことに加え、国民への説明責任にも言及されてしまった以上、早期の安倍派の立ち上げはかなり難しくなりました」(同前)
再捜査の結果が出るのは総選挙後とされ、そこで不起訴が維持されれば、検審による二度目の審査は行われないことになっている。
「普通に考えれば、特捜部が安倍前首相を起訴する可能性はゼロに近く、このまま捜査終結となるでしょう。ただし、特捜部としても捜査を尽くしたとは言い難い状況にはあります。世論の声が高まっていることを気にして、これまでとは違う動きをすることはありえますよ」(前出・司法担当記者)
「安倍派」は誕生するのか、それとも幻に終わるのか……永田町は特捜部の動きを固唾を呑んで見守っている。
●ポスト菅1千人アンケートで浮上した意外な大穴 8/6
東京五輪の開催を強行し、感染爆発を引き起こした菅政権。総裁選の投開票日が9月29日で調整が進められており、ポスト菅を探る動きが永田町では出てきている。
「東京五輪でメダルラッシュも菅内閣の支持率はまったく上がらず、8月中に感染拡大が収まらなければ、24日開幕のパラリンピックは中止になる可能性がある。さらに22日投開票の横浜市長選挙で菅首相が推す元国家公安委員長の小此木八郎氏が敗れるようなことがあれば、早期退陣に追い込まれることもありうる」(政府関係者)
永田町では例のごとく、河野太郎ワクチン担当相、岸田文雄前政調会長、石破茂元幹事長などの名前が有力候補として挙がっている。だが、次の衆院選で与党が大敗すれば、野党にもチャンスが巡ってくる。
そこでAERAdot.ではポスト菅について、大穴候補者として期待する政治家は誰か、アンケートを実施した。7月14日〜28日の約2週間行い、1007人の回答が集まった。編集部で20人の与野党の政治家を選び選択肢を設け、記述回答も用意した。
ポスト菅の有力候補として河野太郎規制改革担当相、石破茂元自民党幹事長、茂木敏充外相、加藤勝信官房長官、下村博文政調会長、岸田文雄前政調会長の名前が挙がっているため、選択肢からは外した。早速、結果を見ていこう。
最も多い回答を集めたのは、立憲民主党の枝野幸男代表で176票(17・5%)だった。野党第一党の代表として期待値は常に高い。政治ジャーナリストの角谷浩一さんは「野党が強くなければいけないという社会の思いが票につながったのだろうが、政界での評価は高くない」という。どういうことか。
「枝野氏は保守を標榜していますが、7月に村山富市元首相を表敬し『リベラルな政権をつくる』と発言するなど、どういう保守を目指しているのかわかりにくい。政治のセオリーとしてここの説明をはっきりとさせることが重要になってきます。この先を見据えるなら、覚悟を決めて自らの立場を明確にする必要があると思いますね」(角谷さん)
2位に入ったのは、安倍晋三前首相で128件(12・7%)だった。昨年9月に持病の悪化を理由に突如として首相の職を辞したが、ネットを中心にいまだに熱狂的な支持が見受けられる。安倍前首相の再登板はあり得るのか。官邸関係者はこう見る。
「衆院選の最終日夜に恒例で行う秋葉原の演説は信者の集会かのような異様な雰囲気に包まれます。国民を扇動する演説や力強い演説は、菅首相にはないものです。本人も『もう1回』と思っているのでは。ただ、健康も回復していますが、桜を見る会で検察審査会が一部を『不起訴不当』と判断し、問題がくすぶっている。再登板はかなり難しいでしょうね」
3位に入ったのは小池百合子都知事で119票(11・8%)だった。7月の都議選では、一時は自身が特別顧問を務める都民ファーストの会の惨敗が予想されたが、過労で入院した頃から潮目が変わった。選挙最終日には電撃的に候補者の激励に回り、結果的には都ファが善戦。小池氏が存在感を出した。先の官邸関係者はこう語る。
「さすがに国政も、ましてや首相もチャンスはないというのが一致した見方でしたが、今回の都議選で存在感と政治力を高めました。年齢的にはチャンスは多くはないでしょうが、独特の政治センスと発信力はやはりさすがです。霞が関にも、防衛相時代などの繋がりでポジティブに評価する人も意外と多くいます」
しかし、東京都では緊急事態宣言が出されており、感染拡大が抑えられていない。これから衆院選に出て、首相を目指すとなると、都知事の職を投げることになる。都民や国民が納得する理由付けが必要とされそうだ。
意外にも票が集まったのは、日本共産党の志位和夫委員長だ。101票(10・0%)と4位に入った。一貫して政府を厳しく糾弾する姿は、若い世代からも支持を集めている。
「五輪問題も他の野党がブレる中で、首尾一貫して中止を主張しているのは志位さんや共産党だけです。話もさすがに上手い。共産党らしい一貫性を保ちつつ、他の野党との一致点で共闘すべく譲る姿勢は、枝野さんにはない志位さんならではの柔軟性なのでしょう。その辺りが期待につながったのでは」(政府関係者)
日本共産党からは田村智子参院議員も20票(2%)と9位に入った。桜を見る会では安倍首相(当時)を厳しく追及する姿が報道され、注目を集めた議員だ。日本共産党の「エース」と目されている。他方でポスト志位と見られている小池晃参院議員は4人(0・4%)で26位と振るわなかった。
5位は野田聖子衆院議員で、80票(7・9%)だった。かねてから首相候補と言われてきたが、党総裁選の推薦者20人を集めるのに苦戦する状況が続いている。先の角谷さんはこう指摘する。
「アンケートで自民党の女性の議員を見てみると、高市早苗議員、稲田朋美議員を押さえてトップになっている。世間からの期待は高いのだと思います。ただ、政界での評価は別。党内力学をどう使うかがカギですね。今は幹事長代行として二階幹事長の下に入っている。このあたりは二階幹事長の支援が受けられることも念頭に動いているのではないでしょうか」
6位には78票(7・7%)で山本太郎れいわ新選組代表、7位には34票(3・4%)で橋下徹元大阪府知事が入った。二人とも国会議員ではないが、閉塞感を打破する人物として期待する人が多いとみられる。
将来の首相候補とも言われる小泉進次郎は17票(1・7%)で12位となった。環境相になってから、ネットではたびたび小泉議員の発言が、“迷言”としてあげつらわれている。官邸関係者は「まだ首相の器という雰囲気はない。まだまだ先なのでしょう」という。
果たしてこの中から、ポスト菅は現れるのか。注目が集まる。
●安倍晋三前首相が五輪閉幕に「感動をありがとう。」 8/9
東京五輪閉幕から一夜明けた9日、安倍晋三前首相が自身のツイッターを更新し、「東京オリンピックが閉幕いたしました。感動を与えてくれたアスリート達に、そして大会のためにご協力いただいたボランティアはじめ全ての皆様に感謝申し上げます。感動をありがとう」と、つづった。
安倍前首相は2013年の五輪招致決定時の首相。5年前のリオデジャネイロ五輪の閉会式には、“安倍マリオ”にふんして登場し、話題を呼んだ。20年3月の新型コロナウイルスの感染拡大による延期決定には主導的な役割を果たし、2年延期の声もある中で、自身の首相任期中の開催となる1年延期を決定したが、20年8月に辞任した。東京五輪開閉会式を通じて、“安倍マリオ”の出演はなかった。 
●安倍前首相が靖国参拝 終戦の日 8/15
安倍晋三前首相は15日午前、終戦の日にあわせて東京・九段北の靖国神社を参拝した。衆院議員の肩書で記帳した。参拝後、記者団に「先の大戦において祖国のために母や父、友や子、愛する人をのこし、祖国の行く末を案じながら散華された、尊い命を犠牲にされたご英霊に尊崇の念を表した」と語った。
安倍氏は2012年12月の第2次安倍政権発足後、13年12月に靖国神社を訪れた。中国や韓国が強く反発し、米国は「失望」を表明した。それ以降は20年までの首相在任中、終戦の日を含めて靖国神社に参らなかった。
首相退任後、20年9月と同10月に2カ月連続で靖国神社を参拝した。21年4月には春季例大祭にあわせて訪問していた。
●安倍前首相「桜を見る会」検審議決で告発団体会見 「再び不起訴許さぬ」 8/24
安倍晋三前首相の後援会が開いた「桜を見る会前夜祭」の費用を安倍氏側が補填していた問題――検察審査会が安倍氏の公職選挙法違反容疑での不起訴を、「被疑者安倍の犯意」についての捜査の不十分さなどを指摘して「不当」としたことを受け、刑事告発していた市民団体などが8月6日、東京・永田町の参議院議員会館で緊急記者会見を開いた。検察の再捜査が始まるが、「再び不起訴や略式起訴のごまかしを許してはならない」「国会での証人喚問が必須だ」などと訴えた。
「検察庁法改正に反対する会」共同代表のジャーナリスト岩田薫さんは「東京地検特捜部はこうした本来の政治案件こそ積極的に取り組むべきなのにほとんどやらなくなった」と不満を表明。黒川弘務・元東京高検検事長の賭けマージャン問題での告発では検審で「起訴相当」を導き出したが、検察は「強制起訴で公開裁判となるのを避けるため、罰金刑で済ませる略式起訴を選んだ。繰り返してはならない」と述べた。
「今回は強制起訴に導ける可能性のある起訴相当ではないが、安倍案件で不起訴不当を議決した意味は大きい。検察も検審を意識して処分を決めている」とし、市民が情報公開請求を活用し、積極的に刑事告発や検審への不服申し立てなどを続ける必要性を強調した。
告発市民団体の代理人、山下幸夫弁護士は今回の検審議決には重要な「付言」があることを指摘。「税金を使用した公的な行事」である「桜を見る会」に「本来招待されるべき資格のない後援会の人達が多数参加している」ことや、前夜祭経費を「政治家の資産から補填するのであれば、その原資についても明確にしておく必要がある」などの言及を挙げ、捜査の不十分さに「ふみ込んだ厳しい判断をした」と評価したうえで、「東京地検がいい加減な再捜査をしないよう世論を喚起、監視していく必要がある」と語った。
「証人喚問」へ市民と共闘
続いて開かれた報告集会では「桜」問題を追及している野党議員や元自民党議員もマイクを握った。共産党副委員長の田村智子・参院議員は、今回の議決が「総理大臣であった者が、秘書がやったことだと言って関知しないという姿勢は納得できない」と明確に結論づけたことを指摘。「安倍氏は逃げ切れたと思ったかもしれないが、国会の中だけでなく市民の追及のおかげで季節外れの“桜”が何度も咲いた」と市民運動に感謝した。「前夜祭という宴会」の領収証の宛先が、安倍氏が代表を務める政治団体であったことなどを説明。その費用の補填が「安倍氏の政治活動」として公職選挙法上認められることなど「断じてありえない」「買収行為、違法でなくて何なのか」と批判し、政治的責任や道義的責任だけでなく法的責任を強調し、嘘をつけば偽証罪に問われる国会への証人喚問を改めて求めた。
「被疑者安倍の犯意」立証を
立憲民主党の杉尾秀哉・参院議員は「まだまだ道半ば」としつつ、「改めて今回の議決書を読むと、『被疑者安倍の犯意』については『メール等の客観的資料も入手した上で』捜査を尽くすべきだった、などと当たり前のことが書いてある。つまり当たり前の捜査が今までできていなかったということが問題なのだ」と訴えた。かつて衆議院法務委員会などで検審制度の強化に取り組んだ元自民党衆院議員の早川忠孝弁護士は、検察官が独占していた起訴権限に対し「国民が意見を言えるように民主化する法改正が今、本当に機能している」と感慨を述べた。「元自民党議員であるだけにこういう院内集会に出席するのはどうか」と悩んだ末の参加だったが、「検察官の密室の中の判断を公の場に持ち出した。今回の検審の判断には非常に大きな意味がある。国民の権利の発動の契機を作った皆さんの応援をしていかねば、と思った」と心情を吐露した。
●安倍前首相が「キングメーカー」気取り 菅首相か岸田氏か…“両天秤”の姑息 8/24
菅首相のお膝元で、全面支援した側近の小此木前国家公安委員長が惨敗――。22日の横浜市長選では、改めて菅首相の不人気ぶりが証明された。「選挙の顔」への不安感から、自民党内はすっかり政局モードだ。来月予定の党総裁選で新たな顔を選ぶのか。政権を菅首相に譲ったアノ人も逡巡している。
菅首相の総裁任期満了(9月30日)に伴う総裁選は「9月17日告示・29日投開票」の日程が有力。26日に党選管が正式決定するのに合わせ、岸田前政調会長が出馬表明をする見込みだ。岸田派に隠然たる影響力を持つ元会長の古賀誠元幹事長は、19日のCS番組収録で「岸田会長は利口だから、出馬に踏み切る決断には至らないのではないか」と語っていたが――。
「岸田さんは、安倍前総理と麻生副総理からも『次(の総裁選)まで待て』と言われたそうで、出馬に迷いがあった。しかし、派閥内で主戦論が相次ぎ、領袖として断るわけにいきません。岸田派の林芳正座長が総理総裁を目指すために衆院鞍替えを決意したこともあり、岸田さんにとって今回が最後のチャンスかもしれない。ただ、安倍、麻生両先生の支援を得られなければ、菅総理に遠く及ばなかった昨年の二の舞いになりかねません」(自民党岸田派関係者)
もともと、安倍前首相の意中の後継者は岸田氏だった。昨年の総裁選では「岸田では石破元幹事長に勝てない」と急きょ、菅首相に乗り換えた経緯がある。
石破氏は今回、不出馬とみられ、安倍・麻生の両氏が岸田氏を推せば、岸田派に安倍氏の出身派閥で党内最大の細田派、第2派閥の麻生派を合わせて国会議員票で圧倒。頑迷な菅首相と違ってソフトな印象の岸田氏は党員票もそれなりに獲得するだろう。
不人気な菅首相に代わって岸田新総裁が誕生する可能性は極めて高いのだ。それなのに現状、安倍氏は菅支持の姿勢を崩していない。なぜなのか。
「首相在任時の『桜を見る会』の前夜祭の問題が足かせになっているのでしょう。秘書が政治資金規正法違反で略式起訴され、安倍前総理は不起訴となったが、検察審査会が今月、『不起訴不当』と議決して再捜査が行われている。7月には東京地検に津地検検事正を経て次席検事として森本宏氏が戻ってきた。特捜部長時代に自民党の秋元司衆院議員のIR汚職事件や、広島地検と合同で河井夫妻の大規模買収事件を手がけたエース中のエースです。“バッジ”を挙げることに執念を燃やす森本氏の指揮で、特捜部は桜前夜祭で安倍前総理を立件できるか模索していると聞きます。桜問題がクリアにならないと、安倍前総理は自由に動けない。司直のメスに怯える日々だと思いますよ」(法務省関係者)
検審の議決について、森本氏は「議決内容を精査し、適切に対処したい」とコメントしていた。安倍前首相は枕を高くして寝られない日々だろう。
数々の疑惑をともに隠蔽してきた一蓮托生の菅首相か、おとなしく言うことを聞く岸田氏か。どちらが総理総裁なら自分の身は安泰なのか、安倍前首相はキングメーカー気取りで2人を天秤にかけ、日夜、考えを巡らせているに違いない。
「自民党が総裁選をきちんとやるのはいいことですが、安倍前首相の個人的な思惑で新総裁が決まるとすれば、国民不在も甚だしい」(政治ジャーナリスト・山田厚俊氏)
安倍前首相が与党内でエラソーにしている限り、国民の不幸は続く。
●「桜を見る会」収支報告書記載巡り安倍前首相らの告発状を提出 8/27
「桜を見る会」の前日夜に開催された懇親会の収支を、政治資金収支報告書に記載しなかったとして、安倍前総理大臣の元公設第1秘書が略式起訴された事件で、全国の弁護士のグループは、安倍氏側が収支報告書を訂正した際、うその内容を記載した疑いがあるとして安倍氏らの告発状を検察に提出しました。
「桜を見る会」の前日夜に開かれた懇親会をめぐっては、主催した政治団体「安倍晋三後援会」の代表だった元公設第1秘書が、おととしまでの4年間の政治資金収支報告書に、安倍氏側が負担した700万円余りを含む、およそ3000万円の収支を記載しなかったとして去年12月、政治資金規正法違反の罪で略式起訴され罰金100万円の略式命令を受けました。
安倍氏は去年12月、負担した費用の原資について国会などで「自分の預金から下ろした資金だ」と説明し、安倍氏側は後援会の収支報告書を訂正しました。
これについて全国の弁護士のグループは27日「安倍氏側は、将来、負担する金額を見越したように4年前の繰越金を増額する形で、1円の狂いもなく収支報告書を訂正している。形だけ収支のつじつまを合わせたうその記載だ」として、政治資金規正法違反の疑いで安倍氏らの告発状を東京地方検察庁に提出しました。
会見した小野寺義象弁護士は「誰が考えてもありえない記載で検察は捜査をして正式に裁判にかけるべきだ」と話しています。
この懇親会の費用負担をめぐっては、検察が安倍氏を不起訴とした処分の一部について先月、検察審査会が「不起訴は不当だ」と議決し、検察が再捜査しています。
●自民総裁選に安倍前首相「暗躍説」 候補4人の乱戦 8/27
予定通り「9月17日告示、29日投開票」の日程で行われることが決定した自民党の総裁選。党内には「菅首相では選挙を戦えない」という空気が蔓延している。しかし、「俺は勝負に強い」が口グセの菅首相は強気の姿勢を崩さず、菅陣営は“再選戦略”に自信を持っているという。
はやくも総裁選の“争点”は、「本当に菅首相で衆院選を戦うのか」になりつつある。
「9.29総裁選の最大の特徴は、いわゆる“人気者”が一人も手を挙げないことです。世論調査で“次の総理になって欲しい人”の上位は、石破茂氏、河野太郎氏、小泉進次郎氏の3人ですが、3人とも出馬しそうにない。現職閣僚の河野氏、進次郎氏の2人は、総理大臣が再選を目指しているのに、まさか弓を引くわけにはいかないし、石破さんも“不出馬宣言”しています。もし“選挙の顔”になれる石破さんや河野さんが手を挙げたら、衆院選が迫っているだけに雪崩を打ったはずです。でも、人気者は誰も出ない。総裁選は、人気投票で“下位”の候補者だけの争いになる。菅陣営は、そこに勝機を見ています」(自民党事情通)
総裁選は<菅首相vs岸田元外相>の一騎打ちが想定されていた。ところが、下村政調会長と高市前総務相の2人も出馬しそうだという。これまで20人の推薦人を集められそうにないとみられていたが、2人とも20人確保のメドがついたという。
このままいけば、総裁選は候補4人の乱戦になる可能性が高い。菅陣営にとって“候補乱立”は理想の構図だという。菅首相vs岸田元外相の一騎打ちだと、“反菅票”が岸田元外相に集中してしまうが、候補乱立になれば“菅批判票”が分散されるからだ。
「“政界一、話のつまらない男”とされる岸田さんの頼りは、“菅批判票”です。“反菅票”が分散されてしまうのは痛手でしょう。菅さんの周辺は、地味な岸田文雄氏や下村博文氏、実績ゼロの高市早苗氏と並んだら、菅さんのダメさ加減も薄まると計算しているようです。実際、4人が並んだら、“これなら菅首相でもいいか”となっておかしくありません」(政界関係者)
菅首相を利することになる候補乱立は、キングメーカーをもくろむ安倍前首相が絵図を描いているのではないか、という臆測が飛び交っている。
「下村氏も、高市氏も自力で20人の推薦人を集めるのは難しいはずです。2人の親分である安倍さんが推薦人を“貸す”のではないか、という話が流れている。それに安倍さんが“絶対に出るな”とクギを刺せば、2人とも出られないでしょう。出馬するということは、安倍さんの了解を得たということだと思う。やはり安倍さんと菅さんは一蓮托生、菅首相を推しているのではないか」(自民党関係者)
菅首相周辺は「総裁選の頃には、新型コロナの感染者は急減している」「第5波が収まれば支持率は回復する」と楽観視しているという。パッとしない4候補の戦いでは、菅首相再選の可能性はゼロではない。しかし、それで衆院選を戦えるのか。
●安倍前首相辞任表明から1年 菅政権の「宿題」状況は 8/27
安倍晋三前首相が電撃的に辞任を表明してから28日で1年となる。後任の菅義偉首相は昨年9月の就任記者会見で「安倍政権が進めてきた取り組みをしっかり継承して前に進めていく」と述べ、新型コロナウイルス対策などの諸課題に取り組んできた。前政権からの宿題の進捗(しんちょく)状況はどうなっているか。
コロナ・経済
「爆発的な感染拡大を絶対阻止し、国民の命と健康を守り抜く。その上で社会経済活動との両立を目指す」首相は就任会見でこう語り、コロナ対策とともに経済再生を筆頭課題にあげた。ただ、目玉政策である観光支援策「Go To トラベル」は中止判断が遅れて後手との批判を浴びた。首相はワクチンを感染抑止の切り札と位置付け、トップダウンで接種の加速を進めた。一時の混乱を経つつも着実に接種回数は積みあがっている。ただ、安倍氏と比べ、国民への発信や説明に力を尽くす姿勢が足りないとの批判はつきまとう。感染爆発の中、社会経済の正常化に向けた「出口戦略」も示すことができていない。看板政策のデジタル化は体制整備が進み、司令塔となるデジタル庁が9月1日に発足する。また、首相は経済と環境の好循環を生み出す「グリーン成長戦略」も打ち出した。しかし、温室効果ガス排出量を2030年度に13年度比46%削減する目標は達成を危ぶむ声も強い。
外交・防衛
安倍政権で強化された日米関係は堅調だ。首相は4月に訪米し、バイデン大統領が就任後初の対面で向き合う外国首脳として会談。中国への対応で連携を確認し、共同声明には「台湾海峡の平和と安定」を初めて明記した。台湾へのワクチン供与も実現させた。安倍政権が掲げた「自由で開かれたインド太平洋」は菅政権で広がりをみせている。日米豪印4カ国の枠組み「クアッド」は3月、初の首脳会談を開いた。6月の会見で「対中包囲網なんか作らない」と語った首相だが、国際舞台では事実上の「包囲網」形成に役割を果たしている。ただ、安倍政権が最重要課題に掲げた北朝鮮による拉致問題の解決は進展がない。安倍氏は退任間際の昨年9月、敵基地攻撃能力の保有を含めたミサイル阻止の対応策について「年末までにあるべき方向を示す」と後継首相に託したが、菅政権ではたなざらしが続く。
内政
内政では首相の政治決断が目立つ。不妊治療への保険適用は来年4月からの適用拡大に向けた検討が進む。高齢者の医療費窓口負担を2割に引き上げる医療制度改革は、首相自ら年収の線引きを決めた。東日本大震災からの復興も大きな宿題だが、首相は東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出を決め、先送りの連鎖を断ち切った。安定的な皇位継承の在り方に向けた議論は、小泉純一郎政権以来の課題となってきた。菅政権では有識者会議が中間整理で、旧宮家の男系男子に皇籍復帰してもらう案も打ち出した。憲法改正に向けては、安倍政権下で野党が引き延ばしを続けてきた国民投票法改正案が6月に成立した。コロナ対応で首相の政権運営は厳しさを増す。周辺は「本人はアピール下手だが、決めるべきことは決めてきた」と訴える。
●安倍前首相「不起訴不当」議決の意味  8/28
明白な選挙区民接待供応
安倍首相(当時)は、本来は国に対する「各界功労者」を首相が招く春の「桜を見る会」に、自分の選挙区の後援会員達に声を掛けさせて多数を招いた。それを安倍事務所がツアーを組織して上京させ、都内の最高級ホテルの一つで前夜祭まで行っていた。その宴会の費用が参加者が支払った一人5000円の会費では賄えず、5年間で900万円を安倍事務所の資金(安倍代議士のポケットマネーだそうだ)で補填した。
公選法は、有権者を買収・接待供応してはならないと規定し(221条1項1号)、それは犯罪で、5年以下の懲役または禁錮になり(221条1項1号)、さらに議員は当選無効になる(251条)。
「記帳漏れ」で秘書だけ略式起訴
上記の事実は、明らかに、公選法違反の買収・接待供応である。
ところが、昨年12月、検察は、安倍後援会の会計責任者であった安倍代議士の公設第一秘書を、900万円の金の動きを記帳しなかった、政治資金規正法上の「不記帳」の罪で略式起訴するだけで捜査を終了させた。
しかし、まず、上司から預かった個人的なお金を「上司の承諾もなしに」900万円も「勝手に」支出しておいて横領罪にもならないことが不可解である。さらに、何よりも、選挙区民に対する「買収・接待供応」という犯罪の本体がお咎めなしで、そのための資金の流れを記帳しなかったという形式犯の略式起訴(罰金刑)だけで済まされて良いものであろうか?
日本は法治国家ではないのか?
これでは、首相であれば国家予算の目的外支出(国費を、国の功労者ではなく、自分の後援会会員の接待に私的に流用した財政法違反)が赦され、かつ、ポケットマネーで自分の選挙区民を買収・供応したことも赦される。そして、単にその買収資金について「記帳しなかった」ことだけを「秘書が」起訴されて一件落着とは、法律の存在を余りにも馬鹿にした話である。
日本国憲法の下で、わが国は民主的な法治国家であるはずだ。つまり、主権者・国民の直接代表で国権の最高機関である国会が制定した法律は、誰に対しても平等に適用されるべきものである。それが法治国家であり、法の下の平等の保障である。
「不起訴不当」議決の意味
かつて、行政監察の調査で英国に行った際に、私は、「法典を閉じて、常識に照らして判断せよ」という格言を知った。そして、それが今、私の心の中に蘇って来た。
検察というプロの行政機関(司法の入り口)の「忖度」による法律に照らした技工的判断に対して、世間の常識に照らした判断が、正に、今回の「不起訴不当」の議決であろう。
政権交代で情報公開を!
この議決を受けて、検察は一応、再捜査(再検討)はせざるを得ない。しかし、前回、「証拠不十分」として安倍前首相を起訴しなかった検察である以上、今回、同じ証拠を再検討しても前回と同じ「不起訴」という結論に至ることは目に見えている。とはいえ、同じ検察でも、菅原前経産相による買収、河井元法相夫妻による買収、吉川元農水相の収賄の様に証拠が明らかな事例はきちんと立件している。
だから、ここまで露骨な買収事件について、検察があくまでも証拠が不十分で嫌疑不十分だと言うならば、政権交代により、政府がこれまで「存在しない」と言い張って開示を拒んできた政府側が保有する情報(証拠)を公開させれば有効である。
政権交代を実現させるためには、自・公に学んで、野党側も野党共闘を行えば良いだけの話であるが、それが実際には意外と困難で自公政権の延命を許して来た。
最近の国政選挙では、恒常的に50%以上の有権者が棄権してしまっている。それは、既に過半数の国民が政治に絶望し勝手に「政治を見捨て」ているからだが、それこそが、半ば思考停止の固定客のような自公の組織票の効果を高め、安倍・菅・竹中利権政権の延命を許して来た。
だから、今、大切なことは、この政治を諦めてしまった過半数の有権者を投票場へ向かわせることである。
そのためには、「共産党の選挙協力は求めるが、奪還後の政権には入れない」などという理不尽なことを立憲民主党が言わないだけで良い。
●高市早苗氏、安倍前首相に「出たるわ」と啖呵 8/29
自民党総裁選への意欲を示す高市早苗前総務相が26日、BS日テレ「深層NEWS」に出演。奈良弁を交えながらコロナ対策、経済政策、対中国も含めたリスク対応、憲法改正につき考えを述べた他、態度表明につながった安倍前首相との会話も明らかにした。
――総裁選に出馬する?
いたします!「これからの日本」を考えた時に、自分の中で湧き上がる、燃え上がるような強い危機感があった。この夏も災害・感染症で多くの人命が失われた。また、今の痛んだ日本経済をきちっと立て直していかなきゃいけない。日本が直面する様々なリスクへの備え、そのための法整備を何としてもやり抜きたい。その一念だ。
――推薦人20人確保にむけた手応えは?
わかりません。これからの努力(次第)だと思う。ただ、派閥所属議員も多い。衆院選に出る候補者たちは、誰ひとり(党からの)公認をいただいてないので、なんか、みんな竦(すく)んじゃっている。変な硬直感があったんで、私も本当に歯を食いしばって、死ぬ思いで手を挙げた。
――態度表明を前に安倍前首相とどんな会話を?
菅総理の任期は今年の9月まで。その後に総理には、私はやっぱり安倍晋三さんだと強く思っていた。2月から安倍さんの部屋に通い詰めて、勉強会を何度もやってきた。再々登板する際の「ニュー・アベノミクス」等の政策を打ち立てて出てほしいと思って。昨年末以降、「そんだけ元気になったんだから(次の総裁選に)出ますよね?」と言い続けてきた。でも(安倍さんは)「自分があんな辞め方したあと、やってくれてるのに申し訳ないから」と。義理人情で「菅総理を応援せなあかん」ということだった。7月下旬に最後の確認をした。しつこく「0.1%も出ないですか?」とかきいたら、「もう絶対、出ないから」と言われて。「これまで積み上げてきた政策をどないするんですか?」と尋ねたら、「高市さん、発表すりゃいいじゃん」と突き放されるように言われた。思わず「ほんなやったら、私、出たるわ」と啖呵(たんか)を切ってしまった。
――安倍前首相から黙認を得たと?
そりゃ、安倍さんにきいていただかんかったらわからんことですけど。まあ、とめられもせんかったし、勧められもせんかったです。
――総裁選、どう戦う?
ずいぶん長いこと私は無派閥だったから、ナニ派ということにこだわらず、いろんな政策で共鳴する方に、まずはお電話でお願いしたり、お会いしてみたいなと思っている。地方票が一番困ってまして。菅総理と岸田前政調会長は去年の総裁選に出ているので、(支持を呼び掛ける際に参考にできる)全国党員名簿をお持ちだ。私は持っていない。自民党の野田毅選対委員長には「(公約をまとめて)選挙公報のようにして党本部から一括で送ってくれるとうれしい」とお願いしておいた。もう一つ、菅総理が一生懸命コロナ対策も含めて様々な課題にお取り組みだから「菅総理のご負担を少なくしてほしい」と申し上げた。
――首相・総裁に求められる資質とは?
もう菅総理、寝る間も惜しんで一生懸命やってらっしゃる。閣僚の方々も必死だ。でもやっぱり本当の情報が見えない、先が見えない不安感って、すごく大きい。私は「先見性を持って、リスクを最小化する」、それから「日本を守り抜くという強い責任感」、未来を切り拓いていく覚悟を示せるか、だと思う。不都合な情報であっても、それは丁寧に説明しながら、ときには国民の皆様からは歓迎されない政策かもしれないけど、「こういう理由で必要なんだ」「今やんなきゃいけないんだ」と説得をしていく力は必要だ。
――コロナ対策
「感染者数を減らすための取り組み」に加えて、やっぱり「重症者、死亡者の極少化」だ。軽症患者も最初の1週間のうちに抗体カクテルを何とか打てるようにせないかん。抗体カクテルと、主に中等症患者に使われるレムデシビルが日本国産じゃない。重症者用の日医工のデキサメタゾンも含めて国産体制を作りたい。スイスのロシュ社の子会社は中外製薬だ。(抗体カクテルを)日本国内で作れる形を、政府が投資をしてでも、できるようにしたい。自宅療養者をゼロにしたい。かなり国費もかかるけど、ホテルも、借り上げるんだったら見込まれている利益と、できれば風評被害の分もしっかりと手当をして借り上げる。国費でパルスオキシメーターね(配布したい)。これ一家に1台、これからずっとあっても、無駄になんない。あと救急搬送体制もうまく回っていけばいいなあとすごく強く思っている。
――経済政策は?
私は「ニュー・アベノミクス」と呼んでいる。「サナエノミクス」というと厚かましいかなと。第1の矢は同じ「大胆な金融緩和」。第2の矢は「緊急時のみの機動的な財政出動」。マクロ経済的にどんどんお金を出すっていうんじゃなくて、災害だとか今回のような感染症に絞り込んでいく。第3の矢は、私の場合は「危機管理投資」。人の命に関わるようなリスクを最小化するための投資とか、もっと経済が成長するために今やんなきゃ間に合わない投資に大胆にお金をかける。経済格差対策は税制でも対応できる。「分厚い中間層を作る税制」が重要だ。麻生内閣のときに1回検討された「給付付きの税額控除」は勤労している低所得の方に控除していくものだから進めるべき。あと例えば「ベビーシッター減税」「家事支援減税」はやりたい。
――憲法改正への意気込み
憲法は改正しなければなりません。今の技術革新に追いついてないし、日本が直面しているリスクにも対応できない。今まで議員立法に励んできたが、「憲法の壁」に行き当たった。例えば、憲法21条「通信の秘密」に引っかかってしまって、諸外国でやってるような大胆な犯罪捜査やサイバー攻撃対策がなかなかできない。防衛政策もこれは私たちの命に関わる問題ですから、新しい態様の攻撃にしっかりと応えられる防衛政策、こういうことも総裁選で議論したい。
●安倍前首相と麻生氏、二階氏に対する「苦々しい思い」…岸田氏を激励  8/31
自民党総裁選に出馬表明した岸田文雄・前政調会長は30日、安倍前首相と麻生副総理兼財務相と相次いで会談した。安倍、麻生両氏は菅首相の再選支持の立場を崩していないが、岸田氏との関係も良好だ。岸田氏は、安倍、麻生両氏と緊張関係にある二階幹事長を狙い撃ちする党改革案を打ち出し、2人に秋波を送る。
改憲姿勢
「(総裁になれば)憲法改正をやります」 安倍氏の事務所を訪れた岸田氏は、憲法改正を宿願とする安倍氏に、こう訴えた。岸田氏は約10分の会談の中で、党役員任期を「1期1年・連続3期」までとする党改革案も説明した。安倍氏は「記者会見の評判はいい。頑張って」と応じた。総裁選での具体的な対応の話は出なかった。その後の麻生氏との会談でも、党改革案が話題となった。岸田氏は「これから色々とあると思うので、ご指導ください」と伝え、麻生氏から激励された。岸田氏はこの日、党所属議員の事務所も訪ねて回り、出馬表明時に掲げた党改革案をアピールした。岸田氏の党改革案は、刷新を求める若手に加え、安倍、麻生両氏へのアピール材料にすることを狙ったと受け止められている。安倍、麻生両氏は、幹事長を5年以上務め、首相との密接さを誇示する二階氏に苦々しい思いを抱いているとされるためだ。
中堅・若手
岸田派は第5派閥で46人。岸田氏は、安倍氏が影響力を持つ出身派閥の細田派(96人)と、麻生氏が率いる麻生派(53人)の中堅・若手を取り込む戦略を描く。安倍、麻生両氏はともに「菅首相では衆院選を戦えない」との派内の声に苦慮している。岸田氏周辺は「安倍、麻生両氏との親密さを印象付ければ、若手を切り崩しやすくなる」と期待を込める。ただ、安倍、麻生両氏との接近には、岸田派内でも「岸田氏が二階氏とは別の重鎮に従うだけと映れば、改革イメージが薄れる」との懸念もくすぶる。首相側からは、岸田氏の改革の本気度や整合性を問う声も上がる。岸田氏は閣僚については、対外的な関係構築の必要があるとして「任期は考えるべきではない」と主張する。麻生氏は8年以上も財務相の座にある。政府高官は「権力の集中を問題視するなら、閣僚にも当てはめるべきだが、麻生氏には言えないのだろう」と指摘する。
二階氏不快感
岸田氏の党改革案について、二階氏は30日、首相官邸で記者団に「岸田が言ったからどうしなきゃいかんて、そんなことない」と述べ、強い不快感を示した。一方、動向に注目が集まる石破茂・元幹事長は30日、国会内で記者団に、総裁選対応について「白紙だ」と繰り返した。役員任期制限に関しては「基準がよくわからない。長いから、すなわち駄目だということではない」と疑問を呈した。
 
 
 
 2021/9

 

●安倍前首相「国のためということなので」…  9/3
菅首相(自民党総裁)の退陣表明について、自民党総裁選への出馬をいったんは断念した下村政調会長は3日、「状況が変わったので、改めて仲間と相談していきたい」と語った。
二階幹事長は党本部で記者団に、「首相は精いっぱいやって熟慮のうえ決断された。しっかりと受け止めて党の円満な発展につなげていく」と語った。
安倍前首相は、菅首相から電話で連絡があったことを明らかにし、「大変残念だが、党のことを考えて、ひいては国のためということなので」と述べた。
●安倍前首相が高市早苗氏支持の意向 「ポスト菅」の動き活発化 9/4
菅義偉首相の退陣意向表明を受け、「ポスト菅」を目指す動きが4日、始まった。17日告示、29日投開票の党総裁選に向け、岸田文雄前政調会長、河野太郎行政改革担当相が支持拡大を図った。高市早苗前総務相には、安倍晋三前首相が支援に回る方向となった。このほか石破茂元幹事長、野田聖子幹事長代行、下村博文政調会長らが出馬の是非を検討している。
最大派閥の細田派を中心に影響力を持つ安倍氏は、高市氏を支援する意向を固めた。関係者が4日、明らかにした。高市氏は派閥に所属していないが、安倍氏の支援により推薦人20人の確保が近づくと予想される。
高市氏は、近く出版する新著で安倍氏の保守路線継承をアピールする。党内の議員連盟「保守団結の会」では安倍氏と共に顧問を務めている。 
●「なぜ岸田氏ではなく高市氏なのか」菅首相をあっさり見捨てた安倍氏の考え  9/6
菅首相、突然の“不出馬表明”
菅義偉首相が政権を投げ出した。感染拡大と医療崩壊で内閣支持率が続落。自民党総裁選(9月17日告示‐29日投開票)に勝つ自信を失い、不出馬を表明した。
衆院議員の任期満了は10月21日に迫る。菅首相は10月17日投開票の任期満了選挙を予定していたが、自民党が新しい総裁を選び、その後に国会を開いて新しい首相を選出するのに必要な日数を考えると、衆院選の投開票は11月にずれ込みそうだ。
自民党は総裁選日程が決まった8月26日以降、権力闘争一色になった。このあと総裁選があり、党役員・組閣人事があり、衆院選があり、再び党役員・組閣人事がある。感染爆発と医療崩壊の最中に政権与党が選挙と人事に明け暮れる「政治空白」が2‐3ヶ月も続くのだ。
東京都の市区町長らは10月21日の任期満了まで与野党が政治休戦してコロナ対策に協力するよう提案していた。野党は前向きで、総裁選前に国会を開いて話し合おうと呼びかけていた。与野党合意の上、早急に補正予算をつくり、コロナ専用の野戦病院を緊急に開設するなどして、少なくとも「患者の受け入れ先がない」という医療崩壊だけは立て直して衆院選に入ろうという提案だった。
ところが、菅首相は国会召集を拒否。総裁再選をめざして党役員人事を画策するなど自民党内の権力闘争に没頭したあげく、不出馬に追い込まれると「コロナ対策に専念するため」と説明した。コロナ危機より自分の権力維持で頭がいっぱいだったことを、国民はとっくに見透かしていたのに……。私利私欲の政治によって救えるはずの命が失われていく現実に、怒りを禁じ得ない。
現在進行中の自民党政局は、国民不在の権力闘争に明け暮れる政治家たちの素顔を照らし出す。これから行われる総裁選、その後の衆院選を単なる権力ゲームに終わらせてはならない。私たち有権者はコロナ危機下の二つの選挙に明確な「意味づけ」をして厳しい目で見つめることが重要だ。
この二つの選挙で問われるべきことは何なのかを根本から考えてみたい。
かなわなかった安倍氏の支持
菅首相が不出馬を決断する最後の最後まで期待していたのは、最大派閥・清和会を率いる安倍晋三前首相の支援だった。安倍氏は表向きは菅支持を表明しながら、最大派閥を菅支持でまとめようとせず、「菅おろし」の広がりを待ち望んでいるように見えた。
安倍最側近の今井尚哉元首相秘書官や安倍氏と親密なジャーナリストらは対抗馬の岸田文雄前政調会長の陣営に出入りしていた。安倍氏の取り巻きは安倍氏の本音は岸田支持であると確信していた。
安倍氏が一貫として求めていたのは、菅政権の生みの親である二階俊博幹事長の交代だ。岸田氏は出馬会見で「総裁以外の党役員の任期を1期1年、連続3期までとする」という公約を真っ先に掲げた。5年にわたり幹事長を続ける二階氏への退場勧告であり、安倍氏への熱烈な秋波であった。安倍氏に近い自民党議員たちはこれを機に一気に岸田支持へ傾いた。
菅首相は慌てた。岸田氏の出馬表明の4日後、二階氏に幹事長交代を告げた。政権の生みの親より最大派閥を率いるキングメーカーの意向を優先したのだ。それでも安倍氏は菅首相と距離を置き続けた。菅首相は総裁選を先送りするための衆院解散を画策したが、安倍氏に反対され断念した。安倍側近の萩生田光一文部科学相らを新しい幹事長に起用しようとしたが、引き受け手はいなかった。最後まで安倍氏の支援を得ようともがき苦しみ、それがかなわないと確信して不出馬を決意したのである。
一連の流れは、菅首相が「安倍争奪戦」で安倍氏に恭順の意を示し続けた岸田氏に敗れ、自滅したことを物語っている。さらにそれは菅政権下の最高権力者は菅首相でも二階幹事長でもなく安倍前首相だったことを浮き彫りにしている。菅政権は安倍傀儡だったのだ。
最大派閥を率いるキングメーカー
安倍氏は自民党総裁として2012年末の衆院選で政権を奪還して以降、国政選挙で6連勝し、7年8ヶ月も首相を務めた。これは日本の憲政史上最長である。現在の自民党議員たちは皆、安倍首相のもとで議員バッジを手に入れた。現在の中央省庁の局長以上の大半も安倍政権に登用されている。
安倍政権は官邸に権力が集中し「安倍一強」と言われた。安倍官邸は財務省や外務省など有力省庁に加え、検事総長や内閣法制局長官など政治的中立が求められる人事にも露骨に介入し「官邸支配」を確立した。官邸の意向に逆らう者は容赦なく左遷した。官僚たちは人事権を握る官邸にへつらい、官邸の意向を忖度するようになった。
与党が圧倒的多数を占める国会で野党の追及は弱々しかった。最高裁判所の判事15人は安倍政権以降に指名された者ばかりで、安倍政権を忖度するような判決が相次いだ。マスコミも安倍政権を持ち上げる報道が増えた。
そうした中で森友学園事件や加計学園事件、桜を見る会疑惑など安倍氏の権力私物化が疑われる問題が次々に発覚したが、安倍首相は権力の座を維持した。財務省は安倍氏の疑惑を隠蔽するため公文書改ざんや国会虚偽答弁に手を染め、エリート官僚たちのモラルは崩壊し、行政は機能不全に陥った。
そこへコロナ危機が襲ってきた。諸外国に比べて検査体制や医療体制は一向に整わず、ワクチンの確保も大幅に遅れた。治療すれば救えるはずの命が失われていく医療崩壊を招いたのである。
菅首相は十分に「中継ぎ」の役目を果たした
安倍氏は昨年秋、病気を理由に退陣した。あとを受け継いだのは官房長官として安倍政権を支えてきた菅首相だ。菅首相は安倍氏と親しい加藤勝信氏を官房長官に起用し、官僚トップの官房副長官には安倍氏が登用した警察出身の杉田和博官房副長官を留任させた。安倍政権の骨格をそのまま残したのである。安倍氏がやり残した東京五輪をコロナ禍の最中に強行開催したのは当然の帰結だった。
菅政権は高い支持率でスタートしたが、菅首相は衆院解散に踏み切らなかった。支持率は徐々に落ち、感染拡大もあって衆院解散の機会を逃したまま退任する。「安倍政権を受け継いだ菅政権の是非」は一度も国民の審判を得ることなく一年で終焉する。安倍政権の疑惑の数々は封印されたままで、隠蔽工作に関与した官僚たちの多くは今も主要ポストにとどまり、隠蔽体質は温存されている。だからこそ安倍氏は今もキングメーカーとして君臨しているのだ。
安倍氏からみれば、菅首相は十分に「中継ぎ」の役目を果たしたといえる。衆院選が迫り、このままでは自民党惨敗の恐れが出てきたのでお役御免というわけだ。菅首相に代わる安倍政権の新たな継承者として岸田氏に白羽の矢を立てた。菅首相と岸田氏の「安倍争奪戦」はどちらが勝っても安倍政権を受け継ぐコップの中の戦いだった。岸田氏が勝っても菅政権より強固な安倍傀儡政権が誕生するだけだろう。
この総裁選の真の争点は「安倍氏による自民党支配」の是非である。誰が首相になれば安倍長期政権とそれを受け継いだ菅政権で蓄積された膿を出し尽くし、政治を再生できるのか。その視点で総裁選の構図を分析しよう。
総裁選で真の争点「安倍路線の継承か、否か」
第二次安倍政権が誕生した2012年末から安倍首相、麻生太郎副総理兼財務相、菅官房長官の3人がこの国の政治を牛耳った。2016年からは二階幹事長が加わった。この4人は時に「内輪もめ」しながら「世代交代を阻む」一点で手を握り、あらゆる国家利権を独占してきた。その頂点に君臨したのが安倍氏である。
今回の総裁選で「内輪もめ」がついに「仲間割れ」に発展し、安倍氏は菅首相を切り捨てた。安倍氏と麻生氏は岸田氏を支援し、二階氏は菅首相を支援したが、最後は菅首相が安倍氏の要求をのんで二階氏を切り捨て自滅したのである。
菅首相の不出馬で、総裁選の構図は一変した。国民的人気の高い河野太郎ワクチン担当相と石破茂元幹事長が一転して出馬に意欲を示し、岸田氏に挑む。共同通信が9月4〜5日に実施した「次の首相に誰がふさわしいか」の世論調査では、河野氏31.2%、石破氏26.6%、岸田氏18.8%だった。
総裁選は国会議員票383票(1人1票)と党員票383票(約113万人の党員票を比例配分)の計766票の過半数を取れば勝ち。誰も過半数に届かなければ上位2人による決選投票となり、国会議員票383票と各都道府県連に1票ずつ配分された党員票47票の計430票を争う。国会議員票の比重が増し、ここまできたら派閥の力がモノをいう。
岸田氏は第5派閥・岸田派(46人)を率いる。国民的人気が低く派閥の規模でも対抗できないため、安倍氏率いる最大派閥・細田派(96人)と第2派閥・麻生派(53人)の支援が頼みだ。決選投票に勝ち残れば安倍氏らを後ろ盾に勝利する可能性は高い。
しかし菅首相よりマシというだけで支持を広げてきただけに、河野氏や石破氏が相手になれば一気に失速する恐れもある。世論調査で苦戦が伝えられた途端に安倍氏に見放され、総裁レースから早々と脱落する可能性もある。
“人気者”にちらつく「長老」のかげ
河野氏は世代交代を求める党内若手に待望論が強い。党員投票で優位に立ち、国会議員にも派閥横断的に支持が広がり地滑り的に勝利する可能性がある。懸念されるのは、河野氏の背後に「長老」の影がちらつくことだ。
菅首相は出馬を断念した時には同じ神奈川県選出で気脈を通じる河野氏を担いで岸田氏に対抗する心づもりでいた。河野氏は不人気の菅首相の「後継者」と位置付けられる恐れがある。無為無策のコロナ政策に閣僚として関与してきたこともマイナスだ。河野氏にはコロナ対策の抜本的転換はできない――そう追及された時にどう応じるか。安倍内閣で外相や防衛相を歴任したことも懸念材料だ。安倍氏の疑惑解明にどんな姿勢をみせるのか。
所属派閥・麻生派との関係も微妙だ。麻生氏は世代交代を嫌って昨年秋の総裁選で河野氏の出馬に反対した。今回は出馬自体は認めるものの、派閥としては支援しない見通しだ。麻生氏と決別覚悟で出馬に踏み切れるか、出馬しても麻生氏の影響力を排除できるか。
石破氏は昨年秋の総裁選で最下位に沈んで石破派は崩壊状態となり、出馬に必要な推薦人の20人を割り込んだ。石破氏の存在感は陰り今回の出馬も消極的だった。しかし菅首相の不出馬で一転して意欲をみせた。二階氏の力を借りて推薦人を確保するしかないが、幹事長として暗躍を重ねてきた二階氏の影を引きずれば、頼みの党員投票で伸び悩むというジレンマを抱える。
国民不在の総裁選、冷静に見定めよう
石破氏は過去4回総裁選に出馬し、知名度は抜群。安倍氏に干され続けてきたため、安倍氏の疑惑追及もコロナ政策の転換も訴えやすいのは強みだ。自民党には政権運営に行き詰まった時、「振り子の原理」で非主流派に首相を移して国民世論を引き寄せてきた歴史がある。
衆院選を間近に控え、石破氏に安倍・菅政権からの刷新を期待する声はベテラン党員を中心に強い。政治キャリアは最も充実しており質疑も安定している。ただし国会議員票に弱く、決選投票を制するのは極めて難しい。石破氏は安倍路線を引き継ぐ岸田政権の阻止を優先し、出馬をとりやめて河野氏支援に回り、河野氏が第一回投票で過半数を獲得することをサポートする可能性もある。
高市氏は安倍氏に近い右派政治家だ。無派閥ながら菅首相の対抗馬に真っ先に名乗りをあげた。当初は安倍氏が菅首相の無投票再選は認めないと牽制するカードと見られたが、菅首相が不出馬を決めた後、安倍氏はただちに高市支持を表明。右派言論人や安倍氏に近い若手議員からは高市支持の声が相次ぐ。
安倍氏の本命は岸田氏との見方は根強い。候補者乱立で党員投票を分散させ決選投票に持ち込み、最後は派閥の票を岸田氏に結集させ河野氏や石破氏に競り勝つ戦略というわけだ。とはいえ、安倍氏の高市支持は岸田氏の失速を誘発するかもしれない。安倍氏は岸田氏失速の気配を感じ取り高市氏に本命を変えた可能性もある。高市氏の得票数はキングメーカーとして君臨する安倍氏の本当の実力を可視化することになろう。
はたして今回の総裁選が「安倍氏ら長老による自民党支配」に終止符を打ち、安倍・菅政権で蓄積された膿を出し切り、崩壊した日本の行政を再建する転機となるのか。総裁を目指す各候補が「派閥の数」目当てに国家利権を独占してきた長老たちの支持獲得を競いあうようでは、政治への信頼を取り戻すことはできない。
感染爆発と医療崩壊を食い止めなければならない貴重な時間を自民党内の権力闘争に費やされたら国民はたまったものではない。自民党は自浄作用を発揮して新たな政治へ踏み出すのか。私たち有権者がその審判を下すのは総裁選後に控える衆院選である。それに備え「国民不在の総裁選」の行方を冷静に見定めよう。
●安倍前首相の高市早苗支援に清和会でブーイング  9/9
菅義偉首相の総裁選不出馬宣言から政局は大きく動いた。すでに出馬表明をしている岸田派の岸田文雄会長に加えて、河野太郎ワクチン担当相、高市早苗前総務相が出馬の意向を示した。そして、菅首相支持と語っていた石破茂元幹事長、野田聖子幹事長代行も前向きに検討をしているという。
9月17日告示、29日投開票の自民党総裁選は、候補者乱立の様相だ。これまでの総裁選と言えば、各派閥や候補者が都内のホテルで「選対本部」を構えて、そこに支持する国会議員が集結。切り崩し、集票に動くというのが定番だった。しかし、コロナ禍になり、状況は一変した。無派閥の衆院議員はこう苦笑する。
「国会もないのに、昨日は深夜まで議員会館にいました。帰るに帰れません。誰が総裁選に勝つのか、誰につけばいいのか、その情報交換でひっきりなしに電話が鳴り、議員が訪ねてくる。夜中に議員宿舎に戻ると、すぐに『帰っているの? 部屋に行っていいか』と先輩議員から電話ですよ。寝たのは午前2時くらいでした。結局、まだ誰が勝ちそうなのか、まったくわからない」
休日の4日土曜日も朝7時過ぎから、電話が鳴ったという。
候補者の中でも安倍晋三前首相の支援を得て存在感を示してきたのが、高市氏だ。自民党の閣僚経験者はこういう。
「安倍氏と麻生太郎財務相は菅首相から派閥の支援を求められても個人的には支援するが、派閥は別と言い続けてきた。菅首相が出馬断念となり、安倍氏もフリーハンドとなった。そこで自身の国家観、アベノミクスを信奉する高市氏を支援する意思を固めた」
だが、安倍前首相の出身派閥の清和会(細田派)の衆院議員の胸中は複雑だ。
「安倍氏から派閥会長の細田さんら幹部に高市氏の推薦人20人を集める協力をしてほしいと要請があったそうです。清和会の国会議員は96人ですから、安倍氏の天の声で推薦人確保は安泰です」
しかし、無派閥の高市氏を清和会挙げて応援するのかといえば、そうはならないという。
「岸田氏や河野氏を応援すると公然と言っている議員は何人もいます。それに清和会では、総裁選立候補に名乗りを上げていた下村博文さんはじめ他にも候補はいるわけで、なぜ、高市氏なんだといぶかる議員もいる」(同前)
本命だった菅首相が不出馬となり、混とんとしてきた総裁選だが、いち早く出馬表明して、政策を固め支援を呼び掛けている岸田氏が、一歩リードしているという見方が有力だ。麻生派に属する衆院議員がこう語る。
「もし菅首相と一騎打ちになっていたら、岸田氏が勝っていたでしょう。昨年の総裁選は、頼りない印象でしたが1年でけっこう変わった。岸田陣営には選挙プランナーや安倍前首相の補佐官だった今井尚哉氏もアドバイザーとして入っているそうです。政権を任せてもいいかなと思えるようになった。胆力がついた」
同じような意見が複数、聞かれる。中でも見事だったのは、二階俊博幹事長を念頭にした自民党役員の任期を1期1年、3年までに制限する党改革案だ。竹下派の衆院議員がこう話す。
「これはいわゆる“二階外し”の秘策。安倍前首相、菅首相ですら二階氏の首に鈴をつけられなかった。二階氏は権力闘争となれば、自民党を割って出ても戦うという執念があります。そこに手を突っ込んだ岸田氏に対し、安倍前首相が評価したので、菅首相がそのアイデアを横取りし、二階氏を切ろうとした。党内で何かもめごとがあると『幹事長の天の声』が降りてきて、煮え湯を飲まされた議員はたくさんいる。最初に党改革案を切り出した岸田氏の功績は、二階外しだけを見ても大きいものがあります。岸田派だけでなく、今回は派閥横断的に票を集めるはず」
その対抗馬は世論調査でも「次の首相」として常にトップ争う河野氏だ。河野氏も所属する麻生派の国会議員は嬉しそうにこう証言する。
「選挙だけを考えれば、河野氏が首相で小泉進次郎氏が支えるというのはベストの布陣。派閥関係なく、若手議員中心に支援が急速に広がっています。推薦人20人は独自で確保済みとも聞いた」
だが、一方で麻生派内部では喧々囂々だという。
「麻生派で河野氏を推すという声はあまり聞こえません。河野氏が総裁選で勝利となれば、麻生氏はお役御免の隠居のような立場になり、要職にはとどまれない。派閥内では気を使って河野氏支援とは言い出せない。河野氏を幹事長にしたいと依頼してきた菅首相に『そんなことは無理だ』と麻生氏は突き放した。河野氏は次の次あたりの首相という構想だったようだ」
麻生派を挙げて河野氏支援にまわる可能性が薄く、自主投票との見方を示した。2012年の総裁選では1回目の投票で、安倍氏を上回った実績がり、人気の高い石破氏はどう動くのか。石破グループは17人で推薦人20人に足りないこともあり、まだ態度を明確にしていない。
菅首相が不出馬となった後、誰を推すのか、態度をハッキリさせていない二階派。石破氏は二階幹事長に支援を要請したという。だが、野田幹事長代行も3日、二階幹事長に支援要請をしている。
「二階外しの騒動から、まだ次の候補者を考えていないのが、派内の空気だ。だが、二階氏は岸田氏にコケにされて黙って引っ込んでいるわけがない。本命は野田氏だ。もともと次期首相候補として幹事長代行に据えた。安倍氏が支援する高市氏に野田氏をぶつけて、対決という選択もあり得ます。だが、二階氏は支援要請をした野田氏に『推薦人がもう少しで揃うという段階になったら考える』と条件をつけた。野田氏が勝つ見込みがない状態で支援すると派閥が割れかねない。安倍氏と麻生氏が絶対に勝たせたくない石破氏の支援という選択肢ももちろんある」(二階派幹部)
やはり、総裁選の鍵を握るのは、自民党最大派閥・清和会のトップである安倍氏と第2派閥・志公会(麻生派)領袖である麻生氏。候補者が出揃いつつある中でも、派閥としての動向はまだ決まっていない。
「投開票までまだ時間があるので、2派閥の対応はギリギリまで決まらないのではないか。どの候補者が勝つか読めないので、派閥として明確な支援をせずに、石破氏以外の勝ちそう候補に票を分散させる対応になる可能性もある」(前出・自民党の閣僚経験者)
投開票の箱が開くまで結果が読めず、チキンレースが続く。
●高市早苗、安倍前首相と2人きりで勉強会…サナエノミクスの内容とは? 9/12
9月29日、自民党総裁選がおこなわれる。菅義偉首相が出馬しない意向を示したいま、高市早苗前総務相、河野太郎行政改革担当相、岸田文雄前政調会長ら、立候補者たちに注目が集まっている。
安倍晋三前首相が支援を表明しているのが、高市氏だ。9月8日の記者会見で、高市氏は「サナエノミクス」で経済を立て直すとして、安倍政権の継承を強くアピール。
安倍前首相からの支援に関しては「とてもありがたいこと。大変大きな影響力を持っておられ、私からは支援をお願いできなかったので本当に驚いた」と、記者団の取材に答えた。
実際に、サナエノミクスとはどのような政策なのか。
「高市前総務相の政策『サナエノミクス』では、アベノミクスが提唱した、大胆な金融緩和、緊急時の機動的な財政出動に加え、第3の矢として『危機管理投資・成長投資』を新しく打ち出しています。
危機管理投資は、自然災害やサイバー攻撃など、日本に降りかかってくるさまざまなリスクを最小化するための研究や人材育成を促すというもの。
今回のコロナ禍のような緊急時でも、医療・産業系の必需品を国内生産できるようにすることなどが含まれます。
成長投資は、量子技術や産業用ロボットのように、日本が強い技術分野へ重点的な支援をおこなうものです。高市さんは、安全保障の観点から、量子コンピューターの国産化に意欲を示しています。
下地となった『アベノミクス』では、第3の矢は『民間活力を引き出す成長戦略』でした。
働き方改革や農政改革など、規制緩和によって民間企業や個人が実力を発揮できるようにする『改革』がメインでした。
高市氏は、こうした成長戦力は継続したうえで、『投資』という言葉を前面に出し、アベノミクスとの違いを出しました。自然災害に備えた公共事業に10年間で約100兆円を投じるなど、大規模な財政出動をする方針です」(政治ジャーナリスト)
これらの政策は、安倍前首相とともに練り上げたものだという。9月2日、インターネット番組『真相深入り!虎ノ門ニュース』に出演した高市氏は、「安倍総理がすっかり元気になられて、今年の1月頃は相当お元気で。2月からは、安倍内閣の積み残し課題をどう打破していくか、こっそりと2人だけの勉強会を重ねてまいりました。私なりに政策をしっかりとつくりあげていたということです」と語った。
当初は、安倍前首相に会うたびに「あとひとふんばり、(総裁選へ)ワンチャレンジしてくれないか」と打診してきたという。
「7月の下旬には『ファイナルアンサー?』と言いながら聞いたのですが、『絶対に出ません』と断られました。ゼロコンマ1も出ないんですか、と聞いたのですが、出ませんということだったので、それならば私が出たるわ、と啖呵を切ってしもうたんです」と、出馬の経緯も明かしている。
「安倍政権の後継者」としての立場を確立した高市氏。この勢いで、総裁選を制することができるか。
●安倍前首相の高市氏支持は「当て馬?」 9/13
政治ジャーナリストの田崎史郎氏が13日、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月〜金曜・午前8時)に生出演した。
番組では、菅義偉首相が不出馬を表明した自民党総裁選(17日告示、29日投開票)に岸田文雄前政調会長、高市早苗前総務相、河野太郎行政改革相が出馬を表明したことを報じた。
元財務官僚で弁護士の山口真由氏から、安倍晋三前首相の高市氏支持について「ある種の当て馬というか、河野さんが決戦投票に行かずに1回目で過半数を取るというのを阻止するのと、岸田さんに対して不快感を示しこっちの選択肢もあるんだぞという趣旨があるんじゃないですか?本当に高市さんを総理大臣にできると思っているんですか?」と問われると、田崎氏は「(安倍前首相は)現実的に高市さんの当選は難しいだろうと思っていながら支援している。山口さんの指摘がある程度当たっているのが、それなら最初から岸田さんを支援すればいいのではないかという論理も成り立つんですね。高市さんを支持して、後から乗ることで高市さんの議員票については安倍さんとほぼイコールなんです。自分の力を見せられるという発想がある。そうすれば、岸田政権が出来た時に影響力をより強められるだろうという発想です」と説明した。
●安倍前首相は真っ青…チルドレン90人“造反” 9/13
自民党の1〜3回生議員が立ち上げた「党風一新の会」が、総裁選(17日告示、29日投開票)を巡り、“派閥一任”の意思決定に猛反発している。安倍政権下で当選してきた安倍チルドレンの反乱に、“生みの親”は慌てているようだ。
「党風一新の会」の呼びかけ人は70人に上る。細田派16人、岸田派13人、麻生派と竹下派が各10人、二階派6人、石破派4人、石原派1人、無派閥10人と横断的な構成だ。
驚くべきはその規模で、現在90人が入会。自民党衆院議員のうち3回生以下は126人だから、7割超の勢力を誇る。
代表世話人を務めるのが、最大派閥・細田派に所属する福田達夫衆院議員。祖父に赳夫元首相、父に康夫元首相を持つ“政治エリート”だ。慶大法学部卒、米ジョンズホプキンス大高等国際関係学研究所留学、三菱商事出身というキラキラの経歴も手伝って、「清和会(細田派)のプリンス」とされている。
10日に行われたオンライン設立総会では、総裁選候補者と若手の意見交換の場を求める提言を採択。総会後、福田氏は「派閥一任で総裁選の行方を決めないことはほぼ達成できた」と胸を張った。
こうした若手の動きに真っ青なのが、総裁選で高市早苗前総務相を支持する安倍前首相なのだという。90人のうち多くが、河野氏支持に回るとみられているからだ。
「3回生以下は事実上、安倍政権下で誕生した安倍チルドレンです。安倍さんが推す高市さんに協力するのが筋といえば筋ですが、総裁選は来る総選挙の顔を選ぶものなので、若手にとっては死活問題。勝てる顔を選ぶとなると、『高市さんではね……』と二の足を踏むのは当然です。岸田さん(前政調会長)も、河野さん(ワクチン担当相)に比べて人気が劣る。若手は河野さんに乗るのが得策だと考えているでしょう」(自民党関係者)
7年8カ月にわたった安倍政権の力の源泉は、最大派閥を「右向け右」でコントロールできたことにある。しかし、今回の総裁選は高市支持ではまとまらず、出身派閥の細田派も自主投票になる可能性が浮上。そこに若手の“造反”となれば、安倍氏が慌てるのもうなずける。
「もともと清和会(細田派)自体が、設立者である福田赳夫さんの流れを組む福田系と、かつて派閥会長を務めた安倍晋太郎さんの安倍系が混在している。福田(達夫)さんの父・康夫さんも、安倍さんと親しかったとはみられていない。そのためではないでしょうが、『党風一新の会』の提言には、『安定政権が続く中で強引ともとられる政権運営や、国民意識と乖離した言動や行動も散見されるなど』と、わざわざ安倍政権を批判する内容を書いている。福田(達夫)さんはむしろ、河野さんと近いのではないか。河野さんを中心に若手や中堅が集まる『火曜会』に、福田さんも参加しているといいます。その会で一緒にカレーを食べて親睦を深めているようです」(前出の自民党関係者)
「安倍1強」支配も崩れ始めている。
●“サナエノミクス”って何なんだ? 安倍前首相が高市早苗を支持する理由 9/15
「日本経済強靱化計画、いわゆるサナエノミクスの3本の矢は金融緩和、緊急時の機動的な財政出動、大胆な危機管理投資・成長投資でございます」
総裁選への出馬を正式に表明した高市早苗前総務相。9月8日の出馬会見では、自信満々の表情で政策を語るなど、ここにきて存在感を見せている。
菅義偉首相が不出馬を突如表明したことで、一気に動きが加速した自民党総裁選。国民の人気が高い河野太郎ワクチン担当相や、すでに8月末に出馬を表明していた岸田文雄前政調会長らが本命候補としてあげられているが、高市氏の立候補が、様々な議論を呼んでいることは間違いない。
まず、女性議員が総裁選に出馬するのは13年ぶりだ。前回の候補者は小池百合子東京都知事だった。野田聖子氏も2015年、18年に名乗りを上げたが、20人の推薦人を集められず断念した。
「野田さんはもちろん、小池さんも推薦人を集めるのに苦労した。多くの女性政治家が男性と同じように、自民党の派閥構造の中で鍛えられたり、育てられたりという体制になっていない」
そう指摘するのは三重大学の岩本美砂子教授(政治学)だ。
今回、高市氏が出馬できそうな背景には安倍晋三前首相の支持を取り付けられたことがあるが、岩本教授は「(安倍氏の出身母体の)細田派はこぞって『高市さんで団結しよう』とはなっていない」と話す。
「小池さんもそうだったが、派閥が団結して戦う形ではないでしょう。党のピンチに選挙の顔になりうると祭り上げられ、実力が発揮できないままに使い捨てられる。リクルート事件で政治不信を呼んだときの海部俊樹元首相がその例で、クリーンなイメージだけで持ち上げられた。高市さんもそうなる危険性は大きいと思う。世論的に女性を推したほうがいいだろうという安倍氏の考えが透けて見える」
そして、安倍氏が高市氏を支持するもう一つの背景には、「菅内閣の1年で『安倍的』なタカ派の元気が雲散霧消したので、自民党の中で一番“右”のところをもう一度集めるシンボルとして高市氏が持ち上げられている」と分析する。
安倍政治を色濃く継承しようとする姿勢は、「サナエノミクス」からも見て取れる。名称もさることながら、その内容は安倍氏が掲げた「アベノミクス」路線を引き継ぐものだからだ。グローバル・エコノミストの斎藤満さんは「『アベノミクス』の焼き直しにすぎない」と批判する。
「日銀が20年間も緩和策を続けてきたのに物価が一向に上向かないことをみてもわかるように、緩和策頼みの経済対策に限界があるのは明らかです。財政出動は、今のような危機的状況では必要なのは確かです。だけど、その使い道に問題がある。大規模な予算が一部の大企業や利権に還流するような使われ方をしている現状では、安倍前政権の延長線上にあるような政府に任せていいのか不安です。そもそも、失敗とも言えるアベノミクスを引き継ぐことに反発しか覚えません」
一方、国のトップ候補として女性が出てきたという点においては歓迎する向きもある。18年に「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」が施行され、安倍氏自身が第2次内閣時に「女性活躍」をうたってアピールするなど、かねて政界も男性中心社会からの脱却を求められているからだ。
超党派の「政治分野における女性の参画と活躍を推進する議員連盟」会長の中川正春元文部科学相はこう話す。
「高市さんが総裁選に挑戦できることは喜ばしい。これまでは女性首相という選択肢すらなかった。選挙の現場を見ると、特に地方議会ではここ10年ほどで、女性に期待するという機運が高まっていると感じる。これまでは選挙に携わる者や有権者からあまりにも否定的に見られていたのが、肯定的に変わってきた。そうした機運が中央にも波及してきたのが今回の高市さん出馬の背景にあるのでは」 
●安倍前首相、ツイッターで高市氏支持を表明…  9/17
自民党の安倍前首相は16日夜、自身のツイッターで、党総裁選に出馬する高市早苗・前総務相を支持すると表明した。高市氏について「国民の命と生活を守り、経済を活性化するための具体的な政策を示し、日本の主権は守り抜くとの確固たる決意と、国家観を力強く示した」と評価した。
安倍氏は党所属議員らに高市氏への支援を呼びかけてきたが、公式に表明したのは初めて。高市氏の写真とともに「世界が注目している。皆さまよろしくお願いします」と投稿した。
●安倍前首相から「10年ぶりに電話」… 9/18
菅義偉首相の後継を決める自民党総裁選。国会議員票と同数が割り当てられた党員・党友票に注目が集まる中、山口県の情勢は複雑だ。高市早苗氏を支持する安倍晋三前首相(衆院山口4区)と、岸田文雄氏が率いる岸田派ナンバー2の林芳正元参院議員がそろって地盤としており、それぞれ県内の党員や党友へ影響力を持つからだ。河野太郎氏は、防衛相だった昨年6月に県内への地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画を停止したのが尾を引き、支持の行方が見通せない。
関係者によると、安倍氏は県連幹部や県議に相次いで電話をかけ、高市氏への協力を求めている。10年ぶりに電話が鳴ったという県議もいるという。
高市氏を支持する県連幹部の一人は「外交や防衛政策で評価できる。周りの党員に支援を呼び掛けたい」と明かす。別の県連幹部は「県内では高市氏が先行し、岸田氏が追う展開ではないか」と見立てる。
一方、安倍氏と林氏がともに強固な地盤を築く下関市内では、岸田氏の支持を求めるはがきが各所に送られているという。林氏を支える県議は「岸田首相が誕生した時、山口県の票が少ないと林氏の顔が立たない。バランスを考えなければならない」と気をもむ。
河野氏に対する県連幹部たちの評価はいまひとつだ。イージス・アショアの配備では陸上自衛隊むつみ演習場(萩市、山口県阿武町)が候補地の一つだったが、河野氏が突然、安全性に問題があるとして計画を停止した経緯がある。県議の一人は「2年もかけて説明しておきながら、いきなりはしごを外された」と怒りは収まっていない。
初代伊藤博文から安倍氏まで8人の首相を送り出してきた山口県。県連の友田有幹事長は「各国会議員がいろいろな広報をすると思う。県連として一つの方向を示すのは考えていない」と話している。
●旧統一協会系集会にメッセージ 安倍前首相「総裁に敬意」 9/18
霊感商法や集団結婚などの被害が長く社会問題になっている旧統一協会(世界平和統一家庭連合に改称)に関連する団体が開いた大規模集会に安倍晋三前首相がビデオメッセージを贈り、「敬意を表します」などと演説していたことが17日までに分かりました。旧統一協会が勧誘活動や宣伝に利用することで新たな被害につながるおそれがあり、安倍氏の道義的責任が問われます。
安倍氏がビデオメッセージで演説したのは、旧統一協会系の天宙平和連合(UPF)が韓国の会場とオンラインで12日に開いた集会「シンクタンク2022 希望前進大会」です。UPFは統一協会の開祖である文鮮明(故人)と、その妻で現家庭連合総裁の韓鶴子が2005年にニューヨークで創設したNGOです。
同集会では、トランプ前米国大統領に続いて左胸に議員バッジをつけた安倍氏が会場の大型スクリーンに映し出され、約5分間の演説をしました。
安倍氏は「演説の機会をいただいたことを光栄に思います」と述べ、次のような発言をしました。
「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」。実質的なトップの名をあげ、旧統一協会を称賛した形です。
旧統一協会と一体の右翼団体「勝共連合」は、ジェンダー平等を「社会における男女のあり方、そして家庭のあり方を根本から変えてしまおうという危険な思想」としています。
安倍氏の演説の中で目立ったのは、旧統一協会の思想にある家族観への共鳴です。
安倍氏は「UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします」と褒め上げ、その上で「偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう」と呼びかけました。
ジェンダー平等などを「偏った価値観」とみなし、個人を尊重する社会を目指す運動を非難するのは異様と言えますが、同集会の司会者は「たいへん感動的な演説」と評価しました。
本紙の取材にUPFジャパン(東京都新宿区)は、米国のUPFインターナショナルと「ワシントン・タイムズ」(旧統一協会系メディア)が安倍氏側にビデオメッセージを依頼したと説明しました。
旧統一協会による高額な献金の強要や正体を隠して行う「伝道」は、裁判でも違法性が指摘されています。
旧統一協会による違法伝道や霊感商法被害の救済に取り組む全国霊感商法対策弁護士連絡会は、全ての国会議員に対し、旧統一協会やその正体を隠した各種イベントに参加・賛同しないことを求めています。安倍氏が関連団体の集会にビデオメッセージを贈る形で協力したことは、不適切だと言えます。
本紙は安倍氏の国会事務所にUPFとの関係などを質問しましたが、「この件に関してはUPFの事務局に問い合わせてください」として回答しませんでした。
●安倍前首相 荒れた「高市外し」騒動を揶揄「見識無き質問者まで出る始末」 9/19
安倍晋三前首相が19日、ツイッターに投稿。18日に行われた自民党総裁選4候補による討論会での高市早苗前総務相の応答を賞賛し、主催側の質問者を揶揄した。
「昨日の討論会に於ける、高市早苗候補の冷静で的確な応答振りを賞賛する声が多数寄せられています」と投稿した。そのうえで「彼女の外交安全保障に於ける見識を示されたら困るのか、彼女をスルーする見識無き質問者まで出る始末(笑)」とツイートした。
18日の日本記者クラブでの討論会では、ライブ配信を見ている記者からの質問を参考に、クラブの企画委員が各候補者に代表質問する形式がとられた。
後半には日中関係に関する質問を、外務大臣、防衛大臣経験者として岸田文雄氏と河野太郎氏に聞くなど、両氏に質問が集中。質問側から「さきほどから河野さんと岸田さんにばかり質問がいって、高市さん、野田さんには大変申し訳ありません。違いをくっきりさせるためにお聞きしてます」と説明が入る一幕もあった。
ネット上は「高市外し」「公平な発言機会を」との投稿が相次ぎ、荒れた。
安倍氏は「私の新しい2連ポスターです」と記し、「この国を守る」と書かれた、安倍氏と高市氏の2ショットポスターの写真をアップした。
●安倍前首相が過剰なまでに“高市氏肩入れ”…本当の狙いは 9/21
4人の候補者は誰もが決め手に欠ける自民党総裁選だが、週末の各社世論調査では高市前総務相が急速に支持を伸ばしている。どの調査も「次の首相にふさわしい人」のトップは河野ワクチン相だが、2位争いは高市氏と岸田前政調会長の接戦で、調査によっては高市氏が単独2位に浮上。そんな中、安倍前首相が高市支援の動きを加速化させる狙いは 。
安倍前首相は19日、自身のツイッターで<私の新しい2連ポスターです>と、高市とのツーショットポスターを披露。前日に行われた日本記者クラブ主催の公開討論会に触れ、高市をこう絶賛した。
<高市早苗候補の冷静で的確な応答振りを賞賛する声が多数寄せられています。彼女の外交安全保障に於ける見識を示されたら困るのか、彼女をスルーする見識無き質問者まで出る始末(笑)>
記者の代表質問が河野氏、岸田氏に集中したことについて、ネット上では「高市はずし」などと非難する書き込みが相次いだが、安倍前首相はそれをあおってみせたのだ。
安倍前首相の投稿には<最強のポスター><愛国者の美男美女><見ただけで涙が出た>など熱烈な支持者からの返信ツイートが殺到。安倍氏と高市氏が二人三脚で保守層からの支持を広げていることが分かる。そもそも、無派閥で総裁選初挑戦の高市氏は立候補に必要な推薦人20人を集められるかも分からなかった。安倍氏が支持を鮮明にしたことで一気に流れが変わり、当初は泡沫扱いだった高市氏が勢いを増しているのだ。
それにしても、安倍氏はなぜ過剰なまでに高市に肩入れしているのか。その裏には“再々登板”をもくろむ野望が見え隠れする。
「安倍さんの出身派閥である清和会(細田派)では当初、下村政調会長が総裁選に立候補しようとしたが、安倍さんが若手に直々に電話をかけて『下村さんの推薦人にならないように』『今は派閥が割れるようなことをするべきではない』と全力で潰しにかかっていた。それなのに、清和会を出た高市さんを担ぎ出して、自ら派閥が割れるようなことをしているのは道理に合わない。政治信条を同じくする右派ということなら下村さんでもいいはずです。安倍さんがあえて無派閥の高市さんを担いだのは、“清和会の総裁候補は今も自分ひとりだ”と暗に示しているように感じる。秋の衆院選後に派閥に戻ったら、再々登板に向けて本格的に動き出すのではないか」(清和会関係者)
そのためにも、今回の総裁選は最終的に高市氏が勝利することよりも、何票集められるかが重要なのだという。
「安倍前首相は自分がどれだけ“数字”を持っているかを可視化させ、自分の影響力を誇示することが目的でしょう。高市候補も勝敗度外視で、首相在任中の靖国参拝など安倍氏でも言わないようなタカ派発言で右派に訴えかけています。総裁選で高市候補が集めた票は、そのまま安倍支持者の数と重なる。いわゆる岩盤支持層です。そこから待望論が出てくるわけで、安倍氏は再々登板に向けた地ならしのため、高市支援にシャカリキになっている。高市候補の得票数は、自民党の右傾化を測るバロメーターでもあります」(政治評論家・本澤二郎氏)
高市氏が得票を伸ばせば、その先に待っているのは安倍前首相の再々登板なのか。それが総裁選の裏テーマだとすれば不気味だ。
●安倍前首相、台湾TPP申請「歓迎します」=蔡総統ツイートに反応 9/23
安倍晋三前首相は23日、ツイッターを更新し、台湾の環太平洋経済連携協定(TPP)への加盟申請について「歓迎します」と記した。蔡英文(さいえいぶん)総統のTPP加入への意欲を示した投稿に反応した。
安倍氏は蔡氏の投稿をリツイートした上で「自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値を共有する台湾の申請を歓迎します」と表明。蔡氏がTPPにおける全てのルールを受け入れる用意があるとしたのを受け、「蔡総統が全てのルールをクリアーするとの決意を示した事は、日本が支持する上で極めて重要」との見解を示した。
●安倍ガールズ、仮面夫婦、妄言…彼女が日本初の女性首相を目指す 9/23
日本語で「主人」という言葉の意味の一つは「夫」だ。21世紀にも依然として「夫」が「主人」である隣国で初の女性首相有力説が出ている。主人公は自民党の高市早苗前総務相だ。韓国には極右性向としてのみ断片的に知られているが、安倍晋三前首相が公開的に支持を宣言し、日本政界のナンバーワンに近づいている人物だ。
日本の情報筋は匿名を前提に中央日報に「今回の自民党総裁選は実際の党権派閥の勢力対決よりも『対外的に前に出すことができる看板』の要素が重要だ」とし「『女性』というイメージが高市氏には確実に有利」と伝えた。キーワード3つで高市氏を集中分析してみる。「安倍ガールズ」「仮面夫婦」「妄言」だ。
1 安倍ガールズの先鋒
2014年は安倍前首相の第2の全盛期の始まりだった。2006−07年に短期で終わった最初の失敗を踏んで2度目の首相就任を果たした安倍氏は女性政治家らを抜てきした。日本メディアは彼女たちを「安倍ガールズ」と呼んだが、その代表的な人物の一人が高市氏だ。日本政界の代表的なセレモニーの一つが、首相が組閣するたびに燕尾服など盛装をして記念写真を撮影することだが、高市氏は2019年にこの写真でネイビーのロングドレスを着て安倍氏と同じ最前列に立った。日本で「安倍ガールズ」のトップ走者に挙げられる人物は高市氏のほかにも稲田朋美元防衛相らがいる。高市氏と稲田氏はともに韓国とは悪縁だ。第2次世界大戦の戦犯を合祀した靖国神社への参拝を「政治家である以前に国民の一人としての権利」として強行したきたのが代表的な例だ。安倍首相の政策基調を競って継承しながら安倍カラーを強化するのが、彼女たちの主な役割の一つだ。15日の産経新聞のインタビューでは、韓国との慰安婦問題および強制徴用イシューに関する質問に「韓国は不正確な情報を世界中にさまざまな手段で発信している」と主張した。続いて「日本はあまりにも『歴史外交』が弱すぎる」とし「歴史外交を強化するため、内閣官房に省庁横断的な部署を設けることが有益だ」と語った。内閣を総動員して韓国との歴史外交全面戦争を宣言すると約束したのだ。
2 「おしどり夫婦」から「仮面夫婦」に
「人間高市」はどんな人物なのか。1961年生まれで今年60歳の高市氏は政界入門後の2004年、43歳の時に、同じ自民党の同僚議員・山本拓氏と結婚した。政治的同志が人生のパートナーになる瞬間として注目を集めた。その後、高市氏は安倍ガールズの先鋒として自民党の重責の総務相に任命されるなど、夫よりも脚光を浴びた。それでも夫婦の仲に変わりはないことを誇示した。夫の山本氏は「チーズフォンデュを夕食に作り、私が好きなケーキを買って祝った」とコメントしながらだ。しかし当時、日本の政界では「仮面夫婦」という噂が広まったと、朝日新聞などメディアは報道した。一種の「ショーウィンドー夫婦」ということだ。実際、2人は2017年に離婚届に提出した。当時、高市氏は「政治的な見解の違いなどを克服できなかった」とし「これからは政策活動に没頭したい」という立場を表した。
3 「妄言」繰り返し
日本の政界で女性の立ち場は良くない。現東京都知事の小池百合子氏が頭角を現した程度だ。このほか小渕優子議員らが存在感を見せたが、世襲政治家だ。今回の総裁選で競合する女性政治家の野田聖子幹事長代行も野田卯一元長官の孫だ。高市氏はその面では自らの力で浮上した政治家に属する。関西の奈良出身で、神戸大学で経営学を専攻した。韓国でもよく知られるエリート政治家士官学校格の松下政経塾を修了した。その後、経済学および経営学の教授として活動し、政界に入門した。韓国ではさまざまな「妄言」でよく知られている。日本の侵略を「自衛のための戦争だった」とし、新米議員時代には「少なくとも私自身は戦争の当事者といえない世代であり、反省のようなものはしていない」という発言をした。安倍首相の1期目の2007年、国際社会の批判を勘案して安倍氏本人は靖国神社を参拝しなかった中、高市氏は参拝を強行した。安倍氏の内心を代弁する一種の拡声器としての役割をした高市氏が、今では安倍氏の「次々期」を目指している。
●自ら戦略パーに? 安倍前首相の“高市応援暴走”が招く連合破綻の大誤算 9/23
29日の投票日まであと1週間となった自民党総裁選。「世論人気の高い河野太郎ワクチン担当相と議員票に強い岸田文雄前政調会長による決選投票になる」という当初の予想がここへきて変わってきた。安倍前首相のモーレツな支援もあり、高市早苗前総務相が急激に票を伸ばしてきているというのだ。高市氏2位、岸田氏3位の可能性もあり得る情勢だ。
実際、報道機関の最新の世論調査や党員・党友調査では、高市氏の岸田氏猛追が顕著で、特に毎日新聞では「誰に自民党総裁になって欲しいか」のトップは河野氏(43%)だが、2位は高市氏(15%)、3位が岸田氏(13%)だった。自民党支持層に限ると、高市氏(25%)、岸田氏(14%)とさらに差が開いた。
「ネット広告やハガキ配布など、高市陣営の物量作戦はものすごい。タカ派の高市さんの得票結果は、自民党内の右傾化の指標であると同時に、安倍さんがどれだけ力を持っているかを誇示することにもつながる。それで安倍さんは必死なのでしょうが、やりすぎると、本当に高市さんが岸田さんを追い抜いてしまいかねない」(永田町関係者)
今回の総裁選における安倍前首相の“戦略”は、「岸田・高市の両氏で『2位3位連合』を組み、決選投票で岸田氏が河野氏を下して勝利する」というもの。この戦略で盟友の麻生財務相や岸田氏陣営と、水面下でタッグを組んでいたはずだった。
ところが、頼みの細田派は幹部連中の動きが鈍く、高市氏の支持を広げるため、安倍前首相が公に「全面支援」を表明。これに保守系の“岩盤支持者”が呼応すると、安倍前首相はツイッターに高市氏とのツーショットポスターを投稿するなど応援がエスカレートしている。
しかし、である。開票の結果、もし高市氏が岸田氏を本当に抜いて2位になり、「河野vs高市」の決選投票になったとしても、「2位3位連合」は成立するのだろうか。
「岸田支持の議員票が高市さんに流れることは、ほぼ100%ありませんよ。保守本流のハト派が宏池会(岸田派)の源流。ウルトラタカ派の高市さんや彼女の支持層とは思想が違いすぎる。『河野vs高市』なら河野さんが勝つ。それは安倍さんも分かっているはずなのですが……。岸田派も細田派も困惑しています」(岸田派関係者)
暴走・安倍前首相が火をつけた党員票の炎は、勢いがつきすぎれば消せなくなる。河野総裁誕生なら安倍前首相にとって大誤算だ。
●安倍前首相、外交分野で活躍期待 閣僚起用は触れず 自民党総裁選4候補 9/24
自民党総裁選の4候補は24日のオンライン討論会で、首相に就任した場合、安倍晋三前首相を外相や防衛相に起用する考えの有無を問われた。いずれも直接の言及は避ける一方、首相経験者の立場を生かし、今後も外交分野での活躍を期待する声が相次いだ。
河野太郎規制改革担当相は「独自に海外へ出て、日本の立場を発信する役割を果たしてもらえる」と指摘。岸田文雄前政調会長は「安倍氏の存在は国際社会で大変大きい」と同調した。
高市早苗前総務相は「手本にしたい外交だ」と称賛。野田聖子幹事長代行は「元首相の肩書でさまざまな国のVIP(最重要人物)と外交交渉できる」と述べた。
●安倍前首相の閣僚入りは? 総裁選4候補とも外交活躍期待も起用明言せず 9/24
自民党総裁選に出馬した4候補による24日の党主催オンライン討論会では、安倍晋三前首相を外相や防衛相で起用するかどうかも話題になった。4氏は安倍氏の外交分野での活動に期待感を表明する一方、閣僚起用は明言しなかった。
河野太郎行政改革担当相は「閣僚としてというよりも独自に海外に出て、日本の立場を発信する役割を果たしてもらえる」と指摘。岸田文雄前政調会長は「安倍氏の存在は国際社会において大変大きい。ぜひそうした存在を生かしていただく形で活躍してもらえると思う」と述べた。
高市早苗前総務相は「安倍氏は各国を訪ねてリーダーシップを発揮した。模範になる、お手本にしたい外交だ」と高く評価。野田聖子幹事長代行も「元首相という肩書でさまざまな国のVIPと非常に近い関係で外交交渉ができる」と語った。
●再任してほしい歴代首相ランキング 2位は安倍晋三氏「日本が平和だった」 9/24
「ポスト管」を決める9月29日投開票の自民党総裁選に向け、候補者同士のつば競り合いが連日盛り上がりをみせている。そんななか本誌は2000年代に在任した歴代首相のなかで「再び首相になってほしい人」についてのアンケートを実施し、それをもとにランキングを作成。回答したのは男女150人。結果は、以下の通りだった。
【2000年代の歴代首相のなかで「再び首相になってほしい人」は?】
(回答:2021年9月9日〜9月12日)
1位:小泉純一郎(30%) / 2位:安倍晋三(11.3%) / 3位:菅直人(9.3%) / 4位:鳩山由紀夫(6.7%) / 5位:菅義偉(4.7%) / 6位:麻生太郎(1.3%) / 6位:福田康夫(1.3%) / 8位:森喜朗(0.7%) / 9位:野田佳彦(0%)
見事1位となったのは、小泉純一郎氏(79)だ。在任中に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との首脳会談を2回行い、日本人拉致被害者を5人帰還させた手腕や郵政民営化を推し進めるなどリーダーシップを評価する声が多く寄せられた。
「何でもすぐ本気で取り組んでくれたし、国民の事、拉致被害者にしても何でも尽力を尽くしてやってくれた首相なので」(40代男性・会社員)
「カリスマ性がある」(50代女性・専業主婦)
「拉致問題を解決助けるのに力強いを注いだのに他の総理覇何もしないかったから」(70代以上女性・無職)
「型破りな小泉さんが、ぐいぐいと政治を推し進めて行く感じをまた感じたい」(50代女性・専業主婦)
続いて2位にランクインしたのが、安倍晋三前首相(66)。第二次安倍内閣では憲政史上最長となる7年8カ月在任し、ドナルド・トランプ前大統領(75)との友好的な外交関係や”アベノミクス”といった経済政策を評価する声が多く寄せられた。
「外交も経済も安定してた」(30代女性・会社員)
「10万配ってくれたから」(30代男性・公務員)
「長期政権で日米安保、TPPなど日本にとって重要な課題に取り組んできたこと」(40代男性・会社員)
在任中に“森友学園問題”や“桜を見る会”など数々の疑惑も報じられた安倍前首相だったが、次のような声も。
「1番日本が平和だったから」(30代女性・専業主婦)
「国民最優先」(30代女性・会社員)
そして3位にランクインしたのが、菅直人氏(74)。2位の安倍前首相との差は、わずか2%。2位の安倍前首相に“悪夢の民主党政権”と非難されたこともあるものの、東日本大震災時の対応を支持する声があがっていた。
「原発事故の時に真摯に対応していたから」(50代女性・会社員)
「3.11の際に体育館で避難している方に非難されて、その場で謝罪して対応したのは誠実だと思う」(30代男性・会社員)
「一番庶民の暮らしをわかっている」(50代女性・会社員)
「メディアの自由度が現在とは比べ物にならない位、高かったから。大震災が発生していなければ、もっと長く首相を務めることができたと思います」(50代女性・会社員)
何を期待するかによって、回答が分かれることとなった今回のアンケート。しかし、36%と最も多くの回答を獲得したのが、なんと「再任してほしい人はいない」だったのだ。
国民がこぞって再任を希望するような首相は今度の総裁選から果たして誕生するのか。
●「安倍前首相の影響を残せば腐敗が進む」 「総裁選の限界」 9/29
安倍・菅両政権が幕を閉じ、新たな日本のリーダーを選ぶ総裁選で熱戦が繰り広げられている。だが、現在の総裁選のシステムでは「国民の声を反映しているとは言い切れない」と言うのは杉田敦・法政大学教授。AERA 2021年10月4日号は杉田氏にくわしく聞いた。
菅政権は1年余りで終わりを告げ、総裁選には4人が立候補した。各候補者がコロナ対策や外交、憲法改正などの政策を主張するが、杉田敦・法政大学教授(政治理論)は、政策議論の前に、前政権の不祥事や疑惑を調査する「換気」が不可欠だと指摘する。
「菅政権が短命に終わったのは、コロナ対策や経済政策が立ち行かなくなったことはもちろん、安倍政権から続く情報隠蔽や公文書の破棄といった強権が国民の不信感につながったからです。ただ、4人の候補者のなかに安倍・菅政治に批判的な視点を持つ方はほとんどいません」
首相が代わると、政策転換だけでなく、前政権での強引とも指摘される政治のやり方を反省し、リセットする側面もある。だが、安倍政権下であった森友問題について、再調査に前向きな見解を示したのは、野田聖子氏1人のみ。残る3候補は曖昧な表現にとどめている。
「ある政党による政治がうまくいかない場合は別の政党に交代し、膿(うみ)を出し切るのが普通です。長期政権では官僚がものを言えません。安倍(晋三)氏がキングメーカーと言われるような形で影響を残した総裁選では、党内の腐敗は進んでいく一方です」
4人の誰が総裁になっても、大きな変化は期待できないのだろうか。杉田さんはこう言う。
「安倍、菅(義偉)、麻生(太郎)、二階(俊博)といった古い世代の方々が裏で操縦しようとすれば、人事を巡る交渉が活発化します。結局は政治家同士の出世争いのなかで総裁選も動くことになり、恩を売ったり返したりする関係性で凝り固まってしまう。限界のある総裁選だと思います」
では、国民は何をどう見るべきか。問題なのは、「ある錯覚」を抱いていることにあると杉田さんは指摘する。
「アメリカやイギリスなど諸外国では、有権者の多くが政党の党員になっているため、国民の多くが選挙に関わることができます。一方、日本は限られた人の声しか総裁選には反映されません。それなのに、どういった政策の人がいいか、といった質問に象徴されるように、国民が次の総理大臣を選んでいるという錯覚を持たされていることを懸念しています」
今回の総裁選の投票資格を持つ党員・党友は約110万人。国民のわずか1%ほどにすぎない。候補者と同じく、議員の多くが党内のしがらみのなかで票を投じることになる。
「その票が国民の声を反映しているとは言い切れず、人びとが望んでいる形で新しい方向性が出るかどうかが心配です」
新型コロナの第5波がピークアウトしたことで、コロナ問題への関心も下火になっている。必ず来ると見られている第6波に向けた具体的な政策議論が不可欠だが、そうした声も聞こえてこない。
「総裁選の後は、衆議院議員選挙(総選挙)も控えています。私たち国民もどの政治家が強いといったゲーム感覚の話だけでなく、新しい総裁の政策の中身に注目し、政治のあり方を議論していく必要があります」
●安倍・菅政権8年 「目くらまし」だったアベノミクス “日本の埋没” 9/29
菅義偉首相が9月3日、自民党総裁選(9月29日投開票)への不出馬を表明した。菅首相は、1年前に体調不良を理由に急きょ辞任した安倍晋三前首相を官房長官として支え、経済政策「アベノミクス」を引き継ぐと表明。その菅氏が退陣することにより、2012年12月の第2次安倍政権発足以降続いたアベノミクスは名実共に終止符が打たれる。
自民党総裁選とその後すぐに行われる衆議院選挙を経て、どのような政権が発足するのか現時点では不明だが、新政権が経済政策を打ち出すにあたっては過去8年半余りの総括が必要だ。アベノミクスは、多くのマイナス面を存在しないかのように無視し、数少ないプラス面を誇大に強調したため、多数の人々が「目くらまし」を受けた政策だったといえよう。
この間、日本は経済成長が停滞し、勤労者の生活は好転しなかった。日銀による異次元金融緩和を通じて為替を円安に誘導、輸出企業の業績は好転し、日銀と年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が資金を株式市場に振り向けたことで株価は上昇したが、資産を持つものとそうでないものの経済格差を広げた。
企業業績の改善と株高は、上場企業の経営者や、大半が高齢者層に分布する株式保有層には恩恵をもたらしたものの、家計の消費は増えなかった。20年度の国内総生産(GDP)は536兆円にとどまり、安倍政権が目標に掲げた600兆円に大きく届かなかった。
株価や企業業績の好調を喧伝(けんでん)する一方で、全雇用者の3割以上が年収200万円未満の極めて厳しい生活水準を強いられている。そこに、新型コロナウイルスの感染拡大が襲い、国民生活の苦境に拍車を掛けた。秋に発足する新内閣が、それでもアベノミクスの路線を継承するかどうかを、国民は注意深く見定めるべきである。
技能五輪での低迷
アベノミクスへの評価で重要だと捉えている数字が、世界のGDPにおける日本の比重だ。1994年には日本のGDPが世界の17・9%を占めたが、20年には6%に落ち込んだ。世界経済での日本の存在感がこの四半世紀で3分の1に縮小した。コロナ禍のトンネルを抜け出て、30年ごろを想像すると4%台に落ちていくことになるだろう。前回の東京五輪(64年)の年が4・5%だったので、その頃に戻るということだ。
今夏の東京五輪の開催についてさまざまな議論がメディアをにぎわせたが、より真剣に考えなければならないのは「技能五輪国際大会」における日本の凋落(ちょうらく)ぶりだ。十数年前までは、日本は金メダルの獲得数で、世界のトップを争っていたが、17年は9位、19年は7位だった。製造分野の技能だけではなく、「美容・理容」「看護・介護」といったサービス技能の競技も種目化している。技能五輪での成績の落ち込みは、産業における日本の現場力が急速に衰えていることを証明している。
産業に関して重要なファクトをもう一つ取り上げたい。それは、ジェット旅客機の国産化プロジェクト、「スペースジェット(旧名称MRJ)」の開発が挫折したことだ。三菱重工業が母体となり、「日本の産業技術を結集」すると意気込んで開発を進めてきた。主翼に最先端技術を注入して米ボーイングや欧州エアバスよりも燃費に優れた機体を目指したものの、新技術をつぎ込んだ場合、安全性証明の観点から米国での型式証明を取るには時間がかかり、ボーイングが使っている既存の素材を使った方が早いと気づき、開発がどんどん後退する中で、航空需要に打撃となるコロナ禍が来てしまった。
日本企業が担っている部品、部材、素材などの要素技術は大変高度なものではあるが、高度な技術力を持っていることと、飛行機を完成させることは次元が違う。今日本に求められているものは「総合エンジニアリング力」である。個別の要素を組み合わせて完成体をつくる力が必要だ。
「食と農」と「医療・防災」
戦後の日本が工業生産力モデルの優等生として世界の先頭に立ち、基幹産業の鉄鋼、エレクトロニクス、自動車産業などが外貨を稼いで国を豊かにしようとひたすら走り、そのピークを迎えたのが94年。あれから二十数年がたち、いつのまにか世界経済の中で埋没している。
しかし、工業生産力モデルを強化して「再び日は昇る」と願っても実現しない。粗鋼生産がピークの1億2000万トン(07年)に戻ることはなく、今年は8000万トンを割り込むだろう。エレクトロニクス分野は、日立製作所が必死になってソフトウエア産業への業態転換を図っているように、付加価値の源泉がモノづくりからソフトに移行している。
自動車産業では、EV(電気自動車)化という流れを受けて、ガソリン車は走らせないという世界のルールが確立されようとしている。エネルギー効率が相当良いハイブリッド車ではダメなのかと立ち向かっても認められないのが、日本の自動車産業が置かれている現状である。
円安に誘導したアベノミクスによって、輸出産業の国際競争力を高めたというよりも、円高圧力から日本企業を解放し、安易に収益を高めることができるという経営がはびこったと感じる。自国の通貨が国際社会で、じわじわと評価を高めていくことが健全であると認識を改めるべきだろう。
そこで今後の日本には二つのキーワードが求められるだろう。一つは「イノベーション」である。DX(デジタルトランスフォーメーション、デジタル化による企業・事業の再構築)と脱炭素化へ向けたエネルギー・環境技術は間違いなく強化すべき分野だ。だが、それだけでは道を間違えるというのが私の考えだ。
もう一つは、「ファンダメンタルズ」と呼ぶべき分野で、具体的には食料と農業、医療や防災などの分野だ。「食と農」では、生産に限らず、加工、流通、調理という各過程で付加価値を高める戦略が必要で、例えば各過程でDXを駆使して生産性を上げるなど、食料自給率を現在の38%から70%程度に回復させる戦略が求められる。 豊かさを求めるこれまでの産業構造から国民の安全・安心を担保する産業へと変えていく必要があり、医療・防災は中核産業になりうる。私が率いる日本総研が窓口となって「医療・防災産業創生協議会」を今年2月に立ちあげ、民間主導でさまざまなプロジェクトを進めていく。一例として「道の駅」を防災拠点として、自衛隊ヘリで搬送可能な高機能のコンテナを集積する。コンテナは医療行為や炊事、トイレや風呂などとして使うもので、災害に応じて太平洋側、日本海側でも展開可能にするものだ。こうしたプロジェクトを創出することで、長期的には輸出産業にまで育てることを視野に入れている。
 
 
 
 2021/10

 

●安倍前首相がイメージを変えた「難病患者」の就労 10/3
潰瘍性大腸炎をはじめ、パーキンソン病、全身性エリテマトーデス(膠原病)など、難病患者は年々増え続け、指定難病患者の数は約95万人を数える。医療の進歩によって、治療を続けながら働く難病患者も増えてきているが、患者の就労を支える仕組みはまだ十分でない。とくに就職活動中の大学生患者にとっては、就職相談ができる窓口さえほとんどないのが現状だ。難病患者の就職を支援する専門家に聞いた。
「ああ、安倍前首相の病気ですね」
難病患者に対する誤解や偏見は根強く、難病を患っていることを周囲に隠しながら働く人も多い。
そんななか、難病患者の就労に対するイメージを大きく変える人物が現れた。潰瘍性大腸炎であることを公表した安倍晋三・前首相である。
特に長期政権となった第2次安倍内閣では、適切な治療を受けさえすれば、首相という激務さえもこなせることを世間に強く印象づけた。
難病患者と企業をつなぐコーディネーターとして活躍する「就労支援ネットワークONE」代表の中金竜次さんは、「安倍前首相が自身の病気について明かした貢献は大きい」と語る。
「患者が就職を希望する企業から『患者さん、どんな病気なんですか?』と聞かれても、『安倍前首相が』と言うだけで、『ああ、あの病気ですか』と、話が通じやすくなりました。『そうなんですね。じゃあ、履歴書を送ってください』と、ふつうに受け止めてくれるようになった。私の手元では明らかに採用者が増えました」(中金さん、以下同)
全国的にも潰瘍性大腸炎であることを企業に開示する患者がここ5、6年で増えているという。
「この病気の場合、症状が悪化すると、トイレの回数が増えたりする。職場の人が病気のことを知らないと、『さぼっているんじゃないか』と、誤解を受けて人間関係が悪化することがけっこうあるのです。居心地が悪くなって離職し、それを繰り返してしまうと、働き口がなくなってしまいます」
難病であることを開示したうえで就職すれば、通院などの配慮が受けられるようになり、何より、職場環境がよくなることで精神的な不安がやわらぐ。
2013年、厚生労働省は増え続ける難病患者の求職に対応するため、各都道府県のハローワークに「難病患者就職サポーター」を配置した。サポーターは難病疾患についての専門的な知識はもちろん、労働法規をもとに患者をサポートし、さらには企業の採用担当者と交渉も行う。中金さんも神奈川県でサポーターを経験し、2年前に現在のネットワークを立ち上げた。
知識と胆力が求められるサポーター
制度開始から8年、中金さんは「この制度はうまく機能していない」と指摘する。
「地域ごとの実績のばらつきが非常に大きくて、相談件数も就職率もぜんぜん違う。実際、窓口を利用した難病患者にアンケートをとると、サポーターが疾病特性を踏まえて非常に丁寧にアドバイスしている地域がある一方、クレームが非常に多いところもあるのです」
その原因について、中金さんは「サポーターは多くの場合一人体制のため、その人の能力によって大きく左右されるから」と説明する。
全国に配置された難病患者就職サポーターは51人。そのうち、2人体制は北海道、東京都、神奈川県、大阪府のみで、残りの43府県は1人体制だという。
優秀なサポーターが退職すると一変
「私が神奈川県でサポーターをしていたときはあまりにも忙しかったんです。相談は1人約1時間、1日5枠くらい。ところが相談が増えて、最大9枠とか、尋常ではない状況になってしまった。それでも患者さんからの相談を断ることはできないので、1カ月、2カ月と、相談を待っていただく状態になりました」
一方で「相談者がいなくて、当日の予約さえも埋まらない県もある」と言う。
「患者が希望すれば、事業者に対して病気のことをきちんと開示して、一定の配慮が得られるようにして就業につなげるのがサポーターの任務です。ところが、単なる説明だけに終始して、『開示は自分で行ってください、と伝えられた』という患者の声も聞く。その方は、『もう、行きません』と、相談窓口から離れてしまいました」
難病患者就職サポーターは多くの場合、3年間の有期雇用なので、評判のよいところでも優秀な人が退職したとたん、サポートの質が低下してしまうことがある。
話を聞いていくと、支援現場での人材不足だけでなく、研修をはじめとする人材育成の仕組みがほとんどないこともわかった。
営業の客先でトイレに行けるのか?
課題を抱える難病患者就職サポーター制度だが、少なくとも各都道府県に相談窓口は存在している。ところが、「学生の難病患者の場合、ぼくがやっているようなところを除けば、就職相談ができるところがほんとうにないんですよ」と中金さんは言う。
「大学のキャリアセンターは一般学生の就活サポートのみだし、難病患者就職サポーターのいるハローワークも、大学生の新卒採用には対応していない。だから彼らは『福祉の谷間にいる』と言われる。そんなわけで、ぼくが少しでも受け皿になろうと思ったのです」
大学生の難病患者の場合、就労経験がないことが大きな壁となるという。
「小中高、大学と、進学しても在学中の段差はあまり大きくない。でも、社会人になるときのギャップは大きい。『ほかの人はどうしているんだろう』と、実際に難病を抱えながら就職した先輩を招いて座談会をしたりして、情報を提供しています」
そこで出る質問は、一見たわいもないようなものでも、本人にとっては深刻な問題だ。
「日本企業の場合、どこに就職してもまず営業にまわされることが多い。潰瘍性大腸炎の患者だと、車で移動する際にトイレに行きにくかったらどうしよう、上司と一緒でもトイレに行くことを理解してもらえるだろうか、お客さんのところではトイレに行きたいと言えないかもしれないとか。みなさん、経験が少ないがゆえの不安があるのです」
無理に言う必要がない場合も
さらに新卒採用の場合に大きな不安を感じるのが、企業に対する病気の開示だ。
面接の際、「実は、こういう病気がある」と言ったとたん、会社の態度が変わったり、面接がそこで終わったりした、という事例も、中金さんは聞くという。
「ですから、開示するメリットとデメリットはしっかりとお伝えします。そのうえで、その方に合ったアドバイスをする。ひと口に指定難病と言っても15系統、333疾病がある。さらに進行性なのか、そうでないのか。発症したばかりなのか、5年目、10年目なのか。それによって病気に対する慣れもある。自分でコントロールできる方の場合は無理に言う必要はないでしょう。しかし、開示することで職場で配慮が得られ、働きやすくなるメリットは大きい」
気になる新型コロナの後遺症
一方、中金さんが最近、気になっていることがある。新型コロナの後遺症だ。
「まだ、ぼくのところには新型コロナの後遺症の相談はきていません。でも、注視はしています。これはほんとうに治療と仕事をどう両立するか、という話なので、難病と似ています」
中金さんはコロナ禍で、難病と経済的な理由の両方で苦しむ人が増えることを危惧する。
「大企業や役所は治療しながら働くという点で、働きやすいでしょう。けれど、実際には中小企業で働いている方が多い。そうすると、病気を理由に雇用から離れていく方が出るかもしれません。それなのに病気の方を支援する制度が足りていない。そこを何とかしたいと、もどかしい思いです」
●安倍元首相の不起訴「相当」 「桜」夕食会の追加告発―検察審査会 10/6
安倍晋三元首相の後援会が「桜を見る会」前夜に開催した夕食会をめぐり、開催費を会場のホテル側が値引きしたのが「寄付」に当たるなどとして政治資金規正法違反容疑で追加告発され、不起訴処分となった安倍元首相について、東京第5検察審査会は6日までに「不起訴相当」と議決した。9月15日付。
議決書は、開催費が決定した経緯を「通常の商取引で行われる価格交渉」と指摘。ホテル側の寄付とは考えられず、同容疑での安倍氏や秘書らの不起訴は相当とした。
一方、夕食会の領収書を保存せず、後援会の会計責任者に送付しなかった容疑については、「共謀の有無などの捜査を尽くすべきだ」とし、後援会代表だった安倍氏の元公設第1秘書と、資金管理団体の元会計責任者の2人の不起訴処分を「不当」とした。「不起訴不当」議決となったため、2人については東京地検特捜部が再捜査し、改めて処分を決める。
議決について安倍氏は「当局の対応を静かに見守りたい」とするコメントを発表した。
安倍氏に対しては、別の検察審査会が7月、夕食会参加者の飲食代金の不足分を安倍氏側が補填(ほてん)した行為が有権者への寄付に当たるとした公選法違反と、資金管理団体の会計責任者の選任や監督で注意義務を怠った規正法違反の二つの容疑で「不起訴不当」と議決。特捜部が再捜査している。
●安倍元首相ついにYouTubeデビュー メッセージ具体性ゼロ“超薄味” 10/21
憲政史上最長政権を率いた元総理の威厳はどこへやら。何かと気に食わない展開が続き、イライラを募らせているという安倍元首相がナント、YouTubeデビューだ。衆院選の公示(19日)と同時に「あべ晋三チャンネル」を開設し、すでに2本のメッセージ動画をアップ。もっとも、意気込みの割には超薄味の発信で焦燥感、迷走感がジワる。
配信第1弾は「YouTubeで伝えたいこと」と題し、「コロナ禍の中の選挙戦、今までのやり方を変えなければなりません」「SNSを活用しなければならないと考えました」などと説明。至極当たり前の話なのに身ぶり手ぶりを交え、まるで「熟慮の末の決断」のように気取る。
300万人がフォローする自身のツイッターなどで〈チャンネル登録の程、宜しくお願い致します〉と呼び掛けているだけあって、早くも登録者数は17万人超(10月21日正午現在)。お膝元の山口4区内の有権者がどれほどいるのか不明だが、アッという間に人気チャンネルに成長した。
東京生まれ東京育ちが「愛する地元下関市のみなさん」と
「国政では岸田総理、地元山口では参院から鞍替えした林芳正・元文科相に関心が集まっている。自己顕示欲の強い人ですから、スポットライトがヨソへ移っていくのが我慢ならず、“保守層”向けに存在感をアピールしたいのでしょう。攻撃性も健在で(立憲民主党代表の)枝野さんについても『こっちから批判しなきゃダメなんだよ。批判すればすぐ引っ込むんだから』と鼻息が荒いそうです」(自民党関係者)
第2弾は「私の愛する地元下関市のみなさん、長門市のみなさん」と呼びかけ、「地域の発展のために頑張っていきたいと思っています」と言うだけ。何をどう頑張るかは語らず、具体性ゼロだ。そもそも世襲の安倍元首相は東京生まれ、東京育ち。「長州男児の肝っ玉」を自称したりするが、その本質は都会育ちのひ弱熟年だ。
地元入りは盆暮れ正月や選挙期間中くらい。下関も長門も高齢化や人口減少などに長く悩まされているが、安倍政権の看板政策「地方創生」をもってしても、解決の糸口は見えなかった。
安倍元首相の“にわかユーチューバー”、いつまで続くやら。
自公政権4年「よくなかった」43%
前回の衆院選後の4年間の自公政権について、国民の半数近くが「よくなかった」と考えていることが、朝日新聞社の世論調査(19、20日実施)で分かった。
この4年間の自公政権の全体的な評価を聞いたところ「よくなかった」が43%で、「よかった」の35%を上回った。比例区投票先に自公両党を挙げた人でも「よくなかった」が26%に上った。
また、今回の衆院選で立憲や共産など野党5党が小選挙区で候補者一本化を進めたことを「よかった」と答えた人は46%で、「よくなかった」の25%を大きく上回った。
一方、岸田内閣の支持率は41%と、岸田内閣発足直後の前回調査(4、5日実施)から4ポイント下落し、不支持率は前回20%から26%に上昇した。無党派層の支持率も21%(前回28%)と低迷している。
●「年間2億円」? 今も続く安倍元首相の私邸の警備 10/26
「物々しいのでずっと気になっていましたが、今は警備車両にも慣れました。でもこれって一体、いつまで続くのでしょう」
こう話すのは、約15年前から東京都渋谷区富ケ谷で暮らす会社員男性だ。近隣には安倍晋三元首相の私邸がある。
安倍氏の私邸付近の通称「山手通り」には、警視庁のマイクロバスなどが24時間待機。私邸へ通じる道路には車止めやバリケードが設置され、警察官が終日立つなど、大掛かりな警備態勢が継続されている。
相当なコストの見方も
安倍氏が首相に再就任し、第2次安倍政権が発足したのは2012年12月26日。首相を辞任したのは20年9月16日だ。安倍氏の私邸警備は、20年9月16日〜21年10月4日の菅義偉氏の首相在任期間を経て、岸田政権発足後の今も続く。
首相経験者にはSPがつくのが慣例というが、首相退任後、1年余も続く私邸警備は異例中の異例だ。男性は言う。
「周辺には10人近くの警官が動員されているように思います。かなりのコストがかかっているはずです」
警備態勢は段階的に縮小されているようだが、10月中旬に記者が訪ねた際は警視庁の車両2台のほか、少なくとも5人の警察官を確認した。
「厳重」な警備のわりには、過去にこんな事件も起きている。
昨年4月、安倍氏の私邸の敷地内に女性が侵入。防犯センサーが鳴り、かけつけた警察官に住居侵入の疑いで現行犯逮捕された。警視庁によると、女性はナタや小型のガソリン携行缶、ライターなどを所持。安倍氏は当時、在宅していたという。
安倍氏の私邸周辺の警備をめぐっては、以前もメディアで取り上げられた。
「女性自身」(昨年11月24日号)は、首相辞任から2カ月近く経ってもなお、安倍氏の私邸付近の道路が封鎖されたままになっている状況を伝え、警備にかかるコストをこうはじいている。
「永田町関係者によれば、安倍前首相の場合、外出の際につくSPなども含めると、24時間態勢のために警備担当者は30人ほどになるという。警察官の平均年収は約700万円なので人件費だけでも1年間で2億円を超える計算だ」
麻生邸との違いは何か
要人警護はさまざまな情報に基づいて判断される。一概に「税金の無駄」と断じるのは避けるべきだろう。だが今、安倍氏は「前首相」でもなくなり「元首相」になった。それでも公費を注いで私邸周辺の警備が続くのはなぜなのか。
ちなみに、安倍氏の私邸から数百メートル離れた、麻生太郎邸の前にはポリスボックスが置かれ、警官1人が配置されているだけだ。麻生氏も首相経験者で、岸田政権の発足までは副総理や財務相を務めた。この違いは何を意味するのか。
確かなのは、安倍氏の政界での影響力を示す一つのバロメーターという見方だ。
「安倍・菅政治」と称されるように、安倍氏は後継の菅政権に大きな影響力をもっていた。これが岸田政権でも継続していることは、10月11日の各党の代表質問に対する岸田文雄首相の国会答弁からもうかがえる。
「分配なくして成長なし」という立憲民主党の枝野幸男代表に対し、岸田首相が強調したのはアベノミクスの成果だった。森友学園をめぐる公文書改ざんでは、「結論が出ている」として再調査を否定。自民党が河井案里氏側に渡した1億5千万円の使途についても、党本部としてチェックする考えはないとした。
共同通信社が10月16、17の両日に実施した全国電話世論調査では、岸田政権が安倍、菅両政権の路線を「転換するべきだ」との回答が68.9%に達した。
安倍邸の周辺警備はいつまで続くのか。その答えは総選挙の結果次第なのかもしれない。
●「アベノマスク」8200万枚いまだ倉庫に…血税115億円がムダに  10/27
やっぱり「アベノマスク」は役立たず――。政府が実施した新型コロナウイルスの対策事業について会計検査院が調べたところ、昨年調達された布マスク(アベノマスク)のうち、今年3月時点で約115億円分が倉庫に保管されたままだったことが分かった。
政府は2020年3月以降、全世帯向けのいわゆるアベノマスク約1億2000万枚と、介護施設や保育所用などとして約1億4000万枚の布マスクの計約2億6000万枚を調達。ところが、今年3月時点で約8200万枚が配られず、倉庫に保管されていたという。
平均単価は約140円で、総額約115億円に相当。会計検査院の調査では、コロナ対策で実施された「雇用調整助成金」「持続化給付金」でも、計約20億円の不正受給が確認されたという。
●安倍元首相と日大背任事件・籔本雅巳容疑者の“親密写真” 10/28
帽子をかぶる安倍晋三元首相といかにも楽しげに肩を組む男性は、大阪の医療法人「錦秀会」の前理事長・籔本雅巳容疑者。日本大学付属板橋病院の医療機器納入などをめぐる背任容疑で10月初め、東京地検特捜部に逮捕された人物だ。
安倍氏の大阪支援者グループの代表的存在とされ、大豪邸に住み、一晩で数百万円を飲み倒す超大金持ちと報じられている。
日刊ゲンダイは2人の親密ぶりを物語る写真を入手した。
写真を見ると安倍氏は”籔本Tシャツ”をワイシャツの上に着て、満面の笑顔でご機嫌な様子。両者の親密さがひしひしと伝わってくる。
籔本容疑者が安倍元首相の長年の友人である、“アベ友”だったことはすでに報じられている。安倍氏が首相だった2017年5月の「首相動静」には、別荘のある山梨県河口湖のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」に籔本容疑者が同行。他にも2人が仲良く並んで写っている写真も拡散しており、安倍氏は籔本容疑者を「籔ちゃん」と親しげに呼んでいたという報道もある。
今回入手できた写真は、ネットに拡散している写真とは別カットだ。
これらの写真を提供した人物はこう話す。「これは2019年に籔本さんの家でワイン会を開いたときの写真だそうです。まだ安倍さんが総理在任中の時でした。安倍家は籔本さんのお父さんの秀雄さんの代からの付き合いだそうです。Tシャツが赤い色なのは、籔本さんがワインとフェラーリが好きだからでしょう。籔本さんはハーレーダビッドソンにも乗って、大阪の有力者のツーリングにも参加していたとも聞きました」
安倍晋三事務所に写真を提示し、1写真が2019年に開かれたワイン会の時のものであるか2籔本容疑者と安倍氏の関係などについて質問をしたが、安倍氏側は「担当者不在」を理由として、期日までに回答は得られなかった。
安倍元首相と疑惑の人物の写真といえば、加計学園理事長の加計孝太郎氏らとワイングラス片手にニヤける写真を昭恵夫人が「男たちの悪巧み」と題してフェイスブックに投稿し、加計疑惑の火に油を注いだのも有名だ。
安倍元首相と籔本容疑者のこれらの写真をきっかけに、今後はどんな展開が待っているのか。
 
 
 
 2021/11

 

●安倍元首相、11日に派閥復帰 「安倍派」へ 11/8
安倍晋三元首相が11日にも自民党細田派(清和政策研究会)に復帰し、同派の次期会長に就任する見通しとなったことが8日、派閥関係者への取材で分かった。同派は現会長の細田博之元幹事長が10日に衆院議長に選出されることに伴い、9日に派閥幹部らが後任の会長人事について意見交換する。その後、安倍氏の派閥復帰と次期会長就任を打診し、安倍氏の承諾を得られれば、11日の派閥会合で正式決定する予定。
8日に国会内で開かれた衆院各派協議会では、衆院議長に自民党の細田氏、副議長に立憲民主党の海江田万里元経済産業相をそれぞれ充てる方針が報告され、了承された。議長は与党第1党、副議長は野党第一党から出すのが慣例。特別国会が召集される10日の衆院本会議で細田氏が選出されるのを受け、後任の会長に安倍氏が就任するかどうかが焦点となっていた。
●安倍元首相が怒り心頭! “天敵”林芳正氏の外相就任 11/9
いま頃、怒りまくっているのではないか――。岸田首相は10日、第2次岸田内閣のスタートに合わせて、林芳正元文科相(60)を外相に任命する方針だ。
林氏は防衛相や経済財政担当相、農相(2回)を歴任するなど、すでに閣僚経験5回。東大法―ハーバード大大学院という政界屈指の大秀才だ。現在、岸田派の座長、派内ナンバー2のポジションにいる。今回、当選5回を重ねた参院議員を辞職し、衆院山口3区から出馬して当選している。総理総裁を目指しているのは間違いない。
予想通り、林氏の外相起用に対し、安倍晋三元首相がカンカンになっている。週刊現代によると「党の反対を押し切って強引に鞍替えした人が、いきなりポストを得るのはおかしい」と文句をつけているそうだ。
もともと、安倍元首相と林氏は地元山口で親子2代にわたって対立してきた“天敵”同士。嫌いなヤツが外相就任でスポットライトを浴びるだけでも不愉快なのだろうが、このままでは林氏に選挙区を奪われかねないと危機感を強めているらしい。
「山口県内では“林総理”への期待が強く、安倍さんは“過去の人”になりつつあります。今回の選挙でも、安倍さんは地元に張りついてガムシャラに選挙運動をやったのに前回から2万票も減らしている。ややこしいのは、次期衆院選から山口県の選挙区は定数4から定数3に1減になることです。恐らく、林さんの山口3区と安倍さんの山口4区が統合され“新3区”になるはず。安倍VS林の公認争いが勃発するのは間違いない。もし、2人とも無所属になってガチンコで戦ったら林さんの方が強いと思う。次回、安倍さんは選挙区を手放さざるを得なくなる可能性があります」(政界関係者)
安倍元首相の怒りの矛先は、当然、岸田首相に向かっているはずだ。そのためか一時、林外相を断念し、小野寺五典元防衛相を外相に起用するプランも取り沙汰された。岸田首相は安倍元首相の怒りを十分承知しながら、林氏を外相に就ける判断をしたとみられている。
「どう考えても“林外相”は安倍さんを挑発していますよ。これまでも岸田さんは、<高市幹事長―萩生田官房長官>という安倍さんのリクエストを無視している。ああ見えて岸田さんは、政局に絶対の自信を持っている。なにか狙いがあるのかも知れませんね」(自民党事情通)
この先、キングメーカーを気取る安倍元首相がどう出てくるのか見ものだ。
●安倍元首相 自民 最大派閥会長就任へ 「安倍派」となる見通し  11/10
自民党の安倍元総理大臣は、出身派閥の細田派の幹部から、派閥への復帰と会長への就任を要請されたのに対し、受け入れる考えを伝えました。11日正式に会長に就任し、細田派は「安倍派」となる見通しです。
自民党最大派閥の細田派は9日、会長を務める細田元幹事長が、衆議院議長への就任に伴って派閥の会長を退くことから、安倍元総理大臣に、派閥への復帰と、後任の会長への就任を要請することを確認しました。
これを受けて10日、塩谷元文部科学大臣や世耕参議院幹事長ら派閥幹部が、安倍氏と国会内で会談して正式に要請したのに対し、安倍氏は「当選以来、派閥にお世話になってきたし、総理大臣在任中も一貫して支えてもらった。会長になることで恩返しになるなら、期待に応えたい」と応じました。
安倍氏は、11日開かれる派閥の総会で正式に会長に就任し、細田派は「安倍派」となる見通しです。
●最大派閥「安倍派」発足でも消えないストレス… 元首相の“激ヤセ” 11/12
「げっそりしたんじゃないか」
こんな声が政治記者からも上がっている。10日に召集された特別国会で、本会議場を歩く安倍元首相はスーツがぶかぶか、お疲れのようすだった。
11日、自民党最大派閥の清和会が細田派から安倍派に衣替えした。安倍元首相は9年ぶりに派閥に復帰し、会長に就任。総会へ拍手で迎え入れられると、「党内最大の政策集団として責任を果たしていく決意だ」と挨拶、8分間にわたって、ご執心の改憲や安全保障についてスピーチした。
名実ともにキングメーカーとして清和会の実権を握った。さぞや意気軒高かと思いきや、痩せてしまったのか、この日もスーツのゆったり感が少し気になった。ワイシャツの首元もユルユル。どうやら、ストレスをため込んでいるらしい。
安倍元首相の会長就任は「全会一致」と伝えられている。だが、安倍元首相が「派閥の総意」を要望したから表向きそう説明されているだけで、内実は違う。
「会長だった細田さんが役員会で、『安倍さんに会長を継いでもらいたい』と表明した時も、拍手がなくシーンとしていた。『総理までやったのに、今さら派閥会長か』という冷ややかな視線がある。安倍さんが派閥に戻ったら、高市さん(政調会長)も戻るのか、という反発もある。稲田さん(元防衛相)なんて、酔った勢いで安倍さんに電話して『冗談じゃないわよ。高市さんとは一緒にやれないわよ』と直接伝えたらしい」(細田派事情通)
9月の総裁選で安倍元首相が高市を全面支援しただけに、派内は、稲田氏に限らず、下村前政調会長、西村前コロナ担当相、萩生田経産相ら“ポスト岸田”狙いのメンメンが安倍元首相に疑心暗鬼を抱き、権力闘争を始めている。党三役に起用された派閥のプリンス、福田達夫総務会長がエースに躍り出る可能性だってある。派内は、福田系と安倍系の2つの流れがあり、岸田首相の福田抜擢は、安倍元首相にとって面白くない人事だった。
「さらに安倍さんをイラつかせているのは、林芳正さんの外相就任です。安倍さんは難色を示したのに、岸田総理が押し切った。安倍さんと林さんは地元山口で長年、敵対してきたうえ、山口は選挙区の区割り変更で、現状の4から次回は3に減らされるので、対立が激しくなるのは必至。ただでさえ安倍さんから林さんに移っている地元の求心力が、ますます離れそうで、安倍さんはかなり焦っている」(自民党関係者)
ジワジワと安倍離れを試みる岸田首相に対し、最大派閥のボスとしてどこまで圧力をかけ続けられるか。会長就任でストレスは増しそうだ。
●安倍晋三元首相の応援演説でも「日当」5千円 衆院選・茨城  11/17
衆院選期間中だった10月26日に茨城県内で行われた岸田文雄首相による自民党候補者への応援演説を巡り、「茨城県トラック協会」関連の任意団体「茨城県運輸政策研究会」が、会員に日当5千円を提示し動員を呼び掛け、21人に支払っていたことが17日、関係者への取材で分かった。安倍晋三元首相による応援演説の際も、参加した3人にそれぞれ5千円を渡していた。
研究会の専務理事は取材に「交通費、旅費、日当ということで慣例化していた。研究会の会費から支払った」と答え、自民党候補の演説などで動員を続けてきたと示唆した。動員に関し、今回の自民党候補者や事務所からの依頼はなく、研究会として候補者への投票は呼び掛けていないとした。
応援を受けた候補者は茨城6区から自民党公認で出馬し、当選した国光文乃衆院議員(42)。岸田首相は10月26日に同県つくば市で、安倍元首相は翌27日に石岡市で街頭演説した。国光氏の事務所は16日「全く承知しておりませんので、コメントは差し控えます」と文書で回答した。
政策研究会が動員を呼び掛けた文書は「自民党総裁岸田文雄氏遊説への参加協力につきまして」との題名。専務理事名で、10月22日の日付が記載され、宛名が「関係支部長各位」だった。
公選法は、候補者を当選させる目的で有権者らに金銭を提供する行為を禁じている。今回の文書では、投票に関しては触れられていない。
●安倍元首相「補正予算で30兆円程度確保を」岸田首相との会談で  11/17
岸田総理大臣と安倍元総理大臣が会談し、安倍氏は、岸田総理大臣に対し、今年度の補正予算案の編成にあたって、財政支出が必要ないわゆる「真水」で30兆円程度を確保するよう求めました。
岸田総理大臣は17日夕方、議員会館にある安倍元総理大臣の事務所を訪れ、およそ30分間、会談しました。
会談で岸田総理大臣は、安倍氏に対し、特使としてマレーシアを訪問するよう要請したほか、対ロシア外交や北朝鮮による拉致問題をめぐって意見を交わしました。
一方、安倍氏は、岸田総理大臣に対し、今年度の補正予算案の編成にあたって財政支出が必要な、いわゆる「真水」で30兆円程度を確保するよう求めました。
このあと岸田総理大臣は、総理大臣官邸で記者団に対し、「先日の衆議院選挙を振り返っていろいろと報告をした。安倍元総理大臣は、派閥の会長になられたので祝意を申し上げた」と述べました。
そのうえで「経済、外交、昨今の動きについて意見交換をさせていただいた。具体的には控えるが、これからの政治の動きの中で話題になるさまざまな課題について、有意義な意見交換ができた」と述べました。
●安倍元首相の秘書ら2人を再び不起訴処分に 桜を見る会夕食会問題  11/18
安倍晋三元首相の後援会が「桜を見る会」前日夜に開いた夕食会の領収書を廃棄していた問題で、政治資金規正法違反容疑で東京第5検察審査会が「不起訴不当」と議決した配川博之・元公設第1秘書と資金管理団体の元会計責任者の2人について、東京地検特捜部は18日、再び不起訴とした。
特捜部によると、配川元公設第1秘書は嫌疑不十分、元会計責任者は起訴猶予。領収書の取り扱いを巡る捜査はこれで終結した。
夕食会は2016〜19年の各4月、東京都内のホテルで「安倍晋三後援会」が主催。今年9月の議決は、ホテルから資金管理団体宛てに発行された領収書が廃棄された経緯などを巡り、後援会の代表だった配川元公設第1秘書と元会計責任者について「捜査が不十分」などと指摘していた。
夕食会を巡っては、別の検察審査会が7月、参加者の飲食代金の不足分を安倍元首相側が補填したことが寄付に当たるとする公職選挙法違反と、会計責任者の監督などの注意義務を怠った政治資金規正法違反の2つの容疑で、安倍氏の不起訴処分について「不起訴不当」と議決。特捜部が再捜査している。
●「オーカス」との連携重要 安倍元首相が講演―豪シンクタンク 11/19
安倍晋三元首相は19日、オーストラリアのシンクタンク「豪戦略政策研究所(ASPI)」がオンライン形式で開いたイベントで講演し、日本が自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて、米英豪が9月に創設を発表した新たな安全保障の枠組み「AUKUS(オーカス)」とも連携することが重要との認識を示した。
AUKUSは、台頭する中国を念頭に、米英が豪州の原子力潜水艦開発を支援するほか、人工知能(AI)など先端技術の分野で協力を進める方針を決めている。
安倍氏は「これらの分野における協力には日本も関与すべきだと考える」と指摘。日米豪インドによる連携枠組み「クアッド」の推進や、東南アジア諸国連合(ASEAN)との連携も含めて「インド太平洋地域の平和と安定を推進する取り組みを重層的に行っていくことが極めて重要だ」と強調した。
●安倍元首相に何が…派閥会長就任後、初の総会にいきなり無断欠席 11/20
自民党の最大派閥「清和政策研究会」の会長に就任したばかりの安倍元首相が、また不可解な行動をして周囲を呆れさせている。
細田派から「安倍派」に衣替えして最初の派閥総会が18日行われたが、なんと会長の安倍氏が姿を見せなかったというのだ。事務総長の西村前コロナ担当相にも連絡せず、いわば“無断欠席”。会長が連絡もなく来ないなんて、清和会の歴史でも前代未聞だという。
「会長になって初めての派閥総会なのに、いきなり来ないなんてワケが分からない。みんな困惑していました。最近ゲッソリ痩せたように見えるし、安倍派スタートの大事な総会にも出られないほど体調が悪いのかと心配する声も上がりましたが、どうやら会長就任が思ったほど歓迎されなかったことにブンむくれて、ヘソを曲げてしまったようなのです。総会は党本部内で開かれましたが、職員も『あんなに会長になりたそうだったのに、なんで来ないの?』と不思議がっていました」(安倍派関係者)
前週(11日)の総会で安倍は9年ぶりに派閥に復帰、会長に就任した。西村事務総長が安倍氏の会長就任を諮り、満場の拍手で承認されたと報道されているが、実態は冷ややかな空気が流れていたという。
「会長就任は『派閥の総意、全会一致』が安倍先生の条件だったので、西村事務総長がそう演出するために奔走していましたが、派閥内の反発はかなり強い。もともと派閥内には安倍系と福田系の2つの系譜があり、福田系は安倍先生の傍若無人を苦々しく見ていた。今回の会長就任には、安倍先生に近いはずの議員からも『総理をあんなに長くやったのに、今さら派閥会長とはすごい権力欲』という声が上がっている。名実ともに安倍会長が受け入れられるには、まだ時間がかかりそうです」(安倍派の議員秘書)
そういう派閥内の微妙なムードを感じ取り、安倍氏は総会を欠席したのか。しかも、来週も欠席する可能性があるという。
「17日に会談した岸田総理から、来月上旬にマレーシア特使として派遣したいと要請され、快諾した安倍先生ですが、来週後半にマレーシアに行きたいと急に言い出しているようなのです。外遊を理由にして、来週木曜日の派閥総会を欠席したいのかもしれません。そんな子供じみたことで派閥会長が務まるのでしょうか」(自民党関係者)
最大派閥を掌握し、キングメーカーとして君臨するはずが思うようにいかず、スネて会長の職務もブン投げではどうしようもない。腰巾着の西村氏が安倍氏の機嫌を取る姿が目に浮かぶようだ。
●「安倍晋三が担ぐ高市早苗」が安倍派でものすごく嫌われる理由 11/23
「令和のキングメーカー」の異名を持つ安倍晋三元首相の覇権に波風が立ち始めている。その波乱要因の一つに、先の自民党総裁選で安倍氏が支持を表明した高市早苗・自民党政務調査会長の存在が挙げられる。党内最大派閥のトップに就いた安倍氏が、高市氏を安倍派に取り込むのではないかとささやかれるが、その高市氏が安倍派の中で「招かれざる客」として嫌われているからだ。
「令和のキングメーカー」 安倍元首相が迎える難局
歴代最長の長期政権を築き、自民党最大派閥「安倍派(清和政策研究会)」のトップに就いた安倍晋三元首相。首相退任後は「令和のキングメーカー」を謳歌できるかといえば、実はそう簡単ではない。
岸田文雄首相から距離を置かれはじめたことに加え、「ポスト岸田」をにらむ勢力から板挟み状態にあるためだ。そのハンドリングを誤れば、保守派の代表格といえども求心力を失いかねない難しい局面を迎える。
「世界の真ん中で輝く日本を次の世代に引き渡していくために、党内最大の政策集団として皆さんとともに、その責任を果たしていく」
細田博之元官房長官の衆議院議長就任に伴い9年ぶりに派閥に復帰し、党内最大派閥の新会長に就いた安倍元首相。11月11日には、自民党が党是とする憲法改正や外交・安全保障政策などの分野で自らが中心となって牽引することに強い意欲を示した。
先の総選挙で数を減らしたとはいえ、所属議員が90人を上回る安倍派は、麻生太郎党副総裁が率いる第2派閥の麻生派(志公会)の2倍近い勢力を誇る。第5派閥となった岸田派(宏池会、42人)会長の岸田氏からすれば、政権運営の安定のためには無視できない一大勢力だ。
安倍氏も「われわれ、最大の政策グループですから当然、岸田政権をしっかりと支えていく背骨でありたいと思っています」と派閥の勢力を背景に影響力を誇示することを忘れない。
安倍元首相に吹く逆風 甘利氏は失脚、岸田首相とすきま風…
9月の自民党総裁選では、岸田新総裁誕生の立役者として麻生氏や甘利明前党幹事長とともに「3A」と評され、安倍氏は「令和のキングメーカー」の異名を持った。盟友の2人がそれぞれ党内で副総裁、幹事長に就任し、党役員・閣僚人事や政策面で絶大な影響力を保持できるとの計算が働いていたに違いない。
だが、安倍氏が強く期待した萩生田光一氏(経済産業相)の官房長官起用や高市早苗氏(党政調会長)の幹事長抜擢という人事案はことごとく岸田首相に採用されず、甘利氏の幹事長辞任で岸田政権とのパイプも細くなった。宏池会の流れをくむ麻生派と岸田派などが合流する「大宏池会」構想が実現し、安倍派に匹敵する勢力が誕生すれば、安倍氏の優位性は脅かされかねない状況を迎えることになる。
11月17日、安倍氏は「すきま風」が吹いている岸田首相を衆院議員会館の事務所に迎え入れ、外交や経済政策などについて約30分間の意見交換を行った。しかし、その6日前に菅義偉前首相が首相官邸に出向いて岸田首相から「厚遇」を受けたのとは対照的だ。
宏池会所属の中堅議員は「安倍氏はタカ派の代表格で、ハト派の岸田氏と本質的に合うはずがない。安倍氏が『党内最大、最大』というから、反目に回られない程度に岸田氏が出向いて行ったということではないか」と推し量る。2人の距離感はなかなか縮まりそうにはないのだ。
安倍元首相のもう一つの懸念材料 高市早苗氏の「処遇」
メディアに注目されてはいないものの、安倍氏にはもう一つの懸念材料がある。それは先の自民党総裁選で全面支援した高市氏の「処遇」である。
高市氏は政治信条が安倍氏に近い保守派の政策通で、自民党に入党後は清和会に属していた。だが、2011年に当時の町村派(町村信孝会長、現安倍派)を退会し、以降は派閥に属さない姿勢を貫いている。
退会の理由については、同じ清和会の仲間だった山本一太・現群馬県知事が12年1月22日のブログで「理由は極めて明快。『派閥内で、次の総裁選挙に町村会長を擁立しようという流れがある。町村氏を応援するつもりはないので、迷惑をかけないうちに辞めた』ということだ。いかにも、高市さんらしい!」と明かしている。
12年の党総裁選は安倍氏が再登板することになる選挙で、清和会からは町村会長と安倍氏の2人が立候補するという異例の展開となったことは記憶に新しい。自民党ベテラン議員が語る。「高市氏は思い込みが強く、自分で『こうだ!』ということは引かない。町村派を出ていった時は『後ろ足で砂をかけた』とみんな怒って、そのしこりは残っている。最大派閥を二分した戦いが再び起きなければいいけどね」。
自民党内でささやかれるのは、安倍氏の新会長就任に伴い、高市氏を清和会に復帰させるのではないかということだ。多くが太鼓判を押すような宰相候補が見当たらない安倍派にとって、先の総裁選の国会議員票でトップの岸田氏に次ぐ114票を獲得した高市氏の派閥復帰は本来ならば歓迎されることではある。
総裁選での敗戦後、「私は歩みを止めません」と語った高市氏の「次」を見据えた意欲も並々ならぬものだ。
高市氏が「招かれざる客」として安倍派で嫌われる理由
だが、安倍派には総裁選への立候補を目指したことがある稲田朋美元防衛相と下村博文元文部科学相の2人が所属している。萩生田光一経産相も派閥内で将来を期待されている1人だ。
ここに高市氏が復帰し、「ポスト岸田」候補として位置付けられることになれば、一貫して清和会で汗を流してきた他の「候補予定者」の意欲は大きく削がれることになる。町村派退会の経緯もあるだけに「絶対に反対する」と断言する議員もいるほど。いわば高市氏は招かれざる客なのだ。
今回の自民党総裁選では、自ら多くの国会議員らに電話する「安倍フォン」などで高市氏を全面支援した安倍氏。岸田氏とは距離が生じ、派閥内で力を付けるポスト岸田の「候補予定者」たちも齢を重ねていく中、3年後に予定される総裁選では誰を担ぐことになるのか。令和のキングメーカーの憂鬱は簡単には消えそうにない。
●安倍元首相、来月1日にリモート講演 台日関係を語る TPPなど焦点に 11/25
安倍晋三元首相が来月1日、「新時代の台日関係」と題した講演をリモート形式で行う。講演会を主催する民間研究機関、国策研究院文教基金会が24日発表した。市長や立法委員(国会議員)、学者が参加し、環太平洋経済連携協定(TPP)への台湾の加入や台湾有事への日米同盟の対応などについて質問する。
同基金会によれば、質問者として出席するのは、鄭文燦(ていぶんさん)桃園市長や林智堅(りんちけん)新竹市長、与党・民進党の羅致政(らちせい)立法委員(国会議員)、范世平(はんせいへい)台湾師範大学教授ら。
TPPや台湾有事のほか、米中戦略競争の局面や台日の民主主義・人権、経済・科学技術における安全保障協力、台日2プラス2、今後の日中関係の動きなどについて質問する予定だという。
台湾を支持する姿勢を明確にしている安倍氏。台湾や米国、日本の国会議員による初の「台米日戦略対話」が7月に開催された際にはサプライズゲストとして出席し、世界保健機関(WHO)総会やTPPなどへの台湾の参加に支持を表明した。10月に開かれたアジア地域の対話を促すフォーラム「玉山論壇」には書面であいさつを寄せ、台湾は日本と価値観を共有するパートナーであり、重要な友人だとの考えを示していた。
●日米「台湾重視」姿勢で連携 米議員団が訪台 安倍元首相もリモート講演 11/26
中国が軍事的圧力を強める台湾情勢をめぐり、米国との日本の議員らが「台湾重視」の姿勢を示した。台湾外交部(外務省)は25日、米国のマーク・タカノ下院議員(民主党)ら超党派の議員5人を含む17人の一行が同日、米軍機で台湾入りしたと発表した。米議員団の訪台は今月2度目となる。日本の安倍晋三元首相も来月1日、台湾に向けて「新時代の台日関係」と題するリモート講演を行う。
「台湾の最高幹部と会談し、米台関係や地域の安全保障、その他、相互に関心のある重要な問題について話し合う」
ロイター通信などによると、在台米大使館は米議員団の訪台目的を、こう説明しているという。
台湾メディアは、議員団一行は滞在中に蔡英文総統と会談するほか、国防部(国防省)を訪問すると報じた。
ジョー・バイデン米政権は来月9、10日、オンライン開催する「民主主義サミット」に台湾を招待するなど、台湾シフトを強めている。今月9〜11日には、共和党のジョン・コーニン上院議員ら超党派の上下両院の議員12人が訪台し、蔡総統や邱国正国防部長(国防相)らと会談した。
日本の動きもある。
安倍元首相は来月1日、台湾の民間研究機関主催で、「新時代の台日関係」と題したリモート講演を行う。中央通信社が運営する日本語サイト「フォーカス台湾」が25日に報じた。立法委員(国会議員)や学者らも参加し、台湾のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)加入や、台湾有事の日米同盟の対応などについて議論する。
国際政治に詳しい福井県立大学の島田洋一教授は「米議員団の訪台が、これまでにない頻度だ。上下両院、民主、共和両党の議員が台湾を支援しており、議会全体の意志を示したものだ。バイデン政権には『対中宥和派』もいるが、議会の動向は無視できないだろう。安倍元首相の講演は、与党の派閥領袖(りょうしゅう)で知名度も高く、岸信夫防衛相の実兄であることも加えて、国際的に日本の『台湾重視』の姿勢を示す大きなメッセージだ。台湾問題での日米連携にも貢献する」と語った。
●安倍元首相が「ジューシー」ツイートで大ウケ 11/28
安倍晋三元首相(67)が28日までにツイッターを更新。久しぶりにあの言葉が登場したと話題になっている。
安倍氏は「総理時代に毎年お越し頂いた荒井奈良県知事、太田五條市長が柿生産者の皆さんと共に事務所を訪問してくれました。試食も致しました。深みのある甘さ、そしてもちろんジューシーでした。#富有柿 #ジューシー」とつぶやいた。
このツイートには3万以上の「いいね」がされ、「自らジューシーをネタ化して使ってくの好きだわ」「本当何食ってもジューシーなんだな」「ジューシー確信犯」「やっぱり安倍さんの食レポはジューシー」などと好意的な反応が寄せられていた。
以前から安倍氏は何を食べても感想がジューシーということで一部ネットユーザーの間で話題になっていた。今回、安倍氏自身がハッシュタグを使うなど、ジューシーが本人公認になったわけだ。果たして今度は何を食べてジューシーと言うのか。
●日ロ改善、死活的に重要 対中戦略でカギ 安倍元首相 11/29
自民党の安倍晋三元首相は29日、東京都内のホテルで開かれた日本維新の会の鈴木宗男参院議員の会合で講演した。
最近の中国とロシアの連携ぶりに警戒感を表明。日本の対中政策の観点からも「戦略的にロシアとの関係を改善していくことが死活的に重要だ」との認識を示した。
安倍氏は10月に中ロの軍艦が日本を周回したことに触れ、「史上初めてだ」と指摘。その上で「日本との関係を良くすればロシアにとってもいい、と思ってもらわなければいけない」と述べ、北方四島での共同経済活動の意義を強調した。
●安倍元首相 官邸訪れ岸田首相と会談 政権支える考え伝える  11/30
自民党の安倍元総理大臣は総理大臣官邸を訪れて岸田総理大臣と会談し、先に党内最大派閥の会長に就任したことを報告したうえで、岸田政権を全力で支えていく考えを伝えました。
自民党の安倍元総理大臣は、30日午後総理大臣官邸を訪れ、岸田総理大臣とおよそ20分会談しました。
安倍氏が官邸を訪れるのは、去年9月に総理大臣を退任して以来初めてです。
この中で安倍氏は、11月11日に安倍派の会長に就任したことを報告したうえで「党内最大の政策集団の総意として、これからも岸田総理大臣をしっかりと支えていきたい」と述べ、派閥を挙げて岸田政権を全力で支えていく考えを伝えました。
このあと安倍氏は記者団に対し「岸田総理大臣は、岸田派の会長でもある。政策グループの会長の先輩として、いろいろとお話をうかがった」と述べました。
 
 
 
 2021/12

 

●安倍元首相 “中国の台湾への軍事的冒険は経済的自殺への道” 12/1
中国が台湾への軍事的な圧力を強めていることについて、自民党の安倍元総理大臣は「軍事的冒険は経済的自殺への道だ」と指摘し、習近平国家主席ら中国の指導部に対し、関係国で連携して自制を求めていくべきだという考えを強調しました。
自民党の安倍元総理大臣は、台湾の民間の研究機関が開いた会合にオンラインで出席し、台湾をはじめとする地域情勢について講演しました。
この中で、安倍氏は中国が軍事費を拡大させ、台湾への圧力を強めていることに強い懸念を示したうえで、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を習近平国家主席は、断じて見誤るべきではない」と指摘しました。
そして、「日本と台湾、民主主義を奉じるすべての人々は、習主席と中国共産党のリーダーたちに『誤った道に踏み込むな』と訴え続ける必要がある。軍事的冒険は経済的自殺への道でもあり、台湾に軍事的冒険をしかけた場合、世界経済に重大な影響を及ぼし、中国は深手を負うことになる」と強調しました。
また、安倍氏は台湾によるTPP=環太平洋パートナーシップ協定への参加やWHO=世界保健機関の会合への参加を支持する考えを示しました。
自民党の安倍元総理大臣が講演で「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を、習近平国家主席は、断じて見誤るべきではない」などと述べたことについて、中国外務省の汪文斌報道官は、1日の記者会見で「安倍元総理大臣は台湾問題において公然とでたらめなことを言っており、強烈な不満と断固たる反対を表明する」と述べ、強く反発しました。
そのうえで外交ルートを通じて日本側に厳正な申し入れを行ったことを明らかにしました。
また汪報道官は「いかなる人であろうと、国家の主権と領土を守るという中国人民の強い決意と強大な能力を見くびってはならない。中国人民のゆずれない一線を越えようとするならば、必ずやみずから頭をぶつけて血を流すことになるだろう」と警告しました。
●安倍元首相、岸田首相と面会 「最大の政策グループとしてしっかり支える」 12/1
岸田首相は30日、首相官邸で安倍元首相と約20分間面会し、政権運営で協力していく方針を確認した。自民党最大派閥の安倍派を率いる安倍氏は面会後、「最大の政策グループとして政権をしっかり支えていく。派の総意だと伝えた」と記者団に語った。両氏が会うのは、岸田氏の首相就任後では11月17日に続き2回目。前回は首相が安倍氏の事務所を訪ねた。安倍氏が官邸を訪問するのは昨年9月の首相退任後、初めてという。
●安倍晋三元首相のインタビュー 12/1
安倍晋三元首相は1日、日本経済新聞のインタビューに答えた。
――まずは自民党が261議席を得た10月の衆院選の総括を聞かせてください。
「大勝だったと思う。状況としては大変厳しいという報道もあり、220〜230議席台を覚悟しなければならないと考えていた。新型コロナウイルス禍で経済を再生しなければならない時はやはり自民党だということで支持してもらえた」
――発足から2カ月近くたった岸田政権への評価をお聞かせください。
「岸田文雄首相は総裁選で勝利し衆院選も勝ち抜いて大きな自信になったと思う。岸田政権は国民の信を得た。選挙を通じて『新しい資本主義』をはじめ、首相の考えを述べ公約も示した。その上で勝利をおさめて自信のもとに人事を行われた」「最初の人事は非常に重要だ。岸田政権が何をめざすか、党をどう運営するのかを人事で示していくことになるから思うようにやられたのではないか」
――首相とは11月30日、首相官邸で面会していました。
「清和政策研究会(安倍派)の会長に就任したので、宏池会(岸田派)の会長でもある首相にご挨拶にうかがった」
――首相が掲げる「新しい資本主義」をどのように理解していますか。
「新自由主義的な政策を転換するという文脈で話している。安倍政権も『成長と分配の好循環』を掲げ、働き方改革や最低賃金の引き上げ、経済界への賃上げ要請など新自由主義的政策と一線を画してきたつもりだ。首相はそれをより際立たせていこうという考えだろう」「しかし成長していく意志と意欲は明確に示し誤解されないようにする必要はある。2012年に自民党が政権を奪還する前は、人口が減少するのだから成長しないし成長しなくても豊かな生活になればいいじゃないかという議論があった。成長しないと豊かな生活にはならない。高齢者人口が増えていくなか、伸びていく社会保障費に対応するにはしっかりと成長して社会保険料を確保する必要がある」「成長する意志を失った国に未来はひらかない。成長のために改革すべきは改革するという基本姿勢を示せば誤解は解消されていくだろう」
――新自由主義からの脱却という主張は独自性を際立たせる一方で、安倍政権と距離を置くものだとの見方があります。
「政権が代わるときに新しい政権に何が期待されているかということだろう。第1次安倍政権は小泉純一郎首相の後を引き継いだから改革を受け継いだ。第2次政権は野党から政権を奪還したから違いを明確に示すことができた。同じ与党のなかで政権が代わったときも新しい首相は自分のめざす道を示す必要がある」「政権が代わればそれまでの政権と違うものを期待される。その要請にこたえるのもトップリーダーの役割だ。同じ自民党だから料理そのものが変わるというより味付けが変わっていくということだろう」
――首相の政策は分配に力点がある印象が否めません。
「安倍政権は成長が先か分配が先かという論争に終止符を打つとし『次の成長に向けた分配』を掲げた。経済を成長させることで得た果実で大切な社会保障を強化する。企業は人材の育成や次のイノベーションに向けて投資する。新たな成長で生まれた成果を分配する。首相の方針も基本的に変わらないと思う。ただ立憲民主党の分配政策は明らかに間違っている。次の成長の種をまくための分配になっていないからだ」
――最大派閥として安全保障政策でどのような発信をしていきますか。
「台頭する中国にどう対応し北朝鮮の脅威にどう備えるかだ。安保政策の基本はなんといっても日米同盟のさらなる強化だ。有志国との連携をさらに強めていく必要もある。(米中間の)最前線に位置する日本こそリーダーシップをとり有志国との連携を強化する中核でなければならない」「香港、台湾、チベット、ウイグルにおける人権問題がある。台湾への軍事的威圧を強める中国に世界が懸念している。台湾有事は日本の有事であり日米同盟の有事だ」
――台湾は環太平洋経済連携協定(TPP)加盟を希望しています。
「蔡英文(ツァイ・インウェン)総統はすべてのルールを受け入れる用意があると発言している。私も加盟を支持したい」
――米欧では北京冬季五輪の外交ボイコット論も出ています。
「選手は4年に1度の大会をめざして厳しいトレーニングを積んでおりそうしたことも考えながらの判断になる。人権状況をみると何らかの意志を示す必要があると世界は考え始めている」
――22年に外交・安保政策の基本方針である国家安保戦略の改定を控えています。
「それに合わせて防衛計画の大綱や中期防衛力整備計画も改定するだろう。改定時期は10年ごと、5年ごとというくくりはあるが今の時代は変化に応じて次々改定していく姿勢も必要だ」「安保環境の変化のスピードは非常に速い。技術の進歩で紛争や戦争のあり方も大きく変わった。特にサイバー分野では戦時と平時の境目がなくなりつつある。装備や体制を常に更新していく必要がある」「21年度補正予算案で防衛予算を7700億円程度、確保する。補正予算としては大きな規模で非常に良かった。22年度予算案でも日本国民の生命を守り抜く、領土・領海・領空を守り抜いていくという意志を示す予算を編成すべきだ。戦争や紛争を防ぐには能力を高め、意志を明確に示し、相手がこちらの意志や能力を見誤らないようにするのが大切だ」
――防衛費は国内総生産(GDP)比1%が目安となってきました。
「日本は相当の防衛努力をする必要がある。米国は日本の防衛義務を負っているが日本の努力も当然求めている。米ソ冷戦時は欧州で北大西洋条約機構(NATO)があった。インド太平洋地域でバランスをとるとなると日米同盟だ。日米で足し合わせた戦力となるので当然、日本の戦力自体をあげていく必要がある。中国は潜水艦や航空機などの数が日本の2倍以上という現実がある」
――「抑止力」は戦争回避が目的だと言われます。
「抑止力とは事態が戦争に発展するハードルを高くすることだ。抑止力が弱いとハードルが低まり相手にとって武力行使の誘因になる。抑止力とは打撃力であり反撃能力でもある」
――周辺国に脅威を与えるという指摘も根強くあります。
「しかし相手が脅威に思うことが抑止力となる。そこでミサイルのボタンを押す手が止まる。押せば相当激しい攻撃にさらされることが分かっているからだ。皮肉だがそれが現実だ。反撃する力があって初めて攻撃を思いとどまらせることができる」「日本が北朝鮮からミサイルを撃たれた際に、米国が報復攻撃するのに日本が対応しないとなれば日米同盟の危機に直面せざるをえない。主力は米国でも日本も打撃力を行使するというのが大切になる」「抑止力としての打撃力をもっぱら米国に依存していては、相手は『日本をたたいても、もしかしたら米国は報復してこないかもしれない』と考える危険がある。日米で打撃力を行使するとなれば確実に抑止力になる」
――保有を検討している「敵基地攻撃能力」という用語は誤解を生みやすいのではないでしょうか。
「『反撃能力』『打撃力』でいいのではないか。そもそも敵基地に限定する必要はない」
――既存のミサイル防衛システムは本当に機能するのでしょうか。
「決定的な抑止力にはならないが相手の計画を狂わせることはできる」
――憲法改正の議論への姿勢をうかがいます。
「憲法制定から70年以上たつ。私たちの生活を守るために改憲は本来常に考えていくべきだ。議論そのものをさせないと主張する人たちが力を持っていた時代もあったが、今は議論をすべきだとの世論の方が強くなった」「自民党はすでに4項目を示している。私自身は9条改正を主張してきた。自衛隊が憲法に明記されていない異常な状態に終止符を打つ必要がある。緊急事態条項についても緊急事態に国がどう私権を制限できるか、多くの国の憲法には記述がある」「与党内で公明党の理解を得るようさらに努力すべきだ。日本維新の会や国民民主党は憲法の議論を進めることに前向きだと思う。国会の憲法審査会で議論を始めることが大事だ。清和研こそ憲法論議の先頭に立つべきだ。使命感をもって取り組んでいきたい」
――安倍派は岸田政権とどう向き合いますか。
「私も総裁選の決選投票では首相を支持した。総裁選で新総裁が選出されれば、まとまるときにまとまるのが自民党だ。最大派閥としてしっかり支えていく。これが我々の総意だ」
――安倍派内には岸田派や麻生派など源流を同じくする派閥がまとまる「大宏池会」構想を警戒する声があります。
「11月30日に麻生太郎副総裁と会ったが、麻生氏の方から『大宏池会を画策しているのではないかと言われるがそんな議論はない』という話があった」
――言葉通りに受けとめて良いですか。
「私はそうでないかと思う」
――次期総裁選に向けた安倍派内の人材育成にどう取り組みますか。
「岸田政権はスタートしたばかりだ。次の総裁選まで3年ある。派内に人材が多士済々いる。切磋琢磨(せっさたくま)して頑張ってほしいし私も支援していきたい。結果としてどうするかはそのときに考える」
――先の総裁選では無派閥の高市早苗政調会長を支持していました。
「高市氏は多くの予想を上回る票を得た。その期待にこたえていくことが今の高市氏の使命だと思う」
●安倍元首相「台湾有事は日本有事だ」発言に中国外務省が抗議 12/2
中国外務省は2日、華春瑩外務次官補が1日夜、垂秀夫駐中国大使と緊急に会談し、安倍晋三元首相が「台湾有事は日本有事だ」と述べたことに対し厳重な申し入れを行ったと発表した。日本大使館によると、垂氏は「台湾を巡り日本国内にこうした考え方があることを中国として理解する必要がある」と反論した。
華氏は、安倍氏の発言について「極端に誤った言論で中国内政に乱暴に干渉し『台湾独立』勢力を強硬に後押しした」と述べ、断固とした反対を表明。主権と完全な領土を守る中国人の揺るぎない意志を見くびってはいけないとけん制した。
垂氏は、安倍氏は日本政府を離れており、政府として説明する立場にないと指摘。「中国側の一方的な主張は受け入れられない」と伝えた。
安倍氏は1日、台湾のシンクタンクによる会合でオンライン講演し「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と強調。台湾の環太平洋連携協定(TPP)加盟に関し「支持する」と述べた。
●安倍元首相「台湾有事は日米同盟の有事」 中国政府が日本大使に抗議 12/2
安倍元総理が「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と発言したことについて、中国外務省はきのう夜、中国に駐在する垂大使を呼び、「中国の内政に対する重大な干渉であり、主権に対する露骨な挑発だ」などと抗議したと発表しました。
一方、垂大使は「台湾をめぐる状況について、日本にこうした考え方があることは理解する必要がある」と反論したということです。
●衆院小選挙区「3増3減」をブチ上げた細田議長 狙いは安倍元首相の生殺 12/3
また安倍元首相はカリカリしているのではないか――。2020年国勢調査の確定値が11月30日に公表され、衆院の小選挙区は15都県で「10増10減」となることが“確定”した。
2016年に成立した「衆院選挙制度改革関連法案」によって、1票の格差を是正するため、2022年以降の衆院選には人口比を反映しやすい「アダムズ方式」を導入することが決まっている。総務省によると「国勢調査の結果を機械的に当てはめると10増10減になる」(選挙課)という。
政府の「衆院選挙区画定審議会」(区割り審)が、来年6月25日までに区割り改定案を首相に勧告し、政府は来年前半にも勧告を反映させた「公選法改正案」を国会に提出する予定だ。
ところが、突然、自民党内で増減規模を「3増3減」に縮小する案が急浮上している。細田博之衆院議長が11月30日、自民党の高木毅国対委員長に「3増3減」を軸とする法改正を検討するよう要請したという。毎日新聞がスクープしている。
細田議長は「選挙博士」と呼ばれるほど、選挙制度に詳しい。2016年の「衆院選改革」も主導している。「細田プラン」は、東京2増、神奈川1増、長崎、愛媛、新潟3県各1減とする内容だという。
しかし、いくら衆院議長でも、2016年に決まったルールをひっくり返すのは、かなり乱暴な話だ。なにか狙いがあるのか。「安倍元首相を揺さぶるのが狙いではないか」という見方も流れている。
細田氏と安倍元首相は、同じ「清和会」出身。先月、安倍元首相が派閥会長に就く前は、細田氏が会長を務めていた。しかし、細田ー安倍の関係は決して良くないという。
「予定通り“10増10減”が実施されたら、安倍さんの地元である山口県も、定数を4から3に減らされます。山口4区から選出されている安倍さんは選挙区を失う可能性がある。すでに地元人気が陰っているだけに、地盤を失ったら、1回は比例単独で優遇されても、その後、引退に追い込まれておかしくない。中曽根元首相も、宮沢元首相も、同じように引退に追い込まれています。でも、細田プランの“3増3減”なら選挙区は安泰です。細田さんは人望があり温厚な人柄ですが、派閥会長時代、オーナー気取りでエラソーな安倍さんには、内心、怒り心頭だったようです。でも“3増3減”案をブチ上げることで、細田さんは安倍さんの“生殺与奪の権”を握ることになります」(政界関係者)
これから、安倍元首相の“細田詣で”がはじまるかもしれない。
●安倍氏、中国の抗議「大変光栄」 台湾巡る発言で 12/3
安倍晋三元首相は3日夜のインターネット番組で、台湾をめぐる自身の発言への中国の抗議を巡り「一国会議員に注目してもらい大変光栄だ」と述べた。岸田政権の対中姿勢について「安倍政権、それを受け継いだ菅政権と基本的には姿勢は変わらないだろう」との認識を示した。
安倍氏は1日、台湾の民間シンクタンク主催のシンポジウムにオンラインで出席した。「台湾有事は日米同盟の有事だ」と指摘し「中国の軍事的冒険は経済的自殺の道だ」と講演した。
中国外務省の汪文斌副報道局長は同日の記者会見で、安倍氏の発言を「公然とでたらめを言った」と批判した。「台湾は中国の神聖な領土だ。中国人民の限界線に挑戦すれば、必ず頭を割られて血を流すだろう」と発言した。
華春瑩外務次官補は垂秀夫駐中国大使を呼んで抗議した。
安倍氏は菅義偉前首相にも触れた。「立派な仕事をしてくれて感謝している」と評価した。「これからも色々な場面で協力できることが多い」と言明した。
菅氏は自身を支持するグループの派閥化などが取り沙汰されている。「菅氏がある程度の規模の派閥を作ろうと思えば簡単に結成できるのではないか」と指摘した。
●岸田政権の「対中」「台湾」姿勢に“注文” 安倍元首相 12/4
自民党の安倍晋三元首相と、自民党の保守系グループ「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」(代表・青山繁晴参院議員)がそれぞれ、岸田文雄政権に注文≠付けた。ジョー・バイデン米政権が、政界屈指の「親中派」である林芳正外相の起用・言動などから、「岸田政権に不信感を持っている」という指摘があるなか、対中姿勢や台湾問題、憲法改正などで、積極的に発信したのだ。
「はっきり考えを言うことが、衝突を防ぐことにつながる。これからも言うべきことは言う」
安倍氏は3日夜、インターネット番組に出演し、「『台湾有事』は『日本有事』だ。すなわち『日米同盟の有事』でもある。この認識を、習近平国家主席は断じて見誤るべきではない」という自身の発言に、中国政府が反発したことについて、こう語った。
番組では、6月の先進7カ国首脳会議(G7サミット)首脳声明でも、中国の台湾への軍事的威圧を受けて、「台湾海峡の平和と安定の重要性」が明記されたと指摘。「国際的に共有された考え方だ」と強調した。
さらに、岸田首相の外交姿勢について、「ソフトに見えるが、非常に芯は強い。期待して見てほしい」といい、憲法改正についても「岸田首相にしっかりと頑張ってほしい」と語った。
一方、自民党の保守系グループ「日本の尊厳と国益を護る会」は同日の総会で、中国当局によるウイグルなどでの人権侵害を踏まえ、来年2月開幕する北京冬季五輪への「外交的ボイコット」を表明するよう岸田首相に求めることを決めた。
青山氏は総会後、「対中配慮が過ぎれば外交の体をなさない。現在の首相の姿勢は間違いだ」と記者団に語った。
こうしたなか、岸田首相は3日夜、自民党岸田派(宏池会)に所属していた左藤章、大西宏幸両元衆院議員と都内のホテルで会食した。
この席で、林外相の起用を念頭に、岸田首相は「媚中派と言われるのは不本意だ。林氏は中国に行くとは一言も言っていない」と語ったという。
本紙は「媚中派」と書いたことは一度もない。ただ、そうした世間の疑念を払拭したいのなら、自由主義国のリーダーとしての「芯の強さ」を見せるしかない。
●安倍元首相、二階元幹事長の選挙区が消滅? 「1票の格差」 12/5
これまで衆院選挙区画定審議会で議論されてきた、「1票の格差」問題。人口比を反映した「アダムズ方式」を採用して15都県で「10増10減」の定数見直しが必要であるとしている。
小選挙区が増えるのは、東京都が5、神奈川県が2、埼玉県と千葉県と愛知が1。減るのは、宮城県、福島県、新潟県、滋賀県、和歌山県、岡山県、広島県、山口県、愛媛県、長崎県で各1となっている。
「これがそのまま採用されてしまったら、どうなるのか。党内争いにも発展しかねない」
自民党幹部はこう言い、苦悩の表情だ。
小選挙区から複数の自民党党候補が手を上げた際の調整は、10月の衆院選でも大きな火種となっていた。宮城県をはじめ、10の県で定数がそれぞれ1減るとなれば、当然ながら調整が必要となる。
山口県は4つの小選挙区が3つに減る。人口比から、山口3区と4区が中心となり大きく区割りが変更される見込みという。
山口4区は安倍晋三元首相のおひざ元。3区は林芳正外相が参院から鞍替えして、初当選したばかり。山口2区は安倍元首相の実弟、岸信夫防衛相と大物がずらりと並ぶ。保守王国の山口県は現在、4つの小選挙区すべてを自民党が独占。それなのに誰か一人が、小選挙区から立候補できない見込みだ。山口県の自民党県議は声を潜めてこう言う。
「前々から予測はしていたが、実際に総務省から公表され現実のものとなった。3区と4区が1つの選挙区という区割りになる可能性が高いとみられている。つまり、安倍氏か、林氏のどちらかが押し出される。地元では表立って話す人はいません。しかし、ヒソヒソ話では『安倍氏は2度、首相になった。次に期待できるのは林氏だ』と林氏を推す声があるのは事実」
和歌山県も小選挙区が3から2に減る。和歌山3区は二階俊博元幹事長の地元だ。
現在の和歌山1区は、県庁所在地で都市部の和歌山市が中心でそこは大きく変わらず、和歌山2区と3区で1つの小選挙区となるとみられる。
2区は自民党の石田真敏元総務相の選挙区だ。つまり、二階氏か石田氏か、どちらになるかの調整が必要となる。
「大物の中の大物、二階先生と大臣経験のある石田先生。地元の県連で調整できるレベルの話ではありません。ただ、世耕弘成参院議員がそろそろ衆院へ鞍替えするのではないかという話もあります。世耕氏が衆院に鞍替えし、二階先生、石田先生のどちらも引退という案を口にする人はいますね。正直、恐れ多くて、この問題についておおっぴらに話をする地方議員はいませんよ」(和歌山県の自民党県議)
大物議員らの窮地に助け船を出そうとしているのが、細田博之衆院議長だ。
「 12月1日の毎日新聞は、<細田博之衆院議長は11月30日、自民党の高木毅国対委員長と国会内で会談し、「3増3減」を軸とする法改正などの検討を要請した。党関係者によると、「3増3減」は細田氏の独自案とされ、東京都2増、神奈川県1増、長崎、愛媛、新潟3県各1減とする内容>と報じている。 」
細田氏は「選挙博士」と呼ばれるほど、選挙制度、選挙区の事情に精通。2016年の衆院選改革法案「0増6減」の成立の時も、国会で細田氏が与党側の趣旨を説明した。自民党幹部はこう解説する。
「選挙にはめっぽう詳しい細田氏。国会議員で選挙に関して細田氏と議論して勝てる人はいません。中選挙区時代から小選挙区になった経緯、背景、事情やご自身と関係のない選挙区までスラスラと話が出てくる。それくらいすごいです。10減を3減にし、長崎、愛媛、新潟が対象と細田氏が高木氏を呼び出し、案を伝えたことは今後、大きな影響があるでしょう」
一方で、野党立憲民主党の幹部はこう憤慨する。
「細田氏が3減と指摘している長崎、愛媛、新潟は比較的、自民党には影響が少ないところばかり。長崎は4つの小選挙区のうち1つ、新潟は6つのうち4つ、野党側が勝っている。自民党のお家騒動に発展しかねない、山口や和歌山は除外している。細田氏が選挙にとても詳しいことは有名ですが、衆院議長が自民党を利する案を持ち出すというのはおかしい。10増10減でやるべきだ」
衆院の選挙制度は衆院選挙区画定審議会で長く審議され、2016年の法改正で、2020年の国勢調査後に「アダムズ方式」を採用することが決まっている。自民党で20年以上、政務調査会の調査役を務めた政治評論家の田村重信さんはこう指摘する。
「審議会で議論を尽くして、決めたこと。人口の増減から1票の格差がきちんとしたデータから算出されているわけで、それに反する改正案にするのは、世論の反感を買い、次の衆院選で自民党は議席を減らしかねない。今回の総務省の発表で一番、ドキドキなのは安倍氏でしょう。林氏が次の首相を狙っているので、自民党内でも安倍氏の情勢が厳しいという話を聞きます。当然、安倍氏が譲れば比例1位という処遇になる。同じように中曽根康弘元首相が昔、中選挙区から小選挙区に移行した時、選挙区事情で終身比例1位となった時期があったが、エコヒイキが過ぎると批判を浴びました。それが頭にありますから、安倍氏も簡単にはおりませんよ。岸田首相もこの問題は頭が痛いところでしょう」
●安倍元首相オンライン演説を台湾はなぜ歓迎しないのか? 12/6
12月1日、安倍元首相は台湾で開かれたフォーラムにオンラインで参加し講演した。しかし台湾ではあまり報道されず、むしろ批判が目立つ。台湾が「中華民国(台湾)の領土」と位置付けている尖閣を「日本の領土」と主張したからだ。
安倍元首相の講演を報道しないようにする台湾
12月1日午前、台湾の民間シンクタンク「國策研究院」で安倍元首相(以下、安倍氏)は「新時代の日台関係」というタイトルで基調講演を行った。
日本では安倍氏が「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と言ったとして非常に大きく取り上げられ、手柄として礼賛されている。
ところが肝心の台湾では報道しないようにしているだけでなく、むしろ批判が目立つ。
まず、報道しないようにしている証拠として、台湾政府「中華民国」外交部のウェブサイトをご紹介しよう。ここに書いてあるその日のその日の主たる出来事は毎日アップデートされるので、日にちが経つと前のページを捲(めく)らなければならなくなる。その面倒を省くため、「12月1日」前後の外交部ウェブサイト画面をキャプチャーして以下に示す。
12月1日には3つの行事が書いてある。下から順に書くと
○ 外交部は、オランダ下院が1日で2つの友好動議を可決したことを歓迎し感謝する。
○ 中華民国政府は、友好国であるホンジュラス共和国の大統領選挙の成功に祝意を表する。
○ 呉サ燮外交部長、「豪州人報」の取材を受け、オーストラリアの地域平和への関心と台湾への支援に感謝を表明した。
こうした他国で起きたことや取材を受けた程度のことを重要項目として書いているのに、安倍氏の講演に関しては一言も触れてない。
11月25日や26日には、アメリカ議会下院のMark Takano(高野)氏という一議員の訪台に関してまで二日にわたって書いているが、日本の総理大臣だった安倍氏に関する記述はまったくないのだ。念のために12月2日の出来事もチェックしてみたが、安倍氏の名前はやはり見当たらない。
台湾政府側の表明としては唯一、台湾外交部の報道官が記者会見で、「台湾は国際的な政界の要人が台湾の平和安定の重要性に関心を持ってくれたことを感謝する」と述べたのみで、しかも「各国の要人が民間の学術フォーラムで発表した個人的見解に関して外交部はコメントをしない」とまで付け加えている。もちろん「安倍晋三」という名前はここでも出していない。
台湾はなぜ安倍氏を軽視したのか?
なぜ安倍氏が、このような扱いを受けるのかに関して、本来なら日本は強い関心を示さなければならないが、この実態を報道する日本メディアは(筆者がこの時点で知る限りでは)一つもないように思われる。日本では一斉に口をそろえて安倍氏が演説で「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と言ったことや習近平を名指しで批判したこと、あるいは中国大陸の外交部が激しく抗議したことなどだけを報道している。
ところが現実はまったく異なる。
たとえば、台湾野党の国民党は安倍氏の講演に関して「許せない」と抗議しているのである。
なぜ許せないのか?
それは安倍氏が尖閣諸島などを「日本の領土」と言ったからだ。
台湾では尖閣諸島などを「釣魚台列嶼」と称しているが、これを「中華民国の領土」と宣言していることは、国民党だろうと民進党だろうと変わらない。台湾は「中華民国」として尖閣諸島などを「中華民国の領土」と強く主張している。
したがって国民党は安倍氏の講演が終わるとすぐに台湾外交部に「領土主権への侵犯は絶対に認めることができない」と強い抗議を表明したのである。
政権与党の民進党政権としても同じこと。
安倍氏の講演を肯定などしたら、台湾全市民の抗議を受けて政権交代するところにまで追い込まれる可能性がある。だから「安倍晋三」の名前を全て消し、彼の講演に関しても「なかったこと」にするしかないのである。
安倍氏の講演の実際の言葉
では安倍氏は実際には何と語ったのか、「國策研究院」が「IMPACT Forum日本國元內閣總理大臣安倍晉三閣下」と題して公開したユーチューブを見てみよう。
以下に示すのは動画の「14:38(14分38秒)〜17:15(17分15秒)」の間のスピーチを筆者が文字起こししたものである。安倍氏の発音は割合に聞き取りにくい。不正確な文字起こしがあった時にはお許し願いたい。

台湾の周辺には、と言いますとこれは、尖閣諸島、先島、与那国島など、日本の領土領海にはと言っても同じことですが、空から、海上、海中から中国はあらゆる種類の軍事的挑発を続けていくことも予測しておかなくてはなりません。
では日本と台湾はどうすべきでしょうか?
台湾が取るべき政策に関して何かを言うつもりはありません。
ここでは一点、自由と民主主義、人権と法の支配という普遍的価値の旗を高く掲げて、世界中の人からよく見えるよう、その旗をはためかせる必要がある、とだけ申し上げます。日本と台湾、ともに進みましょう。
民主主義は、人のこの自発的なコミットメントを求める制度です。上から権力ずくで強制するものではありません。民主主義はだから、強い。私はそう考えます。
次に中国にどう自制を求めるべきか、そこをお話しいたします。
私は総理大臣として、習近平主席に会うたびごとに、尖閣諸島を防衛する日本の意思を見誤らないようにと、言いました。
その意思は確固たるものであると明確に伝えました。
尖閣諸島や、先島、与那国島などは、台湾からものの100キロ程度しか離れていません。台湾へ武力侵攻は地理的空間的に関わらず、日本の国土に対する重大な危険を引き起こさずにはいません。
台湾有事それは日本有事です。すなわち、日米同盟の有事でもあります。
本点の認識を、北京の人々は、とりわけ習近平主席は、断じて見誤るべきではありません。(文字起こしここまで。)

安倍氏は3カ所ほどにわたり、「尖閣諸島などは日本国の領土である」と明言したに等しい内容のことを言っている。
カイロ密談と尖閣諸島の領有権に関して
拙著『チャイナ・ギャップ』や『完全解読「中国外交戦略」の狙い』などで詳述したように、1941年11月23日から25日にかけて、当時のアメリカ大統領ルーズベルトと「中華民国」主席の蒋介石はカイロで密談を行った。このときルーズベルトは蒋介石に「アメリカとともに日本を爆撃することに協力すれば、日本を敗戦に追いやった後に琉球群島(沖縄県)を貴国にあげよう」と誘い込んだのだが、蒋介石はその申し出を断っている。この事実は秘密にされていたのだが、当時の部下の外交部長によってばらされてしまい、周辺の知るところとなってしまった。
ところが1969年に国連のECAFE(Economic Commission for Asia and the Far East。アジア極東経済委員会)が尖閣諸島などの東シナ海に海底油田や天然ガスが眠っているようだと報告すると、在米台湾留学生が尖閣諸島に関する台湾の領有権を主張してデモを起こし始めた。というのは、中華人民共和国が「中華民国」に代わって国連に加盟しようと動き始めていたからだ。
毛沢東は建国以来、尖閣諸島の領有権は日本にあると主張していたのに、海底油田や天然ガスがあることを知ると、中国は突如、「釣魚島(大陸における尖閣諸島の呼称)は中国のものだ」と主張するようになった。
だから在米の台湾留学生たちは「蒋介石が無能だから、このようなことになる」として抗議デモを始めたのだ。
この実態を調べるために私は何度も行っているサンフランシスコに再び行き、当時のデモ参加者の記録を入手し、かつスタンフォード大学フーバー研究所にある蒋介石直筆の日記で当時の記録を確認しているので、これは間違いのない事実である。
1970年に入ると蒋介石の体力はかなり弱ってきたので、息子の蒋経国が蒋介石に代わり「釣魚台(尖閣諸島)は中華民国のものだ」と主張するようになった。
そこでアメリカは沖縄返還に当たり、「領有権に関してはアメリカは関わらない。当事者同士で話し合って解決してくれ」とサジを投げてしまった(このことは、2015年4月29日のコラム<日本が直視したがらない不都合な事実――アメリカは尖閣領有権が日本にあるとは認めない>でも少し触れた)。
以来、「中華民国」(台湾)は、「釣魚台(尖閣諸島)の領有権は中華民国にある」と強く主張するようになっている。
しかし、たいへん残念なことに、日本のマスコミや「中国研究者」あるいは「国際政治学者」、さらには「元外交官」までが、安倍氏が台湾に対して上述のような講演をすることは、「中華民国の領土主権を侵犯する言葉を発したのに等しく」、「台湾を侮辱したに等しい」という認識を持つことができないままでいる。
真相を見極める見識の欠如は、日本を誤った道へと進ませることに気が付かなければならない。
尖閣諸島が日本の領土であることに疑いの余地はないが、台湾を「友好国・地域」として味方につけたければ、最低限、本稿で論じた基礎知識くらいは持たなければならないだろう。
●安倍元首相が菅前首相と会食 わざわざ 「絆は相当強い」と強調 12/6
牽制なのか、それとも抱き込むつもりなのかーー。安倍元首相と菅前首相が会食していたことが分かり、永田町を騒がせている。安倍-菅の会食があったのは、2日(木)。安倍氏本人が、3日のインターネット番組で明かした。
この番組で安倍氏は、菅氏との関係について「絆は相当強い」と強調し、「すきま風」を否定したうえで「いろんな場面で協力できることも多いのではないか」と良好な関係をアピール。さらに、菅氏に近い無派閥グループ「ガネーシャの会」に触れ、「結束力が大変高い。菅さんが派閥をつくろうと思えば簡単に結成できるのではないか」と、派閥結成をたきつけている。
わざわざ「会食」したことを明かし、「絆は強い」と強調してみせたことに、一体どういう意図なのかと臆測が広がっている。もし、本当に絆が強ければ、外部に発信する必要がないからだ。安倍-菅の間に距離があることは、永田町では通説となっている。
菅氏は5日、派閥結成について「同志の皆さんと力を合わせて、政策を実現していきたい」と否定しなかった。
「安倍さんの狙いは、安倍派内へのアピールでしょう。先月、派閥会長に就任したはいいが、派内は歓迎ムード一色とは程遠く、派内には“なぜ派閥に戻ってきたのか”という不満の声もある。安倍さんは、自分の力を見せつけるために、菅さんとの関係も良いとアピールしたのだと思う。岸田首相と短期間に2回も会ったのも“俺は影響力がある”と見せつけようとしたのでしょう」(安倍派事情通)
岸田政権の発足後、影響力が一気に落ちたことに、安倍氏はかなり焦っているという。安倍派が弱体化することを恐れているとの指摘もある。
「自民党内の勢力図は大きく変わりつつあります。最大派閥の安倍派(95人)と、麻生派(53人)・岸田派(42人)・谷垣グループの『宏池会系』という、2大勢力になりつつある。この2大勢力だけで党内の5割を占める。麻生派・岸田派・谷垣グループが1つになる“大宏池会構想”も囁かれています。いずれ、2大勢力となった<安倍VS岸田>の構図になっておかしくない。その時、勝敗のカギを握るのが、第3勢力である茂木派(51人)や二階派(44人)、40人前後いる菅グループです。焦る安倍さんは、菅さんを味方に引き入れたいのではないか」(政界関係者)
落ち目の安倍氏の焦りが見えてくる。
●安倍氏、中国軍の領海侵入「相当な挑戦」 12/6
自民党の安倍晋三元首相は6日、中国軍が11月に領海侵入したことに触れ「相当な挑戦だ」と批判した。沖縄県・尖閣諸島について「私たち自身の手で守り抜いていくという我々の決意を見誤らないでほしい」と主張した。
都内の安倍派のパーティーで述べた。「決して中国を挑発しようとしているわけではない。派閥発足からずっと日中関係を発展させていきたいと考えている」とも話した。
●北京五輪対応、慎重検討を 安倍元首相 12/7
自民党の安倍晋三元首相は7日のBSフジ番組で、米国の北京冬季五輪「外交ボイコット」を受けた日本政府の対応について、「首脳、閣僚が行くのは国の意思表示になる」と述べ、慎重な検討が必要との認識を示した。
中国の人権状況に関しては「是認しない」と明言する一方、「日中関係を発展させたい」とも語った。3度目の首相を目指すかについては「そんなことは誰も考えていない」と指摘。自身が率いる安倍派に「たくさんの候補者がいる」として支援していく考えを強調した。
●安倍元首相が中国からの抗議に「大変光栄」…中国側は苦笑=台湾報道 12/7
中国外交部の趙立堅(ちょうりっけん)報道官が定例記者会見で、安倍晋三元首相に関する質問に答えた。
記者会見では、中国側が安倍氏の「台湾有事は日本有事」発言に抗議し、安倍氏が「一国会議員に注目してもらい大変光栄」と述べたことについての質問がなされた。また、岸信夫防衛大臣がこれを受けて「中国側は日本国内にこのような考え方が存在することを理解しなければならない」と述べたことについても質問が行われた。
趙報道官は質問に対し、まず「フフフ」と小さく苦笑。その後で次のように述べた。
「日本の一部政治家が自身の間違った言行を恥とせず、逆に光栄としているが、これは彼らが善悪を判断する能力に問題があることを再度露呈したものだ。日本国内には現在、確かにたくさんの考え方があるだろう。例えば、ある人は日本の対外侵略と植民統治の歴史を否定・美化しようとしている。ある人は全世界の海洋環境の安全と人類の生命・健康を省みず、福島の原発汚染水を海に排出して責任を取ろうとしない。また、ある人は台湾問題で中国の内政に干渉しようとしている。しかし、ある考え方が存在するからといって、その考え方が正しいということではない。そのような誤った考え方は、日本の一部の人が持っている一方的な考え方であって、アジアの隣国や国際社会から認められることはありえない」。
さらに、趙報道官は「私が強調しておきたいのは、台湾問題は中国側の核心的利益であり、中日関係の政治的な基盤に関わるもの、両国間の基本的な信義に関わるものだ。日本側は約束をしっかり守り、中国の内政への干渉をやめ、『一つの中国』の原則に挑戦することをやめ、『台湾独立派』に誤ったサインを送らないようにしなければならない」と主張した。
●自民に“財政”2組織が発足 財政再建派と積極財政派が攻防 12/7
自民党内に財政をめぐる2つの組織が、ほぼ同時に立ち上がりました。財政再建派と積極財政派の攻防が始まっています。
きょう、初めて役員会を開いた自民党の「財政健全化推進本部」。先月立ち上がった、岸田総理直轄の組織です。
岸田首相「財政健全化について考えていく。責任政党であります自民党にとっても大切な使命だと考えています」
岸田総理は新型コロナ対応のための財政出動と、中長期的な財政健全化は決して矛盾しないとの考えを強調しました。今後、財政政策についての提言をまとめる方針です。
一方、自民党内では、安倍元総理など財政支出に積極的なメンバーが参加する「財政政策検討本部」という別の組織も立ち上がったばかりです。
安倍晋三 元首相「失業率2.8%、先進国の中でも最もしっかりと守っている。それはやはり、今まで積極的な財政出動を行い、その成果でもあるのではないかと」
こちらの本部でも、今後、望ましい財政政策を検討するとしていますが、結論は積極財政派に配慮したものになるとの見方が大勢です。党内では新型コロナ対策もあって、積極財政派の存在感が増しているといいます。
財政再建派の閣僚経験者「それは大盤振る舞いを続けた方が楽だからな。党内の財政再建派は息苦しい」
関係者は議論の行方を注視しています。
●院選と改憲国民投票、同日実施案を「評価」 安倍氏 12/7
自民党の安倍晋三元首相は7日、BSフジの番組で憲法改正に言及した。2022年夏の参院選と改憲の国民投票を同日に実施する案について「1つのタイムスケジュールを示したことは評価したい」と述べた。
同案は日本維新の会の松井一郎代表が唱えている。安倍氏は「問題はどこを改正するかだ。中身を憲法審査会で毎日でも議論していくべきだ」と指摘した。
米国が北京冬季五輪の外交ボイコットを表明したことについて安倍氏は「国の一つの意志の表示になる」と強調した。「各国がそれぞれ判断を迫られている。今まで以上に欧米は厳しい状況だ」と語った。
●安倍元首相に反省の色なし! BSフジ番組でナマ大放言1時間超 12/8
「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事」発言で物議を醸す安倍元首相が懲りずにボルテージを上げている。7日はBSフジ「プライムニュース」に1時間超も生出演。
米国の北京五輪外交的ボイコットをめぐり、「首脳が行ったり、外務大臣が行ったりというのは競技とは関係ない」と米国追随をにおわせるなど、言いたい放題。
司会者から「自民党の最大派閥・清和会の会長に就任されました、安倍晋三元総理大臣にお越しいただきました」と紹介された安倍氏は、口を真一文字に結んだまま応じたが、いったん口を開くとマシンガントークが止まらない。指さしも健在だ。
番組テーマは「台湾有事は日本有事…発言の真意と対中政策」。オンライン参加した台湾シンポジウムでの発言の意図を問われた安倍氏は、中国が台湾に対する圧力を強めているとして、早口でこうまくし立てた。
「(台湾は)与那国島、先島列島(先島諸島)と100キロしか離れていないんですから。有事となれば、日本にとっても少なくとも『重要影響事態』になりますから」「日本の意思を示しておく。どういうことに発展する危険性があると申し上げていく必要がある」
安倍氏はさらに、台湾海峡に米軍が展開し、中国から武力攻撃を受ける可能性に言及。「存立危機事態」へ発展する可能性を強調し、「集団的自衛権の行使を行うことになる」と前のめり。首相在任中に言い出した敵基地攻撃能力保有についても正当化し、話をどんどん飛躍させた。
「北朝鮮がミサイルを発射してどっかに着弾する。米国が報復して第2撃、第3撃はダメだと示す。三沢(基地)からF16(戦闘機)が爆弾を積んで攻撃に行く。日本に〈一緒に行こうよ〉と言いますよね。その時は一緒に行って打撃力を行使する。〈できない〉という答えはあり得ない」
政権を2度もブン投げたくせに、なぜこうもヤル気満々なのか。
「岸田総理は独自色をジワジワ出し、政権樹立の立役者を自負する安倍元総理の要望を聞き流し始めている。清和会は安倍派に衣替えしたものの、派内の空気は歓迎ムードには程遠い。焦りを感じ、存在感誇示に躍起なのでしょう」(政界関係者)
司会者から「領袖になったってことはもう一回、どうスか?」と水を向けられた安倍氏は、「そんなことは誰も考えていませんし」と言いつつ、まんざらではない様子でニヤニヤ。それこそあり得ない。
●閣僚派遣なら「国の意思表示」 「外交的ボイコット」に安倍元首相  12/8
安倍元首相は7日夜、アメリカによる北京オリンピックの「外交的ボイコット」に関し、「首脳や外相が行くのは、国の意思表示になる」と述べ、閣僚らの派遣には、慎重な検討が必要との認識を示した。
安倍元首相「首脳が行ったり外務大臣が行ったり、大臣が行くというのは、競技とは関係ない。ある種、国の1つの意思表示になる」
安倍元首相は7日夜、BSフジ「プライムニュース」に出演し、中国の人権状況について、「是認しない」と強調した。
さらに安倍元首相は、ウイグルや香港などの問題を挙げ、北京オリンピックに「何事もなかったかのように各国首脳が集まっていいのか、それぞれ判断を迫られている」と語った。
 
 
 
●日本、外交ボイコット出遅れ懸念 安倍氏「意志示す時」 12/9
日本が2022年2月の北京冬季五輪に外交使節団を派遣しない「外交ボイコット」で、米欧に出遅れることを懸念する声が強まってきた。米国や英国、オーストラリアに続きカナダが8日、表明した。自民党の保守派などが岸田文雄首相に早期の決断を促す動きが相次いでいる。
安倍晋三元首相は9日の安倍派総会で「人権状況については政治的なメッセージを出すことが日本には求められている」と述べた。「日本の意志を示すときは近づ ・・・
●安倍晋三元首相は、なぜ壮絶な「岸田いじめ」を続けるのか 12/11
人事の失敗への怒り
このパーティーで、自民党リベラル派を代表する岸田首相に念を押すように、安倍氏はこう発言した。
「軍事力を背景に一方的に現状変更の試みを続けているが、沖縄県の尖閣諸島を私たちの手で守り抜いていく決意を見誤らないでもらいたい」
ここでわざわざ中国批判を展開したのは、紛れもなく、岸田に対する「圧力」である。
振り返れば、岸田内閣の組閣直後、安倍元首相は党内外の各方面に連絡を入れ、側近の猟官運動の失敗への怒りを隠さなかった。
自民党の「法王」とも言うべき重鎮の安倍元首相は、当然の権利と言わんばかりに「萩生田光一官房長官、高市早苗幹事長」を推したが、岸田首相はそれを無視したのだ。
別の全国紙政治部記者が補足する。
「そもそも、安倍氏が自民党総裁選で全面支援したのは岸田氏ではなく、高市早苗政調会長です。その理由は『自民党のリベラル化に疑問を抱く保守派が増えている』『保守政党としての姿を国民に示す必要がある』というものでした。つまり、リベラル系の岸田氏ではダメだということです。岸田氏サイドには『最大派閥だから敬意を示すけど、あなたは高市氏を応援しましたよね』との遺恨が残っている」
「分かっていないな」という安倍の発言
自民党役員・閣僚人事という「第1ラウンド」で、安倍氏は最側近の萩生田光一経済産業相を岸田首相とのパイプ役に仕立てあげた「萩生田官房長官、高市幹事長」を期待した。
だが、岸田氏は首を縦に振らず、同じ清和政策研究会でも安倍氏とは犬猿の仲だった福田康夫元首相の長男、達夫氏を党総務会長に抜擢した。幹事長に就いた茂木敏充外相の後任には、日中友好議員連盟会長を務めた親中派の林芳正氏を起用した。林氏は次期衆院選から地元・山口の選挙区で公認を争う可能性もある安倍氏の「天敵」だ。
岸田氏の露骨なまでのカウンターパンチを浴びた安倍氏は「分かっていないな」などと周囲に不満を爆発させていった。そして、岸田政権を力づくで誘導する「第2ラウンド」で猛烈な攻勢を仕掛けているのだ。
新型コロナウイルス対策を柱とする補正予算案の財政出動規模から北京五輪への外交的ボイコットまで「私が指南してやる」とばかりに積極的に発信し、来年夏の参院選と憲法改正の国民投票を同日実施することも「1つのスケジュール」などと発言、自らの意に沿うよう岸田首相の「外堀」を埋めにかかっている。
岸田へのレッテル貼り
自民党関係者がこう解説する。「保守派の代表格である安倍氏が先手を打って発言すれば期待値が高まり、その後に岸田首相が異なる選択肢をとれば失望を招く。そうなれば内閣支持率が下がってしまう。それを理解したうえでの安倍氏の『いじめ』です。でも、史上最長政権では憲法改正のチャンスはいくらでもあったはずですが、その宿題を岸田政権に負わせている。安倍政権はコロナ禍でなければ中国の習近平国家主席の国賓来日も実現していたわけで、なんでも岸田氏にレッテルを張って悪者扱いするのは酷ですよ」
かつて「闇将軍」として君臨した田中角栄元首相の後押しで政権を握り、その影響力が色濃く反映された中曽根康弘政権は「田中曽根内閣」と揶揄された。
事実上の「傀儡政権」を狙う安倍氏と、30年ぶりの宏池会政権誕生で独自カラーを打ち出していきたい岸田氏。北京五輪、参院選、日中国交正常化50周年を迎える来年は、双方の駆け引きが激しさを増しそうである。
●日米台、サイバー・宇宙の防衛技術共有を 安倍元首相 12/14
安倍晋三元首相は14日、台湾の民間シンクタンクなどが台北で開いた安全保障対話にビデオメッセージを寄せた。日本と米国、台湾は防衛力向上のためにサイバーや宇宙分野も含めた知識や技術の共有を進めるべきだと主張した。
安倍氏は「3者は自身の能力を高める努力を怠ってはならない。海中、海上、空中からサイバー、宇宙空間まで全てのドメイン(領域)においてだ」と述べた。
「その目的のため、知識や技術をいっそう効果的に共有できる新しい方法がないか考えてみてはどうか」と呼びかけた。
中国の軍備増強には警鐘を鳴らした。「巨大な経済体が軍事で冒険を追い求める場合、控えめに言っても自殺的になる」と指摘した。「中国には領土拡張を追い求めてはならないと強く言うべきだ」と強調した。
米国がオンライン形式で開いた「民主主義サミット」への台湾の参加については「時宜にかない台湾にふさわしい」と評価した。
●安倍氏、外交ボイコット「日本がリーダーシップを」 12/14
自民党の安倍晋三元首相は13日のBS日テレ番組で、2022年の北京冬季五輪の対応は日本が各国を主導すべきとの認識を示した。「中国に対する政治的なメッセージは日本がリーダーシップをとるべきだ」と主張した。
外交ボイコットを巡る対応について「ここで時を稼いでどういう利益があるのかということだ」と強調した。
台湾有事が安全保障関連法に基づく集団的自衛権の行使の対象になりうると示唆した。「米艦に攻撃があった時に集団的自衛権の行使もできる存立危機事態になる可能性がある」と指摘した。台湾有事は「重要影響事態になるのは間違いない」とも述べた。
岸田文雄首相に関して「できるだけ長く(首相を)やってもらいたい」と語った。「安倍政権の中枢で支えていただき信頼関係もあるし評価もしている」と話した。
憲法改正を巡っては「比較的リベラルな姿勢の岸田政権だからこそ可能性は高まった。私も側面支援したい」と発言した。
●安倍氏「財政出動と金融緩和は継続を」 12/15
自民党の安倍晋三元首相は15日、積極財政と金融緩和の継続が重要との認識を示した。「今はデフレ傾向だ。もう少し財政出動して日銀の金融緩和も続けてもらわないといけない」と語った。都内で開いた党所属議員の政治資金パーティーで講演した。
財務省の矢野康治次官が10月に月刊誌へ寄稿し与野党の経済政策を「バラマキ合戦」と指摘したことにも触れた。矢野氏は日本の財政状況を「タイタニック号が氷山に突進しているようなもの」と表現した。
安倍氏は「こういう話をするから(国民が)将来に不安をもって財布のひもが固くなる」と批判した。「日本は決してタイタニックではない」と強調した。
安倍氏はミサイルの発射拠点をたたく敵基地攻撃能力にも言及した。「最低限の打撃力は検討すべきでないか」と主張した。
●森友文書改ざん、国が賠償責任認める 真相解明困難に 12/15
森友学園問題に関する財務省の決裁文書改ざんを苦に自殺した財務省近畿財務局の元職員、赤木俊夫さん(当時54)の妻、雅子さん(50)が、国と同省理財局長だった佐川宣寿元国税庁長官に損害賠償を求めた訴訟の協議が15日、大阪地裁であり、国が一転して賠償責任を認めた。約1億700万円の支払いについて国が受け入れる意向を示した。
国を相手取った裁判は終結し、今後は佐川氏のみを被告として賠償訴訟が続く見通し。雅子さんは裁判を通じて赤木さんが亡くなった経緯の真相解明を求めていた。今回の判断により、法廷で改ざんに関する証拠開示や当事者の証言を国側に求めることができなくなり、事実確認は困難になった。
雅子さんの代理人弁護士によると、国に賠償を求める訴訟で訴えがそのまま認められるのは極めて異例。国からの事前通告はなく、同日の非公開協議で雅子さんの請求を全面的に受け入れる手続きを取った。
国側は地裁に提出した書面で、赤木さん自殺の原因を「決裁文書改ざんを含め、森友学園案件への対応に忙殺された」と説明。請求を受け入れた理由については「いたずらに訴訟を長引かせるのは適切ではない」と言及した。
磯崎仁彦官房副長官は15日の記者会見で「赤木さんがお亡くなりになったことについて、国の責任は明らかとの結論に至った」と説明した。
国側は今年6月、赤木さんが改ざんの経緯をまとめた「赤木ファイル」を雅子さん側に開示。佐川氏の指示をうかがわせる内容があったが、詳細は判然としていない。
雅子さんは訴訟とは別に、改ざんの詳細な経緯を明らかにするため、18年6月に公表された財務省調査報告書に関連する文書などの開示を同省に請求していた。
15日の協議では佐川氏側も地裁に書面を提出した。国家公務員による損害は国が賠償するため個人は責任を負わない、とする最高裁判例を示し「公務員個人が責任を負うことはない」と改めて主張した。
「負けたような気持ち」 元職員の妻、涙浮かべ怒り
夫が命を絶った理由は何だったのか――。財務省の決裁文書改ざんを巡り、自殺した赤木俊夫さんの妻、雅子さんが真実を知りたいと起こした訴訟が15日、国から明確な説明がないまま打ち切られた。「負けたような気持ちだ」。提訴から約1年9カ月での突然の幕切れに、雅子さんは目に涙を浮かべ、国の対応を強い口調で非難した。
「国は誰のためにあるのか」。雅子さんは大阪市内で開いた記者会見で声を張り上げた。訴訟を通じて「赤木ファイル」が開示されたのに改ざんの具体的な指示系統や、佐川宣寿元国税庁長官らの関与は曖昧なまま。「ひきょうなやり方で裁判を終わらされた。夫はなんと言うんだろう」と口にし、うつむいた。
会見に同席した雅子さんの代理人弁護士によると、午後2時に大阪地裁で始まった非公開の進行協議の冒頭、国側の代理人が立ち上がり「請求を認諾する」と告げた。
突然の終結宣言に雅子さん側は抗議したが、複数の国側代理人は下を向いたまま何も答えなかった。別室で協議した裁判官らが戻り、国の主張を受け入れると表明すると足早に立ち去ったという。
今後の訴訟で佐川氏側は早期の終結を求めている。雅子さんの代理人弁護士は、改めて真相を解明していく姿勢を見せ「すぐに(訴訟を)終わらせるわけにはいかない」と強調した。

財務省決裁文書改ざん / 森友学園への国有地売却を巡り、財務省理財局長だった佐川宣寿元国税庁長官は国会で森友側との価格交渉を否定、記録を廃棄したと答弁した。その後、交渉をうかがわせる文書や音声データが見つかり、安倍晋三元首相の妻の昭恵氏や、政治家が関わる記述を削除するなど14件の文書を改ざんしたことが発覚した。近畿財務局の元職員、赤木俊夫さんが佐川氏らの指示で改ざんを強いられたとしてうつ病を発症して休職、2018年3月に自殺した。文書改ざんや背任などの疑いで告発された佐川氏らは不起訴となった。
●安倍氏、対中非難決議「国会で意思を」 月刊誌で 12/20
自民党の安倍晋三元首相は中国の新疆ウイグル自治区などでの人権侵害への非難決議について「議会で意思を示すことも重要だ」と指摘した。「政府は外交的判断から思い切った行動が取れないことがある」と述べた。20日発売の月刊誌「Hanada」の対談で明らかにした。
決議は今年の通常国会でも見送られていた。安倍氏は「先の国会で決議案を採択できなかったことは残念でならない。党でも意思を明確にしていく必要がある」と強調した。
茂木敏充幹事長は17日、非難決議の今国会での採択は難しいとの認識を示した。
●「安倍元首相は反中政治屋」中国共産党系メディアが酷評 12/20
アメリカ主催「民主主義サミット」への出欠や、北京冬季五輪の外交的ボイコットの是非など、対中政策をめぐって岸田文雄首相と安倍晋三元首相との距離が開いている。中国紙は、台湾への肩入れを強める安倍氏を「反中政治屋の『首席』」と酷評。岸田氏とのすきま風に乗じ、矛先を安倍氏に絞った批判をくり広げている。
衆院選での岸田氏善戦が「変化」生む
どうみても「二人羽織」の「第三次」安倍政権 ——。筆者は第一次岸田政権成立直後の10月初め、あるSNSにそう投稿した。自民党総裁選の決選投票で、安倍氏らの支援を受け総裁に当選した岸田氏を、落語の「二人羽織」に例え、キングメーカーの安倍氏の“磁場”から逃れられない「あやつり人形」ではないかと皮肉った。しかし、岸田首相率いる自民党は10月末の衆院選で予想以上に善戦し、絶対安定多数を獲得して第二次岸田政権は強固な基盤を手にした。それに伴い、「二人羽織」の様態も変わり始めた。新政権の人事で、岸田氏は安倍氏の強い反対を押し切り、日中友好議員連盟前会長の林芳正氏を外相に抜てきした。安倍氏の磁場から離れようとする意思をのぞかせた一幕だった。安倍氏が林氏の外相起用に反対したのは、対中政策のスタンスの違いだけからではない。小選挙区の削減(=合区、2022年以降の衆院選で山口県は定数1減)によって、安倍氏は次の選挙で林氏と同じ選挙区で戦わねばならないからだ。
「民主か専制か」の二者択一に与しなかった岸田氏
アメリカの対中政策に向き合う日本政府のスタンスにも変化が表れてきた。とりわけ驚かされたのは、バイデン米大統領が主催した「民主主義サミット」(12月9、10日)への対応だ。松野博一官房長官は、同サミットの約110の招待国・地域が発表された直後の記者会見(11月25日)で、日本の参加について「検討中」と答えるにとどめた。安倍・菅政権の時代ならただちに参加を決定していただろう。結局、岸田政権が参加を決めたのは開幕前日の12月8日だった。何が岸田氏を慎重にさせたのかは、サミット初日に岸田氏がオンラインで行った約2分の演説内容から伺い知れる。岸田氏はそこで「民主主義や人権をはじめとする普遍的価値を重視している」と前置きした上で、民主主義の発展には一定の時間がかかるとし、「歴史的な経緯の積み重ねのなかでの各国の取り組みを尊重する」と述べた。民主のあり方について、歴史的背景など各国の事情に配慮する姿勢を強調し、「民主か専制か」の二項対立でとらえるバイデン政権の政策とは明らかに異なる姿勢を示したと言える。この演説内容をめぐって、首相官邸や外務省内で異論が出て、その調整に手間どったと筆者は推測している。
北京五輪「外交的ボイコット」にも慎重
バイデン政権が12月6日に発表した、北京五輪の「外交的ボイコット」(=政府代表の派遣中止)への日本政府のスタンスにも注目したい。ボイコットにはオーストラリア、イギリス、カナダが相次いで同調した。一方、欧州連合(EU)は、2024年にパリ五輪を控えるフランスのマクロン大統領がボイコット参加を拒否。2026年に冬季五輪を(ミラノ・コルティナで)開催するイタリアの政府関係者も、ロイター通信に対しボイコットを否定した。ただでさえ人気の低迷が続く五輪で、メダル獲得数でアメリカに続く中国が不参加となれば、開催の意味はますます薄れる。五輪主催国として、実利をとったということだろう。また、ドイツではベアボック外相(人権重視の環境政党・緑の党党首)が、気候変動問題などについて「中国は重要なパートナー」と発言し、同国との過度な関係悪化は望ましくないとの立場を明らかにしている。こうしてみると、外交的ボイコットは明らかに広がりを欠いている。そのような状況のもとで、岸田氏は自身が北京五輪に参加する意思はないことを(国会答弁などで)示しつつ、「五輪や外交にとっての意義などを総合的に勘案し、国益の観点から自ら判断」と述べ、結論を出し渋る。政府代表としての閣僚参加は見送り、外交的ボイコットのスタンスはとるものの、室伏広治スポーツ庁長官らを北京に派遣して中国の顔を立てる方策を検討しているとみられる。岸田氏の煮え切らない姿勢にしびれを切らした安倍氏は、自民党最大派閥・安倍派の総会(12月9日)で「日本の意思を示すときは近づいてきている」と発言。外交的ボイコットを早期に決断するよう岸田氏に圧力をかけた。岸田氏は自民党の右派議員連盟から出ているボイコット要求に対しても、「タイミングを見て、適切に判断する」とはねつけており、キングメーカーの安倍氏にとって面白いはずはない。
台湾有事で「存立危機事態」と煽る安倍氏
安倍氏は12月1日、台湾のシンクタンクが主催したフォーラムで「台湾有事は日本有事であり、日米有事」として、いわば「日台運命共同体論」を展開した。現役首相時代には口が裂けても言えなかったセリフだ。さらに、12月13日に出演したBS日テレの番組では「台湾有事があれば『重要影響事態』になるのは間違いない。米艦に攻撃があったときには、集団的自衛権の行使もできる『存立危機事態』になる可能性がある」と、踏み込んだ発言を行った。祖父(の岸信介元首相)譲りの「反中親台」スタンス全開の発言には、対中抑止と台湾支援の意図にとどまらず、岸田氏に台湾問題でもっと積極姿勢をとるよう圧力をかける意味が込められていそうだ。岸田・安倍両氏の距離が広がっていくなか、中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報は、社説(12月15日付)で安倍氏について、反中エネルギーを好き放題に解き放つ「反中政治屋の『首席』」と呼んだ。一方、同紙は岸田氏について、習近平国家主席との電話会談(10月8日)で「建設的で安定した日中関係の構築に協力する」と述べたことを好意的に紹介している。在京の中国外交筋も、筆者の取材に対し「岸田首相に関係改善の意欲を感じる。今後は高市早苗政調会長ら自民党右派のプレッシャーをどのように跳ね返すかが課題」と述べ、岸田氏に期待する姿勢をにじませた。
追随する世論や与党の「翼賛」スタンスに懸念
では、自民党の外に目を向け、世論や野党のスタンスはどうか。NHKの世論調査(12月13日)では、北京五輪への「外交的ボイコット」賛成が45%で反対(34%)を上回っている。野党では、立憲民主党の泉健太代表が、外交的ボイコットの「選択肢は十分にあり得る」と述べ、日本共産党も外交的ボイコットを政府に求める声明を出している。鳩山由紀夫元首相はこうした状況についてツイッター投稿(12月13日付)で「ポピュリズム的な強硬論ばかりが聞こえてくる。まるで大政翼賛会のようだ」と指摘しているが、筆者もその点は同感だ。政権批判と監視があってこそ民主は機能する。その意味で、与党・自民党内部の矛盾と対立は貴重だ。岸田氏には安倍氏との「二人羽織」を早く脱いでもらって、自由闊達な議論を展開してもらいたい。  
●安倍・麻生・茂木氏が会談 参院選へ岸田政権支持確認 12/22
自民党の安倍晋三元首相と麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長は22日、都内の日本料理店で会談した。最大派閥の安倍派、第2派閥で並ぶ麻生、茂木両派の会長が顔を合わせた。参院選に向けて岸田文雄政権を支えることを確認した。
新型コロナウイルスの変異型「オミクロン型」の国内感染を踏まえ、引き続き感染対策が重要になるとの認識も共有した。
一方、自民党の菅義偉前首相、石破茂元幹事長、森山裕前国会対策委員長らも同日、都内で会合を開いた。政治情勢を巡り意見を交わしたとみられる。
●首相「色々あったね」安倍氏に面会 12/23
岸田文雄首相は23日、国会内の安倍晋三元首相の事務所を訪ねた。25分ほど面会した。首相は記者団に「いろんなことがあったねと振り返った。来年に向けて頑張ろうということだった」と語った。
年末のあいさつで、首相はカキの薫製を土産として渡したという。2022年2月開幕の北京冬季五輪で閣僚や政府代表を送らない「外交ボイコット」についても意見交換したようだ。
●安倍氏、成長路線継続を 「市場も期待」 12/23
自民党の安倍晋三元首相は23日収録のBSテレ東「NIKKEI 日曜サロン」で、自身が首相のときの経済政策「アベノミクス」の成長路線を継続すべきだと主張した。「進む方向を変えるべきでないし、市場もそれを期待している」と語った。
岸田文雄首相の経済政策について「新自由主義を採らないと岸田さんは言っているが、成長から目を背けると捉えられないようにしないといけない」と注文をつけた。規制改革などを通じた経済成長の重要性を説いた。
分配政策を念頭に「社会主義的になっているのではないかととられると市場も大変マイナスに反応する」と指摘した。
10月の衆院選で憲法改正に前向きな日本維新の会や国民民主党が議席を伸ばしたことに触れ「大きな変化だ」と述べた。9条改正や新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえた緊急事態条項の必要性も提起した。
外交では2022年2月の北京冬季五輪をあげ中国との向き合い方が試されるとの認識を示した。自民党の高市早苗政調会長を支援した9月の総裁選を振り返り「保守派のスターが誕生した瞬間だ」と評した。
●安倍氏頼みの限界自覚、ポスト岸田へ脱皮探る 高市早苗 12/23
自民党総裁選で岸田文雄(64)に敗れた9月29日夜、高市早苗(60)は応援してくれた議員との結果報告会を終え、早々に東京・赤坂の議員宿舎に戻った。
自らの総裁選公約づくりでも何日も宿舎にこもった高市は「友達がいない」と自嘲する。数が力となるこれからの「ポスト岸田」争いで「仲間づくり」がネックとなる。
政調会長になっても基本的なスタイルは変わっていない。党本部に出勤して執務室に入ると帰宅するまでめったに外に出ない。ほかの幹部が頻繁に党本部を出入りするのとは対照的だ。
衆院選公約も大枠は一人でつくった。総裁選で高市を支えた元首相の安倍晋三(67)は「政策づくりを他人に任せるところから仲間が増える。一人でやりすぎてはいけない」と諭す。
「向いていない」。総裁選後、高市が幹事長に就くとの噂を言下に否定したのも安倍だった。
政治家にとって党内外の人脈の豊かさは力の源泉だ。高市は政調会長就任後、さっそく与党内調整の難しさに直面した。
経済対策に盛り込んだ18歳以下への10万円相当の給付。所得制限などについて公明党政調会長の竹内譲(63)との調整が難航し幹事長同士の協議に切り替わった。本来なら政策責任者である政調会長同士で決着させるべき案件といえた。
「サッチャーは多くの仲間をつくることなく、信念を持って集まった仲間に首相に押し上げられた」。高市は英国初の女性首相、サッチャーを自身の手本に挙げる。
そのサッチャーも党首になる前から勉強会や会食に積極的に参加し人脈の開拓に努めていた。のちに自伝で「極めて多くの人々と知り合い、党首になっても色々と頼りになった」と語っている。
高市を巡る状況も変わった。総裁選出馬の強力な後ろ盾だった安倍が11月に清和政策研究会に復帰したためだ。安倍が派閥の領袖となった以上、次に自派閥でない高市を推す保証はない。
もともと高市も清和研に属していた。2011年に当時会長だった町村信孝を「総裁選で支持できない」といって離脱した。安倍派となったのを機に復帰に意欲をみせるが、当時を知る派内のベテランは難色を示す。
6日夜、都内で開いた清和研の政治資金パーティー。来賓として出席した高市は「無派閥の高市早苗でございます」とわざわざ強調した。「長としてまとめていくことになると見える景色が変わる。責任感も違う」と意識の変化を訴えた。
危機感はある。頼みの安倍が派閥に戻って以降、高市は仲間づくりを意識するようになった。
「選挙区の議員にぜひ紹介してあげて」。知名度を上げた高市の事務所には多いときで1日1000件を超える党員申込書が全国から届く。高市は申込者が住む選挙区選出の議員に紹介するよう秘書に指示している。
それまで高市と関わりがなかった議員の秘書は「党員獲得ノルマがあるからありがたい。恩返しをしたい」と話す。
従来は政調会長が就いていた党の枢要ポストも他の議員に譲り、多くの議員を党の政策立案に巻き込もうとしている。一部の落選議員には政調会長特別補佐といった肩書を与えた。党の勉強会への出席を認め党の政策力の底上げも狙う。
政策通を自負する高市は「政局は苦手」と語るが永田町では「政策も政局」である。
来夏の参院選後、衆院解散がなければ国政選挙のない期間が最長3年続く。そのとき誰がどのような立場で影響力を行使するのか――。参院選後を見据えた駆け引きが「政策」の名の下にすでに始まっている。
1日に初会合を開いた党の財政政策検討本部。もとは財政再建を訴えていた岸田が政調会長時代につくった財政再建推進本部だ。それを高市が改組し名称も変えて積極財政色を強めた。岸田は新たに総裁直轄の財政健全化推進本部を立ち上げ路線対立が表面化した。
13日の衆院予算委員会では高市が北京冬季五輪の外交ボイコットを巡って岸田に詰め寄る場面もあった。「適切な時期に国益に照らして判断する」と従来の答弁を繰り返す岸田に、高市は「国益とは何か」とたたみかけた。
岸田にとって参院選で保守票を得るため今は高市を重用する利点はある。参院選後は分からない。高市は参院選までに政調会長としての見せ場をつくる必要がある。
「首相は衆知を集めてベストな政策を構築する姿勢をみせるべきだ」。高市は16年前、松下政経塾で師事した松下幸之助の言葉を引用して首相に求める資質を語った。その言葉は今、首相をめざすと公言する自身に向く。
●「アベノマスク」廃棄に最大6000万円 配布希望受け付け 12/24
後藤茂之厚生労働相は24日の閣議後の記者会見で、安倍晋三元政権が新型コロナウイルス対策で配布した布製マスク「アベノマスク」を巡り、在庫管理する約8000万枚を廃棄処分した場合、約6000万円の費用がかかるとの見通しを示した。厚労省は2022年1月14日まで自治体や個人からの配布希望を受け付ける。
これまで介護施設などに配布していたが、24日から自治体や個人などから受け付けを始めた。自治体向けは災害備蓄や地域住民への配布を想定し、個人向けは100枚単位で配る。配送料は国が負担する。
配布しきれなかった分はマスク以外の用途で購入を希望する事業者に売却する。それでも余った場合は22年3月ごろに廃棄を始める。11月末時点の在庫は約8054万枚ある。
政府は20年に布マスクを介護施設や世帯向けに約2億8700万枚調達したが、配布しきれず保管費用がかさんでいた。
●北方領土「2島返還軸」への転換認める 「100点狙って0点なら意味ない」 12/27
安倍晋三元首相は、首相在任中に取り組んだ北方領土問題を含むロシアとの平和条約交渉について、北海道新聞の単独インタビューに答えた。安倍氏は2018年11月のシンガポールでの日ロ首脳会談で、歯舞群島と色丹島の日本への引き渡しを明記した日ソ共同宣言を交渉の基礎としたことについて「100点を狙って0点なら何の意味もない。到達点に至れる可能性があるものを投げかける必要があった」と述べ、北方四島の返還ではなく、2島返還を軸とした交渉に転換したことを事実上認めた。「路線を考え直せば日ロ関係は100パーセント後退する」とも述べ、岸田文雄首相に対ロ外交戦略の継承を求めた。
インタビューは17日に東京都内で行った。安倍氏とロシアのプーチン大統領はシンガポールでの首脳会談で、1956年の同宣言を基礎に交渉を加速することで合意した。安倍氏が四島返還からの転換を認め、意図などを具体的に語ったのは初めて。ただ、その後の交渉は行き詰まり、安倍氏の判断が問われそうだ。
安倍氏は同宣言について「両国の国会で批准した、いわば協定に近い存在」だと強調。プーチン氏も宣言の法的有効性を認めており「ここにしっかりと立ち返る中で、問題を解決していく判断をした」と語った。
同宣言に国後、択捉2島への言及はなくロシア側は領土交渉の対象としない根拠としているが、安倍氏は「日本人がそこで経済活動をしている、住んでいる状況をつくることが足がかりになる」と指摘。この2島の返還は求めず、共同経済活動や自由往来を念頭に置いていたことをにじませた。
シンガポール会談で、同宣言を交渉の基礎に位置づけた理由について、自身の自民党総裁任期などを踏まえ、「時を失うデメリットの方が大きいと考えた」と説明。プーチン氏との信頼関係に加え、当時のトランプ米大統領も日ロ平和条約交渉の進展に理解を示していたとして「大きなチャンスだと考えた」と語った。
また、プーチン氏とはシンガポール会談で「相当詰めて話をしていた」と強調。一定の合意があったことを示唆したが、具体的な内容は明らかにしなかった。その後の交渉が停滞した理由については、ロシア国内での反対論の高まりが大きく影響したと指摘。19年1月にプーチン氏と再会談した際には「相当姿勢が後退していた」と明かした。
岸田首相に対しては、シンガポール会談と直後の18年12月のアルゼンチン・ブエノスアイレスでのプーチン氏とのやりとりを「確認してほしいと伝えた」と述べ、路線継承を求めたことを明らかにした。 ・・・
●次の首相へくら替え、「参院の壁」越え名乗り 林芳正 12/27
第2次岸田政権が発足して1カ月ほどたった12月4日。外相に就いて初めて地元の山口県に入った林芳正(60)が向かったのは父・義郎の眠る墓だった。参院からのくら替えを経た10月の衆院初当選と外相就任を報告した。
くら替えの機会を林は長らくうかがい、地ならしを進めてきた。
林は1月、引退後も参院に影響力を持つ元官房長官の青木幹雄(87)を訪ねて「地元の期待もある。精進したい」と衆院選出馬の意欲を伝えた。その直前には所属派閥、宏池会の会長を務めた古賀誠(81)に会って決意を伝達した。
衆院に転じた理由は2つある。1つは「将来は総理総裁に」との思いがあったからだ。原体験は1995年の参院初当選にさかのぼる。
「君はまだ若い。首相になるつもりがあるなら応援する」。地元の首長からこう声を掛けられた林は「頑張ります」と応えた。「(歴代首相を8人輩出した)長州・山口という土地柄、首相を目指すのが当たり前の空気があった」と振り返る。
それからおよそ20年後、2012年の自民党総裁選に挑戦したときに参院の壁にぶち当たる。「解散権を行使するときに首相が参院議員なら自分の首は切らない」と同僚議員に指摘された。出馬した5人の最下位に終わった。
この総裁選では安倍晋三(67)が勝利し、7年8カ月の長期政権を築いた。転身を決めたもう一つの理由が安倍の存在だ。安倍の地元、衆院山口4区は父の中選挙区時代の地元であり、林も参院で地盤とした。下関の学校にも通った。
中選挙区時代の父親の代から山口では両家の戦いが続いてきた。義郎は田中角栄、安倍の父・晋太郎は福田赳夫にそれぞれ近く、ライバル関係にあった。
山口は次期衆院選で小選挙区が1つ減る予定だ。林の3区と安倍の4区の一部が統合される可能性がある。今回の衆院選に出なければ総裁への道が遠のくとの思いもあった。
林は外相就任で一躍「次の総裁候補」に躍り出た。首相の岸田文雄(64)とは岸田派の会長と座長の間柄で、9月の総裁選で岸田を勝利に導いた立役者の一人だ。
「閣内でいろいろ支えてもらいたい」。岸田は第2次政権の誕生を翌日に控えた11月9日、林に電話で起用を伝えた。岸田政権に途中から加わった閣僚は林一人だったが、岸田の右隣の席に本会議でも閣議前の応接室でも座ることになった。
岸田が20年の総裁選で菅義偉(73)に敗れた後、「次の派閥の総裁候補は林だ」との声が急速に高まった。すでに複数の閣僚経験があった林自身も「いつかは再び挑戦したい」と明言する。岸田がライバルである林に政権の命運をともに背負わせたようにもみえる。
国際感覚はサラリーマン時代に培った。東大卒業後の1984年に入社した三井物産でタバコ課に配属され、アジアや南米の途上国を回った。退社後に米ハーバード大ケネディスクールに通い、上院議員の政策アシスタントをした経験もある。
林は「学生時代は政治家になるつもりはなかった。社会人になって海外に行き政治の役割の大きさを実感した」と述懐する。
11月17日、来日した米通商代表のキャサリン・タイ(47)との夕食会で林は英語で語りかけた。「私も農相時代にTPP(環太平洋経済連携協定)の交渉経験があるが、国益を守るのは大変な仕事です」。会談の場で硬い態度を崩さなかったタイの表情は一気に和らいだ。
米国務長官のアントニー・ブリンケン(59)と初めて電話した際は互いにバンド経験がある話で盛り上がった。林は元防衛相の浜田靖一(66)らと国会議員バンド「ギインズ」を組む。作詞作曲を主に担い、ボーカルやギターなどを多彩にこなす。
得意とするピアノは200曲のレパートリーを持つ。「ピアノ外交」のデビューは12月中旬の初外遊で出席した主要7カ国(G7)外相会合だった。
ビートルズの生まれ故郷でもある英中部リバプールで夕食会の記念撮影の場となったのは、ジョン・レノンゆかりの品を置いた博物館の一室だ。レノンが代表曲「イマジン」を弾いた白いピアノのレプリカで、林はイマジンの演奏を披露した。
米中対立のはざまで日本の国益を確保するには各国との協奏が欠かせない。「世界は1つになる」という歌詞で締めくくられるこのときの奏楽は拍手喝采を受けた。
●安倍元首相、再び不起訴 地元「桜は終わりに」「丁寧に理由説明を」 12/28
安倍晋三元首相の地元・山口県下関市では、安倍元首相が再び不起訴となったことに賛否の声が渦巻いた。
安倍元首相の後援会の幹部は「特捜部という最強の捜査機関が検察審査会の議決を受けて徹底的に再捜査した結果。これ以上に明白な事はない」と語気を強める。別の支持者も「不起訴という結果がすべてを物語っている。もう桜を見る会の問題は終わりにしてほしい」と静かに語った。
一方、前夜祭に出席した経験がある男性は「検察が不起訴とした理由を丁寧に説明しなければ、国民は納得できないのではないか」と疑問を示す。そのうえで「今では最大派閥の会長となり、党内では誰も安倍さんに説明を求めることができないのだろう。しかし、丁寧に説明しなければ自民党はいずれ見放される」と続けた。また、党員の男性は「選挙区から大規模に支持者を呼び、結果として補塡(ほてん) ・・・
●桜を見る会、安倍氏の捜査終結 検察と市民感覚に温度差 12/28
安倍晋三元首相側が主催した「桜を見る会」前夜祭を巡り、検察審査会の議決を受け再捜査してきた東京地検特捜部は28日、公職選挙法違反などの容疑について安倍氏を再び不起訴とした。「桜」を巡る安倍氏への捜査は終結した。「政治とカネ」の問題では検察捜査と、市民で構成する検察審との温度差が目立つ。専門家は「検察は不起訴の理由を丁寧に説明すべきだ」と話す。
焦点になったのは2018、19年の前夜祭での安倍氏側の支出が、有権者への「違法な寄付」にあたるかどうかだった。特捜部は最初の捜査の結果、20年12月に安倍氏をいったん不起訴としたが、告発者が検察審に審査を申し立て、東京第1検察審査会が今年7月に「不起訴不当」と議決。特捜部が再捜査していた。
特捜部は再捜査で、18年の前夜祭は時効が成立したと判断。19年の前夜祭では1参加者が寄付を受けた認識がない2安倍氏が有権者らに寄付をしたと認識していた証拠がない――などの理由から、改めて不起訴(嫌疑不十分)と結論づけた。
安倍氏は28日、「厳正な捜査の結果、不起訴と決定されたものと受けとめています」とのコメントを出した。
司法分野でも市民感覚を生かすため、裁判員制度の導入と同時に検察審に「強制起訴」権限が新設されたのは09年だ。市民で構成する検察審が2回「起訴すべきだ」と判断すれば強制起訴でき、これまで少なくとも10件の強制起訴が行われた。強制起訴に至らなくても、「不起訴不当」として再捜査を求めることもできる。今回のように「政治とカネ」を巡り、検察側の不起訴に検察審が異を唱える例が目立つ。
もっとも、政治家が刑事責任を負う結果につながることは少ない。小沢一郎元民主党代表の資金管理団体を巡る政治資金規正法違反事件では、検察審が「取り調べは不十分」と強制起訴を議決したが、裁判の結果、小沢氏は無罪が確定した。甘利明衆院議員の元秘書2人をあっせん利得処罰法違反容疑で不起訴不当とした事案でも、特捜部は不起訴とした。
背景にあるのが、有罪立証に高いハードルを課される検察と、疑惑の真相解明を求める「市民代表」としての検察審の立場の違いだ。
安倍氏の事案でも、検察審は「総理大臣であった者が、秘書がやったことだと言って関知しない姿勢は国民感情として納得できない」として不起訴不当を選んだ。一方、検察内部からは「政治生命を絶つ起訴を道義的責任や国民感情では判断できない」(幹部)との声があがった。
温度差の背景には検察側の説明不足もある。刑事訴訟法は「訴訟に関する書類は公判の前に公にしてはならない」と規定する。不起訴の場合は公判が開かれないため、検察は理由の開示に対してより消極的だ。
ただ同法は「不起訴処分は告発人の請求があれば理由を告げなければならない」とも定める。関西学院大の川崎英明名誉教授(刑事訴訟法)は、現状では国会の自浄作用が期待しづらいとして「政治とカネを巡る疑惑の捜査結果は、刑訴法や検察審制度の趣旨からも、理由や判断の経緯を国民により丁寧に説明すべきだ」と訴えている。
●安倍元首相を再び不起訴、捜査終結 「桜」前夜祭巡り 12/28
安倍晋三元首相側が主催した「桜を見る会」前夜祭を巡り、検察審査会の議決を受けて再捜査していた東京地検特捜部は28日、公職選挙法違反などの容疑について安倍氏を再び不起訴とした。「桜」を巡る安倍氏に対する捜査は終結した。
2018、19年の前夜祭で安倍氏側の負担した支出が有権者への違法な寄付にあたるなどとして、同法違反の疑いで告発された安倍氏について、特捜部は20年12月に不起訴とした。告発者が検察審査会に審査を申し立て、東京第1検察審査会が7月に「不起訴不当」と議決し、特捜部が再捜査していた。
特捜部は再捜査で、18年の前夜祭については時効が成立したと判断。19年の前夜祭を巡る公選法違反の容疑について1参加者自身が寄付を受けた認識がない2安倍氏本人が有権者らに寄付をしたと認識していた証拠がない――などの理由から再び不起訴(嫌疑不十分)と判断したとみられる。
あわせて告発され、不起訴不当議決を受けて再捜査していた収支報告書の記載義務を巡る政治資金規正法違反の容疑についても特捜部は同日、時効完成分を除き、不起訴(嫌疑不十分)とした。安倍氏が代表を務める資金管理団体ではなく、元公設第1秘書=同法違反罪で略式命令=が代表を務めた後援会に義務があったと判断したもようだ。
11人で審査する検察審査会は、8人以上が起訴を求める「起訴相当」か、6人以上8人未満の「不起訴不当」の議決が出ると検察側が再捜査する。起訴相当議決後に再び不起訴となっても2回目の起訴議決で強制起訴となるが、今回のように不起訴不当の場合は、検察側が改めて不起訴とすれば2回目の審査は行われず、捜査は終結する。
桜を見る会の前夜祭を巡っては、これまで弁護士グループや市民団体などから安倍氏や元秘書らに対する複数の告発が出され、特捜部が公選法や規正法違反の疑いで捜査した。主な告発分は略式起訴された元公設第1秘書を除いていずれも不起訴となり、検察審査会が不起訴不当と議決したが、特捜部が再捜査で不起訴としていた。  
 2022/1

 

●安倍元首相が新年早々「コロナ5類扱い」発言 政権に口出しで批判噴出 1/5
トコトン無責任だ。岸田首相に何かと袖にされる焦りからか、政権運営にやたらと口を出している安倍元首相が新型コロナウイルス対策にまで注文をつけ始めた。
感染症法上の分類を「季節性インフルエンザと同じ『5類』として扱う手はあります」と発言。そうなれば、たとえ感染しても日常生活の制約はほぼなくなるが、医療費の公費負担もナシ。国民は「自助」を強いられる。そもそも度重なるコロナ失策で求心力を失い、2度目の政権ブン投げに追い込まれる大失態を演じたのはお忘れのようだ。
新年早々、安倍元首相が吠えたのはアベ寄りで知られる読売新聞のインタビュー(1日付と3日付朝刊の全2回)。新型コロナは「指定感染症」に分類され、SARS(重症急性呼吸器症候群)などと同等の2類相当の措置が取られている。そのため、医療機関や保健所の負担軽減を理由に岸田政権に対し、「今年はさらに踏み込み、新型コロナの法律上の位置付けを変更してはどうか」と提言。こう続けた。
「入院治療が原則で、医療機関や保健所の負担は大きい。感染の仕組みが次第に解明され、昨年末には飲み薬も承認されました。オミクロン株への警戒は必要ですが、薬やワクチンで重症化を防げるならば、新型コロナを季節性インフルエンザと同じ『5類』として扱う手はあります」
そもそも、医療崩壊の原因は安倍政権下で始まった病床数の削減だ。医療費削減を理由に25年時点で最大20万床削減を目指し、自宅療養を推し進めてきた。安倍元首相の「5類発言」は、〈お前は出てこなくていい〉〈政権を投げ出したクズが口出すな〉などとネット上でも批判されている。
「傑作です。東京五輪の開催で頭がいっぱいで、手抜き対応を繰り返した人物が言うことでしょうか。マトモな人間であれば蟄居していますし、ましてやコロナ対策にクチバシを入れたりしない。尻に火がついている様子がアリアリです。関与が疑われている大規模買収事件をめぐる新たな動きに焦りを強めているのではないか。舞台となった広島の自民党県連会長に、岸田側近の寺田稔首相補佐官が就き、元法相夫妻に1.5億円を提供した自民党本部の対応を『説明が十分でない』『検証がなされていない』と言い始めています」(政治評論家の本澤二郎氏)
480億円超の血税をムダにしたアベノマスクは、岸田首相が強制廃棄を決定。迫れば迫るほど、逆にアベ排除が加速しそうだ。
●菅前首相グループが3月に派閥化か…“オミクロン政局”に備えて復権狙い 1/8
年明け早々、永田町では菅前首相のグループ「ガネーシャの会」を派閥にする動きが話題になっている。菅前首相に近い衆院議員のひとりは、派閥化のタイミングは「3月」と言い、こう続ける。
「役所に丸投げの岸田総理では、オミクロン株の急速な感染拡大に対応できません。菅さんのように役所の反対を押し切ってでもワクチン事業を進める腕力はないし、堀内ワクチン担当相は答弁もおぼつかない。今月17日から通常国会がスタートするが、ちょうど衆院予算委員会が佳境の2月ごろに感染がピークに達する可能性がある。野党からコロナ対応について厳しく追及されたら、立ち往生するのではないか。3月末の予算成立と引き換えに退陣もあり得ない話ではないですから」
つまり、派閥化は“オミクロン政局”に備えてのことだ。菅前首相のグループは現在20人弱に過ぎないが、岸田政権で非主流派とされるメンメンが同調するとみられている。石原派を引き継いだ森山前国対委員長、二階前幹事長、林前幹事長代理ら菅政権を支えたコアメンバーだ。
実際、昨年末に菅氏、森山氏、林氏、武田前総務相が会合を持った。二階氏本人は地元日程が入って欠席したが、武田氏は二階派の番頭格だ。そこに石破元幹事長も参加していたことが話題になった。石破氏とも手を組むのか。
菅前首相の番記者だった日本テレビ政治部記者の著書「孤独の宰相 菅義偉とは何者だったのか」には、昨年の総裁選で再選を確信していたのに出馬もできず、党内から引きずり降ろされた菅氏が漏らしたというこんな言葉が記されている。
「私は、ずっと昔から石破さんとは関係が悪くないからね」
「1人ではどうにもならなかった。派閥もなかったしね」
わずか1年で退任に追い込まれた菅前首相は、派閥の重要性を身に染みて感じたのだろう。「菅派」結成で復権を狙い、岸田がコケた時にはまさかの再登板もあるかもしれない。
菅派と二階派、森山派、そして石破グループなど非主流派が結集すれば90人規模で、最大派閥の安倍派に対抗しうる一大勢力になる。派閥化が3月に実現しなくても、そういう動きがあるだけで岸田首相にとっては大きなプレッシャーになりそうだ。
●菅前首相、グループ結成に意欲 「縦割り」打破へ30人 1/11
菅義偉前首相(衆院神奈川2区)は10日までに神奈川新聞社のインタビューに応じ、「行政の縦割り打破」を目指す議員グループの結成に意欲を示した。安倍晋三元首相が最大派閥(95人)を率い積極財政路線を打ち出す中、財政健全化論者の菅氏が動き出すことで自民党や政権内での政策論争が高まるのは必至だ。
坂井学前官房副長官(5区)が率いる「ガネーシャの会」(約20人)、島村大厚生労働政務官(参院神奈川選挙区)がまとめる参院有志の会(約10人)など菅氏の内閣を支えてきた無派閥議員約30人がメンバーとなる見通し。旗揚げの時期は本年度内や参院選の前後などが浮上している。
同党幹部によると、二階俊博元幹事長の派閥(44人)や森山裕前国会対策委員長の派閥(7人)などからの参加も見込まれ、規模はさらに膨らむ可能性も高い。
菅氏は「政策ごとに人が集まってくるのが一番健全。政策目標としては行政の縦割りを打破すること」とした上で、新型コロナウイルスのワクチン接種、ダムの防災運用といった縦割り解消の実例を列挙。「縦割りのためできないことを見つけ出して壊して、国民の命と暮らしを守る」とグループ化の意義を説明した。
財政健全化については「旗は降ろさない」と明言。「経済あっての財政との前提で改革を促したい」と軸を示した。
●コロナ禍の首相交代劇 安倍晋三の証言 「総理の人事 非常に孤独」 1/14
コロナ禍で日本社会が大きな岐路に立った2021年。総理大臣の座は、菅義偉から岸田文雄へと移行した。ワクチン接種をコロナ対策の切り札として推し進めながらも支持率が落ち込み、志半ばで退任した菅。その舞台裏で何があったのか?そして前回の自民党総裁選挙で大敗した岸田は、どのように総裁の座を手にすることができたのか?キーパーソンによる証言からコロナ禍の政権移行の内幕に迫り、日本政治の行方を展望。NHKスペシャル「永田町・権力の興亡」の取材をもとに、詳細な証言を掲載する。今回は、元総理大臣の安倍晋三に聞いた。
菅政権について
Q)まず、菅義偉・前総理大臣について。総理大臣退任の際、長年、政権を支えてきた菅氏にどんな思いを託したのか?
A)7年8か月、ずっと政権を安定させるために、まさに人生を懸けてくれたと思います。寝食を忘れて全力を傾けていただいた。ですから、菅さんであれば安心して政権を託せるなと思っていました。事実、期待に応えてくれた。菅さんも当時は、安倍政治を経済政策や外交で継承するということを明確に打ち出しておられた。その意味でも大変、安心していました。
Q)この1年、目まぐるしく政局が動いたが、菅政権をどういうスタンスで見ていたか?
A)菅政権というのは、コロナに立ち向かい、戦い続けた政権だったと思います。そして、ワクチン接種等では、菅総理のリーダーシップの下に大きな成果を上げました。しかし同時に、オリンピック・パラリンピックを開催していくという大きな責任も負っていて、コロナ禍で開催するかどうかの決断を迫られました。ちょうどコロナ感染が拡大していく中での難しい判断だったと思いますが、開催国としての責任を果たしていくと。私は英断だったと思います。一方、総裁選、その後の(衆議院)総選挙が迫り、コロナの感染が拡大していくという非常にタイミングが厳しくなっていく中において、菅総理も、どう政局を乗り切っていくか苦闘しておられたと思います。私は菅総理を支持していくという方針を決めていましたから、どのように党内を、あるいは当時の細田派をまとめていくか。何としても私の責任を果たさなければいけないと、ある意味、大変苦しい思いだったんです。
二階元幹事長について
Q)菅氏を支えていた二階俊博・元幹事長について。手腕をどう見ていたか?
A)二階さんという政治家は、二世議員が多い中にあって一代で今の地位を築き上げ、かつては田中角栄さんからも一目を置かれ、小沢一郎さんからも頼られ、郵政選挙においては小泉さんに信頼され、結果を出しました。そこで私は二階さんの実力、熟練の仕事師としての力に期待したんです。二階さんに対して、いろんな評論をする人がいますが、二階さんが端倪(たんげい)すべからざる人物であるということは、誰もが認めるところだと思います。大いに練達の政治家としての実力を発揮してくれたと思います。
Q)一方、人事で二階派議員が重用されることなどに、党内でいろいろな評価があったが、どう見ていたか?
A)自民党は、まさに実力の世界ですから、結果を出している限りにおいては、みんな評価をするんです。二階さんは幹事長になってからも、とにかく選挙に勝ち続けました。かつ、政権を安定させていく上で大きな力を発揮されましたし、私が(自民党総裁に)3選する上でも、今まではできなかったものを変えた。これは大きなことだったと思います。ですから私も信頼をしていましたし、二階派の人たちを重用していたのではないかという批判があったことも私も承知していますが、それはバランスの問題だと思います。濃淡はありますが、幹事長はやっぱり自分の派閥にいる人材についてよく知ってますから。どうしても気心の知れた人を登用していくことにはなるんだと思いますが、要は登用した人を含めて、結果を出せているかどうかということに尽きるんだと思います。
コロナ禍での政局について
Q)コロナの感染拡大に伴って菅内閣の支持率が下落する中、7月29日に麻生太郎・副総裁(当時は副総理兼財務大臣)と会談したとのことだが、どんな話をしたのか?
A)麻生副総裁とは、歩いても車でも5分くらいで家が近いものですから、よく夜、私や麻生さんの自宅で一杯飲みながら、今後の大きな方針についてゆっくり話をします。その時も、党内の状況等について意見交換をしました。そして確かに党内の若い議員が動揺しているということは共通認識だったんですが、そもそも菅政権をどうやって支えていこうかということで、2人はその日、私の自宅で会いました。ですから、それを念頭に現状分析をするとともに、どう対応していこうかということを話し合ったんですかね。
Q)8月の横浜市長選挙で小此木八郎・元国家公安委員長が敗北したが、選挙結果をどう受け止めたか? そして政局はどうなっていくと感じたか?
A)小此木さんは菅政権の大臣でしたし、菅総理の側近でもあった政治家があえて議席を捨てて市長選挙に出ると。それは大変な決断だったと思うんですが、総理の地元で残念ながら結果が出なかったということは、我々も党もショックでした。
Q)小此木氏からは立候補する際に何か連絡はあったのか?
A)小此木さんは、平成5年の初当選同期なので親しくしているんですが、その時に挨拶に来られました。私もちょっと驚いたんです。まさにこれからという政治家ですから。上り坂の人が、いわば道を変えるっていうのは珍しいんですよね。普通、ちょっと上り坂から、だんだんステップダウンしていく。下降局面に入ってから別の道に行くということはあるんですが、上り坂の政治家ですから、「なんで出るんだ」というふうに私も話しました。
Q)そこには菅氏の思いがあったのか?
A)そもそもが小此木さんの判断だと思います。小此木さんは非常に市長選挙にこだわりを持っていたのかもしれません。菅さんが判断して小此木さんを出したのではなくて、小此木さんが判断して出ることを決め、出る以上は菅総理も全面的に応援しようという判断をされたんだと思います。
Q)菅氏のお膝元の横浜市長選挙の敗北について、党内の動揺は?
A)衆議院選挙が近い中において、この敗北は大変大きいということを言う人はいましたけど、我々はむしろ、そういう動揺を鎮めなければいけない立場だったんで、菅総理の地元とはいえ、一地方選挙なんだから、衆議院選挙は衆議院選挙で頑張っていこうという話をしました。
解散報道と菅氏の退陣について
Q)解散・総選挙の時期が取り沙汰される中、菅氏が、幹事長人事を行うことを耳にした時は、どう受け止めたか?
A)おそらく菅総理は、執行部の人事を行って解散ということが基本的な考え方だったと思います。ですから、私は総裁選をやって勝って、人事を行って、解散・総選挙ということだろうと思ってました。
Q)何かアドバイスをしたのか?
A)私は、7年8カ月の総理の時代、人事を何回もやりましたけど、相談したということは全くと言っていいほどないんです。非常に孤独な、難しい、苦しい判断なんですが、人事は1人で行っていました。発表する前にいろんな方にお伝えするということはあります。その際、いろんな感想を述べられることがあります。でも、人事は決めてからお伝えして、その前に相談するということはないです。政治家に相談すると、その政治家の思惑の上の答えが返ってくるわけですから。そして、その通りにならなければ、せっかく相談したにも関わらず、相手が不愉快な思いになりますから。ですから私も基本的には、全ては総理が決めたことに従っていくという考えでした。いろんなお話を受けた時にもです。
Q)相談はあったのか?
A)いや、全くなかったわけではありませんが、基本的には、それはもう「総理の思い通りにやってください」ということを常に私は言っていました。
Q)8月31日に、菅氏が解散に踏み切るという報道が流れた際、安倍氏は菅氏と電話で話をしたと聞く。
A)2人だけの会話ですから、あまりつまびらかにお話をすべきではないと思いますが、当時の党内の状況についてお話をしました。もちろん、私は「菅総理の最終的な判断を支持します」ということは明確にしていました。その上で、党内には当選1回、2回、3回の議員が多いですから、「相当、動揺している」と。その中で「(もし解散すれば)相当の不満が出る可能性は高いのではないか」ということは伝えました。
Q)菅氏から解散への強い意思を感じたか?
A)そういう話はなかったです。解散という報道は出ていたけれども、私に対して菅総理から「解散したい」とか、そういうお話はなかったです。ですから、私は2人で話した時には、解散というのは、もしかしたらガセネタに近いのではないかと思いました。
Q)党内の現状を伝えたと。
A)そういうことです。
Q)その後、菅氏は総裁選挙に出ないことを表明したが、その決断をどう受け止めたか?
A)私も、第1次政権、第2次政権で辞任を表明したときは、それぞれ体調が悪化したということもありました。つまり責任を果たせない。責任とは何かと言えば、総理大臣は、いろんな判断・決断をしなければいけません。判断・決断をするには、精神的にも肉体的にも相当消耗しますから、それに耐えうる精神力と肉体がなければ責任を果たすことができない。総理大臣は全ての責任を背負っています。全ての評価も批判も1人で受け止めるわけです。言ってみれば、風がビュービュー吹いている中で1人立っているようなもの。その中で前に向かって進んでいきますから「もうこれは駄目なのではないか」と思った瞬間に、なかなかもう立っていることができなくなっていくんです。おそらく菅総理も、コロナ対応においては全く正しい判断をし、リーダーシップで前に進め、感染沈静化という状況をつくり出した。成果を上げている。オリンピックでもそうです。しかし当時は、感染が拡大して大変な非難を受け、党内でも当時は当選1〜3回の若い議員が多くて、残念ながら大きな不安や動揺が広がる中において、総裁選も戦いながらコロナ対策も進めていく。その後の(衆議院)総選挙の陣頭指揮を取れるかどうか。やはり精神的にも相当消耗されたんだろうと思います。であるならば、残りの任期、コロナ対策に全力を傾け、政局から退いて行政の長としての責任を果たしていこうという判断をされた。それは大変難しい判断だったと思います。もし総裁選が1か月後であれば、局面は全然変わっていたんでしょうけど、それは待ってくれませんから。
Q)潮目や転換点はどのタイミングだったと思うか?
A)非常にきつくなったなと感じたのは、(横浜)市長選挙で敗北した時です。しかし、私が急に総理を辞める中において、大変な中で立派に引き継いでくれた菅総理。そして、7年8カ月、官房長官としてひたすら汗を流し続けてくれた菅総理を最後まで支持するということは、心の中にも強く決めていましたので、苦しい中でも何とかしなければいけないと思いました。
岸田氏の総裁選立候補について
Q)一方で、岸田文雄・総理大臣が8月26日に総裁選への立候補を表明し、党役員の任期制限を打ち出した。どのような印象を持ったか?
A)岸田さんというのは、非常に温厚で誠実なお人柄の方ですよね。その岸田さんが、任期制限というのは、(二階)幹事長に対しての宣戦布告をされたということですから、随分、思い切った決断をしたんだなと思いました。ある意味、今までの岸田さんとは違うということを示すことができたと思っていました。「これが最後のチャンスだ」という覚悟が伝わってきましたね。
Q)岸田氏の変化は感じたか?
A)大変強い覚悟のもとに生き生きとしておられました。ある種、振り切れたような、勝負に自分の人生をかけるということだったんだと思います。
Q)岸田氏とは一昨年の総裁選挙のあとも会談を重ねていたが、政策面での意見交換や、アドバイスはしたのか?
A)岸田総理とはいろいろと話をしました。政策面においても、私がいろんな要求をしたというより、岸田総理の方から、自民党の保守派、あるいは党を支持している保守系の無党派層に対して、その期待を裏切ることはないし、保守党たる自民党の舵をどちらかに切ろうということは考えていないという趣旨のお話はありました。
Q)去年6月に岸田氏が創設した、資本主義に関する議員連盟の最高顧問に就任したが、岸田氏から直接要請があったのか?
A)岸田さんから要請を受けました。そこで参加させていただいたんです。私も、いわゆる「アベノミクス」を進めたんですが、成長戦略を打ち出していく中において、規制改革、規制緩和も行いましたが、いわゆる新自由主義とは味の違うものをやろうと思っていたんです。ですから、よく「瑞穂の国の市場主義」ということを申し上げて、強欲を原動力とはせずに、道徳を重んじて真の豊かさを知る市場主義を目指していきたいと。そういう意味においては大体同じ方向なんだろうとは思っていました。
自民党総裁選挙での高市氏支援について
Q)一方で、総裁選挙では、高市早苗・政務調査会長を支援したが、どのような戦略や思いだったのか?
A)早くから相談がありました。私は、菅総理を支持するということを明確にしていましたので、はっきりと断っていましたが、菅総理が出馬をされないという判断をする中で、保守派の論客としての立ち位置を続け、風圧に耐え続けてきた高市さんを、私は評価をしていました。総裁選となる以上、党内でさまざまな意見がある中において、くっきりと保守派の考え方や意見を明確に述べる人が立候補した方がいいだろうと考え、彼女の立候補のお手伝いをしました。
Q)仮に河野太郎氏と岸田氏が一騎打ちになった場合、どのような可能性があると見ていたのか? 高市氏が入って三つ巴になるというのはどういう戦略だったのか?
A)(岸田氏と河野氏の)一騎打ちになれば、ムードに流され、(河野氏の)一方的なワンサイドゲームになる危険性もあったと思うんです。私は、じっくりと議論を深める中で、党員の皆さんに考えてもらった上で選択していただく必要はあるなと思ったんですね。結果、そうなったと思います。三つ巴になるから、例えば「岸田さんが有利になる」ということまで考えたわけではありません。結果としては、そうなる可能性は高いだろうとは思いましたが、それを狙って高市さんを応援したのではなくて、単純に保守派の主張をしっかりと述べる候補が注目を浴びる、新しいスターが誕生する。それも女性候補であり、新しい保守が誕生すると。自民党にとっても、日本にとっても大切なことだと思いました。
Q)河野氏は、小泉進次郎・前環境大臣や、石破茂・元幹事長と連合軍のような形で戦いを展開したが、どう見ていたか?
A)それも1つの考え方で、国民的な人気の高い人たちを集め、いわば「永田町の論理」対「国民」という構図をつくると。選挙はストーリーですから、1つのストーリーをつくったなとは思いました。しかし、党員票である程度の狙いは達成されたんだと思いますが、当初の思惑ほどではなかったと思います。それは、高市さんが出て、議論・討論が行われる中で、誰が優れているか、どの政策がより練り込まれたもので成果や結果を出せるかという判断をしていただいたのかなと思います。なるべくじっくりと見てから投票していただきたかったんですが、見る前に投票する人も多い。しかし、見ていただいた人は、割と高市さんに投票した人が多かったように思います。最初は予想以上に無名で、非常に支持率が低かったんですが、討論会を重ねる度にだんだん上がってきましたから。
決選投票に向けた戦略について
Q)安倍氏自身もかなり活発に政局的な動きをしていた。岸田氏らとはどういうやり取りがあったのか?
A)総裁選挙は、第1回目の投票で過半数を取れなければ、決選投票があります。その中で、みんな何とか合従連衡を図りながら勝利を勝ち得たいと考えていますから、皆さんからいろんなお話をいただきました。こちら側もいろいろな働きかけを。もしこちら側(高市陣営)が2位に残った、あるいは1位でも過半数を取れないという状況においては、決選投票の時に1位になれるような工作をするというのは、戦いの中では当然のことだろうと。お互いにですね。
Q)岸田氏とも終盤で意見交換していたようだが、人事の話も含めてか?
A)岸田さんとは、議員会館が同じ棟で同じ階ですから、たまに私の事務所に寄られるという関係でしたから。よく話はしていましたので、総裁選が始まってからも、いろんな話もさせていただきました。人事の話は全くしていませんけれども。
Q)決戦投票になった場合の話や、戦いの面での最後の詰めという感じか?
A)戦いの場に入った時に、最後、岸田さんとは協力できるなとは考えていました。
Q)二階氏とも選挙戦終盤に会談したようだが、そうした工作の部分もあったのか?
A)生々しい中身ですから申し上げられませんけれども、当時の二階幹事長とは、基本的に意見交換と、私の考え方について申し上げたということです。
岸田政権について
Q)岸田政権が発足した。林外務大臣の起用など、人事はどう見ていたのか? 一部では岸田氏との間で距離ができているという見方もある。実際はどうなのか?
A)私は、人事は、総理が1人で判断し決断するべきだと考えているんです。責任を負うのは総理1人ですから。相談した相手は責任を持たない。私も岸田さんからいろんな話をいただいた時も、もちろん前広に相談していただくことは大変ありがたいんですけども「それはもう総理のご判断です」ということを常に申し上げています。ですから、世上よく言われている外務大臣の人事について、私が何か意見を言った、あるいは反対したというのは全く事実と異なります。「それはどうぞ、総理お決めください」というふうに申し上げました。
Q)麻生氏との関係はどうか? 一部では少し溝ができたのではないかという見方もある。
A)全くそんなことないです。安倍政権7年8カ月、ずっと副総理でした。2012年の総裁選は、麻生さんの支援があった。私を支持するというのは難しい判断だったと思います。私は必ずしも本命候補ではありませんでしたから。以来、政治的には盟友関係で今日に至ってますし、麻生さんの人生哲学、美意識において、一度結んだ盟友関係を裏切るとか、自分の利害損得で関係にヒビを入れるということは絶対にしない人ですから。家も近いですから、今でもたまに麻生さんも来られますし。この前も、茂木幹事長も入られましたが、3人でゆっくり。麻生さんは常に胸襟を開いた方で、いろんな話をされますから。話は早いです。そういう意味では。
Q)茂木幹事長も交えて政局的な話も?
A)そうですね。茂木さんも麻生さんも、お互いに胸襟を開いて話ができる関係になっていますから、話は早いんです。すぐに核心に至るということ。そういう会話だったと思います。
今後の政局は 権力とは
Q)安倍氏の再々登板というのはあるのか?
A)それは全く考えてないですね。永田町でも、それは誰も考えてませんから。
Q)期待の声があることについては、どう受け止めているのか?
A)それは一部ですね。そうやって励ましてくれる人がいることは、大変私も感謝していますが、今は第一派閥として岸田総理を支えていく。これが私の使命だと思っています。
Q)安倍氏にとって権力とはどういうものか?
A)権力とは、政策を実現する上において絶対的に必要なものですよね。だからこそ、権力をつかみに行く戦いが起こる。権力闘争に勝ち抜くことによって力を手に入れ、まさにパワーを持っている人が政策を完遂することができるということなんです。国際政治の場でも力を発揮することができるということだと思います。
Q)岸田氏のパワーをどう見ているか?
A)まず熱があって、そこからエネルギーを発し、それがパワーになっていく。そのパワーによって、権力という政策を実行する上で絶対的に必要な力を得るんだと思いますが、その力を岸田さんは得て、選挙に勝ち、補正予算も組み、だんだん自信を持ってこられたのかなと思います。
●MMTは「フグ料理のよう」と安倍前首相...「料理人」次第で美味にも猛毒にも 1/18
<インフラ整備や教育拡充のための赤字支出は未来世代にツケを残すことにはならない>
ジョー・バイデン米大統領の看板政策とも言うべき大型歳出法案BBB(ビルド・バック・ベター/より良い再建)は昨年末、民主党の身内であるジョー・マンチン上院議員が反対を表明したことで事実上頓挫した。マンチンが反対理由に挙げたのはアメリカが抱える「膨大な債務」だ。反対勢力の共和党もそれを問題にしている。大盤振る舞いで財政赤字が膨れ上がれば、未来世代が重い税負担にあえぐことになる、というのだ。
本当にそうなのか。現代貨幣理論(MMT)の信奉者は躍起になって否定するだろう。
BBB法案反対派は伝統的な均衡財政論を信じ、政府も民間企業のように収支の帳尻を合わせなければならないと主張する。だがMMTによれば、債務が自国通貨建てであれば、政府がデフォルト(債務不履行)に陥る心配はない。確かに過剰な政府支出はインフレを招くが、物価が安定している限り、政府は公共財に投資し、雇用を支えるために借金して大枚をはたいても構わない、というのである。
MMTは目新しい理論ではないが、ここ数年注目を浴びるようになった。そしてその支持者の相当部分が「熱狂的な信者」となり、批判に一切耳を貸さなくなっている。一方、主流のエコノミストは概してMMTを異端扱いし、その名を口にすることさえ忌避するような風潮もある。
繁栄を維持する手段に
MMTの熱狂的な支持者と断固たる反対派が双方とも意固地になっている限り、建設的な議論は望めない。政策に影響を受ける国民にとってこうした状況は百害あって一利なしだ。MMTは問題含みの理論だが、使い方次第で非常に理にかなった有用なツールともなるからだ。
MMTの有用な部分は、基本的には「機能的財政論」(FFT)にほかならない。1943年に経済学者のアバ・ラーナーが提唱したFFTは次のようなものだった。「自国通貨建ての債務を抱えた政府は貨幣を印刷すればデフォルトには陥らないが、インフレのリスクには直面する。それを回避するためには財政均衡を目指すのではなく、完全雇用を達成し、需要と供給のバランスを取ることが重要である」
ラーナーの考えでは、政府が賢く対象を絞って行う赤字支出は「繁栄を維持する」ための有効な手段となるのだ。
FFTに基づけば、教育やインフラ整備、再生可能エネルギーへの転換に投資するBBBは是認すべき法案となる。財源は100%税収だとバイデン政権は主張しているが、反対派が予想するように結局は借金することになるとしても、それは問題だろうか。老朽化したインフラ、お粗末な人的資源、気候変動で荒廃した地球を受け継ぐほうが、未来世代には重税以上に深刻な負担になるのではないか。
確かに、アメリカの政策立案者もこうした投資、特にインフラ投資の重要性は認めている。昨年11月には超党派の支持を得て1兆ドル規模のインフラ投資法案が成立し、送電網の整備、鉄道の刷新、高速インターネット回線の拡充などに予算が投じられることになった。だが民主党の一部議員でさえ、これらの公共事業の費用は全て税収で賄うべきだと主張した。MMT(もしくはFFT)のロジックに対する財政再建派の抵抗はかくも根強いものなのだ。
ただし断っておくが、MMTとFFTは同義語ではない。MMTにはFFTにない要素が2つ加わっていて、私の考えでは、それらは健全とは言えない。1つは、中央銀行は政府の景気対策を助けるような金融政策を実施すべきだというもの。例えば金利を低いままに抑えるといった政策だ。
その背景には、通貨供給量ではなく、金利こそが重要な変数だというポスト・ケインズ経済学の発想がある。それはストックとフローの相互作用と期待インフレの役割を重視する従来の経済学の考え方とは相いれないものだ。
それ以上に問題なのは、金利が低く据え置かれると物価が上がり始め、インフレが過熱しかねないことだ。MMTの支持者は、増税により総需要を管理して物価上昇を制御できると言うが、そんなやり方で抑えられるほどハイパーインフレは甘くない。
「フグ料理のようなものだね」
2つ目の不健全な要素は、完全雇用を維持するために政府がインフレ圧力を緩和しつつ、雇用保障を提供すべきだと主張していること。こちらはさらに問題だ。この主張は社会主義に傾斜しすぎていて、政府が労働市場に過剰に介入することにもつながる。
かつて私が安倍晋三元首相にMMTについて説明すると、彼はフグ料理のようなものだね、と言った。名人がさばけば美味な一品となるが、料理人の手元がちょっと狂えば、食べた人は毒にあたって死ぬ。
これは実にうまい例えだ。政策立案者がMMTの有用な部分、つまりFFTを採用するなら、今の世代と未来世代にさらなる繁栄をもたらす新たな選択肢が生まれる。だが下手な料理をすれば、致命的な結果となりかねない。
●Nスペ「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」 1/18
16日放送のNHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」は、昨年の菅退陣の背後でうごめいた権力者が登場し、あの時どんなふうに考え、どのように振る舞ったかを語る設定だった。政局後にそれなりに時間が経過してことの次第を振り返るならまだしも、退陣から半年も経たない中での生々しい番組内容。その仕掛け人に注目が集まっている。
番組の惹句にはこうある。《「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 コロナ禍の首相交代劇」コロナ禍で日本社会が大きな岐路に立った2021年。総理大臣の座は、菅義偉から岸田文雄へと移行した。ワクチン接種をコロナ対策の切り札として推し進めながらも支持率が落ち込み、志半ばで退任した菅。その舞台裏で何があったのか? そして前回の自民党総裁選挙で大敗した岸田は、なぜ総裁の座を手にすることができたのか? キーパーソンによる証言からコロナ禍の政権移行の内幕に迫り、日本政治の行方を展望する》
主だった登場人物を並べると、自民党からは岸田首相、麻生太郎前財務相(元首相)、安倍晋三元首相、菅義偉前首相、甘利明前幹事長、二階俊博元幹事長、茂木敏充幹事長、河野太郎前ワクチン担当相、石破茂元幹事長、立憲民主党からは泉健太代表、辻元清美前副代表といった面々である。
出演の動機は? 
NHKではない社の政治部デスクによる「視聴記」を聞くと、「錚々たるメンバーで、よく集めたなぁという感想を持ちました。実力者が部屋に入ってくるのを捉えるカメラアングルや証言者への照明はセンスよく、練られた政治ドキュメントだと思いました。これまでにも同趣向のドキュメントはありましたが、今回は菅さんの退陣という政局から1年どころか半年も経っていないわけで、そんな中で関係者が揃ってカメラの前で内幕を明かすというのはあまり聞いたことがないですね」
ある意味で、政界の常識を破る出演だったとも言える。取材に応じた実力者たちにはどういう動機があったのか? 
「彼らにとってメリットがあるか否か、しかありませんね。首相経験者の麻生、安倍、菅の3氏は影響力を保持してキングメーカー側であり続けたいし、茂木氏は次の首相・総裁候補として名をさらに売っておきたいし、二階氏にも終わった人扱いされるのはサラサラごめんだという考えがあったはずです」
もっとも、これまで流布してきた話や情報を覆す新しいストーリーが展開されたわけではなかったという。
麻生さんの好き嫌いが露骨に出ていた
このデスクが続ける。
「コロナ禍で菅政権の支持率が下げ止まらない中、菅首相で総選挙は戦えないのではないかという党内の声が高まっていった。首相のお膝元の横浜市長選で、菅さんが肩入れした候補が敗れる前後から実力者がうごめき始めた。菅さんが総裁選の前に解散に打って出るのではないかと報じられたが、それは事実ではない。菅さんがコロナ禍でワクチン接種に全力を注いだ結果、今の岸田政権の安定がある……そんな内容をなぞる証言集でしたね。僕らはこうやって権力ゲームをやってるんですよっていう示威行為に近く、これじゃ政治は変わらないよなぁと思った人も少なくないとは感じました」
その中で興味深かった点についてあげてもらうと、「麻生さんの好き嫌いが露骨に出ていたところ」と話す。
例えば横浜市長選前の7月29日に麻生、安倍の両氏が会談した時の中身について、麻生氏が《「菅でこのまま行くんだったら早めに選挙を」ということは申し上げましたし、その時は全国を回れる元気の良い幹事長で、早めにやった方が良いという話はいろいろしたような記憶はありますね》と語っていることだという。
いわゆる「二階切り」だが、実際、岸田氏は総裁選への立候補を表明する際、党役員の任期制限を打ち出したし、菅氏も二階氏に交代を打診している。
安倍さんをグリップしていることのアピール
デスクの言う「麻生さんの好き嫌い」については、総裁選でも露骨に出ていた。自派閥の「大事なタマ」という河野前ワクチン担当相が、小泉進次郎前環境相や石破元幹事長と「小石河連合」を結成したことについて、麻生氏はこう語っている。
《よく分かっておられないなと思いましたね。やっぱり政局が分かってる人が秘書官なりにいれば、その部屋に入って行こうとしたら、後ろから止めるでしょうね。「石破の部屋には行っちゃいかんですよ」と言って、うちの秘書だったら止めると思いますね。だけど誰もついて行ってなかったのか、どうして行かれたんだか知りませんけど。しかも中で20〜30分しゃべっている。石破さんが付いたら増える票もあるでしょうけど、減る票もあるという、そちらの読みができないと、やっぱり選挙っていうのは難しいんだと思いますけどね》
最後に、現時点でのオールスターを集めて番組を構成できたことについて、NHK幹部に聞くと、「安倍さんに最も食い込み、スクープを連発してきた岩田明子記者はかなり前のめりになって精力的に取材していましたね。去年の人事で政治部は菅シフトを敷き、菅さんに全く食い込めていなかった岩田記者は長年所属した政治部を離れることになったものの、菅さんが退陣し、岸田さんとはかなり近いこともあって岩田記者が復権してきました。今回、安倍さんへのインタビューを岩田記者が務めていたことは、安倍さんをグリップしていることのアピールだと受け止められています」
永田町だけではなく局内の政局も絡み、出演者のみならず作り手側にもメリットがあったということになるだろうか。
●対中政策で「安倍晋三路線」を走る岸田文雄内閣 1/26
岸田文雄首相とアメリカのバイデン大統領は2022年1月21日、オンライン首脳会談を行った。日米両国は2022年1月7日の外務・防衛担当閣僚協議「2プラス2」で、台湾有事の初期段階にアメリカ海兵隊が自衛隊とともに南西諸島を「機動基地」に、中国艦船の航行を阻止する「共同作戦計画」の推進にゴーサインを出したばかり。閣僚人事などをめぐって安倍晋三元首相との「溝」がささやかれる岸田氏だが、日米同盟を「対中同盟」に変質させ、中国を軍事抑止しようとする安倍路線を継承・加速する姿勢を鮮明にした。「核廃絶」をうたってハト派色を見せようとするイメージ作戦の陰から対中タカ派の素顔がちらつく。
半分は中国情勢に費やす
日米首脳会談は、岸田氏が第2次政権スタート以来、訪米による実現を強く希望していた。しかしバイデン大統領が、コロナ予算をめぐる民主党議員の離反など内政問題に忙殺されて実現せずオンライン会談となった。
外務省の記者発表によると、1時間20分の会談では1「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向け、日米豪印(クアッド)首脳会合を今年(2022年)に開きバイデン氏も出席、2経済安全保障について緊密な連携を確認し、閣僚レベルの日米経済政策協議委員会(経済版「2プラス2」)の立ち上げで合意した。
首相側近によると、会談の半分は中国政策に費やされたという。そこで、対中政策で何が合意されたのかを整理する。外務省によると、両首脳は1東シナ海や南シナ海における一方的な現状変更の試みや経済的威圧に反対、2台湾海峡の平和と安定の重要性を強調し、両岸問題の平和的解決を促す、3香港情勢や新疆ウイグル自治区の人権状況について深刻な懸念を共有、で一致した。
この3点は、2021年4月の菅義偉前首相とバイデン大統領の首脳会談の内容を「上書き」する内容であり、新味はないが、岸田氏が対中政策で安倍路線を「継承」した根拠でもある。一方、安倍路線の「加速」の根拠を挙げる。
1日米「2プラス2」の共同発表を支持。日米同盟の抑止力・対処力の一層強化で一致。岸田首相から、新たに国家安全保障戦略、防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画を策定し、日本の防衛力を抜本的に強化する決意を表明し、バイデン氏も支持。
2日米安保条約第5条の尖閣諸島への適用を含む、揺るぎない対日防衛コミットメントおよび拡大抑止について力強い発言。
ここで「日米共同作戦計画」の内容を紹介する。「2プラス2」の日米共同発表は、計画に直接触れていないが、「同盟の役割・任務・能力の進化及び緊急事態に関する共同計画作業についての確固とした進展を歓迎」という記述があり、日米専門家は「共同計画作業」の具体案が共同作戦計画だとみている。
国際政治学者でアメリカのジョージ・ワシントン大学のマイク・モチヅキ准教授は2021年春、国際政治学者と軍事専門家が参加した台湾有事に関する「机上演習」(ウォーゲーム)の結果を筆者に紹介してくれた。モチヅキ氏は、台湾有事では、米軍による在日米軍の自由アクセスと後方支援がなければ「米軍は中国軍に勝てない」との結果が出たとし、この2条件を盛り込んだ対日要求シナリオの一つとして、「南西諸島での中国艦船の通過阻止とミサイル配備、台湾島嶼(しょ)部の防衛と情報収集・警戒監視・偵察活動など自衛隊の防衛力強化」を挙げた。
2021年3月に東京で開かれた「2プラス2」の際、岸信夫防衛相がオースチン国防長官に「有事で日米の緊密連携」を確認するとともに、「台湾支援のアメリカ軍に自衛隊がどう協力するか検討」を約束した。モチヅキ証言と併せて考えれば、共同作戦計画は2021年4月以降、日本とアメリカの制服間で具体的策定が開始されたとみていいだろう。
南西諸島40島が軍事拠点に
一方、共同通信は2021年12月23日の記事計画原案をスクープした、その概要を紹介すると、
(1) 台湾有事の緊迫度が高まった初動段階で、アメリカ海兵隊は自衛隊の支援を受けながら鹿児島県から沖縄県の南西諸島に臨時の攻撃用軍事拠点を置く。
(2) 拠点を置くのは、中国軍と台湾軍の間で戦闘が発生し、日本政府が放置すれば日本の平和と安全に影響が出る「重要影響事態」と認定した場合。
(3) 軍事拠点候補は、陸自ミサイル部隊がある奄美大島、宮古島や配備予定の石垣島を含む約40の有人島。
(4) 対艦攻撃ができる海兵隊の高機動ロケット砲システム「ハイマース」を拠点に配備。自衛隊に輸送や弾薬の提供、燃料補給など後方支援を担わせ、空母が展開できるよう中国艦艇の排除に当たる。事実上の海上封鎖になる。
シナリオどおりに作戦が展開されれば、これら移動拠点が中国側のミサイル攻撃のターゲットになり、住民が戦闘に巻き込まれるのは避けられない。計画は純然たる「戦争シナリオ」なのだ。
制服組が「最悪のシナリオを想定して作戦を練るのは当然」という見方もある。一理あるにせよ、戦闘状態を前提にした戦争シナリオの「起動」は、「外交敗北」を意味する。勝者なき戦争に発展する前に、対話と相互理解を重ね戦争を回避するのが、外交の役割だからである。
中国は台湾統一を「歴史的任務」に設定しているが、統一を急いでいない。少子高齢化の加速で成長に陰りが見える現在、プライオリティは「体制維持」にあり、台湾武力統一はそれを危険に曝す恐れがある。日米制服組が有事切迫を煽る目的は、1台湾問題で「脇役」だった日本を米軍と一体化させ「主役」にする、2南西諸島のミサイル要塞化を加速し、米軍の中距離ミサイル配備の地ならし、3中国が容認できない一線を意味する「レッドライン」を引き出すこと、にあるとみてきた。
勝敗の決着つかない迷路に
「聞く耳を持つ」を信条にする岸田氏は、「ハト派」らしい温厚な印象を周りに与える。しかし日米首脳会談と「2プラス2」の結論を見ると、台湾有事を最優先課題に、日米同盟を中国包囲装置にしようとする安倍路線への「前のめり」姿勢が鮮明だ。
台頭する中国を叩くためアメリカが仕掛けた米中戦略対立は、バイデン氏が「民主vs専制」の競争と位置付けたことによって、「勝敗」の決着がつかない迷路にはまった。今年に入り、台湾情勢が比較的落ち着きを取り戻しているように見えるのは、バイデン政権がウクライナ情勢に手足を取られ、台湾での「挑発」が減ったのが一因だ。
フランスを代表する歴史人口学者、エマニュエル・トッド氏は、バイデン政権が「オーストラリアとの原子力潜水艦の契約や北京冬季五輪の外交ボイコットを通して、中国との経済的な対立を軍事や外交の領域まで広げている。現在の世界に不確実性を作り出しているのは中国ではなく、アメリカのほうだ」(日本経済新聞2022年1月24日付け)とみる。
そのうえで、米中対立構造から「世界が再構成されること自体が脅威」として「新たな冷戦という幻想に巻き込まれてはいけない」と主張する。岸田氏もまたアメリカの「優等生」として、米中対立構造から「世界を再構成」する迷路に差し掛かっている。
●安倍氏、机たたいた岸田首相に「ああいうのが好きだ」 1/27
岸田政権の今までの(国会での審議での)対応ぶりを見て、落ち着いた、マイペースで答弁をしているのは大変いいなと思っている。(野党の追及に対して岸田文雄首相が)時にちょっと机をたたき気味に反応された。私はああいうのが好きでございます。時には言いたいことをガチンと言ってということも、大切ではないのかなと思う。(会長を務める自民党安倍派の会合で)
●安倍元首相の圧力受けた岸田首相「佐渡金山の世界遺産推薦を決定」 1/29
日本政府が28日、日帝強占期の朝鮮人強制労役現場である新潟県の佐渡金山をユネスコ世界文化遺産に推薦することを決定した。韓国の反発にもかかわらず日本が佐渡金山の推薦を強行し、歴代最悪の韓日関係にまた葛藤要因が増えることになった。
岸田文雄首相はこの日午後、首相官邸で「佐渡金山をユネスコ世界文化遺産候補に推薦することを決定した」とし「本年申請を行い、早期に議論を開始することが登録実現への近道であるとの結論に至った」と明らかにした。岸田首相はこの日、外相・文部科学相らと協議し、推薦方針を最終決定した。
新潟県の佐渡金山は江戸時代には金鉱として知られていた。その後、太平洋戦争期間には銅・鉄・亜鉛など戦争物資を生産する鉱山として活用され、朝鮮人もこの鉱山に動員されて強制労役をした。ここに動員された朝鮮人労働者の数は1200人から多くは2000人以上と推定されている。
新潟県は朝鮮人労働者の労役問題などを念頭に置いて登録対象を「江戸時代の佐渡金山」に限定した。しかし韓国は、日本が2015年の端島(軍艦島)炭鉱の世界文化遺産登録当時にも強制労役に関する歴史的事実を知らせると約束しながらこれを守らなかった点を挙げ、佐渡金山の登録に強く反対してきた。
日本政府も当初、韓国の反発などで佐渡金山がユネスコの審査で脱落することを憂慮し、今年は保留して来年以降に登録申請を先送りする計画だった。しかし「韓国に押されてはいけない」という論理を前に出した安倍晋三元首相など自民党内の保守派の圧力が激しく、結局、今年申請することに方針を変えた。
安倍元首相は27日、「来年に先送りして登録の可能性が高まるのか」とし「(韓国に)歴史戦を挑まれている以上避けることはできない」と主張した。7月の参議院選挙を控えた状況で登録推薦を先送りする場合、保守層の票を失いかねないという国内政治的な計算が作用したという分析もある。
これに対し韓国外交部の崔英森(チェ・ヨンサム)報道官は声明を出し、「我々の数回にわたる警告にもかかわらず、日本政府が韓国人強制労役被害現場である佐渡金山のユネスコ世界遺産登録を推進することに強い遺憾を表明し、こうした試みを中断することを厳重に求める」と述べた。続いて崔鍾文(チェ・ジョンムン)外交部第2次官も相星孝一駐韓日本大使を外交部庁舎に呼んで厳重抗議した。 
 
 2022/2

 

●安倍晋三という「巨悪」 1.5億円河井事件、徹底取材で暴き出された素顔 2/1
河井克行、河井案里夫妻の大規模買収事件に、当時の安倍晋三首相がどのように関与していたのか、中国新聞「決別金権政治」取材班による『ばらまき』(集英社)がその真実に迫っています。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』で評論家の佐高信さんは、中国新聞記者の質問に対し、のらりくらりとはぐらかす安倍氏の「ひどさが露出した」対応を取り上げ、全国民が知るべきと糾弾。中国新聞による追撃に期待を寄せています。
河井克行問題で安倍晋三を追撃せよ
中国に向っては勇ましいことを言うけれども、アメリカに対しては口をつぐむチキンの安倍晋三のひどさが中国新聞「決別金権政治」取材班の『ばらまき』(集英社)に露出されている。この本の副題が「河井夫妻大規模買収事件全記録」。
広島県府中のベテラン町議の繁政秀子が和多記者に打ち明けた。参院選公示の2ヵ月前に河井克行から「案里を頼みます」と30万円入りの封筒を渡された繁政は、当時の首相、安倍晋三に関して、「安倍さんの名前は出てこなかったんですか?」と尋ねられると、「和多さんだけにしか言わんけど、そうなんよ。私は『選挙活動できんくなるから』と断ったんじゃけど、(克行から)『安倍さんから』って言われた。(現金が)いる、いらんのやりとりの時にね。安倍さんからじゃから、ええんじゃけえという感じ。それで受け取った」と答えた。そして、「総理じゃけえね。安倍という名前を聞いて受けたんですよ」と続けた。
「安倍さんとはっきり言ってました?」和多がさらに問うと、彼女は、「びっくりしてね。なんと気持ち悪いと思った」と返し、本当に総理からと思ったかという和多の確認に、「私はその時、そう思ったんじゃろう」と応じたので、『中国新聞』は翌日の紙面で「『安倍さんから』と30万円」と報じた。
そして、2021年6月16日、『中国新聞』は「河井夫妻への(自民党からの)1億5千万円の件」について、安倍にぶつける。「ああ、あれね、近々党本部が説明しますから」という安倍に、「最終責任が幹事長と安倍前総裁にあると二階(俊博)さんが発言しましたが」と尋ねると、苛立ってこんな答えが返って来た。「いきなり言われても答えないから」唖然とするしかない。
「党本部からしかるべき説明が近々あるということか」には、「はい。いちいち言わないで下さいよ。私も総理大臣の時に答えているんだから。ちゃんと。今、党本部が整理している。(検察が押収した河井夫妻の政党支部の)資料がちゃんと戻ってきたら、皆が納得するように説明すればいい」
さらに「総裁」ではなく、「幹事長が説明する」と付け加え、「ちゃんと勉強しなきゃ。公選法をちゃんと勉強したの?私は答えているからね、ちゃんとね」と言い放ったとか。
このヤリトリは全国民が知るべきだろう。現在、日本維新の会に属する鈴木宗男の元秘書も案里の応援に入って安倍の秘書と企業をまわっているが、宗男の盟友の佐藤優は、克行の衆院選の応援に行って演説したことを告白している。『中国新聞』には、その時どんな話をしたのか、是非明らかにしてほしい。
●「岸田首相は共通の敵」と菅前首相と安倍元首相が手を組み、勢力図激変か 2/1
政界で注目されているのが昨年12月22日に行なわれた菅義偉・前首相の“忘年会”だ。菅氏をはじめ、二階派最高幹部の林幹雄・前幹事長代理、武田良太・前総務相、旧石原派を継いだ森山裕・総務会長代行、そして石破茂・元幹事長が参加した。いずれも岸田文雄・首相と距離を置く非主流派の有力者たちだ。この会合が菅氏の派閥結成と反岸田勢力結集への根回しだったという見方が強い。
元産経新聞政治部長で政治ジャーナリストの石橋文登氏が語る。
「菅さんという政治家は、大変な力の持ち主だが、今の自民党では非主流派。その菅さんが同じく非主流派の4人の有力者と会合を持ったことは派閥結集を見据えたものだと思います。菅さんが派閥を持てば24〜25人と見られており、二階派は44人、森山派は7人、石破グループは12〜13人で、合わせると80人を超える。そうなると安倍派に次ぐ党内第2派閥となり、発言力は絶大になる」
菅派の旗揚げが岸田首相を脅かす「反岸田」勢力結集の呼び水になるとの指摘だ。
焦る安倍氏が後押し
そうした菅氏の動きに秋波を送っているのが安倍晋三・元首相だ。菅氏と安倍氏の関係は総裁選での菅降ろしをきっかけに冷え込んだと言われる。だが、実は、2人は昨年12月2日にひそかに会談を持った。安倍・菅両政権を支えた加藤勝信・前官房長官と萩生田光一・経産相が同席した食事会だ。
その翌日、安倍氏は櫻井よしこ氏の言論テレビに生出演し、「私と菅さんの政治家同士、人間同士の絆は強く結ばれている」と前日に食事を伴にしたことを明かした上で、菅派結成について、「(菅氏を支持する無派閥議員のガネーシャの会は)結束力が大変高い。菅さんが派閥を作ろうと思えば簡単に結成できるのではないか」とエールを送った。
岸田首相への対抗心を燃え上がらせた菅氏にとって、心強い言葉だったはずだ。この食事会から菅氏の動きが本格化し、前述の「菅忘年会」へとつながっていく。
もちろん、安倍氏側にも岸田首相を牽制しなければならない動機がある。
岸田首相は施政方針演説(1月17日)の冒頭で「行蔵は我に存す」という勝海舟の言葉を引いたが、これは安倍氏の政敵だった福田康夫・元首相の座右の銘でもある。さらに演説の締めくくりにも「己を改革する」という勝海舟の言葉を使った。岸田首相の地元・広島の県紙「中国新聞」はそこに込められた思いを〈安倍・菅政治からの決別宣言と読めないこともない〉と書いている。
さらに岸田首相は側近たちと安倍氏の祖父・岸信介氏の政敵で岸田派(宏池会)の創設者である池田勇人・元首相を研究して政策に反映しているという。安倍政治との決別に動こうとしているのは明らかだ。『菅義偉の正体』などの著書があるノンフィクション作家の森功氏が語る。
「安倍氏は焦りを感じている。キングメーカーとして政権に影響力を振るおうと考えていたのに、岸田総理は安倍氏の提案する人事をことごとく覆したばかりか、モリカケ問題や河井夫妻買収事件を蒸し返し、これ見よがしにアベノマスクの廃棄まで決めた。安倍氏と選挙区を争うライバルの林芳正・外相を重用したのが決定的だった。
安倍氏からみると、このままでは岸田の後に林芳正政権、福田達夫政権と好ましからざる流れができかねない。そこで反岸田の菅氏に秋波を送り、安倍氏の後押しに意を強くした菅氏が派閥結成に駒を進めようとしている」
安倍氏にとって「敵の敵は味方」であり、菅氏にすれば「昨日の敵は今日の友」というわけである。2人は手を組んで安倍・菅路線の転換を図ろうとする岸田首相を共通の敵と定めた。
そうなれば党内の勢力図はひっくり返る。岸田政権を支える岸田派(42人)、麻生派(53人)、茂木派(51人)の主流3派は合計146人で自民党の衆参全議員の4割にとどまる。それに対して最大派閥の安倍派(95人)と菅氏を中心とする非主流派勢力(80人以上)が組めば過半数に迫る。オミクロンの感染が急拡大する中、自民党内の半数が敵に回れば岸田首相が厳しい政権運営を迫られることは間違いない。
●積極財政推進、自民議連が9日発足 講師に安倍氏 2/2
自民党所属の国会議員が積極財政を推進する議員連盟を立ち上げる。9日に設立総会を開き安倍晋三元首相を講師に招く。
名称は「責任ある積極財政を推進する議員連盟」。衆院当選4回以下、参院当選2回以下の議員で設立する。中村裕之農水副大臣らが共同代表に就く見通しだ。後見人として衆院当選6回の城内実氏も参加する。
初会合には安倍政権の経済政策「アベノミクス」を支えた本田悦朗元内閣官房参与も出席する。
設立趣意書案に「現下の日本経済の情勢において財政赤字を恐れず、積極的な財政出動が必要であるとの認識を共有」すると明記した。「経済が成長し、所得が上がる社会への転換を早急に実現しなければならない」と強調した。「令和の高橋是清、池田勇人をめざす」と掲げた。
党政調は2021年12月に従来の財政再建推進本部を改組し、財政政策検討本部を設けた。最高顧問の安倍氏ら積極財政を主張する議員が幹部に名を連ねる。
●岸田政権、運命の参院選 鍵を握るのは菅前首相と維新との“太いパイプ” 2/2
菅義偉・前首相が派閥の旗揚げに動き出す──。政界で注目されているのが昨年12月22日に行なわれた菅義偉・前首相の“忘年会”だ。菅氏をはじめ、二階派最高幹部の林幹雄・前幹事長代理、武田良太・前総務相、旧石原派を継いだ森山裕・総務会長代行、そして石破茂・元幹事長が参加した。いずれも岸田文雄・首相と距離を置く非主流派の有力者たちだ。この会合が菅氏の派閥結成と反岸田勢力結集への根回しだったという見方が強い。
そうした菅氏の動きに秋波を送っているのが安倍晋三・元首相だ。菅氏と安倍氏が組めば党内の勢力図はひっくり返る。岸田政権を支える岸田派(42人)、麻生派(53人)、茂木派(51人)の主流3派は合計146人で自民党の衆参全議員の4割にとどまる。それに対して最大派閥の安倍派(95人)と菅氏を中心とする非主流派勢力(80人以上)が組めば過半数に迫る。
菅政権より短命に
菅氏と岸田首相の立場が再逆転する日は来るのか。天王山となるのは7月の参院選だ。岸田首相にとっては昨年の総選挙に続く政権の命運がかかる選挙だが、自公の選挙協力協議が難航。自民の大苦戦は免れそうにない。
仮に、岸田自民党が大きく議席を減らし、与党の過半数割れが起きれば岸田氏は窮地に陥る。
その時が菅氏の出番だ。元産経新聞政治部長で政治ジャーナリストの石橋文登氏はこう読む。
「与党が過半数割れして衆参ねじれが起きる可能性はあります。その場合、自民党は政権安定のために日本維新の会や国民民主党との連立を模索することになる。その時に誰が維新と連立交渉ができるのか。松井一郎代表と最も太いパイプを持つのは菅さんであり、それに準ずるのが安倍さん。大阪万博誘致など維新が掲げる政策をバックアップしてきたのはこの2人です。
しかも、維新との連立に動けば、公明党はへそを曲げるに違いない。その公明党を誰がなだめるのか。これも、創価学会と太いパイプを持つ菅さんしかいないでしょう。つまり政権を回すには菅さんと安倍さんの力がなければ無理なんです」
菅氏と維新の太いパイプは今なお健在だ。菅氏は「維新は明確に行政改革などを掲げている。反対のための反対でなく是々非々だ。自民党と建設的な方向で連携を進めたほうがいい」(12月21日付日経インタビュー)と語り、今年1月1日には、菅氏の側近中の側近といわれた和泉洋人・前首相補佐官が大阪府と大阪市の特別顧問に招かれた。参院選後の連携を視野に入れた動きと見てよさそうだ。
しかも、維新の松井代表は岸田首相が掲げる新しい資本主義に対して「規制を強化し、政府が民間の活動に物を言っていくような雰囲気がする」と批判している。自民党と維新の連立交渉で維新側が「首相交代」を条件に突きつければ、岸田政権は菅政権より短命に終わりかねない。
参院選が政権交代の引き金を引いたケースは過去何回もある。かつて橋本龍太郎内閣は参院選敗北の責任を取って総辞職し、第1次安倍内閣も参院選大敗による衆参ねじれの中で退陣に追い込まれた。
今年の参院選は、岸田首相が勝って長期政権の足がかりを作るか、それとも負けて菅氏が復権するか、権力ドラマの分かれ道になりそうだ。
●「配送料10億円」“アベノマスク”希望者に配布へ…「本当に無駄遣い」の意見も安倍元首相は上機嫌  2/2
あの“アベノマスク”の在庫を希望者に配る費用などが、10億円に上るという驚きの数字が明らかになった。
「2億8000万枚の希望」笑顔で報告
政府が約8000万枚の在庫を持て余し、無料での配布希望者を募っていた“アベノマスク”。
安倍元首相:7900万枚円在庫がございました。これを廃棄するという決定があったんですが、28日までの締め切りで希望者を募ったところ2億8000万枚の希望がございました。
安倍元首相は先週、在庫3倍以上の配布希望者があったと笑顔で報告。
安倍元首相:7900万枚しかございませんので、量を区切ってということでございます。もっと早くやっておいてもらえれば良かったのかな。
安倍元首相は在庫が一掃されることに上機嫌な様子を見せた。
配送料などに約10億円
しかし、「配送などにかかる費用」という新たな問題が浮上した。政府関係者への取材で、“アベノマスク”の配送料などが約10億円にも上るとの試算があることがわかったのだ。廃棄した場合の費用は6000万円ほどの見通しだった。配送にかかる費用は国の負担、つまり税金から支払われる。
20代女性:10億円かかるんだったら処分しちゃった方がいいのかなって。
20代女性:税金の使い道をもうちょっと考えてほしい。
「本当に無駄遣い」厳しい意見も
“アベノマスク”の在庫の保管にかかった費用は、2020年度だけで約6億円。会計検査院によって「支出が不当」との指摘も受けていた。マスクを無駄にしたくない政府の意向と国民の協力の結果、かえって負担が大きくなってしまうことについて街の人は――。
50代女性:怒りというかあきれちゃうというか。
50代男性:本当に無駄遣いだと思いますね。(税金を)もっと別のところに使えたと思う。
厚生労働省は、3月上旬をめどに配送を順次始める見込みだ。
●岸田首相、韓国と展望無き「歴史戦」へ 「佐渡金山」世界文化遺産に推薦 2/3
岸田文雄首相は韓国との「歴史戦」に踏み出した。「佐渡島の金山」(新潟)を世界文化遺産に推薦する方針を決め、2月1日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録申請したのだ。だが、反発を強める韓国が主張を譲るとは考えにくく、展望や勝算はまったく見えない。新たな対立の火種が加わったことで、「戦後最悪」の日韓関係に終止符が打たれる日は、さらに遠のきそうだ。(共同通信=内田恭司)
政権基盤の安定を優先
「ことし申請を行い、早期に議論を開始することが登録実現への近道であるという結論に至りました」。1月28日夜、岸田首相は記者団に、ユネスコへの推薦を決めた理由について説明した。
決定までには曲折があった。推薦に向けた日本の動きが伝わった昨年末、韓国は「韓半島出身者が強制労働させられた現場だ」として、推薦しないよう要求した。韓国は、2015年に世界遺産となった「明治日本の産業革命遺産」の登録にも同じ理由で難色を示していただけに、今回は日本側から強い反発を招く。
安倍晋三元首相は「歴史的事実に基づき、しっかり反論すべきだ」と、政府の姿勢を批判。高市早苗自民党政調会長も「日本の名誉に関わる問題だ」と述べ、2月1日の期限までに推薦手続きを進めるよう求めた。
こうした声を受け、見送りに傾いていた首相は最終的に推薦を決断した。党内最大派閥の安倍派を率い、保守層に強い影響力のある安倍氏らの支持を失えば「今夏の参院選を前に政権基盤が揺らぎかねない」(自民党関係者)と判断したのだ。
ぎりぎりまで検討を続け、最後は安倍氏らへの配慮から方針を転換したわけだが、そもそも首相が推薦に慎重だったのはなぜなのか。
通常国会の施政方針演説で首相は「わが国の一貫した立場に基づき、適切な対応を強く求めていく」と述べ、韓国には毅然とした姿勢で臨む考えを示していた。だが、政府関係者によると、首相の本音はあくまで「対話」であり、それ故に佐渡金山問題では韓国の主張を汲む形で、見送る方向で検討を進めたのだという。
ユネスコは推薦に際し、周辺国との話し合いを求めており、歴史問題を理由に佐渡金山に反対する韓国と対話をしなければ、登録は見通せないとの判断があった。それと同時に、実は日韓関係の改善を求める米国の強い意向もあったのだ。
検討されていたシナリオ
政府関係者によると、日米はバイデン政権発足以降、日米韓の連携強化の重要性を改めて整理してきた。安全保障分野では、核・ミサイル開発に固執する北朝鮮への対応で連携が不可欠なのは当然として、最優先課題の中国対応で、サムスン電子など先端半導体産業を持つ韓国を、日米主導の経済安保の枠組みに引き入れることは極めて重要になる。
「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)の推進や「台湾有事」への対応でも、米国の同盟国である韓国が足並みをそろえるのが望ましい。
つまるところ、世界における「有力なミドルパワー」で、先進民主主義国家の一員である韓国とは連携をさらに深める必要がある―というのが日米の共通認識なのだ。
だが、文在寅政権下では日米韓の連携強化は進まなかった。昨年6月の米韓首脳会談以降も進展は乏しく、韓国は経済安保やFOIPで「構想外」の存在になりつつある。
だからこそ今後、日韓、日米韓の連携を強化するため、これ以上の日韓関係の悪化をくい止め、関係改善に乗り出すことが必要となっているのだ。
外務省関係者によると、こうした認識に基づき、岸田政権内では関係改善へのシナリオが検討されていた。有力だったのは、3月の韓国大統領選を終え、5月頃に予定される新大統領就任式に要人を派遣し、直後に岸田首相が電話会談をするプランだ。
ここで両首脳は「未来志向」の関係を構築する必要性を確認。関係改善と対話を進める方針で一致するというものだ。今年前半にも来日するバイデン大統領が韓国も訪れるなら、首相が同時に電撃訪韓する案も取り沙汰されていた。
革新政権なら険しさ増す
だが、このシナリオを練り直す必要が出てきたことで、岸田政権はこの先、どういう筋書きを描こうとしているのか。
政府は、佐渡金山の登録実現を含め、韓国との「歴史戦」に臨む特別チームを、外務省出身の滝崎成樹内閣官房副長官補をトップとして官邸に設置。韓国側と集中協議する方針だが、大統領選後にどのような政権ができるかで対応も変わり得る。
大統領選は与野党の2大候補が接戦を繰り広げているが、官邸には、最大野党「国民の力」の尹錫悦前検事総長が勝てば「協議は可能」との分析が上がっているという。尹氏は保守系で、日韓関係改善と日米韓の連携強化を掲げている。
超党派の日韓友好議員連盟の幹部は「佐渡金山問題は『意志に反して戦時徴用された朝鮮半島出身者がいた』と言及するところから始め、落としどころを探るべきだ。産業革命遺産でも戦時徴用の問題に誠実に対応する必要がある」と話す。
徴用工問題では「賠償金を韓国政府が事実上肩代わりする韓国案で進めれば、まとめられるのではないか」と指摘する。慰安婦問題を巡っては、岸田首相が外相時代に日韓合意をまとめた際に、日本の首相が元慰安婦と面会するという案があったが、当時の安倍首相が反対して立ち消えになった。これを岸田首相が実行したらいいと提案する。
しかし、尹氏が勝ったとしても、必ずしも関係改善に道が開くわけではない。韓国内で歴史認識は「国論」化されており、対日世論の厳しさは変わらない。李明博政権と朴槿恵政権は保守系だったが、それでも両国関係は大いに揺さぶられた。
世界でリベラルの潮流が強まる中、現代における人権思想の到達点から過去の植民地支配を断罪する動きは広がっており、日本だけが例外にはなり得ない。
外務省幹部は「過去の時代的背景を基に、植民地支配を正当化するかのような日本の保守派の主張は、国際場裏では理解されなくなっている」と話す。革新系与党「共に民主党」の李在明前京畿道知事が勝てば、「歴史戦」の険しさは間違いなく増す。
登録を逃せば首相の失点に
結局のところ日本は、請求権問題の解決をみた日韓請求権協定と、「未来志向」の日韓関係を規定した日韓共同宣言を基礎にして、韓国を説くしかない。
だが、それは徴用工問題や慰安婦問題では賠償に応じず、佐渡金山を含めて強制労働は無かったとの立場を貫くことであり、韓国の主張との距離は大きい。日韓双方が未来志向で一致点を見いだすしかないが、これまで乗り越えることはできなかった。
そう考えると、岸田政権が目指すことになる佐渡金山の23年の世界遺産登録は、現時点で見通しは全く立たないと言っていい。だが、登録を逃せば確実に岸田首相の失点となり、政権運営に一定の影響を与える事態にもなりかねない。
「タスクフォースで韓国との歴史戦に挑む」と言えば聞こえはいいが、何の成果も上げられないまま、「戦後最悪」の日韓関係を続けるのか、それとも打開への糸口を見つけ出し、日韓関係を新しい次元に引き上げるのか。どちらにしても、首相の指導力と、外交的な構想力が問われるのは間違いない。
●安倍元首相 “石原慎太郎氏の遺志を継ぎ 憲法改正の実現を”  2/3
自民党の安倍元総理大臣は派閥の会合で、1日亡くなった元東京都知事の石原慎太郎氏について「憲法改正に向けて情熱を燃やし続けてきた」として、その遺志を継いで憲法改正の実現を目指す考えを強調しました。
この中で、自民党の安倍元総理大臣は、1日、元東京都知事の石原慎太郎氏が亡くなったことについて「改めてご冥福をお祈りしたい。党首討論で相まみえることもあったが、石原氏は常に国家観や歴史観、憲法の問題について大きな議論を行っていた」と述べました。
そのうえで「憲法改正に向けて情熱を燃やし続けてきた方で、そのたいまつは私たちに託された。しっかりと、たいまつの炎を絶やさずに力強く火を掲げながら憲法改正に取り組んでいきたい」と述べ、石原氏の遺志を継いで憲法改正の実現を目指す考えを強調しました。
●保守分裂の石川県知事選で安倍元首相に「森喜朗に引導を」と地元から声 2/3
2月24日告示される石川県知選挙(3月13日投開票)が自民党にとって誤算続きの展開となっている。
知事選は自民党の馳浩元文部科学相、自民党の山田修路前参院議員、山野之義前金沢市長、共産党が支持する、飯森博子氏を軸に争われる。
自民党から馳氏と山田氏が出馬し、保守分裂となる上、金沢市議時代は自民党所属だった山野氏が金沢市長を辞職して出馬を表明。情勢は混とんとしている。
「馳氏が勝つと思っていたらまったく予想外の展開になった。馳氏と山田氏は国会議員時代に同じ派閥・安倍派(清和会)に属していたのになぜ、うまく話がつけられなかったのか。地元は大混乱です」
自民党の清和会所属の国会議員はこう嘆く。
プロレスラーとして知名度が高い馳氏と農林水産省官僚から参院議員となり、2期目途中で県知事への転身を狙う山田氏はどちらも安倍派所属だが、一歩も引かない状態だという。
現職の谷本正憲知事は、7期目で勇退を決めている。谷本氏に8期目もという期待の声もまだあった昨年7月、馳氏がいきなり記者会見して、出馬を表明した。
「最も知事の椅子に近い」と当初は地元ではみられていたという。
しかし、1月の自民党の情勢調査では金沢市長だった山野氏がトップ、次は山田氏、三番手が馳氏だというのだ。
市長時代の評価が高い山野氏と馳氏は、ともに金沢市が地盤(衆院石川1区)だ。
一方、山田氏は官僚時代の実績から石川県の農林水産業に明るく、地方で支持を集める。馳氏は知名度が高い割に支持にはつながっていないという。
また、自民党の県議の大半と立憲民主党が山田氏の支援を表明し、自民党の石川県連は自主投票となった。石川県で今も隠然たる力を持つのは、森喜朗元首相だが、馳氏で地元をまとめられなかった。山田氏を支援する自民党の石川県議はこう語る。
「馳氏はもともと地方議員に評判がよくない。後見役の森氏の威光をカサに上から目線のパフォーマンスをするので反発を買っている。知事選出馬を早々に表明することで、流れを作ろうという馳氏の作戦が完全に裏目に出ています」
勇退する現職の谷本知事はかつて、森氏のライバルで「竹下派七奉行」と呼ばれた自民党の実力者、奥田敬和元運輸相の支援を受け1994年、知事の座についた。
かつての県知事選で森氏は別の自民党候補者を応援した因縁もあったという。前出の安倍派所属の国会議員は裏事情をこう語る。
「森氏に谷本氏の話をすると、機嫌が悪くなる。谷本氏が上京して霞が関に陳情へ行くという情報を察知すると森氏は『こちらには挨拶に来ないのか』などと愚痴っていたそうです。要するに谷本県政の7期は、ライバルだった奥田氏にやられっぱなしという複雑な思いがあるようです。馳氏は昨年の出馬会見で、谷本県政を引き継ぐような発言をしていた。しかし、森氏の後見で政界入りし、文科相にまでなったわけで、誰も馳氏の発言を真に受ける人はいません。森氏は形勢不利と知るや地元の独自人脈で、馳氏の支援を必死で呼びかけている」
そんな中、馳氏はコロナ禍の1月中旬、林芳正外相を呼び、金沢市内で後援会を開催した。
林氏は岸田派座長というナンバー2で、次期首相の呼び声が高いが、安倍派とは微妙な距離だ。
「林さんが昨年10月末の衆院選で参院から鞍替えし、安倍さんとは地元・山口県でライバル関係にある。そんな林さんに足を運んでもらうほど馳氏はなりふり構わずで、かなり追い込まれている」(前出・自民党県議)
一方、山田氏は強固な地方議員の支援をバックに、活動を展開している。保守分裂の中、金沢市長選挙も知事選と同日に投開票されることになり、前職の山野氏へ風が吹くとの見方も強まっている。馳氏は知名度、実績も十分だが、大苦戦は必至だという。
自民党で政務調査会の調査役を長く務めた、政治評論家の田村重信さんはこう解説する。
「森氏は石川県が生んだ首相だが、地元の知事はこれまで意中の人がなっていない。そこで馳氏を早々に立てたが苦戦。森氏の地元は小松市など石川県西部で、金沢市など中心部はライバルだった奥田氏の地盤。昔、石川県は森奥戦争といわれるほど、対立が激しかった」
石川県には森奥戦争の名残りがまだあるという。
「馳氏、山田氏とも安倍派所属なので当初は調整すれば、なんとかなるとみられていた。だが、ここまでもつれると調整は難しい。山田氏は参院議員をすでに辞職し、補欠選挙もやがて行われるが、北陸は自民党が圧倒的に強いので負ける可能性は極めて低い。今の情勢からみれば、森氏と馳氏はかなり厳しい選挙戦になるでしょう」(同前)
前出の安倍派所属の国会議員はこう危機感を抱く。
「安倍派としては、馳氏と山田氏の2人が出馬して票を食い合ってどちらも負けるという結果が一番、まずい。夏の参院選にも影響しかねません。前金沢市長の山野氏が強いので、森氏を説得して、情勢が厳しい馳氏を下ろし、山田氏に一本化してまとまった方がいいという意見も正直、地元で出ています。しかし、安倍派で森、馳両氏に引導を渡せるのは、会長の安倍晋三さん、ただ一人しかいません。馳氏は安倍政権で文科相をやっているので、安倍さんも難しい決断を迫られますね」
 

 

 

 

 

 

 
 
 

 


●2018
 松本内閣府副大臣辞任 沖縄米軍機事故「何人死んだんだ!」 1/26
 近畿財務局勤務の男性職員自宅で自殺 3/7
 森友文書改ざん原本 公になる 3/8
 勝田東京労働局長 「是正勧告してあげてもいいんだけど」 3/30
 大阪地検特捜部 前国税庁長官・佐川氏を不起訴処分 5/31 
 「規制改革」「放送法4条の撤廃」「ややこしい質問受けます」 6/1-
 「カジノ法案」強行採決 6/15
 「働き方改革」 6/29成立 (2019/4/1施行)
 「全員野球内閣」 10/2
 柴山昌彦文科相「教育勅語」復活 10/3
 安倍総理所信表明演説 10/24
   強靱な故郷(復旧復興の加速) 地方創生(農林水産新時代)
   外交・安全保障(戦後外交の総決算・強固な日米同盟・新たな時代のルールづくり)
 菅原一秀議員 買収疑惑で閣僚辞任 10/25
 「ピンチをチャンスに変える」 10/26
 入国管理法改正 (中身のない入れ物法案 中身は省令で定める) 財界大喜び 12/8
 水道の民営化を含む「水道法改正案」 12/16
 環太平洋連携協定(TPP) 発効 12/30
 
 
 
 

 


●2019
 「桜を見る会」問題 1/10-
   内閣府は治外法権 「桜を見る会」名簿の取扱い 
   「公文書」でも取扱い自由 すぐに廃棄 PCデータはゴミ箱
   紙はシュレッダー データは復元不可処理
 「裁量労働制」 1/?
 厚労省の統計不正 2/7-
 麻生副総理兼財務相 「子供産まぬ方が問題」 2/3
 「悪夢の民主党政権が誕生」 2/12-
 「働き方改革」 4/1
 「高度プロフェッショナル制度」 4/1
 塚田国交副大臣 安倍と麻生を結ぶ道路事業が止まっている 「私はすぐ忖度」 4/1
 桜田五輪大臣辞任 「・・・復興以上に大事なのは高橋さんです」 4/10
 下村元文部科学相 セクハラ録音は「犯罪」 4/23
 麻生財務相 「はめられた可能性」「セクハラ罪ない」 4/24 (福田事務次官辞任)
 日本維新の会・丸山衆院議員 北方領土「戦争で奪還」 5/11
 穴見衆院議員 がん患者に「いいかげんにしろ」 6/15
 韓国 元徴用工問題を再燃 2019/7-
 杉田衆院議員 LGBT「生産性ない」 7/1
 森友問題 佐川氏ら10人再び不起訴 特捜部捜査終結 8/9 
 全世代型社会保障 9/20-
 消費税率8%から10% 10/1
 二階幹事長 台風被害「まずまずに収まった」 10/13
 萩生田文科相 受験生は「自分の身の丈に合わせて...」 10/24 
 河野防衛相 「よく地元で雨男と言われた。防衛相になって既に台風が三つ」 10/28
 河井法務大臣辞任 妻の参院選公選法違反の疑い 10/31 
 「共産党か」総理のヤジ 11/8
 
   
 

 


●2020
 安倍首相 辻元幹事長代行質問に「意味のない質問だよ」とやじ 2/12
 黒川検事長の500万円賄賂疑惑 3/8-
 「新型コロナ対応・全責任は首相にある」 4/27
 新型コロナ 25兆円超えの補正予算 4/30
 アベノマスク配布 5/8
 黒川元検事長の辞職 「批判を真摯に受け止める」 5/22
 持続化給付金事業 不透明な受託経緯「電通とサービスデザイン推進協議会」 6/12-
 国会強行閉会 6/18
 河井克行前法相と妻の案里参院議員・逮捕 自民党から政治資金1.5億円支給 6/19
 「Go To キャンペーン」 トラベル・スタート 7/22
 辞任記者会見 8/28
 
 
 

 


●年間報酬5千万、経費タダ… 楽園 社会常識ゼロでも世襲議員だらけ 2015/9
国民はなぜ世襲議員が好きなのか?
日本の国会議員717人(衆院475人・参院242人)のうち約25%、4人に1人が世襲議員です。衆議院議員だけで見ると3人に1人が世襲で、自民党に限れば実に約4割に上ります。
ここでいう世襲議員の定義は、その議員と配偶者の3親等内に国会議員、地方議員、地方首長がいる場合ですが、日本はその割合が世界でも突出して高いといわれます。ゆえに、現在の安倍内閣のほぼ半数が世襲議員で占められるのも当然であり、驚くに値しません。
いたずらに「世襲議員がけしからん」などと、筆者は主張したいわけではありません。世襲議員といえども、立派に選挙というフルイにかけられた「選良」なのですから。国民が一定地域における競争原理のなかで、「われらが代表」と選んだ結果だからです。民主主義がそれなりに機能しているのに、あえて文句をつけるのはイチャモンでしょう。
ただし、世襲議員は「地盤(後援団体・支持基盤)、看板(地域での知名度)、カバン(政治資金が無税で継承できる)」の「3バン」があるからこそ、選挙に有利で再選率も高いとはよくいわれるところです。そして、有権者が「世襲」を好むからこそ世襲議員が量産されるという現状についても、よく認識しておく必要があるでしょう。
確かに国民が根本的に世襲議員を嫌っていたとしたら、彼らはけっして当選できないわけで、 親や親族の手厚い庇護の下、苦労知らずで世の中に送り出されるボンボンを「不公平」といって有権者が嫌う風土があったら、とうてい世襲議員はこの世に存在を許されないのです。 
しかし今では国会議員だけでなく、全国の地方議員にも2世、3世の議員が広がっていますから、日本人はとことん世襲が好きなのだということになるでしょう。
ザイアンスの法則
地元で長年馴染みのある名前と顔に類似性のある人間に投票するというのは、心理学でいう「ザイアンスの法則」が働くからでしょう。米国の心理学者ロバート・ザイアンスは、次の3原則を掲げました。
(1)人は見知らぬ人には冷淡で批判的、攻撃的に対処する
(2)人は会えば会うほど好意をもつ(単純接触効果)
(3)人は相手の人間的側面を知ったときに好意を持つ
地元でおなじみの名家のボンボンなら、人物の人柄なども世襲の類似性でなんとなくイメージでき、長年の一族の知名度があれば、安心感も手伝うゆえんです。つまり、馴染みのないポッと出てきた知らない候補者には票は入れたくない、という心理が働くわけです。テレビでおなじみのタレント候補が強いのも、この原理に支配されるためでしょう。
世襲候補者以外が選挙で当選するのは至難のワザ
これでは、世襲以外の新人候補者が当選するのは至難の業です。努力して立派な経歴や肩書を獲得しただけでは、イチかバチかで選挙に臨んでも当選できません。うまく政党の公募に受かって公認候補にでもならない限り、国会議員になる道は相当険しいことになります。これでは、膨大な時間と金と労力を費やしてまで、議員になるというモチベーションはなかなか生まれないでしょう。
実際、初当選まで何度も立候補して落選を繰り返し、知名度を上げてようやく当選したという人もたまにいますが、ごくごく少数派です。時間と金と労力がなければ、おいそれと立候補もままならない現実があるわけです。
それゆえに、逆にいえば、その時点で勢いのある政党の公認か比例代表の候補にうまい具合に仕立ててもらえれば努力しなくても、政治的能力・見識どころか社会常識がゼロの人でも、税金を滞納している人でも、議員報酬稼ぎだけが目的の人でも、時の大衆心理の気まぐれで当選できてしまいます。あとからその人物の正体が割れて「アレレ?」という議員も生まれるわけなのです。
不祥事を起こした議員でも、すぐに離党して衆議院議員を1期だけまっとうすれば、平均3年弱で解散されても1億5000万円近くは稼げますし、参議院議員ならば仕事もヒマな上に6年間で3億円が稼げるという構図も成り立つのです。秘書の給与からも、政党支部・団体経由の強制寄付で3人分巻き上げれば、もっと懐は潤います。 
ちなみに国会議員の報酬額は、マスコミが気を遣い給与相当の歳費分である約2200万円分しか報じませんが、さまざまな名目に分けた手当と、党からオコボレでもらう政党助成金まで含めると最低でも年間約5000万円の報酬額に上ります。
その他、秘書給与3人分の約2400万円の人件費は国から支給され、議員会館の事務所家賃・電話代・水道光熱費はすべてタダで、その他の便益を含め、国会議員1人当たりの直接コストとして費やされる国民の税金は1億円は下らないといわれています。とにかくオイシイのです。
能力・資質にかかわらず子弟を議員に
日本では、総理経験者をはじめ長年名前を売った議員は、自分の子弟を政治家にしないと損なので、能力・資質にかかわらず後継者にしていきます。ひ弱なボンボン育ちの子弟をサラリーマンなどにすれば、苦労するのが目に見えているからでもあるでしょう。もちろん、世間の目をくらませるために、子弟を一時的に偽装サラリーマンにする場合はよくあります。「庶民目線の修行」を行ったポーズづくりのためでもあるでしょう。
こういう状況ゆえに、いったん自分が初当選で議員になったなら、なんとか自分のかわいい子弟には、下積みからの苦労をさせず、自分のあとの地盤、看板、カバンを継がせたいという親バカ心理になるのです。地元の利益誘導を目論む後援会組織も、そのほうが面倒くさくなくてよいので、意外にスンナリ子弟の支援も決まります。
議員の世界は、当選回数がモノをいいます。世襲議員は若くして当選できるからこそ、党内出世も早くなり、役職を次々重ねさらに看板を強化し、地盤とカバンを長期にわたって潤沢にすることもできるのです。有力議員になって地元に権益をもたらしてくれれば、後援会は万々歳です。
おまけに世襲議員間では、お互いの身内意識、仲間意識も強烈に働きます。「キミのお父さんには昔選挙でお世話になったからねえ」などと、有力な地位を得たベテラン世襲議員ともなると、若手の世襲議員をヒョイと引き上げる抜擢人事もできるのです。互助会方式が機能します。だから世襲は効率がよいのです。
お隣の中国では、共産党幹部の子弟たちだけが「太子党」と呼ばれ次々と出世して政府の重要な地位や役職を得たり、国営企業の幹部となって権力と富を一族で手に入れていくという非常にわかりやすい図式がありますが、日本もなんだかこれとかなり似ているのです。
「選挙で選ばれたから」という錦の御旗があるかないかの違いだけですが、こうして世襲権力の継承を見すごしにしていると、結局のところ国民は政治の本筋から蚊帳の外に置かれ、安倍政権に見るような米国の言いなり政治がまかり通るゆえんともなるのでしょう。
せっかく、純粋培養で経済的苦労ナシに育ったのですから、せめて世襲政治家にこそ、日本の国益、国民生活の向上のために働くという見識を望みたいところです。苦労知らずのボンボンに、それを求めるのは酷というものでしょうか。
かくして日本はこれからも世襲議員だらけとなって、国民生活は置いてきぼりになります。選挙の時には「反世襲」の投票行動も考えていただきたい――と願うばかりです。 
 
 
 

 

 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 



2021/6-
 
 
 
●棺・棺桶
遺体を納める柩のこと。国内ではそのまま焼骨するため、大半の棺桶が木製(木棺/もっかん)を中心としたものとなっている。対して石造りのものは石棺(せきかん)という。モミの木や桐の木など燃えやすい素材が採用されやすい。また、外に飾り布を貼ったタイプのものや、上面・側面に彫刻を施したものなどがある。基本的には、高級木材である桐を使用したものや、様々な装飾が施されたものほど高価となる。
死者を葬るときに遺体を納める容器。ひつぎ。
死体を入れて葬る箱。「棺桶(かんおけ)/出棺・石棺・寝棺(ねかん)・納棺」
《後世「ひとぎ」とも》「ひつぎ」に同じ。「―に伏して薨(かむさ)りましぬ」〈仁徳紀〉
《古くは「ひつき」》死体を入れて葬る木の箱。かん。棺桶。
死体を納める箱、または桶(おけ)。ひつぎ。龕(がん)。
死体を入れるもの。ひつぎ。かん。
遺体をおさめて葬る木製の箱。最近では、環境に配慮した紙製や藤製などの素材の棺もあります。
直接遺体を納める容器。2重の容器に納める場合には、内棺(柩(ひつぎ))、外棺(槨(かく))の別がある。素材により、木棺、石棺、甕(かめ)棺、陶棺、夾紵(きょうちょ)棺(布を漆で張り固めて造った棺)などに分類される。
遺骸を納める容器。柩(ひつぎ)のこと。原則的には直接遺骸を入れるものを指し、火葬や洗骨後の骨を納める蔵骨器と区別する。材質により、木棺、夾紵(きようちよ)棺、石棺、陶棺などに、また形状によって、割竹形、舟形、家形、長持形などに分けられる。石棺と木棺が普遍的であり、これらはさらに組合せ式と刳抜(くりぬき)式に区別できる。 扁平な自然石を組み合わせた長さ1.5〜2.0mほどの粗末な石棺は箱式棺(シストcist)と呼ばれ、もっとも原初的な棺とみられている。
埋葬の際、遺体を納める容器をいう。日本では古くは「ふね」といったが、のちに「ひつぎ」というようになった。遺体を2重の容器に納める場合には、内棺 (柩) 、外棺 (槨) と呼ぶ。また遺体の納め方により、寝棺、座棺に大別される。歴史的にみると、死体の埋葬は旧石器時代からみられるが、棺のようなものは用いられず、新石器時代に入って死体を石室に入れるようになり、それがやがて特定の容器、つまり棺に納めて葬る形となった。棺には、籠、木箱、甕、壺、桶などが多く使用されている。棺の使用の背景には、死者への畏敬、祖先崇拝などの観念をみることができる。日本で棺と思われるものが現れるのは弥生時代からで、素焼の甕棺や箱形石棺が用いられた。形状は、木製、石製のものに割竹形、舟形、箱形、長持形があり、また家形石棺も認められる。なお、漆塗り木棺のほかに、やや特殊なものとしては乾漆棺 (夾紵棺) がある。一般庶民の棺は、桶や樽、ときには俵やかますなどが使用され、ほとんど座棺であった。中国は木棺が多く、殷代に長方形の棺が現れ、くすのき、かしわ、きわだ、松などを材質とし、周囲に布を張り、漆を塗ってがんじょうにした。漢の頃から棺の周囲に豪華な彫刻や蒔絵を施すことが流行した。エジプトでも木棺が多く用いられ、内側に「柩文」と呼ぶ墓誌が刻まれている。ミイラ葬が盛んになると、ミイラの輪郭をかたどった木製のミイラ棺が使用された。ギリシアやローマでは石棺がしばしばみられるが、庶民には長方形の箱形木棺が多く使用された。キリスト教国でも最初石棺が用いられたが、やがて簡素化して、中世以降は木棺が多くなった。一方、棺に相当するものがはっきりしない社会の例も多く、ボルネオのプナン族では、立木の幹に穴を開け、その中に死体を入れ、そのあと穴を封じるという。ここでは立木が棺となる。
…石で作った室を意味するが、おもに埋葬施設をさすときに用いる。その場合、原則的には、遺体を直接入れる容器を〈棺〉、棺を収めるもので、単次葬用に作られ、大きさも棺によって規定されるものを〈槨(かく)〉、そして、棺とは直接関係しない広い空間と通路をもち、複数の棺(遺体)を順次追葬(複次葬)することのできるものを〈室〉と呼びわけるべきであるが、3者を厳密に区別することは困難な場合が少なくない。したがって、これらの用語は混用されることが多く、石室は火葬墓の蔵骨器や経塚の経筒を収納する石組みなどを呼ぶのにも用いられる。…
…庭には、遺牌を作る前に神を依らせるものである〈重(ちよう)〉が立ててあるが、その上に銘を載せる。亡くなった翌日、死体を整え衣衾を加える〈小斂(しようれん)〉という礼を行い、小斂の翌日には、部屋の場所をかえて同じようなことをする〈大斂〉を行い、その後、納棺し殯宮に安置する〈殯(ひん)〉が行われる。小斂から殯までの期間は、死者との関係によって定められた厳しい服装規定に従い、またたびたび悲しみを表す舞踏が行われる。…
…また、埋葬に際して遺体周辺に赤色顔料を散布することが旧石器時代以来、世界各地の墓でみられ、浄めの意味などが説かれている。[埋葬地と施設]埋葬に際して、遺体は樹皮、布、わらなどで包んだり、さらに木棺、土器棺(とくに甕棺(かめかん))、陶棺、石棺に納めることが多い。火葬骨は土器か金属製の容器に収納することが多い。…  
 
 
●石棺
サルコファギ sarcophagusともいう。死者を埋葬する石製の棺。古代ギリシア・ローマでは、40日間、死体が腐敗して消滅するまで石棺に入れておいたと伝えられるが、死者を石製やテラコッタなどの棺に入れて埋葬することは、すでにエジプト新王国のトゥトアンクアメンに先例があり、身分の高い人物などを手厚く葬る方法であったのであろう。棺蓋や四周に彫刻や絵画のあるものも多い。日本でも弥生時代に箱形石棺が、古墳時代に割竹形、舟形、家形、長持形などの石棺が用いられた。
死者を安置するための石製の棺。板石を組み合わせて箱形にした箱式石棺・長持形石棺や、くり抜いてつくった割竹形石棺・舟形石棺・家形石棺などがある。
石製の棺。数個の石材を組み合わせた組合せ式石棺と、一つの石材を刳(くり)抜いた刳抜式石棺とがある。古代のエジプト、ギリシア、ローマでは刳抜式が用いられた。すぐれた浮彫をもつツタンカーメン王の石棺や〈アレクサンドロス〉の石棺が有名。日本の古墳時代には、割竹形石棺、舟形石棺、家形石棺(以上刳抜式)、長持形石棺(組合せ式)などがある。
石づくりのひつぎ。古墳時代に屍体を納めた石製の棺。板状の石を組み合わせて箱形につくった箱式石棺が一般的であるが、他に大石をくりぬいた舟形石棺、蓋が屋根の形になっている家形石棺などがある。
石製の棺。日本では弥生時代に箱式のもの、古墳時代には箱式のほか、割り竹形・舟形・長持ち形・家形のものがある。1986年に発生したチェルノブイリ原発事故で、炉心溶融を起こし爆発した4号炉からの放射性物質の拡散を防止するために、応急措置として建設されたコンクリートの建造物のこと。
死者を入れるための石で作ったひつぎです。弥生・古墳時代の箱式石棺[はこしきせっかん]や古墳の中に置かれた家形石棺[いえがたせっかん]などがあります。
死者を葬るのに用いられた石製の容器、あるいは構築物をさす。厳密には遺体を直接納める石製の容器をさすべきであるが、広く石棺と呼ばれているものの中には、遺体を入れた木棺を納める〈石槨(せつかく)〉、火葬骨や改葬骨を収納する〈石製蔵骨器〉、あるいは蔵骨器を入れる〈石櫃(せきひつ)〉など、本来は呼び分けられるべきものも含まれている場合が少なくない。また、箱式石棺(シスト)のごとく、土壙内に自然の板石を組み合わせただけで、多くの場合、底石もない小構築物も石棺と称されている。
…死者を葬るのに用いられた石製の容器、あるいは構築物をさす。厳密には遺体を直接納める石製の容器をさすべきであるが、広く石棺と呼ばれているものの中には、遺体を入れた木棺を納める〈石槨(せつかく)〉、火葬骨や改葬骨を収納する〈石製蔵骨器〉、あるいは蔵骨器を入れる〈石櫃(せきひつ)〉など、本来は呼び分けられるべきものも含まれている場合が少なくない。また、箱式石棺(シスト)のごとく、土壙内に自然の板石を組み合わせただけで、多くの場合、底石もない小構築物も石棺と称されている。…
…原則的には直接遺骸を入れるものを指し、火葬や洗骨後の骨を納める蔵骨器と区別する。材質により、木棺、夾紵(きようちよ)棺、石棺、陶棺などに、また形状によって、割竹形、舟形、家形、長持形などに分けられる。石棺と木棺が普遍的であり、これらはさらに組合せ式と刳抜(くりぬき)式に区別できる。… 
 
 
●棺 (柩) 1
遺体を納めて葬るための容器。俗に、中身が入っていないものを棺、遺体が収められたものを「柩」とする説があるが、遺体が収められたものを家から火葬場に送り出すことを「出棺」(しゅっかん)といったり、棺に「ひつぎ」の訓があるように、「かん」と「ひつぎ」の使い分けはほとんどない。なお、遺体が収められたものを霊柩(れいきゅう)、それを運ぶための車(自動車)を霊柩車(れいきゅうしゃ)という。
棺の種類
材質​
材質に応じて木棺(もっかん)、石棺(せっかん)、陶棺(とうかん)等と称される。
木棺には次のような種類がある。
天然木棺 / マキ、ヒノキ、モミなどの天然木を用いた木棺。天然木棺は、主材が檜(ヒノキ)、樅(モミ)、桐(キリ)などの無垢材が用いられ高級品である。
フラッシュ棺 / 2枚のベニヤ材の間に芯材を入れて貼り合せた板材を用いた木棺。フラッシュ棺は、薄いラワン合板の間に芯材を入れて貼り合わせ、表面に天然木(桐が主流)を薄くスライスしたものを貼った突板貼り合板棺、木目を紙に印刷したプリント合板棺、布を貼った布張り棺がある。
一方、熱帯雨林の保護や地球温暖化そして地球資源の有効活用から、環境に配慮した特殊段ボール製のエコ棺も出始めている。
形状​
形状はそれぞれ箱型、カマボコ型、山型、舟型などがあり、外観には彫刻を施した総彫刻、五面彫刻、三面彫刻、二面彫刻などの彫刻棺もある。サイズは火葬場により入れられる寸法が異なる。蓋には遺体の顔を見られるように専用の蓋で開く小窓がついている事が多い。
納棺の形態​
棺の形態には座った姿勢で納める座棺と寝た姿勢で納める寝棺がある。寝棺が一般的だが、日本では江戸時代までは座棺が主流であった。
納棺の儀式​
仏教​
頭を北向き(不可能な場合は西向き)にする枕直しをし、胸の上で合掌させ手に数珠をかけたりする。
神道​
納棺後、毎日朝・夕または毎朝、生前が好んだ常餞(調理した食べ物)か生餞(未調理の洗米、塩、水など)を供える。
キリスト教
神父や牧師の立会いのもと納棺は行われる。会葬者一同で祈りを捧げ、聖書を朗読し、聖歌を歌う。
各国の棺​
フランス​
舟形の棺に、故人が成人であるときは黒、子供であるときは白の布を掛け、故人のイニシャルのついた盾を乗せる風習がある。
日本​
弥生時代には、木棺や石棺、甕棺が使われた。弥生墳丘墓の棺は短く、内法で2m程度の組み合わせ箱形木棺が主流であった。中には底がカーブしており割竹形木棺のような棺もあり、組み合わせ石棺も北九州などにある。
古墳時代には、木棺や石棺が使われた。その形は様々で、木棺では刳り抜き式の割竹形(わりたけがた)、組合せ式箱形、長持形(ながもちがた)などがあり、石棺には割竹形、長持形などがある。
古墳時代に盛行した割竹形木棺(わりたけがたもっかん)は、直径1m前後のかなり太い丸木を縦に割り、内部を刳り抜いて大人1人の遺骸を収納できるようにした棺である。この名の由来は、竹を縦にわってつくったように見えることに由来するものと考えられる。舟形木棺(ふながたもっかん)も同じような造り方。棺の長さは平均でも5m前後、長いものは8mにもおよび、1人の遺骸を納めるには長すぎる。副葬品を入れるためとも思われるが、そればかりではないという意見もある。しかし、3分割して頭部上と足部下に各種品を納めている例もある。材質はコウヤマキが圧倒的に多い。
鎌倉時代からは円筒形を立てた桶型の棺(座棺)が主流となった。現在も使用されている「棺桶(かんおけ)」という呼称はこの形状に由来する。座棺は火葬が主流になる前、土葬をする際に多く用いられた。戦前の瀬戸内地方を舞台とした映画『カンゾー先生』でも、遺体を桶状の棺に入れて棒をわたし、男2人で棒を担いで運ぶシーンが登場する。火葬の普及とともに寝棺が主流となった。
アメリカ​
遺体袋など可燃性の袋が使われるケースも多い。  
 
 
●棺 2
土葬の遺体を納める容器で、火葬した骨を納める骨壺(こつつぼ)と区別される。遺体を二重の容器に納める場合は、内棺(柩(ひつぎ))、外棺(槨(かく))として区別するが、元来は直接遺体を納める容器をさすものである。遺体の埋葬は旧石器時代から行われているが、棺の使用は、新石器時代に入り農耕社会が成立して以降、死者に対する畏敬(いけい)と祖先崇拝が結び付いた結果、行われたと考えられている。もっとも、土葬の場合かならずしも棺に納められたわけではなく、日本における中世の集石墓、土壙(どこう)墓にみられるように、遺体をそのまま土中に埋葬することも多い。
棺の分類
棺は古くから世界各地で用いられているが、地域や時期によって、形態・構造にさまざまな変化がある。材質による分類としては、木棺、石棺、陶棺、粘土棺、金属棺、乾漆(かんしつ)棺などがあり、形態によっては、箱式棺、舟形棺、家形棺などに分けられる。また遺体の納め方による分け方として、座棺、寝棺に大別することもできる。棺の発生は一般に三つの系統があると考えられている。一つは幼児などを、日常用いていた甕(かめ)などに納めて埋葬したもので、弥生(やよい)時代の合口(あわせぐち)甕棺などに代表される。一つは、素掘りの土壙に直葬するのを忌み、石や板製の櫃(ひつ)に入れて葬ったもので、日本の古墳にみられる割竹形木棺(わりだけがたもっかん)などがこれにあたる。もう一つは、土壙の壁、天井を板石や板で囲むもので、組合せ式石棺などがこれにあたる。
古代オリエントとヨーロッパ
オリエントでは新石器時代に幼児の甕棺葬がみられる。メソポタミアでは日干しれんがでつくった墓壙中に伸展葬した遺体が発見されている。初期王朝時代のバビロニアの首都ウルでは、粘土棺、木棺、またアシやヤナギの枝でつくった棺がある。エジプトでは第2王朝以来、組合せ式木棺がつくられたが、第3王朝以後のピラミッド時代には巨石を用いた石棺がつくられた。一方で絵画や文様で美しく飾られた木棺も用いられ、中王国時代以後には木製のミイラ棺がつくられるようになった。こうした木棺の内側に書かれた柩文(きゅうもん)は、エジプト人の宗教を示す好資料である。エジプトにおける石棺の伝統は地中海沿岸の民族に影響を及ぼし、各地で特色ある陶棺、石棺がつくられた。シドン(サイダ)出土の「伝アレクサンドロス大王石棺」(イスタンブール考古博物館蔵)はヘレニズム時代のものとしてもっとも美術的な価値が高いといわれている。この石棺は神殿の形をとり、ギリシア人とペルシア人の戦闘の場面はとくに著名である。
ローマでは、当初簡素な石棺が用いられたが、帝政時代になると、高浮彫りなどで装飾した豪華なものがつくられた。ローマや北イタリアでつくられた石棺は、西方の属州に数多く輸出された。初期のものとしてはスキピオ・バルバトゥスの石棺が、後の煩瑣(はんさ)なものとしては、コンスタンティヌス大帝の娘コンスタンティアの玢岩(ひんがん)製の石棺が著名である。キリスト教では火葬を禁じたため、初期キリスト教徒は簡素ではあるが、キリストや使徒の肖像などを刻んだ美しい石棺を用いた。中世は薄葬の風(ふう)にのり簡素な木棺が使用された。ルネサンス期には文化全体の高揚に伴って、豪華な石棺や青銅製の棺がつくられた。このうちイタリアのドナテッロ作のジョバンニ・メディチの棺は著名である。
中国
中国では、新石器時代の中原(ちゅうげん)一帯では、幼児の甕棺葬は行われていたものの、成人の遺体は土壙に直葬したと考えられる。しかし、東北部では箱式石棺が用いられていた。殷(いん)代に入ると木棺が使用され始め、春秋戦国時代にかけても組合せ式の木棺が各地で発見されている。内外面に漆塗りを施したものや絹の帯をかけたものもすでに現れる。
漢代にも、前代に引き続き長方形の組合せ式木棺が使用された。長さが2m、幅・高さとも60センチm内外のものが多い。このうちもっとも著名なものは、1972年に発掘調査が行われた長沙(ちょうさ/チャンシャー)馬王堆(まおうたい)1号墓であろう。この墓では、二重になった槨室に納められた四重の入れ子になった木棺が発見された。この木棺は、もっとも外側のもの(長さ2.9m)が黒漆塗り、2番目が黒地彩絵、3番目が朱地彩絵、もっとも内側の棺は、蓋(ふた)をしたのちに2か所に絹の帯を巻き、その上から蓋および四周の外壁面に錦(にしき)を貼(は)り付けた華美なものであった。この四重の木棺の形態はまったく同じ長方形で、いずれも棺の内面には朱漆が塗られていた。内棺の長さは2mで、槨室最大長は6.7mにも及ぶものであった。
後漢(ごかん)になると、頭のほうが高く広く、脚部が狭い棺が一般的となる。このような形態の棺は唐代を経て、今日にまで及んでいる。中国では、馬王堆1号墓にもみられるように遺体の保存を重視し、棺は重要な位置を占めていたといわれる。したがって、生前から棺をつくり、仕上げもていねいなものが多い。
朝鮮では金石併用時代に支石墓内に箱式石棺が多くつくられた。また南部では甕棺も用いられている。以後、石棺や甕棺が用いられることもあるが、木棺の使用される例が多い。
日本
日本では、縄文時代には大きな甕に石などで蓋をした甕棺や、二つの甕の口縁を合わせて用いた合口甕棺などが用いられる。弥生時代には、とくに北九州地方で甕棺が大量に用いられた。甕棺以外では、縄文時代末〜弥生時代に板石を組み合わせた箱式石棺がつくられた。とくに弥生時代では、数体分の遺体を入れる大形のものも発見されている。古墳時代には、割竹形石棺、舟形石棺、家形石棺、長持形石棺など、多種の石棺の形態をみることができる。木棺は弥生時代以降現代に至るまで続くものである。孝徳(こうとく)天皇(在位645〜654)の代に、臣下の棺は木でつくることが定められており、石棺はしだいに廃れてゆく。現存する木棺でもっとも有名なものの一つに、平泉中尊寺の藤原三代の棺があるが、いずれも黒漆の上に金箔(きんぱく)を貼り付けた美しいものであった。ただし、このような寝棺は貴族など上流階級が用いたものであって、中世以降も一般には座棺が用いられ、庶民が寝棺を用いるようになるのは、都市を中心として霊柩車(れいきゅうしゃ)の使用および火葬の普及する明治以降のことである。
人類学上よりみた棺
人類学者ファン・ヘネップによれば、葬式の過程は分離儀礼、過渡期の儀礼、統合儀礼の3段階に分けられるという。このなかで棺が重要な要素として登場してくるのは、分離と統合の儀礼においてである。分離儀礼、すなわち死者を現世から区分する実際的手続において、死体を棺に入れる、あるいは棺の蓋(ふた)を閉じることは、しばしば儀礼全体の厳粛な幕切れとなる。たとえば、フィリピンのハヌヌー・マンギャン人の社会では、納棺直前まで、不浄ではない南北方向に死体を安置し、食事も与え、生きているかのような手続をとるが、納棺の際に、死体を死者の方向とされる東西方向に移し、さらに出棺も家の壁を一部壊して行うという。これは死と生のあいまいな状態から、納棺を通して儀礼的に死んだ状態にさせることを意味するのと同時に、壁の穴は、この世とあの世とを分離させる象徴的空間とも受け取れる。
統合儀礼の場合を考えてみよう。これは一般に、喪などの過渡期の儀礼ののち、死者を死者の世界に、死者の縁者を生者の世界に完全に統合する意味からきている。カリマンタン(ボルネオ)島南部のガジュ・ダヤク人の社会では、死者はまず仮の棺に入れられ、はるか川上の丘の上に埋葬され(一次葬)、遺族の資力がある程度高まったところで、壮大なティワー祭儀(二次葬)が行われる。このとき死者は、みごとに彫刻された棺に入れられる。こうしてこの祭儀ののち、死者と生者の世界の完全分離が達成される。
既述のティワー祭儀では舟を描いた板が重要な役割を果たしているが、東南アジアからオセアニア一帯には舟と葬儀、棺との関連が数多く表出している。舟葬(しゅうそう)もその一つであるが、舟自体を棺とみることには問題があるかもしれない。しかし、この舟葬が形式化し、本物の舟のかわりに舟形の棺を利用している例には注目したい。メラネシアのマライタ島、ニュー・カレドニア島、ニュー・アイルランド島、アンブリム島、マヌス島では、舟形の棺に死者を入れ、場所によっては樹木に掛けるという。舟形棺の例は、ポリネシアのサモア島、ミクロネシアのクサイエ(コスラエ)島などでも報告されており、いずれも海上他界の観念と結び付いている葬法である。東南アジアでは、スマトラ島のバタック、パクパク、カロの人々、スラウェシ(セレベス)島、チモール島、ニアス島、ニコバル諸島民において舟葬あるいは舟形棺の例がある。さらに大陸部でも、中国南部のミャオ、ミャンマー(ビルマ)のカチン、アッサム地方のアオ、ロタ・ナガの人々は舟形棺を利用している。とくに北部ロタ・ナガの富裕者は、両端が犀鳥(さいちょう)の頭や尾の形で装飾されたボート状の棺に入れられる。
インドネシアのサダン・トラジャ人は木製の寝棺を用いる。これは、自然の丸太を縦割りにしておのおのをくりぬき合わせた円筒形のいわゆる舟形棺である。東南アジア一帯に広がるこれら舟形棺の起源は、紀元前に栄えたドンソン文化にまでさかのぼるといわれ、同文化の代表ともいえる銅鼓の装飾モチーフにもしばしば現れる。しかし同じ東南アジアでも、スラウェシ島北部のミナハサ人は、南太平洋のパラオ島とともに石棺を用いるという。北米の先住民(ネイティブ・アメリカン)は木棺、舟形棺を用い、中米のマヤ文化でも、エジプトほどの華麗さはないにせよ貴人が石棺に納められた例がみつかっている。南米の中央アンデス地帯では近年木棺に納められた王やエリート階層の人々の墓が、大量の副葬品とともに発見されている。また南アンデス地帯やアマゾン地帯では、甕棺が利用されていた。
日本の民俗
現在もしくは近年まで一般に使用されたのは木製の座棺で、桶(おけ)棺と箱棺の別がある。箱形の寝棺は上流階級から広まってきた。座棺の場合、死後硬直のため入棺しにくくなるので、死の直後から柱にもたれさせておくとか、極楽縄(ごくらくなわ)などといって帯で縛るようにして形を整える必要があった。それがあまりに残酷にみえるのも、寝棺の普及した一つの理由であったろう。九州北部や千葉県の一部などでは近年まで甕棺を使っていた。台所用の水甕や茶甕を利用するもので、縄文時代以来継続して使用されたかどうかは明らかでない。
生前から自分の棺を調えておく人を、心がけのよい人であると評する伝承もあるが、多くは死後ただちにつくるものであった。江戸時代の江戸で棺のことを早桶(はやおけ)とよんだのも、棺桶は死後に急いでつくるものであったからである。村落共同体では葬儀一般を、葬式組とよばれる近隣組織が取り仕切っていたから、棺もムラのなかの器用な人がつくった。葬具一般といっしょに、出棺の日の午前中につくるものであった。それが大工に頼むようになり、しだいに商品化してくる。大工に頼む場合は1日分の日当を支払った。
遺体を棺に入れる納棺のときは、経帷子(きょうかたびら)を着せ、首から頭陀(ずだ)袋を掛けさせる。頭陀袋の中には五穀、一文銭(いちもんせん)6枚、嗜好(しこう)品などを入れる。五穀は、あの世で犬に追われたときに投げ与えて逃げるため、一文銭は三途(さんず)の川の渡し賃などという。嗜好品は、男にはたばこや酒、女には菓子や裁縫道具を入れたりする。棺の中で体が動かないように、茶袋を詰めたりすることもある。いまは頭陀袋を省略することが多いが、生前愛用の品や嗜好品を入れることは変わらず、菊などの花を一面に飾り入れることが流行している。棺を火葬場や埋葬地に運ぶには、いまは霊柩車が普及しているが、以前は葬列を組んで2人か4人で担いだ。葬式組の墓穴掘りの人が、掘り終えてから手足を洗って棺を担ぐのが一般で、草鞋(わらじ)履きで行くのが古風である。 
●棺の物語 
東西の棺
人が死ぬと誰もが棺のお世話になる。この棺には古今東西、材質とその形態がさまざまあるが、遺体処置の方法や死後観によって異なっている。ここでは、東西の棺の形とその背景となる考えや、これからの棺をみていきたいと思う。
棺の種類
遺体処置は、埋葬と火葬が最も普及している。そのなかで、埋葬文化圏では棺を、火葬文化圏では、焼骨を納める骨壷が使用された。現在の日本のように火葬が普及し、埋葬しないにもかかわらず、棺が不可欠な場合もある。
同じ埋葬文化圏でも、納棺の姿勢により棺の形態が異り、基本的には伸展葬と屈葬に分けられる。伸展葬は仰向けに納める方式がほとんどで、横長の棺が使用される。それに対し、屈葬は身体を丸めて納めるもので、棺は桶の形が多い。
材質には木製と石製がある。木製では板を組み合わせたものと、丸木の中をくり抜いて作られたものがある。現在の木製の棺は組み合わせのものが多いが、日本の古墳時代には丸太をくり抜いたものがあり、中国四川省の船型棺もくり抜いて作られている。
石製のものは古代エジプトやギリシャ・ローマに多く見られたが、これはあらかじめ埋葬用として墓室内に設けられ、そこに遺体を安置したものである。
陶製の棺はエトルリアの陶棺、中国の瓦棺などが有名である。
金属製の棺は現在のアメリカで最も人気のある棺の一つで、その耐久性と密封性が人気を呼び、故ケネディ大統領も金属製の棺に納められた。
東洋の棺
中国
中国の棺は、遺体を長く保存することを目的としたため、棺は大変頑丈に作られた。殷時代中期には木槨墓がみられた。槨は棺を外部から何重にも保護するものである。さてこの木槨墓は、長方形のたて穴の底に木槨を築き、遺骸の他、銅器や玉器を副葬した。戦国時代になると礼楽制度によって葬制が整備され、身分による棺槨の数が決められた。「国君は3重、外の棺は厚さ8寸、中間の棺は厚さ6寸、中央は4寸。上大夫は2重で8寸と6寸、下大夫は2重で6寸と4寸」(『礼儀』喪大記編)。『礼儀』檀弓編上に、「天子の棺は4重とする。もっとも中央の棺は、牛の革を張り合わせて覆い、厚さは3寸。次は白楊の棺、次に梓の棺が2重とし、みな周囲を皮や木で覆う」とある。
梓で作った棺は、松や柏にまさるという説があり、天子の棺のことを「梓宮」と呼んでいた時代がある。もっとも松と柏も棺の材料として大変もてはやされた。それは丈夫で樹脂が多く、永続性に優れていることと、松と柏に対する信仰から、そこに死者を安置しておくと生命が蘇るかもしれないという願望もあった。
棺に代わって遺骸を納めるものに玉衣がある。これは四角に削った宝石を人の型に縫い合わせて、遺体の表面を覆ったものである。死体の防腐に玉や金を用いたのは、これらの材質が、不老不死の仙薬として用いる錬金術信仰と係わりがあると思われる。
棺には諸天を表す動物が描かれた。『後漢書』によると、天子の棺には「日・月・鳥・亀・龍・虎を描くのが常である」とある。古代中国では、これらの動物は天界の4つの方角を指し示した。東は青龍、南は朱鳥、西は白虎、北は玄亀である。中国では、最近まで棺台の帳と上部及び両側に龍と虎の図の刺繍が見られた。(デ・ホロート『中国宗教制度』)
棺の底に板を置くことがあった。この板には大熊座の星のように並んだ穴を7つあけたり、あるいは円を7つあけることもあった。これは「七星板」とよび、老人の埋葬に必ず用いた。これは四季の運行を司る北斗七星信仰から来ている。また中国の道家の説では、「人間は生まれてから七七日の間の各7に一魄(肉体を支配するのが魄で、精神を支配するのが魂といわれ、死後魄は地に魂は天に帰るという)が出来、生きている間は七魄を具えているが、死ぬと7日ごとに一魄が落ち、七七日で七魄が全部なくなる」と説き、七星板の穴は、七魄の出口という説もある。((平凡社版『清俗紀聞』注より)
納棺に2本の釘が用いられる
デ・ホロートの『中国宗教制度』のなかで、厦門(あもん)の納棺について、興味深い記述がある。「用いられる釘は2本で、棺の板が厚い場合には太い鉄釘が2本用いられる。棺の長い側の中央に各1本づつ打つ。大抵それぞれの釘に赤い布が縛りつけられ、魔除けとしている。棺に釘を打ちつけながら、次の言葉を繰り返す。「息子や孫に男子が生まれるように」。最後に棺に長い側面に各2カ所づつ、継ぎ目の真上に木塊4個を差し入れて蓋を密着させるのである。
生前に用意する棺
中国では、余裕のある人は、生前に葬衣を用意しておく習慣があり、子供たちがその親に葬衣を贈ることがある。同じように50歳ないし60歳以上の人は、あらかじめ自分の棺を準備しておくべきであるといわれる。あるいは棺材を用意することがあり、これを寿板という。長崎の崇福寺でも、「寿」及び「天寿地久、備而不用」と書いた紙をはった棺があるという。(平凡社版『清俗紀聞』注より)生前に用意される墓を寿陵と呼ぶのに通じる考え方である。
日本の棺
古墳時代の棺には木棺、箱式棺、船形棺、長持形石棺、家形石棺など、さまざまな材質や形があった。
宗教民俗学者の五来重は「日本人の本来の棺は桶棺か座棺である」(『葬と供養』五来重 297頁)と述べている。そして元来、桶棺や座棺は屈葬死体を納めるものであるのに対して、寝棺は伸展葬死体を納めるもので、大陸の支配者の寝棺が日本の支配者に模倣され、戦後日本人の「中流意識」によって寝棺が一般化したと解釈している。
京都市の「火葬における座棺と寝棺の比率」によると、昭和21年、72%が座棺で火葬されていたが、昭和27年には54.9%に減少している。鯖田豊二は『火葬の文化』で、座棺のときには燒骨はひとかたまりのままだったが、寝棺になってから、現在のような竹の箸で燒骨を拾っていく風習が生まれたといっている。
七星板
江戸時代中期、1762年の『大江俊章公卒去の記』の葬儀の記録に「7日、午後11時、内密に入棺。棺は実に壷である。平日の好みによって各のごとし。底に七星板あり。穴七つあり。板の下に灰を入れ、蓋は松。厚さ1寸3分。内外にさん2ケ所あり。落し蓋にしてさんで落ちるようにする。チャン(瀝青)にて塗る。厚さ5分ばかり。さて箱に納める。松の板、粗いものなり。これに前字を書く。大(三)字。釘を打ち、左縄をもって紙をまく。十文字によくいわえ、横縄を入れ、あぶなくないようにし、白布の覆いをかける」とある。このなかの前字とは、五来重によると、棺の頭の方に書く梵字という。「三字」?とあるのは、キリーク・サ・サクの阿弥陀三尊の種字と思われる。(『葬と供養』 312頁)
今の真言宗の場合には、棺の前にア字、棺の底にバン字を、蓋にアーンク、東西南北の四方にア、アー、アン、アクを書いて胎蔵界の五仏とする。(同書)こうした梵字は、死者を成仏させるための秘密文字ということが出来る。
壷を棺と呼ぶのもおかしなものであるが、『和漢習合葬祭紀略』に「棺は板をもって臥棺に製し、瀝青(れきせい)をそそぎ、灰隔などを作るべきであるが、力がなくて用意できない場合には、これまでは甕(かめ)を用いる。甕も薬をかけたもので、石のふたを用いるべきである。それさえ出来ない場合には、素焼きの甕に、松か檜の厚板でふたをつくり、葬ったあと、ふたの上に檜の方木をならべておく。こうしたものは座棺という。」とあるから甕で間に合わせたものと思われる。中に出てくる灰隔とは、遺体保存のために使用された炭末石灰を隔てることである。
神道葬
神道の葬儀といっても、そこには儒教や道教の影響が多分にみられる。水戸藩の葬儀の在り方を伝えた『葬祭儀略』のなかの棺について次のように説明がある。
「板は、赤みの杉、または檜を用いるべし。板は厚いものを用いる。棺は人の大小を計り、わずかに身を入れるほどに作るものなり。人の大小によって棺の大小あるべし。右の尺寸のつもりをもって、その人の大小を計って作るべし。柩衣は白い布で、棺の格好に縫って上へうち着せるものなり。棺は葬具の最も肝要なものなり、心を尽くしてよく作るべし。」
灰隔板とは文字通り、灰を隔てる板のことである。同書に、「灰隔板は、壙の中の四方に、板にて四角に作る。前後左右、棺より5寸づつ広くすべし。蓋ありて底なし。底は炭末石灰を厚さ2寸余りも敷き、その上に石灰細かい砂黄土を混ぜたものを敷いて、固くつき固める。灰隔板の高さは、棺を入れてその上5寸ほどにすべし。棺を入れて後、蓋をして、釘を打って固める」とある。
西洋の棺
古代エジプト
古代エジプトでは、その長い歴史のなかで棺の形も様々の変遷をとげている。棺は全体、特にふたが天空の女神ヌトと同一視された。中国でもふたを天と呼んだように、天とは死者の魂が帰る場所と考えられたのである。
初期王朝時代(紀元前2750〜2213)は石棺と木棺の両方があった。初期王朝時代の木製棺は、屈葬と伸展葬の二つがあったが、のちに伸展葬が標準となっていく。その棺は大型の木材ではなく、小さな木片をつなぎ合わせて作られた。そしてそれは当時彼らが住んでいた葦の茎で作った家を模して作られた。彼らは死後も生きている時と同じような住居に住むと考えていたのである。そしてこの棺には美しく彩色された。(図右)。
中王朝(紀元前2025〜1627)の棺はシンプルな外形で、そこに死者の魂が出入りできる門が描かれたり、また呪文が描かれたりした。(図左)
図に記されている矢印は、呪文が書かれた方向を示している。棺の頭に当たる部分には二つの神聖眼が描かれた。遺体は左側面を下にした姿勢で置かれたので、棺の彩色眼は死者の顔の前に来るのである。この眼はホルス神の目を表し、死者に守護を与えるばかりでなく、死者が棺から出ていくことを可能にした。棺に記された銘文は棺の頭部からはじまり下部まで続いた。棺に呪文を記す風習は、死後楽園に生まれることを願ったものである。(J・スペンサー『死の考古学』)
エジプトで最も有名な棺は、何といってもツタンカーメン王の人形棺である。1926年、王家の谷で発見された時には世界中の話題となった。この人形棺に描かれた像は、冥界の王オシリスを表している。この人形棺の中に、第2の人形棺がぴったりとはめこまれ、さらにそのなかに第3の人形棺があった。第3の棺は厚さ2.5センチ、高さ1.83メートル、重さ110.4キロの純金で作られ、そこにラピス・ラズリなどの宝石が嵌め込まれている。このように人形棺は3重になっており、その中に黄金のマスクを被ったツタンカーメンのミイラが眠っていた。この棺の裏には「死者の書」から取られた呪文が記されている。
ローマ時代に入って、台板の部分とそれを覆うふたの部分からなる棺が登場した。棺の表面には太陽神ラアの船などが描かれ、ふたの内側に死者が仰向けに横たわって天井を見ている位置に、天神ヌトとそのまわりに12の星座が描かれている。
ギリシャ・ローマ時代
ギリシャでは、墓地は市の門に通じる街道の両側に作られた。アテネの前期ヘラディック文化様式の墓地では、地下に石槨を作り、遺体を伸展させて埋葬した。また中部イタリアのエトルリア人は独特の墳墓を作った。陶棺の蓋に死者の丸彫り像や、ときには夫婦の像を作った。(写真参考)
ローマ時代には石棺を高浮彫りで飾ることが流行した。石棺には、死者の生前の姿や神の姿が彫られた。神話には、死者の魂を救うオルフェウスの神が石棺の表面に彫刻されたりした。
初期キリスト教時代
石棺の装飾はローマ時代の石棺の装飾様式が基礎となったが、棺上に横たわる丸彫は姿を消した。その代りに、キリストを中心に左右に使徒を並べたり、中央に死者の肖像を入れ、その周りに聖書の場面を描いたものが登場した。こうした死者の肖像を入れた墓は、5世紀ころから見られなくなった。また石に刻まれた碑文は7世紀頃まで続いたが、それ以後は見られなくなった。
中世
中世になると石棺彫刻は衰え、死者は簡単な石棺に入れられて、教会の内部に埋葬されるようになった。大多数の人々にとって、18世紀末に至るまで墓に個性を主張することはなく、アリエスが言っているように、「住民の大部分にとって、埋葬の場所を目に見えるしるしで明示する願望は、感じられなかった」(アリエス『死の文化史』2章)のである。
近世から現代にかけての棺
英語で棺のことをコフィン(coffin)あるいはキャスケット(casket)と言う。コフィンは俗に棺の両肩の部分が最も巾広になっており、足先に向かって細くなっているデザインのものをいい、キャスケットは宝石箱という名の通り、長方体の形のものである。このキャスケット様式は1870年代にアメリカで考えられたもので、その後、急速に定着した。長い歴史のあるイギリスでは、葬儀雑誌の広告を見ていても、コフィン形の棺がいまだ多く掲載されているが、アメリカではキャスケット型がほとんどである。
『イギリス人の死に方』によると、1450年から1900年までの間に少なくとも14の棺の型が生まれたという。
人間型の棺はもっぱら地下墓地に安置する場合に限られていた。これはイギリスでは15世紀に流行し、ある地域では17世紀後半まで見られた。その形が用いられた理由の一つに、衛生学的に体液が外部に漏れないような防水処置をほどこし、外側をしっかりと縫い止められることが出来たからである。この例がウエストミンスター寺院の墓地にある、ヘンリー7世(1509年歿)などの棺である。
棺の表面にベルベットが用いられたのは、19世紀初頭である。初めは黒色か朱色が主であったが、じきに紺色、深緑、青緑が用いられ、後者は特に子供用の棺に使用された。19世紀後半に棺のデザインが変化した。ワックス及びフランス風に磨かれた木材の材質を生かした棺が登場したのである。
アメリカの棺
植民地時代から代々アメリカの棺は木製で、時代と共に改良が加えられていったが、地位によってその材質が異なった。金持ちはエルムかオーク材が、貧者には松の木が用いられた。19世紀中頃から耐久性のある金属製の棺が人気が出てきた。その理由の一つに、この時期に医学が発達し、解剖用の遺体の盗掘から遺体を守る頑丈な棺が必要とされたという物騒な話もある。
棺製造は、もともと大工、木工業者、家具職人の手で作られていたが、都市人口の増大とともに18世紀中頃には棺製造が専門職として登場し、棺店が看板をあげるようになった。また生きたまま埋葬されるという恐れから、棺のなかに鈴や笛などの器具を取付けた棺が登場した。こうした機能をもつ棺は、エンバーミングが発達する19世紀の終わりには見られなくなった。
棺の値段
欧米では葬儀費用のうち、棺の値段がもっとも大きな比重を占める。アメリカでは通夜の代わりに葬儀場の一室に遺体が安置され、ビューイングという最後の別れが行なわれる。弔問に訪れた人々が、棺の中に横たわった故人と最後の別れを告げるのである。その準備として、遺族は葬儀場の地下などに設けられているショールームで棺を撰択することになる。そして棺が決まったら、エンバーミングされた遺体が、棺に納められるのである。
棺の種類はさまざまで、コストは200ドルから2万ドルまで、一番安価のものは布張りの合板製。次は木製で銅やブロンズの覆いのあるもの。金属製の棺はおよそ1,000ドルから数千ドルまで用意されており、遺体の下に敷かれたマットレスは弾力性のある、大変に見栄えのよい材質が使われている。このクラスのものになると、大抵は密閉製に優れ、それを売り物にしている。さらに高級のものは1万ドル以上のものがある。
現在の顧客の特徴は、棺の色やデザインを指定する人が多いという。棺の内装の色は男女によって好みが異なり、男性は青か灰色かかった白でオークの葉が飾られ、女性はピンクか白が好まれ、そこに生花が飾られる。また金属製の棺や堅い木材で作られた棺は男性に、女性には柔らかい木材で作られた棺が好まれるという。
1993年のFFDAの調べによると、1992年の葬儀費用の平均は、3,663ドル(1ドル83円換算で30万4000円)。うち棺の平均金額が、627.7ドル(約5万2000円)。93年では3,819ドル(31万6900円)、棺の平均金額は652.1ドル(約5万4000円)。10年前の比較でみると、1983年の葬儀費用が2,367ドル(内棺費用は、408ドル)、10年間で葬儀費用、棺費用ともに約1.6倍になっていることがわかる。
現在から未来へ
現在、欧米では火葬が増大してきているが、それに伴い環境問題が起きている。つまり棺を火葬にすることに対して、資源保護や大気汚染防止の意味から、棺の在り方が見直されてきているのである。
イギリスではすでに、リサイクル可能な材質による棺が販売されている。カーウッド葬祭用品株式会社では、資源保護を目的としたコンパクタ棺を販売している。これはリサイクルした素材で作られており、運搬や保管にも便利であるが、一見ダンボールの箱のように見えるため、彫りのある伝統的な棺に見慣れた人には、物足りなさを感じるだろう。
棺による火葬が減少
1994年8月、北米火葬協会では、1,200の火葬場に対して、火葬における棺の使用状況について調査を行なった。その結果、約18万2000件の火葬に対し、75.63%が代用ケースで火葬されたことがわかった。続いて「布張棺での火葬」8.29%、「木製棺での火葬」7.51%、「遺体を包装しての火葬」4.43%、「ケースなしでの火葬」1.85%、「遺体バッグでの火葬」1.58%、「金属棺での火葬」0.71%の順である。(「北米火葬業者」94.4号)
このように、普通の棺で火葬するケースが16%しかない。アメリカでは日本の様に、棺を焼却炉に入れる際に遺族が立ち会わないので、火葬にする棺が簡素になっていることが窺える。 
●日本の火葬史 
火葬とは、故人の遺体を焼却し、残った遺骨を葬る方法で、現在の日本では主流となっています。今や当たり前のように行われている火葬ですが、古くは土葬が主流でした。火葬が日本でいつから広がり始めたのか、どのように普及していったのかを時代を追って説明していきます。また、火葬場はどのような形だったのか、火葬炉が出現したり、今日の斎場のようになったのはいつ頃かなど、詳しく述べていきます。
火葬はいつから始まった?広まった背景とは
明治時代の火葬率は30%前後だったそうですが、その歴史は意外と古く、古墳時代後期の陶器千塚古墳群の一部である「カマド塚」に火葬の痕跡があります。つまり6世紀ごろには火葬は行われていたようです。
また、日本書紀には法相宗の開祖である道昭が700年に火葬されたと記されており、これが記録として残っている最初の火葬のようです。
さらに、702年に亡くなった持統天皇は天皇としては最初に火葬されましたが、それ以後天皇にならって一部の僧侶や貴族などの間で火葬が行われるようになりました。
その後、火葬は仏教の普及とともに国内に少しずつ広まりましたが、その背景には釈迦が火葬されたことにちなんでいるとされています。
鎌倉時代には庶民にも火葬が広まる
平安時代になると、火葬は皇族をはじめ、貴族や僧侶の間にさらに大きく広まっていきました。当時は墓地などに浅い溝を掘って、石や土器などで火床を作った火葬場が作られていました。
鎌倉時代に浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗など鎌倉仏教が庶民に普及すると、庶民へも火葬が広まっていきました。この頃の火葬は、野原に薪を積み、その上に遺体を置いて焼く野焼きでした。ほとんどの地域でこの形が江戸時代末まで続いています。
江戸時代には寺院や墓地に火葬場を設置
江戸時代には、お寺の境内や墓地の敷地に火葬場が作られるようになり、都市部を中心に庶民も火葬をすることが一般的となりました。このころの火葬場は、簡易な屋根や壁を使った小屋の中に設ける火家と呼ばれるものでした。鎌倉時代の野焼きと比較して、徐々に現在の形に近づいてきました。
とは言え、火葬はまだまだ主流とは言えず、地域によっては土葬が主流であったことも多いようです。
火葬が主流にならなかった理由のひとつには、火葬による臭気や煙の問題がありました。実際に浅草や下谷の20数ヵ所のお寺の火葬場が幕府指定地へ移転させられました。
江戸時代にはキリシタン禁制のため、僧侶は檀家で死者が出ると、キリスト教徒でないことを確認してから引導を渡しました
江戸時代は、キリシタン禁制のため寺請制度が強制され、僧侶は檀家で死者が出ると、キリスト教徒でないことを確認してから引導を渡す、つまり悟りの道に導く儀式が行われました。これが現在の葬儀として徐々に普及していきました。
火葬炉が出現して火葬場の名称に
明治時代になると神道派が、火葬は仏教葬法なので廃止すべきと主張したため、明治政府は1873年に火葬禁止令を出しました。しかし、すぐに都市部を中心に土葬用墓地が不足して1875年に撤廃しました。その後は、公衆衛生面から伝染病による死者については火葬にすることを義務づけるとともに、人口密集地域では土葬を禁止する措置を行いました。
この頃、レンガなどで燃焼室や煙突を作った最初の火葬炉が出現しました。これまでと比較すると、貴重な薪の使用が減る、人員が削減できる、燃え残る遺体が少ない、煙突により臭気や煤煙を減らせる、喪主の金銭的負担を減らせるなど、多くの利点があることから、大きな火葬場などでこの火葬炉が設置されるようになりました。
さらに1875年には、政府によって火葬場の煙突の高さを7m以上にするよう義務づけ、1884年には初めて火葬場という言葉を使うとともに、設置場所を人家から120間(218m)以上離れた風上以外とし、臭煙害を防ぐために燃焼室と煙突を備えるよう指示しています。
葬祭場の名前を付ける火葬場も
東京府は1887年に火葬炉を使用する時間を夜8時から翌朝の5時までとし、火葬炉の設置基数や煙突の高さなどを決めた火葬場取締規則を改正し、他府県でも同様の規制が行われました。
この頃から民間に代わって自治体が火葬場の建設を推進するようになっていきます。その後、大正時代には石炭や重油が燃料に使われるようになったことで燃焼速度が大幅に短縮され、その日のうちに収骨が可能になりました。
この頃から、都市部などで火葬場に葬斎場や斎場などの名前を付けるところが増え、通夜や告別式も行える式場が登場し始めました。
火葬場の近代化
1970年から1980年代には公害問題の意識が高まり、火葬場の近代化が進められました。
燃料は石炭や重油から灯油やガスに移り、電気集じん器の設置、ダイオキシン類抑制のためバグフィルタの設置も増えました。その結果、火葬に伴う排煙の無害化、無臭化が進み、1990年代には煙突が短くなったり、中には煙突を持たずに排気口だけの火葬場も現れました。これらは、近隣住民への抵抗感を和らげることにも繋がりました。
現代における火葬率と火葬炉、火葬場の種類
現在、行政では環境衛生面から火葬を勧めています。特に東京都や大阪府では、条例で一部を除いて土葬を禁止しているほどです。この結果、全国の火葬率は1915年には36.2%でしたが、2015年にはほぼ100%になっています。
このように、わが国では今や火葬は当たり前となって、葬儀の中に位置づけられるようになりました。
   火葬場の種類の多様化
このような火葬率の上昇に伴い、火葬炉の進歩も進んでおり、ロストル式と台車式が登場しました。
   ロストル式
オランダ語の「ロストル」には、火格子や網という意味があります。炉内に格子状に渡した金属棒の上に棺を乗せて焼却するスタイルから、この名前が付きました。構造がシンプルなため、建設やメンテナンスのコストが安いことがメリットとして挙げられます。棺の下に空間があり酸素を送りやすく、棺が燃焼した後は遺体にも直接炎が当たるため、火葬にかかる時間は35分から60分程度と、台車式と比べても短時間で火葬が終わります。ひとつの炉で火葬できる回数が多いのも特徴で、東京の都心部など、人口の多い地域で採用されています。反面、悪臭が出たり、清掃に手間がかかったりすることもあるようです。
   台車式
国内のほとんどを占めているのが台車式の火葬炉です。車輪を付けた台車の上に棺を乗せたまま、炉に入れて火葬するスタイルです。車輪があるので出し入れが容易で、耐火性のある素材で台車ができているため台車自身が耐火床となります。台車式の大きなメリットは、遺体を入れた棺のまま燃焼させるので、人体がそのままの状態で遺骨となることです。そのため遺族にとっての印象が良くなります。また、悪臭が出ることが少なく、衛生的であるともいわれています。ただし、設備の構造が複雑になるため建設費や維持費がかかります。火葬が済むまで60分から70分程度かかります。さらに収骨の際には斎場の係員が遺骨を崩さないと骨壺に納めることができないといったこともあります。
火葬炉の温度
火葬炉の温度は高い方が早く燃えるため、火葬の時間が短くて済みますが、一方で温度が高すぎるとご遺体がほとんど燃えてしまい、骨の形もきれいに残らないため、収骨が難しくなります。
そのため古いタイプの火葬炉の場合は、800度から950度、新しいタイプの場合は900度から1,200度程度で温度の設定がされています。また、ダイオキシンなどの有害物質を発生させないために最低温度が800度を下回らないようにするなど、各地方自治体で規定が設けられています。 
●「棺」「柩」の諸話 
「棺(ひつぎ)」と「柩(ひつぎ)」の違い
棺・・・ご遺体が納棺されていない、空の状態
柩・・・ご遺体が納棺された状態
ここで、わかりやすいのは「納棺式」と「霊柩車」です。
納棺式・・・ご遺体を棺の中に納める儀式
霊柩車・・・ご遺体が納められている柩を火葬場まで運ぶための車
実際に現場で使われる言葉には、「棺」と「柩」が使い分けられています。
棺の歴史
棺には、寝た姿勢で納める寝棺(伸展葬)と、座った姿勢で納める座棺(屈葬)があります。現在は寝棺が一般的ですが、日本は江戸時代までは座棺が主流でした。
縄文時代
甕棺(かめかん)   甕型の土器による棺(※座棺の原型)
             幼児の遺体に使用された例がある
弥生時代
甕棺          大人にも使用された
木棺・石棺      地面に穴を掘って、木や石の板を底部・側部に埋め込んでいく
古墳時代
木棺・石棺      木版や石版を組み合わせた棺
陶棺(とうかん)    家の形を模した棺
粘土棺         家の形を模した棺
〜鎌倉時代
乾漆棺(かんしっかん) 漆を使った棺 / 身分の高い人のもので寝棺が多かった 
             ※一般的に棺は座棺
江戸時代
木製の棺桶が多い 身分の高い一部の人以外は座棺
明治時代
木製の寝棺      裕福層 
              ※地域によっては座棺用の火葬炉しかない所もあり、
              そういった地域は昭和40年代頃までは座棺を使用
戦後〜
寝棺           火葬が一般化し、寝棺が主流となる
              現在、座棺は使用されていない
現代の棺
大きく分けて、以下の3種類があります。
天然木棺 / マキ、モミ、ヒノキなどの天然木を用いた最高級とされる棺/ヒノキの天然木棺が最高級
フラッシュ棺 / 「フラッシュ」は「偽物の」という意味/外からは天然木に見えるが、中が空洞になった木棺/軽量な構造
布張棺 / フラッシュ棺の表面に布を貼った棺  
●昔の葬儀 
現代の葬儀といえば、通夜と葬儀・告別式を行い火葬するのが一般的な流れです。では、大昔の縄文時代や文明開化のあった明治時代などの他の時代には、どのような葬儀が行われていたのかご存知でしょうか。時代が変わると「死」に対する考え方も変われば、宗教が葬儀に与える影響の大きさも異なります。大昔の縄文時代から大正時代まで、時代を追って変化してきた葬儀内容をご紹介したいと思います。
縄文〜弥生時代の葬儀(紀元前145世紀頃〜3世紀頃)
縄文時代には、屈葬という埋葬方法が行われていました。屈葬とはその名のとおり、身体を曲げた状態で埋葬されることです。この屈葬は日本以外ではあまり見られない埋葬方法で、他の国ではアフリカの一部地域ぐらいにしか存在しないようです。
屈葬を行っていた理由には下記のようにいくつか説があります。
・墓穴を掘る労力を少なくするため
・死後の世界でも安らかに眠れるように安楽の姿勢をとらせた
・胎児と同じような体勢をとらせて復活を願った
・死者の霊が浮遊しないよう動きにくい体勢にした
屈葬されている遺体の中には石を抱いていたり縛られたりしている遺体が多いことから、死者の霊が浮遊しないように、というのが最有力な説とされています。
弥生時代になると、屈葬から一転して伸展葬が行われるようになります。屈葬とは逆で、身体を伸ばして埋葬する方法です。縄文時代でも一部特権階級には伸展葬が許されていましたが、弥生時代では庶民の間でも伸展葬が一般化しました。
伸展葬に変わった理由はいくつかありますが、わざわざ身体を曲げる時間的余裕がなくなったことや、死者が生き返らないことがわかったからだとされています。また、この頃から墓が見られるようになったとされています。これは、稲作が伝来したことで農耕が発展し、定住化が進んだことに起因しています。
弥生時代以降、大陸から文化が流入してきた影響もあり、土葬が強く根付くことになります。
古墳時代の葬儀(3世紀頃〜7世紀頃)
古墳時代では、支配階級の埋葬方法が大きく変わりました。
古墳と呼ばれる大型の墓が全国的に広がったのです。特に古墳時代の前半期は極めて大型の前方後円墳が数多く登場し、その多くは豪族1人を埋葬するためだけに作られました。棺は石室と呼ばれる部屋に納められ、棺のほかに副葬品として銅鏡や碧玉製宝器、太刀、剣、鉾などが一緒に埋葬されています。
その一方で、庶民の埋葬に関しては特筆した変化は特になかったようです。
飛鳥時代の葬儀(592年〜710年)
古墳時代の末期と飛鳥時代初期は年代がかぶっていて、飛鳥時代でも古墳は作られているものの、葬儀文化において大きな変化が起こっています。
聖徳太子が618年に自分の墓を建てたという記録があり、その墓も古墳です。しかし、646年に出された「薄葬令」によって、古墳の大きさや築造にかける期間、人員などが細かく制定されるようになりました。これにより、古墳時代初期のような大型の古墳は作られなくなったのです。
701年に制定された大宝律令以降は、三位以上の身分をもつ者だけに古墳を作ることが許されました。この頃、庶民に対しても埋葬に関する規定が定められました。庶民は一定の範囲の葬所を利用し、複数の場所に散埋することは許されなくなりました。
また、初めて火葬が行われたのがこの飛鳥時代です。700年に道昭という僧侶が火葬にされたという記録が残っているほか、702年には持統天皇も火葬にされています。しかし、火葬はまだ一般的には広まらず特権階級の間でのみ行われていたようです。
奈良時代〜平安時代の葬儀(710年〜1185年)
奈良時代に入ると、首都の内部に墓を作ることが禁止されました。そのため、平城京の敷地内からは当時の墓は発見されていません。平安時代に入ってもこの基本方針は変わらず、天皇や貴族といった特権階級の墓であっても京の外に作られました。
一方、庶民の墓は飛鳥時代と同じく一定の場所が設けられていて、そこに埋葬するように定められていました。このほか、『梧庵漫記』という記録には、京の周辺の山野や河原が庶民の葬られる場所だった、という記述が残されています。
平安時代には、高野山に火葬した骨や遺髪を納めるという「高野納骨」が盛んに行われました。1085年に崩御した性信法親王は遺骨を、1108年の堀河天皇は遺髪を高野山に納めました。仏教の教えにおいて、悟りを開くものがいない時期を意味する「末法」だといわれていたこの時代、天皇や貴族などの特権階級の人々は、弥勒の浄土である高野山に納骨されることを願っていたようです。
鎌倉時代〜室町時代の葬儀(1185年〜1573年)
鎌倉時代になると、浄土宗や浄土真宗といった鎌倉仏教が一般的に普及することとなり、その結果として火葬も広く利用されるようになりました。
しかし、火葬が広まったとはいえ火葬場がそうそうあるわけではなく、また火葬技術が未熟なことから遺体を完全焼却することが難しかったため、土葬と火葬の両墓制が長らく続くことになります。また、鎌倉仏教が広まったために、仏教の死生観も一般的に知られることとなりました。こういったことから、本格的な葬儀が一般的に行われるようにもなりました。
室町時代では、応仁の乱以降に寺院の境内に墓地を設ける例が数多くあります。京中寺院における埋葬は相変わらず禁止されていましたが、それ以外の阿弥陀寺や知恩寺に対しては、特例として境内への土葬が許可されました。住人たちの「寺院の本堂近くに墓を立てて追善供養を受けたい」という願いの結果であり、これが現在の寺院墓地の始まりとなっています。
江戸時代の葬儀(1603年〜1868年)
江戸時代の葬儀の大きな特徴は 17世紀後半に制定された寺請制度に有ります。寺請制度は キリシタン禁制を目的とすると共に、庶民の戸籍事務を寺院に取り扱わせた制度で、全ての人が何れかの寺院に登録しなければならず、寺壇制度の確立に寄与する事となりました。死者が出た場合、旦那寺の僧侶は 檀家であった者の死相を見届け、引導を渡し、然るべき役所に届け出なければ成りませんでした。従いまして 全ての日本人は仏式で葬儀を行うこととなります。
江戸時代 人が亡くなりましたら ご遺体をむしろの上に移し、逆さ屏風を立て、枕元に小机を置き、樒(しきみ)と香を供えて、旦那寺に死亡の知らせ告げます。死の知らせを受けた寺院は検僧を派遣して死者が変死でない事を確認した上で葬儀の手配りを行いました。変死の疑いがある場合は その筋の証書が無ければ葬儀を行う事が出来ませんでした。故人様の死が確認された後に枕経があげられ、ご遺体を沐浴・剃髪させ、白衣を着せて納棺しました。棺は 裕福な家では寝棺が使用されましたが、一般的には早桶と呼ばれる桶が使用されました。棺の中には 故人様の衣服・調度・六文銭などが納められました。葬儀は 故人様が亡くなって後 一昼夜が過ぎてから行われ、出棺に当っては 門火を燃やし葬列を見送りました。
江戸時代 葬列の規模は 武家の場合、格式身分により定められて居りましたが、通常の行列よりも一壇上位の列を組む事が出来ました。従い 通常は 徒・率馬・対箱・先道具などを用いる事が出来ない身分でも、葬儀の場合に限り、徒をたて、馬をひかせ、対箱を持たせ、棺前に槍を立たせる事も出来ました。但し 高張提灯は 武士のみ使用が許され、庶民が使用する事は許されませんでした。
武家の葬列では 喪主・会葬者の侍は麻の裃(かみしも)を着用し、棺かき・中間・小者などの者は 白丁(白布で作られた法披のようなもの)を着用し、槍・刀の鞘・率馬・長柄傘などには白い布をかけて寺院に向かいました。武家の婦人の葬列では 柩の脇に白小袖に白い布を被った婦人が付添いました。
町人・百姓の葬列では 位牌・香炉持ちと 喪主・会葬者は羽織袴を着用し一刀を帯びました。喪主は編笠をかぶり、喪主・会葬者で刀を帯びる者は 刀の柄を白紙で包み、これを紙縒りで結んで留めました。
寺院での葬礼が終りますと ご遺体は埋葬されました。この時代 浄土真宗では火葬を推奨して居りましたが、それ以外の宗派では土葬が一般的でした。当時 江戸には 北の小塚原、南の鈴が森、東の中川の 三カ所に 火葬場が在りました。
明治〜大正の葬儀(1868年〜1926年)
明治3年に全ての寺院墓地が国有地となり、明治5年には法律によって自葬祭が禁止されました。これにより、葬儀は全て神主や僧侶によって行われることになったのです。
また、明治初期は仏教の排斥と神道の推奨から火葬禁止令が出され、火葬が行われなくなりました。
しかし、火葬再開を望む声が多かったことに加え、土葬用の土地が枯渇してきたことから、火葬禁止令は2年で撤回されることになりました。その後は衛生的な観点から火葬の有用性を認め、火葬が義務化されるようになりました。また、この頃から欧化のあおりを受け、喪服が白から黒へと変化していきました。
大正時代に入ると霊柩車が庶民の間でも使用されるようになり、輿を使った人力での葬送は徐々に見られなくなっていきました。こういったこともあり、現代の葬儀の原型は大正時代の頃にできたと言えるでしょう。
日本の葬儀の移り変わり
様々な時代の葬儀についてご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
古い時代についてはあまり文献なども残っていないため、詳しいことがわからないことも多いものの、断片を知るだけでも時代の流れを感じることができます。
こういった葬祭の観点から歴史を見てみると、いつもの歴史も違った見え方ができるのではないでしょうか。 
●江戸時代の葬儀 1 
寺請制度がお寺と民衆を結びつけた
江戸時代の葬儀を語る上で避けては通れないのが、寺請制度(てらうけせいど)の存在です。
寺請制度は、民衆に特定のお寺の檀家になることを義務づける制度で、お寺からは「寺請証文」という証明書が発行されます。
もともとは、キリスト教などの禁制宗派の信徒でないことを証明させるために行われていましたが、次第にその意味は薄れ、民衆統制の手段としての性質が強くなっていきました。
檀家になった以上、葬儀や法要はすべて菩提寺に依頼し、お布施も支払うことになります。お墓も菩提寺の敷地内に作らなければなりません。明治期になると寺請制度は廃止されましたが、お寺と人々のつながりが消えたわけではなく、現在まで影響が残っているのです。もちろん、お寺が死後の面倒を見てくれるということで、民衆にも一定のメリットはあったと考えられています。
お通夜では夜通しで遺体を守った
人が亡くなった時は、棺を用意して遺体を納める必要があります。この際、まずは湯灌をして体と魂を清め、死装束を着せて棺に入れる習慣は、江戸時代にはすでに存在していました。
それからお通夜が行われますが、現在のように短時間で終わる「半通夜」ではなく、夜通しで遺体に付き添う「本通夜」が基本です。遺族や親しい人たちが集まって一晩中遺体を守り、ロウソクの火を絶やさないようにして過ごしました。火を絶やさないのは、故人の魂が迷わないようにするためとも、邪悪な霊が寄ってこないようにするためともいわれています。
この時に出されていた食事が、今でいう「通夜振る舞い」です。夜通しで遺体を守るのですから、食事を出すのは当然といえます。現在では形だけが残っていますが、もともとはきちんとした意味があったわけです。ちなみに、香典は金銭ではなく米で支払うこともありました
当時の喪服は白く、葬列をなして棺を運んだ
お通夜が終わると、いよいよ葬儀が始まります。
現在と明らかに違うのは服装で、当時は黒ではなく白い喪服が主流でした。喪服が黒になったのは、明治期に入って西洋の影響を受けてからです。遺体に着せる死装束が白であることからも、当時の日本人にとって「死の色」とは白であったことがわかります。
準備が整うと、家から棺を運び出し、遺族や参列者が列をなして菩提寺へと向かいました。これを「葬列」といいます。葬列に加わった人々は、それぞれが位牌、線香、ロウソク立て、樒(しきみ)といった仏具を持っていました。また、いつもとは違う入り口を作ってくぐったり、帰りは違う道を使ったりと、故人の魂が誤って家に戻ってこないように工夫していたのです。
菩提寺に到着すると、まずは僧侶が棺の前で法語を唱え、仏道に引き込んで無事に成仏できるようにします。これがいわゆる「引導を渡す」行為です。さらに読経を行い、参列者全員で故人の冥福を祈りました。その後は遺体を埋葬しますが、当時主流だったのは火葬ではなく土葬です。地域や宗派によっては火葬も行われていましたが、当時は火葬のための設備が十分ではなく、大量の薪も使用しなければなりません。そのため庶民にとっては、簡単に済ませられて安上がりな土葬の方が助かったという事情もあります。
お墓にしても、武士や富裕層は現在のような石のお墓を持っていましたが、庶民の間では土を丸く盛り上げた「土饅頭」が主流でした。やがて庶民の間にも石のお墓が普及し始め、火葬も定着して現代のような形態になったのです。 
●江戸時代の葬儀 2 
最近マスコミでも、葬儀についていろいろな報道がなされるようになった。それだけ一般の人々の葬儀に対する関心が高まったものとみえる。こうした関心は昔からあったようであるが、かって人は葬儀をどう考えていたかを、江戸時代の人々の著作から見てみたい。一つは真宗の考え方を伝えた『九十箇条制法』、一つは元祿時代の弔い状の手本となった『男重宝記』、一つは僧侶のための『律苑行事問弁』。次に当時の豪商の葬儀費用が記された『播磨屋中井家永代帳』、『塩沢風俗帳』などにみる葬儀風俗である。
『九十箇条制法』にみる真宗の掟
『九十箇条制法』は、浄土真宗の門徒、僧侶に対する掟や、浄土真宗の中興の祖である蓮如(1499没)の御文に見える掟などを集めたものである。書かれたのは今から約320年以上前の寛文8年(1668)である。そこから死に関するものを拾ってみた。当時の真宗の考え方がうかがえる。
1. 焼香する理由は?
香をたくと、香のある間は、火が燃えて煙が出る。人の口から息が出るのは、ちょうどこの煙のようなものである。煙が消えて冷たい灰となるのは、我々が火葬場の薪となり、最後に灰となるのを忘れないようにするためである。決して死者のために香をあげるのではない。
2. 喪の日数は?
父母が死亡した場合には、50日の精進をする。
3. 死亡の準備は?
真宗の信者の一員が死亡した場合には、龕(仏像を安置する厨子、または遺体を入れる棺)を設置したり、幕を張ったりすることは真宗では定めていない。ただし世間のしきたりならば行ってもよろしい。これをしても死んで極楽に行くの妨げにはならない。
4. 加持祈祷は?
真宗の信者のなかに、病気になったら祈祷やお祓いをし、巫女や陰陽師に頼んで病人を癒すことがあるが、それは宗派の掟に背いている。いそいで門徒と相談することが大事である。
5. 他宗での葬儀は?
親が他の宗派で死んだ場合、子供は門徒でありながら、天台・真言など他の宗派で弔うことは、当宗派では大変に嫌っている。たとえ他宗で死んだとしても、後に救われることがある。
(註:浄土真宗は現在でも、葬儀の指示について、細かく指示を与えている寺院があるが、そうした伝統は当時からあったのである)
『男重宝記』にみる弔い状の書き方
『男重宝記』は元祿時代にベストセラーになった、マナーの本であるが、そこから弔い状の書き方をみてみよう。
1. 死の呼び方は
天皇が死亡されたことを崩御という。 公方将軍の場合に他界、又は薨去(とも、逝去ともいう。長老・和尚を遷化とも入滅ともいう。庶民の場合には(上)遠行、(中)卒去・死去、(下)果つると書くべきである。
2. 書いてはいけないことは
弔い状には、「以上」、「参る」、「人々御中」などとは書かない。封じ目に墨を付けず、「より」という字も書かない。要件がある場合にも弔い状の中にには書かず、別紙にて書く。
3. 忌み言葉
弔い状には、「猶々」、「重ねて」、「やがて」、「返すがえす」、「又」などと書かない。行数は7行、9行(奇数)に書く。薄墨で書く。
4. 書き方のこつ
弔い状は、悔やみだけの文章で、短くさらりと書く。「御力落」と書くのは俗である。「御愁傷」と書く。
5. 香奠を添える場合
「香奠として鳥目(お金のこと)百疋(千文)、仏前に呈し候」などと書く。
『律苑行事問弁』にみる葬儀についての規則
この書物は、名古屋・八事にある真言宗・興正寺の妙龍(1705〜1786)が記したもの。妙龍は享保19年(1734)、徳川宗春の命を奉じて30の時に興正寺の第5世となり、以後批判精神にとんだ意見を述べている。この書は僧侶の質問に答える形式をとっている。
1. 僧侶は葬儀に出るのは葬式仏教ではないか
質問:さる大名がある寺に命じて、「僧侶は、葬儀の場に出かけて引導を渡すのは、父母や師長、僧徒の場合に限られる。その他の葬送については、行ってはならない。これは仏教徒としての定めであり、戒律として文章化されている」と。これはどの戒律に記されているのか。もしこの通りならば、僧侶は一般の人から葬儀を依頼されても、引導・焼香をしてはいけないのか。
答え:小乗仏教の戒律をあらわした『善見律』には、「旦那が僧侶に葬儀をお願いしても、行ってはならない。ただし僧侶が葬送の場で無常観(人のはかないことを瞑想する)を行うのであれば、それは修行になる。この場合ならば罪はない。」とある。
『資持』には、「他人の依頼でも、世情の為でも、僧侶は無常観を行う場合を除き、葬儀を送ってはならない。」
先の大名の考えは、こうした説にのっとったものである。しかし一概にそうした説にこだわるべきではない。もし人から、死者に引導を渡し、苦を取り去って成仏させてほしいと頼まれれば、行って引導を渡し死者の苦しみを取り去るべきである。『善見律』の意味は、ただ何の意味もないのに白衣を着て、葬儀に応じることを戒めたものである。そしてこれは小乗仏教の教えである。他人の依頼に応じて、大乗仏教の慈悲にかなう他人の苦を取り除こうとする心をもって、引導することとは大変に異なっている。
2. 仏式葬儀の効能
質問:葬儀の仕方は経典にどのように書かれているのか。
答え:義浄の『臨終方訣』によると、「もし死者を送る場合、遺体のあるところに行って、下座に座る。死者の右脇を下にして寝かせ、顔は日光に向け、その上座に高い座を敷いて様々な飾りをしつらえる。読経を請われたら僧侶は法座に昇り、(仏に代わって)死者のために『無常経』を読む。孝行な子供は悲しみを止め、泣くことをやめる。そこに集まった人々は皆、死者に心から焼香し散華をする。そして高座にある立派な経典を供養し、その香は僧侶にも捧げられる。焼香がすむと座って合掌し、敬う心をもって一心にお経を聞く。僧侶は一通り読経を勤めあげる。このお経を聞く者は、自分の命がはかないものであり、短い間に終わることを観じ、世間を離れて、悟りの世界に入ることを念じる。お経が終わると、再び散華・焼香して供養する。
また続いて僧侶に、呪文を唱えることを願う。僧は虫のいない清らかな水に呪文を37回唱え、それを死者の上に注ぐ。そして土にも呪文を37回唱えてそれを清め、死者の体の上にパラパラと散らす。こうして儀式が終わったあとは、希望により埋葬して卒塔婆を立てるか、火葬にする。あるいは死者を葬る場所に埋葬する。
この儀式の功徳と因縁の力によって、死者の多くの罪は消滅し、数々の仏様の前にあって大いなる功徳を受け、この上ない菩提を得ることになる。」以上が経典に書かれている。土に呪文をかけることは諸々の儀式経典にある。この呪文は梵字の地大を表し、法にかなっているので利益がすぐに現われる。
戒律を集めた聖典『有部毘奈耶』には、「葬送において僧侶は、『無常経』ならびに偈を唱え、呪文を唱える」とある。この説は美をつくし善をつくしている。これはインドの僧俗両方に通用する、好ましい葬送規則である。
これは即ち大乗仏教の、他者を救済するための素晴らしい技術である。『善見律』の自分のための小さな教えとは比較ができない。南山霊芝はこの教えを知らなかったのである。彼や大名の考えは、法を守るという真心から出たといっても、一を知って、その二のあることを知らないのである。他人を教化し救済するという、大乗仏教の法を忘れていることは残念なことである。南山霊芝すらこの教えを知らなかった。それだから一般の人が知らないのも当然かもしれない。
考えてみると、今の葬送では、子孫または親族は、死者のために焼香するが、その源はみなこの『臨終方訣』によっている。また土に呪文を唱え、その土を遺体に散らす方法は、仏教で普通に行われている方法である。必ず行うべきである。こうした加持土沙の方法は、『不空羂索観音経』ならびに『仏頂尊勝陀羅尼経』等に記されている。
3. 剃髪沐浴は必要か
質問:中国の禅師の伝記を集めた『伝灯録』17「南嶽玄泰上座」の遺偈に「剃髪は不要で、澡浴は必要なし。」とある。また「閑居編」34の「孤山智円法師」の遺嘱(生前の依頼)にも、「私が死んだあと剃髪も澡浴も必要ない。浴衣を着せて納棺すればよろしい」とある。この二人の師の臨終作法は全く簡単である。今もしこれに見習ったならば「戒律」に反するのではないだろうか。
答え:新旧の戒律を集めた経典には、臨終の際、剃髪沐浴について説明している文章は見あたらない。従って剃髪沐浴は、その人の希望に従って行うのがいい。特にさし障りがあるわけではない。
『僧祇律』のなかで、修行者の陳如が林の中で死亡した。牛飼いがこれを見つけて荼毘にし、その遺品を王様に献じた。遺品の価値はわずかに五銭であった。この行者は侍者がいなかったので、剃髪沐浴をすることも出来なかった。当時の多くの行者はみなこのようであった。落ちぶれた境涯とはいえ、うらやましいことである。先の二人の禅師は、この流れを追ったものではないだろうか。もし処理を簡単にすることを希望する者は、この方法を真似ることも良いだろう。門人や弟子が多くある人は、遺言によって髪を清め、体を清めることも可能だからである。このような経典に説明のないことについては余りこだわらないのがよい。
4. 火葬土葬の優劣
質問:火葬と土葬とはどちらが優れているのか。
答え:いずれも皆よいと思う。釈迦の場合には火葬を行っている。末代の弟子がこれに則るのは当然である。しかし、人それぞれ好きな方法で葬儀を取り行ってどうして悪いことがあるだろう。唐の『高僧伝』に、僧善が病気になって云うには、「私の死後、こわれた物の他は燃してはいけない。私の遺体はかめの中に座らせ、これを埋めてほしい」と言い残している。これもまた一理ある。孤山智円は生前、山を掘ってあらかじめ陶器を埋め、遺体をそのなかに納めるように遺言しておいたことも、僧善に則ったといえる。これは「閑居編」にある。また欽山の国一禅師も、かめの中に亡骸を納めたことが『宋僧伝』に伝えられている。略式の処理を好む者は見習うことも可能である。
中国にはムシロ葬、裸葬があった。僧侶には関係ないかもしれないが、知らなくてはならないであろう。前漢の梁の伯鸞の父が北地で死亡した。伯鸞は幼かったが、特に乱世のこともあり、ムシロに巻いて葬ったと、『後漢書』73にある。これは乱世で貧困の為である。前漢の楊王孫は、死に際してその子供に命じて言った。「私は裸葬をもって土に帰ることを望む」と。「必ず私の指示通りに行って欲しい。死んだら布袋に入れ、それを地中7尺に入れ、下ろすときにその袋を足から引き抜いて遺体を直接土に納めよ」と。詳しくは『前漢書』67にある。これは世の人々がこぞって奢り、厚く葬ることを戒めたものであるが、大変に変わった方法と言えるだろう。
5. 葬送の幡と天蓋の起源
質問:今どきの葬送には、必ず白い幡や白い天蓋を作って威儀を保つことを常としている。また徳の高い人の場合には、必ず碑銘を立てて名誉としている。これは戒律に違反することはないだろうか。
答え:インドの風習では葬送の時、香や花、幡や鼓で送ることは「有部毘奈耶頌」に記してある。しかし碑銘を立てて徳を賛えることは見あたらないようである。これは中国の文化が生んだ様式で、すでに定着してしまった事柄である。どうして戒律に反することがあろうか。時に準じて施設してもよいものである。
中国では僧侶の葬送の時、幡や天蓋を使うことが伝えられている。『高僧伝』智首律師の章に、「貞観9年4月22日卒。多くの役人に葬儀の準備の勅令が下される。諸寺や門学では競って白幡を引き、諸街の道にあふれた。門学ともに高碑を立て、弘福寺の門に彫りつけた。」同じく玄宛律師の章に、「貞観10年12月7日卒。幡や天蓋が交互に進み、香や花が空に乱れた。従者は雲のごとく数万人が満ちあふれた。宗正卿李伯は、塔所に碑を立てた。」同じく玄弉三蔵の章には、「葬儀の日を聞いた僧尼は、幡や蓋をもって送り、白蓋、白幡が空に浮かんだ」とある。
6. 葬儀の遺言とその変更
質問:葬儀についての遺言は必ず守るものですか。
答え:「私が死んだら竹で編んだむしろに巻いて淵に沈めよ」。あるいは、「遺体を松の下にさらして鳥獣の餌にせよ。葬儀をすることなかれ。碑銘を立てることなかれ」と遺言する人もある。人の心はそれぞれ異なるので、その人の希望にそって行えばよい。又師の遺言に「遺体を外に捨てよ」とあっても、弟子はその通りに行うことが出来ず、葬儀を取りつくろうことが多い。これも又世間の礼法の姿である。出世孝行の一つのあり方である。あえてこだわることはない。時に従い、所に応じて変更しても構わない。
7. 遺体に衣服を覆って埋葬する
質問:「僧は下衣で遺体を覆い葬送する。袈裟を埋葬する必要はない」などの説が『事鈔』などにはあるが、僧侶を裸のまま埋葬するのは行きすぎではないか。
答え:『有部尼陀那』の2章に、「ある僧侶が病気で死亡した。人々は衣を取り去り、死体をさらしたまま葬送した。俗人はこれを見て変に思った。仏は「裸のままでなく、袴や覆で身をおおって葬送せよ」と言った。これを聞いた僧侶たちは、彼らの好みの衣で覆った。仏は「好みの衣を用いてはいけない」と言った。これを聞いた僧侶たちは、今度は破れた衣をもって覆った。仏は「好きでも嫌いでもない衣で遺体を覆いなさい」と言った。
ここには、遺体を覆う衣について明瞭な考えがある。そこには、遺体を覆う衣を埋葬してはいけないという説はない。もし埋めることが罪ならば、「五部律」にその注意があるが、実際には規則がないので埋めてもかまわない。そして、当今の行事にあるように、死体を沐浴させたあと、かたびらもしくは着物を着せ、その上に袴および着物を着せて棺に入れて埋葬するべきである。たとえ火葬にするといっても、衣を焼くことは罪ではないのである。
8. 守られない戒律
昨今、多くの宗派の信者は少しも戒律を知らないようである。前もってあら布の袈裟を用意して「涅槃衣」と名付け、自分の遺体にその衣を着せて納棺するように遺言するという、とても法にかなったと思える者も多くいるのである。もし火葬にすれば袈裟を燃す罪となると考えることは、おかしいではないか。
また新しい死者を入れた棺桶を仏堂の内に担ぎ入れて葬式を行うことが、世の中の流儀になっている。しかし、250戒のなかに「塔下擔死戒」という戒律があり、死体を担って塔の軒下を通ることを禁じている。ましてや、遺体を仏殿の内に入れて仏前を汚すことは許されないことである。善悪を忘れた末世というべきである。
『播磨屋中井家永代帳』にみる葬儀費用
葬儀でもっとも気にかかることは、葬儀にどのくらい費用がかかったかの明細である。これを記録しておくと、次回の葬儀に大変に参考になる。こうした記録が江戸時代にもあった。以下はその抜粋である。
明和2年(1765)5月20日午後4時頃、ご隠居死去。法名号将光院誓誉寿円法尼。葬礼は同月22日朝出棺。浅草誓願寺本堂において、方丈により引導。出僧8人。九品院での湯灌後に行列。
○費用内訳
(一)誓願寺方丈様ならびに本堂での諸費用 金四両八匁(以下略)
(一)九品院へ葬礼の節のお布施    金一両二分(以下略)
(一)九品院へ七日より一九日までの仕切雑用 金二分
(次に葬儀に必要な費用内容を、金額を省略して順にあげる。)
七日払いの施し物、九品院へ七日寺参り、調菜諸雑用、同所へお袋様・ご新造様のご香奠、浄見寺様へご焼香礼、同寺に七日逮夜お布施、寿円様への院号代、棺掛けむく代、まんじゅう八百、道心(13歳以上で仏門に入った者)に当日より七日まで念仏を勤めていただいたお布施、半紙本堂にて使用、九品院へ葬礼の日の諸用代勝手へ払う、棺掛け麻衣代、葬礼道具品々小買い物代、わらじその他品々、千住火葬場諸費用、七日逮夜までのご法事諸色費用、石塔修理代、寺内に小遣い、葬礼と七日のかご代、総額しめて23両2分。
(註:このように大変細かい内訳を記録している。特に印象に残るのは、葬列の順序が人の名前を記入して記録されており、その順列は血縁関係や交友関係の上下を示す表として見ることが出来る)
『塩沢風俗帳』にみる、葬儀風俗
江戸時代の記録をみると、葬儀の風俗は、最近まで行われていた方法とほとんど変化がないことがわかる。ここに取り上げた『塩沢風俗帳』は、1842年に記されたものであり、最近までそれが続いていたことがわかる。従って現在の葬儀の変化は、いかに大きなものであるかがわかる。
人が死亡したら、親族どもが寄りあって、財産に応じて葬式の相談等を行ったあと、菩提寺に知らせ、その他告知を行う。それにより一人二人と手伝う人が集まる。
24時間過ぎて沐浴させたあと桶(棺)に入れる。また木綿の袋を桶にかぶせることもある。身元のよい者は板で天蓋のような形を作り、これを桶の上に覆うこともある。板あるいは藁で龍頭を作り、紙の幡などを作って野辺送りの支度をする。当郡は火葬にするため、昼夜とも日隠しのためにあしで庵のようなものをこしらえ、まわりに白木綿で天を白く覆う。身分が低い者はこうしたことは出来ないし、また追善供養も身分に応じて行う。親類や手伝いを行った者には斎という飯の振る舞いがある。
○持参する供物
悔やみに行く者はお香代として百文、50文、25文位をそれぞれに持参する。特別懇意にしている者は白米1、2升、ローソク、野菜など香代に添えて夫婦ともに悔やみをする。3日目には寺参りとして、菩提寺に参り、施物は金堂分により段々で、2百文、3百文くらいまで身分に応じて出す。また弔いをする者は帯着物を着て、の餅を寺に持参する。また一七日(初七日)まで、毎夜親類をはじめ人々が集まり、特に親類は団子、ぼた餅を持参して仏前に供え、一同仏名を唱えて回向をする。それが終わると、それぞれが持参した品を分配し、煎茶を出して人々に給仕をする。
御子神記事
人は死んでから仏壇に祭られ、そして33年の弔いあげがすむと、その死者は完全に清められて始めて家の神様として祭りあげられるという伝統が日本にはある。それを書きしるしたものの一つが『御子神記事』である。書かれた年代ははっきりしないが、資料は『古事類苑』礼式部二より抜粋した。
先祖を御子神として祭るは、神職の家の外にも先規に従って祭っている家筋がある。死亡した時には旦那寺に行って、「亡き父○○については、先例にしたがって、のちに神として祭るので、過去帳に記入しないでほしい」と申しておく。また当時それを断らなかった場合には、3年あるいは7年忌の法事の時に、今日から神に祭るので、過去帳の名前を消してほしいと断り、位牌を墓所に捨てる。(過去帳にある法名を消し、位牌を捨てなければ神とならないと言い伝えられている)。
それからは11月の氏神祭りの日(その他の神祭日には行わず、11月に限る)に神事をすませて、これからは○○を神として祭るという名目で、その子孫をや村の長にあたる人を招いて神事を行う。(この祭事については省略するが、神楽を舞い、死者の霊を下ろして神座に移す儀式を行う)
家により所によっては神祭りの時、神楽を行わず、12月の大晦日に、その嫡家に子孫を集め、鏡餅や洗米、神酒を供えて、御子神の神事とする言い伝えもある。
槙野山の奧、奥の内村などでは、家ごとに神に祭っている。もっともこれは25年、33年忌を寺にて勤めあげ、それより祭り始めることもあり、50年忌にして始めて祭るということもある。 
 
 
●御神
御神 [みかみ] の例文
父の正義のしもとにぞ 涜けがれし心ひれ伏さむ 母の慈愛の涙にぞ 罪のゆるしを求め泣く 御神みかみよ我を逐おふ勿なかれ 神よ汝なが子を逐ふ勿れ   火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
だん/\其その忘れる癖くせを矯ため直して、心を落着け、恐れ多いことですが、総すべて聖ただしき御心のまゝに治めて入いらつしやる御神みかみの見まへと思つて万事する様にしたら   黄金機会 (新字旧仮名) / 若松賤子(著)
一筋にして御神みかみより出ている! ……われらが今回の企てこそは、この大本おおもとに帰さんとして、なかごろ大本をあやまったるところの、越権専横の武臣北条を   あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼方あなたも在るにあられぬ三年みとせの月日を、憂うきは死ななんと味気あぢきなく過せしに、一昨年をととしの秋物思ふ積りやありけん、心自から弱りて、存ながらへかねし身の苦悩くるしみを、御神みかみの恵めぐみに助けられて   金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
掛かけまくも文あやに恐かしこき、いはまくも穴に尊き、広幡ひろはたの八幡やはたの御神みかみ、此浦の行幸いでましの宮に、八百日日やおかびはありといへども、八月はつきの今日を足日たるひと、行幸して遊び坐いませば、神主かみぬしは御前に立ちて、幣帛みてぐらを捧げ仕つかふれ   墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
八洲やしまもる国つ御神みかみもこころあらば飽かぬ別れの中をことわれ   源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
まがごととみそなはせなば事ごとに直毘なおびの御神みかみ直したびてな   夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
なほ許せ御国遠くば夜よの御神みかみ紅盃船べにざらふねに送りまゐらせむ   みだれ髪 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
天美子あまみこの御神みかみ天降あまくだり作り召したる島々や   首里城 (新字旧仮名) / 世礼国男(著)
父の御神みかみ詔のりたまへば   新頌 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「このご相好、さながら御神みかみじゃ! ……いやさながら御仏みほとけじゃ! ……罪障消滅、無差別絶体! 自他の罪ことごとく許された御おん顔……笑っていられます、微笑ほほえんでいられます!」   あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
父の御神みかみ詔のりたまへば   新頌 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
アラの御神みかみを讃え奉まつる時   生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
御神 [おんかみ] の例文
神職 いや布気田ふげた、(禰宜の名)払い清むるより前に、第一は神の御罰ごばつ、神罰じゃ。御神おんかみの御心みこころは、仕え奉る神かんぬしがよく存じておる。   多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼は年来非道を行ひて、なほこの家栄え、身の全きを得るは、正まさにこの信心の致すところと仕へ奉る御神おんかみの冥護みようごを辱かたじけなみて措おかざるなりき。   金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
現身うつつみさながら御神おんかみとして、崇められまするでござりましょう! ……御栄みさかえあれ皇子様御栄えあれ!   あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
順道じゆんたうなれば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡ひらをかの御神おんかみか、春日の御社みやしろに仕へてゐるはずである。   死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
征伐せいばつあられしも悉々こと/″\く此八幡宮の神力しんりきに因所なれば實じつに有難き御神おんかみなり然ば末代まつだいに至る迄此御神を   大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
人のもてあそびの腐れ爛ただれ汚よごれものが、かけまくも畏かしこき……清く、美しき御神おんかみに、嫉妬しっとの願ねがいを掛けるとは何事じゃ。   多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
勸請し奉つり本朝ほんてう武家ぶけの祖神なり就中源家に於ては殊ことの外ほか御尊敬ごそんきやうあること御先祖ごせんぞ八幡太郎義家公此御神おんかみの御寶前に於て御元服あつて八幡太郎と稱しようし奧羽あううの夷賊いぞく安倍貞任同宗任を   大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
でもおまえさまは、尊い御神おんかみに仕えている人だ。おれのからだに、触ってはならない。そこに居るのだ。じっとそこに、踏み止とまって居るのだ。——ああおれは、死んでいる。死んだ。殺されたのだ。   死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
(忽たちまち心づきて太刀を納め、大おおいなる幣を押取おっとって、飛蒐とびかかる)御神おんかみ、祓はらいたまえ、浄めさせたまえ。   多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
丑童子うしどうじ、斑まだらの御神おんかみ、と、一心に念じて、傍目わきめも触ふらないで、瞻みつめていると、その丑の年丑の月丑の日の……丑時うしどきになると、その鏡に、……前世から定まった縁の人の姿が見える   草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
御神 [おかみ] の例文
余は仕方がないから、書くには書くが、少し待ってくれと頼んだ。すると御神おかみさんが、そうおっしゃらずに、どうぞどうぞと二遍も繰返して御辞儀をする。   満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
店の方では電話が仕切なしにちりんちりんと鳴っている。品ひんの好いい御神おかみさんが、はあもしもしを乃別のべつに繰返す。   満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
宿へ帰ったら、御神おかみさんが駅長の贈って来た初茸を汁つゆにして、晩に御膳おぜんの上へ乗せてくれた。それを食って、梨畑や、馬賊や、土の櫓や、赤い旗の話しなぞをして寝た。   満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
傍そばに見ていた三十恰好がっこうの商家の御神おかみさんらしいのが、可愛らしがって、年を聞いたり名を尋ねたりするところを眺ながめていると、今更いまさらながら別の世界に来たような心持がした。   門 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それを心から感心して見るのは、どうしたって、本町の生薬屋きぐすりやの御神おかみさんと同程度の頭脳である。こんな謀反人むほんにんなら幾百人出て来たって、徳川の天下は今日までつづいているはずである。   明治座の所感を虚子君に問れて (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
前まへの御婆おばあさんが八やつつ位ぐらゐになる孫娘まごむすめの耳みゝの所ところへ口くちを付つけて何なにか云いつてゐるのを、傍そばに見みてゐた三十恰好がつかうの商家しやうかの御神おかみさんらしいのが、可愛かあいらしがつて、年としを聞きいたり名なを尋たづねたりする所ところを眺ながめてゐると   門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著) 
 
  
●古墳
百舌鳥古墳群と古市古墳群は、4世紀後半から6世紀前半に造られた古墳時代の王たちの墓を含む墳墓群です。古代エジプトのピラミッドや秦の始皇帝陵と並ぶ世界最大級の王墓を含んでいます。藤井寺市・羽曳野市にある古市古墳群には、わが国の古墳文化を代表する、巨大な前方後円墳7基を含む総数130基以上の古墳が築かれました。
古市古墳群は、堺市の百舌鳥古墳群とともに世界文化遺産に登録されました。深い緑に覆われた高くそびえる巨大古墳、濠(ほり)に囲まれ季節の花々に彩られた。ロマンあふれる古墳など、古墳群の一帯は散策やウォークにも魅力がいっぱいです。
出来た当時の古墳の姿
藤井寺の市域には、「ごりょうさん」とよばれる巨大な古墳がいくつもあることは、よくご存じのことと思います。しかし、その古墳が一体いつ、だれが、何のために造ったのかを正確に知っているかたはそう多くはないのではないでしょうか。
このコーナーは、わが藤井寺の誇る文化遺産である古墳について、現在までの研究や調査によって分かったこと、そして依然としてよく分からないことを整理して紹介していきます。
今回は、外から見た古墳の姿ということについて、話を進めてみましょう。現在の古墳は、墳丘を緑の樹木に覆われ、周囲の濠(ほり)には満々と水をたたえ、野鳥たちの楽園となっています。周辺の住宅地とは対照的に、まさに自然の代表のような姿をしています。では、古墳は造られたときからこのような姿だったのでしょうか。
保存のよい墳丘の斜面を掘っていくと、土に混ざって、角のとれた丸い川原石がごろごろと出てくることに気づきます。さらに掘り進めると、握りこぶしほどの川原石をびっしりと敷き並べたような斜面に達します。このような石は河原で集められ古墳に運び込まれたもので、葺石(ふきいし)と呼ばれ、墳丘の斜面すべてを覆っていたことが知られています。つまり、でき上ったばかりの古墳は、まるで石の山のようだったのです。
当時は、今のように住宅や工場が多くはなかったわけですから、古墳は、緑の原野にこつ然と現れた超近代的な構造物であったのです。いわば、過疎の農村に突然建築された、超高層ビルのようなものだったのではないでしょうか。
このような古墳の姿を復元したものとして、神戸市垂水区にある前方後円墳五色塚(ごしきづか)古墳を挙げることができます。ぜひ一度見学されることをお勧めします。
古墳とは、今わたしたちの見る姿とは全く異なるイメージで造られたことが理解いただけたでしょうか。
埴輪の種類
藤井寺にお住まいのかたでしたら、小学校や中学校に通っていたころ、津堂城山(つどうしろやま)古墳や古室山(こむろやま)古墳に登ったことは一度や二度ではないでしょう。そのとき分厚い素焼きの焼き物の破片を拾った記憶のあるかたもおられるのではないでしょうか。土器や瓦であることもありますが、それはたいてい埴輪なのです。
埴輪は古墳に立て並べることを目的として作られました。そういう意味で埴輪は古墳の装飾品であり、決して日常的に使う実用品ではないのです。古墳に立て並べた状態は、下端部を土に埋めて固定しますが、上部の大半が露出していたのです。古墳に立てられてからしばらくのあいだは、累々と埴輪が並んだ古墳の姿を見ることができたはずです。永い年月のうちに埴輪は壊れ、墳丘表面の葺石などとともに地中に埋もれてしまったのです。何かの拍子に地表に出たものが、みなさんに拾われるという結果になるのです。
さて、ここで埴輪の種類ということに話を進めましょう。埴輪という言葉から描くイメージは、教科書や図録に載っている甲冑(かっちゅう)に身を固めた武人、鞍(くら)をつけた馬、かつお木を揚げた豪華な家であったりします。こういった埴輪は、何かの器物や動物などの形を象(かたど)ったものという意味で形象埴輪と呼ばれています。
しかし、古墳に樹立された埴輪の大半は、こうした形象埴輪ではなく、何の変哲もない土管状の埴輪で、これを円筒埴輪と呼んでいます。
円筒埴輪は、弥生時代の葬儀用の特殊器台、特殊壷と呼ぶ土器から変化して生まれたことがこれまでの研究で明らかにされています。円筒埴輪は、古墳の誕生と同時に出現し、古墳時代の終わり近くまで一貫して用いられました。言い換えれば、埴輪の代表は円筒埴輪といえます。したがって、円筒埴輪は古墳研究のうえで重要な素材となるのです。
埴輪の起源
埴輪といえば、野見宿禰(のみのすくね)の埴輪創造の話を思い浮かべるかたも多いのではないでしょうか。この説話の大筋は、『日本書紀』によれば、次のようになっています。
垂仁(すいにん)天皇のころ、貴人が死去すると、その陵(みささぎ)のまわりに生前付き従っていた人々を生き埋めにする殉死(じゅんし)の風習がありました。生き埋めになった人たちは、昼夜泣き叫び、見るに耐えない光景であったということです。そこで野見宿禰(のみのすくね)は一計を案じ、土で作った人物や馬を生きた人に替えて古墳のまわりに立て並べてはどうかと天皇に進言したのです。天皇は宿禰の進言を大変喜ばれ早速、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の墓にこの制度を採用したとのことです。
この説話は、陵墓の造営を担当した土師氏の始祖の物語として、伝えられたものです。埴輪という名称もこの記録の中に登場するものです。
ところで、奈良市山陵町にある日葉酢媛命の陵と伝える前方後円墳からは、衣蓋形(きぬがさがた)や盾形(たてがた)の埴輪が確認されています。したがってこの伝承もまったく根拠のないものではないかもしれません。しかし、これらの器財形(きざいがた)の埴輪と同時に人物や馬形の埴輪の使用が始まったという説話の主張は、これまでの考古学の成果とは大きく矛盾しているのです。
埴輪は弥生時代の特殊壷や特殊器台と呼ぶ葬儀用の土器を起源としていることが明らかになっています。そして、時代を追って家形や器財形の形象埴輪を追加し、古墳時代の中ごろになってやっと人物と馬形を作り出すのです。
古墳時代の中ごろとは、ちょうど古市古墳群の最盛期にあたり、誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神陵)を始め、巨大な前方後円墳が次々と築造された時代です。そこに使用する膨大な埴輪を生産するために埴輪の焼成法にも改革が試みられた時期でもあります。一つの解釈としては、埴輪発明の説話がこのような土師氏の努力を写し取ったと考えることもできるのではないでしょうか。
土師氏は、宮廷における葬儀に奉仕する職務を世襲してきた一族です。『日本書紀』が書かれた奈良時代はすでに古墳造りが下火となり、彼らの社会的地位も低下の一途にありました。この物語からは、時代に翻弄されながらも、懸命に一族繁栄を願う土師氏の英知を読み取る必要もあるようです。
埴輪の棺(ひつぎ)
前回までに埴輪は、もっぱら古墳に立て並べることを目的として作られた器物であるとお話ししました。ところが古墳を飾ること以外にも埴輪が用いられていたことも知られています。これらを大別すると、埴輪が中空であるという性質を利用したものと、単にその破片を利用したものに分けることができます。埴輪が中空であることを実生活の中に応用したものとしては、井戸枠やかまどの煙突に使われた例が知られています。でもこれは、当時の人々にとって一種の廃物利用的な感覚があったものと思われます。さらに廃物利用的な破片の利用例はとりあえずおくとして、前者の例を少し詳しく調べてみたいと思います。
埴輪利用で最もよく知られているものとして埴輪棺が挙げられます。円筒形の埴輪の内部に遺体を納めて埋葬するもので、その類例は全国あちこちで報告されています。しかしその分布図をよくみると、大きな古墳群が形成された地域とほぼ重なることが分かります。また、その地域は、土師氏(はじし)一族を名乗る集団がいた地域とも非常によく符合することも指摘されています。
古市古墳群には、土師の里を中心として土師氏の本拠地が置かれたことが推定されています。土師氏は土木技術に長じた集団として、古墳造りに深く関与したことが知られています。つまり古墳の設計に始まり、工事の施工・監理・葬儀の挙行、さらにその後の維持管理まで一切の業務を土師氏が仕切ったものと考えられるのです。
埴輪作りも土師氏の重要な職務であり、古市古墳群内では埴輪を焼いた窯跡が3箇所から見つかっています。埴輪の棺に葬られた人々は、土師氏との深いつながりをもつか、あるいは土師氏そのものであることが想像されてきます。
一口に埴輪の棺といっても、棺用に特別あつらえした埴輪を使い、鉄剣などの副葬品を入れた立派なお墓から、古墳に使う円筒埴輪を棺に転用し、副葬品を全くもたないものまでバラエティに富んでいます。埴輪棺の資料は、最近の調査によって徐々に増加してきています。今後研究が進めば、古墳造りに活躍した土師氏という氏族の集団編成の原理やその実態を解明する糸口がつかめるかもしれません。
埴輪は年代の物差し
埴輪の話の最初に埴輪の代表は、円筒埴輪なのだということを申し上げました。今回はこのことについて、もう少し詳しくご説明してみたいと思います。
円筒埴輪の起源は、岡山大学の近藤義郎元教授らの研究によって、弥生時代の特殊器台(きだい)形土器にあるということが明らかにされました。言葉を換えると、埴輪の発生とは円筒埴輪の発生にほかならないのです。また、古墳時代後期になると埴輪の使用は衰退していくのですが、最後まで使われるのは円筒埴輪であることが知られています。つまり、古墳時代をとおして最も普及した埴輪は、動物埴輪でもなく、家形埴輪でもなく、円筒埴輪だったのです。
円筒埴輪の研究は、ここ15年ほどで急速に進歩しました。その一つは古墳の造られた年代を計る物差しに円筒埴輪が活用できないかという問題意識から出発しました。ご承知かと思いますが、巨大な前方後円墳のほとんどは、陵墓(りょうぼ)つまり天皇家のお墓として管理されていて、立ち入ることができません。まして発掘調査などは認められません。したがって、その古墳に関する考古学的な情報は極端に制限されるわけです。しかし、現在陵墓として管理されている範囲は、その古墳が造られた当時より狭く設定されているケースが多くあり、外周部の発掘調査によってその古墳に使われた円筒埴輪が出土することがあります。この円筒埴輪の年代を知ることができれば、巨大な古墳の構築年代もかなりの精度で絞り込むことが可能となるのです。
この課題に主導的な役割を果たされたのが、古代学研究所の川西宏幸教授です。教授は日本考古学が伝統的に培ってきた土器編年の手法を円筒埴輪編年に応用されたのです。教授は、まずその製作技法に着目され、特殊器台形埴輪の流れをくむ丁寧な作りの埴輪を出発点として、古墳の巨大化とともに大量消費に即応した画一的な形態へ変化し、最後には簡略・小型化した退化型式で終わるという変遷の道筋を明らかにしました。
川西教授は全国の円筒埴輪を対象にして、その変遷が五段階に区分できること、さらにその成果をすでに知られていた副葬品とのクロスチェックをし、編年の精度を高めました。こうしてできあがった古墳の編年表は、陵墓に治定されている巨大古墳が網羅されるという画期的な内容となったのです。
円筒埴輪の編年
川西教授の円筒埴輪研究の成果は、昭和53年『考古学雑誌』第64巻2号に「円筒埴輪総論」として発表されました。この論文に掲載された古墳の編年表は、全国の古墳研究者を驚かす内容を含んでいました。
それまでの古墳研究では、応神(おうじん)天皇陵、仁徳(にんとく)天皇陵は、古墳名と被葬者(ひそうしゃ)が確実に一致する古墳として、それぞれ4世紀末と5世紀初頭の基準古墳とされてきたのです。ところが、川西教授の研究によれば、両古墳に使われている円筒埴輪は第IV期に属し、その年代は5世紀中葉をさかのぼることはないというものでした。川西論文に接した古墳研究者の反応は様々でした。無視しようとする者、学問的な手続きに誤りがあると主張するもの、諸手を挙げて賛同する者、そしてその内容をより精緻に深化させようと試みる者。
結論から申し上げると、川西教授の提唱した円筒埴輪編年は、その後全国各地の円筒埴輪研究の中で検討され、その大綱の正しさが立証されることになるのです。
円筒埴輪が古墳の築造年代を計る物差しに利用することができれば、これまで古墳の形や陵墓名を頼りに年代を求めていた巨大な前方後円墳により確実な年代を与えることが可能となるのです。
円筒埴輪編年という新しい年代決定法を手に入れた考古学は、古墳時代の社会構造や政治形態、文化の態様など様々な課題に挑戦する下地ができたのです。
長持山古墳の石棺
今回から、古墳に埋められた石棺の話を何回かしてみようと思います。藤井寺から出土した石棺としては、津堂城山(つどうしろやま)古墳の長持形(ながもちがた)石棺と長持山(ながもちやま)古墳と唐櫃山(からとやま)古墳の家形石棺が有名です。
最初に学会に紹介された石棺は、長持山古墳の家形石棺です。この石棺は、同じ長持山古墳からもう1基の別の石棺が見つかったため、2号棺とも呼ばれています。報告者は、イギリス人のウイリアム・ゴーランドという人物です。ゴーランドさんは、明治初期の日本政府が西欧の最新技術を積極的に取り入れるために招へいした専門家の一人だったのです。彼は明治5年に来日し、大阪の造幣局に冶金学の技術指導者として16年間日本に滞在しました。
彼は公務のかたわら、日本の今でいう古墳時代の遺跡に大きな興味をいだいたようで、全国各地の古墳めぐりをしています。なかでも大和と河内にはたびたび出向き、詳細な観察記録を残しています。この記録は、イギリスに帰国後、いくつかの論文にまとめられて発表されました。
長持山古墳の石棺は、「日本のドルメンとその築造者たち」(原文は英文)のなかで、道明寺近くの墳丘に石棺がほぼ全形を露出していて、まわりを丹念に調査したらガラス玉1個と少量の朱を見つけたと記されています。さらに当時としては貴重な写真が添えられています。
この写真を見ると、石棺の3分の1ほどが長持山古墳の墳頂部からせり出しているところが写っています。また、蓋石(ふたいし)の縄掛け突起(なわかけとっき)も鮮明に写っており、2号棺の特徴がよくつかめます。2号棺の露出がいつごろ、どのような経緯で起こったのか、つまびらかではないのですが、長持山という古墳の名前もこの石棺に因んだようなので、かなり古くからであったようです。
戦後になって、大阪府教育委員会と京都大学が長持山古墳を発掘調査しています。このときゴーランドさんの報告した石棺の北側で、もう1基の別の石棺(1号棺)が見つかったのです。この1号棺とすでに露出していた2号棺とは刳抜き(くりぬき)式であることは共通するのですが、形に違いがありました。一番違っている点は縄掛け突起のつく位置と個数です。2号棺は屋根形をした蓋石の屋根部分に二対計4個が造り出されていたのですが、新しく見つかった1号棺は、蓋と身の両方の小口に大きな突起が一対造られていたのです。
石棺の産地
長持山古墳から見つかった2基の石棺のうち、1号棺を小口側から見ると、蓋は三角形、身の方は逆台角形のような形をしています。2号棺の蓋もやはり三角形をしているのですが、身の方は長方形に近く、全体としては箱形をしています。
また、両方の石棺とも身と蓋の合わせ目は、印籠(いんろう)型式のていねいな仕上げが施されています。身の上面には凸面を造り出し、蓋の底面には逆に凹面を造り、両者がぴったりと組み合うようになっているのです。とくに1号棺の身と蓋の組み合わせは、ほとんどすき間なく造られており、熟練した石工(いしく)の作品であることが分かります。
1号棺は全体に黒っぽい色をしています。一方、2号棺は蓋が暗い灰色、身がピンクがかった白色をしています。両者の色の違いは、石材の産地が異なることが原因だと考えられてきました。つまり、1号棺は九州の阿蘇山付近でとれる凝灰岩(ぎょうかいがん)、2号棺は二上山の凝灰岩を石材としていると信じられてきたのです。
ところが最近、熊本大学の渡辺一徳さんと宇土市教育委員会の高木恭二さんによって石材に含まれるガラス成分の分析が進められ、新しい研究成果が発表されたのです。これによると、1号棺は従来の推定のように阿蘇溶結凝灰岩(あそようけつぎょうかいがん)だったのですが、2号棺も同じく阿蘇溶結凝灰岩を石材としていることが確実になったのです。2基とも遠く九州からはるばる大阪に運ばれてきたのです。
ただ、両石棺は、同時期に造られたものではなく、まず1号棺から造られ、少し後に2号棺が造られた可能性が高いと考えます。
これらの石棺が納められていた長持山古墳は、すぐ東側にある大型前方後円墳市野山古墳の「陪塚(ばいづか)」と考えられ、5世紀後半に築造されたと推定されています。市野山古墳の周辺には、長持山古墳のほかにも「陪塚」と考えられる小型の古墳が数多く造られています。これら「陪塚」に葬られた人々は、生前に市野山古墳の主人公と深いつながりをもっていたのでしょう。
長持山古墳には、中国から輸入した鏡、最新式のよろい、挂甲(けいこう)、豪華な金メッキを施した馬具などが納められています。また、その棺は遠く九州から取り寄せているのです。こうしたことを考えると、長持山古墳の石棺に葬られた人物は、当時の中央政権の中枢で活躍していたことが想像されてくるのです。
石棺と修羅
前回まで石棺の話として、長持山古墳から見つかった二つの石棺についてみてきました。これらは現在大阪府の有形文化財に指定されており、復元をおこなって、道明寺小学校で公開展示していますので、ぜひ見学することをお勧めします。
今回は長持山古墳の近くで、昭和30年に道路工事で破壊されることになったため調査された唐櫃山(からとやま)古墳から見つかった石棺について話をしたいと思います。
唐櫃山古墳は円墳に短い方形部のつく、いわゆる帆立貝形(ほたてがいがた)古墳と呼ばれる古墳で、近鉄南大阪線土師の里駅の北東部にありました。石棺は後円部の板石と少量の丸石を積んで作った竪穴式石室に納められており、まわりに甲冑(かっちゅう)類、馬具(ばぐ)類、鉄鏃(てつぞく)などが副葬(ふくそう)されていました。また、棺内は盗掘をうけていたためガラス玉が残っているだけでした。
この石棺は九州から運ばれた阿蘇溶結凝灰岩(あそようけつぎょうかいがん)製の刳抜式(くりぬき)家形石棺で、小口から見た形は蓋が三角形、身は逆台形に近い形をしています。ここまで話しますと、「ムム・・一度聞いた話だなあ」と思うかたもおられるでしょう。そうです。前回の石棺の話の中で長持山古墳1号棺の説明と同じ、つまりほとんど同じ形・大きさで、岩質も同じ、出土古墳が市野山古墳の陪塚(ばいづか)であることまで同じなのです。これらのことから考えますと、この石棺の年代は5世紀後半のものと考えられます。
仲津山古墳南側の三ツ塚古墳から見つかった木ぞり「修羅(しゅら)」については藤井寺市在住のかただったらほとんどの人がご存知でしょう。
この修羅は大きな石など重量のあるものを運ぶものとして知られていますが、最近、石棺を運ぶのに用いたのではないかと説を出された先生がいます。
それは平成2年藤井寺市で開催したカルチャーフォーラムIIで、帝塚山短期大学の田代克己先生が発表されたのです。今まで古墳築造のための巨石を運んだという説が一般的であったため、この修羅は古墳に巨石を用いる7世紀のものであるとする説が有力と思われていました。今回この発表で大きな一石が投げ込まれ、波紋が広がったのはいうまでもありません。
前回のこのコーナーの下にあった挿図がその想像図で、石棺一つでは大きな修羅にしてはものたらないため、二つを運んだところが示されています。
津堂城山古墳の石棺
今回から藤井寺市内で現在発見されている三つ目の石棺である津堂城山(つどうしろやま)古墳のものについてお話したいと思います。
この石棺の発見経緯については、広報に掲載しております。「古代からのメッセージNo.23〜30」をご覧ください。
この石棺は1枚の底石と4枚の側石(ここでは長い方の側石を「側石」、短い方を「小口石」と呼ぶことにします)、1枚の蓋石(ふたいし)で組み合わされています。小口石が側石の両端より内側にはめ込まれ、蓋は蒲鉾(かまぼこ)形をしています。蓋の天井部には方形の掘り込みが4列に4個ずつ、計16個あります。また、縄掛け突起(なわかけとっき)と呼ばれる出っ張りが蓋石の両側辺側に4個、小口側に4個、側石の両小口側に1個ずつ、両側石で4個、底石両小口側に1個ずつ計2個あります。また、小口石には両方に2個ずつ、計4個の方形小突起が見られます。
このような石棺は蓋と身とで構成した全体の形が長持(長櫃)に似ているため長持形石棺と呼ばれています。長持とはあの童謡「花いちもんめ」にみられる♪たあーんす(箪笥)ながもち(長持)どの子がほしい♪の長持です。また長持といいますと、2回にわけて紹介しました「長持山古墳の石棺」を思い浮かべるかたもおられると思いますが、あれはその項で話したように、現在では家形石棺の初現期のものとして捉えられていますので、今回の石棺とは型式が異なります。
津堂城山古墳の石棺について話する前に、この長持形石棺とはどんなものかを最近の調査・研究成果から、やや詳しく話したいと思います。
この種類の石棺は現在全国で50例を数えるほどしか確認できていません。また、東北から北九州にかけての古墳で発見されていますが、特に、畿内およびその周辺に集中している傾向にあります。その使用年代は古墳時代前期後半から中期の約100年間に限定できます。
長持形石棺のこと
今回は前回の続きで、長持形石棺のことについてお話したいと思います。
形の特徴は初めの津堂城山(つどうしろやま)古墳の石棺のところで詳しく述べたとおりで、石材には組み合わすための溝、または段を作るものが多くみられます。
石材の種類は現在わかる畿内の資料でみますと、兵庫県加古川流域から産することが知られている「竜山石(たつやまいし)」という凝灰岩(ぎょうかいがん)を用いることが多いことがあげられます。
発掘調査によって確認されたものはありませんが、この石棺のモデルである木棺、長持形木棺と呼べるものがあった可能性が考えられます。
小口部に認められる方形突起はこの木棺の木板に貫通した方形の穴に木栓を挿入した形態に近いことが指摘されています。
長持形石棺の初現を示す資料としては、隣市の柏原市国分にある松岳山(まつおかやま)古墳の組合せ式石棺があげられます。蓋石が蒲鉾(かまぼこ)形をしていないこと、小口部の方形突起が認められないことをのぞけば典型的な長持形石棺の構造そのものです。
詳しい説明は省きますが、この石棺は実際に見学できますので、ぜひピクニックがてらご覧になってください。(急な斜面がありますので、気をつけて登ってください)ただし、その際には所有者の国分神社に一声かけてから古墳に登ってください。
なお、所在地がよく分からないかたは、文化財保護課までお問い合わせください。
藤井寺市付近ではほかに、出土地が明確ではありませんが、羽曳野市誉田(こんだ)八幡宮所在の長持形石棺があります。
また、実見できませんが、羽曳野市と藤井寺市の境にある墓山(はかやま)古墳後円部にあるというもの、堺市大仙(だいせん)古墳(伝仁徳陵)前方部に埋まっているものがあり、どれも巨大古墳にかかわるものと考えられます。
最後に長持形石棺についての興味深い説を紹介します。それは倉敷考古館の真壁夫妻が発表されたもので、この石棺の分布は王権を象徴するというよりも、「葛城氏(かつらぎし)」との深いかかわりをもつもの(大王を含む)のみ使用が許された、一種の身分を表す葬法ではないかと述べられています。
石棺のいろいろ
前回まで長持山(ながもちやま)古墳の家形石棺、津堂城山(つどうしろやま)古墳の長持形石棺など藤井寺市に関連する石棺の話を紹介してきました。
石棺にはこれら以外にも箱式石棺、割竹形(わりだけがた)石棺、舟形石棺などがあります。これらは古墳時代の一時期に使用されるものや、弥生時代から続き古墳時代全般まで続くものまであります。今回からはほかの種類の石棺についても話してみたいと思います。
   箱式石棺
箱式石棺は最も簡単な組み合わせ式の石棺です。片岩(へんがん)や安山岩(あんざんがん)などの扁平な板石を石材として、側石と小口石を組み合わせ、箱形に作ったものですが、板石の使用数は古墳によって異なり一定しません。ほとんどのものが底石や蓋石を伴いますが、底に礫を敷いただけのものもあります。弥生時代以来の系譜を引き継ぎ古墳時代を通じて使われ、ほぼ全国的に広がっています。大阪府内では茨木市海北塚(かいぼうづか)古墳の横穴式石室内に納められたものが有名です。底、蓋、各側面を1枚の板石6枚で組み合わせたもので、板石は和歌山県ないし徳島県方面の片岩でできています。
   割竹形石棺
割竹形石棺は細長い刳抜(くりぬき)式の石棺で、小口面に縄掛け突起(なわかけとっき)がつく例が多くあります。断面形が円形で、丸竹を縦割りにして蓋と身とに成したようになっています。これは自然の丸太材を利用した棺(割竹形木棺)を石によって表現したものと考えられます。古墳時代前期に流行しますが、出土例は極めて少ないものです。付近では柏原市玉手山3号墳から出土したといわれているものが、横穴で有名な玉手町の安福寺(あんぷくじ)で保管展示されています。これは蓋だけで身は現在も墳丘に埋もれていると思われます。香川県の鷲の山(わしのやま)産の石でできており、身と蓋との合わせ目付近の側面には直線と円弧を組み合わせた模様の直弧紋(ちょっこもん)が彫刻されています。
   舟形石棺
舟形石棺は断面が舟状に扁平になっているところが割竹形石棺と異なりますが、刳抜式の石棺で縄掛け突起をもつものが多いことなど形態的に近いものもあり、主に前期古墳から出土することなど時期的にも同じことから、両者は同じ系譜上のものと考えられています。また、身の断面が細長い箱形になり、蓋が屋根形のものは、今まで家形石棺の範疇に入れていましたが、最近では、系譜上、舟形石棺として扱うほうが合理的とされています。したがって以前説明した長持山古墳1号棺も舟形石棺と考えることがあります。
家形石棺のこと
   家形石棺
家形石棺は、蓋部が屋根形を成しており、普通内側にも刳り込みがあります。蓋には縄掛け突起(なわかけとっき)と呼ばれる方形の突起が認められ、古いものでは上方に伸びていますが、新しくなると下方に下がる傾向にあります。蓋天井部の平坦面は、時期が新しくなるにつれて広くなる傾向にあります。
石質は主に播磨(はりま)の竜山石(たつやまいし)のもの、二上山の凝灰岩(ぎょうかいがん)のものがあります。使用された古墳は主に後期の横穴式石室ですが、長持山(ながもちやま)古墳や唐櫃山(からとやま)古墳の石棺が、舟形石棺ではなく、この石棺の初現であるという説にしたがうと、5世紀末までその出現がさかのぼるということになります。
付近では河南町(かなんちょう)の史跡金山(かなやま)古墳の横穴式石室に2基の凝灰岩刳抜式家形石棺が納められています。
以上、二話に分けて石棺の種類について述べてきましたが、これで石棺の話を終了したいと思います。 
 
 
●古市古墳群
古市古墳群ってなに?
大阪府の東南部、藤井寺市から羽曳野市にかけて、巨大な前方後円墳が集中してつくられたエリアがあります。これを古市古墳群とよんでいます。
古市古墳群には、前方後円墳31基、円墳30基、方墳48基、墳形不明14基、計123基から構成され、群中には墳丘長200m を超える巨大な前方後円墳6基を含んでいます。4世紀後半から6世紀中葉に形成されたことが知られます。
この古墳群の特色の一つは、墳丘長400mを超える巨大な前方後円墳、誉田御廟山古墳から一辺10mに満たない小型方墳まで、墳形と規模にたくさんのバラエティをもっていることです。奈良盆地に造られた前期の大型古墳群が、前方後円墳と前方後方墳で構成されていることを考えると、対照的な姿であります。
特色のその二は、墓室構造の変化があります。大王の墳墓と推定されるような巨大な前方後円墳には、兵庫県竜山付近で産する石を使った長持形石棺という組み合わせ式の石棺を納め、そのまわりを石で囲む竪穴式石槨という葬法が採用されたようです。前期古墳に共通する長大な割竹形木棺とそれをつつむ長大な竪穴式石槨はみられなくなります。ただ、古市古墳群の中・小型の前方後円墳、円墳や方墳には、初期の段階で長大な割竹形木棺を粘土で包む葬法が見られ、中ごろから後半には、箱形の木棺を直接墳丘に埋め込んだり、大陸伝来の横穴式石室を採用するようにもなります。
特色のその三は、古墳に納められる副葬品に鉄製品、なかでも武器や武具が目立つことです。前期の古墳の副葬品の主役だった鏡や腕輪形石製品は数が少なくなったり、副葬しなくなります。また鉄製品は、非常に数の多いことが知られています。たとえば、アリ山古墳や西墓山古墳に納められた鉄器の数は、それぞれ2、000点を超えているのです。
特色のその四は、金や銀を使ったきらびやかな製品が副葬品に含まれるようになることです。金メッキされた誉田丸山古墳や長持山古墳出土の馬具はその代表格です。また、この古墳群の後半につくられた峯塚古墳の出土品では銀製品が目立っています。
これらの特色を総合すると、古市古墳群は、大王を頂点にして、その親族および大王につかえた人々を中心に形づくられたことが考えられます。また、墳形や墓室構造の多様性は、葬られた人の生前の地位を古墳造りに反映させていたことの表れだと理解されます。さらに、副葬品に鏡や石製腕飾りが減り、鉄製の武器・武具、金銀製品が目立つ傾向は、大王が宗教的司祭者の立場から支配者としての実力を誇示するように変わっていったことを現しているようです。
4世紀の後半以降の大王の墳墓造りは、この古市古墳群と約10キロm西方の堺市百舌鳥古墳群を舞台に活発に展開されます。それまでの大王の墳墓造りは、奈良盆地の中で行われてきましたので、大王の墳墓が奈良盆地から大阪平野に移ったともいえます。この大王の墳墓の移動にはさまざまな議論があります。その一つは、河内勢力が力をつけ、大和勢力にとってかわって政権の地位についたという理解の仕方です。また一つは大和勢力がさらに力をえて河内に墳墓造りを進めた、とするものです。この謎をとくには河内勢力の前期から中期にかけての動向を遺跡や遺物からあとづけていくことが必要ではないでしょうか。
古市古墳群や百舌鳥古墳群に大王の墳墓と目される巨大古墳が造られるのは、5世紀を中心にする時間帯です。この時間帯はまさに中国文献に登場する倭の五王の時代と重なります。この5人の倭王の墳墓は古市古墳群と百舌鳥古墳群に築かれたのです。倭の五王は国内の政治的安定と東アジアの国際社会への雄飛を巨大な墳丘に託したのでしょうか。
前方後円墳
1 誉田御廟山(応神陵)
墳丘長(m):425 / 所在地(市):羽曳野
誉田御廟山古墳(応神陵)は墳丘長425mで、堺市の大仙古墳(仁徳陵)に次ぐ全国第2位の墳丘長を測ります。また、古墳の表面積や体積では大仙古墳を上回り全国一の巨大古墳です。前方部を北北西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に方壇状の造出しを備え、濠と堤を二重にめぐらせています。墳丘や内・外堤の斜面には葺石が施され、円筒埴輪が確認されています。埴輪はすべて窖窯で焼成された製品です。円筒埴輪は基部の径が40センチm前後の大型品が多く、形象埴輪には家・蓋・靱・水鳥・馬形等があり、蓋形木製品や各種魚形土製品も出土しています。築造年代は、埴輪の特徴から5世紀前半代に比定されます。なお、後円部南側に現存する誉田八幡宮の境内には長持形石棺や石槨の一部と推測される石材が残されており、本墳から出土したものと考えられ、内部の様子をうかがうことができる重要な資料です。
2 仲津山(仲津媛陵)
墳丘長(m):290 / 所在地(市):藤井寺
国府台地の最高所に築造された墳丘長290mの前方後円墳で、古市古墳群内では誉田御廟山古墳(応神陵)に次ぐ墳丘長を測り、全国でも8、9番目の大きさを誇ります。前方部を南西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に方壇状の造出しを備え、幅が狭く深い濠と幅広の堤を周囲にめぐらせています。内部施設や副葬品について詳細は不明ですが、石棺が存在することや勾玉が出土したことが伝わっています。また、外堤上では発掘調査が頻繁に実施され、前方部前面側の調査では円筒埴輪列が確認されたほか外堤外法面に葺石が施されていることがわかりました。堤から出土した埴輪には、円筒埴輪のほか蓋・盾・靱等の形象埴輪があります。築造年代は、埴輪の特徴から5世紀前半代に比定され、誉田御廟山古墳(応神陵)出土埴輪よりも古い様相をうかがうことができます。
3 岡ミサンザイ(仲哀陵)
墳丘長(m):245 / 所在地(市):藤井寺
羽曳野丘陵の北東部外縁に築造された墳丘長242mの前方後円墳です。平成8年に実施された宮内庁による発掘調査で、墳丘は中世に城郭として利用され、大規模な改変を受けており、古墳本来の姿を大きく失っていることがわかりました。前方部を南南西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部東側のみに造出しを備え、主軸線上で幅50mを測る幅広の濠と堤を周囲にめぐらせています。内部施設や副葬品については不明ですが、外堤上で実施された発掘調査では円筒埴輪列が確認されています。また、東側外堤上では、濠の掘削に伴う湧水を段丘崖に排水するため開削されたと推定される大規模な溝が検出され、大型前方後円墳の築造過程を理解する上で重要な成果を得ています。墳丘と外堤から出土した埴輪は共通の特徴をもち、窖窯で焼成された製品で、円筒埴輪のほか盾等の形象埴輪が出土しています。築造年代は、埴輪の特徴から5世紀後葉から末頃に比定され、市野山古墳(允恭陵)よりも新しくボケ山古墳(仁賢陵)よりも古い様相をうかがうことができます。
4 市野山(允恭陵)
墳丘長(m):230 / 所在地(市):藤井寺
国府台地の北端に築造された墳丘長230mの前方後円墳です。墓山古墳や茨木市の太田茶臼山古墳(継体陵)ときわめてよく似た規模と平面プランで、その整美な外観は古墳時代中期の代表的な墳形といわれています。前方部を北に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に造出しを備えています。周囲には幅25〜30mの内濠と外堤、さらにその外側に溝をめぐらせています。外側の溝は後円部や前方部側では確認されていないため、全周しない可能性があります。内部施設や副葬品については不明で、外堤上で円筒埴輪列は確認されていませんが、外側の溝から埴輪が出土しています。出土した埴輪は、窖窯で焼成された製品で、円筒埴輪のほか家・盾・靱・蓋・人物等の形象埴輪が出土しています。築造年代は、埴輪の特徴から5世紀中葉から後葉に比定され、誉田御廟山古墳よりも新しく岡ミサンザイ古墳よりも古い様相をうかがうことができます。
5 墓山
墳丘長(m):225 / 所在地(市):羽曳野
古市古墳群のほぼ中央に位置し、墳丘長225mを測り、古市古墳群内で5番目の規模を誇る大型前方後円墳です。現在、墳丘は「応神天皇陵」の「陪冢」として宮内庁に管理されています。前方部を西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に方壇状の造出しを備えています。周囲には幅約15mの濠と幅約37mの堤をめぐらせ、市野山古墳(允恭陵)や茨木市の太田茶臼山古墳(継体陵)ときわめてよく似た規模と平面プランです。後円部頂には格子目を刻んだ竜山石製の石棺の蓋石が露出していたことが報告され、津堂城山古墳や奈良県御所市の室大墓古墳と同様の石棺が用いられたと推測されます。また、後円部頂から出土したと伝えられる多量の滑石製勾玉や家・盾・靱・短甲等の形象埴輪が宮内庁に保管されています。前方部南側の外堤で実施された発掘調査では堤内側の斜面に葺石が施されていることが確認され、転落した円筒埴輪や盾・人物等の形象埴輪が出土しています。出土した埴輪、石製品や石棺の特徴から築造年代は、5世紀前半代に比定されます。
6 津堂城山
墳丘長(m):210 / 所在地(市):藤井寺
羽曳野丘陵の最北端に位置し、古市古墳群の中では初期に築造された大型前方後円墳で、墳丘長は208mを測ります。室町時代に「小山城」が築城されたことなどにより、墳丘はかなり削平をうけていますが、墳丘の裾部は旧状をよくとどめています。前方部を南西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に方壇状の造出しを備えています。周囲には二重の濠と堤をめぐらせていることが発掘調査によって確認されています。1912年に後円部頂の竪穴式石槨から蓋石に亀甲文を刻んだ長持形石棺が発見されました。石棺の内外からは鏡や巴形銅器などの銅製品、硬玉製勾玉や石製腕飾類などの石製品、素環頭刀身や三角板革綴式短甲などの鉄製品が出土しています。1983年に東側内濠で実施された発掘調査では一辺17m、高さ1.5mを測る方墳状の施設が検出され、斜面の上部には3基の水鳥形埴輪(重要文化財)が配置されていました。その他、発掘調査では円筒埴輪や家、蓋、衝立、盾などの形象埴輪が出土しています。築造年代は、埴輪や石棺及び副葬品の特徴から4世紀後半に求められます。
7 軽里大塚
墳丘長(m):200 / 所在地(市):羽曳野
羽曳野丘陵から東側に延びる低い舌状の尾根に築造された前方後円墳で、墳丘長は190mを測ります。宮内庁により「日本武尊白鳥陵(やまとたけるのみことはくちょうぼ)」に治定され、墳丘は精美な姿で残っています。前方部を西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に造出しを備えています。周囲には幅約35mの濠と上面幅21mの堤をめぐらせていることが羽曳野市教育委員会の発掘調査によって確認されています。墳形は前方部幅が後円部径の約1.5倍で、高さも前方部が3m高い特徴があります。1981年に宮内庁によって実施された墳丘裾崩壊箇所の発掘調査では、後円部の円筒埴輪列が確認されたほか、朝顔形埴輪や家、蓋などの形象埴輪が出土しています。円筒埴輪は市野山古墳(允恭陵)と同様な特徴が見受けられ、築造年代は5世紀後葉頃に比定されます。
8 野中宮山
墳丘長(m):154 / 所在地(市):藤井寺
洪積段丘上に築造された墳丘長154mの前方後円墳です。墳丘は後世の改変が著しいため築造当初の姿をイメージすることは、きわめて難しくなっています。前方部を西に向け、墳丘は三段築成です。周囲には濠と堤をめぐらせ、さらに堤の外側には区画用と目される溝が掘削されていることが発掘調査によってわかりました。墳形は前方部長が後円部径に比して短くかつ幅の狭い「柄鏡形」を呈すること、前方部が後円部より約4m低いこと、堤が墳丘に沿って前方後円形であることなどが古い要素として挙げられます。後円部頂には板石が散乱していることから竪穴式石槨が存在しているものと推測されます。副葬品は板状の銅製品の出土が伝わっている以外、詳細は不明です。1984・85年の発掘調査によって墳丘には葺石が施されていること、後円部では円筒埴輪列がめぐることが確認されました。また南側のくびれ部では造出しが検出され、壺形埴輪が列状に配されていることや家、蓋、盾、囲み、水鳥、鶏、馬、猪などの形象埴輪が出土しています。円筒埴輪の特徴や形象埴輪の組成から、築造年代は5世紀前半に比定されます。
9 古室山
墳丘長(m):150 / 所在地(市):藤井寺
国府台地の西端縁辺に築造された前方後円墳で、墳丘長は150mを測ります。墳丘は後世の改変をさほど受けておらず、築造当初の優美な姿を今に伝えています。前方部を北東に向け、墳丘は三段築成で、造出しはくびれ部東側のみに残存しています。また、前方部の北側にある高まりは堤の一部です。内部構造や副葬品について詳細は不明ですが、後円部頂に板石が散乱していることから竪穴式石槨が存在しているものと推測されます。1984・85年に発掘調査が実施され、墳丘と堤の内側斜面に葺石を施していることなどがわかりました。出土した埴輪は円筒埴輪のほかに蓋形埴輪があります。円筒埴輪の特徴から北東に隣接する仲津山古墳(仲津姫陵)とほぼ同時期に築造されたものと考えられます。
10 ボケ山
墳丘長(m):122 / 所在地(市):藤井寺
ボケ山古墳(仁賢天皇埴生坂本陵)は墳丘長122mで、前方部を南西に向けた前方後円墳です。くびれ部のやや前方部寄りに造出しをもち、周囲には濠と堤をめぐらせています。後円部の幅や高さに対して前方部のそれが大きく上回る平面形態を呈し、古市古墳群の中では新しい時期の特徴を見出すことができます。墳丘の外表施設や内部施設は不明ですが、堤上から出土した円筒埴輪は6世紀前葉に比定されます。1981年に前方部北西側外堤に接する斜面で実施された羽曳野市教育委員会による発掘調査では、二基の埴輪窯跡が検出されました。窯跡から出土した埴輪は堤上から出土したものとほとんど特徴に差がなく、窯跡の構築がボケ山古墳の築造を契機としてなされたことがわかりました。大王墓の築造に伴う埴輪の製作と供給のプロセスを明らかにする上で、極めて重要な成果といえます。
11 高屋城山 ・・・墳丘長(m):122 / 所在地(市):羽曳野
12 白髪山 ・・・墳丘長(m):115 / 所在地(市):羽曳野
13 二ツ塚 ・・・墳丘長(m):110 / 所在地(市):羽曳野
14 大鳥塚 ・・・墳丘長(m):110 / 所在地(市):藤井寺
15 はざみ山 ・・・墳丘長(m):103 / 所在地(市):藤井寺
16 峯ケ塚 ・・・墳丘長(m):96 / 所在地(市):羽曳野
17 高屋八幡山 ・・・墳丘長(m):85 / 所在地(市):羽曳野
18 盾塚 :墳丘消失 ・・・墳丘長(m):73 / 所在地(市):藤井寺
19 鉢塚 ・・・墳丘長(m):60 / 所在地(市):藤井寺
20 唐櫃山 ・・・墳丘長(m):59 / 所在地(市):藤井寺
21 蕃上山 :墳丘消失 ・・・墳丘長(m):53 / 所在地(市):藤井寺
22 鞍塚 :墳丘消失 ・・・墳丘長(m):51 / 所在地(市):藤井寺
23 稲荷塚 ・・・墳丘長(m):50 / 所在地(市):藤井寺
24 水塚 :墳丘消失 ・・・墳丘長(m):47 / 所在地(市):羽曳野
25 小白髪山 ・・・墳丘長(m):46 / 所在地(市):羽曳野
26 西山 :墳丘消失 ・・・墳丘長(m):40 / 所在地(市):羽曳野
27 城不動坂 :墳丘消失 ・・・墳丘長(m):36 / 所在地(市):羽曳野
28 青山2号 :墳丘消失 ・・・墳丘長(m):33 / 所在地(市):藤井寺
29 軽里3号 :墳丘消失 ・・・墳丘長(m):33 / 所在地(市):羽曳野
30 次郎坊2号(林9号) :墳丘消失 ・・・墳丘長(m):20 / 所在地(市):藤井寺
31 軽里4号 :墳丘消失 ・・・墳丘長(m):18 / 所在地(市):羽曳野
円墳
32 島泉丸山 ・・・径(m):75 所在地(市):羽曳野
33 青山(青山1号) ・・・径(m):62 所在地(市):藤井寺
34 誉田丸山 ・・・径(m):50 所在地(市):羽曳野
35 高塚山 :墳丘消失 ・・・径(m):50 所在地(市):藤井寺
36 宮の南塚 ・・・径(m):40 所在地(市):藤井寺
37 長持山 :墳丘消失 ・・・径(m):40 所在地(市):藤井寺
38 越中塚 :墳丘消失 ・・・径(m):39 所在地(市):藤井寺
39 兎塚1号 :墳丘消失 ・・・径(m):36 所在地(市):藤井寺
40 赤子塚 :墳丘消失 ・・・径(m):34 所在地(市):藤井寺
41 五手治 :墳丘消失 ・・・径(m):33 所在地(市):羽曳野
42 青山7号 :墳丘消失 ・・・径(m):32 所在地(市):藤井寺
43 今井塚(はざみ山1号) :墳丘消失 ・・・径(m):32 所在地(市):藤井寺
44 御曹子塚 :墳丘消失 ・・・径(m):30 所在地(市):藤井寺
45 横江(小山1号) :墳丘消失 ・・・径(m):30 所在地(市):藤井寺
46 矢倉(野々上1号) :墳丘消失 ・・・径(m):28 所在地(市):羽曳野
47 軽里2号 :墳丘消失 ・・・径(m):25 所在地(市):羽曳野
48 下田池(はざみ山3号) :墳丘消失 ・・・径(m):25 所在地(市):藤井寺
49 北大蔵(林11号) :墳丘消失 ・・・径(m):23.4 所在地(市):藤井寺
50 若子塚(軽里1号) :墳丘消失 ・・・径(m):23 所在地(市):羽曳野
51 藤の森 :墳丘消失 ・・・径(m):22 所在地(市):藤井寺
52 蕃所山 ・・・径(m):22 所在地(市):藤井寺
53 潮音時北 :墳丘消失 ・・・径(m):22 所在地(市):藤井寺
54 狼塚(土師の里10号) :墳丘消失 ・・・径(m):21 所在地(市):藤井寺
55 沢田(林2号) :墳丘消失 ・・・径(m):20 所在地(市):藤井寺
56 衣縫塚 ・・・径(m):20 所在地(市):藤井寺
57 落塚 :墳丘消失 ・・・径(m):20 所在地(市):藤井寺
58 道端(土師の里3号) :墳丘消失 ・・・径(m):20 所在地(市):藤井寺
59 白鳥1号 :墳丘消失 ・・・径(m):20 所在地(市):羽曳野
60 サンド山2号(はざみ山2号) :墳丘消失 ・・・径(m):20 所在地(市):藤井寺
61 西代1号 :墳丘消失 ・・・径(m):15.7 所在地(市):藤井寺
62 翠鳥園12号 :墳丘消失 ・・・径(m):15 所在地(市):羽曳野
63 元屋敷(林1号) :墳丘消失 ・・・径(m):15 所在地(市):藤井寺
64 葛井寺3号 :墳丘消失 ・・・径(m):13 所在地(市):藤井寺
65 大正橋1号 :墳丘消失 ・・・径(m):10 所在地(市):藤井寺
66 葛井寺1号 :墳丘消失 ・・・径(m):10 所在地(市):藤井寺
67 土師の里1号 :墳丘消失 ・・・径(m):- 所在地(市):藤井寺
68 塚穴(土師の里6号) :墳丘消失 ・・・径(m):- 所在地(市):藤井寺
69 古地(林5号) :墳丘消失 ・・・径(m):- 所在地(市):藤井寺
方墳
70 向墓山 ・・・一辺(m):68 所在地(市):羽曳野
71 浄元寺山 ・・・一辺(m):67 所在地(市):藤井寺
72 鍋塚 ・・・一辺(m):63 所在地(市):藤井寺
73 東山 ・・・一辺(m):57 所在地(市):藤井寺
74 島泉平塚 ・・・一辺(m):50 所在地(市):羽曳野
75 中山塚 ・・・一辺(m):50 所在地(市):藤井寺
76 八島塚 ・・・一辺(m):50 所在地(市):藤井寺
77 アリ山 :墳丘消失 ・・・一辺(m):45 所在地(市):藤井寺
78 西馬塚 ・・・一辺(m):45 所在地(市):羽曳野
79 栗塚 ・・・一辺(m):43 所在地(市):羽曳野
80 久米塚 :墳丘消失 ・・・一辺(m):42 所在地(市):羽曳野
81 野中 ・・・一辺(m):37 所在地(市):藤井寺
82 助太山 ・・・一辺(m):36 所在地(市):藤井寺
83 岡 :墳丘消失 ・・・一辺(m):33 所在地(市):藤井寺
84 割塚 ・・・一辺(m):30 所在地(市):藤井寺
85 珠金塚西(土師の里7号):墳丘消失 ・・・一辺(m):30 所在地(市):藤井寺
86 東馬塚 ・・・一辺(m):30 所在地(市):羽曳野
87 西清水(土師の里5号):墳丘消失 ・・・一辺(m):30 所在地(市):藤井寺
88 珠金塚 :墳丘消失 ・・・一辺(m):27 所在地(市):藤井寺
89 松川塚 ・・・一辺(m):25 所在地(市):藤井寺
90 赤面山 ・・・一辺(m):22 所在地(市):藤井寺
91 隼人塚 ・・・一辺(m):20 所在地(市):羽曳野
92 野々上 ・・・一辺(m):20 所在地(市):羽曳野
93 大半山 :墳丘消失 ・・・一辺(m):20 所在地(市):羽曳野
94 小具足塚 :墳丘消失 ・・・一辺(m):20 所在地(市):藤井寺
95 茶臼塚 :墳丘消失 ・・・一辺(m):20 所在地(市):藤井寺
96 西墓山 :墳丘消失 ・・・一辺(m):20 所在地(市):藤井寺
97 青山4号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):20 所在地(市):藤井寺
98 藤ケ丘1号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):16 所在地(市):藤井寺
99 翠鳥園9号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):15 所在地(市):羽曳野
100 青山6号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):14 所在地(市):藤井寺
101 土師の里8号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):12 所在地(市):藤井寺
102 翠鳥園1号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):12 所在地(市):羽曳野
103 茶山1号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):10 所在地(市):羽曳野
104 土師の里9号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):10 所在地(市):藤井寺
105 西清水2号(土師の里12号) :墳丘消失 ・・・一辺(m):10 所在地(市):藤井寺
106 殿町 :墳丘消失 ・・・一辺(m):10 所在地(市):藤井寺
107 西楠(土師の里11号) :墳丘消失 ・・・一辺(m):8 所在地(市):藤井寺
108 青山3号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):8 所在地(市):藤井寺
109 青山5号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):7 所在地(市):藤井寺
110 翠鳥園2号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):6.5 所在地(市):羽曳野
111 葛井寺2号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):5.5 所在地(市):藤井寺
112 西代2号 :墳丘消失 ・・・一辺(m):4.5 所在地(市):藤井寺
113 次郎坊(林3号) :墳丘消失 ・・・一辺(m):- 所在地(市):藤井寺
114 ヒバリ塚(林4号) :墳丘消失 ・・・一辺(m):- 所在地(市):藤井寺
115 バチ塚(林6号) :墳丘消失 ・・・一辺(m):- 所在地(市):藤井寺
116 屋敷中1号(林7号) :墳丘消失 ・・・一辺(m):- 所在地(市):藤井寺
117 屋敷中2号(林8号) :墳丘消失 ・・・一辺(m):- 所在地(市):藤井寺
118 屋敷中3号(林10号) :墳丘消失 ・・・一辺(m):- 所在地(市):藤井寺
119 志貴県主神社南(惣社1号) :墳丘消失 ・・・一辺(m):- 所在地(市):藤井寺
120 兎塚2号:墳丘消失 ・・・一辺(m):- 所在地(市):藤井寺
121 西出口(林13号) :墳丘消失 ・・・一辺(m):- 所在地(市):藤井寺
墳形不明
122 サンド山 ・・・所在地(市):藤井寺
123 土師の里2号 :墳丘消失 ・・・所在地(市):藤井寺
124 東楠(土師の里4号) :墳丘消失 ・・・所在地(市):藤井寺
125 長屋1号(惣社2号) 藤井寺:墳丘消失 ・・・所在地(市):藤井寺:参考文献:石川16
126 長屋2号(惣社3号) :墳丘消失 ・・・所在地(市):藤井寺:参考文献:石川16
127 折山 :墳丘消失 ・・・所在地(市):藤井寺
128 小森塚 :墳丘消失 ・・・所在地(市):藤井寺
129 翠鳥園10号 :墳丘消失 ・・・所在地(市):羽曳野
130 尻矢(林12号) :墳丘消失 ・・・所在地(市):藤井寺